【未完・移行予定】 紅魔の崩壊記 〜the Oldest sister of Scarlet Devil (平熱クラブ)
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第1章 紅魔一家
第1話 スカーレット家長女


やっと…………
連載が始められました…………
_:(´ཀ`」 ∠):


 覚悟とはなにか。

 彼女はそのとき、己の胸に問い質した。

 決意とはなにか。

 彼女はそのとき、己の胸に手をあてた。

 

 

 窓から射し込む月光によって照らされた、四方の壁が絵画で彩られた薄暗い部屋。月明かりによって浮いた埃が宙に映し出され、その中をほんの少しだけ咳こみながら彼女は突っ切るようにして歩いていく。

 

 

 

 その先にあるのは、ポツンと床に置かれた籠。

 

 

 

 側まで歩み寄ると、籠をソッと静かに抱き上げる。その籠の中でスヤスヤと眠る赤子を見つめながら、彼女は呟いた。

 

「ごめんなさい……」

 

 悪魔としての一生を背負わせてしまったことへの懺悔。

 

 

 

 右腕で籠を支えながら、左手で赤子にかかった布に手を伸ばす。銀色の髪が月明かりの反射で鈍く輝き、背中から生えた白く小さな羽が顕になる。

 

 

 

 

 天使–––––悪魔とかけ離れたその姿は、悪魔として生きる宿命を拒んでいるかのようだった。

 

 

 

 

 かつて我々は戦いに敗れ、なにも守れないまま数多の犠牲を生んだ。悪魔として生きる以上、搾取する側になるか搾取される側になるか……

 振り返れば、血と罪にまみれた己の歩んだ道だけが残る不毛な所業……それが悪魔の生涯。

 

 

 

 

 だからこそ……その生涯を背負わさせてしまったこの子を守っていかねばならない。その義務を果たすことが、いまの我々の使命なのだ……

 

 

 

 彼女は自分にそう言い聞かせながら、赤子の眠る籠を強く抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人間が悪魔を破ることもあると……? 

 ほう……」

 

 暗闇に揺れるロウソクの火。その火に照らされた歴史書を読みながら、少女は呟いた。見た目は人間で言えば10歳前後といったところか。

 腰まで届かんばかりの銀色の髪に、宝石を思わせるような緑の瞳。

 前開きの灰色のベストを重ねた白の長袖のカッターシャツを着用し、ベストの上から腹部の辺りに紅い帯が巻かれ、その結び目を左腰に垂らしていた。

 それに加えて、紅いラインが縁に入った白のロングスカートに、足首の辺りに紅い紐が巻かれた灰色のブーツ。シャツの襟元には純白のスカーフが巻かれ、瞳と同色の宝石がはめ込まれたひし形の装飾品で留められていた。

 

 

 大雑把に言えば、白を基調とした服装だった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、もう一つ大きな特徴があった––––––

 

 

 

 

 

 

 この歴史書は人間の街で保管されていたものらしい。

 

 

 悪魔は絶対的な力を持ち、それに敵う人間はいない。一般的な認識として間違ってはいないが、稀に悪魔をいとも簡単に葬り去る程の力を持った人間がいるらしい。

 

「もっとも、人間のいる所に流されるような悪魔では無理もないか……」

 

 

 

 

 吸血鬼––––それは……

 

 

 

 

 

 

 コンコン……

 

 

 

 ノックの音が部屋の静寂を遮る。

 

「何用だ」

 

 その音に、少女はぶっきらぼうに答えた。

 

「すまん、母さんのことでな……」

 

 少女は読んでいた本を閉じた。結び目の長い紅のリボンが巻かれた白のナイトキャップを机の上から取り、頭に被る。椅子の背もたれにかけてあった白い衣類を取り、それを肩に羽織る。それはスカート同様、縁に紅いラインが入り、二層に重なった短めのケープだった。

 

 

 

 スタスタと歩いてドアに向かう。ガチャリ、と開けたドアの前には1人の男が立っていた。

 彼は、その少女の父親だった。

 そして、" 紅魔館 "と呼ばれるこの館の当主にして、" 吸血鬼 "と呼ばれる悪魔の一角を担う

 " スカーレット家 "の長でもあった。

 

 

 

 漆黒の髪を後ろに流し、整った髭をたくわえた貴族のような出で立ちだった。

 そして血の如く紅い目に、蝙蝠のものに似た悪魔の翼。これらの特徴が、吸血鬼である何よりの証拠だった。父親が吸血鬼であるならば、この少女もまた必然的に吸血鬼であった。

 だが………

 

「母上が何か?」

 

 彼女は用件を尋ねた。

 

「フィルシア……母さんのお腹に子供がいるのは知っているだろ? ……生まれるんだ、もうすぐな……!」

「ほう……」

 

 フィルシアと呼ばれた少女は短く返事した。子を身篭った母親は出産を控え、寝室で大事をとっていた。その出産の時期が間近に迫っていることを父親は伝えに来たのだった。

 

「これでお前ももう、立派なお姉ちゃんだな。弟か妹が生まれるんだ……! どっちだと思う?」

「さあ、どっちだろうな」

 

 興奮気味に問い掛ける父親とは対照的にフィルシアは素っ気なく答えた。会話の中で、全くと言っていいほど表情は変わらない。

 

「えぇと……」

 

 彼は困ったような笑みを浮かべて、指でポリポリと頭を掻いた。娘の様子に戸惑いを見せながらも、父親は会話を続けようとする。

 

「……生まれるとき、お前には別の部屋で待機しててもらう。母さんや生まれてくる子供が気になるかもしれんが、我慢してくれるか……?」

「心配はいらん。弟だか妹だか知らんが、そもそも興味など無い」

「…………」

 

 ここでようやく父親は言葉に詰まってしまう。

 心配はいらない……彼女の指す心配と彼が心配していることには乖離があった。彼の心配とは、いまの娘の態度そのもののことだった。

 弟、もしくは妹の誕生だというのに少しも喜ばしい様子を見せない娘。

 たしかに、以前から他人に興味を持たない性格ではあったが、これから生まれてくる新たな家族にさえ関心を向けないとは……

 

「はぁ……」

 

 思わず肩を落として溜息をついてしまう。その様子はまるで、先程まで無理に会話を弾ませようとした努力を全て放り投げたかのようだった。

 

「……フィル、どうしてお前は……」

「…………」

 

 疑問の声をあげながらも、父親はその理由(ワケ)を察していた。

 

 

 

 

 彼女にはもう一つ大きな特徴があった––––––

 

 

 

 

 吸血鬼は一般的に、彼女の父親のような翼や目を特徴に持つ。一言で言えば、悪魔と呼ぶに相応しい姿をしたのが吸血鬼だった。

 だが、この少女……フィルシア・スカーレットはそれとは真逆の特徴を備えていた。

 

 

 

 背中から生えた白鳥のような純白の翼、妖しさどころか神秘すら感じさせる宝石のような緑の瞳。

 

 

 

 悪魔という言葉が最も似つかわしくない、まさに天使と呼ぶに相応しい姿––––––つまりは、悪魔に最も忌み嫌われる姿であった。

 そんな天使が吸血鬼の名を語る……他の吸血鬼からすれば、これほどまでに己の誇りが汚されたように感じることはないだろう。

 故に、彼女は忌避の眼差しを幾度となく向けられてきた。ある時には側を通りすがっただけで罵声を浴びせられ、またある時には暴力に(ひざまず)かされた。

 当然、両親は娘を庇おうと力を尽くしたが、それで周囲の忌避が無くなることはなく、今でもそれは変わらない。

 この世に生を受け、わずか10年あまり。それまでの忌避と侮蔑の歴史がいまの彼女を作りあげた。

 彼女は自分以外の者との間に溝を作り、繋がりを作ることを避けていた。それは身内といえど例外ではなく、この館の中でも一室に籠るばかりであった。

 

「……スカーレット家の権威は潰えたも同然、それも長女にして第一子たる私が、こんな出来損ないではな……」

「よせ、フィル……」

 

 強めの口調で制止しようとする父親。しかし、それに構うことなくフィルは続けた。

 

「だが、これから生まれくる子がかつての権威を取り戻してくれるやもしれぬぞ。もっとも、私のような落ちこぼれでなければ、の話だがな……」

「オイ……」

 

 父親は彼女の両肩を掴み、壁に抑えつけた。

 

「いい加減にしろ………お前は何故そこまで自分を貶める……?」

 

 彼女を強く睨みつけたまま肩を掴む力を強め、壁に抑えつける力をグッと上げた。

 

「さてな……? これまで私を愚弄した連中に聞けば分かるのではないか?」

 

 しかし、フィルは動じるどころか少しばかり口角を吊り上げ、父親を嘲笑うかのような笑みを浮かべてみせた。

 

「それとも、御自分の胸に手をあてて考えてみるか? 私をこの世に生みだしたのはどなただったか……」

「ッ……!!」

 

 ギリギリと歯を鳴らす父親だったが、諦めたかのように溜息をつき、急に力を抜いて、ガクリと膝をついた。

 彼女はいま、周囲から忌避されるような姿でこの世に生みだしたのは誰かと言ったのだ。そして、その答えは彼女の目の前にあった。

 

「すまない、フィル……」

「………」

 

 ここで謝罪を述べたということは、彼女を忌避されるような姿で生んだのが自分たちであることを認めたようなものだった。いや、実際に認めていたのだ。彼女が嫌悪の目を向けられている理由は、その容姿……そんな身体に彼女を生み出したのは紛れもなく彼等であった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、そのことに罪の意識を抱いていたのも事実だった。

 

 

 

 

 

 

 

 父親はフィルの肩に手を置いたまま、床に膝をついた。

 

「だが、これだけは覚えておいてくれ……母さんと俺は…… 何があっても、お前の味方だ……」

「………」

 

 彼女は何も言わず表情を変えぬまま、ソッと父親の手をどけて自分の部屋へと戻っていった。

 バタン……… と、ドアが閉じられた音の余韻が響きわたる。

 

 

 

 

 彼女はいま、不安で仕方がないのだろう。

 悪魔として忌むべき天使のような姿に生んだ我々を恨んでいる。それを理由に、これまで親に対して無礼とも取れる態度をとってきた。罵声だって浴びせてきた。それも幾度となく……

 

 

 母親が身ごもったのは、その矢先のことだった。

 

 

 

 

 長女が出来損ないだから……親に歯向かうことばかりしてきたから……

 そんな長女を見限って、新たな子供を授かったのではないかと。これまで、傷を負った自分を心配して接しようとしてくれた親も、これから生まれる子供へと情愛が移ってしまうのではないか………と。

 

 

 

 

 

「絶対に見捨てるようなマネはしないからな……」

 

 

 

 

 

 彼の声を聞く者は誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 吸血鬼──それは人間の世界に追放された悪魔。

 

 

 

 

 スカーレット家──それは吸血鬼の一角にして、彼等が流刑の名の下に追放される元凶となった存在。

 

 

 フィルシア・スカーレット…………

 悪魔が最も忌み嫌う姿を生まれ持った身でありながら、悪魔としての一生を背負う彼女に何が待ち受けるのか。

 

 

 

 

 

 

 血と罪にまみれた道を歩んだ先にあるものとは、果たして…………

 

 

 

 

 

 

 

 




お読みくださり、ありがとうございます。

リヴィ(Live)様から頂きました!
素敵なイラストをありがとうございます!

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第2話 第一子として

少し間が空いてしまいました……
早く慣れねば……





 

 

 

 

 

 

「もうすぐ弟、若しくは妹が生まれると……」

 

 壁に背を預けたまま、腕組みをした男は問いかけた。

 

「最も、その姉は興味など無いようだがな……

 悪魔として申し分ない姿であれば、何も問題は起こらない……逆に悪魔から嫌われる姿であれば、私と同じ道を辿る……

 ただ、それだけの違いであろう?」

 

 フィルシア・スカーレットはそう答えたが、その男は彼女の言葉を否定してみせる。

 

「興味が無い、というのは正確ではないな……興味を抱かないようにしている、と言うべきか……

 お前は本当は期待しているのであろう? これから生まれくる子に……」

「何のデタラメだ、伯父よ…………」

 

 シャネス・スカーレット–––––フィルシアの父方の伯父。彼女の父親の弟という立ち位置にある人物だった。

 見た目は少し老けた印象といったところか。

 彼女のように若々しく透き通った銀色の髪とは逆に、暗い鉛色のクシャクシャになった髪。目の下に出来た隈に痩せた頰。少し病弱な感じを思わせる面立ちだった。

 

「お前自身が言った、生まれくる子が権威を取り戻してくれるかもしれないとな」

「聞いていたのか」

 

 その問い掛けにコクリと頷いて、返答を示す。

 フィルは、それを鼻で笑ってみせた。

 

「……それがただの皮肉であることを見抜けないようでは存外……お前もまだまだのようだな」

「……それがただの本音であることを隠せないようでは矢張(やは)り、お前はまだまだのようだ」

 

 おうむ返しのようなシャネスの返答に、得意気な顔をしていたフィルは眉をひそめる。ほんの数秒前とは真逆の表情を浮かべていた。

 それを知ってか知らずか、シャネスは続ける。

 

「お前の考えなんて手に取るように分かるさ。親の差し伸べた手を振り払っていたのは、後ろめたさを感じていたからだろう?」

「………」

「周囲から忌避され続けてきた自分がスカーレット家の威厳を汚していると考えたお前は、敢えて破門されようとした。そうすれば、スカーレット家から出来損ないの第一子はいなくなるのだからな。

 ……兄上も、とんだ孝行娘を持ったものよ……」

 

 やれやれ……と言わんばかりに呆れた表情を浮かべながら溜息をついた。彼の発言が図星だったのか、それとも的外れだったのか、少なくとも彼女の表情からは読み取れない。無表情のまま、シャネスを見据えていた。

 

「お前に誤算があったとすれば、どんなに無礼な態度を取ろうと、親が決して見捨てようとしなかったことだろう……だが、このままだとスカーレット家は汚名を着せられたままだった。

 そんな悩みを抱えていた矢先に、母親が身篭った。そして、お前は期待を抱いた。その生まれくる子が威厳を取り戻してくれるのではないか……と」

 

 喋り疲れたのか、コホンッと咳込み、顎を左手でさする。一方で、フィルは相変わらず無表情のままだった。

 

「だが、お前は同時に不安も抱えていた。もし、その子供が権威を取り戻せるくらい才に溢れていたら……自分は間違いなく妬んでしまう……

 かつて自分がやられたような仕打ちをその子供にもしてしまうのではないか……

 だから、お前は興味を抱かないようにしていた。" 興味がない " と自分にひたすら言い聞かせ続けることでな……」

「……何故そう考える?」

 

 ここで漸くフィルが喋った。

 それに対し、一瞬だけ意外そうな表情を浮かべるシャネスだったが、すぐに表情を戻し、その問いに答えた。

 

「お前が破門される為に取った行動があまりに幼稚なものだったからだ。やったことといえば、単に親に反抗するだけ。そこらの人間の子供となんら変わりはない……

 本当に破門されたいのであれば、もっと過激な行動をとる選択があったはずだ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 例えば、親を片方殺す……とかな」

 

 

 

「殺す」という言葉に、一瞬動揺が走ったのかフィルの表情が険しくなる。今度は逆に、シャネスの表情は変わらないままだった。

 

「何が言いたい……?」

「つまり、お前は破門などされたくなかったのさ。家族と一緒にいたかったんだよ、これから生まれる子供も一緒に」

「………」

 

 フィルは何も言い返せなかった。

 

「一つ、忠告しておく。もし、お前が本当にスカーレット家の威厳を取り戻したいと考えているのなら………

 破門にされることこそが、スカーレット家の名を何よりも汚していることに他ならない。破門を下された者がいるということは、それだけの落ちこぼれを生み出してしまったという負の称号に過ぎないのだからな……

 一族から出来損ないを破門したところで、その一族は更に汚名を着せられることになる。

 それでもお前は、破門を望むのか……?」

 

「それは……」と言いかけるも、彼女はそこから先は言葉が出なかった。

 何度も口を開きかけるも、結局は何も言えず、ついには押し黙ってしまった。

 

 

 

 

 

 破門を望んだ……? 伯父の言う通り、自分がやったのは親への幼稚な反抗。

 ならば、確実に破門が下されるような過激な行動をとる覚悟があったのか……? 今すぐ、親をどちらか殺せるか? 

 

 

 

 

 

 

 そう問われたとき、頷ける自信は彼女になかった。そして、破門自体がスカーレット家の名を汚すことになると忠告された今までは、尚更だった。

 

 

 

 –––––母さんと俺は……何があってもお前の味方だ……

 

「…………」

 

 脳裏によぎる父親の言葉。あの時、彼女はハッキリとした安堵を覚えていた。つまりは、これまでシャネスの言ったことは全て図星だったのだ。

 彼の言う通り、彼女は新たな家族に興味がないのではなく興味を持たないようにしていた(・・・・・・・・・・・・・・)。フィル自身そのことを認識していたのか定かではないが、少なくとも叔父に言い詰められた今はハッキリと自覚していたに違いない。

 

 

 

 

 

 彼女は期待していた。

 

 

 

 権威を落としてしまっていた出来損ないの長女に代わり、スカーレット家にとって有望な存在となることを。

 

 

 

 それと同時に、その子を妬む心から危害を加えてしまうのではないかという不安を抱えていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 フィルは何も言わず……黙ったまま俯き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「スカーレット家はかつて、皇家(おうけ)に仕える武家だった……遥か昔から代々皇家を護り続け、その権威を誇ってきた一族だ。だが、皮肉にもその武家が反乱を起こし、戦に敗れ、この世界へと流される発端となってしまった」

「………」

 

 彼が唐突に語り始めたことで、その場の静寂が破られる。

 

「故にその権威は失われ、かつての栄光は見る影もない。更に、そこに生まれた第一子は出来損ないときた……」

 

 その言葉にフィルの目つきがキュッと細くなり、刻まれた傷を深くこじ開けられたような表情を浮かべる。当然、シャネスはその仕草を見逃さなかった。

 

「……というのは、お前自身が勝手に思い込んでいることだがな。お前の存在が更に権威を失わせてしまっていると考えているのは」

 

 コホンッと再び咳き込みながら、フィルに背を向け、話を続けた。

 

「だが、お前の親が守り続けてきたスカーレット家の誇りだけは絶対に忘れるな……

 

 

 

 先の戦も、皇家の者を護る為……

 

 

 

 ……武家としての使命を果たすためにお前の両親が蜂起した戦いだった。最終的に敗れはしたが、その使命はまだ終わっていない……」

「使命……?」

 

 フィルは頭に引っ掛かった疑問を口にする。自分の両親が蜂起した理由自体は知っており、継承者争いだったと彼女は聞かされていた。

 皇家の一族の1人についたスカーレット家は(おう)への反逆を起こし、戦いに敗れた。

 皇家の者を護る使命など、その時に潰えたものだと彼女は思っていたのだが。

 

「今はまだ言うまい……いずれ、知る時がくるだろう……」

 

 シャネスは答えなかった。

 

 –––––まだ終わっていない使命とは何なのだ? 

 

 フィルは()らされるのは好きなタイプではない。故に、親に聞く選択肢が頭に浮かんだのだが、すぐにその考えを振り払う。

 伯父の口から語られないということは、親も同様に口を開かない可能性が高い。

 何より、これは伯父との会話の中で浮かんだ疑問だ。その疑問が浮かんだ経緯を問い詰められ、迂闊に彼の存在が親に知られてしまうのは不味いことになりそうだった。

 

「私が1つ言いたいのは……妬みを抱く不安があるくらいなら、お前自身が権威を取り戻してみせろということだ」

「……私がか?」

 

 消え入りそうなほどに、か細い問いかけに彼は頷き、「そうだ」と肯定の意を示す。

 

「さっきも言った……

 スカーレット家の誇りを忘れるなと。お前に、スカーレット家の第一子という自覚があるのなら……

 

 

 強くなれ……

 

 

 お前が汚してしまったと思い込んだ分の誇りを取り戻せるくらいに………新たな家族を守れるくらいにな」

 

 シャネスはそう言い残して、部屋から出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かつての権威を取り戻す……私自身の手で……」

 

 私に出来るのだろうか……? 

 自分の掌を見つめながら考えていた。強さなど微塵も感じられない華奢な腕。もし、そこらの吸血鬼が本気でかかってきたら、簡単に折られてしまうのではないだろうか。

 身内どころか、自分の身すら守れる自信はなかった。そんな自分にどうしろと……

 

「だから強くなれと……」

 

 その時だった。

 何処か、遠くの部屋で赤子の泣き声がした。近くではない。だが、すぐ側にいるように感じてしまうほどに大きかった。

 

「生まれたか……」

 

 廊下、いや、館中に響き渡るくらいに生命の力がこもった泣き声。

 それはまるで、この世に生を受けたことを強く主張しているようだった。出産と同時に上がる泣き声は、呼吸をしている証拠だと聞いたことがある。

 いま、耳に響いている声を聞く限り十二分に呼吸が出来ているのだろう。どうやら、無事に生まれたらしい。静寂という単語を知らないくらいに、声を上げていた。

 

 

 

 

 

 

 ………私の場合はどうだったのだろう

 

 

 

 

 

 

 ふと、疑問に思った。

 

 コンコン……

 

 ノックの音がした直後に、父上が入って来た。

 

「生まれたぞ! お前の妹だ!」

「妹だったか」

 

 弟か妹のどちらか。コレに関しては、本当に興味は無かった。故に返事がまた、素っ気なくなってしまった。

 

「お前の妹は母さんといる。部屋まで来い」

「……分かった」

 

 返事をしてから、同時に部屋を出る。父上の隣を歩きながら、先程疑問に思ったことを口にしてみる。

 

「どうだった、私の場合は……?」

「………」

 

 一瞬、口を詰まらせながらも私の問い掛けに応じた。

 

「お前も同じだった……元気に声を上げていたよ」

「そうか……」

 

 どれだけ無礼な態度を取ろうと、決して見捨てはしなかった親。それに対してもまた、後ろめたさを感じてしまっていた為、どこか不自然な会話しか出来なかった。

 

「フィル、お前は何か考えていた名前はあるか?」

「……?」

 

 唐突に聞かれても、答えられる訳がなかった。本心からではないとはいえ、興味を持とうとしなかった私だ。名前など考えているはずがなかった。

 

「もし、お前が何も思いついていないなら、俺の考えた名前をあげようと思う」

「ほう………」

 

 一瞬、間を置いて父上は言った。

 

「レミリア………レミリア・スカーレット。どうだ、良い名前だろう?」

「……そうだな」

 

 レミリア・スカーレット。新たに増えた家族。

 私の妹として生を受けた彼女は、そしてその姉となった私は………

 家族に後ろめたさを覚えてきた私は………果たしてお互いにどう向き合っていくのか–––––

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




やっと原作キャラ出せた………(名前だけ)



辛魂BON!様から頂きました!
素敵なイラストをありがとうございます!

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第3話 フィルシア・スカーレットの苦悩

また間が空いてしまった……

以前より文字数多いので許してください(投稿する度に、文字数が増えてる……)


 

 

 

 

 

 何故だ…………

 

 レミリアが誕生してから1年。私は生まれたばかりの妹と上手く向き合うことが出来ずにいた。

 

 ––––何故、私は…………

 

 何度も己に問いかけた言葉。それらを無に帰すように、胸に(たぎ)る妬みの情。この嫉妬の念に私は胸を焼かれていた。

 思い出すのは、レミリアが誕生してから今日というこの日までの、1年間。

 権威が失墜したとはいえ、建前上は名家。スカーレット家に新たな跡継ぎが生まれたとあれば、名だたる御家から見舞いや挨拶、契約の更新や見直しの為に訪ねてくる者が多く、連日、門を叩く音が止まなかった。

 

「この赤子が新たな御息女ですか……! 

 いやいや随分と立派なお姿であられますな……」

「…………」

 

 皮肉が込められた賞賛。

 ガヤガヤと騒々しいのは、レミリアと両親がいる部屋だ。そして、私は部屋の外で腕組みをしたまま、壁に背をもたれていた。

 

 ––––レミリア・スカーレット

 

 彼女は私と違い、見事なくらいに吸血鬼だった。鋭利な牙、真紅の瞳、悪魔と呼ぶに相応しい蝙蝠のものに似た翼。非の打ち所がないほどに、吸血鬼としての特徴を兼ね備えていた。

 それに対し、姉である私は出来損ないときた。悪魔とは程遠い天使と呼ぶに相応しいこの姿……

 ……客人は決まって私を貶しながら、レミリアに賛辞を贈った。最も、こうした忌避の眼差しを向けられる経験は初めてではなかったが、妹という比較対象が出来た今、更にエスカレートしてるように感じていた。

 客人が来たとあらば、食事の席を設けることが多かった。食卓の席に並ぶは決して顔を合わせたくない者ばかり。当然、本音を言えば私は顔を出したくはなかった。だが、建前上はレミリアの誕生祝い。スカーレット家第一子という立場にある以上、その祝いの席に出ないわけにはいかなかった。姉たる私が出席しないとあらば、今度はどんな文句をつけられるか分かったものではない。

 椅子に踏ん反り返る客人達を横目に、私は料理が乗せられた皿を運んでいた。サッと運んで、サッと退く。なるべく目を合わさないように。それを徹底的に意識しながら、作業に取り組んでいた。

 

 ガタガタガタ…………

 

 私と対角線上にいる客人は腕を組みながら、貧乏ゆすりをしているようだった。揺れが激しいせいか、テーブルもそれに共鳴するかのように音を立てている。

 ………全くマナーがなっていない。吸血鬼が誇り高い種族であるなら、気品くらいは保てと心の中で罵倒する。もちろん、声には出さないが。

 さて、早く次の皿を––––––

 

「オイ、小娘」

 

 背後から声をかけられ、背筋にゾクリとした感覚が走る。

 

「……ハイ」

 

 振り向きざまに返事をする。

 呼びかけたのは、私と対角線上にいた客人だった。

 その客人の男は、ガッシリとした体格で黒い貴族のような服装といった出で立ちで、禿げ上がった青白い頭に刻まれた黒い刺青が一際目立ち、強烈な威圧感を放っていた。

 私が振り向いたのを確認すると、テーブルに置かれた皿を左腕で勢いよく払い落とした。テーブル上から皿が消え、ほんの一瞬の後に、 ガシャン!! と、割れる音が部屋に響いた。

 

「悪いな、皿を落としてしまった。取り下げてもらえるか?」

 

 周囲から堪える気の笑い声がクスクスと漏れているのが、ハッキリと分かった。わざとらしく口元を押さえ、こちらに聞こえるように笑う者もいた。

 

「……かしこまり…ました」

 

 向けられた数多の悪意に、怒りをたぎらせる自分を抑えて返事をするが、自分でも声が震えているのが分かった。

 何をしているんだ、と自分を叱責した時にはもう遅い。一度漏れ出た声は戻らない。震えた声はしっかりと相手の耳に届いてしまっている。

 それならば、せめて何事もなかったかのように振る舞え、と自分に言い聞かせる。

 ここにいる者は全て、名家の肩書きを背負った者達だ。ここで感情に身を任せて何か騒ぎを起こせば、一族がどうなるか………

 一、二歩と男の元まで躊躇しながら近づいていく。声をかけられて振り向いたときには、テーブルの脚に隠れて見えなかったものが見えてくる。その男の足元には皿の破片が散らばっていた。その光景を見て、作業の手順を考えていた。

 視界の隅に、「早く片付けろ」と言わんばかりの顔が映る。そう言われなくとも、私自身、サッサと立ち去りたい。

 まずは大きな破片から拾うか…………そう考えて姿勢を屈ませたときだった。

 視界の隅から、何かが–––––影が素早く()ぎった。それに気づいた瞬間には、視界が真っ暗になると同時に顔面に凄まじい衝撃が走り、身体がほんの一瞬の浮遊感に襲われた。かと思えば、今度は固く、冷たい何か–––––地面にぶつかった衝撃が全身を射抜く。その衝撃は、ほんの少し経つと消えていったが、直前に顔面に走った衝撃は残り続け、次第にじんわりとした鈍い痛みに変わってゆく。

 

「…………ッ!!」

 

 (ほとばし)る痛みに(うずくま)りながら、声にならない呻き声が漏れる。

 それが合図であったかのように、この空間が盛大な笑い声に包まれた。先程、皿を落としたときとは比べ物にならないくらいの声量。それなりに広い部屋である筈なのに、笑い声が反響していた。

 ここで私は、身体が浮き上がるほどの勢いで顔面を蹴り上げられたのだと理解した。思わず顔を押さえていた手をブルブルと震わせながら、ゆっくりと離す。徐々に瞼を開くと、滲んだ視界が広がるばかりで焦点が合わず、全てのものを不明瞭に映しだしていた。

 何が起きているか、目ではあまり分からない。だが、私の聴覚は理解していた。ぼんやりと映し出された視界の中、聞こえてくるのは嘲笑、笑い声の混じった罵声。

 不恰好に蹴り飛ばされ、地面に無様に転がる私を嘲笑っていた。

 何も見えなくとも、聞こえてくる声だけで状況が分かってしまうという事実に、冷や汗が背を流れる。その声は耳というよりは頭の中に木霊(こだま)しているようだった。一つ一つの声が、教会の鐘の音のように脳内に何度も反響する。

 いま、自分はどんな状況に置かれているか。認知出来る感覚からその答えを導き出すだけで、全身の産毛がゾワリと逆立った。

 不明瞭な視界が徐々に回復し、ぼんやりとしたものの形がクッキリと映し出される。最初に鮮明に映し出したのは、ベッタリと紅い液体がこびりついた手の平だった。それが顔を蹴られて溢れ出た鼻血だと気づくのに、少々時間を費やした。まだ、血が止まる様子はない。そして、燃えるような痛みも未だに(うず)く。

 

 ––––早くこの場を去るか…………

 

 先ずは立ち上がろうと、床に膝をつく。すると、鼻からボタボタと血の雫が零れ落ちた。その瞬間、周りがどよめき立つ。

 

「け……穢れた血だ……!」

「くそ、嫌なモン見せてくれるなよ……」

 

 ある者は悲鳴を、ある者は罵声を。声の色はそれぞれ違ったが、一つ共通しているのは、私が流した血に対して深い嫌悪を覚えていることだった。

 本来、吸血鬼にとって血はご馳走である。それは人間に限った話ではなく同族の血であったとしてもだ。ところが、天使という忌み嫌われる存在が流した血となれば、それもまた忌避されるべきものに他ならない。故に、彼等は私が血を流す光景に嫌悪を抱いているのだ。

 片膝をついた体勢のまま、零れ落ちる血を手の平で受け止める。その手の平には、軽く血溜まりが出来ており、血が滴る度に周囲に小さな血飛沫が飛んだ。それとは反対の手で、懐から取り出したハンカチで床の血を拭く。

 しばらく、私はその血を拭き続けた。ゴシゴシと擦るようにして、手を前後に動かす。どれくらいの間、その作業をやっていたのかは分からない。

 どれだけ拭いても、こびり付いた血がとれることはなかったが、ある程度拭き終わると、ゆっくりと立ち上がった。

 

「…………」

 

 口元を覆うようにして、未だに血が零れ続ける鼻を両手で抑えながら、男を睨みつけた。しかし、男はそれを一笑に付す。

 

「スカーレットの名は血で染まった姿に由来するのであったな。まさにその名に相応しい姿ではないか。もっとも、自らの血で染まった悪魔ほど滑稽なものは無いがな…………」

 

 男は鼻で笑う。視界の端に、彼に同調するかのようにニヤニヤと笑みを浮かべた悪魔達が映った。

 男は一度、ゆっくりと周囲を見渡す。周りの者は、男と視線が合うと不思議そうに首を傾げる。

 そのまま視線を一周させた男は、しばしの沈黙の後、ハッと何かを思い出したように一言付け加えた。

 

「おっとすまない、お前は悪魔ではなく天使であったな!! ハハハハハハ!!」

 

 男の下品な笑い声が響く。それにつられるかのように、または再燃したかのように周囲からドッと笑い声が響き渡った。

 

「…………!!」

 

 頰が引きつり、八重歯をギリギリ鳴らせる。彼等の声が響くほど、神経を逆撫でされている気分だった。殺意のこもった拳を、血管が浮かび上がるほどにギュッと握り締める。いつしか、笑い声は聞こえなくなっていた。

 聴こえるのは、己の心臓の鼓動のみ。荒れる呼吸を落ち着かせ、どのタイミングで飛び掛かろうか考える。

 

 ––––油断している今なら……

 

 だが、そこで失いつつあった理性がブレーキをかける。

 ここで騒ぎを大きくする方が、より不利益を被ることになるのだと。それこそが彼等の思惑通りになってしまうのだと。ひたすら自分に言い聞かせた。

 

「ッ……!」

 

 抑えこもうとするほど、理性と本心の摩擦で憎悪の炎は勢いを増す。それでも、理性が必死でそれを抑え込む。脳裏をよぎる、両親、伯父、そして妹の顔。

 

 ––––今まで、私は何の為に堪えてきたのだ……? ここで事を大きくすればどうなるかは、私がよく分かっているはずだ……

 

 収まりつつあるとはいえ、未だに火は(くすぶ)っていた。だが、落ち着きを取り戻せるくらいには怒りを抑えられていた。

 その証拠に、一時的に聞こえなくなっていた彼らの声が再び聞こえるようになっていた。

 

「…………」

 

 こちらの怒りの火が静まったのとは対照的に、彼らは未だに騒がしく声を上げる。私が浮かべた表情とは全く逆の表情を浮かべていた。

 それらを見ていると、再び火が勢いづいてくる。このままいけば、また情に流されそうだった。そうなる前に、ここから立ち去ろうと心に決める。

 私は背後から聞こえてくる笑い声を無視して、その場をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 随分とやり口が巧妙になってきたものだ。親の前では、表面上では分からないよう私への侮蔑を含意したレミリアへの賛辞を贈り、親の目の届かないところで今日のような大胆な行動に出る。

 彼等は知っているのだ。こちらから名家の者との間に摩擦を生じさせてしまうことを私が危惧している事実を。だから、私は親に訴えるような真似は出来ない。

 決して私を見捨てようとしなかった二人のことだ。対立などお構い無しに、彼等を絞め上げようとするだろう。だが、私はそんな無茶をして欲しくなかった。

 そして何より、それこそが彼等の狙いなのだろう。スカーレット家が問題を起こせば、今度こそ権威も何も残らない。つまり、こちら側が何か問題を起こしてくれた方が(・・・・・・・・・)都合がいいのだ。そうすれば、簡単にスカーレット家を失墜させられる。

 その為に手っ取り早い方法は何か。私の憎悪を煽ることだ。ある意味では、私は都合のいい存在である。

 まず、––––気にくわないが–––天使という呼び名がピッタリなこの見た目。憎悪を煽るには打って付けの姿だ。悪魔の界隈において、これ以上に差別の口実になるものは無い。–––最も、忌避の目を向けるのは口実などよりも悪魔として根源的な部分が強いからなのだろうが–––

 そして、私がスカーレット家第一子という立場にあること。この重要な立場ある以上、一つ一つの言動がスカーレット家の権威に響いてくる。ここで私が感情に身を任せた行動に移ってしまえば、スカーレット家を叩き潰す口実ができてしまう。

 詰まる所、私が堪えるしかない。

 そして、私は自身の問題を懸念していた。ここまで、彼等の狙いを冷静に分析出来ていながら、私は怒りにとらわれ、私情に流されかけていた。上手く感情を制御出来ないようでは、いずれ噴き出してしまうのではないだろうか。

 

「…………」

 

 指を鼻にあててみる。血はとっくに止まっていた。受けた外傷などは吸血鬼特有の再生能力によって、短時間で回復してしまう。–––傷は治っても、痛みは残ることがあるが–––

 その為、親が気づくことはほとんどない。これは好都合というべきだろうか–––––

 

「ねーね、どうしたの?」

 

 背後から聴こえてくる幼い声。私はその声の主がレミリアだとすぐに分かった。まだ流暢な喋り方ではないとはいえ、齢一歳にして言葉を覚え始めていた。

 

「……なんでもない」

 

 素っ気ない返事をする。生まれてくる妹に興味を持とうとしていなかった私。それは彼女に妬みを抱いてしまうことを懸念していたからだったが、それは早くも現実のものとなってしまった。

 客人は決まって、私を貶め、レミリアを称えた。私が今日のように忌避の目を向けられ、屈辱的な暴力に跪かされる一方、何人もの人々に囲まれて賞賛の言葉を浴びせられ、満面の笑みを浮かべる彼女を妬んでしまっていた。

 だから、私はいつも彼女を避けていた。なるべく館の中でも会わないように、自室にこもった。

 親に子守を任されたときでさえ、遠目で見るだけで放ったらかしだった。積み木や縫いぐるみに囲まれ、幸せそうな笑みを浮かべる彼女を妬んでしまっていた。

 彼女はまだ1歳の幼子だ。なのに、何故私は……

 

「ねーね……?」

 

 レミリアが不思議そうにこちらを見ていた。しばらく見つめた後、おぼつかない足取りで、よちよちとこちらに向かってくる。

 私の元に辿りつくと、顔に向かって短い手を伸ばし始めた。何か塵でも付いているのだろうか? レミリアの手が届く位置まで、両膝に手をついて、ソッと身を屈めた。

 

「ん……」

 

 若葉のように小さな手が、優しく私の頰に触れる。そして、静かにその手を離した。彼女の手の平は、透明な水で濡れていた。

 こちらの顔を覗き混んで、レミリアは私に尋ねた。

 

「ねーね……どおして、ないてるの……?」

「え……」

 

 素で出た声。当然、私は泣いたつもりなどなかった。

 

 しかし………

 

 自らの目に人差し指をあててみる。そこは確かに、一粒の涙で濡れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




やっと、名実共にレミリアを出せました……



『みかてー』様から頂きました!

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第4話 白昼の不可思議

1ヶ月も空きました、ごめんなさい!!(土下座)
頑張ってペースを上げていくつもりですし、例え、どれだけ期間が空こうと失踪だけは致しませんので気長にお待ち頂けると幸いです


 

 

 

 

 眼前に広がるは、灰色の世界。

 どんよりとした鈍い鉛色の空気が、地の果てから天上まで行き渡る。膝の辺りまで伸びた紅い花が一面を覆い尽くし、草原に血を垂らしたような真紅の絨毯が広がっていた。辺りにはうっすらとした霧が立ち込める。

 風が吹きつけ、宙に舞う花びらにつれて後ろ髪がそれになびく。身体で受け止める空気の流れが心地よいあまり、目を瞑りながら両手を広げ、身体一杯に風を浴びることで、その感覚をしばらく堪能する。自らも風に溶け込むような心地良さが身体中に広がっていくのを味わっていた。

 

 

 風が肌寒く感じるほどになった頃……ゆっくりと瞼を開く。少しぼやけた視界の隅で、空に青白い光が走ったかと思えば、直後に雷鳴が大気を震わせる。雷の柱が空と大地を結び、チカチカと眩い光を放っているのが遠くに見えた。

 ……ここは一体どこなのか。先ずは、周囲を散策しようと決めた。

 花を脚で踏み分けるようにしながら徒歩で移動する。一歩踏み込む度に、ブーツの底面に柔らかく反発する力の感覚を覚えた。柔軟な地面ほど、花が育ちやすかったりするのだろうか。真っ赤に染まる草原を眺めつつ、そんなことを考えながら歩き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎

 

 

 

 

 

 

 あれから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 見覚えのないこの景色だが、いくら歩いても全く変わる気配がないことだけは分かった。同じ風景がどこまでも続く。まるで、同じ空間の中を無限にループしているように……

 そう考え始めた頃に、ようやく景色に変化が現れていた。

 先程よりも、霧が濃くなってきている……

 歩を進めるごとに、霧が一段と……また一段と濃くなってきていた。霧が立ち込めていたこと自体は、今に始まった話ではない。私がこの草原に立っていることを認識したときから既に霧は周囲を覆い尽くしていた。だが、その時はまだ視界に何の支障もきたさなかった。

 いまはどうだろうか。明らかに視界が悪くなってきている。先程まで地平線を見渡せるほどハッキリとしていた視界はいつしか、ほんの数歩先まで見据えるのが困難になっていた。

 

「…………」

 

 視えるのは、視界を阻む霧とそれに浮かぶ花々の影のみ。それでも、しばらく進み続けていると今度は霧が少しずつ晴れていく。先程とは対照的に、歩を進めるごとに霧の濃さが薄れていく。

 一段と……また一段と……

 数歩先すら見渡せなかった視界は、次第に晴れていき、鉛色の空を仰ぎ見ることが出来るほどになっていた。そんな中、前方に一つの影がゆらりと浮かび上がる。

 私は足をピタリと止め、しばらく様子を伺った。

 

「…………」

 

 形からして、その影の正体は人だと分かった。

 ここまで、人はおろか虫1匹見かけることはなかった。生き物は一切存在しない、そんな不可思議な草原というワケでもないのだろうか。

 

 –––––人間を間近で見るのは初めてか……? 

 そもそも、何故こんなところに……? 

 

 悪魔は人間から忌避される存在であり、それ故に人は聖なる存在へと(すが)り、悪魔の撲滅を祈る。

 これまでに幾度となく争いは繰り返されてきた。人々を蹂躙する悪魔、剣を手に戦う人間達。どれほどの時が流れようと、互いに相容れない存在である両者が平和に共存する世界など、未来永劫訪れることはない。

 私が生まれ持った姿は数奇なことに、人間達の崇めるそれだった。だが、この身体に流れるは紛うことなき悪魔の血。人間側にとって、私が敵の立場にあるのは変わらない……

 

 

 この姿で吸血鬼を名乗っても、説得力は無いだろうが……

 

 

 警戒しながら少しずつ距離を詰めていく。霧が薄くなると同時にシルエットが段々と解けていく。

 その様子を視認した瞬間から、何処からか風が吹き荒れる。かなりの強風だった。

 

「ッ……!」

 

 油断すれば、身体をもっていかれそうなほどの強さだった。思わず顔を守るように腕で覆い、目を瞑る。先程、ゆったりと風を浴びていたような心地良さはなかった。

 次に瞼を開いたときには、完全に霧が消えていた。そして目の前には、こちらに背を向けたまま立っている少女が。漆黒の髪、それとコントラストを目立たせる純白のドレス。

 背の丈は、私と同じくらいだろうか。

 未だに吹き付ける風に、腰まで届きそうなほどに長い髪がなびいていた。

 

「………誰だ?」

 

 私はそう問いかけた。

 しかし、彼女は何も答えず黙ったまま………

 ゆっくりと振り返る–––––

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの日からだ。

 レミリアの前で、涙が零れたあの日から。

 私の夢の中に、あの少女が現れるようになったのは……

 純白のドレスに、漆黒の髪。そして、自然という概念を体現してみせたかのような透き通った緑の目。

 

 

 

 彼女は一体何者なのか……

 

 

 

 時刻は、太陽が天辺に昇る頃。本来なら吸血鬼は眠る時間だが、私は起きていた。1人、館の中を歩きながら、あの夢のことを振り返る。

 全く見覚えのない草原に1人立ち、霧の中を歩いていく。その先にあの少女が背を向けて立っており、彼女が振り向いた瞬間に、毎度の如く目が覚めてしまう。その振り向き際に見える顔は、いつも泣いていた。

 その光景を見る度に、レミリアの前で涙が零れた日のことを思い出す。

 

 

 

 

 強がりでも比喩でもない。

 あの時、本当に私の意志とは無関係に涙が零れたのだ。その日から、あの黒髪の少女の夢を見るようになった。

 彼女がどことなく………私と似ているように思えたのは気のせいだろうか。

 

 

 いま、私は壁に組み込まれた巨大な鏡の前に立っていた。

 

 –––––精霊鏡(せいれいきょう)

 

 それは、不可視のはずの霊魂や精霊を映し出す冥界の鏡。

 精霊魔法などの儀式で使われることが多く、その鏡を通して冥界への干渉、使い魔の召喚を可能にする。

 本来であれば、肉体と魂の結びつきが弱い我々吸血鬼の実像が鏡に映ることはない。だが、不可視の存在を映し出す鏡は、その実像すら捉えてみせる。

 目の前の鏡に映っているのは、悪魔という呼び名が最も相応しくない悪魔。純白の翼が、如何に悪魔として出来損ないかをハッキリと自覚させる。

 鏡は嘘をつかない。残酷なまでに、ありのままの現実を映し出し、その目に突きつけてくる。

 そして、心臓に針を刺したかのような痛みを胸に走らせる。その痛みが鏡を砕き割りたくなる衝動へと駆らせるが、壊したところで自分の醜い姿は変わらないという不条理が、更なる苦しみへ(いざな)う。

 

「…………」

 

 普段なら、鏡の前に立つことすら拷問のように感じる私だが、今はある一点を見つめていた。

 

 –––––この目だ…………

 

 透き通った緑を水面のように反射する目。あの少女が私と似ているように感じたのは、この目が理由だ。私と同じ瞳を彼女は持っていた。

 

 

 ここで私は何らかの関連性を見出す為に、点と点を線で繋げようと頭を働かせる。

 

 

 レミリアの前で私が無意識に涙を流したこと……

 その日から、あの夢を見るようになったこと……

 私と同じ目の少女が、その夢の最後で涙を流していたこと…………

 

 

 あの少女とは、目の他に1つ、共通点があった。それは、どちらも涙を流していたことだ。

 私はレミリアの前で涙を零し、彼女は私の前で涙を零していた。この一連の事柄が相互に無関係とは思えない。私の意志と無関係に流れた涙とあの少女の涙に、何か繋がりがあるのだろうか……? 

