もしもハンコックがルフィと同い年で幼馴染だったら (夏月)
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ルフィとハンコックの出逢い
1話


 その少女は自分というモノが無かった。およそ自己や自我と呼べるような個性は形成されていない。

 

 ただ呼吸をして与えられた食事を取るだけの日々。それでは家畜や愛玩動物と変わらない。日常の在り方としても異質。

 

 けれど少女は現実を受け入れるほかにない。他にどんな人生があるのか、どれほどの可能性が世界にはあふれているのかを知らない。

 

 ゆえに惰性的に反抗心も持たずに、生きているだけの時間は過ぎ去っていく。この世に生を受けて4年間をそう生きてきたのだ。

 

 少女の端整な顔立ちから、将来はきっと華美な女性へ育つことだろうと予感させる。

 

 しかし今はその未来すら消えかかっていた。背中まで伸びた黒髪は本来の艶やかさを覆い隠すように薄汚れている。長い睫毛も虚ろな瞳によって魅力を帳消しにしていた。

 

 閉じ込められ窮屈な部屋での時間は人間としての尊厳すらも踏みにじる。

 

 だが変化は唐突に訪れる。赤子の頃に人攫いに遭ってから天竜人の奴隷(ペット)となった人生。その陰鬱な日常も間もなく終わりを告げるのだ。

 

 

 薄暗い小部屋に押し込められた少女は外の騒がしさに気付く。地響きが起こり、銃声までもが鳴り響いていた。少なくとも穏やかではなさそうな音の連続。人々の悲鳴も幾度となく聴こえてくる。

 

 人の死ぬ声――断末魔が絶え間なく、外の世界で広がりを続けていた。

 

 

 さりとて少女は恐怖しない。そもそも感情というモノに対して無知であったから。揺れる心が無くては恐れようもない。

 

 その為、少女は異変に対してどこまでも鈍感であり、気にも留めなかった。

 

 だからだろう、たとえ少女の目の前に老齢に差し掛かった海兵が騒々しく現れようと表情に変化が起こらないのは。

 

 

「おォ、ここにも生存者がおったか。よし、嬢ちゃん。ここに居っては危険じゃ。安全な場所まで連れていってやろう」

 

「…………」

 

 

 その老兵は少女が無言であることなど気にした様子もなく、小柄な躯体を持ち上げた。抱き抱えられた少女であったが、漠然と外の世界へと連れ出されるということだけを理解する。

 

 

「怖かったじゃろう。あんな狭くて暗い部屋に閉じ込められとったらな」

 

「…………」

 

「なんじゃい、お前話せんのか?」

 

 

 老兵は大して追及することもなく、少女を抱えたまま小部屋を出た通路を進む。途中、律儀に建物内を歩くことが煩わしくなったのか、豪快にも壁を拳で撃ち抜いた。

 

 壁に生じた穴から外の景色が覗けた。半壊した建造物、粉塵の舞う荒れ狂った戦場。平穏とは程遠い血生臭さに包まれている。

 

 

「おォ、やっとるのう。天竜人(ゴミクズ)から解放された奴隷(やつら)が派手に暴れ回っとるわい」

 

 

 世界貴族とも呼ばれるこの世界に君臨する20家の貴族。庶民が逆らう事は禁じ、機嫌を損ねれば命をも容易に奪う悪辣の象徴。

 

 この老兵は所属上、仕方無く天竜人に従う立場があるのだが、目さえ届かなければ少女を救出したように民間人にも手を差しのべるのだ。

 

 

「嬢ちゃん、歳はいくつじゃ?」

 

 

 少女が話せないことを知っている筈なのに老兵は懲りずに問う。

 

 そもそもの話、少女に年数の概念は無い。なので訊かれたところで答えようが無かった。

 

 

「見たところ4、5歳ってところか? わしの孫と同い年くらいじゃな」

 

「…………」

 

 

 老兵には孫がいるらしい。それも少女と変わらぬ年頃。一方的に少女へ対して親近感を持っているのだろう。少女の髪が乱れるのも構わず、乱暴に頭を撫でる。

 

 ゴツゴツと硬い手の平だが、温かみを帯びていた。不思議と不快感は無く、少女には理解出来ない言い知れぬ心地よさがあった。老兵からすれば『愛情』とも言える感情。

 

 生まれて初めての愛情を受けた少女は気持ち良さ気に目を閉じて、そのまま眠りに就くのであった。

 

 

 

 

 

 どれほどの時間が過ぎたのだろうか。身体を揺られる感覚、潮風の香り――陸ではなさそうだ。となれば少女はいま海上に居るということになる。

 

 そっと目を開けば青い海が水平線まで広がっていた。いつの間にやら少女は海軍の船に乗せられ、甲板に置かれた椅子に座らされていたらしい。

 

 周囲には大勢の海兵らが慌しく作業をしている。怒号混じりの指示が将兵より海兵へと飛ぶ。この船はどこかへと向かっているようだ。

 

 

「おう、起きたようじゃな。この船は海軍本部に向かっておる。正確にはマリンフォードという街じゃがな」

 

「…………」

 

「行くアテも無さそうじゃしな。とりあえず保護してマリンフォードで暮らしてもらおうと思う。まあ、悪い場所ではないぞ」

 

 

 少女の次に生きる場所はマリンフォードなる土地らしい。そこがどんな街なのかは知らないが、老兵の口振りからして衣食住には困らぬのだろう。

 

 

「ところで嬢ちゃん、名前はあるのか? わしはモンキー・D・ガープじゃ」

 

「……ハン……コック……」

 

「おぉ、やっぱり喋れるんじゃなっ! なるほど、ハンコックか」

 

 

 かろうじて紡ぎ出せた言葉は自身の名前。少女――ハンコックを奴隷として所有していた天竜人が、彼女をそう呼んでいた。何度もうんざりするほど名前を呼ばれてきたのだ。さすがに幼子であろうとも自分の名前くらいは覚える。

 

 

「じゃが無理して喋らんでも良いぞ。いまはゆっくりと休んでおれ」

 

「……うん」

 

 

 ハンコックは老兵への警戒心を解いたのか徐々にだが会話を始める。いや、始めから警戒するほどの脅威など感じていなかった。感情すら湧き起こらぬほどに閉鎖的な場所で4年間を生きてきたのだから。

 

 だが心を開きつつあるのもまた事実。これまでハンコックへ優しくしてくれた者など誰一人としていなかった。何も知らない自分に優しさを教えてくれたのは紛れもなくガープなのだ。

 

 だからこそハンコックは反応は薄くあっても、彼を信頼する。

 

 これはひとえにガープという海兵の人間ジゴロな性格の成す結果なのだろう。再びハンコックの頭をゴシゴシと撫でるガープ。その光景はさながら祖父と孫のスキンシップ。

 

 

「うむ、落ち着いたらわしの孫にも会わせてやろう」

 

「うん……」

 

 

 数時間後、ガープの話していたマリンフォードへ到着する。ガープの腕に抱えられたままハンコックは下船する。三日月型の湾頭には何隻もの軍艦が停泊しており、名のある海兵が何人も見受けられた。

 

 先程まで聖地マリージョアで起きていた騒動より帰還したばかりなのか疲労を隠せない様子だ。

 

 

「フィッシャータイガーによる聖地マリージョア襲撃事件。その事後処理でわしもまだまだ忙しくなるじゃろう。だからハンコック。お前さんの相手はあまりしておれん」

 

「そうなの……?」

 

「じゃがまァ、1日1回は会いに行く。それで寂しくないじゃろう?」

 

「うんっ!」

 

「良い返事じゃ、ハンコック!」

 

 

 その後、ハンコックはマリンフォードの孤児院へ引き取られる。マリンフォードには海兵の家族の他に、海賊などによって家族を失った孤児などが暮らす。

 

 ハンコックは少々特殊な出自ではあるが、似たような境遇の子どもらが大勢居た。

 

 口数の少ないハンコックではあるが、施設では周囲の配慮やガープの訪問などによって助けられ穏やかな日々を送る。

 

 一年もの時が過ぎた頃には、ハンコックもまともに人と会話が出来るようになった。快活な少女といったところ。

 

 

「おじいちゃんっ! よくぞ、参った!」

 

「おう、ハンコック。元気にしておったかっ!」

 

 

 マリンフォードへ来たばかりの頃に約束したように、ガープは1日も欠かさずにハンコックに会いに来てくれていた。

 

 傍目から見ても祖父と孫娘にも遜色無い関係。ガープの同僚や部下たちも、ハンコックを彼の孫として扱っていた。

 

 

「おじいちゃんっ、わらわは自転車に乗れるようになった!」

 

「ほう、やるのう!」

 

 

 ガープと会うたび何かしらの報告をする。日常の中でのイベントの連続。嬉々として話す内容に枚挙に(いとま)がない。

 

 

「しかしちっと変わった口調じゃな。いったい、どこで覚えたんじゃ?」

 

「図書室で『海賊女帝の冒険』という絵本を読んだのじゃ」

 

「なるほどのう。九蛇の女帝に憧れて口調を真似ておるのか」

 

 

 女ヶ島アマゾン・リリーという女しか生まれず、女だけが暮らす国が凪の帯(カームベルト)に存在する。その島の住人には屈強な女戦士が多く、君主として皇帝が君臨する。

 

 対外的には女帝とも呼ばれ、九蛇の戦士を率いて外の海へ遠征する。外海にて海賊行為を行い国の収入源としている。

 

 通称『九蛇海賊団』――歴代の皇帝より脈々と受け継がれ、いまの時代においても健在。絵本になるほどまでに、この海では認知され有名なのだ。

 

 

「まァいい。お前さんが楽しいのならな」

 

 

 絵本などに影響を受けることは幼い子どもにありがちだ。成長してゆく内に尊大な口調にも飽きてくるだろうとガープは判断した。

 

 けれどハンコックはいたく気に入っている。絵本の中で活躍する『海賊女帝グロリオーサ』。現皇帝より数えること2代前の皇帝。

 

 アマゾン・リリー史上でも五指に入る強者とされ、絶世の美女とも呼ばれた女性。絵本の中では多くの海戦を経て、多くの大物海賊を屠った最強の女戦士。戦いの中でとある男性に恋をし、恋煩いから皇帝の地位を捨てた。絵本上ではそう物語は締めくくられていた。

 

 

 ハンコックはなにもグロリオーサの強さと美しさだけに憧れを向けているわけではない。恋――1人の男に恋をする女。その在り方が尊く映り、自身も愛する男が居たのならと――そう羨望しているのだ。

 

 

 

「わらわもいつか恋をしたいっ!」

 

「ぶわっはっはっはっ!! いきなりなんじゃ、愉快な事を言うのう。なんならわしの孫の嫁にでもなるか?」

 

「おじいちゃんの孫は男なのじゃな?」

 

「うん? 言うておらんかったか」

 

 

 敬愛する祖父代わりのガープの孫。それも男児ともなればハンコックは俄然興味が湧く。その人柄は実際に対面しなければ分からないが、そこらの有象無象の男と比すれば会いたいという気持ちも強い。

 

 

「そういえばハンコックが保護されてから一年は経った。1度、わしの故郷のフーシャ村にでも行ってみるか?」

 

「わらわは行きたいっ! おじいちゃんの孫に会いたいっ!」

 

「ぶわっはっはっは! 食いつきが良いわい。よし、分かった。早速じゃ、今から行くぞ」

 

 

 思い付きから実行に移すまでが早いとハンコックは若干の困惑。けれど彼女にとっては都合の良い話。

 

 ガープの孫――ハンコックが恋をするに相応しい男なのか。まだ恋に恋する幼女(5歳児)には判断できぬ事だ。名前どころか顔や声も知らない、そんな相手に向ける気持ちではないのだろう。

 

 とはいえ――予感するのだ。ガープの孫とは特別な関係になれると。

 

 

 

「待っておれ、おじいちゃんの孫よ」

 

「ちなみにわしの孫の名前は――」

 

「よい、わらわが直々に名を訊くつもりじゃ」

 

 

 なんのこだわりなのか、ガープの口から名前を聞くことを拒否する。譲れないモノが彼女にはあった。ハンコック自ら見定めるのだ。お膳立てくらいはしてもらうが、恋愛とは戦争だ。

 

 代理戦争などという恰好の悪い手段、プライドが高く育ちつつあるハンコックが好むはずがない。ゆえにこそ、この戦争の主役としてハンコックは戦場に立ちたい。

 

 

「海賊女帝に!!!! わらわはなるっ!!!!」

 

 

 意気込みは良し。高揚感に包まれながら、ガープの手配した軍艦に乗り込むハンコックであった。

 

 そして――この船出から、海賊女帝ハンコックの伝説が幕を明けるのだ――。



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2話

 東の海(イーストブルー)に浮かぶドーン島。ゴア王国なる国で栄え、東の海(イーストブルー)で最も美しいと評される国である。この国において半ば存在すらも忘れ去られた辺境にガープの故郷であるフーシャ村は位置する。

 

 数日の航海を経て、ハンコックとガープの乗った軍艦はフーシャ村へ到着。ガープの帰郷に村民全員が歓迎ムードで出迎えていた。

 

 

「どうじゃ、ここがわしの故郷。のどかで良い場所じゃろう?」

 

「ほう、マリンフォードとは比べてのん気な場所じゃな」

 

 

 海軍本部を擁するマリンフォードは四六時中、出撃する海兵や軍艦の光景が見られる。大海賊時代へと突入した現代。海には多くの海賊が蔓延(はびこ)り、民間人からの通報は間を置かずに殺到しているのだ。

 

 切羽詰った空気の漂うマリンフォードと比較すれば、ハンコックの抱いた感想の通り、フーシャ村は平穏過ぎる。しかし悪くはない、一目でこの村が気に入った。

 

 

「わしの孫はどこにおる? マキノの酒場にでも入り浸っておるか」

 

 

 ハンコックに気を遣って自身の孫の名を迂闊に呼ばぬように注意を払うガープ。彼女が自ら名前を訊くと言ったのだ。固い意志ゆえに無下には出来まい。

 

 そして件のマキノとはフーシャ村で酒場を営む若い娘。まだ17歳の未成年ではあるが、立派な店主として村の皆に認められている。ガープの孫はマキノの営む酒場でただ飯を食らうのが習慣となっているのだ。

 

 

「おお、村長。しばらくぶりじゃな」

 

「ガープ、いきなり帰ってきたから何事かと思ったぞ」

 

 

 ガープが村長と呼んだ眼鏡を掛けた小柄な男性の名はウープ・スラップ。ガープとは旧知の間柄で、親族不在の孫の世話を任せている。

 

 

「いやなに、孫の姿が見えんのでな。やつに会わせたい人間がおるんじゃがのう」

 

「お前の隣の女児か?」

 

 

 村長の視線はハンコックへと向けられる。随分と可愛らしく、将来が楽しみな程に美の要素が詰まっている。

 

 

「やつならお前の乗った軍艦を見た途端、逃げていったわい。大体、お前が自分の孫に厳しくし過ぎているのが原因じゃろうっ!」

 

「たかが千尋の谷に落としたり、夜の密林に放り込んだり、風船に括り付けて空に飛ばした程度じゃ。わしの孫がその程度で弱音を吐いたりすると思うか?」

 

「とんだ海兵じゃな、ガープよ」

 

 

 どうやらガープの孫への教育方針は度を超えたスパルタ方式らしい。傍らで聞いていたハンコックは冷や汗を流しながらガープの顔を見上げる。自分に対しては好々爺な面しか見せないので、にわかには信じ難い

が――真面目そうな見た目の村長が嘘をついているとも思えないし、第一、ガープ本人が認めている。

 

 

「っげ、じいちゃんっ!」

 

 

 噂をすればなんとやら。話に上がっていたガープの孫が港近くの酒場から骨付き肉を携えて出てきた。血相を変えて逃げ出そうとする。しかし、目にも留まらぬ速さでガープは孫の背後に回り込み、首根っこを掴んだ。

 

 

「祖父の顔を見て一目散に逃亡とは大した孫じゃな。お前に紹介したい子がおるというのに」

 

「しまったっー! 腹が減ったんでマキノの酒場に肉を取りに行ったら捕まっちまったっ!」

 

 

 自分の空腹に耐えかねて、せっかく港から離れたというのに舞い戻ってきたようだ。傍で見ていたハンコックは、その少年の様子を見て恋心が冷めかける。

 

 

「それより、ほれ。こいつがわしの孫じゃぞ。お互いに自己紹介をせんか」

 

 

 ガープに促され、気を取り直して声を発する。

 

 

「う、うむ。わらわはハンコックじゃ。そなたの名は?」

 

「おれか? おれはルフィ。じいちゃんの孫だ!」

 

 

 首根っこを掴まれた状態にも関わらず、名乗った少年ルフィ。マイペースではあるが骨のある男かもしれないというのがハンコックの感想。

 

 

「そなたがガープの孫――」

 

 

 感慨深そうにルフィを見つめる。野生児のような見た目だが――ハンコックの女の勘が囁く。眼前の少年はガープのように大成するのだと。けれどその方向性までは特定できなかった。彼が祖父のような英雄となるのか、はたまた海賊となるのか。どんな道を歩むのか、先が楽しみである。

 

 

「ハンコック、お前もこの肉を食うか?」

 

「よいのか? そなたもお腹を空かせておるのじゃろう」

 

「いいぞ、飯は誰かと食った方が旨いからな」

 

 

 食い意地が張っていると祖父からのお墨付きの少年。ガープの目から見ても、そんな孫があっさりと食べ物を分けようとする姿が珍しい。何かお互いに魅かれるものがあるのだろうかと思案する。

 

 

「じゃあ、ハンコックにルフィ。わしは数日間、村を拠点にそこらの海で見回りでもしておる。しばらくの間、2人で過ごしておれ」

 

「おう、じいちゃん。おれがハンコックにフーシャ村を紹介してやるんだっ!」

 

「ぶわっはっはっは。なんじゃい、お前。年の近い女の子の前だからって良いところを見せたいのか?」

 

「ちげぇっ!」

 

 

 必死に否定するルフィ。本人の否定するように彼にそんな意図は無かった。純粋に村には少ない同年代の子ども。仲良くなりたいという感情が強いのだけである。

 

 

「ハンコックよ、数日間は村長の家にやっかいになれ」

 

「わかった、おじいちゃん」

 

「ガープ、わしは構わんが事前に話を通せ。これではハンコックちゃんにたいした歓迎が出来んじゃろ」

 

「すまんすまん。思い付きで村に帰ってきたんで連絡を忘れとったわ」

 

 

 マイペースなのは祖父と孫とでお揃いのようで、ハンコックはそれが可笑しくて心底より笑ってしまう。結果としてルフィへ微笑む恰好となる。間近でハンコックの笑顔を見た彼は、じっとみつめ一言だけ漏らす。

 

 

「それにしてもお前、美人だなー」

 

 

 何気ない一言。特に深く考えたわけでもない感想。けれどルフィは感じたままの忌憚の無い気持ちを出した。

 

 

「び、美人? わ、わらわの事を言うておるのか?」

 

「お前以外に誰が居るんだよ」

 

 

 色恋への意識が希薄なルフィをして美人と言わしめるハンコックの美貌。ハンコックは自らの容姿の程度を理解していたが、尊敬するガープの孫に面と向かって言われては照れを隠せない。

 

 

「ぶわっはっはっはっ、さすがはわしの孫っ! 出会って早々、女の子を口説きおったわっ!」

 

 

 愉快そうに笑うガープは嬉しそうにルフィの背中を手の平でバンバンッと叩く。本人としては軽く叩いたつもりでも、孫のルフィが地面へと前のめりに倒れるほどの威力。顔面を強かにぶつけたルフィはすぐさま起き上がると、祖父を睨みつけた。

 

 

「おお、怖いこわい。じゃが、ルフィ。悔しかったらわしに仕返しが出来るくらい強くなれ」

 

「言われなくてもそのつもりだっー! 見てろ、じいちゃんっ! おれはじいちゃんをぶっ飛ばせるくらい強くなってやるっ!」

 

「言ったな、ルフィ? ぶわっはっはっはっ、わしも気長に待つとするかのう」

 

 

 祖父と孫の微笑ましきやりとり。ハンコックはその関係を羨ましく思えた。いくら自分がガープを実の祖父同然に見ていても、血の繋がりはやはり無いのだ。本当の孫には決して成れない。

 

 

「なんじゃい、ハンコック。辛気臭い顔なんぞしおって」

 

「べつになんでもない……」

 

「なんでもないことはないじゃろ」

 

 

 と、言いながらガープは幼い子をあやすように頭を撫でる。この感覚、ハンコックは嫌いじゃない。だからだろう、本心がポロッと漏れてしまうのは。

 

 

「わらわはおじいちゃんの本当の孫ではない……。だから寂しいのじゃ。おじいちゃんの本当の孫であるルフィが羨ましい……」

 

「むう、なるほどのう……。お前の悩みはそれか」

 

 

 真剣に悩みを聞いてくれたガープの優しさを感じる。

 

 

「なぁ、ハンコック? 血の繋がりも大切じゃがな、この海にはそんなモノが無くとも家族だと胸を張って生きる男がおる」

 

「本当……?」

 

「生憎と海兵のわしとは相容れぬ海賊の男じゃがな」

 

 

 海賊王亡き今、この海で世界最強と謳われる男の在り方だ。海賊王のライバルでもあった男で、ガープとも馴染みが深い。

 

 

「じゃから血の繋がりなど気にせんで良い」

 

「……うん」

 

 

 尊大な口調は影を潜め、生来よりのハンコックの素直な言葉で返事をする。しょげたハンコックも可愛い孫のようだとガープは内心で思っていたが、この場では黙っておく。

 

 

「それじゃあ、わしはもう行く。ルフィ、ハンコックを頼むぞ」

 

「おう、まかせとけ。今日からおれとハンコックは友だちだっ!」

 

「ルフィ……。ありがとう……」

 

 

 ルフィの言葉に心を打たれたハンコックは一気に彼へと傾倒していく。彼となら末永く仲良くしていけそうだと改めて感じた。

 

 

「よし、ハンコックっ! 向こうまで競争だっ!」

 

「ま、待つのじゃっ! ルフィーッ!」

 

 

 合図も無く走り出したルフィを追いかける。ガープの孫だけあって強引な部分がある。されどそれも彼の魅力。その人間性をハンコックは受け入れつつある。

 

 

「おれの勝ちっ!」

 

「わらわが負けたのか?」

 

 

 運動神経に自身のあったハンコックだが、駆けっこでルフィに負けてしまった。しかし不思議と悔しくはない。いや、正確には悔しいけど不快感が全く無いのだ。彼と一緒に居るだけで楽しい。そんな感覚である。

 

 

「じゃあ、こっからじいちゃんにお別れを言おうっ!」

 

「うむ、わかった!」

 

 

 ルフィに同調して機嫌良く了承する。そして彼方に見える大柄な老兵ガープへ向けて、二人して別れの挨拶の言葉を送る。

 

 

「じいちゃん、またなっー!」「おじいちゃん、またなっー!」

 

 

 ワンテンポ遅れたものの、ルフィの言葉をほぼ変わらぬ形で借りてガープへ別れを告げた。手を振って名残惜しそうにハンコックは見送る。ガープもそんなハンコックに報いるように笑顔で手を振り返してくれた。

 

 

「そんじゃあハンコック。運動したら腹が減っただろ? この骨付き肉、食おうぜ」

 

「そうじゃな、わらわもお腹が空いてならん」

 

 

 丘に丁度良い木陰があるとして、ルフィに自然と手を握られ誘導された。手の振れた瞬間より、顔が熱くなるのを感じるハンコック。ガープのような温もり――。それとは別の何かも女として感じる。

 

 

「この感覚はもしや――恋っ!」

 

「なに言ってんだ、お前?」

 

「むむ、なんでもないのじゃっ!」

 

 

 まだこの気持ちの正体に完全には気付いていない。ハンコック自身も未だ半信半疑。それでもこの気持ちだけは手離したくはないし、大切に抱いていたい。

 

 

「それより肉だー!」

 

 

 男らしく肉にかぶりつくルフィを真似て、ハンコックも大胆に噛み付く。骨付き肉の両側がルフィとハンコックによって(かじ)り取られていった。やがて肉の中心、骨が見え始めて互いの顔が接近。

 

 

「(ルフィの唇が近づいておるっ! これはもしや接吻してしまうのかっ!)」

 

 

 だが、その考えは杞憂に終わる。なんとも浪漫の無いことか、2人の幼子は仲良くおでこをぶつける。ガツンッ、と盛大に音を立てて、痛みから同じタイミングで額を押さえる。

 

 両者共に涙目になるが、そんなお互いの顔を見て2人して笑い始めた。

 

 

「しししし! ばかだなー、おまえっ!」

 

「ふふふっ! そなたこそ馬鹿げておるわっ!」

 

 

 ひとしきり笑い合ったところでようやく落ち着く。

 

 

「ルフィ、そなたとは仲良くなれそうじゃ。わらわはそなたを気に入った」

 

「おれもおまえと友だちになれて良かったと思ってんぞ」

 

「その言葉、そっくりそのままお返ししよう」

 

 

 友情の成立。短い交流だが確かな友情を結べたとそれぞれが胸中に思う。

 

 

「いやー、肉を食ったら今度は喉が渇いたっ! よし、ハンコック。今度はマキノの酒場まで競争だっ!」

 

「マキノ? マキノとはそなたのなんじゃ?」

 

「んー、メシを食わせてくれるねーちゃん?」

 

「よもやその女っ! わらわの友だちを(たぶら)かす不届き者ではなかろうなっ!」

 

 

 自分以外の女の影をハンコックは認めない。これは世に言う嫉妬であり、束縛なのだろうか?

 

 

「なに怒ってるか知らねぇけど、マキノは良いやつだぞ」

 

「でもそなたをマキノとかいう女に取られとうないっ!」

 

「おれはだれのもんでもねぇっ!」

 

 

 怒ったルフィに対しても魅力を感じる乙女心満載なハンコック。けれども怒らせたままというのも心証が悪い。ゆえにすぐに頭を下げる。

 

 

「すまぬ、ルフィ。わらわが悪かった……」

 

「いやー、そんな怒ってねぇから謝られてもよぉ」

 

 

 戸惑うルフィの反応から、彼の人の良さを実感する。寛大な心で女の子を許す彼の度量。やはりそうだ。ルフィはただ者ではない。恋は盲目とばかりにハンコックは彼にぞっこんである。

 

 

「ルフィ……。本当に怒っておらぬのか……?」

 

「怒ってないから、お前も元気を出せって」

 

「では……そうしよう」

 

 

 仲直りに至る。まぁ、元々ルフィはさほど怒ってはいなかったのだが――。気になる男の子に対して顔色を窺う乙女チックなハンコックには勘違いをするなと言う方が酷薄である。

 

 

「ハンコック、準備は良いか?」

 

「いつでも構わぬぞっ!」

 

 

 改めて、かけっこのスタートに備える。数秒後、ルフィが飛び出すと同時にハンコックも彼を追走。その背中を追いかけてつかず離れず。今度こそは勝ちたい。ハンコックの中にも燃える競争心が脚を動かした。

 

 そして、かけっこの勝敗は――。

 

 

「うはー、今度は一緒にゴールだなっ!」

 

「そのようじゃ。ふう、良い汗をかいたわ」

 

 

 ――同着である。示し合わせたわけでもないが仲良く同時にゴール。こんな些細な事柄でも、ハンコックは運命を感じるほどに浮かれていた。実際、ルフィとの出会いは彼女にとって運命の転機とも呼べる出来事であったから。

 

 

「マキノー! なんかジュースをくれっ!」

 

「あら、ルフィ。可愛い女の子を連れているのね」

 

「おう、おれの友だちだっ! さっき会ったばかりだけどな」

 

 

 マキノと呼ばれた女性。まだ未成年らしいが、子どものハンコックからすれば十分に大人の女性である。美貌では自分が勝っていると絶対的な自信はあるが、油断ならない相手だ。当然、警戒心を剥き出しにする。

 

 

「あなた、お名前は? わたしはマキノよ」

 

「わらわの名はハンコックじゃ」

 

「そう、ハンコックちゃん。ルフィとは仲良くしてあげてね。この村には同年代の子が居ないもの」

 

「言われずともそのつもりじゃ。要らぬ心配よ……」

 

「ふふ、頼もしいわね。それに可愛い」

 

「ふんっ……!」

 

 

 顔を背けて不機嫌な態度を隠そうともしない。されどマキノからは、そんな子ども染みた態度ですら可愛げがあると捉えられていた。

 

 反抗的な姿勢なハンコックではあったが、マキノから差し出された飲み物については躊躇することなく口にする。喉が渇いていた為か堪えられなかったのだ。

 

 

「なっ? マキノは良いやつだろ」

 

「そうじゃな……」

 

 

 ルフィの為、否定するわけにはいかない。渋々と肯定しながらもマキノへの睨みは切らさない。とはいえ、マキノが善人である事は認めざるを得ない。あくまで恋敵認定しているのはハンコックの都合によるだけなのだから。それくらいは自覚は出来ている。

 

 

「あなた、ルフィのことが好きなのね?」

 

「……何が言いたいのじゃ?」

 

 

 突然、胸中を言い当てられたようで警戒を払う。だが、質問を投げかけた彼女当人は悪意など無縁の優しげな表情をしていた。

 

 

「安心して。わたしはルフィに恋愛感情は無いから。そうね、年の離れた弟って感じかな?」

 

「その言葉に嘘は無いな?」

 

「えぇ、誓いますとも」

 

 

 目の前の女の言葉――信じて良いものかと悩みに悩むが……あのルフィが信頼を置く人物。ならばハンコックとてその意思を尊重する。

 

 

「うむ、わらわはそなたを信じよう」

 

「ふふ、ありがとう。ハンコックちゃんは、いい子ね」

 

「それと……」

 

「なあに?」

 

 

 少しだけ言葉を溜めてから発言する。

 

 

「我ながらそなたに対する態度が悪かったと反省しておる。すまぬ、こんなわらわを許して欲しい」

 

「あら、そんなこと!? いいのよ、気にしていないから」

 

「そうか、礼を言おう……」

 

 

 無事にマキノと和解したハンコック。ルフィとは別のベクトルで彼女に気を許す。ガープと出会ってからの人生は何もかもが新鮮だ。ルフィとの出会い、マキノとの出会い。今後の人生にも様々な出会いがきっとあるのだろう。

 

 

「さっ、ジュースはまだまだあるからね。お腹を壊さない程度ならいくらでもおかわり自由よ」

 

「ではお言葉に甘えよう」

 

 

 グラスに注がれたジュースを飲み干し、すかさずおかわりを要求する。その飲みっぷりに触発されたルフィもハンコックに負けじとおかわりをする。

 

 

「良い村じゃな」

 

「だろ? でもたまにじいちゃんが帰ってきて、おれを殺そうとするんだぞ。それさえ無きゃ、おれも文句はねぇんだけどな」

 

 

 祖父によるスパルタ方式の教育。ルフィの境遇に同情せざるを得ない。次にそんな教育法が実行されるとするのなら、自分も帯同して彼を支えなければと決意する。

 

 

「よーしっ! おれとハンコックが友だちになった記念に乾杯だっ!」

 

「それは良い提案じゃっ!」

 

 

 マキノからおかわりとしてグラスへと注がれたジュース。2人の出逢った祝いとしてグラスがぶつかり合って乾杯と相成った――。



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3話

ハンコックにとってルフィと過ごす時間は何物にも替えがたい思い出の連続であった。のどかで何も無いフーシャ村であっても、ルフィとなら何をしていても楽しい。

 

 かけっこを始めとして、腕相撲、ボール投げ、くつ飛ばし――あらゆる競い事で勝負を重ね、友情も深まっていく。

 

 どちらが勝っても負けても笑顔で終わる。生涯を通しての友人に違いないと信じて疑わない2人。この数日間、ハンコックの顔から笑顔が途絶えたことは無い。

 

 しかし名残惜しいことにマリンフォードへ帰る期日が訪れてしまう。幾つもの海賊船を潰して収穫は大漁と豪語するガープとは対称的に、ハンコックの表情は曇っている。

 

 

 そして悲しみに暮れるのは彼女だけではない。そう、ルフィもまたハンコックと離ればなれになることを悲しんでいた。

 

 

「ざびじいよおっ……!!」

 

「わらわも……ルフィと別れとうないっ……!」

 

 

 抱き合って寂しさと悲しみを共有する。その光景にさしものガープでさえハンコックを連れて帰ることに抵抗感を覚える始末。

 

 

「なんじゃい。このままハンコックを連れて帰ったんじゃ、わしが悪人みたいじゃな」

 

 

 はたしてこのまま2人で過ごす時間を引き裂いても良いものかと頭を悩ませるガープ。

 

 ならば、とひとつの提案をハンコックへと持ち掛ける。

 

 

「そんなにルフィと離れたくないのなら、いっそフーシャ村に住まんか?」

 

「よいのかっ! おじいちゃんっ!」

 

 

 ピタリと泣き止んで確認を取る乙女が1人。興奮した様子の孫同然の娘の反応に、ガープは妙案だったと自らを褒めたくなる。

 

 

「うむ、この村が気に入ったのなら問題あるまい。マリンフォードで暮らす理由も行くアテが無かったからに過ぎんからのう」

 

「ありがとう、おじいちゃんっ! わらわは嬉しいっ!」

 

「喜んでもらえて何よりじゃ」

 

 

 孫娘に甘い祖父、ここに在り。

 

 実際の話、マリンフォードで暮らし続けるよりもこの土地に定住した方がハンコックにとっても良い刺激となるだろう。

 

 マリンフォードにもハンコックの友人は居るには居るのだが、ルフィほどに心を許した者は居ない。それにルフィもまたハンコックのことを親友として認めている。

 

 ならばこのまま2人には、この土地で友情でも愛情でも(はぐ)んで欲しいと願うのも祖父心。あわよくば実の孫と孫同然の娘が夫婦(めおと)になることが望ましい。

 

 2人の幼子はガープにとって目に入れても痛くないほどの可愛く大事な存在。そんな子どもたちが将来結ばれるというのなら、これ以上に祝福出来ることは他にないだろう。

 

 

「(わしが生きておる間に曾孫を見られるかもしれんのう)」

 

 

 そんな想像すらしてしまう程度にはガープも親馬鹿ならぬ祖父馬鹿をみせていた。口には出さないが、微笑ましげにハンコックとルフィを見守る。

 

「じゃあ、わしはもう行く。達者でなハンコックよ」

 

「おじいちゃん、またフーシャ村へ来てくれる?」

 

「仕事次第じゃが……。まあ、わしの立場なら多少の無理をしてでも帰って来られるわい。最低でも年に1度は会いに来るつもりじゃ」

 

 

 海軍本部の擁する英雄ガープ。中将の地位に在りながら、本人の自由奔放さから出撃命令の有無に問わず基地を抜け出すこともしばしば。海軍の最高戦力である三大将にも引けを取らぬ猛者が利かん坊ときた。

 

 

「ルフィ、わしと約束しろ」

 

「なんの約束だよ、じいちゃん?」

 

「ハンコックを泣かせるような真似はするなよ。万が一泣かせたらその時は、分かっておるな?」

 

 

 そう脅しを掛けるように念押ししながら、ガープは拳を振り上げる。

 

「げげっ! じいちゃんの拳骨はすげぇ痛てぇから苦手だっ!」

 

「痛いのが嫌じゃったら、ハンコックをしっかりと守ることじゃ。少なくともわしは、誰かを守れる強い男に成れるように育ててきたつもりじゃ」

 

 

 元々はルフィが将来、屈強な海兵に成ることを願って育ててきた。しかし状況は少し変わった。今この時より新たな使命がルフィには課せられたのだ。

 

 ――ハンコックを守れる男に成ること――。

 

 だからこそガープはルフィに対して、それこそ一歩間違えれば命を落としかねないような行為を教育と称してまで強行したのだ。

 

 

「ハンコックはおれの友だちだっ! 言われなくても危ない時はおれが助けるに決まってるっ!」

 

「ほう、お前も言うようになったのう。一端の男気取りか? しかし、わしのガキの頃を思い出すわい」

 

 

 思惑に相違はあれど結果は同じ。ガープは孫にハンコックを守るように願い、ルフィは祖父にハンコックを守ることを約束する。

 

 

「ルフィ……。そなたはカッコいい」

 

 

 ハンコックはルフィの意気込みを間近で聞いて感極まったのか涙を浮かべる。

 

 

「こら、ルフィッ! さっそく、ハンコックを泣かせおったなっ!」

 

 

 ゴツンッと、ルフィの頭頂部へ重い拳骨が下る。

 

 

「い、痛てぇっ〰️〰️!!!!」

 

 

 極めて理不尽な理由での拳骨。ハンコックをしてこの人(ガープ)は滅茶苦茶だと感じさせた。痛みによって地面を転がり回るルフィ。哀れんだハンコックは彼の頭に手をそっと置いて撫でてあげる。

 

 

「痛いの痛いの飛んでけー、じゃっ!」

 

「おお、痛くなくなってきたぞっ! ありがとな、ハンコック!」

 

 

 単純思考なのか、おまじないひとつで痛みの引いたルフィ。ハンコックもこれには『もしかしてルフィはバカなのではないか?』と思わざるを得ない。

 

 

「今度こそわしはもう行く。またのう」

 

「おじいちゃん、健康には気を付けるのじゃぞ」

 

「分かっておる、これでも軍の健康診断ではオールA評価じゃから安心せい」

 

 

 別れの挨拶としてガープに頭を撫でられるハンコック。もはやこの行為は恒例になりつつある。

 

 ガープを乗せた海軍の軍艦は少しずつ遠ざかっていく。水平線の向こう側へ消えるまでハンコックは見送った。

 

 気が付けば随分と遠くまで来たものだと過去を振り返る。ハンコックは赤子の頃、どこぞの船で航海中に生まれたと天竜人から聞いたことがある。

 

 生まれて数ヶ月して人攫い屋によって誘拐され、人身売買業者を仲介して売られてきたのだとか。

 

 ただし、奴隷の証である烙印は赤子にはショックが強過ぎて命を落としかねないので押されなかったらしい。攫われた不運の中に幸も有ったものである。

 

 そのまま烙印を押し忘れられたまま4歳になった頃にガープが現れて自分を外の世界へと連れ出してくれて、マリンフォードで人間であることを一年間を通して教えてくれた。

 

 そして今は誰かを大切に想う心を学んでいる最中。まだ5歳、されど内面的に早熟なハンコックはこの感情は自身にとって必要なものだと自信を持って言える。

 

 

「恋はいつでもラブハリケーンなのじゃっ!!!」

 

「なに言ってるんだ、ハンコック?」

 

「ひ、独り言じゃっ!」

 

 

 東の海(イーストブルー)に伝わる諺を思わず口走ってしまった。恥をかいた思いで、頬がほんのりと紅く色づいてしまう。

 

 

「どうしたんだ? 顔がなんか紅くねーか」

 

「す、少し……暑いだけじゃ」

 

 

 誤魔化すように言うが、顔を紅くして目を背ける仕草は非常に怪しい。とはいえ、ルフィは人の機微に疎いらしく、それ以上は探ろうとはしなかった。

 

 ひとまずその場を乗り切ったハンコックは、まずは顔の火照りを取り除こうと深呼吸。落ち着いたところで唐突にルフィに手を握られて、再び顔を真っ赤にした。

 

 

「なんだよ、やっぱり暑いだけじゃねえだろ? 調子が悪いんなら言えって」

 

「そ、そ、そうじゃなっ! わらわは病を患っておるのやもしれん」

 

 

 それはきっと世に真しやかに囁かれる『恋煩い』。乙女のみが発症する命にも関わる大病。治療法は想い人に添い遂げること。唯一の治療法にして最大の特効薬だ。

 

 

「病気なのかっ! たいへんだっ、すぐに医者にみせねぇとっ!」

 

「よいのじゃ、ルフィ。そなたがわらわの近くに居てさえくれれば。それが一番の治療になる」

 

「んー、そうなのか? じゃあ、そうすっか」

 

 

 説得にも満たない言葉ひとつでやり過ごせた。さすがにこの騙され易さはハンコックとしても不安になる。そばに居て支えてあげなければ、どんな悪人に騙されたものか気が気ではない。

 

 その後、ガープが話を通していたのか、ハンコックは村長の家に引き取られることになった。村長やその妻の老夫婦に孫同然に可愛がられ何不自由の無い生活。

 

 ルフィとも変わらぬ幸せな日常を一年間以上も謳歌する。ハンコックとルフィは2人して6歳を迎え、少しばかり身長も伸びた。

 

 ハンコックはより美しさを増し、ルフィはバカさ加減が増した。後者は良いことか悪いことか判断の別れる要素だが、ハンコックはどんなルフィでも好きで居続けることだろう。

 

 さて、そんな大好きなルフィとの恋愛方面での進展は0だったりする。ハンコックが奥手なのもあるが、何よりもルフィが鈍感過ぎる。

 

 さりげなくアピールしてもルフィには伝わらず、ヤキモキする日々。けれどそれもルフィという少年の良さ。馬鹿であろうとハンコックを守ると約束した少年の行いは何もかもが輝いて見えた。

 

 しかし、そんな日常は前触れもなく揺れ動く。いつものようにハンコックはルフィと遊ぶ約束をし、港で待ち合わせていたときの話だ。

 

 海賊旗を掲げる帆船がフーシャ村へと接近していたのだ。

 

 

「か、海賊船っ……!」

 

 

 『海賊女帝の冒険』という絵本に登場する九蛇海賊団には憧れを抱いている。けれど一般的な海賊は民間人に対しても容赦なく略奪や殺人を行う非道な人種。

 

 そのような悪辣の集団が海からやって来る……。震えが止まらぬ程の恐怖と絶望の双翼。しかしこうして怯えているだけでは脅威は取り除かれない。

 

 早急に村の大人――村長に伝えねばならない。だが恐怖で足が(すく)み、喉もキュウッと締め付けられて助けを呼ぶ声すら出ない。

 

 もうダメだ。この村は海賊の欲望を前に蹂躙され、大勢の命が失われるのだ……。そんな地獄絵図を想像してしまいハンコックは涙をこぼす。

 

 やがて海賊船は港へ――。しばらくして麦わら帽子を被った赤髪の若い男が船から降りてきた。歳の頃は20代後半程度だろうか?

 

 海賊という割には迫力に欠ける風貌。左目に掛けて3本の傷が走り、無精髭を生やしている外見的特徴だけは海賊らしく粗暴さを表していた。

 

 

「よお、嬢ちゃん。おれはシャンクス。しばらくの間、この港町を拠点にしたいと思ってる」

 

「か、海賊めっ……! こ、……ここを……どこだと心得ておるっ……!」

 

 

 精一杯の虚勢を張って、目の前の海賊を威嚇する。力の無い自分に出来る最大の抵抗。

 

 

「へえ、どこなんだ?」

 

 

 威嚇はさほど効いていないらしく、シャンクスと名乗った海賊は飄々(ひょうひょう)とした態度で聞き返してきた。

 

 

「この村は海軍の英雄ガープの故郷っ! 危害を加えれば、そなたらの破滅を免れぬものと知れっ……!」

 

 

 祖父の威を借りた孫娘――。さりとて海賊と相対して自分の足で立っている時点で称賛されるべき勇気。偉大なる祖父同然の老兵の名を出したところで誰が責められようか。

 

 

「こいつは困ったな。すっかり警戒されちまってる」

 

「海賊がなにをほざくかっ……!」

 

「危害を加えるつもりはないんだ、信じてくれ。ただ俺たちは物資の補給地点としてこの村に拠点を置きたいだけなんだ。金だってちゃんと払うさ」

 

「海賊の戯れ言なと誰が信じようかっ……!」

 

 

 全くもって信用ならない相手だ。最初は良い顔をしておいて信頼させて、後になって本性を表すに違いない。海賊とはそれほどまでに狡猾な生き物である。

 

 

「とにかくっ……! ここからは、わらわが一歩も通さぬわっ……!!!!」

 

「うーん。こりゃ、取りつく島も無さそうだ。すまん、嬢ちゃん。俺さおれの仲間は船に残しておくから、おれだけでも村の代表と面会させてもらえないか?」

 

「断じてならぬわっ……!」

 

 

 興奮気味な反応には判断力が鈍っているのだろう。しかし世間一般的な感性からかすれば極めて正しい対応である。

 

 

「それでも押し通るというのなら――。このわらわが相手をしよう――」

 

 

 既に涙は止まった。ハンコックにも守りたいと思える人たちが居る。ルフィを筆頭に姉かわりのマキノ、親代わりの村長とその妻。魚をオマケしてくれる魚屋のおっちゃん。他にも村の人たちはハンコックに優しくしてくれた。

 

 そんな皆を守るためならば、たとえ非力であろうとも立ち向かう理由くらいにはなる。

 

 もう怖がらない。いまこの場所に立つ少女は1人の戦士。絵本の中の海賊女帝グロリオーサに憧れる次代の海賊女帝なのだから。

 

 やがてハンコックは奇妙な感覚に包まれる。全身から活力がみなぎるのだ。まるで戦士としての血が呼び覚まされたかのような錯覚を起こす。

 

 

「なんじゃ、この感覚は……?」

 

 

 言葉では説明のつかない熱さで頭がのぼせそうになる。でも……これならば――。

 

 瞬間、ハンコックは眼前の男に目掛けて睨みを強める。その睨みは単なる威嚇では終わらない。大気をも揺るがす衝撃が波となってシャンクスへと殺到した。

 

 衝撃波はシャンクスの背後の船を転覆させかねぬほどの威力を内包しており、彼の部下であろう船員たちにどよめきが走る。

 

 余波で幾重にも発生した強風がシャンクスの麦わら帽子を掻っ攫っていく。が、そこまでしてもシャンクスという男は平然としていた。

 

 変わらぬ様子で動じる事もなく真顔。ハンコックの決死の抵抗でさえも不発に終わったのである。

 

 

「いや、嬢ちゃん。今のは驚いた。まさかロジャー船長やおれのように覇王色の覇気を持ってるとは」

 

「覇王色の……覇気……じゃと……?」

 

 

 シャンクスが口出した言葉の意味には心当たりが無い。だが、シャンクスは今起きた現象について何かしら知っているようだった。

 

 いや、いまはどうでも良いこと。優先すべきは目の前の海賊を、いかにして撃退するかだ。しかしハンコックに取れる術はもう無い。万策が尽きたと言える。

 

 

「万事休す……というのじゃろうな。今のような状況を」

 

「子供どもなのに難しい言葉を知ってるんだな?」

 

「えぇいっ! 貴様は黙っておれっ……!」

 

 

 絶体絶命の立場にある自分とは違って、シャンクスなる海賊は呑気なものである。強者が弱者をいたぶる構図がよほど愉しいと見える。

 

 とはいえハンコックの劣勢はもはや覆せぬ段階にまで来てしまった。これでは何も大切なモノを守れない。失うことを恐れて、一度決めた覚悟はあっさりと瓦解してしまった。

 

 こうなってはもう泣くしかない……。

 

 

「お、おいおい、嬢ちゃん? 泣くことはないだろう? ほんとうに俺たちは悪いことなんかしない」

 

「嘘じゃ……。海賊は無辜の民を惨殺する悪党だと、そうおじいちゃんが言うておった……。村のみんなを殺すつもりじゃろっ……」

 

 

 半ば諦めつつあるハンコックの瞳からは止めどなく涙が溢れだす。大粒の涙は彼女の足下に水溜まりを形成するほどだ。

 

 

「弱ったなァ。嬢ちゃんが泣き止むまで待つべきか」

 

 

 途方に暮れるシャンクスをよそにハンコックは独り泣き続ける。乙女の涙の代償は大きい。理由はどうあれ、その報いはそう遠くない内にやってくるだろう。

 

 たとえば――ハンコックの友だちが、その報いを受けさせに来たり。

 

 

「おまえええええっ……!!!! よくもおれの友だち(ハンコック)を泣かせたなあああっ……!!!!」

 

 

 憤怒に燃える少年(ルフィ)友だち(ハンコック)を救わんとして、海賊・赤髪のシャンクスへと立ち向かう。

 

 

「威勢の良い坊主が現れたみたいだが、誤解はまだ解けなさそうだな」

 

 

 シャンクスの言葉は怒り心頭なルフィの耳には一切入らない。ルフィの、行動原理はハンコックを守ること。泣かした相手が目の前に居るというのなら、問答無用でぶっ飛ばすのみ。

 

 そしてルフィの渾身の一撃()が、避ける素振りすら見せずに立ち止まるシャンクスの(すね)へと直撃する。

 

 

「痛てえぇぇぇっ……!」

 

 

 脛に受けた拳は大の大人すらも涙目にする威力。そりゃ、脛を殴られれば老若男女問わず体の反応として涙ぐみくらいはするだろう。

 

 という冷静なツッコミはともかくとして、ルフィは人生で初めて海賊を泣かしたのであった――。

 

 

「どうだっ! ざまぁみろ、海賊の男めっ!」

 

「ルフィ……、来てくれたのじゃなっ!!」

 

 

 想い人が来てくれた。ただそれだけでハンコックの心は幸福に満ち溢れる。ルフィは約束を果たしてくれたのだ。

 

 

「おう、約束だもんなっ!」

 

「ありがとう、ルフィ……。そなたを友に持てたことを誇りに思う」

 

「ほんとか? うれしいっ!」

 

 

 そんな子どもの可愛らしい会話を涙を浮かべた目で窺うシャンクス。これではもう何をしても悪党扱いされるのだと理解する。ゆえに奇策に打って出る。

 

 

「坊主、おれは海賊だが誓って悪さはしない。だから友だちになってくれ」

 

「おれと友だちになりたいのか、お前」

 

「あぁ、坊主の強さに惚れ込んだ。それが理由じゃダメか?」

 

「うん、良いぞ。ハンコックに謝ってくれるんなら」

 

 

 ルフィの人の良さに漬け込んだ話術。存外、巧く働いたようだ。

 

 

「なっ! 正気か、ルフィよっ! こやつは海賊じゃぞ?」

 

「海賊は海賊でも友だちになろうってやつが悪い人間のはずがねえよ。それにもし、また悪さをしようとしたら、そん時は俺がぶっ飛ばしてやるさ」

 

「ルフィがそう言うのなら……。わらわは信じよう」

 

 

 ルフィが約束を(たが)えることなどあり得ない。それはたった今証明されたこと。ならばハンコックはルフィへと全幅の信頼を寄せて委ねると決めた。

 

 

「おれはルフィ。お前、名前は?」

 

「シャンクスだ、そっちの嬢ちゃんにはもう名乗ってたよな? それとさっきは怖がらせて悪かった。反省している」

 

「謝罪を受け入れよう。しかし、海賊の名前などいちいち覚えておらぬわ……。それと――わらわはハンコックじゃ。忘れるでないぞ」

 

「そうかそうか。よし、ルフィとハンコック。今日から俺たちは友だちだ。よろしくな」

 

 

 シャンクスがこれで仲直りだと言わんばかりに握手を求めてきた。まずはルフィが握手を交わし、次に不機嫌さを露にしたハンコックが応じる。

 

 

「なんだか海賊に上手く丸め込まれた気分じゃ……」

 

「しししし!! 大丈夫だって、なんかあったら俺が絶対に守るから」

 

「うん、信じておるぞ。わらわだけのルフィ……」

 

「なんだ、この子どもたち。仮にも海賊のおれの前でイチャつくとはな。大物なのか?」

 

 

 シャンクスの面前であることなど気にした風でもなく、ハンコックはルフィへと肩を預けて体を密着させる。

 

 そう、ハンコックはルフィさえ傍に居てくれるのなら、どこまでも神経が太くなれる。だから今はルフィの温もりを存分に味わうのだった。



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4話

 ルフィとハンコックはフーシャ村一番の友だち関係。村長のような老人から生まれたばかりの赤子まで周知の事実。よってシャンクスを村長へ紹介する際も、2人は仲睦まじげに肩を並べていた。

 

 シャンクスから注がれる視線は困惑の色が含まれていたが、ハンコックはどこ吹く風。人の恋沙汰に干渉さえされなければ文句など出まい。

 

 

「はじめまして、村長さん。突然の寄港で驚かせてしまって申し訳ない。おれはシャンクス。世間からは赤髪のシャンクスなんて呼ばれてる」

 

「赤髪のシャンクスじゃと……? ええいっ、よりにもよって何故ガープの不在の時に限って、四皇ほどの海賊がこの片田舎にっ!」

 

 

 村長は村フーシャ村における史上最大の危機を迎えたとして警戒レベルを最大まで引き上げた。ハンコックとルフィは知らぬことだが――赤髪のシャンクスと言えば、この大海賊時代を代表する海賊。

 

 広い海にさながら皇帝のように君臨する四つの海賊団のひとつ、赤髪海賊団の船長こそがシャンクス。民間人からの評判は賛否両論と言ったところだが、新聞などで彼の名を聞く限りでは民間人への被害はほぼ0と言える。

 

 海賊に関しての知識の薄いハンコックとルフィは、四皇という単語にピンとこないようで、聞き流していた。とはいえ村長の反応から察するに、それなりに名の通った海賊なのだろう。関心を持たないでもない。

 

 さて村長は赤髪海賊団について情報としては知っていたが、実際のところ所詮は海賊なのだ。どこまで信用して良いものか怪しい。報道されていないだけで悪事を働いていても何ら不自然ではない。

 

 

「赤髪のシャンクス、お前さんを信用するわけではないが――ルフィとハンコックの友だちだというのなら、猶予を与える。数日間、港に停泊している船から降りないでもらいたい」

 

「構わないが、それはどうして?」

 

「ちょっとしたテストじゃよ」

 

 

 欲に忠実な海賊。酒や飯のある村を目の前にしてお預けをくらって、ばか正直に従う堪え性の有無を試す。

 

 ルフィとハンコックの保証が無ければ、本来ならこんなテストすら機会として与えなかった。けれど英雄ガープの孫、そして今や我が家で暮らす孫同然のハンコック。2人の存在が村長に賭けに出させた。

 

 村の長として誉められた行動ではない。だが、それでも信じてみたいモノが在ったのだ。

 

 

「暫定的に交渉成立ってところか。あァ、港を勝手に使わせてもらってるんだ。停泊料を払わせてくれ」

 

 

そう言ってシャンクスは正規料金の三倍の金額を村長へと握らせる。

 

 

「いや、受けとれん。海賊と金銭の授受など、海軍から賄賂を疑われてしまう」

 

「海賊相手に商売をする店だってあるんだ。漁港だって似たようなものだろう? 村長さん、これはおれからの詫びも含まれてるんだ。受け取ってくれ」

 

「では、担保として受け取っておこう。ただし無事に数日間を大人しく出来たのなら、正規料金分を差し引いて返金させてもらう」

 

「悪いな、村長さん。恩に切るよ」

 

 

 握手を交わして穏便に事を済ませる。傍らで2人のやり取りを眺めていたルフィも満足げに笑う。

 

 

「シャンクスッ! 腹減ってねェか? おれ、旨いメシを食える場所を知ってんだっ!」

 

 

 ルフィがシャンクスへ空腹か否かを尋ねる。海賊という稼業上、長い船旅をしてきたのだろう。食事に誘うことがルフィなりの気遣いなのだ。

 

 

「減っちゃいるが、村長さんと約束したからな。蓄えもあるし、メシの誘いは辞退させてもらう。それに船には仲間が居る。あいつらを差し置いて自分だけ良い思いをするのは申し訳が立たない」

 

「そっかー。そんじゃ、またこんどな」

 

「楽しみにしておく」

 

 

 食事の約束はお流れになったものの、ルフィはまだ諦めていない。妙にシャンクスに(なつ)くルフィの姿に、ハンコックは嫉妬心を募らせた。女相手ではないので、かろうじて自制が利き暴走せずに済んでこそいたが……。

 

 

「ところでシャンクスよ。先程は()()()()()()などと口走っておったが、それはいったい何を指しての言葉じゃ?」

 

 

 港での一件、決して忘れたわけではなし。極度の興奮状態にあったハンコックが引き起こした不可解な現象。シャンクスを鋭い眼光で貫いた途端、威圧したハンコックを発生源として衝撃の波が生じた。あれは明らかに超常に属する現象だった。

 

 

「ありゃあ、おまえにはまだ早い。もうちっと大きくなったら――素質のありそうなハンコックだ。世界の流れが自然と教えてくれる」

 

「なにを適当な虚言であしらおうとしておるのか。まァ、よいわ」

 

 

 海賊相手に真面目な対話を試みようという考えが、そもそものあやまちであった。そう即断して会話を打ち切る。

 

 

「それじゃあ、ルフィにハンコック。おれは1度船に戻るんでな。またな」

 

「おうっ! シャンクス、次こそは一緒にメシだぁっ!」

 

「ルフィがそのつもりなら、このわらわも食事に付き合うのもやぶさかではないわ」

 

「だっはっはっはっ! ハンコック、お前はルフィにべったりだな。まるで金魚のフンだ」

 

「きさまっ! わらわを侮辱したなっ!」

 

 

 光の速度で激昂。やはりシャンクスという男は気に食わない。ルフィはやたら気に入ったようなので仕方がなく付き合ってはいるが。

 

 

「怒るなよ。良い意味で言ったんだぜ?」

 

「良いも悪いもたとえが不相応であれば、わらわはそれを侮辱とみなす。即刻、謝罪を要求しよう」

 

「ガキはイジリがいがあっておもしれえっ! だっはっはっはっ!」

 

「ぐぬぬぬっ!」

 

 

 海賊とは皆こういう人間なのか? 自身の憧れる海賊女帝は違うと信じたいところ。たが分かることがひとつ。男の海賊はガサツでデリカシーの無いテキトーな生き物だということだ。

 

 停泊する海賊船へ戻るシャンクスを見送ったハンコックとルフィは、遊び約束をしていたことを思い出す。元々、待ち合わせをしていたのだ。

 

 シャンクスとの一件で時間を浪費してしまった。遅れを取り戻すべく、普段から遊び場にしている丘の上へと走っていく。もちろん、習慣となっているようにルフィとハンコックによるかけっこという競技は忘れない。

 

 それから数日間が経過する。シャンクスは村長との約束を忠実に守り、船から降りることもなく過ごしていた。物珍しさから多くの村民が海賊船を見学し、中にはシャンクスや副船長のベン・ベックマンと雑談に興じる猛者まで居た。

 

 かくいうルフィもその1人。その隣には当然の如くハンコックの姿があった。海賊船を興味津々に眺めるルフィ。対して心配そうにルフィを眺めるハンコック。

 

 シャンクスを毛嫌いする理由は、自分(ハンコック)からルフィと一緒に居る時間を奪う為。その他にも野蛮な海賊がルフィへ悪影響を与えかねないなど悩みの種は尽きない。

 

 

「なぁー、シャンクス! この船に乗せてくれねぇかな」

 

「どうしたルフィ。この船は海賊船。コワイやつらが沢山乗ってるんだぞ? それでも平気なのかよ」

 

「しししし!! 船長のシャンクスがコワくねえんだ。だったら大丈夫だろ」

 

「ルフィッ! あんな男でも一つの海賊団の船長。侮っては何をされたものか分からぬぞっ!」

 

 

 注意を促すが、聞き入れる様子はない。まるで威圧感の無いシャンクスが相手では、ルフィに警戒心を抱かせるのも無理な話かもしれない。

 

 

「ハンコック、一緒に船に乗せてもらおうっ! 船内を探検しようぜっ!」

 

「わらわも興味が無いわけではないが……。わかった、付き合おう」

 

 

 同行するしか選択肢は無い。いかなる判断も最終的にはルフィへと委ね、その決定に従うしかないのだ。日頃の遊びとて同様。

 

 かくれんぼか鬼ごっこ、どちらで遊ぶか決めかねた際もルフィの直感から鬼ごっこへと決定した。まあ、鬼ごっこは文句なしに楽しめたのだが。

 

 そして今回もルフィの決定を了承し、シャンクスの船を見学させてもらう運びとなった。甲板には多くの船員(クルー)が並び、ハンコック達を歓迎しているのかバカ騒ぎ。

 

 勝手に酒を飲み始め、見せ物のつもりなのか曲芸を始める者までいた。不覚にもハンコックは曲芸に目が釘付けとなり、ルフィから目を離してしまう。

 

 するとどうしたことか、ルフィは猿のようにスルスルとマストを登っていき、てっぺんからハンコックへ向けて呼び掛けていた。

 

 

「おーい、ハンコックー! ここ、めちゃくちゃ高くて良い景色だぞー!」

 

「ルフィー! 黙って離れられては困るっ!」

 

 彼の姓にあるモンキーに相応しい猿っぷり。バカは高い場所を好むと言うが、よもや自身の好きな相手も該当するとは。

 

 それでも惚れた弱み。彼の行いのすべてが愛おしく思えてしまうのだ。恋する乙女もまたバカな部分があるのかもしれない。

 

 

「いまわらわもそちらへ行く。そこで待っておれ」

 

「わかった、早く来いよ。すっげェ良い場所だかんな」

 

 

 急かされるようにしてハンコックはルフィの下へと向かう。高所ゆえに体の動きは覚束(おぼつか)なかったが、程なくしてたどり着く。

 

 ルフィの隣に陣取ると、さりげなく彼と体を密着させて自身への(ねぎら)いとした。その意味に気付いていないのか、特に(とが)められることもなかった。

 

 

「たしかにここからの眺めは良いものじゃ」

 

「だろ? シャンクスのやつズルいよな。こんな良い眺めをいつも見てるんだぞ」

 

「ふふふ、同意しよう」

 

 

 別段、眺め単体に対して強い情景とまでは思わない。けれどルフィと一緒だからこそ()えるとは思うのだ。それだけで価値の有る風景。思い出のアルバムに収めるに相応しいだろう。

 

 

「次は船首だっ! ついて来い、ハンコックッ!」

 

「楽しそうじゃな、ルフィよ。わらわも負けてはおられぬっ!」

 

 

 アスレチックを楽しむように縦横無尽に駆け回るルフィの体力の底が知れない。ハンコックはルフィに付いていくのに精一杯。されどやはりルフィと行動を共にする以上は、疲れ知らず。一緒に居るだけでハンコックの体力は倍化する。恋愛脳な部分がアドレナリンの分泌を促進でもしているのだろう。

 

 

「うはっー! おれがこの海賊船の先頭に立ってるぞっ!」

 

「ふふふ、シャンクスを差し置いてルフィが船長のようじゃな」

 

「だろっ! これからはおれが赤髪海賊団の船長だっ!」

 

 

 船長を気取るルフィは興奮気味に宣言する。子どもの言うことだとして、船員(クルー)は温かい目で見ている。船長たるシャンクスも面白げにルフィの遊びに乗り始めた。

 

 

「ルフィ船長っ! 指示をくれっ!」

 

「よし、シャンクスッ! 九時の方向に敵船発見。大砲用意っ!」

 

「よし来たっ!」

 

 

 ノリの良い近所の兄ちゃんのようにシャンクスはルフィの海賊ごっこに付き合っている。

 

 

「おれが船長なら、副船長はハンコックだな」

 

「わらわが副船長……?」

 

 

 ルフィ船長からの直々の指名。ともなれば拝命しないわけにはいくまい。少し照れくさかったが、ハンコックは在り難く任命を受け入れる。

 

 

「はは、おれの役職も奪われちまったな」

 

 

 ベン・ベックマンがそう漏らすが、その表情は他の船員(クルー)と変わらず笑みを浮かべていた。シャンクス同様、船の上における地位を失っても、さほどの悲しみを感じていない。

 

 

「ルフィ船長より次の指示じゃ。傾聴せよっ!」

 

 

 ごっこ遊びとはいえ一時的に副船長となったハンコックは、船員(クルー)へと怒号を飛ばす。意外にも様になっていた事から一同は一瞬だけ驚きのあまり硬直してしう。

 

 

「へぇ、あの嬢ちゃん。もしかすると大物になるかもな。お(かしら)もそう思うだろ?」

 

「あぁ、先日の覇王色の覇気――。少なくともこの村だけに収まらない器だな」

 

 

 シャンクスとベンの密談――と言う程の話ではないが、ハンコックには確かな素質がある。王の資質が。そして、そんなハンコックを魅了するルフィという少年も只者では無さそうである。

 

 

東の海(イーストブルー)にも、まだこんな逸材が眠っていたとはな」

 

「それにルフィのやつはロジャー船長と同じくDの名を持つ男――。まったく――将来が楽しみだ」

 

 

 もし仮にルフィとハンコックが将来、海賊になるというのなら、きっとこの海に知らぬ者の居ない程にその名を轟かせるはずだ。実際に2人がどんな未来を歩むのかは、当人の意思や選択次第。それでも期待をしてしまうほどの可能性を秘めていた。

 

 

「ふー、満足だっ! 海賊やるのも面白そうだな」

 

「かもしれぬ。シャンクスの事はいまいち好かぬが、海賊とやらも悪くはない」

 

「ししし!! じゃあよ、ハンコック。今からおれたちだけの海賊団を旗揚げしようぜっ!」

 

「面白そうじゃ、乗ったっ!」

 

 

 どこまで本気なのかは定かではない。けれど子どもの思いつきとて、時にはバカに出来ぬこともある。資質ある者が宣言すれば、それは伝説の幕開けともなるのだ。

 

 

「なぁ、シャンクス。おれの仲間になれよ」

 

「だっはっはっはっ! ルフィ船長は海賊ごっこがお気に入りらしいな」

 

「ごっこじゃねェっ! おれは本気だぞっ! なあ、ハンコック!」

 

「さようじゃ。子どもだと高を括っておると痛い目を見るぞ、シャンクスよ」

 

「大したもんだよ、おまえ達は。でもいよいよバカに出来なくなってきたな」

 

 

 海賊ごっことはいえ、仲間になるとは明言しないシャンクスという男。海賊としての線引きなのだろう。友だちと仲間という関係には隔たりがある。どちらも時には命を預け合う関係にもなろう。さりとて、対等な間柄にも違いはあるのだ。

 

 海賊になると宣言したルフィを、シャンクスはやはり同じ海賊として対等に扱う。異なる海賊団同士、それぞれの旅があり、それぞれの自由がある。ルフィにはルフィの航海、シャンクスにはシャンクスの航海――その事を教えるのはこの場でもないしシャンクスでもない。ルフィ自身が気付くべきことなのだ。

 

 

「仲間にはなれん。だけど友だちで居続けるってんなら、おれは大歓迎だぞ」

 

「そっかー。じゃあ、冒険してく中で仲間を集めていくよ」

 

「けっこうあっさりしてんな、ルフィ」

 

 

 食い下がらないルフィに拍子抜けしたシャンクス。ハンコックもルフィが本気でシャンクスを仲間に誘っていたと信じていたので、驚きつつも内心では安堵していた。

 

 

「ルフィよ。悪く言うつもりではないが、そなたは自由過ぎる」

 

「自由なのが海賊だろ? シャンクスの海賊団を見てたら、そんな感じがしてきたんだ」

 

 

 ルフィの抱く海賊象。はたしてそれはハンコックの思い描く海賊女帝に合致するものなのか、不安にもなる。なればこそハンコックは思い描くのだ。この海で一番自由な女海賊――海賊王の名に劣らぬ海賊女帝に成る未来を。

 

 

「ハンコック――おれはできねぇことばっかりあるけどよォ。それでも一緒に船に乗ってくれねぇか?」

 

「ルフィ――。そなたがそれを望むのなら、わらわは……どこへでもゆきます」

 

 

 頭の中がルフィ一色となる。他でもないルフィに求められたのだ。これ以上に喜ばしく幸せな出来事は無い。

 

 

「ありがとう!! ハンコック、おまえが居てくれて良かった!!」

 

 

 感極まったルフィがハンコックの身体に腕を回して力一杯に抱きしめる。その抱擁は温もりだけではなく、ルフィの惜しみない愛を感じるものであった。恐らくは友愛。しかしハンコックは友愛以上の解釈をしていた。

 

 

「(こんなにも力強く抱き締められるとは……!! ――これが噂に聞く……!! 結婚……!!!?)」

 

 

 結婚がなんたるものかもロクに理解せずに極論に至る乙女。

 

 

「ルフィ、そなたはわらわのことは好きか?」

 

「おう、おれはハンコックが好きだぞ」

 

「はぁん……♡」

 

 

