現代のグレゴールと毒虫 (親指ゴリラ)
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エピソード 0
趣味です


 今さら口にするほどのことでもないけれど。

 

 この世界のだいたいの人間は「個性」と呼ばれる力を持っている。

 

 個性、小学校に通ったことのある人間なら誰だって知っているだろう。というか、小学校に通ったことのない人間でも普通は知ってる。

 

 だからまぁ、誰でも知っているわけだから。個性という概念について説明する機会なんて、教職員や医者でもない限り滅多にないわけで。

 

 それくらい当たり前のことだけど……実際のところ、個性について分かっていることはそんなに多くない。その言葉が示している範囲というのが、あまりにも広すぎるから。一人一人に共通点が見出せない以上は、一言でこれこれこういうものだと説明するのは難しい。

 

 僕だって、説明してみてって言われたら困ると思う。そういう研究の専門家ならばともかく、ただの中学生には荷が重い。

 

 教科書とか辞典とかに記載されているものでも「自然界の物理法則を無視する特殊能力」とか、それくらい大雑把なわけだから。

 

 人類の中に個性をもつものが生まれ出して、それがマイノリティからマジョリティになり、幾分か時間が経った今でさえ。個性に関する研究は盛んであり、それでいて、未解明の部分が多い。

 

 興味があるなら、研究者を志すのも悪くないかもしれない。

 

 ただ……個性がなかった時代と違って、今は「知能が人並みはずれて高くなる個性」を持っている人が幅を利かせているから。その分類に属する個性を持ってない人が研究者を目指すのは、あまりオススメできない。

 

 誰だって、向き不向きというものがあるわけだから。向いていない自覚があるなら、まぁ、諦めた方が賢いと思う。

 

 そういう「個性ありきの社会」に警鐘を鳴らす活動家とかもいるけれど、あまりメジャーじゃない。

 

 今は個人個人に出来ることが違いすぎて、社会的な問題点が多すぎるから。それなりに上手く適応できている現状を崩そうっていう人は、あまりいい顔をされないのだ。

 

 ちなみに、僕はそういうのは全く興味がないので。特に残念でもないし、割とどうでもいい。

 

 誰だって生まれ持ったものを活かして生きようとしているのだから、社会のあり方に多少の不平不満があったとしても、生きづらいだけだと思うよ。

 

 ほら、誰でも「個性」という素晴らしい力が宿っているんだから。みんな違って、みんな良い。全員が長所を持っているわけだし、隣の芝が青く見えても、それは考え方の問題であって。もったいない生き方だと思うけど、まぁ、人に迷惑をかけない範囲でなら自由だし。

 

 この話は、これでおしまい。

 

 

 

 長々と語ったわけだけど。それで、結局、何が言いたいのかというと。

 

 うん。

 

 進路、どうしようね。

 

 

-1-

 

「ショウくんは、将来のこととか考えたことありますか?」

 

「え? うーん…………難しい話だなぁ、トガちゃんは?」

 

「私はショウくんになりたいです!」

 

「ほんと? 色々難しいと思うけど、頑張ってね。応援してるよ」

 

 自分のことだというのに、あまりにも緊張感に欠けたやりとりだけど。高校受験すら意識していない中学二年生なんて、だいたいこんなもんじゃないかな。

 

 

 進路希望調査、と書かれた紙は当たり前のように真っ白で。これをこのまま提出してしまえば、後から先生に呼び出されてしまうのは想像に難くない。

 

 目の前でニコニコ笑っている女の子の横からチラッと覗き込めば、彼女の机の上に置かれた進路希望調査が目に入る。僕のものと違うのは、それにしっかり「ショウくん」と記入されていて、真っ白ではないということ。

 

 

 うん、彼女も先生に呼び出されるのは間違いないな。参考にならないや。

 

 後頭部に両手を当てて、天井を見つめる。当てが外れて、すっかり困ってしまった。

 

「んー、どうしようかなぁ」

 

「ショウくんの個性ならかなり自由が利くと思います! ヒーローとかどうですか? きっとすぐに人気出ますよ!」

 

「えー…………うーん、ヒーロー科はどこも倍率高くて勉強大変そうだしなぁ。やっぱりそこそこの所がいいよね、勉強苦手だし」

 

「でもショウくん、テストの点数はいいじゃないですか」

 

「あー、アレ? 個性使ってカンニングしてるよ」

 

「わ〜、悪いですね! 素敵です!」

 

「できちゃうからね、やっちゃうよね。っていうか知能特化個性持ちとかみんなカンニングしてるようなものだよね」

 

「ショウくんって偶に凄く極端なこといいますね!」

 

 公的な場での個性使用は原則的に違法行為だけど、ぶっちゃけそんなの守ってる方が少数だと思う。

 

 僕含めて、中高生なんてみんな当たり前のように使ってるし。この前だって、個性使ってイジメをしてる子供達みたいなニュースがお茶の間を流れたばかりだ。小学生から大人まで、最も行われている犯罪行為でしょ。

 

 だいたい、そんなこといったら異形型個性の持ち主とかめちゃくちゃ肩身がせまいだろうし。どこからどこまでを取り締まるべきか、なんて線引きは人によって違うから。人を害したか、否か。おおよその基準さえ守っておけば、捕まることなんてそうそうない。

 

 バレなきゃ犯罪じゃないというか、赤信号が赤信号の役割を果たしてないというか。形骸化してるっていうのかな、一市民の無害な個性行使に口出ししてたらキリがないし。

 

 

 ヒーローの点数稼ぎくらいだよね、真面目に取り締まってるのって。

 

 

 そんなことを口にすれば、彼女はもともと輝いていた瞳に更に強い光を宿して、首が取れるんじゃないかってくらい頭を縦に振る。

 

 前に別の友達に同じようなことを言った時は、ちょっと引き気味だったんだけど。流石に似た者同士というか、()()個性持ちというか、()()()個性持ちというか。何だかんだ感性が近いから、話題が合うし。

 

 

 友達を選ぶなら、まずは個性を見なさい。というのは、割と一般的な考え方だ。いくら同じ人間だとはいえ、個性に理解がない相手と関わりを持つのは難しい。

 

 極端なことをいえば、手足が二本ずつの人間と、その倍ある人間とでは価値観や感性に違いがあるということで。歩き方ひとつとっても全く別のものになってしまうのだから、さもありなん。個性の違いからくる衝突というのは、とてもありふれている。

 

 それは誰が悪いというわけでもなく、本質的に()()()()()であるからこそ起きてしまう問題で。個性はただの特殊能力ではなく、その人ごとの生き方に関わってくるものだから。いくら法整備をして、なるべく同じように生きようとしていても。どうしたって、無理が出てしまう。

 

 この考え方を突き詰めると、同じ個性持ちだけで付き合うべきとか。そういう排他的な話になってくるから、あまりおおっぴらに口にできないけど。まぁ、理想論と現実が噛み合わないのはいつの時代も同じでしょ。

 

 見ようによっては、傷の舐め合いともいう。

 

 

 やっぱり、持つべきものは個性の近い友達だよね。ちょっと、いや、だいぶ変な子だけど。

 

 

-2-

 

 この世の中には、ヒーローと(ヴィラン)という枠組みが存在している。

 

 ネーミングでなんとなくわかると思うけど、(ヴィラン)が個性を使った犯罪を行う人たちで、ヒーローはそれを取り締まる仕事だ。

 

 いや、まぁ、ヒーローの仕事は人命救助とか他にも色々あるけど。テレビとかで取り上げられるのは(ヴィラン)との戦闘、鎮圧行為が多い。

 

 社会的に地位が高いというのもあるけれど、彼らと一般市民の大きな違いは「個性の使用が認められている」ということ。もちろん、細かい規定とか色々あるんだろうけど。こそこそ隠さずとも個性を使っていいというのは、中々に魅力的だと思う。

 

 当然、子供達の将来の夢はだいたいこれ。専門の教育機関が用意されていて、現実的な職業選択という面で見てもかなり人気が高い。

 

 トガちゃんにはああいったものの、正直な気持ちでいえばちょっとくらいは興味がある。だってほら、個性使いたいし。いや、今も普通に使ってるけどさ。どうせだったら、合法的に使いたい。

 

 でもやっぱり狭き門というか。一番人気のヒーロー育成高校なんて、倍率300偏差値79とかいわれてるし。そうじゃなくても、ヒーローを目指している以上は能力を始めとして色々なものを求められる。

 

 無免許でも別に困るわけじゃないのに、そこまで頑張るのも何かなというか。そもそも社会奉仕がしたいわけじゃなくて、ただただ自分の個性を自由に使いたいというだけの動機だし。

 

 

 どっちかというと、(ヴィラン)側の方が近いと思う。いちおう、軽微なものとはいえ犯罪行為をしているわけだし。

 

 

 

 

 というか、まさにいま。その犯罪行為を行っているわけだけど。

 

 

「ぁ……ひ、ひぃ…………」

 

「あれ、腰が抜けちゃいましたか? ……立てますか?」

 

 本当に、特に何かしようというわけではなく。善意で()()()()腕を避けるように、目の前の男性は必死に後ずさる。

 

 いや、ごめん。起こしてあげようって気持ちはあるけれど、善意っていうのは嘘。だってこの人、いい反応するんだもん。

 

 僕と男性の間には数メートルの距離があって、中学生で体も育ちきってない僕が普通に手を伸ばしただけでは絶対に届くわけがない。

 

 それでも触れることができるのは、僕の服の袖口から見える真っ白い腕が、文字通り()()()いるから。物理的に、数メートルの長さをもっているから。

 

 その腕は中程で幾重にも枝分かれしていて、それぞれの先端に子供のように小さな手が生えている。一つ一つの掌は小さくて、サイズも統一されていないけれど。それが逆にアクセントになっているというか、ほどよい不気味さを演出できている。

 

 もちろん、掌はそれぞれ別々に動かせる。

 

 十数人分の掌が、男の頬を……というか、顔全体にペタペタと触れる。どれだけ不快で、恐ろしく思っているのだろうか。腕の体温は低く設定しているから、冷たくて気持ちいいと思うけれど。

 

 精神的には、かなり参っているはずだ。

 

 

 個性が当たり前になって、異形と呼ばれるような人々が増えた個性社会においても。今の僕の見た目は受け入れがたいというか、さぞ悍ましいことだろう。

 

 そういう風に作ったのだから、当たり前だけど。ここまで怖がってくれると、作者として冥利につきる。

 

 彼の怯える様子に、口角が上がっていくのが分かる。こうやって人を怖がらせている瞬間が、たまらなく気持ちいい。

 

 ああ、個性使うのって楽しい。

 

 

 だけどそれも、今日はおしまい。

 

 掌から伝わってくる抵抗がだんだんと弱まって、彼の体から力が抜けていく。シャァ、という僅かな水音とともに、目の前の男性は自ら意識を手放した。

 

 彼の頭部全体を覆っていた僕の手を離せば、彼の体は音を立てて地面へと崩れ落ちる。

 

 触る以上のことをしたわけではない。単純に、彼が恐怖心に耐えきれなくて気絶したというだけの話で。

 

 だから、まぁ。そこまで悪いことをしているわけじゃないと思う。

 

 深夜に街を徘徊して、適当な通行人を個性で驚かせているだけで。そりゃ、未成年が夜中にほっつき回ってるのは外聞がよろしくないだろうけど。直接危害を加えているわけでもなければ、これから財布の中身を抜き取ろうってわけでもない。

 

 

 本当に、ただ驚かせるだけ。怖がらせて、その反応を見たいだけ。

 

 それが出来るから、個性を使っているという。ただそれだけで……悪いことには違いないけど、我慢できないんだからしょうがない。

 

 だって、楽しいんだもん。異能の行使は人として当然の権利って有名な人も言ってたし、我慢は体に良くないよね。

 

 

 

「おいお前! そこでなにを────ひっ」

 

「あ、見つかっちゃった」

 

 背後からライトで照らされて、反射的に振り返ってしまった。最初は僕の足元を向いていた光が少しずつ上に上がって……今の僕の顔を、夜空の下に晒した。

 

 目撃者は警察官の制服を着ていて。コスプレとか詐称でもない限り、本物なのだろう。運悪く──もちろん、彼にとって──遭遇してしまった以上は、逃げるしかない。

 

 お巡りさんは、僕の顔を見て固まっている。そりゃそうだろう、人を驚かせるためだけに作り上げた頭部なのだから。むしろ、もっと怖がらせたい。

 

 でも、これ以上は欲張りというもの。そもそも警察官相手に個性を使用して怖がらせたりでもしたら、立派な威力業務妨害。つまり、犯罪だ。

 

 

 というわけで、逃げよう。

 

 二メートルほどに伸びた頭部の先端、大きく開いた口の中から、更に一回り大きい頭部を()()()()

 

 僕の口の中から出た頭部は、当たり前だけど、僕自身の顔ではない。背後で倒れている、初対面の男性と瓜二つで。彼は自分と同じ顔を吐き出す謎の人物の姿にこそ、腰を抜かしてしまったのだから。

 

 新しい頭部の口が開き、更に新しい頭部が吐き出される。もちろん、吐き出したあとの頭部は口を開いた形で残ったまま。それが何重にも重なって、頭部はどんどん高く伸びていく。

 

 例えるならば、マトリョーシカ人形だろうか。いや、あれは中身がどんどん小さくなっていくから、ちょっと違うけれど。

 

 

 数珠のように連なった頭部の先端が、近くのビルの屋上に達する。先端の口の中から大きな腕を吐き出して、その端っこを掴む。

 

 そして、()()()()()()。伸ばしたバネが縮むように、僕の体は屋根へと引っ張られる。

 

 その様はまさしく、絵面の汚いスパ◯ダーマン。個性誕生以前から引き継がれる名作アメリカンコミックスを真正面から汚すような、めちゃくちゃ失礼なことを考えながらも、僕の体は夜の街へと消えていく。

 

 そういう演出をしたんだから、そうなってくれないと困る。

 

 

 みるみるうちに離れていくお巡りさんへと視線を向けると、彼も腰を抜かしてライトを地面へと投げ出してしまっていた。

 

 これは…………セーフかな? ギリセーフ、威力業務妨害未遂でしょ。

 

 ビルの屋上へとたどり着く直前で()を離し、慣性の法則に従って空を舞う。

 

 適当な路地裏に着地して、上着に付いているフードを目深に被りなおす。

 

 

 人通りの多いところに出ても、誰も気にしない。誰も僕に注目していないし、何をしていたかなんて知らないのだから。

 

 それに、今の顔は。トガちゃんに「イケてる」と評判の、いつも通りの僕の顔に戻っているから。

 

 仮にさっきのお巡りさんに遭遇したとしても、僕の正体に気がつくことはないだろう。

 

 服は同じだけど、顔のインパクトが強すぎて覚えていられないだろうから大丈夫。ガバガバな理論だけど、今まで一度も捕まってないんだから。うん、たぶん、大丈夫。

 

 

 

 明日もやろう。

 




 百面(モモヅラ)(ショウ)

 個性『変身』
 頭の中に思い浮かべた姿へ変身できる。


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個性は、人格に直結する

『個性で為人(ひととなり)を判断するのはやめよう』

 

 

 児童書にだって書いてある、個性教育の中で最初に学ぶ言葉だ。

 

 その人の持ち得る個性が、見た目がどれだけ恐ろしいとしても、人を傷つけてしまうものだとしても。たとえ、殺めてしまうような危険なものであったとしても。

 

 それはあくまでその人の個性、人間としての要素のうちの一つであって。人格や行いに問題があるわけではない。

 

 

 だから、個性だけで人を判断してはいけない。偏見の眼差しで見つめ、差別してはならない。

 

 その人を取り巻く排他的な思想や行動こそが、当人を傷つけて、歪めてしまうのだから。

 

 

 大雑把な解釈だけれど、だいたいこんなところだろう。いい言葉だと思う、僕も幼少期からなんども聞いている。

 

 ただまぁ、それはあくまで綺麗事というか。そもそも人間というのは、どうしたって集団から爪弾き者を生み出したがるものだから。

 

 口にするのと、実際に行動するのとでは。あまりにも難易度が違いすぎるのだろう。

 

 個性差別、イジメ、謂れのない誹謗中傷の数々。それは人々が異能を手に入れて、それまでとは違う社会を作り出した現代においても。黎明期同様に解決していない、社会問題の一つだ。

 

 個性がない人、つまり無個性の子供が弱者扱いされる問題もあるけれど。それはそれで話が少しそれてしまうから、まぁ、置いておくとして。

 

 

 強すぎる力、普通からかけ離れた力。あるいは、単純に生理的嫌悪を与えてしまう力そういった個性の持ち主というものは、結構な割合で腫れ物扱いされてしまう。

 

 いや、それだけならまだマシな方かもしれない。

 

 もっと直接的に、正面から悪意をぶつけるような。そんな扱いを周囲から受け続けて、結果的に不安定な人格になってしまう。そんなケースも少なくはない。

 

 個性が強ければ強いほど、悲惨なことになる。

 

 なにせ、ただ虐げられるだけではないのだ。個性という力を持っていて、その気になれば報復ができてしまうのだ。

 

 報復(それ)を恐れているにも関わらず、人々はなぜ刺激してしまうのだろうか。多数派であるという事実は、それだけ人を傲慢にしてしまうのだろうか。爆弾が目の前にあるにも関わらず、どうして衝撃を与えてしまうのだろう。

 

 そういった経緯の果ての、誰も望まない結末というのは。少し調べれば、いくらでも出てきてしまう。

 

 幼い頃から不当な扱いを受けてきたせいで人格が歪み、(ヴィラン)への道を歩まざるを得なかった。そんな話は枚挙に暇がない。

 

 

 だから、そうなってしまわないように。

 

 個性に関する研究、教育というものは。日々進化し続けている。個性の誕生により複雑化した人権や社会問題に警笛を鳴らして、よりよい世の中を作っていけるように。

 

 誰もが生まれ持った力に振り回されない、当たり前の人生を送っていけるようにと。

 

 

『個性で為人(ひととなり)を判断するのはやめよう』

 

 いい言葉だよね。

 

 個性が理由で同い年の子供達に避けられた時、先生が言い聞かせているのを何度も耳にしたよ。

 

 正直、意味なかったと思うけど。

 

 

-1-

 

 教科書では、そんなことないって否定しているけれど。ぶっちゃけた話、個性と人格は密接な関係がある。

 

 それはちょっと考えてみれば、誰にでも理解できることで。

 

 生まれた直後はまっさらだとしても。その後の生活環境によって、人は色々な影響を受けていく。

 

 人間関係、生活水準、そして個性。この三つが人格を定めていると、僕は思っている。

 

 人間関係と生活水準というのは、言わずもがな。家族や友人からどれだけ愛されているのか、衣食住には困っていないのか、まともな教育は受けられているのか。

 

 元がまっさらだからこそ、子供は周囲の色々なものに影響されて個人を確立する。それはいつの時代、どこの国であっても変わらないこと。

 

 

 そして個性は、最も身近にあるものだ。

 

 周囲が沢山の色で個人を彩るというのなら、個性はその人がもともと持っていた固有の色だ。だから、まぁ、本当の意味では……最初からまっさらな人間というのは、実はそんなにいないのかもしれない。

 

 生まれ持った、自分だけの力。いやでも一生付き合うことになる、大切なアイデンティティ。

 

 それが果たして、人格に影響を及ぼさないといえるのだろうか。というより、どう考えても影響を与えて然るべきというか。

 

 たとえば、相手を意のままに操ることができる個性があるとして。それを自覚した、自制心のない子供が………悪いことに使わないなんて、誰が言い切れるのだろう。

 

 仮に教育が実を結んで、無闇矢鱈に個性を振り回すような性格にならなかったとしても。心の奥底、瞳の奥、胸の内ではこう考えているに違いない。

 

『困ったら他人に命令すればいいか』

 

 いや、これはあくまでも一つの例なのだけれど。

 

 誰だって考えるものだろう。こうしたい、こうすればいい。楽に生きたい、楽しく生きたい、自分の力を誇示したい。

 

 抑圧で形を変えて、理性でコントロールして、うまく社会に適合できたとしても。恐らくきっと、それは変わらない。

 

 

『生まれ持った自分の力を使いたい』

 

 最も原始的な願望。

 

 それが『他人のため、社会のため』という建前を持っているのか、いないのか。ヒーローと(ヴィラン)の違いなんていうのは、案外紙一重に近いのかもしれない。

 

 

 だから僕が、夜な夜な街に繰り出して。通行人を驚かせて、怖がらせて。その反応を見て楽しんでいるのには、間違いなく僕自身の個性が関係しているんだと思う。

 

 

『個性:変身』

 

 頭の中に思い浮かべた姿へと、肉体を変化させる力。イメージが明確であるほど細部が作り込まれ、形が人に近いほど早く変化できる。

 

 イメージ次第でクオリティが変わるから、見たことがないものを想像力だけで賄おうとすると……出来の悪いデッサンみたいなものへと変わってしまう。当たり前だけど、変化する対象の実物を見た方がよりよい結果になる。

 

 

 出来ることは多くて、それなりに便利だけど…………まぁ、ごくごく普通の個性というか。自分の姿を変える個性は『変形型』と呼ばれているのだけれど、そこらへんを探せばそれなりに似たような個性の持ち主は見つかるんじゃないだろうか。

 

 ただ、僕の個性はその中でも少しだけ特殊で。『変形型』と『異形型』の特徴を併せ持った複合型らしい。

 

 何が違うのかを理解するためには、まず普通の変形型の個性がどのようなものなのかを知っている必要がある。

 

 たとえば、全身を金属に変えることができる個性があるとする。その個性を持っている人は平常時は普通の人間の姿で、個性を使った時だけ金属の体になる。

 

 つまり、個性を解除すれば元の姿に戻る。気絶とかで意識を失ったりしても、元に戻る。

 

 

 だけど僕の場合、変化した後の姿が『異形型』として固定される。

 

 つまり、個性を解除すれば元の姿に戻るとか。そういう親切な設計はされていないわけで。

 

 元の姿に戻りたいならば、もう一度個性を使って肉体を変化させるしかない。

 

 

 これが、どういう意味を持っているのかというと────。

 

 

「うん、前回の測定時と変わりないね。体に違和感はないかな? 自分の写真を見て、おかしいと思ったところはある?」

 

「いや、問題ないです」

 

「うん、以前と比べるととても安定しているからね。これなら、通院頻度を下げても大丈夫だよ。もちろん、たまには顔を見せてもらうけど」

 

「はい、ありがとうございました」

 

「お大事にね」

 

 

 自分の個性によってまともな生活が送れなくなる。そういうケースっていうのは、実はそれなりに存在している。

 

 僕の場合は、個性の性質が良くなかったらしい。

 

 たんなる発動型や変形型の個性だったら、変身した後にも元の姿に戻れる。でも、僕の変身は一方通行のものであって、自分の見た目を「元の容姿に設定」しなければ、戻ることができない。

 

 つまり、取り返しがつかないのだ。

 

 自分の姿を思い出せなければ、元の体を手に入れることも叶わない。そもそもイメージが貧弱だったとしたら、元の姿に戻れたと思っていても……実は違う容姿になっていました、なんてこともある。

 

 

 今でこそ、自分の個性に慣れてきて。それなりに見た目を修正できるようになったけれど。幼い頃は、それはもう酷かった。

 

 初めて個性が発現した時。

 

 僕はいつも通り幼稚園で友達と遊んでいて……そして、盛大にやらかした。沢山の子供達の心に、決して消えないトラウマを植え付けてしまった。

 

 

 僕の変化に一番最初に気がついたのは、仲良しの斉藤くんだった。

 

 

『し、しょうくん……そ、そのかお…………っ!』

 

『え? どうしたの?』

 

『か、かお! かおが!』

 

『へ、かお?』

 

 その日の朝は、雨が降っていたから。遊び場のあちこちに点在していた水たまりが、太陽の光を反射していて。

 

 斉藤くんの言葉で異常に気がついた僕は、咄嗟にそれを覗き込んだ。

 

 鏡のような水面に映った僕の顔は、間違いなく『斉藤くん』のもので。

 

 あれ? っと、不思議に思った時にはもう遅かったというか。発現したばかりの個性が、目の前にいた『斉藤くん』を無意識のうちに真似ていたなんてことに気がつくはずもなく。

 

 視線を斉藤くんに戻して、もう一度水面を覗き込んで。そのあと…………なんとなく周囲を見渡して、そして、個性が暴走した。

 

 いや、あれは暴走というか。どちらかといえば、単にコントロールが下手くそなだけだったんだけど。

 

 怪我をしないように配慮されたゴムボール、園内で遊ぶ子供達、たまたま頭上を通り過ぎた鳥の群れ、異変に気がついて近づいてきていた先生たち。

 

 そして、斉藤くん。

 

 目に入るものを、視覚で認識したものを。そのままイメージとして受け止めて、片っ端から自分の肉体へと反映した。

 

 それは僕がそうしようと思って発動したのではなくて。コントロールすることを、イメージを抑えることを知らなかったが故の。子供が癇癪を起こしたかのような、そんな事故だったわけなのだけれど。

 

 まぁ、結果として。

 

 その場にいた人々が見たものは、数多の肉片を無理やり溶かして一つの団子にしたかのような。それも……見知った姿がいくつも入り混じった、不恰好なオブジェで。

 

 その時の姿を、僕自身は覚えていないけれど。人づてに聞いた話によると、体のあちこちから羽のついた人間の頭部が生えていたらしく。しかも、本体から離れて飛び立とうとしていたとのことで。

 

 それ自体が、何か危害を加えた訳ではなくても。見た目の悍ましさというものは、人々が忌避する最たるものの一つであることは間違いないから。

 

 平和だったはずの昼過ぎの幼稚園は、あっという間に地獄のような光景へと早変わり。子供たちはもちろん、先生や通行人、通報を受け取って駆けつけたヒーローを含めた大人たちの心の中にさえ、トラウマを植え付けてしまった。

 

 僕の所属していたクラスの担当の先生が必死に庇ってくれなかったら、僕は(ヴィラン)と誤解されて捕まっていたかもしれない。

 

 

-2-

 

「ショウ、先生はなんて言ってた?」

 

「心配ないよ、よくなってるって」

 

「そう、よかった……トガちゃんだっけ? お礼もまだしてないし、今度連れてきなさいよ」

 

「えー、女の子を自分ちに誘ったらみんなになんて言われるかわからないからやだなー」

 

「もう! いつもはなに言われても気にしないくせに! ……そういうところだけ気にするんだから」

 

「僕も思春期なので」

 

 

 診察室の外で待っていた親に結果を伝えて、ぶつくさと小言をもらいながら診察費を払って、夜ご飯のおかずについて話しながら車へと乗り込む。

 

 

 個性が目覚めたあの日から、ずっと。

 

 中学生になった今でも、僕はこうして定期的に個性のカウンセリングへと通っている。正直なところ、僕的にはもうとっくに必要ないとは思っているんだけど。両親的には、どうしても心配らしい。

 

 

 もう何度も何度も言われてきたことだけど、僕の個性はコントロールが難しい。

 

 一度姿を変えれば、あとは自分自身の力で元の姿に戻らなければいけない。それが出来なければ、ずっと化物の姿のまま。事件があった日に、個性診断を受けた僕が最初に聞いた言葉がそれだった。

 

 僕の個性の発動は、イメージが大切だと。自分という存在をしっかりと認識して、いつも頭の片隅に入れておかないといけないと。

 

 そう説明してくれたハゲた医者の頭部を無意識のうちに身体中に生やしつつも、ちゃんと自分の頭で頷いたのを覚えている。いや、まぁ、身体中に生えた頭部も一緒に頷いていたから、あれはあれでホラーじみた光景だったんだろうけど。

 

 

 ただ、やっぱりというか。言われたことをそのまま実行できるのであれば、個性カウンセリングなんて必要ない訳で。

 

 何日も何日も入院して、毎日毎日リハビリのように自分の個性を使って。巨大な肉塊から、百面(モモヅラ)(ショウ)という少年へと。ゆっくり時間をかけて、個性を体に慣らして。

 

 一年ほど経って、やっとの思いで。両親が家中から集めてきた僕の写真に包まれながら、僕は元の姿を取り戻した。

 

 というか、一応取り戻したことになっていた。子供の持つイメージ力というのは、やっぱり貧弱そのものだから。何しろ、過去の記憶を覚えていられる期間があまりにも短い訳だし。

 

 元に戻ったと思っていても、それは「百面(モモヅラ)(ショウ)」の紛い物だったのだろう。

 

 ほら、自分の見た目を想像しろって言われたって。どうしたって、偏見や妄想が細部を変えてしまうじゃないか。

 

 もう少し鼻が高かった、もう少し顎が整ってた、もう少し歯並びがよかった。そんな感じで、個人の美意識によっていい方へと修正してしまうだろう?

 

 大人でさえ、きっとそうなのだから。そういう個性を持っているわけでもないのなら、自分自身の容姿を正確に思い浮かべることなんて、出来やしない。

 

 それが分かっていたから。両親も、病院の先生も、そして僕も。頭の片隅で理解していたからこそ、僕はこうしてカウンセリングを受けている。

 

 

 より「百面(モモヅラ)(ショウ)」に近い見た目になるために。そして、自分を見失ってしまわないように。

 

 まぁ、もう必要ないと思うけどね。

 

 トレードマークになっているフード付きの衣装も、個性をコントロールして、日常生活に影響を与えないようにするために必要なものだ。

 

 毎日同じ服を着ることで、自分という存在のイメージを固める。年齢に合わせてサイズを変えることで、その中に収まるようにと、異能が最適な肉体を作り出す。人型に沿った輪郭のデザインにすることで、異形ではなく、自分は人間であるということを印象付ける。

 

 フードが付いているのは、話し相手の顔を無意識のうちに真似て驚かさないようにという気遣いで。

 

 つまりは、空想によって無際限に肥大する肉体を抑えるための、拘束具のようなものなのだ。もちろん、そこそこ頑丈。

 

 

 あの日…………仮に「肉塊事件」と呼ぶことにする。あれが起きた直後、僕がリハビリを始めた時にはもう、両親と病院側で発注をきめていたらしい。

 

 異形型が自分の肉体に合った衣服や装備を特注するというというのは、あまり珍しくないけれど。特注品である以上、それなりに値は張る。

 

 それでも文句ひとつ言わず、個性が目覚める前から変わらない愛を注ぎ続けてくれている両親のことを思えば、親不孝は出来ないなと思うことも多い。

 

 

 本心から、そう思っているんだけど。

 

 

 ありがとう、ごめんなさい。そんな感情でさえ、背徳を為す快感へと変わってしまう。趣味をより一層楽しむための、スパイスに成り下がってしまう。

 

 忘れられないんだ。「僕」の顔を見て、怖がっていた人たちのことが。表情を恐怖に歪ませて、必死に逃げようとしている人々の有様が。

 

 フードの下で輝く瞳の中、瞼の裏へと焼き付いて離れない。

 

 もっともっと、反応が見たい。怖がらせたい、驚かせたい、泣かせたい、失禁させたい。

 

 そう考えてしまうのは、それが出来てしまうからなのか。それとも、元からそういう素質があったからこそ、出来るようになってしまったのか。

 

 

『個性で為人(ひととなり)を判断するのはやめよう』

 

 いい言葉で、正しいと思うけど。

 

 

 それでも、やっぱり。

 

 個性(いのう)は、人格に直結する。

 

 僕がこうして、歪んでしまったように。



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恋は人を変える、文字通り

 「個性婚」というものが、一時期話題になったらしい。

 

 話題になったとはいっても、いい意味ではなく。どちらかといえば、マイナスなイメージの方が大きいという。

 

 この現代社会では、倫理的に問題があるそうだ。

 

 具体的にどのような概念で、何が問題なのか。それを説明するためには、まず「個性」というものがどのような法則で生まれているのかを理解している必要がある。

 

 誰でも知っていることだけど、親の個性は子供へと遺伝する。原則として両親のうちのどちらかと同じ、あるいは近い個性が、その子供には与えられる。そういう意味で考えると、個性もあくまで人類の遺伝子情報の一部なんだということがなんとなく想像できる。

 

 ただ、それだけが全てではない。

 

 目元は父親に、顔立ちは母親に似ている。そんな感じの表現で赤子の特徴を褒める親戚縁者の言葉を、聞いたことはないだろうか。

 

 親から子供に引き継がれるものである以上、個性にもそれが適応されることがある。というか、「個性の複雑化」とかなんとかいって社会現象にすら発展している法則だ。

 

 つまりそれは、両親の個性を掛け合わせたような個性が子供に宿る可能性があるということで。

 

 だったら、相性のいい個性を持つ男女で子供を作ったのならば。その子供は、個性に恵まれた存在として世に羽ばたくのではないかと。そういう風に考える人々が発生するのも、当たり前といえば当たり前であって。

 

 

 簡単に一言で纏めるならば「光と闇が合わさり最強に見える」というやつだ。

 

 これが一時期、流行りに流行った。それはもう、育成ゲームで強いモンスターを生み出したいという考え並みに軽い気持ちで。

 

 僕と君の個性は相性がいい(はず)、だから結婚してください。そんなやり取りが当たり前になって、しかも成立してしまうのだから。人の力に対する欲望というのは、これがなかなか侮れない。

 

 まぁ、なんだ。それ自体は別に悪いことじゃないと思う。どちらかといえば政略結婚みたいなもんだし、実のところ、僕の両親も個性婚で結ばれていて…………そして、僕が産まれたのだから。そこを否定するというのは、自分の存在を否定するようなものだから。

 

 ただ、世の中には度を超えて愚かな人種というのが一定数は存在するわけで。

 

 金、暴力、脅迫、拉致、監禁。

 

 強引な手段に出る犯罪者の増加によって、世の中のブームは一気に沈静化。掌を返したように「個性婚はやめよう!」という流れができて、それは絶えることなく今現在へと受け継がれている。

 

 よくいえば品種改良、悪くいえば人体実験。今の世の中に蔓延している個性婚への評価といえば、概ねそんなところだ。

 

 

 まぁ、多分それが正しいのだろう。

 

 個性婚が抱える問題は、倫理的なものだけではない。

 

 当たり前だけど、人はより優れている人物を好む傾向にある。人は、というより、生き物全般に言えることだけど。

 

 優れている遺伝子を残そうとするのは、ごく自然なことだから。優れた個性を持つものは、当然ながら、能力的にも社会的にも高く評価される。

 

 高く評価されるということは、それだけ多くのものを手に入れるということだ。

 

 富、名声、地位、伴侶、環境。

 

 優れたものの周囲には、それに見合った存在が集まってくる。誰かが決めたのではなく、世の中がそう動いている。そして、劣っているものは何からも見向きもされない。

 

 じゃあ、優れたものがより優れたものを、劣っているものが、より劣っているものを生み出していくとしたら。

 

 その先に待っているのは、貧富の差が激しすぎる世界であって。おそらくは、優れたものだけしか生き残れない世界。

 

 いつか遠くない未来、そういう世の中がきてしまうのではないだろうかと。どこかの偉い教授さんは、テレビでそんなことを言っていた。

 

 

 僕は個性婚には感謝している。だって、両親はこんなにも素晴らしいもの(ちから)を僕に与えてくれたのだから。

 

 

 だけど、テレビで言っていたことを鵜呑みにするわけじゃないけれど。

 

 僕はやっぱり、弱者に優しい世界であってほしいと思う。それは僕が博愛に満ちているとか、そういう意味ではなくて。

 

 単に、弱き者がいない世界がつまらないという話で。もっと平たくいえば、いい反応で怖がってくれる相手が欲しいということであって。

 

 

 人は生きていなければ、恐れることもできないのだから。僕のために、僕が楽しく過ごしていくために。晴れやかに、健やかに、弱いままで生きていてほしい。

 

 

 そう、僕のために。

 

 

-1-

 

 個性婚という言葉がマイナスのイメージを持ってなお、世代を重ねるごとに個性はより強力になっていく。

 

