全集中の呼吸で「最強」を目指すのは間違っているだろうか (V.IIIIIV³)
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鬼殺の剣士に憧れた少年

「………退屈だ」

 

 昼下がり、普通は立ち入り禁止のところを窓から強引に侵入した屋上で、誰もいない静かなところで寝転がりながら俺は呟いた。そしてその呟きに呼応して、隣でフェンスに寄りかかりつつ俺の部屋の漫画をこっそりと持ってきた友人が言葉を返す。

 

「だよな。高3最後のインハイ終えてそろそろ本格的に受験に突入だっつっても、いざやるとなると気力湧かねーよ。なんかこう、アンキパンみてーのがあればちょっとはやる気になれんだけどな〜」

 

「お前は剣道があろうがなかろうが勉強しなかったじゃねえか。ちょっとは真面目にしたらどうだ?」

 

「俺の赤点回避に貢献しつつも成績上位にランクインし続けるお前と一緒にすんじゃねーよ!ったく、俺と同じ部活で同じことやってたはずなのにどうなってんだこの世のシステムはよ?二兎を追う者は一兎をも得ないんじゃねーのかよ!神様のバカヤロー!!!」

 

 そう言って友人は校庭に向かって振り返り、いるわけのない存在に向けて届くはずのない叫びを上げる。このバカはこれで屋上入りがバレる可能性が頭にないのだろうか。

 

「その諺は二羽捕まえられるって傲慢と二羽食いたいって欲に釣られたお前みたいなアホの話だろ。俺はちゃんと筋書き立てて人生を組み立ててっからな。毎日素振りは欠かさなかったし、毎日の勉強もしっかりとこなしてきた。インハイもテストもそれに付随したただの結果だよ」

 

「かーっ!さっすがインハイ三連覇の日本最強剣士は言うことが違うねぇ!」

 

 その言葉に胸に残る違和感を感じ、そっと胸を撫でる。

 

「最強か……」

 

その言葉が自分に向けて発せられていることに、少々の違和感を覚える。

 

 そもそも最強とは、何をもってその言葉を使うに値するのか、今の自分にそれを冠する資格があるのかは、分からない。

 

 最強、つまり最も強い剣士だ。特に俺を惑わせるのは、最もと言う部分。

 

 多くの高校生が目指してきたインターハイを悪く言うつもりはないが、納得できない部分は確かにある。

 

 例えインターハイで全国優勝したと言っても、それは高校生という極少数の社会的集団をくくった中の頂点だ。そんな小さなまとまりで頂点に立ったとしても、最強なんて名乗れるはずもないだろう。

 

 そもそも高校生という括りの中でさえ、俺はその中の全員と戦ったわけではない。欠場して出られなかった者、組み合わせの関係上トーナメントで当たることのできなかった者、剣士の素質はあるが剣道をやっていなかった者……例を出せばキリがない。

 

 とはいえ、トーナメントにおいて当たらずに消えた者の実力を超えたものと竹刀を交えて勝ったのだから、必然的に結果としてはその中での最強は俺ということになるのだろう。

 

 話を戻そう。今の自分に「最強」という言葉を使っていいのかは分からないが、「最強」にはただ一つ確かな答えがある。

 

 

 全世界73億人。直接だろうと、他の剣士の経験値を持った別の剣士から間接的にだろうと、その全てと竹刀を交え打ち破り、全ての経験値を手に入れた時こそ、真に最強を名乗ることのできる瞬間であると。

 

 

「だからよー。お前は頭が硬すぎんだってばよ。炭治郎になれるぜ」

 

 悦に浸っていた俺の意識を、寝転がる俺の横にいつのまにか移動しぽかぽかと暖かかった日光を遮るようにしゃがんでいる友人が引き戻して、俺に向けて読んでいる漫画の表紙を指差し見せつける。

 

「炭治郎かー。全集中の呼吸使えたらもっと戦いの選択肢も広がるだろうな……。っておい、人の漫画をそんな落ちそうな場所で読んでんじゃねーよ」

 

「だーいじょうぶだって。もう何回ここにきてると思ってんだ?もう怖さなんか感じねーし、滅多にふらつきなんかしねー、よ」

 

 急に立ち上がりながらそう言ったと思うと、立ちくらみでも起きたのかフラッと千鳥足になる。「そら見たことか」と内心呆れていたが、そんな思考は一瞬で吹き飛んだ。

 

(フェンスがない!!?)

 

 友人がよろけて向かう先の屋上の端には、フェンスが付いていなかったのだ。よくよく思い返せば、午前中に整備のために取り外していたのを見た気がする。

 

 身体中に今まで感じたことすらない悪寒が走り、直ぐにハッとして起き上がって、インハイ決勝以上の瞬発力で友人の手の平へと手を伸ばす。なんとか必死に手をつかむことはできたが、既に友人の体は屋上のどこにも付いていない。このままでは重力によって思い切り下へ落ちる衝撃によって、二人とも落ちてしまう。

 

 方法は二つ。

 

 一つは二人で落ちてなんとか助かる可能性にかける。確率は限りなくゼロに近く生存法がアバウトすぎる選択肢だが、運さえ良ければ二人とも生きることができる。

 

 そしてもう一つは…………渾身の力で友人を引き戻し、屋上へと着地させること。だがこの方法では、引き戻した時のエネルギーの反動で俺と友人の位置を入れ替わることになり、俺が死ぬこととなる。

 

 そこで俺が取った決断は…………。

 

 

 

 自らを捨てること。

 

(超絶ハイパーリスキーな作戦に賭けて死ぬよりか、救える命を救って死ぬほうがマシだ!!)

 

「ハアアア!!!!」

 

 正真正銘最後の最後。人生の終着点に全てを込める意思で宙に浮く友人の体を気合いで引き寄せ、後ろへの勢いそのままに手を離す。だがそのかわり、今度は俺が逆に宙へと放り出された。

 

 途端、世界の動きそのものがゆっくりと動くようになった。

 

(ああ、いい具合に振り返ることができて良かった。アイツの顔が、よく見える)

 

 そうやって見えたアイツの顔は心底驚いたような表情をしていて、せっかく話した手をまた伸ばそうとしている。でも、もう間に合わない。

 

(そんな顔すんなよ……せっかく助けてやったんだから)

 

「笑って生きろよ!!◇◇!!」

 

 そう叫んだところで、スローになっていた景色は元の速さを取り戻した。

 

 そして、クリーム色に広がっていた校庭のグラウンドに、赤い鮮血が飛び散った。

 

 

 

 ────────────────ー

 

 あー、なんかすっげえ楽な気分だ〜……。転落死って案外一番優しい死に方なのかも……。

 

「おーい、起きてくださーい。起きてくださーい」

 

「うわぁ!!亡霊の声!!?」

 

 いきなり耳元から聞こえてきた女性の声にビックリして意識が完全に覚醒し、体を起こす。

 

「え、あれ?体があるってか、無傷?」

 

 4階建ての校舎の屋上から落ちて本来ならばグチャグチャでなければおかしい自分の体が、五体満足でそこにある。一瞬まさか生きているのではないかとも思ったが……。

 

「当たりですよ。ここは死後の世界。私は日本で死んだ人々を導く女神です」

 

「へーなるほど……。あの、やっぱりちょっと納得いかない点があるんで、質問いいですか?」

 

「はい、もちろんですよ」

 

(いきなり死んだなどと言われても受け入れることが出来ないのは当たり前。ちゃんとその辺は心得ているんですよ)

 

「では、まず何が起こったかの復習から「日本人みんなを導いてるのに、女神一人で足りてるんですか?」へ?」

 

 女神さんが目を点にしてポカンとした表情でこちらを見つめている。

 

「ああ、死後の世界と日本では時間の進み方が違いますので、問題なく導くことができますよ」

 

「なるほど、そうなんですか」

 

「……失礼を承知で言いますが、お亡くなりになられたのに冷静なのですね」

 

「剣道をやっていまして。予想外の攻撃にも瞬時に対応できるよう練習していたら、かなりの状況判断力がついていました。自分で言うのもなんですが」

 

「……驚いた。ここが死後だと言ってもほとんどの人が最初は頑なに信じなかったものですよ。あなたくらいの年齢なら尚更」

 

「別に少し考えただけですよ。あの高さから落ちて五体満足なんて有り得るわけがないし、夢だったとしたら俺の知ってる人物しか現れないはず。だとしたら女神さんが俺の目の前にいる時点で夢オチの線もなしです。まあ理解出来たからとはいえ、生きることに未練がないかと言われたら嘘になりますけどね……」

 

 せっかくここまで育ててくれた両親に申し訳ない気持ちや、鬼滅の刃を完結まで見届けられなかったこと。正直ずっと最新刊を楽しみにしていた唯一の娯楽であった分、こっちの悲しみの方が大きいかもしれない。両親には悪いが。

 

「……その気持ちはすごく分かります。ですがまだ諦める必要はありません。私はあなたに、次なる道を与えに来たのですから」

 

 一度言葉を切って、少し息を吸い直してから言った。

 

「ファンタジーの世界はお好きですか?」

 

「……え?」

 

 判断材料が少なすぎるゆえ、少し混乱した。

 

「簡単に説明すればこうです。人間には、与えられた才能に応じてこなさなければいけない功績、善行の義務があります。普通に生きていれば直ぐにノルマは達成できるのですが、貴方は与えられた才能が大きすぎるため、半分ほど達成できぬまま生涯を終えてしまったのです……」

 

 筋が通っている話だとは思うが、インハイ三連覇の功績と人一人助けて死んだ善行加算してもまだ半分残るノルマって、どんだけ多いんだよ俺に課せられた義務。

 

「ですので、そういう人間に限って、異世界へ転生する権利を得るのです!」

 

「あ、なるほど。異世界に行って残った義務を消化してこいってことですね」

 

「はい、飲み込みが早くて助かります!」

 

 そう言って女神様が指をパチンと鳴らすと、少し大きめのノートパソコンが出てきた。画面には左端に少し大きめに「50P」と書かれている。

 

「異世界は日本とは似ても似つかない危ない場所です。なので、転生する方には転生特典を差し上げることとなっております。その画面に映った50Pという数字がつけられる特典の上限です。50Pはあなたの達成ノルマの残りですね」

 

「ちなみに、50Pだとどんな特典がつけられるのですか?」

 

「そうですね。あなたの好きな鬼滅の刃で例えると、悲鳴嶼行冥と同等の実力を得られるといったところでしょうか」

 

 鬼殺隊最強と同じ力かよ。どんだけだ俺のノルマ。

 

「分かりました。考えておきますから、ゆっくりしていてください」

 

「はい。では勝手ながら次の魂を導いて参りますので、考え終わったら読んで頂ければ」

 

 そう言って、女神様は消えていった。

 

「…………大変なんだな、女神って」

 

(さて、特典を考えるとするか……)

 

 とはいえ、いきなり特典と言われても迷うな。50P全部使って悲鳴嶼さんになるのもいいが、それだとただの丸パクリだからな……。それなら。

 

「全集中の呼吸全てを使いこなせる力……っと、あれ?」

 

 画面中央に「ポイントオーバー」の表示が現れる。

 

(考えてみりゃそうか。50P全消費で岩の呼吸一つを極めた悲鳴嶼さんになれるだけなら、全呼吸を使いこなすなんていったら何ポイント必要なのか計り知れない。……ならこれでどうだ)

 

 次は「全集中の呼吸全てを極めることのできる適正」と打ち込む。今度はポイントオーバーの表示は出ずに、50Pとあった表示が35Pに減っている。適正に妥協しただけでこれだけポイント消費が減るとは。それだけ全集中の呼吸は奥深いということか。

 

「さて、大分ポイント残ったし、出来るだけ最高の仕上がりにするか!」

 

 

 

 ──────────────────

 

「うしっ!こんなもんかな!」

 

 勢いよくノーパソのエンターキーを叩き、プリントに特典内容を印刷する。

 

「見れば見るほどこれ以上ないほど無駄のないポイントの使い方だな」

 

 そう言って出てきたプリントを両手で掴み、自分の目の前に掲げてもう一度見直す。

 

 ・全集中の呼吸全てを極めることのできる適正(15P)

 

 ・最高品質の日輪刀(25P)

 

 ・転生してからの食料5年分(5P)

 

 ・ヒノカミ神楽の舞い方の知識(2P)

 

 ・転生後の世界の言語、文字の理解能力(1P)

 

 ・転生した後の場所の指定(1P)

 

 ・転生した時の年齢の指定(1P)

 

(正直鬼殺隊の隊服も欲しかったところではあるが、何気に5Pとか値が張ってたからな。妥協も大事だ)

 

「女神さーん!特典出来上がったんできて下さーい!!」

 

 と、誰もいない真っ白な天井へと向かって叫ぶと、いきなり俺の目の前が眩く光った。そのあまり眩しさに一度目を閉じてしまいもう一度目を開けると、そこには先ほどの女神様が鎮座していた。

 

「もっと時間をかけるかと思いましたけど、案外早かったんですね」

 

「そうなんですか?俺としてはポイント調整とかで結構時間かけたと思うんですけど。あ、これが特典内容です」

 

「普通の人……と言ってもそもそも転生する人が現れるのが数十年に一度くらいなのですが、皆さんせっかくチートが貰えるのだからとかなり時間をかけてお決めになるんですよ」

 

 そう言って、女神様は俺の選んだ特典内容をマジマジと見つめ始めた。

 

「……なんと言いますか、面白い特典の使い方をしますね。この、転生後の場所と年齢はどうしましょうか」

 

「はい。場所は鬼滅の刃に出てくる狭霧山のような山、年齢は5歳でお願いします」

 

「承知しました。では、転生した時には特典が貴方に与えられている状態にしておきますね」

 

「あ、一応ひとつ確認しておきたいんですが、前世で残った義務を果たすんだったら、転生って言っても俺の体のまま異世界に行くんですよね」

 

「そうですね。指定なされた5歳まで戻りはしますが、その細胞、遺伝子自体はそのままです。転生というよりも、召喚といった方がいいかもしれません」

 

「分かりました。女神様、色々とお世話になりました。貴方の顔に泥を塗らないよう、残った義務の何倍も功績、善行を果たしてきます!」

 

 深々と頭を下げて、精一杯の感謝の意を示す。一度失った命とその先の人生をまた歩ませてくれる上に、まだ上を目指すことの出来る力まで分け与えてくれたんだ。どれだけ感謝しようとし足りない。だからこの恩を、功績と善行を積み上げる事で返さなければならない。むしろノルマを追加してくれてもいいくらいだ。

 

 そんな俺を見て、女神様がフフっと微笑んでいる。あ、そういえば女神様って心読めるんだっけ。なんか恥ずかしいな。

 

「……異世界には、オラリオという都市が存在します。そこにはダンジョンがあり、そのダンジョンは未だ完全には攻略されていません。そしてそれを攻略すべく、全世界から強者がそこに集っています。貴方が目指す最強も、そこに行けば見つかるかもしれませんね」

 

「最強」。その言葉を聞いて、俺の心臓の鼓動が高鳴った。中途半端に終わった最強への挑戦に、まだ幕を閉じなくてもいい。また挑むことができる。その事実にワクワクが抑えられない。

 

 

 早く行きたい。その世界に。挑戦したい。新たな最強に。

 

 

「そこにある穴に飛び込めば転生できます。貴方の新しい人生に、栄光があらんことを……」

 

 そう言って俺たちの横に現れた穴に指をさして、女神様が上品に礼をした。

 

「……ありがとうございました。女神様、行ってきます!!」

 

 もう一度女神様に深く礼をして、走って転生の穴へと飛び込んだ。

 

 これは俺……天道刃(てんどうやいば)が、太陽の刀とともに、最強を目指す物語だ。




なんとなく鬼滅の刃とダンまち見てたら合いそうだなって思って書いてみました。ゴミ更新速度ですがこれからよろしくお願いします。

ちなみに特典のボイント調整は少しは考えましたが、だいぶ適当なので突っ込まない方向で・・・

P.S 投稿したその日に申し訳ありませんが、ストーリーが作りにくかったため転生特典の食料の部分を3年分から5年分に変更しました。誠に勝手で申し訳ありません。
更にP.S 本作は原作開始11年前スタートで、原作開始は主人公が16歳あたりでと考えています。つまりアイズと同い年ってことですね。

主人公の名前の天道刃の由来は、刃は普通に鬼滅の刃から。天道は太陽を意味する御天道様(おてんとさま)から取っています。


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全集中の兆し

早めですが第二話です。今回最後にちょっとだけ三人称視点になりますのでお気をつけて。


『……刃、刃…………』

 

 ……どこか遠くから、微かに声が聞こえる。一体誰の声だろうか……。

 

『刃、起きろって、そろそろ授業始まるぞ』

 

 ……え??お前、なんで……死んだはずじゃあ……。

 

『何寝ぼけてんだよ。さっさと行くぞ。お前はともかく俺は遅れたら即サボり扱いなんだからよ』

 

 そう言って友人は屋上の床を歩き出した。

 

(んなバカな……やっぱり夢だったってのか……?)

 

 と思っていたら、いきなり友人の下の床が喪失し、支えをなくした友人が落下する。さっきと同じように咄嗟に手を出そうとするが、なぜか体を動かすことができない。

 

『うわああああ!!』

 

 待て!待て!!待てえええええ!!!!

 

「ああああああ!!!」

 

 ようやく体が動き出し、友人の手を掴もうとするが、そこは既に学校の屋上ではなかった。

 

 見慣れない濃い霧の立ち込める雑木林、見覚えも買った覚えもない和服、自分が知るものとは異なる小さな体。

 

 これが意味することは、現実は覆らなかったということの証明。つまりは。

 

「やっぱ夢じゃなかったってことか……」

 

 いや、くよくよしていても仕方がない。まずは状況確認だ。

 

「体が小さくなってるってことは特典はちゃんと反映されてるってことだろうな。てことは全集中の呼吸が使える体になってるってことだけど……体自体に変化はないんだな」

 

 とりあえず周りを見回してみると、俺の隣に小さな小屋があった。至近距離ゆえに霧のせいで見えにくいということはない。小屋の周りを一周して形や大きさなどをキチンと把握する。すると、あることに気付いた。

 

「……これまんま鱗滝さん家じゃん」

 

 流石に鱗滝さんはいないだろうが、一応「こんにちは〜」と言ってから中に入る。まあ当然中には人っ子一人おらず、二部屋あったうちの一つは大量の食料が保管されていて、その近くに台所が配置されていた。もう一部屋は居間のようなところで、部屋の中心に囲炉裏があり、その手前に細長い木の箱が置かれていた。

 

「これってもしかして……」

 

 木の箱の蓋を外すと、その中には三つ折りに畳まれた紙と、一振りの刀があった。

 

 その中から手紙の方を取り出す。手紙は見たことのない字体、恐らくこの世界の文字なのだろうが、もらった特典のおかげで突っかかることなく読み進めることができる。

 

『拝啓 天道刃様

 

 この手紙を読んでいるということは、無事に異世界に行くことができたということでしょう。既に確認したかもしれませんが、貴方の特典はしっかりと送り届けられています。食料の方は神の加護が効いているため、生物も長持ちしますのでご安心ください。

 

貴方に言われた通りに、鍛錬用の罠なども含めて鬼滅の刃の狭霧山に限りなく近付けた仕上がりになっていますが、どうでしょうか?私からしても全集中の呼吸を使いこなすために最高の環境だと思います。……すみません。興が乗り過ぎてしまいました。

 

 この手紙と一緒に、全ての呼吸の力を最大限まで引き出せる最高品質の日輪刀も入っています。竹刀とは違って真剣はかなり扱い辛く、日本刀はかなり技術の要求されるものですが、貴方ならば必ず使いこなせることを信じています。

 

 貴方の新たな生涯に、栄光のあらんことをお祈りしています』

 

「……本当に親切な女神様だなぁ」

 

 この優しさを踏みにじらないよう、さっそく練習を始めるとしよう。いや、こっちなら修行と言った方が雰囲気に合っているだろう。

 

「あ、そうだ。俺の日輪刀は何色になるんだろう」

 

 日輪刀は、使い手によって刀身の色が変わる。別名色変わりの刀と言われる所以だ。

 

 本来なら自分に最も合った呼吸の種類によって刀の色も変わるのだが、俺は全ての呼吸に適正がある。そうなると刀の色はどうなるのだろうか。

 

 そう思って手紙を脇に置いて、両手で刀をそっと持ち上げる。やはり鉄でできているだけあって、五歳の力では持ち上げるのがきつい。そして右手で柄を、左手で鞘を持って、右手と左手を同時に逆方向に引いて白銀の刀身を露わにさせる。

 

(さて、何色になるか……)

 

 重い刀をなんとか持ち上げて数秒間待ってみるが、色が変わることはない。まさか何かの不具合でもあったのかと冷や汗が吹き出そうになるが、ん?と何か違和感を感じ、記憶の中から原作知識を掘り起こす。

 

「そうだ、ある程度の剣術ができなきゃ色は変わんないんだっけ」

 

 前世で鍛え抜いて体に染み込ませた剣道の技も、今となっては完全にリセットされて知識だけが頭にある状態。剣術ができてないと見なされてもしょうがない。

 

 若干拍子抜け感はあるが、また鍛えなおしてから握り直せばいいだけだ。

 

「さて、そろそろ修行始めるか」

 

 刀を再度鞘に戻して女神様の手紙と一緒に箱に戻して箱を閉じる。目覚めた時に履いていた初期装備の草履?っぽいのを履きなおし、小屋の外に出る。まずは山下りのために一度山の頂上まで行かなくては。

