セいしゅんらぶこメさぷりめント (負け狐)
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会長扇動セレクション
その1
っていうとテンプレっぽい
総武高校の部室棟の一室。そこに奉仕部の部室はある。何をするのかよく分からないその部活動は、しかし確かな実績を持つ少女が部長を務めていることで確立していた。
現在の部員は四名。部長である彼女、雪ノ下雪乃と自称副部長由比ヶ浜結衣、体験入部を謳っていた割には居着いてしまった三浦優美子と海老名姫菜。
これに入部届も出さない上に来たくて来ているわけではないとぼやきながら何故か入り浸る一人の少年を加えたのがここの主な住人である。
そんな五人は今、暇を持て余していた。
「あ、じゃあこれ。次までにどうにかしないとブラックホールに飲み込まれて優美子の負けね」
「はぁ? 意味分かんねーし」
ひょい、と姫菜の置いたカードを見る。彼女の述べたことがそのまま書いてあり、なんじゃこりゃと優美子は顔を顰めた。
「じゃあ次あたし。えーっと、これかな? 『道徳的には正しい』、今残ってる人みんな勝ち」
「おい待てガハマそれはつまり俺だけ負けじゃねぇか」
「諦めなさい比企谷くん。あなたは敗北者なのよ」
どこぞの場所から調達してきたゲームをしながら無駄に駄弁る。間違いなく部活はしていない。だというのに、それを咎めるものはどこにもいない。それはここが治外法権であるというわけではなく、ただ単に顧問が不在で仕事もないというだけなのだが。
そんな折、部室の扉がガラリと開いた。視線をそこに向けると、ここにいる面々にとっては顔馴染みの少女の姿が。
「雪ノ下先輩! 助けてください」
「あら一色さん、いらっしゃい。それは依頼ということでいいのかしら?」
遊び終わったカードを片付けながら雪乃がそう尋ねると、やってきた少女、一色いろははコクリと頷いた。とりあえず座って、という雪乃の言葉に従った彼女が一行の隣の椅子に腰を下ろすと、ついでに先程まで遊んでいたカードゲームをちらりと見る。どうやら忙しくはないようで、これならしっかりと話を聞いてもらえそうだ。そう判断し、とりあえず安堵の息を零した。
「んで一色、どしたん?」
頬杖を付きながら優美子が問う。雪乃はノートを準備しいつものように依頼を書き留める体勢になっているので、その質問は誰が言おうと別段変わらない。勿論いろはも分かっているので特にそこには何も言わず、今回の依頼についてを語り出した。
「実は、もうすぐ生徒会選挙があるんですけど」
「そだっけ?」
「そういえばそんなこともあったような」
結衣が首を傾げ、姫菜がぼんやりと呟く。まあ自分の学校生活に関係しない出来事なんざそんなもんだわなとそれを聞いていた比企谷八幡は思い、だが同意はしてやらんと口を噤んだ。ここで何かを言うと目の前の悪魔、雪ノ下雪乃の思うツボだからだ。
「で、それがどうしたんだ」
その代わりというべきか、彼はとりあえず先を促すことにした。そもそもとして目の前の少女がそんなイベントに関連するとはとても思えない。インスタ映えとか女子力とかそういう見栄えを意識しつつ男を手玉に取ろうと裏で腹黒く笑うようなこいつが、生徒会とか。思わず鼻で笑いそうになり、自分から先に進めようとしたくせに脱線しかけたことを自覚して息を吐く。
「先輩、今絶対お前には欠片も関係ないだろうとか思いましたね」
「気のせいだろ」
「じゃあこっち見て言ってくれません?」
視線を合わせず、八幡はあくまでしらを切る。まあいいやと息を吐いたいろはは、あははと笑いながらでもしょうがないと言葉を続けた。恐らくこの場でそう思っていない人物はいないであろうと判断したからだ。結衣も、雪乃も、そして何より。
「まあ自分でも思ってますしね。生徒会とかわたし絶対関係ないだろうって」
「だったら何で?」
「あー、いや……。それはですね、何というか」
結衣の言葉に、いろはが露骨に視線を逸らす。何かを言い辛そうに小さく深呼吸すると、こういうの自分のキャラじゃないんですけどと呟いた。
「実は、ちょ~っと嵌められまして」
「は?」
「何か気付いたら生徒会に立候補していることになってたんですよ」
困っちゃいますね~、と頭を掻くいろはだったが、その表情は意外と深刻だ。態度や口では堪えていないように見せているが、案外げんなりとしているのだろう。とはいっても、その理由の大半はそうした相手へのものではなさそうであったが。
そのまま彼女が話すには、ここのところの騒動でただでさえ悪目立ちしていたのが更に上がり、そのまま自分を気に入らない連中を結託させることに繋がったのだとか。勿論予想であり推測なので、それがそのまま真実であるとは限らない。限らないのだが、現実問題として推薦人の署名まで集めて気付かないうちに立候補者に仕立て上げられている以上、全くの的外れというわけでもなさそうだ。
「そんなわけで。今生徒会長の立候補者がわたししかいないんですよね」
「んなのやっぱやめたって言えばよくない?」
「うちの担任が何か乗り気になっちゃって……あと平塚先生達にも相談したんですけど、取り下げって前例ないらしいんですよね」
「そりゃ、普通やめないからねぇ」
推薦人まで用意して立候補する手続きをとる以上、事故か病気、あるいはそれに類することでもない限りは取り下げる理由がない。理由がないということは、当然規約にもわざわざ記入しない。
詰んだな、と八幡は椅子をギシリとさせながらぼやく。その口ぶりからして、いろはがここに来た理由を彼は既に察しているようであった。当然雪乃もそれは承知であり、結衣も優美子も姫菜も何となくであるが気付いている。
つまり。
「分かったわ。じゃあどうやって一色さんをその気にさせるか考えましょう」
「そっちに持ってくんですか!?」
分かっていてもそうするのが、雪ノ下雪乃である。
「いやいやいや、わたしはどうにかしてやらないように出来ないかって相談をしにきたんですよ」
「そうでしょうね」
「ですよね!? 分かって言ってますよね!?」
「でも、私達はそのことをまだ聞いていなかったでしょう? だから仕方のないことなのよ」
しれっとそう述べる雪乃を見て、ああはいはいそうですねといろはは全く心のこもっていない棒読みを返す。そうしながら、ならば口にしたのだから問題ないだろうと彼女を睨んだ。勿論雪乃は意に介さない。
「なら聞くけれど。他に会長の候補者はいないの?」
「……いません」
やっぱ詰んでるな、と八幡は他人事のように一人思う。実際他人事なので彼のその態度は間違ってはいないのだが、結衣からすればもう少し考えてあげてもいいのにという風に映らなくもない。
もっとも、どうせ最終的には手伝うのだろうという無駄な信頼を彼女は彼に持っているので、何の心配もしていないが。
「そうなると最後の手段としては、一色なんかには会長を任せられんと全校生徒の過半数に思わせるしかない」
「先輩、わたし相手だからってメチャクチャ言ってません?」
「現状他に方法はないだろ」
ほらやっぱり、と一人結衣が頷く中、八幡はそんなことをいろはに述べた。案としては確かに有りなのだろうが、それはいかんせん本人の負うダメージも中々のものになる。発端が発端のため、場合によっては彼女がさらなる悪意に晒される可能性もなきにしもあらず。不満そうないろはを見て、まあそうだろうなと言った本人である八幡も肩を竦めた。
「だったらあれだ。応援演説が酷すぎてドン引きとか」
「ふむ」
思い付きを述べてみた八幡の言葉に、雪乃が反応した。暫し考え込むと、つまりはこういうことなのねと指を立てる。
「一色さんを支持している生徒が例えば――そうね、仮にHくんとしましょう」
「おい」
――オウフ、この応援演説というのはですねwwwwまあ拙者の一番の推しである一色いろはたんの魅力を余すことなく伝える場としてwwwデュフフ、選ばせていただいのでござるが、フォカヌポウwwおっとこれではまるで拙者が変人のようでありますが、決してそんなことはなく、これは一色いろはたんを愛でる会、すなわち、ドウフ推薦人の総意であるという認識をwwwコポゥ
「みたいなことを」
「推薦人代表ヅラしてそれ出てきたら一色さん祭り上げた連中憤死しそう」
「一色嵌めた連中には丁度いいか」
「いいわけないでしょうが! 三浦先輩、それ中心にいるの何だかんだでわたしなんですからね!」
「それ以前にモデルに俺を使うな、せめて材木座にしろ」
「中二は何か難しい単語使うからこっちじゃなくない?」
喧々諤々。雪乃の述べたその話を受けて、ああでもないこうでもないと皆好き勝手なことを言い出す。まあ言ってみただけだから、とその張本人はあっさりその案を取り払った。
「そもそも、こんな応援演説を比企谷くんがやったところで、だから何だと信任投票で丸を付ける生徒が大半でしょうし」
「だから何で俺がやること前提なんだよ」
「そもそもヒキオがやったところで、文化祭や体育祭で既に顔バレしてっからそこまで効果なくない?」
「あー。愛の人が何かやらされてる、って思われて終わりかもね」
「場合によっちゃ逆に支持率上がるんじゃ」
確かにそうだ、と八幡を除いた皆が頷く。では改めて却下だと告げ、そうなると打つ手がないなと結論付ける。
諦めないでください、といろはの悲痛な叫びが部室に木霊した。
「つってもな、一色。もう後は誰か別の候補者持ってくるしかないぞ」
「あ、じゃあ先輩やってください」
「一色、会長がんばれよ」
「そこは嘘でもいいからお前のためになるならとか少しは考えてくださいよ。それとも他の女のためには動きたくないとか言い出しやがります?」
「お前のために動きたくない」
「酷くないですか!?」
目を見開いたいろはは、そのままくるりと反転すると結衣へと泣きついた。よしよしとそんな彼女の頭を撫でながら、困った顔のまま結衣は八幡へと目を向ける。
「どうするヒッキー」
「嫌だっつてんだろ。大体俺を推薦するような物好きが三十人もいるわけ」
「あら、そうでもないわよ。愛の人が会長をやるとなれば、きっと署名してくれるわ」
ギリギリと軋んだ音をたてるような動きで八幡が雪乃へ振り向く。涼しげな顔で紅茶を飲んでいる彼女を見て、彼は中指を立てた拳を天に向けた。行儀が悪い、とそんな八幡をちらりと見た雪乃は一言で切って捨てると、続けてどうするのと彼に問う。
嫌だ、と再度八幡は宣言した。
「そうなるともう他に案はないわね」
ぐぬぬ、といろははそこで沈黙した。結衣に泣きついた体勢のまま、顔を伏せるとぽつりと呟く。
先輩達なら、なんとかしてくれると思ったのに、と。
「私達は万能じゃないわ。出来もしないことを出来ると安請け合いする方が失礼よ」
「でも」
「だから、私は、奉仕部は出来ることをやるだけ。――ねえ、一色さん。あなたはどうしてやりたくないの?」
声のトーンは別段変わらない。だが、そこに纏う空気は明らかに変わった。ふざけた調子から、きちんとしたものに切り替わった、そんな気がした。だからいろはも姿勢を戻し、真っ直ぐに彼女を、雪乃を見る。
「一年で生徒会長って、無理があります」
「そうね。でも、私は一色さんなら出来ないこともないと思うのだけれど」
「それって、他の何かを犠牲にしないと駄目じゃないですか。わたしこう見えて、結構人間関係大事にするんですよ。生徒会長なんかになっちゃったら、クラスメイトとか、友達とか、そういう人達と一緒にいる時間、無くなっちゃいます」
いろはの言葉に、結衣も優美子も姫菜も口を挟まない。友達との、仲間内との時間を大切にしたいという思いに異を唱えられない。
ふう、と雪乃が息を吐いた。ノートに記入していた手を止め、くるりとシャープペンシルを回すと机に落とす。
「でも比企谷くんを会長にして逃げるのはいいのね」
「そこ突っ込んじゃいますか~」
くそう、とどこか悔しそうにいろはが項垂れる。何か真面目なことを言ったものの、そこに至るまでの流れで色々生贄を置こうとしている以上、彼女の意見を百パーセント飲んでもらえるはずがない。言っていることが嘘ではないとしても、だ。
「だってそうでしょう。あなたが友人との時間を大切にするように、比企谷くんだって――間違えたわ、由比ヶ浜さんだって恋人と一緒の時間を大切にしたいと」
「間違えてねぇよ。俺が生贄にされたんだから俺を主体にしろ」
「あら、比企谷くん。あなた、恋人と一緒の時間は大事?」
「…………」
八幡は沈黙した。そんなゲームの状態異常メッセージが現れるほど露骨に彼の口が閉じられる。が、その行動は雪乃の質問を否定するような意味合いをもっているというよりも、むしろ。
優美子と姫菜は生暖かい視線を結衣へと向けた。あはは、とどこか照れくさそうに彼女は頬を掻いていた。
「まあ、でも。あたしは別にヒッキーが会長やってもいいよ」
「あら、それはどうして?」
「その時は、あたしが生徒会室に入り浸るし」
「だそうよ、比企谷くん」
「やらねぇっつってんだろ!」
はいはい、と八幡の叫びを流した雪乃は、視線を再度いろはに向ける。そういうわけだ、と一体全体どういうわけなのかよく分からない締め方をされたので、当然ながらいろははツッコミを入れた。
「それ言っちゃったらみんな一緒じゃないですかー!」
「そうね。だからこそ、私は一色さんをその気にさせる方向で行くことにしたのだけれど」
「この悪魔!」
「何だ一色、今更気付いたのか」
はん、と鼻で笑いながらそう述べた八幡をギロリと睨み付けると、とにかく自分は会長なんかやりたくないと声高に宣言した。先程も言っていたが、改めて力強く言い切った。
「……なら、一色さん。ここは一つ、勝負をしましょう」
「勝負?」
「ええ。あなたは会長をやりたくない、私はあなたをその気にさせたい。どちらの意思が勝つかの、勝負」
クスリ、と雪乃は笑う。当然奉仕部は敵に回ると続け、優美子や姫菜、そして結衣を見やった。四対一だが、卑怯と言うまいなと微笑んだ。
「奉仕部相手……それはつまり、こっちは先輩を味方に引き入れていいってことですね」
「嫌だ、巻き込むな、俺は無関係だ」
「いいの? 由比ヶ浜さん」
「ヒッキーがいいなら、いいんじゃない?」
「嫌だ」
「やっぱり由比ヶ浜さんと一緒がいいのね」
「そういう意味じゃない、そもそも巻き込むな」
八幡の言葉を無視しながら、いろはは拳を握り込む。分かりました、と雪乃を見ながら、頷く。その代わり、と握っていた拳を緩め、指を一本立てた。一週間の期限と、こちらが勝ったら会長にならないための協力を全力でしてもらうという約束を立てた。
「ええ、それで構わないわ。元々そのつもりだったし」
「言いましたね。その言葉、忘れないでくださいよ」
笑みを浮かべる雪乃に対し、いろはも同じように笑みを浮かべる。双方ともに、自分が負けるとは思っていない。どちらも、勝利し、そして思い通りになることを思い描いている。
「楽しみね、一色さん」
「絶対、雪ノ下先輩達なんかには負けたりしませんから!」
「即堕ち2コマみたいなこと言い出したな」
「先輩、セクハラで訴えますよ」
こうして比企谷八幡は一色いろは陣営となった。
八幡「そもそも何で知ってるんだ?」
いろは「クラスに、本人はそういうの隠してるつもりだけどバレバレの友達がいるんで」
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その2
とっくにそうだった
一色いろは陣営、とは。結局彼女が雪乃達の説得と言っていいのか怪しいそれに対して首を縦に振らなければ終わるだけの、早い話がいてもいなくても問題のない陣営である。つまり八幡は向こうの味方をしない、というただそれだけのために引き込まれたのである。
「まあ、逆に考えれば何もしなくていいから、楽ではある」
ぼやく。作戦会議なのか悪巧みなのか分からないそれをしているであろう奉仕部の面々を思い浮かべながら、彼は彼でとりあえず自由時間を持て余していた。最近何もない時は二人だったので、一人になると予定が狂う。そのことにふと思い立ち、本来の俺は一人が好きだろうにと自分で自分にツッコミを入れてみたりもした。
ともあれ、そんな自由時間を満喫でもしようかと八幡はぶらり街をゆく。色々なしがらみを投げ捨て、何も考えずに無心に過ごすのだ。現実逃避とも言う。
そんなわけで少し小腹でも満たそうとドーナツ屋へと向かった八幡は、その選択肢をすぐさま後悔するはめになった。
「あ、比企谷くん、ひゃっはろー」
「げ」
雪ノ下雪乃に出会わないので安堵していたら、亜種、あるいは歴戦個体に遭遇してしまったのである。挨拶をされたのでとりあえず言葉を返し、八幡はそのまま彼女から離れた席に座る。
当然のように移動してきた。
「何で来るんですか」
「暇だから」
「帰れよ」
「だから、暇なの。これから友達とご飯食べに行くんだけど、それまで暇なのよねー」
「本でも読んでてください」
はいはい、と雪ノ下雪乃歴戦個体――雪ノ下陽乃は持っていた本をペラリと捲る。その横顔を暫し眺め、こちらに干渉してくる気配がないのを確認すると息を吐き八幡もドーナツを食べ始めた。
一個目を食べ終わり、頼んだカフェオレをお代わりした辺り。隣の陽乃はふと思い出したように彼に声を掛けた。
「で、比企谷くんはどうするの?」
「何の話ですか?」
「分かってるくせに」
チシャ猫のように笑った彼女は、そこでうりうりと肘で八幡を突く。盛大に溜息を吐いた彼は、それを鬱陶しそうに退けながらそっちこそ分かっているでしょうにと返した。
「ん?」
「俺は一色の方についてるんですから、特にやることなんかありませんよ」
「……だろうね。彼女が頷かなければ、それで終わり。雪乃ちゃんの負けってわけだ」
そんなことを言いつつも、陽乃はどこか楽しそうに口角を上げる。妹が負けることを喜んでいるようにも見えるそれは、しかしそうではないことを八幡は何となくであるが察した。これは、そう、その笑みの対象は雪乃ではなく。
「どう? 一色ちゃんはきちんと雪乃ちゃんの甘言を跳ね除けそう?」
「さあ? まあ絶対に負けないとか言ってたんで大丈夫じゃないですか?」
何が言いたいんだ。そんなことを思いつつ、八幡は陽乃から視線を外した。何を言おうが自分が動くことはない。働きたくないでござるの精神だ。そんな決意を込めながら、彼はぬるくなったカフェオレに口を付ける。個人的には甘さが足りない。
「じゃあ質問。雪乃ちゃんは負けたら、どういう手で一色ちゃんを会長にさせないようにすると思う?」
「さあ? それこそ俺の知ったこっちゃない」
「うんうん。そうだよね」
八幡の回答に満足したのか、陽乃は楽しそうに頷くとそこで会話を打ち切った。再び本に目を向け、何事もなかったかのように読書を続ける。
八幡はそんな彼女を警戒していたが、追撃が来ないことを確認し意識を外した。結局意味のない会話だったのかと息を吐いた。
「……」
いや違う。ぐるぐると彼の中で何かが警鐘を鳴らしている。今の会話に何かがある、と訴え続けている。では一体何だ。
会話の内容は、いろはを会長にするか否かの勝負の話。そして雪乃が負けた場合にどうするかの話。雪乃は確かあの時何と言っていた。いろはの出した条件に、何と答えた。
――ええ、それで構わないわ。元々そのつもりだったし
「っ!?」
「ん? どうしたの? 比企谷くん」
弾かれたような八幡の動きを見て、陽乃が笑みを浮かべながらそう問い掛ける。視線を、既に返す言葉を用意してあるかのような表情の彼女へと向けた。先日の奉仕部でのやり取りで出た手段は主に二つ。応援演説でやらかして不信任にするか、別の立候補者を出して負けさせるか。
「予想で構わないんですけど」
「何?」
「雪ノ下は負けたらどうやって一色を会長にさせないつもりだと思いますか?」
「さっきわたしが比企谷くんに聞いた質問そのままじゃない」
そう言ってクスクスと笑った陽乃は、しょうがないなとばかりに本を閉じた。そろそろ友達も来るだろうからと席を立った。
「当然、雪乃ちゃんが会長になるでしょうね」
「……マジかよ」
「楽しみだなぁ。比企谷くんも、そう思わない?」
じゃあね、と彼女は店を出る。手をひらひらとさせながら去っていく陽乃を見ながら、八幡はなんとしてもいろはを負けさせなければならないと心に決めた。
考えるよりも先に、まず拒否反応が出た。雪ノ下雪乃を生徒会長にするのは、認められない。比企谷八幡の出した答えは、これだけだ。
だから彼は、一色いろは陣営とかいうものに入れられているにも拘わらず、彼女を負けさせる方向に動くことにした。雪乃達の説得に頷くようにするか、あるいは自分で説得するか。
だが現状そのどちらもいろはは受け付けまい。少なくとも八幡の言葉に耳を貸すことはないだろう。やっぱりやった方が良いぞ、などと突如手の平返しをされて納得する人間はそれほど多くない。
「さて、どうするか……」
「どったの?」
「こっちの話だ」
ふーん、と八幡の席に来ていた結衣が呟く。目の前のこいつに覚られるとそこから雪崩のように奉仕部へと伝わり、そして待っているのは八幡の死である。実際に死ぬわけではないが、物理的でないだけなので案外比喩表現でない可能性がある。
ともあれ、兎にも角にもこの問題は自分一人でどうにかしなければならない。少なくとも今の八幡はそう思っていた。
「ガハマ」
「ん?」
「暫く俺、一人で飯食うわ」
「うん。いいけど、何かあった?」
「今の俺は一色陣営だからな」
「……ふーん」
ちらりと八幡の顔を見る。発した言葉が完全なる正解ではないことを結衣は見抜いたが、それは当の本人も織り込み済みなのだろう。バレバレだし、と内心笑いながら、となると何かやらかす準備をしようとしているのだろうと続けて考える。そしてそれは、恐らくいろはにも伝えない形で。
「ま、いいや。好きにやっちゃってよ、ヒッキー」
「……おう」
なんだか想定していないところまで抜かれた気がする。そうは思ったが、この様子では先程予想した雪崩式八幡死亡フラグへ向かうことはないと見ていいだろう。そう結論付けそちらの可能性を一旦追いやる。これからの行動にそれは邪魔なのだ。
とはいえ、午前中の授業を全て使っても碌なアイデアは出ず。一縷の望みを懸け昼休みに図書館で資料を探したものの、勿論何の成果も得られない。
「これは、本格的に詰んだか……?」
ギシリと図書館の椅子に体を預ける。元々雪乃が勝てば何の問題もない話だ。わざと負けることもないであろうし、自分は横で見ていて盾になるのを拒否すればそれで事足りる。そう逃げる思考が沸いてくるが、そこには彼女に対する信頼と信用がなければ成り立たない。
八幡は雪乃を信用してはいるが、決して信頼はしていない。だから彼女の行動が望む通りになると楽観的になどなれるはずがないのだ。
「ん? どうしたのだ八幡、珍しい場所にいるな」
「お? 何だ材木座か」
ぼけっと窓の向こうを眺めていた八幡の横合いから声。視線を動かすと、制服に謎のコートという出で立ちの材木座義輝がカチャリとメガネを指で上げるところであった。今日は一人なのかという彼の質問にまあそうだなと返し、そして目の前のこいつにもそういう認識なのかと八幡は内心溜息を吐く。
「して、リア充の貴様が何故こんな陰キャラ御用達の空間に立ち寄った?」
「偏見やめてやれ。後別に俺はリア充でもない」
「はっ」
「鼻で笑いやがった……」
この野郎と八幡が睨む横で、義輝は彼の隣の椅子に座る。まあ最近サシで話す機会もなくなっていたから丁度いいなどと笑いながら、再度同じような質問をした。今度はきちんと、何かあったのか、という程度のニュアンスでだ。
「多分お前には欠片も関係ないぞ」
「気にするな。我と貴様は魂の同士だろう?」
「なった覚えはねぇよ」
「なら、あれだ。……友人の困っていた時くらいは、手助けさせろ」
「こっ恥ずかしいこと言ってんじゃねぇよ。後別にそこまでシリアスな悩みじゃないからな」
「ならば丁度いい。我も重い話苦手」
かかか、と笑う義輝を見て息を吐いた八幡は、少しだけ力を抜くとなら遠慮なくとばかりに話し始めた。いろはが生徒会長に立候補させられたこと、やりたくないからと奉仕部に相談に行った結果雪乃といろはが謎の勝負をすることになったこと。そして雪乃がいろはに負けた場合、高確率で彼女自身が生徒会長になることなどをだ。
「ふむ。それで何が問題だ?」
「雪ノ下が生徒会長になったらどう思う?」
「ふうむ。我に優しくない世界になりそう。と思ったりもするが、実際はそうでもないであろうし、何より高校の生徒会が学校をどうこうする力など持ってはおらんだろう。だから別にいい、くらいか」
「材木座のくせに冷静に判断しやがって」
「何で貶された!?」
まあいいや、と八幡はそれを流す。流しながら、しかし材木座と彼を見た。お前は本当に、そう思うのかと問い掛けた。
雪ノ下雪乃が生徒会長になった場合、本当に学校をどうこう出来ないと思うのか。そう、尋ねた。
「そう言われてもな。我は貴様と違ってそこまで彼女と接点はないぞ」
「そうか? 雪ノ下のフレンドリストにお前入ってないの?」
「ふ、我は孤高の存在ぞ。かような聖なる陽の光を存分に浴び輝ける者と相容れるはずもなし」
「聖なる光とか浴びたらあいつ浄化されて灰になるんじゃねぇの……?」
どうやら義輝のイメージはまだ一般的な『雪ノ下雪乃』であるらしい。体育祭とか文化祭とか見てなかったんだろうかと思うが、表に出てきたのはあれくらいなので、基本裏から糸を引く彼女の正体を知るにはもっと近付かねばならないのだろう。
しかしそうなると。顎に手を当てながら八幡は暫し考え込む。自分の危機感が伝わらないのであれば、相談をしても肩透かしになる可能性がある。乗りかかった船なので一応聞きはするが、ロックはせずに一括売却の候補にでも入れておこうと結論付けた。
「それで材木座。俺はそれを阻止したい」
「む? 雪ノ下女史の生徒会長化をか?」
「ああ、そうだ。何か案はあるか?」
「……普通に件の彼女を説得すればいいのでは?」
「それが上手く行かなさそうだから困ってんだよ」
やっぱ使えないなと思い切り口に出した。そうは言ってもと義輝は義輝で眉を顰める。話を聞く限り、とりあえずこちらで取れる手段はそれしかない。向こうが勝つのを祈るか、あるいは予め負けておくか。その二択だ。どちらにせよいろはの説得が必至となる。
「ふむ。では八幡よ、具体的にはどう説得するつもりだったのだ?」
「は?」
「いや、上手く行かなさそうなのだろう? ならばまずそのアイデアを話してみろ」
「……あー。それは、その、あれだ。誠意製作中というやつでな」
「……我にどうにか言える立場か?」
「誤解のないように言っとくがな、纏まっていない候補はある。ただそれをやるには」
ぽつりぽつりと八幡はそれを述べる。ふむふむと聞いていた義輝は、納得がいったように頷いた。
「成程、確かにそれを行うには今の貴様の立場では支障があるな」
「ああ、そうだ。一色陣営とかいうわけわからん所属じゃなければまだしも」
「現状、獅子身中の虫だからな」
盛大な溜息。そうしながら、何故こんなに悩まなければいけないのかと八幡は世の中の理不尽を嘆いた。知らなければ幸せだった。そんな言葉が頭をよぎり、何も考えずに生きられることの幸福を羨む。ミントかワルナスビ辺りにでも転生しないかな、とほんの少しだけ真面目に考え、ぼやいた。
「平と巨、両極端だな」
「何の話だ何の。俺は植物の話をしているんだが」
「ふむ、そうか、ではそういうことにしておこう」
若干脱線した辺りで予冷が鳴る。結局役に立たなかった、と立ち上がった八幡に、それは悪かったなと義輝が笑う。そうしながら、放課後はどうすると彼に問うた。
「あ? いやもうお前の協力はいらんぞ」
「そこは頼ってくれよはちえもーん」
「寄るな鬱陶しい。大体今から放課後で何かアイデア出るのかお前は」
「ふむ。そうだな。…………何か思い付いたら連絡しよう」
「あいよ」
ではさらばだ、と去っていく義輝の背中を見ながら、八幡もゆっくりと図書館を出る。一人では駄目だ。二人でも上手く行かなかった。ならば三人四人と数を増やすか。否、それは八幡自身が許さない。そこまで繋がりのある相手を多数用意するなど、彼の中では選択肢にも表れない。
多人数では駄目だ。聞くならば、マンツーマンで。挑戦する家庭教師のように。
仕方ない、と八幡は息を吐く。そうなった場合選ぶ相手は、彼の中でほぼ決まっているようなものだ。ついこの間までは、妹の小町。今はそれに加えて。
「……はぁ」
教室に戻ると、優美子達と話している結衣の姿が目に入った。やほ、と手を上げる彼女に同じように小さく手を上げることで返した彼は、自身の席に着くとスマホを取り出す。
会話アプリを起動させると、目当ての相手へとメッセージを送った。ん、と一人の少女がスマホを眺め、そしてちらりと八幡を見る。彼はそれに目を合わせなかった。その行動を返答と受け取ったのか、彼女はそのままスマホでメッセージを入力し始める。
「優美子、今日どうする?」
「ん? ああ、奉仕部? あーしは今日は駅前行くからパス」
「……じゃあ、私も買い物に行こうかな」
優美子の言葉を受け、姫菜もそんな言葉をこぼした。その顔は笑顔、だから遠慮するなと言わんばかりの表情で。
何か誤解されているような気がしないでもないが、しかし恐らくそのものは間違っていないのだからまあいいや。結衣はそう結論付けると、二人に分かったと述べた。ならあたしも自由行動するよと続けた。
「ヒキオとどっか行くん?」
「放課後デートかぁ」
「そんなんじゃないし。あ、いや、そうかも」
流れからして間違いなく何かしら今回のことについての相談なのだろうが、二人で放課後寄り道してそういうことをするのならば、広義的に言えばデートでも問題あるまい。
スマホがメッセージを受信した。なんぞやと結衣が画面に目を向けると、八幡からの抗議の文面が。
「そだね。ヒッキーとデートに行くよ」
スマホでそのメッセージに返信しながら、結衣が笑顔でそう言った。向こうにいる彼氏の顔は、見なかった。
ダブルデートはどっかで話にする予定(未定)
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その3
を、目指したかった(過去形)
「それで、どうしたの?」
「その前に物申させろ」
放課後。八幡のリクエストによりお約束のファミレスへと向かった二人は、お約束のようなやり取りを交わしていた。内容を聞こうとする結衣に対し、八幡はそもそもの発端の件について追求したのだ。
「あそこで何か変なことを言う方がマズくない?」
「それは、まあ、そうだが」
「それに。あたしはこういうのも、普通のも、全部ひっくるめてデートでいいと思うんだ」
駄目かな、と結衣は目の前の彼に問う。うぐ、と言葉に詰まった八幡は、溜息と共に分かった分かったもういいと零した。
「まあ、とりあえずはいろはちゃんの件が片付いたらってことで。どう?」
「何でお前俺が不満に思ってるとか寂しがってるとかそういう方向に結論付けたわけ?」
「違うの?」
「違ぇよ」
そっか、と結衣は話を打ち切る。そこで更に何かを言わないことで、八幡は眉を顰めコノヤローと呟いた。何も言わずとも、何かを言っても。それで分かると、お互いにそう思える関係は、かつて彼が思い描いていたものに似ていて。
だからこそ、それを当たり前のようにやろうとしている結衣が、彼は。
「それで、どうしたの?」
「お?」
「何か意識飛んでたし。話するんでしょ?」
「あ、ああ。そうだったな」
「そうそう。んで?」
こほん、と咳払いを一つ。そうしながら、果たしてこいつにどこまで言って大丈夫なのかを一瞬考えた。が、あくまで一瞬である。そこを迷うくらいならば最初から相談相手に彼女を選んではいない。
そんなわけで、八幡はぶっちゃけた。陽乃から聞いた話や、それによって決めた新たな自分の立ち位置。そして雪乃は信頼出来ないという結論も。
「ゆきのんならその辺大丈夫だと思うんだけど」
「お前がそう思うんならそうなんだろう。お前ん中ではな」
「まあヒッキーが違うんならそれ用の対策が必要ってことだね」
ジト目で告げた文句はさらりと流され、結衣はそこで暫し何かを考えるように腕組みをする。二つの腕で強調されたそれは、とても柔らかそうな感触を醸し出していた。
「ちなみに、ヒッキーはどうするつもり?」
「それが決まってたら相談してねぇよ」
「そりゃそうかもしんないけど。何もないの?」
「つってもなぁ……。今の俺の立ち位置で一色を説得しようとすると、どう考えても無理が出てくる」
「いろはちゃんの味方するって言ってたのにね」
「いや言ってはいないぞ。無理矢理加えられただけだ」
「そだっけ?」
んん? と首を傾げる結衣に、奉仕部ではないからという理由で引き込まれたのだと八幡は述べる。若干のセクハラめいた発言を見咎められた部分はスルーした。あれは何故か知っていたいろはが悪い。そういうことになった。
「じゃあ問題なくない?」
「は?」
「ヒッキーなら、『俺はそもそもお前に協力するとは言っていない。雪ノ下の味方をしたくなかっただけだ』とか言っても分かってくれると思うよ」
「お前最低だな」
「酷くない!?」
目の前の彼氏の行動をトレースしただけだ。そんな文句を述べる結衣を眺めながら、しかし確かにそうかもしれないと八幡は思う。結局の所、今回の問題はいろはが勝つと雪乃の思い通りになってしまうという部分だ。彼女の味方をしないからこそいろは陣営に落ち着いている八幡にとって、その結果は所属している意味を無くす。
「でも、ゆきのんが生徒会長、かぁ……。奉仕部やれなくならないかな」
「……生徒会長になったら場所が向こうに変わるだけだろ。今もそう大してやってること変わらんしな」
「あ、そっか。でも、ヒッキーはそれが嫌、と」
「当たり前だろ。あいつが会長になってみろ、間違いなく俺は今以上の被害を受ける。ついでに葉山も」
「……あー。確かに隼人くんが酷いことになると優美子心配しそうだなぁ」
「俺は?」
「あたしが全力でサポートするし」
「役立たずだな」
「酷くない!?」
こんにゃろ、と対面の八幡の頬をブニブニと突く結衣を鬱陶しそうに跳ね除けると、そういうわけだから断固阻止だと強調する。そんな彼を見て笑みを浮かべた結衣は、はいはいと軽い調子で同意した。
「じゃあいろはちゃんを説得する方向でいくとして。ゆきのんとは別の意見を出す感じ?」
「ああ、まあ――ちょっと待て、お前雪ノ下の説得方法知ってんの?」
「そりゃ作戦会議してたし」
「あの宣言から今日で三日目だろ。ひょっとして初日で決めたのか?」
「そだよ。ていうか、ゆきのんは最初っから決めてたっぽい。だから優美子も姫菜も、もう今は普通に暇潰しで奉仕部来てるし」
結衣の言葉を噛みしめる。それはつまり、場合によってはあの時点で既に説得を終えていた可能性もあったというわけで。勝負を行うこと自体が余計なことである可能性すらある。
「待てよ。だったら何で負けたら生徒会長になるとか言い出してんだあいつ」
「言ってたの陽乃さんでゆきのんじゃなくない?」
「そりゃそうだが。……あの人が適当言ったってことはないはず」
考える。結衣の言う通りならば、先日の陽乃の言葉は既に説得方法を決めてからこちらに流した情報だと思って良い。それをする理由は、自分の意見が通用しない可能性を考慮して? 否、そうではなくむしろ。
自身の意見を効果的にするよう、こちらを利用するためだ。
「雪ノ下の野郎……」
「何か分かったの?」
「多分だが……。あ、その前にガハマ、これ絶対雪ノ下に言うんじゃないぞ」
「うん、流石にそれは分かってるし」
「あいつは俺が的はずれな説得をして一色を拗ねさせるのを待っている」
「ちょっと何言ってるか分かんない」
なんのこっちゃ、と首を傾げる結衣を見て、まあ分からないならいいやと八幡は息を吐いた。こちらの失敗を自身の攻撃を倍加させる布石に使おうというのならば、それを逆手に取るだけだ。彼女の意見とは違うもので、彼女を出し抜けばいい。
そのために必要なのは情報。とりあえずダメ元で、と八幡は目の前の自身の彼女を見た。
「なあガハマ。ちなみに雪ノ下の説得って何を言う気だ?」
「肝心な部分は教えてくれなかった。ていうかどっちみち言うわけないし」
「それもそうか」
「まあ、でも。あたしも優美子も何となくゆきのんの説得方法分かったけど」
「は?」
素っ頓狂な声を上げる八幡を見ながら、だってあの状況でパッと出てくる言葉はそれしかないじゃんと笑う。それしかない、という彼女の物言いに彼は怪訝な表情を浮かべ、しかし考えても出てこないことで額を押さえた。
「……分からん。あの場でどういう取引をすると一色が首を縦に振るようになるんだ」
「あはは。ヒッキーは多分性格的に難しいと思うよ。後姫菜も」
「海老名さんも?」
「うん。まあ姫菜の場合は同じ答え出してもちょっと意味合いが違うやつになるかもって感じ?」
「ちょっと何言ってるか分からん」
結衣の口ぶりでは、八幡ではその意見に辿り着くことすら出来ないと言わんばかりだ。それが彼には不可解で、自分は分からないのに彼女が分かるというのが何となくではあるが無性に悔しかった。
そんな八幡を見て、結衣は小さく笑う。まあ今ならヒッキーもその答え出ると思うよ、と指を立てた。
「ちょっと前のヒッキーならキツかったかな」
「なんだそれ……」
「んー、そだね。人の気持ち、もっと考えてみてよ。ヒッキーはいろんなことが分かるんだから、きっとそれで分かると思うよ」
「現在進行系でお前の言ってることが分からんのだが」
「そう?」
微笑みながら八幡を見やる。そんな結衣の視線から逃げるように目を逸らすと、彼は小さく呟いた。考えておく、と彼女に述べた。
勝負は本日の放課後、奉仕部で行われる。つまり八幡が攻められるのは今この瞬間、その直前までの僅かな時間だけだ。結局考えてはみたものの、雪乃が一体何を言おうとしているのかを察することは出来なかった。結衣や優美子も分かったのだから複雑なことではなく、むしろ単純な答えなのだろうというところまでは推理出来たが、確信には辿り着けず。ならば仕方ないと結局自分なりのやり方でいろはを説得するように考えを巡らせたのだが、何をしても雪乃のアシストになるのではないかと疑心暗鬼に陥ること三日、何とかアイデアをまとめたのが昨夜だ。もはや一刻の猶予もない。
昼休みに八幡は一年の教室まで向かうと、いろはのクラスを開いている扉から覗き込んだ。教室で弁当を食べようとしている彼女の姿を発見し、中に入るか呼ぶかを一瞬だけ迷う。
「あー、ちょっといいか?」
「はい?」
即座に結論を出した八幡は近くの生徒に声を掛け、いろはを呼んでもらうことにした。幸いというか何というか、彼を見たその男子生徒はうわ愛の人と無駄なリアクションを取ったおかげで警戒心も抱かれていない。いい加減その二つ名消えないかな、とほんの少しだけ八幡は黄昏れた。
「……何にしに来たんですか、先輩」
「滅茶苦茶機嫌悪そうだな一色」
一方、呼ばれたいろはは完全に警戒モードである。普段のキャラとあまりにも違うその低い声に、それを耳にしたクラスメイトの男子二人ほどは耳の穴をぐりぐりとさせていた。
「まあいい。ちょっと話がある。ここじゃなんだからついてきてくれ」
「え? 普通に嫌ですけど」
「いいのか? 例の話に関連するぞ」
あくまで八幡は表情を変えない。内心は大分テンパっているが、それを覚られると向こうへ一気に天秤が傾くので、彼はポーカーフェイスを保っている。
それが功を奏したのか、いろはが小さく溜息を吐くと分かりましたと頷いた。置いてきた弁当を抱えると、それでどこに行きますかと八幡に問う。昼食も兼ねて、となると図書館などの飲食禁止の空間は却下。季節柄、自身のベストプレイスは流石に寒い。
となると彼の取れる選択肢は自ずと狭まり。
「あら比企谷くん、どうしたの?」
「……ちょっと部屋を貸してくれ」
「一色さんと二人きりで昼食? そう、最後の相談というところかしら」
奉仕部の扉を開き、当たり前のようにそこにいた雪乃にそう述べた。クスクスと笑う彼女の言葉を果たして額面通りに受け取っていいのかどうか。ともあれ、昼食はとうに終えていた雪乃は、紅茶のカップを片付けると八幡へと鍵を手渡した。ちゃんと返しておいてね、と告げ、彼女はひらひらと手を振りながら奉仕部の部室を後にする。
「……よし一色、話をしよう」
「まあいいですけど。今更何を話すんですか?」
閉まった扉を一瞥した八幡は、椅子に座ると同じように座り弁当を広げたいろはへと言葉を紡ぐ。ぱくぱくとそれを食べながら、彼女はジト目で彼に問い掛けた。
間違いなく説得に応じない。それを節々で感じた八幡であったが、しかしここで止まるわけにもいかない。相対的な勝利のために、雪乃が説得にわざと負ける可能性も決してゼロではないのだ。
「なあ一色。お前を嵌めた連中を、見返したくないか?」
「いきなり何言い出してるんですか?」
箸が止まる。持っていたタコさんウィンナーを口に突っ込むと、彼の言葉の意味を問い詰めるように睨んだ。
「言葉の通りだ。やっぱり、やられたらやりかえさないとな」
「……だから、会長をやれって言うんですか? 出来もしないって思ってたあいつが立派に会長を努めて――とか、そういう感じを目指す方向とか?」
そうだ、と八幡は頷く。それを聞いたいろはは小さく溜息を吐くと、食べ終わった弁当に蓋をした。そんな当たり前のことを言われてもだからなんだ。そんなことを思いつつ、口には出さず。だがはっきりと伝わる形で視線に乗せた。
「あのですね先輩。わたし言いましたよ。そりゃあ、まあ、出来ないこともないこともないかな~って思ったりもしますけど、でも無理です。それやっちゃったら、顔もよく知らない連中を見返すためだけに他の色々を犠牲にしないと駄目じゃないですか。そこまで復讐に生きてませんし、そんなことするくらいなら友達と一緒にいるほうが万倍マシです」
「……なら、そこまでの状況じゃないならいいんだな?」
「はぁ?」
ニヤリ、と笑う八幡を見て、いろはが明らかに嫌そうな顔をする。他には、彼女の親しい相手以外には決して見せないそれを視界に入れながら、彼は内心で溜息を吐く。ここからが勝負どころで、後はどれだけ向こうの妥協点を引き出せるかだ。覚悟を決めるとゆっくりと口を開いた。
「まず一色、お前は一年だ。普段生徒会長をやる二年生と違って、ある程度の粗は見逃される、あるいは一年なのにここまでやれたという好評価に繋がる」
「そうかもしれませんけど、でも見返すにはそれじゃあ駄目ですよね」
「そうでもない。ここでもう一つのお前の強みが出てくるからだ」
指を立てる。一色いろははサッカー部のマネージャーであるということを、二足の草鞋なのだということを強調する。
「二つの仕事を同時にこなせる一色いろはって素敵、ってわけだ」
「先輩に素敵とか言われても彼女持ちだからどうせ二番目の褒め方じゃないですか。そういうのは一番とか一つだけとかそういうのに価値があるんですけど」
「こだわるのそこかよ」
「女は常に誰かの一番で有りたいんですよ」
「ああそうかい。じゃあ、もう一つだ」
指をもう一本立てる。その言葉を引き出せたことで、八幡の中ではほんの少しだけ余裕が生まれた。
彼女の一番でありたい相手、それが誰かを八幡はよく知っている。何の因果か何故か友人枠に収まっているらしい見た目と表の評価だけイケメン、中身は彼とどっこいどっこいのダメ人間で雪ノ下雪乃の被害者枠である人物。
「葉山にアピール出来るぞ。三浦と違う方向で、お前の魅力をな」
「む」
揺れた。表情には出さないが、八幡は内心で拳を握る。やはりポイントはここだ。雪乃のそれと同じかは知らないが、彼なりに考えて出した結論では攻める場所はここしかないと踏んでいた。
「それに、考えてみろ。お前が会長に立候補した場合、応援演説をする奴が必要だろ。……誰に、頼む?」
「……葉山先輩に、応援演説を?」
「ああ。お前を推薦した奴らのおかげで距離を詰められましたありがとーってなもんだ」
「仕返しの第一歩ってわけですね」
ニヤリといろはも笑う。そういうことだと頷いた八幡は、よし決まったと息を吐いた。後は細かい調整をして、自分には負担が来ない方向に持っていけば。
そう考えた矢先である。でも駄目です、という彼女の言葉に八幡は思わず顔を上げた。
「先輩の提案、確かに魅力的でしたけど。でも、駄目ですね。わたしの一番の不安が解消されてません」
「お前の不安……? 生徒会長をするには負担が大きいって話なら」
「足りません」
きっぱりと、ばっさりと切り捨てた。先程のものとは違う笑みを浮かべながら、彼女はそう言って彼を見た。
何が足りない、と思考を巡らせている八幡を眺めながらいろはは述べる。そういうところは鈍いんですね、と。
「先輩って、人の立場に立って考えるとか苦手ですよね」
「は? いや、別にそんなことは」
「自分が同じ立場だったら、っていう考え、苦手じゃないですか? 自分なら別に平気なのに何が問題なのか、とか思っちゃいません?」
言葉に詰まる。言われてみればそうかもしれない、という程度ではない。本人としてもその自覚は多少あった。結衣と出会い、今の関係になってから改善の兆しを見せていはいるが、あくまでそのレベル。
「まあ、それはそれで先輩のいいところなのかもしれませんけど。こういう場合は、駄目ですね。わたしを揺さぶるには、失格です」
「……ああ、そうかい」
あの時の結衣の言葉を思い出す。何となく分かっていはいたが、やはりここで躓くのか。そんな事を考え、八幡は小さく舌打ちした。
ともあれ、彼の説得は失敗である。成功するには僅かに届かない。いろはの首を縦に振るには、もう少し足りないと彼女も。
