エイリルは今朝から、この世界で唯一ダンジョンがあるという迷宮都市オラリオで生計を立てていくことにしました。
生計を立てる、といってもエイリルは成人もしていない子供です。そんな子供に職を任す仕事は限りなく少なくて、あったとしても後ろ暗いものばかりでした。しかしエイリルにはそんな仕事に興味はありません。
オラリオでお金を稼ぐといったらもちろん、ダンジョンに挑む冒険者です。
冒険者は神から【
冒険者とはそういうもので、そこに老も若いも大した違いになりません。
もちろんファミリアに絶対入れるかなんて分かりません。しかもエイリルは少女のような容姿をした小さな少年です。ただでさえ冒険者は力が重要なのに、そんな子供を好んでファミリアに入れる神、あるいはそのファミリアの団長は少ないでしょう。
しかし、エイリルだって何もしなかった訳ではありません。
自分の住む村から、とある冒険者の商団に雇われる形で同行してこのオラリオまで来たのです。その間にエイリルはその商団から様々な冒険者としての技術を教わりました。武器だって小さい体ながら満足に振るって、体力だって人一倍多いことを自負しています。
商団との旅で見た目だけで判断されぬように鍛えてきたのです。もし仮にそれで駄目だったらエイリルには、最終手段だってありました。
それはその商団の所属するファミリアに入れてもらうことです。しかし悪魔で最終手段、『どこにも入れなかったらうちの所にこい』旅の道中で度々言われた言葉です。まだどこのファミリアにも行っていないので、意識する必要のない最終手段でしたが。
「大丈夫です。優秀を求める大規模ファミリアや精鋭が欲しい小規模ファミリアならいざ知らず、比較的余裕のある中規模ファミリアなら問題ない筈です……!」
エイリルは誰にでも言うのでなく、自分自身に向かってそう鼓舞しました。実はその心には今、自分に対する自信と他人の評価の不安が同居していたのです。
"今まで自分はしっかりと努力してきた" "他人にはそれは分からない" "大丈夫、分かってくれる人はいます" "当然、分からないほうが多い"
そんな風に肯定する自分と否定する自分に挟まれて苛まれた末に考え抜いた案が、余裕の多そうな中規模のファミリアに入れてもらうことでした。
実際に入れてもらえるかは定かとして、【冒険者ギルド】という冒険者稼業と隣り合わせの組織に赴いて直接そこの役員に聞いた限りでは、エイリルの考えた案はおよそ悪くない物でした。
聞いた話では【ミアハ・ファミリア】という神々の中でもお人好しと呼ばれる部類の神が主神の中規模ファミリアが順風満帆であり、尚且つ主神であるミアハは日頃から道行く冒険者にポーションと呼ばれる即効回復薬を配るほどにお人好しらしいという話です。
それを聞いたエイリルはすぐさま自分の足で【ミアハ・ファミリア】の
そうして道を歩いていると、長くて深く青い後ろ髪を一房にして背中に流した長身の男が、中に液体が入った試験管を片手に如何にも冒険者という風貌の女性と話していました。
男は女性の手を両手で握り何かを話していました。傍から見れば男が熱心に女性を口説いているように見えましたが、女性は男が持っていた試験管を受け取り去っていきました。女は赤い表情のまま何度も男の方を振り返ります。そんな女を男は見えなくなるまで手振って見送りました。
冒険者の女が受け取った薬は十中八九、ポーションでしょう。冒険者が必要な薬と言えば間違いなくそれです。
見ていた限りでは男と女の間には金銭的なやりとりは見えず、そうなると安価ではないポーションをタダで譲った事になります。そんなお人好しはそうそういないでしょう。そうなると男――男神の名前は予想通りならミアハになります。
しかしそれは仮称、ただの予測です。本人に確認するまでは間違いかもわかりません。
「ふむ、先ほどから視線を送る少女…いや少年か。そこで立ち止まってどうしたのだ?」
少しばかり立ち止まって黙考していると、仮称ミアハが声柔らかに話しかけてきました。その眼差しは何処か慈愛を抱えており、エイリルの子供ながらの鋭さはこの神から立ち昇る"優しさ"とでも言うべきものを感じ取っていました。
エイリルの中で仮称ミアハが推定ミアハに変わります。しかしそれでも推定です。本人の口から直接聞くまでは疑惑は解かれません。故にエイリルはすぐさま目の前の神に名前を聞きました。
「私の名前を聞いてどうするか知らぬが、私の名前はミアハという」
真摯に答えるミアハの言葉を聞いて、本当は自分の名前も言うのが礼儀というものなのですが、エイリルは緊張していたせいか、それよりも先に本来の目的が口を先走ってしまいました。
「あ、あなたのファミリアに、私も入れて下さい!!」
やってしまった。そんなやるせない気持ちが胸の内を閉めました。ミアハを見かけた少し前までは気さくな会話で好感を得ようと浅ましくも考えていたのですが、現実はそれ程までも毛先程も上手くいかなかったです。胸の中の不安が少しばかり大きくるのを、真っ白な頭の中で感じました。
「おお、新規加入希望者だったか。大いに歓迎だとも、そうとなればさっそくファミリアに向かおう。着いてくるといい」
「はい?」
「さあこっちだ。なに、焦らずともゆっくりと足を進めればいいさ。その足は小さくとも、いずずれは私を追い越してくれるとも」
そう言ってミアハは自身のファミリアの
それから、ファミリアの
神ミアハ導かれてから一息つく間もなく夜になり、自身にあてがわれた一室で同室の仲間に歓迎会の二次会をされながら、エイリルは未だに混沌とする胸の内を感じながら呟きました。
「もう少し、運命的な感じだと思っていました」
"何が?"と尋ねる同室のメリーに"何でもありません"と誤魔化しながらエイリルは明日の予定を考えます。そこには胸の中で同居する不安も自信も、誰も口を挟みませんでした。
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オラリオ二日目、朝
エイリルがオラリオに来てから二日目の朝がやってきました。エイリルは自分の手を握ったり開いたりして、昨日の出来事が夢じゃないことを少しづつ飲み込んで理解します。
屋根裏の部屋から覗ける窓の外は暗い空が段々明るくなっている時で、まだまだ朝が早い時間帯であることが伺えました。
オラリオに来る前、商団と一緒にいた時なら馬車の運転を変わるなり雑談をするなりして時間を潰していたのですが、それは昨日までの自分の事です。
今日からの自分は商団のエイリルではなくてミアハ・ファミリアのエイリルなので、そうそうに以前の習慣を捨てるなり合わせるなりするべきなのですが、今日明日で今の習慣を捨てれる程に浅い関係ではないので難しい話です。
同室の皆はまだ寝ているようで、自分ももう一度寝るべきかと思っていたエイリルですが皆のベットをみて一人だけいない事に気づきました。
屋根裏部屋をあてがわれているのは五人。一人は自分こと
いないのは羊人《メイプル》のメアリーです。どうしていないのかは正直、昨日知り合ったばかりのエイリルには分かりません。
探しに行ってみるか眠りにつくか少しだけ考えていたエイリルに、不意に美味しそうな料理の香りが届いてきました。どうやらこの
朝食の用意でしょうか? あるいは間食の為でしょうか? エイリルの予想では朝食の為に料理をしている方です。
エイリルは寝起きの為かお腹が空いたので調理場に赴く事にしました。
ゆっくりと足音を立てないように歩いて、床に取り付けられたドアを開きます。それから梯子を降りて階下に下る途中で屋根裏部屋と繋がるドアを音を抑えて閉じました。
それから二階の長くも短くもない廊下を静かに歩いて階下に降る階段を降りて、一階の小さな台所をドアの隙間から覗きました。
「ふん、ふん、ふふん♪。今日は、朝ご飯はなっにかな~♪」
台所で鼻歌交じりに料理をしていたのは部屋にいなかったメアリーでした。エプロンを着て体を揺らす姿はとても武器を振るって日々を戦う冒険者の姿とは思えなくて、どこにでもいる花屋の娘のよう見えました。
「メリー、おはようございます。良かったら手伝いましょうか?」
エイリルはドアの仕切りを跨いで後ろからメアリーに言いました。後ろから話しかけられたメアリーは一瞬だけ驚いて、”ひっ”なんて音を漏らしましたが、話しかけてきたのが昨日入ってきたばかりのエイリルだと気づくや否や落ち着きを払って答えました。
「おはようエイリル。まだ二日目だけど慣れた? あと手伝ってくれるんだったらエプロンを着て手を洗ってきてね。今日のスープも募集中だよ~」
エイリルは顔を洗いに行くついでにエプロンを着ていくことにしました。
「それは何ともだね。まさか口走った結果でうちに入るんだなんて、運が良かったね。ミアハ様は何でも受け入れちゃうからねー」