 ルフィからの告白に、その場へ崩れ去り撃沈。不思議そうにハンコックの顔を覗き込んでくるルフィの視線がどうにも耐え難く恥ずかしい。

 

 

「またなんかやってんな、ルフィとハンコックのやつ」

 

 

 シャンクスが呆れた顔で言うが、当事者たるハンコックは独身男の(ひが)み程度にしか捉えなかった。外野などはどうでもよいのだ。ルフィとハンコックだけの世界に浸れるのなら、それがまさしく娯楽浄土なのだろう。

 

 

「わらわはもう――海賊女帝なのかもしれぬ――」

 

 

 なにかを悟ったハンコックは天を仰いで、生涯をルフィへ捧げようと誓った。



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5話

「では、フーシャ村での滞在を許可しよう。立場上、わしは歓迎出来んがな」

 

 

 その一言でフーシャ村は赤髪海賊団の拠点化が決定となる。本来ならば海賊が我が物顔で村に居座るなど容認できぬ事柄。

 

 しかし村長にも思惑があった。四皇の一角、赤髪海賊団の海賊旗がこの村に(なび)く限り、有象無象の弱小海賊は赤髪のシャンクスの名を恐れて不用意に近づいてはこまいと――。

 

 

「ありがとう、村長」

 

「ふん、礼ならルフィとハンコックに言うと良い」

 

「それもそうか。ありがとうな、ルフィ、ハンコック!」

 

 

 シャンクスに礼を言われ満更でもないハンコック。反対にルフィは恩を着せつもりないのか、微笑程度で聞き流していた。

 

 

「やっとマキノの酒場にいけるなっ! 案内するよ、シャンクス」

 

「おう、楽しみだ。船には水と食糧の備蓄こそあったが、酒を切らしてたもんでな。久しぶりに酒にありつけるとなりゃ、おれの仲間たちも喜ぶ」

 

「酒に酔ってルフィに無礼を働くでないぞ。ルフィは未来の海賊王――木っ端海賊には身の程を弁えてもらわねば」

 

「手厳しいな。ハンコック副船長は」

 

 

 もはや心酔の域にあるハンコックによりルフィ信仰。いったいルフィのなにが、この見目麗しい少女を夢中にさせるのか――。

 

 ともあれ村長との約束を遂げた一味は悠々と村入り。ルフィとハンコックに先導されてマキノの酒場を訪れる。事前に来客の連絡を受けていたのか、酒はテーブルに準備済み。酒の匂いに刺激されて船員(クルー)たちは、お頭と呼び慕うシャンクスを差し置いて乾杯へとしゃれ込んでいた。

 

 

「おいおい、おれは置いてきぼりか? 薄情な部下たちだな」

 

「仕方がないさ。野郎どもはこの数日の禁欲生活に痺れを切らしていたんだからな」

 

 

 嘆くシャンクスをベンがたしなめる。一気に騒がしくなった酒場ではあったが、店主たるマキノは嫌な顔ひとつせずに接客に当たっている。

 

 

「すまないな、マキノさんだっけ? おれはシャンクス。このバカどもの船長さ」

 

「はじめまして、船長さん。ルフィとハンコックちゃんからお話は聞いていますよ」

 

「へェ、おれがカッコイイって話か?」

 

「うーん……。ノーコメントでお願いします」

 

 

 口(よど)むマキノ。その曖昧な反応にシャンクスはルフィたちに不信感を抱く。

 

 

「お前ら、いったいどんな風におれを語ったんだよ?」

 

「シャンクスは弱そうだって言ったぞっ!」

 

「そなたはガサツで野蛮な男だと吹き込んでおいたわっ!」

 

「威張って言うことか? まぁ、いいさ。こっからおれの評価を上げてやる」

 

 

 はたしてその思惑は果たされるのか。シャンクスを内心ではコケにしているハンコックは、この男の言葉など話半分にしか受け止めなかった。

 

 

「マキノ、わらわたちにも飲み物を」

 

「はいはい、いつものジュースで良いかしら?」

 

 

 ハンコックがマキノに飲み物を催促すると容器になみなみに注がれたジュースが提供される。そしてシャンクスの手にも酒が行き渡り、ルフィがカウンター席のテーブル上にお行儀が悪くも立ち上がった。

 

 

「野郎どもっー! フーシャ村によく来たなーっ!」

 

 

 ルフィが大声で赤髪海賊団の一味全員へと告げる。一斉にルフィへを注視し、ハンコックもまた誰よりも近い位置で敬愛する彼に見惚れていた。

 

 

「おれたちはみんな友だちだっ! 友だちになった今日を祝って乾杯だっー!」

 

「「うおおおおおおおおお――!!!!」」

 

 

 ルフィが音頭を取り、一味は乾杯へと至る。未来の海賊王にご執心のハンコックも周囲の空気に流されたわけではないが、ルフィの為だけに乾杯とする。

 

 乾杯を上げて以降、海賊たちは汚らしく飲食を進める。品の無い光景を横目にハンコックは粛々とジュースを飲み進め、マキノが作ってくれたおつまみをつつく。この味にも慣れ親しんだものだ。

 

 フーシャ村に定住して約1年。マキノの酒場に通い詰め、また彼女を姉のように慕う自分が居る。出会いこそ印象は悪かったが、その実はハンコックの恋を応援してくれる優しいお姉さん。

 

 いずれルフィは海賊になる為に海へ船出、その折には自分も彼の仲間として付いていくつもりだ。しかしそれまでの間、この温もりと優しさに満ちた時間を噛みしめていたい。

 

 

「ところでシャンクスよ。そなた、この村を拠点にして何をするつもりじゃ?」

 

「海賊なんだ。自由にやるつもりさ。まあ、冒険とでも言っておくか」

 

「冒険っ! なんじゃそりゃっ! めちゃくちゃ面白そうだなっ!」

 

 

 シャンクスの話に食いつくルフィの表情は輝いていた。目など爛々と光り、手足をジタバタとさせている。感情が爆発して制御できていないらしい。そんなルフィを落ち着かせるべく、ハンコックはそっと彼の手を握る。まるで母親のような所作。同い年なのにハンコックママとでも呼んで欲しげだ。

 

 

「冒険はいいぜ? 色んな島があってな、島ごとに違う冒険がある」

 

「どんな島があったんだ?」

 

「わらわも遺憾ながら興味が湧いた。聞かせてみせよ」

 

「そうだな。あれは半年前の航海での話――」

 

 

 子ども達にせがまれ、自身の体験した冒険譚の数々を語り聞かせるシャンクス。その話のどれもが創作物紛いの内容であったが、子ども心に魅かれるものがあった。また、冒険の中で多くの出逢いがあり、ルフィたちのように現地人とも友だちになったのだとか。

 

 反面、敵対する同業者(海賊)との海戦。海賊を捕らえんとする海軍との逃走劇、海上での不運など負の面についても教訓のように語る。まだ若いのに酸いも甘いも噛み分けた海の男といった具合だ。

 

 

「シャンクスっ! 頼みがあるんだっ!」

 

「なんだ? 言ってみろよ、聞くだけ聞いてやる」

 

「おれを次の航海に連れてってくれよっ!!」

 

「おまえなァ、いまの話を聞いてたのか? 海は楽しいこともあれば辛いこともある。ガキのお前が将来、海に出るのは止めないが、まだ10年以上は早い」

 

「なんだよケチっー!」

 

「カナヅチなんだろ、ルフィ。海で泳げないってのは命取りだぜ」

 

 

 ルフィが泳げないことを理由に船に乗せることを断ったシャンクス。ハンコックとしても出来る事ならルフィの願いを叶えてあげたいが、自分も海の過酷さを切り抜けられるほど強くないことを知っている。まだ幼いながらも歴戦の老兵ガープを間近に1年を過ごしてきたのだ。海の厳しさや過酷さなどの現実についても把握済みだ。

 

 

「泳ぎなら練習するさっ!」

 

「わらわで良ければ指導しよう」

 

「ホントかっ! そっか、ハンコックはじいちゃんに泳ぎを教えてもらってたんだもんな」

 

 

 仮にも海軍本部の置かれた街で暮らしていたのだ。海の軍隊のお膝元では水泳は必修だ。

 

 

「よーしっ、シャンクス。おれはハンコックに泳ぎを教えてもらって、次の航海に連れてってもらうからなっ!」

 

「勝手に決めんなって。まあなんだ、ハンコック。このバカを止められるのはお前だけだ。きっちりと手綱を握ってやれよ」

 

「言われるまでもないわ。ルフィを支えるのはわらわだけの特権じゃ」

 

 

 泳ぎも教えるし、無茶な行動を押さえるのハンコックに課せられた役割。いや、義務などではなく、彼女自身がそうしたいのだ。自らの意思で彼と共に在る。幸せへの最短で最速の道である。

 

 

「だはっはっはっ! ルフィのやつがハンコックの尻に敷かれる光景が目に浮かぶぜ」

 

「おれは尻になんか敷かれないやいっ! でもハンコックは特別だからな。肩車でもしてやるよ」

 

 

 どういう理屈でことわざから肩車へと繋がるのか。ただ単にルフィが言葉の意味を理解していないだけという事実をハンコックは察する。アホで残念なルフィには、やはり自分が必要なのだと再認識する。

 

 

「ふふふ、ルフィの肩車……」

 

 

 とはいえだ、ルフィの肩車もハンコックの顔を緩ませるには十分な行為。合法的に彼と密着する機会を得られるというもの。そうでなくとも普段からルフィへとベッタリなのだが、言わぬが花だろう。

 

 

「じゃ、ハンコック。いまから泳ぎにいくぞ。おれは泳げるようになりてぇんだ」

 

「泳げるようになるまで、わらわはいつまでも付き合うぞ」

 

 

 2人して決意は固い。シャンクスに別れを告げて酒場を後にする。取り残されたシャンクスは彼らが慌しく飛び出していく姿を見送る。

 

 

「で――お頭。どうすんだ? ルフィのやつが泳げるようになったら、まさか航海に同行させるのか?」

 

「バカ言えよ、ベックマン。ガキに海は苛酷過ぎる。おれでさえ、見習い海賊として海に出たのはもう少し年を取ってからだった。まだあいつらは10歳にも満たないんだぜ」

 

「だろうな。だったらあしらい方を考えとけよ。あの手の子どもは中々に意地っ張りで手を焼くはめになる」

 

「からかって楽しむから、そう構えることもないさ。だっはっはっはっ!!!」

 

「大した人だよ、あんたは」

 

 

 大人組の会話は自然とルフィとハンコックという海賊の卵へと向く。それほどまでに彼らは鮮烈で、見ていて飽きないモノを持っている。これほど将来に期待出切る逸材は、赤髪海賊団として航海した偉大なる航路(グランドライン)でも見かけなかった。

 

 

「おれらも負けてられないな。自由な海賊を名乗る以上は宴も(おろそ)かにはできねェ」

 

「アンタはただ騒ぎたいだけだろう? まあ、酒には付き合うさ」

 

 

 シャンクスとベックマンは、ルフィとハンコックを酒の肴にして宴を楽しむのだった――。

 

 

 

 

 

 一方のルフィとハンコック――。赤髪海賊団の船『レッド・フォース号』が停泊する港より数百メートル離れた砂浜(ビーチ)にて準備体操をしていた。既に水着に着替えており、体操も済ませて準備は万端。ハンコックの指導の下、ルフィにしては珍しいことに大人しく指示に従っていた。彼なりに本気の覚悟なのだろう。

 

 

「ではルフィ。準備はよいな?」

 

「おう、いつでもいいぞ」

 

「まずは水に顔をつけるところからじゃ」

 

 

 ルフィの手を引いて砂浜から浅瀬へと入る。腰まで水に浸かったところで、彼と対面して両手を繋ぐ。手を繋ぐ事で安心感をもたらし、水への恐怖心を和らげるのだ。ハンコックに見守られながら、ルフィは意を決して顔を海面へと浸ける。

 

 数秒の後、息苦しくなって自ら顔を離すが、第一段階は無事にクリアした。その成果をハンコックは拍手をして褒め称える。

 

 

「飲み込みがよいぞ。さすがはルフィじゃ」

 

「ししし! シャンクスのやつを見返すんだっ! これくらいで(つまづ)いたりしねぇよ」

 

 

 調子に乗っている様だがこの際だ、順序良く習得させる為にあえて放置する。次の段階は顔を水に浸けながら、ハンコックが手を引いてのバタ足での潜水。要領良い指導で第2段階もそつなくクリアへと至る。

 

 それから小1時間経った頃には、ルフィはハンコックの世話を必要とせずに海を自由に泳いでいた。ハンコックの教え方が上手いというのもあるが、ルフィの水泳に対する才能による部分も大きかった。

 

 

「どうだ、おれはやったぞっ!」

 

「ふふふ、良く出来ました」

 

 

 まるで弟を見守る姉のように微笑みかける。たしかにこれほどの泳力(えいりょく)ならば、シャンクスもバカにはできまい。

 

 

「おーい、ハンコック! おまえも来いよ。一緒に泳ごうっ!」

 

 

 器用にも立ち泳ぎをしながら手を振るルフィ。砂浜に立つハンコックも誘いに応じて海へと入る。が、間が悪いことに一際大きな波が起きて、ハンコックを呑み込む。波に揉まれて視界が上から下、その逆も然り。波が消えて立ち上がると、ルフィが心配そうにクロールで寄ってきた。

 

 

「大丈夫か、ハンコック? いまのすっげぇ波だったな」

 

「平気じゃ、大事無いから安心せよ」

 

「ふーん、そっか。でもよぉ、ハンコック」

 

「ん? なんじゃ、ルフィ」

 

 

 ルフィがおもむろにハンコックの上半身を指差して一言。

 

 

「上半身が裸になってんぞ」

 

「なっ……!」

 

 

 ルフィの指摘に動揺する。視線を自身の上半身へと恐るおそる視線を向ける。するとどうしたことか、ハンコックの着用していた水着(ビキニ)のトップスが剥ぎ取られているではないか。つまり今のハンコックは下半身にボトムを履いただけの半裸状態。

 

 もっと詳細に語るのならば女性として恥部である胸を想い人(ルフィ)へと晒しているのだ。どうやら波に揉みくちゃにされた際に、トップスが流されたらしい。そしてトップスとやらは数メートル離れた海面をユラユラと漂っていた。

 

 

「み、見られてしまった……。ルフィにわらわの胸を」

 

「胸がどうしたんだよ。おれだって上半身は裸だぞ?」

 

「その……な? ルフィよ、男と女とでは胸を晒す行為は意味合いが異なるのじゃ」

 

「そうなのか?」

 

「そういうものじゃ……」

 

 

 性知識に乏しいルフィに理解しろというのも酷薄な話である。とはいえ、恥ずかしげに自身の胸部を両腕で隠しながらも、反応の薄いルフィに対してちょっぴり怒ってしまうハンコック。好きな人に自分の身体へ興味を持ってもらえない事が女として悔しかった。

 

 まぁ、まだ6歳という幼い女の子。胸の膨らみなど皆無。乳房と呼べるほどの実りも無いのだ。女性としての成長はもう数年ばかり御預けである。悔しがるにはまだ早いのだ。

 

 さて、肝心のルフィだがハンコックの流されたトップスを一泳ぎして回収。ハンコックの下へと戻ってくると手渡してくれた。

 

 

「よくわかんねぇけど、そう落ち込むなって。べつにケガをしたわけでもねぇんだ」

 

「そうは言うがルフィ……。わらわは女としての敗北を感じておる。落ち込むなというのは少々ばかり厳しい……」

 

「んー、つまりどういうことなんだよ?」

 

「言わぬ……。ルフィも少しは女心を知るべきじゃ。こればかりは、わらわの口からは教えられぬ」

 

 

 珍しくハンコックはルフィへと怒る。乙女心は複雑なのだ。

 

 

「わたしも胸が大きければ……ルフィは振り向いてくれるのかな?」

 

 

 心的ショックが尾を引いているのか、素の口調が出てしまう乙女(ハンコック)自尊心(プライド)はルフィによってズタズタに引き裂かれてしまった。

 

 

「そうか、ハンコック。おまえ、乳を大きくしてぇのかっ!」

 

「ル、ルフィ? あまり大きな声で言うような事ではない。デリカシーというものがあるじゃろう」

 

「よし、決めたっ! ハンコック、おれに出切る事ならなんでも手伝ってやる。遠慮無く言え」

 

「なんでも……?」

 

 

 その発言を深読みしてしまう。早熟した精神は穢れない少年の純粋な優しさの解釈を履き違える。すなわちルフィは世に言う『好きな人に胸を揉まれると大きく育つ』という俗説の実行に協力してくれると言っている?

 

 事実は違うのだが、海に浸かっていながらも火照った身体が勘違いを助長させてしまう。しかし双方、認識に差こそあれど、約束はされたのだ。ハンコックも遠慮などせずに来るべき時に協力を仰ごうと期待を込める。

 

 

「ルフィ――。いつかきっと、わらわの魅力で振り向かせてみせよう。そして好きになってもらうのじゃ」

 

「なに言ってんだ? おれはとっくにハンコックのことが好きだぞ」

 

「はぁん……♡ わらわはこの方(ルフィ)に魅了されて敵わぬ……」

 

 

 恐るべし、未来の海賊王。未来の海賊女帝からこう容易く戦意を奪い去る。ハンコックの脳内によぎってしまった。自分はルフィには一生勝てないと。単純に戦闘での話ではない。恋愛戦争という戦場を指してのこと。

 

 だが、どんな苦境でも膝を着くことを自身には許さない。確固たる覚悟でハンコックはルフィという少年に恋愛戦争において勝利をもぎ取るのだ。

 

 

「ルフィ、わらわもそなたのことが好きじゃ。愛している――」

 

「へぇ、そっか。じゃァ、おれもハンコックのことを愛してる」

 

「はうぅ……!」

 

 

 たぶんだが、ルフィは『愛してる』の意味を分かっていない。言われたから条件反射で同じ言葉を返したに過ぎない。ハンコックもそれに薄々と気付いてはいたが、顔を合わせた状態――それも2人っきりの状況で言われてしまったら、ときめいてしまう。

 

 モンキー・D・ルフィ――ハンコックをダメにする魔性の男だ。そしてそんな彼に恋する乙女は、この世で最も気高く美しい――。

 

 世界を置き去りにしてハンコックはルフィとの時間を宝物のように大事に、その胸に抱き締めるのであった。



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6話

 マキノの酒場にてルフィはハンコックを伴って憤慨していた。

 

 

「シャンクスのケチっー!」

 

 

 その一言にはどれ程の感情が込められているのだろう。ハンコックの指導の甲斐あって泳げるようになったルフィは、シャンクスに次の航海に連れていってもらえるように直談判していた。

 

 が、そう易々と事は運ばず断られてしまう。もう一人、この場に居る海賊志望の少女はルフィとは違い、妥当な判断であろう納得していた。

 

 ただし、内心ではハンコックも航海に付いていきたい。自身の願いを必死に抑圧しているのだ。ガープから海の恐ろしさを教えられているだけに、その辺りについては現実的な考えなのである。

 

 

「悪く思うなよ、ルフィ。友だちだから心配して乗せてやらないんだ。それにお前の身に何かあったら、村長さんに顔向け出来ない」

 

「村長は関係ないだろー!」

 

「ルフィ、ここでワガママを言っても無駄じゃ。業腹ではあるが、シャンクスの言うことにも一理有る」

 

「シャンクスを庇うのかよ? ハンコックが止めるんなら、今日のところは我慢するけどよォ……」

 

 

 素直に諦めたルフィの心変わりに諌めたハンコック自身が驚く。なにか思うところでも有るのだろうか?

 

 

「その代わりと言っちゃなんだが、冒険の土産話に期待してくれ。なんならウマイ酒でも持って帰ってやろうか?」

 

「酒なんかマズイから嫌いだっ!」

 

「そうか……。ガキにゃあ、まだ早かったな」

 

 

 落胆した様子のシャンクス。だが酒をエサに宥めようなど、褒められた行為ではない。

 

 

「シャンクスよ。わらわ達は未成年じゃ。酒など端から飲めたものではないわ。そんなものを勧めるど大人の風上にも置けぬ」

 

「おれだって海賊だ。無法者だしガキに悪いことだって教えるさ。未成年の飲酒とかな」

 

 

 結果としてその目論見は頓挫したわけだが――。何はともあれ、今回の航海についてはお留守番が決定。シャンクスたちが村を離れている間、何をして遊ぼうかと、ルフィとハンコックは相談する。

 

 

「そうだそうだ、ガキは遊んでるのが一番健全だぜ?」

 

「横やりを入れるでない。それと海賊が健全性を説くなど片腹痛い」

 

「時々思うんだが、ハンコックと話してるとまるで大人を相手にしているみたいだ。会話の内容といい、本当にお前は子どもか?」

 

「ルフィがバカ(こんな)だから、わらわがしっかりせねば。そう考えている内に、色々と言葉を覚えたに過ぎぬ。辞典も読んでおるし、わらわに抜かりはない」

 

 

 相対的に大人びて見えるというわけでもない。基本的に成熟した精神を持つハンコックたが、一応は年相応の子どもっぽさも備えている。ルフィと一緒になってはしゃぐ行為が、その最たるものだ。

 

 

「うちの副船長のベックマンもガキの頃は神童なんて呼ばれてたらしいが、ハンコックもそのクチかもしれねぇな」

 

「ほう、わらわが副船長(ベックマン)と同じと?」

 

 

 ベン・ベックマン――。彼の知能の高さはハンコックとて認めるところ。ちゃらんぽらんな船長(シャンクス)を補佐する、いわば赤髪海賊団の屋台骨を支える必要不可欠な人物。将来、ルフィの立ち上げる海賊団においてのハンコックが就くポジションなだけに、参考とすべき点は多い。

 

 

「まあなんだ、お前はルフィの為に副船長を張るんだろう? おれ達はたった1年しかこの村に滞在しないが、盗めるもんは何でも盗んどけ」

 

 

 それは海賊としての心得であったり心意気であったりとか――。ハンコックをして、赤髪海賊団とは唯ならぬ海賊であることは薄々と感づいている。

 

 

「ルフィはいずれそなたをも超える男じゃ。今の立場に胡座をかいておると、気付いた頃にはルフィとわらわは遥かその先を行くぞ?」

 

「そいつは面白い。おまえらが大物になったら是非とも一緒に宴でもしたいもんだ」

 

「ふふふ、その頃にはわらわ達の一団も曲者揃いな仲間を集めておることじゃ。ベックマンやルウ、ヤソップにも負けぬ仲間を」

 

 

 既に船長(ルフィ)からして、ぶっ飛んだ逸材だ。そんな彼の下に集う人間ともなれば、自然と常人離れした人材となることだろう。

 

 

「ルフィ――。そなたはどんな仲間を欲する?」

 

「んー、まずは10人は仲間が欲しい。そんでなー、面白くて自由なやつが良いな。あとは一緒に宴をしてくれるやつっ!」

 

「わらわも該当しているのか?」

 

「ああ、ハンコックと一緒に居るとおれは楽しいっ! だからもう仲間だっ!」

 

 

 嬉しいことを言ってくれる――。屈託の無い笑顔で言われてしまっては応えたくもなる。けれどいまのハンコックに出来ることは未熟さゆえに数少ない。

 

 だから最大限の好意をルフィへと示す――。

 

 

「ルフィ――。わらわはそなたのことを愛しておる」

 

 

 求愛の言葉と共にルフィをそっと抱き締める。抱擁は少しずつ力強くなり、腕の中のルフィは窮屈そうに顔を歪めていた。知らぬ内に迷惑となっていることに、ハンコックは気持ちの高ぶりのせいで気付かない。

 

 

「野郎どもの前で見せつけてくれるな、ハンコック。女日照りのおれらには目に毒だぜ」

 

「ふんっ! 男ばかりむさい、そなたの一味への当てつけじゃ。精々、羨むがよいわ。悔しければシャンクスも女を作ればよい」

 

 

 成長すれば天から舞い降りた女神の如き美を体現するであろうと推測出来るハンコック――。そんな美女を独占するルフィは、世の男の何割を敵に回すことか。

 

 

「ハ、ハンコック……!! ぐるじィ……!!」

 

「ル、ルフィー!! すまぬ、苦しかったのか?」

 

 

 苦しさにあえぐルフィを解放する。けれど自身の腕の中に捕らえておきたいほどの輝くモノが彼にはあるのだ。抱き締めても、どれ程求めても焦がれてしまう。

 

 

「なあ、ハンコック。おまえのことは好きだけどよ、ちょっとベッタリし過ぎだ」

 

「はうあっ……!」

 

 

 ルフィとしてはたいした意味も込めていない一言。しかしハンコックはその苦言を必要以上に重く受け止めてしまう。そのショックから次なる行動へ出るのも致し方ないだろう。

 

 

「いやじゃっ! いやじゃっ! わらわはルフィに嫌われとうないっ! ルフィーっ! わらわを嫌いにならないでおくれっ!」

 

 

 より強く、より苛烈に、より熱情を持ってルフィを抱擁する。

 

 

「ぐえっー! ぐ、ぐるじぃ……ハンコック……」

 

「だっはっはっはっ! なんてザマだよ、ルフィ!」

 

 

 息の根が止まりそうなルフィ。人の苦しみも知らずに笑い声を上げるシャンクス。最も周りが見えていないハンコックは、自分の船長(ルフィ)の命を船出前から奪いかねない。

 

 

「ギ、ギブアップ……!」

 

 

 降参とばかりに、ハンコックの背中を手の平でパンパンと叩くルフィ。ようやくルフィの状態を理解したハンコックは、慌てて抱擁を解いた。

 

 

「わらわは……なんということをっ! よりにもよってルフィを苦しめてしまうだなんて……」

 

 

 悲しみに暮れる原因は自分に有る。なればこそ後悔の念は際限無く膨れ上がる。

 

 

「気にすんな! おれはなにがあってもハンコックをキライになったりしねェよっ!」

 

「それはまことじゃな……? ルフィ……」

 

 

 けれど彼はハンコックの行いを許すという。いつものように『ししし!』と笑う彼の度量の程を垣間見る。

 

 

「あァ、おれはハンコックにウソは言わねェ!」

 

「ならば信じよう。わらわもルフィを疑わぬ」

 

 

 ルフィの懐の深さに感服した。やはりルフィはルフィなのだ。ハンコックの知る少年は、大抵のことは笑って許してくれる。

 

 

「ルフィ、お前も船長の器だな?」

 

「ししし!! だろ?」

 

 

 シャンクスにも認められたことに喜びを隠せない。浮かれるルフィをハンコックは、ウットリとした目で見ている。注がれる視線には熱がこもっていた。

 

 

 

 

 

 

 村の大人や赤髪海賊団の一味に見守られながらルフィとハンコックは変わらぬ日々を送る。赤髪海賊団が航海の度に持ち帰ってくる土産話。

 

 聞かされてワクワクを押さえきれずに興奮するルフィ、表情には出さずとも冒険心を刺激されウズウズするハンコック。なるほど、やはり聡明なハンコックとて童心を持っているのだ。

 

 そんな幼子も7歳を迎え、気の引き締まる思い――とはいかない。相変わらずの調子で、ハンコックはルフィにゾッコン。周囲の目にも(はばか)らず、ルフィへと熱を上げていた。

 

 さて、そんな子ども2人は赤髪海賊団の遠征中、暇をもて余して村を離れていた。とはいえ、獰猛な野生動物や山賊が出没するとされるコルボ山は危険なので今回は避けている。比較的、フーシャ村に近い山の麓へ足を運んだのだ。

 

 

「パンチを鍛える……?」

 

 

 ハンコックが疑問を口にする。ルフィが唐突にそう言い出したのだ。

 

 

「おれはどうもシャンクスに弱いって思われるてるみたいなんだ。だからパンチを鍛えてギャフンッと言わせてやるんだ!」

 

「話は理解できた。して……どう鍛えるのじゃ?」

 

「んー、特に考えてないっ!」

 

「威張って言うことではないぞ」

 

 

 胸を張ってそう言い切るルフィ。呆れつつもルフィの保護者的な立場を自称するハンコックは、いたって真剣に話を聞く。

 

 

「こうなー、おれのパンチは威力が足りないんだ」

 

「子どもだし、それも仕方がないじゃろ」

 

 

 今のルフィに誇れるのは人一倍の勇気。赤髪海賊団がフーシャ村へ来訪してきた折、ハンコックを守るためにシャンクスへと立ち向かった。その勇気だけは村の誰に聞いても口を揃えて肯定するはずだ。他でもない守られた本人のハンコックだって同じこと。

 

 

「でもよー、ガキだからってナメられるのはもうゴメンだ。それに――おれはハンコックを守りてェ。だから強くなるんだっ!」

 

「ル、ルフィっ……! そなたはどこまでも……わらわを惚れさせてくれるのじゃっ!」

 

 

 女としての幸せは今此処に――。鮮烈な言葉を受けて、ハンコックの頭の中のお花畑は満開となった。咲き乱れる花々は、ハンコックの視界へフィルターをかける。普段の3割増しでルフィを魅力的に映すのだ。

 

 満足のいくまでルフィに甘えるように抱きついた後、鍛練へと移る。具体案は無いにしても、まずは行動せねば何も始まらない。

 

 なにやら気合いを入れた様子のルフィ。ハンコックが何事かと質問するよりも前にアクションを起こした。

 

 片腕をグルグルと回したかと思えば、『うりっ!』と、短く声を上げてから拳を樹木へと打ち込んだ。ドシンッと揺れ、葉を散らす樹木。威力の程を見て取れる。

 

 

「どうだっ! おれの本気はまだまだこんなもんじゃないぞっ!」

 

「たいしたものじゃ。いつもルフィの傍に寄り添っていたつもりでいたが、まさかここまでの成長を遂げていようとは――」

 

 

 想像の上をいく成長に、まるで自分のことのように歓喜する。まあ、ハンコックにとってルフィは我が身同然ではあるのだが。

 

 

「わらわもルフィに追いつかねばっ!」

 

 

 触発されたハンコックも行動を起こす。幼女相応にか細い脚を樹木へ向けて振るう。彼女の爪先が鋭く刺さり、樹皮が捲れあがった。

 

 

「おおすげェっ! ハンコックの方が強いんじゃねェか?」

 

「かもしれぬが、脚の筋力は腕の3倍以上とも言われておる。結果に違いが出るのも当然じゃ。ゆえに、わらわとルフィの能力に別段の優劣があるわけではない」

 

「そっか? だけど、やっぱりスゲェよ」

 

 

 ルフィの顔を立てるために説明口調で述べる。真に受けたのか、ルフィはそれ以上は何も言わなかった。ただし、素直にハンコックの脚力に感嘆の声を漏らしていた。

 

とはいえ、ハンコックも自身の蹴りの威力に驚いていた。何かを意識したわけでもないし、特別な技術・技能を持っているわけではない。自惚れるつもりではないが、もしかすると自分には戦闘面における素質があるのかもしれない、そんな仮定をする。

 

 

 

「んじゃー、もっとパンチを打って鍛えるぞっ!」

 

「わらわも日が暮れるまで付き合おう。心ゆくまで、やり込むとよい」

 

 

 熱中し始めると時間が経つのも早い。日は傾き、夕刻へと突入する。数時間にも渡る鍛練は一定の成果を挙げ、ルフィとハンコックの心を満たす。

 

 

「強くなった気はすっけどよォ、手が痛てェや」

 

「もう百発以上は打ち込んでおるしな? もうそろそろ、手を休めるべきじゃ。体を(いたわ)るのも鍛練の一環だと知っておくとよい」

 

「じゃァ、続きは明日にすっか」

 

 

 

 根詰めても効率が落ちる一方だとして本日の鍛錬の切り上げが決定する。ルフィは拳を真っ赤に腫らしており痛々しい。擦過傷も生じて血が滲んでいた。心なしかハンコックには彼が涙目に映る。

 

 

「ではな、ルフィ。明日もまたわらわは、そなたとの時間を楽しみにしておる」

 

「あァ、またな」

 

 

 フーシャ村の入り口付近でルフィと簡潔に別れの挨拶。この一年間を暮らしている村長宅へと帰宅する。村長夫婦は既に食卓に着いており、出来立てホヤホヤと(おぼ)しき夕ご飯からは湯気が上がっていた。あとはハンコックが着席すれば、食事が開始されるだろう。あまり待たせるのも申し訳ないので、手早く手洗いとうがいす済ませる。

 

 

「ただいま帰った、村長」

 

「お帰り、ハンコック。今日もルフィと遊んでおったのか?」

 

「今日は遊びではなく鍛錬じゃ。ルフィはカッコイイ。わらわを守る為に強くなりたいと言っておったのじゃ」

 

「なるほど、ガープのやつが聞いたら喜びそうじゃわい。あやつはルフィを立派な海兵にしてやると息巻いておったからな」

 

 

 実は海賊になる為――というのは伏せておく。村長の性分からして無法者の筆頭である海賊に成りたいなどと言えば、一晩は説教が続くことだろう。

 

「念の為に確認じゃがな……。ハンコック、お前は海賊などに憧れてはおらんよな? ルフィと共にあの船長と仲の良いお前じゃ。近くで見ていて心配になるわい」

 

「そ、そんなことはないっ! わらわがシャンクスのようなダメな男に憧れなど抱く筈がない」

 

「ならばいいんじゃがな。一応、あの男も海賊としては大物じゃ。悪党を手本にされるとわしも困る」

 

 

 世間的には海賊など信用とはかけ離れた存在。村長の懸念も全うなものだ。が、ハンコックもシャンクスの人柄の良さは癪ながらも認めつつある。手本にするかはともかくとして、無意識下に影響くらいは受けていても何ら不自然ではあるまい。

 

 

 

 

 

 

 ――そして一晩が明ける。たった一夜寝ただけで拳が回復したと言い張るルフィ。半信半疑でハンコックで彼の手をまじまじと見つめると、驚いた事に本当に傷一つ無く治っていた。この馬鹿げた回復力は祖父譲りなのだろうかと戦慄する。

 

 

「ルフィはスゴい。いつなんどきも、わらわの想像のはるか上をゆく」

 

「ししし! 強くなるって決めたんだ。ケガくらい、すぐに治すさっ!」

 

「ほう、根性論もバカにできぬな。わらわも見習うべきか」

 

 

 以前、彼は転倒して顔面を地面に強かに打ちつけて歯が折れたことがある。その際、牛乳を飲んだだけで即時、折れた歯は再生した。折れた歯は乳歯だったので、放っておけば永久歯へと生え変わっていただろうに、それすら待ち切れず自力で完治させたのだ。本当に同じ人間なのかと疑う。

 

 そんな科学的根拠のことごとくを無視した少年。いっちょ自分も人間を辞めようかと冗談交じりに考え始める。まぁ、それこそ世間でまことしやかに存在を囁かれる悪魔の実でも食せば手っ取り早いのだが。

 

 

「んじゃ、今日も頑張るぞっ!」

 

「よし、わらわもルフィには負けぬぞっ!」

 

 

 お互いに気合を入れあって鍛錬を開始した。そうした日々をハンコック達は両手の指では数え切れないほど過ごす――。フーシャ村からそこそこ離れた海へ遠征に向かった赤髪海賊団が帰ってくるまでの続く。その間にガープが年に1度の帰省を果たすが、偶々シャンクスらが不在で事なきを得た。ホッと胸を撫で下ろしたのはハンコックだけでなく村長も同じ。村の秩序を護る者としての平穏が保たれたのだ。

 

 そしてある日の事だ。ルフィはハンコックに向けてこう言い出した。

 

 

「おれのパンチは銃のように強くなった!」

 

 

 実演するように虚空へ拳を打つ。誇らしげに打たれた拳はなるほど――7歳の少年にしては破格の威力を帯びている。かくいうハンコックの健脚から繰り出される蹴りも尋常な幼女のそれを凌駕する。

 

 

「ここまで強くなったんだ。1回くらいはシャンクスに航海に連れて行ってもらうぞ!」

 

「なんじゃ、そなた。まだ諦めておらんかったのか?」

 

「当たり前だ。おれは海賊なんだぞ。簡単に諦めたりしないよ」

 

 

 自身を鍛え上げたうえでの発言。その覚悟は本気のものだ。ならば止めるというのも野暮である。ゆえにハンコックは今回ばかりはルフィの意志を最大限にサポートすると決める。

 

 

「とはいえ、あのシャンクスが素直に認めようものか」

 

「認めなくても認めさせるっ!」

 

 

 強引に押し切るつもりらしい。だがそれもルフィらしさではある。

 

 

「それにさ、おれには考えがあるんだ」

 

「考え? ではその秘策を訊こう」

 

「へへ、まぁ黙って見てろって。きっとハンコックはビックりすんぞっ!」

 

 

 いったいなにをやらかすつもりでいるのやら。ハンコックに着いて来るように促したルフィは、たった今港に帰着したレッド・フォース号に乗り込んだ。シャンクスやベックマンも何事かとルフィへ関心を隠せない。見世物気分でいるようだ。

 

 

「船首などに上ってどうするつもりじゃ、ルフィよ」

 

 

 どこから調達したのか、その手には短剣が握られていた。そして高らかに宣言する――。

 

 

「おれは遊び半分なんかじゃないっ!! もう、あったまきた!! 証拠を見せてやる!!!」

 

 

 歯を剥き出しにして怒りを露にするルフィ。甲板からは船員(クルー)も面白そうなモノが見れるなどと笑い声を上げている。

 

 

「何をするつもりか知らんが、面白そうだ。だっはっはっは! おう、やっちまえ!」

 

「わらわは不安なのじゃが……」

 

「なんだよ、ハンコック。ルフィはお前の船長なんだろ? 信じてやったらどうだ」

 

「そうしたいのはわらわとて山々じゃ。けれど男の子というものは時にムチャをする。わらわはそれが心配でコワイ」

 

 

 ハンコックの不安をよそにルフィは深呼吸をひとつ――。そして……短剣を自らの顔へと突き立てた。グッと押し込まれた切っ先は、容赦なく少年の顔を穿つ。

 

 

「ル、ルル、ルルルルフィィィィィィっ……!」

 

 

 ハンコックの悲鳴が青空に響き渡る。それだけに留まらず、赤髪海賊団の誰もが、ルフィのその奇行に度肝を抜かれる。しまいには当の本人までも痛みで悲鳴を上げていた。

 

 

「いっっってェ〰️〰️〰️っ!!! いてーーーーよーーーーっ!!」

 

 

 地獄絵図である。血がドクドクと左目の下辺りから流れ、ルフィは顔面蒼白で泣き散らしていた。慌てて駆け寄ったハンコックはすぐさま船内にあった医療キットで応急処置を施す。

 

 

「そなた……いったいなにをしておる。この……阿呆め。いくらなんでも、わらわの想像のはるか上をゆき過ぎじゃ……バカッ……! 本当にバカッ……!」

 

 

 自傷行為などあってはいけないこと。いくら向こう見ずのルフィとて、ここまでの愚行を犯すとは考えもつかなかった。だからこそ説教をする。本気で怒りもするし悲しみもする。ルフィを責め立てながらもハンコックは涙を流している。それこそルフィ以上に大粒の涙を――。

 

 

「ご、ごめん。ハンコックッ……! またお前を泣かせちまった」

 

「わらわが泣く程度のことはどうでもよいのじゃ。わらわが怒っておるのは、そなたが自らを(ないがし)ろにしたことじゃ」

 

「う、うん……」

 

 

 さしもの自由奔放なルフィも、この場においてはハンコックに頭が上がらない。されどハンコックは1度怒りきったところで、何も言わず彼を抱き締める。

 

 

「もうこんなことをしてはならぬぞ? わかったな、ルフィよ」

 

「あァ、わかった。おれは自分も大切にするよ」

 

 

 ハンコックの涙の説教が相当に堪えたらしいルフィは素直過ぎるほどに彼女と約束する。そして思うのだ。ハンコックを悲しませることは自身の悲しみに直結するのだと。アホなルフィでもそれくらいのことは直感で理解する。

 

 

「ルフィ……。愛しておる――」

 

 

 どさくさに紛れて愛の告白をするハンコックを責める言葉はルフィには用意出来ない。だから受け入れるしかないのだ。そしてハンコックもその心情を予想していたりする。恋に生きる乙女の策略だ。

 

 

 ハンコックの抱くルフィへの気持ちは、東の海(イーストブルー)よりも深く色濃く、さりとて平和とは程遠い激情であった――。



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7話

 目の下の傷の応急処置こそ済ませたが、負傷の程度は子ども(ハンコック)の目から見ても重い。村の診療所へルフィを連れてゆき、結果として数針を縫う怪我であった。

 

 経緯を医者に話したところ、ルフィはこっぴどく叱られ、ハンコックは当然の反応であるとして沈黙を貫く。しんみりとしたルフィは、まだ傷が痛むのか涙を瞳に滲ませながら耐えている。

 

 その足でマキノの酒場へと赴き、昼間から酒を飲んで大騒ぎの赤髪海賊団の面々と合流した。傷の具合を心配しているのかシャンクスが誰よりも早くルフィへと声を掛けた。

 

 

「おい、ルフィ。おまえの覚悟は本気だって理解したが、ありゃやり過ぎだ」

 

「ふんっ! ぜんぜん痛くなかったし、平気だもんねっ!」

 

「ルフィよ、あまり興奮すると体に障ってしまう。安静にせよ」

 

 

 本当に安静にすべきなら自宅で療養が最良なのだが、じっとしている事が苦手なルフィは、ハンコックにムリを言って酒場に来ているのだ。医者からも自宅で大人しく休むように言われていたのだが、ハンコックはつい甘やかしてしまった。

 

 

「忠告しておくぞ、ルフィ。さっき短剣を自分でぶっ刺して少しは分かったと思うが、海に出ればもっと痛いこともある」

 

「痛いのは平気だって言ったろっ!」

 

「それだけじゃないんだ。痛いだけならまだマシな方で、もっとツラいことだって数え切れねェほどあるのさ」

 

 

 「たとえば……」と、切り出してシャンクスは語り始める。たとえば同業者(海賊)に襲われ宝を強奪されたり――たとえば海賊としての誇りさえも穢されたり――たとえば手の届く距離で仲間を失ったり――。

 

 命や金銀財産といったあらゆる財産を失いかねないのだ。

 

 

「世界には陸の常識の通用しない海域だってある。どんな理不尽が降りかかってくるかなんざ、誰も予知できねェんだ」

 

 

 諭されて耳を傾けるルフィ。その言葉のどれもが子どもの抱く希望を打ち砕くに等しい。ハンコックとしては、いかなる苦境もルフィの為ならば越えてみせる覚悟。されど力が伴わなければ、命など儚く散りゆく。

 

 

「ルフィ……。これでは分が悪い。この男の(シャンクス)航海はどうやら、わらわ達の身に余る過酷さのようじゃ」

 

「今回ばっかしは諦められねェんだっ!」

 

 

 それだけの理由があるのだ。シャンクスが昨日、話していた。あと2、3回ほどの航海で1年以上もの期間を拠点としていたフーシャ村を離れると。

 

 そうなってしまえば、次に会うとすれば遥か先の未来。ルフィとハンコックが海賊としての高みへ至り、対等な海賊として海で出会った時だろう。

 

 

「要するにルフィはシャンクスと別れることが寂しいのじゃな?」

 

「寂しくないやいっ!」

 

 

 意地っ張りというかなんというか。素直ではないルフィが可愛らしくてハンコックの表情が緩む。()で甲斐があるとして、ルフィの頭にスベスベとした手を乗せて撫でる。さながら、かつてガープにそうされたように。

 

 

「じいちゃんは拳骨ばっかだったし、ハンコックに撫でられるとむず痒いや」

 

「まったく、あのおじいちゃんはルフィに対していささか以上に厳しい。ならばその分、わらわがルフィを甘やかそう」

 

「だっはっはっはっ! ここに男をダメにする女が居るぞ! まるで魔性の女だなっ!」

 

 

 シャンクスが茶化してくるが意に介さず、ひたすらルフィを可愛がる。猫可愛がりならぬルフィ可愛がり。その苛烈なまでのスキンシップは、ルフィが鬱陶しそうに苦い表情をするまで続いた。

 

 習慣化しているマキノの酒場でのタダメシで空腹を満たしながら、ルフィとハンコックのシャンクスへの小言で時間は流れてゆく。

 

 そんな時であった。安穏とした空気が粗暴さで破られたのは。人相の悪い男が大勢の荒くれ者を率いて酒場へと侵入する。

 

 

「酒を買いに来たんだが、なんだこの酒場は? 昼間から間抜けな海賊風情がたむろしてやがる」

 

 

 開口一番の侮辱。不穏な空気が場を包むが、赤髪海賊団の一同は静観を貫く。手は酒を飲む為に(せわ)しくはあったが。

 

 

「ごめんなさい、いまお酒は切らしてるんです」

 

 

 店主のマキノが在庫切れを知らせる。悪党でも客として来店したのだから接客はする。が、マキノの顔は男達を恐れてのことか、硬く強張っていた。

 

 

「じゃァこの海賊共が飲んでるのは水かなにかってのか?」

 

 

 その後もマキノへの詰問が続き、シャンクスらに出している分の酒は全てだと告げる。するとどうだろう、あからさまに機嫌を損ねた様子で一味を見下していた。

 

 

「なァ、ハンコック。あいつら、クズの匂いがする」

 

「しーっ! いまは静かにすべき状況じゃ。見たところ、あの者達は山賊。村長が言っていた。近頃、近隣の村で山賊が暴れていると」

 

 

 声をひそめてルフィに注意する。下手に刺激してしまえば危害を加えられかねない。まだ子ども身であるゆえ、襲われてはひとたまりもないだろう。

 

 

「おっと、こりゃすまん。失礼でなければこの瓶をやるよ。まだ栓も開けちゃいない」

 

 

 気を遣う必要もない相手に気遣いをみせるシャンクス。卓上の酒瓶を山賊へと差し出す。が、山賊の男は気にくわなかったのか、酒瓶の中身をシャンクスへ向けてぶちまける。

 

 目の前で見ていたマキノは口を押さえて唖然とし、傍に居たルフィとハンコックも、あまりの出来事に呆気に取られる。

 

 

「海賊ってのは、つまらねェシャレが好きらしい。瓶ひとつで、山賊のおれ達が満足すると思ってやがる」

 

「あーあー。床がびしょびしょだ」

 

 

 山賊の皮肉を聞き流し、散らされた酒に嘆くシャンクス。この状況下にも関わらず、マイペースを発揮する彼にハンコックは感心する。

 

 だが、いまはまだ関わらない方が身のためである。気分転換に、カウンターの端に乱雑に置かれた小ぶりの宝箱の中からハンコックは2つの果実を取り出す。ひとつずつルフィと分け合ってデザートとして戴いた。

 

 ひとかじりすると絶句してしまう程の苦味が口内へと広がるが、状況が状況なので騒がずに飲み込んだ。

 

 

「まずっ!」「まずい……」

 

 

 2人の声が重なる。想像を絶する不味さは、山賊の暴挙にすら勝る衝撃だ。だが、すぐに山賊へと意識を戻すことになる。

 

 山賊は懐から1枚の手は手配書を出すと、シャンクスやハンコック達へ見せ付けるように突き出した。

 

 

「これを見ればバカでも分かるだろ? おれがどんな人間なのかをな。楯突いちゃいけねェってことだ」

 

 

 世界政府及び海軍が発行する犯罪者の証である手配書。目の前の山賊はお尋ね者として懸賞金を懸けられていた。その額8百万ベリー。

 

 平均懸賞金額が3百万ベリーの東の海(イーストブルー)においては平均以上。極端に高額というわけではないが、犯罪とは無縁の長閑(のどか)なフーシャ村という場所を考えれば十分に驚異的。

 

 

「ほう、アンタはお尋ね者ってわけか」

 

「だったらそれなりの態度を見せるこったァ。おれはな、てめェのような生意気な奴を幾らでも殺してきたんだ」

 

「へぇ、そりゃすごい」

 

「てめェ……。ナメた口を利いてやがるな?」

 

 

 おどけた調子で相槌を打つシャンクス。適当にあしらわれていると感じた山賊――ヒグマは苛立ちを隠せない。

 

 

「56人だ……。おれがこれまでに殺してきた人数は。今ここで、てめェを57人目にしちまっても構わねェんだぜ?」

 

「たいしたもんだ。おれはいま、アンタにビビちまってる」

 

「っは! ようやく自分の立場を理解したか?」

 

 

 絶対にビビってなどいない。ハンコックの目から見ても明らかな嘘。しかしながら、演技なのかシャンクスは身体を震わせている。迫真の演技にまんまと騙されたヒグマは、ようやく出しかけた手を引っ込める。

 

 

「さて……。マキノさん、騒がせちまって申し訳ない。掃除はおれがやっておくよ」

 

「そんなっ! お客さんにお掃除をさせるわけにはいきません。私がやっておきますから」

 

 

 シャンクスとマキノのやり取りを眺めていたヒグマが、なにを思ったのか腰に差した舶刀(カットラス)を抜き――掃除を行う為に屈んだシャンクスの頭上を掠めるように振るった。豪快な音を立ててカウンターは切り裂かれ、卓上の皿やコップをも破片と化した。

 

 

「おら、掃除のし甲斐があるだろ? おれさまに感謝しな」

 

 

 掃除の手間を増やしたヒグマはニヤつきながらシャンクスを見下ろし、足早に酒場を去ってゆく。手下と共に愉快そうに笑い声を響かせて……。

 

 

「シャンクス……。こっぴどくやられたようじゃな」

 

 

 見かねたハンコックは、あまりに無様なやられ様のシャンクスへと同情の言葉を送る。だがあの対応が得策だったのかもしれない。変に騒ぎを大事にしてしまえばマキノの酒場が滅茶苦茶に壊されてしまう。ある意味では大人の対応だったといえる。

 

 

「っぷ!」

 

 

 シャンクスが気が触れたように吹き出す。すると堰を切ったように一味全員へと笑いが波及する。一瞬で爆笑の渦に包まれた酒場。被害者のシャンクスまでもが馬鹿笑いしている。

 

 ふとハンコックは気付く。隣のルフィがプルプルと身を震わして拳を強く握り締めていることに。何かを堪えているようで、既に我慢の限界を迎えつつある。

 

 

「なんで戦わないんだよ! シャンクスなら、あんな山賊(クズ)をコテンパンに出来たはずなのにっ!」

 

 

 怒鳴り声を上げたルフィはシャンクスを睨みつける。

 

 

「ルフィ……。よすのじゃ。気持ちはわらわとて同じ。しかし事を騒ぎ立てるには場所が悪かった。そういう話じゃ」

 

「ハンコックは何も言うなっ! おれが怒ってんのはシャンクスだっ!」

 

「ル、ルフィ……」

 

 

 横からの言葉は聞き入れない。そんな固い意志を感じる。とにかく彼は、内より噴き出す怒りの行き場を求めているのだろう。

 

 

「おい、ルフィ。ダメだろ、ハンコックにその口の利き方は。友だちなんだろ?」

 

「そうだけど、いまおれはシャンクスに文句を言いたいんだっ!」

 

「たかが酒をかけられただけだ。おれは怒っちゃいないし、おまえも怒る必要はない」

 

 

 当事者の感情を無視してまだ怒りを引き摺るルフィ。シャンクスを見限ったのか、「弱虫が移るっ!」と吐き捨てて酒場を出ようとする。そんなルフィを引き止める為に腕を掴んだシャンクス。だが、次の瞬間には自分の目を疑う光景に出くわす。

 

 

「ル、ルフィ……そなたっ……!」

 

 

 最初に悲鳴に近い声を上げたのはハンコック。視線はルフィの腕へと注がれる。

 

 

「何だ! これはああーーっ!」

 

 

 

 目玉が飛び出す勢いで驚くルフィ。その理由は明白。現実離れした現象が彼の身に起きているのだ。

 

 ルフィの腕が――伸びているっ!

 

 それも普段の5倍以上もの長さを誇り、さながらゴムのような伸縮性。誰もがルフィの身に降りかかった超常現象に恐慌する。数十秒の後、赤髪海賊団の幹部の1人であるラッキー・ルウが空っぽになった宝箱を指差して「敵船から奪ったゴムゴムの実がないっ!」と叫び始める。付け足すように『メロメロの実もないっ!』とも言う。

 

 

「ルフィ、まさかおまえっ! こんな実を食ったんじゃ……!?」

 

 

 スケッチブックに描かれた果実は、まさしくハンコックがルフィへと取り分けたゴムゴムの実とされるもの。

 

 

「ルフィがゴムゴムの実を食ったとすれば――。ハンコックはメロメロの実を食ったっ!」

 

 

 スケッチブックを一枚めくった先に描かれた果実は、ハンコックが食したものに相違ない。どうやらハンコックもルフィと同じく、その身に異常をきたしているらしい。

 

 

「ルウよ……。その果実は食べてはならぬものだったのか?」

 

「そりゃそうだっ!」

 

 

 動揺してロクに説明もしてくれないルウ。そこで助け舟のつもりなのかシャンクスがルフィとハンコックの前に立ち、事の重大さを語る。

 

 

「おまえらが食ったのは悪魔の実っていう海の秘宝とも呼ばれる代物なんだっ! 食ったら一生泳げない体になっちまうんだっ!」

 

「なん……じゃと……?」

 

「えーーーーっ!! うそーーーーっ!!」

 

 

 驚き方に差はあれど両者共に、この世の終わりに直面したかのような狼狽っぷり。収まらぬ恐怖が永延と持続する。

 

 

「ゴムゴムの実は全身ゴム人間にっ! メロメロの実は老若男女問わず魅了して石化させる能力を得るんだっ!」

 

 

 前者はビックリ人間といった内容。後者に該当するハンコックは、その説明を聞いても理解するまでに時間を要した。老若男女問わず魅了? その上、石化させる? 意味が分からない。シャンクスはこの混乱する空気を和ませる為に冗談でも言っているのだろうか――。

 

 

「バカ野郎ォーー!!」

 

 

 シャンクスがルフィとハンコック(友だち)の為に怒る。しかして――事態が解決するでもなし。イタズラに状況は深刻化してゆく。

 

 

「せ、船長さん……? この子たちの体は元に戻りますよね……? ほんの一時的な症状なんですよね……?」

 

 

 マキノが確認を取る。しかしシャンクスは先程、確かに発言した。一生泳げなくなると――。

 

 

「す、すまぬ……! わらわが悪いっ! わらわが勝手に宝箱を開けて、中身をルフィへと分け与えたのじゃっ……!」

 

 

 罪を告白する。心が張り裂けそうだ。よりにもよって自分のせいで海賊を志す少年から大切なものを奪ってしまったのだから。それに加えて、彼に泳ぎを教えたのはハンコック。泳げなくしたのもハンコック。なんたる皮肉……。

 

 

「ひくっ……ごめんなさい……ごめん……なさい。ルフィ……わたしのせいで……」

 

 

 海賊女帝を真似た口調などしている場合ではない。心の鎧が剥がれ落ちて、生来のハンコックの人格が露となった。

 

 この場に居るのは自身の犯した罪に怯えるいたいけな少女。心の脆さをむき出しにして泣き崩れるばかり。ひたすらにルフィへと謝罪を述べるが、赦してもらえるなどとは毛頭思ってはいない。

 

 されど、そうすることでしか自分を保てなかった。認めるしかない咎。逃げられぬ悲運。少女の身に重くのしかかる。

 

 

「ハンコック、泣くのをやめろって。おれがじいちゃんに殴られるだろ?」

 

「で、でも……。わ、わた……しは……」

 

「でもじゃねェっ! ゴム人間なんて面白ェ体になったんだぞ? シャンクスでも成れないスゲェ体になったのによ、どうして泣くんだよ」

 

「ルフィ…………」

 

 

 自分が生涯をかけても償いきれぬ罪を面白いと称した――。ルフィの本心は定かではないし、単なるハンコックへの励ましの言葉という線もある。

 

 だが、ルフィは全くハンコックに恨み言を漏らさず、微塵も気にした風でもない。自身の両頬を引っ張って伸ばしている。ゴムのように長く伸びた頬を自慢げに見せてさえいた。

 

 

「なっ! 面白れェだろっ!!」

 

「くすっ……」

 

 

 ハンコックから笑みがこぼれる。ルフィの言葉で、絶望に打ちひしがれていた心は綺麗に晴れる。モンキー・D・ルフィという少年はハンコックにとって――太陽だ。どんな暗い心も温まりと強き輝きを以て照らしてくれる。

 

 

「ふふふ、ルフィ――ありがとう」

 

「ししし! ハンコックが笑ってくれるんなら礼なんていらねェ!」

 

 

 もうダメだ。直視出来ない。この少年からはもう離れられない。ハンコックという少女はルフィという人間に魂から惚れこんでいる。ただ好きなだけではない。ただ愛しているだけではない。もうこれは結婚するしかない。彼と生涯を共にし、彼の夢を支えて叶えるしかないっ!

 

 

「ルフィーーっ! わらわはそなたをっ……!!!!」

 

 

 それ以降の言葉は思いつかない。いや、そもそも言語化不可能なほどに肥大化した感情。言葉などよりも、行動よりも、なによりも――ただ一緒に居る事が彼への感謝に繋がる。

 

 

「うおっ! 急に抱きつくなってっ!」

 

 

 ハンコックはルフィの身へと突進する。以前には無かった弾力性がハンコックをそっと受け止めてくれた。なるほど、彼はゴム人間というのは疑う余地も無く、事実のようだ。いやまぁ、先ほど腕が伸びたのを目の当たりにしているのだから今更ではあるが。

 

 

「そういや、ハンコックも面白い体になったんだよな?」

 

「そのようじゃ。差し詰め全身メロメロのメロメロ人間といった具合か」

 

「なんのこっちゃ!」

 

 

 ルフィにツッコミを入れられるとは、ハンコックもボケが進行しているようだ。全身メロメロ人間など言葉の意味を成していない。

 

 

「シャンクスよ、すまなかった。無断で悪魔の実を食べてしまって」

 

 

 ケジメをつけるべきだ。悪魔の実の異常性は嫌というほど理解した。けれど場合によっては大いなる価値を秘めるに違いない。そんな代物を台無しにしたとなっては、賠償金など幾らにまで膨れ上がったものか分からない。

 

 

「構わないさ。考えてみれば、そこら辺に悪魔の実を置いておいたのが不味かった。おれ達の不手際さ。むしろ謝るのはこっちだ」

 

「よいのか? 気を遣わせてしまったのなら正直に言うが良い。いつになるかはわらわにも分からぬが、いつか弁償をさせて欲しい」

 

「いらねェって。たかが1億ベリーの値にしかならないんだ」

 

「い、1億ベリー……っ!」

 

 

 たかが――の域を軽く超える金額。海賊(大人)の金銭感覚が理解出来ない。

 

 

「言ってなかったが、ウチの船はそこらの海賊よりも金は持ってる。ガキが気に病むほど金に困ってねェわけだ」

 

 

 そう言い切って、ハンコックが謝ることを禁止するシャンクス。カッコイイ――と、普段は決してシャンクスへと抱かぬ感想が頭に浮かぶ。

 

 

「まぁ、どうしてもって言うのなら、いつか酒でも奢ってくれ。それで今回の件はチャラだ」

 

「わ、わかった……」

 

 

 頷くしかない。大人にここまで言わせておいて断れるものか。

 

 

「なァ、シャンクス。カッコ良いけどカッコ悪いぞ」

 

「ん? そりゃどういうことだよ」

 

 

 ルフィが口を開く。彼は心の中では悩んでいる様子。だが、堪え性の無いルフィは発言を続けた。

 

 

「うーんとなァ。悪魔の実を食ったことを許してくれたのはカッコイイ。でもやっぱ……さっきの山賊に立ち向かわなかったのはカッコ悪いんだっ!」

 

「ルフィっ……!」

 

「だって、シャンクスは本当はカッコ良いはずなんだぞっ! いまだってスッゲェカッコ良かったんだ。それなのにあんな山賊(クズ)にコケにされたままなんて悔しいだろっ!」

 

 

 彼は――ルフィはどうしようもなく赤髪のシャンクスに憧れている。だからこそ山賊(ヒグマ)ごときにバカにされたことが悔しくて堪らないのだ。憧れているから、目標にしているから――シャンクスが負けたままというのが許し難い敗北に思えてくる。

 

 

「頼むよォ、シャンクスっ……! おれはシャンクスがバカにされて怒ってんだっ! だからっ! シャンクスっ……!」

 

 

 言葉が詰まったのか、そこでルフィは押し黙った。ルフィはまだ子ども。度量の大きさは示せど、未熟な部分というのも内包している。

 

 

「ごめん、シャンクス……。おれ、自分で何を言ってるのか分かんなくなってきた……」

 

「ルフィ……。良いさ、おれの為に怒ってくれてるんだろ?」

 

 

 ルフィの気持ちを汲み取ったシャンクスが問う。

 

 

 

「でも……」

 

「友だちの為に怒れる。そいつは誇っても良いことだ」

 

 

 その言葉はルフィを勇気づけるものであった。

 

 

「うん……。そんじゃァ、おれはこれからも友だちの為に怒るぞっ!」

 

 

 調子が戻ったのか、元気いっぱいの返事。火の灯ったトーチの如く、ルフィは執念に燃え上がっていた。そしてその熱はハンコックにまで伝導する。ハンコックとルフィの2人による相乗効果で、酒場の一角は暑苦しさで包まれる。

 

 

「わらわもルフィ(友だち)の為とあらば、怒りを誇りとしよう」

 

 

 ハンコックはルフィとは少し事情が違う。その誇りの在り方は局地的なものである。とはいえ、その想いさえも誇りとして昇華する――。

 

 

 だが――『友だちの為に怒る』――この気持ちが、近い内に起こる極めて印象深い出来事へ繋がるとは、この場の誰もが知る由もなかった……。



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8話

 悪魔の実を食べて特殊な体質へと変化した事実は、ルフィとハンコックに新たな世界への一歩を踏み込ませた。まずルフィの得たゴム体質はシンプルで分かり易い。

 

 要するに身体がゴムの性質を持つのだ。現状では限度はあれど、全身がゴム同様に引っ張りさえすれば伸びるのだ。打撃といった攻撃にも耐性を持ち、ハンコックが試しにビンタしてみたがルフィには一切のダメージが通らなかった。防御面において優れているといえる。

 

 とはいえ、そんなゴム体質にも明確な弱点というのが存在する。斬撃には滅法弱いのだ。それは常人でも同じであるので、さしたる問題でもないが――。

 

 さて、一方でハンコックの得た特異的な能力。老若男女の総じての心を、能力者本人の持つ魅力を以て奪い石化――。能力発動の前提条件として容姿が優れていることが必要とされる。この条件については問題は無い。

 

 なにせハンコックは世界が羨むほどに突出した美貌を持つのだ。今でこそ幼いが、年齢を重ねることで、より美しさを増す事が約束されている。そうともなれば能力発動の制限が緩和されるのだ。

 

 

 そして能力の有用性を確認すべく、ハンコックはルフィを伴って鍛錬に励んでいた。ルフィのパンチの件で修練を積んだ山の麓。ルフィの拳やハンコックの蹴りによって、ヘコミを持った木が量産されている。それだけの時間と努力を積んだ証左である。

 

 

「むぅ……。わらわはメロメロの実の能力は外れやもしれぬ……」

 

 

 不満を漏らす。訓練の相手としてルフィを選んだのだが、一向にルフィが石化する気配は無い。頭の中で「素ルフィ、わらわの魅力に屈服せよっ!」などと念じてみたが、何も現象として発生しない。発動条件は満たしている筈なのに、肝心の手段への理解に至っていない。

 

 特定のポーズでも必要なのだろうか? ラッキー・ルウが見せてくれた悪魔の実の図鑑にも、メロメロの実の項目については数行の解説文しか記されていなかった。漠然と効果だけしか書かれておらず、具体的な部分についてはボカされていたのだ。

 

 

「ハンコックーっ! くよくよすんなって。おまえ、悪魔の実なんて食わなかったとしても強ェだろ」

 

「そう言って貰えると嬉しい。しかしじゃ、ルフィよ。使えるものは何でも使うべきじゃ。たとえこの変哲な能力であっても、わらわは矛として振るいたい」

 

「そっかー。おれ、応援するよ。全身メロメロ人間とかさ、なんかよく分かんねェけど面白いし」

 

 

 のん気な物言いだが、彼は本心から言っているのだと分かる。だからバカにされた気分にはならない。

 

 

「地道に模索するしかないようじゃ。ふぅー……。わらわも難儀な能力を引き当てたものだ」

 

 

 後悔はしていない。他でもないルフィが認めてくれている。面白いとも言ってくれている。ならばこの力はハンコックの個性として受け入れ、強みへと変えるべきだ。未だ道は見えずとも、ハンコックはルフィと一緒になら、どこまでも行けると信じて鍛錬に打ち込むのだった。

 

 

 

 

 鍛錬の日々が続く中でも、赤髪海賊団は航海を2度終えていた。相変わらず航海には連れて行ってもらえていないが、充実した日常生活を送れている。

 

 村の人々は一風変わった体質を持ったハンコックとルフィをあっさりと受け入れて、むしろ楽しんでいる節があった。これほどに温もりを感じる村は世界中を例に見ても稀有であろう。

 

 そんな温もりに浸りつつ、ハンコックはルフィと共にお使いに出ていた。目的の品は近海で獲れる魚。仲良く手を繋いで買い物バッグを携えて道をゆく。魚屋の店主のおっちゃんは、妻と共に子ども2人の接客に当たっていた。接客というよりは可愛らしい子どもを可愛がるような応対。

 

 

「よう、ルフィ。未来の奥さんを侍らせて、幸せ者だなっ!」

 

「魚屋のおっちゃん!! 奥さんってなんだ? その魚って旨いのか?」

 

「はは、ルフィ! 奥さんってのはあれだ。ずっと傍に居てくれる大切な女のことだ」

 

「へぇ、じゃぁ。ハンコックはおれの奥さんってことかっ!」

 

「ルフィ……。無自覚なのは知っておるが、わらわはあえて勘違いをしたいっ!」

 

 

 ルフィによる「ハンコックはおれの奥さん」発言は、いとも容易くハンコックの心を揺さぶる。天然なルフィの発言に、わざと乗ってしまったハンコックは歯止めが利かない。新婚夫婦が如く、ルフィの腕に抱きつく行為は周囲の視線を集める。

 

 

「ルフィ、わらわのことは好きか?」

 

「好きだぞ」

 

 

 簡潔な返事。その一言でどれほどの感情が動くのか、ルフィは知るまい。乙女心を知らないからこそ、無自覚だからこそ、度し難いバカだからこその発言。ハンコックはルフィの知能指数の低さに今日ほど感謝した日は無い。

 

 

「またやっとるようじゃのう、ルフィ」

 

 

 背後からハンコックの親代わりである村長が会話を切り出した。大方、お使いに出したハンコックを心配して家を出てきたのだろう。過保護に感じながらも、ハンコックはその親心が堪らなく嬉しかった。

 

 

「お前はハンコックを妻にするつもりなんじゃな? ならば何度でも言うがなルフィ。ハンコックと家庭を築くというのなら海賊になどになるなっ!」

 

 

 村長の一喝――。耳が痛い小言に嫌気が差したのか、ルフィは自身の耳を塞ぐ。シャンクスに影響されて海賊に成りたいという夢は村長にとって否定すべき対象。事あるごとに村長は、ルフィに海賊の短所ばかりをかき集めて言い聞かせてくる。

 

 

「村長よ、子どもの夢を否定しては成長を阻害する」

 

「ハ、ハンコック……。そうは言うがなァ……」

 

「わらわは悲しい……。信頼しておる村長が、わらわの友だちの夢を悪く言うことが……。あァ、なんと悲しきことか」

 

 

 演技がかった声色で村長へ反論を仕掛ける。

 

 

「もしや……。わらわのことが可愛げの無い子どもと思うておるのか?」

 

「そんなはずはないっ! わしはお前を孫同然に思っとるっ!」

 

 

 その感情の昂ぶりをハンコックは見逃さない。ふと、閃いたのだ。今ならば自分の能力が使用可能なのではないかと。続けて思いつきのポーズを即興で取る。

 

 両手を突き出して指を絡め、ハートの形状を作る。そして唱えるのだ。心より生み出されし魔法の言葉を――。

 

 