「おい待て一色」
「どうしました?」
「……何だかんだでやる気あるんじゃねぇかよ」
「何の話です? わたしはそんなこと一言も言っていないんですけど」
クスリと微笑んだいろはを見て、八幡は改めて思った。ああそういうことかと溜息を吐いた。何となく分かっていた、から、分かったに変わった。
――人の気持ち、もっと考えてみてよ。
「分からん……」
分かったのに分からない。そんな矛盾した思いを抱え、八幡はがくりと項垂れた。
多分みなさんもうオチが分かってる感がひしひしとする。
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その4
移り変わりが酷い
部室の鍵を返却しに行った折、平塚静が八幡を呼び止めた。何でも雪乃から言伝があるらしく、今日の放課後奉仕部に来る時はいろはと共に、とのこと。どう考えても嫌な予感しかしないが、一応曲がりなりにも彼は一色いろは陣営である。仕方ないと諦めて頷いた。
そのまま午後の授業を受け、今日も学校生活の一日が終わる。後は帰るなり部活をするなり好きに過ごす時間だ。が、それはあくまで一般の生徒の話。普通ではない、とカテゴライズされてしまった八幡には当てはまらない。所属してもいない部活動の拠点へと半ば強制的に向かわされるのが彼の課せられた使命である。
「物凄く嫌そうな顔をしてますね先輩」
「嫌な予感しかしないからな」
トボトボと廊下を歩きながらいろはの言葉に八幡は返す。そうはいっても、と彼女は少しだけ首を傾げた。これからの勝負、当事者はいろはである。八幡はこちら側だという名目はあるものの、実際は野次馬と変わらない立場しかない。そんな彼が落ち込む理由というのが彼女にはどうにも思い浮かばなかった。
「被害が来るとか来ないとかじゃない。雪ノ下の悪巧みに巻き込まれるのが嫌だ」
「徹底してますね」
「あいつと出会ってからずっとだぞ。嫌でも身構える」
「そこまでですか」
「いやお前も色々巻き込まれてんじゃねぇか」
溜息とともにいろはを見やるが、彼女はどうにもピンとこないらしくやはり小首を傾げたままだ。そもそも今回だって悪魔呼ばわりしていただろうに、という八幡の言葉には、ああそのことですかと手を叩いた。
「先輩と同じですよ。あの時は勢いで言いましたけど、よくよく考えるとそうだな~って」
「納得したのか……。いや待て、だったらなんでその反応だ」
「わたしはそこまで被害受けてませんし」
しれっとそう述べるいろはを見て、八幡は死んだ魚の眼をギョロリと向けた。だったら今日この瞬間からお前も仲間入りだ。そんなような言葉を彼女に投げかけた。
そうだといいですね、といろはは微笑む。その表情はどこか自信に満ち溢れているように感じられ、皮肉を打ち込んだ八幡が思わず言葉に詰まり気圧されてしまうほどで。
「おい一色」
「着きましたよ先輩。それで、どうします? もう開けちゃっていいんでしょうか」
目的地に辿り着いたことで会話が中断される。開きかけた口を閉じると、八幡はガリガリと頭を掻いた。一応念の為、とばかりに扉をノックすると、部屋の中からどうぞという悪魔の声が聞こえてくる。
ではいくか、と八幡はいろはを見やる。視線でそれに返答した彼女は、よろしくおねがいしますと笑みを浮かべた。
「弾除けにするな。レディーファーストだ、お前が行け」
「紳士的な言葉を最低に使えるのって先輩の得意技ですよね」
「人聞きの悪い事を言うな。俺の発想じゃない、元々の語源がだな」
はいはい分かりました、といろはがそれを遮る。そうしながら、彼女は彼の前に立った。どのみちここで扉を開けたところでいきなり斬り掛かられるはずもなし。ならば当事者である自分が真っ先に飛び込むのが筋であろう。
扉に手を掛ける。そのまま迷うことなくそれを開け、中にいるであろう雪乃へと視線を。
「……成程」
「来たわね一色さん。さあ、勝負を決めましょうか」
思わずいろはの動きが止まる。そんな彼女を見た雪乃は、狙い通りとばかりに楽しそうに笑い手を広げた。
「……何でお前らがいる?」
「いや、何でと言われても」
遅れて奉仕部部室へと入った八幡は、そこに立っている面々を見て怪訝な表情を浮かべた。雪乃は当然、結衣も当たり前。優美子と姫菜も問題ない。
本来別の部活動をしているであろう葉山隼人と戸部翔がいるのは大問題であった。とはいえ、呼ばれた本人も何とも言えない表情でいることから、ひょっとしたら事情を聞かされているわけではないのかもしれない。八幡はそんなことを思いながら視線を動かす。
「で、あっちの一色の友人ズは?」
「同じ理由で集められたんだ」
「おい葉山。お前事情知ってんのか」
「流石に知らずに集められるようなことは……いや、雪乃ちゃんなら割と頻繁に平然とやるが、まあとりあえず今回は違う」
小さく両手を上げて首を横に振る。そんな仕草が妙に板についていて、八幡は小さく舌打ちすると視線を男子連中から雪乃へと向けた。ちらりと彼を見た彼女は、しかし今回の相手はお前ではないとばかりにすぐさまいろはに目を向けた。
「さて一色さん。勝負は、あなたを説得出来るかどうか、だったわね」
「はい。それで、雪ノ下先輩はどういう説得をしてくれるんですか?」
「ふふっ、そうね。茶番を挟むのも面倒だし、率直に行きましょうか」
「そうですね。わたしもそれでいいです」
二人の表情は笑顔である。勝負という割には緊張している様子も見られない。いろはのそれは八幡が説得にかかった時の方が余程真剣味があったような気さえする。
小さく雪乃が息を吐いた。そうしながら、そこに立つものを紹介するように手を広げ、その口から言葉を紡ぐ。
「私達は、あなたの生徒会長の仕事を全力でサポートするわ」
短く、それでいて説得としては陳腐でありふれた一言。だが、それを雪ノ下雪乃という存在が発することによって、有無を言わさぬ力に作り変えていた。口だけ、社交辞令、おべっか、お世辞。そんなものではなく、本気で、正真正銘の言葉通りに。やると言ったらやる、そういう力に満ちていた。
傍から見ている八幡ですらそう思うのだ。当事者であるいろはが思わないはずがない。それでも八幡は同時に思う。自分なら、その提案でなれと言われても首を縦に振ることはない、と。だからこんな提案をしたところで、決め手には到底たり得ない。
「……分かりました。しょうがないですね」
「なん、だと……!?」
「……何で先輩が驚愕してるんですか」
あっさりといろはが折れた。それを見て目を見開いた八幡は、ジト目でこちらを見る彼女を理解出来ないものを見る目で見詰め返す。楽しそうに笑う雪乃が異様に癪に障った。
「いや驚くだろ。何でこんな交渉でも何でもないような言葉でお前説得されてんだよ。だったら最初から」
「違いますよ先輩。この流れで、言葉だけなら、わたしでも流石に断ります」
「は?」
何言ってんだこいつ、という目をした八幡を見て、彼女は小さく笑う。視線を雪乃を経由し結衣へと動かすと、まあそうだよね、という顔で頬を掻いている姿が目に写った。
これ自分が言ってもいいやつですか、といろはは結衣へと目で訴える。その視線に気付いた結衣は、オッケーとばかりにサムズアップした。
「結衣先輩の許可も出たので。まずは説明の続きですかね。ほら、雪ノ下先輩がわざわざ葉山先輩とついでに戸部先輩、あとオマケを集めて待ち構えていたわけじゃないですか」
ついでかいと笑う翔と、オマケ扱いとかどういうことだーと抗議するいろはの友人達をスルーしつつ、彼女は続きを述べる。言葉だけでなく、きちんと人員を集めて、そして宣言したからだと言い放った。
「論より証拠ってやつですかね。これであの宣言の時いたじゃないですか、って責められます。多分雪ノ下先輩なら残る証拠用意してくれてるでしょうし」
「ここにお前の正体知ってるやつしかいないからってぶっちゃけすぎだろ」
はぁ、と溜息を吐く。そうしながら、八幡はまあ言いたいことは分かったと頷いた。が、理解しただけで納得は出来ていない。だからなんなんだ、という気持ちは彼の中に残っているからだ。
それを察し、いろははやれやれと肩を竦めた。そうしながら、これ説明するの自分は恥ずかしいと顎に手を当て考え込んだ。
「なら、私が説明しましょうか」
「それはそれで少し……まあ、いっか。雪ノ下先輩、お願いします」
「ええ、じゃあ。三浦さん、あなたはどのタイミングで気付いたの?」
「うぇ、あーし!? ……あー、ほら一色言ってたじゃん。会長やると友達といる時間減るってわざわざ。こいつの性格的にそんなのあーしらの前で絶対言わねーって思ったから」
「成程。由比ヶ浜さんは?」
「あたし? 大体優美子と一緒かな。いろはちゃんがそういう弱音吐くの何か珍しいって思って、ああこれそういうことかって」
あぁぁぁぁ、といろはが絶叫する。恥ずかしいのを誤魔化すために任せたらド直球で晒し上げられたの図だ。案の定いろはの友人達が寄ってたかって彼女をおもちゃにし始める。ほら見ろ、と八幡はそんないろはを見て鼻で笑った。雪ノ下雪乃を甘く見ていたからこうなるのだと見下ろした。
「それで、肝心の部分は言わなかったけれど、比企谷くんは察したのかしら?」
「つまり最初から一色はお前たちに手伝って欲しいと言いに来てたってわけだ」
「はい、よく出来ました」
「今ので分かるならもう少し前に理解してくださいよ! わたし完全に晒され損じゃないですかぁ!」
がぁ、といろはが叫ぶ。よしよしと撫でられている彼女にほんの少しだけ申し訳無さそうな顔を返した八幡は、それでもまだ腑に落ちないような顔で頭を掻いた。
やりたくないことがあって、それをすることで自分の時間が減る。当然友人と騒ぐ時間もなくなる。でも友人が手伝ってくれるなら、友人と騒ぐ時間と大変なことをする時間を混ぜ合わせて、騒ぎながらそれをする時間に割り当てられるなら。
なら、それでもいい。そう言えるのは八幡には無理だ。嫌なものは嫌であるし、どんな付加価値があろうとそれは変わらない。彼にとってそういうのは渋々やることであり、嫌々しなければならないことであり、決して楽しくならないことであるのだ。
「比企谷くん。それはそれで構わないと思うわ」
「何の話だ」
「他の人がそうだからって、あなたもそうである必要性はないもの。あれは一色さんの考えで、あなたの考えじゃない。だから別に構わないと思うわ」
ただし、と雪乃は笑う。今回みたいな状況では、きっと答えに辿り着けない。そう言って彼女は立てた指をくるくると回した。
それは奇しくも、今日の昼にいろはに言われたことと同じで。
「まあ、そんな心配は無用でしょうけれど」
「は?」
「だってそうでしょう? 今回みたいな状況ならともかく、普段のあなたにはそれを補ってくれる人がいるもの」
先程とは違うベクトルの笑み。三日月のように口角を上げた雪乃は、八幡が何か文句を言う前にそれはそれとしてと話題を転換させた。
「あなたはどうするの?」
「何をだ」
「あ、そうですよ先輩! わたしをこんなにしておいて責任取ってくれないとか最低ですからね!」
「何をだ!」
「言わなければ分からないの?」
「言わなきゃ分からないんですか先輩」
展開した話題に食いついたいろはと、そして雪乃が八幡を見る。そのことで何かを察した他の面々も、彼の返事を見守る方向にシフトしたらしく皆揃って視線を向けた。
これはどう考えても同調圧力だ。ここで首を縦に振らなければいけないという状況を作り出している。それを感じ取った八幡の取った行動は当然。
「断る」
「そうですか。分かりました」
「……というかだな、そもそも、俺は一色陣営なんだろ。だからお前らのそれを断ったところで、最初から拒否権は――」
言葉を途中で止めた。同調圧力だと思い込んでいたその視線が、非常に生暖かいものであることに気付いたのだ。つまり、ああやっぱりというやつだ。お約束が見られてほっこりした、というやつだ。
完全に見透かされていたとも言う。
「ヒッキーは頑張った」
「うるせぇよ!」
生徒会役員選挙は問題なく片付いた。いろはの応援演説は隼人が引き受け、ついでとばかりに距離を詰めた姿を見せたことで彼女を嵌めた連中の意趣返しとついでに優美子の牽制もこなした。そうして十二月に入り、本格的に寒くなってきた季節、新たな生徒会が始動するのだ。
その第一歩として、生徒会室は大幅な模様替えが行われていた。前生徒会の荷物の片付けと新生徒会の荷物の搬入。ついでに手伝いという名の冷やかし連中の用意した私物が運び込まれる。
「いろはすー、これどこ置くー?」
「その冷蔵庫はあっちにお願いします」
「おう。んじゃこれは」
「ハロゲンヒーターはこっちの奥に」
「おう。てか俺ばっか重い荷物持ち過ぎじゃね?」
「え~? だってわたしか弱い女の子ですよ~?」
「いやいろはすはともかく、優美子とかは――」
ゴルゴンの睨みで一瞬にして石化した翔は、哀れそのまま放置と相成った。姫菜がついでとばかりに今のは駄目だねと呟き、翔の石像はそのまま砂になる。
「そもそも俺と比企谷がいるんだからそこに言えばいいのに」
「戸部だからな」
えっちらおっちらとめぐり他前生徒会の面々の荷物運びの手伝いをしていた隼人と八幡が砂を一瞥したが、別段気にせず仕事を続ける。一年に積もり積もったそれは想像以上の思い出と重さを誇り、男子であっても結構な労働であった。
ありがとう、とめぐりはそんな二人に声を掛ける。いえいえと返した隼人と八幡は、そのまま変わっていく生徒会室を眺めていた彼女にどうしたのかと問い掛けた。
「なんだか、違う部屋みたいだなぁ……」
どこか感慨深げにそう呟いためぐりは、しかしこれからのことを想像したのか笑みを浮かべた。きっと新しい部屋も楽しくなると、そう続けた。
「一色さんには、強力な味方が一杯いるものね。わたしの時なんかより、ずっと」
「そんなことはないです」
横合いから声。振り向くと、そこには同じように荷物を持った雪乃と結衣が立っていた。どうやらめぐりの話が聞こえていたようで、雪乃が適当な場所にそれを置きつつ彼女に向かって言葉を紡ぐ。
「あの馬鹿姉から名前が出るレベルの人が駄目なわけがないでしょう。城廻先輩は立派な、尊敬できる先輩です」
「雪ノ下さん……」
え、これ感動する場面なの、と八幡は横を見る。ぶんぶんと首を横に振る隼人を見て、良かった俺の感覚は正常だったと胸を撫で下ろした。
が、確かに陽乃と親しいという時点でこの人も大分キテる部類だった、と二人は少しだけ戦慄する。果たして新しい生徒会はきちんと職務を全う出来るのだろうか。ついでにそんなことも考えた。
「んで、ガハマ」
「へ? どしたの?」
「いや、雪ノ下は荷物置いてんのに何でお前は持ちっぱなしなんだよ」
「……何となく?」
「アホか。おい一色、これはどこに置くんだ?」
運び終わり戻る途中であったため手ぶらであった八幡は、そのまま荷物を奪い取るといろはに問い掛ける。視線をこちらに向けたいろはは、荷物と結衣を見てニヤリと口角を上げた。
「せんぱーい。あれですか? さりげない頼れる男アピールですか? そんなことしなくても結衣先輩は先輩にベタぼれですよ?」
「馬鹿言ってないで仕事しろ仕事」
「ヒッキーが仕事しろとか……!?」
「やっぱこれお前持て」
「ちょ!? 投げんなし! あふぁ!?」
「げ」
そこまで大きな箱でなかったのが災いしたのか。投げる素振りをしながら八幡が突き出したそれを、本気で投げたと勘違いした結衣は受け取ろうと思い切り飛びかかるような動きで距離を詰め。
二人で荷物を持ったまま、バランスを崩してすっ転がる。二人揃って箱を落とさないようにと考えたらしく、お互いの手が天に向かい箱を掲げる体勢となっていた。そして飛びついた方はうつ伏せに、飛びつかれた方は仰向けに当然倒れるわけで。
「ヒッキー! 大丈夫!?」
「ヤバいくらい重い」
「酷くない!?」
見事下敷きにされた八幡は、ずっしりとボリュームのあるそれを惜しむことなく顔面に押し付けられる羽目になってしまったのである。叫びとともに避けた結衣が不満げに彼を睨みつつ謝罪するのを気にするなと手でひらひらさせながら、八幡は上半身だけを起こして右膝を立てた状態で座ったまま一向に動かない。
「……ひょっとして、背中とか腰とかやっちゃった?」
「いや、別にそこまでじゃない。そこまでじゃないから、気にするな」
「でもヒッキー立ってないし」
本当に大丈夫? と結衣が屈む。それを必死で押し留めた八幡は、もういいからあっち行ってろと叫んだ。眉尻を下げた彼女は、しかし確かに大丈夫ではあるのだろうと判断し立ち上がった。もう一度ごめんねと述べると、そのまま彼から離れていく。
「……由比ヶ浜さんも、そういうことについては人の気持ちをもっと考えるべきね」
ぽつりと呟いた雪乃の言葉に、隼人は飛び火しないようにひたすらノーコメントを貫いた。
ついオチを下ネタにしてしまった、今は反省している
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遊園地クアドラプル
その1
誰得だよ。
「葉山先輩」
そう言って目の前の少女は己の名前を呼ぶ。その瞳は真っ直ぐにこちらを見詰め、その唇から紡ぎ出される言葉がふざけたものではないことを予感させた。
周囲はテーマパークのパレードで騒がしい。すぐ傍にいても声が聞こえないことだって十分にあり得る。だというのに、彼女の声はやけに響いた。彼の耳へと入り込んだ。
花火が上がる。パレードと混ざり合い、さらなる喧騒を生み出したそれは、しかし目の前の少女の言葉を遮るには至らない。真っ直ぐに彼を見詰めたまま、彼女は、一色いろはは言葉を紡ぐ。目の前の彼に、葉山隼人に言葉を紡ぐ。
「わたしは――」
花火が上がる。頭上に巨大な大輪の花が咲く。明るい光のシャワーが降り注ぐ。
それも全て、彼女のための演出に変わるようで。
「――あなたが、好きです」
「おや、一人多いな」
そう言いながら奉仕部の部室へと入ってきたのは顧問の平塚静。結衣の隣にいる八幡を見てにんまりと笑みを浮かべながら、いい加減入部すればいいのにと肩を叩いた。
「嫌ですよ。何が悲しくて奉仕活動とかしなくちゃいけないんですか」
「ははは。面白い冗談だな比企谷。君が毎回やっているのは紛れもない奉仕活動だぞ」
「俺はただ巻き込まれているだけです。うわ、何でこんなラノベ主人公みたいなセリフ言わなきゃいけないんだよ……」
そう言って項垂れる八幡を面白そうに眺めた静は、そのまま机の一角を使い仕事の用意を始めた。ノートパソコンを広げ、何やらカタカタと入力している。ここでやってていいんですか、という姫菜の言葉に、見られて問題のある仕事ではないからと口角を上げた。
「この程度の仕事はどこでもやれる。だから、こうして紅茶を飲みながら肩肘張らずにいられる場所でやる。合理的だろう?」
「それには同意します」
どうぞ、と紅茶のカップをそこに置きながら雪乃が述べる。そうだろうそうだろうと言いながら、もらった紅茶に口をつけた。そうしながら、彼女はところでと周囲を見る。
「生徒会の手伝いは順調かな?」
「今んとこあーしらの出番はないって感じですかね」
てい、とスマホをスワイプしながら優美子が答えた。流石に始まってすぐさま協力要請の来るような事件はないだろう。そんなことを皆考えていたこともあり、彼女の言葉に異を唱える者もいない。
ふむ、と静が何かを考える仕草を取る。が、それも一瞬でまあいいかと姿勢を戻すと、それならば丁度いいとばかりに鞄から小さな紙のようなものを取り出した。
「ならば、日頃頑張っている君たちに特別ボーナスをプレゼントだ!」
じゃーん、と自分で効果音を付けながら取り出したそれは四枚のチケット。そこに書かれている絵柄を見る限り、彼ら彼女らが知らないはずもない有名所であるようで。
「うわぁ、ディスティニーランドのチケット! どうしたんですかこれ? 四枚も」
「ふっ……。結婚式のな、二次会で当たってな……ペアチケット。それも二回」
目が死に始めたのを見て、結衣は軌道修正を行おうと慌てだす。そうして空気を柔らかくさせた後、本当にもらってもいいんですかという言葉を聞いて、静は我に返り勿論だと言い放った。
「どのみち忙しくて私は四回も行けないからな。君達もクリスマスは色々あったりするだろう? だからその前に、というのも中々粋じゃないか?」
「まあ確かに。クリスマスは既に予定があるであろう人がここに一組いますし」
「こっち見んな雪ノ下。まだ何もねぇよ」
鬱陶しそうに雪乃を睨んだ八幡は、まあ確かに完全にクリスマスシーズンだと混みまくって楽しむどころじゃなさそうだしなと頬杖をつく。今までの彼であれば、例えそうだとしても面倒だと適当な理由をでっちあげて参加を断ったはずだ。にも拘わらずそんな言葉を述べたのを聞き、思わず言い出した静がマジマジと八幡を見詰めていた。
「どうした比企谷、何か悪いものでも食べたのかね?」
「先生の中の俺ってどういう存在ですか。……別に人なんざきっかけさえあればコロコロ変わるもんでしょうに」
そういう八幡はどこか自嘲気味で、しかし何だか満足そうで。かつての自分であったのならば鼻で笑い、そして持論を持って否定したであろうその事柄を言い放った後、しかし何だか気恥ずかしくなって視線を逸らした。その視線の先には丁度彼の彼女がいて。
「えっへへ」
「気持ち悪い笑いしてるな」
「酷くない!?」
日常風景なのか誰も何も言うことなく、そのまま会話は続けられた。そういうわけだから遠慮なく受け取れ。机の上にそれを置くと、静は再度パソコンに向かう。四枚のチケットを置いたまま、仕事の続きを。
「あのー、先生?」
「ん? どうした海老名」
「奉仕部四人用、ってことです、よね?」
「そうだな。奉仕部の部員は丁度四名。足りてよかったよかった」
何だかわざとらしいが、彼女は姫菜の言いたいことを察している。優美子も指でその場にいる面々を数え、まあ数えるまでもないと結論付けていた。この場にいるのは雪乃と結衣、姫菜と優美子。そして八幡だ。
五人いる。
「え、っと……?」
「先生、海老名さんと三浦さんが困惑しているので説明をしてあげてください」
「いや自分で言えばいいだろう? 年間パスポートを持っているからチケットは不要だと」
陽乃と奇妙な友人関係を持っている静は、当然のようにそういう事情を知っている。彼女達三人は、ことこの事柄だけは雪乃に引っ張られる形で年間パスポートを所持しているのだと。これについてだけは、普段の姉も茶化さないのだと。
なおそれ以外のアトラクションはその反動で茶化しまくるらしい。幼い頃から常に巻き込まれている少年は八幡もかくやというほどの死んだ目でそう述べる。
「あー、そゆこと。んじゃヒキオの分もあるわけだ」
「よかったね、ユイ――って何かリアクション薄い。あ、さては知ってたな」
「……きおくにございません」
こんにゃろ、と優美子と姫菜に結衣が引っ張られていくのを眺めながら、八幡は小さく溜息を吐いた。まあそんなことだろうと思った、と目を細めた。恥ずかしい発言をしたせいで気付いていなかったのを誤魔化すように咳払いをした。
そのタイミングで扉がノックされる。どうぞ、という雪乃の言葉で開かれたそこに立っていたのは、ある意味この会話の発端となった理由の人物。
「ちょっと聞いてくださいよ~。これ当たっちゃったんですけど、どうにかして葉山先輩とデートに行くように出来ませんか?」
一色いろはがそう言って掲げたのは先程見たチケット。部屋の空気を察したのか、彼女は首を傾げながら皆へと近付き、そして机の上のものを見てああと声を上げた。
「ひょっとして、皆さんも行く予定だったんですか?」
「らしいな」
「何で他人事なんですか先輩。ぶっちゃけこの中で一番そういうのに縁のある人でしょう。結衣先輩がかわいそうとか思わないんですか? 思わないですよね、まあ先輩はそういう人だって分かってるでしょうし、結衣先輩のことだからそんなヒッキーも好きだよとか言い出すんですよね何ですかもう甘々空間とか作り出しちゃって先輩のくせに」
「作ってねぇよ、勝手に想像して勝手に文句を言うな」
はぁ、と溜息を吐いた八幡を気にすることなく、いろはは机のチケットを眺めると何かを考え込むように顎に手を当てた。ちらりと優美子を見て、そして雪乃に視線を向ける。
よし、と一人頷くと、自身の持っていたそれを机の上に置いてあったチケットに重ねた。
「……これで、隼人くんをこちらで誘うことにして手間を省く気ね」
「流石は雪ノ下先輩、話が早い」
二人きりのデートを用意して誘いをかけた場合、断られる可能性が多分に存在する。それを潰しデートに持っていこうとすれば多大な労力が掛かる。だからこそいろはは奉仕部に相談に来たのだ。そして目の前にはその労力を省く手段が転がっている。
「いいのか? 葉山とデートしたいんだろ?」
「全然知らない人達ならともかく、先輩方なら別にって感じですかね。いい感じに葉山先輩も素で行けるでしょうし」
「それなら別にいいが……」
八幡はちらりと優美子を見る。これ本当に大丈夫か、と思いながら見た先には、意外なことに別段反応をしていない彼女の姿が。
その隣の結衣を見た。視線で彼の疑問を理解したのか、彼女は小さく笑いヒラヒラと手を振る。大丈夫だ、と言いたいらしい。
「一色」
「何ですか? 三浦先輩」
「結構開いたんじゃない?」
「そっちが修学旅行っていうイベントだったから、こっちもそれ相応の舞台が必要じゃないですか。そういうことです」
「そ。……今回は特別だから」
「ありがとうございます。きちんと葉山先輩ゲットしますね」
「あぁ? フラれろって意味だし。大体あーしの方がリードしてっから」
「まあ精々そうやって夢見ていてください。勝つのはわたしです」
「あーしに決まってるし」
きしゃー、とお互いにらみ合う二人を見て、八幡は本当に大丈夫なんだろうなと結衣を見た。
頬を掻きながら目を逸らされた。
雪乃の力によりスムーズに隼人を誘拐することに成功した奉仕部一行は、そのまま当日を迎えた。年間パス持ちが二人いたので余ったチケットの使いみちをどうするかが若干困ったものの、結局もう一人用意することで事なきを得た。
「駅の音を聞くだけでも何か来たーって感じになるよね」
「あー、まあな」
集合場所である駅へと辿り着いた二人、八幡と結衣はそんなことを言いながら改札を出た。電車の窓から見えたランドの一角や、そういう仕様になっている駅の節々を見ているだけでも何となくテンションが上ってくる。八幡ですらそんな状態なのだ、隣の結衣はもう既にワクワクが止まらない様子であった。
「別に来るのが初めてじゃないだろ」
「いや、そうなんだけど。あー、でも、初めてかも」
「は?」
「……か、彼氏と、来るのが」
「お、おう。……そうか」
どことなく気恥ずかしくなってお互い顔を逸らした。恐らく顔は真っ赤であろう。結衣は間違いなく、八幡は五分五分か。ともあれ、隣にいる相手が見られなくなった二人は、そのまま若干ギクシャクしながら駅を出て。
「最初からクライマックスね」
「何タロスだお前は」
実に楽しそうに二人を眺める雪乃を見付けて八幡は即げんなりした。彼女は彼の言っていることがよく分からなかったらしく、一瞬首を傾げるとまあいいと二人を案内する。どうやら寒いので皆が集まるまで近くのカフェに避難するらしい。
店内に入るとそこには既に一人の少年が。八幡達を見付けると、やあと何とも爽やかな態度で挨拶を述べた。
「何でお前一人なんだ? 一色はどうした」
てっきりいろはと共に来るのだろうと思っていた人物がそこにいたことで、八幡は思わずそんなことを尋ねる。尋ねられた方は予想通りだったのか、はははと苦笑しながら目の前のコーヒーに口をつけた。
「なんでも勝負開始は集合してから、らしい」
「……それお前知っちゃってていいやつなのか?」
「雪乃ちゃんが悪い」
真顔で言い切った。若干気圧されながらそれに頷いた八幡は、ならもういいやと彼の、隼人のいたテーブルの横の席に座る。対面に結衣が座り、メニューを広げてどうしようかと彼に問うた。
「んで、あとは三浦と一色と海老名さんか」
「とべっちも来るよ」
「……あー、そうだったな」
余ったチケットの使いみちとして選ばれたのが翔である。何で、と姫菜が若干引きつっていたのが印象的だ。そうは言いつつ反対しなかったことについては誰も触れなかった。
「戸部くんは海老名さんと来るのかしら」
結衣の隣に座った雪乃がそんなことを呟く。隣のテーブルにいる隼人だけが何だかあぶれている感を醸し出しているが、本人はむしろその方が平和だと言わんばかりの表情なので問題はない。流石にそこまではしないだろうとその位置から笑っていた。
そのタイミングで入口が開く。視線を向けると、いたいたと笑う翔と、そして。
「姫菜、とべっちと来たの?」
「何か迎えに来た。ワケ解んない」
苦虫を噛み潰したような顔をしている姫菜が。このやろー、と翔を一発引っ叩いた彼女は、ちらりと席を見て隼人の対面へと腰を下ろした。そうして残された翔は、どこに座ろうかと少しだけ迷い、止まる。これから来る面々のことを考えると、隼人の隣は間違いなく二人で埋まるだろう。そうなると残された場所は一つしかない。
「何でこっち!? 隼人くんの横でよくない?」
「いやだって優美子といろはすにぶっ殺されるべ」
「そこは真実の愛を貫こうよ。はやかけはやかけ!」
「いやそこに真実ねーから……」
ちょっとだけだから、と申し訳無さそうに言われると、姫菜もそこまで強くは出られない。はぁ、と溜息を吐いてその話題は終わりにした。
幸いというべきか、それから程なくしていろはと優美子が揃ってやってくる。ごめん遅れた、と彼女は言うが、集合時間にはまだ至っていない。結局皆が皆早く来てしまったのだ。理由は勿論、様々であろうが。
「さて、では行きましょうか」
そのまま店内で少し冷えた体を温め、雪乃の言葉でカフェを出る。そのままランドの入り口へと向かい、いよいよ夢の国へと。
「おぉ……」
八幡ですら思わずそんな声が出た。クリスマスにはまだ早いとはいえ、当然十二月なのでシーズンではある。ツリーやイルミネーションで普段とは違う装いを見せているそのメインストリートは、より一層幻想的な空間を生み出していた。
きゅ、と手が掴まれる。視線を向けるまでもなく、結衣が手を握っているのが分かった。
「何か、ツリーの方で撮影してもらえるっぽいよ。行こ」
「あ、おい」
ぐい、と引っ張られ撮影待機列へと突撃する。残りの面々も同じだったのか、それに続くように集まり並んだ。並んでいる他の客もやはり同じようで、はしゃぎながら自分の番を今か今かと待っている。
そうして彼らの番が来た。まずは全員で、そしてそれぞれの組み合わせで。女性陣は嬉々として撮ったが、男性陣だけで撮るのは八幡が断った。他にも奉仕部で、だのサッカー部で、だの。複数人の組み合わせを行った後、ペアが来る。
当たり前のように隼人と優美子、隼人といろは。何故なのか必然なのか、女性陣はそれぞれのペアを一通り。
「海老名さん、俺たちも撮らね?」
「……あー、はいはい」
しょうがない、とばかりに翔の隣に並ぶ。滅茶苦茶に楽しそうな彼との対比が何とも言えず、見ていた残りの面々は思わず吹き出していた。
そうして残る組み合わせは一つ。
「ね、ヒッキー」
「ん?」
「もうちょっと、くっついてもいいかな?」
「……寒いからな」
「うん、寒いしね」
ぎゅ、と八幡の左腕に掴まる。お互いの吐息が掛かるほど顔は近付き、というよりも結衣は彼の肩に顔を乗せていた。いえい、と彼女がピースをしている横で、視線を若干右にずらしながら八幡は頭を掻いていた。
寒いから、と言っていた割に。
「……熱いな」
「どしたの?」
「お前の動きが捕食するスライムみたいだって言ったんだよ」
「酷くない!? っていうか絶対さっきよりそれ長いし!」
ぱしゃり、と撮られた写真は二枚。一つは腕を組んでピースをしている二人。
そしてもう一枚は、背中からのしかかられて慌てている八幡と笑う結衣であった。
あれ? 葉山の影が薄い……
こ、こっからこっから
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その2
一人だけ黒幕ムーブするヒロインがいるらしい
まずは、とディスティニーランドにあるコースターの一つ、スペースユニバースマウンテンの列へと向かう。これとは別にブラックサンダーマウンテンとスプライドマウンテンというアトラクションもあり、ここマウンテンが無駄に多いなとどうでもいいことを思いながら八幡は流されるまま足を進める。そんな中、ふと先程密着していた二つのマウンテンに思いを馳せた。
「いかがわしいことを考えているわね」
「変な勘ぐりは寄せ。男子高校生がエロいことばかり考えていると思ったら大間違いだ」
たとえば、と続け、暫しの間を開けた後世界平和とかなと返す八幡を見て、雪乃はやれやれと肩を竦めた。まず間違いなく世界平和は考えていないのだろう。とりあえず結論付け、それでと列に視線を向ける。
「二人乗りだけれど、あなたは由比ヶ浜さんとペアでいいかしら?」
「別に俺は誰でも……ああ、いや、葉山や戸部はパスだな」
「つまり女性陣とペアがいい、と。やっぱりあなた」
「違うっつってんだろ」
ギャーギャーと騒がしい二人をよそに、残りの面々もさてどうするかと列を進みながら話をしている。まあとりあえず、といろはが隼人の隣へと陣取った。
げ、と翔がそれに反応し優美子を見る。が、彼女は別段気にしていないようで予想通りと言わんばかりの表情のまま視線を後ろへと向けた。
「んじゃあーしは雪ノ下さんと乗るわ。いいかな?」
「ええ。……あなたが海老名さんとではなく私を選ぶというのならば、断る理由はどこにもないわ」
「なに話大きくしてるし。友達なんだし、別に気にしないってだけ」
ふふっ、と笑う優美子と、それに笑い返す雪乃。それを見ながら、姫菜は一人目を細めて冷めた目をしていた。裏切ったなコノヤロー、と隠すことなくそれを口にした。
「あん? 何海老名、あーしと乗りたかった?」
「そうはっきり言われると何かあれだけど。でも乗るなら優美子か雪ノ下さんとかなーって思ってたんだよね」
「あら、それはごめんなさい。私大人気ね」
困っちゃうわ、と一人笑う雪乃にちげーだろとツッコミを入れた優美子は、そうしながらもまあ諦めろと手をヒラヒラさせる。今のこの状況で残る選択肢は殆どない。むしろ一択と言ってもいいほどだ。八幡、結衣、そして翔。姫菜自身を加えたこの四人で二つペアを作る場合。
「あ、ユイと組んでかけはちにすれば」
「うぇ!? 俺ヒキタニくんとペア!?」
「何で驚くんだ、即断れよ」
どこかソワソワしていた翔が、降って湧いたその回答を聞いて盛大にのけぞる。八幡が溜息混じりに呆れたような声を出した。
勿論それを容認はしない。当事者の八幡は首を縦に振らない。が、翔ははっきりと断らないで少しだけ悩む素振りを見せた。
「おい戸部。だから断れって」
「いやー、でもさ。ここで俺が嫌だっつーと流れ的にヒキタニくんと海老名さんじゃん? それって、こう、なんつーの? ……いや俺何言っちゃってんだろ」
「本当に何言ってんだよ……」
はぁ、と再度溜息を吐きながら、八幡はちらりと一人の少女の顔を見る。先程から見守るのみで口出しをしていない彼女を見る。翔の言っていたパターンの場合、彼は残った結衣と当然ペアになる。普段教室で集まって騒いでいる面々ではあるので、彼女にとっては別段問題はないだろう。
そう思うのだが、流石に二人だけというのは。一瞬そんな言葉がよぎり、いや何言っちゃってんのと八幡も先程の翔のような思考に陥った。
「もしどうしても嫌なら、私が戸部くんと乗るわよ」
「え、なんかそれは嫌」
「……へぇ」
「ほう」
八幡の悶えをよそに、向こうで話は進んでいく。雪乃がしょうがないと提案した案であったが、姫菜が無意識にぽろりと零してしまったそれを聞いて優美子と共にニヤリと笑う。姫菜自身も言ってから気付いたようで、ゆっくりと目を閉じそのまま俯いてしまった。
「うぇ!? 海老名さん!? 大丈夫? 気分悪いなら休んでても」
「……大丈夫大丈夫。ありがととべっち」
それを見てあたふたと慌て出した翔を見たことで少しだけ気が紛れたのか、しょうがないなと彼女は苦笑する。いい感じにお膳立てされた感が否めないので気に入らないが、それを言ってしまえばそもそも最初からそうなので今更だ。大体気にし過ぎなのは自分だけで、当の本人はテンションがおかしい以外は普段通り。
よし、と姫菜は頷いた。横を見て、相変わらず適当感醸し出してるなと可笑しくなった。
「いいよとべっち、一緒に乗ろか」
「マジで!?」
いやっほー、と乗る前から最高潮に達した翔を見て、一行はやれやれと苦笑した。この調子で最後まで持つのだろうかと笑った。
「それはそれとして。葉山先輩はペアがわたしで良かったんですか?」
「雪乃ちゃん以外なら誰でもいいからね。――あ、いや、誤解しないでくれ、そういう意味ではなくて」
「ぷっ……。何でそんな慌ててるんですか葉山先輩、かわいい」
「……はは、俺をそんな評価する女子はいろはくらいだよ」
「三浦先輩はどうなんです?」
「優美子は、まあ、うん」
言葉を濁して視線を逸らしたのを見て、いろはは確信する。あ、これ既に言われているな、と。ぷくーと頬を膨らませると、彼女はそのまま隼人の腕に抱きついた。いきなりどうしたんだ、と目を見開く彼に向かい、いろはがにんまりと笑みを浮かべる。
「今日はわたしが葉山先輩の隣なんですから。わたし一色に染め上げてみせます」
「はは。まあ、お手柔らかに」
「嫌です」
笑顔でそんなことを言われ、隼人は頬を掻きながら少し照れくさくなったのか視線を逸らした。
戸部翔は死んだ。比喩表現である。思いの外スリルがあった、とワイワイしている面々とは違い、彼は大分ダメージを食らったらしい。
「ふぇぇぇ……」
「大丈夫か、いろは」
「葉山せんぱぁい……いや、意外と、思ったより」
「あ、本気なのか」
訂正、ダメージを食らったのはそこそこいた。いろはがこれ幸いと隼人にしなだれかかるが、その実状態自体は本物なので彼女の挑戦はそこで終わる。とはいえ、そのまま支えられ進むことになったので結果オーライといったところか。
ちなみにふらついているのはもう一人。
「お前ほんっと完璧なのは見た目だけだな」
「……好きに言いなさい」
ふらついている雪乃を見ながら、八幡は溜息を吐く。優美子と結衣が買ってきたジュースを受け取った彼女は、それをコクコクと飲んで深呼吸をした。
「ごめんなさい、少し人混みに当てられたかもしれないわ」
「物は言いようだな」
「ええそうね、比企谷くん。口は災いの元よ」
調子を取り戻してきたのか、雪乃が鋭い眼光で八幡を睨む。それを受けた彼はビクリと反応し、しかし精一杯の虚勢を張った。勝手に言ってろ、と言葉を返した。
そうして向かった先はパンさんのバンブーファイト。勿論即座に全回復した雪乃がぐるりと一行を見渡し、そこで少しだけ思考を巡らせるように目を閉じた。当たり前のように彼女のその行動を見て八幡と隼人が警戒態勢を取る。何してんの、という結衣の視線が少しだけ痛かった。
「これは二人以上でも乗れるのだけれど。さて、どうするの?」
何がどうするなのか。質問の意図がよく分からず怪訝な表情を浮かべる八幡に対し、その発言で瞬時に顔を引き攣らせたのは隼人であった。ここには陽乃さんはいないのに、という謎の呪文を唱え始める。
「おい葉山、それはどういう意味だ。何であの人がいないと問題なんだよ。普通逆だろ」
「……ああ、普通はな。だが、これに限っては違う」
完全に覚悟を決めた男の顔をし始めた隼人を見て、一体何が起こるのかと八幡も顔をこわばらせた。そんな二人を見て、否、正確には隼人を見て、雪乃はニコリと笑みを浮かべる。
「大丈夫よ隼人くん。今日はあなたは関係ないわ」
「あ、そうなのか。じゃあ」
「おい待て葉山。迷うことなく俺を見捨てただろ」
「比企谷。俺はな、自分が大事だ」
「キメ顔で何最低なこと言ってんだよ爽やかスポーツマン」
八幡の抗議などなんのその、隼人はそう言うと一歩下がり他の面々に混ざり始めた。このアトラクションは三人で乗れるらしいので、先程のように悩む必要はある意味ない。
「んじゃあーしは……」
「一緒に乗ります?」
「ん? いいの一色」
「懐の大きいところを見せると好感度上がると思いません?」
「言わなきゃ上がったんじゃない?」
そう言って笑った優美子は、んじゃそういうことで、と隼人の隣に立つ。そうして出来上がった三人が先頭でライドへと乗り込んだ。
ならば次は、と姫菜が結衣を見る。どうやらあっちは大変そうだし、と彼女に述べると、そうだね、と意外にもあっけらかんとした返事がきた。
「あれ、いいのユイ?」
「ゆきのんだし、多分大丈夫。こっちは三人で行こっか」
「お、おう? 俺はいいけど……」
ちらりと向こうを見る。そうなると残るのは二人。つまりはペアでアトラクションに向かうわけで。
「いいの?」
「ん? ゆきのんだからね」
「おおぅ、信頼厚いな」
一人驚愕している翔をよそに、じゃあそういうことでと姫菜が歩みを進める。じゃあ行くね、という彼女の言葉に、雪乃はええと頷いた。
そして、彼女と八幡が残された。
「さあ、行きましょう比企谷くん。あなたにパンさんの何たるかをじっくりとレクチャーしてあげるわ」
「……こういうのって、真のファンは静かに鑑賞とかするもんじゃねぇの」
「ええ。本来ならば一人で、全身にパンさんを感じるのが楽しみ方なのだけれど。他の人がいるのならばまた違った方法もあるの」
ふ、と雪乃が笑う。そのまま八幡の手を万力のような勢いで握り締めると、彼を引きずりライドへと向かう。
「え? ちょっと待て、お前何でこんな力あるわけ!? おかしいだろ、普段の雪ノ下ゆきのんもっと華奢だろ!?」
「教えてあげるわ比企谷くん。これが、パンさんの力よ」
「何言ってんのお前!?」
その後、比企谷八幡は、アトラクションの流れに沿って超スピードラーニングでパンダのパンさんを頭に叩き込まれた。
「……ヒッキー」
「お、おう。どうした?」
「いや、大丈夫かなって」
「あいつのパンさん愛嘗めてたわ……」
キャラクターショップ内で体力を回復する少年が一人。その名は比企谷八幡。ちなみに信じて送り出した彼氏がパンさんに染められてしまった少女は由比ヶ浜結衣といった。
あの流れでこのグッズは精神的にどうなのだろうと彼は思わないでもなかったが、しかし意外にも色々と理解させられたせいで並んでいるそれらに妙な親近感が湧いている。これで嫌いになってしまっては本末転倒だから、ということなのだろう。ある意味恐ろしい。
「そういや他の連中は」
「ヒッキーがダウンしてるからお昼買ってくるって」
「あー……悪いことしたな」
「ううん。何か隼人くんが『最初はゆっくりと正気を取り戻させなければいけない』とか真面目な顔で言ってたし」
「お、おう。……あいつ既に体験してたのか」
それでもパンさんのアトラクションに乗るのだから、やはりそれそのものはトラウマになっていたりするわけではないのだろう。パンさんに雪乃が加わるとアウトというわけだ。
まあそういうことなら、とショップのグッズを適当に見て回る。小町にお土産を買わないとな、と彼らしいことを思ったのだ。
「んー、どんなんがいいかな?」
「まだ見て回るし、かさばらないものがいいか」
「別に預けられるからその辺は気にしないで良くない?」
「あー、そうか。んじゃ、ぬいぐるみでも」
クリスマス仕様になっているパンさんを一つ手に取る。どうせならこういうやつか、と言いながら値札を見て、一回り小さいタイプにチョイスを変えた。
それをレジへと持っていく途中、ふとそれが目に入る。こういうテーマパークでお約束の、そこのキャラを模したカチューシャ。犬だったり猫だったり、そしてパンダだったりとバリエーション豊かなそれは、買って装備した時点で明らかに浮かれているであろうことを感じさせる一品で。
「どしたのヒッキー」
「うぉ! あ、いや、別になんでも」
「ん? あ、それ可愛くない?」
八幡の視線の先を追っていった結衣がそれを手に取る。頭にはめると、どうかな、と彼に向かって笑みを浮かべた。少し垂れ気味の犬耳カチューシャが、彼女にマッチしてとても可愛らしい。
が、勿論八幡がそんなことを素直に言うはずもなし。まあ、いいんじゃないか。という当たり障りのない言葉でそれを濁した。
「よし、じゃあヒッキーにはこれだ!」
「何で俺に――」
問答無用、と結衣が八幡の頭にパンダ耳を装着させる。思った以上にアンバランスなそれを見て、彼女は耐えきれず吹き出した。
「さっさと買って行くぞ」
「ごめんごめん。あ、でもこれは買おうかな」
自身の頭についている犬耳を指でピコピコとさせる。その仕草がまるで本物の犬のようで、八幡も思わず笑ってしまった。
そっちだって笑ってるじゃん、と結衣がむくれる。これはお前のとは違うやつだと悪びれずに言い放った八幡は、そのまま彼女の頭のそれを外してレジへと向かった。
「あ」
「欲しいんだろ?」
「……いいの?」
「……ま、たまにはな」
その代わり金がないからしばらく寄り道しないぞ。そんなことを振り向かずに述べた八幡を見て、結衣は満面の笑みで分かったと返事をする。そのまま買い物を済ませ、ぬいぐるみは袋に入れ、預かり所へと。
そして、もう一つの方は。
「えっへへ」
「何笑ってんだ、気持ち悪い」
「酷くない!? ていうかこのやり取り最近割とやってない!?」
そう言いながら彼に寄り添う彼女の頭に、ちょこんと乗っかっていた。
何かバカップルっぽくない?