 

 そう考え、山の入り口から頂上目指して進むこと数時間……。

 

「ハアッ、ハアッ、ハアッ、や、やべえっ。ハアッ、これっ、思った5倍くらいっ、キツイッ!」

 

 まず様々な面で見通しが甘過ぎたことを実感する。元から山暮らしをしていた炭治郎ですら薄くてキツイという狭霧山の空気を舐めていた。中盤あたりから走ることもままならなくなり、頂上まで来た今では疲れ込みで止まっていても辛い。

 

 さらに、五歳という年齢を見くびっていた。つい昨日まで楽勝で走り抜けることが出来た距離でさえ簡単に息切れを起こしてしまう。歩幅も小さくなっているし、吸える酸素の量も圧倒的に違ってくる。恐らく前世での体ならばもう少し対応できていただろう。

 

 普通に登っただけでこの有様では流石に罠のあるルートを下るなんてできっこない。

 

(とりあえず体が適応できてくるまでは罠のないルートから下山して基礎体力を作るんだ)

 

 それでも今のままの動きで問題なく山下りができるようになるまで十年はかかるだろう。だから、少ない酸素で、最小限の動きで最大限の力を引き出せるようにならなければならない。

 

 何もかもが前世とは違う、全てを一から学びなおさなければならない。

 

 そう、だからこその五歳。

 

 人間は、五~十二歳の間に一番身体能力、運動能力の向上が早く、物事の修得速度が一番早い。一般的にゴールデンエイジと呼ばれる時期だ。ゴールデンエイジが始まったばかりの俺ならば、恐らく普通に山下りが出来るようになるまで二年、そこから刀の色が変わるまで一年、全集中の呼吸を習得するまでにそこからさらに二年、合計五年といったところだろう。特典の食料を使い切ってしまう前に習得できるのがベストだ。

 

 もしも俺が十八歳の体のままここに来ていたら、全集中の呼吸を覚えるだけで十、二十年はかかっていただろう。

 

 肩で息をするような動作も体を動かしすぎだ。最小限の呼吸で必要な分の空気を吸収し、同じような動作で体から空気を吐き捨てる。全てを最小限に抑えていると、肩の揺れも落ち着きを取り戻し、普段通りにまで呼吸も静まってきた。

 

「っしゃあ、行くか!」

 

 もう一度気合を入れ直し、登ってきた獣道に向かってもう一度走り出す。

 

 ここでの動きも最小限だ。無駄な動きを省け。

 

 腕を振って歩くのではなく、寧ろ自由にして体の捻りを限りなくゼロに近づけろ。足だけの力だけで走って、それも下りの重力を最大限に活かして走るんだ。

 

 ブレーキを一切かけずかかり続ける力に逆らうのではなくそのまま力に変え、さらに足で地面を蹴る力が加算される。すると、速さがどんどん増していくのと同時に、俺の中の運動エネルギーがどんどん増幅していくのを感じる。このままの勢いで直進を続ければ、登った時の数十分の一の速さで下り終われるだろう。だが、それだけで終わることがないのが狭霧山だ。

 

 そう考えていると、噂をすればなんとやらというものか、霧の中から突然一本の木が現れた。

 

「ッ!!」

 

 突然のことだったが持ち前の状況判断力でギリギリのところで躱す。だがそれによってたった今までできていた最小限の呼吸が乱れてしまった。そうすると、途端に息が苦しくなり始め、重力の変換もおぼつかなくなってきた。

 

(まずい、早く呼吸を整えろ!!)

 

 だが、一度荒くなった呼吸を走りながら瞬時に戻すのは至難の技だ。目を閉じて集中して、呼吸を整えていく。考えてみれば、これが全集中の呼吸への第一歩なのかもしれない。

 

(よし、整った!)

 

 そう思ったのも束の間。呼吸の落ち着きを取り戻した事を確認して目を開けると、またもやいきなり目の前に木がそびえ立っていた。今度の木は先程の木よりも太く、目を開けた瞬間の木との距離からして、今の俺では回避は不可能。長々と説明したがとどのつまり……。

 

 静かな山の中に、途轍もない衝撃により揺れる木の葉が擦れ合う音と、それをかき消す少年の断末魔が響き渡った。

 

「く、くっそぉ……。まだまだ修行が足りねぇ……」

 

 同じようなことを五十回以上繰り返し、全身打撲切り傷でボロボロになりつつもなんとか一度目の下山に成功した。

 

「つ、次は、基礎トレだ……」

 

 軋む体に鞭を打って、最小限の呼吸を取り戻す。とはいえ山から一気に突っ走ってきた後に息止め訓練は流石に地獄すぎるし効果も薄そうなので、先に柔軟から始めることにする。俺は前世から元々体が柔らかい方だったので、これはさほど問題ないだろう。

 

 柔軟を十分ほどで切り上げ、息止め訓練に移行する。小屋の脇にある井戸から桶に水を汲む。そしてその中に顔をつけ、苦しくなったタイミングで顔を上げる。

 

(だいたい2分くらいか……前世は五歳でこんなに息は続かなかったと思うが、さっきの呼吸法を会得したおかげか)

 

 山下りに比べたら今の二つは大分簡単な修行に思えるかもしれないが、これも山下りと同等に重要な鍛錬だ。

 

 ここまでやって、小屋の中に入る。食料庫から簡単に食べられるものを取り出し、たらふく食べた後に居間に入り、備え付けの布団を敷いて、ついでに物置の中に入っていた簡単な着物に着替える。そして念のため日輪刀を持ち、色が変わるかを確認する。予想通り色は変わらない。もう一度箱に日輪刀を戻し、就寝。

 

(明日から毎日この繰り返しだ。目標は五年以内に全集中の呼吸の会得だ)

 

 こうして、俺の異世界修行生活が始まった。

 

 俺は毎日欠かすことなくこの修行を続けた。雨の日も、風の日も、雪の降る日も。どれだけ辛いと思っても、己に鞭を打って、やめることはなかった。

 

 

 

 そうして、一年が過ぎた。

 

(……1秒後に左、ついで右、もう一度右。さらに左)

 

 この頃には、一度も木に激突せずに山を下れるようになっていた。

 

(コツが掴めてきた。俺が向かって行っていると思うからダメだったんだ。俺が立ち止まっていて木から向かってきているんだと仮定すれば、迫ってくる方向はなんとなくつかむことができる)

 

 この頃から刀の素振りと、ヒノカミ神楽の舞の練習も始めた。今の鍛錬方法は炭治郎が狭霧山でやっていたのを丸パクリしているため、習得できるのは水の呼吸だろう。だから今のうちからヒノカミ神楽の舞方も覚えておいて、水の呼吸が通用しない敵に対応できるようにしておかなければ。

 

 だがそれでも日輪刀の色は変わらなかった。

 

 

 

 二年が経った。

 

 最初の頃は下りきる事すら困難だった罠ありのルートも大分攻略がスムーズになってきた。罠なしのルートで覚えた気配察知が役に立っているようだ。

 

 だが刀を持つと、また初期どころかそれ以上に罠にかかりまくる。炭治郎が邪魔で邪魔でと言っていた気持ちを痛いほど知ることができた。

 

 また、この頃になると力もつき、前世の剣術の感もほぼ取り戻すことができた。最近では小屋近くの木を切って木炭にして、火を使った料理も作れる様になった。前世でなまじ料理をしていた成果だ。前世の俺に感謝。

 

 だがそれでも日輪刀の色は変わらなかった。

 

 

 

 三年が経った。

 

 この頃から滝行も始めた。

 

 子どもの体の発達速度は異常なものだと最近しみじみと感じている。今ではもう刀を持っていても罠にかかることはほとんどないし、気配察知の制度も日に日に向上していっている。動作の修得速度においては七~八歳の習得率が一番高いとデータが出ていたが、それでもここまで発達速度が速いとは思わなかった。この調子なら、割と早めに全集中の呼吸は修得できそうだな。

 炭治郎が切ってた岩でも探して、岩を斬る修行もしてみるかな。

 

 だがそれでも日輪刀の色は変わらなかった。

 

 

 

 そして……五年が経った。

 

 今日で俺は十歳になる。十歳といえば、前世では二分の一成人式だのをしていた頃だが、今世の俺は今日も今日とて修行を続ける。

 

(……右から短刀……左から槌……糸が張られてる、ジャンプ)

 

 今はちょうど山下りを始めたところだ。始めたばかりなのでスピードもあまり乗っておらず、罠にも十分な余裕を持って対応出来る。

 

 そして中腹辺り、この辺りになると、重力と足での加速によって通過した時周りに弱めの風が吹く程度にまでなる。

 

 俺のスピードが上がるということは、相対的に罠が迫るスピードも上がるということだ。だがそれでも足をゆるめることはなくそれどころかグングン加速していく。

 

(右右左下上左斜め左下上下右斜め右上下右上左右……)

 

 そうして一度も罠にかかることなく、山を降りきった。

 

「よし、山下り()()()()終わりっと」

 

 そこから滝で滝行をした後、手早く柔軟と千本素振りを済ませ、桶に水を組んで息止め訓練に入る。

 

「……ぷはぁっ、大体二十分くらいか」

 

 最初は二分くらいしか出来なかったものだが、ここでの生活を送っている内にかなり肺活量も増えた。もちろん十歳で息止めのギネス記録に近付いているのもかなり頭おかしいのだが、全集中の呼吸が使えるように作り替えられた体と、狭霧山の環境がこれを可能にしている。

 

 恐らく、この時点で俺の実力は、前世の俺を既に超えているだろう。

 

 息止め訓練に使った水を無駄にしないように飲み干し、小屋の中に入る。食料庫に入ると、たった一セットだけ食材がポツンと残っている。

 

「……これで貰った食料も最後か」

 

 今日からは食料を調達しなければならない。かといって狭霧山には食料になりそうな動物は住んでいないから、人里まで行って買ってこなければならない。だが如何せん金がない。どうしたものか……。

 

「炭治郎よろしく、炭でも売ってくるか」

 

 そう考えて、刀を腰に巻いたまま小屋を出る。

 

 最近は、寝る時や風呂に入る時など以外は大体刀を持って行動している。実際冒険に出た時とかは刀常備して行動するわけだし、刀の重量に普段から慣れておく必要があるからな。

 

「さて、木切るとするか」

 

 鞘から日輪刀を引き抜き、木を切り刻んでいく。その刀身が描く軌跡の色は……白銀。

 

 俺は五年以内に全集中の呼吸習得どころか、日輪刀の色を変えることすら出来なかった。

 

「……このくらいでいいか。残った炭で焼いて持っていこう」

 

 炭を使うようになってから早三年。慣れた手つきで木炭に火を起こし、量が多いので何度かに分けて切った木を蒸し焼きにしていく。

 

「よし、行くか」

 

 背中に炭を入れた籠を背負って、人里に向けて長い雑木林を進んでいく。

 

(転生してから五年、ずっと狭霧山に一人で暮らして人里なんか行ったことなかったからな……いきなり現れて「炭買ってください」なんて言っても信用されるだろうか)

 

 若干の不安が過ぎるが、そう思っていても歩いていればいずれ人里には着いてしまうわけで。

 

 そうこう考えているうちに雑木林の終わりが来て、村が見えてきた。

 

 そこは本当にRPGのようなのどかな村で、かといって昔の日本のように子供たちは労働はやらされずにキャッキャと遊び回り、そこら中にある畑や田んぼで若い男性たちが農作業をしている。

 

 そののどかさをなんとなーくボーッとして眺めていると、農作業をしていた男性の一人が俺に気付いて声をかけてきた。

 

「おーい坊主!見ねえ顔だな!どっから来た!」

 

「こんにちは!天道刃って言います!向こうの狭霧山から来たんですが、食料を買うために炭を売りに来ました!」

 

 俺の発言に男性が驚いた表情をして、手に持っていた桑を置いて俺のところに走ってきた。

 

(え、なんだなんだ何だ?俺なんか癪に障ること言った?)

 

「……坊主、おめえいくつだ」

 

「え、じゅ、十歳です」

 

「親は」

 

「えっと、いません。一人暮らしです」

 

 そう言うと少し間を置いてから、男性の目からぶわっと涙が溢れ出てきた。

 

 ここまできたら流石に分かる。この男性は、俺のことを心配してくれているんだ。

 

「おめえ……辛い人生送ってきたんだな……親に捨てられたかなんだかでひとりぼっちで山暮らしなんて……」

 

 ……少し認識に語弊があるが、まあその方が説明が楽だしいいだろう。ごめんね父さん母さん。

 

「おーいみんなー!!集まってくれー!!」

 

 男性が村に向かって叫ぶと、遊んでいた子供たちや民家の中から出てきた主婦、農作業をしていた男性たちまでみんながみんな、総勢四十人くらいが集まってきた。要件も言わなかったのにたった一声で村の絆ってすごい。

 

「紹介するよ!こいつぁ刃ってんだ!親に捨てられて十で狭霧山に一人暮らししてて、食いもん買いに炭を売りに来たんだとよ!みんな買ってってやってくれねえか!!」

 

 男性が大きな声で言うと、村民がザワザワと騒ぎ出す。その中でも主婦の方々が前に出てきて、俺に詰め寄ってきた。

 

「そんな辛い生活してきたのかい?」

「苦しかったでしょう?」

「炭十本買ったげるわ!」

「こっちは二十本!」

「ひもじい思いしなかった?これ食べて!」

「お腹すいたらいつでも来なさいよ!」

 

 主婦の皆さまに囲まれ、背中にかかる炭の重量がどんどん軽くなっていくと同時に手のひらに小銭や食べ物がどんどん積み重ねられていく。

 

「あ、ありがとうございます!ありがとうございます!」

 

 主婦の皆さんに何度も繰り返しお辞儀をしていると、頭の上にがっしりとした手のひらが置かれた。その手のひらの主の方を見ると、先ほどの男性が俺に向けてニカッと笑いかけている。

 

「金がなくなったり腹がへったら、いつでも村へこい!なんなら村へ住んじまうべ!」

 

「あ、あ……」

 

 五年ぶりに感じた人の温もりに、呂律が回らなくなる。涙がこぼれそうになる。

 

「み、皆さん、ありがとうござ「お、おい!!あれなんだ!!?」」

 

 後ろの方にいた男性が狭霧山とは逆方向の山を指さして大声を出している。声に釣られてその方向を向けば、山の麓辺りから何か黒……いや、焦げ茶色の物体がこちらへゆっくりと向かってくる。その圧倒的な重圧感にその場にいた全ての人間が膠着していた。その中で一人、最初にその物体に気付いた男性の叫びによって、膠着は解け、混乱と騒動が巻き起こった。

 

「く、熊だっ、ヒグマだあああああぁ!!!!」

 

 その叫びとともに、村民の全てがヒグマが来る方向とは逆方向、狭霧山の方へと逃げていった。

 だが、俺はその中でもただ一人立ち止まったままだった。

 

「何やってんだ坊主!早くお前もこっちにこい!!」

 

 ダメなんだよ、おじさん。みんなが逃げた時点でアイツはもう、俺たちを捕食対象として見てる。狭霧山の環境なら、どう考えたってアイツの独壇場だ。

 

 この危機を乗り切るためには、ここでアイツを殺す以外に方法はない。

 

「アアアアアアア!!!!!」

 

 腰から日輪刀を引き抜き、雄叫びを上げながらヒグマに向かって全力で突進する。

 

 五年前にアイツを助けて転生したのに、日輪刀の色すら変えることが出来なくて、苦しかった。誰からも、自分の刀すらも認めてくれない感じがして、悲しかった。

 

 でもここの人達は、そんな俺に安らぎをくれた。この人たちにとっての当たり前の行動が、俺に潤いを取り戻した。だから。

 

「この村は絶対に、壊させない!!」

 

 村へと続く一本道をのそのそと歩いてくるヒグマの前足に、横薙ぎの一閃を放ち、ヒグマが進んできた方の雑木林に立って場所を入れ替える。

 

 完全に断ち切れはしなかったが、それでもかなり深い傷を負わせることが出来た。これによってヒグマの注意は完全にこっちに向いたようで、村の方から意識をそらすことが出来た。

 

「絶対にお前を村には行かせない!!」

 

 ヒグマは俺に対して荒い呼吸を向けている。完全に怒っている証拠だ。ヒグマは立ち上がって、ゆうに3メートルを超える巨体を見せつける。俺を威圧しているのだろう。

 

「だからなんだって言うんだ!!」

 

 助走を付けて飛び上がり一撃をあびせようとするも、巨大な前足が襲いかかってきて、それを受け流さなければならなくなり攻撃は届かなかった。恐らく踏ん張りが聞かない空中で真正面から防御していれば、二、三発でノックアウトだろう。

 

 ならば次は足をと足を切ろうとするが、そうすると今度は死角からの攻撃が飛んでくる。

 

(攻撃を重ねる隙がない!!それにいくら前世よりも鍛えたからと言っても、十歳の腕力では足一本でさえ一発で骨ごと切り落とすことが出来ない!)

 

 前足での攻撃を防ぐのに防戦一方になっていると、立っている巨体を支えていたはずの後ろ足から蹴りの攻撃がきた。辛うじて刀の腹を盾にして防御するが、それでもかなりの距離を吹っ飛ばされ、衝撃もこれまで受け流していたものの比ではない。体がカチコチに固待ったような感じになり、全く動くことが出来ない。

 

「ガ、アァ……」

 

(この程度の攻撃に負けんな!動け!動け!!動け!!!)

 

 だが体は言うことを聞かず、ヒグマは動けない俺を食おうと近付いてくる。

 

(こんな、ところで、終わっていいわけ……)

 

「ねえだろぉがよおおおぉ!!!」

 

 何とか呼吸の落ち着きを取り戻し、ヒグマに向かって刀を構える。そして、俺に向かって来ていたヒグマが、急に足を止めて、蹲り出した。

 

「坊主!!無茶してんじゃねえ!!さっさと向こうに行け!!!」

 

 そう言っておじさんが、さっきまで農作業に使っていた桑で何度も繰り返しヒグマに刺している。

 

(……ありがとう、おじさん)

 

 でもその願いは聞けない。ここで絶対に、コイツを倒す。

 

「……スゥゥゥ」

 

(成功するかは分からない。だけど村を、みんなを救うには、やるしかない!!)

 

 その時、蹲っていたヒグマが暴れだし、雄叫びを上げておじさんの方を向いた。注意の対象が移ったという事だろう。

 

「そんな威嚇効かねえんだよ!!!坊主は死んでも守ってやる!!!」

 

 刃は体を脱力させ、最小限の動きで音もなく走り出した。

 

 後ろを向いていたヒグマは走り出す刃の姿に気付くことなく、ただ目の前の敵だけに集中している。

 

(今まで呼吸の練習も型の稽古も一度も欠かしたことは無かったが、ただ一度も発動したことは無い)

 

 そして刃はヒグマの5メートルほど手前で飛び上がった。

 

(でも、何故だろう)

 

 だが生物の危険察知能力は侮れないもので、ヒグマは男に向けていた前足を後方にいた刃に向けて薙いだ。

 

 だがしかし、平静を取り戻した刃はそれすらも察知して、ヒグマの前足を逆に足場として利用する。

 

(今は失敗する気がしない)

 

 刀を握った右手と何も持たない左手を顔の前で交差させ、刃は最小限の呼吸をやめて大きく息を吸った。

 

 前世よりも遥かに向上した肺活量は常人が一度に吸収する酸素量を数十倍を上回っていた。

 

 五年間鍛え抜いた刃といえどわずか十歳の体でこれほどの酸素を一度に吸収すれば確実に体に異変をきたすのであろうが、刃の戦闘的センス、直感は最適解を弾き出し、全ての酸素を力に変えた。

 

 その時、刃の体は全てが目の前の敵を打ち破るという一つの目的に突き動かされていた。

 

 それ即ち、全集中。

 

 瞬間、刃の日輪刀の刀身全体が、深い青色の輝きを眩く放ち始める。

 

(全集中──)

 

【水の呼吸 壱ノ型 水面斬り】

 

 転生する前からずっと焦がれ続け、修練し、初めて放った鬼殺の一閃は、吸い込まれるように首を通り抜け、一匹の獣の(かしら)を地に落とした。



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全集中の真意

伸び方がおかしい(困惑)
全集中の呼吸完全習得&今回で色の変わらない日輪刀の謎が解けます!今回割と説明くさいのとご都合主義多めなんで、ご注意を。
あ、後超今更ですが、主人公のいる狭霧山と村は極東にあります。


「……使えた」

 

 すぐにハッとなって、握っている日輪刀の刀身を見る。だが、刀身の色は変わる事なく白銀のまま。

 

(なぜだ?さっき俺が使ったのは紛れもなく水面斬りのはず。それにさっき水面斬りが発動した時、横目でもわかるほどに刀は青色に光ってた。なのになぜ今は銀色に戻ってるんだ?……って今はそれよりも!)