少々の笑いを含んでメアリーは鍋をかき回しながら言いました。彼女は笑いが堪えられないようで、口角は見間違えない程上がっていました。
「あまり可笑しそうに言わないでくださいよ。私はかなり胆を冷やしたんですから」
小刻みよく包丁を振り下ろしてニンジンを切りながらエイリルは言いました。エイリルはまだ昨日の自分の失敗を笑えるほど区切りがついていなかったのです。
そんな二人は現在、雑談をしながら料理をしていました。
「あ、ニンジンを細く切り終わりましたよ」
「じゃあ鍋に入れてね。あ、そういえばエイリルはオラリオの外から来たんだっけ? 外のモンスターってどんな感じなの?」
メアリーが純粋な疑問で聞きました。生まれも育ちもオラリオの彼女にとってモンスターとはダンジョンの中の生き物を指す言葉で、昨日エイリルに聞いた外の世界の話は彼女にとって興味深いものばかりでした。
「強さが違うとかの話はよく聞きましたよ。種類もゴブリンやコボルトといったダンジョンで出てくるものと聞いた限りでは大差もありませんし……あ、いや、死体が残ります。なのでモンスターを食べる事もできます」
「えぇ、食べるの? ゴブリンを? ちょっと想像つかないかなぁ……」
「食べるといっても流石に人型のものは食べませんよ。トカゲとかニードルラビットとかですよ食べるのは、とは言っても特別に美味しい訳じゃないですけどね」
それから二人は焼き上げたパンを竈から取り出したりしながら会話に熱を上げていきました。エイリルはもっぱら外のモンスターと遭遇談をメアリーはダンジョンでの冒険談を、二人が会話を続けていると主神であるミアハが降りてきました。
「む? 美味そうな匂いに釣られてみれば、メアリーはいつもだがエイリルも早いな。そこのポタージュスープとパンは二人で作ったのか?」
「あ、おはようございますミアハ様。そうです、エイリルと二人で作りました。彼? と二人でオラリオの外のモンスターについて話しながら作ったんですが、これがなかなかに上手くてですね……」
「少し褒めすぎですよメリー。私はあなたほどレパートリーもなければアレンジもありません。あなたに比べれば私なんてモンスターとか色々食べただけですよ」
「うむ、仲がいい事は良い事だな。それはそうとモンスターを食べるとは?」
ミアハは会話の中の違和感に気づいて、つい気になって聞きました。彼にとってモンスターとは倒せば灰になってしまう存在なのです。
エイリルは外のモンスターを狩って料理した話をメアリーにしたようにしました。
「なるほど、確かに外のモンスターは長い時間を掛けて魔石がなくなり死体が残るが、ふむ。確かにそれならダンジョンで出来ないような事ができるであろうな。二人とも、私は皆を起こしてくるから食器の用意を頼む」
そういってミアハは二階に上がっていきました。何か感慨深げだったのが気になりましたが、エイリルは聞かずにミアハを見送りました。
「そういえばエイリル。今日の予定ってある?」
食器を用意しながらメアリーが聞きます。エイリルは正直、冒険者になったからには今すぐダンジョンに入ってみたい気持ちがありました。
「ありませんが、ダンジョンに行ってみたいですね。良ければ一緒に行ってくれませんか?」
「良いよ~、私も予定がなければ誘うつもりだったしね。後輩冒険者を見守るのは先輩冒険者の役目ってね。つまりはそういう事だよ」
メアリーはそう言いました。エイリルはフライパンに油を引いて温めながらそれが何かについて聞きました。
「格言だよ、むかしお世話になった先輩のね。昔お世話になったように今度は私の番って話なんだ」
食器を並べ終えたメアリーが懐かしそうに言いました。昔言われた事を実践する。エイリルは未だに実践したことはありませんが、その気持ちについてなんとなくわかりました。
それからベーコンやソーセージを焼き上げて、二人は皆が来るまで待ちました。
数分もしないうちに降りてきた皆が料理を食べ終えたの見届けてから、二人は後片付けをして、エイリルは倉庫に眠っていた斧のお古を借りてダンジョンに向かいました。
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ダンジョン初回
朝食の支度も終わり、エイリルとメアリーはダンジョンの第一層に訪れていました。壁も床も岩石のような材質で造られた第一層の通路は、階段を一つを登るだけで地上に出るとは全く思えないほどに自然で違和感のある空間でした。
「ダンジョンって思ってたより広いんですね。普通の洞窟みたいなものを想像していました」
エイリルは思ったことを素直に愕きの念を込めて吐き出しました。たいした障害もなく平坦の道が続くダンジョンの通路はついつい奥に進んでしまいそうで、エイリルの目にはまるで人を誘惑している罠のように見えました。この武器を振り回しても余裕のある通路が自然に出来ているのですから、ダンジョンとは人を飲み込んで消化する蛇の腹のような魔窟に他なりません。
「今日は腕試しってことで第一層までにしようか。明日からは今日の様子見を見てから考えればいいしね」
「それでいいですよ。私もまだ、このオラリオ自体にそこまで慣れていませんし」
そんな事を喋りながら通路の曲がり角を曲がったときです。不意にその姿を認めた二人をすぐさま来た道を引き返して相談を始めました。
曲がり角の先には、ゴブリンがいたのです。緑の肌と赤い瞳に三本角、細い体に不釣り合いなほど大きな頭部。子供ほどの背格好のゴブリンが一匹。他には何もいません。
「どうします? とっさに隠れてしまいましたが……」
「一匹だし正面きって一人で戦ってみる? 私は後ろから見てていざって時にフォローするからさ」
「分かりました。私もこれから一人で潜ることがあると思うので、今のうちにダンジョンでの戦闘に慣れておきたいですからね」
そうと決まれば早速エイリルは曲がり角から姿を現しました。その時はちょうど一匹だけのゴブリンはエイリルの方向を見ていて、すぐさま唸り声を上げてエイリルを威嚇しました。
メアリーはそんな様子を期待半分、不安半分で見ていました。彼女の手にはいつでも振るえるように鞘から抜いた剣が握られています。
「ギギャギャッ!」
妙に甲高いその声はあたりに響き渡りました。ゴブリンはその場で足踏みをして踏みとどまっていました。それは攻撃を行うタイミングを推し量るための足踏みです。
エイリルは背中に背負った両刃の戦斧を引き抜いて油断なく構えました。
そうして油断なく構えるエイリルの脳裏には過去のやりとりが思い浮かびました。
なぜ今この時に、まるで聞いた限りの走馬灯のように頭の中に流れるのか疑問に思う間もなくエイリルはその時ことを鮮明に思い出します。
それは森の中、エイリルが初めて武器を握った日の事。握った武器は今と同じように戦斧で、その重さに引っ張られて思うようにまだ振るえなかった時の事です。
エイリルは自身に扱い切れぬ武器に悩み、その打開策として
するとその優しくも豪快なドワーフはエイリルを連れて、その時に滞在していた町からほど近い森の中に進みました。
そして川のせせらぎの音が聞こえ始めた辺りで立ち止まり、徐に手近な岩を椅子にして座り込みました。
そうやって言葉を出すかと思いきや開いた口から音は出ず、口を閉じては開くを繰り返して、それで言葉を思索するのに飽きたのかエイドルフは岩から立ち上がり背中に背負った武器を引き抜きました。
『せいっ!!』
重く響く声と共に右上から左下に振りぬかれた肉厚な戦斧は手近に聳える太い樹木を容易く両断してみせました。
エイリルは突然、樹木を切り伏せたエイドルフに驚きました。それと同時に容易く樹木を両断してみせたエイドルフの一撃に目が釘付けにもなりました。
『斧はお世辞にも剣や槍ほど扱いやすいとは言えん。元はこうして木を切り倒すものだから当然といえば当然だが、しかし斧には一撃の重さがある。
上手く言葉に纏まらんが、まああれだ……重さを活かして振るうんだ。腕の筋肉なんて斧を持てる程度で十分だ。
必要なのは足腰と地面に足をつけること、遠心力を上手く扱えれば、まぁ何とかなる』
エイドルフは手を差し出してエイリルを立ち上がらせました。言葉で聞くより実践を行った方が早くて楽だと思うエイドルフは樹木を指さして言います。
『ほら、エイリル嬢ちゃん。まずは一本だ』
『分かりましたが、女の子扱いはやめて下さい。私だって一応は男の子なんですよ? 初対面なら兎も角として、これでも結構、気にしているんですから』
『そう言われてもなぁ、嬢ちゃんは嬢ちゃんだし……そうだな、これが出来たなら嬢ちゃん呼びを辞めてやろう』