ぽくないな、よし
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その3
紆余曲折あったものの、その後は酷い目に遭うこともなく。極々普通にディスティニーランドを楽しんでいた一行であったが、日も傾きかけてきた頃には流石に疲労も溜まっていた。テンションの上がっている間はいいが、一旦落ち着くと感じていなかったそれが一気に押し寄せてくる。そろそろパレードかな、と歩みを止めたのが運の尽きであった。
「どーする? パレード前にも一個くらい何かいっとく?」
「そうだねぇ……」
優美子の提案に、姫菜は少し考える素振りを見せながら周りを見た。別段それに反対意見はないようなので、じゃあ行こうかと歩みを進めていく。その集団の中で、一人遅れ気味の少女がいた。
「……」
「雪ノ下。限界なら素直に言え。お前の体力クソ雑魚なの皆知ってるから」
「嘗めてもらっては困るわね……。私はパンさんを外部供給バッテリーとして機能させることが可能なのよ……」
言うが早いか近くにいたパンさんへと突撃していく雪乃。それについていった結衣が、彼女とパンさんのツーショット写真を撮影していた。言うだけのことはあるらしく、そのまま暫しパンさんを堪能した雪乃は先程より幾分か顔色がいい。
「やっぱ雪ノ下さんって頭おかしいな」
「隣の親友が友人を物凄い罵倒している」
そうは言うものの、ぶっちゃけてしまえば姫菜も優美子と同意見である。そして、それを踏まえて彼女と友人をやっているのだ。つまるところただの軽口であり、周知の事実を口にしたに過ぎない。だから雪乃もそれについて彼女らに何か文句を言うことはない。
ただ覚えていなさい比企谷くんと一人の少年を睨むのみだ。
「俺関係ねぇだろ……」
「あら、じゃあ。あなたは私のことをどう思っているの?」
「悪魔の代名詞」
「ほら見なさい」
「何でドヤ顔なんだよ。ここだろ本来文句言う場所」
隣の結衣は二人のやり取りがおかしくて堪らないのか笑い続けている。再度テンションが上がったのか、そうしているうちに一行の歩みも調子が戻っていった。
「あ」
そんな中、ふといろはが声を上げる。隣の隼人の手を掴むと、そのままてててと少しだけ駆けた。
二人がそこを通り抜けるのと同時、ガシャリと音を立てその道へとロープが張られた。どうやらパレードで使うので封鎖するらしい。だから急いだのか、といろはの行動に納得はした。したが、しかし。
「一色! 見えてたんならあーしらにも言えし!」
「あー、ごめんなさい。咄嗟だったもので」
優美子の声に、道の向こうのいろはが苦笑する。言っていることは本当なのだろう。だが、彼女のその態度を見る限り、どうやらそれだけでもないようで。
はぁ、と優美子は溜息を吐いた。彼女は彼女で察したのだろう。踵を返すと、集まる場所決めとけと告げるとそのまま二人とは別方向へと歩いていく。
「ねえ、優美子」
「ん? どしたんユイ」
「いいの?」
「いいもなにも。この状況だとそれ以外」
言葉を止めた。が、じっと見詰めている結衣から視線は外さない。苦笑し、こつんと彼女の頭を軽く小突くと、最初に言っていただろうにと言葉を変える。
「今回は特別。あいつが隼人にフラれる舞台を作ってやるって感じ」
「もう一色さんはいないわよ」
今度は雪乃。ふん、と鼻を鳴らした優美子の言葉に覆いかぶせるようなそれを述べると、少しだけ意地悪そうに口角を上げた。まあ確かにそれは本心なんでしょうけれど、と言葉を続けた。
「何が言いたいし」
「そうね……とりあえず移動しながらにしましょうか」
怒涛の展開についていけない八幡と翔をおまけにして、一行はとりあえずパレード前に乗る予定であったアトラクションへと進んでいく。そうしながら、雪乃がここにいない彼についてを語り始めた。
「隼人くんはきっと一色さんの告白を受けるわ」
「……だろうね」
「知っているのに、送り出したの?」
「あー、海老名の思ってるのとは違うし。なんつーんだろ、多分――」
「あの馬鹿はどっちも魅力的だから選べないとか言い出すわよ」
「え? クズじゃん」
「ヒキタニくん言い方ぁ!」
思わず口に出してしまった八幡のそれを翔が突っ込む。が、八幡は八幡で視線を隣に向けるとじゃあ逆に聞くがと彼に問うた。
「戸部。お前は今の話を聞いてどう思った?」
「……ないわー、って……あ、いや、でもほら、やっぱ可愛い女子二人に告られるとかあったら俺も同じようになるんじゃねーかなって」
「え? とべっちそういう人?」
「いや俺海老名さん一筋ですけどぉ!」
当然ながら翔は何も考えていない。だから自分が何を言ったのかも自覚はしていない。だからこそ姫菜にクリーンヒットし、ふひっ、と彼女らしからぬ奇声を発して思わず後ずさった。どうどうと結衣が彼女を宥め、余計なこと言うからとジト目で八幡を見やる。
いやそれは流石に理不尽だろう。そうは思ったが、余計なことを言ったのは確かなので渋々ではあるが彼は折れた。本当に渋々である。結衣でなくとも分かるほどあからさまに渋々であった。
「……ま、まあ実際そういうシチュエーションだとそうなるのも無理ないかもね」
コホン、と冷静を取り戻した姫菜がそう述べる。恐らく平常運転になった彼女の脳内の三人が誰なのか、おおよそ想像はついたが誰もがそれを口にはしない。ある意味先程の教訓を活かしているとも言えた。
「例えば――ヒキタニくん、どう?」
「何がどうなのかさっぱり」
「勿論とべっちと隼人く――」
「そうね……比企谷くん、こういうのはどう? 私と由比ヶ浜さんが同時にあなたに告白したとする」
「やめろ鳥肌が立つ」
腐海に沈む質問をフォローしようとしたのか、雪乃が再度言葉を被せるように問い掛ける。が、当の八幡は本気で嫌がる素振りを見せたので、彼女は少しだけ目を細めた。ずい、と彼に近付くと、こう見えてそこそこ容姿には自信があったのだけれどと彼の頬に手を添えた。
全力でその手を払い、猛烈な勢いで八幡が後ずさったことで、流石の雪乃もほんの少しだけ傷付いた表情を見せた。
「ヒッキー」
「お前はむしろ引き剥がす方だろ! 彼氏誘惑されてんだから止めろよ!」
「止める暇なんかなかったじゃん」
ごもっともである。う、と呻いた八幡は、視線を雪乃へと戻すと即座に逸らし、しかし蚊の鳴くような声であったが悪かったと謝罪した。ここで意地を張っても何の得にもならないからだ。とりあえずそういうことにした。
「まあ、それだけ気安いということにしておきましょう」
「いやまあ、確かにそれもあるといえばあるが、お前見た目だけはとんでもない美少女なんだから至近距離に来られると困るというか」
「あら」
へぇ、と雪乃の表情が変わる。口元が三日月のように歪み、面白いことを聞いたとばかりに形作られ。
これ以上脱線してもしょうがないな、と軽く頬を叩いて元通りにした。
まあつまりは。移動しつつ話を戻しつつ。とりあえず今現在二人きりになっていて、なおかつその後告白まで至ったとしても。
そこで即座に勝負が決まるということはない、優美子はそう判断したのだ。そしてそれを、雪乃も同意したのだ。
「モテない男子を敵に回す行動だな」
「あら比企谷くん、あなたは人のことを言えないのでは?」
クスクスと笑いながら雪乃が述べる。話題の変化に伴い、それぞれの立ち位置が微妙に変化をしていたのだが、当然というべきか妥当というべきか。ぼやいた八幡の隣に当たり前のようにいるのは結衣だ。何が言いたい、と言葉にしかけて、その後の返答に予想がついた彼はそれを飲み込んだ。
「まあ、でも。真面目な話に戻すならば」
くすりと笑った雪乃が、少しだけ表情を変える。だが、それは真剣というよりも、どこか優しいといえるもので。
「そういう判断をするようになった、というだけでも、結構な進歩だと思うわ」
今ここにいない彼女の幼馴染は。葉山隼人は恋をしない。否、既に終わっていたので出来ない、と言った方が正しいか。そういう状態であった。
それを、今ここにいる友人達が、そして彼を想う少女達が。彼を変えた、変えていった。
それが雪乃には、少しだけ嬉しく、誇らしかった。
「姉さんに振られて、彼はずっと足踏みしていた。そんなあの馬鹿を引っ張って前に進めさせたのは間違いなくあなた達のおかげよ。ありがとう」
「何でお前がお礼言ってんだよ」
「何だかんだで付き合い長いもの。そういう立場なのよ」
八幡の呆れたような言葉に、雪乃はそう言って微笑む。ああそうですかい、と流した彼は、別に関係ないとばかりに話題に参加するのをやめようとした。これ以上話すと別の意味でやぶ蛇になりかねない。
が、それはそれとして。少しだけ気になっていたこともある。
「そういや隼人くん昔告った相手のこと言ってなかったなぁ。雪ノ下さんのお姉さんだったんだ」
翔が呟く。それだ、と八幡も表情に出さないが彼の言葉に同意した。そうしつつも、あれに告白とか精神に異常をきたしていないかとこっそり引いた。
「ええ。無駄に何でも出来て、自分が楽しいことを最優先して、人を引っ張り回して。だからこそ魅力的に映ったのか、好かれて、可愛がられて、期待されて」
あんな性格なのに、と雪乃が溜息を吐く。お前も大概だからな、と八幡は心の中で全力のツッコミを入れたが、幸いにして表情には出さなかったおかげでバレてはいない。
「その後ろでお人形のように振る舞って。おとなしい、手の掛からない――愛想がない、可愛げがないなんて言われた私とは大違い」
「はぁ!?」
「……比企谷くん、何か文句が?」
「いや、記憶の改竄が起きている気がしてな」
ちらりと周囲を見る。うんうんと頷いている者が数名いたので少し自信を持った。
それを雪乃も確認したのだろう。はぁ、と溜息を吐いて頭を振ると、それは今の自分しか知らないからだと口にする。これは、自分を改革したからだ、と言い放つ。
「葉山が出会った頃には既にこうだったみたいなこと言ってなかったか?」
「無駄に記憶力のある男は嫌われるわよ」
やれやれ、と呆れたような物言いをされて、八幡はこれは自分が悪いのだろうかと一瞬丸め込まれかける。即座に我に返った彼は、ジロリと雪乃を睨むと真面目な話ならボケを挟むなと吐き捨てた。
対する雪乃、それは心外だと彼に返す。別に嘘を言った覚えはないと言葉を続けた。
「隼人くんと出会ったのはその後だもの」
「完全に詭弁じゃねぇかよ……」
彼女が語ったその時期は極々短い、というわけである。色々と誤解させるよう話を組み立てていただけで、言っていることは間違いではない。そう言われたから何だというのだ。八幡は溜息混じりにもう一度述べた、真面目な話ならふざけるな、と。
「ふふっ、ごめんなさい。じゃあ話を戻しましょう」
アトラクションには辿り着いている。列に沿って進み、ライドに乗るまでまだ少し時間はある。これが終わり、パレードを見るための集合場所に向かうまでも、まだ余裕がある。
だから、この話を続けていても問題はない。くだらない余計なことを挟んでも、まだ大丈夫なのだ。
「私は後天的だった。でも、姉さんは先天的だった。きっと、隼人くんにはその違いが大きかったんでしょうね。同じ時期に出会って、同じだけ彼を滅茶苦茶に巻き込んだのに。彼が惹かれたのは、姉さんだった」
「……ゆきのんは、隼人くんのこと」
「そうね。昔は結構好きだったかもしれないわ。私と姉さんに何だかんだでついてきてくれる貴重な人だったから」
結衣の言葉にそう返し、他の男子は大半がすぐに逃げたと少しだけ遠い目をする。そりゃそうだろ、と八幡と優美子と姫菜は思ったが、やはり口にはしなかった。
くるりと向き直る。ここにいる面々を見ながら、彼女はどこか楽しそうに微笑んだ。
「でも、今は違うわ。私には、こんなにいる。一緒にいてくれる友人が、沢山」
だから、あれは恋ではなかった。そう雪乃は断言した。今も彼に抱いている『好き』は、友人であることについてだ。ここにいる皆に感じているものと同じだ。
優美子に、姫菜に、翔に。いろはに、八幡に、そして結衣に。もっと言えば、ここにはいない沙希や彩加、かおりや小町など。彼女を取り巻く友人と同じ、親愛だ。
「隼人くんもそう。私には友人としての好きで。……でも、姉さんには、異性としての好きを抱いた」
「でも、向こうはそうじゃなかった」
「ええ。姉さんにとって隼人くんは弟分。異性としての好意は――多分、なかったんでしょう」
中学二年の頃の話だ。当時既に高校生であった陽乃に、彼なりに全力で舞台を整え、そして思いの丈をぶつけ。
その告白を、断られた。
「それでも姉さんは隼人くんと距離を取らなかったし、態度も変わらなかった。はっきりとその好意を拒絶すること以外は」
だからでしょうね、と雪乃は呟く。葉山隼人が、恋愛に臆病になったのはそれが原因だ。そう彼女は続ける。
断って、尚そのままでい続ける。そのことがどれだけ難しいのか、なまじ聡いからこそそれを感じ取ってしまった彼は、関係の変化を恐れるようになった。相手に出来て、自分に出来ない。あるいはその逆。そうなってしまわないように。
「でも今は、隼人はそんなんじゃないし」
「そう。彼は変わったわ。変わっても変わらないあなた達のおかげで、彼も変わらないまま変わっていった」
「意味分かんねぇよ。早口言葉か」
八幡の軽口を受け、雪乃は笑う。そんなところよ、と再び前を向く。そろそろライドに乗り込む位置だ。この話の続きは、アトラクションを楽しんでからでもいいだろう。そんなことを思いながら、足を進めた。
「てか。あーしたちに言うのはいいけど、一色は言わなくていいわけ?」
優美子がそんなことを問う。それを聞いて、雪乃は再度振り向いた。彼女を見て、くすりと笑った。
後で言うわ。そう前置きをすると、彼女はだって、と指を立てた。
「勝負は、フェアにいくべきでしょう?」
話題の中心だったけれどセリフが一つもないメイン男子葉山隼人
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その4
誰得だよ(二回目)
二人きりになった。これを活かすには、少なくとも合流する時間を遅らせる必要がある。そんなことを思ってはみたものの、今いる場所を考慮すれば何もせずとも自然と時間がかかると判断しいろはは余計な行動を止めた。とりあえず今は隣の人物との交流を深めるべきだ。
「それで、集まる場所は送ったのかい?」
「はい。わたしに全部任せるのはちょっとマイナスですよ先輩」
「ははは。悪いね、いろは。頼り甲斐があるから、つい」
爽やかにそう言われると、いろはといえども言い返せない。惚れた弱みというやつか、はたまた隼人が女性の扱いが上手いのか。両方かもしれない、と彼女は思う。彼はあの雪ノ下姉妹と共にいた。その過程で嫌でもそうなる必要があったのだろう。
あるいは、彼の好きであった相手のために、磨いたのか。
そうこうしているうちに、周りに人も増えてきた。パレードを見るには丁度いいのか、カメラを構えている姿もチラホラと見える。
「間に合いますかね~」
「どうだろうな。人が多すぎて来れないってパターンもあるし」
ダメそうだったら再度連絡、ということにして、二人はそのままパレードが来るであろうその道へと視線を向ける。話すときはお互いの顔を見ながら、そうでないときはそこを見ながら。
「あ、始まった」
「合流は……ちょっと無理かもな」
スマホを確認すると、辿り着けそうにないからまた後で、というメッセージが目に飛び込む。二人共同じ画面のそれを確認すると、仕方ないとばかりに口角を上げた。
はぐれないように、と隼人がいろはの手を繋ぐ。急なそれに一瞬ビクリとした彼女は、ついでその行動を確認して目を見開く。あの葉山隼人が、自分のためだけに。
そう思うのは彼を知らない者だ。そして知っている気になっている者は、彼は優しいからそういうことを自然に出来るのだと胸を張る。
「葉山先輩、手、いいんですか?」
「……改めて確認されると、恥ずかしいな」
いろはの言葉に、隼人は苦笑する。彼のこの行為は、極々自然に行っているそれとはまた違う。『
だから、隼人としても。まるで初心な男子高校生のような反応をしてしまう。
「そういういろはは、どうなんだ?」
「どう、とは?」
「俺が手を握っても、いいのか?」
「そうですね。戸部先輩なら振り払ってました」
「酷いな」
ははは、と隼人が笑う。そっちだって笑っているくせに、といろはも笑う。
そんな笑顔の二人の前を、派手なパレードが横切っていく。ディスティニーランドの人気キャラクター達がこれでもかと総出演し、クリスマスシーズンを彩る衣装で見るものを夢と幻想の世界に案内していく。それは大人でも、子供でも例外なく。
いろはと隼人も、その姿に思わず目を奪われた。
「ん?」
スマホが震える。画面を見ると、どうやらメッセージが届いているようで、アプリを開くと数枚の写真が目に飛び込んできた。別の場所でパレードを見ているのだろう、合流出来なかった面々の姿と位置を知らせる意味を込めた写真を眺め、終わったら来いということなのだろうかとそんなことを思う。
終わったら。それはつまり、そういうことか。写真の送り主は雪乃。ならばその意味もあって当然。
「いろは」
「はい?」
「雪乃ちゃんからLINE来てたぞ。多分終わったらこっち来いってことだろう」
「雪ノ下先輩の方に……?」
「こっちは人が多いからな。向かうならその方が早い」
成程、と頷くいろはであるが、しかしその意味も察したのだろう。スマホを取り出すと、そのメッセージに分かりましたと短く返信を送っていた。
視線を再度パレードに戻す。どうやらパンダのパンさんもここはクリスマス仕様らしい。今頃写真撮りまくってるんだろうか、と隼人は至極どうでもいいことをふと思った。
パレードには当然、王子とプリンセスのペアも来る。美男美女、そうであれとされたキャラクターが、華やかな衣装に身を包みパレードを進む。それらを眺めながら、隼人はちらりと隣を見た。
「あ」
目が合った。どうやら向こうもこちらを見ようとしていたらしく、お互いに見詰め合う格好になってしまう。気恥ずかしくなって視線を逸らそうとしたが、どういうわけか目を離すことが出来なかった。
「葉山先輩」
そう言って目の前の少女は彼の名前を呼ぶ。その瞳は真っ直ぐにこちらを見詰め、その唇から紡がれる言葉が決してふざけたものではないことを予感させた。
パレードはまだ続いている。音とイルミネーションは周囲を幻想に誘い込み、直ぐ側の相手の声だって聞こえるか怪しい。だというのに、何故か彼女の声はやけにはっきりと耳に届いた。
「なんだい? いろは」
「……わたしは」
隼人の返しに、いろはは言葉を続ける。喧騒も、幻想も、彼女の言葉を遮るには至らない。
「わたしは――」
パレードは終盤を迎えた。これが終わると、次は花火が上がる。パレードよりも一層大きなその音は、当たり前のように声を掻き消す。だが、それでも彼女を妨げる障害には足り得ない。
否、むしろそれは、彼女を引き立てる演出へと仕立て上げられているようで。
「わたしは。葉山先輩、あなたが」
花火が上がる。頭上に巨大な大輪の花が咲く。明るい光のシャワーが降り注ぐ。彼女のために、世界を彩る。
「あなたが、好きです」
しん、と世界が静まり返った気がした。音を全て奪い取ったような気がした。それほどまでに、はっきりと、彼女の、一色いろはの告白は隼人へと響いた。
恐らく色々と考えていたのだろう。どういう風に告白をするか、どんな言葉を言えばいいか。それらを練っていたのだろう。
だが、実際はこれだ。勢いで、己の感ずるまま、ただ真っ直ぐに言葉をぶつけた。彼女らしからぬ、何とも不器用な告白を行ったのだ。
だからこそ、隼人には余計に響いた。奇しくもあの時、着飾らない部屋着のままで、勢いのまま告白した彼女のように。
「……最低だな、俺は」
「どうしたんですか?」
はぁ、と溜息を吐き額を押さえる隼人を見て、いろはが心配そうに覗き込む。大丈夫だと手で制した彼は、改めて彼女に向き直った。今考えるのは目の前のいろはだ。決して返事を保留した『彼女』ではない。
「いろは」
「……はい」
彼の声が真剣味を帯びていたからだろう、思わずいろはが姿勢を正す。そしてそんな彼女に向かい、隼人はまず笑顔を浮かべた。ありがとう、とお礼を述べた。
「それは、どういう意味でですか?」
「そうだな……まずはこんな俺を好きになってくれてありがとう、かな」
顎に手を当て、わざとらしくそんなことを述べる。そうして少しだけ空気を緩めると、隼人は困ったように頭を掻いた。わざわざ聞くことではないけれど、と言葉を続けた。
「俺はそんなに立派な人間じゃない」
「知ってます」
「優等生で爽やかなスポーツマンに見せているけど、実際はヘタレで、腹黒くもあって、案外スケベだ」
「分かってますよ。今更です」
自分が好きなのは、イメージで固められた葉山隼人じゃない。彼の言葉に、それを強調するかのような答えを返す。一方で隼人自身も、そうだよな、と苦笑するように少しだけ視線を逸らした。
「なら、これは知ってるか? 俺は今、告白の返事を保留している」
「三浦先輩ですよね? 当然です」
「それも込みか……」
「勿論。そもそも、そんなこと葉山先輩だって知ってたでしょう?」
「まあ、な」
はぁ、と息を吐く。どうやら余計な道はないらしい。そのことを改めて確認した隼人は、ならば答えも知っているだろうと彼女に述べた。当然それも込みだろうと問い掛けた。
「知りません」
「え?」
「わたしは知りません。だから、葉山先輩の口から、言ってください」
言葉が止まる。成程、と頷いた隼人は、敵わないとばかりに肩を竦めた。それはそうだろう。相手が何を言うか予想がついていても、それを聞かないのならわざわざ言う必要もない。何のこともない、彼が自分で僅かな逃げ道を探そうともがいただけだったのだ。
「いろは」
「――はい」
ならば答えねばならない。彼女の想いに、応えなければならない。
「ありがとう」
「それは」
「でも、ごめん。俺は」
俺は今から、最低なことを言う。そう前置きして。
隼人はそれを口にした。以前彼女にも言ったように。目の前のいろはにも、同じことを告げた。今はまだ、返事が出来ない、と。
ただ、前回と違うのは。
「でも葉山先輩。三浦先輩の時は、たしかわたしの告白を聞いたら、って言ったんですよね?」
「そこまで情報共有してるのか……」
「当たり前です」
前回の条件を満たしたのに何故まだ。そう問い詰めるいろはに対し、隼人は困ったように後ずさった。さっきも言ったからな、とやけくそのように言葉を続けた。
「さっき?」
「最低なことを言うぞ」
「あ、はい」
「美少女二人から告白されるのは、凄く気分がいい」
「……何だか先輩の影響受けてません?」
「ああ、それは若干あるかもな……。最近大和や大岡より比企谷といる方が落ち着く気がしてきたし」
「それはかなり重症なのですぐに直してください」
「……俺より比企谷と付き合い長いんだよな?」
確か知り合った期間だけならば結衣と張り合えるはずだ。そんなことを思いながら問い掛けたが、それとこれとは別ですと真顔で返された。
ともかく、といろはが指を突き付ける。そういうのはいいから、もう少しちゃんと話してくださいと釘を差した。一応本心ではあるが、真面目な回答ではないことを見抜かれていたらしい。そりゃそうでしょうに、と彼の脳内雪乃が呆れていたのでうるさいと返した。
「――吹っ切れていない」
「雪ノ下先輩のお姉さんの件ですか?」
「ああ。いや、少し違うか。……怖いんだ」
どちらかを選んだことで、選ばなかった方との繋がりが消えることが。そう言って彼は自嘲気味に笑う。何のことはない、結局まだそこを割り切れていないだけなのだ。一歩踏み出したが、もう一歩先が躊躇している。仲良く笑い合えたのに、一瞬でそうでなくなるのが、たまらなく怖い。
だが同時に、迷っていても結果が同じなことも分かっている。聞かなければそれでもいい。聞いてしまったならば、選ばなければいけない。どちらかを、あるいは、選ばないことを。
「なんだ、そんなことですか」
「え?」
「そういうのは、普通の人相手に悩んでください」
そんな彼の苦悩を、いろははあっさりと切って捨てた。不敵に笑いながら、心配しなくとも大丈夫だと言ってのけた。
「まあ、そりゃ、わたしを選んでくれるのが一番ですけど。もし三浦先輩を選んでも、わたしは逃げませんよ。向こうだって同じです」
だって。そう言っていろはは指を口元に添える。笑いながら、その指を隼人の口元へと持っていく。
「わたしも三浦先輩も。あの、雪ノ下雪乃先輩の友達なんですから」
パレードが終わったことで人混みは幾分か薄れてきた。八幡達のいる場所へと隼人といろはの二人は合流する手はずになっているので、こちらとしては動く必要はない。次々に上がる花火を眺めながら、口々に感想を言うばかりだ。
「なんか、懐かしいね」
「……そうだな」
隣の結衣の言葉に、八幡はぼんやりとそう返す。二人の懐かしむ花火の思い出は夏の一件のみだ。結衣は何となしに言ったのだろうが、八幡にとっては色々と思うところのあるもので。
「どしたの?」
「あー、いや。……月が、綺麗だなって」
「へ? 月が? ……あー!」
思わず口にしてしまった八幡も、それを聞いて思い出してしまった結衣も同時に悶えだす。あれがあったからこそ今こうして隣り合っているのは間違いないが、積極的にえぐり出したいかといえば答えは否なわけで。
何やってんだあの二人、と呆れたような目で見る優美子に、放っておきなさいと雪乃は告げた。ああいうのは下手に何かを言わない方がダメージが少ない。
「あ、いじらないんだ」
「あれをからかったら致命傷だもの」
「確かに」
顔を真っ赤にしてあたふたする二人を姫菜が生暖かい目で見やる。彼氏彼女というのも中々大変だ。そんなことを思いながら、ちらりとそこにいる男子を見た。
姿が見えたらしい隼人に向かって手を振る翔、それに手を振り返す隼人。いつもならばそれだけでご飯がいただける妄想をするのだが。
まあいいや、と彼女は視線を外した。今はそれよりも、親友だ。優美子がいろはと何やら話しているのを見て、予想はそれほど間違っていなかったようだと息を吐く。もっとも、これで彼がいろはを選んだとしても、関係が壊れることはないだろうとおぼろげながらに思っているのだが。
「私も変わったなぁ……」
思わずそんなことをぼやいた。案外自覚しないだけで、常に変化はしているものなのかもしれない。それでも、そう考える程度には大きく変わっている。それがほんの少しだけ不快で。
「まあ、それも楽しい、か」
それを上回るほどには、心地よい。その思いもまた変化の賜物だと考えて、それがことさらに可笑しかった。
「海老名さん」
「ん? どうしたの雪ノ下さん」
「いえ、見ているだけだとつまらないし、私達もあの二人をからかいに行きましょう?」
そう言って隼人といろはを指差す。どうにか落ち着いたらしい結衣とそれに引っ張られた八幡も合流し、花火と混ざりあった騒ぎが生まれていた。成程、と頷いた姫菜は、雪乃と共にそちらへと歩みを進めていく。そうだ、その通り。見ているだけではつまらない。
楽しい日々は、まだまだこれからだ。
ラブコメ? してる?
