GRIDMAN//CODE:Cypher (オンドゥル大使)
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プロローグ
♯0‐0


 空に浮かぶは黄金の瞳。

 

 見下ろすべき世界は青く濁り、緑色の電線が地表を走っている。這いつくばってでも見上げる月は、絶対者の眼差しとなって靄の発生した街を睥睨する。

 

 青く錆びついた街。屹立する巨大建造物が複雑怪奇に入り組み合い、樹木のように空を目指す。その枝葉から仰いだ空を今、一陣の辻風が突き抜けた。

 

 赤銅の色を引き移した戦闘機が空域を掻っ切る。突き抜ける瞬間、まるで鮮血のように真っ赤な推進剤を焚いていた。

 

 それを追うのは青い推進剤を焚く白銀の戦闘機であった。鋭角的なシルエットを持つ両者は互いを追い回し合い、やがてその下部に備えた銃火器を咲かせていた。火線が舞い、雲海を引き裂く。穴の開いた雲を急上昇し、翼に雲の水蒸気を纏いつかせ、赤銅の戦闘機が月夜に舞い上がる。その尾翼を追い立て回す白銀機は機銃を掃射する。

 

 赤銅の機体は制動推進剤を用いて速度を殺し、攻撃をかわしながら相対する機体へと翻る。瞬間にはその姿が変異していた。

 

 光による眩惑。円形の術式を潜り、赤銅の戦闘機は一瞬にしてその色を宿した人型と化していた。交錯するほんの一瞬の間に白銀の機体もその身をロールさせて変異する。

 

 白銀の人型はその左腕より光の剣を発振させる。赤銅の影は腕を振るっていた。同じように色だけがいやに赤い刃が、空間を裂いて相手を薙ぎ払う。

 

 その一撃をいなした白銀の人型はさらに変異――否、変身する。

 

 両腕に擁したのは蛇腹型の装甲であった。盾代わりとしたその腕へと攻撃が至るも、斬撃の余韻を残して赤い刃が霧散する。

 

 盾の耐久力が勝ったのか、それとも剣が融けたのかは不明。全てが判じる前に、二つの人型はもつれ合いつつも共に左手に有する機構より光刃を発していた。

 

 急速落下する二体が地上へと落ちる寸前で互いに変身し、戦闘機形態となって並走する。青く錆びた街並みを疾走し、ガラス細工で構築された窓が激震に揺れる。耐久値を無視した空気振動に次々と割れていった。

 

 上昇に転じたのは白銀の機体のほうである。加速からの上を取っての戦法。月明りで映し出されたその無機質な装甲版が直後に捲れ上がり、月の光で押し広がった装甲が波を描いて人型へと変ずる。

 

 直上を取ったのは伊達ではない。

 

 左腕の刃を大きく引き、致命的な一撃を赤銅機に与えようとする。

 

 それを受けてか、赤銅の機体が閃き、人型に変じていた。互いに刃のスパーク光を照り受けた人型二つはまるで生き写しのようなその無機質な相貌を晒す。

 

 白銀の側は月と同じ、金色の輝きを持つV字型の眼差しである。赤銅の人型は薄い皮膜の向こうに怒りを体現した赤く煮え滾った瞳で返す。

 

 赤銅の人型が相手を突き飛ばす。その勢いに負けじと白銀の人型は後退しつつ左手を払った。

 

 次々に編み出された光速手裏剣が空域を奔り、赤銅の人型へと殺到する。相手はしかし、それを意にも介さずその右手に編み上げたのは杖であった。

 

 穂先が捻じ曲がり、樹形と螺旋を描いた杖を赤銅の人型は振るう。

 

 瞬間、空間を捩じ切って現れたのは菱形の結晶体である。結晶体はそれぞれの頂点を向い合せ、赤銅の人型を守る結界を生み出していた。

 

 結界に遮られる形で光速手裏剣は止められてしまうが、その段階で既に手は打たれている。駆け出した白銀の人型は光の速度を超え、今度は重戦車へと変身する。

 

 重々しい砲撃の連鎖と共に幾何学軌道を描くミサイルを掃射する。赤銅の人型もまた重戦車へと変身し、合わせ鏡のようにミサイルで反撃する。互いのミサイルが弾幕となり、両者を隔てた瞬間、白銀の人型は戦闘機へと再変身し煙幕を突っ切った。

 

 軽い身のこなしで重戦車の真上を取った白銀機はそのまま爆撃を見舞う。

 

 速度の閾値を超えた光速で抜けた白銀機は攻撃の成功を感じたのか、緩やかに空を目指す。

 

 だが、その横っ面を引っ叩いたのは赤い菱の結晶体である。

 

 いつの間にか浮き上がっていた菱形の自律武装がそれぞれの軌道を棚引かせて白銀機を追い詰める。幾度も直撃し、爆発の光が牡丹のように咲き誇った。

 

 白銀機は人型へと変身し、左手を突き出して壁を構築するも、唸りながら螺旋回転した結晶体が付け焼刃の結界を突き破る。

 

 その腹腔に結晶体が食い込み、白銀の人型を街中へと突き飛ばしていた。

 

 倒れた白銀の人型は巨人である。

 

 複雑構造を模した建造物と背丈は同じか、それ以上。

 

 V字の黄金の眼窩を照り輝かせ、白銀の巨人は全身にその眼光と同じ光を滾らせる。その光がやがて左腕の機構へと収束し、左手を拳に変えて突き上げる形を取り、発射されたのは黄金の稲光である。

 

 空間を駆け抜けた光線に赤銅の巨人は杖を払い、菱形の自律武装を浮き上げる。今度は結界を作らず、そのまま射出した。

 

 光線へと直撃した無数の自律武装は誘爆の光を拡散させる。

 

 砕けた自律武装が噴煙を巻き上げる。空高くへと舞い上がった噴煙に覆い隠されたそのたった一刹那――白銀の巨人の横合いへと赤銅のそれは出現していた。

 

 浴びせ蹴りがよろめかせる。杖が天高く空を指し、蓮華の華を想起させる形状の螺旋武装が生み出され、やがて四散していた。

 

 四方八方から肉薄する武装に白銀の巨人が逡巡を入り混ぜたのも一瞬。

 

 緑色の電飾が駆け巡る大地を蹴り上げ、バック転を決めて赤銅の巨人へと躍り上がる。その体躯へと赤銅の巨人が左手に溜めていた結晶体を指先で弾き、拳で叩き込んでいた。

 

 結晶体が砕け散り、無数の棘となって白銀の巨人を襲う。

 

 それに触れた矢先から爆発の光が染み出し、灼熱の色を湛えた直後、白銀の巨人は爆発に包まれていた。

 

 赤銅の巨人は杖を払い、再び攻撃の網を見舞おうとして、不意に飛び退っていた。

 

 先ほどまでその頭部があった空間を引き裂いたのは漆黒の大剣である。打ち下ろされた斬撃をかわした巨人は杖を払って再び使い魔じみた兵装を展開しようとするが、その前に白銀の巨人が迫る。

 

 下段より突き上げた一閃が杖を払い上げ僅かにたたらを踏む。

 

 その隙を見逃さず、白銀の巨人は横合いに薙ぎ払う。杖で受けた赤銅の巨人はその杖の螺旋構造に亀裂が走っているのを発見する。

 

 それを目にした途端、憤怒の眼差しに炎が宿る。

 

 杖を振るい落とし、幾重もの構造体を編み出すが、白銀の巨人の振り翳す大剣はその守りを打ち崩す。

 

 赤銅の巨人は後ずさったその直後には舞い上がり、戦闘機へと形態変化していた。白銀の巨人はそれを追って光速の域を超え、光の皮膜を潜り抜けて戦闘機へと可変する。

 

 追い縋った白銀の機体が火線を浴びせかけた。赤銅の機体は巧みに機体を急加速させ、雲間を引き裂いていく。

 

 白銀機が射撃しようとした瞬間、建造物の上からこちらを窺う人影を見つける。赤銅機はそれを利用し、風圧で人影を煽った。

 

 建造物が粉砕し、落下の途上にあった人影を白銀機は変身し、巨人形態となってその手に助け出す。

 

 しかし、助け出したはずの人影は赤く瞬き、直後に散っていった。

 

 ――罠だ、と露見したその時には、直上から急下降した赤銅機が一斉掃射する。

 

 白銀の巨人はそれを一身に受け止め、その身が煮え滾り爆発が連鎖する。揺れ動いた巨人の体躯が青く錆びた建造物へともたれかかった。

 

 赤銅機は上昇して可変し、重戦車へと姿を変える。その自由落下の途上で巨大な砲門より強力な黄色い光軸が発射されていた。

 

 白銀の巨人は咄嗟に左腕の機構を翳し、光の盾を編み出したが、そのような付け焼刃では耐えられる攻撃力を超えている。超過した火力がそのまま白銀の巨人の頭上で弾け、盾と共に分散する。

 

 白銀の巨人の左手首に位置する機構に亀裂が入る。その途端、白銀の巨人が大きくよろめいた。その姿がぼやけ、ブロックノイズを生じさせる。

 

 赤銅の巨人はその期を逃さない。地上へと巨人形態で制動をかけながら着地し、杖を振るい上げる。

 

 編み上げられた自律兵装が牙の勢いを灯らせ、白銀の巨人を上下から噛み砕いた。

 

 白銀の巨人の額にあるタイマーが赤く明滅する。

 

 その挙動が鈍り、動く度にブロックノイズと処理落ちの巨体がぶれていく。

 

 赤銅の巨人が杖を十字に振るい、菱の自律兵装が一斉に白銀の巨人へと殺到する。

 

 直撃を受けた白銀の巨人は、その身体から力を失わせていた。装甲に入った亀裂と錆が色濃くなり、胸部に配された結晶部より光が絶えていく。

 

 最後の一撃、とでも言うように、赤銅の巨人は巨体の推進バーニアを焚いて肉薄し、杖の穂先で白銀の巨人の心臓部を射抜いていた。

 

 血潮は出ないが、代わりのようにノイズが噴き出す。

 

 赤銅の巨人が杖を引き抜き、相手を突き飛ばす。後ずさった白銀の巨人から光の渦が舞い上がっていた。

 

 塵芥に還っていく白銀の巨人はV字の眼窩を持つ頭部を項垂れさせ、空間に溶ける。

 

 やがて、その存在の証明すら失わされた巨人同士の戦いは終わりを告げていた。

 

 残ったのは赤銅の巨人のみ。

 

 仮面のように展開する薄い皮膜の向こうに灯る憤怒の瞳が輝き、その巨躯が吼えた。

 

 天へ、月へと吼え立てる獣のような声。

 

 やがてその声が収束した瞬間、赤銅の巨人はガラスのように砕け散り、青い建造物の屋上へと吸い込まれていた。

 

 紡ぎ出されていくのは小柄な少女の姿である。

 

 巨人の有していたのと同じ、左手首には赤い機構が嵌められ、紫色の髪をビル風になびかせる。

 

 一瞬の直下型強風がその相貌を露にした。

 

 どこか、この世を見ていないかのような虚ろな眼差し。紫のリップを引いた唇が、銀色の吐息を輝かせる。

 

「……これはただの一歩ながら、大いなる一歩でもある」

 

 歩み出したその靴は編み上げたブーツであり、短めのスカートが風にはためく。着込んだ漆黒のライダージャケットが風を加えた。

 

 赤銅の塵が削げ落ちた屋上で、少女の後ろに集うのは七人の男女である。

 

 彼らは各々に違ってはいたが、それぞれその手に握っているのはモニュメントである。怪物を模したモニュメントの瞳が赤く輝く。

 

「ボクは、退屈にはうんざりしたんだ。だから、この世界を変える。変えるために」

 

 左手首の機構――アクセプターが赤く輝き、少女が笑みを浮かべて青く錆びた街並みを見渡す。

 

「迴紫様。我らナイトウィザードにご命令を」

 

 迴紫、と呼ばれた少女は左手の脈動を掲げる。

 

「――だから正しく、全てを等価に。ボクを、退屈から救ってくれよ。この世の果てまでも」

 

 恩讐の灯火が左手に宿り、少女はその焔共々、青い地平を睨み上げていた。

 

 



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第一話 CODE:Rebirth
♯1‐1


「聖域を超えればそこから先の命は保証されない」。

 

 村の掟をしかし、悠長に守っている人間のほうが少ないであろう。

 

 朋枝もその一人で、この時村の定めたラインから踏み出すのにも一切の躊躇はなかった。青い岩礁には様々な解読不能の文字が羅列されている。

 

 錆びついた建造物のそこらかしこから吊るされた看板にはそこらかしこへと続く矢印と、そしてやはり下部には解読出来ない文字。

 

 朋枝からしてみれば、世界の在り方は生まれた時からその有り様であったので十六になって迷いを生む事もなければ、まして解読も出来ない文字を判読しようとは思わない。

 

 ただ、教えられた通りの進路を辿り、苔むした地下通路を踏み込んでいく。

 

「……霧がかってきたなぁ……」

 

 錆びた街ではよくある事だ。地下に潜れば必然的に霧が濃くなる。視野が塞がれ、狭まっていく進路の中で、朋枝は目的のものを発見した。

 

「あった。ジャンク……」

 

 広く取られた八角形の空間の中央にうずたかく積まれているのは、用途不明の部品類――ジャンクであった。

 

 しかし用途不明とは言っても、今の事情はある。朋枝からしてみれば宝の山だ。

 

「手の中にいっぱいあるなぁ……。どれくらい持っていこう」

 

 一応、持ち運び用のリュックはある。だが、ジャンクは一つ一つは小さくとも重なれば重量は増す。

 

 一週間分程度でいい、そう朋枝は感じてリュックへとジャンクを拾い上げていた。

 

 ジャンク特有の埃っぽいにおい。錆びた金属の放つ臭気は心地よい。

 

 朋枝は直方体のジャンクを鼻先へと持ってくる。

 

 青いフードを取り、そのにおいを堪能していると不意に影が差した。

 

 あっ、と声にした瞬間、仰ぎ見た朋枝の視界に大写しになったのは首の長い巨体であった。獣の口腔部を有し、爬虫類特有の湿っぽい皮膚を錆びっぽい霧の中に晒している。

 

 ――怪獣だ。

 

 朋枝は息を殺す。

 

 フードを目深に被り、煙った視界の中に入った怪獣から視線を外す。

 

 ――気づくな。

 

 そう念じて小さく蹲る。怪獣は荒い鼻息を漏らし、喉の奥から呻き声を発している。

 

 鼓動が爆発しそうなほど高鳴っている。

 

 聖域を超えたのだ。怪獣と遭遇する可能性は大いにあり得た。それを熟知していないわけもない。

 

 しかし、実際に目にすればどれほどの恐怖だろう。

 

 単独で怪獣と会敵するのは初めてで、朋枝は全身が鉛になっていた。

 

 動けない、否、動いたとしてどうする。

 

 がちがちと歯の根が合わない。その音さえも関知されそうで、朋枝は膝を抱いて小さくなる。

 

 怪獣ともし遭遇してしまった場合の対処法は、まだ大人ではない朋枝には教えられていない。

 

 せいぜい、息を殺して静かにしていろ。その程度の対処法でやり過ごせるのならば、誰も怪獣を恐れないだろう。

 

 首長の怪獣は周囲を見渡し、何かを探っているようであった。

 

 立ち去ってくれ、と瞼を強く閉じて願う。怪獣の足音一つで血流が逆巻く思いであった。

 

 振動一つで身体が砕け散りそうだ。石ころに成り下がった気分に、朋枝はそっと気配を鎮めていた。

 

 怪獣の足音が遠ざかる。

 

 ようやく、と言ったところで朋枝は息をついていた。

 

 フードを目深に被ったまま、頭を振って立ち上がる。

 

 ――その瞬間、怪獣が吼え立てていた。

 

「……まさか」

 

 見つかった、と感じて走り出そうとした瞬間、ジャンクの山へと視線を落とす人影が視界に入っていた。

 

 先ほどまでそこにいたのだろうか。あるいは今しがた立ち現れたかのように――。

 

 外套姿の青年はジャンクを拾い上げていた。

 

 怪獣は彼に反応したのだ。牙を軋らせ、首長の怪獣が吼え立てる。それに対して、青年は尋ねていた。何でもない問いかけのように。

 

「これが、欲しいのか」

 

 そんな言葉、怪獣に通じるものか。天へと青年がジャンクを掲げようとする。

 

 雲間が晴れ、黄金の月光が降り立っていた。

 

 青錆と月明かりが反射し、青年の瞳が薄い鳶色であるのを朋枝はこんな緊急事態とは思えない思考回路で認めていた。

 

 ――綺麗。

 

 だがそんな些末なる感情、怪獣の咆哮が掻き消す。現実へと引き戻された朋枝は覚えず青年の腕を取っていた。

 

「何をやっているの。逃げないと!」

 

「逃げる……」

 

 本当に何も分かっていないのか。あるいは、「ドクロ鉄道」から降りてきた「旅人」か。

 

 しかし、今宵ドクロ鉄道はこの村の領域に入っていないはず。ならば、この青年が何者なのかはたちどころに分かるだろう。

 

 遠い場所から赴いたのでないのなら、近隣の村から迷い込んだか。

 

 いずれにせよ、朋枝は青年の手を引いていた。まだ怪獣へと茫然自失の瞳を注いでいる。

 

「逃げなきゃ喰われちゃう! 早く!」

 

 自分とは思えない声量を張り上げ、彼の手を取り、駆け出していた。

 

 怪獣が吼え立て、寸胴な身体より伸びた縮み足で大地を踏みしめる。恐らく追ってくる気だろう。

 

 朋枝は後方を振り返りつつ、息を切らしていた。青年には悪いが、逃げなければ殺されてしまう。怪獣とかち合って逃げ延びた前例は少ない。

 

 大抵が、気配を殺して生き延びただの、運よく崩れた足場に揉まれて見逃されただの、どれも運だのみだ。

 

 朋枝は、神様、と一つ祈ってから、青年の細腕を引き寄せる。

 

 神を信じているわけではない。だが信じずしてこの局面を生き延びられるか。

 

 叫びだしたい気分だったが、それ以上に怪獣が甲高い鳴き声を上げる。このままでは追いつかれるであろう。

 

 朋枝は腰に提げた帯刀を意識する。

 

 もしもの時の自衛手段。しかし、抜いたところでこの体格差。相手は雲を衝く巨躯だ。そんなものに、松明以下の刀など通用するものか。

 

 駆け抜ける朋枝と青年を追って、怪獣が辺りを踏みしだいていく。地下通路が砕かれ、蛍光灯が明滅する。

 

 狂ったように視界が白黒する中で朋枝は進路が怪獣の地響きにより崩れ落ちたのを目にしていた。

 

 咄嗟に後ずさり崩落した道を窺う。

 

 暗黒の静けさが降り立ち、奈落の底を覗き込む。唾を飲み下し、朋枝は振り返っていた。

 

 首長の怪獣が赤い眼光を滾らせ、自分と青年を睥睨する。

 

 ――喰われる、と予感した朋枝はいたずらに叫ぶ事も出来ない我が身を顧みていた。案外、死ぬ直前と言うのは静けさが降り立つのだな、という達観さえもある。

 

「……ああ、こんな……」

 

 ――こんな事って。

 

 終わるのか、と予見した朋枝は脱力していた。もう逃げる気力もない。声も出ない自分に嫌気が差す前に、青年が問いかけていた。

 

「なぁ、生きていたいのか」

 

「そんなの……」

 

 そんなの――決まっている。自分は喉の奥から搾り出していた。

 

「生きたいに、決まっているじゃない……!」

 

 そんな当然の事実を問い返した相手への忌々しさを感じる前に、青年は声にする。

 

「そうか。なら、オレのする事は決まっている」

 

 刹那、彼がその手にしていたのは龍の形状を模した拳銃であった。

 

 直後、轟音と共に弾き出された銃撃――否、重力をそのままに撃ち出したかのような「砲撃」は怪獣の右目を射抜いていた。

 

 怪獣より悲鳴が劈く。あまりの事実に理解が追いつかない。朋枝は青年の携えた龍の意匠を多く備えた異様な銃を目の当たりにしていた。

 

 どう見ても利便性を叶えていない銃器が再び怪獣を照準する。

 

 直後、怪獣の背筋から灼熱に爛れたこぶが発生する。そのこぶが外れ、身体から離れた途端、光が拡散した。

 

「……爆弾……」

 

 ボディから離脱した瞬間に起爆する遠隔爆雷。首長の怪獣は首の根っこから再びこぶを生やそうとして不意にその挙動が鈍った。

 

 青年の鳶色の瞳が、一瞬の隙を逃さない。

 

「――砕けろ」

 

 高密度の重力波砲撃が怪獣の頭部を狙い澄ますが、今度は命中しなかった。

 

 着弾する前に怪獣が掻き消えたのである。朋枝は青い霧を色濃くしてノイズ混じりに消失する怪獣に絶句していた。

 

 怪獣が消える瞬間など初めて見た。

 

 否、それ以上に――。

 

「あなた、何なの……」

 

 茫然自失の朋枝に青年は拳銃を手に、こちらへと視線を配る。

 

 蓬髪に近い黒髪。どこか、気だるげに細められた眼差しが、朋枝を凝視する。

 

「……オレは……何なんだ」

 

「分からないの?」

 

 問い返した朋枝に青年は頭を振る。

 

「オレの名前は……那由多……」

 

 そう紡いだ青年は外套に吊り下げられた無数のジャンクへと視線を落としていた。

 

 そのジャンクには煤けた文字列に「那由多」という文字が刻まれている。

 

「これを……ナユタ、と読むの?」

 

「ああ、これは那由多と読む。どうやら、これがオレを示す一つの指標らしい」

 

「名前って事?」

 

 青年――那由多は首を横に振る。

 

「分からない。何も……思い出せないんだ」

 

「記憶がないの?」

 

 青白い月光が降り立つ地下通路で、朋枝は那由多の瞳に問う。彼は、静かな口調を継いだ。

 

「オレは、何なんだ……」

 

 その問いは青く燃える月夜に霧散していった。

 

 



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♯1‐2

 ドクロ鉄道が断末魔の汽笛を上げた。

 

 甲高い女の鳴き声は到着駅が近いのを告げる。サングラスを持ち上げた白髪の男は、嘆息をついていた。

 

「ドクロ鉄道のダイヤには遅れもなし。にしたって、また帰ってくるとは思いもしやせんや」

 

 男は肩を竦め、自身の寝台へと向かう。ドクロ鉄道の寝台室はかなりの高額だ。もちろん、前払いの切符は手にしている。

 

 男はカーテンを引いた瞬間、丸まっている少女を発見していた。

 

 緑色のパーカーに、黒い衣服を身に纏っている。どこか煤けたような黒髪を持つ少女は寝息を立てている。

 

 男は一度カーテンを戻してから、自分の切符番号を確認する。

 

「……間違いないっすよねぇ……」

 

 何度も照合し、またカーテンを引く。丸まって寝返りを打った少女を、男は蹴飛ばしていた。

 

 少女は寝台から転げ落ち、何度かぶんぶんと大きく首を振る。

 

 まるで野良犬だな、と男はじっと見据える。

 

「おたく、何やってんすかねぇ。俺の寝台室のはずなんだけれど」

 

 少女は自分を認めるなり、うわっと大仰に驚き、じっと凝視する。

 

「……この部屋の人?」

 

「そうだって言っているでしょうが。言葉、通じるっすよねぇ?」

 

 こめかみを突くと少女はふふっと笑う。オレンジ色の瞳が細められていた。

 

「……いいの? ドクロ鉄道でちょっとでも粗相すれば」

 

「大枚はたいてこの席取ったんすよぉ、こっちは。何でおたくは寝てるんすか。親御さんは?」

 

「ううん。私一人だよ」

 

 迷子にしてはどうにもふてぶてしい。男は大きなため息を漏らす。

 

「……おたく何?」

 

「私? 私……怪獣だよ?」

 

 男はサングラスを持ち上げ、しげしげと少女を見やる。少女は薄い胸を反らしてふふんと得意げだ。

 

「怪獣?」

 

「そっ、怪獣。恩人に会いに行くんだ」

 

 という事は一人でドクロ鉄道に乗り合わせたと言うわけか。だがだからと言って許されるわけではない。

 

「……まぁ、自称怪獣少女ちゃんよ。ここは俺の寝台なわけなんすよ。どっか行ってくれないっすかねぇ」

 

「冷たいなぁ。ほら、私、お金持ってるよ?」

 

 少女はビニール袋いっぱいに詰め込んだ小銭を見せびらかす。その仕草と、どこか浮世離れした挙動に目を剥いていると不意に鼻孔を刺激臭が突き抜けた。

 

「臭っ……。おたく、風呂入ってないだろ」

 

「お風呂ぉ……? お風呂嫌いだから、入ってない」

 

 その言葉だけは年相応の少女のわがままのようであった。男は額に手をやってやれやれと首を振った。

 

「……寝台車の中にシャワー室あるから。俺の金使っていいから浴びて来な」

 

 紙幣を差し出すと、少女はそれを引っ手繰り、目を輝かせた。

 

「すっごいね。これ、いいお金だ」

 

「そっ。いいお金なんで、無駄に使わないで欲しいんすよ。さっさと風呂に入った入った」

 

 手を払い、この場所から遠ざけようとして、怪獣少女は小首を傾げた。

 

「……入り方わかんない」

 

「マジか」

 

 呆れ返った男は、だがしかし自分が一緒に入るのはまずいと直感的に悟っていた。

 

「……じゃあまぁ、停留所についたら風呂場まで送ってやっから、それまで我慢してくんさい。俺はここで寝る」

 

 その時、少女が自分の袖を引っ張る。

 

「一緒に寝る」

 

「駄目」

 

「何で?」

 

「俺の品格が問われる」

 

 そう言い放って少女を払おうとしたが、じっとこちらを見据えた少女が問いを重ねる。

 

「何のためにドクロ鉄道に乗ってるの?」

 

「目的のためっすかねぇ。ま、ある種里帰りみたいなものでもあるんすけれど」

 

 律儀に答えてやる事もないのだが、風呂を提供出来ない以上は停留所までは面倒を看てやろう。そこまでの人でなしでもない。

 

「ふぅん。面白いね。里帰りって、新鮮」

 

「そうっすか。じゃあさっさとどっか行ってもらえますかねぇ。こちとら元は取りたいんで」

 

 突き放す言葉にも、少女は面白がって尋ねる。

 

「ただの人じゃないよね。何をしに里帰りするの?」

 

 自分の事を怪獣だと言ってのける少女だ。ただものではないのは分かり切っていたのだが、こうもか、と男は返答を渋る。

 

「……ま、因縁みたいなもんっすよ。清算出来ていない事柄が多いもんでしてね。俺はその清算を、一手に担っていると言うのか……」

 

「うまく言えないんだ? 私と同じだね」

 

 少女はどうやらてこでも離れる気はないらしい。こうなれば意地だと、男は尋ね返す。

 

「そっちは何なんすか。怪獣を自称するなんて変わっていると言うか」

 

「そう? でも私、怪獣だよ?」

 

「それは分かったっすから。でもまーいい顔はされないっすよ?」

 

「でも私、お金持ちだから。誰かによくするのも好きだし」

 

 にたぁ、と少女は笑う。男は問答の間にドクロ鉄道の断末魔を聞いていた。

 

「……もうすぐ停留所についちまいますね。せっかく高値で買った寝台特急がこれじゃ」

 

「私のせい?」

 

「そうっす、そうっす。分かってんのなら……」

 

「だったら、私は離れるよ。バイバイ」

 

 案外、別れ際はそっけない。毒気を抜かれた気分で男は寝そべる。あと少しとはいえ、寝られるならばそれに越した事はない。

 

「……身に染みた気配が強くなってきやがったっすねぇ……」

 

 瞼を閉じようとしても、ざわつく神経が眠りを許してくれない。仕方なく荷物を整理し、その中に愛用している漆黒の拳銃と、そして銀色の蛇腹剣を確認する。

 

 武器の整備は一人旅ならばなおの事。

 

 銃弾を整理し、並べて磨いていく。

 

 死なないための処世術だ。死を遠ざけるために、死に縁の深い武装を用いるのはどうにも皮肉であったが。

 

 ドクロ鉄道が停留する。

 

 どうやら思ったよりも早く到着したらしい。

 

 自動ドアが開き、周囲に蔓延する青錆の霧を視界に入れる。帰ってきた、と言うよりも、待ちわびた風景。

 

 駅の改札口の前で男はポケットに入れていたはずの切符がなくなっているのを発見する。

 

「あれ? 入れたはずなんすけれどねぇ……」

 

 改札で待ち構える黒い影の駅員が怪訝そうな眼差しを注ぐ。間違いなく、切符は持っていたはずだ。なのに、ないとは、と身体中を探っていると、不意に先ほどの怪獣少女が歩み出ていた。

 

「はい」

 

 駅員に渡した切符に瞠目する。それは自分が買い付けた寝台特急の切符そのものであったからだ。

 

「それっ……俺の……!」

 

『切符は持っていないのですか』

 

 問い詰められ、男はまごつく。

 

「いや、そのガキが持っているのが、俺ので……」

 

「駅員さん。これ、私の切符だから」

 

 駅員が切符を巻き取り、受理してしまう。改札を通った怪獣少女が薄く微笑んだ。

 

 ――してやられた、と思った直後、駅員が問いかける。

 

『持っていない。で、いいのですね?』

 

「いや、だからさっきのが……」

 

『ドクロ鉄道の無賃乗車、三万五千円』

 

 はぁ、と男は驚愕する。

 

「高過ぎっしょ! それに、俺は切符買ったっての――」

 

『無賃乗車は重罪です。何なら警備に突き出してもいい』

 

 それは困る。自分の荷物には武器があるのだ。これを取り締まられればせっかくの旅の意義が台無しになってしまう。

 

「……分かったよ。分かりましたよ。払いますから、大ごとにはしないでくだせぇ」

 

 財布からなけなしの金を支払い、男は改札を通ってから嘆息をつく。とばっちりのトラブルにしたところで酷いものだ。

 

「払えた? お兄さん」

 

 待ち構えていたのか、怪獣少女が声をかける。掴みかかってやろうかと思ったが、男はそこでぐっと堪えた。こんな事で怒っていたのでは先が思いやられる。

 

「……もうちょっと行ったら風呂がある。そこに寄るから入りなせぇ」

 

「怒らないんだ?」

 

「怒ったって金は戻ってこないっしょ。それに、確信犯がそう言うかねぇ」

 

 へへっ、と少女はにやつく。

 

「私、他人の物盗るの、ちょっと得意かも」

 

「あんまし自慢出来る特技じゃ、ないっすねぇ」

 

「これも」

 

 少女が手にしていたのは自分の所持する一発の銃弾であった。いつの間に、と男は懐を探る。

 

「お兄さん、何? 何の人なの?」

 

「……興味本位は、要らないトラブルを招くっすよ」

 

「里帰りに武器は要らないよね? 何をしようとしているのか、私に聞かせてよ」

 

 この怪獣少女、ちょっとやそっと脅した程度では臆さないだろう。それどころか余計に興味を持つに違いない。ここは動きを邪魔されない程度に留めておくべきだ。

 

 しかし、こんなところで破綻か、と我ながら情けなくなってしまう。

 

「……俺は戦わなきゃいけないんすよ。武器が要るのは、その証拠」

 

「何と戦うの?」

 

 その言葉に男は暫時の沈黙を挟んだ後に応じていた。

 

「――怪獣、と呼ぶべきなんすかねぇ」

 

 これで恐れ戦けば、と期待して放った言葉に少女は小首を傾げるのみだ。

 

「怪獣? じゃあ私?」

 

「おたくみたいな人畜無害なの殺してどうするんすか。この街にはもっと恐ろしいのがたくさんいるんすよ。……正直、首突っ込み過ぎると、死ぬっすよ」

 

 最大限の警告のつもりであったが、怪獣少女は顔をくしゃくしゃにして笑う。

 

「じゃあ、危ない時は私が守るね。私も怪獣だから」

 

 これはのれんに腕押しか。男はどうにも調子が出ない、と後頭部を掻いていた。

 

「……おたくみたいなタイプは初めてだ」

 

「私、受けた恩は返すのが流儀だから。切符を使わせてもらった分は助けるよ」

 

「どの口が言うんすか……」

 

「名前何て言うの? 私はアノシラス・モントレーション=リリィ・トリシューラ三世。長いからアノシラスでも、リリィでもいいよ」

 

「……めんどいんでおたくって呼びますわ」

 

 ずさんな対応にも少女――アノシラスはめげた様子はない。それどころか興味津々で問いかけてくる。

 

「名前、何?」

 

 これ以上はかわし続けるのも難しいか、と男は諦め調子に名乗っていた。

 

「……ハンターナイト。ツルギ、とでも、名乗っておきましょうかねぇ」

 

 



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♯1‐3

 何度か問いを重ねたが、それでも彼の正体は判然としなかった。

 

「どうして、ジャンクを?」

 

 あの場所に赴かなければ、那由多と名乗った青年も自分も、怪獣には遭遇しなかっただろう。

 

 那由多は外套のところかしこに留めたジャンク部品を眺めつつ、首を横に振っていた。

 

「……思い出せない」

 

「……じゃあ、何で怪獣を? あれが何なのかくらいは知っているんでしょ?」

 

「あれは……。怪獣だという事は分かるが、それ以上の事は分からない。オレも、自衛のために撃っただけだ。この銃も、どこで手に入れたのか思い出せない。使い方は分かるのに」

 

 どうにも虫食いの知識の様子だ。朋枝はうぅんと呻って、それじゃあ、と分かりそうな話題を振っていた。

 

 崩落した地下通路の下に位置する水脈から、村をひとまず目指そうとしている最中である。

 

「どこかから来たって言うのなら、ドクロ鉄道に乗ってきたの?」

 

「ドクロ鉄道……」

 

「あれよ」

 

 ドクロ鉄道は村々を繋ぐ交通網だ。断末魔の汽笛を上げて、銀色のドクロを車体に備えた高速特急である。

 

 那由多はそれを視野に入れたが、やがて頭を振っていた。

 

「思い出せないんだ」

 

「これは相当に重傷ねぇ……。ま、あたしも他人の事は言えないんだけれどさ。村に戻って、聖域に入れば、怪獣の追撃の心配はなくなるし、そこまでは、かな」

 

「オレなんかを連れて帰っていいのか? ……何者なのかも分からない」

 

「それはお互い様って言うか……さすがに命の恩人を見捨てられないよ」

 

 目線を逸らした朋枝に那由多は掌へと視線を落としていた。自分が何をやったのか、何が出来るのか本当に全て不明なのだろうか。

 

 そうだとすれば、あの一撃も。怪獣を退けるほどの出力を持つ武装も、何もかも分からないまま振るっているのか。

 

 だとすれば相当に――危険だ。

 

 だが村に招かなければもっと危ないであろう。何よりも、怪獣が現れたのは公然の事実のはず。その時に村にいなかった言い訳を自分一人では構築出来る気がしない。

 

 証人としても、彼は必要であった。

 

「お前も……ジャンクを集めているのか」

 

 リュックに詰め込んだジャンクを那由多は指差す。朋枝は、ああ、これね、とリュックを叩いた。

 

「今となっちゃ、ジャンクも使えるのと使えないのとあるけれど、使えるジャンクの見分けならあたし、負ける気はしないから。そういう審美眼だけはあるって言うか……」

 

「そうか。オレは……どうしてジャンクを集めているのだろう。それも分からない」

 

 分からない事だらけだ。だが、ハッキリしているのは一つだけ。

 

「助けてくれた……んだよね?」

 

 疑問形になってしまったのは、彼があまりにも頼りないからかもしれない。怪獣を迷いなく退けた引き金に比すれば、今の彼は何も持たずに彷徨い歩いている亡霊のようだ。

 

 実態を持たない存在に、何か価値を付与しなければ消えて行ってしまいそうである。彼は、そうなのか、と声にしていた。

 

「オレは……お前を助けたのか」

 

「そこも無自覚? 何だかなぁ……」

 

 自分の恩義が一方的のようではないか。朋枝は地下水脈の途切れを発見し、そこから村へと戻るルートを取っていた。

 

「……お前の言う、村と言うのは近いのか」

 

「そりゃあね。そんなに遠くまで行くなって言われているし」

 

「……だが怪獣が現れた」

 

「そこもあたしの失策。聖域を出たからでしょ」

 

「聖域……」

 

「まさか、聖域も知らないの?」

 

 そこまで無自覚な人間がいるはずもないという前提条件を、彼は容易く超えてきてしまう。

 

「……記憶にない」

 

「呆れた! 聖域って言うのは、村の中にいる僧侶が張ってくれている結界よ。その中には怪獣は来れないの。ま、正確には近づく事はないってだけだけれど」

 

「安全な場所なんだな」

 

「……そっ。だからそれを超えちゃったあたしは、大馬鹿者」

 

 きっとどやされるに違いない。憂鬱な気持ちを抱えていると、彼は不意に立ち止まっていた。

 

 自分の話が退屈であったのだろうか。彼は壁を凝視している。

 

 何があるのかと訝しんでいると、その懐より取り出されたのは先ほどの拳銃であった。

 

 迷いなく照準された銃口に朋枝は咄嗟に声を張る。

 

「何やってるの! 危ないじゃない!」

 

 先ほど怪獣にダメージを与えたほどの一撃を放たれれば、この通路そのものが砕けてしまう。だが彼は、どこか忌々しげに口走っていた。

 

「……またお前か。オレの行くところ行くところについて回る……。お前は、誰なんだ」

 

 睨む眼を注いでいるのは、壁のガラスに向けてであった。朋枝は那由多の腕に飛びつく。

 

「危ないってば! 何考えてるの?」

 

「……ヤツが追って来ている。ここにも、か」

 

 諦観を含んだ声音に、朋枝はガラスを覗き見るが、何もいない。自分と那由多が反射しているだけだ。

 

「……ねぇ、危ないクスリとか、やっているわけじゃ……」

 

 大いにあり得ると考えたが、押さえにかかった朋枝を一瞥し、那由多は銃を仕舞った。

 

「……ヤツからは何も得られない。オレが何者なのかも」

 

「その……もしかしたら村に戻れば手がかりがあるかも。さすがにすごく遠くから来るにしては、ちょっと込み入っているし……」

 

 最後のほうには自信がなかったが、遠方から訪れるにしては、自分達の村は小規模だ。そんな場所に危険人物が入ってくるメリットがない。

 

 やがて、朋枝の視野に入ったのは赤い光であった。光の壁が屹立し、村と外界を分けている。

 

「あれが……村か」

 

「うん。でも、案の定……」

 

 待ち構えている村人達の視線は険しい。彼らは怪獣が現れた事を知っているはず。そんな時に、外に出ていた愚か者である自分も。

 

 聖域に入るなり、飛び出してきたのは兄であった。

 

 朋枝を見つけた瞬間、怒声が飛ぶ。

 

「どれだけ心配したと思っているんだ! またジャンク拾いに出ていたのか!」

 

 首を縮こまらせ、朋枝は釈明する。

 

「だって、そろそろ底が見えていたじゃん。なくなる前に備蓄しないと、また困るし……」

 

「だからって、聖域から出ていい理由になるか! 新しい怪獣も出たって聞く。死ぬところだったんだぞ!」

 

 兄の言う事ももっともだ。彼は自分の左手首に無理やり機械を括りつける。

 

「アクセプターは持っておけ。そうじゃないと見失ってしまう」

 

「……でも、あたしはもう十六だよ? どうせ、あと一年もしないうちにアクセプターは要らなくなる。子ども扱いなんて……」

 

「そう言いたければ、もっと村の掟を守るんだな」

 

 ぐうの音も出ない。沈黙していると、兄は自分の後ろに佇む那由多に気づいたらしい。

 

 村人達が一斉に構える。とは言っても、武器らしい武器なんてない。ジャンクを組んだ槍で威嚇するが、那由多は危険性すら感じていないのか、ぼうっと眺めるのみであった。

 

「あんた……何者だ!」

 

 問い質す声に朋枝が割って入る。

 

「この人は……あたしを助けてくれたの。旅の人みたいで……聞いてみると事情がありそうなの。みんな、ちょっとだけ匿ってあげてくれない?」

 

 その提言に村人達が渋い顔をする。

 

「……素性の分からない人間なんて」

 

「でもっ! 助けてもらったんだし、恩義は返さないと! あたしの命の恩人なんだから!」

 

 その言葉に村人達は致し方なし、と言った具合に槍を下ろした。朋枝が一息つくと那由多が声にする。

 

「原始的な自衛武装だ。そんなもので、怪獣は殺せない」

 

 要らぬ事を、と思った瞬間には、村人達の糾弾が飛んだ。

 

「怪獣を……殺す? 何て野蛮な!」

 

「朋枝! こいつ、ひっ捕らえてみぐるみ剥がしたほうが――!」

 

「駄目だって! あたしの一生の頼み。この人には手を出さないで」

 

「だが……怪獣を、殺すだって? そんな事を言い出す奴なんて……」

 

「信用出来ないのは分かるから。あたしの顔に免じて、ちょっとだけ借り住まいをさせてあげて。別にずっと匿ってって言っているんじゃないから。彼も……旅の人みたいだし。助け合いでしょ?」

 

 諭すと村人達は殺気を仕舞い込み、やがて那由多から遠ざかった。

 

「……一晩の宿だけだ。それ以上は村人の頼みでも通らない」

 

「充分だから。那由多、こっちに来て。今、村の僧侶様が来るし」

 

 騒ぎを聞きつけたのか、僧侶がこちらへと歩み寄ってきていた。僧衣に身を包んだ姿に村人達が傅く。

 

「僧侶様。聖域に乱れが」

 

「そのようですね。……彼は?」

 

「旅の人で、あたしの恩人です。僧侶様」

 

 全員が頭を垂れる中で、那由多だけが何もしなかった。朋枝は無理やり頭を下げさせる。

 

「あんたも!」

 

「変わった御仁ですね。しかし、何やら趣もある様子。ジャンクを集めているのですか」

 

「お前は……何だ」

 

「僧侶様に軽口を利いちゃ駄目でしょ!」

 

 叱り付けた朋枝に僧侶は笑う。

 

「これは、なかなかユニークな人だ。だが他の村からの旅人ならば、分からない話でもありません。聖域がない村は、ついぞ聞いた事はありませんが」

 

 僧侶は村人の差し出した錫杖を握り締め聖域の赤い壁の前でその錫杖を地面に突き刺す。

 

 紡いだのは聖域を補強するご高言であった。朋枝達はその言葉を反芻し、やがて僧侶が印を結んでから最後の言葉を口にする。

 

「――光あれ(アクセス・フラッシュ)」

 

 光あれ、と言葉が続く中、朋枝が那由多を窺う。

 

 途端、絶句していた。

 

 那由多の頬を、涙が伝っていたからだ。村人達の疑念を一身に浴びた那由多に朋枝が問いかける。

 

「ど……どうしたの、あんた……」

 

「どうした……? これは……何だ」

 

「泣いてるよ……。何で泣いているの?」

 

 その問いに那由多は頭を振る。

 

「分からない……。ただ今の言葉を聞いて……。オレは、何で泣いているんだ……」

 

 記憶がないのは事実なのだろうか。それとも、と考えたところで、僧侶が微笑みかける。

 

「わたしの詠唱が下手でしたか?」

 

「いえっ、そのような事は決して」

 

 代わりに応じた朋枝に那由多は心底、疑問のようであった。

 

「……オレは……何なんだ」

 

「……こっちが聞きたいわよ」

 

 静かに愚痴を漏らし、村人達が僧侶を見送ってから、兄が肘で突く。

 

「うちでは面倒見ないからな」

 

 ある程度予測出来ていたとは言え、朋枝は言い返していた。

 

「でも、あたしの恩人なのよ?」

 

「だからって、見ず知らずの男を招けるほどの場所もない。それに、余裕だって」

 

 それは、と口ごもる。自分がジャンク集めをしているのも、それに起因する。

 

「でも、何も言わないのも不義理だよ」

 

 朋枝は那由多へと言葉をかけていた。

 

「……ちょっと狭苦しいかもだけれど、この村で疲れを癒していって」

 

 精一杯の労いに那由多は疑問符を挟む。

 

「オレは……ここにいていいのか」

 

 その言葉には正確なものなど何一つ返せなかった。

 

 



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♯1‐4

「ねぇね。お兄さんは何のためにここまで? 遠かったんじゃないの?」

 

 アノシラスの問いかけにツルギは何度目か分からないため息をついていた。

 

「……おたく、どこまでついて来る気っすか」

 

 立ち止まって問いかけると、彼女はにへらと笑う。

 

「恩返しをしたいんだ。だから、それが出来るまでかな」

 

「そりゃどうも。本当に恩返しをしたいんなら、あそこで切符を盗まなくってもよかったんじゃないっすかねぇ」

 

「私、ドクロ鉄道の切符は買えないから。お金持ちだけれど」

 

 ビニール袋いっぱいに詰め込んだ小銭を見せびらかす。ドクロ鉄道は信用が第一の交通網だ。信頼出来ない相手には切符を売らないのがモットーである。

 

「そりゃ、密航者って寸法かい」

 

 その言葉にアノシラスは頬を膨らませて抗議する。

 

「違うよ。うまく法の目を掻い潜る知恵者って言って」

 

「それを密航者って呼ぶんでしょうが。にしたって、俺について来たっていい事は一つもないと思いますけれどねぇ」

 

 アノシラスは盗んだ一発の銃弾を目元に持って来る。光を反射する金色の銃弾は珍しいのかもしれない。

 

「綺麗だね、これ。お兄さん、他にも武器を持っているんでしょ」

 

「そこいらで言うもんじゃないっすよ。それに、だから何だって言うんすか」

 

 アノシラスはふふっ、と含み笑いを漏らした。

 

「自分だって、ドクロ鉄道に見つかればお縄でしょ?」

 

「……同じ穴のムジナだって?」

 

「言ってないけれどお兄さんがそう思うのなら、そうかな」

 

 どうにも読めない相手だ、とツルギは白髪を掻いていた。

 

「……この辺りの土地勘くらいはあるんすよね」

 

「任せて。私、自慢じゃないけれど一度通った道は忘れないから」

 

「そいつぁ、結構。じゃあま、宿でも探しますか。それか、ここいらの地図に接触出来るターミナルでもあれば……」

 

 そこでツルギは立ち止まる。アノシラスが不思議そうに首を傾げた。

 

「どうしたの?」

 

「……嫌な臭いだ」

 

 サングラスをかけ、機能を発揮する。索敵モードに入った視界に漂う残滓は見間違えようのない。

 

「怪獣が、この辺に出やがったな。まだ数時間も経っていない」

 

「そんなの分かるの」

 

「分かるように出来ているんでさぁ。しかもこの感じ……粒子が乱れている。誰かが高重力輻射砲でも撃ったみたいな……」

 

 だがそんな大それたものを放てるだけの戦力が揃っているか、という問いかけにツルギは否と胸の中で応じる。

 

「そんな奴がいたら、それこそ怪獣以上に……」

 

「分かんないけれど、あの人にでも聞いてみる?」

 

 アノシラスの言葉にツルギは月光の降り立つ空間に佇む、一人の男を視野に入れていた。

 

 ジャンクの山を睨んでいる男へと不用意に近づこうとするアノシラスを制する。

 

「気ぃ、つけるっすよ。あんた……そこいらの人間じゃねぇな」

 

 こちらへと振り向いた男の右目からブロックノイズが棚引く。相手は静かに問い返していた。

 

「……さっきまでここにいた奴とは違うな。誰だ、貴様は」

 

「下手に名乗る気はねぇっすよ。おたくこそ、何者なんで? 酷ぇ、ノイズだ。まるで射抜かれたみたいに」

 

 その言葉に男のはらむ気配に怒りが宿っていた。男はすっと手を翳す。

 

 察知したツルギはアノシラスを抱えて飛び退っていた。突如として空間に現れた巨大なる腕が鋭い爪を顕現させ、空間を掻っ切る。直後には霧散していたが、間違いない。相手は――怪獣だ。

 

「怪獣の、腕……」

 

「間違いねぇ。あんた、ナイトウィザード……!」

 

「その名前を知っているという事は、ただものではないと、判断する。わたしはここで高重力砲撃を行った相手を索敵するために降りてきたのだが、当てが外れた代わりに面白い獲物がかかったものだ。貴様は、何だ?」

 

「だから言ったでしょう。名乗る気は――さらさらねぇってなぁ!」

 

 鞄より漆黒の二丁拳銃を取り出し、一回転させて構える。銃口が見据えても相手は涼しげな様子であった。

 

「そんなオモチャでわたしを殺せるとでも?」

 

「分かんないさ。やってみないと――なぁっ!」

 

 アノシラスを置いて駆け出したツルギは闘争本能を剥き出しにして男へと肉薄する。相手は身をかわし、払った銃撃をいなしていた。

 

 命中するであろう銃弾を先ほどから空間に呼び出す怪獣の腕で防御する。

 

「わたしにここまでさせる。何のつもりだ」

 

「何のつもりィ……? おたくらのボスが、何を仕出かしたのか、知らないわけじゃあるまいに!」

 

 二丁拳銃が弾き出す銃弾の雨嵐を相手は翳した怪獣の腕で払い上げ、そのままの重量を活かして押し潰さんとする。

 

 ツルギはその一撃に腕を交差させて防御する。持ち堪えたのがよほど意外であったのか、相手は瞠目していた。

 

「……わたしの攻撃を受け止める」

 

「下手に鍛えちゃいないんでね! おたくのような相手と渡り合うにゃ、半端な鍛え方じゃ足りねぇってんだ!」

 

 押し返したツルギに男は怪獣の腕を掻き消す。ツルギは二丁拳銃を突きつけ最後通告を言い渡していた。

 

「今からおたくを――デリートするぜ」

 

「……その自信はどこから湧いてくる。ただわたしの一撃を防御しただけではないか」

 

「どうっすかねぇ! 怪獣の一撃を受けたんだ。それなりに価値はあると思うっすが!」

 

「……貴様は理解していない。わたし達ナイトウィザードの力を。何一つ、だ」

 

「そりゃどうも! こちとら、詭弁を弄する時間も惜しいんで!」

 

 跳躍し相手へと踊りかかったツルギを横合いから出現した怪獣の腕が薙ぎ払う。しかし、ツルギはその腕を伝って走り抜け相手の本体へと迫っていた。

 

「……戦闘勘だけはある。ハッタリも、ここまで来ればそれなりだ」

 

「ハッタリじゃありませんぜ! 俺の銃弾は、脳天を貫く!」

 

 引き金を絞り、銃弾が殺到する。それを相手は今度は怪獣の腕で受けず、瞬時に掻き消えていた。

 

 どこへ、と首を巡らせる前に、第六感が告げた方向へと銃口を据える。背後に立ち現れた相手の心臓をツルギは狙い澄ましていた。

 

「後ろに現れるなんて、よくある手で!」

 

「ああ、確かに。だがわたしは、奇襲のために後ろに現れたわけではない」

 

 その言葉を解する前にツルギは廃墟を貫いて現れた怪獣の両腕に抱かれていた。叩き潰す一撃。粉塵が舞い上がり、怪獣の腕が握り潰される。

 

「死んだ、か」

 

 降り立った男がアノシラスへと視線を振り向ける。アノシラスは完全に戦闘の色濃い空気に呑まれているのか、硬直していた。

 

「……怪獣、なの……?」

 

「どちらとも言える。人間とも、怪獣とも。しかし、今の男……使い手であったな。ちょっとでも油断をすれば取られていたか。だが、わたしにとって敵ではなかったと言うだけの話だ。さて、目撃者は消しておかなければ。先ほどの重力波の使い手と言い、ややこしい事態に転がりつつある。わたしも力を使い渋っている場合でもなくなった。ナイトウィザードの序列として、貴様らを葬る事が――」

 

「お喋りは、嫌われるっすよ」

 

 ツルギが取り出したのは蛇腹剣である。瞬時に拡張した武装域が男へと回り込み、その首を掻っ切ろうとした。

 

 男は咄嗟に腕で防御するが、刃がその表皮を削り取る。ツルギは転がりながら、アノシラスの側へと割り込んでいた。

 

「……貴様……、何故死んでいない」

 

「仕留め損なった己の愚を! 他人の責任にするのは格好悪いぜ、おたく! なに、単純に俺のほうが強いからっすよ。ハンターナイトを嘗めないでいただきたいっすねぇ」

 

「ハンターナイト……それが、貴様の名か」

 

「それでもピンと来ない? ……おたく、相当に末席だな。ナイトウィザードの中でも新参っすね。実力も推し量り、ってなもんだ」

 

 ツルギが蛇腹剣を振り回す。展開した蛇腹剣の剣筋が男へと直行する。男は腕を払い落とした。連動した怪獣の腕が出現し、壁となって防御するが、ツルギの放った剣は縄のように絡み付き、怪獣の腕を固定する。

 

「……わたしを縛るだと……」

 

「いやなに、使い手でもない相手ってのは始末が悪くっていけねぇっすね。負けを認めるんなら、ここで離してやってもいい」

 

「……冗談を、よく回る口だな」

 

 怪獣の腕がツルギに向けて発射される。それをツルギは軽業師の身のこなしで避け、二丁拳銃に持ち替えていた。

 

「ドたまに穴ぁ、空けられたくなきゃ退くっすよ!」

 

 構えたその瞬間、男が声にする。

 

「勘違いを。わたしが狙ったのは、貴様ではない」

 

 その言葉の意味を解した瞬間、ツルギは舌打ちと共に身を翻す。アノシラスにかかろうとしていた鋭い爪を銃弾で弾き上げていた。

 

 一瞬の気の緩みを突き、蛇腹剣の拘束を解いて男が浮かび上がる。

 

 軽く後退したようにしか見えないのに、その姿は青錆びの建築物の屋上にあった。

 

「逃げる、っすか」

 

「挑発には乗らない。わたしには別の任務が充てられている」

 

「そいつぁ、結構な事で。ただまぁ、俺もやる気のねぇ相手にかけずらっているほど、暇でもないんす。だからここは、互いに引き分けって事で一つ」

 

 その言葉振りに男はふんを鼻を鳴らす。

 

「……貴様は、この街で何が起こっているのか、分かっているのか」

 

「ナイトウィザード。きな臭いのは承知でさぁ。こっちはもろもろ清算しに、ちょっとした里帰りしに来ただけっすよ」

 

「……そこまで知っているのならば、生かしてはおけん」

 

 男がその手から浮かび上がらせたのは拳大ほどのモニュメントであった。金色に塗装されたモニュメントは怪獣を象っている。

 

「ここで変身するんすか。随分と呆気ない」

 

「何とでも。不穏分子を排除するのに、早いほうがいいだけだ。アクセスコード、《グールギラス》!」

 

 紡がれた言葉と共に男の姿は粒子状態にまで還元された。代わりにモニュメントの眼窩に光が宿り、直後には拡大されたモニュメントに色彩が灯っていた。

 

 ツルギは飛び退り、アノシラスの身体を抱える。

 

「目ぇ、瞑っておいたほうがいいっすよ! 怪獣形態になりやがったか……!」

 

 アノシラスがきつく瞼を閉じている間に、ツルギは建築物を足掛かりにして踊り上がる。

 

 現れた青白い体表を持つ首長の怪獣――《グールギラス》が右目よりブロックノイズを生じさせながら街を踏みしだいていく。

 

 建築物の屋上に至ったツルギは舌打ちを漏らしていた。

 

「面倒だからって、怪獣形態に持ち込んで一掃、って腹っすか。下っ端らしいって言えばらしい……」

 

「……あれ、怪獣だよね……」

 

「そうっすねぇ……。我慢の足りてない奴だったって事っすよ。それか、人間態では勝てないって諦めたか」

 

「人間が、怪獣になるの……」

 

「……ま、ちと違いますが、そう思っていただいて結構。しかし、怪獣態になられると、討伐するのは難しくなるっすね。少し、躍らせておきますか」

 

 ツルギは屋上を蹴りつけ、隣り合った建築物を跳躍していく。その運動性能にアノシラスが息を呑んでいた。

 

「……お兄さんも、怪獣?」

 

「……みたいなもんっす。ま、連中とは違いますが」

 

 しかし、《グールギラス》の行動は自分を追い払うのには的確か、とツルギは一瞥を寄越す。

 

 怪獣態になられてしまえば、一方的に蹂躙するのは難しくなってしまう。手持ちの武装だけでは怪獣を押し留めるのは苦労するばかりだ。

 

「一旦、退くっすよ。なに、勝ちの目が見えないわけじゃないっすから。温存っても作戦っす」

 

 そう結んで、ツルギは宵闇を抜けて行った。

 

 



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♯1‐5

 眠っている、という報告を受けて朋枝は那由多に用意された部屋へと、静かに歩み寄って絶句する。

 

 鉄柵が用いられた部屋は、旅客を招くような造りではない。

 

「これ……座敷牢じゃないの」

 

「言ってくれるな、朋枝。これも村を守るためだ」

 

 兄の言葉に朋枝は食って掛かる。

 

「彼はあたしを助けてくれた! 恩人なのよ?」

 

「それも定かじゃない。聖域の事を知らず、話によれば記憶も怪しいとなれば、こうして閉じ込めておくのが正答に思えるだろう」

 

 何て言う身勝手な都合。朋枝は制止を振り切って座敷牢に入っていた。

 

「お、おい!」

 

「お兄ちゃんは、そこで見ていれば。彼が罪人なら、あたしもここで寝るから」

 

 意固地になった自分に兄は舌打ちする。

 

「……勝手にしろ。村の決まりを守れないんなら、お前だって……」

 

 立ち去っていく兄に朋枝は嘆息をつく。どうして、こんな言い争いになってしまったのだろう。別段、兄を快く思っていないわけではないのに、ジャンク集めを反対する兄のスタンスだけは理解出来ない。

 

「ある程度のジャンクがないと、あたし達は生きていけないのに」

 

 危険を顧みない自分の姿勢に、苛立っているのは分かる。だが、生きるために仕方のない事の一つだろう。それでいちいち危険を恐れていれば、それこそ生きている意味がないではないか。

 

 朋枝は那由多の寝顔を一瞥する。

 

 ぼさぼさの蓬髪。どこかやつれた頬。まともに食事も取っていないのではないだろうか。

 

 だが、寝息を立てている彼からは悲壮感は見られなかった。むしろ、これも当然な処置と割り切っている風でもある。

 

「……分かんないなぁ。旅人、か。この村から離れられないあたしには、縁遠いかな」

 

 旅とはどういうものなのだろう。ドクロ鉄道に乗り、村々を転々として色んな人に出会うのだろうか。理屈で分かっていても、実際には天と地ほどの差があるに違いない。

 

 朋枝はしかし、ここで生きてここで死ぬしかない自分を予感していた。

 

 ――どこにも行けない、どこかに行く術もない。

 

 何者にも成れないまま、ただ怪獣に怯えて終わるだけの生。

 

「……我ながらつまんない生き方かも」

 

 そうこぼして那由多を見やった瞬間、朋枝は息を呑んでいた。

 

 いつの間にそこにいたのか、青い髪を二つに結った少女が那由多の傍に佇んでいる。ぞっとするほどの冷たい眼差しで、少女は那由多を眺めていた。

 

 朋枝は後ずさって声にする。

 

「……あんた、誰?」

 

 少女は白磁の肌に金色の瞳を持っていた。その眼差しが自分を捉え、やがて唇が言葉を紡ぐ。

 

「……ナユタ。思い出しなさい。あなたの、使命を」

 

 自分が見えていないのだろうか。朋枝は護身用の帯刀を引き抜いていた。今まで持っているだけで一回も抜いた事のない刃の切っ先が彷徨う。

 

「聞いているのはこっち! あんた、誰なの……。どこから入ってきて……」

 

 入り口は一つしかない。それなのに、どこから、どうやって現れたと言うのか。少女はどこか寂しげにその眼差しを細めていた。

 

「……時間がない。ナユタを借りていく」

 

 その一言で那由多の身体は景色に溶けるように消えて行ってしまう。何が起こっているのか、朋枝には解する術がない。

 

 直後には少女も掻き消えていた。

 

「今のは……幻?」

 

 だが幻にしては、と那由多の身体があったはずの土間をさする。体温がまだ感じられるという事は、幻覚ではないはず。しかし、どうやって、那由多を消し去ったのか、それがまったく分からない。

 

「今の女の子……何なの」

 

 問いを口にした途端、激震が朋枝を襲っていた。前のめりによろけた朋枝にいくつかの声が耳朶を打つ。

 

「怪獣だ! 怪獣が出たぞ!」

 

 村人達が警鐘を鳴らし、次々と悲鳴を上げる。

 

「怪獣……? そんな、まさか……」

 

 座敷牢の窓から覗いた外の景色の中にいたのは、那由多の退けた首長の怪獣であった。首長怪獣は聖域の壁へと肉薄する。

 

 しかし、聖域の壁があるのならば平気なはずだ。そう思っていた朋枝は直後の事象に瞠目する。

 

 怪獣が首の根から灼熱のこぶを生成し、それを蹴鞠のように跳ねさせて放つ。直後、赤い壁と干渉し、聖域の光が消滅していた。

 

「聖域が……消された?」

 

 朋枝はこれまで生きてきた十六年間で決して侵されなかった領域が容易く霧散した事実に言葉も失う。

 

 村人達が焦燥に駆られながら火器で応戦しようとするが、それを嘲笑うかの如く、怪獣の尻尾が彼らを薙ぎ払っていた。

 

 転がった村人達へと怪獣がその巨躯で押し潰す。

 

 朋枝は覚えず目を背けていた。生まれ親しんだ村の人々が怪獣一体に蹂躙され、殺されていく。

 

 そんな現実を許容出来るはずがない。

 

「朋枝!」

 

 現れた兄に朋枝は駆け寄ろうとして、敵意の滲んだ声に遮られていた。

 

「……あいつ、どこへ行った?」

 

 ハッと留まった朋枝に兄が忌々しげに言葉にする。

 

「……やっぱり、あいつのせいか。あいつがここに来たから、怪獣までやって来た! 災いを招いたのは、あいつだ!」

 

 その言葉に朋枝は思わず言い返す。

 

「違うよ! 那由多は何も悪くない! 悪くないはず……なのに」

 

 消えてしまった那由多の行方は不明のままだ。兄は武器を手に取って踵を返していた。

 

「お前は外に出るな。大人達が怪獣を追い払う。いいか? 絶対に外に出るなよ」

 

 そう言い置いて兄は飛び出していった。朋枝は一度だけ那由多の寝そべっていた空間に目をやり、ぐっと拳を握り締める。

 

「……あたしだって、この村の一員……」

 

 駆け出した朋枝は村人達が怪獣に完全に押されている様子を視界に入れていた。

 

 怪獣が背筋に仕込んだ無数の赤い腫瘍から光を放射する。灼熱の溶岩弾が村の家々を融かし、粉砕していく。

 

 赤い眼光を帯びた怪獣が喉の奥底から吼え、村人達をゴミのように蹴散らしていく。無情にも摘まれる命に朋枝は叫んでいた。

 

「やめて――っ!」

 

 怪獣へと村人達が銃火器で火線を浴びせるが、全く効いている様子はない。それどころか、いたずらに被害を増やすばかりだ。

 

 怪獣が大地を踏みしめ、丸太のようなその腕が人々を薙ぎ払っていた。

 

 砕け散っていく現実と日常に、朋枝は膝を折る。

 

 救済はないのか。誰も、救ってはくれないのか。

 

 こんな時、誰かが――誰かが力になってくれれば。

 

 自身の無力さに朋枝は頭を振って叫びを上げる。

 

「こんなの……嫌ぁーっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識の表層を撫でる声に那由多は瞼を開く。

 

 光の空間の中に自分は浮かんでいるようであった。那由多は歩み出そうとして、不意に感じた気配に振り返る。

 

「……また、お前か」

 

 いつもそうだ。自分の行く先々で絶対に目にする影。何か問い質すかのような黄金の瞳を持った何者か――青い怪人がこちらを見据えている。

 

「お前は何なんだ」

 

 懐に入れた龍の拳銃を突き出し相手へと照準する。しかし、相手は恐れる様子もない。それどころか、声が呼びかける。

 

(ナユタ。君の使命を思い出すんだ)

 

「使命だと。オレに、何があるって言うんだ」

 

「――あるのよ、ナユタ」

 

 不意打ち気味の声に那由多は拳銃を振り向けていた。青い髪を二つに結った少女がそっと佇んでいる。白磁の肌に黒い衣服。彼女は寂しげな瞳のまま、自分を視界に入れていた。

 

「……お前は、何だ」

 

「あなたは目覚めなくてはならない。この世界は、危機に瀕している。それを止められるのは、あなたと――グリッドマンだけ」

 

「グリッド……マン……」

 

 どうしてなのだろう。その名前が今まで聞いた何よりも、自分の心の奥底に波紋を立てたのは。

 

 那由多はうろたえた自分を誤魔化すように少女へと銃口を突きつける。

 

「お前は誰だ……。オレは、何者なんだ……」

 

「それを明かすのは私ではない。あなたは自分と向き合うのよ。その力と共に」

 

「力……。オレに、力……」

 

 瞬間、左腕に生じた熱に、那由多は困惑する。左手首に青い光が明滅し、それが鼓動と同期して、自分へと問いかける。

 

 どくん、どくんと脈打つその光に那由多は後ずさっていた。

 

「オレは何なんだ……。この光は……」

 

「光はあなたの心より生ずるもの。さぁ、叫んで。その約束の言葉を」

 

「……分からない。お前は、何だ」

 

「私は臾尓。光の導き手」

 

「ユニ……。どうしてなんだ? その名前を、オレはどうして……知っている?」

 

 光の空間の中で那由多は頭部を押さえる。記憶の奔流が激痛となって脳に叩き込まれていた。

 

 よろめいた那由多へと、臾尓は声にする。

 

「この世界を切り裂く、唯一無二の言霊を。あなたは叫ぶのよ。さぁ、その真言を」

 

「オレの、使命……」

 

 その時、光の空間の一部が晴れ、映し出されたのは膝を折って祈りを捧げる朋枝と、蹂躙する首長の怪獣であった。

 

 それを目にした瞬間、電撃的な確信が那由多の胸を衝く。

 

「……何なのかは分からない。だが、今オレは、トモエを助けたい。だから、行く」

 

 光の空間より那由多は駆け出し、そして――跳んでいた。

 

 その後ろ姿に臾尓の声が残響する。

 

「それでいいのよ、ナユタ。今は、それで……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうしてなのだろうか。

 

 祈るべき神も、ましてや信じるべき何もかもを今、失ったと言うのに。

 

 ――眼前に佇む那由多の背中に信じるものを見出せたのは。

 

「那由多……。どうして……」

 

「オレは嘘をつかない。だから、守ると決めたものは、守り抜く」

 

 怪獣がこちらを睥睨し、灼熱のこぶを生成する。

 

「危ない!」

 

「大丈夫だ。行くぞ、怪獣《グールギラス》よ。オレの……」

 

 瞬間、那由多の左手首が青色に眩く輝き、静かに脈打つ。

 

 その光を携えたまま、那由多はゆっくりと左腕を掲げていた。

 

 直後、拡散した光と共に装着されたのは――。

 

「アクセプター……。まさか」

 

 青いアクセプターを装着した那由多は息を深く吸い込み、やがて一つの言葉を紡ぐ。

 

 それは、「光あれ」という意味のみが残った、失われた言葉の詩篇――。

 

「アクセス・フラッシュ!」

 

 その呼び名と共に那由多が腕で十字を形作り、アクセプターを押し込む。

 

 直後、那由多の姿は掻き消え、光が降り注いでいた。

 

 それはまるで、光の雨。

 

 月光の夜に降る、輝きの恩恵。

 

 人々が触れる事を忘れた、刹那の幻。

 

 直後に激震が見舞う。何かが降り立ったのだと朋枝が認識した直後、青錆びの街で建築物に寄りかかる形で、「それ」は顕現していた。

 

「蒼銀の……巨人?」

 

 蒼い巨躯に、銀色の装甲。眩い金色の瞳を持った巨人が建築物に寄りかかった体躯を静かに持ち直し、そして怪獣と対峙していた。

 

 その巨神の全身に蒼い光のラインが奔り、命の輝きを灯す。

 

(光波超人、《サイファーグリッドマン》!)

 

 巨人が発した言葉が風圧となって駆け抜ける。その名前を、朋枝は茫然自失のまま、口にしていた。

 

「《サイファーグリッドマン》……。あれは……何?」

 

 不明のまま、怪獣と巨人は向かい合い、それぞれに敵意を滲み出させていた。

 

 



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♯1‐6

 首長怪獣――《グールギラス》より声が生ずる。

 

(……現れるとはな。新たなグリッドマン!)

 

 その言葉に巨人――《サイファーグリッドマン》は両腕を構えて叫ぶ。

 

(ここで討ち倒す!)

 

 青錆びの街を蹴りつけ、駆け出した《サイファーグリッドマン》に、《グールギラス》がこぶを発射する。

 

 灼熱の域に達したこぶが破裂し、炎を生じさせていた。爆発の硝煙の向こう側で《グールギラス》の背骨に位置する赤いこぶがいくつも光を発生させた。

 

 直後、赤い光線が幾何学に放射され、《サイファーグリッドマン》を襲う。瞬時に飛び退り、それを回避しようとするが、その動きには濁りがある。

 

 回避機動も儘ならず、《サイファーグリッドマン》はほとんどをその身に受けていた。

 

 項垂れた巨人に、《グールギラス》が哄笑を上げる。

 

(最適化されていないのか。ならばここで死ね!)

 

 赤い背骨が再び光を湛えようとするのを、《サイファーグリッドマン》は察知して《グールギラス》へと飛び込む。至近に入った《サイファーグリッドマン》を《グールギラス》が手首よりこぶを生じさせていた。

 

 そのまま押し込む勢いでこぶを点火させようとする。

 

《サイファーグリッドマン》はその腕を押え込んだ。《グールギラス》が口腔部を開き、喉の奥より火炎弾を発射しようとする。

 

《サイファーグリッドマン》はそれを察知し、長大な首を両腕でひねり上げ、そのまま膂力に任せて背負い投げを決めた。

 

 大地が鳴動し、青錆びの建築物が粉砕される。

 

《グールギラス》の喉から発射された火炎弾が空に向かって放たれ、拡散して降り注ぐ。

 

 炎に包まれた大地で、《サイファーグリッドマン》は《グールギラス》へと手刀を見舞う。

 

《グールギラス》の尻尾が《サイファーグリッドマン》を突き飛ばしていた。建築物に背筋をぶつけた《サイファーグリッドマン》が力なく項垂れる。

 

 その額に位置するタイマーが明滅し始めた。

 

《グールギラス》は立ち上がり、咆哮しながら四肢を開く。

 

 背筋より放射された赤い光線が幾何学の軌道を描いて《サイファーグリッドマン》へと突き刺さりかけた。

 

 それを寸前で巨人は面を上げ、駆け出す事で回避する。全弾が直撃した建築物が赤く照り上がり、焼失していた。

 

(貴様も一瞬で粉砕してくれる!)

 

《グールギラス》に、《サイファーグリッドマン》は駆け込んでいた。しかし接近戦に持ち込もうとも通用しなかったのは目に見えている。

 

(勝負を捨てたか!)

 

 吼え立てた《グールギラス》が口腔部に溜め込んだ火炎弾を《サイファーグリッドマン》はスライディングで地面を滑り、回避する。

 

 その行動はさすがに相手も予想外であったのか、下段より迫った突き上げるアッパーの勢いに《グールギラス》が後ずさる。

 

 その隙を逃さず、《サイファーグリッドマン》は《グールギラス》の首根っこをひねっていた。渾身の力で捩じ上げられた首が耐久値を超え、遂には引き千切られる。

 

 首を失った《グールギラス》がたたらを踏んだ。その断面には機械の電子回路が走っている。

 

 首長の頭が大地を跳ね、火炎弾を撃ち出す。灼熱に染まる街の中心で、《サイファーグリッドマン》は両腕を前に突き出して交差させていた。

 

(グリッド――ビーム!)

 

 左腕を突き上げる姿勢を取り、巨大化したアクセプターより放たれた蒼銀の光線が《グールギラス》を貫く。

 

 撃ち抜かれた形の《グールギラス》が硬直し、蒼い光に包み込まれて収縮していく。

 

(貴様は……我らナイトウィザードが必ず……倒す!)