エイドルフは悪戯をする子供のような表情で、先ほどまで座っていた岩を小突きます。それから――『ふんっ!』また重く響く声を辺りに散らしながら思いっきり岩を殴りつけました。
岩は乾いた地面のようにひび割れて砕け散りました。エイリルは今度もエイドルフの一撃に視線を奪われて、羨望を含んだ眼差しでエイドルフを見つめました。
『今みたいに自力で岩を砕けたのなら、嬢ちゃんじゃねえもんな』
嫋やかな髭を揉みしだきながらエイドルフは、出来る訳がないと無茶ぶりのつもりでエイリルに言いました。
そうして斧を樹木に叩きつけるだけの一日が過ぎていきました。
「せいっ!!」
そんな思い出を連鎖させながら思い出していたエイリルは、振り上げた斧を真下に振り下ろす形で、全力の踏み込みでもって跳ねるように近づいてゴブリンの右肩を砕き、そこから肉と肋骨を抉巻き込んでゴブリンをダンジョンの地面に叩きつけました。
「グ…ギ…ギィ……」
それから虫の息のゴブリンが瀕死の呻き声を上げるの聞きながら、もう一度振り上げた斧でゴブリンの頭蓋骨を叩き割り、ゴブリンの命の灯に水を被せました。
「…ふぅ」
ゴブリンの頭から戦斧を引き抜いて、エイリルは一息吐きました。エイリルの思考は一つの命を奪ったにも関わらず凪風の吹く海面のように静かでした。
今、エイリルの心には故郷の村からオラリオまでに鍛えた己自身の力が、まったくの無駄じゃないと分かった安心に満たされていました。それから確かな自信が心の中で沸き上がります。
「凄い! 凄いよエイリル!」
静かに呼吸を繰り返すエイリルの背後から、エイリルの初戦を見守っていたメアリーがそんな感激の思いを口に背後からエイリルに抱き着きました。
背後から見ていた彼女は、彼女の後輩たるエイリルが初めてのダンジョンでの戦いで、結果がどうあれ始めに褒めることを胸に決めていました。
「大きく踏み込んで、一撃! 私が初めて戦ったときとは比べ物にならない程、鮮やかでスムーズだよ!」
「あはは……一対一でしたからね、ゴブリンが群れで戦いますから集団だったらこうも行きませんよ。それより『魔石』を回収しましょう」
エイリルは抱き着くメアリーに困り顔で提案しました。
『魔石』とはダンジョンで生まれ落ちた生物全てにおいて心臓の如き働きをする、特別な器官で冒険者はそれらをギルドに売り払って日々の生計を立てています。
メアリーはそれを聞いてエイリルにゴブリンの魔石がある、大体の位置を教えながらゴブリンの魔石を抜き取りました。
魔石の位置は、その生物の中央にあたる部分にある事が多いとメアリーは言います。"困ったら胸をぶち抜け"とは冒険者間の共通の認識だそうです。
「はい、この紫なのが魔石ね。ゴブリンの魔石は大体一つ80ヴァリスぐらいで、地下深くのモンスターの魔石ほど値段が高くなるんだ」
そう言って魔石を手のひらで弄ぶメアリー。ゴブリンの魔石は小指の先と比べられるくらいには小さく、同じ色を付けた砂利の中に混ぜたら見分けがつきそうにないな。くらいの気持ちでエイリルは魔石を凝視しました。
そうして、ふと魔石を抜き取られたゴブリンを見たらそこにはゴブリンの姿は無く、代わりとばかりに灰が積もっていました。
(本当に灰になるんですね……)
声に出すことなく、表情に出すことなく心の中で呟き、エイリルは思いました。もし、魔石の無くなったモンスターが灰になるという話が冗談で、体が残るようならちょっとした供養でもしようかと思っていたのですが、ダンジョンのモンスターは根本的に存在として違うのか肉体すら残らず灰に変わってしまいました。
そんな積もった灰を見つめると白い骨――ゴブリンの小さな角が灰に埋もれているのが見えました。
「これは、ゴブリンの角……ですか?」
灰の中ら摘まみ上げて手のひらに乗せてみて、ゴブリンの角が灰にならない事を確認しました。
しかしなぜゴブリンの角だけが形を保っているのか? そんな疑問を抱きながら目を凝らして見つめていると、メアリーが運が良いと言いました。
「ドロップアイテムだね。モンスターが灰に還った際に偶に残る奴なんだ」
「偶に残る……他は全て灰になるのに、不思議ですね」
「そう、不思議だよ。冒険者は学者じゃないから不思議でいいんだ。」
メアリーがそう言って、エイリルの手を掴んで先に行こうと示します。エイリルは手のひらに乗せた小さな角を袋にしまって足を進めました。
「それじゃもっと進もうか。目指せゴブリン百匹切り!」
声高らかに宣言すると先輩冒険者と後輩冒険者は、二階層に進むまでに至らずともダンジョン第一階層の奥深くに足を進めました。
二人はそれから、本当にゴブリンの魔石を百集めてから地上に戻ることになりました。
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オラリオ三日目 朝の時間
「皆は今日、なにか予定はあるのか?」
それはエイリルとメアリーが朝の食事を片付けている時の言葉でした。その発言をしたのはミアハ・ファミリアの主神であるミアハです。
その発言の意図を誰も探ることはせず、素直に今日の予定を皆が話し始めました。
「俺は何時ものようにダンジョンに行ってみるつもり」
ミアハ・ファミリアの初期からいるヒューマンのライト・ファンリルが最初に言いました。それに続くように皆が言葉を続けます。
ミアハ・ファミリアの現在の団員は十三人。今は四人ほどがダンジョンに潜っており本拠の青の薬舗にいませんが、誰もが主神であるミアハを慕っています。
「私は散歩に出かけようと思います」
ヒューマンのジェイドが「俺もダンジョンに行く」と言った後にエイリルは言いました。本当は昨日の予定だったのですが、メアリーとついつい長く潜ってしまいオラリオを散歩する事が出来なかったので今日の予定になりました。
「マジ? オラリオを散歩するのかだったら案内しようか?」
そのの言葉に
「私もついて行っていい?」
「私も! 私もついて行く!」
ヒューマンののコトネ・ハバキリが言って、双子の妹のオトネ・ハバキリが続いて言いました。二人もジョンと同じでエイリルと仲良くなりたいと思っていました。
ジョンは出来れば男二人でぶらぶらと歩きまわりたかったのですが、ここは少しでも多く交流を増やした方がエイリルの為になると思って本人に聞きました。
「もちろんいいですよ、案内をお願いします。なんなら同室同士という事でメリーも行きませんか?」
他三人より一足先に仲良くなったメアリーを愛称で呼びながら聞きました。メアリーは一瞬の隙間もなく「分かった~。私も暇だしね」と答えます。
「ふむ、そうかそうか。アトリーナとナァーザは何か予定はあるか?」
そこまで聞いてミアハが残った二人、アトリーナ・キャンベルとナァーザ・エリスイスに聞きました。二人は何も予定は無いと答え、それを聞いたミアハが言います。
「では今日一日、私を手伝ってはくれないか? オラリオの外に用事があって、二人がいてくれたらどれほど心強い事か」
ミアハは囁くように良い声で言って、二人は了承しました。二人だってオラリオの外がダンジョンほどではないにしろ危険だという事は分かっているのです。猛獣の犇めく森林の自らの主神を一人で行かせる訳はありません。
それからエイリルが簡単に身支度を整えたころに、ナァーザがミアハの薬師としての仕事を手伝った際に作ったポーションをエイリルに渡しました。
「それは私が作ったポーション。少しだけアレンジを加えたの、効果が予想通りなら疲労にも効く筈だから一応持っていって使ってみて」
それは試作のポーションのテストの頼み事でした。まだ新人のエイリルとのコミュニケーションの取り方に勝手がつかないせいか、その言葉はどこか一方的で不愛想なものに感じましたがエイリルはそんな事を気にせずお礼を言いました。
「ありがとうございます、ナァーザさん」
「出来ればの話だから、使わずに持ち帰って近いうちにダンジョンで使ってみても大丈夫よ。それくらいは日持ちするはずだから。それじゃ、私は他の人にも渡してくるわね」
そう言ってナァーザは他の人にも渡すために行ってしまいました。手の中には細長い瓶に入ったポーションが一つ。本当はもう少し話してみたかったのですが、今日はお互い予定があって時間がありません。エイリルはポーションの感想を次の会話の懸け橋にしようと心に決めました。
五人は本拠の青の薬舗から足を進め、まずはオラリオの中心と言うべき五十階建ての摩天楼『バベル』を目指しました。
千年前に神々が降り立った際に建て直したという塔の中にはオラリオで名高い名店の数々が在るという話はエイリルも知っていましたが、実際に足を運ぶのは初めてのことです。
「まずは俺達が足蹴もなく通っているバベルに行くのは王道だよな。あそこの真下にダンジョンが在るから凄く冒険者向けの店が多いしよお!」