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会議マストダイ
その1
総武高校新生生徒会。その副会長は隣で微笑んでいる会長を見て顔を引き攣らせた。成程、だの、そうなんですか、だのと笑顔で相槌を打ってはいるが、その表情はそれで固定されたまま。よくよく見ると口元はひくついていた。
今行われているのは、他校との合同で行われるクリスマス会のための会議だ。各々の自己紹介から始まり、どういう風にしていきたいか意見を出し合い。そしてそれが二日目になっても続く。
じゃあ今日はこの辺で、と会議を取り仕切っている相手校の生徒会長玉縄が述べた。それに頷き皆が立ち上がって帰り支度をする中、総武高新生徒会長一色いろはだけは暫し机に置いてあるプリントを眺めている。カリカリと何かを書き続け、それを終えた後に勢いよく立ち上がった。
「か、会長?」
副会長の言葉に、いろはが振り返る。どうしましたかと彼に尋ねると、いやちょっと、という歯切れの悪い返事だけが来た。
「……そうですか。ところで、向こうも何かヘルプの人員呼ぶみたいなんで、こっちも呼んでいいですか?」
「え? あ、ああ。それは別に」
かまわないと言ってしまった彼は、後日深く後悔することになるのだが、今この状況では知る由もない。ただただ、いろはから生徒会長としてのオーラらしきものを感じ取り流石だと圧倒されるばかりである。
先程の彼女の表情も、向こうの企画を進めようとしない悪い言い方をすれば意識高い系の言動に憤りを覚えていたようであるし、見た目や評判とは裏腹のやる気に満ち溢れた素晴らしい会長ではないか。後輩がそこまで頑張るのだ、自分も何か手伝いを。思わずそんなことを思ってしまうほどで。
真面目に考えると馬鹿を見る。時と場合によるのかもしれない。彼がそういう意見を身に付けるのはこのクリスマス会後だ。
「せんぱーい、やばいですやばいです……」
「顔と口調とセリフの圧が合ってねぇよ」
奉仕部。そこに飛び込んできたいろはが部員ではないのに何故かいる八幡へと零した言葉がこれであった。そしてそれに対する彼の感想がこれである。
普段であればこんなことを言いながらやってきた場合、彼女は庇護欲を誘うようなあざといとも言える表情をするはずだ。が、現在のいろはの顔は。
「なあ一色。無表情で猫撫で声出しながらこいつ殺すみたいなオーラで言うのやめない?」
「なにかおかしかったですか?」
「何もかもおかしい」
はぁ、と溜息を吐いた八幡は周囲を見た。本来いろはの用事は奉仕部が受ける依頼であるはず。だというのに何故か対応しているのは彼一人。どう考えても、やはり俺が相手をするのはまちがっている。そう思いながらとりあえず部長に文句を言うべく口を。
「それで一色さん。あなたの依頼は誰かを抹殺することかしら」
「何言っちゃってんのお前!?」
その前にインターセプトをしてきた奉仕部部長雪ノ下雪乃。だが、彼女は彼女でいろはの言葉からそんな結論をはじき出してきたらしい。思わずツッコミを入れた八幡であったが、しかしあの物言いではあながち間違いでもないのかもしれないと口を閉じ暫し考える。
「悩むなし」
「まあ比喩表現って意味ならあり?」
そんな八幡を見て、優美子は呆れながら、結衣は苦笑しながらそんなことを述べた。尚今日は姫菜は用事で不在なので、ベストメンバーではない。
二人に視線を向けたいろはは、まあ大体そんな感じですねと告げる。あまりにもあっさりと肯定したので、軽く聞いていた二人が少しだけ引くほどだ。
ともあれ、このままだと話が一向に進まない。誰を比喩表現的に抹殺するにしろ、まずは詳しい内容を聞いてからだ。誰に促されたわけでもないが、そういう空気へと収束したのでいろはがそうですね、と下唇に指をちょこんと添えながら考え込む仕草を取った。
「もうすぐクリスマスなんですけど」
「知ってるっつーの」
「何か、近くの高校と合同で地域のためのクリスマスイベントをやることになったんです。小さい子やお年寄り相手にするようなやつを」
「へー。どこの高校とやるの?」
「海浜総合高校です」
「海浜!?」
がたり、と八幡が立ち上がった。何だ何だと皆が彼に視線を向ける中、我に返った八幡はゆっくりと座り直し続きを促す。ここではい分かりました、となるならここの連中は奉仕部ではないしやってきたのは一色いろはではない。
待て待てと皆、ではなく、優美子といろはがほれ吐けと詰め寄った。美人と可愛いが近くに寄ってくるのは男子としてはある意味眼福ではあるのだろうが、いかんせん見た目以外は猛獣と変わらない連中である。普通に恐怖が勝る。
「いや、大したことじゃなくてだな」
「だったら言えし」
「いいじゃないですか、隠さなくても」
「……いや、だからな? ただ、あれだ」
「どれだし」
「早く言ってくださいよ」
「……海浜に知り合いがいるってだけだ」
思った以上に普通の答えを聞いて、何だと優美子といろはが脱力する。その程度で一体何をあそこまで反応したのか。ジト目で彼を見ながら、そんなことを思いつつそれぞれの席に戻っていった。
それが終わったタイミングで、雪乃が口を開く。ちなみに二人はその人のこと知っているわよ、と。
「は?」
「え?」
「折本さんだもの」
ウケる! とサムズアップしているショートボブの少女が頭に浮かび上がる。そして同時に、ああそういうことかと納得したように揃って八幡を見た。
「っていうか一色は何で知らなかったし」
「いやわたしあの人が制服着てたり高校の話してるの聞いたこと一回も無かったんですもん」
ぶうぶう、と優美子に文句を言った後、いろははふと何かを閃いたような顔をした。雪乃に視線を向けると、こくりと察したように彼女が頷く。スマホを取り出すと、何やらどこぞと連絡を取り始めた。画面を眺め、雪乃の口角が三日月に上がる。
「それで、一色さん。私達はそのクリスマス会の手伝いをすればいいのかしら?」
「それはもう。好きに暴れてください」
「返答おかしい」
当然のように八幡のツッコミは無視をされた。いろはと話しながらスマホを操作し、雪乃は着々と準備を整えていく。何の、とは怖くて聞けなかった。聞いたら逃げられなくなる、そんな予感が八幡にはあった。が、同時に、このまま聞かなければ楽には死ねない、そんな予感もあった。
早い話が詰みである。彼に出来ることは、今すぐにこの場から逃げ出すことだけだ。
「どしたのヒッキー」
「俺は逃げる。後は任せたぞ」
「あ、うん。じゃね」
「……」
ヒラヒラと笑顔で見送る結衣。そんな彼女を見て、八幡は訝しげな視線を向けた。ここは引き止める場面じゃないのか、と。
「んー。今の感じだと別にゆきのんに任せとけば問題ないかなーって」
「お前それでいいのか」
「逃げようとしてるヒッキーには言われたくないし」
ジト目で彼を見た結衣は、そういうわけだからと立ち上がる。帰るん? という優美子の言葉に、うん、と彼女は笑顔で返した。
「どのみち今日はやんないでしょ?」
「そうね。動くのは明日になってからかしら」
「え~、なるはやでお願いしたいんですけど」
「大丈夫よ。明日には終わるわ」
ふ、と笑みを浮かべた雪乃はどうしようもなく邪悪に満ち溢れていた。八幡の感想である。他の面々がどう思っていたかは定かではない。
ともあれ、八幡の横に立った結衣はそのまま彼の手を取った。それに合わせるように、優美子も鞄を掴み帰り支度を始める。どうやら今日は本当にこのまま解散のようだ。その事に気付いた八幡は、自分が全く逃げられなかったことにも同時に気が付く。
「どっか寄ってく?」
「……雪ノ下のいない、平和な場所がいいな」
「心配し過ぎだって」
ごー、と彼の手を握ったまま振り上げた結衣は、そのまま笑顔で部室を出た。
ここで手を振りほどいてでも逃げないのが、八幡の八幡たるところである。
翌日の放課後。全てを諦めた顔をした少年が死んだ魚の眼でその建物を見上げていた。高校からほど近い場所にあるこのコミュニティセンターでイベントの打ち合わせを行うらしく、奉仕部プラスワンはいろはに促されるまま中へと入る。二階にある講習室と書かれているそこに入ると、既に来ていたらしい海浜の生徒達が目に入った。
その中の一人がこちらにやってくると、いろはに馴れ馴れしい挨拶をする。向こうの生徒会長だというその男子にいつもの営業スマイルで挨拶をしたいろはは、ついで彼が怪訝そうに後ろの集団を見ていたので紹介をした。こちらもヘルプ要員を呼んだのだ、と。
「そうかい。僕は玉縄、海浜の生徒会長なんだ」
よろしく、と彼が述べたのを皮切りに、他の面々もこちらへとやってくる。その都度挨拶をしてくるのだが、彼ら彼女らの言葉の端々から謎の自信と意識の高さが伺えた。八幡はちらりと横を見る。成程、と頷いている雪乃と姫菜、首を傾げている結衣。
そして、ひたすら無表情の優美子。
「雪ノ下さん」
「どうしたの三浦さん」
「こういう意味か……」
「ええ。一色さんの話を聞く限り、こういうことだと予想したけれど。その通りだったわね」
どうやら事前に聞いていたらしい。それでもダメージを受けたらしい優美子は、これ以上いると手が出かねないと自分達の生徒会の面々へと避難していった。急にその場を離れた彼女を不思議そうな顔で見ていた海浜生徒会だが、雪乃が適当な理由を述べてお茶を濁したことで話が戻る。
こちらも、といろはが説明した通り、海浜側も生徒会以外の手伝いがいるらしい。先程とは違い、玉縄に紹介された面々はそこまで意識高い系ではない。そのことでほんの少しだけ安堵した八幡であったが、次の瞬間その表情が凍る。
そいつは手伝いの面々の後ろからやってきた。くしゃっとしたパーマの掛かったショートボブを揺らしながら、どこか楽しそうな笑みを浮かべ。
「よろしくー」
他の生徒とは違い、名前も言わず、ただそう言って軽く手を上げた。それだけで十分であった。それだけで、八幡は全てを悟った。ああそうか、つまり昨日のアレはこういう意味か。
「ん? どしたん比企谷。顔死んでるよ。あ、いつもか、ウケる」
「ウケねぇよ死ね」
ざわ、と海浜側に戦慄が走った。総武高校のヘルプ要員だと紹介された男子生徒が突如こちらの女子生徒に暴言を吐いたのだ。死ね、と言われたその女生徒は人当たりもよく男女隔てなく仲良くするタイプで、当然海浜側も皆憎からず思っている。とりわけ生徒会長の玉縄は、それを少しこじらせているきらいがあるほどだ。
「ちょっと、君。今のは一体――」
「ていうか何でお前がここに――は雪ノ下の仕業か。乗ってんじゃねぇよ、暇人か」
「比企谷の方が暇人じゃん、ウケる」
「うるせぇ死ね」
二発目である。玉縄の静止などまるで聞いちゃいないそれは、確実に海浜側のヘイトを溜めていた。何だあいつ、と皆厳しい目を八幡に向け始め、彼を連れてきた総武高校生徒会にも懐疑の目が向けられる。合同で、協力してやる気があるのか、と。
そんなギスギスした空気の中、時間だということで皆が席に着くことになった。四角く並べられたテーブルではあるが、基本ホワイトボードのある側に玉縄が座り、その左右へと分かれる形になるようだ。少なくとも前回まではそうだったのだろう。
だが、双方ともに手伝いを増員した結果、左右だけでは足りなくなった。しょうがないので玉縄の対面のテーブルも使用することになり、総武と海浜の手伝いがそれぞれそこに座っていく。
「晒し者じゃねぇか……」
「人増え過ぎ、ウケる」
「そう思うんなら減らせよ。こっちは全部で十人だぞ」
「そっちも増やせばよくない?」
「座る場所無くなるだろ」
「それもそうか、ウケる!」
「ウケねぇよ」
会議を始めるはずなのだが、何故か一向に玉縄が声を出さない。というよりも、席に着いた海浜側が動かない。どうしたのだろうかと首を傾げる総武の生徒会の面々であったが、会長と手伝いは事情を察してプルプルと震えていた。
海浜側の最後尾、といえばいいのだろうか、そこに座っているのは件の彼女――何を隠そう折本かおりだ。そして総武側の最後尾、その隣に座っているのは勿論比企谷八幡。先程の暴言を放った相手を隣に置いて、彼女がどうしていたのかといえば。
「んでさ、これ何やる感じ?」
「俺は今日が最初だ、知らねぇよ」
「やっぱり?」
「知ってんなら聞くな」
「まーまー。ほれ、これでも食べて落ち着いたら?」
「誰のせいだっつの」
鞄から取り出されたクッキーを当たり前のように受け取った八幡が、何も気にすることなくそれを頬張る。明らかに親しい相手にするやり取りだ。海浜の中でもそこまで距離の近い異性はいない、同性でもほんの僅か。皆と一律に距離は近いが、もう一歩には中々踏み入らせない。そんなイメージを持たれていた彼女のその中に、あの男がいたのだ。
「あ、ついでにみんなにも渡してくんない?」
「自分でやれよ……」
ほいほい、とクッキーを五つ取り出して八幡に渡す。溜息とともにそれを受け取った彼は、ほらよ、と隣にいた結衣に差し出した。当たり前のように彼女もそれを受け取り、そして残りの手伝いの面々と生徒会長もそれを受け取る。最早海浜の理解の範疇を全力でぶっちぎっていた。
「ガハマ」
「ん?」
「どっからどこまでが雪ノ下の作戦だ」
「え? これは別にゆきのんの作戦じゃないよ」
はぁ、ともう一度溜息を吐いた八幡が頬杖のまま右隣の結衣に問い掛けたが、返ってきた言葉は彼の予想外。思わず素っ頓狂な声を上げて、左隣のかおりに爆笑された。
「どういうことだ」
「だから、これはまだ作戦じゃないんだって」
「……」
「無言でこっち見んな! ウケる!」
ひーひーと机を叩きながら笑う海浜で唯一動いている少女、かおり。よく分からないが、とにかくこの相手を石化させてしまった原因は雪乃の作戦ではないらしい。誰も当てにならないのでとりあえずそれだけを結論付け、八幡はわけわからんと天を仰ぐ。
ちなみに、作戦の本編ではないが、当然ながら雪乃はジャブ代わりに機雷を撒いていた。そしてその起爆剤は自分自身だということに、他人の身になって考えることの苦手な彼は、どうしても気付けないでいた。
玉縄が死んだ!
この人でなし!
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その2
ぱん、と手を叩く音がする。それを聞き我に返ったらしい海浜の面々は、それを行った人物へと目を向けた。
とんでもない美少女である。長く艷やかな髪を靡かせながら、その少女はちらりと玉縄を見る。それに反応した彼へ、そろそろ始めましょうと言葉を投げかけた。
「あ、ああ、そうだね。えーっと、それじゃあ」
あたふたと目の前のマックブックを操作し始めた玉縄は、その画面と横の資料を見ながら深呼吸。気持ちを整えたのか、どこかキリッとした表情で会議室にいる皆を見た。その空気を受けて、海浜の生徒会メンバーは同じように意識が高まっていく。
尚、ヘルプ要員はこそこそとかおりに話し掛けていた。中学時代からの腐れ縁、という言葉を聞き、その内の一人はああこいつが例の、と納得した表情を見せている。
「では、前回に引き続いてブレインストーミングをやろう」
玉縄がそう告げる。会議を進行させる役はここ数日彼が行っていたらしく、そこを怪訝に思う者は誰もいない。勿論基本的には、であり、例外も存在する。というよりいろはが呼んできた自称ヘルプ要員がそれだ。もっというならば、八幡だ。玉縄が仕切っているのを見て、思わず視線を横に向けた。
見るんじゃなかった、と彼は後悔した。ブレインストーミングと称して何やら意識高い系の会話を次々に行う海浜の連中を眺めながら、その人物は、雪ノ下雪乃は笑っていた。可愛らしい少女の笑みとかそういうものではない。口角を上げ、口元を歪ませ、三日月を形作り。
ボードゲームの駒を動かすように、嗤っていた。
「やっぱり若いマインド的な部分でのイノベーションを」
「戦略的思考でコストパフォーマンスを考える必要が」
「ロジカルシンキングで論理的に考えるべきだよ。お客様目線でカスタマーサイドに」
「日本語喋れよおめーら」
幸いにして最後の優美子の言葉は海浜側には聞こえなかったらしく、会議は滞りなく進んでいた。そして唯一聞こえていたかおりはその場で机に突っ伏し微振動している。出来ることなら八幡もそんな風に頭空っぽで行動したかった、とぼんやり思った。
そうこうしているうちに、ある程度のアイデアが出たらしい。八幡には何も出ていないとしか思えなかったが、とりあえず向こうは仕事したぜ感を醸し出していた。
「ちょっといいかしら」
そこで雪乃である。総武側で意見は出ていなかったこともあり、海浜側はそんな彼女に視線を集中させた。八幡はそっと視線を逸らした。
「それで結局どこで何をするの?」
「ああ、それは今こうしてアイデアを纏めている最中で」
「そう。なら、その部分はまだ白紙、自由、ということね」
言質取ったぞ、と言わんばかりに雪乃が笑う。あ、何かやるなこれ、と姫菜はぼんやりと考えた。まーた何か言う気だこれ、と優美子は小さく溜息を吐いた。
勿論海浜側で彼女の中身を知るものはかおりしかいない。積極的にこちらに参加してきた、としか思っておらず、その辺りを決めるためにどうたらこうたらと先程の意識高いワードを交えながら再び会話をし始めた。
「そうなると、先程総武側に言われたように、規模の小ささが気になるな」
「せっかくだし、もっと派手なことをしたいよね」
「となると――」
おそらく、もう一つ高校なり大学なりを追加しよう、とでも言いたかったのであろう。口がそう形作っていた。が、それよりも早く、そのワードを受けた悪魔が、もとい雪乃が動き出した。
「では、まず会場を変えましょう」
「――は?」
「規模を大きく、そして派手に。ならば場所もふさわしいところにするべきでしょう? あなた達がそう言ったわ」
「……言ったか?」
「言ってないと思う」
八幡は隣の結衣に問い掛ける。が、結衣としても向こうの言っている意識高いワードが理解出来ていなかったので、ひょっとしたらそうかもしれないと自信がなさげであった。
雪乃は続ける。向こうが動揺しざわりとしたのを見逃さず、畳み掛ける。
「会場は大きく、そして派手に。――ならばディスティニーランドを貸し切るのがいいわね」
「お前何言っちゃってんの!?」
「私は向こうの提案の最適解を述べただけよ」
絶対に違う。そう言いたかったが、八幡としても向こうの味方をする必要性は欠片も無い上に、極論で返せばそうならないこともないかと一瞬納得しかけてしまったことで二の足を踏んだ。
「い、いや。流石にそれは」
「あら。ブレインストーミングなのだから、そこをどうするかを話し合ってもらわないと」
「それはそうかもしれないけれど、正直話し合うまでもないというか」
「どうして?」
雪乃は笑顔である。いやどう考えても無理だろ、という八幡の睨みを無視したまま、笑みを浮かべ続ける。
「あなた達の言っていたことはこういうことでしょう?」
「あー、そうですね~。海浜側の意見って結局全部そういう感じでしたね」
「会長!?」
ここぞとばかりにいろはが出張る。お前この数日くだらない議論ごっこ聞かされたの忘れてねぇからなオラァと立ち上るオーラが自己主張していた。
「あー、そういう感じか。んじゃあーしはこれ、ランドとシーでフェスやるとか良くない?」
「あ、いいね。ジャニーズ呼んじゃう?」
「優美子と姫菜まで……」
高校のクリスマスイベントから局がテレビでやるスペシャル番組へと規模が拡大している。どう考えても無理である。が、しかし。規模を大きく、派手に、という向こうの意見はこれ以上なく叶えられてはいるのだ。一応。
「いや、その、予算とか時間が」
「それを考慮した意見は一つでも出ていたかしら?」
「ふわっとしたアイデアもどきを出して、それにいいねボタン押すだけって感じでしたよね~」
「会長言い方ぁ!」
副会長が思わず叫ぶ。先程も今回もツッコミを先にされた八幡は、再度出しかけた手をゆっくりと下ろして何もなかったことにした。かおりが隣で呼吸困難になっていた。
そんな愉快な総武側とは違い、海浜側は押し黙る。反論しようにも、いい言葉が出てこない。自分達の会議のそれが、借り物と受け売りでしかないことは本人が一番良く分かっているのだ。それでも、そうすることで仕事をしている気になっていたのだ。
なんのことはない、向こうも出来たばかりの生徒会を何とかしたくて足掻いていた。それだけだ。
「……その結果がこれとか、何かいたたまれなくなってきた」
「どしたのヒッキー」
「ドラえもんって、相手がジャイアンじゃなきゃ蹂躙だよなぁ」
「意味分かんないし……」
会議後半。今までとはうってかわって予算や時間を考慮した具体例を考える空間へと様変わりした会議室は、思った以上に真面目な雰囲気が生み出されていた。
「じゃあ、イベントは音楽をテーマにするのね」
「そう。『今、繋がる音楽』という感じで」
「そういうのが出来るあてはあるの? こちらはここで決まれば一つ二つ用意するけれど」
「それは今の状態では何とも……。とりあえず有志を募集する方向で」
「んー。でもそれだけだと少し寂しくないですか?」
「アウトソーシングしていくことも検討に入れるのは」
「その辺りは予算との戦いね。一色さん、どう?」
「ん~、こっちはカツカツなんでやるなら海浜持ちじゃないですか? あ、副会長、それはこっちに纏めてください」
尚、議長は雪乃に取って代わられた。いろはは雪乃と一緒に話を進める役である。何だか生き生きと海浜側をばっさりいく彼女を見て、総武高校生徒会は若干引いた。
一方の八幡、暇である。話がスムーズに進んでいるので、文句をつける役の彼はやることがないのだ。かといってネタ出しに参加している優美子や姫菜のようにもなりたくない。
「比企谷は向こう参加しないの?」
「めんどくさい」
「だよね、ウケる」
くっくっく、と笑ったかおりは、そのまま進んでいく会議を楽しそうに眺めた。あんなもん見て何が楽しいのか。そんな感想しか抱かない八幡は、彼女の表情の理由が分からない。分からないが、まあかれこれ三年近くの付き合いである。特に理由はないのだろうと彼なりに彼女を結論付けた。
まあいいや、と隣を見る。ほえー、と観客になっていた結衣の横顔を眺め、そしてふと思い立ってその頬を指で突いた。ぷひゅー、と面白い音が出る。
「何すんだ!?」
「いや、なんとなく」
「何となくでほっぺ突くとかありえなくない?」
ぐりん、とこちらを睨み付けた結衣がぶうぶうと文句をのたまう。そんな彼女をどうどうと宥めた八幡は、ところで聞きたいことがあるんだがと彼女に問うた。この状況で素直に聞くのかといえば普通であれば答えは否。なのだが、結衣は結衣でまあヒッキーのやることだしとあっさり終わらせた。強い。
「で、どしたの?」
「いや。なんというか」
「ん?」
歯切れが悪い。何が言いたいのかよく分からないと首を傾げた結衣だが、八幡はそれでもあーだのうーだの言いながら中々言いたいことが出ないらしく苦い顔を浮かべている。
そんな彼の左隣。かおりが八幡を非常にいい笑顔で眺めていた。向こうの会議よりもこっちを見ていた方が絶対に楽しい。そう確信を持っている笑顔であった。
「このクリスマスイベント、手伝うってことは俺たちもこれに当日参加するってことだよな」
「まあ、そりゃね。ヒッキー何か用事でもあった?」
「用事っつーか……」
ガリガリと頭を掻きながらちらりと結衣を見る。八幡の言いたいことが分かっているのかいないのか、彼女は別段表情も変えず普段通りだ。彼の横にいるかおりが吹き出したことに一瞬ビクリとするだけである。
「……この、イベント。イブにやるんだよな?」
「みたいだね。まあクリスマスイベントだし当然じゃない?」
「その日ってのは、こう、あれだろ。……うわ俺何か一色みたいな思考回路になってた」
「意味分かんないけど多分それいろはちゃんに失礼だと思う」
「失礼じゃねぇよ。一色と同じ思考回路とかむしろ俺に失礼だぞ」
本人が聞いていないのをいいことにボロクソである。後で言っとくかー、とかおりが一人ほくそ笑んでいることも知らず、そのまま八幡は会話を続ける。続けようと、言いたいことを言おうと、出ない言葉を絞り出すために口を開く。
「……ガハマ」
「ん?」
「お前は……何か用事はなかったのか?」
「へ?」
何言ってんだと眉を顰める。さっきからどうにも要領を得ない会話をしていたと思ったら、お前は用事があるのかときたものだ。結衣としても流石に意味不明過ぎて不満げな表情に変わってしまう。
が、とりあえず。質問にだけは答えておこうと彼女は口を開いた。クリスマスイブの日、彼女の用事があるとすれば、と言葉を紡いだ。
「ヒッキーと一緒にいるけど」
「ぶふっ」
「うわっ、汚っ!」
むせた。ゲホゲホと咳き込みながら垂れてしまった鼻水をテッシュで拭いゴミ箱へと捨てると、八幡はふざけんなと結衣へ詰め寄る。散々人をからかいやがったなと叫ぶ。
「え? 何が?」
「とぼけんな。お前俺がイブの日にイベントだからどうすればお前と二人きりになれるのか必死で悩んでたのを分かってて」
「――え?」
「え?」
ぼん、と結衣の顔が真っ赤になった。急に挙動不審になり、あたふたと手を振りながらせわしなく視線をさまよわせる。どうやら『そういう意味』ではなく、極々普通にいつも通りに二人でいる、という意味合いだったらしい。
その事に気付いた八幡、自分が物凄く恥ずかしいことを勢いのままに言ってしまったのを自覚した。声にならない叫びを上げながら、頭を抱えて悶えて突っ伏す。幸いだったのはそんな彼を見ていたのは極々僅かな人数であったことだろうか。
「あ、えと、その、ヒッキー。あ、あたし、その、えっと、その日はフリーで」
「だからイベントだっつってんだろ……」
「あ、そっか。えーっと、じゃあ」
こほん、と咳払いを一つ。大きく息を吸い、そして吐く。そんな動作を数回行った後、結衣は真っ直ぐに八幡を見た。顔を上げ、赤くなったそれを隠すために手で鼻から下を覆っている彼を見た。
「なるべく一緒に、いるってのは」
「……いつもそうだろ」
「あ、あはは。うん、そうだね。そうだった」
顔を背けながらそう呟いた八幡に、結衣は苦笑しながらそう返す。そのまま暫し無言で、お互いに視線を合わせなかった二人であったが、今日の会議は終わりだという雪乃の声を聞き我に返る。どうやら相当な時間、揃ってギクシャクしていたらしい。
「お、終わりだって」
「らしいな」
「……帰ろっか」
「……ああ」
帰り支度をする他の面々と同じように、結衣も八幡も席を立つ。鞄を持ち、ほれ来い、と手を降っている優美子達のいる場所へと歩いていく。おまたせ、と皆に述べた結衣を見て、優美子は少し怪訝な表情を浮かべた。
「ユイ、どしたん?」
「へ?」
「顔。……風邪でも引いた?」
「う、ううん! 平気! 全然大丈夫!」
「ふーん」
ちらりと向こうを見る。看破され物凄い勢いでいろはと雪乃にからかわれている八幡が見えて、あーはいはいごちそうさまと小さく溜息を吐いた。
持っていた鞄を肩に担ぐ。このイベントはクリスマスイブ。丁度いい口実にはなるかもしれない、と彼女はぼんやりと考えた。
「隼人、誘ってみっかなー……」
そう言いつつ、どうせ望む望まないに拘わらず来るのだろうけど、と苦笑した。
蛇足。
「かおりー、帰ろ、ってどうしたの!?」
「だ、駄目だ……ウケ過ぎて、死ぬ……」
会議室にはツボに入り過ぎた結果、息が出来ないほど笑い続けた少女が一人残されたそうな。
あ、バトルフェイズ終わってた
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その3
小学生が、あらわれた! コマンド?
「さて、と」
「ウェイト。雪ノ下さんウェイト」
「どうしたの比企谷くん。向こうに影響されたかしら」
「どっちかっつーとこれはルー語で意識高い系とは違う。じゃなくてだな!」
八幡の叫びをいつものようにスルーした雪乃は、そのまま新たに参加した小学生たちへと指示を出していく。どうやら舞台で劇をする役者として参加をお願いしたらしい。
「……何する気だあれ?」
「なんか、ミュージカル的な何かをするらしいよ」
「わざわざ小学生を使ってか? 小学生は最高だぜ、とか言っちゃう系?」
「いや、わけ分かんないし」
そんな雪乃をぼんやりと見ていた彼の呟きに結衣が答える。が、八幡としては納得できる答えは出てきていなかった。むしろ余計に疑問が湧いてくる。
結衣もそれについては答えを持っていなかったようで、向こうに対抗してるんじゃないかなという曖昧な返事しか出来なかった。しかしならば海浜がこちらを圧倒するようなことをやるのかといえばそういうわけでもない。
「というか、何だ? 向こうとこっちで違う出し物やるのか?」
「気付いたら二部構成になってたっぽい」
「何やってんだあいつら……」
溜息を一つ。そうしながら、会議中のマウント取り合戦を思い浮かべた。基本雪乃がトドメに回っていたが、いろはも相当やらかしている。それを宥めてかつ潤滑油として動き回る副会長がいっそ気の毒に思えるほどであった。
間違いなくお互い手を取り合ってだの共同作業だのとは無縁である。確かテーマは『今、つながる音楽』。まったくもって繋がっていない。
「イベント破綻してんじゃねぇか」
「まあほら、あれじゃん。喧嘩して仲良くなる、みたいな」
「河原で殴り合えってか。昭和かよ……」
まあいいや、と八幡は再度溜息。どうせ自分は雑用であの辺りの仕事とは関係がない。そんなことを思いつつでは己の仕事をこなしましょうかと視線を動かし。
「……あ」
「どしたの? あ」
参加要請した小学生の一団の中に、見覚えのある顔を見付けてしまった。
よくよく考えればそうだろう。雪乃が呼んだということは、総武高とある程度の繋がりのある小学校のはずだ。林間学校の手伝いなどをしているとか、そういう借りもあれば尚お願いがしやすい。
つまりはそういうことである。ワイワイと騒いでいる集団の中に一人、静かに、だが確かなオーラを持ったまま立っている一人の少女がそこにいた。その横にはやはりどこかで見たようなロングな三編みの少女と、カチューシャでおでこを出している少女が何やら彼女へ喋っている。あの時いた他の面々の姿は見えないが、二人と中心の少女の様子からするとただ単にこのイベントが面倒だから参加していないだけなのだろう。以前とあの時に直接助けられた二人はそのままついてきた、といったところか。
「あれ、留美ちゃん?」
「みたいだな」
「元気そうだね」
「やれやれ系みたいな顔してるけどな」
向こうも気付いてはいるのだろう。雪乃を見て、ほんの少しだけ目を細めていた。横の三編みの少女も目を見開き、そして視線を動かして八幡と目が合う。笑顔で手を振られたので、苦笑しながら手を振り返した。
「小さい子には基本甘いよねヒッキー」
「誤解を招くからその言い方やめろ」
ともあれイベントの準備はペースを上げつつ着々と進んでいく。総武側は舞台で動く小学生のための衣装や小道具、背景などのセットの作成と、横で演奏する面々の練習や場所の設営準備等。それこそやることは山ほどあって、人手は多ければ多いほどいい状態だ。
「文化祭や体育祭を思い出すね」
「ついこないだじゃねぇか……二学期になってから毎月やってるような気がするぞ」
言いながら八幡は組み立てたセットを立て掛けた。セットとはいっても、そこまで大規模なものではない。勿論ある程度の見栄えは考慮してあるが、設置と撤去のしやすさを重視してあるきらいがあるほどだ。
ふう、と息を吐く。固まった体を伸ばしながら、彼はここにはいない演奏担当のいるであろう方角を見た。
「それはそれとして、何でまたあの人呼んだんだよ雪ノ下は」
「一番使い勝手がいいからだそうですよ」
八幡の疑問に答えたのはこちらの監督役であるいろはだ。うお、と思わずのけぞった彼を不満げに見ながら、出来上がったセットを見てうんうんと頷いている。
それはそれとして八幡はいろはのその返答には物申したかった。あれを、あの人を、使い勝手がいいと言えるのは世界広しと言えど雪乃くらいであろう。あるいは、よく知らない二人の両親か。
「まあ雪ノ下先輩のお姉さんもノリノリでしたし」
「あの人がこういうタイミングでノリノリじゃないはずがねぇだろ……」
悪魔と悪魔がタッグを組んでフォークダンスをしているこの状況は、八幡にとって悪夢以外の何物でもない。他の誰かにとってはそうでなくとも、少なくとも彼にとっては間違いなく。
「……ん? そういや葉山はどうした?」
「え? 葉山先輩? 何でですか?」
「雪ノ下姉妹が組んでる状態なんだからあいつが生贄になってるのはもうお約束だろ」
「どういうお約束だし……」
何言ってんだこいつ、という目で結衣は八幡を見やる。そんな彼女の視線の先にいる彼の目にふざけている様子は欠片もなかった。本気でこの状況ならば隼人が被害にあっていると信じて疑わない。
が、いろはが小さく息を吐き、これ見てくださいよと会話アプリの画面を見せたことで彼の表情が怪訝なものに変わっていった。
「お手伝い頼んだら断られました」
「あ、ホントだ」
ひょい、とその画面を覗き込んだ結衣もそんなことを言う。忙しいのかな、と記憶を辿っているようであったが、しかし普段と変わらなかったと結論が出たことで彼女は首を傾げた。
そして八幡。暫しそれを眺めていたが、ふと引っかかったことがあり視線をいろはへ向ける。どうしました、と尋ねる彼女に向かい、彼はその疑問を口にした。
「あの時手伝う約束してんだから、一色のヘルプには理由もなく断るはずがない」
「そうなんですよね~。葉山先輩、絶対これ何か隠してます」
「……おい一色、お前さっき俺が言ったことに納得いってなかった顔してただろ」
「してましたね」
「じゃあこれはなんだ」
「わたしとの約束より自分の被害を回避する方取るとか酷くないですか?」
そこかよ、と八幡が肩を落とす。が、それについては彼は否定をし辛いのもまた確かなわけで。ちらりと隣を見て、多分自分ならば逃げるなと一人納得した。
「まあ、あたしはそういうの織り込み済みだから別にいいけど」
「心を読むな」
「ヒッキーが分かりやすいんだって」
そう言って笑う結衣を見て、八幡はそっぽを向く。そんなやり取りを見たいろはがはいはいごちそうさまですと手を叩き、そういうわけなのでいませんと締めた。
「でもいろはちゃん、隼人くんに断られた割には平気そうだね」
「まあ、こういうのも含めて葉山先輩ですし」
隼人のファン程度の理解では無理だろうが。言外にそんなことを匂わせつつ、いろははそう言ってニヤリと笑う。これをダシにデートにこぎつけるとかでもありですからね、とついでに続けた。
「そんなわけで。今日とか明日は来ないので先輩は諦めて手を動かしてくださいね」
「……あー、はいはい」
働きたくねぇ、とぼやきながら八幡は仕事を再開する。そうしながら、最後のいろはの言葉を反芻し、ああ結局お前もお約束だと思ってるんじゃねぇかよと溜息を吐いた。
大きめのセットはほぼ作り終えたので、これからは細かい作業だ。ああやっぱり面倒くさいと再度げんなりした表情をしながら、八幡はそれらの小物作成に取り掛かる。
「比企谷そういうの死ぬほど似合わないね」
「うるせぇ死ね」
背中から声。聞き覚えのあるものだったので、彼は迷うことなくいつもの返しをした。そもそも何でお前ここにいるんだとついでに文句も付け加える。
「スパイ」
「死ねよ」
サムズアップと共にドヤ顔でそんなことをのたまったかおりを一瞥すると、八幡はそう吐き捨てた。小学生の情操教育に悪い会話だが、幸いにして少年少女は劇の動きの練習にかかりきりで雑用には目もくれていない。結衣があははと笑うのみだ。
「……あ、そうだ。丁度いい。おい折本、そっちの状況はどうなんだ?」
「え? 比企谷がこっちの心配?」
「そんな大層なもんじゃない。ただの現状確認だ」
思わず真顔になったかおりを見て心底嫌そうな顔をしつつ、彼はそのまま会話を続ける。はいはい、と表情を戻した彼女は、とはいっても、と顎に手を当てた。
海浜は今回のイベントの予算の大半を注ぎ込み、ジャズとオーケストラを行うらしい。外部依頼と有志の生徒をバランス良く混ぜることでコストに見合わない規模を実現したのだとかなんとか。
「てわけであたしは暇なのだよ。正直なんで来てるのって感じ。やばいウケる」
「だったらこっち手伝え」
「あ、いいよ」
「いいのかよ」
「何で自分で言っといて驚いてんの? ウケる」
「お前普段の行動と言動を顧みてから発言しろ」
八幡への返答代わりにキシシと笑いながら、かおりは置いてあったダンボールから材料を取り出し小物を作り始める。どんな感じ、と結衣の作っているものをひょいと覗き込んだ。
そのまま暫し無言で小物作りをしていたかおりは、何個か目の出来上がったそれを箱に入れ、そういえばと二人を見る。
「こっちはどんな感じなの?」
「あ、スパイ設定生きてたんだ」
「あ、そういえばそんなこと言ってたっけ」
「幼稚園児だってもう少し考えてもの喋るぞ」
「ウケる!」
「ウケてる場合かよ」
それでどうなの、と八幡のツッコミを流しつつ再度質問。答える気がさらさらない彼に代わり、結衣がえーっと、と視線を動かした。
「こっちは劇担当で、そっちとは別の場所で練習してるのが音楽担当。二つ合わせてミュージカル的な感じにするんだったっけかな」
「ミュージカル的?」
「ミュージカル的」
正確には、歌と演奏を雪ノ下陽乃率いる音楽担当が奏で、それに合わせて小学生達が演技をするというものであり、そのアンバランスさとギャップを楽しむものだとかなんとか。
よくよく考えると相当難しいことを小学生に請うているのだが、現状そこそこ上手く行っているのでその辺り侮りがたし雪ノ下姉妹といったところなのだろう。八幡の感想はともかく、説明を聞き終えたかおりもへー、とどこか感心している様子を見せていた。
「確かに何か小学生ぽくない動きしてるよね。特にあの娘とか」
あれ、と指差した先にいるのは黒髪の少女。セリフを言わないということで動きに全振り出来るとはいえ、それでも彼女の動きは頭一つ抜けていた。動きに迷いがなく、後退の二文字を捨ててきているかのようなそれは、見ている八幡も思わず感心してしまうほどで。
「……まあ、殺人ピエロにフラッシュで目潰ししてオルゴールぶつけるクソ度胸持ってれば当然か」
「何の話?」
「こっちの話だ」
思わず右目を押さえた。あの時の痣はとっくに消えている。物理的に傷は付いたが、結果的に誰も致命的な傷を負うことなく事態は解決した。解決したのだ。少女達はトラウマとか負ってしまったかもしれないが預かり知らぬのでそういうことなのだ。
あの様子だとあの後も別に態度を変えてはいないだろう。変わったのは周りで、彼女はそれを受け入れただけ。それでも、だからこそ、鶴見留美はあそこにいる。
「折本」
「んー?」
「そっちも気合い入れてるかもしれんが、こっちはこっちで多分成功するぞ」
「あはは、ヒッキーがそういうのって何か珍しいね」
「それある。比企谷素直に褒めないんだよね」
「何だお前ら」
ジト目で二人を睨んだが、付き合いの長いかおりと付き合っている結衣には当然のように通用しない。うんうんと頷きながら、もう一度練習している留美たちを見た。
「でもまあ確かに。こっちも気合い入れなきゃ負けそうだなぁ」
「あ、勝ち負けなんだ」
「そりゃ、どうせなら勝ち負け決めた方が良くない?」
「お前そういうのやめろ。勝負とか言い出すと絶対に雪ノ下が」
「あら、私がどうしたの?」
うおぉ、と持っていた小物をぶちまけながら八幡は盛大に後ずさった。投げ出された厚紙がペチペチと彼女の顔に当たり、そしてそのままズルリと床に落ちる。
パサリ、という小さな音が、何故か部屋中に響いた気がした。
「……そうね。私が急に声を掛けたのが悪いわ」
「え? ど、どうした雪ノ下!? 何か悪いものでも食ったか? ガハマの料理とか」
「酷くない!?」
こんにゃろ、と八幡の脇腹を突いた結衣が、大丈夫なのと雪乃に向き直る。厚紙程度で怪我などするはずもなし。大丈夫だと言いながら、彼女は床に散らばった厚紙を拾い、ダンボールへと入れ直した。
「それで、何の話をしていたの?」
「へ? あ、うん。総武とこっちで勝負じゃんって話」
「ああ、成程。そうね、確かにそういう部分はあるでしょうね」
「あるんだ……」
うむ、と頷いた雪乃を見て結衣が思わず呟く。多分自分の彼氏の心配は既に現実になっている。そう結論付け、まあいいやと流した。彼女にとっては別段そこまで心配することではないからだ。
「比企谷くん」
「な、なんだ?」
ぐりん、と音がせんばかりの勢いで雪乃が振り返る。再度後ずさった八幡がビクビクしながら尋ねると、彼女はそこで笑みを浮かべた。ニコリと、口元を三日月に歪めた。
「勝負なのだから、やはり勝つべきよね」
「俺は人生負け続けてるからな。その意見には同意できんぞ」
「そう。なら丁度いいわ。ここでしっかりと勝っておくべきよ」
「別に俺は負けで構わんからおかまいなくというかこっち来んな」
「大丈夫よ。雑用ばかりで退屈だったであろう比企谷くんに、ちょっと刺激を与えてあげるだけだから」
「退屈なのが人生一番、低空飛行で満足するのがある意味幸せと言えてだな」
「大丈夫大丈夫、ちょっとだけ、ほんの少しだけよ」
「やめろいかがわしいセリフ言いながら近付くなというかお前やっぱりさっきの根に持ってたんじゃねぇか!」
部屋に目の腐ったとある少年の悲鳴が木霊したらしいが、そのことについて語るものは誰もいない。爆笑する少女と、あははと苦笑する少女がいるのみである。
ルミルミとのあれこれはセメント本編の『お一人様ボッシュート』を読もう(宣伝)
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その4
今は反省している。
『メぇぇぇ~~リぃぃぃぃクリっスマぁぁぁ――――スぅ!! ひゃ――――はっはっはっはっはぁ――――っ』
「みんなが壊れた!?」
ついていけない結衣が叫ぶ。その横では背景になろうとして失敗した八幡がクリスマスに捕まり連行されていた。死んだ目でどこか遠くを見るその姿は、彼女でなくとも気の毒に思うほどで。
一応念の為に言っておくが、クリスマスとは悪魔達である。二人だったはずなのだが、いつのまにやらかおりが加わりトリオになった。ドン引きしている副会長に比べ、いろはは割と楽しげなのが混沌ぶりに拍車を掛けている。こういう時は騒いだもの勝ちだ、とは見守るとは聞こえがいいがその実投げっぱなしの平塚静教諭の弁だ。
ともあれ、準備もほぼ終わり後は本番を待つばかりとなった当日の午前中。準備でドタバタしていた緊張感が一気に抜け落ちたのか、皆一様に騒がしい。特に雪ノ下姉妹はそれが顕著で、陽乃の影に隠れているが雪乃の姿は普段の学生生活を見ているものからすれば似ている別人を疑うほどだ。かおりはいつも通りである。
「まあそういうわけだから、お姉さんプレゼントを用意したわ」
「どういうわけですか」
「こらこら、そういう質問は野暮だぞ☆」