 

 断末魔と共に収縮し、渦巻いた《グールギラス》の巨体がガラス片のように砕け散る。

 

《サイファーグリッドマン》は額のタイマーを点滅させながら戦局を俯瞰し、やがてその身体も光と共に砕け、拡散していた。

 

 小さな身一つとなった《サイファーグリッドマン》――那由多は己の掌に視線を落とす。

 

 今、何が起こったのか。自分が何をしたのか、それを確かめるように。

 

「今の巨人は……オレが、なったのか……」

 

 朋枝はどこか恐れるように自分を目にしている。しかし、それでも彼女は歩み寄ってくれていた。

 

「……あなたは、何?」

 

 答えようとしたが、答えるだけのものがない。

 

「……まだ、思い出せない。だが、一つだけ。一つだけ、思い出した」

 

 那由多は逆巻く灼熱の風の中で、己の中に浮かぶたった一つを口にする。

 

「――オレはハイパーエージェントだ」

 

 その言葉の持つ意味を、自分でも分からぬまま、那由多は炎に染まった街並みを眺める。

 

「ハイパーエージェント……」

 

 朋枝が呆然と口にして、やがて村の惨状を視界に入れる。

 

「……みんな、死んじゃった。あたしだけが、生き残ったなんて……。お兄ちゃん……」

 

 涙する朋枝を慰めるだけの言葉を自分は持たない。何も持たぬまま、ただ歩き始めるしかない。

 

「オレは……どうやらさっきの蒼い巨人と縁があるらしい。ならば、確かめなくてはならない。オレが、何なのか。何のために、巨人に成れるのかを」

 

 それだけが確かなもの。今の自分の中に芽生えた、新たなる衝動。

 

 しかしその旅路に、朋枝は連れて行けない。朋枝はこの村で生きてきたのだ。自分の勝手な都合に付き合わせるわけにはいかない。

 

「トモエ。オレは進む。進まなくてはいけない」

 

 これまでのように孤独に。これまでのように、自分を知るための旅に。

 

 歩み始めた自分に朋枝は声を投げていた。

 

「待って、那由多。あなたには……何か……」

 

「オレは自分が何なのか知りたい。知らなければ、いけないんだ」

 

「……独りで、怪獣に壊されたこの辺りをうろつくつもり? もし、思わぬ落とし穴に遭遇したらどうするの」

 

「それは……」

 

 返事に窮する那由多へと朋枝は言い放っていた。

 

「――あたしも連れて行って。あたしも、知りたい。あなたが何なのか。怪獣は、どうして、あたしの村を……襲えたのか」

 

「……仇討ちのつもりか」

 

 別段、特別な感情を込めたつもりはない。しかし、朋枝は頭を振っていた。

 

「そうかも。ううん、そうかもしれないってのも張りぼて。そうなんでしょうね。でも、あたしは何よりも、あなたを知りたい。怪獣を倒した、あなたを」

 

「怪獣を、倒した。オレが……」

 

 まだ記憶は戻らない。しかし、旅立たなければいけないだろう。己を知るため、そして何よりも、蒼銀の巨人の謎を、解き明かすために。

 

「……ついて来てくれるのか」

 

「あたしがいないと、すぐに死んじゃいそうだからね、あなたは」

 

 胸を反らし、朋枝が口にするがそれも迷いあっての言葉なのはよく分かった。恐らく、割り切れてはいないのだろう。だが、彼女も当事者とまではいかなくとも、帰る場所を永遠に失ったのだ。自分とはある意味では同じなのかもしれない。

 

「……行こう」

 

 歩み出した那由多へと朋枝は肩を並べる。紅蓮の炎に包まれていく故郷を朋枝は一瞥し、その頬を涙の痕が伝った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありゃあ、厄介っすねぇ。まさかここで目覚めるなんて」

 

 青錆びの建築物の屋上で、風圧に煽られながら、ツルギはこぼす。アノシラスが鉄柵に乗り出していた。

 

「今の、何? 怪獣と戦った……」

 

「――グリッドマン。まさか新世代が現れるなんて、想定外っすよ」

 

 煉獄の炎を睨んだツルギに、アノシラスは呆然と言葉を紡ぐ。

 

「グリッドマン……。何だろう。懐かしい響きだね」

 

 ツルギは身を翻していた。

 

「あの坊ちゃんとはケリをつけないといけないかもしれないっすねぇ。グリッドマンに変身する、それがどういう意味を持つのか、分かっていないはずもない」

 

 いずれにせよ、自分は怨敵を叩くのみだ。二丁拳銃を携えたツルギはその瞳に復讐の焔を湛えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――へぇ、現れたんだ。新しいグリッドマン」

 

 紫色の髪を傾がせて、少女は円卓に足を置く。どこか軽妙な声に対し円卓を囲んでいた者達は重々しく声にしていた。

 

「まさか、こんなにも早くグリッドマンが現れるとは。我々が片づけなければいけないようだ」

 

「それにしても、《グールギラス》……弱過ぎたな。やはり未熟者にアクセスコードをくれてやるのは惜しい。我々のみで運用すべきだ」

 

「うんうん。キミら六人なら、ボクも安心して任せられるよ」

 

 満足げに微笑んだ少女にそれぞれの影が尋ね返す。

 

「して、迴紫様。このまま静観するおつもりで?」

 

「まさか。ボクに対抗するつもりなんだろうねぇ。でもそれって、ホント愚者。思い知らせてあげないと。この世界は、ボクの物だ」

 

 その左手首には、赤銅色のアクセプターが装着されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【光波超人《サイファーグリッドマン プロトコルモード》】

【炎熱怪獣《グールギラスアルファ》】登場

 

 

 

 

 

第一話、了

 



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第二話 CODE:Genuine
♯2‐1


 ドクロ鉄道が断末魔を響かせながら交通網を疾駆する。

 

 その道筋は誰にも止められず、村々を繋ぐ唯一の高速特急であるドクロ鉄道の運行とダイヤは厳密に守られているはずであったが――。

 

 この時、ドクロ鉄道の運転士はある異変に気づいていた。並走する熱源を関知し、運転士は通信の声を吹き込む。

 

『そのほう、止まりなさい。ドクロ鉄道の運行を邪魔する者には執行権限が与えられている』

 

 警告にも相手は速度を落とさず、ドクロ鉄道へと並んでみせた。思わぬ速度に運転士が窓の外を見やる。

 

 膝頭と脚部に無数の車輪を有したその姿。屹立する茶褐色の影の頭部より赤い瞳が睥睨する。

 

 ――怪獣。

 

 だがまさか、鉄道網に現れるとは思いも寄らない。運転士は再三、声にする。

 

『止まりなさい。ドクロ鉄道にはそのほうを排除する権限がある。止まりなさい』

 

 最後通告のつもりであったが、疾走怪獣は止まらない。それどころか速度を増した。

 

 この先には進路変更のポイントがあり、そこでかち合えば面倒だ。

 

 運転士はドクロ鉄道のコンソールを引き出し、無数に並んだキーボードを叩いてパスワードを入力する。

 

 すると引き出されたのは引き金であった。銃身を握り締め、影の運転士は隣り合う怪獣を照準器に入れる。

 

 瞬間、ドクロ鉄道の格納部が開き、内側から展開されたのは重々しい銃座の数々であった。砲身が怪獣を捉える。

 

『止まらなければ撃つ』

 

 これで最後の警告。しかし相手は速度を殺す気配もなし。運転士は引き金を絞りかけて、不意に照準の中に人影を見つけていた。

 

『……人間?』

 

 その小さな人影が蛇腹剣を払い、怪獣の首に突き立てる。速度に振り落とされないように人影が躍り上がり、怪獣の頭蓋へと二丁拳銃で銃撃を見舞っていた。

 

 咆哮が迸り、怪獣が針のように鋭く尖った両腕を払う。謎の人影が身を翻し、怪獣の眉間へと腰に提げた長刀を引き抜いていた。

 

 黒い鍔の直刀が怪獣の鼻先で抜刀される。

 

 逆手に握った人影は怪獣の眉間に突き刺そうとして、巻き起こった火炎の暴風に煽られる。

 

 車輪から炎が生み出され、その速度を倍加させたのだ。

 

 人影は炎と風圧で今にも吹き飛ばされそうであったが、必死にしがみつき、刀で怪獣の背に回っていた。

 

 雄々しく突き立った背びれへと入り、刃が皮膚を引き裂いていく。血潮が舞ったが、怪獣は意に介した様子もなく、それどころか背びれに向けて暗雲が垂れ込む。

 

 直後、空に発生した雷雲より電流が拡散し、背びれがそれを帯電した。人影はまともに電流を食らった事になるのだが、それでも彼は離れない。

 

 そう、その時点で運転士はその人影が一人の男である事を察知していた。

 

『……ただの人間一人が怪獣を相手取る……』

 

 だが迂闊に発砲出来ないのは変わらない。運転士は声を張る。

 

『そこの人影! 怪獣から離れなさい。ドクロ鉄道が公式に対処する』

 

 砲身が怪獣を狙い澄ますが、それでも人影は食らいついたまま離れない。まさしく執念そのもの。背びれを切り裂き、弱点を探っているようであった。

 

(ちょこざい真似を……! 人間風情が!)

 

 怪獣の声が放たれ、進路変更ポイントに迫る。ドクロ鉄道は一秒たりとも遅れをもたらすわけにはいかない。遅延は死と同じ。

 

 ゆえに、運転士は非情なる判断を求められていた。

 

 引き金に指をかけ、警告はした、と己を納得させる。

 

『これより、砲撃を開始する!』

 

 ドクロ鉄道格納部より放たれた銃座の火線が怪獣へと殺到した。怪獣が火力によろめき、人影も巻き込まれる。

 

 線路より離れた怪獣を気に留める前に、ドクロ鉄道を管理する運転士には冷静なる判断が求められていた。

 

『進路変更ポイントに到達。怪獣を引き剥がし、このまま前進を――』

 

 その言葉を遮ったのは新たなる怪獣の影であった。白銀の怪獣が地を這い、鉱石のように散りばめられた肉体より白い息を棚引かせる。

 

 このままでは直撃する。

 

 運転士はこの時、何重にも封印措置の張られたブレーキを踏むか否かの選択肢を迫られていた。

 

 ドクロ鉄道の運転士がマニュアル外の事をこなす時、もし脱線事故になどに発展した場合には全ての責任を取らされる。

 

 懲戒免職で済めばまだいいほうだ。怪獣相手に、ブレーキを踏むのはドクロ鉄道勤務として最も恥ずべき行為。

 

 しかし、前方の怪獣相手に即座に砲撃するほどの戦闘訓練は積んでいない。このまま、突っ込む前に速度を殺し、ダイヤを犠牲にするしかないのか。

 

 運転士が面を伏せた、その時であった。

 

 蒼銀の輝きがドクロ鉄道の車両より解き放たれる。

 

 浮かび上がったそれはドクロ鉄道の速度を追い越して勢いを殺さぬままに線路上を遮る怪獣へと猪突していた。

 

 光が晴れ、蒼銀の巨人が赤く煮え滾った蹴りを怪獣へと浴びせかける。

 

(超電導キック!)

 

 思わぬ加勢に運転士は呆気に取られていた。

 

 だがそれも僅か数秒のみ。線路が空いたのを視認した運転士の取った行動は素早い。ブレーキを踏まず、そのままの速度を保って怪獣と巨人の脇を抜けていた。

 

 ドクロ鉄道が断末魔の汽笛を上げて次の停留所が近い事を告げる。

 

 しかし、今の巨人と、そして怪獣相手に一人対抗する男は、何者だったのだろうか。

 

 運転士にはそこまでの権限はない。ただ、運行を確保し、絶対にダイヤは乱さない。それだけが、運転士に与えられた絶対であったのだ。

 

 ゆえに、彼らが何者であるのかの問いは、直後には霧散していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ただいま、運行中にトラブルが発生しました事をお詫び申し上げます。本線は次の停留所にて定刻通りに到着いたします』

 

 そのアナウンスを聞きながら、朋枝は客室を駆け抜けていた。突然に現れたドクロ鉄道に並走する怪獣。それだけではない。進路を遮った怪獣を目にした瞬間、那由多はまたしても光の巨人となって飛び立ってしまった。

 

「一体、何なの……。那由多……っ!」

 

 朋枝は前方車両に向けて駆けていくが、その途中で客室乗務員が道を遮る。

 

『ここから先は、指定席となりますので。自由席の方はご遠慮いただいております』

 

「急いでいるの! ……乗り合わせた相手が、行ってしまって……」

 

 どう説明すればいいのか分からずにまごついていると、客室乗務員は落ち着き払って声にする。

 

『もうすぐ次の停留所に到着します。誤差は一秒未満ですので、ご安心を』

 

「そういう問題じゃないの! さっきの怪獣は何? どうしてドクロ鉄道は発砲した事を公にしないの」

 

 その言葉にはさすがの客室乗務員も参ったらしい。どこか気後れ気味に言い返していた。

 

『……守秘義務に抵触しますので』

 

「怪獣が出たのよ! 落ち着いていられるわけがない」

 

『しかし、運行に支障はございません。どうかお客様には冷静になっていただきたく……』

 

「冷静って……! だって怪獣を倒すために……那由多は……!」

 

 だが自分に出来る事など何もない。朋枝は無力感を噛み締めつつ、とてとてと指定席の車両から歩み出てきた緑のパーカーの少女を視界に入れていた。

 

「ねぇね、さっき怪獣に発砲したでしょ。私、知ってるんだから」

 

『お客様。ドクロ鉄道の運行に支障はございません。どうか客席でお待ちを』

 

 へへっ、と少女は特徴的に笑う。

 

「いいの? 怪獣に発砲した時、人がいたよね? 人間がいたのを分かっていて、発砲したって言えばドクロ鉄道の沽券に関わるよね」

 

 人間がいた? その言葉に朋枝はうろたえていた。客室乗務員はどこかで知らされていたのか、それとも知っていて指示をした側なのか、少女の言葉に逡巡を挟む。

 

『……お客様、事実は……』

 

「私、言ってもいいんだよ? 人間がいて、それを分かって撃ったって」

 

「それって本当なの? 怪獣相手に、人間が……?」

 

 その段になって少女は初めて朋枝を意識に入れたらしい。瞠目してふふっと笑う。

 

「……お姉さん、私に似ているね。でも、私、怪獣だよ?」

 

 思わぬ言葉に朋枝は混乱する。今、この少女は何と言ったのか。

 

「怪獣……」

 

 朋枝は少女を上から下まで検分する。緑色のフードを被った、小柄な少女だ。肌は少し浅黒い。どこかこちらを試すような瞳を持っており、心情は窺い知れなかった。

 

『お客様。落ち着いてください』

 

「私は落ち着いているよ? でも、怪獣を倒すために、撃ったってばれたらまずいよね」

 

 客室乗務員は苦肉の策とでも言うように少女へと声を搾っていた。

 

『……それは次の停留所でお聞きしますので』

 

 朋枝はその隙を逃さない。客室乗務員が少女に気を取られている間にその脇をすり抜けていた。制止の声がかかったが知るものかと一蹴する。

 

 指定席車両を抜け、朋枝は息を切らしていた。

 

「那由多……無事でいて……」

 

 



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♯2‐2

(本当に出てくるとは思わなかったな。新しいグリッドマン……!)

 

 白銀の鉱石を鎧のように纏った怪獣が吼え立てる。それに対して、蒼銀の巨人――《サイファーグリッドマン》は両手で構える。

 

(怪獣はわたしが倒す!)

 

(粋がるなよ、ルーキー。この《ギラルス》を纏った俺様は年季が入っているんだよ。少なくとも、お前がグリッドマンになるより遥か前から、こいつを使っている。《ギラルス》の性能、思い知れ!)

 

 大地を削りながら怪獣――《ギラルス》が直進する。這うような挙動に鈍い相手か、と判断を下した《サイファーグリッドマン》はその巨体の直上を跳ね上がり、飛び越えてから振り向きざまに腕を交差させる。

 

 充填されたエネルギーが左手首のグラン・アクセプターに溢れ、光の瀑布を生み出していた。

 

 左手を突き上げて光線を編み出す。

 

(グリッド、ビーム!)

 

 完全に背後をついてのグリッドビームはしかし、《ギラルス》の体内へと吸収されていく。思わぬ挙動にまごついたのも一瞬、《ギラルス》の結晶体の内部をエネルギーが循環し、直後には拡散したエネルギー波が《サイファーグリッドマン》に向けて放たれていた。

 

 反射した自身のビームを受けて《サイファーグリッドマン》がよろめく。

 

(光線対策くらいはしているに決まっているだろう。甘いんだよ、グリッドマン)

 

《ギラルス》が地を這いながら鼻先の角を突き上げる。角にまだ残存するエネルギー波を《ギラルス》は放出していた。

 

《サイファーグリッドマン》は大地を蹴り、バック転で回避する。ドクロ鉄道の線路が焼け爛れ、鋼鉄が融点を迎えていた。

 

《サイファーグリッドマン》は構えたまま、相手への次の手を講じようとするが、その前に《ギラルス》は光を帯びて拡散粒子砲を周囲に向けて放つ。無差別な攻撃に《サイファーグリッドマン》が怯んだのも一瞬。

 

《ギラルス》の姿は影も形もなくなっていた。

 

 逃げるために眩惑として使ったのだろう。《サイファーグリッドマン》は額のタイマーが点滅し始めている。これ以上長くはこの姿を維持出来ない。

 

 蒼銀の巨人は光へと還元され、ドクロ鉄道へと舞い戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ。坊ちゃんにも困ったものでさぁ。不完全なのに怪獣に立ち向かおうとするってのも、なかなかに」

 

 風圧がコートを煽る。ツルギは逆手に携えた直刀を敵怪獣の背筋に打ち込んでいた。そのまま二丁拳銃を構え直し、刀の柄に向けて銃撃を放つ。

 

 怪獣が咆哮し、ツルギを振り落とさんと身をよじる。

 

 ツルギは蛇腹剣を駆使して怪獣の腕の根元へと回り込み、今度はその眼窩を照準する。

 

「目ぇ、いただくっすよ!」

 

(貴様、人間か? こうも頑強な人間なんて、初めて見た)

 

「そりゃどうも! こちとら、あんたが現れるのをじぃーっと待っているのも性に合わないんでね! ドクロ鉄道の切符は安かないんだ。ここで決めさせてもらうっすよ!」

 

 引き金を絞りかけた瞬間、怪獣の背びれから何かが分離する。何が、と視野に入れた刹那、小型の怪獣が牙を軋らせて直進してきた。

 

 咄嗟に身をかわしたが、それでも視界に入るだけで十数匹の小型怪獣が群れを成し、渦巻いて夜空を満たす。

 

 高速振動する羽音を散らせながら、小型怪獣が一斉にツルギへと殺到した。

 

 蛇腹剣で腕から背へと伝ったツルギであったが、このまま怪獣に組み付いていても攻勢には移れない。それどころか相手の小型怪獣は執念深く追い縋ってくるだろう。

 

 二丁拳銃へと持ち替え、小型怪獣へと銃撃網を見舞うが、堅牢な皮膚を持つ小型怪獣は容易く迎撃されてくれない。構造は蠅のようにシンプルでありながら、頑強さは大型怪獣に匹敵する。これを相手取ってうまく生き残れるかは賭けに近い。

 

 舌打ちを滲ませ、ツルギは銃を翳した。

 

「ここまで……っすか。追ってきたのに不甲斐ねぇ……。だがせめて!」

 

 怪獣の皮膚へと一発の銃弾を浴びせ、ツルギは離脱する。小型怪獣の群れが線路へと追撃したが、精密な操作はどうやら不可能らしい。

 

 身を伏せていると怪獣共々、気配は消え去っていた。

 

 ツルギは喧噪の失せた線路上で、嘆息を一つつく。

 

「簡単にくたばってくれないのは、やっぱりって感じっすが、それでも見合う対価は得たっすよ。ナイトウィザード……!」

 

 懐より懐中時計を取り出す。表面に浮かび上がっていたのは撃ち込んだ銃弾より発信される信号であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然に舞い戻ってきた那由多に、最前列の車両まで来ていた朋枝は瞠目して立ち尽くす。

 

 彼は左手首に装着されたアクセプターが青く滲んで光に拡散するのを目にしていた。

 

「……まだ、どこかおかしい……」

 

「おかしいのは、あんたでしょうが! いきなり飛び出さないでよ!」

 

 拳を翳して飛びかかった朋枝を、那由多は軽く身をかわす。

 

「怪獣が現れたんだ。あのままではドクロ鉄道は脱線していた」

 

「それ、言い訳になると思ってるの」

 

 問い詰めた朋枝に那由多はどこかばつが悪そうに視線を背ける。

 

「……いや、ならないな」

 

「分かっているんなら、突然に変身しないでよ。びっくりしたじゃない」

 

 懇々と諭していると、那由多は素直に聞いている様子であった。どこか彼の瞳に浮かんだ疑念に問い返す。

 

「……何かあったの?」

 

「オレが成れるあの姿……。相手はグリッドマンと呼んでいたが、あれになっても勝てなかった。……問題があるのかもしれない」

 

「問題? あんなのに成ること自体があたしからすれば問題だけれど」

 

 蒼銀の巨人の力は一度でも目にすれば分かる。怪獣を相手取って対等に戦える能力などそうそうあるものか。しかし、どこか那由多は得心がいっていないようであった。

 

「……足りないように感じる。この力が、まだ……」

 

「……あんたの疑念は知らないけれど、こっちは困ってるんだから。あんな風に飛び出さないで」

 

「……善処する」

 

「お言葉だけの返答は結構。さ、戻るわよ。あたし達は自由席の切符しか持っていないんだからね」

 

 指定席の車両まで来た時点で、ペナルティを受ける可能性もあったが、すれ違った客室乗務員は何も言わなかった。

 

 恐らく、先ほどの少女の脅迫じみた言葉が効いたのだろう。あれを聞き及んでいた自分には強硬策は取れない、か。

 

「……そういえばあの子は?」

 

 見渡すが、それらしい人影はない。

 

「あの子? 誰の事を言っているんだ」

 

 その時、ドクロ鉄道が断末魔を上げつつアナウンスを響かせた。

 

『間もなく、次の停留所に停車いたします。お降りの方は、切符をお持ち合わせの上、各駅の改札までお通りください』

 

 なけなしの金を叩いて買ったドクロ鉄道の切符もここまでの様子だ。朋枝は切符を取り出し、ため息をついていた。

 

「ドクロ鉄道は高いから、ジャンクを少し売った程度じゃ三駅くらいしか進めないわね。それでも、あんたはこっちに何かあるって言っていたけれど」

 

「ああ。何だか分からないが、こちら側に何かがある気がしてならない」

 

「……随分とあやふやって言うか、そんな第六感で旅をしてきたの?」

 

「いけないか?」

 

「いや、いけなくはないけれど……。旅の資金とかよく持ったわね」

 

「着いた先でジャンクを集めていれば、それなりの金にはなる。それで少しずつ進んでいただけだ」

 

 その旅先に、自分も巻き込まれた、というわけか。朋枝は既に旅立った村を懐かしく思うのと同時に、弔った土の感触がまだ掌にこびりついているのを感じる。

 

 兄を含め、村人達は全員死んでしまっていた。

 

 彼らを弔い、墓を建てたあの感覚は拭い去ろうとしても一朝一夕では消えてくれない。

 

 呪いのようにこの手に染みついているのだ。

 

「……どうした、トモエ。何かあったのか」

 

 那由多の問いかけに朋枝は強がる。ここで自分が折れてしまえば、結局何もかもが水泡に帰すだろう。それに、自分を結果的とはいえ救ってくれた那由多を放ってはおけなかった。

 

「ううん、何でもない。あんた、切符は忘れてないわよね? ないと高額な無銭乗車の罰金を取られるわよ」

 

「問題ない。切符は持っている」

 

「そっ。なら、いいんだけれどさ」

 

 煮え切らないものを感じたのだろう。那由多は問い返す。

 

「トモエ。オレもあの巨人に関しては知りたい。知らなければならないと感じている。だが、どうにも思い出せないんだ。どれだけ記憶を漁っても……」

 

「分かっているわよ。無理に思い出せとは言わないけれどでも……あの姿になる事は、出来るのよね?」

 

「ああ。どうしてだか身のこなしも覚えている。それは記憶ではなく、どこか経験則のような気がする」

 

 掌に視線を落とした那由多に朋枝はうぅんと呻る。

 

「記憶への手がかりはなし、か。何だか気が遠くなりそう……」

 

「すまない。だが思い出さなくてはいけないのは、確かなようだ。……ヤツが言うように」

 

「あんたがよく見るって言う、あの蒼銀の巨人だっけ? 話しかけてくるの?」

 

 聞いた話では特定の条件下になると蒼銀の巨人と同じ影が語りかけてくるのだと言う。そのような眉唾を信じるわけがなかったが、実際に那由多があの巨人に変身出来るのを目の当たりにすれば、それくらいの怪現象は呑み込めた。

 

「ああ。ヤツはオレの事をどうやらオレ以上に知っているような感じがする。それがどうにも……」

 

「気に食わない、か。……でも、そいつは思い出せって言うのよね、あんたに、使命って奴を」

 

 首肯した那由多に、朋枝はどうするべきかと思案して、不意に流れたベルに遮られていた。間もなく駅に到達するらしい。

 

「とりあえず、着いてから考えましょ。あんたの探し求めている何かってのも、案外、すぐそこにあるのかもしれないし」

 

 すぐそこに、という言葉を那由多は口中に繰り返す。

 

「それは、しかし手にする事の出来ない……幻のようなものだ」

 

 



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♯2‐3

 円卓を囲んだ五人に語りかけた人影は厳めしい声音であった。

 

「……人間、それもかなり頑丈な……。何者なんだ」

 

 全員に視覚映像が同期されたところ、一人が哄笑を上げる。

 

「こいつ相手にむざむざ逃げ帰ったわけかい!」

 

「……対処不能な相手に時間を割くわけにもいくまい。我輩らとて、何分も怪獣になれるわけではないのだ」

 

「十分の楔は思ったよりも深刻ね。もっとも、その辺を解消するのが、我らの長の役割なのだけれど」

 

 言葉を振られ、最奥に座り込んで円卓に足を乗せていた少女が、うん? と返答する。

 

「ボクにやれっての? ……面倒だなぁ。キミらさ。もっと自分で頑張ってみなよ。新生グリッドマンだって不完全なんだし」

 

 少女は携えたゲーム機を操作するのに余念がない。シューティングゲームに興じており、やたらと連打していた。

 

「我輩らもそれは薄々感じている。だからこそ、追撃のためにドクロ鉄道を襲った。本来は不可侵領域であるはずの」

 

「言い訳はみっともないぜぇ? それとも! グリッドマンに勝てないからって人間相手に! 時間を浪費したあんたの未熟さを暴露しているのかい!」

 

「いずれにしたところでドクロ鉄道にマークされれば厄介となる。あれは不可侵領域だからな。攻撃された、という一事だけでも次からは動きにくいぞ」

 

 高笑いが上がる中で、モノクルの人影はそれぞれの言葉を真摯に受け止め、少女へと進言する。

 

「迴紫様。どうか次の任も我輩めにお任せを。《ギラルス》の部下もよくやっております。彼奴を連れれば、今のグリッドマンならば追い込めるかと」

 

「それさー、別にいいけれど、前回の議席であんまし他所の奴にアクセスコードを配らないって判断だったじゃん。ボクの知らないところでまた何か変えたの? うぉっと……ちょこざい! 当たるわけないじゃん!」

 

 ゲームに夢中な少女――迴紫は視線を振り向ける事もない。モノクルの御仁は否定も肯定もしなかった。

 

「……ドクロ鉄道を制するのに一人では難しいと判断したのです」

 

「何てこたぁねぇ! 己の未熟さに部下の一人でも引き連れないと不安ってか? こいつぁ、とんだ幹部もいたもんだ!」

 

「貴様こそその汚らしい言葉遣いをやめろ。それとも……怪獣形態になった影響か? 二流以下の怪獣では人格にも影響が出ると見える」

 

 その挑発に相手は乗っていた。

 

「……どういう意味だ、てめぇ」

 

「言葉通りだが? 二流怪獣へのアクセスコード持ちでは、我輩らナイトウィザードの格を下げるだけだ」

 

「ンだてめぇ……。ヤんのか」

 

「いつでも。我輩は受ける」

 

 立ち上がりかけた男を、女の声が制する。

 

「おやめなさい。つまらない諍いで議席を汚す事はないでしょうに。それに、私達六人は最初に迴紫様よりアクセスコードを賜った身。そう容易く怪獣に変身はしてはならない」

 

 その言葉で幾分か冷静さを取り戻したのか、ケッと毒づいて男は席に座り込む。

 

「……命拾いしたな」

 

「互いにな。して、迴紫様。今のグリッドマンならば取れます。我輩にお任せを」

 

「好きにしてー。今の彼、ちょっと弱いからさー。もうちょい強くしてからじゃないと、退屈で死んじゃいそう……って、あー! やられちゃったじゃん!」

 

 ゲーム機を円卓に叩きつける。画面にはゲームオーバーの文字が躍っていた。

 

「それは御意に。今のグリッドマンは我々ナイトウィザードが恐れるまでもない」

 

「油断はしない事よ。グリッドマンは無限に進化する。それは分かり切っている事でしょう」

 

 女の声にモノクルの男は目線を振り向ける。

 

「それは警句と受け取っても?」

 

「好きになさい」

 

 女は紫煙をたゆたわせる。手にした長い煙管を吸っていた。

 

「ただし、間違えない事ね。私達は迴紫様のためにいる。戦いも、過ぎれば毒となるわよ。怪獣形態を二度も三度も晒せば、自ずと対策は練られてしまう」

 

「違いねぇ! この世には無敵の怪獣なんていないんだからな! ま、俺はてめぇと違って負け戦の後にこうして厚顔無恥にここに訪れたりなんてしねぇがな」

 

「言っていろ。《ギラルス》の部下も確信は得た様子。力の使い方を学べば、誰にでもアクセスコードを物に出来る可能性はあります。継続任務の指示を」

 

「んー、勝手にすれば? ボクが退屈しない程度で、頑張ってねぇ」

 

 円卓に叩きつけたゲーム機を拾い上げ、またしても迴紫はゲームに興じる。モノクルの男は一礼して身を翻していた。

 

 その瞳が強い闘志を灯し、モノクルの内側で輝く。

 

「……人間風情に後れは取らん。グリッドマンは、我輩が倒す」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 訪れた連絡室でドクロ鉄道の連絡員に拘束されていたアノシラスを目にして、ツルギは嘆息をついていた。

 

「……なーにやってんすか、おたく」

 

「あ、お兄さん。終わったの?」

 

「終わったも何も、相手はまだまだ手があるようで。……んで、何で拘束されているんで? 俺の番号にドクロ鉄道から直通がかかってきた時にゃ、何事かって思ったっすよ」

 

『親御さんに見てもらう必要があると思ったので』

 

 影の連絡員の言葉に面倒事か、とツルギは直感する。

 

「親御さんって……。おたくなんて言ったんすか」

 

「何でもないよ。お兄さんが私と一緒に旅をしているって事だけ」

 

『彼女だけでは今回の賠償責任を負えそうにないので、保護者を確認したところ、番号の中にあったのがあなたであっただけなのです』

 

「そいつぁ、誤解っすよ。俺、こいつの親でもなけりゃ、血縁でもないんでね」

 

『ですが客室乗務員を脅したのは罪に値します。ご存知の通り、ドクロ鉄道は中立、不可侵地帯です。そこに脅迫を持ち込んだのはドクロ鉄道が遵守している、ダイヤの乱れを生じさせかねない。賠償責任があるとすれば、その一点に尽きます』

 

 要はアノシラスだけではどうにも頼りないから、自分が呼ばれたと言うわけか。ツルギは白髪を掻いて頭を振る。

 

「俺に多額の賠償金を支払えって? どういう罪で? おたくらはちょっとした子供のいたずらや戯れ言にいちいち目くじら立てて、そんで賠償賠償ってか? もうちょい寛容になってくんなさいよ。子供のした事でしょうが」

 

『それは我々の言い分であって、あなた方の言い分ではない』

 

 参ったな、とツルギは切り抜けるべき策を講じようとして、アノシラスが挙手する。

 

「私、今回の事、何にも知らないし、何も言わないよ?」

 

 それの意味するところを連絡員も汲み取ったのだろう。ドクロ鉄道の不手際――安全な旅の提供とダイヤの乱れを起こしかねなかった状況を誰にも話さない、とアノシラスが言えば、そこまでの事態ではあったのだ。

 

 相手は、ふむと一拍置く。

 

『もちろん、我々には何の損害もなかった。それは間違いないでしょう』

 

「だから、賠償とか、そういうのもなかった。だよね?」

 

 思いのほかアノシラスは世渡りに慣れているらしい。ドクロ鉄道の連絡員もそう言われてしまえば追及のしようもない。

 

『……今回限りですよ』

 

「ごめんね、お兄さん。時間取らせちゃったね」

 

 連絡室を後にして、ツルギは嘆息を漏らす。

 

「……一人で切り抜けなさいよ、おたくも」

 

「だって、あそこで待っていなかったら、お兄さん、またどっか行っちゃうでしょ?」

 

 確かにアノシラスが拘束されていると連絡を受けなければ一も二もなく敵への追撃に回っていただろう。ある意味では彼女のほうが自分達の実情を理解しているのだ。

 

「……相手方は待ってくれやしねぇっす。こっちから仕掛けないと」

 

「私、手伝えるよ」

 

「期待してねぇっすよ。それに、女子供を巻き込むのは性根が腐っているって奴っすから」

 

 手をひらひらと払うとアノシラスはふふっと笑う。

 

「あのドクロ鉄道の中でね、必死なお姉さん、見かけたんだ」

 

 ドクロ鉄道に乗り合わせた乗客の話だろうか。ツルギは欠伸を噛み殺してそれを耳にする。

 

「そいつは結構な事で」

 

「その人、ナユタって名前を呼んでいた。変わった名前だよね」

 

「俺やおたくが言えた義理じゃないでしょう。にしても、ナユタ、ね。確かに変わった名前っすわ」

 

「とても慌てて先頭車両に急いでいた。おかしいよね。だってあの時、お兄さんが戦っていたのを野次馬根性で見るのなら、格納車両……つまり真ん中を目指さなきゃ見れないのに、前に行くって」

 

 その奇縁にツルギは立ち止まる。帰結する先の結論を彼は窺っていた。

 

「……それ、マジっすか?」

 

「本当だよ。先頭車両に慌てて走って行っちゃった。でも、前にあったものって言えば」

 

「……線路のポインタを押さえにかかっていた怪獣……。それと蒼と銀の……グリッドマン」

 

 因縁めいた名前にツルギは歯噛みする。ともすれば自分達は思いも寄らぬ相手と出くわしていたかもしれないのだ。

 

「……その連中の行方は?」

 

「知らないよ。だって私、捕まっちゃったし」

 

 ニアミスか。ツルギは己の迂闊さに頭を掻く。

 

「ああっ、チクショウ! ……でも方向性は間違ってないって事っすよね。俺らと同じ場所を目指して、グリッドマン……いいや、そのナユタってのは近くにいる」

 

 確証はない。アノシラスの聞き及んだだけの別件の可能性はあったが、わき目も振らずに目標を目指すにしては、奇妙な取っ掛かりが生まれていた。

 

「お兄さんは、グリッドマンに会った事があるの?」

 

「……いっぺんだけっすけれどね。ま、それも会ったって言うより一方的にこっちが見かけたレベルで」

 

 アノシラスは立ち止まり、こちらを振り仰ぐ。

 

「グリッドマンって、何?」

 

 ツルギは話すべきか、と思案する。ここで事実を話したところで、アノシラスには何の影響もないかもしれない。だが自分に同行している以上、余計な情報は彼女を危険に晒す。

 

「……言うべき時が来たら話すっすよ」

 

「約束だよ」

 

 歩き始めた二人は壁に書かれた文字をさすっていた。古代文字、既に解読の術が永遠に失われた文字達が看板や壁にやたらめったら書かれている。

 

 どうやらここは人間の集積地点であったらしい。入り組んだ階段にいくつもの階層に分かれた複雑怪奇な構造。外に出ようと思っているだけなのに、青錆びに塗れたこの駅を通過する事さえも容易ではない。

 

「……一旦、どこかで休みやしょう。そうしたほうがいい。この地下迷宮を攻略するのに、一晩はかかる」

 

「ここ、お兄さんは土地勘ないの?」

 

「初めて停留する駅っすからね。ほとんど初見っすよ。ま、それでも見知ったものがあればそれを指針に進めるでしょうし、今はとにかく雨をしのげるところが、欲しいっすね」

 

 鉛の雨雲が重く垂れ込めている。もうすぐ夕立が雷を連れてくるだろう。

 

「天気が急変する前に、屋根のある場所まで行くっすよ」

 

「じゃあ競争ね。私、一番もらうから」

 

 駆け出したアノシラスに声を投げる前に、ツルギは先ほどの怪獣の事を考えていた。

 

 ドクロ鉄道は中立地帯だ。それを侵してでも相手には何か急がなければならない事情があった。それは恐らく、前回出現したグリッドマンに関係しているのだろう。

 

「……あの坊ちゃん、ナユタってのか。いや、そうとも限らないがしかし、連れがいるとはな。……ま、俺も言えた義理じゃないっすけれど」

 

 既に小雨がぱらぱらと降り出している。ツルギは荷物を担いで、急ぎ足になっていた。

 

 



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♯2‐4

 

 駅の中を移動していると、巨大な生物の胃袋を周回しているような気分になる。

 

 それくらい、広大でなおかつ複雑に入り組んだ地形であった。今はどこで、どこを目指しているのか、それも不明。

 

 ところどころに点在する解読不能の古代文字が指し示すが、当てにはならない。

 

「……ねぇ、那由多。そろそろ休みましょう」

 

 歩みを止めない那由多に朋枝は弱音を吐いていた。彼は立ち止まり、ふと空を仰ぐ。

 

「雨が降るな」

 

「屋根を探したほうがよさそう。この駅……踏破するだけで一日はかかりそうよ」

 

「複雑だが、全く指針のないわけでもない。今“シンジュクニシグチ”を超えた」

 

 その言葉に朋枝は目を瞠る。

 

「あんた、古代文字が読めるの?」

 

 その返答には那由多も驚いたらしい。

 

「読めないのか?」

 

 互いに沈黙が降り立つ中、朋枝が壁に背を預けて深いため息をつく。

 

「……やり切れないわね。古代文字が分かるって言っても、意味するところが不明なんじゃ。でも……ここは“シンジュク”って言うの?」

 

 那由多は壁をさすり、意味不明な幾何学文字を判読する。

 

「ああ。ここはシンジュク駅と言うようだ。そこいらに同じ文字が書かれている事からも判明する。だが、複雑なのは分かる。オレもどこをどう行けばどこに辿り着くのか、まるで分からない」

 

「村に残っていたジャンクと食べ物の備蓄はあるけれど、それでも何日持つか……それはハッキリとしないからね」

 

 朋枝は懐からジャンクの一つである方位磁石を取り出す。昔の人々はこれを頼りにして方角を見定め、どこに向かうべきか決めていたと兄から伝え聞いた事があった。

 

「食べ物はトモエが食べればいい。オレには食事の必要性はないからな」

 

「……強がっていないで」

 

「本当だ。オレは嘘をつかない」

 

 そう言われてしまうと、どこか気後れしてしまう。自分だけが空腹など、何か負けた気分になってしまうではないか。

 

「それって……やっぱりあの巨人に成れるから、なの?」

 

 尋ねていい事ではないのかもしれない。それでも、無関係を決め込むのには、那由多はあまりにもあの巨人の存在に引き込まれているような気がしていた。

 

 村を襲った怪獣を下し、今もまた、ドクロ鉄道を危機から救った。そこに流れるのはやはり、蒼銀の巨人の意志なのだろうか。

 

 振り向けた視線に那由多は眼差しを彷徨わせる。

 

「……分からない。何も思い出せないんだ。ただ……このアクセプターが呼んでいる。その時、オレは行かなければならない。他の何もかもを犠牲にしても、怪獣を倒すために……」

 

 左手首に視線を落とした那由多はまだ迷いの只中にいるのが窺えた。自分でも制御出来ない力は恐ろしいのかもしれない。

 

「……でも、那由多が助けてくれたんだよね。あたしを……」

 

 村と運命を共にするはずだった自分を救ってくれたのは那由多のはずだ。そうであって欲しいと願った言葉に、彼は頷かなかった。

 

「……それも確証はない。あの後分かったのは、オレはこの巨人と無関係ではないという事、それに……」

 

「ハイパーエージェント、だっけ……。どういう意味なの?」

 

「オレにも不明だ。だが、無視していいわけではないのだけはハッキリしている」

 

「つまるところ、目下、あたし達の旅は暗雲よね……」

 

 克明な事実が何一つない。このシンジュクのように、複雑怪奇に入り組んでいるばかり。朋枝は立ち上がろうとして、不意に那由多が目を見開いて懐より取り出した銃口に硬直していた。

 

「何? 脅かしっこなしで――」

 

「伏せろ、トモエ!」

 

 那由多が引き金を絞る。直後、赤い高重力輻射砲撃が身を沈ませた朋枝の頭上を行き過ぎていく。

 

 薙ぎ払われた粉塵と空間に、朋枝は小さく悲鳴を上げていた。

 

「何があって……」

 

「敵の追っ手だ。……どうしてだかこの辺りを探っているらしい」

 

 茫然として振り返ったその時、蠅を模した人型の小型怪獣が退路を塞いでいるのが視界に入った。

 

 蠢く羽音に朋枝は背筋を凍らせる。

 

「何……あれ」

 

「分からない。だが怪獣の手下か、あるいは一部か……。ヤツらと同じものを感じる。ここは危険だ。トモエ、奥に向かって走るぞ。オレはヤツらを――粉砕する!」

 

 龍の意匠を象った銃口から放たれた赤い重力波が蠅の小型怪獣を吹き飛ばし、その存在を圧死させていく。半ばにはこちらが優位かに思われたが、眺めていた朋枝は小型怪獣の鳴き声が直上からも漏れ聞こえた事に面を上げる。

 

 瞬間、舞い降りてきた小型怪獣が鎌を身体の内側からせり出させていた。

 

 頭を押さえて蹲った朋枝の頭上に迫った小型怪獣を那由多が蹴り払い、その頭蓋へとゼロ距離で砲撃する。

 

 粉塵が舞い上がり、青錆びの空間を満たしていた。

 

「止まるな、走れ!」

 

 那由多に促されるまま、朋枝は駆け抜ける。半端な足では駄目だ。本当に逃げ切るつもりで逃げなければ。

 

 小型怪獣がどれくらいこの場所を浸食しているのかは全くの不明。しかし、那由多が危機を感じるほど相手の戦力が強いと言うのならば、自分のようなただの人間に出来る事など何もないのだろう。

 

 那由多の放つ砲撃の赤が照り返って青錆びの通路に瞬く。終わりのない連鎖に思えた逃走は、数十分ほどで終わりを告げていた。

 

 さすがにもう追ってこないと判断したのか、那由多が肩を荒立たせて拳銃を下ろす。朋枝は壁に背を預けて息を切らしていた。

 

「……何なの。連中……」

 

「分からない。オレ達が目的では、もしかするとないのかもしれない」

 

「それって、無差別って事?」

 

「可能性はある。あの小型怪獣に、ほとんど意思のようなものは感じられなかった。自動機械に近いものを感じたが……そういうものなのかもしれない」

 

「関知に入ったから、襲われたって……?」

 

「相手も何かを追っている。それがオレ達なのか、それとも他の誰かなのかは分からないままだが」

 

 那由多は龍の拳銃を中折れさせ、見た事もないジャンク部品を挿入していた。ともすればそれがエネルギー源なのかもしれない。注入した円筒型のジャンクを捨て去り構え直したところで、不意に那由多がよろめく。

 

 覚えず朋枝はその身体を受け止めていた。

 

「ちょっ……ちょっと! どうしたのよ! まさか……怪我でも……」

 

 いや、と朋枝は感じる。那由多は静かに寝息を立てていた。その様子に毒気を抜かれた気分になる。

 

「……何よ。食事は必要ないって言っていたくせに」

 

 しかし、頼りの那由多が眠ってしまえばどうしようもない。ためしに那由多の銃を手に取ってみたが、あまりの重量に持ち上げる事すら困難であった。

 

「何これ……。こんなのを那由多は、まるで棒切れみたいに容易く……」

 

 改めて一体何者なのだ、と問い質してしまう。高重力を放つ拳銃を巧みに扱い、ある時には怪獣を倒すために蒼銀の巨人に変身する。朋枝は眠りに落ちている那由多に、覚えず問いかけていた。

 

「……あなたは……怪獣……じゃないよね」

 

 もし怪獣であったのならば、自分の仇だ。兄を殺し、村を潰した憎むべき敵であった。朋枝は兄の形見であるアクセプターに視線を落とす。

 

 灰色のアクセプターはただ漫然と、子供だからと言う理由だけで装着を義務付けられていた代物だ。

 

 捨て去ってもよかったが、これを捨ててしまえば兄との思い出も捨ててしまうような気がして、朋枝は躊躇っていた。

 

「……馬鹿みたい。あたし、お兄ちゃんに何の思い出もないくせに」

 

 一端に人間じみた感傷に浸るものの、村の人々や兄にさしたる思いもないのは明らかなのだ。あそこで生きて死ぬつもりだったのならば、頻繁に聖域の外に出てジャンク拾いなど生業にするものか。

 

 自分はきっと、どこか遠くに行きたかったに違いない。どこか遠く、誰も知らない場所に。それが不本意ながら叶っている事に、安堵している自分も発見して、自己嫌悪に陥るのだ。

 

「……嫌な女だね、あたし……」

 

 蹲って顔を伏せる。涙もこぼれてくれないのはずるかった。涙くらいは流してもいいはずなのに、要望が叶っている事に喜んでいるとでも言うのか。

 

 ますます自己嫌悪。朋枝が息を殺していると、ふと肩を突く気配を感じた。

 

「ゴメン、那由多。今は一人に――」

 

 違う。

 

 那由多ではない。

 

 現れたのは村にいた時に目にしたのと同じ、青い髪を二つ結びにした少女であった。

 

 どうしてここに、と息を呑んだ朋枝に相手は口を開く。

 

「……おなかすいた」

 

 へっ、と気の抜けた返答をしたのも一瞬、少女は荷物を指差す。

 

「ああ、うん。確かにあの中には、食料があるけれど……」

 

「……たべていい?」

 

「うん……、いいけど……」

 

 気後れ気味の自分に対して少女は迷う事なく、荷物から食料を取り出す。雑多に詰め込んだ食料のうち、日持ちするパンを彼女は口に運んでいた。

 

 制する前に頬張った少女がこちらへと向き直る。

 

「おいしい」

 

「お、おいしいんだ……。そっか……。よかったね……」

 

 完全に虚を突かれた朋枝は少女を相手に呆然と見つめる事しか出来ない。少女はパンの中でも網目の意匠を凝らしたパンに夢中らしい。そればかり食べている。

 

 無言が降り立っていたが、食べ物に必死になっている今が好機だと、朋枝は感じていた。

 

「あの……あなたは何? 誰なの?」

 

 少女は振り返り、砂の上に文字を書く。「臾尓」と書かれていたが読めない。

 

「これで、ユニ」

 

「臾尓、って言うんだ……。あなた、村にもいたよね? 那由多が消えて……その後にあの巨人になる前に。あなたがきっかけなの?」

 

「グリッドマンの事を言っているのならば、私ではない」

 

 グリッドマン、と呼称された存在があの蒼銀の巨人なのだろうか。朋枝は困惑気味に質問を重ねる。

 

「あれって、何? 怪獣じゃないの?」

 

「怪獣とは、アクセスコードを用いた別種に近い。命令系統が違うからグリッドマンは怪獣じゃない」

 

 どうにも専門用語が多くてこんがらがってしまう。当惑する中で、朋枝は聞くべき事を精査しなければ、と質問を浴びせる。

 

「……那由多が、グリッドマンなの?」

 

「その質問には応じられない。彼にはまだ、最適化が必要だから」

 

「最適化?」

 

 臾尓は網目のパンを片手に地面を踏みしめる。

 

「この新宿駅の地下層に、最適化に必要なツールがある。恐らく、彼はそれを直感的に感じてここに降りてきたのだろう。でもそれは、相手も理解している。怪獣が追ってくるのはそのせい」

 

 つまり、那由多と自分がこの駅に降りてきたのは偶然でもましてや金銭の問題でもないと言いたいのか。しかし、と朋枝は頭を振っていた。

 

「怪獣が追ってくるって……。さっきの蠅みたいなの?」

 

「あれなら、まだいい。反応はそれだけじゃない」

 

「それだけじゃないって……」

 

 瞬間、発生した辻風が臾尓と朋枝を遮っていた。消え去る直前、臾尓はパンを掲げる。

 

「これ、おいしかった。なんて言うの?」

 

「め、メロンパンの事? そんな事より、他にも聞きたい事が……!」

 

 粉塵を裂いて肩に手をやろうとして、その手は空を掻いていた。臾尓は跡形もなく消え失せていた。

 

 周囲に移動したような痕跡もない。

 

「何だったの……。夢?」

 

 いいや、と朋枝は首を横に振る。夢や幻にしてはあまりにハッキリしている。何よりも、食料が減っていた。

 

「……メロンパンが減っている。それに、あの子……何となくだけれど、どこかで……」

 

 村で会った時だけではない。どこか別の場所で、出会った事のあるような気がしていた。だがそれは気のせいなのかもしれない。

 

 決定的な事は何一つないまま、朋枝は呆然としていると那由多が起き上がっていた。

 

「那由多? さっき、女の子が――」

 

「トモエ? 何をしている。……食事をしていたのか」

 

 荷物が空いているのを目にして問われた言葉に朋枝は言い返す。

 

「ち、違うって! よく分かんない女の子が、ここで! メロンパン食べてたの!」

 

 沈黙が降り立つ。那由多は視線を背け、周辺警戒する。

 

「……敵は今のところ追ってこないな」

 

「無視すんな! ……本当なのよ」

 

「雨風がしのげる場所が欲しい。もう今日は探索を諦めたほうがよさそうだ。敵のせいで、オレでも位置情報が分からない。文字案内も……この辺りにはないようだ」

 

 朋枝は咳払いして威厳を保ち、荷物を纏める。

 

「そうね。でも、どうするの? 怪獣のせいで無茶苦茶に走り抜けてしまったし……」

 

「ひとまずの屋根があればいい。地下に向かうぞ」

 

「地下層……」

 

 先ほどの臾尓の言葉が重なる。那由多は地下層に向かわなければならないと。それは「最適化」のためだと言う。

 

「……どうした? 何か問題でもあるのか」

 

「う、ううん! ないない! 地下に向かったほうがいいかもしれないわね」

 

「……変だぞ、トモエ。何かあったのか」

 

「いや、多分、話しても信じないと思うし……」

 

「なら、今は先を急ごう。追っ手がどこまで迫っているのかも分からない」

 

 歩み始めた那由多の背に続きながら、朋枝は己に問い返す。

 

 ――果たして、彼と一緒にいても平気なのだろうか。

 

 その問いは答えを得られぬまま霧散していくのみであった。

 

 



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♯2‐5

 小型の分離自律怪獣、フライジェッターの追撃をあえて留めたのには理由がある。

 

 それは相手の思惑を知るためだ。この「新宿駅」にて何の目的で降り立ったのか。何をするためにこの場所で探索を続けているのかを明確にしなければ先回りは不可能だろう。

 

 懐中時計を取り出し時間をはかる。モノクルの奥の瞳が鋭く細められた。

 

「グリッドマンは地下層へと向かおうとしている。無意識か、あるいはそれとも……逃げながら最善を練ったか。それは分からないが、迴紫様の手を煩わせるまでもない。ここで、我輩達が追い詰めよう。なに、最適化の前に殺してしまえば何の問題もない」

 

 男は怪獣のモニュメントを掲げる。瞳が煌めき、通信を生じさせていた。

 

「聞いていましたね、《ギラルス》」

 

『ええ。グリッドマンが地下層に辿り着いたところを始末する。それでいいんでしょう?』

 

「迴紫様は迂闊が過ぎる。このままでは寝首を掻かれても何らおかしくはない。無論、我々がグリッドマンを始末出来れば有用性も高められる。迴紫様からの評価を得れば、貴君もナイトウィザードの末席には加えられよう」

 

『ありがたきお言葉。その際には、是非とも』

 

「ああ。《ギラルス》程度のアクセスコードでは満足に働けまい。より上位のコードを与える事を約束する」

 

『頼みますよ。こちらの評価くらいは正当にもらいたいものですからね』

 

《ギラルス》との通信が途切れる。彼は先回りしてグリッドマンを始末するのであろう。しかし、と彼は先ほど目にした相手を思い返す。

 

「随分と若い個体を使っているな。持っている武装は強力だが、まだ拙いのは、何か……窺い知れない影響がありそうだ。逆に言えば、今ならば取れる。その好機、逃すわけには――」

 

「――ぼそぼそと何を喋っているんだい。旦那よぉ」

 

 不意に背後に現れた影にモノクルの御仁はうろたえもしない。

 

「……何です? 我輩の仕事に文句でも?」

 

「何でもねぇさ。ただな、相手の背中狙う前に自分の背中に気ぃつけな。迂闊さは死を招くぜ」

 

「心配なさらずとも。我輩の首を刈りたければそうすればいい。そうは出来ない事を証明して見せよう」

 

 宣言に相手はくっくっと喉の奥で嗤う。あまりにも目に余ったその行動に覚えず言い返していた。

 

「……迴紫様は貴様に期待していない。だから我輩を先に出させてくれた」

 

「それはどうかな。案外、死にやすいほうを先に促しただけかもしれないぜ。老躯ってのもある」

 

「言いたい事はその下らない言葉だけか。ならば手打ちにしろ。ここで貴様相手に言葉を弄している暇はない」

 

 再び背を向けると、相手は嗤いながら空間に溶けて行った。

 

「分かっていねぇなぁ。その背中、もう狙い澄まされているぜ。ま、警告するのもここまでだがな。俺も巻き添え食っちまう」

 

「何を――」

 

 一瞥を振り向けた瞬間、殺気に反応出来たのは習い性の感覚があったからか。横っ飛びして先ほどまで自分がいた空間を射抜いた弾頭を視界に入れる。

 

「狙撃弾頭……どこから」

 

 首を巡らせたモノクルの男は青錆びの建築物の上で瞬く銀色の光を視認していた。

 

「……浅はかな。我輩を相手に狙撃など。通用するものか。フライジェッター!」

 

 小型怪獣が群れを成し、黒煙を巻き上げて翅を高速振動させた。まさしく一陣の風となり、建築物の屋上を食い潰していく。恐らく狙撃手は破壊の腕に抱かれて即死したであろう。

 

 意識を振り向けもせず、その死を確信した瞬間であった。

 

「――っと、人間態で会うのは初めてっすかねぇ」

 

 まさか、とモノクルの男は咄嗟に怪獣の腕を召喚させる。尖った針の腕と相手の剣閃がぶつかり合っていた。空間が凝縮し、破裂した雨粒が弾け飛ぶ。

 

「まさか……狙撃手は……」

 

 その段になって狙撃は囮であった事に勘付く。狙撃銃を遠隔操作し、自分の位置を特定するためにわざと位置関係をばらした狙撃を見舞い、その隙をついての近接戦――。

 

 明らかなのは、眼前の白髪の男こそが、先の戦いにおいても自分の邪魔立てをした相手そのものだという事。

 

「貴様……ッ、人間ではないな」

 

「その判定! おたくに出来るんすか? ここまで接近を許した時点で!」

 

「ほざけ。針に抱かれて死ね!」

 

 無数の針山が連鎖して出現し、男を刺し貫こうとするが相手も距離は心得ている。二丁拳銃に持ち替え、火線が張られた。弾幕に怪獣の腕で押し留めるもそれは後手だ。

 

 即座に跳ね回り、視界の隅から攻撃が浴びせられる。

 

「……猿のような奴だな」

 

「そいつぁ、褒め言葉っすかねぇ。さぁ、ここであんたを――デリートする!」

 

 腰だめに構えられた長刀を下段より男は払い上げる。切っ先が眼前を行き過ぎたのを確認するまでもなく、怪獣の腕を突き出し、針先で相手を引き裂いていた。

 

 胴体が生き別れになった相手にフッと笑みを浮かべた刹那、相手も嗤う。

 

「忍法、空蝉」

 

 絶句した直後には、直上に躍り上がった敵影が迫る。刀が頭蓋に向けて振るわれ、怪獣の腕で防御するよりも早く、相手の剣は右腕を貫通していた。

 

「右腕、いただくっすよー!」

 

「貴様……、グリッドマンに味方するのか」

 

「勘違いしないでくだせぇ。俺もあの坊ちゃんには困っているクチなんすよ。新しいグリッドマンだか知らないが、お子様の尻拭いをするために、こちとら危険を冒してまで帰ってきたわけじゃないんでね!」

 

「帰ってきた……。そうか、貴様! ……聞いた事があるぞ。ナイトウィザードの第三席に、忍術を得意とする者が在籍していたと。その者は、迴紫様に牙を剥き、殺されたと聞いていたが、生きていたとはな」

 

 怪獣の腕が直下に召喚され、男を貫こうとするがその時には相手は蹴り上げて離脱している。

 

 雨風が激しくなり、互いの服飾を風圧がなびいていた。顔には無数の雨粒が張り付いており、険しい双眸を向ける。

 

「ご存知だってなら、とっととお命頂戴させてもらえるっすかね。ナイトウィザードは必ず殲滅するんで」

 

 その言葉にモノクルの男は笑い声を上げる。

 

「必ず殲滅だと? 笑わせる! 貴様もナイトウィザードの末席であると言うのならば、ここで死するべきはどちらなのか、分かっているはずだ」

 

 怪獣の腕を召喚し、相手に向けて撃ち出す。敵は直刀でいなし、火花を散らして斬り上げていた。

 

「そんなもんでッ!」

 

「どうだかな。我輩は勝負をつけるのならとっととつけたいのだよ。古巣に攻撃してくる相手ならば、手も分かっているはず。特に、ね」

 

 手にしたのは純金のモニュメントである。両腕に刀剣を携えた烈風の鋭角的な怪獣の瞳が赤く煌めいた。

 

「アクセスコード……《バギラ》!」

 

 刹那、風が逆巻き、新宿駅が烈風に押し包まれていく。相手はその最中でも刃を地面に突き立てて制そうとしたが、それを切り払った一閃が阻んでいた。

 

 辻風に舞い上がった男が姿勢を制御する前に、その身へと針の一撃が見舞われる。

 

 男は刃で針を弾き返し、姿勢を整えて腕に着地する。

 

「早い変身っすねぇ。もっとも、もう種は割れているも同然っすが!」

 

(余計な事を言っていると……舌を噛む!)

 

 振り払った銀閃を相手は身軽さを活かして降下しながら回避する。

 

 モノクルの男――《バギラ》は吼え立てていた。

 

(逃がすものか。ここでグリッドマン共々、根絶やしにしてくれる)

 

 生み出した烈風が次々と青錆びの建築物を粉砕していく。背びれより自律型の怪獣が生み出され、男へと追いすがった。

 

(地獄を見るがいい。世界は我々、ナイトウィザードのものだ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 舌打ち一つでツルギは高層建築物の壁に刃で張り付く。

 

「もう怪獣へ変身とは……。奴さんも慌てている様子。……どっちにしたって、ここで坊ちゃんをどうにかしないと、相手の面子も立たないって事っすか」

 

 アノシラスは既に安全圏に逃れているとはいえ、今は自分の心配をすべきだろう。アクセスコードを使い、怪獣へと変身を遂げた相手に今までの攻勢は通用しない。

 

「本当なら、人間態の時に仕留められれば御の字だったんすけれど、当てにならないってのは我が身も、っすか。いやはや、鈍ったっすねぇ、自分の事ながら」

 

 後頭部を掻いていると、こちらの気配を察知したのか、《バギラ》が両腕の針を交差させ、火花を散らしつつ一撃を建築物に浴びせていた。

 

 貫かれた高層建築を壁伝いにして、ツルギは足がかりを生んで跳躍する。雨嵐に服が煽られ、無数の雨粒が視界に吸着した。

 

 降下の途上で蛇腹剣を取り出し、次なる高層建築の屋上に伝い上がる。相手が怪獣になったという事は機動力に関して度外視しているはず。

 

 今の自分を察知する能力は、単純に怪獣としての索敵範囲の拡大であろう。いずれにしたところで、怪獣相手に長丁場を決め込めるわけもなし。

 

 ツルギは自律怪獣を二丁拳銃で叩き落していた。

 

「蠅なんて機動させたところで、俺は殺せないっすよー」

 

 だが、実際問題相手の目論見は自分ではないのだ。この新宿駅のどこかにいるであろう、グリッドマンの抹殺。それこそが相手の本懐。そう考えれば、この自律怪獣の索敵能力に関しては驚異的であろう。

 

「……坊ちゃんが逃げ切れるかどうか……。ま、そこまでお人好しじゃあ、ございませんので。俺は相手がその気がないってなら、逃げ切らせてもらうっすよ」

 

 姿勢を崩し、あえて高層建築物より身を乗り出す。真っ逆さまに落ちていく中で、ツルギはある考えを浮かべていた。

 

「……あるいは、こうも考えられるっすか。グリッドマンの覚醒、それが成される前の暗殺。相手も小賢しいっすねぇ。それとも、相手が目覚めないうちは勝負にもならないっすか。……迴紫」

 

 蛇腹剣を稼働させ、ツルギは無事に舞い降りる。自律怪獣が何匹か上空を飛翔していった。

 

 自分を見逃したか、あるいは別の目的に思考を変位させたか。

 

 いずれにせよ、ここでの勝負はお預けだ。

 

 ツルギは駆け出すなり、視界に入ってきたアノシラスが手招いているのを発見していた。

 

「おたく……隠れていろって……」

 

「でも、相手も怪獣になっちゃったし。隠れていたって無意味でしょ?」

 

 それはその通りなのだが。ツルギは額に手をやって、それでもと抗弁を発していた。

 

「……死んでも知らないっすよ?」

 

「そうなったら、そこまでだよ。ねぇ、お兄さん。今度の怪獣は何を狙っているの?」

 

「話す義理はない、って言いたいところっすが、まぁ言っちまうと、グリッドマンの覚醒の阻止っすよねぇ」

 

「グリッドマンが目覚めると、何が起こるの?」

 

 そういえば、アノシラスにはグリッドマンに関する知識はないのか。ツルギは相手の自律怪獣の追っ手がない事を確認してから、アノシラスの手を引きいくつかの路地を折れ曲がった。完全に気配が途絶えたのを承知し、ツルギは口火を切る。

 

「……グリッドマンは守り手なんすよ。この世界の」

 

 その言葉にアノシラスは小首を傾げる。

 

「この前に現れた……蒼と銀の?」

 

「まぁ、あれもグリッドマンなんすけれど、元々はもっと複雑で……。端的に言っちまえば、グリッドマンは楔なんす。この世界において」

 

「怪獣を倒すためにいるの?」

 

「それも誤解っちゃ誤解なんすけれど、どうなんすかねぇ、今回のグリッドマンは。何を目的に、戦うって言うんでしょうねぇ。あの坊ちゃんは……」

 

 遠くを睨み、ツルギは舌打ち一つを浮かべていた。

 

 



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♯2‐6

 

 地下層は天井が広く取られた巨大な空洞であった。

 

 思わぬ場所へと歩み出した朋枝は那由多が周辺警戒を怠らないのを視野に入れる。

 

「……さすがにここまでは追ってこないんじゃ?」

 

「分からないだろう。そうだと願うばかりだが」

 

 那由多は龍の意匠の拳銃を仕舞い、地下空間を仰いで茫然と口にする。

 

「……大聖堂」

 

「大聖堂? ここはそういう名前なの?」

 

「いや……分からない。何でそんな言葉が出たんだ?」

 

 自分でも迷いの胸中にいる那由多に朋枝は地下空間に降り立つ青い月影を見やる。外界から完全に隔たれたわけではない。ステンドグラスが月明りを映し出している。

 

 青と赤の光が落ち、静かな時を刻んでいた。

 

「……でも、大聖堂、か。まさしくそうなのかもね。とても静かな場所……」

 

 長い間静謐にあったかのような場所に自分達が踏み込んでよかったのか、という逡巡さえもある。しかし、ここを目指すように言ったのは他ならぬ臾尓だ。彼女が何者なのかも不明だが、那由多に関係のある人間なのは間違いないだろう。

 

「敵がどこから来るのかは分からない。とっとと目的だけを遂行し――」

 

 そこで那由多は不意に言葉を切り、鏡に向かって拳銃を構えていた。敵意を剥き出しにした眼差しに朋枝は息を呑む。

 

「……どうしたの?」

 

「また奴だ。蒼い怪人……。何だ、何が言いたい……」

 

「……那由多にしか、見えていないんだよね……?」

 

 覗き込んでも朋枝には影さえも見受けられない。那由多は首肯し、銃口を向けて叫んでいた。

 

「何者なんだ……。オレに何が言いたい!」

 

 引き金に指をかけた那由多がその眼差しで問い返す。どれほどの時間、どれほどの感覚でその蒼い怪人が現れて来たのか朋枝には分からない。しかし、ここまで那由多を苛立たせた存在となれば、それはきっと幾度となく彼に問いかけて来たに違いないのだけははっきりしていた。

 

「……その蒼い怪人って……もしかして……」

 

 紡ごうとした言葉に、那由多がハッとこちらに銃口を向ける。朋枝は慌てて手を上げていた。

 

「な、何? どうしたの?」

 

「……この感じ……。ジャンクが近い」

 

「ジャンク? こんな場所にもあるの?」

 

 那由多は彷徨うように歩み出し、そして月明りの反射するジャンクの集合体へと近づいていた。

 

 朋枝は無数のモニターから成り立つジャンクを目にする。

 

「こういう形のジャンクもあるのね……。でも、どうして? どうしてどこにでもジャンクはあるの?」

 

「分からない。だが、このジャンクは……」

 

 手を伸ばした刹那、那由多は空を仰ぎ見ていた。

 

 瞬間、ステンドグラスが砕け散る。現れたのは羽音を散らす先ほどの蠅の怪獣だ。

 

 群れを成し、蠅型怪獣が降下してくる。

 

「逃げないと!」

 

「逃げる必要はない。ここで迎撃する」

 

 龍の拳銃を突き出し、那由多は赤い高重力波の砲撃を見舞っていた。蠅の怪獣が何匹か駆逐されるが、それでも相手の駆動速度のほうが遥かに速い。回り込んできた相手に那由多が銃撃を浴びせかけようとして、自分の存在に引き金にかけた指を止めていた。

 

「……那由多」

 

「トモエ……伏せていろ。ここで奴らを潰さなければ……」

 

 そこまで口にして、那由多は言葉を困惑の中に埋没させる。

 

「……潰さなければ、何なんだ? オレは……何だ?」

 

 一瞬の迷いの隙を突き、蠅の怪獣が那由多の肩口へと食らいついていた。那由多はゼロ距離で砲撃をぶつけて迎撃するが、引きずられたダメージは大きい。肩から滴った血潮が外套を濡らしていく。

 

「オレは……何者なんだ……」

 

「那由多ぁっ!」

 

 その痛ましい姿に朋枝は駆け出す。那由多が目を見開いていた。自分の背後に、蠅の怪獣が迫る。

 

「伏せろ!」

 

 那由多の声が迸り、朋枝は咄嗟に身を突っ伏させる。頭上を行き過ぎる高重力の赤い光軸に、朋枝はびくついていた。

 

 ようやく過ぎ去ったかと思えば、那由多は完全に脱力している。歩み寄った朋枝は、那由多の身体からしみ出した鮮血が自分の手を染め上げているのを目にして驚愕する。

 

「……那由多」

 

 返事はない。那由多は大量出血のショックで失神してしまったのか、瞼を閉じている。

 

「……あなたに何があったの。何が、あなたなの……」

 

 困惑の只中で咆哮がその思案を遮っていた。地下層から仰いだ空の中に屹立するのは巨大なる影である。

 

「怪獣。嘘、こんな時に……」

 

 那由多を引っ張り、少しでも安全圏に運ぼうとするが、怪獣の白い眼球がこちらを睥睨する。

 

 ――見つかった、と心臓を収縮させた時には、怪獣の特異な腕が空間を裂いていた。

 

 針の鋭さを伴わせ、地下層へと怪獣の破壊の手が突き刺さる。崩れゆく階層の中で朋枝は悲鳴を上げつつ、那由多の名前を呼んでいた。

 

「那由多……。起きて! お願いよ! ……那由多ぁっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰かが呼んでいる。

 

 自分の名前だと規定した名称を、必死に。それを意識の表層で拾い上げた自分は、頭を振って身を起こしていた。

 

 光の連鎖する空間の中で、一人の怪人がこちらを見下ろしている。咄嗟に拳銃を取り出しかけて、所持していない事に自分は困惑を浮かべていた。

 

(那由多。思い出してくれ。君の使命を)

 

「使命……。お前は、どうしてオレの前に何度も現れる……? 何者なんだ……」

 

 いつもならば一方的な会話になってしまうこの問いかけに、今回は相手は答えていた。

 

(わたしはハイパーエージェント、グリッドマン。那由多、思い出すんだ。君の使命を)

 

「ハイパー、エージェント……」

 

 その名称に那由多は左手首の疼痛に目をやる。青白い光が明滅し、左手首に浮かび上がっていた。

 

「そうだ、オレも、ハイパーエージェントだ……」

 

(ならば、答えは決まっている。那由多、わたしと最適化するんだ。そうすれば君はさらなる力を得る事が出来る。そして、救い出すんだ。君の大切なものを)

 

「大切な……もの……」

 

 連鎖する光の渦の中に、不意に浮かび上がったのは怪獣に襲われる朋枝の姿であった。那由多は茫漠としていた意識が統一されていくのを感じ取る。

 

 ――救わなければ、助けなければならない。

 

 何が使命なのか、何のために自分はこの力を手にしたのかは分からずとも、目の前にいる誰かを助けられる力がここにあるのならば、それに従おう。

 

「……戦おう」

 

(最適化するぞ、那由多)

 

 互いの頭蓋に向けて、情報が行き交う。赤い線で交換されていく記憶の瀑布に、那由多はグリッドマンを見据えていた。

 

 彼もまた、自分を真っ直ぐに見据えている。この世でまるで、お互い以外に自分達を知っている人間がいないかのように。

 

 唯一の理解者に向けての眼差しのように――。

 

 その双眸に那由多は問うていた。

 

 ――オレは何者なんだ?

 

 しかし問いかけの答えは得られない。グリッドマンもまた、何かを問いかけているようであった。

 

 しかし、それが分からない。グリッドマンの意思が伝わってこないのだ。

 

 一方的とも言えるこの情報交換の連鎖は終わりを告げていた。

 

 やがてお互いの瞳を見据え、言い放つ。

 

(怪獣が出た。変身するぞ、那由多)

 

「……ああ。オレに出来る事がそれならば、変身しよう」

 

 左手首に青い脈動が走り、アクセプターを呼び起こす。

 

 左腕を掲げ、アクセプターの前で十字を描き、押し込んでいた。

 

「アクセス・フラッシュ!」

 

 瞬間、那由多の意識は途絶え、光となってグリッドマンと共に螺旋を描いて天へと昇っていく。

 

 その途上で、那由多は何かを知覚していた。

 

 ――遠い昔に見放した何か。手から滑り落ちた何かが、明瞭な言葉を結ぶ前に霧散していく。

 

 手を伸ばそうとして、思惟の感覚は消え失せ、残っていたのは、現実空間で怪獣と相対する己の意識であった。

 

 



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♯2‐7

 突然に光になった。

 

 朋枝は那由多の身体を押し包んだ蒼銀の光に瞠目する。那由多はそのまま上昇し、やがて光の粒は弾け飛び、溢れんばかりの輝きを拡散して巨人の姿を取っていた。

 

 蒼銀の巨人は怪獣を前に構えを取る。

 

(光波超人、《サイファーグリッドマン》!)

 

「サイファー……グリッドマン……」

 

 またしても現れたのか。朋枝は呆然と眺めていると、不意に視線を感じて意識を向ける。

 

 いつからそこにいたのか。青い二つ結びの髪を風圧になびかせた臾尓が佇んでいた。

 

「……あなたは」

 

「《サイファーグリッドマン》は味方。それだけ分かっていればいい」

 

「味方って……。ねぇ、グリッドマンって何なの? 那由多は……何者なの……」

 

 搾り出した声音に臾尓は頭を振る。

 

「多くを知る必要はない。ただ一つ。グリッドマンは怪獣に勝利するために存在している」

 

「それが那由多だって言うの!」

 

 責め立てる論調に臾尓は目を伏せていた。

 

「……これ以上は言えない」

 

「駄目っ! 教えてよ! どうして、那由多はグリッドマンに……巨人に成れるの? 怪獣って何? あたしの村は何で聖域を超えて襲われたのよ!」

 

 堰を切った感情の言葉にも臾尓は静謐の瞳で返すのみであった。

 

「……いずれは分かる。今は、分からないでいい。《サイファーグリッドマン》は勝利する。見るといい。最適化は成された」

 

 ハッと振り仰ぐと、《サイファーグリッドマン》が以前銀色であった箇所が赤く染まり、全身に走っている水色のラインの光が太くなっていた。まるで血脈の力強さを主張するように。

 

「あれが……最適化された……グリッドマン」

 

「そう、今の《サイファーグリッドマン》ならば、あの程度の怪獣は倒せる」

 

「……あなたは何。何で、そんな事を知っているの」

 

 疑念に臾尓は口を開こうとして、自律行動する蠅の怪獣が迫り来ていた。

 

「また……っ」

 

 武器がない。どうしようもないかに思われたその時、臾尓が手を翳す。瞬間、展開された青白いフィールドが蠅の怪獣を弾き飛ばしていた。相手は壁の突破を不可能だと判じたのか、飛び去っていく。

 

「……臾尓。あなた……」

 

「また会うだろう。その時は……」

 

 答えを彷徨わせた臾尓に問い返す前に、激震と粉塵が彼女へと覆い被さっていた。灰色の砂礫に視界が遮られたのも一瞬、臾尓は跡形もなく消え去っている。

 

 まるで最初から存在しなかったかのように。

 

 朋枝は後ずさり、《サイファーグリッドマン》と針の怪獣の戦いの行方を見据えていた。

 

「……何が、起こっているの……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(グリッドマン。最適化しましたか。だが、その程度でこの《バギラ》を下せるとお思いか!)