 

 再びハッとして、刀を鞘にしまいこんで首のなくなったヒグマの前で固まって膝をついているおじさんの肩を掴む。

 

「おじさん、もう熊は倒したよ。おじさん?おじさん!」

 

「お、おう……やい、ば……?」

 

 耳元で叫んだところでようやく反応してくれた。目に少しだけ涙を浮かべながら、俺の方に顔を向けた。どこにも怪我はないようでほっと息をつく。

 

 するとおじさんが、全集中の呼吸を使った時の俺もビックリの速度で俺の体を抱きしめた。

 

「刃ァ!!無茶しやがって!!もし死んでたらどうするつもりだったんだ!?馬鹿野郎!!馬鹿野郎!!!」

 

 おじさんの叫びに、若干の罪悪感が走る。だがあの村には俺よりも強いどころか、あの熊を倒しうるほどの実力者はいなかった。大人が一斉にかかれば可能性は十分にあっただろうが、けが人死人は確実に出る。あそこで俺が走っていなければ村に大きな被害がでていたというのも事実だが、おじさんを含めた村民達に大きな心配をかけたというのも紛れもなく事実。

 天秤にかけるにはあまりにも重量が違いすぎる、とる方が予め決まっていたような選択肢だが、これだけ親切にしてくれたみんなに心配をかければそりゃあ心は痛む。

 

 そして、おじさんが俺を抱きしめる力を強めて、号泣しながら俺の耳元でもう一度叫んだ。

 

「ありがとう!!みんなを、守ってくれて、ありがとう!!!」

 

 ……ああ、やっぱり人の温もりは、暖かい。

 

 

 ──────────────

 

 俺は今、狭霧山には戻ってきて、原作で炭治郎と錆兎が戦っていた岩の前で全集中の呼吸の練習をしている。

 

 熊を倒した後、村の人達にめちゃくちゃ感謝された。おっちゃん方から軽くお説教も受けたが、ほとんどの人が泣いて感謝していた。

 人から感謝されるのは悪くはないんだが、流石に大勢から号泣されてありがとうありがとうと連呼されるのは申し訳なかったので、報酬として俺の焼いた炭のお得意様になってくれるとのことで解決した。これで食糧難の問題も解決だろう。

 

 俺はあの後、おじさんに話を聞いた。全集中の呼吸を使った時、誰より近く、俺よりも俺のことを見ていたからだ。

 

 全集中の呼吸を使った時の俺のことをできるだけ詳しく教えてくれと詰め寄って、おじさんが言うには、

 

『なんかこう、おめえが息吸う時、ヒョォォって音が鳴って、辺りの風がおめえに集まってくみたいになっちまってて、そしたらなんかいきなりおめえの刀がピカーって光出してよ。神様でもいたのかと思っちまった』

 

 かなり抽象的な表現ばかりだったが、その中にも役に立ちそうな情報はあった。

 

(周りの空気が俺に集まってった、つまり俺に向けて風が起こっていたように感じることができたってことは、それほど体に空気が供給され終わるまでが長かったってことだ)

 

 つまり、息止めの時のように一瞬で酸素を取り込むんじゃなく、また、肺に全て閉じこめるイメージじゃなく、体全体に満遍なく酸素を行き渡らせることをイメージするんだ。

 呼吸の仕方は、一気に供給するのではなく、口の形を細く、吸う時間は長く。呼吸の音が鳴るくらいの勢いで。

 

「スゥゥゥ」

 

 さっきイメージした通りの呼吸で、岩へと向かっていく。

 

(全集中!水の呼吸、壱の型!水面斬り!!)

 

 さっきと同じように腕を交差させて、岩の前に来たところで全力で腕を振り抜く。

 

 だがしかし、その刀身は蒼色の輝きを放つことなく、ただ岩にガチーン!!とぶち当たって俺の体をしびれさせるだけに終わった。

 

「ッッッつー……全力で向かってっただけあって馬鹿みたいに痺れるな……」

 

 こういう時、完全我流というのが痛い。体が水の呼吸に適していない炭治郎が二年半で水の呼吸を会得することが出来たのは、紛れもなく鱗滝さんや錆兎、真菰の力が八割程度あるだろう。早く習得できた炭治郎への妬みだと思われるかもしれないが、実際修行してみれば納得出来る。

 

(一体何が足りないんだ……?)

 

 何度考えても分からない疑問を抱えたまま、今日が終わる。

 

 日輪刀の色は変わらない。

 

 

 翌日。今日は山を降りて修行してみた。もしかしたら山との酸素濃度の違いから使えなかっただけかもしれない。そう考えて、山の麓で昨日と同じイメージで木に向かっていく。

 

 木はスッパリと切れたが、全集中の呼吸が発動したわけではなかった。

 

 そして悶々とした悩みが残るまま、今日が終わる。

 

 日輪刀の色は変わらない。

 

 

 翌日。今日は全集中の呼吸を発動した日と、熊を除いて全く同じにした状況で発動を試みた。

 

 だが、全集中の呼吸が発動することは無い。

 

 日輪刀の色は変わらない。

 

 

 翌日。今日は……。

 

 

 翌日。今日……。

 

 

 翌日。今……。

 

 

 翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日翌日……………………………………………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……そして、また五年といくらかが経過した。

 

 転生してから11回目の冬だ。

 

 あの日以来、修行を続けても、何をやっても全集中の呼吸は発動しない。

 

 そして今日は、また原点回帰で大岩の前に立っている。

 

(……まあ、どうせ今日も発動なんてしないだろうけど)

 

 自分の言った言葉に背筋がゾクッとして、自分で自分が怖くなった。

 

 気付かないうちに芽生えた弱さを振り払うように、大岩に頭を何度も打ち付ける。岩に血の池が出来ても、何度も何度も打ち付ける。

 

「挫けそう!負けそう!!頑張れ俺!!頑張れ!!!」

 

(最強になるんだろうが!!オラリオってとこにいるっていう強者達をぶっ倒すんだろうが!!こんなとこで挫けてどうすんだ!!!)

 

己を鼓舞し、決意を再確認して、岩にへばりついた体を起こして空を見上げる。

 

「……もう空が赤い」

 

 いつの間にか、空は赤くなりかけ、カラスも鳴いている。今日は炭を売りに行く日だ。早く行かなければ。

 

 麓の小屋まで戻り、なお血が流れ出る額を水で念入りに洗い、包帯を巻いてから、予め作っておいた炭を持って村へと向かう。

 

「おっ、遅かったな刃!」

 

「おっちゃん。ごめん、ちょっと修行が長引いちゃって」

 

「毎日頑張ってんな!ほれ、代金だ」

 

「まいど、おっちゃん」

 

 おっちゃんが俺に小銭を渡し、炭を袋に入れていく。

 

 五年間ここに通ってきただけあって、村にもだいぶ馴染んで、今ではほぼ村民みたいなものだ。

 

「おーいみんなー!刃が炭売りに来たぞー!」

 

「おっ、待ってました!」

「刃ー!炭早くー!」

「寒くてしょうがねーんだよ!早く炭くれー!」

 

 おっちゃんが声をかけるとみんなが反応するのは、五年前から変わらない風景だ。

 

「あれ?どした刃!そのでこの傷!」

 

 そして窓枠から顔を出して話しかける人たちのうちの一人のおっちゃんが俺に問いかけてきた。一応傷口を念入りに洗ってから来たのだが、それでも流石に血が完全に止まっていたわけではなかったらしい。

 

「ちょっと修行がうまくいってなくてさ。自分に喝を入れてたんだ」

 

「頭から血ぃでるとか、どんな喝の入れ方したんだおめえ!」

 

 アハハハハハ、と村全体に笑いが起こる。俺としては若干笑えないのだが。

 

 俺の後ろからおっちゃんが前と同じように、俺の頭に手を乗せてわしゃわしゃと撫で回してきた。

 

「ま、悩んだ時は一回パーっとなっちまうのが一番だ!頭カラッポにすりゃ、見える景色も変わってくるってもんだからよ!」

 

「おっちゃん……そうだね、ありがとう」

 

 おっちゃんにお礼を言って、村に炭を配って回る。

 

 おっちゃんの言葉はなんというか……不思議だ。聴くと心がフワフワするし、おっちゃんに励ましの言葉や人生のアドバイスを貰うと、おっちゃんの言ったことが全部良い方向に働く。

 

 この調子で全集中の呼吸も……と考えると、早く修行がしたくてたまらない。悩みが全て吹っ飛び、それで頭がいっぱいになった。

 

 もしかしたらおっちゃんは鬼滅で言うところの親方様ポジションにすらなるんじゃないだろうか……なんて考えていると、一本道の脇にズラッと並んだ民家の一番端のところで小さい子どもが、立てかけられている建築用の丸太の間にいる犬の手をとって遊んでいる。

 

(いや、あれは引っ張っている……?丸太と丸太の間にペットが挟まったのか)

 

「おっ、ありゃあ村長んとこの孫の帯助だな。微笑ましいねぇ」

 

 おっちゃんはこの光景を微笑ましいと思っているようだが、俺には真逆の感情が湧いた。

 

(無理矢理引き抜いたら、丸太が帯助に倒れる!!)

 

 気付いた時には既に帯助が犬を丸太の間から引っ張り出し終えたようで、犬が挟まっていた事でバランスを保っていた丸太は帯助に向かって倒れていく。

 

(ヤベエ!!)

 

 俺から帯助までの距離は少なく見積もっても100メートル。丸太が帯助に当たるまでは多分2秒くらい。いくら鍛えた俺だといっても、この距離は流石に間に合わない。しかも運の悪いことに、帯助の近くで気付いている人は一人もいない。普通ならばこの時点で万事休すだ。

 

 だが、俺の体にはこの絶体絶命すらねじ伏せる可能性を秘められている。

 

(頼む、発動してくれ全集中!!)

 

 原作で善逸が言っていた。雷の呼吸、霹靂一閃は、呼吸をする時足の筋肉に最も意識を向けると。それさえ発動できれば、帯助を助けられる。

 

(だけどもし発動しなかったら?発動しても制御が効かず帯助ごと切ってしまったら?)

 

 次々に浮かび上がってくる雑念に惑わされる。だが、

 

『頭カラッポにすりゃ、見える景色も変わってくるってもんよ』

 

 浮かび上がる雑念に混じって聞こえてきたおっちゃんの言葉によって、頭の中が一掃された。

 

 霹靂一閃を発動させる。それ以外の思考は、後からすれば良い。

 

 右足と左足を前後に大きく開いてクラウチングスタートのような形をとり、体を大きく前方に傾け、左手で鞘を、右手で刀の柄を握る。

 

 世界がスローモーションになった。俺が呼吸を始めた瞬間、周りを漂っていた空気が全て俺の方へと軌道を変え、口の中から肺へ、肺から全身の血流へ、そして足の筋肉に到達した瞬間、心臓だけでなく、体全体がドクンと大きな鼓動を打った。

 

 今度は自分でも何をやったのかよく分かる。体全体が打ち鳴らす鼓動の様子からどこにどのように酸素が行き渡っているのかを把握し、最低限必要な部位にだけ多く酸素を残し、それ以外の酸素を全て足へと移動させる。

 

 その瞬間、今度は先のものとは比ではない程の鼓動を俺の足が打ち鳴らした。

 

(……いける!!)

 

 全集中の発動を確信し、その瞬間、日輪刀が鞘の中からでも認識出来る程、淡い黄色に輝き始めた。

 

【雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃】

 

 俺の体は、一瞬という言葉では言い表せない速さで帯助のところまで到達し、黄色に光り輝く日輪刀が間合いに入った丸太を全て半分に斬った。僅か0.0001秒にすら満たない、正に刹那の出来事だった。

 

 真っ二つになった丸太は見事に帯助の周りに落ちていくだけで、一度も当たりはしなかった。斬ればなんとかなると思って考えてなかったが、切られただけで軌道まで変わるってどういう原理なんだろう。

 

「帯助、大丈夫か?」

 

「うん!ありがとう刃兄!」

 

 ……一応丸太が自分に迫ってくるのは見ていたはずなんだが、なんとも肝の据わった子供だ。将来有望だな。

 

 まあ身体にも精神にも怪我してないんだったらもう大丈夫だろう。それよりも今は早く山に戻りたい。完全に理解できた全集中の呼吸の感覚を忘れないためにも。

 

「みんな!今日は出血大サービスだ!!お金はいらないから炭はここに置いていく!!みんな好きに取ってってくれ!!」

 

 最後に一言だけ言い残してから、炭の入った籠を置いて、村を突っ切って直ぐさま狭霧山へと帰っていった。

 

 

 

「…………ふぅ」

 

 大岩の前で小さく息を吐いて、一度精神を落ち着かせる。

 

 全集中の呼吸に必要だったのは二つだ。

 

 一つは、細胞一つ一つ、全てに酸素が行き渡るための長い呼吸。肺だけに留めておくのではなく、身体中に満遍なく酸素を送り届ける。

 

 もう一つは、その酸素を全て使い切ること。ただ吸っただけの呼吸ではせっかく取り入れた酸素も流れ出てしまい、筋肉の力を100%引き出すことは不可能だ。供給した酸素を100%肉体に流し込んで力に変えた時、力を何倍にも高めることができる。

 

 この二つを持ってして初めて、全集中の呼吸は完成する。

 

 大岩の前で腕を交差させ、長い呼吸で大量の酸素を身体に取り込む。すると酸素は一度肺に全て留まった後、身体の全ての細胞に酸素が行き渡っていく。そして一度掴んだそれを逃さぬように、細胞は酸素を取り入れた瞬間にそれを力に変えた。

 

 瞬間、先ほどと同じように、体全体に鼓動が鳴り響いた。

 

 そしてそれと同時に、刃の思惑通り、握っていた日輪刀の刀身が深い蒼色に光り輝き始めた。

 

(思った通りだ。日輪刀の色が変わらなかったのは、俺の剣術がそのレベルに達していなかったからじゃない。

 

 この日輪刀は、()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()

 

【水の呼吸 壱ノ型 水面斬り】

 

 そうして俺が放った渾身の、二度目の水面斬りは、大岩を横一直線に切断した。

 

 

 

 

 そうしてまた三ヶ月、俺が転生してから12回目の春が来た。

 

 五歳から人生をリスタートしたため、転生した日を誕生日とすると、俺は今日で十六歳になる。

 

 そして今日この日、俺はこの狭霧山を巣立つ。

 

「……長い間、お世話になりました」

 

 ペコリと深くお辞儀をして、日輪刀と今まで炭売りで少しずつ貯めておいたお金を持って、小屋を後にする。長い雑木林を抜けて村に出ると、村民みんなが俺を待ち構えてくれていた。

 

「おう刃!ついにオラリオに出陣か!今までの強さでなんで冒険者じゃなかったのかって方が謎だが、おめえならきっとダンジョンもサクッと攻略しちまうだろうな!」

 

 その中からおっちゃんが出てきて、代表で激励の言葉を飛ばした。突き出された拳に呼応して、拳を合わせる。

 

「ああ。最強になったらまた戻ってくるから、それまでに熊に襲われて死んだりすんなよ?」

 

「んにゃろ、調子に乗るようになりやがって。ちんちくりんの頃はあんなに可愛らしかったのによ。いや、背的にはまだちんちくりんか?」

 

「うるせえ!これでもギリ百八十あんだよ!」

 

 最後だというのに平常運転な俺たちのやりとりに、周りを囲んでいたみんなから笑いが起こった。やっぱり変にかしこまった見送りされるより、こっちの方が落ち着ける。

 

「それにしても、こっからオラリオ行きの港までは結構あるぞ?やっぱり馬を一匹やった方が……」

 

「それは大丈夫だって昨日も散々言ったろ?それに馬借りるより自分の足で走った方が何倍も速いんだからさ」

 

 そう、俺はこの三ヶ月間でようやく『全集中 常中』に辿り着いた。狭霧山を出ようと思ったのもこれの習得が主な理由だ。結局ヒノカミ神楽を疲労無しで踊りきることは叶わなかったのだが。どうやらヒノカミ神楽は、全集中の呼吸が使えるだけでは駄目らしい。

 

「刃ちゃん、これ船の中で食べてね」

「これも」

「これも」

「これも食べていいわよ」

「じゃあ私も」

「私もあげる!」

 

 今度はママさん達から、旅の道中での食料を頂いた。その中で中心にいた、おっちゃんの奥さんだけ手を後ろに隠したままだと思い、なんだろうと考えていると、そのおっちゃんの奥さん……長いからばっちゃんでいいか。ばっちゃんが「ふっふっふ」とラスボスのような笑い方で目を輝かせた。

 

「あんた達、まだまだ甘いわね!」

 

 そう言ってそのばっちゃんは後ろに隠していた両手を前に出し、広がった布でばっちゃんの顔は見えなくなった。代わりに俺の目に飛び込んできたのは、一枚の羽織。何の模様も付いていない黒の布地の上に、背中の中心に当たる部分にだけ燃え盛る大きな太陽の刺繍が施されている。

 

「か、カッケェ……」

 

 心惹かれるその出来栄えに、感嘆の一言しか出なかった。

 

「さあさ!着てみてちょーだい!」

 

 ばっちゃんに促されるまま、荷物袋を下ろして愛用の着物の上から羽織を羽織る。

 

「うーん、いざ着せてみると、なかなかの出来栄えだわ」

 

 両手の親指と人差し指でカメラの形を作って俺を枠内に収めているばっちゃんを横目に、おっちゃんは何かに感づいたように手をポンと叩いた。

 

「なるほど。太陽、つまりお天道様と坊主の名字の天道をかけたのか」

 

「あったりぃ!流石私の夫!」

 

 最高のプレゼントに、思わず目頭が熱くなった。だがここで泣くのをグッとこらえて、顔を上げる。

 

「ありがとうみんな!俺、必ず最強の冒険者になって、この村を俺が育った村だって自慢してくるよ!」

 

「おう!待ってるぜ、刃!!」

 

 そうして見えなくなるまでみんなに手を振って、俺は村をも後にした。

 

「……さて、少し寂しさはあるが、くよくよしててもしょうがない!頭パーっとだ!!」

 

 体全体に均等に行き渡らせていた酸素の一部を足に回し、ほどほどの出力で港に向かって走る。今まで感じた事のない羽織がバサバサと翻る音と感覚に少し違和感はあるが、不快感はない。

 

 腰に差している日輪刀の柄に手を置く。思えばコイツの特性には散々不安を煽られたものだ。だが、もうコイツは理解不能な不思議の刀じゃない。俺の使う技の力を何よりも引き出してくれる、なくてはならない最高の相棒だ。

 

「待ってろよ、オラリオ!!」

 

 この先に何が待っているのかは分からない。

 

 だけどこれだけはなんとなく分かる気がする。

 

 この先に起こるであろう全てのことの終着点にあるのはただ一つ。最強の称号であるということ。

 

 これは、ある者によって作られた全てのシナリオを斬り裂き、可能性とかパラレルワールドとかそんなものを超越した、誰も知らない、『眷属の物語(ファミリアミィス)




熱出ているのに調子がよく、どんどんネタが出てくるとは・・・これはもしやヒノカミ神楽と同一のもの?(違う)
次からはいよいよオラリオに行って、原作突入!

P.S 先に11回目の冬が来てるのに次に来たのが11回目の春とかいう頭の悪さが露呈する事をしていました。申し訳ありません!


