幻想白狼記 (D-Ⅸ)
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古代編・狼と人間と妖怪と
第一話「始まりは遠い昔」


本当に久しぶりに筆をとりました。
ファンタジー作品は初めて手を出しますができる限り頑張りたいと思います。


 最初はほんの気まぐれだったのだと思う。

 研究のために必要な植物や菌類を採取した帰り道、たまたま道の脇の草むらの中に白い何かを見つけたことがきっかけだった。

 当時の好奇心に満ちていた私はただほんの一瞬視界に入っただけのそれが気になってしょうがなかった。我慢できずに近づいていった私の目に写ったのは、傷つき倒れた白い子犬だった。

 後脚と腹から血を滲ませ、不規則で荒い呼吸をしながら苦しみ悶えるその子犬を、私は羽織っていた外套を脱いで包み込み、我が家へと連れて帰ることにした。

 私の目の前で苦しむ、小さく儚い命をこの時の私は見捨てられなかった。

 

 

 

 私は家に帰るとすぐに子犬を自室に連れ込んで寝かせ、即席の犬用の傷薬を今あるもので調合して傷口に塗った。

他にも不足した血を回復させるもの、治癒力を高めるもの、体についた有害な寄生虫を殺すもの、その他簡易的な栄養剤、などのいくつかの薬を作り、与えた。

 しばらく様子を見て、子犬の呼吸が安定しだすと、もう山場は越えただろうと判断してようやく普段の研究へと戻った。

 

 この子犬を保護したした時、まだ日は高かったのに気がつけば辺りは暗くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 僕は未熟だった。

 生まれつき体が弱く、母さんの乳を飲む時だって他の兄弟姉妹に散々押しのけられ、踏み潰されて育ってきた。

 だから6匹いた他の兄弟姉妹たちの誰よりも小さかった僕は当然体力もなく、母や群れの仲間たちから見捨てられ、置いて行かれた。頼るべき家族を失った僕は一人で森を、草原をあてどなく彷徨っていた。

 ある時、ふと母さんがネズミやウサギを食べていたのを思い出して、それらを探すために草原へと向かった。

 僕が目をつけたのは自分に背を向けてもぞもぞと動いているウサギのような小動物だった。長い間まともに母乳も吸えてなかった僕は腹が減って仕方のなかったせいもあったのか、ただ何かにありつきたい一心で、狩りの仕方も分からないのにそのウサギ目掛けて飛びかかった。

 

 そこから先は記憶も曖昧だった。

足で蹴り飛ばされて、後脚を噛まれて返り討ちにあった僕は怖くなってただひたすらに逃げた。逃げるしかなかった。とにかく必死で、どこにどのくらい逃げたかなんてもう覚えてなかった。

 

 次第に自分が何を考えているのか分からなくなって、体に力が入らなくなって、何もかもがどうでも良くなって、ただ漠然と「僕はここで死ぬんだ」と思いながら倒れたところで、僕の意識は途切れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 体を包み込む暖かさを感じながら、僕は目を覚ました。

まだ頭が働いてなくて、目もぼんやりしていて、それでも鼻だけは草原や森のものとは違う少し変わった匂いを感じ取っていた。

 

(ここは、どこだろう……?)

 

 母さんか他の群れの仲間が僕を拾いにきてくれたのだろうか、それとも……。

 ようやく馴染んできた目を凝らして辺りを見渡す。

 

 そこは、未知の世界だった。

 

 僕の周りを毛皮ではない薄くて柔らかい何かが覆っていて、体を起こすとそれは音も立てずに背中からスッと落ちた。

気がつけばあんなに痛くて辛かった傷もなくなっていて、赤く染まっていたお腹も後ろ足も白く戻っていた。

上を見上げれば空が木の香りがほんのりとする茶色い何かに塞がれていて、太陽ではない白く光る大きい何かが僕のいる場所を照らしていた。

 周りを見ればどこもかしこも、何もかも知らないものばかりで。そんな中に自分は一人ぼっちでいるんだと思うと、心の中にじわじわと不安と恐怖が湧いてきた。

 

 ちょうどその時だった。

「ガチャッ」という聞いたこともないような音と共に、何かが入ってきた。

 いきなりのことで驚いた体がピクリと一瞬震え、恐る恐る振り返った。

 

 

 

 

 

 そこには、綺麗な銀の毛をした人間が立っていた。

 

 

 




動物視点っぽく描くの難しいですね。
タオルとか照明とか、あとは木材の天井とか、動物にはなさそうな概念をなんとなく雰囲気それっぽく表現する文章を考えて、なんとか形にするだけで一晩かかりました。
ただ、少しの間は肝心の東方要素が薄いかもしれません。









あと、僕っ娘は作者の趣味です。


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第二話「銀の薬師と子犬」

第二話です。
第一話ほど難産ではなかったような気がします。


「よかった……」

 

 ある日の夜、保護した子犬の様子を見に来て、起きていた子犬と目があった時、自然とそんな言葉が出てきていた。すでに保護してから二日以上は経っていた。その間ずっと目を覚まさなかったため流石に心配になっていた頃合いだったのだ。

 

 一歩ずつ、できるだけ驚かせないように近づいて行く。

それでもその子犬は体の大きな私が近づいてくるのが怖いようで、尻尾を丸めて縮こまっていた。

 

「怖くないわ……大丈夫」

 

 手を伸ばしてそっと抱き上げる。

 なんとなくの表情や尻尾の具合でやはり不安そうにしているのが見て取れた。その不安を溶かすように、今度は胸のあたりまで抱き寄せて指で頭を撫でる。

 さっきとはうってかわって目を細めてされるがままになっている子犬を見て、小さく笑みがこぼれた。

 

 私はそのまま近くの椅子に腰をかけてしばらく子犬を撫で続けていた。すると、どうやら子犬は私の腕の中で寝てしまったらしくスゥスゥと可愛らしい寝息を立てていた。

私は起こさないよう、静かに膝の上に下ろした。

 

 小さく丸まって眠るその姿が、ちょうど窓から見える今日の月のようだった。

 

 

 

 

 

 

 僕がここに来てからしばらく経った

日が昇っては沈んでを何回も繰り返していたから、結構な時間を彼女と過ごしていたように思う。

 

 ここに来てばかりの頃、僕は倒れていたところを人間に捕まったんだと勝手に思っていた。

 僕が群れから、母さんから置いていかれる前に一度、「神や人間には近づくな」「人間は敵だ」と教えてもらった事があったからだった。

 

 でも僕をここに連れて来た彼女はどうにも違うようだった。僕を殺そうと思えばいつでも殺せるほど大きいのに、一度も酷いことはしてこなかった。

 それどころか僕の傷を治してくれた上に、毎日ミルクの代わりに美味しい飲みものを飲ませてくれる。最近ではそれ以外にも柔らかいお肉なんかも用意してくれるようになった。

 それに何より彼女はとても暖かくて、一緒にいて心地良かった。

 彼女はとてもいい人だ。

 死にそうになっていた僕をこうして自分の巣に連れ込んで来たのも、きっと僕のことを助けたいと思っていたからなんだろうと思った。

 そう考えると胸の中がポカポカして来てもっと気持ちよくなって来た。

 まるで、もう一人の母さんができたみたいだった。家族に捨てられた種族の違う僕を助けてくれて、本物の家族以上に可愛がって大切にしてくれる彼女を、僕もいつしか家族のように慕っていた。

 

 家族といえば、この巣は僕の思っている以上に広くて、彼女以外にも人間が住んでいた。

僕が目を覚まして少しした後、何人かの人間と出会うことになった。彼女たちは僕を拾ってくれた人の仲間みたいで、この巣の中でたまに会ったりする。他にもこの巣に来る他の人間や神もいて、みんな僕を可愛がってくれている。

 そんな優しい人たちを、僕も次第に大好きになっていった。

 

 

 

 

 僕は今、最高に幸せだ。

 できれば、こんな毎日がずっと続きますように。

 

 

 

 

 

 

 あの子を拾ってからすでに半年以上が経過した。

 私はあの子の傷が完治したあたりから彼女(確認してみたら犬ではなく狼で、メスだった)に白(しろ)と言う名前を付け、ついでにいくらか芸を仕込み始めた。ペットを育てるのは今回が初めてのことだったのできちんとできるか不安だったが、そんな私の不安をよそに彼女は瞬く間に知識を吸収して芸を覚えていった。

 

 おすわりやお手から始まり、今ではいくつか物の名前と数字を理解できるようになっていて、その上教えてもいないのにドアや襖を開けたり閉めたりできるので、欲しいものを頼めば持って来てくれる。私の屋敷はそれなりに広いと自負しているが、彼女は案外すんなり覚えてしまったためほとんど迷う事もない。まさに天才的な頭の良さだった。

 白と一緒に暮らしていて思ったが、まさか狼がここまで賢くて愛嬌のある生き物だとは思わなかったというのが正直なところだった。もしかしたら白が例外中の例外なのかもしれないが。

 

 今思い返すと、彼女も随分と立派にすくすくと育ったものだと、本当に思う。

 拾って来た直後はひ弱で、両手のひらで問題なく抱き上げることが出来るくらいにかなり小さい子だったのだが、今では中型程度の大きさにまでなっている。生後一年もかからずにこれであれば恐らくはもう少しは大きくなるのだろう。

 あいにく私は薬学とか医学とか化学がメインで生物学や獣医学までは手が回ってないのだけど、これをきっかけに今後はそっち方面をもう少し真面目に勉強してみるのもいいかもしれない。

 

 狼らしい凛とした彼女の顔立ちにはまだ子狼ゆえの幼さが残るが、それがまた可愛らしく本人の温厚で懐っこい性格もあって屋敷の住人や客人の癒しとなっている。

 あの子が来てからは私の周りに笑顔が増えた。

 特に最近付き合いのある綿月家の姉妹や、私の上司でもある月夜見様はその毛並みに夢中と言った具合で、しょっちゅう白に飛びついてじゃれ合ったり昼寝したりしている。時折抱き枕のように扱われているのも見たことがあるが、本人は面倒臭そうな顔をする割には拒むようなことは一度もないらしいので本当によくできた子だと思う。

 

 ただし、まだ小さく幼い綿月姉妹はともかく、普通に大人の月夜見様まで当たり前のように姉妹に混じって「あ゛ぁぁぁもっふもふに癒されるわー!」とか心底情けない声を出すのは流石にやめて頂きたい。この間偶然居合わせた綿月夫妻が心臓ごと固まってしまって復活させるのにえらく苦労したのだから。

 まぁ、最近仕事が増えたせいでたまには羽目を外したくなると言うのも分からなくはないのだけれど。

 

 白は意外としっかりした体格で体力もそれなり以上にはあり、何より力の加減がわかっている節があるので姉妹のいい遊び相手となってくれていると、綿月夫妻からも度々感謝されている。

 かく言う私もあの子が来てからというものの、ストレスを感じにくくなりなんとなく仕事や研究がはかどりやすくなったような気がするのだから、本当に良いことづくめだった。

 

 

 

 最初はほんの気まぐれのようなものだったが、私はあの子を拾って心の底から良かったと思う。

 今では白はすっかり私の、私たちの生活の一部になっているのだから。

 

 

 




この後から少しずつですが東方っぽさを出していけたらなと思っています。

いくつか作りかけの文章がストックされていますので、次回の投稿も早ければ3日以内に上げられたらいいかなと考えています。


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第三話「ある日の八意邸」

あの時代の人間って何万歳とか何億歳とか異様に長生きだし、妖怪でもなんでもないただの犬(狼)がさりげなく長生きでも別に問題ない……よね?多分。

ちなみに第二話からかなり時間が経っています。



〜 朝 〜

 

 

 

 朝、僕は日の出とともに目を覚ました。

若干寝ぼけていて意識がぼんやりする中、ご主人様の眠る布団から立ち上がり数歩歩いて畳へ出て、思いっきり背を伸ばしてあくびをする。

 すぐ隣で寝していたご主人様をちらりと見て確認するも、どうやらまだ寝ているらしい。昨日はレポートがどうとか会議がどうとか言って遅くまで起きていたことを思い出し、きっと疲れているだろうからちょっと起こすのもどうかと思ったので、一応そのままにしておく。戻ってきたら考えよう。

 

