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輸出はヘッドハントと称するには無理があるの

よくある異世界転生モノ、書いてみたくて駄文を並べて見ました。
お目汚し失礼しますが、読んでいただけたら幸いで御座います。


 状況を整理しよう。

 見上げるのは一抱えもあるような大石を組み上げた壁。

 城壁か。要塞なのか。

 あの「面談」では、最低限、ヒトの居住地近くに到着する予定では無かったのか。

 アレか? ちゃんと「街の近くに」と言わなかったからか?

 何もこんな物々しい……或いは仰々しい場所に落とす事は無いだろう。

 あの面接官こと神様――面談に至った事情に気を取られ、名前を聞き忘れた――には、文句の一つも言ってやりたい所だ。

 視線を巡らせると巨大な門が見える。やはり城門か要塞の門のような、堂々たる構えだ。

 壁に沿うように堀が巡らせられ、門に続くのは跳ね橋。有事の際には橋を上げるのだろう。

 実に、実に憧れの風景。

 憧れの風景では有るのだが、スタート地点としてのハードルは高いのではないだろうか?

 ふと、「面談」のやり取りを、そもそも「面談」に臨むことになった経緯を思い出す。

 

 

 

「次の方、どうぞー」

 良く、解らない。

 自分が何をしていたのかも覚えていない。両のこめかみを鼓動のような鈍痛が叩く。

 頭痛を振り払うように頭を小さく左右に振ると状況の確認を始める。

 其処は真っ白な空間で、その中で彼はまるで病院の待合室にあるような長椅子に腰掛けていた。

 不意の事に思わず声の聞こえた方向に目を向ければ、ただの空間にぽつんとドアが立って居た。

「……ど……どこでも○ア?」

 口をついて出た出たのは多方面に色々と問題の有りそうな一言。

 彼が思い浮かべたソレと違い、そこに有るのは真っ白でなんとも凝った意匠のドアである。

 ほんの僅か、呆然とドアを眺めるが、すぐに気を取り直す。声はそのドアから聞こえた。

 ドアが喋ったのでなければ、ドアの向こうから聞こえたものだろう。

 どうぞ、と言うことは。このドアを開けろ、と言うことだろうか。

 改めて周りを見回すが、誰もいない。有るのは今自分が腰掛けている長椅子と、真っ白なドア。

「次の方ー? 開いてますよー?」

 ぼうっとしている間に、再び声が聞こえる。柔らかな、女性の声だ。

 病院……? なのか?

 躊躇いつつ立ち上がる。見下ろせば、身体は有る。足は何時も通りに身体を支え、腕は所在無げに身体の両側に垂れている。

 多少の勇気を絞り出し、ドアノブに手をかける。ドアノブまで真っ白だ。手入れに気を使いそうな気がする。

「開けて良いですよー、大丈夫ですよー?」

 急かされる。そうであるなら、少し急いだほうが良いだろうか。

 意を決して、ドアノブを廻し、ドアを引く。

 ……開かない。恥ずかしくなってなんとなく俯いてしまう。

 押すのかよっ!

 恥ずかしさを誤魔化して、心の中で吐き捨ててから、改めてドアを押す。

「はーい、此方へどうぞー」

 ドアの向こうは、少し暗い。暗いだけで、奥行きも広がりも解らない空間の広がり。

 さっきまでの空間と違うのは、立っている女性が此方を見ている事、その後ろに机が有ること。その机に、一人の男性が居ること。

 これは、何だ。

「いらっしゃい、良く来てくれました」

 渋好みの声が柔らかく響く。威圧感など無いはずなのに、身体の芯が震える。

 ろくすっぽ声も出せないのに、身体は素直に進む。男の前へ。机の前へ。

 真っ白な髪。良く判らないが、多分仕立ての良い薄いグレーのスーツ。

 見た限りは若い……20代前半とも見える見た目だが、果たしてこの空気感は若年とも言える年齢で醸し出せる代物だろうか。

 静謐。荘厳。そして、畏怖。

 浮かべる表情は柔らかさすら感じる笑顔だと言うのに。心臓が冷える様な、今までに感じた事が無い感覚に戸惑う。

 自分の気持を誤魔化すように女の方にちらりと目を向け、ぎょっとして視線を逸らす。

 二重に、しくじったと思った。

 女性の顔を見て取るべきでは無い行動であった事。そして。

 女性の顔を見てしまった事、そのものに。

 女性らしくも細いその輪郭の中に、艶っぽく紅を引いた唇。

 髪はアップに纏め、清潔感の有る上品な印象を与える。やはり仕立ての良さそうな――他にどう言えば良いのか語彙がついてこない――スーツ姿である。

 それだけだった。鼻は……あった気がする。凹凸は感じた。だが、目は無かった。

 本来目のあるべき場所は、のっぺりと肌が有るだけ……それだけが、やけに目についた。すぐに、目を逸らしたというのに。

「ハハハ、驚かせてしまいました」

 男の方に誂われる。反射的に、頭を下げていた。

「すみません、失礼しました」

「いえいえ、気にしていませんから。皆さん大体驚かれますので」

 今度は女性の方が、コロコロと転がるような声で笑ってから声を発する。

「さて、すみません、、お待たせてしまいましたね」

 ハッとして顔を上げる。柔らかな微笑みと目が合う。

「いえ、此方こそ。まごついてしまって」

 なぜ、謝っているんだ? 解らない。微笑んでいるし、口調も丁寧だ。

 なのに。まだ、震えは止まらない。

「まあ、なんと言うかアレです。なんとなく予感は有ると思いますが、キミは死亡しました」

 心臓が跳ね上がる。

「……判らない、です。覚えていませんのでなんとも……」

 ふむ。男は机の上で指を組む。

「なるほど。なるほど、そうかそうですね。何しろ事故というものは何時でも急な物ですからね」

 顎に手を添えて、考え込むように顔を上に向ける。

「ふむ。折角です、自分の死体を見てみますか?」

 とても気軽な提案に、またひとつ、心臓が跳ねる。何言ってんだアンタ。そんな軽口は、とても叩け無い。

 返事も待たず、男の後ろ、空間に映像が浮かび上がる。

 タクシーが歩道に乗り上げ、建物に突っ込んでいる。周辺は……惨状だ。

 血が、肉が散らばる歩道上。歩行者が何人巻き込まれたのか。心臓が痛む。

 探したくはないが、自分の姿を探す。それに合わせるように、映像が動く。建物に突き当たって停車するタクシーの、衝撃で変形したフロント部分、そこへ。

 見つけた。タクシーと壁に挟まれ、上半身と下半身が千切れ果てた遺骸。

 すう、と。膝が落ちそうな感覚を必死に支える。開いたままの、うつろな瞳は何も映してはいない。

 とてもお茶の間に流せる映像ではない惨状、その中でもまあまあ最悪な自分の死体は予想以上に、必要以上にショッキングで。

 だから、なんで自分が震えていたのか理解できた。

 死んだという事を、認めたくなかったのだ。

 男の静謐で優しい声は、まるで意図して自分を落ち着かせてくれようとしているようで。だから、多分予感したのだろう。

 深呼吸して気持ちを落ち着け、伸ばした背筋に支えられるように立つ。

 もっと、取り乱すかと思った。

「ふむ。なんと言うか、落ち着いていますね」

 やはり優しく、男の声が耳に刺さる。

「はぁ……これは助かりようのない惨状ですからね。夢であってくれれば良いような、そうでもないような」

 気が抜けた。緊張が足の裏から剥がれ落ちたような、スッキリとした気怠さ。

 不意に、映像が消え去る。現状確認は終わり、これからが本題なのだろう。

「さて。こうしてキミは死んだ訳ですが。ここに来てもらったのはこの先の話をするためです」

 男は真面目くさった顔で言葉を紡ぐ。

「死んだ以上、戻ることは叶いません。キミは、3つの行き先を選べるのです」

「3つ、ですか」

 この先。3つの進路。どういう事だろう。

「ひとつは、このまま消滅。ひとつは量刑裁判の上、輪廻ルーレット」

「量刑裁判……ですか」

 天国とか地獄とか、行き先を決めるやつか。

「そうです。いずれにせよ完全分解は行いますが。その人物の何%をどのジャンルの生物に転生させるか、そういった事を決めます。最悪、完全消滅もありますけど」

 ニッコリと笑って言うが、今さらっと消滅とか言わなかったか? また何だか怖くなってきた。

 今挙がった二つはどちらを選んでも最悪消滅ということであるが、まだしも次の「生」に繋がる後者を選びそうなものだ。

 しかし、それを選んだとしても、聞く限りは一度「完全分解」する、と言う。

 怖いので詳しく聞きたくないが、考えて見るにそれは「今の自分とは違う個体」に作り変えるための分解なのではないだろうか。

 それは、どちらを選んでも「個」の完全消滅で有ることに変わりがないという事になる。

「ここからが、貴方へのお話の本題です。さっき述べた3つの選択肢の最後のひとつ、コレはなんと言うのかな……ヘッドハント?」

「ヘッド……ハント?」

 ヘッドハントとはまた、急激に救済感のある選択肢が浮上したものである。落差が大きすぎはしないか。

 まるでデコレーションされた罠だ。嫌な予感しかしない。

「これは、まあ、アレです。聞いたことがありますかね? 異世界転生とかいう呼ばれ方もしているのですが」

 異世界転生。ここに来てまた更に、随分とライトな響きの単語が飛び出してきた。

 そういう話は嫌いではないし、いい歳をして憧れのような物を覚えるのも、恥ずかしながら本心である。

「そうっすね、そう言うのは聞いたことがありますが……マジなんですか」

 このような話を振ってくるあたり、流れから言うとアレだろうか。

 眼の前の男は、つまり。ソレ系のラノベとか漫画でよく見た、神と言うことか。線が細すぎるだろう。

 そう思って見ると、なんともまあモテそうな顔の作りである。細い卵型の輪郭の中に収まるパーツもまあ整っているのだ。

 細い鼻筋に乗っているメガネ越しに見える目の優しい事よ。

 無駄に強面な自分に少しその成分をワケてほしい所存である。

「ええ、本当です。さっき言った輪廻転生に通じる話ですが」

 此方が考えている事は当然伝わることは無く、彼、神様は柔らかな言葉を紡ぐ。

「例えば地球では、輪廻の輪は地球に存在する生命の間で巡ります。細かなルールは有るのですが」

「ふむふむ」

 何となくではあるが、解る気はする。

「ところで、現在ですが。地球の総人口はご存知ですか?」

 世界人口。尋ねられて考えれば、大まかに知っているような気がしなくも無くもない。要するに曖昧で、もっと言えば意識したことが無い、と言うのが正直な所である。

「えっと、確か七〇億超えてるとか。七二億とかだったかな……?」

 うろ覚えと当てずっぽうのコンボ。

「割合で言えば、大きくハズレてはいないですね。七三億を超えて、まだまだ増加傾向です」

 あ、そうだったのね。神様の言葉に、ちょっと間違った気恥ずかしさを覚える。

「控えめにいて、増え過ぎでして」

 ああ、増え過ぎと言われれば何だか解る気がする。

 しかし、ハッキリと肯定や否定が出来るほど、地球環境や人口問題を真面目に考えたことはない。

 日々の暮らしに呑まれて、自分のことで手一杯だったのである。

「まあ、地球上で輪廻のサイクルを回すにしても、魂の絶対量が増えてしまっているのが現状でして。人間くらいの魂の力は、分解して他の動植物に転生させても多すぎるんです」

 恐る恐る神様と視線を合わせていたが、今度は先程とは別の理由で視線を外す。上方に。

 魂の絶対量とか、解らなすぎて想像が抽象的になりすぎる。

 例えば自分の魂を分解・リサイクルするとして、犬なら何匹分になるのか。猫なら数は変わるのか。雑草だったら、どれくらいの面積を覆えるのか。

 基準が解らなから、想像も適切とは程遠くなる。

「と、まあ。そう云う理由でして、その」

 神様が、何やら言い難そうに、言葉を選ぶように僅かに歯切れが悪くなる。

「余っているのなら、不足している世界の中から、求める声があればそちらにお送りしようかと」

 選んだ挙げ句が、余っているという表現だったわけで。多分、気の回し方が一回転したのであろう。

「それが、さっきの……ヘッドハント、と?」

 恐る恐る、口を開く。

「ええ、そう言う事です」

 伝わった事が嬉しいのか、神様は一層笑顔を深める。笑顔を深める、と言う表現が有るかどうかは良く判らないが。

「あの、それ、どっちかって言うと……輸出じゃないですかね?」

 恐る恐る恐る、思った事をそのまま口にしてみる。

 神様はニコニコと笑顔を絶やさぬままに。

「あんまり気分を害するような表現は、避けようと思ったんですがねぇ」

 あっはっは、と明るく笑う神様。肯定である。

「輸出、うん、しっくり来ますね。そうですね、基本的に自由に生活して、どういう形であれ向こうの世界で生を全うして欲しいのですよ」

 形の良い顎を指で撫でながら、気に入ったかのようにうんうんと幾度か頷く。

「君や他の、地球から輸出される魂は、地球とは逆の方向でバランスが崩れてる、或いは崩れかけている世界に送られるんです」

 すう、と。神様と視線が合わさる。

「逆方向、ですか」

 先程の神様の問い、バランスの崩れた地球。

 それは、ヒトが増えすぎたから。その、逆方向と言うことは。

「うん。まあ、想像出来てると思うし、向こうに行くならすぐに実感出来ると思うからお楽しみにしておくとして」

 にこやかに、清々しい笑顔で。多分、そこそこ説明が必要な部分を省いてみせる。

 神様と言うのは、どれほど線が細く見えようとも、なるほど豪胆である。

「はあ、まあ、輸出でも出荷でも良いですけど、その」

 あまりにも朗らかな神様の笑顔に毒気を抜かれる、と言う感覚を味わいながら、気になる事を確認しようと決める。

 それはつまり。

「条件とか、詳細を詰めたいんですが」

 ヘッドハントを受ける、と言えば格好も付くのだろうが、ここまでの会話では輸出される地球産の作物感は拭えない。

 むしろ、だからこそ素直にその選択肢を選べた。下手にヘッドハントという話のままなら、思いつけたか判らない。

 聖人でもない以上、消滅すると言われてハイそうですかとは言い難いのだが、どうせ出荷されるならそれなりにいいパッケージングを望みたいものだ。

 基本地球に戻る事は無いのだろうが、求められているのは今までの自分が成し遂げたナニカではなく、この魂そのもの。

 どういう形であれ生を全うしろ。それは乱暴に解釈するなら、自由に生きて、そして死ねと言うこと。

 死した魂は世界に還る。還った魂は輪廻のサイクルに乗り、世界を巡る。

 其処まで考えて、何となく鷹揚に考えつつ有った脳髄が急に冷える。

 輪廻のサイクルに乗って世界に還ると言うことは、世界に存在する命として世界に帰ると言うこと。

 それならば、この地球のように増加するか、悪くとも現状を維持出来るのでは無いだろうか?

 だが。先程、神様は地球とは逆のベクトルでバランスを崩した、と言った。

 単純に考えて、魂が増えすぎた地球の逆、つまり減った、或いは減りすぎた世界という事か。

 減る、と言うのはどういう事だろう。

 地球がなんでバランスが崩壊するほど増えたのかも良く解らないが、バランスを崩すほど減るというのも良く判らない。

 命が巡り、命に還る。バランス。ヒトがそのままヒトに生まれ変わるその確率は不明だが、0%と言うことは無いだろう。

 ヒトの魂が動植物に還るなら、逆もまた。

 そのバランスが崩れたと言うなら、その理由は何だろうか。

「そうですね、君の要望も有るでしょうし、向こうの要望も有りますので、その辺りの擦り合せとか、色々有りますからね」

 思考の沼に沈みかけた処で、神様の声に掬い上げられる。

 そうだ、自分から振ったと言うのに、うっかり考え込んでしまった。

「あ、はい、すみません。では、お願いします」

 そうして、神様との「面談」が始まり、各条件を突き合わせつつ、気持ちの整理も進めていく。

 自らが赴く、新しい世界へと。

 

 

 

 空の色が目に染み渡る。

 緑とか紫とか、奇抜な空の色だったらどうしようかとも思ったが、どうやらその様などうでも良い心配は無用だったようだ。

 さて、まずはどうしようかと思案しているその耳に、何やらガチャガチャと金属同士が軽くぶつかり合う音が聞こえてくる。

 目を向けると、何やら武装した人間が3人、此方に小走りに向かってくるようだ。

 警備の兵か、あのでかい門の門番だろう。結構派手な音がした筈だから、当然といえば当然だろう。

 問題は、状況からしてどう考えても自分は厄介者である事と、異世界への「輸出」が転生ではなく転送、ほぼ元のままの身体で有ろう事だった。

 好きに生きろと言われても、40手前のオッサンの肉体ではそうそう無理も出来ない。

 そもそも鍛えていた訳でもないのだ。思わず頭を掻く。

「そこの! 何があった!」

 駆けてくる兵士の一人が声を掛けてくる。不審者扱いと言うよりも、何か心配されているような響き。

 呆けながらそんな事を考えている間に、3人の兵士が目の前に並ぶ。座り込んでいるのも相まって、一人ひとりがかなりの長身に見える。

「大丈夫か、この有様、それに凄い音だったぞ?」

 濃い茶色の髪で無精髭の若い兵士が心配げな面差しで問い掛ける。

 革製のチュニックとズボン、それに金属製のブレストプレートとガントレット、そしてグリーブ。

 武装は槍を持ち、腰にはロングソード。動きやすさを重視しているように見えるが、あくまでも素人目線での感想である。

 そして、相手が何を言っているのか解ることに感動を覚える。

 神様、ちゃんと仕事してくれた様だ。ありがたい限りである。

「あ、すみません」

 と、答えては見たものの、はて何と言ったものか。

 改めて周囲を見回すと、なるほど酷い有様である。

 抉れた地面の底に腰掛けているのは解るのだが、原因は……自分なのだろうなあ、とぼんやりと考える。

 何かをしたのではなく、された――文字通り落とされた結果なのだが、よくもまあ死なずに済んだものだ。

 痛みは無いから骨折などは無いようだが、多分神様が保護でもしてくれたのだろう。地面がこの様な有様に成る程の高度から落とされたのだろう。普通に考えれば、肉塊の完成である。

 保護してまで落とすくらいなら、最初から地上に転送してくれた方が楽だろうに……。

「あー、と。その、なんと言うか……落とされまして、はい」

 立ち上がり、そして何を言うべきか考えた末、そのまま言うことにした。信じてもらえるかは別の話である。

「落と……?」

 言われた方は穿たれたクレーターを見渡し、空を見上げ、クレーターの底から此方に歩いてくる姿を見やってから。

 仲間と顔を見合わせる。

「え? 落とされたって、お前」

 鉄灰色の髪の青年が、呆れたように声を絞り出す。

「……何処から?」

 濃い青の髪の青年が言葉を継ぐ。

 というか、青い髪て。

 染めているのだろうか? いや、それよりも。

 3人ともヘルメットを被っていないようだが、良いのだろうか?

 自分としては無害な存在である自覚が多分にあるが、もしも敵襲だったりしたらどうするつもりだろうか。

「いや、何と言いますか……。別の世界からです」

 そんな事を考えつつ、取り敢えず素直に答える。

 答えはするが、信じてもらえる訳など無いだろう。

 自分だったら信じない。立場によってはしょっ引くだろう。その程度には不審者としての自信がある。

「別の……ってお前……」

 茶髪の兵士が呆れたような声で呟く。

 それはそうだろう。怒鳴らないだけ良い人だと思う。

「まあ、アレだ。ちょっと詳しく説明して欲しいから、来て貰えるか?」

 呆れてはいるが、見逃してはくれないらしい。

 別世界からの落下と言うのは信じられなくても、何かの実験的なものだったり、敵国の何らかの作戦であったりする可能性も考慮すれば、何の尋問も無くサヨウナラとは行かないのである。

「はあ、それはまあしょうがないっすね。と言うか、俺も色々整理したいトコですし」

 まず、ここは何処なのか、地域名を聞いても判らない事は自信を持って断言出来るが、最低限地図は見せて欲しい。

 聞かれる事に関しては、信じてもらえるかは兎も角、素直に話す事とする。

 信じて貰えない上で、その上で最悪……裁判的なナニカに遭遇するなら、その時はその時だ。

 神様に(無理を言って)頂いた「能力」で、速やかに脱出することにしよう。

 状況的に、最悪は無いんじゃないかな? そんな事を無責任に考えながら、さり気なく周囲の風景を眺めつつも。

 3人の兵士に囲まれて、素直に歩くのだった。

 

 結果から言えば、詰め所に居た数人に無駄に悩ませる問題は有ったものの、彼はほぼ問題なく放免となった。

 後付のようで格好悪いが、実の処、楽観出来るだけの理由は持っていたのだ。

 まず、門番役が軽装だったこと。

 門番は駆けつけた3人も含めて、計5人だったのだが、全員がノーヘルであった。

 ヘルメットは門の脇に5つ並んでいたので装備として在るのだが、常時付ける必要が無いという事なのだろう。

 油断出来るほど、普段何も無いのだろう。

 それ以外の装備も、見る限り軽装と言って良いレベルに見える。金属製では在るが、全身を覆うフルプレートの様な威圧的な防御力を見せつけてくる事もない。

 言い方は悪いが、それで事足りる、そう云う防具なのだろう。

 あのガントレットやグリーブは、殴られたり蹴られたりしたら痛そうだとは思うが。

 精々が野獣程度のモノなら、その装備に盾と槍で対処出来そうだ。

 それは、トラブルがそれ程多くは無いという事に通じていそうだ。

 物々しい城壁? に堀が有り、跳ね橋を掛けて正門がどっしりと構える物々しい雰囲気から軍事的な拠点であろうと思えるが、それにしては門番の装備が「軽い」気がするのだ。

 軍事的なトラブルが続く様な要衝で在れば、もっと物々しいのではないか?

 素人考えは危険だが、何となくそう思ってしまったのだ。

 門の入口で何かしら尋問なり、身体検査なりが有るのかと思えば、何やら水晶玉らしきモノに手を翳せと言われた。

 卜占の類かと思って気軽に手を翳せば、不思議な事に水晶玉が青く光を放ったのだ。

 聞けば、なんと犯罪歴を見ていたという。

「犯罪? え?」

 思わず間の抜けた声になったのは仕方ないと思う。

「そりゃあ、犯罪者を理由もなく入れる訳には行かないからな。確認くらいするさ」

 茶髪の兵士が苦笑しながら応える。が、違う。そうじゃない。

「いや、そうでなく。犯罪を確認するのに、コレでわかるの?」

 水晶玉に手を翳す事で、なんで犯罪歴が判るのか。

「うん? 当たり前の……お前、コレ見た事無いのか?」

 何を言ってるんだ、とでも言いたげに口を開きかけた鉄灰色の兵士が、はたと言葉を止め、そして訝し気に問い掛ける。

「無いよ? 少なくとも、俺が居たトコでは、指紋採ったりとかで犯罪歴の有無の確認をしてたけど、知ってる限り非接触式の確認システムは無かった筈だ」

 問われたので素直に答えると、今度は不思議そうな顔をされる側になる。

「指紋? 指先のコレの事か? コレで何が判るんだ?」

「ああ、えっと」

 素直に答えるというのはこういう面倒が有るという事なのだなあ。

 しかし、ここまで話して変に誤魔化すのも不信感を招くだけだ。

 細かい説明が出来るほど詳しくは無いが、判る範囲で説明を試み、当たり前のようにしどろもどろになったり。

 なんとか「この世界のやり方とは違う」ということだけは理解して貰えたらしい。

 5人の兵士がふうむ、と顔を見合わせ、手に負えないと判断したようで、取り調べは彼らの詰め所で詳しく行われる事になったのだ。

 

「ふう……ん。話の内容は兎も角、犯罪歴は無いんだな?」

「はい、反応は青でした。問題有りません」

 犯罪歴が在れば水晶玉は赤く、なければ青く光る。赤い場合でも、光の強さで犯罪の重さが判るとか。

 で、それはどう判断するかと聞けば、犯罪を犯せば魂に刻まれるのだ、と言う。

 神様からもらった「能力」が無ければ理解出来なかったと思うが、理解できる事と信用できる事とは別なのだな、と、ぼんやりと考えた。

 魂に刻まれた情報にアクセスするにしては随分簡単なやり方である。システムを理解できれば、いくらでも偽装出来そうな気がするが、それは素直に口にするのは辞めておこうと口を閉ざす。

「なるほど、では、話を聞かせて貰えるかな?」

 詰め所でテーブル挟み、向かい合う初老の男性が真っ直ぐに見つめてくる。

「ああ、言い忘れていた。私の名はヴェスタと言う。この街の警備責任者だ」

「あ、ご丁寧にどうも。俺は……」

 名乗りを受けて、返礼で名乗ろうとした時、違和感が自分の中に渦巻くのを感じた。

 名前を思い出せない。

 名前……地球で38年生きていた記憶は有る。生活の記憶があり、仕事も、趣味の自転車の事も覚えている。

 だと言うのに。

「……俺は、俺の名前は……」

 どうでも良いことも、付き合いはしたものの結局別れた彼女の事も。幼い日の母との思い出も。

 思い出せるのに、自分の名前だけが。欠落したように。

「わからない……」

 最初に対応した3人の兵士がそれぞれ顔を見合わせる。

 さっきまで、突拍子もないことも含めて飄々と、淡々と受け答えしていた眼の前の「少年」が、混乱したように両手で頭を抱え、絞り出すように声を押し出す。

「落ち着きなさい、それでは、判る範囲で、君の事を教えてくれないだろうか? ゆっくりでいい」

 ヴェスタと名乗った警備兵長は宥めるように、優しい声で。しかし言葉通り急かす事もなく、ぽつりぽつりと思い出し紡ぎ出す言葉を待ってくれている。

 心を落ち着けるよう努めながら、最初に決めた様に、必要な事に関しては素直に答えるべく。

 記憶の海に意識を沈めて行った。

 

 綴られていく言葉は、直近の物から遡るように並ぶ記憶をある程度潜った辺りから。

 具体的には20代辺りからの物を、素直にでは有りつつも不要そうなものは主観に沿って排除し、素朴な言葉で、淡々と並べる。

 それを、警備兵長は静かに頷きながら、その隣では若い金髪の兵士が調書――だと思う――を書き留めている。

 語り終え、兵士がペンを置いた時、詰め所内はなんとも言えない沈黙が数秒支配した。

「なるほど……戦争の危険の少ない地域で生まれ育ち、しかし事故で死亡した、という事なのだね?」

 目の前の「少年」の語る内容のうち、彼も経験していない戦争の内容を語る部分があった。

 10万人単位で兵民問わず被害を受け、焦土と化した都市群を立て直したと言う歴史。

 被害規模も「こちら」の戦争ではそうそう出る数字では無く、信じ難い内容では有るが、その後の発展も信じられる話ではない。

 「少年」が生活したという都市、トーキョーとやらは天を衝く摩天楼が林立し、国内では目立った大きな争いも無く、多くの国民が寿命を全うして死んで行くのだという。

 その平均寿命は凡そ80歳と。信じ難い高齢だ。

 いや、匹敵する高齢の者は此方にも居るが、多くはない。平均寿命で言えば幾つになるのだろうか。50もあれば良い方だろう。

 それはともかく。兵士長の前で語った彼は、死を経験しているが、それは寿命ではないという。

「事故死、と言ったか……」

 平和になった筈の世界での、突然降り掛かった死。

 戦禍ではなく、それは事故であったと言う。

「そうです。自動車……あー、動力を組み込んだ、自走式の乗り物って、こ……あります?」

 ここに、と言う単語を言いかけて、意図的に排除する。ここまでの短い道中、舗装されている箇所はなかった。

 道そのものは整えられているが、舗装を必要とはしていないのだろう。

 例えば馬車などは有るにしても、その往来数も多くないと言うことだろう。

「先程言っていた、馬が引かない荷車だったか? その様な魔術は、行使できるものは居るかも知れないが……見たことはないな」

 信じ難い、という顔で腕を組む兵士長。

 見た事の無い物をそのまま想像するなど不可能だ。恐らく馬車からそのまま馬を消して想像したのだろう。

 そりゃあ無茶である。しかし。

「まあ、そいつが俺の住んでいた国では普通に走り回ってたんだ。その中の、タク……うーん、なんと言うかな。主に個人向けの乗り合い車? が、俺に突っ込んできた」

 再び、静まり返る室内。

「俄には信じ難いが……だが、それならば納得も出来る。馬2頭3頭分の力で跳ね飛ばされれば死にもしよう」

 うんうん、兵士長の言葉に頷いていた兵士達は次の言葉で凍りつく。

「いや? 馬で言えば、80頭かな」

 今度こそ、想像が追いつかない意味を彼らは悟る。

「正確に言うなら、最大で馬80頭分の力を持つその鉄の車に轢かれて、そのまま民家の……石造りの壁に挟まれた。激突だね」

 荷馬車ではなく、兵員輸送用の大型の馬車であっても、馬80頭立てなどと馬鹿げたことはしない。

 しかし、馬も無しに走る車とやらは、それほどの力を内包しているという事か。

 馬80頭で引く馬車と、馬もなしに同等の能力を発揮する自動車とやら。

 どちらも見たことがない故に想像も出来ない。その力の程も、実物を見ることが出来ない以上想像が追いつくことはないのだ。

「それは……どれほどの力だったのだ……」

 知りたい、というよりも、正に想像できない、という思いから漏れた言葉。それは、ほぼ全員の思うところだった。

 そして、それが齎す惨劇は、知りたくないのも偽らざる本音であった。

「うーん……衝撃で俺の下半身を引き千切って磨り潰した挙げ句、コンクリ……石造りの壁を崩壊させるほどの衝撃、で伝わるかなあ」

 知りたくなかったのだから、伝えないで欲しかった。

 戦争が一度巻き起これば、戦場には剛勇を振るうものが現れる。上下に二分されている死体は幾度か目にしてきた。

 また、それより身近で、かつ重篤な危機は魔物の襲来だ。

 オーガやミノタウルスなど、巨躯とそれに相応しい怪力を擁する魔物達は、弱い人間など容易く引き裂き、磨り潰す。

「うーん。多分、破城槌の直撃を受けたら、多分似たような死体が出来るんじゃないかな?」

 なまじ戦争経験のある数名、特に攻城戦経験者は顔色を悪くして目をそらす。

 あんな物の直撃? 考えたくもない。

 構造としては、巨大な丸太を吊るし、十数人の兵士でこれを引き、丸太の重さ其の物を威力として城門に叩きつけ破壊する攻城兵器である。

 数度の打ち付けで強固な城門を破壊する破城槌の威力は絶大で、魔法による攻撃隊を抱える大国以外では攻城戦の趨勢を決する楔の一つと成り得るのだ。

 その一撃を、正しい状況で一個人が受けたなら。

 最早、想像出来ないのではなく、想像したくない、と言う気分に陥る。

「なるほど、君が死に、その後、神の温情でこの世界に来た、と言う事なのだね?」

 なので、話題を変える。むしろ、戻す。

「あ、はい。そうです」

 そう言えば大分話が逸れた、そう思いながら返事を返す。

「君は、幾つなのかね?」

 またしても、質問の意味を掴み損ねる。

 幾つ? え、年齢の事か?

 しかし、その聞き方はまるで。

「享年38歳ですね、ええと、ちょっと若返らせて貰ったので、多少は……」

 言葉が止まる。

 そうだ。神様が、サービスと称して若返りをして貰える事になっていたのだ。

 それを思い出した瞬間に、この世界に落とされてから僅かな時間の間に覚えた違和感も思い出す。

 なんだか……妙に。

 妙に背の高い人間が多かった。むしろ、自分の視線の下に来る者が一人も居なかった。

 生前、身長は180センチ有った。

 だから、この世界の人間は皆瀬が高いのだな、と思ったのだが。

 本当にそうなのだろうか?

 自分の身長が変わらないと仮定した場合、嘘発見水晶を覗き込む女性も2メートル近い身長という事になりはしないか?

 男性陣に関しては、全員2メートル超えの巨漢と言う事になる。

 そういう世界が無いとは思わないが、しかし、それにしてはもう一つ気になることが有る。

 主に視界に入ってくる自分の身体の一部……。腕が、妙に細いのだ。

「もしかして……あの、すみません。俺、幾つに見えます?」

 最初に色々と確認するべきだった。

「幾つって……」

 少し自己確認に意識を向けると、ソレに気がつけた。最初に気が付くべきだったのだろう。

「そうだなあ……」

 異世界転生モノの必須……いや、三種の神器のひとつ。

『ステータス、オープン』

 声に出さず「命じる」。

 ソレだけで幾つかのウィンドウが目の前に開く。

 他者に見えているのか、ソレは今はどうでも良い。急いで確認すべきページのみの表示に切り替え、そして注視する。

 基礎ステータス。名前:□□(くうはく) レベル:1

「10歳になったか? って位かな?」

 年齢:12歳

 兵士の呟きと表示される年齢が近似値を取る。

 つまり、見た目は子供、年齢も子供という事だ。

 なんてコトだ神様。

「本当に38歳だったの……か?」

 兵士長の声が聞こえる。

 気の抜けた目が声を発した主に向く。

「転生じゃなくて……輸出だって言うから……」

 やばい。何だか理由は判らないが泣けてきた。

「じゃあせめて見た目だけでも若返らせてくれとは言ったよ……」

 兵士長を始め、兵士たちがなんとも言えない顔で押し黙る。そもそも何と声を掛けるべきか解らない。

「なんだ12歳って⁉ 半端だ、転生じゃないから良いってか! これからどう生活すンだよ⁉」

 着の身着のままでの引っ越し同然である。生活の基盤となる物が何もない。

 大人の身体と神様から貰った能力でなら、冒険者の真似事なりして生きていけるだろうとぼんやり考えていた。

 それが、急に不安へと変わったのだ。

「お、落ち着け少年。まずは……」

 兵士長が立ち上がり、テーブルを回って少年へと歩み寄る。

「この少年の発言に嘘偽りは無いんだな?」

 少年の肩に手を置きながら、女性の方へ声を掛ける。

「はい。名前を思い出せない部分も含めて、嘘は有りません」

 そうだ、名前。その事に意識を向けた時、不意に心が落ち着くのを感じる。

 本来ならばより一層の不安に突き落とされる事実のはずだが、名前が無いということで気がついたのだ。

 思い至ったとも言える。

 そもそも、輸出するべき肉体は元々無い。あの事故で、完膚無きまで破壊されているのだ。

 ならば、転生すれば話は早いのだろうが、神様はそうではなくわざわざ身体を用意してくれたのだろう。

 此方が肉体を求めての事では有るのだが、無いものを作るところから始めてくれたのだろう。

 新しい身体に古い魂、齟齬が出るのはどうしようもない。

 だからこそ、だろうか。魂が馴染みやすいように、新しい身体と新しい世界に馴染みやすいように。

 相応しく、新たな名を刻め、そういう事なのだろう。

 好意的に受け止め過ぎている自覚は有る。だが。

 そう思っていた方が、いくらか気が軽くなるという物だ。

「なるほど。では、取り調べは以上としよう」

 兵士長の声が、拘束の終わりを告げる。

 そして、いよいよ考えなければならない。

 12歳、この身で。この新しい世界を生きる、そのことを。

 その前に。

「それでは、まずは……いや、その前にひとつ決めようか」

 考えた所で、兵士長の声が全員の動きを止める。

 顔を上げると、笑顔の兵士長が此方を見下ろしている。自然、目が合う。

「名前を決めようか」

 同じ事を考えていたのだろうか? 無論、思考の筋道は違うに違いない。

 しかし、取り敢えず。

「名前が無いと、色々と不便ですからね」

 少年も笑顔で応える。

 どうせ見も知らない世界、どう有ったって不安しか無いのだ。

 そこで生きる新しい名前を決めてから動いても、遅くはないのだ。

 

 会議は停滞する。

 今ひとつピンと来る名前が無いのだ。由々しき問題である。

「まだ俺、結婚もしてないのに……子供の名前考えるとか……」

 若い兵士が複雑な顔でため息をつく。

 申し訳ないと思うが、本人はもっと複雑である。

 自分がこれから生きていく名前を考えるとか、そんな事を経験する事になるとは思わなかったのである。

 こんなことなら前の名前が使えたほうが良かった。

 先程神様に感謝したことを棚に上げてボヤきたくなる。

 しかし、思い出せない以上どうしようもない。せめて元の、日本風の名前を名乗るか。

 それとも、この世界に合わせた名前をつけたほうが良いのか。

 ふと、思いついてステータスを開く。一度開いたからか、意識しただけで確認できるようになっていた。

 ステータスの数値はこの際置いて、なにか閃きの切欠になりそうな物はないかと眺める。

『メニュー?』

 見かけた項目に、思わずつぶやきを漏らしそうになる。

 なんとか声を心中に押し留め、メニューを開いてみる。

『何々……? 設定? 必要なのかコレ?』

 並ぶ項目。表示設定、詳細設定、カスタマイズ、その他。

 まるでゲームである。まずは表示設定とやらを開く。

『表示ってなんだよ……身体が見えなくなるとか、見た目が変わるのか?』

 そんな事を考えながら適当に目を走らせる。

 ステータスの他者への可視化:OFF

『見せれんのかよ……』

 何時使うのか解らない項目だが、使わないことも無い予感がする。心に留めおく事にする。

 他者の名前・簡易情報の頭上表示:OFF

 少し考える。コレは、平時に使っては単なるプライバシーの侵害ではなかろうか?

 思いながら、おもむろにONにする。

 プライバシーの侵害と知りながら迷わずのON。結構なゲスっぷりであるが、口にしなければ良かろうと勝手に決める。

 そして広がる違和感しか無い光景。

「シュール過ぎるだろう……」

 内心とは裏腹に、感想は素直に口から出る。それ程に異様であった。

 聞いていない筈の人物の名前とその職業、そしてレベルらしき「LV」と言う表記とそれに続く数字。

 見なかった事にして、そっとOFFに。

「ん? どうかしたのかね?」

「いえ、変な名前しか思いつかないもので」

 兵士長が訝しげに問い掛ける声に、迷いのない嘘で応える。

 素直に「みんなの名前と職業とレベルを眺めてました」と答える事が出来ない以上、誤魔化しは仕方ないのだが。

 自分の事とは言え、迷いなく嘘が出た事にため息が出る思いだ。

「ゲイル、とかはどうでしょう? この世界の荒波に漕ぎ出す、という意味で」

 嘘発見器を操作していた女性……ステラ・カーデイルさんだという名前であることは最初に確認した……が、思いついた! という顔で両手を打ち合わせる。

 ゲイル? 知っている意味だと、強風とかだった様な気がする。

 漕ぎ出す? ああ、帆に風を受けて的な?

「良い名だと思うが、その意味で付けるとすると……常に強風に晒されそうだな。追い風なら良いかもしれないが、向かい風は避けさせたい所だな」

 兵士長が肯定しつつも、懸念を述べる。

 正直、それは杞憂とか甘やかしとか称される領域の心配だと思います、そう思いながらも特に何も言わない。

 ステラ嬢には申し訳ないが、正直ピンとこないので、出来れば流したいのである。

「コテツ、と言うのはどうだろうか」

 意外な響きが、茶髪の兵士カイルの口から飛び出す。

 え? なにそれ日本語? 虎徹? 良く斬れそうだネ。

「コテツ? 聞かん響きだな……」

 兵士長が腕組みして考え込む。

「コテツ……なんで思いついたんです?」

 嫌いな響きではないが、気になる事が別にできたのでまずは素直に質問をぶつけてみる。

「ん? ああ、そう名乗る冒険者がいてな?」

 事も無げなカイル氏の言葉で、気になることがひとつ、確認出来たことがひとつ。

 確認できたのは、冒険者という職業? が有ること。

 気になることは。

「名乗る、って、会った事が有るの?」

 少し口調が砕けたが、気にしない。

 名乗る、と言った。名乗った、ではない。

 それ程古い邂逅では無かったと言う事と……何となく想像する。

 古い記憶でないのなら、少し「コテツ」と言う冒険者の情報が手に入るかもしれない。

「ああ、少し前にここに滞在していた女冒険者だ。職業は剣士、珍しかったからよく覚えているよ」

 何処か誇らしげに語るカイル氏。

 何故かジト目のステラ嬢。

「私も覚えています。小柄で、ブロードソードの方が大きく見えるくらいなのに、いつも朗らかな笑顔の」

 聞けば、良い思い出のようだ。

 なのに、何故だろう。ステラ女史のカイル氏を眺める瞳が冷たい。

「カイルさんが一生懸命口説いてた」

 なるほど、コレはあれか。犬も喰わぬヤツか。

「あー、そう言えばあの子か。カイル、お前結局フられてたな」

 青髪の兵士、リヒトくんがしみじみと落ちを付ける。

 途端にぎゃあぎゃあと言い合うカイル氏とリヒトくん。仲が良さそうで結構なことである。

「あの、思い出話し中すみません、確認なんですが」

 結構なことであるが、だからといって話を途中に和気藹々と掴み合いなどされても困る。

 兵士長もヤレヤレと、右手で顔を覆う。

「あ、ああ、なんだい?」

 部下のどうでも良いじゃれ合いの仲裁など面倒になったのだろう、少年の方に顔を向ける。

「いえ、その、コテツさんなんですが。もしかしてその人も、異世界から来た人なのでは?」

 その兵士長に、単刀直入に尋ねる。

 これはその響きを耳にした時に思いついただけの、謂わばそれだけの事である。

「ふむ……何故、そう思ったのかね?」

 兵士長と少年は時間差を持って、おや、と思った。

「単なる『音』からの思いつきですよ。なにせ」

 少年は、兵士長の反応に、もしかしてと初めて思いながら。

「虎徹と言うのは、俺の生まれた国では名刀の銘として知られて居るのです」

 少年が告げると、室内の喧騒がピタリと収まる。

 もしかして、これは当たりかな、と思う。

「いや……そんな話は聞かなかったが……」

 そう答えながらも、カイルは考え込むように口元に右の拳を当てる。

「あれ? 俺みたいな、こういう取り調べは無かったんですか?」

「ああ、彼女はギルドカードを持っていたからな。それに入り口での犯罪歴の有無で、特に問題なければそのまま街に入れるからな」

 ああ、そうか、異世界モノでよく聞く、ギルドカードが身分証と言うアレか。

 しかし、言う割には何か引っかかりが有るような表情だ。

「……だが。彼女がそうだと判らないだけで、実のところ異界人は昔から記録に残っているんだ」

 断定出来ない事が有る、それが引っかかりとなっている。

 それだけだろうか? コテツという女性を口説いていたカイルは、当然幾度か言葉を交わしているのだろう。

 だからこそ。言葉を重ねてきたからこそ、違和感に気づいていたのだろう。

 言葉の端々に、会話の隅に。聞き慣れない単語が、地名が、習慣が見え隠れしていたのでは無いだろうか。

「いつか、聞かせて貰って良い内容なら、教えて下さい」

 しかし、今それを掘り起こしても、「もしかして」を深める材料にしかならない。

 日本と同じ様な文化を持つ地域が無いと断言することも出来ない。

 だから、この際この話は「一旦置く」事にしよう。

 カイルは何処か釈然としないながらも、少し安堵したように腕組みを解く。

「そっか、分かった」

 知りたいことは色々有る。だが、問題はもっとある。

 取り急ぎ、この世界で生きていく為の基盤を作らなくてはいけない。

 否、取り繕いは辞めよう。

 

 冒険者とかナニソレ超興味ある!

 

 登録したい、その為には名前が必須だ。

「名前、前の世界に因んでも良いんですかね?」

 コテツと名乗る女性がいたと言うことも分かっているから、問題は無いと思われる。

「名前だと思える響きなら良いんじゃないか? ただ、一応相談はしてくれ。不敬だったり過激すぎる意味があったりすると不味い」

 兵士長の言葉に、なるほどそれもそうかと考えた所で、ようやく気が付く。

 俺、何語で喋ってるんだ?

 間の抜けた話しである。意思の疎通が出来ることが普通に提示されたので、そもそもソレが可能かどうか案ずる余裕も無かったのだが、思えば最初に考えるべき事であった気がする。

 そっとステータスを眺め、メニュー項目を眺める。さっき開いた時に、確かあった筈だ。

 果たして、それは有った。

 言語設定。

 自他翻訳設定:AUTO

 文字翻訳設定:ON

 文字学習アシスト:ON

 翻訳設定をいじると、自→他、他→自、OFF、AUTOと切り替わる。

 これはAUTO意外の選択肢を使用する機会はなかなか無いだろう。

 自→他とOFFに切り替えた時に周囲の声が理解出来なくなったので、それぞれ自分の言葉が相手に伝わるだけ、そして翻訳が完全に無いという事だろう。

 ちなみに、いきなり言語が通じなくなっただけで疎外感が凄まじく、こんなに心細いのかと思ったものである。

 翻訳が出来た所で、この世界の禁則文字列がよく判らない。多分、言えばちゃんと翻訳されてくれるのだろうが、わざわざ試すつもりもない。

「なるほど」

 そう答えながら、今度は自分が腕組みする。

 もうこの際、適当な名前で良いかな。

 そんな気さえする。面倒になってきたようだ。頭の中で、日本で聞き慣れた有りふれた名字たちを脳内に列挙する。

 しかし、どうもピンとこない。

 もうこの際……と考えの範囲を広げる。

 そして。

「決めた。けど、これが名前として問題ないか確認して欲しい」

 腕組みを解く。

 室内の全員が、少年に視線を集中させる。

「ふむ。どんな名だね?」

 代表して、兵士長、ヴェスタが尋ねる。

 そう言えば、ちゃんと名前を名乗ってくれたのはヴェスタのみである。うっかり他の人の名前を呼んで気味悪がられないように気をつけよう。

 尋ねられ、勿体振る事もなく、まっすぐに目を見て答える。

 

「オリヤ。中須藤織弥。えっと」

 

 瞬間、メニューの表示切り替えで、他者表示:フルネームを表示、すぐに名前のみ表示を行い確認を行う。

 名前の表記で、どちらがファミリーネームか確認したのだ。それによって名乗りも変える必要があると考えたのだ。

「此方での言い方だと、オリヤ・ナカスドウ。元の国の名付けに因んだ名前です」

 名付けの元は曖昧にぼかす。日本で好きだったギャグ漫画のとあるキャラクターが元ネタで有るのだが、言っても解らないだろうし恥ずかしさも多少は有るので言わない。

 対して、聞かされた面々はそれぞれ、考え込むようにしばし黙考する。

「オリヤ、か……いや、ナカスドウと呼べば良いのか?」

 カイルが最初に口を開く。

「ええと、ファミリーネームは適当ですし、呼びやすい方で良いですよ?」

 そう言えば、日本と違う文化の世界で、適当にファミリーネームを名乗ってよかったのだろうか?

 最初から言っていればまた違ったのかもしれないが、今回は「みんな」の前で考えた名前である。

 ……まずかったら言われるだろう、そうしたら名前だけ名乗れば良いのだ。

 そう開き直ることにする。

「そうか、じゃあオリヤの方が言い易いな」

 何処か楽しげに、カイルが言う。

「特に問題のある名前とは、私には思えんな。良いのではないかな?」

 ヴェスタ兵士長が顎に手を当てて呟く。

「愛称はオリィかしら」

 ステラ嬢が真面目くさって口を開く。

 あと一文字だから、そこは頑張って欲しい所である。

 他の面々も、特に問題を感じては居ないらしい。

 良し、ならばそれでいい。

 ステータスを開き、名前を編集しようとして、気づく。

 名前が、□□(くうはく)から中須藤織弥(オリヤ・ナカスドウ)に変わっている。

 自動編集? 名乗った時に、記載が変更されたようだ。

 ステータスの変更に含まれるのだろうか。中々に優秀である。

「それじゃあ名前も決まった事ですし」

 ぱん、と手を打ち合わせる。善は急げというやつである。

「冒険者ギルドに登録したいんですが!」

 きっと、今自分の笑顔は輝いているだろう。

 そう自覚するが、逸る気持ちは抑えられない。

 冒険者。良い響きである。

 世界を見て、感じて歩く。憧れの生活である。

 だがしかし。そう甘くはないと、早速現実が牙をむく。

「いや待て待て、落ち着けオリヤ」

 急かす気持ちのまま、今にも飛び出そうとするオリヤ少年を、慌ててヴェスタが止める。

「冒険者になりたいのか、オリヤは」

 ヴェスタの問に、首をガクガクと上下させる。

 生前は38歳だったのだが、この小1時間で見た目相応の精神年齢になったような。

 元から、とは可愛そうなので言わない事にする。

「そうか、だがな、オリヤ」

 難しそうに考え込むヴェスタに、オリヤは不思議そうな視線を向ける。

 何だと言うのだろうか? 冒険は楽なものじゃない、とかそう言う話だろうか?

 そう身構えるオリヤに突きつけられるのは、もっと非常な現実だった。

「冒険者の登録は、成人してから……15歳になってからだ。それまでは、登録できない」

 ヴェスタの言葉に、オリヤは言葉もなく。

 ただ、呆然と見上げるだけだった。

 

 結局現実に打ちのめされた形だが、登録して貰えないのはどうしようもない。

 駄々を捏ねて事が成るなら、いくらでも捏ねるのだが、残念ながら無駄である。

 納得させるためかカイルの案内で冒険者ギルドの受付に行き、話を聞いたのだが。

 規約を曲げることは出来ないと、受付のお姉さんにむしろ謝られたのである。

 ギルドに屯していた冒険者達にも、せめて15になってから来いと背中を叩かれ、乱暴に頭を撫で回される。

 そういう訳で、異世界デビュー即冒険者コースは頓挫し、15歳を待つしか無い身となったのであった。

 

 

 

 要塞かと思っていた場所は、大きな街だった。

 街を囲む壁はかつての戦争の名残を、魔物の侵入を防ぐために補修しつつ利用しているとのことだった。

 人口が増えたらどうするんだろう、そう考えたが、調べると現状でも居住する家屋はむしろ余っている程だという。

 中心街は冒険者ギルドや錬金術ギルド、傭兵ギルド、魔術師アカデミーと行政府を中心として、飲食店や飲み屋、道具屋、武具屋などが立ち並ぶ。

 中心から少し離れて宿が立ち並ぶ格好で、街に住む一般の住人の住居もこの当たりから見え始めるようだ。

 オリヤが初めて足を踏み入れた門扉の正反対方向は、大きな川があり、交易も行われているようだ。

 その川の対岸ははるか彼方で、最初は海かと思った程だ。

 日本で生活していた際には、その様な河川は中々目にしない規模だったので、素直に驚いたものである。

 オリヤはヴェスタの好意で、ヴェスタ家で生活することになった。

 生活しながら家事を手伝い、文字を勉強した。

 日々身体を動かし、剣の扱いを学んだ。

 そうして、知識を蓄え、経験を積み、ヴェスタと家族その家族への感謝の念を日々深めていった。

 週に1度はヴェスタが直々に剣の扱いを教えてくれた。

 トールソン夫人はオリヤに息子のように接し、時に笑い、時に叱り、実の娘と別け隔てなく接して――いや、育ててくれた。

 娘はオリヤと比較的すぐに打ち解け、いつしか兄のように慕ってくれた。

 カイルやリヒト達にも度々会い、話し、時に剣の手解きを受けた。

 最初は冒険者になれないことに不満もあり、焦りにも似た感情に突き動かされがちだったが、まずは力を付けることを目標に定め心を落ち着けた。

 暇さえあれば訪れた冒険者ギルドでは冒険者に囲まれ、時にはおねーさんに囲まれ、今の自分が生前とは見紛うほどに可愛らしい子供な外見であることに感謝した。

 余談であるが、余りにも可愛らしい外見に、12歳にも見えないと話題になったらしい。

 冒険者ギルドの頭髪を全て剃り上げた筋肉の塊に妙に気に入られ、冒険者のイロハを教えてくれた。

 錬金術師ギルドでは錬金術とは何か、必要な道具、知識を教えられ、実践で錬金術を行う事もあった。

 魔術師アカデミーでは流石に魔術を教えられることは無かったが、幾人かの講師や学生が話しを聞かせてくれることは有った。

 傭兵ギルドは最近大きな戦争も無く、魔物もこの地域は大人しめとの事で物々しい雰囲気もなく、ここでも揉みくちゃにされながら可愛がられ、剣に加えて槍の扱いも教わった。

 生前に比べ、実に勤勉に有意義に生きた。教わること全てが、生活する日常が楽しくて仕方がなかった。

 無論、楽しい事ばかりではなかったが、それでも有意義であり、全体で見れば楽しかったのだ。

 そして、3年が過ぎた。15歳。成人の儀は間近だった。

 

 

 

 




区切りどころ、と言うか筆の置きどころが今ひとつわかりません。
長すぎるのかなぁ。


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馬車の乗り降りって意外と大変そう

異世界で15歳になりました、享年38歳です。

色々大変そうですが、冒険にでかけます。


「魔力反応確認しました、これで登録は終了です。オリヤさん、お疲れさまでした」

 受付嬢の声に感動を噛み締める前に、周りが盛り上がる。

「よぉォォォッし! これでお前も今日から仲間だな! オリヤ、お前ウチに来い! 扱き使ってやるぜッ!」

 剃り上げ――ハゲのオリバーが実に嬉しそうにオリヤの背中をバンバン叩き、声を上げる。

「バァカ言ってんじゃないわよ、オリィはウチが引き取るんだから。男手が欲しいけどムサイのはお断りだったから、ちょうど良いのよねぇ」

 かっさらうようにオリヤに飛びつき、腕を絡めて事更に胸を押し付けてくるお姉さま系魔術師のエイミーがオリバーに舌を出す。

 前世のムサいオッサン感溢れる生活では有り得ない状況に、若返った脳も追いつけない。

「オウオウ待ちなァ! オリヤはウチが貰い受けるぜェ!」

 大剣を背負った黒髪の若い男が声を上げると、そこから更に数人が手を挙げ、賑やかしくも楽しそうな口論があちこちで勃発する。

 オリヤは思いもしない展開に開いた口も塞がらないのだが、彼は知らない。

 今までの、3年間の交流でこの街の冒険者・傭兵達の大部分に気に入られていた事を。

 新しい生活が楽しすぎて、人々の助言を素直に聞いていた彼は飲み込みも速く、成長ぶりが楽しくなった周りが更に熱を入れて、と言う循環で、実力を磨きながら、人柄でも周囲の評価を上げていたのだ。

 ただ冒険に憧れて、現役退役問わず冒険者や傭兵、その他魔術師や錬金術師と交流してきた。

 その瞳は純粋な憧れに満ちていて、生前の世知辛い生活で淀んだ目は完全になりを潜めていたのだ。

 その結果が、パーティ勧誘合戦であった。よく見ると、傭兵ギルドの人間もチラホラ見える。

 流石に傭兵ギルドの人間は勧誘こそしてこないが、オリヤの動向は気になる様子だ。

 そんな周囲の喧騒に顔色を青くしながら、オリヤはそっとその場を離れる。

 喧騒に紛れつつ、周囲の祝福に適当に答えながら、オリヤはそそくさとギルドを脱出する。

 そして普段使わない道筋を辿り、なるべく目立たないようにヴェスタ邸へ戻ったのだった。

 

「と、言うわけで。ギルドに行きづらいんだよ、ヴェスタさん……」

 ため息交じりの愚痴が漏れる。

「そういうのも、自業自得と言うんだろうなぁ」

 ヴェスタは目を細め、楽しそうにオリヤを誂う。

 笑い事じゃないよ、とオリヤは更にため息を深める。

「とりあえず、街を出るのは前に話したとおりで。ちゃんと顔を出しに戻るから」

 成人し、冒険者になったらヴェスタ邸を出る。元々そういう心算であったし、きちんとヴェスタとその家族にも話はしている。

 それ程多くもない荷物も纏め終え、明日には此処を出る予定なのだ。

「しかしオリヤ。無理に出て行く事は無いんだぞ?」

 ヴェスタは心配気に、眉根を寄せる。

 正直な処、本当に無理に出ていく必要はない。

 何なら後2年待てば娘も成人を迎える。その際、オリヤを婿に迎え入れ、息子として受け入れる覚悟も有るのだ。

 娘……カテリナもオリヤによく懐いており、我ながらそう悪い案とも思えないのだ。

 実は、妻とも話し合い了承を得ても居る。むしろ妻のほうが乗り気ですらある。

 その妻、テレジアがスープ鍋を両手で抱えながらダイニングにやってくる。すぐ後ろには食器類を収めたバスケットを抱え、カテリナも室内に入ってくる。

「オリヤ兄ちゃん、ご飯できたよ!」

 食器をテーブルに並べ、カテリナがオリヤに駆け寄り、元気よく報告する。

 うん、可愛いなあ、そう思いながらカテリナの頭を撫でる。

「よし、では食事にするか。出立前の最後の晩餐だ。ゆっくり味わおう」

 ヴェスタは思いを口にせず、笑顔でオリヤを促し、向かい合ってソファに掛けていたオリヤを促す。

 オリヤは素直に返事し、カテリナは寂しそうに少し顔を伏せ、それぞれヴェスタに続いてダイニングへ足を向ける。

 

 食事は終始和やかだったが、皆、いつもよりも口数が少なかった。

 オリヤは明日からの冒険を想像しながら。

 そして、ステータスを開いて。

 

 名前 :オリヤ・ナカスドウ

 種族 :ニンゲン

 年齢 :15歳

 LV :38

 クラス:剣士

 ランク:F

 HP :97440

 MP :100765

 生命力:928

 精神力:1023

 知力 :899

 筋力 :1211

 器用 :923

 敏捷性:1017

 運  :52

 

 実は、周りに自分のレベルを話していない。

 どうしても解せないのだ。

 ほぼ街の中で訓練しているだけで、此処までレベルが上がるのはおかしいのではないか、

 ステータスも妙だ。HPとMPの桁がおかしい、と言うかなんでMPが多いのか解らない。

 魔法の訓練は一度もしていないのだからだ。

 じゃあ魔法職向きなのかと思えば、ステータス上は筋力が最も高い。

 ぱっと見、ステータスの数字が妙に高い気がするが、この世界はこういうものかもしれない。

 兎も角、平均的なレベルはどれ程のものだろうか? 自分のレベルは実はすごく低いのでは無いのか。

 そう不安に思った彼は冒険者ギルドに赴き、冒険者達の群れの中で「メニュー・頭上表示:名前・簡易ステータス表示」を行ったのだ。

 先日の話である。

 そしてその日、口を閉ざすことを決意した。

 レベルの高い人も居る。3日間で60レベル台が4名、50レベル台が6名。

 40台は8名、30台が28名。

 その下はそれぞれ数が多く、数えるのを辞めた。

 ざっと累計で100名程しか確認出来ていないが、注目したのは35レベル以上である。

 その人数、8名。

 35レベルを壁として、その上下で圧倒的に人数が異なるのだ。

 勿論、今現在クエストで街を離れているものも多いのは理解している。

 

 だが、それにしても。いかにも、人数比が違いすぎる。

 35レベルを超えるのはそれ程難しいのだろうか、そう考えた時に、それは起きた。

「おお、レベル20になったか!」

 オリバーの声が聞こえ、そちらに目を向ける。

「これでお前も一人前、こっからが本番だな!」

 自分の事の様に嬉しそうに言うオリバーだが、オリヤは密かに衝撃を受ける。

 レベル20で一人前?

 自分を顧みる。この世界に来た時は、当たり前のようにレベル1だった。

 訓練をして、魔術ギルドで色々話を聞かせて貰って、あとは家事を手伝って。あ、妹や同世代の近所の子供と遊んだりもか。

 少なくとも表に出て魔物と戦ったりした経験はひとつもないと言うのに、自分は38レベルである。

 じっと考え込んでいたオリヤは、今まであえて思考から外していた要素……ステータスについても考える。

 おかしいのだ。自分が、圧倒的に。

 どうおかしいのか?

 具体的に言うと、65レベルの上位戦士職の冒険者のステータスが、生命力・筋力500超えだった。

 そして、レベル20になった彼はステータスは概ね2桁台、ものによっては1桁もあるのだ。

 これはどういう事だろうか?

 そして思い出す。神様との「面談」で願った事を。

 

 

 

「ふむ、面白いですね。『創造力』ですか?」

 眼鏡の奥の目を細め、楽しそうに神様は微笑む。

「はい、色々作ったり出来れば、冒険生活も楽しめるかと思いまして」

 神様の前に立つ男は、先に説明された「これから赴く世界」の話を思い出す。

 魔物が跋扈し、人の生活圏が限定的になった世界。

 魔物のせいで魂のバランスが狂った、のだという。

「その能力で、君は何をしたいと思います?」

「世界を旅したいです」

 神様の穏やかな問に、間髪入れず答える。

 したいことは既に定まって居たからだ。

 人が追いやられた、人にとっての黄昏の世界。

「別に、人を助けたり、世界を救うとか、俺個人の力で出来る訳がないことは望みません。ただ」

 少し言葉を止め、考えて、再び口を開く。

「旅して、世界を見て。その中で、目に付く人がもしも困っていたら。助けることが出来る、そんな男になりたいんです。生前は周囲に甘えて、誰の役に立つ事も無かったので」

 自嘲ではなく、後悔。

 素直に生前を見つめ、今も甘えを捨てきれない自分を感じながら。

「なので、その為に。他力本願なのは承知しています」

 まっすぐに、神様を見つめる。

 今自分がしているのは、努力の否定だ。

 神様が望むのはそういう人間ではないのだろう。

 だが、神様の前で自分を偽るのは、何か違うと思った。

「なるほど、うん、良いんじゃないかな」

 思いがけず、神様の返答は肯定だった。

「今から君を送るのはそういう、危険な世界ですからね。相応に力が必要なのは間違いないですし」

 徐に眼鏡を外し、神様は目を閉じる。

「もっと凄い力を願った人も居ますから、そのくらいじゃあ驚きませんよ。そうですね、約束しましょう。『創造力』。思うままにあらゆる物を作り上げる能力。限界は、君の想像力次第です。あ、ちゃんと材料は必要ですから、用意してくださいね?」

 え。今、神様とんでもない事言わなかったか?

 もっとこう、工房的な何かを想像してたんだけど……神様の言い分をそのまま想像すると、それ、某錬金術師じゃないカナ?

 望外にとんでもない能力を貰えた気がする。そんな考えに気を取られていたから、、次の神様の言葉は半分聞き流してしまった。

「ついでに、基本能力も高めにしておきましょう。君のしたい事に、きっと役にたつからね」

 

 

 

 聞き流した筈の神様の言葉が、脳裏にハッキリと浮かび上がる。

「神様……能力高めって……これはハッキリと高すぎます……ありがたいですけど」

 自分の能力値が高すぎる事は、隠さなければならないようだ。

 となれば、暫くこの街で依頼をこなして、と言う目標は修正することになる。

 早々に、この街を離れよう。出来れば此処で依頼をこなして資金をためて、ヴェスタさんと家族に恩返ししてから街を出たかったのだが。

 他所で依頼をこなして、時々顔を出しに戻る様にしよう。

 此処ではなんだか顔が知られて、変にパーティに誘われまくりだが、他所に行けば所詮はFランク冒険者。

 ソロでも「ああ、あいつは仲間が居ないんだな」程度で済む、歯牙無い低ランカーなのだ。

 そう決めたその日に家族に――理由は取り敢えず自分の力試しと世界を見たい、と適当に変えて――相談したのだった。

 

「オリヤ兄ちゃん……ホントに、出ていっちゃうの?」

 食事後の団欒時。カテリナが、思い詰めたように口を開く。

「お? うん、出ていくっていうか、時々顔を出しに戻るからさ」

 オリヤは、カテリナがなんで自分に懐いているのか解らない。

 嬉しくはあるが、いずれ自分は居なくなる人間なのだ。

 分かっていた筈なのに、こうして悲しげに、止められるものなら止めたいと言う態度を取られるとは……考えても居なかったのだ。

「ホント……?」

 泣きそうな顔に困惑し、優しく頭を撫でてやることしか思いつかない。

「ホントだよ、だから、さよならじゃなくて『いってきます』だ」

 困った様な笑顔で、オリヤは言う。それしか出来なかったが、それで幾分空気は和らいだようだ。

 ヴェスタ夫妻も寂しそうではあるが、それでも笑顔で子供二人を見つめている。

「オリヤ。困ったら、すぐに帰って来ていいのですよ?」

「そうだな、本音で言えば、この街の警備隊に入れたい程だからな。職を失う事は無いと安心して、世界を見てくるんだ」

 有り難い話だ。職の話ではない。

 こうして心配してくれる事が、とても有り難く思えたのだ。

 カテリナだけでなく、テレジアもヴェスタも、オリヤを家族として受け入れてくれている。

 生前、ロクに親孝行も出来なかった。

 代わりというとどちらにも申し訳ないが、それでも、きちんと受けた恩を返したいと思ったのだ。

「ありがとう、冒険者生活も長く出来るとも思えないし、もしかしたらお世話になるかも」

 そうはしたくない、思いはするが、すげなく拒否するのは違うと思い、だから思ったままを口にする。

「もしかしたらじゃない、いつか帰って来て、この街を守ってくれ」

 何を言ってるんだお前は、ヴェスタはそう言いたげに口を開く。

 それも有り難い。本当に、そう思う。

 いつか。いつか、本当の意味で恩返しが出来れば。

 そう思い、「家族」の顔を脳裏に焼き付ける。

 いつか帰る家の、そこで待ってくれる人達を。

 

 

 

 早朝。静かに出ようと思ったが、泣くカテリナに抱きつかれ、悲しそうな顔のカテリナに抱きしめられ、ヴェスタには抱擁後、激励に背中を叩かれ。

 オリヤは人影もまばらな冒険者ギルドの、クエストボードの前に立った。

 街を出ることは決めたものの、行き先は決めていない。故に、適当な「お使い」依頼が無いか探しに来たのだ。

 この街を離れる適当な理由になる。その後は別の町を基点としても良いし、旅から旅の生活も良いだろう。

 所詮は気楽な一人旅である。

 クエストボードを眺めて、どうも適当な依頼は無いようだと肩を竦める。

「あら、オリヤくん。随分早い時間だけど、どうしたの?」

 クエストカウンターの受付嬢のお姉さんが、オリヤを見かけてカウンター越しに声を掛けてくる。

 この時間は冒険者も少なく、暇だったのだろう。

「ああ、おはようございます」

 オリヤがまず挨拶を返すと、受付嬢もおはようと笑顔で答え、そしてオリヤの次の言葉で笑顔を引き攣らせた。

「えっと、この街を出ようと思って」

 え? 今なんて?

「なにか適当なお使いクエストでも有ればと思ったんだけど、中々上手くは行かないや」

 昨日冒険者になったばかりで、他の冒険者にもお気に入り扱いの、これからが楽しみな少年が。

 冒険者になった翌日、街を出る?

 冒険者登録翌日に街を出る、その前例は無くはない。

 だが、その大半が悲惨な末路を辿る。

 圧倒的な経験不足で出発する旅は、その目的を遂げることは少ない。

「ままままま待ってオリヤくん待って⁉ あのね、オリヤくんあのね? いきなり街を離れるのはオススメしないよ⁉」

 カウンターから飛び出しそうになりながら、辛うじてそれを自生しつつも受付嬢は声を上げる。

「あのね、危険なの、危険が危ないの、分かる⁉」

 慌てているのだなあ、オリヤは考える。だが、何を慌てているのか今ひとつピンとこない。

「落ち着いて、おねーさん」

 きっと心配してくれて居るんだろうなー、そう思いながら、適当に宥めようと試みる。

「おおお、落ち着くのはオリヤくんなんだよ? あのね」

「だから」

 なお慌てるお姉さんの言葉を遮る。

「落ち着いておねーさん。俺、元々、世界を旅したかったんだ」

 思い掛けない柔らかな口調に、受付嬢は口を閉ざす。

 柔らかいのは表情もだ。気負った様子もなく、危機感もなく。

 考えずとも危険なのだが、しかし、引き止める言葉が出てこない。

「ずっと、ずっとね。だから。ちゃんと……ちゃんと、家族にも伝えているんだ」

 少し言いよどんでから、それでもハッキリとヴェスタ一家を「家族」と言う。

「帰って来れたら顔を出す、そう約束してるよ」

 半分嘘だ。オリヤが「家族」に約束したのは「必ず帰る」と言うこと。

 今言ったのは、生きて帰る事が出来たら、と言う前置きが付くのだ。

 必ずしも、生きて帰れるとは、当の本人が考えてはいない。

「依頼も無いみたいだし、俺、行くよ。じゃあね、お姉さん。今までありがとう、また戻って来たら、よろしくね」

 寂しくも見える笑顔で、オリヤは告げる。

 引き止めるべきだ。確実な危険に向かう若者を、未来ある冒険者を、ここは引き止めるべきだ。

 そう思うのだが、去りゆく背中に掛ける言葉が思い当たらず、受付嬢はただ見送るしか無かった。

 

 

 

 街の東門を抜け、大河に掛かる橋を渡り、広がる大草原を渡る街道を辿りながら、さてどうしたものかと考える。

 太陽は既に真上にあり、そろそろ空腹感を覚える。

 街が見えなくなった辺りから自重(リミッター)を捨てて「走り」続けたが、はてどれくらい来たのか。

 魔物に襲われる事もなく、街道を征くその姿は控えめに言って軽装だった。

 その秘密は、異世界モノの定番、アイテムボックス或いはインベントリ。それを「創造」出来たからだ。

 これを作るために知識が必要かと、錬金術ギルドで講義を受け、魔術師ギルドで外部マスコット的扱いを受けた。

 悪い気もしないし、造ってみたら案外あっさりと出来たのだが。

 ちなみに、完成したインベントリの容量は把握できていない。可能な限り大きく、そう思って造ったのだが、その限界まで何かを詰め込む事をしたことがないのだ。

 時間の流れが停止、或いはそう感じるほど遅いらしいその中には、今は数日掛けて用意した食料や、簡単な着替えなどの旅支度が収納されている。

 また、今は簡単な「家具」しかないが、同様の異空間収納をもう一つ持っている。

 此方は生命体が問題なく過ごせる様な空間と時間の流れを持ち、中に入ることが出来る。むしろ、そのために造った。

 その名も、「シェルター(仮)」、移動拠点である。

 造って見て思ったのだが、この「創造力」という能力はとんでもないモノだった。

 インベントリを含め、凡そ創ろうと思ったものはすんなりと出来た。

 調子に乗って武器も造った。シンプルで中々のお気に入りである。

 

 そんな訳で、彼は今、とても身軽であった。

 なので、調子に乗って走ったのだが、いい加減腹も減る。

 食事でも摂るか、そう思い移動を歩きに変えた。

 お弁当が欲しいかも、そう言ったらエレジアさんとカテリナが張り切って作ってくれた。

 インベントリの効果で日持ちがすると判ると、なんだかより一層張り切っていた。

 その中からチョイス。

 インベントリの中身はリスト化され、そのリストの品目を意識すれば取り出すことが出来る。

 そんな訳で、カテリナが作ってくれたサンドイッチを選択。

 生前、妹なんて居なかった。そもそも、自分が12歳から15歳までの3年間の付き合いである。

 それでも、家族として可愛いと思える程度には親しくなれたと思う。

 今朝、街を出る直前にも、泣きながら見送ってくれた。胸は痛んだが、仕方がない。

 

 仕方がないが、――本当にそうだったのか。

 

 街道沿いの原っぱに適当に腰掛けながら、サンドイッチに齧りつく。

 家族の、ヴェスタ家の食事だ。

 たった数時間で、もう郷愁に駆られている。

 何をしているんだか、そう思い見上げた空は青い。

 この世界に来て、生活して気づいた事が幾つかある。

 自分の事で言えば、失っている事が有る様だ。

 まず、名前を失っている。

 生前の記憶は有るし、鮮明に思い出せる事柄も多いのだが、名前はどう記憶を辿っても思い出せない。

 能力と引き換えに、名前を失ったのだろうか?

 神様には、そんな話はされていないのだが……。それに、名前を思い出せなくなった程度で、この力――「創造力」は強力に過ぎないだろうか?

 思い描き、材料を用意するだけで、概ねなんでも創れる。

 自身のステータスの高さを危惧した時は、「リミッター」すら創造出来た。

 この上、異常なステータス値を考え合わせれば、他に何か失っていてもおかしくないように思える。

 

 余談だが、リミッターの材料は判っていない。能力を抑えるものなので、自分の中の何かが使用され、失われたのだろうか?