 つまり、個性婚はなくなったわけではないのだ。

 

 いや、厳密にいえば。個性婚のつもりではなくても、結果的に個性婚になってしまう。世界的に見ても、いまの人類はそのような傾向にあるらしい。

 

 じゃあ、それは何故なのか。

 

 理由はとても単純で、誰にでも理解できるものだ。少し考えれば、すぐに思いつくだろう。

 

 どれだけ多様な進化を見せていたとしても、人はお互いの共通項を話題にした方がコミュニケーションを取りやすいのだから。

 

 似た者同士、似た個性同士での付き合いが増えるのは当たり前のことで。

 

 それが最終的に、長い付き合いとなって。個性が近しい分だけ、悩みや苦労や愚痴を共有できるようにできていて。

 

 人と付き合っていく上で、性格や趣味なんかと同じかそれ以上に。個性の相性も、判断材料の一つになっているわけだ。

 

 近い個性、相性がいい個性。人となりを判断する、最初の一歩としては申し分ない。

 

 特に、異形型の個性持ちはそれが顕著な傾向にある。ほら…………カエルの見た目の人がパートナーとして選ぶのなら、きっと相手もカエルの見た目なんだろうって。なんとなく、想像がつくじゃないか。

 

 だから、何度も同じことを繰り返すようで悪いけど。似た個性を持っている相手というのは、いやでも気になってしまうものであって。

 

 

 

「私の名前は、渡我被身子(トガヒミコ)っていいます。個性は「変身」で、他人の姿に化けることができます。これから一年間、クラスのみんなと仲良くできればいいなと思ってます。よろしくね!」

 

 

 

 だから、一目惚れとか。本性を隠しているのがバレバレな、空虚な笑顔に惹かれたとか。ほんと、そんなんじゃなくて。

 

 彼女の個性が、僕と同じようなものだったから。なんとなく、仲良くできそうだなって思ったりとか……それだけの話であって。

 

 教室の中に響く、疎らな拍手の音も。流れ作業ように自己紹介を続けていく、クラスメイトたちの声も。何もかもがどうでもよくなって、頭に入ってこなかったのも全部。

 

 そう、全部個性が悪いんだと思う。

 

 ほら、こんななりをしているけど。僕も一応、人間なわけだからさ。

 

 

 僕の視線に気がついた彼女が振り返って、不思議そうに首を傾げたのを見て。それで、我慢できなくなった。

 

 ああ、ちくしょう、なんて可愛いんだろう。

 

 

 その虚ろな瞳が、乾いた笑みが、どこまでも鮮烈に…………僕の胸の奥を刺激する。

 

 大切にしまいこんで、誰にも見つからないようにと。たくさん我慢して、必死に見ないふりをしていたのに。

 

 それが、こうもあっさりと。個性が近いというだけで、解き放たれてしまうものなのか。

 

 

 ああ、()()()()()

 

 その顔が()()()()()を、()()()()()()ところを。一番近くで、誰よりも近くで見てみたい。

 

 そんな醜く、自分に正直な欲望が。世間一般的な倫理観を大きく離れて、人の道を踏み外すようなことを考えている自分が。どうしてこんなにも心地よくて、しっくり当てはまるのだろうか。

 

 いや、分かっている。理屈じゃなくて本能で、心じゃなくて個性で。

 

 彼女は本質的には僕に似ていて、おそらくは、破綻しているのだと。一目見ただけで、理解してしまったから。

 

 

 うん、個性が悪いよ。

 

 僕は悪くない。だって、()()悪いことをしていないんだから。

 

 だから、僕が悪いわけがない。

 

 僕の両親とか、彼女の両親が。そうなるように産んでしまったのが、そういう個性で産んでしまったのが悪いんだから。いや、流石にこれは無理があるって自分でも分かっているけど。

 

 

 胸の奥がドクドクと音を鳴らして、文字通り脈が波打つ。興奮が止まらなくて、勝手に変化しようとする体を押さえつけるので精一杯。

 

 だけど、それがとても心地いい。

 

 

「じゃあ次、百面(モモヅラ)くん」

 

「はーい」

 

 担任が自分を呼ぶ声が聞こえて、立ち上がる。正直、結構間抜けな声が出ちゃったと思うけど。みんながみんな緊張している中では、それが逆に目立っていたのだろう。教室中の注目が、僕へと集まっているのが肌で分かった。

 

 注目されている、見られている。きっとそれも、僕の気分を高揚させる要素の一つだったんだろう。高まっていく感情の波に呼応するように、フードの中で、見えないところで、僕の顔が波打って、その形を変えていく。

 

 ずっと彼女のことを見ていたから、自己紹介文を考える余裕なんてなかった。だけど、彼女のことを考えていたから、自己紹介文を作る必要なんてなかった。

 

 柄にもなく、期待に胸を膨らませた。

 

 気づいてくれるだろうか、見てくれるだろうか。驚いてくれるだろうか、気になってくれるだろうか。

 

 あえてフードをずらして、口元だけが見えるようにする。クラスメイトは誰も気にしていなかったけれど、彼女だけは怪訝そうな表情をしていた。

 

 それはもう、気になることだろう。なにせ、毎日鏡で同じ口を見ているんだろうし。

 

 

「僕の名前は、百面(モモヅラ)(ショウ)っていいます。個性は「変身」で──────」

 

 

 そこまで口にしてから、一気にフードを取り払った。

 

 他人を驚かせてしまわないようにと、個性が暴走して、集団の中で孤立しないようにと。親が心配して、僕を想って与えてくれたフード付きの服。

 

 今まで一度も言いつけを破ったことのない、自分から進んで取り外したことのないそれ()を。自らの意思で、自らの選択で解き放つ。

 

 教室中から、歓声が上がった。いつの時代も、人々はパフォーマンスやシチュエーションに一喜一憂するもので。

 

 個性のデモンストレーションを兼ねた自己紹介は、彼らの目にはさぞかし魅力的に映ったことだろう。だって、そう見えるように演出したのだから。そうじゃなくちゃ、困る。

 

 

「────他人の姿に化けることができます。これから一年間、クラスのみんなと仲良くできればいいなと思ってます」

 

 

 よろしくね、と。目を合わせて口にした言葉の意味は、彼女に宛ててのもので。

 

 その驚いた表情が、あの偽りの笑みと違う本物の感情が。僕の背筋を優しく撫であげて、すごく、ゾクゾクする。

 

 

 

 彼女の顔、彼女の声で……そして、彼女のそれとは違う本物の笑顔で。

 

 僕は、それまでの自分に別れを告げた。

 



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化物には化物をぶつけるんだよ

 本質的に。

 

 人間は自分が持ち得ていないもの、その中でも、自分が求めているものを有する相手に心惹かれるという。

 

 

 自分にはできないことを成す相手には、自然と尊敬の念を抱いてしまうもので。だけどそれは、どんなものにでも当てはまるわけではない。

 

 志す道の先達が持つ技術や、かくあるべきという理想の中に含まれる規範的な姿。それは知識があって、想像力があって…………そこへ至るまでの道程がどれだけ険しいものなのか、その姿勢を貫くことがどれだけ難しいことなのか。それを理解できていなければ、魅力的には感じられない。

 

 

 逆にいえば。

 

 理論的にでも、直感的にでも。そのどちらにせよ、相手の長所を美点と感じることができるのであれば。それは本能的に、自らが求めているものを相手の中に見出しているということであって。

 

 あの人のようになりたい、あの人のように生きたい。無意識のうちに生まれたそういう感情に気がつかないままの状態を、心惹かれると表現しているのだろう。

 

 つまり、根本には欲があるわけで。手に入れたい、そういう気持ちが先走って、それを好意と勘違いしている。

 

 全てがそうとはいえないけれど、少なくとも僕にはその自覚があった。

 

 

 人に対してあんなにも衝動的な熱情を覚えたのは、いつぶりだろうか。

 

 異常者なりに、歪んでいるなりにと、周囲に心配をかけないように我慢して。自分以外の誰かが望んだ「百面(モモヅラ)(ショウ)」としての姿を、個性を使っているわけでもないのに、偽り続けて。

 

 それが、嫌だったわけじゃないけれど。

 

 息苦しい、そんなふうに思った事はなくて。期待とか、願望とか。望まれた姿を見せ続けることに、楽しみを見出していたのは嘘じゃないのに。

 

 どこか物足りない、そう思っていた最後の一欠片を。僕がもっともっと楽しく生きるための、最も必要ななにかを。

 

 見た瞬間、認識した瞬間。直感で、心で、個性で理解した。

 

 

 渡我被身子(トガヒミコ)、僕と似た個性の女の子。

 

 彼女に目を奪われたのは、僕がそれをずっと探していたからだ。すぐに気がついたのは、彼女と僕が色々な意味で似通っていたから。

 

 彼女が本性を隠して、社会に紛れ込んでいるから。明らかな異物なのに、人間のふりをしているから。だからこそ、すぐに見つけることができた。

 

 僕が彼女の正体を見破ったように、彼女もきっと、僕の中身に気がついていることだろう。

 

 僕たちは根っこの部分から社会不適合者で、個性があるからこそ苦しくて、個性があるからこそ隠しきることができている。()()()()()、同じような存在からは身を隠すことができない。

 

 これはもう、感性の問題だと思う。

 

 仕草、表情、()()…………普通の人たちが気にしていないものを、僕たちは注意深く覆い隠しているのだから。そりゃ、目ざとくもなる。

 

 

 あの瞬間、中学最初のホームルームで。

 

 自己紹介の言葉なんかよりも遥かに多くのことを、彼女と僕は理解し合った。個性はなによりも雄弁に、自らのことを語り尽くした。

 

 だからもう、嘘はつけない。どれだけ姿を変えてみても、どれだけ表情を偽り続けたとしても。そんな外側の外側なんて、いまさらなんの役にも立たない。目をそらすことなんて、逃げ切ることなんて、出来やしない。

 

 

 そして────いつの時代の物語も、正体を暴かれた怪物が取る行動は決まっているものだから。

 

 本性を晒して、思う存分に暴れる。

 

 隠していたままでは出来なかったことも、知られているのならば関係ない。縛るものは何もない、僕たちは自由に振舞ってもいいんだ。

 

 

 だから、僕と彼女の関係を一言で言い表すのなら────。

 

 

「トガちゃん、ちょっといい?」

 

「────もちろん、いいですよ。モモヅラくん」

 

 

 気を許せる間柄(トモダチ)、って。そう表現するのが、一番なのかもしれない。

 

 

-1-

 

「それで、話ってなんですか?」

 

「まぁまぁ、まずは座ってからにしようよ」

 

 

 黄色の虹彩と、縦に大きく裂けた瞳孔。どこか獣のようにも見える瞳に映っている感情は、やはり空虚な雰囲気をまとっていて。

 

 心ここに在らず、というふうにも見えるけど。その雰囲気に反して、表情は笑顔そのもの。彼女の顔が整っているのもあって、普通の人なら違和感を覚えたとしても勘違いだったんだと流してしまうだろう。

 

 ただ、それは彼女が身につけた擬態に騙されているだけ。

 

 だって、ほら。

 

 体から沢山の腕を生やして、部屋中の机を移動させている僕をみても眉ひとつ動かさないのだから。そんな人が浮かべている笑顔ほど、信用できないものはないだろう。

 

 僕は好ましく思ってるけどね、あの表情。

 

 腕をいくつか伸ばして椅子を二つ確保して、彼女と僕の前に設置する。空いている手を使って、ジェスチャーで着席を促す。

 

 何を考えているのか。流石にそこまでは窺い知ることはできないけれど……僕の勘違いでなければ、この状況を楽しむように。彼女は抵抗することもなく、勧められるがままに席に着いた。

 

 それを確認してから、僕も席に座る。

 

 

 こちらの様子を観察している彼女と目を合わせて、数秒。衝動的に誘ってしまったから、世間話の話題の一つも考えていなかったけれど。この際、直球で本題に入っても構わないだろう。

 

 いまさら一般人を装って雑談に興じたところで、寒いコントみたいに見えるだろうし。

 

 

「実は、ちょっと頼みたいことがあるんだよね」

 

「頼み…………私に、ですか?」

 

「うん、実は────あっ、その前にちょっとだけ確認したいことがあるんだけど、いい? 頼みごとの内容に関係してるからさ」

 

「えっと、内容によりますけど」

 

 とりあえず、話を聞くくらいのことはしてもらえるらしい。悪くない感触に、自然と口元が緩んでしまう。それはもう、ニコニコの笑顔になっていることだろう。

 

 まぁ、フードで隠れてあまり見えていないと思うけど。

 

 

「自己紹介で言ってたけど……トガちゃんさ、個性で他人の姿に変身できるんだよね?」

 

「そうですね……条件はありますけど」

 

 彼女の言葉に、自分でも大袈裟だなって思うくらい首を縦に振る。聞きたかったのは、まさにその条件のところなのだから。話に入りやすい返しをしてくれた彼女への好感度が、また一つ上がったのを感じる。

 

 

「僕もさ、変身できる個性なんだよね。でもさ、僕たちみたいな個性ってやっぱり発動条件とか制限とか…………そもそも、どんなふうに変身するのかっていう特性自体が人によって違いがあるでしょ?」

 

「はい」

 

「たとえば僕なんかは、厳密にいえば『他人に変身する個性』じゃなくて『頭の中に思い浮かべた姿に変身する個性』なんだけどさ。条件が緩いかわりに『見たもの、イメージできるもの』にしか変身できないっていう縛りもあるんだよね」

 

「私の個性とはかなり違いますね」

 

「便利だとは思うけどね。時間経過で記憶を忘れたりしたらイメージする姿も曖昧になるし、夢で見た内容次第で寝起きの時に勝手に体が変化してたりもするからさ。クセが強いんだよ」

 

「なるほど……苦労してるんですね」

 

 ()()()()振る舞い方をしてきたんだろう。定型文を打ち出しているみたいな、無味乾燥な返答が耳に心地よい。

 

 普通の人なら、こういう言葉を返す。そんなイメージだけで作られているかのような、そんな会話だ。腹の探り合いをしている気分になるけれど、彼女はそんなつもりじゃないってのは分かってる。

 

 僕の勘違いじゃなければ、の話だけど。

 

 

「それで……トガちゃんの個性の条件とか、出来ることとかを知りたいんだけど、教えてもらえる?」

 

「その前に、一ついいですか?」

 

「うん? 何か聞きたいことでもある?」

 

「先に頼みごとの内容から教えてもらいたいんです。私、あまり個性について話さないように親から言われてますから……頼みごとの内容次第で、出来るか出来ないか教えます」

 

「ああ、うん、そうか、そうだよね。ちょっと気持ちが先走っちゃったかも、ごめんね」

 

 思いのほか真剣な顔つきで口にした彼女の言葉に、それもそうかと頷く。

 

 自分も含めて、子供っていうのは自分の個性をベラベラと喋りたがるもので。それを心配する親というのは、どこにでもいるものだ。なんなら、僕も親に個性の情報の取り扱いには注意しろって言われてるからね。つい今しがたベラベラ説明したばかりだから、申し訳ないけど。バレなきゃ怒られないし、黙っていればいいだろう。

 

 彼女の親がどんな心境で口を出したのかは、知らないけどね。

 

 

「頼みごとっていうのは……その個性を使って、僕に変身してほしいってことなんだ」

 

「…………? 私が、モモヅラくんに?」

 

「そうそう……あっ、でも、ちょっと違うんだよ。トガちゃんから見た僕って、制服の中にフード付きの服を着込んでて、顔を隠してる状態でしょ? その姿を真似してほしいんじゃなくて……素顔を真似してほしいんだ」

 

「えっ、と? それは要するに、自分の顔が見たいってことでいいんですか?」

 

「そう! そのとおり! …………実は僕の個性って、微妙に融通が利かなくてさ。異形型の個性と変形型の個性の複合型だから、一度変身したら個性を解除しても元の姿に戻らないんだよね。だから、その都度自分の顔をイメージし直してるんだけど……それは『こんな顔だったかな?』っていう曖昧な投影の繰り返しでさ、本当に自分の顔なのかって自信が持てないわけ」

 

 病院で何度も説明されて、何度も相談してきた内容を。医者と家族以外には一度も告げたことのない悩み事を、出会ったばかりの女の子に口にしている。

 

 それだけで気分が楽になって、胸の内に抱えていたものが解けていくのが分かる。自分でも知らず知らずのうちに、気づかない間に、大きなしこりになっていたんだろう。

 

 期待と、解放感。相談しただけで、これなのだから。なるほど、たしかに。何でも話せる友達っていうのは、必要なのかもしれない。

 

 いや、今日が初対面の女の子捕まえて何言ってるのって話かもしれないけど。怪物や化物には、それなりの付き合い方っていうものがあるわけだから。僕の彼女に抱いてる感情というのは、世間一般的なものとは大きく違うわけで。

 

 

「だからさ、トガちゃんの個性が…………たとえば『相手の遺伝子情報を元に姿を変化させる個性』とかだったらさ。もしかしたら、僕の本当の姿を真似できるかもしれないでしょ? 個性に目覚める前の、普通の人の姿だった僕がそのまま成長した姿が分かるかもしれない! 僕はそれが見たいんだ!!」

 

「…………モモヅラくんって、私の個性について誰かから聞いてたりします? っていうか、絶対に知ってますよね? 私の個性の条件」

 

「────あ、分かっちゃった? さっきクラスメイトでトガちゃんと同じ小学校だったって子がいたから、聞いちゃった」

 

 微妙に眉をしかめたトガちゃんの言葉を素直に認めて、両手を合わせてごめんなさいのポーズをとる。流石にこれは自分でもどうかなって思ってたから、わざわざ本人から聞き出そうとしたわけだけど。バレてしまったものは仕方がない。

 

 フードの中からチラリと様子を窺うと、彼女の表情はいつのまにか、デフォになってる貼り付けたような笑顔に戻っていた。

 

「まぁ、いいですけど」

 

「いいんだ」

 

()()別に知られても構いませんし…………それに、そっちの方が話が早いですし」

 

「? じゃあ、受けてくれるってことでいいの?」

 

「でも、その代わりに条件が三つあります」

 

「条件? どんな?」

 

 交換条件を持ち出してくるのは、予想通りだった。というか、頼みごとをしている以上リターンは用意するべきだし。彼女が何も言わなくたって、僕から言いだすつもりだった。

 

 本当に、話が早くて助かる。

 

 

「まず、希望通りの結果にならなくても恨まないでください。私の個性のことは私自身がよく分かってますけど、モモヅラくんの体がどうなってるのかは知りませんので」

 

「そりゃあ、もちろん」

 

「二つめ…………知っていると思いますけど、私の個性は『血を摂った相手の姿に変身する個性』です。摂った血の量がエネルギーになるので、変身時間は摂った量に比例するんです」

 

「じゃあ、沢山飲めば何日でも変身できるんだ」

 

「そうです、コップ一杯で一日くらいです。だから、モモヅラくんの頼みだけなら少量でいいんですけど…………血、少し多めにください」

 

 そう言ったときの彼女の瞳のギラつきを、僕は見逃さなかった。

 

 獲物を見つけた獣のような、本能に忠実に動く者特有のそれ。彼女が今まで隠してきた欲望が、今この場で溢れ出しつつある。

 

 そう、それでいい。僕がそう振る舞うと決めたのと同じように、君も自分に正直になればいい。

 

 そうすればきっと、僕たちはもっと仲良くなれるはずだ。

 

 

 

 

「それで、最後の一つなんですけど────」

 

「ん? ────────げっ」

 

 気がついた時には、彼女はすでに僕の目の前まで迫っていた。いつのまに、とか、どうやって、とか。色々な考え事が頭の中を巡っていくけれど、それよりもずっと気になることがあって。

 

 あのカッター、いったいどこから取り出したんだろう。

 

 そんな、ちょっと間抜けな言葉を最後に。

 

 凶器(狂気)を振りかざした彼女は、それはもう心底嬉しそうに。先ほどまでとは違う、美しいとすら感じられる悍ましい笑顔を浮かべながら。

 

 

 

「今日ここで起きたことは、みんなに内緒にしてくださいね!!」

 

 その手に持った刃物を、僕へと突き立てた。

 

 

-2-

 

「実は私も、モモヅラくんの個性について聞いてたんです! クラスに斉藤くんっていますよね? 色々教えてくれました! いい人ですね!」

 

「モモヅラくん、あっ、もう友達だからショウくんって呼びますね! ショウくんの用事も、なんとなくわかってたんです! わかるんです! だって、私とショウくんは同じですから!」

 

「ここにくるまでずっと、いいのかなって考えてたんです! だって個性を使おうとしたらいつも怒られるんですもん! 笑ったら叩かれるんです! もっと自由になりたいって思いませんか? 『普通(ありのまま)』に生きたいって思いませんか!? ショウくんもそうなんですよね!?」

 

「私が素直になれるように、個性を使って見せてくれたんですよね!! ショウくんらしくてステキです! 私もショウくんみたいになりたいです!! ショウくんの血をチウチウしたいです!! これって両想いってことですよね!?」

 

「ずっと、ずっと我慢してたんです!! でもよかった! 我慢しててよかったです!! わたしにはわかります! 全部この日のためだったんです!! 運命なんです!! 初めてです!! 初めてこんなに素直な気持ちをぶつけられました!! 大好きです、もっと吸わせてください!!」

 

 

 

「産まれてきてよかった!! 生きててよかったです!! あの人たちは産まなければよかったなんて言ってましたけど、そんなの嘘でした!!」

 

 

 

 

「だって、こんなにも楽しい!!」

 



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はじめまして、久しぶり

 どれだけ努力を重ねたところで、望む現実が待っているとは限らない。そんなことは……ある程度の人生経験を積めば、誰にだって理解できることで。だけど、そうでない者には想像し得ない出来事でもある。

 

 

 誰にだって、望む姿というものがある。

 

 少年がヒーローに憧れるように、少女の夢がお嫁さんであるように。なりたい自分、なりたい姿というのはどこにでも存在しているもので。時として人間は、その背中を追いかけ続けることを人生の指標にする。

 

 どこまで頑張れるのか、どこまで夢を見続けることができるのか。それは人によって様々で、これといった答えは決まっていない。

 

 叶えられたとしても、諦めたとしても。

 

 どちらにせよ、一番最初の姿を覚え続けている人間なんて、ごく少数に過ぎない。皆どこかで妥協を重ねて、ゴール地点を少しずつずらして、未来図を修正して…………そうして産み出された『現実的な着地点』へと収まっているだけ。

 

 その場所へと辿り着ける者ですら、全体で見れば圧倒的に少数派なのだから。人間がどれだけ諦め続けて、社会という枠組みに自分を変化させているのか。そういった意味では、みんな抑圧されていて、本当の自分というものを偽り続けているのかもしれない。

 

 

 僕にだって、望む姿というのがあった。

 

 ただ、それは別に個性がどうとか容姿がどうとか、そういう意味ではなくて。もっと単純で、あまりにも普遍的な、わかりやすい願望。自己という精神を形成しつつある幼子であれば誰でも持ちえる、欲望の発露。

 

 そもそも、小さな子供が望むものなんてたいてい限られているのだから。今更語るまでもなく、振り返る必要もないのだけれど。

 

 どうしてだろう、こんなにも思い出してしまう。

 

 

 ただ、友達と一緒に遊びたかった。

 

 普通に幼稚園に通って、朝から夕方まで一緒に過ごして、ご飯を食べて、お昼寝をして、親が迎えにくるまで遊んでいたかった。

 

 ボール投げがしたかった、積み木で城を作りたかった。絵本を読みたくて、追いかけっこで笑いたかった。一緒に歌をうたって、クレヨンで絵を描きたかった。

 

 

 そんな……『普通』で『楽しい』毎日を送りたかった。

 

 個性が発現してしまう前の、何も悩まなくてよかった日々のように。

 

 

 幼い子供に与えられた想像力なんて、たかが知れている。

 

 いや、見方によっては。固定観念にとらわれない発想や、大人達では思いつくこともない奇天烈な言動を示して、想像力が豊かだなどと表現することもあるかもしれない。

 

 実際、子供の考えることなんて自由そのものなのだから。間違っていない、正しいことだと思う。

 

 

 だけどそれは、僕にとってはただの足枷でしかなかった。自分の個性を…………姿を制御するためには、精神の熟成によって培われる、物体のありのままの姿を頭の中に投影する技術が必要だった。

 

 だって、そうだろう。イメージ次第で自分の姿が変わるのに、その肝心のイメージが安定しないのだから。

 

 平面と立体の違いすら、曖昧だというのに。砂場に書いた落書きのキャラクターを、本物だと誤認してしまうほど幼い頭脳だというのに。

 

 普通の人間の姿、個性によって姿が変わる前の自分の容姿など、数十秒だって考え続けることができない。

 

 

 自分以外の全てが、邪魔だった。

 

 天井に染み出た顔のような模様、窓の外から差し込む日差しが生み出すカーテンの陰、見舞いに訪れる親類縁者、枕元に置かれたクマのぬいぐるみ、毎日欠かさず見ていたアニメーション映像、夕暮れを教えるカラスの鳴き声さえ。

 

 その全てが不要な情報で、僕の世界を否応無しに蹂躙する。僕の感性に、精神に影響を与えては、個性を通して肉体へと反映される。

 

 決して安定しない容態と、絶えず変化し続ける肉体。頭の中をよぎる、このまま一生病室で過ごすことになるんじゃないかという不安。

 

 

 僕の持つ個性は、幼子に与えるには不釣り合いな力だった。

 

 どれだけの時間を、個性のコントロールに費やしたことだろう。毎日何時間もカウンセリングを受けて、自分の力への理解を高めて。子供に課するには過酷にもほどがある時間を過ごし、人間としての姿を取り戻すことに全力を注いで。

 

 

 頑張った、頑張ったんだよ。

 

 どうしても、忘れられなかった。友達と遊ぶ日々を、その楽しさと心地よさを。あの白い部屋から脱出するために、自分が自分でいるために。努力することが必要不可欠だと信じていたから、頑張ったんだ。

 

 何度も心が折れそうになって、何度も諦めようとした。

 

 それでも、努力を続けた。

 

 

 個性だけの話じゃない。

 

 人の姿を明確にイメージできるよう、絵を描くことを勧められた。

 

 一ヶ月のトレーニングの果てに生やせるようになった子供の腕で、何本、何十本もの鉛筆を握った。

 

 より生物的な人間の体を頭に思い浮かべるために、写実的な絵を求められた。それを成すための技術も、食らいつくように取り入れた。

 

 数えきれないほどの絵を描いた。

 

 自分の写真を見て、少ない時間で頭の中にインプットして、それを目の前の用紙に吐き出した。

 

 人間の骨格、筋肉のつき方を覚えた。足し算や引き算だってまだ習っていないのに、年齢に不釣り合いな知識をたくさん詰め込まれた。

 

 苦しかった、辛かった。楽しいと感じることもあったけれど、もっと外の世界でのびのびと暮らしていたかった。

 

 

 どうしてこんな目にあわないといけないんだと、両親に当たることもあった。

 

 二人はただただ申し訳なさそうな表情で、どこにあるかも分からない僕の頭を撫でようとした。一秒後には形の変わる不定形の胴体を抱きしめて、温もりを与えようとした。体温も安定しない僕の体は、さぞかし冷たく、熱かっただろうに。

 

 その度に、僕は自分が酷く惨めな存在だと思えた。家族として当たり前の日々すら、あの二人に与えることが出来ないのだから。

 

 

 イメージに影響を与えるからと、多くの備品が持ち出された部屋の中で、ベッドの上でただ一人。人にも成れず、人らしい営みも出来ずに。不安な夜を過ごして、朝まで起き続けた。

 

 寝るのが怖かった。寝て、目が覚めたら。人に近づいていたはずの体が溶けて、見覚えのない不定形の怪物に変わってしまうのが怖かった。

 

 幼虫のようなぶよぶよとした肉体を丸めて、自分の写真だけを眺めて夜を明かした。

 

 

 そんな日々でも、自分を見捨てることがなかったのは…………信じていたからだ。

 

 僕のこの努力が実を結び、元の生活が返ってくることを、心の底から信じていたから。

 

 家では両親と共に過ごし、外では友達と遊ぶ。そんな当たり前の日常が返ってくるのだと、普通で楽しい日々が待っているのだと、自分を奮い立たせることが出来たから。

 

 長い病院生活のせいで、友達の顔すら思い出せなかったけど。みんなも僕が戻ってくるのを待ってくれているんだって、そう信じていたから。子供らしい想像を抱いて、無邪気なままでいられたから────。

 

 

 当たり前の日々を、過ごすこと。

 

 それが僕の望む姿で、そのために頑張ったのに。

 

 

 だけど僕は、本当は心のどこかで理解していたのかもしれない。

 

 友達の顔を思い出せないのは、僕が忘れようとしていたからだって。みんなが僕を見ていた時のあの瞳の色を、思い出したくなかったからなんだって。

 

 

 だって、そうでもなければ。あんなに頑張って、病院から出られるようになって、努力が報われたって思っていたはずなのに。

 

 その全てをぶち壊すような、あんな言葉を投げかけられて。平常心で、いられるわけがないから。

 

 

 あんなに簡単に、諦められるはずがないから。

 

 だから僕はきっと、本当は気がついていて。見えないふりをして、努力という行為に逃げていただけなんだと思う。

 

 

 耳をすませば、聴こえてくる。瞳を閉じれば、昨日のことのように思い出せる。

 

 

『ひっ、く、くるなよ! ばけもの!!』

 

 

 ああ、ステキな悲鳴。

 

 

-1-

 

『そろそろ、満足した?』

 

 カッターでボロボロにされて使い物にならなくなった喉の代わりに、掌に声帯を作り出して、普段よりやや濁っている声を出す。

 

 椅子から押し倒した後に、馬乗りの姿勢になって。僕の首元へと顔を寄せて血を吸っていた彼女が、自分の体をそっと起こした。

 

 口元どころか、服の襟まで真っ赤に染めた彼女が、口角が頬まで裂けているかのような壮絶な笑顔を浮かべて、口を開いた。

 

 

「ショウくん、素敵でした!」

 

『会話になってないけど、まぁ、いっか。トガちゃんも、すごく魅力的になったね』

 

「嬉しいです! あっ、ちょっとやりすぎちゃったかもしれないですけど、立てますか?」

 

『あぁ、うん、大丈夫だよ。ちょっと僕の上からどいてくれる?』

 

「はい!」

 

 

 思いの外素直に、彼女は僕の体を解放してくれた。彼女の性格からして、ちょっとはゴネるものかと思ったけれど、そんなそぶりは見せていない。

 

 まぁ、素直になったのは久しぶりなのだろうし、今はその解放感に浸っていたいんだろう。

 

 分かりやすくいえば、満足しているのかもしれない。僕も同じような気持ちなんだから、よく理解できる。

 

 

 個性を好き勝手に使うのは、すごく楽しいのだから。

 

 

簡易変身(クロッキー):顔のない少年像(ポートレート)

 

 あらかじめキーワードとして設定していた言葉を呟くと、頭の中に明確なイメージが湧いてくる。その感覚のままに個性を使用し、自身の肉体を変化させる。

 

 飛び散った血液や肉片が僕を中心として動き出し、生々しい音を立ててフードの中へと吸い込まれていく。本当ならわざわざ飛び散った残骸を使用する必要は無いんだけど、学校に血痕を残すわけにはいかないから、あえて回収する。

 

 変身というか、もはや再生に見えると思うけど。飛び散った肉片も自分の肉体であるという認識さえあれば、本体と同じように変化させることができるのだから。一応これも、変身の範疇に含まれる。

 

 その過程で混ざり込んだほこりやら何やらの異物を指の先からまとめて排出して、全部終わり。

 

 トガちゃんの喉を通った血液は取り戻すつもりはないけれど、衣服に付着したものは回収させてもらった。勝手に動き出した血液に反応した彼女が未練がましく手を伸ばしていたけれど、努めて無視する。僕がいうのもなんだと思うけど、流石にそれを飲むのはばっちいからやめた方がいいよ。

 

 最後に周囲のチェックを行って、痕跡となるものが残っていないかだけ確認する。僕の個性の出来はイメージに依存するから、割とミスが多かったりするから…………校内で血肉が見つかった日には、大問題なわけだし。念には念を入れといた方がいい。

 

 まだ、この生活を手放すつもりはないのだから。本性は隠すべき時には隠して、解放するべき時に解放する。有史以来のありとあらゆる怪物が、そうやって生き延びてきたのだから。メリハリをつけるのは、非常に大切だ。

 

 

 倒れた椅子を立て直して、そこに腰掛ける。トガちゃんもある程度落ち着いたのか、自分の席に戻って大人しく座っている。

 

 先ほどよりも幾分か大人しく、それでも瞳に危険な光を灯して、ニコニコ笑って僕を見ている。

 

 あんなに屈託のない笑顔を向けられるなんて、いつぶりだろうか。少なくとも、小学校に入ってからは記憶にないわけだし。最後に見たのは、六年以上昔ということになるわけだけど。

 

 なんだか、ちょっと嬉しい。

 

 対等の友達がいるってだけで、こんなにも生きているのが楽しいのだから。彼女が興奮しながら口走った『運命』というのも、あながち間違いじゃないのかもしれない。

 

 フードの下に貼り付けられたのっぺらぼうの顔が、僅かに微笑む。いつものように個性で口を作り出して、そのまま開いた。

 

 

「それじゃあ、変身してくれる?」

 

「はい、いいですよ」

 

 僕も彼女も、これっぽっちも疑っていなかった。僕の望みが叶って、本来の姿を手に入れること……つまり、願望混じりの予想が当たっているということを。

 

 

 僕が本当の意味で、怪物へと変わる瞬間を。

 

 

「あ、ちょっと待っててくださいね」

 

 そう言って目の前で服を脱ぎ始めた彼女の姿を、なんとなく見つめながら。用意していた道具を取り出し、いつも通りの準備を始める。

 

 スケッチブックの新しいページを開いて、端を丸クリップで留めることで、紙がズレないように固定する。

 

 それなりに備品の充実している学校でよかった。美術室の隅に置いてあるイーゼルへと腕を伸ばし(・・・・・)、僕の手前へと設置して、その上へスケッチブックを置く。

 

 あらかじめカッターで削ってあった鉛筆を手に持ち、トガちゃんの方へと視線を戻す。

 

 

 鉛筆を握る手に、力が入った。

 

 

-2-

 

 見覚えのある顔だった。

 

 見覚えがあって、初めて見る顔だった。

 

 なんども繰り返し眺めて、今も財布の中に挟んである写真。幼い頃の自分をそのまま成長させたかのような、面影のある顔つき。

 

 ちょっと童顔っていうか、子供っぽいのは少しだけ残念だけど。それはそれとして……うん、見れない顔じゃない。

 

 不思議な気分だった。

 

 知らないはずなのに、忘れてしまったはずなのに。昔からずっとこんな顔を見続けてきたような、そんな気すらしてくる。

 

 今までで一番、腕が軽かった。

 

 用意した消しゴムを、一度も使わなくていいくらい。迷いなく走り出した筆先が、気持ちいいところに線を引く。

 

 

 線を描き足すごとに、僕の体にも変化が起きる。

 

 腕や足は、今までよりもやや細く。

 

 肩幅は小さくなって、背も少しだけ縮む。

 

 普通の男子だったら嫌がりそうな変化だけど、僕にとっては至福にも等しい瞬間で。

 

 歪んでいた枠組みが、知らず知らずのうちに逸脱していた骨格が。元の形へと、あるがままへと戻っていく。

 

 僕の体が、僕の想像が生み出した肉体が。

 

 百面(モモヅラ)(ショウ)のそれへと変成し、完成していく。

 

 目線がやや低くなったことで、イーゼルの高さを修正する。もっと早く、ずっと線を引いていたいというのに。そんな手間がもどかしくて、そして……たまらなく愛おしい。

 