 

 

 だが、彼女が何者なのか分からない…………

 

 

 

 

 あの涙は、何を伝えたかったのだろうか……? 

 

 

 

 

 

 

「時間だ」

 

 

 

 

 不意にかけられた言葉で思考を打ち切られる。振り返ると、そこには私の伯父が立っていた。

 

「……分かった」

 

 私は短く返事をし、彼のあとを追った。

 私がこの真昼間から起きていたのは、彼に会うためだった。この時間帯であれば、彼が私の親と接触する可能性は低い。吸血鬼が眠りにつく刻に、彼と会う約束をしていた。

 

 

 ……そもそも何故、伯父は私の親に会おうとしないのだろうか? 今更ながら疑問に思う。

 いつだったか……その理由を問い質したことがある。

 

「………私はあの戦いで死んだ。今更向けられる顔など無い」

 

 彼はそう答えた。そして、それ以上は何も言わなかった。

 当然、死人が現世に存在する筈がないので言葉通りの意味ではないのだろう。大方、生死不明だったのが、生存の希望も薄かった為に死亡したものと見なされたところか。

 あの戦い……(おう)に反旗を翻した大罪として多くの吸血鬼が流刑の名のもとに、この世界へ追放されるキッカケとなったあの戦いのことだろうか。

 何か矛盾が思い浮かぶワケではない。

 その反乱はスカーレット家が中心となって起こしたものであり、その戦いに父上の弟である彼が加わっていたとしても不思議ではない。

 だが、私は親の口から伯父の存在が語られたのを聞いたことがなかった。

 

 –––––私はあの戦いで死んだ。

 

 この言葉の意味が私の予想通りであるならば……

 身内が死んだと思い込んでいる父上達は、過去を思い出したくなかったのかもしれない。

 だが、尚更疑問に思う。もし、自分が死んだことになっていると知っているなら何故、伯父は私の親と会おうとしないのか。身内の者が死んだように思っているのなら、先ずは会って、生きていたことを明かすのが自然ではないだろうか? 

 それとも、会うことが許されない理由でもあるのだろうか……

 

 

 

 

 初めて伯父に会ったのは、幼少の頃。親がいないときを見計らった客人が私を虐げていたとき、彼が現れた。

 客人を力づくで追い返した彼は、礼を言おうとする私に、「いま見たこと、自分がここに来たことは誰にも言うな」と念を押して去っていった。

 そこから、彼はしばしば私の前にだけ姿を現わすようになり、いつだったか自身が私の伯父であることを明かした。

 

「自分のことは決して誰にも話すな」

 

 伯父の言いつけを守っていた為、彼がこの館を訪れていたこと、いや、彼の存在自体を知る者は私の他にはいない。

 

 

 

 

 

 

 伯父がいたことを口にしない両親、その両親に会おうとしない伯父……

 

 ……何か、私の知らない事実があるように思えてならなかった。

 

「…………」

 

 そこまで考えると、肩の力を抜いて鼻で笑った。今日は何かと謎が深まる日だ。あの夢の少女のこと、伯父が両親に会おうとしない理由…………

 現状では、どれだけ考えても答えは出ないだろう。いや、そもそも答えなどないのかもしれない。あの夢の少女のことは単に私が考えすぎなだけで、伯父に関しては、私の知らないところで両親と会っている可能性も大いにあり得る。

 

 コツ、コツ、コツ………

 

 廊下に響き渡る音が思考を遮り、意識を現実に引き戻す。

 私と伯父は紅魔館の地下へと続く階段を降りていく。昼間でも薄暗いこの階段は、少しばかり不気味さを醸し出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




まだ4話とはいえ、いい加減、物語を進展させたいですねぇ……。
今はまだ下準備段階ということで……


『rick@吸血鬼好き』様から頂きました!




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第5話 衝突

内容的には、第4話のその後の話です

あと、設定が多いです





 

 

 

 

 

 

 目を瞑り、肩の力を抜きながらソッと右手を前に伸ばす。すると、右手の一部が数羽の真っ白な鳩へ変わり、バサバサと音を立てて飛んでいった。そこからは、連鎖的に手首、肘、肩が何羽もの鳩へと変わっていき、いつしか私の身体そのものが鳩の群れと化す。

 

 ──分解化

 

 それは、吸血鬼が持つ特有の能力。自らの身体を小動物へと分解させ、或いはその小動物から自らの身体を再構成させることが出来る。

 分解化を行う際、吸血鬼は自らの象徴たる蝙蝠(コウモリ)へ姿を変えることがほとんどだ。だが、ごく稀に蝙蝠以外の小動物に変わる者もいる。

 例えば、この私……フィルシア・スカーレットの姿は純白の鳩の群れへと成り果てる。 コレもまた、周囲から忌避の眼差しを向けられる理由の一つに他ならない。

 分解化している間、術者の意識は小動物の群れの内の1匹に移っている。私でいえば、自身が鳩になっている状態だ。

 通常時の身体とは感覚が全く違う為、まだ慣れていないところがある。まず、鳩は両眼視野が狭い一方で、単眼の視野がかなりの広範囲というアンバランスな部分がある。それに加え、良くも悪くも身体が軽すぎるところがネックだ。風向きや風力に左右されやすく、飛ぶスピードも速いとは言えない。上手く扱えない今は、まだ実戦向きではない。

 分解化は攻撃を躱したり、敵の目をくらませたり、或いは数匹の小動物を偵察として使うときに役立つ技だが、他にも弱点がある。

 それは、術者の意識が移った1匹が攻撃されると分解化が解除されることに加え、小動物の体で受けるダメージが通常の身体で受けたときよりも大きいことだ。

 通常時の身体なら大したことのない攻撃も、小動物の状態で受けたときは、体力を大きく奪われかねない。術者の意識が移っていない他の小動物の個体なら、攻撃されても特に問題はないのだが。

 そろそろ戻ろうと考えると、周囲の鳩がこちらを囲むようにして一斉に群がってきた。分解化を解く際は、術者の意識が移った個体を中心に他の個体が群がり、元の身体を再構成する。

 大量の鳩が群がり、視界が多くの真っ白な影に覆われる中、徐々に身体や手足の感覚が戻ってくる。バサバサと、羽ばたく音はしばらく鳴り止まなかったが、戻ってきた感覚が少しずつ充実していくのを肌で実感する。

 

「ふぅ……」

 

 分解化を解除し、元の姿に戻って一息つく。

 

「その状態には慣れてきたようだな」

「いや、まだまださ……」

 

 側にいた伯父の言葉にそう答えながら、星空が広がる天上を静かに見上げた。

 

 

 

 ──(ほし)()

 

 それは、紅魔館の地下に隠された部屋に広がる夢幻の世界。天上に広がる満天の星空を、鏡の如く映し出すガラスのような地面が地平線まで続いていた。

 この部屋には、果てが存在しない。同じ星空の景色が永遠に続く不可思議な空間が広がるのみ。懸念すべきは、遠くに行き過ぎると出入り口が分からなくなることだ。

 出入り口付近は、ほんのりとした淡い緑の光に包まれており、さらに天上へ向かって光が伸びている。余程離れた位置からでも目印にはなるのだが……

 

 

「それで……これからどうするつもりだ? 

 例の" 重力式 " でもやるのか……?」

「いや、お前にはまだアレは早かったようだ」

 

 

 伯父は、私の問い掛けに首を横に振りながら答えた。彼の言葉に少しムッとするも、否定は出来ないことは私自身が1番分かっているので、グッと堪える。顔には出てしまっているようだが。

 

「このまま実戦に入る。遠慮はいらん……全力で来い」

 

 そう言いながらも、腕組みをしたままで構えを取ろうとしない。私を相手にするのは、それだけの余裕があるということなのだろう。

 ……実に気にくわない。

 

 

 

 

 私が、吸血鬼の眠る刻から……真昼間から伯父と会う約束をしていたのは、この" 星の間 " で彼の鍛錬を受ける為だった。今回に限らず以前から、伯父が来る度にこの部屋で訓練を受けていた。

 例えば、魔力を用いた飛行……吸血鬼は翼で飛ぶのではなく、己の魔力を用いて飛ぶことを可能にするのだと。自身の魔力を上手く制御することで、宙での動きを自在なものとする。

 両親からも教わってはいたが、当時の私は、ほんの少し宙に浮くのが限界だった。そんな私を見兼ねたのか、伯父は魔力を熾す方法、その熾した魔力を指先といった身体の末端まで行き渡らせる方法などを、基礎から発展的な分野まで手取り足取り教えた。

 長い月日を重ねてそれらをこなせるようになり、私は(ようや)く飛べるようになった。………3、4年ほどはかかっただろうか? その間、伯父は辛抱強く教え続けた。

 飛行の鍛錬だけではない。他にも剣やナイフといった武器の扱い方や、実戦における戦術などを一通り教わってきた。言ってしまえば、彼は私の師のようなものだった。

 ……それでも、深入りはしない程度に距離を置いてきたつもりだが。

 

「………」

 

 さて、先ずはどう仕掛けるか……。

 少し腰を落とし、重心を低くして構えをとる。右手で手刀を形作り、左拳を腰の位置に据える。しばらく睨みあったまま、お互いに動かない。叔父は構えなど取らないくせに、隙があるようには思えなかった。

 

 シャネス・スカーレット………

 彼は一体何者なのか……

 

 

 ジッと停止したまま、時間が過ぎていく。

 

 ──このままでは(らち)があかない……

 

 そう考えた私は、隙を見つけられぬまま一歩を踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深く踏み込んだ一歩から、一気に距離を詰めて左拳を繰り出した。しかし、シャネスは表情を変えず、腕組みをしたまま僅かに首を傾けただけで躱してみせる。

 

「チィッ……!」

 

 フィルは舌打ちをし、宙に浮いたまま右の拳も繰り出すが、身体を反らされアッサリ躱される。拳が空気を切る音が鳴り止まないうちに、シャネスは身体を反らした体勢のままフィルの右手首を掴み、後方に宙返りをうつようにして(あご)に膝蹴りを喰らわせる。

 鈍い衝撃音が響いた直後、フィルは大きく蹴り飛ばされ、二度三度と地面を跳ねる度に衝撃が全身を貫いた。

 

「ぐッ……!!」

 

 平衡感覚を失うほどに視界が凄まじく回転し、痛覚が身体の其処彼処(そこかしこ)を駆け巡る。そんな中フィルは顎を押さえつつ、空中で体勢を整えて何とか着地した。

 しかし……数秒間、着地した体勢のまま静止するが、身体がグラリと傾き、片膝をついてしまう。

 どうにか意識を保ってはいたものの、やはりダメージは大きかった。

 

 ──たった一撃で……

 

 一発の蹴りで、ここまで深いダメージを負わされたという事実が、シャネスとの実力差をイヤという程に実感させる。全身を走る痛み、鉛のように重くなった身体、ぼんやりと揺らぎ始める視界がフィルの戦意を奪っていく。

 それでも、フラつく足を踏みしめ、痛みを堪えながら自分が飛んできた方向を見据えた。

 しかし、其処には──

 

 

 ──消えた……!? 

 

 

 シャネスの姿はなかった。

 その驚愕が、揺れたフィルの意識をハッキリとさせる。勘で後ろを振り返るが、視界には星空の空間が広がるのみ。右、左、と即座に確認するが、見える景色は変わらなかった。

 次は何処から狙ってくるか分からない。シャネスを見失った焦燥感が、フィルの冷静さを失わせる。辺りを見渡す仕草を延々と繰り返すのみで、一向に見つけられる気配がない。

 

「……」

 

 フィルは無言のまま冷や汗を流し、右、左と視界を切り替えることしか出来ずにいた。

 途端、何処からか溜息が聴こえた。

 

「ここだ………」

 

 その声は頭上から聴こえた。

 

 ──そこか……

 

 咄嗟に見上げるが、そこもまた星空の天上が広がるだけだった。

 

「なっ……!?」

 

 声は確かに頭上から聴こえた……天上を視界に映したまま再び焦燥感に駆られたフィル。今度こそ見当がつかなくなったフィルは、そのまま動かなくなってしまう。

 だが、それもほんの一瞬……唐突に喉を走った感覚が、何かで喉を突かれるような感覚が、彼女の意識を呼び覚ます。

 

 ──まさか……

 

 顳顬(こめかみ)の辺りを汗が冷たく流れ、フィルはそれを肌で感じ取っていた。ゆっくりと………恐る恐る視界を下げていくと、こちらの喉元に指を突き立てるシャネスの姿が映った。

 

「全く見えなかった……」

 

 思わず、後退りをしながら驚嘆の声を漏らすフィル。彼女が周囲を見渡している間、シャネスはずっとフィルの頭上に浮いていた。そして、フィルが見上げた瞬間に彼女の正面に立った。

 彼女が認識出来ないほどのスピードで、シャネスはそれをやってのけたのだ。

 

「2つ忠告をしてやる」

 

 シャネスがそう言った瞬間にフィルは跳び上がり、彼の顔面を狙って左脚を蹴り上げた。だが、案の定というべきか左手で脚を掴まれ、アッサリと受け止められる。

 

「……一つ目、攻撃をした後の行動を考えろ」

「フンッ!!」

 

 掴まれている左脚を軸に、身体のバランスを取りながら右脚の蹴りを繰り出す。だが、シャネスは脚を掴んだ左腕を振り回してフィルを投げ飛ばす。

 

「ッ……!!」

 

 空中で身を翻して着地したフィルだが、ここでまたシャネスの姿がないことに気づく。

 

 ──またか……

 

 だが、そう思ったのも束の間。

 

「……二つ目、敵の位置を常に把握しろ」

 

 今度は背後から聴こえてきた。フィルは振り向き様に回し蹴りを放とうとするが、途中で動きをピタリと止める。

 

「……!!」

 

 ここで勢いを殺し、回し蹴りの動きに急ブレーキを掛けたのは、彼女のすぐ目の前に突き出された拳があったからだ。ここで動きを止めなかったら、自分から拳にぶつかっていただろう。

 フィルはそれを視界の端にギリギリで捉え、紙一重で衝突を回避することが出来たのだ。

 

「………」

「今のは良かったぞ」

 

 シャネスは、フィルが己の拳に反応してみせたことを褒めた。だが、フィル自身、それに満足したような様子は見せない。寧ろ、悔しさのこもった表情を浮かべていた。

 強く歯を噛み締め、眉間に(シワ)をキツく寄せていた。その苛立ちの矛先は、余裕を見せるシャネスなのか或いは、未熟さを露呈する彼女自身か……

 

 

 

 スッ………

 

 唐突に、フィルは右手を前に出す。手の平には、緑に縁取られた光の玉が宿っていた。

 

 

 

 吸血鬼……それに限った話ではないが己の内に宿る力を操れる者は、それを凝縮して放ち、敵を撃つことが出来る。

 その際に形成される光の玉は『弾幕(だんまく)』や『光弾(こうだん)』などと称される。コレを応用することで、光線や斬撃などの形に作り変えて多様な技を実現させることが可能となる。

 

 

 

 

 手に宿る緑の光。バチバチと細かい稲妻が覆っている辺り、かなりの力が込もった光だと伺い知れる。

 この至近距離なら、シャネスに当てられるかもしれない。そう考えたかのようにフィルは脚を一歩前に出し、彼との距離を縮める。光の放つ音は徐々に間隔が短くなっていき、次第にチカチカと点滅し始めた。

 シャネス自身もその様子を黙って見ていたが、少し警戒する様子を見せ始める。

 

「………」

 

 フィルは半身(はんみ)の体勢を取り、光を宿した右手を後ろに引いて構えを取る。そのまま、数秒の時が静かに流れた。

 フィルは、顳顬(こめかみ)から(ほお)、頰から(あご)へと汗が伝っていくのを肌で感じていた。

 顎の先端にまで到達した汗は、ゆっくりと細長く伸び………プツリと切れ、雫となって真っ直ぐに落ちていく。その雫は地面に沈みこみ、潰れた形へと姿を変え、そこから中心がへこんだ形になった直後、細かい飛沫(しぶき)へと分かれて全方位へ飛んでいく。

 

「……!!」

 

 その瞬間、フィルは一気に右手を突き出した。

 一瞬で吹き荒れる爆風、煙。それらに数瞬遅れて、爆発した音が星の間に響き渡った。

 

「!?」

 

 それまで余裕を見せていたシャネスだが、意表を突かれてしまっては、驚いた様子を隠せなかった。

 フィルは、シャネスではなく地面を撃った。自分を狙い撃つと読んでいたシャネスにとって、それは想定外のアクションだった。視界は煙に覆われ、上手く活かすことは出来ない。聴覚も、爆風や煙の吹き荒れる音で封じられてしまっている。

 

 ──考えたな……

 

「視覚も聴覚も活かせないこの状況で、最も対応が遅れる場所は何処か……」

 

 シャネスは目を瞑ったまま、呟く。その背後に1つの影が浮かび上がった。

 

「それは後ろだ」

 

 直後、煙の中からフィルが飛び出してきた。手には魔力で生成した剣を握っており、緑に輝く光の剣は細長く鋭利な形に仕上がっていた。

 

「せぁああああ!!!!」

 

 掛け声と共に、一気に振り下ろす。ほんの一瞬の後に甲高い金属音が周囲に木霊(こだま)し、火花が大きく飛び散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐぅッ………!!」

 

 フィルは歯を食い縛り、腕に全身の力を込める。だが、フィルが全力で振り下ろした魔力の剣を、シャネスは銀製のダガー1本で受けとめていた。

 魔力で生成した剣とあらば、あらゆるものを両断することが出来る。魔力の扱いに長けた者なら、大地に地割れのような斬れ跡を残すことだって可能だ。

 本来であれば、魔力の剣はダガーなど簡単に破壊出来るだろう。だが、それが叶わないのはシャネスが、ダガーに魔力を流して硬度を数十倍に跳ね上げているからに他ならない。

 

「……全力で来いとは言ったが、殺しに来いとは言ってないぞ」

「知れたことを………お前がこの程度で死ぬ筈が無かろう」

 

 鍔迫り合いのまま、互いに睨み合う。光の剣とダガーの接触部分からは、相変わらず火花が吹き出していた。腕がミシミシと音を立てるほどに力んだフィルとは対照的に、シャネスは一切表情を変えないままだった。

 途端、彼はダガーを握る腕から力を抜いた。

 

「うあッ………!?」

 

 反発する力が急になくなったことで、自分の力につられ、前倒しに体勢を崩すフィル。シャネスはその隙を見逃さず、彼女を蹴り飛ばす。

 ドサリ、と地面に倒れ伏したフィル。蹴られた脇腹を抑えながら、よろよろと立ち上がる。シャネスの方を見ると、彼はこちらに向けた手の平に魔力を集中させていた。紅い光が少しずつ濃さを増し、バチバチと音を立てる。

 正面から受け止めるのは不可能と考えたフィルは、どう避けようか考えていた。

 

紅月(あかつき)天啓(てんけい)

「!?」

 

 シャネスがそう口にした瞬間、紅い光が風を切りながらフィルに向かって伸びていく。しかし、フィルは何かに驚いた表情を浮かべたまま動かない。視界が紅一色に染まり、彼女の影は背後に大きく伸びていく。そして、そのまま爆発に巻き込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何故、避けなかった……?」

 

 身体のあちこちに怪我を負い、咳き込むフィルにシャネスは問い掛けた。彼自身、彼女が十分に避けられる弾速に調整したつもりだった。だが、フィルは何かに驚いたまま、動くことなく光弾の直撃を許した。

 シャネスの問いに、フィルは咳き込みながら答えた。

 

 

 

 

「叔父よ………戦いの最中に一々、技名を叫ぶ必要があるのか……?」

 

 

 

「………は?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光に包まれた視界の中を進むと、見慣れた薄暗い廊下が左右に広がっていた。背後にはただの壁があるだけだった。" 星の間 " の入り口はこの壁の中にあった。

 

 

 ──分断された現実(セパレート・リアリティ)

 

 

 それは、現実の中に紛れた非現実の世界。

 現実に存在しないはずの空間はそう呼ばれており、現実の空間とは分断された位置に存在するのだという。

 だが、何らかの方法で現実の世界と繋がることがあるらしい。

 伯父曰く、" 星の間 " はその一例だという。

 入り口付近を覆っていた緑の光……アレは現実空間と非現実空間の境目だということになる。紅魔館の地下が、現実に存在しないはずの空間と繋がっていると思うと、少し気味悪く思えてしまう。

 

 

 

 

 

「シャネス………私は強くなれているのか?」

 

 

 地下の階段を上がり、隣を歩く伯父に尋ねた。

 

 

 

 

『お前自身が強くなれ』

 

 いつか、伯父に言われた言葉が頭をよぎる。その日から、更に厳しく鍛錬に取り組んだつもりだった。

 ……だが、今日の実戦はハッキリ言って惨敗だった。この目でしかと焼き付けられた圧倒的実力差。この先、どれだけ鍛錬を積んだ所でその差が埋まるビジョンが全く浮かばなかった。

 

 

「……少なくとも最初の頃よりはな」

「………」

 

 

 そして、実際に拳を交えて新たな疑問を覚えた。

 それは、アレほどまでの強さを誇った彼がいたにもかかわらず、何故、先の反乱でスカーレット家は破れたのか……

 

「1つ聞きたいことがある。お前ほどの腕の立つ者がいながら何故、スカーレット家は破れた? 何故、お前は死んだ?」

 

 

 

『………私はあの戦いで死んだ。今更向けられる顔など無い 』

 

 両親に会おうとしないワケを聞いたときの伯父の答えが再び脳裏をよぎる。彼は、自分が死んだことになっているかのようなことを仄めかした。曖昧な言い回しの為、正確な事実は定かではないが彼がスカーレット家の者である以上、私の父が起こした反乱に加わっていたのは間違いない。

 伯父はしばらく、黙ったままだった。黙ったまま何も答えなかった。

 そのまま沈黙が続き、いつしか足音しか聴こえなくなっていた。どれだけ時間が過ぎたかは分からない。

 

「……伯父よ、何故答えようとしない?」

 

 

 私が苛立ちを込めた声で再び尋ねた。

 すると、彼は覚悟を決めたかのように口を開いた。

 

 

「いずれ分かることだ……このまま黙ってても、お前は知ることになる」

「………」

 

 

 ──また、曖昧な返事か……

 

 私が呆れた気分で、そう思ったときだった。伯父は再び口を開いた。

 

「だが、お前が望むなら話そ──」

 

 唐突に伯父の言葉が途切れたかと思うと、隣にいたはずの伯父の姿が消えていた………かと思えば、1つの影が目で捉えられないほどのスピードで私の側を通り抜け、追い風が私の髪を後ろになびかせた。

 直後、金属同士がぶつかる音が背後から聴こえ、廊下の奥まで鳴り響いた。

 

「な……!?」

 

 慌てて振り返ると、そこには伯父と鍔迫り合いをしている父上の姿があった。

 

 

「何故、お前がここにいる……?」

「グッ……!!」

 

 伯父はダガーで、父上の剣を受け止めていた。鍔から先の刀身部分が細かく震えて、音を撒き散らす。

 

 

「フィル!! お前はすぐにここから離れろ!!」

 

 

 父は大声で私に向かって叫んだ。

 

「……は?」

 

 事態が飲み込めず混乱する私には御構い無しに、両者は刃物を振り回して互いに火花を散らし合う。どちらかの攻撃が1発でも決まれば、命を落としそうだった。

 

「よくもまぁ、のうのうと顔を出せたものだな……」

「………」

 

 父上の煽るような言葉に、伯父は黙ったまま顔を背けた。その隙を突いて、父上は剣を斜めに振り下ろす。伯父は間一髪でそれに反応して、ダガーで防いでみせた。

 剣を受け止めたダガーの刃を斜めらせ、剣を滑らせる。摩擦で火花が散る中を伯父は素早く跳び上がって壁を蹴り、膝のバネを利用したスピードを活かしてダガーを空中で振る。

 父上は素早くかつ大きく上体を反らして紙一重で躱し、床に着いた手を使って後方に宙返りをうつ。

 大きく跳んで距離をとった直後、剣の刃先を伯父に向けて構えを取った。

 

 

 

「よせ!! 二人とも!!」

 

 

 私の呼びかけを無視するかのように、2人の刃物の応酬は延々と続いた。私自身、叫びはするものの、力づくで止めようとはしなかった。

 止められなかった、と言ってもいい。

 迂闊に両者の間に割って入れば、私自身の身体が分断されかねないからだ。

 

 ──そもそも、何故父上は伯父を狙う……!? 

 

 実の弟に剣を向ける父上。

 私はただ、刃物が火花を散らす様子を傍観することしか出来なかった。耳鳴りがするほどに、金属音のメロディが奏でられる。

 それが永遠に続くかと思われたときだった。

 

 

 

 

 カァァァン!! 

 

 

 

 今度は、先程までとは違う音が響き渡った。父上の振り上げた剣が、伯父のダガーを弾いた音だった。

 

「チィ……!!」

 

 焦った表情が一瞬で伯父の顔に浮かび上がる。

 素手では不利と考えたのか、伯父は背を向けて大きく飛び退いた。

 だが……

 

「オイ、忘れ物だ」

 

 父上は拾ったダガーを叔父に向かって投げつけた。

 空気を切るような音に包まれながら真っ直ぐに飛んだダガーは、伯父の手首を貫通し、血を吹き出させる。

 グチャリ、と肉が潰れたような音がハッキリと聴こえてしまった。

 

「ッ……!!」

 

 痛みに顔を歪める伯父の左の手首からはダガーの刃が突き出し、反射で紅く輝く。

 真っ赤な血がベッタリと付着し、一本の細い肉の繊維のようなものが絡みついていており、傷口からは血管が脈を打つ度にドクドクと赤黒い血が吹き出していた。

 見ているこちらが痛みを感じてしまい、思わず自分の左手首を押さえてしまう。

 だが、左手が使い物にならなくなった伯父に父上は容赦なく襲いかかる。剣の一太刀一太刀に一切の迷いが無い程に殺意が篭っていた。

 

「ここで息の根を止めてやるぞ」

 

 伯父は右手で左手首を抑えながら父上の剣を躱していたが、少しずつ刃先が掠るようになっていく。

 父上が剣を振る度に壁に大きな亀裂が走り、廊下にある装飾品が粉々に砕け散る。

 それらの光景は、一太刀が直撃した時の伯父の姿を示唆しているかのようだった。

 紙一重で剣を躱し続けていた彼もいつの間にか、身体の至る所に切り傷ができており、ダラダラと血が流れ始めていた。

 眉の上を切られたのか、紅い線から流れた血が左目を塞ぐ。このまま一撃が直撃するのは時間の問題かと思われた。

 父上の剣を振る速度も段々と上がってきている。伯父は明らかに余裕がなくなってきており、いつ斬られてもおかしくない状態だった。

 そして遂に、伯父に大きな隙が生まれる瞬間が訪れた。

 

「しまッ………!?」

 

 上方向から次々と振り下ろされる剣に気を取られていたせいで、伯父は父上の目にも止まらない速度の蹴りで脚をすくわれ、宙に浮かされてしまっていた。そのまま床に背中から落下し、脚力を活かすことの出来ない体勢になってしまう。

 

「終わりだ」

 

 そう言って、父上は剣を頭上に大きく構えた。

 その瞬間に伯父が上体を起こしたままチラリと背後を確認する。

 すると、其処には大人1人ほどの大きさの窓があった。

 

「……!」

 

 父上の剣が振り下ろされた瞬間に、素早く横に転がり込んで僅か数センチの差で剣撃を回避する。

 その直後に、素早く立ち上がって窓際まで一気に走り抜ける。窓までそれなりの距離があったはずだが、彼はそれを一瞬で詰めてみせた。

 そして、その勢いを残したまま窓に身を投げた。

 

 

 ガシャン!!

 

 

 ガラスが粉々に砕け散る音が耳に響く。

 

「待て!!」

 

 私と父上がすぐさま駆けつけるが、そこに伯父の姿はない。砕け散ったガラスの破片が地面に落ちていく光景と夕焼けに染まる空が広がっていただけだった。

 

「……逃げられたか」

「……父上?」

 

 肩で息をしながら、悔しそうに外を眺める父上に話しかけた。

 

「……フィル、奴に何かされなかったか?」

「何の話だ? 危害を加えられるようなことは何一つなかったぞ」

「……そうか」

 

 父上はしばらく、何かを考えている様子だった。

 

「……あとで、話を聞かせてもらう。何故、お前が奴と一緒にいたのか……」

「待て」

 

 立ち去ろうとする父上を呼び止めた私は、彼を問い質した。

 

「何故、伯父を狙った……?」

「………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 この後父上は黙ったまま何も答えず、私の手を力任せに引っ張っていった。その間、どれだけ抵抗しても手を離さず、どれだけ問い質しても理由を答えなかった。

 ズルズルと引っ張られるまま、何も喋ろうとしない父上の背中を睨みつけることしか出来なかった。

 私はそのまま書斎に連れて行かれ、父上に様々なことを聞かれた。

 だが、彼自身が私の問いに答えようとしない為、私は嘘をついた。

 例えば──

 

「伯父と会ったのは今日が初めてだ」

 

 相手からの質問に答えず、自分だけ答えを得ようなど虫のいい話だ。

 対等に話し合う必要はない。

 そんな反発心から、虚偽の答えを示した。

 その度に、父上は怪訝な表情を浮かべたが。

 1時間ほど問い質され、ようやく私は解放された。それからは特に何も起こらなかったが、私は混乱したままでいた。

 

 何故、父上は実の弟を殺しにかかったのか……

 

 1つ、合点がいったのは伯父が私の両親に会おうとしなかったことだ。

 伯父はこうなる事態を予測し、両親との遭遇を避けていたのだと。しかし、その理由が分からない。彼らの間に何があったというのだ……

 

 

 

 これまで伯父の存在を語らなかった両親、

 その両親との遭遇を避けていた伯父、

 そして伯父の顔を見るや否や、剣を突きつける父上。

 

 

 

 ここまでの事実が揃っておいて、何も無かったという方が最早おかしいだろう。

 だが、仮に何かの対立があったのなら何故伯父は私との接触を図ったのか……

 それ以前に父上は何故、同じスカーレット家であるはずの伯父を……

 

 

 

 

 

 現時点では何も分からない。そもそも情報が少なさすぎるのだ。

 

「………」

 

 果たして、真相が明らかになる日は来るのだろうか……? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日は、そんなことを考えながら(とこ)についた。そして、その日を境に私の生活は大きく2つ変わった。

 1つ目は、その日から伯父が一度も顔を出さなくなったこと。

 

 

 2つ目は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はその日の翌日から、レミリアと共に地下の部屋に監禁されたことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





【挿絵表示】


2019/10/31にTwitterの方にて、なかやっち(@nakayatti1758)様からハロウィン衣装のフィルを頂きました!!

日にち的に2日ほど遅れてしまいましたが……
ハッピーハロウィン!!

素敵なイラストをありがとうございます!!







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第6話 姉妹

更新が大幅に遅くなりました……
本当に申し訳ありません!!
(土下座)

ただ、その分内容も長くなっていますのでどうかご寛恕ください……(泣)


 

 

 

 

 ──スカーレット・スワン

 

 

 

 

 いつからか呼ばなくなったが、伯父は「天使」の呼び名を嫌う私をそう呼んだ。彼曰く、「悪魔らしくない純白の翼を白鳥になぞらえ、スカーレット家の肩書きにちなんだもの」らしい。

 当然、その名で呼ぶ度に私は反発したが。

 その伯父も長い間、全く姿を見せていない。あの日から理由(ワケ)を聞かされることもなく、私はレミリアと共に地下に監禁されることになった。

 心当たりがあるとすれば、伯父との接触だろう。彼と父上達との間に何かしらの対立があったのは、疑いようがない。

 だが、どうしても引っかかるのは、彼が私との接触を図ったことだ。仮に、伯父が敵対的な立場にあったとすれば、色々と不自然な点が目立つ。例えば、私に鍛錬を施したのもそうだが、破門されようとした私を説得などするだろうか? 

 更に言えば、スカーレット家の起こした反乱について、彼は私の両親を貶すどころか、戦いの最後まで使命を(まっと)うしようとした二人を(たた)えるような言い方さえしていた。

 

 

 

『お前の親が守り続けてきたスカーレット家の誇りだけは絶対に忘れるな……』

 

 

 

 敵対していた者が吐く言葉だとは、とても思えない。

 私は幼少の頃から、皇家(おうけ)を護り続けてきたスカーレット家の威厳と歴史を伯父に教わっていた。

 かつて魔界で起きた他種族との全面戦争で先陣を切り、吸血鬼を勝利に導いた事実。吸血鬼同士の内乱を、その力をもって制圧してみせた過去。

 スカーレット家の話は、子供心に私を強く魅了した。

 彼の口から語られる両親は強く、勇ましく……

 そして………私の憧れだった。

 伯父の語る歴史が、スカーレット家の威厳に対する畏敬の念を強く抱かせたのだ。そのスカーレット家の第一子として生を受けた、私という存在。

 それまで忌避の目を向けられ続け、自己嫌悪に苛まされてきた私が、唯一誇りを持てる事実だった。

 だが、それと同時に………その威厳を(けが)す自身の存在を呪った。

 

 

 

 

 故に、私は破門を望んだのだ。

 

 

 

 

 いま思えば、私が彼から受けた影響はかなり大きかった。このぶっきらぼうな口調や態度もそうだが、私がスカーレット家の権威に執着し始めたのも間違いなく彼の影響だろう。名だたる御家との軋轢(あつれき)を恐れ、客人として訪れる彼等の理不尽な仕打ちに耐え忍んでいたのは、スカーレット家の権威に執着していたからだった。

 その執着が生まれたキッカケは矢張り、伯父である。私がこれほどまでに強い執着を抱くようになるほど、彼はスカーレット家の歴史を語り聞かせたのだ。

 そんな伯父が父上達と対立していたとなると、どうにも噛み合わない事実が頭に引っかかる。敵対していた者の話を、ここまで他者を惹きつけるほどに語り続けたりするだろうか? 

 ……しかし、父上が顔を合わせた途端に剣と敵意を向けたのもまた事実。

 敵対していたとは思えない事実に、敵対していたと疑いようのない事実。コレらの事実が私の頭を余計に混乱させるが、どれだけ思考をループさせても答えは出なかった。

 

「……………」

 

 溜息をつきながら、窓一つなく、様々な装飾が施された部屋を静かに見渡す。

 家具や鏡台、天蓋の付いたベッド………これらは全て、元々私が使っていた部屋から運び出したものだ。配置が前の部屋とほとんど同じである為、部屋を移ったという実感が少し薄い。

 地上階に繋がる階段には、私には解読出来ないほど複雑な術式が施された結界が張られており、父上達にしか解除することは出来ない。紅く透明なガラスのような結界は、触れるだけで雷に撃たれたかのような痛みを生み出す仕組みに作られていた。

 一度、興味本位で触れたことがあるが、2日ほど腕が使い物にならなくなった。身体の神経に作用するタイプなのか、麻痺したまま動かなくなり、指一本動かすことは出来なかった。3日目くらいで腕は動くようになったが、1週間ほど痺れは残り、筆やカップなどを上手く持てずに何度も落とした。

 そうした経験を経てから、結界に触れようと思ったことはない。

 こうした施しがなされている以上、地下から出ることは叶わなかった。

 しかし監禁とは言っても、元々部屋に籠ることが多かった私にとってそこまで不自由なものではなかった。更に言えば部屋から出ることを禁じられているわけでもなく、退屈なときは複雑に入り組んだ廊下の先にある大図書館で時間を潰すことも出来た。地下から上がれないこと以外に、特に行動が制限されていたわけでもない。

 

 ただ一つ、不満があるとすれば………

 

 

「ねーね」

「………」

 

 年齢差12歳にして(よわい)1歳の妹、レミリア。吸血鬼といえど、身体の大きさは人間の幼子(おさなご)と変わりはない。吸血鬼は10歳頃までは人間と同じ速度で成長するが、そこから数百年はそのままの姿で過ごし、極端に遅い速度で成体へと近づいていく。

 吸血鬼が不死身と揶揄(やゆ)される所以はコレだ。人間からすれば、とてつもなく長寿で、姿も百年単位で変わらない吸血鬼が不死身に見えるのだろう。

 実際は" 不老長寿 "というだけで不死身ではないのだが……。

 

 

「ねーね、あそぼ」

 

 そう言って私の人差し指を掴みながら、こちらに背を向けてよちよちと歩き始めた。私も少し体勢を(かが)ませながら、それに合わせて歩を進める。

 ………非常に歩きにくい。

 普段は両親が世話をしていたのだが、地下に移ってからは私に面倒見を押し付けるようになった。以前は自室に籠って彼女となるべく会わないようにしていたのだが、常に近くにいる状況となると、精神的にくるものがあった。

 

 

「………」

「?」

 

 私が何も言わない為か、癖毛のある水色がかった銀色の髪を揺らしながら、時々こちらをチラリと見返してくる。ポカンと、何かを不思議そうに見つめていた。

 私の目に映るのは、まだ小さいながらも鋭く尖った牙に、人外じみた美しささえ感じさせる血の如く紅い瞳、悪魔と呼ぶに相応しい蝙蝠(コウモリ)のような翼………

 彼女は見事なまでに吸血鬼だった。その事実が妬みという感情を、確かなものとして私に(いだ)かせた。

 一緒にいると、どうしても頭にチラつくのだ。

 私がひたすら蔑まされた連中から、やたらと称えられ、無邪気に微笑んでいた彼女の姿が──

 

 

 

 

 ………ハッキリ言って、実の妹が目障りだとすら思っていた。

 

 

 

 

 何故、私には無いものを持つことが出来たのか。

 何故、彼女はスカーレット家の者として脚光を浴びることが出来たのか。

 そして何故、過激になってゆく仕打ちを私だけが受け続けなければならないのか………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──コイツのせいで……

 

 

 ………以前は考えないようにしていた。

 私が名家の者達から受ける仕打ちが過激になってきたのは、レミリアが生まれてからのことだった。妹という比較対象ができ、彼等の中で忌避の(まと)しての私の価値が上がったのだろう。要は、(けな)しやすい口実が一つ増えたのだ。

 客人が訪れる度に無数の(そし)りや罵声を浴びせられ、挙げ句の果てには、その暴力の前に血さえ流した。そうした境遇の中、日に日に募らせたのは彼らへの憎悪。

 しかし、スカーレット家に問題を起こさせ、権威を失墜させるという彼等の狙いを見抜いている以上、私はただ堪えるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『我等が追放されることになった元凶は貴様らだ。

 ……にも関わらず………これまで、それに対する償いなど一つも無かった。更には吸血鬼という身でありながら、こんな忌々(いまいま)しき天使を産んだとは……最早、スカーレット家には悪魔の称号すら相応しくあるまい』

 

『グッ………!!』

 

 床に倒れ伏す私を足蹴(あしげ)にし、侮蔑の言葉を吐き捨てる貴族。ミシミシと、頭蓋が軋むほどに強く頭を踏みつけていた。顳顬(こめかみ)に靴裏がズッシリと食い込み、その刺激が万力で締め付けるような痛みとなって神経をかけ巡る。それを(こら)えるかのように、歯を食い縛りながら目を瞑ることしか出来なかった。

 頭が潰れるような痛みがどれだけ続いていたか分からない。ほんの十数秒しか経っていないのかもしれないが、私は時間の流れが永遠であるかのように感じていた。

 何処かじんわりとした、この鈍い痛覚が時間の感覚を狂わせていたのだ。

 その痛みと感覚のズレを生み出しているのは、踏み潰そうとする脚の圧力だけではない。かなりの硬度をほこる大理石で作られた床からも、それに反発する力が頭部に作用し、二方向から挟み潰されるような感覚が延々と走り続けていた。

 頭部に圧力がかかり過ぎたせいか、段々と気分が悪くなってきた。顔色も悪くなってきているのが自分でも分かる。それと同時に、血の流れが悪化しつつある事実にも気付いたが、どうすることも出来ず、ただ痛みに呻くことしか出来なかった。

 

 

 

 

 メキメキ……ピシッ! 

 

 

 

『………!!』

 

 

 何かが割れるような音に心臓がドクンと跳ね、思わず目を見開く。この割れた音が頭蓋骨………だとしたら、私はこうして意識など保っていないだろう。その音の正体が、床にヒビが入ったものだと気づくのに少し時間がかかった。

 頭蓋をかち割られた音ではない……その事実に僅かな安堵を覚えるが、その安堵も更に強まった痛みにすぐさま掻き消され、それに抗うように全身の筋肉が(りき)みだす。

 

『ア"ァ"ァッ………!』

 

 段々と強さを増す痛みに比例するように、脂汗が大量に吹き出し、吐き気が喉元まで込み上げてくる。頭蓋が今にも砕けそうなほどに軋み、石をすり潰すような音が耳ではなく、脳内に直接響く。

 その音が頭の中に幾度も反響し、やがて1つのイメージを作り上げた。

 一瞬………横方向に歪むように変形したザクロの実がグチャリと潰れる。真っ赤な果肉が破裂したように(はじ)()るのと同時に、周囲に血のような果汁が飛び散っていく。真っ白な床を紅く染め上げながら枝分かれするようにタイルの表面を走っていき、そのタイルの隙間にゆっくりと、()み入っていく光景が(まぶた)の裏に浮かび上がった。

 それが自分の頭が踏み潰される光景と重なった瞬間、全身の産毛が一斉に逆立つ感覚が背筋を走る。

 その幻視した光景が現実のものとなる瞬間を覚悟しながら、(たぎ)り尽くす激痛に身を焼かれ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 途端、頭部を圧迫していた力が消え去った。

 

 

 ……何が起きたのか? 

 

 

 そうした疑問を抱く余裕すら無く、余韻として残り続ける痛みと渇望していた酸素に身体を震わせ、喉元まで込み上げていた吐き気が大量の咳となって発散される。自分の意思に関係なく身体が勝手に反応するかのように咳き込み、肺を圧迫する。それがほんの僅かの間に何度も繰り返され、呼吸を整えることが出来ないまま息を乱していく。

 

『カハッ……ウっ………!』

 

 自然と咳き込む身体を無視して、無理やり息をしようと試みるが、今度は咳の代わりに先程の吐き気が急激に喉元までせり上がってくる。口内に薄っすらとした酸味が広がり、気分の悪さが更に増す。しかし呼吸を整える間も無く、すぐにまた連続した咳に襲われた。

 咳き込む度に、喉が削られたように痛んだ。

 地面に倒れたまま喉を抑えつつ、空気を吸う量と吐く量を調節しながら少しずつ呼吸を戻していく。

 それを繰り返しているうちに、大きく乱れていた呼吸も少しずつ整い始めた。同じく乱れていた心拍が安定し始めると同時に、身体の力も少しずつ抜けていく。

 やがて視界が徐々に(せば)まっていき、薄暗くなっていった──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、ビシャリと頭に降りかかった冷たい刺激が私の意識を目覚めさせた。

 

『だが、喜べ。せめてもの贈り物だ。貴様と違って、(ようや)くまともな跡取りが生まれたんだとな……

 この私が直々に祝おうではないか』

 

『………』

 

 意識はまだ上手く定まっていなかったが、頭に降りかけられたのは、人間の血で作られたワインだと分かった。鉄の錆びたような(にお)いと、僅かにドロリとした感触に背筋を震わす。

 (ひたい)から流れた液体は(まぶた)の上を流れ、やがて視界を紅く覆っていく。

 

『血に染まった姿に由来するスカーレット家には、やはり(あか)が似合う……それ見ろ、いまの貴様にピッタリだ。もしかしたら妹より似合うかもしれん

 

 

 

 

 

 

 ……その無様な姿がな』

 

 ククク……と、堪える気のない嘲笑が響き渡る。視界が徐々に紅く染まっていく中、しかと目に焼き付いたのは卑下の笑みを浮かべた悪魔。私はただ、憎しみを込めた目で睨みつけるしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 両親は、未だに私がそうした仕打ちを受けていたことは知らないはずだ。もし、その事実を知っていたら相手が名だたる貴族だろうが、なり振り構わず、とっくに殴り込みに行っているだろう。

 どれだけ不遜な態度を取ろうと、決して私を見捨てようとしなかったあの二人ならやりかねない……しかし、それこそが彼等の思うツボなのだ。スカーレット家に問題を起こさせ、その権威を失墜させるという狙い──娘が痛めつけられたことを理由に、あの二人が名家の者達の胸ぐらを掴みに行ってしまえば、それで彼等の用意したシナリオ通りになってしまう。

 だから、私は黙ったまま………されるがままだった。心身共にどれだけ傷をつけられようと、決して父上達に悟られてはならない。

 そんな私の懸念などは、彼等にはお見通しなのだろう。どれだけ痛めつけようが、その被虐者たる私がその事実を白日の下に晒そうとしない。ただでさえ、スカーレット家に恨みを持つ彼等のことだ。

 ここまで都合良く殴れる人形など、他にはないだろう。仮にその人形が告発したところで、当初の目的通りスカーレット家を失墜させられるだけだ。

 如何に憎しみを募らせようが、客人に抵抗することは許されず、如何なる屈辱であろうと耐え忍ぶしかなかった。

 弱音も涙も零すことすら出来ず、心の奥底で痛みに(うめ)く自分をひたすら殺し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな中、妹はただ賞賛の声を浴び続けた。姉が置かれた境遇など、彼女にとっては対岸の火事だった。私がどれだけ暴虐に跪かされようが、 その事実を無視するように彼女はただ幸せそうに微笑む。日常の1つ1つのシーンを噛み締めるように………

 あんなに微笑んだことなど、果たして自分にあっただろうか? 

