求道者のヒーローアカデミア (紅葉色の紅葉)
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1 突然変異

リハビリと言う名の現実逃避作品です……。
多分続かない……。


 それが己を自覚した時、世界が気持ち悪く見えた。

 人々は大多数が物理を多少ねじ曲げたり、身体に新しい機能が生まれる超常の力を身に宿した。

 世間ではそれを“個性”と名付け、他人には持ちえない自己だけの特徴だと謳い、新たな法と結び付けた。

 それが今の超人社会とよばれる現代の成り立ち。

 だが、それは同時に格差社会の始まりでもあった。

 人の持つ個性にも強弱があり、強い個性は輝くが弱いそれは陽の光を浴びることは無い。

 ましてや無個性などと呼ばれる人種は蔑まれ、嗤われ、酷ければ人としてすら見られない。

 まさに不幸。凶星の元に生まれた異端児。いや、異端児にすらなれない擬きだ。

 そして少年もまた、個性を持たずして生まれた不幸側の住人であった。

 

「この欠陥品がっ! なんであんたみたいな子が!」

 

 ドゴッ、と鈍い音を響かせ少年は殴り飛ばされる。

 片手に鈍器を持って振りかぶったのは、少年の母親。

 しかしその目には狂気が宿っており、実の息子をサンドバッグか何かとしか見ていない。

 二度、三度、四度と骨が鈍い音立てて軋む。当然殴られ続ければ皮膚が痛み、裂けて血が流れ出る。

 なんの個性も持たず生まれてしまった少年には、それを止める手段などある訳がなく、溢れ出る血をただ肌で感じるしかない。

 親にこのような仕打ちを受ければ、常人なら発狂するか心が折れているが、少年は何事も無かったかのように無表情で立ち上がり親を見る。

 

「その目は何よ……。あんたが無個性で生まれてくるからいけないんじゃない! そうよ! 私は悪くない、アンタがアンタがアンタがぁあぁあ!!」

 

 手に持っていた鈍器を投げ捨て、狂ったように叫びながら息子に跨り殴り続ける。

 歯が折れた。血が飛んだ。またこの薄暗い部屋に、深紅の絵の具が飛び散り乾いた赤色を上書きしていく。

 時間にして三年、少年はこの苦痛を味わい続けている。

 四歳の頃に無個性と判断されて以来、それまで受けていた親の愛情は一変し、七歳を迎えた今もただストレスを吐いてぶつけるだけの道具と化している。

 悲観して余りある仕打ち。いっそ死んだ方が楽と思えた。

 ────しかし少年は異常者であった。

 体に切り傷、刺傷、火傷、打撲、骨折などといった無数の傷を付けられてなお、自身の境遇を悲観していないのだ。

 否、寧ろ真逆。今理性を失い、拳を振るい続ける目の前の女こそを哀れんでいる。

 ああ何と醜いものか。何故こうも哀れなのだお前は。

 光すら遮断する深海の如き瞳が、女の双眸を捉えた。

 

「……ひっ!」

 

 少年と瞳を合わせた時、女は言い知れぬ恐怖と得体の知れない不気味さを感じ取った。

 それで興が削がれてしまったのだろう、フラフラと立ち上がりアパートから出ていった。

 散乱した部屋に視線を落としてみれば、床には明空宗次郎(みよく そうじろう)と名札の付いたランドセルが転がっている。

 それが少年の名前。父親はおらず、母親からは忌み嫌われた、無個性の幼子。

 

『────』

 

 ふと、付けっぱなしにされたテレビが目に映った。

 テレビには今の社会についての討論を、プロヒーローと呼ばれる職業者を交えて熱く語っている。

 超人社会。生まれついての歪みを個性と名付けることで、異端の世界を是とした今の世界。

 

「……」

 

 端的に、気持ち悪い。

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い…………。

 重力を操る? 炎で燃やし尽くす? 自身を極大まで強化する? 

 なんだそれは? なんなのだ? なぜそんなに小賢しい。

 弱いから、つまらぬから、物珍しげな設定を捻り出して頭がいいとでも思わせたいのか。

 せせこましい狡からい。

 理屈臭く個性個性、能力や現象がどうだのと呆れて物も言えない! 

 それで貴様ら卵を立てた気にでもなっておるのか? 

 無個性? 馬鹿臭い。個性の強弱? 阿呆者共め。

 質量の桁が違えば相性などに意味はなく。

 使用に危険を伴う力なぞは単なる使えぬ欠陥品だ。

 少し考えれば己のような稚児であろうと分かることを、己の矮小さを正当化するためにみっともなく誤魔化している。

 やりよう次第で弱者であっても強者(ヒーロー)になれるとでもいうように。

 そのほうがさも高尚なヒーローであるかのように演出して悦に入る。

 嘆かわしい、くだらない、なんと女々しい、真の王道(ヒーロー)とはなんと程遠いことか! 

 ならばいいだろう。この自分が真のヒーローの何たるかを見せつけてやる。

 せせこましい理由や理屈はいらない。ただの人の身で到達しうる、本当の至高とやらを手にしてやろう。

 それを持って、今の世の中が如何に矮小な考えで凝り固まっているのかを自覚させてやる。

 

「……は」

 

 暗闇の中で宗次郎は笑う。

 外れているものが何故外れているか、その理由を問うだけ無駄だ。

 宗次郎は今のようにしか思えないし、抱いた感情のまま行動するのみだ。

 超人社会という法則の世界で生まれた突然変異。

 人間の体から癌という自滅因子が生まれるように。

 無個性という細胞が、ある日突発的に癌に変質してしまっただけのこと。

 何らおかしいことなどない。強いて言えば、おかしいと感じることが可笑しいのだ。

 

「──っ」

 

 ボロボロの体で立ち上がる。

 殴られ続けれ疲労困憊の満身創痍といった肉体だが、自身で決めたからには休む事などしない。

 今はただ、そうただひたすら愚直に強くなることだけを求めろ。

 呪詛のように強くなれ強くなれと囁く心に従って、部屋の隅に転がり落ちている血塗れの木刀を拾った。

 剣だ。己が力の価値を見出す為には、まずは剣を磨こう。身近にある道具がこれしかないならば、これを使って高みへ登るだけだ。

 もし(これ)で高みへ行かなかったのならば、自分はその程度の輩だったと言うだけ。他のものを試せばいいだけの話。

 裏山へ行こう、そこならば母も来るまい。むしろ、息子が家から消えて喜ぶかもしれない。

 ゆらゆらと、幽鬼めいた足取りで宗次郎は少し離れた場所にある裏山へ向かった。

 

 

 ☆

 

 

 目覚めたのは森の中。

 木々の隙間から差し込んだ朝日が、瞼を突き刺して暗闇から引っ張り上げてくる。

 舞い落ちる木の葉が頬を擽った時、バッ! と瞬時に起き上がった。

 数秒の間だけぼうっとしたあと、眼前に手を翳し太陽の位置を見る。

 時刻にすれば10時前と言った所か。ならばあと二時間だけ鍛錬をしようと思い、摩耗した木刀を手に取った。

 

「……ふっ……ふっ……ふっ!」

 

 上から下へ振りかぶる。

 愚直にただ真っ直ぐ。無駄な動作を消せ。合理的に動け。速さのみを求めろ。

 斬るという動作の全てを磨け、今はそれだけだ。

 未熟なこの肉体で型などという一丁前なことは、考えるだけ不要。今覚えようとしても、振り回されるのが目に見えて分かる。だから一つの動きだけを極めろ。

 初めは百、次に千、そして今は万。このように素振りばかりを続けて、気が付けば一年が経っていた。

 今ならばただの袈裟斬りであろうと、その一撃で熊を倒せるだろう。

 鋭く空を割く斬音が、その鋭利さと凶悪さを物語っている。

 今は精々が高速程度。だが自分の剣はまだ伸びる。それこそ今はまだ雀の涙程度も成長出来ていない。

 宗次郎は、理屈じゃない本能でそう確信していた。

 一心不乱に剣に磨きをかける様は、一人の修羅であり剣に狂ったもののあるべき姿。

 この頃から既に、ぼんやりとだが剣気を放つ領域に足を掛けていた。

 

「……はは、あはは!」

 

 無意識に笑いが漏れ出た。

 自己の鍛錬、肉体を虐め抜いて限界を超えることのなんと楽しきことか。

 アドレナリンが箍が外れたように溢れ出て、気分が高揚していくのが分かる。

 もう二、三ヶ月前からこの状態だ。自分は狂ってしまったのだろうか。

 いや、きっと違う。狂っていたとすれば初めから。

 自分というものの存在がどう言うものか、それを自覚し始めたからそれが嬉しいのだ。

 明空宗次郎は頂きこそを求めるから、それしか出来ない。

 そう、誰も到達出来ない領域へ。小賢しい設定や煩わしい能力じゃない、人の持つ人としてのあるべき最強。

 限界を超えた先にこそ、希求するものがある。

 今はまだ限界へ近付いただけだ。それを打ち壊して初めて、神域の門に立つことを許される。

 例えば物理、例えば法則、それらを超越することが出来れば、自分は資格ありと誰もいない領域(あそこ)へ行けるはずだ。

 だから振るえ振るえ。剣に狂え狂え。未だにヒヨコにすら成れていないのだから。

 

 

 ☆

 

 

 年は二度巡り、齢は十を迎えた。

 住めば都とはよく言ったもので、今では快適とすら感じる。

 食料も初めは、1UPしそうなよく分からぬ(毒々しい)キノコや雑草を口にしてよく死にかけていたが、命があれば全ては些事だ。今ではそれらも見分けがつくようになった。

 肉が食いたくなれば、雀などの小鳥を礫で射止めて食ったりもしていた。

 火の起こし方はテレビでやっていたので、それを見様見真似と試行錯誤で何とか出来るようになった。

 この前なんかはどこから来たのか、燕を剣で仕留めて頂戴した。

 姿も目に見えて変わった、髪は伸び傷だらけだった体は修行の中で手にした卓越した自然治癒力のおかげで傷跡も消えた。

 筋肉もそれなりに付いたものの、剣を振るう最低限の筋肉だけだ。

 必要以上に付いてしまうと、動きが鈍くなってしまうために筋トレなどの余計な事はしなかった。

 そして生まれたのは自然が生み出した、流麗な筋肉を持つ美しい肉体。

 成長の阻害をギリギリでしない範囲で、天然の鎧として身を守っていた。

 だが、宗次郎をここまで育て上げた原始の世界は、文明とは掛け離れたこの生活は唐突に終わりを迎える事となる。

 