 それが知能だったら嫌だなあ、ぼんやりとそんな事を思う。

 誰の目に触れさせたことも無いし、今もインベントリの中に仕舞っているが、武器類も思うままであった。

 構造もよく判らないのに刀剣類は言うに及ばず、弓、拳銃まで。

 

 チートとは良く言った物である。

 いや、良く言ってもチート、と言うべきか。

 

 この能力があるなら、ステータスは普通で良かったのでは無かろうか。武器チートで何でも出来そうな気がする。

 オリヤはぼんやりと、サンドイッチを頬張りながら考える。

 「創造力」で「造った」周辺警戒用の脳内レーダーの反応の無さに、これホントに効いてるのか、単なる脳内妄想なのか悩んでいると。

 レーダーの端に光点が灯る。

 レーダーがカバーするのは、現在20キロメートルに設定している。

 大きめの光点は、良く見ると光点の幾つかがまとまって居るようだ。街道を東から此方に向かって居るようで、その速度から馬車で移動しているようだ。

 馬車は3台、それに恐らく騎乗していると思われる光点が4つ。

 商隊か、移動中の貴族様であろうか。面倒事でなければ良いなー、何処までもぼんやりと、サンドイッチを頬張る。

 追われている様子もなく、光点群は整然と此方に、街道を沿ってくるようだ。

 あくまでも緊張感なく、インベントリ内で武装をチョイスする。

 

 M1911。

 ジョン・ブローニング設計、コルト・ファイアアームズ社の開発による、伝説的軍用自動拳銃。

 1911年の設計でありながらティルトバレル式ショートリコイル機構、サムセーフティだけでなくグリップをきっちり握り込まないと発砲できないグリップセーフティを完備し、革新的な構造を持つ後の拳銃の設計に多大な影響を与えた傑作。

 45ACP弾によるストッピング・パワーを持って一部では「ハンド・キャノン」の異称を持ち、アメリカ陸軍将兵の圧倒的信頼を勝ち得た名銃。

 日本に於いては、「コルト・ガバメント」と言う方が通りが良いだろうか。

 こんな物まで造れる、「創造力」の凄さである。

 生前この銃が特に好きだった……ガスブローバックガンは言うに及ばず、モデルガンも所有し、週に最低でも1度は必ず分解清掃した――撃ってもいないのに――程の愛着が有ってこその創造だろう。

 実銃は撃った事は無いが、情報はネットを漁り、真贋の良く判らないままに知識として蓄えもした。

 そんな銃弾(45ACP)7発込みで1キロ強の鉄の塊をうっとりと眺めてから懐に忍ばせ、徐々に近づく馬車群の動向を見守る。

 

 特に動かず向こうを待つようにしているのは、オリヤなりに理由がある。

 感知されていないなら隠れても良かったのだが、向こうも感知魔法を使用している可能性も有り、変に隠れたりしたら却って面倒なことになり兼ねない。

 堂々と待ち、適当にやり過ごす作戦だ。

 もしも絡まれたら、最悪1911が火を吹くことになるが、さてどうなるか。

 ふと、隠密魔法なり隠密系のアイテムでも用意すればよかったのでは、と思うが今更である。

 何となく「創造」してはおくが、今回は既に遅いので、このまま様子を伺う事にする。

 

 西へ向かう商隊は見た目は小綺麗な馬車3台と、護衛の騎馬兵4人を伴い走る。

 今回の商品は今までの比ではないが、慌てると碌な事はない。

 まずはこの先、大河の街を超えて更に西へ。

 そこでこの商品を捌けば、後は隠居しても残りの人生は左団扇で生活できる。

 それ程の莫大な富が約束された商品。だからこそ、慎重に進まねばならない。

「お頭、街道沿いに人がいるようです」

 向かいに座る男……商隊のお抱えの魔術師が呟く。彼の周囲探知も魔法に反応が有ったのだ。

 彼の周囲探知は並の魔術師の使うそれ――およそ3キロメートル――を超える、およそ5キロメートルをカバーする。

 それすなわち実力の差。

 彼の探知の目から逃れることは敵わないのだ。

 

 へえ、他所の警戒範囲に入るとこんな感じなのね。

 オリヤはやはりのんびりと考える。

 纏わりつくような、非常に薄く引き伸ばされた魔力が肌に張り付くようで、僅かに不快感を覚える。

 距離は4キロという処か。

 隠密しようと思えば出来たな、そう思いがっかりする。

 脳内での表示の拡大率を変更、光点が大きくなる。

 それにより詳しく表示される陣容。

 騎馬の4名、先頭の馬車には5人、2台目は6人、4台目は4人。

 馬車内の光点の分布具合から、大量の商品が有るようでもない。貴族の移動かね。

 何となく、念の為と言うわけでもなく、興味本位で。

 売り物と指定して探知を掛ける。

「……はい?」

 売り物指定探知、それは販売物として認識されている「モノ」を認識する、多分オリジナルの魔法である。

 其処に反応するのは。

 各馬車とそれを引く馬。そして。

 3台目の光点のうち2つ。

「……指定方法失敗したかな?」

 そう呟きながら、インベントリ内の武器をもう一度確認する。

 場合によっては本当に戦闘が発生しかねない。

 そう思いながら、念の為警戒レーダーの魔術の構築式を見直す。

 教わった通りの基本に、独学で学んだ構築式。

 それをしくじっているのなら問題ない、ただのミスだ。

 だが、もしも正解だった場合。

(少なくともあの街は人身売買を肯定していない。入るには各種チェックが有る。面倒事が起こるか……或いは、北か南へ逸れるのか)

 人間が商品。それは人身売買と言うことだろう。様々を学んだあの街で、それは認められない行為だった。

 故に、その商品を街の中に運び込むことは出来ない。

 だが、考えれば抜け道は幾らでもある。

 素直に北か南に進路を変え、迂回するのも手だが。

 商売の帰りで、従者が疲れているとか、適当に言い訳すればいい。

 あの馬車の中で暴れでもしなければ、バレはしない可能性もある。

 あとは、犯罪歴等を誤魔化しさえすれば。

 ふと、不快感に顔をしかめる。

 あの街の警備兵を騙して通過する人身販売屋。なんと称するのか。奴隷商とでも言うのだろうか。

 確認出来るだろうか? 街に入る前に、むしろ、此処で。

 後3キロ。

 光点の中、探知魔法を使っているであろう点を特定する。

 魔力の放出具合から間違い無いだろう。他に魔術を行使出来るものは居ないようだ。

 残りは物理攻撃。

 騎馬は槍と剣。荷馬車の要員は魔術1、剣3斧2弓3ダガー3。

 

 仕掛けるか。

 

 目を閉じ、距離2キロまで待つ。

 そして、光点のひとつ……魔術師に、プレッシャーを叩きつける様に魔力を開放する。

 ただし。相手の技量でも対処できる、そう思わせる程度に抑えつつ。

 無視して通り過ぎるのは危険、そう思わせる為に。

 さて、どう動くかね。

 1911のマガジンをダースで用意しながら、オリヤは相手の反応を待つ。

 

 魔術師は不意に悪寒に襲われ、反射的に身構える。

 相手も魔術師か。どうやら、相手の探知範囲に入ったのらしいが、突然敵意のような魔力のうねりを感じた。

 廻りの様子を伺うが、浮かれた同僚は何かを感じた様子もない。

 魔術を使えないからか、それとも。

 この、俺への挑戦ということか。

「お頭。この先の反応は恐らく敵だ。威嚇してきた」

 ぽつりと呟く。

 間抜けなヤツだ。あと1キロと半分。

 攻撃の準備をするには充分だ。

「あん? なんだ、魔術師か?」

 お頭と呼ばれた男は片眉を上げる。面倒なことだ、そうボヤきながらすぐに指示を伝える。

「ヤレヤレ、穏やかに行きたいもんだがね。後ろの連中にも伝えろ。距離と数は?」

「1人、あと1キロだ」

 頭目の問に、即座に答える。

 相手の人数によっては誤魔化し方を考えねばならなかったが、1人ならむしろ殺したほうが早い。問題は……。

「周りに、他の反応は?」

 仲間は居なくとも、目視できる範囲に他の旅人が居たら面倒になる。だが。

「いや、半径5キロに反応は他にない」

 理想的な環境だ。

「よし、弓で射殺せ。仕上げは」

「俺の魔術で燃やす。それで終わりだ」

 短い遣り取り。

 各馬車に方針が伝えられ、弓を持つものが準備を始める。

 今回の奴隷は今までとは比較にならない上モノだ。

 なんとしても「商売」を成功させねばならない。

 故に、真剣に邪魔者を排除する。

 とは言え。何処か緊張感が欠如しているのも否めない。

 なにせ、相手は1人、魔術師らしいが詠唱さえさせなければ敵ではない。

 そして、詠唱するために足を止めるなら的でしか無い。

 各自1矢2矢放ってそれでお終いだろう。

 そう信じて疑わなかった。

 

 解りやすい程の反応がある。

 弓をもつ者が動きを見せた。弓で射て動けなくなってから止め、そういう事だろう。

 此方が1人であるし、普通はそれで充分だと思うだろう。弓3人と騎兵4人、まずはこの辺りから動きを止めよう。ステータスのリミッターを限定的に解除し、能力を半分まで発揮できるようにしておく。

 問題は。これが、生前から通算しても初めての対人戦、まともに喧嘩したこともない自分が果たして、本当に人に向けて引き金を引けるのか。

 どこかぼんやりと、そんな事を考える。馬車群はもう目視できる距離に有った。

 

 馬車に押し込められ、2人は絶望の中にいた。

 助けを叫ぶ声も枯れた。いや、枯れたのは気持ちの方だろうか。

 確かに、此処まで暴行らしきを受けてはいない。

 だがそれは、商品であるが故だ。商品価値を落としたくないから手を出さないだけで、それ以外にはない。

 それに、この旅団は冒険者崩れを雇入れ、逃げ出そうにも隙がない。

 鎖に繋がれた身では、そもそも単なる脱出もままならない。

 故郷からどれほど離れたのか。

 奴隷の環を掛けられた自分達は、もう故郷に戻ることも叶わない。

 首にかかった銀色の――呪いに等しい首輪は冷たく、ただ冷たく光る。

 

 馬車は速度を落とし、弓兵は弓を構えて時を待つ。

 オリヤはさり気なく懐に手を伸ばし、1911の重さを確かめる。

 スライドは、先に引いている。

「やあ、こんにちは。旅人さん、いい天気だね」

 先頭の御者が気さくに声を掛けてくる。見た目武器はないが、腰の後ろに目立たない様にダガーを下げている。

「そうだねえ、こんな日は距離を稼がなきゃね、雨が降ったら最低だ」

 一度懐から手を離す。銃は何時でも抜ける。警戒していれば問題ない。

「ははは、違いない。馬車が有っても気が滅入るのに、歩きじゃあなぁ」

 騎兵はさり気なく半円を描くように、オリヤを囲む。

「走るわけにも行かないし、晴れた日が続いてくれるのは有り難いや」

 のんびりと笑いながら。

 馬車の中の変化に気を配る。

 

 頭目が短く合図を送る。無音で、各馬車内で弓を番える。

 まずは動きを止める。あとは好きに料理するだけだ。

 どうにも、平和なガキにしか見えない。あの魔術師は、こいつの何処に危機を感じたのだろうか。

 静かに呪文の詠唱を続ける魔術師に、僅かな猜疑の目を向ける。

 

 撃ての合図に、破裂音が連続して鼓膜を叩く。

 お頭と呼ばれた男は何が起こったのかすぐには理解できない。

 目の前の2名の弓兵が。頭が弾け脳症を撒き散らしている。慌てて表の様子を見れば、騎兵が弓兵と同じく頭を割られ地面に伏している。

 オリヤは悠然とマガジンを交換し、空のマガジンをインベントリに――傍目には虚空に――放り投げる。

「やれやれ、いきなり弓を射掛けようとは酷い人だ。反撃も已むを得ないね」

 立ち上がることもなく、精々身体を捻って射撃する程度。

 7発で7人仕留めるのに、特に慌てもせずに落ち着いて行動できた。

 

 なるほど。失くしたのは名前だけじゃなく。

 殺人に対する忌避感もか。

 感性のうち何をどれ程失ったのか、考えたくはないけど確認はして置くべきかもしれない。

 ――落ち着いたなら。

 

 何が起こったのか解らない。

 お頭は次の指示も忘れて言葉を失う。

 元とは言え、Bランクの冒険者が手もなく殺された。信じられることではない。

 魔法、魔術か? さっきの破裂音は?

 混乱の中で、お頭は魔術師が立ち上がるのを見た。

「舞い狂え、炎……!」

 魔術師が最後の一節を唱える前に、その頭が弾ける。

「怖い怖い。魔術とか、むやみに人に向けちゃ駄目だよ」

 今のは見た。

 お頭は言葉を失う。

 あのガキが筒? なんだ? あれから……火を吹いた。

 そしたら……。

 恐慌状態で、馬車から転げ出る。ガキの反対側に、馬車を盾にして。

 何だアレは⁉

 周りを見回して愕然とする。

 各馬車の御者もいつの間にか、殺されている。生きているのは、自分ひとりのようだ。

 破裂音がまた聞こえた。今度は何が。

 思う間もなくバランスを崩し、両手で大地を受け止める。

 何が? 見下ろすと、左の腿の肉が弾け、血を吹き出していた。

 絶叫は言葉の体を成さず、溢れるように湧き上がった。

 

「素直に逃がす訳ゃ無いでしょうが。悪いけど」

 慈悲に満ちた慈悲の無い声。

 感情の一切を感じさせぬ平板な吐息。

 回り込んでくる程度のことは予想できたが、早すぎる。

「あの街には恩人がいっぱい居るんだ。厄介事は持ち込んで貰っちゃ困るんだよ」

 オリヤは右腕をごく軽い動作で上げる。

 頭目は考える。投げかけられた言葉を、その意味を。

 この馬車が……この先の……大河の街に向かったから?

 それだけで、コイツは威嚇してきた、ってのか。

「わかんないって顔だね? 奴隷とか、あの街じゃあ認めてないからさ」

 男は激痛の奔流の中で、それでも驚愕に動きを止める。

「なんで分かったか、って顔だね? 教えないけどね、教えても意味ないし」

 今までも、奴隷を捌いて稼いできた。

 確かに、奴隷を認めていない街は幾つか有った。そのどこでも、ボロを出さずに、場合によっては賄賂を使ってでも、上手くやってきた。

 それが。こんな所で。こんなガキに。目的地どころか、その手前も手前の街に、入ることすら叶わず。

「目的は、女か」

 悔しさと無念さ、なぜこんな事になったのか。何ひとつ解らず、無意味に口を動かす。

「へえ、女なのか」

 そう、意味など無い。相手は、積み荷が男か女かも知らず、こうして襲ってきた。

 いや、違う。威嚇してきたのはこのガキらしいが、襲いかかったのはこっちだ。

 このガキは、()()()()()()()()()

「て、手を組まないか? お前の、その腕なら」

「辞めてよ気分の(わり)ぃ。いきなり人殺そうなんてぇ小悪党(こもの)なんざ、趣味じゃ無ぇや」

 何か反論する間もなく。

 オリヤは、男の眉間を撃ち抜いた。

 

 いきなり人を殺そうとした小悪党(こもの)、か。俺そのものだなぁ。

 

 オリヤはマガジンを引き抜き、リロードするとハンマーに指をかけ、引き金を引いても激発しないようにゆっくりとハンマーを戻す。

 サムセフティを掛けてから、周囲に敵性の気配がないことを確認し、1911をインベントリに戻す。

 

 さてさて。外は血みどろだけども、中の……お嬢さん方かな。大丈夫かね。

 3台目の荷馬車の前で考え込む。

 ちなみに発砲音に驚いた馬は、沈静化の魔法で大人しくさせている。

 ぶっつけで「創った」魔法だが、なかなか良く効いているようだ。

 中に居るのは女。それが2人。

 面倒くさい事になんなきゃ良いけども。

 意を決して、荷馬車の後部扉を開く。

 

 

 

 外に吹き荒れる殺気が、一瞬で吹き払われた。

 2人は手を取り合い、震えている。

 賊の襲撃だろうか? それにしても、殺気が此方側のものしか感じなかった。

 相手は何人だろう? 勝ったのか?

 窓もなく、外の様子も解らない暗い荷室内で、ただ恐怖に震えるしか無い。

 賊が勝っても、旅団が勝っても、絶望には変わりない。

 怖い。早く戦いが終わって欲しい。

 果たして、荷室の扉は開け放たれた。

 

 暗い。オリヤは眉を顰める。

 こんな中に、閉じ込めてたのか。感情の起伏に乏しいのでは、と密かに自問するオリヤでも、不快感を拭えない。

 しかし、憤ってばかりも居られない。

 何をやって奴隷になったのかは知らないが、見て見ぬ振りも出来ない。

 最初からこうするつもりで首を突っ込んだのだ。

「おーい、中の人、大丈夫かい?」

 暗さに目が慣れて来ると、厳重さに閉口する。鉄格子造りの檻の中で、手足を鎖で繋がれている。

 非常に面倒くさい。

 手っ取り早くワイヤーカッターを創ると、鍵をまず破壊し、怯える2人になるべく目もくれずに手足の鎖をワイヤーカッターで切断していく。

「ほい。いつまでもこんな暗い所に居ても仕方ない、表に出よう」

 そう言って、2人を促してから、先に表に出る。

「あー……。ただ、外は血塗れだから……一応、覚悟だけしといてね」

 今更だが、血が出ないように殺すべきだっただろうか?

 奴隷商なんてやっているやつを生かしておいても、多分後々面倒になるだけだから、殺したのは正解だったと考える。

 思うが、もうちょっとビジュアル的に優しい殺し方も有った気が、しなくも無くもない。

 奴隷として売られかけていた2人は、おずおずとオリヤについて馬車から這い出て、そして惨状に言葉を失う。

 

 オリヤは困惑した。

 女性、というかなんか若く見える。2人とも少女というと語弊がありそうで、どう表現したものか迷う。

 見た目ではオリヤが一番若く見えるから、ここはお姉さんで良いかとも思うが、そもそもそんな場合でもない。

 

「貴方は……盗賊ですか?」

 

 お姉さんの第一声がこれである。

 困惑しつつも、周りを見渡せば、それもそうかと納得する。

 ほぼ全員が頭に一撃を受けて死んでいる。

 頭目に至っては左足も撃ち抜いたから、そりゃあもう血塗れである。

「あー……えっと、冒険者なんだけど……」

 説得力無いなあ、そう思いながら頭を掻く。

「え……? 冒険者?」

 思ったとおり、信じられないという顔で呟かれる。

 だよなあ。

 ぽりぽりと頭を掻きながら、さてどうしようかと考える。

「ちょっとだけ特殊な能力があって。周囲の状況を把握する、あー……結界みたいな」

 あー、説明は苦手だ。しどろもどろに、言葉を紡ぐ。

「それは、探知魔術ですか?」

 お姉さんの片割れがおずおずと、助け舟を流して寄越す。

「探知魔術、か。うん、そういうのの類型だと思うけど。俺のは探知する対象を選べるんだ」

 お姉さん達は特に驚くこともない。なるほど、そう珍しいものでも無いらしい。

「なるほど、高位の探知魔術は様々探知出来ると聞きます。ですが、その事が何か……?」

「あー、えっとね」

 案の定、特に珍しいものでもない、それがどうしたのか、と言いたげに問いかけてくる。

 口で説明するのも面倒だ、体験して貰えない物だろうか?

 そういう都合のいい方法はないか? 考える。

 そして気づく。考えるまでもないのだ。

「うん、体感してもらった方が良いね、その方が早い」

 今度こそ不思議そうな顔をする2人の前で、目を閉じ少し集中する。

 一部魔術の共有化魔術。脳内が舌を噛みそうな名前だ。呼称は魔術共有で良いだろう。

 どうせ自分しか使わないだろうし。

 警戒レーダーを改めて起動、そして、魔術共有を起動する。

 共有の対象は、目の前の2人。

 ちなみに、2人には魔術の結果を共有させるだけで、魔術のもととなる魔力を消費するのはオリヤだけである。

「えっ」

「なにこれ?」

 急に脳内に広がるレーダー映像に、戸惑いの声が上がる。

 自分で発動したわけでもないのに、いきなり脳内に映像が出たら驚くだろう。

「あ、ゴメン、俺の警戒レーダーを、共有して貰ってるんだ」

 それくらいは事前に説明すべきだったと反省する。

「共……有……?」

「そんな事が……」

 2人の反応に、何だか申し訳なくなる。口下手は損しか無いな、そう思い、レーダーを操作する前に説明しながらにしよう、そう決める。

「まず、俺のレーダーの範囲、通常は20キロメートルをカバーしてる」

 最大距離はもっと広がるのだが、大きすぎても自分で何だかピンとこない。

 なので、自分なりに使いやすいこの距離を半径として、必要に応じて広げたり狭めたりするのだ。

 2人はとりあえず頷く。よく分かっていないのかもしれない。

「んで、適当に動体反応を。ん、なんか映ったね」

 脳内レーダーを動体反応にすると、周囲に幾つかの光点が浮かぶ。

 思ったよりも多い。都合が良い。

「んで、そうだな……明確な敵性反応は、と」

 明らかに危険なモノが居るなら、光点が赤く変わる筈。

 そう思ったのだが、レーダーに変化はない。

「あれ? この辺平和なのかな……なんか魔物とか居るかと思ったんだけど……あ」

 言い掛けて、はたと思い当たる。

 まさかと思うけど、俺を基準に危険かどうかの判定をしているから、この中に危険な反応は無い、っていう判定なのか?

 幾ら何でもそれは自意識が過剰していると言う物だろう。

 そうは思いながら、念の為。

「……お姉さん達にとって危険な動体反応を検知」

 言葉を発してから、操作を切り替える。

 途端に、レーダーの光点の半分以上が赤く変化する。

 え、なにこれ危険地帯じゃん。

 閉口するオリヤの前で、青褪める2人。

 それはそうだ、素直に信じるならば、とんだ魔境に放り込まれた事になるのだから。

「まあ、20キロの範囲だからね。これを10キロに狭めると」

 表示を切り替えると、自分を中心とした各光点との距離が広がり、レーダー内の光点が一気に減る。

「近くても8キロそこそこかな。まあ、数も対処出来ないわけじゃないし、これはこれくらいで良いか」

 まずはレーダーを体感して貰った。

「此処までは、普通の探知魔術と似たようなものかな?」

 笑顔のオリヤに、お姉さん達は無言だった。

 何か言いたげに2人で顔を見合わせると、意を決したように片方が口を開く。

「ええと……普通とは少し、違います」

 え。オリヤは驚く。

 普通の探知魔術を良く知らないのだが、そんなに違いが有るのだろうか。

「普通は……こんなに範囲が広くないのです」

 驚きが深まる。広いのか、これで。

「それに、大体は進行方向の脅威などを探知することが目的です。周囲全域を探知することが出来る人は、少ないと思います」

 えー、そんな限定的なのか。そういう使い方も出来るけど、周囲の警戒が出来るならした方が良いだろう。

 オリヤは驚きが段々と呆れに変わって行く。

「そして、探知魔法を共有する、と言うのはそれこそ初めて聞きます。数人で使用し、擦り合せるとか多方向をカバーするとか、そういう使い方は聞きますが」

 なるほど、人数がいるなら、警戒範囲を分けることで個人の負荷を減らすのか。

「それに、警戒するのなら探知より、警鐘の魔法を使うのが普通です」

 はっとする。そうだ、警戒するだけなら、アラートを設定しておけばいい。

 アラートが反応したら、それを探知すればいいのだ。

 我ながら、無駄に魔力のリソースを使っている。

「そっか。そうだよな、なんでその手に気づかなかったんだろ」

 またもや頭を掻いて考え込むオリヤに、やはり顔を見合わせる2人。

「それで、あの」

 お姉さんの片方が、疑問を口にする。

「それが、この状況と……」

 血塗れの死体。自分たちは果たして、本当に解放されたのか。今ひとつ判断のつかない状況。

 2人にとって、目の前のオリヤは単なる新しい売り主でしか無い、その可能性も有るのだ。

「あー、うん、まずは2人に気付いた経緯をね。この警戒レーダーで」

 再び、レーダーの範囲が広がるのを感じる。

 これほどの範囲と、その中の反応を感知し続ける探知魔術。どれ程の魔力が必要なのだろうか。

「売り物を反応させてみたんだ。ただの商隊かもしれないと思ってね」

 オリヤの言葉に、レーダー内の表示が変わる。レーダー内の幾箇所かと、そして。

 中心……今立つこの場所が、黄色く発光する。

「範囲を一気に縮めるよ? 半径20メートル」

 正直、そこまで縮める必要は無かったのだが、インパクトは有るだろう。

 レーダー上の光点間の距離が一気に広がり、中心の光点が大き目に表示される。

 そして光点は、中心のオリヤを模した白いヒトガタと、そばに立つ女性のような2つのヒトガタ、直ぐ側の3台の馬車と各2頭の馬たちを黄色く浮かび上がらせる。

 2人は息を呑む。こんなにハッキリと、形さえも判るほどに……。

 何より、「商品」を検知するなど、聞いたこともない。

「と、まあ、こんな具合で。2人がなんか商品扱いされてるのが判って」

 オリヤは振り仰ぎ、西の方角、街道の先を見る。

「俺が育った街じゃあ、奴隷なんて認めてないからね。厄介事を持ち込まれても困るから、まあ、様子見のつもりだったけど」

 釣られて、2人も街道の先を見やる。街の影も見えないのだが、たしかにこの先に街があるのだろう。

「そのつもりだったのに、なーんでか矢を射掛けられそうになってね。正当防衛ってやつで」

 反撃したのだ、と。

 2人は納得したように顔を見合わせるが、実のところ、嘘である。

 突っついたのはオリヤが先で、相手に攻撃の意志があると確認出来たから、僅差とは言え、先制で攻撃したのもオリヤだった。

 しかし、何もかもを正直に話すのも面倒臭い。

 それに、いい加減血の匂いも鬱陶しい。

 死体の処理と、この馬車群をどうするか考えなければならない。

「それで……それだけで、私達を助けたのですか?」

 お姉さんの1人が疑わしげに問う。

 素直に好意で救われたと考えるほど、気楽ではないらしい。

 いい傾向だと、オリヤはニンマリと微笑む。

「まあ、打算もあるけどね。まあ、その事は後で話すとして」

 ハッキリと、打算があっての事だと口にする。

 安心させてあげたいのは山々なのだが、2人には自分の意志で行動を決めて欲しい。

 変に良い人を演じて頼られ過ぎても困るのだ。なにせ。

 なにせ、初めての、念願の異世界旅行なのだから。

 暫くはのんびりと、「ひとりで」冒険を楽しみたいのである。

「取り敢えず死体を処理しよう。ほっといても良いことないだろうし」

 そう言うと、オリヤはまず馬に向かい意識を飛ばす。

 10頭の馬は静かに歩きだし、少し進んで停止する。馬車其の物にも血がついているが、まずは大地に転がる死体の方だ。

 オリヤは声を発すること無く、街道から少し離れた大地に半径10メートル程、深さ5メートル程の穴を穿つ。

 何の詠唱もなく、行使される魔術に、2人は声もなく驚愕する。

 その驚愕を舌に乗せる前に、9つの死体が宙を舞い、大地に穿たれた穴へと吸い込まれる。

 埋めるのか、それが良いかもしれない、そう考えた矢先。

 大地が、炎を吹き上げた。

 死体が、燃えている。2人は、力なく視線を巡らせる。

 この少年は……どれ程の力が有るというのか。

 冒険者と言った。

 この年齢で、どれ程の修羅場を潜り抜けてきたのか。

 詠唱無しで探知魔術を発動させ、それを自分たちに共有させて見せたと思えば、やはり詠唱無しで大地に大穴を穿ち、大火を放つ。

 戦闘の様子は見えなかったが、馬車が止まってすぐに戦闘は始まり、そして直ぐに終わった。

 高位の魔術師なのだろうか。これは、もしかして自分達を救う出会いなのだろうか。

 考えている間に、火勢は弱まる。火力が足りないのではないだろう。恐らく、焼き尽くしたのだ。この短時間で。

 そして、見る間に大地は大穴を飲み込み、すぐに何事も無かったように元に戻る。

 恐ろしい。素直にそう思った。肌の粟立ちが止まらない。

 これは……これでは、死んだことさえ誰にも知られることもないだろう。

 人知れず消えていく恐怖に身体を竦ませ、その惨状を齎した少年を見れば。

 街道に散ったり馬車にへばりついた血の跡を、洗浄の魔術で綺麗にしているようだ。

 最早、あの男たちの痕跡は、この馬車と騎馬だけだ。

 装備していた一切合切含めて、燃やし尽くしたのだろう。

 よしんば焼け残った物があったとして、目印もない大地の底に埋められていては、探すことも困難だ。

 私達は……どうなるんだろう。両腕を掻き抱き、震えを堪える。

 

 

 さて、これからどうするかな。

 オリヤは考える。

 先のことを少しも考えていなかったのだ。

 思うままに行動した結果、厄介な荷物が増えた気分だ。

「あー、お姉さん達」

 しかし、抱え込んだものは仕方ない。そのまま持ち続けるか、すぐに手放すか。決めなければならない。

「お姉さん達は、行く宛は有るの?」

 少し離れていたのだが、離れすぎて魔物に襲われては危険と考えたのか、2人は近づきすぎない程度にオリヤのそばに来ていた。

 そんなオリヤの問いかけに、2人は視線を下に落とす。

「奴隷になった時点で……行く先も、戻る場所も……」

 言いにくそうに、言葉が濁る。

「え? 奴隷って、もうあいつ等居ないじゃん。もう自由じゃないの?」

 オリヤはそう言いながら、2人の首元に目を据えている。

 解っているのだ。

「いえ、その……奴隷という物をご存知無いのですか?」

 だが、2人は気付かずに、片方が声を絞り出す。

 認めたくない事を、確認するように。

「この、隷属の魔術の首輪が有る限り……私達は何処に行っても、奴隷でしか無いのです。今は主が居なくとも」

 言い淀む。奴隷というものを知らないのなら、言わないほうが良いかもしれない。

 しかし、隠し事をしたと謗られれば、その後どういう目に合うか解らない。

 なにせ、先程9体もの死体を事も無げに「処分」して見せた魔術師だ。

 ロクに装備もない自分達では、到底抵抗できないだろう。

 結局は、運命には逆らえないのだ。

「誰かが隷属の魔術を使えば、私達は逃れられません」

 元は凶暴な猛獣、魔獣の類に隷属を強いるための道具だった魔環。

 いつしかそれは、奴隷を作るための道具となった。その魔環を架せられた者は識る。

 それが破壊された時、架せられた者の命も消えると。

 それは奴隷の命を縛り、希望を砕く枷。

 俯く2人を前に、オリヤは考える。

 そんな事は識っている。3年とは言え、奴隷を認めない街に住み、育ったのだ。

 それが今やヒトの尊厳を奪う邪法であると。

「……お姉さん達、何か悪いことでもしたの?」

 識って居ながら、問う。

 罪を犯したが故に、奴隷に落とす刑罰も有ると。

「……いいえ。森に住み、日々を享受することが罪でしょうか」

 ハッキリと、否定の声を上げる。

 上げた顔には、その相貌には怒りが有った。

 当然だ。自由を侵された時は、怒るものだ。

「じゃあ、奴隷になる理由なんか無いね」

 オリヤは2人に歩み寄る。

 その悠然たる態度に、2人は覚えたばかりの怒りも忘れ、雷に打たれたように身を震わせる。

 自由を奪われ、そしてそれを取り戻す事が出来ないなら。

 最後の自由……尊厳を守り死ぬ事こそが、残された途だと。

 そういう事だろうか。

 2人は顔を見合わせる。

 確かに。隷属の魔術で自殺は出来ないが、今なら。

 今、目の前にいる少年なら、2人を殺すことが出来る。

 奴隷として生きるか、尊厳有る死を選ぶか。

 絶望の中にある2人にとって、それは考えるまでも無い事だった。

 

 




殺人者オリヤの明日はどっちだ


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紳士はいつだって紳士なの

奴隷商を有無を言わさずアレしたよ。
どうなる犯罪者認定。


 奴隷として生きるか、尊厳有る死を選ぶか。

 絶望の中にある2人にとって、それは考えるまでも無い事だった。

 

 オリヤの思惑は勿論違う所にある。

 彼が識っているのは隷属の魔環がヒトの自由を奪うということであって、奴隷になるくらいなら死ねなどと、苛烈なことを考えてはいない。

 識ってはいたが初めて見る魔環を観察し、その魔術の特性を見る。

 魔術の根本を理解すれば、解除も出来る。

 そして。

 この魔環は、思ったよりも複雑だった。

 意識の一部を押さえる、能力の一部を制限する、反抗出来ない様に、肉体にも精神にも枷を掛け、縛り上げる。

 性格の悪い多重の仕掛けだ。そしてそれだけの強力な、組み合わさった一種の呪いは、首輪という形を取り、それを対象に、物理的に掛ける事で成立する。

 魔術の一つ一つがそれぞれを補完するように絡まっている。それらを個別に解除するには、相応に手間を必要とするだろう。

 だが。これは単純な弱点が有る。

 首輪を強引に外せば死ぬ、そういう魔術は確かに有る。これ見よがしに見えている。

 だが。魔術を解除しようとすると発動する魔術……カウンターが無い。

 創った者の自信か、慢心か。

(こんだけ複雑なら、解除なんて出来やし()ェだろってか? 誰が馬鹿正直に解除なんかしてやるかよ)

 オリヤは最初から手順を踏む気はない。

 問題になり得たのは、解除を阻む手段が有った場合のみ。しかし、調べた限りそれも無い。

 こうなれば、全てに過負荷を掛けてやれば、魔力量によっては回路其の物を焼き切ることも可能だろう。

 つまりは、力押しで安全に解除できる。

 そう考えて成功を確信した時には――2人は目の前に跪いていた。

 そしてオリヤは混乱する。

 

 2人は覚悟を決め、そして声を揃える。

「魔術師様。私達の自由を、尊厳を守るために。どうか、死を賜りますよう」

 覚悟は決めた。自由の身に戻れないのなら。

「待って待って待って、ちょっと待って」

 そんな2人の下げられた頭に、オリヤの慌てた声が降りかかる

 そうじゃない。死ねとか言う訳がない。

 何その、奴隷になるくらいなら死ねって言う暴論。

 誰がそんな事言ったの。

「そうじゃない、死ねなんて言う訳がない! ゴメン言い方が悪かった、自由になりたいよねって言いたかったの!」

 さしものオリヤも、ここは冷静では居られない。

 決死の2人を、この数年で最も必死に押し止める。

「……この隷属の環が有る限り、自由は無く……外すことは死を意味します」

「……そして、私達は自分の意志でこの環を外せません」

 回りくどい言い方は大抵こういう、面倒な事しか寄越さない。

 現15歳とは言え、享年は38歳。厨二病もいい加減にしなければ。

 素直に反省しながら、オリヤはため息を吐く。

「ゴメン、言い方が非常に悪かった。と言うか最初に言うべきだった」

 オリヤの言いたい事が解らず、何度目か顔を見合わせる2人。

「その魔環の魔術、否、呪いは解除できるんだ」

 顔を見合わせる2人の脳内に、オリヤの言葉がゆっくりと染み込む。

「それも、この場で」

 その言葉を飲み込み、理解が追いつくと、2人は弾かれたようにオリヤを見上げる。

 そんな事が。あり得るのか。でも、この魔術師なら。

 言葉が脳裏を駆け巡る。否定、肯定、希望、絶望。

 縋るのか。否定するのか。

 逡巡し、立ち上がることも出来ない。

「さあ、取り敢えず自由になってから、今後を考えよう」

 既に諦めていた「自由」を、まるで当たり前のことのように。

 自由であることが前提で、その上で。

 目の前の少年はさも当たり前の様に、2人に両手を差し伸べる。

 立て、そういう事だろうか。

 2人はオリヤの腕をそれぞれ取り、ゆっくりと立ち上がる。

 自由になんて、なれるのだろうか。

 希望を失って久しいからこそ解る。希望は、絶望に容易に変わる。

 

 さて、解除は簡単だ。

 先程観察して行けると確信した。控えめに言って楽勝である。

 それを行った際に発生する被害は、2人が吃驚する事。

 特に怪我はしなさそうだし、精神汚染等も発生しない。と、思う。

「よし、じゃあやるか。会って数分で俺を信用してくれとは言えないけど、取り敢えず任せてみてよ」

 ごく気楽にオリヤはにへらと笑うと、2人の魔環の前に手を翳す。

「これから、俺の魔力で呪いを押し流すから。吃驚するとは思うけど、こらえてね」

 押し流す? 堪える?

 何を言っているのか理解する前に。

 オリヤの両手から、光を放つほどの膨大な魔力が魔環に向けられる。

 

 10万超えのMPは伊達ではない。全部流しても良いが、後が怖い。

 まずは様子見で、ひとつにMP2万程流してみよう。

 これで駄目なら、残り全部くれてやる。

 

 奔流。気を抜くと、吹き飛ばされそうな魔力の濁流。

 歯を食いしばる。どれ程の時間耐えれば良いのか、そう思った時には奔流は流れ去っていた。

 今まで体感した事の無い魔力のうねりは、通り過ぎてなおこの身の力を奪うようだ。

 2人は再び、今度は自分の意志によらず大地に膝を折る。

 オリヤの魔力の大きさに驚きすぎて、すぐには気付かなかった。気付けなかった。

「過負荷で呪いの基盤が壊せそうだなあ、とは思ったけど。思ったより呆気ないなあ」

 のんびりと、オリヤは微笑む。

 実は思ったよりもMPを吸われて居るのだが、そんな事はおくびにも出さない。

 1個辺り4万づつって、ギリギリじゃねぇか。

 現有MPの8割を失ったのだが、そんな様子を見せず、余裕の表情で微笑んで見せるのだ。

 だから、2人は目の前の魔術師、そう信じる少年が苦もなく魔環を破壊した様に見えた。

 見た目は成人前の少年だと言うのに。

 先程の膨大な魔力を、いや、その前に戦闘を熟したとはとても思えない笑顔で。

「でもまあ、上手く行ってなにより」

 首元の魔環が、流し込まれた魔力に耐えきれず、半ば崩壊していた。

 魔銀鉱(ミスリル)製の環が、破損どころか崩壊するほどの過負荷。

 どれ程の魔力を流し込めば、こんな事が起こるのか。

 何よりも。

 本当に……。本当に解除出来た……。

 2人は呆然と、半ば形の崩れた魔環――首輪を外す。

 一度掛けられたら、二度と外せない死の環。隷属を強いる、悪魔の魔道具。

 それなのに。

 もう、自由など望めない筈だったのに。

「さてと。食事の途中で動いたからお腹が空いたよ。よかったら、一緒に食べる?」

 顔を上げると、少年は何処から出したのか草原に敷物を広げ。

 やはり何処から出したのかサンドイッチを並べ、何処までも気の抜けた笑顔を浮かべていた。

 

 特に嫌いな物、食べられない物は無いらしい。

 家族が作ってくれたサンドイッチを頬張り、美味しいと感想を貰えるのは嬉しい。

 ここで食べてしまえば、もう出会える事はない思い出の、家族の味。

 喜んで貰えるのなら、望外の事だ。

 

 食事を終えて、これからの事を話す。

「……馬、どうしよう」

 オリヤは10頭の馬を眺めて呟く。

 売って路銀にしようにも、次の街までどれくらい掛かるか解らない。

 面倒を見るのも骨だ。と言うか、個人で連れ歩くには多すぎる。

「馬車のひとつくらいは、使っても良いのでは無いですか?」

 お姉さんの1人、金色の髪の人がそう提案する。

「うーん……1台は使っていいだろうけど、残りが困るなあ。えーっと」

 考え込んでから、はたと思い当たる。

 食事を終えるまで気が付かなかったのは、間の抜けた話であった。

「えーと、その。お姉さん達、名前聞いてもいいかな?」

 食事に誘っておいて、名前も知らないとは不覚である。

 そして、もうひとつ気づいたことが。

「あ、これは失礼しました、私はノゥアの森のサリア、此方は妹の」

「アルメアと申します」

 このお姉さん達、双子だ。

 よく似てるなー、とは思っていたのだが、深く考えなかった。

 マイペースなのは長所だと、オリヤは考える。

「えっと、お姉さん方、双子さんなんだね」

 オリヤの脳天気な声に、双子のお姉さんは顔を見合わせる。

「あの、今ですか?」

「気づいてなかったのですか?」

 不思議そうに声を連ねる。さすが双子、タイミングは完璧である。

「いやあ、よく似たお姉さん達だなぁ、とは思ったよ?」

 あははと笑うオリヤに、ぽかんとした顔をした後、何だか気が抜けて2人は笑う。

 薄く、微笑みに近い笑顔だが、どれ程振りの笑顔であろうか。

「で、お姉さん達はこれからどうする?」

 名前を聞いた意味を、オリヤはもう少し考えたほうが良い。

 どちらに問うか迷った末、2人纏めてお姉さん呼ばわりでは、名前を聞いた意味が無い。

 それはともかく、双子は顔を見合わせる。

「これからは、まだ考えていません……森に帰りたいとは思いますが……」

「持ち物どころか、まともな服も無いので、旅しようにも心許ないのです」

 すぐに表情が曇り、俯いてしまう。

 奴隷の身分からは開放されたが、それで直ぐに行動の自由には繋がらない。

「あー……このまま、西に向かえば街があるから、そこで馬とか売り払って、服とか旅支度整えれば、どうにかならないかなあ」

 時間はまだ昼過ぎ。馬で走れば、夕刻までには街に届くと思う。

 しかし。

「申し訳有りません、魔術師様。その……」

「私達は、まだ人間全てを信用出来ません」

 サリアが言い難そうに言葉を濁し、言葉を継いだアルメアが決然と言い切る。

 表情はそれぞれだが、気持ちはひとつという事だろう。

 あー……そりゃそうか。

 そもそも人間に捕まって奴隷に落とされたわけだ。

 今はもう奴隷なんかじゃないと言っても、ハイそうですかと人間を許せるわけもない。

「いや、その、申し訳ない。曲がりなりにも同朋が迷惑を掛けてしまって」

 オリヤは素直に頭を下げる。

 全く、なんて面倒な事を仕出かしてくれたんだ、彼奴等(あいつら)は。

 いっそ、この2人にあの頭目の止めを任せれば良かった。

 復讐フルコース、「お頭」付きだ。うん、笑えない。

「いえ、魔術師様は私達をお救い下さいました」

「凡百の人間どもと、同列に扱うわけには行きません」

 下らない事を考えていると、2人は深々と頭を垂れ、完全に敬いの姿勢だ。

 ナニコレ。なんかとんでもない扱いされてないか。

 オリヤは顔全体で怪訝を表現する。

 というか。

 さっきから気になっては居たんだけど。

「あのさ、俺、そんじょそこらのただの人間だから。あと、その魔術師様って、なに?」

 魔術師等と名乗った覚えはない、と言うか考えてみたらそもそも俺、名乗ってない。

「すみません、お名前を伺っておりませんでしたので。高名な魔術師様と存じますが」

 今度はサリアが慌てたように頭を下げる。

 いやいや、怒ってない。怒ってないよー?

「あー、なんか今日はミスばっかだな。旅の初日に、先が思いやられるねぇ」

 頭を掻き、ため息を吐く。今日だけでどれ程幸せが逃げていったろう。

「俺は、オリヤ。オリヤ・ナカスドウ。昨日登録したばかりの、Fランク冒険者だ。職業は剣士」

 言って、はたと思い至る。

 今日、一度も剣を振っていない。

 名乗られた方は、呆けたような顔でオリヤを見つめ、放たれた言葉を噛みしめるように脳内で反芻する。

 数秒掛けて、言葉の意味を理解した時に。

「はい⁉ Fランク⁉」

「剣士⁉」

 信じられない、と言うよりも何を言われたか判らない、そんな思いで。

 詰め寄るサリアとアルメアの迫力に気圧される。

「なんでそんなに信じて貰えないのかわからないけど、ほら」

 慌てて、懐……と見せかけてインベントリ……からギルドカードを取り出す。

 その簡単な記載を食い入るように見つめ、そして。

「15歳ぃい⁉」

「ほ、ホントに剣士だ……!」

 更に詰め寄らてしまうオリヤ。

 というか、年齢で驚かれるとは思わなかった。

 見た目相応だと思ったのだが、自分が思っている以上に老けているのだろうか。

 それはそれでショックである。

 可愛いと持て囃された少年時代は終わりを迎えたのか。時の流れとは残酷なものである。

「魔術師ではなく、剣士……で、では、先程の、いえ、そもそも探知魔術を使用出来るのは」

 混乱の極みに達しようかというサリアが、納得出来ないと食い下がる。

「えーと、使えるから使ってる、みたいな?」

 どう説明したものか、出来なくはないが、説明すれば間違いなく真面目な魔術師に喧嘩を売る内容になる。

 神様がステータス関連弄ってくれたので、魔術も使えるよ!

 脳内に文字を並べてみると、喧嘩云々以前にただの戯言である。

 脳内の具合を同情されて終了であろう。

 そう考えると、説明にならない言葉しか並べ様がないのである。

 今度、ちゃんと言い訳考えとこう。

「そんな、使えるからって……」

「15歳……12歳くらいかと思ったのに……」

 ん? 今なんか、聞き捨てならないこと言ったね?

 12歳の状態でこの世界に降臨して3年。

 育ち盛りはすくすくと成長したのだ。それが12歳に見える等と。

「流石に12歳に見えるとか、泣いちゃうぞ」

 信じたく無いのか信じられ無いのか、アルメアはいつの間にかオリヤの頭を撫でている。

 そんなに子供っぽいのか。今朝も鏡を見たが、3年前よりは成長していた筈だ。

 ……確かに、見た目の男らしさは薄いのだけれども。

 生前のむさ苦しさを思い出すにつけ、複雑な心境を抱くが、割り切るしか無いのだろう。

 ……将来あのオッサンスタイルに戻ったら、ちょっとヤだな。

「で、では、魔術……じゃない、オリヤさんは、あの賊共を剣で退けたのですか?」

 サリアはやはりまだ信じられない様子で、疑問を述べる。

 それに答えようとして、オリヤは少し思案する。

 この3年の生活と、今の目の前の2人の反応から、この世界では銃器は存在していないようだ。

 ともあれ、剣を使って戦って居ない。剣士とは、果たして。

「……あー。剣じゃなくて、銃で戦ったなあ……」

 嘘をついても仕方ないので、素直に答えて反応を見る。

 思ったとおり、銃とは何か判らない、そんな顔の2人。

 見せたほうが早いかな。

「これなんだけど、見たこと無い?」

 懐に手を入れ、インベントリから1911を取り出す。

 無骨な、折れ曲がった鉄の歪な筒。

「これは、魔術の触媒でしょうか?」

 アルメアが、オリヤの頭を撫でながら問う。

 いい加減、頭を撫でるのは辞めてくれないだろうか。

 そう思いながら、アルメアの言葉に天啓を得る。

 寧ろ、何故思いつかなかったのか。

 そのアイディアは一旦置いて、まずは1911の説明を行うこととする。

「こいつは、火薬の力で鉛の弾を打ち出す道具……武器だよ」

 サリアもアルメアも、初めて聞いたようで不思議そうにオリヤの手に有る拳銃……M1911を眺めている。

 剣のように見た目で判る切れ味を感じることも無ければ、戦斧のような重量とそれに伴う威力を連想させる威容も無い。

 知らなければ、掌に収めるには大きい鉄の塊、その程度かもしれない。

 だから。

「見せたほうが良いね」

 オリヤは周囲を適当に見回し……ついでにアルメアにお願いして頭を撫でるのをやめてもらい、街道を少し外れたところに落ちている木片を拾い上げる。

 サムセフティを外し、ハンマーを起こす。先程スライドを引いている状態でハンマーを収めたので、これで発射の準備は整った。

 実銃は実際にこれが出来るのか判らないが、手元の1911……オリヤの創造したモドキではあるが、これはその操作が可能だったのだ。

「あ、耳塞いどいてね」

 そう告げ、2人が言われたとおり耳を塞いだことを確認すると、オリヤは軽い動作で木片を放り投げる。

 山なりを描いて宙を舞う木片をごく当たり前に照門に捉え、照星を重ねる。

 発砲。炸裂音が空気を叩き、ほぼ同時に木片が砕けて散る。

 サリアとアルメアは驚愕に目を見開き、木片が散った虚空を見つめる。

「これが、拳銃の威力」

 今の一撃に、2人は魔力を感じなかった。

 耳を押さえてなお鼓膜を打つ轟音。

 見知らぬ業に、サリアはただ驚愕し、アルメリアは興味津々といった顔で。

 慎重にハンマーを下ろし、サムセフティをしっかりと掛ける、オリヤのその動作に見入っていた。

「とまあ、こんな感じで……結局剣は使ってないなあ」

 懐に収めるように見せながら、1911をインベントリ内に収める。

「そ、そもそも、剣をお持ちでは無いですよね?」

 サリアは驚きを収めつつ、冷静に指摘する。

 アルメアはああ、そう言えばと言う顔をサリアに向けた後、オリヤを眺める。

「うーん、そうなんだよねえ。装備しとけば良かったんだけど……」

 オリヤはバツが悪そうに頭を掻く。

 まさか、旅立ちに際し用意し損ねたのだろうか?

 そんな事を考えるアルメアの前で、オリヤは。

 虚空から、一振りの剣を取り出し、帯剣する。

「いやあ、間の抜けた話だよ、せっかく剣士で登録してあるのに、今の今まで装備することを忘れていたんだから」

 事も無げに、のんびりと笑う。

 剣士としてそれはどうなんだ、と言う事をやらかしているのに、緊張感とかそういったモノがまるでない。

 サリアもアルメアも、どう反応すべきか判らない。

 剣士としての心構えの緩さを指摘すべきか。

 今、何処から剣を出したかを問うべきか。

「と、言うわけで、まあ俺は魔術師じゃなくて剣士。何処にでも居る普通の冒険者だから、変に気を使わなくて良いんだ」

 そんな2人の混乱を無視し、何処までものんびりと、オリヤは笑う。

 言われた方は、顔を見合わせて黙り込む。

 色んな意味で、普通では無いと思う。

 恩人だけど、その事は伝えるべきだろうか?

 そんな2人の気持ちを置いて、オリヤは言葉を続ける。

「とりあえず、そうだなあ……あ、服とか無いんだっけか」

 ちらりと視線を巡らせて、今更2人がみすぼらしい、というより、簡単なボロ布を纏っているに等しい状態であることに気がついた。

 ふと2人のステータスを確認しようとして、慌てて頭を振る。

 勝手に見て良いものではないのだ。確認したいことは、本人に聞くのが一番である。

「2人は、えっと、職業はあるのかな?」

 服の話から、職業を問われるとは思っていなかったのだろう。

 何度目か顔を見合わせ、順番に答える。

「私は、法術師です」

 サリアが控えめな笑顔で答える。

「私は魔術師。まだ中級だけれど」

 アルメアが自信満々に答える。

 双子で見た目はそっくりで、反応も基本よく似ているけど。

 やはり、それぞれ個性があるのだなあ。オリヤは当たり前な事に感心する。

 随分と失礼な感想である。

 しかし、知りたいことは分かった。そうと判れば。

 オリヤは手を叩いて馬を呼ぶ。

 手近な馬車だけを呼ぼうと思ったのだが、全部来た。

 上手く行かないものである。

 適当な馬車を選び、荷台に上がる。

 檻が設えられた馬車だったが、今は檻を撤去し、荷台は洗浄済みである。

 檻と鎖の残骸はインベントリ内で、資材となっている。

 その荷台の上に、女性向けのデザインのローブを始めとした、旅用の服を幾つかと、ポーチ型のアイテムバッグ、小容量(当社比)のインベントリ機能付きを2つ。

 振りやすく軽く、シンプルなデザインでとっさの魔術行使の際に魔力を補助する効果をもたせた短杖と、同じく軽量かつシンプルなデザインで対魔術使用時における魔力変換効率を高めた長杖を用意し、並べる。

 さり気なく2人のサイズに合わせた下着類を数点づつ用意し、そっと置いておく気配りも忘れない。

 念の為断っておくが、これら女性者の服やアイテムは、持ち歩いていた物ではない。

 たった今、「創造力」を行使して作成したものだ。

 下着類に関しても、名誉のために宣言するが、ステータスなどを覗いたのではない。

 時折浮き上がる身体のラインをみて、脳内で弾き出したのだ。

 舐めてもらっては困るのである。

 この世界で俺は、気の利く優しい男になれるかもしれない。

 オリヤはひとり頷くと、荷台を後にする。

「おまたせ、着替え用意したから、取り敢えず服を、っと」

 何をしていたのか、そもそもその馬車は檻が有ったやつ、と不安にかられる2人に顔を向け、はたと気が付く。

「その前に、キレイにしとこうか」

 びくり、2人が身体を強張らせる。

 まだ太陽は高く、此処は天下の往来、街と街を結ぶ街道上である。

 な、何をする気だろう。

 不安というか嫌な予感が湧き上がる2人を少し放置して、自分の言葉がまたしても足りていないことに気づいていないオリヤは、脳内で魔法を「創り」上げる。

 肌に優しく、髪にも優しい。特に髪に関しては、保湿・補修成分配合の念の入れようである。

 生前、センシティブな頭皮を持ち、長い友を失う恐怖に駆られる、そういう年齢に差し掛かって居たのだ。

 髪の話題には敏感なのである。

 そうして、一部並々ならぬ念の入れ様で、対人用洗浄魔術を創り上げていく。

 さて、呼称はどうすべきか。

 黙考し、直ぐに面倒になったオリヤは適当に名付ける。

身体洗浄(からだきれい)

 まんまである。面倒だから、これでいいか。

 オリヤが名付けた、今創り上げたばかりの魔術を唱えると、2人の身体が暖かな光に包まれる。

「えっ……」

「わぁ……」

 身構えていた2人は、直ぐにこれが洗浄の魔術であると気づく。

 そして、妙な勘違いをした自分を恥じる。

 思えば、先程馬車や地面を洗浄していたではないか。

 何を考えているのか、猛省すべきだ。

 真面目な事であるが、2人は悪くない。

 悪いと言うなら、何かにつけ言葉が足りないオリヤが悪いのだ。

 洗浄の光に包まれ、2人はなんだか普通の洗浄と違うことに気がついた。

 肌が、何だかすべすべになった気がする。

 サリアはふとアルメアを見ると、銀の髪が輝かんばかりの艶を放っている。

 はっとして自分の髪を見ると、かつて見たこととの無い光沢を放っていた。

「うんうん。思った通り、2人とも髪キレイだねえ」

 そう言いながら、オリヤは荷台から飛び降りる。

 振り返り、荷台の中に照明の魔術を掛けると、手早く離れる。

「さ、その中に服とか入れといたから、着替えると良いよ。扉閉めるの心配だろうから、俺はちょっと離れとくよ」

 着替え? 入れといた?

 なんだか聞き流してはいけないような、でも深く考えてはいけないような。

 2人はなんとも言えない気持ちで、恐らく気を使ってくれたであろうオリヤが本当に離れた所でコチラに背を向けていることを確認し、荷台に上がり込む。

 そこに広がる光景に息を飲み、そしてその一角に並べられたあるモノに今日イチで複雑な表情を浮かべ、姉妹は着替えを始めるのだった。

 

 良いことをするのは気分が良い。

 紳士の高揚である。

「あの……」

 背後からの声に、オリヤは振り返る。

 基本は統一しつつ、少しずつデザインを変えたローブを羽織り、清楚なイメージで纏めた上着と膝丈のスカート。デザインがチグハグにならないように気を使った手袋とブーツ。

 思ったより似合ってくれて、オリヤはにっこり微笑む。

 半ば適当では有ったのだが、それなりに頑張った甲斐は有ったというものだ。

「着替えましたが……」

 しかし、解せないのは2人の表情が優れない、というか。

 明らかに不審げな事だ。何故だろう。

「あれ、デザイン気に入らなかったかな?」

 自慢ではないが、オリヤはデザインセンスは無い方だ。少なくとも、生前は無かった。

 それでも頑張ろうと、脳内に何故か溢れるデザイン群から、なるべく清楚な方面で頑張ったのだ。

 半ば適当気味になったのは、本気で拘ろうと思えば次々に湧き上がるデザインに、キリが無くなると早々に見切りをつけたのだ。

 「創造力」の副次的な効果なのだろうか、役に立てる気がしないが、仲間の服とか小物を揃えるのは便利そうだ。

 だが、それも仲間に意見を貰えればである。

 またしても失敗した。ちゃんと、好みは聞くべきだったのだ。

 反省するオリヤに、だが、掛けられた言葉は。

 オリヤの想定していない質問であった。

「……そうではなく。そうではなくて」

 サリアが言い淀んで口を噤む。

「オリヤさん、なんで私達の服のサイズだけでなく、下着のサイズまで判ったの?」

 アルメアが、決然と姉の言葉の続きを紡ぐ。

「え? 見て判ったけど」

 何を聞いてるんだ、判り切ったことじゃないか、オリヤはそう言いたげに切り捨てる。

「見て……? え?」

「見てって、私達……脱いでないのに……」

 サリアがオロオロと口を開き、さしものアルメアも言い難そうに続ける。

「服を着ているからって、判らない訳無いじゃないか」

 オリヤは、自分がとても非常識な事を口にしている自覚はない。

 当たり前の様にセクハラ発言である。

「えぇ……」

 これにはさしもの姉妹も声を揃えてドン引きである。

「杖はどうかな? 揃えた方が良かったなら、揃えて創るけど」

 だから、一瞬、オリヤが言ったことを聞き流しかけた。

 今、この少年は何と言った?

「創っ……た?」

「そうだよ? 杖と、服と、下着と、あと、インベン……アイテムバッグね」

 下着も創ったのかい! なんか着心地が良いのがムカつく!

 素直に気持ち悪くなりながら、やはり気になる単語が混ぜられているのに気が付く。

「杖も気になりますけど……アイテムバッグと言うのは……」

 聞き慣れない単語だった。

「ああ、ポーチ無かった? 時間の魔術と空間の魔術を駆使してあるから、あの大きさで大体1トン位の容量があるよ」

 もう、言葉がないというより、思考が追いつかない。

 サリアはもう何を言うべきか聞くべきか解らず、ポーチを開いて中を見る。

 何処まで広がっているか解らない闇がそこに広がっていた。

「あ、いけないそのままじゃ使えないんだ、ちょっと待ってね」

 うっかり忘れる処だった、オリヤは慌てて2人を制する。

 最も、2人はアイテムバッグと言う物の理解がまだ出来ていないため、試しに使うという考えも思いつかないようだ。

「それぞれの魔力に同調させて、使用者登録するから」

 最早オリヤの言葉にロクに反応も出来ない2人だったが、頭の中……脳内を電気が走るような軽く小さい衝撃に思わず顔を上げる。今のは大丈夫なのだろうか?

 オリヤは心配は要らないというように、のんびりと微笑み続けている。

「これで、そのポーチは2人の専用だよ。試しに杖とか入れてみたら? 取り出す時は、取り出したいものをイメージしてポーチを開ければ、勝手に出てくるよ」

 見た目は手に収まるほど、その割には口の大きなポーチといった処か。

 懐に収めても邪魔になるサイズではない。

 これに……杖どころか、容量で言えば1トンもの物が入るという。

「あ、生き物は入れちゃ駄目だよ、きっと死ぬから」

 最早驚きが過ぎて、素直に聞き入れる2人。

 生き物は入れちゃ駄目。

 アルメアが、手に持つ長杖を、試しにポーチに入れてみる。

 傍目で眺めていたサリアは、手品でも見ている気分だった。

 杖は長さを失っていくのに、ポーチは破けるどころか変化らしい変化がない。

 あれよと言う間に、長杖はポーチに飲み込まれて消えた。

 アルメアは言われた通りにポーチの口を閉じると、今度は今入れた長杖をイメージしながらポーチを開ける。

 すると、ポーチの口から杖の先端が飛び出してきた。

 恐る恐る杖に手をかけると、ゆっくり取り出す。

 そして、杖の何処にも破損が無いことを確認すると、安堵のため息をつく。

 ポーチの事よりも、思ったよりもこの杖を気に入っている自分に気がついた。

 助けられた直後なら感動したかもしれないが、今ではなんだかちょっとだけ癪である。

「食べ物は寧ろ保存が効くから、入れても平気だよ。あと、イメージの仕方次第で、ポーチの外に直接取り出せるから」

 ポーチの口を開ける時のイメージの仕方で、と言われても今ひとつピンとこない。

「オリヤさん……これは、その」

 サリアが、ためらいがちに口を開く。

「この、アイテムバッグだけでなく、短杖とか、服とか……下着は引きましたが……」

 短杖を握る手に、僅かに力が籠もる。

 手にしただけで解った。この短杖はそこらの法術師用の短杖とはモノが違う。

 試しに魔力を流しただけで、その流れる速さも反応の速さも、今まで手にした魔法触媒のどれとも比較にならないものだったのだ。

 恐らく、アルメアの長杖も同等の品質だろう。

 これらのアイテムを気前よく渡す、その理由は。魂胆は何なのだろう?

「この品々は、一級品だと思います。どれ程の値になるのか想像も付きません。お支払いするお金も無いのですが……」

 言われた方のオリヤは、何を言ってるんだという顔で首を傾げる。

 そして、思い当たったと言うふうに手を叩いた。

「ああ、それあげるから。あんな格好で旅させるわけにも行かないし、武器も無しに身を守るとか無理でしょ」

 もの凄く軽い調子で、オリヤは言い放つ。

 当たり前の事だ、と言わんばかりに。

「それと、お金ね。これ」

 懐に手を入れたオリヤは、少し考えるように動きを止めると、何も持たない手を懐から引き抜く。

 どうしたんだろう、そう思う2人の目の前で、オリヤは虚空から大きな革袋を出現させる。

「いっ、今のも、アイテムバッグですか?」

 アルメアが、長杖を抱きしめるようにして問う。

「そうだよー。で、まあ、これ。さっきの賊が持ってたお金だけど」

 音を立てて、革袋が地面に置かれる。

 これほどの大きさのもの、懐から出すのは流石に無理だったのだろう。

 地面に適当な布を敷くと、その上に中身……金貨と銀貨をぶちまけ、手早く3等分する。

「あの賊、ムカつくからお金山分けしよう。3等分したから、それぞれアイテムバッグに入れちゃおう」

 理由が簡単には頷けないものだが、先立つものは必要で、考えてみればムカつくどころの話でなく、単純に恨みすらある。

 特に抵抗なく、サリアとアルメアは貨幣をアイテムバッグに流し込んだ。

 これだけ有れば、故郷までの旅で困ることは無いだろう。

 しかし。本当に無償などということが有るだろうか?

「さて、後は」

 オリヤの声に顔を上げると、オリヤは馬車を眺めている。

「馬車は操作できる?」

「え、いえ、私達は、実は乗馬が出来ないのです……」

 これは言いたい事が解った。

「それに、いくらキレイにしたといっても、この馬車は私達を売るために運んでいた物です。いくら便利だとしても、これを使いたくは有りません」

 馬車を御せるなら、この馬車を使って旅しよう、そういう事だろう。

 だが、2人は正にその馬車で売られゆく旅路にあったのだ。

 正直な気持ちで言えば、これに限らず、馬車其の物に良いイメージが沸かない。

 馬車に揺られるだけで、あの恐怖を、絶望を思い出さない訳がないのだ。

 それを聞いたオリヤは、得心した様に頷く。

「あー、そっか。それは仕方ないね、便利だとかそういう話じゃ無いんだよねぇ。しょうがない、この馬車と馬は、あの街に行かせよう」

 ごめんね、軽く2人に頭を下げると、馬たちに歩み寄る。

 何をするんだろう、そう思う2人の前で、馬たちはそれぞれ小さく嘶くと、不意に歩きだした。

 西に向けて、歩き出す馬群と3台の空の馬車。

 ポカンと、2人はその光景を見送った。

「ここで放っといても可愛そうだし、俺が住んでた街に行かせたんだ。街の入口で待ってれば、街の人がなんとかしてくれると思うから」

 さり気なく丸投げだが、わざわざ一緒に戻る気もしないので、オリヤはそれ以上気にしない。

 見ていた2人は、もう何をどう理解するか、今日の出来事を並べる必要が出てきた。

「でも、2人旅は危険だから、十分気をつけなきゃ駄目だよ?」

 オリヤの心配げな声で、更に混乱を深める。

「え? あの、オリヤさんは……」

 サリアが戸惑いながら声を上げると、当たり前の様にオリヤは答える。

「え? 多少の縁が出来たとは言え、見も知らない男と一緒に旅とか、無理でしょ?」

 本当に、当然のことと言わんばかりに。

 あっさりと、オリヤは同行を否定した。

 何となく、3人で旅するのだろうと思っていたサリア、いや2人は面食らう。

「あ、あの。私達、故郷に帰りたいんです」

 アルメアが慌てて、珍しく姉より先に発言した。

「うん、良いと思うよ? 帰る所がある、素晴らしいことだよ」

 オリヤが、のんびりと笑いながら頷く。

「あ、有り難うございます。ただ、私達も魔術を学んでいるとは言え、旅慣れないもので」

 アルメアに一手目を譲ったサリアが、言葉を継いでオリヤに答える。

「うんうん、旅って大変だからね。俺もこれが初めての一人旅だし、不安はわかるよー」

 駄目だ。この善良なのか変態なのかよく判らない少年は、回りくどい言い回しでは判ってくれない。

 意を決したアルメアが、まっすぐにオリヤを見つめる。

「オリヤ様!」

「は、はい?」

 何となく怒られた気がして、オリヤは居住まいを正す。

「私達を、故郷の森まで連れて行って下さい! お願いします!」

 ずい、と、身を乗り出すように言葉を重ねる。

「私達だけではどうしても不安なのです。私達エルフは魔力は有っても膂力は心許ないので」

 サリアも、アルメアの意図を察して援護をする。

 護衛が必要なことを、きちんと、分かりやすく伝える。

「えっ」

 しかし、オリヤの返答は困惑であった。

 まだ分かって貰えないのか。それとも、共に行動したくない理由が有るのだろうか。

「えぇ……2人とも……エルフだったの?」

「えぇ……気付いて無かったのですか……」

 そこかい。

 長い時間の付き合いではないが、エルフの特徴である尖った耳は幾度も目にしたはずである。

 気付いていなかったとは思わなかった。

「ただの綺麗なお姉さん達だと……」

 耳はちゃんと見ていなかったらしい。

 各種サイズが解る程身体を凝視していた(らしい)くせに、妙な所で観察が雑である。

「……えっと、お姉さん達は故郷までの護衛が必要、って事かな」

 オリヤが、やっと2人の言いたいことを理解しつつあるようだ。

 そしてオリヤは考える。

 エルフは本来、と言うかこの2人も勿論、人間よりも弱いという事はない。

 得手不得手は無論あるが、基本的に魔術に長け、身を守る事など造作もない。

 だが、それでも限度はある。多勢に無勢という言葉もあるし、物量で攻められればどうしようもないのは、人間と変わらないのだ。

 

 参ったなあ。

 オリヤの偽らざる心境である。

 護衛は構わない。不安も解るし、一緒に旅することは苦にはならない。

 だが、もう少しだけでも、自分のペースで移動したかった。

 リミッター解除して、かつ空気抵抗を魔術で軽減させての全力疾走は楽しかった。

 ずっと走るのは流石に嫌だが、あの流れる景色を自分の足で生み出す感覚は中々得ることは出来ない。

 もっと堪能したい処だったのだが。

 しかし、2人のたっての願いでもある。

 これは、しょうがないかなあ。

 オリヤは小さくため息を吐いた。

 

 サリアは、息を呑んでオリヤの反応を待っている。

 そして、改めてオリヤを観察する。

 見た目は、少し背の高い可愛らしい少年だ。

 正直、好みの線の細さである。

 時折見せる、少し困ったようにも見える笑顔も堪らない。

 中身さえ考えなければ、人間にしておくには惜しい逸材である。

 しかし、その中身が大問題である。

 大規模な探知魔術の範囲を苦にもしない、圧倒的な魔力を持ち、見たこともない道具を用いて複数の上級冒険者を屠る実力を持っても居る。

 その魔力は詠唱もなく大地を抉り、大火を呼び寄せる。

 更に、物を創ると言う能力。さり気なく行使しているが、その能力を支えるのは観察眼である。

 2人の職業を確認しただけで、魔力の通りがすこぶる良い杖を二振り用意して見せ、共に用意された服の着心地の良さもさることながら、ローブも魔力の通りを良く作られていて、その上防御の加護を与えられている。

 物理か魔法か問わず、防御魔術を施すことはごく普通のことである。

 だが、このローブに施されているのは、魔術の域を超えているのだ。

 自分で言って信じられないが、これは加護という他ない。

 少なくとも、サリアの知る防護魔術を織り込んだ魔術師用のローブよりも、込められた魔力だけを見ても圧倒的に多い。

 これは戦地に赴いても、生きて帰れるレベルではないだろうか。

 どうやって察知したのか下着のサイズまでピタリと当てている。

 その観察力は最早、気持ち悪いレベルで圧倒的だ。

 それ程の装備品を用意しておきながら、対価は必要ないという。

 下心を疑うなという方が無理な話だが、話せばどうにも調子が狂う。

 一緒に付いて来て何かするつもりか。

 当初はそうう上がったのだが、妹と2人だけで故郷を目指し、本当に自分たちの身を守れるのか、甚だ自信がない。

 せめて森の中ならまだやりようは有るのだが、見渡す限りの平原で、身を隠す場所も乏しい。

 背に腹は代えられない。Fクラスとは言え冒険者だし、依頼という形で雇用形態を取り、契約を盾に自分の身を守りながら旅は出来ないか、その辺りを考えていたのだが。

 

 あろうことか、この少年は一緒に旅することなど、全く考えていなかった。

 妹の、アルメアの頼みに、心の底から驚いて見せたのだ。

 下心にせよ心配にせよ、一緒に行動しようとするのが普通ではないのか。

 寧ろ妹の問に困惑し、悩んでいるようだ。

 これはもうひと押し、援護が必要だろうか?