 吸血鬼としての姿だけではない。その境遇までもが正反対だったのだ。

 

 

 そして、私はそんな妹が──

 日に日に増える傷にひたすら堪える中、眩しいくらいの笑顔を振り撒く妹が──

 

 

 

 

 

 

 

 分かっている、彼女がまだ幼い子供なのは……

 分かっている、彼女に何の罪も無いことは……

 

 

『レミリアのせいなどではない……』

 

 心の底で妬みや怒りが湧き出る度に、ひたすら自分にそう言い聞かせ、溢れ出す衝動を理性の鎖で縛りつけた。だが、縛れば縛るほど………彼女が笑みをこぼす度に、その衝動は大きく堅固なものとなっていった。

 共に過ごす時が増えてからは心を毒が蝕んでいくように、その感情は日に日に密度と重さを増しながら、胸の内を焼き焦がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふっ……!」

 

 しばらく私を不思議そうに見つめていたレミリアは、急に笑みを浮かべたかと思えば、トテトテと背後に回り、私の翼に手を伸ばした。

 

「ねーね、もふもふ!」

「………ッ!」

 

 そう言いながら翼に抱きついて顔を埋めてきた。若葉のように小さな手でキュッと羽を掴み、体重をこちらに預けてくる。「ぎゅ〜!」と言いながら、握る力と抱きつく力を強めてきた。

 幼子(おさなご)らしい、幼稚な振る舞い。恐らくだが、彼女にとっては縫いぐるみにでも抱きついているのと同じだろう。そこらの人間の赤子となんら変わりはない。

 普通なら、微笑ましく思える幼い妹の光景がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 だが、それは私の神経を逆撫でするものでしかなかった。

 

 ──何故お前はそんなに笑っていられる……? 

 

 彼女はいつもそうだった。

 賛辞と将来への期待の言葉を浴びながら、ただ幸福に満ちた笑みを浮かべていた。

 その光景が脳裏をよぎる度に、この理不尽な現実に怒りを募らせる。

 いま、この瞬間だって正にそうだ。

 

 ──何故、私だけ(・・・)が………

 

 その怒りの引き金となるのは………やはり、彼女の笑みだった。

 気付けば、私は握り拳を作っていた。手の甲に、僅かに血管が浮かび上がるほどに力が込もり、その拳が小刻みに震え始める。

 レミリアの抱きしめる強さが増すにつれて、私の拳を握る力も段々と強さを増していった──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねーね?」

 

 無言のまま立ち尽くす私に、レミリアは問い掛けた。

 

「………1人で遊べ」

 

 私は溜息をつき、絨毯の上に散らばる積み木を顎で指し示した。

 

「うん……」

 

 レミリアは寂しそうに返事をしながら、積み木の元へ歩いていった。その小さな背を見届けつつ、私はベッドにソッと腰掛ける。

 ここでようやく、気付いたことがあった。

 それは、レミリアが私の機嫌を取ろうとしていたのではないかということだ。途中で沈黙に耐えきれず、こちらを振り向いて微笑みかけてきたのも、後ろから抱きついてきたのも、その為だったと思うと合点がいった。

 

 ──この(よわい)で媚びを売ることを覚えたか……

 

 相手の機嫌を伺う力が既に備わっているのなら、目上の相手に媚びを売るのも将来は苦労しなさそうだ…………などと、姉にあるまじき思考が頭をよぎる。

 いまの時点で、既にレミリアに嫌悪すら抱くようになっていた。……それでもまだ、妹に手を出さないだけの理性は残っていたが。

 震わせた拳を収めるのに少し時間はかかりつつも、胸の内の衝動は何とか抑えることは出来た。

 だが、繋ぎ止めた鎖はやがて、張力が限界を超えて砕けるだろう。彼女と過ごす時間が、絡まった鎖を徐々に削り、砕いていく。

 鎖の抑える力が弱まるのに反比例し、それまで抑圧された衝動が少しずつ………じんわりと(にじ)み出す。

 

 

 

 その兆しは、私の行動に現れていた。

 

 

 

 例えば……レミリアが手を繋ごうと、こちらの手を握ってきたとき──

 私はその手をギュッと力を込めて強く握り返す。彼女に対して抱いていた気持ちを絞り出すように。

 

 

 ──同じスカーレット家の者でありながら、何故お前だけが……

 

 

 妹の顔を見据えたまま、少しずつ力を加えてやる。ふにふにとした柔らかい感触が、グチャグチャに握り潰したい衝動へと駆らせ、更に力が込もる。

 そして、段々と…………滲み出してくる痛みに彼女の顔が歪み始め、表情が強張っていく。

 ……その辺りでようやく、ソッと手を離してやる。

 強く握られた手が痛むせいか、レミリアの呼吸が少し荒い。逆の手で押さえながら(しばら)く、無言でその痛む手を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 お前を囲む奴らと私は違う。私はお前に賞賛など浴びせはしない。お前がいつも微笑みかける姉は、こうして憎悪の火を滾らせ続けているのだ。

 さあ、泣け──

 

 

 

 

 

 

 

 だが、彼女は何事も無かったように──

 

「ふふッ!」

 

 いつも、笑みを浮かべて抱きしめてきた。

 

 ──泣けよ……

 

 その度に私は思った。それが、内に渦巻く真っ黒な感情が顔を覗かせる瞬間だった。

 しかし、彼女はそんな気持ちを跳ね除けるかの如く笑ってみせる。何物にも代え難い、自らが抱く親愛そのものを表す純粋さが溢れ出ているかのように。

 その笑顔は、更に私を苦しめた。

 

「………」

 

 組んだ脚に肘をつき、手の甲で顎杖(あごづえ)をつきながらレミリアの遊ぶ様子を眺めていた。積み木を積み上げては崩し、積み上げては崩しを繰り返す。

 ……城だろうか? 積み重ねた四角いブロックの上に、四角錐のブロックを置いていた。

 積み木のピースを1つ拾いあげては、そこらに放置し、また別のピースを探す。しばらく見ているうちに、彼女が紅いピースのみ選んでいたのが分かった。

 城……紅いピース……

 ここでレミリアが何を作ろうとしているのか、ピンときた。

 

 ──紅魔館

 

 大雑把ではあるが、この館の特徴は粗方掴んでいた。見たところ、ほとんど完成に近いようだが、当の本人は苦心してるようだ。時計台にあたる部分に丁度いい大きさのブロックが見つからず、1つ1つのピースを見比べていた。

 暫くそれらを見比べた後、1つのピースを拾い上げた。ようやく見つけたらしい。

 時計台にあたる部分に細長い直方体のブロックを置き、その上に四角錐のブロックを置こうと手を伸ばす。それを置けば、ミニチュアの紅魔館は完成かと思われた。

 しかし──

 

「……ねーね」

 

 途中でその手をピタリと止めたかと思うと、こちらを向いて私を呼んだ。しばらく、ジッとこちらを見つめていたが、おぼつかない足取りで私の元まで歩み寄ってきた。

 

「こっちきて」

「………」

 

 無言のままで座っていると、ソッと私の人差し指を掴み、そのまま引っ張るようにして脚を踏み出す。だが、その力に抗うように私は腰掛けた体勢を維持し、石のようにジッとしたまま動かない。

 その様子に、レミリアは不思議そうな表情を浮かべたが、少しムッとした顔になった。

 

「こっちきて!」

 

 強めの口調になり、動こうとしない私に苛立つ様子を見せた。同時に、彼女の引っ張る力も強くなった。それに合わせて、私も身体の重心を移しながらレミリアの力に抵抗する。

 精一杯力を込めても動かないと悟ると、彼女は両手で私の人差し指を掴んできた。そのまま徐々に引っ張る力が強くなっていき、レミリアの顔も強張ったものになっていく。

 

「ねーね……! きて!」

 

 その声を無視するように私は座り続けたまま、ビクとも動かない。

 

「1人で遊べと言ったはずだ……」

「……いや!」

 

 身体全体で否定を表現するように、レミリアは全力で首を横に降った。

 何をそんなに拘るのだろうか? 遊びたいのなら、1人で遊べばいい。

 

 

 

 私はお前といるだけで──

 

 

 

 思えば、レミリアがここまで強情になること自体初めてな気がする……。彼女が何をしたいのかが分からず、強情に意地を張る様子に私は苛立ちを募らせた。

 

「いい加減に……」

「ねーねも……あそぶ……のっ……!!」

 

 ここで、レミリアの声音が強くなってきたのを感じ取った。

 どこぞの童話の如く、巨大な株を引っこ抜くかのように背を反らし、歯を食い縛りながら私の指を引っ張る。その力が強まるのと同時に、私の苛立ちも大きくなる。

 

 どこまで意地を張るつもりなんだ。

 周囲に散々甘やかされると、こんなにもワガママになるのか……

 何故、お前だけが自分の望みを叶えてもらえると思う……? 

 

 

 

 この私には、そんな自由など認められたことはなかったのに………

 

 

 

 その一方で、彼女の声が段々と涙ぐんでいく様子に、私の嗜虐心(しぎゃくしん)が震えた。

 これまで何度悪意を持って接しても、レミリアはいつも気丈な笑みを振りまいていた。そんな彼女の悲しげな表情など見たことがない。

 

 ああ……コレだ、私が見たかったのは……

 いつも幸せそうに笑う彼女はどんな風に泣くのか……? 

 今まで見られなかったものが、ようやく見られるようになる……そう思うと、自然と口角が吊り上がりそうになった。実際には、無表情のままだったが。

 顔には出さない。

 しかし、内なる顔は冷酷に。

 右手の人差し指、右腕の肘の辺りが引き伸ばされる感覚がしばらく続き、腕そのものに痺れを感じるようになってくる。背筋も張ってきた。

 幼子といえどレミリアもまた吸血鬼。それなりに力はあるらしい。だが、このまま私が望んだものが見られるという期待を胸に、私はその力に逆らい続けた。

 

 

 

 

 

 途端、腕に張っていた力が急に消え、私は自らの力の向きに引っ張られて後ろに倒れそうになる。かと思えば、直後に何かがよろけた音が響く。視線を移すと、転んで尻餅をついたレミリアがいた。

 どうやら、掴んでいた手が手汗で滑ったらしい。先程の鈍い音からして、頭も強く打ったのではないだろうか? 

 彼女は痛みに顔を歪めつつ、ゆっくりと上体を起こす。

 

 

 

 その時、レミリアの様子に変化が現れた。

 

 

 座り込んだ体勢のまま………彼女は黙ったまま俯いていた。こちらから表情は伺えない。だが、僅かに肩が震えているのが分かった。

 一体、どんな表情を浮かべているのか……? 

 好奇心にも似た疑問を抱きながら、私は黙ったまま、レミリアの様子を見届けた。

 しばしの沈黙の(のち)、彼女はゆっくりと顔をあげていく。その間、ゾクゾクとした疼きが胸の内に(ほとばし)った。

 果たして、彼女はどんな顔を見せてくれるのか……? 

 そう考えながら、顔を上げるのを待つ。

 レミリアが俯かせていた顔を上げきった時、これまでに見せたことのない表情がそこにあった。

 怒りか哀しみか……

 明らかに普段とは真逆の表情を浮かべている。

 彼女の紅い目が水面のように揺らぎ、その(ふち)にじんわりと溜まった水滴が薄っすらと光るのが見えた。透き通ったその水滴は、ゆっくりと頰を伝って流れていき──

 

 

 

 レミリアの泣く声が響き渡ったのは、その時だった。

 

 

「あぁ……う…ぇ……ぁぁあああ"!!!」

 

 

 今まで抑えられていたものが、一気に溢れ出したかのようにボロボロと涙を零す。堰を切ったように溢れた涙は、柔らかな頰を、(ぬぐ)っても拭い切れないくらいにひたすら流れていく。

 限界まで抑圧された感情が、一度に全て噴き出したかのように声が響いた。

 その様子は最早自分の意思ではなく、身体が勝手に震えているかのようだった。

 そんな光景を黙ったまま見ていた私の心境は………

 

 

 

 

 

 

 

 

「無」だった。

 

 

 

 

 

 先程まで、あれほど期待していた光景が見れたはずなのに何も浮かんでこなかった。心に広がるのは、ただの虚無。空っぽ。

 あんなに心を駆け巡った(うず)きは、何処かへと消え去ってしまった。後には何も残らなかった。敢えて言うなら、「虚しさ」か……

 少なくとも、私は満たされるような気分ではなかった。

 

 

 ──なんだ、この気持ちは……

 

 

 自らの内に広がる空虚に困惑を覚える中、バタンと勢いよくドアが開いた。

 

「レミリア、大丈夫ですか!?」

 

 そこにいたのは母上だった。

 焦った表情を浮かべながら、レミリアの元まで駆け寄り、ソッと抱き上げる。レミリアも助けを求めるように、駆け寄る母に手を伸ばして泣き喚いていた。

 

「あぁぅ……えっ……」

「大丈夫、ママはここにいますよ」

 

 軽く揺すりながら、安心させようと(なだ)めるようにして優しく声をかける。そのようにして、泣き声を上げるレミリアをあやし続ける母上の様子を、私は黙ったまま見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎

 

 

 

 

「正直に言いなさい、フィル……? 貴女がレミリアを泣かせたのではありませんか?」

 

 未だに泣きながら、しゃくりあげるレミリアを()(かか)えたまま、母上は私に問いかけた。清らかで、しかし怒りの込もっている様子が伝わる声だった。

 

「知らん………そいつが勝手に泣き出したのだ」

 

 私は目を逸らしながら、素っ気なく答えた。

 表面上は、そう見えているはず………

 内心では、先程覚えた動揺が未だに走り続けていた。

 実の妹への妬み、そして怒りさえ抱いていた心から、彼女が涙を流す光景に期待を寄せていたはずだった。だが、今まで抱いていた気持ちは何処かへと消え去り、虚無だけが胸の内に残った。何も無い(うつろ)から生じる波は緩やかで、しかし心を大きく揺さぶりかける。

 ドン、と胸部を拳骨(ゲンコツ)で叩かれたような衝撃が漂い続けた。

 

「本当にそうですか……?」

「………?」

 

 何かを見据えているかのような母上の視線に、私はタラリと冷や汗を流す。

 

「フィル………貴女がこの子を避け続けていたのは、自分の姿を嫌悪するあまり、吸血鬼として相応しい姿を生まれ持ったレミリアのことを妬ましく思っていたからではありませんか?」

「…………」

「今の貴女を見ていれば分かりますよ……

 貴女はいま、レミリアを泣かせてしまったことを後悔している──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 傷付けたくないからこそ、妹を避けていたはずなのに」

 

「………!!」

 

 彼女の言葉に魔法でもかかっていたかのように、心臓が大きく跳ね上がり、その衝撃が水面の波紋のように全身に広がった。じんわりと広がり出した衝撃はやがて、痛みへと変わりつつ、胸の内に広がった虚無のベールを引き剥がし、その正体を暴き出す。

 先程、私が覚えた動揺の正体………

 

 

 

 それは、レミリアに対する罪の意識だった。

 

 

 

 私は知っていた。知っていたはずだった。

 如何に理不尽な現実がそこに広がろうと、それは決して妹のせいなどではないということを。これほどまでの苦境に立たされている元凶は、こんな姿を生まれ持った私自身だということも。

 そもそも……レミリアを避けていたのは、母上の言う通り、彼女を妬む心から危害を加えるのを恐れていたからだった。

 長女である自分に代わり、スカーレット家の権威を取り戻す可能性を持った妹を……

 

 

 (おう)に反逆を起こした罪のもとに、吸血鬼がこの世界に追放される元凶となったことで失墜していたスカーレット家。その第一子たる私の存在が更なる失墜を招いていた。

 そこに生まれたのが、私の妹であるレミリア・スカーレット。彼女は、私のような落ちこぼれではなく、見事なくらいに吸血鬼としての容貌を兼ね備えていた。

 

 

 ………妹なら、悲願であるスカーレット家の復権の要となれるのではないか? 

 

 

 砂漠の中で1つの宝石が見つけられないように、一筋たりとも光の射すことのなかった暗闇に満ちた日々。

 その中で芽生えた1つの希望。

 私では決して成し得ないことを、実現してくれるのではないか……そんな期待を抱いていた。

 ならば、私のすべきことは何か──

 私が客人の横暴に耐え続けたのは、スカーレット家の権威に執着していたからだけではない。ここでスカーレット家が失墜したとあらば、レミリアが悲願を成し遂げることが出来なくなるからでもあった。自分が妹に託した未来の為に、ただ耐えていたはずだった。

 

 

 

 

 

 それがいつからだろうか。

 スカーレット家の跡取りとして脚光を浴びる彼女が妬ましく、憎悪さえ滾らせるようになっていったのは……

 

 

 挙げ句の果てに、私怨に駆られた私は……

 

 

 レミリアはまだ年端もいかない、幼い子供だ。そんな妹を相手に、私はただ傲慢に振る舞った。私は最早、あの客人たちと何ら変わりはない。自分より力無き者を虐げることに、喜びを見出していたあの悪魔達と…………

 そして、こんな幼子に身勝手な期待を寄せていたことすら、後ろめたく感じられてきた。

 

 

 

 

 やはり……母上には見透かされていた。

 何も言い返せないまま、ただ沈黙を保ち続けるしか出来ない私に、母上が口を開く。

 

 

「私は何度も言ったはずです。貴女は決して落ちこぼれなどではない。何も恥じることなどない。私にとってフィル(貴女)レミリア(この子)も、ただのかけがえのない娘です。それを傷付けようとあらば、何者であろうと決して、許しはしません──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 例え、身内であったとしても(・・・・・・・・・・)

 

「ッ……!!」

 

 

 憐れみかける目から放たれた獲物を射抜くような視線に、身震いがするような寒気を感じ取る。身体が凍て付いたかのように動かず、ただ背筋が冷えるのを肌で感じていた。

 そんな私を無視するように、母上はこちらに背を向けて部屋を出て行った。

 バタン……とドアが閉まる音が響いてからは、ただ静寂だけが其処に漂い続ける。だが、私には心臓がはち切れそうなほどに脈を打つ音が、ハッキリと耳に届いていた。

 

 

 

 そして、ただ念じ続けた。

 

 ──ごめんなさい………

 

 だが、念じれば念じるほど、その声は残酷に頭の中に響いた。

 

『傷付けようとあらば、何者であろうと決して許しはしません──例え、身内であったとしても(・・・・・・・・・・)

 

 その身内(・・)という言葉が私を指しているのは明らかだった。

 これまで、ひたすら忌避の目を向けられ続けてきた私。一つ一つの私に対する言動は、精神を侵すには十分な力があった。

 日々、浴びせられる罵声や暴力………それらの持つ殺傷的な力の前に、自殺の二文字が頭をよぎったのは一度や二度ではない。

 だが、今はそれらが蚊に刺された程度のものにしか感じられなかった。この瞬間まで一度も味わったことの無い痛みが、絶望が私を襲っていた。

 

 ──身内からの拒絶

 

 思えば、私が居場所と呼べるのは身内(ここ)にあった。いや、身内(ここ)しか無かった。私が居ることができた、ただ一つの場所。

 

『決して、許しはしません──

 例え、身内であったとしても(・・・・・・・・・・)

 

 

 私の存在が唯一許された居場所からの拒絶。かつて私は『破門を望んだ』などと、のたまわっていたが、それが何を意味するのか、どれだけ恐ろしいことかを理解出来ていなかったが如何に分かる。

 私は、口だけが達者な弱者でしか無かったのだ。

 自分の居場所がなくなるということ。その居場所から自身が拒絶されるということ。

 私の存在が許される場所など、真の意味で何処にも無くなる。それは最早、一つの()だ。私には身内以外に居場所など無かった。身内(そこ)から追い出されてしまえば、最後には孤独という絶望が待つのみだ。

 

「ッ………!」

 

 段々とぼやけ始めた視界の端に、レミリアが組み立てていた積み木の館が映った。

 屋根にあたる部分のブロックが置かれていない、時計台にあたる細長い直方体。それを目にした時、レミリアが何をしたかったのか、ようやく気がついた。

 彼女は、紅魔館の完成を私の手に託そうとしたのだ。だから、精一杯に私の手を引いた。

 その事実に気が付いたとき、言いようのない不安に襲われた。彼女(レミリア)もまた、私の存在を受け入れるかけがえのない存在だったのだ。

 

 

 だが、私は気付くのが遅過ぎた。

 

 

 

 

 傷付けたくないと──

 守りたいと──

 

 そう思っていたはずの存在(モノ)を、私は自ら壊したのだ。

 

「…………」

 

 視界が滲み始めたかと思うと、一粒の水滴が頰を流れているのが分かった。何が私の頰を伝っているのか──気付いたときには、ソレ(・・)は止めどなく溢れ出ていた。

 

 

 

 

 

 

 ──ごめんなさい……

 

 私はもう一度念じた。

 

 

『決して、許しはしません──』

 

 再び、頭に反響する母上の声。

 

 

 

 

 ──ごめんなさい……

 

『決して、許しはしません──』

 

 何度念じようと、その声は蘇る。それが響く度に、胸が刃物で(えぐ)られたかのように、ズキリと痛む。今まで味わってきた、どの痛みよりも痛かった。

 

 

 ………もう、その声は聴きたくなかった。

 

 

 自分の意思に関係なく身体が震え始め、勝手に息が乱れてきた。それこそ、呼吸をすること自体苦しく感じられるほどに……

 そんな中、私はただ念じていた。頭の中に響き渡るその声を掻き消そうとするかのように、その痛みから逃れようとするかのように………

 私はひたすら念じ続けた。

 

 

 

 

 ──ごめんなさい……

 

『決して、許しはしません──』

 

 ──ごめんなさい……

 

『許しはしません──』

 

 ──ごめんなさい……

 

『許しはしませ……』

 

 ──ごめんなさい……

 

『許しはしま……』

 

 ──ごめんなさい……

 

『許しは……』

 

 ──ごめんなさい……

 

『許し……』

 

 ──ごめんなさい……

 

『ゆる……』

 

 ──ごめんなさい……

 

『ゆ………』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………カシャン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気付けば、私は積み木の紅魔館を蹴り崩していた。バラバラに散らばった積み木は、視界がぼやけてよく見えない。

 未だに頭に響く声は、ただ私の胸を抉り続けた。

 

 

 

 

 

 

 




次はあの子を……





『リヴィ(Live)』様から頂きました!
素敵なイラストをありがとうございます!


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第7話 狂気の妹

ごめんなさい……
ホントにごめんなさい……(吐血)

テストやらレポートに追われて全然書けてませんでした……
投稿頻度はなんとか上げるよう尽力致しますので、どうかご寛恕を………

さて、今回はタイトルから分かる通り、フランドール・スカーレットがようやく登場です!
ただ、ここで確認しておきたいことが1つ。原作ではレミリアと姉妹ではあるけど、それが実妹か義理か、までは言われてないよね?

………では、どうぞ本編を


 

 

 

 

 

 

 

「またお前か……」

 

 この目に映るのは、何度も夢で見た少女の後ろ姿。風に吹かれる純白のドレスに連れて、ゆらゆらと柔らかく(なび)く漆黒の髪。それに呼応するかのように、私の髪も風に揺れる。

 いま私が立っている草原も風に撫でられ、濃い緑の絨毯に鮮やか緑の波を走らせていた。

 

「……もし」

 

 しばらく黙って見つめていたが、躊躇(ためら)いがちに口を開き始めた。

 

「お前が私なら、どうしていた……? 

 私には分からないんだ………どうすれば、正解に辿りつけたのか」

「…………」

 

 頭をよぎる、目を背けたくなる過去。

 思い出すだけで、心臓を握り潰されるような痛覚が胸中に疼く。

 だが、それは紛れもなく私が招いた事態だった。どれだけ目を背けようと、その事実はどこまで私を苦しめる。

 この目で見た残酷な現実が記憶に深く刻まれ、私はそれに囚われたまま時間だけが過ぎていく。

 目の前の少女は黙ったまま答えない。

 だが、それでも私は問い掛け続けた。

 

「お前は………答えを知っているか?」

 

 実際に会ったこともない、名前すら分からないその少女はゆっくりと振り返る。私の問い掛けに答えることもなく、ただ涙に濡れた顔をこちらに向けるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 コンコン、と木製のドアをノックする軽快な音が部屋に響いた。私は読んでいた本を閉じて椅子から立ち上がり、ツカツカとドアまで歩く。

 

「フィル(ねえ)さま………」

 

 ドアノブを引くと、早速聴こえてくるのは幼い子供の声。そこに立っていたのは、妹のレミリアだった。

 赤い線と紐を結び、白を貴重とした薄桃色のレースの服。それと同色のデザインのスカート。腰には一回り大きな帯を巻かれており、後ろで大きく蝶結びにしていた。頭にかぶったナイトキャップには紅いリボンで周囲を巻かれているが、私に比べてリボンの結び目は短い。

 短い両袖からは腕の肌のほとんどが露出しており、透き通るほどの純白を見せつける。

 そして、幼くもどこか凛々しさを感じさせる顔立ちからは、吸血鬼の特徴である血のごとき赤い瞳がこちらを射抜く。

 

 6年──

 

 時の流れとは早いもので、赤子だったレミリアは7歳を迎えていた。

 レミリアとの歳の差は12歳。

 私の歳は19を数えるまでになっていたが、人間と違って、吸血鬼故に姿形は10歳前後の頃と変わらないままだ。

 一方で、私の腰の位置までしかなかった彼女の頭が私の顎に届くようになるほど、レミリアは背が伸びていた。

 

「どうした……?」

 

 部屋を訪ねてきた彼女に用件を聞く。

 

「……お母さまが呼んでるの」

「……分かった」

 

 気不味い雰囲気から逃げるように、彼女の伝言に短く答える。

 一度机の方へと戻り、椅子に掛けてあった白を基調とする二層重ねのケープを()()()って肩に羽織った。バサリ、と空気に揺れる音を無視して襟元で留め金を締め、部屋から出る。

 ドアの閉まる音を背後に残したまま、歩き出そうと一歩を踏み出した時だった。

 

「あ、あの……ッ!!」

 

 唐突に響く震えた声。

 振り返ると、何処か緊張した様子のレミリアが視界に映った。声だけでなく、僅かに肩も震えているのが分かる。

 唇を震わせながら、必死に何かを伝えようとする彼女の言葉を無言で待つ。

 

「………」

 

 レミリアが必死に伝えようとするその何かを、ここで聞かねばならないと思ったからだ。

 こちらが視線を全く動かさない為か、臆した様子を見せながら喋り始めた。

 

「その、お姉さまは………『ずっと、紅魔館(ここ)に居たい』って、そう思う……?」

「………?」

 

 彼女の口から飛び出したのは、全く予想だにしていなかった問い。

 発言の意図を読めず、私は戸惑ったまま固まった。

 何が言いたいのだろうか? 

 どう答えるべきか分からず、私はただ固まったままでいた。

 そんな私の様子を察したのか、レミリアは少し慌てながら別の言葉に言い換えた。

 

「その………私達(・・)を恨んでないの?」

「ッ………」

 

 発言の真意はまだ捉えきれない。

 頭上に浮かんだ疑問符も、解消されるどころか更にその数を増す。

 だが、この瞬間は心臓が大きく跳ねるのを感じ取った。彼女の言葉はズキリとした痛みを胸に走らせ、確かな余韻がそこに残る。

 

 

 ──私達を恨んでないの? 

 

 

 その声は、頭の中に妙に重々しく響いた。

 そして、その痛みは以前にも感じたことのある痛みだった。

 

「何の話だ………?」

 

 図りかねている意図を掴む為に、或いは、その痛みを誤魔化そうとするかのように問い掛ける。

 

「…………」

 

 すると、レミリアはまた口を開くのを躊躇いながら言葉を探す様子を見せた。

 水面(みなも)に浮かんだ月のように、紅い瞳が静かに揺れる。

 その目に映るのは、後ろめたさか葛藤か──

 私がその揺れを眺めていると、レミリアはそれを隠すように咄嗟に目を背けた。恐れている何かが見えてしまったかのような反応だった。

 その恐れを抱いたまま、彼女は決意を固めたように、ゆっくりと声を絞り出す。

 

「……お姉さまは………私達(・・)のせいで、辛い目に遭ってたんじゃないかって……」

「………」

 

 ──まさか………

 

 その声は辿々(たどたど)しくも、彼女の背負った後ろめたさを重く響かせた。

 私の動揺が見えてしまったとでも言うように、レミリアは再び視線をサッと逸らす。その姿を見て、ようやく私は彼女の発言の意図を掴んだ。

 それと同時に、更に強まった胸の痛みが、とある記憶を脳裏に呼び起こした。

 

 

 それは、レミリアがまだ赤子と呼べるほどに幼かった頃だった。

 

 

 光があれば、そこにまた陰も生まれる。

 その(ことわり)が現実となって顔を覗かせたかのように、私と彼女は何もかもが正反対だった。

 光の強さが増すほど陰の濃さは更に増し、闇は深く広がる。

 

 ──何故、私だけ(・・・)が……

 

 同じスカーレット家の者でありながら何故、ここまで境遇が違うのか。何故、彼女は1人の悪魔として認められるのか。

 初めはぼんやりと胸の内に浮かび、決して答えを知りたくないその残酷な懐疑心は、次第にクッキリとした形を型取っていった。

 胸の内で肥大化していくソレ(・・)に気付いたときには既に遅く、次第に増え続ける闇は思考を覆い尽くす。

 そして、いつしか………妬み、そして怒りへと姿を変えていった。

 愚かにも、私はそれを抑えることが出来なかった。この理不尽な現実に打つけるべき怒りの矛先を、何の罪も無い妹へと向けてしまった。

 私をただの姉として慕いながら差し伸べてきた(レミリア)の手さえも自ら振り払い、彼女を蔑ろにしたのだ。

 結果的に、私の掲げた何の根拠もない傲慢が彼女を傷つけただけだった。

 だから、私は今度こそ接触を断とうと決めた。

 

 

 私はまた、理不尽に傷つけてしまうかもしれないから──

 

 この6年、私は彼女と会話どころかまともに顔を合わせたことすら、ほとんど無かった。

 今、こうして会話をしていることさえ何時(いつ)以来なのか記憶が怪しいくらいだ。

 いや、彼女だけではない。

 私はただ一室に籠り続け、身内の者との関わりを可能な限り避けていた。(はた)から見れば、私は何かに怯えながら過ごしていたように見えたのかもしれない。

 

 

 レミリアは、そんな私の姿に──

 ハッキリと記憶に残っていたのかは定かではないが、傲慢に振る舞うかつての姉の姿に負い目を感じていたのだろう。

 

 

 

 ──何もかも、私が招いたことだというのに……

 

 

「………それは、お前のせいなんかではない………そして、恨みなど抱いていない。全ては、この醜い姿を生まれ持った私の背負うべき業なのだから………」

 

 

 あの時──

 

 " 孤独 " の本当の意味を理解したあの時……

 私は1人取り残された部屋で、そう悟った。

 

 

 どれだけの間、そこに漂っていたのか分からない沈黙を私が破った。

 

「お姉さま……」

 

 彼女は、私が劣等感を抱き恥辱を味わっていたことを察していたのだろう。

 もしかしたら、赤子の頃から気付いていたのかもしれない。

 

「だから………もし、お前が私に後ろめたさを感じているのなら直ぐに忘れろ………ありもしない罪を勝手に背負い込むな」

 

 

 

『自分の存在が姉を苦しめている』

 

 いまのレミリアを見る限り、彼女はそう思っていたはずだ。

 かくいう私もかつてはそう錯覚し、レミリアに憎悪の火を滾らせてしまっていた。

 だが、その苦境は私の弱さ故に生まれたものだ。あの客人達からの仕打ちだって、元を辿れば私という存在故にあった。

 レミリアが生まれなくとも、私はずっと虐げられているままだったに違いない。

 事実、その現状を私自身の手で変えようと抗ってみせたことなど一度もなかった。

 だから、レミリアに罪など無い。

 初めから、そこにあるのは私の弱さが作り出した現実だけだったのだ。

 

 故に、私は私が憎かった。

 

 こんな苦しみだけが広がる現実を生み出した弱い自分が。

 そんな現状を変えようと、抗うことすら出来ない自分が。

 そして、守りたいと思っていたはずの妹を傷つけ、ありもしない罪の意識まで背負わせてしまった自分が。

 

 

 

 

 全ては私が落ちこぼれの悪魔だから──

 

 

 

 

 

「違う」

 

 

 唐突に響いた妹の声と腰を緩やかに締め付ける感覚が、私の意識を現実に引き戻した。

 彼女は両手を私の背に回し、体重をこちらに預けてもたれ掛かる。

 言わば、私に抱きしめている状態だった。

 私の視界には小さい背中と蝙蝠の翼しか映らないが、その小さな背からくぐもった声が聞こえた。

 

「フィル姉さまにだって、罪なんか無い……」

 

 身体を締める感覚が少し強くなるのと同時に、レミリアの言葉にも力がこもる。

 

「私なんかじゃ、力になれないかもしれない……

 だけど………お姉さまは、私が守る。

 

 

 

 

 

 ──それが私に出来るかもしれない、せめてもの……償いだから………」

 

「レミリア…………」

 

 

 背負い込むなと言ったばかりなのに。

 彼女は何故、こんなに私を気にかけるのか……

 

 

「ごめんなさい………」

「…………」

 

 そして、何故──あたかも自分が罪を犯したかのような言い方をするのか……

 

 身体を締める力がさらに強くなったかと思うと、彼女の震える背から(むせ)び泣く声が漏れていた。

 レミリアが、ここまで私に執着する理由が分からなかった。

 その一方で、これほどまでに罪の意識を妹に抱かせた自分への怒りが更に強くなる。

 それと同時に、私を抱き締めたまま……ただ泣き続けるレミリアの姿に戸惑うばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それはつまり、フランドールを地下牢に監禁すると?」

「一時的に……ですがね」

 

 地下のとある一室。

 気不味さを隠し切れていない私の質問に、母上は答えた。

 母上に()(かか)えられてスヤスヤと眠りにつく幼子は、私やレミリア、母上のような銀の髪と対照的に、照らされたように明るい金色の髪が目立つ。

 

 そして、実に異様というべき姿を兼ね備えていた。

 

 吸血鬼は、蝙蝠のような悪魔の翼を特徴に持つのが一般的だ。

 しかし、その幼子の翼は、一対の枝にそれぞれ七色に光る八つの宝石が等間隔にぶら下がった形状という、かなりイレギュラーな特徴を持っていた。数千年単位の時を生きてきた両親でさえ、このような翼の吸血鬼を見たことはないという。

 1つ1つの宝石が、神秘的な輝きを放つ。

 だが、それらの築き上げるギラギラとした光のグラデーションが不気味さを生み出し、妖しさの旋律を奏でていた。

 その美しさと不穏な様相のギャップが、悪魔としての異質さをより際立たせる。

 

 

 ………私が言えたことではないが。

 

 

 

 

 

 ──フランドール・スカーレット

 

 私とレミリアは、フランドールとの血の繋がりは無い。彼女は、2日ほど前にスカーレット家の養子として引きとられたばかりだった。

 両親曰く、人間に捕らえられ、実験台として拷問に架けられていたところを保護したらしい。発見した当初は、吸血鬼としての再生力が追いつかないほどの深い傷を負っていたそうだ。

 恐らくだが、吸血鬼の弱点を探る目的で囚われていたのだろう。その証拠に、両腕に焼けた痕や肉が深く裂けた痕が残っていた。

 この世界に流された吸血鬼は日の光に弱く、そして銀に弱い。火傷の痕は間違いなく日光を浴びたもので、裂かれた肉の痕は銀製の刃物によるものだろう。

 その他にも、まだ傷痕が目立つ。

 いま見る限りでも、右目の眉に痛々しい痣が残る。青紫色に腫れ上がった患部は完全に右目を塞ぎ、真っ白な肌とのコントラストを大きく目立たせていた。

 どうやら人間は、悪魔に負けないくらい残酷な生き物らしい。そのお陰で、フランドールに " 狂気 " が宿ってしまった。

 

 

 問題はここにあった。

 

 

 ── " 狂気 "

 

 

 幼少期から外部による身体的、または心理的なダメージを負い続けた吸血鬼には " 狂気 " が発現する。本能的な防衛反応が過剰になった結果、自我の内に宿るモノらしい。

 この " 狂気 " というものがまた恐ろしく、幼子が成体の悪魔をいとも簡単に殺せるほどの力をもたらしてしまう。

 自我を呑み込んだソレは、悪魔としての殺戮本能を余すことなく剥き出しにし、その身を血で染め上げる。その力は、深層心理に眠るトラウマを呼び起こした時や、自らの生命に危機が迫った時に目覚めると言われている。

 この館では、流石に命の危機が迫るような状況は起こり得ないだろうが、トラウマという内的要因だけは一朝一夕で解決出来る問題ではない。

 

 

 フランドールは言わば、いつ爆発するか分からない地雷のような存在だった。

 

 

 そこで、両親が下した決断が「フランドールを地下牢に監禁する」というものだった。

 私達のように自由に行動する時間が認められるものではなく、ただ一室に身を置かせるつもりらしい。

 それを聞いたレミリアは、当初は反対していたが狂気の問題を解決する策の代案が出せず、ただ苦渋の表情を浮かべるばかりだった。

 そこで母上は1つの条件を提示した。

 

両親(私たち)と同伴なら、面会を許可します」

「………」

 

 レミリアが反対せずとも、面会くらいは許可するつもりだったとは思う。

 だが、重要なのはそこではない。

 母上は、私やレミリアだけでフランドールと接触すれば、私達が命を落とす危険があることを示唆しているのだ。

 

「でも………それじゃあ、フランが……」

「何も、一生を地下牢で過ごせと言っているのではありませんよ。" 狂気 "が無事に消えたら、一緒に過ごせます」

 

 未だに納得がいかない様子のレミリアを母上が諭す。

 まあ、地下牢から出られたところで私達と同様、"地下から" 出られることはないだろうが………。

 

「フランには明日から地下牢に移ってもらいますが、いまのところは特に精神の乱れを感じませんし、今日は隣にいることを許可しましょう。

 フラン、この子達が貴女のお姉ちゃんですよ」

 

 そう言うと、母上は少し腰を落とした。そこに、フランドールを抱き上げようとレミリアが直ぐさま駆け寄り、母上はその幼子を起こさないようにソッと明け渡す。

 

「フラン………」

 

 レミリアは憐れみを含んだ顔で、抱え込んだままフランドールの顔を覗きこんだ。

 

 やはり、例の痣が気になるのだろうか………

 

 自身がその痣の痛みを感じているかのように、レミリアはその幼さに全く釣り合わない険しい表情を浮かべていた。

 悪魔もなにも、幼い子供をここまで痛ぶり尽くした人間への怒り。狂気が宿るまで拷問を受け続け、誰一人家族のいない孤独な時間を過ごしてきたその境遇に覚えた悲しみ。

 それらが見事なくらいに混ざり合って、顔に現れていた。

 しばらく無言でフランドールの顔を見つめていたが、次第に身体が震え始めた。下を向いているせいで顔は見えないが、レミリアのすすり泣く声が耳に届く。

 抱き締める力を少しずつ強め、肩を震わせながら自分の額をフランの額に優しくあわせた。

 

 ──貴女も私が守ってみせるから………

 

 まるで、そう語りかけているかのように思えた。

 そして……その光景は、私を力強く抱き締めた先程のレミリアの姿を彷彿とさせた。

 

 ──私は(レミリア)を、あんな風に抱いてやったことがあるだろうか………

 

 

「…………」

 

 視界の隅を影が横切り、私の意識を目覚めさせる。それが母上だと気付いたときには、彼女は震えるレミリアに静かに歩み寄り、その頭を優しく撫でていた。

 そこからドアの方へと向かい、ドアノブに手をかけた瞬間にゆっくりとこちらを振り返る。私やレミリアと視線が合ったのを確認してから、母上は口を開いた。

 

「二人とも………フランと仲良くしてあげてくださいね」

「………」

 

 ドアの閉まる音と去り際の母の一言が、胸に針を刺したような痛みを走らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 母上曰く、フランドールの年齢は2歳。彼女は生まれてから2年もの間、拷問を受け続けていたという。

 何故、そんなことまで分かるのか? 

 それは、母上の持つ力に理由がある。

 吸血鬼に限った話ではないが、(あやかし)の類は自らの属する種族が持つ力とは別に、固有の力を持つことが多い。その力は、使い方次第であらゆる方向へ作用するという抽象的な特徴から " 程度の能力 "と呼ばれる。(ごく稀にだが、人間側にもこのような力を使える者がいるらしい)

 程度の能力は生まれたときから備わっているのだが、何かしらの「キッカケ」を経なければ使うことは出来ないらしい。

 私も自身に何の能力が備わっているかは、まだ分からない。

 恐らくだが、レミリアもそれは同じだろう。

 母上の持つ力は、「霊気を察知する程度の能力」。本人曰く、魂に刻まれた記憶を読み取る能力らしい。記憶といっても、詳細な記憶までは読めないが、年齢や種族といった大まかなものなら読めるようだ。

 だから、フランドールのことが分かった。

「いつ頃から」「どれくらい」、そう言った記憶は本来は分からないはずなのだが、例の " 狂気 " が拷問の記憶を教えてくれたらしい。

 フランドールの魂に深く染み込んだ狂気を察知した為に、両親は彼女を幽閉する道を選んだのだ。

 

 

 

 いま、この場にいるのは私にレミリア、そして義理の妹となったフランドールの3人。

 レミリアは、目を覚ましてぐずり始めたフランドールを必死にあやしていた。

 

「ぐずッ………うっ……」

「え、えーと……ホラ! レミリアよ! レミリアお姉さまよ!」

 

 上下に軽く揺すりながら、なだめようと試みる。その様子を、私は椅子に座りながら眺めていた。

 ………レミリアは、年下の身内に「お姉さま」と呼ばれたかったのだろうか? 

 因みにレミリアが私を「フィル姉さま」と呼ぶ件については、私はその呼び方を強制した覚えはない。

 

 そもそも、ロクに会話をしていないのだから──

 

 一方で、フランドールの方はレミリアが必死になった甲斐があってか少し落ち着きを取り戻していた。

 

「フランドール………」

 

 義理の妹となった彼女の名を、無意識に呟く。

 幼少期から周囲に暴力を受けていたという点や、悪魔として異質な姿を生まれ持ったという点では、私に似た存在だった。

 だが、彼女は私とは違う。

 例え、普通の吸血鬼のような姿だったとしても人間に実験台として捕らわれている身である以上、それに関係なく拷問を受け続けていただろう。

 彼女は、本当の意味で抗うことさえ許されなかったのだ。

 自ら抗うチャンスを得ようとすらしなかった私と違って──

 それまで散々虐げられてきた私でさえ狂気が宿らなかったことを考えると、彼女はどれほど(むご)い目に遭ってきたのだろうか………? 

 

 

 

「フィル姉さま」

 

 すっかり静けさを取り戻したフランを抱きながら、レミリアがこちらに向かって歩いてくる。

 お互いの距離が私の脚で三歩分程に縮まったあたりで、私はゆっくり立ち上がった。

 

「フラン! コッチがフィル姉さまよ。白くて綺麗でしょ!」

「ひ…る……?」

「そう、私達(・・)のお姉さま。ほら、フィル姉さまもフランを抱いてあげて」

「……………」

 

 私は、いまのレミリアのように妹に優しく接したことがなかった。

 血が繋がっていなくとも、フランドールと何の隔ても無く接するレミリアの姿は最早、私の醜さを映し出す鏡そのものだった。

 姉としての振る舞いを見せるレミリアの姿に、ただただ胸が痛んだ。

 

「あー、もう……」

 

 かつては傲慢に振る舞って(レミリア)を傷付け、自身の犯した失態と向き合うこともしなかった。

 ただ逃げ続けたそんな私が、フランドールと接することなど許されるのだろうか………? 