「ウゼェ……」
クリスマスイベントの総武側中核とも言える音楽指揮者である陽乃の格好もそれに合わせたクリスマスカラーだ。三角帽子を被っていることもあり、その姿はサンタクロースを連想させた。
勿論八幡にとっての彼女はサンタクロースの黒い方である。油断するとモツをぶちまけられかねない。
「それで、プレゼントって何なんですか?」
「お、一色ちゃん、いいこと聞くね。じゃあ早速、雪乃ちゃん」
「ええ。準備は万全よ姉さん」
そう言って何やら台車に積まれた巨大な袋を雪乃が運んでくる。流石に重いのかかおりが手伝いに回り、そのままゆっくりとそれが皆の中心へと運ばれてきた。
もうその時点で嫌な予感がこれ以上ないほどしていた。そう判断したが、逃げることは出来ない。死なばもろとも、と優美子が彼の肩を掴んでいるからだ。
「こういう時吹っ切れないと大変だよねぇ」
「あーしはそうなったら終わりだと思う」
「えー。それじゃあまるで私とユイが終わってるみたいじゃん」
「あたしも!?」
「じゃあ聞くけどユイ、あの中身何だと思う?」
「え? ……あの二人が用意して、でもってヒッキーが逃げようとしてるから…………人、かな?」
「あ、ホントだ。ユイ終わってたわ」
「でしょー」
「酷くない!?」
いや酷くねぇよ、と八幡は心の中で盛大にツッコミを入れた。何だよ人って、と追加で脳内シャウトをする。するのだが、その言葉を聞いて何故か妙に納得してしまった自分がいたことで、ああこれはもうダメかもしれないと天を仰いだ。
そこで気付く。あの二人が用意した、人。ということはあれは。
「まさか――」
「はいでは開封。雪乃ちゃんゴー!」
「了解」
袋の口が開く。はらりと紐が落ち、そしてゆっくりと中身が顕になった。
どこかで見たような顔であった。目が死んでいることと体をラッピングされていることを除けば、八幡ですら見覚えのある人物であった。というより、あの二人が、特に陽乃が完全におもちゃにする人間など彼自身を除けば一人しかいない。
「隼人……」
「まさかの自分プレゼント!? こ、これは……副会長が受け取るってのも、割とアリ!?」
「ねーよ。じゃなくて、隼人? 生きてる?」
「いっそ死んでいたかった……」
八幡以上に死んだ目で隼人がどこかを見る。完全に焦点が合っていない。猿ぐつわもされておらず、ラッピングも拘束というほどのものではないことから、彼は自ら抵抗を諦めたのだろう。それを察した八幡はそっと彼から視線を逸らした。目が合ったらきっと自分も巻き込まれる。そう結論付けたのだ。外道とも言う。
「さあ、受け取るがいい」
「わぁ! 本当にもらっていいんですか!?」
「いいわけねーだろ! 一色、ふざけんじゃねぇし!」
「え? だって三浦先輩はいらないんですよね?」
「はっ? え? いや、あーしは……ほ、欲しい、けど」
「何純情ぶってるんですか気持ち悪い」
「ぶっ殺すぞてめぇ」
ぎゃーぎゃーと騒ぎ始めた二人を眺めながら、ラッピングされた隼人は静かに佇む。台車から降りることもせず、ただただそこに、袋の中に残っていた。
「ふふっ。モテモテね、隼人くん」
「この状況でそういう普通のセリフいらないから」
そうして午後からはイベントの幕開けである。海浜、総武共に準備期間をフルに使ったその出し物は好評で、参加者は皆笑顔で楽しんでいるようであった。裏方なので会場を覗き見する程度でしか確認は出来ないが、まあ大丈夫そうならそれでいいだろうと八幡は息を吐く。責任者は自分ではない。こういう時に一喜一憂する役目は自分ではないのだ。
「あ、先輩、結衣先輩が呼んでましたよ」
「ああ、分かった」
返事をしてそこから離れる。後は生徒会の仕事だろう。ほんの少しだけ口角を上げながら、八幡はいろはに言われたように結衣のもとへと歩みを進める。目的地に着くと、彼女は向こうで雪乃と一緒にこの後ホールで行うお茶会のケーキを用意しているようであった。
「は!? おいガハマ、お前がケーキなんか作ったら」
「大丈夫よ比企谷くん。由比ヶ浜さんは調理にまったくもって微塵も欠片も関わっていないわ」
「そうか、よかった」
「酷くない!?」
事実彼女は材料を運んだり出来上がったケーキやジンジャークッキーを運んだりという仕事しか任せられていない。本人もそれは重々承知であるが、しかしそれと心情は別である。不満げに二人を見ると、しかしまあいいやと彼へと歩み寄った。
「そっちはどう?」
「あの人が指揮やってんだからどうとでもなるだろ」
溜息と共にそう返したのを聞いた雪乃が彼を見やる。彼を見て薄く笑うと、しかし何も言わずに作業を再開した。
勿論そんなことをされたら八幡は落ち着かない。何だ今の意味深な笑みはと思わず詰め寄ろうとして、ここで騒ぐとお菓子が台無しになるかもしれないと踏み止まった。口は出す。
「大したことじゃないわ。姉さんを信頼しているのね、と思っただけ」
「え? いやそういうの本気で止めて欲しいんだが」
「マジ顔だし……」
そりゃそうだ、と八幡は向き直る。何をどうなったとしても、あの雪ノ下陽乃を信頼することはありえない。彼は思い切りそう言い切った。
「そうね、正しい判断だわ」
「えー……」
「一応言っておくが、俺はお前も信頼してないぞ」
「前も聞いたから、知っているわ」
「えー……」
そう言って笑うと、雪乃はそのまま作業の続きを始めた。後はもう運ぶだけということで、それらを手早く済ませた彼女は二人へと向き直る。こちらの出番は終わったことだし、後はイベントを楽しめばいい。そんなことを言いながらエプロンを外した。
「ん? なあガハマ、俺を呼んだ理由は何だったんだ?」
「へ? あたし別にヒッキー呼んでないよ? ヒッキーこそ、あたしに用事があるんじゃ?」
「いや、俺は一色に言われたからここに」
「あれ? あたしもいろはちゃんにそう言われて」
二人の脳裏にテヘペロしているいろはの顔が浮かぶ。つまりはそういうことらしい。
「何がしたいんだあいつは……」
「あはは。多分、後は自分でやるから大丈夫ってことじゃない?」
「だったら素直に言えっつの。何か誰かさんに似てきたぞ」
まあいい、と八幡はそれについて考えるのをやめる。重要なのはもう既に仕事をしなくていいという一点だけだ。働かなくともいい、というのは何を差し置いても重要案件なのだ。
じゃあ会場に混ざりに行くか。そう結衣に述べ、二人揃って歩き出す。が、その途中で結衣が立ち止まり振り向いた。今いるのは、隣に八幡。以上である。
「あれ? ゆきのん?」
「こういう時に邪魔するほど野暮ではないわ」
「いや、別にそういうんじゃないだろ。余計な気を回すな」
「回すわよ。だってほら、折本さんですら今日はあなたをからかいに来ていないのだもの」
「……言われてみれば」
雪乃の言葉に八幡は視線を巡らせた。イベント開始の直前までサバトに混ざっていたので総武だの海浜だのを気にするような性格ではないのは周知の事実。にも拘らず、このタイミングでここにいないというのは。
「って、向こうの仕事してるだけだろ」
「何か準備の時点でやることないとか言ってなかったっけ?」
「言ってたな……」
ということは本気で気を回しているのか。そんなことを考え、まさかあいつに限ってそんなことがと驚愕する。それがどういう驚愕だったのかは敢えて言うまい。大体想像の通りだ。
ともあれ、そういうわけだからと見送りにかかっていた雪乃であったが、八幡がそんな彼女を見て溜息を吐いた。何言ってんだお前、と目を細めた。
「こんな場所で気を回したところで何の意味もないだろ。むしろそういう気遣いが不気味で警戒するまである」
「心外だわ」
「お前今までの行動振り返ってもう一度言ってみろ」
「心外だわ」
迷いなく言い切った。そうだよなそういうやつだよな、と溜息を吐いた八幡は、いいから行くぞと彼女を手招きする。その姿を見ていた雪乃は、視線をその横へと向けた。
「いいのかしら?」
「うん。あたしもゆきのんと一緒がいいし」
「そう。……じゃあ、二人きりを邪魔させてもらおうかしら」
そう言って雪乃は楽しそうに笑った。小走りで二人に追い付き、結衣の隣へと並ぶ。笑顔のままで、満足そうに。
おつかれさま、と皆が皆に言葉をかける。クリスマスイベントは無事成功し、パーティーも兼ねたお茶会もそろそろお開きだ。招待客も帰り支度を始め、総武海浜両生徒会と手伝い共は会場の後片付けをし始める。
流石にこれはこちらの仕事だ、ということで。総武側はミュージカル的な演目を行ってくれた皆にお礼を述べ後はこちらに任せるようにも伝えた。音楽組は陽乃を見たが、まあいいかと挨拶をし解散していく。小学生も同様で、ありがとうございましたと頭を下げた後それぞれ会場を後に。
「ねえ、ピエロさん」
「誰だよ。俺は――」
「八幡」
「……で、何の用だ」
片付けをしている八幡の横で、皿を持ちながら留美はそんなことを彼に述べていた。横では三編みの少女と八幡が泣かせた女の子も手伝いの手伝いをしている。
「別にそこまで用事は無かったんだけど」
「ああそうかい。だったらそれ運んだら帰れ」
「……冷たくない?」
「気のせいだ。したくもない仕事を押し付けられて余裕がないからかもしれんが」
「ふうん。分かった、じゃあこれだけ。――ありがとう」
余計なお世話だったけど、案外楽しくなったから。そう言って留美は微笑むと、運び終わったから帰ると彼に述べた。それに返事をした友人と共に、そのまま会場を後にする。三編みの少女にも盛大にお礼を言われ、八幡はほんの少しだけこそばゆい気持ちになった。
「あ、ヒッキーもお礼言われたの?」
「まあな」
そのやり取りを見ていたらしい結衣がてててと寄ってくる。彼がどこか恥ずかしそうにそっぽを向いているのを見た彼女は、くすりと笑うと横にあった椅子を持ち上げた。みんなでやれば案外すぐ終わるね。こちらを見ない八幡にそう続けると、向こう側へそれを運んでいく。
「あの時と比べると、素直になったわね、彼女」
「……かもな」
今度は雪乃。器用に皿を積み上げた状態のまま、彼に向かってそんなことを述べた。当然というかなんというか、変わらず八幡は彼女の方を見ない。
「それに比べて、あなたは変わらず素直じゃないのね」
「ほっとけ」
「そうしたいのは山々なのだけれど。ほら、私は余計なお世話をする人間だから」
恐らく先程の八幡とのやり取りと似たようなことを留美とやったのだろう。そう言ってクスクスと笑った雪乃は、もうすぐ片付けも終わって解散だからと続ける。それがどうしたと返した彼に、分かっているだろうとカウンターを放った。
「さっきも言ったでしょう? こういう時に邪魔をするほど野暮ではないわ」
ひょいひょいと落とすことなく積み上げた皿を運んでいく彼女の背中を見て、八幡は再度溜息を吐く。そんな事は分かっていると一人呟く。
だが、分かっているというのは本当かと聞かれれば。そうだと胸を張って答えられない。実際、彼は出来ていない。今日この日で、この時間になるまで。わざわざ少し前の雪乃の提案を蹴ってまで、やらなかった。
「それで運ぶのは終わりかな? 食器洗いは機械でやっちゃうからいいらしいよ」
「そうか」
「……どったの?」
結衣の問いかけに、八幡は答えない。言えばいいのに、言わない。今更、もうとっくに、そんな状態は過ぎているはずなのに。この間だって、あの時だって、別に今と変わってはいないのに。
「な、なあ、ガハマ」
「ん?」
「……この後、暇か?」
「え? うん、暇だよ」
「そうか、じゃあ」
ちょっと付き合ってくれ。少しかすれた声で、八幡はそう述べた。自分で思っていた以上に変な声だったのか、結衣が思わず目を瞬かせたが、それでも彼女は首を縦に振る。
先程言ったように運び終われば後は洗浄機の出番らしく、スタッフ側も生徒会ではない手伝いは解散と相成った。おつかれさまでした、と声を掛け合い、皆それぞれ帰路につく。あるいは、これから自分達のクリスマスを始めるのだ。
「良かったのか?」
「何が?」
「三浦とクリスマスやったりとか」
「優美子は多分いろはちゃんの帰りを待ってから隼人くんと三人で何かやるだろうし、姫菜は……とべっちが何かするんじゃないかなぁ……」
「無理だろ」
「かなぁ。ってそうじゃないし。何でそんなこと聞くの? あたしヒッキーの彼女なんだから、クリスマスはヒッキー最優先に決まってるじゃん」
「お、おう。……そうか」
はっきりとそう言われると、八幡としても気の利いたことは何も言えず。入り口で何やってんだろうという海浜の視線を受けるまで、そのまま暫し固まっていた。
我に返ると、八幡はそのまま結衣と二人で暫し街を歩き。どこか丁度いい場所はないかと視線を巡らせ。外は寒いからと建物をチョイスしながら、とりとめのない話をする。
肝心な核心に触れないまま、普段の通りに会話を続ける。
駄目だ、と心中で呟いた。さっきと同じように、このままだと機会を逃してしまう。そう無理矢理、普段の八幡では考えられない決意をすると、彼は真っ直ぐに彼女を見た。
「ガハマ」
「どうしたの?」
「あーっと、そのだな。……まあ、気に入らなかったら別にそれでもいいんだが」
「う、うん? 何が?」
頭にハテナマークが浮いている結衣へと、八幡は鞄から取り出した小さめの袋を差し出した。ラッピングされているそれは、余程の鈍感でなければプレゼントだということがすぐに分かる。
「……え? クリスマスプレゼント?」
「……世間ではそう言うらしいな」
「開けてもいい?」
「お前のものだからな」
手渡されたそれを、結衣が開く。そこから出てきたのはブレスレット。動きを止め、暫しそれを眺めていた彼女は、そこで耐えきれなくなったのか盛大に笑い出した。
「俺にセンスを期待する方が」
「違うし、そうじゃなくて! ふ、あははは! これ!」
笑いながら結衣も鞄からラッピングされた包を取り出す。それを八幡に渡すと、開けろ開けろと手で催促した。
怪訝な表情を浮かべた八幡であったが、まあいいやとそれを開く。そして出てきたのは。
「……同じ、ブレスレット……」
「うん。だから、ちょっと楽しくなっちゃって」
「楽しいか? 何か無駄骨になった感じが」
「何で? あたしは嬉しいかな。だってほら、ヒッキーと同じこと考えてたってことだし」
「お前今すげぇこっ恥ずかしいこと言ったぞ」
笑顔でそんなことを言われてしまえば、彼としても文句は言い辛い。はぁ、と溜息を吐き、結衣からもらった同じブレスレットを手首に付けた。結衣も同じように、先程相手に渡したものと同じ、渡されたブレスレットを手首に付ける。
「えへへ。どうかな?」
「まあ、悪くないんじゃねぇか」
「そか。ヒッキーも似合ってるよ」
そう言ってもう一度微笑んだ結衣は、そのまま八幡の手を取る。胸のつかえが取れたような顔をしていた彼を見て、笑みを強くさせた。
「よし、ゲーセン行こゲーセン」
「嫌だ。イブのゲーセンとか死ぬほど混んでんじゃねぇか」
「えー。プリクラ撮ろうよ」
「そういうのはカップルが行くとこだろ……」
「いやあたしとヒッキーカップルだし」
いいから行こう、と結衣が引っ張る。嫌そうな顔をした八幡は、しかししょうがないとされるがままに歩みを進めた。そう言う割には、満更でもない顔しているじゃん。もしどこかでかおりが見ていたのならば、そう言うであろう表情で。
最終巻出ても多分このノリのまま
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彼女ん家ドメイン
その1
「いらっしゃい、ヒッキーくん」
「あ、はい……ど、どうも。お邪魔します」
「そんなに緊張しなくてもいいのよ? 自分の家だと思ってちょうだい。わたしのことも、むしろ遠慮なく、お義母さんって呼んでくれたって」
「ママ!」
結衣が叫ぶ。そうして目の前の女性をぐいぐいとキッチンに押し込むと、普段の彼女らしからぬ盛大な溜息を吐いた。
八幡は動けない。というか、状況に未だついていけていないというのが本音だ。彼の頭の中では斯様なモノローグが先程からグルグルと回り続けている。
比企谷八幡です。今現在、俺はガハマの家の玄関にいます。え? 何でいるかって? 俺もよく分かんねぇよ! 何でどうしてこうなった? 発端は何だ? 雪ノ下か? いや今回あいつ関係なかったわ。じゃあなんでだよ、おかしいだろ。こういう時の原因は雪ノ下だって相場が決まってる。相場が崩れたのか? 第二のリーマン・ショックでも起きたか? 失業率もうなぎのぼりで鯉の滝登りなんぞ目じゃないってか。鰻では所詮ドラゴン族にはなれんだろうから、FGDやLGDの素材に出来んので無駄だが。
「――ッキー、ヒッキー」
「お、おお。どうした?」
「いやどうしたはこっちのセリフだし。さっきから何か飛んでたよ?」
「あー……悪い。ちょっと現実が見えていなくてな」
「うん。うん? 何か違くない?」
「違わんぞ。俺は本来大晦日に外出するように体が出来ていないからな。だからこれは現実ではない。Q.E.D.iff」
「意味分かんないし」
はぁ、と先程とは違う溜息を吐く。こちらは彼の普段見慣れたもので、そんな彼女の姿を見たことで八幡は幾分か現実感を取り戻した。息を吐くと、改めて周囲を確認する。
紛うことなき他人の家であった。比企谷家ではなく、由比ヶ浜家であった。
「なあ、ガハマ」
「ん?」
「本当に大丈夫なんだろうな」
「大丈夫大丈夫。今日パパ帰ってこないって言ったじゃん」
「…………」
「どしたの?」
世間一般的にその大丈夫は自分の聞きたかった大丈夫じゃない。そんなことを全力で叫びたかったが、八幡は気力が足りなかったのか項垂れるだけで終わらせた。もう好きにしてくれ。そんなことを同時に思う。
「……で、何をすればいい?」
「んー。別に特別やることはないけど」
とりあえずは買い物かな。そう言って結衣は笑うと、先程追い払った母親に向かって改めて声を掛けた。
ことの発端は何だったのだろうか。それすらも八幡は既におぼろげである。ただ、既に部屋の掃除も済ませ後は新年を迎えるだけの状態になっていた彼に向かい、母親があっけらかんと言い放った一言は覚えていた。
「八幡、あんた何か用事ない?」
「は?」
曰く、比企谷家は小町が受験でピリピリしていることもあり、あまり大晦日に羽目を外すことを良しとしない。なので、せっかくだから息子は外で遊んでいてもらったほうが面倒がなくていいという話だ。
「高校生を夜中出歩かせようとするんじゃねぇよ……」
「流石に内容は聞くし、駄目だったら止めるよ。ただ、まあ、ほら、あれよ。何でか知らないし今も妄想じゃないかって疑ってるところはあるけど、あんたには彼女がいるでしょ?」
「少しは息子を信用してくれませんかね」
「……」
「なんだよ」
八幡の言葉に目を瞬かせた母親は、次の瞬間物凄くいい笑顔へと表情を変えた。こいつが自虐をせずにそんなことを言うなんて。口にはせず、そのことを噛み締めた彼女は、バシバシと彼の頭を叩くとごめんごめんと謝罪した。
「謝りながら頭引っ叩くんじゃねぇよ! そこは肩だろ」
「ああごめん。叩きやすかったからつい」
「息子の頭何だと思ってんの!?」
「小町の出涸らし?」
「何で出涸らしの方が先に出来ちゃってんだよ……いや否定はしないが」
「そこはしなさい」
「自分で言ったんじゃねぇか」
はぁ、と溜息を吐いた八幡は、それで何だったかと母親に問い掛けた。ああそうだったと手を叩いた彼女は、今日は家で騒げないので騒ぐなら別の場所でと彼に述べる。だから、何か用事があるなら引き止めないと言葉を続けた。
「別に元々騒ぐつもりもなかったし、小町のためだろ? 部屋に引きこもるくらい造作もない」
「いやあんた年中引きこもってるから」
ケラケラと笑った母親は、しかし表情を少しだけ真面目にする。ダラダラとする用に色々用意することもないから、食事も普通だけどいいのかと問うた。
別に構わないと彼は返す。何より二年前の自分の時もそうだったのだから、妹の時にとやかく言う資格などない。そういう考えだ。
「でも父さんは邪魔にならないようにどっか行ったわよ」
「それ小町に邪魔って言われたからとかじゃないよな?」
母親はそっと視線を逸らす。思春期はしょうがない、と諭すように言葉を紡いだので、まず間違いなく言われたのだろう。とはいえ、何となく小町がそう言った理由も察せられたので八幡は父親には同情しなかった。何かやって欲しいことあるかとかちょくちょく聞きに行ったんだろうな。はぁ、と彼は溜息を吐く。
「そんなわけで」
「だから俺は」
ぴろりん、と音が鳴る。言いかけた言葉を止め、置いてあったスマホを手に取ると、会話アプリのメッセージが。タップしてそれを表示すると、結衣からちょっとお願いがあるんだけどという文字が目に飛び込む。次いで、電話していい? というメッセージが続いた。
「……母さん」
「用事出来た?」
「まだ分からん」
「ぶふぅ!」
「何で吹いた」
「八幡が! 八幡が何か青春ドラマみたいなこと言いだした! は、ははははは!」
「うわぁ、特に用事もなく家を飛び出したくなったでござるぅ……」
『ごめんヒッキー。今大丈夫?』
「ああ。それで何だ頼み事って」
『あー、うん。えと』
今からうちに来れる? そう言って結衣は暫し沈黙をした。返事を待つという意味合いなのだろうが、言葉が言葉なために、何だか余計な妄想をしてしまいかねない何かがある。
勿論八幡は八幡なので、した。その後すぐにそれを否定、ネガティブな方向へと舵を切り、最終的に美人局でツボを購入するところまで行き着く。そうして気持ちを整えた後、どういう意味だと彼は問い返した。
『……実は、今パパがいなくて』
「はぁ……」
何でも用事で出掛けており本来ならば今日帰ってくるはずだった結衣の父親が、出先で大雪に遭い電車が動かず、帰宅が明日以降になるらしいと連絡があったのだとか。そんなわけで、流石にこれ以上二人だけだと心情的にも防犯的な意味でも心細いため、どうにかしなければと話していたらしい。
『で、ついポロッと、ヒッキー呼べないかなってあたしが』
「何言っちゃってくれてますか」
『しょ、しょうがないじゃん! 大掃除とかそういうので忙しくてあんまし話もしてなかったし……』
「いや一週間くらいしか経ってねぇだろ」
『そだっけ?』
「クリスマス終わってからだから、そんなもんじゃないか?」
そう言いながら、クリスマス以降碌に接してなかったことを今更ながら思い出した。普通の彼氏彼女ならば不満もダラダラ長文で出かねない。とはいえ、電話口の結衣はこれとは似て非なるものであるように思えるが。
それを踏まえて自分はどうだ、と八幡は思う。寂しいと思っていたのかとか、これで疎遠になるかもしれないとか。そういう感情があったのかといえば。
不思議と、そういうものはなかった。間違いなく自分の性格からすれば疎遠になるのは簡単で、容易い。何もしなければ関係はゆっくりと薄まっていく。何かをしても、それは薄まる時間を先延ばしにするに過ぎない。そんなことを考える程度には、彼の中で人間関係を諦めていた。だというのに、八幡は結衣との間にそれを感じなかった。
それは自惚れであり、自称であり、傲慢だ。そう自覚する程度には理解していて、しかしそうでないだろうと否定する程度には未知である。他の連中、特にクソ野郎と呼称している相手や悪魔相手の繋がりとはまた別の、切っても切れない腐れ鎖とは違う、そもそも繋がっているという表現すら適当ではないように思えるそれは。
「何だよ。そんな心配だったのか?」
『別に心配はしてないけど。まあヒッキーだし』
「どういう意味だよ」
『いつでもあたしの好きな人でいてくれてるってこと』
瞬時にスマホを耳から離し、そしてベッドへと投げつけた。向こうのスピーカーから何事だ、と叫びが聞こえてくるが、肩で息をしている八幡には聞こえていない。何なのこいつ、電話越しだからってナチュラルに言い過ぎじゃない? そんなことを思いながら、ノロノロと移動してゆっくりベッドのスマホを持ち上げた。
『耳キーンってなったんだけど』
「高低差が酷いようだな」
『いやあたし今家だから。ヒッキーが何かやったせいだから』
「気のせいだろ。俺も家だ」
小さく溜息。その後、まったくもうという呆れたような声が聞こえてきた。それで何だったっけ、と自分に問い掛けるように呟き、ああそうだそうだと声を上げる。
『もし用事ないなら、うちに遊びに来てくれないかなーって』
「……悪いが、今うちも親父がいないから」
断りの返事をしようとしたその最中、コンコンと遠慮のないノックの音が響く。返事を待たずして扉を開けたその張本人は、持っていたスマホを八幡へと押し付けてニヤリと笑った。そこには、バカ息子が彼女の家行くから戻ってきなさいという一文と、すぐ帰るという返事が。
『ヒッキー?』
「……俺が行っても大丈夫なのか?」
『うん! じゃあ――場所分かるっけ?』
「前に一回お前を送ったきりだな」
『分かった。じゃあ駅まで迎え行くよ』
待ってる、という言葉とともに通話が終わる。ホーム画面に戻ったスマホを下ろしながら、八幡は死んだ魚の眼をジト目にして目の前の母親と、何故か面白そうに野次馬しているその後ろの小町を見た。
「向こうの家に世話になるんだし、ちょっとお金持っていきなさい」
「え、あ、ありがとう」
「お兄ちゃん、菓子折りとか持ってく?」
「家族に挨拶に行くわけじゃねえから。向こうのパパさんいないって言ってたし」
え、と小町の動きが止まる。ちらりと母親を見ると、どこか真剣な表情をしながらゆっくりと八幡を見詰めていた。
「そうだ八幡、忘れてた。一応言っとくけどあんた」
「言わなくていい」
「やっはろー、って、何か疲れてない?」
「疲れた」
「あ。うん。なんかごめんね」
短い一文で伝わったのか、結衣がそう言って頭を下げる。駅前でそんなことをやられても目立つだけなので、八幡は早々に切り上げてそこから離れることにした。何かお菓子でも、という彼の言葉に、別にいらないと彼女は返す。
「そうか」
「うん」
「……」
「……」
沈黙。普段は別にそれを気にすることはないのだが、今日に限っては何故かそれが無性に嫌だった。が、何かを話そうと考えれば考えるほど、浮かんでくる単語も文章も支離滅裂でひび割れ砕けていく。縋るように隣の結衣を見ると、彼女はそんな八幡の様子が不思議なのか首を傾げ原因を考えているように見えた。
はぁ、と溜息を吐く。何だか馬鹿らしくなった。無駄に緊張している自分が滑稽になった。何のことはない、普段通りでいつもと変わらない。比企谷八幡の隣には由比ヶ浜結衣がいる。ただ、それだけだ。
「ガハマ」
「どしたの?」
「何か手伝うことあるか? 男手なくて出来なかったやつとか」
「……ヒッキーどうしたの? 熱でもある?」
「どういう意味だ」
「いやだって。いつもだったら絶対言わなくない?」
「失礼な。小数点以下を表示していないからゼロに見えるだけで俺には常にその気がある」
「え? じゃあ何で今それが出てきたの?」
純粋な疑問だったのだろう。何てことない問い掛けだっただろう。が、八幡にはいい感じにクリティカルヒットしてしまった。その理由を思わず口にしかけ、舌を噛み切る勢いで閉じて飲み込んだ。隣にいる結衣がうわ、と思わずのけぞるレベルである。
「……貴重な体験をしたな、誇っていいぞ」
「……まあそれでいいや」
やれやれ、と苦笑した結衣を見て、八幡は不満げに目を細める。お前は一体俺の何を知っているというのだ。そんな意味合いが込められた視線であったが、彼女はそれを受けて平然としていた。全部知っている、という自分勝手な態度など微塵もせず、分かっているという自惚れを見せることなく。
「何にせよ、ヒッキーはヒッキーだしね」
「何だそりゃ……」
「とりあえずは、知らないままでもいいってこと」
「とりあえずってなんだよ」
「これから知ってこーってこと」
「何だそりゃ……」
はぁ、と溜息を吐いた八幡であったが、その表情は先程とは違い呆れたようなものであった。ある意味普段通りの、しょうがないと諦めたような、そうだろうなと受け入れたような、そんな。
今んとこガハママより八幡母の方が目立ってない?
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その2
「ごめんなさいね~、付き合わせちゃって」
「あ、いえ……。大丈夫です」
カラコロとカートを押しながらデパートの食品売り場を歩く。そこで正月用の買い物をカゴへと詰め込みながら、結衣の母親がそんなことを述べ、そして八幡も多少ぎくしゃくとしながらも言葉を返す。彼女の母親、というどうしようもないほど気まずいこの空気を彼はどうにかしたくてたまらなかった。当の本人が気にしていないのでまだ耐えられているが、割と限界である。
さて、では八幡の救いでありそんな二人の潤滑油たる結衣と言えば。
「おいガハマ」
「ん?」
「ん、じゃねぇよ。こっそりとお菓子入れんな。小学生か」
「ダメかな?」
「俺に聞くな。お前のママさんに聞け」
「お義母さんでいいわよ~」
「お前のママさんに聞け」
「ん~、流されないか。あと結衣、それはダメ」
「えー」
不満げな顔をして自身の母親を眺めた結衣であったが、相手が折れないと分かると渋々棚へと戻しに向かった。何から何まで小学生である。そんな彼女の背中を眺めていた八幡は、何やってんだかと溜息を吐いた。
「それにしても」
同じように結衣の背中を見ていた彼女の母親が、にこにこと笑顔で八幡に視線を向ける。出会った時から彼が思っていたことであるが、とても自身と同じ年齢の子供がいるとは思えないほどその見た目は若々しい。ラノベや漫画じゃねぇんだから、と思わず心中でツッコミを入れてしまうほどには年齢不相応だ。そんな彼女の視線に、当たり前だが八幡は思わずたじろいでしまう。
「やっぱり男の子がいると違うわぁ」
「な、何がでしょうか」
「ふふっ。ちょっと新鮮、って」
息子がいるとこんな感じだろうか。そんなことを言いながら、彼女は目当ての食材を眺め、彼に少し尋ねつつこれと決めるとカゴに入れていく。
言っている意味は八幡にはピンとこない。が、言葉自体には何となく同意できるものはあった。
「俺も」
「なぁに?」
「こうやってじっくりと食品売り場を眺めるのは初めてってくらいなんで、新鮮といえば新鮮、ですね」
「あら、そうなの?」
基本母親や妹の小町についていくだけのことしかしていない八幡にとって、食品売り場などただ指示に従って歩くだけの場所である。だからこうして改めてその場所を見てみると、思った以上にものに溢れていることに気付く。成程、ここから目当てを探し出すのは自分には無理だな。そんな結論をとりあえず出した。
「後何買うの?」
「お、ようやく戻ってきたか」
「ついでに頼まれたもの取ってきたんだし」
何か馬鹿にされている感があったのだろう。結衣は少しむくれながらそう述べると、はいこれと所謂正月に使う品々をカゴにぶちこむ。ここでついでに買えるのか、とそれらを眺めていた八幡は、その影に先程とは違うお菓子が紛れ込んでいることに気付いた。
「小学生かよ」
「酷くない!?」
「酷くねぇよ」
参考書でエロ本を挟む中学生扱いよりはまだマシであろう。が、そんなことなど何の慰めにもならず、そもそもそれを彼は口にしていない。していなくとも何となく更に酷いことを考えていたと察しはしたようで、彼女は無言で八幡の脇腹を突いた。
「結衣、ヒッキーくんの言う通りよ。もう高校生なんだから、こっそりは駄目」
「うー……」
「……」
小学生だよ。断定に感想を変えた八幡は、最早何も言うことはないとそのまま無言を貫くことにした。勿論感付かれ追加でどつかれた。
お菓子は買った。
「どう? めっちゃ料理できそうじゃない?」
「見た目だけ取り繕ってもどうにもならないんだぞ」
「酷くない!?」
再び由比ヶ浜家である。買った食材を冷蔵庫に入れ、そこから改めて今日の料理で使うものをその都度出していく。そんな姿をただ眺めているというのは案外メンタルが必要なのだ。ある程度手伝いは出来るが、人の家の冷蔵庫に手出しをしてよいのだろうかと二の足を踏むこともあるし、勝手が分からないキッチンをウロウロするのも邪魔になる。
が、しかし。だからといって一人リビングで座ってテレビを見ているというのは八幡には無理だ。早い話が八方塞がりであった。
そんな時、エプロンを身に付けた結衣がパタパタとやってきて述べたのがこれである。先程の状態での空気を一瞬にして霧散させたそれにより、八幡は普段通りの返しをすることが出来た。結衣的にはとてつもなく良くない。
「むぅ……」
「いやそんな顔されても」
「……似合わないかな?」
「いや、似合う似合わないでいったら似合うが」
「そか。じゃあいいや」
ぱぁ、とその表情を笑顔に戻した結衣は、じゃあ早速料理をしようとキッチンへと突撃していく。あまりにも自然に彼女が動いたのでその意味に気付くのが遅れた。は、と我に返ると、八幡はちょっと待てと結衣を追いかけキッチンへと足を踏み入れた。
「どしたの?」
「どうしたもこうしたも。お前何をする気だ」
「お夕飯作るんだけど」
「誰が?」
「あたしが」
「……まさかラスト一日で年が越せなくなるとはな」
「どういう意味だっ!」
こんちくしょう、と結衣が八幡へと食って掛かる。そんな彼女を押し戻しながら、残当な評価だと思うのだがと彼は返した。心当たりがないということもないわけで。結衣は割と真面目にそう言われたことで眉尻を下げ一歩下がる。
「これでも、結構練習してるし……」
「……まあ、だろうな。そのエプロン、結構使い込んでるしな」
努力は認める。が、結果は認めん。口にはしていないが早い話がそういうことである。認めて欲しかったら結果を出せ、ということでもある。
つまりそうなると八幡としてはこれからその判定を下すために結衣の料理を食べなくてはいけないわけで。
「あれ? 俺詰んだ?」
「だから練習したの! というか、基本的にはママが作るし」
「……手伝いなら手伝いって最初から言えよ」
「……あたしも一品作るもん」
ぶすぅ、とどう見ても機嫌を損ねている表情で結衣が呟く。そうした後、気合を入れるように、目の前のこんちくしょうをぶっ飛ばすかのように彼女は拳を振り上げた。
「ヒッキー!」
「お、おう」
「とりあえず食べられるもの作るから、首洗って待ってろ!」
「何でその勢いで物凄く妥協した発言なんだよ……」
ズビシィ、と勢いよく指を突き付けた結衣は、そのまま手際よく料理をしている母親のもとへと駆けていった。先程のやり取りを彼女へ伝え、そういうわけだからと拳を握る。はいはい、と料理をしながらやり取りを見ていた結衣の母親は、何か出来そうな一品を己のレシピの中から検索を行った。
「よし、じゃあ~」
「うん」
「とりあえずヒッキーくんは向こうで待っていてもらっていいかしら」
ちらりと二人の様子を、正確には結衣を見ていた八幡にそう告げる。あ、やっぱり邪魔ですよねという彼に、結衣の母親はそうじゃないのよと微笑んだ。
「こういうのは、出来上がるまで秘密の方が面白いでしょう?」
「そういう、もんですか……?」
「そういうものなのよ~」
手をぽんと叩きながら笑顔で言われると一も二もなく頷いてしまいたくなるのだが、しかし八幡としてはそれを全肯定する気にはどうしてもなれない。理由は簡単で、たった一つのシンプルな答えだ。
どれが爆弾か分からなくなる。
「いや……どう考えても失敗したようなやつがガハマ作か」
「酷くない!?」
「ふふっ。だめよ~、ヒッキーくん。そういうのは心の中に留めておかなくちゃ」
「ママも酷い!?」
「冗談よ。結衣、とびきり美味しいの作って、ヒッキーくんを惚れ直させちゃいましょう」
おー、と母娘で気合を入れているのを見ながら、八幡はやれやれと溜息を吐く。取り残されている、というと後ろ向きな意見に思えるが、しかし輪の中に入っているかと言えばそれも少し違う。ただ、間違いなく話の中心には八幡がいた。
どうにも歯痒い、と頭を掻いた八幡は、とりあえずここは大人しく待っておこうとキッチンを後にした。テレビでも見ながら、せっかくだしくつろがせてもらおう。そんなことを考える程度には気が抜けたらしい。
では召し上がれ。そんな言葉を受け、八幡は並んでいる料理を見る。せっかくだからと腕を奮ったらしい結衣の母親の料理はどれも美味しそうだ。比企谷家の料理とどちらが上ということはないが、しかし少なくとも手の込みようは完全敗北だろう。
「じゃあ、いただきます」
「はい、ど~ぞ」
でん、と日本昔話並みに盛られた茶碗に箸を向ける。個別に盛られた煮物やパーティオードブルもかくやと思うような大皿の料理、ついでとばかりに用意された刺し身など。和洋折衷のそれらが元々の予定だったとすれば、とてもではないが女性二人で食べるような量ではなさそうで。かといって結衣の父親を加えた三人でも少しばかり多いような気さえした。
「ちょっと作り過ぎちゃったかしら」
「かも」
改めて眺めながら結衣の母親が苦笑する。隣の結衣もあははと頬を掻いていた。そんな二人を気にしつつ、八幡はこっそり気合を入れるとそれらを口に運ぶ。どれが地雷原か分からないのだ。油断は死を招く。
「あ、うまい」
「あら、ありがとう」
そんな気合はすぐに霧散した。口に入れた料理はどれも美味しく、当初はマジかよと少し引いた山盛りご飯も順調に消費出来ていく。それどころか、気付くと茶碗が空になっているほどだ。
「流石男の子ね。あの量をぺろりといっちゃうなんて」
「ヒッキー意外と食べるんだ……」
「ママさんはともかく、何でお前が驚いてんだよ」
「いやだって。あたしと一緒にいる時はそんなに食べてないし」
「男同士でバカやる時はともかく、普通はそんなもんだろ」
「ふーん。……え? ヒッキーそういうのやるの?」
「いや、やらんけど。世間一般の話だ」
そもそも男友達がいない。そう続けお茶を飲んで一息ついた八幡は、結衣の母親がおかわりどうかしらというので謹んで貰い受けることにした。
「いやいるじゃん、ヒッキー男友達」
「いねぇよ。ボッチ嘗めんな」
「さいちゃんとか、中二とか」
「まあ、戸塚は、そうだな。材木座は断じて友達じゃない」
「とべっちとか」
「俺が一方的に絡まれてるだけだろ」
「隼人くん」
「あいつと友達とか虫酸が走る」
「ほら、結構いるじゃん」
へへへ、と笑う結衣を見ながら、八幡は心底嫌そうな顔をした。お前人の話聞いてたのかよ。そんなことを言いながら、彼は死んだ魚の眼をジト目にして彼女を睨む。
勿論結衣には通用しない。ちゃんと聞いてたよ、と笑顔のまま人差し指をクルクルとさせた。
「ヒッキーさ、気付いてないでしょ」
「何をだ」
「今行った人達、きちんと一人一人思い浮かべて、これまでのことを振り返って。でもって気安い感じに結論出してた」
「……はぁ?」
意味が分からない。どう考えても、どれだけ振り返っても八幡の先程の答えは変わらないし彩加以外肯定していない。だから、目の前のこいつのそれは分かった気になった一方的な押し付けでしかない。そんなことを思いながら、八幡は結衣の言葉の続きを待つ。
それを察したのか、彼女はしょうがないなとばかりに息を吐いた。ならば分かりやすく言ってやろうと無駄に胸を張った。おかげで八幡の目の前でどどんとボリューミーなそれが突き出される。
「早い話が」
「……お、おう?」
「折本ちゃんとか、ゆきのん相手にするみたいな反応してた」
「え? じゃあそれ絶対友達じゃないじゃん」
よりにもよってその二人。八幡にとってそれらを友達と認めたら死ぬレベルの相手である。じゃあ違うかと言われたら即答するレベルの相手である。事実今した。
だが、結衣はその反応を見て満足そうに笑う。まあつまりそういうことなのだよ、となんだかえらく勝ち誇ったような顔で言葉を締めた。
「何だよお前何様だ」
「ん? ヒッキーのことを全部分かりたいと思ってる人」
即答された。うぐ、とその言葉を聞いて言葉を止めた。迷いなく、真っ直ぐにこちらを見てそう言われたことで、なんだか気恥ずかしくなって八幡は彼女から視線を逸らしてしまう。
お互い様だ、と言いかけた言葉を飲み込むと、代わりに盛大に溜息を吐いた。さっき平らげたはずのご飯が、全てエネルギーに使われてしまったかのような錯覚を抱いた。
「いいわね、若いって」
クスクスと笑いながら、結衣の母親が先程より盛りの少なくなったご飯を八幡の前に置く。はいどうぞ、という言葉に、ありがとうございますと彼は返した。そのまま何かを誤魔化すように一心不乱に飯をかっこむ。
「やっぱり男の子ね~」
「それさっきも言ってたじゃん」
「ふふっ、そう?」
「あれ? 違った?」
「さて、どうだったかしら~」
結衣に笑顔を見せながら、まだまだ全部分かるのは無理みたいねと心中で微笑む。とはいえ、こういうのは経験だ。一緒にいれば、分かってくる。それがどんなに捻くれた相手でも、こうしている限りは、きっと。
「さ、結衣も食べなさい」
「いやあたしはヒッキーみたいに食べるの無理だし」
「でも、残っちゃうわよ?」
「そうだけどぉ……」
太りそう。うう、と唸りつつ、でも美味しいと結衣は目の前の食事をぱくつき始めた。
そのまま暫し、ひたすらご飯を食べる二人を面白そうに眺める結衣の母親という光景が広がったそうな。
今んとこ投げっぱなし
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その3
「……」
「どしたの?」
ホカホカとした状態で気まずそうにリビングに戻ってきた八幡は、なんてことのない表情の結衣を見てその顔を苦いものに変えた。いやどうしたもこうしたもあるか。そう言いたいのをぐっと抑え、その隣で年末特番を見ている彼女の母親へと視線を向ける。お風呂、お先にいただきました。そう言って頭を下げると、とりあえず邪魔にならない場所で直立不動を貫いた。
「座ろうよ」
「お前この状況で図々しくソファーに座れるわけないだろ」
「立ってる方がどうかと思う」
いいから座れ、と結衣は自分の隣をポンポン叩く。それを見た彼女の母親は、クスクスと笑いながら立ち上がり冷蔵庫から飲み物を取り出す。コップに注ぎ、はいどうぞと八幡の前へ差し出した。
「あ、ママ。あたしもジュース欲しい」
「はいはい」
手をブンブンと振る結衣を見ながら、もう一杯のコップを用意する。そうして自分の座っていた場所へ戻ると、お風呂どうするのと隣の娘に問い掛けた。
「んー。これ終わってから」
「日付変わるだろ……」
思わず八幡がツッコミを入れる。そういえばそうかと頷いた結衣は、じゃあ入るかと立ち上がった。それをなんとなしに見ていた八幡であったが、ふと思う。それがどういうことなのかに思い至る。
そもそも風呂に入る順番の時点で一悶着あったので蒸し返すとも言う。
「なあ、ガハマ」
「ん?」
「風呂、俺が先に入ったんだけど」
「そだね」
「……お湯、張り替えなくて大丈夫か?」
「思春期の娘を持ったパパみたいなこと言うのね、ヒッキーくん」
聞こえていたらしい結衣の母親が笑う。笑っていはいるが、その口ぶりからすると該当者がいるかのようで。