「……オリヤさんは先程、打算も有る、そう仰いました。共に旅をする、その中に打算が含まれると解釈したのですが、違うのですか?」

 殊更に居住まいを正し、サリアは問う。

 此処は、言葉尻を捉えてでも。自分達の生命を守るために。

 退く訳には行かないのだ。

「打算って言ったのは方便だよ。ホントんとこは、適当に言いくるめて、西の大河の街に2人で行ってもらえば良いかと思ったんだ」

 しかし、対するオリヤは静かに語る。

「あの街は気の良い奴が多いし、平和だし。俺が育った街だし、ね」

 そこでただ平和に、平穏に暮らして欲しかった。

 言外に、そう言われた気がした。

 何故だろう、心が痛い。

 オリヤの笑顔に、チクリと胸の痛みを覚えて困惑する。

 この子……この人は。初めて会った私達を、ただ心配し、安全な場所を提供しようとしていたのか。

 だから、私達が故郷に帰りたい気持ちを、解っていても簡単に頷くことは出来ないんだ。

 それは、危険を伴うから。

 

 サリアは勘違いをしている。

 オリヤ(ヘンタイ)は単に一人旅を所望しているだけで、そんな善人めいた考えなど無い。

 一方のアルメアは、少し焦れていた。

 正直、オリヤが気を使ってくれたのは解る。

 だが、それはそれとして、である。

 そもそも、人間が信用出来ない。

 オリヤのように、変態ながらも助けてくれる人間が居るのは解るが、人間の集団に成ると、その中に悪人も混ざってくる。

 あの賊の様な。

 そんな土地に、長居などしたくない。

 故郷に帰る。そのために、オリヤを、その強さを利用する。

 なんとか、なんとかして言い包めなければ。

 そう考え、口を開きかけた時、オリヤが小さくため息を吐いた。

「あー、故郷まで送るので良いのかな?」

 根負けしたように、オリヤは頭を掻いて問う。

「それじゃあ?」

 アルメアの声が僅かに弾む。

 少し驚いて妹の様子を伺うと、少しだけ嬉しそうな表情で、小さくガッツポーズまで取っている。

 意外な一面を、見た気がした。

「どうせ東に向かって宛のない旅だし、途中の街で適当にクエストこなしながらで良ければ、付き合うよ」

 観念したようなオリヤのため息に、サリアは自分でもよく判らない不思議な気分で短杖を強く握り。

 アルメアは途中で人の街に寄ることに少し機嫌を損ねて、なんとか自分を落ち着けようと長杖を撫でる。

 

 

 

 草原を歩く。

 のんびりと歩きながら、オリヤは自分のステータスの一角を確認する。

 

 犯罪歴:なし

 

 表情を変えず、少し考え込む。

 先の戦闘で、敵対する賊を皆殺しにした。

 犯罪者だから、此方は罪に問われないのだろうか。

 それとも、見た目反撃を行った風に仕組んだからか。

 判らないが、取り敢えず良し、とも言えない。

 次に似たようなことが起きた時に、犯罪者扱いされないとは限らないのだ。

 それはもう、気をつけるしか無いとして。

 ちらりと視線を巡らせると、サリアとアルメアがお互いの杖の感想を言い合いながら、時に交換しつつきゃいきゃいと騒いでいる。

 美人さんがそういう事すると可愛いから、もう。

 オリヤも釣られて表情を緩めつつ、1911を取り出して考える。

 

 こいつを魔術触媒にするか。

 新しく魔術触媒化した銃を創るか。

 1911は愛するモデルだが、実際に撃って見て、その音量に驚いていた。

 平和な国の出身ゆえ、中々慣れない。

 創りが甘いのだろうか? 実銃を知らない故、判断がつかない。

 そのうち、フレームやら何やら、素材を変えて作り変えてみよう、そう思う。

 取り急ぎ、手元の1911に静音化の魔術を施す。

 一瞬、サプレッサーを作ろうかとも思ったが、直ぐにやめる。

 

 1911はこのままのフォルムが良いのだ。

 妙な拘りで、外部アタッチメント化を却下し、さて、それではどういう風に消音化を施すか考える。

 試しに、フレーム上下とバレル、チャンバーに消音化を施す。

 これで幾らかでも音が消えてくれれば良いんだけど。

 試し撃ちをしようかと思い、2人に声を掛けようと視線を巡らせると。

「オリヤさん、今、何の魔術を施したのです?」

 いつの間にか、2人が左右からオリヤの手元を覗き込んでいた。

「高火力化ですかね……? 魔力の流れが静かで、すごいですね」

 サリアが興味津々で手元の1911を覗き込む。なんだか危なっかしい。

 アルメアはアルメアで、語彙力がアレしている。

 落ち着くんだ2人とも、俺の手元にあるのは凶器だ。

 と言うかアルメアさん、高火力化って、俺を何と戦わせたいんだい?

 眉間撃ち抜けば後頭部が吹っ飛ぶ火力で十分だと思うんですが。

 大型モンスター用の武装は、一応考えてるから。

「えっと、今のは、静音化を試そうと思って」

 取り敢えず立ち止まる。

 歩きながらだったり、周りに人がいる状況でむやみに拳銃を弄るのは大変危険である。

 思い至るのが少々遅い気がするが、これから気をつければ良いのだ。

 きっとまた同じ事を繰り返しそうなことを考えながら、警戒レーダーで近場に何か獲物はいないか探してみる。

 しかし、そう上手くは行かないのである。

 500メートル以内に動く適当な反応がない。

 仕方がないので、虚空に銃口を向ける。

「ちょっと離れててね」

 頷いた2人が離れるのを確認して、引き金を引く。

 発砲の衝撃はそのままに、音が凄まじく小さくなっている。

 チャンバーが開く関係から完全消音は無理だが、そのチャンバーにも消音効果を持たせているので、薬莢と一緒に吐き出される破裂音は体感で半分以下になっている。

「すごい、音が小さくなりましたね」

 アルメアが目をキラキラと輝かせて居る。

 そのうち、撃ちたいと言い出す、そんな目だ。衝撃緩和も検討しよう。

 自分が使う分には衝撃緩和は必要ないのだが。

 この、腹にまで響く衝撃が良いのだ。

 それはそれとして、完全消音も試してみる。

 恥ずかしながら今気がついたのだが、消音するならもっと簡単な方法があった。

 魔法の存在する異世界ならではの方法――さっきも魔術を使用しているのだが――で。

 愛銃、1911のチャンバーを中心にして、半径20センチの遮音結界を施す。

 これだけで良い。

 この結界は運動に影響を及ぼさず、音だけを遮る。

 結界の内外で音を遮るので、広げたら内緒バナシ空間の完成だ。

 便利そうなので、脳内メモに「遮音結界」を書き込んでおく。

 試しにもう一度発砲する。

 完全無音、自分にだけ響く衝撃。

「ええ⁉ 今度は音がしなかった⁉」

「完璧です……最早暗殺にも使用できます……」

 目を丸くして驚くサリアと、うっとりと微笑むアルメア。

 アルメアさん、才能有り、と。脳内メモに記入しておく。

 女性用の拳銃だと、何が良いかな。

 モックを色々用意して、好みの物を選んで貰うかな。

 どうでも良い事を計画しながら、マガジン内の弾丸を撃ちきり、スライドストップを外してホールドオープンを解除する。

 どうも、完全消音だと物足りない気がするが、そのへんのバランスはまたの機会に考えることにして、銃をインベントリに戻す。

「オリヤさんは、何処かに工房をお作りになる予定は?」

 不意にサリアから放たれた問いに、問われた方は不思議そうな顔で首を傾げる。

 工房、考えてみれば必要かもしれない。

 しかし、旅を始めたばかりだ。

 何処かに腰を据えてまで、モノ作りに拘る気は無い。

 だが、有れば便利だ。「創造力」が有れば、素材さえ確保すれば制作・加工に場所を選ばない。

 しかし、歩きながら創るよりも、腰を据えて創るほうがイメージもしやすい気がするし、何となく良い物が作れそうな、そんな気がする。

「工房かぁ……」

 アルメアが何故かキラキラと瞳を輝かせている。

 武器類が好きで、工房に興味有り。

 ホントにエルフか確認したほうが良いだろうか。

 きっと凄く怒るだろうから口には出さないけれど。

 しかし、工房。

 あ。

「工房としては考えてなかったけど、工房化することは出来る、か……」

 口元に左手を当てて、考え込むような表情で呟く。

 ごく小さな呟きだったが、2人が聞き取るのは難しくはなかった。

「えっ、工房を持っているんですか⁉」

 アルメアが、たまらずオリヤに掴みかかる。

「ア、アルメア、落ち着きなさい! オリヤさん、工房化、とは、どういう……?」

 サリアが止めるのも構わずがくんがくんと揺すられるオリヤ。

 いかん、これは説明しないと首がもげる。

「ありゅめあさん、せちゅめっ」

 無理に喋ろうとして舌を噛む。

 しゃがみ込んで口元を抑えるオリヤの後ろを、アルメアがオロオロと彷徨う。

「あああ、あああああ、ああああああああ」

「アルメア! ちゃんと謝りなさい!」

 オロオロと言葉を成せない加害者(アルメア)に、加害者家族(サリア)が謝罪を促す。

「と、止まってくれて良かった……」

 血が出たんじゃないかと言うほどの勢いで噛んだが、なんとか持ち直す。

「こ、工房は無いけど、工房に出来る空間の宛は有るんだ」

 ヨロヨロと立ち上がるその口元は、まだ本調子とは言えないようだ。

 モゴモゴと口を動かし、それでもなお不安げな顔で、心持ちアルメアから距離も取っている。

「あああああ! ごめんなさい、オリヤさんごめんなさい、工房紹介してええええ!」

 距離を取られてショックなのか、慌てるアルメア。

 ショックなのは工房を紹介して貰えないかもしれない、そんな所のようだ。

 良いんだけどさ……。

 ふと、真面目に考える。

 今日、どっかの街なり村なり到着出来るだろうか?

 この2人が居ても、手持ちの食料で2~3日は保つだろう。

 だとすれば、暗くなって用意するよりも、明るいうちに見せたほうが、妙な警戒を生まずに済むかもしれない。

 

 オリヤが少し街道を離れよう、そう提案して2人の返事を待たずに歩き出す。

 顔を見合わせて、サリアとアルメアは少し逡巡してから小走りでオリヤを追う。

 オリヤは言葉通り、それ程遠くない場所で立ち止まり2人を待っていた。

「オリヤさん? こんな所で、どうしたんですか?」

 見渡すが、ただの平原の、珍しいものが有るわけでもない場所。

 オリヤはこんな場所で何をするのだろうか?

「いや、言われるまで考えてなかったけど、工房は有ったほうが良いなあと思って」

 返事は有ったが、内容が理解できない。

 工房が有った方が良い?

 それは解る。だが、此処は建物どころか、草しか生えていない野原である。

「何処かに工房を持つとか、そういう話?」

 拠点を持つと言う事だろうか。

「いんや、ちょっと見てて」

 オリヤは空間に手を翳す。

 今までの流れで何か出すのだろう。

 まさか、建物でも持ち歩いているのか。

 いや、話の流れからすると、此処に創るつもりだろうか。

 2人がそう考えていると。

 目の前に、得体のしれない……扉がぽつんと現れた。

 

 これはあくまでも、神様のマネである。

 ど○でも扉ではない。

 この扉を開けば、中は幾つかの部屋に分かれた空間になっており、それぞれに家具やら寝具やらを置いてある。

「扉……?」

 アルメアが恐る恐る扉に近づく。

「うん、この中は俺の移動拠点なんだけど」

 言いながら、扉を開く。

 扉の中は、薄暗く、奥はよく見えない。

 淀んだ空気などは感じないが、得体の知れない空間であることに変わりはない。

 流石に戸惑う。中に侵入(はい)れという事だろうか?

「まあ、上がってよ」

 どうやらそう言う事らしい。

 オリヤは率先して中に入ると、壁際に有る「何か」を操作しているようだ。

 ごく小さい動作で、空間内に光が満ちる。

 サリアとアルメアは戸惑い、興味も刺激される。

 此処までで、オリヤは変態では有るが妙な下心を感じさせることは無かった。

 今になって心変わりした、そういう事が無いとは言わないが、あんまりにもあけすけ過ぎる。

「あ、入ったら扉閉めてね―」

 入り口から伸びる廊下から続く幾つかの部屋、その一番手前右側の部屋から声が伸びてくる。

 扉の前で2人は悩む。

 女性らしい恐怖もある。2人居るとはいえ、相手は魔神かと思えるほどの魔力を持つ人間だ。

 あの銃と言う武器も脅威だ。ローブの防御の加護だけでは心許ない。

 サリアの防御魔術を加えた所で、対抗出来る自信もない。

 どうするか?

 逡巡の末、アルメアが一歩踏み出す。

 扉を潜り、動きを止める。

「姉さん……」

 ゆっくりと、振り向く。その顔は真剣其の物で。

 サリアは判らないながらも息を呑む。

「ここ……涼しい」

 アルメアが、真面目くさった顔で述べる。

 こいつ……。

「……行きましょう。オリヤさんがきっと待ってる」

 気が抜け、サリアはアルメアを押し退けるように扉を潜る。

 アルメアはサリアの背に張り付くように、こわごわと扉を潜り、少し悩んでから扉を閉める。

 廊下の奥を覗き、様子を伺うが、非常にキレイだ。

 足元を見れば、一段高くなっており、オリヤのものと思しき靴が段差の手前に置いてある。

 段の上には、布製のスリッパが2つ。

 履き替えた方が良いのだろうか?

 しかし、いざという時に靴を履いたままのほうが逃げやすいだろう。

 どうするか……。

 考えるが、いざオリヤが襲いかかって来たとして。

 そもそも抵抗出来るだろうか?

 黙考し、サリアは観念してブーツを脱ぐ。

 諦めたのではなく、これは信頼だ。

 ブーツを玄関に並べ、2人は壁に手を付きながら恐る恐る部屋を目指した。

 

 2人とも、来ないな……どうしたのかな。

 オリヤがテーブルにコップを並べ、冷蔵庫から水出しの紅茶を出して注いでいく。

 ついでに、お茶菓子を並べる。

 うーん。女の子を部屋に呼ぶなんて何年ぶりか、と思ったが、思い返せば割と最近もカテリナがオリヤの部屋でゴロゴロしていた気がする。

 あれは妹扱いだからノーカンか。

 つい最近の出来事なのに、既に懐かしくちょっと泣きそうになっていると、視線を感じる。

 何事かと見ると、2人がこわごわと室内を覗き込んでいる。

「……どしたの?」

 オリヤが声を掛けると、やはりこわごわと2人が室内に入ってくる。

「ここは……」

 サリアが室内を見回しながら呟く。

「これは……」

 アルメアがテーブルの上のお菓子を目ざとく見つけ、呟く。

「ここはダイニング・キッチンだよ。食材はそんなに無いけど、調味料は頑張って揃えてる。思いつく限りだけどね」

 当たり前のように説明する部屋主……いや、家主を見て、言葉もないサリア。

 さっさと席に付き、無言でお菓子から目を離さないアルメア。

 そんなアルメアさんを、心持ち可哀想に眺めるオリヤ。

 微妙な空気の中で、耐えきれずアルメアが顔を上げる。

「あ、良いよ食べても。何ならおかわりも有るから」

 そのアルメアが口を開くより速く、オリヤが告げる。

 アルメアは目を輝かせて、お菓子……オリヤ渾身の逸品「どら焼き」を口に運ぶ。

「美味しい、甘いッ!」

 嬉しそうに声を上げるアルメア。

 警戒したのが馬鹿みたいに思えて来て、サリアもため息交じりに椅子を引き、腰を下ろす。

「これは……お茶かしら?」

「ああ、それは水出し紅茶っていうんだ。お茶請けもどうぞ」

 綺麗な透明のグラスに、琥珀色の液体が満たされている。

 そっと手を伸ばし、驚く。

「これ、冷たい……!」

 恐る恐る口に運び、より一層その冷たさを感じる。

 こんなに冷たい飲み物、初めてだ。

 続いてお茶請け――どら焼きを口に運ぶ。

 アルメアの気持ちが解った。

 甘い。甘すぎではなく、柔らかい甘さ。

 お茶のスッキリとした苦味を受けて、甘さが一層口の中に広がる。

 お茶も進む。お菓子美味しい。

 先程までの不安も忘れ、俄に幸せを噛みしめるサリア。

 隣では、アルメアが2個で足りず、おかわりを要求していた。

 

 工房をこの空間に創りたい、そういう相談をしたかったんだけど。

 どら焼きの最後の1個を巡り一歩も引かない姉妹。

 その様子を残念そうに眺め、オリヤはひとりドーナツを摘んでいる。

 オリヤの分のどら焼きは、既に2人の胃の中であった。




そして話は進まない。


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ベッドは柔らかいほうがお好き?

おやつ大戦争。
悲しみは繰り返されるのか。


 結果、ドーナツも取り上げられ、オリヤは侘びしく茶を啜っている。

 しかしその甲斐有ったのか、満足したらしい2人はにこやかに談笑している。

 先程までのギスギスは映像に残しておくべきだったかも知れない。

 オリヤはそう考えたが、漏れ出るため息は隠せなかった。

 

 

 

「色々質問とか在るかも知れないけど、まず言いたいのは」

 そう口を開いて、少年が言ったのは、改めて彼の年齢と、恐らく、と気を使うように前置きして。

 自分の方が年下だと思うから、呼び捨てで良い、そう言う事だった。

 何を言い出すのかと気の抜ける私の隣で、妹は元気に了解を伝える。

 本人がそれで良いなら、そうすべきだと思う。

 少なくとも私には異論はない。

 そう思いながら改めて室内を見回すと、非常に綺麗な……まるで新築の部屋だ。

 テーブルにも汚れはなく、グラスも綺麗で。

 見慣れない大きな箱と、食器棚。キッチンもあるが、見慣れない形状だ。

 あの銀色の曲がった筒はなんだろうか?

 (サリア)は初めこそさり気なさを装っていたが、いつしか興味の赴くままに室内に視線を走らせていた。

「あの……そろそろ本題、良いかな?」

 オリヤが、何故か少し恨めしそうに此方を見ている。

 何だろう? 何か気に触ることでも有っただろうか?

 ああ、きっと本題とやらを話したくて、待ちきれなかったのだろう。

 年相応に不貞腐れて居るのか、可愛らしいところも有るらしい。

「あ、そっか、そう言えば工房の話だったわよね」

 私が何か言う前に、アルメアが口を開く。

 私より多くどら焼きを食べた癖に。

 ドーナツも多く食べた癖に。

「うん。工房をこの空間に作りたいなって話をしたかったんだけど」

 オリヤは行儀悪くお茶を啜っている。

 お茶菓子は……ああ、そっか、私達にくれたんだっけ。

 何故か、オリヤが目を合わせてくれない。

「ここを、工房にするの?」

 私より多くお菓子を食べたアルメアが問う。

「いんや、ここは食堂だから。ここじゃなくて、別の部屋をね」

 オリヤは言いながら立ち上がると、入口の方へ向かう。

 入り口で立ち止まり、何か廊下の奥を見つめているようだ。

「……工房もそうだけど、2人の部屋も有ったほうが良いかな?」

 そう呟く声が聞こえた。

 部屋?

「オリヤの部屋も有るの?」

 食いしん坊がひょいひょいとオリヤに近づく。

 この子は、お菓子ですっかり懐柔された感がある。

 私の分も食べた癖に。

「ん? うん、この隣が俺の部屋だなぁ」

 オリヤが言うと、アルメアはひょいひょいと部屋を出ていく。オリヤの部屋に向かったのだろう。

 警戒心云々より、オリヤを置いてオリヤの部屋に向かうのは、どうなんだろう。

「……なんで俺の部屋に向かうんだ?」

 おお、オリヤが困惑している。

 何だか興味が湧いて、私も立ち上がる。

 オリヤが歩く後ろに付いて、オリヤの部屋とやらを覗きに向かうのだった。

 

 ひどく殺風景な部屋だと思った。

 ベッドがひとつ。

 開きっぱなしのクローゼットの中には、上着が何着か掛かっている。

 他には、壁にくっ付くように置かれた机がひとつ、そこに椅子が一脚。

 机の隣に、チェストが1台。

 他には……天井に、見慣れない照明が煌々と灯る、それのみだ。

 ベッドが寄り添う壁には窓があり、カーテンで遮られている。

「……なんにも無いわね」

 何故かベッドの下を覗き込んでいるアルメアが、どういう訳か残念そうに言う。

 そんな所に何が有ると言うのか。

 オリヤは何とも言えない顔で押し黙っている。

 何だと言うのだろうか。

「オリヤ、この部屋に私達も?」

 一緒に寝泊まりするのだろうか? それ程広くもなく、何より寝具がひとつしか無い。

「いやいやいや、それは不味いでしょ」

 苦笑しながら否定して、オリヤは部屋を出る。

「どうしようかなあ」

 なにか言っている。アルメアを置いて、私も廊下に出る。

 そこでは、オリヤが腕組みして何事かを考えていた。

「どうしたの?」

 声を掛けると、振り向いて、困った顔で頭を掻く。

「えっと、考えてみたら、2人がここに部屋が欲しいか、聞いてなかったなあと」

 何を言っているのか。自分の部屋に一緒はマズイ、そう言ったのはオリヤ本人だ。

 どうしたと言うのか。そこまで考えて。

 あ。

 この子、気を使っているんだ。

「俺はここでも、野営でも構わないけど。2人は……ここ、不安じゃないかと思ってさ」

 ここまで「案内」して、尚。

 私達の意思に任せると言うことなのだろう。

 ここまで一緒に、短い時間だけれど一緒に行動して。

 私達に命令なりしようと思えば、チャンスは有ったのに、それを自ら潰して。

 その理由は、私達に自由を与えるため。

 (アルメア)と目を見合わせる。

 アルメアも、似たことを思っているようだ。

 どうにも不器用で、捕らえ所が無くて、子供っぽさも相応に有って、変態で。

 総じて言えば、善人に近い変人。

 この子は、私達の自由意志を尊重しようとしてくれる。

「じゃあ……」

 私は少し楽しくなって、妹に目配せする。

「向かい側にある部屋がいいかな」

 アルメアも楽しそうに、オリヤの部屋の向かいの扉を指差す。

 オリヤはキョトンとして、直ぐに……妙な顔をする。

 強いて言えば、正気か? と問うかのような。

 よく判らないけど、失礼な子だ。

「うーん、いいけど、工房にしようかと思ってたんだよ」

 オリヤは頭を掻きながら、向かいの部屋に向かう。

 特に鍵は掛かっていないようだ。何故なら、オリヤを追い越したアルメアが堂々とドアを開けたからだ。

 我が妹ながら、物怖じしない子だ。

 つい数時間前までの悲壮感も絶望感も、何処かにやってしまったかのようだ。

 ……そんな訳ないのに。

 人を信じられる程の時間は経っていない。

 たまたま、綺麗な身体で居られただけで。

 この1ヶ月、商品としてぞんざいに扱われて、荷物は全て奪われ。

 首輪を掛けられ、そして始まった絶望。

 どう扱われるのか、想像して震えて。ろくに眠れず、今だってオリヤには悪いが、恐怖心が全く無い訳じゃない。

 そのオリヤは何も言わないが、気を使っているのだ。

「なんにもなーーーい!」

 部屋の中から、アルメアの声が響いてくる。

「そりゃあそうだろう……」

 オリヤはため息を吐いて部屋に入り込む。

「狭ーい! もっと広いのが良ーい!」

 アルメアは努めて明るく振る舞っているようだ。

 或いは、オリヤを試しているのだろうか。

 何処まで、オリヤが普通に振る舞えるのか。

「えぇ……。んじゃあ、隣の部屋とつなげるかぁ」

 オリヤの声がのんびりと響く。

 何処までも、オリヤはマイペースで、表情は色々変わるけど。

 怒ったり、脅したり、そういった事は一度もしなかった。

 部屋を覗くと、オリヤが奥の壁に向かって手を伸ばしている所だった。

 部屋全体に魔力の流れを感じる。

 それ以上に、オリヤが強い魔力を放っていた。

 何を、と考えていると、オリヤの前から壁が消える。

 ……本当に、やることがいちいちとんでもない。

 考えてみれば、ここもよく判らない場所だ。

 後で説明して貰おう。

 そんな事を考えている間に、アルメアはオリヤにベッドを作らせている。

 我が妹ながら、順応の早い子だ。

 無駄に広くなった気がするけど、まあ、いいか。

 ベッドが2台出来上がっている。

 なんだか見慣れないベッドだけど、揺れる床で寝るより遥かにマシだろう。

 寝具も創って貰って、アルメアもご機嫌だ。

 ついでのように、オリヤは部屋の継ぎ目だったところを綺麗にし、まるで元々ひとつの部屋だったように仕上げ、繋ぎ目だった部分の壁に窓を増設してくれた。

 カーテンの向こうはさっきの草原で、どうなっているのか非常に不思議だ。

 でも、暗い洞窟のようではないので、安心できる。

 チェストを2台創ると、アルメアのスイッチが入ったようだ。

 服をあれこれと要求している。

 アルメアのよく判らない抽象的な要求と、それを受けて(何故か)的確に服を次々と創り上げていく。

 それらは見たことのないデザインも有ったが、基本はひとりで着脱出来るものばかりだ。

 それなのに、やたらと豪奢であったり、清楚であったり、様々である。

 アルメアのあの指示で、よくもまあこれ程、と呆れる間に。

 ブラウスが、スカートが、パンツが、ジャケットが、山となって積み上がっていく。

 ご丁寧に私の分も考えているらしく、微妙にデザインや色が違う物を、2種類ずつ創っているようだ。

 さらなる(アルメア)の要求でクローゼットが大きくなり、チェストが更に2台増設される。

 二部屋に渡るカーペットを織り上げ、いかにもアルメアの好きそうなテーブルセットが創り上げられ。

 殺風景だった部屋は少しずつアルメア色に染まっていく。

 ちなみに此処まで、私は口を挟んでいないし何かを問われもしていない。

 (アルメア)(アルメア)だが、オリヤも少しは此方に聞いても良いのではないのか。

 少しムッとした私は、年甲斐もなく「大きなぬいぐるみ」を所望し、私達の身長に匹敵する、デザインだけは可愛らしいクマのぬいぐるみを2体作らせたのだった。

 

 どれくらい時間が過ぎただろう。

 少し。そう、少しはしゃいでしまったらしい。

 気のせいか、オリヤの顔色が悪い気がする。

「工房は、俺の隣の部屋にするかな……」

 青い顔で力なく呟くと、オリヤはすっかりファンシーな装いの部屋を、少しふらつく足で出口に向かう。

「とりあえず、適当に寛いで……キッチンの冷蔵庫に飲み物とか有るから、適当に飲んだりしてくれて良いよ……」

 そのままオリヤは自分の部屋に戻っていった。

 私達は見送ってから顔を見合わせ……取り敢えず部屋の扉を閉める。

 作業を終えてから、少し……オリヤの様子がおかしい。

 流石に……色々作らせ過ぎたのだろうか? 少し反省する。

 調子に乗ってソファまで作らせたが、私より調子によじ登っていたのはアルメアだ。

 ベッドのデザインが気に食わないと、2回作り直させていた。

 ふとオリヤの部屋の殺風景さを思い出し、ホントに同じ人間が創ったものか疑わしくなる。

 そう思って改めて部屋を見渡すと……。うん。

 作らせすぎだ。アルメアはせっせと上着やローブをクローゼットに掛けていく。

 あ、あのローブ可愛い。

 ちょっと興味を惹かれ、私も服をハンガーに掛ける作業を手伝う。

 ジャケット、ローブ、その他上着類と気に入ったデザインのスカート達をクローゼット一杯に掛け、一旦作業を止める。

 まだ床に散らばる物は後で畳んでチェストに入れるとして……なんでこんなにブラやショーツが有るのか不思議である。

 今、身につけている事実が既に如何ともし難いが、替えをこんなに用意してくれた、ありがとう! とは思えない私が居るのは否定できない。

 取り敢えず下着類については置いといて。

 あとで、ちゃんとお礼を述べねばならないだろう。

「オリヤ……どうしたんだろうね?」

 ベッドに腰掛けながら、アルメアは疑問を述べ、そしてすぐに奇声を発し、驚いたように立ち上がる。

「なに、どうしたの?」

 ベッドが思ったよりも硬いのだろうか。

 確認するように、何度もベッドを叩いている。

 何が気になるのか判らないが、もうちょっとオリヤの心配をしても良いのではないだろうか?

「姉さん、ベッド! ちょっと座ってみて!」

 何を興奮しているんだろう?

 子供じゃあるまいし……。

 ちゃっかりと窓側のベッドを取った妹を横目に、私は廊下側のベッドに腰をかける。

 柔らかいけど、思ったよりもしっかりしてるのね、そう思おうとした瞬間。

 私の体重を受けたベッドが、ふんわりと、ゆっくりと沈んだ。

「⁉ ? ⁉」

 初めての感触。思わず立ち上がる。

 そして気付く。これか。

 アルメアを見ると、意を得たりとばかりに、こくこくと頷いている。

「な……なに、これ」

「凄いよ! ただ柔らかいんじゃない、支えてくれるのに、ゆっくり沈むみたいに!」

 言うが早いか、アルメアはベッドに全身を投げ出し、感触を確かめている。

「ああああぁぁぁぁ……身体がぁ……沈むぅ……」

 いや、これは。確かめて居るんじゃない。

 完全に身を任せている。

「アルメア、あなたそのままじゃ寝ちゃうから、せめて上着は脱ぎなさい」

 声を掛けてみたが、遅かったらしい。

 アルメアはうつ伏せのまま、もう眠りに落ちていた。

 窒息しないか軽く不安であるが、多分……大丈夫だと良いな。

 少し心配だったのでアルメアをひっくり返し、それでも目を開けない様子に軽く慄きながら、私も上着を脱いでベッドに横になった。

 そうだ、考えてみたらこの1ヶ月、ちゃんと眠れていなかった。

 それでこのベッドの絶妙な柔らかさは反則だ。

 これではアルメアは勿論、私でも眠気に勝てる訳がない。

 沈み込むベッドに、私の意識も沈んでいくのだった。

 

 その頃、オリヤも「創造力」の使い過ぎで気分が悪くなり、自分の部屋でベッドに横になっていた。

 彼のベッドはこだわりの畳ベッドであった。

 

 

 

 ここは何処だろうか?

 オリヤは靄がかかったような頭で考える。

 たしか、あの2人の部屋を創って、なんかベッドとか色々創って。

 思いつく限りの好みの下着を創った気がするが、その後、部屋に戻って。

 自分のベッドに倒れ込んだのは覚えているが、それからどうなったのか。

 のっそりと、身体を起こす。

 そこは、見慣れ無いが見覚えの有る、白い世界だった。

 

 あっれぇ? 何、俺、また死んだの?

 オリヤはそう考えながら、頭を掻く。

 見回す視界の中に、白い扉が有る。

「織弥さーん、どうぞー」

 扉に気付いて間もなく、名前が呼ばれる。

 目を覚ますのを待ってくれていたらしい。

 立ち上がりながら、あれ、あのソファー無いなあと、どうでも良いことを考える。

 

「お久しぶりでーす」

 扉を押し開けて、気の抜けた挨拶を上げる。

 扉の向こうは……なんだか様子が違っている。

 前来たときより、何だか家具が増えている気がする。

 こんなソファ、有ったっけ?

 それに、室内の人も増えている。

「あ、オリヤ!」

 ここ数時間で聞き慣れた声が聞こえる。

 キラキラ輝く白銀の髪。

「あ、妖怪スィーツおいてけ」

「誰が妖怪か!!」

 元気で美人可愛いアルメアさんである。

 よく見ると、隣りにいるのは双子のお姉さんのサリアさん(金髪)である。

 妹さんと違って、少し不安そうな顔で此方を見ている。

 増えた人数が関係者という事で、途端に嫌な予感が大挙して押し寄せる。

 まさか。

 「移動拠点(シェルター)」が崩壊して、3人共……?

 それ程脆く創った覚えはないが、しかし不測の事態は起こるものだ。

 最悪の場合に備え、内部の生命体は自動的に排出する機能も付けていた筈だが、それも駄目だったのだろうか。

「やぁ、織弥くん。久しぶりだね」

 ハッとして顔を向けると、神様がにこやかに手を振っている。

「あ、神様、お久しぶりです」

 オリヤは考え事もそこそこに、ペコリと頭を下げる。

 すると、エルフ姉妹が声を上げる。

「えっ⁉」

「神様⁉」

 2人はワタワタと立ち上がり、神様に向かって深々と頭を下げる。

「あ、気にしなくていいよ、ケーキのおかわりはいるかな?」

 神様は相変わらず線の細い顔でニコニコと微笑んでいる。

 うーん、威厳を感じもするが、この線の細さ。

 この2人、一体何者と思っていたんだろうか。

「あ、是非ッ!」

「こらっ! アルメア!」

 物怖じしない妹さんが神様にケーキのおかわりを要求している。

 すごい光景である。

「あはは、気にしなくて良いんだよ。あ、ケーキを3人分お持ちして」

 神様、ただのイケメン説。

 爽やかに、そしてさり気なくオリヤの分も用意してくれるらしい。

 実は自分の分だったりしたら、寧ろ尊敬する。

「はい、では、お茶も用意しますね」

 助手? の、目のないお姉さんが返事して立ち上がる。

 何だろう、この和やかな空間。

 違和感しか無い。

 落ち着かない思いのオリヤは、さてサリアの隣に座るか、どうするか考え込む。

 そもそも、この空間に3人で呼ばれた理由は何だろう。

 やはり死んだのだろうか?

 しかし、輸出2回目と言うのは有るのだろうか。

「織弥くん、取り敢えず座りなさい」

 あれ?

 オリヤは神様の声にびくりと身体を固まらせる。

 あれ? 神様、何だか怒ってない?

 オリヤはおずおずと、テーブルの端に付き、その場に正座する。

「……オリヤ、あんた何してんの?」

 それを見て不思議そうに、不審そうにアルメアが口を開く。

 口にこそ出さないが、サリアも同じ事を考えているようだ。

 だが、これで良いのだ。

 古来より、説教を受ける側は正座するものと相場は決まっている。

 オリヤは生前、褒められるような少年時代ではなかった。

 説教を受けることなど茶飯事であったのだ。

 故に、断言出来る。これは、お説教コースだ。

 神様がやにわに纏った雰囲気が、怒っている父のそれとそっくりであるのがその証左だ。

「ふむ。心当たりはある、と言うことかな?」

 神様が怒りの空気を纏ったまま、にっこりと微笑む。

 怖いです、神様。

「すみません、判らないっす」

 変に賢しげに判った振りをするのは逆効果。

 生前の経験である。

 背中に嫌な汗を浮かべながら、縮こまるオリヤの前にお茶とケーキが。

 エルフ姉妹の前にも新しいケーキが置かれる。

 サリアはオリヤの様子と神様の雰囲気が変わったことを感じ取り、アルメアはケーキの甘さを口いっぱいに感じている。

「そっかぁ。判らないかぁ」

 そんな空気の中、神様は口調だけはのんびりと。

 表情は変わらずにこやかに続ける。

「今日の事なんだけどね?」

 今日……。

 オリヤは記憶を探る。

 今日した事で、怒られるような事?

「えーっと、連続殺人でしょうか?」

「ブーッ」

 軽い。

 神様の纏う雰囲気は変わらないのに、まるでクイズでも出しているような気軽さで。

 と言うか、殺人以上に神様を怒らせる事?

「……もしかして、俺の移動拠点(シェルター)が崩壊して……2人を巻き込んだとか、そういう事でしょうか?」

 考えたくない事だが、他に思い当たる事がない。

 恐る恐る、口の端に乗せる。

「残念! 君のその移動拠点(シェルター)での事ではあるんだけどね」

 というか、崩壊もしてないし死んでないヨ。

 神様はそこだけ雰囲気を和らげて教えてくれた。

 心底ホッとしたが、しかし、そうなると本気で判らない。

 移動拠点(シェルター)絡み? おかしい、特に不埒な事はしていない筈だ。

 そこで思い当たる。

「あっ! この2人の暴食ですか⁉」

 びしりと、音が鳴りそうな勢いでエルフ姉妹を指差す。

 7つの大罪にも数えられる暴食。

 この2人は、あろうことかおやつに用意していたどら焼きを7個平らげ、更に5個のドーナツを食べ尽くした。

 オリヤの口に入ったのは、ドーナツがわずか1個である。

 糾弾された方は納得がいかないのか、即座に応じる。

「ちょっと! 暴食って何よ⁉」

「私はアルメア程食べてないわよ!」

 そして始まる睨み合い。

 ただし、姉妹で。

「ブーッ。ハズレ」

 なんですと……?

 いよいよ判らない。

「まあ、正確には移動拠点(シェルター)だけの話じゃないけどね」

 神様は机に肘を置き、指を組んで顔を隠す。

 あれ? そのポーズ知ってるぞ?

「今日、何回「創造」したかな?」

 虚を突かれて、オリヤは素直に指折り数える。

 移動拠点(シェルター)での惨事を思い出して、すぐに計測を諦めた訳だが。

「さて。君の『創造力』は制限があるのは覚えているかな?」

 神様の指摘に、オリヤはぼんやりと考える。

「『創造力』で創る物は、基本的に材料(素材)と俺の魔力が有れば、想像するだけでOK。ですよね?」

 合っている筈だ。大丈夫、忘れてないよ神様。

「まあ、覚えてる様でなによりなにより。で」

 神様に、怒りに似た威圧感が戻る。

「君は、今日。()()()()()()()()()()()()()()?」

「……あっ」

 言われて気付く。

 そうだ。

 元々有った移動拠点(シェルター)の壁と、馬車の檻と鎖は素材に変換したからまだ良い。

 今日作ったもので、大物はベッド2台、チェスト4台。此処までで、金属は兎も角木材は足りていない。

 窓ガラス2枚も、素材ナシだ。

 更に、ベッド用のマットレスと、その他大量の服・下着類。あ、ぬいぐるみも。

 これらに必要な布など、当然のように素材無しで創っている。

 出来るから気にならなかった。しかし、考えてみれば妙である。

 なんで、素材もなしに作り上げることが出来たのか?

 空気中の分子を?

 いやいや、あれほど大量の服を作り上げる程の成分は含まれていないし、よしんば出来たとして、密室でそんな事をしたら即、窒息死だろう。

 では、何故可能だったのか?

「素材無しの『創造』は、実は可能だった。君が実践するまで、考えもしなかったけどね」

 神様は初めて、声から笑みの成分を消した。

「厳密には……素材は消費されていたんだ」

 神様は静かに、オリヤの瞳を見据える。

 オリヤは言葉を発することも出来ず、ただ神様に視線を返すだけだ。

「織弥くん。君が今日、素材を用意せずに創り上げたものは……君の魂を原材料としている」

 3人に、衝撃が走る。

 神様の言うことが本当なら。

 オリヤは今日、文字通り魂を削って2人のために服を創ったということになる。

 当の本人の様子を見るに、知らなかった様だが……知らなかったで済む事でも無いのだ。

 言われてみれば、今日、大量に「創造」を行った後、そこまでは大体マイペースに微笑んでいたオリヤが、異常なまでに疲弊していた。

 ……そう考えるサリアは、ダイニングでオリヤのお菓子を取り上げた時の彼の様子を覚えていない。

 奴隷商を「処理」した時も、特に表情に変化の無かったオリヤが、驚くほどに顔色を悪くしていた。

 ……記憶を辿るアルメアの脳内には、そもそもオリヤからおやつを強奪した記憶が無い。

 なんと言う事だ……。

 オリヤはワナワナと震える。

「俺は……」

 拳を握りしめる。

「魂を込めたつもりが、本当に魂でブラを! パンティを創り上げてしまったのかッ!!」

 なんと言う事だ。

 自分の才能、いや、違う。

 自分の情熱が恐ろしい……!

「サイッテー!」

「気持ち悪いからそういう言い方やめて!」

 エルフ姉妹には何故か不評である。

 肌触りが悪いのだろうか?

「馬鹿な事を言ってる場合じゃないんだよ、織弥くん」

 神様までバッサリと斬り捨ててくる。あんまりである。

 ショックを隠しきれないオリヤに、神様は静かに語りかける。

「君をこの世界に送った目的を忘れていないかい、織弥くん」

 目的? オリヤは脳をフルで回転させる。

 そもそも、目的というものは立てなかった。

 好きに生きて、好きに死ね。ざっくりいうとそういう「条件」でこの世界に輸出されてきたのだが、強いて言えば世界を旅する事が目的だろうか。

 いや……待て。そうじゃない、神様はその前に話してくれていた。

 魂のバランス。

 魂が増えすぎた地球から、その逆に――魂が減っているであろうこの世界へ。

 ヘッドハントと言う言葉の意味。

 輸出と言って間違いないと笑った意味。

 

 ヘッドハントとはつまり、この世界からヒトの大きな魂、其の物を求められたということで。

 輸出とは、作物のように実りすぎたヒトの魂をこの世界に送り出すということ。

 

 能力の話じゃない。魂の話だった。

 この世界では、死後世界に還元される魂が必要だったのだ。

 死して後、この世界に――分解され、生命の素として魂が還元される約束だからこそ。

 並外れたステータスが与えられ、タガの外れた能力を与えられたのだ。

 好きに生きて――人生を好きな様に、後悔のないように謳歌して。

 好きに死ぬ――納得して、魂を分解する、その為に。

 

 そして、だからこそ判った。

 こうして神様に呼び出され、説教を受ける意味。

 

 サリアは神様の言葉の意味がよく判らない。

 この世界に、送られた?

 どういう事だろうか。

 隣のアルメアを見るが、やはり判らない様だ。難しい顔で考え込んでいる。

 オリヤは黙し、神様も言葉はない。

 問うても良いのだろうか? そう思うが、声が出せない。

 喉が張り付くようで、そっとお茶を口に運ぶ。

 何なのだろうか。オリヤがこの世界に来た目的とは。

 あれ程の能力(ちから)を持ってこの世界に来た、或いはあの能力(ちから)が有るからこそこの世界に来たのか。

 神様に問いただされるほどの目的とは、何か。

 じっと見つめるサリアの視界の中で、オリヤは顔を上げ、ハッキリと口を開いた。

 

「この世界で好きに生きて、そして死ぬこと。ただし……魂をこの世界に還元させる形で」

 そうだ。魂を世界に還元し、生命の循環の一部となる。

 その為には、魂をきちんと残さなければならない。

 エルフ2人にとって、それは当たり前の魂のサイクル。

 だから、真面目くさって言うオリヤに共感出来ないし、続く言葉も想像出来ないのだ。

 無論、オリヤには理解できている。

 神様がこうして説教の場を設けると言う事、それはつまり。

「だから、素材無しで『創造』を続けると不味いんですね? 最悪、魂が消滅して死ぬ事になるから」

 オリヤが口にして、初めてエルフ姉妹の顔色が変わる。

 魂の消滅。世界に帰ること無く、文字通りに消滅すると言うこと。

 その恐ろしさは想像も出来ないのだ。

 長き時を生きるエルフも、死を免れることは出来ない。

 だから、己の生きた証を残したいと思うのは、程度の強弱はあれ人間と変わらない。

 それでも、死んだ後に自分の魂が大地に帰り、新たな生命を育む土壌と成る。

 その循環が有るから、死を受け入れることも出来るのだ。

 愛する者とを死が隔てても、なお、いつか循環の環の果てで再び会えると信じればこそ。

 だがそれも、魂其の物が消滅してしまえば叶わない。

「そうだね。君は今日、これくらい魂を使用した」

 神様が言うと、神様の後ろの空間に円が現れる。

 何事かと訝しむ3人の前で、円の中心から真上に線が走り、更にもう1本の線がスライドするようにずれて、線と線の間の部分の色が変わる。

 これは……円グラフ!

「総量の5%だね」

 わかりやすいが、円グラフにする必要は有っただろうか?

「心配だろうから教えるけれど、魂は生命を元に、回復できる」

 神様は笑っていない。

「条件は、生命に力があること。分かりやすく言えば、HPに余裕が有ること。そして」

 神様は続ける。

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 音を立てて、オリヤは唾を飲み込む。

「生命に力が有っても、魂がなくなってしまえば回復できない。そして」

 神様は、静かにオリヤを見据える。

「魂がなければ、死んだ時に世界に還元されない――消滅ということだね」

 この世界で魂を失うことは即ち、即生命を失うという事ではない。

 だが、魂を失えば回復せず、死後、完全に存在が消滅する。

 サリアとアルメアが、青い顔でオリヤを見つめる。

「それは、僕がこの世界の神との約束を違えた事に成る。契約不成立と言う事だね」

「だから、困る、と」

 オリヤの問いに、神様は静かに頷く。

「そういう事。だから」

 神様が、再度にっこりと笑う。

 しかし、何故だろう。背筋が凍る、気がする。

「君が魂を使い果たしたりしないように、お目付け役をつけようと思う」

 なんですと⁉

 オリヤは視線を巡らす。まさか、この。

 視線の先では、目の無いお姉さんが小首を傾げている。

「や、違うよ織弥くん。僕の助手の子を連れて行かないでくれるかな?」

 こいつ正気か。神様は声にも顔にも出さない。

「なんでこの2人を一緒に呼んでると思ったんだい?」

 言われて、オリヤはエルフ姉妹に視線を向ける。

 向けられた先では、今ひとつよく判っていないらしい2人がきょとんとしている。

 この2人が……お目付け役、そう言う事か。

「君が素材無しで『創造力』を、最悪でも使いすぎないように。彼女たちに、監視をお願いしようと思うんだ」

 思った通り、彼女たちがお目付け役らしい。

 まあ、暫くは、一緒に……って、マズイ。

「神様、ちょっとまって、その2人はマズいっす」

 慌てて立ち上がる。ステータス補正か、両足は痺れとは無縁である。

「その2人は、故郷に帰る旅路の途中です」

 俺のような根無しとは違う、言いかけて口を噤む。

 自分も、根無しとは言えない。

 帰る家が有るのだ。いつか、帰る家と、その家族が。

 そう思うと、余計に2人にお目付け役をさせるわけには行かないと強く思う。

 なにせ、2人は。

 攫われ、故郷から遠く離れた地まで運ばれて来たのだ。

 2人には非は無い。

 ただ、奴隷狩りに遭遇した運の無さが有るだけで。

 罪もなく、囚われ、奴隷にされかけた……いや、一時は間違いなく奴隷であったのだ。

 そんな2人を、自分のミスで縛り付けるようなことはしたくない。

 

 珍しく、ぽつぽつと、たどたどしく。

 オリヤは、自分が痛みに耐えるような顔で言葉を紡ぐ。

 この2人には、自由になる権利が有って、それを行使すべきだと。

 神様は言葉もなくオリヤに目を遣り。

 エルフの姉妹はオリヤの言葉に偽りがないと感じた。

 だから、言葉を掛けようにも言葉が出てこない。

「だから、お願いします。この2人の自由を奪うことは、しないで下さい」

 オリヤは言葉を結び、神様に頭を下げる。

 真摯な祈り。

 のんびりとした、何処か抜けたオリヤとは別の。

 正面から向き合わなければならない、偽りの無い言葉でなければならない。

 そう考えたオリヤの、精一杯の誠実さであった。

「なるほど、織弥くんがそんな真面目な顔するなんてねぇ」

 神様は嬉しそうに微笑むと、さてどうしたものかと考える。

 アルメアは神様を見て、そしてオリヤに視線を走らせて、サリアに目を向ける。

 そこで、サリアと目が合う。

 オリヤの気持ちは解った。

 どこまでも、善人に近い変人。

 自分の事より、今日出会ったばかりの自分たちを優先している。

 だが。

「神様、お聞き下さい」

 サリアは静かに立ち上がり、そして神様の前で手を合わせ、膝を折る。

 それはまるで、祈りのように。

「私達は、オリヤの言うように、奴隷に落とされ、そして救われました」

 並んで、アルメアが同じく祈りの姿で膝を折る。

「望まぬことですが、それは私達の油断が招いた事。本来であれば、救われることなど有り得ない事でした」

「本当なら、最早帰郷など望めない事。救われた自由なら、その自由を思うままに使いたいのです」

 オリヤが何か言おうとするのを、神様は唇に人差し指を当てて止める。

 そのやり取りが見えていない2人は、祈りを続ける。

「それに、私達はエルフ。人間とはそもそもの寿命が違います」

「故郷に帰るのは、オリヤを見守り、見届けてからでも遅くは感じません」

 祈る2人は、揃って頭を上げる。

「私達は、神様の命を受け、オリヤの目付を行うことを、此処に誓います」

 完全に重なる声。

 オリヤのお目付け役を受けると言う事。

 それは、オリヤと共にあるという事。

 さっきまで自分が真面目に2人の自由を主張して居たのだが、何故か今は恥ずかしい。

「なるほど、2人の気持ちも良く判った。織弥くん、君はどう思う?」

 神様は楽しそうだ。

 こうなると判って居たのだろうか?

 神様には頭が上がらないのは、真実であるようだ。

「2人には、なるべく自由で居て欲しいのは本心ですよ。2人が自由意志で決めたのなら、止める権利なんて無いっす。ただ」

 オリヤは照れ隠しに頭を掻いて、それでも確認するように言う。

「俺への恩とか義理とか、そんな気持ちで」

「2人はその気持を第一に考えているんだ。その事も考えてあげなきゃいけないよ?」

 しかし、セリフは神様に遮られる。

「2人の自由を考えるなら、君が無理しなければ良いだけさ」

 自制が完全にできるなら、2人をお役御免にも出来る。

 神様に言われ、オリヤは考え込む。

 確かに、自分が無理しなければ、無理しないと神様に認定されれば、お目付け役は役目を終えるだろう。多分。

「判りました、俺が無理しなきゃ良いのなら願ったりです。あんな疲れるのはゴメンですしね」

 一旦言葉を切って、2人の方に目を向ける。

 サリアとアルメアは、オリヤに任せる、という目で――思い込みだろうなあと自覚しつつ――此方を見ている。

「なるべく早く2人が自由になれるように、俺も努力します」

 神様は満足そうに頷いている。

「お目付け役がこんな美人、しかも2人だ。もっと喜んだりしたらどうだい?」

「美人だから問題なんスよ。世の野郎どものやっかみなんざ、好んで受けたいもんじゃ無いっす」

 心底うんざりと、オリヤはため息を吐く。

 ひとり旅の夢は儚かった。

「贅沢な悩みだねぇ。まあ、自業自得と諦めて、お目付け役に迷惑を掛けないようにね」

 にこにこと、神様はオリヤを誂う。

「さて、そうと決まれば、2人にも少し能力(ちから)をあげよう。織弥くんはちょっと強い人間だから、振り回され過ぎないようにね」

 ちょっと? 今、ちょっとって言った?

「神様、あれ、ちょっとじゃ済んでませんよ。なんですかあのステ」

 不満ではないが、困惑したのは事実だ。

 この際だ、少し文句を言おう。

 そう思ったオリヤだが。

「君のはちょっとだよ。筋力で最強になりたい、とか、魔王になりたい、ってヒトも居たんだから」

 どうも、ホントに他の願いに比べたら些細だったらしい。

 筋力で最強ってなんだ。筋肉のうねりひとつで大地を割る気か。

 魔王ってなんだ。友好関係を結べたら、何の悩みも無くなりそうだぞ。

「その方々は、今は……」

 出来れば会いたくない、そう思いながらも問わざるを得ない。

「現役だよ?」

 現役らしい。

 現役の魔王とか、ホント会いたくない。

 筋肉至上主義者も、出来れば遠目で見る程度で済ませたい。

 俺も、もっと欲張れば良かった。

「もう1個くらい、なんかお願いすりゃ良かった……」

 素直に思った事を口に出してしまう。

 神様は聞こえないふりで流してくれた。

 残念な様な、有り難い様な。

 

 サリアが望んだのは、魂をも癒やすような回復力。

「それはそのまま叶えたら、君の魂をすり減らしそうだ。1日当たりの回数制限でどうだろう? レベルアップで回数が増える様な」

 果たして、言葉通りなのか、別世界の知的生命体に過剰な能力(ちから)を与えないように制限しているのか、オリヤには判断が付かない。

 アルメアは、オリヤが暴走した際に力尽くで止められる魔力を欲した。

 本音はオリヤを守る矛になりたいと望んだのだが、それは秘密である。

「なるほど、ただ通常の魔法も自分の限界を超えて使おうとすると魂の力を使ってしまう、お姉さんと同じく、使用回数制限付きの能力向上(ブースト)でどうだろうか?」

 どうも、能力(ちから)を与え過ぎる訳には行かない、というのが正解らしい。

 2人とも神様の提案に納得し、望む力を手に入れた。

 どうも基本ステータスも強化してくれたようで、どうやら2人とも運意外のステータスが平均で400程度に。

 サリアは精神力711、知力632とこの2つのステータスが抜きん出て居て、それに支えられた魔力(MP)は8万を超えたらしい。

 アルメアは精神力608、知力723でやはりこの2つのステータスが高い。魔力(MP)は同じく8万超え。

 ちなみに、2人のレベルは42。

 意外とレベルが高いが、元からこのレベルだろうか?

 あの奴隷商のレベルはどれほどだったのか、そう考えていると、2人が「レベルが20以上も上がったよー!」と喜んでいる。

 なるほど、そういう事ね。

 神様を見れば、神様はサムズアップでウインクしてくる。

 何の合図だ、何の。

「織弥くん、ちょいちょい」

 やべえ、神様に心読まれたか?

 冷や汗を流しながら、神様の方へと歩く。

 神様は口元に手を当て、わざわざオリヤの耳元まで寄って囁く。

「もう1個、能力(ちから)が欲しいんだって?」

 聞いてたのか。

 顔を巡らせると、判っているよ、という顔の神様。

 こんなに乗り気の神様を前に、遠慮するのも野暮だろう。

 とは言え、特に欲しい能力(ちから)も思いつかない。

「んー。じゃあ、こんな能力(ちから)って貰えるかな?」

 適当に考えた末、オリヤは神様の耳元に囁き。

 凄く呆れられた。

 

 

 

 目を覚ましたのは、朝日で明るくなった部屋の中だった。

 んー……夢……だったら良いなあ。

 最後に神様に貰った新しい能力(ちから)を試し、ため息と一緒に肩を落とす。

 夢で無かった事を確認し、軽く着替えて「身体洗浄」で身支度を整え、部屋を出る。

 さて……まだ2人は寝ているかも知れない。

 なら、まずは朝ごはんでも用意しよう。

 ダイニングキッチンに入り、テーブルの上にご飯を並べようとして動きを止める。

 ……待ってる間に冷めたら可愛そうだ。

 料理を作ってくれたテレジアとカテリナも、起きてきて食べるサリアとアルメアも。

 しかし、何もせずに待つのも暇である。

 小麦粉は有ったなあ……。

 ホットケーキでも作って、おやつ用にインベントリに放り込んでおこう。

 軽く伸びをして、ボウルが無いことを思い出したオリヤは、結局「創造力」でホットケーキを焼き上げる。

 材料は有るから問題ないのだ。有り難みは凄く減る気がするが、まあいいだろう。

 思ったよりも暇になったオリヤは早速手持ち無沙汰となり、2人が起きてくるのを待つのだった。

 

 カーテンの隙間から、朝日が差し込んでくる。

 アルメアは身体を起こしたが、何処かぼーっとした頭で部屋の中を見る。

 馬車の硬い床板でもなければ、白い部屋でもない。

 床に、畳んでいない服が散乱している。

 夢だったのだろうか?

「ほら、ぼーっとしてないで着替えちゃいなさい。オリヤを起こしに行こう」

 聞き慣れた姉の声がする。

 ぼーっと視線を巡らせると、姉が昨日とは違う服で立っている。

 服……そうか、やっぱり夢じゃないんだ。

 徐々に脳が覚醒し始める。

「久しぶりに、ゆっくり眠れた……」

 ぽつりと、唇から言葉が落ちる。

 サリアは、妹に歩み寄ると、そっと抱き寄せる。

 妹を抱き寄せたサリアの目から、一筋だけ、涙が溢れた。

 

「オリヤ? オリヤー! 朝だよー!」

 ドアをノックするが返事がない。

 2人は顔を見合わせ、まだ寝ているのかと、ドアノブに手を掛ける。

「キッチンだよー」

 せーの、と掛け声を掛けようとした所で、オリヤの声が予想外の方向から聞こえる。

 先に起きているとは思わなかった。

 しかもキッチンに居るとは。

「こらー! 起きてたんなら声かけなさいよー!」

 アルメアがパタパタとスリッパを鳴らして走る。

 意外と早起きなのね、そう思いながらサリアはその後を追って歩く。

「朝ごはんなーにー?」

「お姉さん、自分が作るくらいは言えないのかね?」

 キッチンからは既に2人の掛け合いが聞こえる。

 サリアはくすりと笑うと、自分もキッチンに駆け込む。

 

 オリヤは旅をしたいと言った。

 私達はそれに付いていくと決めた。

 やらなければいけないこと、生活のこと、今日のこと。

 やりたいこと、私達のこと、明日のこと。

 考えて、相談して、決められる。当たり前のこと。

 でも、まずは。

 

「ちょっと! 私もご飯たべたーい!」

「えっ、ちょっと、サリアさんまで?」

 

 今日の始まりに、ありがとうを。

 




これは……いい話風になってるけど。
話は進んでいない!


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出会いと別れは旅の常なの

美人のお姉さんが可愛い挙動を実装しているのは反則だと思う。


「なにこのパン! 柔らかーい! おいしーい!」

 今日の朝ご飯はテレジアさん自慢のポタージュと、テレジアさんとカテリナの作ったお手製のパン。

 美人可愛いとオリヤの中で評判のアルメアが、そのパンの食感に感嘆の声を上げる。

 オリヤが柔らかくなる製法を伝え、カテリナも手伝った自慢の一品だ。

 素直に鼻が高くなるオリヤだが、製法を伝えたと言うのは「創造力」で故郷でよくあるパンの記憶を解析し、再現方法を伝えただけである。

 この使い方なら解析に僅かな魔力を使用するだけで済むし、材料も要らない。

「テレジアさんとカテリナの作ったパンだからね。街一番のパンだよ」

 素直で人のいいテレジアさんは、早速ご近所さんに作り方を教えて、あっという間に街中に広がっていた。

 むやみに異世界文化を持ち込んだ訳だが、考えてみれば「もっと凄いこと」をしている人の中には食を追求するタイプの人もいる可能性がある。

 そういう人が、記憶にある美食の再現を追求した結果、オリヤの行動など可愛いと表現出来るレベルで食に革命を齎している可能性すら有る。

 だから、街のパン屋さんと肉屋さんにこっそりとレシピを伝え、ハンバーガーを再現させていつしか街の名物になった事件など、可愛らしいものなのだ。

 きっと。

「……誰よその女」

 サリアさんがちょっと機嫌の悪そうな顔で言う。

 なんですかその、誤解を盛大に受ける言い方は。

 アルメアさんもいつの間にか半眼でオリヤを睨んでいる。

「誰って、俺の母さん……代わりの人と、妹みたいな子だよ」

 ナチュラルに「母さんだよ」と言いかけて言い直す。

 いつかそう言う風に紹介できればいいと思うが、まだちょっと気恥ずかしい。

 本当に、家族として接してくれたテレジア。

 何故か慕ってくれたカテリナ。

 家族を支え、街を守って朗らかに笑う父、ヴェスタ。

 この世界で再び家族に触れたオリヤは、感謝を忘れないようにと心掛けた。

 生前、家族は居て当たり前と勘違いしていた、怠惰な自分。

 父の、母の葬儀で其の度に悔いたが、遅かったのだ。

 感謝は、捧げる相手が居てこそ。

 だから、今度こそ家族を大事にしたいと考えた。

 こんな自分を、家族として迎えてくれたのだから。

「……お母さんと、妹さん、ね」

 サリアはしかし、複雑そうな表情を崩さない。

 どうしたと言うのか。

「お母さん直伝のパンを、オリヤも創れるってこと⁉」

 身を乗り出しながら、アルメアは瞳を輝かせている。

 なるほど、その発想は無かった。

 作れるも何も、作り方を教えたのは俺だ、という言葉は飲み込んで口にしない。

 歩くおやつ製造機になるのはゴメンである。

 こんなに対象的だったか、この2人。

「暫くは、テレジアさんとカテリナの作ってくれた食事が出せるよ」

 行儀悪くポタージュにパンを浸し、オリヤは事も無げに告げる。

 オリヤの言葉に目の輝きを増し、行動に衝撃を受けたアルメアがオリヤの真似をしてちぎったパンをポタージュに浸す。

 あぁ、アルメアさん、禁断の味を知ってしまうのか……。

 それはテーブルマナー的にNGだから、表ではやらないように気をつけようね?

「2人とも、行儀の悪いことしないの!」

 流石にサリアは同調せず、2人を諌める。

 このパーティの、マナー的良心のポジション確定である。

「お母さんを名前に『さん』付けって、違和感有るわね」

 おやおや? 我がパーティのマナー的良心は、何やら機嫌を損ねているご様子である。

 そんなに妙なのであろうか?

「だって、12歳の身体でこっちに来て、世話になって3年だよ? 母さんって呼ぶのは、まだ気恥ずかしいよ」

 そのへんの感情は微妙なのである。

 なので其の理由を素直に口にするが、当のサリアさんは「ふーん」と流しているが、何処か納得していない雰囲気だ。

 おかしな所があれば教えて欲しいものである。

 何となく居心地の悪い思いのオリヤの手元から、パンがひとつ消える。

「あーっ! それ俺の!」

「油断は禁物なのだよ少年☆」

 アルメアが掻っ攫ったと同時に口に運んでいる。

 ちなみに、パンをそのまま口に運ぶのはテーブルマナー的には違反なんだぞ。それも気をつけようね!

 そもそも人様の食事を横から掠め取るのは最早、テーブルマナー以前の問題だが、それについては面倒だから問わない。

 いや、この調子だといつか言う羽目になるであろう。

 主にテーブルマナーの良心の人が。

「食事中に騒がないの! 行儀悪いわよ、アルメア!」

 ほら怒られた。行儀についてはサリアさんに任せれば良い。

 きっとオリヤも含めて教育されるであろう。

 だから、此処は別の角度から攻めるべきである。

「太るよ?」

 短く、ストレートに。

 言うべきことは言う、それが紳士である。

「私は太らない体質なの!」

 答えるのは、気にしている風が丸わかりの声だった。

 ああ、そのセリフと共に次第に体型が変わり、慌ててダイエットを始めることになる犠牲者の何と多いことか。

 ぷりぷりと怒りながら、ポタージュにちぎったパンを浸しては口に運ぶ。

 完全に嵌ったご様子である。

 これ以上食事を奪われては堪らぬ。

 オリヤは残りのパンを死守しようと奮闘するのであった。

 

 なぜかサリアさんにまでパンを取り上げられたオリヤは釈然としない思いで、食器類を片付けてからテーブルの上に地図を広げる。

「今日はいい天気だし、歩こうと思うんだけど、2人は体調はどうかな?」

 旅している以上、晴天は貴重な移動時である。

 急いでるのでもなければ、好き好んで雨の中を歩きたくはない。

 あんだけ食べれたら大丈夫だと思うけど。

 そういう事は口にしない。紳士の嗜みである。

「歩くのは良いけど、目的地は有るの?」

 サリアが地図を眺めながら問う。

 この人も、意外と食べるんだよなあ……。

 そんな事を思うが、勿論口にはしない。

「そうだねえ。今居るのがここで」

 オリヤは地図上にコインを一枚置く。

「とりあえず東を目指してたから、当面は街道沿いに、この街を目指そうと思うんだ」

 地図上で指を滑らせ、一点で止める。

「ディヤクーフの街……そこ、何かあるの?」

 街の名を読み上げて、アルメアは顔を上げる。

 その視線を受け止めて、オリヤは自信有りげな笑顔を浮かべる。

「わかんね」

 いっそ清々しい笑顔に、サリアは眉間にシワが出来るのを抑えることが出来ない。

 ちょっとでも真剣に、監視役なんて受けなきゃ良かった。

 いっそ、神様に告発でもしてやろうか?

 サリアは半ば本気でそんな事を考える。

「そんな適当でいいの?」

 (サリア)に代わり、アルメアが胡散臭いモノを見るような目で口を開く。

 地図を眺めるが、手書きの地図では周囲の様子が判るはずもなく、白い紙に引かれた黒いラインが走るだけだ。

「まあ、ホントの事言うと、適当に鉱石が欲しいんだよね」

 オリヤは地図からコインをどけると、それを掌で弄びながら言う。

「それと、適当にクエスト熟さないと。Fランク冒険者は色々と制限あって面倒なんだよね」

 そっか、オリヤは冒険者だった。

「……オリヤ、ホントに剣使えるの?」

 出会ってから一度も剣を振っている姿を見ていない。

 しかし、職業は剣士である。

「使えるけど、面倒だしそのうち銃士に変更するかなあ」

 疑問符を付けられた方は飄々と、そう(うそぶ)く。

 案外、惚けているのではなく、本気で考えているのかも知れないが。

 

 一方で、サリアも考え込んでいた。

 オリヤが冒険者家業をするのは良い。本人の希望であるし、そこに文句は言えない。

 しかし、そうなると問題が出てくるのだ。

 オリヤがクエストに出ている間、サリアとアルメアが何をしているか、だ。

 昨日神様から能力(ちから)を貰った時、同時にステータスも強化して貰った。

 だから、一緒にクエストに出ることも出来るだろう。

 しかし、2人は冒険者登録をして居ない。

 一般人が一緒に行動するのは色々とマズイ気がする。

 主に、オリヤの名誉的な意味で。

 仮にオリヤがクエストを熟しても、一緒にいる一般人は何だと言うことになる。

 まかり間違って、私達が働いてオリヤは何もしていない、そんな噂が立っても困る。

 そうなると、大人しくしているしか無いのだが。

 ……暇そうである。

 そもそも、何処で待てば良いのだろうか?

 街の宿?

 それとも、この中だろうか。

 ちらりとキッチンに並ぶ装備品を眺める。

 ……料理でもしてみようかな。

 半ば本気で、そんな事まで考えてしまうサリアだった。

 

 そもそも、当のオリヤ本人はどう考えているのか。

 本人に聞いてみよう。

 サリアは思い切って顔を上げる。

「ねー、オリヤ?」

 口を開こうとした所で、アルメアの声に遮られ、気持ちがつんのめって声が空転する。

「あい? どしたのアルメアねーちゃん」

 のんきなアルメアの声に、オリヤものんびりと答える。

 サリアだけが、深く考え込んで居たようで何だか居た堪れない。

「オリヤは冒険者やるから良いとして、その間、私達暇じゃない?」

 そんなサリアの耳を打ったのは、サリアの考えと全く同じ事だった。

「ん? ここに居れば良いんじゃないかな?」

 答えるオリヤの声が、当たり前のようにのほほんと響く。

「だから、それが暇だって言ってるんだけど」

 アルメアは少しすねたように口を尖らせる。

 なるほど、ああすれば可愛く見えるのか。

 サリアはさり気なく心のメモに「可愛い動作」を記録する。

「んー、んじゃ、工房で作業してたら……」

「工房って何処よ。大体、なんにも設備無いでしょ」

 アルメアが口を尖らせたまま、不満げに言う。

 確かに工房が「在れば」魔道具を作るなり、暇は潰せるだろう。

 しかし根本的な問題として、アルメアは魔道具作りの経験もなく、興味はあっても造りたいものがまずイメージできない。

「んじゃ、料理してるとか」

 それならばと、オリヤは代案を提示する。

 食には並ならぬ興味を持つ姉妹、特に妹の方ならば、関心を持つかと思ったのだ。

 実際に料理していようかと考えていたのは姉の方で、考えを見抜かれた気分になったお姉さんは密かに身を固くしていたが。

「それはオリヤに任せる」

 しかし、妹の方は事も無げにオリヤの提案を一蹴する。

「えぇ……それはどうなんスか……」

 それはつまり、オリヤに料理の全権を委ねる、そういう事で。

 平たく言えば、食べる専門と言う奴だ。

 今度、砂糖と塩を間違えてやろうか。

「じゃあ料理教えてよ」

 オリヤの反応が気に入らないのか、アルメアは半眼でオリヤを睨む。

 こちとら料理なんて、した事は無いのだ。

 教えられるものなら教えてみろ。

「誰がその間、クエスト進めるんですかね?」

 ぎゃあぎゃあと、しかし何処か牧歌的に言い合う2人。

 楽しそうである。

 何となく眺めていたサリアは、何だか楽しそうな雰囲気に。

 考えても居ないことを口走る。

 

「私達も、冒険者になれば良いんじゃない?」

 

 言った本人も含めて、全員の動きが止まる。

 オリヤとアルメアの視線がサリアに固定される。

 一方、サリアは自分の言ったことをまだ理解出来ていない。

「姉さん! 天才!」

 アルメアはサリアに飛び付かんばかりの勢いで、瞳をキラキラと輝かせて椅子から立ち上がる。

「あー、危ないんじゃ……いや、そのへんの中級冒険者よか強いのか? ……大丈夫……で、いいのかなあ」

 オリヤは腕組みしてぶつぶつと何事か呟いている。

 冒険者に。

 旅する上で、あって困る資格でもない。

 それどころか、オリヤと一緒にクエストして、旅して。

 この移動拠点(シェルター)があれば宿代は掛からない。

 もしかしたら、オリヤに頼めば……頑張って素材集めれば、此処に夢の「お風呂」が出来るかも知れない。

 考えれば考えるほど、冒険者に成るメリットしか見えない。

 傍から見て危険な状態だが、そこは基本冷静なサリアである。

 冒険者になるという事の危険性は弁えている。

 華やかな活躍に憧れる者も居るが、高位ランクの冒険者の絶対数は少ない。

 それは、危険であることの裏返しだ。

 そして、低ランクの冒険者に回されるクエストは地味でキツい。

 それで生活出来るかと言えば、数を熟してなんとか、というレベルだろう。

 しかし、私達にはこの移動拠点(シェルター)が有る。

 最悪は狩りをして食事を用意できれば、住む場所には困らないのだ。

 しかし、そんなに安易に考えて良いのだろうか。

「まあ、危険なクエストを避ければ良いんじゃないかな?」

 色々悩んでいるのが馬鹿みたいに思えるほど、オリヤは軽々と言い放つ。

 サリアは何だか気持ちが軽くなって行くのを感じる。

「そうね、まあ、街までまだ距離があるし。歩きながら、ゆっくり考えましょう」

 サリアは何だか吹っ切れた気分で言い切る。

「じゃあ、方針も決まったし、おやつにしよう!」

 アルメアは輝く笑顔で、右手を高々と掲げて提案する。

 オリヤとサリアは、言葉もなくアルメアを見つめる。

 朝食から、1時間も経っていなかった。

 

 

 

 おやつ攻防戦はデザートと言う単語を知っているアルメアの攻勢にサリアが陥落し、趨勢は決した。

 しかしそんな洒落たモノなど用意していなかったオリヤは、なけなしのミルクを使用してミルクアイスを用意する羽目になる。

 ホットケーキは似たおやつを知っていたらしいが、その上ににミルクアイスを乗せる。

 その組み合わせを知らなかったサリアとアルメアは瞳をキラキラと発光させ、更に蜂蜜を使用した贅沢な仕上がりに興奮は頂点に達した。

 つまり、食べる前から煩かった。とても。

 もしもメープルシロップを知ってしまったら、この2人はもう戻れないのではないか。

 水出し紅茶を啜りながら、オリヤはぼんやりと考える。

 そして、思う。

 真面目に、デザートのレシピを考えてみよう。

 今日のミルクアイスは、氷点下以下に冷やす工程が必要になる。

 「創造力」ならそれらの工程を経た状態で、要するに完成した状態で創り出せるが、当然普通は無理だ。

 冷蔵庫が一般ではない世界なので、まだご家庭に普及させるのは難しいだろう。

 冷やすのはデザートの肝な気がする。

 そうなると……。

「オリヤ、なにぼーっとしてるの? 出掛ける準備しなさいよ」

 完全に思考の海に沈んでいたオリヤを、現実に釣り上げる声が聞こえる。

 ……誰の為にデザートなんて物を考えてるんだと思いうものの、しかし正論では有るので立ち上がりながら、オリヤはアルメアに答える。

「あー、今日はちゃんと帯刀しとこう。アルメア姉さんは、杖の具合はどう? 使いにくいとかある?」

 オリヤの考えには気を向けることもなく、その言葉にアルメアはニヤリと笑って答える。

「完璧よ。神様に貰った『能力(ちから)』もあるし、オリヤが思ってる以上に使い熟して見せるわ」

 杖は部屋に置いてあるので、構えて見せることは出来なかったが。

 その顔に滾る自信は揺るがない。

 そう言えば神様にステータスも強化してもらってたなあ。

 あの長杖、実は打撃武器としても使える。

 それだけの強度も持たせているのだ。短杖も同様に。

 付けた時は単に趣味的な、壊れ難さにも貢献するだろうと考えた程度だったが。

 この元気な姉さんなら、そっちの方向でも使いこなすのではないか?

「サリア姉さんはどう? ホントは長杖の方が良い、とかある?」

 ついでではないが、気になったのでサリアにも質問を向ける。

 長短で使い勝手も変わるだろう。

 もしも長杖の方が慣れていると言う事なのであれば、作り変える事も考えているのだ。

「ううん、この杖が良い感じ。振り抜くのが軽くて良いわ」

 此方は優しい笑顔で言う。

 その笑顔で、その辺の暴漢の頭目掛けて杖を振り抜くサリアを想像して、オリヤは少し寒気を感じた。

 サリアは単に魔術を行使する際の動作について言っているだけかも知れない。

 しかし、同じく頑強に作っているあの短杖もそういう使い方が実際に出来るので、恐怖を感じざるを得ない。

 なにせ、サリアもまた、ステータス強化を施された存在であるからだ。

「ただ、ね」

 ふと、考えるようにサリアは天井を見上げる。

 何か、気になることでも有るのだろうか?

「同じ杖、もう1本欲しいなあ、って」

 流石に無理よね、サリアはそう言って笑う。

 もう1本? 手元――インベントリ――に鉄は有るし、一度作っているのでレシピは有る。

 あとは手頃な木片があれば創れるが。

「木材があれば創れるけど……どうするの? スペア?」

 確かに見た目は木製で、頼りなげな印象はあるかも知れない。

 しかし、その実態は下手な鋼棍よりも強靭である。

「ううん、そうじゃなくて」

 スペアじゃない?