 そのままスタスタと歩いていき廊下へと通じる障子に爪を引っ掛けて少しだけ開く。

遮られていた太陽の光が飛び込んできて部屋を照らした。

少し眩しいがそのまま光の差す隙間に鼻を、顔を突っ込み首の力で障子を押し広げる。

 

 今日は見事なまでの晴れだ。見上げれば雲が少なく空が無限に広がっていた。特にこの時期は心なしか空気が澄んでいて空も一段と綺麗に見える。

 廊下を出てそのまま縁側から外へと飛び降りる。外の冷たい空気と太陽の光が眠気を覚ますのに丁度いい。

 庭へと出るとそのまま池の方に歩いていき、そこから少しだけ水を飲む。冬の冷たい水が寝起きの少し乾いた喉を十二分に潤した。

 

 それからしばらくは家の中や庭を見て回る。

 すでに起きて朝の準備を始めている女中の人たちと時折すれ違いながら、外の音に耳を傾けたり周囲の匂いを嗅いだりなどをして、もし不審な音や匂いがあったら吠えて教えるようにしている。これは雨の時以外はほぼ必ずやる日課という奴だった。

 どうやら屋敷の中を狼が歩き回っていると『ネズミ』のような害獣が寄り付かなくなるらしい。

 僕がくる前は台所や倉庫によくネズミが湧いていて、わざわざ殺鼠剤を作って置いておかなければならなかったそうなのだが、僕が来てからはそれをする必要がなくなって幾分楽になったとご主人様が喜んでいた。ご主人様に喜んでもらえると僕も嬉しいから、僕はこの屋敷の見回りという仕事には少なくないやりがいと、僕が屋敷を守っているのだという自負を感じていた。

ただし、僕よりもよっぽど強い人がこの屋敷を頻繁に訪れたり、たまに泊まり込んだりしているので、実際のところは少し微妙なのだけれど、それに関しては目をそらしておく。

 

 今日も特に異常もなく、屋敷をほぼ一周してご主人様の部屋の近くまで戻ってきた。もう一度部屋に戻って様子を見てみようかと思っていたその時、後ろから声をかけられる。

 

「あ、白ちゃん!丁度よかったわ。ちょっといい?」

 

 一旦足を止めて振り返ると、そこには一人の女中がいた。

 確か何十年か前に入ってきた屋敷の中でもかなり新参の子だった。

 

「実はご主人様を起こしてこいって先輩に頼まれちゃったんだけどさ、私実は別の人から他の仕事も頼まれちゃってて……とにかく、ご主人様を起こすの代わりに頼んでいいかな?」

 

 それは今どうしようか考えていたところなので本当に丁度よかった。

 とりあえず「分かった」の意味を込めて一回「ワン」と軽く吠えておく。「分かった」と直接人間の言葉で言えないのは不便だ。

 ちなみにこの屋敷の住人は僕が人間の言葉を多少は理解できることを知っていて割と普通に話しかけてくる。もちろんあまり難しい言葉はわからないがこの程度の言葉なら聞き取れるし理解もできる。

 僕だって伊達に人間たちに囲まれて暮らしてはいない。

 

 

 

 空いていた隙間からもう一度入って様子を見る。

 やっぱりまだ寝ているらしい。昨日は夜遅くまで頑張っていたのをすぐそばで見ていたから、もう少しだけ寝かせてあげたいという気持ちもあるが、頼まれてしまった以上は起こすしかない。

 

 とりあえず鼻先でツンツンとつついてみるが……起きない。

 次は顔を数回ペロペロと舐めてみる。

 

「んー……。白、おはよう」

 

 今度は起きた。

 ご主人様は少し朝が弱いところがある。

 

「起こしてくれたのね。ありがとう」

 

 目をこすりながら体を起こすと、僕の頭に手を乗せてそのまま何回か撫でてくれる。

 僕はそれが嬉しくて、目を細めて尻尾を左右に振った。

 

 この後はご主人様の着替えや歯磨き、髪の手入れや化粧などを近くから見守ったり、一緒にご飯を食べたりして過ごしていった。

 今日の朝ご飯は野鳥の骨つき肉と馬の内蔵だった。

 

 

 

 

 

〜 昼 〜

 

 

 

 ご主人様が昼食を食べ終わった頃、僕はよく使う客間の一つに入って畳の上で寝転んでいた。特に何も変わったことも、やるべきこともない日はいつもこうだ。

 ちなみに僕は昼には何も食べていない。食事は毎日朝夕2回だけだ。

 ご主人様は今、来週の仕事で使う資料と昨日の書きかけの論文のまとめの続きをするといって自分の部屋に引きこもってしまった。

 なので、今僕は暇なのであった。

 普段は一緒にいてくれる時間もあるのだが、今回は仕方ないかと思う。仕事だし。今日だって朝食を食べた後は休憩や厠以外では部屋から出てこなかった。最近は特に忙しいらしくいつも机に向かっているか、どこかに出かけてばかりだ。

 

 それにしても人間はやることが多くて大変そうだ。自分なんて食って寝てたまに屋敷の見回りをして時々遊んだり、後たまに頼まれたものをくわえて持って行ったりといった感じだ。

 これでは大した恩も返せていないどころか返さなければならない恩ばかりが増えているような気がして少しモヤモヤする。

 なんと言うべきか、自分の不甲斐なさに対して。

 みんながどれだけ僕のためにお金というものを使っているのか、みんながどれだけ僕のために時間や手間をかけてくれているのか、僕だって人の言葉をある程度理解できるようになってからは、知らないわけじゃない。

 だからこそ何かみんなの役に立てることはないかなと時々考えたりもするのだけど、あんまり頭の良くない自分には思い浮かばなかったりする。

 

 

 

 そんなことを考えていると、塀越しに聞こえる町の営みの音に紛れて、聞きなれた足音が3人分向かっていることに気がついた。

 ゴチャゴチャとした考え事を置き去りにして部屋を出て庭へと降り、門の前に駆けていく。

 その3人が門にたどり着く前に先回りして今度は「ワン!ワン!」と大きく吠える。

 すると、玄関の方から一人の女中が駆け寄ってくる。

 

「あらあらシロちゃん、来客ですか?……今出ますからね」

 

 黒髪にチラホラと混じる白髪と顔に刻まれたシワが重ねてきた年月の多さを物語るこの人は僕がここに来るずっと前から働いている古参の女中だった。

 年も数千や数万ではきかない程なのだとか。

 そうこうしているうちに足音の主も門の前に到着して立ち止まっている。

 

 女中が閂を抜いて扉を開けると、そこに居たのは豊姫様と依姫様の綿月姉妹と月夜見様だった。

 今日は仕事か何かだろうか、綿月夫妻の方はどちらも来ていないようで、代わりに月夜見様が姉妹を連れて来ていた。

 これは月夜見様の屋敷と綿月家の屋敷がお互いの家がすぐ近くだからこそできることだった。

 

「「シローーー!」」

「シロちゃーん!」

 

 そして3人揃って飛び込んで来る。

 正面からは月夜見様が、左右からは豊姫様と依姫様が抱きついて来る。みんな好き勝手にするものだから視界が上に下に右に左に揺れるし時折塞がれもする。

 門を開けてわずか5秒足らず、あっという間に人間2人と神様1柱からもみくちゃにされてしまったが、まぁ今の時期はよくあることだった。

 

 

 

 ところで、みんなに抱きつかれるのは暖かいからこれはこれでこっちも気持ちがいいし、僕は嫌いじゃないけど……早く家に上がらなくてもいいのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 あの後、女中さんの助けもあって人間団子状態から解放された僕が向かったのは、やはり屋敷の客間だった。

 今は電気ストーブのおかげで温まった部屋の中で、卓を囲みながら談笑している。その輪の中には仕事を一旦切り上げて休憩しに来たご主人様の姿もあり、子供同士、大人同士で盛り上がっているようだった。

 

「……でね、須佐男ってば酷いのよ!住吉三神が飲み比べしてる所に乱入した挙句に、お酒が足りないからって私が少しずつ、大っ切に飲んでたお酒……ワインって言うらしいんだけど、横から奪って全部飲んじゃったのよ!しかも飲んだ後に出て来た言葉が『なんだこれ』ってもうホントあり得ないんだから!せっかく他の大陸の神から譲ってもらったお酒なのに!まだ盃2杯分しか飲んでなかったのに!レア物だったのにぃぃぃぃぃぃ!!もう知らない!あんなの大っ嫌い!次またやらかしたら天照の時みたいに今度は私が引きこもってやるんだから!……それにね、天照ったら須佐男の暴走を見てて何も言わないのよあのブラコン!あの後はもう大変で……」

 

 どうやら月夜見様の話はお酒の席での愚痴のようで、どうも酒乱の須佐男に大切にしていたお酒を飲み干されたことに怒っているようだ。

 羽目を外してまくし立てるように喋る月夜見様を、ご主人様が受け流している。

 これも……よくある光景だったりする。

 月夜見様はここにいる時はいつもこんな調子だから困ると、ご主人様はいつもぼやいていたのを思い出す。普段の月夜見様はもっと落ち着いていて、理性的で、今よりも穏やかな話し方をするのだそうだ。

 実際僕もそういった真面目な月夜見様を何回か見たことがあるが、それでも自分はこのくだけた感じの月夜見様の方を多く知っているので、逆にそっちの方がどちらかと言えば違和感があると思う。真面目な月夜見様もかっこよくて尊敬できるのだけれど、僕はこっちの方が親しみが持てて良いかもしれない。

 もっとも、それを本人の前で言うつもりは無いし、そもそも言えないが。

 

 ちなみにそうした話を聞いている間、僕は月夜見様の隣で彼女のゆったりとした白いロングコートを布団がわりにして寝転んでいた。

 月夜見様はご主人様とこの屋敷の人たちの次に僕のことを気にかけていて、たまにご主人様が不在の時はよく女中たちに混じって世話をしてくれている。

 だから月夜見様の近くもご主人様のそばにいる時と同じく落ち着くし、月夜見様の匂も僕は好きだった。

 

 こういう賑やかな所にいると、たまに自分もただ横から聞いているだけではなくて、この輪の中に入っていっぱいお話ができたらなんて考えることもあるけれど、そこはやはり狼の体。無理なものは無理だし、やっぱり少し寂しい。

 

「……で、しかもその時一緒にいた火雷と句句廼馳も悪酔いしてて……」

 

 そんな寂しさを忘れるように、僕は月夜見様の愚痴を聞き流しながら微睡みに任せて眠っていった。

 

 

 

 

 

〜 夜 〜

 

 

 

 月夜見様と綿月姉妹を見送った後、手っ取り早く夕食を済ませ、しばらく居間でくつろいだ後、ご主人様と2人きりで寝室まで来ていた。就寝の時間だ。

 布団に入ってあとは寝るだけなのだが、ご主人様はどうにも寝付けなさそうな様子だった。窓から見える朧の月を眺めるばかりで、まだ眠れていないようだ。

 何かあったのだろうか?