「──っ?」

 

 いつもの通り木刀を振るい鍛錬に勤しんでいると、森の中に複数人の人間が入る気配を感じた。

 これがただの一般人であれば、特に気にも留めず動きを止めることは無いが、そうではなかった為に一度木刀を下ろした。

 

「ヒーロー……?」

 

 恐らくそうだ。

 それが全員なのか少数なのかは知らないが、確実に一人だけヒーローだと断言出来る存在がいる。

()()()()()()()()()()()()()から、恐らくヒーローで間違いないだろう。

 まるで厳のようなその気配は、チリチリと宗次郎の肌を刺激して戦闘衝動を駆り立てる。

 自然と体がそちらの方を向いていた。まだか、来るなら早く来い。どのような理由でここへ来たか知るぬが、我が領域へ踏み入ったと知れ。

 はやる気持ちを抑えながら今か今かと待っていると、固まっていた気配が無数にバラけ始めた。

 これは何かを探しているのだろうか、宗次郎が僅かばり逡巡した──その時だった。

 一つの流星が、空へ登っていく。

 否──流星では無い、あれは人だと気付いた時には遅かった。

 

「わぁぁたぁぁしぃぃがぁー! 空から来たぁああ!」

 

 激しい爆発音と共に粉塵を巻き上げながら、その男は立っていた。

 筋骨隆々であり、美丈夫と呼んでも差し支えない人相のヒーロー。

 威圧感を与える姿をしていながら、浮かびあげた笑みが見るものを安心させる。

 まるで大空のように果てが見えない。限りがなく、届きそうでありながら手を伸ばしても届くことは無い──光の象徴。

 ……なるほど、これが世間一般に呼ばれているヒーローか。眼前の男を視界で捉え、冷や汗を流す。

 察してしまったのだ、男と自分の間にある格の違いを。

 だが力量を察することが出来るというのは、宗次郎の実力を裏付ける証拠でもあった。

 これが仮に凡夫だったとして、男との力量差を明確に理解するなど土台不可能な話だ。

 それは天を見上げ、知識でしかその広さを理解出来ないのと同じ。ただ茫然と凄いとしか感じない。

 だがしかし、それに対して宗次郎は寸分の狂いもなく、存在する開きというやつを見極めることが出来る。

 これは一重に、それなりの高みに今の宗次郎は居るという事実に他ならない。

 既に頭の中で幾億通りもシミュレーションをしているが、どう動いてもどう立ち回っても尽く()()()()()()()()()()()()()()

 しかもこれは良くてと言う確率で、下手をすれば致命傷のみを与え宗次郎が力尽きる未来すらも見えた。

 ああ、ああ、ヒーローとはこれ程の高みを指すのか!

 知らず獰猛な笑みが零れる。それは、自身の理想とする場所に最も近い存在をこの目で見てしまったから。

 そして特筆するは、この男は恐らく己の肉体をこそ武器とする人種だろう。

 個性で幾らか強化(ドーピング)している気配はあるが、超純度の善性と意志をもって理想を体現するという意味では、ある意味で宗次郎の先達とも言えるかもしれない。

 

「やあこんにちは! 君が明空宗次郎君だね?」

「ええ、そうですが。貴方は誰ですか、何故僕の名を……」

「おや、自惚れるつもりは無いが、これでも有名だと思ってたんだけどな。私はオールマイトと言う、まあヒーローのお仕事をやっている者だよ少年」

「オールマイト……?」

 

 はて、その名前はどこかで……。

 呟き思考を巡らせると、その記憶は思いのほか早く掘り返せた。

 三年前、家を出ていく直前に目にしたテレビというものに映っていたヒーロー。

 そう確かNo.1……! 

 

「そうか。そうですか、貴方が頂点──!」

 

 答えにたどり着いた時、獰猛なまでに目が鋭さを帯、質量を伴ったと錯覚するほどの闘気が刹那に練り上げられた。

 臨戦態勢、獲物を捕食する段階に入った時、男……オールマイトが焦ったように声を上げた。

 

「血気盛んんん!! 待って待って私は君と戦う気は無いよ!」

 

 両手を上げながら、交戦意志はないと言葉で伝えてくる。

 確かに宗次郎がこれだけの覇気をぶつけているのに、相手は防御行動すらとることは無かった。

 本当に一戦交える気は無いのだと、嫌でも分かってしまう。

 それが宗次郎の機嫌を悪くし、表情を顰めさせた。

 目に見えて不満を訴えてくる宗次郎に、オールマイトはなんて血の気の多い戦闘狂(バトルジャンキー)なんだと冷や汗を流した。

 これが十歳を迎えたばかりの少年なのだと言うのだから、まったく笑えない。

 どんな環境で育てば、このような末恐ろしい存在が出来上がるのだろうか。

 唯一の救いが、無闇矢鱈にこの剣気を撒き散らさないことだろう。

 

「はぁ、全く。それで、オールマイトさんは何しにここへ? この場所は見た通り木々と野草しかない寂れた空間ですよ」

「ふぅ、まずは木刀を下げてくれてありがとう。そうだね、今回私が……いや私達がここに来たのは、明空宗次郎君。君の保護のためだよ」

「保護、ですか?」

「うん。まずは落ち着いて聞いてほしい、君の母に関することだ」

「母……ああ、僕を産んだ女の事ですか」

 

 心底興味ないと吐き捨てるように呟かれたその一言に、オールマイトは動揺を隠せずにはいられなかった。

 幼い子から、なんて言葉が……。そんな思いを抱かずには居られない。

 優しすぎるその善性故に、彼の物言いに心を痛めずにはいられなかったが、今はそれよりも会話を優先させるため、動揺を押さえつけた。

 

「君の母君が──」

 

 続く言葉に宗次郎が何を思っていたのか。

 それを他人が窺い知ることは不可能である。

 ただし一つ言えることがあるとすれば、それは自身の母がどうであろうと宗次郎は毛程の興味を持つことは無いという、達観した事実だけであろう。

 この日この衝撃的な邂逅が、宗次郎を原始から現代の世界へ戻す切っ掛けであった。




可笑しいところがありましたらご指摘お願いします。
最終的には壬生宗次郎みたいにしたいけど、この主人公さ玖錠紫織みたいなパートナー出来そうにねぇ()


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2 残るもの

 仄かに照らされた病院の一室。

 周りに人影は居なく、空間には二人だけが佇んでいる。

 否。正鵠を射るならば、一人だけが生きた状態で存在するだけだった。

 ならばあと一人は何処にいるのか、答えはその場に立ち尽くした宗次郎の眼下にあった。

 布が覆いかぶさり、抜け殻となった体を大事に保管している。

 最早ただの声無き遺体であるそれは、かつては宗次郎の母親だったもの。その成れの果てだった。

 オールマイトから知らされたのは、宗次郎の母が亡くなったという知らせだった。

 事故による死亡だと言う。玉突き事故に巻き込まれた事が原因で、車内に居た宗次郎の母と、もう一人見知らぬ男性と一緒に血塗れの状態で病院に運ばれたらしい。

 そして緊急手術の末に間に合わず、帰らぬ人となってしまったと言われた。

 一緒だった男のことも聞かれたが、宗次郎の記憶の欠片にすら引っかからなかった為に、恐らくは出ていった後に作った新しい男だろう。

 ──だが、それがどうしたというのだ。

 母が死んだから、それでどうしろと? 常人ならなるほど、ああ泣いて咽び頽れよう。母の名を呼んで好きなだけ亡骸を抱きかかえればいい。

 しかしそれを己に求めるな。所詮は血の繋がった赤の他人。

 死した者を思い涙することで強くなると言うなら幾らでもしようが、だがそうじゃないと言うならやらないし、求める役者は他にいるという話。

 宗次郎がここにいるのは、四歳以前に受けた親の愛と言うやつが確かにあったから、その義理としてここに来ているに過ぎない。

 

「結局、貴方は最後まで哀れなままだ」

 

 目線を落として、母だった女を見つめる。

 しかし何かを思う訳では無い。所詮死体は死体。何かを語る訳でもなければ、黙って生者に言われるがままだ。

 死んだらそれまで。死んだ後に意味を求めるだけ無駄だと、宗次郎は幼いながらどこかで思っていた。

 詰まるところ死ねば残るものなどないし、あったとしても宗次郎とこの女とはつゆ知らぬ事柄だ。

 亡き者の後を継ぐだとか、思いを背負うだのと馬鹿馬鹿しい。

 そんなものは笑い話にもならん醜い言い訳だろうが。

 結局は自分で成せなかったから、未練がましくすがりついて一人納得したように舞台を降りていく。宗次郎からすれば気持ち悪さの極みだ。

 自分に成せなかったのは力が足りなかったからだろう? 力が足りなかったのは思いが脆弱だからだろう? 何故そんなことに気が付かない。

 理想を語るだけ語って何も出来ずに死ぬなら役者にでもなっておけ。

 努力が足りぬから、気勢が弱小だから、理想にかける刹那の思いと願いの純度に濁りがあるから果てしなく弱い。

 そういうものは全て欠陥品。ただ居るだけの無能よりもタチの悪い悪性腫瘍だ。

 

「まあでも一応、僕を産んでくれたことにだけは感謝はしていますよ」

 

 意味があるとは思えないが、伝えるべき事だけを伝え最後に一瞥して宗次郎は翻った。

 カツカツと、靴の底が地を叩く音だけが跡を残した。

 

 ☆

 

 病棟の廊下、異様に長く感じるそこには複数人影がある。

 

「明空宗次郎。年齢は十を迎えたばかりで、三年前から行方が不明だった少年……か」

 