 

 こんな私が姉となる資格など── 

 

 

「ホラ! いつまでボーッとしてるの!? とにかく抱っこしてみて!」

 

 それまで耳に入ってこなかったレミリアの声がようやく私の意識に響く。それに気付いたときには、レミリアは片手で私の右手を引っ張り、無理矢理私の姿勢を(かが)ませていた。

 かと思えば、次の瞬間には確かな重みと温もりが腕の中に広がり、それらの感覚が1人の子供を抱き上げているという実感を確かに訴えていた。

 

「…………!」

「温かいでしょ? それに、その子は凄く柔らかいの」

 

 そう言いながら、レミリアは私の腕の中のフランドールの頰を指でつつく。指を包み込むようにへこみながら、その指を柔らかく押し返そうとする力が働く様子が伺える。

 心なしか、フランドールの表情が(やわ)らいだように見えた。

 

「フフッ! 癖になるわね、この柔らかさったら………私がこの子くらいの頃は、こんな感じだったんでしょ?」

「それは………」

 

 何か言おうと息を吸い込むが、言葉が詰まる。

 上手く向き合えずにいた私が、そんなことを知るはずもなかった。

 答えられるはずもなかった。

 ………何を言えばいい? 

 向き合おうとしなかった過去を正直に話すか? 

 ここで懺悔の言葉でも吐くべきか? 

 そんな私の胸中に渦巻く葛藤を知ってか知らずか、レミリアは話を続けた。

 

「もしかしたら、お姉さまもこんな感じだったのかも………もし、時代を遡れるならフィル姉さまが小さかった頃に行きたいわ」

「…………」

 

 

 

 もし、私とレミリアが逆だったら。

 彼女が私の姉だったら。

 レミリアはきっと、今のフランドールと同じように優しく接してくれていただろう。天使という異端の姿で生まれてきた私を差別などしなかったはずだ。

 現に、彼女はそうした目を向けたことなど一度もなかった。

 それこそ、私が暴力に跪くことがあれば身を呈して守ってくれたに違いない。

 血の繋がりの無い妹を前にして、本物の家族のように接する彼女を見て思った。

 

 もし、そんな世界に生まれてこれていたら──

 

 ……ああ、違う。

 何を考えているんだ私は。

 自分の背負うべき業と言っておきながら、何故私は妹に助けを求めているんだ。仮に、そんな世界に生まれていたとしても私は現状を変えようと抗わなかっただろうし、余計にレミリアを傷つけていたのかもしれない。

 結局のところ、私が私である以上は何も変わりはしないのだ。

 フランドールもきっと、かつてのレミリアのように傷つけてしまうかもしれない。ようやく囚われの身から解放され、もう少しで自由に届きそうな彼女を苦しめるわけにはいかない。

 

 

 

 ──だから、私が姉となる資格など………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふッ……!」

 

 突如、その場に響いたのは幼い笑い声。

 その声の主は、私の腕の中にいた。

 

「フランドール………?」

「ふぃるッ……!!」

 

 私が浮かべたことなどないであろう満面の笑みがそこに。

 青紫色に腫れ上がった痣に塞がれた右目と、砕かれたように欠けた歯を見せながらフランドールは無邪気に笑っていた。

 それらが目に入った瞬間、大きく跳ねた心臓の強い鼓動が広がっていくのを全身で感じ取る。

 ボロボロの笑みを浮かべながら、小さい手を私の顔に届かせようと精一杯伸ばしていた。

 

 

 ──何故お前はそんなに笑っていられる……? 

 

 

 いつか頭の中を駆け巡った、心に巣食う妬みが生み出した疑問。

 

 私なんかより、ずっと苦しかったはずなのに──

 私なんかより、ずっと孤独だったはずなのに──

 

 レミリアのように、何かしらの幸福を味わえるような環境では決してなかったはずだ。現に、彼女には狂気が宿った。

 幾度となく虐げられてきた私でさえ狂気に支配されなかったのだから、彼女は地獄のような日々を過ごしていたに違いない。

 それなのに、何故あんな笑みが浮かぶのか………

 ただただ動揺が駆け巡る中、あまりに眩しいその微笑みに、私の視界は見事に支配されていた。

 

「あらあら………この子も小さかった頃のフィル姉さまが見たいのかも」

 

 レミリアは私の隣で小さく笑い、それに続けるように口を開いた。

 

「血は繋がってなくても私と同じように温もりを持ってるし、他の人の温もりも感じられる。だから、フランは私と同じように微笑むことが出来る。この子はいま、フィル姉さまの温もりを感じたから笑ってるんだと思う………一方でお姉さまもフランを抱いたとき、『温かい』と思った。

 

 それなら………お姉さまだって、きっと……」

 

「……………」

 

 

 視界に映るフランの笑みが、かつてレミリアが幼い頃に浮かべた笑みと重なる。

 それらは、血の繋がりの無さを疑うくらいにそっくりだった。

 そして、レミリアの言葉を聞いて思った。

 

 

 ──私に出来るだろうか……? 

 彼女らのように微笑むことなど……

 

 

 

「言ったでしょ? 力になれるかは分からないけど……フィル姉さまは私が守るって………」

「レミリア………」

 

 私の不安を読み取ったようにレミリアが少しばかり震えた声を上げ、ジッとこちらを見据える。

 射抜くような視線を放つ紅い瞳が、宝石のように輝いたのが見えた。

 その瞳はもう、揺れてはいなかった。

 あの時感じた葛藤や後ろめたさは、そこにはなかった。

 そして、私はその瞳に確かな力強さを感じ取った。

 

 

 

 

 

 ──私よりも過酷な境遇にあったであろうフランは、幸せそうに笑ってみせた。私よりもずっと幼く、そして傷だらけの姿で……

 

 

 だったら………私も抗えるはずだ。

 

 私はただ、自分の生まれ持った姿を憎むだけだった。そして、自らの醜さを数えることしかしてこなかった。

 だが、フランドール(この子)は暗い過去に囚われることなく、この瞬間(いま)を生きている。

 だから、微笑むことが出来たのだ。

 彼女の微笑みを見た瞬間──何かは分からないが、私はフランドールに自分を変えてくれる確かなものを感じ取った。

 彼女の微笑んだ顔を見て、私も変わりたいと思った。

 

「………守るのは姉の役目だ。だから……私も、変わってみせる」

 

 妹が私を守る? 

 だったら、姉である私が立ち上がらなくてどうする。

 

 ──お前に、スカーレット家の第一子という自覚があるのなら………強くなれ……

 

 

 伯父のかつての言葉が頭をよぎる。

 そうだ………

 スカーレット家の長女である私がこの有様でどうするのだ。守りたいものの為に強くなるのではなかったのか。

 一度、自分の胸に問い質してみる。

 だが、根底にある気持ちは変わらなかった。

 やはり、私は…………私が居場所と呼べる唯一の場所(家族)を、自分の手で守りたい。

 

 

 (レミリア)は聞いた。

 

 ──お姉さまは……『ずっと、紅魔館(ここ)に居たい』 って……そう思う……? 

 

 もし、私が紅魔館(ここ)にいることが許されるのなら、私は居たい。

 もし、私が紅魔館(ここ)でやり直せるのなら。

 

 

 もう、二度と見捨てはしない。

 もう、二度と裏切りはしない。

 

 

 ──私はもう屈しない

 

 

 ──私はもう負けない

 

 

 

 今度こそ………私は誓ってみせる……

 

 

「ありがとう………レミリア……フラン……」

 

 そう言って、私はフランを強く抱き締めた。

 この時の私は、微笑むどころか涙さえ流していたと思う。だが、いつか孤独に涙を流した時とは、全く違う気持ちだったことだけは断言出来た。

 

 ──フランドール……そして、レミリア……

 

 この日、私は初めて二人の姉になれたのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




ハイ、というワケで……
本作においては、フランは義理の妹ということになります。彼女は後々展開のカギを握るキーパーソンとなりますので、そこら辺にも目を向けて頂けたらと……


Twitterにて、『わかな』(@iM0CRiwrY9QPYD6)様から頂きました!!
実は正月の時に頂いていたのですが、更新頻度が遅いせいで………


【挿絵表示】

素敵なイラストをありがとうございます!!



さて、次はターニングポイントになります。(投稿急ぎます……)


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第8話 亀裂

やっと展開が進みます
ターニングポイントです


 

 

 

 

 

「あ、図書館(ここ)にいたのね」

 

 

 私は、フィル姉さまをやっと見つけることが出来た。地下のフロアはかなり広い為、探しているうちに少しばかり時間がかかってしまった。

 

「………レミリア(お前)図書館(ここ)に用があったのか?」

「ううん、お姉さまを探してただけ。別にお姉さまに何か用があったワケでもないけど」

 

 そう言いながら、私は本を読んでいるお姉さまの向かい側に座った。こちらを気にせず本を読みふける姉の様子を、組み合わせた両手の甲で顎杖をつきながら眺めてみる。

 改めて見ると、お姉さまはやはり普通の吸血鬼とは違う。

 私の姉、フィルシア・スカーレット。

 悪魔という名称がもっとも似合わないその姿は、全体的に鮮やかな白が一際目立ち、神秘とでも呼ぶべき魅力を十分に感じさせる。

 私のように水色が混ざることなく、透き通った銀色の髪。一点の妖しさも感じさせない緑を反射する瞳。そして、白鳥のような純白の輝きを見せる翼。

 蔑称のつもりではないが、お姉さまにはやはり『天使』という言葉が似合っていた。

 

 ………本人が嫌がりそうなので、実際にその名で呼んだことはないが。

 

「何の本を読んでるの?」

 

 ページをめくっていた手をピタリと止め、お姉さまはこちらに目を合わせてきた。

 

「吸血鬼………何か狂気について手掛かりがあれば、と思ってな……」

「あ………」

 

 初めはちょっと驚いた。

 いつも淋しそうに一人の時を過ごしてたお姉さまが、フランを気にかけるようになったなんて。

 それと同時に、私はそのことを嬉しく思っていた。

 思えば、こうして私と自然に会話をしていること自体が大きな進歩なのだ。

 以前は、ずっと一人で部屋に引きこもったまま身内との距離を置いていた。私は愚か、両親にさえ会おうとしなかった。偶に顔を合わせることはあっても直ぐに目を逸らしてその場を去ってしまうのが、私の姉だった。

 姉妹、そして家族の間に生まれた溝は深まるばかり。その溝が埋まる気配はない。そこで、私達の思いが交錯することなどなかった。

 そんな姉の──義理の妹となったフランの為に解決の術を探そうとする姉の姿を見れたことが嬉しかったのだ。

 

「だが、即座に解決出来る方法は見つからない………方法はあるにしても、それは父上達のと同じ手段しかない」

「やっぱり………フランには地下牢にいてもらうしかないってことか……」

 

『幽閉』という言葉は、口に出来なかった。

 いや、『したくなかった』というべきか。

 ただ過酷なだけの時間から、やっと解放されたばかりだというのにまだ自由が認められない。私は、そんな理不尽な現実を受け入れられなかった。

 だから、私は反対の声を上げたのだ。

 だが、お母さま達が示唆する危険の存在は理性では分かっていた。

 

 これまでにフランが背負ってきた壮絶な過去。

 狂気に潜む死の危険。

 

 この二つの事実が、私の思考を迷宮へと(いざな)った。どう足掻いても、この事態を収束出来る力は私には無い。何一つ代案を出せず、結局はお母さま達の案を受け入れるしかなかった。

 分かっている。

 ソレ(・・)が1番現実的な方法だということくらい。

 だが、私は未だに納得していない。

 呼吸をするのが当たり前なのと同様、フランにとっては拷問を受けるのが当たり前だった。

 肉を削がれ、日の光で焼かれ、身体中に膨れ上がった痣を作られ………

 生まれた時からそんな日々をずっと過ごしてきた挙句の果てが、自由の無い幽閉という残酷な運命。

 人間も悪魔もない。

 何の罪もない幼い子供に背負わせるには、あまりに残酷な現実だった。

 

「本当にどうにもならないのかしら………」

「……精神の回復を待つしかないだろうな。私が調べた限りでも、それが一番妥当な方法だろう」

「………」

「狂気について分かったのは、それが精神的な病の一種だということ。恐らく、フランが抱えこんでいるのは多重人格障害、あるいは解離性同一性障害と呼ばれるものだ。見られる症例としては、頭痛や肉体的苦痛を訴え自傷行為を繰り返す等。複数の人格が存在するが、人格間で記憶の共有は少ない。小児期に受けた強い肉体的・性的虐待を受けた結果として、心理パターンの一つである自己防衛から異なった人格を形成し、ストレスを低減させる──」

 

 そこまで説明すると、お姉さまはパタンと本を閉じた。

 

「狂気というのは攻撃的な人格が宿った状態のことを指していると言っていい。多重人格とは言ったが、いまのフランは素の人格と攻撃的な人格の二つが潜む状態だ。精神が安定すれば、攻撃的な人格は消え、素の人格だけが残る」

「そう………」

 

 狂気の問題を解決するには、トラウマという内的要因と周囲に危害が及ぶという問題をクリアしなければならない。急激な環境の変化ということもあり、まずは精神的余裕を持たせることが急がれる。

 その為には、一人でいる時間を与えることが効果的だ。下手に接触して、彼女の精神を刺激するのは得策ではない。

 フランが負っていた怪我に治癒術などを施さなかったのは、それが理由だ。外部からの作用に、狂気がどのような反応を起こすか分からなかったからだという。

 つまり、お母さま達が取ろうとしている手段は最も適切な判断だということになる。

 

 

 だが……それを聞いても尚、私の心はまだ揺れていた。

 

 

「お姉さまは………ソレ(・・)が最善だと思う?」

「他に解決の手段が無い以上はな………」

 

 お姉さまはコホンと咳き込みながら、閉じた本を机に置いた。

 

「だが、私としてもフランが苦しまない方法を探したい。身内が苦しむのはもう、見たくないからな……」

「お姉さま………」

「私は、お前に謝らねばならない………すまなかった………」

 

 そう言いながら、お姉さまは目を閉じて静かに頭を下げる。その光景に、胸を殴られたような痛みが走った。

 

「どうして謝るの……?」

「………お前を苦しめていたからだ。覚えているのだろう? 私が蔑ろにしてしまっていたこと……」

「……それは、お姉さまのせいなんかじゃない………」

 

 一呼吸置いてから、私は答えた。

 ぼんやりとだが、幼少期の記憶は残っている。

 お姉さまを初めて見たときに抱いたのは、「白くて綺麗」という印象だった。

 お母さま達にしても客人(だったと思う)にしても、吸血鬼は夜闇のような黒というイメージを抱いていた為に、彼らと比べて一際異質な姉が珍しかったのだろう。

 あの真っ白な翼に惹かれたのか、私はよく抱きついていた。もふもふとした、あの柔らかさは今でも覚えている。

 

 ………出来ることなら、またやってみたい。

 

 とにかく、幼き頃の私にとってお姉さまは強く興味を惹かれる存在だった。ありきたりな吸血鬼のような姿ではなく、周りとは違った特別な姿で生まれてきた彼女が羨ましいとさえ思っていた。

 だが、記憶の中のお姉さまはいつも孤独だった。

 微笑んだ顔など、いまのいままで一度も見たことがない。ほとんど無表情だったというべきか。

 しかし、その無表情から染み出す疎外感は隠せていなかった。

 あの何かを疎むような目は、いまでも覚えている。だが、実際は違う。

 彼女は疎まれていた(・・・・・・)のだ。

 いつも近づく度に、私を拒否するような目を向けていた。しかし、それもやはり違った。

 

 彼女は特別(・・)だったのではない。異端(・・)だったのだ。

 

 最近は滅多に訪れることはないのだが、昔はよく客人がこの館を訪れていた。大方、私の出生を祝うことを目的とした催しがあったのだろう。

 その客人達が訪れる度に、姉はいつも怯えた目をしていた。

 当時の私は今よりずっと幼かった為に、正確な月日は覚えていない。

 だが、客がいた部屋から逃がれるように……脚を引きずるようによろけながら自分の部屋へ向かっていた姉の姿を覚えている。

 何を思ったのか、私はそれを追いかけた。

 普段は几帳面なはずの姉が、ドアを閉めることさえ忘れていた。私がそのドアの隙間を覗いてみると、こちらに背を向けたまましゃがみ込む姉の姿が映る。

 その様子を眺めながらゆっくりと距離を縮めてみるも、私に気づく気配はない。

 徐々に近づいていくうちに、何かを必死に腕に巻いていたのが分かった。何故だか呼吸が乱れており、肩を大きく上下させる様子が見て取れる。

 一歩、二歩と小さい歩幅で少しずつ距離を縮めていき、そのまま手が届く距離まで詰め寄った時だった。

 私は「何をしてるの?」と聞いた。

 私の声が響いた瞬間、お姉さまは酷く驚きながら咄嗟に腕を背に隠した。

 

『……ッハァ……ハァ………何故ここに……』

 

 荒れる息を整え、眉間にキツく(しわ)を寄せながら、額に髪が張り付く程の汗を流している様子が見受けられる。歯を食いしばっているようにも見えるその表情は、何か凄まじい痛みを堪えているかのように見えた。

 

『何をしてるの?』

 

 もう一度同じ質問をしてみる。

 そのまま私は返答を待った。

 しかし彼女は何も言わない。無言で互いを見据える中、姉が息を切らす音だけが部屋に流れていく。

 そして、お姉さまは私を無視するように何も言わないまま部屋の外へと出ていった。

 

『何か聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうか』

 

 なんとなく、私はそんな気分になった。

 そんな中、一人取り残された部屋で私が見つけたのは、乱雑に引き千切られた包帯の切れ端。

 その真っ白な布地は赤茶色の染みが広がっており、床に僅かに出来た同色の水溜まりから、その色を吸い上げていた。

 当時の私は、それが何なのか……お姉さまが其処で何をしていたのか分からなかった。

 だが、いまになって思い返してみれば分かる。

 彼女は左手首から先を、包帯で包みこませていた時期があった。

 左手を包んだ真っ白な包帯は、いつも手首の辺りが紅く滲んでおり、彼女はいつもその手を隠すように生活していた。

 

 

 

 お姉さまは、あの客人達に手首を斬り落とされたのだ。

 

 

 姉は切断された手を包帯で縛ってくっ付けることで、その断面を癒着させようとしていた。吸血鬼の治癒力ならば、それも不可能ではない。

 その包帯には角ばった部分があったので、恐らく板に巻き付ける形で固定していたのだろう。

 

 何故、お姉さまはこんな過酷な仕打ちを受けていたのか。

 思い当たる理由は1つしかない。

 悪魔と大きくかけ離れた、天使を彷彿とさせるあの姿だ。客人の吸血鬼には、お姉さまがただ異端の存在にしか見えなかったのだろう。悪魔にとって、最も忌避すべき姿が其処にあったのだから。

 それに比べて、私は吸血鬼として何ら変哲のない姿を生まれ持った。そして私は、あの客人達から虐げられたことなど無く、やたらと持て(はや)された記憶しかない。

 つまり、私とフィル姉さまは正反対の境遇にあったのだ。

 

 

「お姉さまは何も悪くない………」

「…………」

 

 頭を下げる姉を前にして、私はそれだけ言うのが精一杯だった。

 何か罪を犯したわけでも禁忌に触れたわけでもない。だが、そんなものなど関係ないと言わんばかりに、お姉さまはただ暴力に跪かされるという理不尽な現実をその目に突きつけられていた。

 その横で私がそんな事実を知ることもなく、ただのうのうと日々を送っていたとあらば、私に憎悪を向けるのは仕方がないことだった。

 いや、寧ろ当然だった。

 何故なら、彼女には私達(・・)を憎む理由がある。

 私達は決して償い切れない罪を犯した。

 どれだけ理屈を並べようが、お姉さまの生涯を狂わせたのは私達なのだ──

 

 

 そこまで考えた時、ある疑問が脳裏をよぎった。

 

 

 

「お姉さまは………吸血鬼の歴史をどれくらい知ってるの?」

「…………?」

 

 勿論、全てではないが私は吸血鬼の歴史は大方学んできた。その為、正直その内容に興味はない。

 私が知りたかったのは、フィル姉さまが歴史についてどれだけ知っているか(・・・・・・・・・・)ということだ。

 

「急にどうした……」

「いいから、知ってる範囲で教えて」

「………大雑把にしか話せないが」

「それでも構わない」

「………分かった」

 

 半ば無理矢理話をもっていったが、お姉さまの意識をずらすことには成功した。何処から話そうか悩む素ぶりを見せる姉の言葉を私は待った。

 

「取り敢えず、簡単に話そう。まず、スカーレット家は代々皇家(おうけ)に仕える武家だった。魔界においては強大な力を誇り、皇家の一族をその手で護り続けてきた………これは周知の通りだな」

 

 彼女の声に頷く素ぶりを見せ、続きを話すように促す。それに応えるように、お姉さまは再び口を開いた。

 

「父上達の代になった頃、皇家では継承者争いが起きた。この時、スカーレット家は継承者候補の一人についたが、その継承者が気に食わなかった(おう)はスカーレット家を逆賊として切り捨てた。そこから、皇の軍と反乱軍の戦いが起こるワケだが……………スカーレット家を含む、その戦いに敗れた反乱分子の吸血鬼は魔界から追放され、人間界(この世界)へと流された………」

「…………」

 

 

 ……違う。

 ………やはり違った。

 お姉さまは、お母さま達から正確な歴史を教わっていない。

 戦が起こり、それに敗れた吸血鬼が魔界から追放されるという話の流れ自体は合っているのだが、スカーレット家が蜂起した肝心の理由が違ったのだ。

 そもそも継承者争いなど起こっていない。

 スカーレット家は、皇から妃を護る為(・・・・・・・・・)に反旗を翻したのだ。この事実を知らないところを見る限り、我々がこの世界に流された本当の理由も知らないのだろう。

 

『嘆きの揺り籠』と呼ばれたあの事件も………

 

 流刑とは、単に皇に反逆した罪で下されただけの裁きではないのだ。

 

「それで………反逆者達は流刑だけで済んだの……?」

「いや………この世界へと流された結果、吸血鬼は日の下で動くことが出来なくなった。追放される間際、皇に刃向かった吸血鬼は呪いをかけられたのだ。そして、その呪いは血を引く私達にもかかっている……」

「…………」

 

 ──この点は、特に事実と相違は無いか……

 

 当然、流刑だけで済まなかったのは知っている。

 いまのところ、お姉さまが教わった部分に偽りがあるのは、蜂起した理由くらいか………

 吸血鬼の弱点が日光とされる理由は、コレだ。

 本来の吸血鬼……魔界にいる吸血鬼は、このような弱点は持たない。人間の間では、吸血鬼は日光に弱いとされる考えが主流であるが、一部の人間はそれを否定する。

 吸血鬼の弱点に関する議論は、人間の歴史の中で幾度となく繰り広げられてきた。それはいまでも続いているようで、宗派によって支持する考えが異なるという形にあるようだ。

 コレは恐らく、魔界側の吸血鬼と流刑に処された吸血鬼の特徴が混同された為だろう。前者に日光は効かないが、後者には脅威となる。

 それらのイメージが混ざり合って受け継がれた結果、今日(こんにち)にまで続く議論を生み出したのだ。

 

 

 ──そこまで思慮を巡らせた時だった。

 

 

「レミリア………」

「……?」

「父上達は確かに戦いに破れ、その権威も今や失墜したも同然だ………だが、スカーレット家の誇りだけは忘れるな………」

「………は?」

 

 姉の声に私は耳を疑った。

 何故、そんな言葉が姉の口から出るのか………

 私達(スカーレット家)が憎いはずなのに……

 

「お前は知らないだろうが、私達には伯父がいてな………奴はよく語っていたよ、スカーレット家の歴史を」

「…………」

「アイツの語るスカーレット家の話に、私はすっかり魅了されてしまったもんだ。強く………そして、勇ましい父上達の姿に私は憧れていた。私もそんな風になりたいと願った」

 

 いつも固い表情の姉が、少し悲し気な……それでいて、和らいだ顔でいることに少し驚いた。

 しかし、私が最も驚いているのはそこではない。

 ………彼女は立ち上がると、ドアの方へと向かい、歩きながら語り始めた。

 

「だが、こんな身体で生まれてきた私だ。私に威厳を取り戻せるとは思えない。現に、私は自分の力で抗おうとすることさえ出来なかった………だが、お前は違う」

 

 お姉さまはドアノブに手を掛け、扉を押し開けた。

 

「お前は私と違って、立派な吸血鬼だ。私なんかでは成せないことも、お前なら出来る。その手で運命を変えることだって………真にスカーレットの威厳を取り戻せるのは、お前だけだ。だから………」

 

 ──違う……

 

「スカーレット家の誇り………絶対に忘れるな」

 

 ほんの僅かの間、この空間に響いたフィル姉さまの声は、やがてドアの閉まる音にかき消された。

 

 

 

 ──違う……

 

 私はお姉さまの声を、ひたすら否定し続けた。

 

 ──違う………私達(スカーレット家)はお姉さまがこの世で最も憎むべき存在よ……

 

 

 その一方で、私は確信したことがあった。

 お姉さまに、昔の記憶はない(・・・・・・・)

 私や家族と距離を置いていたのは、そのことを覚えているからだと思っていた。薄々気付いてはいたのだが、こうして言葉を交わしてみた結果、その予想は確かなものへと変わった。

 記憶が無いのは、ある意味では幸いだったと言うべきだろうか。

 だが、それで我々の罪が消えるわけではない。

 真実を知っていながら、それを隠し続ける私も同罪だ。

 しかし、お姉さまに伝えることはなく、私は自分の感情を優先し続けてきた。

 

 そして、いまも………

 

「…………」

 

 …………怖いのだ。

 この事実を知ったとき、彼女がどうなるか………

 それを知れば、彼女はきっと自分達の前から姿を消してしまうだろう。

 

 そして、それが今生の別れとなるのは必然だった。

 

 だが、あの人はこの世でたった一人の姉なのだ。

 その姉との別れを簡単に受け入れられるはずがない。

 これまでは溝を超えられず、気持ちを通じ合わせることが出来ないでいた。だが、フランが来てから変わり始めた。

 ようやく溝が埋まり始めたというのに、別れたくなんかない。

 もっと一緒にいたい。

 もっと言葉を交わしたい。

 私だけではない。フランにとっても、お姉さまは必要な存在のはずなのだ………

 

「フラン………」

 

 あの時………お姉さまがフランを受け入れられたのは、かつての自分の姿を重ねたからだろう。

 

 あの客人達から虐げられてきた自分の姿を……

 

 お姉さまは、どれだけ痛めつけられようが決してお母さま達に言おうとはしなかった。例え、手首を斬り落とされようと彼女はそれを隠し続けた。

 お姉さまがいつも長袖の服だけを着用し、スカートの下にまでズボンを履いていたのは、身体の痣を隠す為だったと思う。

 私が服の上から腕に触れただけで痛がる素振りを見せたことがあったのだが、その理由はそういうことなのだろう。

 お姉さまは自分の負った傷を隠すことに必死だった。

 そして、私もその事実を知りながら口に出すことはなかった。この件に関しても、私は自分の感情を優先させたのだ。

 必死に傷を隠そうとする事実を口外すれば、どうなるか………ただでさえ深い溝を築く姉が、更に私と距離を置くのではないかと思うと口に出せなかった。

 傷を隠すのに、どういった意図があったのかは分からない。だが、姉は自分から助けを求めることが出来ないのだということだけは分かった。

 お姉さまの過去を明かすことも、彼女の隠そうとする傷を明らかにすることも私には出来ない。

 

 

 だからこそ、私はお姉さまを守らねばならないのだ。

 

 

 私自身幼かったとはいえ、ただ痛みに怯え続ける姉を救うことが出来なかった。

 

 …………私はもう、そんな光景は見たくない。

 

 この先、お姉さまがそうした目に遭うことがあれば、何としてでも救い出してみせると私は誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが、スカーレット家の者として私に出来るかもしれない唯一の償いなのだから………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に連れて行くの………?」

「何度もそう言ったでしょう………コレは私達の為でもフランの為でもあるのです」

 

 不安気に問い掛けるレミリアに、母上は疲れのこもった声でそう答えた。

 

「そうか………」

「フィル、残念だが………フランには地下牢にいてもらうしかない」

「…………」

 

 私が溜息混じりに呟いた声に、父上は言葉を覆い被せる。

 私達は、フランの身柄を地下牢に送り届ける最中だった。

 

 ──地下牢

 

 私やレミリアも地下に監禁されている身ではあるが、一定の自由は認められており、" 牢 " のように身柄を著しく制限されているワケではない。

 だが、フランはこれから私達以上に拘束された生活を送らねばならない。

「幽閉」以外に、狂気を解決する術を見つけられなかったことに関して私は少なからず自責の念を覚えていた。

 狂気の性質上、コレが事実上の最善策であることは認知出来ても、心の何処かでは納得しきれていなかったのだ。

 

 

 ──すまない………

 

 

 薄暗い廊下をひたすら進み、地下のフロアよりもさらに下へ続く階段を降りていく。レミリアと母上達との会話を最後に、誰一人として喋らなかった。

 その間、異質とも言えるほどの静けさが聴覚を支配していた。

 そのまま無言で歩んでいるうちに、とある一室のドアの前に着いた。

 大した理由があったワケではないが、私はこの部屋を訪れたことがある。仕切りを跨いで実質二部屋分の広さがあり、内装自体は特に変わりのない部屋だった。

 それと対照的に、異質さを際立たせるのはこの鋼鉄のドアだ。

 見た目からして、圧倒的な硬度を誇っているのが分かる。私では愚か、父上が全力でぶち当たっても破けないのではないだろうか。

 ソッと手を触れてみると、その手の平から鋼鉄特有の冷たさと硬さが神経を通して伝わってくる。

 これなら、仮にフランの狂気が暴走しても簡単に壊れることはないだろう。

 視界の隅を、大きな影が占める。

 見上げてみると、父上がドアに手をかざす様子がそこにあった。

 彼の手が紅く光ったかと思うと、そのドアに同じ光の魔法陣が浮かび上がる。所々、私には読めない式句が刻印されており、妖しく輝いていた。

 そのドアの灰色と、血のように紅い魔法陣の光が色彩のギャップを生み出し、視覚に強烈に訴えかけてくる。

 その光の強さに、思わず私は目を細めた。

 

「………解錠」

 

 父上がそう唱えると、鋼鉄の扉は鼓膜に響く程の重々しい音を響かせながらゆっくりと開いていく。

 何かの怪物が大きく口を開いて待ち受けるように、ドアの奥の暗闇が少しずつ姿を見せ始めていた。

 それが目に入ったのか、母上の腕の中にいたフランが怖気付く様子を見せる。母上の服をギュッと握り締め、僅かに身体が震えていた。

 

「ッ………」

 

 その光景に胸が痛くなる。

 耐え難い苦痛の日々を生き抜いた挙句の果てがコレだ。納得出来るはずがなかった。

 もし、他に狂気を解決出来る方法を見つけられていれば、目の前の光景は無くて済んだのだろうか。

 そうしたif(イフ)の世界を考えると、更に胸が痛んだ。

 父上が部屋の中に入り、指を鳴らす。

 すると、暗闇の中に照明が浮かび上がり、部屋全体を照らし始めた。先程のような暗闇は、既に面影がない。

 部屋の中には、大人1人が寝れる大きさのベッドやテーブル、沢山の人形やぬいぐるみが置かれてあった。

 父上達が、フランの為に備えていたようだ。

 

「さあ、フラン。こっちに」

 

 父上の声を合図に、フランを()(かか)えた母上が部屋に入る。そのまま腰を落とそうとすると、フランが母上の服を握りしめる力が強くなった。

 

「………フラン、良い子だから降りてください」

「…………」

 

 母上はそう言ったが、当の本人は嫌がる様子を見せた。意地でも離すものかと、握る手に更に力がこもる。

 

「フラン」

 

 母上が再度呼び掛けるも、フランはそれに応える様子を見せない。母上は一つ溜息を()きながら、語り掛けた。

 

「大丈夫。貴女の狂気が消えれば、また一緒に過ごせますから。ほんの少しの間です。毎日、この部屋に必ず来ますから。どうか、我慢してください」

 

 半ば、無理矢理フランを引き剥がして床に立たせる。フランは既に表情を歪ませており、目の縁に溜まった水滴が光っていた。

 

「またね」

 

 最後にフランの頭を撫でると、母上は振り向くことなくドアの方へと戻っていく。

 その様子を、フランはただ眺めるだけだった。

 いや、眺めるしか出来なかったのだ。

 本当はその背を追いかけたくても、追いかけてはいけないというブレーキが幼心にかかっているのだろう。

 

 

 ──本当に、これしかなかったのだろうか……

 

 

「フラン!!」

 

 突如、レミリアが酷く狼狽した様子でフランに駆け寄り、屈んだ体勢でその背に手を回して身体全体で抱き締めた。

 当のフランにとっても予想外だったようで、目をパチクリと瞬かせる。

 

「毎日、会いに来るわ………そして、いつか………絶対、一緒に過ごしましょう………」

 

 語尾に近づくにつれて、声音が弱々しくなっていた。しゃくり上げる声に連れて、両肩が上下に震える。

 部屋には、彼女の咽び泣く声だけが響いていた。

 

「レミリア………」

 

 私はただ、その光景を眺めるだけだった。

 私は自分の出来ることは最大限やったとは思う。

 この2日間、就寝の時間も全て、狂気についての文献を漁ることに費やした。だが、その結果に納得しているかどうかは全くの別問題だ。

 どうすれば、フランが苦しまずに解決出来るのか。

 レミリアの泣く声が、胸に鋭く刺さる。

 自分の拳を握る手に、力が強くこもる。

 私はもう、レミリアやフランのあんな表情はもう見たくない。

 私はまた、狂気を解決する方法を探そうと決意した。

 

「必ず、見つけ出してやるからな……」

 

 最後に、フランの顔を一目見ようとした時だった。

 私は強い違和感を感じ取った。

 レミリアが抱き締めるフランの目には、一切の光が宿っていない。さらに、真っ黒な瞳孔が大きく開いていおり、虚空をただボーッと眺めているだけだった。

 まるで生気が感じられない、言うなれば死人のような目をしていた。

 

 ──アレは……

 

 その瞳を見ていると、一筋もの光が差さない深淵を覗き込んでいるようで、或いはその深淵がこちらを覗き込んでいるようで──

 背筋には、冷たい何かがゆっくりと流れていく。

 僅かに開いた口から鋭い牙が見えたとき、私の感じた違和感は嫌な予感へと変わり、そして危険の確信へと変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レミリアァァァァァァァァッ!!!!!」

 

 

 

 

 私は叫び声を上げてその場から大きく跳び上がり、レミリアを蹴り飛ばしてフランから引き剥がす。

 レミリアの悲鳴、蹴り飛ばした音、左脚に感じた反動………それらが虚空に消えないうちに、首が一気に絞まる感覚に襲われた。

 

 

「グッ………!!」

 

 フランは宙に浮きながら、私の首を絞め上げていた。ぼやけつつある視界に映るフランの紅い目は、どす黒く染まり、大きく開いた瞳孔がこちらを覗きこむ。

 

 

 ──やはり……狂気に………! 

 

 

 私の予感は、最悪の形で的中した。

 周囲から怒号や悲鳴が響き渡ったが、最早何を言っているかは分からない。

 というのも、既に私の意識が薄れてきていたからだ。

 ほんの2歳の子供がなんという馬鹿力だろうか。爪が皮にキツく食い込み、気管が締めつけられる。

 更にはミシミシと首の骨が軋む音が、ハッキリと耳に届いていた。

 

 息が出来ない……

 首が折れ……

 

 頭に死の文字がよぎった瞬間、身体が一瞬の浮遊感に襲われる。フランが私を放り投げたことに気付いたのは、後頭部と背中に凄まじい衝撃が走った後だった。

 

「がふッ………」

 

 壁に叩きつけられた反動が一瞬で全身に広がる。

 そして瞬く間も無く、何かが急速にこみ上げてくる感覚が喉を走り、意思に反して紅い液体を吐き出してしまった。

 吐き出した血で胸元のスカーフやカッターシャツが紅く染まり、肌が生温かく濡れていく感覚が浸透する。

 壁に背を持たれたまま、重力に任せて身体がずり下がっていくが、最早自分で立ち上がる力は残っていなかった。

 しかし、事態はそれでは終わらない。

 

「ッ………!!」

 

 視界が影で覆い尽くされたかと思えば、喉に刃物が刺さったような鋭い痛みが走り、声にならない声が漏れる。

 フランが鋭利な牙を首に食い込ませていたのだ。

 その事実に冷や汗が流れ、背中にゾワリとした感覚が走る。

 

「ぁッ………ぁッ……」

 

 ミチミチ………と自分の喉から聴こえる嫌な音が、肉が限界まで引き伸ばされている事実を訴える。

 そして──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バリッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 喉を食い破られる音が虚しく響いた。

 いま喉を駆け巡っているのは、最早痛みではなく熱を帯びたそれだった。喉だけを火炙りにされたような感覚が、じんわりと其処に漂い続ける。

 抉り出された喉の肉が外気に触れ、ヒリヒリとした痛覚が神経を走り続けた。

 

 

 

「フィル姉さま!!」

 

 視界が徐々にぼやけていく中、レミリアの悲鳴にも似た叫び声が聴こえてくる。

 

「来る……な……レミ…リ……ア……」

 

 自らの声が、食い破られた喉から漏れているのが自分でも分かった。

 こちらに向かって駆けてくるレミリアの姿が視界の隅に映る。それを最後に、私の目は何も見えなくなった。

 

 

 

 




『王者スライム』様から頂きました!
素敵なイラストをありがとうございます!




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第9話 救済

2週間ぶりです……
頑張って、投稿頻度を上げていきます……!
(今回はいつもより、短いです)


 

 

 

 

 

「フィル………姉さま……」

 

 レミリアは床にへたり込んだまま、震える声で姉の名を呼んだ。

 光を失った瞳を僅かに開いたまま、全く動く様子のないフィル。食い破られた赤黒い喉の裂け目を(さら)け出しており、床に広がる血溜まりに沈むように横たわっていた。

 レミリアの認識は、目の前の現実に追いついていなかった。

 フィルのもとへ駆け寄っていたはずが、いまは何故か床にへたり込んでいる。

 

 一体何が起きたのか……

 

 一部の記憶が混乱しているせいか、いまがどういう状況なのか整理がつかない。

 何があったのかを瞬時に思い出そうと、何とか頭を回転させる。

 

 

 

 だが、思い出せたのは──

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 急に叫び声が聴こえ、左の脇腹が凄まじい衝撃と痛みに襲われる。肺の中の空気が一気に押し出されたその直後に、身体が大きく吹っ飛ばされた。

 全身が一瞬の浮遊感に包まれる中、意識が飛んで視界が暗転する。

 

 この時点で、何が起きたのか既に分からなかった。

 

 レミリアが認識出来たのは、自身の身体を駆け巡った痛みのみ。

 床との摩擦で起きた痛覚が、失いかけた意識を否応にも呼び覚まし、白黒に点滅する不明瞭な視界を見せつけた。

 

「ッ………」

 

 まだ痛みも視界も回復し切っていなかったが、ゆっくりと上体を起こして膝に手をつき、痛んだままの脇腹をおさえながら立ち上がる。

 

 

 グチャリ、と何かが潰れるような音が聴こえたのはその時だった。

 

 咄嗟に、音がした方向に視線を向けてみる。

 視界に映ったのは、不気味に光る八つの宝石がぶら下がった一対の翼と幼い子供の小さな背中。

 掠れるような呼吸の音とグチャグチャと潰れる音が宙で交わる度に、その宝石は左右に細かく揺れる。

 自分が一体何を目にしてるのか分からないレミリアは、呆然と立ち尽くした。

 

 ──アレは………フラン? 

 

 その光景を眺めているうちに半信半疑ながらも、レミリアの予感はほぼ固まっていた。あの宝石の翼は、間違いなくフランのもの。

 では、そのフランが覆い被さっているものは何か。

 それ(・・)が見えた瞬間、レミリアは痛みを忘れて駆け出した。

 

 

「フィル姉さま!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………先程の姉の姿は見間違いだったのでは? 

 

 心臓がばくばくと脈を打つ中、そんな淡い期待を心の何処かで抱き始めるが、レミリアはすぐにそれを否定する。

 見間違いにしては、あの時の肉が潰れる音や血の匂いがあまりに現実味を帯びていたからだ。

 この耳と血を嗅ぎつけた鼻には、ハッキリと実感が残っている。

 

 ──でも、もしかしたら……

 

 確認の意味も込め、改めてフィルの方向に目を向けてみた。

 だが、そんなか細い希望は呆気なく打ち砕かれる。目を逸らそうとした現実を、理不尽に目に焼き付けられただけだった。

 狂い出した歯車は止まらない。

 身体中から刺すように冷たい汗が一気に吹き出し、背筋を冷たい何かが流れていく。

 視線の先に広がる光景を、大きく見開いたレミリアの目が映し出していた。

 

「………!!」

 

 決して、見間違いなどではない。

 一目見ただけで、容体が悪化の一途を辿っているのが分かった。

 裂かれた喉から血が止まる気配がなく、それどころか血の流れる量が著しく増えていく。

 更には意識が無いにも関わらず、時々身体が異様な反応を起こしていた。

 

「ごぶッ…………」

 

 ポンプのように胸部が僅かに膨らんだかと思えば、口と喉の裂け目から(おびただ)しく血が溢れ返る。

 ビチャビチャと床を叩きつける液体の音が、部屋に広く反響する。

 この過程が繰り返される内に、床が限りない紅に染まっていくばかりだった。

 このまま出血が収まらなければ、失血死は免れないだろう。

 いや、既に手遅れかもしれない。

 フィルの血が噴き出す度に、レミリアは腰が抜けたまま思わず後退る。脚が震えるあまり、自力で立てなくなっていた。

 

 喉がカラカラに乾き、汗が止まらない。

 歯も細かく震え、上手く噛み合わない。

 

 真紅の血溜まりに沈む純白の天使の姿は、レミリアの焦燥と恐怖を掻き立てた。

 

 

 ──……お姉さま……………

 

 

「どきなさい!! レミリア!!!」

 

 背後から聴こえてきたのは、母親の声だった。

 それを認識した直後に、左肩に重みがのし掛かる。そこから視界の隅に、呼吸を乱しながらフラフラとフィルの(もと)へ歩み寄る母親の姿が映った。

 着ていたドレスが所々破れており、そこからは矢張り血が流れていた。立ち上がるのにレミリアの肩を借りねばならないほどの怪我を負っていたらしい。

 

 

「………お母さま! 早く、フィル姉さまを!!」

「分かってます………!」

 

 ふと、我に返って叫ぶレミリアに母は答える。

 母親は倒れているフィルの下に歩み寄り、右手をソッとフィルの喉にかざす。

 すると、手に宿った薄緑色の光が喉の裂傷部分を照らし出し、その傷を徐々に閉ざしていった。

 正確には、その光の当たった部分の組織が自ら傷を塞いでいったと言うべきか。

 引き裂かれた肉の繊維の1つ1つが互いに結びついていき、裂け目を塞いでいく。生物に備わる自然治癒の過程が、その場で早送りされているかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 1分も光を当てていれば血の流れも収まっていき、やがて裂けた喉は完全に元通りになる。

 傷一つ残っておらず、その真っ白な肌は、先程まで赤黒い裂け目を見せていた事実を全く感じさせなかった。

 

「………コレで、フィルは大丈夫です」

「ッ………」

 

 その一言に、レミリアは全身の力が一気に抜けた。自らの血の池に沈み、死の危機に瀕していた姉は一命を取り止めた。

 その事実に、緊張の糸が切れたのだ。

 全身の力が抜けるのと同時に、疲労感が一気に身体にのし掛かる。

 腕も脚も、何もかも重い。

 精神的な疲労に音をあげるレミリアを、母親の声が呼び覚ます。

 

 

「ただ………しばらく、目は覚めませんがね……」

「どうして……?」

 

 無気力な返事をするも、内心では先程の焦りの片鱗が蘇っていた。

 

「傷がかなり深かったからです。治癒を促したのは私の力ですが、傷そのものを治したのはフィルの治癒力です。私はその治癒力を動かしただけに過ぎません」

「………深い傷を癒すのに、お姉さまの体力が失くなったってこと………?」

「そういうことです。でも、安静に寝かせておけば大丈夫ですから。遅くとも、1ヶ月以内には覚めるはずです………」

「1ヶ月……」

 

 

 その期間の長さに少しばかり不安を煽られたが、「とにかく姉は助かったのだ」と強く自分に言い聞かせて和らげようとする。

 母親が歩いて行った方向を振り返ると、血が滲み出る腹部を押さえて壁にもたれかかる父親の姿が其処にあった。

 まだ意識を保ってはいるようだが、そこに猶予はなさそうだ。指の隙間から漏れ出た血が手の甲に染み付いており、呼吸の様子も文字通り虫の息だった。

 

「少し、お待ちを………」

 

 母親は彼の側に腰を落とすと、フィルを治療したのと同様に父親の腕の傷にも治癒を促す。

 服にこびり付いた血飛沫はそのままだったが、傷自体は元通りになった。半開きだった目も少しずつ視界を広げていき、完全に元に戻った。

 

「……すまない、助かった」

「……ええ、無事でなによりです」

 

 ここで、彼がフィルのように気を失わなかったのは、まだ体力が残っていたからである。

 吸血鬼も人間と同様に、大人と子供では持ち得る体力に差があるのだ。

 父親も無事に助かったことに安堵するレミリアだが、ハッと何かを思い出しように声を上げた。

 

 

「フランは………!?」

 

 無残な姿を晒す姉のショックが大きすぎたあまり、肝心な存在を忘れていた。

 目の前の光景しか頭に入らなかったせいで、彼女がいま何処にいるのか分からない。

 そもそも、フランは何故暴走したのか? 