 素直に、オリヤは興味を惹かれる。

「まあ、ただの思いつきだし、出来るかどうか判らないから」

 しかし、サリアは気恥ずかしそうに顔の前で手を振ると、誤魔化すように笑う。

 よく判らない。だが、サリアが自分で考えて思いついたことだ。出来れば試させて見たい。

「うん、判った。材料が揃ったら作ろう」

 オリヤが立ち上がると、サリアとアルメアは笑顔で頷き、準備のために部屋へ向かおうとする。

「あ、オリヤー。おやつ用意しといてね!」

 キッチンを出る直前、アルメアがくるりと振り向く。

「その前にお昼だろ……」

 答えながら、多分1時間も歩いたら要求されるんだろうな、そう考え、今日のおやつを考えるのだった。

 

 

 

 移動拠点(シェルター)は便利だ。

 サリアはしみじみと思う。

 街道を渡る風が髪を撫でる。

 野宿後に、こんなに爽やかな気分で歩けただろうか?

 旅生活自体はそこそこ経験しているサリアは、考える。

 オリヤに教えてもらった特製の「身体洗浄」で身体の汚れも気にならないが、かつて旅の間に聞いた「お風呂」とやらが在れば、もっと快適なのだろう。

 楽しみは色々増える。

 まるで、初めて旅に出たあの日のように。

 遮る物のない陽光が降り注ぐ。

 今日も暖かくなりそうだ。

 春の日差しを受ける草原は何処までも綺麗で。

 

 30分も歩くと飽きた。

 徒歩である以上速度は出る訳も無く、景色はずっと変わらない。

 こんな事なら馬車が、そう思いかけて頭を振る。

 馬車は、二度と御免だ。

 最後に乗った馬車の印象が最悪すぎて、もう乗りたいと思えないのだ。

 サリアよりも飽きっぽく、堪え性も無いアルメアが歩いての移動に文句を言わないのは、やはり同じ思いが有るからだ。

 気を紛らわせるために、視線を巡らせる。

 野党なり、魔物なりに襲われた馬車の破片でも落ちていないだろうか?

 新しい杖を用意してもらって、早く試したいことが有るのだ。

「ん?」

 のんびり歩くオリヤが、気の抜けた声をあげる。

「どうしたの?」

 多分、ただ歩くのに飽きていたのだろう。

 アルメアが、すぐにオリヤに声を掛ける。

 サリアも目を向けているが、2人の視線を気にせず、オリヤは懐から1911を取り出し、マガジンを収める。

 敵か。

 俄に色めき立つ2人だが、オリヤはのんびりとした雰囲気を崩さない。

「マガジン入れとくの忘れてた」

 ただの準備だったらしい。

「紛らわしいことしないでよ! びっくりするじゃない!」

「せめて、一言かけて欲しいわね」

 エルフ姉妹はそれぞれの気性に沿って抗議を申し立てる。

 それを受けても、オリヤはのんびりと「ごめんごめん」と応えるのみであった。

 

 警戒レーダーに反応があった。北から、南下しながら東に向かう反応。

 距離は20キロメートル、反応は4つ。

 人間、或いはよく似た姿の反応だ。

 幾つかの、他の敵性反応と思われる光点に囲まれている。

 戦闘を行っているようだが、苦戦はしつつも何とか撃退している。

 何処からやってきたのか判然としないが、警戒範囲を広げてみると北方に広がるのは広大な森。

 そんな所から出てきたという事は。

 依頼を熟していた、或いは熟している最中の、おそらくは冒険者と推察される。

 警戒レーダーでは人柄までは判らない。

 判るのは、連携よく戦う姿と、魔術を行使している者が居るという事。

 そして、戦闘終了後、足早に――恐らく走って――移動していること。

 急いで居るようで、倒した魔物か獣の剥ぎ取りもそこそこに、すぐに移動を開始したのである。

 更には、それを追って複数の光点が森を飛び出してきたこと。

 恐らく、4人の目的地は同じ。歩きやすい街道を目指しながらも、東へと流れる様に移動している。

 その様子には緊急性を感じるものの、相手の縄張りさえ離れてしまえば大丈夫なのではないか、そう楽観視も出来無くもない。

 問題が有るとすれば。

 敵性反応が4人に追いつき、かつあの勢いに抗しきれない場合。

 加勢に入るべきだろうか? そうなら、急がなければならない。

 だが、それで無事間に合った場合。逆に逃げ切れた場合は。

 また別の問題を抱える恐れがある。

 恐らく、のんびり歩く此方の速度に比べて移動の早い向こうと、街に付く前に――警戒レーダーではまだまだ街は確認も出来ない――合流するであろう事だ。

 気が早いと自分でも思うが、伝えるべきだろうか?

 表面上は穏やかな表情のオリヤは少し悩む。

 木片か木材でも都合よく落ちていないか、少し探知範囲を広げてみればこの反応である。

 何事も、しておくものだ。

 更に、もしかしたら問題に発展しかねない事柄も発見する。

 南下してくるパーティの一団のうちの1人。

 巨大な戦斧を担いで歩く姿が確認出来る。

 周りの人間より、明らかに背が低い。

 だが、その身体つきはシルエットで見るだけでも屈強。

 短躯で屈強、これはファンタジーでよく見かけるあの一族では無かろうか。

 ドワーフ。鍛冶の達人ともされる彼ら。この世界ではどうだろうか。

 何よりも気になることが有る。

 エルフとドワーフ。この両種族は、仲が悪いとされている。

 オリヤが思い出す作品ごとにその傾向はマチマチだが、総じて仲が悪い、事になっている。

 さて、この世界ではどうだろうか?

 念の為、他の者も含めて種族と、レベルも確認する。

 レベルは19から21。自分達よりも低い。

 敵性反応は14から15レベルだが、如何せん数が多い。

 戦力的に、戦闘となると厳しいだろう。

 種族は人間3人、ドワーフ1人。

 助けるべきだろうか?

 もしもエルフとドワーフの仲が決定的に悪いと言う事があれば。

 敵対等と言う事になると、面倒くさい。

 いっそ、おやつをダシに、此方2人の足を止めるか?

 そう考え、確認も含めてオリヤは口を開く。

 

「ねぇ、姉さん達、ドワーフってどんな人達なの?」

 不意に問われた姉妹は、顔を見合わせる。

 少し考えて、サリアは答える。

「ガサツかな?」

 アルメアは笑顔でオリヤの顔を見返す。

「製品は素敵。だけど、人柄はちょっと合わないかなー?」

 顔を合わせたら殺し合い、そういう殺伐とした関係ではないらしいが、仲が良い訳でも無いようだ。

 それに、何か制作するのを得意とするようだ。

「言い方がキツイ人が多いかなあ」

 サリアの言葉に、そんなにキツイのか、オリヤはぼんやりと考える。

 紳士を捕まえて変態だの気持ち悪いだの言う人が、キツイと思うのはどんなレベルだろうか。

「喧嘩っ早いって言うか、手が早い感じかな。感覚的に生きてると言うか、敵と味方をハッキリ分けるというか」

 ふむ。意味は違うが、オリヤのおやつを取り上げるアルメアの手の早さと、どちらが上か。

「総じて、良い印象はない感じ?」

 どうせオリヤの思いつきだろう、そう考えている姉妹は気軽に答える。

「そうねー。なんと言うか、むさ苦しいって言うか。美的感覚が違うと言うか。少なくとも、こういう風に一緒のパーティで行動するのは考えられないわね」

 アルメアの回答に、オリヤはぼんやりと、この先の展開が見えた気がした。

 そして、何となく感じる。きっと、予想通りなら。

 あのパーティは気の良い連中だろう。

 アルメアあたりと、主に食事時に衝突する事になるんだろうなぁ。

「まず、あのヒゲよ、ヒゲ。なんで全員が全員、ヒゲに誇りを持ってるのよ」

「そこは譲ってあげなよ、美的感覚なんて人それぞれなんだから」

 憤懣やるかたない、そんな風情のサリアを宥めつつ、きっと、必要になる気がして、オリヤは手持ちの麦からビールを創り上げ、冷蔵庫に冷やしておく。

 そのうち、炭酸飲料でも作ろう。

 そう決意しながら。

 話を聞くにつけ、予感は膨らんでいく。

 これは、話さないと不味いだろう。

「で、オリヤ、どうしたの? ドワーフなんて気にして」

 オリヤの内心など知らないサリアが、覗き込むように目を見て問い掛ける。

「工房の参考にするの? 次の街に居れば良いね!」

 アルメアは楽しそうに長杖を振り回している。

 危ないからやめなさい。

 それに、街まで行かなくても居るんですよ。

「んー。えっとね?」

 発見時から、此方に3キロほど近づいた所で。

 敵性反応と思しき光点が、ついに4人に追いつこうとしていた。

「この先で、襲われてる」

 オリヤは普段どおりの表情と口調で、北の方向を指差した。

 

 

 

 森を抜け、草原に出ることが出来て一息つく間もなく、森から追ってきた狼の群れを撃退して。

 パーティリーダーを預かる男は、その精悍な顔に疲労を宿して、油断なく。

 今抜けてきた森を見つめ、仲間が態勢を整えるのを待っている。

 急がなければ、まだ奴らは諦めていない。

「クレイオス、怪我の具合はどうだ?」

 焦りは仲間に伝わる。だから冷静に、アロイスは声を荒らげないように注意して言葉を発する。

「大丈夫、大したことはない。処置も終わる。それより、急ごう」

 声を掛けられた魔術師は、細い顔と細い目を苦しげに歪め、手早く左腕の傷口に薬草を当て、包帯を使って簡単に固定し、ポーションを飲み下す。

 比較的浅い傷であったので、ポーションを飲めば十分と思われたが、慌ててたのだろう、過剰とも言える処置をしてしまう。

 しかし、それを責めている余裕もない。

「すまんな、俺が森を抜けよう等と言い出さなければ」

 巨大な戦斧を担ぎ、ドワーフの戦士が険しい顔で仲間たちを守るように殿に立つ。

「バカ言ってんじゃねえよ、ルブラン。言い出したのは俺だ」

 ポーションを苦心して飲み干したシーフが、あどけなさを残す顔を難しげに歪めて戦士の言葉を訂正する。

「誰が言い出したとかどうでも良い、さあ、走るぞケーレ」

 アロイスの号令で、ルブランを最後衛に走り出す。

 森は俄に騒ぎ出し、走り出した狼達が彼らを追って草原を駆け出した。

 

「はぁ? 襲われてる? 誰が?」

 アルメアが心底不審げに声を上げる。

 オリヤが何か感知したらしい、とは判るのだが、いちいち言葉が足りないのだ。

「ドワーフが、近くに居るの?」

 サリアが周囲を見回すのは、ドワーフを嫌悪しての事ではない。

 先程自分の述べたドワーフ評が、単なる悪口だと自覚しているからである。

「いや、17キロぐらい北。 ただ、このままだと合流しそう……」

 オリヤの声が不自然に止まる。

 見れば、何かに集中しているようだ。恐らく警戒レーダーとか言う、あの探知魔術だろう。

「やばい、犬? 野犬? か何かに追いつかれた」

 内容とのんびりした口調が合ってない。

 だから、サリアもアルメアも、内容の理解に少し時間がかかった。

「……ちょっと! 大変じゃない!」

「なんでこんな時までのほほんとしてるのよ!」

 サリアとアルメアはハッとして、そしてオリヤに詰め寄る。

「助けに行く?」

 それは、サリアとアルメアの意思の確認。

 2人が渋るなら、一旦此処で待ってもらうか、移動拠点(シェルター)で待機してもらう。

 そう思うが、二人の反応はオリヤの予想より早く、予想より苛烈だった。

「当たり前でしょ!」

 アルメアが、杖を構え直して走り出す。

「助けられるなら、助けるでしょ!」

 サリアも、迷いなく妹を追って駆け出す。

 2人とも、正確な位置を知らないくせに。

 それに、普通に走ったら間に合うはずがない。

 意外と後先考えないんだなあ。

 オリヤは楽しげに微笑むと、2人を追って走る。

 

 こんな事なら、2人にも空気抵抗軽減の魔法を教えとけば良かった。

 2人に追いついて並走を続けながら、オリヤは考え込む。

 まあ、それはこの際、後にしよう。

 今は、する事が有る。

「2人とも、聞いて」

 走りながら、オリヤは言う。

「この先に移動拠点(シェルター)の入り口を出す。2人は飛び込んで」

 何を言い出すのか。

 サリアは隣を走るオリヤに顔を向ける。

「何を言い出すの? 私達が足手まといだと?」

「幾らオリヤだからって、言って良いことと悪いことがあるからね⁉」

 アルメアが杖を持ち上げる。

「そうじゃない、聞いて。距離があるし、単純に俺のほうが足が速い。疲れ切って彼らに合流しても、彼らの負担になっては意味がない」

 オリヤは前を向いたまま、無表情に言う。

「俺が移動して、そこに移動拠点(シェルター)を出す。そうすれば、少なくとも疲労して無い2人がそのまま戦力になる」

 現実には、オリヤは目的地まで走った所で疲労らしい疲労もしないだろう。

 しかしそれは、今は言わなくて良い事である。

「待って、彼らって?」

 いつものんびりと笑っているオリヤがその笑みを消している。

 急がなければならない、そういう事かとサリアは気持ちを切り替え、気になる事だけを問う。

「彼らは4人のパーティだ。そのうち1人がドワーフ」

 だからそういう事は早く言って。

 アルメアはそう思ったが、文句は後にしよう。

「彼らの正確な位置は俺が知ってる。それに、2人は移動拠点(シェルター)の出し入れは出来ない」

 言いながら、移動拠点(シェルター)の扉に変更を施す。ガラスは周囲の土中から原料を集め、強引に作る。

 昨日もこれをやればよかった。

 周囲から微量の原料、硅石を集めながら移動する。

 寧ろ、移動しているからこそ、必要量が集められたと言って良い。

 よくもまあこんな平原に硅石(そざい)があったものだ、そう思いながらドアに四角形の穴を穿ち、ガラスを嵌め込む。

 神様が手助けしてくれているのだろうか? 何れにせよ、助かった。

「――ッもう! わかったわ、ドアを出して!」

 サリアは決断する。アルメアも頷く。

「中に入ったらドア閉めて。それで扉は俺に付いて来る」

 サリアが頷くと、30メートル先に扉が現れ、その扉が開く。

 開ける手間は省けた。サリアとアルメアが勢いを増し、猛然と扉を目指して走る。

 オリヤを置いて扉を潜り、振り向いて扉を閉めようとして、走ってくるオリヤと目が合う。

 頷くオリヤ。同じく、頷いて扉を閉めるサリア。

 扉があった空間を、オリヤが駆け抜ける。

 さて、と。

 オリヤは少し本気で走ることに決めた。

 思ったよりも、客人との合流を急がねばならないようだ。

 

 扉に付けられた窓は、少し上から見下ろすように、走るオリヤの背中と、周囲の様子を写している。

 昨日はこんな窓無かった気がする。オリヤが作ったのだろうか。

「オリヤ、足早くない?」

 周囲の草原が、文字通り流れるように窓から見えなくなっていく。

「これは楽で良いけど……ちょっと申し訳なくなるわね」

 流れる景色、一面の緑よりもオリヤに視線を固定させたサリアが、ぽつりと呟く。

「……これなら、馬車より良いかも」

 大部分本気らしい呟きのアルメアを、サリアは何とも言えない顔で眺めていた。

 

 息を切らせて走るアロイスは後方から追ってくる狼達を見て、舌打ちをする。

「ルブラン、踏ん張れッ! 森狼は縄張りから大きく離れたがらない! あと少しだ!」

 叱咤する。先頭の森狼は、すぐそこまで迫っていた。

「お前たちほど足が長くないんだ、少し分けてくれッ!」

 軽口を返すが、言うほど余裕はない。限界は確実に近づいていた。

 踏みとどまって戦おうにも、ここまで走るのに体力を使い過ぎ、何よりも狼どもの数が多すぎた。

 20頭は居る。大きな群れに見つかったらしい。

 運の悪いことだ。

「ヘッ、とっとと帰ってエールでもしこたま浴びようや! ルブラン、文句言う前に走れェッ!」

 ケーレが事更に軽口を叩いて、ルブランを鼓舞する。

「ふんッ! その時は、お前の分のエールは俺が全部飲んでやるからなッ!」

 ケーレの心遣いが有り難い。

 だが、現実はそこまで迫っている。

 こうなれば、この身を餌に、仲間を安全に逃がすしか無い。

 ルブランがそう覚悟を決めた時。

「アロイス! 前! 何だあれは!」

 クレイオスの声に、全員の視線が前方に集中する。

 そこには。

 此方に向かって迫る、何か――人影――が見えた。

 

移動拠点(シェルター)展開、安全確認後、支援頼む」

 殊更に、オリヤは声に出して呟く。

 それは、移動拠点(シェルター)の中にいる2人に伝えるため。

 彼我の距離は100メートル。なおも近づく。

 左腰に提げた剣を抜き放ち、移動拠点(シェルター)を自分の隣に展開させ、それを置き去りに走り去る。

 息を少し大きく吸い込むと、オリヤは前に向かって叫ぶ。

「後ろに仲間がいるッ! 彼女たちに合流して、態勢を整えたら、援護を!」

 前方に居る一団に声を放ち、次の瞬間には一団と交錯する。

「済まないッ!」

 誰かの声がした。

 そう思った時には右腕を振り抜き、先頭の狼の頭が斬り飛ばされる。

 急制動で土埃を上げつつ、横を抜けようとした2頭を続けざまに斬る。

 逆袈裟の振り下ろしで一頭、踏み込んで振り上げる刃で一頭。

 間を置かず振り返り、ロクに対象も確認せずに左から右へ振り払う剣が、飛びかかろうとしていた狼の胴を正確に薙ぐ。

 警戒レーダーがあれば、背後からの奇襲も意味をなさない。

 突然の闖入者に統制を混乱された狼達に、オリヤはなおも飛びかかり、更に戦果を重ねていった。

 

 後ろを見て、狼達の足が止まった事を確認すると、アロイスたちは崩れるように大地に転がった。

 だが、休んでいる暇はない。

 身体を起こし、息を整える。

 直ぐに、あの男の加勢に入らなければ。

「そんなに慌てなくていいですよ」

 突然の声に、アロイスはとっさに剣を取り振り向く。

「危ないなあ、私達は味方ですよー」

 そこに立っているのは。

 自分は、夢でも見ているのか。

 それとも、ここがあの世という奴なのか。

 金髪と銀髪の、美しいエルフがそこに立っていた。

「と言うか、あの剣士の仲間なんですけどね」

 金髪のエルフが、困ったような微笑みで言う。

「姉さん、私はオリヤを手伝うから」

 銀髪のエルフが、勇ましく杖を振り上げる。

「判ったわ、この人達の回復は任せて」

 金髪のエルフ――どうやら姉らしい――が、アロイス達に近寄ってくる。

 銀髪のエルフは、走って狼達と戦う男の方へ向かっていった。

「風と水の精霊よ、癒やしを。勇ましきものに休息を」

 言葉もないアロイス達に、金髪のエルフが癒やしの詠唱を向ける。

中位回復陣(エリア・ヒーリング)

 静かな、優しい声。

 その声が染み入るように、アロイス達の傷が塞がり、体力が回復してゆく。

 これほど効果の高い、範囲回復法術を体験したのは初めてである。

 体力のみならず、気力まで回復するようだ。

「ありがとうよ、エルフの嬢ちゃん。いや、アンタは女神様かな」

 誰より早く、ドワーフのルブランが立ち上がる。

 森を抜ける間に消耗した体力が回復した。

 もう、まごつく理由も逃げる必要もない。

 考える時間さえ惜しい。

「あの男に続けッ! 俺達は!」

 駆け出すドワーフに続いて、全員が並んで走り出していた。

「受けた恩は返す!」

 アロイスが吠える。

 その身体に、防御と力の加護を感じて。

 振り返らずに口の中で礼を述べ、手にした剣に力を込めた。

 

 しげしげと、サリアは手元の杖を見る。

 凄い。中級法術を発動したのに、全く疲労感がない。

 それ以上に、杖が法術を強化してくれたのが解る。

 発動も早く、魔力の滞りもない。

 思った以上に、この杖は凄い。

 効果を実感したサリアは、走り出した冒険者達を追って、自分も走った。

 

 魔術の行使に、今まで感じていたタイムラグが無い。

 アルメアは、詠唱しながら確実な手応えを感じていた。

 中位の炎魔術が使える。今までは、魔力全てを注いでやっとの大仕事だったのが、今の彼女には片手間にする掃除よりも手軽だ。

 今なら、もしかして。

爆炎(エクスプロウド)!」

 2回目の爆炎の華を咲かせて、アルメアは更に、杖に魔力を集中させる。

 詠唱は頭の中に。

 発動の句は。

緋炎矢(ブレイズ・アロー)!」

 アルメアの鋭い声に応え巻き上がる炎が幾条もの猛り狂う矢となり、狼達に襲いかかる。

 詠唱を省略した魔術、その初めての成功に、アルメアは(今日)一番の微笑みを浮かべていた。

 

 おーおー、アルメア姉ちゃん張り切ってんなー。

 オリヤは剣を振り下ろし、一刀で狼の頭を断ち割ると、背後から襲い来る気配に、振り返る勢いで剣を下段から跳ね上げるように狼の胴を裂く。

 ふい、と周りを見ると、アルメアの魔術と、冒険者たちの活躍で狼はあらかた片付いたようだ。

 残りは居ない。どうやら逃げたらしい、そう判断する。

「結局、俺、活躍してねーなー」

 剣、向いてないかもしれん。

 聞いたらヴェスタに説教されそうなことを考え、懐から取り出したボロ布で剣に付いた血を拭う。

 討伐数はオリヤ8匹、アルメア9匹、冒険者達が4匹。

 あれ? もしかして全滅させた?

 警戒レーダーを見ると、2匹森に逃げていくのが映っている。

 何匹か逃げた気がしたのは、やはり気のせいでは無かったらしい。

 やれやれ、大戦果だな。

 改めて周囲を見回し、狼の死体を無感動に眺めて。

 剣を鞘に収める。

 自分のレベルが上がってないことを確認して、ちょっと寂しくなる。

「あんた達」

 そんなオリヤに、声が掛かった。

 のんびりと、いつものオリヤが振り返る。

 声のした方向には、冒険者達が並んで立っている。その後ろには、サリアが静かに立っていた。

 その一群の中、声を発したらしい、冒険者達のリーダーと思しき男が立っていた。

「済まない、助かった」

 真っ直ぐに、オリヤを見つめて、ハッキリと口にする。

 なかなか男気溢れるお兄さんじゃないの。

 オリヤは照れたように頭を掻きながら答える。

「いんや、困った時はお互い様っていう、昔の偉い人が言った言葉があってね?」

 レザーアーマーの要所に鉄板を貼り付けた、無骨でなおスマートな防具に、右手にバックラーを、左手にロングソードを持つ、長身の逞しい男。

 茶色の髪は短く揃えてあり、堀の深い、逞しくも凛々しいその顔は、驕ること無くオリヤを見つめている。

 主人公顔だなあ。

 自分に無い男らしさに、羨む気持ちが湧き上がる。

「いやでも、ホント助かったぜ。街の影も見えねえトコで死ぬなんざ、御免だからよ」

 そのリーダーに並んで立つ、軽装の男が実に良い笑顔で言う。

 両手にダガー。この人がシーフか。

 人懐っこい顔立ちである。何となく親近感が湧く。

「そちらのエルフの方も、素晴らしい魔術でした」

 同じく軽装にローブを纏った男が、尊敬の念を声に滲ませる。

 面長で、細い目なのに冷たい印象を感じない、街角で見かけたら無害な人と判断してしまう空気が有る。

 こういう人が怖いんだよな。

 オリヤは警戒する訳でもなく、無責任にそんな事を考える。

「全く、兄ちゃんはまだ若いってのに大した腕だし、姉ちゃん達はとんでもない魔術師と回復術士と来た。エルフにも骨の有るやつは居ると知っては居たが」

 目にするのは初めてだ、そう言って豪快に笑うドワーフ。

 フルプレートに、巨大な斧。短躯であるが、決して油断ならない膂力を感じさせる。

 顔の半分はヒゲで覆われているが、その目は豪胆に光り、太く真っ直ぐな鼻筋が意思の強さを感じさせる。

「……オリヤ、アンタどうしたの? 黙り込んじゃって」

 隣まで歩いてきたアルメアが、オリヤの顔を覗き込む。

 考えてみたら、アルメア姉ちゃんもとんでもない。

 基本好き勝手に動くオリヤを避けて、敵だけに魔術を炸裂させていた。

 警戒レーダーさんが仕事してくれるので、アルメアが撃ちそうな所には行かないように心掛けたが、それにしても見事な物である。

「いんや、サリア姉ちゃんがあっちに立ってると、なんか向こうが5人パーティみたいでさ」

 口にしたのは、全く関係のない事。

 全員がキョトンとする。

 オリヤの目線を追って首を巡らせたアルメアは、5人並び立つ姿に得心がいく。

 どころか、余りにも自然な絵に、アルメアは耐えきれず吹き出してしまう。

「あっはっはっ! 姉さん、違和感なさすぎ!」

 言われたことはすぐには理解できなかったが、笑われたことはすぐに分かる。

「アルメア! あなた、そんなに笑うことないでしょ!」

 抗議の声を上げるが、アルメアの笑いは収まらない。

「だって姉さん、溶け込み方が自然過ぎるもの!」

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ2人に、冒険者達は顔を見合わせ。

 そして、吹き出していた。

 

 

 

 時間は、もうじき昼と言った所だろうか。

 太陽が頭の真上に有る。

 不貞腐れて美人可愛いお姉さんにクラスチェンジしたサリアを宥め、狼の遺体から剥ぎ取れる物は剥ぎ取り、さて昼食にしようかと言う話に、当然なるのである。

 血の匂いの香る食卓は今回はパスしたいという事で全員の意見が一致し、まずは場所を移動してからになるが。

「兄ちゃんは何処に向かってたんだ?」

 ドワーフの、確かルブランがオリヤに声を掛けてくる。

 よほどオリヤが気に入ったのか、ルブランはオリヤの隣に付いて歩いている。

「俺達は、ディアクーフに。ちょっと鉱石を仕入れるのと、冒険者ギルドで、なんか依頼が無いか見てみようかと」

 オリヤも悪い気はしないので、素直に答える。

「なるほど、お前たちも冒険者か。そうだろうなあ、あれだけの腕だもんな」

 ルブランはうんうんと頷くと、オリヤの背中をバシバシと叩く。

 オリバーさんにも、やたら背中叩かれたっけな。

 一昨日飛び出したばかりの、「この世界」での故郷を思い出す。

 それはさておき。

「冒険者は、実は俺だけなんだ。サリア姉ちゃんとアルメア姉ちゃんは、冒険者じゃなくって」

 オリヤが訂正する。

 その言葉に、ルブランだけでなく、何となく二人の会話を聞いてた残り3人も驚いてオリヤを見る。

「おいおい、マジかよ。なんでこんな魔術師と回復術師が、冒険者してないんだよ?」

 ケーレと名乗ったシーフが、素直に驚いてエルフ姉妹を見る。

「神官か、宮廷術師か、そんなところか……いや、深くは聞くまい。事情も有るだろうしな」

 リーダーことアロイスが訳知り顔で頷くと、隣でクレイオスと名乗った魔術師が細い目でやはり頷く。

 まさか、実はただの旅のエルフで、奴隷にされそうになってました、とは言えない。

 深読みが過ぎるが、ここは想像に任せることにする。

 問い質されたら、2人の名誉も有る事だし、適当に誤魔化す事にしよう。

「オリヤー、お腹すいたー」

 うん、この人はこっちの悩みもお構い無しね。

 通常運転で、結構なことである。

「アルメア、あなたね……はぁ、恥ずかしい……」

 サリアは左手で顔を覆い、ため息を吐く。

 苦労人も通常運転である。善き哉。

 

 さて。問題はこの後である。

 オリヤは冒険者達にいつしか揉みくちゃにされながら考える。

 現在、人数は7人。

 時間は昼。

 ちょっぴり激しい運動直後。

 当然、皆腹が減っている。オリヤも減ってる。

 当然お昼ご飯なのであるが、自分たちだけ、ヴェスタハウス・ランチとは行かないだろう。

 いや、言い張れば冒険者4人もしつこく食い下がる様な事はしないだろうが。

 だからと言って、そんなことをしてわざわざ居心地を悪くする理由もない。

 こんな事を考えるから、甘ちゃんなんだろうなあ。そう考えるとため息しか出ない。

 では、この4人にも振る舞うとして。

 現状、適切な料理が無い。

 人数分揃えられる料理が無いのである。

 量だけは、多分2回は食事できるだろう。

 本来はオリヤ1人分の、一週間分の食事だったわけだが。

 ……量が間に合うなら、それで良いか。

 適当に惨劇現場から離れられたので、この辺でいいかと、オリヤは足を止める。

 覚悟しなければならない。

 オリヤは静かに息を吐くと、厳かに昼食を宣言し、足元の草原にインベントリから出した敷物を広げた。

 

 ある意味、先程の戦闘よりも衝撃的な光景だった。

 アロイスすら喉を鳴らし、ケーレはもう我慢する気もない様子で、敷物に上がり込み一角に陣取っている。

 衝撃を受けたのはエルフ姉妹も同じだった。

「こんな……こんな事が」

 クレイオスが、どう言ったものか考えあぐねている。

 

 敷物一杯に広がる、それは食事の海だった。

 7人分、持ち込みの食事のおよそ半分。

 断腸の思いで、オリヤは決断したのだ。

 いずれ、この食事は自分たちの腹に消えゆく運命。

 それならば、今ここでッ! 振る舞うのも已む無しッ!

 テレジアさんの、カテリナの手作り料理。

 オリヤは心で血涙を流し、顔は笑って言う。

「聞きたいことも有ると思うけど、取り敢えず、毒は入ってないから」

 オリヤの挨拶代わりの一言に、アルメアも救助船を出港させる。

「取り敢えず美味しいから、心配しなくても大丈夫!」

 サリアは何と言ったものか、考えが纏まらないので黙っている。

 全員が座っている事を確認すると、オリヤも腰を下ろす。

「見ての通り、元々()()()の食事だから、同じ料理を全員に回すほどの量が無いんだ」

 さり気なく嘘を混ぜて、少しだけ恩を売る言い方になれば良いなと考える。

 サリアとアルメアが、思いがけずぎょっとした顔でオリヤを見るが、オリヤはポーカーフェイスを貫く。

「だから、好きなのを好きなように食べよう。料理は食べてこそだからね」

 さよなら、俺の好物達。俺の、みんなの胃袋と仲良くね。

「さあ、いい加減腹も減ったし、みんなで食べよう」

 食事の量に気圧された者。

 堪えきれず、今にも手を出しそうな者。

 状況が飲み込めず、開いた口が塞がらない者。

 振る舞ったものの、後悔が拭えない者。

 7人7様のそれぞれが、オリヤの言葉で動きを取り戻す。

「よおおぉぉッシャあッ! いただきますッ!」

 ケーレが待ちきれなかった勢いで、先陣を切る。

 いただきますって言い方、この世界にも有るんだな。ってか、姉さん達も言ってたっけか。

 不思議な世界だ。だが、不思議と言えば。

 この人、冷静さが信条のシーフだよな?

 猛烈な勢いで食事を開始するケーレを見て、ついぼんやりと考えてしまう。

「あわわわわ……こんなにいっぱい。こんなに贅沢、こんな事って……」

 アルメアの手前、冷静でいようと務めたサリアだったが、食事量に呑まれて震えている。

 言葉も覚束ない様子だ。

 やはりアルメアさんの姉、美人可愛い枠に収まる素質は持ち合わせていたようだ。

 クレイオス兄さんも、一瞬サリア姉さんに見とれていた。

 食わないと、この嵐の中じゃあ、直ぐに無くなっちまいますぜ、サリア姉さん。

 アロイスとルブランは年長者の余裕で、食事もマイペースを維持している。

 と、思いきや、ルブランはケーレの欲しい物を先回りで奪い取り。

 アロイスは、ちゃっかりと自分の陣地を確保、さり気なく食べ物を囲い込んでいく。

 アルメアは言わずもがな、可愛く楽しく食事を満喫している。

 ……クレイオスさん、サリア姉ちゃん。

 急いで食わないと、まじで食いモン無くなるぞ。

 アロイスに負けじと食の陣地を形成しながら、オリヤは心でそう呟くのだった。




食とは非情である。


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食事は大事だとしみじみと

思ったようには進まない。


 食事を終え、サリア姉さんとクレイオスさんの元気が無い。

 クレイオスさんは少食なのかな、と考えたりもしたが、駄目だ誤魔化せない。

 

 完全に、出遅れからの食料確保ミスである。

 

 だから、食わなきゃ無くなるよ、と言ったのだ。

 ……内心で。

「美味しかったー!」

 アルメア姉さんは実に満足そうだ。

 実に良かったが、貴女の実の姉さんが悲しそうです、フォローしてあげて下さい。

「いや、マジで旨かった! 旅先でこんなモン食えるたァ、思っても見なかったぜ!」

 ケーレさんが溢れんばかりの笑顔で微笑む。

 満足して頂けたようで何より。

「うむう、旅先どころか、街でもこんな旨いモンそうそう食えんぞ。旨すぎて、食いすぎたわ!」

 ルブランさんが同意して、腹を叩く。

 気持ちは判るが、それじゃ金属音しかしないよ。

 というか、クレイオスさんがほとんど食えなかったの、ケーレさんとルブランさんが大暴れしたからだぞ、反省しろ!

 ちょっとキツめに怒る。

 ……勿論、内心で。

「クレイオス、お前大丈夫か? ほとんど食えて無かったが」

 アロイスさんが心配そうにクレイオスに目を向け、釣られてアルメアさんがそちらに顔を向ける。

「大丈夫? 顔色悪いけど……具合悪いの?」

 アルメア姉さんの言葉に、アロイスさんも一層心配げに顔を歪ませる。

 だが。

 あんたら、割とマイペースに食料確保して、普通に食事してやがりましたよね?

 その気遣いは食事時に発揮すべきだったんだ、うん、勿論直接言えないけども。

「……アンタはなんで、にこにこしながら周り見てるの?」

 サリア姉さんの声に顔を向けると、ものすごく悲しそうな顔で此方を見ていた。

 きっと、食事が足りなかったのだろう。

 多人数の食事という状況に慣れていなく、あれよと消えていく食料にパニックを起こし。

 ろくすっぽ手を付ける事も出来ず。

 食料の払底をもって、食事は終了したのだ。

 人は悲しみを織り上げて物語を紡ぎ出す。

 2人の悲しみは、俺が語り継ごう。

 食欲の波に翻弄され、食にあぶれた悲しみを、俺は。

 なーんもせずに、ただ見てただけだから。

 

 俺がみんなに何にも言えないのは、気が弱いのも勿論。

 つまる所が、同罪なのである。

 

 仕方ない。

 夕食分から出そうかとも考えたが、それで夕食が減ったら暴動を起こしそうな顔ぶれだ。

 夕食ついてははまだ決めていないが、最悪同じ様な事になる。

 と言うか、食事の種類が多く、見た目の量も多く見えただけで。

 実際のところは7人分の食事を並べただけだから、誰かが多く食えば誰かが食えないのは自明なのである。

 

 みんな同罪、そう言いたげな顔のオリヤだが、そう思うなら最初に注意喚起すれば良かっただけだ。

 それが判っているので、内心で周りに責任を押し付けて遊んでいたのだが。

 流石に罪悪感が無くもない。事もない。

 心に思い浮かべるのは生前、思いつきで検索して見つけたあるおやつのレシピ。

 自分の作り方が悪かったのか、本物とはだいぶ違う感じだったが、少し固めな食感は満腹中枢を撹乱してくれるかも知れない。

 材料は、小麦と、牛乳……だいぶ少ないがこの際仕方ない。

 あとは、砂糖とその他。

 それら材料と「創造力」を用いて、手早く創り上げる。

 

「サリア姉さん、クレイオスさん」

 心持ちしょんぼりしている2人に声を掛けると、なんとも弱々しく振り返る。

 すごくごめんなさい。

 そう思いながら、懐から取り出した物をそっと差し出す。

「さっき、殆ど食べてないでしょ。おやつ見たいなモンだけど、食べないよりマシだから」

 オリヤが言うと、何事かとその様子を見ていた男3人がそっと視線を逸らす。

 お前ら自覚有ったんですね?

 オリヤは視界の端にその様子を収め、少し心が軽くなる。

 俺だけが悪いんじゃないね、うん。

「ああ、ありがとう」

 クレイオスが、素直に礼を述べながらオリヤの手からそれ――カロリー栄養補給食モドキ、フルーツ味――を受け取る。

「ありがとう、オリヤ」

 同じ様に受け取りながら、サリアは涙目になっている。

 そんなにか。

 ふと服の袖を引かれる感触にくるりと顔を向けると、その先に居るアルメアは。

「オリヤ、オリヤ! 私にも頂戴!」

 反省どころかそもそも自覚もなく、顔を輝かせている。

 最早ため息もなく、オリヤは半眼で告げる。

「アルメア姉さん、おやつなし」

 それは、悪魔からの宣告に等しく、アルメアの胃袋を打った。

 

 

 

 完全に不貞腐れたアルメアさんを殿(しんがり)に、人数が増えた一行は南東を目指し歩く。

 街道沿いがやはり安全なのだ。

 あれこれとオリヤに話しかけ、気が付くと歩きながらヘッドロックを仕掛けてくるルブランに引き摺られ、オリヤは情けない顔で笑う。

 爆笑するケーレの後ろで、クレイオスが何事か考え込むが、ヘッドロックで固められたオリヤにはその表情を伺うことは出来ない。

「そういや、オリヤ、お前さんランク幾つなんだっけ?」

 ケーレがオリヤの頬を突きながら尋ねる。

 いじり甲斐のある弟分を手に入れたその顔は、非常にご機嫌である。

 そう言えば、話してない気がする。

「Fだよ、最近登録したばっか」

「マジか、あんだけ動けてFとか、お前ならすぐにランク上がるだろ! そしたら2パーティ合同でクエストもイケるな!」

 実に楽しそうに笑いながら、ケーレはオリヤの背中をバンバン叩く。

 何だろう、俺の背中は人の殴打欲を掻き立てる何かが有るのだろうか。

 ん? 合同?

「パーティに誘うとか、そういう方向の話じゃないの?」

 ケーレの言葉に引っかかりを覚えたオリヤの、その問いに答えたのは前を歩くアロイスだった。

「お前さんを引き抜いたら、お嬢さん方はどうするんだ」

 振り向いてそう答えて、アロイスはオリヤの頭をくしゃくしゃと、寧ろ乱暴に撫でる。

「パーティに人数の制限は無いが、それでも7人だと多いだろ。だからってお前を引き抜いたら、お嬢さん方に恨まれかねん」

 おどけた調子で言うアロイス。笑い顔も男らしい。

「ま、そういうこった。だから、でかい依頼(ヤマ)が有ったら力を貸してくれ」

 そう言って笑いながら、ルブランはヘッドロックを解く。

「それにな。俺は気にしないが、そっちのお嬢ちゃんたちは、ドワーフが苦手だろう?」

 首を巡らせ、サリアとアルメアに向けるその目に、ほんの少し、悲しみが浮かんだ。

 ……何だ?

 オリヤはその目に、妙な引っかかりを覚える。

「得意って言うと変だけど。少なくとも、一緒のパーティはイヤ、と言う程、ドワーフが嫌いとか思ったことは無いわ」

 サリアが、微笑んで答える。

「今となっては、お互いそうそう会うことも無いでしょうし、ね」

 その微笑みも、何処か悲哀が見える。何故だろう。

「私は寧ろ、おやつをくれないイジワルなオリヤが要らないかなー」

 アルメアがサリアに続けて言う。

 子供か、そう言いたい所だが。

 ……アルメアがオリヤに向けた目にも、悲しみが見えた気がした。

 拗ねたような顔を作っているが、一瞬だけ、確かに。

 3人に共通して浮かんだ「悲しみ」の色。

 実は知り合い?

 ……って風でもないんだよなあ。

 今となってはそう会う事もない、か。

 この3人が個人的に、って意味じゃあ……なさそうだな。

 ドワーフとエルフが、って事か。

 いや、そもそも。

 オリヤは青く澄んだ空を見上げ、そして視線を落とす。

 広すぎるんだよなあ。

 視界一面に広がる、草原を見ながら。

 オリヤはしばし考える。

 魂が減った世界。

 魂をこの世界に満たすために、単純に「輸出」されてきたオリヤを含む人々。

 ……気になることが多すぎるんだよなあ。

 少し考えている間に、3人は軽口を叩き合い、それぞれの会話に戻り、そして旅は続く。

 釈然としないながら、オリヤは違和感も疑問も、誰に問うこともしなかった。

 

 

 

 クレイオスは考える。

 魔術には基礎が有り、その上に積み上げて己の(わざ)とするものだ。

 鍛錬を怠り、研鑽を蔑ろにする者は、魔術師の高み処か、裾野に立つ資格もない。

 自分も冒険者として活動しながら、魔術の探求を忘れた事は無く、基礎を忘れた事もない。

 彼が修める魔術は火と風の魔術。

 基本レベルなら、他の魔術も使えなくはないが、修めた魔術系統の方が、より力が出せる。

 その2つの系統を統合した魔術も研鑽し、幾つか実用に耐えられる様になってきた。

 そんな彼だが、基本レベルでさえ使えない魔術がある。

 時間魔法と、空間魔法。

 代表的なのはこの2つだ。

 時間に、空間に干渉する。理屈として存在することは判る。

 空間魔術に関しては、現実に「アイテムボックス」が存在し、作成者が居る以上、存在する筈だ。

 しかし、時間に関する魔術は資料に乏しく、実践されたという話は聞かない。

 当然、それが施された魔道具の存在も知らない。

 先程の食事を思い出す。

 広げた敷物の上に、突然広がる料理。

 その時点で理屈が解らない。

 敷物にアイテムボックスの魔術を施したのか?

 仮にそうだとして。

 アイテムを取り出す動作で、あれ程整然と料理を並べられるのか?

 まるで、空間を把握し、各皿を正確に並べて出現させたようだ。

 慣れの問題か? 冒険者としては駆け出し処かつい最近登録したばかりだという。

 日常で使い慣れたのか?

 その線は考えられる。釈然とはしないが、それで納得することにしても。

 その料理が暖かかった事は、説明が付かない。

 此方の危機を察知し、慌てて料理して、それを簡易皿に盛り付け、アイテムボックスに仕舞い、そして駆けつけた。

 言葉にして並べると、馬鹿馬鹿しさが際立つ。

 そうすると、予め料理をアイテムボックス仕舞っておいた。そして、街を目指す旅の途中で此方に気付き、駆けつけた。

 そう考える方が自然だ。

 だが、そうなると、アイテムボックスの中で温度を保っていた理由がわからない。

 アイテムボックスの中でも時間は流れる。

 だから、生物は傷むし、スープは冷める。

 時間が経てば相応に腐るので、保存の効く物でなければ、アイテムボックスに入れないのが普通だ。

 だが、腐ったような気配もなく、寧ろ作りたての湯気を上げる料理達。

 考えられるのは、時間魔術。

 アイテムボックスに、時間停止の魔術を重ねているのか。

 他にも、空間を把握するのは、別の空間魔術の応用なのだろうか。

 ……それ程複雑な魔術を行使したのは、誰だ。

 目の前の少年を、その候補から外すことは出来ないが。

 しかし、幾らなんでも若年でそれらの魔術を修められるとは思えない、というかどう修めたのか想像も付かない。

 クレイオスの卒業したアカデミーでも、時間魔術は研究途中であったし、空間魔術は適正のある者のみに開かれた門。

 噂の王都でなら、そんな魔術師も抱え込んでいるのだろうか。

 聞くのが早いか?

 オリヤ(こたえ)は今、目の前にいる。

 しかし、どう切り出すか。アイテムボックスの疑問をぶつける所からか。

 そもそも、聞いて答えてくれるのか。

 せめて、作成者の名前くらいは聞き出したい所だ。

 あと、お腹減ったな……あのクッキー美味しかったな。

 

 

 

「はーい、この中でウサギ捌ける人ー」

 唐突かつ気の抜ける声が、一行の動きを止める。

 いや、正確には休憩の為に皆が歩を緩めたタイミングだっただけなのだが。

「なんだよ、藪から棒に」

 ケーレが適当に腰掛けながら、オリヤを見上げる。

「いやあ、晩ごはん、用意しなきゃでしょ? で、この辺で居そうなのって、ウサギじゃないですか」

 当たり前の様に言うオリヤだが、レーダーを眺めて発見していただけである。

「まあ、すばしこいが捕まえられるだろうな。ケーレなら」

「俺かよ」

 当たり前のように仲間に任せる、というか押し付けるルブラン。

 食い気味で、ケーレが不満げに突っ込む。

 そんな心温まる遣り取りを無視して、オリヤは思ったことを口にする。

「俺、ウサギ捌いた事無いんス」

 ルブランが軽く目を見開いて、オリヤを見る。

「だから、覚えときたいんス」

 驚いた。

 見た目はやる気があるようには見えないが、なかなか見どころの有る事を言う。

 少なくとも、旅して行こうという気概の持ちようは、心得ているようだ。

 アロイスも同じ事を思っているようだ。

「いい心掛けだ。それにはまず、捌く獲物が居なくてはな」

 楽しそうなアロイスの隣から、アルメアがひょっこり顔を出す。

「なになに? 晩ご飯はウサギのお肉?」

 期待している目。

「このお姉さんは、食べ物以外に興味無いのかね」

 オリヤはそう思うが、勿論口には出さない。

「何よそれぇ!」

 つもりだったのだが、考えるより先に口に出ていたらしい。

 失敗失敗。

 アルメアは笑う周りにも照れ隠しで噛みつきながら、恥ずかしさで顔を真っ赤に染めている。

「それじゃあ、腹ペコ姉さんの為に狩りにでも行きますかね」

 コツンと、腰の剣を叩く。

「手伝うか? ちょっと休ませて貰えりゃ、そんぐらいやるぜ?」

 ケーレは座ったままで、しかしダガーの具合を確認しながら言う。

 あれ、あのダガー。

「大丈夫っす、ケーレさん。それより、左のダガー、研いどいた方が良いっスよ」

「あん? あ、ちょいと刃がガタついてんな、ありがとよ」

 ケーレは自分の獲物を確認し直し、鞄の中の砥石を探す。

「駄目だったら泣きながら帰ってきます」

「そんときゃ手伝ってやるよ。爆笑してからな」

 オリヤが軽口を叩き、ケーレも同じく返す。

 そんなオリヤは頭の中で、今夜の食事の献立をぼんやりと考えていた。

 

 

 

「魔王様、何をご覧になっているのです?」

 魔王城、と言うにはどう見ても廃墟の崩れかけの家屋内で、場に相応しくないメイド服の女性が、静かに問う。

 黒を基調とした裾の長いスカートとシャツに、白のエプロン。ヘッドドレスは魔王様の趣味である。

 薄く銀を含んだ紫の髪は短く整えられ、艶を放って輝いている。

 白磁に例えても違和感のない白い顔に、赤く燐光を放つような瞳が静かに自分の主を見つめる。

 細く整った鼻の下で小さめでは薄い、しかし魅力を損なわない唇が魔王を名乗る主の言葉を待つように引き結ばれている。

「んー? いや、面白い奴を見つけてな?」

 答えながら、適当に見つけた椅子に腰掛けた、魔王と呼ばれた男は不機嫌に答える。

 長い脚を組み、肘掛けに肘を乗せて頬杖を付く、細身の青年。

 黒い髪と長いまつ毛が特徴的な、ほっそりとした顔立ちながら、その表情は「憮然」の一言に尽きる。

「遊んでないで、夕餉の準備など考えて頂けると嬉しいのですが」

「……まだ昼過ぎだよね? ってか、俺、魔王だよね?」

 メイド服の女性は恭しい態度で嘆願を述べる。

 受け取る魔王の方は、どうにも納得の行かない顔だ。

「ああ、魔王様は流石に慈悲の無い方。私の如きか弱い女に、狩りに行けと仰るのですね」

 あくまでも恭しく、顔色ひとつ変えずに言い切る。

「……まあ、たった今当てが出来たトコでも有るし、どうせだから一緒に行くか?」

 本当なら怒鳴りつける、は無理だから、ため息混じりに嫌味を言って返り討ちに遭うのが常なのだが、今回ばかりはどうでも良かった。

 空間に映し出した遠見の魔術が映し出す少年をじっと見つめていた。

 こいつ、人間じゃない。

 いや、それはどうでも良い。

 漏れ出る魔力もそうだが、ステータスが不自然に高い。

 手持ちスキルも聞いたことがない、何とも胡散臭いシロモノだ。

 これでは、まるで。

「俺と同じか……?」

 脳裏によぎるのは、白い空間とイヤに優しそうな線の細い男。

 俺の後に「輸出」された野郎――異界人か。

 そう、当たりをつける。

 どうにも平和ボケした面構え、間の抜けた笑顔。

 ちゃんと「輸出」された意味を理解して、行動できる奴か。

 それとも、今まで見てきた大多数と同じく、無意味に魂を使い潰す阿呆か。

 どう転ぶかは判らないが、何とななく。

「こいつとは絡んどいた方が良いか……?」

 少しだけ真面目に、魔王は考える。

 今までは、所詮他人は他人と、仮に「同朋」を発見しても放置していた。

 しかし、先日その放置していた「同朋」の1人が、やらかしてくれた。

 放って置くと他人の魂を巻き込んで消滅しかねない勢いだったので、已む無く彼が「同朋」を殺す羽目に陥ったのだ。

 被害は最小に押さえられたと思うが、50に届こうかと言う人の魂が無為に消失する事になった。

 己の認識の甘さ、人に対する信頼が、綺麗に裏切られた。

 今度は、事を起こす前に始末する為にも、力の有る「同朋」は特に監視せねばならない。

 その中でも、今見ている少年は有り体に言えば変わり種だった。

 ステータスの上では兎も角、人としての有り様次第では、立派に魔王としてやっていける程度には。

 面倒の芽なら摘む、役に立つようなら放置する。

 いずれ、見極めるには遠くから監視するより、一度手元に置いたほうが良い。

「魔王様、他人の趣味にどうこうは言いたく有りませんが……」

 いつの間にか魔王の隣に立ったメイドは、魔王と同じく空間に映し出された映像を眺めながら言う。

「そういう趣味がお有りだったのですね」

 なにが?

 ちょっと真面目に考え事をしていた彼は言われた意味が判らず、映像を見直す。

 その中では少年が、ドワーフにヘッドロックされている所だった。

「……趣味ってなにが?」

「いえ、出過ぎたことを申しました。お気になさらずに」

 メイドは一歩引くと、恭しく頭を下げる。

 魔王様は、釈然としない物の、取り敢えず放置して置くことに決めた。

 そして思考を少年に向け直す。

 あの筋肉バカ一代と同類の平和な奴なら問題ないが。

「……1回、ヘルメスの(あん)ちゃんに確認とっとくか」

 罷り間違って破滅主義の馬鹿野郎の同類が来やがったら。

 と言うか、なんで向こうで選別してくれないんだ、本気でランダムじゃねえか。

 選別はあの(あん)ちゃんじゃねえ、とは言ってたか。

 まあ、良い。

「ま、それはそれとして。行くか。ミキ、お前も準備しろ。此処は引き払う」

 静かに待つメイドに、魔王様はごく気軽に言う。

「はい……なるべくご趣味の邪魔にならないよう、気をつけますね」

 恭しく答えるメイドが何を言っているのか良く解らないが、まあ、きっと解らないほうが良いのだろう。

 考えることを放棄して、魔王は異空間に私物を次々と放り込み、無言で差し出されたメイドの荷物もついでに放り込む。

「引き払うのは結構ですが……何処か別の拠点を発見したのですか?」

 この廃墟には何だかんだで一月は居座っている。

 新生した、居城を持たない魔王は変わり者で、自分を拾ってくれただけでなく、衣装を何処からか用意してくれた。

 下着類に関しては疎いからと、手当り次第もってきた物を広げられ、この人は脳の具合は大丈夫かと本気で心配になったものだが。

 基本的におおらかで、魔王らしくはないが。

 本人はそう言い張って憚らない。

 なら、それで良いと思う。自分は拾われただけ、何処に行っても構わないと言われたので、側に居るだけだ。

 だからこそ、魔王様の行く先は気になるのだ。

「拠点……拠点か。()()()()()だとは思うが、あれだな。いきなり押しかけるんなら、土産のひとつふたつ用意してやらねェとなぁ」

 答えになってない気がする。

 支離滅裂なのはたまに有ること。

 解ったふりをして頷くと、魔王様に付き従って廃墟を後にするのだった。

 

 

 

 レーダーを頼りに、ウサギを探し、迷わず引き金を引いていく。

 無音状態で銃弾を弾く感覚が不思議で、腕から伝わる衝撃がなければ完全に現実感を無くしていただろう。

 しかし、正直、初めて発砲した時はビビった。

 音がでかいとは聞いていたし、予想もできていた。

 しかし、予想よりも大きい。

 何か間違ったのだろうか? 火薬の質が悪かっただろうか?

 それとも、訓練でたまたま手に入れた鉱石――から精錬した魔銀鉱(ミスリル)、それを使用したフレームが悪かったのだろうか?

 強度が十分そうだったので、スライドも含めて気持ち薄めにしたのだが、その所為で吸音性が落ちたのだろうか?

 いや、そもそも脳内の記憶頼りで作っている為、設計が甘い可能性も有る。

 ……なんだか、その全部が理由になっている気がする。

 奇跡的に発砲の衝撃には耐えてくれてガタつくこともなく、射撃精度も引くほど出ている。

 暴発の危険も無い……と思う。無いと良いな。

 取り敢えず落ち着いて研究出来るまで、この魔術サイレンサー式のなんちゃって1911がサブウェポンということになる。

 そう考えながらもウサギの頭部を次々に打ち抜きながら、きっちり7発毎にマガジンを替えて狩りを続ける。

 そもそも、ハンドガンで狩りとか無茶な、と思うことなかれ。

 そもそも当たる距離(オリヤ比)までは気配を消して近寄っているので、問題ないのだ。

 

 オリヤは1911を、4人組に公開する気になれなかった。

 エルフ2人とは訳が違うのだ。

 サリアとアルメアはああ見えて、気にしなくて良いのにオリヤに救けられた事を必要以上に気にしている。

 助かりたい一心でオリヤに口を合わせているだけ、その線も捨てられ無かったが、「神様」の眼前での宣誓は流石に、あれは嘘では無いだろう。

 だから、狼の群れを前に一度も銃を持ち出さないオリヤに不審を感じたアルメアが視線で問うて来ていたが、声には出さずに居てくれた。

 オリヤの思惑を察してくれたのか、それともアルメアにも思う所があるのか。

 食事時の大騒ぎの後も、その事には一言も触れていない。

 サリアも同様に、あの4人組と普通に会話しながらも、その事には一切触れていない。

 エルフ姉妹をあの4人と一緒に置いてきたのは、それなりに信頼出来ると思っている証拠であるのだが。

 正直、姉妹なら、あの4人を圧倒できる実力を、今は持っている。

 狼との戦闘に参加したことで、姉妹もその事を認識出来ただろう。だから、歩き出すオリヤに、2人は何も言わなかった。

 だが、銃の事は触れる気はしなかったのだ。

 インベントリはなんの衒いもなく公開したが、あれは理屈が判らなければ凄く不思議な魔術、知っていても精々マジックボックスの亜種くらいの認識でしか無い、筈だ。

 クレイオスが引っかかりを覚えている風だが、別に隠す気も無い、聞かれれば素直に答える。

 だが。武器は不味い。

 武器は、簡単に扱えそうに見えればそれだけ、欲しがる者も出てくる。

 危険な仕事をしているならば、尚更だ。

 

 オリヤは黙々と、ウサギの身体に残った頭部、或いは頭部の残りを斬る落としていく。

 血抜きの為、という口実で、銃創を消す為に。

 傷ついた跡を見せたくないなら、傷の残る頭を切り落せば良いじゃない。

 銃は手軽だ。

 しかし、加減は効かない。

 そんな物をホイホイと、無条件で晒し歩く気にはなれない。

 そんな物が権力を有する者の耳にでも入ったら、思いっきり軍事利用される予感しか無い。

 他の誰かが広めたなら苦笑で済ませる自信が有るが、自分が戦争の火種を作るのはイカン。

 会ったばかりの冒険者は、信用するにも程度が有る。

 昨日のエルフ姉妹の時には正しい意味で、全く少しも何にも考えていないオリヤだったが、今は違う。

 昨日は一人旅で、自分の不始末は自分に還ってきて終わりだった。

 更に言えば、神様のお目付け役任命がなければ、適当な所で2人と別れて、一人旅を続けるつもりであったのだ。

 今は、自分の不始末が仲間に降りかかる危険があるのだ。

 流石に少しは考えるのだ。少しだが。

 保身、大事なのである。

 責任の取れない事はしない、そんな事より唐揚げとかどうだろうか。

 「創造力」も良いが、どうせ人数も居るし、いっそ目の前で揚げてやろう。

 インパクトはスパイスだ。極論だ。

 料理するなら川が近ければ良い。脳内のレーダーを地形走査モードに切り替えると、西3キロほどで川が有るらしい。そちらの方角を見るが地形の関係か川は見えない。

 地平線の陰に入っているなら、ものすごく小さな惑星ということになってしまうが。

 機会が有ったら確認してみよう、そうは思う物の、違和感を覚えない時点で、地球とさほど変わらないのではないか。

 そう無責任に思いつつ、都合21匹のウサギの死骸をインベントリではなくアイテムボックスに収め、移動拠点(シェルター)の鉄鍋を筆頭に、油や調味料など、何時でも出せるように準備を整えながら。

 仲間たちの元へと、それなりに急ぐのだった。

 

 

 

 オリヤが捕らえたウサギの数に驚いた一行は、取り過ぎだと呆れたものの蘇生も出来ない。

 せめて美味しく頂く事が礼儀だ、となった所で、オリヤが西に川が有るはず、と切り出す。

「血抜きにもちょい掛かるし、調理するのにも便利だし。川の辺りで丁度日も傾くと思うから、キャンプするついでに川っぺりに行こうかなと」

 オリヤが言うと、ケーレとルブランが顔を見合わせる。

「あぁ、リベラの川がもう近いのか。じゃあ、そこまで行ってキャンプの準備か」

「リベラの川か。川を超えたら、街まであと3日ってとこかな」

 2人が口々に言う。

 アロイスは静かに、西の方角を見る。

「……ねーねー、オリヤ」

 すこぶる小声で、アルメアがオリヤの腕を突っつく。

「ん?」

 何となく、答えるオリヤの声も小さくなる。

「オリヤってさ、一昨日街を出たんだよね?」

 そう言ったけど、それがどうかしたのだろうか。

「そうだよ?」

 不思議そうに答えるオリヤに、アルメアは小声で続ける。

「あのさ……普通の人が、歩いて此処まで……どれくらい掛かるの?」

 何を気にしてるのか? オリヤは見当もつかず、しかし小声で素直に答える。

「歩いてだと、3週間ってとこかな?」

 ぐっと、アルメアがオリヤの腕を掴む。

「……どうやって移動したの」

「どうって、走っただけだよ」

 何が不思議なのか、そう思いかけて気付く。

「……オリヤ。一昨日街を出たって、言っちゃ駄目だからね?」

 冷や汗を流しながら、頷くオリヤ。

 普通に1日8~9時間歩いたと考えて、3週間の距離を、走って1日。

 控えめに言って、人間業ではない。

 もっと正確に言えば、走って居た時間は街を出た朝から昼間で、5時間程だろうか。

 ……時速何キロだ。

 ハイになってたとか、空気抵抗を軽減どころかほぼ無しにしていたとは言え。

 異常な速度である。

 近くに居たサリアは会話の内容を耳に収めながら、冒険者組が此方の会話を聞いているか確認している。

 しかし、ワイワイと騒ぐ様子からは、此方に注意を向けているとは思えない。

 しかし気を抜かず、2人の声が大きくなるようだったら注意しよう、そう考えて「監視」を続行する。

「気を付けます。考えてませんでした」

 オリヤは素直に謝る。

 旅に道連れが出来ると、色々と気を使うことも増える。

 そう思うオリヤだが、彼自身が普通の人間に準じた行動を取れれば問題は無い事には、気付く様子は無かった。

 

 アイテムボックス内の血抜きの様子を多少気にしながら、妙な気配に気を散らされていた。

 距離で言えば1キロ、西の方向。

 即席で視覚強化の魔術を作成し、そちらを見やるが何も見えない、何も居ない。

 気配を消し、身を伏せて移動する捕食者、とかそう言う気配ではない。

 レーダーには映るのに、姿が見えない。不気味である。

 ストーカーされる覚えもない。

 気付いたのは、オリヤが狩りを終えて仲間たちと合流した時だ。

 丁度1キロ辺りで、此方に近付くでも無く佇んでいる。

 他の旅人であろうか?

 だが、此方に気付いている様子だ。

 見えている訳でもないだろうに、探知魔法だろうか?

 それとも、魔術でも使って視ているのか。

 あの馬車の魔術師の使った探知魔法と違い、絡みつくような不快感はまるで無い。

 偶々、旅人が其処で休憩しているだけなら良い。

 方法は不明ながら、此方を視ている気がするのは、やはり自意識過剰が過ぎるだろうか?

 ……ちょっと妙なのに絡まれるペース早くね?

 エルフ姉妹にも冒険者達にも、他でもない自分からちょっかいを掛けた事実を都合よく忘れ、オリヤは考える。

 敵意はなさそうだけど、目視で確認できないし、ステータスも視えない。

 格上っぽい。

 世界は広いから、自分より強い存在は居るはずである。

 神様も、筋肉至上主義者とか魔王とか、そういった元地球人の話を聞いている。

 他に居てもおかしくはないのだ。

 油断は出来ない、だが、実際どう対応したものか。

 一行(パーティ)に警告を発するか?

 下手に警戒して、相手を刺激する結果にならないだろうか。

 自分ひとりなら突撃気味に相手に詰め寄る所だが、今回それで失敗した場合、被害を被るのは自分だけではない。

 いつの間にかルブランとケーレに絡まれ、揉みくちゃにされているクレイオスを眺めながら、考えあぐねてため息しか出ないオリヤは、せめて祈った。

 魔王になったとかいう如何にも危なそうな人でなくて、せめて平和な人でありますように。

 

 

 

「魔王様、僭越ですが」

 傍らのメイドが、日傘を手に恭しく意見を述べる。

「暇です。控えめに表現して、飽きました。何を為さりたいのか、お教え下さい」

「僭越云々以前に、単純に失礼だな。あと、控えめに言うならもっと厚めのオブラートに包もうか」

 苦虫1個小隊を噛み潰して、魔王様は答える。

 余りにも正直な感想に、思わず認識阻害の魔術を解除してしまう所だった。

「お褒め頂き恐悦至極。で、何をしてやがるんです魔王様?」

 苦虫小隊を派遣した本人は、恭しさを表面上は崩さず、慇懃に問い掛ける。

「口調を安定させる努力を忘れてはイカンと思う。それと褒めてない。俺は今、彼奴等に接触する方法を考えてるんだ」

 何となく目標から離れた地点に出たものの、どうアクションを起こすかを考えていなかった。

 輸出――転生に際して、考えなしに魔王になった男は、筋金入りなのだ。

「ボーイズラブ目当てでキャッキャウフフしたいのでしたら、些か日が高いと愚考致しますが」

 苦虫が口の中で飽和した気分で、魔王は頭を抱える。

「……お前の趣味を押し付け無いように。誰がボーイズラブか。大体、俺は少年って歳じゃないぞ」

 そう言うと、魔王様はため息を吐く。

 このメイドは、どうしても自分を尊敬してくれない。

 いや、尊敬して欲しい訳じゃ無いのだが、毎度この調子でおちょくられては、思う所が積もって行くというものである。

 一方で、メイドの方は実は心底魔王様を敬愛している。

 言動がちょっぴりアレで、そんな気持ちは少しも伝わらないと言うだけなのだ。

「ぶっちゃけるとな?」

 どこか疲れた魔王様の声に、メイドは静かに耳を傾ける。

「あのガキ……。俺の仲間になってくれないモンかと思ってな?」

 顔を上げると、魔王様の淋しげな横顔が在る。

「仲間……ですか」

 ここからではメイドの目には見えないが、魔王様は見えているのだろう。

 仲間。今まで、1人たりとも家臣を持とうとしなかった魔王様が、郷愁を湛えた……まるでそこに故郷を見るような目で、遠くを見つめている。

 手下は要らない。気楽な仲間なら歓迎だ。

 かつて聞いた、魔王様の声。

 彼が、魔王様の仲間?

 移動前に見た、少年の困った様な顔。

「まあ……最悪、敵じゃ無ければ何でも良いんだが。出来れば、な」

 そう言って笑う。その顔に、メイドは決意する。

 魔王様の、お望みのままに。

 あの少年を仲間に。そうでないなら……死を。

「畏まりました。魔王様の、お心のままに」

 跪いて言うメイドを、魔王様は慌てて立たせ、膝に付いた砂を払ってやるのだった。

 

 

 

 結局、一定距離を保って付いてくるな、あの不審者達。

 オリヤは振り返らず、傾きつつある太陽を仰ぎ、夜襲を警戒するべきか考える。

「ねえ、オリヤ。晩ご飯はどうするの?」

 川から少し離れた所に荷物を置き、川沿いまで移動してウサギ達の皮を剥ぎ、股関節にナイフを入れて骨を切り外しながら、サリアが問う。

 サリア姉さん、解体出来るのね。

 オリヤは思考を戻し、ちょっと見直したようにサリアを見つめる。

「……なあに?」

 そんなオリヤの不思議そうな、何とも言えない顔に、不審げに問い掛ける。

「いや、エルフって、ウサギの捌き方知ってるんだな―って」

「あなた、エルフを何だと思ってるの」

 ちょっとムッとして、ずいと身を乗り出し、オリヤの鼻先に顔を近づける。

「エルフだって料理くらいするわよ」

 あ、髪かな、化粧かな、いい匂いがする。

 近すぎて照れる。なまじ美人過ぎて、威力はかなり高い。

 マイペースだった心臓が、数年ぶりに主張を始める。鼓動が聞こえたら恥ずかしいだろうが。

 慌てれば慌てるほど、周囲の男どもの笑い声が大きくなる。

「お嬢ちゃん、勘弁してやれ。オリヤが面白すぎる」

 アロイスが言うが、その割に止めてくれる気は無いらしい。

 しかし効果はあったようで、サリアは頬を膨らませてオリヤの側から少し離れる。

 正直、助かった。

 その思いと並行して、ちょっと惜しいと考える自分に、ああ、健全な男の子なんだなあと、我が事ながらしみじみと思う。

「……料理できる人でも、捌ける人は少ないと思うんだ」

 どこか納得行かない様子を装いながら心臓を落ち着けるオリヤ。

 そうしながら思い出してみるが、テレジアさんがウサギやらを捌いている所を見た覚えが無い。

「街なら、肉屋さんが有るから。冒険者とか旅人は、旅先でそういった技能が無いと困るでしょ?」

 心を落ち着けて見様見真似の作業を再開したオリヤに、同じく作業しながらサリアが答える。

 最もだ。ならば。

「アルメア姉さんも、出来るんだ?」

 素直に感心しながら言うオリヤ。

 しかし、返事はない。

 ついでに言うと、川辺には、アルメアの姿はない。

 薪周辺で、クレイオスと談笑しているようだ。

「サリア姉さん?」

「オリヤ、骨は外したほうが良い? スープにするなら、付けてた方が良いと思うんだけど」

 不審げなオリヤの声に、被せるようにサリアが問う。

 ……なるほど、触れないようにしよう。

 食べる専門と言うのは、伊達ではないらしい。

「……骨は外して、ただ、使いみちが有りそうだから一部の骨はインベントリに保管しよう。腐らないから」

 内臓はどうするか。考えていると、サリアが手早く内臓類を纏め、一部を川に、残りはオリヤに差し出す。

「……食べたいの?」

 確か、この世界でも動物の内臓を食べる文化は有る。

 ヴェスタ家で出た記憶はないのだが。

 なので、サリアがこれを調理しろと言っているのかと思ったのだ。

「違うわよ。これはこの辺りの動物用に置いていくんだけど、今置いておくと、肉食の動物が寄ってきちゃうでしょ。だから、一旦保存をお願い」

 どうやらサリアにはその様な習慣はないらしい。先程川に流したのは、川に住む肉食の生物向けに放ったようだ。

 ワニとか居たらどうするんだろう。

 そう思ったが、口にはしない。

「なるほど、了解。明日此処を発つ前に、置いて行けば良いのかな?」

 納得顔のオリヤに、満足げに頷くサリア。

 それを見るアロイス達には、仲の良い姉弟のように見えて微笑ましい。

「そうね。それにしても、これだけ肉が有ると流石に余ると思うんだけど。どうするの?」

 余った分は保管するのだろうか。それとも、干し肉でも作るのだろうか?