 そう思った僕はご主人様の枕元まで近づいて、そのまま伏せた。

 

 すると、僕に気づいてこっちを向いたご主人様と目があった。

彼女は僕と視線を合わせたまま小さく微笑んだ。

いつもと変わらないはずのその笑みが、今日はどこか違って見えた。

 

「白……ごめんなさい、心配させちゃった?」

 

 僕は何も言わずに、ご主人様を見つめ返す。ご主人様が見せた笑顔の影を見ようと思ったから、できればその影を、僕が晴らしてあげたかったから。

でも一瞬見せたその違和感も、次の瞬間には何事もなかったかのように霧散して、またいつも通りの優しい顔になってしまった。

 

「白、ちょっと……いい?」

 

 そう言うと、ご主人様は自分の入っている布団を少しだけ持ち上げた。

 一緒に入って欲しいのだろう。

 そう察した僕は一度立ち上がってスルリと中へ滑り込むと、隣に寄り添うように寝転んだ。布団を持ち上げていたご主人様の腕がゆっくりと降ろされて僕を抱き寄せる。

 僕は彼女と彼女の体温に温められた布団の中に包まれた。

 

「今日は、一緒に寝させて。……白」

 

 僕は彼女が寝るまで、そして寝てからも隣にい続けた。

 

 

 

 こうしていると、ここに来たばかりの頃を思い出す。

 今では僕が勝手にご主人様の隣に来て、布団の上の邪魔にならなそうなところに寝ていることがほとんどだけど、昔は……保護されたばかりの頃はいつもご主人様と一緒にいた。朝起きて、一緒にご飯を食べて、時折散歩のために一緒に外に出て、彼女が机に向かってペンを走らせている時も膝の上に座らせてもらっていた。

 仕事や研究で家を留守にしている時以外はほぼ毎日そんな生活をしていた。

 昔は今みたいに気を使って仕事中はそっとしておくとか考えもせず、とにかく甘え放題わがまま放題だったことを思い出した。今になって考えれば、ずいぶんと迷惑をかけていたかもしれないと思う。

 仕事や研究で家を留守にしている時以外はほぼ毎日そんな生活をしていた。

 もちろん、こうして一緒の布団に入って彼女の腕に抱かれて眠ることも多かった。

 本当に……懐かしい。

 

 

 

 僕がここに来てから何百年経っただろうか。

 ふと、そんなことを考えてしまう。

 僕はあれからみんなの役に立ちたくて、みんなと一緒に居たくて、できることはなんでもやろうとしたし、教えられたことはなんでも覚えようとした。

 座ったり待ったり伏せたり指示されたものを取りに行ったりもした。教えられた人間の言葉も何十何百と覚えたし、それ以外の言葉もみんなの会話から少しずつ拾って理解しようともして来た。

 おかげでみんなが何を言っているのか、少しずつ理解できるようになって、それで僕は僕が思っていた以上にみんな……ご主人様や月夜見様、豊姫様、依姫様たちに大切に思われていることも知った。

 

 だから僕も、僕を大切に思っているみんなの気持ちと同じくらい、みんなのことを大切に思っているってことを伝えたくて、吠えてみたりいっぱい尻尾を振ってみたりしたけれど、でもどんなに頑張ってみたところで僕はただの狼で、みんなは人間や神様で、そこだけはどうにもならなかった。

 言葉で直接思いを伝えられないことが、何よりも悲しくて、寂しくて、悔しかった。

 もちろん今だってそうだ。

 僕は狼だから、人や神様であるみんなに僕の心の中の想いを伝えられないし、一緒に笑い合うこともできないし、愚痴だって聞いてもらえない。

 それに僕はきっと、一緒に過ごして来た何百年もの間ずっと姿の変わらないご主人様ほど長くは生きられないような気がするから、明日か来週か来月かそれとも何年も後か、いつになるかは分からないけど、いつかは必ず別れる時だってくるのだろうと思う。

 だからそうなる前に、一度だけで良いからご主人様と話してみたい。この胸の中の温かい気持ちを感謝とともに伝えたい。

 それが僕の、たった一つの夢だった。

 もし僕が人になれたら、なんて今まで何度も考えたけど、でも結局それは叶わない願いでしかなくて、そして後には現実に打ちのめされて虚しくなるばかりだった。

 だけどみんなは僕のそんな悩みなんて知らないで、種族の違いなんて関係ないとばかりに毎日僕のことを可愛がって撫でてくれたり、抱きしめてくれたり、美味しいご飯を食べさせてくれたり、そして今みたいに一緒に寝てくれたりする。気がつけばその優しさに、暖かさに飲み込まれるように、そんな悩みはすぐに頭の片隅に追いやられてしまうのだった。

 

 だから僕はいつしかそんな幸せな日々が永遠に続くかのように思い込んでしまっていた。

 街の壁を隔ててすぐ隣にいる脅威のことを忘れてしまっていた。

 

 

 

 結局、僕は野生を忘れてしまったただの甘えん坊だったんだ。

 

 

 




自分の文章にしてはかなり長くなりました。
ここまで長くなると誤字や脱字、誤植が気になります。
もしミスを見つけたら感想欄にてご報告いただけると嬉しいです。

実は次話の内容を一部こっちに持って来たので次はこれよりも文章が薄くなるかもしれません。
また、次話は急遽少し内容を変更することになったので次回の更新についてはおおよそ一週間後くらいを目指しています。


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第四話「消せない不安と……」

この時代の都市に関しては、近現代の日本のイメージをベースにしていますが、部分的にはオリジナル要素があります。
あと、妖怪に関する設定の中にも独自のものが含まれます。


 ある日の早朝、僕はご主人様の後ろを数人の女中と共についていき、玄関へと向かっていた。

 今日はご主人様が都市の北の山に薬草を取りに行くというので、今日を含めて3日ほど家を空けるのだ。帰りは明日の夕刻になるとか。

最近は出かけることはあってもそのほとんどが都市の中の役場やら議会やら学校やら会館やらで、都市の壁を越えることなんて十何年に一度か二度あればいい方だったので、最初聞いたときは珍しいと思った。なんでも、今回目当ての薬草は他の雑草と見分けのつきにくいレアな薬草らしく、他の人では見分けられないだろうから自分が行くと言ったのだとか。それが今研究している病気の治療薬の素材として必須らしい。

 

 もちろん今日に至るまでに一悶着あった。ご主人様はこの都市の中でもかなりの重要人物で、都市の中の地位も上から数えた方が断然早い。しかも最近また昇進したばかり。そんな人が最近特に妖怪が出ると噂され始めた北の山に単身赴くというのだから反対しない方がおかしい。

 名前も聞いたことのないような都市の偉い人も反対したし、身近な人ではご主人様の上司でもある月夜見様が反対した。さらに月夜見様が話したせいで都市の名家である綿月家の耳にも入り彼女たちも反対した。当然こればっかりは僕も反対だったし、もっと言えば僕は一人で行かせるくらいならついていきたいのが本音だった。

 少なくとも人間よりは鼻や耳が良いのだから全く役に立たないなんてことはないだろうし、いざとなれば妖怪と戦う覚悟だって決めていた。日頃からもっと役に立てないかと思っていたし、今回はそのちょうど良い機会になるだろうと思っていた。

 ただし、当然と言えば当然なのだがご主人様に僕を都市の外まで連れて行く気は最初から無かったらしい。何度か同行したいとアピールをしてみたものの、やんわりと断られてしまった。

 どうやら最初に僕を拾った時のことを思い出してしまうし、もしものことがあって僕に怪我をされると困るからなのだとか。

 

 それ以上に僕はあなたに何かあったらと思うと、心配で胸が苦しくなるほどなのに。

 

 

 

 結局、都市の軍の12人を護衛として付けて行くことを条件に山へ行くのを許された。ご主人様は「妖怪相手には負けたことがないから」と言って、大げさすぎるんじゃないかと気にしているようだったが、僕から見ても護衛がつくのは妥当だと思う。

 特に妖怪が出るなんて噂がされているような場所ならなおさらだ。

 ご主人様が今まで妖怪を相手に戦って勝ってきたことは素直にすごいと思うし尊敬もできる。でも、今まで順当に勝ち続けて生き残ってきたからといっても、それは今後もずっと勝ち続けられることとは結びつかないのだから。

 

 ご主人様の中に見える、慢心という不安の種が、どうにも心の奥底に引っかかっていて居心地が悪かった。

 どうにかこれが、ただの思い過ごしでありますように。

 

 

 

 

 

 

 門までたどり着くと、早速その12人が待っていた。どうやらもうここから護衛は始まるようだ。全員が最近開発されたらしい銃という武器や短剣で武装している。

 銃と言うのは、霊力のない人間でも扱える飛び道具らしい。具体的にどういう仕組みのどういうものなのか詳しいことは分からないが、軍人が全員身につけているということは、少なからず戦いに役に立つものなのだろう。

 僕が行けないのは不満だが、駄目と言われてしまった以上はこの人たちに頑張ってもらうしかない。見送りの女中たちの中に混じって、僕も渋々といった感じで見送ることにした。

 いくら危険だといっても、流石にこれだけの人数がいれば大丈夫だろうし、過去にご主人様はそこにいって無事だったのだから今回も無事に、何事もなかったかのように帰ってくるだろう。

 もし帰ってきたら、その時は心配させた分の埋め合わせにしつこいくらい甘えてやろう。

 とにかく今はご主人様たちの一行の無事を信じてみよう。いや、今はとにかく信じるしかない。

 

 だって、一緒に行けない僕にできることなんか、そうすること以外に何も無いのだから。

 

 

 

 

 

 

 ご主人様を見送ってしばらく後、僕は気分転換に屋敷の中を歩き回っていた。どうにも胸騒ぎというか、嫌な予感というのが脳裏にこびりついたままなぜか離れない。

 今までだって、今回の時のような理由で都市の壁の外にご主人様が出て行くことはあったし、もちろんいつも傷一つなく帰ってきていた。今回だってきっとそのはずだ。それに、戦闘においては僕みたいな狼一匹なんかよりも強そうな護衛だって何人もいるんだし、何も心配はいらないはずだ。

 さっきからそうやって、しつこいくらい何度も自分の心に言い聞かせていた。

 

 なのに……それなのにどうしてこう、何か良く無いことが起きるような気がしてならないのだろうか。これが俗に言う、第六感とやらなのか。

 

 

 

 そうやって思考の渦にうだうだと巻き込まれていると、ある一つの部屋にたどり着いた。そこは女中たちの休憩に使われる部屋だった。

 ただなんとなく気を紛れさせるためなのか、興味本位なのか、明かりのついたその部屋の障子の隙間から、まるで無意識に導かれるように部屋に入ると、ちょうど部屋の中央あたりにある卓袱台の上に広げられた、灰色の紙に目が行った。

 新聞という奴だ。

 僕は一応文字が読める。言葉を覚えたら次は文字だと思って自力で勉強した。具体的にはご主人様と月夜見様が豊姫様と依姫様にそれぞれ勉強を教えているのを隣で見たり聞いたりしていたのだ。特に文章を読み聞かせている時などは習得の役に立った。

と言っても、そもそも文字を使うことなどない狼が人間や神様の使う文字を一から覚えようというのだからかなり苦労はした。言葉を覚えるよりも何倍も手こずった記憶がある。

 とにかく、今は何かしていなければ落ち着かないような状態であったので、少し冷静になるためにも文字に目を通すのも悪くないかと思い、その新聞の文面へと目を落とす。

 そこに書かれていたのはここ最近の事件などを乗せた記事だった。

 

 

『軍事演習中に兵士三名消息断つ 濃霧で遭難か』

『行方不明の親子、遺体で見つかる 妖怪の仕業と断定』

『妖怪が失踪した男性に化け遺族ら襲い三名重症 自警団「極めて残忍」』

『連続児童誘拐殺人事件、犯人の妖怪をついに射殺』

 

 

 分からない言葉をちょいちょい飛ばしながら読み進めていくが、やはり暗いものばかりでそのほとんど、8割くらいが妖怪に関する事件を扱った記事だった。そして僕は、その中に頻出する一つの単語が気になって仕方がなくなった。

 

 『妖怪』……人の恐怖や血肉を食らって生きる化け物。人間とは相容れないまさに天敵。それがこの都市の外に、ご主人様が向かった山にいるのだと思うとぞっとした。

 当然、新聞でも妖怪に対する情報はどれもネガティブなものばかりで、中には妖怪の非道さ、悪辣さを公然と罵るような文面さえあった。これが、妖怪のあり方。これが、人間と妖怪の関係。

 

 冷静になるどころか、僕の中で燻っていた不安が心を蝕む炎となって、じわじわと燃え広がるように思考を侵食していった。

 もし、ご主人様や僕の大切な人たちが妖怪に殺されてしまったら、僕は正気を保ったままでいられるだろうか。もし僕が何かの拍子に妖怪になってしまったら、僕はどうなってしまうんだろうか。僕の在り方まで妖怪に引きずられていってしまうのだろうか。その時僕は、ただ衝動に任せてみんなを襲ってしまうのだろうか。そしてみんなは、妖怪になった僕を拒絶するのだろうか。

 不安がさらなる不安を招き、沸き立つ負の想念が僕の心を全力でかき乱す。

 

 ……駄目だ、考えるな。これ以上は何も考えるな。

 

 僕は頭の中を支配しようとしてくる悪い思考や妄想を強引に振り払い、そこから逃げるように今いる部屋を飛び出した。そのまま僕は足早にご主人様の部屋へと駆け込んだ。

 

 

 