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オラリオ

 遠い昔。天界の神々が、俺たちの住む下界に、刺激を求めて降りてきた。

 

 そして神々は決めた。この下界で、永遠に暮らそうと。

 

 神の力を封印して、不自由さと、不便さに囲まれて、楽しく生きようと。

 

 

 

 …………というのが、この都市、オラリオに住まう神々が下界に降りてきた理由らしい。

 

 なぜ俺がこんな事を知っているのかというと、それは、オラリオに降りてきたという神々が、全て俺を転生させた女神様の部下だったらしいからだ。

 

『あのバカども、「ここはつまんないから下界落ちしまーす」なんて言って、私が許可する前にこっそり出て行きやがったんですよ。しれっと神の力も持ったまま。もし帰ってきたら、全員に上級神レベルの仕事を押し付けてやります』

 

 なんて、あの優しかった女神様がこめかみに怒りマークを浮かべながら笑顔で言っていた。笑顔が笑顔に見えなくて本当に怖かった。

 

「えーと、まずはギルドで冒険者登録が必要なんだっけ」

 

 オラリオの入り口で立ち止まっている現状から、ギルドに向かう道を示す看板に従ってギルドへと向かう。

 

「それにしても、なんかやっと異世界来たって感じするな〜」

 

 自分が歩いているタイルの感触。普通の商店街にビッシリと並んでいる祭りのような屋台。周りをすれ違う人間とは違う別の種族の者達。そして、天高くそびえ立つ一本の巨塔、ダンジョン。

 

 狭霧山とか村は時代は違ったがもろ日本だったので、この中世のような街並みを見てようやく異世界に来たという実感が湧いてきた。

 

 ここで俺の剣技がどれほど通用するのか、早く試したい。

 

「へー、ここがギルドか」

 

 異世界の景色に意識を奪われながら歩いていると、いつのまにかギルドへ着いていた。

 

 入り口の扉を開けて、ギルドの中に入る。

 

(……すげえ)

 

 ギルドの中を見渡してみれば、11年間狭霧山で修行しまくった素の俺の身体能力を超える人がわんさかいる。常中込みで考えると流石に数えるほどしかいないが。

 

「……あのー、他の冒険者のご迷惑になりますので、入り口から離れていただけませんでしょうか?」

 

 入り口のところでずっと立ち止まっていると、ピンク色の髪の職員っぽい人が俺に声をかけてきた。

 

「あ、はい。すみません。あの、冒険者登録ってのをしたいんですが」

 

「あ、新冒険者の方ですね!分かりました。受付にご案内します」

 

 そう言われて、受付のカウンターに誘導された後、職員の人は小走りでスタッフオンリーの戸から俺のいるカウンターの反対側に回った。

 

「お待たせいたしました。私はギルド職員、ミィシャ・フロットと申します。以後お見知り置きを」

 

「ご丁寧にどうもありがとうございます。俺は天道刃と言います」

 

「テンドウさん……珍しい名前ですね。極東出身の方ですか?」

 

「あー……まあ、そんなとこですかね。あと刃でいいですよ」

 

 実際生まれて生きてきた年数が長いのは日本だけど、今世で育ったのは極東にあった狭霧山だ。間違ってはないだろう。

 

「それでは、ヤイバさんの所属するファミリアを教えて頂けますか?」

 

「……ファミリア?」

 

 聞きなれない単語が俺の耳に飛び込んできた。いや、聞いたことはある。女神様が言っていた。

 

『下界に降りた神々はそこでファミリアという社会的集団を作っています。神の力を封印して下界に降りた神が出来ることは一つ。神の恩恵(ファルナ)を刻んでダンジョンを生き延びる力、ステイタスを授け、眷属を作ることです。そして神と神に恩恵を刻まれた者。その間の関係をファミリアというのです』

 

「……あの、もしかしてファミリアに所属していないということですか?」

 

「……はい。ファミリアに入ってなければ冒険者登録ってできないんですか?」

 

「はい。ついでに言うと、神からの恩恵を刻まれていなければダンジョンに入ることもできません」

 

 …………女神様。今から下界に降りてきて俺に恩恵下さい。

 

 

 

 

 

 ────────────────────

 

「はぁ……どうしたものか」

 

 俺はギルドを後にして、ため息をつきながら屋台が立ち並ぶ商店街を練り歩く。

 

「……腹減ったな。とりあえずなんか食うか」

 

 道中でママさん達から貰った飯を食べてきたが、体は成長期なので食ってもすぐに小腹が空く。飯屋で食えるような上等なものじゃなくていいから、何か歩きながら食べられるものがいいな。

 

 そう思いながら屋台を見回していると、何やら興味惹かれるというか、馴染みのある名前が入った屋台の看板があった。

 

「異世界にもあるんだ……じゃが丸」

 

 前世では小さい頃に、父さんが仕事帰りによく買ってきてくれたものだ。

 

 懐かしい響きの揚げ物の名に体が自然と引かれていく。値段札を見て代金を確認し、その分のお金をポケットの金袋から取り出す。

 

「すいませーん。じゃが丸3つ下さーい」

 

「はいまいどー!360ヴァリスでーす!」

 

 俺の注文を受けた女店員さんは、俺の目からしたらかなりイカれた要素が詰まっていた。

 

 上背は140センチ……いや、こっちじゃセルチだっけか。明らかに十歳程度の身長しかない。まずこの時点で不当労働で訴えたくなるが、その思考を吹き飛ばす、圧倒的大きさの胸があった。一般的にいうところの、ロリ巨乳と言ったやつだろう。

 

 長い髪をツインテールにまとめ、かなり露出の多いホルターネックのワンピースを身につけている。

 

 ……この格好に誰も何も突っ込まないあたり、異世界ではこれが普通なんだろうか。

 

「君なかなかいい体してるね!強い冒険者なんだろう?あまり見たことないが、どこのファミリアの子なんだい?」

 

「いえ、俺は冒険者ではないんですよ。今日このオラリオに来たばかりで、今ギルドに行って冒険者登録しようとしたら、ファミリアに所属していなければ冒険者にはなれないって言われてしまって。絶賛路頭に迷い中です」

 

 俺がそう告げながらじゃが丸の代金を女店員さんの左手に渡して、右手に持つじゃが丸の入った袋を受け取ろうとするが、店員さんが手を離してくれない。

 

「ぼ……」

 

「ぼ?」

 

「ボクの眷属になってくれないか!!」

 

「……はい?」

 

 

 後三十分でシフトが終わるから待っていてくれと言われたので、じゃが丸くんを食べながら暇つぶしをして、三十分が経過した。

 

「待たせてすまないね!えーと……」

 

「天道刃です」

 

「刃君か!ボクの名前はヘスティア!《ヘスティア・ファミリア》の主神さ!」

 

「ヘスティア様……ですか……」

 

 なんか聞き覚えがある名前だな……一体どこで聞いたんだっけ?

 

 そう考えながら、豊満な胸を張りながら自慢げにしているのを見ていると、何かを思い出しそうになる。

 

 ヘスティア……神……そしてロリ巨乳……

 

「あ──!!!もしかして、神界からこっそり抜け出す計画を立てて、それなのに一人だけ計画がバレて捕まって、下界に降りた神様達の仕事押し付けられた挙句、懲りずに共犯つれて最近下界に降りたっていう、あの女神ヘスティア!?」

 

 俺の言葉に正面にいたヘスティア様がビックゥ!!と体を震わせて、顔を青ざめながら震えている。

 

「や……刃、君……それを、一体、誰から…………?」

 

 いかにも恐る恐るといった感じで訪ねてくるので、流石に失礼だったかと思うが、とりあえず質問を返す。

 

「え、えっと……実は俺、あまり大きな声では言えないんですけど、日本で死んでしまって、女神様に導かれて転生してこの世界に来たんです」

 

「ニホン!!」と俺の出身地を聞いた途端にもう一度大きく体を震わせた。

 

「か、確定だ……確実に大女神が関係している…………」

 

 頭を抱えて、ガクブルガクブルという効果音が聞こえてくるぐらいの震えっぷりを見せるヘスティア様。

 

 そして数秒が立つと震えが止まり、ヘスティア様が覚悟を決めた表情でこちらを向いた。そして、右足、左足の順で膝を地面につけ…………ん?

 

「数々のご無礼お許しください!!刃君、いえ天道様!!どうか!!どうか天界に連れ帰るのだけは!!!」

 

「えええええええええ!!!!!??」

 

 合計34年間生きてきた中でも一度も見たことがない、ものすごく綺麗な土下座だった。

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

「じゃあ、本当に君は大女神がボクを天界に連れ帰るためによこした使いでも、ボクのことを裁きに来たわけでもないんだね?」

 

「はい。俺はただ普通にここに転生してきただけで、連れ帰るどころか連絡手段すらありません」

 

「本当の本当に?」

 

「本当の本当です」

 

 俺が出した大声と、ヘスティア様の芸術的土下座のせいで周りの視線が俺たちに全集中していたので、俺たちは商店街から移動してヘスティア様が住んでいるというホームにやってきていた。

 

 俺が女神様の使いじゃないと分かって、ヘスティア様が大きく安堵の息を吐いて溶けるように崩れ落ちた。

 

「コホン、なら本題に入るとしようか!」

 

 ヘスティア様は座っていたソファーから立ち上がって右手の手袋を外し、決意の表情を固めて俺に向けて右手を差し出した。

 

「ボクの眷属になってくれないか?」

 

「分かりました。よろしくお願いしますヘスティア様」

 

「へ?」

 

 即答して右手で差し出されたヘスティア様の右手を握る。その即決さにヘスティア様はあっけにとられたようで、反射的に出たような素っ頓狂な声を発した。

 

「えっ、本当にいいのかい?僕のファミリアは団員がいない弱小ファミリアだし、君は見たところ恩恵なしでもかなりの実力者に見えるし、君なら都市最強クラスのファミリアも放っておかないよ!?」

 

「ここで会ったのも何かの縁ですし、それに、その大女神様はあなたのことを「もし会ったら拳骨を落としてきて下さい」と言いましたが、そのほかにこうも言っていました」

 

『あの子は見た目的にも中身的にも人望があるとは言えないので、もしも困っていたら力になってあげてください』

 

「だ、大女神……様……」

 

「俺は、あの女神様にとても感謝しています。だからあの人の願いを聞いて、俺は貴女に使える眷属になります。これからよろしくお願いします、主神様」

 

 笑顔でそう言って、右手を握る力を少し強める。そうするとヘスティア様も決意の表情から普通の女の子のような明るい笑顔になって、俺に呼応して握る力を強めた。

 

「ああ!よろしく頼むよ、刃君!」

 

 こうして、俺の冒険者生活が今、スタートした。

 

「それじゃあ、恩恵を刻むから、服を脱いでそこのベッドに寝転がってくれ」

 

「分かりました」

 

 ヘスティア様の指示に従って、羽織と上半身に来ていた着物を脱ぎ、その後腰に巻いている刀を外してベッドに寝転がった。

 

「おおー。直に見ると本当に鍛え抜かれた身体だね」

 

 そうすると、手袋を外したヘスティア様が俺の上に馬乗りになり、小さなナイフを自分の人差し指に突き立てると血が流れだし、その人差し指を俺の背中の上にセットすると、血が一滴背中に落ちた。

 

「何してるんですか?ヘスティア様」

 

「そうか、これも知らないんだね。恩恵を刻む時は、こうやって主神の血を垂らして染み込ませるのさ。ボクの眷属だってハッキリさせるためにね。さ、次はステイタスを更新するよ。まあ誰でも恩恵刻みたての時は全アビリティが0からスタートするんだけど、一応記念にね」

 

 そう言うと、今度は俺の背中辺りが眩しく光り始めた。いかにもファンタジーというか、初めての経験ばかりで新鮮だ。

 

 どんなことが行われているのか気になってしまい、近くにあった手鏡を使って後ろで行われていることをこっそり見てみる。

 

 すると、俺の背中の上に何かしらの文字列が浮かび上がっている。だが空中に浮いているせいで角度的に見えづらいのと、反転しているせいでなんと書いてあるかは分からない。

 

「え……?」

 

 すると、ヘスティア様の口から疑問の声がこぼれ出た。

 

「どうかしましたか?」

 

「ちょ、ちょっと待っていてくれ」

 

 ヘスティア様が一枚紙を取り出して俺の背中に乗せ、慌てた様子で紙の上に指で円を描く。

 

「や、刃君。これを見てくれ。君のステイタスだ」

 

 ヘスティア様がベッドから降りて、俺にさっき乗せていた紙を見せてきた。

 

 ──────────────────────

 

 天道 刃 Level 1

 

 力:I0

 

 耐久:I0

 

 器用:I0

 

 敏捷:I0

 

 魔力:I0

 

 気配察知:E

 

 [スキル]

 

 〔全集中の呼吸〕

 

 発動条件:剣と連動して剣技を発動した時にのみ効果発動。

 

 効果:瞬間的階位昇華(レベルブースト)

 

 〔全集中・常中〕

 

 〔全集中の呼吸〕を行なっている間常に発動。力、耐久、器用、敏捷の習熟速度、上昇率大アップ。力、耐久、器用、敏捷に超補正。

 

 ────────────────

 

「あの、書かれている意味がよくわからないんですが」

 

「無理もないさ。代償、回数制限なしの階位昇華に常時発動の上昇率アップと超補正を合わせ持つスキルなんて聞いたことないからね。一体どんなことをすればこんなスキルが発現するんだい?」

 

 いや、そういうことではなく、そもそもとして知らない単語が多すぎて何を言っているのか分からない。言語理解の他に単語の知識とかも入れてもらえばよかったかな。

 

 要するに、全集中の呼吸の効力がオラリオの評価基準に直すとかなりの強さであるということだろう。全集中の呼吸は大女神様に授かって、会得するために肉体と精神をグッチャぐちゃにぶっ壊しながら十数年かけた唯一無二の必殺技だ。それなりの強さはあってしかるべきというものだろう。

 

 昔のことを思い出してしみじみしている俺を見たヘスティア様の顔から困惑が消え、穏やかな笑みを浮かべた。

 

「いや、自分の眷属とはいえ、他人のスキルの詮索はマナー違反だね。すまなかった」

 

「そんな!全然気にしてませんよ」

 

「そう言ってくれると嬉しいよ。そうだ!そろそろボクのたった一人の……いや、もう二人だね。一人目の眷属がダンジョンから帰ってくる頃だ。とっても可愛い子だから、緊張しなくていいぜ!」

 

 ヘスティア様がにこやかな顔で、まるで自分のことのようにその眷属のことを語る。どんな人なのか楽しみだ。

 

 そしてヘスティア様からこの世界の常識的な用語を教えて貰っている(さっきのLevelやらアビリティやら)と、上の扉がガチャンと開く音がして、ヘスティア様が「おっ、帰ってきた!」とまたにこやかな顔になって言った。

 

「ただいま帰りました。神さ「ベールくーん!!!」ちょっ、待っ、うわぁ!!」

 

 白髪の少年が階段を降りてきたと同時に、今日イチの笑顔になったヘスティア様がおもいきり少年に向かってダイブした。いきなりで慌てた少年はヘスティア様のダイブをもろに受け、失神しかけの少年の胸に顔をスリスリと擦りつけていた。

 

「ちょ、痛いですよ、神様…………って、あれ?神様、そこにいる方はどちらですか?」

 

「ん?ああ!聞いてくれベル君!彼はね、ボクたちの新しい家族だ!」

 

「ええっ!!?ほ、本当ですか!!?神様!!!」

 

 白髪の少年が俺を見つけて胸元にいるヘスティア様に尋ねると、それに反応してヘスティア様が起き上がって俺のことを紹介した。

 

「はじめまして。ベルさん……でいいのかな?俺は天道刃。たった今《ヘスティア・ファミリア》の眷属になったばかりの新米冒険者です」

 

「え、あっ!ご、ご丁寧にありがとうございます!ぼ、僕はベル・クラネルと申します。よろしくお願いします天道さん!!」

 

 俺に向かって、嬉しさを表に出して頭を深々と下げるベル・クラネル。

 

 そんな礼儀正しい挨拶をしてくれている中、俺は反射的にベルの分析を始める。

 

 俺は前世でもこの分析はやっていた。きっかけは、剣道の試合の時、それ以前の試合の時とその時の戦い方が180度違うような選手が極々稀にだがいた事だ。それからは試合前の予習は先入観を持つだけだと考え、相手を視界に入れた瞬間から試合直前、あるいは試合中に分析するようになった。まあそういう経緯で、初対面の相手でも気配というか、雰囲気でなんとなく実力や人柄は分かるようになった。炭治郎の鼻的なものと考えれば分かりやすいだろう。

 ギルドでも反射的にやってしまったが、前世から続く最早癖だ。こっちの世界なら寧ろやった方がいいくらいかな。

 

(……潜在能力の塊というべきか。体の芯の奥の奥、ずーっと奥の方に爆発的なまでの可能性を秘めている。あと、一緒にいるとすごく楽しそうだ)

 

 これは人柄だけを見た純粋な感想だが、この人とはただの友達、戦う仲間って言うものよりも、もっと深い関係になりそうな気がする。単純に言えば気が合いそうだ。

 

「……刃でいいさ。俺もベルって呼んでいいかな?」

 

「は、はい!もちろんです、刃さん!」

 

「敬語もさんもいらないって。これからは背中預けて戦うことになるんだから」

 

 そう言って、ヘスティア様の時と同じように右手を差し出す。

 

 俺の言葉と差し出された右手に少々の戸惑いを見せたが、直ぐに表情はさっき見せた屈託のない笑顔に戻り、ダンジョンに潜ってきて汚れた手をズボンである程度拭ってから、俺の右手をがっしりと掴んだ。

 

「分かった。これからよろしく!刃!」

 

「ああ。これからよろしく、ベル」

 

 それが、俺たち【ヘスティア・ファミリア】最初の三人の出会いだった。

 

 そしてこの二人、天道刃とベル・クラネルが、未来永劫語り継がれる伝説となる事を、彼らは知らない。




刃を転生させた女神とダンまちの神々が繋がっていたっていうネタがやりたかった。


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ダンジョン

今回はサクサクっといく前菜的ダンジョン攻略です。いきなり強敵出現でレベルアーップ!は流石に面白くなさすぎるしね。

と、今更ですが主人公の容姿設定。

身長180cm 体重75kg

髪型 日の呼吸の剣士と同じ(山で髪切るのが途中からめんどくさくなって、前髪以外伸ばし続けた結果)。髪の毛が少し赤みがかっている。

目 どっちかというと吊り目より。大きさ的には日の呼吸の剣士と炭治郎を足して2で割ったくらい。瞳の中が少し赤みがかっている。

装備 上に黒い着物、下が深い緋色の袴。その上に村のおばちゃんから貰った太陽の刺繍が入った黒い羽織を羽織っている。履いているのは転生直後から愛用している草履。

日輪刀。技を使う瞬間に色が変わる特殊な刀。もちろん描写していないだけで、雷や水のエフェクトも出ている。エフェクトは書いたり書かなかったりなので、そこは想像で。

まあこんなもんでしょうか。ちなみに主人公は赫灼の子設定です。語彙力ないから、後は皆さんのご想像にお任せします。


 そして、オラリオで二回目の朝を迎えた。ワクワクを抑えきれず早朝からずっと起きていて寝たふりをしていた俺は、ベル達が起きる頃合いを見計らって飛び跳ねるように起き上がって、直ぐに羽織に袖を通す。

 

「よしっ!早速ダンジョンに行くぞベル!」

 

「まずは冒険者登録だよ。刃」

 

 秒速で出鼻を挫かれた。そういえば結局昨日は神の恩恵(ファルナ)を刻んでもらって、俺の身の上話を話して終わっちゃったんだった。

 

「そうだった……じゃあ、ギルド行くか」

 

「うん。そういえば昨日刃は、誰に受付してもらったの?」

 

「えーと……確かミィシャさんって人だな。ピンク色の髪した人」

 

「ミィシャさんか。それなら僕のアドバイザーと仲良しで信頼できる人だから、その人にアドバイザーになってもらうといいよ」

 

「アドバイザーか……」

 

 昨日ベルから聞いた単語だ。というよりも前世でけっこう聞いたことのある単語だが。新米冒険者へのダンジョン攻略の手引きから、冒険しすぎた冒険者を叱ることまで、その冒険者に親身になって助言をくれるありがたい人のことらしい。曰く、ベルも担当アドバイザーのエイナさんという人に何度か怒られたことがあるそうな。

 

 他にもいろいろな事を教えてもらいながら歩いて行くと、これまたいつのまにかギルドにすぐそこに見えてきていた。すると、入り口のところで掃き掃除をしていた、メガネをかけたハーフエルフ?の職員さんがこちらに「おーい」と手を振ってきた。この行動からして、恐らくあの人がベルのアドバイザーというエイナさんだろう。身体的特徴も一致しているし。

 

「おはようベル君。朝早くからギルドに来て、どうしたの?」

 

「おはようございますエイナさん。今日はこの刃の冒険者登録をしに来たんです」

 

「はじめまして。天道刃と申します。以後お見知り置きを」

 

「ご丁寧にどうも。ベル・クラネル君のアドバイザーをやらせて頂いている、エイナ・チュールと申します」

 

 そう言って社交辞令のお堅い挨拶を済ませると、エイナさんが「あっ!」と言って、何かを思い出したような表情で尋ねてきた。

 

「あなたが昨日ミィシャが言ってた子ね。すっごい強そうな佇まいしてたのに、冒険者じゃなかったどころか恩恵さえ授かってなかったおかしな人」

 

「お、おかしな人ですか……。その節は結局営業妨害をしただけになってしまって、迷惑かけてすいません」

 

「いえ、気にしないで。そういう人は確かに珍しいけど、全然いないってわけでもないから。何処かの誰かさんだってその一人だし?」

 

 そして、エイナさんがニヤニヤしながらベルの方に視線を向ける。ベルの方は少し頰を赤く染めて、「あはは……」と力なく笑った。

 

(ああ、そういえばベルもちょっと前に冒険者になったばかりなんだっけ)

 

「エイナー、事務処理手伝ってー……お!来たんだねヤイバ君!もう二、三日は放浪してると思ってたよ!」

 

 俺たちが入り口の前で談笑していると、ミィシャさんが乗り込んできた。ミィシャさんは仕事疲れでヘトヘトの顔をしていたと思ったら、俺を見つけると即座に顔の明るさが戻った。

 

「ミィシャさん。おはようございます。運良くヘスティア様に拾ってもらえまして」

 

「《ヘスティア・ファミリア》に入ったの!?良かったねベル君!友達できたじゃん!」

 

 そう言ってベルの両肩を掴んで揺さぶりまくるミィシャさん。なんというか、この人は人生を楽しんでるな。当のベルは顔を赤くしながら「あうあう」と言っているが。

 

「あ、あのミィシャさん。冒険者登録をお願いできますか?」

 

「おっ!そうだったね。じゃ、パッパと済ませちゃおっか!」

 

 そう言ったミィシャさんに連れられて、昨日のように受付へと進むと、受付には一枚の紙が置かれていた。

 

「まあ冒険者登録って言っても簡単なものだよ。ただ所属のファミリアを書いて、名前書いてLevel書いて終わり。多分ダンジョンについて大体のことはベル君やヘスティア様から聞いてるよね?」

 

「はい。ダンジョンは上層、中層、下層、深層に分かれてて、深くなるにつれて必要な強さもましていくってことくらいは」

 

「ま、だと思ってたよ」

 

「ベル君だしね」

 

「え」

 

 ベルから聞いたことをそのまま伝えると、何故かベルが呆れられた。

 

「それ自体は間違ってないよ。でも説明が雑すぎ。そんなんじゃダンジョン潜って秒で死んじゃうよ?」

 

 そう言って、ミィシャさんはダンジョンの略地図的なものを取り出した。

 

「全部説明すると長くなるから、上層の説明だけしよっか。

 上層は確かに冒険初心者、Level1御用達の階層のことを指すけど、Level1であれば上層全部を歩き回っていいってわけじゃないんだよ」

 