 干し肉を作るには時間がかかるが、オリヤなら材料も有るし、「創造」してしまうかも知れない。

 そう考えたサリアに返った答えは、予想して居ないものだった。

「余らないと思うよ?」

 その答えに、サリアだけではなく、アロイスにルブラン、ケーレまでもキョトンとしている。

 4人を前に、両手を「洗浄」の魔術でさっぱりさせたオリヤがイタズラを思いついた少年の顔でニヤリと笑う。

「まあ、見ててよ」

 

 川辺に、川原の石で簡易のかまどを作ると、まずは肉を、取り出したまな板の上で一口大に切っていく。

 量に見かねたサリアが手伝い、次々にそれなりの大きさに切り分けられていく肉達。

 オリヤは切り分けた肉を、一旦アイテムボックスから取り出したパットに乗せていく。

 肉の量が多いため、パットは複数になる。

 同じくアイテムボックスのから取り出した、予め用意していた調味料を混ぜたものをパットにドボドボと投入、揉み合わせる。

 大豆(この世界でも大体の食べ物の名前は同じだった。大豆はダイズで通じるので有り難い)で作った醤油と予め買っておいた酒、そして擦り下ろした大蒜、生姜と合わせた、オリヤの懐かしの故郷――日本の味の再現だ。

 今度は見ていたアロイス達も面白がり、全員が手伝ってくれる。

 念入りに揉み込んだ所で、同じく用意していた小麦粉にまぶしていく。

 片栗粉の用意は無かったが、まあ、きっと大丈夫だろう。

 自信満々に何処か抜けているのが、オリヤの持ち味だ。

 出来上がったそれらを洗浄で綺麗にしたパットに再度戻し、アロイス達に分けてもらった薪で火を炊き、その上に油を張った鉄鍋をかける。

「おい、まだ肉は入れないのか?」

 ルブランが、ソワソワと問う。

「まだまだ、温度が上がってからだよ」

 答えながら、探知魔術の温感モードで鍋の様子を確認する。

 我ながら使い方を間違えている気がするが、気にしない事にする。

「揚げ物か。西の方では良くあると聞くが」

「アロイス兄ちゃんも、食べたこと無いの?」

 鍋を見ながら呟くアロイスに、楽しそうにオリヤが問い掛ける。

「西の方は、あまり行ったことがなくてな。街なんて、見えた試しがない。ディアクーフでも、こんなに油を使う料理は見ないしな」

 その言葉に、ルブランも頷く。

「そうだな。所で……まさかとは思うが、これは、油のスープでは無いだろうな?」

 思い掛けない言葉にルブランを見ると、どうやら真剣な様だ。

 そんな殺人メニューを出す予定はない。

「やめてよ、俺がそんなの食べたくないよ。これは唐揚げって言って……ホントはもうちょっと手間が掛かるんだけど」

 片栗粉の用意は忘れていたのだ。作れるかもだが、小麦の備蓄も多くはない。

「お手軽野外料理って事で、勘弁してよ」

 言う間に、鍋の温度は上昇していく。

 さり気なく、鍋で見えていないのを良いことに、オリヤは炎の燃焼に干渉して、鍋の温度が上がりすぎないように調整する。

 1人頷くと、オリヤは鍋に一切れづつ、小麦をまぶされた肉片を投入していく。

 立ち上がる音。油が肉と小麦、調味料が加熱され、香ばしい香りが周囲に広がる。

 パットを別に用意し、揚げ網をセットしていく。

 時折肉を返しながら様子を見、揚がった物から次々と揚げ網の上に乗せていく。

 パットひとつ分が終わると、冗談で用意していた特大の大皿に盛り付けてもらう。

 何事も、用意しておくもんだ。

 流れるように作業を続けながら、オリヤはそんな事を考えていた。

 

 解体から肉の切り分け、そして調理と、思ったよりも時間がかかってしまった。

 だが、料理は楽しい。「創造力」で作るともっと美味しいのだろうが、別の意味で味気なくなってしまう、そう思うのだ。

「おそーい! もう日が暮れちゃうよ!」

 アルメアが何やら怒っている。

 側で薪に火を入れ、火の番をしていたクレイオスが嗜めるように声を掛けている。

 良い人だなあ、クレイ兄ちゃん。

「そう思うんなら、手伝ってくれてもいいと思うんだ、俺」

 大鍋運びを買って出てくれたルブランとアロイスに感謝しつつ、アルメアにはそんな素直な気持ちが飛び出す。

 途端に膨れるアルメアにパン籠を手渡し、パンを次々投入していく。

「1人で食べないでよ?」

「失礼ね!」

 そんなやり取りをしつつ、パン籠を更に3つ程出してそこにもパンを入れていく。

 パンは……余るかも。

 そう思うが、まあ、良いかと作業を続行。

 唐揚げが山盛りの大皿2つと、それぞれにパンを山盛りのパン籠。

「晩ご飯はまた……随分シンプルね、インパクトは有るけど」

 改めて大皿を眺めたアルメアが何処か意外そうに言う。

 気持ちは判る。昼が昼だっただけに、夜ももっと色々な料理が出ると思ったのだろう。

 だが、昼と同じ惨劇が繰り返される恐れがある。

 みんな同じメニューなら、クレイオスさんもサリア姉さんも、気後れせずに食べれるのではないか。

 これは予想というよりも、最早祈りである。

「うめえ! この肉すげえ旨いぞ!」

 唐突に上がった声の方を見れば、我慢しきれなかったらしいケーレが早速ひとつ摘んでいた。

「ちょっと、狡いでしょ! あーもう、オリヤ、食べて良い⁉」

 遅れを取ったのがよほど悔しいのか、それでも律儀に尋ねる。

 アルメア姉さんが、どんどん美人可愛いから食いしん坊可愛い枠に近づいていく気がする。

 悪いこととは思わないが、その前にもうちょっと、こう。大事にするものが有るのでは無いだろうか。

「判ったから。ほら、皆食べよう」

 既に陣地争いを開始しているルブラン公国とケーレ自由連合を脇目に、他の者達も思い思いに食事を開始し、

「ナニコレ、美味しい!」

「はあ……あの肉がこんな事になるなんて」

 エルフ姉妹が瞳を輝かせ、アロイスとクレイオスは思い思いの無言さで食事に没頭している。

 男どもの大半は、思ったとおりパンに手を出していない。

 と思いきや、意外なことに全員がパンを片手に、フォークを片手に食事している。

 意外だ、肉しか食べないんじゃないかと思ったのに。

 言ったらそれを口実に、オリヤの分の唐揚げが無くなる気がしたので、口にすることは勿論避けたのだが。

 賑やかしくも平和な晩餐に、オリヤはなんだか頬が緩むのだった。

 

 

 

 だから、気が付かなかった。

 気を緩めすぎたかも知れない。

 料理に集中しすぎたのかも知れない。

 

「こんばんわ、旅の方々」

 だから、反応が遅れた。

 接近していることに気が付かなかった。

 慌てたオリヤが振り返ると、そこには。

「よろしければ、ご飯を下さい」

 長身、細身の黒髪の……どう見ても黒スーツの男と、紫色の髪の、ご丁寧にヘッドドレスまで着用した同じく黒を基調とした英国メイドスタイルの女。

 どう考えても草原の夜景に似つかわしくない2人が、焚き火に照らされ。

 びっくりするくらい敵意も無く、しかし男は不敵な笑顔で。

 そこに立って居た。




思ってもいないことは起きる。


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これが世に言うお風呂回なの

きっと話は進まない。
だけど、サービス回だよ♪


 一同は混乱した。

 気配の無かった事に驚けば良いのか。

 見慣れない、軽装? に訝しめば良いのか。

 帯剣もしていない様に、呆れれば良いのか。

 その中で、オリヤは1人焦っていた。

 今、目の前にいるというのに、男のステータスの確認が出来ない。

 女性の方はレベルはオリヤ達とほぼどっこいの40だが、ステータスはレベル相応。

 戦っても問題無い。

 だが、男の方はレベルも何も判らない。

 戦うとなれば危険が危ない。

 出来るだけ、刺激しないようにしたいと思い、普段どおりにしていたのだが、うっかり油断した途端に大変なことになったかも知れない。

 何だこいつ?

 冒険に出て2日目で、こんなボスっぽい奴に遭遇とか、どういうバランスだ。

 1911が通じれば良いが。

 懐に重さを感じながら、努めて冷静になろうと努める。

「夜分に今晩和。旅の途中で食料が尽きてね。お分け頂ければ幸い」

 男は不敵な顔で、芝居じみて言う。

「使い慣れない言葉遣いは滑稽で大変恥ずかしいです。ご自重下さい」

 隣の女――メイドが言う。

 言葉遣いから丁寧に接しているらしいが、内容からは敬意を感じられない。

 面倒くさい連中に絡まれた予感が半端ない。

「お前ね。言い方ってモンがあるだろ? お前が自重して口閉じてろよ」

 途端に口調を崩し、男が半眼でメイドを見る。

「お言葉ですが、此処は平和的にお願いすべき処。おちゃらけた主様では良いとこ追い払われてお終い、食事に窮する事となるでしょう」

 一方的な決めつけで有るが、男はぐぬぬと直ぐには答えられない様子だ。

 ここから挽回するとか、交渉はまだ始まってないとか、まずは友好的に話すとか、他にも色々言い返し様は有るだろうに。

 素直な人なのだろう。

 これが策なら食わせ者も甚だしいが、さてどうしたものかと、オリヤはアロイスに視線を向ける。

 冒険者歴がこの中でも長く(恐らく)、1パーティのリーダーを預かる彼に、判断を委ねようと思ったのだ。

 そのアロイスは、なんだか目の前の掛け合いに呆気にとられながらも、オリヤの視線に気付き小さく頷いてみせる。

 任せろ、と言うことだろう。

「あー、その。話を聞くに、食事に困っている、と言う事で良いのか?」

 アロイスが問うと、スーツの男は顔を向けてこくこくと頷く。

 そろそろ言葉を取り戻して欲しい。

「お互い旅の身、糧食に限りがお有りだとは重々存じております。可能な分で構いません、お分け頂ければ助かります」

 そう言って、メイドの方が深々と頭を下げる。

 言い様が仰々しいが、丁寧な人なのだと受け取っておこう。

 先程の、恐らく自分の主との遣り取りを見る限り、真の意味で丁寧かどうかには、疑問符がつくが。

 大皿の様子と、パン籠に残っているパンの様子を見て、ケーレが横から、事も無げに言う。

「良いんじゃね? 量も有るし」

 その認識に、甘いと言わざるを得ないオリヤ。

 お前ら、有れば有るだけ食うじゃん。

 下手なことを言うと、弄られキャラの地位を手にしてしまったオリヤは食事を奪われる憂き目に合いかねない。

 半ば偏見だが、それだけに真剣にオリヤは疑っている。

「そうだな。これだけ有るんだ、2人増えても問題なかろう」

 ルブランが、ケーレの言葉を後押ししながら言う。

 それを受けて、アロイスも頷く。

 エルフ姉妹も、クレイオスにも異論はないようだ。

 オリヤは個人的に、サリアとクレイオスの行く末が心配でならない。

「ホントか!? 助かる!」

 スーツ男はパッと顔を輝かせると、ひょいひょいとオリヤの側まで近づき、懐からストールを取り出す。

「ミキ、お許しが出たんだ、ここに座れ」

 そのストールをメイドに譲りながら、自分は地べたにそのまま座り込む。

 へえ、オリヤは少し見直すような目を向けてしまう。

「有難うございます。みなさんも、有難うございます」

 ふわりと笑い、メイドがまた頭を下げる。

 美人さんは得だ。

 男どもは照れたようにふやけて笑い、エルフ姉妹に冷たい視線を受けている。

「やー、しかしこいつは」

 言いながら、スーツ男は唐揚げを行儀悪く指で摘み、ひょいと口の中に放り込む。

 味わいながら咀嚼し、嚥下。

 そして、満足げにニッコリと微笑むと。

 

「旨いもんだ、やっぱ()()の代表料理のひとつだと自慢出来るもんだよな、唐揚げは」

 オリヤにだけ聞こえるように、小さく呟いた。

 

 オリヤは耳を疑う。

 今、日本と言ったか?

 オリヤの反応を確認するように、スーツ男は顔を向けている。

 サリアの耳にも、男が何を言ったのか聞こえない。

 だが、オリヤは一瞬驚愕の相を浮かべていた。

 直ぐに表情を隠し、いつもののんびりした笑顔に戻っているが、だからこそ不審に思う。

 オリヤが表情を繕う必要に迫られているのか。

 ――あの男は、何を言った?

 静かに、サリアは警戒感を強めた。

 アルメアはパンと唐揚げの組み合わせに夢中である。

「お前、転生……いや、輸出されて来たろ?」

 そんな仲間の様子に気を配っていたオリヤだが、次に放り込まれた言葉に、今度はアルメアにまで気付かれるほど表情を変える。

 警戒。

 目が細く引き締まり、眉が寄る。

「そう、怖え顔すんな。飯を楽しもうぜ?」

 耳元で囁かれるような小声に、オリヤは失態を悟る。

 冒険者組は食事に夢中な様子だが、アルメアは手を止めて此方を見ている。

 サリアは静かに、いつの間にか短杖を自分の傍らに置いている。

 スーツ男は気にした様子もなく、懐からナイフを取り出すと、手元のコッペパンに刃を走らせ、左右に割るように開く。

 妙な切り方で、何をするつもりか。

 そう思う、特にアルメアが見つめる先で、男は今度はフォークを使って切り分けたコッペパンの上に唐揚げを並べ、挟む。

 こっ、この野郎……!

 この段に及んで、一行の視線はスーツ男に、自然に集まっていた。

 皆の視線を気にする様子もなく、大口を開けて、男は齧りつく。

 唐揚げパン、特ボリューム……だと!?

「行儀が悪いです」

 ちぎったパンを口に運びながら、メイドが言うが、それはこの場の誰のストッパーにもならなかった。

「何だそれ、そんな食い方あんのかよ!?」

「なにそれなにそれ、美味しそう私もやる!」

 ケーレとアルメアが騒ぎながら大慌てで、他のメンツは黙々と、それぞれナイフを用意したり、もっと簡単に挟めそうなパンを見つけたりと行動を開始する。

 思い思いのパンに、乗せ、挟み、そして口に運ぶ。

 一瞬で陥落しやがった。

 オリヤは同じように唐揚げパンを口に突っ込みながら、隣の男を油断せず見る。

「これは……! オリヤくん、このパンは売れるよ!」

 クレイオスが興奮気味に言う。貴方は商人にジョブチェンジですか。

「揚げ方は見た、味付けは……」

 アロイスが、何やらブツブツと呟いている。此方は料理人になる気だろうか。

「こいつはエールに合うんじゃないか?」

 マイペースなルブランは、早速アルコールを所望している。

 なんだか隣の男の動向が気になって仕方ないが、ルブランの要望だ。

 オリヤは予てより用意してあった樽型の木製のジョッキによく冷えたお手製のビールを注ぎ、人数分を目の前に出現させる。

 スーツ男の目が刹那だけ鋭くなったのを、横目で確認しながら。

「ルブランさん、口に合うか判らないけど」

 さて、言い訳を考えてなかった。適当に濁すか。

「故郷で作ってたラガーを、冷やしてみたんだ。飲んでみてよ」

 ラガー、で通じることは確認している。此方でもエール、ラガーで分けているが、オリヤは飲み慣れたラガーの方が好ましい。

 と言うより、意識した事が無いだけかも知れないが、エールと言うのは飲んだことがない。

 更に言えば、その違いも話で聞いたレベルでよく判らない。

 日本の夏によく似合うあのビールが、ラガーだと知っている程度である。

「冷やした、だと?」

 急に真面目な顔つき、というより目つきでルブランが此方を向く。

 この人、面白いな。

 改めてそう思いながら、オリヤはドワーフに、まずはジョッキを渡す。

 そうして次々とジョッキを渡し、全員が手にした所で。

 ルブランが誰より先に口を付け、目を見開いたかと思うと、あれよあれよとジョッキを傾け持ち上げていき、中身を飲み干してしまう。

 いきなり一気かよ。大丈夫かな。

 そう思うオリヤの、全員の目の前で、ダンと音がしそうな勢いで、地面にジョッキを叩きつけるように置く。

「これは……危険だ」

 顔を伏せたルブランの表情は見えない。

 今まさに飲もうとしていた一同は動きを止め、ルブランに視線を集中させる。

 失敗したか、不味かったのかな、そう思い俄に不安になるオリヤ。

「このラガーは危険だ、俺が責任をもって……そう、全員分を処分する!」

 真顔で顔を上げるルブラン。

 付き合いの浅い深いを問わず、ルブランの言いたい事、と言うか、本心が見えた。

 全員、しめやかにルブランを無視し、それぞれがジョッキを傾ける。

「お前らぁああ!」

 独占などさせぬ。

 そう思っただけの一同が、その口当たり、喉越しに動きを止める。

 知ってしまった。

 よく冷えたラガーの、口中に広がる香りと、喉を切れよく滑り降りていく感覚。

 苦味が強いが、それが食事を一層際立たせ、そして食事がラガーの苦味に隠された仄かな甘さを引き立たせる。

 喉を滑り降りると同時に口の中をさっぱりと洗い流し、次の一口が楽しみになる。

 止まらない。

「ええい、オリヤ! もう一杯だ、有るか!?」

 渡す手間を惜しむように、ルブランは立ち上がると皆の環の外側を小走りでオリヤに寄り、ジョッキを突き出す。

「あ、うん、ある、あるよ」

 気圧され、オリヤは素直にジョッキを受け取り、一旦インベントリにしまうと、ラガーがなみなみ注がれたジョッキを取り出す。

 受け取ったルブランはその場で飲み干すと、直ぐにジョッキを突き出す。

「もう一杯!」

 この場で飲み続ける気の様だ。

 ケーレが早速反旗を翻す。

「何してやがる、おとなしく座って飲んでろ!」

 だが、好物を前にしたドワーフは退かない。

「喧しいわッ! お前らに渡してなるものか!」

 目を見開いて言い放つ酔いどれドワーフ。

 いや、アンタらお仲間ですよね? でしたよね?

 5杯目で5人程が反ルブラン旗を掲げている事に気付いたのか、それでも飲み干し追加で6杯目を受け取り、腹も減ったのかルブランは自分が座っていた位置に戻る。

 ルブランの行動でおかわりは自分で受けに行く、と言うルールが出来上がったパーティ内で、いつしかお互いに牽制しながらラガーを求める様子に、オリヤは申し訳ない気持ちになりながら。

 ちょっと面白いと内心で笑うのだった。

 

 唐揚げにビール、と来たか。

 ここは居酒屋か?

 スーツ男はちらりと隣の少年を見やる。

 能力(ちから)を隠しているのか、それとも晒しているのか、今ひとつ判らない。

 平気で亜空間収納を使っているが、それについてなにか説明しているのだろうか。

 まあ、これ自体はアイテムを介して再現することも出来る。

 こいつはそんな事をする気も無さそうだが。

 見た目は剣士。だが、懐になんてモン隠してやがる。

 そいつは、この世界には存在しない筈のモンだ。

「お前、何を企んでる」

 スーツ男はさり気なく、やはりオリヤにだけ聞こえるように呟く。

 オリヤは半眼でスーツ男を見ると、さてね、と呟いてから、やはり小声で答える。

「特に目的もないし、ただ旅をしたいだけさ、この世界を。アンタこそ、なんの目的で近づいたんだ?」

 ふむ。

 真偽を判定する魔術には「真」の判定しか無い。

 偽装するには、彼のレベルを超える必要がある。

 そしてそれは、容易い事では無い。

 このガキのレベルは、38か。

 ステータスがバケモノじみているな。ミキでは勝てないだろう。

「そう言われてもな。そのステとその物騒なモン、それにその能力(ちから)。簡単に信じるわけにはイカンのよ」

 ジョッキを呷りながら、スーツ男は牽制する。

「信じられないと言われてもな。大それた事もしたくないし、単にこの能力(ちから)で面白おかしく生きたいだけさ」

 少年も同じようにジョッキを傾けると、吐息に混ぜて言う。

「神様との約束も在るし、魂の無駄遣いはしたくないんでね」

 真偽判定はやはり「真」。

 少なくとも、魂の事は理解しているらしい。

「それこそ、アンタはホント何してんだよ。魔王さん」

 唐揚げを適当に摘みながら言う少年にの言葉に、判定は「偽」。

 どうやら、断定は出来ず、カマをかけているようだ。

 ……こいつは、真偽判定を知らないのか?

 スーツ男は表情に出さず、オリヤを見ながら同じように唐揚げを口に放り込む。

「なんでそう思う?」

「別に。神様に、魔王になった人が居るって聞いてたのと」

 一旦言葉を切ると、おかわり要求のルブランとケーレにビールを渡し、2人が離れたのを確認して再度口を開く。

「俺が太刀打ちできない程強そうなのなんて、筋肉の人か魔王くらいしか、俺の手元に情報がないんだ」

 反応は「真」。本心から、そう思っているという事か。

 オリヤの様子から、そもそも真偽判定の魔術を知らないか、使われていると思っていない様子なので、なんだか裏を考えるのが面倒になってくる。

「筋肉ねぇ。あいつは平和主義者で、まあ、ヘルメスの意を正しく汲んでる奴でもある」

 スーツ男の言葉に、オリヤは驚いたように顔を向けてくる。

「あん? 何驚いてんだ、筋肉の野郎とは顔見知りだよ」

 筋肉で万物一切を超越したい。

 ヘルメスがどんな顔でその願いを聞き届けたのか、想像もできないが。

 その筋肉至上主義者は、魔王も驚く平和主義者だった。

 自分の関係者や友好的な者にはとことん甘い。

 あの筋肉を思い出すだけでゲンナリとするが、まあ、今の所悪い関係ではない。

「いや、それも驚くけど。というか世間狭いとか本気で思うけど、そうでなくて」

 オリヤはパン籠からパンを一つ取り、ちぎって口に放り込む。

「ヘルメスって、あの神様の名前?」

 ヘルメス神。オリュンポス12神の一柱(ひとはしら)。魂を冥界に、或いは冥界から地上に導く神、だったか。

「……なんで名前知ってるん?」

 魂の導き先が、だいぶ手広くなったようで。

 そう思いながら、何処かで納得する。

「お前こそ、名前のひとつも聞かなかったのかよ」

 スーツ男はスーツ男で、そんな基本的な事、とでも言いたげにキョトンとしている。

 言われてみれば間の抜けた話だが、最初は自分の死を受け入れることに必死だった。

 二度目はエルフ姉妹を巻き込んだかと慌て、最終的に別の意味で巻き込んでしまったのでそちらに気を取られていたのだ。

「まあ、話を戻すけどよ」

 そんな事をオリヤが考えてる間に、話を戻したいらしい。

 そもそも、何の話だったか。

「お前は、この世界の人間を根絶しようとか、そういう事は考えて無いんだな?」

 スーツ男が問いたいことの核心、それに近い質問。

 真偽判定の魔術に加え、魂の反応を見る「神眼」も発動させる。

「無いよ。そんな面倒くさいこと、御免だね」

 そんな資格なんか無い。心中でそう呟く。

 大体、こっちでも向こうでも、人間そのものに恨みなんて無い。

 スーツ男は静かに耳を傾け、魂を視る。

 少年の言葉に偽りはない。

 魂は静かで、動揺も無い。

「眼に映る人を助けることは有るかもだし、その人を助けるために他の人を殺すことも有るかもだけど」

 オリヤは、食事の手を止め静かに言う。

「何でもかんでも人間は殺す、そういう事はしたくないかな。魂をむやみに減らす事に、()()()()()()()()ね」

 スーツ男は表情を変えず、ただ聞いている。

 だが、今の言葉は。

 ただ、自分の目で見たものを。

 そういう判断基準なのか、こいつは。

 唐突に、スーツ男はニヤリと笑う。

「気に入ったぜ坊主! お前は見どころが有るな!」

 突然、楽しそうに笑うスーツ男に、周囲はぎょっとして歓談が止まる。

 何が有ったのか? 先程から妙に静かだったが。

 そんな視線が、スーツ男とオリヤに集中する。

 だが、そんな事など構いはしない。

 手元のジョッキの残りをぐいと飲み干すと、オリヤに突きつける。

「俺にももう一杯くれ。今日は呑むべき日だ」

 楽しそうなスーツ男に、ちょっと気圧されたオリヤは素直にジョッキを受け取り、ラガーを注いで返すのだった。

 

 なぁにこの人ぉ。

 超(こえ)え。

 オリヤは得体の知れないスーツ男に気圧されていた。

 魔王かと思いカマを掛けてみても、あっさりと煙に巻かれてしまった。

 ハイともイイエとも返さず、判ったのは筋肉万歳の人とお知り合いで有ると言うこと。

 魔王云々以前に、その事実が(こえ)ぇよ。

 というか、その答えだけでもう、魔王確定で良いんじゃないのか?

「所で、アンタらは、なんかクエストでもしてるのか?」

 スーツ男は楽しげにラガーを飲み下しながら、オリヤに尋ねる。

 その質問を俺にするか、そういう戸惑い顔で、オリヤは視線をさまよわせると、目のあったアロイスが頷いている。

 いや、判ら()ぇよ。

「あー、アロイスさんたちはクエスト終わらせて街に帰るトコで、俺とサリア姉さん達は、単純に街に向かってるトコ」

 オリヤの回答に、ふむ、と、スーツ男は顎に手を添える。

「なんだ、2パーティなのか? 人数が多目だとは思ったが」

 その言葉に、今度はアロイスが苦笑しながら答える。

「流石に、ウチの稼ぎじゃあ7人は養えん。4人でカツカツだからな」

 うん?

 解せない顔で、スーツ男は問を重ねる。

「アンタら、ランク幾つなんだ」

 問ながら、己の間抜けさに舌打ちしそうになって堪える。

 オリヤが38だから、周りもそれに準じているだろうと思っていた。

 ステータスは兎も角、レベルだけならギルドカードで簡単に確認できるからだ。

 ある程度、パーティ内のレベルは揃えるだろうと。

 事実、念の為に確認したエルフ2人はレベル42。

 多少開きは有るが、まだ納得できる範囲だ。

 そう思ったから、全員のレベル確認などしなかったのだ。

 改めてアロイスを「視」れば、レベルは19。

「俺達は、Dランクだよ。ちょいと無茶したけどな」

 誇らしげなシーフ、何と言ったか……が、自信有りげな笑顔で言う。

「ほう、Dランク。見れば皆若いのに、大したもんだな」

 ドワーフは見た目で歳が判らんから、お世辞風に無視するとして。

 確かに、レベルに比べてランクが高く思える。

 相当無茶をしたのか。

 だが、アロイスの言う通り、Dランクの稼ぎでは、流石に7人もの仲間を食わせるのはキツイ。

 そこまで考えた所で、オリヤが事も無げに宣言する。

「あ、俺はFランクね」

 多分、今日一番の忍耐を発揮したのはこの瞬間だろう。

 驚きを隠すのにこれほど困難を感じたのは、下手をすると転生以前まで記憶を遡る必要があるかも知れない。

 このガキがF?

 レベルとランクが釣り合わない事はまま有るが、こいつはなんだ。

 ランクに興味ありません系のアレか。

「んで、サリア姉さん達は、えーと、ディアクーフのギルドで冒険者登録する予定」

 表情を崩さないように注意しながら、エルフ姉妹を見る。

 え、まじで? この2人、冒険者ですらないの?

「なるほど、それは良いな」

 答えながら顔をオリヤに向ける。

 そして、にこやかに。

「テメェ、後でちょっと顔貸せ、説明しろ」

 オリヤにだけ聞こえるようにそう呟く。

 大皿に乗せられた唐揚げは、最早皿の肌を晒すほどに数を減らしていた。

 

 クレイオスは空になった2枚の大皿を見て戦慄していた。

 9人も居れば、アレが空になるのか。

 今回はちゃんと食事を堪能出来て安心もしているが、それを超えて尚恐ろしい。

 自分は普通です、仲間がおかしいんです、信じて下さいサリアさん。

 そう思いながらそちらに目を向けると、こちらも食事を堪能できて安心した、満足げなサリアが居た。

 ……天使だ。

 この時が、彼の祈りを捧げる対象が変わった瞬間だった。

 当のサリアは、間にアルメアが挟まっているものの、なんでクレイオスが此方を見ているのかイマイチ判らない。

 にっこり微笑んで見せると、フニャフニャとクレイオスの相好が崩れる。

 面白いが、それよりもオリヤが気にかかる。

 いつの間にか見慣れない黒い服装の男が、オリヤの肩に腕を回し、いや、アレは違う。

 ルブランさんがやってた奴だ。オリヤが確か、ヘッドロックと言っていた。

 オリヤはあれをされると、抵抗できないらしい。

 ルブランさんにも良いように引き摺られていたし、今も困ったように笑っているが、抵抗を見せていない。

 オリヤ、抵抗しなさい! その画は危険よ!

 自分でも良く判らないことを考えながら、サリアは拳を握りしめていた。

 

 そしてオリヤは、サリアかアルメアが助けてくれないかなー、そう思いながら酔っぱらいに絡まれていた。

 スーツ男は酔っているか不明だが、距離の詰め方が唐突だ。

 酔っていたら近寄りたくないし、素面ならやべー奴だ。

 どちらかと言えば酔っ払いのほうがマシに思えるので、以降酔っぱらいとして扱う事とする。

「俺の目的とかなんか聞いてたけど、それこそ、えーっと、何さんだっけ? アンタの目的はホントは何なのよ?」

 敬語を使うのはとうの昔に辞めているが、輪をかけてぞんざいに尋ねる。

 問われた方はワハハと笑いながら、グイグイとオリヤの腕に回した腕を締める。

「俺か? 俺も旅から旅の根無し草よぉ!」

 楽しそうで何よりですが、そろそろ離して下さい。

「ま……主様、人の目があります、キャッキャウフフは2人きりでお楽しみ下さい」

 スーツ男の隣で、静かに、しかし全員の耳に届く声に、ルブランやケーレを中心に、爆笑が起こる。

 メイドのお姉さん、助けるなららしく助けて下さい。

 あと、そこのドワーフとシーフ。笑ってないで助けろ下さい。

「あぁん? しゃーねーなー、みんなのオリヤちゃんを独占するのは良くねえか」

 上機嫌で言いながら、やっとオリヤは解放される。

 男どもは笑い過ぎである。

 半眼で周りを眺めれば、目の合ったアルメアがジョッキ片手にからからと笑う。

「どしたのオリヤー? 眠くなった?」

 子供扱いである。

 それは構わないが、だが。

 おやつを取り上げた挙げ句どっちが多く食べたとかどうでも良い喧嘩をする方に、子供扱いされるのは心外で有る。

「なんだ、お前飲んで()ぇのにもうおネムかぁ? しょーがねーなー!」

 なにが仕方ないのか。

「いや飲んだし。眠いと言うならいつだって眠いけど」

 面倒くさい事である。

 見れば、アロイスまで笑っている。

 おのれ。

 大体、全員酒飲んで、誰が見張りやるんだ。

 野党とか魔獣とか、危険が危ない事になったらどうするんだ。

 さり気なく起動している警戒レーダーは半径30キロ。

 現在、30キロギリギリの処に狼らしき反応と、草原で寝ていそうな小動物の反応がレーダー範囲内に点在している。

 狼が近づいてくるとは限らないが、見張りは必要だ。

 ……このメンツで考えれば、どうもオリヤにお鉢が回ってくる予感しかしない。

 移動拠点(シェルター)使えば見張りも要らないんだけどなー。

 少し考えると自分の中で却下する。

 寝具が無いのだ。

 素材もないので、人数分のベッドを創るとか無理だし。

 サリアとアルメアも、その辺りは分かっているようで、特に何も言ってこない。

 助かるが、アルメアの場合は今は寝ることを考えていない可能性もある。

 油断はできない。

 

「さて、食べ終わってるし、片付けるよ」

 いつまでも空の食器やらが目の前にあると気になって仕方ない。

 オリヤは食器類を移動拠点(シェルター)内のキッチン、そのシンクに入れると、意識を移動拠点(シェルター)から目の前に戻す。

「オリヤくん、そのそれ」

 アルコールで顔が少し赤くなったクレイオスが、何故か片手を上げてオリヤに声を掛ける。

 オリヤはなんで挙手? と思いながら顔を向けるが、当のクレイオスは酔った勢いに任せ、気になったことを聞いてみる。

「その、皿を急に出したり消したり、それは、どうなっているんだい?」

 ま、そりゃ気になるわな。

 黒スーツの男はニヤリと笑う。

 なまじ魔術師だけに、アイテムボックスの基本を知ってるだけに。

 オリヤのそれは、既存のアイテムボックスとは違うのだと気付かざるを得ないのだろう。

 逆に、酔わなきゃ聞けなかった、ってところか?

 クレイオスの様子を見て、そう見当をつける。

 さて、どう答える?

「どうって、アイテムボックスだよ?」

 スーツ男が注視する中、オリヤは当たり前のように答える。

 誤魔化すつもりもない。

 移動拠点(シェルター)は、あくまでオリヤの中では、アイテムボックスの発展型でしか無いのだ。

「いや、でも触媒も無しにアイテムの出し入れなんて、そんな事は」

 だが、その答えに納得できない。

 クレイオスは一端の魔術師として、冒険者をやっている。

 自身もアイテムボックス持ちであるし、自分が今まで使用して積み上げてきた常識がある。

 その上で、オリヤの言うアイテムボックスの有り様は可怪しいのだ。

「触媒なら有るよ?」

 だが、クレイオスが言いかける言葉を遮るように、オリヤがさらりと言う。

「あー……えっと、これ。この敷物が媒体。で、ちょっと複雑な魔術でね」

 大皿の下に敷いていた敷物を指差して説明しながら、オリヤは一瞬だけ、隣のスーツ男を睨む。

 素直に自分の身体がアイテムボックスの触媒だと言おうとしたが、口を開く直前に。

 誤魔化せ、そう脳内に声が響いたのだ。

 余りにもハッキリと聞こえた声に、つい、誤魔化してしまってから気が付いた。

 今の声は、この酔っ払いスーツだ。

「子供の頃、じいちゃんの知り合いって人に貰ったんだ。複雑な操作が出来る代わりに、俺じゃなきゃ使えないようにって、俺の魔力に同調させて」

 この酔っぱらい、何でこんな面倒なことさせるんだ?

 そう思うオリヤだが、口からは流れるように嘘が溢れ出す。

 だが、その嘘に納得したようにクレイオスは顔を輝かせる。

「なるほど、そういう事か! 通りで、僕のもってるアイテムボックスと違うと思った!」

 うんうんと頷くクレイオスに、オリヤは心底申し訳ない気持ちになる。

「なるほど、試作品なのかな? 出来れば製作者さんのお名前とかお聞きしたいけど……」

「ごめんなさい、じいちゃんの友達ってしか、聞いてないんだ、名前は秘密だ、って笑ってた」

 秘密も何も、まずじいちゃんが居ないのだが。

「それもそうか、アイテムボックスの製作者と言えば、あちこちで引っ張りだこになるからね。いやあ、でもそういう物もあると、実物が見れて良かったよ!」

 無邪気にはしゃぐクレイオスの様子に、胸が痛む。

 見たこともなく、出し入れも一見自由自在なアイテムボックスの正体は、試作のワンオフ。

 それも、個人の魔力に紐付けることで盗用を避けるとともに、機能の複雑化も可能にしたのか。

 理屈は術式を解析しなければならないが、オリヤから取り上げる訳にも行かない。

 クレイオスは脳内で思考を走らせるが、彼は気付いていない。

 オリヤのアイテムボックスの製作者が不明で有る事に、安心している自分自身に。

 サリアとアルメアは、何とも言えない顔で気まずそうだ。

 この2人は、オリヤがアイテムボックスを作れることを、知っている。

 正直に言わないほうが良い、そう思っていた2人だが、こうも簡単に嘘を並べるオリヤに、なんとも言えない残念な気持ちが湧いてくるのはどうしようも無かった。

「んだよ、そんなすげえ爺が居るなら、名前くらい聞いとけよ、勿体()ェな」

 スーツ男は楽しげに笑いながら、オリヤの頭をグリグリと撫で回す。

 絶対(ぜって)ぇ説明させる。

 オリヤはなすがままに身を任せながら、心に憤怒を湛えるのだった。

 

 

 

 本来は、そのままキャンプになる筈だった。

 天気も良いので、そのまま雑魚寝。

 その予定だったのだが、スーツ男が食事の礼に芸を見せる、そう言い出した。

 全員の荷物を纏めさせ、すっかり旅支度を整えさせる。

 何をするつもりか、そんな目が集中する中、スーツ男は指を鳴らし。

「いやあ、知ってる街で助かったぜ」

 そう嘯く声が聞こえた時には、彼らは城壁を囲む堀の傍ら、街への門扉が見える場所に、並んで立っていたのだ。

 酒が入っていることもあって、アロイス達はやんややんやと大騒ぎである。

 予定より早く帰れてご機嫌な様子だ。

 クレイオスまで浮かれて居るのは、転移魔術を体感できたからだろうか?

 上機嫌の冒険者達は冒険者ギルドに報告に行くと言い出し、「困った事があれば何時でも声をかけろ」と言い残して街の中へと消えた。

「さて」

 静かな声が、残った一同の耳を打つ。

「とりあえず、人目につかない所でお前さんの『拠点空間』に、案内してもらおうか」

 その声は、有無を言わせない物だった。

 

 その扉を見た時、思わず鼻で笑ってしまったのは、ちゃちだと馬鹿にしたのではない。

 何を元にした意匠なのか、ハッキリと判ったからだ。

 だが、扉を潜った先は。

「……アパートかよ」

 ご丁寧に玄関が有り、この空間の主が全員分のスリッパを用意して先に上がりながら答える。

「トイレは共同、風呂は無し。家賃は3万ってとこかな」

「ンだよ、風呂()ェのかよ。シケてんな」

 すかさず減らず口を叩く。

 もう、この人魔王だわ。仮に違っても、もう魔王で良いわ。

 物怖じしない処の騒ぎではないふてぶてしさに、オリヤは感嘆の思いである。

 しかし聞いていたエルフ姉妹、特に姉の方はムッとする

 何となく、自分の家を貶された様でいい気はしない。

 しないのだが、しかしお風呂が欲しいのは同意であったので押し黙る。

「神様から、材料ナシでの『創造』は禁止されてんだよ。欲しけりゃ材料くれよ」

 そんなエルフ姉妹(特にサリア)の気持ちに気づく風でも無いが、オリヤは売り言葉に買い言葉で、挑発気味に言う。

 材料なんてモンが有るなら、出してみやがれテヤンデイ。

 しかし、オリヤの目の前の男は格が違った。違いすぎた。

「マジか、んじゃあ、風呂は何処にするんだ。案内しやがれ」

 え、材料有るんですか? ていうか、材料ってなあに?

 オリヤだけでなく、後ろで聞いていたサリアも目を見開く。

 お風呂出来るの!?

「え、んじゃあ、トイレの隣に一部屋作るから」

 よく判らないが、材料があるなら創るか。

 オリヤはひょいひょいと先導して歩き出す。

「作るのは禁止じゃねえのかよ」

 多分、自分で思っているよりも浮ついているのだろう。

 ニヤついた魔王様の嫌味も、何一つ気にならない。

「この空間自体は俺の魔力が元だから、部屋を増やすのは魔力だけでイケるよ。備品に材料が要るんだ」

 ワイワイと2人で騒ぎながら、廊下の奥へと歩いて行く。

 アルメアはその様子を最早呆然と見送っていた。

「え? 何、あの人、何なの?」

 風呂を要求、それは判る。

 私だってお風呂は興味ある。

 だが。

 無いと答えると、材料を出すから作れと言い出す、この辺りから判らない。

 えっと、何様かな?

「あの方は私の主。ああ見えて、偉大なお方です」

 静かすぎて傍らにいることを忘れていたメイドが、厳かに言う。

 ああ、そう言えばこの子も居たわね、そう考え、ちょっと記憶に混乱を来す。

 偉大なお方? この子、結構な勢いでその主様を馬鹿にしてたような。

「エルフのお姉さん」

 考えて固まっていたアルメアに、メイドは花が咲くような笑顔で言う。

「愛には、色んな形があるのです」

「あ……はい」

 余りにもいい笑顔だったので、アルメアは余計な事を言う気が完全に失せた。

 一方、先行した男二人は。

「ちょ、まじすか。大理石て、本格的にも程があるでしょ……」

 積み上がる、破損しているとは言え大理石の塊を前に絶句するオリヤと。

「ふん、どうせなら良い風呂に浸かりたいじゃねェか。日本人としてはよ」

 勝ち誇る魔王様が、からからと笑っていた。

「んじゃあ、ちゃっちゃと創りますか。取り敢えずガワ創りますね」

 言うと、一旦その大理石群を別空間に収納する。

 ついでにと渡された木材、それと金属類。

 武器だったり鎧だったり、その他訳のわからないものも混ざっているが、ともあれ有り難い限りである。

 そうと成れば、創るのみだ。

 オリヤは自分の感覚に良く馴染む、6畳間を大理石張りに張り替える。

「湯船は3畳分あればいいですか? 縁をつけると、ちょっと狭くなるけど」

 大理石を「分解」して創り直し、並べながら、ふと思い当たった疑問が口を突く。

「十分すぎるだろ、てか何人で入る気だよ」

 答える声は、当然の如く呆れ声だった。本気で温泉宿でもやる気かよ、と。

 言われてみればその通りである。

 内心にハーレム風呂の願望でもあったのかと、1人落ち込むオリヤ。

「深さはこんなもんですかね? これに縁付けて、と」

 しかし、仕事の手は抜かない。自分で一度座り込んで深さの確認などをしながら、作業を続ける。

「おー、いいね、高くもなく低くもない、良い縁だ。んで、なるほど、丁度良い深さだな。これで湯を張るとこの辺で……なるほど、悪く()ェ」

 魔王様も浴槽を眺め、目測しながら顎に手を添え、手応えに笑みを顔に貼り付ける。

 気付いた部分は即座に指摘し、直ぐに修正されていく。

 オリヤが創り、魔王が確認する。

 何だか楽しそうである。

 入り口で、乙女3人が並んで見ている。

「排水はどうすんだ?」

「あ、それは一回分解して、汚れは亜空間で。水は、再生して使えるように給水室を」

 魔王の問いに、抜かりなしとオリヤは即答する。

 だが、魔王は納得行かない、というより考える様に少し黙る。

「あー、リサイクル結構だが、なんか気分が良くねえな? どうせならその再生水は、トイレの方に使いな」

 そうして少し考えてから、魔王はアイディアを口にする。

「え。それは良いけど、でも良いの?」

 オリヤの疑問に、任せろと言う顔で魔王は自分の胸を叩く。

「水源は、コイツを使いな」

 右の掌を上に向けて開くと、何もない虚空からそれは現れる。

「それは……水晶玉?」

 覗き込むオリヤはレーダーの極短距離使用で、それが水晶を磨いた物であると知る。

「磨くにしても……何で球?」

「バッカお前、水晶つったら球だろうが」

 何故か自信満々で言い切る魔王様。

 うん、判らない。

「コイツは水の水晶、そいつを俺が磨いたモンだ。魔力を供給さえしてやれば、結構長く使えるはずだ」

 言いながら、オリヤに水晶玉を手渡す。

 有り難く受け取りながら、オリヤは亜空間に給水ブロックを作り、そこに水晶玉を送る。

 給水ブロックに魔力反応魔術を施し、魔力計の代わりとして、そのブロックに連結させて水の温度を調整する給湯ブロックを作る。

 実はこの辺りの構造は、予てより構想していたのだ。

 身体洗浄の魔術があるとは言え、そこに風情は微塵もない。

 元日本人、中須藤織弥(オリヤ・ナカスドウ)

 風呂に入りたくて仕方ない現15歳なのである。

「ねえ、この床……これ、石?」

 恐る恐る踏み込んできたアルメアが、踏みしめる床の感触と、その磨き上げられた様に驚愕する。

「元の素材は今は消え去った王国の、それこそ浴場に使用されていたもの、のハズですが」

 同じく踏み出しながら、メイドがアルメアに答える。

「風化し砕け、酷い有様だったのに……これほど磨き上げられるとは……正直、驚きです」

 サリアも床を見て、そして壁を、天井を見上げる。

 白で統一された室内。

 夢にまで見たお風呂は、夢以上の姿を現しつつある。

「ねーねー、オリヤ、この中にお湯を張るの?」

 浴槽の縁に手を付き、オリヤを振り返るアルメア。

「そうだよ?」

 どうしたの、そう思うオリヤの目の前で、アルメアは浴槽の中に降りる。

 徐に、先程オリヤがしていたように座り込むと、見上げるようにオリヤに視線を向ける。

「……どう思う?」

「いじけてるみたい」

 そうじゃねえよ。

 オリヤの「見たまま」の感想に半眼になりながら、アルメアは言う。

「あのね。お湯って、どのくらい張るの?」

 なんでアルメアが機嫌を損ねたのか本気でわからないオリヤだが、質問には誠実に答える。

「えっと、アルメア姉さんが座ると……ああ、背を伸ばして座って、生首みたいになるね」

 カラカラと笑う。

 オリヤもアルメアの言いたいことは判ったが、何が可怪しいのか笑ってばかりである。

 仕方なく、魔王様がアルメアの意を汲む。

「なるほど深いんだな? オリヤ、こっちの方、1畳くらいのスペースを浅く出来るか?」

 風呂造りに情熱を燃やす魔王様(実作業はオリヤ)は、アルメアの要望を素早く取り入れる。

 何だかんだで楽しくなってきたオリヤも、魔王様の指示通りに浴槽内に段差を作る。

 早速その段差に乗り上げ、確認するアルメア。

 魔王、そしてオリヤと2、3意見を交わし、オリヤがそれに合わせて段差の高さを調整。

 納得した所で、アルメアは振り返ると姉ともうひとりの同性に声を掛ける。

「ねーねー、姉さん、あと、えっと……メイドさん! ちょっとこっち来て座って見て?」

 ホントに、この子は物怖じしないと言うか……。

 溜め息吐くサリアと、無表情のメイドさんの意見も交え、浴槽の他、浴室内の内装、備品を整えていく。

 浴室用の腰掛けも魔王様が進呈して下さった素材を使用し、オリヤが作り上げた物だ。

 檜なんて何処から出したんだ、アンタ。

「しかし、ただの壁ってのも味気ねぇな……おぅ、オリヤぁ」

 天然ゴムを素材に創ったホースでシャワーまで3基も創り、各種配管の敷設まで完了された浴室で、しかしまだ満足出来ない魔王様は腕組みしてオリヤを呼ぶ。

 無用な怪我を避けるために、室内の尖っている部分を全て丸く削って滿足したオリヤがイイ笑顔で顔を向ける。

「なんすか親方」

 壁か。富士山でも描けば良いのだろうか。

 しかし、顔料がない。

 オリヤがそう思うったのだが、魔王様が言うのは別のことだった。

「この空間、お前はなんて呼んでるか知らんが、あれだろ? どうせ外からじゃ認識出来んだろ?」

 言われて見るのは浴槽の奥、その壁。

 絵も描けない以上、窓でもつけようかと考えていたオリヤは、のほほんと答える。

 でも、ガラスの素材が無いんだよなあ、どうすんべ。

 不覚にも、どうでも良いことに思い耽る。

「そっスね」

 だから魔王様がニヤリと笑ったのに、背を向け考え込んでいたのでいたので気付かなかった。

「そっちの壁、ぶち抜け」

「はぁ?」

 流石のオリヤも、魔王様の思い切りの良い指示に、訳が分からず間の抜けた声を上げるしか無い。

「開放感が足りんのだ! 構わん、やれ!」

 ノリノリで指まで突きつけて、大変にご機嫌である。

 この人、やっぱ無茶言うなあ。

 そう思いつつ、魔王の指示する方向の壁の外側を外界と繋げつつ、壁を消失させる。

 移動拠点(シェルター)の壁は消される運命なのか。儚さに涙を流す、フリをする。

 気分が大事なのである。

 斯くして、浴槽の向こうの壁は消え去り、外界の様子がハッキリと確認出来る様になった。

「いやあああ!?」

「これ、これ覗かれ放題なんじゃ!?」

 エルフ姉妹が、服を着たままであるにも関わらず、反射的にしゃがみ込んで風呂の縁に隠れる。

「大丈夫だよ、その境界から向こうからは、こっちが見えないよ。こっちの声も届かないし」

 オリヤがいつもののんびり加減で答える。

「あのね、それでもね? これは落ち着かないの!」

 サリアが顔を真赤にして抗議する。

 あ、サリア姉さん可愛い。

「衆人環視の元で入浴するようで、落ち着かないのは間違い有りません」

 メイドさんは突発的な状況にも余裕の無表情である。

 流石この変じ……魔王様のメイド、胆力が違う。

「ちなみにオリヤ、そこから外に出たらどうなる?」

 コイツ動じねーなー、自分のメイドにそう思いながらも、口にしたのは別の事だ。

 魔王様に問われたオリヤは事も無げに。

「ああ、別に」

 のんびりと、オリヤは微笑む。

「外に放り出されて、こっちに戻れないだけだよ?」

「大問題じゃねーか」

 何が別に、だ。

 風呂から放り出されたら、素っ裸じゃねーか。

 場所を問わずに大問題だ、そんなモン。

 傍らで女性3人組がウンウン頷いている。

 しかし、オリヤは今度は困った顔で壁……の有った場所を見ながら言う。

「でも、こんな大きなガラス、創れる素材無いっスよ」

 遮るものがあれば問題ないのだろう、そう考えるが、壁を作り直したら魔王様はきっとお怒りだろう。

 しかし、ガラスは素材がない。

 魔王様はまあ待てとオリヤを制する。

「そんなモン無くても、熱が逃げるとかは無いんだろ? だったら……」

 顎に手を添えて少し考え、そして指示する。

「オリヤ、そこに縁側を作れ。んで、140センチくらいの高さの塀で囲め。塀の外30センチは()()()の領域として、その辺りを境界にしろ」

 手早い指示に、オリヤは消失した壁の向こうに板張りの縁側を創り、上には日本家屋風の屋根――どうせ外観は把握できないが――を追加で張り出させる。

 その縁側に沿うように木製の塀を創り上げ、指示通りの空間を確保して外界との境界を繋げる。

 そして、思いついて壁が有った所に簾を付け、取り敢えず上げておく。

「これは?」

「どうしても気になる時に、下ろせばいいかなと」

 オリヤは偶に気が利く。

 サリアはその気遣いに一息吐く。

「よし、んじゃこんなトコだな。後は湯を張って……脱衣所どうすんだ?」

 浴室の拵えに夢中になってしまい、脱衣所を忘れていた。

 やべえ。オリヤは慌てて、廊下と浴室の間に、3畳程の空間を創る。

「も、勿論用意してましたよ? 忘れる訳ないじゃないですか」

 嘘だ。

 誰とも目を合わせないオリヤに、此処に要る全員が自信を持って断言出来るのだった。

 

 ついでに部屋を見繕い、魔王様部屋とメイドルームを作らされた。

 住む気か、此処に。

 素材類とか色々貰っているので、出て行けとも言い難い。

 と言うか、おふたりは部屋別々なんですね?

 オリヤ達に合流する前に手に入れたから、と、何故か大量に貰った食料類や調味料類。

 食事の用意も自分かと、密かに溜め息を吐いて、アルメアの要請に応じてデザートを創る。

 素材も有るし、もうなんかどうでも良いや。

 そのうち作れれば良いと思っていたショートケーキを創り、切り分けてそれぞれに出す。

 苺なんかも、こっちに有るんですね。

「んじゃあ、キリが良いとこで自己紹介と行こうか。おいミキ」

 どの辺にキリの良さを感じたのか判らないが、魔王様は腕組みして言う。

 因みに自室が出来た所で、上着は部屋に置いて来ている。

「はい。私はミィキィと申します。ミキとお呼び頂いて結構です」

 ケーキを食べようとしていた所で声を掛けられ、少し不満げに、手短に自己紹介するメイドさん。

 なんだ、ミキって言うのは愛称だったのね。

 そう思うオリヤの前で、魔王様は腕組みして言う。

「俺は岡崎斗志郎(トシロウ・オカザキ)。魔王だ」

 存じております。

 名前こそ初耳だったが、貴方が輸出されて来た人で、そういう意味では先輩で、面白魔王さんだって事は、薄っすら気付いてました。

 空気の読めるオリヤは、何処か得意げな魔王様に対して、そんな事を言ったりはしないのだった。




サービス回、いわゆるお風呂(作製)回。
やったね☆


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消えたショートケーキと危機感と

文章が……まったく思い浮かばなくなる病気に罹患しました。
病状が思わしくないため、今回は文字数が少なめ(当人比)になっております。


 魔王。

 実の処、そう呼ばれる存在は数名存在する。

 だが、この世界に存在する人類種の多くは、魔王と聞いて即座に思うかべるのは比較的最近の2つの名だ。

 ひとつはアイアザルド、人類種にとって最悪の魔王。

 繁栄を究めた人間を筆頭とした人類種の、凡そ半分滅ぼした魔王。

 それは太古の神話ではなく、ほんの20数年前に収束した、魔族との戦争。

 もうひとつが、岡崎斗志郎(トシロウ・オカザキ)

 ほんの20数年前、最悪と言われた魔王を殺し、戦雲を吹き払った魔王。

 

「はぁ。20年ちょい前、っすか。割と最近と思えばいのか、魔王さん意外と歳なんスね、って言えば良いのか」

 大まかな歴史を聞いたオリヤの感想はこうであった。

 それを受けて、トシロウは苦笑して答える。

「意外と歳、の方だな。俺がこっち来たのは50年くらい前だぞ」

 その魔王の受け答えに、目を丸くしているのは(サリア)だ。

 年齢とかそういう事に驚いたのではない。

 話をするオリヤとトシロウが、あまりにも和やかであったからだ。

 オリヤの言い様は普通に失礼と取れるものだし、魔王の苛烈さを伝承で聞いていた身としては、その逆鱗に触れるのではないかと気が気ではない。

「それでその見た目なの? なんかズルくね?」

 オリヤはそんな私の戸惑いや恐れなど気にすること無く、あくまで朗らかに笑う。

「見た目が似てるだけで、人間じゃ無ェからな。まあ、役得ってトコかね」

 しかし、私の心配も気にならない様子で、私達にとっては伝説の、魔王殺しの魔王は苦笑しながらオリヤに対している。

 まるで気の置けない友人に対するように。

 メイドも少し驚いた様に、主人を見て居る。

 やはり、魔王のこんな様子は珍しいのだろうか?

「羨ましいと言えば羨ましいけど……そんな力とセットかぁ。俺は考えちゃうな」

 オリヤがヘラリと笑うのを見て、ああ、と、私は考える。

 この好い加減な感じ、緊張感の無さ、曖昧さ。

 これこそが、オリヤという少年の持ち味だ。

 それは、相手が誰であろうとそうそう変わることはない、という事なのだろう。

「あん? お前、オトコノコだったら強さに憧れるモンだろう? 勇者とかよ」

 魔王が笑いながらオリヤの背中を叩く。

 強さに憧れる。

 オリヤも、そうなのだろうか?

 私の中で燻っている疑問が首を擡げる。

 オリヤは力を求めないのだろうか?

 彼の「創造力」と言う能力がどれ程の範囲のものを創れるのかは、私には判らない。

 だが、その能力から生み出された物は、私の想像を絶している物ばかりだった。

 この空間、彼の言う移動拠点(シェルター)や、細かいもので言えば仕立てが見事な服や小物類。

 私の為に誂えてくれた杖も見た事の無い(レベル)の、王都や聖都でなら神杖扱いされそうな、そんなシロモノだ。

 装飾は控えめと言うより、皆無というほど簡素だけれど、持ってみれば判る。

 魔力の流入に対する反応が素直で、そして速い。

 使いたい魔術をイメージしてこの杖に魔力を流すだけで、詠唱の必要を感じない。

 そんな杖など初めて見たし、これまでに聞いたことも無かった。

 私の杖だけでなく、(アルメア)の長杖も同様に大きな力を感じる。

 私が回復や仲間の支援を行うからだろうか、私の杖はどちらかと言うと魔力の伝達・発動の速さを。

 アルメアの杖は攻撃を行う関係か、私の杖に比べると魔力の増幅の方に比重を置いているらしい。

 使い手に合わせた、そういった細かい調整もしてくれる。

 武器屋や法具屋で、ここまでの物を求めるとどれくらいの費用と時間が掛かる物か。

 想像するのも億劫になる。

 そもそも、想像もしたことのない「銃」という物も、オリヤは所持している。

 大気を割るような破裂音と、人間の頭を軽々と打ち割るナニカを撃ち出す、鉄の塊。

 魔術と言うにはあまりに魔力を感じない一撃だったが、その轟音、威力には目を剥いた。

 使用には「弾丸」という物が必要らしく、現状オリヤしか創れない事を知って密かに胸を撫で下ろした。

 アレは、戦争の有り様を変える物だ。

 そんな私達の様子に気を使ったのか、むやみに人目に晒す事をしていないのは有り難いと思う。

 主に、私の心の安寧の為に

 

 そんなオリヤの能力は、物体を作り出すだけではない。

 忘れがちだが、この移動拠点(シェルター)、それを収める空間も。

 そして、銃が放つ破裂音を事も無げに消し去った魔術も。

 オリヤが「創り」出したものだ。

 創ろうと思った物は、材料さえあれば(実際は無くても)創れる。

 魔術さえも。

 ……魔術の「材料」って何だろう?

 それはさておき、これほど広範に様々な物を創り出せる能力が有って、尚、野心も無く居られるものだろうか?

 しかし、1日で判断するのは早計に過ぎるとは思うものの、オリヤからは、能力(ちから)に対する傲りこそあれ――その時点で割と問題とも思うが――その能力を用いた野心、そういった物は感じられなかったのだ。

「やめてよ。強さなんて莫大な責任を伴うモン、俺は御免だよ。勇者ってのは、自称するもんじゃ無いと思うし」

 心底嫌そうに、オリヤは水出し紅茶を啜る。

 それを眺める魔王は、やっぱり楽しそうだ。

 そんな2人? を眺めているうちに、私はさっきまで魔王という存在に抱いていた不安や恐怖がほぼ無くなっていることに気が付く。

 不思議に思いながら、視線を巡らせる。

 アルメアも、不安気ながら不思議そうに此方を見ている。

 鏡のような妹だ、きっと私も似たような表情なのだろう。

 そのまま視線を回せば、やはり不思議そうな顔のメイドの顔が目に入る。

 うん? なんでこの子も不思議そうなんだろう?

 考えていると、目が合う。

「あの、あの少年は普段から()()なのですか?」

 私達にだけ聞こえるように、メイドの子は尋ねる。

 私達はもう一度顔を見合わせ、そして同時にオリヤに視線を転がす。

「私達も、言うほどオリヤを知っている訳では無いけど……」

 物怖じしないと言うか、悪びれないと言うか。

 そんなオリヤの様子に、問われて私は考え込む。

 私達と初めて会った時はどうだっただろうか?

 

「おーい、中の人、大丈夫かい?」

 

 声が聞こえて、暗闇に光が射した。

 周囲を吹き荒れた破裂音も殺気も、直ぐに吹き払われた静寂の中で。

 光に目が慣れた時、その中で少年が微笑んで居た。

 

「……少なくとも、私達が初めて会った時は、少なくとも本人は大人しい感じだった……かな?」

 アルメアが、やはり小声で答える。

 そう。大人しいと言うより、私には頼り無げに見えたが、のんびりと微笑んで、オリヤはそこに立って居たのだ。

 翻って、今のオリヤはと見れば。

「大体、俺は快適に生きる能力は有るけど、戦う能力はそんなに無いんだから」

 魔王と向かい合い、のんびりとした笑顔は変わらないのだけれど、でもどこか遠慮のない、まるで古い友人と接するような。

 よそ行きじゃない、自然体のオリヤが居る。

 あれだけ走れて、剣も振れて、銃も有って、他にもあの探知魔術とか色々有るのに、戦う力が無いと?

 オリヤのぼやきを耳にした私の顔には、きっと苦笑が浮かんだだろう。

「でも、きっとアレが」

 そんな私の表情を凝視した2人は、少し顔を見合わせると、少年と魔王に目を向ける。

「アレが、オリヤの素顔なんでしょうね」

 呆れた気分で、だけど決して幻滅ではなく。

 何と言うか、本当に手のかかる弟だ、そんな気分で。

 私は、昨日出会ったばかりの少年を眺めていた。

 

 

 

 メイドとして仕えて、実は非常に浅い。

 具体的に言えば半年程度である。

 そんなミィキィの正直な魔王様の感想は、男性として理想かと言えば疑問符は付く。

 だが、ふわふわとして居ながらも、譲れない芯は確かに持ち、そして彼女の価値基準の大半を占める、強大な単体戦力を持つ。

 圧倒的すぎて手も足も出なかった事を思い出し、赤面する思いだ。

 メイドのミィキィは魔王様を敬愛しているのだ。

 そんな敬慕の念を一身に受けるお方が、移動拠点(シェルター)のダイニングでオリヤ謹製の水出し紅茶を啜っている。

「普通の紅茶のほうが好みだな、俺」

「あ、奇遇っすね、俺もっす」

 トシロウが忌憚のない意見を述べれば、オリヤも素直にその言葉に頷く。

 じゃあなんで出したの。

 そう思うが、ミィキィはそれを口にして良いものか、彼女には珍しく本気で悩んだ。

 それ程に、ミィキィはオリヤという少年を測りかねていた。

 隣の金髪のエルフは苦笑いの相で口を閉じている。

 彼女曰く、あれがあの少年()だと言う。

 だとすれば。

 あの少年は、魔王様に似ている?

「まあ、部屋も出来たし、風呂もある。んでまあ、これから宜しくってトコなんだが」

 ミィキィが物珍しげに眺める先で、魔王は事も無げに言い放つ。

 まあ、そうなるだろう、そう思っていたミィキィは、しかしまだ何処か腑に落ちない思いで所在も無く突っ立っている。

「ん? え、魔王さん、パーティ組むの?」

 魔王の決定を受けるオリヤは口調は軽いが、ため息が出る思いだ。

 一人旅の夢は、僅か半日の短命であった。

 オリヤも男の端くれでは有る。

 美女を引き連れての旅、憧れが無いではないが、その前にもうちょっとこう、旅の中で試したいことが有ったのだ。

 戦い方とか。

 M1911にしても、こっそり調整とかして、もうちょっと格好良くお披露目したかったのだ。

「おう、なんせ暇だからな。冒険者家業でもしようかと、割と本気で考えてたトコだ」

 しかし、なんかもう決定事項っぽい。

 と言うか、結構な早さで一人旅の夢を潰されているオリヤは、トシロウの申し出と言うか決めつけに、既に抗う気持ちは殆どない。

 僅かに残る抵抗は。

「んー。サリア姉さんは、この自称魔王様、どう思う?」

 どうも魔王と言うことで恐怖を感じているエルフ姉妹が承諾するか否か。

 オリヤなりの気遣いであったが、当のサリアはというと。

「んー。何ていうか……悪い人じゃ無さそうな、そんな気がするし、ミキさんが居れば安心かなって」

 どこか達観した思いで、サリアは答える。

 信用云々で言えば判断できる材料はひとつもないし、メイドが実際何処まで魔王の抑え役をこなせるのかは未知数だが、サリアには珍しく、あまり心配する気持ちが湧いてこないのだ。

 オリヤは忘れがちだが、彼女とその妹はオリヤの意思を尊重する。

 下着の好みの押しつけ以外は。

 旅の目的は私達には無いし、オリヤの監視役と言う役目はあるがオリヤの行動を制限するつもりはないのだ。

 それなのに、ここで私に振るのか。サリアは不意に可笑しく思う。

「……アルメア姉さんは?」

 アルメアは最早言葉で答える事をせず、苦笑しながら頷く。

「……意外だ。こんな得体の知れないオッサンなのに」

 内心、この2人が断ってくれれば、3人旅で済むかなー。

 そんな淡い想いが有ったのだが、言葉通り意外にも、エルフ姉妹は魔王の同行を受け入れるようだ。

 ちょっと受動的過ぎやしないか。

 オリヤは状況も忘れ、少しだけ心配してしまう。

「いくら何でも、流石に泣くぞ?」

 そんな内心はつゆ知らず、しかしそれでも流石に苦い顔で、トシロウはオリヤの頭を鷲掴みにする。

 エルフ姉妹の反応は概ね歓迎といった所らしいが、この馬鹿(オリヤ)はそうでもないらしい。

「やりましたね、魔王様。モテモテですね」

 そんな年の離れた兄弟の様な遣り取りを、メイドはため息混じりに誂う。

 これからはあの少年も、此方のエルフの姉妹も「仲間」という事だろう。

 魔王様は、内心ではご満悦の筈だ。

 欲しかった仲間が、増えたのだから。

「お前、ホント楽しそうな」

 トシロウはオリヤの頭をぎりぎりと握りしめながら、苦々しい顔でメイドを見やる。

 そのメイドが内心で生暖かく祝福していると、容易く想像出来たからだ。

 被害妄想では有るのだが、しかし間違えても居ない。

「魔王さんや。頭、頭潰れる、色々出ちゃう」

「うるせぇ、辞世の句でも捻り出しとけ」

 折角仲間になってやろうと言うのに、このガキは。

 エルフのお姉さん方に受け入れて貰えたので実はご機嫌だが、態度には出さないシャイな魔王様。

 もがくオリヤがぐったりした頃に、ようやく解放してあげる、そんな優しさも持ち合わせているのだった。

 

 

 

 正直、困惑はある。

 むしろ現時点では困惑しか無いと言っても過言では無い。

 (サリア)(アルメア)は顔を見合わせるが、言葉は出てこない。

 魔王殺しの魔王、その逸話は多くはないが、幼少の頃より聞かせられたものだ。

 曰く、人間好きの、だけどへそ曲がりな、そんな魔王の。

 人間やエルフ達を救うために、魔王を殺して魔王になった青年の物語。

 誇張も有るだろう、そう思っていた。

 だが、事実として、彼は確かに魔王を殺したのだ。

 物語の英雄、そう呼ぶべき男。

 新しき魔王。

 魔力を抑え込んでいるというのに、圧倒的で。

 ()()()()()()()()()のでは無いか、そう感じる程に。

「ええと、魔王……さま?」

 ためらいがちに、(アルメア)は口を開く。

「うん? ああ、トシロウで良いよ」

 対する魔王様は、実にフランクだ。

「てか、街中で魔王とか呼ばれてたら俺、ただの痛い奴だろ」

 優しい笑顔。

 先程まで、オリヤの頭を鷲掴みにしていた陽気な方と同一とは、中々信じ難い。

「で、ではトシロウさん、あの、どうして私達と、同行しようと……?」

「エルフのお姉ちゃんとか、好きだからッ!」

 私の疑問に、食い気味に、かつ、実にいい笑顔で答える。

 いい笑顔過ぎて反応に困る。

 それに。なんだかこの、どうですかと言わんばかりの表情、見覚えがある。

 割と最近、身近で。

「下心しか無いとか、見事過ぎんだろ魔王サマ」

 輝く笑顔を前に、オリヤが呆れた目で溜息を吐く。

 (サリア)はそんなオリヤに、何故か呆れた目を向けて。

 私は何となくゆるーく笑ってしまう。

 この魔王様、案外姉さんの言う通り、悪いヒトじゃ無いかも。

「流石魔王様です、堂々浮気とは……その度胸は末代まで語らせて頂きます」

 メイドさんは殺気をダダ漏れに魔王様を突き刺すような視線を奔らせる。

 愛されているようで結構な事だ。

 私は触れないように心に決める。

 人の恋路に無駄口を挟んで、馬に蹴られるのは御免である。

 当の魔王様はメイドさんの視線に気にした様子もなく、表情は実に良い笑顔のままだ。

「そんな訳で、俺も冒険者登録するわ。(クラス)は、魔術師で良いか」

 どんな訳だ、そう思ったものの、行動を共にすると言うのなら解る話だ。

 判るがしかし、オリヤは考え込んでいる様子だ。

 何を考えているのか、なんとなく想像する。

 冒険者登録をするという事は、新人冒険者となる、という事で。

「……冒険者ランクFの魔王とか。威厳とか何処に忘れて来たんだよ」

 やっぱり、冒険者ランクの事を考えていたらしい。

「威厳とか格式とか、そんな面倒くせェモンは、()()()に置いてきたさ」

 オリヤの苦言、と言うより嫌味に動じること無く、トシロウさんは即答してからからと笑う。

 こういうのが、大物感なんだろうか?

 何も考えてないだけ、と思えるが、しかし自信満々な様子を見るとやはり此処は「泰然自若」と言うべきなのだろう。

 きっと。

「え、何? 都合5名のパーティになるわけ?」

 オリヤは諦め気味の視線で、ミキさんを見る。

「あ、私も登録しますので、そういう事になりますね」

 メイドさんは、事も無げに答える。

 なんとなく、ウチのパーティで一番ランク上がりそうな、そんな風格さえ感じる。

 ……(クラス)はどうするのだろうか。

「……パーティリーダーはトシロウ兄さんに頼んでいい? 俺、このメンツ纏める自信無いんだけど」

「おう、この優しいトシロウ兄さんに任せとけ。あ、財務は俺以外な、そういうのは苦手だ」

 存じています。

 オリヤとサリアは同時に頷き、私も内心で唱和する。

 きっと、3人の心はひとつだった筈だ。

「そういうのは、サリア姉さんかミキさんが得意そうだから任せよう」

 すんなりと自分を候補から外すのは感心だけど、しれっと私まで外すのはどうなのか。

 いや、私だってパーティの財布を握るとか、御免蒙りたい所では有るのだけれども。

「私は戦闘以外には興味が有りません」

 オリヤの言葉を遮る勢いで、ミキさんは自信満々に言い切る。

 その表情はむしろ誇らしげだ。

 見た目は冷静・怜悧なメイド感満載なのだが、中身はバーサーカーらしい。

「ミキはあれだ、ヤクシニーだからな。戦闘種族って奴だ」

 どこか得意げなミキさんに変わって、トシロウさんが説明してくれる。

 ん? ヤクシニー? それって確か……。

「えっ。ミキ姉さんってただの美人なお姉さんじゃなかったの? 夜叉?」

 記憶の引き出しを開け閉めしている私の前で、オリヤは何も考えずに口を開いた。

 私は即座に顔を青くする。きっと青くなっていた筈だ。

 紫掛かった銀色の髪を揺らせて、ミキさんは数歩踏み出すとオリヤにまっすぐ向き直る。

 馬鹿オリヤ、思ったことを直ぐに口にして。

 ヤクシニー、或いは夜叉女(やしゃめ)。彼女たちは、今オリヤが口にした「夜叉」の対になる存在だ。

 性別によって種族名が変わる、割と珍しい種族であるが、それだけに気をつけねばならない。

 彼女達にとっては性別を間違えられた事と同義であるし、何より彼女達は魔王様の言う通り、戦闘に特化した――戦闘で生きることを選択した種族なのだ。

 そんな存在に対して、喧嘩を売るような間違い。

 庇おうかなと思い、言葉を探したが、彼女は意外にも冷静に対処してくれた。

「夜叉では有りません、夜叉女(やしゃめ)です。ヤクシニー。一緒にされては困ります」

 真っ直ぐに見つめられて、オリヤが少し慌てている。

 見た目で言えばもっと子供っぽいから忘れがちだが、一応成人している15歳。

 そんなオリヤは、もしかしたら女性が苦手なのか、そう思える程に女性から距離を詰められると慌てる。

 実は私達姉妹にも、同じ様に距離を詰められると慌てるような挙動不審を見せることが多々有る。

「あ、すんません、ヤクシニーさんですね、気をつけます」

 なので今回も、何処か怪しげな敬語風になってしまう。

 いつもそうだが、もう少し慎重になれば良いのに。

 概ね考え無しなのだ。

「分かって頂ければ結構です」

 すっと一礼すると、ミィキィは魔王の隣に直る。

「とりあえず、オリヤん。モノは相談なんだが」

 そんな遣り取りをニヤニヤと見守っていた魔王様が、徐に口を開く。

 オリヤん。なにそれ、なんか可愛い。

 中身は変態なのに。

「あいあい、何ですか魔王さんや」

 その変態はどこか疲れたように、魔王様に背を向け、冷蔵庫、とか言う白い大きな箱に向かう。

「この、えっと、移動拠点(シェルター)つったか? これ、全員が最低出入りくらいは自由に出来るようにならないか?」

 そんなオリヤの背中に掛けられた声は、意外な言葉だった。

「んん? その心は?」

 オリヤにとっても意外であったのか、真意を汲むことは出来ていない様だ。

 冷蔵庫を開けながら、いつもの間の抜けた調子で問う。

「限定的なエリアへの出入りで構わんのだが。旅先でも、まあ、あれだ。色々有るだろ、緊急事態は」

 答える魔王様の声は平板で、聞き流す程に自然であるが、その内容は無視してはイケナイものが含まれている。

 色々。緊急事態。

 その単純で複雑な単語に、私達女性陣は息を呑む。

 冒険するしない以前に、生命活動を行う上で、避けて通れない事。

「ああ、トイレね」

 オリヤは冷蔵庫から水出し紅茶を淹れている大きめのポットを取り出しながら、事も無げに口にする。

 そろそろ、オリヤの頭を引っ叩くのに適した道具を創って貰うべきかも知れない。

「お前な。態々俺が言葉を濁した意味をだな……」

 魔王様の気遣いが台無しである。

 魔王様とは手を取り合って、オリヤにデリカシーの何たるかを教え込まねばならないと思う。

 そんな私の決意に気付いて居るのか居ないのか、オリヤは何事かを考え込むように少し口を閉ざす。

「そうすると、鍵かな……? いや、無くしたり盗まれると問題だなあ……」

 思わず口から漏れたような、そんな独り言。

 思ったよりも真面目に考えているようだ。

「魔力鍵は? 態々目に見えるアイテムに拘る理由も無かろ?」

 その独り言を受けて、魔王様は事も無げに言い放つ。

 なるほど、私は納得してしまうが、オリヤはそうでは無いらしい。

 じっとりと半眼で、魔王様に視線を流すと拗ねたような口調で言葉を返す。

「此処に居るメンバーだけなら良いかもだけど。他所のパーティと一緒だと、言い訳が面倒でしょうよ」

 おや? 私は些細な違和感にオリヤへ視線を戻した。

 なんで不機嫌なの?

「まーた妙な嘘を言わされるの嫌だし」

 オリヤは不機嫌な表情のまま、魔王様に不満を述べている様だ。

 また? 引っかかりを覚えて、何となく姉さんを見ると、姉さんは姉さんで「ああ」と、そういう顔でオリヤと魔王様を見ている。

 ……何だっけ?

「なんだお前、アイテムボックスの件、根に持ってんのか?」

 そんな視線を受けた魔王様は事も無げにからからと笑う。

「笑い事じゃ無ェよ魔王さんや。なんであんな面倒臭ェ嘘なんて言わせたんだよ」

 アイテムボックス。嘘。

 この2つの単語で、私も思い出した。

 そうだ。クレイオスさんに、とっさの機転にしてはやけに「らしい」嘘で答えていた。

 そうか、アレは魔王様の機転だったのか。

 でも、どうやったんだろう?

 あの時、口裏を合わせる時間も何も無かった筈、だけど。

 小声で何か話し合ってたときに言われてたのだろうか?