 僕は畳んで端に寄せられていた布団に飛び乗ってそのまま丸くなった。

 やはり、ご主人様の匂いを感じていると、少しだけ気分が落ち着く。先ほどまで感じていた強烈で、胸を焼き焦がすような不安感も少しずつ引いていった。

 

 きっと、僕は少しおかしくなっていたんだろう。

 久しぶりにご主人様が日にちを跨ぐほど家を空けるから、それに妖怪の良くない知らせや噂話が丁度タイミング悪く重なってしまったから。

 それで不安に駆られてしまっただけだ。

 

 ご主人様、どうか無事に戻ってきてください。そして僕を安心させてください。

 

 

 

 

 

 だけど、その願いは叶うことはなかった。

 翌日、妖怪の襲撃を受けてご主人様が山の中で消息を絶ったという知らせが飛び込んできた。

 

 




筆が勝手に走って気がついたら当初の予定よりも文量がむしろ少しだけ増えていたでござるの巻。
それでも前話の半分くらいなんですけどね。
第三話はいい切り方が思いつかなかったので2話分の文量でも分割できませんでした。
今回は台風で頭がおかしくなったせいか、筆が謎の暴走をした結果ですので、もし見落とした誤字脱字または文法的にトチ狂った箇所等がありましたら報告していただけると幸いです。

次回の更新は一週間以内を予定しています。
もしかしたら大の苦手な戦闘描写が入るかもしれないので若干時間が欲しいというのが正直なところなんですよね。
古代編ももう少し、あと数話したら終わります。
主人公の人化も近いです。
ただし、次話以降は書き溜めというか、下書きがある分の最後の話となりますのでそれ以降は本当に不定期になります。

ちなみにこの小説、本当はもっとサクサクっとギャグをメインにした軽いノリで、文字数も少なく行く予定でしたが、なんか書いていたら予想外に話がシリアス寄りに重くなってしまったがためにあらすじを第一話投稿前に書き換えたという裏話があります。

そのあらすじも9月18日時点で急拵えのものから変更しました。


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第五話「妖怪」

若干遅れてしまいました。
すみません。
ある程度書いた後に5回くらい手直ししたせいで思ったよりも時間がかかってしまいました。


 彼女が……ご主人様が行方不明になった。

 

 早朝、昨日から相変わらず落ち着かない心を鎮めるために、廊下で何をするのでもなく外を眺めていた僕の耳にそんな最悪の知らせが飛び込んで来た。

うっすらと、頭の中で靄のようにかかっていた眠気が一瞬のうちに吹き飛び、跳ねるように立ち上がった。急いでその会話の聞こえた方に行き、両の耳をその会話にだけ集中させた。

 

『濃霧の中で妖怪の襲撃を受けたとの連絡を最後に、護衛とともにご主人様は消息不明になった』

 

 妖怪という言葉を聞き取った僕は、背筋の凍るような悪寒を感じ取った。僕は妖怪がどういうものか知っていた。つい昨日だってその妖怪の危険性を伝える記事や妖怪を糾弾する記事に目を通したばかりだった。僕はこの都市の中で、人間や神様たちの中で妖怪がどれだけ危険視されているのか知っていた。そんな危険な存在に、僕のご主人様が襲われた。

 こんなことをしている場合じゃない。ご主人様が、僕の大切な人が危ない。

 

 そこまで理解が追いついたところで、僕の足は勝手に動いていた。

 門の前で話していた会話の声の主たちの脇をすり抜け、通りの人混みを駆け抜け、そしてこの都市の門から飛び出した。屋敷から慌てて追いかけて来た女中たちの声も、戸惑いながらも止めようとしてくる門番たちの声も全て置き去りにしていった。もう僕を止めるものは何もない。

 燃えるような激しい力が急に体の奥底から湧き上がってきて身体中を駆け巡る。そしてその力に突き動かされるように足を前に、もっと前にと運んで行く。

 勢いのままに邪魔な草をなぎ倒し、逃げ惑う小虫を撥ね飛ばす。

 僕は自分でも驚くような、今まで出したこともないような早さで北の山へ向かって駆けていた。

 

 聞いた限りではまだ死んだとは決まっていない。とにかく今はご主人様の生存を、その微かな希望を信じて助けに行くしかない。何もせずにただ待ち続けるという選択肢は僕には無かった。

 

(ご主人様が妖怪に殺されてしまう!早く……早く助けなくては!)

 

 もう、それしか考えられなかった。

 

 

 

 

 

 

 都市の北門。

 そこは今、山で妖怪の襲撃を受けた要人を救出するための部隊が集結していて、普段の早朝の穏やかな空気を感じさせない緊迫した雰囲気があたりを支配していた。

 

 私が話を聞きつけて今日の用事を全部ぶん投げてここまですっ飛んで来た時にはもう遅かった。

 永琳が山で消息を絶ったという連絡が入ると同時にシロが屋敷から脱走したという話まで舞い込んできた。今までほぼ完璧に言いつけを守ってきた忠犬そのもののシロが脱走。それも、目撃者たちによると都市の門を物凄い速さで抜けて、永琳が消えたという山の聳える北の方角に向かって走り抜けて行ったという。

 この状況、このタイミングでの脱走となれば、もちろん理由なんて一つしかないだろう。

 まず、シロのことだから主人であり、育ての親でもある永琳の危機を感じ取り、いてもたってもいられなくなり飛び出したのだろう。彼女を守るために。

 

 だが、シロは狼だ。私たちのような神やその眷属でもなければ妖怪でもなんでもない、本当にただの、動物としての狼だ。

 だから勝てない。

 何人もの護衛の軍人を出し抜いた上で、私が弓を教えた永琳を相手に少なくとも互角以上に立ち回れると思われる、そんな強力な妖怪相手に勝てるわけがない。

 もしこのままシロが山に入って、その妖怪を見つけたとしよう。だが狼と妖怪ではその強さに圧倒的な差がある。例え動物という括りの中では捕食者として君臨する狼とはいえ、相手が力のある妖怪であれば簡単に被捕食者に転げ落ちてしまうのがこの世界。

 さらに、永琳も私もシロが都市の中で暮らしていく以上は必要ないことと考えていたせいで、シロに一切戦闘に関することを教えていない。当然、屋敷に入り込んだネズミなどの小動物以外狩りの経験もない。

 つまり、シロは野生の他の狼よりもむしろ弱いだろうと考えられるのだ。そんなシロがいくら妖怪に戦いを挑んだところでたやすく殺されてしまう可能性が高い。

 

 最悪、2人とも死んでしまうかもしれない。

 

 そんな最悪の未来が頭の中をよぎる。

今は捜索と救出のための部隊の編成を急がせているが、それを待っているうちに手遅れになってしまうのではないかという不安が胸の内にあった。

 今からでも家に戻って弓を取り、私1人でも先に行くべきだろうか。などと悩んでいる時間さえ惜しかった。最後の通信からすでにいくらか時間が経過している以上、ただここで待っているわけにもいかない。

 実際、私は周りを慌しく動き回っている兵士の誰よりも強いし、誰よりも早く山に行ける。この場の最高戦力である私が先に行って邪魔な妖怪を蹴散らしながら探していた方がよっぽど彼女たちの生還率も上がるだろう。

 それに、現時点で山に向かった全員と連絡が取れず状況が掴めないせいで軍が二の足を踏んでいると言うのなら、なおさら私が行くべきだ。今この場ですぐに出れる神は私くらいしかいないのだから。永琳たちを襲った妖怪と遭遇しても本気を出せば遅れは取らないと言う自信はあるし、もし仮に相手が私の想像を上回る大妖怪であっても、私が久々に派手に暴れてその場に釘付けにできれば捜索隊の被害も抑えられる上に時間稼ぎもできる。

 

「私は先に行くわ。部隊の編成が終わり次第すぐに出発して追って来なさい」

「つ、月夜見様……危険です!あと数分もすれば出発できますのでそれまで……」

「時間が経てばそれだけ救出対象の生存率は下がる一方よ。妖怪はあなたたちが準備してから着くまで律儀に待ってはくれないの。それに、私1人でも早く行けるなら、そうした方が何倍もいいでしょう。何より……」

 

 門の入り口から見える山は、不自然で気色の悪い霧に覆われていた。

 

「山にかかる霧、あれが広がれば広がるほど、むしろ危険度は増すばかりでしょうね」

 

 私はあの不気味な霧が、十中八九妖怪の仕業であると考えていた。

 山を覆うほどのあの霧が目くらまし程度であれば良いが、もしそれだけでなく使用者に対して有利で都合のいい環境を作り出せる類の妖術か能力によるものであった場合は……そしてその襲撃が1人の妖怪によるものであれば、少し厄介なことになりそうだった。

 下級から中級程度の妖怪が複数人で徒党を組んでいるだけであれば各個撃破すればそれで終わる話ではあるが、大妖怪クラスがいるとなると途端に厳しくなる。

 どれほどの力を使っているのかは分からないが、単体であれだけのことができるとすれば相手はそれ相応の妖術を扱えるだけの技術と力を持っているか、あるいはそうしたことを実現可能とする強力な特殊能力を持っているだろうことは容易に想像がつく。

 もしそんな奴にいきなり襲われたのだとしたら、いくら腕のいい軍人でも時間稼ぎすら厳しいかもしれない。もしそんな奴の懐に特別な力を持たない狼が無謀にも身一つで飛び込んでしまえば、どうなるかなど火を見るよりも明らかだった。

 もはや残された時間は、私が考えていたよりも短いかもしれない。

 

 私は覚悟を決め、踵を返して石畳を蹴って飛び上がる。

 下の道をわざわざ走って帰っている余裕はない。そう考えた私は空から最短距離で自宅の庭まで飛び、土足でそのまま上がり込んで一直線に自室へと向かった。畳や床なんか後で掃除すればいい。今はそんなどうでもいいことを気にしている暇も余裕もない。

 私は自室のふすまを乱暴に開け放って駆け込むと、最近は使う機会も減って部屋の飾りと化していた弓と矢筒をひったくってそのまま庭へと飛び出して空へと上がる。矢筒は空のままだが途中で神力を使って矢を作れば問題ない。

 

 目指すは北。薄気味悪い霧に覆われた山。

 私はいまだに出発できていない北門の兵士たちには目もくれず山へと飛んでいった。

 

 

 

 

 

 山に向かう途中、ちょうど都市の方角から草むらや藪を貫いて山へ一直線に伸びていく獣道のようなものを見つけた。

 もしかしてと思い、低空に降りながら少しだけ速度を下げた。踏み潰された草から出た汁の匂いが鼻をツンと突いた。まだ出来てから時間が経ってない、新しいもののようだ。もちろんこれを作れるのは彼女……シロしかいない。おおよその時間も方角も一致する。彼女はここを通っていったのだと確信したが、同時に私は違和感を感じていた。獣道の植物は果実が、枝が、茎が、その悉くが随分と派手に潰れ、ひしゃげていた。猛烈な早さを破壊力に変換して周囲の植物を蹂躙しながら何かが駆けていく姿がありありと想像できた。だからこそ上空を飛ぶ私からはっきりと視認できたわけだ。だが普通、狼一匹通っただけでこうはならない。これでは狼ではなく巨大な熊が通っていったかのようだ。

 

 でも、もしシロが今回のことをきっかけに妖怪として覚醒してしまったのだとしたら、そのなぎ倒された草花の惨状にも納得できてしまうものだった。後天的に妖力を得た妖怪は數十分から数時間はその力を制御しきれずに破壊や衝撃といった現象を周囲に振りまくこともある。動物としての狼の能力を頭一つ分二つ分飛び越えた妖怪としての力があれば、この程度なんて事はないだろう。

 親や先祖に妖怪の血が混ざっていた場合、その子孫は妖力を持たない動物として生まれてきた場合でも後天的に妖怪として覚醒する可能性があると言う話を聞いていた私は、すぐにその可能性に思い当たり、飛びながら理屈を頭で組み立てていった。

 部下兼親しい友人の家族が、私自身も気にかけて世話をしていた愛着のあるペットが、突然妖力を発現させて妖怪になったなど、内心では否定したい気持ちが燻っていた。

 

 

 

 だがそんな気持ちとは裏腹に、その獣道にわずかに残る妖力の残滓が、何よりも雄弁にその憶測を裏付けていた。

 

 

 

 

 

 

 僕は、妖怪になってしまった。

 