じゃあやっぱり駄目じゃないかと八幡は改めて結衣を見た。
「いやあたしパパにそういうの言ってないし」
「そうよ~。パパが心配性なだけ」
「パパそんなこと言ってたの!?」
唐突に衝撃の事実をぶっ込まれた。そっかー、と何だか遠い目をした結衣は、帰ってきたら少し父親に優しくしてやろうとこっそり頷いた。
それはそれとして。彼女は別にその辺りを気にしないらしいので、八幡の心配とは裏腹にそのまま風呂に入るらしい。
「てかヒッキー。後に入るにしろ先に入るにしろどっちみち何かめんどいこと言ってるくない?」
「人の家にお邪魔してるんだから普通だ普通」
「ふふっ。別に邪魔だなんてこともないし、これからも遠慮なく来てくれていいのよ~」
「ほらママだってこう言ってるし」
俺が遠慮するんだが、と頭を掻いていた彼に向かい、結衣は別にいいのにと反論する。そもそも割と頻繁にそっちの家に遊びにいっているのでトントンだ。そんなことまで言い出した。
「遊びに行くのと泊まるのは別だろ」
「そかな? ……あ、じゃあ今度ヒッキーの家にあたしが泊まれば」
「すいません。あまりこういうことを言いたくはないのですが、おたくの娘さん大丈夫ですか?」
「酷くない!?」
割とマジ顔で結衣の母親に述べたのは効いたらしい。こんにゃろー、と脇腹をドスドス突いた結衣は、もういいとリビングを後にした。どこに行くの、という母親の言葉に、お風呂だって言ってるじゃんと叫び返される。
「……」
そうして残される八幡。不可抗力とはいえ、恋人の母親と完全に二人きりというのは買い物の時とは比べ物にならないほどに気まずい。ましてや、先程その娘をボロクソに言ったばかりである。
ぶっちゃけてしまえば、今すぐ逃げたい。それが彼の本音であった。
「騒がしい娘でごめんなさいね~」
「へ? あ、いえ、そんなことは」
ないことはないが、ここではっきり言うのも憚られる。それくらいの気遣いは流石の八幡も持ち合わせていた。が、当然というかなんというか、口にはせずとも向こうには簡単に伝わってしまっていたようで。
「でも、ヒッキーくんって。どちらかといえば騒がしい女の子は苦手じゃない?」
「……そもそも女子全般が、いやむしろ人が苦手ですが、まあ」
苦手な女子、という言葉で浮かんだ片方は騒がしく、もう片方は物静かだ。そういう分類を出来るものではないと一人結論付け、ついでに他の面々のことも考えた結果思わずそれが口に出た。結衣の母親はあらそうなのと笑っているので問題はないようであるが、流石に少し気を抜き過ぎたかもしれないと八幡は思う。
だからお前らはお呼びじゃないから消えろ折本と雪ノ下。彼は脳内でそう叫んだ。
「ヒッキー!」
「うぉ!?」
唐突に叫び声。何だ何だと視線を巡らせると、どうやら風呂場の方から誰かが叫んでいるようであった。誰かが、と濁す必要は皆無である。結衣が八幡を呼んでいた。
「何だよガハ……マっ!?」
リビングの扉を開ける。そこには、風呂場の脱衣所から顔だけを出している結衣が。髪を解いているところをみると、扉で隠されている首から下がどんな状態か察することが出来る。
「ヒッキー洗濯物どうしたの?」
「は? いや普通に鞄に詰め直したぞ」
「何で? こっちで一緒に洗えばよくない?」
「よくない。そもそもその負担お前じゃなくてママさんだろ」
「洗濯はあたしやってるよ? 洗濯機全自動だし」
「それはやってるとは言わんだろ……」
「畳むまでやるし。……てかさっきから何でそんな変な方見てるの? 何かあった?」
何かも何も、と八幡は叫びたくなるのを全力で堪えた。ちらりと横目で見た時に、肌色が見えたのだ。明らかに何も纏っていない肩が見えたのだ。よしんば下着姿だとしても、だから大丈夫だなどと言えるはずがない。全裸だったら完全アウトである。
流石にそんな小学生のような状態ではないだろうと思いはするが、少なくとも上は脱いでいるので八幡にとっては同レベルだ。
「いいから、俺のことは気にするな。とっとと風呂に入れ」
「んー、分かった。あ、お風呂上がったらあたしの部屋でなんかやろ」
言うだけ言って扉を閉める。それを確認した八幡は、その場でヘナヘナと蹲った。物理的問題で立っていられないということはないが、精神的には大分疲れた。
「騒がしい娘で、ごめんなさいね」
「……そうですね」
今度は否定をしなかった。
「意外と片付いてるな」
「大掃除したばっかだし。当たり前じゃん」
そうは言いつつ、どこかドヤ顔で結衣は述べた。部屋に鎮座するローテーブルに八幡を座らせると、何やらごそごそと棚に置いてあるものを漁っている。
「というか、ガハマ」
「んー?」
「お前あの特番見なくてよかったのか?」
「録画はしてあるし、まあある程度見たら後はいいかなーって感じ」
部屋に向かう際に彼女の母親が言っていたことと同じ言葉を述べたことで、八幡は思わず吹いた。それが気になったのか、手を止めると今何で笑ったと彼女は振り返る。別段隠す理由もないので、彼は理由をそのまま告げた。
「ママも余計なこと言うから……」
「家族なんだし、それくらい普通じゃねぇの? 知らんけど」
「むぅ。あ、じゃあヒッキーのとこは?」
「場合によるな」
とりあえず今回こうなったのは割とそういう部分があったりなかったりする。そのことを思い出し、家族というのはそこそこ面倒くさいと一人悪態をついた。
「てかガハマ。ママさん一人にさせていいのか?」
「ママは今多分お風呂だし、もう少ししたら年越しそば食べるから、そんな言うほどじゃないと思うけど」
そう言いつつ、結衣はカードゲームを机に置く。こいつこいつとその箱を開けながら、それに、と結衣は視線を八幡に向けた。
ヒッキーが緊張しっぱなしなのもまずいかなって思ったし。そう言って、彼女は微笑んだ。
「ここにいる以上どこでだって緊張しっぱなしだ」
「あはは。まあ、それはそうかも」
とはいえ、確かにここならば結衣と二人きりだ。先程までの状態と比べれば、普段通りの空気であると言えなくもない。
問題は、場所が彼女の部屋だということである。
「何で今ベッド見たの?」
「いや、何かふわっと香りがね、してね。揚げパスタみたいなのがね、あってね」
「……ルームフレグランスのこと?」
何か凄い例えられ方された、と目を細める結衣から視線を逸らし、八幡は誤魔化すように咳払いをする。仕方ないだろう、そんな洒落たものなど我が部屋にはないのだから。ついでに言い訳じみた言葉が浮かび、とりあえず口にもした。
まあいいや、と結衣は用意したカードゲームを広げていく。別段本気でやるわけでもなく、雑談ついでに、空いた手を動かす用程度のつもりらしい。それが分かっているので、八幡も何の気なしにそれを手に取る。
「でも小町ちゃんの部屋とかにはあるんじゃない?」
「かもしれんが、その辺りは俺の管轄外だからな」
「あ、意外。お兄ちゃんを部屋に入れないんだ」
「いや、俺が入らないだけだ」
嫌われたくないからな。真顔でそう述べた八幡を見て、結衣はやれやれと溜息を吐く。相変わらずシスコンだなとついでに思った。
そのまま話題は比企谷家へとシフトしていく。今日こうなった経緯のやり取りの話もして、仲良いねと彼女に微笑まれた。
「親は小町には甘いが俺にはそんな素振り微塵も見せないぞ」
「そう? 本気で仲悪かったらそんなやり取りとかしないと思うけど」
「まあ、無関心ってわけではないしな……」
だがしかし。だからといって仲が良いと評されるのは納得がいかない。決して口にはしないが、ここに来る直前の比企谷家の締めの会話がアレである。一回遮ったが、あんな無責任な発言をする母親をどう評価すれば。
ある意味あれは責任を考えたからこその発言だろう、と脳内誰かさんが頷いていた。やかましい。
「どしたの?」
「……気にするな」
そのことを思い出したせいか、結衣の姿をまともに見られなくなった。風呂上がりの上気した肌はどこか艶っぽく、下ろした髪と相まって得も言われぬ色気を醸し出している。何より、寝る格好ということもあり、彼女の服を押し上げる二つの膨らみは、普段よりガードが少し緩い。
ちらりとベッドを見た。そうしたことで我に返り、自身のその衝動に嫌悪を持つ。それそのものを否定はしない。しないが、あのやり取り通りになるのだけは勘弁ならないのだ。
「……どしたの?」
「…………気にするな」
じっ、と八幡を見ていた結衣は、まあしょうがないと息を吐いた。それらについて全てを見透かした、ということは流石にあるまい。だがそれでも、何となくは察した。
その上で、まあしょうがないと結論付けた。
「そういえば」
「ん?」
そんな彼女に彼が声をかける。それを思考の端に追いやったのか、それとも置きっぱなしで見ないようにしているかは定かではないが、ともあれ切り替えることが出来る程度には落ち着いた。そうするために巡らせた思考で、思い出したことを口にした。
「あの唐揚げ、お前だろ」
「あー……やっぱり分かる?」
「他の揚げ物と比べて色がくすんでたからな」
だよねぇ、と結衣が項垂れる。とはいえ、これまでの彼女を知っている八幡からすればその程度の見た目の違いで済んでいる時点で大金星だ。
「ただ」
そして加えるならば。
「別に味は、悪くなかったな」
「……」
「何だよ」
「ヒッキーが素直に褒めた……!」
「お前の中の八幡像どうなってんの?」
「ヒッキーが、あたしの、料理を褒めた!?」
「お前自分で驚愕してどうすんだよ」
呆れ混じりの八幡の言葉など聞いちゃいない。ぐ、と拳を握り、そのまま体全体で喜びを表現せんと飛び上がる。やったー、と叫びながら、風呂上がりでラフな格好のまま飛び上がる。
拘束具のない二つのお山は、それはもう物凄い勢いで上下にシェイクされた。右と左が別々の生き物のように揺れた。柔らかそうなマシュマロを連想させるそれが、ふわとろな風味を振りまきながら揺れた。
思わず八幡の目がカメレオンになりかけるくらいには、左右のばるんばるん具合は凄まじかった。たゆんとか、ぷるんとか、ゆさっとか。そういうオノマトペを脇に追いやる程度には、凄まじかった。
「どうだヒッキー! まいったか!」
「……お、おう」
「何かリアクション薄くない?」
「この状況で俺はどうテンションを上げろと……」
それもそうか、と案外あっさりと納得した結衣は、そのままごきげんな笑顔で座り直す。この調子なら、お弁当とか作ってもいいかもしれない。そんな調子に乗ったことまで言い始めた。
「自惚れんな」
「酷くない!?」
「お前一人でやったら絶対失敗するだろ」
「そ、そんなこと、ないし……」
目が泳いでいる。はぁ、と息を吐いた八幡は、とりあえず自分の今の感情を相手に覚られないよう必死で思考を巡らせた。風呂場の姿と今のあれを、今この場では決して動画ファイルとして開かないよう厳重に圧縮ファイルへと加工した。
そろそろ年越しそばでも食べましょうか、そんな声が聞こえてくる。時計を見ると、成程確かに除夜の鐘が鳴る頃だ。よし行こうと立ち上がった結衣に遅れて、八幡もゆっくりと、慎重に立ち上がった。
除夜の鐘を聞くだけでこれが解消できるなら世話がない。
おっぱいぷるんぷるん
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その4
「……」
「……」
ずずず、とそばを啜る音だけが暫し響く。そんな二人を眺めつつ、結衣の母親は足元のサブレを軽く撫でて思う。我が娘はともかく、その彼氏さんは何やら少し様子が変だ、と。
「ヒッキーくん」
「はぃ?」
「声めっちゃ裏返った……」
対面の八幡を思わず見やる。結衣の視界に映るのは何やら挙動がおかしい我が彼氏。さっき何かあっただろうかと首を傾げるが、彼女の中では当然のように答えが出てこない。
それはそうだろう。普段通りの寝間着姿だ、結衣にとってはいつものことなのだ。両親と自分、そして飼い犬。気を使う相手などいやしない。飼い犬の散歩に駆り出される時ですら、朝早ければ準備を怠るレベルだ。
「もしあれなら、わたしから結衣に言うけれど」
「あ、いえ、その……お気遣いなく」
予想を立てて言ってみたが、どうやら正解らしい。ぎくしゃくとしながらそう答える八幡を見て、結衣の母親は小さく溜息を吐いた。勿論彼のその言葉がやましい意味で言っているわけではないのは理解できる。欠片もないわけではないのも分かる。四割くらいだろう。
「あ、そうだ」
スマホを取り出すと、彼女はどこぞと連絡を取り始めた。ポン、ポン、と返信の音が鳴る中、あ~やっぱりと口角を上げる。
「ねえ、結衣」
「ん?」
「ママ、ちょっと比企谷さんと今から初詣に行こうと思うんだけど」
「は?」
何言ってんだこいつという目で母親を見た。夜物騒だからとわざわざ来てもらっといてそれかよと思いながら母親を見た。が、当の本人は全然気にすることなく、勿論向こうの家族も一緒よと笑みを浮かべている。
「ヒッキーくんの妹さんもちょっと頭を冷やしたいって言ってるらしくて、せっかくだから夜の屋台巡りでもしようって」
「え、小町まで?」
マジかよ、と八幡の動きが止まる。まあ確かに一人置いていくわけにはいかないだろうから選択としては正しいのであるが。しかしだ、そうなるとそもそも受験だからなるべく邪魔をしないという意味でここに来た当初の目的が水泡に帰すわけで。
しかし小町の、当の本人の願いならば仕方ない。はぁ、と溜息を吐いた八幡はそういうことならと頭を掻いた。
掻いてから、言ってから、気付いた。
「じゃあそういうわけで、サブレも連れて、行ってくるわね~」
「湯冷めしちゃ駄目だよママ」
「勿論よ」
そうなると完全に二人きりなんですけど、と。
「どしたの?」
「……いや、何でもない」
何でもなくはない。最後の砦、ママさんいるからが使用不可になってしまったのだ。もうすぐこの空間には、勢いを付けると体と胸部に動きのラグが出る少女と自分しかいなくなってしまうのだ。まかり間違ってしまうと、大変いかがわしい状態になりかねない。
除夜の鐘も鳴り終わる頃、由比ヶ浜家のチャイムが鳴る。はいはい、と玄関に結衣の母親が向かうと、八幡以外の比企谷家が勢揃いですいませんうちの息子がと親同士のお約束のようなやり取りを繰り広げていた。
「おい母さん」
「あら八幡、あんたちゃんとしてた?」
「してたよ。あんたらが来なけりゃこのまま問題なく正月を迎えてたよ」
「それはぁ、つまりぃ? お兄ちゃんはこれから問題が起きてしまうってことでいいのかなぁ?」
「え。何? 小町さん受験勉強のやり過ぎで頭おかしくなった?」
キシシと笑う小町にドン引いた八幡だが、彼女の表情が不満げに変わるのを見てすいません冗談ですと頭を下げる。そんないつもどおりのやり取りを見て、結衣はあははと笑みを浮かべた。
「あ、結衣さんごめんなさい。うちのバカ兄……が……」
視線を結衣へと移す。そうして彼女の顔を見て、そしてその姿を見て。そしてゆっくりと自分の足元を見た。しっかりと足が見えた。
視線を戻す。自分の目がおかしくなったのでなければ、あれはまさしく。
「お兄ちゃん」
「何だ」
「え? 大丈夫?」
「お前さっき自分でからかったじゃねぇか」
「何か、リアルな予想図が出てくると、流石の小町もちょっと引くかな、って」
何かを想像してしまったのか、うげ、と顔を歪め八幡から視線を逸らした。その反応はどうなのと思わないでもなかったが、八幡としても気持ちは同じなのでその辺りは触れない。
その傍らで少し上がっていきますか、いえいえおかまいなく時間もあれですし、というやり取りをしていた親共は、じゃあ行ってくるわねと二人に告げる。どうやら本気でこの家に二人を残すらしい。縋るように八幡は小町を見たが、まあこれはこれでありだな、という結論に達した彼女にはまるで通用しなかった。そのまま無情にも玄関のドアは閉じ、ガチャリとついでに鍵も閉められた。
「玄関開くと寒っ。ヒッキー、リビング戻ろ」
「お、おう」
ててて、と結衣は戻っていく。それにノロノロとついていった八幡は、先程までいた一人と一匹が本当にいないことを確認し溜息を吐いた。
「どする? 部屋戻る?」
「は!? え?」
「何その反応」
怪訝な表情を浮かべ、結衣が八幡の顔を覗き込む。近い、と思わずそれを押し戻した彼は、はからずも彼女の口元に手を添えてしまった。弾かれたように手を離し、そして唇に触れてしまったその手のひらをどうしていいのか分からずブンブンと振る。
何やってんだこいつ、という目で見られた。
「いや、お前、だから」
「何だかよくわかんないけど、こっちにいた方がいい感じ?」
「いやもう正直どこにいても大して変わらんというかむしろすぐさまここから逃げ出したいというか」
「意味分かんないし」
はぁ、と溜息を吐いた結衣を見て、八幡はコノヤローと彼女を見やる。自分が何に悩んでいるかピンときていない様子の結衣に、ならば教えてやろうかと思わず口を開きかけ、そしてイメージを実践しようと手が伸びかける。
が、それだけだ。そこからどうすればいいのか、が八幡には分からない。書物や映像媒体で知っているので知識はある。こういう風にするというイメージトレーニングも何度かした。が、所詮イメージだ。実際にやろうとすると、当たり前のように体が動かず、頭も真っ白。フリーズした挙げ句再起動を繰り返す完全故障状態だ。自身の母親が何を言おうと、小町がいくらからかおうと、当の八幡はそこに踏み出す覚悟がない。
臆病者と笑いたくば笑えばいい。しかし未経験者はどうしていいのか分からないのだ。そもそも付き合うのだって今回が初めて。無理に決まっている。
「……ね、ヒッキー」
「お、おう」
ソファーにぽすんと座った結衣が彼を見やる。微笑んでいるその顔を見て、どうにも気まずく八幡は視線を逸らそうとし。そうするとぷるんと揺れる大山脈が視界に入ってしまうと動きを中止した。
さて、そんな八幡を気にすることなく、結衣はそのまま彼に向かって手を広げる。言い方は悪いがすしざんまい的なポーズを取る。
「おいで」
「……は?」
「だから、ヒッキー、おいで」
「ちょっと何言ってるか分かんない」
分かっている。これ以上なく分かっている。が、その言葉を理解した場合、彼が取る行動はあの胸元へとダイブしなくてはならないわけで。いくらキンブオブチキン八幡といえども、あの状態でハグされたらそのままプッツンしてしまう可能性だってある。
というかあいつ分かってんのか。あまりにも無邪気に自分をノーブラ山脈へ誘う結衣を見て、八幡は謎の怒りが湧いてきた。こちとら必死で我慢してるのに、ごめん嘘ですただヘタれてるだけですでも悪いの向こうです。そんな思いが浮き上がってきた。
「ガハマ」
「ん?」
「お前自分が何やろうとしてるか分かってんのか?」
「ハグ」
「この時間じゃもう脳外科医はやってないか……」
「酷くない!?」
「酷くねぇよ。何なのお前? 何でいきなりハグしちゃおとか言っちゃってんの? ドラえもんのオープニングにしちゃ古過ぎる」
「いや意味分かんないし」
むう、と微笑みから不満げな表情に変わった結衣であった。が、しかし。ばっちこいすしざんまいのポーズは解いていない。準備万端だからさっさと来いと言わんばかりのままである。
勿論八幡は動かない。正確には動けない。え? あれ行ってもいいの? いいわけねぇだろ。という新たなリトル八幡が頭をぐるぐる回っていたからだ。口だけはとりあえず動いているのが幸いだろう。
「いや、だってさ」
「……何だよ」
「何かヒッキー、ママがいたからか、あんましひっついてきてくれなかったし……」
「おい待て何か俺がいつもガハマにくっついてるみたいな捏造やめろ。事情を知らない人が信じちゃうだろうが」
「いや今あたしとヒッキーしかいないし」
「尚悪い。お前この状況で、そういうことするっていうのは、それは、その、あれだぞ」
語彙力が死んでいる。が、しかし八幡を責めることは出来まい。何せ彼は未経験者だ。今まできちんと女子とお付き合いなどしていないのだ。折本かおりという女子の悪友はいても、男女の恋愛には何の役にも立たなかったのでノーカウントなのだ。
ともあれ、八幡の非常にテンパった姿を見た結衣は、そこで溜息と共にその手を下ろした。何言ってるか分かんない、と呆れたように呟いた。
「あのさヒッキー」
「な、なんでございませう」
「あたし、ヒッキーの恋人なんだけど」
「お、おう。そうだな?」
「別に、イチャイチャするのに理由はいらないじゃん?」
「いやいるだろ理由。何の理由もなくそんなことしたらただのバカップルじゃねぇか」
いやお前らは紛うことなきただのバカップルだよ。と、三浦優美子と海老名姫菜と戸部翔と葉山隼人と一色いろはと雪ノ下雪乃とついでに折本かおりが言ったような気配があったが、生憎と八幡には何も感じとれなかった。ついでに結衣も感じ取れなかったらしく、そうかもしれないけど、とぶうたれている。
「……理由言ったら、ヒッキー引くし」
「え? 俺が引くような理由なの?」
「うん。ヒッキーは、多分引く」
「そ、そうか……」
じゃあやっぱり何も言わずに諦めるのがいいんじゃないかな。そう思った八幡であったが、それを口にするのは何となく憚られた。向こうもそれを薄々勘付いているのが理由の一つだが。
それはそれとして、聞いてもみたい、と思ってしまった。好奇心は猫を殺す。きっと聞いたら八幡は死ぬ。だから聞かずに逃げるのが一番で、最適解。それでも、敢えて。
「ま、まあ、お前が言うからには聞いたら俺は間違いなく引くんだろうが……どんな理由だ?」
死にに行ってしまった。猫を殺す毒へと、好奇心へと突っ込んでいってしまった。
ぐ、とそれを聞いた結衣は視線を落とす。聞くんだ、と小さく呟きながら、でも一応さっき少し言ったんだけどと言葉を続けた。
「へ?」
「……ヒッキーが、くっついてくんなかった」
「はい?」
「……だから! ママがいたからヒッキーがあんましこっち来てくれなくて、寂しかったの!」
「…………えーっと、ガハマさん?」
「ほら引いた! 知ってるし! ヒッキーこういうの嫌がるって分かってるし! でもさ、でも……せっかくだから、いつもより、イチャイチャとか、したかったな、って」
後半はほとんど聞こえないような声量だった。胸の前で指をピコピコとさせながら、そっぽを向いて、彼を見ないようにしつつ、ぺしょぺしょと呟いた。
テレビの音量は大分下げられている。それでも、画面から流れているお笑いの声で掻き消される程度。勿論少し離れている八幡には聞こえるはずもない。
だから八幡は聞いていない。結衣のその呟きを、決して耳にしていない。彼が彼女のことを分かっていない限りは、それを聞くことは出来ない。
ぼす、と音がした。結衣が視線を動かすと、彼女の隣に座った八幡が、非常に不満げな表情で見詰めてきている。
「で?」
「へ?」
「何がしたいんだ、お前は」
「え? へ? ……あ、うん、えっと」
普段から死んだような目をしている八幡は、仏頂面だと完全に顔だけはその手の輩だ。が、結衣はそんな彼の顔を見て笑顔になった。ぶつくさと文句のように述べたその言葉を聞いて、弾けんばかりの笑顔になった。
「へい、ヒッキー」
「……さっきよりテンション高くてウゼェ……」
「酷くない!?」
すしざんまいリターンズ。それを眺めて床に広がるほどの溜息を吐いた八幡は、ふんと鼻を鳴らす。そして、ゆっくりと、渋々に、本当に渋々といった動きで、その中心部へと。
「え、っへへへ」
「何だその笑い、気持ち悪い」
「酷くない!?」
こんにゃろ、と彼の背中に回していた手に力を込める。ギリギリと締まっていくが、そうはいっても所詮は女子の細腕。思ったより痛いが、叫び声を上げるほどのダメージはない。
はず、なの、だが。
「あ、ちょ、待て! 待て待ってください!」
「ふっふっふ。あたしをバカにするから悪いのだ」
「いや違うそうじゃなくて、痛いとかじゃなくて。いや思ったより骨ミシミシいってるけどそっちじゃなくてだな! いやちょ、ほんと待って。シャツとパジャマだけじゃ先端ガードしきれてないから!」
先端? と目をパチクリさせた結衣は、次の瞬間顔を真っ赤にさせて八幡を突き飛ばした。ソファーの端と端に位置取ることになった二人は、そのままゼーハーと息をしながらお互いを見る。結衣はともかく、八幡も何故か胸をガードしていた。
「待て、これは事故だ。俺は悪くない、いや、誰も悪くはない。だから通報はやめてくださいお願いします」
「……」
顔を真っ赤にさせたままの結衣は、八幡の言葉に答えない。しかし段々と息を整え、大きく息を吸い、吐くと、ゆっくりと首を横に振った。
「え? 通報?」
「違うし! ていうか別に彼氏彼女だから、その、そういうことしても……」
赤面を倍加させると、結衣はそこでクッションへと顔をうずめた。駄目だ駄目だ限界だ。そんなことを叫びながら、ジタバタとソファーの上でもがいている。
人間自分より慌てている人を見ると冷静になれるというのは本当らしい。八幡はそんな彼女を見て幾分か落ち着き溜息を吐いた。別にやらねぇよ、と言い放った。
「え?」
「何だそのリアクション」
「いや、なんていうか……ひょっとして」
「一応言っておくがさっきは八割方エロに傾いたからな」
ビクリと結衣の肩が跳ね上がる。おずおずと八幡を見るが、しかし彼は呆れたような表情で頭を掻くのみ。じゃあ何で、とクッションを抱いたまま彼女が問い掛けると、面倒くさいと言わんばかりにジロリと視線を向けた。
「他人にお膳立てられてそれに従うのは気に食わん」
「……すえぜんくわねばとか、言うじゃん……」
「生憎と俺は出された料理にノーと言える日本人だ」
「……あたしじゃ、駄目?」
その質問は違うだろ、と八幡は結衣を見る。自分の今の発言はそういう意味ではないと分かるだろと視線で述べる。が、彼女はそれでも不安なのだと、言わなければ分からないと言葉で返した。分かっていても、それを請うた。
「……お前じゃないと、駄目だ」
「…………っ!?」
「が、ガハマ?」
「ヒ、ッキー!」
クッションを投げ飛ばし、全力で八幡へと飛びついた。そのまま彼を押し倒すような形で覆い被さる。重力に逆らわず、山脈は大瀑布へと変わった。
「だから俺は――」
「うん、分かってる。だから」
今回はこれで。そう言って彼女は唇を重ねた。これまでより、今まで以上に。濃厚で、絡み合うように。お互いの唇を、一つにした。
つつ、と二人の交わりで出来た糸を拭ったタイミングで結衣のスマホが着信を知らせる。わわ、と手を伸ばしてそれを取ると、彼女は相手を確認して通話にスライドさせた。
『あけましておめでとう、由比ヶ浜さん』
「うん、あけおめ、ゆきのん。どしたの?」
電話の相手が雪乃だと知った八幡が結衣の下であからさまに嫌な顔をする。そして悪寒がしたのでとりあえずどくようにジェスチャーをした。
『ええ。もしよかったらなのだけれど。今から初詣にいかないかしら?』
「あ、うん。行く行く! 他には誰が来るの?」
どうやら見えなかったらしく、八幡の願いは届かず通話は続いていく。向こうの声は聞こえないが、彼女の反応からして初詣にでも行こうと言われたのだろう。夜が明けてからなのか、これからなのかは知らないが。
『今の所姉さんに潰された隼人くんを叩き起こして三浦さん達と連絡を取ってもらっているわ、寝ている姉さんは放置』
「あ、優美子たちも来るんだ」
『ええ。そういうわけだから、由比ヶ浜さんには比企谷くんに――』
嫌な予感がした。先程よりも一層、数倍、猛烈に嫌な予感がした。ちょっと待て、と。慌てて彼女の口を塞ごうとした。
「ヒッキーならここにいるからすぐ聞けるよ」
『――――え?』
「ばっ、おまっ!」
「ヒッキー、ゆきのんがみんなで初詣行こうって」
電話口で動きが止まったのが八幡にも分かった。流石の雪ノ下雪乃も、この状況は予想出来ていなかったらしい。出来ていたら誘わなかったであろうから、当然といえば当然なのだが。
『え、っと……その、お邪魔、だったかしら……』
「どしたのゆきのん。何か急にかしこまって」
『いや、その。由比ヶ浜さん、比企谷くんは今どこに?』
「あたしの真下」
「ガハマぁぁ!」
ひゃふ、と電話口で小さな悲鳴が上がる。どうしたどうした、と雪乃の後ろで起きた陽乃と連絡を終えた隼人が近付いてきた。
『……ごめんなさい。さっきのお誘いは忘れてくれていいわ。行為中に失礼しました』
「へ? ……ち、違う違う! してないしてない! まだやってない!」
『これからだったのね。それは重ね重ね、大変失礼いたしました』
「違うって! そういうんじゃなくて! あと敬語やめて」
結局、誤解がとけるまでに十数分の時間を要し、その間全てを諦めた八幡はただひたすらに心を無にして現実逃避を行うのであった。
尚、いやだってある意味誤解じゃないしなぁ、と脳内のかおりが大爆笑していたことで、彼はなんとか正気を取り戻したらしい。
おっかしいなぁ……もっとこう無難に
「今年もよろしく、ヒッキー」
「おう」
みたいな終わりになるはずだったんだけど。
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誕生贈呈パパパーリィ
その1
八幡休めてない……。
「第一回、雪乃ちゃんへプレゼント大会ー!」
「ひゅーひゅー、どんどんぱふぱふー」
何だこれ。とりあえず八幡が真っ先に思ったことはこれであった。目の前では何やら司会進行をしているらしい大悪魔、もとい雪ノ下陽乃とノリと勢いで合いの手をうっている折本かおりの姿が見える。タイトルにもなった彼女の妹は今回は一緒に騒いでいないようであった。
ちらりと視線を横に向ける。最近自分より目が死んでいる気がすると思うほどの表情で突っ立っている葉山隼人が視界に映った。恐らく全てを諦めたのだろう。クリスマス以来なので大体一週間ほどのスパンだろうか。二週間経っていないというのが絶妙に涙を誘う。勿論八幡は見なかったことにした。
「えー、ここでまず参加出来なかった方々からお祝いのメッセージを頂いております」
「いやぁ、残念残念」
「なんだこいつら」
陽乃とかおりを見て八幡は率直な感想を述べた。やっている事自体は説明出来るし理解も出来る。が、納得は出来ない。ついでにいうと理解出来るのはあくまでどういう行動をしているかという理屈だけで、そこに込められた理由や感情はさっぱりだ。いつぞやに人のことを考えた方がいいと言われたことはあるが、これでそのダメ出しをされたら間違いなく抗議をする。そんなことすら思うほどで。
「小町ちゃんと、川崎ちゃん、後は戸塚くんに、材木座くん」
「受験生はしょうがないですよね」
「何でお前が小町についての感想述べるんだよ」
「比企谷は残りの面々の説明するっていう役目があるじゃん」
「いや知らねぇよ。何をどう説明しろってんだ。アポ無し突撃だぞこの状況」
「あ、沙希からはあたしにもライン来てた。流石に忙しいからって」
「マジかよ」
結衣の言葉にげんなりしながら、ひょっとしてとスマホを取り出す。会話アプリに未読通知が二件。片方は雪乃の誕生日祝いに出られない旨を伝える彩加からのもの。先程の陽乃の発言からしても、彼のことだから恐らく自分以外にも多数に連絡しているのだろう。返事が遅れたお詫びと、大丈夫だから気にすることはないというフォローを手早く送った。
そしてもう一つは何だかよく分からないが何故呼ばれるのかとガクブルしている義輝からだ。送信時間から考えて、今陽乃がほざいていた来られなかった面々からのお祝いメッセージとやらを送ってから我に返ったものなのだろう。とりあえず参加者の前で読み上げられてるぞと返信しておいた。
「後は戸部くんも来ていません」
「おー、それはたいへんだ」
「よく分かってないなら喋んな」
若干棒読みのかおりにそうツッコミを入れてから、八幡は成程そういうことかと一人頷く。隼人があの状態な理由の一つは、裏切り者がいたからなのだろうと結論付けた。
「さて、そういうわけで残った精鋭には雪乃ちゃんのプレゼントを選んでもらうという重要任務が課せられています」
「いえーい、がんばれー」
「お前もやれよ」
「うん、やるやる。当たり前じゃん、何言ってんの比企谷」
「こっちのセリフだよクソ野郎」
ノリで生き過ぎだろ。そうは思ったが、彼の知る限り折本かおりという少女がそうでなかった記憶が欠片もないため流した。諦めたら終わりなのでそこは足掻く。
そういうわけで、と陽乃に言われた面々であるが、八幡の視界に映る人数は司会者と賑やかしを除けば五人だ。結衣と姫菜、優美子といろは、そして隼人。いつもの連中とも言えるその顔ぶれを見て。
「……ん?」
視界に六人目がいる。全く見覚えない顔だ、と言えればまだマシであったと思わず判断してしまいかけたその人物は、皆から離れた場所で紫煙を燻らせながら少しだけ呆れたように陽乃を見ていた。
「平塚先生」
「ん? どうした比企谷」
「何でいるんですか」
「そりゃ、私も呼ばれたからな」
タバコを灰皿に捨てながらそう言って笑う。巻き込まれることが多いために被害者枠だと誤解しがちだが、彼女は、平塚静は陽乃の『友人』だ。あれと上っ面ではない交友関係を続けるという時点で、まず間違いなく。
「楽しんでますか?」
「君達と違って教師は早めに仕事初めだからなぁ。こういう騒ぎくらいは参加してもバチは当たらないだろう」
「碌な死に方しませんよ」
「ははは。陽乃の勢いに騙されてるな比企谷」
吐き捨てるように述べた八幡の呪詛を、静は笑って受け流す。その笑みの意味が分からず、彼はあからさまに顔を歪めた。それを見て更に笑みを強くした彼女は、考えてもみたまえなどと言いながら新しいタバコを一本取り出した。
「今回、君に被害はそこまでないだろう?」
「正月休みを潰されてますが」
「これがなくとも、どのみち引っ張り出されていたよ、君は」
言葉に詰まる。そんなことはないと言えれば良かったが、小町が受験であるということも手伝って大晦日に続き追い出された可能性が高いのは重々承知。そうなるとはっきりきっぱり反論することは難しい。
そう考えると、八幡の中で彼女の先程の言葉が意味を持ってくる。どのみち潰されるのならば、成程確かに被害が少ない襲撃の方がマシだ。
「一理ありますね」
「だろう? まあ、変に騒いでいるが結局は雪ノ下へプレゼントを送るだけだ。そう気張ることもないだろう」
「それはそれでゾッとしませんが」
「確かに」
何を送ればいいんだろうな。そう言って煙で輪っかを作った静は、何やらルール説明染みたことを述べている陽乃を見ながらくつくつと笑った。
そういうわけでプレゼント探し開始である。イベントの舞台は大型商業施設。服も食品もアクセサリーもとりあえず揃っているので、変にこだわらなければ探しものは見付かるはずだ。
が、こだわらなければいいかと言われればそういうわけでもなく。
「やべぇ……何を選べばいいのか全然分からん」
こういうことかと静の言葉を思い出しながら八幡は店を眺める。どこに入っても何も見付からないような気さえしてきて、やっぱり自分の被害甚大じゃないかと零した。
「ヒッキー、何かいいのあった?」
「嘗めんな。俺がそんなもの見付けられるはずないだろ」
「威張って言うことじゃない……」
はぁ、と溜息を吐いた結衣は、じゃあ一緒に探そうと彼の隣に立つ。いい加減その距離も慣れてきたのか、八幡はそれについて何も言わず、それでいいのかと会話の続きを行った。
「あれ? ルール聞いてなかった?」
「そもそもルールが存在する時点でおかしいだろ」
「そかな? 結構しっかり考えられてたよ」
あくまでイベントという体なので、各々使える予算は決まっており、ついでにその予算は経費で落ちるらしい。ペアがどうだのポイントがどうだのという結衣の説明を聞き流していた八幡が目ざとくキャッチしたのはその部分だ。
「成程な……確かに俺らに被害は最小限だ」
「何かちょっと申し訳ない気がするけど」
「無理矢理招集されたんだから、むしろそれくらいやってもらわないと困る」
経費、という部分についてはスルーした。イベント費用とはなんぞやと考え始めると正気度がすり減るような気がしたからだ。それらを記憶から追い出すついでに、ここにはいない何者かを幻視し身震いした。絶対に雪ノ下姉妹の母親には会うまいと心に決めた。
それはそれとして。八幡一人では何も出来ないが、結衣さえいれば何かしらすることが可能だ。丸投げとも言う。
「服とか、どうかな?」
「服、ねぇ……」
ずらりと並んでいるそれらを見ても彼には何も判断出来ない。何が良いのか、雪乃に合うのはどれなのか。それらを全くといっていいほど答えられない。
とりあえず結衣の選ぶものを参考にしながら後出しジャンケンをしよう。そう決めて、八幡は彼女の行動を。
「よ、っと」
「ぶふっぅ!」
目の前で服を脱ぎ始めた。裾がするすると持ち上がり、彼女の猛烈に凸としている部分を経由していく。一瞬の拘束の後開放されるそれは、さながら指を弾く際に親指を使うことで勢いを増す行為と同じようで。
それでも八幡は耐えた。一昨日のノーブラ山脈と比べれば弾けるおっぱいの揺れは微振動だ。
誤解なきように言っておくが、彼女は当然服を全て脱いだわけではない。軽く試着をするためコートとニットを脱いだだけである。シャツが少しめくれ上がりへそが見えたが、肌を晒したわけではないのである。
「どしたの?」
「……何でもないから気にするな」
新年を迎えてからまだ二日。それだけでもう一年分のラッキースケベイベントを済ませてしまったかのような疲労感がある。慣れたら色々終わってしまう気がしたが、顔を逸らさず見てしまった時点でもう駄目なのかもしれない。八幡は一人そんな反省をした。
それはそれとして。結衣がそんなことをした理由は勿論雪乃のプレゼントとして選ぼうとした服にある。
「これ、どう?」
「どうと言われても……まあ、お前には、大丈夫なんじゃ、ねぇの?」
「えへへ。うん、ありがと。……いやそうじゃなくて」
縦編のカーディガンを来た結衣を見て、八幡は頬を掻く。素直に似合っているとはっきり言わない辺りが彼らしく、それを分かっているから結衣もその言葉に素直なお礼を述べた。
が、質問の答えは残念ながらそれではないのだ。
「これ、ゆきのんのプレゼントにはどうかなって話」
「へ? あ、ああ、そうか。そういう話だったな」
「そうそう。そういう話。……まあ、お年玉も入ったしこれはこれで買っとこうかな」
「無駄金使うなよ……別に今日の服装で十分可愛――」
ば、と口を塞いだ。先程とは違いド直球で漏らしかけたその言葉を飲み込むように息を吸うと、わざとらしいくらいに咳払いをした。ちらりと目の前の結衣を見ると、先程よりも強力な笑顔を彼に向かって放っている。
「……話を戻すぞ」
「そだね」
「その顔やめろ」
「何が?」
めちゃくちゃ笑顔である。その顔のまま首を傾げ、いいからいいからと受け流す。話を戻そうという言葉も、先程八幡自身が言ったので否定するわけにもいかない。
これみよがしに舌打ちをしてから口を開いたが、当然というかなんというか結衣にはまるで通用しなかった。
「それ、サイズ合ってんのか?」
「……それは気付かなかった」
「馬鹿だろ」
「酷くない!?」
むう、と自身の腹を撫でる。気にする場所そこじゃねぇよもっと上だよと思わず言いかけ、社会的死を感じ取った八幡は慌てて発言を溜息へと作り変えた。
「んー。こういうのなら学校でも着れるかと思ったんだけど」
「雪ノ下は着ないだろ。存在そのものが世界のルール破ってるような奴のくせに校則は守ってるからな」
「言い方」
何で余計な一言を付けるのか。は既に彼女にとって疑問に思うほどでもないので気にしないが、それでも一応ツッコミは入れる。そうしつつ、まあ確かにそうかもと着ていたカーディガンを脱いで畳んだ。デコピンおっぱいリターンズ。最早八幡は溜息を吐くことしか出来なかった。
「んで、ヒッキーはどう? 何かいいアイデア出た?」
「嘗めんな。俺がそんなもの出せるはずないだろう」
「デジャブ!?」
そう言われても、と八幡は頭を掻く。ニットを脱ぎカーディガンを着る結衣を見ていただけで何かいいアイデアが出るくらいなら、そもそも通路をただうろつくだけのゾンビに成り下がってなどいない。精々が服はサイズの関係上無理だな、と選択肢を一つ減らしたくらいだ。
「んー。あ、じゃあ小物はどう?」
こっちこっち、と別の小物が並んでいる店へと向かう。そこに足を踏み入れると、何だか見覚えがある気がした。それが確信に変わったのは、棚にあるアイウェアコーナーを見た時だ。
「そういえば、ここって前に二人で来たっけ」
「お前が俺にメガネ押し付けたやつか」
「そうそう」
結局ここでは何も買わず、別の場所で件のチャームを買ったのだが。そのことについては口にしない。チャリ、と結衣の首にあるそれを目にして、キンレンカのエピソードがフラッシュバックしたので何だか妙に気恥ずかしくなり頬を掻いた。その手首には、ついこの間お互いに贈りあったお揃いのブレスレットが。
「どしたの?」
「……何でもないから気にするな」
さっきも聞いたぞそれ、と首を傾げる結衣を手で追い払い、八幡は棚に視線を向ける。以前は結衣へのプレゼントだったので却下されたが、相手が雪乃ならば。
「……あいつってこういうの付けるか?」
「んー。どうだろ。案外あれば付けるんじゃないかな」
言い得て妙な気がして、彼は成程と頷いた。雪乃は別にファッションに無関心というわけでもない。これを入り口に色々と増やすという可能性もなきにしもあらずだ。
が、それはそれとして。そうなるとやはり最初の一つはそれなりのセンスが問われるわけで。
「よし、やめるか」
「いやもうちょっと考えてからでもよくない?」
「そう言われてもな」
適当に一つ手に取る。これが似合うか似合わないかは想像に任せるしかない。つまりは無理だ。比企谷計算式はそういう証明を終了させた。
「ん?」
「どしたの?」
「……ブルーライトカットか」
持っていたメガネを戻し、たまたま視線を向けた先にあったそれを手に取る。デザインはシンプルなものだが、少々珍しいタイプのアンダーリムだ。漫画やアニメでよく使われてるやつだな、と八幡は畳まれていたそれのつるを開いた。
「いいんじゃない? それ」
「そうか?」
「うん。アンダーリムってマスカラとかアイメイクとかが映えるから結構女性人気あるんだよ」
「パソコン作業にも、ファッションにも使えるってことか……」
逃げ道を用意しておけばその分被弾を減らせる。予算もイベントとやらの規定を超えていない。そうと決まれば後は早い。じゃあこれにするかと彼はそれをレジへと持っていった。
そこで気付く。ところでその予算ってどこにあるの、と。
「はいこれ」
「お、おう?」
「ヒッキーの分。絶対聞いてないだろうと思ってたからあたしが持ってたんだ」
「……」
見透かされてる。それが何だか悔しくて、しかしそれで強引に受け取るのも何だか違う気がして。
拗ねたようにそれを受け取り支払いをする彼を、レジの店員は物凄く生暖かい笑顔で見送るのであった。新年の仕事が少し癒やされた、とか同僚に言っていたとかなんとか。
ゆきのんが被害者枠というレアシチュ。
……被害者?