 確認するように重さを抱えた言葉を吐き出したのは、塚内直正警部だった。

 彼の手には三年前の宗次郎の写真が貼られた書類が握られており、名前や体重、生年月日などの詳細な情報に目を通していた。

 塚内の言葉に同調するように頷く影は、宗次郎をここまで送り届けた張本人であるオールマイトだ。

 顔は晴れず、邂逅した時から苦々しさが尾を引いていた。

 脳裏にはけたたましい殺気と身の毛を攀じるような、獰猛な瞳をした宗次郎が浮かび上がる。

 衝撃的と形容するには余りにも荒々しい殺気を向けてきた少年。

 あれは本来まだ十歳の少年が発せるような代物ではない。何千と修羅場を潜り抜けてきたオールマイトであろうと、きっとあれほどの覇気を纏うのは不可能だ。

 いやそれ以上に己は人なのだと自覚があるのなら、決して手にしてはいけない類の力。無個性の幼子であるなど信じられない。

 それは修羅道──ともすれば天狗道に通ずる唯我の想念。

 だが思い違いをしてはならない。宗次郎の渇望(それ)は他を排することによるものではなく、何処までも己一人が突き抜けることにある。

 覇道ではない、何処までも疾走していく究極の求道(いち)

 周りではなく、自分自身が誰もいない場所に行くという、ただその一点のみ。故に周りを殺して一人になろう等とは思わないし、要は他人などどうでもいいのだ。

 

「知ってるかいオールマイト、二年前から続くヴィランの失踪事件のこと」

「……ああ、確か何人かの凶悪犯が連続で行方をくらませたという」

「そう。うちの何人かは殺人犯だったり、強姦魔だったりと危険な連中ばかりだ」

 

 友人である塚内が何を言いたいのか分からず、首を捻り訝しむ。

 対する塚内は一拍あけて、宗次郎がいるであろう方向に目を細め唇を震わせた。

 

「でも特筆すべきはそこじゃない。不思議な事に、今言った犯罪者達が弥勒山付近で消息を絶っているんだという所なんだ」

「……っな!?」

 

 塚内の口振りはまるで……。

 そこまで考えて、恐ろしいという言葉では表せない想像を否定した。

 そんなことは無い、ありえない、あんな幼い子に出来るはずがない。

 だが否定する心とは裏腹に、脳裏に焼き付いた残影が感情を揺さぶる。

 本当にそう思っているのか? 有り得なくはないだろう、初対面であのような剣気を立ち昇らせていたのだぞ。だが……でも……。

 信じたくないが、もしそうだったとしたらどうすれば。

 一度広がった波紋が大波となり、それまで凪いでいた湖面を荒々しく揺れ動かす。

 ヒーローとは違い暴力的なまでの力を有し、しかしヴィランと言うには余りにも純粋すぎる少年。

 どうするのが正解に近いのか、あるいは正解など存在しないのではないか、無意味な自問自答がオールマイトの中で繰り返される。

 

「まだそう決まった訳じゃないよ、オールマイト。証拠も無い」

 

 友人の声音が、オールマイトを現実に引き戻した。

 そうだ、彼の言う通りだ。何か決定的な物証があるわけじゃない。

 第一そうだったとして、オールマイトに手に負えるかといえば難しいと言わざるを得ない。

 仮に宗次郎と戦うとなれば、あの少年は躊躇せずに命を取りに来るだろう。そうなれば分が悪いのはオールマイト側だ。

 ヒーローという職業柄、殺生をしてはならないという誓約が働く。もしそれを破ろうものなら、現代社会の象徴であるオールマイトという光は翳りを帯び、やがてそれは毒のように侵蝕して崩壊を招くだろう。

 これはオールマイトに限った話ではない。ヒーローという人種の明確な弱点であった。

 

「オールマイトさん」

 

 凛とした清涼剤のような声が耳朶を叩いた。

 振り返れば、腰に木刀を携えた宗次郎がそこには立っている。

 霊安室から出て来たのだろう。

 彼の姿を視認した時、それまでの空気を霧散させ塚内とオールマイトは柔和な笑みを浮かべた。

 

「お疲れ様、母君のことは悔やみ申し上げる」

「要らぬ建前はよして頂きたい。もしや皮肉で言っているのですか……? その書類を見たのなら、母と僕との間柄など容易に想像出来るはずだ」

 

 余りにも落ち着き払った物言いに、本当に十歳かと問いたくなる。

 実は個性によって見た目を誤魔化した、成熟した青年だと言われた方が納得出来る程だ。

 精神の異常な発達と、それに伴う口調。この二つだけで異常だと判断できる。

 宗次郎の言葉を聞いて、塚内は今一度書類に目を落とした。

 そこにあるのは宗次郎の写真。だが、ただの写真ではない。顔は青く腫れ上がり、分かるだけでも十数の傷を負っている。

 虐待されているのだと、誰の目から見ても明らかだった。

 

「では、僕はもう行きます」

「いや、少し待ってくれ明空少年」

 

 横を通り過ぎようとする宗次郎を呼び止めたのは、オールマイトだった。

 このまま行かせれば、また山にこもり始めるだろう。

 この少年には、まだ伝えなければならないことが残っているのだ。

 またかと、辟易した顔を隠しもせず宗次郎はオールマイトへ振り向いた。

 

「なんですか、果たすべき義理なら果たしました。用はもうないでしょう?」

「そうでもないよ。……実は君の身元を引き受けたいという人が居てね」

「はあ……?」

「グラントリノ」

 

 オールマイトが名を呼ぶと、廊下の奥から姿を表したのは、二人の老人だった。

 一人は黄色いスーツに身を包んだ低身長の老人で、もう一人は着物に袴姿の白髪の老人だ。

 

「んで、そっちが件の小僧か俊典」

「ちょ! グラントリノ流石に本名は……」

「ふん、厳五右衛門てめぇの餓鬼だろ、先に挨拶くらいしろ」

「ふむ相変わらずだな空彦」

 

 老人達が軽口を叩き合う。

 

「オールマイトさん、そちらの御仁は?」

 

 疑問を呈する宗次郎の声に応えたのは、グラントリノと呼ばれた老人とは別のもう一人だった。

 

「お前が(ヒバリ)の忘れ形見か」

 

 何かを見定めるように、足の爪先から頭のてっぺんまで視線を動かす老人を、宗次郎は何故だか警戒した。

 隙がない。身体能力は恐らくだが自分の方が上、だが何故だろうか間合いに踏み入ったとして、自分の刃が喉元に届く気がしない。

 予想ではあるが、白兵戦という点ではこの場の誰よりも眼前の老人が一番強いだろう。

 それこそ素の状態ではオールマイトには及ばないが、限定付きの戦いであればもしかするかもしれない。

 年輪を重ねた大樹めいていて、しかし切り込めば無形の川のように受け流される気配を老人は秘めていた。

 

明空(みよく)厳五右衛門(げんごえもん)。君の祖父に当たる人物だそうだよ」

 

 今まで口を閉ざしてた塚内が、二人の間にはいる。

 明空の姓をもった男性。確かに母の面影がない訳でも無い。

 この人物がオールマイトの言っていた、宗次郎の身元を引き取ると言った人物だろう。

 ……全く持って興味無い。宗次郎には引き取られる覚えはないし、窮屈になるであろうと分かっているのに、檻に好んで飛び込むつもりもない。

 確かにこの御老体の雰囲気は気になるが、気を割くほどのものじゃない。

 話にならないと宗次郎は鼻で笑う。

 

「論外ですね。僕の事を決めるのは僕自身だ」

 

 話は終わったと、その場を離れようとした時。

 

「それは、なんのつもりですか?」

 

 厳五右衛門が膝をおり、額を地面に擦りつけていた。

 所謂土下座であるそれを、宗次郎は不愉快そうに目を細め見下ろす。

 

「娘がお前にしてきたことは聞いた。あれとはとうの昔に縁を切っていたが、まさか子が居るとはつゆ知らず。気付かぬこの愚老のせめてもの謝罪だ」

「要りませんよ。確かに母から色々とされていましたが、別に恨んでもいません。さして感謝もしていませんが……。結局はそれだけの関係です」

「だとしても、受け取って欲しい」

「……分かりました。ですから頭を上げてください、邪魔です」

 

 底冷えしきった言葉は、心底邪魔に感じているのだと分かった。

 今すぐにでもこの場を離れたいのだろう。

 それを了承したのか、厳五右衛門は下げていた頭を上げる。

 ようやく帰れるといった面持ちの宗次郎は、足早に厳五右衛門の横を通り過ぎようとするが、再度放たれた厳五右衛門の言葉によって足を止められることになった。

 

「力を求めるなら私の元にこい。刀の何たるかを示してやろう」

「なんですって……?」

 

 振り返りそちらを見れば、厳五右衛門の屈強な瞳が宗次郎の蒼い双眸を捉えていた。

 深海の底を除くような大樹の眼は、どうしてか視線を逸らすことが出来ない。まるで見えない根に絡み取られたかのようだ。

 四肢に巻き付いて動きを制限しようとしてくるそれを、宗次郎は鬱陶しいと少し力を入れ振り払った。

 それを見て、厳五右衛門が喜悦に口角を僅かばかり釣り上げた。

 先程まで土下座をしていた老人とは思えない。

 

「ほう。今のを振りほどくか」

「面白い技を使いますね。少しばかり貴方に興味が湧いてきた」

「ふ、それは重畳。──一つ問うぞ、お前にとって刃とはなんだ?」

 

 一度軽く笑って、次には一転して鋭い眼光が宗次郎を射抜いた。

 余談は許さぬ。冗談も嘘偽りも許さない。ゆえ本心で答えろ。

 還暦を過ぎた老体とは思えないほど、その視線からは重圧を感じる。

 これは宗次郎とは別の剣気。

 宗次郎の発するそれを修羅の覇気と称するならば、厳五右衛門のは人間道のものであろう。

 人という世にあって真価を発揮するタイプのもので、まさに宗次郎とは対を成す剣の在り方だ。

 こんな形もあるのかと一人納得し、宗次郎は質問に即答した。

 

「愚問ですね。最強に至る為の手段。僕にはこれしかないから、これのみを磨き続ける。他には何も要りません、これ以外は不要だし興味も無い」

「求道者、か。ならばお前は尚のことこちらへ来るべきだ。儂から教えられる事は少ないが、お前ならば独学で明空流の型を覚えるだろう」

 

 型。それは宗次郎が欲していたものだ。

 最悪は我流でも構わなかったが、それではいつか必ずぶち当たる限界がある。

 流派というのはそうした壁を早急に見つけて、効率良く断ち切る為に存在しているだ。

 あるものは効率良く殺すため、あるものは堅牢に守るため、そうした何かの理念を元に進化を続ける力の形が、型や流派と呼ばれる剣術なのだ。

 厳五右衛門はよく分かっている。あの母の親とは思えないほどに、この短時間で宗次郎の事を理解してみせたからこそ、今のような言葉が出たのだろう。

 それに今まで疑問だったことも、先の言葉で得心がいった。

 今まで母がなぜ木刀というものなど持っていたのか、それは実家が剣術道場だったからに他ならない。

 あな嬉しや、自分は天に恵まれている。いよいよ形を持った剣を学ぶべきと考えていた時期に、このような話と巡り会えるとは。

 それに洋服やズボンを伸ばして使うにも限界が来ていた、いい加減環境に変調をもたらさなければと思っていた頃にこれとは、宗次郎からすればまさに天の差配であろう。

 

「気が変わりました。ええ、ではこの明空宗次郎は貴方の元へ行きましょう。以後よろしくお願い致します」

 

 深々と頭を下げ、宗次郎は嗤う。これでまた一歩最強に近付いたと。

 宗次郎の狂喜する横顔を見ながら、しかしそれが年相応の少年とは思えずオールマイトはただ漠然とした不安を抱くしかなかった。

 頼むから犯罪者にだけは……。

 

(いや、この子をそうしないためにも私達ヒーローが斯くあらねば!)