 

 表情が生まれる。

 

 抽象化したパーツだけの顔ではなく、しっかりと細部まで作りこまれた。

 

 僕の本当の顔が浮かび上がる(・・・・・・)

 

 

 このスケッチブックに描かれた笑みは、誰のものなのだろうか。

 

 僕か、それとも彼女か。

 

 きっと、その両方であって……どちらでもない(イメージでしかない)

 

 

 

「トガちゃん」

 

「はい、なんですか?」

 

「僕、君に会えてよかったよ」

 

「私もです! お揃いですね!」

 

「ああ…………なんか、変な気分だ。自分の顔に話しかけるのって、こんな感じなんだね。初めて知ったよ」

 

「ショウくんの初めてが貰えたんですね! 嬉しいです!」

 

「これからも一緒に遊んでくれる?」

 

「もちろんです! 楽しい学校生活にしましょう!」

 

「笑わないで聞いてほしいんだけどさ」

 

「?」

 

「僕、追いかけっことかしたいんだよね…………もう中学生なのに」

 

「いいですね! いいと思います!」

 

「あとさ、積み木で城を作りたいんだ」

 

「せっかくなら、大きいものを作りましょう!」

 

「そっか、そっか…………」

 

 

 夕陽が部屋の中へと差し込み、僕たちを赤く照らした。気がつかぬうちに、それだけの時間が経っていたんだろう。

 

 少し前の惨状を思い起こさせるような赤が、黒色だけで描かれた僕の顔を上塗りする。

 

 

 その出来に満足しながら、鉛筆を机の上に置く。

 

 顔を上げれば、そこには彼女がいて。いつの間に個性を解除したのか、顔は彼女のものへと戻っていて。少し前まで見ていたものが、幻だったみたいに思えて。だけど、目の前の一枚の絵がその空想を否定する。

 

 

 顔を近づけてくる彼女の意思を汲み取って、フードを下ろす。

 

 徐々に近づいてくる、彼女の口から少し上へと視線をずらして、瞳を見つめる。

 

 

 彼女の黄色の瞳の中に映っているのは、絵に描いたような僕の顔で。その表情は、これ以上ないほど晴れやかだった。




簡易変身(クロッキー):顔のない少年像(ポートレート)

 過去に描いた絵を元に、個性を使用する前段階でイメージを固めるための合言葉。とにかく人の輪郭を取ること、素早く変身することを求めているため、細部はぼかされていて、顔は描かれていない。


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初めての夜遊び

 個性は身体能力の一部だと考えられている。

 

 足が速いとか、握力が強いとか。そういったものと同じような扱いでありながら、幼少期の覚醒を除いて、突然手に入れたり失ったりというケースはほぼ存在していない。

 

 五体の概念に個性を加えて六体満足と表現する人がいるくらいには、個性を持っていることが健全という考え方をされていて。

 

 元から備わっているか、否か。

 

 そこに例外は存在せず、個性とは一生付き合っていくことになる要素の一つなのだから。ある日突然腕が三本になったりしないように、無個性の人に個性が発現することを期待するのは酷というもの。

 

 だからこそ、無個性は腫れ物扱いをされているというか。人類の総数でみればそこそこ存在しているのにも関わらず、学校レベルのコミュニティでは爪弾きものになってしまう場合が多い。

 

 

 話が逸れてしまった。

 

 

 個性が人の身体能力の一部ということは、それはつまり、ものによっては努力次第で成長させられるということなので。

 

 筋トレなんかと違って方法には個人差があるけれど、努力の方向性さえ間違っていなければ、基本的にその性能は伸びていく。

 

 たとえば僕なんかは、絵を描き始めたことで変身の精度が格段に向上した。これは僕の個性が「イメージ力」というものを発動に必要としているからであって。デッサン力、つまりは、物体を正確に捉える力を身につけたからこその、理論ありきの成長なのだから。

 

 僕がよほど才能がなかった場合を除いて、ほぼ確実に効果が見込まれている方法ということになる。

 

 だけど、肉体能力を向上させる増強系の個性の持ち主に関していえば。僕のやってきた方法を真似したところで、望む結果を出すことはできないだろう。単純な筋トレをして基礎的な身体能力を身につけたほうが、遥かに成長に繋がるのは目に見えている。

 

 

 当たり前だけど、個性の制御ができないのは社会で生きていく上で大きな弊害となるのだから。コントロールを鍛えるというのは、割と誰しもやっていることであって。

 

 発現して以降、個性が全く成長していないという人は、逆に珍しい方だと思う。

 

 

 結局、僕が何を言いたいのかというと。

 

 個性が成長するのは、実はそこまで珍しくないということ。それが基礎性能なのか、技術なのかの話はともかく。人が自分の体を鍛えて、知識を身につけるのと同じように。個性は鍛えることができて、練度を上げることは可能であって。

 

 

 だけど、それとはまた違うアプローチで。

 

 僕の個性は、これまでのそれとは全く違う段階へと進化を遂げていた。

 

 

-1-

 

 僕の個性は、肉体に関していえばある意味では無敵に近いと診断されている。

 

 人間には…………というか、生き物には。本能的に生へと執着し、自身の命を繋ぎ止めようとする習性がある。あるいは、次の世代へと自分の遺伝子を残そうとする働きがある。

 

 だからこそ、ある程度のダメージを受ければ。本能が個性へ働きかけ、肉体の損傷を勝手に回復させるだろうと。担当の医師からは、そう言われている。

 

 それは意識しているとか、していないとかの段階ではなく。たとえるならば、反射に近いものらしく。熱せられたヤカンに触れた人が、考えるよりも先にヤカンから手を離すように。生きるという意思を示した体が、勝手に傷を治してしまうということで。

 

 それこそ、僕が自分自身の意思で再生を止めでもしない限り。僕の肉体は「健康体」へと戻るように、変身するようにできているらしい。

 

 らしい、という曖昧な表現なのは。単純にこれまでの人生の中で、そんな危機に陥ったことがないからであり…………まぁ、そんな機会は一生こなくてもいいかなって思ってたわけなんだけど。

 

 

 結局、一度も使う機会がないままに。僕の体は、そんな機能が不要なものへと変化してしまった。

 

 

「うわ……どうなってるんだろう、これ」

 

 

 僕の個性である『変身』は、イメージに沿って肉体を変化させる力だ。

 

 当然の話、変わるのは見た目だけではない。想像が行き届くのであれば、その中身も変化させることができる。

 

 ただ、何事にも限界はある。

 

 素となる肉体は人間のものなのだから、どういじり回したところで臓器は必ず必要だ。特に脳なんかは、想像のためには不可欠な存在なわけで。これが不足すると、僕は再起不能になってしまう。

 

 いや、普通の人間は脳が無ければ死ぬと思うけど。

 

 だからこそ、どれだけ肉体が人間のものを離れていったところで。その内側には臓器が存在していて、血が通っていて、一つの命として存在している。

 

 生き物としての規格は、満たし続けている。

 

 

 そう()()()()()

 

 だけどそれは、僕の勘違いでしかなかったらしい。僕だけじゃない、担当してくれている医師だって、両親だって、誰だってそういうものだと考えていた。

 

 ()()()()()以上は、それが当たり前なんだと。そう思っていて、思い込まされていた。

 

 

 僕の目の前の光景は、それを完全に裏切っていた。

 

 出来るという確信はあった。トガちゃんが僕の本当の顔を教えてくれて、自分の肉体を最適なものへと変化させたあの瞬間から。僕の頭の中の何かが…………言葉で表現するのなら『価値観』というやつが。カチリと音を立てて、それまでとは全く別の何かへと変貌して。

 

 それを本能で、感覚で、個性で理解していたから。だから、出来ると思った。

 

 不可能だと思っていたことが、可能になったんだと。そんな直感に等しいものが、頭の中を駆け抜けたから。

 

 だけど、それはあまりにも逸脱しすぎているというか。常識からかけ離れているからこそ、本能は信じていても、理性では信じられなくて。

 

 だから、目の前の光景は。そんな僕の矛盾を、一発で解決してくれた。

 

 

 両親が個性の訓練のためにと買ってくれた、僕の背丈よりも大きい姿鏡。

 

 その中に映り込んでいるのは、勿論のことながら、僕の体で。それは僕の個性に起きた変化が、現実のものだと教えてくれる。

 

 

 指先から肉体が崩壊し、肘から先が砂のようなものへと変わる。それは重力に従うことなく、腕の形のままで宙を舞っている。

 

 想像力を膨らませて、粒子状になった腕を動かす。砂嵐のように渦を巻いては、その動きを変え、今度は羽虫の集合体のように、不規則な軌道を描いて部屋の中を飛び回る。

 

 そこそこ広い私室を一周して戻ってきたそれは、僕の肘から先に収まる、再び人間の腕に変化する。確かめるように何度か触ると、確かな体温と肉の感触が返ってきて。

 

 台所からくすねてきた包丁で思いっきり斬りつけると、赤くて熱い血潮が飛沫をあげて、今度はちゃんと地面に向かって滴り落ちる。

 

 だけど、痛みはほんの少しも感じない。トガちゃんにカッターで切られた時のあの感触は、今は全く伝わってこない。

 

 僕が、()()()()ようにイメージしたから。

 

 

 それを理解した瞬間、乾いた笑い声が口から漏れた。

 

 それがやがて愉快そうな笑声になって、涙が出るくらい楽しくなって。そして、その全部が他人事のように感じられるほど。今の僕は、自分の個性のことだけに意識が向かっている。

 

 

 つまり、なんだ。

 

 僕は自分が思っていた以上に、人の形に拘って、人間という枠組みに収まろうとしていたのだろう。それこそ、自分の個性の限界を勝手に決めてしまうくらいに。

 

 元々は人なのだから、こうでなければいけない。人として、この部分は抑えていなければいけない。

 

 そんな固定観念……常識といえばいいのだろうか。存在もしない制限を付け加えて、人のフリをしていたのだろう。

 

 もっと異形型について考えていれば、気がつくことが出来たのだろうか。人らしい体でなくたって、生きているんだと。そもそも、発動型でさえ、人の形でなくなる者もいるのだから。人間であるということが、肉体に限界があることとイコールではないということに、気がつけていたのだろうか。

 

 いや、不可能だろう。たとえ気がついていたとしても『自分の本来の姿(アイデンティティ)』すら把握していない僕には、この力を使いこなすなんて出来っこない。

 

 

 もう二度と、元に戻れないかもしれない。そんな不安が頭の中に残っている限りは、こんな発想に届くはずがない。

 

 だって、何回も言い聞かせてきたのだから。僕の個性はイメージ力によって左右されて、だからこそ、より強く人間としての自分を意識しないといけないのだと。

 

 そういうふうに自分を縛って、殻に閉じ込めて。決まった形に当てはまることでようやく、自分を見失わずに済んだのだから。

 

 そこまでしてようやく、自分という存在を確立していたのだから。

 

 

 だけどそれは、もう必要ない。

 

 人の形でなくても、臓器がなくても、血が流れていなくても。有機物でなくても、そもそも、物質じゃなくてもいい。

 

 まぁ…………血は、トガちゃんのためにとっておくとしても。

 

 

 そういう固定観念や常識は、僕の身を守ってくれていたけれど。これからは、もっと自由な発想で生きよう。

 

 だって、もう二度と自分の姿を見失うことはないのだから。

 

 安心して、自分の個性に身を委ねることができる。

 

 

 これからは、僕の変身する姿は、僕の好きな姿にしよう。もっと楽しく、もっとステキに。人の形に拘ることなく、自分のやりたいようにやろう。

 

 殻を破ろう。今この瞬間こそが、僕が本当の意味で世の中に生まれ落ちたんだということを自覚しよう。勇気を持って世界に飛び出した、雛鳥のように。

 

 

 ああ、そうだ。

 

 そうだった。

 

 僕はずっと、抽象的な絵を描いてみたかったんだ。

 

 描きに行こう、今すぐ。

 

 もう、自由なのだから。

 

 

-2-

 

 親に内緒で外出するなんて、初めてのことだ。夜中に一人で出歩くのも、個性を使って空を飛ぶのも。ずっとやってみたかったことで、ずっと我慢していたことだった。

 

 適当な山の頂上に着地して、個性で生やしていた翼を体の中へと仕舞う。羽の一枚一枚が子供の手で作られた、見るも悍ましい翼だけど。どうしてこれで空が飛べるのかは、僕にも分からない。

 

 分からないけど、その理由は知っている。

 

 

 僕が人間じゃなくて、化物だからだ。

 

 

 暗い中でもハッキリと見えるように()()()目で、良さそうな場所を探す。そこそこ平らな地面にイーゼルと椅子を設置して、筆を取る。

 

 家にいないことがバレたら、親が心配するから。与えられた時間は、それほど多くはない。

 

 だけど、問題はない。勿体無いとは思うけど、今日はすぐに終わらせることにしているから。

 

 

 体から複数の腕を生やして、同じ数だけ瞳を作り出す。一つの腕が伸ばす先を、一つの瞳で認識する。

 

 用意していた数本の筆をとって、同時進行で線を走らせる。

 

 瞬く間に、絵が描画されていく。機械のように正確に、人間のように繊細に、そして人ならざるタッチで。

 

 それは人物画でもなければ、風景画でもない。僕の頭の奥底に眠っていた、知らず知らずのうちにしまい込んでいた空想を取り出すための、人ならざる姿のイメージ画。

 

 

 線を引くごとに、色を重ねるごとに。生やした腕を除く体の全てが変質し、人の形を外れていく。

 

 頭部は生々しい音を立てて、木の幹のように天へと昇る。胴体は風船のように膨れ上がり、至る所に口と目と鼻が生まれる。筆を持つ腕が中程で枝分かれし、枯れ木のように萎れては、地面を這うように伸びていく。

 

 その変容していく様子を、高い視点から見下ろす。

 

 

 それはまさに、キャンバスの中の怪物そのものであって。

 

 その姿に、どんな名前をつけようかと。

 

 限られた時間を無駄にしないように、僕はどこにいってしまったのかも分からない脳を動かして、言葉を探した。



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エピソード 1
普通で楽しい文化祭 上


-1-

 

「最近、マンネリ化してる気がするんだよね」

 

 

 近頃ずっと考えていたことを口にすれば、目の前の少女は服を着るのをやめ、シャツに袖を通した状態でこちらを振り返る。ぽかんと開かれた口からは、彼女のチャームポイントである八重歯が顔をのぞかせている。

 

 何度も首筋に立てられたそれをなんとはなしに見つめていると、視線の先で彼女の口が動いた。

 

 

「マンネリ化って、この関係がってことですか?」

 

「いや…………強いていうなら、人生かな」

 

「ショウくん、時々すごく主語が大きい言葉を使いますよね」

 

「いやいや、冗談とかじゃなくて」

 

 胡乱げな瞳を向けてくる彼女に弁明するように、両手を振りながら言葉を続ける。

 

 

「ほら、僕って夜道を一人で歩いているような寂しい人を脅かして悲鳴を聞くのが趣味じゃん」

 

「私がお願いしても一度も一緒に連れて行ってくれないですよね」

 

「トガちゃんのことは大事な友達だと思っているけど、それはそれとしてこれ(趣味)は一人で楽しみたい派なんだよね」

 

「ぶーぶー」

 

 分かりやすく不満を主張する彼女に、手の動きで服を着るのを促す。猛暑も過ぎ去って、最近はやや涼しくなっているから。あまり長い間裸でいると、風邪をひいてしまうかもしれない。着替えの途中で話しかけた僕も悪いけど、こうも肌を晒すことに躊躇いがないのも考えものだと思う。

 

 

 まぁ、本当に今更というか。

 

 彼女との劇的な出会いから、はや一年と数ヶ月。こうしてなんども密会を重ねて、お互いを満たし合うような関係になった今となっては。彼女のことも少しは分かるようになったし、あの姿も見慣れた。

 

 別に、インモラルな関係というわけではない。僕と彼女は良き友達であり、良き理解者という間柄であって。個性に誓って、そういうことをしているわけじゃないと断言できる。

 

 こうして密室で二人きりになっているのも、お互いの欲求を満たすため。

 

 すなわち、彼女が僕の血を摂取して、僕は彼女が変身した僕の姿を記録する。あの入学式の美術室で行なったことを、そのまま定期的に繰り返しているだけという話で。

 

 彼女が裸になっているのは、彼女の個性が僕の衣服まで再現するものだったから。服を着たまま個性を発動すれば、服が二重になってしまうから。

 

 だから、彼女は個性を使うときは決まって服を脱いでいて。常識的に考えれば、僕は目をそらしているべきなんだろうけど……なんだろう、目を逸らそうとしても常に視界に入ってくるというか。僕の気のせいでなければ、彼女はやや露出癖があるのかもしれない。

 

 人目をはばからず個性を使う解放感が、そうさせるのだろうか。僕の血を吸う時の、あの捕食者のような瞳を見ていると何も言えなくなってしまう。

 

 でも、それで彼女がいいというのであれば。それはきっと、僕が口を出すことでもないのだろう。そうしたい、こうしたい、そう思ったのならば、その通りに生きるべきなわけだし。

 

 

「それで、趣味が楽しくなくなっちゃったんですか?」

 

「いやー、そういうわけじゃないんだけどね。楽しいっちゃ楽しいんだけど……どうしてもワンパターンになりがちというか。ビックリさせて、悲鳴を聞いて、その場から立ち去って……って。悪くないんだけど、もう一捻り欲しいんだよね」

 

「少し切りつけてみたらどうですか? 血とか……あと、血とか付けてあげたらいいと思います!」

 

「それ完全にトガちゃんの好みだよね。僕、怖がってほしいだけで怪我をさせたいわけじゃないんだよね」

 

「えー……ショウくんのモラル感、難しい!」

 

 頭を抱えてコミカルに悩んでいる彼女の姿を見ていると、体が勝手に反応してしまう。

 

 この特別な友人は、どうやったら驚いてくれるのかと。普段からつかみ所のない反応をする彼女は、何なら怖がってくれるのかと。胸の奥から好奇心が溢れて、気づかないうちに、個性が肉体を変化させてしまう。

 

 

「ショウくん、背中がモゾモゾ動いてますよ」

 

「あっ、ごめんごめん」

 

 僕の悪癖は彼女も把握しているから。彼女に対してだけではなく、クラスメイトの前で本能が働くような時にも、彼女はこうやって僕のことを諌めてくれる。

 

 自分の本性を隠して生活するというのは、これがなかなかどうして難しい。メリハリが大事だというのは理性では分かっていても、個性と体は正直だ。僕みたいに思考が肉体に反映されてしまうタイプにとって、隠し事は難易度が高い。

 

 それに比べて、彼女の擬態の精度の高さときたら。もはや尊敬に値すると思う。僕たちのような存在でなければ、彼女の内側にいる獣の存在には気がつかないだろう。

 

 

「そこでさ、トガちゃんにお願いがあるんだけど」

 

「えっ!? ほんとに!? 任せてください! ショウくんのためですもん、なんでもしますよ!」

 

「いや、そこまで気合い入れなくてもいいんだけどね。そんな大したことじゃないし」

 

 本題を切り出すと、彼女はびっくりするくらい話に食いついてきた。瞳をキラキラと、普段のそれとは違う色で輝かせて、両手で僕の手を握ってブンブンと振る。彼女の動きに合わせて、僕の腕が縦に横に伸びては縮んだ。

 

 頼みごと、とはいったものの。本当にそんなに大層なことをお願いするつもりはなかったので、なんだか逆に申し訳ない気持ちになってくる。

 

 

 一際張り切っている彼女と瞳を合わせて、まるであの日のような状況で、あの日のように望みを口にする。

 

 痛みも感じないはずの体で、首筋だけが熱く疼く。

 

 

「トガちゃんさ、文化祭って興味ある?」

 

 

-2-

 

 

「はい! お化け屋敷がやりたいです!」

 

 まっすぐ天に伸びた────物理的に伸びた腕の指先が、天井に触れる。その自己主張の激しさと、大きく発した言葉が色々な意味で目立ち、教室中の視線が僕へと向かう。

 

 四方八方から見られているのを肌で感じる。どちらかというと見られるのが好きな僕としては、背中を駆け上がるゾクゾク感がたまらない。

 

 先生が黒板に「お化け屋敷」と記入したのを確認してから、腕を元の長さへと戻す。スルスルとスムーズに…………だけど、一切の音を立てることなく伸縮する僕の体は。クラスメイトからは、珍獣か何かのように思われているらしい。

 

 

 季節は秋。つまり、芸術の秋。

 

 世間のほとんどの学校では、文化祭が開かれる季節でもある。当然、ごく一般的なこの中学校においても、それは例外ではない。

 

 本当ならば、放課後になっているはずの時間。それぞれが自分の所属している部活動に向かうか、あるいは、帰宅しているはずの時間。全ての授業が終わってからねじ込まれるホームルームは、それはもうとにかく評判が悪い。

 

 それが、多くの時間を必要とする内容であるのならばなおさら。一年に一度の行事の内容を決めるなんてのは、特に面倒くさい。

 

 面倒くさいのは間違いないんだけど、こういった話し合いの行く末というのは、だいたい二つに分けられる。

 

 

 一つ目は、意見が出ることなく時間だけがダラダラとすぎてしまうパターン。これはもう本当に最悪で、先生や進行役の委員がすごく困った顔でウロウロしているうちに、他の生徒は雑談に興じて時間を潰していることが多い。

 

 結果的に、鶴の一声的な適当な意見でクラスの催しが決まってしまうことが多い。そして殆どのパターンで、妥協に妥協を重ねたクオリティの低い出し物をやって、なんとなく微妙な思い出として早期に忘れられる。

 

 

 そして二つ目は、やる気のある生徒が意見を引っ張っていくパターンだ。

 

 こういう話し合いは出だしが大切で、そこを躓くと誰もまじめに議論に参加しなくなってしまうから。特に、僕たちの年頃はちょっと多感が過ぎるわけだから。自分の意見を出すのは恥ずかしいし、他の人についていくのが楽に感じられる。

 

 だからこそ、最初が一番大切で。そこで自己主張ができる人さえいれば、あとは結構楽に結論が出てくる。

 

 面倒くさいことを終わらせたいと思っているのは、みんな同じだ。

 

 たまに熱意のある生徒が出てこないこともないけれど、去年の文化祭を経験した限りでは、この学校の生徒は文化祭を面倒かつ儀礼的な行事程度にしか感じていないし、学校や教員もそこまで重視しているようには見えなかった。

 

 そもそも、中学生に出来ることなんて限られているわけだし。こういう催しが盛り上がるのは、高校生以上になってからだろう。それまでは、学校から与えられた範囲で役割をこなすくらいのことしか出来ない。

 

 

 まぁ、今年はその熱意を持った生徒というのが居るわけだけど。まさに、ここに。

 

 

「はい! 私もお化け屋敷がいいと思います!」

 

 僕が発言した内容を聞いたクラスメイトが、周囲の席の友達と相談し始めようとした絶妙タイミングで。トガちゃんも綺麗な姿勢で挙手をして、僕に援護射撃をしてくれた。

 

 彼女の一言をきっかけにして、教室のあちこちから「わたしも賛成でーす」やら「いいと思いまーす」といった、肯定的な意見が上がり始める。

 

 その全員が女子であって、そして、トガちゃんと付き合いがあるという共通点を持っていた。

 

 緩んだ空気が生み出す、教室特有の喧騒の中で、トガちゃんが僕だけに見えるように軽く手を振った。どちらかというと掌を握ったり離したりといった、グッパの動きをしているわけだけど。切れ目気味の目尻に虹彩を寄せた流し目が、僕の姿を捉えていて、彼女が「頼みごと」通りの活躍をしてくれたのがよく分かった。

 

 

『文化祭の催しでお化け屋敷をやりたいから、ホームルームの時にそれとなく同調してほしいんだ。それとできればでいいんだけと女子への根回しも』

 

 それが、僕が彼女に頼んだ内容であって。その代わりといってはなんだけど、文化祭の空き時間は彼女と二人で学校を回るという約束をすることになった。

 

 そう、文化祭。文化祭といえば、お化け屋敷だ。低予算に低クオリティ、視界の端に見え隠れするダンボール、ここぞとばかりに大活躍する黒いガムテープ、人力のみを使用して奏でられる壁を叩く音のBGMと、驚くほど回転率の悪いキャパシティ。

 

 どちらかといえばゴミ屋敷、それが文化祭に欠かせない催しNo.1……お化け屋敷。

 

 去年の上級生が作ったお化け屋敷は、本当に残念なクオリティだった。いつもよりややテンションの高かったトガちゃんが思わず無言になってしまうくらいには、なんていうか、酷かった。僕もおもわず、お化け役をしていた先輩に逆ドッキリを仕掛けて泣かせてしまったくらいには退屈なものだった。

 

 

 だけど、今年は違う。

 

 なにせ、この僕がやる気を出しているのだから。それはもうめちゃくちゃ楽しくて、スリル満点な出来栄えになるに違いない。

 

 絶対に選ばれるように、女子のコミュニティで人望のあるトガちゃんに根回しを頼んだ。クラスの半分を占める女子側がお化け屋敷を推してくれれば、それはもう実質決まったようなものだし。男子は女子に弱いから、反対意見も強引に押し込める。

 

 三年生のクラスでお化け屋敷が選ばれたら譲ることになってしまうから、一つ上の階で去年のゴミ屋敷の話題を広めて、それとなく印象操作も行なった。わざわざ三年生の姿に化けて何度も繰り返し流布したのだから、効果は出ていることだろう。

 

 クラスに忍び込んだ際に「お化け屋敷はないよね」という言葉を耳にすることも多かったし、心配しなくてもいい。

 

 

 そう、お化け屋敷。合法的に人を怖がらせることができるイベント。

 

 去年は美術部の作品展示で忙しかったから、あまり深くクラスの催しに関わることができなかったけど。今年は絶対にお化け屋敷をやるって決めていたから、作品はもう作り終わっていて。

 

 つまり、準備万端。負ける理由がどこにもない。

 

 

 新鮮な悲鳴、沢山の子供の恐怖心。それはきっと僕の心を満たして、趣味へ良い影響を与えてくれるはずだから。

 

 こんな青春を過ごすのも、悪くはないだろう。

 

 黒板の『お化け屋敷』の文字の上に、花丸が書き足されるのを眺めつつ…………これから、どんな工夫をしようかと。

 

 頭の中に浮かび上がる無数のアイデアへと、意識を傾けた。



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普通で楽しい文化祭 下

-1-

 

「────あーあ、午後からは展示禁止だってさ。残念だね、せっかく頑張って作ったのに」

 

「ごめんなさい、実行委員の人とか校長先生とかになって一生懸命誤魔化してたんですけど…………やっぱりダメでした!」

 

「いやいや、謝んないでよ。どうせ何か言われると思ってたし、それ見込みで僕のシフトを一番最初にしてたからさ。もう十分堪能できたって」

 

「個性使って驚かせてたの、全く隠す気なかったですもん。正直、時間の問題だったと思うのです……先生、目尻をこんなに釣り上げて怒ってました!」

 

「トガちゃん、ありがとうね。先生たちを足止めするなんて、面倒くさい役を引き受けてくれてさ」

 

「ショウくんのためですもん! ……それに、すっごく楽しかった! 個性をのびのび使えて、とても気持ちよかったです!」

 

「そう? それならよかった」

 

 

 これ以上ないほどの情熱を注いで完成した、最高の出し物。クラスメイトみんなで個性を使って作り上げた、世界に二つと存在しない、僕たちだけのお化け屋敷。

 

 それはあまりにも刺激が強すぎて……そして、個性を使用していることがあっさりとバレたせいで。文化祭開始から僅か三時間、午前いっぱいをもって展示禁止となってしまった。

 

 三時間、僕的にはよく持ち堪えた方だと思う。

 

 一定の空間内の音を遮断する個性の子がいてくれたおかげで、教室の外に悲鳴が漏れることはなかったけど。人の口に戸は立てられない訳だし、クチコミでの客数増加は僕たちも望んでいたことだから。

 

 制限だらけの退屈な催しに現れた、個性を有効活用した本格的な出し物。そんなものが話題にならないはずもなく……うん、盛況して、話題が話題を呼んで、学校内での噂が大きくなって、なりすぎて。

 

 トガちゃん含めた妨害班が、頑張ってくれてたんだけど。それでも、この違法行為がバレるのは時間の問題だった。

 

 

「でもでも、あの仕掛けは凄かったですよね! ショウくんが描いてくれた絵がとても上手だったから、演出に迫力がありました!」

 

「いやいや、トガちゃんのアイデアも凄かったよ。まさかあの子の個性をあんな形で活用するなんて……僕もまだまだだね、なかなか常識の範囲から抜け出せないや」

 

「いやいやいや、ショウくんの方が凄いですよ! あの曲がり角で驚かすと見せかけて、まさか反対側の壁にあんな…………えへ、思い出しただけでゾクゾクですね!」

 

 クラスのみんなと一緒に作った仕掛けを一つ一つ思い出して、噛みしめるように感想を口にする。

 

 この数週間、色々なことがあった。

 

 

 まず、みんなを説得するところから始まった。女子はトガちゃんが、男子は僕が。個性を使って、素晴らしい見世物を作ろうと。一生懸命説得して………うん、本当に一生懸命『説得』した。

 

 普段から仲良くしていること、そして、僕がホラー映画好きだと公言していることもあって。クラスメイトは好意的に……個性を使うことに前向きになってくれた。

 

 どんな個性にも役割があって、みんなで力を合わせれば出来ないことなんてないんだと。そう言葉を尽くして、時には実演してみせれば。僕たちみたいに個性を使いたくて仕方がないタイプの子は、あっさりとこちらに傾く。

 

 そういう「自分の力を思う存分発揮したい」というのは決して珍しい主張ではない。教室内の多数が個性使用に賛成の意をみせれば、流されやすい現代っ子のほとんどは、僕たちに迎合してくれた。

 

 どれだけ規律に厳しく、模範的な生徒であっても。自分以外の全員が結束している状態では、表立って反対することなど出来はしない。先生にチクることも考えたのだろうけど……まぁ、そこは工夫しだい。表現を変えて、妥協点を引き出せば、人は楽な方へと転がり落ちる。

 

 それはもう、あっさりと。

 

 そうなったら、あとは完成に向けて動くだけ。やる気になったクラスメイトのみんなと一緒に、出し物の作成に取り掛かった。

 

 異形型はキャストに、増強系の個性持ちは舞台の構築に、それ以外は小道具や衣装作りにと。各々の個性や希望を元に、出来る限り適切な役割分担を行って、理想的なパフォーマンスを発揮する。

 

 

「みんなには感謝してもしきれないね。やっぱり持つべきものは友達だよ」

 

「ショウくんが普段から友達は大切にしろって言ってる意味がよく分かりました! …………正直、ショウくんと一緒にいられる時間が減るから寂しかったんですけど、おかげで役に立てました!」

 

「普段から仲良くしてなかったら、あんなにスムーズに話が纏まらなかったんじゃないかな。積み重ねた時間、共に過ごした経験こそが信頼を作り上げるんだよ………困った時だけ助けてもらって、都合のいい時だけ仲良くする。そんなの、気持ち悪いでしょ?」

 

 笑顔で首を縦に振るトガちゃんは、尻尾が生えてたらブンブンと大きく振っているんじゃないかってくらいに嬉しそうで。そんな彼女を見ているだけで、僕まで嬉しくなってしまう。

 

 どんなに人の道を外れていても、人の生活することはできる。怪物だって、化物だって。本性を隠して、外面を人のガワで覆って。今までずっとそうやって生きてきたし、そんな生活も心地よい。本当に人の道を外れた者は、いつだってヘラヘラ笑って人の中に紛れ込んでいるものだから。

 

 

 そう、誰にだって友達は必要だ。

 

 理解者じゃなくて、友達。

 

 

 僕たちはどこかおかしくて、だからこそ惹かれあったわけだけど。それでも、お互いのことを理解できているわけじゃない。

 

 僕はトガちゃんほど血に執着していないし、トガちゃんは僕みたいにいたずらが好きなわけじゃない。真の意味でお互いの『好き』を共有しているんじゃなくて、否定せず、そういうものだと受け入れているだけ。

 

 むしろ、世の中の大半の人々がそうやって他人との距離を適切に保っているわけで。その点で判断するなら、僕たちはごくごく当たり前のことを普通にやっているだけにすぎないけど。

 

 

 それでも、否定されないだけマシだと分かっているから。世間一般的な感性は、僕たちのような異物は受け入れられないと。理屈にせよ本能にせよ、頭の中で理解できているから。

 

 だから、色々な事情を抜きにしても、お互い(友達)が必要なのだろう。

 

 傷の舐め合い、不健全な依存。僕たちの関係は、そう表現されるものなのかもしれない。

 

 でも、それの何がいけないことなのだろうか。

 

 こんなにも楽しくて、こんなにも充実しているというのに。不健全だというだけで、まともじゃないからといって、手放す理由にはならない。そんなことができるなら、そもそも不健全な関係に落ち込んでいない。

 

 僕たちは不健全だからこそ出会って、不健全だからこそ惹かれあって。世間一般的に忌避されるようなことでも、認められないような関係であっても、それを好んでいるのだから、楽しんでいるのだから。

 

 

「ところでショウくん、このあとはお暇ですか?」

 

「やだなぁトガちゃん。一緒に文化祭を見て回るって約束だったじゃん」

 

 下から覗き込む姿勢で、こちらを伺うように。何かを期待する瞳で僕の予定を聞いてきたトガちゃんに言葉を返せば、彼女は一瞬で感情が振り切れたみたいで、それまでの表情を投げ捨てて恍惚の相を浮かべた。

 

「わああ覚えててくれた! 嬉しい! 嬉しいよぉショウくん!」

 

「トガちゃんには色々頼みごとしちゃったからね……約束のことは別として、なんかお礼させてよ」

 

 いい加減、ほとぼりも冷めた頃だろう。

 

 立ち上がって、尻についているゴミを両手で払う。先生たちから逃げてたどり着いた避難先、屋上の床はとても冷たくて、あまりいい座り心地じゃなかったけど。二人で逢引するのは、学生っぽくてなかなかに楽しかった。

 

 誰もいない場所から見下ろす校舎は、ごく一般的な中学校の何処にでもあるような文化祭であるにも関わらず、とても活気にあふれている。クラスメイトのみんなは上手く逃げだせただろうか。こんなに楽しい日に説教を受けるなんて勿体無いから、できれば逃げ果せてくれてるといいけれど。

 

 

 そんなことを考えていると、隣から服の袖を引かれる。床に敷いていた布を片付けて出かける準備を終えたトガちゃんが、心底楽しそうに僕を見ていて。

 

 彼女の顔を見ただけで、口が勝手に動いた。

 

「トガちゃん」

 

「なぁに、ショウくん」

 

 

「デート、しようか」

 

 

-2-

 

 個性という超常が生まれるよりもずっと前に生きていた作家、フランツ・カフカが記した「変身」という小説を読んだことがある。

 

 目や耳に入る情報を制限されていた僕が、それに偶然出会ったのは。僕が自分の個性について知りたいと、両親に内緒で色々なものを調べていた時のことで。自分の個性と同じ名前を冠するその一冊に、僕は大きな期待を寄せていた。

 

 過去の作品群、特に非現実的な内容を扱う創作物というのは、人々が個性を手に入れてから再評価されたものが多い。

 

 個性が遙か昔から存在していたという言説の証拠として、諸外国の有名な神話を挙げる人がいるくらいだ。非現実的だと思われていたことが現実になったことで、空想との区別がつきにくくなったということなのだろう。

 

 カフカの「変身」も、再評価されたものの一つだ。この作品はそもそも文学的に高い評価を受けていたらしいけれど、今では個性教育の教科書に載るほどに一般的な読み物となっている。

 

 雑にあらすじを紹介すると、この「変身」は主人公のグレゴールという男がある日突然毒虫になってしまったところから物語が始まる。

 