「メロメロ甘風(メロウ)っ……!!」

 

 

 その発声が合図となり、ハンコックの手を発生源としてハートの形状をした桃色の光線が幾重にも連なって発射された。標的は村長。構えなど取っておらず無防備だった彼へと光線は直撃。瞬きをした次の瞬間には見事に石化した村長が出来上がっていた。

 

 

「あ、村長が固まっちまったよ」

 

「見事なものであろう? わらわの仕業とはいえ、天晴れじゃ」

 

 

 微動だにしない石像と化した村長。ハンコックという少女へ抱いた好意が引き金となり、効力を存分に発揮させたらしい。

 

 

「おっと、わらわとしたことが村長で能力を試すなど……。親に対する背信行為じゃ」

 

 

 慌てて石化が解けるように念じると、村長の体は生気を取り戻す。ハッとした様子で意識を浮上させた村長は、何事かと顔面を蒼白させていた。

 

 

「いま気を失った気がしたんじゃが……。わしの気のせいか?」

 

「いや、気のせいではないぞ。わらわがイタズラを仕掛けたのじゃ」

 

 

 隠し事はしたくない。包み隠さずにぶっちゃけた。

 

 

「やけに手の込んだイタズラじゃな。どうやったかは知らんが」

 

「手口は明かせぬ。許せ、村長。マジックのようなものじゃ」

 

「そうか、ほどほどにしておくんじゃぞ」

 

 

 能力解除後、石化の後遺症なのか前後の記憶が曖昧らしい。この聞き分けの良さは意識が不安定な状態に由来するもの。言われた通りの説明を真に受けるのも致し方ない。

 

 

 

 

 

 ところ変わってマキノの酒場。マキノが出してくれたジュースを酒場に入って数十秒で飲み干したハンコック達は、グラスに残された氷をガリガリと頬張る。お行儀が悪いが、マキノから一切の文句は出ない。子どものやる事として大目に見てもらっているのだろう。

 

 

「今日は船長さんが居ないから退屈なんじゃない?」

 

「ハンコックが居るからそうでもないぞっ!」

 

「あら、良かったじゃない、ハンコックちゃん」

 

「わざわざ口に出さずともよい。照れてしまう」

 

 

 マキノも意地悪なところがあると、やんわりと注意する。からかわれた形となったハンコックは、口内の氷を豪快に噛み砕く。別段、意味があるわけではないが、ルフィとはどちらが先にグラスの中の氷を全て噛み砕けるかを競争していた。

 

 

「それにしても船長さんの航海、今回に限っては長いわよね」

 

「シャンクスは出航前に今回は特に長くなると言っていたな。もうこの村を拠点として滞在する日数も少ないというし、心残りの無いようにしておるのじゃろうな?」

 

 

 赤髪海賊団の事情を思えば妥当な線だろう。元々、彼らは偉大なる航路(グランドライン)を主戦場として同業者と覇を競ってきた一団だ。こんな片田舎に来たというのなら、相応の理由があるのだろう。ひとつずつの航海が長引いても、なんら不自然ではない。

 

 

「そうなるとやっぱり航海に連れて行ってもらえないままお別れになんのかな?」

 

「そこはルフィの態度次第ではないか? あの男もなんだかんだルフィには甘い」

 

「甘いんだったら、おれをからかってばかりしてねェよ」

 

 

 からかえるほどの間柄とも言い換えられる。ルフィがシャンクスを気に入っているように、その逆も然り。年齢差を超えた友だちというのも悪くはないというのがハンコックの感想。しみじみとこれまで赤髪か海賊団と過ごしてきた日々の数々を想起する。

 

 だが、そんな少女の思考に水を差す不届き者が酒場へと現れる。視界に入れた瞬間、ハンコックは気分を害する。それはルフィとて同じ。その不届き者とは、いつか遭遇した山賊(ヒグマ)であったから。

 

 

「げ……」

 

 

 ルフィが警戒心から声を漏らす。幸い、ヒグマの耳には届いていないようだが、手下を連れて続々と酒場の席を占領する。

 

 

「今日は店が空いてる。当然、酒はあるんだろうな? なァ、ねえちゃん」

 

 

 マキノへ向けて威圧的に問うヒグマはふてぶてしい態度を隠そうともしない。お客様は神様だと言いかねない雰囲気をかもし出している。そして語調の強い物言いには、マキノは逆らえない。本来なら入店をお断りしたい客層だが、事を荒立てぬように酒を各テーブルへ提供する。

 

 

「っは! 今日は酒が飲み放題だ。酔って店を壊すかもしれんが、その時は許してくれよ。なァ、ねえちゃん?」

 

 

 その発言は脅しとも取れる。だが今は従うことしか出来ない。選択しは限りなく狭まれ強要されている。だが、そんな横柄な振る舞いに座しているだけのルフィとハンコックではなかった。

 

 

「やいっ、山賊っ! マキノの酒場で好き勝手言うんじゃねェやいっ!」

 

「そうじゃ……。その品の無い振る舞い、見ているだけで目が穢れてしまうわっ!」

 

 

 挑発的――を通り越して山賊相手に喧嘩を売る口上。はたしてその様な謂れを受けたヒグマが黙って聞き流せようものか。

 

 

「ああ? なんだ、あの時の腑抜けた海賊野郎の近くにいたガキたちか……」

 

 

 どうやらハンコック達の存在は先日の時点で認識していたようだ。大人気なく子どもを睨み付けて威嚇してくる。

 

 

「いまのおれは機嫌が良いんでね。いまならまだ許してやる」

 

 

 意外なことにヒグマはハンコックらの言葉を咎めることはなかった。機嫌が良いというのは事実なのだろう。

 

 

「だが愚痴くらいは言わせてもらおうか。先日の件でおれはムカムカしててな。あのバカな海賊共が気に食わねェんだ」

 

 

「なにをォっ……!」

 

 

 シャンクスへの侮辱に憤慨するルフィ。ハンコックをして椅子から立ち上がって発言の撤回を求めたくなる内容である。だが、逆なでするようにヒグマは言葉を続ける。

 

 

「お前らも見てただろ? 酒をぶっかけられてもブルって反抗的な態度もみせねェ腰抜けを。いっそ殺してやりたいと思ったぜ。57人目の犠牲者になるっていう名誉があるんだ。殺されても礼を言うべきだぜ」

 

 

 自分勝手な意見過ぎる。あまりに酷く、あまりに下賤。ハンコックは青筋を立て、ルフィは血走った目でヒグマへ睨みを利かせる。

 

 

「そう怖い顔をすんな。お前らはあの海賊に憧れてるみてェだが、そいつは止めときな。どうせならこのヒグマ様を見習うべきだ」

 

 

 イキったヒグマの言葉はもはや聞くに堪えない。聴くだけで耳が腐り落ちてしまいそうだ。性根の腐った男の言葉に耳を貸す価値すら感じない。

 

 

「お前……いい加減にしろよっ! お前なんか世界一カッコ悪いやつだっ……!」

 

 

 ルフィが叫ぶ。シャンクス(友だち)をバカにされて黙って見過ごしていられようものか。

 

 

「シャンクスをバカにしても良いのは――わらわたちだけじゃ。断じて貴様らのような蛮族ではないと知れっ!」

 

 

 ハンコックも叫ぶ。シャンクス(友だち)の名誉を傷つけた愚者を裁かんとして。

 

 

「おい、ガキ共……。いまおれの機嫌を損ねたって……理解しているよな?」

 

 

 その男の沸点はついに頂点へと達し、ハンコックたちへと牙を剥く。眼光だけで人の命を殺めるのではないかという程の殺気が込められている。

 

 

「酒が不味くなる。この落とし前はてめェらの命でつけてもらおうじゃねェか。おい、野郎ども。このガキを表に連れ出すぞ」

 

 

 その指示はハンコックらを害そうという意思。慌てたマキノが制止に入る。

 

 

「お、お願いしますっ……! この子たちはまだ子どもなんです。自分で言っていることの意味もきっと理解していないんですっ! だからどうか……許してはいただけませんか?」

 

「ダメだ。このガキはもう殺すとおれは決めたんだ。57人目はあの海賊じゃねェ。このガキたちだ。尤も57人目だけじゃなく、58人目の犠牲者っていうオマケつきだがな」

 

 

 マキノの必死な謝罪も虚しくヒグマの意思は揺るがない。この男はもう子ども相手とて情けをかけない非道な悪党。その悪意は存分に子どもを呑み込もうとしている。

 

 

「ええいっ! わらわたちに触れるなっ!」

 

「おい、こらっ! ハンコックになにをすんだっ!」

 

 

 ジタバタと暴れて抵抗するが大人の腕力には勝てない。子どもなりに日々鍛錬を重ねてきたつもりでいたが、肝心の時に役立たない。まるでこれまでの努力が否定されたかのような気分だ。

 

 抵抗むなしく外へ連れ出されたハンコックとルフィ。マキノはというと恐怖でしばらく腰を抜かしていたのか動けずにいた。

 

 野外で1度、地面へと下されたルフィ。しかしハンコックは拘束されたままだった。それなりの理由があり、ヒグマがご丁寧に解説を始めた。

 

 

「へへ、このメスガキは見た目が良い。殺してやろうとも思ったが勿体ねェ。金持ちの変態親父に売りつければ、かなりの額になるだろう。数千万ベリーはくだらないぜ」

 

 

 その言葉はハンコックにとっては禁句に等しい。物心がつくかどうかの時分、奴隷の身であったハンコック。年齢があまりに幼かったがゆえに、性的な虐待こそ受けずに純潔を保っていたが――もし再び奴隷の身に落ちてしまったら、次こそは貞操を守っていられる保証など無い。

 

 

「お前えェっ……! ぶん殴ってやるっ!」

 

 

 その女として屈辱的な言葉に対して、ルフィがハンコックに代わって怒りをぶつける。猪突猛進の様相でヒグマへと接近するが――軽々と避けられた上に頬を掴まれて地面へと叩きつけれる。

 

 

「おもしれェガキだ。体がまるでゴムみてェに伸びやがったぜ。こいつは見世物小屋に売れば金になる。メスガキほどじゃねェけどな。はっはっはっ!」

 

 

 その高笑いは絶望の音色そのもの。希望は打ち砕かれ、この世に救いなど無い。負の感情が脳内を埋め尽くす。ハンコックは己に待ち受ける末路を想像し、涙が頬を伝う。それだけにあらず。最愛の友だち(ルフィ)が手の届きそうな距離で痛めつけられている。彼も見世物小屋などに売り飛ばされたりしたら、人間としての尊厳を奪い尽くされる。

 

 そんな不条理、あってはならないことだ。そんな世界は存在さえ許されないし、許容する山賊たちへの憎悪が増す。

 

 

「やめぬかっ……」

 

「ああ? おい、メスガキ。なにか言ったか?」

 

「やめよと言ったのだ、下郎……! 貴様らは傷つけてはならぬ、わらわの大切な人に手を出した」

 

「ははっ! ガキがおれに脅しか? 弱いやつが強者へ物を言う権利なんてねェんだ!」

 

 

 強者を気取るヒグマ。だがヒグマは気付かない。触れてはなら逆鱗に触れてしまったことに――。それは世界をも破壊しかねぬほどの怒り。神を否定し、万物を否定し、世のあり方さえも否定する大いなる力。すなわち法を敷く王者の資質。その唸り声が響く――。

 

 

「死ねっ……」

 

 

 ハンコックの口からそっと零れ出した言葉。たった一言。それだけを契機にヒグマの手下たちは誰ともなく膝から地面へと崩れ落ちる。白目を剥いて口から泡を吹いて。かろうじて立っているのはヒグマのみ。

 

 

「な、なんだこりゃァ! メスガキィっ……! いまなにしやがったっ……!」

 

 

「口を開くことを(つつし)め。その命、わらわの一存で容易く手折られるものと覚えよ」

 

 

 殺気を帯びた少女(ハンコック)は告げる。ヒグマの命は我が手の平に在ると。それを心得ぬ愚か者に生存する道すらも与えられない。

 

 

「ハンコック……すげェ……」

 

 

 ルフィの感嘆の声が漏れる。まさか助けようとした自分が逆に救われようとは。男の沽券に関わるが、状況が状況。ルフィとて、それくらいの分別はある。

 

 

「っち! 奇妙な真似をしやがってっ! どんなトリックを使ったか知らんが、ガキがナメてんじゃねェっ……!!」

 

 

 追い込まれたヒグマは舶刀(カットラス)を勢いのままに振り回す。ハンコックの頭髪、その毛先に僅かばかり掠めて切断する。

 

 

「っく……。わらわの髪をっ……。いや、そんなことはどうでもよいのじゃ……。優先すべきはルフィっ……!」

 

 

 女の命と言っても過言ではない髪。その僅かな部分であっても怒りを買うには十分。だがハンコックが激昂する一番の理由はルフィを傷つけられたことの一点。この感情の発露の大本こそ、友だちをバカにされたことへの怒り。しかし、理由を上書きするほどに、ルフィの身の上はハンコックにとって重要であった。

 

 

「おいっ! いい加減にしやがれっ! おれをコケおろしたんだ。もう売り飛ばすのは止めだ。ここでブッ殺してやるっ!」

 

 

 ヒグマは自身の命の危機を本能で察知したのか、手早くハンコックの殺害を決意した様子。だがハンコックとて黙って殺されるわけにもいくまい。だが……悲しいかな、子どもの体力などそう長続きはしない。つい数分前に発動した王者の資質――世に言う覇王色の覇気を使用した影響なのか、急激な疲労がハンコックの矮躯に襲い掛かる。その場にへたり込んでしまう。

 

 

「ふんっ、さっきの勢いはどうしたァ? ガキめ、おれに楯突いたんだ。命を取られても仕方がねェよなっ……!」

 

 

 刃が地面に座り込むハンコックの首元へと添えられる。少し刃を後ろに引くだけで、ハンコックの柔肌は綺麗に裂かれ、その命を儚く散らせる。そんな最悪の結末がすぐ傍まで迫っている。その距離感を意識してしまい、朦朧としてしまう。

 

 

「ハンコックっ……! うわああーーっ!」

 

 

 そこらに落ちていた棒切れを掴み取ってヒグマへと突貫するルフィ。直線的で単純な進路。脚を振り上げたヒグマに難なく蹴り飛ばされて地べたを転がる事になった。

 

 

「っへ、このメスガキをどうしても殺されたくねェってか? 諦めろ、56人殺しのおれは今日から57人殺しっ! そしてお前も殺して58人殺しになるのさっ!」

 

 

 何を誇らしげに語るのか……。その神経を疑いたくもなるが、いまはハンコックを救うことが先決と考えたルフィは何度でも立ち向かう。ドロだらけになろうと、ハンコックを失うことだけは避けるのだと……。

 

 

「お前なんかにっ……! お前みたいなクズにハンコックを殺されて堪るかァっ……!」

 

 

 怒号を上げながら拳を叩き込むのだと躍起になる。そんなルフィの意思の強さだけが先行してヒグマへと殺到した。子どもにあるまじき剣幕に山賊としての高みに位置するヒグマでさえ、未知の恐怖を覚える。

 

 

「なんだこのガキッ……! しつこいんだよ……。なんで倒れねェ……!」

 

 

 どれだけ蹴飛ばされても、なおも立ち上がるルフィの精神力。その鋼の心は山賊の気力を削ぐには十分であった。だがその屈強な心がハンコックの死を早める結果へと繋がる。

 

 

「面倒だ、さっさとメスガキを始末して、この小僧もブッ殺すかっ!」

 

 

 手っ取り早く事を済ませようとヒグマは舶刀(カットラス)をハンコックの頭上から振り下ろさんとして構えた。あとは上から下へと動作をなぞるだけ。それだけでルフィの心をへし折れるのだと判断する。

 

 だがそのような凶行、ルフィが断じて許容するはずもない。その光景を目の当たりとしたルフィは、ヒグマへと殺気を含んだ視線をぶつける。純粋なる殺意の感情。穏やかな心を持つルフィではあるが、ハンコックの為とあらば鬼と成ろう。

 

 

「お前っ……。ムカつくなァ……!」

 

 

 そんな一言で表現するルフィ。適確な言葉の選別など子どもの彼には出来まい。だがしかし、その言葉には彼我の敵との差をも埋める特別な力が秘められていた。

 

 圧迫感がヒグマの全身を打ちつける。風など吹いていないはずなのに、肌に鳥肌が立つほどの寒気。大気に重さが増し、肩へとのしかかるような感覚。

 

 

「てめェもか……! このヒグマさまをイラつかせやがってっ……!」

 

 

 ルフィから放たれた無音の圧力がヒグマの意識を刈り取らんと揺さ振る。かろうじて地に立つヒグマはしかし、胸を押さえて荒々しく呼吸する。ルフィの起こした行動は先ほどのハンコックのそれと共通したモノ。本人の未熟さゆえにヒグマの意識を奪うには至らなかったが、一時的に動きを封じ込めるという一定の効果は得られた。

 

 

「くそっ……! おれがこんなガキにビビってるだとォ? そんなバカがあるかよっ…!」

 

「お前……黙れよ」

 

 

 鬼人と化したルフィの猛攻は止まらない。気迫のみで大の大人、それも山賊として猛威を振るうヒグマと渡り合っている。殴り合えば確実に勝てない相手。されど今のルフィからは既に敗北の2文字は消失していた。

 

 

「ルフィ……そなたは」

 

 

 ハンコックは感じ取る。ルフィの秘めた何かを――。きっとそれは自身をも凌駕する力の(きざ)し。あぁ、やはり……自分は彼に着いていきたい。その行く末を見届ける為に、共に歩みたいのだという感情が湧き起こる。

 

 

「ルフィ、ハンコック! 大丈夫か!」

 

 

 その声は村長。その隣に居るのはマキノという事を考えれば、おそらくは彼女が村長へ助けを求めたのだろう。不安げに事態の把握に努める2人。地面に倒れ伏す山賊の手下、プルプルと恐怖のあまりに脚が笑っているヒグマ。子どもの手によって生まれた状況とは、にわかには信じ難い状況である。

 

 

「まだ平気じゃ。それよりもこの山賊はまだ健在。村長たちは危険なので避難せよ」

 

「できるわけがないっ! 子どもを見捨てて逃げ出すなどっ! ガープにも顔向け出来んっ!」

 

 

 村長へと無事を報告しつつ避難を勧告するが、あっさりと断られてしまう。ガープへの義理だけではなく、村長はきっとルフィとハンコックを孫同然に想い、愛情を持っている。だからこそ見捨てるなどという行動原理は無い。

 

 

「っち、見世物じゃねェ! 群がってくんじゃねェよっ……!」

 

 

 苛立ちゆえに唾を飛ばしながら怒鳴り声を散らすヒグマ。意識が余所を向いた隙を突いて、ルフィが鍛え上げた成果をヒグマへと叩き込む。銃のように高速にして爆発力を帯びた拳がヒグマの腹部へと吸い込まれる。子どものパンチだと高を括ったヒグマの考えを一撃の下に伏す衝撃が拡散する。

 

 

「っぐお……」

 

「どうだァっ……! おれのパンチは(ピストル)のように強いんだっ……!」

 

 

 倒れるまでには至らなかったが、ヒグマへ与えたダメージは確実に戦意を削ぐ威力。同時に殺意を増大させるものであったが、今更牙を向くにはあまりに劣勢。逃亡を考え始めるのも時間の問題だ。

 

 

「いったいどうなってんだっ……! さっきまではおれ様が上に立ってたんだ。それがどうしてこんな風に追い詰められるっ……!」

 

 

 その疑問は解消されない。ルフィはヒグマを敵と定め、その幼さゆえに加減など知らないのだ。純粋なる敵意を標的(ヒグマ)へと向ける。

 

 

「シャンクスをバカにして、ハンコックにも手を出したんだ……。おれはお前を許さねェ……!」

 

「くそがっ……! 海賊なんざゴミクズだ。そんなもんの為にやられて堪るかよっ……! このメスガキだって殺してやるっ……!」

 

 

 会話は平行線を辿る。ルフィはヒグマを許さず、ヒグマは害意を生み出し続ける。その衝突は避けられない。もはやハンコックさえもルフィを止められぬ域にまで達した。ならばいっそ――。

 

 

「ルフィーっ! そんなヤツ、殴り飛ばしてしまえっ……!」

 

 

 ――開き直って応援してしまうべき。

 

 

「あァ、おれは絶対にこいつをぶっ倒すっ……!」

 

 

 固く決意する。誰に手を出したのかを思い知らせる為に。その為に鍛えた拳。大切な人(ハンコック)を守る力はルフィへと勇気を与えた。だから止まらない。だから迷わない。

 

 守る為の拳で戦いへと赴くのだ――。



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9話

9月11日昼頃に一部内容を変更致しました。


 睨み合いの硬直状態――と言うにはやや一方的。ルフィがヒグマを押しており優勢を保っていた。

 

 見守る村長とマキノ。ルフィのような7歳の小さな少年が場を支配し始めたことに、現実味を感じない。

 

 ただしハンコックだけがルフィの持つ無限の可能性を確信していた。彼ならば、いかなる巨悪であっても打倒し()ると。

 

 

「いまのおれは、おまえに負ける気がしねェっ!」

 

「っちィ……! 減らず口を叩きやがってっ……!」

 

 

 舌戦と呼ぶにはあまりに(つたな)いが、それでもなおヒグマの苛立ちを引き出すには事足りる。

 

 とはいえヒグマは元々、機嫌の良い時を除いて怒りの沸点が低い。殺害してきた56人という人数も、そのキレ易さが招いた被害の程度である。

 

 しかし、ルフィはそんな脅しには屈しないし(おく)さない。その身に宿した力は、何者にも負けぬ頑強さを武器としているのだ。

 

 小さき体が地面を蹴る。決して速いとは言えない。されど燃え上がった感情がルフィの体表を覆い、あたかも銃から放たれた弾丸の如く鋭さへと昇華させた。

 

 その勢いときたら舶刀(カットラス)等という武具を、ものともせぬ迫力。力任せに振り回された刃など、恐れ知らずのルフィにとっては避けるも容易い。体へ触れる直前に風のようにすり抜けた。

 

 その身のこなしはハンコックとの特訓の賜物。先程まで恐怖感によって抑圧されていたたソレは、守る意思をトリガーとして遺憾なく発揮される。

 

 

「速いわけじゃねェんだ! このガキ、ギリギリで避けたァ……!?」

 

 

 ヒグマの指摘の叫び声が示した通り、ルフィは子ども特有の身軽さで条件反射のみで避けたに過ぎない。既にルフィは凡人ではない。非才の身へと転じつつある。

 

 ハンコックという類稀(たぐいまれ)な友だちと共に競いあった末に、ルフィはひとつ上の世界へと至った。その片鱗は目の前の大敵のみへと振るわれる。

 

「ゴムゴムのォーー(ピストル)っ!」

 

 

 未だ特訓最中の秘奥義を躊躇無く発動する。後方へ引いた右腕はゴムの特性に従い、反動で前方へと射出された。単なる拳ではない。伸びた腕の長さだけ威力を加算し、標的を打ち砕く強力な技。

 

 驚愕すべきは威力だけにあらず。着目すべきはその速さ。身のこなし自体は鈍足、されど空気をも押し退けて進む拳は只人(ただびと)の動体視力など置き去りにする。

 

 凶悪さだけで山賊としてのし上がって来たヒグマは、飛び抜けた身体能力や技術技能など持ち合わせてはいない。

 

 こと戦闘において凡人の域で足踏みするヒグマには捉えられぬ凶弾。防御など取りようもなく、ルフィによる怒りの鉄槌はヒグマの顔面を貫いた。

 

 

「ぐあァっ……!!」

 

 

 鼻を(したた)かに殴り付けられたヒグマは鼻血を噴き出しながらのけ反る。後頭部をまともに地面へと打ち付けて脳震盪まで引き起こした。

 

 

「すごいっ! ルフィ、そなたはフーシャ村の期待の星じゃ!」

 

 

 ハンコックは称賛を叫ぶ。本心では「自分だけのルフィ」という強い感情で彼を独占したい。が、その傲慢を必死に押さえつける。

 

 いまはただ、彼の活躍を応援する立場に甘んじるのだ。ルフィの男としての矜持を傷つけるのは野暮というもの。

 

 

「ぐっ! このガキ……化け物かっ……!」

 

「なんだ、おまえ。山賊(クズ)のくせに頑丈だな」

 

 

 ヒグマの意外な耐久力に驚くルフィだが、冷めた反応だ。関心が薄いのか局面への影響は軽微。倒れないのなら更に殴るだけだ。

 

 

「フザけたゴム野郎がっ……!」

 

 

 ルフィのゴム体質はヒグマへと異形に対する激しい怯えを生じさせる。ガタガタと歯を鳴らして顎が安定していない。

 

 

「そのフザけたゴム野郎にビビってるお前はカッコ悪いっ!」

 

 

 ここぞとばかりにヒグマを(けな)すルフィの幼児性。殺伐とした空気にユーモアを与える。ただしバカにされたヒグマは笑っていない。ハンコックだけが、その発言に同感とばかりに微笑を浮かべていた。

 

 

「もう一発、殴ってやるっ! それで終わりだっ!」

 

 

 再度、拳を打つ予備動作へと入る。1度見た程度ではヒグマの力量では避けられまい。ゆえに具体的な作戦なども不要。ルフィは既に自身の必殺技として確立した『ゴムゴムの(ピストル)』なる攻撃を、ヒグマ目掛けて一切の容赦なく放った。

 

 目をこじ開けて見極めようとしたヒグマの健闘むなしく、綺麗な直線を辿った固く握られた拳を、またもや顔に受ける。その衝撃はヒグマの意識を貪り尽くし、今度こそ地の底へと沈める。

 

 

「ししし! ハンコックっ! おれ、勝ったぞ!」

 

「ルフィ……。わらわは見届けた。そなたの勇姿を。そなたの強さを。そなたのカッコ良さを――」

 

 

 勝者たるルフィへと駆け寄るハンコック。友だち(シャンクス)を侮辱した男への仕返しは遂げられた。一時は自分らの身まで危害を加えられたが、その悪夢はもはや過去のもの。祝勝の歓喜はハンコックだけに留まらず、村長やマキノにまで波及する。他にも見物に集ったフーシャ村の人々。

 

 

「うそ、あのルフィが山賊を倒しちゃったの?」

 

 

 マキノは戸惑いを隠せない。縁起でも無いが、山賊の手に掛かれば子ども(ルフィ)の命など助かる見込みなどなかった。それが蓋を開けていれば、まさかの圧倒。「男子三日会わざれば刮目してみよ」という言葉もあるとはいえ、成長著しいにも程がある。

 

 まぁ、正確にはルフィはハンコックと共にマキノの酒場に入り浸っており、毎日顔を合わせてはいたのだが。それはマキノのご愛嬌ということで見逃される事柄だ。

 

 宴でも始まりかねない空気――。しかし騒動の序盤でハンコックの覇王色の覇気によって意識を手離したヒグマの手下達。そんな彼らが次々と息を吹き返した。自分らの頭領が地面で無様に倒れている有り様を目にして状況の一端を察する。

 

 誰が手にかけたのかまでは特定に至らずとも、8百万ベリーもの賞金首を倒し得る用心棒がフーシャ村には存在するのだと解釈する。手下の1人が気付けのつもりなのか、ヒグマの肩に手を当てて揺さぶる。

 

 

「う、うう……。くそっ……なにがなんだかワケが分からねェ」

 

 

 意識を取り戻したヒグマは手下に対して心中を吐露する。耳にした手下の男も困惑しながらも、ヒグマの指示を待つ。

 

 

「はァはァ……。あのガキ共は……おれに恥を掻かせやがった。なんとしてもブッ殺せっ!」

 

 

 手下達に指示を出した当人は、ルフィに殴られた後遺症で満足に身動きを取れないのか、その場でぐったりとしている。だが刃物も携えた手下達が十数名もの群れとなってルフィとハンコックを殺さんとして復讐に走った。

 

 

「ルフィっ! これは……まずいっ……!」

 

「わ、分かってるけど! あんなにいっぺんに相手はムリだっ!」

 

 

 予想外にも立場は逆転し、優位からは転げ落ちてしまった。怒涛の勢いで迫る山賊。せめてもの抵抗としてルフィは十八番となったゴムゴムの(ピストル)を撃ち込むが、たった1人分しか戦力は削れなかった。

 

 ハンコックとて抵抗の灯火は途絶えていない。鍛えに鍛え上げた足技を披露することで奮戦とする。身長こそ7歳でしかない女児ゆえに低いが、比較的脚の長い彼女だ。脚が鞭のようにしなりを持って山賊らの脛を殴打する。

 

 人間の急所たる脛を蹴られたとあってか、その場で飛び跳ねて酷く痛がる数人の山賊。さりとて残存する山賊の数は10人を超える。

 

 

「あのガキィ……。無駄な抵抗なんぞしやがってっ……!」

 

 

 ヒグマが悔しげに戦況を観察している。観察対象たるハンコック達。この戦局を覆す手立てが無い。これ以上の抗戦にどれほどの意味があるのか。そんな弱気にまで陥っていた。

 

 

「だがもう終わりだっ……。へへ、このガキ共を始末したら、死体をあの海賊共に送りつけてやるっ!」

 

 

 見せしめにしても残虐に過ぎる。ヒグマという男が8百万ベリーもの懸賞金を懸けられた由縁とも言えよう。このままヒグマが野放しとなっては、いずれは懸賞金を更に上げて陸だけでなく海にまで名を轟かせかねない。

 

 やがて体力の尽きたルフィとハンコックは背中合わせとなって地面へと座り込む。まだ諦めたくはない。大事な物を守る為、大切な人を守る為。そんな理由から始まった戦い――。

 

 しかし、世界は非情に非道。悪辣こそが栄え、志を持つ無垢な子どもを滅ぼす。なんたる無情――。

 

 

「ルフィっ! ハンコックちゃんっ!」

 

 

 マキノの悲鳴染みた叫び声が飛ぶ。

 

 

「た……頼む! その子たちを見逃してくれっ! 金なら払うっ! 酒だっていくらでも用意するっ!」

 

 

 村長が子どもらに代わって命乞いをする。

 

 だが山賊は止まらない。殺す事でしか事態は解決しないとばかりにニヤつきながら、2人の幼子の首を()ねんとしている。刻限は近い。残り数秒もすれば、この世から夢を持って生きる若い命が消える……。

 

 

 そして山賊たちは舶刀(カットラス)をルフィとハンコックの命を切り落とし――

 

 

 パンッ……!

 

 

 ひとつの銃声が鳴り響く。合図も無ければ前兆も無い。しかしてもたらした結果は、大いなる可能性を持つ命を救う奇跡。

 

 山賊の1人が死んでいる。頭部を銃弾で貫かれての即死だ。体から力の抜けた亡骸は山賊たちへの警告だ。それ以後の動作ひとつとして許さない。死を用いた宣告である。

 

 

「覇王色の覇気を近海で感じたもんで何事かと思えば……」

 

 

 その男――赤髪のシャンクスは堂々たる行進で、仲間共々救世主が如く姿を現した。彼の隣には銃の名手ヤソップが、山賊へ向けて不敵な笑みを浮かべている。次は――無い。そう告げているかのようだ。

 

 

「ハンコックだけでなくルフィまでもが王者の資質を持っているとはな」

 

「か、海賊っ……! て、てめェ! いったい何の用があって来やがったっ……!」

 

 

 ヒグマが吠える。

 

 

「お前はあの時の山賊か……。なるほどな、ルフィに殴られて鼻血を流してんのか」

 

「うるせェっ……! ガキ相手だから油断しただけだっ……!」

 

 

 実際のところは油断などしていない状況で殴打を許したのだが、見栄を張ったヒグマはそれを認めない。

 

 

「しかし山賊……。おれは怒っているんだ。この状況にな……」

 

 

 静かなる烈火――。見かけ上からでは読み取れないものの、彼の中では行き場のない怒りが込みあがっている。

 

 

「ルフィ、ハンコック。2人とも無事か?」

 

「シャンクスっ!」

 

 

 ルフィは長らく不在であった友だち(シャンクス)の突然の登場に心臓が高鳴る。嬉しさと驚きの同居した熱い感情が生じたのだ。

 

 

「シャンクス……!」

 

 

 ハンコックが安堵の息を漏らす。彼ならば、この絶望を覆してくれる。信頼が希望を手繰り寄せる。

 

 

「少しケガはしているようだが、良かった。生きていてくれて。待ってろ、いま助けてやる」

 

 

 その言葉に2人の心がどれほど救われた事か。これまでに蓄積した恐怖など一瞬で霧散した。自分達の友だちは、きっと助けてくれる。いかなる悪鬼であっても打ち倒すのだと信じているのだ。

 

 

「おれはな山賊。酒をかけられようが唾を吐きかけられようが、べつにどうでもいいんだ。むしろ笑いのネタとして宴の足しにでもするさ」

 

 

 ヒグマへと語るその口調は空気を凍りつかせるほどに冷たい。いまのシャンクスは蛇だ。睨まれた(ヒグマ)など命を諦めたかのように固まっている。不動の極みである。

 

 

「だがな!! どんな理由があろうと!! おれは友達を傷つける奴は許さない!!!!」

 

 

 その語りの直後、シャンクスより放たれたのは殺気ではない。けれど稲妻を彷彿とさせる爆音が波動となって山賊らを襲撃する。

 背筋をピンッと伸ばして天を仰いでから意識を手離す山賊ら。その場で意識を保っている者はヒグマただ1人。手足を地面へと着いて呼吸すらままならない。

 

 

「お前の手下は今日いっぱいは意識を取り戻さない。だが……山賊、お前は割と丈夫だな?」

 

「てめ、えェ……。ガキ共と同じトリックを使いやがってっ……!!」

 

「今の()()に耐えたのは正直なところ意外だった。さすがは8百万ベリーの首。この東の海(イーストブルー)でも陸ともなれば猛者が居るらしい」

 

 

 覇王色の覇気――。ハンコックやルフィのソレとは桁違いに強力で練度の高さ。心の弱い者では意識を保つことさえ困難を窮める。だがゴア王国における山賊界の王とも呼ばれるヒグマは、惨めを晒しながらも意識を捨てず耐え切ってみせた。

 

 この事実はシャンクスをして感嘆させるほどの価値を持つ。だがシャンクスはヒグマを許さない。逃しもしないし、ケジメを取らせるのだ。

 

 

「おれを……殺すのか……?」

 

「ケジメのつけ方は、お前が決めることじゃないだろう?」

 

「ま、待てっ……! 先に仕掛けて来たのは、このガキ達だぜっ!!」

 

 

 必死に弁明するヒグマ。冷や汗は止まらず、目の前の海賊がルフィやハンコック以上の化物へ見えてきた。

 

 

「どの道……賞金首だろう。おれの友だちに手を出しておいて助かると思うな」

 

「ぐっ…………」

 

 

 それは命への決別を勧める言葉。シャンクスは海賊としてヒグマを殺す――。

 

 

「スゲェ……。言葉だけで山賊を……」

 

 

 ――追い詰めている。ルフィでは成し得ない海賊としての力。強い海賊はこんな芸当まで出来るのかと、俄然憧れを強める。 

 

 

「わらわもいつか……」

 

 

 ハンコックはシャンクスの強さを羨む。自分も彼の域に到達し、海賊としての高みへと駆け上がりたい。未来の好敵手(ライバル)として勝手に定める。

 

 

「っち……! 山賊王(おれ様)をナメたことを後悔させてやるっ……!」

 

 

 負け惜しみ染みた発言の直後のこと。懐からなにやら取り出したヒグマは、それを地面へと叩き付ける。モクモクと一帯へと広まる白煙。瞬く間にヒグマの姿を覆い隠し、シャンクスの視界から逃れる。

 

 

「来いガキ共!!」

 

「うわっ! なにすんだっ!」

 

「離せっ! 薄汚い手で触れるなっ!」

 

 

 疲弊しきった子ども2人の首根っこはヒグマによって掴まれ、何処(いずこ)へと連れ去れる。ルフィとハンコックはわけも分からぬまま引き摺られ、遠くにシャンクスの慌てる声が聴こえた。

 

 

「へへ、海へ逃げるんだっ……! いつかあの海賊共に報復してやるっ……!」

 

 

 独り言だけは一丁前。復讐を誓う口上はルフィの心をざわつかせる。

 

 ヒグマは港につけられたボートに勝手に乗り込んで海へと出る。奇しくもそれはルフィとハンコックにとって初めての船出。こんな最悪な形での夢の実現に、2人からは涙が溢れる。

 

 視界の端にレッド・フォース号が遠ざかってゆくのが見える。あの船ならば――こんなに悲しい気持ちにはならなかったのに……。

 

 

「おい、ガキ共。お前らはもうスタミナ切れで動けねェようだな?」

 

「うるせェ! 1回、おれに負けたくせに生意気だっ!」

 

「そうじゃっ! 貴様など雑魚じゃっ!」

 

「言ってくれるねェ……。だがおれを悪く言うのも大概にしとけ」

 

 

 ハンコックの言う様にヒグマは雑魚だ。しかし、それはあくまでもシャンクスと比べてのこと。比較する対象の相手が悪かっただけなのだ。それに加えて、ヒグマは体のタフさにかけては自信がある。身体能力こそ並だが、回復力に関してはゴア王国限定とはいえ山賊王を名乗るだけのことはある。

 

 

「さて……。テメェらはもうここで終わりだ。あばよ、57人目と58人目の犠牲者」

 

「なにをするつもりじゃっ……!」

 

 

 もう用は済んだとして、ヒグマはハンコックを蹴り飛ばしてしまう。宙を舞うハンコックは自身を襲う悲劇を認識出来ていなかった。あまりの非現実さに理解が置いてきぼりにされる。

 

 

「ハ、ハンコーーーーーック……!」

 

 

 ルフィが名前を呼ぶ。いつも傍に居てくれた愛おしい男の子。彼と出会ってからの日々は、ハンコックの人生に幸せをくれた。

 

 恩人であり、友だちであり、大好きな人であり、愛している人――。

 

 

「ルフィ……貴方と出会えて……わたしは幸せだったよ……」

 

 

 別れ――。海面へと叩きつけられた後に沈むハンコックは直前に遺言を残す。きっと彼も山賊の手によって命を落とす。後を追ってくるのだろう。

 

 けれど死後の行く先が同じなのかは分からない。辿り着く先が不明な以上、今生にて別れを告げるしかないのだろう。

 

 

「フザけんなっ! お前が死ぬことは、おれが許さねェ……!」

 

 

 だがルフィは一味違った。悪魔の実の能力者である彼は泳げぬ身のはず。だというのに彼はボートから海へ飛び込み、沈みゆくハンコックを追う。

 

 

「ははははははは!!!! あーはっはっはっは!! おれが手を下すまでもなく、あのガキ自殺しやがったよっ! これじゃぁおれは57人殺し止まりだなっ! はははははははっ!」

 

 

 山賊のおぞましい笑いが海へ響く。それは悪魔の如し、悪辣の象徴、悪意の塊――。

 

 

 

 

 そして海中――ルフィはハンコックの下へ辿り着く。死後の世界で離ればなれになるかもしれない不安を消し飛ばすべく、力の入らない体なりに精一杯ハンコックを抱き締める。

 

 

「(ルフィ……。どうして……。ううん、わたしは嬉しいよ……)」

 

「(ハンコックを1人にはしねェ……。死んでもずっと一緒だ。放さないっ……!)」

 

 

 死へと向かうなかでの抱擁は、たしかに2人の間を繋いだ。死ぬことは怖い……。されど、心細さなどない。この不条理には悲しみながらも、それでもルフィとハンコックは――共に在った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてとガキは始末したんだ。頃合を見て陸へ戻るとするか……。っち、体が痛ェな」

 

 

 奪った命のことなど早々に忘れたヒグマは海賊への復讐の算段を立てる。手下はどうせ海賊共に殺されたか、良くてゴア王国の牢獄へ収監されている頃だろう。だが生きてさえいる限りは何度だって這い上がってみせる。

 

 

「ん……? やけに海が騒いでやがる」

 

 

 違和感を覚える。波の揺らめきが大きい。時より海中に巨大な影が動きをみせ、不気味な様相。数秒ほど経過を観ていると――。

 

 海水を巻き上げながらソレは現れた――。

 

 

「な……なんだこの怪物はっ……!」

 

 

 刺々しい牙を口内に揃えた大型の海洋生物がヒグマの前に突如として姿を見せる。ギラついた眼光がヒグマをエサとして捉え、有無を言わさずにボートごと飲み込んだ。

 

 

「ぎゃああああああああああーーーーーっ!!!!!」

 

 

 咀嚼の最中に四肢を噛み砕かれるヒグマの断末魔――。因果応報といった具合で、ルフィとハンコックの命を奪った悪党は滅された。

 

 

 その獰猛な海洋生物――偉大なる航路(グランドライン)より東の海(イーストブルー)へと迷い込んだ海王類と呼ばれる生物。次なるエサを海中へと見出す。

 

 人間の子どもが2人――接吻をしたまま海底へと沈む最中(さなか)である。みすみすエサを逃すまいと海王類は大口を開けて――。

 

 ルフィとハンコックを呑み込んだ。小さな体は海王類の鋭利な牙をすり抜け、舌の上へと転がる。

 

 満足げに海面へと顔を出した海王類。されど次なるエサをまたもや見つける。赤髪の海賊風の男が時間に追われるように必死に泳いでいた。

 

 海賊にしてルフィとハンコックの友だちであるシャンクスだ。海王類の眼前で止まったかと思えば口を開いた。

 

 

「ルフィとハンコックは……あの中か。まだ聴こえる……。あいつらの声が」

 

 

 生命の反応を感じるのだ。物理的な音ではない。感覚的なもの。見聞色と呼ばれる覇気が、ルフィとハンコックの生存を知らせるのだ。

 

 

「何故ここに偉大なる航路(グランドライン)の海王類が……。いや、そんなことはどうでもいい。おれの友だちを……返してもらおう」

 

 

 直後、シャンクスは拳を海王類の鼻先へと押し当て――衝撃が波打ちながら顎を破壊する。とある国では流桜(りゅうおう)と呼称される技術だ。

 

 そして痛みのあまり口をだらりと開けた海王類は、舌の上のルフィとハンコックを海へと投げ出す。

 

 反動で散り散りに海面へと飛んだルフィとハンコックの身を保護するべく、シャンクスは海面を進むが――危害を加えられたことで激昂した海王類が満足に動かない顎にも関わらず、再びエサを回収すべく本能に従い動く。

 

 

「しまった……! ルフィが危ねェ……!」

 

 

 ハンコックは既に腕の中に抱いている。だが、残るルフィの身は海を漂ったまま。沈むのも時間の問題だが、それよりも早く海王類が捕食してしまうことだろう。

 

 

「おれはルフィに――新しい時代に懸ける――」

 

 

 その真意は如何様なものか――。開かれた口が閉じる間際に左腕を突き出してルフィの前へと躍り出る。シャンクスの左腕に牙が突き刺さり、今にも切断されかねない。

 

 

「あ、あれ……シャンクス……」

 

 

 左腕に海王類を噛みつかせたままのシャンクスを目覚め際に見るルフィ。ルフィと共に右腕に一緒くたに抱かれているハンコックの姿を発見する。

 

 

「少しジッとしててくれ、いまコイツを追い払う」

 

 

 中々、噛み千切れない人間の腕に躍起になった海王類は顎の状態など無視して、(つい)ぞ――シャンクスの左腕を切り離して喰らう。

 

 されど痛みすらも友だち(ルフィとハンコック)の為ならば(いと)わないシャンクス。ただ一言だけ発するのだ。

 

 

「失せろ――」

 

 

 シャンクスの瞳は殺意をも超えた死そのものを視線に乗せて海王類を突き殺す。覇王色の覇気に乗算されたのは友だちを傷つけられた人間の感情。

 

 神罰をも凌駕する裁きが海王類の生存本能を弄り(なぶり)上げ、やがて深い海の中へと消失させた。シャンクスから受けた流桜による深いダメージを負って――。

 

 

「恩にきるよ、ルフィ。ハンコックと一緒におれのことを庇ってくれたんだってな? マキノさんから全部聞いてる」

 

 

 平穏を取り戻した近海。涙ぐむルフィはシャンクスの顔を見つめているだけで心が張り裂けそうになる。

 

 

「おれ達の為に戦ってくれたんだろ? ハンコックと一緒に良く頑張ったもんだよ」

 

 

 ルフィは言いたいことが山ほどある。気持ちが暴れて落ち着かない。

 

 

「それにハンコックが生きているのはルフィの頑張りのお陰だ」

 

 

 ルフィがハンコックを放さずにいたからこそ、その命はこの世界に保たれた。意図しての行為というよりは、本能で動いたようなもの。けれど結果として深い愛情が命を拾ったことになる。

 

 

「おい泣くな。男だろ? ハンコックの前なんだ、我慢しろって」

 

 

 ハンコックは眠っている。命に別状は無い模様だが、目まぐるしい状況の変化による疲労が頂点に達しているのだろう。まだ目覚めるまでに時間を要する。

 

 

「……だってよ……!!」

 

 

 もう我慢など出来るものか。ルフィの涙腺は決壊し大声と共に落涙を始めた。

 

 

「腕がっ!!!!」

 

 

 ルフィの憧れる友だちの左腕が無くなっている。それも自分達を助ける為の犠牲だ。

 

 

「安いもんだ。腕の一本くらい……。それよりも――ルフィとハンコックが無事で良かった」

 

 

 それはシャンクスの本心だ。後悔など無い。だから悲しみも無いし、腕よりも大切な者を守り通せた。この至福こそ宴を開くに相応しい。そう笑うシャンクス。

 

 

「うわああああああああああああああああ」

 

 

 そしてルフィは慟哭する。1度は死んだはずの命を拾われた。感謝もするが、それ以上に押し潰されそうなほどの罪の意識が(さいな)んでくる。しかし――そんな罪さえも、あろうことかシャンクスは許してくれると言った。

 

 もうルフィは――返しきれない恩をシャンクスから受けてしまった。

 

 

「ルフィ……どうして泣いているの……?」

 

 

 ハンコックが目覚める。泣き叫ぶルフィの姿が、あまりに痛々しい。

 

 

「ルフィが……わたしを助けてくれたんだよね……?」

 

 

 その言葉を受け取らないルフィ。頭を横に振って否定した。しかし、あの時……ルフィがハンコックを抱き締めていてくれなかったら、きっと今頃は本当に死んでいた。

 

 

「おれはっ……!! なにもできなかったっ……!!」

 

 

 ハンコックには理由が分からない。助かったというのに悲しみに暮れるルフィの身について――。

 

 

「あれ、シャンクス……?」

 

「おお、ハンコック。目覚めたか! 良かった、ルフィ共々元気そうでな」

 

「うん……」

 

 

 ただ頷く。何故、この場にシャンクスが居るのかは分からない。けれどきっと友だちだから助けに来てくれたのだろう。

 

 ハンコックだけが真実を知らない。だからルフィを慰める。

 

 

「ルフィ、わたしは……わらわは――そなたに命を救われた」

 

「うう……」

 

 

 泣きじゃくるルフィ。

 

 

「だから……感謝をしておる。礼としてはささやかではあるが、帰ったらわらわの胸の中で存分に泣くが良い……」

 

 

 海賊女帝に相応しい風格がハンコックを包む。母性染みた優しい声がルフィの心へ染み渡るのだ。

 

 

「ハン……コックゥ……!!」

 

「村に帰ろう、ルフィ……。皆が待っておる」

 

「…………うんっ……!」

 

 

 

 すぐに事実を知る事になるハンコック。しかし今は帰るのだ。マキノが居て、村長が居て、村の皆が居て――。当たり前の日常へと戻るべく。

 

 そしてルフィ――真の意味での海を知った。苛酷さであったり、己の非力さであったり――。

 

 一番に感じることがある。シャンクスという偉大な男についてだ。彼のような強い男に成りたい。いや、成りたいのではない。絶対になるのだと心に誓うのだった――。



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10話

今話にてオリキャラが1人だけ登場します。苦手な方はご注意下さい。


 村へ帰ると大騒ぎとなっていた。なにせ生存が絶望視されていたルフィとハンコックが五体満足で帰ってきた上に、シャンクスが片腕を失くしていたのだから。

 

 気持ちが落ち着いてからルフィから事の真相を聞かされたハンコックは泣き崩れ、シャンクスに謝罪しようとするも――踏み留まった。

 

 彼は恩を売るつもりではなかったのだと直前になって察する。礼を返すというのなら、自分達が大成した時に酒でも奢るべきなのだ。悪魔の実の件も含めて。

 

 さて、赤髪海賊団内での話題は船長が片腕を落としてきたことよりも、ルフィとハンコックの無事が優先されていた。清々しい程にシャンクスの仲間は腕のことなど気にした風でもない。

 

  ますます、シャンクスを含めた彼ら一味の懐の深さを思い知らされるルフィ達であった。

 

 療養するシャンクスは本来安静にすべきなのだが、フーシャ村の村人をも巻き込んで宴を開いていた。酒こそが一番の良薬と言いたげな顔。

 

 苦い顔をする村長も村の子どもが救われたとあっては、このどんちゃん騒ぎを咎めようがない。そんな宴も連日のように続き――1週間もの日にちが経過した。

 

 

「そっかー、この船出で村へは帰って来ないんだな?」

 

 

 ついに迎えた別れの日。寂しげにルフィは確認を取る。

 

 

「寂しくなる……。そなたとはまだ酒も酌み交わしておらぬし」

 

 

 未成年だから飲酒は禁止されている、などとは言うまい。

 

 

「海賊なんだ。海を渡り、島々を転々とする自由な生き方は止められねェ。この別れもひとつの自由の結果さ」

 

 

 一方で名残惜しさなど微塵も感じさせぬ態度のシャンクス。ただしフーシャ村で出来た友だちとの出会いに関しては、素直に良き事として笑顔で挨拶をしている。

 

 

「で、お前らは海賊になるのか?」

 

「なるっ!」「なろうっ……!」

 

 

 海賊を夢見る子ども達の決意が重なる。他でもない最高の海賊に向けての決意表明だ。

 

 

「おれはシャンクスよりも強くなるっ! ベックマン、ルウ、ヤソップにも負けない仲間を集めて――財宝だって見つけてやるんだっ!」

 

「わらわとて同じ覚悟じゃ。ルフィと共にこの海を越えてゆく。誰にも負けぬ無敵の強さで敵を打ち破り、シャンクスにも酒飲み競争で勝ってみせるつもりじゃっ!」

 

 

 意思は固い。この信念とも呼べる感情は、しかとシャンクスという海賊へと届いた。そしてルフィたちは重ねて言う――。

 

 

「おれは――海賊王になってやる!!!!」

 

 

 威勢の良い叫び。しかして、その未来は妄想では終わらない。続いてハンコックも告げるのだ。

 

 

「わらわは――海賊女帝になろうっ!!!!」

 

 

 宣言は果たされた。シャンクスを始め、一味はその宣言を海賊として受け止める。

 

 

「おれ達を越えるのか」

 

 

 心底楽しそうに、そして未来を待ち焦がれるように微笑んでいる。

 

 

「じゃあ……この帽子をお前に預ける」

 

 

 夢を語る少年の身長に合わせるように膝を屈めたシャンクスは、自身が常に被っていた麦わら帽子を――ルフィへと被せる。様々な想いが乗っているのだろう。託したモノを言葉など言い表すには全てが不足している。

 

 

「おれの大切な帽子だ」

 

 

 麦わら帽子を被せられたルフィは、もう我慢など止めた。友だちとの別れに悲しみ涙を流し、しかして託された物の重みをその身に感じる。

 

 

「ハンコック、すまんがお前に渡せるものは無さそうだ」

 

 

 申しわけ無さそうにシャンクスはハンコックへ謝る。けれどハンコックは既に彼から大切なモノを受け取っている。海賊としての憧れ――からは既に脱した。憧れでは終わらせない。超えるべき高みとしてシャンクスを定める。

 

 

「受け取るべきモノはルフィが受け取った。わらわはルフィの副船長じゃ。ならばそれで十分よ……」

 

 

 ルフィこそがハンコックという少女の全て。彼の夢は少女の夢であり、苦楽すらも共有する。だからこれ以上、シャンクスから受け継ぐものなど必要ないのだ。

 

 

「そうか、お前は副船長の鑑だな」

 

 

 納得した風に頷いたシャンクスはハンコックを一端の海賊として認める。幼くともハンコックは、もう既に海賊への道を歩みつつあるのだと認識した。

 

 

「いつかきっと返しに来い」

 

 

 シャンクスは約束を果たせと告げる。

 

 

「立派な海賊になってな」

 

 

 確信しているからこそ、シャンクスは期待の込められた言葉をルフィへと掛ける。

 

 

 ルフィは涙をハンコックに見せたくはないのか、麦わら帽子で顔を覆い隠す。けれど帽子のつばの下から、(いかり)を上げて帆を張るレッド・フォース号を窺う。

 

 出発の掛け声と共に村を出航する海賊船を静かに見送った。後腐れなど無い。もう(すが)ったりもしない。だっていつかの未来、再開を果たすのだから――。

 

 

「ルフィ、そなたは強くなる……」

 

「ハンコック……?」

 

 

 ハンコックは相棒へと語りかける。

 

 

「シャンクスよりも――かつての海賊王(ゴールド・ロジャー)よりも――。わらわの船長(ルフィ)は、どの海賊をも超える世界一自由な海賊となるのじゃ」

 

「ししし! ハンコックはおれがどんな海賊に成るのかを良く知ってんだなっ!」

 

 

 笑う。ハンコックこそルフィ最大の理解者であると。言葉にせずとも、何もかもが伝わり、分かり合える。そんな特別な間柄。

 

 

「おれもハンコックがどんな海賊になりてェのか知ってんぞ。ハンコックは強くて美しい女海賊になりたいんだよなっ!」

 

「ひとつ抜けておるぞ、ルフィよ」

 

 

 肝心な部分が欠落している。それは強さよりも、美しさよりも優先されるべきこと――。

 

 

「わらわは――恋をしたいのじゃ」

 

 

 そう、海賊女帝とは恋に生き、恋に終わる乙女を指す。かつての海賊女帝グロリオーサがそうであったように。そしてハンコックはそこでは終わらない。悲恋で終わったグロリオーサよりも先へと至るのだ。

 

 

「そっかー、うん。おれは応援するぞっ!」

 

「むむむ……、上手く伝わらぬものじゃな。しかし……恋とは試練の連続。ルフィよ、覚悟しておくことじゃっ!」

 

 

 ハンコックの恋焦がれる相手はルフィだが、当の本人のあまりの鈍感さには頭が下がる。ゆえに乙女は海賊としての生涯をかけて、未来の海賊女帝(ハンコック)として未来の海賊王(ルフィ)へと挑み続ける――。

 

 

 

 

 

 ――ドーン島近海――

 

気候は安定し、最高の船出日和。レッド・フォース号は偉大なる(グランドライン)へ向けて航行中である。そんな一隻の船長たるシャンクスは早速、宴でも始めて新たな旅を祝わんとしていた。

 

 

 しかし、部下の1人が海上にて「9時の方角に敵船発見!」と報告を寄越してきた為に中断となった。双眼鏡で海賊旗を見れば――髑髏を取り囲むように九匹もの蛇が配置されている。

 

 その旗を掲げる一団に、シャンクスが心当たりがあった。部下に古い馴染みであると明かす。

 

 部下に指示を飛ばし、船を寄せる。肉眼でも見える距離まで接近したところで、件の敵船とやらの正面にチロチロと舌先を動かす巨大な蛇が二匹。馬車馬のように船を引いているようだ。

 

 遊蛇(ユダ)と呼ばれるその生物は体内に猛毒を持ち、いかなる海王類でさえも毒を避けて襲わない。

 

 そしてシャンクスの視界の中で1人の女海賊が堂々たる姿勢で遊蛇の頭上に立っていた。

 

 

「よう、久しぶりだな。個人ではともかく、九蛇海賊団船長としてのお前と会うのは初めてか?」

 

 

 気さくに話しかけるシャンクス。彼の旧知の人物である。声を掛けられた一団の船長は、敵対の意思などは持っていない様子で、話に応じる。

 

 

「うむ、久方ぶりである。しかし(なんじ)、その片腕は? いかようにして落としてきたのか」

 

「新時代に懸けてきたのさ。ロジャー船長に良く似たガキが居てな」

 

「なるほど、汝が饒舌になるほどの(わらべ)が居たと」

 

 

 その女性は黒髪の長身。髑髏を被った大蛇のサロメを侍らせ、シャンクスをして美しいと謂わしめるほどの美貌。素肌の露出の多いはだけた民族衣装を纏い、王者の風格を放つ。

 

 存在するだけの有象無象の輩が自ら平伏すほどの威圧感。九蛇海賊団を率いる船長というだけのことはある。

 

 

「しかし、やっぱりお前とハンコックは似てんな。こんな近海まで遠路遥々来たんだ。すぐそこの村に居るんだから、会っていけば良いだろうに」

 

「余があの娘の前へ名乗り出るには時期尚早である。既にあの娘は己が道を定め歩んでいるゆえに」

 

「そういうものか?」

 

「さようである」

 

 

 女海賊はシャンクスの指摘通り、フーシャ村で暮らす少女・ハンコックと似た容姿をしている。きっとハンコックが20年ほど歳を重ねれば瓜二つへと成長する。そんな面影が感じられた。

 

 

「話題を変える。汝に訊く、その片腕の有り様で鷹の目との決着は如何なるものとする?」

 

「あぁ、そこまでは考えてはいなかったな。そうなりゃあ、お前とも勝負が出来なくなっちまうな」

 

「遺憾であるが致し方無し――。ならば汝を除き、余と鷹の目とで決着を着けるものとする。汝に異存はあるまい?」

 

「構わねェよ。だがこれでおれ達の三つ巴の好敵手(ライバル)関係は終わりってことだな」

 

 

 その女海賊は四皇の一角であるシャンクスとは子どもの時分からの知己。お互いに海賊として未熟な新人(ルーキー)時代から競い合ってきた。いや、それ以前の時代――とある船で共に海賊見習いをしていた頃よりの関係だ。そして後年になって、『鷹の目』と呼ばれる人物も深く関わることになった。

 

 

「で、名乗り出るかどうかはともかく、顔くらいは見ていけよ」

 

 

 シャンクスの言葉を受けても女海賊は首を横に振る。その提案は承服しかねるとばかりに。

 

 

「あの娘の前に姿を現すわけにはいかない。余は()()()の恋路を邪魔立てする趣味など無いのだ。顔とて見聞色を用いれば、直接会わずとも見られよう」

 

「律儀だな。それが()()()()()っていう女の親心ってやつか?」

 

 

 ボア・ダリア――そう呼ばれた女性は未来の海賊女帝(ハンコック)の実の母親。シャンクスの語り口から、そう証明された。

 

 

「近くまでわざわざ船を出している辺り、自分の娘が心配だったんだろう?」

 

「当然である。余が若き頃、出産直後に我が娘が人攫いに遭ったのだ。ようやく行方が知れた頃には海軍の英雄(モンキー・D・ガープ)の庇護下にあったゆえ」

 

 

 海賊の娘と知れたら――娘が世間でどのような扱いを受けたものか。実際には海賊を志すハンコックをフーシャ村の大人たちは微笑ましげに受け入れられていたが、そんなことは外からでは分かるまい。

 

 

「だが安堵している。汝、ロジャー船長の麦わら帽子を、ハンコックの想い人に託したのであろう?」

 

「ああ、ルフィっていうガキに預けたんだ」

 

「ならば杞憂など不要である。汝ほどの男が片腕を懸けるほどの者であれば、我が娘の行く末は明るいものであろうな」

 

 

 そこで会話は途切れる。お互いに話したいことを話しきったとばかりに、自然と会話は終了する。

 

 

「じゃあ、おれ達はもう行く。お前も早めに離れた方が良い。いくらお前が()()()()()の一角とはいえ海賊なんだ。東の海(イーストブルー)に居ちゃ、政府や海軍に怪しまれるぞ?」

 

「忠告、痛み入る。しかして要らぬ世話である。余は権力になど屈しない」

 

「だはっはっは! ロジャー船長の船に乗ってた頃と変わらねェな、ダリアっ!」

 

「変わる理由があるとは思えぬゆえ」

 

 

 そこで両者の船は別れる。いずれ一緒に酒でも飲もうと約束を交わして。やがてシャンクス率いる赤髪海賊団はドーン島の海域から姿を消した。残されたダリアは娘を想って、そっと呟いた。

 

 

「ハンコック――。汝とは来るべき時に相見えよう」

 

 

 いつかの再会を予感する。赤子であった我が子は母親の顔など覚えては居ない。己の姓すらも知らぬことだろう。

 

 

 ボア・ダリア――王下七武海にして、アマゾンリリー現皇帝にして、ロジャー海賊団元船員――。赤髪のシャンクス及び道化のバギーの兄弟分。そして世界最強の剣士ジュラキュール・ミホークの好敵手(ライバル)

 

 されどそんな肩書きになど本人は興味など無い。彼女の見るものは、いつだって実子であるボア・ハンコック――。母娘として過ごした時間はほんの僅か。産後直後に1度だけ抱いて乳を与えただけ。

 

 

「ふふふ、娘の成長が楽しみである……」

 

 

 娘を想う母親は美しい――誰が言ったのか、ダリアも同感であった。自己陶酔している自覚は出来ている。けれども、この感覚は海賊女帝ボア・ダリアの心を震わせる。

 

 

「サンダーソニア、マリーゴールドよ。汝らの姪でもあるハンコックの成長が余は楽しみでならない」

 

 

 ダリアの語り掛けた相手は、彼女自身の妹達。長女であるダリアとは少しばかり歳が離れている為、2人とも十代半ばから後半と若い。

 

 次女のサンダーソニアは好む人を選ぶが、緑髪ので愛嬌のある顔立ち。三女のマリーゴールドは橙色の頭髪が特徴的。ダリアには及ばぬまでも、目が眩むほどの美人である。

 

 

「はい、姉様。ハンコックはきっと姉様の様な絶世の美女へと育つわ」

 

「ええ、姉様。私もそう思う」

 

「そうであろう、そうであろうっ!」

 

 

 上機嫌なダリア。王下七武海の一角にあっても、我が子の事となれば親バカへと転じる。

 

 

「ダリアよ……」

 

 

 浮かれ調子のダリアを注意するように豆のように小さな老婆が歩み寄る。

 

 

「グロリオーサ様であるか?」

 

「本当に良いニョじゃな? 我が子に会わずとも」

 

「良い。余が決めたことを1度でも覆したことがあろうか? 貴女様を国へ戻ることを許したのも、わらわの決定であったはず」

 

 

 老婆――グロリオーサは過去に国を捨てた身。そんな彼女は国を裏切ったとして数年前まではアマゾンリリーの島民より敵視されていた。

 

 だがグロリオーサは何処からか、ハンコックの所在を突き止め、その情報を手土産にダリアへ交渉。国を出奔した罪に対しての恩赦を与えられた。

 

 そしてダリアは国民の意見を押し切って、グロリオーサを皇女(ハンコック)の居場所を特定した功労者として迎え入れたのだ。

 

 国民の総意すらはね除ける権力と我の強さ。簡潔に言えば頑固者だ。

 

 

「そなたが構わ二ュなら、わしの口からもう何も言わニュ」

 

「ハンコックはグロリオーサ様の武勇に憧れている。いま会いに行っては娘を取られかねぬゆえ……」

 

「それが本音じゃったかっ……!」

 

 

 聞くところによればハンコックは絵本の主人公であるグロリオーサことニョン婆を尊敬している。なるほど、ニョン婆がグロリオーサであると名乗れば、母親を名乗るダリアなど軽視するかもしれない。

 

 ハンコックの海賊への道の妨げ云々は言い訳でしかなかったのでは? そう周囲には疑わせる。

 

 

「ふふふ、冗談である」

 

「そなたもお茶目じゃニャ……。いま一度、自身の歳を考えなされ」

 

「まだ27歳である。グロリオーサ様と()すれば、十二分に若かろう」

 

 

 若くはあっても成人済みで子持ち。お茶らけた一面がなりを潜めるには、もう数年ばかりを要するだろう。

 

 

「余は娘の行く末を遠くより見届けよう――」

 

 

 それでも――ボア・ダリアは我が子を想い続ける――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 フーシャ村の港では、ルフィとハンコックが海の水平線を眺めていた。既に海の彼方へと消えた赤髪海賊団の痕跡を探すかのようだ。

 

「行ってしまったようじゃ……」

 

「うん、でもいつか追いついてやるんだっ! 海へだってどこへだって、おれ達は自由に行けるっ!」

 

「ふふふ、それこそこの青い空に浮かぶ雲へでも行く勢いじゃな」

 

 

 冗談で空島の存在を示唆してみたが、世界は広い。ハンコックのような子どもが抱いた空想とて実在し得る。似たような話をシャンクスは沢山してくれたのだ。

 

 

「さて、ルフィ。わらわは今日からでも船出に向けて海に関する勉学に励むつもりじゃ」

 

「海の勉強?」

 

「そうじゃ。とてもではないが、そなたに航海術など理解出来ぬじゃろ? ルフィに代わって、わらわが最低限困らない程度には身につけるつもりじゃ」

 

「おお! ありがとな、ハンコック!」

 

 

 頼れるけど頼りない。そんな矛盾した少年の為にハンコックは、どんなことでも協力を惜しまない。

 

 ルフィはまるでヒモ男のようだが、そのマイナスイメージすら補って有り余る人間的魅力に満ち溢れていた。ハンコックとて見返りなど求めてはいない。ただ愛しているから尽くしたい。決してやりがいや労力の搾取で行動しているわけではないのだ。

 

 けれど時々、ルフィには甘えるだろう。これまでもこれからも――。

 

 

「おれは勉強が苦手だからなー。その分、うんと強くならねェと」

 

「ほう、頼もしい。わらわで良ければいくらでも付き合おう」

 

「いやー、ハンコックには何でもかんでも世話になるよ」

 

 

 褒めるつもりなのかハンコックの頭に手の平を押し付けてナデナデするルフィ。されどルフィに対する防御力の低いハンコックは、蕩けた顔でされるがまま。

 

 

「これじゃっ! わらわが求めてはおるのはっ!」

 

 

 至福の時。味わい過ぎてもなお飽きの来ない甘美さ。下手をすればこの世のどの財宝よりも価値の有る宝物。

 

 

「よし、腹も減ったしマキノんとこへ行こうっ!」

 

「あ、もう終わりなのじゃな……? ルフィよ、わらわを悶えさせおって……」

 

 

 まだ足りない。ルフィから向けられる好意を欲する。贅沢はハンコックとて控えたい。ただ、1度知ったら抜け出せない悦楽がルフィにはあった。

 

 

「そなたは自由すぎる……。それもまたわらわを惚れさせる理由ではあるが……」

 

 

 そんな砂糖てんこ盛りな甘い戯れを終えて、最後に海を一瞥(いちべつ)する。

 

 

()な視線を感じる……」

 

 

 そして気づく。水平線よりも向こう。何者かの視線を感じるのだ。普通に考えれば水平線より先など肉眼では見通せない。されど肌に感じるこの視線――。

 

 

「ルフィは何も感じぬか?」

 

「べつになんも感じねェけどなー」

 

「わらわの思い過ごしか……?」

 

 

 不可解ではあるが、不快感は不思議と抱かない。どこかこう包み込むような温もり。言い得て妙ではあるが、監視されてるようで、はたまた見守られているようにも感じる。

 

 

「まあよい……。わらわは疲れているようじゃ」

 

「腹も減ってんじゃねェか?」

 

 

 ルフィのなんであれ食べ物に話を繋げる性格や食欲の旺盛さは誰譲りだろうか。やはりガープの血が彼を食事へと駆り立てるのだろう。

 

 さて疲労に関して思い当たる節といえば――たとえば赤髪海賊団が寄港してからの1年間は多くの出来事があった。

 

 その大半はルフィとの思い出ではあったが、肉体的にも精神的にも負荷が溜まっていたらしい。

 

 今日という別れの節目を迎えて、どっと疲労が湧いてきたのだと結論付ける。

 

 

「ルフィの為に学ぶべき事は多い。しっかりせねば――」

 

 