 でも今は不思議と嫌な感じはしなかった。

 人間や神様の敵である妖怪になってしまったから、もうこれ以上彼女の隣にはいられないのに、もう一緒に寝たり、抱きしめられたり、撫でられたりして貰えないのに。

 でもそんなことよりも、ご主人様を失うことの方がもっと嫌だった。彼女を失えばきっと他のみんなも悲しむから、もちろん僕だって想像しただけでどうにかなってしまいそうなくらいに悲しいから。

 

 僕は人の言葉を理解するようになってから、人間と妖怪が決して分かり合えないことを知った。そして人間と妖怪が、人間と動物以上にどんな海よりも深い溝で、どんな空よりも高い壁で隔てられていることを知った。

 だから、僕が妖怪になってしまったからこれ以上は都市に、彼女たちの側にいられなくなってしまったことを悟った。でも、そんなことよりも、このまま何もしないでいることの方がよっぽど嫌だから、その方が絶対に後悔するから。

だから僕は走り続ける。

 

 今までの僕のありったけのありがとうも、大好きも……そして、さようならも伝えられないまま永遠に別れるなんて絶対に、絶対に嫌だから。それだけは絶対に認められないし何よりそんなのは、自分で自分が許せなくなるから。

 

 

 

 獣の妖怪として全ての人間や神様に拒絶されても構わない。これから永遠に離れ離れになってもいい。たとえ彼女の代わりに僕が倒れることになったとしても後悔はない。

 ただ一つ、ご主人様さえ生き延びてくれればそれでいい。だから、今は……今だけは、何に代えてでも大切な人を守る。ご主人様が助かるのなら、僕は妖怪としての自分を受け入れられるし、それこそなんだってしてみせる。

 それが今の僕にできる、最後の恩返しだから。

 

 

 

 

 

 

 僕が山に着く頃には日は昇り、曇天の空が広がっていた。

 周囲にはうっすらと霧が立ち込めてきて、それは山の奥へ進めば進むほど濃く、深くなっていった。僕はここに入って少しした段階で、これが自然に発生したものではないことを感じ取っていた。

 この霧の中に、僕の中に芽生えたこの力とほぼ同質のものを感じ取っていた。それは妖力だ。しかもその妖力は霧が濃くなるとともによりハッキリと、鮮明に感じ取れるようになっていった。

 だがそれと同時に体にある違和感を覚え始めた。この霧に入ってからと言うものの、霧により視界が悪くなるのはもちろん、鼻や耳が少し遠くなったように感じられた。妖怪になってからまだ半日どころか数時間と経ってはいないが、妖怪になれば身体能力は強化されると言うことはこの身をもって僕は理解していた。もちろんその強化される能力の中には五感だって含まれている。だがこの霧の中では強化されたはずのその能力が、むしろ妖怪化する前に毛が生えたような程度には弱体化しているような気がする。

 恐らくはそれがこの霧の効果であり、この霧を発生させた奴の力なんだろう。

 

 音はともかく匂いに関しては問題なかった。この嗅覚を鈍らせる霧の中にあっても、この近くを通ったはずの、かすかに残るご主人様の匂いを僕の鼻は確かに感じ取っていた。狼の鼻は人間の何千万倍も優れているし、この鼻は大切な人の匂いを忘れるほど馬鹿じゃない。

 みんなと同じものを食べる事もできず、同じ言葉で話す事もできず、見える世界だってきっと違っているこの不便な体のことを恨むことの多い僕だったが、今日はこの霧の中でさえなんとか匂いを嗅げる鼻の良さに感謝すらしていた。

 もしも僕がみんなと同じ人間であったのなら、きっとこの匂いもわからずにこの霧の中を迷うばかりになっていただろうから。

 

 問題はこの霧に含まれる妖力だった。この霧の妖力が、この山のどこかにいるはずのご主人様の霊力をかき消してしまっているらしく、霊力を目印にして探すと言う手段が取れなくなってしまっている。

 感覚を鈍らせ、視界を遮るこの霧は捜索する上での最大の障害として立ちはだかっていた。

 

 この霧がどうやって作られたものなのか、どこの誰が作ったのかなんて僕には分からない。でもそれがご主人様の捜索の邪魔をすると言うのなら、ご主人様のことを傷つけようと言うのなら、僕が必ず見つけ出して殺してみせる。

 

 ご主人様に仇なす奴に、容赦はしない。

 

 

 

 

 

 ここに来るまでに結構な距離を走ってきたが妖怪としてのこの体はまだ動ける。それに目的はすでに明白だ。

 だから僕は進む。

 沢を越え、木々の間を抜け、藪を分け入り、岩を飛び越えた。気が付けば太陽は登り薄雲と霧の間から顔を覗かせていた。

 ご主人様の匂いは近くなっている。しかもそれ以外の匂いも判別できるようになり、それが僕に多くの情報を与えていた。ご主人様以外の人間らしき匂い、焼けた倒木から漂う焦げた匂い、強い衝撃でほじくり返されたかのような土とそこから漂う何かの薬のような匂い、人の汗と獣の匂いを混ぜたかのような嗅いだこともない匂い、そしてご主人様がよく使っていた傷薬の匂い。

 さらに感覚を研ぎ澄ませる。すると、この妖力の霧にかき消される前の霊力と謎の妖力を感じ取れた。霊力の方はご主人様のものとは少し違う。恐らくは護衛が生きているのだろう。妖力の方はこの霧の主とは違うものだ。恐らくはこの場に妖怪は複数いて、それが護衛の生き残りと戦闘をしたのだ。しかもそれほど時間は経っていない。妖怪になりたての僕でもその残滓を感じ取れるほどなのだから。

 だがそれでも依然として見つからない。

 この霧の中には人間たちが使っていた道具が土に汚れた状態で転がっていた。身体中を何かに滅多打ちにされた妖怪の残骸があった。頭に矢が突き刺さった妖怪の死体があった。見るに堪えないほどに貪られた恐らくは人間のだったと思われる亡骸もあった。そしてその先には彼女の銀の髪が木の肌に絡まっていた。彼女の服の青い布が枝に引っかかっていた。彼女が拾ったのであろう薬草が入ったバッグが切れた紐とともに捨てられていた。

 確かにそこに痕跡はある。どれも新しいもので、だからこそ追いつけそうで追いつけないという焦りとともに、僕に希望を抱かせた。

 

(ご主人様は何かから逃げ続けている。まだ動いている。まだ生きているんだ)

 

 そう思うだけでも地面を蹴る足に力が籠る。霧が深さを増してさらに視界が悪くなる中、僕は臆することなく前に進み続けた。

 

(必ず間に合わせる!必ず助けてみせる!)

 

 心のうちに静かな決意を宿らせて。

 

 

 




誤字脱字などに関してはご報告いただけると(以下略)。
次回の更新は未定ですが1〜2週間前後を予定に更新できればと考えています。

ただし今後は殆ど不定期と言っていいような状態になるかと思われます。

(2019年9月23日 一部誤字の修正と内容の追記)


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第六話「力と暴走」

(今回は流血表現などを含む残酷で暴力的な描写を含みます。)

どうも、よく筆が暴走する作者です。
お察し(?)の通り今回もそんな感じです。

かませ臭さ漂う狂人キャラを描こうとしたらなんかよく分からないのが出来上がりました。
まぁ出番はこの章だけの名無しなので直さずそのままにしています。

また、今回は本編に三人称視点を入れていますが、あくまで部分的に一人称でしっくりこなかったために入れただけになります。
書いてみた感じでは「やっぱり三人称よりも一人称の方が楽に書けている気がするし、そっちの方がいいかなぁ」とか思っているので、今後三人称で書くシーンが多く出てくるかどうかは正直未定になります。
基本的に書きたいように書いていますので。

あと、なぜか設定考えてる時間が楽し過ぎて割と重要な箇所に独自設定をぶっこんでしまいました。
今後何か変な矛盾とか起こさなければいいんですけど……。




 

 霧深い山の中、そこに二人の男がいた。

 一方は頭に猫の耳を、尻からは猫の尾を生やしている上半身裸の病的なまでに肌が白い細身の男、もう一方はその男とは対照的な浅黒い肌に、背中から黒い翼を生やした筋肉質な禿頭の男。その特徴が示す通り、彼らは妖怪だった。

 それも、それぞれが団長と副長という立場で妖怪の集団を束ねる一廉の妖怪であり、この霧の襲撃を起こした元凶でもあった。

 

「よう相棒、獲物の様子はどうだ?侵入者の方は撃退できたか?」

 

 猫耳の男がそう言うと、黒羽の男は自身の能力である『霧で惑わす程度の能力』によって生み出された、己の妖力の溶け込む霧と繋がる事で収集していた情報を伝える。

 

「霧の中の異物の反応を見る限り、護衛はあと一人だな。殺さずに追い立てろと命令しておいた標的ももちろん健在だな」

「あぁ、今さっき暇つぶしに様子を見てきたが、ありゃあ随分と怯えてたぜ。……もうそろそろいい味が付く頃合いだ。人の恐怖は蜜の味……それが染み込んだあの女の肉は最っ高に美味くなってるだろうよ!なぁ、相棒!」

 

 猫耳の男が興奮した様子で言った。普段は黒羽の男よりも寡黙な癖に、この手のこととなると途端に興奮して饒舌になるその男の目には、ギラギラと鈍く輝く狂気が宿り、口元には獰猛な笑みが浮かんでいた。隣に佇む黒羽の男も猫耳の男ほどではないがニヤリと口元を歪ませながらながら肯定する。

 

 前の縄張りの人間の集落を滅ぼしてからさまようこと一ヶ月と少し、人間が豊富にいると言う『都市』とやらを望めるこの山に拠点を移してからものの数日で特上の食材がおまけをゾロゾロ引き連れて飛び込んできた。

 それは彼らにとって、この新天地での生活の幸先のいい出だしを象徴するような、この上なく喜ばしい出来事であった。

 さらにその特上の食材である銀髪の女を捕らえ、女が自分たちに生きたまま喰われながら苦しみ踠いて死んでいく様を想像することが、それを味わう自分たちの未来を想像することが、性的な快感すら伴う興奮と悦楽を二人にもたらしていた。

 彼らの表情が狂気的で恍惚とした笑みに歪むのも無理からぬことだった。

 

 この二人は種族こそ違えど、お互い分かり合えるところがあった。

 二人は心から殺しが好きだった。殺しに特定のこだわりを持ち、それを実行して完遂することが好きだった。何より人間が大好きだった。肉の一片から骨の髄まで、全てが恐怖に染め上げられた人間の血肉が、その至上の味がこの上なく大好きだった。

 

 妖怪は人間の血肉と恐怖を糧とする。であれば全身に恐怖という感情を徹底的に刻み込まれた人間の血肉はなおのこと美味なものとなるというのは、一定の力と知恵を備える妖怪たちの中ではある程度共有されている常識であった。

 この二人はその甘美な恐怖の味が染みた肉の味をすっかり覚えてしまい、それ以外の肉をまともに食えなくなった。彼らが食べると決めた標的は適度に甚振り恐怖を存分に与えてから喰らっていた。

 一方で、適当に殺した人間の肉などは自らに付き従う妖怪にそのほとんどを譲るようになっていたし、その辺の獣の肉など口につける気すら起きなかった。そんな生活を続けてしばらく、気がついた頃にはその味だけでなく、その味を実現させるための過程の模索と探求にも彼らは深くはまっていった。

 どういう演出をすれば人間は怖がるか、どういう痛めつけ方をすればより美味しくなるか。

 彼らは荒々しく攻撃的で、なおかつ残忍なその本質とは裏腹に、そうしたことを研究する研究者としての側面すら持ち合わせるようになっていった。

 そうした探求の結果として、霧の迷宮に閉じ込めてじっくりと一人ずつ狩っていくというやり方に落ち着いたのだった。

 

 そしてその美学とも言えるほどに昇華したこだわりや思い、思想を共有する二人には、確かに同志としての絆があった。そしてその絆を持てたがために、二人は共にここまで来られたのだという信頼があった。

 

 

 

 だからこそ黒羽の男は切り出した。

 同好の士たる隣の相棒が獲物を独り占めするような器の小さな男ではないと知っていたが故に、その相棒を守ってやれるのはこの場では自分しかいないと感じていたが故に、自らが食前の害虫駆除を買って出ることにしたのだった。