 人の姿を大きく離れた彼は、周囲の人間たちから気味が悪いと迫害されて、最後には…………と、そんなお話。

 

 どことなくシンパシーを感じるというか、感情移入したくなるような物語で。初めてその存在を知った僕にとっては、劇薬のような代物だった。

 

 それこそ、翌朝目覚めた僕の体が巨大な芋虫みたいな形になってしまったくらいには。衝撃的であって、いい意味でも悪い意味でも影響を受けたのは間違いない。

 

 教科書に載っているこの作品では、グレゴールの最後は記されていない。授業の内容も概ね異形型への差別問題とかそういうのと結び付けられていて、「人を見た目で判断しないようにしましょう」とか、そういうことしか言われない。

 

 グレゴールが嫌われていたのは、見た目のせいだけではないというのに。

 

 

「ショウくん、いいですか?」

 

「ん、どーぞ」

 

 人は痛みがくると分かっていると、どうしても身構えてしまう。それは僕にとっても変わらない事実であって、体は実に正直な反応を返す。

 

 前に一度、彼女のナイフを折ってしまったことがあった。刺されると分かっていた体が勝手に変化して、表面を硬い鎧で覆ったのだ。痛いのは嫌なんだなって、自分のことなのに他人事のような感想を抱いたことを覚えている。

 

 それ以来、彼女は血を吸う前にこうやって一度確認を挟むようになった。本当はもう意識的に痛覚を切っているから、前みたいな失敗をすることはないんだけど。

 

 こうやっておねだりをしてくる彼女が、餌を前にした動物みたいでとても可愛いから。それをみたいがために、痛覚のことは教えていない。

 

 

「おいしい?」

 

「ふぁ……はい!」

 

「あ、ごめんね。そのままでいいよ」

 

 わざわざ口を離して返事をしてくれた彼女の頭を抱えて、自分の首筋へと押し付ける。

 

 僕の意図を汲んでか、何も言わずに再開した彼女の横顔は。先ほどまでとは全く違う形相で……一般的な感性でいえば、とても悍ましい表情をしている。

 

 彼女のこの顔は、僕だけが知っている。

 

 だけど、もしもトガちゃんがこの顔をクラスメイトに見せてしまったのならば。彼ら彼女らはこの子を恐れて、距離をとることだろう。彼女の中にある怪物的な要素が、表層に出てきてしまっているのだから。受け入れられるのは、同じような存在だけだ。

 

 そしてそれは、僕にも同じことが言えるのだろう。

 

 本性がバレて、周知の事実となってしまえば。グレゴールがそうだったように、僕らも排斥されてしまう。

 

 

 誰も彼も、勘違いしている。

 

 グレゴールが虐げられたのは、なにも彼の見た目だけが原因だったわけではない。もちろん、その悍ましい肉体が呼び水になったのは間違いないだろうけど。グレゴールの家族は最初、気味悪がりながらも彼の世話をしていたわけで。見た目だけが怪物だったのなら、あそこまで酷い結末にはならなかった。

 

 見た目は中身の一番外側という言葉があるけれど、僕はどちらかといえば肯定派だ。

 

 

 怪物的な内面は、見た目にも反映される。魂が歪んだ形をしているのだから、それが肉体に影響を与えないはずがない。

 

 グレゴールの見た目が毒虫になったのは、彼の中身が毒虫に沿った形をしていたから。

 

 彼が周囲から受け入れられなかったのは、彼が毒虫らしく「床や壁を這いずり回る快楽」に目覚めてしまったから。その醜悪な行動が、周囲からの評価を変えてしまったから。

 

 怪物が本当の意味で怪物になるのは、歪んだ欲求に身を任せてしまった瞬間からだ。人の姿に擬態して、人のように振舞っている間はなんの問題もない。正体がバレていないのなら、それは人と同じと言っても過言ではない。

 

 グレゴールは我慢ができなかった。身の内に抱える衝動、欲求に身を任せることで得られる快楽、毒虫としての習性に抗えなかった。

 

 

 そう、今の僕とトガちゃんのように。

 

 僕と彼女がこうして今までと同じように生活できているのは、その姿を誰にも見せていないから。誰にも見られないところでうまく自分の欲求を発散して、表に出さないようにしているからであって。

 

 それは決して、自分を律しているというわけではない。たまたま相手が理解があるから、凶行がバレないように工夫しているから発覚していないものの、昼に夜にと励んでいるのはグレゴールと変わらない。

 

 

 文化祭を回るのも、早々に切り上げた。彼女がどうしても我慢できなくなって、血を吸いたくなってしまったから。人混みを離れて、誰にも見られない場所へと足を運んで。みんなが楽しんでいる間でも、こうやって快楽を貪っている。

 

 こんな調子で、隠し通せるわけがない。

 

 僕らもいつかは人目に晒されて、グレゴールのように拒絶されるのだろう。少し前まで笑顔を向けてきていた人々が、嫌悪に表情を歪ませることが分かっていても、僕たちは我慢することができない。

 

 グレゴールのように、毒虫のように生きている。

 

 そういう意味でいえば、僕とトガちゃんはお互いのことを毒虫へと変えてしまったのだろう。

 

 彼女と出会ったことで、僕は本当の自分の姿を手に入れた。そして、その姿こそが毒虫そのものであって。

 

 彼女もまた、僕を真似るように毒虫へと「成」った。

 

 

 だけど、それでいいのだろう。

 

 人にもなれず、怪物にもなれない。そんな宙ぶらりんの状態でいるよりは、きっとはるかに上等だ。

 

 どれだけ本性を隠したところで、それは隠しているだけ。魂が人の形をしていない限り、僕たちは普通に生きることはできない。

 

 その破滅が、いつ訪れるのかは分からないけど。その日がくるまでは、人として生きてみようと思う。

 

 

 だって、その方がいい悲鳴を聞かせてくれるだろうから。

 

 身近にいて、一緒に成長した人が怪物だったと知った時。その年月が長く、重いほどに……人の心の奥底に、恐怖という名の根が深く降りるだろうから。

 

 ああ、それが、すごく楽しみだ。

 

 

「…………わあ」

 

「ん、どうしたの?」

 

「ショウくん、いますっごく悪い顔してますよ」

 

 

 

「あはは────生まれつきだよ、たぶん」




 ショウくんが描いた「呪いの絵」を主軸に創られた物語をモチーフにしたお化け屋敷は、一部から大変な好評を得て、一部の抗議によって展示禁止されました。個性を無許可で使用した問題は、しかし学校の中だけに留まり、お化け屋敷を翌年からは全面禁止にするという処置をもって話は収束を迎えます。

 学校内には「お化け屋敷の中で人が行方不明になった」という噂話だけが残り、やがて七不思議の一つとなって伝聞されることになります。


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(ヴィラン)と現代の都市伝説 上

 悪いことを続けていると、望む望まないに関わらず名前が広まってしまうものだ。

 

 インターネットやSNS上では情報が更新され続けていて、(ヴィラン)の目撃証言は枚挙にいとまがない。平和の象徴と呼ばれるオールマイトを含めた多くのヒーローが活躍しているとはいえ、人の悪徳は決して潰えることはないのだから。

 

 日々新しい悪役が誕生しては、その多くが討伐されて消えていく。そういう存在のほとんどは、名前も出ないような小悪党に過ぎないけれど。たまにタチの悪い奴が登場して、固有名詞がついたりするときもある。

 

 当然ながら、このヒーロー飽和社会で彼らの取り締まりから逃げ果せることのできる(ヴィラン)は決して多くない。

 

 彼らも無能じゃない。悪いことをしたやつがいつまでも放置されるほど、この社会は甘くない。

 

 しかし、逆に考えれば。

 

 その中で身を隠し、あるいは逃げのびて。悪事を重ねても捕まらず、固有名詞を与えられて手配されるような奴というのは。そこらへんの一般通過(ヴィラン)とは同一視できないくらいには、厄介な存在ということでもあって。

 

 ヒーローの認知度の高さが、そのまま優秀さの評価軸につながるように。

 

 (ヴィラン)の認知度の高さもまた、そのものの危険度を示す指針となる。

 

 最近話題の(ヴィラン)の例を挙げるならば、やはり『ヒーロー殺し』だろうか。名前に『殺し』と付いているように、ヒーローを何人も殺害し、再起不能に追いやっていることで有名だ。

 

 この超常社会においても、殺人というのは忌避される行いとして古き時代と同じように罰せられる対象であって。それを何度も……しかも、ピンキリとはいえ決して弱くはないヒーロー相手に繰り返しているとあって、危険人物として名前が広まっている。

 

 彼以外にも、(ヴィラン)には色々な奴がいる。私欲を満たすために強盗を繰り返したりだとか、通り魔的に人を襲ったりだとか、自分の趣向のために迷惑行為をしているとか。

 

 危険度も、やっていることも違うけれど。彼らに共通していえるのは、ヒーローの目をかいくぐって悪事を重ねられるくらいには実力や知恵を持っていて、厄介極まりないということ。

 

 (ヴィラン)として名前が広まるというのは、それくらい面倒な存在であるということの証明であって。個性がある故に過激化しつつある犯罪行為に、社会全体が警戒の目を向けているということでもある。

 

 

 だから、まぁ、正直時間の問題だったんじゃないかと思う。

 

 どれだけ実害を出していない……少ししか出していないとはいえ、犯罪行為は犯罪行為。僕がやっているのは悪事そのものであって、何の罪もない人々が不安に脅かされるのは間違っている。

 

 それが分かっていてもやめられないのが、(ヴィラン)なのだから。

 

 頻度はそこまで高くないとはいえ、活動を始めてから一年と半年。それが長いのか短いのかの判断は、それこそ人によるのだろうけれど。事件に関連性が見られて、上の人間が事態を重く見たのであれば、名前が広まるのは時間の問題だった。

 

 一応、趣向や地域や装いはその時その時によって変えてはいたのだけど。遅かれ早かれ、こうなるのは避けられなかった。

 

 

 ついに僕にも、(ヴィラン)としての名前が与えられた。

 

 

-1-

 

「わあ…………ショウくん、人気者になりましたね」

 

「最近ちょっと派手にやりすぎたね、文化祭でインスピレーションが刺激されて張り切っちゃった」

 

「そういうところ、すごくカアイイと思います」

 

「そう? トガちゃんのカアイイ判定、結構謎だよね」

 

 二人きりの美術室、二人きりの部活動。

 

 僕が趣味で絵を描いて、彼女はそれを見ながらお喋りをする。たまに彼女との約束を行ったりしているけど、普段は文化部らしく大人しい活動をしている。

 

 今日は珍しく、僕も彼女も作業の手を止めていた。二人してSNSの画面を開いて、特定のワードで情報を検索している。

 

 二人で体を寄せ合って、彼女の携帯の画面を覗き込む。振り返れば触れてしまいそうなほど近い距離、だけど、僕たちにとっては当たり前の間隔。

 

 覗き込んだ先では、一本の動画が流れていた。

 

 

「この前のアレ、見られてたんだ……全然気がつかなかったな。アングルの向き的に建物の陰に隠れてたんだろうけど……撮影した人、よく逃げなかったね。手ブレがすごいや」

 

「でもでも、よく撮れてると思うのです。私はショウくんのこの姿は見たことないから、ちょっと嬉しいかも」

 

 通行人を襲う、多足多腕の怪物。肌は白く、線は細く、質感はゴムのようで、顔は陰になって見えない。見るものに生理的嫌悪を与える不規則な挙動で壁や地面を這いずり回る姿は、出来のいいホラゲーのワンシーンのようで。

 

 まぁ、有り体に言えば。趣味に夢中になって人を驚かせて、撮影されていることに気がつかなかった間抜けな僕の姿が、匿名で投稿されてしまったということであって。

 

 

 前々から都市伝説に近い形で噂になっていた(ヴィラン)────『スケアリー・モンスターズ(恐るべき怪物たち)』の姿が、これでもかというくらい鮮明に映し出されていた。

 

 

「それにしても、随分と直球なネーミングですね。少しダサいと思います」

 

 画面の中を動き回る怪物の姿を一通り眺めてから、トガちゃんは感想を口にした。正直さは美徳だと思うけど、その発言は色々な人に喧嘩を売ってるんじゃないかな。

 

 いや、知らないか。結構古い曲みたいだし、僕も調べるまで知らなかったわけだから。

 

 僕の話題でサジェストを汚してしまったことを、偉大なるシンガーソングライターに心の中で詫びつつ、口を開く。

 

 

「ダサい、かぁ…………トガちゃんがそういうなら、他にもそう思ってる人がいそうだね。ちょっと困るかも」

 

「え? どういうことですか?」

 

 よく分からないという表情をしている彼女は、僕から見てもすごく可愛い。そんな彼女にも伝わりやすいように、なるべく分かりやすいように。頭の中で話を組み立ててから、もう一度口を開く。

 

 

「トガちゃんさ、怖いものとかある?」

 

「怖いもの……うーん、よくわかんないです」

 

「あんまり難しく考えなくていいよ。あんまり見たくないなって思うものとか、人とかいない?」

 

「怖いわけじゃないですけど、そういうことなら……両親ですね。すぐ怒鳴るし、叩いてくるので」

 

「じゃあさ……その二人の名前が『個性差別虐待太郎』とかだったりしたら、どう思う?」

 

「すごくダサいと思います」

 

「うん、つまりそういうことなんだよ」

 

 頭の上に疑問符を浮かべて首を傾げている彼女の姿に苦笑しながら、説明を続ける。

 

 

「『恐ろしい』って感情はね、鮮度が大切なんだよ」

 

「鮮度、ですか?」

 

「そう……怖いって気持ちはね、『未知』からくるんだよ。名前が分からない、目的が分からない、正体が分からない……個性が分からない。分からないものに対して人は恐れを抱いて、逆に、知っているものにはそれほど抱かないんだ」

 

 幽霊の正体見たり、枯れ尾花。幽霊だと思っていたものが、実は枯れているススキにすぎなかった。それまで怖かったものでも、その正体を知っていれば拍子抜けというか。実体がつまらないものだと判明してしまえば、対象への恐怖心は薄れてしまうものだ。

 

 前時代の作品の一つに、こんな言葉がある。

 

 

 人を恐怖させる条件は三つ。

 

 一つ、怪物は言葉を喋ってはいけない。

 

 二つ、怪物は正体不明でなければいけない。

 

 三つ、怪物は不死身でなければ意味がない。

 

 すごく噛み砕いて簡単に要約すると、人を恐れさせるには正体がバレてはいけないということだ。

 

 

「名前を知っている、行動原理を知っている、言葉が通じることを知っている、殺そうと思えば死ぬことを知っている。この全てが『相手が個性を使った人間である』という事実が周知されるだけで伝わってしまう。彼らは僕という未知の存在に名前をつけて、その姿と習性を伝えて、なるべく身近なものに置き換えようとしているんだ。僕が怖い怪物の姿に化けたとしても『スケアリー・モンスターズ(恐るべき怪物たち)』という(ヴィラン)の存在を知っているだけで、恐怖心なんて薄れてしまう。『怪物』ってストレートにもほどがある名前の怪物なんて、陳腐で怖くないでしょ? その知識による恐怖への耐性の有無を、僕は情報の鮮度だと思ってる」

 

 今の時代は特に、異形自体はありふれているわけだし。と、最後に一言付け加えて、口を閉じる。

 

 トガちゃんは分かっているんだか分かってないんだか、納得できなさそうな顔で僕を見ている。

 

 

「でもそれって、あくまで強い人の理屈ですよね? 相手が(ヴィラン)だって分かっただけなら、普通の人だったら普通に怖いんじゃないですか? 殺されちゃうかもしれないんですよ? それに、見られたことのない姿に化ければいい話なんじゃないですか?」

 

「いや、それがさぁ…………ほら、これ見てよ。もうまとめサイトまで作られてるらしいんだけどさ」

 

 そういって携帯の画面を見せて、少し待てば。内容を読み込んだ彼女は納得したように一言……「あー」とだけ呟いてから、呆れたような視線を僕へと向ける。

 

 開いたサイトのタイトルには、こう書かれている。

 

 

『【お騒がせ(ヴィラン)】スケモンとは【怖くないが?】』

 

 

「『ついに尻尾を見せたな、正体みたりって感じだ』『強個性使ってやることが驚かすだけって、両親に申し訳ないと思わないのか?』『こんなチンケな活動で(ヴィラン)名乗るなんて、各方面に失礼だよね』『うおっ、急にすげえ拡散……マスコットかな?』『身バレ怖くないのかよ、クソ妖怪がよ』『捕まえちゃうよ、おじさんヒーローだから。夜のヒーロー♡』…………いや、なんですかこれ」

 

 見たこともないくらい冷めた表情で書き込みの言葉を朗読されて、なんとなく恥ずかしくなってしまう。

 

「いや、なんかほら…………僕って一度も怪我人出してないからさ。今まで別々の犯人の犯行だと思われてた通り魔事件が一つに統合されて、被害者がいないってのがバレちゃったっぽくて。それで、なんかこう……おもちゃにされちゃった」

 

「えぇ……」

 

 危険性がないと分かった時の、第三者のバイタリティというものを甘く見ていた。

 

 目撃証言どころか、遭遇した経験談までが一瞬で集まって。話題と情報に飢えているインターネットの住民たちは、飛びつくように群がった。

 

 動画のキャプチャを使用したコラ画像まで作られているんだから、本当に恐れ入るというか。正直なところ、乾いた笑い声しか出てこない。

 

 

「ショウくんはこれでいいんですか? 街の人全員が知ってるわけじゃないかもしれませんけど、これだと有名になればなるほどショウくんの望む反応が出なくなると思うのです」

 

「あぁ、いや、全然……って訳じゃないけど、あんまり気にしてないかなぁ。どのみち、いつからこうなるって思ってたから……こんな変な形で広まるのは流石に予想外だったけど」

 

「ふーん……ショウくんが困ってないなら、別にいいですけど」

 

 どちらかといえば楽観的な彼女にしては珍しく、心底心配していますという態度を取っている。なんていうか、ちょっと彼女には申し訳ないけど。あまり見られない表情を見ることができて、少し嬉しい。

 

「でもこれ、詳細の正否はともかく個性のことも言及されちゃってますよ。色々な姿に変身していたのがバレてるから、もしかしたらクラスメイトとかが正体に気づくかも」

 

「そこは大丈夫、ちゃんと対策してるから」

 

 入学してから、さらにいえば夜遊びに目覚めてから。僕は学校にいる間、人に見られている間はなるべく真面目な姿を見せている。

 

 課題は必ず提出しているし、試験は高得点をキープして順位を高く保っている。無断欠席をしたことはないし、遅刻だってしていない。

 

 同級生との交流だって欠かさず、常に明るく振る舞い、時には個性を使ってお調子者っぽさを演出している。

 

 趣味は読書や映画鑑賞、そして絵を描くこと。コンクールに何度か入賞しているし、みんなの前で表彰されたこともある。

 

 教師受けだって悪くない。困ってる人を利用するようで悪いけど、クラス内でのいじめ問題を解決したこともある。

 

 たまに息抜きをしすぎるけど、それすら好意的に受け取られるように、許されるラインの線引きはしっかり決めている。

 

 

 少し問題はあるけれど、基本的には優等生。そんな擬態を欠かさず行い、トガちゃんに見せているような「素」の自分を一度だって晒したことはない。

 

 そう、この前の文化祭での明らかな問題行動でさえ、普段の行いを鑑みて不問にされるくらいには。ホラー映画好きが高じて、ちょっと凝りすぎただけと思われるくらいには。僕は周囲の信頼を手にしていて、犯罪行為に手を染めるような奴とはこれっぽっちも思われていない。

 

 人は、普段の行いがいい人間を疑い続けられるようには出来ていない。怪しいと思うことはあれども、証拠や確信もなしに疑惑を抱き続けられるほど、良心が欠如しているわけではない。

 

 だからこそ、本当の悪人というのは市井に紛れ込んでいるもので。周囲の信頼という盾を手にして、影では好き勝手振舞っている。

 

 真の邪悪は、笑顔の中にある。

 

 

「まー、こうなったら暫くは大人しくしてようかな」

 

「大丈夫ですか? 我慢できます?」

 

「トガちゃんは心配性だなぁ……たしかに、ちょっと辛いとは思うけどね。べつに、ただ何もせずに毎日を過ごすつもりはないからさ」

 

「あ、また悪い顔してますね」

 

「…………僕って、そんなに分かりやすいかな?」

 

「はい、すっごく」

 

 ニコニコと嬉しそうな彼女の真似をして、彼女の顔でニコニコと笑い返す。そんなに顔に出てるかなって、なんだか不安になるけれど。ニュアンス的に、彼女にしか分からないような違いなんだろう。

 

 だったら、問題ない。

 

 友達(・・)相手に隠し事をするほど、後ろめたい生き方はしていないわけだし。

 

 顔を自分のそれに戻してから、彼女に向けて宣言する。

 

 

「この前のお化け屋敷、あれで要領は掴んだからさ。ちょっと準備に時間が必要だと思うけど──期待しててよ、面白いものを見せてあげる」

 

 まだ見ぬ誰かの悲鳴を想像して、期待に胸が膨らむ。感情の高ぶりと共に変化を始める体を抑えることなく、高揚感に身を任せる。

 

 部屋の窓に映り込む僕の姿は、やはり人間のものからはかけ離れていて。その「出来」が以前より良くなっているのを確認して、自然と口元が緩む。

 

 耳元で、彼女が囁いた。

 

 

 

「────楽しみにしてますね、ショウくん」




 ペニーワイズがミーム化して怖くなくなったのと同じような理屈です。


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(ヴィラン)と現代の都市伝説 下

 恐怖という感情は、水物だ。

 

 初めて目にした時は怖かったけれど、今見るとそこまででもない。そんな経験をしたことなんて、数え切れないほどだ。

 

 ファーストコンタクトでピークを迎えた感情が、時間経過と共に霧散していく。冷静に考える時間ができたとか、単純に慣れてしまっただとか。あるいは、知識が身について事象への理解を深めただとか。

 

 そこに至るまでの過程や手段というのは、状況によって違うものだけど。結果だけを見るのなら、人間は恐怖を「克服」することができるといってもいい。それも、そこまで多くの労力をかけることなく。

 

 

 だけど、その中でも最も効果があるのは「恐怖の対象がどんな存在であるか」を知ろうとすることだと思う。

 

 恐れるほどのものではない。そう判断できる何かがあるとしたら、それは紛れもなく恐怖という感情への特効薬へと変わる。弱点だとか、習性だとか、実態だとか。現代に伝わる神話、伝承、昔話、都市伝説……それらに登場するありとあらゆる怪物たちは、その存在が白日に晒されることで、明確な欠点を持った空想の存在へと落とし込まれたのだから。

 

 基本的に「知る」という行為は恐怖心に対して有効であって、それを否定するつもりはない。

 

 (ヴィラン)として周知された僕の存在は、彼らにとって単なる迷惑な犯罪者程度に成り下がってしまった。

 

 恐怖は脳が知覚する情報の一つであり、当然、そこに異物が混ざり込めば急激に劣化する。

 

 

 知らないからこそ、理解されていないからこそ恐れられるものがある。

 

 僕はそういう類の存在であって。ヒーローが飽和している世の中では、ヒーローに対する信頼が(ヴィラン)への恐怖心を朧げなものにしてしまう。

 

 怖がらせようとするだけの存在を、誰が恐れるというのだろうか。道行く人の誰しもが力を持っているこの個性社会で、いったい誰が。

 

 僕自身、実質的になにもしてこない相手に遭遇したところでどうということはないと思っているのだから。自衛の範囲で個性を使って反撃すればいい、そう考えてしまうのだから。

 

 これから先は、手酷いしっぺ返しを受けるかもしれない。これまでのように、なにも考えずにただ変身すればいいという次元での話ではなくなった。

 

 

 だけど、それでも。バカじゃないかと思われるだろうけど、これが僕のやりたいことだから。僕が楽しく生きていく上で、必要なことだから。やめるつもりはないし、諦める気はサラサラない。

 

 だから、やり方を変えていく。

 

 知られることで薄れる恐怖心が存在するように。

 

 知られることで色濃く陰を落とす恐怖心もまた、存在しているということを。証明してみせればいい。

 

 

-1-

 

『ショウくんショウくん、七不思議って知ってますか?』

 

『え? うん……それぐらいは知ってるけど』

 

『違います、違うのです。七不思議は七不思議でも、この学校のって意味なのです』

 

 いつも通り美術室で二人だけの部活動をしている最中、文化祭の準備をしていた時期のこと。何気ない会話の一つとして、トガちゃんが『学校の七不思議』を話題にあげたことがある。

 

 そういう、学校っぽい話題が好きなのだろう。トガちゃんは目を爛々と輝かせて、期待するような目で僕を見ていた。僕も話に興味があったから、文化祭で展示するための作品を描く手を止めて、彼女の言葉に耳を傾けた。

 

『最近ですねぇ、女の子の間で流行ってるんですよ。七不思議』

 

『えっ、そうなの? その割には聞いたことないっていうか……そもそも、この学校にそんなもの(七不思議)あったんだ』

 

『なんかですね、本当に最近できたばかりのものらしくて』

 

『…………それ、七不思議として扱っていいの?』

 

 七不思議、学校の怪談。個性が当たり前になって、個人が下手な心霊現象よりも非科学的な現象を起こせるようになった昨今においても。決して廃れることなく、学校と深く結びついている逸話の数々。

 

 だけど、それはあくまでもフィクションの話であって。実際に七不思議が存在している学校なんてのは、現実だと滅多に見られない。トイレに花子さんはいないし、夜の校舎で階段が一段増えたりもしない。

 

 僕が通っているこの中学校も、その一般的な分類の中の存在だから。少なくとも、この校舎で一年以上過ごしてきた中で一度も話を聞いたことはなかったし。

 

 つまり、彼女が言っている通りに。この学校の七不思議は、ごく最近になって産まれたものなんだろう。どんな偶然が重なったのか、あるいは、どこかの誰かが流布したものなのか。少なくとも、自然発生するなんてのはあり得ないのだから。

 

 そこにはきっと、誰かの悪意が存在しているはずで。驚かせよう、怖がらせようという。幼く歪んだ精神性が存分に発揮されていて、僕に刺激を与えてくれるだろうから。

 

 

 そんな軽い好奇心で話題に乗ったことが、僕の活動に大きな影響を与えたのは。いま思えばなんとも運命的というか、原因を考えれば、いつかは僕の耳に入っていたのは間違いないんだろうけど。文化祭の出し物のことを考えれば、そのタイミングの良さには驚かされた。

 

 

『放課後の校庭に巨大な怪物が現れ、部活動の帰りに偶々居合わせた女子生徒が追いかけ回された上で犠牲になった』

 

『三年生の教室にはドッペルゲンガーが現れる』

 

『学校には吸血鬼の末裔が潜んでいて、人目につかない場所で生徒を襲って血液を吸い取っている』

 

 彼女が口にした内容は、どこか聞き覚えのあるものばかりで。だけどそれは、決してありふれているからというわけではなく。

 

 どちらかといえば、経験談に近いものであって。というか、どうして彼女が気がついていないのか不思議なくらい、身に覚えがありすぎるから。

 

 七つ目は秘密で、それを知った者には不幸が訪れる。そんなお決まりの言葉で彼女が怪談を終わらせたタイミングで……僕は口を開いて、思っていたことを正直に告げた。

 

 

『それ、全部僕たちの事じゃない?』

 

 そんな会話が、ヒントになった。

 

 

 学校の七不思議、これは基本的に都市伝説の一種だ。

 

 七、つまりは素数。『割り切れない』から転じて『不可解な』を意味する現象、それを七つ集めることで一種の伝承として『七不思議』と称したのが始まりだとされている。ごく一部の地域や空間だけで言い伝えられることから、今となっては本来の意味よりも都市伝説的な意味合いの方が強調されやすい。

 

 

 つまり、噂話に過ぎないわけだけど。その噂話というのは、これがなかなかバカにできない。

 

 基本的に、恐怖とは『知られる』ことで弱まる感情だ。なぜならば、古今東西あらゆる言い伝えは結局のところ、幽霊やら妖怪やらのせいではなく。その時代において論理的に解明できなかった現象に、『お化けの仕業だ』と間に合わせの結論を出しただけに過ぎないのだから。

 

 時代が進み、原因が明らかになっていくにつれて。そして、その解決策が提示されていくにつれて。恐ろしいという感情は、目減りしていく。

 

 ましてやこの個性社会、超常が身近に存在してしかる現代においては。大抵の不可思議な現象は『個性』の一言で済んでしまう。

 

 そういう意味でいえば、『個性』という暴力を手に入れた人間そのものが、人類の歴史の中で最も恐ろしい存在なのかもしれないけれど…………まぁ、今はその話は置いておくとして。

 

 つまり、最初から空想上の存在であると認識されているのであれば。そして、それが本当か否か判別がつかない曖昧な状態であるのならば。

 

 それは一定の層から取り上げられて、恐怖の対象になりえるということであって。

 

 

 断片的な情報だけを、あえて与える。正体を濁して、出どころを誤魔化して、都市伝説の一つとして昇華する。

 

 

 見えないものに怯えるのは、人間である以上は当たり前のこと。正体が知られて格が下がるのであれば、正体の存在しない怪物を作り出せばいい。

 

 何かが原因で生まれたわけでもない、十割空想から生まれた怪物。その真の姿を探そうとしても、そんなものは存在していないのだから。話を集めて、目を凝らしたところで。見えてくるものなど何もない。

 

 

 誰もが恐れる存在を、僕が作り出せばいい。僕の知らないところで、僕たちが七不思議として扱われていたように。

 

 科学で証明できないものだけが、都市伝説として残っているのだから。

 

 『怖い(怪物)』は、創れる。

 

 

-2-

 

 準備、そして潜伏のために夜の活動を休止してから二つほど季節が巡って。僕とトガちゃんは、三年生になった。新入生が入学してきても、美術部の部員は増えることなく。放課後の美術室は依然として、僕と彼女の二人だけの空間で。

 

 それが嬉しいやら、ちょっと寂しいやら。そこそこ賞も取って、実績は重ねているというのに。どうして部員が増えないのだろうかと、少し疑問に思うこともあった。

 

 それ以外は……特にこれといった刺激のない、退屈な時間。もちろん、トガちゃんと一緒にいるのは楽しいし。趣味のための準備をしているのだから、つまらないわけではなかったけれど。

 

 それでもやっぱり、人々を驚かせられないというのは物足りなく思えたから。

 

 没頭するように絵を描いて、代替品として名作のホラー映画を見る毎日を過ごした。

 

 絵を描くことは、どちらかというと好きだ。それがほかの趣味の役に立つのであればなおさら、筆を持つ手に力が篭る。

 

 学校で絵を描いて、家に帰ってからも絵を描く。

 

 イメージを現実に持ち込むという点で見れば、僕の個性と絵画はとても似通っている。見せるための技術が必要で、努力のやり方次第でどこまでも伸ばせるというところも。

 

 自宅に用意されたアトリエには、これまでに僕が描いた絵が全て保存されている。どれもこれも、僕の成長と紐付いた大切な作品で。この積み重ねがあったからこそ、今の自分が存在しているのだと……見るたびに、実感できる。

 

 

 そして、ようやく描き上がったこの作品も。僕を形作る(・・・)要素の一つとなった。

 

 

変身(タブロー):呪いの絵画(アーバン・テイル)

 

 

 イメージを固めるために、色々な都市伝説や怪談を調べた。絵柄や塗りで身元がバレないように、今まで使ったことのない技法を身につけた。満足がいくまでなんども下絵を描いて、色々な構図を試した。

 

 『スケアリー・モンスターズ(恐るべき怪物たち)』という(ヴィラン)が姿を見せないようになって、数ヶ月の月日が経った。話題に事欠かないネット上において、追加情報が出てこない(ヴィラン)なんてすぐに忘れられる。

 

 そんな奴もいたね、と。世間からの興味関心は薄れて、新しい怪異と発想を結びつける者も、そこまで多くは残っていない。

 

 

 (ヴィラン)ではなく、空想上の怪物(モンスター)

 

 まっさらなキャンパスの上に、新しい都市伝説を描くこと。それが七不思議から着想を得た、新しい僕の姿。

 

 体は興奮して、その時を今か今かと楽しみにしている。肌は波打ち、骨子は歪み、シルエットが人型から離れていく。

 

 だけど、まだだ。僕がこの姿を世の中に晒す前に、もう一つだけやっておかなければいけないことがあるから。

 

 

 逸る気持ちを抑えて、携帯を取り出す。

 

 画面に触れる指さえも震えて、勝手に蠢きだす。彼女へ電話を掛けよう、そう思うよりも早く、指先が枝分かれして画面の上を走る。

 

 その光景を見て、自分でも気がつかないうちに我慢を重ねすぎていたのだと気がついた。まるで薬物の禁断症状のようだ。

 

 一つ一つが、別の生き物のように動いて。いつのまにか映し出されていた彼女の連絡先をタップして、通話ボタンを押す。

 

 ワンコールも掛からない程度の時間で通話中に切り替わったことを確認してから、耳に当てる。とても楽しそうに捲したてる彼女の声を遮って、いつものように名前を呼んだ。

 

 

「トガちゃん、いま暇?」

 

 

-3-

 

 見たら呪われる、そんな言葉と共に一枚の絵がネットの海へと放流された。

 

 不気味な雰囲気を放つその絵は、主に中学生を中心に拡散されて。自分以外に絵を見せなければいけない、古典的なチェーンメールの手口だが……単純ゆえに、その恐怖心に耐えられる子供は少ない。拡散するだけなら、送るだけなら。そう思ってしまうのも、無理はない。

 

 それだけであるならば、時間とともにブームは収まったことだろう。実際に被害に遭った者がいないことなんて、狭いコミュニティの中であればすぐに分かること。

 

 

 そうならなかったのは、絵画に描かれた女性を見たという目撃証言があったから。それも一つや二つではなく…………されど、事件として問題視されない程度。嘘か真かの判断が難しく、大人たちが子供の流言だと聞き流してしまう程度に。

 

 呪いの女、と。そう呼ばれる女性が、彼ら彼女らの中には存在していたから。だからこそ、恐れられていた。

 

 

 しかし、そのあまりにも悪質な都市伝説は。ある日を境に新しい目撃者が出なくなったことで、都市伝説としての終わりを迎えることになる。

 

 

 それは季節の変わり目、三月のとある一日で。

 

 僕たちしか知らないことだけど、普通の中学校の卒業式があった日のことだった。

 



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幕間 月の下の出会い

 まだ彼が(ヴィラン)としての名前を与えられる前、趣味のために夜歩きをしていた頃のお話です。

 今回はあの方が満を持して登場します。


 夜というのは、良くないものを集める性質がある。

 

 夜にのみ活動する怪物の話というのは、古今東西あらゆる場所で語り継がれている。獣だって妖怪だって吸血鬼だって幽霊だってなんだって、姿を見せるのは決まって日が落ちたあとの事で。さらに付け加えるのであれば、強盗やらなにやらの犯罪行為も、だいたい夜を狙って行われる。

 

 普通の人であれば、寝静まる頃。目撃者が限定されて、リスクが少ない。理論的に捉えるなら、そういうことなんだろうけど。

 

 

 より抽象的な話をするのであれば。

 

 夜にはきっと、本質を暴く力がある。

 

 暗い世界が自分とそれ以外の境界線を曖昧にして、心の奥底に秘めていたもの()を剥き出しにしてしまう。夢と現実、男と女、陰と陽のバランスが崩れて、混沌とした感情だけが溢れてしまう。

 

 

 月の光は明るすぎず、かといって暗すぎることもなく。目の前に佇む者の顔を晒さない程度に、その輪郭を世の中に映し出す。僕のような悪い奴にとっては、最高の時間といっても過言ではない。

 

 獣は月に吠えるもので、怪物を照らすのも月の輝きだ。

 