 気を引き締めて海へと誓う――。自然とルフィの手を取って、有無をも言わさず強く握る。キョトンとしたルフィの表情は間が抜けていたが、それもまた可愛げがあるとしてハンコックは身悶える。

 

 

「海の向こうには、わらわの親もいるのだろうか」

 

 

 ふと考える自身のルーツ。母なる海から、つい連想してしまった。奇しくもルフィも自身の両親の名前も顔も知らないとのこと。

 

 唯一の肉親である祖父(ガープ)は、職業柄、傍には居ない。ずっと遠くで日々海賊らと戦っているのだ。

 

 

「ならば、わらわが傍に居れば良いだけのこと。ルフィの心の隙間はわらわが埋める!」

 

 

 独り言――の割にはルフィにも聴こえる声量。事実、聞かれても構わないと思ってさえいた。

 

 

「隙間ってなんだ? 胃袋の隙間ってことか? さっきから腹が減ってしょうがねェんだ!」

 

「マキノの酒場へ行くのじゃったな。引き留めてしまってすまぬ」

 

「メシの時間だっー!」

 

 

 食い意地の張った少年が走り出す。伝わらない気持ちにもどかしさが全身へと張り付く。ルフィのことが嫌いになれない自分(ハンコック)はもまた、欲深いものだと自嘲する。

 

 欲張ってでもルフィに甘えたい。甘えて、甘やかされたい。完璧に依存しているのだと改めて自覚を持つ。一生ものの病気だ、これは。病巣は心の内に深く強く根付いている。

 

 ルフィという男の子ことを想うだけで胸が温かくなり、顔は熱く紅くなる。

 

 

「おーいっ! 一緒に行こうっ!」

 

 

 数十メートル先から呼び声と共に伸ばされたルフィの手。ハンコックの首根っこを掴むと、反動で収縮する。勢いをつけてハンコックの体はルフィの腕の中に収まる。それは抱擁。

 

 ああ、そういえば……と思い出す。山賊によって海に蹴り落とされ、深い海底へと沈みゆく中でもルフィは追いかけて抱き締めてくれた。

 

 冷たい海の中に在っても、体の芯から温めてくれる彼の心は――ハンコックにとっては太陽そのものだ。眩しくて、触れるには熱すぎる存在。それでも自然と彼に触れている。

 

 

「ルフィ……。そなたは温かい」

 

「今日は良い天気で寒くないぞ? おかしなハンコックだなァ」

 

「ふふふ、そうよ。わらわはおかしいのじゃ……。だから、しばらく。このままで居させて欲しい。ルフィの腕の中に」

 

「おれ、すっげェ腹減ってんのになー。まー、ハンコックの頼みなら聞いてやるよっ! おれもハンコックが傍に居てくれねェと退屈で死んじまいそうだしなっ!」

 

 

 ルフィの食欲に勝った――。この勝利はハンコックの女としての自尊心(プライド)を強固なものとする。甘えたい欲に従い、我慢する事を止めたがゆえに勝ち得た成果。

 

 なによりも一番にハンコックの幸福感を象徴したモノは、ルフィに求められたという事実である。ハンコックが居なければ死ぬ――そう語ったのは他でもないルフィ。

 

 

「(つまりルフィは……わらわにプロポーズしたのじゃなっ!)」

 

 

 拡大解釈と一蹴することなかれ。感情的な意味合いさえ無視すれば、ルフィの人生にはもはやハンコックという少女の存在は必須。いま仮にルフィからハンコックを引き剥がしてしまえば、恐らくは人生から色が抜け落ちて生きる希望さえも喪失するだろう。

 

 海賊になる理由も、その頂点である海賊王になる夢も既にハンコックの存在と紐付けされている。彼女が隣に居てこそ、ルフィはメシも旨くなるのだ――。

 

 

「(ルフィの為に毎日味噌汁を作らねばっ……!)」

 

 

 どこぞの島国の朝の習慣に倣い、ハンコックはルフィの妻たらんとして決意を固めるのであった――。




オリキャラの簡易プロフィールです。

『ボア・ダリア』
年齢:27歳(原作開始10年前時点)
肩書き:王下七武海、アマゾン・リリー皇帝、ロジャー海賊団元船員(海賊見習い)
所属:九蛇海賊団船長

ハンコックの実の母親

ダリアの外見は原作のボア・ハンコックと瓜二つ

サンダーソニアとマリゴールドはダリアの妹で、当作品においてはハンコックの叔母という設定です。


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コルボ山の悪ガキ4兄弟妹
11話


――コルボ山 山道――

 

 その突然の来訪者はハンコックの心に戦慄をもたらした。事前に連絡もなくガープがフーシャ村へと帰ってきたのだ。

 

 嫌な予感がする。良からぬ想像しか出来ず、これから待ち受けるひと騒動を思うと辟易してしまう。

 

 しかしもはや避けられぬ段階にまで来てしまった。ならばどっしりと構えて、ルフィと肩を並べて向き合うのだ。

 

 

「聞いたぞ、ルフィ。そして……ハンコック。お前ら、赤髪海賊団に感化されたそうじゃな? 2人揃って海賊になるなどと……。村長がそう話しておったわ」

 

「し、知らねェーしっ! なんか文句あるのか、じいちゃんっ!」

 

「な、なんの話じゃ、おじいちゃんっ!」

 

 

 いざガープと対面してみると、直前の覚悟などどこへやら……。後ろめたさに堪えかねて誤魔化しに走る。

 

 そして、村長を介して、ルフィとハンコックが海賊――それも海賊王と海賊女帝を夢見ていると知られてしまったようだ。海兵であるガープにとって相反する人種である海賊。

 

 そんな野蛮な犯罪者に自らなる愚行を断じて許さない、そんな頑なな意思をガープからは感じ取れた。

 

 

「それに悪魔の実を食ったじゃと? どんな実を食ったっ! 言ってみろっ!」

 

 

「おれはゴムゴムの実を食ったゴム人間だっ! すごいだろっ!」

 

 

 威張るように言い切るルフィ。であれば、ハンコックも彼を見習わなければ。

 

 

「わらわはメロメロの実を食した魅了人間。わらわの美貌に見惚れた人間を石化する――。その気とあらば、おじいちゃんをも物言わぬ石像にしてみせよう」

 

「なんじゃい、そりゃァ。わけが分からんわいっ!」

 

 

 試さずともガープには通用しない気がする。たしかに彼はハンコックを孫娘として猫可愛がりしているが、邪な感情など一切持たぬ人間。

 

 ハンコックに祖父として好意を向けてはいるが、魅了とはまた別次元の話である。

 

 

「なんと嘆かわしい。海賊にする為にルフィを厳しくしつけたわけじゃない。わしは屈強な海兵にする為つもりだったんじゃ」

 

「おれのやりてェことにケチつけるなよー!」

 

「ハンコック、お前さんにも言っておるんじゃぞ。お前にまで海兵に成れとは言わんが、人並みの人生と幸せを与えてやりたかった」

 

 

 祖父心を無下にしたとでも言いたいのか。

 

 

「わしの組んだルフィとハンコックの人生計画は、2人が夫婦となり子を成し課程を築くこと。それがどうして海賊などに……」

 

「そのアイディアは魅力的じゃ。しかしどうだ? ただ夫婦となり子を成すだけなら、海賊でも可能ではないか?」

 

 

 魅力人間が呆れたことに祖父の言葉に魅了されそうになるが、反論の余地は有る。すかさず言い返したが、まだご立腹な様子。

 

 

「ふんっ! 海賊に堕ちた人間がどれ程悲惨な末路を迎えるのか、ハンコックは知らんじゃろうっ!」

 

「ほう、訊こう」

 

 

 知らないからこそ無謀な事を考えるのだ。そう伝えたいのか、ガープはことさら顔を(けわ)しくして語る。

 

「わしの知る海賊()は子どもを作るだけ作って死んだ。無責任なことに人へ赤子を押し付けおった。まさか、ハンコックよ。お前も生まれ来る未来の子どもに対して非道な真似をするつもりか? だとすれば、なお許さんっ!」

 

「むっ…………!」

 

 

 耳年増なハンコックは子の成し方を詳細まで知る。いわば恋愛における最終段階だ。それだけに生命の扱いが軽いものでも簡単なものでもないという事も重々承知している。

 

 しかし、愛さえあれば多少の困難など乗り切れる。そんな考えが心のどこかにはあって、甘い認識でいた。それだけにガープの的確な指摘に、何も言い返す言葉が見つからない。

 

 

「まあ、子も孫も半ば放置してきた、わしのような男が言えた義理ではないんじゃがな……」

 

 

 我が身を責め立てるようにガープはゴツゴツと皮の厚い拳を握り締め、過去を視ていた。彼には何やら後悔があるらしい。少なくともルフィが関係しているようだ。

 

 深入りこそしないが、やけに印象的。ハンコックとしても先に述べたガープの言葉を、時間を掛けて理解に努めるべきだと考える

 

 

「というわけじゃ。今日からお前ら2人には離れて暮らしてもらう」

 

「えーーーーっ! なに言ってんだよ、じいちゃんっ!」

 

 

 その衝撃的な決定にルフィがたまげる。

 

 

「どういうことじゃ、おじいちゃんっ! なぜ、わらわはとルフィを離ればなれにする必要がある……? 事と次第によっては抵抗させてもらう」

 

「抵抗はさせんっ! だってお前ら、2人で居ると色々とやらかしそうじゃもん」

 

 

 鼻をほじりながら言うガープ。呑気な雰囲気を漂わせるが、ハンコック側からすれば死活問題である。

 

 

「ぐぬぬぬっ……」

 

「おお、そりゃそうだっ! おれ、ハンコックとなら何でもやれそうな気がするしなっ! ししし!」

 

 

 図星ゆえにガープを睨むことしか出来ないハンコックと、図星ゆえに空気も読まず素直に納得するルフィ。ただしルフィとてアホなだけで、このまま引き下がるつもりはない。

 

 

「ルフィにはコルボ山で、ハンコックにはこれまで通りフーシャ村の村長の家に住んでもらう」

 

「待つのじゃっ! コルボ山には獰猛な肉食動物と山賊が出没すると有名ではないかっ! そのような危険な場所に、ルフィ1人を行かせられぬっ!」

 

「まあ、待つんじゃ。ちゃんと預ける相手もおるわい。少々、気性の荒い連中じゃが、わしには絶対に逆らえん」

 

 

 余計に不安を(つの)らせる情報をつけ加えるガープ。

 

 

「昔からの馴染みじゃし、心配いらん。それにルフィとて、これまで殺す気で鍛えてきた。その上、ハンコックともトレーニングし続けてきたのじゃろう? やわな体の作りをしておらん」

 

「体を鍛えても限度があるっ! わらわは断固としてルフィを死地へ放り込むことを許さぬっ!」

 

 

 怒り心頭、鬼の形相でがなり立てる。ガープのやり方はもはや孫の為を想っての行動という範疇を逸脱している。もうルフィやハンコックは言われるがままに頷くような年齢ではない。ゆえにこの場では自分の意思というものをぶつけるべきだ。

 

 

「おじいちゃんは知らぬのか? ルフィはわらわが傍に居ないと死んでしまうのだと。本人がそう言うておったわ」

 

「知らんっ! ガキのわがままが通ると思うなっ!」

 

「……大人のエゴが通るものかと言い返そう」

 

 

 中々の切り返しが出来たものだとハンコックはドヤ顔を決める。ガープもまた、孫娘(ハンコック)の言い草に即座に切り捨てたりなどしない。

 

 

「そうか。ハンコックの気持ちはよーく分かったわい。じゃが、聞き入れんぞ。わしゃァ、もう決めたんじゃ。なあに、ルフィが海賊に成りたいなどと言わなくなれば、またすぐにでも会わせてやるわい」

 

「それがおじいちゃんの妥協点とでも?」

 

 

 子どもの夢路を塞いで諦めさせて――再会と人質にしたやり方には頭に来る。どう転んでもガープの思う壺ではないか。だとすれば今までの言い争いは徒労でしかなかった。

 

 

「ルフィ、このおじいちゃんはもう駄目じゃ。わらわたちの言葉が通じぬ」

 

「じゃあ仕方がねェな。よしっ、ハンコック! 一緒に逃げるぞっ!」

 

「愛の逃避行じゃなっ!」

 

 

 色ボケ思考でルフィの誘いに乗り、ガープへと背を向けて逃走を開始する。フーシャ村へは戻らない。ましてやコルボ山に留まるつもりも無い。ただ逃走ルートとして通り道にはなるが、進入は一時的なものだ。

 

 ルフィから差し伸べられた手を握り、歩調も合わせて一目散。景色を視界の端に置き去りにする程の疾走でガープを突き放した。遠くよりガープの『こらっ! 待たんかいっ! バカ孫共!』などと怒号が飛来するが、ヒラリと避ける。

 

 いくら海軍の誇る英雄といえど、足の速さはともかくとして、若さ溢れる子ども2人の体力には追いつけまい。

 

 だが――そんな思い上がりが油断を生んだ。迂闊である。背後を気にする余り、前方への警戒を怠ってしまっていた。

 

 

「どこへ逃げるつもりじゃ? お前らの行く先はもう決まっておる」

 

 

 目と鼻の先に巨人(ガープ)が立ち塞がっていた。見上げるほどの大男。厚い胸の筋肉、ハンコックの胴よりも太い腕。最強の海兵がルフィとハンコックの進路上に立つ状況。逃亡という意思をへし折るには事足りる。

 

 

「な、いまどうやって……。わらわ達の前に移動を……?」

 

「老兵じゃからといって侮ったお前らの不覚じゃ。伊達に何十年も海兵をやっておらんということじゃな」

 

 

 説明は一切無し。ただ目の前に居るという事実だけが確かな情報として脳へと届けられた。

 

 

「じいちゃんっ! そこをどけっ!」

 

「どかんっ! わしはなっ! お前らまで失うわけにはいかんのじゃっ! どら息子に至っては革命などに精を出して中々手紙も寄越さんしっ!」

 

 

 どら息子とはガープの実子のことか。革命に精を出すと言っている辺り、打倒世界政府を掲げる革命軍に参加しているのかもしれない。連絡のやり取り程度ならば頻度は低くも行ってはいるようだが。

 

 

「今はわしの息子の話などしている場合じゃない。とにかくルフィはコルボ山の知り合いに預ける。そしてハンコックはフーシャ村で平穏に暮らすんじゃ」

 

「やだよ、じいちゃん。おれとハンコックは一緒じゃないと意味がないんだっ! 強くなるのも海賊王になるのもメシを食うのもハンコックとじゃなきゃいけねェっ!」

 

「その羅列でメシも同列とは、我が孫とはいえ大したもんじゃい。じゃが諦めろ、ルフィにハンコック。わしも心苦しいんじゃ」

 

 

 悲しみを口にしながらガープは2人に歩み寄り、その逞しい腕で抱き上げて拘束する。まさに怪力、全力で拘束から抜け出そうとジタバタと暴れるが、ビクともしない。その老兵らしからぬ怪力に加えて、次は大気を押しのけるが如く神速でフーシャ村までひとっ走り。

 

 やがて村長宅へと到着すると、ガープは村長へハンコックの身柄を引き渡す。事情を聞いていたであろう村長は、申しわけ無さそうな顔で一言だけこぼす。

 

 

「すまん、ハンコック……。お前の為じゃ」

 

「村長……。おじいちゃん共々謀りおったな……?」

 

 

 ハンコックの将来を案じての行動なのだろう。その真心は理解出来る。しかし、その手段の内容がとても納得のいくものではなかったし、同意も無く強行された。信頼していた者からの裏切り。これほどに精神に堪えるとは、ハンコックも知らなかった。未知の感覚である。

 

 

「これでお別れじゃ。じゃがな、さっきも話した通りルフィ共々、海賊になるの事を諦めればすぐに会わせてやる」

 

「放せっ! 放せよ、じいちゃんっ……! 放さねェと、ぶっ飛ばすぞっ!」

 

「その体たらくで良く吠えるわい」

 

 

 未だにガープによって自由を奪われたルフィは目尻に涙を蓄えて祖父への反抗心を燃え上がらせる。されど報われることはなかった。

 

 

「ルフィっ! そんなっ……!」

 

 

 見かねてハンコックも加勢に入る。ガープの脛を狙って渾身の蹴りを打ち込むが、顔色ひとつ変えずに動じていない。

 

 むしろ蹴りを加えているハンコックの脚の方が痛み始めてきた。無抵抗のガープに敗北を喫する。

 

 

「ハンコック……。すまんのう、分かっておくれ……」

 

 

 その声音はなんと悲しげなことか。とても2人の仲を引き裂こうという大人のものではなかった。がもまた行動とは裏腹に、ルフィとハンコックを引き離したくなどなかったのだ。

 

 ただ諸々の事情や立場が重なって、そうせざるを得なかったのだろう。憎まれ役を買って出た彼も、心根は孫思いで優しい祖父なのだ。

 

 

「わらわはこれで収まりがついたわけではないぞ。しかし、この場だけはおじいちゃんの顔を立てよう……」

 

「すまんな。孫娘に悲しみを強いるなど……。わしはおじいちゃん失格じゃな」

 

 

 孫同然から最早、孫そのものとして接するガープ。息の根が絶えそうな程に苛烈極まりない苦心を重ねる。

 

 

「ハンコックっ! おれ、どうにかしてフーシャ村に帰ってくるからよォ! だから待っててくれェ!」

 

 

 ルフィも観念したのか、はたまた覚悟を決めたのかハンコックへと帰還を誓う。ならば応じるまでだ。彼の帰りを待ち続けるのだ。

 

 

「そなたの言葉――しかと受け取った。わらわはルフィのことを待っておると約束しよう。必ずやわらわの下(ここ)へ、帰ってくるのじゃぞ」

 

 

 いまこの瞬間に約束は結ばれた――。見届け人はガープと村長。結んだ先にはきっと再会が待ち受けている。そう信じて……ガープに連れられて遠ざかるルフィを見送る乙女(ハンコック)であった。

 

 

 

 

――1週間後の夜――

 

 

 ハンコックの現在地はフーシャ村ではなく――コルボ山の山中。見届け人まで立てた約束をしたまでは良いものの……約束は破る為に存在するという抜け道を見つけて行動に出てしまった。

 

 この1週間、ルフィ不在の日常は色褪せていた。何も食べても味を感じないし、何で遊んでも心は退屈。何も満たされず、人としての在り方や意味を喪失していた。

 

 何もかもルフィの存在が欠けてしまったことに起因する。

 

 堪えかねたハンコックは解決策として自らの足でルフィの捜索に出たのだ。それも村長や村の大人の目を忍んで夜間。コルボ山にて最も危険とされる時間帯に当たる。

 

 

「ルフィ……。やはりわらわは、そなたが居なければ生きてゆけぬ。そなたもそうであろう……?」

 

 

 木々の生い茂る道なき道を進む。足場の悪さから何度も転んでは擦り傷を作った。

 

 歩き続ければ腹も空く。そこらじゅうに群生するキノコでさえご馳走に見えてきた。さすがに毒の有無も分からぬキノコなど口にはしないが、選り好み出来ぬ段階にまで追い詰められているのも事実。

 

 偶然見つけた木苺で空腹を凌いで、ルフィの捜索を続行した。

 

 

「むっ、これは……」

 

 

 どれ程進んだのかは定かではない。されど注目に値する破壊の痕跡が目の前にはあった。切り立った崖が対面した谷。そこには本来、吊り橋が掛かっていたのだろうが、今は途中で切れてしまったのか、その機能を果たしていなかった。

 

 意図的に破壊されたようにも見える。もしたしたら……ここからルフィが落下したのでは? そう考えた瞬間、背筋が凍った。いかにルフィと言えど、目測で高低落差数十メートルもある崖から身を投げてしまえば無事でいられる保証は無い。

 

 落下の衝撃はゴム人間ゆえに無効化されるだろうが、這い上がれるような高さでもないし餓死の恐れもある。ましてや崖下に独自の生態系が構成されており、危険な生物が生息していないとも限らない。ならば放ってはおけぬ。

 

 

「この下にルフィが居るかもしれぬ……。いいや、わらわには分かるのじゃ……。必ず居る……」

 

 

 ルフィを渇望するがゆえにハンコックの直感は冴え渡る。ルフィの息吹を検知し、その存在を確信するのだ。

 

 

「いまゆくぞ、ルフィ……。わらわはそなたの王子様となろうっ!」

 

 

 さしづめルフィがお姫様役であろう。配役が逆かもしれないが些細な問題である。意を決したハンコックは、助走をつけて思い切りの良さで谷底へと飛び込んだ。

 

 落下の感覚は独特だ。自分の意思では動きが取れないし、空中では無防備。何もかも重力任せで不自由極まりない。

 

 されど10秒ほと落下した後に谷底が肉眼で見てとれた。岩壁から生える木の枝に手を掛けてぶら下がり減速。地面が数メートルに迫る程度の距離から飛び降りて着地を決める。

 

 

「ルフィーーーーっ! 居るのなら返事をせよっ!」

 

 

 谷中にハンコックの声が木霊(こだま)する。獣を呼び寄せかねないが、事は一刻を争う事態。危険など省みる余裕などない。

 

 

「ハ……ハン……コック……」

 

「その声は……ルフィっ……!?」

 

 

 か細い声がそう遠くない場所から聴こえる。耳を澄まして正確な位置の特定に神経を尖らせる。

 

 

「ルフィ、どこじゃー!」

 

「ハンコ……ック……。こ、ここだ、よー……」

 

「ル、ルフィ……? み、見つけたっ……!」

 

 

 視線の先には仰向けで倒れる死に体のルフィの姿。息はあるようだが、衰弱している模様。頭部からは流血し、着用している衣類も破けている。それほどまでに過酷な時を過ごしたのだと、その面影をルフィの容態に見つける。

 

 

「なんということじゃっ……! ルフィ、しっかり! 意識を保つのじゃっ!」

 

 

 何があったのか問い質したいところだが、そんなことは二の次で良い。今はとにかく彼の救護である。瀕死のルフィを背負って谷底からの脱出を試みる。

 

 ゴツゴツとした岩肌の出っ張りや凹みを素手で掴みながら登る。さりとて、ルフィ1人分の重さが負荷となり、思うようなペースでは上がれない。

 

 ルフィを発見するまでの探索も相まって疲労困憊。体力が尽きかけようという最悪のコンディションだ。

 

 だがここで挫けてはならぬ。自分だけではなくルフィの命が懸かっているのだ。ルフィを海賊王にしようという海賊女帝が、ここで死んでは――まだ海にも出ていないというのに航海は終わってしまう。

 

 

「ハンコック……。ごめ……ん、おれ……のせいで……」

 

「ええいっ! 謝るでない! 弱音を吐くでないわっ! わらわの惚れたモンキー・D・ルフィはそんな軟弱な男じゃったかっ!!」

 

「うぅ……。違げェ…………」

 

 

 否定したのならハンコックはそれを受け入れるまで。彼が弱気になるのは心情としては理解出来る。しかしここで気を弱くさせては生きる気力さえ失いかねない。

 

 だから多少厳しい当たりでも、ハンコックはルフィの為に強い態度で接する。それが効いたのかルフィは謝ることを止めて、ハンコックの背中に力強く掴まる。

 

 

「それでよいのじゃ。わらわの知るいつものルフィ……。ふふふ、素敵じゃ」

 

「ハンコック……ありがとう……」

 

「どういたしまして……」

 

 

 ルフィを叱咤激励することでハンコック自身も勇気付けられた部分が大きい。体力が回復したわけではないが、崖登りも苦ではなくなってきた。小一時間ほど過ぎた頃、ようやく谷の上まで登りきった。

 

 

「ふ、ふう……。さすがにわらわはもう体力の限界じゃ。根性うんぬんでも動けぬ……」

 

 

 どさりと地面へと転がるハンコック。荒い呼吸が収まるまでその場で身を休める。しかし、今からフーシャ村へ戻るとなると夜明けまで掛かりそうだ。

 

 険しいコルボ山の道を歩く気力も体力も、少し休憩を挟んだところで戻りはしない。

 

 が、ここに来てルフィが自分の足で立ち上がった。ハンコックを見つめたかと思えば、こう話を切り出す。

 

 

「助かった……ハンコック。あとはおれがどうにかする」

 

「そなた……。体はもう大丈夫――には見えぬのじゃが」

 

「気合だ」

 

「き、気合い……?」

 

 

 驚いた。ハンコックをして根性論では動けぬというのに、ルフィという少年は気合いひとつで瀕死の身でありながら立ち上がって見せた。

 

 

「おんぶするぞ、ハンコック」

 

「う、うん……」

 

 

 今のルフィはカッコ良い。普段からカッコ良いが、いつにも増して男らしいのだ。惚れ直すに足る理由である。というかハンコックはルフィが何か行動を起こす度に惚れ直している。ルフィ限定で非常に惚れっぽい性格なのだ。

 

 そしてルフィにおぶられたハンコック。歩く枯れ野背中で揺られながらコルボ山の景色を観察する。やはり平坦な道ではなく、いまもなおルフィの体力を根こそぎ奪おうとしている。

 

 だがルフィの心は折れない。守りたい少女に弱い部分を見せた汚名を返上すべく、男の意地のみで歩みを止めない。

 

 やがてたどり着いた先は、灯りの漏れる粗雑な造りの木造建築物。ガープの話にあった知人宅であろうかと、ハンコックは認識した。

 

 

「着いた……。おれ、ここに住んでるダダンっていう山賊の世話になってんだ」

 

「山賊じゃと……? いやしかし、おじいちゃんの知り合いと言うし……」

 

 

 ガープの知人とあれば何かしらの事情があるのだろう。以前、遭遇した山賊(ヒグマ)とは別のタイプであることを願う。

 

 

「お頭っ!! ダダンのお頭っ!!」

 

 

 建物の入り口に小柄な男が立っている。山賊という風体でルフィの帰還を山賊の頭領へと報告しているらしい。手下の知らせにより外に出てきたゴツい女性――彼女がダダンなる人物だろう。

 

 

「コイツ……。生きてやがったのかい!! しかも背中にえらく綺麗な顔のガキまで背負ってるっ!」

 

 

 ダダンは苛立ち全開でルフィの帰還に意外性を感じているようだ。

 

 

「ダダン、背中のこいつはハンコック。おれの大事な友だちだ。朝までハンコックも泊めてくれよ」

 

「そりゃァ、こんな夜に外へ放り出したりはしねェけどよ!! エースとルフィに続き、またガキが増えるんかいっ!!」

 

 

 咥えた煙草を地面へと吐き捨てて過度なリアクションを取るダダンに、ハンコックは少し可笑しく思いクスリと笑う。

 

 

「はじめましてじゃな、ダダン。わらわはルフィの紹介にあずかったようにハンコックじゃ。よろしく頼もうではないか」

 

「くそっ! お前(ハンコック)もムカつくガキっぽいけど、顔だけは可愛いじゃねェか!!」

 

 

 老若男女問わず心を奪うハンコックの女神と見紛う美貌がダダンには通用したらしい。

 

 

「まあいい。話は朝になってからだ。疲れてんだろ? 中でとっとと寝なっ!!」

 

 

 ダダンに招かれ中へと入る。屋内には雑魚寝する山賊ばかり。イビキをかいていて普段なら安眠できる状況ではない。

 

 が、今日に限っては体力を出し尽くした。よってルフィと向かい合わせに抱き合って、泥のように眠る。

 

 意識が睡眠へと沈みゆく中、ハンコックはルフィと目が合い――1週間分の温もりを彼に求めた。

 

 そしてルフィはハンコックの手を握り――

 

 

「ハンコックが隣に居るとポカポカすんなー。ずっとおれの傍から離れんなよっ! ししし!」

 

 

 ――求愛した。

 

 

 ハンコックはそれに対し――

 

 

「わらわもそなたの温もりで溶けてしまいそうじゃ!! もっとわらわを抱き締め、手も握って欲しいっ!」

 

 

 ―――欲望に忠実となった。

 

 

「ガキ共っ! やかましいわっ!」

 

 

 ダダンのお叱りを受けながらも、ルフィとハンコックは深い眠りへと就くのであった。

 

 ただ1人、片隅で寝たフリをするソバカスの少年は、ルフィとハンコックを疎ましげに見ていた。

 

 その少年――エースとハンコックとの邂逅は翌朝へと持ち越されたが、おそらく――ルフィの扱いを巡って、ひと波乱起きるだろう。



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12話

 深い眠りは時間の経過を加速させる。一晩が明けた頃、誰よりも早く目覚めたのはハンコック。昨夜は寝入りは良かったものの、慣れぬ場所での睡眠だ。

 

 日光が射し込んで眠りが浅くなったのだろう。部屋の中にはイビキをかくダダン率いる山賊たち。ヒグマの一味よりは幾分、善人よりの面構えだと感じる。

 

 なんというか精々がチンピラ程度の小悪党といった印象。

 

 

「ルフィは……まだ眠っておるな?」

 

 

 ルフィもまたイビキが激しく、喉を痛めないか心配になる。手を繋いだまま彼とは眠っていたので、ハンコックが目覚めた今になっても至近距離は保たれたままだ。というか触れ合っている。

 

 

「そこの(わらべ)よ。先より何を視ておる。気づかぬとでも思うてか?」

 

「…………」

 

 

 しかめっ面で目つきの鋭い少年(エース)へ向けて不快感を示す。

 

「お前もジジイ(ガープ)の孫なのか……?」

 

「血の繋がりは無いが、(おおむ)ねそうじゃ」

 

「……起きたなら早く帰れよ」

 

「そういうわけにもいかぬ。わらわはこの子(ルフィ)と一緒に居たい。だからこうしてフーシャ村から足を運んで来たのじゃ」

 

 

 頭ごなしに帰れと言われれば腹も立つ。理由も知らない輩に、自身の感情をバカにされたようで反論もしたくなる。

 

 

「して――そなた名をなんと?」

 

「お前なんかに名乗る名前はねェ」

 

「まあよい。ダダンから勝手に聞けば良いだけのこと」

 

 

 会話はそこで途切れる。別段、ハンコックは彼に興味を抱いているわけではない。ただ不快な視線に対しての抗議をしたまでだ。

 

 さて、日が高くにつれてダダンやルフィも目を覚まし始めた。唐突にやってきたハンコックに対して、ダダンは何と言うであろうか。

 

 

「で、お前はどうしてまたこんな山賊の根城になんか来た? あたしらは村の連中みたいに優しかねェ」

 

「単純な話じゃ。わらわはルフィの身を案じて村を抜け出してきた。文句は受け付けぬ」

 

「文句なんて大アリだよっ! お前みたいな小奇麗なガキが此処に居ちゃァ、誘拐を疑われちまうっ!」

 

「その時はおじいちゃん(ガープ)が揉み消すじゃろう」

 

 

 尤も、ハンコックもガープのお叱りを受けることだろう。なるべく抜け出してきた事を隠したいが、今頃村長は大慌てだろう。朝起きてみればガープより預かっている娘子の姿が忽然と消えているのだから。

 

 

「ししし! おれは嬉しいぞっ! ハンコックが来てくれてっ!」

 

 

 一晩寝ただけでケガの癒えたルフィが朝から喜びを表すように小躍りする。微笑み返してハンコックもルフィに合わせるように手を繋いで踊った。

 

 

「昨日はホントありがとなー! いやー、谷底で狼の群れに襲われた時は死ぬかと思ったっ!」

 

「なに……? あの谷には狼などいたのかっ! ルフィっ! 見えぬ場所にケガなどは無いか?」

 

「へへ! 狼の群れならぶん殴って追い払ってやったぞ。噛まれたりもしてねェからへーきだ」

 

 

 ルフィの体を確認するようにペタペタと触れてゆく。本人の言う様にケガなどは先ほども治癒を確認した時と変わらず問題は見受けられない。

 

 

「あーっ! 今日もどっか行くのか、エースっ!」

 

 

 ダダンへ「行ってきます」の挨拶も無く、エースは外へと向かう。

 

 

「エースというのじゃな、あの(わらべ)は」

 

「ハンコック、あのガキはお前より3歳上だよ。なにを童とかガキ扱いしてんだ。大人ぶりたい年頃か?」

 

 

 ダダンの言うようにハンコックはその指摘を否めない。ただ弁明くらいはしたい。

 

 

「あの童は子どものように意地っぱりじゃ。よそ者に対して排他的――。分かり易いほどに敵意を向けてくる」

 

 

 エースから飛んでくる痛むほどの敵意。無論、ハンコックから何か危害を加えようという意思など無いのだ。

 

 

「あ、おいっ! ルフィのやつ、エースの後を追いかけていきやがったよ」

 

「なっ……! 待つのじゃ、ルフィー!」

 

 

 虚を突くようにルフィは外へと駆け出していた。エースを追うルフィを更に追うハンコック。コルボ山の奥深くへと進んでゆく。背後からダダンの制止する声が耳に入ったが、そらこいらに捨て置く。

 

 

「ルフィー! 警戒も無しに立ち入っては危険じゃ。せめてわらわと行動をすべきじゃろう!」

 

「おう、そうすっかっ!」

 

 

 ようやく追いついた頃にはエースの姿は見えない。凹凸の激しい地形を難なく進むエースは明らかに日常的に歩きなれているようだ。

 

 

「エースのやつ、見失っちゃったよー」

 

「なぜあの童に固執するのじゃ? 友だちならわらわがいるじゃろう」

 

「うん、そうだけどな。あいつとも友だちに成りてェんだ」

 

「そなたがそう言うのであらば、わらわは反対せぬが……」

 

 

 ハンコックが思うに、あの手の人間は一筋縄ではいかないだろう。人を視線だけで殺さんとする子ども。あれが素直に心を開くなと到底考えられない。

 

 

「しかし此処はどこじゃ?」

 

 

 追いかけることに必死になる余り、周囲の景色の変化を意識していなかった。木々や草花が生い茂って似たような風景が続いている。引き返そうにも方角が把握出来ていない以上、取るべき行動も定まらなかった。

 

 

「まーどうにかなるだろ」

 

「そなたは楽観的じゃな……。じゃが、ルフィとなら――。うむ、どうにかなる気がしてきた」

 

 

 励まされる恰好となり、ルフィの存在が活力となった。とはいえ闇雲に動き回っても無為に体力を消耗するのみ。何か森を抜ける足がかりとなるものがあれば話は変わるのだが。

 

 と、ここで都合の良い事に水音が聴こえた。水辺が近くにあるのだろう。もしかすると川が流れているのかもしれない。川に沿って下れば人里へと辿り着ける。期待して、ルフィと共に音のする方角へと駆けた。

 

 

「これは……」

 

「ワニだーっ!」

 

 

 川などではなく、ワニの生息する沼地。どす黒く濁った水の中を優雅に泳ぐ数匹ものワニが、ギロリと大声を上げるルフィを睨んだ。

 

 

「危険じゃ、ルフィ。ここは早々に去るべきじゃ」

 

「えー? ワニ、カッコ良いのに」

 

「噛まれてはケガだけではすまぬぞ?」

 

 

 少し乱暴だがルフィの頬を鷲づかみにして引き摺ってでも、その場を離れる。ゴム人間の名に恥じない伸び様のルフィの頬っぺた。痛みはないらしいが、ハンコックの横暴さにブツブツとルフィは小言を漏らす。

 

 その後、ルフィの勘に頼って、ひたすら森を真っ直ぐ歩くとダダンの住処へと戻ることが出来た。猿のような少年ルフィの野生の勘とでも称すべきだろう。

 

 

「やっと帰ってきたか、バカガキ共っ!」

 

「うん。でもエースがどっか行っちまった!」

 

「んなこたァより、お前は雑用をやるんだよっ!」

 

 

 

 ルフィはどうもダダンより言い付けられている仕事をサボっているようだ。エースを追いかけるばかりでロクに言う事も聞かないのだろう。だがそれでこそルフィ。傍に居て彼の自由奔放さを知るハンコックは、ダダンの説教など無駄であると理解している。

 

 

「お前もおまえだよ、ハンコック! とっとと村に帰りなっ……!」

 

「イヤじゃ。わらわは此処に居る。何と言おうがこれは覆らぬ」

 

「くっ! 聞けばお前も義理とはいえ、ガープの孫だって言うじゃないかっ!」

 

「ならば言っても聞かぬと分かっているのではないか?」

 

「ああっ、本当にロクでもねェガキばっか押しつけやがりがってっ!」

 

 

 逆上したダダンは手下のドグラとマグラに宥められて、ルフィとハンコックへの説教を中断した。少し悪い事をしてしまったか? そう罪悪感を抱くハンコックだがルフィと一緒に居る為とあらば、避けられぬ事として開き直る。

 

 そういった経緯でハンコックはダダンの住処に居座るようになり、ルフィと共にエースの後を追う日々を送り始める。

 

 エースを尾行する中で様々なトラブルがあった。落石に始まり、蛇や鳥獣の襲撃、岩場から水辺へと落下。その度にハンコックはルフィの世話を焼き、はっきりと言って彼の行動の数々に振り回されていた。

 

 ルフィという男に付き添うだけで寿命が10年は縮む想いである。とはいえ、こういった苦労もハンコックにとって感じ方は少し特殊。ルフィと共に超えた修羅場の数だけ愛情が深まったと実感するのだった。

 

 恋は盲目の極地とも言えようか。頬を紅潮させてルフィに抱きついたり頬ずりしたりと愛情表現は数あれど、困難を乗り越えた体験はそれにも勝る恋愛イベントだ。

 

 

 そんな恋愛混じりのコルボ山での冒険。期間にして3ヶ月を超えた頃に変化が訪れる。

 

 

「森を抜けたぞっ!」

 

 ルフィの言葉の示すようにコルボ山とその中間の森を北へと進んだ先――2人とって新しい世界が広がっていた。

 

 一言で表現するのならその場所は――ゴミの山。鼻腔を刺激する悪臭は想像を絶する域にあり、涙ぐませるほふどの痛みを生み出す。視界中に汚れた色彩は見ているだけで吐き気を催す有り様だ。

 

 ゴミの種類は素材を問わず山を構成し、無法者と思しき男達の姿もチラホラと存在する。中には人間の血で身に付ける衣類を真っ赤に色付かせてる者も居た。人殺しなどの法から逸脱した犯罪者が、このゴミ山を住居としているらしく、一目で子どもが居るべき場所ではないと察する。

 

 

「可笑しきは匂いでだけではない。見よ、ルフィ。煙が立ち込めておるわ」

 

「ああ、なんか燃えてんなっ!」

 

 

 ゴミ山の至る箇所から白煙が上がっている。可燃性のゴミの宝庫であるその場所は、火種には事欠かない。日光が降り注ぐだけで自然発火し、常に小規模な火災を起こしていた。

 

 ここらの住人は、ボヤ騒ぎすら日常の風景の1コマと言わんばかりに気にも留めていない。明らかなる異質。別世界に来たかのような錯覚を起こしてしまう。

 

 ゴア王国の国民は、このゴミの吹き溜まりを指して『不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)』と呼ぶ。

 

 

「んー、ここは臭ェな。森に戻ろうぜ」

 

「そうじゃな……。あまりこの場に留まっても良いことなど有りそうにも無い」

 

 

 ルフィの提案はこの時ばかりはケチのつけようの無い程に妙案。率先して不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)とコルボ山の間に位置する中間の森へと引き返す。そしてその行動は思わぬ収穫をもたらす。

 

 

「見ろよ、ハンコック! あそこの木の上にエースがいるっ!」

 

「ホントじゃっ! あの童、こんな場所に通い詰めておったのか」

 

 

 ルフィの指差す方向には鉄パイプを片手に握り、見慣れぬ()()()()()と談笑するエースの姿が在った。歯の抜けた金髪の少年は、エースが持ち込んだとされるベリー紙幣の枚数を数えてご満悦。

 

 2人の会話に耳を傾ければ、海賊船を購入する心積もりらしい。海賊船という単語はルフィという少年を興奮させるに相応しいものであったらしく、彼は自身の存在を喧伝するかのように叫ぶ声を上げた。

 

 

「海賊船~~~~!! お前ら、海賊船を買うのかっ! やっぱり海賊になるんだよなっ! おれ達も同じだよーー!!」

 

 

 同じ志を持つ者同士で分かり合える。そう信じて疑わぬルフィは心底嬉しそうに雄叫びを上げる。隣のハンコックはその無邪気さに再び惚れ直す。これまでもう何千回と惚れ直してきてもなお、興味の尽きぬ少年である。

 

 

「サボ、悪いな。コイツに尾けられてるのは知ってたが、まさかここまで来るとは思わなかった……」

 

「それは良いけど、もう1人ガキが居るぞ? しかも女だ」

 

 

 困惑するエース、そしてサボと呼ばれた少年は何か隠し事でもあるのか、ルフィとハンコックを警戒している様子。隠されれば気になるのが人の(さが)。興味津々に木の上へと登ろうとするルフィに付き合う形でハンコックも急ぐ。

 

 

「こっちに来るなっ! お前らが見て良いもんじゃねェ!」

 

 

 近づくことさえ拒絶するエース。これまで見せた事の無い感情の変化にハンコックは、彼にも人並みの感情の起伏があるのと感心する。

 

 

「サボっ! おれはルフィっていうガキの方を止める。お前はハンコックっていう女を頼む!」

 

「あぁ、この場所を知られた上に金の在り処だってバレたら不味いっ!」

 

 

 木の上から飛び降りてきた悪童達。応戦の意思アリ。ならばルフィとハンコックも抵抗するまでだ。

 

 エースが手に握った鉄パイプでルフィを強打する。力の限りの込められたフルスイング。まともな人間であれば負傷を免れぬ攻撃だが――まともさから外れたルフィの体に打撃など通じようも無い。平然とした様子で立つルフィは、エースの度肝を抜いた。

 

 

「こいつ……。ジジイ(ガープ)の言ってた通り、悪魔の実の能力者かっ!」

 

 

 驚愕するエースは事前にガープよりもたらされた情報と照合した上で異形の存在(ルフィ)への警戒を強める。

 

 一方でハンコックとサボ――。

 

 エースと同じく鉄パイプを武器として振るうサボ。女やこどもとて容赦はしないとばかりに、ハンコックを標的に鉄パイプを叩き付けた。

 

 しかし、その害意の込められた衝撃はハンコックに届きはしない。正確には通用などしていなかった。

 

 

「は……は? 脚で防いだ……?」

 

 

 サボのぼやき。されど事実として目の前に起きている現象。ハンコックは鉄パイプの軌道に合わせて脚を振り上げ、(すね)で受け止めていた。

 

 本来ならば脛とて人間の急所として悪い意味で機能するはずだ。されどハンコックにいたっては機能不全を起こしているらしい。

 

 

「女だと侮ったがそなたの不覚よ……」

 

 

 ここぞとばかりに態度を大きくするハンコック。さながら未来の女帝といった印象。覇王色の覇気を発したわけでもないのに、空間を圧倒するほどの気迫。どのみち彼女は、自身の覇王色の覇気をはっきりと認識しているわけではないので、任意に発動のしようもないのだが。

 

 

「わらわはな、過去に山賊に手酷くやられた事があるのじゃ……。ゆえに強さを得るべくして鍛練を続け、わらわの脚は矛へと昇華したのじゃっ!」

 

「いや、意味わからねェよ!」

 

 

 当然の反応だ。人外染みた所業を目の前で見せつけられたサボは動揺の余り、ハンコックを化け物認定する。これでは入り江を根城にする海賊らと同等に脅威的だ。

 

 この戦い、どう収拾をつけたものかとサボは思う一方で、珍しく調子に乗ったハンコックは、いかにルフィへとカッコイイ姿を見せられるかと考えを巡らせていた。

 

 だが、そんな戦線に闖入者アリ。

 

 

「森の中から子どもの声が聞こえたぞ!」

 

 

 大人の男の声だ。腕をケガしたチンピラ風情の男を引き連れて、この森へと足を踏み入れている。

 

 

「おまえら一旦戦いは終いだっ! ここに隠してる宝がバレたら不味い」

 

 

 エースが警鐘を鳴らすように叫び、戦闘を中断する。慌ててルフィとハンコックは、茂みへと身を隠すエースとサボに続く。忍びながら大人の男の様子を観察する。

 

 

「いま確かにガキの声がしたんがな。エースとサボ。ここいらじゃ有名な悪ガキだ。お前から金を奪ったのはそいつらで間違いないな?」

 

「へえ、背後から突然やられてしまい……」

 

「大した根性だ。ウチの金に手を出す命知らずなガキ共が。ブルージャム船長の耳に入れば、おれもお前も命は無い。けじめをつける為に殺されるのが関の山だ」

 

 

 その男は海賊で、傍に控えるのは海賊の小間使いをしているチンピラなのだろう。鋭利な刀を携えた大柄な男。ハンコックをして、見た目だけならヒグマ以上に凶悪な男に映る。

 

 

「(ポルシェーミだっ……! あいつ、ブルージャム海賊団の船員(クルー)で完全に頭がイカれてやがんだ!)」

 

 

 声を忍ばせながらも怯えた顔でハンコック達へ言い聞かせるサボ。自分たちの居場所を死んでも悟られるなと注意を呼びかけているらしい。

 

 

「(あの男が怖いのは分かる。しかしなにを過度に恐れておるのじゃ?)」

 

 

 ハンコックは問う。異常なまでに気を張っいるサボは何か隠しているように思えて。

 

 

「(この際だから教えてやる! あいつ、戦って敗けた奴を……生きたまま頭の皮を剥がしちまうんだっ!)」

 

「(なんと……っ! なんとおぞましい男じゃ。とても人のやる事とは思えぬ)」

 

 

 納得の答えだ。サボの反応は極めて正しい。そんな人間とあっては子どもでなくとも恐怖感を抱くことだろう。

 

 

「(なァなァ、エース! あそこに宝物を隠してんのか?)」

 

「(っち、知られちまったか……。ああ、だけどアイツにだけはバレちゃいけねェんだ。おれとサボが5年間も掛けて貯め込んできた海賊船の資金なんだよっ!)」

 

 

 事情を知ったルフィは数秒間ほど考え込んだ末にひとつの解答を導いたらしい。エースとサボに自身の答えを教える。

 

 

「(じゃあ、おれがあの海賊をぶっ倒せばいいんだっ!)」

 

 

 なにをとち狂ったのか、ポルシェーミを倒すと宣言するルフィ。そのぶっ飛んだ答えに、さすがのハンコックとて賛成は出来ない。

 

 

「(ルフィっ! このサボとかいう童の話を聞いていたじゃろう。ヤツは危険すぎる男じゃ。いつだったかの山賊の比ではないのだぞっ!)」

 

「(うん! でもバレたらイヤなんだろ、エース達は。友だちになりたいヤツが困ってるんだ。助けねェと!)」

 

 

 さも当然のように語る。が、その思考回路もバカにできるものではない。なにせハンコックは、ルフィのそうした人格にも惚れる一因としているのだ。

 

 

「(そうであるのならやむを得ぬか……。いいじゃろう、わわらも助太刀しよう)」

 

「(ししし! やっぱりハンコックは良いやつだ!)」

 

 

 意気込むハンコックとルフィ。対してエースとサボは顔面蒼白。余計な真似をしようとする2人を止めにかかろうとするも――既にルフィはポルシェーミの前へと飛び出し、ハンコックも彼に続いていた。

 

 

「あのバカっ……!」

 

「エースっ! あいつらメチャクチャだ!」

 

 

 しかし賽は投げられた。否が応でも騒ぎは起こる。

 

 

「やいっ! 海賊っ! ここはおれたちの縄張りなんだぞっ! ここから出て行けっ!」

 

 

 ルフィなりに宝物の存在が露見しては不味いと配慮しての発言。ここは宝物とは無縁であり、あくまでも自分らの縄張りであると強調する。同時にエースとサボとは無関係の子どもであるとも。

 

 

「なんだこのガキは。エースとサボではなさそうだが。お前、コイツを知ってるか?」

 

「いえ、おれにはさっぱり」

 

 

 チンピラに確認するポルシェーミだがルフィの素性を知ることはなかった。

 

 

「不敬じゃぞ。ガキなどという蔑称でわらわ達を呼ぼうなどとはのう」

 

「ん、もう1人ガキが居たのか。いまおれ達大人は忙しいんだ。ガキの相手をしている場合じゃない」

 

 

 要らぬ手間を避けたいのか、意外にもサボにイカれた男だと評されたポルシェーミはルフィらを煙たがるだけで済ませていた。が、それではルフィの腹の虫が収まらない。

 

 

「いいから出てけよっ! おれは怒ってんだ! 言うことを聞かないとぶっ飛ばすぞ!」

 

「ケガをしたくなければ即刻去るがよいわっ! わらわの機嫌をこれ以上、損なわぬうちになっ!」

 

 

 怒りの余り、ポルシェーミ達を指差して背中を仰け反らせるハンコック。身長の関係上、元から大の大人であるポルシェーミを見上げていたが、今に限っては姿勢のせいで更に低い位置から見上げている。

 

 本人としては見下しているつもりなのだろう。しかし実態は見下しすぎて、逆に見上げている。見下しすぎのポーズとでも呼ぶべきだろうか。

 

 

「うるせェガキだ。そんなに秘密基地を荒らされるのが嫌らしい」

 

「ポルシェーミさんっ! こんなガキ、放っておいて早くエースとサボを捜しましょう! じゃねェと、ブルージャム船長に殺されちまいますっ!」

 

「そんなことは分かってる。おれだって命が懸かってるんだ。こんなガキに何を言われようが相手なんてしてられねェ」

 

 

 そう言い残すとポルシェーミは足早にこの場を去る。チンピラも彼の背を追って姿を消した。海賊相手に過剰な発言をしたルフィの奇策ハマったりと言った結果だ。

 

 

「おいおい……。あのルフィとハンコックってやつ、言葉だけでポルシェーミを追い払ったぞ……!」

 

 

 サボがルフィとハンコックの偉業に驚嘆する。

 

 

「っち……。いけ好かねェバカだとばかり思ってたけど、今回ばかりはコイツらに救われちまった」

 

 

 素直ではないエースでさえも恩くらいは感じる模様。罰の悪そうな表情でルフィ達へと向き直る。

 

 

「一応、礼は言っておく……。お前らのおかげでバレずに済んだ」

 

「おれもエースと同じだ。ありがとな」

 

 

 エースとサボの礼の言葉――。感謝の念をひしひしと感じたルフィは我慢出来なかったのか大声で喜びを口にした。

 

 

「ししし! エースがおれにお礼を言ってるぞおォォォォっ!!!!!」

 

「バ、バカっ! そんなに大声で叫んだらポルシェーミの奴らが不審に思って戻ってきちまう!」

 

 

 サボが慌ててルフィの口を塞いで地面へと引き倒す。が、時既に遅し……。

 

 

「おい……。こりゃどういうことだ。ガキが増えてんぞ?」

 

「こ、こいつらですっ! おれから金を奪ったエースとサボってガキはっ!!」

 

 

「ああ、そういやァ見覚えのある顔だ。思い出してきたぜ……」

 

 

 ポルシェーミとチンピラの2人は案の定、ルフィの叫び声に呼び寄せられてしまった。最悪の結果を生み出したルフィはというと――。

 

 

「うおォォォォ!! ごっめ~~~~んっ! エースゥ! サボォ!!」

 

 

 涙を滝のように流して謝っていた。

 

 

「ルフィ……。そなたはわらわの想像をはるか上をゆく大バカ者じゃ……。でもそんなルフィも、わらわは愛しておる。ふふふ、罪深い男じゃな、そなたは」

 

 

 ハンコックもまたバカ者である。窮地に立たされてもなお、愛する男への言葉を惜しまない。愛に生きる女は空気すらも無視するらしい。

 

 

「コケにしてくれたもんだ。海賊を手玉に取ったつもりらしいが、バカなガキで助かった。お陰で盗まれた金を取り戻せそうだからな」

 

「ポルシェーミっ! くそっ! ルフィのアホのせいで結局居場所がバレちまってんじゃねェか! 礼を言って損したっ!」

 

 

 エースの怒りはルフィだけではなく自身にも矛を向けていた。ルフィを一時でも人として信用した己がバカであったと。

 

 

「エース! どうするっ! 逃げるのか?」

 

「ダメだっ! ここで逃げちゃ、宝物まで盗られちまう!」

 

 

 引き下がれないエースは、サボに対して応戦の意思を告げる。サボもそんな彼の気持ちを察したのか、手に握る鉄パイプの感触を確かめた。

 

 

「ならば……。わらわたちも戦おう。ルフィの犯した失態を取り戻すのも、わらわの役目じゃ! ルフィ、そなたも戦えるな?」

 

「おう! 泣いても謝ったことになんかならねェ! おれはァ……この海賊を今度こそぶっ飛ばしてやるんだ!」

 

 

 意気込みは良し。後は戦うのみだが――。

 

 

「おれに刃向かうつもりなのか? 命は粗末にするもんじゃねェ。だが、楯突く以上は殺すしかない。おまえら、覚悟は出来てんのか?」

 

「お前なんかの相手すんのに覚悟なんていらねェ。おれはお前をぶっ倒して、エースとサボと友だちになるんだっ!」

 

「意味の分からねェことを……。ブッ殺すっ……!!」

 

 

 その後は無我夢中であった。鉄パイプを振り回すエースとサボ。伸びる拳を飛ばすルフィ。凶器と化した脚で応戦するハンコック。数の上では勝るものの自分達は子ども。力のある成人、それも海賊相手ともなれば命懸けは必至。

 

 だが退けぬ戦いがそこにはあった。戦闘と呼べるのかも怪しいポルシェーミの一方的な蹂躙。殴り飛ばされるルフィとエース。蹴り飛ばされるハンコックとサボ。巨悪を相手取るには明らかに実力が伴わない。

 

 

「エース! コイツはヤバイっ! 1度逃げて体勢を整えようっ!」

 

「先に行け!」

 

「なに言ってんだっ! お前も逃げるんだよっ!」

 

 

 刃物で切られ血を流して意識を失ったルフィを抱えるサボ。殿戦のつもりなのか交戦し続けるエースとハンコック。サボは状況の不利を悟り、エースへと逃走を提案した。

 

 

「1度向き合ったら――おれは逃げない……!!!」

 

 

 固い意志と力強い眼で発するエース。傍で聴いていたハンコックはその言葉に感じるものがあったのか、感想を漏らす。

 

 

「良い決意じゃ。ルフィが友だちに成りたがるのも頷ける。ならばわらわも逃げぬ」

 

「おまえ……。死んじまっても良いのかよ? ムリしておれに付き合う必要はねェんだ」

 

「ふふふ、愚問じゃ。童――いや、エース。そなたに付きあわされて戦うわけではない。わらわは確固たる自分の意思で戦うのじゃ。他でもないルフィの為にっ!」

 

 

 ルフィが火蓋を切ったこの戦い。始末をつけるのは身内の役割。ゆえに逃げない。責任だって取ってみせる。ただそれだけの理由である。

 

 

「っち……。死んでもおれのせいじゃねェぞ!」

 

「承知しておる。この命はわらわが捨てるも拾うも自由じゃ」

 

 

 そして、その言葉を薄れゆく意識の中で聞いたルフィ。バカでアホだけど友だち思いの彼が、このまま倒れてなどいられまい。

 

 

「お、おれはまだ戦えるっ! おろせ、サボッ! おれもエース達と一緒に戦うんだっ!」

 

「おい、お前までっ! ちくしょうっ! もうやるしかないっ!」

 

 

 ルフィに引っ張れる形でサボも再び参戦する。もはや自分だけが逃げるなどという無様は晒せまい。

 

 

「ゆくぞ、皆よ。わらわに続くのじゃっ!」

 

 

 ハンコックが指揮を取る。王者としての資質がそうさせたのか。

 

 

「お前が仕切るんじゃねェ!」

 

 

 吠えるエース。彼もまた我の強い少年。他人に従うような玉ではない。

 

 

「ししし! おれがあいつをぶっ飛ばすんだ!」

 

 

 楽しそうに歯を剥いて笑う、好戦的なルフィ。

 

 

「おまえらまとまりがねェんだよっ!」

 

 

 3人のハチャメチャ加減に辟易するサボ。

 

 此処に(のち)に――コルボ山の悪ガキ4兄弟妹と呼ばれる子どもたちが爆誕する。



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13話

 子ども4人とて個々の力を結集すれば海賊1人程度の相手、対抗も可能という考えに至るハンコック。甘い認識だというのは彼女なりに自覚している。

 

 しかし、全身を巡る高揚感は少年少女らに戦意と決して折れぬ不屈の精神を付与した。ならば敵へと立ち向かうのみ。

 

 

「そっちだ、避けろっ! ルフィっ!」

 

 

 エースの警告がルフィの行動を誘導する。ポルシェーミがルフィへ斬りつけようと急降下させた刀は、エースの指示で飛び退いたことで避けられた。地面を勢い良く無駄打ちしたことで、瓦礫が礫のように舞う。破片がエースやサボを掠め、浅いながら皮膚を裂く。

 

 

「助かった、エースっ! でもケガをっ!」

 

 

 命を拾ったルフィは礼の述べつつも、負傷が気掛かりとなる。

 

 

「ケガなんて今更だっ! とっくに体中傷まみれだっ!」

 

 

 この戦闘の序盤に負った多くの擦過傷や切り傷。そこに一つ傷口が増えたとて、さほどの変化にも感じない。

 

 

「しかしヤツ……。強過ぎるのではないか……?」

 

 

 ハンコックの認識は極めて正しい。不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)に繋がる入り江を拠点とするブルージャム海賊団。その一団の船員(クルー)であるポルシェーミは役職こそ単なる戦闘員に過ぎない。されど一味の中でも突出した残虐性を見込まれ、船の金銭の管理の一部を担っている。

 

 それはひとえに荒事の多い海賊にとって、金や宝物を同業者や他の賊などに奪われぬ為の腕っ節を求められているからである。強さという面で言えば、ポルシェーミはゆくゆくは幹部格への昇格も期待されるほどに有望であった。

 

 まあ、今回は街のチンピラを運び屋として雇い、金を奪われるという失態を犯したのだが。

 

 

「本気でおれに勝てる気でいるのかァ……!! ガキに敗けるようならなァ! おれはァ、とっくに海賊をやめてるよォ!」

 

 

 子どもの体を斬りつけて今すぐにでも真っ赤な血を見たい。そんな願望がポルシェーミの眼光からは感じられる。おぞましい視線によるメッセージ。受け取ってしまったハンコックは血の気が引いてしまう。

 

 本物の死線とはこの場のことを指すのだと理解してしまう。もしもさっき、エースの言葉が無ければ退いていた。そうなれば死を遅らせるだけで、確実に報復に遭い命を落としていたことだろう。

 

 ならば尚更戦うべきだ。もっと言えば、ここで決着を付けねば明日は訪れない。

 

 

「メロメロ甘風(メロウ)っ……!!」

 

 

 ルフィ達の作ってくれた隙を見逃さない。例によってポーズを取り、ポルシェーミへと光線を浴びせる。受ければ石化必死。極りさえすれば、この死闘も一瞬で幕を閉じられる。そんな期待に(すが)って自身の得た悪魔の実の力を振るう。

 

 だが……。

 

「なんだァ? 妙な真似をしやがって。目眩ましのつもりか知らんが、効くわけねェよ」

 

「不発……じゃとっ……!? わらわの面貌を目の当たりにして心が動じぬとはっ! この男、わらわを人としてすら見ておらぬのか?」

 

 

 その推測は的を射ている。ポルシェーミという男は、異性に対する情欲は限りなく低い。彼の歪んだ性癖は女よりも血を求める。痛めつけて許しを乞う声、それでもなお命を徐々に削りもがく姿を味わう事を嗜好とするのだ。

 

 

「お前の顔が小奇麗だろうが、おれは元々ガキなんかに興味はねェ」

 

 

 それ以前の問題だったらしい。老若男女問わずというキャッチフレーズを掲げるにはまだ年齢が足りなかったようだ。以前、村長を魅了することに、なまじ成功してしまったがゆえに勘違いを起こしたのだろう。己の不覚を呪うハンコック。それでも死の漂う空気は彼女の全身を包み込む。

 

 

「ボサッっとしてんじゃねェぞ、ハンコックっ!」

 

 

 エースの怒号がハンコックの体に響く。ハッっとした瞬間には既に、ポルシェーミの刃がその柔肌に接触する直前。反射的に避けようと体は始動するが、圧倒的に時間が不足している。

 

 

「うおォォォォっ……!」

 

 

 腹の底から喉へと突き抜ける声がルフィから飛び出し、彼の頭はポルシェーミの腕へと衝突する。頭突きを受けたポルシェーミは凶刃の軌道を逸らしてハンコックを掠めるに留まる。

 

 

「ありがとう、ルフィ!」

 

「おうっ! でもあいつ、まだピンピンしてるっ!」

 

 

 眉を顰めて舌打ちする海賊。頭突きを受けた腕が赤く腫れ上がり痛々しい。ルフィの機転の良さが無ければ、4人の内の1人はここで脱落していたであろう。

 

 

「いまだっ! あいつが怯んでる内に畳み掛けろっ!」

 

 

 サボの突撃の指示にルフィ、ハンコック、エースが続く。まずはエースとサボが第一陣。鉄パイプを、それこそ奇声を叫びながら上から下へと単調な道筋を辿らせる。

 

 が、子どもの浅知恵など知ったものかと、ポルシェーミの刀が薙ぎ払われ鉄パイプは両断されてしまう。武器を失ったエースとサボは、唖然としながらも潔く後方へと下がった。

 

 

「2人がダメなら、わらわとルフィがっ!」

 

「いくぞー!!」

 

 

 第二陣としてルフィとハンコックのコンビが猛攻を掛ける。ルフィはゴムゴムの(ピストル)で直線的ながら高速で顔面を穿つ――。

 

 怯んだポルシェーミ。追撃を仕掛けるハンコック。技名をつけるほど極めた術技こそ持ち得ないが、卓越した脚裁きを武器とする。鞭の如くしなりを帯びた健脚はポルシェーミの足元へとめり込ませた。

 

 

「っぐ……!」

 

 

 呻き声を漏らし、その場に(うずくま)るポルシェーミ。

 

 

「年下になんか負けてられねェ! いっしょにやるぞ、サボっ!」

 

「あァ、エース! おれ達にも面子があるんだっ!」

 

 

 隙を晒したポルシェーミへと殺到するエースとサボは、彼を蛸殴りにする。子どもの筋力とは思えぬ豪腕。野生児の同然の生活で自然と鍛えられた殴打。ただでさえルフィとハンコックから受けたダメージを蓄積しているのだ。普段以上に堪えるものがあるだろう。

 

 やがて全身から体の力の抜けたポルシェーミはうつ伏せに倒れ、虫の息となる。体の隅々にわたるまで骨折や打撲を作った凶悪な海賊は立ち上がる気配を感じさせない。

 

 

「勝ったのか……? おれ達は……。サボ……どうなんだよ……?」

 

「おれにも良く分かんねェよ……。ここまでやり合ったのなんて初めてだしよ……」

 

 

 相互に確認するエースとサボは現実味の無い勝利に戸惑いを隠せない。

 

 

「考えるのは後じゃ……。ひとまずこの男をこの森から運び出すべきじゃ。そこのチンピラ、貴様が運ぶのじゃ」

 

 

 ハンコックが遠巻きに観戦していた街のチンピラへと命令する。元々、エースとサボの襲撃を受けて負傷していたチンピラは、逆らえる立場に無いと判断して素直に従う。身の丈を遥かに超える大男を引き摺って立ち去るチンピラの背を見送って、そこでようやく一同は一息をついた。

 

 

「はァはァ……。なァ、ハンコック……。なんかおれ達、よく分かんねェ内に勝った気がすんだ」

 

「わらわもルフィと同じ気持ちじゃ。懸賞金付きの山賊(ヒグマ)よりも恐ろしく思えて……まだ体の震えが止まらぬ……」

 

 

 自身の肩を抱いて湧き起こる恐怖感が薄れるのを待つ。しかし止まらない。ポルシェーミをあそこまで痛めつけたのだ。きっと奴は船長へと報告し、報復に現れる筈だ。

 

 

「この先、どうするんだ? おれ達はブルージャム達に命を狙われることになる。サボ、お前はどう思ってんだ?」

 

「正直、でかい問題になっちまってると思う。おれ、今まであのゴミ山に住んでたけど、これからはそういう訳にはいかねェ。入り江から近いんじゃ、文字通り寝首を掻かれちまう」

 

「そりゃ不味いな。ならよォ、他に行く当てがねェんなら――」

 

「ダダンの家で一緒に住もうっ!」

 

 

 エースの言葉を遮るようにルフィがしゃしゃり出る。沸騰したように苛立ったエースはルフィの頭に拳骨を落とし、無言の制裁とした。

 

 

「おれの言葉を盗るんじゃねェよ。だいたいお前は、おれとサボの友だちでもなんでもねェんだ。横から首を突っ込むんじゃねェ」

 

「なんだよォ……。おれは友だちになりたいんだっ! エースとサボのっ!」

 

 

 その言葉はルフィの内よりこみ上げた真なる想い。彼の行動の理由は始めから友だちになることの一点。他の感情などの混じり気も皆無。愚直なまでに真っ直ぐな気持ちをルフィは伝えた。

 

 

「お前、自分でハンコックの事を友だちだって言ってたよな? だったらおれとサボが友だちになる必要はねェんだ」

 

「必要だっ! だってエースは寂しそうじゃないかっ! サボだって居るけど、それでも何かを我慢してんじゃねェか!」

 

「なにをいきなり……」

 

 

 困惑するエースだが、否定し切れない態度で言い返しもしない。ルフィの言葉は彼の特殊な出自に対して深く刺さる。

 

 

「寂しくもねェし、我慢なんかもしてねェ……。勝手に思い込むな……」

 

「嘘だねっ! おれには分かるんだぞっ! お前のその目はずっと自分の事を恨んでる目だっ!」

 

「おれが……自分を恨んでる……?」

 

 

 果たしてエースは、ルフィより突きつけられた事実に何を感じるのか――。だが、無視も出来ないし、今更忘れることなど出来ようか。考えさせられた末に言葉を捻り出す。

 

 

「おれが誰を恨もうが勝手だ……。なんならお前を恨んでやってもいいぜ?」

 

 

 わざと自分から他者を遠ざける発言。これ以上、自分の心に踏み込ませたくはない。怖いのだ。触れられるのが、知られるのが――。

 

 

「エースよ。そなた……わらわの船長(ルフィ)の言う事に従えぬというのか?」

 

「なに……?」

 

 

 曲者なエースに対して、ハンコックはルフィの加勢に加わる。

 

 

「ルフィは海賊王になる男じゃ……。そんな偉大な男がそなたを目に掛けておる。この栄誉を無碍にしようなど、愚か極まって世界一の阿呆(あほう)じゃ」

 

 

 挑発的な物言い。子ども染みた分かり易い程の発破の掛け方にエースとて反論したくなる。だが……聞き捨てるには惜しい価値を見出してしまった。興味を抱くどころか、いっそ自分から飛びついてしまいたいほどの衝動。

 

 

「くそっ……。なんなんだよ、お前ら……。お前らの方が世界一のアホだ。バカヤロー……」

 

 

 (うつむ)いてサボに助けを求めるエース。彼の精神的な支えはサボという少年なのだろう。ハンコックにとってのルフィがそうであるように。

 

 

「友だちにはならねェ……。けど足手まといにならねェって約束するんなら、一緒に居ることくらいは許してやる……。それでお前らは満足かよ?」

 

「ししし! うんっ!」

 

「それで妥協しよう」

 

 

 ルフィとハンコックは得がたき友をこの日に天より授かる。いいや、他でもない2人が自身の力で勝ち得た友だちである。

 

 

「次はサボっ! おれはサボとも友だちになりてェ!」

 

「おれもかよ?」

 

「断らぬよな、サボよ。そなたも中々どうして……。抱えるものがあるようじゃが、ルフィはそんなもの、物ともせぬ度量の持ち主よ。袖にするには惜しいとは思わぬか?」

 

 

 甘い誘い。誘いの乗れば甘い蜜を(すす)れることだろう。本来ならば拒絶して、金輪際遭う事すら禁じたいが――サボにとっての唯一無二の親友エースが陥落した今、勝ち筋など潰えている。

 

 ならば導き出される解答は決まりきっている。

 

 

「仕方がねェ。エースと同じ条件ってなら構わねェ。だけど必要以上に関わってくるんじゃないぞ」

 

「やったー! サボも今日からおれ達の友だちだっ!」

 

「ふふふ、わらわたちの勝利じゃ!」

 

 

 海賊にも勝ち、エースとサボにも勝った。このまま常勝無敗を目標にするのもアリかもしれない。増長した2人は強引にエースとサボを引っ張り肩を組ませる。左右に揺れ動いて喜びの踊りとした。

 

 

「てめェら、恥ずかしい真似させんじゃねェ!」

 

「なんだよ、いいじゃんかよー!」

 

 

 赤面するエースは文句を垂れながらも組んだ肩を解こうとしない。

 

 

「なァ、なんかこれ……バカっぽくねェか?」

 

「男などバカなくらいが丁度良いわ。ルフィを見よ。あれは世紀の大バカ者じゃ」

 

 

 辛辣だがルフィは褒め言葉として受け取ったのかケラケラと笑っている。その後、全員揃って傷まみれの身でありながら愉快そうに談笑していた。

 

 ルフィが話題を上げて、エースが反論し、サボが加勢し、ハンコックが全てを掻っ攫う。そんな具合に会話は巡ってゆく。

 

 傍から見れば既に4人は紛れもなく友だち。否定するエースと当惑するサボの意見など通り様も無い。なにせルフィという世紀の大バカ者が、なにもかもをしっちゃかめっちゃかにするがゆえに。

 

 

 さて一行は日が暮れる前にダダンの住処へと向かう事とし、移動を始める。負傷した肉体が悲鳴を上げるが、本人らは苦痛に顔を歪めたりはしない。ルフィ、ハンコック、エース、サボ――それぞれが各々の存在を感じて心強さに守られている。

 

 到着した頃には、森には霧が掛かっていた。気分を台無しにする景色だが、そんな暗さもなんのその。明るい笑顔でルフィは扉を開け放った。

 

 

「ただいまーダダンっ!」

 

「あん? やっと帰ってきたんかいっ! このクソガキっ! 何度言っても雑用を放ってエースのケツを追いかけやがってっ!」

 

 

 開口一番の説教の嵐。だがダダンはエースとハンコックに加えて、見慣れぬ少年の姿を視界に認めると声を張り上げる。

 

 

「おいっ! エース! ルフィ! ハンコック! なんでガキが増えてんだあっ! どういうこったあ! 説明しろおっ!」

 

 

 混乱は頂点に達する。ドグラとマグラも頭領を鎮めんとして、ご機嫌取りの為に酒をダダンの口に含ませる。喉を鳴らして飲み干したダダンだが収まる気配は無い。

 

 

「おれはサボ。あんた、ダダンっていうんだろ?」

 

「サボだぁ? ああ、聞いてるよっ! とんでもねェクソガキだってなァ!」

 

「そっか。おれもダダンがクソババだって聞いてるよ。よろしくな!」

 

「よろしくじゃねエェェェ!! エースに始まり、ガープにルフィを押し付けられ、ルフィをストーキングするハンコック!! そこにおめェみたいなクソガキの世話を見るなんざ御免だよっ!」

 

 

 キレりダダンは最早、手の施し様の無い程に荒れている。だがサボはニコニコとダダンを眺める。彼もよっぽどの図太さを持っている。

 

 

「ダダンよ。わらわの滞在を受け入れたのじゃ。子どもの1人や2人が増えたところで影響などあるまい?」

 

お前(ハンコック)だって居座ってんのを認めたつもりはねェよっ! ちくしょうっ! 次にガープの奴が来たら引き取ってもらうからなァっ!」

 

「なんと大人気ない……。わらわはそなたのような狭量な女には成らぬと誓おう」

 

「うるせェ……! おめェもクソガキだっ!」

 

「そう怒鳴らぬで欲しい……。わらわ――こわい……♡」 

 

 

 紅潮する頬に手を当てていたいけな少女を演じるハンコック。態度や言動こそダダンの言うようにクソガキではあるが、見た目や仕草だけに着目すれば――世界で最も可憐な幼女そのもの。

 

 豆鉄砲を食らったようにダダンは胸がキュンとしてしまい押し黙ってしまう。

 

 

「っく、いかんいかんっ! こんなガキに何を惑わされてんだ、あたしはっ!」

 

「ひゃっひゃっひゃ! ハンコックの奴、ダダンをおちょくってらァ」

 

 

 サボの笑顔が振り撒かれる。エースにとっては、その心を許すしたかのような笑いは裏切り行為にも等しいが、咎める気にもなれない。

 

 

「なっはっは!! ハンコック、今のはおれも可愛いと思ったぞ」

 

「な、それはまことじゃな? ルフィっ!」

 

 

 ダダンを翻弄する為だけの演技が思わぬ副産物を生み出した。あの恋愛感情など一切持たぬルフィが手離しで可愛いと言ってくれた。この出来事は先ほどポルシェーミを打ち破った事実にも勝る一大事。

 

 

「ということはっ! ルフィはわらわのに惚れたっ!」

 

「ん? なんの話だ? 惚れたとか腫れたとかよく分かんねェや」

 

「くぅ……。ルフィはどんな時であっても、わららの心を乱してくれるっ……。あまり女心を弄ばないで欲しい」

 

 

 無自覚で悪意を感じられないだけに厄介極まりない。さりとて本人は冷たく当たってるつもりはない。ハンコックも彼の性格を知っているので、体にゾクゾクと(ほとばし)る、ある種の快楽に身を委ねる。

 

 

「あれ、ハンコック! 体でも痒いのか? さっきからソワソワして可笑しいぞ」

 

「違うのじゃっ! ただわらわは――」

 

「うーん、よしっ!」

 

 

 なにか思いついたのかニカッと笑みを浮かべるルフィ。そんな彼の動向を窺っていると、あろうことかギュッとハンコックの細い身体を両腕で抱え込む。

 

 

「あの海賊が怖かったんだろ? だから落ち着かねェんだ」

 

「う……。それもあるが、根本的な原因はそなたにある……」

 

 

 安心感を与える為に抱き締めてくれているようだが、逆に落ち着かない。むしろ取り乱す一方。そんな事情を知らず、ルフィはひたすらハンコックを苦しめる。ただし、この苦しさは同時に心地良さも与える。

 

 彼と密着し、熱を感じ、肌の感触を味わい、匂いを堪能する――。男が女に対して以上の行為を犯せば、実に変態チックで犯罪的。されど性別が逆転したらどうだろう?