「面倒臭ェってお前、どうせそのまま教えるつもりだったんだろ?」

 ニヤニヤと笑いながら、魔王様は言う。

「当たり前じゃん、むしろ嘘なんか言ってどうすんのさ」

 魔王様がオリヤに嘘を言わせたタイミングは判らないが、嘘を言わせた理由は私にだって判る。

 それなのに。

 ああ、この子、言葉通り何にも考えてない。

 私や姉さんが溜め息を吐く前に、魔王様が笑みを消してピシャリと言葉で叩く。

「ド阿呆が」

 思い掛けない、真剣な表情。

 さしものオリヤも、言葉を詰まらせて黙り込む。

「お前はそのナリになるまで、この世界の何を見てた? お前の能力(ちから)はこの世界の魔術限界を超えてるんだよ。気付けよ間抜け」

 思わず、私も姉さんも何度も頷く。

「いや、それは理解してるけど、だからって」

 尚も食い下がるオリヤだが、魔王様はにべもなく切り捨てる。

「解って無ェよ間抜け。あのな? この世界でな? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()んだよ」

 その通りだ。

 アイテム収納、それは空間魔術のひとつ、のハズ。

 アイテムを収納し、取り出すための空間作製。それはイメージの限界との闘いだ。

 身近にある「モノを収納する為の物」を触媒とするのは、その方が理解がしやすく、イメージを広げやすいからだ。

 魔術を行使するするには、その結果を明確にイメージする事が重要になる。

「魔術を行使する時に、イメージに濁りがあれば最悪失敗する。行使出来ないならまだ可愛いモンだ」

 オリヤは今度は反発することもなく、魔王様の言葉を聴く。

「空間魔術なんて、使い手も限られてる魔術だ。応用もどこまで効くか判りゃし無ェ、そんな魔術を」

 静かに距離を詰めていた魔王様は、徐にオリヤの胸倉を掴むと、引き寄せるように持ち上げる。

 あの細腕の、どこにそんな筋力が有るんだろうか?

「自分の身体で試して、失敗したらどうなるか? 普通はソコ考えて実行しない。するとしたら」

 言葉を切って、手を離す。

「組織か、国ぐるみの人体実験だろ」

 魔王様の声が、冷たく響く。

「ちょ、そんな、大げさな」

 魔王様の思い掛けない冷たい声に、オリヤは笑って答える。だが。

「俺がどう思うかとか、実際はどうだとか関係無ェよ。問題なのは、そう邪推する奴が居るって事だ」

 魔王様は笑わない。

「んで、そういう邪推の行く先はどこまで行くかと言えば、お前の生まれ育った街に向かうワケだな」

「いや、それは幾らなんでも考えすぎっすよ」

 オリヤは笑って答える。

 きっと、無理にでも笑い飛ばしたいのだろう。

 よく見れば、その笑顔は少し不自然で、無理やり顔に貼り付けたような、そんな笑顔だ。

「個人で調べる範囲なんてタカが知れてるでしょ、特にこの世界じゃあ」

 誰よりも自分を安心させたい、そんな様子の言葉を口にするオリヤ。

「調べるのが個人じゃなければ? 国家単位で動かれたらどうすんだ?」

 だが、魔王様は容赦はしなかった。

 被せるようにオリヤに言葉を浴びせ、オリヤの笑顔を引き攣らせる。

「大げさだと思うか? お前のその能力(ちから)で、兵站の負担がどれだけ減らせると思う? 物資やら兵器やらを手軽に運べるようになるメリットをどう思う?」

 魔王様は無表情に、その冷たい目をオリヤに向けている。

「お前の能力(ちから)は、軽く考えてもその程度には脅威なんだよ。それが魔術なら解析したいし、使い手が居るなら確保、出来なきゃ消したい処だろ。可能なら、秘密を知る余計な有象無象ごと、な」

 オリヤはもう笑えない。

 むしろ、心持ち青褪めている様子で、やはりそういう事を考えては居なかったらしい。

 その点に関しては私も同様だけれども、少なくともあの能力(ちから)と、それを振るうオリヤの有り様に対して危機感は有ったのだ。

「消すとか、幾らなんでも極論過ぎじゃ……」

 オリヤは青褪めつつも、納得を拒んでいる。

 自分の能力(ちから)が、まさか軍事に利用されるとか考えても居なかった、と言うのだろうか?

 流石に、それは甘いと思う。

「あのね、オリヤ」

 そう思ったので、私は敢えて魔王様の側に立つ。

「アロイスさん達に合流する時、私と姉さんはこの移動拠点(シェルター)の中で待機してたよね?」

 オリヤはちょっと呆けたような顔で、私を見る。

「あの時、外から見たらオリヤは1人で、でも実際には私達があの戦闘の場面の近くに飛び出して、そして私は火の魔術を放った。これね?」

 うん、そうだね。

 そんな風に頷くオリヤは、気付いていない訳では無いと思う。

 その答えを、見たくないのでは無いだろうか?

「例えば、そうね、何処かの街の中で同じことをしたら、どうなると思う?」

 戦場に限った話ではないのだ。

「そんなの、ただのテロじゃん」

 オリヤは呆れたように言う。

 その通り。

 平和な街中でそんな事をしでかすのは、ただのテロだ。

 別に私が直接やらなくても良い。危険な魔獣を街中で解き放っても、テロの目的は達成できる。

「そうだな。ただのテロだ。そんな事も手軽に実行できる訳だ、お前の持つアイテムボックスや、この移動拠点(シェルター)が有ればな」

 オリヤは口を開けたままの間の抜けた顔で、魔王様と私を交互に見る。

「分かったか? 国にとっても、どこぞのヤベェ組織にとっても。お前は貴重な戦力で、戦力を移動させる乗り物でも有るわけだ」

 快適なお風呂付き。

 兵員輸送なら、兵員の快適度はある程度保証されるだろう。

「さっきまで一緒に居た冒険者共、あの連中は気の良い奴らだってのは、まあ何となく判る。だけどな」

 魔王様は少し、寂しそうな顔で言葉を整える。

「話なんざ、どこからどこに漏れていくか分かったモンじゃ無ェ。迂闊な事は言わ無ェが吉だ」

 噂話と言う物は厄介だ。

 信じられないような話程、より尾ひれがついて広がる。

 広がりきれば飽きられ捨てられる、で済めば良い。

 噂の種類によっては、国単位で調査に乗り出す事が有る。

 その調査が秘密裏で有れば有る程、噂の当事者は危険な目に合うと、相場は決まっている。

「これからは、アイテムボックスの触媒は適当にそれっぽいの持ち歩きな。言い訳も楽になる」

 だから、無難に、やり過ごす為に。

 魔王様は、オリヤに知恵を授けるのだろう。

「……まあ、俺は兎も角、姉さん達が変な因縁つけられたら困るから、そうするよ」

 納得の行かない声色では有ったが、それでもオリヤはそう言ってくれた。

 オリヤは少し、慎重さに欠けると言うか、明け透けに色々話し過ぎるきらいが有る。

 魔王様が釘を打ってくれたので、これからは多少は慎重になってくれると……良いなあ。




文章がとっ散らかって収集がつかず。
これ……もしかして後々書き直しになるのかなあ。


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夜は更けても馬鹿は馬鹿なの

 前回のあらすじ。
 魔王様の思い掛けないお説教により、アルメアはショートケーキのおかわりを食べ損ねた。
 あと、水出し紅茶はどうやら人を選ぶらしい。


 オリヤは風呂に浸かりながら、柄にもなく考え込んでいた。

 自分の能力の危険性について、考えた事が無い訳ではない。

 だが、どうにも甘すぎた。

 世界は優しくは無いが、この3年で見た世界の片隅で、ヒトが悪さ出来るほどの勢いを取り戻しては居ないと思い込んだ。

 だから、油断した。

 仮に、オリヤの能力(ちから)を欲する様な組織なり国家なりが出てきた所で、魔族相手に壊滅寸前まで追い込まれた人類が、どこまで本気でオリヤを追いかけ、捕まえようとするか。

 その本気度を見誤ったと言うべきか。

 なまじ、魔王軍と人類種連合軍の戦争の逸話を知っていたが故に、その疲弊した人類がどれ程の事が出来るのかと、そう考えてしまっていた。

 しかし。

 人間はどんな時に力を欲するのかと言えば、追い込まれている時こそ、なのではないか?

 力が有ると思える場合でも、万全を期すればこそ力を求め、研鑽し、探求するかもしれない。

 それが、疲弊し余裕も乏しい状況であればどうであろうか?

 後など無い、だからといってそれを言い訳に周辺に対する警戒を怠る訳には行かない。

 そんな状況であれば、些細であれ、力に成るモノが有るなら取り込みたい、取り入れたいのは人情と言うものでは無いだろうか?

 オリヤは改めて自分の能力(ちから)について考える。

 

 創造力。

 

 空間魔術に分類されるこの移動拠点(シェルター)もアイテムボックスも、趣味の延長から欲したM1911(拳銃)も、全てはこの能力(ちから)で創り上げた物だ。

 そして、まだ発揮していないもうひとつ、神様に追加で貰った能力(ちから)も、早々に使える様に準備するべきかも知れない。

 その他に有るのは、神様が気を利かせてくれた高ステータス群。

 ステータスの割に実際の知能が低い気がして目眩を覚えるが、そこは単に脳を使いこなせて居ないだけなのだろう。

 そう考えれば、それはやはり自分の頭が悪いという事ではないかと溜め息が漏れる。

 考えが足りないと言うべきか、平和ボケと言う物を実感するべきか。

 オリヤがこういう、益体もない二択を思いつく時は、正解はその両方である。

 自覚が有るだけに、オリヤは苦々しく溜め息を吐く。

 今日だけで、何度目の溜め息だろうか。

 正直に言って、トシロウに言われた事を全て納得出来た訳ではない。

 能力(ちから)は秘匿すべき、と言うのは理解出来無くも無い。

 全てを詳らかに開示する必要はなく、求められれば必要に応じて情報を開示する事は、必要な事だと考えていた。

 開示する情報の深度は、それを持つ者――この場合はオリヤが判断すれば良いと考えていた。

 トシロウは、オリヤが根底に持つその考えを「甘い」と斬り捨てたのだ。

 相手の求めに応じて情報を開示するのは良い。

 だが、相手の真意を図るのがオリヤ1人で、本当に万全なのか?

 開示する情報の制限は、本当に出来るのか?

「だからって、じゃあどうしろって言うんだよ」

 広い浴室に、オリヤの独り言が漂う。

 オリヤの能力を体系化し、それを扱う研究機関でも立ち上げるべきなのか?

 馬鹿馬鹿しいと、オリヤは頭を振る。

 トシロウの指摘の通り、確かに、オリヤの能力(ちから)は強力かもしれない。

 しかし、それはあくまでも個人の能力で、この魔法――魔術と称するらしいが――が横行する世界で、注目されるほどの力だとは思って居なかった。

 その認識こそが、トシロウに甘いと斬り捨てられた根源なのだろう。

 

 考えが纏まらないまま、風呂を上がったオリヤは台所で冷蔵庫を開けると、ミルクをグラスに注いで呷る。

 左手は腰に添える、正統スタイルだ。

 Tシャツにジーンズのラフなスタイルでミルクを一杯飲み干すと、シンクで洗って水切りカゴに放り込む。

 さて、そう小さくつぶやくと、オリヤは自室ではなく、その隣。

 工房にしようと考えていた凡そ6畳の空き部屋へと踏み込む。

 考えが纏まらないなら、別の事でもして気を紛らわせよう。

 オリヤは日中、サリアに頼まれたことを思い出していた。

 あの短杖と、同じ物をもう1本。

 材料はトシロウが持ってきてくれたもので十分。短杖に使用した人造魔石も、同じラピスラズリ――地球で見たものと、組成は()()同じ――が有るので問題ない。

 ラピスを人造魔石の素材にしたのは特に意味はない。

 強いて言うなら、色合いが好きだから、ただそれだけである。

 一度創った短杖なので、設計図は脳内に有る。

 材料も揃っているので、MP消費以外の負荷を感じる事もなく作製を終える。

 で。

 創ること自体は一瞬、道具を使わない、そんな事は判って居る。

 なにせ自分の能力なのだ。

 こうしてあっさりと完成させたは良いのだが、さて。

「……今持っていったら、なんだろう。なんか更に注文が有りそうな」

 注文が有ればその通りにすれば良い。それだけだ。

 なのに、なんだか軽めの、悪い予感がする。

 普段のオリヤでも怪しいのだが、今のモヤモヤした感情で妙な注文を受けたら、それこそ後先関係なしに「暴走」し兼ねない。

 良し、明日にしよう。

 工房予定部屋を出ると、自分の部屋へ向かう。

 とは言っても、所詮隣の部屋だ。

 部屋に戻るまでに問題が発生する筈もない、そんな時間など無い、距離が短すぎる。

「あ、オリヤ、あのね?」

 だから、きっとまた油断したんだと思う。

 オリヤの向かいの部屋から、金髪の美エルフが顔を覗かせていた。

 

 呼ばれて部屋に踏み込んで見れば、そこには部屋の主たるエルフ姉妹の他、のっそりと細高い上背の男と、メイド服の女が寛いでいる。

「……なにしてんの?」

 ごく普通に湧いた疑問である。

 夕食を大人数で楽しんだ後、片付けもそこそこにディアクーフに「移動」し、その後シェルター内で風呂を創り、魔王様によるオリヤへの軽めのお説教の後、全員が順番に風呂に入り。

 結構、良い時間になっている筈だ。

「トシローさんが、お酒飲まないかって」

 サリアの言葉にゆるりと視線を巡らせると、楽しげに酒瓶を掲げる魔王様と目が合う。

「おう、お前も成人してるんだってな? その見た目で? 飲んでも問題ないんだよな?」

 始終疑問形で酒の席に誘うのはどうかと思う。

「ほとんど飲んだこと無いから、問題ないかわかんないよ」

 諦めてソファに座り込むと、脳内で食材の在庫を確認し、ポテトを発見したので即座にポテトチップとフライドポテトを創り、テーブルの上に大皿ごと出す。

 今更調理するのが面倒だったので、惜しげもなく能力大開放である。

「おお、便利だなお前! 調理時間も要らないんだなぁ」

 感心したようにフライドポテトをつまむと、ほいほいと口の中に放り込む。

「そりゃまあ、材料さえ有れば、結果を創り出せるからねぇ」

 オリヤはポテチをつまむと、パリパリとした食感を楽しむ。

「わ、これお芋? なにこれ美味しい!」

 早速、銀髪の食欲エルフが、交互に口に運んでいる。

 忙しないことである。

「ふむ、これは面白い食感ですね」

 メイドの鬼人さんが、目まぐるしくその手を皿と口とを往復させながら、楚々とした口調で嘆息を漏らす。

 よく喋れますね?

 オリヤはその慌しい様子に動じる事無く、当然内心を口にする事も無くただ見やる。

「あ、ありがとうオリヤ、頂くね?」

 流石はサリア姉さんだ。

 この一行の、これだけ大人が揃った中で、きちんと礼を述べたのはサリアただ1人である。

 素直に嬉しいが、そういう常識的な面が、時に彼女を危機に立たせるのだろう。

 主に食事時に。

 現に、あっという間に皿の中身が減っている。

 不憫になったオリヤはサリアに笑顔で頷きながら、さり気なく皿の中身の補充を行ってあげた。

「サリア姉さん以外、太れば良いのに」

 ボソリと、笑顔で呪いの言葉を放ちながら。

 

「あのね、オリヤ。今朝頼んだ杖の事なんだけど」

 サリア姉さんは可愛いなあ。

 床に正座させられた格好のまま、オリヤは考える。

 呪いの言葉はエルフ・鬼人・魔王というとても耳の良いメンツにきっちり聞き咎められ、その結果の正座(いま)である。

「あ、うん、もう1本欲しいって言うアレ?」

 しかし、正座状態であると言うのに、オリヤはニコヤカにサリアに対する。

 サリア姉さんは天使だ、間違いない。

「そうなんだけど、その」

 素材が有ることは、きっと判るのだろう。

 魔王ことトシロウに手土産代わりに資材を渡された事は話しているからだ。

 実物の全てを目にしていないとは言え、いや、だからこそ「期待」してしまうのだろう。

 そしてその期待は、今回はちゃんと叶うことになるのだが。

「ど、どれくらいで出来そうかな?」

 しかし、そんな事は知らないサリアは心持ち気恥ずかしそうに尋ねる。

 我儘は言えない、でも新しい杖は早めに欲しい、そういう心情から、意図せぬあざとさがオリヤのハートを直撃する。

「で、出来てるよ?」

 オリヤは耐えようとはした。

 頑張った。

 明日中には、出来ると思う、そう言うつもりだった。

 しかし、決意は弱かった。

「そ、そうだよね、そんな急に……え?」

 慌てて謝罪してからの、きょとんと呆けたような表情。

 サリア姉さん、あざといっす。

 計算か天然か、まだ判断はできないけれど、どちらにしてもそれは卑怯可愛いです。

 オリヤははしゃぎそうな表情をぐっと押さえつけ、空間から用意してあったそれを取り出し、サリアに差し出す。

「ついさっき創ったんだけど……一応、確認してくれるかな」

 サリアは少しぽかんとして、その表情のままで杖を受け取り、少しづつ真剣に杖の確認をする様に細部を見て、そして構えて魔力を流してみる。

「すごい……! やっぱり凄いよ、この杖!」

 サリアは先に作ってもらっていた杖と、そっくり同じ杖とを左右それぞれの手に持ち、うっとりと眺めている。

 何に使うか、というか多分スペアなんだろうけど、喜んでくれてよかった、そう考えるオリヤの前で、トシロウとミィキィまでがサリアに並び、その杖を眺めている。

「これはまた、見事なモンだ。オリヤ、俺らにも武具を創ることは可能か?」

 顎に手を添えて杖を眺めながら、トシロウが口を開く。

 オリヤはふむ、と考えるようにトシロウに目を向ける。

 サリアとアルメアの杖を創る時には、ほぼ直感で創った。

 独断である。

 だが、それも完全に独断だけだった訳ではなく、2人の纏う魔力の流れ、循環を見ての事だった。

 だから、ミィキィの武具を創るのも問題ない、と思う。

 しかし、魔王ことトシロウの方はと言えば。

 如何せん、魔力の流れが視えないのだ。

 魔力がない、という事ではなく、単純に抑え込んでいるのだろう。

 じゃあ開放してもらえば良いかと言えば、それほど簡単な話でもない。

 どれほどの魔力かわからないので、最悪この移動拠点(シェルター)に影響を及ぼさないとも限らない。

 信用できるかは不明だが、自己申告してもらうか、あるいは勝手に創るか。

「……と言う訳なんだけど……」

 オリヤは素直に、トシロウに悩みをぶつけてみる。

 変に駆け引きを持ち込んだりするのは疲れるし、適当なもので誤魔化そうものなら、恐らく作り直しを要求されるだろう。

「あー……ここで、俺の魔力を開放してみせたほうが良いって話か?」

「俺の話聞いてたかな? 下手に解放されて、この空間に影響出たら困るからどうしようかって相談何だけど?」

 おとぼけ魔王は時々ポンコツになる。

 これは脳内に付箋を貼っておかねばなるまい。

「んじゃ何だってんだよ?」

「単純に、どんな装備が良いか教えてくれって話だよ。剣か、杖か、槍なのか。どういう仕様がいいのか、とか」

 オリヤが半ば投げやりに、早口で言い切ると、トシロウは考え込む様に顎に手を添える。

「ふむ……んじゃあ、アレだ。形状はグローブだな。施して欲しいのは、魔力を通したときに硬化するのと、後は」

 そう云うと、魔王はニヤリと笑う。

「適当になんか付けてくれ」

 なんだその適当な注文は。

 寿司屋じゃねぇんだぞ。

 オリヤは考える。

 硬化、それと衝撃緩和辺りかな。

 他に面白効果、なんか無いかな……?

 ひとつ頷くと、オリヤは脳内工房に集中を向ける。

 サイズは手にきっちりと合わせ、任意で硬化魔術が作動するような細工を施す。

 そして、まずは魔術触媒としての回路を組み込む。

 魔術師希望らしいので、らしい機能は必要だろう。

 肌に張り付く装備なので、魔術の流入よりも増幅に比重を置く。

 どうせこの性格じゃあ、攻撃重視の魔術師なのだろう。

 偏見だが、勿論訂正するつもりはない。

 これだけじゃ詰まらないな……。

 オリヤは少し考え、ニヤリと笑うと脳内で仕上げを始める。

 今までの製作中の様子で見たことのない邪悪な笑みに、サリアは頬を引き攣らせる。

 絶対、面白半分で碌でもない機能を付けてる。

「ッし、出来たぜ魔王さんや」

「……お前も、街中で魔王呼びしないように気ィ付けてくれよ……」

 オリヤのニヤつき顔に、トシロウは別の苦情を入れつつ、手渡されたグローブを受け取る。

 見た目はただの革手袋で、どちらかと言うと拳闘具(セスタス)のような物を想像していたトシロウは少し拍子抜けする。

 が、手にとって見れば。

「……コイツ、これで魔導触媒なのか?」

 トシロウは驚いたような、感心したような声で呟く。

 魔導触媒と言う響きに反応したエルフ姉妹がトシロウの手元を覗き込む。

 見た目は黒の革手袋だが、トシロウが実際に装備し、魔力を巡らせるとその特異な様相にすぐに気がついた。

 手の甲部分に付けられた紅い宝石が、光を放つ。

 その宝石が、何なのか判らない。

 見た目はルビーのようだが、ルビーだけでこれ程の魔力を宿し、輝く様を見たことがない。

 考えてみれば、サリアやアルメアの持つ杖に付けられた石、ラピスも、知っているラピスとどうも違う気がする。

 その宝石だけでなく、その手袋に張り巡らされた魔術回路が幾つもの小さな魔術陣を模り、循環している。

「ほう、反応がスゲェな。増幅もしてくれんのか、こりゃうっかり全力は出せんな」

 魔王がぞんざいな口調で、嘆息を漏らす。

「一応、機能は見た通りの魔術触媒と、硬質化、装備してる手への衝撃緩和。力いっぱいぶん殴っても、手に伝わるダメージはある程度緩和できるよ」

 オリヤの説明を聞きながら、硬質化を行ってみる。

「うわ、硬くなったの判って気持ちわりい。この状態でも『動く』んだな?」

 硬質化させたまま、手を開閉させて感触を確かめる。

 手に伝わる感覚が変わり、違和感に出た感想が「気持ち悪い」であるが、そのうち慣れるだろう。

「まあ、作業出来ないんじゃ困る場面もあるかもだから」

 取って付けたような言い訳を、取ってつけた風に言う。

 実際は、単なる思いつきである。

 出来たからそうした、それだけだ。

「予想以上に良いモンだな。気に入ったぜ」

 そう言って手袋を外そうとしたトシロウは、ふと、動きを止める。

 オリヤが、笑っている。

「……なんだ、その気味の悪ィニヤケ面は?」

 トシロウの声に視線を転がしたアルメアは、見た。

 見た事もない、邪悪な微笑みを浮かべた悪戯小僧を。

「魔王さんや。面白機能、付けといたんだけど……確認しないのかい?」

 オリヤの言葉に、トシロウの目がすぅ、と細くなる。

「ほう、言うほど面白くなかったら、お前」

 手袋型の魔術触媒でありながら、硬化と衝撃緩和で近接体術にも対応。

 これ以上の面白機能とは、一体なんなのか。

 大したもので無ければ、殴る。

 取り敢えずグローブを硬化させながら、オリヤに先を促す。

「面白いかどうかは人それぞれだけど……」

 一瞬で気弱になるオリヤだが、説明は続く。

「防御壁展開機能を付けたんだ」

 説明を受けた魔王さまは少しだけ考え、そして拳を振り上げる。

「まーってまってまって! 聞いて! 仕様を聞いて!」

 殴られるのは嫌だ。

 ちょっと必死にトシロウを押し留めようとするオリヤ。

「仕様? なんだ、またとんでも無ェ仕様だったら色々説教追加になるぞ」

 言ってから、何となく必要な気がして、トシロウはオリヤの脳天に硬化拳骨を振り下ろす。

 人体でしてはいけない音が聞こえた気がしたが、サリアもアルメアも、目をそらして気にしないことにした。

「なんで? なんで殴るの?」

 オリヤは床に蹲りながら、涙目で糾弾するが、どうも味方は一人も居ないらしい。

「碌でも無ェ予感しかしねェからだ、間抜け」

 魔王様には、取り付く島もない。

「で? お前、今度はどんな馬鹿野郎機能付けたんだ?」

「馬鹿野郎って……まあ、良いけど」

 ブツクサと呟きながら、オリヤは立ち上がる。

 頭頂部を押さえているのは、まだジンジンと痛むからだ。

「防御壁、って名前の、対衝撃壁だよ。モードは2つ」

 なにを当たり前の事を、思いかけたトシロウは「2つ」という単語に片眉を上げる。

「なんだ2つって。物理攻撃と魔術攻撃用か?」

 その問いに、オリヤは再び口角を上げる。

「それ、どっちも起こる現象としては物理作用でしょ?」

 オリヤの言葉に、魔術を操る3人はそれぞれに考え込む。

 炎を塊を投げつけるのも氷塊を叩きつけるのも、言われてみればそうだ。

「だから、その手袋に付けてあるのはあらゆる種類の衝撃に対する防御機能さ」

 顎に手を添え、考え込む魔王は視線で続きを促す。

「1つは、衝撃反射。障壁に加えられる衝撃を、100%反射するよ」

 説明するオリヤは少し誇らしげに腕組みして見せるが、説明される面々は互いに顔を見合わせ、そして考え込む。

「それ、さっきの説明だと、魔術も反射するの?」

 サリアが恐る恐る尋ねる。

「うん、まあ、世に広がってる攻撃系魔術だったら、だいたい反射できると思うよ?」

 オリヤは対して、にこやかに答える。

「え、それじゃ、そのまま魔術を打ち返せる、って事?」

 アルメアはうそ寒そうに尋ねる。

 攻撃の魔術がそのまま打ち返されたら、厄介などというものではない。

「いや、あくまでも加えられた衝撃を反射だから、相殺プラスアルファ、程度だよ。リフレクションは出来なくもないけど、そっちは単に跳ね返すだけだし、対魔術に限定されちゃうしね」

 しかし、答えるオリヤは否定の言葉を述べた。

 しかし、アルメアは少し混乱する。

 魔術反射(リフレクション)の魔術とは違うらしいが、しかし魔術を弾くものでは有るらしい。

 だが、プラスアルファとやらが良く判らない。

「何だそりゃ? リフレクションじゃねェ、つっても話を聞く限りリフレクションそのままなんだが」

 トシロウも上手く飲み込めず、考え込む。

「えっと、あくまでも反射するのは『衝撃』として、なんだ。だから、加えられた衝撃次第ではある程度離れたところまで反射するかもだけど、基本的には対近接攻撃用だと思ってる」

 オリヤの説明を聞きながら、トシロウはグローブに今一度、意識を集中させる。

 魔術回路の異様な複雑さは、そう言う事か。

 今、説明を受けた事でその存在を認識できた。

 異質な魔術回路が2つ。

「んで? 起動方法は?」

 トシロウが魔術回路に意識を向けたまま尋ねる。

 体感せねば、判らないだろう。

「起動は、単純にイメージで。自分の前に壁として展開もできるし、半球形、球形で自分を覆う事もできるよ」

 言いながら、オリヤは自分の前に両手を広げて見せる。

 それが起動に必要なポーズ、という訳でも無いのだろうが、イメージを伝えたいのだろう。

 トシロウは何となく左の掌を上に向け、単純な球形をイメージしてみる。

 そのトシロウの掌から10センチ程離れて、直径にして20センチ程度の球が浮かび上がる。

 黒に近い、深い深い青。

 半透明と言えなくもないが、半径を小さく収めているせいか色合いが濃い。

 同じ様に右手でも球を作ったり、それらを半円形に形を変えたり円形盾の形にしてみたり、操作を確かめている。

「ははァん? なるほど、イメージ通りってのは簡単ってのとは意味が違うわな」

 トシロウは盾状の障壁を振り回しながら楽しげに笑う。

 オリヤは徐に剣を抜くと、そんなトシロウに向けて切っ先を奔らせる。

 急な出来事に、ミィキィは咄嗟に反応できず、サリアもアルメアも一瞬ぽけっとしてしまう。

「オイオイ、女性の部屋だぞ馬鹿野郎。無断で刃物を振り回してんじゃねェよ」

 トシロウは慌てもせず、半球状に変形させた障壁を掲げ、容易くオリヤの一撃を受け止める。

 甲高い音が室内に走って初めて、エルフ姉妹は表情を引き攣らせる。

「お?」

 トシロウは思わぬ手応えの軽さに、軽口が止まる。

 それは、オリヤが手加減した、等という事とは違う問題のようだ。

 何しろ、正確に言えば、手応えが軽かったのではなく、まるで手応えが無かったからだ。

 派手な音こそしたが、トシロウの障壁には何も問題はなく、勿論トシロウ本人にも何一つ、衝撃らしきも伝わらない。

「これ、お前が手加減したんじゃないのか? ホントに効いてんのか?」

 掌をクルクルと動かしながら、トシロウは素直な感想を漏らしてオリヤに視線を向ける。

 その視線の先では、ミィキィのダガーを喉元に突きつけられたオリヤが突っ立っている。

 そのオリヤの手に有る剣は半ばで折れ、残った刀身の刃もガタガタに刃こぼれを起こし、ひと目で使い物にならないと判る状態だ。

「この有様で、俺が手加減したように見える?」

 喉元の刃にもミィキィの殺気にも目もくれず、オリヤは折れた剣を掲げてみせる。

「あー……とりあえず、ミキ。お前じゃどうもならん、退け」

 一応、自分にそれなりに忠義を誓っている身だ。ミィキィがオリヤの「蛮行」を赦さないのは判る。

 だが、如何せん相手は脳天気な馬鹿だ。

 脅しは通じないし、実力行使ではミィキィでは歯が立たない。

 その辺は、他者のステータス確認の術を持たないミィキィでは理解できないのだろうが、トシロウの目には視えている。

 レベル差に依る補正が多少有れど、そもそもオリヤのステータスが高すぎるのだ。

 転生者、それもカミサマ取引の輸出組はそういった点が優遇されている。

 端的に言えば、この世界で純粋に生まれた生命体では、なかなか並び立てない、そういうレベルなのだ。

 なので、現在この世界で魔王と呼ばれている者の半数以上が転生者なのである。

 もっと言えば、オリヤも強さの基準で言えば、魔王見習いと言っても過言では無いのである。

 本人がその事に、どれくらい気がついているのかは微妙であるが。

「ですが魔王様。この者、私を差し置いて魔王様に刃を向ける等」

 今コイツ、私を差し置いてって言ったか?

 それは魔王の前にまず私と戦え、という意味なのか。

 それとも、私より先に斬りかかるとは何事か、という意味なのか。

 何となく、トシロウはミィキィに確認するのを躊躇い、結局は無視する事にした。

「その剣、お前が『創った』やつか?」

 ミィキィを無視して、オリヤの手元に注視する。

 目立つ特徴のない剣だが、しっかりとした剣、だった筈だ。

 何しろ既に刃がダメになり、半ばで折れているだけに説得力は皆無だが、この規格外が持っていた獲物だ。

 何にせよ、普通の剣では無かった筈である。

「あー、うん。コイツは自重してある方の剣。しばらく保つと思ったし、今だってこんなんなるとは思わなかったけど」

 散らばった破片は既にアイテムボックスに回収済みで、破片を踏んで怪我、という心配は無用だ。

「やっぱ、全力に近い斬りつけだと、耐えられなかったみたい」

 オリヤはヘラヘラと笑っているが、聞き捨ててはいけない気がする。

 今まであんぐりと口を開き、成り行きを見守っていたアルメアは思い出したように息を吸い込む。

 見えなかった!

 オリヤの動きが、まるで、ひとつも。

 何時、剣を抜いたのか?

 斬りかかりも、踏み出しも踏み込みも何一つ。

 昼間、森狼を相手にした時も疾いと思ったが、それでもまだ見えた。

 剣戟は兎も角、体捌きは目で追えていた筈なのだ。

 アルメアは混乱しつつサリアに向き直ると、そこにはまだ呆然と状況を把握できていない姉の姿があった。

 無理もない、そう思う。

 姉は攻撃向きの性格ではない、それがアルメアの認識である。

 いつでも優しく、そんな姉を守りたいからこそ、アルメアは攻撃主体の魔術師を志したのだ。

 そんな姉は今、アルメアの考えとは全く別の地点に居た。

 オリヤの踏み込みの速さは理解出来ていた。

 昼に見せていたそれが決して本気ではないことも、織り込み済みだ。

 今の斬撃も、本気とは言えないかもしれない。

 しかし、踏み込みそのものに加え、剣を抜く動作が疾く、それだけに不自然な、軋みのようなものを感じたのだ。

 流れるような動作の中、一点、引っかかりのような不自然な滞留が有った。

 だからこそ、斬撃の瞬間だけが視えた。

 それがなければ、恐らく何も判らなかっただろう。

 剣を抜く、その動作に僅かに停滞が有った。

 剣は普遍的な直剣、長さは……オリヤの体格にしては少し長いのかもしれないが、出回っている製品並の、特別長い訳でもない。

 取り扱いに慣れていない訳ではない、そう思う。

 日中の戦闘でも、特におかしな点は無かった筈……。

 そこまで考えて、サリアはもう一つ、違和感に思い当たる。

 オリヤの身のこなしが流麗に過ぎる。

 剣と言うものは、大体が「叩き斬る」為のものだ。

 動作として「斬る」事も可能であるが、叩きつける様に使い、斬るのは副次的な動作になりがちだ。

 斬る為の動作に適した剣は形状も違ってくるし、習得難易度も高い。

 それだけに、駆け出しの冒険者も含めて、多くの剣を振るう者は、剣を「叩き」つけ、そして「斬る」。

 そうでなければ、「突く」のだ。

 そう言う視点に立てば、疑念が湧く。

 オリヤの動作は、「斬る」事を主眼に置いては居ないか?

 袈裟に振り下ろし、横薙ぎに払う。

 速さに誤魔化された感が有るが、思えば。

 あれは決して、力技で切り払った訳ではなかった。

 確信を持てるほど見ては居ない。居ないのだが。

 あれは、技量で斬ったのではないか。

「自重してある方、かい。自重してない方も有るんだな?」

 オリヤの言葉尻を捉え、呆れたようにトシロウは笑う。

 それに答える様に笑い、オリヤは空間から一振り、剣を取り出す。

 サリアの疑念が確信に変わる。

()()()じゃ、刀は見なかったから、ちょっとね」

 黒塗りの鞘に収まっているその状態でも、見たことのない造り。

 薄い、板状の鍔。

 柄の部分の造作は美しいが、見たことの無い、紐を編み込んだような模様。

 何よりも、細く、そして反っている。

 反りのある刀剣は目にした記憶はあるが、あまり一般的ではない。

 北方ではメジャーな武器、と聞いていたが、それでも此処まで細い物では無かった筈だ。

「日本刀、か。久しぶりに見たぜ」

 少し眩しそうに目を細めるトシロウに、オリヤはひょいと、鞘に収まったままの刀を放る。

「馬鹿野郎、投げるやつが有るか」

 言いながら、トシロウは苦もなく受け止めると、衒いなく刀身を抜き放つ。

 そこに現れるのは、漆黒の刀身。

「……なんでこんな真っ黒なんだ?」

 室内灯の光を反射することもない、艶のない漆黒の刀身。

 いっそ不吉なほどの黒。

 鞘から想像できるような細身のシルエット。

 身幅も厚すぎず、むしろ華奢にも見える。

 よく見ればその形状は確認出来るが、あまりにも黒いその刀身はまるで影の様で、油断をすればその姿を見失いそうな錯覚を覚える。

 サリアは途端に怖気を覚え、擦るように両腕を抱く。

「色は趣味、って言いたいんだけど」

 抜身で放り投げられる刀を危なげなく受け取り、続いて投げられる鞘は何故か取り落とす。

「抜身で投げるとか、何考えてんだよ……。まあ、良いけど」

「得体の知れ無ェ刃だ。なんで鑑定が効か無ェんだ?」

 オリヤが半笑いでボヤくと、トシロウが不審げに返す。

「ああ、そんな効果も付いてるのか。それは副次的すぎて考えても見なかったよ」

 そう言いながら、オリヤは改めて刀身を掲げてみせる。

「素材はよくある鉄、そいつを純度上げて、魔鉱石(ミスリル)と、あとは……うん」

 つらつらと素材を挙げながら、オリヤはふと、なんだか口外してはイケナイモノに思い当たり、ふと口を噤む。

 その表情から色々悟られているとも気づかずに。

「……おい。なんで黙る。それ以外に何混ぜたんだこの野郎」

 トシロウの不機嫌な声がオリヤの顔を強張らせる。

「オリヤ……貴方、何したの?」

 サリアが、不信感丸出しで問う。

 サリアの両脇では、アルメアとミィキィも似たような表情である。

「いやぁ……そのね。冗談半分で」

 冗談半分、という単語に、嫌な予感が湧き出して止まらない。

「なんというか……俺の血を、ね」

「呪具じゃねーか」

 呆れるというか、もうなんと言って良いか判らない顔でトシロウは切り捨てる。

「要はミスリル鋼に、お前の血が混じってるんだな? 何を呪ったんだお前は」

 魔力の流入・循環に優れ、上質の魔道具の制作には欠かせない魔鉱石(ミスリル)は、当然のように呪具にも用いられ、当然のように相性も良い。

 そんな素材を用いて、恐らく「創造力」を用いたのだろうが、面白半分で混ぜたものが自分の血。

 コイツは掛け値なしの馬鹿だ。

 トシロウの中で、オリヤの評価が固まりつつある。

 なるほど、あの刀身の曇りのない漆黒は、呪いの色なのか。

 サリアも納得顔で、その刀身を見つめる。

「いやほら、刀剣は一度味わった血は、もう求めないとかなんとか」

「どこの民話だ。聞いたこと無ェよ」

 なんとか言い訳めいた事を口にするが、聞かされた方はにべもない。

 そもそも本気で、そんな伝承など聞いたこともない。

 日本で、そんな話があっただろうか?

 記憶を探るが、引っかかる記憶もない。

「そ、それに、こいつに仕込んであるのはそんな色物だけじゃなくてね」

 慌てて話の進行方向を変えに掛かる。

 自分でした行為だが、こうして話してみると気恥かしい。

 話題を早く変えたいのだ。

「ほう……どうせ碌なモンじゃ無ェんだろ。聞かせてみろ」

 もはやトシロウからの信用は抜群である。

 逆方向で。

 信用できないという事を信じられている、皮肉というか矛盾と言うべきか。

 オリヤはキを取り直し、今度こそはと意気込んで告げる。

「コイツは、刀身の時間を止めてあるんだ」

 自信満々に、オリヤは刀身を掲げるようにして言う。

 しばし、室内に沈黙が舞う。

 思い思いにオリヤの言葉を受け止め、咀嚼し、理解に務める。

 その上で。

「え?」

 アルメアは、何を言っているのかわからない顔で。

「……はあ」

 ミィキィはそれがどうしたと言うのか、そんな表情で。

「時間を……? え、でも……え?」

 サリアは理解しようとして失敗した様子で。

「ああ、お前、時魔術使えるんだったか……このスカタンが」

 考え込み、そして理解したらしいトシロウは当然の呆れ顔で。

 それぞれがそれぞれの反応を返す。

「あの、オリヤ、その、私の認識が間違ってたらごめんね?」

 サリアが、おずおずと尋ねる。

「時間が止まってる、っていう事は……今の時間軸から、()()()()()()()()()()()()、ってことだよね? だったらその剣には、今の時間軸からは、一切の干渉は出来ない、っていう認識で有ってる……かな?」

 サリアの質問に、アルメアはますます判らない、そんな顔をし、ミィキィはサリアが何を言いたいのか、初めて興味を示す表情を浮かべる。

「そうだよ?」

 答えるオリヤの声は簡素で、ミィキィは質問の本質を掴みかねる。

「また物騒なモン創りやがって、このガキときたら……」

 トシロウが溜息を吐き、判っていない顔のミィキィの方を見て言う。

「要は、壊れない、折れない刀って事だ」

 トシロウの言葉が脳に染みるに連れて表情を変え、ミィキィはオリヤの手元の刀に視線を向け直す。

「この細身で、折れないのですか……本当であれば、反則ですね」

「時間が止まってるってことは、しなりもし無ェんだろ。腕が負けさえしなければ、斬撃の威力がそのまま伝わる訳か」

 何者にも折れず、砕けぬ剣。

 それは、いつか持ち主の腕を破壊する剣。

 思った以上に碌でも無い代物だった。

 ……いや、力技ならそうなるだろうが、「斬撃」ならどうだ?

 トシロウはふと思い至り、オリヤの顔を眺める。

 しかし、その線は望み薄な気がした。

 トシロウが居た時代ですら、既に「剣術」は「剣道」に立場を奪われていた。

 剣道の剣捌きであの刀を振るえば、いずれは想像通りの最後になるだけだろう。

 真正面から先程の斬撃を受け止めた身だが、トシロウの目から見て、それほど剣術に寄った振りにも視えなかった。

 まあ、真面目に見ていた訳では無い。

 トシロウよりも後の生まれであろうオリヤでは、余計に本物の剣術に触れ合う機会など無かったであろうから、期待もしていないのである。

 教えられれば面白そうだが、如何せんトシロウの得手は体術、徒手空拳での格闘術だ。

 獲物を振るえなくは無いが、得手とは言い難い。

 一方で、その説明に一人納得しているのはサリアだった。

 これが、オリヤの本当の武器。

 反りの有る刃、それに斬る為の動きが出来れば、腕に返ってくる衝撃を少なく出来るのかもしれない。

 所詮は素人考え、間違っているかもしれない。

 しかし、だからこそ、出来たての杖を強く握りしめながら思う。

 近接戦闘は奥が深い、と。

「まあ、そんなモン振り回して、怪我しねェようにな? んで、お前の獲物も結構だが、コイツのもう一個の機能ってな、何だよ?」

 トシロウは最早諦め顔でオリヤを突き放すと、手袋を嵌めた手を開閉してみせる。

 オリヤは待ってましたとばかりに頷く。

「もう言っちゃうけど、衝撃吸収と放出だよ」

 当然の事のように口にするオリヤは得意げであるが、告げられた方は当然と受け止められる訳ではない。

「それは1個目のやつじゃないのか?」

 トシロウの疑問に、オリヤ以外の全員が頷いている。

「衝撃対策と、もう一つって言ったら……精神攻撃に対する防御じゃないの?」

 サリアがすごく真面目に質問する。

 残りのメンツも、うんうんと頷いている。

「あー……うん。精神攻撃は……気合で頑張って」

 オリヤは何となく目を逸しながら、左手で頬を掻く。

 考えてなかったらしい。

「お前な……片手落ちにも程が有ンだろ。まあ、そんじょそこらの精神攻撃どころか、呪いも俺には効きゃしねえが」

 トシロウが溜息を吐きながら言う。

「いや、でもほら、面白いかなと」

 オリヤは少し視線を逸したまま、言い訳のような言い訳を口にする。

「面白いってなんだ(たわ)け。んで、どう違うんだ」

 少し苛ついたように、トシロウはオリヤの右の頬をつまみ、引っ張り上げる。

「ひぎぎ、使い方は似たようなもんだけど、単純に衝撃を完全に吸収するんだ」

 オリヤの悲鳴じみた説明に、トシロウは手袋に目を向ける。

 意識を集中してみれば、先程も気づいたもう一つの術式が起動する。

 オリヤの頬から手を離し、両手で起動させてみる。

 それは、先程の防御壁と違い、まるで質量を持つかのような漆黒だった。

「……お前、黒好きなのか?」

 トシロウはその小さな障壁を眺めながら、なんだか呆れたように呟く。

「え? うん、黒は好きだけど、その色は単に光を通してないからだよ?」

 言い訳じみたようなオリヤの呟きに、エルフ姉妹は別の事柄を脳裏に描いていた。

 そう言えば、オリヤ謹製の下着類は、やけに黒が多かった気がする。

「んじゃまあ、コイツも試すか。オリヤ、出来るか?」

 そんなエルフ姉妹の疑念を置いて、トシロウは今度は自分から攻撃を要求する。

 そうしないと、今度こそミィキィが暴走しかねない、そう思ったからだ。

「お待ち下さい」

 しかし返事を返したのはそのミィキィだった。

「魔王様に攻撃など、そうそう赦す事は出来ません。そもそも先程の不意打ちに対しての沙汰も下しておりません」

 す、と、ミィキィは跪いて進言する。

「沙汰ってお前……あんなもん遊びの範疇だろが。お前さん、そんな堅い奴だっけ?」

 あー、こいつ、スイッチ入ってやがる。

 トシロウは自分付きのメイドを見下ろしながら、面倒な事になったと頭を振る。

 傍で見ているエルフの姉妹は、オリヤがミィキィを怒らせたと思い慌てて居るようだ。

 ミィキィとオリヤの間を、忙しく視線を走らせている。

 心配は判る。オリヤはバカだから後先考えずに行動した。

 だからミィキィは怒った。

 そう考えても不思議ではない。

 なにせ、表面上はそうとしか思えないし、実際そうだからだ。

 ただし、エルフ姉妹は間違っている。

 ミィキィが怒っているのは、オリヤに対してではないのだ。

「魔王様にとって些細なことであっても、此処は譲れません」

 一層深く、ミィキィは頭を垂れる。

 主人に許しを請う姿勢、にしては。

 トシロウは溜息を漏らす。

 随分と、御御足に力が籠もっているご様子で?

「僭越ながら、この私が」

 言葉を終える前に。

「殺して差し上げます」

 メイドは疾風と化し、()()()()()()()()()()

 このお姉さん、案外面白い人だねぇ。

 その背中を見送りながら、オリヤはそんな事を考え。

 動きこそ目で追えたものの、なんでそうなったのか思考が追いつかないエルフ2人は素直に混乱した。

 当の魔王様は、慌てる事もなく。

 ふい、と、左手をミィキィに向けて突き出す。

 ミィキィは薄く笑い、敢えて正面から、トシロウの左手――そこに発生する漆黒の障壁に向けて、ダガーを叩きつけた。

 

 手応えが、全く無い。

 叩きつけた衝撃も、跳ね返る衝撃も、ぶつかる音も、何一つ。

 その力の全てを受け止める、と言うよりも、吸い込まれるような薄気味の悪い感覚に、ミィキィは俄に湧き上がる汗を抑える術を持たなかった。

 先の、オリヤの一撃とその結果を見ていたので、反射されるであろう衝撃には十分に備えていた。

 だが、返ってきた衝撃などひとつもない。

 障壁にぶつかった、いや、触れた刃はそれ以上進むことも、押し返されることもなく。

「あー……コイツは、なんだ。……タチが悪ィなおい」

 トシロウの声に我に返り、ようやっと姿勢を正し、刃を戻す。

 ミィキィのその顔には、理解不能の相が汗とともに浮かんでいた。

「衝撃を吸収、そんで放出、つったか。態々分けて言ったのは、言葉遊びじゃなくて、実態そのものだったんだな」

 先に試した濃い青の障壁は衝撃反射。

 文字通りの性能で、オリヤの叩きつけた剣は自身の勢いと跳ね返された衝撃に耐え切れず折れ砕けた。

 そして、今。

 オリヤの斬撃に比べて、軽いという事を差し引いても、結果が違いすぎた。

 トシロウの腕には何も衝撃がないのは同じだが、どうやら攻撃した方、ミィキィにも何も無かったようだ。

 だが、振り抜くつもりの一撃はあっさりと停止し、引く事でようやく姿勢を戻せた、そんな感すら有る。

「つまり、今のミキの一撃を、コイツが完全に吸収した、と」

 トシロウは障壁を球状にして、左の掌の上に浮かべ、不思議そうに眺める。

「……で、今。なんとも言えねェ感覚がしたんだが……」

 トシロウの脳内に、手袋と連動した何か、不思議な感覚が有る。

 衝撃を吸収した、その感覚。

 身体に、力が蓄積された事が感覚として理解できた。

 いや、実際は手袋の方に、だろうか?

 自然に知覚出来た為、まるで肉体に取り込んだ様に錯覚してしまったようだ。

「これが、衝撃吸収……。吸収した衝撃は、溜め込んでおけるのか」

 受けた攻撃を、反射するのではなく、吸収する。

 今ひとつ、この能力のメリットは視えてこないが、使い方は理解出来た。

「そそ。キャパシティは決まってるけど、ある程度は貯めとけるよ」

 オリヤはトシロウが考え込んでいる様子を眺めながら、能天気に答える。

「で、放出って言ったのは……これは、任意のタイミングで、任意の場所から放出出来るって認識で有ってるか?」

 トシロウは障壁を色々と変形させながら問う。

「そうだよ。任意の量を、ね」

 受けるオリヤは、一言加える。

 ふむ、トシロウは理解できた事と、実際に触れて分かった事を纏める。

 障壁は手袋を中心に、では無く、任意の空間に創り出せる。

 展開した障壁は、どの部位であっても吸収効果は変わらない、らしい。

 そして、吸収する衝撃にキャパシティは有るが、放出するのは衝撃を受けた部位には関わらない。

 ふむ。

 トシロウは更に考える。

 任意に展開出来ると言うことは、この障壁を纏うことも出来るのではないか?

 もっと言えば、先の衝撃反射壁も。

 試しに、トシロウは吸収壁を右腕の、肘から先に纏わせる。

 すると、その部分だけがまるで影に落ちたように、漆黒に染まる。

「うおわぁ、何だこれ気持ち悪ぃ」

 自分でやっておきながら、心底気味悪そうにトシロウは悲鳴を上げる。

 オリヤは、思いつかなかった使い方に興味深げな視線を隠せない。

「これで、例えば指先から」

 キョロキョロと見回し、誰も居ない空間を見定めると、トシロウは虚空に右の人差し指を突き出す。

「衝撃を放出させる、と」

 特に結果を考慮せず、トシロウは衝撃を発生させる。

 この時、トシロウは驚くほど浅慮であった。

 理由は2つ有る。

 ひとつは、オリヤの攻撃に比べて、明らかにミィキィの攻撃は軽いと知っていた事。

 それに加えて、オリヤの攻撃を受けた時と、ミィキィの攻撃を受けた時の効果の差に騙されても居た。

 気づかぬ内に、見た目の派手さに誤魔化されていたのだ。

 もうひとつが、衝撃を任意で「絞って」放つ事の意味を軽視していた事。

 ホースで水を撒く時に、ホースの先を少し潰す――絞ると、勢いが増す。

 それと同じ事が、魔王の指先で発生したのだ。

 細く絞られた砲口から、先に吸収した衝撃の力の全てが、一気に放たれる。

 腹に響くような鈍い、しかし轟音と共に、部屋の入口ドアが壁ごと吹き飛ぶ。

「あっ」

 耳を押さえたエルフ姉妹が、メイドが、そしてオリヤが入口ドアが有った空間を眺め、視線を魔王に向けて転がす。

「……放つ衝撃は、思ったよりも飛ぶから気をつけて……ね?」

 オリヤは背中の冷や汗を悟らせないように気をつけながら、のんびりと言う。

 実を言うと、オリヤもこの結果は予想していなかった。

 予想というか、当初の想定では、吸収した衝撃を放つのは、衝撃反射を任意のタイミングで放つ、その程度の認識だった。

 まさか、衝撃を内包した魔力弾を撃ち出すとは思っても居なかったのだ。

「……あああ! ドア! ドア無くなった!」

 我に返ったアルメアが入り口を指差してへたり込む。

「プライバシーが!」

 ……今気にすべきはそこじゃ無い気がするが、オリヤは敢えて無視する。

 どうせ、自分(オリヤ)が直すことになるのだ。

「室内で試すとか、何考えてんですか魔王様よー」

「少しは後先を考えて頂きたい物です」

 後先関係なしに室内で刃物を振り回した二人が、それぞれの口調で魔王を糾弾する。

「このッ……お前らにだけは……」

 文句は幾つも湧いて出るが、実際部屋を破壊してしまった手前、強くも出れない。

 この先なんかあったら、思う様文句を浴びせてやる。

 そう心に決めて、魔王様は入り口の修復に向かうオリヤを眺める。

 

 材料、ホントに貰っといてよかった。

 オリヤはまずは魔力素材の壁を修復し、手持ちの素材からドアを作り上げる。

 破砕した壁材やドアは既に魔力に還元している。

 今回は、ドアは木製にしようと考えたのだ。

 というか、そのうち壁も魔力素材から普通の建材に作り変えようと、割と本気で考えている。

「あの、オリヤ?」

 ためらいがちな声に首を回せば、申し訳無さそうな顔のサリアがオリヤの作業の様子を覗き込んでいた。

 その後ろには、少し離れたテーブルの前に正座させられた魔王様が、ミィキィとアルメアに説教されているのが見える。

「ごめんね、その」

 なんと言ったものか、サリアは言葉を探す。

 さもありなん、オリヤは手早く修復を済ませながら思う。

 なにせ、この壁とドアの修復作業は、サリアには何一つ落ち度はないのだ。

 だから。

「気にしないで、サリア姉さんはなんにも悪くないんだから。だよねぇ、魔王様よお」

 敢えてサリアの後ろ、正座する魔王様に棘のある声を投げつける。

「先に剣振り回したくせにッ……!」

 魔王様が何か返事を返してくれたが、オリヤが何か言う前に説教塗れになっている。

 いい気味である。

 サリアを促して酒宴の席に戻ると、オリヤは改めて、何か言いたげなサリアの視線に気がつく。

「どうしたの? サリア姉さん」

 言い難そうなので声を向けてみると、サリアは少し躊躇うように視線を彷徨わせると、口を開く。

「えーっと、その、気になったんだけどね?」

 頬を掻くように指を這わせるサリアを、可愛いなあと眺めながら、オリヤは言葉を待つ。

 いつの間にか、説教も止んでいる。

「オリヤの、あの黒い剣? あれだけど」

 欲しいとか言いだす気じゃないだろうな?

 トシロウは何となくニヤニヤしながら言葉の続きを待つ。

 オリヤも頷きながら、何を言い出すのか興味を持ってサリアに続きを促す。

「オリヤの血が混ざってる、呪具状態なんだよね?」

 正直に答えると、呪具を創った心算は微塵も無い。

 しかし言われてみればその通りなので、オリヤは敢えて訂正せずに鈍く頷く。

「オリヤの話をそのまま受け止めると、オリヤの血の味を覚えたあの刃は、オリヤ以外の血を求める、だよね?」

 言葉にしてみると、なんともエゲツない代物である。

 更に要して言えば、単なる血に飢えた妖刀である。

 勿論、そんな物騒な物を創ろうと思った訳ではない。

 今度は頷くことも憚られ、オリヤはなんとも言えない顔で動くことも出来ない。

「その上で……あの剣、時間が止まってるんだよね?」

 剣じゃなくて、刀なんだけどなあ。

 どうでもいい所を考えて現実逃避を始めるオリヤ。

「そうなると、あの……違ったらごめんね?」

 言い難そうなサリアの声に、流石にオリヤは現実に引き戻される。

 なんだろう。

 今までの経験から、自分では気づいていなかったとんでもない何かを突きつけられる、そんな予感がする。

「あの剣……物理的な干渉を受けないんだったら」

 魔王が、何かに気がついたように表情を変える。

 その事により一層の不安を覚えるオリヤの耳に、ためらいがちな爆弾が放り込まれる。

「もう、新しい血を吸うことは出来ないんじゃ?」

 一瞬、なんだそんな事か、そう安堵しそうになったオリヤは、すぐに気がつく。

 むしろ、呪具にしようと思っていなかったからこそ、思い至るのに時間がかかったとも言える。

「つまり……何時までも癒えない飢えを満たすために、血を求め続けるのか」

 魔王様の言葉に、一同は重苦しく押し黙る。

 碌でもない妖刀、呪具の存在に閉口するしか無い。

 しかも、神代の代物でもない、つい最近創られた物で、ついでに言えば製作者もこの場にいる。

 慌てた製作者は刀を掴むと、仔細を確認しようと試みる。

「なんでこの刀、鑑定効かないの⁉」

 しかし、時の止まった刃は鑑定の魔法さえ干渉出来ず、詳細を知ることが出来ない。

「それはさっき俺がやっただろう、阿呆。時魔法を解いたらどうだ?」

 オリヤの慌てようを苦々しく眺めながら、トシロウは提案する。

「……大して使ってないとは言え、試し切りで色々斬ってるから、結構な衝撃は蓄積してる筈なんだよ」

 オリヤもまた、苦々しく呟く。

 それがどうしたのか、そう思う一同の前で、呟きの続きが溢れる。

「ここで時間停止を解除すると、一気に時間が戻るから……どれくらいの衝撃が弾けるか、判らないんだよ」

「よーし、お前はその妖刀をこれ以上使うな。さっきの剣、アレ修理しろ」

 衝撃と弾けるという単語に、魔王を筆頭に一同はそれ以上を聞かないと決めた。

 知らなければ単なる衝撃と流しただろうが、知ってしまえば下手なことは言えない。

 試し切りが、常識の範囲内で終わっているとも限らないのだ。

「ホントに呪いの妖刀じゃねえか。この馬鹿、今度ヘルメスにでも頼んで封印してもらうぞ」

「えー」

 魔王はうそ寒そうに妖刀を眺めるが、製作者は不満げに刃を鞘に収める。

 きっと反省してないんだろうなあ。

 サリアは心配げに、オリヤの顔を見つめていた。

 しかし、気を取り直す。

 本当にサリアが話したかったこと、頼みたいことが有るのだ。

 サリアは意を決して、オリヤに声を向ける。

「あ、あのね、オリヤ」

 声を掛けられたオリヤは、ぽかんとした顔をサリアに向ける。

「オリヤに、お願いがあるの」

 この流れで、何を言い出す気だ、この姉ちゃん。

 トシロウは俄に興味を刺激され、サリアの言葉の続きを待つ。

「あのね、この杖なんだけど」

 サリアは、机に載せていた短杖2振りを手に取り、オリヤに向き直る。

 その視線は迷うように杖を見つめて居たが、意を決してオリヤの目を見る。

 なんだろう? 自分の血を混ぜろとか、言い出さないよな?

 オリヤがなんだか不穏な事を心配し始めた時、サリアが口を開く。

 

「この杖、鎖でつなげて貰えるかな?」

 

 オリヤも、トシロウも、アルメアもミィキィも。

 予想できない言葉に思考を停止させていた。




まだ、夜が明けてないどころか、話は更に停滞する。
サリアさん、暴走の予感。


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知らない街へは、準備を整えてから

前回までのあらすじ
信じられるかい? まだ3日めの夜が明けてないんだぜ?



「この杖、鎖で繋げて貰えるかな?」

 

 オリヤは言われた言葉を吟味するように目を閉じ、腕組みまでして黙考する。

 妙なことを口走っている自覚は有るものの、まさかそこまで悩むとは思わなかったサリアは少したじろぐ。

 サリアの要求が何を意味するのか理解できない妹とメイド、オリヤがどう対応するのか興味津々な魔王も口を閉ざし、成り行きを見守る。

 少し間をおいて、オリヤは溜息と共に呟く。

「……サリア姉さん、性癖が特殊すぎるよ……」

 重々しい呟きに、室内の時間が僅かに止まる。

 トシロウは少し考えて、右の手袋をサリアに手渡す。

 頷いたサリアは手早く手袋を着けると、魔力の循環と共に理解できた使用方法を元に、衝撃反射壁を右手に纏わせる。

 流石にトシロウのように完全に腕に纏わせることは出来ていないが、右手を覆うように球状の反射壁が形成されている。

 にっこり笑うと、サリアはそのまま右手をオリヤの側頭部に叩きつけた。

 衝撃反射の拳は、サリアの振り抜く腕の威力に加え、オリヤの頭部と衝突する際の衝撃も完全にオリヤに押し付け、一方的にダメージを負わせる。

 その威力は、オリヤが声を上げる間もなく昏倒する程の鈍い音を室内に響かせた。

 

「迷わずテンプルとは、流石に容赦無ェな」

 5分程で意識を取り戻したオリヤが、それでもグラグラと揺れる頭を支えながら座り込んでいる様を、トシロウは特にフォローもせず、むしろ冷たい目で見下ろしながら言う。

 脳裏に浮かぶのは、先程の見事な右フック。

 腰の捻りの効いた見事な振り抜きは、戦闘民族であるミィキィですら見惚れるほどの一撃であった。

 レベル・ステータス、それに獲物も相まって、一般人なら即死レベルの凶撃で有ったが、とっさに身を引いたオリヤは既の所で致命傷ですんだ、と言う事だろう。

 魔王は解説しながら酒を呷る。

「いや、致命傷って死んでるからね、それ」

 我ながら良く生きていると思ったものだが、サリアの殺気がまだ収まっていないのでそれ以上余計な事は言わない。

「私が言ったのは、杖を、であって。私を、なんて言ってないからね?」

 手袋を外し、丁寧に畳んでお礼を付きでトシロウに返しながら、サリアは頬を膨らませる。

 力いっぱい人1人撲殺できる拳を振り抜いておきながら、今更それは無いです。

 ちょっとだけ可愛いと思いつつも、オリヤはそんな事を思う。

「いや、拳の硬化程度で済ますかと思ったが。咄嗟の事にしては、中々センス良いじゃないの、お姉ちゃん」

 流石の魔王も、衝撃反射壁を相手に叩きつける、そんな使い方を考えて居なかった為に感心したように笑う。

 隣では、色々溜飲の下がった思いのミィキィが、頻りに頷いている。

「で、その杖2本繋いで、どう使うんだ、姉ちゃん?」

 少しぼーっと左のこめかみを擦るオリヤを放置し、トシロウはサリアに尋ねる。

 そこで怒りの相を解くと、サリアは途端に恥ずかしげにうつむいてもじもじと両手の指を組んだり解いたりと、言い難そうに躊躇いを見せる。

「野趣溢れる殺人右フックの後で、可愛い動作とか遅すぎるから、サリア姉さん」

 オリヤが懲りずに茶化すが、迎撃に放たれたクッションを顔面に受けてひっくり返る。

 馬鹿も鳴かずば撃たれまいに……。

 トシロウは呆れ顔を隠さず、後頭部を打ったらしいオリヤをフォローもせずに放置する。

「ま、馬鹿は置いとこう。で、ホントのトコどうなんだ?」

 クッションを投げつけて息も荒いサリアに、この姉さんは二重人格とかじゃ無ェだろうなと内心で慄きながら、トシロウは話を向ける。

「あ、は、はい。えっと、杖を貰った時、魔術触媒として優秀だって事も感動したんですけど」

 言いながら、愛おしそうに短杖を手に取り、目を閉じる。

「凄く頑丈で」

 言いながら優しく杖を撫でるその手が、どこか悩ましい。

「打撃武器として使えそうだなって」

 何言ってるのこの人。

 うっとりと言葉を紡ぐサリアに、周りの面々はどう言ったものか、すぐには反応できない。

 杖を貰いました。

 魔術が凄く使い易くなりそうです。

 此処までは判る。

 

 殴っても良いんじゃないかと思うんです。

 

 この感想は可笑しい。

 そう思い、短杖の片割れを何気なく手にとったトシロウは、あぁ、と小さく呟く。

 姉の立て続けの奇行に密かに思考を乱していたアルメアも、自分の杖を手に何となく眺める。

「なぁるほどなあ、こりゃあ確かに……棍棒だわな」

 しげしげと眺め、ふと顔を上げると不思議そうな顔のアルメアと目があったので、サリアの短杖を手渡す。

 ついでにアルメアの長杖を受け取り、その堅牢な様に舌を巻き、ミィキィに手渡してみる。

「……言われてみれば、私の杖もそうだけど、これもやたらと頑丈よね……」

 アルメアは呆れたように言葉を紡ぐ。

 こんな物を創ったオリヤに呆れるべきか、鈍器としての使用方法を見出した姉に嘆くべきか、迷いながら。

「なるほど、これは。余計な装飾もなく、バランスもおかしな所もなく。杖術を使うことに、問題はないですね」

 少し周りから離れ、室内なので気を使いながら軽く振り回し、ミィキィは嘆息を漏らす。

 魔王の手袋、エルフの長杖、短杖。

 これはもう、自分も武器を強請るべきだ。

「室内で長物を振り回すんじゃありません」

 常識人顔でトシロウがミィキィに注意する。

「まあ、それは判った。解ったんだが、しかしなんで鎖?」

 その完成形は、実はトシロウには容易に想像出来ていた。

 ヌンチャクと言うには大きいだろう。

 しかし、その有様は二節棍という他はないだろう。

「両手で振るうのも便利そうだし、いざとなればリーチ伸ばせそうだし……」

 あくまでも恥ずかしそうにそういうサリアに、妹はドン引きする。

 姉さん? 優しくて、暴力なんて無縁、な、筈の……姉さん?

 姉が何を言っているのか分からず、勝手に混乱の度合いを深めていく。

 一方で話を聞きながら、トシロウと、起き上がったオリヤは顔を見合わせる。

「単純な二節棍だと、()()()振り回すってのとはちょっと違うよね?」

 オリヤがヌンチャクをイメージしていることが容易に理解出来たトシロウは、頷きながら答える。

「ある意味、両手で振り回すことにはなるだろうけどな。しかし、この姉ちゃんがイメージしてるのはやっぱ違いそうだな」

 寧ろ、見たこともないであろうヌンチャクをイメージ出来ていたら大したものだ。

 オリヤはサリアの方を向き、ポテチを摘みながら問いかける。

「鎖はどれくらいの長さが良いの?」

 困ったら、求める本人に聞け。

 オリヤは、恐らくイメージ出来ているであろうサリアに聞くのが最も早いと判断する。

 トシロウも勿論異存は無く、同じようにサリアに向き直る。

 アルメアは混乱しながらフライドポテトを摘んでいる。

「えっとね、普段は杖を普通に振れる様に、邪魔にならないくらいの長さで……出来れば、こう」

 説明しながら、サリアは杖を両手に持ち、くるりとオリヤに背を向ける。

 ふわりと上着の裾とスカートの裾が揺れる。

「後ろを回して繋がる位の長さが欲しい、かな」

 ふむ。

 オリヤは既に材料の選定に入っている。

 鎖はそのものが有るが、イメージの良いものではない。

 何しろ、サリアが奴隷として売られ行く馬車の中で、その首に掛けられていた首輪、それにつながっていた鎖だ。

 使うにしても、全く別の形にして使いたい所だ。

 が、その鎖を素材から排除しようとして思い留まる。

 サリアを絶望に括り付けたその鎖だったら。

 サリアの負の力を受け止める物として最適ではないだろうか?