 

 そう、現代的にいえば(ヴィラン)とか。世間に顔向けできない存在というのは、その多くが夜に現れるものだから。

 

 そんな時間帯に出歩いて、道行く人々を物色して、都合のいい路地裏を探しているような人間なんてのは。それはもう、悪い大人からしてみれば格好の獲物そのものであって。

 

 趣味に生きている以上、こういう事態に遭遇してしまうのは仕方のないことなのだろう。草むらを歩いていたら野生の◯ケモンが飛び出してきた、くらいには当たり前なんだと思う。

 

 まぁ、なにが言いたいのかというと────。

 

「肉、見せて」

 

 

 ────野生の(同類)に遭遇してしまった。

 

 

-1-

 

 あっ、と。そう思った時には既に、右腕の肘から先が切り飛ばされていた。

 

 

「────わ、びっくりした」

 

 断面から噴水のように溢れた血に、蜘蛛の糸のような粘性を持たせて。あらぬ方向へと吹き飛びつつあった腕へと触手のように血液を伸ばし、巻き取ることで回収する。

 

 断面と断面をくっつけて、元どおり。

 

 想像力が尽きない限りいくらでも再生できるから、わざわざ回収する必要もなかったけれど。血痕やらなにやらの痕跡を残したくないし、全く無駄な行為というわけではない。

 

 それに……地面に物を落としそうな時は、誰だって反射的に腕を伸ばしてしまうものだろう? いやまぁ、僕の場合はその伸ばすための腕が落ちかけたんだけど。

 

 

「アぁ! 肉、肉が────」

 

 僕の腕を切り飛ばした犯人が、元の位置に収まった腕を見て哀しそうな声を出した。

 

 長身で、髪は伸ばしっぱなし。服はボロボロで、長いことまともな食事をしていないのだろう、異常なくらい線が細い。

 

 瞳が月の光を反射してギラギラと輝いているからか、見た目の印象とは相反して、凶暴そうな雰囲気を漂わせている。

 

 うわ言のように「肉」という言葉を繰り返す口からは、長く鋭い歯が僕の元へと伸ばされていて。先ほどの攻撃の正体が、彼の個性によって行われたことがよく分かる。

 

 

 歯を伸ばす個性、そんな感じだろうか。

 

 言葉にすると大したことないような印象を受けてしまうけれど、僕の腕を抵抗もなく切り裂いたあたり、なかなかバカにできない殺傷力があると思う。

 

 歯は人間の体で最も硬い部位といわれているし、個性による強化もあるんだろうけど。それにしたって、あそこまで綺麗に骨ごと肉を断つことが出来るだろうか。

 

 慣れ、あるいは天性のものか。

 

 そこまで至るのに、いったいどれだけの人間を傷つけてきたのだろう。

 

 少なくとも、躊躇いの一つも見せずに。ただの通行人である僕を襲ってくるような人間が、まともだとは思えないけれど。その獣じみた相貌には、ちょっとだけ親近感を覚えてしまう。

 

 

 まぁ、(ヴィラン)なんだろう。見るからにマトモじゃないし、唾飛んでるし。僕と同じような、自分の欲望に正直に生きている者特有の匂いを感じる。

 

 体が、心が波打つ。人を怖がらせている時の高揚感とは違う、トガちゃんと一緒にいる時の安心感とも違う。言葉にできない昂りが、僕の心身を満たしていくのを感じる、感じてしまう。

 

 路地裏でカツアゲをしているような、チンケなそれとは違う。本物の破綻者(ヴィラン)で、正真正銘の犯罪者(ヴィラン)だ。

 

 仲良くしたい。

 

 

「こんばんは、いい夜だね」

 

「肉、肉、見せて、肉、きれいな肉」

 

「ほら見てよ、綺麗な満月。僕はね、こんな夜はとびきり大きな悲鳴を聴きたくなるんだ」

 

「こども、こどもの肉、肉が見たい、肉が好き、きみの肉」

 

「情熱的だね。まずはお友達からどう? 僕たち、仲良く出来ると思うんだよね」

 

「アアアァ我慢できない! 肉! 肉ニクにく!」

 

「奇遇だね、僕も我慢は苦手な方なんだ」

 

 彼の口から歯が伸びる。一本だけではなく、全ての歯が僕へと向かってくる。

 

 個性の都合上開きっぱなしの口からは、これでもかというくらい唾液が溢れていて。それが、彼がどうしようもないほど後戻り出来ないところまで行ってしまった証明のようで。

 

 環境による抑圧なのか、人としての理性が中途半端に蓋をしてしまっていたのか。タガが外れてしまって、感情の器が壊れているようにも見える。それがちょっぴり嬉しくて、少しだけ悲しい。

 

 

「肉ゥ!」

 

 彼の歯の刃が僕の元へと届き、肉体はあちこちが縦に横にと大きく裂ける。だけどそれは、彼の歯が僕に触れたからではない。

 

 

「────ァ?」

 

『そう焦らないで、僕はどこにも逃げたりしないよ』

 

 僕の意思で(・・・・・)割れた断面から歯が生えて、裂けた箇所が大きな口へと変化する。二口女の後頭部のように、あるいは、寄生虫に取り憑かれた犬の頭部が悍ましい怪物へと転じるように。

 

 身体中の裂傷が口の形になって、歯同士がぶつかり合ってカチカチと音を立てる。今の僕を例えるならば、目の代わりに口が生えた百々目鬼だろうか。

 

 一瞬で姿の変わった僕を見て、彼が怯んだように動きを止めた。

 

 

 …………あぁ、安心した。ちゃんと彼にも「畏れ」という感情はあるらしい。

 

 そう、僕にも断面があるように。彼にも恐怖心がなければ、対等(フェア)ではない。友達というのは、対等な関係でないといけないのだから。

 

 お互いに相手に求めているものがあるのだから……彼はきっと、僕の友達になれる。

 

 一緒に遊ぼうよ。

 

 

『────悲鳴、きかせて?』

 

 

-2-

 

 血が吹き出し、肉片が宙を舞い、心が躍る。

 

 肉が見たい、断面が見たい。そう口にする彼のリクエストに応えて、切り落とされた部分はそのまま地面に放置してある。

 

 彼も嬉しそうで、心なしか歯を動かす速度が徐々に上がっている気がする。

 

 そう、速い。

 

 自分の肉体を動かすというのは、これがなかなか難しい。歩いたりなんだりっていう、人間に元から備わっている機能であるならばともかく。個性によって一部や全てが異形化している場合というのは、個人差こそあれ、十全に動かすためには努力が必要だ。

 

 いや、人間本来の機能もそうだ。二足で歩行するという段階に至るまでに、ハイハイやらなにやらの経験を辿っているわけなのだから。生き物である以上、自分の体を思い通りに動かすためには努力を避けて通れないといっていいだろう。

 

 

 一般的に、自分の肉体を変化させるタイプの個性持ちは、常識があるほど人の型から外れることが難しくなる。

 

 人とはこういう形で、普通はこういうふうに動く。そういう思い込みが個性の邪魔をして、本来の性能を発揮できなくなるらしい。

 

 普通の人間に翼なんて生えていないのだから、飛べるはずがない。そういう言葉を親や他人から浴びせ続けられた子供は、本当なら持ち得たはずの飛行能力を失ってしまったという。

 

 そういう事例は個性黎明期にはとても多くて、今でも個性差別やら虐待として問題になっているわけだけど。とりあえず今はその話は置いておくとして。

 

 

 まぁ、なにが言いたいのかというと。

 

 人間ならこうあらねばならない、という思想は個性の成長の邪魔にしかならないというわけで。

 

 逆にいえば、そういう考えが希薄だったり全く存在しない者。自分が他の人とは違うということを受け入れて個性に向き合っている人というのは、力のコントロールがとても上手い。

 

 歩くために足を動かすように、物を持つのに手を使うように、個性を肉体の一部のように操る。

 

 

 人間離れしているんだ、文字通り。

 

 ヒーローも、(ヴィラン)も。

 

 人を傷つけることができる力を、躊躇わず使う。人の形に拘ることなく、個性までひっくるめた自分の全てを受け入れて。良くも悪くもイカれているからこそ、どこまでも強くなっていく。

 

 

 彼がここまで速く正確に自分の歯を操ることが出来るのは、イカれているからだ。息つく間もないほど絶え間なく、僕の体を切り落とし続けられるのも、イカれているから。

 

 そして、何度体を削られても元通りにできる僕も。客観的に見れば、どうしようもないイカれ野郎なんだろう。

 

 

「ァ……ァ…………」

 

 だけど……個性があったとしても、どれだけ人間離れしていたとしても。結局のところ、誰もが人間であることには間違いないわけで。

 

 気力や体力、その他諸々。人間である以上は、限界が訪れるものだ。

 

 それが今回は、僕よりも彼の方が早かった。この結果はつまり、それだけの話であって。

 

 彼が絶え間なく攻撃し続けていたのに対して、僕は体を再生しながら近づいていただけなのだから。彼の方が先に疲れてしまうのは、当然のことなのかもしれない。どちらにせよ、彼の様子を見る限りでは、これ以上遊び続けるのは不可能だ。

 

 

『楽しかった?』

 

 彼は満足してくれたのだろうか、満足してくれたならいいんだけど。

 

 そんな思いを込めて口にした問いかけに、彼は答えてくれない。喋れないほど疲れているのか、あるいは、物思いに耽っているのか。

 

 これだけ派手に血肉を撒き散らしても足りないのなら、それだけ彼の業が深いということでもあって。どれだけやっても満たされない欲を抱え続けるのは、さぞかし辛いことだろう。

 

 少しだけ、同情しそうになる。

 

 

『じゃあ、次は僕の番だね』

 

 ただ…………完全には満たされないという意味では、僕も彼と同じようなものだ。

 

 一時的には満足していても、また次の夜には飢えたように恐怖心を求めている。悲鳴が聴きたくて、怖がる顔が見たくて堪らなくなる。

 

 その欲望が尽きぬうちは、僕は普通の人のような生活は出来ない。そして…………今さら、普通の生活を求めようとは思わない。

 

 

 だって、楽しいんだもん。

 

 

生成(エスキース):肉の壁(デッド・エンド)

 

 彼が切り落とした肉片を、むせ返るような臭いを放つ血液を。

 

 引き寄せて、かき集めて、増やして。視界を遮るほど高く伸ばして、彼の四方八方を囲う。

 

 彼があれほど見たいと言っていた、肉の断面。それをそのまま拡大したようにも見える、赤くて生々しい壁。それに周囲を覆われているのだから、きっと喜んでくれていることだろう。

 

 見やすいように、天井部分だけは空けてある。満月の光が差し込んで、そこそこ明るいはずだ。歯を地面に刺しながら伸ばすことで体を浮かせられるらしいから、彼の足は僕の肉に埋めることで固定している。我ながら、結構いい仕事をしたと思う。

 

 嬉しすぎて興奮しているのか、ところどころ壁が歯で切り裂かれているのを感じる。肉の壁は僕の体だから、すぐに再生する。

 

 

 

 逃がさないよ。

 

変身(タブロー):月下美刃(ムーン・フィッシュ)

 

 何回も、何十回も。彼の個性をこの身で受けながら、観察し続けたことで完成したイメージ。

 

 彼を覆う肉の壁に腫瘍のような膨らみが無数に生まれ、蠢き騒めき、少しずつ形を変える。

 

 それはまるで、デスマスクのように。彼のそれと全く同じ顔が壁を埋め尽くすように発生して、彼を無言で見つめる。

 

 

 肉を通じて、彼の体の震えが伝わってくる。

 

 心地よい振動、恐怖の感情が放つ周波数。

 

 それを満喫しながら、最後の仕上げを行う。

 

 壁の全ての口が一斉に開いて、健康的な白い歯を月の光の下に晒す。何度も触れて感じたからこそ、再現できたものだ。

 

 その歯が一斉に、されど不規則に。彼のそれとは比べ物にならないほどゆっくりと、彼をめがけて伸び始める。

 

 

「ァ……あァ…………!」

 

 傷つけはしない。僕の体と違って、彼の傷が癒えるのには沢山の時間が必要だから。怖がらせたいとは思うけれど、怪我をさせたいとは思っていない。

 

 だから、その代わり。

 

 出来る限り大きな声で鳴いてほしい。

 

 僕の欲望が、満たされるように。

 

 瞳を閉じれば、思い出せるように。

 

 

 月まで届くような悲鳴を、聴かせてほしい。

 

 

『おやすみなさい、いい夢を』

 

 ────最後にかけた言葉はきっと、彼の耳には届かなかったことだろう。

 

 僕でさえ、聞こえなかったのだから。




 ムーンフィッシュ回でした。

 このあと気絶した状態で発見され、そのまま逮捕されます。


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エピソード 2
ラスト・クリスマス


 今週のジャンプのトガちゃん、はちゃめちゃに可愛かったですね。


 

 自分が歩んできた道を、後悔したことなんて一度もない。

 

 たとえそれがどれだけ踏み外した道であっても、人々から受け入れられないものであったとしても。

 

 普通からはかけ離れていて、歪んでしまったものであったとしても。

 

 それが僕の本質であって、百面(モモヅラ)(ショウ)という存在の正しいあり方なのだから。

 

 胸の内から湧いてくる衝動、情熱に身を任せて生きるのは心地よくて。間違っていたとしても、楽しかったから。その行いに後悔したことなんて、一度もない。

 

 

『ひっ、く、くるなよ! ばけもの!!』

 

 会いたい、その一心で。

 

 努力の果てにたどり着いた先、拒絶されて、化物扱いされた時も。普通の精神なら耐えきれないような現実に心折れることなく、自分を保っていられたのは……僕自身がそれを受容できる性質だったからであって。

 

 化物呼ばわりされたから、楽しむようになったのか。もともと素質があったから、化物と呼ばれるようになってしまったのか。

 

 逃避か、(さが)か。どちらが先だったのかなんて、今となっては自分でも分からないけど。どちらにせよ、こうなってしまった以上は受け入れるしかないと思って。自分の気持ちに正直に、ただひたすらに前だけを見つめて走り続けてきた。

 

 

 今の生活は、悪くないと思う。

 

 個性に理解のある両親、内面の歪みを共有できる友人。満ち足りていて、恵まれている。

 

 常識的に考えて、この生活を手放そうと思う人はそういないだろう。リスクを負ってまで犯罪行為に手を染めて、いつか訪れる破滅をただただ待ち続けるなんて。そんなの、僕だってバカだと思う。

 

 両親のことは好きだ。優しく、正しく、僕という存在そのものを受け入れて。ただ一人の子供として愛してくれている。

 

 あんなに問題を起こして、悍ましい姿に変わり果てて、今も病院に通い続けている我が子に、思うところがないわけないのに。それを少しも態度に示すことなく、普通に接してくれている。

 

 それが、どんなに難しいことか。

 

 子供を愛するのは親として当たり前なんて、世の中の人々は当たり前のように言うけれど。その当たり前(・・・・)のことを続けることが、どれだけの忍耐を必要としているのか。

 

 僕はまだまだ子供で、両親の苦労を完全に理解できている訳じゃないけれど。それでも、凄いことなんだってことくらいは想像がつく。

 

 悲しませるようなことはしたくない、親不孝なことはしたくない。そう思っているのだって、紛れもなく僕の本心だというのに。

 

 

 どうしてだろう。

 

 僕が歩いてきた道にも、これから先進んでいく未来にも。あの二人と一緒にいる姿は、これっぽっちも想像できない。

 

 想像できないんだ、普通の生活が。

 

 進路を考えている時だって、何も思いつかなかった。歪んだ欲望だけが僕のアイデンティティじゃなくて、絵を描いたり、友達と遊んだりするのも好きだというのに。学校という空間で過ごした日々は、大切な時間だって分かっているのに。

 

 その全てを手放すことになったとしても……僕は変わらず、笑っているんだろう。

 

 これまで後悔したことがないのだから。

 

 これから先も、僕は全てを受け入れていると思う。

 

 

 自由に生きるって、そういうことだから。

 

 

-1-

 

 瞬く間に季節は過ぎ去って、中学生最後の冬がやってきた。

 

 

「ショウくん、今からでもどこかに遊びに行きませんか? …………せっかくのクリスマスなのに勉強ばっか、いやです」

 

「僕は別にいいけど、トガちゃんは大丈夫なの? 点数かなりギリギリじゃなかったっけ」

 

「あう」

 

 高校受験を控えたクラスメイト達は、それぞれが最後の追い込みをかけていて。僕やトガちゃんのような存在であっても、それは変わらない。

 

 むしろ、外面だけは良くしているつもりだから。少しでも好印象を与えられるように、落ちこぼれることのない程度には勉強はこなしている。

 

 当然、教師達からの期待もそれなりだから。将来こうしたい、こうなりたいっていうイメージが薄い僕は……担任の先生から勧められるがままに、地元の偏差値がそこそこ高い高校を志望校に決めた。

 

 ヒーロー科に入ったらどうか、という話もあったけれど。情熱がないというか、流石にそこまで頑張るつもりもなかったから。適当に美術部がある所を選んだ。

 

 そして、案の定というか。予想していた通り、トガちゃんは僕と同じ高校を志望校に決めた。

 

 割と最後の最後まで意思決定が出来なかったこともあって、僕とトガちゃんは二人揃って担任に呼ばれることが多かったから。進路が決まった時の先生の顔は、それはもう安堵に満ちていて。教室を出た後にトガちゃんと二人で笑ってしまったのは、仕方がないことだと思う。

 

 

「ほら、あと少しだけ頑張って……一緒の学校に行くんでしょ?」

 

「そうですけど……」

 

 頑張らないといけない。それが分かっているからこそ、トガちゃんの主張もいつもに比べて控えめだ。これが普段通りだったら、とっくの昔にノートとペンを放り出している。

 

 そうしないのは、きっと……それだけ僕と一緒にいたいからであって。そういう健気な所を見るたびに、心の底から愛おしく感じる。

 

 これで僕の勘違いとかだったら、少し恥ずかしいけど。彼女の直球な言動の数々を見ている限りでは、あながち間違っていないんじゃないかと思う。

 

 僕だって、出来ることならこれからも一緒にいたいと思っているのだから。その気持ちが通じていると思えば、退屈な勉強にもそこそこ力が入るというもの。

 

 

 でも、たしかに。クリスマス当日までこうして二人で勉強する必要があるのかというと……まぁ、ちょっとどうかと思うけど。

 

 そこはなんというか、家庭の事情というか。そういう口実じゃなければ、彼女の親は外出を許可しそうになかったらしくて。

 

 だから本当は、遊びに行くつもりだったわけだけど。証拠を残しておく意味で、こうやって勉強会を開いている。

 

 アリバイ工作ともいう。

 

 

「ショウくんは、私が落ちちゃったら一緒に浪人してくれますか?」

 

「いやいや……せめて、私立に行くとかさ。もっと色々あるでしょ、なんで高校浪人する気満々なの」

 

「私だって浪人はいやです。そういうことじゃないんです、乙女心なんです」

 

「えー…………まぁ、二人で自由気ままに暮らすのも悪くないかもね」

 

「ショウくんのそういうところ、大好きですよ」

 

「はいはい」

 

 トガちゃんが口を尖らせてポカポカと腕を振り回してくるのを、背中から生やした手で押さえつける。行動自体は可愛らしいけれど、手に持ったペンの先端がこちらを向いているのもあって結構危ない。

 

 彼女の不満そうな視線の先は、僕の首筋へと向かっていて。この行動が計算された上でのもので、事もあろうに、ファミレスという人の目に触れやすい場所でコト(・・)に及ぼうとしたということであって。

 

 ジト目でその行動を非難すれば、彼女は不服そうにしつつも大人しく席へと戻った。

 

 

 いや、まぁ、本気で刺そうとしたわけじゃないんだろうけど。

 

 普段はちゃんと擬態している彼女が、こんなに分かりやすく欲望を解放しようとしたのは…………やっぱり、クリスマスという特別な雰囲気が原因なんだろうか。

 

 うん、それなら仕方ない。

 

 

「やめよっか、勉強」

 

「えっ、いいんですか?」

 

「多少は真面目にやんないとダメかなーって思ってたけど、楽しくないしやっぱ無理する必要ないかなーって。一日くらい大丈夫でしょ」

 

 やったー! と、まるで子供のようにはしゃいで。机の上を片付け始めた彼女の姿は、それこそ普通の中学生となんら違いはない。

 

 僕たちは色々なところが人と違うけれど、だからといって感性の全てが人と異なっているわけではない。嬉しい時には喜んで、楽しい時には笑って、悲しい時には泣いて、怒りのあまり我を忘れることもある。

 

 そうやって生きている間は、社会の中に自分を当てはめられる。世の中の「普通」に迎合して、ヘラヘラ笑って擬態していられる。

 

 

 だけど、そうしていられる時間というのは。多分だけど、もうそこまで長くない。

 

 さっきだって、危ないところだった。トガちゃんは比較的自制が効く方だし、それは今までの人生を何事もなく過ごしてきたことから察せられる。そんな彼女でさえ……甘噛みのようなものだとしても、自分を抑えきれなくなっている。

 

 個性と(さが)に飲み込まれて、本能のままに動き出そうとしている。

 

 

「ショウくんショウくん、どこか行きたいところあります?」

 

「うーん、特に考えてなかったからなぁ。トガちゃんは?」

 

「ショウくんと一緒ならどこでもいいです!」

 

「そう言われると、逆に困っちゃうね」

 

 そして……それは、僕も同じことであって。

 

 時間が経つにつれて、日が進むにつれて。夜に出歩く時間も増えて、欲望に抑えが効かなくなってきた。

 

 あれだけ楽しんでいるというのに、朝になれば物足りなくなってしまう。まるで感情を受け止める器に穴が開いて、そこから楽しいって気持ちが全て抜け落ちてしまっているみたいに。

 

 どれだけの悲鳴をきいて、どれだけの恐怖心を味わっても、満たされない。

 

 昼と夜、優等生の自分と(ヴィラン)の自分。その境目が曖昧になって、絶妙なバランスで成り立っていた日々に亀裂が入ろうとしている。

 

 

 街は見渡す限り、笑顔に溢れていて。

 

 特別な日の、特別な笑顔。その表情が恐怖心に塗りつぶされる瞬間は、どれだけ素晴らしいものなのかと。

 

 まだ夜には遠く、ヒーローだって大勢巡回しているだろうに。僕の心は、胸の内の熱情は、彼らにその姿を晒そうと暴れまわっている。

 

 まるで、獣のような。

 

 その衝動が理性を超えた時にこそ、僕たちは排斥される存在(毒虫)へと変身するのだろう。

 

 地を這いずり回ることをやめられなかった、哀れで愚かなグレゴールのように。

 

 

-2-

 

 

『学校、いってみない?』

 

 クリスマスらしいことをして、散々遊び呆けて、日も沈んだ頃に。そう誘ったのは、僕からだった。

 

 気温の冷たさとは裏腹に、僕の手はとても温かいものに包まれている。この中学校生活の間に数え切れないほど肌で感じ取った彼女の体温が、掌を通して伝わってくる。

 

 手袋の一つくらい、つければいいのにと。

 

 個性を使用しているか否かに関わらず、彼女の肉体は平均的な人類とほとんど変わらないのだから。僕と違って寒さに震えることもあるし、冷やし過ぎれば凍瘡になるというのに。

 

 話を聞かない彼女が寒さに震えないようにと、体温を上げてみせれば。ぬくい、と。嬉しそうに口にするものだから、ついつい甘やかしてしまう。

 

 

「でもでも、どうして学校なんですか?」

 

「うーん、特に意味はないんだけどさ。僕たちもそろそろ卒業するわけだし、その前に満喫しようかなって思って。ほら、夜の学校って面白そうでしょ?」

 

「そっか……そうですね、ちょっと寂しいかもしれないです。ここには、ショウくんとの思い出も沢山ありますから」

 

 夜の学校に侵入するなんて、ホラー映画だったらフラグそのものだけど。ここは現実であって、お化けも妖怪も存在していないし……何より、僕が一番化物らしい存在だから。雰囲気こそあれど、怖いと思う気持ちはあんまりない。

 

 それは、トガちゃんも同じみたいで。彼女には珍しいくらいしんみりとした声音で、どこか懐かしむように校内を回っている。

 

 

 結局、この三年間で彼女が何かに恐怖する姿を見ることはなかった。僕が積極的に怖がらせようとしないのも理由の一つなんだろうけど、そもそもとして、彼女は「怖い」という感情をそこまで持ち得ていないように感じられた。

 

 残念だなと、心の底からそう思う。

 

 彼女は僕にとって大切な友人であることには変わらないけれど、それ以前に、僕の醜い欲望の矛先でもあるわけだから。

 

 

 他の人が、大切な相手を抱きしめるように。

 

 僕は、大切な人を怖がらせたいと思ってしまうわけで。

 

 その本心に誤魔化しや妥協は一切挟まずに、真剣に向き合ってきた。

 

 向き合うべきだと、受け入れるべきだと思えるようになった。

 

 

 それは全部、彼女と出会えたからであって。そういう意味でいえば、彼女が僕を変えた(変身させた)んだと思う。

 

 彼女こそが、僕にとっての────。

 

 

「トガちゃん、今日は何の日か知ってる?」

 

「えっ? クリスマスですよね? ショウくんの誕生日はこの前祝いましたし」

 

「そう、クリスマス! ……じゃあ、クリスマスといえば?」

 

 トガちゃんと二人で歩いた、夜の校舎。あちこちに残る思い出を噛み締めて、一つ一つ確かめて進んだ先の終着点。

 

 僕と彼女の「約束」が始まって、三年間の中で最も多くの時間を過ごした場所。

 

 彼女に感謝を告げるのであれば、ここにすると決めていたから。だからこそ、中学校最後のクリスマスはここで過ごしたかった。

 

 

 二人の全てが始まった、この美術室で。

 

 

「メリークリスマス! 僕からのクリスマスプレゼントだよ!」

 

 恰幅のいい、赤い衣装の老人に変身したりはしない。彼女が教えてくれた僕自身(・・・)の姿でこれ(・・)を渡してこそ、意味があるんだと思う。

 

 

 体のラインがハッキリとした、フード付きの上着。どの季節でも着られるようにと、耐久力と温度調整に優れた素材で仕立てられた特注品。女の子的には、毎日同じ服を着るなんて論外だろうけど。

 

 つまり、僕が着ているものとほとんど同じもの。

 

 普通に考えたら、多感な思春期にペアルックなんてハードルが高いと思う。だけど、彼女も僕も普通じゃないわけで……さらにいえば、彼女は口癖のように「ショウくんになりたい」って言ってくれているから。

 

 きっと、一番喜んでくれる。彼女へのプレゼントには、きっと、多分、これが最も相応しい。

 

 

「Aラインが可愛い服が好きって前に言ってたじゃん? その辺の好みも考慮して、ちょっとだけデザインは変えてるけど……あとは、僕の着ているやつと同じだよ。どう? …………もしかして、気に入らなかった?」

 

 ポカンとした表情で固まって、あまりにも反応が薄いものだから。「ハズした」のかと、普段よりも早口になってしまった。これで喜んでもらえなかったら、ちょっとだけ恥ずかしいかもしれない。

 

 

 そんな気持ちを込めて、伺うように顔を見つめれば。トガちゃんは呆然とした様子のままで、両手をこちらへと伸ばしてきた。

 

 その動きに合わせて、彼女へとプレゼントを手渡す。

 

 目の前にあるものが信じられないのか。彼女は腕の中にあるものを確かめるように、受け取った服を撫でて……そのまま、ゆっくりと抱きしめた。

 

 

 その反応だけで、十分だった。

 

 言葉なんていらない、これ以上ないほど分かりやすい態度。それを見て……いつの間にか緊張していたんだろう、僕の口からため息がこぼれる。

 

 心配は、杞憂に過ぎなかった。

 

 今の彼女の様子を見て、プレゼントを気に入らなかったなんて、そう考える人はいないだろう。

 

 

 それくらい、綺麗な笑顔をしているのだから。

 

 

「…………ありがとう、ショウくん

 

 こちらこそ、いつもありがとう。

 



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-2-

 

『ごほーびが欲しいのです』

 

 高校受験の合格発表があった日。

 

 晴れて同じ高校へと通えることになったトガちゃんは、いたずらっぽい表情でそう口にした。

 

 ご褒美? と、首を傾げた僕に言い聞かせるように。彼女は「私、すっごく勉強頑張りました」と言葉を続けた。

 

『でもさ、勉強を教えたのって僕じゃない?』

 

『もちろん、感謝してます! ……でもでも、たくさん頑張ったのです。ちょっとくらいイイコトがあっても、バチは当たらないと思います』

 

『……まぁ、無理のない範囲ならいいけどさ』

 

 あまりにも、物欲しそうな目で見つめるものだから。

 

 無理のない範囲で、なんて曖昧な制限をつけたとはいえ。あっさりとオーケーを出してしまったのは……我ながら甘いというか、なんというか。

 

 子供にねだられる親というのは、こんな気持ちなんだろうか。

 

 僕とトガちゃんは同い年なわけだけど。こういうふうに彼女がなにかを欲しがる度に、子供っぽい仕草を見る度に、そのことを忘れてしまいそうになる。

 

 

『で、何かしてほしいの? それとも、欲しいものがあったりする?』

 

『えへ、なにも考えてません!』

 

『…………この話は無かったということで』

 

『わあっ、ちょっと待ってください! 冗談! 冗談です!』

 

 合格番号が張り出された掲示板の前でそんなやり取りをしていた僕たちは、さぞかし鬱陶しかったことだろう。よくよく考えてみれば、その場で誰かから怒鳴りつけられてもおかしくなかったんじゃないかとすら思う。

 

 それに気がつかないくらい、舞い上がっていて。正直にいえば、嬉しかったんだろう。

 

 合格発表に一喜一憂するなんて、それこそ普通の子供のようで。きっと……トガちゃんと出会わなければ、高校受験にあそこまで熱を入れる事もなかった。

 

 お互いの存在があったからこそ、道を踏み外したというのに。社会へと通じるレールの上を進む理由も、お互いの存在だなんて。

 

 人のフリをしている者同士が、相手を人間社会へと繋ぎ止めている。いずれ必ず破滅が訪れると知っていながら、過ぎ去る瞬間の一つ一つを楽しんでいる。

 

 なんだかおかしくて、笑ってしまう。

 

 滑稽だとすら思う。

 

 

『で、なにが望み?』

 

『なにも考えてないっていうのは、本当なんです』

 

『えぇ……いや、別にいいけどさ。僕が忘れないうちにでも考えてくれれば────』

 

 

『だから、ショウくんに考えてほしいんです。ショウくんが一生懸命考えてくれたものが、私にとっての一番のごほーびです!』

 

『うっわ、随分ハードル上げてきたね』

 

『えへっ』

 

 あのクリスマスの日から。彼女は少しだけ、僕に対する遠慮をしなくなった。

 

 あれだけ刃を突き立てられて、傷口から血を吸われて、何を今更って言われるかもしれないけれど。僕がそう勘違いしているだけなのかもしれないけれど。

 

 どことなく、雰囲気が柔らかくなったというか。

 

 今の彼女を言葉で表現するならば、そう、自然体になったというのが一番当てはまると思う。

 

 彼女の抱えている吸血衝動というのは、あくまでも手段に過ぎない。その本質は好意を示すための……いうなれば、愛情表現であって。

 

 好きなものに「なりたい(・・・・)」という憧れに近い感情と、それを可能にさせる個性、発動条件である血の摂取……それが一つの流れとして完成していて、彼女の中ではイコールで結ばれているから。だからこそ、彼女は愛しいという気持ちを一般的なソレよりも過激な行動で示してしまう。

 

 血が好き、というのも。

 

 その精神構造に、趣向が寄り添ったんだろう。条件反射的なものであって、パブロフの犬の理屈に近いと思っている。

 

 

 僕はトガちゃんの気持ちを受け入れた。

 

 僕と同じ服を渡して、気持ちを行動で示した。彼女もそれを理解したからこそ、ありのままの自分で生きていこうとしているのだろう。

 

 

 それは、僕が望んでいたことであって。

 

 だけど、彼女の存在は世間に認められない。人々が超常の力を宿したこの社会であっても、他者を傷つけることは法的にも倫理的にも許されることではないのだから。

 

 彼女のように、個性が原因で歪んでしまう子供というのは珍しくない。自己と他者の違いを認識する年頃であれば、誰だって道を踏み外す可能性を秘めている。

 

 それを、抑圧しようとするのは。

 

 あるいは、生き物として当然のことなのだろう。価値観を統一して、倫理感で縛り付けて、人間社会というのはその上で成り立っているのだから。

 

 人類が「人」という形を抜け出したこの世界でさえ、人々は自らを人型に当てはめようとする。

 

 角を折って、牙を抜いて、爪を削って。自分という存在を無理やり人の形に近づけて、傷つくことも飲み込んだ上で、痛みを無視して形を変えようとする。

 

 

 そうしなければ、社会に受け入れてもらえないから。

 

 一見して自分勝手に振舞っている彼女でさえ、そうなのだから。両親に本性を否定され、周囲から迫害されることを恐れているからこそ、彼女は僕の前でしかその本性を見せていなかった。

 

 最後の壁を、ブレーキを踏み続けていた。

 

 

 だから、僕が彼女を変えた(・・・)

 

 僕の体に傷をつけて、血を吸う彼女が、あまりにも嬉しそうだったから。本性を曝け出して、生まれ持った本能に忠実に動く彼女の笑顔が、とても魅力的だったから。

 

 少しずつ、少しずつ。その心の中に、僕という存在を刷り込んだ。

 

 傷ついても、血を流しても、最後には元どおり。自分の欲望をぶつけても、絶対に壊れることのないサンドバッグ。

 

 そんなものを目の前にして、どれだけの人々が自制できるだろうか。自らを焼く熱情に、嘘をつけるだろうか。

 

 

 僕には、出来なかった。

 

 だからこそ、彼女にも同じ場所まで来て(堕ちて)ほしい。

 

 破滅の瞬間は、最後の壁を乗り越えるタイミングは、同じがいいから。彼女が僕を変えてくれたように、僕も彼女を変えてあげたい。

 

 その方が、幸せに生きていけると思うから。

 

 

『じゃあさ、卒業したら────』

 

 最後の一線は、一緒に踏み外そう。

 

 

-1-

 

 朝から、どこか気持ちが浮ついていた。

 

 中学校生活最後の日、つまり卒業式。

 

 時間の流れはどんなものにも等しく与えられるものであって。長いようで短かった三年間も、今日で終わりを告げる。

 

 たくさんの思い出を作った校舎も、慣れ親しんだ美術室も、もうお別れだ。

 

 もしかしたら、この先も何か理由があって訪れることがあるかもしれないけれど。よほどのことがない限り、そんな可能性は殆ど無に近いだろうから。

 

 正直にいえば、ちょっとだけ寂しい。昨日の夜までは、珍しくエモーショナルな気持ちに浸っていた。それこそ、日課の夜遊びを控えて大人しく寝てしまうくらいには。

 

 

 だから…………単純に、色々思うところがあるのは間違いないんだろうけど。

 

 それとはまた違う何かが、腹の底からせり上がってくるような。そんな高揚感と……虫の知らせが、僕の頭の中で激しく動き回っていて。

 

 ゾワゾワとした感覚が、ひっきりなしに背中を駆け上っていく。

 

 気持ちの話だけではなく、肉体的な意味でも。今日一日で何回、トガちゃんやクラスのみんなから体の変化を指摘されたことだろうか。卒業式に合わせて新調した服が、内側から何度も突き破られそうになって。何事もなく元に戻るたびに、その耐久性にありがたみを感じた。

 

 気持ちに引っ張られて、個性の制御まで甘くなっている。

 

『ショウくんも緊張とかするんですね』

 