 ミィシャさんが略地図上の上層の上の方を指した。

 

「Level1で行っていい最大の階層は12階層まで。

 1〜4階層は本当に初心者中の初心者向けの階層。ステイタスI~Hくらいあればいけるとこ

 5~7階層はG~F。8~10階層はE~C。11~12階層はB~S。そこから先は中層で、もうLevel2の領域。まあステイタスSなんかいってたらその頃にはもうLevel2になってるだろうけどね」

 

 ミィシャさんの説明にエイナさんが続く。

 

「区切りの階層を超えると、モンスターの強さも急に上がるのがダンジョンの怖いところ。自分の強さを過信して深いところに行き過ぎると、すぐに死んじゃうよ」

 

 ふむ。なるほど。これに当てはめると俺とベルは1~4階層で冒険するのが適切なわけか。

 

 まあ、本来ならそれが適切なんだけど……。

 

「あの、ミィシャさん」

 

「ん?どうしたヤイバ君。何か質問かい?」

 

「俺、アビリティ超補正と階位昇華(レベルブースト)スキル持ってるんですけど、どの辺が適正ですか?」

 

「「・・・・・・・・・・・・はひぇっ???」」

 

 なんというか、ドン引かれた。

 

 ────────────────

 

「ついに!やってきたぜ、ダンジョン!!」

 

 ギルドでの一悶着を終えて、俺は無事冒険者登録を終えてベルと共にダンジョンにやってきた。ちなみにミィシャさんからは、

 

階位昇華(レベルブースト)や超補正なんてのがあっても自分の強さにあった階層に行くこと!冒険者は冒険しちゃいけない!これ鉄則!』

 

 というお言葉を受けた。まあベルもいる事だし、我慢するか。

 

「ほら、はしゃいでないで。モンスター来たよ!」

 

 ベルの言った通り、俺たちの進行方向から、一匹のモンスターが迫ってきた。確かあれは……コボルトだっけか。

 

 敵の姿を確認して、腰の刀を抜く。

 

「見てて。僕が手本「全集中──」を」

 

【水の呼吸 肆ノ型 打ち潮】

 

「見せ……」

 

 蒼色に輝く刀は波が打っているかの如く揺らめきながらコボルトの首に滑り込み、コボルトの頭を切り落とした。

 首のなくなったコボルトは体が崩れだし、灰のようになって辺りに散り、紫色に輝く小さな石を落とした。それを拾って眺めてみる。

 

「へー……これが魔石か。随分綺麗なんだな……って、どうしたベル?」

 

「……僕が初めて倒した時は五分はかかったのに」

 

 ベルが拗ねてしまった。

 

「フロッグシューターだ!あいつは中距離から舌で攻撃してくるから、少しずつ間合いを詰めて……」

 

「それなら俺らも中距離から一瞬で決めればいい」

 

【雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃】

 

「ダンジョン・リザードだ!あいつは壁や天井を縦横無尽に駆け回って攻撃する!奇襲に気をつけて!」

 

「なら俺も壁を走ればいい!」

 

【水の呼吸 玖ノ型 水流飛沫・乱】

 

「ゴブリンの群れだ!落ち着いて処理していかないと袋叩きにされる!」

 

「一気に始末すればいいだけだ!!」

 

【水の呼吸 参ノ型 流流舞い】

 

 次々と現れるモンスターを片っ端から倒していっていると、いつの間にか魔石を入れていた袋からずっしりと重みを感じるようになってきた。

 

「調子に乗ってだいぶ深いとこまで潜っちゃったな。これ以上いったらミィシャさんに叱られちまう。戻ろうぜ、ベル……ベル?」

 

 そうベルに問いかけても、ベルはいじけたように体育座りをして聞いてくれない。

 

「困ったな…………ん?ベル、あのモンスターなんだ?」

 

「え?1~4階層に出るモンスターはもう全部見たはずだけど…………」

 

 そう言って振り向いたベルが左から六匹、右から四匹の合計十匹のモンスターを見ると、顔を青ざめさせた。

 

「き、キラーアントだ……普通は7階層で初めて出てくるはずなのに、なんで4階層なんかに」

 

 戸惑いながらも立ち上がって腰からナイフを抜くベル。背中合わせになり、敵だけを見て会話する。

 

「俺が六匹の方を相手するから、ベルは四匹の方を頼む」

 

「分かった。潜ったばかりの刃に多く任せるなんてちょっと複雑な気分ではあるけどね」

 

 軽く笑い合った後、心の帯を締め直す。ベルはもちろんのこと、小規模でも群れをなしていれば常中で強化されたステイタスでも難しい戦いだ。

 

 二人の胸に初めて不安が生まれた。だけど、ベルはそれが分かっていても俺を信じている。もちろん俺も、ベルならやれると信じている。

 

 お互い背中合わせになっているはずなのに、向き合って会話をしているかのように心が通じ合う。

 

 深呼吸をすると、呼吸を通して心が完全に同調したような気になった。

 

「じゃ、さっさとぶっ倒すとするか」

「うん、行こう」

 

 俺たちは、それぞれの敵に向かって走り出した。

 

 敵に向かって全速力で走りながら、全集中の呼吸で空気を取り込む。

 

(六体程度で一箇所に集まっているなら、全て一発で倒す!)

 

 日輪刀が蒼色に輝き、走る刀が水の軌跡を描き出す。

 

【水の呼吸 肆ノ型 打ち潮】

 

 揺らめくような青い波が六体のキラーアントに襲いかかるも、傷はついたが致命傷は与えられていない。

 

(俺の剣技でもダメージが与えられない硬度……ステイタス的な問題はあっても、呼吸を使って斬れないなら上層にいていいモンスターじゃない。必ずどこかに弱点があるはず)

 

 そう考えて、キラーアントを分析する。すると、キラーアントの体のところどころに気配が色濃く映る箇所があった。そこは、人間で言うところの関節に当たる場所だった。

 

 そして、俺の刀から六匹目のキラーアントまで一本の糸が走る。

 

「──見えた」

 

 その糸は俺と刀を強く引いて、俺の刀は一匹目のキラーアントの甲殻と甲殻の隙間に吸いこまれる。

 

【水の呼吸 壱ノ型 水面斬り】

 

 振り切った刀の勢いをそのままに、次は横並びの二体のキラーアントに向けて糸が引く。

 

【水の呼吸 肆ノ型 打ち潮】

 

 そして最後。着地した後、倒れるほどの前傾姿勢になり、左手で的への焦点を合わせて右肩を限界まで引き絞る。そして、直列に三匹並んだキラーアントに向かって、右足で地面を強く踏み切った。

 

【水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き】

 

 矢のように高速で放たれた突きは三匹全ての首を貫いて、その息の根を止めた。

 

「……ふぅ。匂いじゃなくて気配察知だけど、見えるんだな、隙の糸」

 

 さて、こっちはやった。あとは頼むぜベル。

 

 ──────────────

 

「ハァッ!!」

 

 ベルは、自身の高い敏捷を最大限発揮した最初の特攻で、混乱に乗じて既に二体のキラーアントを始末し終え、残りの二体を纏めて相手取っている。

 

 なんとか攻撃を凌ぎつつ関節の隙間からダメージを与えていくが、中々距離がつまらない。

 

(刃はもうトドメに差し掛かってる。なら、こっちも早く倒さなくちゃ。ここでやらなきゃ、一人で仕留めなきゃ)

 

 刃が来る前に、自分に課せられた使命を全うすることを固く決意する。それは何が引き起こすものか。

 先輩冒険者としてのプライド?否。後から来たものに追い抜かされる焦り?否。

 

(任された分も倒しきれないなんて、カッコ悪すぎるだろ!!)

 

 ただ一人の冒険者の、吹けば飛んでしまうような『意地』と『駄々』だ。

 

「はあああああ!!!!」

 

 雄叫びをあげることで、己の士気を極限まで高め上げる。

 

「ギギィィ!!」

 

 キラーアントが左側に生える二本の鉤爪でベルに襲いかかる。

 

 ベルは自慢の敏捷を活かして鉤爪の後ろ側に回り、ナイフを逆手から順手に持ち替え、二本の鉤爪の甲殻と甲殻の間から露わになった肉に向かってナイフを振り下ろす。

 

「ギィィィィィ!!!!」

 

 振り下ろされたナイフは二本の鉤爪をキラーアントの体から切り離し、痛みに悶えるキラーアントが上を向いて耳をつんざくような雄叫びをあげる。

 

(やっぱり地獄みたいに痛い時に上を向いてしまうのは、生物の本能だ)

 

 だが、ベルの頭にはそれも計算に入っている。生物は大きな痛みを受けた時、何故か上を向いて現実から逃げてしまう。それが知性のないモンスターであるなら尚更だ。

 

 戦いを経験し、敗走を経験してきたからこそ出来る見通し。

 

 首が上を向いたことで、顔の甲殻と胴体の甲殻の間に大きな隙間ができた。再びナイフを順手から逆手に持ち替えて、首の肉を目掛けて一直線にナイフを突き刺す。

 

「ギィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!!!!!!!!」

 

 キラーアントが一際汚い高音を上げ、塵となって消えていった。

 

(まだだ!!ここからが本当の勝負。キラーアントは危険になると仲間を呼ぶ。最後の一匹は速攻で仕留める!!)

 

 瞬時に最後の一匹に意識を移し、キラーアントの周りをグルグルと走り回って敵を撹乱しつつ、鉤爪の隙間の肉にダメージを与えていく。

 

 そして、二本目の鉤爪を切り離したところでそれは来た。

 

 キラーアントがベルから飛び退き、息を吸う動作を始める。仲間を呼ぶ気だ。

 

「ギィィ「させるかよ!!」ガギ!?」

 

 だが、敏捷だけに限っていえばベルはキラーアントに勝るとも劣らない。

 

 飛び退いたキラーアントにすぐさま飛びかかり、仲間を呼ぶ雄叫びを上げる前に口にナイフを刺して発音を阻害する。

 

(しまった、ナイフを使ったからトドメをさせない!)

 

 飛びついた後のことを全く考えていなかったベルは、この先の始末を考えて焦った。

 

 だがそれもお構い無しにキラーアントは残った鉤爪でベルに襲いかかる。

 

「ベル!!これを使え!!」

 

 少し遠くでもう一つの群れの相手をしていた刃から声が聞こえてきた。そちらに顔を向けると、こちらに向かって一本の白銀の刀が投擲されてくる。それも、普通なら反応できない速度で。

 

 それでもベルはキラーアントの肩を踏み切り、上空を通る刀の柄に飛びついた。

 

「刃!!力借りるよ!!」

 

 初めて使う刀でも、刃を通して使い方は理解出来た。

 

 両手で刀を握り、落下しながら首の肉に狙いを定める。

 

「はあああああああああ!!!!」

 

 刃の思いものせた日輪刀は、その刀身が輝くことがなくとも、一閃でキラーアントの首を切り落とした。

 

「やったな、ベル」

 

「うん。ありがとう、刃」

 

 こうして二人のダンジョン探索最初のハプニングは、わりかしあっさりと幕を閉じた。

 

 

 ──────────────────────ー

 

「……で?調子に乗って二人して7階層まで降りて来たと?」

 

「………………はい」

 

「で、でも神様!お陰でこんなにお金が貯まって!今夜はこのお金でどこか外食でも「問答無用だあああああ!!!!!」あっちょっ神様ぁ!!」

 

 金袋を持ち上げて冷や汗ダラダラで弁明を試みたベルに、ヘスティア様からの容赦のないヘッドロックが炸裂する。

 

「ベル君っ!!君はまだ一番高い敏捷でもアビリティHだろっ!!それなのにそんな深いところまで降りるなんて……自殺しに行ったのかい君は!!」

 

「ごっごめんなさい!!反省してます!!だから首はっ!エイナさんにも絞められまくったのでこれ以上はっ!!あ、あと胸がぁっ!!」

 

「へ、ヘスティア様。どうかそのくらいで勘弁してやって「君もだぞ刃君!!」へっ?」

 

 ベルに対するヘッドロックを続けながら、俺に向かってヘスティア様がビッ、と指を指した。

 

「君が強いことは分かっているが、日本という安全な土地で育って来た上に最初のダンジョンなんだ!何かあったらどうするつもりだったんだ!?」

 

 そう言って、ヘスティア様はベルをヘッドロックから解放して、ベッドにちょこんと座って大きくため息をついた。

 

「過保護と思われるかもしれないが、君たちはこの世にたった二人しかいないボクの大切な子供達なんだ……」

 

 ヘスティア様が、今度は優しく、俺たち二人の体に手を回して、キュッと抱きしめる。

 

「頼むから、どこにもいかないでおくれ……。ボクを一人にしないでおくれ……?」

 

 先ほどとは打って変わって弱々しくなってしまったその声に、俺たちの心の中に大きな罪悪感が生まれた。俺とベルは顔を見合わせて、抱きしめられた状態のままヘスティア様に囁いた。

 

「すみません、神様」

 

「もう無茶はしないし、ヘスティア様を一人にすることは絶対にしません」

 

「……分かってくれればいいんだ。さ!ディナーにしようか!今日は質素な食事でいいから、貯まったそのお金は君たちの装備新調に使ってくれ!」

 

「「はい!」」

 

 そうして、俺たち《ヘスティア・ファミリア》は、ちょっとだけいい食材を使った俺の作った料理とけっこういい酒を振舞って、楽しい宴の時間を過ごした。

 

 そして疲れが溜まっていた俺とベルは、ステイタスの更新中にベッドの心地よさに吸い込まれ、ステイタスを見ることなく深い眠りについた。

 

 ただ一人、ヘスティア様を除いては。

 

「こ、これが……刃君のスキルの力……」

 

 ──────────────────────

 

 天道刃 Level1

 

 力:I0→G271

 

 耐久:I0→G243

 

 器用:I0→F307

 

 敏捷:I0→H186

 

 魔力:I0

 

 気配察知:E

 [スキル]

 

 〔全集中の呼吸〕

 

 発動条件:剣と連動して剣技を発動した時にのみ効果発動。

 

 効果:瞬間的階位昇華(レベルブースト)

 

 〔全集中・常中〕

 

 〔全集中の呼吸〕を行なっている間常に発動。力、耐久、器用、敏捷の習熟速度、上昇率大アップ。力、耐久、器用、敏捷に超補正。

 

 ──────────────────

 

 全アビリティ熟練度、初上昇値トータル1000オーバー。前世の全ての人間を見てきたような大女神ですら震えさせた少年の才能は、今世でもその門出に少々大きすぎる爪痕を残した。




おまけ

「な、なんだい刃君!この美味しい料理は!?」

「ただの塩で焼いた魚ですよ。結構良質なのを選びましたけど」

「嘘つかないでよ刃!それだけでこんなに美味しくなるわけがない!」

「数年間炭を焼いたり料理しまくった熟練の技だ。料理は火加減!」

刃が作った料理は極上のうまさだったそうな。


ちなみに刃の熟練度の上昇率がこんなに高いのは、ヒグマを倒した潜在経験値も貯まってたからです。まあそれでもトータル100程度の加算だったと思いますが。


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開戦

「ハァっ、ハァっ、ハァっ、ハァっ」

 

 額から流れ出る血が左目に入り、視界すらも朧げになってきた。

 

 それでも、対峙している金色の少女の、透き通るような碧眼から目をそらすことはない。

 

 またもや俺と少女の鼓動が同調し、全く同じ想いを宿す。

 

 お前には、絶対に負けられない。

 

 なぜ、こんなことになっているのか。話は少し前に遡る……。

 

 ────────────────────

 

 

「え?4階層以降に行ってもいいんですか?」

 

 俺たち《ヘスティア・ファミリア》の面々は宴を終えた次の朝、ベルとダンジョンに潜るための支度をしていると、あれだけ叱られた後の昨日の今日で、衝撃のカミングアウトを食らった。

 

「うん!今回のステイタス更新で、チートスキルの刃君は言うまでもないけど、ベル君のステイタスも高いものがGやFに届き始めたからね!止める理由もないし、ウォーシャドウやキラーアントとかの新米殺しに気をつければ二人で問題なく攻略できる範囲だよ!」

 

 ヘスティア様の言葉に、思わずハイタッチをしてしまう俺とベル。正直昨日の時点で既に7階層は十分攻略できていたため、4階層までだと少し物足りないと思っていたところだったのだ。

 

「ただし!深く潜りすぎてしまうことは本当にダメだからね!攻略出来たとしてもゆくゆくは自分の首を絞める事になるんだから!」

 

「分かりました。この首に深く銘じておきます」

 

「いや首を絞めるって物理的な意味じゃないと思うぞ?」

 

 ベルは昨日の二連ヘッドロックが恐怖として染み付いているようだ。まあ、それほどまでに目が本気だったもんな。特にエイナさん。

 

「ま、うんと稼いでくるがいいさ!二人とも軽装すぎて耐久が心もとないしね!」

 

「で、でも、たまには神様に質素な食事じゃなくて美味しいもの食べさせてあげたいです」

 

「ボクは昨日みたいな食事で結構さ!むしろ毎日刃君の料理でも…………ジュルリ」

 

 昨日の光景を思い出したのか、ヨダレが垂れそうになるヘスティア様。どうやらベルの粋な計らいよりも、俺の料理が勝ってしまったようだ。

 

「じゃ、行ってきますねヘスティア様」

 

「うん!行ってらっしゃい、ベル君!刃君!」

 

 ……今日は急ごしらえのじゃなくて、もっといいもん作ろうかな。

 

 ────────────────

 

 コボルトの群れをベルがちょこまかと動き回りながら処理していくのを、離れたところで周辺に湧くモンスターをちょこちょこ狩ったりベルの方に流したりしながら眺める俺。

 

 今日のダンジョン攻略は主にベルの経験値稼ぎだ。俺のステイタスは常中の影響か異常に習熟スピードが早いから、ベルに多く狩らせても結局上がり幅は同じだろうという考えだ。

 

「刃!少しとりこぼした!」

 

【水の呼吸 肆ノ型 打ち潮】

 

 ベルが用件を伝え終わる前に技を発動し、向かってくるコボルトの首を一匹残らず切り落としていく。

 

「もう片付けた。いちいち申告しなくてもいいから、存分に戦ってくれて構わないぞ」

 

「……やっぱりチートすぎだよ、そのスキル」

 

 向かってくるコボルトを薙ぎ払いながらベルが言った。

 

「死ぬほど修行して打ちのめされて手に入れた力なんだ。それ相応の強さがなきゃ貰い損だよ」

 

「貰い損……?なにそれ」

 

(やっべ!)

 

 思わず口から零れた失言を抑えるように、口元を両手で封じる。ベルは俺が日本という遠い国で育ったと思っていて、異世界人だとは知らないんだった。まあ知られてどうこうということはないんだけど、色々と説明がめんどくさいからいいや。

 

 そしてなんやかんやあって、5階層に到達。

 

 同時に周辺の気配察知を開始する。今まではただ目に入る範囲の人物の気配や強さがわかる程度の特技だったのだが、発展アビリティとして発言したコイツは、ダンジョンの暗闇の中でも、本来の俺の視界にちょっとでも姿が映る敵の気配を瞬時に察知し、分析するというものに生まれ変わっていた。

 

 そして、俺はそいつの存在に気が付いた。

 

 上層にいるモンスターにしてはとてつもなく大きく、そして荒々しい気配を纏ったモノ。明らかに範囲外であるところから気配を感じるあたりが、それの異質さを物語っていた。

 

(……ベルがいたら対処しづらいな)

 

「ベル、この辺は別に危険なのとか群れとかはいないから、俺は向こうで自分の経験値稼ぎしてくるよ」

 

「分かった。僕はここで定点狩りしてるから、終わったらまたここに戻ってきて」

 

「了解」

 

 ベルからの許可を貰って、悠々と歩き出す。決して、ベルに悟られないように。

 

「……もう見えないな」

 

 ベルが視界から完全に消え去ったことと、戦闘音が聞こえなくなったことを確認して、呼吸をコントロールする。

 

 全身に均等に送り届けている酸素の配合を崩して、最低限必要なところ以外の酸素を全て足に送る。

 

 そして、まだ視界には入っていないが、はっきりとした気配で居場所を知らせるそいつに向けて狙いを定める。

 

(全集中──)

 

【雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃】

 

 その瞬間、俺はダンジョンを駆ける雷光となり、気配の正体を一撃で穿つ…………ことは出来なかった。

 

 ギャリィィィン!!