 

《バギラ》が両腕の針で指揮し、自律怪獣で視界を塞ごうとする。それに対し、《サイファーグリッドマン》は左腕を大きく掲げていた。

 

 円弧を描き、光の渦が自律怪獣を吸い込んでいく。

 

 やがて円環の刃となったそれを《サイファーグリッドマン》は平手で翻し、《バギラ》に向けて放っていた。

 

《バギラ》が針の腕で弾き返す。刃の光輪が地面に突き刺さり、深々と砂礫を掘り返していた。

 

(直撃すればやられていたとでも? ……嘗めないでいただきたい!)

 

《バギラ》が腕を突き出して《サイファーグリッドマン》を穿とうとする。それを相手は半身になってかわし、腕をひねり上げていた。その膂力は想定を遥かに超えている。みしみしと筋肉繊維が引き裂かれていくのを予感した《バギラ》はもう片方の腕で地面を突いていた。

 

 途端、高速回転した針の腕が土くれを巻き上げ、《バギラ》の周囲を土の壁が覆っていく。《サイファーグリッドマン》の攻撃を遮断したのは砂礫に混じらせた蠅型怪獣だ。

 

 彼らの放つ羽音の高周波が《サイファーグリッドマン》の平衡器官を阻害し、僅かによろめかせる。

 

(もらった!)

 

 その隙を逃さず、心臓に突き入れようとした一撃を防いだのは、グラン・アクセプターより生じた刃であった。

 

 直刀の光刃が発生し、《バギラ》の腕を切り裂く。

 

 宙を舞った《バギラ》の腕が高層建築物に突き立った。

 

(グリッドマンめ……。剣も使うと言うのか)

 

(グリッドライト――)

 

《サイファーグリッドマン》が光刃の片腕を掲げ、大きくその腕を引く。《バギラ》は攻撃を予見して自律怪獣を一斉放出し、壁を形作っていた。

 

(セイバー!)

 

 直後、《サイファーグリッドマン》が躍るように腕を翻させ、三翼の光刃を放出する。それぞれの光刃が壁を打ち砕き、《バギラ》を守る術を打ち崩していた。

 

(……やりますね。だが忘れたか、グリッドマン。貴様の戦う相手は、この我輩だけではなかった事を!)

 

 その時、地面が鳴動し、出現したのは結晶体の怪獣、《ギラルス》が《サイファーグリッドマン》を押し倒さんとしていた。

 

(グリッドマン! 俺様相手に逃れられるかな!)

 

(《ギラルス》! 今度は負けない!)

 

(吼えるだけならば弱者でも出来る! 敗北しろ! グリッドマン!)

 

《ギラルス》へと《サイファーグリッドマン》は光刃を浴びせかかる。しかし、光線攻撃は全て、《ギラルス》の体内に宿る結晶体が反射し、偏向させ、刃のエネルギーを無情にも奪っていく。

 

(グリッドライトセイバーが……)

 

《ギラルス》は体内に溜め込んだエネルギーを乱反射させ、鼻先に位置する角に充填させた。

 

 直後、放出されたエネルギーの瀑布に《サイファーグリッドマン》は地面を蹴って飛び退る。

 

 しまった、と思ったその時には、先ほど相手にしていた《バギラ》が消え失せていた。恐らく、《ギラルス》は時間稼ぎに現れたのだろう。

 

 まんまと術中にはまってしまったわけだ。《サイファーグリッドマン》は《ギラルス》相手に構えを取る。

 

(《ギラルス》! 怪獣は、わたしが討つ!)

 

(吼えていろ、弱者が! 光線攻撃はこの《ギラルス》には通用しない!)

 

 そうだ、《ギラルス》には光による攻撃は一切通じない。ならば、と《サイファーグリッドマン》はグラン・アクセプターを天に掲げ、そのまま円を描いていた。

 

 円環より青白い光がもたらされ、切り取られた空間より出でたのは――巨大な一振りの剣である。

 

 地面に突き立った漆黒の剣を《サイファーグリッドマン》は掴み取っていた。

 

(剣だと……そんな得物で!)

 

《ギラルス》の放った光線を《サイファーグリッドマン》は大剣で弾き返す。相手がたじろいだのも一瞬、《サイファーグリッドマン》に宿る血脈が大剣にも至り、血筋が大剣に生命を与えていく。

 

 途端、弾け飛んだ剣の皮膜の下にあったのは輝きを放つ光の大剣であった。

 

(電光超剣! グリッドマンキャリバー!)

 

 光の大剣の切っ先を突き上げ、その刃を《ギラルス》に向ける。《ギラルス》は負けじと吼え立てていた。

 

(そんなもので! この《ギラルス》の装甲を貫けるものか!)

 

《ギラルス》が全身から光を拡散させ、周辺へと爆撃を浴びせかかる。しかし、《サイファーグリッドマン》は跳躍し、その攻撃からは逃れていた。

 

 大剣を振るい上げ、《サイファーグリッドマン》の眼窩に必殺の光が宿る。打ち下ろした一閃が《ギラルス》の前足を切り裂いていた。

 

 電線が走る断面より血潮を撒き散らし、《ギラルス》が叫びを上げる。

 

《サイファーグリッドマン》はその期を逃さず、下段より大剣を払い上げていた。《ギラルス》の巨躯が浮かび上がり、その鋼鉄の身体にいくつもの傷痕が刻み込まれていく。

 

 全身に内包していた光のエネルギーが過熱し、《ギラルス》の表皮の内部で赤く染まった。

 

 途端、これまで制御出来ていた光エネルギーを制御出来なくなったのだろう。《ギラルス》の内部で誘爆したエネルギーがその身体から鉱石の輝きを奪っていく。

 

《サイファーグリッドマン》は大剣を担ぎ上げ、その剣先を真正面に携えた。

 

 刹那、《サイファーグリッドマン》の疾駆が蒼い光に包まれ、加速度を伴わせた銀閃が《ギラルス》の体内を貫通する。

 

(光波剣術、サイファーキャリバーエンド!)

 

《ギラルス》の鼻先に位置していた角が砕け散り、赤く煮え滾った一閃がその巨体を両断していた。

 

(おのれ! グリッドマン!)

 

 断末魔の叫びを上げて《ギラルス》が爆発の光に包まれていく。その身は赤い光に還元され、中天に吸い込まれていった。

 

《サイファーグリッドマン》は大剣を手に空を仰ぐ。漆黒の暗夜で睥睨する月を眺め、《サイファーグリッドマン》の身体は光に溶けていった。

 

 還元された光の粒が那由多の身体を形成する。

 

 傷は癒えている。那由多は左手首を意識したが、既にアクセプターは消え失せていた。

 

「……オレは……」

 

 その言葉を遮ったのは朋枝の声である。

 

「那由多! 生きて……!」

 

「トモエ。すまない。心配をかけたな」

 

 だが何も氷解はしていないのだ。グリッドマンとは何なのか。怪獣とは何なのか。そもそも……自分は何者なのか。

 

 最適化が成されても依然として記憶には靄がかかっており、何一つ思い出せない。それでもはっきりしているのは、自分はハイパーエージェントである事。そして、那由多と言う名前である事だ。

 

 朋枝は全身を隈なく観察し、茫然と呟いていた。

 

「何とも、ないの……。あんな大怪我をしていたのに……」

 

「ああ。オレも、知らなくてはいけない。一刻も早く。オレが何なのか。グリッドマンとは、どのような繋がりがあるのかを」

 

 足元に落ちていた鏡を見やる。反射した姿は、グリッドマンではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 双眼鏡から仔細に観察し、ツルギは嘆息をついていた。

 

「ようやく最適化、ってところっすか」

 

「ねぇ、お兄さん。グリッドマンは、味方なの?」

 

「それを決めるのはあっちのお役目って奴っす。俺らはせいぜい、割を食わないようにナイトウィザードを追うとしましょうや」

 

 そう、自分は所詮、ナイトウィザードを追い詰める事こそが目的の走狗。しかしながら、先ほどのグリッドマンの戦い振りには思うところがあった。

 

「……どこまで思い出しているのか知らないっすけれど、早くしたほうがいいっすよ。時間は、あるようでないんすからね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ギラルス》を犠牲にしたのは自分の失態だと、罵られても仕方がなかったが、円卓の会議は思ったよりも迅速に進んでいた。

 

「別段、おっさん一人に全ての責任を被せるこたぁねぇだろ。ナイトウィザードの末席を穢すにしてもよ」

 

 彼からそのような言葉が出たのは意外だが、どうせ迴紫の印象を良くするためのその場限りの言葉だろう。当の迴紫はシューティングゲームに熱中していた。

 

「あー、駄目。勝てないなぁ……。えっと、《ギラルス》のコードの人が死んだんだっけ? ……ま、いっかぁ。ちょっとグリッドマンの力を見誤っていたんでしょ? いいじゃんいいじゃん、一回くらい」

 

「その一回が後々響いてくる場合がございます、迴紫様」

 

「どうか、ご決断を。我らナイトウィザード、いつでもあなたの思うがままに」

 

 この期に乗じて自分を売り込みたい連中に吐き気がする。しかし、立場さえ違えば自分もそうなっていたであろう。モノクルの男は片腕の欠けた《バギラ》のモニュメントを骨が浮くほどに握り締めていた。

 

 これはまさしく屈辱の証。

 

「えーっ、どうしよっかなぁ……。じゃあさ、グリッドマン倒した人が優勝のゲームしようよ。コードは使い放題! みんなで仲良く分け合ってね」

 

 まさか、と全員が息を呑む。ナイトウィザードの頭目たる迴紫は何でもない事のように円卓上にコードをばら撒いていた。

 

 それぞれ、重要となる怪獣への変身アクセスコードばかり。それを安売りすると言うのか。

 

「……迴紫様。しかしそれでは下っ端の造反を生みます」

 

「いいんじゃないの? ちょっとくらいはサービスしないと、みんな窒息しちゃうじゃん。ホラ、早い者勝ちだよ。ボクが見てないうちに、各々取っていってねー」

 

 ひらひらと手を振る迴紫の動向を窺いながら、ナイトウィザードそれぞれがコードを手に取っていく。自分達の部下に回す分もあれば、もしもの時の備えもあるのだろう。

 

 モノクルの男はここではその資格がないとぐっと奥歯を噛み締めていた。グリッドマンを倒すと息巻いてこの様では、コードを受け取れるものも受け取れない。

 

「……我輩がグリッドマンを必ず倒す……」

 

「誰でもいいよー。倒せるんならさっさと倒しちゃってー。それで倒されちゃうんなら、今回のグリッドマンもその程度だよねぇ」

 

 迴紫は興味があるのかないのか、ゲーム機を叩きつけるように連打する。ナイトウィザードはそれぞれの思惑を胸にこの場では解散していた。

 

 次にグリッドマンを追い込むのは誰なのか――互いの腹の探り合いも込みで、であろう。モノクルの男は迴紫を睨み据える。

 

 ――ここで覇権を握るのは自分だ。それだけは譲れない。

 

 そんな気を知ってか知らずか、迴紫はゲーム機を卓上に投げていた。

 

「まぁーた負けた! もうっ、何でこんなに弱いかなぁ、ボク」

 

 ゲーム機の画面には「ゲームオーバー」の文字が躍っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

【光波超人《サイファーグリッドマン ジェニュエンモード》】

【結晶怪獣《ギラルス》】

【裂刀怪獣《バギラ》】登場

 

 

 

 

 

第二話 了

 



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第三話 CODE:Inimicus
♯3‐1


 いくつかの火球が空間を掻っ切り、青錆びの街に殺到する。

 

 激震する建築物の中で怪獣の放つ業火球を浴びた建築物が連鎖爆破し、街並みを照り返す灼熱の夜明けを刻み込んでいた。

 

 灰色の火山怪獣が青錆びの街を凝視する。黄色の眼窩がぎらつき、次なる標的を定めようとしたその時であった。

 

 蒼銀の光が加速度を上げて急行する。それに追いつかんと白銀の鋼鉄怪獣がハサミ型の手を伸ばしていた。

 

 遮断しかけた光球が晴れ、蒼銀の巨人が左腕より刃を発し、鋼鉄怪獣と渡り合う。

 

 鋼鉄のハサミを振り翳し、怪獣《メタラス》は叫びと共に巨人――《サイファーグリッドマン》の腹腔を抉ろうとする。それを跳躍して回避した《サイファーグリッドマン》は高空より火山怪獣、《ボルカドン》の動向に目を凝らす。火山の背面にエネルギーが充填されているのを察知した《サイファーグリッドマン》は腕を交差して練り上げた光をグラン・アクセプターに溜め込んだ。

 

(グリッド、ビーム!)

 

 一条の光軸が《ボルカドン》へと降り注ぎかけたが、それを阻んだのは《メタラス》の白銀の装甲である。

 

 照り返した勢いで霧散したグリッドビームはまるで通用していない。《サイファーグリッドマン》は加速度を上げて降下し、その足を赤熱に染め上げていた。

 

(超電導キック!)

 

 赤熱化した蹴りの一撃を《メタラス》が受け止める。だが、その装甲にも翳りが出ていた。亀裂の入った個所へと、《サイファーグリッドマン》は拳を浴びせかけようとして、横合いから襲ってきた超音波に阻害されていた。

 

 紫色の怪獣がこちらの攻撃を遮断する超音波を発し、《メタラス》への必殺の一撃を邪魔する。《サイファーグリッドマン》が左腕を払い、発振させた剣筋に光を宿らせる。

 

(グリッドライト、セイバー!)

 

 三翼の円弧を描く光刃が放射され、電波怪獣《ボランガ》の首を刈っていた。脱力した《ボランガ》へととどめの一撃を見舞う前に、《メタラス》がハサミの手で《サイファーグリッドマン》を締め上げる。

 

 全身に迸らせた水色の血脈に光を滾らせ、《サイファーグリッドマン》は膂力で圧倒しようとするが、その時には中空より降り注いできた業火に焼かれていた。

 

 噴煙を引き裂いて《サイファーグリッドマン》は攻勢を確かめる。

 

 対峙するのは三体の怪獣であった。

 

 音波怪獣《ボランガ》、それに鋼鉄怪獣《メタラス》。街へと被害をもたらすのは火山怪獣《ボルカドン》。

 

 三体の怪獣が連携を密にして、こちらへと追撃を見舞おうとする。《サイファーグリッドマン》はグラン・アクセプターより光刃を発し、《メタラス》と打ち合う。

 

(お前達は、何のために街を襲う!)

 

《サイファーグリッドマン》の問いかけも虚しく、雄々しい猛りが押し返した。《メタラス》へと斜に切り裂く攻撃を浴びせようとして、その装甲の堅牢さに遮られていた。

 

(グリッドライトセイバーが通用しない……? ならば!)

 

 天へとグラン・アクセプターを掲げ、円環を描かせる。空間を貫き、大剣が舞い降りた。

 

(電光超剣、サイファーグリッドキャリバー!)

 

 突き上げた大剣の勢いで《メタラス》を退けさせる。それでも残り二体の怪獣は健在だ。《サイファーグリッドマン》は光速へと転化し、頭を失った《ボランガ》へと突撃する。

 

 相手に回避する術はない。そう思えていたが、《ボランガ》は何と異様な反応速度で回避行動に移った。

 

 加速をかけていた《サイファーグリッドマン》が何もない空を引き裂く。勢いでつんのめった形の《サイファーグリッドマン》へと火球弾が殺到する。大剣を翳して防御するも、防ぎ切れない攻撃網に《サイファーグリッドマン》は剣を振るい上げていた。

 

 大剣を天高く掲げ、脈動を同期させる。水色の血脈を至らせた大剣が《サイファーグリッドマン》の鼓動と合致し、直後には再び《ボランガ》へと斬りかかるが、相手は難なく避けてみせる。

 

(……何かがおかしいぞ)

 

 判じた瞬間には頭を失ったはずの《ボランガ》がこちらへと急速接近していた。まさかほとんど死に体の相手が肉薄するとは思えず、《サイファーグリッドマン》の反応が遅れる。

 

 それを見越したかのように、《メタラス》が電磁バサミで《サイファーグリッドマン》の動きを阻害した。大地を伝った電流に《サイファーグリッドマン》が身悶えする。

 

 息も絶え絶えに大剣を地面に突き立てる。

 

 額のタイマーが点滅を始めていた。

 

(このままでは……)

 

《ボルカドン》が火球を背筋より放射する。《サイファーグリッドマン》は地を蹴って跳ね上がるが、その勢いは衰え始めている。大剣を振るい上げ、火球を切り裂くも、追撃の《メタラス》の攻撃までは防げない。

 

 電磁バサミが《サイファーグリッドマン》を拘束し、頭のない《ボランガ》より催眠音波が放たれていた。タイマーの点滅が早くなる。《サイファーグリッドマン》が戦闘形態を維持出来るのも限界に近かった。

 

《サイファーグリッドマン》が大剣を放り投げる。

 

 勝負を捨てたように思われたのだろう。怪獣達より哄笑が上がる。

 

《サイファーグリッドマン》はグラン・アクセプターを輝かせ、内奥より叫んでいた。

 

 直後、投擲した大剣に命が宿り大地を切り上げ、疾走する刃が《ボランガ》の体躯を両断する。さすがにその軌道までは読めなかったらしい。背後よりこちらの手へと戻ってくる大剣の勢いに《メタラス》が拘束を緩めていた。

 

 その隙を逃さず、《サイファーグリッドマン》は光刃を発生させ、下段より《メタラス》を斬りつける。

 

 無論、《メタラス》の装甲は覚悟の上だ。光の剣を弾いた《メタラス》の装甲であるが、足を止めるのには有効であったらしい。大剣の刃が《メタラス》の片腕を根元から斬り落とす。

 

 叫びが迸る中で、《メタラス》と《ボルカドン》が光に包まれ、収束した。

 

 相手も時間切れであったのか、再び静謐に沈んだ街並みを見据え、《サイファーグリッドマン》の体躯が光の粒へと還元されていく。

 

 高層建築の屋上で那由多は風圧に煽られる外套姿で佇んでいた。

 

「……倒し切れなかった、な」

 

 三体もの怪獣を一手に相手取るのはやはり難しいのか。否、そもそも本当に三体であったのか……。

 

「敵は待ってくれない。オレは、もっと強くならなければならないのかもしれないな」

 

 左手首へとアクセプターが沈んでいく。グリッドマンに成る必要性がないのならば、今は静観するしかない。

 

 那由多は高層建築より飛び降り、外套をはためかせて複雑怪奇に入り乱れる構内へと落ちて行った。

 

 着地した那由多は周囲を見渡す。《ボルカドン》の業火は青錆びの大地をも焼き尽くす灼熱であった。どこかで火炎が巻き起こっていても不思議ではない。

 

「……延焼していないのならば……」

 

 それでいい、と結ぼうとして、那由多は声に足を止められていた。

 

「――グリッドマンだな?」

 

 その声音に反射的に銃を突きつける。相手はヒヒッ、と下卑た笑みを浮かべていた。

 

「安心しろよ。場外乱闘は得意だが、気分じゃねぇ」

 

「……お前は」

 

「怪獣を率いている連中の、その一人、とでも名乗ろうか」

 

 まさか敵が生身で自分に接触するとは思いも寄らない。那由多は引き金に指をかけていた。

 

「……何のつもりだ。ここで殺されたいのか」

 

「怖いねぇ、今回のグリッドマンは。にしても、何にも知らねぇみたいだな。その様子を見る限りじゃ」

 

「何にも……? 少なくともお前達を倒すべきだと言うのは知っている」

 

「いや、そいつは知らねぇって言うのよ」

 

 男の姿はちょうど陰になっており、明確な像を結んでいない。那由多は銃を突きつけたまま問いかけていた。

 

「お前達は何だ。どうして、怪獣になって破壊を行う?」

 

「順序が逆だねぇ、グリッドマン。それを言うのなら、てめぇは何で、グリッドマンに成って俺達を阻む? そっちだって、意味のねぇ戦いじゃねぇのか?」

 

「それは……」

 

 言葉を濁す。自分とて意味のない戦いをしている。そう突きつけられてしまえば何も言い返せない。どうして自分がグリッドマンに変身出来るのか。何故、変身しなければならないのかは依然として不明なままなのだ。

 

 相手は高笑いを上げていた。

 

「何も分かんねぇまま、ただ殺し合いを続けるかねぇ、グリッドマン。それとも……人並みに交渉でもしてみるか?」

 

「交渉、だと……」

 

「応さ。てめぇが何でグリッドマンになっているのか、何でグリッドマンは怪獣と敵対しているのか、それを教えてやる、手助けをするのもやぶさじゃねぇって言ってんだよ」

 

「どういう腹積もりだ。お前達は人々を殺し、破壊の限りを尽くすはず」

 

「その認識はちと甘ぇな。そういうわけじゃねぇんだ。俺達の本当の意義を知りたきゃ、ここに来な。本当の戦いを教えてやるよ」

 

 人影がカードを投げる。笑い声を響かせながら離れていく相手に、那由多は警戒の糸を途切れさせず、気配が散るまで銃口を向け続けていた。

 

「……那由多」

 

 不意打ちの声に銃を向け直す。目を見開いて朋枝が硬直していた。

 

「お、脅かさないでよ……」

 

 脱力した朋枝に那由多は誤魔化していた。

 

「ああ、いや。ちょっとあった」

 

 拾い上げたカードを懐に仕舞う。朋枝がこちらを窺ってきた。

 

「大丈夫? さっきの怪獣、強そうだったし……」

 

「制限時間内に相手も撤退した。それで御の字だろう。……オレも、力の使い方を学ばなければならないようだ」

 

「力の使い方って……グリッドマンの戦い方って事?」

 

 問いかけられて、那由多は掌に視線を落とす。まだグリッドマンの力の、その何割を引き出せているのかも不明。そんな状態で戦い続けられるものか。

 

 きっと頭打ちが来る。その前に、引き出さなければ。

 

 グリッドマンとしての戦い方の全てを。

 

「……だが、誰も教えてはくれない」

 

 あるいは先ほどの人影がその伝手だとでも言うのだろうか。どう考えても悪魔の誘惑に等しい。

 

「ねぇ、那由多。怪獣が襲ってくるのも、どんどん時間が短くなっているよね。……そろそろドクロ鉄道で移動したほうがいいんじゃないの?」

 

「シンジュクを離れないほうが得策だろう。どうしてだか分からないが、ここならば相手に対して不利にはならない気がするんだ」

 

 理由はない。ただ、ここならば有利とはいかずとも不利にはならない。その確証は依然として不明であったが。

 

 朋枝は納得が行かないらしい。頬をむくれさせて抗議する。

 

「……こんなところ、危ないよ。いつ怪獣が来るかも分からないし、それにどこまで歩いても、村もなければ聖域もない」

 

 最初に朋枝がいたような集落は見受けられなかった。あるいはこの区画にはそういうものは存在しないのかもしれない。朋枝からしてみれば危険なだけの場所だ。早々に離れたいのが人情だろう。

 

 だが、那由多からしてみれば、敵を迎撃するのに人的被害が出ない場所のほうがいいのは身勝手ながらこの場所が合致していた。

 

 人を見かけないだけではない。二次被害が出ないならば怪獣に後れは取らないはず。しかし、朋枝を守りながらだと話は違ってくる。

 

 今回のように三体以上の怪獣に囲まれれば、自ずと派手な立ち回りを要求される。そうなれば朋枝の安否でさえ自分からしてみれば二の次になってしまうのだ。

 

 だから、彼女がここを立ち去りたいと言うのならば、それは加味すべきである。

 

「……トモエ。ドクロ鉄道に乗るとして、どこまで行ける?」

 

 朋枝は財布を取り出し、紙幣を何枚か数えていた。

 

「あたしと那由多なら……二駅分くらいなら」

 

「それで逃げ切れる保証はあるのか?」

 

 それは、と口ごもる。きっと、どこまで行っても、怪獣のいない場所の見当なんてつかないのだろう。かといってここにいるのも危険には違いない。那由多は一度、ドクロ鉄道に問い質すべきだと感じていた。

 

「安全圏くらいは心得ているだろう。トモエの言うようにドクロ鉄道が中立だと言うのならば、中立圏を知らないのはどうかしている」

 

「それは……つまりドクロ鉄道には安全な場所の伝手があるって言いたいの?」

 

「なければ中立の意味を崩す。それは明らかにおかしいはずだ」

 

 ドクロ鉄道側に、まともな人間がいるのかは分からないが、旅客の安全な運行をメインとしているのならば、最悪の想定も浮かべているはずだ。

 

 それをうまく突ければ安全圏を確保出来るかもしれない。

 

「ドクロ鉄道相手に……交渉か。何か怖いな……」

 

「怖い? 何故だ」

 

「だって、相手は天下のドクロ鉄道ですもの。もしもの時には永久追放くらいはされそうじゃない?」

 

「怪獣じゃないんだ。恐れる事なんてないだろう」

 

「……そりゃ、那由多はそうかもしれないけれど……」

 

 煮え切らないのは自分にはグリッドマンと言う力を持っているが朋枝には力がないからだろう。もしもの時、自衛も出来ないのでは危ういのは承知している。しかし、今は少しでも逃れる術を探すしかない。

 

「……駅に行こう。ドクロ鉄道にだって当てはあるはずだ」

 

 そう信じて、歩み出すしか方策はなさそうだった。

 

 



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♯3‐2

 

「とんだ坊ちゃんっすねぇ。戦い方が荒っぽいのなんのって」

 

 口にしたツルギは白髪を掻き、嘆息をついていた。どうにも怪獣相手に立ち回りが怪しい部分がある。それはグリッドマンとしての覚醒がまだ浅い事を示しているようであった。

 

「ねぇ、お兄さん。私達が、手伝えれば」

 

 アノシラスの提案にツルギは手を払う。

 

「駄目っすよ。グリッドマンに手を貸したら、ただでさえ狙われているのに俺達まで危険になっちまうっす。今は相手の目がグリッドマンに向いている。俺からしてみればチャンス以外の何物でもない」

 

 今を逃せばナイトウィザードの手薄な時期を狙うのは難しいだろう。それに、と先ほどの怪獣三体、否、四体へと思いを馳せる。

 

 あの場には三体しかいないように思われたが、首を落とされた怪獣が身軽な挙動をするものか。

 

 グリッドマンには仕掛けられた罠すら看破出来ないようであったが、完全に張られていた相手の術中にむざむざはまったようなものだ。

 

「あんな雑魚相手に、苦戦し過ぎなんすよ。それに、三体しか見えてないのも問題っす」

 

「……もっといたの?」

 

 アノシラスも三体しか関知出来なかったのだろう。それも致し方なしと感じていた。

 

「最低でも四体。いや、統率している一体を含めれば、五体っすかねぇ。そのうち一体は確実にナイトウィザードの一席のはず……」

 

 睨んだツルギにアノシラスはふぅんとどこか他人事のようだ。

 

「お兄さんとそのナイトウィザードって言うの、関係あるんだ」

 

「ま、浅からぬって奴っすよ。おたくこそ、何で俺について来るんすか。あんだけの大規模戦闘があったんだ。逃げたっていいっすよ」

 

 その言葉にアノシラスは踊るようにツルギの前で足並みを弾ませた。

 

「やだ。だって、お兄さんだけじゃきっと、死んじゃうよ?」

 

「強情っすねぇ。ったく、誰に似たのやら」

 

「それ、先代かも。先代も負け知らずだったから」

 

 アノシラスが口にした「先代」という言葉にツルギは、なるほど、とこぼす。

 

「先代、か。あのグリッドマンもそうなのかもしれないっすねぇ。先代の宿縁に縛り付けられている……。自分の本当に戦う意味さえも分からずに」

 

 そうだとすれば、グリッドマンの変身者は不幸だ。本当に戦うべき相手を見据えず、闇雲に力を振るっているのならば怪獣とさして変わらない。

 

「せめて、振るうべき対象を、間違えなければいいんすけれどねぇ……」

 

「グリッドマンは、間違えるの?」

 

 純粋なる問いにツルギは、いや、と返答する。

 

「間違えた時は、死ぬ時っすよ。グリッドマンならば特に、ね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「迴紫様。いいのですか。……コードをばら撒いて、あの男は勝手をしております」

 

 モノクルの紳士の言葉に、迴紫はゲーム機を睨んでいた。

 

「そうだねぇ……。やっぱりさ、パラディンを主軸にして、育成するのが正しいのかなぁ。ホラ、最初からパラメータ高いじゃん」

 

 どうやら今はシミュレーションゲームに夢中のようだ。迴紫はこちらに一時として目線を振り向けない。それが純粋に、戦士としては失格だと烙印を押されているようで、人知れず拳を握り締める。

 

「……コードをばら撒けば、それだけ力は拡散します。危険なのだと、判断されたのでは?」

 

「それってキミらの判断じゃん。ボクは最初っから、どっちでもいいんだよねぇ」

 

「どっちでも……とは?」

 

「コード一つで出来る事なんてたかが知れてるよ。キミらナイトウィザードがどう考えているのかは知らないけれど、怪獣を増やして勝てるって言う論法なら最初からそうしているし、それで負けるんならグリッドマンはそこまでだし……。あ、ねー、やっぱさ。軍師キャラも育てておくべきかな? 火力低いんだけれど、後半だと優位だし!」

 

 声を弾ませてゲームに興じているが、モノクルの紳士は迴紫本人が決して耄碌していない事を自覚している。彼女は誰よりも俯瞰しているはずだ。この戦局を理解して、コードをばら撒いた。それでどのように戦力が分散するのか分かっているのに。それでも、やはり愚の骨頂とは思えないのは、窺い知れないものがあるからだろう。

 

 それは彼女を頂点として組織すると決めてから、ずっとであった。

 

 ナイトウィザードは迴紫を頂点として組織されなければならない。迴紫でなければ自分達はつかなかったはずなのだ。

 

「……先代を倒した時も、そのような感覚だったのですか」

 

 その言葉に迴紫の指先が止まる。そのオレンジ色の瞳がこちらを捉え、初めてここに自分がいる事を認識したようであった。うろたえ気味に後ずさった自分に、迴紫は目を細める。

 

「……何かさぁ、もっといいジョークを言いなよ。先代を倒した時の話を持ち出すなんて、キミってつまんないね。あんなの、結果論じゃん。ボクはそんな短絡思想に映る? いや、もちろんキミらからしてみれば死活問題かもしれない。でも、ボクにその質問は、ナンセンスだ」

 

 迴紫が左手首を意識する。内包するその「力」を意図した瞬間、モノクルの男は目礼していた。

 

「……失礼を」

 

「いいっていいって。ボクの態度が煮え切らないのがよく分かんないんでしょ? そりゃ、リーダーなら毅然として、グリッドマンを倒せ、とか言うべきなんだろうけれどさ。そーんな気にはなれないんだよねー。まぁ、彼も被害者だし」

 

「被害者……。グリッドマンが、ですか」

 

 円卓に寝転がり、迴紫はゲーム機を手にうぅんと呻る。

 

「そうでしょー? だっていきなりさ、その日からキミはグリッドマンだ、正義のヒーローだって言われて、じゃあピンと来る? ボクなら来ないなぁ。納得していないんだよ、彼だって。急にグリッドマンに選ばれたわけなんだから。いや、これも語弊かな。選ばれたわけでもないのに、ある日突然グリッドマンで、誰が納得出来るって話」

 

 その論調は淡泊でありながらも、どこか達観さえも窺わせた。そういうスタンスだから、迴紫は今回のグリッドマンに対してある種の静観に近い姿勢を貫いている。それが正しいのだと、どこかで理解しているのだと。

 

 だが得心は行かない、とモノクルの男は問いかけていた。

 

「そうだとしても……グリッドマンは我々の敵です」

 

「まー、そうかもねぇー。その見方が正しいんだと思うよ。うん。……でもボクなら御免かなー。起きて朝の支度をしていたら急にグリッドマンなんて。そんなの……つまんないでしょ」

 

 ――つまらない。本当に、その一語に集約されるかのように迴紫は呟く。

 

 彼女からしてみれば、そのつまらない相手に善戦している自分達もまた、つまらない存在なのかもしれない。

 

「迴紫様……。しかし我々はあなたのために……」

 

「あっ、ねーねー! やっぱり弓兵も育てておかないと! 遠距離って便利じゃん! あー、盲点だったー! ステータス全部パラディンに振っちゃったよー! リセット、リセットー!」

 

 ごねて神聖なる円卓の上をばたつく相手が自分達を統率する人間だとはまるで思えない。しかし、一度でも彼女の機嫌を損ねればそれだけで命がないのだけはハッキリしている。

 

 モノクルの男は冷たい汗が伝い落ちるのを感じていた。首裏に浮かんだ汗は確実に殺気を関知している。

 

 迴紫の視線が自分を捉えたほんの一瞬でも、命を摘まれる感覚があった。

 

 それほどまでに、彼女は――。

 

 



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♯3‐3

 

 複合立体駐車場を、三人の男達が歩みを進めていた。煤けた風が吹き抜けている。無理もない。先ほどまで、街は焦土に包まれていたのだが、青錆びはその情報を上塗りし、焼け野原が広がる事は決してない。そういう風になっているのだ。

 

 三人のうち、一人の男の眼差しに力はない。いや、もっと言うのならばその足並みにも、まるで生きているものの力は感じられなかった。

 

 二人が肩で抱えてやっと動いているというだけの存在だ。

 

 三人組が目指しているのはジャンクの集積地点であった。

 

 その山場の上で胡坐を掻いていた男は、ふんと鼻を鳴らす。

 

「そいつ、長くはねぇな」

 

「ボス……。作戦通りに行きやしたが……」

 

「分かってる。見ていた。てめぇらはよくやったさ。相手の実力が上回っていたんだ。仕方ねぇだろ」

 

 ジャンクの山から男は跳躍し、瞳に力のない男を抱え、そのままジャンクの山に寝かせる。息も絶え絶えであり、口元は言葉さえも紡がない。

 

 不意にもう二人が傅いていた。拳を地に打ち付け、悔恨を滲ませる。

 

「あの野郎……! 仲間をコケにされて、黙っていられるかってんだ! 今すぐ殺してやる! 人間態なら、何度だって殺せる! アクセス――!」

 

「やめとけ。いや、人間態でも侮るな、と言うべきか。一人一人行ったって殺してくださいって言っているようなもんだ。俺の指示に従えねぇか」

 

 その言葉に男達は涙を呑んだようであった。

 

「ですが! ……完璧な作戦だった! なのに、グリッドマン……!」

 

 忌々しげに放たれた名前に頭目である男は嘆息をつく。

 

「落ち着け。逸るとロクな事がねぇ。ケンカだと特にな。頭はクールダウンさせておけ。それに、力も、だ。温存しとかないと、もしもの時に何も出来ねぇぜ」

 

「ボス……っ。ですが、《ボランガ》の奴が……。あいつ、故郷に嫁がいるって……。腹ん中に子供も……」

 

 言わんとしている事は分かる。煮え滾るようなその怒りも。だからこそ、頭目の男は冷静な声を浴びせていた。

 

「だからこそだ。――待て。俺の言う通りにすれば、必ず、だ。必ず、グリッドマンを仕留めるだけの隙を見出させてやる」

 

 その言葉にモニュメントを握り締めた男が涙を浮かべていた。男泣きするその手には《メタラス》の彫像がある。

 

 もう一人も《ボルカドン》のモニュメントを握っていた。二人とも掛け替えのない、自分の「家族」である。その家族が悲しめば自分も悲しい。だが、家族に死にに行けなど言えるものか。軽々しく言えないからこそ、ここは待てと言う苦渋の判断を下していた。

 

「……グリッドマンは、いずれ分かる。俺達の事も。そして迴紫様が紡ぐ理想世界も。それを理解した上で、否定するのか、それともこちらにつくのか。どっちなのかだけは、俺でも読めねぇ。だがな、グリッドマンだって人間にゃ違いねぇ。突かれて痛い横腹の一つや二つはあるはずさ」

 

「人間だって? あんな残酷な奴が……人間なわけが……!」

 

「言いてぇ事は伝わった。だから、だよ。待て。俺達の統率が乱れれば、他のナイトウィザードに掻っ攫われる。手柄を横取りされるのは素直に面白くねぇ。待つ事もまた、戦いだ」

 

「ボス……っ! 俺は……俺は、自分が情けねぇ! もっと強い怪獣のコードを持ってりゃ、あいつは死ななかったのかなぁ……」

 

「それは言いっこなしだ。元は俺の手にしたコードの弱さでもある。だから、てめぇらが情けなさを感じる必要はねぇのさ」

 

 ハッとこちらを振り仰いだ部下は、くっと奥歯を噛み締めていた。

 

 自分とて場が許すのならば泣きたい気分ではあったが、それよりも相手に仕掛けた布石が無事に起動するのかどうかにかかっていた。

 

 ――そう、グリッドマンも人間だ。だって言うのならば……。

 

 統率する男はモニュメントを翳す。スマートな体躯の怪獣を模したモニュメントの瞳が赤く輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『それは開示出来ません』

 

 ドクロ鉄道の第一声に、朋枝は絶句していた。相手はこちらなど意に介せず、乱れたダイヤの修復作業に集中している。

 

「それは……。だってそれはおかしいじゃない! 中立なんでしょ、ドクロ鉄道は!」

 

 声を張り上げた自分に相手の連絡員はため息を漏らしていた。

 

『中立でも、新宿区内を荒らしている例の怪獣と、それに伴うダイヤの乱れの復旧だけで何日かかるか……。正直に言えば、グリッドマンであろうとも、怪獣であろうとも関係がないのですよ。我々は、ダイヤの遅れを一刻も早く取り戻し、皆様に安全な旅を提供しなければならない。そのために働いているのです。だと言うのに、中立区画を紹介しろと言われましても……』

 

「それは……言い方が悪かったかもしれないわ。でもあるんでしょ? 中立区画」

 

『あってもお教えできません。一般開示度を超えておりますゆえ』

 

 まさかここまで突っぱねられるとは思いも寄らない。朋枝は次の言葉を弄していると、那由多が口を差し挟む。

 

「なら、せめて怪獣の被害のない駅までなら何駅かかるか、それは尋ねては駄目なのか?」

 

「そ、そうよ! 怪獣の被害のない区画くらいあるでしょ」

 

 ドクロ鉄道の連絡員は、呆れたように頭を振って複雑な地図を差し出していた。そのほとんどが赤い円に塗られている。

 

『これが現状の駅区間の被害状況です。見れば分かるように、赤い円が怪獣の出現した区画となっております。重なり合っておりますので、どこまで行っても……そうですね。十駅くらい向こうに行ってようやく大人しくなるくらいでしょう』

 

「十駅って……」

 

 朋枝は絶句する。十個もの駅を乗り継ぐのには金がいくらあっても足りないだろう。それに、連絡員は「大人しくなる」と言っているだけで完全に鎮静化するとは言っていないのだ。

 

 怪獣の脅威は最早、逃げ切れないところまで来ているのかもしれない。

 

「で、でもっ! 中立地帯はあるんでしょ! 教えてくれたって……」

 

『大変申し上げ辛いのですが、もう埋まっているのですよ。その席は。なので今さら中立地帯を紹介しても、何ら意味がないと思われます』

 

 連絡員の非情なる宣告に朋枝はふらついていた。那由多がその背を受け止めて問い返す。

 

「本当に手段も何もないのか? 怪獣はでは、何故出現する? その理由も分からずに、ドクロ鉄道は放っておいているとでも?」

 

『心外ですね。我々とて手は打つつもりです。これまで以上に武装を積載し、いつ怪獣と対峙しても取り払えるように――』

 

「要は、怪獣に邪魔されずに移動する術があると言うのだろう。それを知りたい」

 

 斬り込んだ形の那由多の言葉に、連絡員は陰となった相貌の下で、舌打ちを漏らす。

 

『……だからと言って、あなた方の提示する金額ではどうしようもないですよ』

 

「シンジュクの中でも被害の少ない場所があるはず。それを教えて欲しい」

 

 那由多の言葉繰りに連絡員は地図を差し出す。赤い円が重なっていない箇所を目指せば、恐らくは当面しのげるであろう。

 

「感謝する」

 

『要りませんよ。我々は職務を全うするだけですから』

 

 身を翻した那由多に朋枝は慌ててついていく。

 

「ね、ねぇ。結局シンジュクに村や聖域があるのかどうかを聞けなかったけれど……」

 

「それに類する何かがある、というのは地図上を読み取れば分かる。赤い円が囲っていない箇所がいくつかある。それをピックアップしていけば――」

 

 そこで不意に那由多が言葉を区切る。どうしたのだろうと窺うと、彼は倒れ伏していた。

 

「……まさか、怪獣が……」

 

 だがどこからも怪獣の攻撃の痕跡はない。周辺を見渡していた朋枝は那由多をじっと見下ろす人影に後ずさっていた。

 

「……臾尓」

 

 青い髪をなびかせ、臾尓が那由多を見据えている。その瞳に浮かんだ憐れみに、朋枝は言葉を失っていた。

 

「……那由多」

 

「……あなた、何なの? 前も急に現れて……」

 

「一度、駅まで戻ったほうがいい。中途半端な場所に寝かせていると、狙われてしまう」

 

「それは……同意だけれど、少しは話してもらうからね」

 

 二人して那由多の身体を運ぶ。思ったよりも重い那由多を引きずるようにして駅構内に運び終えた。

 

 先ほどの連絡員が歩み寄ってくる。

 

『どうされましたか? ……お連れに何か』

 

「具合が悪いみたいなの。休ませてもらえる?」

 

『それは構いませんが……迷惑はかけないでもらいたいですね』

 

 皮肉を返され、朋枝は嘆息をつく。

 

「迷惑は、ね……」

 

「那由多はグリッドマンの戦い方を知っているが、それは知識として持っているだけだ。使い方を学ばなければ、その力の一端も引き出せない」

 

 臾尓の不意に発した言葉に朋枝は胡乱そうに返していた。

 

「……本当に何者なの? グリッドマンと那由多の関係を知っているのね?」

 

「グリッドマンは那由多と最適化し、戦闘面ではあのような怪獣三体に押されるはずがない。恐らく、まだ思い出していないのだろう。本当の戦い方を」

 

「本当の……って。あんたはグリッドマンの戦い方を知っているって言うの?」

 

 臾尓は頷くわけでも否定するわけでもない。そのスタンスが朋枝には不明であった。

 

「……あんた、急に現れて、そうやって助言してくるけれどさ。何でいっつもはどこにもいないの? それとも、那由多が倒れないと、何も出来ないの?」

 

 少し挑発的な言い草になってしまったかもしれない。それでも、朋枝からすれば、那由多とは直接会わず、自分にばかり接触する相手には不信感しかない。

 

 臾尓は那由多の横顔を眺めつつ、静かに口にしていた。

 

「……創造主が、いつも正しいとは限らない。上に立つ存在が、どのような帰結を辿ろうとも、下々は従うしかない。そのツケを我々は払い続けている」

 

「創造主……。グリッドマンの事を言っているの?」

 

「朋枝。あなたには見守る義務がある。グリッドマンの戦いを。那由多が、何のために抗い、何のために怪獣と戦っているのか。それを知るのは、あなただけだ。そして、その判定を下すのも……」

 

「あたし? あたしに、那由多の何を知れって……」

 

「これより先、もっと過酷な戦いが待っている。その時、那由多に何かしてやって欲しい。彼はきっと、ずっと独りで戦い続けている。その道筋に少しでも光があれば、彼はきっと変われるはず」

 

「臾尓、あなたは何なの……。そうやって、まるで超越者のように振る舞うけれど……でもあなたが一番、那由多の事を分かっているんじゃ……?」

 

 その質問には臾尓は首を横に振った。

 

「私は那由多に何もしてやれない……」

 

 その言葉だけは絶対的なもののように呟かれる。朋枝は逡巡を浮かべた後に、荷物に入っているメロンパンを差し出す。

 

「好きだったよね……メロンパン」

 

 臾尓は受け取り、無言で齧り付いていた。どうにも読み辛いこの少女は、一体何のために自分達を付け回すのだろう。

 

 何のために……那由多の道筋を心配しているのだろう。

 

 全く関係がないのなら、そんな杞憂を浮かべる必要もないはずだ。臾尓は何らかの形で那由多の記憶に関わっていると思うべきだろう。

 

 しかし那由多本人が思い出したのは、ハイパーエージェントという、不確かな単語のみ。それ以外は全くの不明と言ってもいい。彼自身が何も思い出せないのには事情があるのだろうか。

 

 窺い知れない何かが。そうだとしても、ずっと記憶喪失なんてあんまりだろう。

 

 臾尓は知っているのならば那由多にもたらすべきだ。そうする事で彼は多かれ少なかれ救われるはず。

 

 そう思って声を振り向けようとすると、そこには臾尓はいなかった。

 

 横たわる那由多のみが存在している。

 

 まるで狐に化かされたような気持ちで佇んでいると、連絡員が声をかけてきた。

 

『随分と大きな独り言でしたね。何だったのですか?』

 

「独り言って……ここに女の子がいたでしょう?」

 

 その問いに連絡員は首をひねる。

 

『はて……お客様はお二人だけでは?』

 

「そんなはず……。青い髪の女の子が、あたしと一緒に那由多を運んできて……」

 

『いえ、戻っていらした時も、お客様一人でしたが……』

 

 朋枝は息を呑む。一体、今、何が起こったのだ。確かに自分は臾尓と話していたはず。だというのに、連絡員にはその姿さえも見えなかったと言うのか。

 

「……そんなわけ……。じゃあ臾尓、あなたは本当に、何だって言うの……」

 

 衝撃を受けている自分に、連絡員は咳払いする。

 

『お連れのために、水分を持ってきました』

 

 手渡されたコップに入った水に、朋枝は覗き込む。

 

 那由多だけではない。自分にも何か変化が巻き起こっている。そう考えなければ、臾尓の存在の証明も出来ない。

 

 彼女は何なのか、そして那由多は何者なのか。解き明かすのにはまだ鍵が足りない。

 

 コップを握り締めた直後、激震に水が揺れた。

 

 連絡員が周囲を振り仰ぐ。朋枝は似通った衝撃を経験しているために、即座に立ち上がっていた。

 

「……怪獣……」

 

 それもかなり近い。連絡員は慌てて電話に取り付き、報告をもたらしていた。

 

『新宿西口に怪獣の出現を確認。ドクロ鉄道の全路線に反映させ、ダイヤを調整すべし。繰り返す。怪獣出現……』

 

 その言葉が滑り落ちていく中で、朋枝は構内から出ていた。

 

 出現していたのは前回、グリッドマンが仕留めたはずの首のない紫色の怪獣である。それがまるで幽鬼のように佇み、大地を踏み締めているのだ。思わぬ敵に朋枝は頭を振る。

 

「……こんな。どうすれば……」

 

 首のない怪獣がこちらを見据える。無論、頭部がないのだが明らかにこちらを見つけたと言う確信があった。

 

 青錆びの建築物を手で払い、その姿が至近まで迫る。朋枝は逃げようと身を翻したところで、不意に立ちふさがった影にぶち当たる。

 

「……那由多」

 

「すまない。また気を失っていたらしい。だが、もう平気だ」

 

 龍の意匠を持つ銃を突きつけ、彼は引き金を引く。高重力の赤い砲撃が怪獣に突き刺さったが、それでも相手がうろたえた様子もない。

 

 那由多は銃を構え直し、自分に言いつけていた。

 

「ドクロ鉄道構内ならばそれなりに安全なはず。そこで待っていてくれ。すぐに倒して合流しよう」

 

 別の道を辿った那由多へと、朋枝は声を搾っていた。

 

「那由多……っ。……無茶をしないで……」

 

 他に言うべき事はあっただろうに、どうしてだかこの時、何も気の利いた言葉は浮かんでくれなかった。那由多は首肯し、高重力の光軸で怪獣を牽制する。

 

 離れていく背中に呼び止める言葉も持たぬまま、朋枝は呻いていた。

 

 



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♯3‐4

 

「……どうしてまた現れた。それも、倒したはずの怪獣が……」

 

 相変わらず敵怪獣である《ボランガ》には頭部がない。それも当たり前だ。前回の戦闘で首を落としたはずの相手が何故、また襲ってくるのか。

 

 その真意を窺おうとしても、頭部がないせいで意思をまるで感じさせない。

 

 それでも大地を踏む足音と、衝撃だけは本物だ。死んでいるはずなのに生きていると言う矛盾の只中で怪獣が動いている。

 

 那由多は今一度、銃撃を見舞っていた。

 

 露出した断面部を狙うがまるでダメージになっていない。相手は最早、痛みなど感じていないのかのようであった。

 

「まるで死体を操っているかのような……」

 

 煮え切らない敵に那由多は引き金を矢継ぎ早に引きかけて、拳銃の出力低下に目を見開いていた。

 

「……エネルギー不足か。どこかで装填しなければ」

 

 その直後、《ボランガ》より超音波が放たれる。砂礫を巻き上げ、広範囲に拡散した衝撃音波は那由多の足を奪っていた。

 

 身体が容易く浮かび上がり、高層建築物と共に瓦礫の渦へと押し込まれていく。

 

 痛みを感じたその時には鉄筋に足を塞がれていた。

 

《ボランガ》が余裕を持って歩み寄ってくる。那由多は拳銃の残弾を確かめ、舌打ちを一つ漏らしてから、左手首に思惟を抱かせる。

 

 先ほどから蒼い脈動が左手首に焼きつくように明滅していた。意識したその時にはアクセプターが出現している。

 

 アクセプターを翳し、両腕で十字を描いた。

 

「アクセス・フラッシュ!」

 

 直後、光へと還元された身体が舞い上がり、周囲の建築物の質量を帯びた巨人へと変換される。

 

 大質量を伴わせて、蒼銀の巨人――《サイファーグリッドマン》が大地を激震させていた。舞い上がった土くれが灼熱に染まる。

 

 構えた《サイファーグリッドマン》に対し、《ボランガ》はまるで脱力し切っている。

 

 その印象はやはりと言うべきか、死者の感覚を拭い去れない。

 

(グリッドライト、セイバー!)

 

 グラン・アクセプターより光刃を発生させ、三翼の光の衝撃波を放出する。斬撃は《ボランガ》の残っていた腕と足を引き裂くが、それでも相手は止まる様子がない。

 

(……姿勢さえも崩さないだと……)

 

 明らかに《ボランガ》は通常の物理法則に反している。何かが、《ボランガ》を操っているとしか思えない。

 

(あの怪獣は普通ではない。何かがある……)

 

 しかし解読する術を持たない。困惑する《サイファーグリッドマン》の視野に入ったのは、カードを投げてきた男であった。

 

 風圧がなぶる高層建築の屋上でこちらを見据えている。その瞳には試すような感覚があった。

 

「グリッドマン。ここで《ボランガ》相手に時間をかけるか。それとも、俺の思惑通りに、きっちり戦ってくれるか」

 

 拾い上げた声に《サイファーグリッドマン》は堅く拳を握り締める。

 

(怪獣を相手に、後れを取るわけにはいかない!)

 

《ボランガ》は何者かに操られている。しかもその相手は同じ地上にはいないのであれば、取る手段は限られていた。

 

《サイファーグリッドマン》はグラン・アクセプターで円を描く。円の内側に発生した結界が流転し、《サイファーグリッドマン》の疾駆を吸い込んでいた。

 

 そのまま直上へと打ち出される形で《サイファーグリッドマン》の姿は、蒼銀の戦闘機へと変位する。

 

 戦闘機形態となった《サイファーグリッドマン》は高機動で《ボランガ》を突っ切り、そのまま高空を目指していた。空の果てに何かがいるはず――。その確信は当たっていた。

 

《ボランガ》の直上、超高度にて位置するのは悪魔を模したかのような怪獣である。その怪獣より吊るされた糸が《ボランガ》を操っているのだ。

 

 戦闘機形態のまま、謎の悪魔怪獣へと突っ込んでいく。音速を超えた加速度で敵の直下へと至り、真上に向けてミサイルの広範囲射撃を浴びせる。

 

 幾何学の軌道を描くミサイルを相手の怪獣は受け止め、それと同時に無数の糸を手繰って小型円盤を操っていた。

 

 円盤はそれぞれ読めない軌道を描き、ミサイルを撃墜していく。

 

 戦闘機のまま機首を翻し、重加速で天上を突き抜けた《サイファーグリッドマン》は、全砲門の照準を開き、全ての火器管制を敵怪獣に向けていた。

 

(サイファーフレズベルグサーカス!)

 

 火竜の勢いを灯らせ、灼熱の憤怒の重火装備が射撃する。敵の怪獣へと全弾が命中し、その姿を炎熱の彼方へと押し包んでいた。

 

 それでも相手は手を払い、糸の一部を操って円盤型の兵装で追いすがってくる。

 

《サイファーグリッドマン》はフレアを焚いて敵の照準をぶれさせ、円弧を描き再び怪獣を真正面に見据える。

 

 機首下部より砲門が引き出され、その砲口に赤い重粒子が吸い込まれていく。

 

(サイファーグラビティビーム、放射!)

 

 放たれた赤い重力波が怪獣の心臓を射抜き、直後、敵怪獣が爆発の光に包まれていた。急加速で噴煙を引き裂き、戦闘機形態のまま下界を見下ろす。

 

《ボランガ》は遠隔操作から解放され、倒れ伏す。

 

 二体とも完全に殲滅されたのを確認した《サイファーグリッドマン》は帰投しようとした、その時である。

 

「アクセスコード……《ゴロマキング》!」

 

 放たれた声と共に光が収束し、《サイファーグリッドマン》の直上に現れたのは鎖を保持した怪獣であった。

 

 その鎖が機首を雁字搦めにし、締め上げていく。

 

 耐久値の限界まで引き絞られ、《サイファーグリッドマン》は戦闘機から通常の巨人形態へと戻っていた。

 

(グリッドマン! てめぇは、まだ何も分かってねぇみたいだな!)

 

(何も分かっていないだと……。怪獣はわたしが破壊する!)

 

(それが分かってねぇ証明なんだよ。墜ちろ!)

 

 鎖が首根っこを締め上げ、《サイファーグリッドマン》と怪獣《ゴロマキング》はもつれ合いながら落下していた。

 

 粉塵が舞い上がり、砂礫が天高くから降り注ぐ。

 

 青錆びの霧に塗れた大地で、《ゴロマキング》の拘束から、《サイファーグリッドマン》は離脱出来ずにいた。

 

 敵怪獣の放つ鎖より電磁が放たれる。ノイズを生じさせ、《サイファーグリッドマン》が身悶えする。

 

(そぉら、もう一本だ!)

 

 さらにもう一本の鎖が今度は身体を締め上げた。完全に成す術のなくなった《サイファーグリッドマン》を《ゴロマキング》は嬲り殺すように電磁波を流し込む。

 

《サイファーグリッドマン》の喉より叫びが迸った。

 

(痛ぇか? だがよ、舎弟の奴らはもっと痛かったはずなんだぜ! それをてめぇが!)

 

《ゴロマキング》の膂力で《サイファーグリッドマン》は振り回される。このままでは、と判じた神経がグラン・アクセプターに働きかけ、光刃を発振させていた。

 

 光の剣が敵の鎖を引き千切る。姿勢を整えさせて、《サイファーグリッドマン》はもう一本の鎖も断ち切っていた。

 

 敵が攻勢を立て直そうとする間に、グラン・アクセプターを天に掲げ、異空間より大剣を召喚する。

 

 大剣を掲げた《サイファーグリッドマン》に《ゴロマキング》は哄笑を浴びせていた。

 

(得物で勝負か。俺相手に!)

 

《ゴロマキング》の鎖が自己修復していく。恐らくは本体を倒さない限り何度でも修復するのだろう。

 

 再び鎖を得た《ゴロマキング》が下段より放り投げる。それを断ち切り、瞬時に光速へと至った《サイファーグリッドマン》が一閃を浴びせかけたが、至近距離でのその刃は鎖で防がれていた。

 

(甘ぇんだよ)

 

 押し返され、大剣を手にたたらを踏む。敵は鎖を回転させ、それを投擲していた。瞬間、鉛型の重石が何倍にも拡大し、《サイファーグリッドマン》を押し潰さんと迫る。

 

 大剣で受け止めるも、あまりの重量に全身が軋んだ。

 

(耐えきれるかよ。その重さ、生半可じゃねぇぞ!)

 

 さらに今度は足を払うべく投げられた鎖を防ぐ事も出来ず、《サイファーグリッドマン》は姿勢を崩してしまう。大剣で押し返そうともがくが、相手の術中にはまっているのは間違いなかった。

 

(貴様は……何のためにわたしに接触した!)

 

(こういう不毛な争いをなくそうと思ってな。分かってんだろ? 今のてめぇじゃ、俺には勝てねぇよ。半端な覚醒じゃ、俺レベルにも届かねぇ。さっさと諦めるが肝心だと思うがな)

 

(諦める……だと。そんな事が……)

 

(勝てねぇんなら、それもアリだって言ってんだ。それに、てめぇには渡しておいたはずだぜ? 真実に至る道標をな)

 

 差し出されたカードを思い返し、《サイファーグリッドマン》の中で、那由多は問いかける。

 

 ――真実。それはオレの記憶なのか……。

 

《サイファーグリッドマン》は応じない。相手も、だ。

 

 ならば、ここは――。

 

 不意に《サイファーグリッドマン》の身体が光となって拡散する。《ゴロマキング》も光となって収束し、人間態へと戻っていた。

 

 那由多は近場の高層建築物へと降り立つ。

 

《ゴロマキング》に変身していた相手は金髪を逆立たせた男であった。手招き、背中を向ける。

 

 撃たれても文句はないのか。あるいは、撃たれても何ら意味がないと分かっているのか。那由多は判ずる術を持たずに高層建築より飛び降りていた。いつの間にか直下で待ち構えていた《ゴロマキング》の男は顎をしゃくる。

 

「来いよ。本物を見せてやる」

 

「……それはオレの記憶か」

 

「……そこまでは知らねぇが、少なくとも、グリッドマン。てめぇが見ないようにしていたものには違いないはずだぜ」

 

 歩みを進める《ゴロマキング》の男は徐々に廃墟へと赴いていく。ところどころに電線が剥き出しになっており、那由多は問いかけていた。

 

「……お前達は何故、街を襲う」

 

「そいつぁ、誤解だね。俺達はむしろ、この世界を大事にしたい。そのために、てめぇが邪魔だから、ああいう強硬策に出るのさ」

 

「……だが、最初はそうではなかったはずだ」

 

 そうであるのならば朋枝の証言と矛盾する。当初から怪獣は現れていたはずだ。その疑念に相手は手を払う。

 

「未熟者ってのはどの世界にもいてね。そいつらの破壊活動までは阻害出来なかったんだよ。末端の末端連中まで封じていれば、それなりにツケが返ってくる。管理し切れなかった、それだけのこった」

 

 だが、それだけでも被害は出ていたはずだ。その末端の末端を制御していれば、朋枝の家族や村の人間は死なずに済んだはず。

 

「……余計な犠牲も招いた」

 

「それに関しちゃノーコメントだな。俺の知ったこっちゃねぇ」

 

 男は拓けた空間に出ていた。中央にうず高いジャンクの山があり、その上で人間が横たわっている。

 

 今にも息絶えそうなのが見るだけで窺えた。

 

「……この男は」

 

「分からねぇのか。ま、それも止む無しだろうな。教えてやんよ。さっきまで戦っていた、《ボランガ》の奴さ」

 

 まさか、と那由多は目を戦慄かせる。怪獣本体である人間態に遭遇したのは初めてであった。しかも自分の倒した怪獣だ。

 

 息も絶え絶えな男はこちらを視界に入れるなり、掠れた声で名を呼んだ。

 

「グリッド……マン……。貴様、を……」

 

「無理すんな。もう、楽になっていいんだ」

 

 男は横たわっている相手の手を握り締め、首を横に振っていた。その言葉で、横たわっていた相手の身体が光へと昇華される。紫色の火炎を伴わせ、跡形もなく男は消え失せていた。

 

《ゴロマキング》の男はこちらへと一瞥をくわえずに呟く。

 

「……これが怪獣になった者の死だ。俺達はコードを与えられ、怪獣に変身するが、てめぇに殺されればこうして、そこにあったという証明さえも奪われて死ぬ。それをてめぇは、見ないよう見ないようにして、戦ってきたのさ」

 

 那由多はその事実に後ずさる。だが、それでも、と拳銃を突きつけていた。

 

「破壊活動をしたのは、そちらが先のはずだ」

 

「どっちが先か、後かなんて結果論だろ。ただ一つ、ハッキリしてんのは、てめぇは人殺しをしておいて涼しい顔をして、それを正義の執行みたいにやり過ごしているってこった。なぁ、グリッドマン。それでも怪獣を倒せるか?」

 

 肩に手を置いた男の問いかけに那由多は硬直する。それでも、自分を通せるのか、否か。

 

 自分は今まで怪獣と言う超常存在を倒しているのだとばかり思い込んでいた。だがその実は人間であった、など笑えない。相手もまた自分と同じであったなど。

 

 よろめいた那由多に《ゴロマキング》の男は問い詰める。

 

「なぁ、グリッドマン。覚悟もなしに、他人の生き死にをどうこうするってのは、それは傲慢じゃねぇのか。それとも、てめぇは覚悟を持って、これまでもこれからも、大手を振るって人殺しをするってのかよ」

 

「……オレ、は……」

 

 掌に視線を落とす。いつの間に集っていたのか、《ゴロマキング》の男を中心として、他の男達が敵意の眼差しを飛ばす。

 

 ――全員、怪獣なのか。そう思うと同時に、相手もまた人間だ、という思いも先行する。

 

「なぁ、グリッドマン。俺達はこれから、てめぇの価値観をぶっ壊す。遮るのなら勝手にしろ。だが、そこには人の命の裁量があるって事を、無自覚にはなれねぇよな?」

 

 これまでならば、怪獣の戯れ言だと断じられたかもしれない。だが、相手が明らかに人間であると言う証明を突きつけられた以上、那由多には今までのような戦意は消え失せていた。

 

「……怪獣も……人間……」

 

「人殺しが出来ねぇってなら、てめぇはそこで蹲ってな。それとも、分かりやすい死が必要かねぇ」

 

《ゴロマキング》のモニュメントを掲げ、男が召喚したのは怪獣の腕だ。空間より引き出された怪獣の剛腕が次の瞬間、自分を薙ぎ払うかに思われていた。

 

 事実、この時那由多は避けようとも思わなかった。眼前で摘まれた一つの命に衝撃を受けていたのもある。今まで何も感じず倒してきたのが人間であると突きつけられたのも大きかっただろう。

 

 だから、咎は受けるべきだと自身に課した、その時であった。

 

「――バッカ野郎が!」



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♯3‐5

 

 横合いより駆け抜けてきた白髪の男が自分を突き飛ばし、蛇腹剣を用いて怪獣の腕を拘束する。壁に背を打ち付けた那由多は、白髪の男が《ゴロマキング》の相手に言葉を浴びせかけたのを目にしていた。

 

「汚い真似してくれんじゃねぇっすか。同情させるなんて、ナイトウィザードらしくもないっすねぇ!」

 

「……貴様、あの老体が報告していた裏切り者だな? 名前は……」

 

「今は、ツルギで通っているんでね。その名前を名乗らせてもらうっすよ!」

 

 瞬間、二丁拳銃に持ち替えたツルギが《ゴロマキング》の相手に肉薄する。それを阻むべく怪獣の腕が四方八方より出現するも、それらを足掛かりにしてツルギは銃口を《ゴロマキング》の男へと据えていた。

 

 引き金が絞られ、銃撃が浴びせかけられるかに思われた瞬間、他の男達もモニュメントを取り出し、手を払う。

 

 無数の怪獣の腕が飛び出し、ツルギの銃弾を押し返していた。《ゴロマキング》の男は眉一つ動かさない。

 

「部下が自分を守るって、分かっているって眼ぇしてるっすね」

 

 拳銃を構え直したツルギに《ゴロマキング》の男は忌々しげに口にする。

 

「……どこまで知ってこの場に介入する? グリッドマンが邪魔なのはお互い様のはずだが」

 

「そいつぁ、相互理解の差って奴で! 俺からしてみりゃ、グリッドマンに戦えなくなってもらうのはもっと困るんすよ。ナイトウィザードの思うがままに、この世界を潰させるわけにもいかないんで!」

 

 蛇腹剣を展開し、ツルギは《ゴロマキング》の男へと真っ直ぐに引き延ばす。相手は怪獣の腕を払って防御したが、その隙にツルギは自分を抱えていた。

 

「飛ぶっすよ。ちょっとくらいなら、グリッドマンの力で何とかなるでしょ」

 

 その言葉が消えるか消えないかのうちに、ツルギは身を乗り出している。風圧に外套が煽られ、視界に大地が大写しになる。ツルギは流麗に降り立ち、直上を仰いでいた。相手からの追っ手はない。

 

 だが、彼は足を止める事はなかった。

 

「追ってこないんじゃ……」

 

「なに、ナマ言ってんすか。相手が追ってこないからって少しでも緩めたら、確実に摘まれるっすよ。……って言っても、今の坊ちゃんじゃ、どうしようもねぇ、か」

 

 それはその通りかもしれない。グリッドマンとして戦おうにも、現実を知ってしまった。自分の力は所詮、振るうべき場所を間違った力なのだと。

 

 ツルギは駆け抜けた末に息を荒立たせ、那由多を放り投げていた。ジャンクの山を崩し、那由多はその痛みも受け止める。

 

「ああっ! クソッ。こんなはずじゃ、なかったんすけれどねぇ」

 

「お前は……何なんだ」

 

「ハンターナイトツルギ。そう名乗っておきますよ」

 

 ツルギはどこか自棄になったようにそう口にした後、ため息混じりに腰を下ろしていた。

 

 自分からしてみれば急に助けられるいわれはないはずだ。

 

「……何故、オレを助けた」

 

「それも認識の相違っすね。俺は、助けたんじゃない。あんたに戦えなくなられたら困るんすよ。こんな半端なタイミングで」

 

「半端……。そう、オレは、半端だった」

 

 覚悟も、携えた力も。何もかも半端であった。その証左に、グリッドマンの力はこんな時には応えてくれない。自分の疑問の一つでさえも氷解させてくれないのだ。

 

「オレは……こうも弱い」

 

「あのっすねぇ……弱さ噛み締めるのは結構! っすが、今はそんな場合でもないのは分かんないっすか! あんたしかいないんだ。ナイトウィザード相手に、ここまで無鉄砲にケンカ売れるのは」

 

「ナイトウィザード……。お前は、知っているのか」

 

「……ああ、しくった。ここで俺が説明するんすか。そうなると色々と弊害が……。ま、誰かが言わなきゃならないなら、憎まれ役は買って出るっすよ」

 

「あいつらは……人間なのか。それとも、怪獣なのか?」

 

「ハッキリ言うなら、どっちとも言えるっす。奴らは怪獣に変身する能力を持つ一部の特権層。今はこんだけしか言えねぇっすね。ここから先は、今のあんたにゃ重過ぎる」

 

「……言えない事実も込みで、オレはやはり、人殺しを……」

 

「――だったら、もうグリッドマンには変身しないっすか? 勝手と言えば勝手っすよ。あんたの力だ、好きにすればいい。ただし! ……男が一度手にした力を、振るうべき時を決めるのは己自身っしょ。なのにさじ投げるんすか、あんたは」

 

 責められているのは分かっている。自分の都合で意思を曲げて、それでグリッドマンの力を封じたところで、今までしてきた事はなかった風には出来ない。戦ってきた覚悟も。必要だと判断していた正義も、全部自分のものだ。

 

 しかし、自分は思えば何も分からぬままにグリッドマンへと変身し、そして闘争に身をやつしてきた。グリッドマンの真実を何も知らないまま、争いへと身を投じているに等しい。

 

「……オレには……グリッドマンとして戦い続ける資格が、ない……」

 

 拳をぎゅっと握りしめる。そう、資格がないのだ。朋枝を守るために、他者を殺すほどの覚悟はない。その滲んだ弱みに、ツルギは歩み寄り襟元を掴み上げていた。

 

 双眸には怒りが宿っている。

 

「……あんましキレたくはないんすけれどねぇ……。あんた、今まで相手が赦せないから、戦ってきたんじゃないんすか! グリッドマンに、ワケわかんねぇ存在になってまでも、守りたい誰かがいたはずっしょ! それも投げるんすか。こんな場所で、中途半端に!」

 

 朋枝の姿が脳裏に描かれる。彼女を守るために、グリッドマンに成ってきた。だがそれも建前ではないか。人殺しは出来ればしたくない。そんな事で折れてしまう願いなど。

 

「……オレは」

 

「守るって決めたんなら、最後まで守りやがれっすよ! 男だって言うんなら、他の何を犠牲にしてでも、戦い抜く覚悟を持てって言ってるんす。それが、英雄って奴じゃないんすか……!」

 

「英雄……」

 

 ツルギは自分を突き飛ばす。ジャンクに振れた指先が、そのうちの一つを拾い上げていた。

 

 偶然の邂逅であったのかもしれない。それでも、自分は。朋枝を守りたい。朋枝のために、この力を――使いたい。

 

「オレは、英雄に成れるのか」

 

「それは関知しないっすよ。ですがねぇ……グリッドマンに成ったのがこんな甘ちゃんだとは思いもしなかったっすよ。グリッドマンの力は、確かに平等に、そう、万人のために使われるべきっす。ですがねぇ、……それ以前にあんたはたった一人の男でしょう!」

 

 たった一人の男。そう結ばれ、那由多は掌に視線を落とす。数多の命を摘んできたかもしれない手。だが、同時に今の今まで朋枝と言う一人の少女を守り抜いてきた手でもある。この手が未来の何を掴むのか。何も掴めないままに、終わってしまうのか。

 

 それは嫌だ、と那由多は瞼をきつく閉じる。

 

 何も出来ないままに終わって堪るか。何も成せないまま生きていて如何にする。

 

 自分は、自分だ。

 

 記憶がなくとも、那由多と言う男であろう。男一匹、ここで野垂れ死んで、それでも相手へと噛み砕かんとする牙があると言うのならば、最後まで軋って見せろ。最後まで、相手の喉笛を噛み切るだけの覚悟と意地を。

 

 グリッドマンである以前に、たった一匹の男であるのなら――。

 

「……ツルギ。オレは」

 

「っと。来たみたいっすよ。やっぱ、そのまま放置ってわけにゃ、いかねぇっすよねぇ」

 

 激震に那由多は怪獣の出現を関知していた。左手首が蒼く光り、Gコールを響かせる。

 

「……俺は自分のために戦うんすよ。義理でも何でもねぇ。己のために、この力を使い切る。命一つも使い切れないのなら、そこで大人しく死を待っているがいいっすよ。俺は行きますから」

 

 蛇腹剣を拡張させ、ツルギは飛び立っていく。

 

 その背中を見送る前に、片腕を失った《メタラス》が電磁バサミを開き、砲弾を放っていた。電磁誘導の弾丸が爆ぜ、青錆びの街を火炎に染めていく。

 

 那由多は立ち尽くしていた。

 

 ここで自分が立ち上がっても、それでも命の取捨選択はある。それは自明の理だ。

 

 自分か相手か。それは絶対的な隔たりとなって、誰もが暗黙の内に呑み込む。殺し合いに参加していようがいまいが、人間として生まれ落ちたのならばその時から競争しているのだ。その時から競っているのだ。

 

 たった一つの自分の居場所を探すべく、ヒトは模索し続ける。その只中に闘いがあると言うのならば、闘うか、それとも撤退するか。

 

 己自身に問いかける。

 

 ――グリッドマンの力は、今もこうして呼びかける鼓動は何のためにあるのか。

 

 那由多は破壊活動を続ける《メタラス》と《ボルカドン》を睨み据えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何か用? 部下が戦っている時に、キミが来るってのは何かあるんでしょ? あー、しくった! 死んじゃったじゃん! やっぱ、弓兵かなぁ……」

 

 シミュレーションゲームに興じる迴紫へと、《ゴロマキング》の男は言葉を投げていた。

 

「……グリッドマンに接触しました」

 

「へぇ、でどうだった?」

 

 口角を吊り上げ、哄笑を上げる。

 

「口ほどにもない。あれはもう戦えませんよ。グリッドマンは、もう戦闘不能。我々ナイトウィザードが天下を取る」

 

 確信の口調に迴紫はふぅんと興味もなさげである。《ゴロマキング》の男は言葉を重ねる。

 

「俺の手柄ですよ、迴紫様! これで邪魔者はいなくなった! あとはゆっくりと、侵略行為を行えばいい」

 

「……あの、さ。大変言い辛いんだけれど、でもさっきから感じているんだよねぇ」

 

 迴紫は円卓にだらしなく横たわって首を傾げる。

 

《ゴロマキング》の男は問い返していた。

 

「……何がです。生きていてもグリッドマンになる気さえなければ……」

 

「だから、グリッドマンに成っているでしょ。彼」

 

 まさか、と《ゴロマキング》の男は部下へと繋ぐ。瞬間、声が劈いていた。

 

『ぼ、ボス! どうなっているんですか! グリッドマンが、また現れて……』

 

 そこから先が悲鳴に押し包まれる。迴紫は欠伸を掻きながら尋ね返す。

 

「どうすんの? グリッドマンの戦意を砕く作戦だったんでしょ? でも、ハズレちゃったら、今度はまずいよねぇ。もうこの手は通じない。戦意どころか使命感を持って、グリッドマンはボクらに対抗してくるよ」

 

 ――まさか、作戦の瓦解だと。

 

《ゴロマキング》の男はよろめく。しかし、次の瞬間には歯を軋らせ、迴紫へと言葉を投げていた。

 

「……倒せば、問題ないでしょう」

 

「倒せればねぇ。倒せるの? こんな搦め手を使って、コードも無駄遣いして、それでも勝てる?」

 

「……勝ってみせます。俺が!」

 

 モニュメントを手に男は吼える。

 

「アクセスコード、《ゴロマキング》!」

 

 その姿が掻き消える。迴紫はふぅと嘆息をついていた。

 

「でも……彼も頑張り屋さんだなぁ。ちょっと、会ってみたくなっちゃった。ゲームも飽きてきたし、たまには、外に出ようかなぁーっと」

 

 首をこきりと鳴らし、迴紫はオレンジ色の瞳で円卓の中心を覗き込んでいた。

 

 



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♯3‐6

《メタラス》の電磁バサミを光刃で払い上げる。相手の装甲はしかし、堅牢そのもの。拡散した光に、敵が電磁バサミを打ち下ろす。宙返りで回避し、着地し様に三翼の光の刃を薙ぎ払う。《メタラス》へと命中するも、全く有効打にはならない。

 

(甘いんだよぉ……グリッドマン! 静かに死んでいりゃ、まだよかったものを!)