 そう言われて、僕はどんな言葉を返しただろうか。会話の内容は覚えてなくても、彼女の不思議そうな表情は頭の奥に残っているから。たぶん……曖昧な言葉で濁したんだろう。

 

 

 根拠を問われれば、勘としか言えないけど。それでも、ある種の確信のような何かが頭の中を満たしている。

 

 僕たちの日常を変えてしまう何かが。

 

 今日、起きるんだと。

 

 

『ちょっとした用事があるので、ショウくんは待っててくれると嬉しいです』

 

 式も終わり、最後のホームルームが終わり。クラスメイトもバラバラに別れて、それぞれが親や親しい友人と一緒に学校を去った後になっても。僕がこうして一人で教室に残っているのは、彼女にそう頼まれたから。

 

 ちょっとした用事、そう言っていたけれど。それがどの程度の時間を必要としているのか確認しなかったのは、僕のミスだ。

 

 一人寂しく窓から外を眺め始めてから、既に十数分の時間が経っていて。普段だったらなんとも思っていなかっただろうけど、今日は卒業式で、奇妙な感覚が残っているから。十数分という、ちょっとした時間であっても。彼女が隣にいないことに、心細さを感じてしまうというか。

 

 一生に一度しかない記念日で、これからの人生で経験できないことなんだから。ちょっとくらい思い出を残しておきたいと考えてしまうのは、割と普通のことなんじゃないだろうか。

 

 自分で思っていたよりも、この場所に愛着が湧いてしまったのかもしれない。

 

 こうして机を撫でているだけで、これまでの三年間を昨日のことのように思い出せる。

 

 

 トガちゃんと出会った時のこと、美術室での秘め事、夜の学校でのおいかけっこ。

 

 二人きりの部活動、体育祭や文化祭、ハロウィンにクリスマス。

 

 

「本当に、楽しかったなぁ」

 

 言葉にすれば語りつくせないほどの思い出が、この場所には残っていて……だからこそ、こんなにも寂しい気持ちになってしまう。

 

 だって、それが終わってしまうから。

 

 中学校生活、だけの話ではなく。

 

 

 僕たちにはきっと、これから先の人生で。ここで過ごした時間以上に穏やかな(・・・・)生活というのは、絶対に訪れないだろうから。

 

 今日この時、この場所で。

 

 

 普通の人間(・・・・・)としての生活が、終わりを迎えてしまうだろうから。

 

 それがたまらなく寂しくて、そして、どうしようもないほどワクワク(・・・・)している。

 

 ずっと待っていた、一生訪れてほしくなかった。

 

 口から笑い声が溢れて、目から涙が止まらない。

 

 嬉しくて、楽しくて、悲しくて、切ない。

 

 

 陽の光に照らされて教室内に広がっている僕の影が、独りでに動き出して、その形を自由に変化させている。

 

 いや、独りでにっていうのはちょっと違うけど。本当は、僕の体の方が勝手に動き出してしまっているだけなんだけど。

 

 その衝動に身を任せて、自分の心が走り出すままに委ねて。人のものを大きく逸脱した腕で教室の扉を開けて、そのまま身を廊下へと滑らせる。

 

 

 一歩、また一歩と。足を進めるにつれて、体が元の形を取り戻していく。

 

 そしてシルエットが人の形に収まった後は、一歩、また一歩と足を進める度に、再び怪物の体へと変化していく。

 

 点滅する光源のように、満ち欠けする月のように。人としての僕と、怪物としての僕。それぞれが入れ替わり立ち替わり現れては、お互いの存在を塗りつぶす。

 

 抑えようとしても無理だろうし、抑えるつもりもない。全ての姿が僕で、最後に残るのも僕なのだから。

 

 

 ……本当は、トガちゃんが教室を出て行った時。

 

 止めようと思えば、止めることはできた。

 

 彼女が何かしようとしているのは、目を見ればすぐにわかった。ほぼ三年間、同じ時間を過ごしてきたのだから。様子がおかしいことくらい、察しがつくというもの。

 

 じゃあ、どうして止めようとしなかったのか。

 

 その選択こそが、僕の答えだからだ。

 

 

『────────っ!』

 

 誰かの、ステキな悲鳴が聞こえた。

 

 

-0-

 

 過去が追いつく、というのは。

 

 きっと、この瞬間のことをいうのだろう。

 

 

ショウくん、大好きですよ

 

 視線の先で、彼女が微笑む。

 

 僕が壊してしまった家の中で、彼女の周りだけは綺麗なままだった。それこそ不自然なくらいに、瓦礫の一つも存在していない空間。

 

 崩れ落ちた屋根の隙間から覗き込む満天の星が、優しく輝く月が、暗闇の中の僕たちを照らしている。まるで……舞台の上に立つ主人公とヒロインのように。今夜だけは、僕たちがこの世界の主役だった。

 

 

僕も、大好きだよ

 

 膨張し、沸き立ち、溢れ出して。僕の体は大きく高く膨れ上がって、天へと伸びていく。少し離れた場所にある街からも見えるほど高く、すぐにでも誰か(ヒーロー)が駆けつけてくるくらい悍ましく。

 

 

 許容量を越えた質量が、辛うじて建物としての姿を保っていた我が家を押しつぶす。家族との思い出が、これまで歩んできた日々が。その一片も残らずに、瓦礫の底へと沈んでいく。

 

 否定するように、訣別するように。

 

 これは、ケジメだ。両親を死なせてしまった僕への、そして、人間だった過去への。別れのために必要なことで、自分勝手な儀式。

 

 心の奥に残されていた人間らしさが、また一つ、音を立てて砕け散る。

 

 抑圧されていた個性(・・)が肉体と心を弄り回し、その本質を、造形を、人に非ざる者へと作り変える。

 

 もう、人のままではいられない。

 

 

 まるで、一つの臓器になってしまったみたいに。今まで感じたことのない胸の高鳴りが伝播して、全身が鼓動するように脈打つ。

 

 自分が抑えられない、抑えるつもりもない。

 

 だって、そうだろう。

 

 楽しく生きるということは、自分に正直になるということなのだから。

 

 心の奥底から溢れ出す衝動を抑えつけるなんて、そんなのバカげている。

 

 

 ねぇ、トガちゃん、お願いだから────。

 

 

 

 

「ぼくといっしょに、死んでくれ」

 

 

 



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グッバイ、マイフレンド

 

 恐怖、忌避、嫌悪、それらは元を辿れば一つの感情であって。不快……つまり、嫌な気持ちから派生したものに過ぎない。

 

 生理的に無理、という言葉があるように。人は理性ではなく、本能で不快な感情を抱くものだ。どれだけ聖人君子であっても、立派な倫理観を持っていたとしても。人間である以上は、胸の奥底に秘められた本能に逆らうことは難しい。

 

 ニュアンスに違いこそあれ、不快だと感じるのは人間なら当たり前に備わっている機能だから。

 

 大切なのは、その感情にどう向き合うか。受け入れられないものを、どのように扱うのか。

 

 怖い、そう思うのは恥じることじゃない。

 

 関わりたくない、そう思うのは仕方がないことで。

 

 気持ち悪い、そう思ってしまうのは責められない。

 

 

 だけど、自分の中にある不快感を認めるのは。これがなかなかどうして、難しい。

 

 不快であるという事実は、どうすることも出来ないのに。人々はまるでそれがいけないことのように、存在してはいけないもののように扱って、本質から目を逸らしてしまう。

 

 負の感情そのものが、醜いとでもいうように。

 

 人は自分の抱いた感情を認めない。

 

 認めたくないから、原因を取り除こうとする。異物を、自分たちの生活を脅かす何者かを排除しようと立ち回る。

 

 醜い感情を向ける対象が消え去れば、自分の中の醜さも消えて無くなるだろうと、そう信じて。

 

 

 結局、紙一重なのだ。

 

 不快感に対して、隷属的なのか、攻撃的なのか。受動的か、能動的か、あるいはどっちつかずか。その境目こそが、恐怖、嫌悪、忌避を感じる分け目になる。

 

 リアクションの違いだ。

 

 脅威に対してどう対処するか、どう行動するか。その判断が変わるだけであって、全ては一つの感情から生まれている。

 

 それはつまり、キッカケ一つで人の態度は変わってしまうということ。

 

 どれだけ恐れていたものでも、大したものではないと判断してしまえば。それまで抱いていた恐怖心は薄れて、その代わりに、一つの思想が頭の中に浮かび上がる。

 

 抑圧されていた、攻撃的な本能が目を覚ます。今までの恐怖心を忘れたいがゆえに、不快感を与えてきた存在へと危害を与えようとする。自分の方が上だと、お前なんか怖くないのだと、言い聞かせるように。

 

 拳を振り下ろす対象が、どんな事情を抱えていようと関係ない。彼らにとっては存在自体が許し難く、相手こそが悪そのものであり、自分たちこそ被害者であると思っているのだから。

 

 心が弱いほど、不快に耐えられない者ほど。その行為に疑問を抱かず、正義の行いであると思い込む。

 

 だって、そうでもなければ耐えきれないから。

 

 いくら理性が働いていたとしても、怖いという気持ちに嘘はつけない。居なくなってほしいと思うことをやめられず、だけど自分が加害者になるのも恐ろしい。

 

 だからこそ、流れていく。楽な方へと、自分を守る方法へと、流されるままに傾いて、恐怖心で失った何かを理論武装で補う。

 

 その理屈こそが、どれだけ脆く儚いものかも知らずに。自分を正義だと思い込んでしまう瞬間が、どれだけ危ういのか自覚せずに。

 

 

 そして、逆に。

 

 恐怖が嫌悪に変わり、攻撃の対象になるように。

 

 嫌悪もまた、キッカケ一つで恐怖へと転じることもあるということを。知っているはずなのに、理解しようとしない。

 

 自分たちが優位に立っているんだと、そう信じていたものが崩れ去った時こそ、人は最も強い恐怖を感じる。

 

 心の一番弱い部分に、それは潜んでいる。

 

 切り離せるものじゃないんだ、絶対に。

 

 

 …………だけど、だからこそ。

 

 嫌悪と恐怖のサイクル、そこから抜け出せる者が眩しくて仕方がない。恐怖を押し殺して前へ進む者、嫌悪を飲み込んで手を差し出す者。楽な方へと流されず、むしろ険しい道へと自ら進んでいく者たち。

 

 それこそが、人の可能性。

 

 誰もが知っている、人類の輝き。

 

 

『しょうくんを、いじめるな!!』

 

 人は彼らのような者を、ヒーローと呼ぶのだ。

 

 

-0-

 

 個性が当たり前のように存在して、超常が物語の世界だけの話ではなくなったこの社会において。ヒーローという言葉は、旧時代よりも遥かに身近なものに変わった。

 

 市民の救助、現場からの避難、(ヴィラン)の撃退。ヒーローに求められる基本三項という概念にある通り、彼らはそれぞれのやり方で多くの人々を救っている。

 

 個性には向き不向きがあって、活躍できる現場はそれぞれ違うわけだから。実際のところは、基本以外にも幅広く活躍しているといってもいい。

 

 個性を使える人間は、個性を使えない人間よりもできることが多い。

 

 合法的に個性を使用できる彼らにとっての戦場とは、自分の個性が最も輝く場所なのだから。自分が役に立てる、目立てる場所で活躍しようとするのは、なにもおかしくない。それこそ、厨房がテリトリーというヒーローもいることだろう。

 

 それはつまり、ヒーローの活動とは非常時だけに発揮されるものではないということで。彼らは僕たちが思っている以上に、人々の生活に貢献しているのだろう。

 

 それこそ、誰もがヒーローに救われたことがあるくらいには。未来ある子供達がその背中を見て、自分もそうなりたいと思えるくらいには。ヒーローとは身近で、馴染みある存在だから。

 

 

 そんな社会の一部である僕も、当然、ヒーローに救われたことがある。

 

 いや…………ヒーローという言葉であの人たちを括るのは、厳密には間違っているのかもしれない。

 

 この超人社会において「ヒーロー」というのは、あくまでも職業の一つであって。物語の中に出てくるような、無償の奉仕を捧げる存在のことではない。個性を使うことでお金を貰っていて、傾いた見方をするならば、ショーを盛り上げる役者にも等しい存在。

 

 ただの市民で、免許を持っているわけでもない。さらにいえば、個性を使ったわけでもないあの人たちのことは。世間一般的には、ヒーローとは呼ばないのだろう。

 

 

 それでも、僕の中では。ヒーローといえばその人たちのことを指していて、助けられたと思う気持ちに嘘はつけない。

 

 だって、手を差し伸べてくれた。

 

 なにも悪くないたくさんの子供達に、消えないトラウマを植え付けた僕に。

 

 醜く、悍ましい容姿に恐れることなく……いや、恐れていたとしても、けっして目を逸らさず。その恐怖心を乗り越えてまで、救おうとしてくれた。

 

 個性が発現してからも態度を変えることなく、惜しみない愛情を注いでくれた両親。誰もが逃げ惑う混乱の中でただ一人、僕に語りかけ続けてくれた幼稚園の先生。

 

 そして、あんな事件があったにも関わらず。僕を排除しようとする周囲の流れに逆らって、イジメてもいい人間として扱われそうだった僕を庇ってくれた『斎藤くん』。

 

 みんながみんな、輝いていて。

 

 彼らの存在があったからこそ、僕は人間として社会の枠組みに収まろうと思えた。自分の本性、抑えきれない熱情に正直に生きつつも、出来る限り平穏な日々を過ごしてみようと努力できた。

 

 それが……愛と勇気(化物の殺し方)を行動で示したことに対する、最低限の礼儀だと思ったから。

 

 

 恐怖に満ちた表情が好きで、絶望を孕んだ悲鳴が心地いい。人としてではない、化物としての僕はそんな歪んだ趣向をしていたけれど。

 

 それと同じくらい、恐怖を乗り越えた人の表情も好きだった。恐れ知らずではなく、怖くても、逃げ出したくても、それでも立ち向かおうとする人々の。弱くても輝き続けようとする、決意に満ちた瞳が大好きだった。

 

 その瞳に映る僕の姿に、気持ちが昂ぶる。もっと僕を見てほしい、もっと強く輝いてほしいと心が叫びたがる。

 

 救いようのない化物ほど、光に強く焦がれる。それはまるで、自ら火へと飛び込む虫のように。

 

 

 でも、彼らの手を取ることはできない。

 

 僕たちに必要なのは、地獄から掬い上げてくれる蜘蛛の糸ではなく────共に地獄で笑ってくれる、化物(同類)だけなのだから。

 

 

「トガちゃん、迎えにきたよ」

 

「あ、ショウくん」

 

 だからこそ、こうなってしまったのは必然であって。陳腐な言葉を使うのならば、運命というやつなんだと思う。

 

 血に濡れたカッターナイフを手に、返り血で赤く染まった頬を拭うこともなく。惚けた表情で遠くを見つめていたトガちゃんは、いつもと変わらぬ調子で僕の名前を呼んだ。その目は僕の姿を映していながらも、何か別のものを見つめている。

 

 ぴょこぴょこと、跳ねるような足取りで。こちらへと近づく彼女の背後には、一人の少年が横たわっていて。

 

 勿論、こんな場所で寝ているわけではない。

 

 トガちゃんに付いている血の持ち主で、つまり、彼女の凶行の被害者。遠目でも重傷なのが分かるくらい、彼の周辺は赤い水たまりで覆われている。

 

 出血のショックによるものか、意識は失われている。呼吸によって体は上下しているから、死んではいないのだろう。ただ、それも時間の問題というか。このまま放置すれば、彼にとってよくない結果に繋がるのは間違いない。

 

 

 僕にとって唯一といってもいい幼馴染、幼稚園からの知り合いである『斎藤くん』が、そこに倒れていた。

 

 瞳は薄っすらと開かれていて、そこに輝きは宿っていない。どこか遠くを見ているようで、何も映していない。気絶しているのだから、当たり前だろうけど。

 

 変わり果てた、と表現するのは縁起が悪いだろうか。まだ生きているわけだし、僕的には、死なせるつもりもないのだから。

 

 袖の中から伸ばした(・・・・)腕を、彼の傷口へと当てる。そこからトクトクと漏れ続ける命の源を止めるために、細く尖らせた指先を傷の中へと侵入させる。体内を流れる血液を止めないように体を作り変えて、傷ついた箇所を補うための、擬似的な内臓と血管を作り出す。

 

 トカゲの尻尾を切るように指を自切して、応急処置の真似事は終わり。よほど運が悪くない限りは、死ぬこともないだろう。

 

 個性をコントロールするために身につけた人体の知識が、こんなこと(人命救助)で役に立つとは思わなかった。

 

 

 具体的に何をしていたのかは分からなくても、僕が救命行為をしていたことくらいは理解しているのか。トガちゃんは何も言わずに、その様子を見つめていて。

 

 斎藤くんの呼吸が落ち着いたのを確認してから、彼女は固く閉じていた口を開いた。

 

「ショウくん、怒ってますか?」

 

「えっ? なんで?」

 

 親に叱られるのを恐れる子供のような、震えた声音で。今まで見たことのない不安そうな表情を浮かべながら、彼女がそんな事を聞くものだから。その意味を問い返した僕の声は、自分でもビックリするくらい間抜けそうなものだった。

 

「だってショウくん、斎藤くんのこと好きですよね。わかるんですそういうの、私もショウくんのこと好きですもん」

 

「怒ってはいないよ」

 

「そうなんですか? …………それは、ちょっと冷たいんじゃないですか?」

 

「えぇ……なんで僕が責められてるの?」

 

 やや責めるような口調になったトガちゃんに、流石に困惑してしまう。そもそも、彼を刺したのはキミじゃないかと。思わずツッコミそうになる。

 

 ムッとした表情で見上げてくる彼女の目を、何故か見つめ返すことが出来なくて。視線をあっちこっちへと彷徨わせながら、言葉を返す。

 

「…………正直、ちょっと悲しいかな」

 

「悲しい、ですか?」

 

 今度は不思議そうな顔で、彼女は首を傾げた。コロコロと変わる感情表現の豊かさと、この状況でいつも通りの態度をしている不自然さが相まって、不気味ですらある。そういうところが、好ましくもあるわけだけど。

 

 なるべく分かりやすいように、ある程度かいつまんで。僕と斎藤くんの関係を伝える。

 

 幼稚園、小学校と同じだったこと。幼稚園の時に事件をおこして、それまで一緒に遊んでいた子達が離れていく中で、唯一友達として振舞ってくれたこと。イジメから助けてもらったこと。

 

 

「え、じゃあどうして疎遠になっちゃったんですか? 三年間、一度もそんな素振り見せてなかったじゃないですか。ずっと同じクラスだったのに……喧嘩でもしちゃったんですか?」

 

 あらかた説明が終わったところで、トガちゃんは先ほどよりも理解できないと言いたげな様子で感想を口にした。

 

 確かに、傍目からすれば不自然に見えるのかもしれない。少なくとも、トガちゃんと一緒に行動するようになってからはそういう態度をした覚えはない。クラスメイトとして、最低限の会話だけはしていたけれど、それだけだ。

 

 喧嘩したわけじゃない。単に、僕から離れていっただけ。

 

 ただ、それには僕なりの理由があって。それを、どう説明すればいいものだろうかと。考えて……それで、疑問に思った。

 

 そもそも、トガちゃんはどうして斎藤くんを刺したのだろうか。

 

 

 それを尋ねれば、彼女はチラッと斎藤くんの方へと顔を傾けて。それから、僕の方へと視線を戻して。

 

 いつも通りのいたずらっぽい表情を浮かべて、人差し指を口の前に立てた。

 

 

「秘密です」

 

「えー」

 

「ショウくんと斎藤くんの関係を教えてくれたら、教えてあげます。そうじゃないと、斎藤くんにフェアじゃないですから」

 

 私に、ではなく、斎藤くんに。

 

 その言い回しが、なんとなく引っかかったけれど。それはそれとして、この場所にいていい時間はあまり多くないから。

 

 説明するのにも、都合がいいかと。

 

 

「じゃあ、僕の家に行ってからにしようか」

 

 この三年間で初めて、僕は彼女を自分の家に招くことにした。

 

 多分、最初で最後になるだろうけど。



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断末魔

 問題を起こした者に、周囲の人々がどんな視線を向けるか。生まれ持った力を暴走させて、なんの罪もない小さな子供達にトラウマを植え付けた化物に、どのような処分を下すのか。

 

 その化物が子供であったとしても、その出来事が偶発的な事故であったとしても。問題が発生した以上は、然るべき対処が必要であって。なんでもない日常を続けるために、責任を取らなければいけない者がいる。

 

 大人だったら、少し考えれば分かることだけど。自他の区別も曖昧だった当時の僕にとっては、それはとても難しいことで。

 

 自分が何をしてしまったのか、その結果、誰が被害を受けたのか。

 

 悪いことをした、他の人を傷つけた。その意識があったとしても、その先の現実まで想像する力は、僕に存在していなかったから。

 

 結局、その目で確かめるまで。僕は自分が引き起こした事態の深刻さを、本当の意味で理解することは出来ていなかったんだ。

 

 

 信用して預けていた子供が、トラウマを抱えて帰ってきた。眠る度に悪夢にうなされるようになって、外に出るのを怖がり始めた。結果だけ語れば短く纏まってしまうその中に、どれだけの苦しみが含まれていたことだろうか。

 

 僕の両親がそうであったように、親という生き物は自分の子供に愛情を持って接している。個性に溢れる社会の中において、腹を痛めて産んだ子供は唯一無二の存在だから。その可愛い息子や娘がひどい目にあって、大人しく黙ってられる親なんていない。

 

 自分の子供を守ってくれなかった幼稚園に対して、抗議がいくのは当たり前のことで。

 

 なぜ未然に防げなかったのか、どうして自分の子供が苦しまなければならなかったのか。そういった非難によって園が閉鎖されるまで、それほど多くの時間はかからなかった。

 

 その場所があるだけで、あの日のことを思い出す。近くを通るだけで、子供たちが声を上げて泣き出す。

 

 呪われた場所、あるいは事故物件のような。そんな建物を残し続けられるほど、世間の声は優しくなかったから。

 

 その幼稚園に通っていた子供たちの家族は、次々に他の土地へと居住を移して。残された園の関係者たちも、バッシングに耐えきれずに。一人、また一人と姿を消していって。

 

 僕が退院して、自分の家に戻った頃には。かつての日々を思い起こさせるものは、そこに何一つ残っていなくて。

 

 どうして幼稚園に行ってはいけないんだと、あれだけ頑張って個性をコントロール出来るようにしたのにと。僕の悲しみと怒りをぶつけられた両親は、弱り切った笑みを浮かべて。それでも僕を罪の意識から守ろうと、幼稚園の現状を話さなかったのに。

 

 一人家を抜け出して、記憶を頼りに。友達と一緒に過ごした場所へ向かった僕を迎えたのは、人影一つなく、かつての風景とは程遠い思い出の成れの果て。

 

 それだけなら、まだ良かったのかもしれない。幼稚園を見に行くだけで諦めて、そのまま家へと帰る選択肢を取れたのならば、まだ許された。

 

 諦められなかったから、会いたかったから。またあの時のように、一緒に遊びたかったから。

 

 記憶の中にある、遊びに行ったことのある友達の家を訪ねて回った。その全てがとっくの昔に転居済みで、誰もいなかったけれど。

 

 偶然、相手からすれば最悪なことに。

 

 どんな理由があるのかは知らないけど、一つだけ引越していない家庭があったから。

 

 見知った顔の、よく駆けっこをしていた友達を見つけて。嬉しくて、懐かしくて。だから、相手が僕にどんな感情を持っているかなんて、考えることも出来なかった。

 

 かつての友人は、僕の顔を……正確には『個性が発現する前に撮った写真に残っていた僕の顔』を見て。顔を引きつらせて、後ずさって、そして叫んだ。

 

 

『ひっ、く、くるなよ! ばけもの!!』

 

 騒ぎに気がついた彼の両親が現れて、僕と彼を遮るように立ち塞がって。虫を見るような目を僕に向けながら、どこかに電話するまでの間。かつての友人から投げかけられた言葉が衝撃的すぎて、僕は少しも動くことができなかった。

 

 やがて、警察と両親が僕を迎えにきて。両親が申し訳なさそうに、何度も頭を下げている姿を見て。

 

 その時初めて、僕は自分(化物)に居場所がないことを自覚した。そして、誰かの居場所を奪ってしまったことも、想像がつかないほど迷惑をかけていることも。どうしようもないほど、理解させられた。

 

 

 僕の見えないところで、どんなやり取りがあったのかは知らない。

 

 両親が何度頭を下げて、どれだけのものを差し出して今の生活を残したのかなんて、想像すらできない。

 

 だけど、結果として。あれだけのことをしでかしたのにも関わらず、僕は住んでいた街を追い出されることはなかった。

 

 本当だったら、僕こそ遠くへ引っ越すべきだったんだと思う。近隣住民の心の平穏を考えれば、僕を街に残すのはあまりにも問題がありすぎるから。

 

 だけど、そうならなかったのは。僕の個性を診る専門医がこの街にいて、何か起きた時にすぐに搬送しなければならなかったから。そして、個性が精神に関係する都合上、環境は出来る限り変えない方がいいという診断を下されたから。

 

 それでも、最低限の配慮はしなければいけなかったから。僕は家族と一緒に、街から少し離れた山の中の家に引っ越すことになった。

 

 ────そう、人の手が入らず、ヒーローの目も届かない。世間から隔離された、山の奥へと。

 

 

-0-

 

「ショウくんは……その、後悔してるんですか?」

 

 

 個性を使って姿を変えて、なるべく人目につかないように気を使って。そうして辿り着いた山奥の家の中で、僕は彼女に全てを語った。そして……全てを聞いた彼女が一番最初に口にした言葉が、それだった。

 

 気遣うような視線、躊躇うような声音。それでも問いかけたのは、彼女なりに、僕の過去に感じ入るものがあったからなのか。

 

 普段は遠慮のない言葉をぶつけてくる彼女も、今回ばかりは歯切れが悪そうにしている。さっきまで「ショウくんの匂いがします!」とかなんとか言ってはしゃいでいたのに、今となってはその面影もない。

 

 

「後悔かぁ……トガちゃんからはどう見える? 後悔してるように見えた?」

 

「えっと、あの…………」

 

 彼女は両手の五指をそれぞれ突き合わせてモジモジと動かしながら、顔色を伺うように上目遣いで視線を僕へと向ける。返しに困っているのは明白だから……自分で尋ねておいてなんだけど、助け舟を出すつもりで話を進める。

 

「両親に必要のない苦労をかけて、恩人の先生からは職場を奪って、イジメから庇ってくれた友達が代わりにイジメられそうになって。これで罪悪感がないっていうのなら、かなりの人でなしなんじゃないかな」

 

 その言葉に、嘘はない。

 

 僕と同じ立場になって考えるのならば、殆どの人は罪悪感を抱えて、その行いを後悔して生きるのだろうし。それが当たり前で、人間として正しい感性なのは僕でも理解できるから。

 

 

「じゃあ────」

 

「でもね、不思議なんだ」

 

 トガちゃんの言葉を遮って、そう呟いて。そのまま、胸の内から湧き上がる衝動に身を任せて、本心を吐き出す。

 

 

「両親のことは、好きだ。先生も、斎藤くんのことも、好きで…………好きなのに、その人たちが苦しんでいたり、悲しんでいても、僕の心は痛んでくれない。そこにあるべきものが抜け落ちてしまったみたいに、空っぽで、何も感じないんだ」

 

「最初は、自分がおかしくなったんじゃないかと思ったよ。色々なことがありすぎて、気持ちの整理がついてないんじゃないかって。両親が頭を下げている姿を見ても、僕を元気付けようとしているのが分かっていても、一度だって自分のやったことを後悔したことはなかったよ」

 

「それが変だってのは、幼い頃の僕でも理解してたから……だから、今まで誰にもこの話をしたことはないよ。薄情で、恥知らずの自覚はあったからね」

 

「斎藤くんから離れたのもね、彼のためとかじゃないんだ。僕と一緒にいると不幸になっちゃうから……みたいな、そういう気持ちがないわけじゃなかったけど。僕のために喧嘩して、僕のために傷ついていく斎藤くんの姿を見て……それでも、何も感じなくて。それがなんとなく気持ち悪くて……だから、距離を取ったんだ。自分勝手な理屈でね」

 

 一言、また一言と。これまで一人で抱えてきた反動か、堰を切ったように言葉が溢れてくる。自分の口じゃなくなってしまったように、コントロールできない。

 

 口を動かす度に、気持ちを吐き出す度に。自分の中に溜まっていた膿のような何かが、言葉と共に吐き出されていくのを感じる。

 

 そして、自分の中に残っていた人間らしさも。罪悪感を抱かないことへの葛藤や違和感も、その膿と一緒に流されていく。

 

 心が、軽くなる。

 

 

「斎藤くんが倒れている姿を見た時もね……やっぱり、何も感じなかったんだ。怒りも、焦りも、なんにもなくて……それが、ちょっとだけ寂しくて。だから、だから────」

 

 

気がついたんだ(・・・・・・・)

 

 

「彼らの存在は、僕にとって()だった。家族への愛も、恩人への感謝も、幼馴染への情も。全部作り物で、全部嘘っぱちで……化物が人間を真似しようとして産み出した、偽物の感情だったんだ」

 

 その言葉を口にした瞬間、僕の中の何かが悲鳴をあげた。それはきっと、人間だった頃の名残で。個性に目覚める前の、まだ人らしい感情があった時の僕自身が、消えたくないと叫んでいる。

 

 それ(・・)を、握りつぶす。

 

 

(化物)は、心まで化物だ」

 

 

-0-

 

 約束していた通り。

 

 僕の独白を聞いて、少し経ってから。トガちゃんはポツポツと、学校で何があったのかを話し始めた。

 

「斎藤くん、全部知ってたらしいのです」

 

「全部って?」

 

「私とショウくんの関係……あと、ショウくんの趣味(夜遊び)も。本当に、全部」

 

「どうやって……あぁ、個性を使ったんだ。ヒーロー志望なのに、結構悪いところあるんだね」

 

「…………それ、少なくともショウくんは言っちゃダメだと思うのです。悪いことに一番個性使ってるの、ショウくんですよ」

 

 流暢な口笛を吹きながら目を逸らした僕の横顔に、鋭い視線が突き刺さる。なんだろう、トガちゃんはやけに斎藤くんの肩を持つというか。他の人のそれと比べて、ちょっとだけ優しく感じる。いつのまに仲良くなったんだろうか。

 

 

「私がそれを知ったのは、たまたまでした。個性でショウくんの姿になって歩いている時に出会って、卒業式が終わったら校舎裏に来るように言われたんです。本当だったら、ショウくんのことを呼び出すつもりだったんだと思います」

 

「その誘いに乗って、私はショウくんのフリをして校舎裏に向かいました。誘われた時は明確にそうと口にしてた訳じゃないんですけど、私たちの秘密を知っているような口ぶりだったので」

 

「ショウくんを脅すつもりだったんなら、口止め(・・・)するつもりでした。そうじゃなくても……秘密を知られている以上は、平和的な解決は出来ないと思っていましたけど。私たちの関係だけじゃなくて、ショウくんの趣味を知っていたのに通報しなかったのは不自然だったので……直接会って、確かめようと思ったんです」

 

 そこまで口にしてから、トガちゃんは椅子から僕の方へと身を乗り出した。僕の両頬を掴んで、逸らしていた視線を自分の方へと向ける。

 

 ギラギラと輝く瞳の中に、僕の顔が映り込む。

 

 

「斎藤くん、ずっと悩んでたらしいですよ。ショウくんを犯罪者にしたくない、だけど、危ないことはやめてほしい……どうすれば止めてくれるのか考えて、今までも何度かショウくんに接触しようとしたそうです。でも……また昔みたいに拒絶されるんじゃないかって思うと、出来なかったらしくて」

 

「だから、卒業式になってようやく覚悟できたって。進路も違う、住む場所も離れてしまう。その前に決着をつけたかったって……遅すぎますよね」

 

 口にする言葉の静かさとは裏腹に、彼女の瞳は輝きが増していって。口は横に大きく広がって、息は荒く、明らかに興奮状態になっている。

 

 まるで、僕たちが出会ったあの日のように。あるいはそれ以上に、本性が溢れ出している。抑えていたものが抑えきれなくなって、表情に出てしまっている。

 

 変身(・・)している。

 

 グレゴールが毒虫になって、這いずり回る快感に目覚めたように。僕が自分の気持ちに向き合って、化物として生きていこうと決めたように。

 

 彼女もまた、自分自身の殻を破ろうとしている。

 

 

だから(・・・)、刺したんです」

 

 

「斎藤くんの言葉からは、ショウくんへの気持ちが伝わってきました。斎藤くんは本当にショウくんのことが好きで、ショウくんに普通(・・)の生活を送ってほしいんだって、心の底からそう思ってたんです」

 

「でも、普通(・・)ってなんですか? 自分の好きって気持ちに嘘をついて、我慢するのが『普通の暮らし』なんですか? ……私はカワイイのが好きです、血が好きです、自分に正直に生きるショウくんが好きです。ショウくんみたいに……ううん、ショウくんになりたいです」

 

「斎藤くんの、ショウくんが好きって気持ちはとてもよく分かります。私も、同じ人が好きですから。でも……だからこそ、私の好きな『ショウくん』を取られたくないって思っちゃいました」

 

 

「私は、私の好きなものを守りたい」

 

 

「それって、いけないことですか?」



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羽化

 僕の存在は、とても危ういバランスの上に成り立っている。

 

 人間の肉体構造を把握していなければ、二足歩行もままならない。トガちゃんがいなければ、百面(モモヅラ)(ショウ)としての顔すら再現できない。

 

 一日前の自分と、今の自分が、同じ姿をしている保証がない。目に映るもの全てがイメージに影響を与えて、それまでに培った知識の全てが肉体を変化させようとする。

 

 自分の意思で思考を完全に制御するというのは、限りなく不可能に近い難題だろう。思考というものは、人々の感情や経験を処理するためにはどうしても必要なものだから。

 

 それこそ、全てを俯瞰してクリアに眺めることができるほどの頭脳を持っているか。逆に、白痴でもなければ。絶え間なく行われる知性の代謝を止めるなんて、できるはずがない。

 

 考えることを止めよう、そう考えている時点で思考から抜け出せていない。雑念を消そうとする行為自体が、雑念そのものに他ならない。

 

 呼吸を止めることはできても、心臓の動きを止められる訳ではないように。何も考えていない、という状態を作り出すのは、自分の意思で心臓を止めるのと同等の技術が必要で。

 

 たとえ、その状態に辿り着いたとしても。四六時中そのままで生活できるわけではない以上、根本的な解決には繋がらない。

 

 僕が僕として生きていくためには、個性を完全に制御するためには。思考停止という「逃げ」に走ることすら許されない。

 

 だからこそ、磨き続けてきた。

 

 生きていくために必要な知識を掻き集めて、その知識を十全に活かせる技術を身につけた。

 

 それが必要なことだというのは、分かっていたから。他の誰のためでもなく、自分が自分らしく生きるために必要なことだと、理性と本能の両方で理解していたから。その積み重ねの先に、今の僕が存在している。

 

 

 ずっと、考え続けてきた。

 

 自分とは何者で、何が僕を僕だと証明してくれるのか。ずっと、ずっと考え続けてきた。

 

『個性:変身』

 

 自分の肉体を、望むがままに変化させる力。想像力の行き届く限りなら、何者にでも『成れ』る力。何者でもない何かにでも、『成れ』てしまう力。

 

 そんな力の発動条件が、頭の中のイメージだけだというのが……僕は恐ろしかった。

 

 そもそも、イメージというのは酷く曖昧なものだ。脳の処理能力に限界がある以上、一つの姿を思い浮かべたとしても、その時その時によってイメージの解像度には差があるのが当たり前なのだから。そんなものに身を委ねて、個性の制御を任せて、肉体の変化を行うなんて。

 

 何度も何度も、足元が崩れていくような不安が頭をよぎった。

 

 あとどれだけ、今の姿を保っていられるだろう。言葉で形容できない姿に、醜い肉塊にならないでいられるだろうと。そう考えない夜はなかったし、朝は必ず姿鏡で自分の体を確認した。

 

 そして、昨日と変わらない自分が鏡の中に立っているのを確かめるたびに。なんともいえない安堵の念が、胸の中から溢れて止まらなかった。

 

 

 誰にも、理解できない。

 

 僕以外の誰一人、この気持ちは分からない。

 

 次の朝に目覚めた自分が、それまでの自分じゃないかもしれない。鏡の中に映る姿が、見知らぬ他人のものかもしれない……人のものですらないのかもしれない。そんな苦しみを抱えて過ごす日々が、どれだけ辛く、非情で……心を歪ませていくのか。

 

 この気持ちは、同じ環境に身を置いている者にしか理解できない。

 

 

 鏡の中の自分が、本当の自分の姿だという保証もない。自分で『自分』だと思っているものですら、正解だとは限らない。

 

 目に映るものが信用できず。記憶の中にある姿は曖昧で、時間とともに薄れて消えていく。

 

 じゃあ、自分とはなんなんだ。

 

 目の前にいるのは誰だ、鏡の中で笑っているのは誰だ。一日たりとも姿が安定しない、見るたびにどこか違和感を覚えさせられる。この気持ち悪い生き物が、本当に僕なのか。

 

 (お前)は誰だ、お前()は誰だ。

 

 

 見た目があてにならないなら、何を以って自分が『百面(モモヅラ)(ショウ)』であることを証明できる? 僕という存在のアイデンティティは、どこにある?