 

 先刻霧の上から飛び込んで来た侵入者が、どうやら部下では太刀打ちできそうにない強者だったらしく、自分が出なければならなそうだと黒羽の男は感じ取っていた。

 その侵入者は上空から降りることなく上を取ったまま、残党狩りや侵入者への警戒を行っていた配下の妖怪たちとの戦闘を早速開始していた。真っ先に迎撃に上がった鳥系を始めとした飛行能力を持つ妖怪たちから各個撃破され、飛べない妖怪はほぼ一方的にやられている。侵入者は時折何かを探すように高度を落として地表に近づくのだが、そこが飛べない妖怪たちに与えられた数少ない反撃の機会であった。

 しかし霧を通して感知できる侵入者の動きに変化が見られないため、おそらく部下たちではまともな傷を与えられていないようだった。

 向かってくる妖怪を返り討ちにしながら何かを探している。そしてその探している何かとは、十中八九自分たちが今回襲撃した人間どもの事だろう。

 

(自分を信仰するたかだか十人少々の人間を助けるためだけに、愚かにもこの俺たちに喧嘩を売ったのか)

 

 黒羽の男の中にそんな侵入者である神をあざ笑うかのような感情が湧き上がる。

 だがそれでも自分はともかく、この分では地上での戦いを得意としている猫耳の相棒にはいささか苦しいだろうから空中戦の得意な自分が出て方がいい、というのが黒羽の男が導き出していた結論だった

 

「一緒に行きたいところだが……先に行ってくれ。忌々しいことに侵入者の方もまだ生きている。さっき迎撃に出た奴らが劣勢のようだ。……久々に俺が行こう。今回の相手はそれなりに出来る奴らしい」

 

その言葉に猫耳の男の眉がピクリと一瞬動いた。

 

「お前がそこまで言う奴なんて珍しいな。どんな奴だ」

「神だ。だがそこらにいるような下級の神じゃねぇ。それなりに力のある奴だろうな。放出されている神力で逆に俺の霧に込められた妖力が掻き乱されるほどだ」

「へぇ……標的を回収したら俺も合流した方がよさそうか?」

 

 猫耳の男のその提案を、黒羽の男は首を横に振って答えた。

 

「いや、問題ない。例え名のある神が相手だろうと心配無用だ。……それに、この俺が霧で包んでやった以上、ここはもう俺たちの城だ。負ける道理はない。まぁ、食前の準備運動だとでも思っておこう」

 

 それだけ言うと、黒羽の男はその烏色の大きな翼をばさりと広げて飛び立った。

 黒羽の男は正面からやり合えるような戦闘向きの能力ではないものの、生まれつき他の妖怪よりも妖力の伸びがよく才能に恵まれていた。その才能もあって妖力の扱いと妖術の腕はメキメキと上達し、中位の妖怪の中でも特別実力のある存在として少しは名が売れていたし、何より相棒にも恵まれていた。

 おかげでこれといった挫折もなく、今までほぼ無敗を誇っていた黒羽の男は、所詮井の中の蛙であることも知らずに己の腕に相応以上の自信を持ってしまっていた。

 今回の襲撃では能力で生み出した霧に、人間や神といった種族の五感や方向感覚を狂わせて幻覚を見やすくするなどの弱体化や撹乱の効果を与える一方で、妖怪を興奮させて攻撃性と士気を上げる効果を持たせていたため、この霧の及ぶ範囲内では同格はもちろん例え格上相手だろうが有利に戦えると、黒羽の男はそう確信していた。

 

 もちろんこの男の能力とて、万能ではない。生み出す霧は強力な特殊効果を複数付与できるが、個別に対象を選べるような器用さはない。

 また、強力であるが故に力の弱すぎる小妖怪や、まだ自身の妖力にすら慣れていない生まれたての妖怪に対しても弱体化能力が働いてしまうこともたまにある。今回の霧に付与した能力であれば、人間や神に対して発動させるつもりで付与した五感の混乱や幻覚作用などだ。

 だがその弱点に関して、男は考慮さえしていなかった。

 今自分たちの一党にいるのはある程度の場数を踏んで来たような妖怪ばかりであり、今更霧の効果に狂わされるような軟弱な奴などは一匹もいないと断言することができた。

 もし霧に当てられてしまう妖怪がいたとしてもそれは元々この山に住んでいた名前すら持たない小妖怪か、先ほど霧の中に飛び込んで来た、漁夫の利目当てと思われる野良妖怪くらいだろう。

 だが仲間や部下ですらないその辺の野良妖怪風情がどうなろうと知ったことではないというのが男の思考であり、すでにそれらの一切を切り捨てていた。

 

 そしてそんな黒羽の男の相棒たる猫耳の男もまた、彼の実力に心の底からの信頼を寄せていた。自分の不得手な空中戦を何よりも得意とし空では負け知らずで、これまた能力頼りの自分とは違い、自分が苦手な妖術を多く会得しそれらを巧みに操る相棒の頼もしい姿が容易に想像できた。

 今回だって急に飛び込んで来たと言う、無粋な闖入者であるどこぞの神を相棒が一蹴するその姿を、己が目蓋の裏に浮かべることさえできていた。

 最悪、多少手こずっているようなら戦闘向きの能力を持つ自分が敵の不意をついて参加すればいいだけだ。と、彼は相棒の勝利を信じて疑うことなどなかった。

 自分たち二人が揃っていれば、『黒い女帝』などの二つ名持ちや最古参クラスの鬼や妖獣などの圧倒的な格上の存在以外、言葉通り恐るるに足りないとすら思っていた。

 それは言い換えれば過信とも言えるものであった。

 

 猫耳の男は飛び上がって霧の中へと消えてゆく相棒の背を無言のままに一瞥すると、自身も静かに歩き出した。

 皮肉なことにこの男たちもまた、彼らが標的としていた銀髪の女と同じく己の慢心によって危機へと陥ることとなるのだが、当然彼らにそれを知る術など無かった。

 

 

 

 

 

 

 霧深い山の中、私はただがむしゃらに走り続けていた。

 足腰の骨や筋肉が悲鳴をあげ、酷使し続けている肺は軋むような苦しみを私に伝え続けていた。額には玉のような汗が浮かび、顔を伝っては飛び散っていく。着ている服は行く手を遮る藪や木の枝に切り裂かれ、岩に擦り切られてボロボロになり、汗や泥水を吸い込み重くなっていた。肌も滲み出る汗と土、そして自分や仲間の血にまみれ、私は無残なまでにみすぼらしい姿を晒していた。

 だがそんな状態になってもなお、私は走らなくてはいけなかった。私は自分がどこを走っているのか、登っているのか降っているのかさえ分からないようなこの忌々しい霧の迷宮の中にあっても、決して足だけは止めることがなかった。止めるわけにはいかなかった。

 

 すぐ後ろを振り返れば、その理由が、その元凶が目を血走らせ、涎を垂らしながら迫っていた。

 緑の肌をした四つ腕の巨人に三つ首の黒い蛇、毒々しい色をした巨大なカマキリや電気を纏う赤い目をした大鷲……あらゆる異形が私の元に殺到していた。

 私の肉を、私の血を、私の魂さえも食らい尽くす為に。

 

 

 

 

 

 この襲撃も、最初のうちはなんとかなっていた。早朝のキャンプで出発の準備をしていたところを襲撃されたため、周りには十人以上も武装した護衛がいた。私には弓があったし霊力だって人並以上は持っていた。私たちには襲ってきた妖怪を跳ね返すだけの力があった。

 だから妖怪の群れを振り切って霧を出ればいずれは都市へと帰れるだろうと、その場の誰もが楽観的に考えていた。

 だがその余裕も長くは続かなかった。

 

 それは2、3回程度の小規模な妖怪の襲撃をやり過ごした後のことだった。最初に異変に気がついたのは隊列の先頭を歩く護衛の隊長だった。

 

「おかしい。同じところに戻ってきている」

 

 彼はある地点で立ち止まるとそう言った。

 次に斜め前にある木の方を指差した。そこには木の幹が弾丸に抉られた傷と、銃撃を浴びて負傷し撤退していった妖怪の血痕が残されていた。つまりそれは私たちが敵の術中にすでに嵌ってしまっていたことを示していた。

 この山全体にそうした術を仕込んだのか、それとも視界を奪うために展開されたものだとばかり思っていた、この僅かに妖力を含んだ不気味な霧にそうした効果があるのか。

 恐らくは後者なのだろうと私は考えていた。

 であればこの妖怪の襲撃をなんとかしながら霧の発生源となっていると思われる別の妖怪を倒すか、あるいは術そのものを無効化して、それから離脱しなければならない。しかしこの時は少しばかり面倒なことになったなという程度の認識だった。

 隊長は長年の勘から霧の中央、奥の方にいるのではないかと大凡あたりを付け、そこへ向かって私たちは歩き出した。

 

 だが、まさにそこからは死の行軍とでもいうべき地獄が待っていた。

 霧の発生源は次第に濃くなる妖力に阻まれ、惑わされて見つからず、かと言ってこの山の中から出る事もできない。しかし一方で異形の小妖怪がほとんどとはいえ妖怪の襲撃は止まることはなく、それが私たちに次第に出血を強いるような悪い事態へと転じていく。

 

 まず綻びが出たのは護衛の兵士たちの装備だった。予備の弾薬の一部を放棄したキャンプの中に置いてきてしまったため、弾切れが発生した隊員はどうしても戦闘のメインを霊力弾や術を中心とした戦法か、あるいはその霊力も枯渇した場合は近接戦闘へと切り替える必要に迫られることとなるのだが、当然人間と妖怪とでは身体能力がまるで違う。鋭い牙や爪にそれを最大限に生かすだけの充分な膂力を持ち、中には毒を扱ったり地中や上空から攻めたりできる妖怪の方が圧倒的に有利となる。

 そんな中で一人ずつ倒されたり、あるいは分断されたりといったことが相次ぎ、護衛の兵士はその姿を徐々に減らしていった。

 その分、今まで負傷者の応急手当てや弓での一時的な援護射撃など、最低限の戦闘以外は補助に徹していた私が戦う事も多くなるのだが、その私もいずれは限界がくる。当然ながら私の霊力も体力も有限であるし、もちろん持参した矢だってそれほど多くはない。

 初日に護身用として拳銃を一丁渡されていたが、それも焼け石に水程度にしかならず、すぐに弾が切れて使い物にならなくなってしまった。

 何せ、元よりこんな数の妖怪の襲撃を予測していなかったのだから。

 

 

 

 弾薬が尽き、霊力も尽き、刃は砕け、負傷者が出て、医療器具も尽きて応急処置すらままならなくなり、そして負傷者は死者となった。私たちは一向に減る気配のない妖怪に少しずつすり潰されていき、最後まで戦った隊長も今さっき死んでしまった。

 

 この地獄の中、ついには私一人になった。

 

 後ろに迫る異形の群れはこの時を待っていたかのように勢いを増し、私を追い回し続けていた。少しずつ間を詰めてくるその妖怪の津波から、精も根も尽き果てる寸前で満身創痍だった私は逃げられる気がしなかった。

 弦の切れてしまった弓も、矢を打ち尽くした矢筒も、道中で拾った素材の草やキノコが入った袋も、使い切った薬の注射器や空き瓶が詰まっていたバッグも、持ち物のほぼ全てを捨ててきてしまった。

 私にはもう何も無かった。

 

 

 

 私は、このとき初めて心の奥深くから湧き上がる恐怖というものを感じていた。

 それと同時にその恐怖も、湧き上がってくる絶望も、そして『死』という終わりさえも受け入れつつある自分にも気がついていた。その思考にチラつく諦めが、心が折れる寸前になっている証しであることにも気がついていた。

 だが恐怖や絶望や諦めを跳ね除けるだけの気力も私からは無くなりかけていた。

 

 自分がここまで追い詰められているのも、護衛の兵士たちが妖怪にやられてみんな散って逝ったのも、全部この愚かな私のせいなのだから。

 「都市の頭脳」だの、「天才」だのと持て囃されていたのは所詮私の本質を知らない他人の過大評価に過ぎず、私はそれにただ気を良くして増長しただけの凡愚でしかなかった。

 もしも最初に上から「護衛をつけろ」と言われた時に、「私一人に大げさ」「落ち着かない」と言って護衛の人数を減らさなかったら。もしも山に行くと聞いた後に心配して付いてくるとアピールしてきた、鼻のよく効く白を連れてきていたら。他にももっと違う選択肢を取っていたら、もう少しマシな状況になったのではないか、死なずに済んだ人もいたのではないかという後悔が頭の中に浮かんでは消えていく。