 

(わたしは……わたしはハイパーエージェントとして、そしてたった一匹の解き放たれた男として、使命を全うする!)

 

(解き放たれた、一匹の男だと……。吼えていろ、弱者! 《メタラス》の装甲はただの攻撃では貫けない!)

 

《ボルカドン》の火山砲撃が《サイファーグリッドマン》を潰さんと殺到する。《サイファーグリッドマン》は瞬時に飛び退り回避を試みたが、その時には《メタラス》が肉薄していた。

 

(押し潰されろ! 電磁バサミで!)

 

 電磁を纏いつかせた一撃が食い込みかけて、《サイファーグリッドマン》は両腕に蒼い光を滾らせていた。霧散したその光がまるで手甲のように装着される。

 

 蛇腹の手甲が《メタラス》の攻撃を完全に防いでいた。

 

(装甲なんて! 潰し切ってくれる!)

 

 みしみしと音を立てる装甲版に、《サイファーグリッドマン》は瞳を輝かせる。それは確かなる闘志をみなぎらせ、《メタラス》の攻撃を弾き返していた。

 

 距離を取った《サイファーグリッドマン》は天高く両腕を掲げ、交差させる。

 

 直後、蛇腹の手甲が裏返り、鋭い頂点を繋ぎ合わせ、両腕の装甲が合体していた。

 

 形作られたその形状に《メタラス》が絶句する。

 

(巨大な……ドリルだと……)

 

 構築されたドリルが《サイファーグリッドマン》の右手に装着され、何倍にも拡大する。水色の血脈が走り、ドリルに血潮を滾らせた。

 

(サイファー……ドリルゥゥゥ……!)

 

 電磁を迸らせ、蒼い閃光を纏いつかせたドリルが高速回転する。その速度はすぐさま光へと達し、ドリルを突き上げ、《サイファーグリッドマン》は叫んでいた。

 

(ブレイク!)

 

《サイファーグリッドマン》そのものが巨大なる推進剤となり、蒼い光を棚引かせて《メタラス》へと突撃する。《メタラス》が慌てて防御陣を張るも、その防御を容易く打ち砕き、光のドリルが突き抜けていた。

 

《メタラス》の腹腔に突き刺さり、すぐさま光の瀑布がその装甲を巻き込んで剥離させる。

 

《メタラス》が断末魔を上げてドリルに貫かれ、爆散していた。ドリルは再び手甲として、《サイファーグリッドマン》に装着される。

 

 降り注ぐ《ボルカドン》の火球を手甲で弾き返し、《サイファーグリッドマン》はその装備を解いていた。グラン・アクセプターで前面に結界を張り、その結界を飛び蹴りで突き抜ける。

 

 その刹那には《サイファーグリッドマン》は蒼き戦闘機へと変じ、青錆びの街を光速で突き抜けていく。

 

《ボルカドン》が間近に迫り、機首をロールさせ風圧でその巨躯を煽った。だが足場を踏み締めている《ボルカドン》にはまるでダメージにならない。

 

 円弧を描いて復帰した《サイファーグリッドマン》はさらに二重の結界を前面に張り直していた。

 

 その結界を超えた瞬間、戦闘機形態より移行した姿は、蒼い重戦車である。無数の火器を装備した重戦車のキャタピラが大地を踏み締め、《ボルカドン》へと緩慢ながらにその砲門を据えていた。

 

 直後、放たれた業火の塊が《ボルカドン》の堅牢なる装甲を打ち据える。何万度の灼熱に耐え得るであろう、白銀の表皮に穴が開いていた。

 

(まさか……! グリッドマン、貴様……覚醒を……!)

 

(わたしは未だに自分が分からない。それでも、わたしと一心同体になってくれている那由多が叫んでいる。守るべきもののために戦うと! ならば、それに呼応するのが、わたしだ!)

 

 重戦車の砲台が内奥より輝き、莫大な熱量を放出していた。《ボルカドン》の耐熱表皮を貫通し、敵がうろたえる。その隙を見逃さず、即座に巨人形態へと変身し、大地を蹴りつけて肉薄していた。

 

 浴びせ蹴りが《ボルカドン》の頭部を激震させる。すかさず放った左手の光刃がその首を刈るかに思われた、その刹那であった。

 

(させるかよ! グリッドマン!)

 

 降下してきた《ゴロマキング》が鎖を回転させて投擲する。《サイファーグリッドマン》の左腕を拘束する鎖の堅さに、お互いの距離をはかりかねる。

 

(グリッドマン! てめぇ、人殺しに加担する気か? 俺達は人間なんだぜ?)

 

(……そうであろうとも、那由多は守るべきものを見据えた! ならばわたしは、彼の意に背く真似はしない! わたしは、ハイパーエージェントだからだ!)

 

《サイファーグリッドマン》が力強く鎖を引き込む。その力に迷いがないのだと判じたのだろう。《ゴロマキング》は《ボルカドン》を下がらせていた。

 

(……なるほどな。もう繰り言を重ねる気もねぇってわけかい……。なら! 殺し合うしかねぇな! グリッドマン!)

 

《ゴロマキング》の駆使する鎖に鎌が装備される。鎖鎌を手にした《ゴロマキング》がその刃を薙ぎ払っていた。充填されたエネルギー波が放出され、《サイファーグリッドマン》の首を掻っ切らんと迫る。その勢いに、光刃を発振させて同士討ちさせていた。

 

 だが、それを見切らない相手でもなし。

 

 素早い身のこなしで懐に潜り込んだ《ゴロマキング》が鎖を拳に纏いつかせ、そのまま押し上げる勢いのアッパーを見舞っていた。

 

《サイファーグリッドマン》は間一髪でかわすが、今の一撃こそが《ゴロマキング》の本懐だと察知する。

 

(……貴様)

 

(ケンカ殺法ってのは知らねぇらしいな。場数が違うんだよ! ええ、ハイパーエージェントさんよォ!)

 

 放たれた鎖を断ち切ろうとして、その動きが囮である事を寸前で感じ取る。姿勢を後ずさらせた時には、《ゴロマキング》の次手が炸裂していた。

 

 横合いからの殴りかかり。それもゼロ距離に近い感覚だ。正確無比に急所である目つぶしを狙った一撃と、それに付随する暴力に《サイファーグリッドマン》は防戦一方を強いられる。

 

 構え直すが、敵はこちらに武装を施させる隙を与えない。大剣を呼び出そうにも、時間があまりにもないのだ。

 

 懐に潜り込んで、一発浴びせかかる。それが無理ならば蹴り。無理ならば、次なる一手と、相手の攻撃網には一手の遅れもない。《サイファーグリッドマン》は自ずと押されていた。光刃で相手との距離を稼ごうとするが、《ゴロマキング》はこちらの攻撃を恐れずに果敢に攻め立てる。

 

(言ったろ? 場数が違うって。てめぇの攻撃パターンはもう読み切った! どの手で来ようが、どれも先読みしてやんよ!)

 

 その言葉通り、大剣を召喚するために飛び退ろうとすれば足を取られ、《サイファーグリッドマン》は盛大によろけてしまう。転がる前に身を翻し、ロールさせて光刃を拡散させる。

 

(グリッドライト、セイバー!)

 

 三翼の光刃がそれぞれの軌道を描くが、《ゴロマキング》はそれらを鎖鎌で的確に撃ち落とす。《サイファーグリッドマン》は重戦車形態へと変位しようとして、駆け込んできた《ゴロマキング》に突き飛ばされていた。

 

(……こいつ、隙がまるで……)

 

(《バギラ》のジジィや、他のナイトウィザードと一緒にすんなよ。俺は! 第一線で戦ってんだ! 付け焼刃の戦略なんて通用すっかよ!)

 

 回転させて勢いをつけた鎖鎌が疾走する。《サイファーグリッドマン》は姿勢を沈めて回避するも、それを読んでいた《ゴロマキング》が既に肉薄している。

 

 近づかせまい、とグラン・アクセプターより光の皮膜を張り、防御に用いようとするが相手の 暴力は容易く壁を打ち破っていた。

 

 鎖を纏っただけの拳なのに、これまでのどの兵力よりも強靭である。打ち砕く術がまるで思いつかず、その巨躯に打ち込むべき次手も霧散していく。

 

(……この敵は……!)

 

(そろそろ時間のはずだよなァ、グリッドマン! 時間切れで人間に戻ったところを仕留められるか、それともここで! 俺に無謀にも挑んで死ぬか! 好きなほうを選ばせてやる!)

 

 タイマーが点滅を始める。このままでは相手の思い通りに打ち倒されるだろう。

 

《サイファーグリッドマン》は光刃を発振させて威嚇するが、《ゴロマキング》にはまるで通用していないのは分かり切っていた。

 

 ――付け焼刃や、あるいはただのその場しのぎでは絶対に勝てない。

 

 確信に、《サイファーグリッドマン》は硬直する。その間にも無情に時間だけは過ぎていく。点滅が激しくなってきた。

 

《サイファーグリッドマン》も肩を荒立たせ、今にも崩れ落ちそうである。

 

《ゴロマキング》が、裂けた口角をにやりと吊り上げた。

 

(どうやら……ここまでみてぇだなァ! グリッドマン! 俺がてめぇをぶち殺す!)

 

 鎖鎌を携え、《ゴロマキング》が駆け出す。次の一撃で決めるつもりであろう。《サイファーグリッドマン》は己の中に湧いた闘志共々、特攻の覚悟で走り出していた。

 

(差し違えてでも……! わたしは貴様を倒す!)

 

(差し違えだと? 勘違いすんな! てめぇは一人で死ぬんだよォ!)

 

 互いの影が交錯し、お互いの武装が貫かんと迫った、その時であった。

 

「――駄目じゃん。そんなの」

 

 不意に《ゴロマキング》の動きが鈍る。《サイファーグリッドマン》も硬直していた。

 

 眼前に現れたのは、見紛う事なき、人間の少女である。紫色のショートカットに、オレンジの瞳をした少女は、自分と《ゴロマキング》の間の空間に、浮かび上がっていた。

 

(……人間、だと)

 

 互いに必殺の勢いを削がれた中で《ゴロマキング》が声を震わせる。

 

(え……迴紫様……)

 

「駄目だって言ったじゃん。もうっ、聞かないんだから。めっ! だよ。たくさんコード使って、それで差し違え? ……いや、この場合一応はグリッドマンに深刻なダメージを与えられたかぁ……。でも、ボクの流儀じゃないんだよね。たくさん部下使って、心理的に揺さぶりまでかけて、そこまでお膳立てして、何? 何で劣勢なの? ……ホント、意味分かんない。キミさぁ、プライドなさすぎじゃない?」

 

《ゴロマキング》がうろたえて後ずさる。《サイファーグリッドマン》は浮かんだままこちらを注視する少女を睨んでいた。

 

(……君は何だ)

 

「何だって、ご挨拶だなぁ、今回のグリッドマンは。でも、はじめましてだよね。ボクの名前は迴紫。ナイトウィザードの頭目をやらせてもらっている。迴紫だ」

 

 微笑みながらそう口にする相手は、その言葉の事実とはまるで遊離して思えた。

 

 ――この少女が、敵の頭目だと……。

 

《サイファーグリッドマン》の意識と混ざり合った那由多もまた当惑する。こんな少女に、怪獣が率いられてきたと言う事実がどうしても信じられない。

 

 迴紫と名乗る少女は、こちらの眼差しが怪訝そうなのに心外だと眉をひそめていた。

 

「信じらんない? じゃあま、これでも見ればどう? これ持ってるのって、限られているはずだよね?」

 

 迴紫は左手首を掲げる。その手には紛れもない、赤銅のアクセプターが装着されていた。

 

 那由多の意識は己の左手首に装着されているアクセプターと同一である事を認識する。

 

(……我々と、同じ……)

 

「ちょっと違う。ボクはこの世界を自由自在に動ける、最強の存在。キミはハイパーエージェントに留まっているけれど、その域を超えた、超越者。ある意味では……言い方悪いかもだけれど、支配者かな?」

 

 小首を傾げた迴紫に《サイファーグリッドマン》は攻撃も出来ず、ただ持て余していた。それを好機と、《ゴロマキング》が疾駆しかけたのを、迴紫が片手で制する。

 

 迴紫の手から空間を超えて引き出されたのは、巨大な赤銅の杖だ。それが《ゴロマキング》の鼻先へと突きつけられる。

 

「隙あり! って? キミさ、ケンカ上等ってスタンスはいいけれど、グリッドマン相手にてこずり過ぎ。そんなんじゃ、怪獣としても失格だよ。何ならもう、コードも要らない?」

 

 その言葉に《ゴロマキング》は敵意を仕舞っていた。恐れ戦いた《ゴロマキング》は、武器の全てを手落とし、その場で這いつくばる。

 

(お許しを……)

 

《サイファーグリッドマン》はそのあまりの異様さに絶句する。怪獣がただの一少女に許しを乞うている。それだけではない。彼女には全てが出来るかのような万能さが宿っていた。

 

(……ナイトウィザードの、頭目であると言うのが本当なら……)

 

「なら、どうする? ボクをここで殺す?」

 

 面白がって上目遣いに、迴紫は試す物言いをしてくる。ころころ笑う少女に、《サイファーグリッドマン》はグラン・アクセプターより光刃の切っ先を突きつけていた。

 

 相手が全ての元凶だと言うのならば、自分は迷わない。迷わないと決めた。

 

 ――ナイトウィザードを倒す事が、守る事に繋がるのならば。

 

(……わたしは君を討つ)

 

 その宣言に、迴紫は、へぇと感心したようであった。

 

「ここでボクを討つ、か。そう言えるのはご立派。でも、駄目だねぇ。すぐに斬り付けないと。相手は待ってくれないよ?」

 

 その言葉が消えるか消えないかの刹那、《サイファーグリッドマン》の背後から攻撃が見舞われていた。

 

 振り仰いだ先にいたのは赤銅の結晶体である。それらが一斉に火を噴き、《サイファーグリッドマン》を追い立てる。

 

 光刃でいくつかの火線は払ったが、それでも執念深く追ってくる相手に、《サイファーグリッドマン》は戦闘機形態へと変じようとして、既に時間切れが近いのを知覚していた。

 

 その耳元で、迴紫が囁く。

 

「もうすぐ時間切れでしょ? 勝負はまたね。彼は、ちょっと汚い手を使ったからさ。お仕置きしておくから。どれだけグリッドマンが脅威でも、さすがに今回が出過ぎた感あるし……。ゴメンね! 今回のグリッドマンの人!」

 

 素直に謝ってみせる迴紫に《サイファーグリッドマン》と、同一化している那由多は困惑しっ放しであった。

 

 相手は、本当に敵なのか。それすら疑わしい。しかし、《ゴロマキング》を従えている以上、ただ者ではないのは見るも明らかだ。

 

「謝罪の証じゃないけれど、こういうのはどう? グリッドマン」

 

 迴紫が指をパチンと鳴らす。すると、戦闘地帯より下がっていた《ボルカドン》が浮かび上がっていた。展開された結界が幾重にも《ボルカドン》を拘束し、その自由を奪っている。

 

(迴紫様……俺の部下を……!)

 

「部下を大事にするんなら、こんな作戦で勝とうなんて思わない事だよ。さて、グリッドマン。ボクなりの謝罪っ! ゴメンね、今度からはもうちょっと楽しい催しにするからさ。これで今回は勘弁してね。じゃっ!」

 

(迴紫様! お許しを!)

 

《ボルカドン》が叫んだのも一瞬、浮かび上がった自律武装がその体表を貫通していた。

 

 赤い断面が生じたかと思うと、《ボルカドン》の身体は無数に切り刻まれていた。電磁の断面を生じさせ、《ボルカドン》が無残にもバラバラに切り裂かれる。その遺骸が青錆びの街へと落ち、血潮が空間を満たしていた。

 

 言葉を失う那由多と《サイファーグリッドマン》に、迴紫は茶目っ気を込めて言い放つ。

 

「いやぁ、お見苦しいところを見せたね。これでチャラって事で!」

 

《ボルカドン》の身体が赤く昇華し、空間に溶けていく。それを《ゴロマキング》は膝を落とし、茫然と見つめていた。

 

 白濁した瞳に宿ったのは殺意である。

 

 鎌を振りかぶり、《ゴロマキング》が迴紫へと襲いかかっていた。迴紫は赤銅のフィールドを張ってそれを防御する。

 

「えーっ、何で? ボク、正しい事をしたよね?」

 

(迴紫ィィッ! てめぇ、俺の部下をォッ!)

 

 戦闘衝動に沈んだ《ゴロマキング》を正攻法で止めるのは不可能に思えた。だが、迴紫は欠伸混じりに指を弾く。

 

 それだけで無数の自律機動兵装が挙動し、《ゴロマキング》を包囲していた。放たれた光条が《ゴロマキング》を押し返し、そのまま拘束する。

 

「……まだある?」

 

(迴紫……ッ! ここで俺が……殺す……ッ!)

 

 拘束を破ろうとする《ゴロマキング》に迴紫はほとほと呆れ返ったようである。

 

「……邪魔だなぁ、そういうの。思わない? 逆恨みほど、非生産的な事はないって」

 

 迴紫は左腕を掲げる。赤銅のアクセプターが照り輝き、彼女は両腕で十字架を作っていた。

 

「アクセース・フラーッシュ!」

 

 どこか間延びした声と共に引き出されていくのは赤銅の瞬き。光に抱かれた迴紫の身体が瞬時に光速の壁を越え、《ゴロマキング》を射抜いていた。

 

 直後に《ゴロマキング》の背後に立ち現れたのは、赤銅の光を湛えた――。

 

(……グリッドマン、だと……)

 



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♯3‐7

《ゴロマキング》が天を仰いで切れ切れの声を発する。直後、その身体が斜に切り開かれていた。電子の断面が露になり、血潮が舞う。

 

(貴様は……)

 

(名乗るんなら、そうだね。電脳導師《ウィザードグリッドマン》。思い出した? それとも、思い出せないなりに――怖い?)

 

 少女そのもののその声音にどうしてだか、《サイファーグリッドマン》と、それに抱かれた那由多は畏怖の感情に包まれていた。意味は分からない。だが、ただひたすらに――怖い。

 

 その感覚に、伝い落ちる悪寒に、何もかもが支配されている。

 

 自分が敵うはずのない相手に闘いを挑んだのだと、全神経が告げているのだ。

 

(分かんない? それも。あー……やっぱこれ、やめとこ)

 

 直後、迴紫は変身を解いていた。《ウィザードグリッドマン》の躯体が光になって還元されていく。

 

「重たいんだもん、これ。中の人の事も考えてって感じだよねー」

 

 ショートカットを払った迴紫は《ゴロマキング》へと一瞥を投げていた。《ゴロマキング》は先ほどから殺意を滾らせているが、まるで意味を持たないとでも言うように拘束され続けている。

 

 迸った血潮も相当な量だ。ともすれば致命傷かもしれない。

 

(……味方までも)

 

「味方ぁ? 勘違いしてるなー、キミ。ナイトウィザードは利益が一致しているから団結しているだけ。元から思想面や統制面ではずれているんだよ。でも……あの《ゴロマキング》の彼はつまんないよねぇ。笑っちゃう」

 

 それが本当に、心底可笑しな事であるかのように迴紫はぷっと吹き出していた。その様子に死に体の《ゴロマキング》が声を搾り出す。

 

(ぶっ……殺して、やる……。迴紫ぃ……ッ!)

 

「あーあ、似たような事しか言わなくなっちゃった。そろそろ終わっちゃうのかな? あ! じゃあさ! じゃあさ! いい事思いついちゃった! せっかくグリッドマンが二人も揃っているんだから、怪獣の解体ショーやろーよ! 二人で《ゴロマキング》を八つ裂きにするの! 面白そうでしょ?」

 

(何を……)

 

 息を呑んだこちらに迴紫は純粋そのものの口調で問いかける。

 

「えー、いいじゃん、いいじゃん! 怪獣の殺戮ショーなんて中々お目にかかれないよ? じゃあ、まずは片腕から落としちゃおうよ! ボクが先行ねー。さぁーて、どんな声で啼いてくれるのかなー」

 

 自律兵装が躍り上がり、《ゴロマキング》へとその頂点を照準させる。迴紫が手を払えばすぐさま殺戮の刃が放たれるであろう。

 

(殺すぅ……ッ! 迴紫ぃぃぃぃぃぃ!)

 

「あー、うっさい、うっさいぃ。同じ事ばっか言うな、バグってるの? もうっ、じゃあ腕からなんて悠長な事は言わないで、もう首を落として――」

 

 瞬間、光となって駆け抜けた《サイファーグリッドマン》が躍り上がり、迴紫の保持する自律兵装を叩き落していた。光刃を振り翳し、自律兵装を砕いた切っ先を突き上げ、そのまま迴紫へと雪崩れかかる。

 

 迴紫は自らに降りかかる直前で、手を振るっていた。

 

 赤銅のフィールドが展開され、《サイファーグリッドマン》の光刃を阻む。

 

「……何これ。何やってんの?」

 

(……怪獣とは言え……命を無秩序に摘むような真似は……看過出来ない)

 

 その言葉に迴紫は笑い声を上げていた。腹の底を押さえ、何度も息を切らす。

 

「あー、何それ? どういう渾身のギャグ? グリッドマンだって殺してきたじゃん。それなのに、自分はよくって他人は駄目なの? それ、どーいう事なの?」

 

 呆れ果てたように迴紫は首を傾げる。《サイファーグリッドマン》は光刃に限界まで出力を注ぎ込んだ。迴紫の保持する赤銅の壁に僅かながら亀裂が走る。

 

「あのさー、やってる意味分かってる? 別に怪獣なんて何匹死んだっていいじゃん。あいつら悪い事してるんだからさ。覚悟も出来てるでしょ。それなのに、カワイソーだから、やめて差し上げろって? ……矛盾って分かる? グリッドマン」

 

(わたしは……ハイパーエージェントとして、割り切りは出来ているつもりだ)

 

「じゃあなおさらじゃん。意味ない事やめようよ」

 

(だが……「オレはそんなつもりはない」)

 

 入り混じった声音が咆哮を呼び、《サイファーグリッドマン》の内奥より輝かしい蒼の光が放たれる。

 

 光刃が壁を打ち破り、迴紫へと打ち下ろされていた。

 

 だが――。

 

「……あっぶなー。時間切れだねぇ」

 

 迴紫は刃が掻っ切った髪の毛の一部を掴む。少しでも時間があれば、その身体は両断されていただろう。

 

 光へと還元されていく《サイファーグリッドマン》を迴紫は検分するように仰ぎ見た。

 

「……キミ、面白いね。特に今回のグリッドマンの……中の人は。何だかつまんなかった先代を超えた感あるよ、今の一瞬で」

 

 那由多は《サイファーグリッドマン》の体躯を動かそうとするが、光へと変わった身体を稼働させる事は出来ない。

 

 ――目の前に許せない怨敵がいるのに、何も出来ないなんて。

 

 グリッドマンとしての使命だけではない。何よりも自分の魂に、迴紫は唾を吐いた。

 

(……必ず倒す)

 

 その宣戦布告に迴紫は微笑んで手を叩いていた。

 

「うわっ! すっごいね。素で言えちゃうんだ、そんなセリフ……。ま、フツーなら負けフラグだけれど、面白いから受けちゃう。ボクを退屈させないでよ、新しいグリッドマンと、その中の人」

 

 直後、《サイファーグリッドマン》の全身は光に溶けていった。

 

 那由多は高層建築物の屋上より、浮遊する迴紫を直視する。

 

 相手も自分から目を離す事はなかった。互いに互いを敵と決めた眼差しで、那由多は己の内側に沸いた明確なる敵意と共に、叫んでいた。

 

「お前だけは、必ず倒す! 迴紫!」

 

「ふぅん。使い古された台詞で吼えるねぇー。でも面白いから、こっちもテンプレで返しちゃおうかな。……死ぬのはお前だ……とか?」

 

 小首を傾げた迴紫は次の瞬間、赤銅の風になびかれ消え失せていた。

 

 那由多はアクセプターの浮かび上がった左手首と共に、新たに誓う。

 

「……あれが、オレの倒すべき、敵……」

 

 アクセプターの脈動が静かにそれに応えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 円卓を囲み、会議が催されたのはその時既に、であった。

 

 モノクルの紳士が仕切り、他の者達がリアルタイム映像を各々目にする。

 

「怪獣は使い捨て、死んでも構わない、ね」

 

 女の声に、聞き取れない小さな声で、少女が返していた。丸眼鏡をつけた少女は特徴的な頭頂部の毛を何回も直しつつ、迴紫の残したゲームをやり進めている。

 

「……迴紫様、こんなところでセーブもせずに……。遊んだら遊びっきり……。ゲーマーの風上にも置けない……」

 

「あんたもこういう時だけ出席するんじゃなくって、常に迴紫様に言えばいいのに。それ、触っていたら迴紫様にばれるわよ」

 

 その忠告に少女は、ひっと短く悲鳴を発し、慌てて指紋を拭う。

 

「見ての通り、《ゴロマキング》の彼がやられました」

 

「迴紫様に、でしょう? どうするの。ナイトウィザードの一員としては看過出来ないとでも?」

 

 女は煙管より紫煙をたゆたわせる。少女が何度も咳き込んだ。

 

「……いえ、ここは静観を致しましょう。ナイトウィザードを構築するのも一枚岩ではない事を、迴紫様は知るべきなのです」

 

 モノクルの御仁の言葉に女はフッと笑みを浮かべる。

 

「あんただって、腹に一物抱えているクチだものね」

 

「……え、迴紫様は、勝手が過ぎる……と、思います。《ウィザードグリッドマン》、だって、明かす予定じゃ、……なかったはずなのに……」

 

「それ含めての緊急会合でしょう? どうするの? 三人いないけれど」

 

「コードを含め、身勝手に振る舞え……。迴紫様が言うのならば、それでいいのでしょう」

 

「勝算はあるって言い草に聞こえるけれど?」

 

「少なくとも伝手くらいは」

 

 モノクルの紳士は手を翳す。映し出されたのは白髪の青年であった。その姿に女が艶やかな息をつく。

 

「……生きていたのね。彼」

 

「我輩らナイトウィザードへの復讐を企てていると思われます」

 

「……逆恨み、ですよ……」

 

「それでも。ナイトウィザードの障害として立ち塞がるでしょう」

 

「彼を殺せ……って言う空気じゃ、なさそうね」

 

 モノクルの紳士は《ゴロマキング》の姿が赤い粒子となって消えゆくのを視認してから、言葉を継いだ。

 

「……我々ナイトウィザードは残り五人。慎重な行動が求められる」

 

「どう立ち回っても、私達は迴紫様からしてみれば玩具なんでしょう?」

 

「走狗には走狗なりの意地がある。それを見せつけましょう。まずは、彼に」

 

 映し出された白髪の青年の名前を、モノクルの紳士は忌々しげに口走る。

 

「ハンターナイト、ツルギ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朋枝は戦場に成り果てた新宿区内をようやく、と言った様子で窺っていた。

 

 那由多から自分が来るまで外に出るな、と厳しく言われてドクロ鉄道の構内に身を隠していたが、当の那由多は一向に戻ってこない。

 

「……もしかして、怪獣に? ……そんな事、ない、よね……」

 

 那由多が自分の下に帰ってくる保証なんてない。それでも、朋枝は信じたかった。那由多は既に掛け替えのない存在になりつつあるという事を。

 

 だからこそ、死んで欲しくない。エゴを言えばグリッドマンに成る必要性もないと感じていたが、それはただのわがままだ。

 

 構内より出た朋枝は焼け野原になっていた新宿の外観が、じわじわと青錆びに浸食され、少しずつ沈静化していくのを目にしていた。

 

 炎は掻き消え、戦場の喧騒は鳴りを潜めつつある。

 

 朋枝はその只中で蹲っている人影を発見し、慌てて駆け寄っていた。

 

「那由多……っ!」

 

 しかし、近くまで迫ってから、それが全くの別人であると思い知る。

 

 金髪の男は蹲り、こちらを凄みを利かせた眼で睨み据える。

 

「なに……見てんだ、てめぇ……ッ!」

 

 その双眸に、殺される、と危険信号が走ったのも一瞬。朋枝は相手が深手を負っている事を認識した。出血が激しく、男は今にも息絶えそうである。

 

「……消えろ……。一人で……死にてぇ……」

 

 通常ならばその声に耳など貸さないだろう。逃げ帰り、那由多を待てばいい。だが、この時の朋枝は、出会ったばかりの頃の那由多の相貌を、男に重ねていた。

 

 頼るべきものも持たず、何者でもない存在――。それはどれほどの孤独だったのだろう。どれほどの、冷たさであったのだろう。

 

 朋枝は気が付くと男に肩を貸していた。男は血濡れのまま頭を振る。

 

「やめ、ろ……。一人で……死なせろ……」

 

「一人なんかで死んじゃ駄目……っ。人間は、絶対に一人で死んでいい人なんて、いないんだから」

 

 その言葉が誰からもたらされたものなのかは分からない。それでも、朋枝は前を向いて宵闇の新宿を歩み進んでいた。

 

 黄金の瞳の月明りの照らす、静かな夜であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【鋼鉄怪獣《メタラス》】

【電波怪獣《ボランガ》】

【火山怪獣《ボルカドン》】

【ツッパリ怪獣《ゴロマキング》】

【幽愁暗根怪獣《ヂリバー》】

【電脳導師《ウィザードグリッドマン》】登場

 

 

 

第三話 了

 



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第四話 CODE:Aggressor
♯4‐1


 

 瞼を開くと見えてくるのは、黄昏の景色であった。

 

 夕映えに沈んだ街並みを見下ろす視点に、傍で声が弾ける。

 

「いい景色。私、夕焼け空が一番好きだなぁ。ホラ、セブンのあの名作回を思い出すし」

 

 傍らで自分と共に景色を一望するのは紫の髪の少女であった。好奇心旺盛な瞳が周囲を捉えている。

 

 紫色のブラウスに、白の服飾。どこか、滑稽にも映る恰好であったが、少女は特段、構えた様子もない。

 

 自分は、と言えば、どこか茫然と夕焼け空を見据えているのみだ。

 

 この空が懐かしいわけでも、ましてや記憶の中で特別な景色なわけでもない。ただ、どこか珍しいな、と心の奥底で感じていた。

 

 暫く、夕焼け空は目にしていない気がしたのだ。

 

 だが、そんなはずはあるまい。この世界はいつだって、夕映えに包まれた、柔らかな時間が流れている。穏やかに、たおやかに、何者にも染まらない、逢魔ヶ時の風景。この背の高い鉄塔から望むのも、一度や二度ではないはずだ。

 

 そう、そのはずなのだ。

 

 しかし、どこか遊離しているのは何故だろう。隣にいる少女も、どうしてだか今、名前が思い浮かばなかった。

 

「……お前は」

 

「お前って、失礼でしょ。私の名前、忘れちゃった? あ! 記憶喪失とか言うギャグ?」

 

 めっと厳しく指摘されたかと思えば直後には少女はころころと笑っている。めまぐるしい感情の波だな、と他人事のように感じていた。

 

 だが、どうしても思い出せないのだ。それどころか自分の名前すらあやふやであった。

 

 額に手をやり、己の記憶を手繰る。

 

「オレは……」

 

「那由多君、でしょ? 私の彼氏」

 

 そう言い聞かされ、那由多はああと持ち直していた。

 

 そうだ、自分はこの少女と恋仲であった。思い出すと思考が明瞭化され、ぼやけていたピントが合うかのように、次々と言葉が出てくる。

 

「そうだ、オレは那由多で……この場所でずっと、待っているんだ。……待っている? 何を?」

 

「だって、君は待ち続けているもんねぇ。あっ、そろそろ帰ろっか。夕飯はカレーがいいなぁ」

 

 自ずと周囲から立ち上るカレーのスパイスのにおい。夕焼け空を豆腐屋の宣伝音声が流れていく。

 

 どこまでも穏やかで、誰よりも優しい空間。

 

 そんな場所に、自分は佇んでいた。

 

 たった一人ではない。傍らには少女がいる。

 

「お前……いや、君の名前は……」

 

 鉄塔から降りる最中、尋ねた那由多に少女は頬をむくれさせる。

 

「……ふざけてるんだったら怒るよ? ……それとも、本当に記憶がないの?」

 

「……すまない」

 

 謝った自分に彼女は嘆息をつく。

 

「私の名前はアカネ。アカネって呼んでいたでしょ?」

 

 そうだった、と思考の補正がかかる。彼女の名前はアカネ。――新条アカネであった。

 

「君は新条アカネだ」

 

「何そのリアクション。ウケるー! 記憶喪失ネタ引きずる?」

 

「いや……どうだろうな」

 

 うまい返しが思い浮かばず頭を悩ませていると、アカネは地面を蹴って跳ね上がっていた。

 

「じゃあさ! 家まで競争ねっ! 私、足速いんだー」

 

 ふふん、と鼻息を漏らすアカネに那由多はそうだったか、と思い返していた。

 

 新条アカネは――足の速い自分の恋人。ちょっと変わっているところと言えば、特撮やアニメに造詣が深いところだろうか。ちょっとした発言に引用元を問い質されて困る事が多々ある。

 

 それでも彼女は他者を慮る事が出来るし、自分もそんな彼女を尊敬はしている。

 

 ふと駆け出そうとして、はて、と足を止めていた。

 

「オレの……家?」

 

「あれ? おーい。記憶喪失さーん。もうっ、そのネタウケないからやめなよ」

 

 そう言われても本当に思い出せないのだ。戸惑う那由多の手をアカネは取っていた。

 

「一緒なら帰れるでしょ? 一緒に帰ろ?」

 

 そう言われると少しだけ安堵する。自分には居場所があるのだ。

 

 帰れるだけの、居場所が。

 

「……アカネ。オレは頭でも打ったのだろうか」

 

「そんな事はないはずだけれど、ちょっと今日の那由多君は変だねぇ。もしかしてさ、侵略宇宙人の電波を受信しちゃったんじゃない?」

 

「……宇宙人」

 

「ジョーダンだって! 真面目にいちいち捉えないで。君は那由多君で、私の恋人。そんでもって、私はアカネ。それでいいでしょ?」

 

 そう、そのはずだ。その帰結で問題ないはず。

 

 しかし、どこか。何かをなくしている気がする。何か、とても重要な事を、欠いている気がするのだ。

 

 だが、分からない。何が、どう欠けていて、何がどう欠落しているのか、まるで見当もつかない。

 

 そもそも最初からないものに意味を求めるのが間違いか。

 

 ない、のだから、ある、という状態に意義を見出すのはそもそもの失敗であろう。

 

「オレは……家があって……」

 

「そうそう! ここじゃん。家」

 

 トタン屋根の一軒家には「彩」という看板がある。

 

「……店だったのか」

 

「今知ったみたいな台詞……。演技もそこまで来ると板についているね! 案外、那由多君は演技派なのかも!」

 

 ただいま、とアカネが玄関を潜る。自分もその後に続いていた。古式ゆかしい木造家屋の形式に那由多は困惑する。

 

「……こんな建築物がまだ存在していたのか」

 

「何言ってんの? うちは貧乏なんだから、貧乏を卑下しちゃ駄目でしょ」

 

 ぴんとデコピンが見舞われる。そうだ、何もおかしい事はない。木造建築くらいは別によく見る話だ。

 

 進んで行くとコンクリートで固められた部屋と、その奥に続く居間とキッチンが窺える。那由多はアカネがコンクリート張りの部屋に入ったところで、視界に入った筐体に足を止めていた。

 

「……ジャンクか。こんなに立派な……」

 

「何言ってんの? いつもジャンクはあるじゃん。うちはリサイクルショップなんだからさ。ジャンクは……まぁ有り合わせのパーツで作った趣味の産物」

 

 そのジャンクの画面を一瞬、水色の光が走ったような気がした。覗き込むと、何かが自分の顔の代わりに反射する。

 

 その何かを記憶の中で探る前に、那由多は声に反応していた。

 

『おやおや。お客さんだねぇ』

 

「お客さんじゃないよ。おかえり、でしょ」

 

『ああ、そうだった、そうだった』

 

 アカネに窘められた相手は、背の高い漆黒の人物であった。

 

 黒いマントを身に纏い、顔面はマスクのような形状のものを身につけている。赤いサングラスの内奥に黄金の眼窩が見え隠れしていた。髪は逆立ち、燃え盛っている。

 

 どう見ても普通ではない相手――そう認識した瞬間、那由多は外套より龍の意匠の拳銃を取り出していた。

 

 突きつけ問い質す。

 

「貴様……何者だ!」

 

「ちょ、ちょっと那由多君? 何やってんの、《アレクシス》じゃない」

 

「《アレクシス》……?」

 

『やぁ、那由多君。わたしの事は忘れてしまったのかな? アカネ君のお目付け役兼、保護者だよ。ほら、そんな――オモチャの銃は捨てて、さ』

 

《アレクシス》の言葉に那由多はハッと我に返る。どうして自分は、赤い玩具の銃なんて相手に突きつけているのだろう。

 

「……すまない。さっきからどうにも」

 

「気が動転しているのかな? ちょっと心配……。《アレクシス》、留守番お願いしていい? 病院で診てもらったほうがいいかも」

 

『請け負おう。カレーでいいね? 夕飯は作っておくよ』

 

「お願いー。那由多君、行こ?」

 

 アカネに手を引かれ、那由多は家を出ていた。よくよく目を凝らせば同じような建築物が軒を連ねている。

 

 どれも異様に背の低い――いや、何故「異様に」なんて思ってしまったのだろう。まるで高層建築物が当たり前であったかのような思考回路だ。

 

 夕映え空に彩られた建築物の屋根瓦が反射し、眩い光を放っている。その光の中に、何かが見え隠れしたような気がしたが、気のせいだろう。

 

 暫く歩いていくと、白亜の建築物に行き着いた。

 

「これが……病院……」

 

「……あんまししつこくっても面白くないよ? 病院くらい当たり前じゃん」

 

「ああ、そうだな。オレは……診てもらえばいいのか?」

 

「私、待合で待っているから。……変な病気とかじゃないといいけれど」

 

 アカネの不安を他所に那由多は病院へと歩み進んでいた。白い装束に身を包んだ人々が行き来している。

 

 それを那由多はまるで初めて見るかの如く、茫然と眺めていた。

 

「……内科はあっちだよ?」

 

「あ、ああ。そうだな。こういう時は……ナイカ? でいいんだったか」

 

 アカネは端末をいじくっている。その様子もどこか滑稽に思えてしまうのだから、自分はともすれば重症なのかもしれない。

 

 目にするもの全てがおかしいように映ってしまう。

 

 何年も生きてきたはずだ。何年もこの街で……育ってきたはずなのだ。

 

 なのに、実感があまりにも薄い。この黄昏の街角に、何の感慨も湧かない。むしろ、異様な孤独感に苛まれていた。

 

 ここは――まるで自分の居るべき場所ではないような……。

 

「あっ、呼ばれたよ。行って来たら?」

 

 名前が呼ばれ、診察室へと那由多はおぼつかない足取りで入っていく。

 

 何がどうなっているのか。問い質す必要があった。

 

「……オレは、どうやら記憶に齟齬があるらしくって……」

 

『それはいつからですか?』

 

 顔を見ようとして、その面持ちが影のように暗く沈んでいる医師に、那由多は頭を振っていた。

 

「いや……いつからなのかも分からなくって……」

 

『それは記憶障害かもしれませんね。ですが、すぐ治りますよ。あなたはそれをおかしいのだと、認識しているのでしょう? でしたら一時的なものです。一応、向精神薬を処方しておきましょう』

 

「……お願いします」

 

 促されるまま、那由多は診察室を出ていた。出る直前、医師や他の者達の影がどろどろに溶けたような感覚に襲われ、不意に振り返る。

 

 既に診察室の扉は閉ざされていた。

 

「那由多君。おかしなところがあるって?」

 

「いや……一時的なものらしい。薬はもらえるみたいだ」

 

「よかったね。おかしなところがないんなら何より!」

 

 アカネの言う通りなのだろう。おかしなところがないのならば、それでいい。この景色に、この世界に、何か疑問を挟む余地があるだろうか。

 

 アカネがいる。世界は黄昏に染まったまま静止しているがさしたる問題ではない。

 

 そして家には《アレクシス》が待ち構えていた。

 

 芳しいカレースパイスの香りにアカネが、やった! と声を弾けさせる。

 

「今日は《アレクシス》の得意な、シーフードカレー!」

 

『君達にお腹いっぱいになって欲しくってね』

 

 アカネに促されるまま、那由多は食卓を囲む。

 

 いただきます、の号令でアカネがカレーを口にかけ込んでいた。那由多も真似をするが、噛んでも噛んでも味がない。砂を食んでいるかのようだ。

 

『どうしたのだね? 那由多君。おいしくなかったかい?』

 

「那由多君……やっぱりちょっと……」

 

「いや、おいしい」

 

 そう言っておけば、ここでは「異常」ではなくなる。笑顔になったアカネに《アレクシス》は笑い声を上げていた。

 

『元気が何よりだからねぇ』

 

「《アレクシス》! おかわり!」

 

『おいおい、アカネ君。ダイエットをしていたんじゃないのかい?』

 

「今日でダイエットは終了! 一キロ痩せたもん!」

 

『駄目だよ、リバウンドを警戒しなくっちゃ。炭酸水で我慢するといい』

 

 むぅ、とアカネがむくれる。その様子が可笑しくて那由多は自ずと口元を綻ばせていた。

 

 ――ああ、こんなにも穏やかで、平和だ。

 

 心を乱される事もない。この黄昏の街は、理想郷のようであった。

 

 豆腐屋の宣伝車が走り回っている。どこか遠くから、子供達の声が木霊する。

 

 窓から吹き込む涼しげな風は、秋の到来を予見させていた。

 

「もうすぐ秋だねぇ」

 

『過ごしやすくなるといいねぇ』

 

 アカネと《アレクシス》の温厚な声音に、那由多は味がしないながらもカレーを頬張っていた。

 

 



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♯4‐2

 

 絶叫が迸る。

 

《サイファーグリッドマン》を拘束した黄昏の球体より放たれた触手が巨人の躯体を縛り上げていた。

 

 蒼い輝きで切り裂こうとするも、全てを無為に帰すような黄昏の球体は翼を広げる。

 

 球体の中心部に亀裂が走り、見開かれたのは眼球であった。

 

 球体は《サイファーグリッドマン》の体躯を浮遊させる。束縛から逃れようとする《サイファーグリッドマン》へと無数の触手が干渉し、その装甲へと入り込む。

 

 瞬間、電子と光子で構成された《サイファーグリッドマン》の体内がブロックノイズに包まれた。いくつものノイズを浮かび上がらせ、《サイファーグリッドマン》の眼窩より光が失せていく。

 

 戦闘の気迫が消え失せた《サイファーグリッドマン》を黄昏の球体はゆっくりと取り込んでいた。

 

 その巨体がずぶずぶと沈んでいく。

 

 朋枝は覚えず高層建築より叫びを上げていた。

 

「那由多! 《サイファーグリッドマン》!」

 

 朋枝には球体は一瞥もくれず、《サイファーグリッドマン》を吸収したかと思うと、その巨体は高空を目指して浮遊していく。まるで風船のように質量を感じさせない相手に、朋枝は成す術もなかった。

 

「……武器くらいあれば……」

 

 歯噛みする朋枝が手すりを骨が浮くほどに握り締める。

 

《サイファーグリッドマン》を取り込み、黄昏の球体は瞬時に上空へと飛び去っていた。

 

 その残滓さえもない。相手は自分達の手の届かない場所まで離脱したのだ。

 

 青錆びの霧が吹き抜ける街で、朋枝は声を張り上げる。

 

「那由多! お願い! 戻ってきて!」

 

 その叫びも虚しく、高層建築の樹海に埋没していくばかりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 円卓を囲んだナイトウィザードに、あーあ、と迴紫は呆れ返っている。

 

「手を打つ前に、攫われちゃったねー」

 

 どこか呑気な頭目にナイトウィザードの者達は声を振り向ける。

 

「いいのですか? ……あれは我が方の怪獣ではありませんが」

 

 モノクルの男が鋭い眼光を映像の先に投げる。

 

「……宇宙人、ですか」

 

「めんどいんだよねー。そりゃ、交渉延長していたのは、ボクのミスだよ? でもさー、相手がナイトウィザードを倒そうとするんならまだしも、新しいグリッドマンに目をつけるなんて思わないじゃん」

 

 髪を掻き上げた迴紫はゲーム機のボタンを連打する。どうやらリズムゲームにはまっているらしい。軽快なリズムが、現状の深刻さとはまるで遊離していた。

 

「……我々が打って出ても」

 

「コードの無駄遣いになるよ。相手はこっちの理の通用しない、侵略宇宙人。そんなのに怪獣のアクセスコードなんて使って取り込まれたらどうすんの? 相手に力を与えるだけになるかもしれない。今は待とうよ」

 

「……意外ですね。迴紫様はあんなもの、歯牙にもかけないと思っておりましたが」

 

「慎重でおかしい? ……だって通用しないんだもん。仕方ないじゃん」

 

 どこか不機嫌そうな迴紫は珍しくゲームに全面的に興じているわけではなさそうだった。何回もリズムを外し、苛立ちをゲーム機にぶつける。

 

「ああっ、もうっ! 全然、はまんないじゃん! ……キミらの視線が痛いから言っておくよ。《ウィザードグリッドマン》に変身して、さっさと邪魔な奴を倒しちゃえば……とか思ってるでしょ」

 

 あーあ、と迴紫はゲーム機を円卓に投げる。分かっているのならば、と言葉を繋げようとして、声に遮られていた。

 

「――でも、駄目なんだよねぇ。あれは外からに関しては堅牢なんだ。攻撃はほとんど通用しない。いくら、ボクが《ウィザードグリッドマン》の力を全面的に使用しても、同じだろうね。あれは別権限でここにいるんだ」

 

「別権限……。迴紫様でも相手を制御出来ないと?」

 

「悔しいがその通り。だって裏の裏を掻いて、さらに言えば裏テクのさらに裏ワザみたいな事をされてるわけ。……ま、面白くはないよね。でも、どうしようも出来ない。相手はボクらを警戒して、今まで手を打ってこなかったけれど、興味深い対象が出来たんでしょ」

 

「それが、新しいグリッドマン……」

 

「こっちからしてみれば、面倒を減らしてくれているようで、実は一番に面倒くさい事をされてるんだよね。だって、新しいグリッドマンの中の人がせっかく面白い人だったのに、戦いを持ち越されただけじゃないもん。このままじゃ、グリッドマンも中の人も、永久にあの球の内側の世界に閉じ込められた状態だよ」

 

 浮かび上がった黄昏色の球体は光輪を展開していた。まさか、と息を呑んだ直後、放たれたのは光輪による大質量の爆撃であった。

 

 瞬間的に高速落下した光輪が渦を巻き、青錆びの街を砂礫と破壊で蹂躙する。その攻撃にナイトウィザード達は絶句していた。

 

「あんな威力……」

 

「まぁ、侵略のための基盤だし、これくらいは当然じゃない?」

 

 おかしいとも思っていないのだろうか。このままではナイトウィザードの領分も危うくなる。

 

「……本当に、対抗しなくていいのですか?」

 

「しっつこいなぁ。いいんだよ、別に。だって相手には戦う気なんてないもん。グリッドマンを煽っているほうがまだ楽しいなぁ……。宇宙人って淡白でさ、面白くないんだよ。煽ったって乗ってこないし。かと言って相手は相手で結構、こっちの神経逆撫でしてくるし。……まー、苦手な部類だよ」

 

 迴紫をして苦手と評せられる相手に対して、本当に徹底抗戦の構えも取らないで大丈夫なのだろうか。各々視線を交わし合うナイトウィザードに、迴紫はもうっ! と円卓を叩いていた。

 

「チラチラ見たって解決しないだから! ボクが《ウィザードグリッドマン》に変身して、それでちゃっちゃとぶっ潰しちゃえば早いって、みんな思ってる! 何回も言わせないで。分が悪いの。勝てない勝負はしたくないし、それ以前に勝負のレートにも上がらないんなら、もっと嫌!」

 

 迴紫がここまで嫌悪感を露にするのは珍しい。ナイトウィザードの面々は言葉を失っていたが、やがて意思決定をしていた。

 

「……我々ナイトウィザードは、戦わない」

 

「そうだよ、それでいいの。大体さぁ、あんなのずるっこい。理が違うんだもん。そんなの、ボクらが相手にするのは馬鹿馬鹿しいよ。消耗するだけ。だから、ここは静観。誰かが出ても止めないけれど、絶対! おススメはしないよ。だって負けちゃうもん、あれには」

 

 迴紫は再びゲーム機を手に取り、リズムゲームを再開する。ナイトウィザードはそれぞれ持ち場へと戻っていった。

 

 だが、納得は出来るものか。敵が強大でもやりようはあるのだと、そう確信していた者達は少なくはなかったらしい。

 

 月光の差し込むテラスでモノクルの紳士と、女は密会していた。

 

「……迴紫様は諦めろ、と仰っていましたが」

 

「理が違う、ともね。でも、私達がさじを投げればナイトウィザードの名折れ、でしょう?」

 

 思っている事は同じらしい。紳士はその手に《バギラ》のモニュメントを握り締めていた。

 

 片腕が欠損した《バギラ》に女は嘲笑する。

 

「いいの? 迴紫様に直してもらえばいいのに」

 

「施しは受けない。そうと決めた」

 

 断固とした口調に女はゆるりとモニュメントを取り出す。扁平な頭部を持つ刺々しい怪獣であった。その瞳が赤く点火される。

 

「いいわ。乗りましょう。迴紫様に対して文句があるのならば、私達がまずは、示す」

 

 



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♯4‐3

 

「あーあ。取り込まれちまいましたっすねぇ。これじゃ、外からはどうしようもねぇっす」

 

 肩を竦めたツルギに、アノシラスは尋ねる。

 

「助けないんだ?」

 

「助けてどうするっすか。一端にグリッドマン気取るって言うんなら、俺の助けなんて」

 

「でも、じゃあ前は何で助けたの?」

 

 痛いところを突かれ、ツルギは憮然と応じる。

 

「……あそこでやらなきゃ、戦闘不能になっていたっす。そうなるとこっちもこっちで困るんすよ。一人でもナイトウィザードを減らしてもらわない事には」

 

「でも、ばれちゃったね」

 

 笑いかけるアノシラスに、ツルギは望遠鏡越しに黄昏の球体を睨んでいた。

 

 先ほどの光輪による攻撃波は恐らく牽制のつもりだろう。ナイトウィザードだけではない、他の勢力への見せしめ。あるいは、武力の誇示。いずれにせよ、自分達が容易く届く場所ではない。

 

 このままでは黄昏の球体は空高くへと飛び立ってしまう。

 

「……宇宙人ってのはこっちの都合は通用しないっすからねぇ。迴紫も後回しにしてたんでしょう。そのツケが、今回なわけっすが。……ナイトウィザードの怪獣が動かない限りは、俺が動くのは下策っす」

 

「でも、このまま待っているとグリッドマンは連れ去られちゃうよ」

 

 それも頭を悩ませる一因だ。グリッドマンに味方するわけではないが、ナイトウィザードを倒してもらう以上、的確にその場その場で判断を下さなければ自分が読み負ける。

 

「幸いにして、俺のところに襲撃者が来ないって事は、この間の《ゴロマキング》はあのまま死んだか、あるいは口を割っていないかのどっちかっすよね。そうじゃなければ、そろそろ強襲があってもいいはず……」

 

「何もないのは、いい事でしょ」

 

「……あのっすねぇ。こちとら仕掛けてるんす。何もないってのは相手にされていないか、あるいは仕掛けが正常に働いていないって事なんすよ。ったく、やってられるかって……」

 

 呑気なアノシラスはそれでもふぅんと興味もなさげだった。

 

「あの球体は全部持ってっちゃうのかな。この世界の何もかもを」

 

「そういう腹積もりの可能性もあるっすねぇ。超高空から攻撃をちょっと仕掛けるだけで、地上勢力は総崩れ。これなら、この場所にこだわる必要もないっすから」

 

 ナイトウィザードも嘗められているのだろう。実際、迴紫が出てこない時点で、相手の勢力も一枚岩ではないのは窺えた。

 

《ゴロマキング》を血祭りに上げたのがここに来て軋轢を生んでいるのかもしれない。迴紫は身勝手だ。それは前からよく分かっている。問題なのは、どこで亀裂が入り、どこで空中分解するか。そこを見極めなければ、最善の時を狙えない。

 

「でも、宇宙人なんていたんだね」

 

「今さらじゃないっすか。怪獣がいる。グリッドマンがいる。なら、宇宙人くらいいてもおかしくはないっすよ」

 

「でも、あんな姿なんて思いもしなかった。案外、宇宙人って忙しいのかな。こっちとコンタクトを取ったりしないんだ」

 

「いんや、コンタクトは取っていたはずっすよ。迴紫に、ですが、迴紫は面倒くさがりなので、それを追々にした結果なのは明らかっす。宇宙人は最初から、迴紫と共に覇権を握る気だったのは見え見えっすよ」

 

「お兄さん、ナイトウィザードと迴紫に詳しいんだね」

 

「そりゃ、暗殺対象っすからね。敵を知らばって奴で」

 

 望遠鏡を下ろして口にしたその言葉にアノシラスは、ふとこぼしていた。

 

「でも、あの時に迴紫を殺さなかったのは、何で?」

 

 そう、《サイファーグリッドマン》と《ウィザードグリッドマン》とのぶつかり合いが、好機であったはず。迴紫も油断していた。だと言うのに、狙撃銃の引き金を引けなかったのは自分だ。

 

「……殺す機会じゃなかったんで」

 

「嘘。お兄さんは相変わらず、嘘が下手だね。私、分かっちゃう」

 

 誤魔化すのも限界か、と嘆息をついて口火を切る。

 

「……目の前にすればすぐに殺せると思っていたんすよ。それが、甘かったって事なのかもしれないっすね」

 

「迴紫をお兄さんは殺せないの?」

 

「……いんや、何だかんだで迴紫だけじゃない。人間態のナイトウィザードをもっと、本気で殺そうとすれば出来たはずなんす。それをやらなかったのは、覚悟が足りなかった。俺もあの坊ちゃんを馬鹿には出来ないっすね。鬼になったつもりが、まだ成り切れていなかったっていう、単純な話っすよ」

 

「じゃあ、もう復讐は諦める?」

 

「まさか。……今度こそは殺すっすよ。絶対に、何があっても。己の信に背を向けてでも」

 

「……そっか。安心した」

 

「安心? こんなところで殺す殺すって言っている野郎なんてヤバいだけでしょ。何で安心するっすか」

 

 純粋な疑問にアノシラスは目線で応じていた。

 

「だって、お兄さんはお兄さんだからね。私の思った通りの人だなって、再認識した」

 

「何すか、それ。俺は何だと思われてるんすか」

 

 呆れ返りながらもツルギは二丁拳銃に弾を込めていた。次なる手を打つ準備は出来ている。武器はいつでも構えられる。問題なのは、今度こそ引き金を引けるか否かだ。

 

 自分は、誰よりも冷酷にならなければならない。そうでなくとも、グリッドマンをこのままでは失ってしまう。

 

 ナイトウィザードも黙ってはいまい。その時を狙うべくして、ツルギは携えた武器を確かめる。

 

「でも、あれ変な色だよね。何であんなのなんだろ」

 

 超高空へと飛翔した球体にアノシラスは心底不思議なようであった。ツルギは思索を述べる。

 

「案外、あの中の色なのかもしれないっすよね」

 

「中……中はどうなってるんだろ」

 

「知る由もないっす。ですが、こっちよりも幸福ってのはないでしょ。あれは侵略宇宙人の持つ、力そのものなんすから」

 

 奪還の術はない。グリッドマンは完全に宇宙人に奪われた形だ。

 

 しかし、この程度で、という思いもある。

 

「……これで終わりなら、グリッドマンを名乗る権利は、ないっすよ、坊ちゃん」

 

 



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♯4‐4

 

「それ! 行け!」

 

 テレビの前で、アカネが声を張っている。そこまで大それた事が起こっているわけでもない。巨人と怪獣が舞い上がり、お互いに火花を散らしている。それぞれの戦い振りに那由多は黙っていた。

 

 どこかで似たような事が起こっているような気がする。それもとても近い場所で。

 

「あーあ、今週も終わりかぁ。ねぇ、那由多君。怪獣が負けるのって、おかしいよね?」

 

「アカネはそう思うのか」

 

「違うの?」

 

「オレは……分からない」

 

 その返答にアカネは自分の手を取る。

 

「私の味方なら、分かるはずだよ。怪獣万歳! ってね」

 

 諸手を上げたアカネに那由多は当惑してしまう。怪獣が勝利するのが正しい、それはどうしても認識出来ない。

 

 何か、とても重要な事を取り違えているような感覚だが、それを名言化する事は出来ない。アカネはただ無邪気に思っている事を言っているだけだ。だから、さして思いを巡らせる事はないはずなのだが。

 

 それでも何故だか、一つ事にこの身はあるという曖昧な気持ちに囚われる事がある。何か、大事なものを自分は永久に失いつつある事実に、無力感に苛まれていく。

 

 その手をアカネは握り締めていた。愛おしいものに触れる手つきだ。

 

「……那由多君の手は、あったかいね」

 

「そうか。そんな事はないと思うが」

 

「あったかいよ。お陽様みたい」

 

「太陽……」

 

 那由多は窓辺より地平線を望む。もうすぐ沈んでいく斜陽の光が差し込んでいる。

 

 この場所は安穏としていて、どこか永久とも思えない。それでも、事実としてこの世界には終わりは訪れないのだろう。

 

 優しさや強さとは違う。無限に繰り返すかのような、小さな無力感を覚えてしまう。

 

『どうしたんだい? 二人とも』

 

「あ、《アレクシス》。那由多君がまだちょっと記憶が混乱しているみたい」

 

『それはいけないねぇ。今日の夕飯はシチューだ。食べていると記憶も戻るかもしれないよ』

 

「那由多君……。《アレクシス》の言うようにちょっとずつでいいよ。記憶も多分、戻ると思う」

 

 二人の言う通りなのだろうか。このまま黄昏の世界にいれば、記憶も戻り安らかに過ごせるのだろうか。

 

「オレは……すぐに取り戻さなくてはいけない。そんな気がするんだ」

 

「慌てないで。だって、誰も追い立てないし、それにお医者さんはすぐ治るって言ったんでしょ?」

 

「それは……」

 

 まごついた那由多にアカネは快活に言いやる。

 

「なら、大丈夫! 治ったら出掛けよ? そうすればきっと、よくなるから」

 

『那由多君はニンジンは大丈夫かい? アカネ君は野菜多めだったね』

 

「もうっ、子供扱いしないで、《アレクシス》。私はお肉多目がいいー」

 

 わがままをこねるアカネに《アレクシス》は笑いかける。

 

『そんな子は、野菜増し増しでいこう』

 

「《アレクシス》ってこういうところあるんだ。私の思っている事を大体は肯定してくれるのに、たまにこうやって意地悪するの」

 

『意地悪じゃないとも。アカネ君の体調を気にかけているんだよ』

 

 那由多は二人の関係に戸惑っていた。二人は、そういえば何なのだろう。

 

 お目付け役、とも言っていたが《アレクシス》はどう見ても人間ではない。思索の表層にも浮かばなかった考えだが、よくよく考えればおかしい。

 

 尋ねようとして、《アレクシス》が巨大なシチュー鍋より芳しい香りのホワイトシチューをすくっていた。

 

『さぁ、夕食だ。二人とも食卓についてくれ』

 

「ご馳走だね! 那由多君」

 

「あ、ああ。そうだな」

 

 野暮な事は聞くまい。事情は込み入っているのかもしれない。正直なところ、何一つ分からないままなのだ。分かってからでもいいではないか。

 

 ただ、と那由多は当惑を浮かべる。

 

 ――分かる時が来るのか、オレには。

 

 テレビにはまた別のヒーローが映し出されていた。怪獣と戦い、激しくもつれ合う。その姿は蒼銀で、どこかで見たような姿に見入っていると不意にテレビが切られた。

 

『食事中にはテレビはよそうか』

 

《アレクシス》に制され、自分とアカネは夕食に入っていたが、案の定、味も何もしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 連れ去られた那由多と《サイファーグリッドマン》を連れ戻す手立てを探さなければならない。

 

 しかし、朋枝はこの場を容易くは離れられなかった。ジャンクの付近に寝かせているのは、前回助け出した男である。金髪にピアスをしており、容貌も決して模範的とは言えない相手であったが、どうしてだか助け出さなくてはならないような気がしていた。

 

 それには那由多を助けた経験則もあったのかもしれない。

 

 いずれにせよ、自分はまた一人ぼっちだ。

 

 蹲ってため息をついていると、不意に風が吹き抜けた。

 

 面を上げた朋枝の眼前にいたのは青い髪をなびかせる臾尓である。瞼を伏せた臾尓は少しばかり混迷の中にいるようであった。

 

「……臾尓」

 

「……グリッドマンと那由多が連れ去られた」

 

「それは……。あたし、何も出来なかった」

 

「相手は宇宙人だ。怪獣とは違う」

 

「宇宙人? そんなものが……いるの?」

 

 臾尓は首肯し、静かにその視線を男へと据える。瞬間、どこか空気がささくれ立ったのを朋枝は関知していた。

 

「あの……重症だったから助けたの。大きな傷があって……」

 

「……そうか。朋枝。那由多はもう、帰ってこないかもしれない」

 

 思わぬ言葉に朋枝は立ち上がって抗議していた。

 

「帰ってくるよ! これまでだってそうだった! 今回も……きっと……! だって、那由多はあたしを助けてくれた。今までも、何回も……」

 

 搾り出すような声に臾尓は冷徹に返す。

 

「これまでとは敵が違う。相手の動向がまるで読めない。思想も、だ。だから、帰ってこない覚悟をしておいたほうがいい」

 

「……何で、臾尓はそんな事を言うの」

 

 無言を返した相手に朋枝は縋るように声にしていた。

 

「あなたは、何を知っているの。グリッドマンって何? 怪獣って何なの。どうして、あたし達は狙われているの? 臾尓、全部知っていて黙っているんでしょ」

 

「……肯定する事も否定する事も出来ない。安易な返答は惑わせる原因になる」

 

「それでも! ……教えてよ。何で那由多だけがこんなに苦しまなくっちゃいけないの。彼だって……人間なんでしょう?」

 

 那由多だけが戦い続け、もがき続けている。その事実がどうしても許せない。臾尓は静かな眼差しでこちらを見据える。

 

「ヒトは、真実だけで出来上がっているわけではない。朋枝、お前も。那由多、彼も。誰もが真実を直視出来るようにはなっていない。そこまで人間は強くない」

 

「それは……あたし達にそれを知る資格はないって言いたいの?」

 

 黙りこくった臾尓は不意に呻いた男に振り返っていた。傷口をさすり、瞼を開いた男に朋枝は駆け寄る。

 

 その一瞬に目を離しただけで、臾尓は消え失せていた。

 

 一体、臾尓は何なのだ。彼女自身にも秘密があるような気がしてならない。

 

 激痛に呻く男はジャンクを掴み上げ奥歯を噛み締めている。朋枝はその顔を覗き込んでいた。

 

 脂汗を掻いている。布で拭ってやると、男の手が自分の襟首を掴み上げていた。強い力で引き寄せられる。

 

「……てめぇは、誰……だ……?」

 

 射竦める眼光に朋枝はたじろぎつつも応じる。

 

「……あたしは、朋枝。あなた、酷い怪我をしていたから」

 

「怪我……。そうだ、俺は……。死んでねぇのか。何で……」

 

 心底不思議そうな男に朋枝は説明する。

 

「ドクロ鉄道は中立だから、手当くらいはしてくれたのよ。治るかどうかは五分五分って言っていたけれど、意識が戻ったのならよかったわ」

 

 ドクロ鉄道に駆け込んだのが結果的に功を奏した。男は朋枝から手を離す。腕で視界を覆い、ふと間違いのようにこぼす。

 

「……生き残っちまったのか」

 

「怪我はまだ酷いから。安静にしていたほうがいいと思う。鎮痛剤と薬は充分にあるから、その心配は要らなさそうだけれど」

 

「おい、女。俺だけか? 生き残ったのは」

 

 その質問の意味をはかりかねて、朋枝は首を傾げていた。

 

「……見つけたのはあなただけよ」

 

「そう、か……。生き恥ってのは……この事を言うんだな」

 

「何を言っているの。あんな重態から持ち直しただけでも……!」

 

 男は上体を起こし、斜に切り裂かれた傷をさする。肩口から腰までバッサリと、袈裟切りに深々と斬りつけられていた。何をどうすればそのような怪我をするのか不明なほどだ。しかし、ともすれば怪獣との戦いに巻き込まれた一般人かもしれない。朋枝はこの周辺の村の人間の可能性もある、と慎重になっていた。

 

「……こんなでも、生きてるんだな」

 

「出血は酷かったから。動かないほうがいいわ。しばらくはくらくらすると思うけれど」

 

 その言葉に男は沈黙を浮かべてから、ああそうか、と口走っていた。

 

「……そういう点じゃ、殺し損ねたのか。ヤツは」

 

 粗暴な言葉遣いに朋枝は改めて心配になる。それともこのシンジュク区内では当たり前なのだろうか。自分は村からほとんど遠くに行った事がないために判断基準は曖昧であった。

 

「……あなたは、ここで長いの?」

 

「……ああ。結構な時間生きている」

 

 では年長者かもしれないのか。朋枝は言葉を選んでいた。

 

「じゃあ、あなたはここじゃ先輩なわけね。あたしは来たばっかりだし」

 

「先輩……。俺が、か?」

 

「他に誰がいるのよ。……本当に、何でこうなっちゃったんだろ……」

 

 臾尓もいなくなってしまった。今の自分に頼れるものは何一つない。男は今しがたの言葉を噛み締めているようであった。

 

「先輩……か。悪くねぇ響きだ」

 

「怪獣が現れない代わりに、何か妙なのがグリッドマンを連れて行っちゃうし……。いつまで、こんな戦いをしなくっちゃいけないんだろう」

 

「そりゃ、てめぇで選んだんなら、長くても弱音は吐いちゃいけねぇな。それが戦いを選び取った側の覚悟ってヤツだ」

 

「分かった風な口を……。ちょっと待って。また血が出てる!」

 

「あン……。こんなの掠り傷――」

 

「駄目よ! 黴菌が入っちゃう! えっと……消毒液は……」

 

 消毒液をガーゼに染み込ませ、朋枝は慌てて処置を行おうとする。それを男は黙って見つめていた。

 

「……なぁオイ。よくも分からねぇヤツを、何でそんなに庇える? 今に、俺はてめぇを襲うかもしれねぇ」

 

「怪我人が何言ってんだか。何かしようにも出来ないでしょ」

 

 激痛に男が顔をしかめる。まだ縫われた傷口が酷く痛むに違いない。ドクロ鉄道は大きな怪我は処置してくれたが、その後は完全に放置のスタンスであった。だからこそ、自分が継続的に治療出来るようにかっぱらえるだけの治療用具はせしめたのであるが。

 

「……お前、親兄弟は」

 

「死んだわ。ここからはちょっと遠いけれど。……怪獣に襲われて殺された」

 

 自分の声音が強張ったせいか。それとも、彼にも思うところがあったのか。そうか、と応じた声は少しだけ尻すぼみであった。

 

「……俺もこの間……みんな殺されちまった。そんなつもりはなかったんだがな。危険に晒すつもりなんて、なかった……」

 

「そんなの結果論でしょ。あたしは結局、……兄を見殺しにしたのと同じ。だって力さえあれば、助けられたなんて驕りなのよ。結局、行動しなかった。力がなくても、牙がなくても戦わないといけなかったのに……戦えなかった」

 

 那由多に頼ってしまった。それも自分の弱さだろう。男はそうか、と同じ調子で返す。

 

「……てめぇは強いんだな。前を向けている」

 

「強いですって? ……そんなだったら、今頃後悔なんてしていないわよ」

 

「いや、後悔出来るだけ、強ぇんだ。本当の弱者は過去を顧みる事さえもしない。……俺は弱者じゃねぇつもりだったが――」

 

 そこで不意に男が言葉を区切った。

 

 周囲を見渡し、やがて治療に専念していた朋枝を抱え込む。思わぬ行動に朋枝は困惑していた。

 

「ちょ、ちょっと! どこ触って……」

 

「もう来やがった。怪獣だ」

 

 何故、そんな事が分かるのだろう。瞠目した朋枝は周辺に視線を配る。だが、怪獣が現れる気配など分かるわけがない。

 

 それこそ、那由多でもない限り……。

 

「あなた、怪獣が分かるの?」

 

「ああ、この成りでもちょっとはな。連中、何を考えてやがる……。二体……」

 

「二体も? どこから……」

 

 息を詰まらせた朋枝に男は声を発する。

 

「離れんなよ。死にたくなきゃな」

 

「何言ってんのよ。あなたこそ、あたしから離れたら死んじゃっても……」

 

「……ったく、気の強ぇ女だ。ま、いいがな。名前は?」

 

「……朋枝」

 

「トモエ、か。呼びやすい」

 

「あなたは……」

 

「俺か。俺は……先輩とでも、呼んでくれや」

 

 



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♯4‐5

 

 ナイトウィザードのうち、二名が進軍するのはわざわざ言っていないがそれでも迴紫からしてみれば関知の内であろう。どこか彼女の掌の中で踊らされている気もするが、円卓での迴紫の言動を顧みるに、今回は静観の可能性が高い。

 

 ゆえにこそ、ナイトウィザードとして動かねばならない。

 

 モノクルの男はモニュメントを掲げていた。

 

「準備はよろしいか」

 

「いつでも」

 

 女もモニュメントを手に掲げる。互いの怪獣の赤い眼光が煌めいた。

 

「アクセスコード、《バギラ》!」

 

「アクセスコード、《デビルフェイザー》」

 

 それぞれの輝きが連鎖し、構築したのは怪獣態であった。

 

《バギラ》は片腕を失ったままであるものの戦闘自体には差し障りはない。比して女の変身した怪獣、《デビルフェイザー》は一味違う。

 

 漆黒の表皮に、肋骨の浮き出たまさしく悪鬼の様相を呈した怪獣――否。分類上はそれを超える「超獣」。

 

 上位アクセスコードの持ち主の眼光に《バギラ》は冷水を浴びせかけられる思いを感じつつ、天上を仰いでいた。

 

(完全に上がり切れば面倒ですよ)

 

(上がらせなければいい。《デビルフェイザー》)

 

 髑髏の頭部の眼窩が赤くぎらつき、次の瞬間、黄昏の球体へと高重力がかかっていた。電磁波の檻が相手を押さえつけ、そのまま引きずり降ろそうとする。

 

 味方ながらおぞましい、と《バギラ》は感じていた。

 

《デビルフェイザー》の能力はともすれば現状のグリッドマンを遥かに凌駕するかもしれない。そんな力を今、目の前で解き放たれている。

 

 自分もアクセスコードを持っていなければ仲間として活動しようとも思わないであろう相手だ。

 

 徐々に押え込まれた黄昏の球体が自由を奪われていく。触手を周辺へと放つが、どれもこれも実体を持たない《デビルフェイザー》の攻撃の前には無力だ。

 

 その眼球が地上を睨み、光輪が下部に展開される。

 

 またしても広域を粉砕する火力攻撃だ、と判じた《バギラ》は前に出ていた。

 

 光輪が収束し、瞬間的な加速を得て地上を蹂躙と破壊の渦に巻き込もうとする。しかし、光輪が発生する前に《バギラ》はその片腕に青い剣閃を滾らせ、瞬間的な衝撃波を放っていた。

 

 光輪と干渉し合い、直後、互いに爆発の光を拡張させる。

 

 黄昏の球体は攻撃が実行されなかった事実に、触手を漂わせ、上昇に転じようとするが、《デビルフェイザー》の電磁波攻撃がその動きを阻害する。

 

(逃がすと思って?)