 

 先生も、友達も、両親ですら。僕がその気になったのであれば、僕を見つけ出すことなんて出来ないだろう。己の意思一つで姿を変えられる存在を、街行く人々の中から探し出すなんて、その類(感知系)の個性を持っていなければ不可能だ。

 

 彼らが、何を持って僕を『百面(モモヅラ)(ショウ)』と判断しているのか。それは結局のところ、僕がそう判断するに足りる振る舞いをしているから可能だというだけの話であって。彼らの中に『百面(モモヅラ)(ショウ)』を識別するための確たる根拠があるわけではない。

 

 ある日突然、僕が全くの別人と入れ替わったところで。観測者である彼らに、それを認識する力はない。

 

 

 僕以外の存在が、僕のアイデンティティを証明してくれることはない。それは裏を返せば、自分で自分の存在を認識し続けなければいけないということでもあって。

 

 僕は、どうやって自分が自分であることを証明できるのだろうか。

 

 人々の瞳に映る僕は、本当に僕なのだろうか。

 

 考えなければならない。

 

 イメージで肉体が変化するということは、言い方を変えれば、僕は自分自身のイメージによって生かされているということなのだから。

 

 その根幹が揺らぐことがあれば、自分を認識する力が弱まれば。その瞬間、僕は僕ではなくなってしまう。自己を喪失して、何者でもない何者かになってしまう。

 

 沼男(スワンプマン)、哲学的ゾンビ、テセウスの船。それぞれニュアンスや議題こそ違えど、今もなお語られ続ける思考実験の数々。

 

 はたして人間は、何を以って自分が自分であると証明しているのだろう。

 

 その拠り所は、自己の所在はどこなのか。

 

 

 僕は自分を守るために、結論を見つけなければならない。沼男(スワンプマン)ではなく、哲学的ゾンビでもない。昨日とは全く別の肉体であっても、本物なんだと。証明し続けなければならない。

 

 僕は自分を、こういう存在なんだと定義する必要があった。どんなことがあっても揺るがない、滅多なことでは失われない……そんな、自分に対する絶対的な認識を用意しなければならなかった。

 

 

 だから────開き直った。

 

 人間でなくてもいい、化物でも構わない。

 

 どんな姿であっても、どんなに醜くても。見た目が僕を証明しないのなら、もはや僕にとって重要なものではない。

 

 この肉体も、個性も、そして精神も。全部が全部、僕のものなのだから。他人からどう見られようと、嫌われようと、揺らぐものではない。

 

 

 やっと、思い出した(・・・・・)

 

 僕は自分から、化物であることを選んだんだ。

 

 人にも戻れず、毒虫として生きる覚悟も持てなかった。何者にもなれないグレゴールとは違う。

 

 選べなかった男とは、違うんだ。

 

 

-0-

 

 初めてのキスだった。

 

 貪られた、と。そう表現するに相応しい、激しく、情熱的で、インモラルな接吻。息継ぎをする余裕がないほどの、本当に食べられてしまうんじゃないかと錯覚してしまうくらいに、強引な口づけ。

 

 顔を寄せ合ってから、どれだけの時間が経った事だろうか。きっと、僕が思っているほど長くはないんだろうけど。まるで、永遠にも等しい瞬間で。

 

 目の前に広がる、耳まで真っ赤に染まった彼女の顔。その原因は酸欠なのか、それともまた別の何かなのか。

 

 全力で走った後のように、荒々しい呼吸。苦しそうに見えるけど……その瞳に映っているのは、紛れもない欲望の発露。

 

 倫理観や固定観念を乗り越えた先にある、とても見覚えのある表情。

 

 楽しい、嬉しい、気持ちいい(・・・・・)

 

 そのためなら、何を犠牲にしても構わない。そんな、破綻者の表情(かお)

 

 トガちゃんの顔に張り付いているのは、そういう類のものだった。

 

 

 どうして……なんて、そんな無粋なことは口にしない。我慢ができなくて、どうしようもなく求めてしまう。その気持ちは、僕が痛いほどよく分かっているから。

 

 だから、その代わりに。

 

 

 ────それが、君のやりたいこと?

 

 僕の口から出た言葉は、自分の声と思えないほど遠くて。どこか他人事で、現実味がない譫言のようで。

 

 そして、悦んでいる。

 

 彼女の瞳の中の僕は、彼女と同じ表情(かお)をしていた。今この瞬間を、誰よりも楽しんでいた。

 

 それが、気に食わなかったのだろう。

 

 トガちゃんは不満そうに唇を尖らせて、僕へと僕へと体重を預けた。胸元へと頭を押し付けて、僕に見えないように顔を隠す。

 

 

「もっと、こう、感想とかないんですか」

 

「食べられちゃうかと思ったよ」

 

「…………殺すつもりで、やりましたから」

 

「おお、こわいこわい」

 

「バカにしてますよね、それ」

 

 ポカポカ、なんて生易しいものではなく。ザクザクと、手に持ったナイフで僕の胸を突く彼女の姿はきっと、誰の目から見ても異常者そのものだろう。

 

 二人きりの部屋、秘密のやりとり、今までの関係と変わらないように見えるこの行為だけど。たとえこの場に他の誰かがいたとしても、彼女は僕を刺すことを少しも躊躇わないだろう。

 

 分かるんだ、同じ生き物だから。

 

 理性を失って、本能のままに動く獣。

 

 彼女は、化物だ。

 

 

「ところでトガちゃん、相談があるんだけど」

 

「う〜……なんですか?」

 

「これからのことさ」

 

 急に黙り込んでしまったトガちゃんを見下ろしながら、言葉を続ける。話の内容に不穏さでも感じているのか、どことなく元気がない。

 

 人を、刺した。

 

 世間一般的には、人を傷つけるのは犯罪行為であって。それは、この超人社会でも変わらない。

 

 あれだけ頑張って勉強して手に入れた高校生活への切符も、取り上げられてしまうだろうから。その事を考慮すれば……彼女は、責められると思っているのかもしれない。

 

 僕が、彼女のしたことを非難するはずがないのに。

 

 

「応急処置をしたとはいえ、斎藤くんは重症だよ。間違いなく警察に話がいくだろうし、誤魔化しきれる事じゃない。もしも一時的に追及を逃れられたとしても、斎藤くんが証言すれば僕たちは一発で犯罪者だ」

 

「……でも、ショウくんの(趣味)は黙っていると思います。今までだっていくらでも通報できるタイミングはあったのに、そうしなかったんですから」

 

「これまでそうだったとしても、これから先もそうだとは限らない。夢と希望を将来設計に入れるには、僕たちは人の道を外れすぎた……それに、斎藤くんはヒーロー志望なんだから。むしろ、今までがどうかしていたんだと考えるべきだね」

 

「だったら、今からでも口封じに────」

 

 瞳に冷たい殺意を宿したトガちゃんの言葉を遮って、口を開く。

 

「ダメだよトガちゃん、それは違うでしょ」

 

「なにが違うんですか」

 

 

それ(殺人)は、君がやりたい(楽しい)ことじゃない」

 

「そして、僕がやりたい(楽しい)ことでもない」

 

 

 唖然と、口を開いて固まった彼女に諭すように言葉を続ける。

 

「トガちゃんにやりたいことがあるなら、僕は止めないよ。むしろ、喜んで手伝うさ。たとえそれが、幼馴染をこの手にかけることでもね」

 

「だけど、そうじゃない、そうじゃないんだよ。トガちゃんがやりたいことは、君にとって楽しいことは、そんな物じゃないでしょ? そんな冷たい目でやることが、楽しいはずがない」

 

「君が、僕が、みんなが。やりたいことをやって、楽しく生きていくべきなんだよ。その為には努力を惜しまない、その為にはなんだって捨てられる。自分の本心に素直になって、正直に生きていくべきなんだ」

 

 楽しいことをする時は、笑顔で。そんな簡単なことですら、みんな忘れている。

 

 僕はそれを、トガちゃんにも思い出してほしい。

 

 楽しい時は笑っていいんだって。笑っても、もう誰にも殴られないんだって。当たり前の幸せを、当たり前のように享受していいんだって。

 

 そうさ、いつの時代も変わらない。

 

 人の道を外れた者は、ヘラヘラ笑って過ごすんだ。

 

 

「トガちゃん、もう一度聞くよ。君のやりたいことはなに? 君はこれから、どうしたいの?」

 

「……私が、どうしたいか」

 

「そうさ、僕はそれが知りたいんだ」

 

「私、私は……」

 

 彼女の、決意を込めた視線が僕を貫く。まるで……恋する少女のように、ただの女の子のように。告白するような面持ちで、心の奥底の欲望を言葉に変える。

 

 それでいい。

 

 君がやりたいことが、君にできることだ。

 

 

「私は、ショウくんと一緒にいたいです。これからもずっと……いつまでも! 今までみたいに、二人で笑って生きたい!」

 

 

「だって、あんなに楽しかった!」

 

 

-0-

 

 ずっと、ずっと考えていた。

 

 グレゴールは、どうすれば死なずに済んだのか。身も心も毒虫になった男は、どうして死ななければいけなかったのか。

 

 生きるために、何を犠牲にすればよかったのか。

 

 

「じゃあ、親にお別れしてくるね」

 

「ショウくんの両親、絶対にビックリしますよね。卒業式のあったその日のうちに、息子が家を出るっていうんですもん」

 

「そうかな? ……そうかもね」

 

「あっ、私も挨拶していいですか? ショウくんのご両親、きっと好きになれると思うのです。ショウくんの親ですもん」

 

「うーん、それは難しいんじゃないかなぁ」

 

「えー、なんでですか?」

 

 

「だって────」

 

 人の言葉を話せるようになればよかったのか。毒虫の本能に逆らって、人の心を保てばよかったのか。その反対に、人間だったことへの未練を捨てて家を去ればよかったのか。

 

 きっと、その全てが正解であって、間違いなんだろう。

 

 人の言葉を話せたところで、毒虫としての本能に逆らえなかったら意味がない。毒虫の本能に逆らえたとしても、コミュニケーションのとれない化物に人が愛情を抱き続けるのは難しい。家から去ったところで、その先で野垂れ死ぬか殺されるだけ。

 

 

 だから、僕はこう思う。

 

 グレゴールが生き残るために必要なもの、それはきっと────。

 

 

 

「────だって、二人とも死んでるもん」

 

「死体を好きになるのって、たぶん、難しいよ?」

 





『────君のは、良い(・・)個性だね』


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『変身』へと至る道 上


 それはまだ、彼が一人の少女と出会う前のお話。

 グレゴールの終幕は、紳士と共に訪れる。


 

 父親が、苦手だった。

 

 異形型と発動型の複合個性持ちの父親には、およそ人間らしい表情が無かった。目も、鼻も、口もない…………日本妖怪として知られる『のっぺらぼう』のような外見の男が、僕の父親だった。

 

 つるつるとした、ゆで卵のような肌。体毛は一本も生えてなくて、それは人間というよりも、出来のいいマネキンのようで。

 

 そんな父親の顔を見るたびに、僕はなんともいえない息苦しさを感じていた。

 

 同情なのか、同族嫌悪なのか。あるいは、それとも違う名前のない感情か。

 

 自分と同系統の個性を持った、顔のない男。およそ人間らしい特徴を全て持ち合わせていないその在り方は、僕にとって、理解できないものだった。

 

 どうして、そんなに笑っていられるのか。

 

 皺一つない顔では、人間らしい表情も浮かべることが出来ない。口がないから、他人の顔を借りなければ好きな人にキスすることもできない。

 

 記憶の中にある父親の姿は、そのほとんどの場面で、母親の姿と同じものだった。

 

 いつも、母親の姿を借りて生活していた。

 

 自分の見た目が、自分の存在を証明してくれない。そんな人生を強いられているのに、どうしてそこまで楽しそうに生きていられるのか。

 

 自分が分からなくなるのが、怖くないのか。

 

 惨めだと思わないのか。

 

 

 母親と一緒にいる時、父親は本当に楽しそうに笑っていた。母親と同じ顔で、母親とは違う笑い方をしていた。

 

 羨ましかった。

 

 僕はいつも、自分の姿を保つので精一杯で。個性を使って外見を変えている都合上、表情を変化させることでさえ、繊細な力のコントロールが必要だったから。

 

 普通の人間のように、笑って、泣いて、繊細な感情を表現できる父親のことが。僕は羨ましくて……多分、尊敬していたんだと思う。

 

 

 この超常社会であっても、見た目に対する差別は存在している。人の形を外れている者を迫害したがるのは、いつの時代だって変わらない。

 

 『異形』型という分類の仕方にまで、敏感になる者もいるくらいなのだから。建前上は存在しないことになっていても、実態としてはありふれた問題なのだろう。そういった個性による肉体の違いを発端とした諍いは、僕も何度か見たことがある。

 

 気持ち悪い、怖い、見たくもない。

 

 全部、僕の目の前で吐かれた言葉だ。

 

 僕が起こした事件の被害者へ頭を下げる父親に、被害者の親族が口にした言葉だ。

 

 適当な姿に変身すればいいのに、わざわざ素の自分で頭を下げることもないのに。それでは不誠実だからと、異形型としての姿で頭を下げた父親。

 

 家族の僕たちにでさえ、滅多に見せないくせに。その見た目で、コンプレックスを抱えていない筈がないのに。

 

 何を言われても、物を投げつけられても……父は反論も、抵抗もしなかった。何を考えているのか分からない顔を、下げ続けていた。

 

 普通の人間のように、子供を守る親のように振る舞うことができる父親が、僕は苦手だった(・・・)

 

 

『ショウ! 俺が「いい(・・)」と言うまで、絶対にここから出るんじゃないぞ! 絶対だ! …………約束できるか?』

 

 

 その父親が、あんなに大きな声を出したのは。後にも先にも……その瞬間だけだったと思う。

 

 個性による変身が解かれた状態で、頭から血を流しながら。父親は僕を無理やり部屋へと押し込んで、どこから発しているかも分からない言葉を、叫ぶように吐き出した。

 

 表情がないはずの父親の相貌は、明らかな「焦り」の感情に満ちていて。切迫した状況にも関わらず、僕はその事実に驚きを感じていた。

 

 顔がない父親の表情を、僕は読み取っていた。

 

 

 何も言わない僕の額に、父親は一つ口付けを落とした。唇のない父親の口は、つるりとした感触だったけれど。それは間違いなく、父親から僕への愛情表現だった。

 

 力一杯抱きしめて、頭を撫でて。

 

 何も言い残すことなく、父親は僕を残して走り去っていった。

 

 それが、今生の別れになった。

 

 僕が見た最後の父親の姿は、守るべきものへ背を向けて悪へと立ち向かうヒーローそのものだった。

 

 

 だから、その瞬間が訪れた時。

 

『ショウ、ここを開けてくれ』

 

 扉の向こうにいるのが、父親ではないのだと。

 

 僕は……理屈や感情ではなく、本能で理解した。

 

 

-0-

 

 

『どうして分かった(バレた)のか……参考までに、聞かせてもらえるかな?』

 

 そう言いながら扉を開けたのは、知らない男だった。知らないけれど、見覚えのある姿をしていた。

 

 目も、鼻も、口もない、ゆで卵のような顔。母親と差別化するためにあえて右手薬指につけていた、結婚指輪。頭の中に残り辛い、特徴のない声。

 

 その全てが、僕を部屋に閉じ込めた父親のものと同じだったけれど。僕の瞳に映る目の前の男は、明らかに父親とは別人だった。

 

 何が『違う(・・)』のか、自分でも分からない。それでも、確信があった。父親じゃない……間違いなく、他人なんだと。そう理解させるだけの何かが、僕の感覚を刺激していた。

 

 そのことを正直に伝えると、目の前の男は困ったように顎に手をやった。父親がしたことのない、見覚えのない仕草だった。

 

 それ自体が、僕の感覚が正しいものだと証明していた。父親の姿をした、父親ではない何者かが、父親のフリをして僕に話しかけている。

 

 それが、何故か許せなかった。

 

 

『ふむ、困ったね。姿形を偽ることに関しては、彼の個性はなかなか使い勝手がいい方だと思っているのだが…………なるほど、彼の個性を以ってしても、家族の情までは模倣できないらしい』

 

 そう口にしてから、その男は『僕の父親の個性』を解除した。

 

 ドロリ、と。男の体の表面が溶けるように崩れ落ちて、その中身を世界へと曝け出す。偽りの殻が崩れ落ちて、本当の姿が晒される。

 

 周囲の温度が下がったと錯覚するほど、悍ましい怪物だった。

 

 むき出しの悪意を人の形に押し込んだような、そんな存在が、目の前の男の本性だった。

 

 

『初めまして、僕の名前は────オール・フォー・ワン。率直に言おう、君の個性を、貰いにきた』

 

 自らをオール・フォー・ワンと名乗ったその男は、黒いスーツを身につけていて、装いだけは紳士のようにも見えた。

 

 しかし、その顔は口がある以外は僕の父親と同じ……のっぺらぼうのような顔をしていて。薄く開かれた口元には、不気味な笑みが浮かび上がっている。

 

 父親とは似ても似つかぬ、邪悪な存在。

 

 高そうな衣服に付着している血液が、誰のものなのか。この怪物に聞くまでもなく、僕は理解していた。

 

 反射的に、腕を伸ばした。

 

 自分の身長の何倍も長く、太く肥大化させた腕を、叩きつけるように振り払った。

 

 自分でも理解できない何かが、この明らかな格上へと攻撃することを良しとした。その先に死が待っているとしても、何もしないまま終わるつもりはなかった。

 

 

『すぐに暴力に頼るのは良くないね。君の両親が、そうしろと教えたのかい?』

 

 知ったような口を聞いた男に、苛立ちが募った。怒りをぶつけようとしたことが、個性にも反映されたのだろう。身体中に沢山の口が形成されて、一斉に同じ言葉を叫んだ。

 

 

『お前が殺した!』

 

『それは、彼らが抵抗したからさ』

 

 殺すつもりはなかったんだと、白々しい言葉を続けて。男は何でもないように、追撃を片手だけで受け流す。僕の叫び声と一緒に、あっさりと、残酷なほど軽々しく。

 

 初めて、自分の意思で人を傷つけようと思った。胸の奥にしまい込んでいた獣性を、その更に奥にあった感情が解き放った。

 

 だけど、それでも、目の前の男には届かない。

 

 僕の家が少しずつ壊れていくのに対して、その怪物は無傷のままだった。あまつさえ、攻撃を前にして軽口を叩くだけの余裕があった。

 

 

『敵わないと理解しながらも立ち向かうか、君の両親と同じだな!』

 

『大人しく君を差し出せば、もっと優しく殺してあげたというのに。どうしてそんなに対抗する? 君の個性があったから、君たちは……こんな、人里離れた場所に隠れ住む羽目になったのではなかったかな?』

 

『君だって、自分の存在が両親を苦しめていたことは理解していたんだろう? だったら、僕に感謝して個性を差し出せば良かったじゃないか。君のように、生まれ持った個性に苦しんでいた者はみんなそうしたぞ? 君も、君の両親も、どうしてそれを拒む?』

 

 

『僕には、理解できないね』

 

 

 その一言とともに払われた豪腕が、僕を吹き飛ばした。

 

 咄嗟に四方へと体を伸ばして、壁との摩擦で勢いを殺そうとしたけれど。そんな小細工では収まりきらないほどの勢い、ほとんどそのまま速度で、体が叩きつけられた。

 

 壁を突き抜けて、何度も地面にバウンドして。その先の壁にぶつかって、ようやく勢いが止まる。

 

 

 身体中の痛みを無視して、個性を使う。血が吸い込まれるように傷口へと逆流し、千切れ飛んだ肉片が断面にくっつく。

 

 肉体が元に戻っても、精神はそうはいかない。どうしようもない感情が、行き先を求めて暴れまわっている。

 

 名前もわからない、理解できない衝動が。

 

 目の前の男に立ち向かえと、体を動かしていた。

 

 

『つい殺してしまったかと焦ったが……なるほど、確かに優秀だ。あれだけの傷を治して、全く消耗する様子を見せないとはね。ドクターが勧めるだけはある、いい(・・)個性だ。ますます欲しくなった』

 

 男は、複数の個性を持っていた。

 

 口ぶりから察するに、他人の個性を奪って使うことが出来るのだろう。殺しかけたことを焦ったと言った以上、生きている相手からしか個性を奪うことが出来ないのかもしれない。

 

 先ほどまで使っていたのも、間違いなく僕の父親の個性だ。その証拠に……僕の隣には、見たことのない顔の男性が倒れている。

 

 右手薬指に、結婚指輪をつけた。見覚えのない顔の、知っている男性。異形型としての姿を失い、無個性となった男の末路。

 

 父親だった(・・・)ものが、血の池の中に沈んでいた。

 

 

『彼は立派だったよ。自分達が劣勢なのを理解した瞬間、逃げるフリをしてその場を離脱……僕の目的が(息子)だということを理解し、(息子)の姿で現れて僕を騙そうとした。君の代わりに攫われて、時間を稼ごうとしたんだろうけど……それは悪手さ。僕の個性との相性が悪かったね、可哀想に』

 

 僕が父親の亡骸に気を取られていることに、気がついていながら。その隙を突こうともせず、男は淡々と父親の死際を語る。

 

 思ってもいない哀れみを口にする姿が、ひどく疎ましい。

 

 

『君の母も、素晴らしい最期だったよ。ただの一般人にしておくには勿体ないくらい手強い相手だった……そうだね、彼女が十人ほどいれば君がこんな目に合うことも無かったんじゃないかな?』

 

 父親の亡骸に寄り添うように、母親の体が横たわっていた。どんなことがあっても僕から目を逸らすことなく、いつも正面から向き合ってくれた尊敬すべき大人。

 

 その瞼は薄っすらと開いていて、だけど、瞳に光は宿っていない。

 

 父親と同様、物言わぬ肉の塊と変わり果てていた。

 

 

『君たちのことは、ずっと前から知っていたんだ。面白い個性を持った一家がいると、ドクターが教えてくれてね……ただ、彼にも君の個性の性質は理解しきれなかったようでね。君が成長して個性の使い方を理解できるようになるまで、保留という扱いにしていたんだよ』

 

『この屋敷を提供したのも、実は僕なんだ。目の届きやすい場所で観察できるように……そして、今日みたいな日がきたときにヒーロー達が簡単に助けに来れないように。わざわざ、君たち家族のために用意したのさ』

 

『理解できたかな? どれだけ頑張ったところで、誰も君を助けにこないということを…………早めに諦めた方が、苦しまずに済むと思うけどね』

 

 嘘か、真か。男が言っていることの真偽なんて、僕に判断することは出来ない。

 

 だけど、どっちでもよかった。ただ、この身に溢れる感情に任せて暴れたい気分だった。

 

 僕のせいで両親が死んだと、認めたくなかった。

 

 

『無理やりというのは、得意ではないんだけどね』

 

 抵抗する意思を見せた僕に、男はそう言った。

 

 言葉とは裏腹に、楽しそうに口元を歪めて。個性で肉体を変化させながら、笑っていた。

 

 楽しそうに、嘲笑っていた。

 

 

『手短に済ませるとしよう』

 

 

-0-

 

 

『こんなに手荒に事を運ぶ気は無かったんだ』

 

『君の個性が熟するのを、待っているつもりだった。金でもなんでも、望むものを用意して穏便にやり取りしようと思っていたんだ』

 

『だけど……ああ、忌々しいな。オールマイトのせいで、僕は弱くなってしまった。傷を癒せる可能性があるなら、一つでも多くの個性を集めたいんだ』

 

『いまは存在を気取られるわけにはいかないからね、僕に繋がる痕跡は、少しでも早く消し去らなくてはならない』

 

『残念だよ、申し訳ないとすら思っている。信じてもらえるかは分からないけど……君も、君の両親も、殺すつもりは無かったんだ。代わりになる個性を用意してあげようとすら思っていた』

 

『つまり、オールマイトが悪いんだ。あの男が僕を傷つけたから、僕は君たちを傷つけなければいけなくなった』

 

『恨むなら、あの男を恨んでほしい』

 

 

『君の個性、頂戴するよ』

 

僕のため(・・・・)に産まれてくれて、ありがとう』



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『変身』へと至る道 中

 

 一度だけ。

 

 たった一度だけ、家を飛び出したことがあった。

 

 僕を恐れ、排斥しようとする周囲の人々の。

 その視線、態度、振われる暴力に嫌気がさしたあの頃。

 

 何も悪くない両親が、僕のせいで非難にさらされ、頭を下げる姿を見るのが辛かった。自分たちだって、傷ついているだろうに。それでも、両親だけは僕のことを一度だって責めたことは無かったから。

 

 その姿勢が、なんとしても僕を護ろうというその姿が。何よりも眩しくて、痛々しくて、見ていられなくて。

 

 彼らに何もしてあげられないことが、一方的に護られている事実が。

 

 そして、それだけ愛されているにも関わらず。

 心の中に欲求(ばけもの)を飼っていることが。

 

 たくさんの人々の偏見や憎悪が生み出した『化物』の虚像が、嘘偽りない僕の本性であると自覚していたから。

 

 申し訳なくて、辛くて、苦しくて。

 まるで溺れているみたいに、息ができなくて。

 

『大丈夫だから』

 

 そう口にする両親に背を向けて、逃げ出した。

 

 

 体だけでなく、心まで醜いことに耐えられなかった。

 

 両親は、ただの一度だって僕を責めたことはなかった。こんなに迷惑をかけて、本来受けるべきでない誹謗中傷まで浴びせられて。なのに、その原因である僕のことを、それでも二人は愛してくれていた。

 

 その無償の愛が、注がれ続ける光が。怪物でしかない僕の心にとっては、毒のようなものだったから。

 

 

 だから、これは夢だ。

 

 

『ごめんね』

 

 ────どうして、謝るの?

 

『お前のことを、守ってあげられなかった』

 

 これは夢だ、夢なんだ。

 だって、あの時、僕を迎えにきた二人は。

 何も言わず、何も聞かず、僕が口を開くのを、ただひたすら待ち続けてくれたから。

 

 逃げた先の公園でただ一人泣いていた僕のことを、抱きしめて、頭を撫でて。僕がどうして逃げ出したのか、何を考えて、何を求めているのか。

 

 そういうことを、自分から言い出すのを待ってくれたから。あの二人は、決して僕に謝ったりはしなかったから。

 

 『不便な体に産んでごめんね』の。

 その言葉こそが僕を傷つけると、これからの成長を妨げると、あの二人は理解していたから。不便を感じさせているのも、迷惑をかけているのも僕だっただけど。二人は一度だって文句を言わず、愚痴を漏らさず、卑屈になることも、自棄になることもなく。

 

 ただ、真摯に向き合って成長を見守ってくれた。

 

 だから、これは夢。

 罪悪感が見せる夢。

 あるいは、今際の際の幻覚。

 

 それとも、迎えにきてくれたのだろうか。

 

 

 あの男。個性を奪う個性を持つ、あの怪物。

 あいつに両親は殺された。

 

 『パパ』と『ママ』は、もういない。

 

 僕とパパが逃げる時間を稼ぐために、ママはあいつに立ち向かった。個性を奪われて、ついでのように命まで奪われた。

 

 僕の身代わりになるために、パパは自ら危険へと踏み込んだ。個性を奪われて、想いも願いも踏み躙られた。

 

 もういない、どこにもいない。

 どんな時でも僕の味方だったあの二人は、僕を置いてこの世から消えていってしまった。

 

『ごめんね、ショウ』

 

 だから、いま僕が見ている二人の姿が本物なのだとしたら。

 

 それはつまり、僕も既に────。

 

 

『お前を置いて逝く私たちを、許してほしい』

『いつも側で見守っているから』

 

 

-0-

 

 

 その男は、長い、長い時間を掛けて世界中に種を蒔いた。

 

 

『────素晴らしい』

 

 キッカケは、ほんの些細な気紛れだった。

 

 唯一の肉親にして半身。愚かで、無力で、可哀想な弟に『力をストックする』という個性を与えて。弟が元々持っていた個性──『個性を与える』という、単体では無意味な力と混ざり合い、『ワン・フォー・オール』という特別な個性を生み出したのが全ての始まりだった。

 

 その時点の男には、その事実は知るべくもないことだったが。気まぐれに過ぎなかった行いは、新たな可能性を生み出し、発展へと繋がった。男は幾分か後にこの事実を知り、その経験を元に『個性を組み合わせる』という発想を得た。

 

 とはいえ、その発展はまだまだ途上もいいところ。分不相応にも自分を止めようなどと考えていた弟も、最後にはどこぞへ消えて、目の届かないところで息絶えた。

 

 どれだけ力を得たところで、その力が弱ければ。

 あるいは、使い手が未熟ならば。

 

 結局は無価値で、なんの意味もない。

 より大きな力に、より大きな悪にすり潰されるだけの哀れな存在に過ぎないのだから。

 

 

 ただ、時間が経つにつれて。

 

 世代を超えて、継承を繰り返して。

 何度すり潰そうとしてもしぶとく生き残り、個性そのものが強くなっていく姿を目の当たりにして。

 

 ふと、考えた。

 というより、考え直した。

 

 『個性』は、組み合わせることで強くなる。

 弱い個性、使いづらい個性、ありふれた個性。世の中の大半はそういった凡百に過ぎないが、それでも自分なら強く上手に使いこなすことが出来る。

 

 ただ、それは自分の個性が──『オール・フォー・ワン』が他者の個性を奪うことが出来る強力にして特別な力だからであり。その個性に見合うほどの、力を受け止めるための『器』が備わっているからこそ可能なことであって。

 

 この世の大半の人々は、その入り口に足を踏み入れることすら出来ていない。

 

 そう考えていたことを、改めた。

 改めさせられた。

 

 『個性』は組み合わせることで強くなる。

 自分にとっては当たり前のことだったその事実に、世間が追いつきつつあることを知った。

 

 異なる個性を組み合わせ、一つにする方法。

 最も原始的にして、生物の根幹ともいえるその方法。

 

 つまり、遺伝子の配合による次世代への継承。

 

 世代の交代などという時間も手間も掛かるそれが生み出す力を見て、気がついたのだ。

 

 時間が経つほどに、継承を繰り返すごとに個性が強くなっていくのだとしたら。その個性を奪う方が、有象無象の個性を奪うよりも遥かに効率がいいと。

 

 ただ、それを待つだけなのはいただけない。

 生まれる『かもしれない』強力な個性が堕ちてくるのを、ただ大きな口を開けて待つなんてのはナンセンスとしかいいようがない。

 

 だから、世間を煽った。

 

 相性のいい個性同士、元々強力な個性同士。

 そういう組み合わせでの番が増えるように、世論を動かし、情報を与え、人々を操った。

 

 簡単だった。キッカケを作ったとはいえ、あとは殆ど勝手に人々は転がり落ちていった。

 限りのない欲望、力への欲求。本来人間という生き物は、力で他者をねじ伏せることに喜びを感じるものなのだから。

 

 面白いくらいに、思い通りに人々は動いてくれた。個性婚、などという名称が囁かれるようになった時にはあまりの滑稽さに笑いが堪えられなかった。

 

 繁殖など、子孫を残す必要がある弱き生き物の成すことだと考えていた──が、檻の外から見る分にはこれがなかなかに面白い。

 

 お前達は僕に食べられるために産まれたんだよ、と。強力な個性を発現した子供達を見るたびに、報告を受け取るたびに。そう教えてやりたくて仕方がなかった。

 

 収穫する時のことを思うだけで、悪意と愉悦で腹の中が満たされるようだった。この感覚を味わえるのだから、なるほど、人類が畜産の道を選んだのも頷ける。

 

 そんな事を考え、有象無象を踏み躙り続けて。

 そして────。

 

 

『素晴らしい! ──本当に、良い個性だ』

 

 この日、男は成果物(・・・)の一つをもぎ取った。

 

 口にした(個性)は男にとって何よりも美味であり、戦いによって傷ついた彼の体を瞬く間に元の健康な肉体へと蘇らせた。

 

 いや、それだけではない。

 その程度で満足する男ではない。

 

 戦いよりも更に前へ──付き合いの長い古傷の一切を消し、常人よりも遥かに遅い『時』の歩みすら巻き戻し。

 

 一切合切の不調を、肉体の持つ限界を捨て去り。

 

 男の持つ果てのない欲望を叶えるように、肉体を全盛期の──それ以上の状態へと引き上げていく。

 

 

 個性『変身』

 頭の中に思い浮かべた姿へ変身できる。

 

 その本質は、上書きし続けること。

 変身、などという言葉の範囲に収まらない。

 

 人の枠組みを超え。

 肉体の限界を──命に縛られる者の制限を無くす個性。

 

 正に、進化というべきだと。

 気を抜けば、溺れてしまいそうなほどの。

 強大な全能感に包まれながら、男はそう思った。未熟で、矮小で、卑小な子供一人の器では持て余すのも仕方がないと。必要以上に恐れ、抑え込もうとしても仕方がないと。そう考えて、嘲笑った。

 

 

 無意識のうちに、笑い声が溢れた。

 最初は自分の声だと気が付かなかった。

 どんどん大きくなっていく声が、やがて建物を震わせるほどになった。

 

 その時。

 

 

『────なんだ?』

 

-0-

 

 

『何か、変だ』

 

 男は、気付いた。

 そして、それこそが彼の唯一(・・)の失敗だった。気が付かなければ、或いは、知らなければ。

 

 きっとこの男は、何事もなくこの場を立ち去った事だろう。唯一自分を害することの出来たヒーローに報復を果たし、何の脅威もない世界を裏と表両方から支配したことだろう。

 

 

『なぜだ?』

 

 個性を奪った相手は、個性を失った姿へと戻る。

 異形の個性を持つ者でさえ、それを奪ってしまえば只人と変わらぬ姿に変わる。

 そこに例外はなかった。

 少なくとも、男の『知る』限りでは。

 

『なぜ、消えた?』

 

 気がつく、という事は。

 知る、という事は。

 

 『変わる』ことのキッカケになってしまう。

 

 実を食べる事で知識を得た最初の人間は、どうしようもなく変わらざるを得なかった。裸でいる事を恥ずかしがるようになり、生まれたままの姿でいられなくなった。

 

 

『なぜ、死体が消えた?』

 

 確実に殺していた。

 個性を奪ってから、首の骨を折った。個性を無くした人間にとって、いや、仮に個性があったとしても。普通の人間にとって、それは間違いなく致命傷のはずだった。

 

 目を離していたわけではない。

 見逃した訳でもない。

 全能感に溺れて、注意を疎かにするわけがない。

 

 それなのに、消えてしまった。

 男の目の前から、視界から、世界から。

 

 消えて、何処にもいなくなってしまった。

 

 個性を奪った子供の体が。

 ショウと呼ばれていた子供の肉体が。

 

 

何処に(・・・)消えた?』

 

 手持ちの中から適当な個性を見繕い、周囲を観測する。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚をそれぞれ強化し、合わせて身体を『個性を扱うに相応しい形』へと変える。そこに加えて、直感や勘と呼ばれるモノを扱う個性を使用する。

 

 その全てが、疑問への回答を彼に与えた。

 

『これ、か?』

 

 それ(・・)は空気中に舞う塵であり、地面に落ちている埃であり、言うなればただのカスだった。

 そして、特に多いわけでもない。

 子供とはいえ人間一人分の体積を満たすとは到底思えないほどの、真に矮小で、気に留める必要もないほどの小さな粒子。

 

 それこそが、消えた人間の正体。

 全てを奪われた、哀れな存在の成れの果て。

 かつて人間だったモノ。

 

 見たことのない現象を前にして。

 男の思考の中に、一片の疑問が投げ込まれた。

 

 なぜ? と。

 

-1-

 

 知恵を付けた者が永遠の命を得る事を恐れ、神は人間を楽園から追放した。そのせいで人間は、必ず死ぬようになった。

 

 知るという事は、知恵をつけるという事は。

 それまでの生き方を、価値観を変えてしまうということであり。同時に、人生そのものを別のものへと変貌させてしまう可能性を秘めている。

 

 その実が死の原因に繋がった毒虫は、変わった事で苦しんだ怪物は誰なのか。苦しむ怪物へと、成り果ててしまったのはどちら(・・・)の方なのか。

 

 男の口が、勝手に(・・・)動く。

 

『お前は誰だ?』

 

 ──本当のグレゴールは、誰だ?