 

 純愛に生きるハンコックがルフィに対して以上の行為に及ぼうと、それはまさに恋愛の一幕として認められる。誰にもつけ入る隙を与えず、むしろその恋愛を応援することだろう。暴論だと後ろ指を差す者も居ようが、その時はハンコックが直々に石化してくれる。

 

 

「ルフィ……。そなたは良い香りがする」

 

「えー? 血とか汗の匂いだぞ。変なハンコックだなー」

 

「男らしいではないか。ふふふ、その麦わら帽子も様になっておる。似合っておるしカッコ良いぞ、ルフィ」

 

「ホントかっ! ししし! ハンコックにカッコ良いって言ってもらえたぞっ!」

 

 

 シャンクスより預かった麦わら帽子の似合う男――その人物こそルフィであると讃えるハンコック。女の子に煽てられて喜ばない男の子はいまい。

 

 

「おお、わらわの言葉がそれほど嬉しいのか?」

 

「ああ、だってよォ。おれ、ハンコックのことが好きだからな。褒められたら嬉しいに決まってる!」

 

「ふふふ、気持ちの良い言葉じゃ。そなたの好きの一言に、わらわの心がどれほど弾んでおることか」

 

 

 好き――その意味は両者間では隔たりがある。今はまだ通じ合えず一方通行な好意。友愛と恋愛の違いは、どこまでも平行線を辿り交わることはない。

 

 

「ああ……ルフィ。ルフィー、ルフィ……ルフィっ!」

 

「なんだよ、そんなに名前を呼ばれても意味分かんねェ」

 

「ただ呼んだだけじゃ。わらわは口に出してそう呼びたいのじゃ」

 

「まァ良いけどよ」

 

 

 それ以上の追及は無し。好都合と考え、ハンコックは終わりなき抱擁に浸る。

 

 

「なァ、こいつら……。おれが不在の時はこんな感じなのか……?」

 

 

 外野とはいえ見ているだけで恥ずかしいルフィとハンコックの戯れ。エースは困惑気味にダダンに問う。

 

 

「あァ、このガキんちょ共はイチャイチャしねェと死んじまうのかってくらい、ベッタリだよ」

 

「マジかよ。おれはこんな奴らと一緒に居ることを許しちまったのか……」

 

 

 悔いても遅い。1度認めた事を撤回するなど男として廃るというもの。

 

 

「ハンコックって、ルフィの何に夢中になってんだ? おれから見てただのバカにしか見えねェんだけど」

 

 

 悪態をつくわけではないが、サボも疑問を口にする。たしかに際立って容姿の良いわけでもないルフィ。男らしさについては先ほどの海賊との一件で多少は認めてこそはいるにしても不思議である。

 

 

「そなたらには分からぬのか? なんと哀しい男達じゃ……」

 

 

 嘆くハンコックは演技掛かった仕草で信じられないもの見る目でサボとエースへ視線を送る。

 

 

「いや、わららの口から教えるのは負けた気がする。そなたら自身の目で見定めよ。結果は火を見るより明らかではあるが。百聞は一見にしかずじゃ」

 

「妙にもったいぶるなァ。っま、長い付き合いになりそうなんだ。気長に見ていくとするよ」

 

 

 前向きなサボ。しかし忌々しげにルフィとハンコックを目で射殺さんとするエースは真逆の考えのようで、今にも地団駄を踏みそうな剣幕だ。

 

 

「サボ、いくらなんでもこいつらに甘過ぎだっ!」

 

「かもしれねェけどな? でもエース。こいつらはおれ達が何と言おうと、ずっとこんな調子だぞ。たぶんな……」

 

 

 既に諦めの境地に近いのかサボは達観としている。

 

 

「…………サボがそう言うんなら、おれも少しくらいは見定めてやる時間をくれてやるよ」

 

「というわけだ、ルフィとハンコック。素直じゃないエースとおれを今後よろしくだ」

 

 

 順応の早いサボ。元来の彼は人懐っこい性格なのだろう。だからエースとも親友に成れたのだろうと、ハンコックは推察した。

 

 だが人懐っこさならルフィとて勝るとも劣らない。彼の人間的魅力はハンコックの美貌以上に人を選ばずに魅了する。

 

 

「頭が高いわ、そなたらっ! ここにおわすお方をどなたと心得ておるっ!」

 

 

 態度を翻した上に芝居でもしているかのような気迫。見下しすぎて見上げる体勢のハンコックは口上を続ける。

 

 

「この方は未来の海賊王にして、わらわの――旦那様じゃぞっ!」

 

「こ、こいつ! 真剣な顔して色ボケやがったっ!」

 

「絶対に自分の願望が混じってるよ、ひゃっひゃっひゃ!」

 

 

 エースとサボの反応も上々。気を良くしたハンコックはルフィへと頬ずりまでする。

 

 

「うへェー暑苦しいぞ、ハンコック」

 

「す、すまぬルフィ! つい興奮して周りが見えなくなって……」

 

 

 ルフィに嫌われたのかと落胆する少女は、咄嗟に少年から身を退く。だがハンコックは1度の失敗くらいでは決してへこたれない。未来の海賊王に並び立つ者として己を奮い立たせる。

 

 なにはともあれ、ダダン一家に新たな住人が増えた。少年サボ、エースの親友でありブレーキ役。良くも悪くも4人は噛み合い始めた。

 

 頭の中が年中お花畑だが初心な乙女なハンコック、ちゃらんぽらんだがハンコックを大切にするルフィ。新たに出来た友だちと共に悪名を轟かせるであろう。

 

 山道やジャングルの猛獣――町の不良やゴミ山の悪党――果ては入り江の海賊達との戦いに明け暮れる。彼らの引き起こす騒動の数々は、悪評として王国の中心にまで到達。

 

 だが着実に結束は増し、いかなる脅威をも跳ね除ける――。未来はまだ分からない。されど生きている限り、未来は確実に訪れ――いつか来る運命に直面するだろう。



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14話

――フーシャ村――

 

 ハンコックは長らく不在にしていたフーシャ村へと一時帰省していた。書置き一つ残さずに抜け出して3ヶ月以上。さすがに身の危険を疑われるのは避けられまい。

 

 久方ぶりに目に映る風景は変わらず平穏そのもの。コルボ山の猛獣や食人植物などのような危険要素は一切見受けられない。人間以外の生物といえば牧場の乳牛くらいだろう。

 

 さて、懐かしむのも程ほどにハンコックは真っ先に村長宅へと足を運ぶ。筋を通す相手はやはり村長を優先すべきである。なにせ彼はハンコックの義理の祖父ガープから孫を託されている。

 

 一番迷惑を掛けている相手として謝罪の一つくらいするのは義務である。親離れをするにはあまりに早い7歳という年齢。長すぎる家出はここいらで終わらせて、正式にダダンの家でやっかいになることを伝えたい。

 

 

「村長、久しいな」

 

「ハ、ハンコック……!!」

 

 

 玄関先に設置したテーブルと椅子に掛けて新聞を読みふける村長へと挨拶。彼はまるで死人を見るかのような目で硬直していた。どうも村長はハンコックがとうの昔に命を落としているものと考えていたようだ。

 

 

「本当にハンコックなのじゃな……!」

 

「見たがままじゃ。わらわは正真正銘、ハンコックよ」

 

 

 手を腰に当てて仁王立ち。威張るような場面でもないし、胸を張るような状況でも無い。しかし自身が元気であることを強調するには打って付けである。

 

 

「今までいったい何処に行っておったんじゃっ! わしはてっきり、お前はもう……」

 

 

 それより先は口にするのも憚れる内容らしい。

 

 

「村中を捜した。近海も捜した。もしやハンコックの容姿を見込んで貴族が攫ったのかと高町まで捜索の手を伸ばした……」

 

「そうか、わらわの行方を追って……」

 

 

 実際にはコルボ山や中間の森、その周辺のジャングルなどでルフィと共に野生児同然の生活を送っていたのだが、今は黙っておく。内容があまりに奇天烈だ。彼のした苦労が滑稽に映りかねない。

 

 

「言いたい事は幾らでもあるし、一度の説教で済ませるつもりもないっ! じゃが……」

 

 

 少し溜めて村長は言う。

 

 

「まずは――おかえり。元気そうで良かった……」

 

「ただいま、村長……」

 

 

 湿っぽい空気だが村長はそっとハンコックの頭を撫でる。撫でられて猫のように心地良さ気に瞼を閉じるハンコック。ガープと同じくらい、彼女は彼をおじいちゃんとして敬愛している。だからこの再会は申し訳なさと共に喜びも内包していた。

 

 村長宅には村の大人が十数名とマキノが急遽集まっていた。ハンコックの帰省とあってか、こじづけるように宴が始まったのである。かつて滞在していた赤髪海賊団に影響された部分もあるが、この村の風土として元々こういう気質なのだろう。

 

 

「それでハンコックちゃん。ルフィはまだコルボ山に?」

 

「おじいちゃんが無理やり連れていったゆえ、わらわの一存では村に連れて帰れなかったのじゃ。わらわ1人ならば多少の無理は利くだけに惜しい思いじゃな」

 

 

 マキノの問い掛けに自身の気持ちを添えて答える。ルフィも変に祖父に対して律儀であり、自分からフーシャ村へ戻る意思が無い。帰郷の許可が下りるのは一体どれほど先へと延びることか。

 

 

「コルボ山というとダダンの奴が根城にしておったな」

 

「村長は知っておるのか、ダダンを?」

 

「奴がまだ若い頃に少しな……」

 

 

 何か含むような口振りだが、小さな声で断片的に過去を語る村長。

 

 曰く、ダダンの若かりし頃は大層な美人であり、今以上に気性が激しかったそうな。

 

 元々はフーシャ村の住人であったとも。何かしら問題を起こして村のゴロツキを束ねた上でコルボ山に住み着いたそうな。

 

 

「わしから見ても目に余る無法者じゃったが、ガープの奴が睨みを利かせてからは落ち着いておる。ルフィも死ぬような事はないと信じておるが……。やはり不安じゃ」

 

「ならば問題あるまい。ルフィの傍にはわらわがおるし、歳の近い友だちも2人増えた」

 

「なんじゃと? ルフィに友だちが……。それは自体は喜ばしいことじゃが、聞き捨てならんことがある」

 

「なんじゃ、申してみよ」

 

 

 なにやら不穏な空気。

 

「ハンコックっ! この期に及んでダダンの下で暮らすつもりかっ!」

 

「ダメなのか?」

 

「ダメに決まっておるわっ! わしゃあ、ガープに何と言えばいいっ!」

 

「村長から話を通しておいて欲しい」

 

 

 面倒事を押し付けるように依頼する。ガープという男はそもそも交渉の席にすら着かない。力ずくで自分の考えをゴリ押してくるゆえに、ハンコックとて自身の愛嬌の良さを駆使しても太刀打ち出来ぬ相手。

 

 ならば端から他人任せの方が気が楽だ。万が一失敗に終わっても自分は何ら苦労をせずに済む。

 

 

「自分の身のことなんじゃ。ハンコック自身でどうにかせいっ!」

 

「いけずな村長じゃ……」

 

 

 協力は仰げなかった。ともすれば、ガープと直接対峙して説得しなければいけないのかと考えると、嫌気が差す。

 

 

「ではこういうのはどうじゃ? 此処にわらわが来たことを秘匿し、未だにわらわは行方知れず。おじいちゃんには捜索中とでも話しておけば良い」

 

「根本的解決になっておらん……」

 

「解決などする必要もあるまい。自由にやるのが海賊。わらわも海賊の卵。予行練習として大目に見るべきじゃ」

 

「大人として見過ごせん」

 

「ならばもうよい。今日ここに参ったのは、わらわの無事を知らせる為と今後はコルボ山で暮らすことを告げる為。義理は通したつもりじゃ」

 

 

 これ以上は話すことなど無い。そんな態度が滲み出ている。

 

 

 

「ええいっ、この不良娘っ!」

 

 

 素行不良を犯す不良娘ことハンコックを叱る村長だが、有効的な手立てなど持ち合わせていない。つまるところ、この戦いはハンコックの勝利ともいえる。

 

 

「では、わらわはもう発つ。いずれまた来るので、そのつもりでよろしくじゃ」

 

 

 現れるのも突然だが去るのも突然。顔だけ見せに来たハンコックは、村長の制止を難なく振り切ってコルボ山の方角へと消えた。

 

 まさに海賊に相応しい身勝手さ。彼氏に影響される女の如く、ルフィの色に染められたハンコック。これでもかと輝く栄華を極める彼女の人生はまだまだ始まったばかりだ。

 

 

 

 

 さて、コルボ山ではルフィ、エース、サボによる模擬戦が繰り広げられていた。ハンコックがフーシャ村へ出掛けている間に、少しでも水をあける気で臨んでいた。

 

 

「ちっ……。手足が伸びるなんてヘンテコな体だな」

 

「うるせー、おれは気に入ってんだっ! ハンコックだって褒めてくれてんだぞっ!」

 

 

 エースの片頬に伸びた腕、更にその先の拳をめり込ませたルフィが、自身の体質の優位性の根拠にハンコックを挙げる。

 

 

「だけど伸びるから何だってんだっ!」

 

 

 拳の衝撃をものともせず、エースは伸びきった腕を掴んで引っ張り、引き寄せられたルフィの顔面を蹴り上げる。

 

 

「ぐぇっー!」

 

 

 蹴られたルフィだが、痛みはゴムゆえに無い。だが不意を突いた衝撃は視界を揺さぶり吐き気を催す。

 

 

「おれの勝ちだ」

 

「悔しいっ! もうちょいで勝てそうだったのに!」

 

 

 駄々をこねるルフィに冷淡な態度のエース。今の試合も戦績へと数えられる。傍で審判をしていたサボが記録を得点板へと記入した。

 

 

「ルフィもめげないな。エース相手だけじゃなくておれにも負け越してんのに」

 

「サボにだってもう少しで勝つっ! 見てろっ! 今におれがサボも負かしてやるからなっ!」

 

「おもしれェ。でも言っておくけど、おれとエースはお前よりも3歳も年上だ。経験値だって差があるんだぞ」

 

 

 年期の違いというものだろう。地力の差がそのまま結果へと直結し、ルフィの連敗という有り様が生まれたのだ。

 

 

「ところでルフィ。ハンコックが居ない今だから聞くけど、あいつのことが好きなのか?」

 

 

 サボが脈絡も無しにルフィへと問いを投げる。

 

 

「好きだぞっ! 一番最初の友だちだし特別だっ!」

 

「ああ、そうか。ルフィはまだ恋愛を知らないんだな? まあ、おれも男女の付き合いとか分からねェけどな。でもそうなると、ハンコックの奴が不憫に思えてきた」

 

「違ェねえ。こいつ、バカで鈍感とか救いようがねェもんな。ルフィに御執心のハンコックが憐れだ」

 

 

 ハンコックとはまだ完全に打ち解けたわけでもないエースとサボだが、男女の関係を近くで観察する位置に居るだけあって、見たままの感想くらいは漏らしてしまう。

 

 

「エースまでおれのことをバカにすんなっ!」

 

 

 2人にいいように言われて物申すルフィ。漠然とバカ扱いされているという事だけは野生の勘にて感じ取った。

 

 

「でも冷静に考えてもみろ? おれたちで一番のバカはルフィだ。次点でハンコック。おれとエースは学はねェけど、悪知恵が働くって自信があるんだ」

 

「だからルフィ。お前は自分はバカだって認めた方が良いぞ。幸い、あのお節介なハンコックがお前にベッタリなんだしな。バカでも生きるには困らねェだろ」

 

「そっかー! ハンコックが世話見てくれんなら、おれは安心だっ!」

 

「こいつ……。バカにされてるって気づいてないのかよ?」

 

 

 純粋無垢と言えば聞こえは良いが、その実態は貶されても理解出来ぬ愚か者だ。とはいえ、本人が上機嫌なのだ。わざわざツッコミを入れて水を差す必要性もあるまい。

 

 と、ここでルフィ達の下へと可愛らしく鳴る駆けてくる足音。息を切らしながら立ち止まった黒髪の少女は、話題にも上がった、ルフィ限定でお節介なハンコック。

 

 

「盛り上がっているようじゃな。ムサい男たちで恋バナでもしておったのか?」

 

「おお、ハンコック! なんかなー、エースとサボが言ってたんだ。おれバカだけどハンコックが世話みてくれるから大丈夫なんだってよ!」

 

「それは事実ではあるが……。そなた、バカにされているのに無自覚? ふふふ、バカな子ほど可愛いと言うが、あながち間違いではないらしい」

 

 

 本心ではエースとサボに怒りをぶつけたいところだが、ルフィの天真爛漫さに毒気を抜かれてしまったハンコック。振り上げかけた拳は行き場を失い、和やかな空気へ紛れるように溶け込んだ。

 

 

「というわけじゃ。わらわは、ルフィのお世話役として今後も生きてゆく」

 

「自分から苦労を買うなんて変わった女だな……」

 

 

 エースの言葉にハンコックは即座に反論する。

 

 

「苦労などとは思わぬ。これはわらわだけに許された生き甲斐じゃっ!」

 

「こいつ、まるでルフィの母親(オカン)みてェだ。過保護にも程があるだろ」

 

 

 過保護で結構である。過干渉なのは自覚済み。けどルフィは嫌がってなどいないし、ハンコックも空虚な心が満たされる。持ちつ持たれつの関係性。誰も損をしていないし、良いこと尽くしである。

 

 

「わらわたちに醜い嫉妬心をぶつけるでない。見苦しいのではないか?」

 

「妬いてねェよっ!」

 

「愛に飢えていそうな顔をしてよく言えたものじゃ」

 

 

 興の乗ったハンコックは、ついエースをからかってしまう。ドライな性格のエースだが、少し攻めかたを変えてしまえば、こうも脆い。なんと弄り甲斐があるのだろうか。

 

 

「エース、あんまし反応が過ぎると思うツボだ。悪い癖だぞ、そうやってすぐに頭に血が上るところとか」

 

「サボっ! お前は年下の女にナメられて黙ってられるのか!」

 

「場合によるとしか言えねェ。でもハンコックが相手だ。年下相手にそう腹を立てることもないんじゃないか? 疲れるだろ」

 

 

 年長者ならば落ち着きをみせろ。キレ易いエースにそう言い聞かせているサボの方が、よっぽど大人に見える。

 

 

「そうだな……。少し頭を冷やすか」

 

 

 サボの言葉とあってか、エースはすんなりと受け止めた。2人の間柄に上下関係は無い。

 

 されど今のやり取りを目の当たりにしたハンコックは、対等でありながらエースを支えるサボの行動にある種の尊敬の念が芽生える。

 

 

「(わらわもルフィを支えるというのなら、こう在るべきじゃ)」

 

 

 見習うべき点は今後も出てくることだろう。自分にとってプラスになる要素は貪欲になって吸収しようという腹積もりである。

 

 

「さて……。模擬戦の結果を確認する限りでは、ルフィの惨敗のようじゃな?」

 

「そうなんだよ、聞いてくれよっ! ハンコックっ! エースとサボにもあと少しで勝てそうなのに負けちまうんだっ!」

 

「よしよし、悔しいじゃろうな?」

 

 

 悔しげにハンコックの手を取って上下に振るルフィ。癇癪を起こした子供のような動作に笑いが生じる。そんな彼の頭を撫でながらあやす。

 

 とはいえ身内がこうも悔しがっているのだ。仇というわけでもないが、この陰鬱な気持ちを代わりに晴らすのも保護者(ハンコック)の責務。

 

 

「ならばわらわも模擬戦に参戦しよう。今こそルフィの味わった敗北の屈辱を、そなたらに返す時じゃ」

 

 

 勇よく宣戦を布告する。

 

 

「いいぞ、望むところだ。ただしエースは今、ルフィと勝負したばかりで疲れてる。だからおれが相手になってやるよ」

 

 

 ハンコックの申し入れた勝負をサボが受ける。彼もまたエースに代わって戦う意思である。いわばルフィとエースの代理戦争。開戦は間もなくだ。

 

 

「3つ数える。数え終わった瞬間から模擬戦の開始だ。サボ、ハンコックに吠え面をかかせてやれ」

 

「ああ、任せてくれ」

 

 

 信頼感を放つ2人の空間。出会ってから5年もの月日を経たエースとサボの固い絆は、ハンコックをして容易に崩せまいと難敵の出没を予感させた。

 

 

「ハンコック! 絶対に勝てよっ! おれはハンコックが勝つって信じてるんだっ!」

 

「その信頼には是が非でも応えたいものじゃ。安心せよ、勝算はある」

 

 

 こちらもまた、強固で深い絆が自分達に勝利を掴ませんとして鼓舞している。友情と愛情の混じり合った心の繋がりは、ハンコックをどこまでも強くする。

 

 生半可な心持ちでは相対することすら、ままならぬだろう。それほどの闘争心が彼女からは噴き出していた。

 

 

「カウントを開始するぞ。3・2・1・始めっ!」

 

 

 エースの合図と共に模擬戦は開始。ハンコックに先んじてサボが跳躍して飛び掛かってきた。

 

 砲弾のように破壊力を纏ったサボの肉体。そこから生じたエネルギーを右腕へと収束し、ハンコックの端正な顔へと容赦の無い一撃を入れようとしている。

 

 対してハンコックはサボの挙動に反応がワンテンポ遅れ、何も対処しなければ一打で意識を刈り取られることだろう。

 

 だがそんな勝負の流れなど織り込み済み。たった1つの手段で戦況を覆す秘策が彼女には有った。

 

「メロメロ甘風(メロウ)っ!」

 

 

 突き出した腕、その先端で組まれたハート型の両手。射出された桃色の光線が、宙を直進するサボへと着弾する。

 

 

「しまったっ……!」

 

 

 身動きの取れない空中ゆえ、全身に満遍なく魅了効果を持つ光の帯を浴びたサボ。別段、ハンコックを異性として意識などしていないが、ごく一般的な美醜感覚に照らし合わせて彼女を可愛いと感じてしまった。

 

 その感情はハンコックの能力による裁定により邪心認定され、ものの見事に石化へと至る。宙で殴りかかる途上の体勢でサボは動きを止め、数十センチだけだが落下する。

 

 地面にゴロリと転がるサボは、物言わぬ置物に成り下がっていた。

 

 

「サボが敗けた……!?」

 

 

 審判役のエースは模擬戦の勝敗を告げる心の余裕が無いのか、呆然と親友の敗けに受け入れがたいショックに(さいな)まれていた。

 

 時間にして数秒足らずの決着。勝負の幕切れにしてもアッサリし過ぎている。

 

 

「これがわらわの実力よっ……!!」

 

 

 固まったサボの頬をペチペチと手の甲で叩きながら石化を解除。自由を取り戻したサボはというと、キョトンとした顔でだらしなく口を開けていた。

 

 

「あれ? いまおれ、なにをしてたんだっけ?」

 

 

 前後の記憶が欠落しているのか、キョロキョロと周囲を見回して混乱の真っ只中をさ迷うサボ。そのあまりの滑稽さにハンコックは口を押さえて笑いを堪える。

 

 

「わらわの勝ちじゃ。この勝利はルフィのものでもある」

 

「たかが1度勝ったぐらいで――」

 

「何が言いたいのじゃ、エース? 男ならハッキリと申してみるがよい」

 

「ちっ…………べつに」

 

 

 他人の勝利にケチをつけようとするエースを一睨み。言いかけた言葉は喉の奥へと消えたようで、ハンコックは文句の付けようもない完全なる勝利を得た。

 

 

「すっげェー! あのサボに勝ったぞっ! ハンコックはやっぱり強ェなァ!」

 

「わらわが強いのではない。サボが弱いだけじゃ。それはそれとして、ルフィに褒められてわらわは嬉しい!」

 

 

 この期に及んで追い討ちをかけるようにサボを名指しで弱い発言。ただしサボは混乱中ゆえに憤ることはない。

 

 

「この際じゃ。エースもわらわの面貌に見惚れるものか確認するというのはどうじゃ?」

 

「これ以上、お前の遊びに付き合ってられるかっ!」

 

「子どもには遊びが必要じゃ」

 

 

 蠱惑的な笑みをエースへと浴びせかける。エースとてハンコックが容姿美麗な少女である事実は認めるところ。ただし、人として信用しているかは別問題だ。

 

 生来が人嫌いのエースだ。同性異性問わず心を開く事など稀有なケース。サボとの出会いから打ち解けるまでにもそれなりの期間を要したものだ。

 

 ましてやハンコックなど初めて顔を会わせてから3ヶ月と少し程度。彼女の小生意気な性格も災いして毛嫌いの部類に収まっている。

 

 だから何かとハンコックの発言の数々に噛みついてしまう。それだけに彼女の美貌を認めてしまう自分が、エースは堪らなく許せなかった。

 

 

「なァなァ、エース。怒った顔してよォ、なにかあったのか?」

 

 

 馴れ馴れしくエースの肩に手を乗せて問い掛けるルフィ。ウザさで言えばルフィは、ハンコックと比較して相対的にマシに感じる。

 

 ルフィは人との距離感が短くバカなだけで基本的には人畜無害。ハンコックの存在により想定外にも際立ってしまったようだ。

 

 そうなれば自然と態度を軟化させてしまう。エースはルフィの手を払い除けることもせず、いたって普通に返事をする。

 

 

お前(ルフィ)(ハンコック)が目上の人間に対して生意気な口を利くから苛立ってんだ」

 

「そっかー! そりゃごめんなー! ハンコックはおれの(友だち)だもんな! おれが謝らねェとな!」

 

「はあん……♡ またルフィは的確にわらわの心を射抜く!」

 

 

 その場に力無く崩れ、腰を抜かすハンコック。ルフィの『おれの(ハンコック)』発言は、『おれの友だち』と変換される意味合いだ。

 

 理解の及ばぬルフィは毎度のようにハンコックの心を無自覚に(もてあそ)ぶ。気遣いのつもりか、ハンコックの肩を支えて立ち上がらせるルフィ。

 

 心臓の高鳴りによってフラフラとするハンコックは、不意の体の密着に、ますます胸の鼓動が速まるのを感じる。

 

 

「まじかよ……。ルフィのやつ、おれとサボには勝てねェくせに、ハンコックを秒殺しやがった」

 

「ししし! よく分かんねェけど勝ったぞ!」

 

「わらわはルフィとの相性が悪いようじゃ……。あ、恋愛面での相性は抜群であると弁明させて欲しい」

 

 

 抜け目無く自らをフォロー。そんな不純な思考の下でも至福の時を全うする。善意から肩を貸すルフィには悪いが、私欲から彼の胸へと身をあずけた。

 

 自然とハンコックを受け止める格好となったルフィは、急な荷重でよろめくものの持ちこたえてみせる。

 

 だが、やたら意味も無く、くっついてくるハンコックの動機など分からずに首を傾げた。これもハンコックの仕掛ける好意を示すアピールだが、微塵も気付く素振りはみせない。

 

 

「ハンコック! 引っ付きすぎだぞ!」

 

「すまぬ、迷惑であったな。しかし許して欲しい、ルフィ。時々でもこういった安らぎの時間が必要なのじゃ」

 

「ハンコックはおれとくっついてると安心すんのか?」

 

「するっ! そなたを最も近くに感じられる場所こそ、わらわの安住の地。すなわちルフィの腕の中じゃ」

 

「へー、そっか。じゃあ、しょうがないよな」

 

 

 巧みな話術――と呼ぶにはあまりに不出来だが、頭の中がほぼ空洞なルフィ程度であれば騙すのも造作無い。悪そうな顔をしたハンコックは、自重すること無く欲張って手まで握り締める始末。

 

 

「おれたちの存在をガン無視してっけど、周りが見えてねェのか?」

 

 

 サボの呟きは果たしてハンコックの耳に入っているのか――。否、2人だけの世界に入り浸り、外界からの情報の一切合財を右から左へと素通りさせている。

 

 

「これで分かったろ、サボ。ハンコックもルフィと同じくらいバカな奴なんだ。こんな女にお前は模擬戦で敗けちまったんだ」

 

「え、ホントか? 記憶が曖昧なんだが、やっぱりおれはハンコックに敗けてたのか」

 

「そうじゃ、そなたはこんな女(わらわ)に敗けた。それはそれとして、そなたらの会話は聴こえておるぞ」

 

 

 バカの(そし)りを受けては黙ってなどいられまい。

 

 

「とはいえわらわはルフィの女――。バカということはルフィとお揃い。ふふふ、悪い響きと言い捨てるには惜しいものだ」

 

 

 有頂天となったハンコックに歯止めは利かない。

 

 

「失敬だぞ、ハンコック! おれをバカって言うなっ!」

 

 

 寛大な心の持ち主であるルフィもこれには反発する。最も親しい友人(ハンコック)から、そのような謂れをされてはいきり立つというもの。ハンコックへの反抗心として彼女を体から引き剥がそうとするが。だがしかし、がっちりとルフィの腕をホールドしている為か、ハンコックは接着剤の使用を疑ってしまう程に剥がれない。

 

 

「た、助けてくれよ! エース! サボ!」

 

 

 助けを求めるルフィであったが、エースは冷ややかな目、サボは愉快気に事を見守っている。救いなどこの世には無いのだと絶望の淵に立たされるルフィ。

 

 

「ルフィ。いまのわらわはテコでも動かぬ。観念するとよい。女というものは時には強情なのじゃ」

 

「おれ、いまのハンコックが怖いし嫌いだっ!」

 

 

 ルフィにすらそう言わしめるハンコックの行過ぎた好意。私欲を満たす為ならば当事者の意思すら寄せ付けない。

 

 

「許して欲しい、ルフィ。そなたの器ならば女のわがままのひとつ受け止められる筈。今こそ、男の度量を示す時じゃぞ」

 

「そういうもんなのか?」

 

「そういうものじゃ。わらわがこれまでルフィに嘘などついた事はあったか?」

 

「ねェっ!」

 

 

 言いくるめられたルフィは即答。その回答に満足げにほくそ笑む悪女が此処に1人。

 

 

「では――もうわらわの事は怖くはないし、嫌いではない。そうじゃな?」

 

「うんっ!」

 

 

 誘導の仕方が最早、悪魔染みている。小悪魔系女子のそれとは比にならぬ手管だ。青ざめた顔で成り行きを見ているエースとサボは、人として付き合う相手を誤ったのでは? そう自身らの選択に迷いが生じていた。

 

 

「ししし! なんかおれっ! ハンコックと一緒ならエースとサボにも勝てそうな気がすんだっ!」

 

 

 手を絡ませあってルフィは声高に言う。

 

 

「バカが勝手に言ってろ。ハンコックと同時に掛かってこようが、返り討ちにしてやる」

 

 

 真っ向から勝利宣言を受け止めるエース。少々捻くれた返しだが、彼なりの誠意である。

 

 

「わらわもルフィと同じ。今なら誰にも敗ける気がせぬ。サボよ、そなたとてわらわたちの射程圏内におるのだぞ」

 

「おお、言ったな! ハンコックに教えてやるよ。出る杭は打たれるってな」

 

 

 サボもハンコックに煽られて熱くなる。年長者としての余裕など、この際に放り捨てたのだろう。自身の湧き上がる気持ちに従ったのだ。

 

 やがて休息は十分とばかりに、ルフィとハンコック、エースとサボの2陣営に分かれて早々に模擬戦は再開される。どちらとも戦意に不足無し。

 

 奇しくも能力者と非能力者との対決となったが、ルフィとハンコックはまだ戦う者としては未熟。確実に勝利を掴める保証は無い。

 

 ゆえに今こそ問われるのだ。ルフィへの愛が。愛する人との絆を証明する為に、ハンコックは負けられぬ戦いに臨むのだった。



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15話

今回は狙ったように露骨な展開です。
苦手な方はご注意をお願いします。


 結論から言えば模擬戦の結果は共倒れ――としか表現のしようがなかった。

 

 全10戦中、全試合にて引き分け。年齢差など関係無く伯仲した実力で衝突した挙げ句に、4人全員が仰向けに倒れていた。

 

 エースとサボは能力の有無に関わらず、ルフィたちよりも3年長く生きる経験の差ゆえにか堅実な力量を持っていた。

 

 若さと勢いだけなら負けず劣らずのルフィたちと言えど、その差を詰めるには一歩足りない。

 

 とはいえ差は縮まらぬにしても、ルフィの伸びる四肢や、ハンコックの石化能力への警戒心を誘うことで、一定の行動の制限には成功した。

 

 諸々の条件が重なり実力的にはかなり肉薄。最終的にほぼ互角の立ち回りを可能としていた。

 

 さて、ハンコックたちの状況だ。地面に背をつけて仰ぐ夕焼け空は、なんと眺めの良いことか。運動の後とあってか爽やかな気分で感傷に浸っていた。

 

 とはいえ決着が着かなかったという点では全員に不満の残る結末だ。なんとしても一勝くらいは上げたいと願うハンコック。

 

 たが、とうに日は暮れており、今日中での決着は困難。タダンも帰る気配の無いハンコック達を心配している頃合いだろう。

 

 

「うはーっ! 良い汗かいたなー!」

 

「しかし汗や泥でヒドイ汚れじゃ。不快で仕方ない」

 

 

 ハンコックは体のベトつきや土にまみれた衣服への不快感で苦い表情を浮かべる。一刻も早く入浴し、服も洗濯したいところ。

 

 

「よーし! エースとサボ。早く帰って風呂に入ろうぜ!」

 

「あァ、熱いお湯に浸かって疲れも取りてェ。今日はルフィとハンコックのアホが、バカみてェに勝負を挑んできたからクタクタだ」

 

「アホだのバカだの余計な一言を言わねば気の済まぬ性分か? 腰抜けのエース!」

 

「ノータイムで言い返しやがって。ガキか、お前は?」

 

 

 売り言葉に買い言葉。腰抜けだと罵倒したが、エースからは思うようなリアクションは得られなかった。

 

 

「風呂に入るのは構わねェ。けどそうなるとハンコックは独りで入浴だな。一応、チビでもハンコックは女だろ?」

 

「一応も何も紛う事なき女じゃ。サボの目は節穴か? しかし由々しき問題と言える。当然、わらわの素肌をルフィ以外の男になど見せとうない」

 

 

 ハンコックのこれまでの人生で裸身を見せたのは、まだ幼い頃のハンコックの入浴の介助をしてくれた孤児院の女性職員くらい。フーシャ村へ定住してからは、入浴は自分1人できちんと出来ている。

 

 意外なことにルフィとは未だに一緒に入浴した事実は無い。世帯が違うという事もあるが、大胆そうに見えて実は初心なハンコックの性格が、もう一歩先へ踏み出す事を拒絶した。

 

 段階を踏んでからでないと、いくら恋い焦がれる相手と言えど裸身を晒したりなどすまい。純情な乙女の微妙な心境。ハンコック自身も我が身ながら面倒な羞恥心を抱え込んだものだと考えさせられる。

 

 とはいえガサツな女よりは貞淑な乙女の方が男性受けは良いかもしれない。ルフィが女性の内面をどこまで重視するかは不明だが、マイナスとなりうる要素は極力排除したい。

 

 

「ハンコックだけが仲間外れなのは寂しそうだっ! よし、ハンコック! おれ以外に裸を見られたくないんならよォ、おれと2人だけで一緒に風呂に入ろうっ!」

 

「ル、ルフィ……! そなたは、わらわが気にしていることにお構い無く踏み込んでゆくのじゃなっ!」

 

 

 ルフィからの提案は、男女の性差や羞恥心といった厄介な制約を無視したもの。

 

 

「で、では……。そなたがそれを望むのなら、わらわは従います――」

 

 

 女の(かお)となったハンコックの声には、ルフィへ媚びるような甘さが含まれていた。念押しするがハンコックはまだ7歳。とても幼女の喉から出る類いの声ではない。

 

 恍惚としてルフィへ熱い視線を送るハンコックは、ハッキリと言ってチョロい女の子である。ただし、ルフィが人として大物であるという線も否めないので注意されたし。

 

 

「今のこいつらには触れない方が良さそうだな。関わると面倒事に巻き込まれそうだ」

 

「まったくだ。アホが移っちまう」

 

 

 サボの意見は至極全う。同意見のエースは呆れた顔で指を差す。まあ、関わるも何もハンコックは既に自分だけの世界に閉じ籠っている。外部から抉じ開けでもしない限りは、飛び火などはあり得ないだろう。

 

 場所を移して風呂場。ダダンの居城の裏手には掘っ立て小屋が建てられており、その内部に風呂場が設けられている。既に衣服を脱いだルフィは、はしゃぎながら風呂場へ飛び込んでいた。

 

 遅れること5分。ルフィ相手とて裸体を晒す事への抵抗感から脱衣すらままならなかったハンコックが追いつく。

 

 一糸纏わぬ瑞々しい姿を露としたハンコックは、緊張と恥ずかしさにより、顔だけと言わず首元にまで赤みが達していた。

 

 初雪の到来よりも早い目映(まばゆ)い純白の肌。女神よりも神々しく神秘性を帯びたソレは、ハンコックの着飾らぬからこそ主張する美しさを演出していた。

 

 体つきについては発育前ゆえに平坦な部分が多くの割合を占める。しかし、未成熟ゆえの青い果実は、いずれ実る春の訪れを予感させた。

 

 いや、青い果実よりも以前の段階。発芽にすら至らぬ種子と称するべきか。ならば殊更に無限の可能性を秘めている。

 

 

「ルフィ……。お、お待たせっ!」

 

「遅かったなー。服を脱ぐのに時間掛かり過ぎだぞ」

 

「すまぬ。決心がつくまでに長い葛藤があったのじゃ」

 

「まあ、いいや。しっかし、お前の体って綺麗だなー」

 

 

 まじまじとハンコックの裸を眺めるルフィの視線は、邪心など微塵も感じられない。けれどハンコックは、一方的にその視線に身悶えていた。

 

 更にルフィはハンコックの肌の手触りを確かめるべく、承諾も得ずに肩口を指でツンツンとつつく。

 

 

「あ……♡」

 

 

 瞬間、触れられた刺激が呼び水となって、ハンコックの頭の中で脳内麻薬が過剰分泌され始める。快感……とまではいかないものの、未知の感覚がハンコックの思考を占拠する。

 

ルフィの触れた先から感覚が過敏となり、彼の吐息が首に掛かっただけで脳髄が弾けるような錯覚に襲われた。

 

 沸騰した水のようにグツグツと体の芯からこみ上げてくる熱さ。まだ湯槽に浸かっていないというのに、のぼせてしまいそうだ。

 

 

「へェ、スベスベだな」

 

 

 触れる場所をハンコックの二の腕へと移動。ルフィに手のひらで擦られ、感触を精査される。少女の気も知らずのん気なものだ。

 

 

「ル、ルフィー!」

 

 

 堪えかねて身を捩ってルフィから離れようと試みる。ルフィの手から逃れて背中を向け、視界から彼を外してしまい無防備となった。

 

 まだ肉付きは薄いが、しっかりとした丸みを帯びた臀部が形の良さを意図せずしてルフィへと知らしめた。小振りであってもその曲線はハンコックの健脚へと流れるように繋がっている。

 

 

「あ、ちょっと待ってくれよ!」

 

 

 執拗にハンコックの体を目当てに狙いを定めるルフィ。彼の魔の手ならぬゴムの手から逃げ切る余力はハンコックに残されてなどいなかった。

 

 次なるターゲットはなだらかな曲線を描く背中。一点の穢れも知らぬ背中は、ハンコックの無垢な様と連動しているかのように純白の肌。

 

 背筋に合わせてルフィの指でなぞられる。そのほんの一動作で、体の奥底が甘美にうずく。こうなっては息も途切れがち。

 

 全身が蕩けそうな悦楽によって自重を支えることすら億劫となって、ハンコックはその場でへたり込んでしまう。尻餅をついたことで、いよいよ逃げ場を失ってしまった。

 

 にじり寄るルフィが今ばかりは悪魔に見える。詳細まで語るならば、悪気など無い癖に、良からぬ結果を導く無邪気な悪魔だ――。

 

 

「どうして逃げんだよ。もしかして急に触ったのが嫌だったのか? だったら、ごめんなー」

 

「嫌ではない。突然だったゆえ、驚いただけじゃ! ルフィに触れられると、どうにもくすぐったくてな」

 

「へェ、くすぐったいねェ」

 

 

 ハンコックの弱点をみつけたり。そう面白げに笑みを浮かべたルフィは、ついでにイタズラを思いついたらしい。

 

 身動きの取れないハンコックの弱味に漬け込み、彼女の両脇へと手を差し込んでコショコショと指先でくすぐる。

 

 

「ふふふ! あははは! や、やめよっ! ル、ルフィーっ! く、くすぐったいっ! ふふふ!」

 

 

 当然の帰結だが、くすぐられれば笑い出す。強引な手段によって引き起こされた笑いは、ハンコックの涙腺から涙をも引き出す。

 

 ハンコックは自身の弱い部分への責め苦に、ただ苦しみだけではなく、じゃれ合いによる温もりを得ていた。

 

 こうも気兼ね無く付き合えて心を通わせられる相手はルフィ唯1人に限られるだろう。だからこそ貴重な時間であり、貴重な機会だ。

 

 先程までの淫靡な空気は嘘だったかのように払拭される。和気あいあいとした雰囲気に塗り替えられ、ハンコックとルフィの顔からは笑顔があふれていた。

 

 

「やられてばかりは性分ではないっ!」

 

 

 反撃の時。ルフィの隙を縫ってくすぐり地獄から脱して、攻守一転。今度はハンコックがルフィの脇腹へ手を触れて刺激を与える。

 

 

「あひゃひゃひゃ!! ハ、ハンコックっ! く、くすぐってェ!」

 

 

 子どもに有りがちなくすぐり合い。興の乗ったハンコックは、新しい玩具をしばらく手放すことはなかった。

 

 

「負けてたまるかっ!」

 

 

 くすぐり合いの流れは更に一転。ルフィに押し倒されたハンコックは仰向けとなり、風呂場の天井を見上げる。

 

 ルフィの攻勢はそれだけに留まらず、再び彼の手がハンコックの鋭敏と化した脇や横腹をネットリと撫で上げた。

 

 

「ふふふ、あははは! ルフィ! し、しつこいぞ! わ、笑いが止まらぬっ!」

 

「ししし! ハンコックの反応がおもしれェから止められねェんだ!」

 

 

 それから何度も立場を入れ替えての攻防が続き、両者ともに笑い疲れたことでようやく終息する。結局、裸を見られて恥ずかしいだの、触れられて顔をカァーッと熱くさせたのもハンコックの一人相撲だったのだ。

 

 

「はァー! 楽しかった!」

 

「わらわも同意しよう。ここまで笑ったのは初めてかもしれぬ」

 

 

 まだ体を洗う前とはいえ余計に汗ばんでしまった。さっぱりしたいという欲求が押し寄せ、汗で湿り気を帯びたハンコックのうなじが(なまめ)かしく輝く。

 

 

「長風呂は他の者たちへ迷惑を掛けてしまう。手早く体を洗ってしまおう。ルフィ、わらわが背中を流そう」

 

「おう、頼む!」

 

 

 風呂椅子に掛けたルフィの背中に泡立ったボディタオルを押し付け、ゴシゴシと擦ってやる。気持ち良さげに声を漏らすルフィ。

 

 お礼とばかりに今度はルフィがハンコックの背中を、男らしく豪快な手付きで磨く。その力強さときたら、ハンコックの柔肌にはやや刺激が強すぎる。しかしそれでも彼女にとっては至福をもたらす魔法の手。

 

 さながら夫婦水入らずの背中の流し合い。そんな妄想をするハンコックを不純とするのは酷薄だろう。彼女とて初めての体験に冷静さを欠いているのだから。

 

 一通り体を洗い終えた2人は同時に湯槽へと足先から入り、ゆっくりと肩まで浸かる。能力者ゆえに体の力が抜けてしまうが、ここには外敵は存在しない。無防備deはあるが、警戒の必要もないのだ。

 

 さて浴槽に向かい合って座るハンコックとルフィは、必然とお互いの生まれたままの姿を視界に収める事となった。

 

 

「(ルフィの胸板……。なんと(たくま)しいっ!)」

 

 

 また幼い為かルフィの身には目立った筋肉は見受けられない。されど、これまでハンコックの身を受け止めてきた男の胸板だ。幾らかの補正が入り、ハンコックの瞳には逞しく映っていた。今も彼が実物以上に大きな男に見え、惹かれるに足る魅力を放っていた。

 

 

「いやァ、良い湯だなー」

 

「たしかにちょうど良い湯加減じゃ」

 

 

 チラチラと鎖骨をちらつかせて、さりげなくルフィを誘惑するが――眼中に無いのか彼の視線はハンコックの顔にのみ集中していた。会話の最中ゆえに相手の顔をしっかりと見る、そうガープより教育されているのだ。

 

 

「(わらわの体にはルフィの気を引くほどの魅力が無い……? むむ……! 今後の成長次第じゃなっ!)」

 

 

 女の威信に懸けて、ルフィへと挑戦してみたが結果はお察しの通り。肉体の芸術美と称するにはまだ色々と貧相。年齢を鑑みれば可愛らしいものだが、それで納得するほどハンコックは聞き分けが良くなかった。

 

 

「(いや、生き急いでも仕方がない。わらわのペースではなくルフィのペースに合わせねばっ……!)」

 

 

 自身の思い違いを正し、やり方を改めるべきだと考え直す。ではアプローチを変えるというのはどうだろうか――。

 

 

「(わらわがルフィを魅了するのではなく、ルフィにわらわが魅了されるのじゃっ……!)」

 

 

 逆転の発想。今までのやり口では行き詰まる事は目に見えている。ならばまだ蓋を開けていないルフィの側から、恋の駆け引きを進行すれば良い。

 

 もはや思考停止状態のハンコックは、血迷った判断を下す。ルフィがそんな深刻な少女の内面に気付く筈もなく、収拾がつかなくなった。

 

 さて、ルフィに事の成り行きを一任したハンコックだが――実際問題、これから先に何が待ち受けているのかは未知の領域だ。

 

 けれど何かしら停滞した状況を打破する出来事が起こるはず。良くも悪くも変化を求める。

 

 その末に吉と出るか凶と出るか――。いずれにせよ如何なる結果であろうと自分の選んだ道。受け入れる所存である。

 

 

「ルフィっ!」

 

 

 考えがまとまった所で、まずは想い人の名を呼ぶ。その一言を皮切りに、ハンコックの一世一代の勝負が開始する。

 

 

「あれ? どうしたんだよ、ハンコック。顔が真っ赤だけど大丈夫か?」

 

 

 もしや見抜かれている? ハンコックが尋常でない覚悟の下での行動と知って、赤面を指摘したのだとすれば大した洞察力だ。

 

 

「のぼせてんのか?」

 

 

 いや、ルフィは気づかず。単なる思い過ごしを過剰に意識した気苦労だった。なんであれ今さら引き下がれない。ルフィがどのような態度や行動を取ろうとも、ハンコックの指針はぶれない。

 

 だから告げるのだ。今の自分が彼にして欲しいことを――。

 

 

「ルフィよ。頼み事があるのじゃ。いま、わらわを抱き締めて欲しい」

 

「頼み事って、そんなことで良いのか?」

 

 

 あえてルフィに攻めさせる。衣服も何も着用していないこの状況。素肌と素肌がそのまま触れ合うとするのなら、ハンコックはこれから受ける衝撃に耐えられるであろうか……。

 

 すなわちルフィから与えられるダメージを受けきってみせたそのあかつきにはハンコックの勝ちとなる。勝利条件としては妥当なラインだろう。

 

 

「よし、いつもハンコックには面倒掛けてるからな。お礼になるかは分かんねェけど、抱き締めるくらいなら、いくらでもしてやるよ!」

 

「あ、ありがとうっ!」

 

 

 快く引き受けてくれたルフィに感謝。拝むような気持ちで彼の抱擁を受けるべく、身を小さくして待ち構える。

 

 腕を広げてハンコックへと迫るルフィ。良くもまぁ、乙女の挑戦とは名ばかりの私欲にまみれた要求に応えたものだ。

 

 そしてハンコックは背中に回されたルフィの腕の感触と熱に、体を火照らせる。彼の胸板がハンコックの薄い胸へと密着。お互いの心臓の鼓動が伝わり、やがて重なり合う。

 

 

「(こ、これはっ……!)」

 

 

 言葉にすることすらは烏滸(おこが)がましい尊い体験。記憶の中に生涯片時も忘れることなき至福が刻まれた。

 

 現実味の無さに身震いまで起こす。だがこうしてハンコックの置かれている状況は、彼女自身が招いたもの。誤魔化しようがない。

 

 

「わらわは……幸せじゃ……」

 

 

 妄想ではない。夢でもない。紛れもない現実だ。ならばこの幸福を味わい、噛みしめ、飲み込もう。

 

 情欲などといった邪な感情とは無縁。仮に存在したとしても切り離して考えるべき極楽。この境地に再び至ること可能だあろうか――。

 

 であれば今を存分に堪能するのみ。己へ課した試練や挑戦などの記憶は既にハンコックの頭の中からは抜け落ちていた。

 

 

「変な感じだなっ! おれとハンコック揃って素っ裸でくっついたりしてよォ」

 

「これが裸の付き合いというものじゃ。覚えておくとよい」

 

「なるほどな!」

 

 

 裸の付き合いとは異性間で抱き合う事では決してない。されどハンコックは、またひとつ誤った知識を植え付ける。これまでも同じ手口で洗脳染みた教育をルフィへと施してきたのだ。

 

 さて、このなんとも甘く香る時間も有限。入浴時間が長引いてはエースやダダンに怪しまれることだろう。たいへん惜しむハンコックだが、子どものワガママとして通すのにもムリが有るとして潔く諦めた。

 

 抱擁を解いてルフィと別離する。なんと近い距離感での別れだろうか。唯一の救いは、この先何度でもルフィと共に入浴する機会に恵まれていること。

 

 ただ、今日という日は特別だ。なにせ幼馴染み特有の『小さい頃はよく一緒にお風呂に入ってたよね?』という、かけがえのないシチュエーションを体験出来たのだから。

 

 一生物の思い出だ。この記憶だけでご飯三杯はイケるだろう。というよりもハンコックの認識としては主食と言っても過言ではない。

 

 

「うしっ! 風呂から上がるかっ!」

 

「その前にひとつよいか? ルフィよ、約束して欲しいのじゃ。またわらわとお風呂に入ってはくれぬか?」

 

「いいぞ! 明日でも1年後でもずっと!」

 

「おお! 望んだ以上の回答じゃっ!」

 

 

 なんと驚き。ルフィもまたハンコックと共に入浴する事を望んでいるではないか! これはもう相思相愛では?

 

 などと自身にとって都合の良い解釈で勝手に盛り上がるハンコック。ルフィとの入浴は、どうも彼女から正常な判断力を奪うようだ。

 

 

「隙だらけだぞっ! ハンコック!」

 

 

 意表を突いたルフィの指の(うごめ)きが牙を剥く。神経の集中し、感度の高い部位である(わき)を狙われては、ハンコックとて悲鳴を上げる他ない。

 

 

「ふふふ、あはは! ま、まだやるつもりかっ! ル、ルフィっ……!」

 

 

 汗が(したた)る。しかし嫌な汗ではない。好きな男の子に触れてもらえるだけで満足。その上、彼はハンコックを楽しませようという厚意。無償の愛を感じて、胸がいっぱいとなる。

 

 しばらくして、さしものルフィも飽きが来たようでくすぐり行為は終了する。ハンコックとしては、たとえ笑いにより疲労が蓄積しようとも望むところであっただけに残念極まりない。

 

 それはそれとして、せっかく体を綺麗にしたというのに上書きするが如く汗を掻いてしまった。子どもの思考では後先を考えずに行動してしまう落ち度も責められまい。

 

 

「また汗を掻いてしまったようじゃ。ルフィは先に上がってくれて構わぬ。わらわはもう1度体を洗う必要が出来てしまった」

 

「おれのせいなんだし、手伝わせてくれよ」

 

 

 男として責任を取ると、そう申し出たルフィ。彼の顔を立てる意味でもハンコックはその厚意を受ける事とする。時には人に甘えることも大事。まあ、ハンコックは言うまでもく常時ルフィに甘え通しではあるが。

 

 

「では頼もう。ふふふ、ルフィのそういう部分がわらわは好きじゃ」

 

「そっかー。なんかよくわからんけど、ありがとうっ!」

 

 

 彼は自分の行いが何を意味するのか自覚していない。天然な人間であるからして、純粋無垢という言葉こそ彼には相応しい。ハンコックよりもよっぽど心の綺麗な人物だろう。

 

 そしてハンコックはルフィにその身を委ね、頭のテッペンから足の爪先に至るまでの全てを彼の手によって洗浄される。不意にルフィの手が体の各部位に触れてしまった際には、思わず『あ…♡』などと実年齢に対して、おませな声を漏らした。

 

その都度、ハンコックはルフィへと色気の伴った眼差しを向けるが、彼は一切動じず。頑なにハンコックの仕掛ける色仕掛けをいなすルフィは曲者である。

 

 ルフィは色欲を持たぬ稀有な男なだけあって、ハンコックの身を張ったアピールはこの先も不発に終わりそうだ。けれど少女は愚直なまでにルフィにゾッコン。桃色の恋愛脳は知能指数を著しく低下させる。無駄と分かっていても、失敗すると理解していてもなお挑む事は止めない。

 

 とはいえルフィのことを差し引けばハンコックはただの恋する女の子。年の割に内面的に早熟な面もある聡明な少女。その評はマキノや村長の談によるもの。

 

 

「ルフィ、ありがとう。そなたも汗をかいておるな? わらわもお礼として背中を流そう」

 

「いやァ、おれはいいや。何度も体を洗ってたら磨り減りそうだっ!」

 

 

 子ども特有の素直な想像。たしかに一度の入浴で体を磨きすぎれば肌が荒れそうだ。潔癖症でも無い限りムリしてまで洗う必要もあるまい。

 

 

「むう……もう少しだけルフィと洗いっこしたかったのじゃが……。次の機会に楽しみを取っておくというのも良いか」

 

 

 渋々、手を引くが未練たらたら。足掻くようにルフィへと頬ずりをして欲求を収める。ハンコックはルフィの頬の感触をモチモチしていると評し、ルフィはハンコックの頬をスベスベしていると評する。

 

 湯船に使って上昇した体温の交換を済ます。双方共に熱された身だ。冷却などされずに湯当たりしてしまいそうだ。

 

 が、ハンコックの身にある変化が生じる。鼻頭が熱くなったかと思えば、次に意識した瞬間にトロリとした生温い流体の感触。その正体はルフィによって早々に特定された。

 

 

「あひゃひゃひゃ!!!! ハンコック、鼻血出てんぞっ! アホみてェな顔だっ!」

 

「鼻血じゃと……?」

 

 

 手で拭ってみれば、なるほど――。触れた手の平が真っ赤に濡れていた。湯に浸かったことで血流が促進されて鼻血を噴いてしまったのだろうか? はたまたルフィとの肉体の触れあいに興奮して、古典的なギャグのように鼻血を出してしまった?