「通っているのは店じゃなくてダンジョンだけどね。まあ、今のうちに行ってみるのはありだと私も思うけど」
「じゃあ『ヘファイストス・ファミリア』の店舗? あそこはとんでもなく高いけど、見るだけならタダだしね」
ジョンがまず初めに言ってコトネとオトネが続いて言いました。
『ヘファイストス・ファミリア』とは鍛冶系のファミリアで、その中でも一・二を争う大手ファミリアです。その店舗で売られる武器や防具は全てが煌びやかで、それでいて優れている物ばかりなのが特徴の一つでオラリオの外に出回っていた『Hφαιστοs』の刻印を押された武具を見た事のあるエイリルは見たいみたいと素直に思いました。
「じゃあ、お昼ご飯は豊饒の女主人でいい?」
まずは行くべきところを決めたので、今のうちに昼食に置いて決めておいた方がいいと思ったメアリーが会話の終わりを見計らって言葉を繋げました。
メアリーの意見に否定するものはおらず、何ら問題なく五人は今日の予定を詰めていきました。
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オラリオ三日目 第一級武具店
書いていたら今回は五千字まで書き伸びてしまいました。
オラリオの中心に聳え立つ五十階建ての塔の名はバベル。二十階までは公共施設や換金所、各ファミリアの商業施設が軒を構え、三十階の大広間が、月に一度に行われる神会の会場となっています。さらに二十階の上からはオラリオでも有数のファミリアの神々が住み着いている、オラリオでも屈指の
エイリルたち――メアリー、ジョン、コトネ、オトネの――五人は十九階のヘファイストス・ファミリアの本店とも言うべき、第一級冒険者の武器を主に取り扱う『エリクトニオス』に訪れていました。
もちろんエイリルたちは第一級冒険者ではないため、売り物である素晴らし武器の数々を見ている事しか出来ないのですが、そこはオラリオで一と二を争う鍛冶ファミリア。如何に下級冒険者とはいえ余程の無作法を仕出かさない限り無下に扱う事はしません。
「以前に一度だけ見かけた物より……凄いですね」
エイリルが透き通った巨大なガラス板の向こうに飾られた短剣を眺めて、息を吐くような気持ちで言います。ただ美しい短剣を見ているだけなのですが、実際に試さずとも良く切れるだろうという気迫を見せるその短剣は、称賛の言葉しか言いようがありません。
そんな褒めたたえられる国の宝物庫にあって可笑しくない武器が百以上もこの場にあるのですから、それがただの偶然で作り出された物やどこそこから盗んできた物とは、間違っても疑う事は出来ないでしょう。この場にある武器の数々は確かな実力を持って作り出された物なのです。
「な! な! スゲェだろ、ここの武器たちは!」
抑えた声で、しかし強かな勢いを併せ持った声で栗毛の尻尾を躍らせながらジョンが言いました。その声はエイリルにも"この素晴らしさが理解できるだろ"と期待の籠ったものでした。同じ感覚を持つ人間は多いことに困った事は少ないのです。
「はい、確かに凄いですね。ただ眺めるだけで理解できる"切れる"という感覚は心に透き通ったものを与えてくれます。あの武器は素晴らしい、この武器も劣らず素晴らしい……あまり言葉で表現できないのが、少しだけ残念に思うほどに素晴らしく感じます」
エイリルもジョンの感性が理解できるのか、思いの丈を出来るだけ言葉にして皆に伝えました。その気持ちはジョン以外には上手く理解できないようでしたが、エイリルには気恥ずかしさより爽やかな気持ちの方が大きかったので後悔はありません。
「うん、男の世界? って言うのかこういうのは……」
「あはは、確かに凄いってのは感じるんだけど私たちには、ああいう風に熱くなれないね」
「そのうち言いたいことが理解できるんじゃないかな、二人のこと」
メアリーが苦笑しながら言って、コトネが同意を示しました。オトネは思ったことを纏めて簡潔に言います。
確かにジョンが似たような感性を持つ相手を求める気持ちがエイリルにも少しだけ理解できるような気がしました。
「途方もな金額ですが…それさえ用意すれば芸術品と言っても遜色ない武器を買えるんですね」
「うーん……別にそういう訳でもないよ?」
エイリルが言った言葉をコトネが否定しました。ヘファイストス・ファミリアの刻印が施された武器は、製作者が購入者を選ぶことが出来るのです。例えば、提示された金額の倍以上の金額を用意していても製作者である鍛冶師が気に入らなければ跳ね除けることが出来ます。
事実、異国の貴族が度々現れては逸品の武器の数々を大金に任せて買い漁ろうとしますが、そう言った手合いは製作者の鍛冶師が購入することを拒否します。職人である鍛冶師にとって自慢の子供と言える武器が、正しく扱われる方が好ましいのです。
「次行こうよ、次。私は『魔剣』が見たい!」
オトネが姉のコトネの手を引っ張りながら言いました。
「まあ、確かにそうだな。魔剣はな、素材の金属の色が主体になるんじゃなくて鍛冶師の魔力の色とかが剣に独特な色を与えるんだぜ」
ジョンの視点の違う説明を聞きながら、エイリルは先を歩くジョンとオトネとコトネの三人について行きました。
『魔剣』とは強力な魔法が込められた武器で、その威力は岩を溶かし、木々を灰に変えるほどに強力な物です。エイリルもその力を実際に見た事があるので、その期待が大きいものです。
「魔剣は相変わらず綺麗だよな……」
ジョンが堪えたものを吐き出すようにしみじみとして呟きました。彼にとって魔剣とは先ほどの逸品たちより素晴らしいもののようで、目をまんまると見開いて眺めていました。
――魔剣は数回しか使えない。それは魔剣を扱う上での常識です。強力の魔法に剣自体が耐えきれない……あるいは魔法の代償に剣が壊れる。真偽は定かではないですが、ただ一つ分かる常識としては魔剣は一度の魔法で劣化ないし壊れる儚きものという事です。
そのことについてジョンは悲しそうに思いのままを語ります。
「もったいないよなぁ、魔剣。ただでさえ普通の剣では持ちえない魅力があるのに、使えば簡単に壊れてしまう。ただ武器を作っただけじゃない、魔剣特有の"色"があるのに壊れるんじゃ手に入れてもおちおち使えねえんだ」
「けど、魔剣ってそういうものじゃない? 強力な魔法は放つ、数回限りの『
「そうだけどよ、メリー。そうじゃないんだ。確かにそれで壊れちまったら命を預けられないけどさ、それでも魔剣は強力な"武器"だ。壊れる壊れないの前提じゃないんだよ」
「確かに強力だよね。昔の魔剣に森を焼き払う程の効果をたった一振りで起こしたって聞いた事があるし、そうじゃなくても窮地を抜け出す逆転の一手として欲しいよね」
「オトネの言う通りだけどよ……その逆転の一手が何度も使えないのがもったいないんだよ。数を揃えたらいいとかそういう話じゃなくてさ」
そうジョン、メアリー、コトネの三人が思い思いに話し合っている時に、オトネがエイリルに三人と同じような話題で会話を振りました。
「確かにもったいないよね、魔剣の話。一回じゃなくて無限に使えたらいいのに…そしたら凄く便利だと思わない? 壊れない魔剣だったら誰もが欲しがるよ」
「本当にそうですね。魔法を解放したら壊れる……あ、魔法の込められた槍なら知っていますよ。炎を放つとか派手ではありませんが、通常の武器にはない力がある槍です」
そう言って思い出すのは
興味が湧いたオトネが詳細についてエイリルの言葉を待ちます。
「赤い槍と黄色い槍の二本で、魔法を打ち破る力と傷の治癒を阻害する力のある槍です。なんでも千年も前の『フィオナ騎士団』が実際に使っていた武器だそうです。私たちの知る魔剣とは違いますが、魔法が込められたという点では同じでしょう」
その話を聞いて、オトネは素直に呪いみたいだと思いました。
「魔法……って言うより呪いみたいな力だね」
「ええ受ける側からしたら呪いと何ら違いがないでしょうね」
そうお互いに言っていると――不意に、赤毛の若いヒューマンに声を掛けられました。
「なぁ、巻き角の嬢ちゃん。その話もう少しだけ詳しく教えてくれねえか?」
どうやらそのヒューマンはエイリルたちの会話を聞いていたようです。
ジョンはその男がエイリルに話しかけたのに気付いて、次に男から匂う香り気づくと愚痴にも近い会話を終わらせて男に質問をしました。
「あんた鍛冶師だな? それも一日の半分を工房で過ごすような鍛冶師だ。少しだけだけど、煤の匂いがするからな、どうだあたりだろう」
ジョンは鼻を鳴らして得意げに言いました。彼には鍛冶師だからどうか、とかの理由は特に無く、ただただそのことに気がついたから男の問いました。
「おう! そのとうりだぜ! 俺の名前はヴェルフ、まだ無名の鍛冶師だ。ちょっと巻き角の嬢ちゃんの話す槍について気になってな、聞かせてくれるか?」