 そして、事態はどうやって収束したのか? 

 いまのレミリアには分からないことばかりだった。

 

「いえ、フランは………そこにいますよ」

 

 自身の身体に治癒の光を当てながら、母親はベッドの方向を指差した。咄嗟にその方向を見てみるが、そこにフランの姿はない。

 どういうことかをレミリアが問い質す前に、母親がベッドの反対側に回る。そこで母親が屈んだ為、彼女の姿がベッドで隠れてしまうが、その姿は直ぐに現れる。

 

「あ………」

 

 母親の腕には、眠りについたフランが抱き抱えられていた。どうやら、ベッドの陰で姿が見えなかったらしい。

 起きる気配のないフランを静かにベッドに横たわらせ、母親はそっと顔を覗き込んだ。

 スヤスヤと目を閉じたフランは、ほんの先程まで狂気に駆られていたとは思えないほどに、安らかな寝顔を浮かべていた。

 それを見届けると、母親はホッとしたように溜息をついた。

 

「さて………」

 

 静かにフィルのもとに歩み寄り、首の下と膝の裏にそれぞれの手をまわして、静かに抱き上げた。

 母親が一歩踏み出す度に、彼女の腕からはみ出したフィルの脚が揺れる。しかし、その揺れに反応する様子はない。

 そのまま鋼鉄製のドアに向かう途中で、レミリア達の方向を振り返った。

 

「これからフィルを寝かせてきますが、また戻ってきます………私はフランと此処に残ることにしました」

「え………」

 

 唐突な宣告に驚きを隠せないレミリア達。

 そもそも地下牢に監禁するという話は、フランの狂気を危惧したが故に取った措置だった。

 しかし、その狂気を孕んだままのフランと共に過ごすというのは、本末転倒ではないのか。

 現に狂気が目覚めた結果、ここにいる全員が命を落とすところだった。

 

「お母さま………どうして……?」

 

 少なからず、レミリアの心には恐怖が染み付いていた。当の姉が助かったといえど、狂気に対する恐れが消えたワケではない。

 もしフィルがレミリアを蹴飛ばさなければ、彼女は姉と同じ運命を辿っていただろう。そう考えるだけで、レミリアは全身の産毛が逆立つ感覚に襲われた。

 その狂気と寄り添う選択をした母親のことが、レミリアには理解出来なかった。

 彼女自身も、この場で命を落としかねなかったというのに……

 

「フランは1人になるのが嫌だったようです。狂気を解決するには、心に安らぎを与えること………その為には、誰かが寄り添ってあげなければならないのです。私としたことが、判断を誤ってしまいました……」

「…………」

 

 母親は諭すように答えながら、申し訳なさそうにフィルの顔を眺めた。

 

「ごめんなさい………」

 

 声が届いていないであろう娘に、謝罪の言葉をかける。彼女は、自分の娘が命を落としかけたことに自責の念を覚えていたのだ。

 

「……本気で此処に残るつもりか?」

「えぇ、覚悟は決めました」

 

 夫の問い掛けにも、決して意志を曲げる様子は見せない。その真っ直ぐな視線は、確固たる意志を十分に含ませていた。

 それに苛立つように、彼は声を荒げた。

 

「待て……考え直せ! 狂気が如何に危険か、コレでよく分かったはずだ!! この俺でさえ、あの(ザマ)だったんだぞ………」

 

 先程まで血を流していた腹部を思わず、押さえる。

 彼は、(おう)に武家として仕えてきたスカーレット家の長ということもあり、生死を賭けた幾多もの戦いを切り抜けてきた。

 先の魔界での反乱も先陣を切って幾千もの敵を蹴散らす姿から、獅子奮迅、一騎当千…………

 強者を表す言葉を冠に被る程に名を馳せていた。

 故に腕っ節を活かした戦いにおいては、アイデンティティの根幹とも言えるほどの自信を備えていたつもりだった。

 

 だが、狂気の前では何の意味も為さなかった。

 

 強大な力を得た者ほど縁の無い話になってくるが、彼は久しく忘れていた感情を見事に呼び起こされていた。

 

 

 死の恐怖。

 

 これまでに死の淵に至った経験が無かったワケではない。だが、それはあくまで相手との実力が拮抗した結果、それに至ったというだけの話だ。

 絶望的なまでの実力差を見せつけられた上で、アッサリと死の一歩手前まで追い込まれたという事実が、彼に狂気の恐ろしさを染み込ませていた。

 

 戦いにおける自信の喪失。

 自らの目前に迫り来る死。

 

 彼はレミリア以上に、恐怖が根深く心に染みていた。

 

 

「ダメだ、危険過ぎる………アレは、我々の手に負えるものじゃない……」

 

 恐怖に震える声で説得を試みる父親だが、依然として母親は意志を変えなかった。

 

「だからこそですよ。そうやって恐れて遠ざかってしまえば、誰があの子に隣にいてあげるのです? あの子は孤独な時間に苦しんでいたからこそ、狂気を宿してしまったのではないのですか?」

「…………」

「それに、私はもう………身内が傷付くのは見たくありませんから──」

 

 それまで力のこもった眼差しを向けていた母親だったが、最後の一言を口にした時だけは、目を逸らした。

 フィルが命を落としかけたこともだが、無理矢理フランを此処に置いていこうとしたことについても、彼女は自分を責めていた。

 この部屋に置いていかれそうになったときのフランの表情が頭から離れなかったのだ。

 あの時のフランの瞳に映っていたのは、恐れ。

 また孤独を味わうことになる自身の未来を悟り、拷問に架けられていた頃の記憶が蘇ったのだろう。

 だから、狂気が目覚めたのだ。

 その結果、自分の家族を命の危険に晒してしまった。

 そんな過ちを二度と起こさない為に──そして、贖罪の意味で彼女は決意したのだ。

 

「…………」

 

 母親は黙ったまま、フィルを抱えてドアの向こうへと姿を消した。

 部屋に取り残されたレミリア達は、覚悟を決めた彼女を止めることが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






『ぱる@狂香 和泉』様から頂きました!
素敵なイラストをありがとうございます!


【挿絵表示】



………連載が中々始められなかった頃に頂いた絵ですね。
更新速度を上げられるよう尽力致しますので、今後ともどうぞお付き合いください!




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第10話 禁忌

本当は昨日投稿する予定だったのですが、データが消えてしまいまして………

何とか投稿頻度を上げていきますので、何卒宜しくお願いします。
もし宜しければ、感想ください………(小声)


 

 

 

 

 

 

 

「ウラァッ!!」

「ゔッ………」

 

 掛け声と共に、肉の潰れる音と声にならない悲鳴が暗闇の空間に小さく響く。

 その男の右手に持たれた銀製の棍棒の先端からは、雨漏りのようにボタボタと血が零れ落ちていた。

 

「どうだ、結果は?」

「うーん………これじゃあ、普通に殴ったのと変わんねえな。銀製の武器は殴るより、ぶった斬る方が効果がありそうだ」

 

 暗闇の中に浮かび上がる薪の火は、三つの影を照らし出していた。

 肘まで覆う血にまみれた黒の長手袋に、それと同色のエプロンのような前掛けを身に付けた2人の男。

 そして、七色の宝石がぶら下がった翼を持った幼い子供の姿。

 彼女は、両手首に釘を打ち付けられて十字架に架けられていた。その釘の(さび)が染み移ったかのように、手首の傷はどす黒い。

 ボロボロになった布を適当に身体に巻いており、真っ白な手脚の傷が大きく目立つ。

 

 ここは、その子供への拷問が行われていた空間だったのだ。

 

 

 天井からは血が染み込んだ数本の鎖が垂れ下がり、床には血飛沫(ちしぶき)や腐った肉片が散らばっていた。

 何度も千切るのに失敗したであろう翼の残骸。様々な潰れ方をした目玉の中に混じる、弾け散ったように床にこびり付いた白い肉。

 これでもかというくらい裂いて暴いて滅茶苦茶にされたあらゆる部位の肉片。血に沈んだ、髪の毛が生えたままのふやけた肉塊。

 何処から湧いたのか、それらに纏わりつく大量の(うじ)。主に肉の断面部分から、ウネウネとくねらせた身体を現す光景が散見される。

 吐き気を催す程に血と錆の匂いが混ざり合ったこの部屋は、注意を払って歩かねば脚を滑らせそうな程に床の全てが粘着質な血の海に染まっていた。

 

「おい、間違っても殺すんじゃねえぞ。コレは上から任された任務なんだからよ」

 

 2人組の内、真っ黒なヒゲに覆われた小太りの中年の男が慌てて忠告する。

 それに対して、幾重にも傷が刻まれた頭皮をさらけ出し、岩のような大きさの図体を誇る男は鼻で笑ってみせた。

 

「わーってるよ、心配すんな。とにかくコイツを殺さない程度に痛めつけりゃ……いいんだろッ!!」

 

 そう言いながら、銀製の棍棒で十字架に貼り付けられた子供の顔面をフルスイングで殴りつける。

 空気を素早く裂く音がした直後にメシャリと鈍い音がしたのを、その男の耳は拾っていた。

 地面に新たに飛び散った血を一瞥して、唾を吐き捨てる。

 

「ふ〜……思いっきり殴ると、スッキリするな。こんなガキんちょじゃなくて、オレ達の給金を減らしやがったあのクソ野郎なら、もっと最高なんだがな」

「グダグタ言っても仕方ねえだろ。というかお前、ホントに今ので死んでないだろうな? そうなりゃ、減給どころの騒ぎじゃねえぞ」

「お前もくどい奴だなぁ……ちゃんと生きてるよ、オラ返事しろ」

 

 そう言いながら、前髪を鷲掴みにして右手でペチペチと頰を叩く。その不快な刺激に、左目だけが僅かに開かれる。

 もう片方の目である右目は、紫色に大きく腫れ上がった痣に塞がれていたからだ。

 仮に右目が開いたとしても、その子供の目には何も見えなかっただろう。何故なら、度重なる拷問で既に視力を失っていたからだ。

 

「流石の吸血鬼様もガキとなりゃ、この通りだ。おら、サッサと記録しやがれ」

「………」

 

 ヒゲの男は眉をひそめると、椅子に座りながら机の上のノートに何やら書き込んだ。

 どうやら、試した拷問の種類と結果が記録されたものらしい。

 

 

 

 ・銀の棍棒による殴打……右目に痣・特殊な効果無し

 

 

 

 ヒゲの男がそう書き記したのを確認すると、もう1人の男は棍棒を壁に設置されたフックに掛ける。その左右には、鞭や鈍器、刃物の類がズラリと並べてられていた。

 

「そんじゃ、次は絞首刑だな」

「……オイ、ホントに殺すなよ?」

 

 手首に刺さった釘を抜いたり、首に縄を巻いたりと、男達はせっせと次の作業に移る。

 その傍ら、其処にポツンと残されたノートには、これまでに行われてきた拷問の数々が書き記されていた。

 

 

 

 

 

 ・銀のナイフ(腕を貫通)……裂傷の中に火傷のような痕が残る。2日程で回復。

 

 ・人間の手による絞首……2分ほどで意識を失う。(ただし、吸血鬼が幼体であることに加え、拷問によるダメージが重なった結果のものである為、参考にするのは推奨しない)

 

 ・放水(全身に浴びせる)……全身の筋肉に麻痺のようなものが残る。半日で完全に回復。

 

 ・銀製の槍(腹部を串刺し)……裂傷部分に火傷のような痕。内臓機能の低下。回復に2ヶ月。その間、嘔吐や吐血を何度も繰り返していた。

 

 ・日光反射(鏡5台分)………単に日光を浴びる時は15分程が限界だが、この場合は2分ほどで限界と思われる。全身火傷。自然治癒による完全回復には3週間を要した。

 

 ・火炙り……30分程で火傷が全身に到達。症状は、人間が喰らった時と変わらない。上記の日光反射よりは、1週間程早く回復。

 

 ・爪剥がし……痛み自体は非常に強く感じるようだが、1枚剥がすのにかなりの腕力を要する。手の動きが鈍くなり、物を握る動作が出来なくなる。回復に1週間。

 

 ・銀のナイフ(眼球刺し)……眼球の裂傷の中に火傷のような痕。自然治癒に2週間を要した。(尚、視力は相当低下したと見られる)

 

 ・四肢切断……腕2本を切断したところで出血が収まらず、急遽中止に。尚、それぞれの腕を銀製の刃物とそうでない刃物で斬り落としたところ、後者は人間と変わらない傷だったが前者は火傷のような痕が出来ていた。ここから察するに、銀製の刃物による攻撃は火傷のような効果を付随すると考えられる。回復に2ヶ月。

 

 

 

 

 

 

 記録されたそのノートは、この拷問が始まってから18冊目を数えることが表紙に記されていた。

 その為、此処に記録された拷問は氷山の一角と言うべきだろう。

 その子供がどれほどの地獄を味わってきたのか、それはその子供にしか分からないことだった。

 

「それじゃあ、俺はちょっと席を外すからよ。見張りは任せた」

「…………」

 

 ヒゲの男は呆れたように溜息をつき、手頃な椅子を引き寄せて座った。

 その男が視線を上げた先では、首を吊るされた子供がグッタリと手脚を垂らしており、その手脚の先端から零れ落ちた血が、水の滴る音を奏でている。

 

「……ぐ………ぎぃ…」

 

 それに混じるように、ロープの軋む音と僅かに漏れる弱々しい掠れ声が部屋に響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん………」

 

 久しく忘れていた手脚の感覚が戻ってくる。

 同時に、全身を巡る血の感覚も体温となって戻ってきた。

 自然と瞼が持ち上がり、最初はぼやけていた視界も徐々に焦点が安定してくる。

 ここでようやく、意識が完全に復活した。

 真っ先に視界に映りこんだのは、見慣れた天井。自身の身体にのし掛かる重さを振り払うように、上体を起こす。

 (だる)さのせいか、身体が普段より重い。

 

「今のは……」

 

 今自分がいるのは、血の匂いで満ちた拷問室ではない。周囲を見渡すと、此処は自室のベッドであることが分かった。

 私はいつものカッターシャツとスカートを身につけていたが、前開きのベストやケープは着ていなかった。

 

「………」

 

 自分の手の平を眺めながら、開いたり閉じたりを繰り返す。すると、指の感覚が鈍くなっていることに気づいた。

 まだ身体は覚め切っていないのだろうか。

 そんなことを考えながら、私は同じ作業を繰り返していた。

 部屋の扉が開く音が聴こえてきたのは、それからしばらく経ってからのことだった。

 

「お姉さま………」

「レミリア………?」

 

 この部屋の扉を開いたのは、レミリアだった。

 驚きと歓喜の表情を浮かべたまま固まっている。

 何か信じられないものでも見たかのように、動きを停止させた──かと思えば、次の瞬間には私に飛びついていた。

 ドサリと一気にのし掛かった重みに動揺しながらも、私はレミリアの身体を受け止めていた。

 

「よかった………ホントによかった……」

 

 私の首に腕を回し、レミリアはそう呟いた。

 心の安堵から漏れた声がハッキリと耳に届く。

 

「………!!」

 

 私は困惑したまま固まっていたが、途端に頭に電流のようなものが走る。レミリアの肌に触れた瞬間に、ハッと何か重要なことを思い出した。

 

 

 決して落ち着くことのない胸騒ぎを覚えたのは、この時からだった──

 

 

 

「レミリア……いまどうなってる? 私はどれくらい寝ていた?」

「え………」

「いいから、早く教えてくれ」

 

 焦燥感に駆られ、レミリアの言葉を遮るように返事を促す。その様子に戸惑いながらも、レミリアはおずおずと答えてくれた。

 

「……お姉さまは3週間……目を覚まさなかった」

「3週間……!?」

「ええ……」

 

 

 

 ──あの時からそんなに時間が……

 

 その瞬間に受けたショックが、最後の記憶を鮮明に呼び起こす。

 一つ一つの場面が脳裏にフラッシュバックする。

 フランを地下牢まで送っていった光景が蘇った。

 その次に浮かび上がったのは、苦渋の選択に険しい表情を浮かべる両親。

 

 

 ──何度もそう言ったでしょう………コレは私達の為でもフランの為でもあるのです

 

 

 ──フィル、残念だが………フランには地下牢にいてもらうしかない

 

 

 重々しい鋼鉄の扉が開かれ、こちらを呑み込むように広がる暗闇の空間。

 そこに置いていかれることを悟り、怯える様子を見せたフラン。

 心を鬼にして、その場を立ち去る母上。

 それを呆然と眺めるだけのフラン。

 そんなフランを抱き締めるレミリア。

 その瞬間から、フランの目の色が変わり──

 

 

「ッ!!」

 

 胃液が喉を逆流する感覚が走り、思わず口元を手で押さえる。

 

「フィル姉さま……!?」

 

 レミリアが心配そうに声をかける。

 

「……具合が悪いの?」

「いや、大丈夫だ……」

 

 咳き込みながら、レミリアの声に答える。

 口内には既に胃液特有の酸味が広がっていたが、何とかもどさず(・・・・)に済んだ。

 

「……ア、アレからフランはどうなった……?」

 

 自分でも声が震えているのが分かる。

 最後に記憶に残っている光景は、飢えた獣のように私の喉を食い破るフランの姿だった。あの時の肉を裂かれる痛みや、生温かく濡れた自らの血の感触は、ハッキリと記憶に残っている。

 聴覚には自分の肉が食い千切られた時の音が染み付いており、嗅覚には自分の血の匂いがスッカリ染み込んでしまっていた。

 要は『狂気』というものに対する恐怖に、すっかり呑まれてしまっていたのだ。現に、その時の光景を思い出すだけで動悸が起きてしまうようになっていた。

 過呼吸気味に肩を上下させる私の背を、レミリアは優しく摩る。

 

「お姉さま……お願いだから、無理しな──」

「いいから、教えろッ!!」

 

 自らに渦巻く恐怖を搔き消すように、声を張り上げる。その直後に、私はまた胸元を押さえて呼吸を乱していた。

 レミリアは一瞬、目を見開いて硬直していたが、渋々私の要求に応じた。

 

「………お母さまが、一緒にあの部屋に残ったわ」

「…………まさか」

 

 私はしばらく固まったままでいたが、冷や汗が背中を流れる。それに気付いた時には、身体が動いていた。背後から慌てて私を呼び止める声が届いたが、私の脚は止まらない。

 向かった先は、大図書館だった。

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり………」

 

 私は一つの本棚の前に立ち、あることを確信した。

 

「ちょっと!! 病み上がりなんだから、下手に動かないでちょうだい!!」

 

 背後から聴こえてきたのは、レミリアの怒声だった。振り返ると、確かに怒りのこもった表情が其処にあった。

 それは、私の身を案じてのことなのだろう。

 だが、今はその優しさとやらに甘んじている余裕はない。

 

「………説教なら、後から幾らでも受けてやる。いまはそれどころじゃない」

「だったら、教えてよ!! 何がそれどころじゃないのかを!」

「…………」

 

 射抜くような視線に、私は思わず押し黙る。

 数秒間の沈黙の末に、私は溜息をついた。

 

「……此処を見てみろ」

 

 私は本棚のある位置を指差した。

 大量の本が敷き詰められているが、端っこだけがある程度のスペースを空けていた。

 

「コレがどうしたって言うの?」

「ここの図書館は、どの棚も全て埋まっていたはずだ。それが、見ての通りだ……」

 

 レミリアは眉をひそめ、まだ理解出来ていない趣旨をアイコンタクトで伝えてきた。

 もちろん、私もその一言だけで伝わるとは思っていない。

 

「私が以前、狂気について調べた時に使った本があった棚だ。その本がなくなっている」

「まさか………」

 

 ここでレミリアは、ようやくピンと来たらしい。

 

「そう、その本を持ち出したのは状況的に母上の可能性が高い」

「…………」

 

 そして、私はもう一つ伝えねばならない事実があった。

 

「だが、仮にその本があったとしてもこのスペースが埋まるほどの厚さは無かったはず」

「…………?」

「もう一度言うが、この図書館にスペースの空いた棚など無かった。つまり、このスペースには2冊の本が入っていたはずだ。その内の1冊は、私が読んでいた狂気の本で間違いない。だが……」

「そのもう一冊の本は何なの?」

「実は私が読んでいた本は上・下巻に分かれていたんだ。だが、最初に本を引っ張り出した時は上巻しか見つからなかった。そして、今はそのどちらも無くなっている……」

「……つまり、お母さまが上・下巻揃えて持ち出した可能性が高く、この2冊分のスペースはその両巻がある場所だったってこと?」

「そうだ」

 

 私は短く肯定する。

 初めに私が狂気についての文献の上巻を見つけた時、棚には既に本1冊分のスペースが出来ており、下巻の本だけが見つからなかった。

 つまり、そのスペースには本来は下巻が入っていたと考えられる。

 その時は大して気に留めなかったが、私が読んでいた上巻も消えた今となっては、その事実に胸騒ぎを覚えているのだ。

 

「問題は、私が初めに上巻を調べていた時に何故その下巻が無かったのかということだ」

「……つまり?」

「母上が予め、隠していたのかもしれない」

「……下巻だけ隠すというのも変よね。一体何故?」

 

 その質問を待っていたとばかりに、私は自分が胸騒ぎを覚えた原因を口にする。

 いや、正確には胸騒ぎを覚えた原因となった憶測(・・)というべきか。

 

「下巻の内容が、私に真似されたら困るものだったに違いない。実際、狂気を解決する為なら私は可能な限りのことは実行するつもりだった。だが、その本に決して使ってはならない禁忌の方法(・・・・・・・・・・・・・・・・)が載っていたとしたら……?」

「あ──」

 

 ようやく、私が懸念していることが伝わったらしい。レミリアはハッとしたように突然目を見開いた。

 

「それを今も母上が持ってるとしたら……? 母上は何故、1人でフランのもとに残った……?」

「………!!」

 

 レミリアは唇をわなわなと震わせ、なにかを言おうとしては言葉にならない。

 焦点の合わない瞳が見えた時、レミリアはその場を走り去っていた。

 私も急いでその後を追う。

 彼女が何処に向かったかは、分かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

「お母さま!!」

 

 私の前方を駆けていくレミリアはそう叫びながら、曲がり角に吸い込まれるように姿を消す。

 私もレミリアのそのルートを辿るように、廊下を駆けていく。

 

「…………」

 

 私は駆けながら、自分が胸騒ぎを覚えた原因を頭の中で纏めていた。

 先ず前提に置かねばならないのが、図書館にスペースの空いた棚など無かったということ。

 私が初めて狂気の本の上巻を読んだ時も棚に隙間があり、下巻だけが見つからなかったことから、その隙間には本来は下巻があったということ。

 そして、それは予め母上によって隠されたのではないかということ。

 

 何故、母上がその本を隠したのか? 

 

 狂気を解決する為に何でもするつもりだった私に、見られて困るものがあったとしたら? 

 その「私に見られたら困るモノ」というのが、人身(じんしん)供儀(くぎ)のような禁忌とされる手段だったとしたら? 

 そして、その本が今も母上の手元にあるとしたら? 

 

 

 考えれば考えるほど、嫌な予感が頭を駆け巡る。

 

 母上が1人だけでフランのもとに残ったのは、他人には見せられない手段を実行する為だったとしたら? 

 もう一冊の狂気の本を隠したのが父上である可能性もゼロではないが、この点を考えると父上よりも母上が持っている可能性の方が高い。

 

「………」

 

 心拍数が段々と高まり、息が荒れていくうちに私達は鋼鉄の扉の前に着いていた。

 

「ここだ……」

 

 相変わらず不気味な気配に満ちていた。

 灰色の扉には、紅く輝いた魔法陣が浮かんでいる。妖しさを醸し出すその光に、少しばかり冷や汗が流れていった。

 

「お母さま………」

 

 そう呟いたレミリアの口を、私は咄嗟に手をあてて塞いだ。戸惑った表情を見せるレミリアに、私はソッと耳打ちで話し掛けた。

 

 ──何か聴こえないか? 

 

「え………」

 

 2人で静かに扉に耳をあててみると、ごく僅かにだが確かに聴こえてくる。とても小さく、掠れたような声。

 

『……ぐ………ぎぃ…』

 

 自らの心臓の鼓動以外に聴こえてきた音を文字にすると、こんな感じだろうか。

 いや、他にも聴こえてきた音があった。

 それは、何かロープが軋んでいるような音だった。

 

 

 

『ギシ……ミシミシ……』

 

 

 

 ──揺れている? 

 

 

 そう思った時は、今度は水が滴るような音が聴こえてきた。それも、何処か不安定なリズムで伝わってくる。

 床に零れ落ちていった一粒の(しずく)が細かい飛沫(しぶき)へと分かれていき、虚空へと消えていく光景が脳内に流れていく。

 聴こえてくるそれらの音が頭の中で反響し合い、やがて、私のある記憶を刺激し始めた。

 

 

 ──これは、あの時の……

 

 

 私は眠っている間、ある夢を見ていた。

 それは、1人の少女が(むご)い拷問に架けられていく夢だった。

 鈍器で顔を潰され、刃物で目を抉られ、腹部を槍で串刺しにされ──

 今、耳に入って来る音には聴き覚えがある。

 

 掠れた声、ロープの揺れる音、水の滴る音。

 

 コレらは、私が夢から目を覚ます直前に聴いた音だ。この聴覚は覚えている。

 では、視覚はどうか。

 その夢の最後に私は何を見たか。

 そこに、どんな光景が広がっていたか。

 私は目を見開いたまま、朧気な記憶を辿っていく。

 

 

 

 ──………!! 

 

 

 

 その光景が脳裏に浮かび上がった瞬間、私は全力で鋼鉄の扉にぶち当たっていた。

 

「お姉さま!?」

 

 横でレミリアが驚いた声を上げるが、私はそれを無視して扉にタックルを仕掛ける。

 ゴォォォン………と重く低い音が響き渡るが、扉が壊れる様子はない。寧ろ、私の方がダメージを受けていた。

 

「ッ……」

 

 鈍い痛みが生まれた右肩を、思わず左手で押さえる。恐らく、今ので痣が出来上がっただろう。

 だが、私はそれに構わず助走を付けて扉に体当たりで突っ込んでいた。

 二度、三度、四度…………

 何度扉にぶち当たったかは分からない。しかし、何も進展が無く私の体力が削れていくばかりだというのは火を見るより明らかだった。

 現に、シャツの肩の部分が紅く濡れてきている。

 全く壊れる様子の無い扉に、これでもかと遂には拳を振り上げていた。何も効果が無かった体当たりと違って、今度は殴り付ける度に僅かな凹みが生まれるが、扉を壊すには至らない。

 鋼鉄の扉が教会の鐘のような音を鳴らす度に、拳の感覚が段々と鈍くなっていく。

 

「ハァ……ハァッ……」

 

 間髪入れずに何度も殴り続けているうちに、拳の皮が剥がれて、その下の肉が露わになっていた。

 外気に触れるだけで、ヒリヒリとした痛みが両手に宿る。

 

「お姉さま………一体何を……!?」

「………レミリア」

 

 ここでようやく、レミリアの声が意識に届く。

 これまで何度も呼び掛けていたらしいが、扉を壊すことだけに意識がとらわれていた為か全く気がつかなかった。

 

 

 ──二人掛かりなら、壊せるか……? 

 

 

 そんな心の隅に生まれた僅かな期待を抱いた私は、早口で目的を伝えた。

 私達には一刻の猶予も無いのだ。

 

「時間がない、早く扉を壊すんだ」

「え………」

「このままじゃ、手遅れになる………急げ!」

「………!」

 

 私は最後にレミリアの瞳を真っ直ぐ睨みつけた。その様子に彼女は戸惑った表情を浮かべたままだったが、私の必死の訴えに応えるようにコクリと頷く。

 そこから大きく飛び退いたレミリアは、扉に向かって両手を突き出した。その突き出された両手の平に紅い光が宿ったかと思うと、その光は水平に細長く伸びて瞬時に槍の形に姿を変える。

 

「おい……!!」

 

 私は慌ててレミリアを止めようとしたが、そのまま撃たせることにした。私がこれまで弾幕の類を使わなかったのは、中にいるフラン達を巻き込みかねないと危惧していたからだ。

 だが、身体的な力で壊せない以上は弾幕の類に賭けるしか方法は無かった。アレだけ頑丈な扉なら、部屋の中への被害は少なく抑えられるはず。

 いや、そもそも自分達が弾幕を使ったところで扉が壊れるかも怪しいくらいだ。

 

 

 

 レミリアは右手で光の槍を掲げ、半身(はんみ)の体勢のまま左手を前に伸ばして槍の照準を扉に合わせている。

 そして左脚を軽く持ち上げたと思うと、次の瞬間には右腕を素早く振り下ろしていた。

 扉に向かって一直線に飛んでいった槍は、空気を引き裂く音を撒き散らしながら一瞬で距離を詰め、扉に真っ直ぐ突き刺さった瞬間に眩い光を全方向に放出する。

 

「……!!」

 

 この空間に存在するあらゆる物体の影が細長く引き伸ばされ、視界は一瞬で真っ白に染まった。強靭な光から目を守るように、両腕を顔の前で交差する。

 そんな中、穿たれた石のように亀裂が走る音が耳に届く。私はこの機を逃さんとばかりに、自分も手の平に魔力の光を宿した。右手に宿った緑の光が細長く伸び、今度は剣の形に姿を変える。

 私は光の剣の切っ先を扉に向け、床を蹴って一気に扉に突っ込んだ。

 

「ぐッ……!!」

 

 両手に加わる確かな手応え。

 剣越しに伝わる頑丈さや扉にぶつかった衝撃が、重さとしてのし掛かってくる。

 更に眩い光に辺りが見舞われるが、亀裂の入る音は先程よりも充実してきていた。

 

「……ぉぉぉおおおあああッ!!」

 

 自分の叫ぶ声が、山彦のように辺りに響き渡る。

 火花が身体に降りかかる中、私は歯をくいしばってひたすら力を振り絞っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 全身から振り絞られる力に溶け込んでいた意識を呼び覚ましたのは、鋼鉄の扉が崩壊した音だった。

 地面に身体を叩きつけられ、肺の中の空気が一度に押し出される。

 だが、扉を破ってまでこの部屋に乗り込んできた目的を思い出し、すぐに周囲を見渡した。

 しかし、辺りは全くの暗闇に包まれており、肝心の人影がない。

 

 ──二人は何処に……!? 

 

 何度も首を左右に振って見渡しているうちに、私は一つ気付いたことがあった。

 それは、吸血鬼の視力をもってしても見通すことの出来ない暗闇であるにも関わらず、私自身の腕や脚は見えているのだ。

 コレは恐らく、生物だけが目に見える特殊な照明を使っているのだろう。だが、もしその照明を使っているなら2人の姿が見えてもいいはずだ。

 

 何故、2人の姿が見当たらない……!? 

 

 周囲をグルグルと見回しているうちに、焦燥感はどんどん加速していく。顳顬(こめかみ)の辺りに冷たいものが流れていくのを肌で感じていた時、一つの音が私の注意を引いた。

 

 

 ──雨漏り? 

 

 

 何かが滴る音が部屋に響く。

 一度ピチョンと音を立てれば、それに続いてポタポタと連続した音が不安定なリズムで聴こえてくる。

 私は意識を集中させて、音がした方向を捉えていた。右手に宿した魔力の光を照明代わりに、部屋を照らす。

 ゆっくりと手の光を回していくのに合わせて、視線を往復させる。

 右、左、右、左……

 ただ暗闇が広がるだけで何も変化が起こらない景色が広がる中、宙に浮いた何かの影が一瞬だけ視界に映る。最初はそのまま過ぎていきそうになったが、慌ててその角度に視界を戻した。

 今のは、何だったのだろうか……

 

「…………」

 

 雨漏りのような音がしたのは、その方向だった。

 再び部屋に響く音に耳を傾けているうちに、私はその音の発生源が足下であることに気付いた。手の光を床に向けたまま、ゆっくりと視界を下ろす。

 其処には、床に薄く広がる水溜まりがあった。

 部屋を照らす光源の色が緑である為、正確な色は分からない。だが、それを見た瞬間に心臓の鼓動が大きく耳に響いたことは分かった。

 

 

 床の水溜まりにたかってくる小蝿。

 水溜まりの表面に雫が落ちて広がる波紋。

 

 それらの光景が不吉な予感に拍車を掛ける。

 そして最も存在感を示していたモノが其処にあった。

 

 

 

 ──コレは……! 

 

 私の目に止まったのは、図書館から姿を消していた2冊の本だった。

 

【悪魔の生態・狂気編 上巻】

【悪魔の生態・狂気編 下巻】

 

 その水溜まりに浸かった部分がふやけて、染みに蝕まれている。本の表紙には相変わらず、ポタポタと雫が降り注ぐ。

 

 

 その雫は、何処から(こぼ)れ落ちているのだろうか………? 

 

 

 不定な間隔で零れ落ちる雫を、ゆっくりと目で辿っていく。すると、何かの影が宙で僅かに揺れていることに気付いた。

 その揺れに合わせて、ロープが何か一定の重さを吊り下げているかのように軋む音も聴こえてくる。

 

「ッ………!」

 

 その影に光を当て、恐る恐る視界を上に向けていくと、答え(・・)は其処にあった。顔を覗き出した禁忌の答えに、私は目を見開いた──

 

 

 

 

 

「………はは……うえ…」

 

 

 

 天井から吊るされたロープが母上の首に掛かっており、目を大きく見開いたままこちらを凝視していた。

 僅かに開いた唇から渇き切った舌が垂れ下がり、重力に逆らう気が無いかのようにダラリと垂れ下がった手脚の先からは、ボタボタと血が零れ落ちる。胸元には深々と刃物が沈み込んでおり、そこから溢れ出た染みが服に広がっていた。

 

 

「あ……あぁ……」

 

 掠れるばかりで、声にならない声が漏れ出す。

 空いた口が塞がらず、陸に打ち上げられた魚のようにパクパクと同じ動作を繰り返す。

 遅かった。

 何もかも手遅れだった。

 私は一度、この光景を夢で見ている。首を吊り上げられ、苦しみに呻く子供の姿を覚えている。

 その光景が、また目の前に広がっていた。

 ………母上が此処で具体的に何をしたのかは分からない。だが、フランの狂気を解決する為の禁忌に手を染めたのだということは理解出来た。

 

「……ど…どうして………」

 

 実の子ではないとはいえ、何故そこまで命を張ったのかが私には分からなかった。

 だが、その答えは直ぐに私の脳裏に浮かび上がってくる。

 

 

 

 

 ──私にとってフィル(貴女)レミリア(この子)も、ただのかけがえのない娘です。それを傷付けようとあらば、何者であろうと決して、許しはしません。

 例え、身内であったとしても(・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 かつて私を苦しめた呪いの言葉。

 幼いレミリアを傷付けた私のことを許さないのだと受け取り、私は自分が許されることのない存在だという自覚を持って、孤独への道を歩み出した。

 孤独(・・)の本当の意味を理解し、その恐怖に涙すらしたことを覚えている。

 だが、目の前の光景に呆然とすることしか出来ない今なら分かる。

 

 この時母上が指していた「身内(・・)」とは、母上自身のことだったのだ。

 

 私とレミリアが姉妹として上手く向き合えずにいたことに、母上は負い目を感じていた。

 そして、フランの狂気が暴走したあの日──

 フランの手によって、私が命を落とし掛けたことに自責の念を覚えていたのだろう。

 だから、命を捨てかねない禁術にまで手を出した。いま目の前に広がる光景は、母上が自らに抱いていた悔恨の表れなのかもしれない。

 

 

 

 

「嘘だ………嘘だ嘘だ嘘だ……」

 

 オウム返しのように、同じ言葉を繰り返す。

 状況は理解出来ても、目の前の現実を受け入れることは出来なかった。私は手の光をそれ(・・)に向けたまま、腰の抜けた状態で後退る。

 

 

 ── 一体、何を間違えた……? 私はどうすればよかった……? 

 

 

 まともに思考することが出来ない私の耳に入ってきたのは、グチャグチャとした音だった。

 またもや聴き覚えのある音に、私はただ硬直する。

 

 

 

 

 

 グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ…………

 

 

 

 

 

 不気味さと不愉快さを組み合わせたメロディが部屋に静かに響き渡る。私はその音の正体に直ぐに気が付く。

 其処に広がる光景に、私はただ恐怖に震えることしか出来なかった。そして、私が悪魔の恐ろしさを知った瞬間でもあった。

 そんな私の目に映ったのは──

 

 

 

「………ふ、フラン……」

 

 天井から吊るされた死体にしがみつき、その屍肉(しにく)を喰い千切る悪魔の名前を呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




図書館の本のくだりが伝わったかが心配です………
分からなかったという方は遠慮なく、質問してくださいませ


『ワタハム』様から頂きました!
素敵なイラストをありがとうございます!


【挿絵表示】


フィルをカービィ風にアレンジするのって、よく出来ましたね……
その発想はなかったです!!