 

 一人そう胸で己を叱咤しながら。

 最高の王道(ヒーロー)は最後まで宗次郎を眺めていた。




やだー思いっきり天狗道の住人じゃないですかー(白目)
宗次郎くん、生まれる世界間違ってません?
そしてお情け程度に出て来たグラントリノ……グラントリノファンの方、雑に扱ってごめんなさい。

誤字脱字矛盾があったら、報告よろしくお願いします。


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3 そして時は流れる

今回は短い間です。

……いつか自分の壁を乗り越えた宗次郎くんが「太・極 !」とか言い出しそう。
いやそうなっても驚かないほど彼はイカれてるんですけどね。



 静寂が張りつめた空間。聞こえてくるのは葉の落ちる音と、鳥の囀りだけ。

 無音という異界の中に異物は存在せず、道場の中で宗次郎は目を閉じ正座で微動だにしない。

 まるで風景の一部かのように彼の存在が溶け込み、存在が希薄となっている。

 俗に気配を消すなどという言葉があるが、宗次郎が行っているのはそれとは違う。

 似て非なる技能、己そのものを世界と同義化させているのだ。

 世界は自分であり、自分という存在そのものが世界の中枢である。そう強く念じることによって、それはある種の異能の領域まで押し上げられた気配感知能力となっている。

 これこの時も外で舞い落ちる葉の数や、風で打ち上げられた砂粒の数すらも正確に捉えることが出来ていた。

 そして恐るべきはその範囲、およそ半径1km近い距離で彼はあらゆるものの動きを感じられるのだ。

 今も音が届かない程離れた通行人達の気配を、超越的な感覚で無数に感じていた。

 明鏡止水。雑念も雑音も無い完全に凪いだ状態。

 時が切り取られたようにすら感じる刹那の中で、気が付けばそれは抜き放たれていた。

 

「……ツァ!」

 

 遅れて響いてくる斬音。

 疾く鋭く鞘から打ち出された刃は、鈍い銀光を放ちながら宙を停滞する。

 無拍子と名付けられているその一連の動作は、まさしく物理に縛られた限界の先にあるもの。

 数多の剣士達が求める究極の一つである、“斬ると思った時には既に斬れている”という事象を具現化した技術体系の行き着く場所。

 それを証明するように今宗次郎の放った一刀は、振り抜いた後に風切り音が追いすがって来た。

 これは明空神明流にあるただ居合の型に過ぎないが、神域に踏み入った今の宗次郎が放てば、不可避にして不可視の必殺となる。

 一撃を受けた相手は自身の死すらも知覚することは無く、安息に死を迎えるであろう。

 ふぅ、と一息を吐いた宗次郎の顔からは特別さは伺えない。

 それも当然、何故なら彼にとってこの程度の芸当は出来て当たり前の普通の事なのだから。

 むしろこれが出来ぬというのなら、その者は剣士以前にただの棒振りをしている半人前未満に過ぎない。

 そうだ物理法則に囚われているようでは、最強や至高という言葉を口に出すことすら烏滸がましい。

 一刀を振り下ろすなら知覚させるな。斬るという行為ではなく、既に斬ったという結果のみでいい。

 因果に帰結する過程なぞ、後から勝手にやってくるのだから。

 行為にゴチャゴチャと理屈を混ぜるな。抜き放たれているならそれは既に斬っていることに同じ。因果なぞは勝手に追ってくる。剣を握るというのならば、それで十分であろう?

 過程によって結果を齎すのではなく、自身の齎した結果に後から理屈や過程が追い付く、それが宗次郎の剣術であった。

 それはきっと戦に生きるものなら誰しも考え付く事であるが、実際に行おうなどという者はいない技術でもあった。

 何故なら不可能だから。所詮は机上の空論でしか無かったはずの技能を、しかし宗次郎は己の肉体と超純度の願いのみで会得してしまったのだ。

 

「祖母様ですか」

 

 気が付けば入口に立っていた影を、視線を向けることなく言い当てた。

 自身の調子は確認できたため、音もなく刀を鞘へ仕舞い込む。

 傍らに置いてあった竹刀袋に刀を収めて、改めて自身の祖母へと体を向けた。

 朝餉の支度でもできたのだろう。宗次郎の祖母は基本的に無口であるが、言葉を話す代わりに表情や仕草で伝えようとする事が多い、

 そしてそんな宗次郎の考えを見透かすように、薄く笑って首を縦に振った。

 道場に備え付けてあった静かな時計を見てみれば、時刻は朝の六時と半を回った頃だ。

 明空厳五右衛門の元へ来てより早五年。幼少の頃から比べて美しく、場合によれば女に間違えられかねない程の美貌を持ち、宗次郎は逞しく育った。

 その実力はとうに常軌を逸しており、一年前には明空家第五代当主として家督を継ぐに相成るほど。

 まあ当時の宗次郎からすれば、面倒なだけで本当は嫌だったのだが。そこは厳五右衛門の頑固さが結んだ結果と言えよう。

 そして今日は、そんな宗次郎にとっての特別な日でもある。日付が指すは受験の知らせ、それもただの受験じゃない。

 倍率が日本で最も高く、そして最難関とされている雄英高校の受験日だった──。

 

 ☆

 

 居間にて、祖父母と共に朝食を摂る。

 鮭に味噌汁に沢庵、そしてきゅうりの漬物という和食の定番が卓には並んでいる。

 それを宗次郎は言葉を発することなく、無言で食べ進めていく。

 明空家ではこれが通常で、必要な会話以上の音を出すことはない。

 それは一重にそういう気質の家ということもあるが、なにより宗次郎自身が話題を振るということが無いからだ。

 だが無愛想ということはなく、話しかければちゃんと返すしなんなら軽口の一つや二つなら言うこともあるが、やはり本人の性格ゆえだろうか、自分から無駄な会話をする必要性を感じなかった。

 だから、聞こえてきた声も宗次郎のものでは無い。

 

「今日か」

「ええ」

 

 短い会話。厳五右衛門が投げ、宗次郎短く答える。

 主語の抜けた言葉ではあるが、両者はそれで通じているのだから問題は無いだろう。

 

「雄英は倍率が高いぞ。大丈夫か?」

「問題はありません。そのために筆も取って要らぬ座学を学んだんだ。仮にダメだった時はその程度だったと言うだけです」

 

 食べ進める箸を止めて、それに、と一拍間をあけた。

 

「雄英に入れと言ったのは貴方でしょう?」

 

 何を今更、と言った面持ちで厳五右衛門を見つめる。

 数年前から高校は雄英にしろと、何度も耳にたこができるほど聞かされてきた。

 宗次郎本人は中学を卒業したら世界各地を転々とし、己の剣を磨こうと画策していたのだが、どうやらそうはいかないならしい。

 厳五右衛門のことは無視しても良かったのだが、明空の剣が書かれた伝書と引き換えと言われれば、渋々頷くしかなかった。

 わざわざここまで来たのなら、条件を飲んででも伝書を見なければ損だと思ったからだ。

 それに高校は三年間。結構な時間を浪費する事になるが、逆を言えばその期間さえ乗り越えてしまえば後は自由。

 聞けば雄英やそれに連なるヒーロー科なる学科のある高校では、戦闘訓練が授業としてあるらしいではないか。

 それは個性を持った相手や、特定の縛りがある状況での戦闘に生かせるかもしれない。

 浪費ではあるがそれが無駄になることはないだろうと、宗次郎は考えていた。

 対して、何故こうも煩く雄英雄英と厳五右衛門が言っていたのかと言うと、宗次郎の為というのも半分あるが、もう半分は彼を犯罪者にしないためだ。

 宗次郎曰く中学を出れば世界を廻るという。

 これがただ世界一周旅行ならば笑って送り出そう。だが、宗次郎のそれは意味が違う。

 彼が日本を出るということは、それすなわち剣の地獄旅。最強の頂を求める、茨の死に道中に他ならない。

 きっとその道程で彼は犯罪を犯すだろう、それも殺人という第一級の罪を。

 これまで彼と暮らしてきた厳五右衛門だから理解出来る。

 宗次郎という男は徹頭徹尾、己という個我を最強にする事しか脳にない。必要とあれば、平然と相手を叩き切れるまさに剣士然とした存在だ。

 己の人生は己が主人公。ゆえに唯一無二である己を愛しているし、至高であって然るべきと信じて疑わない。

 その思想は、生まれる時代……否。生まれる世界を間違えたとしか言い様がない。

 

「ご馳走様でした。では僕は身支度を整えてから行きます」

「そうか。…………宗次郎」

 

 居間を出ていく宗次郎を呼び止めた。

 何事かと振り返る彼の瞳を覗きながら。

 

「頑張ってこい」

「ええ、善処します」

 

 だがしかし……やはりどうあろうと、宗次郎は自分の孫だ。

 例え狂っていようが、今の法則がなる世界で異端とされようが。血の繋がった愛しい子。

 危険だと分かっていても、その情だけは厳五右衛門は捨てる事は出来なかった。

 ただじっと、離れていく宗次郎の後ろ姿を視界に映し、複雑な胸中に顔を顰めることしか出来なかった。




本来は今回で受験編も済ませるつもりでしたが、悪い癖で余計な事書いてしまいキリが悪くなる上に、長くなりそうだったので二つに分けます。
明日はいよいよ受験日。原作突入です。