 

 黄昏の球体がじりじりと下がってくる。もう少しで射程に入る、と《バギラ》が下段に刃を構えた、その時であった。

 

 ひりつかせる殺気の波に声を弾けさせる。

 

(……これは。いけない!)

 

 その声に攻撃に集中していた《デビルフェイザー》が悲鳴を上げていた。首筋に突き立てられた刃と共に白髪の男が強風にその身をなびかせている。

 

(貴様……ッ。また邪魔立てを……!)

 

「悪いっすねぇ! おたくらの邪魔をするのが、俺の意義なもんで!」

 

 逆手に握り締めた刃を薙ぎ払い、《デビルフェイザー》の頸動脈を切り裂く。血潮が舞ったが、それでも《デビルフェイザー》を簡単に倒す事は出来なかったようだ。

 

 怒りに駆られた《デビルフェイザー》の瞳が赤く染まり、近場の高層建築に降り立った男を睥睨する。

 

 直後には電磁波の檻が無数に放たれ、男を拘束せんと迫っていた。男は巧みに蛇腹剣を使って逃走し、攻撃を回避し続ける。

 

(《デビルフェイザー》! ここはあの男に構っていれば、宇宙人を逃がしてしまう! 相手を間違えてはならないのです!)

 

 その言葉もまるで通じないようであった。雄叫びを上げ、《デビルフェイザー》が光線を放出する。

 

 それに触れた途端、高層建築物が分子分解された。あらゆる物質を塵芥に還すシステム組み換え光線は自分達にとっても脅威だ。

 

 男はその最中でもニヒルな笑みを浮かべる。

 

「やるじゃあないっすか。ですがねぇ! 俺は、おたくらを抹殺する! もう決めたんすよ……手加減はしない。徹底的にってね!」

 

 躍り上がった男は蛇腹剣を伸長させ、《デビルフェイザー》の身体へと乗り上がる。《デビルフェイザー》が全身に電磁波を滾らせて叩き落そうとしたが、その時には相手は反対側へと逃げおおせている。

 

 巨大な体躯ゆえに、自分より小さな相手への対処は難しいのだ。

 

(一旦退くのです! ここでの撤退は敗北ではない!)

 

 このままでは重要な戦力を欠く事になる。そう判断した《バギラ》へと、《デビルフェイザー》は攻撃を浴びせていた。

 

 全身が束縛され、その口角より分子分解の吐息が漏れている。

 

(……黙れ)

 

 完全に怪獣のコードの凶暴性に呑まれている。それ以上に今は殺意に、か。《バギラ》は自身の攻撃手段に相手を正気にさせるものが存在しない事を恨めしく感じていた。

 

 このまま男の思うようにいけば、自分達は同士討ちであろう。

 

 それだけは、あってはならない。

 

《バギラ》は渾身の力を込め、《デビルフェイザー》の電磁拘束を切り裂いていた。

 

 そのまま、天高く掲げた針の腕を打ち下ろす。剣閃が男のいた高層建築を辻風で薙ぎ払っていた。

 

 煽られる形で男が落下する。

 

 勝機を見出した《バギラ》は連続攻撃を見舞おうとするが、その瞬間、天頂より急速落下した光輪による爆撃が地上を染め上げていた。

 

 爆発と破壊の連鎖に《バギラ》はその巨体を揺さぶられる。《デビルフェイザー》も光輪の直撃を受けたせいか、動きが鈍っている。その隙を男は突くつもりのようであった。

 

 建築物の壁を蹴りつけて宵闇を駆け上がり、二丁拳銃が火を噴く。

 

「墜ちろォッ!」

 

《デビルフェイザー》の頭部へと火力が集中し、彼女の視界を遮った。でたらめな方向に放たれた分子分解光線が青錆びの建築物をバラバラに融かす。

 

 攻防が目まぐるしく入れ替わる中で、《バギラ》は黄昏の球体がまた静かに上昇しようとしているのを目にしていた。

 

(我々の目的を忘れてはならない! 《デビルフェイザー》! 宇宙人が離脱する!)

 

《デビルフェイザー》はしかし、男との戦いで手一杯の様子であった。上位アクセスコードの持ち主でも、男の戦法は完全にこちらの弱点を知り尽くした戦い方だ。《バギラ》は、やはり、と声にしていた。

 

(かつての第三席……! その姿を見せろぉッ!)

 

《バギラ》が剣閃を浴びせかける。建築物が両断されるも男を捉える事はなかった。

 

 しかし、《バギラ》はその時、建築物の真下に存在する何者かを知覚していた。男は何を思ったのか、《デビルフェイザー》との戦いを打ち切り、戦場を疾駆する。

 

 駆け抜けた男が抱えていたのは小柄な少女であった。

 

《バギラ》はなるほどな、と得心する。

 

(それが貴様のアキレス腱か。ならば存分に! 利用させてもらおう!)

 

 周囲の建築物を斬り付け、連鎖崩壊を誘発させようとする。これで男は自分は助かっても少女は見捨てざるを得ないはずだ。

 

 そう見込んだ《バギラ》はその瞬間、声を聞いていた。

 

「……使うつもりはなかったんすけれどねぇ。アクセスコード、《シノビラー》!」

 

 瞬間、漆黒の輝きが瞬き、連鎖崩壊した建築物を薙ぎ払っていた。

 

 膨れ上がった光の中に浮かんだのは、赤い眼窩を持つ痩身の怪獣である。両手に携えた武器を構えた相手に《バギラ》は向かい合っていた。

 

(それが貴様の正体か! 《シノビラー》!)

 

(怪獣同士で、語り合うまでもない!)

 

 断じる口調になった《シノビラー》が瞬時に空間を飛び越え、《バギラ》の眼前へと立ち現れる。その姿を両断しようとするが、直前に相手は背後へと逃れている。

 

 あまりの速度に《バギラ》は息を呑んでいた。

 

《シノビラー》の刃が漆黒の光を帯び、闇の剣閃が《バギラ》の首を狙い澄ます。

 

 ――取られた、と錯覚する一瞬。

 

《デビルフェイザー》の分子分解光線が奔り、《シノビラー》は離脱していた。援護がなければ確実に殺されていただろう。

 

(援護を感謝しますよ……)

 

(そいつ……《シノビラー》ね。懐かしい。帰ってきたのは、私達を殺すつもり?)

 

 正気に返った《デビルフェイザー》に《シノビラー》は姿勢を沈ませる。

 

(問うまでもない。抹殺する!)

 

 またしても高機動で掻き消える。《デビルフェイザー》はしかし、落ち着き払って電磁波の波を大地に伝達させていた。

 

 直後、飛びかかろうとしていた《シノビラー》が空中で硬直する。

 

(《シノビラー》。あんたのやり口はよく知っている。怪獣態同士で戦えば、何に気を取られ、何にやられるのか、それくらいの対策、してないと思った? ……あんたがナイトウィザードを出て行ってから想定はしていた。でもまさか、人間態であそこまでやるとは思っていなかったけれどね)

 

 怪獣態になった時点で、《シノビラー》には打てる手立てが限られているのだろう。《バギラ》は圧倒されていたが《デビルフェイザー》は冷静になったらしい。硬直した《シノビラー》へと無慈悲なる分子分解光線が放たれる。

 

 電磁波を切り裂き、離脱した《シノビラー》だが、その片腕が砂のように溶け落ちていた。恐らく避け切れなかったのだろう。呻いた《シノビラー》に《デビルフェイザー》が迫る。

 

(ここで殺してあげる!)

 

 



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♯4‐6

 

「どうなってるの……」

 

 茫然とした朋枝は二体だと聞かされていた怪獣が、三体、それぞれ争い合っているのを目にする。

 

「やっぱりか。だが、あいつは……」

 

「ねぇ、あんた……。分かっていて――」

 

「あんたじゃねぇ。先輩って呼べ。にしたって、怪獣態になってやがるとはな。案外、追い込まれたって事か?」

 

 漆黒の怪獣を囲い込むように、以前現れた刃の怪獣と、新しく出現した骨ばった悪魔の怪獣が攻撃を浴びせかける。疾駆の怪獣が跳躍し、全身から赤い光線を浴びせかかった。幾何学の軌道を描く光線は朋枝達にまで及ぶ。その光線が命中したと確信した朋枝が瞼を閉じたその時、男が前に出てそれを叩き落していた。

 

 人間とは思えない動きに朋枝は絶句する。

 

「あなたは……何者……」

 

「言ったろうが。先輩って呼べって。だが、あいつ、自分を見失っているのか? 怪獣態になったからって動きにキレがねぇ」

 

 あの漆黒の怪獣の事を、男――先輩は知っているのだろうか。朋枝は迫り来る怪獣達の戦いに息を呑んでいた。

 

「……どうするの。那由多もいない。グリッドマンだって……」

 

「ここをどう収束させるのか、ってヤツだな。だが……案外、事態はすぐに収まるかもしれねぇ。ナイトウィザードはあの球体に攻撃を仕掛けた。ともすれば、反応はあるかもな」

 

「宇宙人なんじゃ……」

 

「何を目的にしているのかってのを見失わなけれりゃ、自ずと答えは出るもんだ。あの宇宙人は何のために、グリッドマンを攫ったのか。答えの赴く先を知っていれば、当然……」

 

 そこまで口にして悪鬼の怪獣が電磁波の檻に漆黒の怪獣を閉じ込めていた。片腕しかない刃の怪獣が腕を掲げる。

 

「……怪獣同士で……」

 

「これは、ちぃとヤバいか。トモエ! 頼みがある。目ぇ、瞑っていてくれ。俺がいいって言うまでな」

 

「……何でよ」

 

「さっき助けたろうが。死にたくなければさっさとしろ」

 

 朋枝は不承ながらに瞼を閉じる。こんな危うい均衡で相手の言う事を聞くのは癪であったが助けられたのは事実。

 

 何よりも、今まで自分を救ってくれた那由多は、一度として嘘はつかなかった。自分を欺かなかった。ならば、ここで誰かを信じるのも……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まさか本当に目を瞑ってくれるとは思いも寄らない。しかし、男としては助かっていた。

 

「……先輩って呼ばせている手前、裏切る真似はしたくないからよ。行くぜ」

 

 手にしたモニュメントの肩口から斜に切れ目が入っている。それでも、まだ戦闘継続は可能のようだ。

 

 今は、一瞬でもいい。この力を行使する。

 

「アクセスコード……」

 

 瞬間、引き出された《ゴロマキング》の腕が《デビルフェイザー》の首根っこを押え込んでいた。弾き出された鎖が相手の姿勢を傾げさせる。

 

(……《ゴロマキング》……! 何故!)

 

「悪く思うな。これも、義理を返すって名目だ。別にグリッドマンに寝返ったわけじゃねぇ」

 

《デビルフェイザー》が締め上げられていく。完全に怪獣態になる事は出来なくとも、こうやって搦め手で怪獣態の不意を突く事は出来る。

 

《デビルフェイザー》を窒息死寸前まで追い込んだ刹那、《シノビラー》の姿が掻き消えていた。

 

 無数のクナイを投擲し、《デビルフェイザー》の身体に切れ込みを作った《シノビラー》はそのうち数本に鎖をつけ、悪鬼の怪獣を前のめりに倒していた。

 

 携えたのは一振りの長刀である。逆手に握り締めたそれを、《シノビラー》は掲げ《デビルフェイザー》の首を刈らんと迫った。

 

(いけない! 怪獣態を解くのです!)

 

《バギラ》の言葉も遥かに遅い。《シノビラー》の刃は《デビルフェイザー》を打ち砕くかに思われた。

 

 だが、そこで不意に《シノビラー》は頭部を押さえて蹲る。赤い眼窩が明滅し、急速にエネルギーが失せていく気配がした。

 

「……時間切れか」

 

 舌打ちを漏らし、《ゴロマキング》の男は《デビルフェイザー》の拘束を解く。《シノビラー》の姿が消滅し、《バギラ》と《デビルフェイザー》は砂礫の街に取り残されていた。

 

 こちらの位置を察知される前に、と《ゴロマキング》の腕を用いて、朋枝を運ばせる。朋枝はそれでも律儀に目を閉じていた。恐怖を押し殺すかのようにきつく瞑っている。

 

「いい子だ。ちょっとばかし安全圏まで移動するぜ」

 

(逃がしはしない! 《ゴロマキング》!)

 

《バギラ》の剣閃が迫るも、どれもこれも当てずっぽうだ。人間態の自分を捉えられるほどの熟練度ではない。《ゴロマキング》の男は新宿駅構内へと朋枝を運び込んでからモニュメントを仕舞う。

 

 ここまでの追撃はなさそうだ、と判じ朋枝に促していた。

 

「目ぇ、開けていいぜ」

 

 朋枝は周囲の様子が一変している事に困惑していた。

 

「……逃げ切れたの?」

 

「何とかな。だが、連中はヤベェ。あんまし正面切って戦うべきじゃないだろうな。……なら、利用出来るものは利用する、か」

 

《ゴロマキング》の男は歩み出していた。その背中に朋枝が声を投げる。

 

「置いて行っちゃうの?」

 

 足を止めたのも一瞬、男は朋枝に微笑みかけていた。

 

「……俺と会った事は忘れたほうがいい。グリッドマンには言わないほうが賢明だ。なに、ここはドクロ鉄道の中立地帯。さすがに攻めては来ねえさ」

 

「ここが、中立地帯……」

 

 ナイトウィザードである自分には中立地帯を見分ける能力がある。男は朋枝へと一瞥を投げてから、別れの言葉を口にしていた。

 

「……なるべく早く忘れろ。そのほうが、きっとてめぇのためにもいい」

 

 その言葉を潮にして、《ゴロマキング》の男は駆け出していた。

 

 モニュメントを掲げ、部分的に《ゴロマキング》を召喚する。

 

 脚部へと同調させた《ゴロマキング》の疾駆が瓦礫を飛び越え、《デビルフェイザー》と《バギラ》の戦地へと割り込んでいた。

 

(……何のつもりなのです)

 

「何のつもりでもねぇ。単純に、俺は迴紫にはもうつかない。その姿勢をハッキリさせるために来た」

 

(迴紫様を裏切ると……)

 

「間違えんな。切ったのは向こうのほうだ。俺は、腹掻っ捌かれても忠義を誓うほど、愚直でもねぇんでね!」

 

 モニュメントを掲げ《ゴロマキング》の腕が空間に呼び出される。その鎖がまたも自身を狙うと感じたのだろう。後ずさった《デビルフェイザー》を飛び越え、鎖は脱力している《シノビラー》へと延びていた。

 

 鎖越しに《シノビラー》へと言葉を投げる。

 

 ――てめぇなら、上手く逃げ切れるだろ? 後は頼むぜ。

 

 僅かに反応を寄越したのを確認し、《ゴロマキング》の腕を振りかぶり、鎖ごと《シノビラー》を投げ捨てていた。

 

 その行動に二体が逡巡の間を浮かべる。

 

(今のは《シノビラー》を潰した、と考えても?)

 

「ああ。とどめのつもりだ。俺もあいつには一家言あるんでね」

 

(じゃあ、戻ってくるって言うの?)

 

「言ったろうが。忠義はもう誓う気はねぇ。だがナイトウィザードとして存在しなければ、俺には価値もない。それに、てめぇらだってここに来たのは何も迴紫の命令じゃねぇんだろ? 迴紫なら、あんなのに仕掛けろなんて命令しないはずだからな」

 

 図星だったのか、二体が沈黙する。男はフッと笑みを浮かべていた。

 

「戻ってやるよ。古巣ってヤツに」

 

 瞬間、《デビルフェイザー》が人間態の女へと戻る。恐らくは時間切れか、それともエネルギー切れを起こしたのだろう。

 

 先ほどの戦いで《シノビラー》に殺されても何らおかしくはなかった。疲弊が出ているのか、息を切らしている。

 

「……それは迴紫様にもう忠誠は誓わないけれど、それでもナイトウィザードの席を譲る気はないと?」

 

「一度手に入れた力だ。手離すのは惜しいんでね」

 

《バギラ》も人間態に戻り、モノクルの奥から問いかける眼差しを送ってくる。

 

「それならば、《ゴロマキング》。あなたは戻ってくる資格がある」

 

「資格、ねぇ。そいつもチャンチャラおかしいと言えばその通りなんだが。死んだはずの身だ。あまり口先だけで出過ぎないようにはさせてもらう」

 

「そのほうがいい。元々、口だけは達者であった。それを自重するくらいで」

 

《バギラ》はそう思っていたのか。《ゴロマキング》の男はふんと鼻を鳴らしていた。

 

「雁首揃えたって、今は不利だ。一旦退くぞ。もう《シノビラー》に強襲されたくはねぇだろ」

 

「あなたがさっき投げ飛ばしたんじゃない」

 

 女の言葉に《ゴロマキング》の男は肩を竦めていた。

 

「確かに、離脱させる場所まで投げたつもりだが、戻ってこねぇ保障もねぇだろ。ずらかるぞ。ナイトウィザードの干渉はここまでだ」

 

 それには同意らしい。二体はモニュメントの力を使い、この場から消え失せていた。《ゴロマキング》の男も自分のモニュメントに権限が戻っているのを自覚する。

 

 改めて、自らの道化に嫌気が差す。だが、これは返すと決めた借りの処分だ。

 

 ならば全うして見せよう。

 

「……《ゴロマキング》、帰投する」

 

 その姿も瓦礫の街から消え失せていた。

 

 



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♯4‐7

 

 ぴしり、と何かに皹が入ったかのような音を関知する。

 

 那由多は足を止めていた。アカネが小首を傾げる。

 

「どうしたの? 那由多君」

 

「……ここは、俺の居場所じゃない」

 

「何言ってんの? 私の彼氏じゃん」

 

「いや……違う。何か分からないが今、それは違うと感じた。……ここは違うな。別種の場所だ。何がどうなっているのか、前後の記憶は曖昧だが……お前は、俺の知っている人じゃない」

 

 その言葉にアカネが顔を伏せる。

 

「……知っている人じゃないと嫌なの?」

 

「ああ。守ると誓ったのはたった一人だ。お前じゃない」

 

 残酷かもしれない事実を、アカネは咀嚼していた。

 

「そっか……。そうだよね。那由多君は、自分の世界を守りに戻りなよ。私は、ここにずっといる、それしか出来ないからさ」

 

「……すまない。気持ちに応えられなかった」

 

「ううん、いいの。だって短い間だったけれど、那由多君がここにいてくれたから、私は必要とされた。ここにいていいんだって、君が規定してくれたんだよ?」

 

 面を上げたアカネの瞳は潤んでいる。ともすれば自分が必要だと思わなければ、彼女は消えてしまうのかもしれない。泡のように儚く、そこにいた証明すらも奪われて。

 

 だが、それでも自分の向かうべき場所は、いるべき場所は、ここではない。

 

 戻らなければいけないのだ。それは、自らに課した信念を取り戻すための戦いへと。

 

 アカネが握っていた手を放していた。名残惜しそうに離された指先を、彼女は別れの挨拶に沿える。

 

「行ってらっしゃい。那由多君。君の世界を守って」

 

 自分の世界を守る。そうと決めた那由多の双眸に宿ったのは光であった。

 

 この夕映え空が永遠に続く世界ではない。無限回廊の黄昏から、自分は解き放たれなくてはいけない。

 

 那由多の足は自然とアカネと共に過ごした家へと向かっていた。

「彩」の看板が立てられた家の玄関を、初めてアカネが促す以外で開ける。

 

 開けた先の空間は黒く歪み、濁っていた。

 

 灰色の廊下の先に夕暮れの部屋が一室だけある。

 

 那由多が押し入った瞬間、廊下は消え失せ、残っていたのは四畳半もない狭い一室であった。

 

 その部屋でちゃぶ台を挟んで座り込んでいる相手に那由多は言葉をかける。

 

「……《アレクシス》」

 

『やぁ、那由多君。その様子だと、外の影響で一時的におかしくなっちゃったかな? だが、大丈夫だとも。この宇宙船は堅牢でね。ちょっとした齟齬はすぐに取り戻せる。君は、アカネ君と共に永遠の時間に戻れるんだ』

 

「アカネには別れを言ってきた」

 

 断じた口調に、《アレクシス》はマスクの下部を明滅させる。

 

『おかしいねぇ。君はアカネ君の彼氏だろう?』

 

「違う。オレは那由多。ハイパーエージェントだ」

 

 こちらの声音に迷いがないのを悟ったのか、《アレクシス》は嘆息をついていた。

 

『……度し難いねぇ。別にここでもいいじゃないか。君に危害は一切加えなかっただろう? いつでも殺せたのに、わたしはむしろ君を尊重した。その一件に関して、思うところは?』

 

「ない。ここから出せ」

 

 懐から取り出した玩具の銃は既に元の姿を取り戻しつつあった。龍の意匠が施された拳銃は正確無比に、《アレクシス》の心臓を狙っている。

 

 彼はどこか不承気に、その様子を達観していた。

 

『……不都合は何もなかったはずだ。アカネ君はいい子だろう? 彼女の人格は元々、わたしが以前に関わった事のある少女から抽出したものでね。まぁ、その時には苦い経験があったわけだが、ここでは二の轍は踏まないと、最小限の干渉に努めていたのに。その均衡を崩したのは迴紫だ。《ウィザードグリッドマン》。あの力は強大過ぎる。バランスなんて関係がない。わたしは彼女に何度も警告した。そううまく事が運ぶはずがない。何か手痛いしっぺ返しが来る、と。その時に、わたしと組んでいればうまくかわせるとも、交渉していたんだがねぇ。生粋の面倒くさがりなのか、彼女は応じなかった。だから、君をここに呼んだんだ。なぁ、そうだろう? 那由多君。いいや。――グリッドマン』

 

 那由多は引き金に指をかける。《アレクシス》はちゃぶ台を挟んだ向こう側から何でもない事のように言ってのけていた。

 

『わたしを倒してどうする? わたしなんて君からしてみれば敵でもなければ味方でもない。倒すべきはナイトウィザードと迴紫だ。わたしが提供した永遠が気に食わなかったかな? なら、次はもっとうまく騙そう。アカネ君も、君の思い通りにすればいい。気に食わない部分は消去して、気に入っている部分だけを強調すればいいだけの話だ。アカネ君の何が駄目だった? 性格かい? 容姿かい? 君の好きなようにデザインし直そう。この世界も、君が好きな時間帯でいい。わたしは夕刻が好きだから、この時間に設定しているだけだ。他の時間帯でも構わないさ』

 

《アレクシス》の誘惑に那由多は一切応じなかった。引き金を絞り、《アレクシス》の顔を高重力砲が掠めていく。

 

 窓が割れ、どこかで猫が鳴いて飛び出していったのが伝わった。

 

『……何がそんなに不愉快だった? わたしは平和的に君達と交渉を結びたいと思っている。ならば、ここでわたしに銃を向けたって何にもならないだろう。何度も言うが、君の敵は迴紫達だ。彼女らを抹殺したいなら手を貸すよ』

 

「必要ない。元の場所に帰せ」

 

『帰せと言われてもねぇ……。もうここまで来てしまった』

 

 不意に夕映え空の皮膜が崩れ落ちる。視界に入ったのは青くぼやける地平であった。世界の外へと出ようとしているのだ。那由多は銃口を《アレクシス》の頭部へと据える。

 

「今すぐに戻れ。さもなければ撃つ」

 

『分からないねぇ。君は、あんな世界に名残惜しさでもあるのかい? 青錆びの、朽ち果てた世界だ。何も必要なものはない。それに、壊しても惜しい物なんて。壊れた世界に何を思うんだい? あんなもの、崩して、壊して、作り直すのも馬鹿馬鹿しい。他のフロンティアを目指すべきだ。君はもっといい道を選べるはずだよ』

 

「二度はない。今度こそ撃ち殺す」

 

 冷徹な論調に《アレクシス》は静かにため息をついていた。

 

『……分からないなぁ。あんな世界に頓着する君も。あんな世界で王を気取っている迴紫も』

 

「……確かにお前の言う通り、酷い世界かも知れない。終末が蔓延した、おぞましい場所かもしれない。……だが守ると決めた者がいる。信を投げるに足ると決めた場所がある。ならば! オレはそのために生きよう。そのために戦おう。それがハイパーエージェントであるはずだ!」

 

『記憶は相変わらずなんだろう? 誰も愛してはくれないさ。記憶もない、確かなものも何一つない、がらんどうの君なんて』

 

「空っぽでも、オレは抗い続ける。迴紫を前にして、オレの中で何かが変わった。戦うべき道を見据えたんだ。ならば、それを全うするまでオレは逃げるわけにはいかない」

 

『それは闘争本能だ。人間が原初より得ている醜い本性そのものだよ』

 

「それでも……オレは戦う。戦い続ける!」

 

《アレクシス》はほとほと呆れたとでも言うように頭を振り、立ち上がっていた。

 

 瞬間、その瞳が赤く輝き、床が消滅する。風圧に煽られる中で、那由多は落ちていく己を自覚していた。

 

「記憶は戻らない。それでも……守るべきものはあるはずだ。オレは! グリッドマン!」

 

 左手首に蒼い脈動が至り、アクセプターを顕現させる。

 

『愚かしいねぇ。わたしと戦うなんて』

 

 那由多は両腕で十字を形作り、叫ぶ。

 

「アクセス・フラッシュ!」



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♯4‐8

 

 自由落下にある身体が光に押し包まれ、電子の装甲が巨人を構築させる。蒼銀の輝きを滾らせ、《サイファーグリッドマン》が《アレクシス》と対峙していた。

 

(許すわけにはいかない。ヒトの魂を弄ぶ、貴様を!)

 

『どう許さないのかなぁ。言っておくがわたしは君よりも――強い!』

 

 漆黒の装束を揺らめかせ、《アレクシス》が巨大化する。疾駆より四肢が伸び、両腕には剣とチェーンソーが握られている。

 

《サイファーグリッドマン》は背後に結界を張り、戦闘機形態へと変身していた。そのまま機動力に任せ、上昇に転じる。《アレクシス》の鼻先を掠めて、直上より全ての砲門を開いていた。

 

(サイファーフレズベルグサーカス!)

 

 一斉掃射された砲撃を、《アレクシス》は事もなさげに回避し、全ての弾頭を叩き落していく。爆発の連鎖が押し広がり、漆黒の敵を照らし出していた。

 

 高速下降に至る前に、前方に結界を張り、重戦車形態へと変貌する。

 

 重戦車の高火力の砲撃網が《アレクシス》を照準していた。

 

(サイファーディアボロスギガハント!)

 

 蒼い光を棚引かせて放たれた光軸を、《アレクシス》は剣で跳ね返す。

 

『小賢しいねぇ、グリッドマン。わたしには勝てないよ。君では』

 

 躍り上がった《アレクシス》が重戦車の《サイファーグリッドマン》を叩き割ろうとする。振るい上げられた剣の一閃を蛇腹の盾で受け止めていた。火花が散る中、蛇腹の手甲を引き上げ、右腕にドリルを構築させる。

 

(サイファードリル……ブレイク!)

 

 自身を推進剤と化し、《アレクシス》へと猪突する。その一撃を《アレクシス》は満身で受け止めていた。

 

 身体を引き裂き、上半身と下半身が生き別れになる。

 

 確実に仕留めた、と判じた瞬間、肩口へと斬り込まれていた。

 

(まさか……。当たったはずだ)

 

『君は前のグリッドマンとは違うようだねぇ。あの程度でわたしを仕留めたなんて、笑止千万! わたしは無限の命を持っている。それを殺せるだけの材料が、君にはない!』

 

《アレクシス》が背筋を蹴りつけ、チェーンソーを頭蓋に向けて浴びせてくる。

 

《サイファーグリッドマン》はグラン・アクセプターより光刃を発振させ、弾き返していた。

 

(……倒す! 貴様は、倒されなければならない!)

 

『分からず屋だねぇ。わたしは殺せないんだよ!』

 

 全身を竜巻のように回転させ、光刃を放射する。

 

(グリッドライト、セイバー!)

 

『だから、殺せないんだって、言っただろう?』

 

 放たれた光刃を掻い潜り、《アレクシス》は《サイファーグリッドマン》を斬りつける。その剣術に負けないように斬り返すが、このままでは青錆びの街に墜落してしまうだろう。

 

《サイファーグリッドマン》は光刃を仕舞い込み、《アレクシス》の身体を焼け付く灼熱の足で蹴り上げていた。

 

(超電導キック!)

 

 呻いた《アレクシス》へと身を翻しざまに腕を交差させ、グラン・アクセプターにエネルギーを充填させる。

 

(グリッド、ビーム!)

 

 光線は《アレクシス》に命中するが、それもまるで意に介していないかのように、直後には再生してしまう。

 

『わたしは死を超越した、完全なる生命なのだよ! グリッドマン! だからこそ、彼もわたしを封印するしかなかった。長い間封印されていたとも。だがね、君らの支配はいつまでも盤石ではなかった! ヒトは、結局はヒトなんだよ! その程度でしかない。君達ハイパーエージェントが期待するような進化はしない! ハイパーワールドに至る事も、ましてや、わたしを完全に拘束する事も出来やしない! 不完全で無秩序で、どこまでも滑稽な道化でしかないのさ!』

 

《サイファーグリッドマン》が赤熱した拳で腹腔へと殴りつける。返す勢いで放たれた剣を、両腕で受け止めていた。

 

 墜落の時が迫る。

 

《アレクシス》の漆黒の剣を《サイファーグリッドマン》は両腕で留め、声にしていた。

 

(……確かにヒトは時に度し難いのかもしれない。だが、彼らは互いを愛する事の出来る、愛おしいと思った者を、最後まで守り通す事の出来る、尊い存在だ! それを貴様は、一方的に植え付けるだけで、守ろうとも思わないのか!)

 

『ないねぇ! 人間にそんな価値はないよ! 一度として思った事はない! アカネ君もそうだった。この世界の住民もだ! 狭い箱庭の中で満足して、何一つ成せないまま、闇雲に破壊と殺戮を繰り返すだけの愚かな種! それが人間だ!』

 

(ならばわたしは、貴様のその認識を破壊する!)

 

《アレクシス》と交錯する瞬間に光刃を発し、チェーンソーを裁断する。砕けたチェーンソーを《アレクシス》は興味を失ったかのように投げ捨てていた。

 

『……では聞くが、君は何で戦うんだい? どうしたって、この世界は小さく、狭く、そして矮小である事は、もう分かり切っているだろう? 見るがいい。青く煙る地平を! あれがこの世界の断崖絶壁だ。この世界も昔にアカネ君が造ったあのツツジ台と変わらない! レプリコンポイド……いや、もっと愚かしい発明をしたものだ! 人間というものは!』

 

《サイファーグリッドマン》は世界の果てを視野に入れる。

 

 この世界は確かに、どこまで行っても青錆びの大地と朽ちた街が広がっているだけなのかもしれない。守る価値なんてない、作り物の世界なのかもしれない。

 

《アレクシス》の剣の切っ先が迫る。

 

《サイファーグリッドマン》は――内奥に収まる那由多は言葉を繰り返していた。

 

 作り物の世界。箱庭の宇宙。そんなものに何を信じるのか。そんなものに、どんな価値を見出すのか。

 

 対外的に見れば、何の価値もない。生産性もない、無意味な場所だろう。

 

 だが、それは結局、ヒトだけなのだ。

 

 ヒトだけが価値を見出し、時にその価値に絶望する。そう、ヒトだけが――。

 

《サイファーグリッドマン》は迫った刃を手刀で割っていた。

 

(そうだ……。一つだけ思い出した。「人間だけが、この世界を切り拓ける。その価値を持つ……たった一つの種なのだと」。……那由多、君は……)

 

『ほう。なら見せてもらおうかなぁ。人間様の価値というものを! 君は墜落する! それは決定事項だ! 人間の価値を謳うのならば、この絶対的な絶望を退けてみせてくれ! それとも、光なんてないと投げるかな?』

 

 もう数秒もない。自分は青錆びの街に墜落する。如何に《サイファーグリッドマン》の身体を纏っていても、ダメージは再起不能を弾き出すだろう。

 

(……それでも)

 

 ――それでも?

 

(「……それでも」)

 

 何の意義がある。何の価値がある。《アレクシス》の生み出した理想空間を捨て去り、この廃墟に何を見出すのだ。

 

 世界は朽ち果て終わりを告げている。もう誰も救えないし、誰にも取り戻せない。

 

 それ、でも……。

 

 願ってはいけないのか。望んではいけないのか。祈ってはいけないのか。賭けてはいけないのか。頼ってはいけないのか。縋ってはいけないのか。どこかに……希望を見つけ出してはいけないのか。

 

 ――違う。

 

 どこかで声がする。誰かの声がする。

 

 ――思い出せ。

 

 無理だ。思い出せない。何も。全てが闇の中に没する。記憶の残滓も、光の欠片も、闇に掻き消されてしまう。

 

 ――それでも成ると決めたのだろう?

 

 何に?

 

 その瞬間、《サイファーグリッドマン》は――那由多は心の奥底に眠る何かが、目を覚ましたのを関知していた。

 

《サイファーグリッドマン》が身体を開き、装甲を解き放つ。

 

 刹那、眩いばかりの光の連鎖がその身より放出されていた。照り返された光を受け、青錆びの街の一部が修復されていく。

 

 ノイズとデータバグを修正し、在るべき形へと「直した」光線に《アレクシス》が黒装束を翻す。

 

『まさか……。貴様も使えると言うのか。修復の力を!』

 

 修復の力。それが何なのか、今は分からない。だが、分からなくともこの身一つから発せられる光は、決して絶望ではないのだけは理解出来る。

 

 ――これは、世界を存命させる蒼き清浄の輝き。

 

(フィクサー、ビーム!)

 

 満身より放たれた輝きに、《アレクシス》が仮面へと爪痕を立てる。

 

『忌むべき力だ……。摘み取らせてもらう!』

 

 肉薄した《アレクシス》に、《サイファーグリッドマン》は拳を握り締めていた。

 

 魂と、そして可能性を賭けて。

 

 己の信念を一つの種として握り、解き放つ。

 

 その鉄拳は《アレクシス》の黒く沈んだ心ごと、仮面を打ち砕いていた。

 

 呻きよろめいた《アレクシス》に《サイファーグリッドマン》は腕を交差させ、エネルギー波を溜め込む。グラン・アクセプターが蒼く輝き、直後、左腕を突き上げた。

 

(グリッドォォォォ……ビィーム!)

 

 今の自分が与えられる全てを。

 

 渾身の必殺技は《アレクシス》の身体を貫き、やがてその身を蒼い炎が焼いていた。燃焼する身体で《アレクシス》が息をつく。

 

『……ここまで、か。まさか二度も同じ技に敗北するとは。……だが一つだけ言っておこう。グリッドマン、今の君でも迴紫は倒せない。それは彼女が絶対的に強いからだけではない。君は、何一つとして、思い出せてはいないのだ。自分の過去を……忌むべきその名前すら。那由多君……いいや、敷島万里!』

 

 その言葉を最期として《アレクシス》の身体は爆発に包まれていた。燻る火炎を目にしながら、《サイファーグリッドマン》の中で那由多は《アレクシス》の言葉を反芻する。

 

 ――シキシマ、バンリ……。

 

 光に還元され、那由多の身体が高層建築の屋上に降り立つ。アクセプターを見据え、呟いていた。

 

「それが……オレの本当の、名前……」

 

 確証はない。こうして口にしてみても、それが本物の感触を伴いもしない。

 

 だが、《アレクシス》が消滅の瞬間に口走った言葉には確かな重みがあった。

 

「今のオレでも、迴紫は倒せない……」

 

 握り締めた感慨にふける前に、声が放たれていた。

 

「那由多!」

 

 朋枝が自分の建築物の直下にいる。那由多は手すりから身を乗り出し、跳躍していた。

 

 降り立つなり、朋枝が困惑の眼差しを投げる。

 

「……トモエ。オレは……」

 

「那由多……。一体何をしたの? あの光で……何が起こったの?」

 

 朋枝が震えている。その眼差しの先にあった光景に那由多は瞠目していた。

 

「これ、は……」

 

 大写しになったのは青錆びに沈んだ死の街ではない。

 

 銀盤のように煌びやかな街並みを、人々が行き交っている。

 

 意味不明の高層建築は像を結び、巨大なる建築物として新たに屹立していた。

 

 フィクサービームの放たれた限定空間のみが、そのように「蘇って」いたのだ。

 

 そう、蘇った。そうとしか言いようがない。

 

「那由多……この人達は、どうしてこんな……。霧も一部だけ晴れている……。何が起こっているの? この人達は……生きているの?」

 

 問われても答えられない。

 

 ――ともすれば自分は、とんでもない力に覚醒してしまったのではないか。

 

 そのような迷いと共に那由多はアクセプターに視線を落としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――痛って……」

 

 ようやく意識が明瞭になる。記憶の残像を結び直そうとして、ツルギはよろめいていた。

 

「あ……片腕……」

 

《デビルフェイザー》の分子分解光線で削ぎ落とされてしまったのだ。ツルギは拳を握り締め、地面を殴りつける。

 

「怪獣態になっても、敵わなかったって言うんすか……!」

 

 どれだけ忌み嫌った姿になっても、今のナイトウィザードには届かないと言うのか。

 

 その現実に歯噛みしたその時、自分を呼ぶ声に顔を上げていた。

 

 アノシラスが荷物を引っ提げてこちらへと駆け込んでくる。

 

「お兄さん。意識が戻ったんだ? はい、これ。ドクロ鉄道の人が、治療の要する人間には施しをするって」

 

 与えられた栄養補填液と数々の医療品にツルギは視線を背けていた。

 

「……要らないっすよ。俺の場合は」

 

「強がらないで。片腕が取れちゃってるよ?」

 

「こういうもんなんす。それに……俺の場合は本当に、要らないんすから」

 

 その言葉に何か感じたのだろう。アノシラスは医療品を手ぬぐいの中に仕舞い込む。

 

「……大丈夫?」

 

「大丈夫じゃないっす。……でも、あの《ゴロマキング》の奴……何か別の意図があったんすね。俺を、死なないような距離と場所へと投げ捨ててくれた……」

 

 あのままであったのなら、どちらかは倒せても恐らくは同士討ちに終わっていた可能性も高い。生かされたのだ、と実感した瞬間、ツルギは顔をしかめていた。

 

「……何つーか、すげぇ無力感っすね。負けるって言うのは」

 

「でもグリッドマンは勝ったよ。宇宙人に」

 

 栄養補填液を口に含んだアノシラスに、ツルギは問い返していた。

 

「……嘘でしょ? あのまま宇宙人は逃げ去ったんじゃ」

 

「ううん。グリッドマンは宇宙人を倒して、それでグリッドマンの光線を浴びた場所は」

 

 アノシラスが指差す。視野に入れた景色に目を戦慄かせていた。

 

「何すか……あれは……」

 

「分かんない。青錆びの場所が、綺麗になっちゃったね」

 

 そのような生易しい言い草であるものか。

 

 朽ちたはずの新宿区画の一部が万全の状態まで「再生」されている。

 

 銀盤と再構築された建築物の数々にツルギは絶句していた。

 

「……あれを坊ちゃん……グリッドマンが?」

 

「うん。何かよく分かんないビカビカ光るビームを宇宙人に浴びせて倒したら、ああなっていた」

 

 アノシラスには意味が分かっていないのだろう。ツルギは額に手をやって首を振っていた。

 

「……何つぅ事っすか。今回のグリッドマンは、遂に……あの技を思い出したって? そんな事、迴紫に知れたら……」

 

 とんでもない事になる。少なくともあの楽園のように見える景色が地獄への幕開けだと、この時確信していたのは自分だけだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いーな、いーなぁ、あれ」

 

 何度も円卓の上で再生し、迴紫は胡坐を掻いていた。

 

 帰還したナイトウィザードの者達が怪訝そうに目にする。

 

「迴紫様……」

 

「お帰り。どうだった? 宇宙人相手は」

 

 問うまでもないのだろう。二人分の苦々しい面持ちと、そして二人の後に続いてきた影に迴紫は、おっ、と声をかける。

 

「生きてたんだ。やっほー」

 

「……お陰様で」

 

「戻って来たって事は、期待していいのかな? もっかいナイトウィザードをやるって」

 

「……仰せのままに」

 

《ゴロマキング》の男の返答には一家言ありそうだが、今の迴紫の興味は何度も再生している《サイファーグリッドマン》の放った技であった。

 

「迴紫様。その技は……」

 

「うん、さっきの。新しいグリッドマンも中の人も、面白そうだったけれど、これで確信しちゃった。彼はボクにないものを持っている。いーなー、羨ましいなー。ボクもこれ欲しいー」

 

 照り輝く光線を浴びた宇宙人は眩惑され、その後拳で殴り倒された。その顛末だけではないのか、と訝しんだナイトウィザードの面々に迴紫は言いやっていた。

 

「うん。やっぱ方針変更。ナイトウィザードの残りの戦力も含めて、新しいグリッドマンの弱点を取りに行こう。確か、彼、女の子連れてるんだよね。この子」

 

 ピックアップされた少女に、《ゴロマキング》の男が僅かに反応する。

 

「女子供を無差別ってのは……」

 

「無差別じゃないよ。彼女だけ。グリッドマンのアキレス腱だ。この力欲しいから、彼女を狙ってよ。方法は問わないからさ」

 

 無情なる宣告にナイトウィザードの面子が震える。それを他所に迴紫は呟いていた。

 

「先代……ううん、もっと昔のグリッドマンが受け継いできた力。キミは使えるんだ? 新しいグリッドマンと中の人。だったら、ボクも使えないと、変だよね。ちょうだいよ、その力」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【暴君超獣《デビルフェイザー》】

【《アレクシス・ケリヴ》】

【《新条アカネ》】登場

 

 

 

 第四話 了

 



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第五話 CODE:Inversion
♯5‐1


 

 青錆びの街を駆け抜けるのは辻風。

 

 何もない場所から風圧が発生し、高層建築物を薙ぎ払っていく。次々に将棋倒しになる街並みより砂礫が発生し、暴風が世界を震わせる。

 

 だが、視界では何も捉えられない。

 

「何もない」はずなのに「何か」が蠢動する。その奇妙なる符合に濃霧が吹き荒れ、風が無人の街を叩き伏せる。

 

 蒼銀の輝きが中天を貫き、次の瞬間、実体化した巨人が風の行方を探して周囲に視線を巡らせていた。

 

 その眼差しの先には青錆びの街の只中にある銀盤の聖地が入っている。

 

 そう――前回の戦い。《アレクシス》との最終局面で《サイファーグリッドマン》が編み出した新たなる技、フィクサービームの作用した謎の異空間だ。

 

 朽ちたはずの街の中央で、その場所だけが生者の春を謳歌している。《サイファーグリッドマン》とその内奥に収まる那由多はやはり、不可思議な感覚を拭えずにいたが、今はこの街を襲う怪獣を倒すのが先決。

 

(グリッドライト、セイバー!)

 

 光刃を発し、敵のいるであろう地点に打ち込むが、やはりと言うべきか当てずっぽうで命中するはずがない。だが、風と存在は感じる。

 

 そう、風と存在だけなのだ。

 

 それ以外は一切関知出来ない。

 

 熱源も、脈動も、生物には付き物なあらゆる生体反応が消え失せ、敵はどこから来るのかも不明なままである。

 

《サイファーグリッドマン》は光刃を発振させたまま構えていた。

 

 どこからでも来い、という意思表示に不意打ち気味に横合いから突撃がかかる。完全に意識の外からの攻撃によろめいたが、《サイファーグリッドマン》はその手で対象を捕まえていた。

 

 離すものか、と握り締めた瞬間、するりと滑り落ちる。

 

 握っていたはずの敵が、今まさに「存在ごと」消失する。

 

 先ほどまで感じていた存在でさえも掻き消した相手に、《サイファーグリッドマン》は戸惑いを浮かべていた。

 

(……何も関知出来ない……。わたしの五感をもってしても。本当に怪獣はいるのか?)

 

 その疑念に応じるように下段より突き上げの攻撃がかかった。返す刀の一閃を見舞うが、敵に届いた様子はない。

 

 影も形もない相手をどうやって捉えろと言うのか。《サイファーグリッドマン》は刃を振り回したが、その切っ先が何かに触れる事もない。

 

 まさしく――透明人間を相手取っているかのようだ。

 

(……だがいるはずだ。どこにいる! わたしは逃げも隠れもしない!)

 

 言葉にした《サイファーグリッドマン》に風圧が咲き、眼前を風の壁面が覆う。殴りつけるが何かを捉えた感触はない。それどころか今度は背面から蹴りつけられた。振り返り様の一閃をぶつけるも、効果はない。

 

(……どうしてわたしの関知網に入らない……。この怪獣は……)

 

 鳴き声の一つも上げなければ、存在感さえも消し去った相手。証明する手立ては先ほどからの連撃でしかない。だがそれもともすれば何かしらの暗示かも知れないのだ。

 

 怪獣は、実はいないのではないか。そのような疑念に駆られた《サイファーグリッドマン》を嘲笑うかのように、腹腔に一撃が見舞われる。確かに重い一打であった。やはり相手はいるのだ。しかし、証明出来ない敵など、それは悪魔の実証よりも困難だ。

 

 そこらかしこに向けて、光刃を放てば一打くらいは効果があるかもしれない。だがそんな事をすればいたずらに被害を増やすだけ。何よりも、復活した区画までも巻き込んでしまう。

 

 今の《サイファーグリッドマン》には、これまでのような無計画な戦いは出来なかった。

 

 復活した聖地――それを守りながらの戦いはこれまでよりもずっと苛烈だ。しかも敵は不可視の怪獣。

 

 目に見えない、耳朶でも捉えられない相手に、何が通用するのか。

 

《サイファーグリッドマン》は己の中に対処法を見出そうとするが、こちらの編み出す手など児戯だとでも言うように横合いからの攻撃が入る。すかさず足が払われ、その巨躯が青錆びの街に沈んだ。

 

 どう足掻いても、敵は全く関知出来ない。それどころか、本当に実在するのかも怪しい。ここでの消耗は抑え、次なる手を講じてから戦いを再開すべきだ。そう冷静に判断するも、変身解除の隙を敵は与えてくれない。

 

 背筋に体重をかけられ、《サイファーグリッドマン》は呻いた。

 

(……お、重い……。実在する重さだ。これは暗示なんかではない……!)

 

 今ここで、倒すと判じた神経がグラン・アクセプターにエネルギーを充填させていた。ほとんど接地した状態で、《サイファーグリッドマン》は叫ぶ。

 

(これならばどうだ。グリッド、ビーム!)

 

 自身を巻き添えにする形での必殺技は砂礫と粉塵を高空まで巻き上げさせる。その瓦礫と煙に揉まれた空間を掻っ切ったのは一陣の風だ。

 

 今の一瞬だけでありながら、敵はその存在を「見せた」。

 

 立ち上がった《サイファーグリッドマン》は敵の位置を把握し、グラン・アクセプターより光刃を発射する。

 

(グリッドライト、セイバー!)

 

 三翼の光の刃が滑空し、空間を引き裂いていた。敵もその刃には触れざるを得なかったらしい。

 

 今ここに、ようやく敵はその存在を察知させる。

 

 一瞬だけながら透明の皮膜も剥がれていた。

 

 皮膜状の翼を広げた爬虫類を想起させる怪獣だ。敵怪獣はすぐさま透明の皮膜に身を包んだが、それでも一度見えてしまえば、手は打てる。

 

《サイファーグリッドマン》は左腕を突き出し、グラン・アクセプターに火球のエネルギーを溜め込み、連射した。

 

(スパークビーム!)

 

 速射された攻撃はグリッドビームのような威力こそないものの、連射性能に優れる。敵の位置がある程度把握出来たのならば撃つべき空域も分かる。

 

《サイファーグリッドマン》の読みはこの時、敵の腹腔を捉えていた。思った通り、攻撃を受けると皮膜が弱体化するらしい。

 

《サイファーグリッドマン》は躍り上がり、光刃を発振させて透明な怪獣へと一閃を浴びせかける。敵怪獣の肩口が抉れ飛び、血潮で透明化の効果が解かれていた。

 

 爬虫類のような敵怪獣が吼えて威嚇するも、その時には《サイファーグリッドマン》は敵の懐に入っている。

 

(スパークビーム!)

 

 拳に火球を溜め込み、赤く煮え滾るアッパーが怪獣の顎に突き刺さっていた。よろめいた敵へと翻った勢いで光刃を発し、その眉間を切り裂く。

 

 怪獣が悲鳴を迸らせる。

 

《サイファーグリッドマン》は両腕を交差させ、蒼銀のエネルギーをグラン・アクセプターに集中させ、腕を突き上げていた。

 

(グリッド、ビーム!)

 

 放たれた渾身の必殺技が透明な怪獣を突き破り、その身体を分散させる。敵怪獣の消滅に伴い、《サイファーグリッドマン》の身体は光へと還元されていた。

 

 高層建築の屋上で那由多が眼下の街並みを見下ろす。

 

 青錆びの朽ちた大地の中で、唯一のオアシス。その街並みには人影も見られる。

 

「……本当に、復活したのか。あの部分だけ……。だとすればオレは……」

 

「――命を、弄んだんですね」

 

 放たれた声に那由多は拳銃を突きつける。相手は丸眼鏡の少女であった。頭頂部から伸びた特徴的な癖毛が触角のように揺れている。

 

「あわわわ……。別に喧嘩を売るつもりはないんですよ……。グリッドマンさん」

 

 困惑した少女に一見すれば敵意はないようであったが、その手に携えたモニュメントは明らかに怪獣のものであった。

 

 しかも今しがた倒したはずの怪獣の形状を模している。何故、と息を呑んだ那由多に、丸眼鏡の少女は応じる。

 

「その、困らないでくださいよ。私だって困っちゃってるんですから。グリッドマンさん。あなた、街を復活させましたね? あれ、迴紫様がとっても興味があるって言っているんです」

 

「……迴紫が」

 

「ええ。あなたをナイトウィザードに迎えたいと仰って――」

 

 その言葉尻を高重力波の赤い砲撃が遮っていた。少女の脇を突き抜け、高層建築の壁へと突き刺さる。

 

「……もう一度言ってみろ。今度は当てる」

 

「……ぶっそうですねぇ、もう」

 

 少女は最早取り繕う必要もないと感じているのか、落ち着き払って眼鏡のブリッジを上げていた。

 

「ナイトウィザードの仲間にはならない。貴様らはオレが……倒す」

 

「グリッドマンとして、ですか? でも記憶は相変わらずなんでしょう? 迴紫様はその点も心配されているんですよ。新しいグリッドマンとして、何一つとしてなっちゃいないはずのあなたが、どうしてだかあの技だけは顕現させてみせた。その……ちぐはぐさとでも言うのですかねぇ」

 

「……あの技」

 

「隠す事でもないでしょう。《アレクシス・ケルヴ》を倒した、あの輝き……フィクサービームですよ。あれは正確には攻撃技じゃないんです。破壊され、崩壊したプログラムや、あるいは人間の心のような不確かなものを、再生させる技なんです」

 

 放たれた言葉に那由多は目を戦慄かせる。そのような技であった事など知る由もない。否、知っていたとして、ではどうして自分が。

 

 その考えを読み取ったように、眼鏡の少女は告げる。

 

「私達なら、そのあるべき使い方を教えられる、と言っても、ついて来られませんか? グリッドマンさん。あなたを買うと言っているんですよ?」

 

 それは迴紫との停戦を意味しているのか。だが、と那由多は照準を据え直す。

 

「迴紫をオレは許せない。この世界をオモチャのように扱う、奴を……」

 

「それも一方的じゃないですか? 迴紫様はこの世界を愛しておられます」

 

 思わぬ言葉に那由多は困惑していた。

 

「迴紫が? この世界を?」

 

「答え、気になりますよね?」

 

 そこから先は付いて来いと言う事か。今考えてみても不確かな事実は多い。この眼前の少女も、先ほど倒した怪獣も、何一つとして実感がない。透明化と言う強大な能力を有していたにしてはその力、まだまだ隠されているものがありそうであった。

 

 しかし自分のスタンスを曲げる気はない。引き金に指をかけ、那由多は言い放つ。

 

「ナイトウィザードは敵だ。オレは、迴紫を倒す」

 

「それで世界が救われなくってもですか? あなたは救いの道を持っているのに、その力を闇雲に使うだけ。私の《ステルガン》にあんなに時間がかかったんですから。救済なんて出来はしないんですよ」

 

 睨みを利かせると少女は頭を振っていた。

 

「……ここまで、みたいですね。また勧誘はしますので。……こういうの、私は得意じゃないんですけれど迴紫様に絶対服従しているナイトウィザード、もう私だけみたいなので。だから私は怖くない方向に行きますよ。臆病者と言われても、ね」

 

 高重力砲撃を浴びせかけようとして、少女は手すりより飛び降りていた。

 

 慌ててその姿へと追いすがるがやはりと言うべきか、少女は落下したわけでも、ましてや死んだわけでもない。

 

 どこからか、声が残響する。

 

「気が変わったら、いつでも仰ってください。迴紫様は待っていらっしゃいますので」

 

 周囲を見渡すが、その姿は捉えられそうになかった。恐らくは怪獣の能力の一部であろう。ナイトウィザードは人間の姿でも怪獣の力を使えるらしい。

 

「……オレは、何を信じれば……」

 

「那由多!」

 

 声の主へと振り返る。朋枝が息を切らし、高層建築の屋上に至っていた。

 

「もう……変身を解除したならすぐ降りて来てよ。何かあったんだと思うじゃない」

 

「すまない、トモエ。……ナイトウィザードが接触してきた」

 

 その事実に朋枝が絶句する。

 

「それって……宣戦布告って事?」

 

「分からない。だが、オレがこの間に発現させた技を、迴紫が欲しがっていると言う」

 

「……それって、やっぱりあれだよね?」

 

 朋枝の指差した先には復活した生者の街がある。思えばこれまで朽ちた死者の街を彷徨い歩いてきたのだ。突然に生まれた聖地は、まるで手を伸ばしても届かない楽園のようであった。

 

 その楽園を生んだのが自分の力の一部だとは、やはり信じ難い。

 

「……今日中に、行くんだよね」

 

「ああ。あの街には生きている人間がいる。それもオレ達の理とは違う、別種の人間達が」

 

 確かめなければならない。あの場所にいる者達が本当に「生きている」のかどうか。あるいは、こうも言い換えられる。

 

 ――オレは、命を生み出したのか? だとすればグリッドマンの力は……。

 

 そこから先を紡げずに、那由多は拳を握り締めていた。

 

「あの場所までの距離はさほどない。ドクロ鉄道の邪魔立ては?」

 

「今のところ、何にも。でも、何も言わないはずがないよね。だって、今まで中立を貫いてきたんだもん」

 

「……あの場所にも一家言ある、か。どちらにせよ、阻む者は全て敵だ。ドクロ鉄道でさえも、オレの……」

 

 だが、その理屈で行けばともすればナイトウィザードと敵対する理由はないのか。

 

 堂々巡りの思考に打ち止めをかけるべく、那由多は朋枝に問いかけていた。

 

「トモエはどう思う? あれを……」

 

「うん……。あたしのいたような村とも違うし、それに見た事もない感じ。何だか、今まで当たり前のように見てきた景色を否定されたみたいで……」

 

「否定、か」

 

 だがどちらが間違いかなど誰も判ずる事は出来まい。何をどうまかり間違ったところで存在するという事実だけは消せないのだ。

 

 蒼く煙った視界の中で、そこだけが晴れた異様な空間。銀色に照り返る街並みは本当に「再生された」街だと言うのか。

 

 だとすれば、この朽ちた街は何なのだ。何のために、自分達は今までこの街で生きてきたのか。朋枝は、この世界が当たり前だと信じて疑わなかった。ゆえにこそ、亀裂を奔らせているのは明るい場所のほうなのだ。

 

 手招くのは真実か、それとも残酷なる現実なのか。

 

 それは自分にも分からない。フィクサービームが本当は何なのか、それさえも。

 

「……オレは、グリッドマンの力を引き出した……。それは本当に、正しい事なのか」

 

 ――分からない。何もかも。

 

 



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♯5‐2

 アノシラスは医療品を取り出そうとして、煤けた風に面を上げたツルギに気づいていた。

 

「あ、起きた?」

 

「……何時間くらい寝てやしたか?」

 

「一時間くらいかな。珍しいね。お兄さん、寝なくっていい人間なのかって思ってた」

 

「……そりゃ、人並みには疲れやするっすよ。でもま、敗北の後だとなおさらっすね」

 

「腕は義手の当てがあるって。ドクロ鉄道に聞いてきたんだ。治療は――」

 

「要らねぇっす」

 

 その言葉にアノシラスが頬をむくれさせる。

 

「強がらないで。腕ないんでしょ?」

 

「これでも、っすか?」

 

 ツルギは外套に隠していた左腕を見せる。アノシラスが呆然と呟いていた。

 

「……それ、腕?」

 

 驚愕するのも無理はない。《デビルフェイザー》の分子分解攻撃を受けた自分の腕は――骨ばった銀色の物質へと変異していた。

 

 本来なら肩口から消え失せたはずの腕が仮の形でも存在する事にアノシラスは目を丸くさせる。

 

「……何がどうなってるの? 生えてきた?」

 

「いつもなら、馬鹿言うなって言うところっすが、実際のところそうなんすよ。生えてきた、いいや、造り替えられた、というべきでしょうっすかねぇ。自分、ナイトウィザードでも普通の怪獣じゃないんすよ。オートインテリジェンス怪獣って呼ばれてましてね。自動的に己の能力を最適化する……そういう機能が付与されているんす。だからこそ、長い時間をかけてナイトウィザードから自分のデータを抹消し、対策出来ないようにしたんすけれどね。怪獣に一回なっちまったら、それもパァって奴で。俺の身体はナイトウィザード在籍時代に戻りつつあるんす。これは怪獣へのアクセスコードがキーだったんすよ」

 

「……私のせい」

 

 いつになくしゅんとするアノシラスにツルギは、ああと声にする。

 

「おたくがしゃしゃり出なければ、もっとうまくやれたんすけれどねぇ。ここまでお膳立てしてきたのに、時間が経てば経つほど、俺には不利っす。――だから、もう逃げの方便は使わない事にしたっすよ」

 

 立ち上がったツルギにアノシラスは当惑する。

 

「まだ休んでいないと」

 

「だから、もう引き延ばしの時間は過ぎたんす。俺は、覚悟してナイトウィザードに仕掛けるっすよ。まぁ、これまでも覚悟はしてきたんすが、これからはもう、小賢しい真似はやめにするっす。俺は……迴紫を討つ」

 

 双眸に携えた意志の輝きにアノシラスは弱腰の声を発していた。

 

「……でも、お兄さんがいなくなるのは、やだよ」

 

「いなくならないっすよ。ナイトウィザードを一網打尽にして、俺は生き残る。そうしないと、どこの誰が差し違えなんてするっすか。俺は、意地汚くても生きるっすよ。それが、俺の復讐の意義っすから」

 

 たとえ自分のやっている事がエゴの一つでも、生き延びる事こそが最大の報復だ。ナイトウィザードは焦っているはず。前回の宇宙人への対応策と、内側の軋轢が限界に来ているのは窺うまでもない。

 

 そう、好機は今しかないのだ。

 

 今を逃せばナイトウィザードを構成する要素が完全に挿げ替えられる可能性もある。グリッドマンが掻き乱してくれている今だけが、絶好の機会には違いない。

 

 しかし、グリッドマンの放ったフィクサービームは思わぬ功罪をもたらした。

 

 ツルギは構内より外を窺う。朽ちた青錆びの街並みの中央に、ぽっかりと空いた聖なる空間。

 

 宵闇に沈んだ静謐の死の領域の中であの場所だけが生きている。逆にそれが奇妙なほどに。

 

「あれ、何なの? 街が生き返ったの?」

 

「いんや、あれはそんななまっちょろいもんじゃないっすよ。街を修復させた。それは迴紫でさえも出来ない領域の力のはず……。そろそろ、まずいっすよ、坊ちゃん。静観決め込むには条件が揃い過ぎた。ここからは、ガチで挑まないと、殺されるっすよ」

 

 その警句に応じる相手はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「依然としてモニターしている限りでは、あの領域から発せられる数値は全て、正常値を示しています。……それが異常なほどに」

 

 モノクルの紳士の声に女は煙管より紫煙をたゆたわせつつ、応じていた。

 

「フィクサービーム。グリッドマンの持つ、修復の力。……本来なら脅威に上がるべきものでもないんだけれど、迴紫様がご執心となればねぇ」

 

 モノクルの紳士は周囲を見渡す。《ゴロマキング》の男もいない。今、この月光の差すテラスで話しているのは自分達二人だけだ。

 

「正直なところを申しても?」

 

「迴紫様のやり方でしょう? フィクサービームを欲しがっている。それは所有するあの蒼いグリッドマン……それそのものへの興味へと移りつつある」

 

「やはりそう見ますか。ですがグリッドマンは敵のはず」

 

 そう、グリッドマンは倒すべき敵。だが、このままではナイトウィザードの足並みは狂う。そうでなくとも迴紫の刹那的なやり方についていけないと思い始めているのは少なくとも自分と《デビルフェイザー》の女の二人であろう。

 

 ナイトウィザードを組織するのは六人の幹部。

 

 そのうち二人が疑念に駆られ、一人が死に損ない、そして今、迴紫に従順なもう一人がグリッドマンに仕掛けている。

 

 残り二人はあまり円卓会議に顔も出さない。恐らくは迴紫の忠実なる僕なのであろうが、もしもの時に遮られれば厄介だ。

 

 ここは一人でも多く調停を結ぶべきであろう。

 

「……もし、迴紫様の理想が我々の追うべき理想と異なった場合、打ち切る覚悟は」

 

 女は煙った吐息をつき、首肯していた。

 

「それくらいは持ち合わせている。でも、得心が行かないと、後の者達はついてこない。私は部下にコードを持たせていない。戦力の分散は単純に力の飽和を招く」

 

「賢明な選択かと」

 

「どうかしらね。あんたは《ギラルス》を従えていた」

 

「グリッドマンに勝つためであったのです」

 

「それも、今となっては詭弁でしょうに。ハッキリ言いなさいな。グリッドマンに勝つのは予定調和でしかなかった、と」

 

 嘘をついたところでためにはなるまい。モノクルの奥の瞳を細め、紳士は口走っていた。

 

「……期を見ればあれで正答であったはず」

 

「でもあんたは片腕をもがれ、怪獣態への不完全な変身に成り下がった。迴紫様の力添えがなければコードの復活は成されない。どうするの? 万全で行きたければ裏切るわけにはいかない」

 

「こちらとて裏には精通しています。コードの書き換えが出来るのは、何も迴紫様だけではない」

 

 その赴くところを理解したのか、女は慎重に声にしていた。

 

「……あの者に接触するのは……」

 

「危険は重々承知。ですが、コードの再生を行えれば、迴紫様の考えを上回れる」

 

「……呆れた。忠義なんてなかったんじゃない」

 

「我々は元より迴紫様に従っていたのは利害の一致から。それが崩れれば迴紫様……いいや、《ウィザードグリッドマン》に従い続ける意味はない」

 

 こちらの下した結論に女は嘆息をつく。

 

「《デビルフェイザー》を過信していたわけじゃないけれど、負けかけたのは事実。私も一度、覚悟を決めなければならなさそうね」

 

「《シノビラー》はもう来ない可能性もあるのでは?」

 

「いいえ、来るわよ。《シノビラー》……彼の気性はよく知っている。私達を殺し尽くすまで、彼は来る。それが分かっているからこそ……面白い」

 

 喜色を滲ませた女に紳士は疑問を呈する。

 

「面白い? 命を狙われて、ですか」

 

「だって、彼は必死なのだもの。必死に殺しに来る相手を、殺し返す事ほど、意義のある事はないでしょう?」

 

 やはり根では戦闘狂なのだ。それは《デビルフェイザー》と言う凶暴性の高い怪獣と親和性がある時点で推し量りであった。

 

 モノクルの紳士は後ずさり、会釈して声にする。

 

「……もしもの時のために。お目通りくらいはしておいてもいいのでは?」

 

「心配どうも。でも、いいわ。だって、あなたのその備え、正直邪道でしょう? まぁ蛇の道は、とは言うけれど、そこまでしてコードの再生を願うのなら、もっと別の道もあるはずだとは思うけれどね」

 

 迴紫を騙し続けるのにも限界がある。ここは自分で動ける手は打っておくべきであろう。

 

 煙を吹きつけた女に紳士は踵を返していた。

 

 理解者は少なくてもいい。今はただ、一つ事を成すための力が必要だ。その力は純然たる代物であるほどに信頼出来る。

 

「……我輩は返り咲く。その時を待っていろ。迴紫、そしてグリッドマンよ」

 

 



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♯5‐3

 正直なところ、宇宙人に攫われた間の那由多がどうなっていたのかを聞くのが怖いだけなのだ。彼は、明らかに何か重大な秘密を抱えている。それも、自分だけの胸に留めておきたい秘密を。だから軽々しくは聞けないし、踏み込むだけの勇気もない。

 

 朋枝はそんな自分に嫌気が差しつつ、ドクロ鉄道のスタンスを予測していた。

 

「……多分、ドクロ鉄道側からしてみればあれもイレギュラーじゃない? だったら、交渉の余地はあるのかも」

 

「あの場所の計測を任せて、オレ達はその間に別の場所に、か」

 

 頷いた朋枝に那由多は渋面を作る。

 

「……だが、シンジュクを離れるのは得策ではない気がする。ナイトウィザードの前回の透明な怪獣も倒せていない」

 

「あれ、倒したんじゃないの?」

 

「……手応えが薄い。恐らくはまた来るだろう。その時、オレは倒し切れるのか」

 

 何を不安に駆られる事があるのだ。朋枝は明るく務めて言いやっていた。

 

「でも、那由多はグリッドマンとして宇宙人を倒したじゃない。だったら、大丈夫だよ」

 

「宇宙人……《アレクシス・ケルヴ》……」

 

 その眼差しに宿った哀愁に、やはり何かがあったのだと確信する。宇宙人と話でもしたのだろうか。それを那由多は言わないし、自分も言わせる気がない。

 

 言ったところで解決出来る問題とそうでないものがあるのはもう分かり切っているのだ。

 

「今は、ドクロ鉄道が人道的な配慮をする事だけを期待しましょう」

 

「奴らは中立地帯を心得ている。前回のように門前払いはないだろうが、ともすれば……」

 

 浮かべた思案もそこそこに朋枝は駅構内へと続く連絡階段を駆け上がっていた。この先が連絡員のいる階層だ、そう思って頭を出した、その瞬間であった。

 

 那由多が腕を掴んで引っ張り込み、朋枝の姿勢を崩す。階段の上で転がった朋枝は抗議の声を上げようとして、いくつかの銃声が劈いたのを耳にしていた。

 

 那由多は龍の意匠を持つ銃を構え、階段の上へと警戒を注ぐ。

 

「……やはり、こうなるか」

 

 眼差しを厳しくした那由多に朋枝は問いかける。

 

「誰なの? ナイトウィザード?」

 

「いいや、これは――ドクロ鉄道の者達だ」

 

 咄嗟には理解出来ず、朋枝は聞き返す愚を犯していた。

 

「……ドクロ鉄道が? 何で……」

 

「分からない。だが敵は排除する」

 

 断じた声音の那由多が跳ね上がり、高重力の赤い砲撃を見舞う。応戦の銃声が咲き、朋枝は叫んでいた。

 

「那由多! どうなってるの!」

 

「敵も仕掛けてきている。どうやらオレのやった事に、文句があるらしい」

 

「文句って……。だってあの場所は、正常なんじゃ……」

 

「正常だからこそ、なのかもしれないな。死者の巣窟であるこの街に、生者の領域は必要ないか。それとも、最初からそのつもりだったか。ドクロ鉄道は」

 

 問い返す前に那由多が拳銃を一射する。高重力波の衝撃が粉塵を巻き上げていた。

 

 だが敵の銃撃も激しさを増す。頭上を突き抜けていく銃弾に朋枝は耳を塞いでいた。

 

「何でドクロ鉄道が敵になるの!」

 

「分からない。直に聞くのが早いのかもしれないな」

 

 その言葉の真偽を確かめる前に那由多は銃弾の雨嵐を前に、すっと佇む。

 

「何か!」

 

『……あなた達は余計な事をしてくれた。特に、あなたは。我々はグリッドマンにも、怪獣にも無関係を貫いてきたが、あれだけは看過出来ない。何故、あんなものを修復した?』

 

「あんなもの、と言うのは生き返った場所の事を言っているのか」

 

『生き返った? 違う。あれは壊れた個所を元通りに直した、というだけの話だ。死者が蘇る事はない』

 

「死者が蘇らない?」

 

 思わぬ言葉に朋枝は息を呑む。那由多は銃口を相手に向けつつ、交渉を重ねていた。

 

「押し通りたい! 駄目か」

 

『通すわけにはいかない。あそこにあるのは何でもない。不干渉をお勧めする』

 

「だが、貴様らが守っているという事は何かあるのだと判断せざる得ない」

 

『どうやら認識の祖語があるようだ。守っているのではない。破壊すべき時間を見据えている』

 

「破壊すべき、時間……」

 

『グリッドマンにあそこまでの権限は許していない。いや、許しているのがたとえ上であったとしても、我々はこの管轄を守るべくして配備された中立組織だ。だからこそ、度の過ぎたこの世界への干渉そのものに異を唱える権利がある』

 

「何を言っている。お前達は、何がしたい」

 

 那由多の問いかけにドクロ鉄道の連絡員達は銃を構えていた。

 

『答える義務はない。何も言わずにここで死んで欲しい』

 

 照準された銃口に那由多は横っ飛びして砲撃を浴びせていた。連絡員が吹き飛び、捲れ上がった砂礫が彼らを消し飛ばす。

 

『敵だと、判断する』

 

「オレも認識を改めよう。ドクロ鉄道は敵か」

 

 互いに銃口を向けた者同士の問答に、割って入ったのは声であった。

 

「――あー、もう。じれったいっすねぇ」

 

 辻風のように割り込んできたのは白髪の男だ。二丁拳銃が構えられ、直後には迷いのない銃撃がドクロ鉄道を退けていた。

 

 連絡員達が撤退を始める。さすがにこの情勢では不利と判断したらしい。

 

「……お前は」

 

「また会ったっすねぇ、グリッドマンの坊ちゃん」

 

 白髪の男の発言に朋枝は驚嘆する。

 

「……知り合い、なの?」

 

「……少し因縁がある」

 

「そう寂しい事を言わなさんな! 俺もちょっとばかし、今回のドクロ鉄道のやり方には疑問符があるって事っすよ」

 

 相手が完全に下がってから、男は拳銃を下げる。その直後、那由多と男は互いに銃口を突きつけていた。

 

「……お前が味方である保証はない」

 

「敵であるって論拠もないっしょ」

 

「……ナイトウィザードに関して、どこまで知っている」

 

「それを聞ければ御の字! ちぃとは他人の話、聞く気になったっすか?」

 

「……トモエ、出て来ていい」

 

 那由多の言葉に今の今まで階段で蹲りながら情勢を窺っていた朋枝に、白髪の男は手を振る。

 

「お嬢さんと一緒とは。あんたも隅に置けないっすねぇ」

 

「……用件を言え」

 

「慌てなさんな。ドクロ鉄道の連中は恐らく、前回の戦闘の後処理を任されているはずっす。いや、前回の、だけじゃない。これまでの全ての戦闘において、ドクロ鉄道は介入権限があった。それもそのはず。彼らのモットーはダイヤの乱れの修復と、そして安全快適な運行の確保。なら、戦場を把握していないといけないっすからねぇ」

 

「……ドクロ鉄道とナイトウィザードはグルだったとでも?」

 

「それは穿ち過ぎっすよ。でもま、ない可能性でもないか」

 

「あの……那由多とは、いつ……」

 

「ちょっと前の戦闘でね。ですが、おたくらの事は結構知ってるんすよ? 毎回、ナイトウィザードの怪獣とあんだけの騒ぎを起こすんだ、知ってないほうがおかしいっしょ。この新宿区内では」

 

 確かにグリッドマンと怪獣の戦いは徐々に規模を増している。このままではシンジュクが焼け野原になると睨んでいた矢先に今回の件が突き刺さっていた。

 

 ――ある一定区内の修復。

 

 やってのけた那由多自身も実感のない力。危険と言えば危険に決まっている。

 

「……ドクロ鉄道はでも、武力行使には出なかったのに」

 

「堪忍袋の緒が、って奴でしょ。今までだって随分と我慢していたんじゃないっすかねぇ。ま、俺は知らないっすけれど」

 

「……確かハンターナイト、ツルギとか言う」

 

「覚えてもらって光栄と思うべきなんすかねぇ。それとも、ちょっと邪魔かな、とも」

 

 二人の間に流れる剣呑な空気に、朋枝は落ち着かなかった。そうでなくとも、那由多は今ささくれ立っている。余計な刺激は与えるべきではないだろう。

 

「……どうしてドクロ鉄道は急に武力を……いや、違うな。奴らはどうして、オレ達の動きを先回りした?」

 

 那由多の言葉に朋枝はハッとする。ついつい相手が急に仕掛けてきた印象に流されがちだが、何故こちらの動きが割れているのかをそもそも明らかにすべきなのだ。

 

 ツルギと呼ばれた男は、へぇと感嘆する。

 

「闇雲に戦ってきたわけじゃあないっすねぇ、さすがは」

 

「答えろ。敵は何者なんだ」

 

「何者って、ドクロ鉄道の仕掛けてきた連中を言っているんで? それとも本体っすか?」

 

「本体……。ドクロ鉄道を統括する相手がいるって言うの?」

 

 朋枝の疑念にツルギは、ビンゴ、と指を弾かせる。

 

「その通りなんすよね、これ。相手は出来るだけ穏便にってスタンスだったのに、フィクサービームはまずいんすよ。逆鱗に触れてしまった、と言うべきなんすかねぇ」

 

「今倒すべき敵は誰だ」

 

 問い詰めた那由多にツルギは肩を竦める。

 

「そいつが分かれば苦労もしないって話で。ナイトウィザードとも言えるし、そうでないとも言える」

 

「繰り言を続けるな。オレは結論を急いでいる」

 

 突きつけられた銃口にツルギは口笛を寄越す。

 

「……おたくも、どっかで分かってるんでしょう? フィクサービームで復活させた場所は、あんな事をしてはいけなかった、ってくらいは」

 

「あんな事を……」

 

「しては、いけなかった、だと」

 

 茫然とする自分達にツルギは余裕しゃくしゃくで告げる。

 

「でもま、煮え切らないのは分かるっすよ。何せ、敵は誰か、って話っすから。今まで中立貫いてきた相手が急に銃を向けたらビビるっしょ」

 

「……オレ達の側に原因はあると?」

 

「そうでなきゃ、ドクロ鉄道も今までの信用を地に落とすような真似はしやせんでしょ。グリッドマン、それにフィクサービーム。今回の一件を紐解くには、それが必要不可欠な要素」

 

「でも……どっちも別に、悪い力だとは感じなかった。……ううん、むしろいい力じゃないの? 何でそれに、ドクロ鉄道が反論するわけ?」

 

「……お嬢ちゃん、まだ分かっていないみたいっすね。それもそうか。この世界が絶対だと思っている以上は、朽ちた景色に何も思わないんでしょう」

 

 白髪を掻いて口にしたツルギに、言葉を重ねようとしたその時であった。

 

 那由多の身体が傾ぎ、不意にその意識をなくす。朋枝はこんな時に、と那由多を揺すっていた。

 

「那由多……? ねぇ、那由多っ! 今は気を失っている場合じゃ……」

 

「来るっすね」

 

 ツルギは困惑もしない。来るって何が、と言いかけた朋枝は、自分達の眼前に出現していた青髪の少女を目にしていた。

 

「臾尓……」

 

 那由多が気を失うと、いつも現れる少女。その存在を、まさかツルギは知っているのか。問いかける眼差しを向ける前に、据えられたのは銃口であった。

 

 ツルギの拳銃が臾尓を捉える。剥き出しの殺意に朋枝は覚えず声を荒立たせていた。

 

「何を……、臾尓は敵じゃ……!」

 

「敵じゃないって断言出来るんすか? それとも、害して来ないから味方だとも? それは大きな間違いなんすよ、お嬢ちゃん。坊ちゃんが今までも何度か、意識を失った事があったはずっす」

 

「それは……」

 

「そしてその度に、現れてきたはず。青髪の少女。ここではそういう姿なんすか? ――コアユニットモジュール」

 

 紡ぎ出された名称に朋枝は息を呑む。

 

 コアユニットモジュールという無機質な名に臾尓は僅かに目を伏せていた。

 

「臾尓……?」

 

「世界の真実を知らない人間からしてみれば、おたくの存在そのものが神秘でしょう。でも、俺は知っている。この朽ちた新宿区内がどうして出来上がっているのか。いいや、この世界の成り立ちを。何故、迴紫は、《ウィザードグリッドマン》はここを支配しているのか。そろそろ年貢の納め時っすよ、コアユニット」

 

「私は……」

 

 その唇が言葉を紡ごうとした、その時である。

 

「――見つけましたよ」

 

 咲いた声の方向へと、咄嗟の判断でツルギは銃撃を浴びせていた。相手は声だけを伴わせて景色の中に消える。だが消える刹那に確かに視た。

 

 丸眼鏡の少女の像を。

 

 転がっていく事態の中でツルギが舌打ちする。

 

「ようやく出てきたっすか。ナイトウィザードの一角……!」

 

 忌々しげに口走ったその論調に、朋枝は困惑していた。

 

「ナイトウィザードって……それは怪獣の事なんじゃ……」

 

「ああ、そこからっすか。相手も人間っすよ。間違えないで欲しいのは、ただの人間じゃないって事っすが」

 

「相手も……人間……?」

 

 状況を把握出来ない朋枝に、声だけが明瞭なる気配をなびかせる。

 

「その女の子は要りませんね。ここで抹殺しておきましょう」

 

 瞬間、眼前で咲いた火花に朋枝は心臓を収縮させる。抱き寄せたツルギが剣術で弾き上げていたが、相手からは明瞭なる殺意が窺えた。

 

「……でも、見えない……」

 

 不可視の敵にツルギが舌打ちを滲ませる。

 

「ここじゃあ、分が悪い。坊ちゃんを抱えて逃げるっすよ!」

 

「逃げるって……、どうやって? それに臾尓は……!」

 

「……おたくならこうなるって事、分かっていたんじゃ?」

 

 目線で問いかけたツルギに臾尓はいつもの冷たい口調で応じていた。

 

「そう、そうなのかもしれない。いつまでも誤魔化し通せない事は、理解はしていた。……こんなに早くだとは思わなかったけれど」

 

 ツルギが那由多を抱え、自分も小脇に抱き上げる。

 

「ちょ、ちょっと! 二人分を抱いて飛ぶなんて――!」

 

「出来ねぇって吼えている場合でもないんでね。使えるものは何だって使うっすよ!」

 

 ツルギがその手に携えたのは黄金のモニュメントであった。怪獣の姿を模したそのモニュメントの眼窩が赤く煌めく。

 

 直後、風が逆巻き自分達を一瞬にして高空へと位相転移させていた。突発的な移動に朋枝は当惑する。

 

「何が起こって……」

 

「《シノビラー》の力の一部を使って跳んだんす。あまり口が回ると、舌ぁ噛むっすよ!」

 

 風圧が逆巻く中でツルギに抱えられ、ゆっくりと降下していく。その道筋を遮ったのは艶やかな衣装の女であった。

 

 煙管を手に女が魔性の笑みを浮かべる。

 

「死んでいなかったのね、《シノビラー》」

 

「その名で呼ぶんじゃないっすよ! 今はハンターナイト、ツルギっすからね!」

 

「手が塞がっている状態でよく吼えるわね。引導を渡してあげる」

 

 携えたのは同じく怪獣のモニュメントだ。その瞳が煌めき、女が叫ぶ。

 

「アクセスコード、《デビルフェイザー》!」

 

 言葉が紡がれた瞬間、女の姿は掻き消え、現れたのは巨大なる影であった。髑髏を頭部に配した悪鬼の怪獣が吼え立てる。

 

 まさか、と朋枝は息を呑んでいた。

 

「ヒトが……怪獣に?」

 

「だから言ったでしょうが。こっちも《シノビラー》の力を最大に使って逃げ延びるっすよ! 今は、《デビルフェイザー》相手に戦って勝てる状態じゃないんす!」

 

 そう口にした瞬間、《デビルフェイザー》と呼ばれた怪獣が光線を放っていた。ツルギは無数の武器を展開し、それらを壁に用いる。

 

 直後、武器は雲散霧消し影も形もなかった。

 

《デビルフェイザー》の光線が武装を塵芥に還したのだ。その力に絶句した時には、既に相転移している。

 

 現れたのは《デビルフェイザー》より少し離れた場所にある高層建築の屋上であった。ツルギは荒い息をついて那由多を下ろす。

 

「ったく、グリッドマンなら協力してくれりゃいいってのに」

 

 悪態をついたツルギはこちらを探す《デビルフェイザー》を睨んでいた。朋枝は那由多を揺する。それでも彼は目覚める兆候はない。

 

「コアユニットが出ている状態じゃ無理っすよ。そういう風に出来てるんす」

 

「……どういう事? どうして那由多は起きないの!」

 

「……俺に当たられても。今はナイトウィザードから逃げ切ってくだせぇ。下階に降りれば、俺の顔見知りがいますんで、そいつに道案内を頼んでもらえれば」

 

 残存した武装を構えたツルギに朋枝は声を投げていた。

 

「……戦うって言うの。人間のままで」

 

「……俺も怪獣になれるのはお察しの通りなんすが、個人的に成りたくはないもんで。それに、《シノビラー》の対策は練られちまってる。人間態のほうがうまく立ち回れるってもんっす」

 

「でも……那由多がもし……起きなかったら……」

 

 どうすれば、と頭を振った朋枝に、ツルギは顔をぐんと近づけていた。至近の距離で鋭い双眸がこちらを見据えている。

 

 雪のような白髪に、麗しいかんばせ。

 

 息も忘れて見入っていると彼は告げていた。

 

「……坊ちゃんに頼るのもいいっすけれど、最後の最後は、自分の力っすよ、お嬢ちゃん。俺は自分の未来は自分で切り拓くんで、おたくらはおたくらで何とかしてくだせぇ」

 

 顔を離したツルギは拳銃に弾を込め、腰に提げた長刀の柄を拳で確かめる。

 

 朋枝は那由多の身体を肩に、その場から後ずさっていた。

 

 ツルギの後姿が視野に入る。

 

 彼はやる気だ。最後の一滴でも。誰も立ち向かわなくてもやるのだろう。ナイトウィザードを倒すために、そうと決めた男の背中であった。

 

 その覚悟を自分は覆せない。

 

 朋枝は気の利いた別れの言葉も発せられず、建築物を降りていた。

 

 直後には《デビルフェイザー》の鳴き声と共に、戦闘が再開されている。朋枝はただ祈った。

 

 ――どうか死なないで。

 

 自分の前でこれ以上誰かに命を落として欲しくない。たとえついさっきの因縁であろうとも、それでもナイトウィザードを倒す、と言う使命に生きるのならば、那由多と違いはないはずだ。

 

「……那由多。お願いだから起きて。あなたがいないと、あたしは……」

 

 何も出来ない。それをただ強く噛み締めた。

 

 



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♯5‐4

 

「さぁて……格好よく逃がしたはいいものの、俺が勝てる目が出てくれるっすかねぇ。それとも、ここが地獄の片道切符っすか? どっちせよ、ここで終わる気もねぇんで、せめて、道連れに出来るくらいの力をもらえないっすかねぇ!」

 

《シノビラー》のモニュメントより武装を探り当て、ツルギはそれを顕現させる。赤と黒に彩られた重排気のバイクであった。解き放たれし獣へと、ツルギは跨り、アクセルを吹き鳴らす。

 

《デビルフェイザー》が吼え立てた。

 

(《シノビラー》! ここで死ね!)