さて、第1章もそろそろ終盤です………


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第11話 母を弔い

2週間内に投稿出来た……
もっと頻度を上げていきたいところです

因みに関係ないけど、ヘカT倒せません泣
強過ぎるわよん





 

 

 

 

 

 

 

 

 母上は死んだ。

 

 

 首を吊って命を絶った。

 いや、正確な死因は胸元に刺さっていた刃物というべきだろう。首を吊っただけで、吸血鬼ほどの強靭な肉体を殺すことは出来ない。

 絞殺自体は強大な力が加われば可能だが、自身の体重と重力に頼った縄の力だけで死に至らせることは、ほぼ不可能だ。

 しかし、死に至らずともそれが長く続けば、もがき苦しむのは間違いないだろう。もしかしたら、彼女はその苦しみから逃れる為に自らの心臓を刃で貫いたのかもしれない。

 

 

 

 

 あれから、5年の月日が流れた。

 

 

 

 

 部屋に残された2冊の本が、彼女が自殺に至った経緯を示していた。私が目にすることはなかった下巻には、上巻には載っていなかった狂気の解決手段が載っている。

 現場の状況から見て、彼女は下巻に載っていた危険な手段を試みたと思われた。恐らくだが、フランの狂気を自らの身に移し替えたのだろう。

 

 

 その結果、精神に異常をきたして自らを殺めた。

 

 

 その事実を裏付けたのは、部屋に残されていた1冊の日記帳だ。

 それによると、フランと共に部屋に残った最初の日から例の儀式を始めていたらしい。

 その旨が記されていたノートだったが、その禁術について言及されていたのは最初の方だけで、それより後は意味不明な内容が続いた。

 私やレミリア、父の名前の羅列で埋め尽くされたページもあれば、自傷行為に快感を覚えて何度もそれを繰り返した体験が事細かに記されたページもあった。

 

 ナイフで手首を搔き切る、自分の手で爪を一枚一枚剥がす、割れた鏡の破片で自らの耳を削ぎ落とす…………

 

 そして日が進むごとに文法や文字の形が崩れていき、最後のページは最早何が書かれているのかさえ分からない。

 ミミズが這ったかのような筆跡が羅列し、精神が崩壊していく過程を不気味に(えが)き出していた。

 

 

 

 母上は矢張り、禁忌に手を染めることでフランの狂気を解決しようとしていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「フィル……」

 

 ドアをノックする音に気付いた私は、静かに扉を開ける。その先には、かつて私が父と呼んでいた男(・・・・・・・・)が立っていた。

 

「……分かってるとは思うが、今日は母さんの命日だ。集会所に来てくれ。皆で、アイツのことを想ってやろう……」

「…………」

 

 気不味そうに、或いは私の機嫌を伺うように接する彼の態度に私は苛立ちを覚える。私の視線から目を逸らしたのを見て、私は眉間にキツく皺を寄せた。

 

「それだけか……?」

「は……」

「どうせなら、ついでに自分が犯した罪を告白して懺悔でもしたらどうだ? 『私は貴女の命を踏みにじってしまいました』とな……」

「…………」

(もっと)も、そんなものをカミングアウトしたところでお前の罪が消えるわけではないがな」

 

 私は自分が出来る限りの冷ややかな視線を送った。一方で、父親は唇をわなわなと震わせたまま何も言い返せずにいる。

 ──かと思えば、床に両膝をつき、私の肩に両手を置いて頭を下げていた。

 

「本当にすまなかった………」

「…………」

「フィル……俺は一体、どうしたらいい? どうしたら、俺は許される……?」

 

 噛み合わない上下の歯も喉から絞り出した声も震わせながら、私に問い掛ける。

 許しを乞う──というよりは、何かに対する怯えが強かった。私には、父が死を前にして醜く命乞いをする弱者に見えた。

 昔、私が憧れを抱いた武家の長として名を馳せた勇敢な姿は最早、何処にも無い。それに対する失望の意味も込めて、私は肩にのし掛かった手を乱雑に振り払う。

 膝をついたまま項垂(うなだ)れる彼のわきをすり抜けて、私は部屋を出た。

 

 

 これから向かう先は、集会所だ。

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 フランは完全とまではいかないが狂気は収まったらしい。いまのところは特に、狂気が暴走したことなど無かった。

 私自身あんな目に遭った以上、フランに対する恐怖が無いわけではない。だが、私は見捨てることは出来なかった。

 あの事件(・・・・)が起きた夜、母を失った悲しみに打ちひしがれながらもレミリアは、私に懇願してきた。

 

『あの子を、嫌いにならないであげて』

 

 私は何故、そんなことを言うのかと聞いた。

 彼女は、前もってフランの過去を母上から聞いていたこと、そして母上の残した一言が心に残っていることを理由に挙げた。

 

 

 恐れて遠ざかってしまえば、あの子(フラン)孤独(ひとり)になる。孤独に苦しんでいたから、フランは狂気に蝕まれたのだと。

 だからこそ、誰かが隣にいてやらなければならないのだと。

 

 

 母上はその言葉を残して、死んだいった。

 そして、その言葉がレミリアに決意を抱かせたのだ。

 

『あの子を……… 一緒に守ってあげて』

 

 私は黙って頷いた。

 フランを見捨てる気など最初から無かったからだ。上手く向き合えないままでいた私とレミリアの仲が改善されたのは、フランの影響が大きい。

 それに、私はフランが味わった苦しみを知っている。

 フランに致命傷を負わされて眠りについている間、私は夢を見ていた。宝石がぶら下がった翼を持つ少女が、ただただ(むご)い刑に架けられていくという夢。

 眠りについている間は思い出すことが出来ずにいたが、アレはきっとフランの記憶が映し出されたものだろう。

 

 何故、それが夢に反映されたのかは分からないが………

 

 フランは、母上が命を懸けて救おうとした妹だ。彼女が味わってきた苦しみを知る私には、フランを捨てることなど出来ない。それはレミリアとて、同じだろう。

 だが、あの男(・・・)は母上の犠牲を水の泡にしようとした。

 母上の死亡が確認されたあの日から、フランは本当の意味で監禁された。

 

 

コイツ(・・・)が如何に危険かは、お前が1番よく分かってる筈だ。邪魔をするな』

 

 母上の死体を目にして動転した父は、先ずフランを徹底的に痛ぶり尽くした。生涯の伴侶を失った身となってしまっては、そうした怒りや憎しみを燃やしてしまうのは仕方がないことかもしれない。

 だが、母上はそんなことは望んでいなかったはずだ。

 彼女はフランを救う為に、その命を散らしていったのだ。それを蔑ろにする父の行動は許せなかった。

 私やレミリアが何度も説得を続ける内に暴行の手は止んだのだが、彼の怒りは収まらなかった。壊れた鋼鉄の扉の代わりに、地上階へ繋がる通路に張ってあったものと同じ結界を施した。

 コレで、完全にフランは幽閉された身となる。

 元々はフランの精神が安定するまで地下牢に監禁するという話だった。フランの自由を奪うという点は一緒だが、毎日顔を合わせに行き、食事も必要な分は与えるという最低限の配慮を施していたはずだ。

 だが、あの男は面会も許可せず、あろうことか食事も一切与えなかった。地下牢の出入口だけでなく、そこに続く通路にも多重の結界が施されていた為、私達はフランに会うことが出来なかった。

 そろそろ、お分かり頂けるだろう。

 あの男が一体何をしようとしていたのか。

 

 

 彼はフランを餓死させようとしていたのだ。

 

 

 いや、ずっと以前からフランの命を奪うつもりでいたのかもしれない。初めてフランの狂気が暴走した日、私だけでなく父も死の一歩手前まで陥ったと聞く。

 その頃から考えていたのかもしれない。

 何故なら、母上の死体が発見された時のフランの行動が父の思惑を表していたからだ。

 あの時、フランは母上の屍肉(しにく)を食い荒らしていた。当時はその光景にただただ恐怖するだけだったが、いまにして思えばフランは飢えを凌ごうとしていたのだ。

 フランは生きる為に、母の身体の肉を食い千切った。

 何故、飢えていたのか。

 答えは簡単だ。

 あの男が食事を与えなかったからだ。母上はフランと部屋の中にいたので、食料を与えることは出来なかった。

 つまり、父は母上もろともフランを死なせるつもりだったということになる。

 それでいて、母上の死を目の当たりにした瞬間にフランに怒りをぶつけていたのだ。なんと勝手な男だろうか……

 

 

 結局9ヶ月もの間、フランは飢えと戦い続けた。

 触れれば折れそうなくらいに痩せ細り、光がともらない虚な目を虚空に向けたまま倒れるフランの姿を目の当たりにして、ようやく自分の行いの愚かさを思い知ったらしい。

 私やレミリアが何度フランの待遇を訴えようが、聞く耳を持たなかったのにもかかわらず………

 

 

 

 

 フランは何とか一命を取り止めた。

 だが、私と父の関係は最早崩壊していた。母も妹も殺そうとした男など、私はもう父親として見れなくなっていたのかもしれない。

 私は彼と顔を合わす度に、呪詛を吐き続けた。

 

『お前さえいなければ、母上もフランも苦しまなかった』

 

 彼はただ許しを乞うばかりだった。

 当然、何をしようと私は許すつもりはないが。

 あれだけ大柄でガッシリとした体躯を誇っていた父も、頰が痩せこけ、見る影は無くなっていた。

 (あやかし)は精神に重きをおく存在であり、それに基づいた刺激が弱点になると聞いたことがある。

 私の吐く呪詛が、確実に彼の精神を蝕んでいるのだろう。

 

 

 

 

 

 いい気味だ、そのまま苦しみ続けるがいい──

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 集会所。

 それは紅魔館の二階のフロアに存在し、私達はこの日だけ地下から出ることを許されていた。

 教会のような造りになっており、見上げるほど高い天井まで届くステンドグラスが両側に並ぶ。横に長い椅子が4つの列を作り、3つの通路を内側に挟んで、両側にそれぞれ道を1つずつ作り出していた。

 そして、中央の通路の先は巨大な槍を携えた悪魔の石像が待ち構えており、その頭上には円形のステンドグラスが浮かび上がる。

 そこから、あらゆる生き物を狂わせるそうな程の静かな月明かりが差し込んでいた。

 

「待ってたわよ」

 

 レミリアとフランは先に着いていた。

 最前列の椅子の前に立ち、こちらを見届けている。私が其処に歩み寄ると、フランは特に私の方を気にすることなく椅子に腰掛けた。

 

「お父さまは?」

「……もうすぐ来る」

 

 私はレミリアにそう言って、フランの隣に腰掛けな。それに続くように、レミリアはフランを挟む位置に腰を下ろす。

 フランはただ、石像の上の窓から漏れた月光を眺めているようだった。普段は地下にいるせいか、外の景色が珍しいのだろう。

 いまの彼女の生活だが、特に私やレミリアと変わるところはない。母上のおかげで狂気が大方収まり、地下牢から出ることを許された──と言っても、認められる自由の範囲は私達と同様地下のフロアに留まっているが。

 それでも昔は、部屋から出ることさえ出来なかったのだから彼女にとっては大きな進歩なのではないだろうか。尤も、本人は好んで部屋に居続けることが多いようだ。

 

「フラン、今から此処で何をするか分かるか?」

 

 会話が途切れて少しばかり退屈を感じたので、フランに話し掛けてみる。因みに、フランは母上が死んだ経緯も自身が養子であることも知らない。

 

「んー? アレでしょ? 死者を弔う的なやつ。何の意味があるのか、分かんないけど」

「ちょっと、フラン。その言い草はないでしょ。私達のお母さまの為のものなんだから」

 

 横からレミリアが叱るように口を挟む。一方で、フランは少しばかり口角を吊り上げて言い返した。

 

「ふーん、何か意味があるんだ」

「そうよ」

「じゃあ、お姉さまがポックリ逝ったときはちゃんと開いてあげるからね」

「その言葉、そのまま返すわよ」

「よせ、2人とも」

「ああ、心配しなくていいよ。フィル姉さまも、ちゃんと弔ってあげるから。何なら、2人ともセットで弔ってあげる」

「「違う、そうじゃない」」

 

 私とレミリアは声を重ねて反論する。

 姉2人を振り回す妹のペースには相変わらず慣れない。一体何処でそんな煽りスキルを身につけたのか。

 色んな意味で恐ろしい妹である。

 クスクスと小さくフランが笑っていると、後方で扉の開く音が響いた。

 

「お父さま……」

「…………」

「……すまない、遅くなった」

 

 両手に籠をぶら下げて、こちらに歩いてくる。私達を通り過ぎると、悪魔の石像の前にある台に籠を置いた。

 その台に手をかざすと紅色の魔法陣が出現し、父は籠から大量の薔薇(バラ)を取り出した。

 

「3人とも、こっちに来てくれ」

 

 その声を合図に私達は椅子から立ち上がって、台の所まで歩み寄った。レミリアが籠に手を伸ばしたのを見て、フランも籠の中の薔薇を取り出して紅い光の円陣の上に置く。

 私もそれに続くように、籠から薔薇を取り出した。

 

 

 薔薇の数は99本。

 曰く、「永遠の愛」の花言葉を持つらしい。彼なりに、母上に向けた想いなのだろう。

 実に馬鹿馬鹿しい。

 その想いを馳せる相手とやらの犠牲を無駄にしようとしたのは自分だというのに──

 

 

 花を積み終わると、父はそこに自らの手の光を当てて魔法を掛ける。すると、薔薇そのものが紅く発光してゆっくりと霧を吹き出していく。いや、薔薇自体が霧に変わっているというべきか。

 薄っすらと目に見える紅い霧は、見上げ果てる程に高い天井へと昇っていく。

 これがスカーレット家に伝わる、死者への弔い方らしい。

 紅い霧が天に届く間に、亡くなった者への想いを静かに馳せるのが様式として伝わっているようだ。

 私も、母上を想わねばならない。

 

 フランを救ってくれて、ありがとう。

 そして、貴女を救えなくてごめんなさい。

 

 私は父を責めてはいるが、自分自身にも怒りの矛先を向けていた。

 もし、私が図書館から消えた本のことを問い質していれば──

 もし、私が死にかけなければ──

 

 後悔と怒り。

 それは確実に、私の精神を蝕んでいた。それが収まるのは、私が私を許した時だろう。

 つまり、永遠に鎮まることはない。

 天井へと吸い込まれていく紅い霧を眺めながら、私は一生をかけてこの罪を償っていくことを決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『どうやら、隣の街の人間が紅魔館(ここ)を攻める動きを見せているらしい。先にこちらから攻め落としてくる』

 

 

 

 

 父はその言葉を残し、私達の前から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





三姉妹をやっとまともに会話させることが出来て満足……

「何なら、2人ともセットで弔ってあげる」
「「違う、そうじゃない」」

コレは、「弔いに意味がある」→「弔いは良いもの」とフランが勘違いしたので「弔いは喜ばしいものじゃないよ!」と2人で突っ込んだという形になります()


『【紅魔】ラルア@黒き悪魔』様から頂きました!
素敵なイラストをありがとうございます!


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去年の正月頃に頂いたイラストだったと思います。
フランに着物は似合ってますね!


……次も急がねば


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第12話 父を追って

10日ぶりです………
何とか更新頻度を上げていきたいところですね…

因みに、本作のフランちゃんは「反則探偵」のような冷静なキャラで書けたらなぁと思います。





 

 

 

 

 

「参ったな………」

 

 立ち塞がる真っ赤なガラスのような結界を前にして、私は立ち尽くしていた。

 この結界は私やレミリア、フランが地上階へ上がるのを防ぐ為に張られたものだ。恐らく、過去に私が伯父と接触したことが原因だと思われるが、地下への監禁を決めた両親の真意は未だに分からない。

 

 そもそも伯父と両親の間に何があったのだろうか……? 

 

 最後に彼と会ってから、10年以上の月日が経っても答えは出ない。だが、少なくとも現状のままでは地下(ここ)から出られないことは分かっている。

 数時間前、父は姿を消した。

 曰く、人間が紅魔館(ここ)を攻める前に街を陥落させて来るとのこと。

 しかし、私はその言葉を信用していなかった。

 

『人間が悪魔を破ることもあると……?』

 

 いつだったか、私が人間の街の歴史書を読んだ時に零した感想。父の言葉を受け、真っ先に浮かんだのは「人間側にも悪魔を簡単に葬り去る程の力を持った者がいる」ということだ。

 

 悪魔の力は絶対ではない。

 

 彼を信用しなかった理由はそこにある。

 自分の力が及ばない人間がいることを知り、紅魔館に残った私達をエサにして自分だけ逃げたのだと私は睨んでいた。

 強大な力を誇った吸血鬼として名を馳せた彼に匹敵する人間がいるとは考えにくいところだが、今の彼に現役の頃のような力が残っていないとしたら、その可能性もゼロではなくなる。

 私自身、今の彼に全盛期の頃の力があるとは思えない。

 フランの力を恐れ、母上諸共殺そうとした男のことだ。今更彼の言葉を信用することなど、出来なかった。

 先ずは、彼を追わねば。

 その為には、目の前の結界を壊さねばならないのだが──

 

「…………」

 

 この結界には、あまり良い思い出がない。

 興味本位で触れたことがあったのだが、2日ほどは腕が使い物にならなくなり、1週間は(しび)れが残った。

 その時のお返しの意味も込めてこの結界を壊してやりたいところだが、それが出来る保証はない。仮に壊せたとしても、重傷を負ってしまうのは免れないだろう。

 その状態で外に出て、無事でいられるとは思えない。

 しかし、このままボーッとしてるわけにもいかない。自力で壊すしかないのだ。

 

「………やるしかないか」

 

 スーっと息を吸って、覚悟を決めたように呼吸を止める。

 右手に魔力を集中し、緑の輝きを放つその光を剣の形に練り上げた。半身(はんみ)の体勢で左手を前方に(かざ)し、右手に持った剣の切っ先を結界に向けたまま、腕を後方に引く。

 右脚に体重を掛け、その膝のバネに溜まった力を利用し、前方に突進を仕掛けようとした時だった。

 

「ハイ、ストップ」

 

 背後から聴こえてきた声に、私は動きを止めた。振り返ると、其処にはフランドールの姿があった。

 

「こんなところで騒音なんか出されたら、クレームが来ちゃうわね。出すのは私だけど。結界(アレ)を壊すおつもりで?」

「………さっき話した通りだ」

 

 こちらをからかうような口調で話し掛けながら、サイドテールに束ねた髪を揺らして近づいて来る。それに合わせるように、背中の羽の宝石も左右に揺れた。

 薄暗い通路でギラギラとした光を放つソレが、実に不気味だった。

 

「ふーん、外に出たいんだ」

 

 そうぼやきながら、私の側を通り過ぎていく。私は少し警戒するように、彼女の姿を目で追いかける。

 

「けど、自分の意志で出ることは叶わない。差し詰め、フィル姉さまは囚われの鳥ってとこね………」

 

 フランは、結界に向かって静かに右手を伸ばした。そして、開いた手の平から魔力でも放つのかと思えば、ソッと音もなく拳を握った。

 

「なッ………!?」

 

 ガラスが粉々に砕け散る音が辺りに響いたのは、その時だった。フランが拳を握った瞬間に、目の前の結界は跡形も無く崩壊したのだ。

 一瞬でバラバラになったガラスのような結界は、無数の破片へと姿を変えて宙を舞い、光の粒子へと消えていく。

 最初は何が起きたのか、分からなかった。

 だが、砕け散った結界の破片が宙に舞う中、静かに口角を吊り上げる彼女を見て確信した。

 この現象は、フランが引き起こしたのだ。

 

「い、一体何を………」

 

 驚きのあまり、私は声を震わせた。

 すると、フランは得意気な笑みを浮かべながら、ソッと手の平をこちらに向けてきた。

 

「………!」

 

 その光景に、私は反射的に後退る。

 喉元に凶器を突き立てられたかのような恐怖が、悪寒となって背筋を走った。

 一瞬のうちに、身体中を大量の冷や汗が流れていく。

 

「きゅっとして──」

 

 先程、木っ端微塵に散った結界の光景が脳裏をよぎる。それに自分の姿を重ね合わせてしまい、私は壁に背をついたまま動けなくなった。

 迫る恐怖に耐えるように顔を背け、私が強く目を瞑った時だった。

 

「ドカーン」

 

 その言葉が合図であったかのように、耳のすぐ(そば)で布が破裂したかのような音が響いた。

 

「…………?」

 

 自分の安全を確認するように、ゆっくりと目を開く。視界には、未だに唇の端を吊り上げたフランの姿が映る。

 特に痛み等は感じない。

 いまの音は何だったのだろうか? 

 そう思っていると、ナイトキャップの被り具合に違和感を覚えた。咄嗟に頭から外してみると、帽子の大部分の布が自ら弾け飛んだかのように破れていた。

 

「コレは………」

「どう? コレで分かった?」

 

 クスクスと笑いながら、フランは私の方を見上げていた。

 

「思わずビビっちゃうお姉さまは、かわいいわね」

「………… 一体、何をやったんだ?」

 

 少しずつ湧き立ってきた苛立ちを隠さずに、改めて問い質した。それでも、からかうような笑みを止めることなくフランは私の質問に答えてみせた。

 

「簡単よ。物体の1番弱いところを潰してやった。こう……きゅっとして、ドカーンとね」

「…………」

 

 拳を握るような動作を付けて説明したが、やっぱり分からない。

 いや、フランの言動が理解出来ないのは普段からか。

 彼女の一つ一つの発言の意図が読み辛く、その真意を掴めたことがない。尤も、そうやって困惑する私の姿を、彼女は楽しんでいるようにも思えるのだが………

 

「私はね……居心地が良いと感じてるから地下(ここ)にいるのであって、決して外部の意思によるものじゃない」

「…………」

「ま、私はカゴから出られない鳥とは違うって言いたかっただけ。それより、早く行かなくていいの? 見た感じ、急いでるようだったけど」

「あ、あぁ………そうだったな」

 

 私はしばらく、当初の目的を忘れてしまっていた。

 もし、自力で結界を壊そうとしていたら、あとどれだけの時間を必要としただろうか……? ここでフランが作ってくれた時間のアドバンテージを無駄にするわけにはいかない。

 いまならまだ、父に追い付けるかもしれない。

 そう考えて、脚を踏み出そうとした瞬間にあることを思い出した。

 フランに忠告をしなければ。

 

「この帽子は置いていくが………他人に損害を与えた場合はどうするべきだと、私は教えた?」

「さあ、どうだっけ?」

 

 シラを切るように、フランは目を背けた。

 やはり、私をからかうのが大好きなようだ。いずれ、姉としてお灸を据えてやらねばならないだろう。

 そう考えていた時に、別の声が聴こえてきた。

 

「その損害を与えた者が補償を行う………覚えておきなさい、フラン」

「あ、さっきからコッチ覗いてた人だ」

 

 廊下の曲がり角からスッと姿を現したのは、レミリアだった。

 

「気付いてたのね」

「うん、私にビビってただけかと思ってたけど」

「あら? そろそろ、お姉さまの機嫌が悪くなってることに1番びびってるのは貴女じゃなくて?」

「………そうね、ごめんなさい」

「よく出来ました」

 

 レミリアはそう言うと、フランの眉間を指で弾いた。

「あいた」と声を上げる彼女の様子に、レミリアは穏やかな笑みがこぼれていた。

 フランも一応、私の機嫌が悪くなってることには気付いていたようだ。そう思うと、何故だか怒る気もなくなる。

 一方で、フランのペースに呑まれることなく巻き返してみせたレミリアに少し驚いていた。

 

「止めたって、どうせ行くのでしょう?」

「あぁ、そのつもりだ………」

 

 私に向き直った途端に、レミリアは真剣な表情に切り替えた。

 

「なら、紅魔館(ここ)の防衛は任せて。大丈夫、危ない時は2人で逃げるから」

「分かった。私もそこまで深追いはしないつもりだ。お互い、無理はないようにしよう」

 

 ジッと、相手の眼差しを見つめ合う。

 お互いに、嘘は吐いていないことを確認する為だ。しばしの沈黙が続いた後、レミリアは安心したように声を漏らした。

 

「そうね、それが一番いいわ。ついでに、この帽子は私が縫い合わせておくから。どうせ、フランには出来ないし」

「壊すのは得意なんだけどね」

「創るのも得意になれば、色々と便利よ」

 

 レミリアのアドバイスに、フランは拗ねたように頰を膨らませる。その様子に、レミリアはまた穏やかな笑みを零すのだった。

 

「じゃあ………気をつけてね」

「………行ってくる」

 

 そう言って、私は紅魔館を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 満月の光が雲を射抜き、地上に降り注ぐ頃。

 私は紅魔館から最も近いところにある人間の街に向かって、空を飛んでいた。

 

 南方に位置する、トールガーデンという名の街。

 

 表向きは人間の市場が広がるという何の変哲も無い街だが、裏では国王への反逆を企てる魔導師団の組織が支配しているという噂のある街だ。

 父の言う、「紅魔館への襲撃を企てる街」はトールガーデンである可能性が高い。魔法を扱える人間なら、吸血鬼を殺すことは十二分に可能だからだ。

 その街に潜む「魔導師団」とやらは、その類の人間の集団であると考えていいだろう。その組織の総力が相手となるなら、こちらもタダでは済まない。

 

「………こんなに離れた街だったのか?」

 

 独り言を呟いてみるも、実際にその街に行ったことがあるわけではないので事実は分からない。

 そして、父を追うという名目でその街に向かっている私だが、実際は何処にもいるのかも分からない。そこに父がいる可能性があるという理由で向かっているだけだ。

 仮に、私達を人間のエサにして自分だけ逃げたとすれば、トールガーデンに父がいるとは考えにくい。逃げることが目的なのに、わざわざ追っ手の本拠地に向かうだろうか? 

 

 しかし、その可能性はゼロではない。

 

 自分の娘達を人間側に売る為に、交渉に行っている可能性もあるからだ。自らの保身と引き換えにエサを差し出すのであれば、自分だけ逃げるという目的においては、ある意味確実な方法だ。

 

 

 そして、コレは最も可能性の低い理由だが、父の言うことが本当であった場合──

 

 紅魔館が攻められる前に人間の街を陥落させるという狙いを実行しているかどうかの確認を取るという意味でも、私はトールガーデンに向かっているのだ。

 

 しかし──

 

「コレは………」

 

 しばらく飛んでいるうちに、霧が段々と濃くなってきていた。上空からの視界はかなり悪く、このままでは目的地を見過ごして通り過ぎてしまう可能性が高い。

 

「仕方ない……」

 

 私は地上から街に向かうことにした。

 先ずは、魔力を調整して高度を下げる。下方向からの風を強く受け、地上を広く映していた視界が徐々に狭まっていく。髪が上に(なび)く中、右脚の爪先を伸ばして着地の体勢をとる。

 ストンッと重さが身体にのし掛かる感覚を覚え、地上に降り立ったことを実感する。

 右、左と辺りを見渡してみるが、辺り一面霧が広がっていた。それでも、木の影などは辛うじて見える。上空から見下ろして探すよりは幾分か、マシかと思われた。

 

「…………」

 

 私は無言のまま、霧に包まれた広大な草原の中を歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 歩いている間、何も見かけることはなかった。しかし1時間と経たないうちに、目の前にあるものを捉えていた。

 

「ここか………」

 

 2〜3mほどの高さの柱が二つ立っており、その間に架かるようにアーチ状の看板が待ち構えていた。

 

【Welcome to TALL GARDEN】

 "トールガーデンへ、ようこそ "

 

 ここは街へと続く門なのだろう。

 しかし、不可解なことに立ち入り検査を行う役人などの姿は見当たらなかった。何処の街にも、外敵を追い払う為の門番の役割を担う人間が配置されているものと思っていたのだが。

 

「誰もいないのか……?」

 

 更に、門の奥へと続く道にも人影は一切見られない。門兵がいないのは兎も角、一般の人間が1人もいないというのは不自然に思える。

 夜には(あやかし)の類が跋扈することを警戒して、表に姿を現さないだけなのかもしれないが、気配すらも一切感じられないということがあるだろうか? 

 道の周囲に並ぶレンガ造りの建物からは、一筋も明かりが漏れていない。言うなれば、廃墟の街がそこに広がっていた。

 

「…………」

 

 本当に、父の言う街はここなのだろうか? 

 そもそも、彼はここにいるのだろうか? 

 

 しばらく立ち尽くしたまま考え込んでいたが、調べてみなければ分からないと結論を立て、薄暗い霧に包まれた街の中に脚を踏み入れることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所々(こけ)()したレンガで舗装された道を歩いていくが、人影は全く見当たらない。

 壁に巨大なヒビが入り、老朽化した建物。

 割れたガラスの破片が飛び散る、木造の民家。

 まるで、街そのものの時間が止まってしまったかのような空間が広がっていた。

 人間どころか、虫1匹の気配すら感じられない。

 辺りに立ち込める静けさと霧が、不気味さを一層醸し出していた。複雑に入り組んだ迷路のような道も、それに拍車をかける。

 

 ──そもそも此処は、ホントにトールガーデンなのか……? 

 

 トールガーデンは、各地の商人が集まる豊かな市場を持った街だと聞いていた。そんな街が、一切の生き物の気配が感じ取れない程に静まり返っているとは到底考えにくい。

 父が先に街を陥落させた可能性も考えた。

 だが、戦いの爪跡を全く残さずにそんなことが果たせるだろうか?

 人間の死体は勿論、街が破壊されたような痕跡は何処にも見当たらない。

 

 ──コレは何か、裏がありそうだな………

 

 考え事をしているうちに、私は広場のような場所に着いていた。円形のスペースが大きく広がり、その中心に一本の柱が立っていた。

 そのスペースを囲むように、レンガ造りの建物が幾つも並ぶ。

 相変わらず、人間の気配は感じ取れない。

 私は何か目的があったわけでもなく、広場の中央にそびえ立つ柱にフラフラと歩み寄っていた。

 広場の端から中心までは数十メートルもの距離があったが、特に気にすることなく距離を縮めていく。

 その一本の柱には、何かの文字が刻まれていた。

 

(なんじ)、罪を犯す時………?」

 

 聖書か何かの一文の引用だろうか? 

 何かに注意するわけでもなく、柱にソッと触れた時だった。

 

「ッ………!!」

 

 耳をつんざくような鐘の音が鳴り響き、思わず両耳を手で押さえる。それでも尚、頭の中にまで響く鐘の音は脳を揺らし続けた。

 鳴り止む様子は一切無い。

 

 

 ゴォォォン……

 

 ゴォォォン……

 

 ゴォォォン……

 

 ゴォォォン……

 

 ゴォォォン……

 

 ゴォォォン……

 

 ゴォォォン……

 

 ゴォォォン……

 

 ゴォォォン……

 

 

 どれだけの時間が経ったかは分からない。

 あまりにも耳障りなこの音を消す為、鐘そのものを破壊しようと視界を左右に往復させていると、私はあることに気付いた。

 

 ──月が………

 

 いや、月だけではない。宵闇の空が、血を塗りたくったかのような紅に染まっていた。どす黒い雲が空に浮かび、そのコントラストを大きく目立たせる。

 私が空に気を取られているうちに、鐘の音は鳴り止んでいた。しかし、今度は別の音がそこら中から響いてくる。

 何かを引きずっているような──

 石と鉄が擦れ合っているような音が、其処彼処から耳に届く。

 

「…………」

 

 私が周囲を警戒して見渡していると、広場からあらゆる方向に伸びる路上に幾多もの影が佇んでいるのが見えた。

 右、左、前、後ろ……

 広場から伸びる全ての路上が、大量の影で埋め尽くされていた。

 そのシルエットが遠近感覚上、少しずつ大きくなっていくうちに、その姿を露わにし始めた。

 

 ──アレは………

 

 人間………それとは少し違う。

 漆黒のローブに包まれた2メートルほどの巨大な体躯。己の背丈を上回る大きさの血濡れた斧。

 そして、頭部がなかった。

 首の断面からは湧き水のように血が溢れ出し、その血が地面を濡らして、その脚が辿った軌跡を(えが)き出す。

 本来頭部があった場所には、赤茶色の血と錆で汚れた十字架が首の断面に突き刺さっている。

 気付けば、私はその怪物に包囲されていた。

 まだ距離はあるものの、全ての方向が怪物の壁で塞がれている。

 

「やるしかないか…………」

 

 顳顬(こめかみ)を冷たい汗が流れていくのを肌で感じ取りながら、私は魔力で生成した剣を構えていた。

 

 

 

 

 

 




『みかてー』様から頂きました!


【挿絵表示】


素敵なイラストをありがとうございます!
前回がお正月フランだったので、今回はお正月レミリアを載せさせて頂きました。
姉妹揃って、お正月姿は似合いますね。
こちらも去年のお正月に頂いたイラストだったと思います。


あとちょっとで、第1章は終わりです……




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第13話 Someone's life ends here

2週間ほど空けてしまいました……






 

 

 

 

 

 

「くッ……!」

 

 振り下ろされた巨大な斧を、魔力で生成した剣を上段に構えて受け止める。金属同士が衝突したような音が周囲に響き、その余韻が僅かな振動となって腕を伝っていく。

 眼球から十数cmしか離れていない位置で肉厚の刃が細かく震える光景に、冷や汗が流れる。少しでも力を抜けば、剣もろとも身体を砕かれそうだ。

 何しろ、膂力(りょりょく)が凄まじ過ぎる。

 身体が潰されそうなくらいにのし掛かる圧力のせいで、足が地面にめり込むほどだった。既に(くるぶし)の辺りまでは埋まっているだろうか。

 腕の筋肉がミシミシと音を立てる中、足元のレンガの地面が砕けていく音が耳に届く。

 いつまでこの圧力に耐えられるかは、分からない。

 

 

 そして、忘れてはならないことがあった。

 

 

「ッ………!!」

 

 背筋に寒気が走ったのを感じ取り、咄嗟に剣を斜めに構えて刃を滑らせ、瞬時にその場から横に飛び退く。

 視界の端に大きな黒い影が飛び込んでくる。

 そして一瞬前まで私が立っていた位置に、振り下ろされた二つの巨大な斧の刃が深く沈み込んだ。

 レンガの地面に、二つの大きな爪痕が刻まれる。あと少しでも反応が遅れれば、私の身体は縦に裂かれていただろう。

 その事実にゾッとした恐怖を覚える。

 

 

 敵は一人ではない(・・・・・・・・)

 

 

 サッと周りに視線を向けると、首の断面に十字架が刺さった怪物の壁に囲まれているのが分かる。様子見をしているのかは分からないが、大多数が動かないまま行く手を塞いでいる。

 しかし、こうしてヒヤリと冷たい汗を流して見渡しているうちに、ジリジリと距離が縮まっていく。

 あの十字架の怪物は一体一体が凄まじく強い。それが無数に襲いかかってくるとなれば、まともに戦っても勝ち目はないだろう。

 そうなれば、逃げるより他に手段はない。

 

 だが、私に逃げ道はなかった。

 

 先程まで連中と剣を交えているうちに気付いたのだが、私は何故か飛べなくなっていた。何度宙に浮こうとしても、身体の魔力が働いてくれない。

 それに気付いた時はかなり慌てたが、目の前の状況に集中して考えるのをやめた。

 コレはかなりの死活問題だが、今はその原因を考えてる暇はない。目の前の怪物は、徐々に迫って来ているのだから。

 飛べないとあらば自らの脚で逃げるしか方法はないのだが、それにはあの怪物の壁を突破しなければならないのだ。

 

 

 しかし、問題はもう一つあった。

 

 

 

「うぐッ………!?」

 

 針が刺さったかのような痛みが目を走り、手で押さえながら片膝を地面についた。

 

 ──な、何故………

 

 何故かは分からない。

 あの怪物の十字架を見ていると、急に目が痛みだすのだ。

 鋭い痛みは鈍い痛みへと変わっていき、眼球を握り潰されるような激痛が眼孔の中で強く疼く。

 

 

 

 

 十字架には、魔を祓う聖なる力が宿ると言われている。

 だが、それは半分迷信だ。

 その聖なる力とやらは、信仰心のある者にしか実感出来ない。当然だが、悪魔の中に神の力を信じる者など存在しない。

 

 つまり、十字架は事実上悪魔に対して何の効力も持たないのだ。

 

 例外的に十字架が力を発揮するのは、元・人間の悪魔がそれを見た時のみである。人の心を忘れて悪魔に成り果てた者が、十字架を見ることで懺悔の心が生まれ、それが悪魔としての自我を攻撃して苦しみだす。

「聖なる力」の種明かしをすれば、こうした理屈の元に成り立っている。

 

 悪魔であっても信仰心を抱いていれば何かしらの影響が出るのかもしれないが、私は何の信徒でもないし、元・人間の悪魔であるはずもなく生粋の吸血鬼だ。

 

 だから、十字架など効くはずがない。

 そのはずだった。

 そのはずだったのだが、十字架の影響が現にこうして現れている。眼球に走る鈍痛は、私の意識を蝕み続けていく。

 

 一体、何故? 

 

 何度繰り返したか分からない、自問自答。

 いま起きている事実に混乱し始めるが、僅かに残った理性が警鐘を鳴らす。

 

 ──いまは、それどころじゃない………

 

 それに応えるように、私は自分の胸部を拳骨で叩いて思考を無理矢理打ち切った。

 

「かッ………」

 

 いまは原因など、どうでもいい。

 ここを生きて出る手段を考えねば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 周囲を囲む全ての敵を倒さなくとも、一つの方向に全力で突っ込めば退路は確保出来るかもしれない。確定的な手段ではないが、これ以外に考えは浮かばない。

 いや、寧ろそれをやらねば、この状況を打開する策は本当に何も無くなってしまう。

 呼吸を落ち着かせる為に、ゆっくりと息を吸い、ゆっくりと息を吐き出す。

 

「ル"ル"ル"ル"ル"ル"ル"ル"…………」

 

 不気味な呻き声と息遣いが、こちらの耳元までハッキリと届く。

 あの怪物の正体は、一体何なのだろうか? 

 そう考えながら、サッと周囲を見渡した。この広場は建物に円形に囲まれた地形となっているが、そこから放射状に幾つかの通路が伸びている。

 怪物の壁の向こうに通路が伸びている方向を確認すると、私は再び魔力の剣を構え、片足を後ろに引く。

 僅か数秒間の沈黙の中、私は一、二の三と呼吸のリズムを調整していた。

 

 敵は強い。

 だからこそ、集中力を極限まで高めねばならない。

 

 少し膝を曲げて脚に力を溜めると、思いっきり地面を蹴って10m近くある距離を一気に詰めた。

 空気抵抗となって顔を叩きつける風圧の中で、進行方向上にいる一体の怪物に標的を絞る。スピードを残したまま剣を全力で斧に叩きつけると、真っ二つに折れて細かい破片が宙を舞う。

 そして、無防備になった怪物の隙を見逃さなかった。

 

「ああぁッ!!」

 

 両脚でブレーキを掛け、上体に残ったスピードを利用して腕のスイング速度を上げる。一度振り下ろした剣を、今度は左下から右上にかけて斜めの線を描くように振り上げた。肉の断面に何の抵抗も走らず、光の剣の刃はサックリと怪物の身体を引き裂いていく。

 

 

 この一つ一つの瞬間を、私は目で捉えていた。

 故に、決して見たくもないものがハッキリと見えてしまっていた。

 

 

 脇腹から反対側の肩にかけて断裂が入ると、その断面から肉片や血が吹き出して宙を舞う。

 ここまでは何ともない。

 だが、その中に混じってあるモノが飛び散っていた。

 

「ッ……!!!」

 

 

 

 ムカデ。

 ゲジ。

 クモ。

 ゴキブリ。

 ハサミムシ。

 

 

 人間も悪魔も問わず、嫌悪の目を向けられる不気味な虫達が身体の断面から噴水のように吹き出していた。

 大量の虫で構成された真っ黒な霧が激しく噴射される。

 宙でウネウネと胴体や何本もの脚を無秩序に揺らし、地面に不時着してから四方八方へと虫が素早く散っていく。

 中には着地の際に身体が弾けて内臓が飛び散った個体もいたようで、ネットリとした体液が地面のレンガの隙間に染み入っていた。

 全身の産毛が逆立つようなグロテスクな光景に、私は思わず顔を引きつらせる。そこから慌てるように後方に飛び退いた時にはもう遅かった。

 

「がふッ………!!」

 

 私が叩き斬ったものとは別の個体の怪物が、斧を水平に振り払っていた。巨大な刃先が私の右の脇腹に深く食い込み、私は血を吐きながら大きく投げ払われた。

 着地の体勢を取れずに、地面にドサリと横たわる。

 

「あッ……くぁ…」

 

 呼吸が出来ず、紅い切れ込みが入った脇腹を押さえたまま胎児のように疼くまった。ドクドクと流れ出す血は止まらず、服が真っ赤に染まっていく。

 脇腹を火炙りにされたような灼熱の痛みが強く根を張り始める。

 この時点で、私はもう戦う気力を失っていた。

 

 

 状況を放棄して、今すぐ帰りたい。

 父を追って、ここまで来るべきではなかった。

 

 

 叶わぬ願望と、取り返しのつかない後悔。

 色々な雑念が混じり合う中、激痛による脂汗がダラダラと額を流れていく。

 しかし、痛覚も何もかもが消え去るような光景が一瞬だけ視界の隅に入る。

 私はそれに気づいて咄嗟に横に転がろうとしたが、コレも既に遅かった。

 

 

 

 

 

 

 

 ゴキッ

 

 

 

 

 

 

 無機質な音が聞こえたかと思えば、左腕の感覚が無くなっていく。同時に肩の部分も火が纏わり付いたかのような感覚が、じんわりと広がり始める。

 肩に目を向けて見れば、腕ではなく、血がベットリと付着した斧の刃が映る。

 

 ──私の腕は……? 

 

 何が起きたのか分からなかった。

 視界を遮っていた斧がゆっくりと持ち上げられていき、見渡しが良くなり始めたところで『答え』が顔を覗く。

 

「あ……あぁ…」

 

 その『答え』が見えた瞬間、左肩に感じた痛みが格段に強くなる。そして、その痛みは絶叫となって溢れ出した。

 

 

 

 

「あ"あ"あ""あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ""あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ""あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ""あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ""あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ""あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ""あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ""あ"あ"あ"あ"あ""あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ""あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ""あ"あ"あ"あ"あ""あ"あ"あ"あ"あ""あ"あ"あ"あ"あ""あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!!!」

 

 

 

 

 辺りに断末魔のような咆哮が響く。

 その叫びに反応するように、斬り落とされた左腕の指がピクリと僅かに動く。

 痛みが何なのかすら分からなくなるほどに痛い。

 痛い。

 とにかく痛い。

 痛い。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い…………

 

 

 

「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!!!」

 

 

 痛みに呻く絶叫は止まらない。

 燃え滾る激痛に、神経が焼き切れそうだった。

 肩の断面を押さえた手の指の隙間からは、絶え間なく血が溢れ出る。ほんの僅かな時間で大量に血が流れた為か、呼吸のリズムがおかしくなる。体温が下がってきているせいか、寒気が酷くなっていく。

 視界の隅に漆黒の影が映るが、段々と見えなくなっていく。既に、この眼は白黒の世界しか映し出せていない。

 視界が狭まっていくのと同時に、灼熱が迸る痛覚が残ったまま意識が次第に薄れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……き…ろ」

 

 不安定な意識の中に、聴き慣れた声が届く。

 少しずつ意識が形を取り戻していくが、覚醒にはまだ至らない。

 

「おきろ」

「………」

 

 一瞬だけ視界が開くが、不明瞭な景色が広がるだけだった。もう一度目を閉じると、再び声が届く。

 

「起きろ」

 

 身体の感覚が戻ってきたかと思うと、私は肩を揺さぶられているのが分かった。前後に首が揺れる不愉快な感覚に、ようやく意識が目覚め始めた。

 

「こ……こ…は」

 

 徐々に明確になっていく視界に映ったのは、父の顔だった。

 

「………」

「やっと、目が覚めたか」

 

 私は石造りの小さな部屋の中で、ボロボロになった木の寝台に寝かされていた。そのわきで、父は椅子に座りながら、こちらを見つめている。

 私はガバリと起き上がり、父に向き直った。

 

「なぜ、アンタがここに……?」

 

 私は朧気な記憶を辿りながら、父に問い掛ける。私は先程まで『トールガーデン』という街にいて、そこに十字架の怪物に囲まれ──

 

「腕……?」

 

 私は自分の目を疑った。

 斬り落とされたはずの左腕が元に戻っていたのだ。

 

「俺が治癒術で治しておいた。調子はどうだ……?」

「………」

 

 試しに拳を握ったり手を開いたりするが、特に問題なく動く。肩を回してみても、コレといった異常は見つからない。

 

「……特に問題ない」

「そうか……それなら、よかった」

 

 この口ぶりだと、私が倒れているところを助けに来たのだろうか。彼がホッとしたように短く息を吐いたのを見逃さなかった。

 

「それでフィル……何故、お前が此処にいるんだ?」

「それは、私がアンタに聞きたい質問なんだがな。まあいい……この際だから全て話してやる」

 

 

 私は包み隠さず、この街を訪れた経緯を話した。

 

 

 街の陥落の為に出掛けた父が、実は私達を人間のエサにして自分だけ逃げたのだと疑ったこと。

 レミリアやフランには紅魔館に残るように伝え、そこの防衛を任せたこと。

 そして、危険を感じたら直ぐに逃げるように言っておいたこと。

 父を追って街を訪れると、人間が誰もいなかったこと。

 教会の鐘の音が鳴った直後に十字架の怪物に囲まれていたこと。

 

 

 その間、父は黙って聞いていたが、話が終わると椅子から立ち上がった。

 

「そうか……お前が俺を疑うのも無理はないな」

「……それで、真相はどうなんだ? アンタは本当にこの街を攻め落とすつもりだったのか?」

 

 私は全てを話したが、父への疑いが消えていたわけではない。睨み付けるように、強い視線を向けていた。

 

「……ここにいる以上、嘘のはずがないだろう。大体、ホントに見捨てるつもりなら、こうしてお前を助けていない」

「………」

 

 ……まあ、彼の言うことには一理ある。

 私を助けたということは、彼もあの怪物の群れと接触したということだ。本当に自分の身の為だけに動いていたのなら、わざわざリスクを犯すような真似はしないだろう。

 紅魔館を攻められる前にこの街を陥落させようと動いていたという彼の狙いは本当だったのかもしれない。

 

「……それより、ここはどこだ? 人間が誰一人として見当たらない……」

「………」

「ここは、ホントにトールガーデンなのか……?」

 

 しばらく彼は口を閉ざしていたが、険しい表情を浮かべながらゆっくりと開いた。

 

「あぁ、ここは間違いなくトールガーデンだ」

「………」

「だが、俺達は罠に掛かった」

「罠……?」

 

 そう聞き返す私の手を彼は引っ張り、私はそれに従って立ち上がる。そこから父がドアを開くいて、外に出る。その背を追うように私も続くと、見覚えのある風景が其処に広がっていた。

 

「コレはトールガーデン本来の姿ではない。人間達は、いつ吸血鬼が襲って来てもいいように街そのものに罠を張っていた」

 

 濃淡に差があれど、血を塗りつぶしたような空が視界いっぱいに広がる。それと調和するように、どす黒い雲が空を流れていた。

 

「それで、その罠というのは……?」

「………分断された現実(セパレート・リアリティ)だ」

「……!」

 

 聞き覚えのあるワード。

 それは、現実の中に紛れた非現実の世界。

 現実に存在しないはずの空間はそう呼ばれており、現実の空間とは分断された位置に存在するのだという。

 だが、何らかの方法で現実の世界と繋がることがあるらしい。

 かつて私が伯父の鍛錬を受けていた、紅魔館の地下に存在する『星の間』もその一種だ。

 

 まさか、そんな空間が人間の街に存在するとは……

 

 いや、この街には『魔導師団』なる魔法の扱いに長けた人間がいるのだから、有り得ないことではない。

 何らかの魔法により、この空間へのアクセスを築いたのだろう。

 ここが現実に存在しない空間だというのなら、人間が誰一人いなかったのも頷ける。私が飛べなくなっていたのも、この空間の仕掛けだと思えば何の不思議もなかった。

 そして、異形の怪物が蔓延っていたのも………

 

「……それで、この罠は何が目的なんだ? 部外者を街に辿り着かせないようにする為か?」

 

 罠には、何かしらの狙いがある。

 こんな大掛かりな罠を仕掛けたのなら、嫌な予感がしてならなかった。

 

「それもある。だが、1番の目的は迷い込んだ者を手取り早く殺すことだ」

「……さっきの怪物みたいにか?」

「それもあるな。でも、もっと楽に殺せる方法がある」

 

 父はそこでピタリと足を止めて、私の方に振り返った。こちらからは、父が真っ赤な月と重なって紅いシルエットに見えるせいか、異様な光景に見えていた。

 

「実は、この空間は精神だけを迷いこませているんだ。つまり、俺達の肉体は外に置いていかれている」

「………まさか」

「取り残された肉体を殺されれば、我々は死ぬ。そうでなくとも、精神が肉体から離れる時間が長過ぎると死ぬ」

「………」

 

 父は決して表情を変えることなく、衝撃の事実を伝えた。私も特に表情を変えていなかったが、内心ではかなり動揺していた。

 恐らく、街を覆っていたあの霧が入り口だったのだろう。

 その中に入った時から、私の肉体は何処かで倒れているのだ。いまの私の身体は、精神に刻まれた記憶によって構成された仮の姿なのだろう。

 しかし、取り残された肉体が殺されれば私の存在は消える。そして肉体から精神が分離する時間が長過ぎても、待っているのは死。

 

「ここから脱出する方法はあるのか?」

「………」

「いま我々が助かる為の唯一の手段は、この空間から抜け出すことだけだ。それ以外の方法を試したところで、待つのは死のみ。」

 

 父は距離を詰めて、私の肩にソッと手を置いた。

 

「よく聞け、フィル。お前のはいごの通路を真っ直ぐ進んでいけば、すぐに出られるはずだ」

「……本当か?」

「あぁ、間違いない。この空間の出口は入口と同じだ。入ってきたところを通れば、外に出られる」

 

 確かに、ここは私が初めに迷いこんだ時に見た景色が広がっていた。奥に、この街の入り口であるアーチ状の門も遠くに見える。

 

「この空間を出れば、取り残された肉体に意識が戻る。そうしたら、直ぐに館に戻れ、いいな?」

 

 父は膝を屈めて、視線を私と同じ位置に合わせた。こちらの目を覗き込んで、しっかりと確認を取ってくる。

 

「アンタは……どうするんだ? 一緒に来ないのか?」

 

 私の問いに、父は一瞬だけ表情が険しくなる。

 しかし、直ぐに返答を示した。

 

「俺は別の所から入ってきたから、そこからでなければ出ることは出来ない………お前は早く行け」

 

 父の真っ直ぐな視線に、私は思わず頷いた。

 肩に置かれた手をソッと払い、私は向きを変えて歩き出す。そこから10秒もしないうちに、背後から声を投げ掛けられた。

 

「フィル」

 

 その声に、私はゆっくりと振り返る。父は少し、バツの悪い顔でこちらを見ていた。

 

「母さんとフランのこと…………すまなかったな」

「…………」

「だが……罪滅ぼしになると思ってるわけじゃないが、お前を救うことが出来て良かった………」

 

 彼が何を言いたいのか分からず、私はただ黙っていた。

 ほんの数秒間の沈黙が流れるが、父の声がそれを破る。

 

「行ってくれ………」

 

 彼がそう言うと、地面から灰のようなものが舞い上がり始めた。同時に、何かがベリベリと剥がれる音が其処彼処から聞こえてくる。

 周囲を見渡すと、レンガ造りの壁がめくれて錆びれた金網に変化していた。街全体の建物が、錆に彩られた牢獄へと姿を変えていく。

 視界全体が灰色に染まっていく中、父はまだそこに立っていた。

 

「もう時間がない。行け……!」

 

 段々と灰が濃くなっていき、父の姿は影しか見えなくなる。

 私は再び向きを変え、門に向かって走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……た……てよ」

「そ……かい?」

 

 ガヤガヤとした喧騒。

 周囲に集まっているのは誰だ? 