そう言って若い男――ヴェルフは魔槍について聞きます。エイリルには話を出し渋る理由がありません。なので知っていることを全てヴェルフに話しました。
「槍の名前は、赤い槍が『ゲイ・ジャルグ』。黄色い方が『ゲイ・ボー』二つとも赤い槍と黄色い槍という意味です。ゲイ・ジャルグは魔法を打ち払う力があってゲイ・ボーのは治癒を阻害する力があります。
二つとも千年前に実在した
「英雄章に登場する伝説の武器か……ちなみにその友人はどこに? オラリオに居るのだったらぜひ実物を拝みたいんだが」
ヴェルフは食い下がるように聞きました。彼にとって魔法の込められたその魔槍は、彼の夢で目標である物を造る上で見るべきものだと思いました。
もちろん話が嘘でもある可能性がありましたが、ヴェルフの目にはエイリルが嘘を平気で言うようには見えませんでした。故あって人一倍に他人の感情に敏感なヴェルフはその感覚を信頼しています。
「いるはずですよ、一緒にオラリオに来ましたから。ただ今は連絡を取り合っていないんですよね…。"お互いダンジョンに潜っていればそのうち会うはず"って言ってそれきりです」
「そうか……なら、会ったときにでも聞いておいてくれなか? それを教えてくれれば自力で何とかなるからよ」
「かまいませんよ、それくらいなら。別に悪意がるようには見えませんしね」
エイリルはヴェルフの頼みごとをあっさりと承諾し、他に何か聞きたいことがあるか、と聞きました。特に考えるそぶりも見せずに間髪入れずに承諾したエイリルに、その場で会話を黙って聞いていた四人は少しだけ呆れてしまいましたが、美徳でもあるそれについてとやかく言うのは今は控えました。
「ああ、何なら他にも魔剣魔槍と呼ばれる類の武器について心当たりはないか?」
「他の武器ですか……それなら私より神様たちの方が詳しいと思いますよ? なんせそれを扱った英雄を実際に見ているはずですし、なんなら与えたりもしていますから」
「なるほど……悪いな嬢ちゃん。折角の買い物なのに割り込んじまってな、このお礼は必ずするるからな! ありがとよ!」
そういってヴェルフは走り去って行ってしまいました。恐らくですが彼は主神に英雄ぼ武器について聞きに行ったのでしょう。どうやってまた会うのかすら話題に出すことなく愚直なまで真っ直ぐなその姿にエイリルはちょっとした憧憬を胸に抱きました。
エイリルにはああいう風に生きられません。自分の為に行動していても、必ずと言って言い程に誰かの為に行動してしまうのです。だから何だという話ですが、エイリルは自分に無いものを持つ人間によく、憧憬を抱きます。今回も同じことでした。
「そろそろ飯にしないか? 豊饒の女主人は早くいかないと席がなくなっちまうからな」
ジョンがヴェルフが見えなくなったのを皮切りに、提案しました。事実、豊饒の女主人は冒険者に人気の店で、早い、安い、美味い、と評判の高い店です。客の大半は冒険者で皆が朝のダンジョン探索でお腹を空かしているので量も多く、人気にならない要素のない冒険者にとってもありがたい店でした。
エイリルは実際に行ったことはありませんでしたが、皆に合わせて賛成しました。
「しっかし"ヴェルフ"か……」
「? それがどうしたんですか?」
「いや、ただ同じ名前の鍛冶師に憶えがあってな」
ジョンの言葉にメアリーが思っていたことを付け足します。
「『魔剣貴族』、だったかな?」
「それってあれ? 生まれつき魔剣が打てる一族」
「オトネ姉さん。その一族は、もう魔剣が打てなくなって零落したって聞いたけど?」
『魔剣貴族』。それは魔剣を打って貴族まで大成した一族です。彼らは生まれつき魔剣が打て、その威力はかつて海を焼いたと言われていました。しかし現在は魔剣を打つ力はなく、零落するだけの貴族です。
「魔剣鍛冶師『ヴェルフ・クロッゾ』。零落した魔剣貴族のなかで唯一魔剣を打てる存在だ。赤毛の若い男で、少し前に家を捨ててオラリオに来たそうだけど、只の偶然かなぁやっぱ」
五人はヴェルフがただ同じ名前だと一先ずの結論をつけてから、そこから先を追及する事を止めました。知っていても得するような事でもありませんし、ヴェルフにとっても容易く聞かれたい話題でもないと思っての事でした。
五人は一級鍛冶師店『エリクトニオス』を後にしました。向かう先は昼食を取るために豊饒の女主人です。そこでしばしの休憩を取ることにしました。
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幕間 魔剣鍛冶師ヴェルフ・クロッゾ
ヴェルフが初めて魔剣を打ったのは五歳の頃のでした。
魔剣貴族とも呼ばれるクロッゾの家系はそれくらいのときに子供に鍛冶を行わせます。しかし生まれつき魔剣を打てる彼らの血筋は妖精より与えられたもの、過去の一度、クロッゾの魔剣がエルフの森を焼いたことが妖精の怒りを買い、現在では魔剣を打てる者は存在しませんでした。
だからヴェルフの打つ剣は何の力もない普通の剣。今までの伝統を続けているだけ、なんら意味の含まない儀式で終わる筈でした。
――奇跡が起きた。
ヴェルフの父親は震える手で、愛しい子供を抱き上げるように、そっと"それ"を持ち上げました。
ヴェルフの打ち上げた"それ"は魔剣でした。零落しようとも魔剣貴族。父親は一目でヴェルフの打つ上げた短剣が魔剣であることに気づきました。
父親は幼いヴェルフを連れて邸宅の庭へ進み、邪魔な岩に向けて魔剣を振りました。その姿は家族の全員が見ていて、鈍らの魔剣が岩を打ち砕くのをしかと見届けました。
そこからが運命の分岐点でした。ヴェルフが魔剣を打てることは瞬く間にクロッゾの全員に知れ渡り、妖精がクロッゾの人間を許したと思い鍜治場に籠りましたが魔剣を打てるのは"ヴェルフ・クロッゾ"ただ一人でした。
ヴェルフは奇跡の子と褒め称えられましたが、一族は全員が魔剣が生み出す膨大な利益に目を奪われていたことは、幼いヴェルフの目にもありありと伝わっていました。
あんなに無償の愛情を注いでくれた親が、兄弟が、魔剣を対価に愛情を注ぐようになったのです。それはヴェルフにとて堪らく嫌な―――
――魔剣が、打ちたい。
そんな気持ちは些事にも等しい。家族は魔剣が生み出す利益に心奪われた。それと同じようにヴェルフは魔剣そのものに心奪われていました。
最初の魔剣は岩を打ち砕いた。ヴェルフ自身には到底出来ないような、それどころか一端の兵士ですら出来ない事を魔剣はやって見せました。ヴェルフの魔剣が、です。
ヴェルフはそれから工房に籠った。ひたすらに魔剣を打って、ヴェルフの才は魔剣の威力と質をめきめきと上げていきました。八歳になるころには月に五十以上の魔剣を打ち、その利益でクロッゾの家は再び名を上げていきました。ヴェルフにはどうでもいいことです。
そうして魔剣を打つ機械となったヴェルフですが、その時に打った最高の出来の魔剣を試して、どうしようもない不快感がヴェルフの心を満たしました。
――なんだこれは!
ヴェルフはヴェルフの魔剣が一度の使用に耐えられない事に不満を持ち始めたのです。己の最高傑作が無残に壊れる姿にヴェルフは激情に駆られました。一人の鍛冶師としてのプライドが簡単に壊れる自身の魔剣を許せなかった。
すぐさま工房に戻り、新しく十や二十の仕様に耐える魔剣を作りました。既に二百以上の魔剣を打つヴェルフです。威力を抑えればそのくらいの事は出来る理解がありました。
――違う、違う、違う違う違う!
しかしそうして出来上がったのはヴェルフが満足できるものではありませんでした。ひたすらに、その魔剣が壊れるまで使い暴れまわりました。
ヴェルフの魔剣は一度の百の敵を焼き払う。それはヴェルフの自信でした。しかしその自信は今や理想に取り憑かれ失われてしまいました。
壊れぬ魔剣が打ちたい。魔剣に対する情熱は全てそれに変換されました。ヴェルフは自身の"ヴェルフの魔剣"の為に、それ以外を一切合切を焼き払ってでも壊れぬ魔剣が打ちたくなりました。自身の工夫が徒労に終われば終わるほど思いは強くなります。
十の頃には、それまで月に五十は作っていた魔剣は十も作らなくなっていました。今まで無作為に作っていた魔剣を抑え始めたヴェルフに、贅沢に心潤していた家族や親族は魔剣の催促を始めます。ヴェルフが魔剣を作らなければ、贅沢が出来ないからです。
ヴェルフにはそれが邪魔で邪魔で仕方がありません。いつしか、そんな愚かな家族の為に魔剣を打つのが嫌になりました。魔剣を打たぬヴェルフに業を煮やした家族あるいは親族が詰め寄りますが、ヴェルフはどこ吹く風のようにしか相手をしません。
――なぜ魔剣を打たない! 私たちがどんなに頑張ろうが打てない魔剣を!