 

「ッッッッ!」

 

 声にならない叫びを心中で上げ、ビリビリと強く痺れる右腕を左手で押さえる。

 

「ふっざけんなよ牛野郎……モンスターのくせに大太刀なんか装備しやがって……!」

 

 目の前に佇む緋色の二本立ちの牛を睨みつけて、痺れをこらえるためにギリギリと歯噛みしながら言った。

 

明らかに第5階層にいるモンスターとしては異質な気配。そして筋骨隆々な見た目と、二本の足で自立している、胴体だけで見ればがっしりとした人型という印象を持たせるシルエットを、首から上の完全なる闘牛フェイスがそれをぶち壊す。前世でもゲームから神話まで、色々なところで聞いたり見たりする機会の多い想像上の生き物を、実物で見られる日が来ようとは。

 

ギリシャ神話にて現れる、人身頭牛の怪物、ミノタウロス。

 

それは、人間の両手でしか持てないサイズの大太刀を軽々と片手で持ち上げて肩に担いで威嚇をしてみせた。

 

(なんってパワーだ・・・あの大太刀は切れ味こそなさそうだけど、食らったらヤバそうだ)

 

心で紡いだ言葉に、「だがな」と続けて、痺れの収まった右腕から左手を離し、そのまま刀をギュッと握る。

 

「お前は俺に勝てない」

 

 そして、俺の日輪刀は、深く蒼い輝きを放ち、闘牛……ミノタウロスの振るう大太刀を迎え撃つ。

 

【水の呼吸 参ノ型 流流舞い】

 

 流流舞いの掴みどころのない足運びでミノタウロスの大太刀を受け流し、体制が崩れたところでアキレス腱に一発入れようとする。だがミノタウロスの装甲は厚く、衝撃と小さな切り傷で一時的なダメージは与えられたものの、大きなダメージは与えられていない。

 

(足取りで回避と攻撃を両立出来る流流舞いは攻撃を防ぎながら近付けるけど、その分攻撃の単純な威力がたりない)

 

 コイツを仕留めるためにはまずコイツの体制を崩して剣が使えない状況にして、今俺が使える技の中でも威力の高い技、水面斬り、水車、雫波紋突き、滝壷、霹靂一閃のどれかを当てるしかない。

 

 だが、攻撃範囲の狭い雫波紋突きや、当てられる状況がかなり限られている滝壷は使えないと考えていいだろう。

 

 メインで戦いを構築する軸は、水面斬り、水車、霹靂一閃の三つだ。

 

 そう決まってしまえば、戦いの構築は速い。

 

【水の呼吸 肆ノ型 打ち潮】

 

 地面にしっかりと踏ん張った状態から、打ち潮による連続攻撃を足に加えていく。先程と違って地面を踏ん張って力が逃げないことと、攻撃寄りの打ち潮を連続で叩き込んだ事で、傷はつかずともミノタウロスの声色からダメージが伝わったのが分かる。

 

 追撃の気配を察知して瞬時に上に1メドルほど飛ぶと、気配の通りに飛んだ直後に大太刀が俺に向けて振るわれた。だがそれは虚空を切るだけに終わり、勢いをそのままに地面に突き刺さった。

 

 そしてミノタウロスに防御手段がなくなり、肢体の全てがガラ空きになる。目の前の闘牛の首と俺の腕が並行の位置になり、突然に辺りがスローモーションになった。

 

 ここは、空中でも高い威力の出せるあの技だ。

 

(全集中──)

 

【水の呼吸 壱ノ型 水面斬り】

 

 蒼色の水の軌跡が文字通り水面を描き出し、同心円状を水平に走ってミノタウロスの首へと迫っていく。だが、刀がミノタウロスに届くかと思われたその刹那、ミノタウロスが俺の視界から消えた。

 

「ヴォアァ!!!」

 

 ドゴォン!!!!

 

「ガッッ!!!」

 

 それと同時に、腹部に鈍く重い衝撃が響きわたる。上方向に吹っ飛ばされた体をスローモーションの視界を逆に利用して瞬時に立て直し、超高速で飛ばされる体をダンジョンの天井にまともにぶつかる前に剣を構え、天井ギリギリで技を放って受身をとる。

 

【水の呼吸 捌ノ型 滝壷】

 

 水の呼吸屈指の攻撃力を誇る滝壷を吹っ飛ぶ力とは反対方向に放つことで、衝撃はゼロを逆に通り越し、勢いとして生まれ変わった力でミノタウロスから一旦距離を取る。恐らく全集中の呼吸の階位昇華(レベルブースト)と常中の超補正、昨日のステイタス更新で上がった耐久力がなければ内臓やあばらをいくつか持ってかれていただろう。

 

(隙の糸が見えなかった時点で仕留められないのは分かってたけど、あいつ予想以上に速い……!)

 

 その上、デカイ図体に似合わず攻撃の単純な速さ、そしてサイクルスピードが速い。

 

 これが推奨レベル2、中層のモンスターの強さ。上層のモンスターとは全てが違う。

 

(だけど、ついていけない速さじゃない)

 

 呼吸を整え、ミノタウロスに向かって走り出す。

 

「ヴォォォ!!」

 

 ミノタウロスの間合いに入った瞬間、そいつは構えていた大太刀を振り回し始めた。だがそれは同時に、俺の剣も奴の攻撃に届く範囲に入ったということ。

 

【水の呼吸 参ノ型 流流舞い】

 

 繰り出される大太刀と拳のコンビネーション攻撃を、流流舞いの足運びで受け流し、回避して背後に回り、ミノタウロスを間合いに入れる。 ミノタウロスが振り向く前に刀を上段に構えると、刀が失いかけた輝きを取り戻し、刀から先ほどの流れる波のような音とは違う、激しく打ち付けるような荒々しい音が響き始める。狙うのはもちろん、先程から執拗に狙い続けた足、厳密に言えば二本足の動物が立つために必要不可欠な筋肉の集約点()()()()()をめがけて。

 

【水の呼吸 捌ノ型 滝壷】

 

「ヴォォォオオォォ!!!!!!!」

 

 両の足を同時に斬り落とされた事により、ミノタウロスが階層全体を震わせるような断末魔を上げながら、大太刀と拳を最後の悪あがきと言わんばかりに振り回し続ける。ミノタウロスの素早さから繰り出されるそれは、Level1の俺からしたら十分「攻撃のバリア」だ。

 

 腕を振り切って滝壷の威力が無くなる寸前に踏ん張っていた足を浮かせ、今まで地面に流していた力を全て自分に跳ね返して、その力で強引に攻撃のバリアから離脱する。5メドルほど離れたところで着地し、一度刀を鞘に収める。

 

「……そろそろ終わりだ、ミノタウロス。お前の敗因を教えてやる」

 

 今までより深く、大きく息を吸って全集中の呼吸を発動させる。そしてステージが一つ上がった俺の目は、攻撃のバリアの中に生まれる無数の隙の内の一つに狙いを定めた。

 

 そして、鞘に収められた日輪刀へ、ミノタウロスの首から糸が伸び、それは刀に届いた瞬間、ピンと張った。

 

「俺に、剣で挑んだ事だ!!!」

 

【雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃】

 

 正に、刹那の一閃。雷の如く走った一閃は、ミノタウロスの首を切り落とした。

 

「ふぅ、討伐完了。うおっ!なんだこれ、ミノタウロスの角……?ドロップアイテムって奴か?」

 

 ダンジョンに潜ってはじめてのドロップアイテムが中層モンスターからっていうのもおかしな話だが、今世に来てはじめてまともに攻撃食らわせられた相手だし、記念に持っとくか。換金しなくても、装備を作るための素材とかにもなるらしいし。

 

 そう考えて、ベルの待つ狩り場まで歩いていく。つーか、もしかしたらさっきの断末魔でベル気付いてんじゃねーか?もしかしたら逃げ出してるかも…………いや、流石に声だけでそれはないか。

 

「もしベルも襲われたりしてたら別だけどな」

 

「あははははは」と独り言を呟きながら歩く。なぜこんなにも一人で呟きを上げていたのかは分からないが、この呟きが、この後に起こった全ての出来事のトリガーだったのかもしれない。

 

 ────────────────────ー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戻ってきた狩り場に、ベルの姿は無かった。刃の体から冷や汗が溢れ出す。

 

(気配察知!!)

 

 刃は気配察知のスキルを使って、ベルの気配を瞬時に見つけ出す。だがそこには、刃とは比べものにならないほど遥かに強い気配を放つ者がベルと共にいる。

 

 刃はその気配を察知すると同時に、体の酸素を全て足に集中させて、霹靂に近いスピードでベルの元へ駆けた。

 

「ベル!!!!」

 

 最初にいた場所からはかなり遠くに離れた場所でやっと見つけたベルはへたり込んで血まみれになっているが、怪我はないようだ。ベルの前に塵になる直前のミノタウロスの死体が転がり、それを挟んで金色の髪の少女が対峙している。

 

(なんだ、ミノタウロスに襲われたのを助けてもらったのか)

 

 刃の状況判断能力は、瞬間的にその場の全てを分析した。

 

「刃!!」

 

 ベルが刃の名を叫んだ事で、悠然と佇んでいた金髪の少女も刃の方向を向いた。

 

「…………なんで」

 

 二人の剣士の目がお互いの目を見据えた時、二人の奥深くに眠る、別々の感情が呼び起こされた。

 

二人は瞬時に剣を構え、互いに向かって走る。

 

「「ッッ!!!」」

 

 ギャリィィィィイィィィイィイン!!!!!!!!!

 

 二人の剣が接触した時、刃の剣とミノタウロスの大太刀が接触した時や、ミノタウロスの断末魔が比べる対象にすらならないほどの衝撃波が辺りに響き渡った。

 

 そして、二人の鼓動が同調し、全く同じ思いを宿す。

 

 お前には、絶対に負けられない。




両者らしからぬ行動ですが、理由はあります。


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不可能を可能へ

 刃とアイズの剣は動くことがなく、鍔迫り合いが続く。これは本来ならばお互いの実力が拮抗しているという事を表す……が、刃とアイズの実力は天と地という表現を超えるほど格が違う。それでもこの少女は鍔迫り合いに応じている。これは、何かを話す、話に応じるという意思表示だ。

 

「……アンタ、何者だ」

 

「アイズ・ヴァレンシュタイン。君こそ、何者」

 

「天道刃だ。アンタのその力、それは本当の力か?」

 

「そう。全部私が私の手で掴んだ力。強くなるために、手に入れた力」

 

「……ハッキリ言わせてもらう。アンタは邪魔な存在だ」

 

「……それは、君も同じ」

 

 そして、対等な時間は終わる。

 

 鍔迫り合いの状況からアイズの剣が一気に力を増し、刃の剣は右下に流される。密着していて勢いをつけられない状況だったということは、これは単純にアイズの力だけで行っている所業。

 

 鍔迫り合いが終わったということは、お互いの胴を間接的に防御する壁となっていたものがなくなったということ。

 

 もしこれが剣道の試合であったならば、逆に敵の竹刀を封殺して隙を作り、それをついて一本取る、ということ刃なら出来たであろう。

 

 だがこれは試合ではなく、文字通りの真剣勝負。そして目の前にいるのは、常識の範疇を軽々と飛び越えるような強者。考える暇などあるはずもない。

 

 刃は身の危険を気配察知よりも早く直感で感じ取り、刀をある方向に向け型の形を作る。そして気配察知に引っかかる気配を感じ取った時には既にアイズの蹴りが刃の脇腹に深く突き刺さっていた。

 

 ズガァン!!!!

 

「ゴブッ!!!」

 

 圧倒的なレベル差から繰り出された蹴りによって、視界に映ることすらない速度で頭からダンジョンの壁に激突する刃。

 

 ギリギリで技を発動させる型をとり、全集中の呼吸の階位昇華(レベルブースト)の効果で踏ん張りと耐久力を上げて受け止めてもなお衝撃は消えない。技で受身を取るよりも力の方向を変えた方が激突した時の衝撃を緩和できると考え、蒼く光る刀を壁に向けて振り抜く。

 

【水の呼吸 肆ノ型 打ち潮】

 

 咄嗟の発動で威力が万全には程遠い打ち潮でもなんとか方向転換だけは成し遂げ、衝撃をいくらか壁に受け流して頭の左側から壁に衝突した。

 それでも勢いが完全に消えるまで壁を擦り付けられながら進み、壁の鉱石が剥き出しの額の皮膚に突き刺さって刃の肉を抉りとる。

 

 数メドルほど進んだところでようやく勢いがなくなり、壁を離れて着地することが出来たが、額を襲う痛みに耐えられず膝をつく。

 

(なんだよこの重い攻撃!呼吸を発動してなきゃ確実に肋骨三本は持ってかれてたぞ!)

 

 額から溢れ出る血が左目に流れ込むが、額の痛みが大きすぎて痛みを感じない。

 

 両手両足は激しく震え、意識すらも飛びかける。

 

 既に失いかけた視界からアイズを見れば、剣を刃に向けながら目を使って「これで終わりか」と訴えている。

 

 落ち着痛イけ追撃痛イがく痛イるぞ集中痛イして見極め痛イれば一矢報いら痛イれる諦めるな痛イ俺はできる痛イ必ず倒す痛イんだ俺痛イがた痛イなきゃ痛イこい痛イは痛イクソ痛イに痛イむし痛イま痛イ…………

 

『君なら、大丈夫』

 

 痛みに思考を蝕まれ、正常に働かない脳に何かが語りかけてくる。

 

『技の可能性を引き出すの。君なら、ううん、違う』

 

 その声は刃の心を何度も跳ね返り、反響し、聞いたことのない声のはずなのに、刃の体は一切拒絶せずに浸透していく。

 

『君だから、君にしかできない力』

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!!!」

 

 ミノタウロスにすら劣らない雄叫びを上げながら、刃は地面に額を強く打ちつける。

 

 その影響で額にはまた新たな傷が付いた。だが不思議なことに、刃の体に付いた全ての傷から()()()()()()()()()()

 

「……何、それ」

 

「全集中の呼吸・常中の止血術だ。直感でやってみたが、案外上手くいくもんだな」

 

 アイズの問いかけに答えながら、刀を杖にして立ち上がる。

 

 血が止まったことを利用し神経を誤魔化して痛みを帳消しにし、手足の震えは止まり意識も元に戻った。

 

「……まだ、やれるってこと、だよね?」

 

「そういうことだ。こっからは一味違うぜ」

 

 両者とも、相手の瞳からは絶対に目を背けない。

 

 そして、二人が同時に動き出す。

 

 ドンッッッ!!ガギィィン!!!

 

 二人が地面を蹴ったのとほぼ同時に剣同士が衝突した音と衝撃波が巻き起こる。そしてまたさっきのように、右足での蹴りが刃に迫る。一見先程と全く同じ攻防に見えるが、刃が言ったように、この攻防は先程とは一味違う。

 

 刃からすれば捉えることすら難しいアイズの蹴りを、刃は自身の左足で防いでみせた。しかも今度は更に蹴りに合わせて後ろへ飛び、力を完全に受け流した。

 

(私のスピードに、ついてきてる……?)

 

 さっきまでは反応することすらままならなかったアイズのスピードに、刃は近付いているのだ。

 

 無論、刃のステイタスは1たりとも上昇していない。アイズが刃に同情してスピードを緩めたなんてことがあるはずもない。

 

 それなのにアイズのスピードに近付く術があるとすればそれはただ一つ。今まで幾度となく刃を救ってきた全集中の呼吸。そしてアイズと同レベルにまで動きを高めている秘密は、そのコントロールにあった。

 

 今の刃は、普段常中で全身にめぐらせている酸素を足と目に集中させている。階位昇華は起こっていなくとも、霹靂一閃の雷のような速さには到達せずとも、刃のスピードはアイズのスピードにすら匹敵していた。

 

 さらに、目に関わる全ての器官の能力を呼吸で底上げする事で、普通なら当たるまで視界の端に映る事すらないアイズの動きを微かにだが捉えている。体に当たる前に気配を感じるか視界に一瞬でも映れば後は刃の戦闘センスでどうとでもできる範囲内。

 

 不可能を可能にする技。それが全集中の呼吸だ。

 

 それから数秒の間に、何十もの攻防が行われる。アイズの突きを刃が刀で受け流し、刃の放つ地面スレスレの水平蹴りをアイズが躱し、そこからアイズが繰り出す剣と蹴りのコンボを刃が落ち着いて対処する。仕切り直しからここまでの戦いで両者が負ったダメージは共にゼロ。

 

 だが数十回の攻防の中で、アイズは気付いていた。

 

(……動きからして強化されたのは足、敏捷だけ。他の部位は逆に弱くなってる)

 

 アイズは仕切り直しから今まで、一歩引いて戦っていた。それは刃の全アビリティが自分に匹敵、もしくは凌駕している可能性があったからだ。敏捷が自分に追いつくほどの成長が他のステイタスにも反映していたとなれば、不壊属性(デュランダル)のデスペレートといえど、サーベルと刀ではどちらに分があるかは自明の理。更にもともと刃のステイタスの中で頭一つ抜けていた器用と力でアイズを上回られていたかもしれなかった。だが、強化されたのが敏捷だけだと言うのならもうそれを考慮する必要はない。

 

 それを見抜いたアイズは、一歩引いたところから、連撃で距離を一定に保つスタイルから、わざと攻撃を誘ってカウンターを狙うスタイルに戦闘をシフト。刀を振りかぶる刃に焦点を合わせてカウンターを狙う。

 

 ……そして、その構えを見た刃が、今まで全く見せなかった笑みを浮かべた。

 

「待ってたぜ!!この時を!!」

 

 瞬間、これまでずっと白銀の色を保っていた刃の刀が蒼く輝き始める。確実に当てられると確信できる瞬間まで打たず、ここまで隠し続けてきた呼吸の剣技を発動させた。

 

【水の呼吸 壱ノ型】

 

「水面斬「そこまでだ!!!!」なっ!!?」

 

 完全に技の発動まで仕掛けていた体を、急に背後から何かに羽交い締めされる。

 

「何をやっている貴様!!何故アイズを狙った!!!」

 

 ギリギリ動かせる範囲で首と眼球を動かすと、刃を羽交い締めにしている緑髪のエルフが怒りで血管を浮き出しながら刃に激昂している。だが刃に反論をさせる気は無いのか、ギリギリと締める強さを上げていく。このまま絞められ続けたら落ちるのも時間の問題だ。

 

「おい待てリヴェリア」

 

 そこに、対峙しているアイズを羽交い締めにしている狼人が助け舟を出した。

 

「ここに来るまでに聞いてた感じだと、そいつがアイズに特攻かけてたのも確かだが、襲われてた感じじゃなかった。寧ろ自分からも向かってった感じだ」

 

「……事実か、少年」

 

 狼人の話を聞くと、緑髪のエルフ、リヴェリアは刃を解放した。一応刃に確認を取ってはいるが、狼人の言及でほとんど信じたようだ。

 

「……はい。といっても、俺の証言が信用されるのかは分かりませんが」

 

「ならば、起こった全容について教えてもらえるか。君の語れる範囲でいい。特に戦いの間、アイズがどの様な様子だったかを詳しく」

 

「それなら敵の疑いが晴れない俺に聞かずとも、そこにいるベルとかでいいんじゃ……」

 

「ベル……?もしや、そこで倒れている赤い少年のことか?」

 

 リヴェリアが向く方向を刃も見ると、そこではミノタウロスの血を浴びて全身が真っ赤に染まって倒れているベルの姿があった。

 

 ……うん、ベル、もう少し強く生きてくれ。

 

 

 ──────────────

 

 

 一応アイズがまた暴れだしたりしないようにという正論とアイズが面倒を起こした時の処理をベートに任せる(丸投げする)ため少し離れた岩陰で刃がリヴェリアとの話を終え、ベートとアイズの元に戻ると、いつの間にかアイズは眠りこけていて、ベートも横になりながら、ふわぁと呑気にあくびをしている。

 

「ベート、貴様ここがダンジョンだと分かっているんだろうな」

 

「上層に俺らが怯えることなんざねーよリヴェリア。つーかテメーの尋問が長すぎんだよ。ましてダンジョン潜ったあとなんだから誰だって眠くなるわ」

 

「人聞きの悪い言い方をするな。単なる事情聴取だ」

 

 そう言って、リヴェリアは気持ちよさそうに寝ているアイズを起こさないようにおんぶして、同じように寝ているベルをおんぶしている刃の方を向いて言った。

 

「今回のことはアイズに話を聞いた後、私が主神ロキに説明しよう。二人の証言に齟齬がなければ君たちにはお咎めなしで終わらせてくれるはずだ」

 

「ありがとうございます。お手数かけて申し訳ございません…………え?には?」

 

 背中に寒気が伝い、うっかり呼吸での止血を一瞬解いてしまう。

 生前優等生のお手本のようで、周りにもそれほど大きな問題を起こす奴がいなかった刃は失念していた。生徒が他校の生徒や学外で起こした問題は、先生も何かしらの責任問題がついてまわると。

 様々な文化の違いはあれど、その法則はここ、オラリオでも同じことらしい。何かあるとしてもどうせ自分で責任をとるだけだと思いこんでいた刃は、主神であるヘスティアに迷惑をかけることになるとは全く考えもしていなかった。

 

 目に見えて狼狽える刃を見て、リヴェリアがフッと笑って言う。

 

「心配するな。ロキと神ヘスティアのちょっとした喧嘩の材料になるだけだ。どうせ会ったら喧嘩する二人なのだ。実質何も無いのと同じようなものだ。それに、事が事ゆえ、ロキも小突きあい程度で終わらせるだろう」

 

「そうですか……ありがとうございます」

 

 そしてベートも含めた五人でダンジョンの階段を上がっていき、地上に出たところでここからはそれぞれの帰路につくこととなる。

 

「色々とご迷惑におかけしました。リヴェリアさん、ベートさん」

 

「なに、気にするな。特にベートは何もやっていないしな「んだとババァ!」ベート、後で覚えておけよ?」

 

 ベートの死刑が決まった。

 

「ウチのアイズからも仕掛けたということなら私達が君を責めることはできん。詫びる必要は無いさ。それより、君はまずギルドに直行したまえ。出がらしの治癒魔法で細菌感染は防いだが、その額の傷はかなり深いぞ」

 

「そのつもりです。ついでにベルを洗わなきゃいけないんで」

 

「そうか。では、私達はここで失礼させてもらう」

 

「はい。お世話になりました」

 