 

「それはこっちの台詞っすよ。ここで終わるのはあんたか、俺か。どっちにしたって、俺は諦める気はねぇっすから。ここでてめぇを――デリートする!」

 

 瞬間、噴き上げた勢いでバイクが疾駆する。《デビルフェイザー》の分子分解光線が高層建築物を融かし、塵芥に還す中で、ツルギはいななき声を上げる忠義の獣に加速をかけさせた。

 

 その蹂躙の車輪が壁を走り、ガラスを蹴破っていく。加速度だけでも充分な威圧だ。解き放たれた獣に手綱の必要がないと判じたツルギは二丁拳銃の火線を奔らせていた。

 

《デビルフェイザー》の鼻先を銃火器の噴煙が巻き上がる。

 

 相手は手で払おうとするが、その前にツルギは特殊弾頭を拳銃に込めていた。

 

「これは、とっておきっすよ! 喰らえ!」

 

 引き金を絞り、《デビルフェイザー》の腹腔へと弾丸が突き刺さる。刹那、煉獄の炎が《デビルフェイザー》の表皮を焼き払っていた。

 

 相手が悲鳴を混じらせ、火炎を払おうとするも粘性を持つ炎は容易く剥がれはしない。

 

「言ったっしょ! とっておきだって。本当は迴紫に使うつもりだったんすけれどねぇ! おたくも相当にしつこいんで、使わせてもらうっすよ。出し惜しみはなしで!」

 

 もう一丁の拳銃にも新たなる弾頭を装填し、引き金を矢継ぎ早に引いていた。

 

 今度は冷却の嵐だ。凍り付いた《デビルフェイザー》の一部が剥離し、腐り落ちていく。相手は分子分解光線で追い込もうとするが、精密さを欠いた光線はどれもこれも明後日の方向を射抜くのみ。

 

「熱いのと冷たいの! どっちが好みっすか? ま、俺はどっちもパスっすけれどね!」

 

 両方の弾頭を押し込み、二丁拳銃を交差させて銃撃網を浴びせる。

 

 冷却と熱線が交互に《デビルフェイザー》の表皮を浸食し、その漆黒の表層に焼け落ちた部位が視界に入った。

 

 今度こそ外さない、とツルギは誓い、とどめの弾頭を右手の拳銃に収める。

 

 口づけ一つで拳銃を照準し、ツルギはその一撃のためにバイクを駆け抜けさせていた。

 

 分子分解していく地表を突っ切り、その獣の雄叫びが世界を満たそうとする。

 

「最後の、一撃ィッ!」

 

 ツルギの狙いは正確であった。正確無比に、《デビルフェイザー》の弱点を看破し、そしてその銃口は弱点を射抜くために突きつけられる。

 

 引き金は、確実に絞られたかに思われた。

 

 直後に空間を満たした刃の一閃がなければ。

 

 バイクが寸断され、いななき声がそのまま断末魔へと変化する。投げ出される形であったツルギへと回避不能の一閃が叩き込まれていた。

 

 吹き飛ばされ、身体が建築物に衝突する。粉塵が舞う中で、モノクルの紳士がこちらを睨んでいた。

 

 その手には怪獣のモニュメントがある。

 

「アクセスコード、《バギラ》。間に合ったようですね」

 

 振り仰いだ紳士は《デビルフェイザー》の眼差しが正気に返ったのを確認していた。ツルギは、その現実に歯噛みする。必死に身体を持ち上げて駆け抜けさせようとして、あ、と姿勢が崩れていた。

 

 左足が根元から裂けている。

 

 身体には無数の傷跡が至り、声を発しようとして代わりに激しくかっ血する。

 

「動かないほうがいい。もう勝負はついている」

 

「勝負……は、ついている、だぁ……。まだ、だ……」

 

 切れ切れにツルギは拳銃を突き出そうとして、その腕が寸断された。

 

 悲鳴が劈き、天地に轟く。

 

「やめておいたほうがいい。決定的な間違いを犯す前に」

 

「……間違いぃ……? そんなもん、今さら……っすよ……」

 

 血反吐を吐き、ツルギは腰に提げた得物へと指をかける。《バギラ》の腕が地表を奔り、ツルギの抜刀した刃と干渉して火花を散らせたのも一瞬、均衡はすぐに破られた。

 

 ツルギは再び地を這いつくばり、壁に激突する。

 

 既に臓物のいくつかは破裂しただろう。

 

 先ほどよりも大きく、今度は抗いようのない血反吐を吐いて、ツルギは息を切らしていた。

 

 もう、時間は幾ばくもない。

 

 ――ならば使え、と声が生じる。

 

 自分の内奥、封じたはずのモニュメントより声が迸る。

 

 ――使え。そうすれば死なずに済む。

 

「……冗談。使うくらいなら、死んだほうが……」

 

 ――勘違いをしているな。使わなければ全てが無為に帰すぞ。

 

 甘い囁きにツルギは耳を貸しそうになる。

 

 ――思い出せ。どれほど恨んできた? どれほど憎んできた? これまでの全てが無駄になる。ここまで来た無駄。ここまで戦った無駄。ここまで追い込んだ無駄。ここまで追いすがった無駄。ここまで生き永らえた無駄。そして……ここで勝てたのだと、そう確信した、自身の展望への、無駄――。

 

「……うっ、せぇ……」

 

 全てが無駄であろうと知った事か。そう跳ね返し、ツルギは身体を立たせようとして何度も膝を折る。

 

「無駄だ。もう立てるだけの脚もないじゃないか」

 

「……足の一本や二本、問題じゃ……ねぇっすよ。てめぇらに……軋らせられない俺が……一番……」

 

「言っておく。ここで慈悲を用いるつもりはないし、貴様を迴紫様の下まで生かしておく義理もない。ここで彼女が分子分解光線を撃てば一撃。それで全てが決する。……しかし、我輩は個人的に、惜しいとも感じる」

 

 面を上げたツルギはモノクルの紳士の言葉を聞いていた。

 

「《シノビラー》に成れ。そうすれば少しは見込みがある。さぁ、成るんだ。変身しろ」

 

 そうだ。ここで怪獣に還れば、自分にはまだ勝利の目があるかもしれない。ここで、怪獣に。ここで、怪獣に――戻る。

 

 否、とツルギはその甘美なる誘惑を拒絶する。

 

 ――否! 断じて否のはず!

 

 自分はそんな生易しい決着のためにここまで来たのか。違うはずだ。戦い抜き、迴紫の喉笛を掻っ切るまで、この命を燃やし尽くすのだと、そう信じたからこそ、この街に舞い戻った。ナイトウィザード殲滅のために、何もかもを犠牲にした。

 

「……お断り……っすね」

 

「そうか。何か言い残す事は?」

 

《デビルフェイザー》が口腔にエネルギーを充填する。直後には分子分解が成されるであろう。

 

 この時、脳裏を過ったのはどうしてだか――居残してきたアノシラスの背中であった。振り返ってふふっと笑った少女に、ツルギは笑い返す。

 

 それを相手は怪訝そうに問い詰めていた。

 

「死が怖くないのか」

 

「死ぃ……。怖いっすよ。震えるくらいに……。でも、それ以上に……。何にも成せず! 何にも出来ねぇ己が! ……全身が震えるくらいにゃ、悔しい……っすね」

 

「そうか。ではここで問答は終わるが、本当に言い残す言葉はないな?」

 

 ツルギは精一杯の気力を振り絞り、中指を立てていた。

 

「クソッ、タレ……」

 

 瞬間、放出された分子分解光線がツルギの身体をこの世に生まれ落ちる前まで還元し、この世にいた証明を何一つ残さず、消し去っていた。

 

 



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♯5‐5

 

 何か、誰かに呼ばれた気がして、朋枝は振り返る。

 

「お姉さん、早く」

 

 急かす声に気のせいだと一蹴して、朋枝はツルギより言いつけられていた通り、少女と合流していた。しかし、と仔細に観察すればするほど少女の姿は意味不明だ。

 

 緑色のフードに、黒髪の少し肌は浅黒い少女。

 

 自分の村にこんな少女はいなかった。ドクロ鉄道から来た別の区域の人間だろうか。

 

「あなた、ツルギって言っていた、あの人と……」

 

「うん? お兄さんとは浅からぬ仲」

 

 思わぬ返答をされまごつく朋枝に少女はこちらを指差す。

 

「お姉さんと、お兄さんも?」

 

 その質問にはどうしてだかふるふると首を横に振っていた。

 

「いや、あたしと那由多はそんな……」

 

「でも、フィクサービームで復活した区域まで行こうとしてるんでしょ? 変わってるよね」

 

「変わってる? でもだって、あそこには生きているかもしれない人達が――」

 

「いないよ? あそこには、何もいない。あれは再現しているだけ。生きていた頃の記録だよ。本物じゃない」

 

「本物……じゃない?」

 

 怪訝そうに面を上げたその時、吹き付ける風と共に朋枝は信じられない人影を、少女の赴く道すがらに見つけていた。

 

 まさか、と息を呑む。

 

「生きていたの……臾尓……」

 

 蒼い二つ結びの髪をなびかせ、臾尓は静かな面持ちでこちらを見据えていた。

 

 那由多を離し、ゆっくりと歩み寄る。その肩を引っ掴み、朋枝は問いかけていた。

 

「何があったの? フィクサービームで、那由多は一体、何をしてしまったの?」

 

 問わねばならない。あれが本物ではないと口にする少女の言葉を払拭するために。だが、臾尓は冷たい眼差しのまま応じていた。

 

「フィクサービーム。あれはこの世にあらざるものを呼び寄せた。ある意味では、迴紫が震撼するほどの。生者と死者を分けるこの世界に亀裂を走らせる、一筋の光。消えない夢……」

 

「答えになってない! 臾尓、あなたは本当は……何なの」

 

 どうしても知りたい。臾尓が何者で、どうして那由多が気を失った時のみ、自分の前に現れるのか。その答えを彼女は口にしかけて――代わりに漏れたのは鮮血であった。

 

 臾尓の心臓を射抜いたのは、不可視の刃である。朋枝は思わずその肩から手を離していた。

 

 少女が前に駆け出る。

 

「誰かいるね。誰?」

 

「おかしいですね。逃がしたと思ったらこんなところにいるなんて。いずれにせよ、コアユニットは確保せよ、とのお達しです。迴紫様の機嫌を損ねたくないので……」

 

 先ほど聞いた声の主と同じ。しかし、やはりと言うべきか姿は見えない。

 

「グリッドマン。気を失っている今が、好機ですかね。禍根は摘み取っておきましょう」

 

 不可視の何かが那由多へと迫ろうとする。

 

 朋枝が手を伸ばすが間に合わない。全てが致命的に思えた、その時であった。

 

「――させない」

 

 不意に舞い降りたのは巨大なる足であった。茶褐色のそれが不可視の相手を踏みしだく。

 

 前に出ていた少女が首にかけていたヘッドフォンを差し出し、そこから音を漏らしていた。

 

 その音に呼応し、敵を踏み締める何かが音階を発する。

 

 そう、鳴き声ではなく音階なのだ。

 

 朋枝が絶句していると、少女は言葉を紡ぎ出した。

 

「音楽にはね、目には見えないけれど、音の精霊が隠れていてね。そしていつも演奏する人の心を見てるんだ。……お兄さんに約束したし、私は一度約束した事は守るよ。それがうちの家訓だから」

 

「あなたは……」

 

 息を呑んだ朋枝に少女は振り返り、へへっと照れくさそうに笑う。

 

「私、怪獣だよ?」

 

「怪獣……。ナイトウィザードと……」

 

「ううん。本質的に違うかな。でも、怪獣。今、先代を呼び出してちょっとお仕置きしてもらっているだけ。ちょっと手伝ってもらっているだけだから、すぐ終わるよ」

 

 ヘッドフォンから紡がれる音楽が激しく音階を掻き鳴らす。

 

 不可視のそれが圧死寸前にまで追い込まれたのが見えないなりに窺えた。

 

「……こうなれば。アクセスコード、《ステルガン》!」

 

 その瞬間、膨れ上がったのは敵意。その敵意を身に宿した爬虫類型の怪獣が屹立する茶褐色の怪獣と対峙していた。

 

 直後には、相手は景色に溶ける。

 

「また消えて……!」

 

「させない。音のフィールドを展開する」

 

 音階を発する怪獣が周囲を極彩色に染め上げた。音が実体を持ち、それぞれの色相を変位させ空間に色を与えているのだ。思わぬ攻撃に景色に溶け切らない敵怪獣が炙り出される。

 

「今なら、グリッドマンで倒せるんじゃない?」

 

 その問いかけに朋枝は絶句していた。

 

「……あなたは何……」

 

「だから、怪獣だよ? アノシラス・モントレーション=リリィ・トリシューラ三世。長いからアノシラスでもリリィでもいいよ」

 

 アノシラスと名乗った少女は不思議そうに首を傾げる。朋枝は倒れ伏した臾尓の肩に触れていた。

 

 僅かに反応し、臾尓はこちらを仰ぐ。

 

「……死なないで、臾尓。あなたは、こんなところで……」

 

「大、丈夫……。私は、死なない。少し接続が切れるだけだから。私の入力が断線すれば、那由多は起きる。どうか、彼に……彼を導いて欲しい」

 

 臾尓の望みに朋枝は頭を振っていた。

 

「……でもあなたに死んで欲しくない」

 

 発露した言葉に臾尓は寂しげに微笑む。

 

「死なない……と言っても信じてもらえないだろうけれど。このユニットを排除し、接続を緩めるだけ。死ぬわけじゃない。トモエ、那由多にはあなたが必要。お願いだから、最後まで……」

 

 言葉が途切れ、臾尓の身体がブロックノイズに包まれる。直後には、臾尓の姿は分散していた。そこにあった、という証明すらなく。

 

「臾尓……」

 

「……あれは、怪獣か」

 

 その声に朋枝は振り返る。那由多が立ち上がり、銃口を天上に向けていた。

 

「駄目っ! 茶褐色のほうが敵じゃない!」

 

「敵じゃない……? では……あちらが敵か」

 

 極彩色の景色の中で何度も行動を阻害されている《ステルガン》に那由多は照準し、高重力波砲撃を浴びせかける。赤い光軸が《ステルガン》に突き刺さり、敵怪獣が吼え立てた。

 

「ねぇ、グリッドマンのお兄さん。とっとと変身して終わらせてよ。そのほうがいいに決まっているし」

 

 不躾な言葉に那由多が銃口をアノシラスに据える。朋枝はそれを制していた。

 

「彼女も敵じゃない」

 

「……何なんだ。オレの意識が閉じていた間に何が起こった?」

 

「説明は後。那由多、ここは逃げ切らないと」

 

 朋枝の言葉に那由多は《ステルガン》を睨む。

 

「……逃げる気はない。終わらせる」

 

 掲げたアクセプターに光が宿り、十字を描いて押し込んだ。

 

「アクセス・フラッシュ!」

 

 刹那、那由多の身体が光に包まれ、高層建築の質量を削って現れたのは蒼銀の巨人である。

 

「グリッドマン……」

 

 朋枝はただ祈っていた。この戦いが、何か不幸の遠因にならない事を願って。

 

 



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♯5‐6

 

《ステルガン》は何度も透明化の皮膜を練ろうとして、その度に茶褐色の怪獣、アノシラスに防がれているようであった。

 

 アノシラスは穏やかな瞳で音階を操り、《ステルガン》の勢いを削いでいく。

 

 敵ではない、と朋枝が言ったのはその通りなのだろう。敵対する意思のないアノシラスと肩を並べ、《サイファーグリッドマン》は構えていた。

 

《ステルガン》が吼え立て、翼を広げてこちらへと突撃する。《サイファーグリッドマン》はすれ違い様に光刃を発振させ、《ステルガン》の翼を引き裂いていた。

 

 悲鳴が迸り、《サイファーグリッドマン》はグラン・アクセプターで光輪をなぞって結界を張る。

 

 その結界を蹴破り、戦闘機形態へと移行した《サイファーグリッドマン》は《ステルガン》に追い縋っていた。

 

《ステルガン》は翼を拡張させ逃げおおせようとする。その背に追いつき、備え付けた重火力が火を噴く。《ステルガン》が舞い上がり、雲間を引き裂いて回避行動に入る。戦闘機形態で加速度をかけ、敵の頭上に至ると同時に爆撃を用いていた。

 

《ステルガン》が吼えて急下降し、青錆びの街に墜落する。

 

 降下の勢いを借りて結界を張り直し、巨人の姿に舞い戻った《サイファーグリッドマン》は頭上より大剣を呼び出していた。

 

 そのまま大剣を担ぎ上げ、《ステルガン》に迫る。

 

(サイファーグリッド、キャリバーエンド!)

 

 こちらを振り仰いだ瞬間の《ステルガン》の鼻先に刀身が入り、地響きを立てて着地する。

 

《ステルガン》は一刀両断され、その身体は赤い光となって消し飛ばされていった。

 

《サイファーグリッドマン》は剣を払い、戻ろうとする。

 

 その瞬間であった。

 

「――へぇ、前よか戦い慣れたね、キミ。それとも、《アレクシス》との戦いは特別だった?」

 

 不意打ち気味に咲いた声に対応する前に、浮かび上がった自律兵装が光線を奔らせ《サイファーグリッドマン》に突き刺さろうとする。

 

 辛うじて大剣で受け止めるが、それでも刀身が刃こぼれしていた。

 

(貴様……迴紫!)

 

「覚えてもらって光栄だなぁ。こっちの放った刺客をこうも簡単にあしらわれちゃうとちょっと拍子抜けでもあるんだけれど、それも当然か。フィクサービームを顕現させたんだもんね。ねぇ、純粋にお願いがあるんだけれど」

 

(お願い、だと……)

 

「そっ。あのフィクサービーム、ボクにちょうだいよ」

 

 思わぬ交渉に《サイファーグリッドマン》はうろたえる。迴紫はちょっとした頼み事のようにはにかんだ。

 

「いやぁ、あれグリッドマン的には欲しい技なんだよね。だってボク、あらゆる技を継承したけれどあれだけは持ってないし。だからさ、くれない?」

 

(……せっかくだが、貴様に与えれば何を仕出かすか分からない)

 

「ええ、信用されてないなぁ……。じゃ、こうしよう! ボクにフィクサービームをくれたら、もうナイトウィザードを使ってキミらを追い込んだり、破壊行為を行ったりしない。こういうのはどう?」

 

 破格の条件である。だが、信用なるものか。《サイファーグリッドマン》は切っ先を突きつける。

 

(……信じられるものか。貴様は今まで、多くの命を摘んだはず!)

 

「それも誤解なんだよねぇ。あっ、そっか。中の人の記憶に依存しているから、グリッドマンに変身してもこの世界の事、分かんないんだ?」

 

 記憶、と口にされて《サイファーグリッドマン》は突きつけた刃を彷徨わせた。

 

(どういうつもりなんだ……)

 

「いや、だってさぁー。世界の事を知っているのなら、多くの命、なんて事言わないでしょ。何にも分かってないんだ? この世界の成り立ちとか、どこまでが世界でどこからがそうじゃないのかを。キミは、無知のまま戦ってきたんだ? グリッドマンの意志が怪獣の排除を最優先させるからなのか、それとも他の要因かは分からないけれど、でも、興味深いね。何にも知らないでフィクサービームを覚醒させ、そして新宿区画の一部を復活させた。それってさ、罪深いのってどっち? って話」

 

(惑わせるような事を……。わたしは、貴様の思い通りにはならない!)

 

「強がるなぁ。でも、それも想定内。邪魔な怪獣もいるし、二対二ならフェアでしょ? 本当はこの二体でさっさとフィクサービームを差し出すところまで追い込もうと思ったんだけれどね」

 

 迴紫が手を掲げる。

 

 それに呼応して、空間に呼び出されたのは二人の男女であった。

 

 それぞれ、赤い髪と青い髪をしている。

 

 その二人はモニュメントを手に掲げ、声を揃えた。

 

「「アクセスコード」」

 

(……まさか)

 

「ナイトウィザードを全員出すなんて、そんなの愚策だとは思っていたけれどボクも嘗めプはもうやめようかなってね。追い込んであげるよ! 新しいグリッドマンと中の人!」

 

「《フレムラー》!」

 

「《ブリザラー》!」

 

 言葉が紡ぎ出され、二体の怪獣が顕現する。赤い炎の怪獣と青い冷凍怪獣だ。炎の怪獣、《フレムラー》が獄炎を吐き出す。

 

 アノシラスを狙った攻撃に思わず《サイファーグリッドマン》は飛び出していた。

 

 大剣で受け止め、そのまま炎を掻っ切って肉薄しようとする。

 

 それを阻んだのは《ブリザラー》の凍結攻撃である。吹雪いた瞬間には、地面に足が縫い付けられている。

 

 硬直した身体へと《フレムラー》の剛腕が叩いていた。《サイファーグリッドマン》はそのまま突き飛ばされ、背筋を大地に打ち付ける。

 

「悪い事は言わないよ。この二人は強いから、ボクの直属の側近にしてあるんだ。だからその怪獣を守りながら勝とうなんて思わないほうがいい。じゃないと、手痛い打撃を受けるのはキミだよ?」

 

 迴紫の声に《サイファーグリッドマン》は大剣を杖代わりに身体を持ち上げる。しかしその時には《ブリザラー》の凍結術が四肢と関節を狙い澄ましていた。

 

 凍てついた身体が動きを鈍らせる。その隙を逃さず、《フレムラー》が炎を纏いつかせた拳で叩き据えていた。

 

 二重の攻撃網に《サイファーグリッドマン》は成す術もない。

 

(……このままでは)

 

「ね? 無理でしょ? だからさー、さっさとフィクサービームを渡してよ。そうじゃないと不利なのは分かるでしょ?」

 

《サイファーグリッドマン》は《フレムラー》と《ブリザラー》の多重攻撃にグラン・アクセプターで円弧を描き結界を破って重戦車形態へと変位していた。

 

 重戦車の火砲が《フレムラー》の表皮に突き刺さるが、《フレムラー》はまるで効いた様子もない。《ブリザラー》が割って入り、尻尾で重戦車の荷重を物ともせずに投げ飛ばす。落下する前に変位を解除し、《サイファーグリッドマン》は手甲を呼び出していた。

 

《フレムラー》の灼熱に耐え、《ブリザラー》の凍結術を持ち堪えさせる。

 

 直後、瞳を輝かせ、《サイファーグリッドマン》は右手に手甲を繋ぎ合わせていた。電磁を纏わせ合体した手甲がドリルを構築し、そのまま何倍にも巨大化する。

 

(サイファードリル……)

 

「無駄だよ。意味ないってば。やめときなって」

 

 その言葉を聞かず、自らを推進剤として《サイファーグリッドマン》はドリルを高速回転させた。

 

(ブレイク!)

 

 青い光を棚引かせた特攻攻撃はしかし、《フレムラー》がその膂力で防ぎ切る。削岩機の勢いで削り取ろうとしたが、《フレムラー》はなんと単純なパワーだけで押し返していた。

 

 完全に止められたのを関知した時点で、既に遅い。《フレムラー》が二の腕を膨れ上がらせ、直後にはドリルは砕かれていた。舞い散る鋼鉄を灼熱の呼気だけで蒸発させ、《フレムラー》は圧倒的な力の象徴として立ち塞がる。

 

 グラン・アクセプターより光刃を発し、切り裂かんとしたが、《ブリザラー》の凍結攻撃が《サイファーグリッドマン》の躯体より動きのキレを奪っていく。

 

《フレムラー》の鉄拳が鳩尾に食い込み、《ブリザラー》の冷気によって視界が白んでいく。

 

 完璧なコンビネーションに《サイファーグリッドマン》は膝を落としていた。

 

 呼吸が切れ切れになり、タイマーが点滅し始める。

 

「ね? もうやめよ? 絶対に勝てないんだからさ。それに、フィクサービームを渡すだけでいいんだよ? 破格の条件じゃん」

 

(……渡すわけにはいかない)

 

「そう。だったら、死んでもしょうがないよねぇ」

 

《フレムラー》と《ブリザラー》が接近しようとする。それを阻む手段もなし。

 

《サイファーグリッドマン》と内奥に収まる那由多は死を覚悟した。

 

 その時、音階が紡がれ、《フレムラー》の火炎放射を遮る。アノシラスの決死の防衛に《サイファーグリッドマン》は声にしていた。

 

(駄目だ……逃げろ!)

 

「逃がすわけないじゃん。《ブリザラー》」

 

 凍結攻撃がアノシラスの動きを鈍らせ、音階を消し去っていく。全身に炎を血潮として滾らせた《フレムラー》が接近し、アノシラスへと爪を軋らせる。

 

 アノシラスの表皮が赤く裂け、悲鳴が迸った。

 

(やめろ!)

 

「やめるわけないでしょ。どう? そろそろフィクサービームを渡す?」

 

 アノシラスの悲鳴が連鎖する。《サイファーグリッドマン》は苦渋の末の結論を発していた。

 

(……それでいいのならば)

 

「最初からそう言えばいいのに。譲渡方法だけれど、多分アクセプターの中に入っているから、アクセプターを破壊させてもらうね。そうすれば《ウィザードグリッドマン》で奪える」

 

 アクセプターの破壊。それが意味するところを理解出来ないわけがない。

 

(……それはわたしの死だ)

 

「何言ってんの? 最初から生かすつもりなんてあるわけないじゃん。ちょっと考えれば分かるでしょ。グリッドマンは二人も要らないんだよ?」

 

 この交渉も意味がなかったと言うわけか。《サイファーグリッドマン》は己の中に湧き上がる憤怒に光刃を奔らせていた。

 

 今さら意味がないのは分かっている。それでも、決死の抵抗の末に渡す結果となるのならばまだしも、こうして何もせずに諦めるのだけは看過出来ない。

 

 それだけは絶対に否のはずだ。

 

(グリッドライト……!)

 

「だから、遅いってば」

 

 赤い結晶体の自律兵装が直上より舞い降り、《サイファーグリッドマン》の四肢へと入る。ダメージが装甲に亀裂を走らせ、《サイファーグリッドマン》は呻いていた。

 

 敵わないと言うのか。

 

 迴紫に、何も届かないと言うのか。

 

 何も届かぬまま、勝てないまま終わるのならば。

 

 終わるしかないと言うのならば。

 

 ――深い絶望と煮え滾る怒りの中に、堕ちてしまえ。

 

 どこから響いたのか分からない声が《サイファーグリッドマン》の内奥に潜む那由多に、覚醒を促す。

 

 瞼を開いた刹那には、接近していた《ブリザラー》の腕に赤い線が入っていた。

 

《ブリザラー》の右腕の肘から先が断絶される。落ちた腕を踏みしだき、灼熱の一閃が《ブリザラー》の胸部を引き裂いていた。血潮が一瞬にして蒸発する。

 

 思わぬ一撃であったのだろう。

 

 迴紫は驚愕に塗り固められた面持ちで、口にする。

 

「……おかしいな。アクセプターは左手って決まっているはずなんだけれど」

 

 そう、その視野に捉えたのは、《サイファーグリッドマン》の右腕に顕現した赤いアクセプターである。

 

 煮え滾る憤怒の赤を宿したアクセプターより発せられた出力を増した光刃に、《ブリザラー》は凍結術で動きを鈍らせようとする。

 

 その攻撃を《サイファーグリッドマン》は関節部より放出された灼熱の怒気の息吹だけで消滅させていた。

 

 赤い怒りが《サイファーグリッドマン》の蒼に染み出し、赤色に染め上げていく。

 

 左腕の蒼いアクセプターが光を失い、やがて灰色となって朽ち果てた。

 

 今の《サイファーグリッドマン》を押し進めているのは、右腕の怒りに満ち溢れたアクセプターである。

 

 一歩踏み出す度に、赤い足跡より火炎が発せられた。

 

 煉獄の炎に、迴紫は二体を駆動させる。

 

「《フレムラー》、《ブリザラー》。ちょっとヤバいかも。さっさと拘束。急いで」

 

 迴紫の命令に踏み込もうとした二体の間を、瞬時に赤熱光が過ぎ去る。

 

 全ての現象が遅れを取ったかのように、《フレムラー》の首筋に切れ目が入り、《ブリザラー》の胴体に一閃が入っていた。

 

《フレムラー》が首を刈られ、《ブリザラー》が胴体を割られる。

 

 一瞬でついた決着に迴紫は瞠目しているようであった。

 

《サイファーグリッドマン》は赤い憎しみの光を引き連れ、光刃を払う。

 

 迴紫が咄嗟に防御皮膜を張り、それを防いだが出力の上がった刃に彼女は歯噛みしていた。

 

「……それ、何? 闇堕ちしたって事? だったら、ボクの言う事を聞いてよ」

 

《サイファーグリッドマン》は応じず、深淵なる憤怒のアクセプター――ハザード・アクセプターで円弧を描く。結界を突き破り、戦闘機形態に変じた《サイファーグリッドマン》の勢いに迴紫は舌打ちを漏らしていた。

 

「やるしかないって事じゃん……! アクセス・フラッーシュ!」

 

 刹那には赤銅の光に包まれた迴紫が《ウィザードグリッドマン》へと変身し、杖を払って《サイファーグリッドマン》を退けさせる。

 

 距離を稼ぎ、《ウィザードグリッドマン》は結晶体の自律兵装を飛ばしていた。

 

 それぞれが幾何学の軌道で迫り、光条を発する。《ウィザードグリッドマン》の破壊光線に《サイファーグリッドマン》が行ったのは、ただ右腕の刃を薙ぎ払ったのみ。

 

 それだけで震えた大気が結晶体を砕けさせ、憤怒のエネルギーが《ウィザードグリッドマン》を震えさせていた。

 

(何これ……。ボクが震えるなんて……嘘でしょ!)

 

 杖を払い、無数の結界を生み出した《ウィザードグリッドマン》はそれぞれの結界を突き破らせて同時に変位形態を使役する。

 

 戦闘機形態と重戦車形態が天と地より《サイファーグリッドマン》を破壊せんと迫ったが、《サイファーグリッドマン》は腕を交差し、右腕のハザード・アクセプターを突き上げていた。

 

(グリッドハザードビーム)

 

 その声に導かれ、赤い光線が放たれていた。

 

 絶望と怒りの必殺光線が二機の使役形態を粉砕し、《ウィザードグリッドマン》に防御壁を張らせる。それでも、皮膜を打ち破りかねない勢いに《ウィザードグリッドマン》が吼えていた。

 

(こんなの……無理ゲーじゃん。いきなり怒りで強くなるとかさぁ!)

 

《ウィザードグリッドマン》は弾き返すが、分散した光線の熱量は殺せず、高層建築物を粉砕する。

 

 そのうちのいくつかが降り注ぎ、直下の人々を押し潰した。

 

 復活させた、と思い込んでいた新宿区内の者達へも。

 

《サイファーグリッドマン》はその眼で、自身のフィクサービームが作用した地点に住まう人々が瓦礫の下敷きになるのを目にしていた。

 

 うろたえた《サイファーグリッドマン》に《ウィザードグリッドマン》は杖を払い、自律兵装をいくつか作り出す。

 

(チャンス! 今のうちにいただく!)

 

 空間を抜けた《ウィザードグリッドマン》の攻撃網に《サイファーグリッドマン》が気づいたその時には結晶体の一部が左腕のアクセプターに吸い付いていた。

 

(フィクサービームを引き出して、ボクの物にする! これで終わりだ!)

 

 その言葉に《サイファーグリッドマン》は吼え立てていた。

 

 内奥より放たれた怒りの具現たる咆哮が《ウィザードグリッドマン》の手を全て押し潰していく。まさか吼えただけで破壊されるとは思っても見なかったのだろう。硬直する《ウィザードグリッドマン》に、《サイファーグリッドマン》が光速に至り肉薄する。

 

 ハッと相手が気づいたその時には、右腕より発した光刃が《ウィザードグリッドマン》の杖と干渉していた。火花が散る中で、迴紫が声を張る。

 

(そんな風になってさ! だったら何も守れやしないよね! もう、在るべき形も忘れたんだもん! だからこれは、ボクなりのケリの付け方だ!)

 

 自律兵装の一つが復活し、結晶体が《サイファーグリッドマン》の関知網を抜ける。

 

 その抜けた先にいたのは、朋枝達であった。

 

《サイファーグリッドマン》が手を伸ばす。だが、間に合わない。

 

 放たれた光条が砂礫を吹き飛ばし、次の瞬間、朋枝の姿は炎の中に消え失せていた。

 

(「トモエ!」)

 

 僅かに残った那由多の意識が叫ぶ。しかし、煙を上げる地点には命の一欠けらも感じられない。

 

 ――守れなかった。

 

 その意識が深層を満たした瞬間、赤いアクセプターより伸びた怒りの血潮が全身に至る。頭部を浸食し、激痛に呻く《サイファーグリッドマン》へと、《ウィザードグリッドマン》は自律兵装をいくつか吸着させていた。

 

 ハザード・アクセプターに取り付かせ、その憎悪と怒りを増幅させる。

 

 身を焼きかねない怒りの波に那由多の意識が大きく揺さぶられた。《サイファーグリッドマン》を構成していたエネルギーが流転し、次の瞬間には色相が変異していた。

 

 蒼と銀が完全に消え失せ、赤と黒の姿へと堕ちていく。

 

 紅蓮の赤を棚引かせる《サイファーグリッドマン》へと、《ウィザードグリッドマン》が手を開いていた。

 

 それに呼応し、《サイファーグリッドマン》は立ち上がる。

 

(怒りで我を忘れたみたいだね。でも、好都合だ。奪うよりかはこっちのほうがいいかもしれない。歓迎するよ、我らナイトウィザードに。最強の刺客として。ねぇ――罪なる巨人、《サイファーグリッドマンシン》)

 

 罪の名前を与えられた巨人、《サイファーグリッドマンシン》は満身より吼え、世界を赤く満たしていた。

 

 全身より迸った怨嗟と憎悪の赤い光が線を描き、世界に浸食する。

 

 高層建築物が位相を変え、青く煙る世界が罪なる赤に上塗りされていく。

 

《ウィザードグリッドマン》は哄笑を上げていた。

 

(これより始めようか! 本当の支配を!)

 

 赤い地獄の光はその前奏曲のように、朽ちた世界を闇へと組み換えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『エラー。反証済みです。個体識別を確認。当個体への保護を停止いたします』

 

 その電子音声が響き渡り、キャノピーが上がっていた。重い瞼を薄く開き、滅菌されたような白い天井が視野に入る。

 

 どこか、光を受信する事さえも久しいような気がして、身を起き上がらせていた。

 

「ここは……」

 

 声も掠れてしまっている。疼痛に頭を押さえ、自身の記憶を反芻していた。

 

「そうだ、あたし……。迴紫の攻撃で……死んだ?」

 

 そう、迴紫の放った自律兵装の攻撃に抱かれ――朋枝は死んだはずであった。ならば、ここは死後の世界であろうか。

 

 それにしては淡白で、無機質であった。

 

 カプセル型のベッドより身を起こした朋枝は他にも似たようなカプセルが並び立っているのを目にする。

 

 ここが死後の世界であるのならば、天国か地獄か……。判じる術を持たないでいると、扉が開き人影が入ってきていた。

 

 その人物に朋枝は息を呑む。

 

「……臾尓?」

 

 しかし、自分の記憶にある臾尓とは少し違う。面持ちも背丈も少女のものではなかった。まるで何年か成長した姿のようだ。臾尓に似た女性はこちらを見やるなり、やはり、と口にしていた。

 

「こちら側に来てしまった。……予期せぬ事態ではないけれど、それでも。あってはならない事の一つではある」

 

「何を言って……。臾尓、なのよね……?」

 

「それも語弊がある。今は、ついて来て。あなたに教える」

 

「待って……臾尓……。足が……」

 

 そう、足に力がまるで入らない。歩く事さえも忘れてしまったように。彼女が目配せすると、数人の人影が入ってきていた。否、ヒトではない。

 

「ロボット……?」

 

「作業用のアンドロイド。大丈夫、危害は加えない」

 

 アンドロイドに支えられ、朋枝はようやく臾尓に似た女性の背に続いていた。彼女は一瞥を寄越し、そして声にする。

 

「……トモエ。何が起こっているのかは分からないとは思うけれど、一つだけハッキリした事を言っておく。あなたは死んでいないし、それにここは天国でも地獄でもない。この場所こそが――現実よ」

 

 想定外の言葉に異論を挟もうとすると、アンドロイドの一体が事務的に報告する。

 

『所長。セクター内で異常な反応を確認。《サイファーグリッドマン》に《ウィザードグリッドマン》はウイルスを侵入させ、操っています。現在、モニター班より入電。すぐに管制室に、と』

 

「承った。トモエ、あなたも来て。これから先、どれだけ非情なる事実が待っていようとも、忘れないで。あそこであった事は嘘じゃないけれど、でも虚飾だった。そして、迴紫の本当の目的を。彼女は何故、《ウィザードグリッドマン》として君臨し続けるのかを」

 

 臾尓に似た女性の宣告に、朋枝は天国でも地獄でもない場所でただ、惑うのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【透明怪獣《ステルガン》】

【火炎怪獣《フレムラー》】

【冷凍怪獣《ブリザラー》】

【災厄超人《サイファーグリッドマンシン》】登場

 

 

 

 

 

第五話 了

 



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第六章 CODE: Veritas
♯6‐1


 

 自身の内奥で声がする。

 

 いくつかの声が弾け、消えてゆき、そしてまた色彩のない世界の中で咲いていく。

 

 それらが脳を掠める度に、己が何者なのか、どうしてここにいるのかを問い返す。

 

 ここは――灰色でそして何もない。何もない虚無だ。影の中に自分と言う一個人がある。その自分を持て余し、こうして記憶の只中で漂っているのだ。

 

 何が存在し、何が消え、何が生まれるのか。

 

 何も分からないままで終わると言うのか。

 

 ――違うさ。

 

 その声に振り返る。相手は光に包まれた人型であった。自分は掠れた喉から声を搾る。

 

「……お前は……いや、オレは誰なんだ」

 

 結局はその疑念に行き着くのだ。どうしたところで逃げ切れない無限回廊。疑問は尽きないばかりか、新たな疑念が胸の中で渦巻く。

 

 ――君は君だ。思い出せないのかい?

 

 首肯し、頭を抱えていた。

 

「オレは……何なんだ」

 

 瞬間、世界が色相を変えていた。浮かび上がるのはこれまでの戦いである。怪獣を相手に、蒼銀の巨人――《サイファーグリッドマン》が討ち手となって敵を葬っていく。

 

 それが正しいのだと、自分は思い込んでいた。そう思いたかった。正しい事を成し、正しい事に生きているのだと。

 

 白と黒ならば明らかに白の側にいるのだと。

 

 だが、違ったらしい。

 

 景色は炎に焼き尽くされる。

 

 視界に入ったのは紅蓮の炎の前に焼け落ちる世界だ。青錆びの朽ちた高層建築へと延焼し、炎が災厄の赤が世界を覆う。

 

 こんな世界、こんな結果が、自分の行き着く先だと言うのか。

 

 こんな事のために、《サイファーグリッドマン》に変身して戦ってきたと言うのか。

 

 自分の似姿が街を破壊し、蹂躙の渦に巻き込む。

 

 吼え立てた災禍の赤い巨人が全身から怒りの血潮を滾らせていた。大地に走った電線に引火し、炎はさらに勢いを増す。

 

 このままでは世界が焼け落ち、煉獄の中に堕ちてしまう。

 

「……やめろ。やめさせてくれ」

 

 ――どうしてだい? 彼は君じゃないか。

 

「違う。オレは……グリッドマンじゃ……」

 

 ――いいや。このためだったんだ。君はこうなるために、わたしの身体を借りていたのだからね。

 

 その声の主にようやく思いが至る。

 

 そうだ、この声の主は――。

 

「オレを、幾度となく導いてきた……蒼銀の……。《サイファーグリッドマン》……」

 

 そう、この声は《サイファーグリッドマン》本人の声のはず。だが、相手はどこか結論を先延ばしにしているようであった。

 

 ――そうとも言えるし、そうでないとも言える。わたしは確かに、君が変身する《サイファーグリッドマン》の人格と同じだが、見ているものが違ってね。

 

「見ているもの……。お前は、何なんだ」

 

 瞬間、光の人影より逆光が消え失せ、現れたのは自分と同じ顔の青年であった。

 

 ただし、相手は白衣を纏っている。ボロボロの外套を纏っている自分とはまるで正反対であった。

 

「……お前は……オレ、なのか」

 

「ああ、その通りさ。君自身だ。君が忘れてしまった、己自身の声と名前を継承する者」

 

 その誘引に覚えずアレクシスの口走っていた名前を紡ぐ。

 

「シキシマ……バンリ……」

 

「知っているじゃないか。そうだとも、わたしは《サイファーグリッドマン》であり、そして君自身。君の忘れた己の真名。敷島万里だ」

 

 そう名乗った敷島万里に自分は頭を振る。

 

「分からない……。じゃあオレは何なんだ」

 

「那由多……と言う名前を仮に与えられた、わたしの仮初の存在だろう。わたしの主人格は君の心と記憶の奥深くに眠っていた。もちろん、揺籃の時を多く過ごしてね。君の覚醒は《サイファーグリッドマン》と最適化してからだ。あの時より、わたしの人格が主人格として現れるべきカウントダウンが始まった。だが……想定よりもかなり時間を要したとも。君の目覚めにはナイトウィザードとの戦いが大きく関与したからね」

 

「……ナイトウィザードとの戦いは、仕組まれていたのか」

 

「語弊があるな、那由多。わたしは彼らを倒せればよし、倒せないのならばそれでもいいと考えていた。まぁ《サイファーグリッドマン》の考えは違ったようだがね。彼はわたしであってわたしではない」

 

 意味が分からず、那由多は問い返していた。

 

「《サイファーグリッドマン》じゃ、ないのか」

 

「彼はグリッドマンだ。間違いなく、それは正しいであろう。グリッドマンとは……」

 

 その言葉に導かれるように焼け落ちた世界より映像が浮かび上がった。赤い体躯の巨人が数多の怪獣を蹴散らし、世界に平定をもたらしている。

 

 その姿はまさしく自分の変身する《サイファーグリッドマン》と似ているようで異なっていた。

 

「……これが、グリッドマン……」

 

「そう、本来は彼のみをグリッドマンと呼ぶはずであった。……遥か過去の話だ。ハイパーワールドより来たりしグリッドマンはたった一人であった。たった一人で、あらゆる世界を巡り、そしてあらゆる世界に平穏と安寧をもたらしてきた。だが、グリッドマンも一代ではどうしようもない。彼は一代で出来る全てを全うした後に、コンピュータワールドに自らの種子をばら撒いた。それは、希望を感じての行動であったに違いない。グリッドマンを、人類は量産し、そして各々の世界の守り手として確立させた。それが……もう何百年か昔の話だろう。グリッドマンは複雑な系統樹を辿り、そしてそれぞれの世界で守護神として扱われた。人間一人一人がグリッドマンを持つ時代の到来だ。彼らはアクセプターを手にし、アクセス・フラッシュを可能とした。……だが、ひずみが生まれた。誰もが等しく力を行使する時代の終焉だ。コンピュータワールドの守り手であったグリッドマンがその個人の死と共に無数に死に絶えた。人間と寿命を異にするはずのグリッドマンに、人間の尺度をあてはめた弊害だろう。多くのグリッドマンは短命に終わり、そして死に絶えて行った。アクセプターはその名残。人類は、もうグリッドマンを使って平和を作る事に疲れてしまった。だから、混沌が望まれた」

 

 怪獣の時代の到来。無数の怪獣の映像が像を結んでは消えて行く。怪獣はグリッドマンに比べれば無数のバリエーションが生まれ、そしてそれぞれが干渉する事もなかった。

 

「……ナイトウィザードの使う怪獣は、この時の……」

 

「正確にはもっと時代の下った後の話だが、間違ってはいない。アバターズクリーチャー――現事項における怪獣の誕生であった。グリッドマンに代わって怪獣が個人の守護者となり、グリッドマンはそれに負けて、退廃を極めていった。そう、もうグリッドマンは必要なくなってしまったんだ。種子は絶え、グリッドマンの系統樹はバラバラに成り果てた。もうグリッドマンを継承する人間は怪獣に比べれば全盛期の千分の一まで減り、数少ないグリッドマンの継承者達は、それぞれ管理権限を与えられ、人間の進化の礎となった。それが、管理権限プログラムとしてのグリッドマンの誕生だ。皮肉な事に怪獣が跳梁跋扈する世界を守るため、グリッドマンは配された。人類には怪獣になる選択肢は無数にあったが、グリッドマンに成れるのはほんの一握り。その彼らも、じわじわと数を減らしていった。グリッドマンの持ち得る情報と人間の情報量が釣り合わないんだ。グリッドマンは次々と消え、そして生まれたのは、怪獣しかいない世界。朽ちた街並みと青錆びの崩壊領域」

 

 まさか、と那由多は目を戦慄かせる。

 

「あの世界は……グリッドマンの見捨てた世界だったと言うのか」

 

 自分と同じ相貌の敷島万里は静かに頷く。

 

「グリッドマンはもう人間の手に負えない、彼らは純粋にシステムを保護するために生み出された、ただの管理者。名もない守護神。形だけの超人であった。だが、大きな過度期が訪れた。まさしくシンギュラリティと呼ぶに相応しい。ただのシステムに過ぎないグリッドマンの一つが、生命体としての意思を持ったのだ。それが、彼女であった」

 

 映し出されたのはこちらに笑顔を向ける、紫色の髪の少女。名は、無論知っている。

 

「……迴紫」

 

「そう名乗っているが、彼女には名がない。元々はグリッドマンを制御するためだけのシステム人格であった。だが、どういう事かシステム人格とグリッドマンが併合……いいや、この場合は融合と呼ぶべきか。融合を果たした二人であり一人はこの制御領域を管轄するグリッドマンと戦った」

 

 白銀にV字の眼窩を持つグリッドマンと、赤銅の《ウィザードグリッドマン》が激しく戦いを繰り広げる。その戦いの結果は推し量れるものであった。

 

《ウィザードグリッドマン》に胸元を貫かれ、管理権限のグリッドマンが消滅する。

 

「……迴紫が、管理するはずのグリッドマンを倒してしまった……」

 

「そう。彼女の自我が、管理者であるグリッドマンを上回った。そして自我を持つ《ウィザードグリッドマン》である彼女は怪獣の中でも特別な力を持つ者達を率いて、この管理区域――通称、セクターを支配するようになった。ここから先は、君も知っているはずだ」

 

 荒廃した管理世界を、自分は当て所なく彷徨っていた。朋枝と出会うまでは。

 

「……怪獣が跳梁跋扈し、人類を……抑圧していた」

 

「少し違うんだが、その認識でも構わない。ナイトウィザードは現行人類を支配し、抑圧し、そして自らの存在の盤石さを物語っていたが、ここで一つの弊害が現れる。いや、弊害と言うよりもこれはある意味では僥倖か。彼の者に対面すべくして、管理権限プログラムは新たなる守護者の再臨を求めた。それが君と、そして《サイファーグリッドマン》だ。君達は迴紫に支配されたこのセクターを取り戻すために、管理者達が生み出した自己進化型のAI……自己認証する継承型のプログラムだ」

 

 



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♯6‐2

 

 思わぬ自分の正体に那由多は息を呑む。自分の本来の姿は、管理者のただの歯車だと言うのか。

 

「……ではオレは……オレの記憶は……」

 

「そんなものは最初から存在しない。いいや、言い得るのならば、君の基本人格となった人間は存在したがね」

 

 敷島万里はフッと笑みを浮かべる。まさか、と那由多は後ずさっていた。

 

「そうだとも。わたしだ。わたしの人格を基に、君は製造された。このわたし、敷島万里こそが君であり、そして君こそがわたしであるのだ」

 

 想定外の現実に那由多は頭を抱える。信じない、と奥歯を噛み締める那由多に、敷島万里は非情なる宣告を行う。

 

「残念ながら、全て事実なのだよ。わたしがいなければ君は存在せず、そして使命にも目覚めなかった。わたしは、管理者としての権限を与えられ、《サイファーグリッドマン》と一体化していた。ほとんど人格としての役割は《サイファーグリッドマン》に取られていたが、時折、外側に現れる事があった。その結果が最適化だ。あれはわたしのためにも必要だった。外面上はグリッドマンとしての力を引き出すための儀式だが、実際にはわたしの人格を明瞭化させ、実体化までさせるために必要な措置だった。皮肉かもしれないが、グリッドマンとして強くなればなるほどに、君はわたしを偏在化させざる得なかったのだ」

 

「そんな事……。じゃあ、オレは……。オレの意思は……」

 

 敷島万里は残念そうに頭を振る。

 

「そんなものは存在しない。分からないのか。那由多、という人格は仮であり、そして必要ではあったがもう要らないんだ。ここで消えても何ら問題はない。わたしは、《サイファーグリッドマン》の殻を破り、こうして実体化出来たのだからね」

 

 再び燃え盛る世界へと映像が移り変る。那由多は膝を折り呻いていた。

 

「こんな世界を……。オレは……敗北したのか? 迴紫と……オレ自身の中にあったお前に……!」

 

「そう急くなよ。敗北じゃない。至るべき道筋を辿って、君は正解に辿り着いたのだ。ここが打ち止めだ。那由多としての人格の打ち止めであり、そして主人格であった《サイファーグリッドマン》は消える運命だった。わたしの操るこの身体と、《サイファーグリッドマンシン》こそが、本当の姿なのだ。見るがいい! 焼け落ちる世界を! 朽ち果てた街並みを破壊し尽くす邪悪の化身を! これが君だ! そしてわたしでもある。わたしの名前は敷島万里! 《サイファーグリッドマンシン》の、変身者だ!」

 

 高笑いを上げる敷島万里に那由多は外套より拳銃を取り出していた。敷島万里は笑い声を止めて、不意に冷酷な眼差しになる。

 

 那由多は苦渋の面持ちを作っていた。

 

「……何のつもりだね」

 

「お前を消せば、この災厄も止まる……」

 

「浅はかだな。わたしがそんな事で止まるようにこの計画を練っていたとでも? わたしを殺しても終わらんよ。いや、むしろ、そちらのほうがうまく行く。わたしは《サイファーグリッドマンシン》として、完全なる管理者人格を得るのだ。今の君との共同人格は少しばかり邪魔でね。とてつもなく処理に時間がかかるんだ。だから、ここで一人が消えたほうがいいと言うのならば、消えるのはわたしじゃない」

 

 歩み寄ってきた敷島万里は那由多の突きつけた銃口を自らの心臓に当てていた。那由多が息を呑む。

 

「――死ぬのは君だ。那由多。仮人格である君が完全に消滅すれば、《サイファーグリッドマンシン》は完全となる。このわたし! 敷島万里の思惑通りにね!」

 

 引き金を絞ろうとして、那由多は躊躇っていた。ここは自分の心象世界。ここでの死はともすれば逆転されるかもしれない。自分の死が敷島万里の死でもある。その逆も然り。

 

 敷島万里はここでの消滅に恐れていない。否、ここで消滅してこそ、《サイファーグリッドマンシン》が完成するとまで言っている。自分は、ここで消えれば完全なる消滅を辿るであろう。敷島万里のように次の手を持っているわけでもない。

 

 そう、詰みはもう自分のほうなのだ。敷島万里の完全なる計画を止める手立てはなく、自分はこれまで彼の赴くがままに、全てを進めてきた。ナイトウィザードの操る怪獣を駆逐し、この世界にとって住みよい方向へ、よい未来を期待しての戦いは、ここに来て裏切られた。自分は結局、たった一人の男の掌の上であったのだ。

 

 敷島万里。この男の目論見から、自分は一ミリとて離れていない。《サイファーグリッドマン》に成った事も、戦ってきた事も、迴紫に敵意を剥き出しにした事も全て。そう、全てなのだ。

 

 自分の意志で掴み取ったのだと思い込んでいた事実は全て、彼の思惑通りであった。彼の想定を離れた事など一つもしていない。

 

 自分は、ただの操り人形。出来の悪いマリオネット――。

 

「そう悲観するなよ、那由多。案外、君はよくやってきたさ。ここに来るまで死なずに済んだ。君の戦闘能力や、人格適性も加味しての選択は間違いではなかったのだと証明してくれたのだからね」

 

 彼が選んだがゆえに自分はグリッドマンであったと言うのか。そんな事実――。

 

「オレは、オレだからやったんだ。そうじゃないと言うのか」

 

「誤解するなと言っているだろう。わたしは、君の適性条件を買ったんだ。君でなければ不可能であっただろうし、君でなければここまで戦い抜けなかっただろう。そう、わたしは感謝してるのだよ。那由多、と言う存在にね」

 

「だが、それはお前の想定通りの計画を実行するための、ただの傀儡人格だろうに!」

 

 拳銃を突きつけながらもどうしても引き金が引けない。ここで自分が撃ったところで、敷島万里にとっての不利は何一つない。

 

 この怒りも、悲しみも、行き場のない悔しさでさえも……敷島万里の作り出した感情。彼の計算式通りの、人格のエラー。

 

 彼は頭を振り、声音に穏やかさを交えた。

 

「間違ってはいない。だが、不都合はあるのか? 那由多。君は傀儡人格であった。では何か、不都合が? ないはずだ。わたしは君の人格を統合し、完全なる《サイファーグリッドマンシン》として、この世界を滅ぼす。そして、この世界だけではない、別のセクターにも侵入し、また破壊を行おう」

 

「……間違っているはずだ。グリッドマンの理念に反している!」

 

「わたしが今しがた教えた程度の知識でよく吼える。確かにグリッドマンは守護神だ。しかしそれは、かつての栄光。かつての時代の模範だろう。今の時代を切り拓くのに、過去の時代の規定をあてはめるのは間違いだ。わたしは迴紫の存在でさえも、新時代の幕開けだと思っている」

 

「違う! 迴紫は破壊者だ!」

 

「そう……そうかもしれない。彼女はただの破壊者、プログラムのバグの可能性は大いにあり得る。ならば、なおの事ではないか?」

 

「なおの事……だと……」

 

 絶句する那由多に敷島万里は説き伏せる。

 

「システムのバグ程度が、かつての管理者を破壊し、新たなる秩序を生み出そうとしている。それは、進化だ。たとえバグであろうと、アラートに過ぎなくとも進化に違いない。ならばわたしは、より進化したほうにつく。既存の管理者ではなく、新たなる秩序に従おう。それが、人間の進化を促す、大いなる一歩のはずだ」

 

「詭弁だ! 貴様の言っている事は、破壊を是とするためだけの、詭弁に過ぎない!」

 

「破壊を是として何がいけない? 君は、まだ分かっていないようだね。人類の歴史はスクラップアンドビルドであった。これは間違いない。では、この歴史において、破壊は相応しくないか? それも違うはずだ。朽ちた新宿区。この景色に君は何を見出す? 漫然と過ぎていくだけの時間。朽ち果て、青錆びに塗れ、死に行くだけの老人のような景観に、何を見る? そんなものは穏やかなる死だ。惰弱の中に、希望を見るなど、それは進歩の足を止めているに等しい。進化したければ、学び、そして進め。それだけのはずだ。シンプルに考えるといい。そのために今ある荒廃の風景を破壊する。何がおかしい?」

 

 違う、狂い果てているのだ。この敷島万里と言う男は。

 

 破壊を是とし、荒廃を否とする。それはある意味では間違っていないのだろう。だが、壊されていく景色の中にも、人間は生きているはず。生き永らえていいはずなのだ。それを彼は否定する。ただ生きているだけならば、死んだほうがいいのだと。

 

「……そのような強者の理論、まかり通るものか。世界は強者だけで出来ているのではない!」

 

「朋枝、という少女の事かい?」

 

 不意に図星を突かれて那由多は言葉を仕舞い込んでいた。敷島万里はほとほと呆れたとでも言うように肩を竦める。

 

「君は、ストイックな存在だと思っていた。そのようにウェットな考えは一切持たぬ、まるで機械のように精密に、そして正確なる存在だと。だが、あれに何を覚えた? 恋慕か? 親愛か? それとも、弱者は守られるべきと言う、庇護欲か? どれも単純なる欲求だ。どれもこれも、欲望の最果てに過ぎない。君は、そんな些末事にこだわる場合ではない。力を追い求め、迴紫を倒す、そうではないのか? それが出来ずに人形とままごとを続けるかい?」

 

「……トモエは、生きた人間だ」

 

「だが死んだ。そうであろう? 死んだのならば、もうそこには何もない。なら、どうして希望を振り翳す? ……那由多、もっと大人になるといい。人間は確かに一人では生きていけないが、君は一人ではないじゃないか。わたしがいる」

 

 那由多は震えた指先のまま、膝を落としていた。銃口を下ろし何度も頭を振る。

 

「……オレは独りだ」

 

「君は一人じゃないさ。わたしと迴紫と共に、世界を破壊しよう。それが出来るのは君だけなんだ、那由多。《サイファーグリッドマンシン》として、わたし達は素晴らしい存在に成れる。さぁ、統合だ。わたしと君の人格を融合させ、本物の《サイファーグリッドマンシン》へと進化する。それが成せた時にこそ、福音は訪れるはずだ」

 

 分からない。敷島万里の言っている事の何もかもが。彼は自分に何をさせたいのだ。何もかも失ってしまった、こんな小さな人間モドキに。

 

「オレには、立ち上がるべき信念も、信じるべき心もない……」

 

「それは経験則で補える代物だ。安心するといい。君が失ったと思っているものは、案外早く取り戻せるだろう。後の答えは一つだ。統合するか、それともこのまま拒み続け、人格消去の憂き目に遭うか。二つに一つさ。だが、後者は嫌だろう? 何も出来ないまま、ここでわたしという人格に溶かされて死ぬのだからね。それを実行するくらいならば、わたしも温情で迎えたい。君を、受け入れてやろうと言っているのだよ」

 

 敷島万里と一つになれば、自分はこれ以上苦しまずに済むのだろうか。

 

《サイファーグリッドマンシン》として、破壊神として成り立ち、このまま既存の管理社会を破壊する。

 

 そのためだけの、殺戮者となる。

 

 正しいのはどちらだ。間違っているのはどちらなのだ。

 

 もう、分からない。理解出来るだけのものは、掌を過ぎ去ってしまった。今までならば、朋枝を守ると言う信念だけで成り立っていた自分が、こうも容易く崩れ去る。

 

 失ったままの自分に、生きていく価値はない。ならば、いっその事――。

 

 那由多は自身のこめかみに銃口を当てていた。それを敷島万里は、なるほど、と得心する。

 

「それも、一つの選択だ」

 

 敷島万里との統合は拒む。かと言って、このまま時が過ぎゆくままに待っている事も出来ない。

 

 ならば、ここで自らの命の選択権は自分の手のまま、死に行くのが、当然の帰結。

 

 那由多は焼け落ちていく世界を視野に入れていた。破壊衝動のままに赤い巨人が高層建築を薙ぎ倒していく。

 

 これが自分、これがグリッドマンの答えだと言うのならば、もう諦観の末に結論は置こう。

 

 自分は――間違えていた。

 

 それだけの答えなのだ。

 



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♯6‐3

 

 朋枝はアンドロイドに引き連れられていく銀色の廊下を歩んでいく中で、前を行く臾尓によく似た女性へと声を投げていた。

 

「……ここは、どこなの? シンジュクから離れてしまったの?」

 

「朋枝。それは違う。いいえ、もっと言えばあの場所は違う、と言ったほうが正しいかしら。あそこで起こった事、全てが現実だと、思い込んでいる?」

 

「思い込んでいるって……当たり前じゃない! グリッドマンが……那由多が戦ってきたのよ! それを嘘だなんて……」

 

 思えるはずがないではないか。そう言葉を濁した朋枝に、彼女は指を弾いていた。

 

「記憶の混濁がないだけマシ、か。あなたのこれまでの世界を、その眼に映してあげましょう」

 

 鋼鉄の扉を潜った先にあったのは、巨大な管制室であった。無数のオペレーターが常にキーを打って作業している。

 

 目を凝らせば、彼らは全員アンドロイドであった。それもただのアンドロイドではない。

 

「……ドクロ鉄道の、連絡員……」

 

 そう、彼らの形状はまさしくドクロ鉄道の連絡員や添乗員そのものであったのだ。仰天の事実に困惑していると、彼女が手招く。

 

「その程度で驚かないで。こっちよ」

 

「ちょっと待ってよ……、えっと……」

 

「臾尓でいい。名前は別だけれど、それが分かりやすい記号のはず」

 

「じゃあ、臾尓……。これは何なの? どうして、ドクロ鉄道の社員が……」

 

「そう、あの世界では彼らはあのアバターで認識されている。中立地帯を守る運送会社、ドクロ鉄道。その末端構成員として」

 

「……どういう事を……」

 

 招かれたのは白く滅菌されたかのような一室である。丸机の対面へと朋枝は促されていた。

 

「座って。話しやすさを考えましょう。アロマでもどう? 人工アロマだけれど」

 

「……随分と饒舌じゃない。あそこでは、あなたは寡黙だったけれど」

 

 その皮肉に臾尓はフッと笑みを浮かべる。その行動すら、自分からしてみれば意外であった。

 

「そう、だったわね。でも仕方ないのよ。あのセクターには、私が介入するのには制限がかけられていた。だから、那由多との合同アバターとして自己設定し、那由多の意識レベルが低下した時を見計らって出るしかなかった」

 

「ちょ、ちょっと待って! ……何を言っているの? アバター? 意識レベル? あなたは……何」

 

「そう、その答えを保留にしていたわね。朋枝、いいから座って。落ち着いて話しましょう」

 

「あたしは落ち着いている!」

 

 いきり立って反発したこちらに臾尓は涼しげに返していた。

 

「興奮度が高いわ。鎮静剤でも持ってきたほうがいいかしら」

 

「何を言っているの、臾尓! まだ那由多は戦っているはずよ! あたしだけ……こんな場所に連れ出して……何のつもりなの?」

 

 詰め寄って白状させるはずであった。しかし、臾尓はどこか寂しげに瞼を伏せる。

 

「そう……まだあの場所が、現実だと思っているのね。これを」

 

 臾尓が手を翳すと、空間の一部分に映像が投射されていた。

 

 そこには地獄の炎に包まれてゆく新宿区内が映し出されている。建築物を破壊し、炎を撒き散らしているのは他でもない。

 

「《サイファーグリッドマン》が……赤く……」

 

「そう、既に《サイファーグリッドマン》は私達の管轄域を超えた。いいえ、最初から、こう仕組まれていた、と言うべきなのでしょうね。那由多の中に仮想人格として紛れ込んでいたなんて思わなかったけれど、でも彼へと接触していたこちらの覚醒プログラムに、まさか自身の人格補正プログラムを混じらせていたなんて思いも寄らないわ。彼は、最初からそのつもりだったのよ」