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その2
だから誰得だよ。
所変わって別チーム。姫菜と優美子である。いろははアイデア出し係ということでかおりに拉致られたのでここにはいない。そんなわけでルールを踏まえながら何か品物を、と見て回っていたのだが。
「この予算が絶妙だね」
むむむと姫菜が唸る。自分の普段の買い物のつもりで選ぶと足が出る。なので考えなしに選ぶのではなく、値段と品質のバランスを丁度いい場所に持っていく必要があるわけで。とはいえ、それが出来ないかといえば当然答えは否。むしろ企画としては丁度いいとばかりに複数の候補をピックアップしているほどだ。
つまるところ、恐らくこの値段設定はこういう勝負で一番センスのない人物――早い話が八幡が一番悶えるように仕向けられたものなのだろう。あるいは、そうすることで自然とチームを組めるように誘導させられたか。
「雪ノ下さんのアイデアなのかな」
「んー。いや、ちげーっしょ」
企画説明の際、普段は一緒になって騒ぐはずの雪乃が壁にもたれかかって遠い目をしていたことを思い出す。何じゃそら、と言わんばかりの立ち方であったことから、あの瞬間まで伏せられていたのだろう。サプライズパーティーにしては趣味がアレだが、普段の彼女の行動や言動を考慮するとこれくらいの方がらしいのかもしれない。
「流石は姉、ってとこか」
「雪ノ下さん以上にアレじゃん」
「そうだねぇ」
そう言って二人で笑った後、ここにいない一人の少年を思い浮かべた。何かを考えていたのか、はたまた立ったまま死んでいただけなのか。どちらなのかは定かではないが、とにかくスタート地点から動く気配のなかった葉山隼人を。
「隼人もよくあんなんと幼馴染やれたもんだ」
「だからこそってこともあるけどね」
「意味分かんねーし」
「そうだなぁ……あの二人がいたから、優美子の好きな隼人くんが出来たってことで」
どうかな、と姫菜は笑う。それを聞いてうげ、と嫌そうな顔をした優美子は、言っている意味は理解したが認めんとばかりに鼻を鳴らした。とりあえずだからといって感謝は決してしないと拳を握った。
「そもそも、あーしはあのお姉さんを超える必要があんだし」
「まあ、ね。フラれたっていっても、吹っ切ったっていっても。……やっぱり、心のどっかではつい思い浮かべちゃったりするだろうし」
強敵だよなぁ、と一人呟く。そんな親友の言葉を聞いても、優美子は笑った。不敵に、強気に、自信満々に笑みを浮かべた。
「嘗めんなっつの。あーしはあの人にも、勿論一色にも負けねーし。隼人は、あーしがもらう!」
「おう、その意気だ優美子ー」
「……ってわけで」
「ん?」
ちょいちょい、と姫菜を手招きする。せっかくだしこの勝負でも少しはかましておきたい。そんなことを言いながら、こういう作戦はどうだろうかと彼女に耳打ちした。ふむふむ、とそれを聞いた姫菜は思わず吹き出し、成程言われてみればと口角を上げる。
「雪ノ下さんの影響受けてない?」
「んなわけねーっつの。大体このくらいなら雪ノ下さんだったら即やるやつだし」
「あー。確かに説明聞いた時点でネタとして盛り込んでそう」
予算を超えなければいい。つまり複数で徒党を組んで一品を選べば予算はオーバーしていない。という屁理屈である。雪乃も陽乃も当たり前のように想定しているようなアイデアではあるだろう。が、それを説明時に述べていないということは。
「むしろ使えってこと」
「だねぇ」
やっぱり影響受けてるじゃん。そんなことを思いながら、姫菜は倍増した予算でグレードアップしたプレゼントを選択し始める親友を横目にキシシと笑った。
死んだ目をしたイケメンが商業施設を闊歩している。しかも新年に。どこの怪談だといいたくなるようなその光景を作っている張本人は、しかしある程度の時間を掛けて段々と普段の爽やかイケメン(他称)へと戻りつつあった。
「いや、分かっていたさ。分かっていたけれど」
はぁ、と溜息を吐く。蘇りかけているそのイケメン、葉山隼人はそこで一旦思考をリセットさせると辺りを見渡した。それぞれバラバラに行動しているであろう面々の姿は見えない。敢えて被らないようにしているのか、無意識に皆を避けているのか。恐らくは後者であろうと結論付け、次いで新年早々何やっているんだかと自嘲した。
「あー……こんなことなら俺も他の誰かと行動すればよかった」
彼らしくない弱音が出る。葉山隼人という人間は、他人が――別段カテゴリ化されていない人間が見る限りそれを平気だと思うタイプだ。彼へ回りの人間が集まってくるのであったり、彼が回りを円滑に平和にするために向かうのであったり。どちらにせよそれは決してマイナスな理由ではない。そう信じていた。
それを隼人自身も意識して行動していたし、出来るだけそう見られるように立ち振舞は気を付けていた。それもこれも、全て自分を覆い隠すためだ。年上の幼馴染に惚れて、しかし相手は弟分にしか見られておらず振られ、それでも変わらぬ彼女を見て。初恋を引きずりながら。もう恋なんてしないなんて格好をつけて。
「無駄な努力だったなぁ……」
はぁ、と再度溜息を吐く。結局それで何か変わったのかと言えば。
「あら、随分と辛気臭い顔をしているわね」
は、と振り向く。そこにはいたのは一人の少女。美しい黒髪を靡かせながら、先程の彼と負けず劣らず、今口にした表現がまさに自分自身に当てはまっているだろうと言い返せてしまうような。
雪ノ下雪乃が、立っていた。
「人のこと言えないだろう……」
「何故急に生気を取り戻しているのかしら?」
それを見た隼人の顔が綻ぶ。逆に怪訝な顔へ変わっていった雪乃を見ながら、彼はごめんごめんと苦笑した。
しかしそれはしょうがないだろう。何せ、普段から自分をからかって楽しんでいる相手がげんなりしているのだ。体育祭の勝負以降で取れなかったマウントが取れる。そう思わず内心でガッツポーズをしても許されるはずだ。
「まあ、いいわ。どうせ姉さんに潰されるでしょうし」
「生憎と、今日は君も潰される側だろ、雪乃ちゃん」
ぐ、と雪乃の表情が歪む。それを見て楽しそうな笑みを浮かべた隼人は、ところでどうしたのだと彼女に尋ねた。今回の彼女は首謀者ではなく被害者枠だ。審査員扱いのはずなので、参加者に接触するのはあまりよろしくないはず。
そんな彼の疑問に答えるように、雪乃は鼻を鳴らすと指を突き付けた。わざわざ無駄に時間を潰すと思うのか、と睨み付けた。
「それで俺かい?」
「ええ。悪い?」
「悪くはないが……別に他の面々でも」
「あなた以外だと勝負の公平さが欠けるじゃない」
そんな雪乃の言葉に目を瞬かせた隼人は、次の瞬間爆笑した。そうしながら、何だ案外乗り気じゃないかとほんの僅かにガッカリする。そしてそれ以上に、そうでなくてはと気持ちを上げた。
「成程。俺ならば今更一緒に行動したところでそう大してアドバンテージにならない、と」
「ええ、そうよ。ところでどうして笑ったのか説明を求めてもいいかしら」
「嫌だ」
ち、と舌打ちする雪乃を見やる。何だか久しぶりだ、と隼人は思った。最近は――彼女が可愛いから美しいに変わったあたりから――何をするにしても最終的に自身がボコされるのがほとんどだったので、それが嬉しかった。随分と歪んでるな、と彼の思考の片隅で目の腐った少年が鼻で笑っているのが見えて、お前も同類だろ比企谷とそれを打ち消した。
「まあいいわ。……理由は後もう一つあるけれど」
「別に恥ずかしがらなくても」
ギロリ、と視線だけで人が殺せそうな睨みを隼人に向けた。何理解した気になっているのだ貴様は、と言わんばかりの視線を受けた彼は、だったら言うなよと肩を竦める。言わなくても分かることを敢えて言うのは、それが必要だからだ。今回は不必要、だから雪乃が口にしなければ隼人もそれを言うことはなかった。陽乃は言う。
「……ああ、成程ね」
「何?」
「いや、何も?」
「ムカつく」
雪乃らしからぬ物言い。それが昔を思い起こさせて、隼人は思わず笑ってしまった。そうだ、彼女はこういう人だった。そんなことを思いながら笑った。
彼女の姉に追い付こうと、追い抜こうと。陽乃と同じように悪巧みをし、腹黒さや強かさを身に付け。それでも決定的に違う、後付のそれではカバーしきれない差異を持ち。
だからこそ、自分は彼女に惹かれなかったのだと思い返して。ああ楽しいと彼は笑った。やっぱりそうだと笑みを浮かべた。
「雪乃ちゃんは変わらないな」
「どういう意味かしら?」
「ははは。別に体型の話じゃないさ」
ぱぁん、とやけに小気味いい音が商業施設の通路に響いた。
「流石にこれは酷くないか?」
「うるさい。きびきび歩く」
頬に紅葉を付けたイケメンは、黒髪の美少女につれられてウィンドウショッピングに勤しんでいた。何だ何だと騒ぎになる前にその場から離れ、喧騒に紛れるために再度商業施設を闊歩し始めた隼人と雪乃であったのだが。
「というか、そもそも別行動を取れば……駄目だな、変な誤解を生む」
「そうよ。とりあえずその跡が消えるまでは」
「誰のせいだよ……」
「あなたに決まっているじゃない」
ジロリと睨まれる。確かにそうなので隼人は押し黙った。普段の彼ならば、『葉山隼人』ならば絶対にやらないミスであった。が、新年という時期、学校や家の仕事に関係しない場所、そして二人だけという状況。それが重なり合って緩んでしまった。つい、昔の昔のように、まだ恋を知らない時期の時のように振る舞ってしまった。
「随分と浮かれていたのね」
「……そうだな、否定はしない」
「別に私と違って、あなたは友人が沢山いるでしょう?」
「ああ。『葉山隼人』の友人はね。でも、俺の友人は」
そこまで言って、あ、そういやあいつ今日逃げやがったと思い出した。マジサーセン、とサムズアップしている男の顔を思い浮かべ、新学期になったら一発殴ろうかなと目の光を消す。
それはともかく。
「俺の友人は、つい最近出来たばかりだから」
「奇遇ね。私も友人が増えたのは最近よ」
そう言って雪乃が笑う。知ってるさ、と隼人も笑い、その共通の友人達を思い浮かべた。皆がてんでバラバラで、何の共通点も持っていないような顔ぶれで。しかし間違いなく重なり合う部分があって。
「しかしまさか、雪乃ちゃんの正体を知っても友人を続ける連中があんなにいるとは」
「その言葉、そっくりそのまま返してあげるわ。あなたの中身を知って幻滅しない人があんなにいるなんてね」
ぷ、とお互いに顔を見合わせ吹き出す。そうしてひとしきり笑いあった後、さてではどうしようかと隼人は視線を巡らせた。
ショーウィンドウに映る顔には紅葉が無い。そろそろ赤みも引いたみたいだな、と彼は自身の頬を撫でた。
「俺はこれから雪乃ちゃんのプレゼントを選ぶけれど」
「あら、それは私に直接駄目出しして欲しいということかしら」
「ははは。どっか行けって言ってるんだよ」
笑みを消さずに隼人は述べる。それを聞いて口角を上げた雪乃は、見られて恥ずかしいものを買う気なのかと挑発した。どちらの反応をしても、彼女は織り込み済みだ。
それが分かっているから、隼人も敢えて両方の答えを口にした。何だ面白くない、と雪乃は白けた顔を見せる。が、勿論それも織り込み済みだろうと隼人に指摘される。
「まあいい。どうせなら比企谷の方にでも行ったらどうだ? あいつもからかい甲斐が――」
そこまで言って隼人は怪訝な表情を浮かべた。雪乃があからさまにいやそれはちょっとという顔をしたからだ。嫌悪というわけではない、いうなれば、とても気まずいと称するような。
「……結衣と行動しているんだったか」
「間違いなくそうでしょうね」
「……あの時の電話、やけに焦ってたな、雪乃ちゃん」
「誤解だったのよ。それは間違いないわ」
夜中に二人でいたことは誤解でなかったけれど。風に掻き消されるような声量で呟いたそれは、しかし事情を察していた隼人にはしっかりと耳に届いてしまった。物凄く複雑な表情を浮かべ、いやまあ比企谷だしと思い直す。彼女も言ったではないか、誤解だと。一体何が誤解なのか、あの時も今も尋ねる勇気はなかったが。
「それに、まあ……よくよく考えれば隼人くんもうちにいたし」
「そこは声量落とせよ。あらぬ誤解を生むだろう」
「そうね。あなたの目当ては姉さんだものね」
「誤解に誤解を重ねるな」
雪ノ下家と葉山家の繋がりの関係上であり、仕方がないことだ。そうは言いつつ、それが終わった後くつろいでいたのは本当なわけで。
加えるならばそこで目当てが雪乃か陽乃かと問われれば答えは間違いなく陽乃なわけで。
「はぁ……吹っ切ったのではなかったの?」
「吹っ切った。それは間違いない」
「口はそうでも、体は正直ね」
「言い方ぁ! ……まあ、反論できない自分もいるが」
「ヘタレ」
「ああ、そうさ。結局、未だに決められない」
自嘲気味にそう述べる隼人を見て、雪乃はふんと鼻を鳴らす。ゆっくりと腕を振り上げると、そのまま彼の後頭部へとチョップを叩き込んだ。身長差がそこそこあるため、指先から肘辺りまでが纏めて叩き込まれる。ごす、と案外鈍い音がした。
「決めるの?」
「……どうだろうな」
地味に痛いが、今はそんな空気ではない。そう思って必死で耐えながら隼人は答える。尚雪乃はそれを察して即座に吹いた。俺のシリアス返せよと当然のように彼は抗議した。
「まあ、時間はまだあるでしょうし。もう少し悩むのもいいんじゃないかしらね」
そんな空気などなんのその。笑いながら雪乃はそう口にして、さてでは行くかと踵を返す。呆気に取られた隼人の尻目に、彼女はその場から去っていく。
「え、ちょ、雪乃ちゃん!?」
「何? まさか本当に私といたいの?」
「いやそれはない」
即答。じゃあいいじゃない、と顔だけ振り返った雪乃は、そのまま人混みへと消えていく。それを目で追っていた隼人は、何だそれと一人肩を落とした。
ああ、結局。
「今年も振り回されるのか……」
そう言いつつも、彼の口元はどこか緩んでいた。
ラブコメの、しかも原作メインヒロインのはずなのに何か全くそういうイベントが立たないゆきのんってどうなのこれ。
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その3
そんな超蛇足回。
「では、皆さんのプレゼントを装備したフルアーマー雪乃ちゃん、かもーん」
何かを諦めたような、死んだ目をした雪乃が陽乃に押されて前に出る。そのまま暫し突っ立っていたが、やがて小さく溜息を吐くとその表情を元に戻した。
ありがとう、とそこにいる皆に向かって微笑む。自身の格好を確認しながら、どことなく満足そうに頷いた。
「ただ、比企谷くんのこれは」
「何でここで装備する前提なんだよ」
ちゃき、と己の目に装備されているそれを指で上げる。八幡セレクトのブルーライトカットの眼鏡である。他の面々のそれと比べると、ここで装備するにはほんの少しだけ浮いている気がしないでもない。
「んー。でもファッショングラスはありじゃない?」
結衣が雪乃の顔を見ながらそう述べる。どうかな、と他の面々の顔を見ると、まあ確かに、と同意している者もちゃんといた。
「というかむしろあたしのそれの方が浮いてるくない?」
それ、と雪乃の手に装備されているそれを指差す。なんともファンシーな猫柄の手袋であった。
「え? いいじゃない、猫」
「マジ顔だし……」
何一つ迷うことなくそう言い切った。そんな雪乃を見て結衣が若干引く。まあ気に入っているならいいか、ととりあえず思い直すことにした。ちなみに靴下と猫ミトンもセットなのだが、今この状態だと見えないのと装備限界の関係でノーカウントらしい。
そんな彼女の足元は、優美子と姫菜がタッグでチョイスしたブーツが。どちらかというと実用性を重視したようなそれは、二人の好みとは少し離れていた。そしてだからこそ、きちんと相手のことを考えて選んでくれたのだということを感じ取り嬉しくなる。雪乃はそれをやはり気に入っているようであった。
「雪ノ下先輩、わたし達のはどうなんですか?」
「勿論素敵よ。……というか、これは予算に収まったの?」
かおりといろはタッグのプレゼントはダッフルコートである。そこそこのお値段がしそうだが、と二人を見たが、多分ブーツとそこまで変わらないと笑った。ちらりと陽乃を見たが、笑顔を返されたのでルール違反もしていないのだろう。
「むしろ静ちゃんのそれの方が」
「何を言う。私はちゃんと予算内に収めたぞ」
税抜で、という言葉は聞かなかったことにした。大体タッグとか卑怯だろ、と子供じみた反論している平塚教諭から、四人はさっと目を逸らした。
ちなみに静チョイスはマフラーである。彼女の言う通り、税込みだと予算オーバーなのでレギュレーション違反である。
「だ、大体比企谷のそれはどうなんだ!? 意外とするだろうメガネ」
「いや、まあ、そりゃしますけど……一応予算内のやつ選びましたよ」
「何でルール守っているんだお前は!」
「理不尽!?」
謎のクレームを受けた八幡はさておき、と陽乃は視線を上に向ける。足元から胴、そして首元。再度顔まで上がってきた視線を、もう一段回上げる。
「で、隼人のがこれ、と」
雪乃の頭に乗っているキャスケットを眺め、彼女はふうんと口角を上げる。視線を送った当人へ向けると、何だよと言わんばかりの表情をしているのが目に入った。
別にいいんじゃない? そんなことを言いながら陽乃は雪乃に感想を求める。頭のそれを外し、くるりと回すと再度被った。
「そうね。まあ、いいんじゃないかしら」
「……そりゃどうも」
肩を竦めた隼人を見て、雪ノ下姉妹は笑みを浮かべる。そうして一通りプレゼントの評価を述べた辺りで、では、と陽乃が皆を見渡す。
「今日はみんなありがとー。かいさーん」
『待て』
その場にいる全員の声がハモったとかなんとか。
「え? 何かおかしなこと言った?」
「言ったよ。大いに言った。勝負だったんだろう?」
ずずい、と静が陽乃に迫る。が、別にどっちにしろ反則で負けてるのだから関係ないでしょうという彼女の言葉を聞いて撃沈した。
「まあ平塚センセは置いといて。私達としてもちょっとそれは」
「あーしらの努力返せって感じ?」
第二陣は姫菜と優美子。勝つために色々と考えていた二人にとって、正確には優美子にとって、ここでなあなあにされるというのは納得がいかない。
が、それを聞いて口元を三日月に歪めた陽乃を見て、思わず怯んだ。それはつまり、勝負でなければ選んでいないということなんだ。そう言って、ちらりと雪乃を見た。
「あーあ、可哀想な雪乃ちゃん。本当は誰も雪乃ちゃんのことを考えてくれてなかったんだ」
それは違う、と口にしようとして動きが止まる。先程の言葉を否定するためだけの、言い訳じみた一言に聞こえてしまうことを恐れて、優美子はそれを躊躇った。嘘になってしまいそうで、口を噤んだ。
「違います」
「お」
そこに割り込んだのは結衣だ。考えてないなんてことはない、と真っ直ぐに陽乃の目を見て言い切った。
「優美子も姫菜も、ゆきのんのこと大好きだから。勝負とかそういうの関係なしに、友達のためにって考えてたと思います」
「思う、か。……それは、第三者が言っていいの?」
「別にいいんじゃないですか?」
横合いから声。死んだ目をジロリと陽乃に向けて、呆れたように、面倒くさそうに。どうせこんなやり取り茶番だろ、と言わんばかりの顔で。
「意外だね。比企谷くんがそっち側だなんて」
「別にどっちがどうとかじゃないでしょう。俺はただ」
「ただ?」
「そういうのいいんでとっとと続きやってくださいとしか思ってないんで」
「最低だー!」
「あたしちょっとヒッキーに感動してたのに!?」
八幡を指差してゲラゲラとかおりが笑う。結衣も結衣でどことなく赤らめた顔を即座に冷めたものへと変化させた。まあそうだよね、ヒッキーだもんね。そんなことを言いながら溜息を吐く。
「ただただ私が恥ずかしいだけに終わったわね今のやり取り……」
「そうだな」
「嬉しそうね、隼人くん」
「気のせいだろう?」
いい笑顔の隼人の喉仏の辺りにチョップを叩き込んだ雪乃は、結衣よりも大きな溜息を吐きながら、八幡と同じようにいいから続けろと陽乃へ述べる。その反撃比企谷達に似てきたぞと喉を押さえている隼人の言葉は聞かなかったことにした。
「続き?」
「そういうのはいいから」
「ん? でもさ、人からの贈り物に優劣つけるとか。酷い話でしょ?」
「やり始めたの陽乃さんじゃないか……」
「あ、隼人まで敵に回るの?」
ショックだな、と全然堪えていないような言葉を発しながら、しかし陽乃は口元を三日月に歪めたまま。でも、本当のことでしょう、と皆を見ながらそう続けた。
「いえ全然」
「お、比企谷くんが言うかと思ったら意外なところが来たね」
視線をいろはに固定させる。陽乃の悪魔的笑みを受けても平然としている彼女は、ふふんと自慢気に鼻を鳴らしながら言葉を紡いだ。別に酷くなんかない、と言い切った。
「むしろこういうので勝つと物凄く優越感得られません?」
「最低だー!」
かおりが再び大爆笑する。何だこいつ、という目でいろはを見ていた優美子も、まあそれくらい開き直ったほうがいいかと思い直し笑みを浮かべた。
「む。じゃあ折本先輩はどうなんです?」
「こういうので勝ったらめっちゃ楽しい」
「最低だこいつら……」
八幡が思わず零した。それをしっかり聞いていた二人は、お前が言うなと食って掛かる。そんなことはない、と反論した八幡は、続けてそもそもこういう機会が訪れたことがないと言い放った。
「あ、はい。ごめんなさい、先輩……」
「じゃあ比企谷、今度あたしの誕生日盛大に祝って」
「一色はともかくお前は死ね」
というか俺はどうでもいいだろう。かおりに中指を立てた後、八幡はそう言って視線を陽乃へと戻す。その目はまだ茶番続けるのかと言わんばかりで。先程もぶつけていたその視線は、より鋭くなって彼女へと向けられていた。
「はいはい。まったく、みんな真面目なんだから」
ふう、と息を吐き肩を竦めた陽乃は、ついと雪乃を見る。自主的に手を引いたとはいえ、勝利出来なかった姉を見た彼女はどこか満足げであった。素直に諦めるがいいこのバカ姉とその表情が物語っていた。
「嬉しそうだね、雪乃ちゃん」
「ええ。姉さんが自分のペースを乱されているのがとても愉快」
「……ふーん」
にぃ、と陽乃が笑った。それを見て怪訝な表情を浮かべた雪乃は、何かまだあるのかと身構える。そんな彼女を見て、陽乃はぽんと肩を叩き。
「じゃあ雪乃ちゃん。最終判定、しようか」
「え?」
「勝敗決めるんでしょう? わたしはあくまで第三者だし、本人の意見が一番重要じゃない」
「……」
ぱちくりと目を瞬かせた雪乃は、目の前の姉が浮かべている笑顔を見て覚った。そういうことかと気付いた。どうやら自分は新年で随分と油断していたのだと悔やんだ。
こいつ、最初からそのつもりだったな。
「さ、雪乃ちゃん。誰のプレゼントが一番だった? 友達の贈り物に、優劣を、つけてあげて」
そう言って笑う陽乃の笑みは禍々しかったと葉山隼人は語る。こんなことやっても関係に影響はないと確信してやっているから余計にたちが悪い。溜息混じりにそんなことを思いながら、まあとりあえず自分には関係ないと。
「……隼人くんで」
「は!?」
他人事であったそれは、彼女の一言であっという間に当事者へと早変わりした。
不満げに陽乃は雪乃を見やる。ふん、と鼻を鳴らした彼女は、それでどうするのと姉に問い掛けた。
参加者の顔を見る。大体意図を察したのか、一部の面々も勝てなかったと口では言いつつ、それほど気にしている様子は見られない。隼人も、最初こそ驚いたがああそういうことかと思い至り今は通常営業だ。
八幡に至ってはすでに撤収の準備を終えていた。どうやら彼は勝負が終われば何でもよかったらしい。
「だったらあの時点で終わりでもよかったんじゃないの?」
陽乃は八幡にそう問い掛ける。めんどくさいと視線を彼女に向けた彼は、それだと終わらないでしょうにと吐き捨てた。
「大体、みんながシンデレラとか全員一位とか、そんなものは表面上だけで。内心では結局自分のシンデレラが一番だとか、一位の中でもトップだとか、決まらない蹴落とし合いが続くだけですし」
「表面上でもみんな仲良し、は間違っている?」
「個人の感想です」
そこで日和るか、と陽乃は笑う。楽しそうに笑いながら、そういうことなら仕方ないなと彼の背中を叩いた。くるりと皆に向き直ると、今日は付き合ってくれてありがとうと微笑む。そう言い終えると、雪乃ちゃんは幸せものだねと妹の頬をつついた。
「はいはい。ところでこれは、いい加減脱いでもいいのかしら?」
「気に入らない?」
「一つ一つ、きちんと自分に合うように着るのよ」
とりあえず全装備のフルアーマー状態なので、きちんと合わせてからがいいらしい。まあそりゃそうだと別段反対することなく許可を出し、そうしながらぞろぞろと解散していく面々の背中に声を掛ける。
ついでだから、家の誕生日祝いも来る? と。
「は? 姉さ――」
「いいからいいから。どう?」
陽乃の言葉に足を止めていた一行は、しかし皆一様に示し合わせたように首を横に振った。せっかくの誘いだけれど遠慮させてもらう、と述べた。
「だってそれ、家族のお祝いっしょ?」
「そうだね。そこに割り込むのは違うかな」
そう言いつつ、優美子と姫菜は笑みを浮かべる。ねえ、といろはとかおりに声を掛けると、そうそうと同じように笑みを浮かべた。
「まあ、そういうわけなので」
「あたしたちはあたしたちで別の日にお祝いやろーってことで」
ほれ続き、と言わんばかりに結衣と八幡へパスを出す。後言いたいことは分かるな、そんな視線を受けて、結衣はあははと頬を掻いた。八幡は知らんとばかりに視線を逸らしている。
「てわけで、えーっと、明日! うん、明日誕生日パーティやろ!」
「急過ぎるだろ……」
はぁ、と溜息を吐きつつ反対はしない。会場の準備お願いしますよと視線だけで静へ訴えた。苦笑しながら分かった分かったとスマホで調べ出す辺り、彼女も相当のお人好しであろう。そうでなければ陽乃の友人などやってられない。
「……」
だってさ、と陽乃は雪乃を見る。普段の彼女らしからぬ赤い顔で、うるさいと蚊の鳴くような声で。そっぽを向いている妹を見て、彼女は実に楽しそうな笑みを浮かべた。
よしじゃあ行こうか。そう言って彼女は雪乃の手を取る。そしてもう片方の空いた手で隼人の肩をガシリと掴んだ。
「……俺も行かなきゃ駄目?」
「子供みたいなこと言ってないの。それじゃあまたねー、みんな」
え、と思わず振り向いた優美子といろはを他所に、陽乃は二人を引きずって去っていく。まあそうだろうな、と予想していた八幡と静と姫菜の三人は、この後の展開を読んでこっそりと溜息を吐いた。
「ま、待った! 隼人、置いてけ!」
「葉山先輩はこっちに残してくださいよ~!」
「あ、ちょ、優美子、いろはちゃん!?」
ほらこうなった。慌てて追いかける二人とそれを追いかける結衣を見ながら、置いて帰るわけにもいかず暫く待つかと足を止めた。追い掛けはしない。
「あっははははっ! ウケる!」
ついでに残りの一名のように笑うこともしなかった。
終始ゆきのんがいじられた。
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天秤考察ライブラリー
その1
ひっそりこっそり復活を
ごく一部にとっては凡そアホみたいな感想を抱くイベントも終え、新学期が始まった。休みボケだのなんだのとぼやきながらも、夏休みと同じように皆段々と学校生活という日常に順応していく。
が、二年生という微妙な立ち位置は、この時期これからのことを考えなければならない。三年に進級する際の文理選択、それらを決めるための用紙を配られたことで、否が応でも意識してしまう。
が、それでも。変わらない部分は当然あって、むしろ変わる部分のほうが少ないとも言えて。
「で、ヒッキーはどうするの?」
「んあ?」
「進路」
「わざわざ聞くことか?」
めんどくさいと言わんばかりの表情で、八幡は結衣の言葉を切って捨てた。む、と頬を膨らませる彼女に向かい、もう一度彼は同じ言葉を告げる。わざわざ聞くことなのか、と。
「ちょっとした雑談の入り方的なやつじゃん」
「分かりきってる質問をしてどういう風に会話膨らませる気だ。その風船穴開いてるぞ」
「むむむ」
「何がむむむだ」
はぁ、と溜息を吐いた八幡はあっち行けとばかりに手で追い払う。その手をはたいた結衣は、そのまま追撃のチョップを叩き込んだ。何しやがると睨んだ彼のことなど気にせんとばかりに、それでと顔を近付けた。
「近い」
「そう?」
ここんとここのくらいじゃなかったっけ、と首を傾げる彼女を八幡は半ば強引に押し戻し、もういいから続きを話せと言い放つ。これ以上付き合っていたら話が始まる前に終わってしまう。
はいはい、と頷いた結衣はそこで表情を真剣なものに変えた。雰囲気が変わったことで、思わず八幡も姿勢を正す。
「……勉強教えてくれない?」
「スタートラインで躓いてんじゃねぇよ」
「違うし! あたしはあたしでやってるの! でも、こう、自信ないというか」
「……まあ、いい。が、俺より雪ノ下とかに教わった方がいいんじゃないのか?」
「ゆきのんは、最終手段と言うか……」
いつぞやのテスト勉強を思い出す。成績は上がったし今でもその部分には自信が持てているが、そこに至るまでの道のりが急過ぎた。仕方ないからとロープを腰にくくりつけてアンカーで巻き取られた感じすら覚えたほどだ。ちなみに八幡は顔面を紅葉おろしにされながら引っ張られていた。比喩表現である。
ともあれ、あれをもう一度と考えた場合、今度の期間は受験終了までになりかねない。となると高確率で途中から自分も引きずられる羽目になる。
「だから少しずつでもいいからやっておこうかな、って」
「動機はともかくその姿勢はまあ褒めてやろう。俺が面倒だが」
「あー、やっぱ駄目?」
「……いや、今更だろ。俺の試験勉強にお前が引っ付いてくるのは」
はぁ、と息を吐く。言い方はぞんざいだが、そもそも八幡は最初から断っていない。面倒だのなんだの言いながらも、結局結衣との勉強を許容しているのだ。それが分かっているから、その場にいるクラスメイトも「また始まった」程度にしか気にしていない。愛の人の称号はついにほぼ不動のものとなったのだ。
「しかし、ガハマ」
「ん?」
「向こうとはいいのか?」
ほれ、と八幡の席から少し離れた場所で集まって雑談している面々を指差す。ゆるふわウェーブロングという彼女の性格とは対極に位置する名称の髪型をしている結衣の親友三浦優美子、そしてその悪友海老名姫菜。向こう、というのがその二人を主に指しているのだと判断した結衣は、別に大丈夫と言い放った。
そう言いながら、そもそも、と視線を向こうから八幡に戻す。
「場合によっちゃ優美子達も一緒に勉強するくない?」
「その時は俺は逃げるぞ」
「何で!?」
「当たり前だろ。何で俺が」
「……まあ、そだね。ゆきのんとか来るかもしれないしね」
八幡の言葉を遮るように、何かを納得させるように彼女が述べる。体の良い逃げ道を作られたと感じた彼は、結衣を睨むと勝手にしろよと吐き捨てた。そんな彼を見て結衣は苦笑すると、了解、とだけ述べる。そこに何が込められているかは、目の前の八幡のみぞ知る。
「ユイー、あんたはどっちにしたん?」
そんなタイミングで声が掛かる。場所は先程話題にした面々からだ。優美子がこちらを向いてそんなことを述べた。なになに、と彼女へと振り向いた結衣は、もう一度質問を聞いてああそのことかと頷く。
「あたしは文系。ヒッキーと一緒だね」
「おい何で俺の答えをお前が代弁すんだよ」
「え? ヒッキー理系行けるの?」
「行くわけねぇだろ」
「だろうな」
「おい葉山、いきなり会話に混ざった挙げ句罵倒するな。傷付くだろ」
いつのまにか優美子以外も八幡達に視線を向けていたからか、隼人がさらりと会話に加わる。当然ながら八幡は物凄く嫌な顔をした。そして隼人はそんな彼を見て笑みを浮かべる。普段の、よく知られている『葉山隼人』ではありえないその表情は、頻度が高くなったとはいえ葉山隼人を知らない面々にはまだ驚きであるらしい。彼の横にいた男子生徒、大岡と大和は少々遅れ気味だ。
「そもそもだな、こうして自分の得意不得意を知っているというのは強みだ。選択を無駄に迷うことがないからな。お前みたいに何でもそつなくこなせる方が無駄に悩んで結局後悔しかしなくなる」
「常に後悔してばかりのお前が言っても説得力がな……」
「うるせぇよ。……冬休み前辺りから、葉山お前、あいつに似てきてないか?」
「やめろ虫酸が走る」
とある少女を思い浮かべ、そして双方ともに自爆した辺りで話は一段落。それで、と翔が他の面々にも進路をどうしたのか聞き始めた。どうやらあちらで一通り聞いてから八幡達に振った、というわけではなく、最初のターゲットがこちらだったらしい。大岡と大和が文系だと軽く述べ、姫菜もそれに同意するように文系を選んだと告げる。
「そういうとべっちはどうなの?」
「俺? 暗記苦手だし、理系もありかなーって」
「は?」
こいつ何言ってんだ、という目で優美子が翔を見た。代表者が彼女なだけで、その場にいる大半が同じような表情である。結衣だけはへー、と流していた。
「いやだって英単語とか無理ゲーだし」
「英語は理系も文系もいるっつの……」
「マジかー……」
呆れたような八幡の言葉に、がくりと翔は項垂れる。だったらもう文系でいいや、と投げやり気味に進路を変えた。
そんな翔を見ていた隼人は、そこで視線が自分に集まっているのに気付く。どうやら今度は自分の番らしい、ということを覚った彼は、しかしゆっくりと首を振った。
「え? 隼人くんこの流れで秘密にする系?」
「まだ決めかねているだけさ。こう言うとさっきの比企谷の言葉を肯定するみたいで非常に嫌だが」
「だから何で一々俺に棘刺してくるんだよ」
サボテンダーかよ、と内心で悪態を吐きながら、それ以上何かを言うことなく八幡は会話に加わらず成り行きを見守る。無理矢理パーティーチャットに加えられた身分としては、ログを眺めるだけに徹するのが定石なのだ。彼の理論では、である。
「ふーん。隼人でも、迷うんだ」
そんな中、隼人の言葉を聞いてどこか安堵したような表情を浮かべたのは優美子だ。どうやら彼女もまだ決めていなかったらしく、他の面々がさらりと告げるのを聞いて少しだけ気になったらしい。加えると、隼人向けに述べた八幡の嫌味が地味に彼女にも命中したようである。
「あー……優美子もそこそこ万能タイプだからねぇ」
「別にどっちも出来るわけじゃないし。ふつーだし」
姫菜の言葉にそう返したが、むしろだからこそ迷っているとも言える。こちらが得意だ、で決められる姫菜や八幡とは違うし、あちらの方がより苦手だの消去法を行える翔とも違う。
だからこそ、彼女はどちらでもいい。どちらでもいいからこそ。
「ユイ」
「ん?」
「ユイは何で文系選んだわけ?」
「あたしは、えーっと……ほら」
ちらりと八幡を見た。そんな彼女の様子を見て、優美子は知っていたが分かったとばかりに頷きもういいと話を打ち切る。迷っているのならばそういう理由で選んでも問題はないだろう。どうせそれでこれからの人生が決定付けられるわけでもないのだから。
「……一応、文系科目の方が成績いいからね、あたし」
「ヒキタニくんと一緒に勉強してるからねぇ」
「いやまあ、そうなんだけどはっきり言われるとちょっと」
「なんで積極的に自爆しに行くんだよ……」
もらい事故してるじゃねぇか、と八幡がぼやく。そんな二人を楽しそうに見ていた姫菜だが、優美子に視線を向けると困ったように笑みを浮かべた。友人として割と濃い日常を送ってきたせいか、案外彼女の考えが分かる。分かるからこそ、どうしたものかと首を捻るのだ。
「隼人くん、決めてないっていうけど、強いて言うならとかある?」
「ん? そうだな……」
姫菜の質問に何かを考えるような素振りを見せた隼人は、暫しの後何かに辿り着いたらしい。ぽつりと、本当にぽつりと、無意識にそれを口にした。本人すら気付かない内に、それを口にしていた。
「――大学。国立の理工系か……」
「え? 隼人くん理系志望?」
翔のその言葉にハッとした隼人は、いや違うと首を横に振った。思っても見なかった言葉を拾われたことで、普段の彼らしからぬ焦りが見えている。が、生憎相手は翔だ。その状態でもあしらわれてしまう程度の男であった。途中大岡と大和も加わったが焼け石に水である。
一方のそうはいかない組は、というと。
「……海老名」
「ん?」
「さっきの隼人の呟きって」
「あー……多分ね」
優美子の言いたいことを察したのだろう。姫菜も苦笑しながらそれに同意する。そうしながら、なんというかと頬を掻いた。
「案外女々しいよね、隼人くん」
「そんだけ、一途だったんでしょ」
「でも、優美子はそれをぶち破らなくちゃいけない」
「あったり前だし」
ぱん、と拳を手の平に打ち付けた。今ここにいない、葉山隼人のかつての想い人。完全無欠に彼を振った人。吹っ切ったという割に、何だかんだで残り続けているあの人。
それを、自分で上書きするのが、彼女の最終目標だ。
「あとついでに一色もぶっ倒す」
「あの娘はあの娘で結構したたかだしねぇ」
思い出の恋敵とは別の現存する恋敵一色いろは、彼女との決着も近い内に決める必要がある。そんなことを思いながら、とりあえず目の前の彼を文系に引き込もうと優美子は自身の決意を固めた。
そんな空気に爆弾が落ちる。言った本人の大岡としては一旦止まった進路の話からのちょっとした話題展開程度であったのだろうが、それはまさしく爆弾に他ならなかった。
「そういや隼人くん」
「ん?」
「雪ノ下さんと付き合ってるって、マジ?」
ピシリ、と空間が固まった気がした。そして八幡はその言葉を耳に入れた瞬間、慌てて口を手で塞いだ。そうしないと止まらなかったからだ。大岡が言った『雪ノ下さん』は、間違いなく雪ノ下雪乃だ。つまり、葉山隼人と雪ノ下雪乃が付き合っているのは本当なのか、と問い掛けた形になるわけで。
「っ――ぶふっぅ……――ほっ!」
「ヒッキー」
手で押さえて尚も漏れるそれと、肩を震わせ痙攣する姿。八幡のその二つを眺めながら、ジト目で結衣は彼を呼ぶ。収まらないので目だけで彼女を見た彼は、しかし仕方ないだろうと視線だけで述べた。
結衣としても、彼のその反応を間違っているとは言い辛い。こんな状況でなければ、彼女だって思わず吹き出していたかもしれないからだ。耐えられたのは、目の前で全力リアクションを押し留めた彼氏がいたことと。
「大岡」
「は、隼人くん?」
「誰からだ?」
「え?」
「誰がそんな無責任なことを言ったんだ」
当の本人である隼人の機嫌がこれまで見たことないほどに悪くなっていたからだ。その眼光は鋭く、言い出した大岡は思わず後退りするほどで。
「や……なんつーか……」
「答えろ大岡。誰がそんな心無いことを言ったんだ」
「ぶふっぅ」
「ヒッキー」
耐えきれなかったらしい。八幡はついに吹き出した。何ぞ、と蚊帳の外であった大和と翔が彼を見たが、机に突っ伏してピクピクと震えている姿を見て、それぞれ別の感想を抱く。大和は困惑、翔は若干の同意だ。
そんな彼のことはさておき。優美子も彼女らしからぬ目を丸くした表情で大岡の次の言葉を待っていた。騒ぎ立てないのは、双方のことをある程度知っているからだろう。そうでなければ、その言葉を聞いていたクラスメイトのようになっていたに違いない。
「いや、誰っていうか……噂? みたいな。冬休みに千葉のショッピングモールで二人がデートしてたって」
「案外具体的だね」
ふむ、と姫菜が顎に手を当てながら思考する。一応その仕草を取ったものの、すぐさま噂に該当する場面を頭に浮かべることが出来た。隣の優美子も同様のようで、あーあれかと息を吐いている。
隼人も同じようで、それを聞いて表情を和らげた。何だそのことか、と言葉を返した。
「別に大したことじゃない。家同士に繋がりがあるから、その関係で顔を合わせていただけさ」
言っていることは間違ってはいない。確かに家同士に繋がりはあるし、その関係で顔を合わせたのも正しい。だから嘘ではない。
「あ、そうなんだ。いやー、俺もそんなことはないと思ったんだけど」
「だったら言うな」
ふぅ、と息を吐いた隼人は彼を軽く小突き、そのまま翔と大和を巻き込んで男子同士のじゃれ合いのような会話を続けていく。それによって段々と空気が和らいでいき、こちらの注目も薄れていった。
そのタイミングで、結衣はようやく息を吐く。そうしながら、八幡をジロリともう一度睨んだ。
「ヒッキー」
「いや仕方ないだろ。笑ってはいけない並の案件だったぞ」
「あはは。まあ確かに私も思ったけど」
そんな二人に姫菜と優美子も合流する。ちょっと焦った、と一人ぼやきながら、優美子もそのまま八幡を睨んだ。
「つかヒキオ。我慢すんなら最後までしろし」
「いやだから、仕方ないだろ……」
あの雪ノ下雪乃と、葉山隼人が付き合っている。そんな愉快な状況を想像して吹き出さない理由がない。どう考えてもズタボロにされる隼人しかイメージ出来ないのが彼の中では拍車を掛けた。
まったく、とそんな八幡を見ながら、結衣はほんの少しだけ眉尻を下げる。件の噂は、まず間違いなくこの間の雪乃へ誕生日プレゼントを送る勝負の時のことだ。
「あれがこんな噂になるなんて」
「いや、ガハマ。それは違うぞ」
「え?」
どうしよう、と悩み始めた結衣に向かい、八幡は苦い顔を浮かべた。先程の内心大爆笑とは違い、噂のことを考えて一つの仮説を立てたのだ。
この噂は、半分くらいは意図的に流されている。
「どゆこと?」
「正確には、噂になる可能性が高いことをしたって感じか」
「意味分かんないし。何でそんなことするわけ?」
「それは、多分だけど」
優美子の問いに、八幡のそれを引き継ぐ形になった姫菜が述べる。きっと同じ仮説を立てたんだと思うけど、と続ける。
「隼人くんを無理矢理にでも動かすため、じゃないかな」
彼女の言葉に、八幡は意義を申し立てなかった。
季節はズレまくったけれどね!