 そうして、刃達はギルドへ向かうため、リヴェリア達はホームへ戻るために真逆の道を歩き出す。そしてリヴェリアと刃がすれ違った瞬間、静かに言葉を交わした。

 

「──────────────ー」

 

「────────────」

 

 そして、いつの間にかお互いの姿は見えなくなっていた。

 

「くっそ、戦闘終わったら急に傷が痛み始めてきやがった……」

 

 額の傷を左手で押さえながら呟く刃。

 

(さっき言ってた通り傷はあくまで感染防止の薄皮張っただけだからな……。常中止めりゃ血がダラダラでこんなの一発で剥がれちまう)

 

 更に、今の刃は無茶な呼吸の使い方でいつも以上に身体を酷使したせいで疲労もピークに達している。

 

「はぁ、はぁ、ベルが自分で歩いてくれたら、ちょっとは楽なんだけどな…………」

 

 そんなことを呟いても、背中で失神しているベルはビクともしない。「こいつ気持ちよさそうに寝やがって……」と悪態をつきながら、ギルドへの最後の角を曲がる。

 

 すると、昨日とエイナと同じように入口で掃き掃除をしているミィシャの姿を見つけた。それを見つけて、刃の足取りが少しだけ軽くなった。そして、ミィシャもまた満身創痍の刃達を見つけて、刃達の元へ駆け寄る。

 

「はぁ、ミィシャさん……良かった、手間が省ける……」

 

「ヤイバ君!?ベル君!?どうしたの一体!!?まさか、また深いところに潜ったんじゃ」

 

「はぁ、はぁ、詳しいことは、はぁ、後で、話しますから……後のことは、お任せします…………」

 

 最低限のことだけ言い残して、刃はギルドの入口近くで倒れ伏し、長い眠りについた。

 

「えっ、ちょ!!?ヤイバ君!!ヤイバく──ん!!!!」

 

 

 

 ──────────────ー

 

 

 

「ロキ、入るぞ」

 

「おーうリヴェリアー。ええでー」

 

 場所は変わって、ロキファミリアのホーム。

 

 リヴェリアは事後報告に、自身の主神の部屋を訪れた。

 

「リヴェリアーお前も一杯どやー?」

 

 許可を確認してリヴェリアが部屋に入ると、都市最強派閥の一角、《ロキ・ファミリア》主神などという肩書きを持っているとは思えないほど酩酊しているロキがそこにいた。

 

「ロキ。真面目に聞け。今日、ダンジョンで不可解なことがあった」

 

「おーうおもろい話かいなー!今度は何があったんやー?聞かせてーなー!!」

 

「アイズと《ヘスティア・ファミリア》の冒険者とで衝突が起こった」

 

「…………なんやて?」

 

 先程までの泥酔いっぷりは消え去り、鋭い眼差しで言った。第一級冒険者をも凌ぐようなこの威圧感こそが、主神ロキの本来の姿とも言えよう。

 

「あのドチビ、なんて奴を眷属にしよったんや。ウチのアイズたんに襲いかかるような野蛮な命知らず、そうはおらんで」

 

「その点について、不可解なことがもう一つあるのだ」

 

 自身の宿敵であるロリ巨乳の悪態をついていると、リヴェリアの話はまだ終わっていなかったようで、ロキはそっと押し黙った。

 

「アイズからもその冒険者に向かっていったらしい。これはベートの耳で聞き取った事実だ」

 

「なんやて!?アイズたんが?なんで?」

 

「……それについて話すべく来たのだ、ロキ」




はい、というわけで二話構成になったアイズとの邂逅編終了です!戦闘描写ムズいし誤解されないような言い回しを考えなきゃいけないし伏線散りばめるのも中々大変だし、そういうこと全部しながら早く書ける人ってスゲーなっていつも思います。

ちなみに、ベルが失神してた理由は最初の衝突の時の衝撃波に耐えられなかったせいですね。


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目覚め

 遠くから声が聞こえる。

 

『今はまだそこでいい』

 

 知っているようで知らない、知らないようで知っている、そんな声。

 

『君なら必ずここまで上がってこれる』

 

 その声は、なぜだか俺の心を焚きつける。

 

『来て、ここまで。そして、私と……』

 

 そしてその瞬間現実の意識が覚醒し、同時に何か言おうとしていたその声が、途中で途切れた。

 

 ホームの景色と傍らで寝ているヘスティア様を確認して、ムクリと体を起こす。どうやら俺はベッドに寝かされていて、ヘスティア様が看病してくれていたようだ。

 

「……なんだったんだ?今の」

 

 疑問が残ったままの消化不良感は否めないが、まずはベッドの横で椅子に座ったまま器用に寝ているヘスティア様を起こすことにする。

 

「ヘスティア様。起きてください。風邪ひいちゃいますよ」

 

「……ん〜?ああ、刃くん……。おはよう…………刃くん!?起きたんだね!!体は大丈夫なのかい!!?」

 

「はい。なんともないです」

 

「そ、そうか。良かった〜…………」

 

 大きく息をついたヘスティア様がへなへなと座り込む。

 

「長い間寝ていたんだからお腹がすいているだろう?ボクが何かこしらえるから、君は顔を洗ったりして待っておいてくれ」

 

「いえ、俺がやりますよ。迷惑をかけたお礼です」

 

「いいんだよ。君は凄い戦いを切り抜けてきたんだろ?ボクだって君ほどじゃないが料理は得意なんだ。大体の下ごしらえは済ませてあるし、任せておくれよ!」

 

 そう言われながらヘスティア様に背中を押され、そのまま料理をしに行ってしまったので、ベッドから降りて洗面台へと向かう。

 

 蛇口から出した水を手のひらに汲んで、何回か顔にバシャバシャと打ち付けると、冷たい水でまだ残っていた眠気も吹き飛び、意識がハッキリとしてきた。

 

 びしょ濡れになった顔をタオルで吹いてから鏡を見ると、自分の顔を見てあることに気付いた。

 

「あ……この痣……」

 

 額の左側に、血のような赤色で痣が出来ていたのだ。この場所は確か、ヴァレンシュタインに蹴り飛ばされて、ダンジョンに擦り付けられて肉が抉り取られた場所だったはず。

 

「……すまない。ギルドでの治療に加えて買える分のありったけのポーションを使ったんだが、他の怪我は完璧に治ってもその傷だけは痣が残ってしまったんだ。万能薬(エリクサー)でもあれば治せたのかもしれないが……」

 

「いえ、ヘスティア様が謝らないでください。痛みは全然ないし、寧ろそこまでしていただいて、本当に嬉しい限りなんですから」

 

 そう言いながら、額の痣に手を当てる。

 

「この痣は、未熟な俺の戒めにします。この痣に誓って、もう絶対にヘスティア様やベルを心配させません」

 

「……そう言ってくれて嬉しいよ。大切な子どもが丸一日も寝てて、ボクはすっごく心配したんだから、なっ!」

 

 そう言いながら、ヘスティア様がキッチンから出てきて、中世ヨーロッパのような景観のオラリオでは珍しい、お粥をテーブルに置いてくれた。

 

「極東の療養食なんだろ?タケミカヅチのやつから聞いたのさ。たーんとお食べ?」

 

「ありがとうございます!あぁ、懐かしい味だなぁ……」

 

 修行してる時にたまに風邪気味になった時は、よくおっちゃんの奥さんが作ってくれたなぁ。それにしても、ヘスティア様ってこんなに料理うまかったんだな。

 

「第一級冒険者のアイズ・ヴァレン某君と戦ったんだ!疲労が溜まっていてもおかしくないよ!」

 

「はい!アイツ本当に強くて強く……て……」

 

 全身から血の気が引いていくのが容易に理解出来た。

 

 ヘスティア様の方を見ると、引きつった笑顔の裏に、まるで鬼神の如きオーラ……というか、鬼神が見える。なんだろアレ、スタンド?

 

「食べたね?刃くん、ボクのつくったオカユ、食べたね?それを食べたからには、吐くこと吐いてもらうよ〜?」

 

「いや、ヘスティア様。これには少し複雑な事情があると言いますか、最悪の事態を想定すると今ここで話すのは不味いと言いますか……」

 

 可愛らしい見た目をしていても神の圧力というものはやはり凄まじく、喋らなくていいことまで喋ってしまう。

 

 そしてそれを見逃さず、ヘスティア様は眉をピクっと動かし、鬼神オーラを引っ込めた。

 

 恐らく、脅しとか一切無しで俺と対等な立場で話すためだろう。

 

「それはどういうことだい?主神…………いや、家族(ファミリア)であるボクにまで隠す必要があるほど、秘匿性の高いものなのかい?」

 

 ヘスティア様は真剣に俺を見つめる。俺にはその瞳の中に、不安と寂しさを抱えているように見えた。

 

 当たり前だ。ヘスティア様は主神であり、家族なんだぞ?他のファミリアの赤の他人と自分の家族、どっちが大切かなんて明白だ。やっぱりヘスティア様とベルには今すぐ話すべきだ。それで状況が悪くなろうと知ったこっちゃない。

 

 …………だが、しかし。

 

「ごめんなさい、ヘスティア様。今はどうしても言うことはできません」

 

「…………はぁ~~~。だと思ったよ。ボクの子(キミ)は関係の深さの違いなんかで優しさの優先度を変えるような、そんな子じゃないってね」

 

 さっきとは打って変わって、大きなため息を吐きながらも、俺への信頼を前面に押し出した声で、そう言った。

 

「だけど刃くん。一つだけ確認させてくれ。

 

 

 

 ……それは、誰かを助けるためなんだね?」

 

 なんだ、改まって聞かれたと思ったら、そんなことか。

 

「はい。それだけは誓います。俺の命と、主神ヘスティア様に」

 

 そして、最後に一番大事なものに誓う。大好きで、失いたくなくて、命に変えても守りたいと思える、俺を救ってくれた人達。

 

「俺の家族、ヘスティアとベル・クラネルに」

 

「……そうか。ならいいんだ!じゃあ……ほい!」

 

 ヘスティア様が座っていたソファの横から、俺の刀と羽織を取って差し出した。

 

「どうせ止めても行くつもりなんだろ?全く男の子ってやつはしょうがないんだから!でも病み上がりなんだから、無理はダメだぜ?」

 

「……はい!俺に使ったポーションの分の資金、稼いできます!」

 

 羽織を受け取って身につけ、刀を腰に差して、オラリオの街へ飛び出した!

 

 ──────────────ー

 

 

 

 文字通りの丸一日寝ていたようで、オレンジ色に染まった夕暮れの空をバッグに最繁盛の時間帯になった商店街は大賑わいを見せている。

 

 連なる屋台郡(主にじゃが丸)の誘惑に耐えながら歩いていくと、向かいから見慣れた白頭が歩いてくるのが見えた。

 

「おっ、ベルだ。おーい!ベルー!」

 

「あっ!刃!!起きたんだね!!」

 

 俺の姿を見つけたベルが、俺のもとに駆け寄ってくる。

 

「ダンジョン帰りか?」

 

「うん。今ギルドで換金してきたとこ。アビリティが上がって、楽に倒せる敵が多くなってきたよ」

 

「あ、やっべ。バタバタしててステイタス更新してもらうの忘れてた」

 

 やっちまったと嘆く俺を見て、ベルがピクっと眉を動かした。

 

「刃、もうダンジョンに行くの?」

 

「ああ。まずはギルドに行ってからだけどな。多分帰りは深夜になる」

 

 俺がそう応えると、ベルは迷ったような顔を見せたあと、軽く微笑んで言った。

 

「……まあ、神様からも色々言われただろうし、僕が言える立場でもないしね。でもほんと、無理だけはしないでね。刃なら「悔しいから徹夜で特訓だー!」とか、安易に想像できちゃうから」

 

 痛いところを疲れてしまって、思わず「うぐっ」と声が出てしまう。

 

「おう、ありがとよ。あとベルお前、血まみれで俺におんぶさせてベットベトにしたこと忘れてねえからな」

 

 俺と全く同じモーションで胸に手を当てて「うぐっ」と小さく声を上げるベルを横目に、ハハハと笑いながら手を振ってギルドの方へ歩いていく。

 

(それにしても、昨日はミィシャさんの目の前でぶっ倒れたから、迷惑かけちゃっただろうな)

 

 そんなことを考えながらちょうどギルドへの最後の角を曲がると、ミィシャさんが掃き掃除をしている姿が見えた。

 

「早速見つけた。ミィシャさーん!」

 

 既に見なれたピンク頭を見つけて、小走りでそこまで向かおうとする。

 

 すると向こうもまた俺を見つけてくれたようで、両手を広げながらこちらに小走りで向かってくる。

 

「ヤイバく〜〜〜〜ん!!」

 

 二人共が小走りでお互いに向かっていっているため、かなり長いはずの距離がどんどん縮まっていき……いや待て、ミィシャさん全速力でこっち来てないか!?

 

「ミ、ミィシャさん、ご無沙「どりゃあ!!!!」」

 

 そして、ミィシャさん渾身のラリアットが戻ったばかりの意識を根元から刈り取った。

 

 

 

「全く、私がもし冒険者だったら怒りでうっかり君を殺しちゃうところだったよ」

 

「いや、嘘ですよね?絶対あなたステイタス持ってますよね?」

 

 そうじゃなきゃこの今も喉に住み着いている痛みの説明がつかない。

 

「しょうがないでしょ。傷だらけの血だらけで帰ってきたの思ったらいきなり倒れられて、丸一日以上目が覚めなかったんだから」

 

「返す言葉もありません……。その節は、本当にお世話になりました!」

 

 テーブルを挟んで向かいのソファに座るミィシャさんに、テーブルに額が激突する勢いで頭を下げる。

 

「もういいよ、過ぎたことだし。モンスターと戦って倒れるなんて冒険者にはよくあることだもん。生きてるんなら問題なし!」

 

「は、はい……。寛大な心に本当に感謝して……って、え?」

 

(ミィシャさん、俺がヴァレンシュタインと戦ったって知らないのか……?)

 

 実際考えてみれば当たり前のことだ。一連の事情を知っているのはあの場にいた中で失神していたベルを除いて、俺、リヴェリアさん、ベートさん、ヴァレンシュタインの四人だけ。あの日俺はギルドについた瞬間ぶっ倒れたし、ギルドに向かった時にリヴェリアさんたちがついてこなかったという事から、わざわざホームに帰った後にギルドに報告に行くとは考えにくい。他の神との交流もあるヘスティア様が知っているのはともかく、ミィシャさんにそれを知る術はなかったのだ。

 

「で?今日は何をしに来たの?わざわざお礼言うためだけに来たわけじゃないんでしょ?」

 

 ……この人絶対心読むスキルとか持ってるよ。ところどころ冒険者の片鱗が見える。

 

「……アイズ・ヴァレンシュタインについて教えてください」

 

 俺の言った言葉にキョトンとした顔で俺を見つめた後、右手で軽く口を押さえてクスクスと笑い始めた。その行動に、今度はこっちがキョトン顔になってミィシャさんを見つめた。

 

「君たち、本当に兄弟みたいだよね」

 

「え?君たち?」

 

「その質問、今朝方ベル君もしてたよ?」

 

 なおも笑い続けながら言うミィシャさんが語る事実に、脅威のシンクロからくる少々の驚きとおかしさから俺まで吹き出してしまう。

 

 元々相性がいいとは思っていたけど、そんなとこまで一緒になるなんてな。

 

 そんなことを考えていると、ミィシャさんは立ち上がって様々な文献などが保管されている書庫へと入っていった。何か資料でも探しに行ったのだろうか。

 

 そして数分ソファで刀の手入れをしていると、書庫からミィシャさんがパタパタと音を立てて戻ってきた。

 

「おまたせ。ヴァレンシュタイン氏について書かれた本を探してたんだ。《ロキ・ファミリア》所属の第一級冒険者で、『剣姫』の二つ名を持つlevel5。……なんて、こんなしょぼい情報を貰いに来たわけじゃないんでしょ?」

 

 ミィシャさんが、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

 その表情に少し照れくさくなって、苦笑して顔を逸らしてしまう。

 

「……はい」

 

(ふふっ。ただの戦闘狂かと思ってたけど、案外ちゃんと男の子してるじゃない)

 

「じゃあ、手始めに好きな食べ「使う剣技から教えて貰えますか?」……ん?」

 

「それと得意な間合いとか、あとフィニッシュによく使う技とか…………いつもだったら戦いながら分析できるんですけど、実力差が大きすぎて、恥ずかしながら事前情報がないと戦えないんですよね〜」

 

 そう言って、恥ずかしさから顔が火照り、誤魔化すように頭をポリポリとかく。

 

 その様子を見ていたミィシャさんは、遠い目をしてこう思ったそうだ。

 

(……ああ、してたの、男の子じゃなくて漢だった……)

 

 まあ考えてみれば当然なのだが、俺の所望しているようは情報はここにはなかった。




ゴミみたいに短いですが、今回は私の生存確認とちょっとしたネタ回的な感じって事でここまで。(戦闘回が思いつかなくて来週再来週までかかりそうだったとか言えない)

それと遅くなりましたが、台風の被害にあった関東、東北のいち早い復興と、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

2020 3/24 追記
急いで書いたとはいえ、今読み直すと心配させたヘスティアに一切なんの悪気もなく逃亡する刃は、私の描く天道刃という主人公とかけ離れいたので改変させて頂きました。勝手ですみません。


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幻惑の霞

おまたせしましたあああああああーーーーーーー!!!!!!!!
受験が終わり、志望校に合格し、入学説明会も宿題も終わり!ようやく投稿することができましたああああああ!!!!!
ここまで待っていただき、時には応援メッセージもいただき、全く投稿していない間にもお気に入り数は400近く増え!ほんっとうに嬉しい限りです!!
これからは少しはゆっくりできる時間が増えるので、頑張って投稿しようと思います!!
しかしながら、志望校がなかなか留年する確率が高いところなので、投稿ペースはかなり遅くなると思います。それでも応援してくださるという方は、これからも末永く天道刃の冒険譚を見守りください!

それでは約半年ぶりの第九話、どうぞ!


「さて、様々な追求から逃れここまで辿りついたわけだけど……」

 

 と、一息つきながらも【全集中・常中】の力で目の前のキラーアントの首をひと突き。

 

 こちらの世界に来てからは呼吸の技やらステイタス更新での上がり幅の大きさが大きすぎて実感出来る場面が無かったが、やはり実戦の経験値とは中々侮れないものがある。

 

 実際に戦って得た知識は直接自分の力になるし、一度弱点を見つけ、そこをつけば、次に戦う時には潜在的に弱点箇所への最短ルート、すなわち隙の糸は見えてくる。そして何より、

 

(一度戦った相手の行動パターンは、簡単に読める)

 

 そうして、視界に入ってきたキラーアントが鎌を振り下ろす前にバックして軌道を外れ、首をまたひと突き。これで周辺にいた奴は一通り倒したので、刀を引き抜いて鞘に収める。

 

「……ダメだな。この辺の階層じゃ、これ以上のレベルアップは見込めなさそうだ」

 

 何度もここにきていることで、ここいらの敵は視界に入った瞬間に仕留められるようになってきた。

 

 もう少し高いレベルの敵とやりあいたいもんだけど……欲を言えばこの前のミノタウロスくらいの。

 

 

《なら楽しませてあげるよ》

 

 

 その声とともに、今までに感じたことのない悪寒が背筋を伝った。

 

(殺気!?しかも速い……!)

 

 背後に感じる殺気に応じてすぐさま刀に手を伸ばし、前に跳んで敵と向かい合うように体勢を変える。

 

 着地とともに抜刀するが、そこに殺気の主の姿はなかった。

 

(いない……いやっ、右!)

 

【水の呼吸 捌ノ型 滝壷】

 

 空ぶった刀をそのまま上段に構えなおし、気配を感じるポイントから攻撃が飛んできそうな範囲に、水の呼吸の中でも攻撃範囲がトップクラスの滝壷を繰り出し、それを逆に利用して防御する。

 

(……っいない!)

 

 しかし、流れる水流の奥にも敵はいない。そして、全力で刀を振り下ろした弊害に起こる硬直の間を狙われ、鈍器で殴打されたかのような強い衝撃に見舞われた。

 

「ガッッ!」

 

 壁に向かって勢いよくふっとばされ、地面を数回転がった後、タイミングを見計らって両手を地面につけ前転の勢いで起き上がり、気配の方向に目を向ける。

 

(気配の察知自体はできてた。二度の読み違いに動揺したか……?)

 

 そこにいたそいつは、黒いローブに身を包み、顔に当たる部分に仮面をかぶっていた。フードの中から少し顔を出すロップイヤーのような黒い髪のような毛の毛先だけが薄い水色に染まっている。

 

(外見だけで見れば同業っぽいが……俺がここまでの距離でないとでないと察知できないほどの気配の薄さからして、人型の亡霊的なモンスターってとこか……)

 

 なんだろう、こいつ……どっかで見たことあるような気が……。いや、多分ギルドにあったモンスターについての本かなんかで見たんだろう。

 

 集中のため、刀を下段に構え、一度大きく息を吐く。そして、吸う。

 

「ふっ!」

 

 地面を強く蹴り飛ばし、サイドステップで左右に意識を散らしながら一気に黒ローブ(仮)との距離を詰め、刀を下から上へ切り上げる。しかし黒ローブはそれに反応し、一歩下がってから刀の軌道に重なるように杖を振り下ろした。

 

 カアアアァァァン!!!