 

 

「へへ、ハンコック! お前、おもしれェやつだっ!」

 

 

 感極まったルフィが血に塗れることを(いと)わずにハンコックへ抱きついてきた。ドンッという衝撃が、彼の接触を生々しく脳へと伝達する。

 

 

「ル、ル……ルフィっ……!」

 

 

 鼻先が更に熱さを増す。どうやらハンコックは後者の原因により、鼻血を噴いたらしい。ルフィとの度重なる肌と肌の接触が興奮の糧となった。蓄積した色情がハンコックを昇天させようとする。

 

 視界が明滅を始め、意識が飛びかける。されど薄れゆく意識の中でハンコックは思う――。

 

 ルフィに抱かれたままなら、たとえ鼻血を噴いていようが極楽へ逝ってしまっても――。一片たりともその生涯に悔いなど無いと思ってしまう。

 

 ゆえに幸せな心地で本日の入浴は締めくくられた。ルフィとハンコックの混浴が習慣化された記念日として――。



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16話

 ジャングルの中、大木の枝の上でハンコック達は本日の獲物(夕飯)の品定めをしていた。エースとサボに感化されて、ハンコックとルフィまでもが鉄パイプを主要武器(メインウェポン)として採用。

 

 強固な骨格を持った猛獣に対しては何かと好都合であり有用性がある。まさか拳や蹴りだけで狩りが成立などすまい。とはいえ世の中の広さから言えば、バナナワニと呼ばれる大型のワニを蹴りだけで締める男も存在していそうだ。

 

 話を本筋へと戻す。今日の夕飯は決まっている。沼地のワニだ。自分が食糧として狙われているなど露知らず、ワニは悠々と泳いでいる。残り短い生を謳歌しているかのようで、ハンコックには憐れみながらも、貴重な命を戴きますとお祈りを捧げる。

 

 命を奪うからには決して無駄にはせず、残さず食べる意思である。ともあれ食べ盛りな少年たち、ダダンとその手下の男衆などの食べる口は多いので、食べ残しなど杞憂に終わるだろうが。

 

 

 色々と考えながらも狩りは続行される。エースが先陣を切ってワニの頭蓋を叩き、サボが横腹を打ち込む。続いてルフィが追撃し、ハンコックがトドメを刺した。襲撃すら悟らせることなくワニの討伐を果たす。

 

 呆気ないものだがハンコック達の狩猟技術が向上したがゆえ。狩猟に際しての当初のエース&サボによる指導は年長者だけあって目を見張るものがあった。いまやハンコックとルフィも狩りは手馴れたものである。

 

 

「ししし! 旨そうだァっ! ワニメシにして食おうぜっ!」

 

「ワニの皮を剥いで街へ売りに行くのもアリだ。それなりの金にはなるだろ」

 

「街のチンピラやゴミ山のゴロツキに奪われないようにしないとな。エースとルフィ、あとハンコック。喧嘩とかして面倒ごとを起こすなよ?」

 

「街にはたしかレストランがあったはずじゃ。ワニ皮を売りに行くついでに食事などはどうじゃ?」

 

 

 

 それぞれの意見が飛び交う。だたし目的は同じく、ワニから肉を切り取り、その後皮を売却する。ともすれば腐らぬ内に解体処理をする必要がある。まずはダダンの家まで運搬しなければ。

 

 ワニへ紐を括り付けて4人で力を合わせて引っ張る。今こそ一致団結の時。掛け声と共にワニの重い巨体はズルズルと地面を引き摺られながらも着実に進み始める。

 

 いざワニの死骸をダダンの家へと持ち帰ると山賊らは盛大にハンコックらを歓待した。不況な山賊界にとってはワニの肉はご馳走。どう調理しようが間違いなく美味しく味わえるのだ。地域によってはワニ肉など日常の食卓にも並ぶ食肉であるし。

 

 

「うんめェっーーーー!! ワニメシすっげェ旨いっ!」

 

 

 ルフィの希望に沿って本日の夕飯の品目の一つにワニメシ。ルフィを喜ばせようとハンコックが手ずからワニ肉を調理し、ワニメシを振舞ったのだ。

 

 フーシャ村で暮らしていた頃、マキノや村長の妻から料理を教わっていた為、大方の調理法は身に付けている。さすがに本職の料理人(コック)には遠く及ばぬ(つたな)い腕前だが、バカ舌のルフィを満足させる程度なら十分だ。

 

 

「いやー、ハンコックのメシは旨いなっ!」

 

「満足してくれているようで作った甲斐がある。おかわりはまだある。好きなだけ食べるとよい」

 

「おう、お言葉に甘えておかわりっ!」

 

 

 茶碗を差し出したルフィに応じて、ワニメシをよそう。すると彼はひと飲みで完食する。暴食人間なのかとツッコミを入れたくなるが、それよりもよく食べる少年の可愛さにハンコックはウットリとする。

 

 

「もぐもぐっ。うん、意外な特技があったもんだな。まさかハンコックがこんなに料理が上手とは思わなかったよ」

 

 

 サボがやや余計な一言を添えてハンコックを褒める。ムッ、となるハンコックだが、ここで反応しても子どもっぽいと判断し、反論しかけた口を押さえる。

 

 

「わらわはこれでもルフィの女じゃ。ルフィに尽くすというのなら手料理のひとつ程度、出来ずしてどうするというのじゃ?」

 

「いや、結構なことだよ。まー、食い意地の張ったルフィと料理上手のハンコックだ。夫婦としての相性は良いんじゃねェか?」

 

「ほう……。サボにしては良い事を言う。ふふふ、そう! わらわはルフィの妻に相応しいっ!」

 

 

 おだてられて上機嫌で無い胸を張るハンコック。サボの口先一つでこうも容易くご機嫌取りが出来るのだ。面倒な性格をした少女だが、扱い方さえ弁えれば御すも容易い。

 

 

 

「あんまり褒めることはねェぞ、サボ。こういう手合いはつけ上がると鼻について仕方がねェ。見ていてムカつくんだ」

 

「そう喧嘩腰になるなって、エース。お前だって、この料理を旨いって思うだろ?」

 

「そいつは認めるが……」

 

 

 ルフィに対しては多少なりとも柔らかい態度のエース。さりとてハンコックにいざ向き合うとまだ棘が目立つ。彼女の容姿も強さも嫌と言うほどに認めているが、それだけに負けず嫌いな人格が反発心を生むらしい。

 

 

「そなたの喧嘩ならば買わぬ。ルフィがそれを望まぬしな」

 

「ほれ、みろ。ハンコックはお前と違って大人の対応をしてるぞ」

 

「ルフィを理由にしてるだけだろ? そんなもんは大人とは違げェ」

 

 

 サボまでもがハンコックの味方をする状況に苛立ちが隠せない。兄弟同然の親友までも奪われたようで無意識に刺々しくなっているのだろう。

 

 

「そう怒んなって、エース! ハンコックは良いやつだぞ! 昨日も、その前も風呂で背中を流してくれたんだ」

 

「あァ? ルフィがそう言うんなら少しは良いやつだって認めても良いけどよォ。でもやっぱり、なんか腑に落ちねェ」

 

 

 ルフィを弟のように意識するエースにとっては無視出来ぬ言葉。ここいらが潮時だろうかと自身の進退を思うエース。そろそろハンコックにも優しく接するべきか――。

 

 

「エースよ。わらわからお願いがある。ルフィを理由に歩み寄るのも何か少し違うような気がする。ゆえにじゃ――」

 

 

 突然のハンコックの宣言。普段ならば聞く耳も持たないエースだが、彼女の真剣な眼差しを直視してしまったがゆえに無下には扱えなかった。だから耳を傾けることにした。

 

 

「わらわの意思で頼もう。これからは仲良くしよう。友だちというやつじゃ」

 

「友だち……?」

 

「とうの昔にわらわとエースは友だちだと思ってはいた。しかしハッキリと口にしたわけでもあるまい? ならばルフィとサボを見届け人に、正式な友人関係を結ぼうではないか」

 

 

 臆せず言うハンコック。彼女もルフィの性格に大いに染まっている。以前までのハンコックならばエースのような小生意気な少年に、こうも下手に出て友だち宣言などしなかったであろう。

 

 

「っち……。年下の女にそこまで言わせちゃ、おれの立つ瀬が無くなっちまう。分かった、認めてやるよ。おれとお前は今日から友だちだ。それで良いか?」

 

「うん、よろしい。良く言えたな、エースよ。大したものじゃ」

 

「このヤロー! 上から目線で言いやがって! やっぱりお前なんか認めるんじゃなかった!」

 

 

 とは言いつつも、どこか嬉しげなエース。やはり彼も心の中で物足りなかったのだろう。生きることへの張り合いというものが。サボに支えられて10歳になるまで生きてきた。弟分であるルフィの存在で更に生き長らえ――。今、ハンコックとの友情を結び、妹分までも生きる糧とした。

 

 だからこれまでの人生に悔いはない。この選択は正しいのだと胸を張って言える。

 

 

「ひひ! ハンコックなんかには負けねェぞ! どんなことでも勝ってやるんだ!」

 

「言うたな? ならばわらわも同じ。そなたには負けぬし、ルフィの為に名声をも手に入れよう」

 

「妹分に負けてたら兄貴の名が泣いちまう。今日は負けを認めてやるけどな。ぜってェ、負けたままで終わらねェからな!」

 

 

 ようやくといったところ。収まるべき場所に収まったと感じか。

 

 

「なっはっはっは! 楽しくなってきたぞー! ハンコックとエースはずっと喧嘩ばっかだったもんな! 仲良しになれて良かったっ!」

 

 

 ルフィがお祝いの言葉を叫ぶ。その表情は屈託の無い笑顔で満ち足りており、サボにまで波及する。果てはハンコックとエースまでもを巻き添えにして笑いの渦が生まれる。

 

 なんとも賑やかな悪ガキ達だろうか。もう不和などとは無縁の仲良し4人組み。この先もきっとこんな調子で営みを続けていくのだろう。

 

 楽しい食事の時間は過ぎ去り、例によってルフィとハンコックは一緒にお風呂へ。ルフィの胸板に魅了されたハンコックが鼻血を噴き出すところまでがセットの日常の一幕。

 

 消灯後は床に雑魚寝。上から毛布を羽織っただけの粗末な睡眠。されどルフィとハンコックは(つがい)となって身を寄せ合う。これにより寒さを凌ぐのだ。

 

 

 

 

 

 

 そして一晩が明ける――。剥ぎ取ったワニの皮を売却する目的で街へ足を運ぶ。不確かな物の終着駅(グレイターミナル)を北に向かうと石造りの大門がある。街への唯一の出入り口であり、通行の際には守衛のチェックが入る。

 

 外の土地からここを通行するのはゴミ山から資源を集めて街へ売りに行く大人くらいだろう。ともすれば小汚い衣服を纏った4人の子どもなど通行確認の折に弾かれる可能性がある。ましてや最近になってコルボ山の悪ガキの名はかなり売れてきた。

 

 悪目立ちを避けて、ハンコック達は4人で肩車をして上で外套を被る。1人の大人に成りすましているのだ。下段からサボ、エース、ルフィ、ハンコックの順。最上段にハンコックが位置し、通行時の審査での回答も彼女が行った。

 

 

「ワニの皮を売りに来たのじゃ」

 

 

 語尾を少々怪しまれこそしたが難なく通行成功。まずは端町へと辿り着く。一旦、内部へ入り込めば正体を偽る必要性も薄れる。

 

 とはいえ、端町の治安はすこぶる悪い。ゴミ山の悪臭の届くこの区域の住民はチンピラ共の巣窟。鴨がネギをしょってきたとばかりに、ハンコック達の持ち込んだワニの皮を見るや否や呼び止めてきた。

 

 

「なんじゃ? そなたら程度に呼び止められるいわれなど無い」

 

「へへ、良いから持ち物をこっちに寄越しな! ゴミ山からやってきたんだろ、お前。なら人権なんてねェんだ」

 

「頭の悪い考えじゃ。そもそもそなたら自身に人権が有るような口振り。解せぬな、わらわからすれば、そなたらこそ人の皮を被った下衆な獣畜生に見える」

 

 

 煽りに煽る物言い。これからワニの皮を売り込んで食事の予定なのだ。水を差されて腹を立ててつい、口が挑発へと走る。

 

 

「ルフィ、エース、サボよ。わらわたちで、この者共をこらしめるのじゃ」

 

 

 外套を脱ぎ去った瞬間、あくどい笑みを浮かべた悪ガキが解き放たれる。そこからは血の惨劇。大人ですら寄せ付けぬ圧倒的な暴れっぷりでチンピラ達をコテンパンに痛めつけ、逆に彼らの所持金を全て巻き上げてしまう。

 

 大漁だとホクホク顔の一同。これだけあれば街の中心街で値の張るレストランでも食事が可能だ。まあ、山賊に育てられている現在の悪ガキたち。所持金が十分であろうと無銭飲食に走ることだろう。

 

 端町から中心街へ。この辺りは保安官が治安維持に努めており、町のゴロツキも近づかない。活気に溢れる繁華街には多くの人々が行き交っていた。早々にワニの皮を売却し、子どもには似つかわしく無い額の金銭を得るに至った。

 

 そして空腹を持て余して歩くハンコック達が目を付けた食事の場は、いわゆる高級レストラン。ドレスコードの厳しいお店だが、ブティック店で盗み出したドレスをハンコックに着させ貴族の令嬢へと仕立て上げる。

 

 

 着飾ったハンコックはまさしく深窓の令嬢然としている。毎晩の入浴を欠かさぬことで艶の保たれた髪は、周囲の視線を集めるほどの煌めきを放つ。きめ細やかな肌も、さほどの手入れを施しているわけでもないのに滑らかで瑞々しさを維持している。

 

 天女に等しき少女の降臨に衆目は目を釘付けにされた。そんな視線など意にも介さぬハンコック。周囲の人間が自身に平伏して当然とばかりの威風で街を練り歩く。

 

 そしていざ食事へ。ルフィたち他2人は令嬢ハンコックの下男(げなん)という身分で通す。すんなりとレストランへ入店を果たし、コルボ山での生活では中々お目にかかれないようなコース料理を堪能する。

 

 

「美味じゃ」

 

「高級料理はあんまり好みじゃねェけど、たまにはこういうもも良いな」

 

「ハンコックの容姿があったからこそ、ありつけたメシだ。ありがとな」

 

「むしゃむしゃ、うんめェなこれ」

 

 

 食事のマナーを知らぬ少年少女たち。せっかっく作り上げた深窓の令嬢という設定は早くも破綻しかけている。テーブル上は汚く散らかっている。倒れたグラスからは中身がこぼれ床に滴り、食べかすが何故かレストランの天井に張り付いている。主にルフィとエースの食い方が荒々しい事が原因である。

 

 意外な事にサボだけは様になる食事作法を実践していた。まるで貴族のような風情。不思議そうなに見つめるハンコックだが、彼女もまた育ち盛り。空腹を満たすべく、すぐに食事へと戻った。

 

 さて満腹になるまで食べ尽くした一行。会計の時間である。給仕がレジへと案内しようとするも――ハンコック達は窓を突き破って外へと逃亡する。つまるところは食い逃げである。

 

 

「代金を踏み倒す。ふふふ、なかなかどうして。甘美なものじゃな」

 

 

 地上十数メートルもの高さからの落下。しかし恐れずして顔に笑顔を張り付かせている。食後の満足感を漂わせていた。

 

 

「ぶへー! 食ったくった!」

 

「ぷへー! 旨かった! またあの店で食べてェな! 十中八九、出入り禁止だろうけど!」

 

「っへ、だから言ったろ? あの店には以前、食い逃げしたことがあってな。旨かったからお前らにも食わせてやりたかったんだ!」

 

 

 落下しながらの談笑。店舗用テントやポールを落下の緩衝材にして無事に着地する。近くで保安官が『食い逃げの常習犯だ! あの子どもたちを逃がすな!』と怒鳴っているが気にしない。

 

 普段どおり、悪ガキに徹するハンコックたちは逃げ足にかけてはボア王国1。保安官程度の足を巻く程度ならば造作も無い。

 

 

「次はラーメンでも食いてェな! 同じ建物にラーメン屋があるのをおれは見かけたんだ!」

 

 

 まだ食い意地を見せるルフィが涎を垂らしながら提案する。

 

 

「なるほど。ラーメンはまだ食したことがない。楽しみじゃな」

 

 

 ルフィほどではないがハンコックもまた食いしん坊。一度の食事量はダダン一家の男衆にも匹敵する。とはいえ日頃の運動量の多さから、プロポーション(貧しい身体つき)が崩れる事もあるまい。

 

 

「とっとと街から逃げるぞ! 現行犯じゃなきゃ、保安官もおれたちを食い逃げで捕まえられねェ」

 

 

 ゴア王国の法律では建前上、食い逃げや万引きや現行犯以外では逮捕されない。冤罪に掛けられる話にあふれているので、あまり目立たないルールの抜け穴ではあるが。

 

 

「エースとサボはこんな毎日をわらわ達と出会う前から送っておったのか?」

 

「へへ、まあな。おれとエースに掛かれば、ざっとこんなもんさっ! ここにルフィとハンコックが加わったんだ。鬼に金棒だよ」

 

 

 愉快・痛快・爽快! そんな三拍子揃った清々しいまでのサボの発言。同調するエースも誇らしげにしていた。食い逃げを誇る悪ガキ。子ども染みているが、ハンコックも理由も分からず楽しくなってきた。ルフィと共に馬鹿笑いしながら中心街を離れるべく疾走する。

 

 

 だが、そんな折である。走るハンコックたちの対面側に1人の貴族の男性。年頃は中年。その視線はサボに注がれていた。次の瞬間には、貴族の男はサボに向かって呼びかけていた。

 

 

「サボ! お前生きていたのか! 待ちなさい、家へ帰るんだっ!」

 

 

 明らかにサボを見知った人間の言葉。厄介な者を見る目で顔をしかめるサボ。

 

 

「なんかお前を呼んでるぞっ! あのおっさん!」

 

「おれはあんなおっさん、知らねェ! きっと人違いだ!」

 

 

 誤魔化すように言うサボだが、その顔に余裕さなど皆無。切迫した様子で無視に徹している。

 

 

「追及はせぬが……。あの男、まだサボの名を呼んでおるな?」

 

「ほんとに人違いなのか、サボー!」

 

 

 かといって逃げる足は止められまい。保安官がすぐそこまで迫っているのだ。ゆえに呼びかけには応じず、サボと共にハンコックらは街を離れた。

 

 

 

 

 

 

 しばらく走り息も切れた頃。海の望める崖へと辿り着く。樹木の根元に腰を下したサボは気まずそうに視線を地面へと落としていた。

 

 見かねたエースが問いを投げかける。何か隠し事をしている彼に真意を問うのだ。

 

 

「ワケを話してみろよ、サボ。おれ達の間柄で隠し事なんて水臭いだろ」

 

「いや、なんでもねェんだ……」

 

「ほんとかっ! なんでもないんだって!」

 

「ルフィ、それはちっと早計じゃ。何かしら事情が有るようにわらわには見える」

 

 

 騙されかけたルフィに反してハンコックとエースは懐疑的。疑惑の視線を絶やさず、サボへと掴みかかる。

 

 

「いいから話してみよ。わららたちはドンと受け止めてみせよう」

 

「お前らを信じても良いのか? 場合によっちゃ、おれたちの関係が崩れかねない内容だ……」

 

「侮るんじゃねェ! 今更なにを怖がってんだ! だったら()()()()の件はどうなる? サボだって受け入れただろうがっ!」

 

 

 大声で怒りを上げるエース。彼にも余ほどの事情があるのだろうとハンコックは漠然と感じる。いまこの場で尋ねる暇は無いが。

 

 

「なんかよく知らねェけどよ。ししし! いいから教えてくれよ、サボ!」

 

 

 楽観的なルフィ。対照的に悲観的なサボ。そんな彼とてルフィの能天気さを目の当たりにして気持ちがほぐれたのだろう。ポツポツと身の上を語り始めた。

 

 

「おれは貴族の子だ。さっきのおっさんは実の父親なんだよ」

 

「へェ、貴族ねェ。それって旨いのかっ!」

 

「おい、ルフィ。貴族は食い物じゃねェ。むしろ庶民を食い物にする連中だ」

 

 

 ルフィのおバカな発言を訂正するエース。

 

 

「貴族ときたか……。道理で先の食事の際、そなたは食事のマナーを弁えていたのじゃな」

 

「あァ……。悪いな、今まで隠しててよォ……」

 

 

 謝るサボはどこか諦観に満ちていた。軽蔑されても已む無し。そう彼の瞳が物語っている。

 

 

「察するにサボよ。そなたは貴族の家に生まれたものの、その家庭環境に嫌気が差して飛び出してきたのではないのか?」

 

「だいたいそんな感じだ。あの家は……息が詰まるっ!」

 

 

 洞察力の優れたハンコックは適確にサボの胸中を言い当てた。思わずサボも感情を抑えきれずに立ち上がる。

 

 

「サボ……。お前は貴族の地位を捨ててまでゴミ山に下りてきたのか? 少なくとも衣食住には困らねェはずだ」

 

「ああ、死にはしないだろうさ。でもな、エース。全部洗いざらい言わせてくれ。おれは貴族の家になんか未練はねェんだ。あんな場所は生き地獄だっ!」

 

「話してみろ……。おれはサボの事を嫌いになりたくねェんだ。相応の理由があるんだろ?」

 

 

 エースとしても親友のサボを信じたい。今更縁を切れなどと言われても全力で抵抗するだろう。ゆえにまずは抵抗するための大義名分を得たいのだ。

 

 

「両親はおれを息子としてではなく()()としてしか見てないんだ。あいつらが必要としてるのは親の言う事をきく良い子だけ。出来が悪くて逆らってばかりのおれを煙たがっていた」

 

 

 吐露するサボ。搾り出される言葉の数々からは苦痛と悲痛、あらゆる負の感情が含まれていた。

 

 

「親に決められた人生。自由なんてそこにはねェ。そんな人生なんてまっぴら御免だっ! おれは親の操り人形なんかじゃないっ! おれはおれの人生を送りたいっ!」

 

 

 親の存在に縛られた子。なんと窮屈な生き方であろうか。ある意味では同じ境遇のエースは、サボの抱える真相を知って呆然とする。やはり自分はサボを嫌いに成れない。どころか絶対に見捨てられない唯一無二の存在へと昇華した。

 

 

「そうだったのか……。サボ……」

 

「これまで良く頑張ってきたものじゃ、サボよ」

 

 

 エースとハンコック。彼の人知れずしてきた辛い日々を労う。ルフィなどはポカンとした顔で状況が飲み込めていない模様。貴族を食べ物と勘違いしていたような子どもなので致し方あるまい。

 

 

「なァ、エース! ルフィ! ハンコック! おれ達は海に出よう!」

 

 

 彼は高らかに言う。全てをぶっちゃけた事で決心が着いたのだろう。

 

 

「こんな窮屈な国なんか飛び出して自由になるんだっ!」

 

 

 海――。崖の上からでも望める遥か彼方まで続く大海。

 

 

「やりてェことは海に出れば幾らでも出来るっ! 冒険だってなんだって! そしたら海賊にだって成れるんだっ!」

 

 

 海を自由に生きる者達。その代名詞こそ海賊という名の集団。

 

 

「おれ達は海賊になるんだっ!」

 

「へへ、上等だよ! でもおれはサボに言われるまでもなく海賊になるつもりだ!」

 

 

 崖の先端に立って意気揚々と語るエース。手に持った鉄パイプを地面へと突き刺して口上を続けた。

 

 

「海に出れば敵は何匹でも湧いてくるさ。でもどんな奴らが相手でも勝って! 勝って! 勝ちまくって! いつか最高の名声を手に入れてやるんだっ!」

 

 

 その決意の程はエースの熱い言葉が物語っている。ハンコックとて認めるほどだ。

 

 

「他の奴らがどれだけおれを嫌おうと、認めざるを得ない大海賊になるっ! 海賊の高みってやつだ!」

 

 

 高まった衝動は天をも突く。世界に対する挑戦状を叩きつけてエースは心に染み渡るほどの充足を得た。

 

 

「ふふふ、エースにだけ意気込み良く言われてはわらわの名折れじゃ。わららこらも言わせて欲しい」

 

 

 エースの覚悟をしかと見届けたハンコックもまた演説を決行する。いま言わなければ抑圧された気持ちの昂ぶりが暴走してしまう。我慢など知ったものかと、彼女の口は自然と開かれた。

 

 

「わらわは世に蔓延る権力などには屈しぬ無敵の女海賊となるっ! 立ちはだかる者全てを撃破し、奪えるものは何もかも奪い去る。気高き女傑として世に知らしめるのじゃ。最強にして不敗。そして世界で最高の恋愛をして――」

 

 

 数秒ほど溜めて爆発的な勢いを以て言い放つ――。

 

 

未来の海賊女帝(わらわという女)は未来永劫、未来の海賊王(ルフィ)と添い遂げようっ!」

 

 

 それは彼女にとって確定した未来。他の誰でもなく、ハンコック自身が考え、悩み、導き出した道筋(将来)。ルフィが居る――彼女の夢の根幹には常にルフィという少年の存在が根付いていた。

 

 

「へへ、恥ずかしげもなく言いやがって。ルフィめ、果報者だなっ!」

 

 

 歯の抜けた顔でサボはルフィを羨む。想ってくれる女の子が居る男など、世の男の誰が見ても羨望の対象であろう。

 

 

「ししし! あァ、おれとハンコックはずっと一緒だっ! イヤになっても絶対に離さないからなっ!」

 

 

 

 いつか未来――どんな困難でも、いかなる窮地でも――モンキー・D・ルフィという男はハンコックと繋いだ手を離さない。強大な敵が2人の仲を引き裂こうとも、きっと離された手を繋ぎにいく。

 

 想いは重なり、心も重なり、抱く夢と野望をも重なる。何もかもが2人でひとつのルフィとハンコック。夫婦以上に深い結びつきは、未来の大海賊の誕生を予感させた。

 

 

「ルフィ……好きじゃ」

 

 

 そっとささやく。飾り気の無い一言。単純だが純粋な気持ちは強き想いが込められている。

 

 

「ハンコック……おれも好きだっ!」

 

 

 呼応するルフィ。その好きという感情の判別は彼には出来ていない。親愛であり友愛であり恋愛。そのいずれにも属さないカテゴリ外の愛情とでも言おうか。

 

 

「ししし! じゃー、最後はおれだっ! おれはなァ!」

 

 

 大トリをつとめるはルフィ。彼の夢の詳細は、コルボ山の悪ガキたち以外に今は語るべからず。しかし、エースとサボ――そしてハンコックはルフィの胸に抱かれたソレを確かに受け止めた。

 

 

「なっはっはっは! どうだ! すごいだろっ!」

 

 

 彼の偉大さを再認識するハンコック。彼の言葉に聞き入り酔ってしまった。足取りも覚束ない。だが、彼の器を実感した。彼の為ならばハンコックはどこまでも強くなれる。成長に上限など無い。愛が愛で在り続ける限り、無尽蔵の力がもたらされるのだ。

 

 

「さすがじゃ、ルフィ。わらわはそなたを愛しているを誇りに思う」

 

「何を言うかと思えば……。まあ、ルフィらしいと言えばらしいが」

 

「あははは! なんて面白ェなルフィ! お前の未来が楽しみでしょうがねェ!」

 

 

 三者三様の感嘆の声。ただし共通する点がひとつ。ここに集う4人は全員、海賊となる夢を掲げているのだ。

 

 

「しかし困ったな。ハンコックは副船長をやることは確定。けど、おれとエースとルフィの3人全員が船長をやりたいなんて」

 

「おれは譲らねェぞ。サボはおれの船の航海士でもやるもんだと思ってた」

 

「おれの船に乗れよー! お前ら全員、海賊王(おれ)船員(クルー)にしてやるよ!」

 

 

 纏まらぬ話。ここでハンコックの鶴の一声。

 

 

「なにも同じ船に乗る必要はない。ちなみにわらわはルフィの船に乗るつもりじゃ。それだけは揺るがぬ」

 

 

 聞き入る一同。となれば船出は3隻に分かれる事となる。

 

 

「じゃあ、バラバラの船出になっちまうな」

 

「おれはそれでも構わない。大海賊になるんだ。自分の力でどこまで通じるか試したい」

 

「ししし! ハンコックと一緒なら、おれはどんな海でも越えられるぞっ!」

 

「ふふふ、ルフィ! 海へ出ても一緒にお風呂に入ろうっ!」

 

 

 1人だけ主旨から外れた私語を漏らす。まあ普通にハンコックなのだが――ご愛嬌!

 

 さて覚悟の程を皆で語らった末――。切り株の上に盃が4つ並ぶ。悪そうな笑みで酒瓶を持ち込んできたエースはハンコック達へと、ある事を吹き込む。

 

 

「お前ら知ってるか?」

 

 

 ルフィ曰く、その酒瓶はダダンの私物。わんぱく小僧(エース)が黙って盗み出してきたのだろう。下手人は盃へと次々に酒を注いでゆく。4つの盃が満たされた時、エースは行動の意味を話す。

 

 

「盃を交わすと”兄弟妹”になれるんだ――」

 

 

 義兄弟の盃。元は任侠世界の風習であるそれは、いつしか海賊界にも広まった。

 

 

「ホントかよー」

 

 

 初めて知る知識に関心を向けるルフィ。

 

 

「…………」

 

 

 感無量ゆえに無言のサボ。

 

 

「ほう……」

 

 結ばれる縁に期待するハンコック。

 

 

「海賊になる時はきっと別の船だ。でもおれ達4人の絆は”兄弟妹”としてつなぐ!」

 

 

 距離など関係無い。世界中の何処に居ようとも――。

 

 

「どこで何をやろうと……。この絆はきれねェ……!」

 

 

 確かなる絆は今此処に――。

 

 盃を手に――4人は誓う。

 

 

「これでおれ達は今日から――」

 

 

 さあ時は満ちた――。

 

 

「兄弟妹だ!!」

 

「ああ!」

 

「おう!」

 

「うむ!」

 

 

 4人の持つ盃が同時にぶつかる。決意に等しい盃が触れた瞬間より――血の繋がりなどに依らない兄弟妹の絆が結ばれた。

 

 きっと世界は震撼することだろう。世界で最強にして最凶の兄弟妹が世に生まれたことに――。後に世界を引っくり返す海賊兄弟妹――。

 

 語られるのはもう少しだけ未来となるだろう――。



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17話

 正式に義兄弟の盃を交わして以後のコルボ山での4兄弟妹の日々は、より鮮烈で充実したものであった。野生動物を狩っては素材を街へ売りに行き、その都度ゴロツキらと言い争いの末に血と暴力を交えての大喧嘩。

 

 生傷の絶えない血生臭い日々だが、誰がピンチに陥ろうとも兄弟妹全員が一丸となって全力で助けた。その度に絆は強固なものとして仕上がる。

 

 

「その肉はおれのだっ!」

 

「いいや、おれのだっ! 兄貴に譲れよ! 胃袋の大きさが違うんだっ!」

 

 

 夜の食卓の一幕。

 

 ルフィとエースにより肉の奪い合い。森で獲った野牛の肉。大皿には山のように盛られ、まだ量としては十分に残っている。しかし、運の悪いことに2人が手を伸ばした先に掴んだ肉が被ってしまった。争いの発端としては馬鹿げたものだ。

 

 押し退け合い醜く見苦しいレベルの低い争い。見かねたハンコックが喧嘩両成敗とばかりに2人の頭に拳骨を落とす。

 

 

「阿呆者どもっ! 兄弟で何を低次元な喧嘩をしておるっ!」

 

「いてェ! おれ、ゴムなのに何で痛いんだ?」

 

「愛ある拳は防ぐ術なしじゃ。おじいちゃんなら、きっと同じことを言うことはず」

 

 

 涙目で疑問を口にするルフィ。その理不尽さに不満たらたらである。

 

 

「なんでおれまで拳骨で叱られるんだよ。おれは一応、お前の兄貴だぜ?」

 

「兄貴だからこそじゃ。ルフィはご覧の通りアホじゃ。手本となれるよう兄として努めよ」

 

「っち、妹の癖に姉貴みてェなことを……」

 

 

 ハンコックに頭の上がらないルフィとエース。この4兄弟妹でのヒエラルキーのトップは、どうやらハンコックらしい。

 

 

「あははは! お前らはもう少し大人になるべきだ」

 

 

 愉快気に3人のやり取りを安全圏から眺めていたサボ。母親のように2人の少年を叱りつけるハンコックに畏敬の念さえ抱いていた。彼女の前では下手にバカな真似は出来まい。まあ、彼女も時々と言わず、兄弟妹に混じっておふざけの過ぎる場合もあるのだが。

 

 なんだかんだ言って皆似た者同士なのだ。だからこそ人間として惹かれ合って、実の兄弟妹以上の絆を築けたのだろう。

 

 

「って、おいっ! おれ達から取り上げた肉を食ってんじゃねェよ!」

 

 

 エースの怒りの主張。あろうことか喧嘩の仲裁に入ったハンコックその人が、2人から没収した肉を頬張っていた。

 

 

「美味じゃな。そなたの悔しがる顔こそ最高のスパイスと成り得る」

 

 

 憎たらしく言い、エースの神経を逆撫でする。

 

 

「性悪女めっ! なんて嫌な性格の妹を持っちまったんだァ、おれはっ!」

 

「肉ならまだ其処にいくらでもあるではないか」

 

 

 山盛りの皿を指して、ご立腹なエースの気を収めようと図る。が、ここでひとつ極めて重大な問題が発せする。ハンコックとエースが言い争っている間に、なんと皿に盛られた肉が忽然と消えていたのだ。

 

 

「ぶへー! もう腹いっぱいだァ!」

 

 

 丸太のように胴を太くしたルフィが大の字で床に転がる。ひと目で分かる。肉を消し去った犯人はルフィなのは明白。

 

 

「おい、てめェ! よくも肉をっ! まだおれは食い足りてねェんだぞっ!」

 

「いやー、ごめん! 旨かったっ! 許してくれ!」

 

 

 謝罪の(てい)を成していない感想を付け加えるルフィ。これにはエースもブチ切れると思いきや、またもやハンコックが介入する。

 

 

「すこし頭を冷やすがよい、エースよ。わらわに争う意思など無い」

 

「それをお前が言うのか? 良い性格してんな、ハンコック」

 

 

 ともあれ、エースも多少なりとも精神的な成長を遂げたようで、事を構えることもなく怒りを鎮めた。彼にもハンコックの兄という自覚が芽生え始めたのだろう。まだ怒りっぽさは残るものの、尾を引くようなことは無くなった。

 

 

「ほう……」

 

 

 このエースの反応にはハンコックも感心し、兄として敬う心が僅かながらも生まれる。無論、表立って尊敬の念を口に出す事はしないが。

 

 

「なァ、ハンコック!」

 

 

 ルフィの呼びかけ。無視など出来まい。

 

 

「どうしたのじゃ、ルフィ。まだお腹が空いておるのか?」

 

「腹は膨れたけどな! 明日はハンコックの味噌汁が飲みてェ!」

 

「み、味噌汁っ! つまりプロポーズっ!」

 

 

 ハンコック恒例の早合点である。実に短絡的な解釈。されどルフィという甘い蜜に魅入(みい)られた少女は、いとも容易く恋愛脳に支配されてしまう。

 

 とある島国のプロポーズの常套句のひとつでも耳元で囁かれようものなら、瞬く間に()とされてしまう。

 

 以前はハンコックの意思で味噌汁を彼に作ってあげようと決めていたが、今回はルフィたっての希望。ならば腕によりをかけようではないか。

 

 おめでたい恋愛脳で明日の朝食の献立を決めたハンコックは、胸がポカポカするのを感じた。ルフィの為に作る味噌汁は特別な味。

 

 栄養価(愛情)満点。ルフィを惚れさせるまたとない好機。彼の心を逃さずにいられようか。

 

ひとり燃え上がる少女をエースとサボは遠巻きに眺め、内緒話をしている。陰口ではないだろうが、ルフィに夢中になり過ぎて知能が低下したハンコックを哀れんでいるようにも思える。

 

 ――そして翌朝――

 

 ルフィの希望通り、誰よりも早起きしたハンコックは味噌汁を作る。調理時間にして20分弱。味噌汁はこれまでに何度も作ってきた為、手際も初期と比べてかなり良くなってきた。

 

 寝坊助な兄弟達を叩き起こすと、ネチネチと文句を垂れるものなので眠気覚ましに蹴りの1発でも入れてやる。隙間だらけの壁をぶち抜いて吹き飛んだエースとサボ。

 

 無事なのはルフィくらいだ。ハンコックも最愛の人だけは文字通り足蹴に出来なかったのだ。彼を起こす際は無難に体を揺さぶって優しく意識を覚醒させた。

 

 

「あれ? なんでエースとサボは外なんかで寝てるんだよ」

 

てめェの女(ハンコック)に訊けっ!」

 

 

 あえて子細までは語らぬエース。傍若無人な振る舞いをする少女ハンコックの監督義務はルフィにある。だからこそルフィ自身がハンコックの全ての行動について責任感を自覚すべきなのだ。

 

 

「いてて……。兄貴達に対してこの仕打ち。さすがにおれも怒るぞ!」

 

 

 腰を強かに打ち付けたサボは患部をさすりながらハンコックに警告を発する。

 

 

「どういうこったァ! 誰だよ! ウチの壁に穴なんか開けやがったのはっ!」

 

 

 ことのほか響いた音によって目覚めたタダンが惨状を目の当たりにして叫ぶ。

 

 

「ダダン、わらわは知っておるぞ。エースとサボが犯人じゃ。寝相の悪さが極まって壁に穴を開けてしまったようじゃな」

 

 

 すかさず冤罪を被せる悪女なハンコック。迫真の演技ゆえにダダンもこれを信じかける。

 

 

「バカ言えっ! ダダン! こいつは嘘ついてやがるんだっ! どこの世界に寝相の悪さだけで壁を壊すやつが居るんだよっ!」

 

「そりゃそうだ! よくよく考えりゃァ、ハンコックは信用ならねェ!」

 

 

 エースの弁明をあっさりと受け入れるダダン。やはり赤子の頃から育てたエースという少年への愛着は深いらしく信頼も厚いのだろう。

 

 一方でハンコックはというと……。年齢の割に言動が大人びている癖に小生意気な子どもといった印象。ダダンからすればトラブルの種だ。ルフィが絡んだ途端、急に悪い部分が表に出てくる。

 

 人目を省みずにルフィへ甘えだし、その為ならば周囲への迷惑も厭わぬ。その姿勢はある意味ではハンコックという少女の個性を表していた。愛に生きる少女の煌めきは、何者にも屈しないのだと。

 

 

「バレてしまっては仕方があるまい。しかし許して欲しい。このわらわの可愛さに免じて」

 

「それが謝る人間の態度かよ! おれとサボは危うく犯人にされかけたんだ」

 

「妹のワガママ程度にいつまでも根に持っていて恥ずかしくはないのか?」

 

「どうしてこっちが責められてんだ?」

 

 

 理不尽を吹っ掛けるハンコックは、盃を交わしてから以前にも増してワガママが増えた。やはり名実共に兄弟妹になった事で遠慮が無くなったのだろう。

 

 

「エースは知らぬやもしれぬが、こう見えてわらわは性格が悪いのじゃ」

 

「どこからどう見ても性格が悪りィだろ!」

 

 

 悪童として有名なエースの口から認めさせるハンコックの性悪さは折り紙付き。彼女が優しく接する相手はルフィだけに限られるだろう。

 

 あとはフーシャ村の大人たちに対しては世話になっている分、多少は良い子ちゃんぶっている。まあ、同じく世話になっているダダンに関しては、あまりよろしくない態度を取っているが。そこは素の自分を曝け出せる気の置けない間柄とでも言えよう。

 

 

「ハンコック! あとでちゃんと壁を直しとけよ!」

 

「何故じゃ? わらわが何をしたというのじゃ」

 

「何もかもだよォ! まったく……。口の減らねェガキだよ」

 

「ふふふ……!」

 

「なに笑ってんだ! お前は、わざと言ってやがったな?」

 

 

 手に終えないとばかりに降参の意を表すダダン。ハンコックも少しおふざけが過ぎたかもしれないと、ここらで引き下がる。

 

 

「ダダン、早起きをして味噌汁を作っておいた。ルフィの為だけに作ったつもりじゃが、皆にも分けてやろう」

 

「へえ、殊勝なことじゃねェか。お前もそういう心掛けを普段から出来りゃあお淑やかな女の子なのによ」

 

「お淑やかでなければ、わらわは何者だと言いたい?」

 

「じゃじゃ馬娘ってところさ」

 

 

 たしかにハンコックは誰かに手綱を握られるような人間性ではない。精々がルフィに尻尾を振るくらいだろう。

 

 

「おー! ハンコック! 本当に作ってくれたんだなっ! ありがとう!」

 

 

 味噌汁の香りに食欲を刺激されたルフィが、調理場の鍋に興味津々。このままでは彼ひとりで平らげてしまいかねないので、急いで個別によそわねば。

 

 とはいえ最初の一口は是が非でもルフィに味わってもらいたい。もう何度もルフィには味噌汁を作ってきた実績がある。その都度、彼は笑顔で旨いと言ってくれて――毎回のようにハンコックの胸はいっぱいになる。

 

 ルフィの喜ぶ姿、美味しそうに食べたり飲んだりす?表情こそがご褒美。そして翌朝今も彼はハンコック手製の味噌汁を啜り――。

 

 

「うめェっ!」

 

 

 簡素に一言コメント。その直後には喉をゴクゴクと鳴らしてあっという間に飲み干してしまった。

 

 

「おかわりは自由じゃ。満足のゆくまで堪能するとよいぞ」

 

「おう! 全部おれが飲み干してやるっ!」

 

 

 皆に分け与えると言った手前、ルフィだけに味噌汁を独占されると不味い状況。しかして、ルフィの為とあらば約束を反故にするのも致し方無し。埋め合わせは何か別の形ですれば、さしたる問題には成るまい。

 

 

「おいおい、ルフィのやつが全部飲んじまうよっ! 元々、ハンコックの味噌汁を朝食のアテにしてたわけじゃねェが、ムザムザと一人占めされるのを見てろってか!?」

 

「すまぬ、ダダン。わらわの見通しが甘かったようじゃな。ルフィの胃袋はおじいちゃん譲りであった」

 

「まあ良いけどよ。そういや、ハンコック。お前、他に何の料理が作れんだ?」

 

 

 埋め合わせの要求だろう。言われずとも別の料理で希望に応えるつもりであったので、ダダンの意見に耳を傾ける。

 

 

「スイーツ系ならばプリンやケーキも作れる。しかし、この家の設備では難しい。冷蔵庫もオーブンも無いのではな?」

 

「そりゃァ、村に行かなきゃムリだな。気持ちだけ受け取っておくとするかい」

 

 

 期待に応じられず遺憾である。とはいえ、これを機にハンコックだけでなくルフィも連れてフーシャ村へ帰郷するのもアリだろう。

 

 

「ルフィ、そなたもそろそろフーシャ村へ顔を出してはどうじゃ? マキノや村長も会いたがっているはず」

 

「んー、そうだな。でもなぁ、じいちゃんが何か言ってきそうだぞ」

 

「あ、失念していた……」

 

 

 万が一、村に滞在中にガープと出会すような事態となれば一騒動に発展することだろう。経験則で分かるのだ。こういう時に限って、その万が一を引いてしまうことを。

 

 

「でもおれは自由にやるって決めたんだ! やっぱりじいちゃんなんか関係ねェ!」

 

 

 躊躇いなどなんのその。ガープへの恐怖を打ち消したルフィは、ハンコックと共にフーシャ村へ向かうことを決意。

 

 

「お前ら村に行くつもりか? 今日はダメだぞ。海賊の勉強会を開くって約束だろ」

 

 

 ここでサボが止めに入る。彼の言った海賊の勉強会とは、その名の通り。現代における海賊界のルールや常識について学ぶ集まりだ。

 

 義兄弟妹の盃を交わした理由にも海賊が深く関わっている。ゆえに今日予定されている勉強会は決して外せない。

 

 

「じゃあ、フーシャ村は明日にしよう! マキノの酒場でジュースを飲みたかったけどな、海賊の方がもっと大事だ!」

 

 

「嘘じゃ……。ルフィが勉強を優先するなど」

 

 

 少なくともハンコックがルフィと出逢ってから一度として彼が勉強に励む姿を目撃したことはない。読書すらしないルフィにあるまじき意欲である。

 

 

「失敬だぞ、ハンコック! おれだって勉強くらいするっ!」

 

「いやしかし……。つい先日、わらわが算数を教えようとした際に、勉強など放ったらかしにして抜け出しではないか? それも虫取りに夢中になって」

 

「カブトムシがいっぱい捕れて楽しかった!」

 

「今は感想を求めてはおらぬ……」

 

 

 とはいえ海賊関連ともなれば彼も考えくらいは変わるようだ。ならばそのやる気に期待してハンコックも信用したい。

 

 

「では信じよう。少しでもルフィを疑ってすまなかった」

 

「気にしてねェから、そんな暗い顔すんなって! ししし! 今度、虫取りに連れてってやるから元気出せっ!」

 

 

 捕獲したカブトムシで相撲を取らせる光景が、閉じた瞼の裏側に浮かぶ。

 

 

 

 

 

 さて、勉強会の時間を迎える。主催者はサボ。教師役もサボである。彼は海賊となる己の将来を考え、4兄弟妹の中でも先んじて勉強していた。まずは持ちうる知識の共有から始めたいそうだ。

 

 

「よし、皆! 居眠りは無しだぞ! 見つけ次第、ぶっ叩いてでも起こすからな」

 

「くかー…………」

 

 

 と、ここで寝息がひとつ。発生源はルフィ。隣り合って座るハンコックにもたれ掛かるようにして眠る。

 

 

「って、おい! ルフィ、言ったそばから寝るんじゃねェ!」

 

 

 早々にペナルティとしてサボにぶたれるルフィ。例によって愛ある拳による制裁は、ルフィのゴム体質を貫いて痛みを与えた。

 

 

「痛てェっ! ひどいぞ、サボっ! 寝たくらいでぶっ叩くなんてよォ」

 

「海賊になるんならちょっと痛む程度でガタガタ言ってられねェぞ。予行練習とでも思え」

 

 

 やたら教師役が板についたサボ。真面目に徹した彼にはハンコックさえも茶化したりは出来まい。

 

 

「ルフィ、ここはグッと堪えて勉強に集中するのじゃ。自分の将来の為でもある。海で自由にやるには、まずは今のうちに不自由を克服せねば!」

 

「なるほどなー」

 

 

 本当に理解しているのか大いに疑問が残るところだが、掘り下げても埒が明かない。気を取り直してサボ先生の授業を受ける姿勢へと入る。

 

 

「エースは既に知ってることばっかだけど、復習って事でひとつよろしく頼むよ」

 

「ああ、このバカ達には必要なことだしな。おれは復習でもなんでも構わねェ」

 

 

 というわけでエースの復習も兼ねて授業は進行する。海賊とはなんぞや――。導入からして堅苦しく感じるが、サボが噛み砕いた内容へ変えて指導する。

 

 海賊とは――世界政府の許可を得ずに指定外の航路を進み、政府や民間人に被害を及ぼす者達の総称である。

 

 極端な話、たった一人で航海していようとも罪を犯せば、その時点で海賊認定されるのだ。例に挙げれば世界最強の剣士と謳われる『ジュラキュール・ミホーク』であったり――。

 

 他に海賊の定義としての条件について。世界政府としての見解では海賊旗の掲揚は直接的に海賊の認定とは関係無いということ。

 

 海賊旗とは海賊達の命であり誇りだ。ただしその存在意義は海賊達自身の都合で主張する為の道具に過ぎず、世界政府の規定したルール外の代物。

 

 海賊旗を掲げようが掲げまいが、世界政府としてはどうでも良いことなのだ。指名手配もされていない海賊船の旗など、ただ海賊を自称する集団でしかないと喧伝するようなもの。

 

 まあ実際問題、海軍としては海賊旗を掲げていた者達を問答無用に捕縛に動くのだが。自称とはいえ犯罪者を自ら主張するなど危険思想である。海賊ではないにしても目の前の犯罪者を野放しになどしないだろう。

 

 

「ここまで分かったか?」

 

 

 長々とした解説に区切りを付け、サボが確認する。

 

 

「わらわは概ね理解した。しかしルフィは……」

 

「ぜんぜん分からんっ!!」

 

 

 上の空で授業を受けていたルフィはこの有り様だ。

 

 

「はあ……。まあよい。ルフィがこんなでも最悪の場合、わらわが副船長としてフォローする」

 

「ししし! 頼りしてるぞっ!」

 

 

 他人事のように語るルフィ。呆れつつもルフィらしい反応に和むハンコック。ダメな男の世話を見るのも楽ではないが、頼られているという点では誇らしくもあった。

 

 これは……ハンコック自身にも問題があるのだろう。まともな感性ならば、この時点でルフィを見放す場面だ。でもそうしないのは、ひとえにハンコックがルフィを愛しているから。

 

 愛がゆえに破滅への道も恐れずして突き進む。だがルフィという少年の懐の深さや夢に懸ける想いの強さを知るハンコックの身にとって、破滅もまた乗り越えるべき試練のひとつに過ぎないのだ。

 

 

「くかー……」

 

 

 再び寝息が聴こえる。サボは即座に反応し、ルフィを咎めようとするが――。

 

 

「なんだよ、サボ! おれは寝てねェぞ!」

 

 

 きちんと意識を保つルフィの姿がある。ともなれば犯人はルフィではなく、消去法で次に疑うべきはハンコック。

 

 

「わらわではない。ルフィの為の勉強で寝ようものか!」

 

 

 ハンコックも目覚めた状態。ここまでくれば居眠り犯の正体は割れたも同然。

 

 

「まさかエースかよ……」

 

「くかー……」

 

 

 落胆するサボを嘲笑うかのようち眠りこけるエース。どうやら授業の内容が退屈だったらしく、サボの信頼を裏切る行為に及んでいた。

 

 

「エース! 起きろっ!」

 

 

 容赦なくエースの頭をはたくサボ。

 

 

「痛てっ! なんだっ! 敵襲か?」

 

「何を寝惚けてんだ……。弟と妹に示しがつかねェ真似をすんなよ」

 

「ああ、勉強会の最中だったのか? 悪りィ、退屈なもんで寝てちまった」

 

「退屈なのは認めるけどよ、ハンコックにつけ入れられる隙を与えんなよ?」

 

 

 注意喚起するが既にハンコックはエースの堕落しきった姿を目撃してしまった。これをネタに弄くられることは必至だろう。

 

 

「話が進まねェよ! この場で真面目に授業を受けてるのはハンコックだけかっ!」

 

 

 遅々として進まぬ勉強会に苛立ちを隠せない少年は、ハンコックに救いを求める視線を送る。だが、ハンコックは同情気味に苦笑いを浮かべるだけで手を差し伸べなかった。

 

 兄弟妹の中でもとりわけルフィとエースは問題児。個々で見ればハンコックとサボも、真面目人間とは程遠いが、それでも一般的な感性や倫理観は持っている。

 

 それだけにルフィ及びエースのハチャメチャ具合には振り回されがち。今だって2人の扱いに戸惑っている。

 

 

「ルフィとエースは段々似てきたのではないか? ともあれ気にするだけ無駄じゃ。わらわが聞くから続けるがよい」

 

「ああ、おれらまでこんな調子に染まったら、収拾がつかなくなるもんな」

 

 

 時と場合さえ選べばハンコックとサボもボケ通し。たが4人が全員ボケっぱなしというのは終わりが見えなくなるので自制する。

 

 

「次は代表的な海賊についてだ。将来、海で生きていくからには無視できない存在だ」

 

 

 サボ曰く、天候も生息する生物も異常な偉大なる航路(グランドライン)の更に後半部――新世界と呼ばれる海には、4つの強大な海賊団が日々しのぎを削っているとのこと。

 

 

 1つ、シャーロット・リンリンが率いるビッグマム海賊団。

 

 

 2つ、カイドウが率いる百獣海賊団。

 

 3つ、エドワード・ニューゲートが率いる白ひげ海賊団。

 

 そして4つ、シャンクスが率いる赤髪海賊団。

 

 4つの海賊団を総称して四皇と人々は呼ぶ。あまりの脅威性から、いずれも海軍ですらアンタッチャブルとして扱う。

 

 広大な支配域と強力な戦力を保有するがゆえに、もはや一国の軍隊では太刀打ち出来ぬほど。

 

 海軍本部が総力を挙げても、ようやく四皇の一角と五分五分程度。いかに海の覇者として君臨するのか――。その天災染みた兵力の程がうかがい知れる。

 

 

「シャンクスが四皇の一角……じゃと?」

 

 

 ハンコックが声を絞り出し、自身とルフィの友だちの名を復唱する。赤髪のシャンクス――村長の口ぶりからして、彼は尋常ならざる海賊であることは薄々ながら察していた。

 

 だがサボから教えられた海賊界の勢力事情で疑問が確信へと転じた。

 

 

「やはりシャンクスは凄い海賊じゃったのか……」

 

「どうしたんだよ? まるで面識があるような言い方だぞ

 

「サボよ。仮にわらわとルフィが四皇・赤髪のシャンクスの友だちであると言ったら、そなたはそれを信じるか?」

 

「…………」

 

 

 沈黙は肯定か否定、どちらを意味するものか。思案するサボの返答を待つこと十秒。

 

 

「お前とルフィなら何でもあり得そうだ。おれはハンコックの言葉を信じるよ」

 

 

 あっけらかんとサボは言う。意外な反応、しかしどこか予想していた部分は実のところ有った。

 

 サボが自らの素性を貴族の家の子と明かしてハンコック達が受け入れたように、彼も一見して突拍子もないほら話染みたカミングアウトを信じてくれたらしい。

 

 

「お、なんだなんだ! シャンクスの話をしてんのかっ!」

 

 

 シャンクスというワードに食い付いたルフィが会話に参加する。彼の人生の転機となった人物。いずれはシャンクスをも超える海賊に成ると誓ったルフィは、嬉々として語らう。

 

 

「シャンクスは強ェんだ! それにカッコ良い!」

 

「ルフィのこの言動。ハンコックを信じるとは言ったけど、もっと信憑性が増したな」

 

「なァ、サボ。そのシャンクスってやつは、そんなに凄いやつなのか?」

 

 

 エースが疑うように質問する。

 

 

「凄いなんてもんじゃない。略奪や殺人の横行する海で悪い評判は一切聞かねェのに四皇として君臨してるんだ。ってことは、たしかな腕っ節を保証されてるようなもんだろ」

 

「へェ……。いずれ海に出たら挨拶に行くのもよさそうだな」

 

 

 ルフィやサボからの評の良い海賊シャンクス。エースの興味をそそるには十二分な要素である。

 

 

「ふふふ、気になるのならエースとサボにも、わらわ達とシャンクスの出会いと話を聞かせてやろう」

 

「ししし!」

 

 

 シャンクスと友だちであることが誇らしいとばかりにハンコックは饒舌になる。シャンクスが四皇という身分であるから自慢しているのではない。彼の海賊としての器そのものに憧れを抱くからこそ、友だちという関係が

自慢になるのだ。

 

 そして出逢いのいきさつの全てを語って聞かせる。脚色抜きのあるがままを――。途中、話している本人(ハンコック)が感極まって言葉を詰まらせたりもしたが、ほぼ滞りなく話を終えた。

 

 

「そりゃァ、ルフィとハンコックが目標にするわけだ」

 

 

 聞き終えたサボの第一声。

 

 

「ますます気になるな、シャンクスって男が」

 

 

 エースもまた、必ず挨拶に向かうと決意する。この出来の悪い弟と妹が世話になったのだ。義理を果たしたい。

 

 

「とんだ暴露だったな」

 

 

 サボの貴族発言、ルフィとハンコックのシャンクスとの友だち発言。連日の重大事実の発覚に退屈しない。

 

 

「なァ、エース。こいつらになら教えてやっても良いんじゃねェか?」

 

「ああ……。おれもちょうどそう考えていた」

 

 

 なにか隠し事をしているようだが、その秘密をルフィとハンコックへと打ち明ける寸前。

 

 義兄弟妹の関係を結んだ今、隠し事などする己が許せない。そんな面持ちでエースは、胸が締め付けられるような気持ちで向き合う。

 

 

「何を改まっておるのじゃ? そなたらしくもない湿気た顔をしておる」

 

「そうだぞ。エースはもっとこう、しかめっ面をしてんだっ!」

 

「真剣な話だ。良く聞けよ……。おれの父親のことだ――」

 

 

 父親――。孤児としてダダンへ預けられたエースの実の父親についての話だろう。

 

 

「前置きとしておれの母親の名前は『ポートガス・D・ルージュ』。おれの本名としては『ポートガス・D・エース』ってことになる」

 

 

 産後間もなく亡くなったそうなので顔を見たことは無いとも語る。

 

 

「今から話す内容で重大なのはおれの父親についてだ」

 

「エースの父親とな……?」

 

 

 口渋ることから大罪人でも片親に持つのだろうかと疑う。今さら何が起きても驚きはしないし、受け入れる覚悟は出来てはいたが身構えてしまう。

 

 

 だが心して聞こう。切れぬ兄弟妹の絆が何ものにも屈しない心へと成長させた。

 

 

「海賊王――ゴールド・ロジャー――。その男が血の繋がったおれの実の父親だ」

 

 

 そして……。世界の真実は――ルフィとハンコックを時代のうねりへと飛び込ませる――。



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18話

「「で……?」」

 

 

 だからどうした、そんな事情で勿体ぶった言い方をしたのか? そう伝えたげに鼻を鳴らしながらふてぶてしい態度で短く返すルフィとハンコック。リアクションとしては薄く、緊張の面持ちであったエースとしては拍子抜けも良いところ。

 

 

「それだけなのか……? おれは鬼の血を引いてんだ。もっとこう言うことがあるかと思ってたが……」

 

 

 存在を否定されたわけではないし、むしろありがたくはある。だが、予想外の態度に逆に不安を煽り立てた。

 

 

「親なんか関係ねェ! おれはエースとだから友だちに成りたいって思ったんだ! 兄弟にもなったんだから、今更知ったことか!」

 

 

 フー、フーと興奮気味に息を吐きながらルフィは不機嫌そうに言った。

 

 

「自惚れるでないぞ、エースよ。わらわなど親の顔も名前も知らぬままに人攫いに遭った。 今でこそおじいちゃんに保護され、此処に居るがな? 話を戻そう。語弊はあるが、まだ出自の知れたそなたの方が恵まれておるわ」

 

 

 サラっと、自身の生まれた経緯をぶっちゃけたハンコック。励ましの意味も込めての発言だったが、ハンコックも親の血筋などではなく、エース個人として人となりを見ている。

 

 でなければ血筋など持たぬも同義のハンコックの立場が無いではないか。そんな心情も少しばかり有った。

 

 

「それともなんじゃ……? そなたは同情でも引きたいというのか」

 

「いや、同情なんて要らねェ」

 

「元より同情などしてやらぬわ。よもや自分だけが特別だと思い違いなどしておらぬな?」

 

 

 海賊王の子であることが特別――。エースにとっては悪い意味で特別なのだろう。ただしハンコックが伝えたい意図は別だ。

 

 海賊王の血を重荷に感じず、縛られることなく自分らしく在れ――。そう伝えたいだけなのだ。

 

 

「ああ、おれは確かにおれという人間だ。お前の言う通り、特別だって勘違いしてる場合じゃねェよな」

 

「ならば思い悩むのも阿保らしいとは思わぬか? それでもまだ自分を貶めるというのなら、盃を交わしたわらわ達への侮辱に他ならぬ」

 

「もういい、降参だ……。おれはサボやルフィ、それにハンコックと盃を交わした事に悔いはねェ。むしろ誇るべきことだ」

 

 

 意外と熱い一面を垣間見せたハンコック。そんな妹の存在に元気付けられたエースは両手を上げて降参を告げる。

 

 

「なんだよ。おれの言いてェことは全部、ハンコックが言ってくれたな」

 

 

 ルフィもハンコックと同じ想いを擁していた。エースに懸ける気持ちは単なる兄弟の域を超えている。互いの生き死にさえも人生を左右する極めて重大な要因。我が身と同等に大切に想い、窮地に陥ったのなら海の果てからでも駆けつけることだろう。

 

 

「思った通り、ルフィとハンコックはエースを認めている。なァ、エース。話してみて損は無かっただろ?」

 

「ああ……。サボ以外にもおれの存在を許してくれる人間が居たんだって知った」

 

「許すもなにも、エースはまだ世界に対して何もしておらぬではないか」

 

「だったら、これからしてやるんだ。いずれ海賊として大暴れしてやるさ」

 

 

 意気込みは良し。世間からの目や悪評などものともしない程の偉業を実現する意思――。大罪人の息子などというレッテルなど知ったものか。ならばそれにも勝る悪名を自ら上書きすれば良いのだ。

 

 極論に近い答えだが、エースの中で既に決意は固まった。男として生まれたからには1度決めた己の旅路を変えたりはしまい。

 

 

「サボ、手っ取り早く海賊として凄い男だって認めさせるにはどうすりゃァ良いんだ?」

 

「そりゃァ、あれだろ。世界最強の男と呼ばれる――白ひげを討てばいいんじゃねェか」

 

「なるほど、白ひげって男か」

 

 

 海軍、海賊、民衆――誰もが口を揃えて最強と評する人物――エドワード・ニューゲート。かつて生前の海賊王ロジャーと互角に渡り合ったとされる男。海賊王亡き今、最もその席に近いと目される人物でもあった。

 

 

「だけどよォ、エース。四皇――それも最強の名を冠するような男だ。生半可な覚悟や力量じゃ、白ひげの前に辿り着くことも出来ねェぞ」

 

 

 白ひげほどの強者だ。彼を取り巻く多くの部下や傘下の海賊といった障害がエースの前に立ちはだかることだろう。もしかすると彼に仁義を通すと称して番犬のようにエースをくい止める海賊が現れるかもしれない。ひょっとすれば王下七武海の一員である可能性も有り得るか――。

 

 

「ほう、白ひげの首を狙うということは――そなたも海賊王の座を狙うつもりじゃな?」

 

「別にそんな座は要らねェ。だけど、白ひげをぶっ倒せば……。ついでに海賊王の称号も手に入るかもな」

 

 

 欲が無い割には結果だけに着眼点を置けば野心家だ。

 

 

「であればわらわとルフィの競合相手となるわけじゃ。海で出会えば何も酒を酌み交わすだけで済ますわけではあるまいな?」

 

 

 海賊同盟を結ぶという手もあるが、海に出た以上は全ての責任が自分自身に圧し掛かる。敵対するも味方するも自由。気に入らないという理由だけで、生死に関わる戦闘への移行とて考えられる。

 

 

「海賊だからな。命を取り合うような喧嘩くらいはするだろ。けどまあ、おれ達の間柄だ。その喧嘩は兄弟喧嘩ってやつだろう」

 

「ならば仲直りも必定というわけか。ふふふ、悪くは無い関係じゃ」

 

 

 何も兄弟妹間で争うことも無い。仮に争うにしても競い方など幾らでも思い浮かべられる。ルフィとエースに限れば大食い対決なども競争としては適しているだろう。 

 

 

「でも海賊王に成るのはおれだからなっ! わかったか、エースっ!!」

 

 

 先ほど、会話上での発言に有った海賊王という単語に過敏なルフィ。大声の後にこうも付け加える。

 

 

「海賊王ってのは、強いだけで成れるもんじゃねェんだ! この海で一番自由でなきゃ意味がねェ!」

 

 

 彼の抱く海賊王の理想像。いや、理想ではなく実現すべき未来の自分自身の姿だ。ルフィの中では既に確定したも同然の将来である。絶対的な自信があってこそ、千の海をも超えてゆける。

 

 だからこそ他者に先を越されるわけにはいかない。自分こそが海賊王に相応しい――などという傲慢さは欠片も無い。ただ自由であり続ける自分の行く着く先こそが海賊王の王座。ゴール地点を占拠しようというのなら殴ってでも押し退ける意思である。

 

 

「喧嘩だっておれはエースに勝ってやるんだ!」

 

「へへ、言ったなルフィ? 模擬戦じゃまだおれに一度も勝ててないクセに。だがもう引き下がれねェぞ? 男に二言はねェだろうな!」

 

「ねェ! 見てろよ! 今にぶッ飛ばしてやるからなっ!」

 

 

 そう言って目の前のエースに飛び掛るルフィ。会話の流れからして、なにもいま争うこともないだろうに。サルのように直情的になって兄を襲う弟。不意打ち染みた拳がエースの顔面を標的に定めている。

 

 

「甘いな、ルフィ。お前がそういうヤツだっておれは知ってんだ」

 

 

 予見していたのか、彼はいたって冷静に対処に努める。突き出した手はルフィの顔を鷲掴みにし、振りかぶってから地面へと投げ付ける。土砂を巻き上げる程の衝撃。近くで観戦していたハンコックとサボにまで飛散した土が降りかかる。

 

 

「ぐえェっ……!」

 

「ゴムの体を持つお前だ。痛くはねェだろうが、まだおれには勝てないって身に染みて理解出来ただろ。これに懲りたら無謀な勝負を挑むな――。と言ってもお前のことだから忠告は聞かないんだろうな?」

 

 

 兄としての威厳を示したエースは、浅慮な弟へ向けて勝利を宣言しつつもアドバイスを送る。ただしルフィの性格を熟知する彼は、人の言うことに従うような弟ではないとも知っていた。

 

 

「また一段と強くなったようじゃな……。ルフィも成長したはずじゃが、一歩及ばずといったところか」

 

「一歩じゃねェ。最低でも百歩は足りない」

 

「ふふふ、(そび)え立つ壁は高いものじゃな。ならば、その壁を超えるに当たって、わらわはルフィを強くすべく協力を惜しまぬ」

 

「ちくしょー! またエースに勝てなかった! でもこっちにはハンコックが居るんだ! 負ける理由がねェ! いつか勝つんだ!」

 

 

 地団太を踏むルフィ。年相応に微笑ましい挙動。保護者としての立ち位置に在るハンコックとしては、このまま鑑賞していたい。見守り甲斐の有る愛らしい弟的存在だ。そして弟と言えば――ひとつの疑問が急浮上する。

 

 

「そういえば――わららたち4兄弟妹の生まれた順はどうなっておる? エースとサボが兄なのは確定しておるが、わらわとルフィについてはどちらが上で、どちらが下なのか曖昧じゃ」

 

 

 誕生日で判断しようにもハンコックの生まれた正確な日付は不明。知っているであろう母親とも生き別れの状態ゆえに聞きようが無い。

 

 

「おれは5月5日が誕生日だぞ!」

 

「ほう……。一応、わらわの誕生日は便宜上では9月2日ということになっておる」

 

 

 9月2日とはハンコックが初めてアマゾン・リリー皇帝グロリオーサを題材とした絵本『海賊女帝の冒険』を読んだ日に該当する。ハンコックが生きていく上での目標を定めた日でもある為、特別視しているのだ。お役所手続き上でも9月2日を誕生日としている。

 

 

「じゃあ、おれの方が兄ちゃんだな! そんで、ハンコックは妹だ!」

 

「むむ……! なんという違和感! なんという敗北感! わらわはルフィをお兄ちゃんと呼ぶべきか?」

 

 

 傍目から見るとハンコックが姉で、ルフィが弟。そのような振る舞いであり、それが常であった間柄。蓋を開けてみれば兄妹の関係として確定してしまった。

 

 

「お、お兄ちゃん……! だ、大好きっ……!」

 

 

 喉から絞り出して紡いだ言葉。我ながらあざといものだと羞恥心に襲われるハンコック。呼ばれた当人は、さして感じるものが無かったのかポカーンとしている。

 

 

「おれもハンコックのことは好きだけぞよォ。そのお兄ちゃんって呼び方はなんか変な感じだ。よく分からねェけど、おれとハンコックはどっちが上とか下とかの関係じゃないと思うぞっ!」

 

 

「そ、そうじゃな! わらわ達は対等な関係じゃ。すまぬ、ルフィ。わらわはボケていたようじゃ」

 

 

 まあ、ハンコック自身もお兄ちゃん呼びには抵抗があったので忌避感を持って貰えて都合が良い。けれど心の何処かで、ここでお兄ちゃん呼びを捨て去ることにも名残惜しさを感じている。

 

 妹属性など自分には不要のはず。しかしルフィという少年はいざという時は頼れる男。兄貴肌という柄でもないが、彼に甘えたい欲求は常日頃から強い。

 

 誕生日の順番的にもルフィは自身が兄で、ハンコックを妹だと、その口で確かに言った。ならば妹として存分に甘える権利を主張しても罰は当たるまい。

 

 

お兄ちゃん(ルフィ)……! 抱き締めてはくれぬか!」

 

「うわっ……!」

 

 

 磁石のS極とN極が引かれ合うようにハンコックはルフィへと引き寄せられる。というよりも一方的に距離を詰めて、その身を飛び込ませた。トンッ、という軽い衝突音。ハンコックは強引にルフィの胸板へとへばり付いて離れない。

 

 

「妹って、こんな感じなのか? 妹って不思議だなー。おれに抱きついてくる生き物なのか!」

 

「ふふふ、その解釈で相違あるまい。ゆえにルフィよ。贅沢は言わぬ、わらわをギュッと抱き締めて欲しい」

 

 

 十分に贅沢な要求。しれっと己の欲求を満たす少女の計略にルフィはまんまと掛かる。傍で年少組を眺めていた年長組も、ハンコックの貪欲さにある意味では敬意を表する。

 

 

 

「あははは! 愚妹(ハンコック)のやつ、愚弟(ルフィ)相手に形無しだな! こりゃ傑作だ!」

 

「外野は黙っておれっ! 女っ気無しの非モテ男の言葉など意味も価値を持たぬわっ!」

 

 

 醜い嫉妬心を紛らわす為に人を下に見るサボ。その愚行を看過など出来ようか。からかいのネタとされるのはどうにも腹が立つ。この雪辱、いかにして晴らしたものか。考えるのも億劫なので、無心になってサボの脛を爪先で蹴る。

 

 

「痛てっ! そこは止めろ、普通に痛い!」

 

「わらわのように美しい女からの仕打ちじゃ。男とは女に痛めつけられて喜ぶ習性があるのじゃろう? これを褒美として受け取るが良い」

 

「おれにそんな特殊な趣味嗜好はねェよ! 高町の貴族のおっさん連中には、その手の輩もいるって風の噂で聞いたけどよォ」

 

 

 やはり貴族ともなれば庶民とは別格な性癖を持つ者が存在するらしい。なるべく関わりたくはないものだ。尤も、住む世界が違うのだ。自分から近付かない限りは無縁だろう。

 

 

「おい、サボ! 妹に負けて兄貴として恥ずかしくねェのかよ!」

 

「恥ずかしいに決まってる! けどコイツ、なんか怖ェ! ほくそ笑みながら蹴ってくるんだ!」

 

 

 サディスティック気質というわけでもあるまい。単純に兄への意趣返しを成功させた点に満足しているだけである。

 それにこの結果はひとつの関係性を表している。エースはルフィより強く、ハンコックはサボよりも強い。兄組と弟妹組とで勝敗のバランスが取れている。実質的に力は拮抗していると見て間違いない。

 

 

「可愛い妹を恐れたな? なんと腰抜けな男じゃ。わらわはこんな男(サボ)を兄として仰がねばならぬのか……」

 

「盃を交わしたんだから、おれが兄貴って事実は覆らねェ。それとな、自分から可愛いって言う女に可愛げがあるとは思えないぞ。見た目の話じゃなくて性格の話な?」

 

「そうかそうか……。少なくとも、容姿についてはサボも認めるのじゃな? それと安心するがよい。性格の悪さは自覚済みじゃ」

 

 

 どこにも安心する要素は含まれておらず。されど自信満々に主張する彼女の有り様は見る者にそう信じ込ませる魔力染みたものがあった。

 

 

「今日の勉強会はお開きだ。あまり根詰めても頭に残らないだろうし。続きは明日だ。これからもしばらく続けるから、そのつもりで居ろよ」

 

 

 サボの終了の宣言により、ハンコックにとっては有意義、ルフィにとっては退屈極まりない勉強会は閉会。今日の予定は残すところ夕飯の確保のみ。

 

 適当な獲物を見繕ってダダンへと引き渡せば、夕飯と入浴を済ませば1日は終わりを迎える。

 

 

 

 

 そんな代わり映えのしない日々が十数日ほど続き、勉強嫌いで集中力の無いルフィを除けば、(みな)、一端の海賊並の知識を身に付けるに至った。

 

 海軍本部所属の名だたる海兵、世界政府公認の海賊『王下七武海』など、興味の尽きぬ内容が盛り沢山。ただし念押しするが、ルフィは授業の内容の大半を聞き流している。

 

 よって必要に迫られた時に応じて、ハンコックが解説する事になるだろう。ルフィにとってはハンコック様々と言える。彼の右腕的存在よりも更に上、半身とでも喩えるべきか。

 

 

「なァ、サボ。話に出てきたボア・ダリアって女海賊だけ手配書は無ェのか?」

 

 

 とある日のお昼頃。1日のサイクルにすっかりと組み込まれた勉強会でのことだった。現在の王下七武海の顔触れを一覧にすべく纏めた手配書の束。七武海であるのに6枚しか見当たらない。欠けている1枚こそボア・ダリアの手配書。

 

 授業の一環で手配書を纏めたは良いが、プレミアの付いたボア・ダリアの手配書のみ準備出来なかったというのがサボの言。

 

 

 名声だけが世に知られた女海賊。絶世の美女であり、この世で最も優れた美貌を持つとされる人物。気品高く、七武海へ加盟後は新世界の並み居る大物海賊を単独で撃破した実績を持つ。

 

 かつてロジャー海賊団の船員であったことは世間的にも近年になってからは有名である。他にも四皇・赤髪のシャンクス及び現王下七武海の一角・鷹の目のミホークとも、伝説的な決闘を繰り広げたことで、海賊として確かな実力を世界に示した。

 

 ただその知名度の高さと美貌の評に反して、世間ではほとんど顔を知られてはいない。

 

 

「ボア・ダリアは懸賞金を懸けられて間もなく王下七武海に加盟したからな。手配書がほとんど発行されてねェ。だからあまり流通してねェんだ」

 

 

 サボの説明の通り、発行枚数の少なさから希少性価値が非常に高い。王下七武海に加盟したその瞬間から指名手配は取り下げられ、海賊として重ねてきた罪も免罪されるのだ。当然ながら追加での手配書の発行は無い。

 

 よってマニアの間では、ボア・ダリアの手配書は高値で取り引きされている。状態にもよるが、1億ベリーは下らないとか。もはや悪魔の実の相場価格の域に達している。

 

 そういった事情に加えて、ボア・ダリアは隙を見せぬ海賊としても有名。'炎のアタっちゃん'こと本名アタッチなる敏腕カメラマンのシャッターからも逃れ、新聞沙汰になるような事件を起こしても写真は一切撮られないという鉄壁ぶり。

 

 

「ルフィが世話になった赤髪のシャンクスと渡り合う女海賊――。へェ、気になるなァ」

 

「美人という触れ込みに鼻の下を伸ばしておるな、エースよ」

 

「伸ばしてねェ……。女にもそんなに興味ねェし」

 

 

 可愛いだの綺麗だの、そういった類の美醜感自体は備わっている。ただじその感覚が恋愛や情欲へと直結するかは別問題。

 

 

「なに、そなたはまさかの男色家?」

 

「可笑しな勘違いをしてんじゃねェ。というかまだチビの癖に、妙な知識を身につけんな!」

 

 

 ハンコックの不純さを指摘する。それはさておいて――。事実、エースは女性への関心は薄い。身近な女性と言えばダダンとハンコックくらいのもの。ダダンは育ての親、ハンコックは妹であるからして女性としては見ていないのだ。

 

 

「興味が有るってのは海賊としてだ。四皇と互角の女。懸賞金の高さだけがそいつの強さってワケじゃねェだろうが、まずは額が気になるな?」

 

 

 サボへと質問を飛ばすエース。さぞ高額賞金首だったのだろうと思いを()せる。

 

 

「たしか――元懸賞金は8千万ベリーだ。思っていたより低いって感じたろ?」

 

 

「本当かよ、サボ。四皇相当の実力を持つような女が億未満の賞金首なのか? 海軍ってのも見る目が無いんだな」

 

 

 サボの話によると、ダリアが表だってシャンクスやミホークと覇を競い合ったのは王下七武海に加盟して以降。ロジャー海賊団の一員であった過去の発覚も同様。

 

 つまり懸賞金額が低い時点から世界政府及び海軍本部に脅威と見なされる程の実力を持っていたのだ。仮にその事実と力が七武海に成る以前に露見していたのなら、その首に懸けられたであろう額は計り知れない。大雑把な試算でも20億ベリー以上は確実か――。

 

 

「九蛇の皇帝――。是非、その尊顔に拝したいものじゃ」

 

 

 尊敬する女帝グロリオーサ――。彼女のような歴代皇帝の地位に名を連ねる人物。ハンコックとしても興味の尽きぬ対象。美貌を誇るというのだ。彼女も自身の容姿の良さを自信の源としているがゆえに、まだ顔も知らぬ相手をライバル視する。

 

 

「さて、わらわとどちらがより美しいものか――」

 

 

「ハンコックに決まってる!」

 

 

 そう断言したのは今の今までウトウトとしていたルフィ。ことハンコックにまつわる話であれば目覚めもこの様にバッチリだ。

 

 

「ふふふ、お世辞でもなんと嬉しい」

 

「おれはお世辞とか言わねェぞ」

 

「それはまことじゃな? 言っておくが本気にしたわらわは、喜びの余りに妹としてお兄ちゃん(ルフィ)に甘えてしまう」

 

 

 

 ここぞとばかりに妹へと身をやつす。その身代わりの早さは目を見張るものがあった。

 

 

 

「ハンコックはおれにベタベタし過ぎだ」

 

「なんじゃ、冷たい……。わらわ()を泣かせるつもりか?」

 

「んー、ハンコックが泣くのは嫌だ! じゃあ、いくらでも甘えていいぞ!」

 

「え!? なんと優しいお方――。わらわの惚れた殿方に間違いはなかった……」

 

 

 甘やかされて付け上がる。涙が頬を伝い、至上の歓喜に身を震わせる。ルフィの肩に押し付けられたハンコックの顔からは涙が流れ、彼の服を濡らす。

 

 

「本望じゃ……。こうしてそなたの傍に居られるのなら、喜んで妹の身に甘んじよう」

 

 

 ただし程ほどにだ。あまりにくどいと、それこそルフィに嫌われかねない。タイミングと頻度の見極めには細心の注意を払わねば。

 

 

「ハンコックのやつ、ひょっとしたらルフィよりもバカなんじゃねェのか?」

 

 

 サボがポツリと呟く。煩悩だらけの少女。欲望に忠実であるがゆえに頭の中に穢れた花々を咲かせた。その穢れは人の目からでも見て取れる。目を瞑れと言われても鮮明過ぎるほどに存在を主張するソレは、無視出来ぬほどの異彩を放っていた。

 

 

「ああ……。ハンコックに比べりゃァ、まだルフィは食い意地が張ってるだけでまともな人間にさえ思えてきた」

 

 

 エースから見ても一目瞭然。最早、幼子同士の戯れの領域を超え、ハンコックにより好意の押し付けに等しい。だがそんな異質な好意さえも受け止めてみせるルフィの度量。成るほど――これほどの男気があってこそ海賊王に足る器なのだろう。

 

 だからこそハンコックは彼の前では1人の恋する女として振る舞い、ルフィに愛情を求めた。欲するモノがそう易々と手に入るものでもない。しかし、ルフィを心の拠り所とするハンコックは、だた傍に居ることで心に空いた穴も埋まるというもの。

 

 

「ししし! ハンコックが妹って変な感じだけど、なんか面白れェな!」

 

 

 

 事柄の良し悪しを面白さで決める彼の思考回路。正常な倫理観など投げ捨てるどころか元より持ち得ていない。生まれてこの方、そんな生き方をしてきたから、ハンコックのような風変わりな少女を惹きつけてしまったのだろう。

 

 しかし悪い事ではない。意図せずして生涯最高の友だちにして海賊王の相棒となる少女を手中に収めたのだ。ルフィの人生に限りなくプラスとなったはず。

 

 そしてハンコックの胸中も毛色は異なれど近いモノがある――。ルフィが友だちであることは勿論。恋焦がれる相手が居てこそ、人生に張り合いが生まれる。彼との出会いで得たモノは両手の指で数え切れぬほど。

 

 ああ、もうこの胸から湧き起こる衝動を抑え切れない。高鳴る鼓動が脳内へと直接響き渡り、悪魔の囁きへと変貌する。もっとルフィに甘えよ――。さもなくばその身を業火に包まれるだろう。

 

 

 ならば仕方があるまい。恋患いで船出よりも前に命を落とすなど馬鹿げているし、何も対策を打たぬなどルフィの夢を妨げる愚行。建前でもなく、大義名分を得ただのと後ろめたさを隠すこともなく――。

 

 ただ単純に自信の気持ちのままにハンコックはルフィへと、その身を委ねる。彼になら、なにをされても構わない。いっそ彼の所有物になってしまいたい。飛躍する妄想は、いたいけな少女をどこまでもバカにしてゆく。

 

 でも恋する女がバカだって良いのではないか――?