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4 人以下

何回も見直しているのに、見落としている事って多いんですね……。
誤字脱字修正ありがとうございます。本当に申し訳ない……。
あ、あと評価もありがとうございます! なんとランキングに一時的にですが載っていて、ヒャッホイ!と飛び上がってしまいました。

今回は玖錠紫織枠が出てきます。
彼女しか思い浮かばなかった……。
それと明日とか言っておいて遅れてすみません。
では本編どうぞ。



 チクタク、チクタクと流れる時を刻む秒針が、経過を音で知らせる。

 鞄には既に筆記用具などの必要な物は全て入れた。二度も確認しているのだから、忘れ物なども当然ない。

 後は身嗜みだけ。

 宗次郎は全身鏡の前に立って、初めの頃は億劫に感じていたネクタイを結ぶ。

 引き取られて初めの頃、厳五右衛門の言い付けで小学校に通わされていた。だがその時は私服が許可されていたのに対し、中学からは制服などと言う窮屈の極みのような服を強制され、本当に嫌だった。

 がしかし、今では慣れた。苦も習慣となれば日常と化すということだろう。

 可笑しなところが無いのを確認し、玄関へ向かった。

 

「では、僕は行きます」

 

 見送りに来た祖母へ向き一言告げると、ふわふわと日向のように微笑み頷いた。

 その顔に宗次郎は引っかかりを覚える。

 祖母は基本笑みを絶やさず、春の陽光を思わせる顔色を常に浮かべている人だ。

 だが何故だろうか、こうなにか、殊更に微笑ましいことに笑っているような。

 それこそ男では出せないような女性特有の雰囲気を感じる。

 こういう時は決まって、宗次郎にとって面倒な事が起きる前兆だ。

 悪意のないその顔からは、害が及ぶ訳では無いと分かるのだが、きっと億劫なことなのであろうなと、何処か達観していた。

 祖母の手前それを表に出すことは無いが、宗次郎は少しばかり働く嫌な予感を抱きながら、杉の匂い香る引戸の玄関を潜った。

 

「おっはようー!」

 

 いきなり視界を覆ったのは、み空色の花。

 大空を体現したような少女が、宗次郎の祖母とは違う種類の笑みという花を咲かせている。

 天真爛漫を地で行く彼女を認識した途端、気付かない程に僅かだが、宗次郎の眉が吊り上がった。

 基本他人など眼中にあらずとしていた宗次郎にしては、かなり珍しい反応である。

 誰かを見た途端に顔色を例え極小でも変えるなど、それは()()()()()()()()()()()()()()()()()から外れている事を指すのだから。

 有象無象ではなく、ただ一人の一個人。

 宗次郎がそう認識する人物は、この世界において片手の指にも満たない。つまりは希少な人物であるということ。

 ただそれがいい方向であるのか、と聞かれれば少し違う。

 目の前の少女は、宗次郎が唯一苦手とする人物というカテゴリーに位置していた故に、宗次郎から他人とは認識されなかったのだ。

 要は、少し不得手だから覚えていたということ。

 そしてそんなことは露知らぬ少女は、変わらぬ調子で宗次郎の隣へ移動した。

 

「おはようございます、ねじれさん。何故ここにいるのでしょうか? 今日は友人と出掛けると聞いていましたが……」

 

 波動ねじれ、宗次郎が認識する人物の一人。

 加えて言うならば、近所に住みよく自分の家に来る、もしかしたら友人と呼べるかもしれない一人だ。

 そして、宗次郎が雄英に行きたくない理由の一つである人物だった。

 生来の人懐っこさと遠慮の無さを兼ね合わせた彼女は、ある種の宗次郎の天敵であり、中学時代に先輩であったねじれに宗次郎は色々と振り回されてきた経験がある。

 何処までも己であり、行動理念と基準までもが己優先である筈の宗次郎においては、それだけで苦手とするには十分な理由である。

 振り回された過去があるということは、一つの屈辱と同義だ。

 だがしかし、何故かねじれの頼みは断れないし、というか断る前に勝手に決め付けられてしまう。

 だから泣く泣く言う事を聞くしかないのだ。

 無視をするというのも手ではあるが、それはそれで逃げや負けを認めるようで何か腹が立つので却下である。

 まさに宗次郎の性格が奇跡的に災いした結果が、ねじれという少女への苦手意識であった。

 

「うん。でも、宗ちゃん今日でしょ受験。だから応援!」

「ねじれさん、その呼び方はやめて下さいと何度言えば……」

「えー! 可愛いじゃん。何で駄目なの? ねーなんで?」

 

 これである。この少女のこういう所が苦手なのだ。

 元はと言えばこの渾名は、初対面の時にねじれが宗次郎を女と勘違いした時に起因する。

 話の噛み合わなさと違和感を感じ、急いで誤解を解いたのだが未だにやめてもらえない。

 思い起こせばその時から、彼女への苦手意識が始まったのだろう。

 自分の常識とは掛け離れた、自己の辞書に遠慮という言葉がない自由奔放な少女。

 それまで他人など風景に描かれた一部程度にしか思っていなかったが、ねじれという人物が現れたことで初めて、友人と呼べる者が出来たのかもしれない。

 

「……もういいです」

「えー教えてよー」

「お断りします。教えたところでやめはしないのでしょう?」

「うん!」

「……ならいいです。もう行きましょう、このままでは遅れてしまう」

 

 はあ、と諦めたように息を吐き出した。

 こうして二人は歩き始める。

 その間にもねじれのマシンガントークは止まらず、無視すれば反応があるまで問いかけてくるのが分かっているので、会話に相槌を打ち思ったことを適当に返していた。

 そして彼女を苦手としている宗次郎ではあるが、認めている部分もあるのだ。

 昔に一度、とうとう我慢の限界だった宗次郎から彼女へ仕合を申し込んだ事がある。形式としては一太刀を凌げばいいという物だ。

 当然に自分の圧勝だった訳だが、その仕合が切っ掛けである変化があった。

 ねじれは、未熟だったとはいえその当時の宗次郎の一刀を()()()()()で抑えたのだ。

 己の個性に理解が深く、実力は目を見張るものがあるだろう。

 勿論、色々なまぐれやありえない奇跡が重複した結果の上に成り立っている。

 だがしかしだ、宗次郎に言わせれば、そのまぐれすらねじ伏せる事が出来ない己が未熟に過ぎるのだ。

 それ以来だろう、宗次郎が彼女に辛く接することが無くなったのは。

 刃を向けた宗次郎に対して、今も変わらずに関わり続けてくれているという振り切った異常なまでの善性、それも宗次郎が彼女を個として認識する要因かもしれない。

 

「ではここら辺で」

「うん、頑張ってね! 絶対合格してね! また一緒に学校行こー」

「確約は出来ませんが。ええ、出来る限りの善処はしましょう」

 

 バスに乗る直前まで話し掛けてくるねじれに、宗次郎は苦笑いを零す。

 プシューと音を立てながら閉まるバスを、それでも見えなくなるまでねじれは見送っていた。

 

 ☆

 

『エヴィバディセイヘイ!!!』

 

 耳を刺すような音量が会場へ響き渡る。

 案内板へ従って着いた先は、大量の生徒を収納出来る大講堂。

 この講堂を埋め尽くす夥しい数の少年少女が、ヒーロー科最難関の雄英へ足を踏み入れんとする願いの卵なのだ。

 これだけいる中でも、雄英の門を叩けるのはごく少数。

 確率に表せば数パーセントの狭い通り道だ。きっと誰もが死に物狂いで椅子を取りに来るだろう。

 そんな熱狂の渦の中で、一人無感情にプレゼントマイクを見詰める影があった。

 言わずもがな、宗次郎である。

 冷めた視線からは、今にもつまらないと言葉が出てきそうなほど、感情が見受けられない。

 それもそうだろう。

 所詮、宗次郎にとっては親の言いつけで受けに来たに過ぎないのだから。

 だからといって手を抜くつもりは無いが、乗り気かと言われれば断じて否だ。

 この果てしなくつまらない高等学校に所属すると言うだけで、およそ三年もの貴重な時間が失われてしまう。

 それを考えるだけでやはり陰鬱となってしまうのは、剣に生きる宗次郎ならではだろう。

 

『それでは皆、良い受難を!』

 

 漸く無駄に長い説明が終わった。

 配られたプリントを最後に確認しながら、宗次郎は傍らに置いた竹刀袋を手に持つ。

 今回の受験においては、予め申請することで帯刀を許可された宗次郎の愛刀。

 厳五右衛門の話によれば上は相当揉めたらしいが、そこはそれ厳五右衛門は雄英に居る友人の根津というコネを使い、監督下において他者に危害を加えない、という条件の下何とか許可を下ろしたらしい。

 そうでなければ困るというもの。別に刀を持たずとも、徒手での戦闘は心得もあり不得意ではないが、実力を満遍なく発揮するにはやはり刀は不可欠だ。

 ねじれに言われたこともあって、今回ばかりは少しだけ本気とやらを出そう。これで落ちたとあれば、何を言われるかわかったもんではない。

 いや、それ以上にこの程度の受難は容易く乗り越えて当たり前。

 宗次郎は熱の宿らぬ水底の瞳を開きながら、指定された会場へ向かった。

 

 ☆

 

 場所は市街地を模した広大なフィールドだった。

 模したとは言っているが、間近に寄ってもその作りは精巧で、まるでどこかの街をそのまま切り取ったかのようだとしか思えない。

 人の身では広大に過ぎるこの場所は、だが宗次郎からしてみれば少々広いだけの舞台に過ぎない。

 約半径1kmにも及ぶ超越的な感知能力は、市街地を蠢く無数の気配を感じ取っていた。

 これが説明にあった仮想敵であろう、その総数は五百と端数。

 そしてこの市街地の端に、巨大な異物が置いてあるのを捉えた。十中八九0P敵に違いない。

 なるほど、退屈には違いないが、体を動かせるだけマシというものだ。

 いつもは水を吸わせた巻藁で行っていることを、今回は動く鉄の塊で行うだけだ。

 宗次郎は食後の運動とでも捉えることにした。

 

「お前それ本物か?」

 