詰め寄る家族あるいは親族の誰かが、そう叫びました。それは連鎖するように広がり、嫉妬の嵐がヴェルフを襲いました。ヴェルフとて、皆がその感情を抱いていた事に気づいていました。
ヴェルフは魔剣にしか興味がありませんでしたが、その耳や目は鍛冶師として僅かな変化を見逃さないように優れた力がありました。人より無表情な鋼の顔を覗くのです。それより変化の多い人の顔なんて薄紙に等しく、簡単に見破れるものでした。
ヴェルフにとって家とは工房で魔剣を打てる場所の事です。その家が家としての機能を果たし難くなったのなら新しい家を建てる必要がありました。つまりは家出です。
ヴェルフが打ちたいのは"クロッゾの魔剣"ではなく、壊れない"ヴェルフの魔剣"です。ヴェルフの魔剣を造る上でクッロゾという家名は要らぬ縛りをヴェルフに課してしまい、邪魔でしかありません。
そうと決まれば家出です。十歳でヴェルフは生まれた家であるクロッゾを捨てて、故郷であるラキア王国を捨てました。
しかしヴェルフが打つ魔剣は貴族クロッゾには重要な利益であり、ラキア王国には重大な戦略兵器です。わざわざヴェルフを国外に逃亡させる筈ではありません。ヴェルフが向かうとするなら、ラキア王国が攻めあぐねてる迷宮都市オラリオです。
事実、ヴェルフの向かう先はオラリオでした。しかしヴェルフは愚直にオラリオを目指して捕まるほど馬鹿ではありません。いくつも町を経由して、時間が稼いで自分の身体が成長するまで待つつもりでした。十歳のヴェルフが十五歳になれば見分けは簡単に気づくはずがありません。
しかし五年の月日を費やすその計画は突如として終わりを迎えました。長くを工房で過ごしたせいか、年の割に成長が遅れていたヴェルフの身体が一息に成長したのです。十歳から十七歳ごろの身体まで、その変化は神が、妖精がヴェルフを祝福しているようにしか思えませんでした。
それからラキア王国の検問を何の咎めもなく通り抜け、ヴェルフはヘファイストス・ファミリアに入りました。別にそこに入った理由はありませんでしたが、あえて言うならヘファイストス・ファミリアが大手のファミリアだからでしょうか。
当然ながらヴェルフはそこでも魔剣を打ちました。しかし売ることはしませんでした。主神と団長がヴェルフの意思を尊重したのです。そもそもヴェルフの作った魔剣を売るほどファミリアは金銭に困っていませんので、売る必要が無かったというのが正しいでしょう。
しかしながら下級冒険者でありながら魔剣を打つヴェルフの噂はファミリア内で有名でした。噂の内容は大抵、嫉妬のようなものでしたが。
そんな事とは無関係にヴェルフは悩みました。ヴェルフは自身に限界を感じていたのです。冒険者としての格を上げればヴェルフの悩みも解決するでしょうが、それをするにはヴェルフ自身の力が弱く、命が幾つあっても足りません。
壊れない魔剣を造るには、今のヴェルフには不可能。冷徹なその判断は、ヴェルフ自身が下したものです。ファミリア内の優れた鍛冶師の技術を見た上での判断でした。明らかに今のヴェルフには持てる手段と発想が足りなかった。
――今は自分の腕を磨くしかないか……。
そんな折に興味深い話を聞きました。バベルの十九階。ヘファイストス・ファミリアの直営店でも出来事。
二人のヒューマンと三人の獣人の少年少女の話で、店の武器を検分していたヴェルフは彼らが話していた――特にジョンと言う栗毛の
素直に横から聞いていたのは悪いと思いましたが、そういう素人が話す突拍子もない話が新たな着想を与えてくれるかもしれないとあっては聞かない手はありません。
そうしていると、巻き角の少女が興味深い言葉を口にしました。
――あ、魔法の込められた槍なら知っていますよ。
魔法の込められた槍。込められた魔法は、魔法を打ち破り治癒を妨害する。聞いた限りでは魔法を放つ魔剣ではなく、魔法を宿した武器。だが魔剣とは決定的に違って壊れない。
"これだ!"鍛冶師として直感が叫びました。なんとかして、その魔槍を直接見なければならない。ヴェルフはそう思い、気がついていたら声を掛けていました。
そうして聞かされたのは槍がフィアナ騎士団が実際に使っていた槍だということ。千年も前の槍が今も実在する事に驚きはしても、それ以上に一鍛冶師として好奇心が膨れ上がりました。
そして槍の持ち主の所属ファミリアを後で教えてもらう事を約束した後、ヴェルフは他にも同じような武器について聞きました。昔の名のある武器から新たな着想を得よう、そういった発想からの質問です。
――それなら私より神様たちの方が詳しいと思いますよ?
これもまたヴェルフにとって発想から抜け落ちていたものです。確かに自らの主神であるヘファイストスは鍛冶の女神だ。
――なんせそれを扱った英雄を実際に見ているはずですし、
確かにそういった英雄の話は多い。まさにファミリアの団長が言う"目から鱗"とはこのことだろう。ヴェルフはそう思い、次の言葉を待ちました。
――なんなら与えたりもしていますから。
全くもってその通りでした。鍛冶の女神であるヘファイストスなら、実際に作ったりもしたことだろう。自分の主神からその手の発想を得ることを嫌がった自分が少しだけ馬鹿らしく思える。
ヴェルフは巻き角の少女にお礼を言って主神の元に向かいました。今すぐにでも主神から話を聞きたかったからです。ヴェルフは角の少女と次に会うを方法を考えることなく進む足を速めました。それほどまでに鍛冶女神ヘファイストスの話は有意義なものになるだろうと確信してしていたからです。
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オラリオ三日目 ちょっとした自分語り
次回は一週間目とかになりそうです
エイリルたち五人は豊饒の女主人で席ついて料理が運ばれて来るのを待っていました。現在の時刻は十時半頃、少しだけ昼食には早いのですが今を過ぎれば刻々と冒険者は席に座り、あっという間に店が埋まってしまうので早すぎて悪い意味はありませんでした。
今はまだい人が少ないので静かですが、これからどんどんと騒がしくなると店の店主が教えてくれました。自信満々に誇らしげに言うドワーフの女主人が直接教えてくれたのは驚きましたが、何より―――
「メリー久しぶり、冒険者稼業は順調かニャ?」
「うん、久しぶりだね。お店の方も順調みたいだね、クロエ」
「――メリーってこのお店で働いていたんですか?」
「ああ、ちょっと違う。働いていたの間違いないだけどな、アルバイトってだけで今はもう立派な冒険者だぜ。メリーは」
"ま、そのよしみでよくおまけをして貰うんだがな"ジョンがそう付けたして、コトネとオトネが頷きました。そこにクロエという従業員がミアという女主人に怒られたのを皮切りに会話を区切ったメアリーが補足します。
「そう、ジョンの言う通り。まだミアハ様のファミリアに入れてもらう前までは毎日働いていたんだよ。まあ入団してからもちょくちょくお店の手伝いをしに来たりはするんだけどね」
なるほど、とエイリルは思いました。まだまだ一週間も寝食を共にした分けでないのだから、知らなくても当然の事です。しかしエイリルはこれ気に少しだけ踏み込んでみようと思い、自分から話題を振ってみることにしました。
「そういえば皆さんは何が理由で冒険者になったんですか?」
それは純粋な疑問が含まれていました。エイリルは憧れから勢いに任せてオラリオに来て冒険者になりましたが、オラリオに元から住んでいたメアリーとジョンは何が理由で冒険者になったのだろうか。命を脅かす物の少ないオラリオで態々、命がけの冒険者になったのです。そこにはどんな夢があったのでしょうか。
「お、それを聞くか? なら俺が最初に言わせてもらおうか」
ジョンの言葉にエイリルは黙って続きを待ちます。メアリーとコトネとオトネは異論がないのかで口を閉じてジョンを見ます。皆がジョンの話を聞く姿勢になったのを見計らってジョンが口を開きました。
「……俺さ、綺麗な物が好きなんだ。」
「綺麗な物ですか……?」
「そ、綺麗な物だ。今より小さかったころはな、よく裏路地とかからガラスの破片を拾ってきて怒られてたんだ。ガラスの破片だからな妙に鋭いのがあってよく怪我をしてたんだが、不思議な事に何度怪我をしても懲りないんだよ」
確かに光に当てられたガラスの破片は宝石のよう輝きを垣間見ることが出来るでしょう。しかしそれと冒険者と言う家業は容易く繋がりません。
「そうして少し大きくなると、今度を金属の光沢が綺麗に見えた。磨けば磨くほど綺麗になった金属の欠片は本当に綺麗に見えたんだ。そうして知り合いの鍛冶師に弟子入りしたんだ。今度は自分の力で綺麗な物を作りたかったんだが――」