 

 

 

「あっ……!」

 

 そんな現実逃避にも似た自虐と後悔の念に駆られていたせいか、次の瞬間、私は地面を転がっていた。

 痛みに顔をしかめながら振り向くと、私の足で巻き上げられた枯葉の中から突き出た石が覗いていた。枯葉に隠された自然のトラップがこの最悪のタイミングで私の足を払ったのだという事実を思い知ると同時に、その躓いた足に鈍く響き続ける痛みが、私に起きていることを教えていた。

 それは私が医者であったからこそ、なおさら私を深く絶望の谷に叩き落としていった。

 

 私は躓いた方の足を、左足を捻挫してしまっていた。

 普段なら命に別状はない、特別重症でもなんでもないはずのその怪我も、今この状況においては死の宣告にも等しいほどの致命傷であると言えた。

 

 追いついた妖怪たちが、じりじりと間合いを詰めながら私を取り囲むように広がっていく。

その大地を踏みしめる大きな足音が、その荒々しい息遣いと唸り声が、私の死期が刻一刻と迫っていることを残酷に告げていた。

 

 

 

 もう駄目だ。

 

 

 

 直感的にそう思った。

 もう抗えない、もう逃げられない。その事実が心を支配する恐怖をより一層と強め、どす黒い絶望として降り掛かり私を苛んだ。

 息が苦しい、胸が締め付けられる、手が震える、痛む足にはもう力が入らない。

 私は次の瞬間には私の命を刈り取らんと目前に迫るだろうその腕を、爪を、顎門を幻視して目を瞑り、覚悟を決めようとした。

 

 その時だった。

 

「よぉ……。こんなところでどうしたのかなぁ、お嬢さん?」

 

 後ろからそんな声が聞こえた。

恐る恐る目を開けて後ろを振り向くと、そこには痩身の猫耳を生やした獣人がいた。男の口元は醜く歪み、その眼にはギラギラとした獰猛で嗜虐的な、冷たい光が宿っていた。

 

 

 

 そしてその目を見た瞬間、私は自分の心臓がグシャリと握りつぶされるようなおぞましい感覚に襲われた。

 

 

 

 

 

 

(ここだ、この先だ!ついに追いついた!)

 

 僕はそんな確信を抱きながら、この濃密な霧の中を走っていた。

 真新しい匂い、真新しい足跡。そしてそれが続く先へとひた走り、ついにその姿を捉えた。もう20メートル先だって見えないこの霧の中でうっすらと浮かび上がる妖怪たちの影だ。

 僕は速度を落とし、近くにある木の陰から様子を伺った。この妖怪たちの影になっているのかその姿は見えないが、見えないだけで匂いはする。

 僕は必死にご主人様の姿を探すため、どういうわけか退屈そうに棒立ちしている小鬼の集団を迂回しながら回り込んだ。

 そしてそこにある光景を見たその時、今まで感じていた熱が一気に冷めていく。全ての感情が消え失せ、その代わりに今の状況を理解しようとする不気味なほど鮮明で冷静な思考だけが残った。

 

 そこには猫のような耳と尻尾を生やした男と、その男の前にうつ伏せに倒れたご主人様の姿があった。

 あんなに美しかった銀の髪はところどころが血に汚れ、ここから見える彼女の手首はありえない方向へと捻じ曲げられていた。その痛々しい姿から、彼女がどれほど痛めつけられていたのかを察することができた。

 

 動かないご主人様を見て、次にそこに立つ猫耳の男を見る。

 次に湧いて来たのはとても純粋な感情だった。怒りもなく、絶望もなく、そして悲嘆も無い、とても純粋な殺意だった。

 

(お前は誰だ……何をした……。僕のご主人様に、僕の大切な人に……僕の母さんに何をした!) 

 

 男は狂気を孕んだ眼差しで何かを独り言のように話しているのが耳に入ったが、そんなものは今の僕には関係なかった。聞く気すら起きなかった。

 

(絶対に許さない。……殺す、殺す!……こいつだけは絶対に殺してやる!)

 

 魂の奥底から濁流のように押し寄せるその暗く激しい殺意に飲み込まれるように、僕の視界と意識は闇のような黒色に塗りつぶされた。

 

 

 

 

 

 そして飲まれるその寸前に、『力の強弱を操る程度の能力』という言葉が浮かんで来た。

 

 

 

 




はい、遅れてしまい大変申し訳ございませんでした。
言い訳に関しては後日活動報告に記載いたします。

また、文字数があまりにも増えすぎたため、一部書き直した上で急遽二つに分割しました。
最後の方に至っては若干力尽きています。
ちなみに後半部分はまだ執筆途中ですが、上下合わせて15000字は超えると思います。
サクッと終わらせるつもりだったのにどうしてこうなった……。
これにより難関である戦闘描写は次回に持ち越しになりました。

いよいよこの辺から主人公の設定がどんどん追加されていきます。

(2019年11月11日 サブタイトルと内容の一部を修正。本筋に影響なし)


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第七話「それぞれの戦い」

皆様お久しぶりです。
最近は活動報告も書く時間がないくらいに多忙でしたが、なんとか最新話を書き上げました。
この更新を生存報告の代わりにさせて頂きます。



余談になりますが、もしかしなくても戦闘描写は三人称視点の方が書きやすいのかもしれないと思い始めた今日この頃。


 痛い。苦しい。……そして、怖い。

 私は逃げることも叶わず、抵抗することも許されないまま目の前の男に拷問されていた。挫いた足を踏みつけられ、手を砕かれ、散々に足蹴にされた。

 もうどのくらいこの苦痛が続いたかなんて分からない。何秒だろうか、何分だろうか、それとも何時間だろうか。永遠にすら感じられるこの地獄の中で、私はただ這いつくばって耐え続けることしかできなかった。

 

「た、す……けて。だれ……か」

 

 尽きることのない痛みに侵され、いつとどめを刺されるとも分からない恐怖に苛まれ、今にも手放してしまいそうになる程に朦朧とした意識の中で、私は消え入りそうな声で最後の望みを声にする。

 抗うことも、逃げることも、とうに諦めた。

 だけど、それでも、助かりたかった。こんなところで死にたくはなかった。私には帰りたい家があって、会いたい人がいて、まだやりたいことも、知りたいこともある。

 その感情というよりも本能に近い執着や未練だけが私を生へと結びつけていた。

 

「なぁ、こんなになってもまだ立場がわからねぇのか?あぁ!?……これから食われる食材の癖してなに希望なんてもん持ってんだよ!」

 

 しかし、それすらも目の前の男は嘲った。

 

「聞き分けのねぇバカには何度だって言ってやるよ。……この山はもう俺たちのもんだ!人間に味方するような気の狂った奴なんざいねぇんだよ!」

 

 男はその濁った瞳に怒りを浮かべながら私を睨みつけてさらに言葉を繋げていった。

 

「それにこの霧の迷宮は完璧だ。そこらの土着神風情や人間ごときこの俺たちの敵じゃねぇ!今更テメェに助けなんて来ねぇ。まだ分かんねぇか?」

 

 何も言えなかった。

 こんなことは戯言だと切り捨てるだけの自信を失ってしまったことが、反論するどころかただ倒れ伏すだけでなにもできない惨めな自分が、ただ悔しかった。

 

「……無駄で無意味な希望なんか持つんじゃねぇ。……俺たち妖怪はなぁ、負の感情が、特に恐怖が大好物なんだ!それが染み込んだ肉が大好きなんだよ。……もっと、美味しくなれよ。美味しくなって俺たちを……ッ!」

 

 だが男はそこで言葉を途切れさせた。

 ガサリという枯葉を蹴り飛ばす音がした。

 私も力を振り絞って土に汚れた顔を少しだけ持ち上げると、白い獣が男めがけて横から飛びかかっていた。

 

「ぐあぁぁぁッ!……クソが!何しやがるッ!」

 

 不意の一撃にも関わらず、首を狙った牙を男はなんとか腕を盾にして防ぎ、噛みついてきたその白い獣を振り払った。

 しかしそのダメージは大きく、噛まれた右腕は溢れる血で赤く染まり、一目見て使い物にならないだろうということが察せるくらいには損傷していた。

 そして白い獣は私を背に庇うようにして着地し、男と対峙する。

 

 

 

「なん……で……」

 

 その獣の姿には見覚えがあった。いや、見覚えがあるという言葉では片付けられないくらいに慣れ親しんできた後ろ姿だった。

 私が都市に残して来たはずの、ここには居ないはずの、私の家族。

 今まで何をしても怒らなかった白が、聞いたこともないような獰猛な唸り声を重く響かせながら私の目の前に、背を向けて立っていた。

 

「白……。どう、して……」

 

 どうして、白はここにいるのか。

 どうして、白は私のいる場所がわかったのか。

 どうして、白は妖怪の巣窟と化したこの山を駆け抜けて来られたのか。

 どうして……白がその身に溢れんばかりの妖力を滾らせているのか。

 

 私はただ状況が飲み込めずに、呆然とするばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 猫耳の男は怒り狂っていた。

 獲物に恐怖を植え付け美味しく料理する神聖な儀式を邪魔されたから。まさか人間を無視してまで自分を襲ってくるとは思わなかった野良妖怪に、全く想定外の奇襲を受けたことが気に食わなかったから。そのどちらも男を揺さぶり怒らせるには十分ではあったが男が我を忘れるほど怒り狂うのには別の理由があった。

 そしてその理由そのものが男の目の前に立っていた。それは獲物の女を背に、男を殺意の篭った眼光で射抜く大きな白い狼だった。

 

 まるで後ろの女を守るかのように立ちはだかるその狼の妖怪が、男の心を掻き回し、どうしようもないほどの怒りへと駆り立てていった。

 男は先ほどの自分の言葉を思い起こす。

 

『人間に味方するような気の狂った奴なんざいねぇんだよ!』

 

 だが現実は違った。

 男は眼前に立ちはだかるその狼の妖怪が、紛れもなく女を守るためにここまで来たのだということを、狼から発せられる己への殺意から感じ取っていた。

 自分が放った言葉が1分と経たずに否定されたことが、そして自分に楯突いてでも人間を守ろうなどという、言葉通りの全く信じがたい『気の狂った』存在が目の前に突如現れたことが、男に筆舌に尽くしがたい未知の衝撃を与えていた。

 

 男はその理解のできない感覚を、処理しきれない感情を、そして一撃で噛み砕かれてしまった己の腕を支配するこの痛みを、最も直線的で分かりやすい怒りという力へと変換して目の前の元凶にぶつける事にした。

 

「この野郎ッ!よくも、俺の腕を……!おいテメェら!ボサッとしてねぇでとっとと殺れよ役立たず共が!」

 

 突然のことで狼狽えていた妖怪たちが、己の動揺を棚に上げた男の命令でようやくまばらに動き出して白に向かって殺到する。

 だが男は邪魔をされないように彼女を取り囲む妖怪たちを一度離れさせてから甚振り、さらにその離れさせた妖怪の半数以上を相棒の増援へと充てていたため、妖怪たちの戦力は見事にバラバラに分散していた。

 そのせいで妖怪たちは離れた位置から連携も考えずに各々突っ込んで来ることとなった。

 

 まず餌食になったのは数体の小鬼の小集団だった。

 白は最も近いその集団へと突貫し、先頭にいた小鬼を体当たりで撥ね飛ばした。大きく成長した狼の全体重を乗せた突進は先頭の小鬼へのインパクトの瞬間、その華奢な体の骨と内臓を粉々に砕き即死させた。

 まるで軽い木の葉のように吹っ飛んだそれは不運な後続を巻き込んで派手に転がっていった。

 

 地面に転がる無防備な小鬼には目もくれずに、転倒の巻き添えを免れた小鬼へと飛びつくと、押し倒してその喉笛を容赦無く噛みちぎる。その小鬼は一瞬のことに目を見開きながら断末魔を上げることさえなくただの死体に成り下がった。