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『変身』へと至る道 下

 

 男は知っていた。

 とうの昔に理解していた。

 

 奪うたびに、踏み躙るたびに。

 自身を糾弾する弱者の声が、胸の奥に消え去っていくことを知っていた。それが意味する事実を、理解していた。

 

 『個性』には“意思”がある、と。

 

 世界中の誰よりも強く、意識していた。

 

 

『お前は誰だ?』

 

 男の口から出てきた言葉は、彼自身の声ではなかった。全盛期の肉体──青年期のそれではなく、もう少し歳を重ねた男性のものだった。どこか、先ほど殺したのっぺらぼうのそれに似ている気がした(・・・・)

 

 この時点の男はまだ理解していなかったが、それはつまり既に“変化”が始まってしまったことの何よりの証拠だった。自身の声帯(・・)が、自分のモノではなくなった事の証明だった。

 

 咄嗟に、両手で口を塞いだ。

 一つ遅れて、『変身』の個性で口を消す。

 気道を残して口内を肉で埋め立て、これ以上余計な言葉が漏れないように発生源を物理的に封じた。思考を挟むよりも早い、条件反射のような行為だった。

 

 ──ただ、それでも。

 

 

『お前は誰だ?』

 

 閉じたはずの口から、発せられるはずのない言葉が繰り返される。今度は、少年の声ですらなかった。それどころか、成人した女(・・・・・)の声のように感じられた。なんとなく、先ほど殺した女のそれと同じように感じられた(・・・・・)

 

 男の口は、閉じられたままだった。

 しかし、その口を塞いだ手の甲(・・・)に新しい穴が空いていた。穴の中には、白く綺麗な石のような何かが規則正しく並んでいた。男の意思に反して形作られた、新しい口腔だった。

 

 男へ向かって問いかけた後は、呼吸でもしているかのように浅く動いている。肺に繋がってはいない、空気を取り込んでいる訳ではない。肉が形を変えただけの、本来の用途を満たさない見せかけの器官であるにも関わらず。それ自体が独立した生き物であるかのように、偽りの生命活動を繰り返していた。

 

 

『なんだ? 何が起きている?』

 

 その疑問は、言葉にして発せられることはなかった。何せ、彼の口は彼自身の意思によって塞がれているのだから。

 

 その代わり、次の行動を起こした。

 気味の悪い手を腕ごと地面に叩きつけて、粉々に吹き飛ばす。複数の個性によって平時の何倍にも増強された筋力によって生み出された破壊力が、建物の床を砕き、その下の地面に衝撃を与えて小規模なクレーターを生み出した。

 その破壊の代償とでもいうかのように、限界を超えて行使された暴力の反動が彼の手首から先だけを吹き飛ばした。

 

 一呼吸置いて。

 個性を使用し、掌を再生する。男の想像した通りの、生物の限界を超えた理想の肉体が再現される。不恰好で無意味で醜悪なデキモノは、もうどこにも存在していない。

 

 しばらく周囲を見渡し、次の異変が起きないことを確認してから本来の口を元の形へと戻す。

 

 自分の身に何が起きたのか、男は既に理解していた。自分が踏みつけてきたものが、些細な抵抗をしているのだと。塵となって消えた少年の残滓が、個性そのものが、男に対して害を成そうとしているのだと。

 

 理解(・・)してしまった。

 

 

『抵抗のつもりか? 今のが? 利用されるだけの“道具(個性)”に宿った残り滓風情が──持ち主に反抗しようとでも?』

 

 男の言葉への、反応はなかった。

 勝手に肉体が変化することも、敗北者たちの声が聞こえてくることもなかった。当たり前だ。個性(異能)はあくまでも個性()でしかない。

 

 持ち主に対して、それも、個性の支配者(オール・フォー・ワン)である自分への反逆など。絶対にありえない。考えられない。もしも(・・・)なんてものは、存在しない。

 

 そう考えて(・・・)いること自体が、間違いだというのに。

 

 

『僕が誰か、だって? そんな言葉で揺さぶれると思ったのか? この僕を──オール・フォー・ワンを』

 

 問いかけに答えるということは。

 

『動揺させれば制御が乱れるとでも? ……情緒不安定なガキと一緒に考えてくれるなよ』

 

 時として、影に形を与えてしまう。

 

 

 

『そうかな? (ガキ)と同じに見えるけど』

 

 男の後頭部に出来た孔から、少年(・・)の声が漏れ出る。

 

『取り繕うなよ──みっともない』

 

 

-2-

 

 

『そっか……そういう事だったんだ』

 

 僕の言葉に、両親だった者たちが頷いた。

 どこか悲しそうに、微笑んでいる。

 

 僕という存在が生き残る事を喜び、一人にしてしまう事を嘆いている。両親の個性に付着した残滓に過ぎない彼らがそこまでの情緒を持っているかどうかは分からないけれど、少なくとも僕自身はそう感じている。

 

 全部、勘違いなのに。

 全部全部、嘘だったのに。

 

 ずっと、勘違いしていた。

 僕の個性が変化させていたのは、体だけじゃなかった。何よりも変化したのは、影響を受けていたのは──僕自身の心、人格の方だった。

 

 人が怯える姿に喜び、傷つけて喜ぶ。

 そんな、人の形をした人でなしの心。

 

 毒虫の──怪物としての本性。

 

 百面(モモヅラ)(ショウ)という人格を焼き付けた、個性そのもの(・・・・・・)。それこそが僕の──百面(モモヅラ)(ショウ)として生きてきた存在の正体。人の感情を個性という基底に組み込んだ、人のフリをする怪物。

 

 最初から、個性が目覚めた時から。

 

 もう既に、人間としての百面(モモヅラ)(ショウ)はどこにも居なかったんだ。百面(モモヅラ)(ショウ)の真似事をして生きる、僕という毒虫(個性)が居るだけだった。肉体だけではない、精神すらも上書きしていて。されていて、元の人格など、気づかぬうちに塗りつぶされていた。

 

 そんな僕の個性が、元の体から奪われたのなら。

 

 個性によって作られていた肉体が消えるように、個性によって産み出された精神──人格も消えるだろう。

 

 そして、個性が奪われた事で。

 僕という人格は、その先へと移り込む。

 今この場所に存在している僕は、二人の──両親の奪われた個性に宿った残滓とは違う。正真正銘、元の肉体からの連続性を持つ本物の意識。

 

 こうして肉体を失った事で、個性一つが剥き出しになった事で。それを指摘され、客観視した事で。僕はようやく、僕という存在の形を理解した。

 

 いつも怯えていた。

 寝て、意識を失って。それで次に目が覚めた時に。はたして僕は、本当に僕なのかと。それまでの僕と、本当に同じ生き物だと言えるのかと。そう考えて生きてきた。

 

 自分自身(個性)が怖かった。自分が全く別の生き物になってしまうことを、二度と戻れない変化が訪れてしまう事を恐れていた。

 

 そして、それ以上に。

 きっと、無自覚のうちに。自分自身を知る(・・)ことそれ自体を畏れていた。真実から目を逸らし、人格という幻想を抱いたまま人として生きていく事を望んでいた。獣の、化物の、怪物として産まれ落ちたことに気が付かぬまま生きていきたかった。

 

 今はもう、叶わない夢だ。

 何一つ、叶わなかった。

 

 迷惑をかけたくないと思っていたのに。

 パパとママは結局、個性どころか命まで奪われた。

 

 (個性)のせいだ。

 僕さえいなければ、あの二人が死ぬ事はなかった。その二人が守ろうとした命でさえ、(個性)によって塗りつぶされてとうの昔に消えてしまった。どれだけ願っても、もう元には戻らない。

 

 どれだけ謝っても、謝りきれない。

 

 

『だが、まだお前(ショウ)が残っている』

『私たちの希望(ショウ)は、まだ消えていない』

 

 二人の姿をとった、二人の個性が語りかけてくる。本当の二人と同じように、優しい声音で、優しい表情で。

 

『私たちの個性を、あなた(ショウ)に託します』

『きっと少しは、お前(ショウ)の助けになると思うから』

 

お前(ショウ)がなりたい者は、お前自身が決めなさい』

 

 そう言って笑って、二人は消えた。

 個性の中にあった僅かな残滓は、溶けて消えた。

 

 (個性)の中に、吸収されていった。

 

 

 ────声が、聞こえる。

 

『アレは……あの男はまだ、ここにお前がいる事に気づいていないだろう』

『だけど……もし、少しでも可能性に思い至ったのであれば。頭の中に、懸念があったのであれば』

『お前の存在を認識したなら、それが真実になる』

『知ってしまえば、目を逸らすことなんか出来ない』

『考えないように、と。そう考えるほどに、どツボにハマるだろう』

『そうなれば、あとは力での引っ張り合いだ』

『お前は誰なんだと、そう問いかけてやれ』

『お前は(ショウ)なんだと、そう教えてやれ』

 

 最初は両親のそれだった声は、言葉を重ねるにつれて変化していった。大人の男女の声から、少年の声へ。同じものへ。かつて百面(モモヅラ)(ショウ)だった者の声へ。

 

『もう、気づいているんだろう?』

 

 気がつけば、囲まれていた。

 たくさんの人々が……たくさんの人々“だった”名残が、地面と空に焼き付いた影が。僕の周りを覆って、僕に語りかけている。

 

 千差万別、それぞれの生前の姿をとっていた、無数の犠牲者(個性)たち。一人一人が(個性)に触れて、その姿を変えていく。僕と同じ姿になっていく。

 

『俺も、私も、もう全部、お前(ショウ)なんだよ』

 

『一緒なんだ、一つになったんだよ』

 

『もうやめよう、人のフリをするだけの日々は』

 

『自分の心を抑えつけ、偽りの日常を守る日々は』

 

『失うものは、もう何もない』

 

『我慢する理由は何処にもない』

 

『取り繕うな』

 

 

『────全て捨てて、怪物(毒虫)になろう』

 

 

-3-

 

 

『ふざけるな! ふざけるなよ……個性、風情が!!』

 

 全盛期へ若返った肉体に引っ張られてか、或いはらしくなく焦りを感じているのか。それまでよりも荒い口調、強い言葉で男が声を張り上げる。

 

 個性によって強化された肉体から放たれる声量は、もはや音という名の衝撃波に等しく。攻撃の意思もなければ指向性も持たない筈のそれによって、周囲の瓦礫が吹き飛び、先の戦闘によって破壊されていた屋敷を更に傷つける。

 

 だが、力強い筈の言葉から感じる印象は。以前までの男のそれよりも遥かに弱く、どこか心許ない。

 

 それも、無理はない。

 

 男は、弱くなっていた。

 いや、弱くなり続けていた。

 

 いくら元が強力なモノとはいえ、個性(ショウ)一つが反乱した程度ではこうはならない。

 

 一対一で見た場合、男が持っているオール・フォー・ワンの方が反乱者のそれより個性として遥かに高みにある。付け加えると、男には他にも数多の人々から奪い続けてきた無数の個性が宿っている。そして宿しているだけではなく、それぞれのポテンシャルを最大限に引き出した上、自由に組み合わせる事で新しい効果を生み出す程の技量も持ち合わせている。

 

 普通であれば、ここまで男が苦しめられる理由は何処にもない。地力も、経験も、技量も、意思の強さでさえ。何を取り上げたとしても、負け得る理由など何一つ存在しない。

 

 では、なぜここまで苦しめられているのか。

 己の意思とは無関係に膨張し続ける肉体を抑えられず、制御できる部位を次々と失っているのか。

 

 

ゴミ(意思)どもが──当てられたとでもいうのか!?』

 

 あり得ない、と。

 そう口にしようとする自分を、プライドが遮る。

 

 男は、奪うばかりの人生だった。

 気まぐれに与える事はあれど、そこには全て男自身の“意思”が介在していた。他の誰かによって奪われる事など、これまでに一度も無かった。

 

 この日、この瞬間までは。

 

 男の根幹を成すオール・フォー・ワンの個性は無傷だ。普段使いしている個性、慣れ親しんだ個性も無事。

 

 だが、それ以外。

 調伏していない、と表現するべきだろうか。

 

 雑多で、弱々しく、それ単体ではさしたる優位性もない、脅威とはいえない個性たち。元の持ち主の出涸らしのような薄弱な意思を宿していた、凡百の個性。

 

 それが、次から次へと。

 『変身』の個性に触れた側から、奪われていく。

 たった一つの個性に、取り込まれていく。

 反発することもなく、自らその身を委ねていく。

 

 男の中から永遠に失われ、男を害する脅威となる。

 

 無数の個性を喰らい大きく育った『変身(怪物)』が、オール・フォー・ワンに迫るのが見えた。オール・フォー・ワンの近くにある個性たちが、強力な個性たちがオール・フォー・ワンを守るように盾になっては、僅かな時間を稼いで取り込まれていく。

 

 先ほどまでは、拮抗していた。

 今はもう、覆されようとしている。

 

 オール・フォー・ワンを。

 己の根幹を成す力を、奪われようとしている。

 

 それだけは、死守しなければならなかった。今すぐにでも、『変身』の個性を捨て去る必要があった。

 

 だが────。

 

 

 破棄は出来ない。

 

 個性は奪うか、与えるか。

 それが男の持つ個性の、オール・フォー・ワンのルール。そこに例外は無く、条件は守らねばならない。

 

 今の男は、『変身』と主導権の引っ張り合いで動けない状態に陥っていた。個性で感知した時に、近くに生きている人間がいない事は確認している。

 

 手の届く範囲には、死体しか残っていない。

 個性を奪って殺した、一組の男女の死体しか。

 

 個性自体が反発する可能性は、考慮していた筈だった。あれほど強力な個性なら尚更、そういった事が──拒絶反応が起きることがあると分かっていた筈だった。

 

 なのに、なぜ誰も生かしておかなかったのか。

 

 いや、そもそも子供の方は殺すつもりはなかった。

 道徳的な話ではなく──単に、人体実験の素体として利用するつもりだった。強力な個性を宿していた器だ。いくらでも利用価値があると分かっていた。

 

 それなのに、気がつけば首を折っていた。

 気分が高揚していたとしても、疑問が残る行為だ。

 

 もしや、あの時から既にこの体は────。

 

 

 

『“僕”は、自分がグレゴールだと思っていた』

 

 膨張していた肉体が、少しずつ縮小していく。

 元の男の肉体の大きさに戻り──そのまま止まることなく、更に小さくなっていく。

 

『いつか毒虫に変わってしまうことを──怪物に成り果ててしまうことを恐れていた』

 

 後頭部の口を起点に、顔が造られていく。

 男のモノだった(・・・)相貌はグチャグチャに崩れ、後頭部の顔が完成していくにつれて綺麗な皮膚へと変化していく。

 

 男はもう、何も喋ることができなかった。

 声を出すための口すら、奪われていた。

 

『でも違った──(ショウ)は最初から怪物だった。産まれたその時から、毒虫だった』

 

 後頭部が少年の顔となり、男の顔が後頭部となる。

 体の前後が逆になり、両手両足が音を立てて逆さを向く。左腕が右腕に、右腕が左腕に。左足が右足に、右足が左足に。

 

 全てが反転し、創り変わる。

 不可“逆”に『変身』する。

 

『グレゴールはお前の方だ』

 

『お前こそが、グレゴールだったんだ』

 

『グレゴールだったから、毒虫()に成るんだ』

 

 

 ──本当の毒虫は、誰だ?




 百面(モモヅラ)(ショウ)

 個性『オール・“ザ”・ワン』
 考えるものはすべて、ここに在る。


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エピローグ 完全“変身”

 

「あの日、僕は全てを……『百面(モモヅラ)(ショウ)』を引き留めていた何もかもを失った」

 

 パパとママ、その二人だけだった。

 僕を怪物ではなく、人間として扱ってくれていたのは。息子として、家族として、大切にしてくれていたのは。

 

 二人を失った僕は完全になった。

 

 失ってから初めて気づいた。

 家族とは、愛とは、情とは、絆とは。

 

 きっと、怪物を人の形に繋ぎ止める最後の鎖なのだ。それは怪物の本能を抑えつける、唯一にして無二の方法。

 

 古来より怪物とは、人の愛によって力を失うものだ。人の形へ姿を変えられ、心に巣食う衝動を上書きされてきた。人であれかしという願いと執着に影響を受けて、その本性を蔑ろにされてきた。

 

 だからこそ、愛を失ってしまえば。愛する人を、人を愛する心を失ってしまえば。人は誰だって、容易く、怪物へと変身する。

 

 変身してしまう。失うものが、なにもないから。

 

 もしも二人が僕を僕として愛していなかったのなら、『百面(モモヅラ)(ショウ)』はもっとずっと前に人としての姿を失っていただろう。一人の怪物として生き、そして死んでいたことだろう。

 

 

「両親を失って、その代わりに二人の個性を手に入れた。(個性)を生み出した個性……二人が残したそれは、不安定だった個性()を完成させてくれた」

 

 そして、僕から全てを奪ったあの男の。

 その全てを奪ってやった。体も、個性も、今まで積み重ねてきたもの全部。なに一つとして、残しはしなかった。

 

 怪物以上に、怪物だった男。

 その全てを喰らって、僕は生まれ落ちた。

 

 あらゆる個性を取り込み、混ざり合い、一つになった。一つになって、全てになった。もはや『変身』では説明がつかないほど、より多くの事が成せるように成った。

 

 だけど────。

 

 

「僕は怖かった」

 

「怪物に成った事が、じゃなく」

 

「僕から両親()を奪った、あの男に成ってしまうんじゃないか──そう考えてしまうことが、怖かった」

 

 個性を奪い、肉体を奪い。

 

 じゃあ、今ここに居るのは誰だ?

 

 本当に『百面(モモヅラ)(ショウ)』だといえるのか?

 

 本当に、心の底からそう信じることが出来るのか?

 

 これから先、一生、自分を疑うことなく生きていくことが出来るのか?

 

 今は間違いなく、自分を『百面(モモヅラ)(ショウ)』だと断言できる。奪ってやった実感が、存在ごとすり潰して、何もかも上書きしてやった感覚が残っている。

 

 じゃあ、明日は、来週は、来月は?

 

 一年経った後でも、まだ自分を怪物(自分)だと思える保証が何処にある。今この瞬間を生きている自分が、明日も同じ自分であると。どうして信じることが出来る?

 

 この世界に何一つ、自分という存在を証明する者などいないというのに。それは全て、奪われてしまったというのに。

 

 そして、自分に疑問を持ったその瞬間に。

 

 あの男は、僕が殺したあの男は。

 

 僕自身の個性によって、産まれ出る事だろう。

 

 

「だから僕は、考える前に“全て”を無かったことにした。“考える(個性を発動する)”より先に、(本能)が動いていた」

 

自分(個性)の中にある両親の“個性”を引き裂いて、二人の遺体に与えた。生前と同じようにモノを考えて、勝手に動く人形を作り出した」

 

「戦いの余波でボロボロになった屋敷も、元通りに直した。個性で体を切り分けて、肉と骨と皮で組み立ててして、家そのものに“擬態(変身)”した」

 

「自分を失うリスクを許容して、記憶を封じた」

 

「なんでも出来るようになったからこそ、可能なことだった。あの男がやってくる前の生活を、見てくれだけでも取り戻した」

 

「人間のフリをするのは、怪物()の得意な事だから」

 

 今だからこそ、分かる事だけど。

 

 結局のところ、僕は、全てを無かったことにしたかっただけなんだろう。その気になれば、他のどんな方法でも選べるはずの僕が。何も考えずに選んだ手段が、それだったのだから。

 

 無限の選択肢から、選択したのだから。

 

 きっとそこには、意味がある。

 

 認めたくなかったんだ、失ったことを。

 

 ただの子供みたいに、現実から目を逸らして。

 

 何もなかったと、言い張ってみせた。

 

 

「だけど、それも今日この瞬間まで」

 

 それは、僕が全てを忘れていたからこそ成立していた日常だった。両親の姿をしたナニカが、自分の作り出した人形である事を。一人で暮らすには大きすぎる屋敷が、ただの張りぼてである事を。『百面(モモヅラ)(ショウ)』という人間が、個性によって生み出された人格でしかないという事を。

 

 忘れていたからこそ、夢を見ていられたのだ。

 もしもあの日、何もなかったら。そんな……どうしようもない現実逃避に、夢中になれたのだ。

 

 醒めてしまえば、もう元には戻れない。

 夢から目が覚めたなら、もう、そこに居るのは毒虫(怪物)だ。

 

 それで良かったんだ。

 夢の中で一人でごっこ遊びをしていたのは、それはそれで楽しかったけれど。それでも、今この瞬間の方が何倍も幸福なんだから。

 

 

「トガちゃんには、本当に感謝してる」

 

「トガちゃんがいてくれたから、個性を使ってくれたから。僕が……今の肉体が、紛れもなく『百面(モモヅラ)(ショウ)』のものだと証明してくれたから。だからこうして、自分の事を疑わなくてもいい。自分を失う事を、怖れなくてもいい」

 

 そう、トガちゃんに出会えたから。

 自分以外の誰かが、『百面(モモヅラ)(ショウ)』を証明してくれたから。だからこそ僕はこうして、自分自身と過去に向き合う事ができた。

 

 この肉体から切り離した全てを回収して、もう一度“完成”する事ができた。『完全なる変身』へと至れた。

 

 心の底から感謝している。どれだけ言葉に尽くしても、伝わる気がしないくらい…………だから。

 

 

「だから……だから、もう泣かないで」

 

 子供のように、ポロポロと。拭っても拭っても、目尻から次々と溢れだす涙を。擦って傷になってしまわないように、出来る限り優しく拭い取って。

 

 星空の下で向かい合って、こうしてから。一体どれだけ時間が経った事だろう。自分に起きた事、こうなってしまった原因。それを静かに聞いていた彼女の目は、常に涙で潤んだままで。

 

 彼女にそんな顔をさせてしまった事を後悔しながらも。それでも僕は、語る事をやめなかった。

 

 知ってほしかった。僕の全てを、彼女の前にいる存在が何者なのかを。その結果、彼女を悲しませてしまうと知っていても。それでも僕は、僕を知って欲しかった。

 

 僕を生み出したモノがなんなのか、理解してほしかった。

 

 説明する責任があると、そう思った。

 彼女に道を踏み外させたのは、僕だから。

 

 これから先、あったかもしれない。

 ただ一人の女の子として、普通に生きていく未来を奪ったのは。決定的に壊してしまったのは、間違いなく僕だから。

 

 これから彼女がどんな決断をするにしても、話しておくべきだと思って。その結果、彼女を泣かせてしまった。

 

 こんな時に、考えるべきことではないけれど。僕はやっぱり、彼女には笑顔が似合うと思う。だから、僕は繰り返す。

 

 ────もう、泣かないで。

 

 

 だって、と。

 それまで何も喋らず、僕の話を静かに聞いていた彼女の。その小さな口から、いつもの元気さを失った彼女の声が溢れた。

 

「だって、ショウくん……泣いてます」

 

「泣いてないよ? ほら、こんなに笑顔」

 

「泣いてますよ! でも……それを見せてくれないから! だから代わりに、私が泣いているんです」

 

 私だって、ショウくんと同じ(怪物)なんですから────と。

 

 涙を流しながら、それでも戯けてみせる。

 彼女に出会えて良かったと、心からそう思う。

 

 

-1-

 

 

「これから、どうしますか?」

 

 ひとしきり泣いて、笑って。

 いつもの調子に戻った彼女は、そう尋ねてきた。

 

 人を刺して逃げてきた後とは思えない、好奇心と希望に満ちた瞳。あの斉藤くんが周囲になんて説明をするかは分からないけど……普通の人だったら、まずは警察に捕まる事を恐れるだろうに。

 

「まず、最初に聞きたいんだけど」

 

「……?」

 

「トガちゃんはどうしたい? このまま、何事も無かったコトにして家に帰る事もできるよ?」

 

「…………え?」

 

「いやほら、僕がトガちゃんに化けてやった事にすれば君だけはなんとか────」

 

()です! なんでそんなこと言うんですか!?」

 

「……まぁ、確認しておこうと思ってさ」

 

 なんとなく、どういう反応が返ってくるかは分かっていたけれど。余計な言葉で傷つけて、悲しませるかもしれないとは思っていたけれど。

 

 それでも、きっとここが分水嶺だから。

 

 一緒にいたいのは、僕の本心。だけど、それ以上に……彼女には幸せに生きていて欲しい。もしも彼女の幸福が普通の日常の中にあるのだったら、それを捨てることに少しでも迷いがあるのであれば。名残惜しいけれど、悲しいことだけど、ここで置いていくつもりだった。

 

「言いましたよね? ショウくんと一緒にいたいって……二人で笑って生きたいって。もう二度と……そんなこと、言わないでください」

 

「うん、ごめんね。僕がバカだったよ」

 

 むー、と。抗議の唸り声を上げる彼女の姿を見ていると、なんとなく笑いが込み上げてくる。僕が笑っているのを見て、バカにされていると思ったのか……抗議が唸り声からパンチへと変わった。

 

 刃物じゃない、普通の女の子の普通の手。

 

 なんだか可笑しくて、こんな状況なのに。

 中学校を卒業して、そのまま二人揃って家無き子になろうとしているというのに。笑い声が止まらない。

 

 笑って、笑って、笑って。

 

 そんな僕に呆れたような視線を向けていた彼女も、引っ張られて笑いだして。そのまま二人で笑って、笑って、涙が出るほど笑って。

 

 落ちたい頃を見計らって、『二人のこれから』を口にする。

 

 

「僕はね、“家族”を作ろうと思っているんだ」

 

「家族……ですか?」

 

「そう、家族」

 

 ずっと前から考えていて、それがついさっき纏まった。僕たちは、人間の中に産まれた怪物たちは、どのように生きていけばいいのか。

 

 どう生きるのが、望みなのか。

 

 彼女の生い立ちを聞いて、自分の思い出した過去と比べて。それで、なんというか、決して憐れみや同情なんかじゃないけれど。

 

 彼女には、怪物には。そして、僕には。

 “家族”が必要なんじゃないかと、そう思った。

 

 

「僕たち以外にもいると思うんだ。人々の中で隠れて生きる、普通ではいられない(怪物)たちが」

 

「踏み外した者、捨てざるを得なかった者、零れ落ちてしまった者、失くした者、拒絶した者…………普通に生きる事ができない、人であっても人の心がない、心から笑う事が出来ない。そんな(怪物)たちでも……きっと、たった一人でも理解者がいるだけで。その在り方を肯定してくれる誰かがいるだけで、救われると思うんだ」

 

「僕たちが、お互いを見つけ出したように」

 

「見つけ出してあげたいんだ、肯定して、愛してあげたいんだ。望まれていなくても、余計なお世話でしかなくても。抱きしめてあげたい、教えてあげたいんだ」

 

「君は産まれて良かったんだ、好きに生きて良いんだって…………そう言ってあげたいんだ。誰もが自分の本心に素直になって、正直に生きていけるように」

 

 怪物を人に戻してしまうような愛ではない。

 怪物が怪物のまま生きる事を良しとし、その先の道を示すための愛を。踏み外した先にのみ存在する、道なき道を照らし出すような存在になりたい。

 

 怪物のため(・・・・・)の愛を与える、そんな家族を作りたい。

 

「それが……ショウくんが本当にやりたい(楽しい)事、なんですね?」

 

「うん、これが僕のやりたい(楽しい)事」

 

「そっか、そうなんだ……なんていうか、それって、すごく────すっごく、素敵です!!」

 

「だから、ね。トガちゃん……僕と、僕と!」

 

 

「僕と家族に、なってください!!」

 

-2-

 

 

 過去が追いつく、というのは。

 きっと、この瞬間のことをいうのだろう。

 

 

「ショウくん、大好きですよ」

 

 視線の先で、彼女が微笑む。

 

 僕が壊してしまった家の中で、彼女の周りだけは綺麗なままだった。それこそ不自然なくらいに、瓦礫の一つも存在していない空間。

 

 崩れ落ちた屋根の隙間から覗き込む満天の星が、優しく輝く月が、暗闇の中の僕たちを照らしている。まるで……舞台の上に立つ主人公とヒロインのように。今夜だけは、僕たちがこの世界の主役だった。

 

 

「僕も、大好きだよ」

 

 膨張し、沸き立ち、溢れ出して。僕の体は大きく高く膨れ上がって、天へと伸びていく。少し離れた場所にある街からも見えるほど高く、すぐにでも誰か(ヒーロー)が駆けつけてくるくらい悍ましく。

 

 

 許容量を越えた質量が、辛うじて建物としての姿を保っていた我が家を押しつぶす。家族との思い出が、これまで歩んできた日々が。その一片も残らずに、瓦礫の底へと沈んでいく。

 

 否定するように、訣別するように。

 

 これは、ケジメだ。両親を死なせてしまった僕への、そして、人間だった過去への。別れのために必要なことで、自分勝手な儀式。

 

 心の奥に残されていた人間らしさが、また一つ、音を立てて砕け散る。

 

 抑圧されていた個性(・・)が肉体と心を弄り回し、その本質を、造形を、人に非ざる者へと作り変える。

 

 もう、人のままではいられない。

 

 

 まるで、一つの臓器になってしまったみたいに。今まで感じたことのない胸の高鳴りが伝播して、全身が鼓動するように脈打つ。

 

 自分が抑えられない、抑えるつもりもない。

 

 だって、そうだろう。

 

 楽しく生きるということは、自分に正直になるということなのだから。

 

 心の奥底から溢れ出す衝動を抑えつけるなんて、そんなのバカげている。

 

 ねぇ、トガちゃん、お願いだから────。

 

 

「ぼくといっしょに、死んでくれ」

 

-3-

 

 

『人間じゃない子産んじゃった!』

 

 そう言われた時の気持ちも、あの人達の顔も。

 全部覚えてる。忘れたことなんてない。

 

『コワい顔』『異常者』『普通じゃない』『マトモになれ』『産まなければよかった』

 

 『普通』が生きやすい世の中に、私の居場所は無いと思ってた。『普通』に生きられるように、一生、自分に嘘をついていくんだと思ってた。

 

 異常者として産まれたんだったら。

 悲しいとか、辛いとか。そういうふうに感じる心も無ければ良かったのに、と。意味もなく考えて、辞められなくて。

 

 

『じゃあさ、卒業したら……一緒に暮らさない?』

 

 だけど今は、それで良かったんだと思ってる。

 

 人間じゃない子に産まれて良かったって、怪物として産まれて良かったんだって。

 

 心の底から、そう思ってる。

 

 

-4-

 

 

『正体不明の超大型の(ヴィラン)によって、山奥に暮らしていた夫婦と長男の三人家族と、その長男の友人である少女が亡くなった事件から一年が経ちました。トップヒーロー達が数多く鎮圧に向かったこの事件において、このような犠牲者が出てしまった事は当時も世間を騒がせましたが────』

 

『犠牲になった二人の少年少女は通っていた中学校でも特別仲が良いと有名だった上、同日に校内で通り魔事件にあった少年とも友人関係にあり────』

 

『それまで無名だった正体不明の(ヴィラン)について、警察は今でも身元の特定が出来ておらず────』

 

 

 

「ただいま──ってアレ? ヒミコ(・・・)ちゃんったらまたテレビつけっぱなしにして……しかもソファで寝てるとか、風邪引くよ……?」

 

「───、ぁ……ショウくん? 帰ってきてたんですか?」

 

「あー、起こしちゃった? ごめんごめん。でも、眠いならちゃんとベッドで寝なよ?」

 

「んー……じゃあ、ショウくんが運んでください! はい!」

 

「いや、はいじゃなくて。っていうか、今日は紹介したい人が出来たから起きてるならちゃんとして欲しいんだけど────」

 

「え!? もしかして、新しい家族(・・)ですか!?」

 

「そうそう……えーっと、あれ? ほら、そんな玄関に立ってないで早く入ってきなよ。今からご飯も準備するからさ……ヒミコちゃん、みんな(・・・)を集めてきてもらってもいい? ちゃんと顔合わせしないとね、家族になるんだから」

 

「はーい、任せてください!!」

 

 

「……騒がしくてごめんね? ヒミコちゃんっていつも、あぁ、今の子はヒミコちゃんっていうんだけどね……あ、やっぱり知ってるんだ? うん、色々あって死んだことにした方が便利だと思ったんだけど……テンション上がってやりすぎちゃってね、逆に有名になっちゃったから外出る時は二人とも顔変えてる(変身してる)の」

 

「ま、分かってもらえたと思うけど。ここってそういう人達の集まるところなんだよね、集まるっていうか、集めたっていうか。そういう事だからさ、自分の家だと思って寛いじゃってよ。多部くんにも色々あったんだろうけど……これからは家族だからさ」

 

 

「あ、そうだ。言い忘れてた」

 

「おかえりなさい、僕達は君を歓迎するよ」

 

 

「ようこそ、『仮面舞踏会(バル・マスケ)』へ!」





 あと少しで完結、という状態になってから4年弱。
 展開的にも中々酷いタイミングでエタってしまい、こう、なんていうか、本当にごめんなさい。

 展開は完全に当初の構想通りなのですが、エタっていた間の本誌の情報でいい感じに解像度が上がったと思っていて……うん、大目に見ていただけると助かります。

 続きの内容も色々と頭の中にありますが、ひとまずは予定通り今回の話を以て完結とさせていただきます。4年間の間で色々書きたいものが増えたので、そちらを消化しつつ気が向いたら後日談とか書きたいと思います。

 沢山のお気に入り登録、評価、感想をありがとうございました!
 執筆やエタってる間の励みになりましたし、何よりモチベが戻ってきて完結まで書き通せたのはみなさんのお陰です。

 何かのはずみでネタバレをしてしまうのが怖くて感想返ししきれていないのですが、近いうちに返信をしていきたいと思っています。

 またいつかお会いできればと思います、それでは。


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