 そう思って、私は目をゆっくりと開いた。

 

 ──ここは……? 

 

 まず、自分の状況を理解するのに時間がかかる。私は高台らしき床にうつ伏せで転がっていた。

 腕は………背で縛られている? 

 いや、そもそも身体が動かない……

 そして、眼下に広がるのは沢山の人だかり。

 

 ──人間? 

 

 この時点で嫌な予感がした。

 そして、その予感は直ぐに的中する。

 

「おぉ! やっと目が覚めたみたいだぜ!」

「本当か! どれどれ……」

 

 私の前に屈みこんできたのは、2人の中年の男だった。

 

「よぉ、寝坊助(ねぼすけ)嬢ちゃん! アンタ、そんな見た目でも吸血鬼なんだってな?」

「ッ………!!」

 

 誰だ、お前は!! と叫ぶつもりだった。

 しかし、声が出ない。

 何度か口を開こうとパクパクさせるが、陸に打ち上げられた魚の真似になっただけだった。

 

「おっと、今のアンタは喋れないし動くことも出来ないぜ! 何故なら、ちょっとした細工を仕込んでおいたからな!」

「………!」

 

 その男の言う通り、私は指一本動かすことは出来なかった。自分の意思と神経の伝達路が遮断されてしまっているかのようだった。

 

 

 ──最悪だ………

 

 

 コレはもう、間違いない。

 私は人間に捕まったのだ。

 私が異界にいる間に、取り残された肉体が人間の手によって捕獲されていたのだろう。

 だが、ここで1つ疑問が浮かび上がる。

 何故、私の肉体を見つけた瞬間に殺さなかったのか? 

 私の精神が肉体に戻る前に殺した方が、人間にとっても好都合のはずだ。その方が、簡単に殺せるのだから。

 先程の口ぶりだと、私の意識が戻るのを待っていたかのようだった。それまで私の肉体を生かしておいたことに、何の意図があったのだろうか……? 

 

 

 

 

 その答えは直ぐに明らかになった。

 

 

 

「ちょうどいい!! 嬢ちゃんに見せたいものがあってよ! その為に、俺達はずっと待ってたんだよ」

 

 私の前に屈み込んだ男は興奮した口調で、意気揚々と語り出す。

 

「オーイ!! 吸血鬼が目を覚ましたぞ! アレを用意してやれ!!」

 

 男は、いま立っている高台の上から眼下の人間達に向かって大声で話し掛けた。

 すると、1人の人間が広場の後方へと向かっていき、大きなシートで包まれた柱のようなものの前で歩みを止めた。そこに辿り着くと、チラリとこちらを振り返ってコンタクトを取る。

 高台の男は、コクリと頷いて合図を送った。

 そのサインと同時に、柱に覆い被さっていた布が一瞬で取り払われる。ふわりと宙に浮いた布は、やがて地にゆっくりと落ちていく。その布には、赤茶色の染みが広がっていた。

 

「アレが何か分かるか?」

 

 私の近くに立っていた男が、柱の先端を指差した。

 そこに目を向けると、何かが刺さっているのが分かる。

 意識が覚醒したばかりか、まだ視界が不明瞭だった。しかし、何度か瞬きを繰り返しているうちに、徐々に視界が晴れていく。

 同時に、その柱の先端に刺さっているものも明確になっていった。

 

「…………!!」

 

 それを目に捉えた瞬間、私の心臓は大きく跳ねた。

 

 

 

『母さんとフランのこと、すまなかったな……』

『お前を救うことが出来て良かった……』

 

 

 私はこのとき、彼が残した言葉の意味がようやく理解出来た。

 

 

 ──まさか………

 

 

 彼がこの街に来た本当の狙い。

 その答えを示したのは、串刺しにされた父の頭部だった。

 

 

 

 

 

 





【挿絵表示】


『王者スライム様』から頂きました!
素敵なイラストをありがとうございます!
過去2話分がレミフラだったので、それに続いて着物姿のフィルを載せさせて頂きました!


第1章は次でラストです。



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第14話 悪魔は笑う ※




2週間弱ぶりです……
発熱39.4℃という人生最高記録を叩き出して寝込んでしまうというハプニングがありましたが、何とか体調も戻り、執筆も完了させられました……!
さて、今回で第1章ラストです。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何故……? って、顔だな。ありゃ、間違いなくお前の親父さんよ」

 

 男はそう言うと、腹に手を押さえて笑い声を上げた。

 私の視線の先には、串刺しにされた父の頭部があった。

 痛々しい程までに針で縫われた瞳と、グッパリと耳元まで裂けたように開いた口からは赤黒い血が流れ出し、首の断面から溢れた血は柱を紅く蝕んでいく。

 男の言う通り、私は驚愕に満ちた表情を浮かべていたのだろう。どうやら、この身体に掛かっている制限とやらは表情筋までは抑えることは出来ないらしい。

 自分でも、顔が引きつっているのが分かっていた。

 

「一つ、教えといてやるよ」

 

 顔が強張ったままの私に、男は話しかけた。

 

「アンタが迷い込んだ空間だがな、アレを抜け出すことが出来るのは1人だけなんだぜ?」

「…………」

「まあ、親父さんは自分を犠牲にしてまで娘を救いたかったんだろうよ。その娘とやらもすぐ死んじまうってのに………悪魔って奴も馬鹿なんだな」

 

 

 

 

 ──やはり、そうだったか…………

 

 

 斬り落とされた父の頭部が示していた答えは、コレで確実なものになった。

 彼は嘘をついていた。

 この街に来たのは制圧の為ではない。そして、私達を人間の餌にするつもりも最初からなかった。

 

『母さんとフランのこと、すまなかったな……』

 

 彼は、自分の命を絶つ為にこの街に来たのだ。

 

 

 母上が死に、フランが本格的な幽閉を受けてから、私と父の仲は険悪なものになっていった。彼が自らの行いに後悔の念を抱こうが、私はひたすら呪詛を吐き続けた。

 母上が命を捨ててまで守ったその命を消そうとした父への怒りが、私の憎悪を掻き立てたのだ。その憎悪に取り憑かれた私はいつの間にか、父が精神的な苦しみに苛まれる姿を求めていた。

 (あやかし)とは、精神に重きを置く存在だ。

 私の向けた憎悪が確実に彼の精神を蝕んでいたのだろう。

 後悔と自責の念。

 それらが加速していき、やがて鬱になった。頰が痩せこけ、虚ろな目には光が宿らなくなっていた。そして、私の顔を見かける度に懺悔の言葉を吐くのが習慣になる。

 その度に、私は軽蔑の目と侮蔑の言葉を向けた。

 そんな日々を送るうちに鬱症状が悪化し、やがて精神に異常をきたした母上と同じ道を辿ることになった。

 

 自殺の方法を考えた結果、この事件が起きたのだ。

 

 そもそもの話、彼は自分が罠に掛かったという自覚があり且つ、それがどういう罠なのかを理解していた。この事実からも、彼は自ら首を差し出すつもりだったことが分かる。

 彼の口ぶりからして、あの空間のことは事前に知っていたはずだ。異界に迷い込んでから自分の状況が分かったというのは不自然な気がする。

 確かにあの世界が普通の世界と違うことくらいは分かるだろうが、それが罠だということや、その罠の仕組みに気付けるものだろうか? 

 人間達が罠を仕掛けたことを事前に知り、それを使って命を断とうとしたに違いない。

 

 敢えて人間の手に堕ちることで、その生涯を終えようとしていたのだ。彼は心の底から、自身の行いを後悔していたのだろう。そして、文字通り自分を殺すほどに自分を責めていた。

 だから、最期にフランと母上について謝罪を述べたのだ。

 

 

 

 ……コレが、父がこの街に来た来た答えだった。

 

 

 私が彼を追って来たのは、本人にとってかなり予想外だったに違いない。1人でヒッソリと死ぬつもりだったところに、娘がやってきたのだというのだから。

 

 

『お前を救うことが出来て良かった……』

 

 

 あの空間から抜け出すことが出来るのは1人だけ。そのたった1つの枠を私に譲ったのだ。

 彼は、私に対して深く負い目があった。

 だから、最低な父親でも最後の最後に親らしく子を救えたことが嬉しかったのかもしれない。

 

 

 

 ──私はまた………

 

 

 

 感情に身を任せるばかりで周りが見えていなかったのは、私の方だった。結局私は、幼稚な子供でしかなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おぉい、なに落ち込んでだ? お楽しみはこれからだぜ?」

 

 

 そう言いながら、男は私の髪を掴んで頬を叩いた。バチバチッと音が鳴る度に、顔が刺激に覆われる。

 ……実に不愉快だ。

 せめてもの抵抗と言わんばかりに、その男を睨みつける。持てる限りの殺意を視線に込めたつもりだった。

 しかし、男はそれを一笑に付す。

 

「そんなに怖い顔するなよ、なぁ……?」

「がッ………!?」

 

 声が出ないはずの喉から、呻き声が漏れる。

 背筋に刃物が沈み込む感触が走り出す。肉の断面と刃の表面が擦れ合うことで、不快な痛みが神経を伝ってくる。

 しかし、どんなに強い痛みが襲おうが、それにもがくことすら出来ない。身体が麻痺してるのか、指の一本も動かせないのだから。

 動けたとしても、精々身体を痛みに震わす程度だ。肉体の反射的な動作しか行えない。

 その痛みを堪えるように脂汗を流していると、第ニ波が来た。

 

「ッは………!」

 

 グシュリ、と何かが潰れるようなら音が耳に届く。

 今度は、先程よりも傷が深かった。

 背に食い込んだ刃物が、内臓まで届いているのが分かる。刃物が深く沈み込むほど、刃先が臓物を裂いていく。

 その証拠に、私の口から血が溢れ出していた。

 体内の出血が喉を逆流してきたのだろう。唇の両端から流れた血が顎を伝って、地面に零れ落ちていく。

 

 ──く、クソ……!! 

 

 心の中で罵倒するが、状況は何も変わらない。

 いや、寧ろ悪化の一途を辿っていた。

 

「かぁ……ぁぁ………」

 

 内臓に達した鋼鉄の物体がグリグリと掘り始め、内臓が掻き乱されていく。内臓が荒れ始めたのに比例するように、吐き出す血の量も増えていく。

 身体の芯から燃え滾るような痛みが、身体の末端まで広がり始める。グチャグチャに荒らされた傷口が、火のような熱を帯び始めた。

 どうやっても逃れることの出来ない痛みに、意識が焼き切れそうになる。しかし、その朦朧とし始めた意識は再び痛みによって覚まされる。

 

「……ご…ぶッ…………」

 

 弱々しく掠れた声と共に、ゴボリと赤黒い血が口から溢れ出す。背に刺さっていた刃物が肉を突き破るようにして、腹部から突き出していた。

 身体を刃物が貫通したという事実の認識に、ゾワリと汗が一気に吹き出し始め、同時に痛覚も更に敏感になる。

 背と腹を同時に火で炙られたような、いや、内臓そのものが燃え滾っているかのような痛みに神経が貫かれる。

 

 

「……さて、そろそろあっちの方も進めようかな」

 

 焼かれるような痛みに呻く私に構わず、男は呑気にそう言った。痛みを堪えながら視線を前方に移すと、いつの間にか景色が変わっていた。

 広場の中央に、二本の柱とその間に掛かったロープが置かれ、そこからは何かの肉塊ぶら下がっている。

 頭部のない身体。

 首の断面から滲み出た血が服の色を染め、両脇を抱えるように掛かったロープで吊るされている。

 それが誰の亡骸なのかはもう、言われなくても瞬時に理解出来た。

 

 アレは、父だったもの(・・・・・・)

 

 服装や肩幅の広さからして、間違いない。

 何より、あの黒く大きな蝙蝠の翼は確かに父のものだった。

 広場の人間達が異様に騒々しい。

 かと思えば、真っ黒な長手袋とエプロンのような前掛けを身に纏った男が巨大な(ノコギリ)のようなものを持って、父の亡骸に歩み寄った。

 

 ──あの服装、何処かで………

 

 黒衣の男が台に乗り、肩がぶら下がった父と並ぶくらいの高さに立つ。ここで、顔まで布で覆ったもう1人の男が現れ、父の両足をしがみ付くようにして固定した。

 それを確認した男が鋸を構えると、父の腰のあたりに静かにあてる。そして、鋸をそのまま前後に引き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後悔の念を覚えた時は、いつも手遅れだ。

 そして、絶対に取り返しがつかない。

 もし、私が彼を許していたら未来は変わっていただろうか? 

 

 ──やめろ……

 

 彼は本気で悔いていた。

 ならば、許してもよかったのではないだろうか? 

 そもそも私は本当に怒りを覚えていたのか? 

 フランの幽閉を口実に、ただ彼の苦しむ姿を見たがっていただけではなかったのか? 

 

 

 

 

 父の亡骸から血が滴る度に、観衆から歓声が上がる。死体の腹部を裂いていた鋸は既に、7割程刃が進んでいた。

 あと僅かで、身体が真っ二つになるだろう。

 

 

 1人の吸血鬼が虐げられ、周囲がそれを嘲笑う。

 私はそんな光景を何度も見てきた。

 私は悪魔として、出来損ないだった。

 悪魔という言葉が最も似合わない真っ白な翼に、一片の妖しさも感じられない緑の瞳。

 故に、私は幾度となく忌避の目を向けられ、理不尽な暴力の前に跪かされた。

 

 

 父の血で染まっていく黒衣の男の姿が、私の頭に電流のような衝撃を与えた。

 思い出したくもない光景が脳裏をよぎるなか、更にもう一つの光景が瞼の裏に蘇り始める。

 

 

 ──アイツだ………

 

 

 フランドール・スカーレットは血の繋がった姉妹ではない。人間の手に囚われ、拷問を受け続けていたところを両親に救われた義理の妹だ。

 そして、私が暴走したフランの手によって昏睡状態に陥っている間、夢を通す形で彼女の過去を見続けていた。

 吸血鬼の少女がただただ虐げられ続けるという内容。

 あの時、何故フランの過去が夢として見ることが出来たのかは今でも分からない。

 血が染み込んだ数本の鎖が垂れ下がる天井に、血飛沫(ちしぶき)や腐った肉片が散らばった床。空気に混じる血の匂いや蒸気が妙に現実味を帯びていたのを覚えている。

 そして、そのフランを拷問していた二人の男。

 

 

 

 

 そのうちの1人がいま、父の亡骸を刻みこんでいた。

 

 

 

「もうすぐだ……!!」

「どけ、よく見えねぇ」

 

 観衆が、父の身体が分断される瞬間を待ちわびる。

 醒めやらぬ興奮が、この広場を覆っていた。

 ギチギチと不気味な音を立てる鋸が端に向かって進む度に、血が吹き出す量も増えていく。

 そしてついに、下半身が重力に引っ張られるように肉の繊維が引き千切れて地面に落下した。

 ドチャリと音を立てて地に落ちた下半身の断面からは、栓が外れたように血の池を作り始め、ロープで吊られた上半身の肉塊からは腐った臓物がずれ落ちていく。

 父の身体が真っ二つになった瞬間、観衆は熱狂の嵐に包まれた。中には残酷な光景から目を背けようとする人間もいるが、結局は好奇心に負けてチラチラと眺めていた。

 

 

 ──やめろ………

 

 

 地に倒れ伏せたまま、私はただ見ていることしか出来ない。刃物で地に縫い付けられるように腹部を串刺しにされたまま、動くことが叶わない。

 いつしか、傷口から溢れ出した自分の血に私は沈んでいた。

 

 ──もう、それ以上苦しめるな……

 

 自らの血に沈みながら、私はただ後悔していた。

 彼はもう、散々苦しんだのだ。私にそんなことを言う資格は無いのかもしれない。

 だが、もし過去に戻れるのなら私は間違いなく彼を許していただろう。そうすれば、彼も自分の命を断つ気にはならなかったはずだ。

 しかし、どれだけ悔いようが時間は1秒たりとも戻らない。

 私は、レミリアとフラン(あの子達)の親を奪ってしまった。

 私にとってどれだけ憎い存在だろうが、あの二人にとってはかけがえのない父親だったのだ。

 母上は既に亡くなり、それに続いて父までもが命を落としてしまった。

 そして、私もこのままではいずれ殺されるだろう。

 あの二人は、これからどうなってしまうのだろうか……? 

 

 

 ──レミリア・スカーレット

 

 私が嫉妬と憎悪に駆られても尚、レミリアだけは私を見捨てようとしなかった。正直言って、彼女の顔を見るだけでも罪悪感で苦しくなる。ここまで私に心を許してくれる存在に、かつては嫌悪のあまり怒りをぶつけてしまっていたのだから。

 もし、あの時の罪滅ぼしが出来るなら私は何をしていただろう? 

 

 

 

 

 ──フランドール・スカーレット

 

 私がレミリアと距離を縮めることが出来た大きなキッカケとなった存在だ。彼女がいなければ、私達は姉妹としての時間を共に過ごすことはなかっただろう。

 かつて狂気が暴走し、私は命を落としかけた。

 だが、アレはいま思えば当然の報いだったのかもしれない。レミリアを苦しめてしまった過去の行いへの報い。

 もし、それでほんの少しでも罪を償えたことになるのなら、そのことについても彼女に感謝しなければならないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 私はあの二人から父親を……いや、母親も奪ってしまった。

 もし、例の狂気の本が下巻だけ無くなっていることを問い詰めていたら? 

 あの時、母上が禁忌に手を染めようとしていることに気付けていたとしたら? 

 たしかに、これは単に私の責任を突き詰め過ぎているだけで、あの事件は元々どうにもならないシナリオだったのかもしれない。

 だが、もし、万が一にでも気付けたとしたら………という話になれば、彼女の考えに気付くことが出来た可能性が私にあったことは否定出来ない。

「救えたかもしれない」可能性があった事実だけは決して変わらない。

 

 

 

 ──やめろ………私を二度も……

 

 

 観衆は相変わらず、歓声の渦に包まれている。

 そんなに吸血鬼が死ぬのが嬉しいのか。

 例え、それが誰かの父であったとしても……。

 そんな私の疑問など全く眼中に無いように、彼らは盛り上がっていた。中には、小汚い硬貨を亡骸に向かって投げつける者もいた。

 人間にとって、死は見世物なのだろう。

 側にいた拷問官は、今度は父の腹を縦に裂こうとしていた。拷問用の刃物を手に取った瞬間に、観衆の声が更に盛り上がる。

 

 

 ──よせ………

 

 

 私の思いなど無視するように、手際よく作業を進めていく。

 首と下半身が無くなった肉塊の中心に紅い線が引かれ、そこから同じ色の液体が染み出してくる。

 

 

 ──私を二度も………親を殺した娘にするつもりか……

 

 

 ボタボタと零れ落ちる血に、広場一帯が熱狂と興奮に包まれる。残酷な光景を目にすることに喜びすら見出す人間は、悪魔と何ら変わりはない。

 吸血鬼の死体が更に痛めつけられる光景に、かつて私が客人の悪魔に虐げられ続けた記憶が脳内にフラッシュバックを起こす。

 心許ない言葉に、無慈悲な暴力。彼等はそれらを私1人に浴びせては、下卑た笑みを浮かべていた。

 殴る、蹴るは序の口。鼻をへし折られたこともあった。乗せられた皿をテーブルごとひっくり返しては、それを私に片付けさせて「かわいい人形」と罵った。

 嫌気がさして部屋から逃げ出そうとすれば、手首を掴まれて無理矢理引き戻される。私が強引に立ち去ろうとした時は、左手首を斬り落とされたことさえあった。

 いつしか、私には広場の人間達がかつての悪魔達に見えていた。人間達が歓声を上げる度に、あの下品な笑い声が頭に響く。

 

 

 ──あいつら……

 

 

 先程まで強く私が苛まされていた後悔は、少しずつ怒りへと変わっていた。

 人間も悪魔と変わりない。

 連中は、私が憎み続けたあの悪魔と同じなのだ。

 フランドールという年端もゆかぬ子供を、己の残虐さを競うかのように虐げた人間。

 死してもなお、その凶刃を止めることなく寧ろ娯楽であるかのように痛ぶり尽くす人間。

 

 

 もし、私に力があったら? 

 

 私の気が済むまで切りさばいてやる。

 

 誰を? 

 

 私を愚弄したあの悪魔………そして、人間……

 

 何故、それをやらない? 

 

 私に力が無いからだ。

 

 何も試していないのに何故分かる? 

 

 それは……

 

 お前はただ思い込んでいるだけだ。そうやって無抵抗のまま殺されてもいいのか? 

 

 …………

 

 お前だけじゃない。あの人間達の手はレミリア達にも向くぞ。

 

 ……!! 

 

『守る』と約束したんじゃなかったのか? 親がいなくなった今、誰があの二人を守る? 

 

 …………

 

 諦めるな。せめて、抗って抗って………抗ってから死ね。

 

 抗う………か……私に出来るのか………? 

 

 出来る出来ないじゃない、抗え。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 怒りのあまり、背の方で縛られた手が拳を握れていることに気付くのに時間が掛かった。

 

 ──手が………身体が動く……? 

 

 試しに手を開いたり閉じたりするが、それらの動作は問題なく行えた。心なしか、薄れていた身体の感覚が戻った気がする。

 

 ──いける………! 

 

 何故、急に身体が動くようになったのかは分からない。だが、今はそんなことはどうでもいい。

 私は自然と口角が吊り上ってしまっていた。

 先ずは、腕を外側に引っ張って手枷を力づくで壊す。吸血鬼の力を持ってすれば、この程度、何の造作もない。

 パキン! と音が鳴るが、特に誰も気付いた様子はなかった。好都合だ。

 そこから静かに立ち上がると、ズキリとした痛みが背と腹部に走る。その箇所に目をやると、剣の刀身が腹を突き破って顔を覗かせていた。

 

「ッ………!!」

 

 鋭い痛みに思わず顔をしかめるが、私は刀身部分を手刀で叩き割った。亀裂が入り、大雑把に砕けた剣の破片が地面に落ちていく。剣が抜け落ちた腹部を見てみるが、傷は塞がっておらず、まだ痛みも残っていた。

 少し咳き込めば、まだ血も吐いてしまう。

 如何に治癒力があると言えど、早く止血を施すべきだろう。

 だが、私がこれから成そうとしていることには、何の支障もない。決して楽観出来る傷ではないが、相手はただの人間だ。

 この程度なら、何とか堪えられ──

 

 

「お、お前………!!」

 

 私と一緒に高台に乗っていた男が、有り得ないといった顔つきでこちらを見ていた。どうやら、さっきの剣を割った音で気付かれたらしい。

 だが、人間1人が気付いたところで──

 

「がッ……!」

 

 私は人間には捉えられないであろうスピードで距離を詰め、少し宙に浮きながら左手で彼の首を絞め上げた。先程のお返しと言わんばかりに、彼が気絶しない範囲で痛みを与えてやる。

 ジタバタと脚を前後に動かして暴れるが、最早何の抵抗にもなっていない。食い縛った歯からは透明な液体が漏れ、顔も段々赤くなっていく。

 私は表情を変えず、高度を上げて高台から4〜5mほどの位置で静止した。未だにもがき続ける男の顔をチラリと見ると、首を掴む力を更に強くする。

 目は飛び出さんばかりに大きく見開き、水を失った魚のように開いた口は酸素を渇望して掠れた呻き声を漏らす。

 一段と苦しみに満ちた顔を見て、少しばかり唇の端を吊り上げてやる。

 

「……ご…ぶッ……!」

 

 そして、右手に創り出した魔力の剣で腹部を刺し貫いた。僅かな振動と確かな手応えが、剣越しに右手に伝わってくる。

 見開いた目からは一瞬で光が消え、必死に足掻こうとしていた手脚はブラリと垂れ下がる。呼吸の音が聴こえなくなった口からは、ボタボタと血が零れ落ちていた。

 どうやら、一瞬で絶命したらしい。やはり、ただの人間が相手なら何の問題も無い。

 最早、剣に刺し掲げられるだけの肉の塊になっていた。命というものが、こうもアッサリと消えていく事実に少しばかりの驚きと興奮を覚えてしまう。

 私は止まらぬ笑みを浮かべながら、ソレ(・・)を人が群がる広場の中央に振り投げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで、結局貴女も来たの?」

 

 私は後をついてきたフランに問い掛けた。

 

「だって、フィル姉さまを外に出したのは私だし……」

「そう……」

 

 私は、夜が明けても帰ってこない姉が気になり、紅魔館を飛び出して来たのだ。その際、フランには残るように伝えたのだが、結局彼女も来てしまった。

 今は昼だが、鉛色の空が広がっているお陰で日の光は地上に届かない。故に私達は昼間でも行動出来るのだが、楽観は出来ない。いつ空が晴れるか分からないからだ。

 吸血鬼は身体から霧を生み出すことが出来、それで身体を覆えば日光を防ぐことは出来る。しかし、それでも長くは持たない。

 サッサと姉を見つけて、早急に館に戻らなければならないのだ。

 

「それにレミリアお姉さま1人じゃ、やられちゃうかもしれないし」

「………心配してくれている、と取っておくわ」

 

 フランの煽るような軽口に、適当に対処しておく。

 だが、彼女の言うこともあながち間違いではない。私も自分の力を過信しているわけではなく、人間の街に行くことに不安を覚えていたのは事実だ。

 本音を言えば、フランがついて来てくれたのは心強かった。

 

 

 

 ──ありとあらゆるものを破壊する程度の能力

 

 

 地下から地上階に続く結界を呆気なく破壊してみせたのは、彼女のこの力だ。

 曰く、『目』と呼ばれる物体の緊張部分を手の平で捉えて潰しているとのこと。まだ試したことはないが、生き物に使うと肉体を爆散させることが出来るという。

 現に、お父さまが施したあの強固な結界をいとも簡単に破ったのだから、決してハッタリではないのだろう。

 もし、敵側にそんな力を持った者がいたら──

 そう考えただけで、思わずゾッとしてしまう。攻撃方法は簡単で、手の平を向けるだけでいいのだから。だが、それが味方となると、これ以上に頼もしい力は無いだろう。

 

「で、いまフィル姉さまが何処にいるか分かるの?」

 

 上空から地上を見渡しながら飛んでいると、フランが聞いてきた。いま見ている限りでは、それらしき人影は見当たらないが…………

 

「……お父さまを追ったんだから、この街にいるのは間違いないは──」

 

 私が返事をし切らないうちに、何かが爆発したかのような音が街に響き渡った。それに続くように地響きが周囲に広がり、その力が上空にまで伝わってくる。街そのものが揺れたかのような衝撃に、一瞬身体が動かなくなった。

 

「まさか………」

 

 フランと顔を見合わせると、何も言わずに互いに頷き合う。そこから音が鳴り響いた場所に向かってすぐさま飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 地面に転がった腕を、脚で踏み潰す。

 グチャリ、と肉が潰れて血が吹き出す音が耳に届く。

 

「…………」

 

 しばらくこの場に響き渡っていた悲鳴と怒号。

 先程まで広場を包んでいた歓声とは正反対の声で埋め尽くされていた。広場の中央に落下してきた死体。

 それを大衆が目にした瞬間、辺りは一斉に静まり返った。吸血鬼の死体を見ても何ともないどころか熱狂すらしていた人間達は、たった1つの死体を見ただけで沈黙に支配されたのだ。

 私がその死体の側に降り立つと、先ず(どよ)めきが起こった。

 上から1人の子供が降りてきたこと、その姿が天使のようなものだったこと、そしてそのイメージを覆すほどに真っ赤に血で濡れていたこと。

 これらの事実が、彼らの思考を停止させた。

 そして、私はその隙を突くように手前の人間に襲い掛かった。

 胸部に右手をめり込ませ、胸骨を砕いて心臓を直接握り潰す。その手を肉の塊から引っ張り出し、手の中に残ったその残骸を周囲に見せ付けるようにして、ゆっくりと開いてみせた。

 

 そこから後は簡単だった。

 

 絶叫の中を逃げ惑う人間達を、羽虫の如く引き裂いていく。

 首を掴んで骨を砕き、手刀で首を刎ね、拳で臓物を潰す。遠くまで走り去ろうとする者が目に入れば、拷問官が使っていた刃物を投擲(とうてき)して脚を砕いた。

 芋虫のように地を這って逃れようとする人間の前に立ちはだかり、敢えて時間をかけてその命を少しずつ奪った。

 その虐殺行為を作業的に繰り返しているうちに、私の服は元の色が分からなくなるほどに鮮血で染まり返っていた。繊維を透けて肌に染みてくるベッタリとした感触と、肌を包み始めるほんの僅かな生温かさが殺した人間達の命の温もりを伝えてくる。

 

 

 ──心地良い…………

 

 

 私は本物の悪魔に近づいていけてるような気がした。

 そう、悪魔とは本来はこのような姿であるべきなのだ。今までは天使と罵られてきたこの姿だが、内面だけ見れば悪魔としては十分及第点だろう。

 

 天使……? 違う。私は悪魔だ……

 

 次々と人間達をこの手に掛けながら自分にそう言い聞かせているうちに、これまでの生涯で殆ど感じることのなかった喜びというものを覚えていた。

 力強く生まれた命を、この手で呆気なく終わらせられる…………それが出来るのは、悪魔だけだ。

 私はこの時、悪魔が本能として抱え持つ虐殺の快感を覚えてしまっていた。

 

 

 ──もっと…………もっと血を浴びたい……

 

 

 意識の底で疼く欲求は、次第にエスカレートしていく。どうすればその欲求を解消出来るのか、私の理性は理解していた。

 先ず、全身の魔力を解放する。

 緑色の光が身体を包み込むが、私はその光を更に大きくする。足元からメラメラと燃えるように揺らめき立つ光は、少しずつ規模を増し、やがては広場そのものを覆うようになった。

 それを確認した私は周囲を見渡す。

 全ての死体が、この光の中だ。即ち、それは私の魔力の支配下にあることを意味していた。

 自然と口角が吊り上がり、私はその死体の群れが上空の一ヶ所に集まるように意識を集中する。すると、周囲に転がっていた死体がフワリと浮き上がり、私の頭上に密集していく。

 

 胸部に赤黒い穴が開いた死体。

 首の断面を曝け出す死体。

 手脚を切り落とされた死体。

 縦、若しくは横に裂かれた死体。

 生前が人間であったことすら分からない程にグチャグチャにされた死体。

 

 様々なバリエーションの死体が、次から次へと浮かび上がっていく。

 そこから1分と経たない内に、肉の塊が宙に出来上がっていた。

 それを確認した私は、魔力を集中させた両手を空に向かって突き上げる。すると、それが合図であったかのように肉の球は花火のように一瞬で弾け散った。同時に広場を覆っていた緑の光が消え、代わりに周囲は紅一色に染まり上がる。

 バシャバシャと液体が強く地面を穿つ音が耳に届く。

 

 血の雨が降っていた。

 

 私は両手を広げ、それを全身で受け止める。

 コレが散っていった命の温もりか。

 何と心地よいのだろう……!! 

 冷めやらぬ興奮に、口角が大きく吊り上がる。

 いや、それだけじゃ足りない。しばらく声を発していなかった喉から、少しずつ笑い声が漏れ出す。

 

「ハ……ハハハ……!!」

 

 最初は静かに笑っていたが、次第に声は大きくなり始める。それと同時に、呼吸のリズムもどんどん変わっていく。

 そして遂に私は堪え切れなくなり、堰を切ったように喉を解放して大声を張り上げた。

 

「ハハハハハハハハハッ……!!!!」

 

 素晴らしい……! 

 悪魔とは実に素晴らしい……! 

 人間では決して味わえない快楽が、悪魔にとっては当たり前なのだから。自らの強さと恐怖を人々の心に刻みつけるこの快感には、きっと理性では逆らうことが出来ないだろう。

 悪魔が人間と共存出来ない理由がハッキリと分かった気がした。

 同時に、私は天使と忌避され続けてきた自分が悪魔としての一歩を踏み出せたことに大きな喜びを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フィル………姉さま……」

 

 私は眼下の光景が信じられなかった。

 天使のような神秘的な姿とは裏腹に、その白さを塗り潰すような血に塗れ、真っ赤な雨を全身で浴びながら狂ったような笑みを浮かべている。

 聴こえてくる笑い声は、最早悪魔そのものだ。

 私はあんな姉の姿など、見たことがなかった。

 

「レミリアお姉さま………」

 

 私が冷や汗を流しながらその光景を目の当たりにしていると、震えた声が耳に届く。振り返ると、ゾッとするような怯えを隠し切れていないフランがこちらを不安そうに見ていた。

 

「あれは………フィル姉さまなの……?」

「…………」

 

 即答は出来なかった。

 あんな姿など見たことがなかったのだから。

 だが、私は理性では分かっていた。アレは紛れもなく──

 

「………そうよ。アレが……私達のフィル姉さまよ……」

 

 私は震えた声で辿々しく、そう答えた。

 気付けば、フランも肩が震えている。それを見た私は、彼女の手をソッと静かにとってあげた。

 

「………………」

 

 フィルシア・スカーレット。

 この日、いつも暗い表情を浮かべていた彼女の笑う姿を私は初めて見たのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








最後のシーンを絵にしてみました。
(描いたのは確か1年半前?)


【挿絵表示】


………もっと上手く描けるようになりたいですね()



これにて、第1章は終了です。
反省点としてはやはり、展開がグダグダになってしまったことですね。(フランの登場が遅かったり……)
裏事情を申し上げますと、初期のプロットとは所々展開が違っています。
実はこの第1章があまりにも短過ぎたので、引き伸ばすことにしました。結果はこの通りですが……
次章からはもっとスムーズな展開を心掛けたいところです。既に伏線を張った箇所もありますので、そこに目を向けながら今後の展開を見て頂けると幸いです。

読者の皆様の応援があったからこそ、ここまで無事に書き切ることが出来ました。
まだまだ続きますが、本当にありがとうございます……!
これからも何卒、宜しくお願い致します……!!







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第2章 矛盾する正義
第15話 新・紅魔館当主


お待たせしました。
ごめんなさい、また1ヶ月ほど空けてしまった………
(そして、いつもより短いです………)
今回から新章です。






 

 

 

 

 

 あれから数十年という月日が流れた。

 私の歳がそろそろ3桁に及ぼうかというくらいの年月だろうか。

 スカーレット家の長女として生まれた私──フィルシア・スカーレットに、次女のレミリア・スカーレット。

 そして、三女にして養子として拾われたフランドール・スカーレット。

 

 

 思えば、彼女がスカーレット家に身を置き始めた頃から変わったのかもしれない。

 

 

 それまで関わりを断ち続けていた私とレミリアの関係、フランを救う為にその『狂気』を身に宿して命を落とした母上。

 そして、母上の死に逆上し、フランを幽閉して餓死させようとした父。その父が精神を病み、自殺という道を選ぶほどに彼を追い詰めた私。

 

 

 経緯はどうあれ、私があの子達から両親を奪ってしまった。母上に関しては救えるチャンスを逃してしまったし、父の死に関しては決して言い逃れ出来ない。

 

 彼らを殺してしまったのは自分だ。

 

 自己暗示にも似た自責の念は、未だに消えることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 吸血鬼の風習では、当主が死んだときは配偶者がその位を受け継ぐ。しかし、我がスカーレット家には、当主だった人物もその妻も既にこの世にいない。

 よって、スカーレット家の第一子たる私が当主の座に就くことになった。

 新たに当主となれば、名だたる御家にその報告と挨拶に向かわねばならない。だが、その相手というのは過去に私を虐げ続けた連中だ。

 

 当然、良いことは何も起こらない。

 

 こちらが挨拶に伺えば、罵り声と水を浴びせられて門前払い。それだけならマシな方で、昔と同じように重傷を負う程の暴力に見舞われたこともあった。

 

 私の場合、見事なまでに嫌われる条件が揃い過ぎているのだ。

 

 先ず、子供という身分でありながら名家の当主達と同等の立場になるということ。そして吸血鬼にも男尊女卑の風潮が存在しており、女でありながら一定の権力を認めねばならないこと。

 極めつけは、スカーレット家というただでさえ嫌われている家柄であることに加え、お決まりの私の悪魔らしくない姿のせいだろう。

 だが、外野がいくら文句を言ったところで当主を決める権限はその一家の者にしかない。よって、私が当主の座を追われる心配は無用である。

 

 そして、私もこの座を退くわけにはいかないのだ。

 

 両親亡き今、私が彼らに代わってあの二人を守らねばならないのだから。

 

 

「…………」

 

 

 かつて父の書斎だった場所で、私は書類の山に囲まれながら一枚の文書を仕上げていた。カリカリと紙を挟んで筆先と机が触れ合う音を聞き流しながら、淡々と作業を進めていく。

 筆で書き連ねた文字が最後の行に差し掛かり、最後尾が近づくに連れて筆の速度が少しずつ上がり始める。空白がどんどん文字で埋め尽くされていき、やがて紙面上からスペースは消えていった。

 そして、紙面を走らせていた羽根ペンを机上にソッと置き、両手を上げてググッと背を伸ばす。

 硬直した筋肉をほぐすように、ゆっくりと伸びをしていく。

 

「ッ……!!」

 

 ある程度全身の筋肉を伸ばして弛緩させると、文書をわきに置いて空いたスペースに前のめりになった。

 交差させた両腕に顎を乗せていたが、視線が下がり始め、次第に顔を(うず)める形になって視界が暗くなる。

 ここでドッと疲れが押し寄せ、起き上がる気力が奪われていく。

 

 私はここ5日ほど寝ておらず、120時間もの間、当主としての仕事に取り組んでいた。

 

 単純に私に体力が無いだけかもしれないが、如何に吸血鬼といえど、5日間不眠不休の事務作業はキツい。事務作業だけでここまで時間がかかるわけではないが、昼間も休むわけにはいかなかった。

 何故なら、吸血鬼が眠りにつく頃である一方で、人間が活発になるのが昼間だからだ。

 昼間にも関わらず、一応レミリアが警備を引き受けてくれてはいるが、『万が一』の時のことがある。悪魔を殺せるほどの力を持った人間の存在を知る以上、油断は出来なかった。

 2日ほど前に盗賊がこの館に押し寄せて来た時は彼女がアッサリと『処分』してくれたが、仮に吸血鬼に対抗する術を持った人間が来たとなると対処は簡単ではないだろう。

 そうした場合に1人で戦うのは危険だ。

 少しでも危険性を減らしておきたいと考えた私は、昼間も起きていることにした。

 

 

 私が守らねばならないのだ。

 

 

 私達を守ってくれていた頼もしき背中はもう無い。

 私が奪ってしまった。

 そう自覚する度に、胸が痛む。

 2人の死を目の当たりにした時の光景は鮮明に覚えている。

 首を吊り、指先からポタポタと血を零し続け、限界まで見開かれた乾いた眼球を晒しながらフランに屍肉(しにく)を喰われていた母上の亡骸に、首と分断された身体を人間に弄ばれ、ただの肉塊と化した父。

 そして、その父の死を知った時の妹達の表情。

 その驚愕の奥に潜んだ怯えと哀しみ。

 

 こうやって思い出すだけでも、いつの間にか一筋の水滴が頬を流れていく。

 

 あの子達には、ずっと守ってくれるはずの頼もしい存在がいた。彼らが生きていたら、人間達の魔の手が迫ることも無い。

 学び、 温もりといった掛け替えの無い恩恵をもたらす存在。これから先の生涯で、大きな助けになったはずだった。

 

 彼らはもういない。

 自分達を守ってくれる存在は何処にも無い。

 

 そうなってしまった責は私にある。

 学びも温もりも私1人では生み出せそうもない。あの子達に恵みをもたらすことなど到底出来はしない。

 だが、私は自分の命を投げ捨ててでも、あの二人を守り抜く覚悟だ。

 それが、自分の犯した大罪のせめてもの償いになると私は信じている。

 

 

「…ッ……ッ…………」

 

 

 机に伏したまま咽び泣く自分の声を聴いているうちに、私は意識が遠のいていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──……さま

 

 

 ──………えさま……

 

 

 ぼんやりとした意識の中で、聴き慣れた声が聴覚を刺激する。

 

 

 ──……る…さま…

 

 

 途切れ途切れに聴こえてくる声が誰を呼んでいるのか、それに気付くの同時に、肩を揺さぶられていることを自覚した。

 ここでようやく我に返り、私は机に伏していた身体をガバリと引き起こす。

 

 

「フィル姉さま」

「…………レミリアか」

 

 

 その時、自分の肩を覆っていた物が床にスルリと落ちたことに気付いた。視線を落とすと、1枚の毛布がそこにあった。

 

「…………」

 

 頭痛が響く頭で考えるが、どうやらレミリアがかけてくれたらしい。机に倒れ伏した私を気遣ってくれたのだろう。

 

 

「ちょっと、大丈夫………? どうせまた寝てないんでしょう?」

「………いや、ちゃんと睡眠は取ったさ」

「嘘おっしゃい」

 

 

 レミリアは整った眉を吊り上げながら、私の眉間を指で弾いた。

 

 

「バレバレよ。目の下のクマが酷いわよ?」

「………」

「いつも言ってるでしょ? 1人でこなせない量の仕事は分担しようって」

「………すまない」

「ホラ、後は私がやるから、お姉さまは寝てちょうだい。何処をやればいいのかしら?」

 

 レミリアの言う通り、私はそろそろ限界が近づいていた。視界がぼやけ始め、目の前のレミリアの表情すら上手く捉えられない。

 それでも何とか耳は聞こえている。

 目元を擦りながら、私は机上の書類を整理した。

 

 

「大体は片付いたから、この2枚の紙を書いてくれればいい。家族構成を書くだけだ。それが終わったら、そこに置いといてくれ」

「……了解。さ、お姉さまは自室に戻った戻った」

 

 

 私が椅子立ち上がるのにあわせて、レミリアが其処に座る。その際、私はレミリアに気付かれないように一枚の紙を書類の山から静かに抜き取った。

 彼女に背を向け、手元が見えないようにしながら、サッと引き抜く。

 コレだけは、レミリアにもフランにも見せるわけにはいかない。

 見られたところで何かしら不都合があるわけではないが、余計な不安を与えたくなかった。

 知らなくていいことを知る必要は無い。

 知らなかったところで彼女たちには何も影響は無いのだ。それならせめて、知らないまま一抹の不安も抱くことなく過ごして欲しい。

 

 

 私はそう思っていた。

 

 

「何か、分からないところがあったら遠慮なく聞いてくれ」

「えぇ、分かったわ」

 

 

 レミリアの返事を聞くと、私はドアを開けて部屋から出た。

 ………あまり、無理をし過ぎるのもよくないのかもしれない。あの膨大な仕事の量を出来るだけ1人でこなそうとしているのは、レミリアやフランに負担をかけたくないからだ。

 しかし、その結果こうしてレミリアに心配をかけてしまっている。少しは彼女を頼った方がいいのだろうか? 