 

 

「ルフィ……ルフィ……ルフィ――」

 

 

 その名を呼ぶだけで、この世の全ての苦痛から解放される。夢と現実の狭間。幻想の世界に少女の心は行き着く。

 

 

「うわっ……。面白ェけど、やっぱりハンコックは変だっ!」

 

「それでも良いのじゃ……。ふふふ、すーきっ!」

 

 

 年相応に無邪気な笑みと共に、より一層ルフィへの密着を強める。彼の心音に耳を済ませる。彼の胸から聴こえる真実の声。読み取れるものは――。

 

 拒絶ではなかった。ただ伝わり切らないだけ。ルフィに非など無いのだ。彼も本心ではハンコックを愛しているはずだ。決してハンコックの思い込みではない! ――という解釈を彼女の中でのみ成立させていた。真相はルフィに直接聞かねば迷宮入り。

 

 しかし許そう。ハンコックはこの心地の良さゆえに寛大となる。聖母めいた母性でルフィを包み込む。

 

 妹属性を内包した欲張りな乙女ハンコック――。恋をするがゆえにその姿は最早、海賊女帝ボア・ダリアよりも美しくもあった。



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19話

今回は、次話以降で本編を進行する上での日常回の締めくくりです。
その為、少し文章が多めなので読み辛いかもしれませんが、ご容赦下さい。


 慌ただしくも鮮烈な思い出の数々。焼き付いた記憶は、ハンコックに時間の経過を実感させる。それらは全て彼女の人生を華やかに彩り、幸福であることを常とする。

 

 そんな最中のハンコック――。数年後の船出に備えて、知識や力――それから美貌。欲張りにも3つの要素を重点的に磨くべく、今日も欠かさずに努力を積み重ねていた。

 

 そんな矢先のこと。ハンコック達の住居でもあるダダン一家のアジトへと突然の来訪者の姿があった。その顔触れはハンコックも良く知る人物達。すなわちフーシャ村の村長及び酒場の店主マキノ。

 

 酒を持参しての訪問。ダダン一家への手土産のつもりなのか、酒瓶にして十数本を持ち込んでいた。その他にも、ルフィやハンコックへの差し入れと思しき子供服が数着ほどが確認出来る。

 

 

「エースくん、久しぶりね。小さい頃に会ったことがあるけど覚えてるかしら?」

 

「おまえは確かフーシャ村の……」

 

 

 人見知り――と呼べるほど大人しい気性ではないエース。敵意を向けこそしないが、馴れ合うつもりはないようで、鋭い目つきで牽制を図る。

 

 

「おれがガキの頃、ジジイ(ガープ)の話だ。フーシャ村へは何度か連れていかれた事がある。その時にでも会ったのか?」

 

「そうそう。抱っこしてあげたこともあるんだから。ふふふっ、大きくなったね」

 

「う、うるせェ……。時間が経てばそりゃ成長もするっ!」

 

 

 一丁前に年上の女性を前にして意識しているのだろう。照れ隠しのつもりなのか乱暴な口調を取ってしまっている。

 

 ただしマキノは当然のようにエースの心の内を見通していた。大人の余裕というものか、ジーッと観察して面白がって微笑んでいる。

 

 

「ふふふ、滑稽なものじゃ。女に興味など無いとほざいていたのはどの口か?」

 

 

 稀有な光景に、ハンコックはつい冷やかしてしまう。後で仕返しされかねない行為だが、その時は返り討ちにするつもりだ。女の身で年少ではあるが、徒手格闘に限定すれば、ハンコックは兄弟妹の中で最も腕が立つ。

 

 

「ハンコック……。てめェ、あとで覚えてろ!」

 

「妹を脅すというのか? しかし怖いものじゃ。我が身可愛さに忘れておこう。なおもわらわに手出しするつもりなら、別にそなたを石像にしても構わぬのだぞ?」

 

「っち……。もう良い、勝手に忘れてろ……」

 

 

 彼の舌打ちで口論はいとも容易く終止符を打つ。もしや彼はハンコックの美貌に抗える自信が無く、石化してしまう事を恐れたというのか?

 

 仮にそれが事実であるならば、戦う前から尻尾を巻いて逃げたも同然。まったく、とんだ腰抜けの敗北者だ。エースという男は――。

 

 さて、ここでハンコックの目を引いたのは村長の険しい形相。常時不機嫌顔な村長だが、今日はいつにも増してその傾向が強い。何事かと訊ねてみると――。

 

 

「ルフィとハンコックの様子を見に来た。こうして見る限り――やはり子どもの暮らす環境としては劣悪過ぎるっ!」

 

 

 薄汚れて隙間だらけの屋根と壁。ジメっとした室内の空気。この淀みは体にカビが繁殖してしまいかねない程に息苦しい。ハンコック達は長期間過ごす内に適応してしまったので気にはならないが。

 

 常識的な観点からすれば山賊の住処に子ども(ルフィ)を放り込むなど虐待にも等しい行為。ロクな教育を受けられない事は明白だ。

 

 しかし村長の意見には賛同出来ない。住めば都の精神。ここで暮らしていく内に、愛着さえも湧いてきたのだ。

 

 さて話を戻すと村長の視点では、やはり子どもの育つ環境としては不適切。まあ、ハンコックは自主的に居座っているので何があろうと自己責任。元より文句を言える立場には無いのだが。

 

 一方でルフィはどうだろうか。彼は祖父の手によって無理やり、此処へと連れて来られた。文句を付けるとすれば、この環境を是としたガープであろう。

 

 

「なんだい村長っ! いきなり人ん家に押しかけて来た癖にケチつけんのかいっ! 喧嘩を売るってんなら表に出なァ! 言っとくけどな、このガキ共はこの家を気に入ってんだよっ!」

 

 

 一方的にガープに子どもの世話を押し付けられたダダンからすれば、あまり良い気分ではない。手の掛かる子どもの世話を強制された上に、外野から難癖をつけられては逆上して当然。ゆえに苦労人は激昂する。

 

 

「お前と喧嘩などしても不毛じゃわいっ!」

 

 

 売り言葉に買い言葉。村長にしては珍しく挑発的な返し。山賊相手とはいえ、ダダンの子どもの頃を知る村長からすれば恐れるに足りないのだろう。

 

 

「まあまあ2人とも、落ち着いて。子ども達の前よ」

 

 

 喧嘩の仲裁に入るマキノ。この場で一番精神的に成熟し、落ち着きを持った人間は彼女かもしれない。

 

 

「ダダンさんのお家は、ルフィとハンコックちゃんにとっては良い環境みたいよ」

 

 

 ダダンを擁護する。マキノは幼少期よりダダンと多少なりとも交流があったらしく親しげだ。

 

 

「もっと言ってやってくれよ、マキノちゃん! 村長ときたら分からず屋でいやがる! それはそれとして、そのお酒はお土産かいっ!」

 

 

 怒りながらも目敏く酒瓶の存在に意識を向けるダダン。

 

 

「ええ、良ければどうぞ。ルフィとハンコックちゃんが日頃からお世話になっているお礼よ」

 

「おお、ありがてェ! おい、野郎どもっ! マキノちゃんが酒を持ってきてくれたァ! まだ昼間だが好きなだけ飲んじまいなァ!」

 

 

 歓喜するダダンの手下たち。村長との喧嘩などそっちのけで酒宴を始めてしまう。とはいえ村長の目的はあくまでもルフィとハンコックの近況確認。喧嘩せずに済んだ方が好都合。ダダンとの対話など二の次である。

 

 

「まさか村長の方から出向いてくるとは思わなかった。わらわもルフィも見ての通り元気にやっておる。心配など不要じゃ」

 

「そうは言うが……。まだ村に戻ろうとは思わんのか? ここでの暮らしは色々と不自由も多かろう」

 

「不自由も生活の一部じゃ。それに工夫次第でどうとでもなる」

 

 

 食糧などはコルボ山に豊富に眠っている。野生動物を狩れば肉は手に入るし、食べられる野草の区別だって長い生活の中で身に付けた。

 

 それでも物足りなければダダンの教えである略奪でも街に赴いてすれば良い。実際、兄弟妹で飲食店にて食事をしては食い逃げを働いている。飽きの来ないスリルは適度にスパイスとして効いていた。

 

 つい先日などルフィの食べたがっていたラーメン屋にて、食べるだけ食べて無銭飲食に及び、例によってまた窓ガラスをぶち抜いて身を投げて逃亡を成功させたほどだ。

 

 

「村長は心配し過ぎだぞ。おれとハンコックはここでの生活で、ちょっとずつ強くなってんだ!」

 

 

 修行の場としては適している。日々の暮らしを営むだけで自然と鍛え上げられる最高の環境とも言える。

 

 

「ルフィっ! そういう問題じゃないわっ! 本音を言えば、わしはガープのやり方なんぞには反対じゃ。この生活に嫌気が差したらすぐに言うんじゃぞ。あの男の説得くらいはしてやるわい」

 

 

 ルフィの身を案じるがゆえにガープとの対立も辞さない村長。常識的な村長と非常識的なガープ。だが実際には両者の対決は見られないだろ。

 

 なにせルフィ本人がこの生活を満喫している。不満が出ないのであれば、争いも生まれないのだ。今後とも、いずれ来る船出の時まで、兄弟妹仲良く暮らしてゆくことだろう。

 

 

「というわけじゃ。村長の懸念するような事にはなってはおらぬ。わらわとルフィはここで大人になるまで暮らすつもりじゃ」

 

 

 明確に何歳を船出の年とするのかまでは決定してはいない。しかし海を越えてゆくからには心身共に成熟した頃合いがベストだろう。最低でも十代半ばくらいまではタダンの世話になるつもりだ。巣立ちはまだ掛かりそうである。

 

 

「ロクな大人にならんぞっ!」

 

「お生憎様。いずれにせよ、わらわたちは無法者になるつもりじゃ。是が非でもないわ」

 

 

 海賊に成るのだ。村長の思い浮かべるような立派な大人像とはかけ離れている。そもそもルフィとハンコックは、自由な海賊を目指している。大人に縛られてなるものかと反発心を強めた。

 

 

「まだお前たちは若いし、やり直しが利く。後悔する前に現実を知るべきじゃぞ。後になって騒いでも、誰も助けはせん」

 

「うるせェー! 村長の言うことなんか知ったもんかっ!」

 

 

 あまりに度を越えた一方的な意見の押し付け。ルフィとて声をあげて反論する。退屈な人生など願い下げだ。大人の敷いたレールにいくら乗せられようとも、自ら脱線してやる意思である。

 

 

「後悔する生き方など、わらわ達はしない。やりたいようにやるだけじゃ。ゆえに後ろを振り向く事はせぬ」

 

 

 ルフィに賛同してハンコックも立ち上がる。村長のことは家族として敬愛しているが、だからとて将来について口出しされるのも心外である。

 

 

「聞き分けの悪い子どもたちじゃ……。ふんっ! ガープの息子もそうやって村を飛び出して行きおったなァ」

 

 

 ガープの息子とは何者だろうか? ルフィの父親でもあるその男。気にはなったが安易に踏み込んで良い話題ではないとして、ハンコックは何も聞けずにいた。村長の憂いに染まった顔から察してしまったのだ。大仰な言い方だが、燃え上がった反抗の灯火はあえなく鎮火する。

 

 

「ん? 見慣れん顔の子どもがおるようじゃが……。その子どもはもしや、エースとつるんでおるというサボか?」

 

「へェ、おれを知ってんのか、村長(じいさん)

 

 

 これまでルフィ&ハンコックと村長のやり取りを静観していたサボ。自身の名を知る老人に対して会話を試みる。

 

 

「知らんわけがないわい。コルボ山の悪ガキと言えばゴア王国では有名じゃ。ルフィとハンコックを除いた元々の2人組。その片割れがお前さんじゃろう?」

 

「ああ、エースとは5年の付き合いになるんだ。村長(じいさん)、よろしくな!」

 

 

 初対面なのにこの気安さ。兄弟妹で最も社交性の高い彼は、しっかり者の長男といった印象だ。エースはキレ易い次男といったところ。実際には2人の内、どちらが長男か次男かは取り決めは無いようだが。

 

 

「他の3人よりはまともそうじゃが――。お前さんを含めた4人の評判は遠くフーシャ村にまで届いとるぞっ! 喧嘩や食い逃げざんまいじゃと!」

 

 

 再び熱くなった村長の怒りがぶり返す。隙あらば説教をする悪癖。子どもには嫌われるタイプだ。しかし、村長を慕うフーシャ村の大人は多い。子どもからは煙たがられていても、彼の言葉はすべて正論なのだ。

 

 

「言語道断じゃぞっ! 悪事を働くなど! この頃はお前らの悪評しか聞かんわいっ!」

 

 

 ガミガミとうるさい。一同揃って耳を塞いでやり過ごす。その不真面目な態度が余計に村長の怒りを買ったらしく、説教は加熱してしまう。

 

 

「これも生きてゆく為じゃ。許して欲しい。マキノからも説得してはくれぬか?」

 

 

 苦笑するマキノへと助け船を求める。困惑気味のマキノだが、お人好しな性格なのかハンコックに加勢してくれた。

 

 

「村長、ハンコックちゃん達はまだ子どもよ。やって良いことと悪いことの区別がつかないのよ」

 

「じゃったら尚更じゃ。常識や倫理を教える事こそが大人の役割。ここで指導してやらんと、取り返しのつかん悪党になってしまうわいっ! ダダンのようになっ!」

 

「はんっ! 言ってくれるね、村長っ! せっかくの酒が不味くなるっ! 持ってきてくれたマキノちゃんに謝んなァ!」

 

「お前は黙っとれっ! 子どもの悪い手本めっ!」

 

 

 村長とダダンの口論へと発展する。とはいえ村長の標的から逃れる事が出来た。マキノには感謝である。

 

 

「ふふふ、やはりマキノは頼れるお姉さんという感じじゃな」

 

「嬉しいことを言ってくれるのね? お姉さんとして光栄だわ」

 

 

 目線を交し合い、気持ちも通じ合わせる。ハンコックの持つ数少ない同性の友人。年は若干ながら離れているが、姉妹同然の間柄。

 

 子どもの児戯にも付き合ってくれる。その上、以前はタダメシを何度もご馳走してくれた。ハンコックが好意と尊敬を向ける僅かな人間の1人である。それも順位で言えば上位に位置していたりする。

 

 

「でも心配ね。あなた達の喧嘩相手って街のゴロツキや海賊なんでしょう? 危なくないかしら?」

 

「包み隠さずに話すと、時には命に関わる場面もある。しかし心配無用じゃ。ルフィもわらわも強い。エースとサボも侮れぬ強さを持っている」

 

「ううん、そうじゃないわ。喧嘩が強いから安心というわけにはいかないの。とくにハンコックは女の子だもの。ケガをして傷跡でも残ったら大変よ」

 

「大丈夫じゃ。ルフィと共に過ごした影響なのか、体は頑丈に育っておる。一眠りすれば大抵のケガは傷跡など残さずに治癒してしまう」

 

 

 常人離れした生命力を持つルフィ。そんな彼と片時も離れずに生活するハンコックは、最も近い場所でルフィの人間性や体質を見本にして成長の方向性を定めた。その結果のひとつが並外れた回復力だ。以前、イノシシの突進を、その華奢な身にまともに受けて胸部を骨折したが――牛乳を飲み一晩明けたら完治していた。

 

 免疫力も高まり病気知らず。コルボ山に群生する毒キノコをウッカリ口にしてしまった際も、軽い腹痛だけで済んだし、半日ほどで回復してしまった程。

 

 今やハンコックはルフィと同等の健康優良児へと変化を遂げているのだ。

 

 

「そ、そうなんだ……」

 

 

 引き攣った表情で頷くマキノ。少し見ない間に逞しさを増した少女に対して呆気に取られている様子。理解しかねるハンコックの笑み。妹同然に可愛がっていたが、もはや自分の手からは離れて独自路線を走っているのだと喪失感に陥る。

 

 

「あ、そうだ。エースくんと――サボくんだったかな? 2人にもお洋服を持ってきたの。採寸するからジッとしてもらえる?」

 

 

 思い出したかのように話題を変えるマキノ。メジャー手に持ち、エースとサボを並ばせる。手際よく計り終えると、持ち込んできた衣服を彼らの胸へと()てがい、見た目の印象を確認する。

 

 

「うん、いい感じね。でも、あなた達は成長期だからすぐに着られなくなりそうね。その時はまた仕立ててきてあげるから」

 

 

 親切というか面倒見が良いというか――。ルフィやダダン以外からは滅多に優しくされないエースとサボも、これには観念したのか目立つ反抗はしない。

 

 兄2人は、マキノの優しさに触れて借りてきた猫のように牙をもがれる。可笑しくてハンコックはクスリと笑う。

 

 

「それとハンコックちゃん? 貴女は女の子なんだから身嗜みには気を遣わないと。貴女の今着てるいる服なんて、ボロボロじゃないのよ」

 

「仕方がないではないか。コルボ山や中間の森の過酷な自然環境。歩くだけで衣類は傷んでしまう。それに服を新調したければ街へ盗みにゆけば良い」

 

「はあ……」

 

 

 ため息をつかれる。言い知れぬ罪悪感がハンコックの肩へと重くのし掛かり、今のは失言であったと反省を促される。しかし発言を撤回するには遅い。

 

 

「逞しいのね、ハンコックちゃんは」

 

「それは皮肉のつもりか?」

 

「ええ、そうね。けど……ルフィ達にムリヤリ付き合わされてたりはしない? 1人だけ女の子だから肩身が狭くて、つい場の空気に流されちゃうとか」

 

「それはあり得ぬ。ルフィを始め、エースとサボも良き兄じゃ。性別など関係なく、快く迎え入れてくれている。わらわには勿体ない兄貴達よ」

 

 

 柄にも無くエース達を褒めちぎる。恥ずかしげもなく本心を打ち明けられのは、マキノが相手だからというのも要因として大きい。

 

 姉のように慕うマキノとの会話に対して、無意識下で舞い上がっていると見た。軽くなった口を咄嗟に押さえるが、既に聞かれてしまった。

 

 

「うん、楽しそうでなによりだわ。彼たちとならハンコックちゃんも大丈夫そうね」

 

「そうじゃ、わらわは――この幸せを噛み締めておる」

 

 

 朗らかに笑い、マキノへの返事とした。

 

 そんな調子で久方振りの対面を終える。フーシャ村へ帰る村長とマキノの背中を見えなくなるまで手を振って見送った。

 

 もう寂しくなどない。ハンコックの身近な存在は。もはやフーシャ村の住人だけではない。ダダン一家を始めとして、エースやサボといった兄達、そしてルフィが傍に居る。

 

 孤独を感じる間もない騒がしい日々。物心がつく前後の暗い部屋とは違う、明るくて広くて温かい世界。なんと恵まれた境遇なのだろう。

 

 とはいえ海賊を志すからには過酷な環境へと身を落とす事となる。自ら悪路をゆく愚か者の所業。自由を求め、あえて不自由な海へと出る。

 

 相反しながらも、大海賊時代においては成立する図式だ。『ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)』を求めるからには、不自由すらも突破せずしてなんとする。世界最高の自由を得るのは全ての海賊の夢なのだ。

 

 いわば夢の為なら幸福すらも対価として差し出す決意だ――。直面する犠牲など恐れない。

 

 ただしその犠牲とは大切なモノを失う事だけを意味するものではない。乗り越えるべき苦難そのものを指しての犠牲だ。与えられた険しい道のりを仲間と共に踏破する――。

 

 それこそがルフィとハンコックに共通する想いである――。

 

 

 

 

 

 

 やがて季節は巡り冬の到来。極寒のコルボ山を文字通り縦横無尽に駆ける悪童4人。防寒着を身に纏っているとはいえ、氷点下にもなる気温。それでもなお、平然とした振る舞い。子どもは風の子よろしく、誰もが笑顔で野山を走り続けた。

 

「やはり冬ともなれば獣も姿を見せぬな」

 

 

 山に生息する獣の大半が冬眠へ入ってしまった今、食卓に食肉が並ぶ事はすっかり無くなってしまった。わびしい食事に生きる活力さえも削られつつある。止むを得ない事態として時々コルボ山を下りてフーシャ村へ買出しに向かう程だ。

 

 ただし自給自足の生活を極力心がけている。この生活は決して無駄ではない。いつか役立つときを迎える。成長の糧として機能することだろう。

 

 海賊ともなれば海上生活が大半を占める。海洋生物を自分らで狩って食糧とすることも必要。であれば、厳冬の環境下でも逞しく生きていかなければ、この先が思いやられるというもの。挫けている場合ではないのだ。

 

 

「だったらよォ、冬眠中の熊でも起こしてやれば良いんだっ!」

 

 

 穴熊を決め込んだ熊を引き摺りだす。強硬手段を提案したルフィはそれが最善策だと打ち出している。だが案としては悪くは無い。エースとサボも賛成に挙手し、採用となった。

 

 

「しかし、具体的にどう起こすつもりじゃ?」

 

「ししし! おれに良い考えがあるんだっ!」

 

 

 悪童に相応しい悪そうな笑みのルフィ。何をしでかすのか見ものである。

 

 

「くまーっ! 出てこーいっーー!」

 

 

 直球的な方法であった――。大声で熊の眠りを妨げる腹積もりなのだろうが、やることが幼稚に過ぎる。ただ侮れないのはルフィの声量。大気を振動させ山中を駆け巡る。反響した少年の声は木々をも揺らし、枝に積もった雪をも落下させた。

 

 

「おい、バカが居るぞ、バカが。熊を起こすって考えには賛成だったが、やり方がぶっ飛び過ぎだろ」

 

 

 さしものエースもルフィの子ども染みた手法に焦りが生じる。

 

 

「でもこれは不味いんじゃねェのか? 耳が痛てェほどの大声、いったい何頭の熊を起こすつもりだよ」

 

 

 サボの懸念は当然。1頭だけであれば4人掛りで相手取れるだろう。が、それが複数頭ともなれば事情は異なる。まさかそのような最悪の事態には至らないだろう――。

 

 浅い考えと想定の甘さで不安を打ち消すサボ。けれどいつだって不運は唐突にやって来るものだ。悪い意味で裏切られた期待が、ハンコック達の前へと躍り出た。

 

 

「く、くま……! それに1頭だけじゃねェ! ルフィのバカのせいで何頭も呼び寄せちまった!」

 

 

 エースの悲鳴。地獄絵図が今其処に。安眠を妨げられた事で獰猛化した熊が1頭に留まらず10頭以上もの群れを成していた。本来なら群れぬはずの熊。けれど冬眠から強引に目覚めさせた外敵の排除という共通の目的を掲げて、集団となって人間の子ども達を襲う。

 

 

「なっはっはっは! メシがいっぱい来たぞー!」

 

「愉快に笑っておる場合かっ! もうルフィのバカ! ここまでバカとは、わらわも思わなかった!」

 

「気にすんな! おれ達ならヘッチャらだ!」

 

 

 根拠も無しに語る少年。しかし彼の発した言葉は心より兄妹を信頼しているがゆえのもの。ならば応えるのが兄妹の道理であり通すべき筋だ。

 

 だがここでハンコックがエースとサボの決めた覚悟に水を差す。

 

 

「よくよく考えればこうすれば良いのじゃ――。メロメロ甘風(メロウ)っ!」

 

 

 久々の能力の使用。衰えなど微塵も感じられず、幾重もの桃色の波動は熊の群れを呑み込む。人間の行いなど理解のかなわぬ獣。

 

 一見して不可思議ではあるが無害にも思える光線を避けることもせずに、不動の石像として意識を途絶させる

 

 熊に能力が通用したということはすなわち――ハンコックの麗しき面貌は獣さえも虜にする魔性であること。能力の範囲を知る良い機会となった。

 

 

「どうじゃ、これで脅威は取り除かれた」

 

 

 褒めて欲しいとばかりにルフィの前に姿勢を低くして頭を差し出す。思惑通り、彼の手が髪の毛をくしゃくしゃに撫でる。ご満悦のハンコックは、真冬の雪山で沸騰したかのように体内に熱がこもる。

 

 

「ふふふ、エースとサボよ。わらわの手柄じゃ。今晩の夕餉(ゆうげ)は豪勢にいこう」

 

「ししし! 大猟だっ! けどよォ、石になって硬てェ熊をどうやって食うんだ?」

 

「あ……」

 

 

 迂闊であった。石化した以上、石の硬度を持った熊を捌くことなど不可能。刃物など通らないし、まさか砕いた石を食べるわけにもいくまい。

 

 

「バカはお前だハンコック。ルフィと揃いも揃って間抜けな真似をしやがる」

 

 

 エースの辛辣な言葉に打ちのめされる。反論のしようのない失態。せっかくの食料が台無しだ。

 

 

「あひゃひゃひゃ! アホな妹ってのも愛嬌が有って良いじゃねェか」

 

「サボ……。まあ、こういうやつだってのは長い生活で理解してたさ」

 

「残念だなー、そう考えたら腹減ってきたなー」

 

「なんと……。わらわのルフィがお腹を空かせておる……。わらわのせいでひもじい思いを……」

 

 

 自責の念に苛まれる。誰よりも大切に想い、愛する人に悲しみを与えてしまった。取り返しのつかない咎。ルフィの空腹は不幸の極地。何としても幸福を取り戻さねばならない。

 

 

「ならば石化を解除じゃ……」

 

 

 慌てて能力を解除。後先を考えずに驕ったが為の悲劇。今回の件を教訓にして改めなければ。人間とは学ぶ生き物なのだ。

 

 

「って、おい……。今、石化を解いちまったら……」

 

 

 表情を凝固させたエースがハンコックの愚行に冷や汗を垂らす。エースの視線が熊達と交錯する。途端に背筋が凍りつく。下手に動けば獣らはエースを真っ先に獲物と定めて、牙や爪を以て仕留めに掛かることだろう。

 

 

「不覚……。窮地を呼び込んでしまったようじゃな」

 

「おいおい、ドジっ子にも程があるだろ。この数……どう切り抜ける?」

 

 

 不安を口にするサボには、これといった打開策は無い。この状況から脱する活路をどうにかして見出さなければ明日はやって来ないだろう。

 

 

「おれに任せろっ!」

 

「ちょっと待てルフィ!」

 

「迂闊に動いては危険じゃっ!」

 

 

 勇み良く名乗りを上げるルフィ。次の瞬間には兄や妹の制止も聞かずに、雪の積もる大地を蹴って跳ねる。

 

 ルフィもまた熊と同じく獣と化する。猛獣が如く牙を剥いたルフィに恐れるものなどあらず。咆哮する熊に突貫し、体当たりをかます。砲弾にも匹敵する衝撃。衝撃は熊の体内を走り、痛覚の全てを犯す。痛みのあまりに仰け反った熊へとすかさず追撃。

 

 

「一発くらえっ! ゴムゴムの――(ピストル)っ!」

 

 

 炸裂する拳は熊の顔面を打ち貫き、血飛沫と共に鮮血を散らす。真っ白な雪は獣の血で彩られ鮮やかに飾られた。

 

 

「よしっ! まずは1匹っ!」

 

 

 命知らずの特攻。だがこの場においては功を奏した。ルフィの挙げた戦果に触発されたエースとサボ。弟に負けてなどいられぬ。男としてのプライドに懸けて立ち向かう勇気を燃え上がらせた。

 

 

「サボ! ルフィに続けっ!」

 

「ああ、弟に守られるばっかじゃ兄貴の面目が立たねェ!」

 

 

 凶暴性を露にした悪童が総攻撃を仕掛ける。鉄パイプを握り締め跳躍した兄貴分2人組。勢いは破壊力を生み出し、熊の頭蓋を粉砕してゆく。次々と量産されてゆく獣の死骸。これにはハンコックとて動かざるを得ない。

 

 妹という立場に甘んじて守られるだけの弱者で居続けるなど耐え難き屈辱。兄達へ遅れをとってなるものか――。闘魂を燃料に、その身に火を灯す。極寒の地に燃え盛る闘志。

 

 怒涛の如き天女が純白の地を疾走する。破壊を目的とした少女。なにするものぞ、熊の分際で。油断からくる余裕ではない。凌駕する意思を掲げての挑戦によるものだ。ならば後は勝ち鬨を挙げるのみ。

 

 既に死闘の勝利はもぎ取ったとばかりに、しならせた脚の先で熊の胴を穿つ。ぐしゃりとめり込んだつま先。槍のように穿たれた熊の肉体は瞬時に生命活動を終える。

 

 その後も悪ガキ4人兄弟妹の快進撃は継続。10頭以上もの熊は狩り尽くされ、その場に立つのは人間の子ども4人。戦勝の空気に酔いしれ興奮も冷めやらない。血に塗れたその姿はまさに鬼人。

 

 

「はァはァ……。どうにかなるもんだな……」

 

「だけどおれ、疲れたよ。眠てェな」

 

「バカヤロー! こんな場所で寝るんじゃねェよ!」

 

 

 ベタな話だが雪山で眠ってしまったら死へと一直線。弱音を吐くサボの頬をビンタするエース。

 

 

「痛てェ! なにすんだ、エース! このヤロー!」

 

「仕方が無ェだろ! こうしなきゃ死んじまうだろうがっ!」

 

 

 仲良く喧嘩する長男2人。この調子であれば眠りこけたりはしないだろう。さて問題がひとつ生じた。目の前に転がる熊の死骸の数々。どう持ち帰ったものか。

 

 1頭だけでも巨体を誇る熊。全員で運搬するにしても1頭が限度だ。残りはこの場に残す事となる。寒冷ゆえに腐敗は停滞するものの、血の匂いを嗅ぎ付けた他の動物に横取りされかねない。意外な話だが冬眠をしない動物の方が自然界には多いのだ。コルボ山とて例外ではない。

 

 

「欲張っても意味がないのではないか? 身の危険を退ける為に戦った結果なのじゃ。命が有るだけ儲けものと考えるべきじゃな」

 

 

 もっともらしい意見である。まあ、ルフィが招きよせた事態を更に悪化させた彼女の言うべき言葉ではないが。

 

 

「じゃあ帰るか。ダダンもメシの帰りを待ってる!」

 

「ルフィ、メシの帰りではなくわらわたちの帰りじゃ。そなた、食事のことで既に頭がいっぱいか」

 

 

 

 元気が取り得のルフィの主導で帰宅路に着く。雪に足を取られながらの熊の運搬。寒さに体力を蝕まれ時間との戦い。

 

 だがここで再び、ルフィが妙案を口走る。嫌な予感しかしないが如何に……?

 

 

「熊をよォ、ソリにして山を(くだ)ろうっ!」

 

「それは些か奇天烈に過ぎるアイディアではないか?」

 

「なんだよ、ハンコック! 面白ければ良いじゃねェか!」

 

 

 面白味だけで物事を選別して生きているのかと問いたい――が、実際にそうなのだ。間近で見ているハンコックだからこそ解ってしまう。

 

 

「しかしルフィよ。それでは熊の毛皮が痛んでしまう。何も肉だけを剥ぎ取って終わりではない。毛皮とて売却すれば相応の額にはなるはずじゃ」

 

「えー!? 面白さよりも金を取るのかよー! ハンコックは守銭奴だっ!」

 

「お金があれば街で美味しい物も食べられる。それでも不服か?」

 

「金が無くてもメシは食えるぞ。宝払いにすれば良いんだ」

 

 

 要するに期限の設けられていないツケ払いだ。海賊になってから財宝を見つけ出し、その収益から払うと言い出したルフィ。一体、何年越しの支払いになることやら。

 

 

「おい、くだらねェ言い争いをしてないで早く運ぶぞ! 寒くてもう手の感覚が無くなっちまった」

 

「サボの言う通りだ。そこの谷の吊り橋を渡れば、どの道すぐにダダン家に着くんだ。熊をソリにして遊ぶ暇なんてねェよ」

 

 

 極めて正論を述べる兄2人。巻き添えでハンコックまで叱られてしまい、不機嫌からか頬を膨らませて不貞腐れる。

 

 さて、目の前に待ち受けるは、かつてルフィが落下した深い谷。当時は吊り橋の中央部から切れて垂れ下がっていたが、現在では新しく橋が架けられている。

 

 真新しい吊り橋には雪が積もっており、足を滑らせてしまえば深い谷へと真っ逆さまに落下することだろう。

 

 

「滑らぬように注意するのじゃ。こういう時、そなたは注意散漫となるから目が離せぬ」

 

「まあ、大丈夫だろ」

 

「その自信はどこから湧いてくるのか……。当然、理由くらいはあるな?」

 

「理由なんか無いっ!」

 

「言い切ったな……」

 

 

 

 ルフィのこの刹那的な生き方。ある意味では頼りがいを感じさせる男らしい言葉だ。彼となら如何なる苦難をも(つが)いとして切り抜けられる。

 

 

「うおっ……! 足が滑ったァ……!」

 

 

 切り抜けられなかった――。つり橋の中ほどで転倒したルフィは、熊の足にしがみ付いて落下に堪える。しかし、急激な重心の変化にハンコックやエース、サボまでもが被害をこうむる。重力に引っ張られて、あっけなく熊の遺骸は谷底へ一直線。

 

 幸いなことに熊から手を離したハンコック達は落下を免れたが……。

 

 

「しまったっ! ルフィのやつが谷底に落ちやがった!」

 

 

 エースの鬼気迫る声色で叫ぶ。

 

 

「うわあァァァ……!!」

 

 

 ルフィの悲鳴――。天へと伸ばされた手。されど誰も掴む者は居ない。気付いた頃にはルフィの姿は暗闇の中へと溶け込み、姿を消していた。彼の痛ましい声だけが耳へと存在を知らせる。

 

 

「おい、どうすんだ! 今晩のメシがっ!」

 

「ダダンにどう言い訳する?」

 

 

 こんな時まで保身に走るエースとサボ。一見して薄情にも思えるが、これはルフィへの信頼の裏返し。谷底へ落ちた程度で死ぬような弟ではないと信じているのだ。とはいえ――この中で一番、ルフィに対して過保護なハンコック。彼女だけはルフィを後追いするように谷底へと自ら身を投げ出す。

 

 

「ルフィ……!」

 

 

 迷う暇など己に許さない。ルフィの行方を追ってハンコックもまた暗闇の住人となる。

 

 

「ハンコックのやつまで行きやがったぞ? さすがに妹を放って帰るのは兄貴失格だよな。よし、エース。迎えに行くぞ」

 

「たくっ、要らねェ世話を増やす弟妹だぜ……。サボ、ついでに熊も回収だ」

 

 

 今こそ兄弟妹の絆が試される時――。と、そこまで深刻に事態を捉えるでもなく、渋々谷底へと飛び込んだエースとサボ。

 

 ルフィとハンコックを引き上げ、熊を回収した頃には日付が変わってしまっていた。門限を過ぎての帰宅。ダダンも普段はクソガキだとか文句しか言わない口から、涙ぐみながら身を案じる言葉の数々を吐き出す。

 

 山賊とはいえダダンも人の親。意外な一面に頬を緩めるハンコックであった――。

 

 

 

 

 

 

 何ら変哲の無い日々が過ぎる。とはいえ中には鮮烈な出来事だってあるし、ハンコックの記憶にはまだ新しい。

 

 その代表例がガープの襲来だ。ハンコックがダダン一家の下に居座っていると聞き付けたガープ。ハンコックをフーシャ村へ連れ戻そうと実力行使に走ったので、ルフィ、エース、サボが束になって抵抗した。

 

 老骨とはいえ侮れない。かつて世界を力で以て混沌へと引き摺り込み、そして震撼させた『ロックス海賊団』。そんな悪の集団を壊滅に追いやった程の英雄だ。

 

 本人の弁によると全盛期と比較して大幅に衰えたらしいが、その拳骨の威力は未だに山の2、3個を更地にするほどの威力を誇る。第三者から見れば彼の力は少しの陰りも感じられず健在なのだ。

 

 

「ぶわっはっはっ! サボとかいう小僧と徒党を組んどるようじゃが、所詮は未熟者の集まり! このわしを舐めて掛かると拳骨だけでは済まさんぞっ!」

 

「なんだこのジジイっ! 強ェっ!」

 

 

 拳骨の一撃で全身に浮遊感を味わうサボ。端的に言えば吹き飛ばされ、宙を舞っていた。初めて見る顔の老人にどれだけ飛び掛かろうと即座の内に弾き飛ばされるばかり。勝利への糸口が掴めない。

 

 一方で囚われの姫よろしく悲壮感に支配されるハンコック。ガープの片腕が小柄な体を拘束し、兄達が痛めつけられる様をむざむざと見せ付けられる。

 

 

「おじいちゃんっ! これはあまりにも惨い……。子ども相手に何をムキになっておる!」

 

「これもお前さんの為じゃ。ほれ、小僧共。お前らの弱さが妹を悲しませておるぞ」

 

 

 煽るような物言い。発破をかけているようにも見えるが、果たして真意は如何に――。

 

 

「ジジイ! 兄弟妹関係に横槍入れてんじゃねェよ!」

 

「ほう? あのエースが知らぬ間に他者に心を開いておるのか。ルフィかハンコックか――。はたまた2人がそうさせたのか」

 

 

 かつて海賊王(ロジャー)から託された息子(エース)。保護者たる自分(ガープ)にさえ完全には心を許さなかった彼が(ハンコック)の為に立ち向かう。その勇姿は、たとえ彼が海兵ではなく海賊を志そうとも嬉しくて仕方が無かった。

 

 喜びに破顔しながらも拳を振るう事を止めないガープ。感情と行動に結びつきは無く、あくまでも彼は子ども達の前に障害として立ちはだかる。

 

 これもまた愛情がゆえだ。時には厳しくしつけ、強き人間へと成長する切っ掛けを与えるのだ。

 

 

「じいちゃん! ハンコックを返さねェと、おれはじいちゃん相手でも本気で殴るぞっ!」

 

「やってみい、ルフィ! ぶわっはっはっは! わしの孫がどれだけ成長したのか確かめんとな!」

 

 

 悪魔の笑い声――。幼い子どもへ向けるべきではない圧がガープの巨漢から放たれる。

 

 

「どれ、一発打ってみろ! わしは逃げも隠れもせんっ!」

 

「言ったなっ! じいちゃん! 痛くても泣くなよっ!」

 

 

 挑戦を受けて立つとばかりにガープは、巻き添えを食わぬようにハンコックを地面へと下す。ここで逃げ出そうなどという野暮な真似はハンコックには出来まい。男の勝負を見届けるのだ。祖父と孫の一大決戦。

 

 

「ゴムゴムのォ――!」

 

 

 極限まで背後へと伸ばされた腕。引き絞られた腕からはミチミチと音が鳴り、解き放たれるその瞬間を待ちわびている。満を持してルフィの意思を纏った腕は前方へと打ち出され、一直線にガープへと迫る。

 

 

「――バズーカァ!」

 

 

 祖父の腹部へ打ち込まれた掌底。ドゴォ……と、およそ人体から聴こえるべきではない音が一帯へと鳴り響いた。ハンコックをして初めて見るルフィの新たなる奥義。

 

 その威力の程はたった今披露された。くの字に体を折り曲げたガープ。さしもの彼も子どもの一撃とて平気ではいられまい。数秒の沈黙――。皺の刻まれた顔は瞼を下して静けさを纏っている。

 

 

「見事じゃ、ルフィ――」

 

 

 ポツリと一言。孫の成長をその身を以て実感した祖父。虐待しているかのように見えて孫を溺愛するガープは、ルフィの見せた力に将来の可能性を見出す。

 

 

「じゃが、まだまだじゃ。東の海(イーストブルー)の木っ端海賊程度であれば十分通用するじゃろう。しかし――お前の知らん強者(つわもの)は、世界に目を向ければごまんといる。今のままではハンコックを守るなど夢物語じゃぞ――」

 

 

 些かのダメージも残っていないとばかりに平然と立つガープ。そのあまりの人外ぶりに、ルフィだけでなくエースやサボも目を見開いて驚愕する。開いた口が塞がらないとはこの事だ。今の一撃は隙こそ多いが、当たればエースとサボすらも打倒し得る威力。

 

 だというのに軽々と耐えられ――否、微塵も通用しなかった事実は、ルフィへと己の弱さを思い知らせる。

 

 

「それでもおれは決めたんだっ……! ハンコックはおれが守るって……! ずっと近くで守るって!」

 

 

 夢だろうと現実だろうと関係ない。男が括った腹の一本の槍は死んでも折れない。夢半ばにして副船長(ハンコック)を奪われてなるものか――。彼我の実力差など覚悟で詰めるのみ。

 

 

「なるほどのう……。弱い癖によく言ったものじゃ。その無鉄砲さは、ガキの頃のわしを思い出させるわい」

 

 

 何も親子だけは似るわけではない。世代を超えて祖父と孫でも似通った成長を遂げる。たとえ共に過ごした時間がほんの僅かでも、血に刻み込まれた不屈の心は絶えやしないのだ。

 

 

「ふん、まあ良いじゃろう。もうしばらくだけ――ルフィにハンコックを任せる」

 

「じいちゃん……」

 

「じゃがこれだけは忘れるなよ。ハンコックを守れなかったその時は――たとえお前が実の孫でも殺しに行く」

 

 

 脅しではない、宣告だ。その言葉に嘘偽りは無く、ハンコックの命がこの世から消えた時――本当にガープはルフィを殺すつもりだ。海賊などという死の付き纏う世界に飛び込む以上は、その程度の覚悟を出来ずして何を守るというのか――。

 

 

「だったらおれは殺されねェな!」

 

「ああ? なにを言うておるんじゃ。己の力を過信するやつほど早死にするぞ」

 

「ししし! だってよォ、海賊王におれはなるんだ! ハンコックがずっと一緒に居るって決まってるだろっ!」

 

 

 ルフィの夢の到達点にはハンコックの姿が在った。己の未来を確信して疑わない。ハンコックの存在が無ければ自分は海賊王には成れない。ならば確約された未来がハンコックの命を保証してくれる。

 

 

 

「ルフィ、そなたは――」

 

 

 

 ルフィの心情を一瞬にして読み取ったハンコック。彼女も同じだ。海賊女帝となる未来――その隣には海賊王(ルフィ)が立っている。並び立ついつかの時代。妄想ではない。紛れもなく自身が望み、叶えると誓った結末だ――。

 

 ならば不安など無い。ハンコックは自身の死を考える意味を捨て去る。きっとルフィが守ってくれるから。どんな苦難があっても、どんな敵が現れても――彼ならば必ず。

 

 

「ふう、暴れ疲れたわい……。わしゃァ、もう帰る。次に来る時までに、もうちっと鍛えておくんじゃぞ」

 

 

 暴れるだけ暴れて帰ると言い出したガープ。嵐のような人間であったと悪ガキ達は疲労困憊の身で嘆いた。今しがた解放されたことに安堵する。立ち去る白髪の祖父の背中はどこか寂しげで、それでいて誇らしげであった。

 

 祖父離れした孫――。今後訪れる躍進に期待を懸けているかのようだ。

 

 

「ルフィ――。ふふふ、今日は一段と麦わら帽子の似合う男じゃな」

 

「お、そうか! ししし、ありがとうっ! 嬉しいっ!」

 

 

 いつにも増して輝くルフィの笑顔。ハンコックにはその笑顔が太陽のように熱く大きく見えた。彼の見つめる先に立つハンコックの身は灼熱に溶けてしまいそうだ。

 

 

 そしてどちらともなく小さな者同士で手は繋がれ、エースとサボへと向き合う。

 

 

「というわけじゃ。エースとサボには、わらわたちの()()を祝福してもらおうではないか」

 

 

 当然の報告。寝耳に水である。

 

 

「何言ってんだ、おまえ? ガキの癖に結婚がどうとかよォ」

 

「いや、エース。ガキだからこそ結婚とか言うんだ、きっと」

 

 

 幼い子どもほど、少し気になる程度の異性に対しても、気軽に結婚などと口走るものだ。好意を表すにはこれほど分かり易い言葉はあるまい。ただし、ハンコックにとってのルフィは単なる異性ではない。人生そのものを捧げることすらも至福とする愛する男性だ。

 

 

「ハンコック、いきなり何言ってんだ? おれは結婚はしねェよ」

 

「え!? 先ほどの言葉、わらわへのプロポーズではないのか!?」

 

「え、違うぞ?」

 

 

 解釈の齟齬ゆえに生まれた悲恋。哀しい事にハンコックは勝手な思い込みで振られてしまった。肩を落として失意の内に涙を流す。

 

 

「泣くなって。結婚はしねェけど、ずっと一緒なんだからよォ」

 

「ほ、ほんとうじゃな? わらわと添い遂げてくれるのじゃな?」

 

「おう、おれもお前と一緒の方が楽しいからな! イヤだって言っても離さねェぞ」

 

「はあん……♡ やはりプロポーズではないかっ!」

 

 

 どこまでも恋愛にうつつを抜かし、現実の見えていない少女。

 

 だが、男女が共にあれば……一夜の過ちも起きないでもない。あわよくばルフィに責任を取ってもらう為に結婚を――。

 

 ルフィの性格からして、まったく現実味の無い与太話。そんな煩悩に塗れた考えを願望とするハンコックであった。



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ゴア王国動乱
20話


 ジャングルの奥地にて聳え立つ巨木。大自然の中でも際立って生命の息吹を力強く感じさせるそれは、コルボ山の悪ガキ達によって占領されていた。

 

 木の上部に添えられる形で建築された秘密基地。いかにも脆そうな造りではあるが、兄弟妹の手で時間を掛けて建築した渾身の出来映え。

 

 当人らは大いに満足し、築城の高揚に浸っていた。これから自分達だけの秘密基地で何をして遊ぼうかという話題で盛り上がる。

 

 浮かれた兄弟妹は、ダダンが取って置きにと隠していた酒を拝借して美酒に酔う。ルフィだけは酒の苦味が不得手らしく、義兄弟の盃以来の飲酒である。

 

 まあ、ハンコックも飲めないわけではないが、酔いの回りが早い為に飲酒の習慣は無い。というよりも一桁代の年齢ゆえに飲酒は推奨出来ないだろう。

 

 エースとサボは背伸びをして、さほど美味しくもない酒の味を批評しながら飲んでいたが、ハンコックはそっとしておいた。男の子というのは見栄を張る生き物だと知っていたから。

 

 

「この高さ、良い眺めじゃ」

 

 

 地上十数メートルに位置する秘密基地。この高さであれば猛獣や金品を狙う海賊であっても容易には登ってこれまい。

 

 海賊貯金を隠しておくには最適。ここを拠点に今後は活動していく予定だ。ダダンには『独立する』という旨の書き置きを残してある。今頃、大慌てでハンコック達の行方を追っているに違いない。

 

 

「今日から此処がおれたちの城だ!」

 

 

 高らかに宣言するエースの表情は軽く興奮しており、瞳からは輝きを放っていた。心踊る少年の感情の揺らめきはサボ達へ波及する。

 

 

「ダダンには世話を掛けっぱなしだったからな。これで少しは楽にしてやれる」

 

 

 サボが日頃から感じていた引け目の解消を言葉にする。無計画にもダダンの下から独立する心構え。

 

 何だかんだいってダダンの庇護下に在った頃は、最低限の生活環境は保証されていた。

 

 雨風を凌ぎ、外敵の無い空間は安眠の場としても機能。けれどこの無謀な試み。野晒しで隙間だらけの秘密基地は、強風でも吹けば瓦解してしまいそうな程に脆弱で心許ない。

 

 子どもゆえの見通しの甘さが目立つ。しかし4人の内の誰もが気にも留めず、指摘することも無い。根拠もない自信が、不測の事態などはね除けて当然という確信を持たせる。

 

 若さゆえに失敗へと至る。しかし、失敗から学ぶことも若者の特権である。

 

 

「うーん、何か足りねェって思ったら食い物が無ェんだ。おれは腹が減った!」

 

 

 空腹を訴えるルフィ。グーっと腹の虫が鳴き声を上げる。彼の食欲を満たそうにもハンコックの今の手持ちには、'海軍せんべい'しか無い。

 

 ルフィの胃袋の容量を考慮すれば、腹八分目どころか一分目にも届かないだろう。とはいえ、ひとまず彼にせんべいを与える。先日、ガープがお土産として置いていたいったのだ。

 

 

「せんべいはうめェけど、まだ食い足りねー」

 

「食欲旺盛じゃな、ルフィは。どれ、足りぬのなら街で食事などはどうじゃ?」

 

「そうすっか! なにを食おうかなー」

 

 

 中心街の多くの飲食店で出禁を受けている兄弟妹。入店確認を潜り抜けての食事は困難を窮める。押し入っても騒ぎを大きくするばかりで、すぐに保安官が駆けつけてくるだろう。

 

 

「悪い意味でわらわ達も有名になったものじゃ……。店を選ばなければ、街では食事すらままならぬ」

 

「金さえ払えば食わせてもらえるんだろうけどな。でも海賊貯金を切り崩すわけにはいかねェし」

 

 

 サボは極力の出費を抑え、これまで貯金を増やし続けてきた。金の使い方に無頓着なエースへ、必死に自制を呼び掛けるなどの涙ぐましい努力。

 

 しかし状況が変わって、今や2人から4人の所帯。人数が増えたことで単純に食費が(かさ)むのだ。

 

 

「端町の大門を通る時みてェに、また外套でも被って店に入るか? 食べづらいだろうけどな」

 

 

 子ども4人で肩車をして大人へと擬態。入店こそ可能だろうが、食事の際は二人羽織ならぬ四人羽織を強いられる。

 

 平等に食べられるとは思えぬし、下段の負担が大きい。よってエースの案は却下だ。

 

 

「この際、お金の使用を惜しんではおられぬ。サボよ、貯金にばかり意識を向けて食事での息抜きを忘れては、心身共に長持ちせぬぞ?」

 

「そうだよな、やっぱし。禁欲ばかりなんて生きてても楽しくないもんな。よし、今日くらいはパーッと、メシに金を使うかっ!」

 

 

 考えを改めたサボ。今日ばかりは無銭飲食を控える決心がついた。人としてはそれが正常であり、村長の言う真人間らしさなのだろう。

 

 現地で何を食べようかと各々で想像を膨らまし、大門の位置する不確かな物の終着駅(グレイターミナル)へと向かう。勿論、幾らかの金銭を海賊貯金から持ち出して。

 

 額にすれば貴族御用達の高級レストランでも支払いが可能なほど。ただしルフィの胃袋次第では持ち合わせが不安になってしまうので、保護者たるハンコックがきちんと監視せねば。

 

 

 

 

 

 

 やがて悪臭が鼻腔を刺激する。食前より食欲を減衰させるが、ここを通り抜ければ事も無し。

 

 しかしここでひとつの違和感を覚え、一行はその歩みを止める。いや、止めたのではなく止められたのだ。

 

 

「なんか妙じゃねェか? いつもならここら一帯にゴミを漁るおっさん達が居るのに、今日はぜんぜん見かけねェ」

 

 

 エースの提起した異変は、重たげな空気と共にハンコック達へ伝わる。普段以上に息苦しさの増した空間。悪臭だけではなく、場所そのものの色彩が濁っているようにも見える。

 

 

「ここの住人ではない何者かが居る……? わらわには気配を感じられる」

 

 

 ハンコックの直感が何者かの存在を察知する。穏やかではない息遣い。何事を企む()しき人間の汚臭が漂っているのだ。

 

 

「あ、見ろよ、みんな! 向こうに人影がいっぱい見えるぞっ!」

 

 

 ルフィが指を差した方角――。人数は2、3人では利かない。40人は軽く超える。その場に集う人間の面々は、ゴア王国の兵士及び入り江を拠点とするブルージャム海賊団。

 

 一国の軍隊と海賊。通常であれば交戦すべきシチュエーション。だが、王族や貴族の性根からして腐りきったゴア王国だ。海賊を見かけたからといって討伐に動かず、職務怠慢の末に見て見ぬふりをするかもしれない。

 

 けれど問題はそこではない。見るからに両者は不干渉に徹するでもなく、むしろ結託している。悪事の共謀を彷彿させる距離感。

 

 これにはコルボ山の悪ガキとて油断ならない。臆すれば脆くなった部分から食い尽くされてしまいそうだ。

 

 

「あ……。そんな、どうして……」

 

 

 悪党の集団の中にサボは見知った顔に気付く。出来れば出逢いたくはなかった、捨てたい過去の象徴。顔を見るだけでも吐き気を催す枷。

 

 

「ようやく見つけたぞ、サボ。まったく面倒事ばかり起こすドラ息子め」

 

 

 貴族然とした中年男性。先日にも遭遇したサボの父親。この殺伐とした空気の中心点。

 

 

「なんだよ、そんなに大勢を引き連れてなにがなんでも目的なんだよ、お父さんっ!」

 

 

「目的? そんなことは決まっている。サボ、お前を迎えに来たんだ。その薄汚い悪ガキどもに付きまとわれて迷惑していたんだろう?」

 

「ふざけんなっ! こいつらはおれの兄弟妹(家族)だ。一緒に居て当然なんだよっ! 付きまとわれてなんかいないっ!」

 

 

 怒りが何よりも前に押し出される。兄弟妹を悪く言われたのだ。決め付けだけで語られてなるものかと躍起になる。

 

 

「お前はいつぞやの貴族ではないか。わらわたちの兄弟に何用じゃ? 先程の迎えに来たとの発言は聞き間違いだと思うたが――」

 

 

 エースやルフィに先回りして手を打つ。この2人は激情に駆られ易く、騒ぎを大事にしかねない。ゆえにハンコックが代表して対話を試みた。

 

 

「なんだ、小娘。部外者が人の家庭に口出しするもんじゃない」

 

「正論と言って引き下がるほどわらわは素直ではない。何よりもわらわ達とてサボとは家族じゃ。部外者などと纏められては納得がいかぬ」

 

「可笑しな事を言う子どもだ……。家族とは血のつながりを指す言葉だ。ましてやサボは貴族であるウチの子ども。平民の血を引くお前らとは生まれからして違う」

 

「言葉では通じぬか……。なるほど、わらわ達とお前とでは生まれが違うというのも頷ける。しかし、サボよ。そなたは自身はどう考えておるのじゃ?」

 

 

 最も重要なのはサボの心の所在だ。彼の心がハンコック達と共に在れば良し。その点について疑いを知らぬハンコックは、サボへと確認のつもりで問い質す。

 

 

「ああ、おれの生まれた世界はハンコック達と同じさ。目の前の貴族の家なんかじゃないっ!」

 

 

 過去にではなく今を生きる少年。妹の期待に応じ、断固として貴族の身分など認めなかった。

 

 

「くだらんっ! 大方、その見た目の良い小娘の色香に惑わされたんだろう。平民がっ! ウチの財産を狙って色仕掛けでもしたのかっ!」

 

 

 ハンコックを指しての(そし)り。その耐えがたき侮辱は一瞬にしてハンコックの理性を奪いかける。が、ここで感情に任せて行動するのは悪手。サボの身を案じて、歯を食いしばってでも堪える。

 

 

「そこの男よ。わらわはサボの妹であって愛人などではない。あまりにも見当違いな指摘に、思わず言葉が詰まったではないか」

 

 

 深呼吸をひとつ置いてから平然を装う。いたって冷静。再び舌戦へと立つ。

 

 

「平民の言い訳など聞くに堪えん。おい、海賊共。悪ガキを全員拘束しろ」

 

「へい、貴族のダンナァ」

 

 

 サボ父親に顎で使われる男ブルージャム。どうやら今回の一件の実働隊をブルージャム海賊団が担っているようだ。

 

 いくらの金銭を積まれたのかは知らないが、実利に動く海賊ほど欲望剥き出しで厄介な人種はいまい。

 

 さて貴族の指示を受けた海賊達。ルフィとエースを背後から取り押さえ、抵抗の意思すらもねじ伏せる。

 

 

「ルフィっ! エースっ!」

 

 

 自由を奪われた兄弟の姿にハンコックは叫ぶ。サボはというと――自身の父親に向けて、固く握られた拳を今にも振るいかねない様相。だが飛びかかったところで子ども1人の力じゃ、何ら解決にも繋がらない。ならば逃亡を画策するが、そう都合よく隙などは見出せなかった。

 

 

「2人を解放するのじゃ。さもなくばその首をへし折ってしまおうぞっ……!」

 

 

 蹴りの構えに入るハンコックだが、この大人数を相手取れる自信は無い。2、3人ならば喩え海賊でも軍人でも太刀打ちは出来るだろう。しかし実状はどうか? 40人にも及ぶ戦力。とてもではないが数人を倒したところで後が続かない。

 

 

「おい、海賊。まだ小娘が残っているじゃないか。早急に取り押さえたまえ」

 

「すんません、ダンナ。小生意気な娘も楯突けないようにしますんで」

 

 

 ヘコヘコと頭を下げるブルージャム。噂が本当であれば、彼は凶悪なポルシェーミの親分という事だが、この腰の低さからは想像も出来まい。けれど外見の凶悪さだけはポルシェーミをも勝る。

 

 

「そういうわけだ、嬢ちゃん。ちょいとジッとしてなァ」

 

「ふ、触れるな下郎っ!」

 

 

 海賊の中でも群を抜いた性根の腐った男の手が迫る。その汚物の如き男が、無垢な少女に触れるなど許すまじき蛮行。ハンコック本人以外にも、この行為に黙っていられぬ少年が居た。

 

 

「おまえっ……! おれのハンコックに触るんじゃねェ……!」

 

 

 殺気を孕んだ声でブルージャムを威嚇するルフィ。自身を拘束する海賊の男へと肘鉄を加えると、その身の自由を取り戻す。併せてエースも。

 

 

「っち、てめェら。ガキの1人もまともに押さえつけられねェのか? ポルシェーミの野郎みてェに鉛玉をぶち込まれてェらしいな」

 

 

 どうやら、以前ハンコック達と因縁を持ったポルシェーミはとうに粛清され、この世には存在していないらしい。身内の惨殺すら海賊界の善とする船長の恫喝。恐れをなした部下たちは、再びルフィ達の拘束に動くが、抵抗著しい少年らの反撃を受けて呆気なく気絶する。

 

 

「ヤンチャが過ぎんだよ、ガキ共……! あんまり大人をイラつかせるもんじゃねェ。親にそう教わらなかったか?」

 

「うるせェ! お前なんか大人じゃねェ! お前の方がガキだろっ!」

 

「フフフ……。中々言ってくれるねェ。だが肝は据わってる。この嬢ちゃん、お前の女か?」

 

「ああ、おれの女だっ! 指一本でも触れてみろっ! そんときゃァ、お前をぶッ飛ばす!」

 

 

 伸ばした手でハンコックを手繰り寄せるルフィ。その感触を以て、自身の女(副船長)を取り戻した事を実感する。

 

 

「ルフィ! ここでコイツらをまとめてぶっ飛ばすぞ! じゃねェと、おれやお前、ハンコックにもこの先ずっと危険が及ぶ! サボも早くこっちに来い!」

 

 

 兄として守るべき者がいる。まだ幼い弟と妹だ。しかし、彼らも守られるだけの弱者ではない。ならば共闘を以て兄弟妹の絆を示してやるのみ。そしてサボというエースにとってのかけがえのない相棒。彼の力があれば百人力である。

 

 

「悪い、エース……。そうしたいのは山々なんだけどよォ……」

 

 

 歯切れの悪い言い方のサボ。1度は握り締めた筈の拳は緩み、力無く手の平を見せていた。

 

 

「何を弱気になってんだ、サボ! 今までも虎や熊だってぶっ倒してきただろうがっ! 今更、こんな海賊や兵士達相手に何をブルってやがるっ!」

 

「いや、ダメなんだ。エース……」

 

「何がダメなんだ! お前がいねェと、勝てる相手にも勝てねェだろ!」

 

 

 様子の可笑しいサボへと追及するエースだが、満足のいく回答は得られない。それどころかサボが自分達の下から離れていく様な未来が脳裏に浮かんでしまう。不吉極まりない。万が一にでも起きてはいけない現実である。

 

 

「まさかお前……。あんな男の家に戻るつもりかよっ……!」

 

 

 想像もしたくない悪夢。兄弟妹の栄光の日々に自ら終止符を打とうというサボの行為に発狂しそうになる。

 

 

「そうだ……」

 

 

 サボは認めてしまった。ルフィとハンコックもそんな未来の訪れなど予期などしてはいない。ゆえに開いた口が塞がらず、時間だけが無為に経過してゆく。

 

 

「なぜじゃ、サボ……。交わした盃の意味を忘れたなどとは言うまいなっ……!」

 

「そうだぞ、サボ! お前はおれとハンコックの兄ちゃんだろうがっ! エースだけじゃ頼りねェ!」

 

「遺憾だがルフィの言う通りだ! おれだけじゃコイツらの兄貴は務まらねェ! いいから戻って来いよ!」

 

 

 三者が説得を試みるが、良い感触は無し。押し黙ったままのサボは、そっと口を開いて語り始める。

 

 

「ここでコイツらを力でどうこうしても意味が無いんだ……。おれ達の敵は何も此処に居るやつらだけじゃねェんだ。きっとここを切り抜けても権力を振りかざして、どこまでも追って来やがる」

 

 

 サボは知っているのだ。自分の父親がゴア王国の王家と深い繋がりを持つことを。父はきっと息子(サボ)を取り戻すにあたって、国王にも根回しをしている。

 

 だからこそ兵士を大勢引き連れているのだ。今や彼の手にはゴア王国の権力が握られ、その支配域はその気になればコルボ山、果てはフーシャ村にも届くことだろう。

 

 

「良く理解しているじゃないか、サボ。そうだ、この一件には王家も噛んでいる。お前は知らんだろうが、王女はお前をいたく気に入っているんだ。順調に事が進めば、お前はこの国の王にだって成れるんだぞ?」

 

「王の地位なんてどうでも良いっ! けどっ! もう、おれの大事な兄弟妹に手を出さないでくれっ! おれが望むのはそれだけだ!」

 

 