 言えば、恐らく良い顔はしないだろう。

 嫌悪の度合いが強すぎて、オリヤに対する嫌悪を超えて鎖を厭うだろう。

「どうしたの? やっぱり、難しいかな?」

 思わず考え込んでしまったオリヤは、サリアの心配げな声に顔を上げる。

「ああ、いや、作るのは簡単なんだけど」

 流石に、躊躇う。

 あなたを縛っていた鎖を使いますよ、と言う事実を。

 それを選んだ理由など、もっと言えない。

「ローズゴールドって、どうやって再現すれば良いのか判らなくて」

「なんで? というかローズゴールドって何⁉」

 だから、敢えてズレた答えでいなす。

「金と銀、それに銅とパラジウムの合金だ。配合率までは流石に知らん」

 思わず口をついた適当な逃げ口上に、まさかの魔王様が答える。

 なるほど、そうなると素材が一つもない。

 有るのは鉄の鎖、同製品の幾つか、鉄製品の何か。

「あー……。なるほど。なるほど」

 オリヤは悩ましげに表情を歪め、眉根にシワを寄せる。

 サリア姉さんを縛っていた鎖に、サリア姉さんを護る使命を与えるために、決断する。

 短く区切った言葉を並べて、オリヤは自分を納得させる。

 大丈夫。()()()()()()()()()、回復はする。

 そうと決まれば話は進む。

「サリア姉さん、杖貸して」

 サリアは一瞬躊躇する。

 理由は、自分でも判らない。

 オリヤの顔が、見た事もない程に穏やかだったのが、妙な不安を掻き立てたのだ。

 しかし、それだけでは根拠に乏しく、だからサリアは見逃してしまった。

 短杖を2本、揃えてオリヤに手渡す。

 受け取った杖をアイテムボックスに一度仕舞い、オリヤは目を閉じる。

 脳内工房を起動し、目の前の杖のイメージをその中に落とし込む。

 せめて鎖は繊細なイメージのものを創る。

「ごめんね、お目付け役さん」

 隷属の鎖はそのままでは無く、一度完全に分解され、オリヤの魂を素材として別の物へと生まれ変わっていく。

 そう。

 素材がないなら、(だいようひん)を使えば良い。

 昨日程の無茶が無ければ、問題無い筈だ。

 昨日の乱制作で5%で済んだのだし、今後乱用しなければ良い。

 我ながら詭弁だとオリヤは内心で嗤いながら、作業を進める。

 元々白木のような美しい肌目の木材を使用しているので、見た目には派手さではなくシックな方が良いだろう。

 2本の杖を、心持ち長めの鎖でつなぎ合わせ、杖の石突だった部分には鎖と同じ素材のキャップ状の接合子を用いる。

 全体の強度を格闘戦を想定して向上させつつ、鎖にも魔力線を通し、簡易的な魔術回路として作動させる。

 飾りに使用しているラピスラズリも硬度を上昇させ、見た目に派手な突起や刃こそ無いものの、純粋な鈍器として破格な性能を発揮できるように、衝撃増加、対物重量増加――攻撃した対象にのみ、重量が増加して打撃を伝える――の魔術加工を施す。

 それでいて、全体重量は約20%減少。

 魔術を重ね掛けする限界にはまだ余裕があるが、今無理に術式を埋める必要もない。

 必要に応じて、その都度付加するのも良いだろう。

 目を閉じているのに、目の前がグラつく感覚。脳内の映像が乱れたのを感じ、オリヤは急いで加工を終了させる。

 魂云々の前に、意外とサリアに殴られたダメージが尾を引いている。

 取り敢えず出来上がったから、今日は早めに休もう。

 オリヤはそう決めると目を開け、アイテムボックスから短杖――2節短杖を取り出すと、サリアに手渡す。

「わあ! 凄い、イメージ通り! ありがとう、オリヤ!」

 瞳をキラキラと輝かせて受け取るサリアが、杖を両手に持ってくるくると踊るのを眺めながら、オリヤは思う。

 なるほど。

 

 命を脅かす攻撃を受けた後、碌な回復もしないで魂を使うと、意識が飛ぶのね。

 

 暗転する室内がぐるりと廻る様子をぼんやりと眺めながら、オリヤは安らかに意識を手放していた。

 

 

 

 寝ぼけ眼で鈍痛の走るこめかみを押さえて、触った途端に走る激痛に跳ね起きる。

 見回せば、見慣れつつ有る自室だ。

 記憶を辿り、大皿ポテト三昧辺りで空腹を覚え、続く記憶を辿りながら手早く着替えを済ませ、キッチンへと向かう。

「頭痛で目を覚ますとか……二日酔い気分だよ」

 無論、頭痛の正体はアルコールではなくテンプルヒットなのだが、元を辿れば自業自得な辺り、二日酔いと大差あるまい。

 しかし、妙に拍子抜けに思い、その理由に思いを向ける。

 てっきり、また呼び出されてお説教コースだと思ったのだが。

 あまりに続く痛みに、よもや骨折かと自作の自己診断(セルフ・アナライズ)でチェックしてみるが、ただの酷い打撲である。

 重症と言えば重症だが、すわ骨折かと色めきかけた自分を恥じ、一人赤面する。周りに誰も居なくて良かった。

 だがしかし、痛いものは痛いし、軽傷では無いからこんなに痛いんだろうと思い直すと、やはり自作の回復(ヒール)で何事もなかったように打撲を治療する。

 元々一人旅を前提に「色々と」準備していたのだ。

 回復系は思いつく限り揃えてある。

 冷蔵庫の前で朝食のメニューを考えながら、そう言えばポーション系は創っていないと思い至る。

 自分で使わなくても、誰かに使うかもしれないと思えば創っておくべきだったかもしれない。

 今後は仲間もできた事だし、余計に必要になるだろう。

「よう、おはようさん」

 声に気づき、振り返るより早く、頭をくしゃくしゃと撫で回される。

「おはよ、やめてよちょっと」

 律儀に挨拶を先に返しながら、鬱陶しげに撫で回す手を跳ね除ける。

 振り返れば、ノータイにカッターシャツの魔王様がヘラヘラと笑っている。

「いやー、身長(タッパ)も低いし、お前ホントに15か? 12くらいじゃねーの?」

 わははと笑いながら、ぽんぽんとオリヤの頭を叩き、当たり前のようにテーブルに付く。

「子供扱いは良いけど、15だからね。この世界では成人だよ、成人」

 ムッとした顔でトシロウの様子を眺め、抗議してみるが、案の定全く通用していない。

「朝メシは何だ?」

「……なんでウチの大人は、自分で作ろうって気概が無いんですかね?」

 冷蔵庫に向き直り、中から卵を5つ取り出すとキッチンに並べ、皿を同じく5枚用意する。

 トシロウの隣に、当たり前のようにミィキィさんが腰掛けている。

 ……このメイドさんは、せめて手伝うとかしてくれないのだろうか。

「いやあ、働き者のオリヤくんが居てくれて助かるぜ」

 全く1つも悪びれること無く、トシロウの笑顔はいっそ晴れやかである。

「朝食後、私の武器も創ってください」

 メイドさんは昨夜武器を手に入れそびれて、少し焦り気味のようだ。

 そう思うなら、ちょっとは手伝ってほしいと思う所存であるが、伝わっては居ない様子である。

「おはよう、オリヤ。みんな起きてたのね」

 パタパタと、スリッパを鳴らしながらサリアがキッチンに駆け込んでくる。

「オリヤ、大丈夫? 昨日倒れちゃって、心配したんだから」

 サリア姉さんは言葉通り、心配そうにオリヤに駆け寄ってくる。

 だが、倒れた理由は姉さんの右フックです。

 原因はオリヤ自身ではあるが。

 そんな事を考えなら、オリヤはフライパンを温める。

「うん、大丈夫だよ。朝ご飯は、目玉焼きでいいかな?」

 フライパンの様子を確かめながら、何気なく言う。

 そんなオリヤの隣に立つと、サリアは覗き込むようにして問いかける。

「ごめんね、ありがとう。何か手伝えること、有るかな?」

 オリヤは、不意にこみ上げる涙をぐっと堪える。

 まさか此処に来て、まともな大人に出会えるとは。

 サリア姉さんの常識人力に感動すら覚える。

 怒らせると右フック、いや、今や近接打撃武器持ってるんだけど。

「おあよー、オリヤ、あさごはんなーにー?」

 感動と恐怖を同時に噛み締める背中に掛かる酷く気だるげな声に、オリヤは振り返りながらがっかりする。

 服こそきちんと着ているが、微妙に寝癖が残った眠気眼が、キッチンの入口で枕を抱えて立っていた。

 髪の色こそ違えど、顔の造作は同じなのに……。

 まるで印象が違う。

「こら、アルメア! あなた、髪ちゃんと整ってないじゃない! それに何、その枕!」

 アルメアの姿に、堪らず駆け寄るサリア。

 妹の手を引いて、パタパタと部屋へと戻って行く。

「お母さんだ」

「おかんだな」

「お母さんです」

 キッチンに残された3人は当然の様に、口を揃えて同じ感想を述べるのだった。

 

 幸い、目玉焼きは綺麗に出来た。

 実の処、不安しか無かったのであるが、結果オーライという奴である。

 カリッと焼き上げたベーコンを添え、サラダを作るのが面倒になったオリヤは各皿にトマトを切り分ける。

「バターは各自で塗ってね」

 そう言いながら自家製バターを収めた容器をテーブルに載せ、それぞれの前に目玉焼きの載った皿を並べていく。

 配膳には、手のかかる妹の面倒を見終わったお姉さんが手伝ってくれた。

 そして、焼きたてのトーストを載せた皿も配り終わり、その頃には面倒くさくなったオリヤが創造力でスープを作り上げて、全員の朝食の準備が整う。

 

「いただきます!」

 期せずして4人の声が揃い、それにやや遅れて控えめな「いただきます」の声が続く。

 そこからは、朝からにぎやかな朝食の時間だ。

「本当にやわらけェ……久々だぜ、こんなパン」

 同じ輸出組の先輩であるトシロウが、冗談抜きに涙混じりの声を上げ、オリヤは軽く引く。

「ええぇ……。あれ、他の街でこんなパンって無いの?」

 トーストをちぎりながら、引き気味に尋ねる。

「無ェこたねェけど、ここまでってのは初めてかもな」

 トシロウが大げさに鼻をすすりながら答える。

「私はこんなパン、初めてだったよ。酷いところだと石だもんね、まるで」

 アルメアが思いの外丁寧にトーストにバターを塗りながら、嬉しそうに答える。

 石みたいって何だ? と思うが、うまく想像出来ない。

 オリヤが来たばかりの頃に体験したパン食は確かに歯ごたえの有るものだったが、流石に石のようだと感じたことはない。

 アルメア姉さん、ホントに石食わされたんじゃないだろうか。

 この人なら、ホントにバター醤油で炒めたら石でも食いそうだ。

「地方によって微妙に製法に差が出ますからね。硬めを好むというか、元々そういうものだと思えば気にならないのでしょうね」

 楚々とした動作でナイフとフォークを操り、目玉焼きを蹂躙しながらメイドが感想を述べる。

 この人はホント、佇まいだけは理想のメイドなんだけどなァ……。

「トーストも良いけど、あの、バターロール? も、温めたら美味しそうだよね」

 そんな何処かしっかりして欲しい大人たちの中で、サリア姉さんの感想には「貴女は天使ですね」以外の感想が出てこない。

 なにそのかわいい感想。

 聞き様によっては目の前のトーストの存在を無視した暴言であるが、純粋に食べたいのだろう。

 早速叶えたい所だが、それをやると妹さんが活性化する。

 どうせデザートと称したおやつを強請られるに決まっているのだ、此処はトーストで我慢していただこう。

「そうだねぇ」

 だから、笑顔で頷いて誤魔化す。

 ちなみに、アルメア姉さんはトーストを4枚、サリア姉さんも幸せそうに4枚平らげていた。

 

「さて、武器です、オリヤさん」

 デザートのアイスクリームを突きながら、ミィキィが満を持して声を上げる。

 ですよねぇ、オリヤは観念したように椅子に座り直すと、改めてミィキィを、そのステータスを見る。

 筋力・敏捷・知性が高く、オリヤはなんだか納得できる様な釈然としない様な、居心地の悪い気分を味わう。

 考えて見れば、この自分でさえ知能は高いことになっているのだ。

 ステータスの数字って、案外当てにならないかもしれない。

 さり気なく酷いことを考えながら、オリヤは構想を練る。

「ミキ姉さんは、どんな武器が良いの?」

 本人の嗜好を確認するのは基本。

 見た目と昨日の様子から、ダガー、それも短めの方が良いかと当たりを付けているが、何事も聞いてみなければ判らない。

 回復役(ヒーラー)だとばかり思っていたら、近接戦闘志望の人とかも居たのだ。

 油断は禁物である。

「これが、今の私の武器なのですが」

 少し構造が気になるスカートのスリットからダガーナイフを1本抜き出し、オリヤに手渡す。

 ミキさんの御御足に括り付けられていたのか少し暖かく、ダガーにドキドキするという珍事が発生しつつも、オリヤは検分を始める。

「これを強化する方向で? それとも、新しいのが欲しいのかな」

 刃渡りで言えば30センチ程度、こんなのが、あのロングスカートの下にあったのか。

 なんとも羨ま……けしから……危ない真似をするものだ。

 いや、流石に抜き身に近い状態で括り付けはしないだろう。

 ホルスターくらいは有るだろう。

 今はたまたま、椅子に座ってる格好だから足に沿って密着状態であっただけだろう。

「出来れば、新規で2振り欲しいのです。出来れば……オリヤさん?」

 考え込むオリヤの目に不審な何かを感じたらしい、ミィキィの瞳が咎めるように変わる。

「あ、ああ、何でも無いっす。2振り、長さは同じで?」

 疚しさを隠すつもりで、オリヤはふいと視線を反らす。

 若いな。

 トシロウはニヤニヤとその様子を眺め、エルフ姉妹はなんとも言えない微妙な微笑ましさで見守る。

「いえ。出来れば、もう少しで良いので、長めの物を」

 長めの……。

 オリヤはふと、トシロウに顔を向ける。

「あ? あんだよ?」

 向けられた方は口調はぞんざいだが、表情も面倒くさそうに答える。

「いや、あのね。思い付いたんだけど」

 そんなトシロウの心温まる対応を無視しながら、オリヤは続ける。

「脇差とか、どうかな?」

 オリヤの提案に、トシロウは顎に手を添える。

「小太刀……だと長いか?」

「刃渡りだけで倍近くなるよ? 脇差だったら、だいたい40センチくらいでしょ」

 オリヤが両手を広げて、「これくらい」と言いながら、トシロウの言う小太刀の長さを示す。

「んー……どうせ、違ったところで再利用出来るんだろ? 試しに創って見せたらどうだ?」

 創るのはオリヤだからと、魔王様は気軽である。

 その再利用がなんか悔しいから、出来れば一回で決めたいんじゃんよ。

「鍔は小さめで、とか思うんだけど」

 せめてディティールの大まかな所だけでも、決めてしまいたい。

 ふと見ると、オリヤは兎も角、トシロウが自分の武器について意見をくれるのか、期待した眼差しのメイドさんが居る。

 ほらあ、メイドさんが期待してるんだから、ちったあアイディア出せよ魔王さんよぉ。

 口に出さないように注意しながら、オリヤはそんな事を考える。

「あー、なるほどな。鍔は小ぶりで、鞘の色は、無難に黒か? ……ミキ、お前さんの好きな色、紫だっけか?」

 トシロウはオリヤの提案を受け、思考を進める。

 その中で、ふと思い立ち、魔王はメイドに声を掛ける。

「え、あ、あの、はい。私は紫色が大好きです」

 魔王様が、覚えていてくれた。

 以前、何気ない会話の中で伝えた、好きな色の事。

 それだけの事だが、ミィキィは嬉しさに顔を綻ばせる。

 花の咲くような笑顔に、オリヤは素直に見惚れてしまう。

「じゃあ、オリヤ。この紋章を……おい」

 トシロウがハンカチを取り出し、手渡そうとしてオリヤの様子に気づき、呆れ顔になる。

「はい? え、なに?」

 オリヤは(オリヤ的には)急に話を振られ、慌ててトシロウの方を見る。

「あのな……まあ良い。この紋章を、鞘にいい感じで入れてくれ。色は紫、明るめのほうが好きだそうだ」

 オリヤの目の前にハンカチを、そこに刺繍された紋章を突きつける。

 象形文字のような紋章は、有る種のゲームで見たような気もする。

 思い出せないが、オリヤはその紋章を記憶し、脳内で転写する。

「あ、ミキさん、なんか欲しい機能とかある?」

 自分の武器に、魔王様の紋章を、自分の好きな色での使用を許された。

 それだけで天に昇ろうかというミィキィは、オリヤの質問に「お任せします」と答え、恍惚の相を浮かべている。

 幸せそうで結構だなあ、と、オリヤは任されることにして、作業を開始する。

 ミスリルの比率を多めにしつつ、昨日創っていた金と鉄を混ぜる。

 思いの外硬度を増した事と、金を混ぜたら何故か鮮やかな蒼に染まるインゴットに一人で驚嘆しつつ、刀身を創り上げていく。

 特殊な機能は無し。トシロウのグローブと同じ機能を付けるのも有りだが、使いこなしにセンスが必要となる。

 要望があれば追加できる様にしつつ、魔術触媒化もしておく。

 どちらかと言えば後々の拡張性のための下地で、ミィキィの魔術師としての資質の有無はこの際関係ない。

 脇差を2本、キッチリと作り上げると、鍔元に紋章を魔術線で刻み、同じ様に鞘にも紋章を刻む。

 ちなみに、漆はなかった為、黒は適当な染料を使用している。

 最後に、鞘を含めて全体を硬化させ、かつ、柄に適度なショック吸収機能を持たせ、完成である。

 さり気なく、シックな金色の小さめの鍔には魔王様の紋章をあしらい、下げ緒は少しだけ暗めな紫。

 そう言えば、髪も紫がかってるなあ、などと、あんまり関係のないことを考えながら、オリヤは2振りの脇差を取り出し、ミィキィに差し出す。

 

 その武器は、ミィキィにとって見慣れない物だった。

 反りのある、シルエット。

 鞘は漆黒で、紫の下げ緒と、やや明るい紫色の魔王様の紋章が浮かび上がっている。

 同じ物が2振り。

 逸る気持ちを抑えて、ゆっくりと刃を抜き放つ。

 そして、ミィキィはその刃の美しさに言葉を失う。

 光を放つかのような、鮮烈な青い刀身。

 浮かぶ刃紋は不規則では有るが美しく、優美にその刃を飾る。

 そして、鍔元にも浮かび上がる紋章。

 柄の、手に吸い付くような心地を確かめ、静かに心が高揚するのを感じる。

 2振りとも確認し、鞘に収めると、ミィキィは抱きしめるように抱える。

「ありがとうございます。大事に使いますね」

 ミィキィの笑顔が眩しすぎて、オリヤはドギマギと目を逸らす。

 女に慣れてないのか、コイツは。

 トシロウはニヤニヤと、エルフ姉妹も微笑ましい面持ちでオリヤを眺める。

「ミキ、その武器は腰に下げたほうが良いな。今までの獲物よりも長ェし」

「はいっ!」

 こうして見ると、純粋に魔王様が好きなんだなあ。

 オリヤはオリヤで微笑ましい想いを抱きながら、ミィキィを眺める。

 こんな人が、昨日は殺気剥き出しで喉元に刃を突きつけてきたんだよなあ。

 怖ぇ。

 のんびりと微笑みながら、オリヤはちょっとだけ身を震わせる。

 怒らせないように気をつけよう。

 いそいそと腰の左右に脇差を吊るす様子を眺めながら、密かに心を決めるのだった。

 

 

 

 デザートのアイスを平らげ、身嗜みを整え、一行はディヤクーフ近くの草原に出現した。

 最後にオリヤが扉を閉めると、扉は空間に溶け込むように消え去る。

「あ、そう言えば」

 オリヤは懐に手を入れ、見た目を誤魔化しつつアイテムボックスからブレスレットを4つ取り出す。

 此処に居るメンバーはオリヤの能力を知っているが、念の為だ。

 何処でボロが出るか分からないから、習慣づけておくのだ。

「これ、昨日魔王様に頼まれてた『鍵』だよ」

 言いながら、それぞれに手渡していく。

 これで、それぞれが好きなタイミングで移動拠点(シェルター)に戻れる。

「おお、なんだ、結局創ってたのか」

「アンタね……」

 トシロウが能天気に笑うのを、オリヤは苦々しく見つめる。

 アンタが言い出したんでしょうが。

「これ……それぞれが同時に戻ろうとしたら、どうなるの?」

 アルメアが、ブレスレットを右手首に付けながら、不思議そうな顔で問う。

 左手首に付けながら、サリアも興味深そうに顔を上げる。

「大丈夫、現状で言えば、最大5つ、同時に扉を出せるよ」

 オリヤがのほほんと言い放てば、受けた方は顔を見合わせ、それぞれが何となく別々の方向に手を翳す。

「……呪文とか、何か要るのか?」

 翳したものの、どう使うのかピンと来てない魔王様が疑問顔をオリヤに向ける。

「イメージで大丈夫だけど、なんか適当な掛け声があれば、出現タイミングの制御はしやすいかも?」

 説得力のない表情で、オリヤはいい加減に答える。

 ブレスレットそれ自体が鍵であり、使用はイメージするだけで問題ない、そういう風に創っているが、掛け声が有っても問題はない。

 再び4人は何となく顔を見合わせ、手持ち無沙汰な翳した手に力を入れ直すと、それぞれに好き勝手な掛け声を掛けていく。

「扉よ」

「ドア!」

「開いとけ」

「お出でませ」

 実に纏まりのない掛け声の先に、それぞれの扉が出現する。

「アルメア姉さん……ドア! って……」

「何よぉ! 良いでしょ、別に!」

 ニヤニヤ顔のオリヤに噛みつきながら、アルメアはドアを開き、中を確認する。

 同じ様にそれぞれもドアを開く。

「行く先は同じだよ。同時に駆け込んでも、ぶつからないように『安全空間』も完備。うん、流石俺だね」

 ちゃんと機能することと、即座に湧いた疑問にすぐに与えられる返答に感心しつつ、オリヤの自賛には無視を返す。

 4人はそれぞれ出入りを数度繰り返し、扉を閉めるか念ずれば扉が消えることを確認し、改めてブレスレットを眺める。

「結局形にしたんだね」

 サリアがポツリと漏らすと、オリヤは得意げな表情から一転、少しバツが悪そうに頭を掻く。

「うん、いい方法が思いつかなくて……」

 魔王様には魔力鍵化しろと勧められた。

 だが隷属の環を想起してしまい、勝手に人様に魔力回路を書き加える、或いはそれに近しい行為は気が咎める。

 その辺りの事情を知らない魔王様は相変わらずの呆れ顔だが、その辺の思惑を伝えるには、エルフ姉妹と出会った経緯の説明もしなければならない。

 その辺りは非常にセンシティヴな話題になるので、事前にエルフ姉妹と話し合っておかねばならないだろう。

 それはさておき。

「いやまあ、良いんじゃねェの? なんだかんだ言って、拠点(アレ)の大家はボウズだ。大家が決めた鍵を変えたいなら」

 トシロウは不敵に笑うと、徐にブレスレットを外し、握りつぶすようにそれを砕く。

 突然の行動に、オリヤ以外は言葉もなく、オリヤは呆れの混じった溜息を吐き出す。

「……なぁんで、説明してない事に気づいちゃうのかな」

 苦々しげなオリヤの口調に、トシロウは上機嫌にふんぞり返って応える。

「解析した」

 自信満々に言い放ち、魔王は腕を振るうとドアを現出させる。

「イメージさえ出来れば、掛け声もいらねえんだな。便利便利」

 理解が追いついていない鬼人とエルフ姉妹はぽかんと、その様子を眺めているしかない。

 ブレスレットはワザとある程度の硬質化をさせ、脆さを付与してあった。

 それは、本人の意思で――具体的には、魔力で包み込むように握り込み、握りつぶす事により――破壊すると、「拠点空間(シェルター)」への鍵が魔力鍵化し、本人の魔力回路に書き加えられる、という面倒臭い仕様のためだ。

 本来はもっと後で、その性質上壊れやすい事に疑問を持った誰かに質問されてから説明するつもりだった。

 便利に使って、それになれた頃なら、魔力回路への書き込みに対する抵抗も少なくなるかもしれない、と。

 だが、オリヤの鑑定と同等以上の能力を持っていたらしい魔王様は、あっさりと仕様を看破。

 事も無げに腕輪を砕き、魔力回路に取り込んでしまった。

「思い切りが良いと言うか……抵抗とかは無いのかよ」

 なんだか、色々考え込んだことがバカバカしく思えてきた。

「ちゃんと解析して、害が無いことを確認してるよ。行き当りばったりで行動するほど間抜けじゃねえさ」

 自信満々な魔王様だが、オリヤとミィキィは、特に後半部分に疑わしげな面持ちである。

 とても行き当りばったりで行動する人にしか見えないんだけど、そうか、違うのかぁ。

 とても胡散臭い眼差しを魔王様に向けるオリヤは右袖を引かれ、振り返る。

「あの、ごめんね、どういう事か説明が欲しいんだけど……」

 そこでは、トシロウの行動の意味を理解しかねるサリアが、困惑の表情でそこに居た。

 

 比較的簡単にオリヤが説明し、トシロウが補足を入れて、残りの3人は手元のブレスレットを眺める。

「つまり、これに魔力を流しながら握りつぶせば、私の魔力回路に追加されるの……?」

 アルメアは外したブレスレットをしげしげと眺める。

 その隣で、サリアは難し顔で考え込んでいる。

「魔力を流す、ですか。あまり得手では無いですが、問題は無いのでしょうか?」

 便利になる、位にしか考えていないミィキィは深く悩みもせず、むしろ方法の方にハードルを感じているようだ。

 まあ、このメイドさんは気にしないだろうし、問題もないだろう。

 単純に「拠点空間(シェルター)」への出入りが楽になるだけのモノで、人体にも魔力回路にも影響を与えない、そういう風に作っている。

 いるのだが、サリアやアルメアはやはり抵抗があるのだろう。

 さもありなん、オリヤは考える。

 あり方も干渉方法も違うが、隷属の環を連想しない訳は無いだろう。

 だから、無理に魔力回路に書き加える(そんなこと)なんてしなくても、ブレスレットのままで使えるんだよ、壊れたらいつでも同じの作り直せるよ。

 そう伝えようと口を開きかけたその時。

 軽やかな破砕音が、サリアの手の中で響く。

 続いて、アルメアも迷いなくブレスレットを握り潰す。

 むしろ、アルメアは何処か誇らしげである。

「ドアァ!」

 その表情のまま右手を翳すと、空間にドアが現れる。

 掛け声が変わらない辺り、お気に入りの様子である。

「うん、無くす心配もなくて、何より便利! オリヤ、ありがとね!」

 実にイイ表情で言われては、あっけにとられていたオリヤも複雑な表情を浮かべるしか無い。

 妹と同じ様に、しかし掛け声無しでドアを出し入れ――実に不思議な表現だが――したサリアも、どこかスッキリした顔をオリヤに向ける。

 その隣で難しい顔を浮かべ、魔力を流そうと苦戦しているメイドさんを眺め、そしてトシロウに視線を巡らせて。

 自分の心配が、ただの杞憂だったと知り、思わず天を仰ぐオリヤは気づかなかった。

 

 サリアが、オリヤの「気遣い」に、きちんと気が付いている事に。

 

 

 

 冒険者ギルドは、今日もそこそこの賑わいだ。

 戦士は併設の食堂のテーブルに陣取りながら、入り口を眺める。

「なんだ、アロイスじゃねえか。まだ早えってのに、珍しいな?」

 その背中に声を掛けられ、戦士――アロイスは振り返る。

「ああ、ちょっと人を待っててな。昼でも奢ってやろうかってな」

 なにせ、もっと時間がかかると思っていた遠征探索からあっさり帰還できたどころか、下手をすると帰り道で死にかけていた所を救われてもいるのだ。

 2食程の恩義も有る。

 街の中に入らず外で過ごしたのは、路銀が無かったのか、或いは別の理由か定かではないが、もし前者だとすれば水臭い事だ。

 昨日はクエストの報告に気を取られてうっかり失念していた部分もあるが、今日は落ち着いているし、報酬で懐も暖かい。

 昼1食位なら、奢らせてもらいたい、そう思い待っているのだ。

「へぇ、なんだ、いい女か?」

 口髭の戦士の興味深そうな質問に、アロイスは笑って、口を開きかけるが。

「すこぶる付きのいい女だったぜ? だけど辞めときな、男付きだ」

 その口髭戦士の肩を叩き、軽薄そうな笑顔の盗賊が応える。

「それにアレは、見た目の割に食費がかかるぞ? お勧め出来んな」

 その盗賊の後ろから、ドワーフの重戦士がのっそりと姿を表す。

「あん? やたら食ういい女? なんだそりゃ、魔獣かなんかの話か?」

 口髭戦士の感想に、3人はしばし顔を見合わせ、そして笑い出す。

「魔獣か! おとなしい顔して3人前は食ってたからな、ある意味魔獣かもな!」

 盗賊、ケーレが可笑しそうに笑うと、重戦士ルブランも笑いながら頷く。

「3人前食うイイ女ぁ? 悪い、想像つかん」

 口髭の戦士は肩を竦めると、やってきた魔術師と挨拶を交わし、入れ替わるように立ち去る。

「なんだ、クレイオスも来たのか。義理堅い事だ」

 上機嫌のルブランが魔術師を茶化すように笑うと、魔術師もおどけるように肩をすくめて答える。

「まさか、みんなより遅くなるなんて思わなかったけどね」

 正直、ルブランとケーレが来ているとは思わなかった。

 今日、此処に集まるなんて決めていないし、そもそも、「彼ら」が此処にいつ頃現れるか、今日来るのかすら判らない。

 だと言うのに、彼らは示し合わせるかのように、この時間に集まった。

 ウェイターに適当な飲み物を頼みながらそれぞれ席に陣取り、そしてアロイスがそうしているように、入り口を注視する。

 

 待ち人は、彼らが考えるより早くギルドの扉を押し開けた。




やっと次の街の冒険者ギルドに到着。

あと、話し出てこなくて時間かかってごめんなさい;


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称号(タイトル)これから募集中なの

冒険者ギルドって、どんなところなんだろう?
なんか、冒険者が常に酒飲んでそう(偏見)。


 ディアクーフ冒険者ギルド。

 思い思いの装備を纏い、剣を差し、或いは佩き、クエストボード前に屯し、それぞれの仕事を探し、仲間と談笑し、或いは共に行く仲間を探している。

 目に映る人々は皆覇気に富み、それぞれの道を征く冒険者なのだとその評定が語っていた。

 大河の街のギルドハウスに勝る活気に、オリヤは知らず笑みが零れる。

 いいねぇ、これだよコレ!

 続くエルフの姉妹は人の多さに当てられたのか、落ち着き無く建屋の中に視線を走らせている。

「やれやれ、ギルドは何処も喧しいな」

 最後尾につく長身の魔王はオリヤと同じく楽しそうに、泰然と歩を進める。

 その魔王の隣では、周囲に全く興味なさそうなメイドさんが付き従っていた。

 魔王さまとメイドさんの組み合わせが在るだけで、とたんに纏まりの無い集団に見える。

 世界観無視な服装と相まって、目立つ事この上ない。

 しかしオリヤは全く気にせず、建物奥のカウンターへ向かう。

 目的は、都合4人の冒険者登録だ。

 カウンターで要件を伝え、それぞれが登録申請書類に記入し、それを受け取ったカウンターのお姉さんが、不意に動きを止めた。

「トシロウ・オカザキ……?」

 ……魔王さんよ、あんた何書いたんだ?

 お待ち下さい、って言ったかと思ったら、受付のお姉さんが、ダッシュで奥に消えて行った。

「なんだぁ……?」

 カウンターの様子を眺めていた冒険者が、オリヤの内心を代弁してくれたが、それで何かが解る訳でも無い。

 仕方なく待つオリヤ達を5分程待たせて、お姉さんはやはりダッシュで戻ってきた。

 

「はぁ?」

 

 そのお姉さんの、息を切らせた言葉に。

 オリヤも面食らうしかなかった。

 

 

 

 思った以上に殺風景と言うか、装飾とかそういうの全然無いのな。

 通された別室で視線をウロウロと走らせながら、オリヤは益体もない事を考える。

 何しろ、今の彼は完全についでの存在、たまたま同行していただけだからだ。

「よォ、随分と慌てた様子じゃ無ェか。何かあったのか?」

 トシロウが硬いソファにふんぞり返りながら、楽しそうに口を開く。

 そう、オリヤはこの魔王と同行していたが故にギルマス部屋(こんなところ)に連れ込まれているのだ。

 直属の部下? であるミィキィ以外の3人は、完全に巻き込まれた格好である。

「魔王が冒険者登録しようってんだ、慌てもするだろうが」

 不機嫌な表情を隠そうともせずに、ギルドマスター、ウトクと名乗った男は腕組みで答える。

「んで? なんだってお前が冒険者に?」

 不審げだが恐れや不信感とは別種のその視線は、魔王と言う存在より、トシロウという男をよく知る、そんな色合いだ。

 何を企んでいる、と警戒しているのではなく。

 何を仕出かすつもりだ、と。呆れているかの様な。

「ヒマだから」

「……」

 揺るぎなく、まっすぐに答える言葉に、荒くれを取り仕切る冒険者ギルドのマスターと言えど憮然と閉口するしか無い。

 対する魔王は悪びれもせず、ニヤニヤと笑みを絶やさない。

「頼むから暇を持て余しててくれよ……。魔王が忙しい時なんざ、大体碌なことが無いんだよ」

 苦々しげに言うが、そんな言葉で考え直すほど、目の前の魔王(おとこ)が殊勝だなどとは思っては居ない。

「魔王なんつっても、せいぜい俺の自称だしな。部下が居る訳でも無ェ。せいぜいが称号(タイトル)止まりだろ」

 そう言ってせせら笑う。

 だが、この室内に居る誰も、釣られて笑うような事はない。

 誰もが、その「自称」が過剰で有ると考えていない――オリヤは単にピンと来ないだけだ――からだ。

 て言うか、アンタ自分で魔王になりたいって言ったんだろ?

 そう思うが、それが通じるのが恐らく自分と魔王さまだけなので、黙っているというのも有る。

「ただの自称で、魔王殺しをやってのける馬鹿は居ねえよ」

 うんざりした様に吐き捨てると、ウトクはタバコを取り出すと咥え、火を点ける。

 そう。

 単に魔王を名乗るだけでなく、別の魔王を。

 それこそ、人を滅ぼしかねない魔王を実際に殺害し、その実力をすでに示しているのだ。

 50年前の話とは言え、現在もその名は色褪せては居ない。

 ある者は尊敬の対象として。

 ある者は超えるべき壁として。

 その他様々な感情を胸に、その名――魔王殺しの魔王、岡崎斗志郎(トシロウ・オカザキ)――を刻んでいる。

「ま、単なる気紛れでは有るんだが。コイツの目付って意味も有ってな」

 そう言うと、トシロウは手首を返すような動作で親指を立て、隣のオリヤを指し示す。

 思いがけない言い草に、さしものオリヤもとっさには反応できない。

 故に、ウトクに先制を許してしまった。

「目付? この坊主の?」

 値踏みするような眼差しに居心地の悪さを感じつつ、オリヤは一応、反応を返す。

「坊主って、一応15で、成人してるんだけど……」

「はぁ⁉」

 ささやかでどうでもいい反論に、ウトクは大げさに驚いてみせる。

 そんなに意外なのか。オリヤは懐からギルドカードを取り出すと、つい、と、ウトクに差し出す。

「え、あ、お前、見習いの荷物持ちとかじゃないのか……はぁ⁉ レベル38⁉」

 カードを受け取り、内容に驚愕し、もう一度オリヤに目を向ける。

 15歳、剣士。レベル38。

 言われてみればなるほど、たしかに剣を持っている。

 やけに細い……細剣(レイピア)にしては、反りが妙に思える。

 反りが有ると言えば一般的なのはシミターだが、ウトクの知るシミター(ソレ)とは身幅が違いすぎる。

 武器も異質だが、何より気になるのは。

 思わずマジマジとオリヤの顔を眺め、オリヤの居心地の悪さを助長しながら顎を右手で擦る。

 それにしても、こんな、まだ子供(ガキ)にしか見えない男がレベル38。

 上級レベルと言っても遜色ない。のだが、見た目では何度見ても、とてもそんな強者には見えない。

「荷物持ち……ある意味そうだけど……」

 驚かれた方は、どこか遠くを見るような目で韜晦する。

 移動拠点(シェルター)は非常に便利な荷物入れだ。そう言う意味でなら、何も間違っていない。

 思い至ってしまえば、自分は便利な荷物持ちだ。目線も遠くを彷徨うというものである。

 しかし、隣の魔王は軽く笑うと、口を開く。

「単なる荷物持ちなんかじゃねえよ。コイツは、まあ、アレだ。魔王見習いだ」

 既に驚き疲れているウトクと、投げやりに思考を遊ばせているオリヤを始め、室内の誰もが一度はトシロウの言葉を聞き流す。

「えっ」

 おやつの時間がそろそろかな、そんな事を考えていたアルメアが、どうでもいい思考を放棄して、しかしどう言って良いのか分からない感情そのままの表情でオリヤを見やる。

 同じく驚きを覚えつつも、しかし何処か納得顔のサリアも静かにオリヤに目を向ける。

 エルフ姉妹の見つめる先では、二人よりもはっきりと驚愕の相を浮かべたオリヤがトシロウを見つめていた。

「何言ってんの、このオッサン⁉」

 驚きすぎて思ったことを素直に口に出し、早速魔王印のアイアンクローを食らっている。

「……なあ、おい。この小僧が……魔王見習いだって?」

 自分で口にして、それでも尚、信じられない思いでトシロウに言葉を向ける。

「あ、俺の後継者とか、そういう意味じゃ無ェぞ? 俺はまだまだ現役だぜ」

 その視線を受けて、ニヤリと一層不敵に笑みを深める。

「……余計に厄介じゃねえか。単純に魔王がもう一匹増えるとか、悪夢かよ」

 ウトクはがっくりと肩を落とし、オリヤはやっぱり、どうでも良い事を考える。

 魔王って、匹で数えるもんなのか。

 てっきり(はしら)とか、そうもんだと思ってたんだけど。

「俺が引退なんざ有り得無ェよ。ほれほれ、人間。絶望しろ」

 ぎゃははと笑いながら、魔王は不穏なことを言う。

「え。オリヤがこんなのになったらヤなんだけど」

 成り行きを見守っていたアルメアだが、耐えきれず口を挟む。

 ひどい言い草だが、サリアも同意せざるを得ない。

 見れば、ミィキィすらもうんうんと頷いている始末だ。

「……お嬢さんがた、酷くね?」

「いや、正しい反応だろうが」

 流石にショックを隠し入れない魔王の嘆きに、ギルドマスターは然りげ無いトドメを添える。

 その魔王が何か言い返してやろうと口を開きかけた所で、ドアをノックする音が控えめに響く。

 実に良いタイミングだ。

 もっと早くても遅くても、この姦しいメンバーが騒いでいる中では気付かれなかった恐れがある。

 ……実は少し前からノックされていた疑いも有るのだが、室内の全員が敢えてその可能性を無視した。

「おう。入って良いぞ」

 軽く咳払いしてから、ウトクがノックに応える。

 丁寧に答えてから入室してきたのは、ギルド職員であろう女性だ。

 手に小さな盆を持ち、静かにギルドマスターに歩み寄ると、盆を手渡し、一礼して部屋を出ていく。

「おう、さすがはウチの職員だ、仕事が早いね。お前らのギルドカードが出来たぞ」

 盆から一枚カードを取り上げ、ひょいひょいとそれを振ると、トシロウに向けて差し出す。

 あれ?

 オリヤはそのカードに違和感を覚え、すぐにその違和感の正体に気付いた。

 カードの色が違う。

「……おい。なんで上級カード(きんいろ)なんだよ。実績なんざ何も無ェぞ」

 トシロウの手元のカードを眺めて、オリヤは自分の銅色のカードを眺める。

 確か、ギルドカードの色である程度クラスが判る。

 D・E・Fランクは赤銅色、B・Cランクが銀色、そして。

「え。なんで魔王さまはAランクスタートなの。収賄?」

「人聞きの(わり)ィ事言ってんじゃ無ェ。つーか俺が聞きてェよ」

 オリヤの言い様に、流石にバツの悪い面持ちでトシロウが反発する。

 トシロウ自身がFランクスタートのつもりだったので、何故こうなってるのか意味が判らない。

「つーか。そもそもAランク自体が、絶対数が少ないんじゃ無かったのか。なんだAランクスタートって。聞いたこと無ェぞ」

 Aランク。

 黄金色のギルドカードは最高位冒険者の証。

 冒険者達の、ひとつの到達点だ。

 当然其処に至る道は険しく、易々と手にすることの出来るものでは無い。

 そのはずの代物が、トシロウの手元でささやかに輝いている。

 答えるのは、街の冒険者を束ねる長の声だ。

「なんで、じゃねえよ。お前、もっと自分の名前のデカさに気付けよ」

 口調とは裏腹に、諦めと呆れの混じった表情でウトクは続けて口を開く。

「各都市の冒険者ギルドで決まってたんだよ。魔王格の連中が何かの気紛れで登録に来たら、即Aランク(きんいろ)ってな。で、実際に来そうな代表格がお前だ」

 やれやれと、わざとらしく溜息を吐きながら説明を続けてくれる。

 曰く、魔王を名乗る中でも目立つ幾人かは風体画と名前が各冒険者ギルドで共有されており、訪れた場合は各ギルドマスターが対応の上Aランクカードを与え、大人しく出ていってもらう方針なのだと言う。

「何だそりゃ。小遣い貰うガキじゃ無ェんだ、そんな投げ遣りな対応が有るかよ」

 実際に対応されている魔王は面白くも無さそうに口をへの字に曲げるが、眺めているオリヤはその適切で適当な対応に、なんだかニヤけてしまう。

 自分は普通扱いで良かったと、心底感謝した。

「何ニヤついてんだ、適当に握っちまうぞコラ」

「いやいや、それは八つ当たり、っていうかもう顔面握って(いた)い⁉」

 そんな表情で居るものだから、即座にアイアンクローの餌食となってしまうが、誰も助けてくれないのだ。

「ちなみに、ホントに来そうなのはお前さんだけだと思ってたが」

 オリヤとトシロウの漫才を無視し、ウトクは残り3人にギルドカードを渡す。

 残りの3人はオリヤと同じ、赤銅色のカードだ。

「実はお前は3匹目だ。随分出遅れたな」

 矯めつ眇めつ自分のカードを眺める3人を他所に、トシロウはオリヤを開放して不審げに「あん?」等と呟きながら、ウトクの方に向き直る。

「なんだ? 俺以外に、そんな暇な奴が居ンのか?」

 自分を棚に上げず、きちんと暇人の自覚を持っているのは素晴らしい。……のだろうか。

 一瞬称賛し掛けたが、褒められたものでもない気がしてオリヤは首を傾げてしまう。

「ああ。そいつらも最近の事なんだが。アレイスタと、マクマホンだ」

 事も無げに告げるウトクの言葉に、トシロウの眉根が寄る。

 エルフ姉妹も顔色を変え、ミィキィでさえ、無関心では居られないのかウトクとトシロウを眺める表情が僅かに引き締まる。

 一方、名前を聞いても皆目見当もつかないオリヤは、隣の魔王ではなく、対面に座るサリアに目を向ける。

「ねえ、知らない名前なんだけど、有名な人?」

 話の流れで言えば魔王、という事だろう。

 しかし悲しいかな、オリヤはどちらの名前も聞き覚えがない。

 魔王が幾柱か顕現している事は知っているが、此処最近で最も名を馳せた魔王トシロウと、そのトシロウに殺された魔王アイアザルドの名前くらいしか聞き覚えがないのだ。

「あァ? なんだ、最近の若ェのは魔王の名前も知らねえのか」

「そう言うな。人間にとっちゃ、魔王なんざ禁忌だ。大体の街じゃ、魔王が居るとは言っても名前までは知られちゃいない」

 オリヤの無知を鼻で笑うトシロウに、ウトクが嗜めるように声を被せる。

「冒険者でもなけりゃ、それも上位者でもなきゃ関わることも無い名だしな」

 いつの間にか2本目に火を点け、紫煙をゆっくりと吐き出す。

「ま、それもそうか。魔王も色々居るしな。俺やアレイスタはまだしも害の無い方だろ」

 トシロウは何が楽しいのか、ニヤニヤと応える。

「お前が無害だったら、人間なんざ空気ですらないな」

 タバコの灰を灰皿に落とすと、ウトクがオリヤに向き直る。

「アレイスタもマクマホンも、トシロウと同じく『はぐれ』の魔王だ。まあ、割とおとなしめな方、かな」

 言葉の割に、主に目が笑っていない。

「はぐれ?」

 人間寄りだが、完全に味方と考えることは出来ない、そういう事なのだろう。

 オリヤは漠然とそんなことを考えながら、ふと気になったことを疑問の形で言の葉にのせる。

「ああ。アレイスタもマクマホンも、軍勢を持たない。面倒くせェんだとさ」

 トシロウが思い出すように天井に視線を向け、その言葉を受けたウトクが頷いてみせる。

「だな。アレイスタは気紛れで、マクマホンは気の合った冒険者の勧めで登録したそうだ」

 なるほど自由人らしい。

 言い方を聞いても、トシロウに近い感性の持ち主に思える。

 所詮は伝聞なので、断定は危険では有るが。

 オリヤはちらりとトシロウに目を向け、だがしかし、納得顔で頷く。

「……なんだよ」

 オリヤの視線に何か言いたげな気配を感じ、精々不機嫌そうな顔を作って応える。

「いんや? どっちが筋肉の人かと思ってね」

 ニヤリと笑う。

 推理の結果ではなく、単なる勘である。

 今までどうにも「聞いた範囲」の事柄しか起こっていない。

 輸出の際に聞かされた、魔王になりたいと願った男と筋肉の力を願った男。

 育った街を出てすぐに出会ったエルフ姉妹と、その二人がオリヤの目付役になった事。

 そして次の街への途中で出会った、冒険者たちと魔王になりたかった男。

 その魔王が「知っている街」と言ってのけた、目指していた街、デイアクーフ。

 どう考えても、起こる出来事がいちいち作為的だ。

 誰の意図かは知らないが、これだけ続けば勘繰らない理由がない。

 だから、その二柱(ふたはしら)の魔王も、どうせトシロウの知り合い、片方は筋肉の人なのだろう。

 今までがそんな感じで浅めとは言え繋がってきたのだ。今回もそんなところだろうと勘ぐったのだ。

「ああ、なんだ気が付いたのか。マクマホンだな。多分、そのうち顔合わせる事もあるだろ」

 多分、近々会うんだろうな。

 トシロウのなんとも言えない表情に、オリヤはそう確信する。

 好きに生きろと言われて来たが、さて、ここ3日程度の時間で、すでに敷かれたレールが見える気がするのは気のせいだろうか。

「マクマホンさんねぇ。日本人っぽくない名前だなあ。まあ、好きに名乗っただけだろうけど」

 少し投げ遣りな気分で、オリヤは思った事を、流石に小声で漏らす。

 当然聞き逃さなかったトシロウは、今度はきょとんとした顔でオリヤの顔をまじまじと見やる。

「好きに名乗る? また訳の判ん無ェ事を。アイツはアメリカの生まれって言ってたぞ」

 トシロウの言葉に、今度はオリヤが呆けて見せる。

「はぁ? え? アメリカ?」

 それだけを口にした所で、オリヤは自分の声のボリュームが上がったことを自覚する。

 さり気なく周囲を見渡すが、仲間は皆自分のギルドカードに夢中でオリヤの奇声に気が付いた様子はない。

 ギルドマスター氏以外は。

 軽く咳払いをすると、ウトクの視線を気にしつつもやはり小声でトシロウに問う。

「ねえ、異世界転生モノて、日本人が巻き込まれるモンじゃないの?」

「はァ? 何だそりゃあ? なんで日本人限定なんだ、アホなのかお前は」

 問を向けられた魔王様は驚きつつも小声で、しかも罵声付きで反応してくれた。

 いつか晩飯に唐辛子フルコース振る舞ってやる。

 黒い笑顔で聞き流すオリヤに、トシロウはやれやれと言葉を続ける。

「アレイスタは確か、あれ? あいつはイギリスだっけか……いや、うん? 確かそうだよな」

 途中で自問になってしまっているが、そちらも詰まるところ、日本人ではないと言うことだろう。

 そしてつまり、冒険者登録している魔王は3柱とも輸出組と言うことか。

 まあ、自由に生きて死ね(ゆしゅつひん)と言う事の代価として、高ステータスとある程度望む能力(スキル)を手にして居るのだ。

 やろうと思えば、魔王になる事も出来る程度の。

 改めて、輸出組で有ることをぼんやりと考えるオリヤの隣で、トシロウは溜息を吐いて天井を見やる。

「アレイスタはまあ、取っつき難い奴では有るが……しかし、アイツが冒険者ねェ」

 へぇ、と、トシロウは他人事のように呟いて天井を見上げる。

「知り合いなんでしょ? そんな意外なの?」

「あ? あァ。まあ、知り合いっちゃ知り合いだが……2~3回会った程度だ。イケ好か無ェ、スカした野郎て印象だァな」

 トシロウの面白くもなさそうだが不機嫌という訳でもない、微妙な表情に、オリヤは素直に首を傾げる。

「なんだ坊主。お前、この魔王サマと一緒に居るのに、その辺の事知らねえのか」

 そりゃまあ、会って1日だし、そう思うが素直に言うと色々詮索がキツそうだ。

 そう思ったので、多少表現をぼかすことにして応える。

「そりゃそうだよ、出会ったばっかに近いからね。偉そうな自称魔王様って事しか知らないよ」

 オリヤの意図を汲んだトシロウが、フォローに動く。

「自称たァ言ってくれるじゃ無ェか。こンのクソガキが」

 グシャグシャと乱暴に頭を撫でると、ガハハと笑って見せる。

 魔王の話は知っているが眉唾な子供と、気にもしない豪快な魔王、と。

 周りから見ればそうとしか見えない関係を見せる。

 なにしろ、本当にその通りなのだから。

 だから、表現の多少の曖昧さも、誤魔化せるというものだ。

「まァ、成程だ。なんでギルドマスターの事務室(こんなところ)まで案内されたかと思えば」

 トシロウはオリヤを開放すると、ティーカップを口元に運ぶ。

「魔王さんや、警戒されてるねぇ。タイミング的にも、魔王が徒党を組んで何かすると思われても仕方ないね?」

 オリヤがその言葉を受けて引っ掻き回すように笑って見せる。

「全くだ。野郎ども、ホントに余計な事しやがって」

 更にそれに乗って、トシロウは図々しくも言ってのける。

 自分の事を乗せる棚には、きっと仕立ての良いベッドも乗っているのではないだろうか。

「まあ、疑って無ぇって言ったら嘘になるがよ。少なくとも無闇に暴れるような連中じゃ無ぇ事だけは確かだからな」

 ウトクもティーカップを持つと、思う所を一息に言い切ってから喉を湿らせる。

「だからまあ、それ相応のランクをくれてやるから、大人しく言うこと聞いてくれ、って事だな」

 言いながら、カップをソーサーに戻す。

 なるほどね。

 オリヤは改めて黄金色のギルドカードに目を向ける。

「具体的なランクで言えば、Sランクなの?」

 何気ない一言。

 オリヤが「生前」目にした作品は、大抵Fランクからスタートし、そして最終ランクはSないしSSランク。

 SSSとかはあまり見たことがないが、無いこともなかった。

 なので、この世界も似たような物だろうと当たりをつける。

 だが、返ってきたのは予想と違う答えだった。

「いや、ギルドの最高ランクはAだ」

 おや?

 ウトクの返事に、オリヤは意外そうな顔をそちらに向ける。

 オリヤがSランク以上が有ると思い込んだ事には、生前の偏った読書遍歴の他にも理由がある。

 2年間生活した、大河の街のギルドで耳にしたことが有ったのだ。

 この街には、Sランクは居ないからな。Aランクもほとんど居ねぇけどよ。

 オリヤの背中をバンバン叩きながら、オリバーが言っていた。

 他の冒険者が、傭兵が口にしていたのを聞いたことも有る。

 或いは、各街毎に、ランクのシステムが異なるのだろうか?

「解せ無ェってツラだな?」

 声に顔を上げれば、隣ではトシロウが、テーブルの向こうではウトクが何やら不敵に、ニヤニヤと笑っている。

「Sランク、SSランクなんてのは、ギルドでは設定してない。だが、そう呼ばれてる奴らは居る」

「まあ、曖昧なもんだがな」

 ふと気がつけば、エルフ姉妹や魔王のメイドまでが、興味深そうにギルドマスターと魔王を見ている。

 アルメアに関して言えば、多分出された焼菓子(フィナンシェ)が無くなって暇になったのだろう。

 例によってオリヤの分は取り上げられている。

「結局は、Aランクの中でも、腕の立つ奴を、周りが勝手に盛り上げてるだけでな。ホントに洒落にならん奴から自称レベルの胡散臭い奴まで、まあ色々居るな」

 肩を竦める様に、トシロウが口を閉ざすと、ウトクがそれを受けて口を開く。

「だからまあ、Sランクなんて名乗られても、案外アテにならん。他所から流れて来た奴がSランク名乗ってそこらのBランクにノされたなんて話はザラだ」

 だから自称Sランクの名乗りはアテにならない。

 逆に周囲がSランクと持ち上げてる奴は、人格は兎も角腕が立つことが多いのは確かだ。

 そう付け加える。

「腕が立つかどうかは、むしろ称号(タイトル)を見たほうが早い。ギルドカードに付与されてる魔法で、確認できる」

 称号(タイトル)

 耳慣れない単語に、オリヤは気を引かれる。

 タイトル……?

 表題? なんの事だ?

「称号の事だよ。例えば、俺で言えば『魔王』、『魔王殺し』、この辺だな」

 言いながら、トシロウはギルドカードをオリヤに差し出す。

「相手の許可を得てから、『称号(タイトル)オープン』で、相手が公開してる称号(タイトル)は全部確認出来る」

 複数の称号(タイトル)を持つ者が居て、かつ、表示できる称号(タイトル)は任意で選べるらしい?

 オリヤはここに来て増える情報に、些か混乱を来しつつも、言われるがままに言葉を紡ぐ。

「た……タイトルオープン」

 途端に、ギルドカードの上に、まるで空間にウインドウを開いたかのように文字が踊る。

 「魔王」「魔王殺し」を筆頭に、様々な単語が、つらつらと並ぶ様は思ったよりも圧倒的だった。

「中には下らねェモンも有るが。まあ、こんだけ並べて見せれば、上々だろうよ」

 笑うトシロウの向こうで、ウトクが溜息を吐く。

「上々どころの騒ぎじゃねえよ。『勇者』持ちだって、そんなアホみたいに称号(タイトル)抱えちゃ居ねぇよ」

 勇者?

 ふい、と視線を走らせる。

 トシロウの称号(タイトル)一覧に、ぱっと見た限りでは、勇者の文字はない。

 蛮勇とか突破者とか、なんかそれっぽいけどちょっと違う系の物は有るが、勇者やら英雄やら言う物はない。

 それに。

「……魔王とか勇者って、職業じゃないのか」

 生前読んだラノベなんかでは、結構鉄板で存在した気がするのだが。

 職業魔王は兎も角、職業勇者は結構普通に。

 だが、この世界のギルドマスターと魔王の反応は思ったよりも冷淡だった。

「はぁ? 職業が勇者?」

「なんだそりゃ、勇者が職業って、そいつは何するんだ?」

 馬鹿にしている、というより、心底判らない、そんな表情で二人がオリヤに顔を向ける。

 或いはトシロウなら乗っかってくれるかと期待したのだが、50年前に輸出されてきた先輩は、「職業:勇者」は出来の悪い冗談にしか聞こえないらしい。

 うーん、隔世の感。

 とは言え確かに、職業としての勇者とはなんなのか、聞かれると答えに困る。

 何をする人なんだろう。魔王を倒すのが仕事かな。

称号(タイトル)としては有るけどな、『勇者』。まあ、戦争で活躍したとか、そんなトコかな。街によっては、魔物をぶっ殺しまくって得ることも有るらしいが」

 トシロウがそう言えば、と口元に手を添える。

「だな。つーか寧ろ、魔物を差別してる街やらでシゴトしてたって証拠に近いな。『勇者』持ちは、アイアザルド大戦の影響もあってここらじゃあ酷く評判が悪い」

 魔王アイアザルドが人間を滅ぼしかけたのは、人間が不要な戦争を仕掛けたからに他ならない。

 「勇者」の称号を持つ者は多くが死に、或いは逃亡した。

 戦場で生きて終戦を迎えた「勇者」は少ないのだ。

 そして、「勇者」を多く抱え、魔族を迫害し魔王を怒らせた「国」は王諸共滅んだ。

「まあ、そんな訳で、街によっては勇者持ちは嫌われるし、逆に勇者持ちがチヤホヤされてる街じゃあ魔王は嫌われるって訳だ」

「嫌われるっていうか、魔王持ちが行くとパニックになるな」

 カラカラ笑うトシロウに、テーブルを挟んでウトクが腕組みして応える。

「ナルホド、そういうトコで騒ぎを起こしたくないときに、隠したりとか出来るのね」

 ふむふむ、頷きながらオリヤはトシロウの称号(タイトル)一覧を眺める。

「ま、俺は面倒だからフルオープンだがな。寧ろ、不名誉なモンは無――」

 言いかけるトシロウの言葉を遮って、オリヤが声を上げる。

「ねえ。この『フリル大好き』ってなんの称号なの」

 他にも色々おかしな称号はチラホラ見受けられるが、オリヤにはその称号が非常に引っかかった。

 読み飛ばしてはいけない、そんな気がするのだ。

「あ? またそんなもん、よく見つけたな」

 答えるトシロウの方は、少し気恥ずかしそうな、それでいて何処か誇らしげに見える。

 そしてオリヤの視界の外では、ミィキィの表情が消えていた。

「そいつはな……」

 フリル? なんでフリルなんだろう。

 サリアは魔王とフリルの関係性が見出せず、首を傾げるばかりだ。

 

「あちこちでイイ女見かけては、フリル付きのおぱんつをプレゼントしてたからだ」

 

 自信満々の魔王様の説明に、エルフ姉妹も表情を消す。

 流石に魔王がどんな称号を持っているか、細部までは知らなかったウトクも気まずい表情だ。

「お前、やっぱりただの馬鹿だろう?」

「なんだとお前、おぱんつは大事だろうが!」

 ぎゃいぎゃいと騒ぐオッサン二人に、オリヤは暫し呆れの視線を向けていたが、ふと思い至って自分のギルドカードに目を落とす。

「タイトル……オープンッ!」

 今まで、それなりに色々やってきた。

 冒険者として街を出てまだ3日だが、この世界に落ちて2年。

 その間、世界について学びながら、己の能力を知るために様々「創造」してきた。

 少なくとも、創造系? の称号(タイトル)が有ってもおかしくは無い、のではないか。

 オリヤを眺めるウルクの目は、いつも新人冒険者に向けいているそれと変わりがなかった。

 称号(タイトル)に憧れるのは良く分かる。

 だから、特に若ければ若い程、ギルドカードを受け取ってまずするのは自分のステータス確認。

 そして、称号(タイトル)の有無の確認だ。

 当然、駆け出しの冒険者に称号が有ることは少ない。

 しかし、称号(タイトル)の説明はギルドカード発行時にしてる筈だ。

 聞いていなかった、と言う風でもない。

 であれば、説明されていなかったのだろう。

 ウトクは溜息混じりに、オリヤの目の前に展開された称号群を眺めて考え込む。

 街毎にやり方は有るだろうが、必要な説明をしない理由はない筈だ。

 ウトクはボーッとオリヤの、多くはない称号の文字列を目で追いながら考え込む。

 ほれ、称号(タイトル)に興味持つのは自然な事だ。まだ有りもしない称号(タイトル)を探して、目を輝かせて……。

 そこまで考えて、ウトクの思考が現実に戻る。

 オリヤの目の前に、タイトルウインドが出ている。それは良い。

 見過ごせないのは、其処に既に、いくつもの称号(タイトル)が並んでいる事だ。

「な……んだ小僧! お前これ!」

 登録したての冒険者が、称号を持っていることはほぼ無い、と言った。

 だが、絶対に居ない訳ではない。

 犯罪系の称号は、犯罪歴に応じてつく。そこに年齢による加減はない。

 魔術アカデミーや錬金術工房の出なら、称号を持っている天才肌も居なくはない。

 だが、それでも。

 10と少しの称号を既に持っている、齢15の駆け出し冒険者。

 ウトクの長い冒険者生活でも、ギルド職員からギルドマスターとして働いていた時間の中でも、そんな者を見たことはない。

 幸いなのは、一見して犯罪に関係の有りそうな称号はなさそうな事だ。

 だが、尋常の事ではない。

「だから言っただろ」

 驚愕のウトクの耳に、トシロウの楽しげな声が転がり込む。

「そいつは魔王見習いなんだ。普通なわきゃ無ェよ」

 得意げなトシロウの表情に、ウトクはひらひらと手を振って降参の意思表示をするしか無かった。

 

 

 

 ギルドカードを全員が受け取り、晴れて全員が冒険者となった。

 オリヤの持つ称号(タイトル)の中に、「下着マイスター」と「神域の目測者」という物を発見したエルフ姉妹がゴミを見るような目をオリヤに向け、不審に思った魔王とメイドにその理由を丁寧に説明されたり、エルフ姉妹やメイドさんにもさり気なく1つ2つの称号(タイトル)が有ったりと、ワイワイ騒ぎながら職員通路を抜け、ギルドハウスの受付ホールに戻って来た。

 ちなみに、ここまでの短い道中でトシロウとオリヤには、「女の敵(弱)」という称号(タイトル)が増えていたりする。

「面白いなあ、この称号(タイトル)っての。表示するやつも選べるし」

 脳内にタイトルウインドウを展開しながら、オリヤは確認するように様々な操作を行う。

 どれを表示させ、どれを隠すか。

 まあ、女の敵(弱)は隠そう。

 そんな事を考えながらつらつらと並ぶ文字をなぞると、気になる物が1つ。

 忘却者。

 酷く、心に引っかかる物がある。

 忘却。何を忘れて、得た称号なのだろうか。

 名前を失った。だが、果たしてそれだけだろうか。

 そもそも、「名前を思い出せない」という事態そのものが異常だと言うのに、慌てこそしたものの特に気にせず新たな名を名乗り、ちゃっかりそのまま生活していた。

 その事まで含めて、大変な異常事態である。

 記憶ではない、もっと根本的な……もっと別の何かが失われているのではないだろうか?

 新しい能力を使用した際に感じた、故郷(にほん)の記憶の僅かなブレ。

 いや、アレはブレというよりはもっと……記憶が朧になっていたと言う方がしっくりくる。

 だが、衝撃を受けたのは其処の事に関してではなかった。

 当たり前の様に受け入れ、受け流そうとした自分の心の働きだったのだ。

 特に思い入れが強い覚えもないが、それでも38年生活した世界、親しい人間も思い出の場所もあった。

 それをロクに思い出さなかった事もそうだが、既に「別の世界」の出来事として自分の中で切り離している事実に気付き、愕然としたのだ。

 幾ら異世界へ「輸出」されて来たとは言え、まだわずか2年だ。

 記憶が遠く霞むには、まだ早いだろう。

 では。

 この記憶の不自然な程の遠のきは、一体何だと言うのだろうが。

「オリヤ? どうかしたの?」

 思いがけず考え込んでしまった様だ。

 掛けられた声に意識を現実に戻せば、すぐ目の前にアルメアの顔があった。

「うひょえあ⁉」

「どっからなんちゅう声出してんだお前は」

 悩んでたことなど一瞬で吹っ飛んだオリヤに、トシロウが呆れたような顔でそれだけを言う。

「だって、ちょっとボーッとして気が付いたら目の前におもしろ顔が」

「誰がおもしろ顔よ!」

 反論の言葉を言いかけたオリヤの顔面に、アルメアの右拳が叩き込まれる。

 流石は近接格闘系回復職(グラップルヒーラー)の実の妹、負けず劣らず手が早い。

 ぎゃあぎゃあと騒がしい5人組に、案内役の受付のお姉さんは困った顔をしつつ、深く踏み込んだりはしない。

 受付嬢としてのバランス感覚なのか、面倒臭いから関わらないようにしているのか些か疑念の湧く所だが、気持ちは解らなくもない。

 まるで他人事の様に考えながら、ふと、ミィキィはカウンターの向こう、ホールへと視線を走らせる。

 こちらを見る幾人かの冒険者の中に、見覚えの有る顔がこちらを見ていた。

 

「なんでアイツ等、奥に連れてかれてたんだ?」

 随分戻るまで時間が掛かった様に感じ、ケーレは思わず疑問を口にする。

 勿論、明確な回答など期待しては居ない。

 軽く受付に聞いてみたが、犯罪絡みではないらしい。

 そうであれば、もはや見当もつかないのだ。

「さてなぁ。まあ、聞けば良かろ」

 ルブランはヒゲを撫でながら待ちくたびれた表情を隠しもせずに答える。

「……なあ。なんでオリヤ、あの姉ちゃんに顔面イかれたんだ?」

 アロイスはアロイスで、なんとも言えない光景に頬を掻きながら、しかし何処までも他人事で尋ねる。

「……多分、オリヤくんが余計な事言ったんじゃないかな」

 アロイスの疑問に関してはある程度予想できたので、クレイオスは溜息混じりに答える。

 しかし、その視線はしっかりとサリアを捉えて離さない。

 4者4様の呆れ顔を見合わせると、肩を竦めて待ち人を迎えに動くのだった。

 

 

 

「はぁん? 結局、特に何もナシだったって? んじゃなんで奥まで引っ張って行かれたんだよ?」

 ディアクーフ名物の焼パスタを頬張りながら、ケーレがオリヤに問の矛先を向ける。

 冒険者ギルド併設の食堂――夜には酒場となる――の一角、テーブル2つを並べて陣取った2パーティは「遅めの朝食」を楽しんでいる。

 

 ……たしか俺、朝食振る舞ったハズなんだけどなぁ……。

 

 オリヤはひっそりと疑問を胸中に抱えながら、困った様な笑顔をケーレに向けて応える。

「あー、俺はなんも無かったんだけどね? 連れがね?」

 答えを聞いたケーレはオリヤの仲間たちへと目を向け見渡してから、訳が解らないとオリヤへ向けた表情で訴える。

「エルフ姉妹が暴力的で」

「誰が暴力的よ!」

「お姉ちゃんと一緒にしないで‼」

 オリヤののんびりした返答に食い気味で反応するエルフ姉妹は、ついで姉妹で睨み合う。

 暴力というか、多分それはオリヤの自業自得なんだろうと聞き流すアロイス一行。

「お前さんの問題じゃ無いなら、んじゃあ何なんだよ?」

 焼パスタを食す手を止めること無く、ケーレはオリヤへの追求も止めない。

 塩と胡椒とトマトソースで、多めのベーコンと玉ねぎやピーマンをパスタと共に炒めたその一品に粉チーズをたっぷりと振り掛け、アルメアも満足の味だ。

「俺が答えて良い範囲を超えてるんだよ……。誰が何を、って所でもうね」

 今度は困ったように笑顔のままで眉根を寄せると、どうしようもない風に肩を竦めてみせる。

 多分、オリヤがハッキリと答えてしまっても当人は気にしない予感は有るが、昨夜の時点では「街中で魔王と呼ぶな」と言われている。

 ギルドカードを見られたら追求必至な状況で、どう答えたものか、他人事のオリヤの手元に答えは無いのだ。

 うっかり視線を向けるのも不味いので、ケーレの方を向いて居るが、オリヤは仲間が意外と粗忽だと言うことを失念していた。

 食べ物大好きなエルフ姉妹の妹の方が、チラチラと長身の男――トシロウの方へと視線を走らせているのが丸わかりなのだ。

 

 この姉ちゃん、腹芸出来無ェのな。

 

 ケーレとトシロウは同じ事を考え、なんとなくお互いに視線を合わせる。

 誤魔化すのは良いが、正直面倒臭ェな。

 トシロウはコーヒーを口に運びながら、手早く考える。

 しかし其処は短気で損をしながら生きてきた現魔王、割とどうでも良い事でアレコレ悩むのがバカバカしくなってくる。

 そもそも隠そうにも、ギルド側が面倒臭いもの(A級カード)なんぞを用意して居るのが悪いのだ。

 F級スタートで遊んでやろうという思惑を1歩目で挫かれた魔王は、考えるほどに投げ遣りな気分になって行く。

 カップをソーサーに戻すと、小さくため息を1つ。

 懐から渡されたばかりのギルドカードを机の上に滑らせ、殊更に小さく呟いた。

「他言無用で頼むぜ」

 黄金色の、A級冒険者の証。

 アロイス含め、4人は声もなくそのカードを見やり、そして刻まれる名に言葉を失くす。

 岡崎斗志郎(トシロウ・オカザキ)

 その名は、子供の頃より耳にした名。

 西の大河の街と此処ディアクーフを含む国家を文字通り半壊させ、戦火を免れた城塞都市が辛うじて街の体を成している現状を生み出した張本人。

 人に対して戦争を仕掛けた魔王と主だった家臣を、殺してのけた魔王。

 まさか、その当人なのか?

 豪胆で鳴らすルブランですら息を呑み、咄嗟に言葉を並べることが出来ない。

 基本情報はギルドカードに刻まれている。

 名前、年齢、ランク、職業。

 それらを眺め、尚言葉の出ない4人に、トシロウはやはり小声で囁く。

「タイトル・オープン」

 そして表示される、魔王・魔王殺しと例のアレを含む称号群。

 その時点で、確定だった。

 クレイオスが緑茶を注いだカップを慎重にテーブルに戻しながら、何とも言えない顔で口をパクパクとさせている。

 なにか言いたいのだが、言葉が出てこないのだろう。

「なんつーか……え? マジで?」

 ケーレが代表して感想を述べようとして失敗している。

 地域が変われば評価は反転するものの、ディアクーフ近辺で言えばトシロウの名は英雄に近い。

 魔王の名にあやかって名付けられた子供は皆無だが、わずか20年前の出来事。

 色褪せるには時間の経過が短すぎる。

 大げさに声を上げる事をしない代わりに、無言で説明を求める4つの顔を眺め、そりゃァそうだよなァ、トシロウは溜息混じりに呟くと、ギルドマスターとの遣り取りを掻い摘んで説明する。

「……とまァ、そういうこった。あんま大声で言わねェでくれよ? 流石に恥ずかしいからよ」

 全然恥ずかしくも無さそうな顔でそう言う魔王に、アロイスもどう答えたものか判らない。

 だが、当時7歳だった自分が、遠目に見た「魔王殺し」。

 その、ひょろ長い見た目は、確かに目の前の男に酷似している。

「そ、その魔王が……なんだって冒険者なんぞを」

 ルブランが落ち着き無く自分の髭を撫で擦りながら問う。

 ギルドカードの偽造は出来なくはないが、バレればタダでは済まない。

 二度と冒険者として登録できないどころか、犯罪者として街を追われる。

 当然身分証としてのギルドカードの所持は出来ないので、別の町での身の証には他の手段を講じなければならないが、ギルドカードのシステムが共有であるため、傭兵・魔術・錬金各ギルドでもカードを作ることが不可能になる。

 そうなると、()()()()()()()()の盗賊ギルドや暗殺者ギルドに名を連ねるか、タダの野盗として街の外で生き、野垂れ死ぬか討たれて死ぬか、どちらかが大半である。

 軽い気持ちで手を出すには、ペナルティが重すぎるのだ。

「ヒマだから。あー……ホントはFランク(あかいろ)から始めたかったんだがなあ……」

 何が気に入らないのか不満げなトシロウに、オリヤがニヤニヤと笑いながら声を掛ける。

「良いじゃん、これやるからカエレって渡されるのがAランクカードとか、愛されてるねぇ魔王サマ」

 トシロウが思った通りに物事が進んでいないのが楽しくて仕方がない、そんな表情を隠しもしない。

 隠しもしないものだから、即座に顔面を握り込まれてしまうのだ。

 痛いの何のと文句を述べるオリヤを全員が無視しながら、魔王の話を聞いてそれぞれに考え込む。

 アルメアは当然のように、サリアはやや控えめに焼きパスタのお代わりを注文しつつ。

「……んで、魔王さんは、なんかヤらかす予定なのかい?」

 ケーレが、空になった大皿を小脇に避け、ジョッキを傾けながら問う。

 飲まずにやってられない、という訳でもないのだが、シラフで聞くには冗談が過ぎると考えたのだ。

「やらかす予定は有りゃし無ェが、まあ、そうだな。適当に旅でもして、なんか旨いモン食いてえなァ」

 そう口に出して、思い出したように焼パスタを器用にフォークで絡め取り、口いっぱいに頬張る。

 多少冷めてしまったが、なかなかどうして旨い。

 ベーコンの油の旨味だろう、罪な味わいだ。

「なんだぁ、食追い人か? オリヤが居れば大体は美味いモンになるんじゃないかね?」

 言いながら、昨夜の唐揚げを思い出したルブランは遠い目になる。

 まあ、あの唐揚げはさり気なく醤油が使用されているから、そう簡単に真似できる物ではないだろう。

 そうである以上、またありつける見込みは薄いのだから、ルブランの悲嘆もひとしおだ。

 エールの友に出会えたと言うのに、その邂逅はあまりにも短すぎた。

「……魔王さんや、どうせそれだけ仲間が居ればオリヤ1人くらい手放しても良かろ? ウチにくれ」

 割と真面目な顔で、ルブランはトシロウに切り出すが、流石に首を縦に振ることは無い。

 特にエルフ姉妹の妹のほうが(食事的な意味で)猛反対であったし、そもそも冗談の範疇なのでルブランも苦笑いで引き下がる。

 その裏で、こそこそとオリヤに唐揚げのレシピを尋ね、昨夜のは無理だが代替案として塩唐揚げのレシピを入手し、1人ほくそ笑むアロイスが居たりした。

 同時に、柔らかいパンの製法は大河の街に有ると聞き(オリヤが説明を面倒に思った為伝えなかった)、クレイオスとアロイスは顔を見合わせて頷きあう。

 

「なんか悪ぃなぁ。急にウチの連中が目の色変えちまってよ」

 ケーレがオリヤの頭をグリグリと撫で回しながら言う。

「大河の街に行くって聞かねぇんだ。何事なのかね」

 あー。そんなにパンが欲しいのかー。

 撫で回されて揺れる視界の中で、アロイスとクレイオスが向こうを向いている。

 というかこっちに顔を向けない。

 どんだけパンに、というか唐揚げパンに夢中なんだ。

 あの街にはハンバーガーがある。

 衝撃を受けて帰ってくるが良いわ。

 唐突な旅立ちの準備に向かうアロイス達を見送り、オリヤはエルフ姉妹にハンバーグを振る舞っていない事に気がつく。

 となると、今晩はハンバーグと言う手も有るな。

 そんな事を考えているオリヤの視界の中で、サリアが何やら難しい顔で押し黙っている。

 お腹でも空いたのだろうか。

「サリア姉さん、どしたの? お腹すいた?」

「さっき食べてまだ30分経ってないよね⁉」

 オリヤの的外れな質問に憤慨しながら、サリアは頬を膨らせて見せたが、不意に表情を戻す。

 それが何か考え込んでいるようで、どうにも気に掛かる。

「……あのね、オリヤ」

 4人の冒険者を見送った一同と、周囲の喧騒。

 取り巻く騒音の切れ目に差し込まれるように、サリアの声が耳を打つ。

「私の持ってる称号(タイトル)に、『癒やしの精霊』って言うのが有ったの」

 ポツリと呟く声。

 一拍置いて、喧騒が耳に戻ってくる。

 だから、オリヤは耳を澄ます。

 サリアの言葉には、続きが有るのだから。

「私達エルフの、癒やしの使い手でも、なかなか得られない称号……私、癒し手くらいは付くって自信は有ったんだよ? だけど、この称号(タイトル)はそれ以上の……」

 呟く声を聞くトシロウは何時になく優しい笑顔を浮かべ、ミィキィは神妙に聞き入る。

 アルメアもまた真剣に、姉の言葉を受け止める。

 視線が集中する先で、サリアはオリヤに身体ごと振り返る。

「オリヤに出会って、神様に会って。そうして得られた称号(タイトル)だけど。精一杯、それに恥じないように頑張ろうと思うの」

 なんで、今。

 サリアがその気持を、オリヤ達に明かしたのかは判らない。

 だが、茶化してはいけない気がした。

 称号というものは、心の有り様にも影響を及ぼすのだなあ。

「そうだね。私も『流麗回路』と『無唱の理』っていう称号(タイトル)貰えてたし! オリヤのお目付け役として、何処までもついて行けるから!」

 アルメアも元気いっぱいに、オリヤに向けて杖を掲げて見せる。

 その行動は「無詠唱でこれから魔法食らわすぞ」と言ってるようにしか見えないので、控えて下さい。

 そう思いながら、オリヤはいつもの様に困った様な笑顔を浮かべる。

 特にアルメア姉さんの方は何か勘違いしてる感がある。

 称号を得たから力を手にしたんじゃなくて、力を得たから称号がついてきたんだよ? 解ってると信じるけど。

 そうは思うものの、エルフ姉妹の心遣いが嬉しくも有る。

 なるべく、危ない目には合わせないようにしたいもんだ。

「おーおー、意気込みは結構だがね。まずは全員、Eランクくらいには上がっておかねェと。旅してる間にギルドカードの期限失効なんざバカバカしいからな」

 珍しく、柔らかい笑顔のまま、トシロウは全員に発破を掛ける。

 意気を削ぐ程、野暮な真似をする気は無いのだ。

「そだね! んじゃあ早速、依頼(クエスト)受けちゃう?」

 何処までも元気いっぱいのアルメアの勢いに頷きそうになるが、オリヤはぐっと堪えて答える。

「いやいやいや、悪いんだけど明日にしよう。今日は必要なものの買い出し、特に食材を揃えておきたいんだ。最低でも、今日の晩ごはん分くらいはね」

 オリヤの返答に、不満げに口を尖らせるアルメアと、楽しそうにそれを制するサリア。

 そんな仲間を見る、なんだか急に年寄りじみた笑顔の魔王と、その傍らで変わらずクールなメイド。

 一人旅だったら、気楽だった反面、称号なんてもっとずっと先まで気が付かなかった恐れがある。

 全員分の食事を用意するのも考えるのも、面倒といえば面倒だが、楽しくもある。

 成り行きであれよと集まった仲間だが、今となってはそう悪いものとも思えない。

 一人旅への未練は根深いが、何事も諦めが肝心とも言う。

 そうであれば、気持ちを切り替えて進むほうが建設的と言うものだろう。

 それに。

称号(タイトル)、集めてみるのも面白いかもな」

 今日まで知らなかった称号と言うものに、興味を引かれていた。

 知らず、声に出して呟く程に。

 行動に伴って得られるのか、行動の結果に応じてに獲得するのか、まだ詳しくは判っていない。その辺も、調べて見るのも面白い。

 さしあたって魔王サマに聞いてみても良いだろう。

 大抵のお宝は「創造」出来る自信があるが、称号はそうも行かない。

 簡単には得られない。だから欲しい、だから楽しい。

 この世界に来た当初の目的は冒険だった。

 今、その冒険に更に目的を重ねられた。

 冒険して。旅して。称号を手に。

 そのためには冒険者ランクを上げて、色んな街を、平野を、山を駆け回ろう。

 エルフ姉妹から晩御飯のリクエストを投げ付けられながら、オリヤは冒険に胸を踊らせていた。

 明日は、堅実に依頼(クエスト)をこなそう。

 その為にも、今晩は美味いハンバーグを作ろう。

 歩き出すオリヤの表情は、見た目の年齢相応の、希望に満ちた笑顔だった。

 

 

 

 

 

 称号(タイトル)「冒険に踏み出した者」を獲得しました。

 獲得経験値に5%の補正、パーティメンバーのステータスを常時3%補正します。




タイトル回収にここまで掛かりました。
勿論、この先のことはざっくりとしか決まってません。
てへ☆


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閑話・オリヤの実力判定

話的には続いてますが、息抜き程度に短いやつを書きたかったので。

短いやつを書きたかったので。

短……


2020/05/16
 文章が情緒不安定でしたので、語尾を統一させました。
 というか最初に気づこう自分。


 大通りの人の流れを眺めながら、少年を先頭に、私たちは見慣れぬ街を物珍しげに歩きます。

 先程ギルドハウスで聞いた、商店街への順路を、かの少年ことオリヤさんは反芻して居るのでしょうか。

 まずは肉屋を覗いて、あとは雑穀扱いのある店で小麦と、あ、石材、それと鋼材、無ければ鋼石。

 ギルドハウスで買い物に行きたいと言ったあと、続けて並べた取り留めもないラインナップに呆れましたが、恐らく似たような物を再び脳内に並べているのでしょう。

 賑わうギルド前通りをひょいひょいと征く軽い足取りを追いながらそんな事を考えていると、不意にオリヤさんが振り向いて口を開きました。

「あ、みんな欲しい物とかある?」

 特に何か裏の有る表情ではありません。

 単純に思い付いただけなのでしょう。

 ですが、それは今言うことでは無いと思います。

 もっと早く、ギルドハウスを出る前に確認するか、もう少し後、商店街に着いてからで良いでしょう。

 そう思いますが、それを伝えるか考える間もなく、敬愛する馬鹿魔王様がそれに反応していました。

「服!」

 オリヤさんが振り返り切る前に、トシロウ様が勢い込んで答えています。

 勢いが付きすぎて、オリヤさんの両肩を掴み持ち上げ、と言うか吊り下げ、なおその勢いは弱まっていません。

「いででででで⁉」

 大げさな、とも思いましたが、アレは……指先が肩に食い込んでいる?