 声を変えてきたのは、髪を逆立てた濃い隈のある少年だった。

 宗次郎の持つ刀を指さし、不思議そうにしている。

 緊張を和らげるために声を掛けてきたのだろうか。だが、少年には緊張の色が見えない。

 むしろ不自然な程に落ち着いている。

 周りが己が己がと気を昂らせる中、自身の気を沈めるというのは中々に至難な技だ。

 それこそ宗次郎のように日頃鍛錬を積んでいるのならまだしも、目の前の男からはその様子が伺えない。

 というこは何かを狙っているのだろう。自分の気を落ち着けられるほどの必勝の秘策、もしくはその真逆で端からこのテストを諦めているか。

 しかしどちらにしろ宗次郎の知るところではない。

 目の前の男は他人で、記憶に留める価値もない路傍の石の一つだ。

 

「ええ、そうで……っ、へぇ」

 

 不要だと判断した会話を短く終わらせようとした時だった。

 男の質問に答え声を発した時、ほんの一瞬だけ筋肉が硬直した。

 時間にすればコンマ一秒にも満たない硬直だったが、宗次郎は確かに何かの攻撃を受けていたのだ。

 見れば視線の先の男が目を見開き驚愕している。

 その様子から察するに、今のは眼前の男が原因なのだろう。

 

「なんで──!?」

「今のは貴方の仕業ですか。何のつもりかは知りませんが、あまり余計な事はしないで頂きたい。余計な剣を振るのは余り好きではない」

 

 この時も幾度となく男は自身の個性である“洗脳”を試すが、宗次郎に効果はない。

 一度目は本当に刹那だが効き目があった、だが二度目からは完全に無効化されている。

 男の個性は完全に宗次郎に殺されている状態だった。

 仕方ないことであろう、洗脳というのはすなわち精神の乗っ取り。相手の個我を揺さぶり、その隙を突いて操縦桿を奪う行為だ。

 それは逆説的に言えば、己という確固とした我を確立していれば意味をなさない。

 こと宗次郎という宇宙規模の密度で自己愛が確立している存在を相手に、男の個性は相性が悪過ぎたとしか言い様がない。

 

「と、いけない。他人に危害を加えれば失格でしたか、忘れていました」

 

 思い出したように呟いた宗次郎は、直ぐに興味が失せたと言わんばかりに視線を外した。

 降りかかる火の粉は払うのが宗次郎の流儀だが、今だけはそれは許されない。

 それに払う必要無しと判断し、背を向けた。

 ままならないこの状況に宗次郎は、まったく面倒だと一人愚痴る。

 対照的に男、心操人使は胸の内に怒りを募らせていた。

 余計な剣と言ったのか? 個性による攻撃をされてなお、コイツは直ぐに興味を無くしたと?

 ──否、違う、言い方が違う。言葉を正しく使うのならば、初めから興味を持っていない、だ。

 宗次郎は降りかかる火の粉は確かに払うが、心操のことは火の粉とすら認識していない。

 心操から視線が既に離れていることが、その証拠であろう。

 巫山戯るな。俺は道端に転がっている石ではない!

 こちらを向け、向かないと言うなら振り向かせてやる。

 腕を宗次郎の肩に掛けようと伸ばした刹那──。

 

『ハイ、スタート』

 

 合図が響くのと同時、颶風が疾走するかの如く、宗次郎の姿が消えた。

 

 ☆

 

 モニタールーム。

 眼前には無数の映像が映し出され、そこには用意した機械を相手に孤軍奮闘する子供達が必死に足掻いていた。

 笑いながらそれを観戦するのは、雄英に所属しているプロのヒーロー達。

 喜悦に頬を綻ばせるその最奥で、判断基準に基づいて落第点と及第点を選考している。

 今年は豊作だ。この子は筋がいい。あの子は合格しそうだ。

 個々人が思い思いの言葉を残していく中、途端に画面が切り替わると全員が笑みを霧散させた。

 

「彼が厳五右衛門の子供だね……」

「名前は明空宗次郎。五年前に()()明空家の前当主明空厳五右衛門に引き取られ、現在の当主となる。そしてなにより特筆すべきは……」

「無個性という点かい、相澤くん?」

 

 引き継いで答えたのはオールマイト。

 落ち着き払った厳の声は、相澤消太の言わんとしていることを理解していた。

 この個性という世界の歪みが許容された超人社会で、それだけ無個性というのは異質なのだ。

 一昔前とは違い、今はあって当たり前の者が備わっていない落ちこぼれ。

 生きることにすら必死である落伍者が、ヒーロー育成の名門である雄英に入ろうなどと、その難題たるや出来たのなら偉業と言ってもいいだろう。

 ましてや今回の演習で、今現在もぶっちぎりで加速度的に敵を撃破しているなどとは、赤の他人が聞けば出来の悪い冗談にしか聞こえない。

 

「彼は本当に無個性なのか!? もうすぐで倒された仮想敵が四百を超えるぞ!」

 

 信じられない現象を目の当たりに声を荒らげたのは、ヒーロー科の三年を担当する講師のスナイプ。

 今空気を震わせる広がった言葉は、この場にいる講師全員の気持ちを代弁していた。

 元々この市街地演習に配置された仮想敵(ロボット)は、受験生全員が出来る限りポイントを取れるようにと、500体余りと多めに投入されていた。

 しかし、これはどういうことだろうか。

 一人の少年がモニターに影すら残さない速度で動き、瞬きした瞬間には数十の仮想敵が同時に細切れになっている。

 まるで暴れ狂う鎌鼬でも通過したかの如く、静かにただのガラクタと化しているのだ。

 宗次郎の他にこのブロックでポイントを取れたのは、せいぜいが二三人しかおらず、それも一ポイントが限界だった。

 呆然としている受験生達の方が無個性にすら見えてしまう。

 ……そしてとうとう、宗次郎は残った最後の仮想敵さえも叩き切った。

 

「厳五右衛門から聞いてはいたけど、これは厄介だね」

 

 薄い笑いを浮かべながらも白いネズミのような男性、根津は慎重に宗次郎を観察していた。

 心には一言、“危険”という単語が浮かび上がる。扱いを間違えれば、この少年は最強最悪の犯罪者になりうる、と。

 そして彼の言葉を肯定し、講師陣が次々に溜まっていたものを吐き出す。

 

「ええ、本当に無個性だとは思えない」

「撃破ポイントだけでも合格基準を大幅に超えている」

「これはヒーロー科の一枠は彼で決定だな」

 

 誰が呟いたのか、最後の言葉に待ったを掛けたのは相澤消太だった。

 

「これで決めるのは不合理に過ぎると思いますがね。仮に合格にしたとして、ヒーローの資質にあるとは思えない」

 

これまで幾度となく、潜り抜けた修羅場の中で培われた観察眼が警鐘を鳴らしていた。

合理性を求める気質故に、見込みが無ければ即座に切り捨てられる判断力と決断力を持つ相澤は、宗次郎の中にヒーローとしての素質が欠片も存在しないのが分かった。

寧ろ画面越しに感じる空気感が、ヒーローとは真逆の性質であると、そう思えてならない。

だからこそ、最後まで見極めなければならないだろう。

相澤の口から出た言葉は、抹消ヒーローとして己に言い聞かせる為に出たものでもあった。

それに同調したのは、笑みを浮かべながらも冷静な瞳をしていた根津だった。

 

「うん、僕も同じ感想さ! でも、このまま放置も出来ない」

「ええ、だから彼の合否は最後まで綿密に見極めるべきだ」

「うんうん、そうだね。……でも、事と場合によっては()()()()()も取る必要があるかもしれないと、皆頭には入れておくように」

 

 最後に綺麗に根津が纏めた直後だった。

 画面に映し出された宗次郎が、この場の全員から声を奪う事をしでかした。

 

 ☆

 

 時は少しだけ遡る。

 心操は必死であった。

 無我夢中に、先の出来事を忘れようと他人を洗脳しては仮想敵を探している。

 しかし仮想敵は見つからず、行く先々で目にするのは転がった仮想敵の残骸。

 もうすぐで終わるかもしれないというこの時まで、心操は0ポイントのままだった。

 だが悲嘆することは無い。0ポイントなのは、なにも心操だけにあらず。

 むしろポイントを一つでも取れたものは運が良い部類だ。

 

(……クソっ)

 

 こんな時ですら自身の個性の不便さが恨めしい。

 他人の体を操って高みの見物をするしかないこの個性が、なぜこんなものを持ってしまったのか。

 もっとお誂え向きなものが欲しかった。こんなヴィランじみた異能ではなく、もっといいものが。

 だからこそ、自分の個性にコンプレックスを抱いているからこそ、“強く想う将来があるなら、なりふり構ってはいけない”という信念が生まれた。

 だと言うのにだ。刀を持ったアイツは、そんな心操を虚仮にした。

 いやこれが単なる思い込みだと言うのは、心底理解している。

 だが、目だ。あの深海よりも昏い目が頭から離れない。

 心操人使を石とすら認識しない、あたかも風景の一部と会話をしているみたいに……。

 下手をすれば独り言とすら思われているかもしれない。

 ……苛立つ。自分よりも恵まれた物を持っているというだけに過ぎないのに……。

 俺は人間だ。景色じゃない。認識しろ。お前みたいな恵まれた奴に負けたくない。

 様々な思いが鍋で煮詰められている。煮詰めすぎて爆発しそうだ。

 段々と激憤が蓄積していく中、たまたまソイツを見つけてしまった。

 

「はっ! お誂え向きな個性を持ってる奴は良いな。雄英のこの演習でさえも楽勝だってか? ああ全く羨ましいよ!」

 

 思わず突いて出てしまった言葉は、自身でも驚くぐらい怒気がこもっていた。

 これ程までに自分はコイツに切れていたのか、改めて気持ちを認識する。

 

「……えっと貴方は……。ああ、さっきの方ですか。すみません、忘れていました」

「──っな!?」

 

 ふつふつと吐き出したはずの赫怒が再燃する。

 つい先程言葉を交わしたばかりなのに、時間にすれば一刻も経っていないのに。

 既にこの男は自分のことを忘却していたというのか。

 どれだけ……どれだけ自分を……! 