 自由を求めるがゆえに海賊を志した少年。それがどうして王座になど縛られなければいけないのか――。さりとて今取れる最良の選択は唯一。そんな馬鹿げた未来しか残されていない。他でもない兄弟妹を守る為に。

 

 

「というわけだ、悪ガキ共。サボはたった今より、お前らとは縁を切る。まったく……。汚れた経歴を抹消する為にどれ程の労力が必要なのか……」

 

 

 悪態をつく貴族の男。もはやハンコック達のことなど眼中に無い。

 

 

「ふ……ふざけんなァ! そんな言い分が通ると思ってんのか、サボォ! おい、こっち見ろよ!」

 

 

 頑なにエースから視線を背けるサボ。彼にとっても苦渋の決断――。本心では今すぐにでも兄弟妹の下に戻りたい。一緒に遊んだり、喧嘩だってしたい。そして仲直りして、より絆を深めるのだと。

 

 しかしながら、その幸福は認められない。権力という名のこの世で最も猛威を振るう力。まだ自分には、権力に抗えるほどの力は無い。

 

 

「くそっ! 一発ぶん殴ってでもサボの野郎の目を覚まさせねェと……!」

 

「やめろ……やめてくれ、エース……。おれはお前らが死ぬなんてことはイヤだ」

 

「おれは死なねェ! やっぱりサボは寝ぼけてやがんだっ! しっかりしやがれ、バカ兄弟っ……!」

 

 

 何度だって叫ぶ。何度だって怒鳴る。何度だって……。

 

 

「エース……。お前との5年間は楽しかった。ルフィ、ハンコック……お前らにはロクに兄貴らしいことをしてやれなかった。ごめんな、みんな――」

 

 

 決別の言葉だった――。彼の胸中は推し量れない。どう見てもサボの本心ではないと一目瞭然。しかし不幸にも貴族の家に生まれた少年の言うように、権力には逆らえない。

 

 きっとこの国から逃亡しても、その執念は子ども達を世界の果てまでも追い詰める。いつまで続くかも知れない不幸な生活に巻き添えには出来まい。ゆえにこの別れを以てサボは過去を捨てるのだ。

 

 

「とんだ腰抜けじゃ。とんだ敗北者じゃ……。権力などに屈するなど……。こんな男がわらわの兄? ふん、とんだ恥じゃ」

 

「お、おい。ハンコック……。急にどうしたんだよ……」

 

 

 サボへ向けて軽蔑の言葉を並べるハンコック。自分の親友の急変ぶりに戸惑うルフィは、ジッと彼女の動向を見守るしかなかった。

 

 

「見込み違いだったようじゃな……。そなたには海賊を目指すほどの肝が据わっておらなんだ。所詮は口だけの男。わらわのような年下の女に罵倒されても言い返せぬほどにプライドにも欠けておる」

 

 

 罵倒は止まない。口を開けばサボを侮蔑する言葉の数々が飛び出し、憎悪にも似たどす黒い感情がむき出しになっていた。その少女の形相にはブルージャムですら息を呑むほど。

 

 

「どうした、何か反論があるのなら申してみよ……」

 

「…………」

 

 

 尚もサボは答えない。全ての罵倒を受け入れるように……。抗議する資格すら、自分には与えられていない。だから言い返す勇気も湧かないのだ。無力ゆえに、ハンコックが言いたくもない悪口を言っている事を見逃す。

 

 

「サボ……。どうして……何も言わぬのじゃ……。わらわを怒れっ! わらわと喧嘩してみせよ!」

 

 

 目が熱くなる。もう兄の声すら聴くことは叶わないのかと。悲痛な叫びが胸の中にこだまする。ポロポロとこぼれた涙がハンコックという少女の悲しみを世に知らしめる。

 

 

「サボォ! ハンコック()を泣かせるじゃねェよっ……! エースが言ってたみてェに、お前をぶんっ殴ってやる!」

 

「いつかおれが――」

 

 

 ルフィの怒号を受けて、ようやくサボは重い口を開く。これには冷静さを失ったルフィとて、耳を傾けるしかあるまい。

 

 

「国王になったら――。その時はお前らを貴族にしてやる。そしたらまた会えるんだ――」

 

 

 見るに堪えない……。上辺だけ明るく振る舞うサボのなんと哀れなことか。

 

 

「サボ……。心にも無ェことを言ってんじゃねぇよ! おれたちが成りたいのは貴族じゃねェ、海賊だろうがァ!」

 

 

 エースは吠えた。共に秘密基地まで作り上げ、明日以降も海賊船を購入するた為の資金を集めると約束したことを思い出しながら。

 

 

「嘘じゃ……。サボがそんな事を望んでおる筈がない……!」

 

 

 

 慟哭する。滝のように流れる涙が頬を濡らし、少女の肩を震わせた。

 

 

「認めねェ……! サボが王になるってんなら、おれがこの国をぶっ潰してやるっ……!」

 

 

 国家転覆を宣言するルフィ。拳ひとつで王位から引きずり下ろす覚悟だ。そうでもしなければ悪い彷徨に強情な兄貴(サボ)を取り戻せまい。

 

 

 そしてサボはそれ以上の言葉も告げずに父親と共に高町へと消えた。その場に残されたのはブルージャム海賊団とコルボ山の悪ガキ()()()。1人欠けてしまった――。

 

 

「貴族のダンナからは、お前らを始末しておけとの指示だが――。お前らは腕っ節に自信があるようだな。消すには惜しい命だ」

 

 

 突然、何を言い出すのか。ブルージャムという男の言葉に虫唾が走ったエースは、足元に落ちていたゴミを彼へと投げつける。

 

 不敵な笑みを浮かべながら軽く避けたブルージャムは、ハンコック達へと話を続ける。

 

 

「どうだ? 強いやつはおれとしては大歓迎だ。ポルシェーミの野郎が死んだ穴をうめる為にも、ウチの一団に来ねぇか? スカウトってやつだ」

 

 

 ハンコックらの才能を見込んでの海賊団への勧誘。だが、こんな男を間違っても船長などと呼びたくはない。

 

 

「ことわる……。おれたちが海賊になる時は自分達の船を持つって決めてんだ」

 

「そうじゃ、特定の誰かに従うなどあり得ぬ。ルフィは別じゃがな?」

 

「そういうわけだ、おっさん。おれ達は自由にやるから、誘いには乗らねェ」

 

 ルフィの言葉で拒否の意を締めくくる。

 

 

 

「そうか……残念だ。だがまあ、お前らも金は幾ら有っても足りねェよな? 単発の仕事なら斡旋してやれるが、そっちはどうだ?」

 

「ふざけんな……。おれ達はまだサボの件で頭ん中がグチャグチャなんだ。お前の話になんか聞いてやる気にもなれん」

 

「そいつは悪かったな。まあ、金が必要なら入り江に来い。そこにおれの船がある」

 

「そうかよ……。期待せずに待ってろ、クソ海賊」

 

 

 減らない口で吐き捨てて弟と妹を連れて秘密基地へと撤収するエース。まだ認めてなどいないのだ。サボが自分達を置いて貴族の家へと戻っていたことを。必ず彼を取り返すと決めた。

 

 手段など問う暇も無い。一刻も早く救い出さねば、サボはきっと腐敗した性根へと塗り替えられる。そんな気がした。

 

 

「わらわは信じておる。サボがこのまま黙って親の言いなりになるなどとは思えない」

 

「おれも同じ気持ちだっ! だってサボのやつ、泣いてたっ……! サボもこんな事、認めちゃいないんだっ!」

 

 

 ルフィは見ていたのだ。背を向ける彼の涙を。その背中もどこか寂しげで、助けを求めている風にもルフィの目には映っていた。

 

 

「お前らもそうか……。ああ、サボなんだ。おれ達の兄弟なんだ。あいつの強さは誰よりも知ってる。きっと戻ってくるに決まってる!」

 

 

 ルフィ、エース、そしてハンコックの誰もがサボの帰還を信じている。ひょっとすれば痺れを切らしてハンコック達の方から迎えに出向くなんてこともあり得るだろう。そう考え出すと陰鬱な気分も少しは晴れるというもの。

 

 

「よしっ! サボが帰ってくるまでに海賊貯金をもっと増やすぞ! お前らもそれで良いよな?」

 

「ししし! ああ、たんまり貯めてサボのやつをビックりさせるんだっ!」

 

「少しばかり気が早いが、あやつの驚く顔が楽しみじゃ!」

 

 

 望んで送り出したわけではないサボ。けれど希望が絶たれたわけではない。少年少女が信頼を寄せるサボという男は必ず――権力という名の檻から抜け出してくる。ならば彼の帰る場所を守ることこそが、彼への報い方。

 

 今はまだ待つのだ――。海賊に成るという夢を胸に抱いて――。



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21話

 秘密基地に戻ってはみたものの、たった1人欠けてしまっただけなのに随分と静かなものだ。

 

 賑やかし役のルフィでさえ口数が少なく、彼に続く形でハンコックも無言。エースにいたっては苛立ち気味に舌打ちする始末。

 

 先程まではサボの帰る場所を守ろうと息巻いていた。だというのにこの現状は何事か? 何もかも想定が甘かったのだろう。

 

 自分達にとってのサボの存在の大きさを失ってから気付く。事の重大さを今更になって理解した。

 

 

「時にエースよ……」

 

「なんだ……?」

 

 

 場の流れを変えるべく、ハンコックが話題を提供する。その意思を感じ取ったエースは、いまいち乗り気になれないが、やむを得ず話し相手を務める。

 

 

「一度、ダダンの下へ戻らぬか? ここは退屈で息が詰まりそうじゃ」

 

「帰りたきゃお前だけで帰れ。おれはサボが戻ってくるまで、ここで暮らす。なんならアイツが帰ってきたら、ダダン家まで知らせに行ってやろうか?」

 

「意地っ張りめ……。その心意気は買うが」

 

 

 にべもなく断られた。ただし八つ当たりしない辺り、彼も妹を大切に想っているのだろう。

 

 

「腹減ったー」

 

 

 盛大に空腹の音色を鳴らせるルフィ。間の抜けた音に、思わずサボとの離別を忘れては吹き出してしまうエースとハンコック。

 

 

「そういやァ、あの騒ぎでメシがうやむやになっちまったな」

 

「言われてみれば。しかしどうする? サボは去り際に持ち出した金銭を残してはくれたが……。いま、街へ近づく気分にもなれぬ」

 

「少々面倒だが猪か熊、虎でも何でも構わねェ。狩りでもしようぜ」

 

 

 腹が減っては思考もままならないし、考えも纏まらない。よって3人はサボを欠いて以後、初めての狩りへ繰り出す。

 

 

 

 

 結果だけを言わせてみれば収穫は0であった。彼らの実力ならば小一時間もあれば何頭もの獣の息の根を絶った上で、火に掛けていた頃。

 

 けれど実情を見れば、空腹に喘ぎ3人一緒に地に伏せている。空腹ゆえに力が出ない――といのも要因のひとつだが、何よりもサボを失った喪失感から無気力になってしまっていた。

 

 

「やる気でねェー……」

 

「わらわも同じく……」

 

「なんてザマだよ、おれ達ァ……」

 

 

 揃いも揃って廃人かと身が見紛う程に生気が抜けていた。フーシャ村では幼い美人さんで通っているハンコックでさえも、顔色が優れず美貌を著しく損ねている。

 

 とはいえ、そんな憂い顔でさえも映える可憐な容貌ではあったが。例えるなら家族の温もりに飢える薄幸な少女といったところ。実に悲劇的なヒロインである。

 

 

「前言撤回だ。やっぱりダダンの家に帰るか……。今日ばかりはメシを分けてもらわねェと、体がもたねェ」

 

「ふふふ、カッコ悪いものじゃな。見栄っ張りなエースめ」

 

「うるせェ……。男が見栄を張って何が悪い」

 

「エースのやつ、開き直ってんぞ。だっせェなァ」

 

 

 ハンコックだけではなくルフィまで幻滅させる、エース。とはいえ、彼が兄弟妹の中で最も心に傷を負っているのは確かだ。

 

 なにせエースとサボは5年来の付き合い。ルフィ及びハンコックと出逢う以前より、長い期間に渡って苦楽を共にしてきた。そこに来てサボとの別れは、半身を引き裂かれたも同然の仕打ち。

 

 天から見放されたが如き運命に落とされてもエースが自棄を起こさないのは、ひとえにルフィとハンコックの存在が踏み留まらせていたから。孤独を免れた彼は再起への道を模索する。

 

 分りやすく手っ取り早い方法は無論、サボを取り返すことだが、国家権力との衝突への備えは不十分である。今はまだ力を蓄え、機を窺うのみ。

 

 

「じゃあ、帰るか。ダダンのところへ」

 

 

 エースの先導で3人兄弟妹は仮親の下へと駆け出す。本来ならばこの兄弟妹の中にもう1人、長兄が居る筈だが――この空白への寂寥感(せきりょうかん)については、もうしばらくの辛抱だ。

 

 

 

 

 

 やがて見えてきた親しみある山賊のアジト。相変わらずのボロ屋だが、今のハンコック達には都にも匹敵する輝き。

 

 その都の入り口には、ダダンの手下であるドグラとマグラがウロウロと落ち着かない様子で歩き回っていた。

 

 

 

「まーまー、エース達じゃねェか」

 

「ホントじゃニーか! ダダンのお頭に知らせねェと!」

 

 

 慌ただしく中へと引っ込み、ダダンへと報告するドグラとマグラ。程なくして目尻に涙を蓄えたタダンが、咥えた煙草を吐き捨てながらハンコックへと駆け寄った。

 

 

「お前らっ! 可笑しな書き置きだけ残して消えちまったかと思えば帰ってきたかっ! このヤローどもがっ! まったく、心配かけやがって!」

 

「ああ、いま帰った……」

 

 

 弱々しい声で返事をするエース。そんな彼の様子に違和感を得たダダンは、やがて気付く。

 

 

「ちょっと待てっ! サボのやつが居ねェじゃねェか! サボはどうしたってんだよっ……!」

 

「その事なんだが……」

 

 

 問われてエースは事の経緯(いきさつ)を力無い声で語りだす。頷く余裕も無く聞き入るダダン。徐々に顔から色が抜け始め、しまいには脂汗を掻く。

 

 話を聞き終えたタダンは――その場に崩れ去り、ゆっくりと煙草を咥えて火を灯した。煙を肺へと満遍なく取り入れたかと思えば、咳き込んでしまう。

 

 

「サボのやつが……。貴族の家に連れ戻されたって……? そんなバカな話があってたまるかいっ……!」

 

「ダダンよ、わらわ達とて信じがたいが目の当たりにしたのじゃ……。紛れもない事実……。ゆえに覆らぬ……」

 

「だけどよォ、おめェ……。事情があるにせよ、あのバカがどれだけの想いで行っちまったのかを考えると……。胸が痛てェよ……」

 

 

 意気消沈。やるせない気持ちを隠しきれず、ダダンは行き場を失った感情に振り回され歯噛みする。本来ならば物へ八つ当たりしたりなど暴れるところだが、子どもたちの手前、自制を最大限に利かせる。

 

 

「今は待つことでサボを信じることにする。おれ達はそうするって決めたんだ」

 

 

 エースの口から兄弟妹の取り決めをダダンへと告げられ、そこで会話は打ち切られる。嫌な静けさが場を支配し、不満はあれど声を出す事すら憚れる。窮屈で息苦しい空間。耐えかねたハンコックは口を押さえながら屋外へと退避する。

 

 

「(やはりサボが居ないと調子が狂ってしまう……。エースもルフィもあの有り様では見ていられぬ……)」

 

 

 2人の兄(ルフィとエース)の心的不調は、ハンコックの心を削る。荒んだ精神は執拗に彼女を責め立て、色あせた世界を瞳に映させた。

 

 

「(そなたさえ戻ってくれたら……。きっと、こんな想いも晴れるはずじゃ……)」

 

 

 同じ国に居れど、はるか遠くに行ってしまったサボの身を案じ、先行きの見えぬ不安へと直面しながらも耐え凌ぐ。半死半生の状態に近い心境でハンコックは明日以降にも続く世界を生きる――。

 

 

 

 

 翌日のこと。朝食の場でルフィとエースは、いつの間にやら2人で相談したのか示し合わせたかのように、ブルージャムが誘いを掛けてきた単発の仕事を請けると言い出した。今はとにかく金が必要なのだと、悲しみを誤魔化すように主張している。

 

 なにが正しいことなのかは分からない。しかし、何であれ行動しなければ失ったモノの大きさに押し潰されそうで生きることすら辛いのだと言う。

 

 

「そなたらの意思じゃ。止めはしない。ただし、わらわは留守番をさせてもらう」

 

 

 ブルージャムはいわばサボを奪った片棒を担いだ連中。誰が好んで彼らの仕事を手伝わなければならないのか。正直、ルフィたちの正気を疑う沙汰である。だが、他でもなく2人の兄が望んだことだ。よほどの事情が無い限りは引き止めはしまい。

 

 

「悪いな、ハンコック。これも金を貯める為だ。なあに、ブルージャムの野郎が可笑しな真似をしようってんなら、今度こそぶっ潰してやるさ」

 

「そうだぞっ! あんなヘナチョコヤロー、おれとエースでぶっ飛ばしてやる!」

 

「ふふふ、血気盛んなことじゃ。バイト代が弾んだら、食事でもご馳走してもらえると嬉しい」

 

 

 事の他、悲観的な考えではないらしい。その気になれば、いつでもブルージャムとは手を切る心構えのようだ。ならばハンコックの懸念も杞憂というもの。まさか彼らまでもがブルージャムやゴア王国の貴族のような腐った人間のように染まりはしないだろう。

 

 

 そうしてハンコックはルフィとエースを仕事へと送り出し、ダダンの下で1人待ち続ける。久々の1人の時間だ。普段であれば必ず兄達の1人は傍に居た。特にルフィと共に過ごす時間が大半を占め、退屈などとは無縁。

 

 それがどうしたことか暇で仕方が無い。1人で夕飯の食糧でも狩りに行こうかとも考えたが、鉄パイプを持ち出そうとしたタイミングでダダンに止められた。理由を訊ねると――。

 

 

「いまのお前は見てられねェくらい落ち込んでんだ。下手を打ってケガでもすんのが目に見えてんだよ」

 

 

 きっとそれは親心なのだろう。彼女の優しさにはハンコックも無下には出来ない。生来の我の強さはナリを潜め、ここは親の忠告を素直に受け取った。ともすれば本格的に時間を持て余してしまう。

 

 

「(ここまで退屈なのは――天竜人の奴隷として飼われていたあの頃以来じゃな……)」

 

 

 忌々しき記憶。捨て去ったはずの過去を彷彿させる。ハンコックを虐げ、人間扱いすらしなかった…天竜人。もしも彼の人物に再び会うことがあったのなら、きっと彼女は有無を言わさずに殴りかかるだろう。

 

 いくら物心がつく前後で事の善悪すら曖昧な身でも、あの非道は許されざる行為。人の尊厳を奪った悪辣を目の前にして我慢など出来る道理は無い。

 

 

「(天竜人(あの女)だけは今になっても許せる気がせぬ)」

 

 

 かつてハンコックの全てを文字通り支配していた()()()()()――。自身よりも幾分か年は上で、天竜人にしては珍しく整った顔立ち。けれどその精神性は天竜人の例に漏れず、ゴミクズのような醜悪っぷり。

 

 思い出すことすら反吐が出る。何故、この時期になって過去に思いを馳せてしまうのか……。嫌な予感がしてならない。何か良からぬ出来事の前触れではないかと勘ぐってしまう。

 

 とはいえ悪い方向へと物事を考えるのは、あまり褒められた傾向ではない。閉塞的な思考にとらわれては、ハンコックらしさを損なうだろう。

 

 気分転換に虫取りでもしようかと思いつき、虫取り網を持ち出す。ルフィの私物ではあるが、ハンコックであれば勝手に持ち出しても構わないだろう。彼も大目に見てくれる筈。

 

 

「ではダダン。虫取りに出掛けるのでな。夕方には帰る」

 

「なんだァ? おめェ、虫になんか興味があんのかい」

 

「というよりもルフィの気を引きたいだけじゃ。ヘラクレスオオカブトでも捕れば、ルフィも目を輝かせて笑顔になるはず」

 

 

 今のルフィの顔は曇ってばかり。日が差すキッカケとして昆虫は良い刺激となるだろう。自身の気分転換など副産物に過ぎない。心機一転とばかりにハンコックは山中へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 さて、鬱蒼とした森の中を駆け巡るハンコック。目ぼしい場所を総当りして、ヘラクレスオオカブトを捜索する。ルフィの笑顔を得んとして励むその姿は、まさに戦場に舞う戦乙女(ヴァルキュリャ)

 

 戦場とはまた大層な言い方ではあるが、彼女本人の本気の度合いを見れば納得の一言。小高い木から空を見上げる程に高い木まで。時にはよじ登って獲物の所在を確かめる。

 

 

「中々見つからぬものじゃな……」

 

 

 だが狙った通りに事は運ばない。無為に時間が過ぎ去り、やがて日も傾いてきた。空は夕暮れを示す橙色に染まりつつあった。背筋がゾワッとするような冷たい風が吹き抜け、そろそろ潮時かと考え始める。

 

 ゆえに最後に一縷の望みを懸けて一際高い大樹へとよじ登る。そして視線の先には煌々と輝く甲殻。黒々とした立派な角が伸び、その存在を周囲へと喧伝していた。

 

 

「そこに()ったのかっ! ヘラクレスオオカブトっ……!」

 

 

 飛びつくように木を上り詰めると虫取り網を振る。カブトへ逃げる間も与えず、捕獲に成功した。今日一日の苦労が報われ、ルフィの笑顔の引き換え券を手にした記念すべき瞬間でもある。喜びに声を上げるハンコックは、片手にヘラクレスオオカブトを掲げた。

 

 この成果はサボの帰還には遠く及ばない小さな出来事。けれど、悲しみの中のひとつの希望にして光。この手の中の輝きはきっと、暗闇を照らす灯台となろう。

 

 が、ここで気付くのは輝きすらも塗りつぶす真っ赤な光。方角にして北方。空が赤黒く煙が立ち上っている。際限無く空へと流れる煙。嫌な予感の的中か――。

 

 

「(不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)の方角……? 燃えている……ようじゃな)」

 

 

 空を覆い隠すほど煙の量。大規模な火災と見て間違いない。可燃物の宝庫であるゴミ山。ひとたび火種がもたらされれば、大火と成るのも免れない。

 

 

「(ルフィとエースは? ブルージャムの仕事とやらで、まさかっ……!)」

 

 

 最悪の結末が脳裏を過ぎる。よもや残る兄2人までもが煙に巻かれて命を落としてやいないか。これ以上、家族を失うなど在ってはならない悲劇。幕開けからしてサボとの離別というこの世で考え得る最高の不幸。これ以上、自分を追い詰めるようなら、ハンコックとて無抵抗ではいられまい。

 

 急ぎ、ダダンの家へと戻る。せっかく捕獲したヘラクレスオオカブトはその場で解き放つ。虫取り網すら放り投げて帰宅したハンコックは、空の異変をダダンへと報告する。

 

 

「ああ、あたしも知ってる! ありゃァ、ただ事じゃねェ。エースとルフィもゴミ山に居るはずだァ!」

 

「ならば迎えにっ! 火に囲まれて逃げ場を失っているやもしれぬっ!」

 

「救出にはあたしと野郎共で行くっ! おめェはここでお留守番でもしてなァ!」

 

 

 戦斧を携えたダダンがハンコックへ留守番を言いつける。これから向かう先は地獄そのもの。業火が容赦なくスラム街の人々を焼き、命を燃料に尚も規模を拡大中。そんな場所へ穢れを知らぬ少女など連れてはゆけまい。

 

 

「お前の身になにかあっちゃァ、ガープや村長に顔向けできねェんだ。仮にもあたしはハンコックの親なんだ。頼むからおめェはここで帰りを待っててくれ。エースとルフィのバカは必ず連れて帰ってやるからよォ」

 

「しかしダダンっ! わらわだけ安全圏でジッとしているなど出来ようものかっ!」

 

「くどいっ、このクソガキっ! 娘を死地へと向かわせる母親がどこの世界に居るってんだっ!」

 

「はっ……」

 

 

 その言葉にハンコックは言葉を失う。血の繋がりによる家族の証明など端から望んではいなかった。けれど求める想いもあって、されど自身には親と呼べる存在は居なかった。ハンコックの元の保護者たるガープも親と言えば親だが、強いて言うならば父親の顔を持った祖父と呼称するのが相応しい。

 

 しかし彼の温もりは海の向こう側。時々会えても、すぐに離れ離れ。いつも心のどこかでは親の温もりを渇望していた。

 

 

 そしてダダン――。あまりに近過ぎて意識すらしていなかった、ガープに次ぐもう1人の親。母親と呼べる唯一無二の人間こそが、ダダンという女性なのだと気付かされる。

 

 

「ダダン……」

 

「なんてツラしてやがんだ。大丈夫だ、あたしを信じな。母親らしいことなんざロクにしてやれなかったが、そいつは今からしてやるよ」

 

「うん……。()()()――。お母さん(ダダン)の事を待ってるからね――!」

 

 

 ダダンの下で暮らし始めてから、初めて仮親に見せた生来の姿。海賊女帝を模した仮面を取って、精一杯の信頼を彼女へと伝える。

 

 

「へへ、おめェも年相応の可愛いらしさを見せるじゃねェか。こりゃァ、ますます信用に答えねェとな!」

 

 

 娘の期待を背負(しょ)って、ダダンは自身を奮い立たせる。出発の折、ハンコックの頭に手をそっと乗せると、粗暴な見た目に反して優しく撫でる。その行動の意味は語らずとも察するハンコック。きっとダダンはルフィとエースを連れて生還してくれる。

 

 そう宣言し、安心させる為にこうして頭を撫でてくれているのだ。母親にそこまでされては、駄々をこねて連れて行けなど言うまい。

 

 

「いってらっしゃい、ダダン――。わらわは此処で帰りを待っている。信じておるぞ」

 

「ああ! よっしゃァ、野郎共! いっちょう、バカ息子共を迎えに行こうかァ!」

 

 

 その号令に手下の山賊達は雄叫びを上げて応答する。ゾロゾロと部下を引き連れてゆくダダンを、もぬけの殻となったダダン邸より見送る。

 

 約束したのだ。ルフィとエースを連れて帰ってくると。ならばハンコックのすることはただ一つ。この家の留守を守り、待つことのみ。

 

 1人は寂しいが、いずれ賑やかとなる。ハンコック――ダダン一家、ルフィとエースに……そしてサボ。苦悩に満ちた運命すらも跳ね除ける。真っ直ぐな心でハンコックは、ひたすら信じ続けた――。

 

 

 

 

 

 

 だが――数時間後にハンコックの直面した運命はあまりも苛烈で非情。最愛の人(ルフィ)こそ帰ってきたが、その彼も重傷の身。何が起きたのかは――ダダンの手下であるドグラですら口を閉ざし、中々聞き出せなかった。

 

 しかし確かなのは……ダダンとエースは帰ってこなかった事。母と娘の約束は果たされず、悲しみに暮れる少女。朦朧とする意識のルフィの手を握りながら、自身も意識を手離しそうになる。

 

 

「嘘じゃ……。ダダンが帰って来ないなどっ……! ドグラにマグラっ! そなたらが付いていながら、何故2人は帰らぬのじゃっ……!」

 

 

 激情の矛先を(たが)えるハンコック。しかし甘んじて、責めの言葉を受け取るドグラ達。口ごたえする気にもなれぬ程に、彼らも己らの無力さを実感していた。

 

 

「すまニー! お頭は火の回ったゴミ山に居残って、エースと共にブルージャムのヤローとやり合ってんだ!」

 

「まーまー。お頭の指示でおれ達はルフィを連れて帰ってきたんだ。2人の件はすまねーな!!」

 

「ブルージャムじゃと……! またしても、ヤツが騒動に絡んでおるのか……」

 

 

 此度の大火災。ハンコックが推測するに、ブルージャム海賊団単独の犯行にしては規模が大き過ぎる。なにせ彼らに不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)を焼き払うメリットは存在しないのだ。

 

 ヤツラにとっても海軍の目を忍ぶ良い隠れ家であり、使い勝手の良いチンピラの巣窟でもある。となればゴア王国上層部の指示と見ても誤りはないだろう。

 

 

「うう……。エース……ダダン」

 

 

 苦しげに呻き声を漏らすルフィはあまりにも痛々しい。代われるものなら今すぐにもで――。けれど今のハンコックに出来る事は、手を握り存在を傍に感じさせることだけ。自分が彼の生きる活力になるのならば、この場から離れるわけにはいかない。

 

 

「2人の捜索は、しばらくはムリだっ! 軍隊(ぐんティー)の連中が後処理つーて、生き残りを含めて始末して回ってんだ。どのみち今すぐに捜しには行けニー!」

 

 

 ドグラの言葉に嘘偽りは無い。マグラも補足するように語り始め、事の全貌がハンコックにも見えてきた。

 

 曰く、近く天竜人がゴア王国の査察に訪れるのだと言う。ゴア王国唯一の汚点である不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)。その地を火災を以て一掃し、浄化へと王国が動いたのだとか。そうする事で国の評判を落とさず、天竜人の目も汚すことはない。そんな身勝手極まりない目的だ。

 

 物だけではなく、そこに住まう人々までゴミのような扱い。人道から外れた行いを国自体が推進した。この世の腐った部分を凝縮したような思想。この国の王族や貴族に対して憎しみどころではない、黒く濁った感情が芽生える。

 

 

「信じられぬ……。この国はそこまで堕ちていたのか……」

 

 

 これではまだブルージャムが可愛く思える程の悪行だ。コルボ山のダダン一家など聖人と呼んでも差し支えないだろう。

 

 

「天竜人――。ゴア王国もそうじゃが、やつらが気まぐれでこの国へ来さえしなければエースもダダンも――」

 

 

 諸悪の根源に天竜人を仮定として置く。憎悪によって視野狭窄へ陥るのは愚かしいことだ。

 

 だが今のハンコックには、不条理に対する怒りが勝って冷静な判断など下せない。度し難い世の行く末に、すぐにでもダダンのアジトから飛び出しかねない危うさを纏っていた。

 

 

「まーまー。ルフィもこの容態だ。しばらくはハンコックも付きっ切りで居てやれ」

 

「わかった……。ルフィまで失うわけにはいかぬ……」

 

 

 マグラの言葉に頷く。エースとダダンの生死すら不明な現在。ハンコックに残された身近な家族はルフィだけだ。マキノと村長はフーシャ村、ガープは言わずもがな。ダダンの手下達は、家族というよりも友だちといった感覚の方が強い。

 

 なんにせよルフィが快方へ向かうまでは予断を許さない状況。刃物で切られたような酷い傷までこさえて見るに悲惨だ。手厚く看病しなければ。

 

 

「ルフィ……。そなたは生きていてくれ……」

 

「うう……、ハンコック……」

 

 

 意識を保つことすらまはまならぬ中でハンコックの名を呼ぶルフィ。生きる事への活力源はハンコックへと委ねられる。

 

 

「わらわはここに――。しっかりするのじゃ、ルフィ……」

 

「そばに居てくれて……ありがとう……」

 

「うむ。しかし、ムリして喋らずとも良い。そなたの気持ちならば手に取るように分かる」

 

「……うん」

 

 

 やはりルフィには自分(ハンコック)が必要なのだと、こんな状況なのに感じてしまう。いや、こんな状況だからこそか。

 

 心細いのだ。身を寄せ合ってでも命を繋ぐことに文句はつけられない。それにまだ2人は幼い身。元より1人で生き抜くなど不可能なのだ。

 

 そうしてハンコックはルフィの看病の為に寝る間も惜しみ片時も離れなかった。数日もの間、気の抜けなかった事から彼女自身も疲労が蓄積。ハンコックまで倒れかねない有り様。

 

 だが、そんな苦悩な日々にも終焉が訪れた。ルフィの容態が回復し、自力で歩けるまでになったのだ。

 

 確固たる意識を取り戻したルフィは、今すぐにでもエースとダダンを探しに行くのだと叫び、外へ飛び出さんとしていた。

 

 

「まーまー! 落ち着くんだ、ルフィ。まだ軍隊の連中がうろついてる。間もなく天竜人がやって来るから、ギリギリまでゴミ山に張ってんだ」

 

「けど、おれはエースとダダンが生きてるって分かるまではジッとなんかしてられねェよ!」

 

 

 ルフィを苦しめるのは何も怪我だけではなかった。失うことを恐れるのはエースという兄と、ダダンという親。2人の存在無くして落ち着いてなどいられようか。

 

 

「ルフィ。そなたにはまだ安静が必要じゃ。しかし心配なのはわらわとて同じことよ」

 

「だったら!」

 

「それこそ落ち着くのじゃ。捜索にならわらわが行く。軍隊が巡回しているゆえ、ままならぬかもしれぬが。ここで足踏みしているよりは有意義じゃろうしな」

 

「ハンコックだけじゃ不安だニー。おりも着いてってやる」

 

 

 ハンコックの提案にドグラが付き添う。ルフィもそう言われては引き下がらずを得ない。

 

 

「そっかー。うん、頼んだぞ。ハンコック!」

 

「任された。ふふふ、きっとあの2人のことじゃ。実は元気にしていて、わらわと入れ違いで帰ってくるかもしれぬな?」

 

 

 淡い期待かもしれない。けれど破られる約束をダダンがするとは思えなかった。頑なにダダンを信じるハンコックは、彼女と共に兄も帰還するのだと確信を持つ。

 

 でも先走って捜しに向かうのは、再会まで待つことに辛抱出来なかったと言い訳をする。

 

 

「エースとダダン、待っておれ。また皆で家族をやるのじゃ――」

 

 

 そしてドグラを伴って兵士の張り込むゴミ山を捜索する。焼け焦げた残骸からは死臭すら漂う。けれど不思議と遺体は見受けられない。骨まで焼き尽くされたか、軍隊に回収されたか、あるいは何処かへと何者かの手を借りて海へと逃げたのか――。

 

 いずれにせよ望んだ手掛かりは何一つとして掴めずじまい。徒労だったかとため息をつく。

 

 

「ドグラよ。無駄足かもしれぬが、街の方まで捜索の範囲を伸ばすというのはどうじゃ?」

 

「それは良いかもしニーな。エースとお頭のことだ。逃げ場が無けりぁ、街を囲む壁をよじ登ってでも生き延びてるかもしれニー!」

 

 

 幸い、街の方では天竜人を迎える為に人々が港へと殺到している。薄汚れた格好の山賊と小娘1人が街中を歩いていても咎める者を少ない。天竜人のお目汚しになるものならば総じてを排除する兵士の警備も手薄だろう。

 

 検問所さえも杜撰な警備体制ゆえに無人で、素通り出来た。火災によってゴミ山が無人になったと見るや、警備すら放棄したらしい。

 

 端町から中心街を隅々まで走り回るが――ダダンもエースも影すら掴めない。当てが外れたかと諦めかける。さすがに警備が万全な高町にまでは逃げ込んではいないだろうと、高町についてら捜索エリアの候補からは外していた。

 

 

「最後に港を見て回ろうではないか……。火災の大元の原因となった天竜人の尊顔とやらを拝みたいものじゃな」

 

「見て得するもんでもニーだろうに」

 

「分かっておるわ。しかし天竜人がこの地に足を踏み入れるのは癪に障る。せめて顔だけでも見て、石のひとつでも投げつけてやろう

 

「バカ、おめェ! そんなことしたら首を撥ねられちまうよ!」

 

 

 不敬罪や傷害罪。如何なる軽犯罪であっても被害者が天竜人というだけでも死罪に該当する。焦ったドグラはその事を伝えつつ、ハンコックへ注意を呼び掛ける。

 

 

「ふふふ、冗談じゃ」

 

「まったく、心臓に悪い冗談じゃニーか! それに天竜人には護衛が付いてんだ。政府の役人だけじゃニー。屈強な海兵も有事に備えて護衛に就いてるはずだ。石なんて投げても当たらニーよ」

 

 

 ドグラが言うには、今回のゴア王国査察にも海軍本部大将が1人ご栄転任務に就いているらしい。待機命令が出されており、もしも天竜人に危害を加える者が居ようものならば即座に出撃するのだとか。

 

 仮に下手人が子どもであろうと総力を以て捕らえに動くことだろう。そんな背景もあってハンコックの冗談は政府の役人や海軍の耳に入っただけでも、裁かれかねない行為であった。

 

 

「では行こう」

 

 

 ドグラを置いていかんばかりの疾走で港へと急ぐハンコック。

 

 やがて港には黒山の人だかりが見えた。天竜人を乗せた世界政府の船の着港に向けて式典が開かれるらしく、物見遊山で国民らは集まっている。ハンコックも同じ穴の狢ではあったが。

 

 

「あれは……」

 

 

 まだ世界政府の艦の来訪には早いというのに大勢が騒ぎ始める。騒ぎの発端となった人物は、どうも海に居るようで……釣られてハンコックは視線を海上へと向ける。

 

 そこには一隻の漁船。乗組員は――小柄な人間が1人。いや、小柄ではない。ただ単に子どもだから小さく見えるだけだ。

 

 目を凝らして漁船を操る主の顔を見る。徐々にその顔立ちの判別がついて――。

 

 

「サボっ……!」

 

 

 先日、生き別れとなった筈の兄の1人が、どういった経緯なのか船出の真っ只中。海賊旗を掲げ、この窮屈な国を飛び出している。

 

 

「ドグラっ! 見よ、あそこにサボが居る!」

 

「この距離で良く見えるな! おれは双眼鏡でようやく分かるってのニよ!」

 

「わらわが距離の隔たり程度で兄を見間違える筈がないわっ! 良かった! 経緯は定かではないが、やはりサボは自由を求めて海賊になりたかったようじゃな!」

 

 

 ゴミ山の火災の件でゴア王国の闇を知ったのかもしれない。なまじ貴族の家の生まれ。この国の深い部分を目の当たりにして、これ以上留まる事を害悪と判断したとだろう。

 

 ハンコックたちに何も伝えずに船出を選んだ事には多少なりとも不満はあったが、サボ自身の決断だ。男の船出を邪魔立てするつもりはない。

 

 

「向こうはおり達に気づいティーニーみてェだな」

 

「よい……。わらわもルフィもエースも、いずれ海へと出る。先を越されたのは悔しくはあるが、いつか海賊として再会を果たすと決めておるのじゃ」

 

「そんなもんのか?」

 

「そんなものじゃ。なに、サボほどの男じゃ。きっと大きな事件でも起こして新聞越しで嫌でも目にする」

 

 

 可能ならば安静中のルフィ、行方不明のエースもこの場に連れて見送り出したかった。しかし無い物ねだりをしても無意味。であれば、自分だけでもサボの船出を祝福しよう。

 

 もう間もなくサボに降りかかる不幸を知らずして――ハンコックは彼の背中に未来を望んだ――。



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22話

 サボが目の届く距離に居る。けれどハンコックは呼び止めはしない。彼の決心に水差す行為を妹としての自らに禁じたのだ。

 

 

「(一足先に海へ行くそなた(サボ)の姿を、きっとルフィとエースに伝える。ふふふ、楽しみじゃ! わらわと同様に悔しがる2人の顔が)」

 

 

 微笑み、サボがこれから引き起こすであろう事件の数々を想像する。世界経済新聞社の定期購読の契約をすべきかと、今から考える。ダダンへ頼み込めば新聞代くらいは出してもらえるだろう。なにせダダンはハンコックを娘同然に想い大切にしていることが判明している。

 

 

「(ダダンもきっと生きている筈じゃ。わらわが帰る頃にはエースと共に元気な姿で家で待っておるかもしれぬな)」

 

 

 希望が湧いた瞬間だ。きっと大丈夫。皆無事だ。サボだって貴族の家という枷から自らを解放して、快活な生き様をハンコックに見せ付けているくらいである。何も不安など生まれようがない。

 

 

「おいおい、ハンコック! 海を見るんだァ!」

 

「何事じゃ、騒々しい。サボの見送りも大人しく出来ぬのか?」

 

「そうじゃニーよっ! 世界政府の艦がサボの目の前に迫っちまってるんだァ!」

 

「世界政府の艦じゃと……?」

 

 

 ドグラの慌て様から、視線を誘導される。海上にはサボの駆る漁船よりも遥かに大型の艦が、海水を掻き分けて波を作りながら前進していた。サボは並の巻き添えを避けるように航路を逸らす。

 

 

「不味いことになティまったっ! 天竜人の前を横切ろうとなんざ、命を捨てるようなもんじゃニーかっ!」

 

 

 不敬罪の押し売りの如く、難癖をつけて鉛玉のひとつでも放ってくるのが天竜人の常である。常習化した殺人の悪癖。今のサボはそんな危険の前に晒されている。

 

 

「それほどまでに短気なのか、天竜人はっ!」

 

「おりも噂で聞いた程度だけども、たしかな話だっチー、巷じゃ有名だァ!」

 

「やはりそうか……。ふむ、人を見下し愛玩動物のように扱うような連中じゃ。真であろうな……」

 

 

 実体験から理解する。であれば、サボに身の危険を知らせなければならない。船出に干渉するなど無粋だが、命有っての物種である。

 

 息を大きく吸って胸を膨らましてから、ハンコックは喉の限界を無視して叫ぶ。

 

 

「サボォォォォー!」

 

 

 その声は式典を直前に控えて喧騒に包まれる港においても、悪目立ちする程に通った。ハンコックの大音量ながらも透き通る声は、耳にした人々の総じてを魅了した。注目を一身に集めた彼女は、そんな視線の嵐を意にも介さず、サボにのみ意識を集中させる。

 

 そして呼びかけられたサボ――。海を突き抜ける妹の声には、気付くなという方がムチャだ。反射的に港へ振り返ったサボは、数日前に離別した妹の姿を視界に収めた。

 

 

「ハンコック? おお、見送りに来てくれたのかっ!」

 

 

 自身の危機を予感する事なく、のうのうとした態度でハンコックに手を振る。が、ハンコックの青ざめた顔に違和感を覚える。この船出に不安を抱いているのだろうか?

 

 それもそうかと、即座に納得する。元々、この出航は予定外のものだ。誰かに相談する間もなく、貴族として生まれた自身に嫌気が差して海へと飛び出した。本来ならば、エースと同時期に外海へと夢を追いかけるつもりであったのに――。

 

 事前に知らせずに出発。近況報告すら出来ていない。自分はいたって健康で、精神的にも好調なのだと伝えねば、妹は不安に押し潰されかねない。ゆえにサボは自身の元気っぷりを返事に乗せる。

 

 

「ハンコックッ!! おれなら大丈夫だあァァァァ! きっと大成してみせるっ! おれの活躍を期待して待っててくれ!」

 

 

 果たしてサボの想いは届いたのか――。なんにせよ義理は通した。子細まで話すことは叶わずとも、後は新聞なりで自然と伝わるだろう。そう楽観的に物事を判断し、船の舵を取る。

 

 

「聴こえてはおるが……。そうではないのだ、サボ……!」

 

 

 危機を知らせる事すらままならない。自分は兄すら救えないのかと、苦虫を噛んだ表情で嘆く。ならばいま一度叫ぶのみ。息を深く吸って――。

 

 

「サ――……!?」

 

 

 ドン…!!!

 

 

 

 

 

 

 耳に響く爆音は何であろうか……?

 

 ハンコックの声を掻き消してなお有り余る轟音。音の発生源は――海上。それも……サボの乗る漁船に他ならなかった。目の前の光景は非現実的。真昼だというのに夢でも見ているのか……。悪夢としか思えない内容に、ハンコックは自身の頬をつねって真偽を確かめる。

 

 

「痛い……。え……?」

 

 

 痛覚は正常に働いている。だとすれば……この地獄絵図は現実に今起きていること?

 

 

「サボォ……!」

 

 

 彼の名を、兄の名を――叫ぶ。

 

 

「子どもが撃たれたァ!」

 

「きっと天竜人の気に障ったんだ!」

 

 

 民衆にどよめきが広がる。自分たちに飛び火しないかと不安に駆られている。だが、そんな事など、どうでも良いのだ。ハンコックにとって重要なのはサボの無事。サボの漁船を撃ったのは――。

 

 

「天竜人……!」

 

 

 眉間に皺を寄せて睨むハンコック。可愛らしい顔は鬼のソレと化し、隣に立つドグラですら腰を抜かす程に怒気を孕んでいる。だが、憎悪するのは後回しだ。今はサボの生存確認が先決である。

 

 

「大丈夫だァ。サボのヤツはまだ生きてるっ!」

 

 

 双眼鏡越しにサボの命の有無を確認したドグラが報告する。とはいえ砲撃を受けた漁船からは火の手が上がり、サボは脱いだ上着で必死に火消しを図る。けれど火の勢いに対して、まるで追いついていない。船が沈むのも時間の問題。いっそ漁船を捨ててしまえば生存の可能性も飛躍的に高まるというのに。

 

 

「海賊旗を掲げているから、船を捨てぬのか……?」

 

 

 サボが船を見捨てない理由――。ハンコックの推測が彼の真意を言い当てた。海賊にとっての命と同義にして誇りそのもの。海賊旗という象徴を軽く扱うようでは、海賊を名乗る資格など無い。

 

 ましてや、たった今――海へと出た1人の男が早々に誇りを捨て去れるものか――。

 

 

「っく……。サボ……! それでもわらわは、そなたには生きていて欲しいっ! サボーーーー!!!」

 

 

 喉が裂けようがお構いなし。血がこみ上げてくるのを感じながら、力の限り叫んだ。だが、哀しきかな。運命とは良くも悪くも等しく訪れるものだ。追い討ちをかけるように更なる砲撃がサボに狙いを定めて放たれた。

 

 

 ドン…! ドン……!! ドン………!!!

 

 

 一発に留まらず、二発目、三発目と命を刈り取る凶弾がサボを襲う。漁船は瓦解し、海面を漂う木片と化す。業火と黒い煙が海上から死を喧伝していた。

 

 すなわち――ハンコックの必死の叫びの甲斐なく、サボはこの瞬間を以て死んだのだ……。

 

 

「あ…ああ…あああ……」

 

 

 言葉に変換する事すら覚束ない。怒りを通り越した喪失感。未来への失望。陽光すらも絶望の手先にしか思えない、色の抜けた世界。

 

 何を恨めば良い? 天竜人か――? この海か――! それともこんな運命を強いた世界か――。

 

 

「お、おいっ! しっかりしろォ、ハンコック……!」

 

 

 力の抜けたハンコックは地面に蹲り瞳を濡らす。止め処なく溢れる涙に視界は滲み、呼吸すら億劫だ。胸が張り裂けるとすれば、それはきっといまこの瞬間なのだろう。

 

 

「ゆ……ゆるさ……ない。ゆるさ……ない……。よくも……()()()のお兄ちゃんをっ……!」

 

 

 殻を破る。からを破る……。カラを――破る。

 

 

 ハンコックという少女は、自我を脱ぎ捨てて、肥大化する憎しみに身を委ねんとしていた。

 

 

「落ち着くんだ、ハンコック! ここで暴れてもどうにもなれらニーよ!」

 

 

 冷静さを欠いたハンコックを羽交い絞めにして止めようとするドグラ。だが、幼女にあるまじき怪力に振り切られてしまう。なにを血迷ったのか、ハンコックは自身の体質を無視して海へと飛び込んだ。

 

 

「お、おめェ! 泳げニーはずじゃっ!」

 

 

 無論、ドグラとてハンコックが海に嫌われた身であることは既知。案の定、ハンコックは海中へと沈み姿を消した。

 

 

「おりにも何がなんだかわからニーのにっ!」

 

 

 ドグラも海へと飛び込み、ハンコックを救助する。引き上げられたハンコックは咳き込みながら海水を吐いてグッタリとしていた。

 

 

「ゴホ……ゴホッ……」

 

「なにやってんだ、おめェ! 泳げねェくせに!」

 

「ゴホ……ハァ、ハァ――。黙れ、ドグラ……。わらわはあの天竜人(ゴミクズ)を殺さねばならぬっ……!」

 

「なに言ってんだァ! そんな事して無事でいられるわけニーだろっ!」

 

「知ったことではないわっ……! やつはサボを殺した! ならば報いを受けさせねばっ……!」

 

 

 

 でなければサボが浮かばれない。彼の決意は絶対に穢されてはならない神聖なもの。だが現実にサボの人生は幸先で踏みにじられたではないか。

 

 

「第一、天竜人には恐ろしく強い護衛が付いてんだ! 殺しなんて成功しニーよ! CP-0(サイファポール"イージス"ゼロ)と言えば分かるかァ?」

 

 

 世界政府はサイファポールと呼ばれる諜報機関を擁している。そしてその最上位に位置する諜報員の集団こそCP-0(サイファポール"イージス"ゼロ)。天竜人直属の組織であり、"世界最強の諜報機関"とも呼び名が高い。

 

 地上の民から忌み嫌われ、同時に恐れられる天竜人。その傀儡である彼らは諜報機関にあるまじき目立つ恰好をしている。白スーツに仮装面を特徴とし、中には胸に勲章を付ける者まで存在する。

 

 だが彼らが人々の目を引くのも意図的なものだ。諜報機関にして天竜人の飼い犬。威圧に際して、目立つというのは好都合。ゆえにCP-9以上に世間的には認知されているのだ。

 

 

 

「その程度でわらわが止まるとでも……? 死なばもろともじゃ……!」

 

 

 刺し違える覚悟で挑む意思だ。相手がたとえCP-0であろうとも、首を刎ねられようが関係ない。残された首で天竜人の首に噛みついてしまえば良いのだ。頭に血の上った少女は、無謀にして無策な行動に出ようとする。

 

 

「あ、待ティーっ……! ハンコック……!」

 

 

 ドグラの制止など無視。着港した艦から下船した天竜人を目掛けて駆ける。距離はあるが、抱く殺意はハンコックの足を加速させる。

 

 

 

 

 

 

 一方でハンコックの兄を奪いながらも、歓声に迎えられる天竜人。奴隷を馬の代用として乗馬し、港から王城に至るまでに敷かれたレッドカーペットを進む。鎖に繋がれた複数人の奴隷。天竜人――ジャルマック聖に犬のリードの様に引かれて無理やり歩かされている。

 

 奴隷の中にはハンコックとそう年の変わらぬであろう少女までもが含まれていた。金色の頭髪に黒き瞳。眉に掛かる程に伸びた前髪。どことなくハンコックと似た雰囲気を持つ。よもや同郷という事もあるまい。

 

 

 そしてその少女の鎖を握るのはジャルマック聖ではない。彼女だけがある意味では特別扱いなのだろう。少女の首枷の鎖を引く者もまた天竜人。ただし性別は女性――名をジェシリス宮。容姿端麗でありながら、天竜人に相応しく、無自覚な悪意を煮詰めたような性格の持ち主。年齢は十代半ば程度。

 

 

「ウフフ、()()()()()()。ご覧なさい、下々民(しもじみん)が、ワタシの来訪を歓迎しているアマス」

 

「はい……ジェシリス様……」

 

「でもね、貴女はあの下々民よりも下の劣等種なのよ。お分かり? 九蛇の戦士の卵というから期待して貴女をヒューマンショップで購入したは良いけれど、とんだ期待外れだったアマス」

 

 

 罵る言葉に奴隷の少女ことマーガレットは押し黙る。彼女の所有者であるジェシリスは見た目麗しい女児を奴隷に迎えては、同じく幼い女児とで戦い合せるという趣味嗜好の人間。マーガレットの出身はアマゾン・リリー。人攫いに遭い、行き着いた先がジェシリスの下であった。

 

 マーガレットは同じ年頃の少女との戦闘を拒否し、ジェシリスの反感を買ってしまった。期待外れとはこの事を指しての言葉である。

 

 さて、少女は躾として日常的に暴力を振るわれ、今では抵抗の意思すらへし折られ無気力状態。

 

 此度の査察においては彼女が同伴を許されたのは、ひとえにマーガレットの容姿がジェシリスの好みであったからに過ぎない。

 

 

「お父上様の査察に付いてたは良いけれど、中々に見所のありそうな国よね! 東の海(イーストブルー)で最も美しいという評も名ばかりではなかったアマス」

 

 

 おまけにVIP待遇での歓待。ジェシリスとしては下々民に敬われて当然の認識ではあったが、それでも気分は良いものだ。

 

 けれどもそんなジェシリスの気分を害する夷狄(いてき)が、眼前へと蹴りを伴って迫る。

 

 襲撃者は――殺意に燃える幼き鬼神。長い黒髪は荒ぶり、少女の内で膨れ上がった憤怒の感情を表現していた。

 

 

「よくもサボをっ……!」

 

 

 兄を奪われた妹――ハンコックが復讐への行動を起こしたのだ。やがてジェシリスの鼻っ面を打たんとする爪先。その端正な顔立ちも、一瞬で肉塊へと変えうる一撃は容赦なく叩き込まれるかに思われた。

 

 

「お待ちなさい、お嬢さん? "飛ぶ指銃(シガン)"……」

 

 

 ハンコックを邪魔立てする人影。栗色の髪と碧眼の妙齢の女性。指先から不可視の弾丸を射出し、ハンコックの太腿を撃ち貫く。痛みに喘ぐハンコックは、蹴りを中断させられ地面へと転がる。

 

 

「くっ……何ヤツじゃ!」

 

 

 出血する太腿を手で押さえながら、自身に攻撃を加えた女性へと名を訊ねる。一見して美しい容姿を持つ女性だが、今の芸当から判断するに只者にあらず。

 

 

「CP-0の諜報員と言えばお分かりよね? 私はステューシー。此度の査察の護衛の1人よ」

 

「わらわの復讐に横槍を入れおって……。お前もまた許せぬっ……!」

 

「ええ、許さなくて結構よ。それにしてもイケナイ子ね。天竜人に手出しするなんて、子どもでもダメな事だって知っているのに。貴女も子どもだけれど、親御さんの教育がなっていないのかしら?」

 

「ふんっ! わらわの母親の教育方針は勝手に育てというやつじゃ。そのお陰で、わらわは健やかに育っておる!」

 

 

 いま出逢ったばかりの人間に母親(ダダン)をバカにされたようで我慢ならない。相手がCP-0であっても断じて見逃すものか。

 

 

「おい、貴様っ! しっかり我が娘を守ってもらわねば困るえっ! もう少しで、この小娘に殺されるところだったえ!」

 

 

 ジャルマック聖がステューシーへと抗議する。未遂に終わったとはいえ、襲撃の直前まで気付けなかった失態は怒りを買うには十分である。

 

 

「失礼、ジャルマック聖。直ちにこの者を始末致しますので」

 

「本当に頼むえっ! 次は無いから覚悟しておけっ!」

 

「はい。挽回の機会をお与えくださり、感謝しております」

 

 

 なるほど、この腰の低さの割には扱いに慣れた様子。天竜人直属の組織の色が見て取れる。

 

 

「というわけだから、私は貴女を殺さないと。お覚悟は出来ていて?」

 

「覚悟などとうに済んでおる……。お前を殺し、天竜人も殺す。立ちはだかるというのなら、わらわも容赦はせぬぞっ……!」

 

 

 とはいえ片脚は潰された。風穴が空いた状態では、まともに動かせまい。出血は止まらず、傷口は熱と痛みを増してゆく一方。

 

 

「どうするつもり? その脚では逃げることもムリよね。諦めてくれるのなら、これ以上苦しまないようにひと思いに殺してあげるけれど」

 

「情けのつもりか? ふふふ、冗談はよすのじゃな。天竜人のようなクズの手先から情けなどは、死んでも掛けられとうないっ!」

 

「あら、正直な子ね。嫌いじゃないわ、貴女みたいな子は。でも今回は相手が悪かったようね。貴女が何に対して天竜人を恨んでいるのかは知らないけれど、危害を加える相手を見誤っているわ」

 

 

 

 つまるところ相手が天竜人という時点でハンコックは断罪される身へと堕ちている。ゆえにステューシーがどれ程ハンコックを気に入ろうと処分する他ないのだ。

 

 さて、片膝を着きながらもハンコックは反撃の機を探る。闇雲に攻勢に打って出ても先ほどのような珍妙な術技によって返り討ちに遭うのは必至。しきりに視線をステューシーへと向けながら警戒を払う。

 

 

「ジッと見ているだけでは埒が明かないわよ。そっちが動かないのなら、此方から出向こうかしら」

 

 

 先制はステューシー。姿が掻き消えたかと思えば突然、鼻先もの至近距離に彼女は出現した。目を疑うような瞬間移動。妖術でも使用したのかと驚きを隠せないハンコックだが、命を散らす凶手が牙を剥く。

 

 

「"指銃(シガン)"――。ふふ、直接受けた方が威力も有って堪えるでしょう?」

 

「あぁっ……!」

 

 

 硬化したステューシーの指先がハンコックのわき腹を穿つ。鮮血が生々しい音を立てて噴出し、全身へ鋭い痛みを走らせる。

 

 

「あら、ごめんね? 中途半端に生かしても苦痛を長引かせるだけよね」

 

 

 嘲笑うようにステューシーはハンコックを弱者として定め、弄んでいる。勝てる負けるの話ではない。次元からして幾つも隔たりがあるのだ。尋常ならざる痛みにハンコックの瞳からは涙が流れ、しゃくり声まで漏らす。

 

 恐怖は無い。けれど何ひとつ太刀打ちが出来ず、復讐もろくに果たせない自分に、どうしようもない無力感を得る。

 

 

「''(ソル)''――」

 

 

 次なる瞬間にはステューシーはハンコックの背後へと回り――。

 

 

「''嵐脚(ランキャク)''――」

 

 

 風切り音と共に振り抜かれたステューシーの脚。扇状の斬撃がハンコックの背中へと吸い込まれ、柔肌を切り裂いた。表皮は抉られ、肉までも数ミリほど削る。これまで味わった事の無い苦痛がハンコックの脳を犯した。

 

 

 

「あっ……う……い、……たい……」

 

 

 前のめりに倒れ、呼吸すらも辛い。うつ伏せに倒れたハンコックを基点として血溜まりが形成される。ものの数秒で虫の息。治療さえすれば、ハンコックのルフィ譲りの治癒力ならば傷痕ひとつ残さずに完治するだろう。

 

 だが、ここでハンコックの生命は終わる。治療する余地など無いのだ。ゆえに救いなど求めても無意味。思考に時間を割くよりも、痛みに耐える方が建設的だ。

 

 

「あら、頑丈ね。今の一撃で上半身と下半身が別れちゃうかと思っていたのに――。でも、結果は同じ。その傷じゃ、長くは持たないでしょうね。でも安心なさい? きちんとトドメは刺してあげる」

 

 

 皮肉にも過酷な環境で培われた頑強な肉体は瀕死でありながらも僅かに生命活動を引き延ばした。痛みに苦しむ時間が長引くほど、ハンコックの精神をズタズタに引き裂く。

 

 

「ちょっと待つアマス、ステューシー! この下々民には見覚えがあるわっ! まだ殺しちゃダメアマスっ!」

 

「ジェシリス宮、この子になにか?」

 

「ええ、忘れもしないわ。この娘はハンコックよっ! 数年前に起きたマリージョア襲撃事件に乗じて逃げ出したワタシの奴隷アマスっ!」

 

 

 奇縁である。奴隷としてのハンコックのかつての所有者との再会。怒りのあまり、気づく間も無かったハンコックに反して、ジェシリスはかつての日常風景を想起した。

 

 まだ奴隷同士の闘技に参加させるには幼かった当時のハンコック。自分好みに育てるまで薄暗い部屋に監禁して成長するのを待ち焦がれていた。

 

 だというのに無粋にも魚人風情が天竜人達(神々の)住まう聖なる土地――マリージョアを襲撃し、多くの奴隷を解放した。

 

 以来、ジェシリスは逃亡したハンコックの行方を追いながらも特定出来ず、悶々とした日々を送っていた。ゆえに代用品としてマーガレットを愛でていたのだ。

 

 ところが状況は今しがた一変する。探し求めていた紛失物(ハンコック)を、目の前に見つけた。この奇跡はジェシリスを大いに喜ばせる。

 

 

「ウフフ、治療を急ぐのよ! コレはワタシの所有物。壊れる前に直すアマスっ!」

 

 

 政府の役人に命じてハンコックの身柄は拘束の上で止血と輸血などの治療をすべく、担架で最寄りの病院へと搬送される。物扱いされたハンコック。いつもならば異議を申し立てるところだが、今や彼女の命は風前の灯。声すら出せぬほどに衰弱していた。

 

 

「あら、命拾いしたと言っても良いのかしらね? 奴隷としての人生は、さぞ辛いことでしょうけど」

 

 

 他人事とあってか酷薄な台詞を吐くステューシー。これからもハンコックに待ち受ける過酷な環境に同情をしないわけでもなかったが、所詮は下々民。人権など過ぎたるものとして深入りはしない。

 

 そして事の始終を人混みの中から視ていたドグラ――。ダダンが娘同然に可愛がっていたハンコックが連れ去られる光景を(まなこ)に収め、呆然としていた。

 

 天竜人に楯突いた挙げ句、奴隷の身分に落とされたハンコック。しかも過去にも同じ天竜人の奴隷だったというではないか!

 

 

「たいへんな事になっちまった……! 早くみんなに知らせニーとっ! ダダンのお頭とエースのやつ、帰ってニーかもしれねェけど、でも急がニーとっ……!」

 

 

 まずは報告だ。今のドグラでは、どのみちこの場でハンコックを助けることは出来ない。であるならば、少しでも可能性のある選択を取るのみ。

 

 ルフィとエースならばきっと――妹の為とあらば、相手が世界そのものであっても見捨てない。だがそれは同時に、ダダンの息子2人を世界と敵対させる事に繋がる。ドグラの独断で決めて良いものではない。

 

 

「けどこのままじゃハンコックが天竜人の奴隷になっちまうでニーかっ……!」

 

 

 一刻の猶予も残されてはいない。仮に治療が済んだところで、ハンコックはジェシリス宮のムチャな遊戯に付き合わされ、その命は長くは続かない。ゴア王国に滞在している期間が刻限。一秒でも無駄には出来ない。

 

 ゆえにドグラは走った。未だ生還の知れぬダダンとエース、そしてハンコックの最愛の少年ルフィに知らせるべく――。

 

 

 

 

 

 

――ダダンの家――

 

 

 玄関先ではカブトムシとクワガタに相撲を取らせているルフィ。行司役のつもりなのか、木の枝を握り相撲の行く末を見守っていた。遊びに興じる余裕があるのには理由があり、ダダンとエースは数刻ほどまでに帰ってきていたのだ。

 

 

「ん? ドグラ! エース達ならもう帰って来たぞ! 中に居るから会ってけよ!」

 

「そ、そうなのか? そいつは良かった……」

 

「あれ、ハンコックはどこだ? 姿が見えねェぞ」

 

 

 ドグラは目の前に居るのに、ハンコックは何処へ。ルフィは視線を周囲へ順に向けるが、やはり彼女の姿だけが確認出来ない。

 

 

「その事なんだが……。お頭を含めて全員に話さなきゃならニーことがある。中で話そう……」

 

「なんだよ、おかしなドグラだなー」

 

 

 怪訝に思うルフィだが、ドグラの指示に従い家の中へと入る。全身に大火傷を負って横になるダダン。こんな時でもタバコを吹かすことは止めず、日々の習慣と共に日常生活に戻ろうとしていた。

 

 エースはそんなダダンを胡坐をかいて眺め、後はサボさえ帰ってきてくれたら全てが以前のような生活に元通りだと思考中。

 

 

「お、ドグラ。おれとダダンなら見ての通り、帰って来たぞ」

 

「あ、ああ……。ルフィから聞いてる……」

 

「どうしたってんだよ、煮え切らない態度なんかしやがって?」

 

「それがハンコックのことで話が……」

 

 

 エースからの詰問にドグラは白状する。サボが貴族の家から飛び出し、大海原へ船出したこと。天竜人の気に障り、砲撃により命を落としたこと。サボを殺され、激昂したハンコックが天竜人を襲ったこと。

 

 そして――奴隷にされ、連れ去れたということを――。

 

 

 そのどれもが現実に起きたことなのかと耳を疑うような出来事ばかり。ドグラが性質の悪い冗談を吐いているようにしか思えない。

 

 

「嘘つけててめェ! 冗談でも許さねェぞ!! サボが死んだって? ハンコックが天竜人に連れ去られたァ? ふざけんなあァァァ!!!」

 

 

 ドグラに掴み掛かり引き倒すエース。馬乗りになって拳をかざす。

 

 

「冗談でもなんでもニーんだっ! おりは確かにこの目でハッキリと見たんだ! サボの船が沈められる瞬間も! ハンコックが酷い怪我を負わされて拉致されんのも!。ここで嘘だとか冗談だとか疑ってる場合じゃニーんだっ! 早くハンコックを助けニーと! 取り返しのつかニーことになっちまうっ!」

 

 

 その言葉にエースは正気を取り戻す。ドグラが嘘を付くなどと本気で思っちゃいないのだ。彼の話は全てが真実であり、いま現実に起きている悲劇。ならばハンコックの身柄は天竜人の下に在るというのも事実。もしも査察を終えてマリージョアに帰られたら、それこそ救う手立てを失ってしまう。

 

 

「おい、ドグラ! ハンコックは天竜人ってやつのところに居るんだなっ!」

 

 

 ルフィが確認を取る。悪鬼に等しい見幕。自身の半身を奪われて何もせずにはいられない。居場所など知らないクセに、今すぐにでも飛び出してゆく勢いだ。肩を震わせ、怒りに燃えるルフィは指先で触れることすら刺激になりかねない。

 

 

「おれからハンコックを奪ったんだ! 只事じゃ済まねェぞ……!」

 

 

 殴るだけでは気が晴れない。文字通り、八つ裂きにでもしなければ釣り合いは取れないだろう。ルフィらしからぬ残虐な思考。権力を振りかざす巨悪に対する心構えは負の方向へと偏る。

 

 

「クソガキ共、落ち着きな……」

 

 

 ダダンの一喝。どよめく場をたった一言で鎮める。内心ではダダンも穏やかではない筈なのに、不思議と冷静でいられた。

 

 

「ふう……」

 

 

 タバコの煙を吐き出し、更なる落ち着きを見せる。その余裕さを示す態度は異質。ルフィとエースはダダンの一挙一動を注視する。

 

 

「あたしだって混乱してるし怒ってんだ。サボの件もハンコックの件も……。だが、ここで憤慨して考えなしに動いちゃァ、救えるもんも救えねェ」

 

 

 的を射た指摘である。闇雲に天竜人の居場所へ突入し暴れたところで、それでハンコックの救出に成功する保証は無い。

 

 別の場所に隔離でもされていたりしたら、暴れるだけ暴れて鎮圧されて終了だ。それこそ望みが絶たれてしまうではないか。

 

 

「だがあたし達は山賊だ。暴力しか状況を変える手段を持たねェ無法者の集団。そんでもやるべきことは決まってらァ……」

 

 

 静かなる怒気……。娘の身(ハンコック)を害された母親(ダダン)は修羅へと変貌する。

 

 勿論、天竜人を殺してしまいたい程に憎んでいる。けれど優先すべきはハンコック。報復など二の次、助けることだけに専念するのだ。

 

 

「天竜人は国賓扱いだ。居るとすれば迎賓館か王宮――。良いか、ルフィ、エース! 攻め込むんじゃねェ! ハンコックを捜すことだけを意識して、最低限の戦闘だけを心がけろ。目の前に立ちふさがったヤツだけをぶん殴ればそれで良しだ!」

 

 

 目に付いた敵を片っ端から排除していては時間が幾らあっても足りない。それどころか刻限までの貴重な時間を浪費してしまう。よく言い聞かせて注意喚起する。

 

 

「よーし、野郎共! ちょっくらハンコックを助けにでも行こかねェ……!」

 

 

 ダダンの掛け声に士気は高まる。不安に苛まれていたルフィとエースも励まされる恰好となり、怒り一色の感情は上書きされ、大切な妹を助けたい――尊ぶべき一心に染まった。

 

 

「分かってるよな、ルフィ――!」

 

「ああ! おれたちでハンコックを――助けるぞ!」

 

 

 ハンコックという1人の少女を救い出すべく、神の天敵――"Dの意志"が獅子の咆哮を上げた――。



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