 1人で何もかも抱え込もうとするのは、私の悪い癖なのかもしれない。

 無理をし過ぎてしまえば、守るべきものも守れなくなってしまう。それでは本末転倒だ。

 

 

 ──私の負担が減り、かつ紅魔館の安全を守ることが出来る方法か…………

 

 

「門兵でも雇えればな………」

 

 

 だが、それは机上の空論に過ぎないだろう。

 そもそも、そんな人材を何処で雇うのか。同じ吸血鬼間の者といえど信頼出来る者は皆無だし、人間をアテにするのは論外だ。仮に雇ったところで微塵も役に立たないだろう。

 悪魔に対抗出来る力を持つ者なら別だが、それはそれで信用出来ない。いつ、私達に反旗を翻すか分からない。

 

 

 身内を除いて周囲に信頼出来る者がいない中、私は綱渡りのような外交をこなさなければならないのだ。

 紅魔館当主となった以上、ミスは1つも許されない。

 どうすればレミリアとフランを守り切れるか。

 それを考える日々を過ごすうちに、頭がどんどん痛くなってくる。そして、そんな弱気な自分を叱責する自分にも頭を悩ませる。

 具体的な策が一切浮かんでこないのだから。

 

 

「はぁ………」

 

 

 思わず、疲れのこもった溜息をついてしまう。

 何か考えろと自分に言い聞かせる度に、思考力が段々と落ちていく。考えるのは後にして、いまはもう休んだ方がいいかもしれない。

 このまま自分が倒れれば何も守れないぞ、と言い聞かせたところでようやく自分が納得する。

 そのまま自室に向かおうとした時だった。

 

 

「あら? フィル姉さま?」

「………随分と早起きだな、フラン。まだ昼だぞ」

 

 

 金の髪を向かって右側に結んでサイドテールとし、私やレミリアとの例に漏れないナイトキャップ。服は赤を基調とした半袖とミニスカート、胸元には黄色いスカーフを結び、足にはソックスと赤のストラップシューズを履いていた。

 吸血鬼の特徴である真紅の瞳。

 そして背から覗く一対の枝に七色の結晶がぶら下がった、骨組みだけの異様な形状をした翼。

 

 

 私とはまた違った意味で吸血鬼として異様な姿を持つ彼女──フランドール・スカーレット。

 

 

「………まあ、なんとなくよなんとなく。目が覚めちゃって」

 

 

 地下から地上階へ上がる為の階段を塞いでいた結界が無くなったいまでも、フランは地下の部屋にこもっている。

 たまに館の中をうろついているが、それでも大半は自室で過ごしている。一度外を見てみないかと誘ってみたことがあるのだが、本人は特に興味が無いらしい。

 

 

「良い子だから、早く寝なさい」

「じゃあ、フィル姉さまは悪い子なの? お婆ちゃんのシワみたいなクマが出来てるけど」

「おい……………」

 

 

 相変わらず、人を煽るのが好きなようだ。

 何も言い返せずにいる私を見て、クスクスと笑っている。

 

 

「冗談よ冗談。どうせ、お仕事のし過ぎでレミリア姉さまに怒られたんでしょ? だったら、早く寝てちょうだい」

「………あぁ、そうだな。お前も早く寝るんだ」

 

 

 そう言う私を訝しむように、フランは眉を吊り上げた。

 

 

「あのね、私もずっと部屋で好きなように過ごすだけじゃないのよ。書類仕事はレミリアお姉さまに任せるとして、警備は私がやってあげる」

「待て、そんな危険なことは──」

 

 

 その瞬間、私の耳元で何かが破裂するような音が炸裂し、ビリビリに破れた布地が宙を舞うように床に落ちていった。

 まさかと思い、被っていた帽子を脱いで手に取ってみる。

 手に取ったナイトキャップは、最早修復が叶わないくらいにズタズタに引き裂かれていた。

 

 

「そんなに不安なら、私の力を試してみる? あっという間にその帽子みたいになるけど」

「……………」

「これだけ強ければ大概何とかなるでしょ。とにかく、いまは寝てちょうだい」

「………分かった」

 

 

 ビリビリに破れた布の破片を拾い集め、トボトボとその場から歩いて立ち去る。妹二人に説教を受けたことを姉として情けなく思いながらも、どこかそのことに有り難みを覚えていた。

 

 

「あ、そうだ」

 

 

 背を向けて歩き去ろうとしていた私を、背後からフランが呼び止める。振り返ってフランの方に向き直ると、その要件を伝えてきた。

 

 

「今度、吸血鬼らしい血の吸い方を教えてよ」

「…………」

 

 

 よくよく考えれば、フランは殆ど外に出たことがない。そして、人間と接触したこともない。

 ならば、吸血の仕方が分からないのも無理はないだろう。

 

 本来であれば、こうした役目は親が負うべきなのだが………

 

 

「分かった。今度、レミリアも交えて教えよう」

「うん、ありがと」

 

 

 親がいなくなったいま、私がその役目を果たすしかない。私なんかが幾ら頑張ったところで、どうしたって親代わりになることは出来ないだろう。

 

 だが、それでも私にやれることはやってみせる。

 

 そう決意を胸に抱くと、私はフランの前から立ち去った。

 

 

 

 

『いつもお疲れ様』

 

 

 

疲労が蓄積したせいか、空耳なのかどうかは分からないが、私の耳はその声を拾っていた。

 

 

 

 

 

 




ぱる@狂香 和泉様から頂きました!

【挿絵表示】



イラストというよりはMMDですね。
二人は一体、何をやっているのでしょう?
案外、仲は良いのかもしれませんね。


素敵な支援絵をありがとうございます!!



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第16話 吸血鬼講座 ※

三件も感想を頂いたのに、ちょっと間を空けてしまいました……申し訳ありません!



 

 

 縁がぼやけた月の浮かぶ夜空に、何処からか獣の遠吠えが鳴り響く頃。風でざわめく木々の不気味な音は、街にも届いていた。

 

「準備はいいな?」

 

 そう尋ねる私に、レミリアとフランの二人は静かに頷く。それを確認した私は、いま立っている屋根から眼下に見える人間をターゲットに定めた。

 こちらに気付く気配はなく、スタスタと歩いている。

 

「…………」

 

 後ろ髪の長さからして、成人女性だろうか。

 だとすれば、その血は吸血鬼にとって御馳走とも言えよう。

 

 ──今だ………

 

 丁度私達の真下を通り掛かったあたりで、私は屋根から路地に飛び降りた。音を立てないように着地する寸前で宙に浮かび、背後から左腕を素早く首に回して軽く締め上げる。

 

「ヒッ………!」

 

 その女が今にも悲鳴を上げそうなほど喉を震わせたので、私は締め付ける腕の力を少し強くする。

 喉元に強い力が加わったことで、その女は抵抗するのをやめた。ここで叫べば、すぐにでも殺されてしまうと考えたのだろう。

 

 賢明な判断だ。

 

 私は腕の力を緩めないまま、その女の耳元で囁くように呟いた。

 

「………そう狼狽(うろたえ)るな。少しばかり血を頂くだけだ」

「え…………」

 

 その疑問の声に答えることなく、私は彼女の首に牙を食い込ませた。一瞬だけ身体がビクッと震え、その直後の小刻みに震える様子が伝わってくる。

 牙の先端を少しずつ埋め込んでいき、首に回していた手を肩に回す。

 そして、破れた皮膚から染み出る血を上手く吸ってやる。口内に染み渡っていく鉄分の味が、私に充足感をもたらしていく。

 

「あッ…あッ………」

 

 吸血鬼に血を吸われた人間は性的な快楽を覚えると言われるが、その女も例に漏れず少しばかり官能的な声をか細く上げる。

 私は特に気にすることなく、吸血を続けた。

 そして徐々に身体から力が抜けていき、私がそれを支える形になる。そろそろ意識を失った頃だろうか。

 私はこの辺りで牙を首から離し、気を失った彼女を民家の壁にもたれかけさせる。

 手の甲で口元を拭ってみると、僅かに血痕が付着していた。完璧には吸い切れてなかったらしい。だが、吸血の仕方としては大方合格のラインではあるだろう。

 上を見上げると、レミリアとフランの二人がこちらを見下ろしていた。

 私は、二人の為に吸血鬼としての血の吸い方を実践していたのだ。幾ら戦う為の力を身に付けたとしても、気品が保たれていなければ吸血鬼失格だ。

 吸血もまた、乱雑に行われていいものではなかった。

 人間をも魅了する快楽と共に、新鮮な生き血を気品良く味わうこと。それが吸血行為における吸血鬼のマナーだった。

 食事の時に食べ物を食い散らかしてはいけないのと同じで、大量の血飛沫が舞うような吸血行為は褒められたものではない。

 そしてこの際、吸血の量を加減して人間を殺さないようにすることが望ましい。

 敢えて人間を生かしておくことで、獲物の数が減るのを防げるからである。

 戦いとあれば、人間だろうが容赦なく相手を殺さなければならない。しかし、コチラが一方的に吸血を行う際は殺さないでおかねばならないのである。

 いまの私のやり方を見ていた二人なら、ちゃんと吸血の仕方も覚えられただろう。

 いまの私のやり方が、彼女らにとって良い手本になったことを祈りつつ、私は2人のいる屋根に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う〜ん………血が上手く吸えないわね」

「………不合格」

 

 どうやら、私の手本はあまり役に立たなかったらしい。レミリアが吸血に挑戦したところ、口の両端から垂れた鮮血が胸元のスカーフや布地を染めてしまっている。

 おまけに他の人間にも見つかってしまった。

 ターゲットに選んだ人間に襲い掛かっところでゴタゴタしてしまい、その物音に気付いた人間に姿を見られてしまったようだ。

 一先ず、私がその人間の首を手刀で叩いて気絶させることで騒ぎを静めたが、増援を呼ばれでもしたら厄介なことになるところだった………。

 結局、『少々荒々しい吸血』と『血が上手く吸えてないこと』によりレミリアは不合格とした。

 

「レミリア姉さま、今度私が食事のマナーを教えてあげる」

 

 血で汚れたレミリアを馬鹿にするようにフランが笑い掛けた。当然、レミリアはストレートな反応を示す。

 

「結構よ。それに、貴女が私に教えられるほど吸血が上手いとも思えないけど?」

「少なくとも、レミリア姉さまよりマシよ」

 

 互いに額をくっつけ、こめかみに青筋を浮かべたまま二人は笑みを浮かべながら煽り合戦を繰り広げ出した。

 

「待て待て。ここでまた騒ぎを起こすんじゃない」

 

 だが、私はすかさず仲裁に入る。

 二人を力づくで引き離し、喧嘩を強制的に終了させる。エサを横取りされた犬のように牙を剥き出しにして唸るレミリアと、それを嘲るような笑みを浮かべるフラン。

 本当に不仲というわけではないのだろうが、この二人がお互いを気遣い合う光景が私には浮かばなかった。

 

 

「………さて、次はフランの番だ」

「ちょいと血を吸えばいいんだよね?」

「そう簡単にいくとも思わんが………」

 

 少し不安を含めた声で私が言うと、フランはいつもの悪い笑みを浮かべた。

 

「大丈夫よ。いざというときは ” 握って “ あげればいいんだし」

「…………」

「じゃあ、行ってくるね」

 

 そう言って、フランは私達の元から飛び立った。この時から、私は何か嫌な予感がしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 夜空に響き渡ったのは、悲鳴と重なった壮絶な断末魔。直後にフランが忍び込んだ部屋の全ての窓ガラスが粉々に砕け散り、そこから紫がかった黒い霧のようなものが噴き出した。

 向かいの家の屋根で見守っていた私とレミリアは、すぐさまその部屋に飛び込んだ。

 

 

「まさか、こうなるとは………」

 

 

 目の前に広がるのは、元が人間だったのかすら分からないほどにバラバラになった肉塊と血の絵画が描き出された壁や床。そして、部屋に闇のような渦を作り出すコウモリの大群。

 そのコウモリの渦の中心には薄っすらとシルエットが浮かんでおり、真っ赤な目が不気味に光っていた。同時に、その強大な魔力が漆黒の炎のようなオーラとなって身体を包み込む。

 

 ──狂気の暴走

 

 かつて私が命を落としかけた最悪の事態が、いま目の前で起きていた。元々フランは紅魔館に拾われる前に、ただ拷問が繰り返される日々を過ごしていた。

 

 幼少時から強いストレスや不安に襲われた吸血鬼はどうなるか。

 

 本能的な自己防衛反応が暴走し、『狂気』が発現する。その『狂気』とは精神的な病の一種で、攻撃的な人格が宿った状態とも言える。

 要は、悪魔としての危険な暴走本能が覚醒した状態だ。

 この『狂気』は疾患者がトラウマを刺激された時や自らに生命の危機が迫った時に呼び起こすと言われているが、正確な原因は分からない。

 

 突発的に呼び起こしてしまうことだってある。

 

 そもそもフランは母上が命と引き換えにすることで「精神の安定」を手に入れた。それにより、狂気が “ 滅多に ”発現することはなくなった。

 しかし、完全になくなったわけではなかったのだ。

 

「………やるしかないってことか」

「フィル姉さま、ちょっと下がってて」

 

 背後からレミリアが声をかけてくる。

 その声に気づくのに2秒ほどの時差が生じたが、私は指示通りに後方に退く。

 

 ──今度も上手くいくだろうか………

 

 自分はかつて、自身の失態で身内を亡くしている。その記憶が、いまの私にブレーキを掛けているようだった。

 

「フィル姉さま」

 

 レミリアが再び私を呼ぶ。

 そして子を励ます母親のように、レミリアは私の頬に静かに手を添えた。

 

「大丈夫よ。私達ならあの子を救える。自信を持って」

「…あ、あぁ………」

 

 そう言ってレミリアは一歩を前に踏み出した。その背を見た私は、たまらず彼女を呼び止める。

 

「レミリア……!」

「……ん?」

 

 不思議そうにこちらを振り返る彼女に、私は口を開いた。

 

「無理は……するんじゃないぞ………」

「…………」

 

 レミリアは何も言わず、ただ静かに笑みを浮かべた。

 そして前方に向き直ると、レミリアは両手の平をフランに突き出す。

 

「さあ、大人しくしなさいフラン」

 

 火薬に火が付いたような音と共に、その手の平から放たれた幾筋もの紅い光の線がフランに絡みつくように纏わり付き始める。

 その瞬間にレミリアが拳を固く握ると、紅い線が光の粒子のベールを脱ぐようにして真紅の鎖が露わになり、フランを縛り上げた。

 

「グッ……!!」

「今よ!! お姉さま!!」

 

 レミリアの叫びを合図に、私は一気にフランとの距離を詰める。レミリアの技も狂気に呑まれたフラン相手には長く持たない。一刻も早く、私が決着をつけねばならないのだ。

 真っ赤な目を敵意を込めて光らせるフランの首に、ソッと右手を掛ける。軽く掴むだけで締めはしない。

 

「大丈夫だ、フラン。私達が側にいる」

「グッ……グゥ…」

 

 こめかみに冷や汗が流れるのを自覚しつつも、私はフランの首を掴み続けた

 

 ──早く……! 早く効いてくれ……! 

 

 時間の経過に比例して、私の心拍数はどんどん高くなる。ここで失敗すれば、その時は私もレミリアも命は無い。

 その最悪のifの想像が私から成功のイメージを奪っていく。

 

 ──頼む……! 早く…! 早く!! 

 

 

 レミリアの鎖が軋む音が各所から響いてくる。その度に、私の背を流れる汗の量が増え続けた。

 

「グッ…ク…ォォォアア……!!」

 

 獣のように唸るフランの声が更に恐怖を引き立てる。その恐怖が、彼女に喉を食い破られた時の記憶を鮮明に呼び起こす。

 手汗がジワジワと噴き出す中、ここでようやくフランが変化を見せた。

 

「うッ………」

 

 身体に纏わりついていたドス黒い炎のようなオーラが消え、目に宿っていた不気味な光も消えた。

 部屋中を飛び交っていたコウモリの大群も姿を消し、辺り一帯に静寂が訪れる。

 不気味なまでに静まり返った空間の中、私は無言で立っていた。

 

「あ……れ…私……」

 

 フランは全身の力が抜けたように倒れ掛かった。咄嗟にその身体を支えた私は、安堵と未だに残る恐怖から息をつく。

 どうやら、今回は命があったらしい。

 

「フィル姉さま!」

 

 後方から駆け寄ってくるレミリアの足音が聴こえてくるが、最早振り返る気力はなかった。フランを支えたままガクリと膝をついた私に、視線を合わせるようにレミリアは少し膝を屈めた。

 

「……無事で良かった」

「あぁ……」

 

 恐らく30秒にも満たない短い間だったのだろうが、私は呼吸を乱していた。私は何か激しく動いたわけでもない。それだけ精神的な疲労が大きかったということだろう。

 

「フランは………無事?」

「……気を失ってるだけだ。しばらく寝かせておけば回復する」

 

 私はフランをソッと抱き抱えると、ゆっくり立ち上がった。

 周囲を見渡してみると、吸血鬼である私でさえ改めてゾッとする光景が視界に映る。一歩間違えれば、この壁の血が私達の血で塗りつぶされていたかもしれない。

 

 ほんの数十秒の出来事を振り返ってみる。

 

 私は自身の力を使ってフランの狂気を解除した。私の力は、自身に掛かった制限を振り払うことが出来るといった代物だ。この力に目覚めたのは、父が亡くなった時のことである。

 

 ──『可能を不可能にする程度の能力』

 

 私は自身の力をそう名付けた。

 制限を振り払う──例えば何かしらの術で身体の動きを止められた際、私は「動きを止めることを不可能にする」ことが出来る。

 父が死に、人間に捕らえられていた私が手枷に掛かっていた術の制限を突破出来たのは、この力のお陰だった。

 

 先程フランの暴走を抑えたのは、コレを応用したものだ。

 

 私は他人に直接触れることで、その他人に同じ作用をもたらすことが出来る。私はフランに触れ、「狂気が呑み込むことを不可能にした」。

 もし、私がもっと早くこの力を使えていれば両親は死なずに済んだのだろうか。

 救えたはずの二人を、「救うことを不可能にしてしまった」私のことだ。

 

 

『可能を不可能にする』

 

 

 

 

 何とも私にお似合いの力だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい」

 

 フランを抱え、空を飛んで帰路についている時だった。レミリアが謝罪の言葉を口にした。

 

「何故、謝る………?」

「お姉さまに、危険な役を担ってもらったから……」

 

 私はそこで、ピタリと動きを止めた。レミリアもそれに合わせるようにして、私と並列の位置で止まった。

 

「それは私の方も同じだ。お前の力がなかったら、きっとフランを止めることは出来なかった」

「…………」

「もし、フランがまた狂気に呑まれた時は頼めるか……?」

 

 レミリアは一瞬、意外そうな表情を浮かべたが、コクリと頷いた。その様子に私は表情を和らげ、再び飛び始めた。

 私はやはり、レミリアに感謝しなければならない。彼女の力が無ければフランを救うばかりか、私の命さえなかっただろう。私の力では、狂気に呑まれたフランにはとても敵わない。

 そこまで考えていた時だった。

 

「お姉さま、最近街で流れてる噂を知ってる?」

「……いや。どんな噂だ?」

 

 レミリアが興味深い話を持ってきた。

 今度は動きを止めることなく、飛んだまま話を進めていく。

 

「えーと、ずっと南に行った所にある街のことらしいんだけど」

「港町のことか?」

「えぇ」

 

 私やレミリア、フランも未だに訪れたことな無い街だ。故に、「海」を見たことがなかった。

 

「その街にはよく海賊が出没してるらしくて………名前がちょっと変だったのよね。紅龍(こうりゅう)………紅龍(ホンロン)海賊団だったかしら?」

「ほう………」

「それで、その連中が暴れてるせいで他国からの貴商品がこの辺りの街にも届いていないんだってさ。まあ、魔法使いとかそんな特殊な力を持ってる奴はいないみたいだけどね」

「………そういうことか」

 

 私もそのことに、少し心当たりがあった。

 紅魔館を攻める計画を立てている噂のあった街は先に陥落させているのだが、そのついでに貴商品や武器の略奪を行なっている。我々に抵抗する術を潰す為だ。

 しかし、最近ではその類の物があまり見かけられなかったのだ。ここで先程の話と繋がってくる。その海賊の連中のせいで、貴商品や武器が各街に行き渡っていないのだろう。

 紅魔館の経営はそうした略奪品の一部で成り立っている面もあるため、当主としてはこの事態を無視すること出来ない。

 

「カチコミに行くか………」

「ん、何か言った?」

「いや、何も」

 

 今回は私1人で行こう。そう心に決めていた。

 

「あ、特殊な力を使うわけではないらしいけど、その海賊の中にやたら強い奴がいるみたい。武術……だったかしら。まぁ、人間の生み出した(すべ)じゃあ私達には敵わないだろうけど」

「…………」

 

 この時、私はレミリアの言葉を特に気に留めてはいなかった。

 その海賊とどう交渉するか。

 やはり力づくの交渉にはなるだろうが、何か特殊な力を持った人間がいることも無い海賊なら特に問題はないだろう。私1人で十分に制圧出来るレベルだ。

 

 

 近いうちに、接触を図ろうと私は考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




第2章スタート記念に(ちょっと遅れちゃったけど)、久しぶりに自分でフィルシア・スカーレットを描いてみました。


【挿絵表示】


以前より改善出来てればいいのですが……


【挿絵表示】



絵描きにしても物書きにしても、これからもっと精進して参りますのでどうぞ宜しくです……!!



さて、次回は………
誰が出るんでしょう?




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第17話 無賃乗船

3週間近くも空けてしまいました、ごめんなさい……

今回は遂に、あの人の登場です





 反逆の罪で魔界から追放された吸血鬼は、人間界の各地に拠点を置いた。その中でも、西洋の島国に追いやられた吸血鬼の多くが先の反乱に於いて大罪を犯した者達だ。

 その吸血鬼達が棲みつく島国の南方の港では、海賊による略奪が横行してしていた。

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 島国の玄関とも呼べる南方の港町──ポート・ドア。

 漁業が盛んだったこの町は警察組織がロクに機能せず、海賊の天下となっていた。ガタイの良い漁夫達がこぞって肩を並べていた酒場は、血気盛んな海賊達の溜まり場と化していた。

 金が一切払われることはなく、店の商売道具たる酒がただ飲み干されるばかりで、店の経営は既に破綻寸前だった。彼らは金を払う代わりに「店主の安全の保証」を提供しているつもりなのだろうが、要は店主自身に危害が無いだけで無銭飲食であることに変わりはない。

 その安全とやらだけで経営を支えることは出来ないのだ。

 

「今日もまた来るのか………」

 

 店主は溜息をつきながら、店の用意をしていた。

 いくら嘆いたところで、何か解決法が見つかるわけでもない。下手に抵抗すれば最悪殺される。この町では「早死にするか飢え死にするか」の選択だけが許されており、人々の多くは後者を選ぶ。

 

 この男もまた、そのタイプだった。

 

 突発的に死を選ぶよりも、ズルズルと死を先延ばしにして1日でも長く生き延びようとする。

 そんな人間だった。

 

 

「い、いらっしゃいま………って、ありゃ?」

 

 

 ドアの開く音が響いたかと思うと、入って来たのは全身を茶色のローブに包んだ1人の子供だった。例の客(・・・)が来たと予想していた店主は、呆気に取られたような表情を浮かべる。

 顔はよく見えない。

 そのローブの下に何か背負っているのか、やけに背の辺りに膨らみが出来ていた。

 

「おいおい、ここはお前みたいなガキが来るとこじゃねぇんだよ。ウチはしょっぺえ酒しか無え店だ。あと10年くらい経ってから此処に来な」

 

 店主はあからさまに悪態をつきながら話しかけた。そして語尾に「店が残ってるかは分からんが」と皮肉混じりに付け加える。

 一方で、その子供は何も言わないままカウンターの前の椅子に座り、店主と向かい合わせになった。

 

「おい、話聞いてんのか?」

「…………」

 

 店主は返事のないその子供に腹を立て始める。

 しかし、このまま怒鳴りつけて外に放り出してやろうという思考を打ち切ったのは、フードの下から覗く透き通った緑の目だった。

 その目に神秘的な何かを感じるのと同時に、何とも言えない妖しさがそこに感じられる。

 店主は思わず押し黙り、無意識に半歩ほど後ろに退く。

 

「………水くらいは出してやるよ。そいつを飲んだら、サッサと出ていきな」

 

 店主はそう言うと、水を注いだグラスをその子供の前に置いた。

 

「…………」

「なんだ、水が気に入らないか?」

「……いや」

 

 その子供はしばらく黙っていたが、そのグラスを静かに手に取り、一度にそれを飲み干す。水が喉を完全に通り切ると、グラスをソッとカウンターに置き、店主に話しかけた。

 彼がその子供の声をハッキリと聞いたのは、この瞬間が初めてだった。

 

「今日は交渉に来た」

「………はぁ?」

 

 思わず、素っ頓狂な声を上げる。

 いま、交渉と言ったか………? 

 ほんの僅かな間に自問自答を繰り返していると、再び声を掛けられた。

 

「聞こえなかったか? 私は交渉に来たと言っている」

 

 声からして………この子供は少女だろうか? 

 交渉………

 何処かの店の遣いでも頼まれたのだろうか? 

 

 

「なぁ、嬢ちゃん………アンタ一体、何処の店の遣いなんだ?」

「…………」

 

 

「知りたいか?」

 その少女が呟いた瞬間、酒場のドアが勢いよく蹴り開けられた。派手な音と共に、何かが壊れたような音がしたのを店主の耳は拾う。

 

 ──来やがったか………

 

 恐れにも似た険しい表情を浮かべる彼の視線の先には、熊のように濃い体毛に覆われた筋肉が剥き出しになった男達がいた。

 

 

「よお………上等の酒は用意してるか?」

「は……はい、お待ちしておりました」

 

 

 先程までとは180°変わった態度で店主が出迎えた。

 

 例の客(・・・)が来たのだ。

 

 彼らは紅龍(こうりゅう)──現地の言葉で紅龍(ホンロン)と呼ばれる東洋の海賊達だ。

 遥か東の地から、この西洋の島国まで彼らはやってきた。世界各国を荒らし回る野蛮な海賊として世界中の海から恐れられる猛者達が現在(いま)、このポート・ドアを襲撃しているのだ。

 その連中に目をつけられてしまったこの酒場も不運極まりない。一度狙われたら、搾取されるしかないのだから。

 男達はゾロゾロと店の中に入り始める。

 さん名全員がボロボロの布を頭に巻き、何の獣か分からない毛皮を身につけていた。その毛皮なのか、それともその男達が浴びてきた血の臭いか分からないが、異様な空気が広がり始める。店主に至っては、既に吐き気を堪えるようにさり気無く口元を押さえていた。

 

「あ、あの……」

「なんだぁ?」

 

 店主は怯えたように、おずおずと手を上げて声を掛けた。

 

「せ………せめて今日だけでも、代金を支払って頂けないでしょうか……」

「へッ………なんだ、そういうことかい」

 

 先頭に立っていた男は店主の言葉を受けると、スタスタと店内の端にあった丸テーブルの元まで歩み寄った。そのまま握り拳を作って振り上げると、それを一瞬で叩きつける。

 バキッ……と板の割れる音が響き、次の瞬間には丸太のように太い腕がテーブルにのめり込んだ。そのテーブルは大きく割れ、木の破片が辺りに散らばった。

 木材の一部が粉砕され、粉状になったおが屑が煙のように宙に舞う。

 

「どうだ? ウチは拳が金の代わりなんだが、コレでよければ払ってやるぜ」

「とっ……!! ととととんでもございません!! タダで結構です!!」

「へッ……! 分かりゃいいんだよ」

 

 怯えるような返事をする店主の姿に、海賊の男達はゲラゲラと下品な笑い声を上げた。

 あんな拳で殴られたら、間違いなく五臓六腑は弾け飛ぶ。そうなりたくなければ、持っている物は大人しく差し出すしかないのである。

 このままでは、あの子供も危ない。

 彼等の目につかないように裏口からコッソリ逃してやらねば………そう考えた店主がカウンターに目を向けるが、彼女の姿が無い。

 

 ──あれ……? さっきまで此処に……

 

 慌てて視線を右往左往させると、ローブを纏った少女は男達と向かい合っていた。

 互いに睨み合っている状況だった。

 

 

「バ、バカ!! 早く戻って来い!!」

 

 

 店主が慌てて呼びかけるが、彼女が応じる様子は無い。あの特有の無言の態度が、既に彼らの怒りに火をつけ始めていた。

 

 

「なんだ、俺達に何か用でもあるのか? このチンチクリンよ!」

「…………」

「大人には敬意を払えと習わなかったか? いまここで俺が教えてやってもいいんだぜ?」

 

 

 男は拳をゴキゴキと鳴らして、少女に近寄っていく。そして、その極太の腕が彼女の肩に置かれた時だった。

 

 

「私が先客だ」

 

 

 

 パキッ

 

 

 

 彼女が何か呟くのと同時に乾いた音が鳴り、男の顔は真顔になる。その音が鳴った箇所に目を向けると、その顔は急速に青くなり、やがて堪らず悲鳴を上げた。

 

「ぎあああああぁぁぁぁああああ!!!!」

 

 彼は断末魔のような絶叫を上げながら彼女の肩に置いた右腕を押さえて、床を転げ回っていた。男が転げ回る度にその跡を辿るように血痕が床に染み付いていく。

 その様子を、ローブを纏った少女は全く表情を変えることなく眺めていた。その瞳に映るのは、関節が一つ増えた男の腕。血がこびり付いた白い骨が皮膚を突き破って、飛び出ていた。

 

「いでぇよぉぉ!!! 腕が、腕がぁぁぁぁ!!」

 

 少女は悲鳴を上げて転がり回る男に近づくと、側頭部を踏み付けた。最初は軽く力を掛けていたが、少しずつ脚の力を強めていく。

 

「あがッ………ぐ…おぉぁああ…」

 

 踏み付ける力に比例するように男の声音も強くなり始め、ミシミシと頭蓋が軋む音が鳴り始める。踏みつける脚の力に反発するように頭蓋からも抵抗する力が働いていたが、やがて限界を迎えた。

 破壊応力を超えた頭蓋骨がこれまでと違った音を立てると、果実が潰れるようにグシャリと潰れる。ザクロの実の中身が弾け散ったかのように、床は紅一色で塗り潰された。

 

「ひッ……ひぃぃぃ!!」

 

 その光景を目にした店主は女のような悲鳴を上げて、腰を抜かしてバタバタと手足を動かしながら後ずさった。

 

「このクソガキッ!!」

 

 流石の海賊達もその光景にしばらく息を呑んでいたが、その内の1人が怒りに身を任せて飛び出してきた。

 男が腰から抜いた曲刀を大きく振り下ろす。少女はその場から微動だにせず、振り下ろされた刃に向かって指を突き出した。

 

「ぐッ………!?」

 

 肉厚の曲刀はたった二本の指で受け止められ、どれだけ力を込めても全く動かなかった。彼女が右の手首を軽く回すと、それに釣られるように曲刀ごと男の身体も回転する。

 その勢いを残したまま床に背を叩きつけられ、呻き声を上げる。その瞬間を少女は見逃さなかった。指で挟んでいた曲刀を宙に軽く投げて柄の部分をキャッチすると、空かさずその刃先で胸部を刺し貫いた。

 

「がふッ……」

 

 僅かに血を吐き出すと、その男は動かなくなった。

 

「野郎………」

 

 残り一人。

 最後に残った男が腰から抜き取った鉄砲を構え、銃口を向ける。その光景に一瞬驚愕の表情を浮かべた少女だったが、その直後の行動は早かった。

 ワキにあった椅子を素早く蹴り飛ばし、発砲音が響いた時には既に銃口は天井に向かって火を噴いていた。蹴り飛ばした椅子が男の腕にぶつかっていたのだ。

 

「グッ……!」

 

 椅子がぶつかった腕を押さえていると、後頭部を何かに掴まれる感触が彼を襲った。それを認知した時にはもう遅く、顔面が潰れる勢いで床に叩きつけられていたのだ。

 床の木材が割れる音が周囲に響く。

 同時に、高所から落下した果実のように真っ赤な中身をぶち撒けていた。

 

「これで最後か………」

 

 三人の海賊が命を落とすまで、僅か30秒。いや、もしかしたらもっと短かったかもしれない。

 真紅の絨毯をしばらく眺めていた彼女は、サッと店主の方を振り返った。

 

「さあ、交渉の続きだ………」

「あ、あんた一体何者だ………」

 

 すっかり立ち上がることも出来なくなった店主が、声を震わせながら少女に尋ねる。

 

「……………」

 

 彼女は、その問いの答えを示すように全身に纏っていたローブを脱ぎ払う。その背からは、純白の翼が覗いていた。

 

 

 

 

 

「紅魔館当主、フィルシア・スカーレット………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ、紅魔館だと……!? あの悪魔の館の!」

「そうだ……」

 

 

 目の前の人間はすっかり怯えきっている。

 腰抜けめ。

 それにしても、この港町にまで紅魔館の名が知れ渡っていたとは……

 一応、心当たりはある。父が命を落とした街での出来事──私が大量の人間を虐殺したことが、原因ではないだろうか。いや、そもそも父の代から知れ渡っていたのかもしれない。

 彼自身も多くの人間を手に掛けていた記録を見たことがある。

 

「安心しろ、交渉に来ただけだ。何か目に余ることさえしなければ危害は加えん」

「そ……それは、交渉なのか……?」

「あぁ、交渉だ。拒否権を与えないだけだ」

 

 先ず私は、彼に要求の内容を話すことにした。

 

「連中の船に忍び込む。それに協力しろ」

「し、忍び込む……? どうやって……」

「お前が連中に差し出す貨物の中に、私が紛れる。樽でもあれば、それも容易だろう」

「…………」

 

 

 

 

 

 

 

 彼はその後、「それだけ強いのに何故、力づくで船に乗り込まないのか」と聞いてきた。コレにもちゃんと理由がある。

 私の狙いは海賊の略奪を止めることと、連中が溜め込んだ財宝の奪取だ。その財宝の在り処を突き止めるには、コッソリ同船するしか方法が浮かばなかった。

 拷問で在り処を吐かせる方法も思いついたが、生憎私は相手が死なない程度に加減出来る自信がない。死なせてしまったら何も情報は得られないし、仮に上手く加減出来てもその情報を持っているとは限らない。

 財宝の在り処は一部の者にしか知らされていない可能性もあり、仮に在処を知る者を引っ捕らえても、前述の通り加減出来ずに殺してしまうかもしれない。

 そもそも拷問自体上手くいく保証が無く、多分な時間を浪費してしまう可能性が高い。何より、私もそんなチキンレースに気長に付き合ってやるほど気も長くはない。

 

 よって、拷問は得策ではないと考えた。

 

 そして、店主に協力を求めたのにも理由がある。

 一度、単身で船に忍び込もうとしたことがあるが船上の監視の目が厳しく、別の方法を考えねばならなかった。

 そこで目をつけたのが、彼らの溜まり場になっているこの酒屋だった。ここの店主はいつも酒や金などの資材を搾取されており、この潜入作戦を実行するには格好の場所だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「け、けどよ、あんた……コレは一体どうしてくれるんだ……」

 

 

 店主が視線を向けた先には、私が始末した海賊達の亡骸が転がっていた。

 

「こんなの他の連中に見られたら、お…俺は殺されちまう………そうなったら、あんたの作戦も台無しだぞ………」

「ッ………」

 

 私は小さく舌打ちをした。

 本音を言えば自分が助かりたいだけなのに、その為に一々私の不利益を強調する彼の態度に苛ついたからだ。

 しかし、店主の言うこともまた事実。

 彼が殺されてしまうのは正直、不都合だ。

 私は床に転がる死体を一通り見渡すと、親指と中指を弾いて音を立てた。すると、その死体が鮮やかな黄緑色の火に包まれ、燃え始めた。

 

「一体何を……」

「死体が残らなければ何もバレないだろう。アレは生き物しか燃やせない火だ。店には燃え移らんから心配するな」

 

 私の魔力を反映した色の炎がパチパチと音を立てる。

 この手の技を使う度に思うのだが、何故私の魔力の色は緑なのだろうか? スカーレット家の者ならレミリアや両親のように紅いものとなるはずなのだが………

 瞳の色もそうだ。

 私のは血のような紅ではなく、森林のような緑だ。この悪魔らしくない見た目の他にも、私は他の者とは異なる特徴を持っている。

 

 何か理由があるのだろうか……? 

 

 そんな考えにふけっていると、私は意識を現実に引き戻された。

 

 

「ひ、一つ聞いていいか……? 連中もクズだったとはいえ、なんであんな躊躇なく………惨たらしく殺せたんだ……」

 

 

 やけに質問の多い男だ。

 だが、今回は私が聞かれて最も嬉しい質問だった。

 

 

 

「悪魔だからさ」

 

 

 

 私は短く、そう答えた。

 

「そうか………天使は……神の遣いはいなかったんだな……」

「……………」

 

 

 

 

 

 

 海賊という共通の敵がなければ、私はこの男を殺していたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「おい、本当にいいんだな?」

「何度も言わすな、早くやれ」

 

 

 私は直径1mほどの大きな樽の底に蹲るようにして身を潜めていた。私の上に蓋を置き、その蓋の上にさらに資材を詰め込んだ布袋を乗せることで、1度樽の上蓋を開けただけでは分からないようにカモフラージュを施すつもりだ。

 所謂、二重底構造の仕掛けを用意していた。

 

 

「よし、それじゃあ乗せるぞ。最後にもう一度聞くが、本当に約束は守るんだろうな………?」

「………いい加減にしつこいぞ。悪魔は約束を破ろうと思っても破れないんだ。この町を守りたければ、黙って言う通りにしろ」

 

 

 私は店主に二つの条件を提示した。

 一つ目は、この町に常駐する海賊を皆殺しにすること。

 そして二つ目は、スカーレット家はこの町を襲わないこと。この町の人間にとって、この二つの条件はかなり都合が良いはずだ。

 ここまで譲歩すれば作戦に協力するだろうというのが私の狙いだったが、彼は半信半疑ながらにその条件を受け入れた。

 

「………分かった」

 

 店主は樽の中に円形の蓋をグッと押し込んだ。それによって光が遮られ、視界は真っ暗になる。かと思えば、次の瞬間にはズシリとした資材の重さが身体にのし掛かってきた。

 最後に樽の上蓋を閉じる音が聞こえ、私はこの樽が船に運ばれるのをただ待つだけになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 せわしなく身体を揺られ続ける感覚に身を浸していると、ガヤガヤと騒がしい声が聞こえてきた。

 そろそろ港に着いた頃だろうか。

 夜ということもあってか、皆気分が異様に向上しているようだった。夜の月は人を狂わすと聞いたことがあるが、月のせいだろうか。

 

「運べ運べ!! 今日は宴だァ!!」

 

 荒々しく血気に満ちた海賊達の野太い声が辺りに響く。

 その声に耳をすましていると、私が入った樽を担ぐ男の足音が変わった。少し重々しくも、地から軽く反発を受けるような足音。

 恐らく、木製の床………つまり、船に乗った後か。

 

「オラ!! サッサとコイツを持っていけ、用心棒!!」

 

 その声が聞こえた瞬間、私の身体は一瞬の浮遊感に襲われた。

 

 ──樽を投げた……? 

 

 そう勘付いた瞬間には、暗闇の中で視界が上下に揺れた。それに釣られるように身体の重心も上下する。

 恐らくだが、この投げられた樽を誰かがキャッチしたのだろう。こんな巨大な樽を軽く投げ合うほどの力があれば、確かに普通の人間では歯が立たないかもしれない。

 

「おっと……!! そんな急に投げられたら、折角の中身がぶち撒けられちゃいますよ!」

「なぁに、お前なら朝飯前だろ」

 

 

 

 

 ──女………? 

 

 野太い声が響き渡る中、他に比べて異質な声が聴こえてきた。妙に声が高かったのだ。

 

 ──あの野蛮な海賊に女がいたとはな………

 

 意外な事実に多少驚いたが、私のやることは変わらない。しばらくこのまま身を潜め、先ずは船内の財宝を探す。他に見つからなければ、この船が宝の在り処に向かうまで船内に身を潜めておく。

 近辺の孤島にアジトがあるはずだ。

 そして財宝の在り処が分かった瞬間に、連中の息の根を止めて奪い去る。

 私がそうして財宝を奪う手順を頭の中で繰り返している時だった。

 

「まあ折角ですから、この樽の中身をぶち撒けちゃいましょうか」

「は?」

 

 私の身体はまたしても一瞬の浮遊感に襲われた。しかし、その直後に身体が上下に揺さぶられる感覚は来ない。その代わり、樽の木材が粉々に砕ける音と凄まじい衝撃が私を襲った。

 

「うぐッ………」

 

 少し強めに頭を打ってしまい、痛みが走る箇所を押さえながらヨロヨロと立ち上がる。

 違和感に気付いたのはその時だった。

 

 ──樽が……! 

 

 視界に映ったのは、大きく凹んだ壁と粉々に砕け散った木片。

 ………ということは

 

 

「おや、お客さんのようね。こんなコソコソ乗り込んで………まさか無賃乗船かしら」

「貴様………どうやって気付いた」

 

 

 樽が投げ壊され、その中に潜んでいた私の姿は完全にバレてしまっていま。目の前には呆気に取られた顔をする無精髭の男と、華人服と呼ばれる東洋の服に身を纏う女。

 淡い緑を主体とした帽子と服装に、それとアクセントを目立たせるような長く紅い髪。その両の顳顬(こめかみ)には三つ編みを垂らしていた。

 

「さあ、どうしてでしょうねぇ」

 

 恐らく、私が入った樽を投げたのはこの女だろう。見た目に似合わない怪力を持っていたものだ。

 

「し、侵入者だ!! ソイツを捕らえろ!!」

 

 私とその女が睨み合っている間に、周囲が騒がしくなってきた。これでもう、潜入作戦は完全に失敗だろう。

 辺りを見渡すと、銃や弓矢を構えた海賊達に包囲されていた。周囲に気を配って警戒していると、「天使」という言葉がヒソヒソと聴こえてくる。

 

「……………」

 

 元々そのつもりだったが、これで「皆殺しにしてやろう」という意志はさらに強くなった。

 

「それにしても、あれだけ強い衝撃を受けてピンピンしてるなんてね。 天使のお嬢さん………さては貴女、ただ者ではないのでしょう?」

「おい………」

 

 ピキリと自らの顳顬(こめかみ)の辺りに青筋が立ったのが、自分でも分かった。

 

「私は吸血鬼だ。二度とその名で呼ぶんじゃない」

「吸血鬼……! その見た目で………でも、そりゃ頑丈なわけよね、うん」

「…………」

「噂には悪魔と聞いてたけど、実は全く逆だったのね」

 

 ひたすら腹が立つ女だ。

 ここは少し痛い目に遭ってもらおう。

 

「口の利き方に気を付けろ。お前が一命を取り止められるか保証は出来ないぞ」

「まあ、威勢のいいこと………そうだ!」

 

 その女は、何か思いついたように手を叩くと、周囲の海賊達に向かって叫び掛けた。

 

「この子は私に任せてもらえませんか! 少し……"手合わせ"をしたくなったので」

「は………?」

 

 その女の声を受け、海賊達はザワザワとざわめき出す。ほんの数秒間、その状態が続いたが、1人の海賊の声が返ってきた。

 

「この船の『護衛』はお前だ。好きにしろ」

「よし……!」

 

 その声を聴いた彼女は、嬉しそうに拳を握った。

 それが合図であったかのように、武器を構えていた者達はそれを下ろす。

 

「どうです……? このままだと、どうせ戦闘になってたわけだし……先ずは私と軽く手合わせをしてみないかしら?」

「"手合わせ"だと……?」

 

 どうやら、相当にナメられているらしい。

 そんな輩には、スカーレット家の者として、吸血鬼として力を示さなければならない。

 

「……いいだろう。その代わり、私がお前を跪かせた時は………」

「その時は……?」

「幾つか要求をのんでもらう」

 

 私の返答に彼女は少し考える素ぶりを見せたが、すぐに向き直った。

 

「いいでしょう。武人の誇りにかけて約束するわ」

「武人………?」

 

 

 

 

 

 ──『その海賊の中にやたら強い奴がいるみたい。武術……だったかしら』

 

 ふと、頭をよぎったのはレミリアの言葉。それを思い出した時、私はあることを確信した。

 

 

 

 

 

「そうか、お前が………」

 

 

 相手は既に構えを取っていた。

 左手の平をこちらに向け、腰に据えるように右手で握り拳を作るという重心を低くした東洋特有のものと思われる構え。

 

 

「申し遅れました、私は武術を修めし者………美鈴(めいりん)と申します。失礼ながら、貴女は?」

「紅魔館当主………フィルシア・スカーレット」

 

 

 そう言いながら、私は右脚を前方に出した半身(はんみ)の体勢のまま左手で握り拳を作り、右手で形作った手刀を水平に構えていた。

 

 

 ──この船には財宝が隠されているかもしれない。派手な弾幕の類は使わない方がいいか………

 

 

 私はそう考えながらも、頭の中に勝算はあった。相手からは、特に大きな力は感じられない。これなら、弾幕や魔法の類を使わずとも素手のままで十分だろう。

 

 

私はそう考えていた。

 

 

この程度の力量なら、大した脅威にはならない。

 

 

 

私はそう考えていた。

 

 

 

 

 





やっと美鈴出せた………(原作キャラ3人目を出すのに17話も掛かったなんて………)


Twitterの方にて、スズカ澪様(@Suzuka30Mio)から頂きました!
素敵なイラストをありがとうございます!!



【挿絵表示】



実は、御自身からフィルシアを描きたいと申し出てくださったのです……!
こんな素敵なイラストを……!
本当に、本当にありがとうございます!!






※個人の勝手な都合で大変申し訳ございませんが、しばらく休載させて頂きます。ですが、必ず戻って来ますので、その時までどうかお待ち頂ければと思います………!
詳細は、こちらをご覧下さい。

https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=243766&uid=241065






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