 

「臾尓……今ここは、シンジュクじゃないの?」

 

 その問いかけに臾尓は投射画面をいくつかスライドさせる。

 

 燃え盛る新宿区を俯瞰するのは青白い地平線をも視野に入れる人工衛星であった。だが、そこから克明に映し出された空間は、どこか奇妙に浮いている。

 

 惑星一つがあるはずなのに、新宿区以外は光さえもない。全てを飲み込む暗礁の闇が茫漠と広がっているのみであった。

 

 闇に沈んだ惑星は一部区域を覗いて、人が住むようには見えない。

 

 まるで出来損ないの地球儀だ。

 

「これ、は……」

 

「あなたが世界だと思っていた全てよ。これでも、管理者権限で最大値までの設定にしてあるけれど、実際には、新宿区内を中心とした、半径七十キロ圏内でしかない。それ以外の領域は虚数に沈んでいる。つまり、何もないのよ」

 

「何も……ない? 世界が、あのシンジュク区以外に……」

 

 臾尓は迷いもせずに応じる。

 

「そう、何もない。あなた達が世界だと思い込んでいたあの青錆びの街は、実は世界なんかではなかった。シミュレーテッドリアリティ、仮想現実空間よ。私達はそれを、セクターと呼んでいるけれどね」

 

「セクター……? あたし達の生きていた世界に、何も、ない……?」

 

 処理し切れずに朋枝はよろめき椅子に座り込んでいた。それを目にして、臾尓は説明を始める。

 

「まずは基本から。あなた達が生きていた、と錯覚していたのは仮想現実空間、セクター。そこに人類が到達したのは、今より何百年も前。新たなるフロンティアの開拓のため、ヒトは遂に仮想現実に没入した。……でもそれは大いなる間違いへの始まりでもあった」

 

 無数の人型が一つの巨大なる球へと接続する図が描かれた矢先に、その球体がいくつも分裂していった。

 

「元々、人類は一つに成り切れていないのに、仮想現実は発明されるべきではなかったのよ。一つに成れない人類同士の諍いは加速し、そして様々なセクターが生まれた。セクターごとに管理者……つまりセクターと言う一つの宇宙の支配者が必要になった。そこに人類を置くと、それこそ戦争の火種になりかねない。人類は、自分達の行いを客観的に俯瞰する、神のような存在を求めた。それが、彼ら」

 

 球体へと組み込まれていくのは赤い巨人達である。意匠や細かい差異はあれどそれらは間違いなく――。

 

「グリッドマン……」

 

「そう。ハイパーワールドより来たりし超常生命体、グリッドマン。彼らに管理者権限を与え、人類を監視してもらう事にしたのよ。セクターという一種の電脳空間を見張るのに、彼らは適任であった。元々彼らには実体はないの。遠い昔に、誰かが形を与え、それを嚆矢としてハイパーワールドより彼らは人類の前に降り立った。人類に希望を見出し、そして自らの自己進化の促進のために。ハイパーワールドの超常生命体は、それだけでは進化の頭打ちに来ていた。しかし人類と交わり、そして新しい限界を超える事によって、グリッドマンにもメリットはあった。互いに共依存の関係として、グリッドマンと人類はセクターを使い、進化の途上に赴こうとした」

 

「……まるで、失敗したみたいな言い草ね」

 

 その言葉に臾尓は静かに首肯していた。

 

「ええ、そう……。失敗したのよ。グリッドマンは己の進化の臨界点に早々に達した。人類との共依存では、超常生命体は進化どころか退化してしまったのよ。人類の視点に切り替えた彼らは、すぐに見切りをつけるべきであった。ハイパーワールドにいくつかのグリッドマンは帰ったけれど、でも帰れなかったグリッドマンもいた。彼らはまだ人類には希望があると信じ、セクターの監視を続けた。そのうち、セクターごとにばらつきのある、いわば固有種とも呼べるグリッドマンが生まれ始めた。セクターごとの神は違う。その神がどのような姿を取るのかも。セクターの守護神たるグリッドマンは独自進化を遂げ、やがて人類は、生まれながらにセクターに繋がれるようになっていった。胎児レベルからのセクターへの接続。それは完全にセクター内と現実だと信じ込み、この管制室を含む、真の現実世界を全く知らない世代が登場し始めた。彼らはセクターの中で永遠に失われた現実世界の風景に興じ、そして誰一人として不幸な人間の居ない、理想世界を作り上げた……と思い込んでいた。たった一人、神として彼らを監視し続ける存在を無視して」

 

 臾尓の論調には全てへの諦めがあった。まるでもう起こってしまった事、どうしようもない事を回顧しているかのような。

 

「……グリッドマンと言う神のような存在は、どうして……」

 

「超常生命体にも、限界はあるという事を、人類は一ミリも理解していなかったのよ。ハイパーワールドに帰らなかった彼らは人類の行いに絶望した。深い後悔を刻んだの。それは、人類が進化どころか退化の道ばかり辿るから。かつての栄光ばかりを追い求め、かつての娯楽や文化に酔いしれる人類に、超常存在は呆れ果て、そして見切りをつけた。グリッドマンの力はかつて全ての人類に等価として与えられていたけれど、その本体であるグリッドマンは消え去るか、もしくは自ら命を絶った。そうしなければ耐えられなかったのでしょう。多くのグリッドマン達は人類に絶望し、もう監視の役目を投げ捨てていた。その結果として、人類には永久の罰の証が与えられた。それが、左手の」

 

 朋枝は左手に装着された灰色のアクセプターを見やる。

 

「アクセプター……。でもっ、これはあたしが、あの村で兄から受け継いだもののはず! だったら、現実じゃないなんておかしい!」

 

「あなたはこう言われたはずよ。子供のうちはアクセプターを付けておけ、と」

 

 ハッと硬直した朋枝に臾尓は言葉を重ねる。

 

「ある一定年齢になるとね、アクセプターは自動損壊するようになっているの。だから、その齟齬をなくすために、仮想世界ではアクセプターを子供は付けておくように躾けられていた。そして、あなたのアクセプターはそのままに、あの世界での死を迎えた。だから、ここに来たのもあるのだけれど……」

 

 アクセプターを視野に入れて話を聴き入っていた朋枝は、ある可能性に行き着く。

 

「じゃあ、じゃあ村のみんなも……生きているの? こっち側で……。そのはずよね? 臾尓! あたしが死んでこっちに来たって言うのなら他の村のみんなだって……!」

 

 立ち上がって声にした朋枝に、臾尓は頭を振っていた。

 

「アクセプターは仲立ちなの。こちらの世界と仮想世界を結ぶ、ね。ある一定年齢になるとアクセプターは損壊する。それはつまり、もう現実世界に戻ってきても、生きていく意味はないと言う自己判断なのよ」

 

 まさか、と朋枝は視界を戦慄かせる。臾尓は冷酷に言い放っていた。

 

「村のみんなは……」

 

「死んだわ。そう考えるのが筋でしょうね」

 

 脱力して、椅子に倒れるように座り込む。死んだ、と言うのか。兄も、村のみんなも。この世界でも、既に死んでいると。

 

「生きていく意味なんて……そんなの誰が決めるって言うの! 神様でもないのに……」

 

「そう、神様が決めるんじゃない。人類が既にそうあるべきとして決めたのよ。私達よりも何世代も前の結論だもの。今さら取り繕って変えられる代物じゃない」

 

「怪獣が殺した! そうよ! ナイトウィザードが村のみんなを殺したの! そんな事がなければ……今も……」

 

「朋枝。否定するわけじゃないけれど、あの区画で生きている人間は、あなた達の村人くらいなものだった。もう、あのセクターには生存している人間のほうが少なかったのよ。だからって気休めにもならないかもしれないけれど……」

 

 朋枝は臾尓へと掴みかかっていた。身のうちを焼きかねない怒りに駆られ、怒声を飛ばす。

 

「だから、死んだほうが幸福だったって? 臾尓、あたし達は、死んだほうがよかったって……そう言いたいの、あなたは!」

 

「……落ち着いて。今ここで興奮すると、後できついわよ。あなたは現実世界には生まれ落ちたばかりなのだから」

 

 その言葉を証明するように、朋枝は眩暈を覚えていた。力が入らず、指先が震え出す。臾尓が呼び出したアンドロイドが即座に診察し、こちらの抵抗も虚しく薬品を打たれていた。

 

「何、を……」

 

「鎮静剤よ。悪いものじゃないから安心して。栄養剤も混ざっているから少しずつなら元気になると思うわ」

 

「……臾尓。あなた、地獄に落ちるわよ。こんな所業、誰が許すもんですか!」

 

 こちらの憤怒に臾尓は、地獄ね、とどこか諦観の口調で応じていた。

 

「本当の地獄は、でも人間はここに棲まわせているのよ。そう、誰しも地獄を飼っている。それが分かりやすく、セクターとして設定されるようになっただけ」

 

「答えになってない! あんな風にしたのは……怪獣に殺されたのは、あなたも同罪よ! 臾尓!」

 

 そこまで捲し立てて息を切らしていた。呼吸器も弱っているのだろう。声にする度に命を削るかのようだ。

 

 それでも、自分の命の精一杯の叫びに、臾尓は僅かに目を伏せる。

 

「そう、同罪。それは分かっているわ。だからこそ、だったつもりなんだけれどね。……朋枝、あなたはあそこでグリッドマンと出会い、そしてこの現実に行き着いた。だから知る権利がある。あの新宿区内で何が起こっているのか。そしてどうして、グリッドマンはあなたの前に現れたのかを」

 

「グリッドマン……那由多、なのよね……。でもさっきの話だと、それはおかしい。だって、グリッドマンは管理者……つまり神様みたいな存在なんでしょ? それに何で那由多が……」

 

 食い違う証言に臾尓は一つずつ解きほぐそうとしていた。

 



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#6‐4

「まず一つ。管理者、つまりグリッドマンは一つのセクターに絶対に一人。それは揺るぎないルールのはずだった。たとえグリッドマン達が疲れ果て、人類に絶望していても、セクターを預かる以上、その規範だけは守らなければならない。でもそのルールの穴を突いた人間がいた。……そう、人間。私達と同じ……」

 

 臾尓の口調はどこか暗いものへと変わっていた。朋枝は問い返す。

 

「それって……現実の、って事なのよね? セクター内じゃなくって」

 

「そう、この管制室を含む現実世界は、確かに規模は縮小したけれど依然として存在するのよ。確かにほとんどの人間は生まれながらにセクターに繋がれている。でも、ある一定数は現実世界に留まる事を政府より設定されているの。私も、そうだった。セクターを見張るコアユニット人格……臾尓として、新宿区内を見守るように、生まれながらに設定されていた」

 

 臾尓も生まれた時から役割を与えられていたと言うのか。その過酷さを物語るかのように、現実の彼女の髪は鮮やかな青ではなく、黒髪に白髪が混じっていた。

 

「臾尓……」

 

「でも後悔も、ましてや間違いだと思うような暇もなかった。別に嫌ではなかったし、それに必要だと判断されたのならば、いいのよ。私は、それでよかった。でも、それに満足しない人間がいた。それが、彼」

 

 ピックアップされた映像に映った人物に朋枝は息を呑む。

 

 だってそれは、間違いなく自分の知る――。

 

「那由多……」

 

 那由多そのものの青年が白衣を纏ってこちらを見据えている。その下には新宿区内でよく目にした読めない文字が並んでいた。

 

「彼の名前は敷島万里。現行の世界においての功績者であり、そして犯してはならない罪を犯した、重罪人でもある」

 

「重罪人って……那由多でしょう?」

 

 その問いかけに臾尓は首を横に振っていた。

 

「あなたのよく知る那由多ではないわ。彼は、科学者だった。優れた能力を持ち、セクターの管理と、それに伴うグリッドマンの自己進化プログラムを任されていた。いわば上級の私……。実際、私は彼の下で働いていた。新宿セクターを保護し、このまま見守るために。私や彼の寿命なんてさして長くはないけれど、それでも生きている限りは精一杯……。そう思っていたのはでも、私だけだった」

 

 深い悔恨に沈んだ声音に、朋枝は彼と臾尓の間に降り立った溝を関知していた。

 

「……何があったの?」

 

「彼は自己進化プログラム……つまりグリッドマンの進化を担当していた。グリッドマンにとっても進化は第一に掲げられる目的であるから、そのプログラムの進歩そのものがグリッドマンとの融和政策だった。でも、彼は気づいてしまったのよ。グリッドマンはこれ以上、進化しないという事を」

 

 思わぬ答えに朋枝は瞠目する。それは、しかしおかしいではないか。

 

「グリッドマンは、進化のために必要だから、セクターを見張る任務を担っていたんじゃ……」

 

「そう、グリッドマン達自身も長い間そうだと思い込んでいた。ある意味では世代が断絶したのが大きかったのでしょうね。それにセクターを見張るグリッドマン同士はリンクされていなかった。互いの情報網を阻害されていたグリッドマンはその結論に達するのが人類よりも僅かに遅かった。多分、タッチの差だったのでしょうけれど、それを敷島万里は利用した」

 

 画面が切り替わり、新宿セクターを保護するグリッドマンのステータスに移行する。その姿に朋枝は絶句していた。

 

「これ……《ウィザードグリッドマン》……?」

 

 そう、迴紫が変身して見せたあのグリッドマンなのだ。だが、そうだとすれば、これは……。

 

 その赴く先を臾尓は言葉にする。

 

「そうよ。新宿セクターの管理者は、《ウィザードグリッドマン》。今では迴紫なんて名乗っているけれど、元々はそうだった」

 

「……つまり、《ウィザードグリッドマン》が、あたし達にとっては神様みたいな存在だったって事なの?」

 

 だが彼女はナイトウィザードを指揮し、破壊工作を行っているではないか。怪獣を操り、《サイファーグリッドマン》と敵対しているはずである。そんな彼女が、元々は神であったと言うのか。

 

「信じられないかもしれないけれど、改ざんも何もしていないわ。《ウィザードグリッドマン》は間違いなく、優秀な管理者だったのよ。長年、あの新宿セクターを守り通してきた。……たとえ新宿セクターが荒れ果て、人口が減り、人々の暮らしは退化していたとしてもね。それでも、彼女はよく守っていた。人類を見守る事に、何の疑問も挟んでいなかった。……でも、そそのかす蛇がいた。邪悪なる蛇が」

 

「それが……敷島万里だって……」

 

「敷島万里は管理者権限を使って、《ウィザードグリッドマン》と対話した。対話内容は秘匿されているけれど、恐らくは今のままではグリッドマンの進化は頭打ちになる事、そしてそれを阻止するのにはどうすればいいのかを説いたのでしょう。グリッドマンである彼女からしてみれば、衝撃の内容だったでしょうね。でも、多くのグリッドマンがそうであったように、やはり、という思いもあったのでしょう。彼女はその内容を信じ込み、そして行動に出た」

 

 画面が切り替わり、《ウィザードグリッドマン》と白銀のグリッドマンが戦闘に入る。めまぐるしく切り替わる高速戦闘の中で、《ウィザードグリッドマン》は白銀のグリッドマンを下していた。

 

「……他のセクターから慌ててグリッドマンを派遣した時にはもう遅かった。彼女は全ての決断を下し、追撃に来たグリッドマンを殺害。そして組織を立ち上げた。アバターズクリーチャー……セクター内で暴れ回る災厄の存在を引き連れて」

 

「それが……ナイトウィザード……。でもまさか……その敷島万里一人の思惑で……世界が壊れた?」

 

「信じられないかもしれないけれど事実なのは、身にしみて分かっているでしょう? ナイトウィザードは本気であの世界を破壊しようとしている。それも《ウィザードグリッドマン》……迴紫の意思を忠実に引き継いで」

 

 だが、と疑問点が居残る。朋枝はそれを口にしていた。

 

「……だったら、那由多は何? グリッドマンがセクターには一人のルールが適用されているのならば、那由多と……《サイファーグリッドマン》は、何なの?」

 

「それも、語らなければならないようね。その前に、現段階のリアルタイム映像を受信したわ。これを」

 

 投射画面に映し出されたのは《ウィザードグリッドマン》と共に破壊活動を行う《サイファーグリッドマン》であった。赤い災厄の姿より憤怒の炎が噴き出している。

 

 どうしてこうなってしまったのだろう。《サイファーグリッドマン》は自分の見てきた限りでは那由多の正義の意志に呼応して戦う光の巨人であったはずだ。

 

「……那由多が……やっているの……?」

 

 最悪の想定に臾尓は断言していた。

 

「いいえ、現状、《サイファーグリッドマン》を衝き動かしているのは別の存在でしょう。恐らくは……敷島万里の意思」

 

 忌々しげに口走った臾尓に、朋枝は問い質す。

 

「……さっきの話の中では、敷島万里は迴紫をそそのかして、じゃあ何がしたかったの? セクターを破壊したって、グリッドマンの進化の打ち止めは……」

 

「そう、変わらない。でも、セクターの破壊と、そしてもう一つの条件こそが、進化するのに必要だと、彼は教え込んでいた。グリッドマン同士に個体差が存在するのは、さっきも言ったわよね。リンクされていないために、独自の進化を遂げたって。……そのせいで、《ウィザードグリッドマン》には初期のグリッドマンの備えている能力の一部が欠如していた。その欠如部分こそが、進化に必要な因子だと、敷島万里は教え込んだのよ」

 

「欠如部分……」

 

「ハッキリ言っておくわね。それは――フィクサービーム。《サイファーグリッドマン》が顕現して見せたあの力こそ、敷島万里が迴紫に説いた、修復の力であり、進化の力でもある」

 

 思わぬ帰結に朋枝は息を呑むが、でも、と言葉を継いでいた。それは前提条件がおかしいではないか。

 

「でも、それは変! だって、セクターにグリッドマンが一体の原則から外れている! イレギュラーなグリッドマンの登場がなければ、生まれなかった現象じゃない!」

 

「そう、でも既にその原則の崩壊は迴紫自身経験している。自分が暴走すれば、他のグリッドマンが来る、と。そして……これは推論だけれど、敷島万里は予言していたんじゃないかしら。必ず、ナイトウィザードを率いて破壊を繰り返していれば、新たなるグリッドマンが現れる。そのグリッドマンの力が引き出された時に、進化が訪れるとでも」

 

 そうだとすれば、敷島万里は相当に狂っている。絶対者であるグリッドマンを騙し、そして現実世界にまで及ぶ重罪を犯しているではないか。

 

「……でも、その予言を知らないあなた達は……」

 

「そう、目論見通りに新たなるグリッドマンを選出した。他のセクターを空にするわけにはいかないから、本当に新しいグリッドマンを。迴紫に勝てるように調整して」

 

「それが……《サイファーグリッドマン》……。那由多、なの?」

 

「そのはずだった。でもここで私達は、二つ目のミスを犯した」

 

 画面が切り替わり、映されたのは高重力波砲撃を怪獣に見舞う、那由多本人である。この動きは間違いない。那由多だと断言出来る。

 

「……これが、ミス?」

 

「いいえ。間違いであったのは、グリッドマンの宿るべき人間の選出方法よ。この時点で、私達は敷島万里による《ウィザードグリッドマン》の暴走だと読めなかった。その場合、セクターの事を知り尽くし、その上でかつ冷静な判断を下せる人間がもし、グリッドマンの依り代を買って出たら? 私達は最大限の譲歩をせねばならない」

 

 赴く先の真実に、朋枝は声を震わせる。

 

「それが……敷島万里……」

 

「……気づいたのが遅過ぎたのよ。私達も。敷島万里は自らセクターへと接続され、そのまま敷島万里の人格を伴わせたグリッドマンとして顕現するはずだった。その場合、この地獄絵図がもっと早くに到来したでしょうね」

 

 赤い《サイファーグリッドマン》の破壊が別窓で映し出されている。臾尓の言葉を信じるに、それだけではないのだろう。

 

「……誰かが気づいたの?」

 

「ええ、ある意味では勘の悪い人間が、敷島万里がセクターに登録する前に、そのアクセス権を半分奪った。結果として、その人間は敷島万里の操るアバターと実在を同一にする事となり、敷島万里の登録権限を用いて彼を誘導した」

 

 語るまでもない。その人物は、目の前にいる彼女だろう。

 

「臾尓……あなたは……」

 

「セクターを預かる手前、敷島万里の野望を阻止しなければならなかった。でもそのためには、私は彼と同じくセクターに繋がれなければならない。一つの回線を二人で奪い合えばどうなるか。それは思わぬ結果をもたらした。敷島万里は彼の登録した姿とは僅かに異なる方向性で出現し、そして私は……彼の生んだ新たなる人物と共にセクターの中で彷徨う事になった。それこそが……」

 

「那由多……」

 

 奇跡のような偶然を経て、彼は生まれたのだ。もし、少しでも臾尓の行動が遅ければ、彼は実在しなかったのだろう。

 

「那由多には記憶がなかった。これは敷島万里と私の認証エラーね。同権限にある人間同士が同じ回線を使ってアクセスした事によって、記憶喪失の那由多と言う青年は生まれた。そして私は彼の内なる別存在として、時折現れる事が許可されたのよ。彼の意識が落ちた時、いわば敷島万里の意識が薄らいだ時のみを狙って」

 

 那由多という一人の身体の中で敷島万里と臾尓による争奪戦が起こっていたと言うのか。その結果が、彼の不可解な行動原理に繋がっていた。

 

「じゃあ、だとすれば、時折、那由多が言っていた、《サイファーグリッドマン》の影が……」

 

「敷島万里の人格だったのでしょうね。彼からしてみれば那由多と《サイファーグリッドマン》の覚醒は早いほうがよかったのだから」

 

 今まで自分達を守ってくれる守護神だと思っていた蒼銀の巨人は、敷島万里と言う歪んだ人間の生み出した破壊神であったと言うのか。

 

 言葉を失う朋枝に、臾尓は言いつける。

 

「……奇跡的であったのは、《サイファーグリッドマン》は怪獣と敵対し、迴紫を敵視した。それがなければすぐにでも、今のような破壊衝動に襲われていたでしょう」

 

「それは……あなたが?」

 

 誘導したのか、という質問に臾尓は首を横に振っていた。

 

「何も出来なかった。そう、本当に、何も……。ヒトを守ると、そう決断したのは誰でもない……那由多自身なのよ。敷島万里の人格掌握にも負けず、私の誘導にも完全には従わなかった。那由多、と言う本当に奇跡で成り立っている彼だけが、私達の思惑を完全に超えてくれた。だから、私は希望を持って、彼に託そうとしたのよ。人類の未来も、この新宿セクターのこれからも」

 

 那由多自身が、《サイファーグリッドマン》として戦う事を決めた。その信念は、偽りであるはずの彼のたった一つの拠り所であったのだろう。記憶がなくとも、誰かに誘導されていても、それでも道を踏み誤らなかった。

 

 朋枝は拳をぎゅっと握りしめる。

 

「……もう一度、那由多に会わなくっちゃ。会って……確かめたい。那由多は本当に……正義のヒーローだった。あたしの、夢のヒーローだったって」

 

「……セクターに繋がれていた私の意識は途切れたわ。ナイトウィザードの手先によって。そのせいで敷島万里が出てきてしまった」

 

 あの時、ナイトウィザードの一員に臾尓が害されなければ、ともすればまだ災厄の巨人は生まれていなかったのか。だが、それならばなおの事だ、と朋枝は立ち上がる。

 

 まだふらつく。足元もおぼつかない。それでも、机に手をつき、臾尓の眼を真正面から見据えていた。

 

「……那由多を助けたい。あんな風にしておけない。今度は……あたしの番。あたしが那由多を助けなくっちゃ」

 

「……でもあなたの権限も失われた。セクターで死ねば、もう同じ姿では入れないの」

 

「じゃあ別の姿でいい。……あたしだって分からなくてもいいから。手段はあるんでしょう? 臾尓。あなただって、ほとんど別人の姿を取って、敷島万里を止めようとした」

 

 確信の声音に臾尓は嘆息をついていた。

 

「……止められない、か。言っておくけれど、この方法は下策だし、これでやられれば本当に後がない。他のセクターへの支配領域が及ぶ前に、新宿セクターをシャットダウンする。それしか、本当に方法がなくなる」

 

 覚悟を問い質す声音に朋枝は頷いていた。今まで那由多が助けてくれたのだ。自分も、それくらいの覚悟は請け負おう。

 

 瞳に偽りはないと感じたのか、アンドロイドを呼び出し、臾尓は別室へと招いていた。

 

 管制室の中にカプセル型のコンソールが備え付けられている。臾尓はそれを指差して言いやる。

 

「これまでの……グリッドマン達より得た武装情報が入っている。ある意味では怪獣、アバターズクリーチャーと同じ接続方法だけれど、これならば邪魔はされないはず。外部からの一方通行よ。……戻れる保証はないわ」

 

 それは最後の警告のつもりであったのだろう。しかし、朋枝からしてみれば覚悟を決める最後の一押しであった。

 

「……やるよ。那由多を助けたい」

 

「……朋枝。あなたがそこまでやっても、那由多は戻ってこないかもしれない。もう敷島万里に完全に取り込まれて、《サイファーグリッドマン》も元の姿には戻らない可能性のほうが高いの。あのまま破壊を続けるのならば、私達はリセットする。セクターそのものを物理破壊してでも、他のセクターに及ぶ被害を止める。その義務があるのよ」

 

 もしもの時に都合よく助ける事はない。それでもやるのか、という問いかけに、朋枝は、ナンセンスでしょ、と応じていた。

 

「だって、臾尓。あなたはあたしも助けてくれていた。そりゃ、那由多の次いでだったのかもしれないけれど、それでもあたしからすれば恩人。あなたが苦しいのなら、あたしも苦しいもの。助けさせて。お願い」

 

 臾尓は瞳を伏せた後に、一つ強く頷いていた。

 

「管制室より入電。これより新宿セクターへの、最後の介入を行う。目的は《ウィザードグリッドマン》の抑止と、敷島万里の抹殺。……不可能な領域が多いのは重々承知している。それでも! 私はやりたい!」

 

 声を荒らげた臾尓に沈黙が降り立ったのも一瞬、アンドロイド達は行動に出ていた。

 

『了解。局長命令を受信しました。これより新宿セクターへの強制接続を行います』

 

『強制アクセス・フラッシュを開始。繰り返す、強制アクセス・フラッシュを開始します。搭乗者は、コンソールへと』

 

 朋枝はカプセルの中に入る。両側に位置する物理操縦コンソールの上に手を乗せ、ヘッドセットが降りてくるのを感じていた。

 

 次々に極彩色の映像が飛び込み、朋枝を新宿セクターへと導く。

 

『アクセスコードを打ち込んでください。アクセスコードの打ち込みは手動でお願いします』

 

 アンドロイドの声に臾尓が自分の手を握り締めていた。その手には兄より託されたアクセプターがある。たとえ、最初から因縁づけられたものでも、今は信じるべき寄る辺として、朋枝は感じていた。

 

「……ごめんなさい。私は結局、何も出来なかった……」

 

 臾尓の悔恨に朋枝は首を横に振る。

 

「何言ってるの。だって、出会えたじゃない、あたし達。本来なら、管理者って言う、大きな括りでしかなかったあなたと、あたしみたいな小さな存在が出会えた。それはきっと、価値のある事だと信じたいもの」

 

 臾尓は顔を背けていた。泣いていたのかもしれない。

 

「……アクセスコードを。これだけは人間の手じゃないと入力されない」

 

 コンソールに臾尓はアクセスコードを打ち込む。

 

 コード名は「GODZENON」。

 

『コードを受信。《ゴッドゼノン》、発進準備!』

 

『新宿セクターへの受信域を設定! 補正コードを、《ゴッドゼノン》側に譲渡します』

 

 朋枝は次第に自らの感覚と一体化していく巨神を感知していた。それはグリッドマン達の志を受け継いだ、鋼鉄の巨人。魔を討ち闇をも砕く、強靭なる力の化身。

 

 朋枝は満身より叫ぶ。

 

「《ゴッドゼノン》、アクセス・フラッシュ!」

 

 直後には、朋枝の意識は発進した《ゴッドゼノン》共々、新宿セクターへと駆け抜けていた。

 

 



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♯6‐5

 周囲の景色はほとんど塵芥に還った。炎が燃え盛り、灼熱が怒りとなって停滞の空間を薙ぎ払う。

 

《サイファーグリッドマンシン》の破壊に、《ウィザードグリッドマン》は変身を解き、迴紫の姿で声にしていた。

 

「よくやってくれるねー。これまでもそうだったのなら、もっと楽だったのに」

 

 相手は応じない。応じるだけの口も持たぬと言う事か。

 

「……ま、いいや。結果よければ全てよしってね。《サイファーグリッドマン》の力も手に入るし、それにこの新宿ともオサラバできる。……ボクはここの守護神だから、ボク一人じゃ離れられない。でも、充分過ぎる糸口をキミ達が作ってくれた。ナイトウィザードの破壊活動は現実にいる連中の目晦ましにはなっただろうし、それにみんなして民族大移動ってわけじゃない。大事の前に、小事はきっちりとこなすべきだ。新宿の崩壊は急務ではなかったけれど、それでもやるべき事ではあった。……本音ではナイトウィザードの誰かがやってくれればなぁ、程度だったけれどね。他ならぬキミがやってくれたんだ。これ以上の贅沢は、言っちゃいけないね」

 

 それに、と迴紫はアクセプターを掲げる。迸った赤銅の光は《サイファーグリッドマンシン》の左腕のアクセプターより情報を奪い取っていた。

 

「フィクサービームもこの手に。よくやってくれたよ、キミは。さて、それじゃ、そろそろ本題。こうして二人もグリッドマンがいるとさ、色々不都合なのは知っているよね? 先代を倒したのもそういう理由だし。で、どっちか倒れて譲るか、なんだけれど……」

 

 瞬間、迴紫は襲いかかる刃の渦を感知していた。身をかわし、彼女は振り返って相手を見据える。

 

「……へぇ。キミらが裏切るんだ?」

 

 視界に入ったのはモノクルの紳士と女であった。二人とも怪獣のモニュメントを手にこちらを見据えている。

 

「どういう了見なのか、一応聞いておくけれど?」

 

「……迴紫様。どうしてグリッドマンと手を組んだのです? あれは敵のはずでしょう」

 

「うん。まー、でも敵と言っても利用価値があればねぇ。別に殺す理由なんてないでしょ? それとも、敵は徹底的に潰さないと気が済まないタイプ?」

 

 問われたモノクルの紳士は奥歯を噛み締める。

 

「……グリッドマンに部下を殺されてきた者の気持ちは……考えないのですか」

 

「うん、考えない。だって面倒だもん。それに、ボクの最終目的知ってるからナイトウィザードに入ったんじゃん。今さら被害者ぶるのも変だよ」

 

「迴紫様。大方の意見では迴紫様に同意します」

 

 女の声に迴紫は何度か頷く。

 

「そうだよね。破綻はないから」

 

「ですが……破綻はなくともあなたは、私達の意見を弄んだ。それとも……所詮は怪獣で変身する人間の端くれ。その程度だと、思っていらしたのですか」

 

 迴紫は首をひねり、幾ばくかの逡巡を浮かべた後に応じていた。

 

「でもさー、ナイトウィザードの目的そのものがこのセクターの支配と破壊じゃん。だったら、この結末で納得いかないのも変でしょ。《サイファーグリッドマンシン》はボクの僕となった。だから、戦いはもうおしまい。ホラ、平和的じゃない?」

 

「平和的と、今までの清算をするかしないかは違います。せめて、そのグリッドマンとの戦いを……」

 

「えー、でもキミらじゃ勝てないよ? 勝てないのに戦力を欠くわけないじゃん。意味分かんないし。それにさ、このどん詰まりで何をするって言うの? グリッドマンは二人と要らない。いずれボクが彼を倒して、別のセクターに移住すればいいんだし、問題なくない? それとも、この新宿セクターに妙な親近感でも? もういいじゃん、この場所も。頓着したって仕方ないよ。ナイトウィザードも組織し直せばいい。大丈夫だって。他の場所でもうまくやっていけるよ」

 

「……それがあなたの本音ですか。ナイトウィザードは、迴紫様、あなたが世界に反旗を翻すからこそ、意義があったのでは」

 

 モノクルの紳士の言葉に迴紫は手を叩いて笑う。

 

「いやいや! 小さい小さい! そんなちょっとした集団に全部集約するわけないじゃん。ボクはグリッドマンだよ? 魅力的な提案と、それに見合った対価があるのならばそっちにつく。当然でしょ? だって進化の頭打ちに達した人類を救うのには、この道筋が一番なんだよ? 分かんないかなぁ……。キミらがどこまで抵抗しても、もう転がり出した石。だから、諦めたら? ナイトウィザードは解散。はい! 終わり終わりっ!」

 

 ここで手打ちだとでも言うように手を叩いた迴紫に対して、二人は鋭い双眸を投げていた。

 

「……ナイトウィザードの理想も、もう何もないと言うのですね? 迴紫様」

 

「……分かってないな、もう。最初から理想なんて、ボクの掲げるものに同意したんでしょ? みんな。進化の頭打ちに達した人類を次のフェイズに引き移すために、その大役を買って出るのがナイトウィザードだって言っていたじゃん。まさか、みんな、この小さい箱庭で満足していた? 新宿セクターを支配したところで、何も変わらないよ。人間は……グールギラスが襲ったあの村が最後だった。だからボクは言ったじゃん。新しいグリッドマンには興味あるけれど、って。もう人類には何の希望も抱いていないよ。彼らは他のセクターで、今も何の危機感もなしに生き永らえている。新宿セクターを去ったところで、神様のいない世界には祝福も福音もない。そう、単純な事なんだ。神様が本当にいなくなるだけ。それの何がいけないの?」

 

 肩を竦めた迴紫にモノクルの紳士は言い放っていた。

 

「……あなたがさじを投げなければ、もしかすると人類は存続出来たかもしれないのに、ですか」

 

「だーかーら! もう意味がないんだって! 人類に何を期待しているの? どうせ、怪獣の力の前に、みんな酔いしれていただけじゃん。コードを無駄遣いしてさ。そういう、自分達は棚に上げて、何でボクの責任にするの? おかしいじゃん」

 

「……でも私達は人類を導くと……」

 

「あのさー、何で怪獣が人類を導けるって思うかな。せめて、人類を導くのはグリッドマンであるボクじゃない? キミらは結局、自己満足と自己陶酔から逃れられなかったんだよ。怪獣の力を使ってボクの寝首を掻くのなら、もっと意義があったのに。それもしないで、ボクの言う事にただ従順なだけの、つまらない使い魔だったよ、キミ達は。まー、死んだ人達? には同情するかな。この景色を見れないんだから」

 

 煉獄の赤に染まっていく地獄絵図へと視線を戻そうとした迴紫に、二人分の殺意が籠る。

 

 ――来るか、と僅かに口角を釣り上げた迴紫は直後に迸った獣の雄叫びが、全くの別種である事に振り返っていた。

 

 剣筋が奔り、首を掻っ切らんと迫る。

 

 煌めいた直刀の持ち主はバイクに跨り、刃を軋らせていた。

 

「……キミは……」

 

「――避けやがるっすか。油断していても、騙し討ちってのはそう都合よくは……」

 

 刃を仕舞い、相手は二丁拳銃を構える。その銃撃網を予見し、迴紫は防御皮膜を張っていた。

 

「いかないもんっすねぇ! 迴紫!」

 

 咲いた火線に迴紫は、ふぅんと興味の片隅を向けた。

 

「……死んだって聞いていたけれど」

 

 視線を向けられた女は目を戦慄かせる。

 

「まさか……あの時確かに……。《シノビラー》!」

 

「その名前! やめてくんないっすかねぇ。――もう俺は、ハンターナイト、ツルギなんすから!」

 

 迷いのない銃撃に迴紫は、なるほど、と声にする。

 

「そういえばキミは特別製だったね。オートインテリジェンス怪獣。仕様を伝えなかったのが運の尽きかぁ。キミら、彼を単純に殺したでしょ? 駄目だよ、彼は死なないんだ。打たれれば打たれるほど強く、学習する。たとえ致死性の攻撃を受け、致命傷を何度与えても……その度に強くなって立ち上がる。それがオートインテリジェンス怪獣、《シノビラー》だったね」

 

「だから、俺の名前はツルギだって、言ってるっすよ!」

 

 抜刀したツルギがそのままバイクより跳躍し、迴紫へと斬りかかる。その剣閃を止めたのは、モノクルの紳士であった。

 

「止めるってのは……意味分かっていて?」

 

「……迴紫様。あなたへの忠義はもうない。ですが、我輩らはもう、賭けると決めた。あなたが道を踏み外そうと、それでも共に、と」

 

 女がモニュメントを取り出し、赤い瞳を輝かせた。

 

「アクセスコード、《デビルフェイザー》!」

 

 瞬間、膨れ上がった悪鬼の巨体が空間に屹立する。迴紫は、へぇ、と笑みを浮かべていた。

 

「裏切られてもいいんだ?」

 

(……私達が自分で決めた事ですもの。ここまで来れただけでも本望)

 

「そういうのがおたくら! 狂ってるって言ってるんで!」

 

 振り返り様の銃撃を《デビルフェイザー》は全身より滾らせた分子分解の放出皮膜で防御する。銃弾が融け、弾丸質量が剥離する。

 

 舌打ちを漏らしたツルギは迴紫へと再度斬り付け、弾かれ合うようにモノクルの紳士と対峙していた。

 

「いいんすか。おたくらの気持ちを、迴紫は踏みにじったんすよ」

 

「……今さらいい。迴紫様の御心は、元より我らには理解出来なかっただけの話だ。今は、反逆者を――滅殺する。そうすれば迴紫様も、我輩らに有用性を見出してくれるだろう」

 

《バギラ》のモニュメントを掲げた相手にツルギは、へっと笑みを浮かべる。

 

「チャンチャラおかしいっ! 結局は、自己満足っしょ! おたくらだって」

 

「貴様に言われる筋合いは……ない。アクセスコード、《バギラ》!」

 

 放出された光と共に《バギラ》が片腕を失った形態で顕現する。ツルギは二丁拳銃で銃撃を見舞いつつ、追いついてきたバイクへと再び騎乗していた。

 

《シノビラー》の武装であるバイクは一心同体に等しい。自分が呼べば、たちどころに現れる。

 

 ツルギは眼前に聳える《デビルフェイザー》を見据え、腰に提げた刃の柄に手をかけていた。

 

《デビルフェイザー》が拳を浴びせかかる。その腕に飛び乗り、車輪が表皮を噛み砕きながら直上まで押し上がっていく。

 

「弱点は見えてるんですぜ!」

 

 既に弱点は看破している。頭部に位置する骸骨を狙い澄ませばいい。顎で拳銃の銃身を噛み締め、そのまま特殊弾頭を装填した。

 

 携えた刃をくるりと返し、《デビルフェイザー》の表皮へを食い込ませる。

 

《デビルフェイザー》が片腕を払った時には既に遅い。駆け上がったツルギは弱点たる頭部の骸骨を視野に入れていた。

 

 特殊弾頭を仕込んだ拳銃を構え、引き金を絞る。

 

 瞬間、弾丸が炸裂し、《デビルフェイザー》に降り注いだのは熱線であった。

 

(これは……)

 

《デビルフェイザー》の身体が少しずつ溶け出していく。その成分を相手は即座に見抜いていた。

 

(まさか……分子分解を弾丸に込めて……だと)

 

「嘗めないでくだせぇ。オートインテリジェンス怪獣ってのは! 全てをコピーする! 絶対の分子分解光線も一回全身で受けたんなら、その組成だって分かっちまうんすよ。不可能に近い弾丸化だって、こう」

 

 片手の指の間に挟んだ弾丸にツルギは笑みを刻む。《バギラ》がその剣の腕を振るっていた。

 

 青い剣閃が形状を結び、ツルギへと襲いかかる。《デビルフェイザー》の表皮を蹴り上げ、ツルギは回避し様に銃撃を見舞っていた。

 

《デビルフェイザー》の頭部形状が崩れ、その頭蓋が露になる。劈く悲鳴の渦に、ツルギは最後の一打を与えようとして、《デビルフェイザー》が全身より発露させた衝撃波に煽られていた。

 

 高層建築に背をぶつける前に、回収にかかったバイクのアクセルに手をかけ加速度に身を浸す。高層建築の壁を駆け下り、ツルギは二丁拳銃を構え直していた。

 

「さぁて! カーテンコールとしましょうか! ナイトウィザード!」

 

 携えた分子分解弾頭の銃撃。誰にも防げるはずもない、とそう思い込んでいた。

 

 ――割って入った赤い災厄の巨人を目にするまでは。

 

 右腕のハザード・アクセプターが煌めき、光刃が三翼を得て、こちらへと殺到する。

 

 ブレーキを踏み締め、精一杯制動をかけてから、ツルギは飛び退る。バイクへと命中した斬撃が砕け、爆発の光を棚引かせていた。

 

 噴煙が上がる中で、ツルギは二丁拳銃を翳す。

 

「……おたくが介入するのはずるいんでは?」

 

「ずるくないってば。彼も立派な、ナイトウィザードだし」

 

「……迴紫ぃ……! おたくだけは、ここで!」

 

 分子分解弾頭の銃口は確かに迴紫を照準し、そして放たれた。通常ならばそれは誰にも防ぎようがないだろう。

 

《サイファーグリッドマンシン》が立ちふさがっても、分子分解の攻撃からは逃れられないはずだ。この場合、何を優先順位に置く? そう疑念を発したツルギに突きつけられた答えは、迴紫の左腕で瞬いた光の渦であった。

 

 光の螺旋が瞬時に分子分解弾頭を包み込み、それらが生成される前段階まで還元される。

 

 その力を、ツルギは窺い知っていた。

 

「……フィクサービーム……。まさか……」

 

「まだ五割くらいだけれど、システムのバグを修正する力は充分だね。分子分解弾なんていう、無茶苦茶はこれで通らなくなった」

 

 舌打ちを滲ませ、ツルギは次の手を打とうとしたが、その前に《サイファーグリッドマンシン》が挙動する。拳が地面にめり込み、衝撃波でツルギは吹き飛ばされていた。

 

 既に眷属たるバイクは失われている。

 

 高速で迫るのは朽ち果て、瓦礫と化した高層建築と、そして《サイファーグリッドマンシン》の撃ったグリッドライトセイバーである。

 

 このままでは受けるのは必定。

 

 ツルギは己の中で呼吸を一つつき、やがて満身より叫んでいた。

 

「アクセスコード、――《カンフーシノビラー》!」

 



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♯6‐6

 瞬間、ツルギの姿が掻き消える。グリッドライトセイバーの光刃が空を裂き、瓦礫の街を焼き払っていた。

 

 それでも姿は目視出来ない。どこへ、と首を巡らせた《サイファーグリッドマンシン》の背後へと、漆黒の怪獣は立ち現れていた。

 

 無音の只中で、暗殺が実行されようとする。

 

 それを敵は気配で察知し、光刃を払う。

 

 受けたのは、《シノビラー》の体躯であったが僅かに異なる。全身に赤色のラインが走り、疾駆はさらに鋭く、鋭角的な意匠となっていた。赤い眼差しが射抜く光を灯す。

 

「あー、気を付けてね、《サイファーグリッドマンシン》。彼、あの姿に成ったらそれなりに強いよ」

 

 その言葉が消えるか消えないかの刹那には、《カンフーシノビラー》は跳躍し、《サイファーグリッドマンシン》を飛び越えようとしていた。

 

 光刃を払ったものの、その関節を極め腕を逆に曲がらせる。折れ曲がった異音が響き渡り、呻いた《サイファーグリッドマンシン》は浴びせ蹴りを返していたが、《カンフーシノビラー》は受け流し様に、無数のクナイを投げていた。《サイファーグリッドマンシン》が叩き落すも、それら一つ一つに触れた箇所から腐敗が始まっていく。

 

 分子分解の属性を伴わせた武装だ。触れるだけで相手は組織崩壊してしまう。《カンフーシノビラー》は印を結び、直後には躍り上がっていた。その印から放たれたのは、無数の呪符だ。《サイファーグリッドマンシン》が呪符を光刃で焼き切るも、それは既に予見された攻撃。

 

 呪符から引火し、《サイファーグリッドマンシン》の周囲が火炎に包まれた。黄金色の火炎に相手が狼狽している間にも、《カンフーシノビラー》は次手を打つ。

 

 逆手に握り締めた直刀を構え、その姿が直上に現れていた。

 

《サイファーグリッドマンシン》が赤く滾る拳で応戦するも、その鉄拳と刃が干渉して火花を散らす。

 

 直後には、互いに後ずさった形だが、《サイファーグリッドマンシン》からしてみれば、限りあるリングの中で追い込まれたようなもの。

 

 黄金色の火炎に触れた瞬間、電撃と痺れがその身体の内部神経系統を焼いていた。

 

「……へぇ、考えたね。分子分解の炎で彼の周囲を包んで逃げられないようにして、それでじりじりと倒すんだ? ま、無理ゲー感のある強キャラ倒すんならそれも手かな」

 

(余裕こいている場合か? このまま突破する!)

 

《カンフーシノビラー》が分裂する。分身の術を使った相手に、《サイファーグリッドマンシン》はその拳を大地に打ち付けていた。

 

 途端、地面より噴き出たマグマが《カンフーシノビラー》の分身を引き裂いていく。瞬く間に押し広がった火炎攻撃に《カンフーシノビラー》が舌打ち混じりに飛び退っていた。

 

 その姿に迴紫は、はい、と手を叩く。

 

「今の攻勢、勝てていたのに退いたね。その時点で、もう勝負は決したよ」

 

(……何を根拠に……)

 

「だって、無策でも飛び込んでいれば、勝てていたのに。惜しい事したね、キミ」

 

 瞬間、《サイファーグリッドマンシン》の身体より迸った輝きが分子分解の火炎を吹き飛ばしていく。フィクサービームの光が拡散し、《カンフーシノビラー》の術を破っていた。

 

(空蝉の術が……)

 

 いつの間にか直上まで迫っていた《カンフーシノビラー》が分身が消え去った事に当惑する。その身へと《サイファーグリッドマンシン》は肉薄していた。

 

「だから、さっき飛び込んでいたら、って言ったじゃん。馬鹿だよね。勝てたチャンスをふいにした」

 

(迴紫ィ――!)

 

 その言葉が弾ける前に、《サイファーグリッドマンシン》の振るい上げた光刃が《カンフーシノビラー》の片腕を断ち切っていた。フィクサービームの作用か、分身が作れず、《カンフーシノビラー》がそのまま背筋より無様に落下する。

 

 降り立った《サイファーグリッドマンシン》が光刃の切っ先を突きつけた。

 

 王手である。だが、《カンフーシノビラー》は諦めず、光刃を掴み取った。

 

(ここで諸共……!)

 

 炸薬に火が通り、最大攻撃力の爆発が辺りを覆うかに思われたが、《サイファーグリッドマンシン》は落ち着き払って対処する。

 

 刃が奔り、全ての爆薬の導線を断ち割っていた。

 

 火を失った爆薬は完全なる無用の長物。硬直した《カンフーシノビラー》の胸元に刃が入っていた。

 

 迸る悲鳴に迴紫は満足そうに頷く。

 

「いいね、いいね。もっと苦しんでよ。ボクを殺すために努力したって言うのに、それでも届かない。その無力さ、噛み締めながら死ぬといい。だって、キミが何年かけたのかは知らないけれど、ボクはこのセクターじゃ神様なんだ。届くと思ったのが間違いなんだよ」

 

 迴紫がとどめの命令を下そうとした、その時である。

 

 空間を奔った鎖が迴紫の身体を絡め取っていた。そのまま打ち下ろされて砂塵が舞う。

 

「ぺっ、ぺっ……。泥だらけじゃん。誰?」

 

「迴紫。ここでケリつけさせてもらうぜ」

 

 鎖を伸ばしたのは《ゴロマキング》の腕を召喚した男であった。一世一代の大勝負なのだろう。その双眸に宿った決意の光に、迴紫は、あーあ、と声にする。

 

「あっちもこっちも、ボクを殺したい奴ばっか。そんなに恨まれる事をしたっけ?」

 

 小首を傾げた迴紫に《ゴロマキング》の男はすかさず腕を召喚し、迴紫の身を拘束する。

 

「……てめぇらも日和ってんじゃねぇ! ナイトウィザードってのは迴紫の言う事をはいそうですかって聞くために組織されたのか? 違うだろ! 俺達の理想のためだ。その思考と迴紫の理想が一致していたから、まだ団結出来た。だってのに、今の迴紫はどうだ? 身勝手に理屈を振り翳して、このセクターを破壊しようとしてやがる。こんなのを看過していいのかよ! てめぇら!」

 

「あー、体育会系のノリ嫌いー。そんなに吼えなくてもいいじゃん。ってかさ、納得いかないのなら、一人一人なんてめんどくさいし、全員で来なよ。そうすれば分かるし、それにさ、因縁抱えたまま次の段階に至られても面倒なんだよね。なに? この新宿セクターの事、そんなに気に入ってたの? 《ゴロマキング》の彼」

 

「……少なくとも守るべき意地はあった。部下達の命もな」

 

「意地、命ねぇ……。何だかこじんまりとした感じに纏まっちゃったな。ボクはさ、別にナイトウィザード解散! とか、キミらもう要らないとか、言ってないよね? ボクの目的をこのセクターで果たすのに、グリッドマンの彼が要るってだけの話で。キミらはどっちもでいいわけじゃん。これまで通り、ボクにつくか、それともここで見限るかは自由! そんなに難しく考える事かなぁ?」

 

「ああ、何にも難しくねぇさ。二人とも! 死んでいった連中に、恥ずかしくねぇのか! そんなんで冥途であいつらに会えんのかよ!」

 

 啖呵を切った男に迴紫は手を叩いて囃し立てる。

 

「いーね、いーね。そういうの。一生かかっても聞けるか聞けないか分かんない、ごろつきっぽい台詞。……で? ボクを縛ってこれで終わり? 何だか拍子抜けかなぁ」

 

「……そうでもねぇんじゃねぇか」

 

 その言葉にやおら《デビルフェイザー》と《バギラ》が動き出す。その動きが敵意ある感覚だと思い知り、迴紫は喜悦に口角を緩めていた。

 

「……へぇ、考えなしってわけでもないんだ? この期に乗じてボクの支配から逃れ、ナイトウィザードの頭目、って腹かな?」

 

「……俺達の総意だ。てめぇは罰を受けなきゃいけねぇ! 迴紫!」

 

「罰、ね。概念としちゃ間違ってないけれど、でもさ。――古臭いんだよ、いい加減」

 

 鎖を断ち割ったのは浮かび上がった赤い自律兵装の光条だ。迴紫を守るように結晶体の自律兵装が磁石のように変位し、その速度もバラバラに《ゴロマキング》の男へと襲いかかる。

 

 だが、その道筋を阻んだのは分子分解光線であった。

 

《デビルフェイザー》の裏切りに迴紫はふんと鼻を鳴らす。

 

「そうなっちゃうんだ?」

 

(……勝てるほうにつくだけよ)

 

(同じく。迴紫……驕り過ぎたな。我輩らを軽んじて、ただで済むと思うな)

 

《バギラ》が片腕の刃を返し、青い剣閃を浮かび上がらせる。疾走した剣閃が迴紫にかかる手前で《サイファーグリッドマンシン》が立ちはだかっていた。

 

「……めんどいなぁ。あの怪獣三人組、倒しちゃって」

 

 髪を掻き上げた迴紫に代わって、《サイファーグリッドマンシン》が憤怒の雄叫びを上げ、《デビルフェイザー》に飛びかかる。

 

 分子分解光線を放つ口腔部をまず切り裂き、次いで返す刀がその背筋を割っていた。エネルギーの収束する背びれが引き裂かれ、行き場のないエネルギー波が分散する。

 

 それを逃さず、無慈悲な光刃が《デビルフェイザー》の胸元を断ち割った。

 

 臓物を引き裂かれた《デビルフェイザー》がかっ血し、その場に蹲る。飛翔してきた斬撃を《サイファーグリッドマンシン》はハザード・アクセプターから展開した余剰エネルギー波で受け流し、そのまま青い剣閃を吸収した。

 

 ハザード・アクセプターの光刃の一部と化した剣閃を溜め込み、《サイファーグリッドマンシン》が構えから抜き放つ。

 

 六翼の刃が空間を疾走し、《バギラ》の四肢を断裂させていた。

 

(ま、さか……)

 

 崩れ落ちる《バギラ》と戦闘続行不可能な《デビルフェイザー》より声が発せられる。

 

(こんなに……違うなんて……)

 

「言ったじゃん。彼は強いって。あとは、キミ一人だね? どうする?」

 

 小首を傾げた迴紫に男は奥歯を噛み締めていた。

 

「……決まってんだろ。命ある限り、俺は果たすぜ。復讐って奴を! アクセスコード、《ゴロマキング》!」

 



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♯6‐7

 

 現出した《ゴロマキング》はしかし、身体を斜に裂かれている。その傷跡が生々しく残っているまま、鎖を手に駆け抜けていた。

 

 迴紫が鼻歌を交えさせる。

 

 どこかで聞いたオーケストラの楽曲に合わせ、《サイファーグリッドマンシン》が《ゴロマキング》の鎖を抜け、鉄壁の防御陣を掻っ切る。だが、相手は喧嘩殺法上等の武闘派。鉄拳を握り締めた《ゴロマキング》に対して、《サイファーグリッドマンシン》は直上を飛び越え、振り返り様に斬撃を浴びせていた。

 

《ゴロマキング》の背筋が割られ、鮮血が迸る中で、怪獣たる彼は吼え立てる。

 

 光刃を掴み取り、そのまま引き寄せての脳震とうを狙った掌底。顎に入った一撃で《サイファーグリッドマンシン》は昏倒するかに思われたが、それと同時に既に布石は打たれている。

 

 ハザード・アクセプターにエネルギーが充填し、掴んだ光刃が消えた代わりに不意打ちのグリッドビームが《ゴロマキング》の顔を焼いていた。

 

 焼け爛れた横顔を晒して、《ゴロマキング》が奮闘しようとするも、一度緩んでしまえば、それは完全に期を逃した事になる。舞い踊るように一閃。《サイファーグリッドマンシン》の刃が《ゴロマキング》の胴を割っていた。

 

 後ずさった《ゴロマキング》に迴紫は落胆する。

 

「弱いなぁ……。ナイトウィザードってこんなに弱かったんだ? じゃあ組織し直さなくっちゃね。新しいセクターではもう少し骨のある人達を誘おっ」

 

(迴紫ぃぃぃ……!)

 

 怨嗟の声音に迴紫はふふんとほくそ笑む。

 

「何? 今さら呼んだってもう仲間にはしないよ?」

 

(てめぇを……ぶっ殺――!)

 

「はい、ドーン」

 

 迴紫が手を払い落とす動作と同期して無数の結晶体が《ゴロマキング》に降り注いでいた。断裂し、引き裂かれながらも《ゴロマキング》が声を張り上げようとする。

 

「ウザいなぁ……。そろそろ死んじゃってよ。往生際の悪い……」

 

 今一度、とどめの攻撃を打ち下ろそうとした、その瞬間、迴紫はぴたりと手を止める。

 

「……セクターに侵入者? いや、違う。これは……外部からの強制アクセス? 誰が……」

 

 その声を阻んだのは中空より展開された空洞から降り立った鋼鉄の巨神であった。拳が固められ、迴紫を殴り据える。

 

 青い頭部に、真紅の鋼鉄のボディ。黄色い眼光が射る光を灯し、エネルギーボルテージが額で真っ赤に燃え盛る。

 

 その赴く先を迴紫は知っていた。

 

「特別抑止コード……《ゴッドゼノン》? こんなものを投入してくるなんて……」

 

 跳ね返そうとした鉄拳の威力を、相手は全身より蒸気を滾らせ、倍加して打ち込む。咄嗟に張った防御皮膜が破れ、《ウィザードグリッドマン》の力たる結晶体を防御に用いたが、まるで歯が立たない。相手は暴力の化身だ。力だけに特化した存在と言うのは得てしてやり辛い。

 

 殴りかかられるだけなのに、そのパワーが何者よりも段違いなのだ。

 

 小手先で錯覚させようとしても、それは膂力が打ち破る。パワーが全ての術やこちらの経験則を破壊する。それは迴紫にとって最悪の相性であった。

 

「小賢しいなぁ……っ。《ゴッドゼノン》なんて今さら。ねぇ、破壊しちゃってよ。グリッドマンなんでしょ!」

 

 その声に《サイファーグリッドマンシン》が跳躍し様に斬撃を浴びせる。《ゴッドゼノン》は鋼鉄の腕で受けてから、片腕を固定し手首から先を高速回転させた。赤く煮え滾った光を宿し、直後には拳が発射されている。

 

《サイファーグリッドマンシン》はハザード・アクセプターより結界を作り出したが、その時には飛び立っていた《ゴッドゼノン》が結界を超えて殴りかかる。思わぬ攻勢に《サイファーグリッドマンシン》もうろたえている様子であった。《ゴッドゼノン》は四肢を開く。全砲門が一斉に《サイファーグリッドマンシン》を照準し、直後、無数の弾頭が空間を奔っていた。

 

《サイファーグリッドマンシン》が右腕を掲げ、グリッドビームの構えに入る。

 

 威力の増したグリッドビームならば全て叩き落せるはずであったが、その想定を覆したのは、発射の反動で動けないはずの《ゴッドゼノン》が既に挙動している事実であった。

 

 その腕がハザード・アクセプターを握り締め、力の赴くままに破壊しようとする。しかし、充填されたエネルギー波までは止めようがない。

 

「撃っちゃって! そうしたら《ゴッドゼノン》でも!」

 

 その言葉通り、《サイファーグリッドマンシン》は赤いグリッドビームを放っていた。《ゴッドゼノン》の装甲が焼け爛れ、各所が粉砕される。如何に堅牢な装甲を持とうとも、グリッドマンの必殺武装を前にすれば紙くず同然。

 

 無数のエラーに落とし込まれた《ゴッドゼノン》を《サイファーグリッドマンシン》が蹴り払い、その巨躯を足蹴にする。

 

「勝った! これで……」

 

(――うっせぇぞ、迴紫)

 

 鎖が迴紫の身体を拘束し、もう一本の鎖が《サイファーグリッドマンシン》の背後から縛り上げる。

 

《ゴロマキング》は最後の力を振り絞っているようであった。

 

(ああ、クソッ。やれる事は、やってやる。……俺はてめぇの先輩だからな。動きは封じた! やれ、トモエ!)

 

「小賢しいったら!」

 

《ウィザードグリッドマン》の権限を行使し、無数の結晶体が《ゴロマキング》へと突き刺さり、そのまま心臓を貫いていた。

 

《ゴロマキング》が崩れ落ちる。

 

(……頼んだ、ぜ……トモエ。後輩の意地、見せろ……)

 

「何を言って……」

 

 瞬間、《ゴッドゼノン》の眼光が輝き、恐るべき膂力で《サイファーグリッドマンシン》の足場を崩していた。

 

 そのまま《ゴッドゼノン》の腕が《サイファーグリッドマンシン》のハザード・アクセプターを引き剥がそうとする。

 

 直後、放たれた六翼の刃が《ゴッドゼノン》の全身を引き裂いていた。噴煙と炎が上がる中で、《ゴッドゼノン》は《サイファーグリッドマンシン》の額と自らの額に位置するエネルギーボルテージを合わせ、光を投射する。

 

 何が行われているのか、迴紫にはまるで分からない。

 

 だが、不本意な事実であるのだけは確かであろう。

 

「《ゴッドゼノン》……もしもの時のグリッドマンの代理人。ここで破壊する!」

 

 結晶体が降り注ぎ、《ゴッドゼノン》を打ち崩さんとする。

 

 それでも《ゴッドゼノン》は何者かの意志を引き移したかのように動かず、《サイファーグリッドマンシン》へと光を投げていた。

 

 



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♯6‐8

 自分を呼ぶ声が聞こえて、那由多はハッとする。

 

「……この声は……」

 

「外の荒事に気を取られるな。君はもう、逃げる手立てはない。このままわたしの一部になるといい」

 

 敷島万里の意識の汚泥に半分以上浸っていた那由多はしかし、確かに自分の名を呼ぶ声を聞いていた。

 

「これは……トモエ?」

 

 瞬間、光が像を結び、朋枝の姿が構築される。

 

「……外で迴紫は何をやっている。余計な小娘を引き入れて……」

 

 浮かび上がった朋枝の手を那由多は取っていた。朋枝が静かに舞い降りる。

 

「トモエ……どうやってここまで……」

 

「説明は後! それに釈明もね! ……記憶、戻ったんだね、那由多」

 

「……ああ。オレは敷島万里の一部。ただの外付けの、仮想人格に過ぎなかった……」

 

「違うよ。あたしの知っている那由多は、違う。仮想人格なんかじゃない。生きている人間だった」

 

「惑わすのは! やめてもらおうか、お嬢さん! いいや、幾度となく見て来たとも。彼の目から、君の姿を。朋枝……村娘の分際で……」

 

「村娘で何が悪いのよ! あたしはねぇ! 那由多を助けに来た! あんたなんかに、那由多は渡さない! 絶対に取り戻してみせる!」

 

「吼えろ、弱者が! これを見るといい! 那由多はもうほとんどわたしの一部だ!」

 

 敷島万里と自分は溶け合い、重なり合って境目さえも分からなくなっている。それに、と彼は付け加えた。

 

「《サイファーグリッドマン》に希望を見ているのか? 愚かだ! あれはわたしなのだからね!」

 

「……臾尓から聞いてきた。グリッドマンの真実も、この世界の事も。……確かに、那由多は一人で突っ走るところもある。身勝手で、それでいて強情で……。でも、何度もあたしを助けてくれた。それは、確かでしょ? それも、敷島万里の意思だったわけじゃないはず。あなたの意思なのよ! 那由多!」

 

 手を握り締め、何度も朋枝は訴えかける。だが、と那由多は頭を振っていた。

 

「……オレは誰にも胸を張れない。これまでやって来た事、これまでのオレは全部、敷島万里の掌の上だった。なら、もう何も……」

 

 朋枝はそう言い淀んだ自分の顔を両手で上げる。

 

 大写しになった相貌に、彼女は手を払っていた。

 

 滲む、じんとした痛みに朋枝が声を張り上げる。

 

「馬鹿じゃないの! だったら、今、こうしてあたしと話しているあなたは何? あたしの事を覚えてくれているあなたは! きっとただ一人の人間なのよ。そう、那由多、あなたはこの世でたった一人なの。だから……帰ってきていいのよ。この世界に」

 

「オレが、この世界に帰っても、いい……」

 

「世迷言だ! 耳を貸すな、那由多。彼女はただの人間、ただの一個人だ。セクターの意思を代弁しなければならないグリッドマンの苦しみは一生かかっても分からないだろう」

 

「……あんたねぇ、そう言って、自分と他人は違うって線を引いて……それで何が残るって言うの? グリッドマンだから? 他と違うから? だからって、ここで叫んでいる那由多を、放っておけるわけないでしょうが!」

 

 敷島万里相手に啖呵を切った朋枝に那由多は呆然とする。彼もそこまでは意外であったのか口を空けて呆けていた。

 

「……わたし相手に口ごたえを……」

 

「わたし相手? 誰が相手だって構いはしない! だってあたしは、那由多に帰ってきて欲しいんだもの! そのためなら何だってなるわ! それの何がいけないの!」

 

「愚かしい……人間風情が!」

 

 敷島万里の汚泥が跳ね上がり、朋枝へとかかろうとする。那由多は咄嗟に手を伸ばしかけて、逆に彼女に手を引かれていた。

 

「……忘れないで、那由多。アクセス・フラッシュ……光あれの言葉はいつだって、あなたの中にある。あなたが光なら、どんな闇だって吹き飛ばせるわ。だってあたしは……それで救われたんだもの」

 

 その笑顔を完全に認識する前に――汚泥は朋枝の存在を拭い去っていた。

 

 ここにいたと言う証明すら残らない。何もない、空虚。何もない、ただの虚無。

 

「……那由多。つまらない人間が割って入った。だが統合は今に成される。もう迷う事はないはずだ。俗世より別れを告げ、わたしと共にハイパーエージェントとして、覚醒する時が来たのだ。さぁ、進化するぞ! 次なる領域へ!」

 

「……さい」

 

 敷島万里が陶酔した声音より一転、疑念に眉をひそませる。

 

「……何だと?」

 

「……うるさいと、そう言ったんだ。敷島万里。お前の意思が、たとえグリッドマンの意思であっても、オレはここで……拒否する」

 

「……意味を分かって言っているのかな? 君は仮想人格だ。わたし、主人格の都合で簡単に消去出来る代物さ。選択権なんてありはしないんだよ?」

 

「……だが、オレは選択してきた。これまでも、これからもそうだ。オレの道は、オレが決める。たとえグリッドマンでなくともいい。誰でもない、那由多と言う一個人として! オレは声を張り上げる! 生きていていいのだと、そう確信して!」

 

 左手には失ったはずのアクセプターが顕現していた。最後の最後、朋枝が託してくれた、灰色のアクセプターだ。掲げたそれに、敷島万里は哄笑を上げる。

 

「それは形骸上の代物だ! 玩具以下のアクセプターで何が出来る! 君に、本来のアクセプターはもう宿らない! わたしが、グリッドマンだからだ!」

 

 敷島万里の右手には赤いアクセプターが輝いている。その力に比すれば、弱小もいいところ。ほんの小さな、ただの希望の灯火。

 

 ――光あれ、とそう願えるだけの心。

 

「……人間は、どんな境遇であっても願えるんだ、失わずに祈れるんだ。光を、彼らは失わない、損なわない! たった一つの命でも……この世界に光を見出せるはずだ!」

 

「だから、無駄だと言っているだろう! 《サイファーグリッドマン》はわたしなのだから!」

 

 汚泥が溢れ出し、那由多の身を押し包む。窒息寸前、溺れ死ぬその前に、那由多は己に問い返していた。

 

 ――本当にそうか? 本当に、《サイファーグリッドマン》は敷島万里の意志だけだったのか? 彼に宿った信念は、正義は、そして人を愛し信じる心は、本当にただの一個人の怨嗟に塗り替えられてしまうのか?

 

 左手を中天に伸ばす。灰色のアクセプターが、その劣化した装甲面より亀裂を走らせていた。

 

 生まれ変わったアクセプターより、光が顕現する。

 

 その光の連鎖に敷島万里と、彼の操る汚泥が一瞬だけ剥がれていた。

 

 光の中で、那由多は対峙する。

 

 これまで幾度となく助けられ、幾度となく一心同体となってきた蒼銀の巨人と。

 

「……お前は本当に敷島万里の心なのか? 奴の意思なのか?」

 

(那由多。その本当の意味を、君はもう知っているはずだ。だからアクセプターは応えた。今一度、この世界に……)

 

 蒼銀の人影は左手を翳す。蒼いアクセプターの光を、同じ姿勢を取った那由多も引き写していた。

 

「光あれと、もう一度だけ願えるのならば……」

 

 光の靄の向こう側に彼は消えてゆく。

 

 既に答えは得た。

 

 那由多は頭を振る敷島万里に、真正面から問い質す。

 

「オレは仮想人格、オレは仮初めの、ただの殻だと、そう言ったな?」

 

「それ以外に何が……」

 

「ならば! この光もまた、仮初めか? これもまた、本当になかったものなのか? それをお前は思い知る。そう! たとえ仮初めでも! 生きているのならばそれは! とても素晴らしい事なのだと!」

 

 那由多の左手に溢れんばかりの輝きが宿る。アクセプターが可変し、翼を展開していた。新たなる形へと変容したアクセプターに敷島万里は絶句する。

 

「まさか……その形は……」

 

 那由多は左手を掲げ、右腕で十字を形作り、叫んでいた。

 

「アクセェ――ス! フラッシュ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《サイファーグリッドマンシン》が身じろぎする。

 

「……何が起こってるの?」

 

《ゴッドゼノン》より生気が失せていた。光を失い、ただの残骸と化した《ゴッドゼノン》を《サイファーグリッドマンシン》は突き飛ばす。

 

「……ねぇ、何を――」

 

 その言葉尻を、左腕より発振した光刃が引き裂いていた。迴紫は咄嗟に防御皮膜を張ったが、それでも驚愕に目を見開く。

 

「死んだはずの……グラン・アクセプターに、光が……」

 

 左手のグラン・アクセプターに亀裂が走り、次の瞬間、光の塊が飛び出していた。

 

 直上で拡散し、その光が降り注ぐ。光の持つ熱に迴紫は頭を抱えていた。

 

「何これぇ……。嫌な光……こんなの……っ!」

 

 迴紫の自律兵装の一部が空間を突っ切って中空の光へと貫通する。

 

 瞬間、光は流転し形状を伴わせていた。

 

 地表に膝をつく形で蒼銀の巨人が構築されていく。

 

「まさか……ここに《サイファーグリッドマン》はもういるのに?」

 

 見比べる迴紫に光より発した存在は応じる。

 

(……光あれと、人がそう呼ぶのならば、わたしは何度でも応えよう。それが、ハイパーエージェント、グリッドマンだ)

 

 光を払い、蒼銀の巨人が形状を得る。

 

 左手に蒼いアクセプターを。右手に赤いアクセプターを。

 

 両方保持した新たなるグリッドマンは産声を上げていた。赤と蒼の入り混じった色彩を誇り、彼の者は佇む。

 

(電光超人、《真サイファーグリッドマン》!)

 

 構えを取った蒼銀の巨人――《真サイファーグリッドマン》に、赤い災厄の巨人と迴紫は漠然とその姿を見据える。

 

「新しい……グリッドマン……」

 

(行くぞ、迴紫! そして敷島万里! 最後の――戦いだ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【《ゴッドゼノン》】

【《カンフーシノビラー》】

【電光超人《真サイファーグリッドマン》】登場

 

 

 

第六話 了

 



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最終章 CODE:Futurum
♯FINAL‐1


 

 顕現した存在に、アンドロイド達がすぐさま報告を飛ばす。

 

『新宿セクターに、存在確認! これは……グリッドマン……?』

 

『未確認情報体の特定を求む! 繰り返す、未確認情報体の……』

 

 そんなものはなくとも、臾尓はモニターに大写しになった蒼銀の巨人に、呼吸さえも忘れていた。

 

「……生きていてくれた。那由多と……《サイファーグリッドマン》が……」

 

 しかし、サイファーグリッドマンは元々、敷島万里の離脱人格のはず。だが、敷島万里の分身たる赤い災厄の巨人――《サイファーグリッドマンシン》は呆然と光り輝く巨人を眺めていた。

 

 敷島万里と那由多は完全に別存在となったのだろうか。それとも、あのサイファーグリッドマンも敷島万里の計画の上なのか。

 

 全てを明確にする術は存在しなくとも、今やるべき事の明瞭さははっきりしている。臾尓は《ゴッドゼノン》と一体化した朋枝の人格を呼び戻そうとした。

 

「……朋枝。もう大丈夫よ。《ゴッドゼノン》と共に離脱を……朋枝?」

 

 朋枝からの反応はない。まさか、と臾尓は言葉を走らせていた。

 

「朋枝の生態反応を! 急いで!」

 

『未確認! 現状、《ゴッドゼノン》、帰還不能!』

 

 恐るべき事実に臾尓は息を呑んだ。

 

「なんて事……朋枝が帰って来られないままなんて……」

 

 自分の不始末より何よりも、彼女との誓いを守れなかった己の不実が滲む。臾尓はキーを打って《ゴッドゼノン》の帰還信号を送信していた。

 

 しかし、現状の新宿セクターは全ての信号を拒絶する。あらゆるネットワークが分離し、システムの閾値が死の数値を示していく。

 

「何が……新宿セクターで何が!」

 

『確認された情報は、新たに出現した未確認存在と、《サイファーグリッドマンシン》、そして迴紫がまだ、あの新宿セクターには現存しているという事です』

 

 畢竟、最終手段であった新宿セクターのシャットダウンは阻まれている。朋枝の帰還を確かめずに強制シャットダウンに移る事は出来ない。

 

 拳を握り締めた臾尓は克明に映し出されるリアルタイム映像を注視する。

 

 蒼銀のグリッドマンが迴紫と《サイファーグリッドマンシン》を相手に構えを取った。

 

 それを勇猛果敢なる戦士の姿と取るか。それとも新たなる災厄の種と取るか。

 

 まだ答えは出ない。だが答えは出ないからと言ってさじを投げていいはずもない。

 

「……朋枝の無事を再認証させて。稼働する全セクターより情報ネットを走らせ、新宿セクターのモニターを続行。……せめて、あなただけは、助け出すわ。朋枝。だってあなたは、那由多の存在を最後まで……」

 

 信じてくれた。その言葉は呑み込んでおいた。

 

 まだ言うには早いと思ったからだ。自分達だけが知っている幻のような青年。彼の鳶色の瞳はこの最終局面、何を映すのか。

 

 それは何者にも分からないであろう。

 

 あの場所で佇む蒼銀の巨人は、戦いの構えを崩さない。彼は、諦めていないのだ。

 

 その背中に、勝手に那由多を重ねていいものか、一瞬悩んだが、そんな悩みは些事だと一蹴する。

 

「……だってあなたは、それでもかくあるべしと、そこに在るのだから。那由多……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 煤けた風に、業火に染まった地表を見下ろす黄金の月が一つ。

 

 俯瞰された荒野に、災厄の赤い巨人と、それとは対照的な蒼銀の光を放つ、希望の巨人が降り立つ。

 

 互いに同じ存在でありながら、決定的に違う同一存在。

 

 分かたれたのはどちらからなのか、迴紫は判じかねていたが、それでも立ち現れた新たなる巨人は、敵意と確かなる礎の心をもって、こちらへと構えを取っているのが窺えた。

 

「真……サイファーグリッドマン……? そんなもの、まやかしじゃないか」

 

(まやかしかどうか、それを思い知る事になる。迴紫、行くぞ!)