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その2
奉仕部へと向かう廊下でも、八幡の隣の結衣は難しい顔をしたままであった。そんな彼女を見て、八幡はやれやれと溜息を吐く。
「お前が悩んだってしょうがないだろう」
「かもしんないけど。うー」
むむむ、と腕組みをしながら首を捻る結衣に軽くチョップを叩き込むと、彼はもう一度溜息を吐く。お前は俺の言ったことを分かっていない、そう言って肩を竦めた。
「へ?」
「お前が悩んだところで碌なアイデアは出ないだろう? だから無駄だ」
「酷くない!?」
「今の今まで何も思い付いていないのがその証拠だろ」
うぐぅと唸る。恨みがましげな視線を向けながら、だったらそっちは何かアイデアがあるのかと問い掛けた。そう言いつつも、どこか期待と確信を持って彼に尋ねた。
が、それに対し八幡は苦い顔を浮かべるのみ。視線を逸らすと、どこか歯切れの悪い返事をしながら頭を掻く。
「……絶対にお前は文句を言うぞ」
「……そりゃ、言うかもしんないけど」
その言葉で何となく察した。確かに考えてみれば、この状況で八幡が出す答えとしては予想して然るべきものだ。そして同時に、悩んでいた結衣にとっては確かに文句の一つでも言いたくなる。
とはいえ、何も考えていなかったというわけではないということが分かっただけでも御の字である。それがたとえ、この状況を続けるとか当事者に任せるとかそういうものだとしても、だ。
「まあ確かに、ゆきのんが何も考えてないはずないか」
「ある意味犯人で被害者だからな。噛んでいれば犯人オンリーだが」
「どうだろ。案外陽乃さんだけの悪巧みだったりして」
「悪巧みって言っちゃうのか」
「そりゃ言うし。優美子、結構悩んでたもん」
その悩みがどの方向に向かっているのかは本人の口から語られていない。だから結衣としても予想するしかなく、これが正しいと明言は出来ない。だが、それがどんなものであろうとも助けようという思いだけは共通していた。そしてそれが間違っていたら、はっきりと言おうとも思っていた。
「流石に三浦は間違えねぇだろ。海老名さんも一緒だからな。それに」
「それに?」
何でもないと八幡はそっぽを向いた。途中で言葉を止められたのが気になり、結衣はこんにゃろと彼の脇腹を突く。やめんかと反撃のチョップを叩き込みながら、八幡はいいから部室へ行くぞと足を早めた。
その途中で他の生徒達とすれ違う。周りを気にすることない声量での会話は、当然のように八幡達の耳にも届いた。どうやら何か噂について話をしているらしい。
勿論、その噂とは隼人と雪乃の恋愛についてだ。どうやら噂は本当らしいだの、親にも挨拶しているだの、お互いの家族で会食していただの。もはや婚約者か何かのように語られているそれは、流石に嘘くさい。どこか現実離れしているような規模のそれは、広がり方に反比例して噂の信憑性を下げているようにも思えた。
「……根付かせないようにしてるのか?」
「ん?」
「ああ、いや。こっちの話だ」
「さっきの人たちが話してたやつ? 確かに何かもうマンガとかドラマみたいな感じになってたね」
「問題はある意味マジだってことか……」
「幼馴染で親が仲良いならそんなもんじゃないかな、多分」
どちらにせよ、あれはぶっちゃけ面白がっているだけだろう。そんなことを言いながら結衣は隣の八幡を見る。そうだな、と彼女のその言葉に頷いた彼は、だからこそ対処をしろと言わんばかりのこれが気に入らなかった。
「ガハマ」
「何?」
「これはあくまで俺の予想だが」
雪ノ下は被害者側だ。そう言って八幡は口角を上げた。だからきっと、部室に行けば話は自動的に進んでいく。そう続け、心配すんなと結衣の頭に手をぽんと置く。
「今回の俺達は傍観者だろ。適当に遠巻きに見てればいいんだよ」
「……無理だと思うなぁ」
無理でした。
奉仕部部室に辿り着いた八幡は、罠に掛かったヒキガエルのごとく、蛇の群れへと強制的に連行された。ほらやっぱり、と苦笑しながら結衣も所定の位置につく。
部室には既に雪乃と二人より先に向かった優美子と姫菜がスタンバイしており、八幡達がやってきてすぐにいろはもそこに合流した。尚、いろはは憤懣やるかたない表情を浮かべ物凄い勢いで扉を開いて侵入してきたので、思わず皆がそこに注目したほどである。
「そんで、一色は何キレてんの?」
「はぁ!? そんなの決まってるじゃないですか! あの噂ですよ、うわさ!」
「やっぱりかぁ」
優美子の問い掛けにそう叫んだいろはを見て、姫菜は笑う。説明不要のようで何よりだ、と彼女は紅茶を淹れている雪乃を見た。表情こそ平静を保っているが、その実オーラが不穏極まりない。つまり今回、彼女は反撃をする側だということだ。
「さて」
紅茶を人数分振る舞いながら、雪乃がぐるりと皆を見渡す。とりあえず不満を全力で表現しているいろはに向かい、ごめんなさいと彼女は謝罪をした。いきなりのそれに、流石にいろはも困惑する。怒りは引っ込んだ。
「バカ姉が迷惑を掛けたわ。まあ、私も一応は考えてはいた案の一つだったけれど……まさかこのスピードでやらかすとは」
「いや、まあそれはいいんですけど。……え? 今考えてたって言いました?」
「ええ。このままあの馬鹿が煮えきらないようなら、多少強引に道を塞ごうかとは思っていたもの」
幸いにして自分は噂が立ってもダメージが少ない。何だかんだで幼い頃からの腐れ縁だ、それによってお互いの関係がギクシャクすることもあるまい。そんな予想を立ててはいたものの、個人的感情であれとイチャイチャするのはコレジャナイ感が満載なので保留していたのだ。
だが姉は躊躇いなくやった。大丈夫でしょ、と語尾に音符マークでも付けていそうなノリで笑う陽乃を想像し、雪乃は脳内で張り倒した。
「……まあ、そういうことだから、これに関しては気にすることはないわ。私は隼人くんとそういう関係になる気はこれっぽっちもないのだもの」
「雪ノ下先輩がよくても、こっちはあんまり良くないんですよ~」
ぶうぶう、といろはが頬を膨らませながら抗議を続ける。何かあったのだろうか、と視線を優美子へと向けたが、それについてはさっぱりらしく彼女はさあと首を傾げていた。
「ほら、例の噂をみんなが話してるじゃないですか。で、わたしがそれを聞く。そうすると、どうなると思います?」
「……え? 一色お前まさか」
八幡がマジかよ、という目でいろはを見る。優美子達も同じシチュエーションになっていたので、その時のことを振り返った。
そして気付く。ああ、成程、と。
「もう爆笑しちゃって。――そんなことあるわけないってみんなに笑いながら言ってたら、失恋で頭おかしくなったとか、何か気を使われちゃったんですよ! うんうん分かった分かったとか慰められて……ありえなくないですか!?」
「思った以上に酷い……」
結衣が呟く。うわぁと姫菜も思わず目を逸らした。優美子はツボに入ったのか机に突っ伏して震えている。雪乃はノーリアクションを貫いた。
「これ噂が払拭されない限りわたし振られガールのままなんですけど! 絶対に許せません!」
「いいんじゃね? そのまま振られとけば」
「三浦先輩シャラップ!」
がぁ、と優美子に食って掛かったいろはは、そのまま勢いよく捲し立てた。もしそうなったら、お前もその一員だからな、と。
は、と優美子の表情が強張る。その顔を見て少し溜飲が下がったのか、いろはがふふんとどこか勝ち誇った表情で胸を張った。雪乃よりはあるが、目の前の優美子には及ばない。勿論結衣とは勝負にならない。
「だって噂じゃ葉山先輩が付き合っているのは雪ノ下先輩なんですから。否定されない限り、当然三浦先輩も振られガールってわけです」
「言われてみれば、そうか」
あの場で隼人が否定したので自分の周りでは終わったと思っていたが、学校内で広がっているのならば当人が否定したという部分は意図的にオミットされている可能性すらある。面白い方に流れるのは当然の理で、となるといろはの言う通りこのままでは隼人にアタック中である優美子も当然失恋少女に早変わりだ。
「ま、最初っからそのつもりだったし」
「あれ? 三浦先輩もそうだったんですか?」
やれやれ、とそう述べる優美子を見ていろはが不思議そうな顔を見せる。そりゃそうだと返した彼女は、そういうわけなのでアイデアを募集中だと言わんばかりに雪乃を見た。
「こちらも元々そのつもりだったから、それは問題ないわ。ただ」
二人を見やる。先程の口ぶりからすると、彼女達が求めているのはあくまで噂を払拭することの一点のみだ。そこに付随する追加効果はあえてスルーしているようにも見えて。
一つだけ言いたいのだけれど。そう言って、雪乃は優美子といろはを見た。
「この噂を消すのに一番手っ取り早いのは、隼人くんが本当に誰かと付き合うことよ。そうすれば、あれは噂だったという言葉に信憑性が高まる」
「場合によっては雪ノ下先輩と別れてその人とくっついたってことになりかねませんけど」
「噂から生まれた噂なんて所詮薄っぺらいものよ。希釈していけばそのうち消える。何せ本物の彼女がいるのだもの」
「それはいいけど。その場合隼人の相手ってのは」
「勿論、三浦さんか一色さんのどちらか」
この状況を作った理由はそこなのだから、行き着く先も当然そこだ。このままでいれば噂は広がり、そしてそれに付随して色々と環境も変わっていく。失恋して尚陽乃を引きずっていた彼は、女子人気はあるもののそれまで浮ついた話が出てこなかった。それをひっくり返すようなこの噂は、隼人の隣に立てるのではないかという蜘蛛の糸のような存在で。
「それを引き千切って有象無象の女子を地獄に叩き落す役を担うのが三浦と一色ってわけか」
「ヒッキー、言い方」
「まあ、恋愛ってそういうところあるし、そこはまあしょうがないんじゃない」
もう、と咎める結衣と笑う姫菜。そして大体そんなところねと雪乃が同意し、そういうわけだからと二人を見た。
が、優美子もいろはも、その言葉には揃って首を横に振る。この状況で、今回の噂を使って、その関係になることに否と答える。
「……一応、理由を聞いても?」
言葉とは裏腹に、雪乃はまるでそうだろうなと言わんばかりの表情だ。だからこそこの方法を使うことをしなかったのだから。そんなことを思っているようでもあった。
「今回の噂って、葉山先輩を追い立てるためじゃないですか。わたしと、三浦先輩。二人の道のどっちを選ぶかを迷ってて、でも後ろの雪ノ下先輩のお姉さんが何だかんだで忘れられなくて。だから立ち止まってたけれど、そうはいかなくなって」
「後ろから壁が来るから、潰されないようにどっちかの道を行く。それってさ、逃げじゃん。好きだから選ぶんじゃなくて、しょうがないからそっちに逃げ込む。そんなの、あーしは望んでない」
「ここまで来て消去法で選ばれたらたまったもんじゃないですよ」
「選ばれるのなら、一番だからって思われなきゃダメだし」
ふふん、と二人は不敵に笑う。だから今回の噂は使わない。そう言い切って、雪乃へと目を向けた。そんなこと分かっているだろうとばかりに、視線を向けた。
「そうね。それでこそ、よ」
雪乃も笑みを浮かべる。そうして三人で笑い合うと、観客となっていた残り三人へと目を向けた。うんうんと頷いている結衣と姫菜と、それでも尚傍観者を貫こうとしている八幡を見た。
「比企谷くん」
「だから俺を巻き込むな。悪いが俺は葉山が困っているのを見て笑いたいんでな、協力なんぞ」
「別にいいわよ。今回は見ていてくれれば」
「……は?」
思わず雪乃を見る。が、笑みを浮かべたままの彼女はこくりと頷き視線を外した。では、と噂をどういう風に消し去るかの作戦会議を始めた。毎度おなじみ奉仕部ノートを取り出すと、現在蔓延している噂の書き出しから始めていく。
八幡は放置だ。
「……いいのか?」
「ええ」
「俺は、本当に今回は見ているだけで大丈夫なのか?」
「そんなに心配しなくても、大丈夫よ。そもそも、あなたは被害に遭っていないでしょう?」
「いや、そうなんだが……どうにも、不安で」
「……先輩、何かDV夫に依存する奥さんみたいになってますね」
「あはは……否定できない」
「いや否定しろし。奥さんはユイ、あんただろーが」
「奥さん部分を否定してないわけじゃないと思うよ」
ともあれ、関わらないとそれはそれで不安になるらしい八幡も、蚊帳の外に置かれない程度には話し合いに参加することになったのであった。雪乃の作戦通りであったかどうかは語らない。ただ、流石にそんな彼には若干引いていたことは記載しておく。
「……寒気がする」
「ん? 隼人くん、どうかしたん?」
「いや、何だか急に寒気がな」
キョロキョロと辺りを見渡すが、別段怪しいものは見当たらない。そもそもここはサッカー部の部室である。怪しい奴がいたら大問題だ。ならば部活後で体を冷やしたかとも思ったが、その辺りのケアはきちんとしているのでこれも問題ない。
ということはつまり、これは虫の知らせというやつに相違あるまい。そう判断した隼人は、その理由に思い至って溜息を吐いた。
「いやホント隼人くんどうした? 顔めっちゃ暗いんだけど」
心配そうにそう声を掛ける翔に大丈夫だと返すと、ロッカーに置いてあったカバンから自身のスマホを取り出す。メッセージアプリが通知を出しており、新規メッセージが届いていた。時間的に、どうやら部活中に送られたらしい。その両方ともに、差出人の名字は同じ。
片方は、そろそろ決めないといけないお姉さんからのアドバイス、という絶対に言葉通りではない犯行声明。そしてもう片方は。
「……そういうことなら、今回は乗ってやるか」
「お、隼人くん調子取り戻した?」
「だから最初から言っているだろう戸部。俺は大丈夫さ」
そう言いながら、もう片方のメッセージに、雪ノ下雪乃からのそれに肯定を示すスタンプを送った。
たまには姉さんの鼻を明かすわよ。そんな悪魔からの誘いに、是と答えた。
アンソロは公式設定として扱っちゃダメだよなぁ、多分。
パパのんとかはともかく。
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その3
「葉山くん」
そう言って呼び止められた隼人は、一緒に歩いていたサッカー部の部員に先に行っていてくれと述べる。うぇーい、と軽い調子で返事をした翔に苦笑しつつ、彼は自身を呼び止めた相手を見た。
見覚えはある。が、その程度の関係な女子生徒だ。名前を言ってみろと言われると少し考えねばならない。あるいはごめんと謝らなくてはならない。そんなレベルだ。
「……」
それで、どうしたのか。そう尋ねると、彼女は暫し何かを言い出しかけ、そして口を閉じ、を繰り返した。やがて覚悟を決めたのか、ゆっくりと言葉を紡ぐ。友達から聞いたんだけど、と前置きをする。
「今、付き合っている人がいるってのは、本当?」
「いや。……いないよ」
ほんの少しだけ間があったが、彼ははっきりと否定する。それを聞いて僅かに希望を持ったのか、女子生徒はそのまま、勢いをつけたまま気合を入れた。
拳を握り、息を吸い、そして。
「だったら、私と」
「ごめん」
その言葉を言い切る前に、彼に切って捨てられた。え、と目を見開く彼女に向かい、隼人は真剣な表情のまま、もう一度だけごめんと述べる。被せるように言ってしまって申し訳ないが、その告白を受けるわけにはいけない。そこまで言い切りはしなかったが、凡そそんなような言葉を紡いだ。
「俺は」
それで終わり。じゃあ練習に戻るから。そう言って踵を返しても良かったが、彼は何故かそこで言葉を続けていた。大分あの空気に当てられているな。そう思いつつも、隼人はそのまま女生徒に告げる。
何故告白を断ったのかを、告げる。
「……俺は、好きな人がいるから」
「――え?」
先程とは違う意味で目を見開いた。あの葉山隼人が、何と言ったのか。好きな人がいると、みんなの葉山隼人であるはずの彼が、一人の人間を。
そこまで考えると、次に浮かんでくるのは誰だということだ。そしてあの噂が再び浮上してくる。つまりは。
「ゆ、きのしたさんを?」
「いやそれは違う。絶対に違う」
「えぇ……」
突然食い気味に否定された。重苦しい雰囲気が吹き飛んだようなその口調は、振られたことで零れ落ちそうであった涙が引っ込んでしまうほどで。
ともあれ、噂については彼も理解していて、そしてそれ自体については煩わしく思っているのは確実。それでいて、自分にはチャンスがない。
「でも、そっか……好きな人、か」
口にしてしまうと、引っ込んでいた涙が再度溢れてくる。これは何の涙なのか、それを彼女自身も説明出来ない。思い続けていたには違いないが、ダメ元であったことも確か。こうなることも想定済み。少しでも印象に残ってくれればチャンスが巡ってくるかも程度の淡い希望だ。
ああ、そうか、と彼女は自覚する。その希望が打ち砕かれたからだ。自分にはそれが巡ってこないと突き付けられたからだ。
「うまくいくと、いいね」
「……ありがとう」
そう言って笑みを浮かべた隼人は、それじゃあ俺は行くよと踵を返す。その背中を見詰めながら、彼女はポロポロと涙を流した。隠れて見守っていた友人が駆け寄ってくるのを滲んだ視界で見ながら、女生徒はじっとその場で立ち尽くしていた。
「モテモテね」
「うるさいよ」
そうして告白を断った隼人の背中に声が掛かる。嫌そうな顔をしながら振り向いた彼は、美しい黒髪の少女が口元に笑みを浮かべながら立っているのを見てその表情をさらに歪めた。
「このタイミングで接触とか、何を考えているんだ、
「あら、このタイミングだからこそじゃないかしら、
舌打ちする隼人と、笑う雪乃。念の為周囲を確認したが、今この場にはどうやら聞き耳をそばだてている輩はいないようであった。
はぁ、と溜息を吐く。そうしながら、それで一体何の用だと問い掛けた。
「一昨日聞いた例の件だけど、本当にいいのね」
「……一応、今回はそっち寄りというだけだ。陽乃さんの思惑には乗りたくない」
「そう。理由を聞いても?」
「無理矢理どちらかに押し込められるのは御免こうむる」
「ぷふっ」
「おい今何で笑った」
「ごめんなさい。彼女達と同じ理由だったから、つい」
彼女達が誰を指しているかなど聞くまでもない。それは確かに笑っても仕方ないな、と苦笑した隼人は、それで何でここにともう一度尋ねた。それだけならば、こうして直接会う必要がない。そもそもスマホ越しで作戦に参加したのだから、その後の打ち合わせもそれでいいだろうからだ。
「文章を入力するのが面倒になったのよ」
「言い訳するならもう少し説得力のあるのにしてくれないか?」
「いいのよ。別に理由なんてどうでも」
「はいはい。……で、俺は何をすればいい?」
隼人の言葉に、雪乃は少しだけ考え込む仕草を取る。今回の噂を払拭するのに一番手っ取り早い方法は別の誰かと付き合うこと。現状その相手は三浦優美子か一色いろはのどちらかで間違いなく、そしてそれは同時に陽乃のお膳立て通りである。
つまりそれは問答無用で却下というわけだ。だから別の方法で、なおかつ陽乃の顔が少しでも曇れば万々歳。そうする方法を雪乃が編み出し、隼人が実行すれば。
「出来るだけ姉さんが呆れるのがいいのよね」
「言い方。まあ、確かに陽乃さんの想定外を抜くのは難しいだろうからなぁ……」
「後反撃だけど。どうやら今回詰めが甘かったみたいで、母さんを通さなかったらしいの」
「陽乃さんらしからぬミスだな」
「……罠だと思う?」
どうだろうか、と彼は考える。ちょっとしたからかいのつもりでやらかしただけならば、その可能性は十分ある。しかしそうなるとからかいに全力で反撃している図になるわけで。
まあいいや陽乃さんだし。瞬時にそう結論付けた隼人は、とりあえず向こうに話を上げてみてからだろうと述べた。
「罠だった場合その時点で私は死ぬわよ」
「それが?」
「この野郎……」
ジト目になった雪乃を見て楽しそうに笑った隼人は、その代わりと言ってはなんだがと言葉を続けた。不満げな表情の彼女へと、彼は告げた。
「多少の無茶振りなら、喜んでやってやるさ」
「交渉成立ね。派手に死んでもらうわよ」
「……だと思ったよ」
やっぱり演技かこいつ。分かっていたがはっきりと突き付けられて、隼人はやれやれと溜息を吐いた。そうしつつも、どこか浮ついている自分もいるわけで。
ああやはり、自分は当てられている。女生徒に告白された時にも思ったそれを、彼はもう一度自覚した。『葉山隼人』でなくともいい心地よい空気を、目一杯吸い込んだ。
「ああ、一応言っておくけれど」
「ん?」
「噂のようにあなたと付き合うとか、私はとてもじゃないけれど考えられないわ」
「同感だ。俺も君みたいな策謀系絶壁は選択肢にも――」
顎ズレたんじゃないかと思うくらいのアッパーを食らい、彼の今日のサッカー部の練習はお預けとなった。
というわけで。そんな前置きと共に雪乃はどこからか用意したホワイトボードをコツコツと叩いた。席に着いている面々は、そこに書いてある文字を眺めながら思い思いの表情で眺めている。
「えっと、雪ノ下先輩?」
「何?」
「……正気、ですよね?」
「狂気である、と判断するのかしら?」
「いやどう考えてもそのタイトルはとち狂ってんじゃん」
いろはの質問に答えた雪乃へ、優美子が援護射撃。あらそう、と視線を再度ホワイトボードに向けると、そんなにおかしいかしらと首を傾げた。
姫菜と結衣はノーコメントを貫いている。そして奉仕部名誉部外者はというと。
「『葉山隼人を盛大に爆死させる作戦会議』……か」
「素敵でしょう?」
「そうだな、そこは同意せざるを得ない」
「ヒッキー……」
ギロリと八幡を睨んだいろはと優美子を見ないようにしながら、彼はとりあえず諌めるような結衣の視線にのみどうどうと宥めるポーズを取った。そうしながら、まあ考えてもみろと彼女に、一応名目上は結衣だけに伝えるかのごとく言葉を紡ぐ。
「今回の噂は、結局の所葉山が良い奴のイメージを作って行動してきたことで問題がでかくなっている」
「あー、うん。そうだね。みんなの隼人くんのイメージがあるから、ゆきのんとの噂がばばーって広がっちゃったんだろうし」
「そうだ。だから、そのイメージを崩してしまえば、噂は大した問題じゃなくなる」
「あー……ん? んん?」
成程、と納得しかけた結衣は、八幡の言いたいことを察して首を傾げた。いやそれってつまりそういうことじゃんと眉を顰めた。
「イメージダウンさせるってこと?」
「それが一番手っ取り早いだろう」
「そうね。確かに比企谷くんの言う通りよ」
えー、と結衣は視線を雪乃に向ける。が、そこで彼女が浮かべている笑みを見たことで、あ、これ違うやつだと判断し口を噤んだ。恐らく八幡が出したアイデアも策の一つであるのだろう。だが、それは決定した案とは違うものだ。表情を見る限り、そんな簡単な解決をするわけないだろうと告げていた。
「それで、どういう風に隼人くんをいじる方向なのかな?」
同じような結論に達したらしい姫菜も、八幡のそれを踏まえつつ雪乃の会話の続きを促す。この野郎と唸っていたいろはと優美子も、凡その流れを読み取ったのか一旦席に戻って聞き役にジョブチェンジを果たしていた。
「そうね……実は隼人くんは女たらしで」
「それはただの事実だろ」
「ヒッキーちょっと黙って」
「いいのよ由比ヶ浜さん。比企谷くんが事実だと認めてくれたのはむしろ重畳。だって私はこう続けるつもりだったもの」
今度も比企谷八幡と共に他校の女子とダブルデートを楽しむ算段なのだ。は、と発言した本人以外が呆気に取られるそれを言い切ると、雪乃は笑顔で八幡に向き直った。笑顔だけで何も言葉を発していない。が、それだけで彼には十分であった。
事実って言ったよな?
「記憶にございま――」
『それはただの事実だろ』
「……」
「最近のスマホって便利よね。こうしてすぐに録音が出来るもの」
す、と取り出した彼女のスマホには間違いなく八幡が件の発言を認める発言が録音されていた。勿論そんな一言だけでどうにかなるのかと彼は鼻で笑ったが、勿論そうだと雪乃は笑みを崩さない。
「最近のスマホって便利よね。簡単に編集も出来るもの」
「証拠捏造してんじゃねぇよ!」
「してはいないわ。これからするの」
「同じだ!」
「いいえ。後出しなんて卑怯なことはしないという私の意思表示よ」
「証拠捏造の時点で卑怯千万だろ……」
がくりと力尽きた八幡は、伸ばしていた手をだらりと下ろした。そのまま机に突っ伏し、もう知らんとばかりに動かなくなる。よしよしとそんな八幡の頭を撫でながら、結衣は雪乃へと視線を送った。たはは、と苦笑しつつ、ほんの少しだけ唇を尖らせた。
「ゆきのん。あんまりあたしの彼氏いじめないで欲しいなぁ」
「ごめんなさい、善処するわ」
「それでも善処なんだ……」
うわぁ、といういろはの感想は流しつつ、結衣はじゃあそれでと話を終える。そうしてから、先程の話の続きを促した。一体全体どういう方向でダブルデートとかいう状況になったのか、と。
「そうね。とりあえず隼人くんの『相手』を絞らせるわけにはいかない、というのがまず一つ」
「隼人があーしや一色と、ってなったら結局向こうの思う壺ってことか」
「ええ。だから出来るだけ噂の相手は散らすべきよ。だからこその他校の女子生徒」
「それはいいんですけど……どこから調達する気ですか? その他校の女子生徒とかいうの」
「海浜には要請済みよ」
「クソ野郎経由かよ……」
突っ伏したまま八幡がぼやく。毎度おなじみ、とサムズアップしている折本かおりのイメージにチョップをかましつつ、相変わらず拙速を尊び過ぎだろうと溜息を吐いた。多少の不備は動きながら修正するから余計にたちが悪い。
「同じ総武だと噂よりも相手探しに重き置かれちゃうからってことだろうけど。それは他校でも結局同じじゃない?」
と、そこで聞き役に徹していた姫菜が述べる。『相手』を散らすにしても、その程度では劇的な効果は得られないだろう。そう判断したわけだが、この程度のことを向こうが失念しているわけもないということも同時に考えていた。だから、彼女としては雪乃の次を促す合いの手程度の意味合いでしかない。
「ええ、そうね。……必要なのは、強烈な印象よ」
「へ?」
唐突なそれに、思わず姫菜も目を瞬かせる。それに口角を上げることで返答とした雪乃は、視線をそこでもう一つの主役へと向けた。隼人が生贄という名の主役であれば、こちらはそれを触媒にして効果を発揮させる悪魔という名の主役。
「三浦さん、一色さん。手伝いをお願いしてもいいかしら?」
「嫌だっつっても結果は一緒だし。いいよ、やる」
「ま、乗りかかった船ですし」
言葉は渋々のようであるが、別段乗り気でないようには見えない。隼人ではないが、彼女達もこの空気にすっかり染まっているのだ。結衣は勿論そうだし、姫菜ですらそれを自覚して溜息を吐いている節もある。
名誉部外者のみ、頑なに認めようとはしない。
「ありがとう。じゃあ、比企谷くん、都合の悪い日はあるかしら。ああ、ごめんなさい。あなたにそんなもの存在しなかったわね」
「自分で言って自分で結論出すのやめてくれませんかね。そもそも俺はスケジュール過密だ」
「由比ヶ浜さん。彼の予定は?」
「へ? 多分土曜空いてるよ。出たがらないだけで」
「何よりそれが重要だろうが」
はいはいと雪乃は流した。視線をいろはに向けると、サッカー部の予定ならどうとでもなるだろうという返事が来る。これはあくまで彼女の予定であり、隼人の予定ではないところがミソだ。
「じゃあ、そういうことにしましょうか」
「どういうことにするんだよ」
「言ったでしょう? 出来るだけ『相手』を散らせると」
見せつけてやるのだ。そう言って彼女は笑った。普通の相手ならば近寄りがたくなるような、そんなものを。口にはしないが、まるでそう言っているかのような錯覚すら感じた。
「由比ヶ浜さん。そういうわけだから少しだけあなたの彼氏を借りるわ」
「了解。ちゃんと返してね」
「おい」
「一応彼の相手は折本さんだから、そこは安心していいと思うわ」
「あ、じゃあ大丈夫そうだね」
「大丈夫じゃねぇよ。安心という字を学び直せ」
「……なびいちゃうの?」
「そういう意味じゃねぇよ。何でお前いるのに折本になびかなきゃ――」
そこで盛大に咳き込むと、八幡は発言をなかったことにした。勿論皆の記憶にはしっかり刻まれたのは言うまでもない。
次回、ダブルデート?
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その4
その日、休みにもかかわらず早めに起床しリビングへと降りてきた八幡は、一人テレビを占領しゲームをしている父親の背中を眺めながら小さく溜息を吐いた。別にその姿が原因なのではない。ただ単にこれからの予定が面倒だっただけだ。
「おう、おはよう八幡。……え、早くない?」
「事情があるんだよ。ほっとけ」
ちらりと彼の方向に振り向いた父親は、時計を見てもう一度息子を見て。掛けていたメガネを拭いてから再度時間を確認、無精髭を撫で付けながら本気で困惑した声色で呟いた。対する息子、うるせえ死ねと言わんばかりの塩対応である。そもそもこのタイミングでしかリビングでゲームが出来ないからと母親が起きてくる前にこっそりと抜け出している男のセリフではない。
「まあいいや。朝飯はないぞ」
「元から期待してない」
視線をテレビに戻した父親から八幡も視線を外し、適当に食パンをトースターで焼いて食べる。正直言ってしまえばこのまま何もなかったことにして寝てしまいたい。が、そういうわけにもいかない。何がどうなって自身にこんなことが起きるのか。そう思わないでもなかったが、今回は何故か自分から死地に飛び込んでしまったので恨み言は大半がブーメランである。
パンを食べ、眠気覚ましも兼ねたブラックコーヒーを喉に流し込み。そのまま出かける支度を渋々ながら済ませた八幡は、出来るだけ比企谷家残りの二人に見付からないように家を出ようと玄関へと向かった。が、その途中、一応ダメ元でとリビングでゲーム中の父親の背中に声を掛ける。
「なあ、父さん」
「お前俺の貴重な財布の中身を奪おうとか鬼か?」
「息子に少しは優しくしてくれてもバチは当たらんだろ」
「理由を述べよ。それ次第ではノーマネーでフィニッシュしてやる」
「出す気ゼロじゃねぇか」
期待はしてなかった、と八幡は踵を返す。そんな彼に、ちょっと待てと父親は呼び止めた。ゲームを一時中断し、置いてあった自身の財布から最小の札を三枚取り出す。
「ほれ、後で返せよ」
「借金かよ」
「当たり前だ。小町なら余裕で万札渡すが。勿論譲渡」
ぶれないな、と目の前のうさん臭げな自身の父親を見る。まあそれでも一応こうしていざという時の保険を渡してくれるだけマシだろう。そう結論付け、じゃあ行ってきますと八幡は改めて玄関へと向かった。
「あ、そうだ八幡」
「何だよ」
「浮気は程々にな」
「いっぺん死んどけクソ親父」
朝から疲れた。そんな感想を持った八幡であったが、今日はこれからさらなる疲弊が待っている。ブーメランであることを分かっていて尚何でこんな目にとぼやきながら、彼は駅前の待ち合わせ場所でやってくる面々を待っていた。
「悪い。待ったか?」
「いや、俺も今来たところだ」
「……」
「……」
『気持ち悪っ』
ハモった。何が悲しくて土曜の午前中から男同士がラブコメカップルみたいなやり取りしなくてはいけないのか。少なくとも八幡はそう思ったので口に出したが、隼人もそういう反応するとは意外だ。
などということもない。既に八幡は彼の正体を知っている。爽やかイケメンスポーツマンは所詮表の顔で、中身はこんなものだと分かっている。何の因果か、理解してしまっている。
「比企谷だけか?」
「え? 何お前俺が向こうの面々引っ張ってくると思ってるの?」
「いや。……ああ、折本さんはそうかもしれないと若干思った」
「休日の朝っぱらからあいつと関わってられるか」
まあ今から関わるんだけどな。自虐の続きは口にせず、そしてそんなことを言う割にはそこそこそういう状況に陥っている八幡は、もう知らんとばかりに口を噤む。隼人もなんとなく察したのか、苦笑するだけでそれ以上何も言わなかった。
そのまま暫し無言で待ち合わせを続けていた彼らは、改札口からこちらにやってくる女子二人を視界に入れると思い思いの表情を浮かべた。隼人は苦笑、八幡はうげぇという顔である。
そうしてやってきた二人は、片方は遅れたことを申し訳無さそうに謝罪し、もう片方は。
「あれ比企谷、早くない?」
「時間通りだよ。お前が遅いんだ」
「細かいこと気にしちゃダメだって、ウケる」
「ウケねぇよ死ね」
いつも通りのやり取りである。知らない者からすればなんだこれと思ってしまう八幡とかおりの会話は、しかし知っている隼人にとっては普段の光景だとしか思わない。
そこでふと視線をかおりの横に向けた。彼女の友人はこれを見てどう思うのか。見慣れていないこれを見た時、どんな。
「ほんと気安いんだなぁ、二人」
「あれ?」
ほほー、と感心するかのように眺めている彼女を見て、隼人は思わず目を瞬かせた。これを知っているのならば、ある程度親しい位置にいる可能性もあるが、しかしそうなると自分が心当たりのない顔というのが疑問になる。
まあいい。考えるのをやめた隼人は、直接彼女に尋ねることにした。
「え? あ、ごめんなさい」
「いや、こっちこそいきなり不躾な質問してごめん。っと、はじめましてだよね。葉山隼人です」
「どうも、仲町千佳です。……えーっと、実はこれ見るの二度目なんで」
「二度目?」
「そうそう。クリスマス会の時に海浜の手伝いでわたし、かおりと一緒に参加してて」
「あー……」
成程、と隼人は納得する。自分は逃げたのでその場にいたのは当日のプレゼントになった一日だけ。知らないのも無理はない。疑問が氷解したことで、それならよかったと彼は笑みを見せた。唐突なイケメンスマイルで、千佳がうお、と思わずのけぞる。
「そういうことなら、向こうについては特に何も思わないってことで、いいのかな?」
「元々かおりから話は聞いていたし。実際にも見て、ああ成程ってなったんで。……あ、でも」
「ん?」
「……正直、今回の作戦? とかいうのは上手くやれるか自信がないよ……」
「作戦、か」
何をしでかすのか。それを実は隼人もしっかり聞いていない。とりあえずここでダブルデートをして、その後何か仕掛けが用意されているのは分かっているのだが。肝心要の仕掛けの内容が分からないときた。どうやら目の前の彼女は知っているようだが、それを尋ねても口止めされてるからと話してくれない。
「まあ、いいか。とりあえずは予定通りに行動しよう」
「うん。かおりー、行くよー」
視線を向こうに向けると、とてもいい笑顔のかおりと非常に嫌そうな顔をした八幡がいた。つまりは平常運転だ、そう判断した隼人は、そのまま笑顔で二人と合流する。
なんだか仲良くなってない? というかおりの言葉に、隼人も千佳も曖昧に笑った。
「んで、どこ行くんだ?」
「何比企谷知らないの?」
「俺は今回巻き込まれ側で主催じゃねぇんだよ。何なら今すぐにでも帰宅したいまである」
「ならあたしも比企谷んち行っていい?」
「いいわけねぇだろ死ね」
「えー。せっかくだし、由比ヶ浜ちゃんとどうなってるか知りたいじゃん」
「どうもなってねぇよ。いつも通りだ」
「そんなこと言ってますけど。葉山くん、どうなの?」
唐突な葉山へ会話のパス。が、それに彼は驚くことなく、そうだな、と軽い調子で返答をした。半年程度ではあるが、これまでの付き合いの中で培った慣れともいう。それを見ていた千佳も、何となく察したのか成程と頷いていた。
「まあ、いつも通りではあるかな。……愛の人が不動になっただけで」
「ぶふぅっ! ふひゃ! はははははっははぁっ!」
「かおり、笑い過ぎ……」
路上で大爆笑しながらうずくまる友人を、千佳は呆れ半分で介抱する。比企谷が悪いと謎の責任転嫁をしながら、かおりは肩で息をしながらゆっくりと立ち上がった。勿論八幡はうるせぇ死ねと返した。
そうしながら辿り着いた場所は映画館。丁度いい上映時間のものを選ぶと、四つ揃った席を選んでそこに座る。当たり前のように隼人の横に女子二人が。
「……何でお前が隣なの?」
「俺が知りたい」
などということもなく、千佳、隼人、八幡、かおりの順であった。千佳は別段かおりがその位置でも気にしていないようであるし、かおりも同様だ。つまり気にしているのは野郎共ということになる。
「そもそもこれお前が女侍らせてるっていう噂作るためのやつだろ。俺が隣じゃ駄目だろうが」
「いや、そこは別にどっちでも変わらないだろう」
「そこは嘘でもそうだなって言っとけよ……」
はぁ、と溜息を吐いた八幡は、もういいと隼人から視線を外した。とりあえず女子と仲良くしてろと吐き捨てると、そのまま視線をスクリーンに移す。
そんな彼の頬を、ぶに、と指で突く存在がいた。
「なにしやがる」
「そういやさ、あたし来月誕生日じゃん」
「知るかよ」
「でも彼女持ちの比企谷にプレゼント頼むのも――それはそれでウケるんだけど」
「ウケねぇよ。そもそも毎回大して何も渡してないだろ」
「だよねっ。だから来月楽しみにしてる」
「ジュースくらいしか奢らんぞ」
「あ、何なら今日なんか奢ってくれてもいいよ」
キシシ、と笑うかおりに視線を向けた八幡は、ジト目のまま考えとくとだけ述べた。父親から貰った借金という名のお小遣いがある今なら、ワンチャン懐が傷まないのではないかと考えたのだ。打算百パーセントである。
「というか。そもそもお前は俺の誕生日になんかしたのかって話でな」
「一応おめでとうは言ってんじゃん」
「物をよこせ」
「直球! ウケる」
「お前もさっき同じこと言ったからな」
はぁ、と再度溜息を吐く八幡を、かおりは面白そうに眺めている。
そんな二人を、隼人も千佳も同じように面白そうな顔で眺めていた。
「これで何も作戦がなければなぁ……」
「ごめん、巻き込んでしまって」
「ううん。葉山くんと遊べるってだけでも割と得してるからそこは大丈夫」
多分。と小さく付け加えたのを隼人は聞き逃さなかった。
「あっははははははははっ!」
「笑い過ぎだろ……」
「いやだって、比企谷……うぉ、て……うぉ、って……」
「……お前さては俺のリアクション見るためだけにこれ選びやがったな……」
「あ、バレた?」
見たかったんだよね、とかおりは悪びれることなく笑う。そんな彼女の頭頂部に無言でチョップを叩き込んだ八幡は、それで次はどこに行くんだと二人に向き直った。
「そうだな、時間的に昼が先か」
「んー、でもこの時間だとどこも混んでない?」
隼人の言葉に千佳が返す。それはどこか決まりきったようなやり取りのようで、まるで打ち合わせ通りのようにも思えて。
考え過ぎかとそれを振って散らした八幡は、それなら昼は少し遅らせてもいいだろうと述べた。かおりはその答えにうんうんと満足そうに頷き、じゃあ買い物しようと先頭に立って歩き出す。流れるようなその動きは、先程散らしてしまった意見に信憑性を与えていた。
「……嵌められたか?」
「知っていて乗ったのなら、嵌められたとは言わないだろ」
怪訝な表情を浮かべる八幡に隼人が苦笑しながらそう返す。かくいう自分もそうなのだ。そう言わんばかりの彼は、とにかく今は気にしないでおこうと歩みを進める。
どうせこの後だ。そんな呟きは風に消えた。
そうして商業施設へ向かった一行は、そのまま店内をぶらつきながらあーだこーだと無駄話をしつつウィンドウショッピングを進めていく。制服に合うマフラーがないだろうか、などと言いながらその中の一角へと足を踏み入れた。
「あ、比企谷」
「絶対に嫌だ」
「まだ何も言ってないじゃん、ウケる」
「ガハマならともかく、お前にマフラーは奢らん」
「なんか比企谷のくせに彼女持ちみたいなこと言ってる」
「みたいじゃねぇ。彼女持ちだ」
「言い切りやがった……ぶふっ!」
持っていたマフラーを取り落しそうになるのを慌ててキャッチしながら、かおりはケラケラと笑い続けた。あの比企谷が成長したなぁ、と謎の親目線を発揮しつつ、マフラーを折り畳むと棚に戻す。
「そんな彼女をほっといてあたしと遊んでていいの?」
「さあな。本人に聞け」
「だから本人に聞いてんじゃん」
「相手がお前なら大丈夫って言ってたんだよ。何だよ大丈夫って」
吐き捨てるような八幡の言葉に、かおりはニヤニヤと楽しそうな笑みをうかべる。拗ねてるねぇ、と呟きながら、じゃあ聞くけれどと彼に指を突き付けた。
「彼女と別れてあたしと付き合ってって言ったら、比企谷は頷く?」
「お前と付き合うとか虫酸が走る」
「あー、酷いなー。中学の頃はそっちから告白してきたのに」
「あれは俺の黒歴史だ。汚点と言ってもいい」
「……そうだね。そうこなくちゃ」
からかうような笑みから、どこか優しい微笑みに。笑顔の質を切り替えたかおりは、なら仕方ないなと会話を打ち切った。じゃあ次はどこに行こうかと隼人達に声を掛け、その店を後にする。
今度は女子二人がきゃいきゃいと話しているため、手持ち無沙汰になった八幡に隼人が声を掛けた。よかったのか、と苦笑しながら言葉を紡いだ。
「何がだ」
「いや、さっきそっちの会話が聞こえたから」
「んあ? ああ、折本の話か」
中学の頃に、八幡はかおりに告白をして、そして振られた。簡単に言ってしまえばそんなもので、そしてそういう意味では隼人も同様だ。違いは、彼は進んで、彼は立ち止まっていた。ただ、それだけ。
「……それは、本当に好きだったのか?」
「失礼だな」
「ああ、悪い……」
思わず呟いたそれに、八幡は短くそう返す。が、別段そこに彼は憤りを感じてはいない。それはある意味事実だったかもしれない、そう本人も思っていたからだ。今こうして彼女と軽口を叩いているから、彼女を知っているからそんな感情を持ってもおかしくなかったと後付は出来る。
だが、当時は。そんな彼女の本当を知らずに、好きだと思っていた。思っていた、だ。好きだ、と断言はしない。それが正しいかは、別として。
「まあ、お前には敵わん」
「……余計なお世話だ」
それを感じ取ったのか。八幡の言葉に、隼人もどこか安堵したような声色でそう返した。そうしながら、彼は小さく溜息を吐く。
「結局のところ」
「ん?」
「本当に人を好きになるってのは、存外面倒なものなんだよな」
「それはお前だけだ」
「そうか?」
隼人は八幡を見る。口角を上げながら、本当に自分だけなのかと問い掛けるように彼を見る。
「俺も、比企谷も……そうだろう?」
「言ってろ」
シリアス「呼ばれた気がしないでもなかったけど気のせいだった」
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