――エイリルはそこまで聞いて、続きが何となく分かりました。ジョンは鍛冶師に弟子入りしたことがあるそうですが、今は命がけの冒険者です。つまり話は簡単で、ジョンは自分で綺麗な物を作ることを―――
「――諦めた。才能はあると言われたけど、それは修練の果てで一人前になれるだけの物だった。俺は今すぐに綺麗な物が欲しいだけで、鍛冶師になりたかった訳じゃなかった。まあ、鍛冶師の道を極める熱意が無かっただけだな。それで切り替えて綺麗な物を作れないなら自前で手に入れようとを考えて、手に入れる方法を考えた末に大金が必要だと分かった」
「それで冒険者にですか。凄い行動力ですね」
「そうだろ? 自分でも無鉄砲すぎだと思うしな」
からからと笑いながらジョンが言いました。確かに無鉄砲ですが考えるだけはおろか、考えることをしないよりは断然に良いでしょう。加えてそうしてた先の今を後悔しないのは、今に生活に満足できている証であり、勇気のある事でした。
「やっぱりジョンは可笑しいね。普通だったら期待に応えて鍛冶師になるところじゃないそれ」
「そうそう。私だったら才能がある言ってくれて期待してくれた鍛冶師さんに応えるもん」
コトネが笑いを堪えながら言いました。彼女は自分がジョンの立場なら鍛冶師の道に進むと思ったので素直に言いました。才能があるのなら、その才能を伸ばそうと努力するべきだとオトネが言外に続きました。
それを聞いてジョンは心外だとばかりに言います。
「期待に応えるってお前ら……期待を裏切ったお前らがはのこと言えねぇじゃん」
それはいったいどういう事でしょうか。コトネとオトネは、誰かの期待を裏切ったことがあるのかとエイリルは思い、聞きました。彼女たちには期待を"裏切った"と、大きく感じる物言いの期待をされたことがあるのか、ただただ疑問に思いました。
「そうね……」
「ちょうどいいし、次は私たちが理由を話すことにしない?」
「分かったわオトネ。じゃ、そういう事でご清聴のお願いするよ」
静かにエイリルは頷きました。付き合いの長いジョンとメアリーは、初めてこの話を聞くエイリルに合わせて、一切話に口出しする気はありません。態々、嘘を教えるよう性格の持ち主ではない二人ですので、虚偽の心配はありませんでした。
「私たちはね、お嬢様だったの。それもお姫様にほど近い、ね」
「そう、海の外の国の、王族に次ぐ地位の貴族だったの」
流石に、エイリルは絶句して何も言えませんでした。貴族というものを以前に見た事がありましたが、彼女たちには貴族独特の雰囲気、気品と言うような気配は何ひとつありません。嘘とは思いましたが、ジョンとメアリーの二人が表情一つ変えず何も言わないので真実の可能性は高いでしょう。
「それでね、攫われたの」
「奴隷商にね」
「―――はい?」
今度は辛うじて言葉を呟くことが出来ましたが、それだけです。流石に突拍子がなさすぎて、うまく言葉になりませんでした。攫われて、どうやってオラリオに着くまで生きたのかエイリルには想像も出来ません。
「そうして船に乗せられて、今度は戦利品として奪われた」
「海の上、逃げ場はなく。戦利品を手に入れたのは海賊。さて、どうなったと思う?」
話の途中、聞くばかりのエイリルに二人は質問をしました。これは二人の心遣いです。聞くばかりでは飽きるだろうエイリルに、先の展開を予想させる。正解でも不正解でも問題ない、息抜きのつもりでもありました。
「雑用、として雇われた?」
考えに考え、思いついたのは商団に雇われた自分と重ねた答え。海賊に雑用として奴隷を雇う必要があるかは分かりませんが、自分の経験を鑑みての精一杯の回答です。そんな簡単な話であるとは当然、思ってはいませんが。
「残念、ハズレ」
「うん、ハズレ」
二人は一瞥もなく、ハズレだと言います。それに惜しいとか何か一言くらいは欲しくもありましたが、そんな事より答えの方が気になりました。これまで話から考えて、突拍子もない答えが返ってくるのでしょう。それが無性にエイリルの興味を引きます。
「「正解は――海賊になった、だよ」」
揃えた声に、エイリルは呆気に取られてしまいました。二人は関係ないとばかりに続きを話します。
「海賊にはね、奴隷は要らないんだって。欲しいのは仲間と財宝で奴隷じゃない。私たちを使えばお家からたんまりとお金が貰えるんだけどね。要らないってさ」
「それでね、陸まで送ってもらえる事になったんだけど、私たちは船に残ったんだ。他の皆、陸では賊たちにお礼を言って別れて……私たちは船の中で隠れた。後は陸から離れた時に姿を現して、海賊の仲間入り」
「――お転婆過ぎません?」
海賊に仲間になる。その行動にエイリルは曖昧に笑って言いました。海賊は悪党だから、なんて言う気はありませんが、完全に良い存在とは言えないが故の反応でした。まだ豊富な人生経験のないエイリルには悪人を肯定する事は出来ませんでした。
ふと、期待を裏切ったとは海賊となって家出をしたことだと気づきました。貴族の子として生まれた彼女たちは、家をより大きくするために沢山の教育を受けている筈です。沢山の時間を使って、沢山の人々に教えを授かる。そこには将来を期待する親の愛があった事でしょう。
曖昧で漠然とした想像ですがジョンが言ったことはこの事だろうと当たりをつけ、エイリルは二人に聞きました。二人は笑って正解だと言います。
「そう、そうの通り。思ったよりも聡明なんだね。確かに沢山のお金や人を使って教育を施されたけど、退屈だったの」
「うん、退屈だったよ。だって始めから定まったお家の為に消費される人生なんてつまらないじゃん。コトネとそんな話をしていてその日のうちに攫われたのは、ある種の運命で、態々楽しそうな人生を捨てる気にはならなかったんだ」
「後悔、してないんですか?」
後悔してないか、そう聞いておいて二人は後悔していないんだろうな、とエイリルは思います。二人は自分の昔話を笑顔を絶やさずに語っているのですから、きっと今が楽しくて、その前身となった過去は楽しい思い出でなのでしょう。
事実、コトネとオトネの二人に後悔はありませんでした。船の上では、当然のように貴族扱い何てありません。怪我だって数えきれない程しました。魚を食べてお腹を壊したこともあります。仲間の海賊が目の前で死んだ事もあります。しかし、そういう思いでを思い出す度に二人は楽しいと思うのです。
『貴族扱いは必要か?』――いらない"
『四肢は健在か?』――もちろん"
『魚は美味かったぞ?』――次は火を通そうか”
『今は楽しいか?』――当然"
過去に交わした言葉の数々が二人の今を彩って魅せるのです。そんな言葉の数々が無条件に二人に愉悦を与えて、だからこそ後悔なんて微塵も無かったのです。
ただ、まあ――
「――次は私たちが引っ張って道を進みたいかな」
それは後悔ではなく、願望です。今の先にある未来への展望でした。海の上では連れて行って貰っただけ、故に次は私たちが連れていく番。そうでなくては自分たちの恩が返せないから。それは描いた未来を眺める言葉でした。
エイリルは無言で頷いて、海の上と陸の上で海賊たちを引き連れたコトネとオトネを想像しました。きっと二人は今より立派になっていて、自由気ままに世界を駆け抜ける事でしょう。その光景は決して在り得ない未来の想像ではない筈です。
「……それでオラリオに来たんですか」
エイリルは二人の話を聞いて、最後にそう締めました。二人が行動を共にしていた海賊は、海賊を辞めて海を渡る交易商人になったそうです。船は同じ海賊船を使って、人員は元海賊。二人はそれを期に船を降りて冒険者に、元海賊船の交易船は今も世界中を回って冒険をしています。
二人の話は聞いていて楽しく、料理が来ても続きました。さすがに料理は冷める前に食べた物の、二人の話が終わるまでに手を付けなかったら冷めていた事は必然です。
「では、次は――」
――メリーの話を聞かせて下さい。そう言葉を紡ぐ前に、メリーことメアリーが言葉を挟みました。
「その前にデザートを頼もうか。まだまだ長くなりそうだしね」
「むぅ、確かに話が長引くかもしれませんしね。長居するなら間を繋ぐ料理を頼むのが道理でしょう。私はアップルパイが食べたいです」
気がつけば、店はダンジョンに潜っていただろう防具を身に着けた冒険者でいっぱいで、何も頼まないなら店側にとっても邪魔でしょう。それを懸念したメアリーの意見にはエイリルも、ジョンとコトネとオトネも賛成です。
頼む物はアップルパイで反対するものは居らず、メアリーが呼び止めて頼むことになりました。エイリルはその間、聞くばかりを咎められ自分の話をする事になりました。
「まず初めに私がオラリオに来た理由は"男らしく"なるためです」
開幕の言葉に、ジョンが不審に思い聞きました。
「男らしくなるって……そんなものは髪を短髪にして、言葉使いを男らしく一人称を"俺"に変えればいいじゃないか」