 

「小賢しいなぁ……。今さら分かたれた魂なんて! やっちゃいなよ! 《サイファーグリッドマンシン》、敷島万里! あれが偽りだって言うのなら、すぐにでも消し飛ばせるでしょ!」

 

 言われるまでもないと感じたのか、赤い巨人は右腕のハザード・アクセプターより光刃を発振させ、瞬時の移動速度で斬りかかっていた。

 

 まさしく光速。瞬間的な加速度は他の追随を許さない。

 

 しかし、蒼銀の巨人は身を軽くかわし、渾身の一振りを回避していた。

 

 逆にたたらを踏んだ形の《サイファーグリッドマンシン》がよろめく。

 

 まさか、と震撼したのは自分だけではない。《サイファーグリッドマンシン》敷島万里も、であった。

 

 彼は新たなるグリッドマンそのものが許せないのか、直後に怨嗟を混じらせた雄叫びと共に光刃を薙ぎ払っていた。

 

 それを《真サイファーグリッドマン》は、片腕を掲げただけで防ぐ。

 

 光刃を発する事も、ましてや技でさえもない。

 

「……ただの腕で、グリッドマンの攻撃を……霧散させた?」

 

 信じられぬ所業に、《真サイファーグリッドマン》が声にする。

 

(わたしは、那由多の真なる心より生まれたグリッドマン。貴様らの悪意の生み出した存在ではない。わたしはハイパーエージェント。わたしは、《真サイファーグリッドマン》。那由多の心の眩さ……光あれと願う魂の叫びが生み出した、新たなるグリッドマンだ!)

 

 腕を翻し、《真サイファーグリッドマン》が手刀を見舞う。ただの手刀だ、避けるまでもないと判じた《サイファーグリッドマンシン》は、その一撃だけで大地を転がり、高層建築物を巻き込んで吹き飛ばされていた。

 

 同じ存在とは思えないほどの力の差。何よりも戦慄くのは、《真サイファーグリッドマン》はまだ、武装さえも出していない。

 

 そんな相手に力負けした赤い巨人は、咆哮を発し、全身より憤怒の灼熱を滾らせていた。

 

 最早グリッドマンと言うよりも怪獣に近い。《サイファーグリッドマンシン》は両手を合わせて光の渦を生み出す。迴紫は瞬時に悟り、高空へと逃げおおせていた。

 

 それをただ見据える《真サイファーグリッドマン》が放たれた光球を受ける。

 

 直後、爆心地の色相が裏返り、破壊と衝撃がセクターを襲った。

 

 怨嗟と恩讐の灼熱が地表を覆い、爆発の光が拡散したかと思えば、裏返り、風圧が渦を巻く。

 

「……あんの馬鹿……。意地になってあんな威力の技を……」

 

 少しでも回避が遅れていれば自分とて巻き添えだ。肝を冷やした迴紫は直下の惨状を目に、まぁと声にしていた。

 

「さすがに無傷とはいかないでしょ。腕の片一方くらいは吹き飛んだかな?」

 

 無傷で受けるには、あまりの膨大な破壊力だ。さすがの《真サイファーグリッドマン》と言えど、何かしらの技を展開せざるを得ない。そうなってしまえばこっちもの。《サイファーグリッドマンシン》と敷島万里は、精神的優位を奪われ、暴走の途上にある。

 

 このまま完全に暴走する前に制するのには、相手にダメージがなければならない。

 

 だが、今の破壊火球は明らかにその閾値を超えている。殺すつもりで撃ったとしか思えない。

 

 噴煙が風で吹き上げられ、爆心地を露にする。半身が吹き飛んだ遺骸が転がっていても何もおかしくはない。だと言うのに――。

 

 そこには腕が飛んでいるどころか、手を開いただけでそのまま、煤一つついていない姿の《真サイファーグリッドマン》が屹立していた。

 

 傷も、ましてその光にいささかの翳りもない。ただ単に手を振り翳しただけのその立ち姿に恐れを成したのは何も自分だけではないのだろう。敷島万里は明らかに自尊心を傷つけられた様子であった。赤い災厄の巨人は光刃を発振させ、蒼銀の巨人へと光の速度で追いすがる。その相手へと、《真サイファーグリッドマン》は直上へと飛翔していた。

 

 準備動作もなしにその飛翔速度は自分の変身時の最高速度を凌駕している。慄きつつも、それでも、と迴紫はフッと笑みを浮かべていた。

 

「《サイファーグリッドマンシン》の挑発に乗ったって事は、弱点はないわけじゃないはず。これでもし生き延びていても、勝ち筋は見えた」

 

 ほくそ笑んだ迴紫は、不意に差し込んできた殺気に防御壁を張っていた。

 

《シノビラー》が人間態に戻り、刃を軋らせている。振りかぶった形の細身の剣に迴紫は衝撃波を放っていた。

 

《シノビラー》が吹き飛ばされ、高層建築の壁に叩きつけられる。だが、彼はすぐさま空中で姿勢を持ち直し、壁を駆け抜けた。光球をいくつも練り上げ、追従の砲弾を浴びせかけるが、粉塵を引き裂いて相手は二丁拳銃を構えていた。

 

 火線が咲きそれに対して防御膜を張るがその守りが突き崩される。破壊した能力の一つに迴紫は舌打ちする。

 

「分子分解弾頭……。しかも強化されてる。これだから、オートインテリジェンス怪獣ってのはさぁ! ずっこいよねぇ!」

 

 光弾を矢継ぎ早に放ち、銃撃を押し返す。相手は枯れた大地を疾走し、分身を生み出していた。小賢しい、と払った手に呼応して大地からマグマが噴き出す。分身が消え失せるも、直後に相手は背後まで肉薄していた。

 

「空蝉の術……。どこまでもッ!」

 

 振り返り様に光の刃を発し、相手を引き裂くが、今度は遥か彼方まで離れている。まるで弄ぶかのような動きに迴紫は眉を跳ねさせていた。

 

「……ホントさぁ……馬鹿にしちゃってくれるよね。ボクは()()()()()()()()()()()……この世界の神だぞ! 《シノビラー》!」

 

「――その名前は、この姿には当てはまらねぇ」

 

 不意に接近し、相手は囁きかけていた。息がかかるほどの至近にまで近づかせたつもりはないのに、相手の切っ先は喉元を裂こうと迫る。

 

 ハッと身をかわし、自身の専売特許である自律兵装を編み出した。結晶体の自律兵装が幾何学の軌道を描き四方八方から相手を引き裂かんと光条を見舞う。

 

 迴紫の身体を蹴りつけ、距離を取った相手を一斉掃射の網にかけようとした。しかし、敵は針の穴ほどの活路を見出し、まだしぶとく生き残って壁を蹴りつけ、駆け抜けてくる。

 

 その反応と態度は迴紫の怒りの沸点を超えさせるのには充分であった。

 

「……だから! 邪魔だって言ってるだろ! ザコキャラが!」

 

 自律兵装が牙のように相手を噛み砕かんと迫る。それを刀身で受けた《シノビラー》はその一撃を足掛かりにして次なる手であった無数の光条の網を回避していた。

 

 まるで全てが読み透かされているようで迴紫は間断のない攻撃を奔らせる。

 

 自律兵装が疾走し、《シノビラー》に突き刺さったが、それは正しくは違う。突き刺さったのではなく、相手は自律兵装の特攻を逆利用して距離を稼いだのだ。

 

 読まれているだけではない。こちらの攻撃が無為だと見せつけられた――。

 

 その事実は迴紫の自尊心を傷つけ、そして最後の手に至らせる起爆剤となっていた。

 

 赤銅のアクセプターが照り輝き、左手を翳し、右腕で十字を形作る。

 

「アクセス・フラッシュ!」

 

 変身の瞬間であった。

 

《シノビラー》がこれまでにない加速を発し、地面を蹴りつけ、高層建築を手掛かりにし、空気の一分子でさえも足場に変えて四方八方を駆け抜け、瞬時に背後に回り、その手に携えた直刀を迴紫の心臓へと突き立てていた。

 

 かっ血した迴紫が貫いた刃をなぞる。

 

「これ、は……」

 

「狙ってたんすよ。おたくが変身するのを。変身中は、グリッドマンといえども、無力っすからね。それはよく分かっていた。だから最大加速をここまで隠し通し、最後の一太刀を浴びせかける好機を窺っていた」

 

「……まさか、これまでのが全部……演技?」

 

「そんなわけないっしょ。本気だったっすよ。ただ、オートインテリジェンス怪獣ってのは伊達な称号じゃないらしいみたいでね。今まで受けた、全ての致命傷、全ての攻撃パターン、そして全ての行動はもう、俺の頭の中じゃ、分析済みみたいっす。これも、《シノビラー》の加護だと、思えばいいんすかね」

 

 相手が刃だけでは飽き足らず、迴紫の後頭部に二丁拳銃の銃口を当てていた。

 

「や、やめ……」

 

「――あと訂正を一つ。俺の名前はハンターナイト、ツルギ。おたくをデリートする男の名前っすよ。刻め」

 

 直後、銃声が迴紫の頭蓋に響き渡っていた。

 

 



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♯FINAL‐2

 

(貴様は悪だ! あってはならぬ存在なのだ!)

 

 吼えた声と共に赤い巨人が推進剤を照り受け、加速度に身を浸して左手の光刃を払う。《真サイファーグリッドマン》は翳した指先で受けていた。

 

 出力値を引き上げ、その指を引き裂かんと相手が力を込めるが、この躯体は――《真サイファーグリッドマン》の身体は怨嗟の力を全て吸収しているようであった。

 

 不可思議な感覚だ。

 

 敵意を相手が向けて来れば来るほどに、それは力の霧散を招いている。

 

 それを赤い災厄は理解していない。《サイファーグリッドマンシン》と敷島万里が声を響かせる。

 

(仮初めのクセに……! わたしから分かたれただけの、紛い物だ!)

 

(……始まりはそうであったかもしれない。だが、もう別の存在だ。わたしは、《真サイファーグリッドマン》。那由多の魂の光より生まれた、新たなるグリッドマンだ)

 

(知った風な口を! 砕けろォッ!)

 

 相手が右腕のハザード・アクセプターを掲げ、充填された光線を発射する。それを《真サイファーグリッドマン》は掌を前に突き出しただけで防御、否、無力化させる。

 

 光線を中断し、光刃を軋らせた相手へと鏡のように《真サイファーグリッドマン》は左腕のグラン・アクセプターから光刃を発振させていた。互いの刃が干渉し、もつれ合って火花を散らす。《サイファーグリッドマンシン》は瞳に憎悪の色を滾らせていた。

 

 ここで殺し尽くすと言う怨嗟。その眼差しに《真サイファーグリッドマン》は光り輝く瞳を返す。

 

(何故だ……何故絶望しない! 何故、わたしから生まれただけのお前が、わたしに還る事に絶望も、ましてや渇望もないのだ!)

 

 光刃を払った《サイファーグリッドマンシン》に、蒼銀の巨人はグラン・アクセプターより発振される刃を合わせていた。

 

 わざと力量を試されている感覚に相手は嫌悪したのか、加速度と共に襲いかかる。首筋を狙い澄ました剣術を、最小限の手数でさばき、《真サイファーグリッドマン》は光刃を振るい上げる。

 

 その一撃だけで、空間が鳴動し、相手は干渉した刃に押し返される。すかさず懐へと潜り込んだこちらに危機感を覚えたのか、《サイファーグリッドマンシン》は離脱挙動に入りかける。

 

 その腹腔へと、肘打ちを見舞っていた。あえて、剣を返し、打撃を与えた攻撃に《サイファーグリッドマンシン》が突き飛ばされ、そのまま地表を無様に転がる。

 

 浮遊するこちらを見据え、《サイファーグリッドマンシン》は問いかけていた。

 

(……何故! わたしの力を凌駕している! そんな事はあり得ないはずだ!)

 

(あり得ない……。そうかもしれない。だが、わたしは那由多と言う、可能性の塊から生じたグリッドマンだ。その行き着く果ては無限大……彼は仮初めの存在がゆえに、どこまでも未来を描ける。どこまでも無謀の果てにまで、先を見据えられる)

 

(それがわたしとの違いだと言うのか! 墜ちろ! この偽物がァーッ!)

 

 直上に至った《サイファーグリッドマンシン》が拳を固めて打ち下ろす。それを掲げた腕で受け流し、返答のように拳を丹田に打ち込んでいた。

 

 衝撃波が背筋を砕き、超越する。

 

《サイファーグリッドマンシン》の躯体を震わせた一撃がそのまま、直上の雲を破砕し、水蒸気を飛び散らせて赤い災厄の巨人が突き上げられる。

 

 そのがら空きの巨躯に《真サイファーグリッドマン》は身体を躍り上がらせ、赤熱した上段回し蹴りを浴びせていた。

 

(ネオ超電導キック!)

 

 灼熱の脚部が照り輝き、《サイファーグリッドマンシン》の胴体を薙ぎ払う。成す術もなく吹き飛ばされた《サイファーグリッドマンシン》は、高層建築に巻き込まれ砂礫と粉塵に塗れていた。

 

 タイマーが点滅し始める。

 

 既に限界が来ているのだ。

 

(み……認めん……。わたしが生み出したただの仮想人格が、新たなる光として! わたしを拒むと言うのか! ただの仮初めが! 偽り風情が!)

 

(偽りであっても、わたしの心を構築する那由多は間違いなく、人間だ。人間だからこそ、グリッドマンに変身出来る)

 

(世迷言をぉ……っ!)

 

 だが《サイファーグリッドマンシン》はもう動けない様子である。

 

 ここで決める、と《真サイファーグリッドマン》は両腕に装着したアクセプターを交差させていた。

 

 光刃が発振し、青の双剣を静かに下段に構える。

 

《サイファーグリッドマンシン》はハザード・アクセプターに臨界点まで光を充填し、光刃を発生させていた。

 

 赤く染まった電磁が纏いつき、禍々しい刃を携える。

 

 互いに飛びかかったのは同時。

 

 しかし、《サイファーグリッドマンシン》に迷いもましてや躊躇いもない。その振るい下ろされた災厄の剣は《真サイファーグリッドマン》の装甲を切り裂いたかに思われたが、《真サイファーグリッドマン》は瞬間的に、光へと変じていた。

 

 それは純然たる光そのもの。ゆえに斬る事は敵わず、避ける事も不可能。

 

 光が《サイファーグリッドマンシン》を貫通し、《真サイファーグリッドマン》が両腕を振るい上げた状態で背面に屹立する。

 

 勝負は決していた。

 

《サイファーグリッドマンシン》の全身からブロックノイズと崩壊が生じ、亀裂が走ったその身体を保つ事も出来ないのか、膝を落としていた。

 

(……馬鹿、な……)

 

 茫漠とした意識を持て余す敷島万里に、《真サイファーグリッドマン》は言い放つ。

 

(ここが終着点だ。敷島万里)

 

(これがわたしの……終わり、だと……)

 

「――いいや、そうはならない」

 

 弾けたその言葉に振り返る。

 

 ツルギによって頭蓋を砕かれた迴紫は、口元だけでそう発していた。

 

「……こいつ! まだ生きて……!」

 

「邪魔だよ」

 

 放たれた不意打ちの衝撃波がツルギを吹き飛ばす。

 

 鼻から上を失っていながらも迴紫は健在であった。ツルギは高層建築の壁に張り付き、震撼する。

 

「あり得ねぇっすよ! 頭ぶち抜いてまだ生きているなんざ……」

 

「そうだね。ボクもこれ……限界に近い。でも、敷島万里。何をすればお互い、長生き出来るのかくらいは……分かる、よね……?」

 

 その言葉に敷島万里は迷わなかった。元より崩壊の途上にある躯体、彼はハザード・アクセプターの力を用い、満身より赤い光を放出する。その光が煉獄に染まった大地を修復していく様に、ツルギは瞠目していた。

 

「……これは、フィクサービームだと?」

 

「――ああ助かった。自分じゃ出せないレベルだったから」

 

 頭部に肉腫が膨れ上がり、迴紫が復活を遂げる。しかし今のフィクサービームで《サイファーグリッドマンシン》は臨界点を迎えたらしい。

 

 タイマーの点滅が早まり、既に自力で身体は動かせないようだ。

 

(迴紫……。わたしでは勝てない)

 

「うん? 何を勘違いしているのさ。ここから先は、ちょっとこっちもズルしようじゃん。ね? グリッドマン同士なんだから」

 

 迴紫が赤銅のアクセプターを掲げる。その光に《サイファーグリッドマンシン》は還元されていた。《ウィザードグリッドマン》の力の一部なのだろう。

 

 自律兵装の結晶体がいくつも《サイファーグリッドマンシン》へと吸着し、次々とその身からデータを奪っていく。

 

(迴紫ぃ……! 約束が……違う……!)

 

「約束って何だっけ? 思い出せないなぁ。生き残ったほうが正義でしょ? そんな事、最初から分かっているもんだと思っていたけれど」

 

 断末魔の叫びを上げ、《サイファーグリッドマンシン》の力は全て、迴紫へと注ぎ込まれていた。

 

 迴紫の瞳がぼんやりと赤く染まる。

 

「……気ぃ、つけるっすよ、坊ちゃん。あいつ、《サイファーグリッドマンシン》を取り込みやがった……」

 

「ズルはお互い様だよねぇ! よく分かんない無敵フォームになったんだもん! ボクだって使うよ! 最上のチートを!」

 

 迴紫の右腕には灼熱の色に染まったアクセプターが顕現していた。

 

 まさか、と息を呑んだその時には、相手はアクセプターを十字に構えている。

 

「アクセス・フラ――ッシュ!」

 

 その言葉が紡がれた瞬間、屹立したのは《ウィザードグリッドマン》ではあったが、色調が違う。

 

 紫色に染まった《ウィザードグリッドマン》はこれまでの存在とは一線を画しているように思えた。

 

 全身から溢れる活力とエネルギーゲインは、憤怒の赤と、そして元より持ち合わせていた狂気の赤銅を組み合わせ、神秘の紫が全身に滾る。

 

(これが新たなる姿……電脳閃士《ウィザードグリッドマンシン》……。この状態のボクに、勝てるわけがない)

 

《ウィザードグリッドマンシン》は背中に無数の翼を有する。結晶を散らせる赤い翼を纏った相手にツルギと《真サイファーグリッドマン》は絶句していた。

 

「……マジにヤバいかもしれねぇっすね。これまでの、倒せる領域の迴紫じゃない。新しいグリッドマンだ、あれもまた……」

 

(それでも、恐れを踏み越えるしかない)

 

「グリッドマンは恐れ知らずっすねぇ……。だが近づく事も、俺は……」

 

 その腕へと不意に光が宿った。思わぬ、と言った様子のツルギは直後に拡散した光がアクセプターとなって左手に装着されている事に目を見開く。

 

「……俺も、グリッドマンに……?」

 

(共に行こう。迴紫を、倒す)

 

「……そのためなら、元怪獣でもいいって事っすか。おたくもおたくで、手段を選ばないと言うか。でもま、悪くないっすよ。こういう役回りもね! アクセス・フラッシュ!」

 

 十字を描き、アクセプターを押し込んだツルギは光となって《真サイファーグリッドマン》と一体化する。

 

《真サイファーグリッドマン》は両手を交差させ、瞬間的に武装を展開していた。

 

 逆手に握り締めた直刀を構え、《ウィザードグリッドマンシン》を睥睨する。

 

 相手は余裕を込めて所持した杖で地面を叩いていた。

 

 瞬間、翼から散った結晶体の自律兵装が幾何学に動き出す。

 

《真サイファーグリッドマン》は駆け抜けていた。

 

 光の速度に至る前に、敵の放った光条が《真サイファーグリッドマン》の一部能力を剥離させる。

 

(能力の一部阻害……! ツルギ!)

 

(「分かってるっすよ! これを使え! グリッドマン!」)

 

 直後、発せられた一条の光線を受けた《真サイファーグリッドマン》がよろめくが、それは無数に存在する一体が受けただけの傷に過ぎない。

 

 空間を埋め尽くす《真サイファーグリッドマン》の足並みに、《ウィザードグリッドマンシン》が舌打ちを滲ませる。

 

(《シノビラー》の能力か)

 

(「とっておきだぜ! 喰らえ、迴紫!」)

 

 跳躍した幾百の《真サイファーグリッドマン》が光刃を飛ばし、手にした直刀を投擲していた。

 

(グリッドライトセイバー、インフィニティ!)

 

 まさしくその数は観測出来る範囲だけでも無限大。数多の武装を相手に、《ウィザードグリッドマンシン》はしかし、落ち着き払って杖を払う。

 

(でも、ほとんどは幻でしょ? だったらさ、――当たる奴だけ検出すればいい)

 

 浮かび上がったのはシステムコンソールだ。それを相手は避けるでもなく操作し、エンターを押した直後、無限に存在していた《真サイファーグリッドマン》は一体にまで減らされていた。

 

 無限の手数であった攻撃も霧散し、《ウィザードグリッドマンシン》に当たりもしない一撃のみが地面へと直撃する。

 

(これは……!)

 

(元々《ウィザードグリッドマン》はこういう、搦め手が得意なんだ。キミらがどれだけ手を弄そうと、場数と年季が違う。《ウィザードグリッドマンシン》の権限はこのセクターの上位権限に位置する。ゆえに、誰もボクの命令には逆らえない。こういう形であっても)

 

 コンソールが弄られ、そのうち一つの数値が引き上げられた。

 

 瞬間、高重力の投網が《真サイファーグリッドマン》を絡め取り、大地にその身を縫い止める。引き起こそうとしても異常なほどの超重力が躯体を崩さんとしていた。

 

(……超重力の発生……。まさか、事象までも……)

 

(だから、得意だって言ってるじゃん。チート技も、システムのバグに分け入る能力も、桁違いになった。今の《ウィザードグリッドマン》に、不可能はない)

 



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♯FINAL‐3

 コンソールが弄られ、そのうち一つの数値が引き上げられた。

 

 瞬間、高重力の投網が《真サイファーグリッドマン》を絡め取り、大地にその身を縫い止める。引き起こそうとしても異常なほどの超重力が躯体を崩さんとしていた。

 

(……超重力の発生……。まさか、事象までも……)

 

(だから、得意だって言ってるじゃん。チート技も、システムのバグに分け入る能力も、桁違いになった。今の《ウィザードグリッドマン》に、不可能はない)

 

 杖を突きつけた《ウィザードグリッドマンシン》に《真サイファーグリッドマン》は身を起こそうとして、何度も無様に大地に爪を立てる。

 

(「おい、グリッドマン! こりゃまずいんじゃないっすか?」)

 

(承知……しているが、それでも……。セクターそのものを操る能力があるのだとすれば、わたしの権限では……)

 

(ホラ。こんな程度では済まさないよ。もっとだ)

 

 杖より無数の結界が編み出される。それらの結界を突き破って現れたのは、変身するアシストウェポン形態だ。戦闘機形態が三機、銃撃と爆撃を見舞い、こちらの装甲を削る。

 

 大地を踏みしだく重装甲戦車のアシストウェポンが照準していた。《真サイファーグリッドマン》は即席の防御壁を張るが、それでも持つかどうかは五分五分以下だろう。

 

 相手の手数の多さに、単純に圧倒されている。

 

 直上に感じた殺気に、空を振り仰いだ《真サイファーグリッドマン》は、展開された結界より降り注がんとするドリルを感知していた。

 

 咄嗟に両腕のアクセプターより光刃を生じさせ、降り注ぐドリルの雨嵐を打ち砕くが、全ては防ぎ切れなかったらしい。

 

 一部が肉体に食い込み、激痛を生じさせる。

 

 ドリルから放出された何かが《真サイファーグリッドマン》の躯体を蝕んでいた。直後に赤い脈動が発生し、紫色の細菌が光の巨躯を食い散らかしていた。

 

(細菌兵器……。こんなものまで……)

 

(何でもアリ、それが《ウィザードグリッドマンシン》だからね。キミらは分の悪い戦いを仕掛けた愚か者。どうせなら、派手に死ぬよりそういうじわじわと死んじゃうほうが、キミらにとっては仕置きになるかな?)

 

 迴紫を倒す手段はないのか。このまま何も出来ず、超重力と細菌兵器を前に、肉体を破壊され尽くすしか……。

 

(……ここで終わるのか……。わたしも……)

 

(「……何諦めてんすか、グリッドマン。おたくらしくもねぇ」)

 

(……だが、動けない状態で……セクター権限を持っている相手を倒す事など……)

 

(「……一つだけ、方法があるっす。細菌兵器を引き剥がし、この高重力からも逃れる方法が」)

 

 その言葉尻を《真サイファーグリッドマン》の内奥に存在する那由多は、察知していた。

 

 ――まさか。ツルギ、お前が……。

 

 ――何も言うなっすよ、坊ちゃん。元々、生き意地の汚いだけの、ただの怪獣の成り損ないっすよ。俺は迴紫を倒す。そのためだけにあった生でさぁ。ここで散るのも本望っすよ。

 

 ――だが、お前にも心に灯火が……光がある。それを、無駄には……。

 

 ――無駄なんかじゃ、ないっすよ。さぁ、俺を分離してくだせぇ。そうすりゃ、逆転の目はある。

 

 穏やかに口にするツルギに那由多は決断していた。

 

(「……お前の事は忘れない。何があっても。ハンターナイト、ツルギの名は」)

 

(「そりゃどうも……。さぁ! 派手に弾けましょうや!」)

 

 その言葉が紡がれた瞬間、全ての状態異常を引き移したツルギがグラン・アクセプターより引き出され、黄金の光を纏って空間を突き抜ける。

 

《ウィザードグリッドマンシン》は、小賢しい、とコンソールを操作していた。

 

(セクター権限で抹消してやる!)

 

 エンターが押される直前、放たれた直刀の剣がコンソールを射抜いていた。一時的なエラーだが、それでも相手からしてみれば致命的だ。

 

 黄金に包まれたツルギが二丁拳銃を構え直し、迴紫へと特攻する。

 

 その大いなる雄叫びに《真サイファーグリッドマン》の中で那由多は敬意を表していた。

 

(邪魔な! 叩き落してやる!)

 

 結界が展開され、ドリルが引き出されていく。射出された数多のドリルを突き抜け、蹴り上げ、中にはそれを足掛かりにして、ツルギは加速を続ける。

 

(何で……何で墜ちない!)

 

「決めたからっすよ。男なら誰でも、心の中に持ってる終の居場所……良い死に場所ってのをねぇ! 《真サイファーグリッドマン》、それに那由多! 俺に死に場所を作ってくれて、感謝っすよ!」

 

(死ぬだけだろ! 何の意味があるって……!)

 

「そう、死ぬだけでさぁ。でもよ、嘗めんな。男の死に様ってのは、ぱあっと散る花火なんかより、よっぽど眩しいんすよ!」

 

 火線が舞い散り、《ウィザードグリッドマンシン》が防御壁を張る。小手先の攻撃力であるはずなのに防御するという時点で、《ウィザードグリッドマンシン》は気圧されているのだ。

 

 ハンターナイト、ツルギと言う男の執念に。彼の賭ける男の意地一つに。

 

「さぁ、一つになるっすよ。終わるべき時は潔く、そして俺の目的を」

 

 左手に装着されたアクセプターをツルギは天高く掲げていた。翼が展開し、アクセプターより蒼い光が拡散される。

 

「これが最後の――アクセス・フラッシュ!」

 

 アクセス・フラッシュの対象は自分にではない。対面する《ウィザードグリッドマンシン》へと、ツルギはアクセス・フラッシュの光に押し包まれ、そして一体化していた。

 

 思わぬ攻勢に《ウィザードグリッドマン》は杖に身を預け、姿勢を沈める。

 

(嫌なのが……入ってくる……。こんなの……)

 

 ツルギは全てを引き受けた。細菌兵器に、《真サイファーグリッドマン》の持つ輝きのエネルギー。それに彼自身の魂の光を。

 

 拒絶反応を起こした《ウィザードグリッドマン》より肉腫が膨れ上がり、直後には、その異常発達部位を切り離していた。

 

 ぶよぶよの肉腫は赤い災厄の巨人の意匠がある。

 

《サイファーグリッドマンシン》の力ごと、切り離さなければ保っていられなかったのだろう。

 

 再び、赤銅の色相へと戻った《ウィザードグリッドマン》が持ち直す前に、《真サイファーグリッドマン》は腕を交差させ、アクセプター同士で電磁を繋ぎ合わせ、左腕のグラン・アクセプターを突き上げていた。

 

 充填されたエネルギー波が流転し、高出力の光線として放出される。

 

(グリッドォォォ……ビーム!)

 

 渾身のグリッドビームが肉腫に突き刺さり、断末魔の叫びを上げながら崩れ落ちていく。

 

 力を手離した《ウィザードグリッドマン》は迴紫一人へと戻っていた。

 

《真サイファーグリッドマン》が構えを取る。

 

(さぁ、これで対等だ。決着をつけるぞ、迴紫)

 

(対等……? 決着……? 何勘違いしてんのさ……。ボクのほうが、強いに決まってるだろ!)

 

 膨れ上がった戦闘力の瀑布に《真サイファーグリッドマン》は天上より召喚した大剣を握り締めていた。

 

《ウィザードグリッドマン》も杖を造り替え、同じような大剣を保持する。

 

(行くぞ! 迴紫!)

 

(……ザコがさぁ……粋がるんじゃない!)

 

 互いに光の速度に達し、大剣同士がぶつかり合う。すかさず返す刀で払い上げた一閃に相手は押され、叩き上げた二の太刀に剣を取り落としていた。

 

 敵が次の手を打つ前に、《真サイファーグリッドマン》は眼前に結界を作り出し、蹴破って戦闘機形態へと変じていた。

 

 直上へと恐るべき速度で打ち上げられていく《ウィザードグリッドマン》は光背に結界を作り、同じように戦闘機形態へと変位する。

 

 譲らぬ攻防戦が繰り広げられるが、備え付けた小銃が《ウィザードグリッドマン》の赤銅の機体を撃墜していた。

 

 敵機はミサイルを掃射し、こちらの手を潰そうとするが、その時には《真サイファーグリッドマン》は重戦車形態へと変位している。

 

 全ての砲門が落下する《ウィザードグリッドマン》を狙い澄まし、無数の光軸がその巨躯を貫いていた。

 

 だが、相手も逃れる術は心得ている。

 

 防御陣を張って一瞬だけ攻撃を減殺し、そのまま落下速度を利用して地下へと潜っていた。

 

《真サイファーグリッドマン》も巨人形態に戻り、全身からドリルを生じさせる。それらの一点が大地を睨み、次の瞬間、《真サイファーグリッドマン》は地面に潜り込んでいた。

 

 削岩機と光の速度で大地を削り上げ、逃げおおせようとした《ウィザードグリッドマン》の背中を捉える。

 

 戦闘機形態に変じ、炸薬を起爆させていた。

 

 大地が陥没し、巨大な爆発を生じさせる。吹き上がった砂礫と噴煙の中で身を起こした《ウィザードグリッドマン》へと、《真サイファーグリッドマン》は己の腕を大型のドリルに変え、突っ込んでいた。

 

 推進剤を焚いた一撃を《ウィザードグリッドマン》は杖で防御壁を張ろうとするが、その前に杖をドリルが砕いていた。

 

 勢いを増したドリルが光で構成された杖を打ち崩していく。

 

(サイファー、ドリルゥゥゥ……ブレイク!)

 

 貫いた、と確信した一撃はしかし、爆発の光を棚引かせて離脱した《ウィザードグリッドマン》の存在にその眼差しを向けていた。

 

 ――どのような攻撃が来ようとも、今の自分は負けない。

 

 その自負に《真サイファーグリッドマン》は向かい合う。《ウィザードグリッドマン》は、震える声を発していた。

 

(何で……何で何で何で何で何で! 何でそっちが正義みたいになってるんだよォーッ!)

 

《ウィザードグリッドマン》が手を払い、結晶体の自律兵装を疾走させるが、今さらの攻撃方法であった。

 

《真サイファーグリッドマン》は全てを手刀と格闘術で叩き落す。

 

 それでも《ウィザードグリッドマン》の怨嗟は止まる事がない。

 

(ボクが正しいんだ! ボクが絶対なんだ! ……何で、どれほどの苦痛だったと思う! 進化しない、停滞するばかりの人類を、ずっと監視する役目なんて! その苦しみの一端も知らないで、偉そうにボクの前に立つなァッ!)

 

 数基の自律兵装が合体し、こちらへの破壊光線を見舞うが、《真サイファーグリッドマン》は光刃を発して切り裂いていた。

 

(……それは違うはずだ。ヒトは……時には確かに愚かしい。同じ人間同士でも序列が存在する。支配者と被支配者、彼らは互いに争い合い、己の愚行を顧みもしない。それが、一面ではヒトだろう)

 

(……分かってんのなら、何で……)

 

(だが、わたしはヒトを学べた。ヒトは、時に愛し合い、慈しみ合える事を! この空っぽなはずの魂から、わたしは光を生み出せたんだ。……元々は敷島万里の野望のためにあったこの身かもしれない。だが、今は! 今はハッキリと言える! わたしはハイパーエージェント、グリッドマン! 人類を見守り続ける、守護者だ!)

 

 その宣告に《ウィザードグリッドマン》が心底、軽蔑したのが伝わった。

 

(……何それ。そんなの、陳腐だ。どれもこれも、愛し合う? 慈しむ……? ……バッカじゃないの。嘘っぱち! 偽り! 綺麗事! ……そんなのがヒトなら、こんなに絶望もしなかったのに! もっと希望をもって、いられたって言うのに! そうじゃないんだろ、人間なんて! 力を与えればそれに溺れる。少しだけ扇動してやれば、すぐにそれに乗じる! ヒトなんてそんなものだ! 守ってやる価値なんてない。このまま、絶滅しちゃえばいい! ただのゲームのバグ! 要らないNPCの集合体! ばい菌が、人類なんだ! だったら、壊しちゃえばいいじゃん。怪獣が踏みしだいて、蹂躙して……それで破壊しちゃえばいいだけの、文化なんてどこにも欠片もない! けだものだろうに!)

 



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♯FINAL‐4

 剥き出しの迴紫の心の発露は彼女が見つめてきたヒトの罪科そのものだろう。ハイパーエージェントであっても、人間を許せない。看過出来ない。そんなもののために、一生を全うするなんて事は、とてもではないが耐えられない……。

 

 迴紫の苦しみも、一つの結果だ。

 

 人類が編み出した、罪の一つなのだろう。

 

(……だからこそ、裁く。わたし達は、そうする事でしか、前に進めないのだから)

 

(間違えてもか? 間違えてるって分かっててもだって言うのか! そんなの、守護神じゃない! 間違えているのならば、それを破壊するべきじゃないか!)

 

(間違えていると言うのならば、一つ違えているだろう。迴紫、わたしも君も――神なんかでは決してないのだ。神なんてものは、そう容易に存在してはいけない。わたし達は監視者であって、観測者ではない。だから、君は耐えられなかった。そうじゃないのか、迴紫)

 

(分かった風な口を、利くなぁーっ!)

 

《ウィザードグリッドマン》が拳を振り翳し、《真サイファーグリッドマン》に殴りかかる。しかし、元々格闘戦に長けていない《ウィザードグリッドマン》の拳にはまるで力がない。

 

 それはまるで、女子供の抵抗そのものの――。

 

 行き場のない、ここより先に行く事をどうしても描けない、未来に絶望した同朋の八つ当たりに過ぎなかった。

 

 何度も殴りつけられるが、それでも身の痛みよりも、先行するのは迴紫自身の苦しみ。彼女を縛り続けていた、グリッドマンと言う楔。

 

 グリッドマンでなければ、ハイパーエージェントでなければ、彼女は幸福な人生を送れたのかもしれない。もし、ただの少女であったのなら、何も苦しまずに済んだのかもしれない。

 

 監視者の苦しみは、人類には重過ぎる。

 

 ヒトの観測出来る苦痛には限りがあり、そしてヒトが贖える罪にもまた限りがある。彼女はグリッドマンがゆえに、苦しみ続けてきた。ヒトではないから、ヒト以上の目線で常に佇まなければならない、その苦しみの連鎖を――今、終わらせよう。

 

《真サイファーグリッドマン》は宙返りを決め、《ウィザードグリッドマン》より距離を取る。

 

 彼女も疲れたのだろう。もう抵抗する気もないようであった。どこに撃ち込まれようとも構わない、とだらりと下げた両腕に、《真サイファーグリッドマン》は腕を交差させ、力を溜める。

 

 光が螺旋を描いて充填され、次の瞬間、《真サイファーグリッドマン》は静かに四肢を開いていた。

 

(――真フィクサービーム)

 

 眩い輝きが新宿区を染め上げ、直後には地獄のような状態であった街並みが修復されていた。銀盤の地平、錆が消し飛ばされ、まともな形を伴った高層建築物が居並ぶ。

 

 人類の営み、《ウィザードグリッドマン》――迴紫が本当に守りたかったヒトの未来。

 

 それを《真サイファーグリッドマン》は顕現させていた。

 

 あり得たかもしれない新宿セクターの未来予想図を。彼女が見守るに値するのだと感じられるだけの街並みを再現する。

 

 修復された街には活気が湧き、人々が足早に歩いていく。

 

《ウィザードグリッドマン》はその光景に膝を落としていた。

 

 黄色い眼窩から一筋の涙が伝い落ちる。

 

(ああ……何て、綺麗――)

 

 そう、ここまで荒廃させたのもヒトならば、それを復活させられる術を持つのもまた、ヒトであるはずなのだ。決してシステムや道具ではない。

 

(人間は、かくあるべきと、より良い明日を描けるんだ。だからこそ、ここまで来られた。わたし達、ハイパーワールドの住民が彼らを守ると決めた最大の理由は、それであったはずだ。彼らの営みが、今日が、明日が、昨日が、……望む術もない遥か未来でさえも、きっと素晴らしいはずなのだと、我々は信じた。だから、彼らに手を貸した。《ウィザードグリッドマン》、いいや、迴紫。今、ようやく分かった。君をわたしは、救いに来た。君を覆う、退屈の闇から。虚無の果てより生まれし、この身をもって――)

 

(救いに来た? ボクを……退屈から? ……そんな事……)

 

 傲慢かもしれない。だが、それは彼女とて見たかったはずなのだ。

 

 この景色を。何者にも染まっていない、自らが守るべきと信じた場所を。破壊だけが全てではない。創造を生むためには、破壊も必要なのだ。

 

 だから、迴紫のやった事もまた責められる事はあるかもしれないが、必要であった。

 

 本当の景色を見るために。こうして、手を取り合うためには。

 

 胸元に構築された《真サイファーグリッドマン》のトライジェスターより浄化の輝きが迸る。

 

 次の瞬間、《ウィザードグリッドマン》は赤と銀の姿へと還っていた。

 

(それがあるべき姿……グリッドマンとしての)

 

(ボクの……本当の姿……)

 

《ウィザードグリッドマン》は浮かび上がり、その胸に光るトライジェスターより新宿区画を包み込む輝きを放つ。

 

 二つの巨人の輝きが相乗し、その瞬きが世界を押し包んだ。

 

(ああ、なんて――あたたかな輝きなんだろう)

 

 新宿区画が次々と復活していく。新緑の公園、銀色の街並み。潤いに満ちた人々の面持ち。

 

 どれもこれも、永遠に失ったものでありながら欲し続けていたものでもある。

 

 宵闇を光が切り裂き、空に開いた満月の暗幕が開かれていた。

 

 永遠の夜は終わりを告げ、今、朝がやってくる。

 

 希望の朝を迎えた新宿は、薄く銀色に輝いていた。

 

(これが、ボクの……守りたかった、世界……)

 

 グリッドマンであろうとも、永遠の苦痛に耐えられるはずがない。きっと、《ウィザードグリッドマン》はそれに耐え続ける事に限界を感じて、敷島万里の口車に乗ったのだろう。

 

 だが、それは弱さでは決してないのだ。誰もが、闇に屈しかける事はある。膝を折り、もう駄目だと感じる事はある。

 

 ――それでも、明日を信じ、未来を信じ、ヒトを信じる事を、諦めてはいけないのだ。

 

《真サイファーグリッドマン》は蘇った新宿を見渡し、光を自らのうちに抱いた《ウィザードグリッドマン》と向かい合っていた。

 

 直後、その躯体が光に還元され、迴紫がすっとその眼を向ける。

 

「ボクを、グリッドマンに戻してくれて、ありがとう」

 

 フィクサービームは修復の力を持つ。それをもって、迴紫の抱いていた心の闇を拭い去った。

 

 彼女は赤銅のアクセプターを見やる。憎しみと捩れた光を抱いた色相は薄れ、元のアクセプターへと戻っていた。

 

「……キミは、どうするの? だって、一つのセクターに、二人のグリッドマンは……」

 

 濁した言葉に《真サイファーグリッドマン》は首肯する。

 

(分かっている。だから「オレの決着をつける」。それが終わってから、また会おう、迴紫)

 

 その声音に迴紫は微笑みかけていた。

 

「……待っているよ。キミの決着を」

 

 刹那、《真サイファーグリッドマン》の巨体が光へと還元されていた。

 

 那由多は高層ビルの屋上へと舞い降り、輝く白銀に包まれた街頭を眺める。

 

 街は元に戻った。新宿は蘇ったのだ。

 

 それでも、たった一つ。自分自身の決着のために――銃を取る必要があった。

 

(本当にやるのか。那由多)

 

 こちらの意思を汲み取った《真サイファーグリッドマン》の声に、那由多は頷く。

 

「グリッドマン、これはオレなりのケジメなんだ。オレ自身が、正しくあるために。全ての決着を、つけるために……」

 

 だから、ここで――引き金を引く。

 

 那由多は銃口を顎に当て、ゆっくりと瞼を閉じていた。

 

 誰に頼るでもない。ただ、ヒトの善性を信じるのならば、ここでの行動に迷いはない。

 

 直後、放たれた弾丸が頭蓋を射抜いていた。

 



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♯FINAL‐5

 

 引き上げられる意識の網に彷徨っていた状態の思惟が宿り、カプセルが開くと共にもがくように手を彷徨わせる。

 

「あ……あ――」

 

 声が掠れてしまっているがそれでもこの肉体は本物だ。本物の自分の肉体であり、そして目論見通り――帰ってきた。

 

 カプセルから身を起こした彼は蓬髪を振り、くっくっと笑い始めていた。

 

「戻ってきた。そうだとも――わたしが、戻ってきたのだ。この! 敷島万里が!」

 

 那由多の身体があのセクターで死ねば帰ってくるのは必然的にこの肉体となる。だが、那由多の人格は仮想人格。元々のこの身体の持ち主が自分である事は覆しようのない事実なのだ。

 

 彼――敷島万里はカプセルの置かれた部屋で身を起こし、近場のコンソールへと歩み寄っていた。

 

「……ここは管理者権限の機密部屋。臾尓であったとしても、ここを特定する事は不可能。わたしのみが! 新宿セクターへの直通権限を持っているのだよ。そして……不本意な結果となった。迴紫は元のグリッドマンとしての心を取り戻し、わたしはあの世界から爪弾きにされた。……だが、こんな終わりを容認するものか。新宿セクターが復活したとは言え、それも仮初めだ。こちらのコンソールからセクターをシャットダウンし、グリッドマンを潰す。それが成せれば……」

 

 記憶していた通りのパスコードを入力し、敷島万里はセクターシャットダウンの最終工程に入っていた。五重のロックがかかったアクセスキーを入力し、ようやくコンソールの一部が開く。

 

 内蔵された赤いボタンに彼は喜悦の笑みを浮かべていた。

 

「……新宿は再生し、全てが元通りだと? そんな結果、誰が望む。死んだ人間が戻るものか! 正しいのはこの、敷島万里だ!」

 

 赤いボタンへと、拳を固め押し込もうとした、その時であった。

 

「――いいえ。正しいのは、かくあるべしと、そう追い求める人の心よ」

 

 突きつけられた銃口に敷島万里は硬直する。いや、それよりも何故、という思いが先行した。

 

「……何故、だ。この部屋は機密に抵触して……」

 

「あなたが那由多に成っている間、私がただ単に妨害だけに終始しているとでも思った? この部屋はとっくに特定されていたのよ。いくらセクターに入力される膨大な情報があっても、管理者権限となればそう数は多くないもの」

 

 敷島万里は奥歯を噛み締め、臾尓へと声を投げていた。

 

「……わたしを、殺すと言うのか。臾尓……」

 

「ええ、そうさせてもらうわ」

 

「わたしが死ねば、永遠に那由多は戻ってこないぞ。彼は仮初めの人格だ。わたしがあのセクターに強制的にアクセス・フラッシュするために用いた、仮想人格に過ぎない。分からないのか? 奴はもう死んだんだ。だからわたしがここに戻ってきている」

 

「そう……那由多はあのまま、新宿セクターに居てもよかったのに、それでも決着を望んだ。私達の善性を信じて、自ら引き金を引いて……」

 

「善性? 愚かしいとは思わないのか、臾尓! ヒトの善性など地に堕ちて久しいだろうに! だから《ウィザードグリッドマン》はわたしの言葉通りに先代グリッドマンを殺し、そしてあの新宿を死の街へと染め上げた! ヒトはヒト同士、信じられるようには出来ていないのだ! 人間は、所詮は人間でしかない! それ以上にはなれない! だからグリッドマンが、管理者が必要だった。管理者は全ての思考を超越し、人間という種と共に進化の道を歩むために、必要な要素を踏むために手を組んだのだ。だが! 裏切ったのは人類のほうだ! 我々はセクターに繋がれ、死の楔から解き放たれ、そして傲慢にも永劫の生を手に入れようとして、神に見離された種族なのだよ!」

 

「……確かにグリッドマンは皆、人間の業に呆れ返った。どこまでも強欲な人類に、ハイパーワールドから来た彼らは見つめ続ける事を放棄し、いくつものセクターが神のいない、ただの廃墟に成り果てた」

 

「新宿も同じであったはずだ! 《ウィザードグリッドマン》は進化の兆しもない人類に愛想を尽かしていた! だからわたしのプランは正しかったはずなのだ! 人類の進化を促進するためには破壊が必要であった! 破壊こそが人類の本質! ヒトの持つ永劫の罪の一つではないか。それを何故分からない!」

 

「分からないわけじゃないわ。ただ、敷島万里博士。あなたが言うほどに人間は廃れてはいない。そこまで堕落しているわけではない。だって、那由多はそうだった。かくあるべしと信じたからこそ、彼は仮初めでありながら本物の生を得たはず」

 

「本物の生! 笑わせる! 結局死ねばわたしの人格に還ったではないか! 彼はいなかったも同義だよ」

 

「それは違う。彼は確かに生きていた、息づいていた! あの場所で、必死に。……一人の少女を守り通すためだけに、彼は己が何者なのかと言う茫漠とした闇と戦い、そして答えを得たからこそ、光に成れた。《真サイファーグリッドマン》は彼の持つ心の輝きそのものよ!」

 

「あんなものにぃ……っ! 光など見出すのが愚かだと言っているのだ! 死ねば終わる、死ねばそこまでの人格だぞ。現にわたしは、あのセクターでは死んだが、現実ではわたしのほうが優位だ! この身体は間違いなく、敷島万里であるはずだ!」

 

 哄笑を交えたその言葉に、臾尓は目を伏せていた。

 

「……そうとしか思えないのならば、私はここであなたを撃つ事に何の躊躇いもない。せっかく再生した新宿セクターを、シャットダウンはさせない。あの場所はこれからも生き続ける」

 

「生き続けるだと! 無駄な足掻きだ。《ウィザードグリッドマン》は欠陥品だ。迴紫は、狂っている。だから新たなる秩序が必要だった。本来ならばわたしが! 新しいグリッドマンとして迴紫を倒し、あの場所の……神に成るはずであったのに!」

 

「あなたは傲慢が過ぎた。その打ち止めがここなのよ」

 

 わなわなと手を震わせた敷島万里は臾尓を睨み上げていた。

 

「わたしを殺して、では那由多が戻ってくるとでも? 言っておくが、あり得ない。彼はセクターの中でしか生きられない存在だ。そして《真サイファーグリッドマン》と言うイレギュラーを廃した以上! もう戻っては来ない! 彼は完全に死んだのだ! それなのに今さら何を望む、臾尓……いいや、宝多局長殿!」

 

「……本当の名前はとうに捨てた。私は臾尓。那由多を助けるためだけに、あのセクターに生きた存在」

 

「陶酔するのも! いい加減にしてもらおうか。君は何か間違っている。いいか? 那由多は戻らないし、それに再生したからと言って何だ? もう終わりまで行き着いたセクターではないか。捨てたって誰も惜しくはないはず。新しいセクターはいくらでもある。そこでまた、実験を続ければいい。人類の進化! グリッドマンに成り得るだけの進化手順は既に踏めたのだ! ならば今度は! ヒトがグリッドマンに成ればいい! グリッドマンに変身し、そして永遠の光の国へ……ハイパーワールドへと進軍する! それが出来る、第一歩だったのだぞ。その好機をむざむざと……!」

 

「……やはり、その考えだったのね。ハイパーワールドへは行かせない。敷島万里。あなたはヒトとして死ぬのよ。ここで私の銃弾で」

 

「……ならば何故、さっさと撃たない? それとも! 那由多の姿形をしているわたしは撃てないかね?」

 

 挑発に、臾尓が眉をしかめる。その一瞬の隙を逃さず、敷島万里は懐より取り出した銃を放っていた。

 

 銃弾が臾尓の肩口を射抜き、鮮血の赤が白衣を染めていく。

 

 呻く臾尓に敷島万里は歩み寄り、その頭蓋へと銃口を当てていた。

 

「備えは打っておくものだ。こういう輩が現れる事、想定していないとでも?」

 

「……それでもあなたは那由多の勇気には勝てない」

 

「勇気! 自ら命を絶つ事、それを勇気と呼ぶかね? 彼は死んだ、もういない! だからここで君を助けるものは一つも存在しないのだ!」

 

 銃身で殴りつけ、臾尓が息を荒立てる。

 

「それでも……っ、信じたいじゃない。那由多はだって、戦い抜いた。迴紫を破壊する事だって出来た力で、迴紫を……もう一度だけ人類を見つめ続けてもいいのだと、思わせてくれた」

 

「結果論だ」

 

 絞った引き金に弾き出された銃弾が臾尓の足を撃ち抜く。敷島万里は高笑いを上げていた。

 

「さぁ、跪け! 命乞いをしろ! わたしには勝てないのだと、絶対者はこの敷島万里なのだと、そう口にしながら死んでゆけ! 君は確かに、何度も妨害をしたが、結局わたしには勝てなかった。わたしを上回る事は一つも出来やしなかった。研究者としても……人間としてもわたしの勝利だ! わたしこそが、あの世界を俯瞰する神に等しい。グリッドマンに成れた事がその証明であろう!」

 

「……勘違いを、しないで。グリッドマンは那由多の光に呼応した。あなたのじゃない!」

 

 銃口を向けるも、それでも臾尓は困惑しているようであった。所詮は女、撃てやしない。

 

 敷島万里は余裕をもって、臾尓の頭部に照準する。

 

「それが何だと言うのだね? 全ては結果にのみ集約される。わたしが一瞬でもグリッドマンに成れた時点で、このシステムは破綻しているのだ。ならば、壊れたまま、堕ちてゆけばいいだろう? 勘違いをしているのはそちらだ。君はグリッドマンの特別でも何でもない。わたしのアクセス権を横取りし、妨害を続けていただけ。全て、わたしの計画通りであったではないか。最適化、ナイトウィザードの駆逐によるサイファーグリッドマンの覚醒、そして《ウィザードグリッドマン》、迴紫との融合。何もかも、わたしの思い通りだ。分かるかね? 勝利者には成れないのだよ、君も那由多も。銃弾一つで君は死ぬし、那由多は君のような不完全な人間に全てを投げた。その時点で、負けが確定していたのだ。君は死ぬ、致し方ない。だが結果は全てであり残酷でもそれで終わりだ。臾尓、その思い出だけを抱いて、情けなく死ね」

 

 引き金を絞りかけた、その時、臾尓は口走っていた。

 

「……勘違いは、そちらも同じよ。那由多の信じた善性は何も、私だけじゃない」

 

「何……」

 

 刹那、響き渡った銃声が敷島万里の腹部を貫く。その眼差しが見据えたのは、扉の前で銃を構える、朋枝であった。

 

 鮮血に染まっていく白衣に、敷島万里は口走る。

 

「この……ただの人形がァッ!」

 

 返す勢いで放たれようとしていた銃撃が、ふと止まる。引き金にかけたはずの指が痙攣し、その銃口は何故か、自身のこめかみへと向いていた。

 

「……わたしは何をしている? わたしの、意思ではない……ああ、そうだとも、オレの意思だ……貴様は……ッ!」

 

 己の口から出る他者の言葉に敷島万里は当惑する。朋枝は銃口を下ろし、問いかけていた。

 

「……那由多、なの?」

 

「すまなかった、トモエ。今、お前がこの男を撃ってくれなければ、オレが出るまでの隙も生まれなかっただろう……何を言っているのだ。わたしは。絶対者はこの敷島万里だ! 貴様はただの仮想人格! セクターの中で生まれただけの、ただの仮初めに過ぎないだろうに!」

 

 片腕は強く敷島万里のこめかみに銃口を押し付ける。どうやらここで決めるつもりらしい。敷島万里は罵声を浴びせていた。

 

「……失われるのは、わたしだけではないのだぞ! わたし達が培った技術! それにノウハウまでも消滅する! グリッドマンに成れた! ハイパーエージェントに成る方法は確立されなければならない! そしてハイパーワールドへと至り、真なる人類の進化を促すのだ。そうでなければ……君も見たはずだ、あの荒廃した新宿を。あれの再現がきっと起こる! またどこかのセクターが朽ち果て、どこかのセクターでナイトウィザードのような組織が生まれる! そう、これは抑止のための行為なのだ。我々がグリッドマンに変身出来るという事、それ自体が人類の新たなるステージの進化! 人類の次なる次元への導きなのだ! それを分からずして、わたしは死ねん! 死ねるものか! わたし達は、グリッドマンへと進化する資格を――。黙っていろ、敷島万里。お前は勘違いをしているだけだ。オレ達は所詮、小さな光でしかない。だがそれも、誰かを守るために、その命を燃やすために使えるのなら、本当の光に成れるんだ。その資格は誰にでもある。グリッドマンはそのヒトの輝きに呼応してくれる希望の存在だ。お前の掲げる野望のための道具じゃない……。ふざけるな! わたしは……わたしは、こんなところでぇ……ッ!」

 

 引き剥がそうとする敷島万里に那由多は朋枝と臾尓に声を振っていた。

 

「ありがとう。二人とも。オレを信じてくれて。もう、行く。行かなければならない。オレはこいつを連れて、死に赴かなければ……」

 

「那由多! 本当に……お別れなの? もう会えないの?」

 



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♯FINAL‐6

 

 朋枝の問いかけに那由多は静かに応じていた。

 

「かもしれない……。だが、そうでなはないかもしれない。オレに、まだ、誰かが何かがチャンスをくれると言うのならば、また会えるかもしれない。セクターの、電子の海の彼方で。また会おう、トモエ。それに、臾尓も」

 

「那由多……私はあなたに残酷な運命を課してしまった。それでも……許してくれるの」

 

「許すも何もない。オレを、グリッドマンにしてくれてありがとう」

 

 引き金が絞られる。間もなく敷島万里の意識が那由多を上回ろうとした、その時であった。

 

「ふざけるな! 那由多……仮想人格風情が……! わたしこそが神だ! グリッドマンと成り、ハイパーワールドで最大の功績者として、永遠に存在し続けるのが……! ――いいや、敷島万里。ヒトは、永遠なんて描けない。まだ、そこには至っていないんだ。オレもお前も。終わりにしよう。たった一発の、銃弾で……。那由多ァ――ッ!」

 

 弾き出された銃弾が、敷島万里の頭部を射抜く。あまりにも呆気なく、そして静かに、諸悪の根源は事切れていた。

 

 それと共に、最後の希望も。

 

 臾尓は歩み寄り、見開かれた敷島万里の瞳を閉ざす。

 

 朋枝は銃を下ろして咽び泣いていた。

 

「……本当に、もう会えないの? もう、那由多は……」

 

「……彼は、自分が生きていれば敷島万里の復活の契機を作ってしまうのを分かっていて、自らセクター内で死んでみせた。でも……二度も死ぬ事はないじゃない、那由多。あなたにそこまで……残酷になれなんて、私は……」

 

 敷島万里を倒すためには必要であったかもしれない犠牲。それでも、事ここに至って、彼は本当に死ななければならなかったのか。

 

 その疑念が二人の胸を貫き、涙が止まらなかった。

 

 一人の勇士の死に様にただ涙するしかない。自分達は、無力なるただの人間なのだから。

 

 その時、不意に臾尓の手首に巻かれた受信機に信号が発せられていた。

 

『局長。新宿セクターより信号を受信。……これは、《ウィザードグリッドマン》より、です』

 

「……まさか、まだ戦いを……」

 

 那由多とサイファーグリッドマンがいない時点で戦っても勝算はない。どうすれば、と惑った臾尓にアンドロイドは報告する。

 

『戦闘目的ではない、との事で……管制室に来てもらえますか?』

 

 臾尓は激痛を伴わせて立ち上がろうとする。それに朋枝が肩を貸していた。

 

「死なないでよね、臾尓。まだ、死なないで……」

 

 管制室ではアンドロイド達が情報を処理し、新宿セクターの現状をモニターする。二人のグリッドマンによって完全に再生された白銀の景観に臾尓は息を呑んでいた。

 

「ここまで完璧に……創造したのね」

 

『直通通信です。《ウィザードグリッドマン》より。繋ぎます』

 

(……キミ達人類には、ボクは愛想を尽かしていた。進化なんてあり得ない。これ以上の継続監視は不可能だと。だから、キミらは死すべきだった。あの朽ち果てた新宿が、そのお似合いの結末だと思っていた)

 

 だが、と《ウィザードグリッドマン》は本来の姿で口にする。その立ち姿は純正なるグリッドマンに近かった。

 

 アクセプターを掲げ、彼女は宣言する。

 

(……キミらには価値があった。進化は出来なくとも、現状を生き続ける意義が。それを彼は示してくれた。己の命と光をもって。だから、ボクも返そう。彼に、伝えてもらった志と共に)

 

《ウィザードグリッドマン》の胸部に位置するトライジェスターが光り輝き、白銀の新宿へと光の粒を降り注がせる。

 

(フィクサービーム)

 

 光の残滓が降り積もり、新宿の高層ビルの屋上に再生された姿に、二人とも息を呑む。

 

 まさか、と朋枝は言葉にしていた。

 

「……那由多……?」

 

(彼は最後の最後、データをボクに渡してくれていた。彼自身が敷島万里と決着をつけてから、どうするつもりだったかまでボクは知らない。でも、きっと彼も、会いたかったんじゃないかな。もう一度、キミ達に)

 

「……もう一度、あたし達に……。臾尓、お願いがあるの」

 

 その気持ちを臾尓は汲んでいた。

 

「……セクターに繋げって言うんでしょう。でも、あの那由多があなたとの思い出を持っているかまでは分からない」

 

「それでも、いいじゃない。だって、思い出なんて、記憶なんてなくったって、那由多は那由多だもの。なら一から、作り直せばいいだけなのよ」

 

 朋枝の前向きな言葉に臾尓はここで懸念事項を並べ立てたところで、彼女の意思は変えられないと判断していた。

 

「……羨ましいわね。でも、私はここで見守り続ける。それが私に課せられた、役目だから」

 

「……来ないの?」

 

 臾尓は静かに頭を振る。

 

「私は那由多を利用した。ある意味では敷島万里と変わらない。だから、もう彼とは会えない。でも、その分だけ、あなたは彼と会って来て。たとえ記憶がなくっても、那由多はきっと光を持っている。その光と共に、あらん事を」

 

 朋枝は灰色のアクセプターを掲げ、静かに声にする。

 

「――光あれ、でしょ?」

 

 笑ってみせた朋枝に臾尓も応じる。

 

「そうね。光あれ……ただそれだけの、小さな希望……」

 

 朋枝は再び《ゴッドゼノン》に搭乗したカプセルを目指す。今度は《ゴッドゼノン》としてではなく、朋枝と言う一個人として、那由多に会いに行くのだ。

 

 その姿に僅かながら羨望を感じつつ、臾尓は見送る事に決めていた。

 

 打ち込みで新宿セクターの位置情報を絞り込み、そして最後の最後、朋枝へと再確認する。

 

「……いいのよね?」

 

「うん。もう一度、会うって約束したんだもの」

 

 エンターキーを押す。その直後には、朋枝の意識はデータとなってセクターに送り込まれたはずであった。

 

 残された臾尓は、ふと呟く。

 

「……何だ、寂しいのね、私は」

 

 そんな当たり前の事に、今さら気づいた。己の愚鈍さを笑う前に、今はただ、二人に幸多からん事を――。

 

 




次週、最終回


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最終回「夢のヒーロー」

「あー……空が見えるっすねぇ。青空が……」

 

 新宿駅の構内より空を見渡したツルギは、ふと、寝そべっていた己の身体を手繰り、やがて声にしていた。

 

「……何で生きてるんすか、俺」

 

「ボーナスだってさ」

 

 近くで弾けたアノシラスの声にツルギは素っ頓狂に返す。

 

「ボーナスぅ?」

 

「彼……グリッドマンのお兄さんを再生するついでだって。お兄さん、データ残っていてよかったね」

 

 やられた、とツルギは頭を抱える。そして、フッと笑みを浮かべ直後には、大きな笑い声を上げていた。

 

「――ああ、生きてる。生きてるってホント、素晴らしいっすねぇ。こんな、ついででも」

 

「どうするの? 迴紫は元の正常なグリッドマンに戻ったみたいだけれど」

 

「どうもこうもないっすよ。目的を達成したんなら、俺がここに居続ける理由もないっすから。お暇するっす」

 

 ドクロ鉄道――いいや、緑色に塗られた山手線の電車がホームに入ってくる。

 

 ツルギはそれを目にして、自分の背に続くアノシラスへと声をかけていた。

 

「おたくは、どこへ行くんで?」

 

「お兄さんと一緒に行くよ。私、怪獣だから。気に入った相手と一緒に行くんだ。ホラ、気紛れでしょ?」

 

「そいつぁ確かに。怪獣の気紛れさだ。でも、俺もどこに行くのか、どうなるのかなんて分からないっすよ? それでもいいんすか?」

 

 その問いかけにアノシラスは微笑みかける。

 

「だってお兄さん、一人だと突っ走って危ないところに行っちゃう。見張り役が必要だもの」

 

「違いねぇや。ま、これからもよろしく頼んますよ。怪獣少女。恩は返さなくっちゃいけないんでね」

 

 その言葉を聞いてアノシラスはふふっ、と含み笑いを漏らしていた。

 

「……何なんすか、そんなに可笑しな事を言ったっすか?」

 

「ううん。うちの家訓と同じだって思ってね」

 

「そいつぁ、結構。……そういえば結局、おたくが新宿セクターに来た理由って何だったんで? 恩返しって言ってた気がしますが……」

 

「ああ、それ? もう叶った。恩返しも、それに見合うものも」

 

「そうっすか。そりゃよかったっすね」

 

「うん。よかった。これで思い残す事はなく、ここを去れるね」

 

 山手線のドアが閉まる。その直前、ツルギは見渡す限りの青空を仰ぎ、そして呟いていた。

 

「……坊ちゃん、おたくも見ていやすかい? この澄み渡った青空を。どこまでも突き抜ける、真実の蒼を――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空を、眺めていた。

 

 茫漠とした意識の中で、ただ空を。

 

 高層ビルのビル風が外套を煽り、ここにいる命一つの脈動を感じさせる。

 

 降り注ぐのは光の残滓。眩い輝きに押し包まれた巨人が、空高くこちらを見据えている。

 

「……どこへ行くんだ?」

 

(どこへも。ボクはキミに、退屈から救ってもらったから。その恩義に報いるために、精一杯、この場所を見守り続ける。いつかヒトが、大いなる情報の海原を超えて、ボクらのように成れるであろう事は、キミが証明してくれた。だからその時まで、ただ待つよ)

 

「だが、人間にはそんな価値なんてないかもしれない。力に溺れ、闇雲に戦ってグリッドマンの……お前達の期待を壊すだけかもしれない」

 

 こちらの浮かべた懸念にグリッドマンは応じる。

 

(その時は――もう一度だけ一緒に戦ってくれるんでしょ?)

 

 ああ、と左手に意識を向ける。蒼いアクセプターが装着され、光の脈動を紡いでいた。

 

「那由多――!」

 

 声がする。

 

 自分の名前を呼ぶ声が。知っている者の声音が。

 

「……オレはもう行く。行かなければならない。もう一度、再会するために」

 

(どこまで行くの?)

 

「きっと、どこまでも……。オレの力を必要とするかもしれない場所は、まだあると思う。だから、最後の最後まで戦い続ける。オレの名前は那由多。ハイパーエージェント、《サイファーグリッドマン》だ」

 

(……聞いて安心した。じゃあボクも行くね。キミ達人類に、幸多からんと願って)

 

 那由多は左手を翳し、誓いの声を放っていた。

 

「――光あれ」

 

(うん。光あれ。ただそれだけが、キミ達の……)

 

 グリッドマンは遥か彼方、空の向こうへと消えてゆく。光を降り積もらせながら。この街に、希望を抱いて。

 

 鳥達が羽ばたき、彼方の青空を目指して飛んでいく。

 

 那由多は身を翻していた。

 

 何を言われるだろう。どのような反応をされるだろう。

 

 ――分からない。未来の事など誰も分からないのだ。

 

 ただ、確かなのは一つだけ。

 

 光と共に在るのならば、この命はどこまでも。蒼く燃え続ける。

 

 そして、さぁ――大切な人に、会いに行こう。

 

 この世界に誓った、約束を抱いて。

 

 

 

 

GRIDMAN//CODE:Cypher END

 




あとがきをもって完結します。今までありがとうございました。


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あとがき

 

あとがき

 

 拙作『GRIDMAN//CODE:Cypher』をここまで読んでくださり、ありがとうございます。

 最終回からかなり長い期間、放置していてすいません……。色々事情はありまして……というのはこっちの話ですが、実のところこの作品でやりたかった事、出来なかった事、出来た事をとりあえずつらつらと……。ネタバレもありますがまぁそこまで根幹にかかわる事はないかと思いますのでご安心を。

 そもそもどうしてグリッドマンの二次創作をやろうかと思ったかと言うと、ちょうど現時点で更新しているダンバイン二次やら、何やらが若干のひと段落をしたところ、「完全に今までやったことのないジャンルをやりたい!」という欲求が出て来まして。

 では何が出来るか、と模索した結果、そこそこ原作を知っていて、なおかつまだ熱が冷めていない、いわゆる「流行り(?)」の作品をやってみたらどうかと考えまして、そうなった時に、じゃあグリッドマンをやってみようとなったわけです。

 そもそもアニメグリッドマン(『SSSS.GRIDMAN』)よりも前に幼少期にグリッドマンは知っていたので、曖昧な記憶を頼りに「グリッドマンらしさ」と「自分の理想のヒーローらしさ」を同一に回転させられる作品に出来ないかと思い、舞台としては文明崩壊した新宿区というある種のディストピア感の漂うダークな作風で行こうと決めました。これは結構早期に決まった感じで「自分が書くのならきっと、ダークヒーローっぽくなるだろうな」というのは分かっていたので(ツィッターでは恐らく自分が書くグリッドマンは「ソウルテイカー」のようになると言っていました)、なら徹底的に行こうと退廃的な作風を前面に出し、謎の提示でキャラと世界観を引っ張りつついこうと思ったのです。

 この作品、実は縛りと言うか、自分に課していた条件がありまして、それは「ワード換算で30ページ以内にその章を終える」という課題でした。

 と言うのも自分のクセを知っている方ならよく分かると思うのですが、掘り下げると長くなるのが自身の作品傾向としてあったので、ではその真逆をやってみようと思い立ったのです。

 実際、この枷と言いますか、縛りは結構有効に働きまして、ついつい世界観だとかキャラの掘り下げで「動かないシーン」がありがちな自分にアクセルをかける結果になりました。

 30ページなので序破急、起承転結にしてみても一個につき5ページ程度しかかけられません。

 なので、とにかく次の展開! 次の展開! と動かすことで展開の読めなさと、キャラが立ち止まっているシーンを少なくする目論見は成立したと思います。

 また巨大ヒーローものですので、お約束としてあるのが「あと数分だから変身する!」だとか「あと数分なので決着がつく!」だと思っておりますので、30Pの縛りはある意味ではライブ感の伴った「30分番組の足かせ」のような感じに転がったと思います。

 そして退廃的な設定には実は理由があって……みたいな感じに謎が謎を呼ぶ感じにいければよかったのですが……結果は皆さん、知っての通りです。

 はい。この作品は作り手としては成功ですが、読ませるものとしては今一つになったかと思います。それは閲覧数を観れば明らかですし、微妙にこの感覚が空回りしていたと言うか、自分でもうまい具合に調理できなかったと言う反省はあります。

 と言うのも、自分のイメージ能力の貧弱さや、あるいはダークさを前に出し過ぎてそもそものグリッドマンの単純明快なヒーローとしての素質を損なっていたりして、自分の中ではかなり重く、今回の出来を受け止めています。

 やはり読んでいただく上では不親切であったのと、独りよがりが過ぎたのではないかと感じました。

 今後はもっと面白い作品を提供できるように、精進していきたいと思います。

 ……さて、ではここからはネタバレの時間となります。

 実のところこの作品の舞台がシミュレーテッドリアリティであるのは最初から勘のいい方は分かったと思いますが、原作グリッドマンとアニメグリッドマンから何百年と経った舞台だとは分からなかったのではないかなーとは思います。

 ハイパーワールドと現実世界で国交が存在し、ハイパーワールドの住人であるグリッドマンが人類の管理者となり、人類は仮想世界に生まれながらにして繋がれ、そして管理をされている――。

そして管理者=神様、と言う構図はアニメのアカネちゃんの構図と同じですね、ここは意識して出しました。

 なので迴紫のビジュアルがよくよく考えればアカネちゃんそのものだったり、あるいはアレクシスがそのままの形で出てきたりしたのは、その辺のギミックを加味しての話でした。

 あとはグリッド「マン」なので迴紫がボクっ娘だったり……。まぁでも分かり辛い要素ではあったと思います。

 フックを作ろうと思ってやったアクセス・フラッシュの決め台詞感も伝わったかどうかは微妙でしょう。

 そもそもこの作品がどちらかと言うとアニメのグリッドマンではなく「電光超人グリッドマン」の堅実な二次創作であったことが読者様からしてみれば裏切りであったのかなと思います。

 過去の怪獣を出し、怪獣に変身する幹部を出し……と言うのは自分が好きなヒーローものの要素を抜き出した感じですね。レトロにこだわり過ぎて読者を置き去りにしたのではないかと今では思います。

 あとは主人公の那由多ですね。記憶喪失にしたのはアニメの影響ですが、同時に自分がリスペクトしてやまないタツコノプロのヒーローアニメ『鴉―KARAS―』へのオマージュがありました。

 と言うか『鴉』を含めタツノコヒーローアニメのオマージュが強過ぎてグリッドマンの二次としてはきついものがあったのでは、とも思います。

 ただ敷島万里と言うラスボスキャラへの繋ぎや、最終的な落ち着けどころは気に入っています。

 あとは那由多のビジュアルイメージが青年過ぎてイマイチだっただろうかなと言うのと、やはり導線と言いますか、読者の目線が足りなかったのでは、と思います。

 サイファーグリッドマンもきっちりと出せばギリギリありだったかと思うのですが、先に書いた30P縛りと、謎で引っ張る構成がここでは裏目に出た感じですね。

 ただ書いたものとしては満足していますので、次の作品に期待していただければ、と思います。

 あとは……何だろう。ゴッドゼノンを出したのは実は思い切っていたり、アシストウェポンに変身するのはちょっとどうかなであった事とか、アレクシスの回でアカネちゃんを出したのはあからさまに票田が欲しかったからだったり……。

 ただこれだけは分かっていただきたいのは、原作グリッドマンもアニメグリッドマンも自分は好きである事と、決して原作愛がないわけではなかったという事ですかね。

 あとはグリッドマン同士の戦いだとか、亜種のグリッドマンだとかそういう「まだ原作でもアニメでもやられていない分野」に切り込む事を重視し過ぎてやっぱり読み辛くなっていたり……。

 とはいえ、次なる糧とするためにここできっちりと物語を閉じておきましょう。

 ではまた、別の作品で。

 

2020年5月17日 オンドゥル大使より

 



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