 まとめて吹き飛ばされた小鬼の中から無事だった個体が数匹立ち上がるも、全員どこかを負傷しているような有様であり、能力に目覚めた白の敵とはならなかった。

 

 彼らはごく僅かの間にその小さな頭を果実のように嚙み潰され、その柔らかい腹を食い破られて物言わぬ肉塊となった。

 他の妖怪が追いつく頃にはすでにそのほとんどが斃れ、最初の集団は壊滅状態となっていた。

 

 理性を捨て去り、脳のリミットが外れ、その内に秘めていた『獣』としての本能を解き放った白は、覚醒した『力の強弱を操る程度の能力』を使い、一時的に己の力を高めることで戦っていた。

脚力を最大限に強化することでその場の誰よりも早く地を駆け、顎の力を限界以上に強化することでその場の誰よりも強い咬合力を手に入れた。

 その力で爪を振るえば熊の妖怪の剛毛さえ容易く斬って肉を裂き血溜まりに沈めた。

 その力で牙を突き立てれば大蛇の首をその剛皮ごと千切って冷たい地面に転がした。

 

 

 

 自らの手下が、たかが野良妖怪一匹に蹂躙される様を見せつけられた男がやっと我に返った頃には、あまりの出来事に動揺を隠すことすらできないその男と、返り血でその白い毛並みを暗い赤に染めた狼だけが立っていた。

 

「ぜ、全滅?俺の手下の妖怪が、こんな奴に……!?」

 

 あり得ない。

 男の脳裏にそんな言葉が浮かぶ。だが、それを否定する現実が目の前には確かにあった。

 腹を割かれて臓物を撒き散らしながら死んでいる小鬼、首と胴体が別れてしまった大蛇、牙と爪で全身をズタズタにされて夥しいほどの血を流し絶命している熊など。そこに転がる骸の全てが、そこから漂う濃密な『死』の匂いが、男に残酷な現実を突きつけていた。

 

 その狼の視線は、数多の血を浴びたと言うのにまるで衰えた様子もないどころか、むしろ鋭さを増した殺意を宿している。

 その視線に射抜かれた男は、狼の冷たくも鋭いその眼光に押されるように、腰を引かせながら半歩下がる。

 この瞬間、男はようやく思い出した。

 

 恐怖だ。

 

 ここ何年も何十年も、何者にも脅かされることなく思うがままに暮らしていた自分たちが長らく忘れてしまいながら、獲物に振りまき味わわせ、何より己が糧として味わい続けてきた感情だった。

 それが意味するところとは……己が狩られる側に回ったという、男にとっては信じ難く、また許しがたい事実だった。

 本来なら相手にすらしない、取るに足らない存在であるはずの獣風情に、恐怖を引きずり出された。それは能力持ちでありそれなりに存在を知られている中妖怪として、男が今までに築き上げ、抱き続けてきたプライドを傷つけることに他ならなかった。それが純粋に気に入らなかった。

 

 そんな不愉快極まりないそれを吹き飛ばすように、一瞬でも心に居座らせてしまった恐怖を塗り潰して無かったことにするかのように、ある感情が湧き上がる。

 邪魔されたことや傷つけられたことに対する怒りや、理解不能な存在に対する困惑や動揺。そうした感情が滅茶苦茶に混じり合った激情とでも表現すべきものであった。

 

「何だよ、何だよ!何なんだよォ!何なんだテメェはよォォォ!妖怪の癖に!獣の癖にッ!何でそんなことしてやがんだよッ!何で人間なんかのために戦ってんだよッ!ワケ分かんねぇんだよこのクソ毛玉がァァァァァァッ!!」

 

 なぜ、自分がこんな目にあっている?なぜ、自分の手下がただの毛玉ごときに皆殺しになっている?なぜ、自分はこんな奴を恐れている?

 そして……。

 

 なぜ、目の前のコイツはこうまでして人間を守ろうとしている?

 

 妖怪が妖怪を狩り、妖怪でありながら人を守る。明らかに異質で異常な、それこそ狂気的ですらある在り方で、妖怪として完全に歪んでいる。

 だがそんな歪んだことを、男の眼の前に立ちはだかる獣は成そうとしていた。

 分からない。あってはならない。理解できないし、理解したくもない。

 

 男は脳が処理できる限界を超えたその激情の奔流に飲まれた。

 激昂した男の両腕が急に色を失うと共に金属へと変質していく。砕かれた腕の怪我などなかったかのように、指の一本一本がまるで研がれたナイフのような刃となり、腕の肉と骨とが溶け合い混ざり合って金属の鎧を形成する。

 

 男の能力の習熟具合であれば、本来なら損傷した部位の変質、変形は上手くいかないのが常であった。

 だが、白が今まで抱くことのなかった激しい殺意を始めて発露させたことをトリガーに、その『力の強弱を操る程度の能力』を覚醒させたように、男もまた、その激しい感情によって押し上げられるように能力の段階を一つ上へと昇華させるに至っていた。

 男の能力である『肉体を金属に変える程度の能力』によって作り上げられたその姿は奇しくも未来の世界でサイボーグやロボットと称される存在と酷似していた。

 

「ウオオオォォォォォォラァァァァァァァァァァァァ!!!!」

 

 両腕全体を冷たい鉄の凶器と化した男は、炎のように熱量を帯びた雄叫びと共に風を切り、一直線に目の前の狼へと飛びかかる。

 狼はそれを真正面から迎え撃つために力強く大地を蹴り飛び上がる。

 

 

 

 狂った『獣』が、お互いに牙を剥いた。

 

 

 

 

 

 

 人間にとっての地獄と化していた山の一角が、一転して妖怪にとっての地獄へと生まれ変わっていた。空から降り注ぐ月夜見の矢は、獲物を狩る必殺の一撃となって妖怪たちの命を一つ、また一つと散らしていく。

 もはや戦いなどではなかった。それは妖怪たちからしてみれば一方的な殺戮とでもいうべき所業であった。

 無論、彼らもやられるばかりではなかったが、その蛮勇の心は早々に打ち砕かれていた。

 

 

 

 最初の犠牲者は空を飛べる妖怪たちだった。

 山へと侵入する月夜見の存在を感じ取った、羽を持つ虫や鳥などの妖怪が徒党を組んで彼女の元へ、その命を刈り取るべく殺到したが、次の瞬間には彼らが刈り取られる側へと転落していた。

 

 単騎で突っ込めば遊びの的のように撃ち落とされ、纏まって向かえば味方諸共貫かれる。死角を突こうにも死角など最初から存在せず、まるで全方位が見えているかのように対応された。距離をとって取り囲み遠距離から妖力弾を撃ち続けても射撃精度と射程距離に優る月夜見が相手では無意味な下策でしかなかった。

 

 飛べない妖怪は地上から妖力弾を打ち上げて弾幕を張るも、デタラメにばら撒かれたそれは当然味方にも当たるため、空の妖怪たちの動きの妨げとなるが、一方で肝心の標的たる月夜見にはただの一発さえ擦りはしないどころか牽制になっているかすらも怪しかった。

 だが、数だけ見れば多勢に無勢。妖怪側の方が圧倒的に数で勝るこの場にあっても、月夜見には弱体化を承知で霧の中に一時的に飛び込んでその中にいるはずの永琳や白を探す余裕さえあった。

 

 もはや両者の差は歴然だった。

 月夜見の神力によって生み出され、月夜見の神力の込められたその矢は当たるどころか薄皮一枚掠めるだけで並みの妖怪では致命傷となり、貫かれればその身は粉微塵に砕け消滅する。

 空で、地上で、妖怪がどれほど必死に打ち続けても、その必死の攻撃はそもそも当たらない上に当たっても皮膚の一枚どころか服の布一枚貫通できない。

 しかしその一方で月夜見の矢は必殺の一撃であり、たった一発掠めることすら許されない。

 

 圧倒的劣勢による混乱の中、連携はままならず力押しもできず、小細工を弄しても圧倒的な力で粉砕される。

 そんな状況下でまともに戦えるはずなどなく、飛行能力を持った妖怪のほとんどが消滅させられてから、程なくして妖怪たちの拙い防衛線は瓦解して散り散りに逃げて行くのみとなった。

 

 しかし、古い付き合いで家族同然に考えていた永琳を襲った妖怪の一団を、その末端とはいえ見逃してやれるほどに今の月夜見は慈悲深くなかった。

 身内に対する情愛が深いという事は、裏を返せば身内を傷つけるものには容赦がないという事を表していた。

 月夜見が空へ向けて一矢放てば逃げ惑う妖怪烏を跡形もなく消し飛ばし、地に向けて放てば恐慌状態の妖怪を大地ごと爆ぜさせる。

鳥も、獣も、巨人も、虫も、蛇も、鬼も、彼女の前では全てが等しく無力だった。

 

 目の前の神の力に敵わないことを悟った妖怪たちからの抵抗は途端に弱まり、戦いは月夜見の完勝のままに幕を閉じようとしていた。

 このまま行動の主軸を戦闘から捜索へと切り替えようかと月夜見が考えだしたその時、月夜見の真下に立ち込める雲海のような霧の中から、突然猛烈な弾速の妖力弾が月夜見の心臓めがけて飛び出してくる。

 だがこの程度の不意打ちを貰うほど月夜見は弱くはない。月夜見はそれを左へ体を捻って躱すと、それが打ち出された地点へと黙って視線を向け、同時に切り替えかけていた思考を戦闘へと引き戻した。

 

「チッ……。今の奴を避けるか。やはりそこらの神とは違うな……だがそれでいい。それがいい。それでこそ料理のしがいがある」

 

 霧の中から飛び出してきたのは一人の男だった。

禿頭に褐色の肌、そして背中から伸びる大きな黒い翼。その姿形が人型であることから察せられるように、月夜見から見てもそれなりに力のある妖怪なのだろうということが見てとれた。

 

「しかも随分な上玉じゃないか……本当に、今日の俺は運がいい。……まぁ、残り短い命でせいぜい俺を楽しませることだ」

 

 醜悪に歪んだ口元と、いちいち鼻につくその言い回しに月夜見は思わず眉をひそめた。

 だが月夜見はその鳥男の外見や言動など心底どうでもよかった。どの道やることなど決まっているのだから。

 そんな些細なことなどよりも、彼女はその男から発せられる力にこそ注目していた。

 

「その妖力……。そう、この面倒な霧は貴方の仕業なのね。……それに、運がいいのは私も同じね。だって、殺すつもりの主犯が、わざわざ自分からやってきてくれたんだもの。おかげで探す手間も時間も省けたわ」

 

 相手が月と天空を司る神であるなどとは露知らず、負ける可能性など毛ほども考えていない男の方とは違い、月夜見は軽口を叩きながらもそこに油断はなかった。

 話している間も目線は片時も男から離さず、その動作の一つ一つを観察していた。

 

「小物ほど口だけは回るものだな。全く気に入らん。……だがそんなことを言えるのも今のうちだ!その減らず口を悲鳴に変えてやろう!覚悟はいいな!」

 

「小物はどちらか、貴方に身の程というものを教えてあげる。……授業料は貴方の命。せめてあの世で役立てなさい!」

 

 そう言い終わる時には、すでに月夜見の手には新しく作られた矢が握られ、男の眼前には新しい妖力弾が生成されていた。

 

 

 

 地上で白と猫耳の男がぶつかる頃より僅かに時を遡り、空ではもう一つの戦いの戦端が開かれていた。

 

 

 

 

 




もう今更な話ですが「この章限定の名無しのモブがこんな妙なキャラ立ちしてて今後出す予定のオリキャラとか大丈夫なのかな」とか思い始めています。
あと、シリアスパートに入る前の段階、色々駆け足すぎてバランス取れてなさすぎではというセルフツッコミが最近頻繁に脳裏をよぎるのでこの章がひと段落ついたらになりますが少しだけ過去の話に加筆を行う可能性があります。
ただしちょっとした補足程度にとどめる予定ですので本筋にはそれほど影響は出ないかと思います。



プロットが秒で崩壊して迷走する筆、安定しない文体、話数を重ねるごとに把握できなくなる設定など、問題・課題は多いですが今後も執筆頑張っていきたいと思います。
また、いつもの事ですが誤字脱字や文法的におかしな部分があればお知らせ下さい。

今回と同じく不定期かつ時間が空いてしまうかも知れませんが、また次回の更新でお会いしましょう。


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