ジョンの言葉に皆が同意見になりました。メアリーは流石にそれだけでは無いだろうと思いましたが、続きを聞かなければ分からない事です。
「そうじゃないんですよ。それに、髪を短くして言葉遣いを男にして俺と言っても、私の場合は背伸びをしているみたいに見えるんですよね。……まあ、"俺"って言わないのは生まれた村にその口調がいなくて、生まれた頃からの"私"が抜けないだけなんですが」
「じゃあ"男らしく"って行動の話か?」
行動の話と聞かれて、少しだけ悩みました。男らしい行動とは何でしょうか。
それは悩まないこと、後悔しないこと。しかし少しだけ何かが違います。それは過程の話です。そもそも"男らしい"とは、エイリルにとって定まった自分を持つという事で、定まった自分は定まった信念あるいは目的から生れると、過去に一度だけ結論を決めた筈です。なら、行動の話ではないのでしょう。
「いえ、違いますね。"男らしく"は結果的に身につくもので、冒険者になった理由ではありません。私が冒険者になった理由は、目的が欲しいからです」
その言葉に、ジョンたちは困惑しました。"男らしく"は目的ではないのか。聞きたいことを堪えて、エイリルの話に耳を傾けます。
「信念と言い換えても良いかもしれませんが……上手く言葉に纏まりませんね。そもそも冒険者になりたくてオラリオに来たのか結果的に冒険者になったのか、それすらよく分かりません。変ですね物覚えは良い方なのですが……」
エイリルは途惑いました。ここまで言葉に詰まったのはこれが初めての事です。自分の心が自分で理解できないのは変な気分で思ったことを言葉にして話そうにも、それが本当に正しいのか疑っては言葉を手放す。自分の思考に靄が訪れるのは初めてでした。
「つまりは生きる目的、将来の目標。もしくは自分の夢が欲しくて冒険者になったのかな?」
エイリルの言葉を纏めたのはメアリーでした。
「ああ、これから理由を作っていくってことか」
納得したようにジョンが頷きます。
「そうなの?」
「そういうのもいいよね」
コトネとオトネも言葉を合わせます。そこでエイリルは理解しました。皆は言葉に詰まったエイリルを気遣いしているのです。エイリルは心が温かくなるのを感じながら、肯定しました。
「そう、ですね。いつかまた話しましょうか」
エイリルそういって自分の話を終わりにしました。"無理に話さなくていい" "今じゃなくていい"そんな気遣いはただただ暖かく、甘いものでした。ですが、話したいと素直に思いました。その思いに気づいて、エイリルは三人にいつか続きを話そうと思いました。
「じゃあ、次はメリーですね」
それはそれとしてエイリルはメアリーに話を聞きました。メアリーはエイリルの切り替えの早さに笑って自分の話を短く簡潔に告げました。
「私は普通の冒険者みたいにダンジョンの地下深く気になって冒険者になったんだ」
"それだけ"と聞けば"それだけ"と返ってきます、エイリルは本当にそれ以上の話が無いと理解すると、運ばれてきたアップルパイをいの一番で口に運びました。
真っ白の丸い皿に乗った丸い六等分されたアップルパイは、美味しくまた食べたいと思いました。
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ある日の戦闘とその日の出会い
単眼の蛙、フロッグ・シューターの舌による刺突を横に飛んで避けて、エイリルは単眼の死角に潜りました。フロッグ・シューターは自らの舌を素早く戻し、首を振ってエイリルを視界に捉えようとしますが、それより早くエイリルの振るった戦斧がフロッグ・シューターの首を切り裂きました。
――浅い。
しかし切り裂いた首は致命傷のものの行動不能の即死に到るものではありません。
エイリルは振りぬいた戦斧の重さを頼りに、右足を軸にして一回転。
遠心力の乗った強烈な一撃は最初の一撃で与えた傷を寸分の狂いなく狙い打ち、あっさりとフロッグ・シューターの最期の抵抗を封じました。
「ふぅ、少し休憩を――」
「■■■■■!!」
「■■■!!」
「■■■■!!」
「――出来そうにありませんね!」
直後、"グルルル!!"と唸り声と共に駆けてくるのは三体のコボルト。人の形をした狼の獣。
彼らは瞬く間にエイリルの周囲を取り囲みました。それはコボルトという
「グオルァアッ!」
人の喉と獣の喉を併せ持った聞き取り難い声で叫んだ渾身の一撃。エイリルは他の二体がこの一撃と同時に動くだろうと思い、速やかに背後のコボルトを排除する事にしました。
「ォオ!?」
先ずは振り下ろされた爪の一撃を相手の腕を掴むことで対処して、エイリルが使う斧――ハルベルトの柄を短く持ち槍のように鋭い先端をコボルトの首に宛がいました。後は足を絡ませて倒れるだけ、コボルトとエイリルの体勢が崩れる瞬間に首突き付けた槍の先端に全体重を乗せます。
エイリルの行動は極めて速く、洗練されているかのように完璧でした。
一撃を放ったコボルトの腕を掴んだ瞬間。動き出していた二体のコボルトがエイリルを肉薄するより速くに、腕を掴んだコボルトを転ばし自分も倒れながら首を貫いて前転。前転と同時に首を貫いたコボルトの傷を広げ、迫るコボルトの一体の顔を切りつけます。
そうして前転から跳ねるように立ち上がると、斧を大きく振りかぶって無傷のコボルトの右肩から骨を砕いて大きく切り裂き、顔を切りつけられて右目を失ったコボルトにも止めを刺しました。
戦闘を終えて、エイリルは呼吸を整えてから腰の鞘から万能ナイフを抜きました。それはギルドからの借りている物で肉も切れて植物も切れて、料理にも使える頑丈なナイフです。万が一にも破損、あるいは紛失した場合は弁償ですが、そんなミスはエイリルはしません。
(今日はこれくらいにしましょうか。それとも、もう少しだけ……)
さて、どうしましょうか。まだまだ体力的にも余裕があります。今日もナァーザさんに試作のポーションを貰っているので保険もあります。しかし余裕があるうちに撤退するのも冒険者として間違いではないでしょうし……。
エイリルはモンスター死体から魔石を取り出した後、壁を背に水分を補給しながら思考を緩やかに回しました。
♢
「――はい、合わせて六千四百ヴァリスなります」
「はい、ありがとうございます」
ギルドの職員から換金した魔石の代金を受け取り、エイリルはバベル内の換金所を出ました。
結局の所、エイリルはあの後から地上に戻ることを選択しました。理由は簡単で、エイリルがコボルトとの戦闘で前転した時にポーションが割れてしまったからです。その事に気づいたエイリルは迷いなく撤退を決めました。
バベルを出た後。バベルの手前、『オケアニスの広場』の大理石の噴水の縁にエイリルは座っていました。
時刻は昼過ぎ、エイリルは"ジャガ丸くん"という潰した芋で挽肉を包んだ物を揚げた食べ物を遅い昼食にして道行く人々を眺めていました。
大勢の他種族が入り混じるその景色は、他の国ではあまり見られない光景です。そんな行きかう種族違いの人間を眺めていると、無意識に視線が一人の子供を追っていることに気づきました。
白い緩やかな頭髪に巻き角の獣人族。同じ神の眷属のメアリーと同じ
しばらく眺めて、名前も知らぬ
「こんにちは、お嬢さん」
お嬢さん、と言葉がするりと自分の口から出たことに驚いて、これじゃあ不審者のような物言いだと思っていると女の子が挨拶を返してきます。
「こんにちは、おねえさん」
優しい純粋な声色でした。エイリルはそれを心地よく受け止めて、女の子に何か困り事かと聞きました。
女の子は少しだけ俯いて答えます。
「……うん、はぐれたの」
はぐれた。と答える女の子にエイリルは家族と離れたのだと予測を付けました。
エイリルは探すのを手伝うと言いました。それは目が留まっただけの純粋な善意からの言葉です。
女の子にもその善意が伝わったのか、軽く頷いて肯定の意を示しました。
「私の名前はエイリル。こう見えてもお兄さんですよ?」
自己紹介のついでに先ほどの間違いを指摘すると女の子は「えっ」と、短く驚いて見せます。
それから女の子は数秒の間、ぽかんと間の抜けた表情を浮かべて、自己紹介を返します。
「えっとわたしは、シャルミ。間違えてごめんなさい、エイリルおね…にぃさん」
「ははは、大丈夫ですよ。怒っていませんから」
そうやんわりと告げて、エイリルは本格的にシャルミの人探しを手伝いました。
そうしてエイリルは孤児院の仲間だという子供たちとシャルミを引き合わせ、シャルミたちの当初の目的の花束を買う予定に付き合い孤児院を運営する神、キングゥにシャルミたちが花束を渡し終わる頃にはすっかりと日が暮れてしまいました。
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