 心操は自身の思考が自惚れていたと理解する。

 宗次郎は心操のことを人としてすら認識していない。

 砂利に気を割く人間はいないのと同じだ。

 転がっている塵を記憶しているほど、宗次郎は奇人ではない。

 

「──巫山戯……っ!」

 

 怒りに咆哮をあげようとする心操の心を押さえつけたのは、覆うほどに大きな巨影。

 ビルを掻き分けて姿を覗かせるそれは、資料に乗っていた0ポイントの仮想敵。

 少年少女に受難を与えるためだけに雄英が用意した、最大の壁。

 “PLUS ULTRA”──これにどう対応するのか、逃げるのか、立ち向かうのか、協力するのか……それとも膝を屈するのか。

 ヒーローとして、上を目指すならまずは小手調べだ。ここで行動を示してみろと、笑い観察している。

 

「……っ」

 

 心操がまず思い至り行動したのは、逃げの選択だった。

 敵わないから逃げる。それは生物として当然の本能で、本来は正解だと称えられるべき行動だ。

 自身の力量に余るから、仕方なしに逃げる。そうだ、心操人使の個性では逆立ちしたってかすり傷すら付けられない。

 だから逃げよう……。誰かが、お誂え向きな個性を持つ奴が倒すと思うから……。

 

 ────だから阿呆なんだよ。

 

 宗次郎に言わせれば弱者の諧謔に過ぎない。

 冗談が上手いな。笑わせるなよ。敵わないから逃げる? 

 極め尽くした馬鹿め! 敵わないからこそ挑めよ! それは自身を高めるためのまたと無い機会だろう?

 願いの丈が高いなら、実力差などは関係ない。己の渇望こそがより強固なら、最後に勝つのは己であろうが。

 それを知らないから塵は所詮塵だ。

 例えどれほどの想いを募らせようが、塵が抱く渇望ほど意味の無いものはない。

 汚れ切った願望(イシ)では、純白な渇望(ホウセキ)に毛先も及ぶ訳が無い。

 宗次郎が秒で忘却してしまうのも当然と言えよう。

 そんな塵芥を記憶に留めるほど、この宗次郎は暇ではないのだから。

 

「おい何してんだ!」

 

 だから心操は、嗤って進む宗次郎に魅入られる。

 心操人使という人生を万繰り返そうと、今居る宗次郎の高みには届かないし見えない。

 それはもう定められた絶対法則に近い領域で、当たり前のこと。

 宗次郎という異分子は、どこまでも肥大化していく。

 やがてはこの社会へ波紋を広げ、癌が世界を蝕み、既存の法則が軋み喘ぐ。

 だが知ったことか。どこまでも宗次郎は高みを目指すだけ。

 自己ただ一人だけが到れる場所に歩みを進め、全てを凌駕する存在となりたいだけなのだから。

 

「明空神明流……」

 

 深く腰を下ろし、刃が収められた場所に手を添えた。

 異常で異質な空気を内包した笑みは、心操の恐怖と憧憬を駆り立てる。

 修羅だ、血に濡れた修羅が嗤っている。剣気に世界が焼かれ、歪み始めていた。

 だが殺気は不気味な程に静かだ。

 川がせせらぐように、流動的でありながらも超密度の殺気が血管を血液と共に巡っていく。

 静謐な殺意。形容するなら、これが一番であろう。

 宗次郎が構え最高の一刀を放たんとする予備動作の最中、痺れを切らした巨大な仮想敵が鉄塊腕を振り下ろした。

 死ぬ、間違いなく宗次郎は死ぬと、心操の視界が徐々に速度を失っていく。

 ……ああ終わった。

 

「────絶ち風

 

 心が何もかもを諦観した一刹那────蒼き剣閃の輝きが、近付いていた未来を斬り殺した。

 

「──は? え?」

 

 轟音を立てながら、空を塞いでいた巨影が崩れ出す。

 宗次郎を見れば刀は鞘に収まったままだった。

 余りの瞬撃に知覚出来なかったのだ。目を閉じていた訳ではなかったのに、音も結果も、あらゆる全てが納刀された後に追ってきた。

 物理法則を完全に無視した居合術。

 個性に頼っている愚か者共では到達出来ない至高の剣閃を、奇妙な話だが心操人使は目の当たりにした瞬間だった。

 

 




玖錠紫織に近い人は誰か……。
そんな事考えていたら、性格的にねじれ先輩かなと。
それとねじれ先輩が宗次郎に斬られたのに普通に接してるのは可笑しくね? とお思いでしょうが、それはねじれ先輩が「あれやっべ、宗ちゃん怒らせちゃった?」と半ば自業自得と思っている節があるからです。
……それで納得して、お願い……。え? 駄目? ソンナー!


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5 縛鎖

お久しぶりです……。
何度も書き直しているうちにエタってしまいました、紅葉です。
ほんとごめんなさい。


 宗次郎の朝は早い。

 起床は日の出に合わせ、時刻は早朝の五時頃が当たり前。冬季は目覚めても外が暗いなどざらである。

 まず起きて気持ちと共に顔を洗い、心身揃って正し、そして道着に着替える。

 昨夜に今日必要な物を纏めて準備して部屋の隅に置いていたが、着替えた後に確認を怠る事はしない。

 何事も完璧に、もしくは完璧に近くあってこそ。不備などあってはならないし、仮に不備が期せずして起こったのならば的確に対処する。

 完全無欠でありたいと願う者こそが己だ。戦闘の最中と比べれば多少は和らぐが、それでもやはり日常においてもそうありたいと思っている。

 大方を確認し、部屋を出る。ふと渡り廊下で鳥の囀りが聞こえた。

 新春の風と共にはしゃぎ回る子供のような速さで、鳥達の声は宗次郎の横を過ぎていく。

 そこに風情を見出しながらも、感傷に浸ることは無く。足を止める理由とはならなかった。

 

「……」

 

 ガラガラと、年季を感じる道場の扉を開く。

 もう既に見慣れた空間は、ここに初めて来た時のような高揚感すらも消えていた。

 別に興味を無くしただとか、見飽きただとかでは無い。単に慣れてしまったのだ。

 当初は新鮮であった空気も、踏みしめる度に歴史を感じた綺麗な床も、『無量無辺』と力強く書かれた大きな掛け軸すらも、今はあって当たり前のものとなった。

 ともすれば、自室よりも道場に居る時間の方が多い宗次郎だ。そうなるのは当然なのかもしれない。

 肩掛けた刀を端へ置いて、雑巾とバケツを道具入れから取り出す。

 裏手にある水道で水を汲んで、それを雑巾に染み込ませ絞り、床を満遍なく拭く。

 こうして雑巾がけを10分程度で終わらせると道具を仕舞って、中央で正座をし黙祷をする。精神統一と呼んでもいい。

 この五年間、決して欠かす事の無い始まりの初動。

 これだけで自分の中で起きる僅かな変調や、調子のブレを確認出来る。

 異常なし。精神、肉体、思考、神経、五感……総じて今日の己は問題ない、そう判断した。

 ──ビュウッ! と風が吹き抜ける。

 

「……っ」

 

 音もなく振り抜かれた銀影。

 仮に瞬きなく見続けていたとしても、決して初動から終わりまで捉えるのは不可能な一閃だった。

 柳が静かに揺れるように緩慢でありながら、その実は雷よりも疾く苛烈な抜刀。

 受ける事は愚か躱すことさえ出来ない必殺の剣術は、だが、宗次郎からすれば準備運動。

 鍛錬とすら呼べぬ動作の一つ。常人が歩くために足を動かし、その動きに合わせて手を振るように。今のはそれと同じ、宗次郎に組み込まれた基本動作にしかすぎない。

 刀を握る手を見て、力を入れたり抜いたりする。

 

(柄が……。替え時でしょうか……)

 

 柄紐が過度な消耗で傷んでいるのに気付く。

 日本刀には、部品それぞれに耐用年数というものがある。

 替えのきかない刀身を除いて、柄や鞘などは替えが必要なのだ。

 そもそもこの刀自体は打ち粉はともかくとして、今まで刃こぼれはしたことが無い。

 それは刀が業物ということもあるが、それほどまでに宗次郎の技が卓越しているからであり、常人の域を超越した今では部品一つ消耗する事は無いのだ。

 では何故柄が傷んでいるのか? 簡単である。今の領域に到達する前──まだ未熟であった時分に、無茶な使い方をしていたからだ。

 今の今まではそれを恥、戒めとして痛んでも尚取り替えることは無かったが。……もういい加減にいいだろう。

 宗次郎の心境を読み取ってか、己の役目は終えたとばかりにブチッと、音を立てながら柄紐が切れた。

 道具(かたな)は所詮道具(かたな)。思うことなど無いが、この紐は未熟だった時の証だ。その頃の気持ちを忘れないように残しておこうと宗次郎は決めた。

 

「…………っ」

 

 精神統一に始まり準備運動、体捌き、呼吸法、技の練磨、そして最後には瞑想で締め括る。これが日課だった。

 瞑想をするといつも決まって見えるものがある。

 ──鎖。まるで魂が抜けたように俯瞰した全身像の己に、鎖が雁字搦めに何かを縛り、巻き付いている。

 これを枷と断じることは簡単だが、しかし何故かそんな陳腐なものでは無いと感じていた。

 そう、例えるならば、人が人であるよう魂を……宗次郎という核を、お前は人のままでいろと囲って離さない楔のよう。

 これを断ち斬ることが出来たなら、恐らく宗次郎ですら想像の付かない何か決定的な変革が起こるだろう。

 超えたい。凌駕したい。人であることすらも。

 ……だが出来ない。今の己はその領域に居ないから。

 如何に超人的な力を得ようとも、物理を多少無視した芸当が出来ようとも、“それは所詮人の技”。人に備わった可能性でしかない。

 違う、違うのだ……。この宗次郎は、その程度で終わらないし終わりたくない。そして終わらせるつもりもない。

 

 ──太極だ。

 

 己の根源へ至れ。超越しろ。無謬の一と成れ。

 永劫ですら届かず、無量大数すらも凌駕し、刹那さえ振り切れる絶対となりたい。

 出来るできないでは無い。明空宗次郎が明空宗次郎である為には、それをなさなければならない。これは生まれた時から漠然と感じていた、言わば存在意義だ。

 それが出来なければ生まれてきた価値も意味もない。

 やがて思考が消え、深く深く意識が闇に沈んでいく。

 まだ、まだ……まだまだまだまだまだまだまだ……まだだ。もっと深くまで────! 

 

 

ζληΞκξιγ(滅尽滅相)

 

 

 ──ドクンッ!? 