 そうだ、普通あの様な掴み方で、いかな小柄と言え、人間1人吊り上げるなど不可能。

 流石は魔王様。その握力、膂力の無駄遣い。

 尊敬は出来ませんが、ああ、敬愛致します。

「俺には服が必要だ! 解るな? 服だ!」

 そんな私の心など、例え聞こえた所で当然気にする事も無いでしょう。

 鬼気迫りすぎて、なぜか泣きそうにも見える形相でトシロウ様はオリヤさんに詰め寄っています。

「肩がもげる! 両方もげる! 離して、つーか離せ‼」

 不自然で強引な吊り下げが齎すのは、当然の様に激痛。

 オリヤさんは不意に訪れた理不尽に激しくイラつきながら、余裕の無い表情で苦情を述べます。

 ほぼ怒声に聞こえるのは、きっと気の所為、考え過ぎというヤツでしょう。

「ふんぬ!」

 トシロウ様は何故か掛け声とともに、大地に押し付け寄るようにオリヤさんを地面に立たせます。

 普通に手を離せば良いのに……。

 そう思いはしますが、勿論進言等しません。

 過ぎたことに小言を述べても、どうしようもないのですから。

「普通に下ろしてよ……。んで? 服って、トシロウ兄ちゃん洗浄魔術使えるんでしょ?」

 オリヤさんも同様の事を考えたようですが、過ぎたことを気にしてもどう仕様もないと思いますよ?

「当然だ! 洗浄(クリア)修復(リペア)は基本だろう!」

 若干のイラつきがハッキリ解る表情で尋ねるオリヤさんに、トシロウ様は自信満々に応じます。

 魔王様、今そのドヤ顔は不要です。

 その遣り取りに案の定イラつきを加速させながら(推測)、オリヤさんは吐き捨てるように言葉を投げつけます。

「んじゃ、いつでも清潔、どこでも新品に近い状態だね?」

「応とも! 身嗜みは紳士の基本よ!」

 トシロウ様はやや大仰とも思える程の自信満々の表情で、両腕を広げて見せます。

 大通りで、迷惑な事です。

 所で魔王様。

 流石にこれは、オリヤさんの次のセリフが容易に想像付くのですが、宜しいのですか?

 当然声にしないので、魔王様が私の考えに気が付くことは無いのですが。

「んじゃあ、新しい服、無くても良いじゃん」

(ぁン)だとこの野郎⁉」

 なんで予想できなかったのですか魔王様。

 なんだかもう泣きそうな……いや、放っといたら血涙でも流すんじゃないかと言わんばかりの魔王様の表情をほのぼの眺めて居ると、私の隣でエルフの姉妹が呆れ顔で(バカ)二人を眺めて居ました。

 

 

 

「結局いの一番で服屋に駆け込んで、予算有るんだろうね魔王サマよぉ」

 結局ゲンコツまで落とされて、オリヤさんは不機嫌と言うより不貞腐れた様子で店内を歩き回るトシロウ様の後ろに着いて歩きます。

 私としても服に興味がないと言えば大嘘になってしまいますが、紳士服コーナーでは私の琴線に触れる物は無いのが正直な所です。

 そう思いながらも周囲を見渡していると、少し離れた所で、エルフ姉妹がなにやら服を見繕っているようで、あーだこーだと言い合っています。

「……どうされました? 男装にご興味が?」

 エルフの趣味は良く判りません。

 そう思うものの、それならそれでどういった服を好むのか純粋に興味が湧いた私は、トシロウ様を放っておいてエルフ姉妹に話しかけます。

 そう言えば、この姉妹に意図的に話しかけたのは、初めてかもしれませんね。

「えッ⁉ あ、ミキさんかぁ。 びっくりしたぁ」

 飛び跳ねそうな勢いで、銀髪の……確か妹のほうが振り返ります。

 ちょっと気配を消して背後から声を掛けただけなのに、そんなに驚くものでしょうか?

「あの、私達が着たいわけじゃなくて、ですね?」

 同じく驚いたはずなのに、金髪の姉の方は愛想笑いを浮かべて気丈に答えます。

 双子というだけ有って本当によく似た顔立ちなのに、反応に違いが有るのは当然といえば当然ですが、今まで身近な所に双子が居たことがないので、なんとも新鮮な気分です。

「オリヤに似合いそうな服が有るかな、って」

 そんな姉エルフの方から返ってきたのは、思っても居なかった返事でした。

 きっと、私は間の抜けた顔をしてしまったのでしょうが、エルフ姉は其処に触れずに居てくれました。

 優しい。今度一緒に料理を教えて貰おう。

 そう決意した私は、改めて店内、と言うより店内の商品を見渡し、口元に手を添えて少し考え込んでしまいました。

 あの少年に似合う服、ですか……。

 見回しては見ますが、私には少年向けの服の良し悪しは良く判りません。

 魔王様の着ている、スーツとやら言う服を見慣れたせいか、どうにもそういった感覚の疎さに磨きが掛かった気さえします。

 が、流石にそれは責任を押し付け過ぎかも知れませんね。

 ()()()()()()で「責任」は取って貰う予定ですので、些細なことは我慢致しましょう。

「これなんかどうかな?」

 耳に滑り込む声に意識を現実に戻すと、エルフの妹の方――確かアルメアさん? アルテアさん? どちらでしたか――が、ジャケットを広げて姉に見せているところでした。

 革製のそれは、肩や肘、上腕部、背中と、着込んで前を閉じてしまえば胸部と腹部にも、革で補強を施してあります。

 軽戦士向けのそれは、やや簡素な装着方法から、街中で着込んでいても違和感は少なく済むでしょう。

 そうは思いますが、あの少年には些か無骨に過ぎないでしょうか?

 何よりも、先程も会ったあのケーレとか言う軽薄そうな軽戦士――恐らく技能は盗賊系統――に似通った格好は何となくイヤです。

「もうちょっと動きやすいほうが良いんじゃないかな?」

 妹の広げるジャケットを眺めながら、姉のサリアさんは細い顎に手を添えて考えつつ答えました。

 うんうん。

 

 姉の方とは、恐らく気が合う予感がします。

 

 今決めたから間違いありません。

「オリヤは動けるから、防御的なのは最低限で良いかな……って」

 動ける……。

 それは、あの森狼撃退の時の事でしょうか。

 実は魔王様の遠見の魔術である程度は見ていたのですが。

 確かに剣を振るいながら駆け回り、大暴れしていた割には周囲の状況が良く見えていたように思えます。

 あの年頃で、少しばかり出来すぎではないでしょうか?

 私のプライド的な都合上決して口にはしませんが、あの体捌き、そして判断速度。

 いずれも私を凌駕しています。

 その後の、ウサギ狩りではまた違った動きをしていましたし。

 見慣れない武器もそうですが、動きそのものが違っていました。

 狼達と対峙した時の、注意を引きつけるようなやや大きな動きではなく、隠密に徹した小さく無駄のない動き。

 その手並みにも、「命を奪うことに躊躇が無さ過ぎる事」にも甚く感動したものです。

 おっとイケない。

 知らず、ついつい戦闘的な思考に嵌りそうになっていました。

 今はそれは置いて、服の選定です。

「そうね……これなんか良いんじゃないかなあ?」

 一瞬意識を横道に逸らしている間に、サリアさんのお眼鏡に適う一着が見つかった様子です。

 それは薄手とは言えませんが、過剰な装甲も補強も無い、他愛もないベストでした。

 なるほど、身軽に動くにはこれ位が丁度良いのかも知れませんね。

 と、先程までの私なら完全に同意していたでしょう。

 ですが、サリアさんがそのベストを広げようとしている最中に、私は見つけてしまいました。

 最低限、心臓を守る防御性と、重量を極限まで落とした速度重視の機能美。

「オリヤさんなら、こちらの方が……」

 私の差し出した革製のブレストプレート(防御面積狭め、背面部装甲なしのベルト止めタイプ)を目にしたエルフ姉妹は直後、何故か私に可哀相な眼差しを向けました。

 

 納得致しかねます。

 

 

 

 エルフ姉妹に「露出を増やすのが目的じゃない」「街中を一緒に歩ける程度の格好にして欲しい」と言われて、なるほどと思い至りました。

 確かにあんなブレストプレート、半裸と変わりありません。

 確実に街中では離れて歩いて欲しい格好です。

 そんな事を考えたり他に服やら装備やらを見繕ってわいわいやっていて、気がつけばトシロウ様とオリヤさんが実に冷ややかな目でこちらを見つつ、所在なさげに立ち尽くしていました。

 

 寂しいのなら、会話に加わって来れば良いと思いますよ?

 

「寂しいんじゃ無ェよ。まァアレだ、こっちは取り敢えず用件は済んだんだが、お前さん方の気は済んだか?」

 おっといけない、心の声が音を伴っていたようです。

 それはそれで気をつける所存ですが、とは言えしかし。

 用件は済んだと言いながら、素直ではない魔王様も、その隣のオリヤさんも特に何も手に持っていません。

 用件は買い物ではなかったのでしょうか?

「何もお買いにならなかったのですか? 冷やかしとは流石、良い御趣味ですね?」

「あのな……いや、買い物が済んだんだよ。服じゃなく、布をちょいと多めにな?」

 溜息を吐いた後、オリヤさんの頭をわしゃわしゃと撫でながら、魔王様はちょっと楽しそうに笑いました。

 布? 服では無く、布?

 疑問符が湧く私を尻目に、エルフ姉妹が弾かれた様にそれぞれ一歩づつ前に出ました。

「布⁉」

「たくさん⁉」

 単語1つにあまりの反応です。

 さしもの私も暫し呆気にとられ、まるで子供のように瞳を輝かせた2人を眺めるしか出来ません。

 一体何だと言うのでしょう?

 状況を掴めない私が説明を求めて視線を巡らせると、其処には同じく状況を掴めって居ない魔王様と何やら思案顔の少年が居ました。

 どちらからも、回答を得ることは困難であろう様子が手にとるように伝わってきます。

 表情でそう判断してしまいましたが、私はきっと悪くないです。悪くないと思います。

 

「つまり、オリヤさんが」

 状況の整理のため、一旦移動拠点(シェルター)への帰還を提案し、食堂でオリヤさん手作りの「ホットケーキ」と紅茶を頂きながら話を伺い、私は口を開きました。

 関係ないですが、このホットケーキとやらも良いものです。

 これは個人的に、絶対に製法を知りたい所ですね。

 それはさておき。

 余計な混乱を避けるため、人気の無い路地裏で更に人払いの魔術まで使って(使ったのは魔王様)、急遽拠点へと戻ってみれば。

 それはなんとも下らない話でした。

「ああ。コイツ、素材さえ有れば何でも作れるって言うしな? んじゃあ、布がありゃあ服も出来るんだなと」

 洋服屋へ行って布を買う。

 店の人間もさぞ困惑した事でしょう。

 

 そういうのは専門店が有るから、そちらへ案内すれば良さそうなものですが、よほど慌てたのでしょうか。

 

「ああ、反物屋とか教えてもらったけどな? それはそれとして、在庫のダブついてそうなモンを譲ってもらったと」

「俺の金でね」

 私の心の声(肉声)に、律儀に答えて下さる魔王様。

 それを受けて、不機嫌極まりない表情、だと言うのになんともかわいらし……緊張感の無い表情でオリヤさんが不満を述べていますが、当然のように皆が聞き流しています。

 流石に可哀相なので、今度ホットケーキの作り方を教わって、作れるようにはなっておこう、と、小さく心に決めました。

 決して私が食べたいからではなく、そう、オリヤさんの心のケアと言うやつです。

「じゃあじゃあ、新しい服作れるのね!」

「ちょっと、落ち着きなさいよアルメア」

 そんな事を考える私を他所に、待ちきれないとすら言いたげに椅子から立ち上がるアルメアさんを、サリアさんが姉らしく嗜めます。

 しかし、サリアさんも服が気になるのか、少し落ち着きを欠いているように思えるのは邪推が過ぎるでしょうか?

「姉さん方の服はいっぱい作ったでしょうよ……まだ要るの?」

 げんなり顔に溜息を添えて、オリヤさんは面白くもなさそうにホットケーキを(つつ)いています。

 こんなに極端に不機嫌そうなのは、魔王様にイジられている時位のものですね。

 ……そう考えて思い返してみると、口で言うほどイヤがっている訳でも無いのかも知れません。

「なんと言うか、アルメアの気持ちも、判らなくもないの」

 努めて冷静に、サリアさんがそんなオリヤさんに、宥める様に答えました。

「可愛い服とか、たくさん有ると、こう……心がね?」

 しかし、本人が思っている程、冷静にはなれていない様に見受けられます。

 情熱が独り歩きしている感すら有ります。

 サリアさん、それではアルメアさんの気持ちとやらも判りませんし、貴女が言いたい事も判りません。

 ここで必要なのは嘲笑なのか冷笑なのか、割と本気で考え込んでいると、オリヤさんが非常に気になる事を呟きました。

 

「下着だったら幾らでも創るけど」

 

 その呟きを耳にした瞬間、エルフ姉妹の表情が険しくなりました。

 そのあまりにもな表情の変化に、私は素で笑いそうになりながら自制しようとして失敗し、咳払いの後、一呼吸置いて尋ねました。

 エルフの御姉妹がちょっとキツい眼差しを私に向けているのは、オリヤさんへの反感が収まっていないだけであって、笑われたことに対するものではないと信じます。

「そんなに具合の良くない下着なのですか? サイズが合わないとか。肌触りが悪いとか」

 私が尋ねると、今度は困惑顔でエルフ姉妹が顔を見合わせました。

 うん? その反応はどういう事なのです?

「具合は、悪くないというか……」

「サイズもぴったりで、肌触りも、今まで着けたこと無いレベルだけど……」

 言い難そうに、姉妹の発言は歯切れが悪いです。

 つまり問題は無いという事なのでは?

 それなら何故、其処まで嫌悪を顕にするのでしょうか?

 疑問を胸に、何となく魔王様を見れば、なぜか気の毒そうなものを見るようにエルフ姉妹に視線を向けていました。

 どういう事でしょう?

 何故、魔王様が同情の様子を?

「サイズぴったりて。オリヤ、おま、どうやってサイズ調べたん?」

 そう考え掛けた私の耳に、魔王様の困惑した声が滑り込みました。

 ああ……そういう事ですか。

 サイズを知るには、本人に聞くか測るしかありません。

 「より正確に」知るには、やはり測るしか無いわけで。

 つまりは測定と称したセクハラ紛いな事でも有ったのか、と邪推する私に放り投げられたのは、おおよそ信じられない一言でした。

 

「そんなの、見れば判るじゃん」

 

 ごめんなさいオリヤさん、貴方が何を言っているのか解りません。

 魔王様も同様の心持ちらしく、なんとも言えない不審げな眼差しをオリヤさんに向けています。

 ではエルフ姉妹はと言えば。

 ゴミを見るような目とはああいうのを言うのでしょう。

 大変勉強になります。今後、あの表情を活用する日がきっと来るでしょう。

 それはさておき、やはりオリヤさんの発言では解らないので、再度質問を投げてみました。

「あー……オリヤさん、その、聞き難いのですが」

 私が声を発すると、オリヤさんがのっそりとこちらに視線を動かしました。

「それは、裸を見ればサイズを推察出来る、と言う事ですか?」

 エルフ姉妹がここまで嫌がるのは、そういう事ですよね?

 そう考えた私の視界の端で、しかしそのエルフ姉妹が首を横に振っているのが視えました。

 え?

 エルフ姉妹の反応の方に気を取られ、恐らく揃って間抜けな顔をしてしまったであろう私と魔王様の耳に、その言葉は滑り込んできました。

「え? わざわざ脱いで貰わなくても、見れば判るじゃん」

 いや。

 いやいやいやいや。

 

 流石に意味が解りません。

 

「え? 服の上から? 見てサイズが判る?」

 魔王様が呆然と呟きます。

 それはそうです。

 なにせ、オリヤさんの発言の意味が分からないのですから、多少面食らうのも仕方がないことです。

 それは良いのですが。

 なんでその発言の後、無言でサリアさんの胸の辺りを凝視しているのですか。

 端的に言って非常に気持ち悪い行動ですし、サリアさんもドン引きです。

 今すぐその視線を止めて下さい。

「うん。サイズとか、型とか」

 フォーク片手にそんな事を考えている私に、オリヤさんの声が届きました。

 サイズ。型。

 一瞬何のことか、不覚にも理解し損ねた私でしたが、魔王様の先程の行動ですぐに気がつけました。

 そして。

 エルフ姉妹が嫌がる理由が解りました。

 非常に、純粋に物凄く気持ち悪いです。

 そう言えば、魔王様に出会う前に、何人か居ました。

 

 服の上から裸を想像するとか堂々語る類の変態が。

 

「いや、想像するというか、どっちかと言うと計算のが近いかな」

 またしても考えていたことが声に出ていたようですが、この際それは良いでしょう。

 寧ろ、手間が省けたというものです。

「いいえ、貴方のそれは想像、いえ妄想の域を出ません。例えば貴方は、私の下着のサイズを測れません」

 そういう類の変態性には、ここで自制を覚えて貰ったほうが良いです。

 私は決意を胸に、自信を持って断言すると、オリヤさんに指を突きつけました。

 挑発とはこの様にするもの。

 さあ、下着マイスターでしたか?

 その称号、手にした早々で恐縮ですが、奪わせて頂きましょう!

「え? 創れって?」

 しかし私の挑発に、気乗りのしない様子でオリヤさんは質問を返してきます。

 ふふ。私の自信の拠り所が解らないので混乱していますね?

 売り言葉に買い言葉で乗ってこない辺りは流石ですが、逃がす気はあまり御座いませんよ?

「はい。私としても、替えの下着が少々少なくなりまして。作って頂ければ幸いですが?」

 訳:創れるものなら創ってみよ。

 服の上からサイズが分かる?

 ふふん、その「根拠不明の自信」が貴方の足元を掬うのです。

 ()()()()()()()()()()()()等、誰が決めたのですか。

 私の態度に不審を感じるなら疑心暗鬼にも成るでしょうし、気にしないなら罠に嵌るのみ。

 そうして、()()()()()()()()()()()()で下着を創って御覧なさい。

 貴方のそのプライドは、粉と砕かれるでしょう。

 そんな私の謎の上から目線の嘲笑はしかし、直後のオリヤさんのセリフで地に堕とされ、凍りつきました。

 

「そっか、了解。俺も気になってたんだ、()()()()()()()()()()()()()()()()って言うし」

 

 背筋が、ぞわりと粟立つのが解りました。

 今、オリヤさんは何と言いました?

 オリヤさんの隣では、魔王様が信じられないと言う顔で私とオリヤさんを見比べています。

 視界の端では、サリアさんが同情顔をこちらに向けています。

 割と「型崩れ」という単語に動揺を誘われた私の目の前で、オリヤさんは目を閉じ、私を無視するように集中して押し黙りました。

 武器を創って貰った時と同じ、スキル「創造」を使っているのでしょう。

 しかし、武器の時とは違い、今は寒気が止まりません。

 オリヤさんは言った――見抜いた――のです。

 私の下着……ブラのサイズが合っていない、少しサイズが小さいのだと言う事を。

 この下着は魔王様がどこからか、しかし自信満々に選んで持ってきたものです。

 その時点で正直気持ち悪いと思いましたが、背に腹はかえられませんでした。

 それに、その、正直には口にできませんが。

 魔王様が態々選んで、持ってきてくれた事が、少し嬉しくも有ったので。

 だから黙って身に着けていました。

 感想も聞かれませんでしたので、不満を言う事も当然無く。

 故に、魔王様すらサイズが合っていない等、夢にも思っていない事でした。

 それを、オリヤ少年は、服の上から見ただけで、看破しました。

 いや、あの言いぶりは「看破していた」のでしょうか。

 言い出せず黙っていたが、気になっていた。

 そういう事なのでしょう。

 1人、考えてみれば割とどうでも良いことで戦慄する私の前、テーブルの上に、オリヤさんは静かにそれを置きました。

 それを手に取り、その手触りの良さと出来に肌を粟立たせながら、私は声を絞り出します。

「……なんで上下セットなのです」

 黒い下着セット、フリル付き。

 というか、なんでこんなに、無駄に豪華にフリルが……。

 その出来栄えに、魔王様は目頭を押さえ呟きました。

 呟きにしてはやけに声が大きいですが。

「見事なフリル……! これが……これがマイスター……!」

 感極まって涙を流すとか、すごく素直に気持ち悪いので今すぐ辞めて下さい。

 エルフ姉妹がドン引きだった気持ちがはっきりと判りました。

 そんな気がする私はきっと、その姉妹と同じ表情だったのだと思います。

 男性(バカ)2人の名誉のために、どんな表情であったかは明言を避けることにします。

 

 

 

 結果から言えば、着け心地は最高でした。

 え? 身に着けたのかって?

 そうしないと、本当にサイズが合っているのか判らないじゃないですか。

 そう思い、一度部屋に戻り着替えてみた感想を素直に言えば、着け心地はまさに極上で。

 サイズが合っていると言うことは、こんなにも感覚が違うのだと理解させられました。

 そんなぴったりのサイズ感と、更には今まで身につけたことが無い、柔らかで優しい肌触り。

 それが合わさった感覚は、一言では言い表せません。

 なるほど、だからこそ。

 それだからこそ。

 

 感情的にすごく気持ち悪いです。

 

「オリヤ。お前、やるじゃねえかよ」

 私の忌憚のない感想を聴いた魔王様は、意味不明の労いの言葉でオリヤさんの背中をバンバン叩いていました。

 それは良いとして、なんでちょっと顔を赤らめてるんですか。

 エルフ姉妹には完全に同情されています。

「いやいや、サイズを合わせるのは基本ですよ基本」

 その魔王様に応えるオリヤさんの、小憎らしい表情と言ったら……。

 どこか得意げなその顔、具体的に言えばその鼻っ柱に拳を叩きつけたい気持ちが溢れますが、忍耐を総動員して耐えます。

 両手が腰の左右に下げられている脇差の柄に添えられているのは偶然です。

 耐えなければいけないのです。

 耐えねばならぬ理由が、恥を偲んでも遂げねばならぬ物事が其処に出来たのですから。

「んじゃあ、今度は石材を買いに行こう」

「まってよ、その前にご飯!」

「え⁉ さっき食べたよね⁉」

 俄に賑やかになる食卓……そう言えば、さっきオリヤさん、新品とは言え下着を食卓に……。

 ……細かいことは置いておきましょう。

 今を逃せば、また後で恥ずかしい思いをすることになります。

 そんな事なら、今恥をかいてしまった方が、一時の恥で済む筈ですから。

「オリヤさん」

 恥ずかしいし気持ち悪いしもう、本当はこんな事頼みたくなんか無いのですが。

 ですが、この着け心地は反則です。

 こんなもの、1度着けてしまえばもう、今までの下着は無理に決まっています。

 そう、反則は行ったほうが悪いもの。

 つまり、悪いのはオリヤさんなのです。

「はい?」

 急に賑やかになった面々に辟易顔で、オリヤさんはこちらに顔を向けました。

 なんだかその表情も気に入らない私は、小さく舌打ちしてから徐に告げました。

 確実にオリヤさんの耳に届いた筈ですが、もう取り繕うのも面倒です。

「先程と同じサイズの下着類を6揃え、取り急ぎ用意して下さい。デザインはお任せします」

 今の自分の表情を想像するのが恐ろしいです。

 きっと柄にもなく、恥ずかしさに顔を赤くしてしまっている事でしょう。

 そんな私の言葉に、最初は何を言っているのか理解できていない様子のオリヤさんでしたが、隣の魔王様とアイコンタクトを取ると。

 魔王様とオリヤさん(変態と変態)が何やら意味ありげに押し黙ると、次の瞬間にはイヤラシくニヤリと笑い合いました。

 その遣り取りも、心の底から腹が立ちます。

 なんですかそのニヤけ顔は。

 というかなんで魔王様も乗り気なんですか。

 私は貴方の、貴方だけのメイドなんですよ⁉

 ……良いでしょう。後で覚えていて下さい。

 今は兎に角、利用できるものは利用します。

 割り切ることは大切なのです。

 ふと視線を感じて顔を向ければ、アルメアさんが目を輝かせて私を凝視していました。

 ……何がどうしてその表情なのか、理解が出来ませんが説明も欲しくありません。

 エルフ姉妹に「全てを受け入れる聖女」認定されていたなど知る由もなく、照れ隠しに腕組みしながらオリヤさんを睥睨し、気持ちを落ち着けることに腐心する私でした。

 

 

 

 後日、私のための下着類の出来に甚く感動した魔王様が、自分用にスーツを仕立てさせていました。

 ……下着類は頼んだのでしょうか?

 疑問は湧きますが興味は湧きませんので、特に聞くこともなく放置する事に決めたのでした。




いつもよりは短いんだよ?


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冒険は目的が大事なの

到着ディアクーフ!
冒険者らしい活動は、果たして開始されるのか?


 豚肉と牛肉をン十キロ単位で買い、アイテムボックスに収めて店の主人の度肝を抜いたオリヤは、待ちきれないパーティメンバーが屋台で串焼きを食べているのを見て小さく肩を落とす。

 

 なんでちょっと目を離した隙に、なんか買い食いしてる訳?

 

 音頭を取っているのがトシロウであることを意外に思うものの、ちょっと考えて見れば誰が言い出したかはあまり関係ない。

 自分の興味の無いものの買い物となると、なんとも淡白な仲間たちである。

 

 連中の夕食から肉を排除してやろうか。

 

 割と本気でそんな事を考えながら、オリヤは仲間たちの方へと歩いていく。

 この後もまだまだ買い物は続くのだが、この連中はちゃんと着いてきてくれるのだろうか?

 心配は尽きないのだった。

 

 

 

 食い物通りというだけ有って、そこはアルメアにとっては理想郷のような光景だった。

 大多数は人間の人混みに若干ならず不満は覚えるものの、それでも尚、その光景に圧倒される。

 主に、出来上がっている食品達……屋台の商品群に。

 料理スキルの持ち合わせが無い事を理由に、台所に立たない系エルフのアルメアは食材に対する興味は意外と薄い。

 出来上がりにしか興味が湧かないのである。

 すでに食べた事の有る料理名を出されて、そして原材料としての食材を提示されて初めて、その両者の関係性に気付くという有様だ。

 そういう理解深度、かつ興味度なので。

「ねー。オリヤぁ、今日はもう依頼も受けないんだったら、移動拠点(おうち)に帰ろうよー」

 真剣に小麦粉の品質を吟味しているオリヤの様子に、早々に飽きを感じていた。

「もうお肉買ったし、晩ごはん出来るでしょー」

 アルメアの帰宅催促に、オリヤではなくトシロウが苦笑いし、サリアが恥ずかしげに顔を手で覆う。

 メイドさんは表面上は顔色を1つも変えていないが、内心はアルメアと同様であったりする。

「あのね……。アルメア姉さんはパンは要らないのかね」

 ちょっとだけジト目を横に流し、オリヤは小麦粉の吟味に戻る。

 吟味と言っても何のことはない、品種ごとに分けられているそれぞれを、勝手に無断で「鑑定」しているだけである。

 神様から貰ったもう一つの力と「接続」し、オリヤの鑑定能力は人知れずヴァージョンアップを果たしているが、そもそもの仕様を知っているのもオリヤだけである。

 ジト目を投げかけられた方はそんな事など歯牙にも掛けず、並ぶ小麦のサンプルとそれの詰まった麻袋を見て、そしてオリヤに視線を戻す。

「パン?」

 あー。小麦粉と、パンとが結びつかなかったんかー。

 今度は視線をサリアの方に向けると、こちらには恥ずかしそうに視線を逸らされてしまった。

 オリヤと目が合うのが恥ずかしい……等と言うことでは決して無い。

 いかに鈍感なオリヤと言えど、それは流石に判る。

「パンが何で出来てるのかは知ってるんだよね?」

 些か心配になったオリヤは、念の為に質問を投げてみる。

「あのねぇ……そんなの、小麦に決まってるでしょ」

 問われた方はムッとして答える。

 それは知っている、と言わんばかりだが、オリヤはその回答に不安の増大を感じた。

「その……小麦から小麦粉を作って、っていうのは……知ってるよね」

「……バカにしてる?」

「えっ」

 重ねた質問と、その回答に、それぞれの表情。

 オリヤは心底意外そうに、アルメアは不満を顔いっぱいに浮かべて。

 後ろでは、ホッとした顔のサリア。

 

 この姉さん、食う事しか考えて無い筈じゃ。

 

 小麦粉すら知らないと読んでいたオリヤだが、普通に考えて馬鹿にし過ぎである。

 サリアの様子を見るに、実の姉にも疑われていた様ではあるのだが。

 横で聞いていたトシロウが、堪えきれずくつくつと笑いを零す。

「お前な、日本的感覚とかそういう問題じゃねえぞ。パン食文化云々の前に、どんだけ料理に興味なくても小麦粉位知ってるだろ」

 厨房に入るどころか包丁にも触らせて貰えない、凡蔵貴族の箱入り令嬢でもあるまいに。

 肩を揺らすトシロウに、オリヤは過剰気味な驚きで返す。

「えっ⁉」

「アナタ、いい加減失礼ね⁉」

 イライラ度合いがいい加減高まりすぎているらしい。

 アルメアはいつの間にか長杖を取り出し、オリヤの鼻先に突きつける。

 その後ろで、メイドさんが苦笑いの表情でオリヤを眺めている。

 

 頑張れ、少年。

 

 ミキの応援は、勿論言葉に出されていないのでオリヤに届いては居ない。

「私だってお料理を手伝った事くらいはあるわよ!」

 鼻息も荒く、自信満々に言い切る。

「……料理したことが有る、とは言わないんだね……」

「……嘘ついてもどうせバレるモン……」

 オリヤの指摘に、少し間を置いて素直に答えるアルメア。

 眺めていた姉の方は、恥ずかしさに顔を上げられない。

 

 後でちゃんと料理を教えないと。

 

 オリヤもまたサリアと似たような事を考えながら、こちらの様子をニヤニヤと、というかハッキリ笑いながら見ている穀物商の主人に声を掛け、気に入った小麦を数種、やはり大量に買い込むのだった。

 

 

 

 どうにも面白いことが無い。

 D級冒険者である彼女は、密かに想いを寄せているアロイスという男が急に旅立った事を知り、些か不機嫌だった。

 面白みは無いけど、堅実で、それでいて勝負所では恐れず前に出る男。

 何度か臨時のパーティ要員として彼の仲間たちと依頼を熟したこともある。

 ここ数週間はそれこそ依頼を受けて街を離れていたかと思えば、腰を落ち着ける間もなく旅立ってしまった。

 

 折角、牛肉の香草焼きのレシピを新しく作り直したのに、披露する間も無いなんて。

 そんなせっかちな奴だったかな。

 

 晴れない気分でそんな事を思いながら、いつもの食材通りに足を向け、そこで人目を引く服の、ひょろりと背の高い男を視界に収める。

 

 あれは、昼にギルドハウスで見かけた……。

 

 冒険に出かける様な服装には見えないが、あれで冒険者なのだという。

 見れば、仲間と一緒に、5人であちこち覗いているようだ。

 だが、買ったものは無いのだろうか、誰も荷物らしきを持っていない。

 

 冷やかしかい? 或いは……下見か。

 

 特に興味を惹かれた訳でもないのだが、何となく男とその一行を眺めてしまう。

 なんというか、アロイスとは違うタイプの……どちらかと言えばケーレに近い、陽気な雰囲気の男。

 恐らく、あの男がパーティリーダーだろう。

 

 仲間は、女3人……1人はあれ、冒険行くつもりは……あ、腰に剣が有るね。

 えぇ? あんな格好で何の依頼を受けるんだい?

 ま、まあヨソ様のことだ、あんま詮索はしないけどさ。

 それと、あれは……荷物持ちの子供かい?

 

 一行の中で、一際若い――というよりも子供にしか見えない――少年に目が留まる。

 

 他の街ではそういうのも有るって聞くけど……この街で荷物持ちの子供を雇ってるのは初めて見るかな。

 ……まあそれこそ、訳ありかも知れないから、とやかく言うことも無いけどね。

 

 そう思う彼女の脳内では、苦労して働き幼い兄弟を養う、荷物持ちの少年の苦労を(勝手に)幻視してしまっていた。

 

 苦労してるのかな……強く生きるんだよ。

 

 そんな事を考えながら、気が付くとその一行との距離が近くなっている。

 向こうはあちこち見ながら、コチラは特に周囲に目を奪われることも無かったので、当然の結果とも言えるが。

 そんな事を考えている間に、向こうの会話が判る程度の至近距離まで接近していた。

 

 

 

「パンは判ったし、カラアゲは、お肉を小麦粉で包んで揚げるっていうことなのね?」

 銀髪のエルフが、確認するように指折りしながら言う。

 

 パンは兎も角……カラアゲ? なんだい?

 

「ま、うん、そんな感じかなぁ……ざっくりとだけど」

 少年がエルフに答えて言う。

 この少年は、荷物持ちだけじゃなく、料理までしているのか。

 まさか、強制労働紛いの事がされていたりはしないだろうか。

 胡乱な視線を向けてしまうが、しかし証拠はない。

 気持ちを落ち着けるその耳に、その単語は滑り込んできた。

 

「パンの作り方、やっぱ教えた方が良かったかな……。アロイスさん、大河の街って結構な長旅だけど」

 

 パンの作り方。アロイスの行方。

 気になる単語が2つ並び、思わず彼女は少年の前に回り込み、その胸倉を掴み上げていた。

 

 

 

 広場の噴水の傍らで、というか噴水の縁に腰掛けながら、オリヤはバツが悪そうに目を逸らす女冒険者をのんびりと見上げる。

 そのオリヤを挟むように立つエルフ、銀髪の方は腕組みまでして、不満を全身で表現している。

 

 エルフってのは、もっとこう、スカしてて偉そうなもんだと思ったんだけど……。

 

 そう思うものの、怒らせた当人である自覚は有るので、余計なことを口走ったりはしない。

「あー。なんつッたッけ? アロイスの兄ちゃんの行き先だッけか?」

 黒服の、トシロウと名乗ったヒョロ男がニヤけながら言うものだから、なんだか余計に居心地が悪い。

「そんな事より、私は子供を労働力にしてるとか言われた方が気になるんだけど」

 思わず口にしたセリフが、エルフにはよほど心外であったらしい。

「あー……悪かったよ。どう見ても、子供にしか見えなくてサ……」

 言い訳がましく謝罪の言葉を述べながら、改めて少年……オリヤに目を向ける。

 ギルドカードを確認して、それでも尚成人しているようには見えないオリヤに、なんとも言えない釈然としない思いを抱えてしまう。

 どう見ても12歳かそこらでしょ。

 15歳とか嘘でしょ。

「俺はもう、散々言われすぎて慣れたよ……」

 年齢を疑われる方は、もうどこか諦めた表情である。

 「輸出」されてきた当初は面食らいこそしたものの、「生前」の厳つい見た目から一転、華奢で小さな身体を若干気に入りつつ有る最近であったのだが、冒険者としては「生前」の強面加減も必要なのかも知れない。

 ……我が事ながら、ムサいのはイヤだ。

 悩ましいものである。

「あー……私はステフィ。フリーの軽戦士だよ。あんたらは……パーティだよね?」

 フリー。

 つまり、特定のパーティに所属していないと言う事だろうか?

 良いなあ。

 オリヤは思わず、羨望の眼差しを送ってしまう。

 

 俺が1人で旅できたの、何時間だっけな……。

 

 最早ひとり旅は諦めたものの、愚痴が無いかと言えばそんな事はない。

 1人で旅する冒険者も、ごく少数とは言え居ない訳ではないのだ。

「ほう、フリーか。侮るわけじゃ無いが、女だてらに良くやるもんだ。パーティ組んだほうが気楽だろうに」

 トシロウは顎に手を添え、感心したように言う。

「まあそうなんだけど、私は冒険者やってる理由がちょっとね。常に組む仲間ってのは中々出来ないんだ」

 トシロウの言葉に、苦笑しながらステフィは答える。

 何しろ、そんな事は自分が一番解っているのだ。

 だが、特定の依頼のための一時的なパーティなら兎も角、ステフィの目的に賛同して常にパーティを組んでくれる仲間には、そうそう出会える気がしないのだ。

 ステフィの台詞に、オリヤ達は互いに顔を見合わせる。

 理由。

 何やら重い理由でも抱えているのだろうか。

 下手に(つつ)くのは危険な気がする。

 そんな空気を察したのか、ステフィは苦笑を浮かべてぱたぱたと手を振ってみせる。

「あー、大した理由じゃないんだよ。私は食材探しがメインでね」

 食材探し。

 その単語に、アルメアは顔を輝かせ、サリアは訝しげに首を傾げる。

 

 食材……って。さっきの通りに沢山売ってたけど……アレとは違うのかな。

 

 ……みたいな事を考えてるんだろうなー、と、サリアの横顔を眺めてオリヤはぼんやりと考える。

「珍味とか、そういうのを探してる感じか?」

 トシロウはトシロウで、想像が極端に寄っている感がある。

 珍味という単語に、問われたステフィは目をパチクリと、顔いっぱいで驚きを表現した後、やはり苦笑して手を振る。

「いやいや、私が探してるのは()()ありふれた食材だよ。ウサギ狩ってきて肉屋に卸したりがメインだね」

 食材狩りは、あくまでも街近辺での狩りが中心である。

 本音で言えば、そりゃあ珍しい食材を探してみたいという欲は有る。

 だけれど。

「珍しい食材は手にしたいと思うけど、1人じゃあ無理さ。でも、同じ目的の冒険者に会ったことがなくてね」

 だから、もっぱらありふれた食材狩りになってしまう。

 そう答える笑顔は、何処か淋しげだった。

「派手な遠出も出来ないし、1人じゃ相手出来る獲物も限られちゃうからね。でも、近場でもそれなりの稼ぎになるから、何とかやって行けるのさ」

 言いながら、ひらひらと振っていた手を止める。

 自分で言っていて、なんとも虚しくなってしまったのだ。

 冒険者になったのが18歳の時。

 それ以来、やりたいことが有ると信念を持って冒険者生活を続けてみれば、見事に万年ソロ冒険者である。

 こんな事なら、変な意地を張らずに、以前誘われた時にアロイスのパーティに加入しておけば良かった。

「んー。お姉さんは、食材狩りなの?」

 そんなステフィの様子を眺め、オリヤは考えるように左頬を指先で掻きながら、声を掛ける。

「ああ、今はそんな感じだけどさ。ホントはね」

 答えるステフィは釣られた訳ではないだろうが、鼻先を同じ様に指先で掻きながら、オリヤの問い掛けに答える。

「私は、料理人なんだ」

 少し照れたように言うステフィに、オリヤはただ、なるほどと頷く。

 隣に立つアルメアの目付きが、料理人という単語に反応して変わったことには気付いたが――出来れば触れたくなかった。

 

 

 

 食材狩人。

 その名の通り、食材を求める冒険者達。

 美食狩人。

 食材狩りの中でも、特に貴重、或いは珍しい物を追い求める者達。

 それぞれ、それなりに名の通った冒険者が居る。

 いずれ語る事があるかも知れないが、今は一旦脇に置く。

 料理人冒険者。

 その実態は、その名が示す通りの料理人であり、食材の調達そのものには特に拘りはない。

 だが珍しい食材を調理したい、食したいと言う思いは強い。

 街の駆け出し料理人程度の腕から、王都での有名レストランや宮廷料理人に比肩する実力者まで様々だ。

 高名な者達の特徴は、「初めて見る食材でも、調理してしまう」その実力だ。

 完全に勘頼みの危険極まりない者から、初めてなりに慎重に試し、相応しい調理法を見出す者までピンキリではある。

 だが、往々にして高名な料理人冒険者は「どんな食材であっても最高の調理を施す」料理人である、と見做されるのだ。

「なぁる程ねぇ。料理人冒険者かぁ。だったら、本人が秘境に行く意味とかはあんまり無いもんなぁ」

 秘境に存在する珍しい動物、或いは植物。

 それを求めるなら、秘境に足を運ぶ冒険者に任せれば良い。

 自分は、それを調理できれば良いのだ。

 無論、新鮮な食材を直ぐに調理できるメリットは捨てがたいが、所謂秘境への旅は実力を必要とする。

 冒険者心得其の壱、命有っての物種。

「いやまあ……純粋に冒険したいって気持ちも無くは無いけどさ。出来ることをするので手一杯なのさ」

 ステフィは照れたように答える。

 オリヤの表情が、口調よりも遥かに憧れを宿しているのが判るからだ。

「でもでも、名乗る位なんだから、お料理出来るのよね⁉」

 アルメアが空気を読まずにしゃしゃり出る。

 

 アルメア姉さん……さっきご飯食べて、なんなら串焼きも買食いしてたよね?

 

 オリヤは反射的に考えるが、口にするような愚を犯すことは無かった。

 余計な事を言って怒らせる理由はないのだ。

 アルメアの食魔人程度を知らないステフィは、ただ、その目をキラキラと輝かせるエルフの無邪気な笑顔に少し見とれ、そして答える。

「そりゃあ、まあ。なんなら、軽く食って行くかい? 私の『工房』はすぐそこなんだ」

 

 あっ。

 

 オリヤが反応するより早く、アルメアは「ありがとう」と「ごちそうさま」を伝えている。

 

 早いよ。

 色んな意味で早いよ。

 ごちそうさまは、食べ終えてから言えば良いよ。

 ステフィさん、余計なこと言わなきゃ無駄に食材使わずに済んだのに……。

 ついに見知らぬお姉さんにまで食べ物を(たか)るとは。

 アルメア姉さん、人間嫌いっての、実は嘘なんじゃないのか。

 人混みでも普通に歩いてたし。

 

 オリヤの脳内をツッコミと疑惑が駆け巡るが、勿論、口に出して怒らせるような真似はしない。

 余計な事を言って、被害を受けるなど、愚かなことだ。

 そんなオリヤの内心など覗けないアルメアは、興味を完全にステフィ(の料理)に移している。

「今日どんだけ食ってんだよ……。本気で太るぞ。先回りで服とか作っとくかな」

 そんな事を思っても口に出さなければ良いのだ。

 楽勝である。

 

 知らぬ内に声に出していた事に気付くのは、アルメアの怒りの一撃を脳天に頂いてからだった。

 

 

 

 出会ったばかりの先輩冒険者に(たか)るという荒業を披露し、アルメアはご機嫌でステフィの後ろをついて行く。

 

 このヒト、いつかまた騙されて攫われやしないだろうな。

 

 割と洒落になっていない事を考えながら、オリヤは最後尾を歩く。

 ああ見えてアルメアもしっかりしているし、根っこの部分で人間を信用しきっては居ないらしいので、心配は不要だと思いたい所だ。

 それはそれとして、そういった心配とは別にオリヤは自分の旅に姉妹を巻き込んだという思いがある。

 旅して行く以上、危険とはどうしたって隣り合わせだが、それを理解して尚オリヤはエルフ2人の安全だけはどうしても確保したいのだ。

 完全は無理だとしても、出来る限り。

 故に、アルメアが無邪気に振る舞って見せるほど、どうしても考え込んでしまう。

 

 

 あーもう、今のアルメア姉さんならあんま心配ないとは言え、杖だけじゃ不安だな……。

 ……アルメア姉さんになにか創るとなると、周りも欲しがりそうなのがな……。

 いや、サリア姉さんとミキさんは近接()キーっぽいから、案外必要ないかも?

 

 鉱石の買取は出来ていないが、一応鉄は素材として、まだ余裕はある。

 魔王様が色々持ってきてくれた中に。廃材として大量にあったのだ。

 貰ったと言えば今朝気付いたのだが、魔王様に貰った大量の物の中には食材も有った。

 先程の買い物と合わせて暫くは問題ないと思うが、ふと思い出す。

 

 魔王様、登場時には確か、なんか食わせろって言ってたよな?

 その時点で食材は持ってた筈で、俺達を見つけたのは合流のかなり前で。

 俺達を見つけた時点で合流して食材貰えてたら、俺、ウサギ狩りに行かなくて済んだのでは?

 

 いや、解っては居るのだ。

 オリヤたちだけでなく、あの時はアロイス達も居た。

 派手に持ち物の受け渡しは出来ないだろう。

 なにせ、移動拠点(シェルター)の一室(日本間6畳相当)での受け渡しで、都合8回に別けて出し入れを繰り返すほどの物量。

 屋外なら一回で済むかも知れないが、そんな大容量の受け渡しなど、サリアやアルメアに作ったアイテムバッグの容量をも軽く超える物量だったのだ。

 一般的なアイテムボックスの容量など、超えるどころか話にもならないレベルである。

 そんな物の受け渡し現場など見せたら、言い訳が効かない。

 だからこそ、手間は掛かるが人目に付かない室内での受け渡しとなったのだ。

 

 いや、別に全部じゃなくても、食材からちょっと出して調理させるとか、やりようは有ったのでは……?

 

 考えれば深みに嵌る気がしたので、それ以上は考えないことにした。

 どうせ、深く考えていなかったのだろう、溜息混じりにそう決めつけて。

 

 それは兎も角。

 鉄は手元にあるし、それに炭素を混ぜて鋼にするのは良いとして……。

 

 オリヤは一瞬だけ、出来上がりの時間を止めてしまおうと思ったが、むやみに強度を求めて変な不具合が出ても困ると思い直した。

 自分の分なら自業自得で済ませるし、どうでも良い人間に渡す物なら悩みもしないが、渡したい相手は仲間である。

 作り上げていくパーツのうち、必要に迫られて柔らかい金属を使用している部分以外は強度を高める魔術を掛けて良しとする。

 オリヤは妥協だと思っているが、実のところ充分過ぎる処理である。

 脳内でその様な作業を行いながらも、ちゃんと仲間の後をついて歩く。

 マガジンは、魔力バッテリーにしようか、収魔機能のみで魔力の保存は出来ないようにするか。

 魔力を保存しておく方は、いざという時咄嗟に使える。

 魔力を都度使う方式だったら、任意に威力を変更できる。

 

 ……いや、別々にする必要もないのか。

 

 なんで分けようと思ったのか、オリヤは1人頭をかいて創造に集中を戻す。

 実弾を使用しない、魔術触媒としてのソレを想定しつつ、スライドの可動は無駄に再現する。

 何故か? ロマンである。

 浪漫と表記しても良い。

 勿論、もっともらしい理屈は考えておく。

 そんな都合の良い理屈が思いつくとは、誰にも約束できないが。

「さ、ここだよ。ちょいと散らかってるが、まあ勘弁しておくれ」

 チャンバー内に魔力増幅回路を刻み、バレル内にはライフリングを綺麗に刻み、その一本一本に魔力加速回路を刻んでいく。

「おじゃましまーす! うわ、キレイ!」

 スライド上下は衝撃緩和の魔術回路を施し、外側には大気中の魔力――魔素とか言うのだろうか――を吸収し、マガジンに集める回路を仕込む。

「こら、アルメア! 失礼な事しないでね⁉ ……お邪魔します」

 ちなみに、マガジンは取り外せるが、撃てなくなる事意外に外す意味はあまりない。

 マガジンを本体に収めたままでも魔力の補充は出来るし、逆に外してしまうと周囲の魔力を利用した補充が使用出来なくなる為、若干手間が掛かる様になってしまう。

「へェ、料理人故、かね。整理された小綺麗な部屋じゃねェか。邪魔するぜー」

「お邪魔致します」

 あとは、ガンブルー仕上げで見た目を厳つく……嫌がられるかな。むしろステンレスシルバーの方が良かったか?

 続いて入ろうとしながら考え続けるオリヤの目の前で、扉が閉められてしまった。

「……なんで閉めちゃうかなあ……」

 最後尾でずっと黙って居るものだから、ミィキィに素で存在を忘れられたオリヤは「お邪魔しますよ」と言いながら扉を開け、それでもまだ気付かれていない事実になんとも悲しくなってしまう。

 とは言え、仲間に何も言わずに、最後尾で無言で脳内作業に没頭してしまったオリヤの、完全なる落ち度であった。

 

 

 

 トシロウがオリヤの感想を先に述べてしまっているが、恐れずに繰り返すならば。

 きっちりと整理の行き届いた、食堂にして生活スペースであった。

「いやあ、流石にキッチンつきの部屋を借りれる程の稼ぎはないからね」

 ステフィの言葉通り、やや広めとは言え生活するためのスペースは1間で、細長い作りとは言え江戸間換算で10畳程度。

 そのスペースにキッチンを大きめに取り、ダイニングテーブルは作業テーブルも兼ねているのだろう。

 一応パーテーションで区切られた3畳程度のスペースにはチェストが1台。小さめのクローゼットもあり、この区切られたエリアが私室という扱いなのだろうか。

 よく見ると壁に畳まれた布が掛けられており、こっそり鑑定してみれば「寝袋」とある。

 

 ……お姉さん、寝袋生活なの……?

 

 なんだか不憫になったが、勝手に決めつけるのも良くない。

 良くないのだが、他に寝具が見当たらない以上……そういう事なのだろう。

 余計なお世話と理解しつつ、それでもなんだか不憫に思えてしまう。

 

 うーん。何か創れるモノ、有るかな……?

 

 あまり余計なことをするのもどうかと思うし、本人が納得してるなら構わないとは思う。

 いずれ、確認しなければ判らないことでは有るが、さてどう聞けば良いものやら。

「とは言え、思い切ったモンだな。宿を取る形じゃなく、小さいとは言え一軒借り切るとはな」

 オリヤが悩んで居ると、トシロウがステフィに答える形で口を開く。

 

 確かに。

 

 オリヤは小さく頷く。

 そんなオリヤの様子に気付く様子もなく、ステフィはトシロウに苦笑いを向けて肩を竦めて見せる。

「大したものじゃないよ。元は、隣の衛兵隊の物置だったんだ。隣を改装した時に、こっちは余ったらしくてね」

 トシロウはほう、と小さく呟いて室内に視線を巡らせる。

「なるほど。そこに手を加えて、か。改装もそうだが、そもそも掃除も大変だったんじゃないのか?」

「あはは、まあ、好きでやったことだからね。私が住まなかったら取り壊す予定だったらしいし、好きに改装し(いじっ)て良いって言て貰えたから、ちょっとづつね」

 照れた様に笑うステフィに、オリヤはいつしか尊敬の視線を向けていた。

 タダのガサツな女冒険者かと思って居た。

 だが、自分のやりたいことを見据え、しっかりと根を下ろし、着実に歩んで来たのだろう。

 改めてオリヤは室内、天井……というより、剥き出しの梁を見上げ、隅々に視線を走らせながら考える。

 確かに、宿を押さえるよりも安く付く物件なのかも知れない。

 しかし、冒険者として、この街に拠点を構えたと言うことだ。

 悩みもしたし、後悔したことも有ったかも知れない。

「それじゃ、手早く作っちゃうよ。量はあんまり無いけど、我慢してくれるかい?」

 言いながら、キッチンの壁に掛けてあるエプロンを素早く身につけ、アイテムバッグから肉と数種類のハーブ、手近な棚から鉄製のバットと調味料類をテーブルに並べていく。

 あれよと言う間に、下拵えが進んでゆく。

 調理に興味のないアルメアでさえ、その手際に見入る程の無駄のない動き。

 料理人、と名乗るだけは有る。

 是非参考にしたい所だ。

 その手捌きを見逃すまいと凝視するオリヤにちらりと視線を向け、トシロウはその奥、恐らく寝るためのスペースに改めて視線を転がす。

 

 見たトコ3畳、ただし仕切りはパーテーション。

 ある程度は融通が効く造り、か。

 

「しかし、寝床が寝袋とは頂けねえな? ロクに疲れが取れないんじゃないのか?」

 敷くような物も無いようだし、と付け加え、トシロウは面と向かって堂々と問う。

 

 うわぁお、真正面から行くのかい。

 

 オリヤは感心したような、呆れたような、どちらに比重を掛けようか悩みどころの表情(かお)をトシロウに向ける。

 話した感じ、正面から問うても気を悪くしそうには無い。

 それでも良くもまあ切り込んだものだと、そこは素直に称賛する。

「え? ああ、そうだねえ。身体中痛くて仕方ないけど、諦めは大事さ。いい加減慣れたし、ね」

 問われた方は数瞬呆けたような表情を浮かべた後、やはり苦笑しながら答える。

「キッチンに荷物が多くてね。寝床は2の次だけど、しょうがないね」

 それなりの不便も、好きな事、やりたい事の為には我慢する。

 どうにもこう、これだけ真っ直ぐな人物だと、素直に応援したくなる。

 どうやらそう思ったのは、オリヤだけではないようだ。

「なるほどねェ。……おゥ、オリヤ。確か、寝床に使えそうなもん、ウチに無かったっけか?」

 トシロウの唐突な振りに、オリヤは怪訝な表情で目を合わせる。

 何を言い出すんだ、そう思ったが、トシロウの自信満々のニヤケ顔を見てすぐに気がついた。

 

 移動拠点(シェルター)に戻って寝床になりそうな物を作ってこい。

 

 要するに、トシロウはそう言っているのだ。

 勿論オリヤに相談ナシ、この場での思いつきである。

 

 このオッサン……!

 

 挑戦とも言えるトシロウの言い様を受け、オリヤも楽しげに口の端を吊り上げる。

「あー、確か客間用のやつかな? でも良いの? 余ってるの、アレしか無いよ?」

 

 適当に創って持ってきて良いんだな?

 

「良いよ、客なんざ暫く来ねェだろ。構わん構わん」

 

 当然だ、丁寧に急いで持ってこい。

 

 お互いにハハハと乾いた笑いで、笑っていない視線を交わし合う。

 そんな2人に少し不思議そうな視線を向けたが、客を迎えている以上、料理に集中するステフィ。

 そんなステフィに……と言うよりその手元で加工されていく食材に熱い視線を送るアルメア。

 大きめのクッションでも創るのかな、と、2人の会話で何となく当たりをつけるサリア。

 目の前の食材がどんな味になるのか、興味が尽きないミィキィ。

 5者5様の表情を視界に収め、オリヤは小さく笑う。

 

 ウチから取ってこい、つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()、そういう事だな?

 上等だ。

 

「ステフィ姉さん、ちょっと部屋に帰って荷物取ってくるね」

「え? ああ、良く判んないけど、気をつけてね?」

 声を掛けられて顔を上げれば、妙に良い顔のオリヤが真っ直ぐにコチラを見ていた。

 

 そう言えばさっきから、何やら話していたみたいだけど、なんだろう?

 

 ステフィは作業に集中していて聞いていなかったが、まあ、この様子だと大した用事でも無いのだろう。

 入り口に向かうオリヤの背中に声を掛けると、自然に、作業に集中するのだった。

 

 

 

 俺はいつ、ベッド職人になったのか。

 

 オリヤはステフィ宅を出ると、人目につかない建物の影に入り、そこから移動拠点(シェルター)に戻って、些か理不尽な現状に思いを馳せていた。

 自分の分は良い。

 なぜなら自分の分だからだ。

 その後、アルメア姉さんの監修でベッドを2台、しかも1度は作り直させられた。

 そして、更には魔王様とメイドさんの分、やはり2台。

 自分で使う家具は、きちんと造りたいから、実は2年前から街の家具屋さんでベッドを含め、様々な家具を観察し、場合によっては制作作業の見学までしていた。

 その時の知識を使えるのだから、素直に嬉しい面もある。

 多少なり対価は欲しい、と言いたいが、エルフ姉妹はオリヤのせいでお目付け役をやらされているのだし、魔王様には資材を工面して貰っている。

 とても請求できる気がしないのだ。まあ、そこまで本気で欲しい訳では無いので、構わないのだが。

 しかし今回は。

 

 どうすんべ。

 

 代金の請求については、恐らくトシロウは請求する事自体を考えては居ないだろう。

 そうなると、オリヤとしても切り出し難い。

 何しろ、ベッドの素材は魔王様の提供なのだ。

 しばし考え込むが、直ぐにオリヤは顔を上げた。

 

 まあ、良いか。

 というか、アレだ。アルメア姉さんが無茶言った分の、迷惑料だな。

 

 オリヤは事も無げにアルメアに責任を押し付け、そして作業に入る。

 タダのベッドなら、奇しくも昨日までで制作経験は積んである。

 しかし、今回の物は昨日までのベッドとは少し違う。

 正直、構造に不明な点が有る。

 自分の記憶の解析を行うのも良いが、此処はひとつ、あの能力を使おう。

 必要なのは、ベッドと、マットレス。

 

 あ、そう言えば寝具そのものが寝袋しか無い部屋だったな……。

 

 必要なものリストに、お布団セットを追加。

 後は……まあ、適当に。

 1人、オリヤは頷くと、能力の「接続」を開始した。

 

 

 

「ちょいと変則だけど、フライパンを使っても、これくらいは出来るからね」

 そう言いながらフライパンに掛けていた蓋を外すと、室内にスパイスとハーブ、そして肉の焼ける匂いが漂いだす。

 アルメアは瞳を輝かせて、フライパンからまな板に移動する肉の塊を見つめている。

 サリアも注意することを忘れ、同じ様に切り分けられていく様子を眺めている。

「ほう。中々洒落た料理だな」

 トシロウは素直に感心し、出来上がりに称賛を送る。

「あはは。まあ、食べたらまた感想おくれよ……っと、あの坊やはまだ戻らないのかい?」

 少し端折った部分もあったが、なんだかんだで30分程掛かっただろうか?

 ステフィは切り分けた肉を皿に載せながら、室内を見渡す。

 先程ギルドカードも見たのだが、どうしても見た目から坊や呼びしてしまうが、室内の誰も講義しなかった。

「ああ、ちょいと面倒事を頼んだからな。じき戻るたァ思うが……もしかして迷子になってたりしてな」

 答えるトシロウは笑うが、それを受けた方は笑えない。

「ちょっと。それは流石に不味くないかい?」

 ステフィの声に、アルメアは漸く気が付く。

 

 ……オリヤは何処に行ったんだろう?

 

 キョロキョロと室内を見渡す妹の様子に、サリアは今日何度目か、恥ずかしさと情けなさで手で顔を覆う。

 そして、妹に何と声を掛けたものか考えている間に、ステフィ邸(一間)のドアがノックされる。

「はあい、開いてるよ!」

 料理を切り分けて居る最中で、ステフィは横着気味に声を上げる。

 室内の面々も、アルメア以外は入り口に視線を向ける。

「あいよ、お待たせー」

 ドアが開いて声はすれど、室内に入ってきたのは……あれは、金属の枠?

 金属製のフレームの、間に何やら布、何か挟まっている用に見える。

 折りたたまれているらしいソレは、一見して不格好で半端な高さ・幅のパーテーションもどきだ。

 そのくせ厚みもあり、使い勝手は悪そうである。

「ちょ、ちょっとちょっと。何だいソレ」

「なんでい、折りたたみかい」

 ソレをみたステフィとトシロウが同時に声を上げる。

「……折りたたみ?」

 切り分けを手早く終わらせ、ステフィは手を洗うとオリヤの方へと歩いて行く。

 見れば見るほど、良く判らない物だ。

 金属のフレームは黒く塗装されているようで、見た目より頑丈そうに見える。

「あ。ベッド持ってきたんだけど、何処に広げれば良いかな?」

 何処か誇らしげなオリヤの表情に、ステフィは一瞬どう答えたものか迷う。

「……はぁ?」

 改めて、オリヤが持ち込んだ物体を観察する。

 檻の様に縦横に組み合わさった棒、これは鉄製だろうか?

 塗装されているようで、見た目では分からないがもしも木製だったら、いずれ折れてしまいそうな細さである。

 これがベッド? 広げる、と言うことは折りたたんでいるのだろうが、ステフィはこの様な造りのベッドを見たことが無い。

 

 俺の知ってる折りたたみベッドとも違うが……。マットレスが薄すぎやしねェか? これ。

 

 トシロウも「思ってたのと違う」折りたたみベッドを目に、表情には出さないものの当惑していた。

 もっとこう、マットレスってのは分厚いモンだと思うんだが……オリヤの使っている畳ベッドと同じなのだろうか。

 床板よりはマシかも知れないが、それにしても。

「ベッドって……いや、態々持ってきてくれたのかい?」

 料理も終わって手が空いている。

 ステフィは興味の向くまま、オリヤが運び込んだベッド……らしい、ソレに近づく。

「うん、一応新品だよ、使ってなかったからね」

 オリヤは適当に言うが、当然である。

 使ってなかったも何も、ついさっき創ったばかりなのだから。

 トシロウはそう思うものの、勿論余計な事を言うことは無い。

「そうかい、うーん、態々持ってきてもらって悪いけどさ……」

 ベッドに心惹かれるのは事実だが、ソレを広げる程のスペースが無い。

 いや、ちょっと詰め込めば行けるだろうか?

 ステフィは悩みつつ、奥の居住スペースに目を向ける。

 パーテーションで仕切っているので、多少なら広がるが、あまりキッチンを狭くしたくはない。

「置くなら、そっちのスペースだけど……それ、置けるのかい?」

「試しに置いてみよう」

 ステフィが悩むように言葉を詰まらせ、疑問を口にするが、オリヤは気にした様子もなくホイホイとそのスペースへとベッドを運び込む。

 仕方なく着いていくステフィは簡単に荷物をどかすと、奥の壁側にスペースを作成。

 オリヤはそこに、縦に2つ折りになっていたベッドを展開する。

 思ったよりも小ぶりでは有るが、やはりスペースの大部分を専有する形になる。

 オリヤは気にした様子もなく、そのベッドに予め設置されているマットレスに加え、このベッドに合わせて創った専用のマットレスを追加で設え、その上に薄手の敷き布団を乗せ、シーツを被せる。

「完成はこんな感じかな。 布団は丸洗いできるから」

 何処か誇らしげなオリヤの顔に何となく頷き返し、ステフィはベッドを見下ろす。

「一応、掛けるものは、こっちのシーツと、あと、寒い季節用の布団も用意したけど。あ、これ枕ね」

 畳まれた布団と、同じく畳まれたシーツ、そして枕をベッドの横の床に置き、オリヤの簡単な説明が続く。

「で。このベッドだけど、こうして……」

 オリヤが何やらベッドの下の何かをいじると、ステフィの目の前で()()()()()()()()()()()()()()()

「はぃ……?」

「ハァ?」

 意味がわからない。

 見ていたトシロウも、構造が理解できずに混乱している。

 オリヤは構わず簡単な説明を続け、完全にソファ状態になったベッドを、奥の壁に向かって押して見せる。

 キャスター付きなので軽く、床を傷つけること無く壁にピッタリと寄り添う。

「こうして置けば、ソファになって、床を専有する面積もだいたい半分!」

 オリヤがいよいよ得意げに胸を張る。

 なんだか、まるでこの子が作ったみたいだねぇ。

 オリヤの様子に苦笑いしながら、ステフィは考える。

 それが正解だ、等と、気づく事も無いままに。

 

 思ったよりも邪魔にならないベッドに、まあこれなら、と受け入れるステフィ。

 変形の操作は教わったが、多分ソファ状態のまま寝起きするだろうとは、本人が一番思っている。

 使用方法に関しては任せるしか無いので、オリヤはノータッチだ。

 少し冷めてしまったが、牛肉の香草焼きを振る舞ってもらって、オリヤはベッドを創って良かったと、しみじみ味わう。

 

 

 

「へぇ……こんな簡単に、なるほどねぇ」

 ステフィは初めてみたおやつ、パンケーキに感嘆しながら呟く。

「まあ、材料さえ有れば意外と簡単だし、お姉さんなら余裕だと思うよ。で、こうして」

 オリヤは秘蔵の蜂蜜……さっき食材通りで買った物をパンケーキに垂らしていく。

「おぉおぉぉ」

「あ、先にバター乗せとけばよかった」

 言いながら、オリヤはバターを取り出すと焼き立てのパンケーキに乗せていく。

 アイテムボックスが便利そうで羨ましいな、そう思いながら、パンケーキから目が離せない。

 オリヤの後ろでは、例によってエルフの妹のほうが目を輝かせ、獲物をロックオンしていた。

「バター、此処でも使うのかい……カロリーで殴りつけてくるようなオヤツだね」

 言いながら、レシピをしっかりとメモに記入していく。

「あはは。お姉さんの牛肉の香草焼きのお礼にしちゃ安いけど、まあお腹にはたまるから」

 オリヤが笑いながら言うと、ステフィも頷く。

「これなら、隣の衛兵隊に差し入れても良いかもね。蜂蜜がちょっとベタつきそうだけど」

 日頃から世話になってる部分も大いに有るのだろう。

 ステフィは満面の笑顔で言う。

 そういう事なら、もう1つレシピを公開しても良いかな?

 オリヤはちらりとキッチンに目を向け、そこに有るオーブンを見る。

「差し入れとかなら、そうだね、パウンドケーキとか……」

「なにそれ⁉」

 言いかけたオリヤの声を、ステフィとアルメアの声が重なって遮った。

 サリアも興味を覚えたものの、あまりにも食欲に振り回される妹を目にし、恥ずかしさで顔を伏せるのだった。

 

 

 

「カラアゲパン? ハンバーガー……?」

 結局、オリヤが冒険者としてやっていけるのだという証明は1つも出来ず、料理のレシピ交換で満足してしまったが、ステフィの気になるポイントは実はオリヤの境遇などではなかった。

 聞き慣れない、料理名と思しき単語に首を傾げる。

 唐揚げパンを知っているアルメアは思い出しただけで幸せそうである。

「うん。というか、単にパンの製法を教えて貰いに、大河の街に向かったんだよ」

 仄かに思いを寄せる冒険者、アロイスの急な旅立ちの理由を知り、呆れ半分、嫉妬半分という心境だ。

「なるほどねぇ……そんなに美味しいパンなら、作り方を知りたいと思うか……オリヤは作り方知らないんだね?」

 ステフィは溜息を吐く。

 オリヤが知っていれば、態々遠くまで出かけずとも、用は済むのだから。

「ううん、知ってるよ? というか、作れるよ?」

「だよねぇ……え⁉」

 だから、オリヤが事も無げに呟いた言葉を聞き逃しかけたが、直ぐに拾い直してオリヤの両肩を掴む。

「どういう事⁉」

 本日2度めの、ステフィとアルメアのユニゾン。

 若干気圧されつつ仲間の方は無視し、オリヤは答える。

「なんでって、俺が……俺も、焼いたことが有るし」

 うっかり「俺が広めた」と言い掛けて、慌てて言い直す。

 信じて貰える訳は無いが、まあ、面倒事は避けるに越したことはない。

「じゃ、じゃあレシピは……!」

 ステフィの食いつかんばかりの勢いに冷や汗を浮かべながら、むしろ若干引きながらオリヤは答える。

「う、うん、教えられるよ」

 新しくメモ用の木簡を用意するステフィのレシピ収集欲に感心しつつも、うっかり口を滑らせた事を後悔してしまう。

 なぜなら、アルメアが「大量に作れ」と目で訴えていたからだ。

 悪いことに、あのエルフはオリヤが小麦粉を大量に購入したことを知っている。

 パンをおかずにパンを食べてデザートはパン、程度の事は平気でしでかしそうなアルメアに、オリヤは勝手な恐怖感を覚えるのだった。

 

 早速パウンドケーキと、パンの仕込みをしたいという事で、オリヤ達一行はステフィ邸を追い出された。

 ベッドの具合の確認もしたかったが、本人が調理に夢中なので仕方ない。

 なにか不具合が有れば、何処かで会った時に言われるだろう。

 先輩冒険者の方はそれで良いとして、コチラは何か問題は有るかと考えれば、買い物がまだ済んでいない。

 しかし、一行、特に女性陣はもう帰って寛ぎたいご様子である。

 一旦解散で、自由行動でも良いかもなあ。

 みんな勝手に移動拠点(シェルター)には帰れるし。

 そんなオリヤの考えは、オヤツを望むアルメアの声で砕かれる。

 

 今さっき食べたよね? 食べてたよね⁉

 

 オリヤは言いたい言葉をぐっと飲み込む。

 どうせ、言った所で無駄なのだ。

 仕方ないのでハイハイと適当に返事しながら街の門をくぐって外に繰り出すと、人目の届かない場所で扉を出してみんなで移動拠点(シェルター)へと帰る。

 晩ご飯はハンバーグ、どうせならエルフ姉妹とかミキさんにも焼いて貰おうかな。

 オリヤはそんな事を考えながら、アイテムボックスの食材から付け合せのメニューを考え始めていた。

 明日こそ、買い物を完了させて、あと、適当な依頼(クエスト)をやってみよう、そう心に決めて。

 

 まだ今日と言う日は終わっていないどころか、時計の針は午後になったばかりと言う時間帯。

 しかし妙に濃い時間を過ごした気がして、もう家でゴロゴロしたい、そんな気分だったのだ。

 

 この調子で、しばらく依頼(クエスト)なんて受けないで過ごしちゃう気がする。

 

 そんな思いがオリヤの脳裏を過るが、慌てて振り払う。

 一度考えてしまえば、間違いなくその通りになるような気がして、ゲンナリしてしまったからだ。

 気分を変えて、ひき肉でも用意しておこうと、「創造力」を起動する。

 ここ数日の能力の使用がほぼ冒険に関係ない事と、アルメア用に試しに作った魔術銃(言いにくい)の事を思い出すのは、夕飯時だった。




冒険者って、何かね?


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