 

 弾き出されるように、現実に帰ってきた。心臓の脈動する音が意志を持っているかのように沈んでいた精神を拒絶し、見えかけた()()()と乖離させんと強く強く押し出された。

 ……自分は何を見ようとしていた。

 既に忘却の果てに消え去り、瞑想していた間の全ては記憶に残っていない。

 ただ一つ。一つだけ、感情を覚えている。

 常世の汚泥と幽世の糞尿を煮詰めたような、吐き気を催し身を掻きむしりたくなるような、そんな悍ましい何か。いや、嫌悪すべき──。

 気が付けば全身から汗が滝のように流れ出て、びっしょりと濡れている。

 座禅を組んでいた場所は水でも撒いたように、陽の光を反射していた。

 秒針の音が聞こえてくる時計を見れば、既に祖母が朝食を作り始めている時間だった。

 どうやら時という概念すら忘却してしまうほど、宗次郎は深い瞑想をしていたらしい。

 

「汗を流さなければいけませんね」

 

 我がことながら熱中しすぎる性格に苦笑いを零し、宗次郎は立ち上がった。

 

 ☆

 

 入学初日。

 まだ見ぬものへの期待、あるいは不安、新しい環境へ希望を抱く者もいれば、環境の激変で苛まれる者もいるかもしれない。

 思いはそれぞれであろうが共通することは一つ、十数年という短い年月を生きる子供達にとっては確実に一つの節目だ。

 それは宗次郎にとっても例外ではなく、だがしかし抱いたものは期待でも不安でもない。

 ただひたすらに面倒という倦怠感だけ。

 己一人が突き抜けていればいいと願う宗次郎にとって、周りに何かを期待するなどという行為は存在しない。

 あるのは自分かそれ以外かという線引きだけで、友人と呼べるねじれもそれだけは例外ではない。

 だから周りがどれだけ騒ごうと、自分には関係ない。

 話し掛けられれば答えるが、自分から積極的に有象無象と関わろうとは思わないのだ。

 

「はぁ、五月蝿いな」

 

 教室についての一言がそれだった。

 キャンキャンワーワーと、周りが雑音を垂れ流して仕方ない。

 別に不快に感じる訳では無いが、ただ感想として口から零れてしまった。

 ねじれと一緒に登校してきたが、ねじれのマシンガントークに勝るとも劣らない騒がしさだ。

 幸いな事にこちらはまだ無視できる分、ねじれよりかは厄介度は落ちるが。

 教卓の上を見れば名前順で席が振り分けられており、“み”から始まる宗次郎は出席番号が20番と宛てがわれ、峰田と書かれた名前の後ろが席となっている。

 宗次郎の下には八百万と書かれており、丁度峯田と八百万という二人に挟まれる形となった。

 

(出来ればこの八百万という御仁と逆だったらよかったのですが……)

 

 窓際の内番後ろの席。そこは、人との関わりあいを最小限に抑えることが出来る場所だ。

 出来るだけ自分に関わって欲しくない宗次郎にとっては、第一希望とも呼べる席であった。

 文句を垂れたところでどうにもならないので、仕方ないと諦め自席へ移動する。

 

「……ん……っ!?」

「……?」

 

 自身の席に鞄を下ろした時、ふと息を飲む声が聞こえた。

 そちらを見れば後ろの席の女生徒と目が合う。自席で持ち物の確認をしていた彼女が八百万なのだろうか。

 だがそんな事よりも、宗次郎は気になる事があった。

 

(今……いえ、聞き間違いでしょう)

 

 今、後ろのこの黒髪の女生徒は宗次郎の名前を口にした気がした。

 しかし残念ながら宗次郎には彼女の記憶などない。

 考えられる可能性として彼女が何らかの理由、或いは事情で一方的に宗次郎を知っているか。

 若しくはこの八百万何某かには悪いが、宗次郎とは知り合いだが宗次郎自身が覚える価値なしと判断し、単に忘れているだけのどっちかだろう。

 確率としては後者の方が高いか。

 

(まあ仮に顔見知りだったとして、それが彼女にとっていいものでは無いことは確実でしょうが)

 

 一瞬だけ見えた八百万の表情は、色々な感情が混ざりあって、複雑な様相を浮かべていた。

 不安、焦燥、心配と後悔、そして少しの安堵も混ざっていたか……。

 他人の内面を探ることが得意ではない宗次郎ですら読み取れるのだから、詐欺師やその手の個性持ちなら、この八百万の内面など一発で分かるだろう。

 ただ一つ言えるのは、後ろの彼女と宗次郎は何かしらの関係がある可能性がある、ということか。

 そして何れにしても、この八百万とやらの宗次郎に対する印象は良いものでは無さそうだ。

 まあ所詮、聞き間違いではなかったらという前提の話。

 一度聞き間違いだと自分で決めたのだから、これ以上は余計な思考だと、考えを断ち切った。

 

「──お友達ごっこがしたいなら他所へ行け」

 

 そんな声が聞こえたのは、宗次郎が席について間もなくの事だった。

 

 

 




ウンコマンっぽい何かが出てきていますが、本作品に本格的に出てくる事はありません。
飽く迄設定のクロスのつもりですので。それとアンチヘイトのタグを付けることにしました。
ご指摘下さった読者さま、ありがとうございます。


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5.5 Side Story 《血に濡れた刃》

昨日のを上げる前に書いていた練習……作? 話? です。
消すの勿体ないし、後から投稿しようにもタイミングがなさそうなので閑話みたいな感じで乗せます。
再度言いますが練習ように書いたものですので悪しからず……。


 雷混じりの豪雨の夜は決まってある夢を見る。

 瑞夢か悪夢かと類別するなら、どちらにも当てはまらないような曖昧な夢。

 結果的に救われたと言う意味では瑞夢であるかもしれない。トラウマを植え付けられたと言う意味では悪夢でもあるだろう。

 そんな良い物か悪い物かの境界があやふやな夢の中で、強く覚えているのは鮮やかな血の刃。

 雨を吸い取り撓垂れた黒髪に、男とは思えない艷のある白面。

 幼い体躯には似つかわしく無い刃を手に持ち、端正な顔から此方を除く双眸は月光りよりも鋭く輝いていた。

 まるで、幼い手に収まっている刃がそのまま瞳に宿ったかのようで。

 

「……ダメ……ッ!」

 

 声が虚しく雨音に掻き消される。

 直後、降り注ぐ雫に交じって赤い液体が吹き上がった。

 コロコロと目の前を転がってきたのは球体。光を亡くしたビー玉が、幼い少女と視線を重ねた。

 

「──ひっ」

 

 遅れて気付いた。球体は人の頭で、光の無いビー玉は二つの眼球。

 その頭の持ち主は少女を誘拐した張本人のものだった。

 上げた悲鳴が雷鳴の中で溶けて無くなった。

 

「他愛もない。第一級ヴィランと言えどこんなものですか。拍子抜けしましたね」

 

 激しい雨音の中で、不思議と鈴のような声がはっきりと聞こえた。

 それは少女の同級生の男の子のものだった。

 昨年に転入生として少女の小学校に来て、進級した今年も偶然同じ教室になった男の子。

 いつも一人で、他人に興味が無い眼をした女の子みたいな男の子。

 話し掛けても直ぐに会話を切ろうとする、そんな同級生。

 でも、今少女の目の前に居るのは血に笑う鬼だった。

 教室での面影など無い。ただひたすらに命を求める、狂った刃が如く。

 斬っても斬っても、まだ斬り足りないと喘いで哭き叫ぶ鬼がそこに居た。

 

「えっと、貴方は確か……同じ学び舎の……あぁダメだ、思い出せない。申し訳ありません、名を忘れてしまったようです」

 

 申し訳なさ気に苦笑いを浮かべ近付いてくる少年を前に、反射的に短い悲鳴を上げて少女は後ずさった。

 

「……あっ」

 

 数瞬後に気付いた。

 形はどうあれ助けてくれた本人を前に、その笑みを恐れ拒絶した。

 だが少年は気にした素振りを見せず、むしろより一層に苦笑いを深めて刃に着いた血を払った。

 

「安心してください、戦意も力量も無い女子供に刃を向ける趣味はありません。帰るのであれば、そのまま真っ直ぐ下に降りていけば人の居る場所に出れますよ」

 

 安心させるように、少年は一つの方向を指さした。

 少年の言葉に従うように、力なく尻もちをついていた少女は足に力を入れて歩き出す。

 数歩進んで、一度だけ振り返ってみた。少年は既に少女の事など見ていなかった。

 後のことは覚えていない。親が言うには、人里に出て直ぐ警察に保護されたのだとそう話には聞いている。

 誘拐事件のあったその週はマスコミや警察が代わる代わる押し寄せて、落ち着く暇がなかった気がする。

 翌週からは普通に登校し始めていたが、教室の隅にいる刃の少年とは卒業まで終ぞ話す事はなかった。

 

 ☆

 

「……ん」

 

 カーテンの隙間から差し込む光の中で、ゆったりと目を覚ました。

 時計を見れば、時刻は六時半を回ろうとしている。

 あの日の誘拐事件から数年経って、少女──八百万百は後悔をする。

 何故あの時恐れてしまったのか。何故一言も言えずその場をさったのか。……何故、血に嗤う──宗次郎の手を引いて一緒に街へ降りなかったのか。

 あの時の幼い八百万の行動は他人が見れば仕方ないと、恐れて当然だと、首を縦に振って肯定するだろう。

 だが、それでも出来たはずだ。手を引いて一緒に山を降りれば、まだ決定的に離別はなされなかったはずなのだ。

 しかし今更遅い事だった。聞いた話だが、あの後警察が弥勒山へ捜査に赴いた時辺りには何も無かったという。

 雨によって洗い流されたのか。それとも宗次郎が処理をしたのか。それを知る術は今も昔も八百万には無い。

 あるのは、胸の内に凝りのように残った後悔だけだった。

 小学校を卒業してからの彼を八百万は知らない。

 中学は別々になったし、小学校の頃の友人に聞いても誰も知らないのだ。

 だから、今を知らない代わりに八百万は己の中の後悔を抱き締める。

 ふと外を見てみれば、雨は止んでいた。

 雄英へ入学する一ヶ月前の朝の事であった。




(ハーレムにはなら)ないです。
そりゃ目の前で人殺しされたらトラウマにもなるよね!


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