 

 ダンジョン内に無機質な音が鳴り響き、鍔迫り合いが始まる。

 

(切れない。見た目的には木製なのに、おかしな杖だな)

 

 呑気なことを考えているが、黒ローブが上から押し付ける体勢なのに対し下から押し上げる体勢で応じているこの状況は完全に不利だ。

 

(迎え撃つのはやめて、受け流して次の攻撃に繋げよう。川を流れる水のように、柔軟に)

 

【水の呼吸 参ノ型 流流舞い】

 

 刀を90度回転させてから斜めに傾け、刀身の上で杖をすべらせる。そこら辺のキラーアントやコボルドであればこれだけで体勢を崩してくれるが、こいつは受け流しに気付き、力の方向を僅かに変えて体勢の崩れを抑えている。

 

(だけど、いかに優れた使い手でも一瞬のブレはあるんだよな)

 

 黒ローブに対して正面に立っていた状態から右足を抜いて横に立ち、刀身の上の杖を弾き、その流れのまま刀を死角の背中側に持ってくる。そして、体勢の変換のために硬直した足へと狙いを定める。

 

 切っ先から銀色の糸がのび、黒ローブの足に刺さった瞬間ピンと張った。

 

(獲った……!)

 

《って、思ったよね》

 

 黒ローブはそう言うと同時に、張ったはずの隙の糸が切れ、姿を消した。

 

(いねえ、消えた!どこへ行った⁉︎)

 

 いや、違う。今重要なのはどこへいったかじゃない、どこを狙うかだ。

 

 今俺は後ろから足を狙おうとしたから大股開いた前傾姿勢になっている。全身の荷重を受け止めているこの前足を狙えば回避不可、当然狙ってくるはずだ。

 

 最も、防御無しならの話ではあるが。

 

(そんなガードしてくださいって言ってるようなとこに攻撃するわきゃねーよなぁ!!)

 

 となれば狙われるのはもう片方の足。今の攻撃を避けた箇所から最短、最速の攻撃方法は、バク転からの杖天空落とし。

 

 無理矢理刀を振りかぶり後ろを向くと、読み通りそこに奴はいた。しかし思考に時間を割いた分、奴の攻撃モーションはすでに終盤。この状態から間に合う技は一つだけ。

 

(まずは間合いの絶対的有利をとる。主力武器を潰す!!)

 

 ギリッギリまで刀を引き絞り、水の呼吸最速の突きを繰り出す。狙うのは、振り下ろされる軌道上のただ一点。

 

【水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き】

 

《流石だね、君なら読むと思ったよ》

 

 そう呟いた後、奇妙で不思議なことが起こった。突きは目算通り、杖の一点を貫いていたはずだった。しかし、杖が刀と重なるその瞬間に、杖が消えたのだ。

 

 瞬間、背中にまたもや鈍い衝撃が走る。

 

(っっ!!!ンだ今の、フェイント⁉︎あんな高精度見た事ねえぞ⁉︎?)

 

 ダメだ、先手からじゃ絶対返り討ちにされる。悔しいけど、技術的には完っ全にこいつが上だ。

 

(なら作戦変更。攻めがダメなら待ちの剣だ)

 

 黒ローブを前にして剣を鞘に収め、居合の体制をとる。

 

「おっもしれえ。この辺にいる奴は狩りつぶしたと思ったけど、まだこんな強いやつがいたとはな!」

 

 目を閉じて黒ローブの動きを待つ。呼吸で体内に入ってくる酸素をコントロールし、聴力を最大まで高める。

 

(気配が感じとりにくいってんなら、僅かな音の変化を聞き取れ……!)

 

 高められた聴力によって周囲の音が克明に浮かび上がってきた。

 

 俺の鼓動、呼吸音、空気の流れ。通常の状態での音を全てインプットする。

 

 そしてここから、違和感をすくい取るフェーズへ。

 

(ローブの擦れる音が複数の方向から聞こえる……。が、音と音の切れ目は存在してる。つまり同時じゃない)

 

 俺の間合いにはいることをためらっているのか、俺がしびれを切らすのを待っているのかは知らないが、黒ローブはまだ攻撃してこない。

 

(違う場所にいきなり現れたように見えても、空気は移動した座標の方向に流れている。よってこれはワープの類でもない)

 

 こいつの意味不明な挙動の原理は、限りなく速い状態と亀のように遅い状態を組み合わせ、位置を錯覚させているのだ。

 

 もし仮に俺がうっすら感じる気配に飛びついたとすれば、またこいつは躱した上で反撃してくるだろう。

 

 ただ、聞こえる限りではこいつのトップスピードは俺よりも遅い。一度でも間合いに入れば、霹靂一閃の餌食に出来る。

 

 とどのつまり、これは単純な心理戦だ。先に動いた方が負ける。

 

 僅かな風切り音の接近に、刀を強く握り直す。

 

 ………………ザッ

 

(入った)

 

 一歩も動かず敵を待ち構えたことは、同時に下半身に大きなタメを作った。酸素を一気に耳から腕に移動させ、山の如き不動の土台から、より強く、速い一閃を。

 

【雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃・静】

 

 光速の刃は美しい弧を描き、切っ先の最長到達点にいた敵を貫いた。

 

「…………は?」

 

 突如俺の中に違和感が現れた。あまりにも切った時の抵抗が無さすぎる。たしかに胴体を切り裂いたはずの刃が、軽すぎたのだ。

 

(体まで亡霊だから通り抜けた……?いや、殴打は紛れもなく物理攻撃だ。となれば!)

 

「残像か!!」

《当たり》

 

 初めと全く同じ構図が出来上がっていた。反射的にステップで距離をとるが、先程とは違い俺の真正面に詰め寄ってきて、手に持った杖をメイスのように扱って攻撃を仕掛けてくる。

 

(くっそ、逐一呼吸で目を強化しないと反応すらできねえ……!!)

 

 上下左右の攻撃に加え、残像を作り出すほどの緩急を使って振り下ろした攻撃が目の前で消えるようにすら見えるフェイントを織り交ぜてくる。その上緩急で攻撃のリズムも一定でない。防戦一方になり、攻撃の圧でどんどん後退していく。

 

《なってないよ君。身体の使い方がまるでなってない》

 

 しかしこの黒ローブは息切れすらしておらず、みるみるうちに壁に追いやられ鍔迫り合いとなる。

 

《そんなんじゃ、せっかくの呼吸の力を殺してるだけだよ》

 

「!!なんでお前が呼吸を知ってる!?」

 

《さあ、自分で考えなよ》

 

 そう言った黒ローブはバックステップをして、また姿を消した。

 

「クソッ!!またかよ!!」

 

《君、才覚はあるんだよ。とてつもなく》

 

「そこか!!」

 

《だから呼吸も比較的速く習得できたし、応用もすぐに飲み込んだ》

 

「はっ!!」

 

《だけど、実戦経験がまるで足りない》

 

 バラバラの間隔を置いて、黒ローブが一瞬だけ現れて多方向から語りかけてくる。

 

 完全に弄ばれている。俺も冷静さが欠けてきているのが自分でわかるし、このままでは奴の思うつぼだ。

 

 となると、ここでふたつの択が生まれる。

 

 一時撤退か、撃退か。

 

 ここまでの戦いで俺は既に一度攻撃を受けているが、俺は思考を凝らした必殺の攻撃ですらやつには全くダメージが与えられていない。

 やつの攻撃に対しても防御で手一杯で、攻撃も容易くかわされてしまうため反撃の目処が立てられない。

 

 どう考えても撤退してギルドへ報告、そして他の冒険者への注意喚起が必要。ヘスティア様にも無理はすんなって言われたんだ。100%、これが正しい判断だ。

 

(……まあ、それは理屈で考えればの話だけどな)

 

 ここまでの戦闘で、俺は二発も背中に攻撃を食らっている。有名な漫画でも言ってたことだ。「背中の傷は剣士の恥だ」ってな。

 

 こんなにも強いやつに出会えたことに俺はワクワクしている。こいつを倒したい、という欲望が全身から溢れ出ているのがわかる。

 

 例え理屈が本当に守らなきゃいけない事だとしても。

 

 本当の望みに気づいてしまったから。

 

 そんな理屈は、捨てていこう。

 

(さて、それじゃあ始めるとするか)

 

 もう一度、深く、大きく、息を吐いた。心に残る不安、焦り、苛立ち、悪感情を全て置いてくために。

 

 そして、息を吸った。これから始まる本当の戦いに、心を着地させるために。

 

(俺の、冒険を)

 

 思考を戦闘モードに切り替える。耳と目の機能を研ぎ澄ませ、次に姿を現したところを捉えることに集中する。

 

「………………っ!!!」

 

【水の呼吸 肆ノ型 打ち潮】

 

 カアアアアァン!!!!!

 

《いい反応だね》

 

 黒ローブの言葉には反応せず、流れるような連撃を繰り出し、反撃の隙を与えない。

 

《攻撃は最大の防御か。でも打ち潮の攻撃力じゃ俺の防御は崩されな……》

 

 とここで、黒ローブは打ち込まれる連撃の違和感に気が付いた。

 

 カン!カキン!!ガキン!!!ガギン!!!!

 

《どんどん威力が増していく……!打ち潮じゃない……!!》

 

 その驚愕した声と表情に、思わずにやけ顔を浮かべながら、内心でその何百倍もほくそ笑んで呟く。

 

(当たりだ)

 

【水の呼吸 拾ノ型 生々流転】

 

 威力とともに強くなっていく衝撃によって、攻撃をさばくのがどんどん困難になっているようだ。

 

(となればここまでの傾向からして、奴は必ず……)

 

 消えた。読み通り。次は恐らく……。

 

「そこだろ!!」

 

 振り返り刀を薙いだ場所に、黒ローブはいた。振り返り様の一撃は生生流転によって強化され、ガードを吹っ飛ばし、黒ローブが初めて隙らしい隙を見せた。

 

 この隙を逃さず、ガラ空きの胴体に一撃を入れる。

 

《やらせないよ》

 

 しかしその一撃が入る前に、またもや黒ローブは姿を消した。そして、周りには無数の黒ローブの姿が出現する。

 

 そこから繰り出される攻撃はただでさえリズムが取りにくいのに、残像からのダミーの攻撃も混ざってより捌きづらくなっている。

 

 最初のうちは気配を読み取って本体の攻撃だけを避けていたが、攻撃の直前で残像と本体が入れ替わる攻撃によってどんどん翻弄されていく。

 

 そして次の瞬間本体を薙ぎ払ったと思った一撃が、無慈悲にも虚空を切った。

 

《これで終わり》

 

 背後からの声と共に、黒ローブが俺にトドメを刺す──────。

 

《……いない》

 

 ──とは、いかなかった。

 

「ハ!やられっぱなしは性にあわないからな!やり返させて貰ったぜ!」

 

 その声に反応して、黒ローブが周りを見渡し、驚愕した。

 

 そこには、黒ローブを轟音をかき鳴らしながら取り囲む光の五角形があった。

 

「俺の基本性能がほぼ全て負けてるのは分かってる……。だったら、唯一優っているトップスピードで勝負だ!!」

 

 霹靂一閃の超連続使用。光速で動く体は、煌めきながら落ちていく流れ星が光の尾を引く現象、流星痕を作り出して黒ローブの周りを周回、包囲する。

 

「さあ、勝利へのカウントダウンだ。もちろん光速だから、しっかり聞き取れよ!!」

 

 今一度刀の柄を握りしめる。黒ローブの姿は九つ。

 

「伍!」

 

 五角形の頂点の一つから発射し、今もなお残り続ける残像を四体かき消しながら二つ次の頂点へ移動する。

 

「肆!」

 

 二発目。さっきとは一つズレた場所から発射し、残像を二体破壊する。残りはあと三体。

 

「参!」

 

 今度はさっきから二つズレた場所から発射し、残りの残像を全てかき消す。

 

「弐!」

 

 四発目は、本体への攻撃となった。しかしこの攻撃は当てるつもりはない。防御用に構えた杖を吹っ飛ばし、完全に防御を不可能にする。

 

 これでこいつには、自分を守る術はない。ガラ空きの胴目掛けて、最後に残った頂点から全力で踏み切る。

 

「壱!!」

 

 打ち出された最後の一撃は、黒ローブの胴を横一文字に切り裂いた。

 

【雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃・流星】

 

 たった一つの轟音から繰り出された五つの斬撃。それにより生じた流星痕は、五角形の中に五芒星を描き出す。

 

 刹那にも満たないほど一瞬の出来事だった。背後で、黒ローブが土に倒れ込んだ音が、決着を告げた。

 

 その音を聞いて、呼吸の過剰使用で疲労がピークに達したのか、足に力が入らず前のめりに倒れ込む。

 

「ッハア、ハア、ハア、ハア、さっ、流石にっ、無理があった、かなぁ。ハア、足がっ、信じられねえ、くらい、痙攣してる……」

 

 呼吸の酷使をしすぎて既に肺もイカれている。しかし、まだ辛うじて腕の疲労はそこまで蓄積していない。死亡確認をしなくてはまだ安心はできない。腕の力を使って、なんとか黒ローブの倒れた場所まで向かう。

 

 胴を半ばから真っ二つにされ倒れた黒ローブからは、生気が全く感じられなかった。それを確認して、ようやく気力を緩めることができた。

 

「ふぅ〜、安心したぁ〜。これでダメだったら、ほんとにどうしようもなかったぜ……」

 

《うん、今のは俺も一本取られたよ》

 

「ぇ…………」

 

 頭上から、聞き覚えのある声が聞こえた。そう、ついさっきまで真正面から切り結んでいて、たった今死を確認したはずの奴の無機質な声。

 

《これなら俺も認めてもいいかな。合格》

 

 そういうと同時に、辺りに深い霧が発生し、瞬く間に景色が見えないほどに辺りが包まれ、俺は意識を手放した……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 

 

 

「…………ぁあ……」

 

 いつもとは違う硬い感触に、目が覚めた。大方寝ぼけてソファから落っこちてしまったのだろうと推測するが、寝起きで朦朧としていた意識が戻ってきて、先ほどまでの記憶を取り戻す。

 

「そうだ!!黒ローブのやつが生きてて、そんで霧が出てきて急に意識が遠のいて……」

 

 起き上がりながらそう推測して、辺りを見渡す。

 

 木の板が貼られたフローリングの床。壁も木の板を合わせて作られていて、所々にある窓は内側に細長い角材を付けて窓からの出入りができないようになっている。俺にとっては、見覚えのありすぎる場所だった。ここまで和風ではなかったが、全体の構造は、ずっと昔、()()()に剣の道を極めんと切磋琢磨した剣道場と同じ。

 

「な、なんだここ…………」

 

 道場の中を見渡していくと、俺に背中を向けている一人の人間の姿が目に入った。

 

 なぜすぐに人間と想像できたかは、その服装ゆえだろう。

 

 手が袖から出てこないほどサイズの合っていない黒い襟詰。ダボっとしたその服装と同調するかのように、その姿からは静かで、緩やかな気配が感じられる。

 

 そして極め付けは、背に描かれた“滅”の字。

 

「起きたみたいだね」

 

 毛先が水色に染まっている髪の毛を揺らし、そいつはこちらを振り返った。

 

 忘れるはずもない。転生前に俺が憧れた鬼殺の剣士、その中でも最も位の高い[柱]の剣士。

 

「さあ、始めようか。君に叩き込んであげるよ」

 

 鬼殺隊の中で最も剣技の才に秀で、初めて剣を触ってからたった二ヶ月で柱まで上り詰めた剣士。

 

「呼吸の使い方、真髄を」

 

 

 鬼殺隊 霞柱 時透無一郎

 




いや、ほんと戦闘シーンの描写は難しい・・・。今回かなり一個一個の描写を丁寧にしてみたのですが、読みづらいとかテンポが悪いと思ったら、感想でお伝えください。

次回がいつになるかはわかりませんが、どうか末長くお待ち下さい。


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憧憬の少年(ベル・クラネル)

新型コロナウイルス問題で世間が大忙しな中、4月からの準備をしながらダラダラといつもと変わらない日常を送っている時に、志村けんさんの訃報を聞きました。

幼稚園生の時に初めてバカ殿を見て、それから時々ある「バカ殿」や「だいじょうぶだぁ」とか、とても楽しく見させていただいていました。そうやって、いつまでも私を笑わせてくれると・・・、そう思っていました。本当に悲しいです。

ですが、この訃報を聞いて、執筆をしなければ、と思いました。今回のことで私を含め、多くの人が今回の事の重大さを理解したと思います。だから1人でも多くの人を、小説を読む僅かな時間であっても家に引き止め、そして少しでも家での退屈な時間を減らしたいと思い、今この小説を執筆しています。

なんともおこがましいセリフですし、私の作品の読者様たちを信頼していないような言い草ですが、どうか許してください笑


これ以上話すのも無粋ですので、そろそろ本編に入っていこうと思います。前回無一郎の登場で引きましたが、今回からモンスターフィリアあたりまではしばらく刃の登場はありません。正確に言うと、起きた刃の登場ですが。


「何ぼーっと座ってんのさ。さっさと構えなよ。鈍間だなあ」

 

 そういって、両手に持っていた木刀のうちの一本を刃の近くに放り投げる。

 

 それに対し刃は、立て続けに起こる驚愕にいまだ困惑して立つことすらできていない。そんな刃を見下しながら、時透無一郎は貧乏ゆすりを始める。

 

「と、時透……?は?え、は?ってか、ここなに?道場?ダンジョンで倒れて……いったいどうなって「ちょっと黙ってくれる?」うわっ!!」

 

 覚醒直後にキャパシティを軽く振り切るレベルの衝撃を受けうろたえる刃。その姿からは、普段の冷静沈着な風貌はかけらも感じられなかった。

 

 しかし、マイペースの頂点に立つともいえるこの男、時透はこの困惑を生み出した張本人であるにもかかわらず、気にせず刃の喉元に木刀を突き付けている。いや、正確に言うと困惑状態の刃のブツブツがうるさくて気に障ったからという余計に質の悪い行動なのだが。

 

「その辺のことは全部終わってから時間に余裕があったら聞くよ。一応外の体は僕の分身が守っているとはいえ、時間がないんだ」

 

「時間がない……?守ってるって、まさか、俺の体ダンジョンに置き去「これ以上俺の話切っちゃダメだよ」」

 

 その瞬間、時透が発する雰囲気の質が変わった。先程までの、マイページで柔らかな雰囲気が、鋭く長く、喉元のただ一点が射抜かれるように刺さってくるものになった。

 

(これが鬼殺隊の……柱……!)

 

「俺が君に教えることは三つある。一つは根本的な剣術。一つはさっきも言った呼吸の根幹的なところのこと。最後に──────」

 

 時透の言葉が耳に入った瞬間、刃の脳内から困惑は消え失せ、体には興奮が迸った。

 

 右隣にある木刀を握りしめ、床にしっかりと足をついて立ち上がる。そして、対面する時透の顔をしっかりと見つめて一言発した。

 

「お願い、します!!!」

 

 その表情は、無邪気な子供のような笑顔に満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここで、視点はまた別の主人公に切り替わる。

 

「ただいま戻りました!神様!」

 

 教会から地下の住処へと繋がる階段を経て、【ヘスティア・ファミリア】最初の眷属、ベル・クラネルは帰還した。

 

 そしてそれを察知していた主神、ヘスティアは、飛びつくようにベルを抱きしめる。

 

「おかえりベルくん!!!聞いてくれ!刃くんが目を覚ましたんだ!」

 

「はい!さっきダンジョンから戻っている時にばったり会いました!」

 

 飛びついてきたヘスティアを離すことも忘れて、今はいないもう一人の家族が無事であった嬉しさを二人で共有する。

 

 ここだけの話、もしかしたら自分が見た刃は幻覚で、本当はまだ起きていないのかも……などという可能性まで考えていたベルは、ひっそりと安堵していたりする。

 

「よし、ベルくん!お腹すいたろう?今スープをよそってくるからソファに座って待っててくれ!」

 

「そんな、いいですよ。僕がやりま「いいって言ってるだろ?ボクが君たちにできることはこれくらいしかないんだからさ!」分かりました。じゃあその分、しっかり稼いで来ますからね!」

 

 張り切ってそう宣言した後、ベルは身につけていた防具を外し始めた。

 

 そこでヘスティアは、一連の流れが刃が目を覚ました直後とほとんど一緒だったことに気付き、クスッと笑い声が零れた。

 

(……全く、ボクの子供たちは孝行息子すぎるよ)

 

 満面の笑みで鼻歌混じりにスープ(お粥に水を足して味を整えたもの)を混ぜている途中、ベルの「アッ!!」という声響き渡った。

 

 それに驚いてヘスティアがベルの方向を見ると、なにやらベルが見知らぬ包みを持ったまま硬直している。

 

「ベルくん?どうしたんだい?」

 

「すみません神様。スープはやっぱりいいので、ステイタス更新の方を先にお願いしていいですか?」

 

 ベルが申し訳ないような笑みを浮かべ、ヘスティアにそう伝えた。

 

 途端、陽気に歌っていた鼻歌は止まり、ヘスティアの女の勘(アホ毛センサー)が反応を見せる。

 

「……あれ?いいのかい?朝からダンジョンに行って、お腹が空いたと思っていたんだけど……」

 

「えっと、実は今朝『豊穣の女主人』って酒場の店員さんにお弁当を貰っちゃって、「その代わり今夜のお食事は是非当店で」って言われちゃったんですよね……。

 半ば無理矢理だったとは言え、そんな風に言われて恩を返さないのは流石に男が廃ると思って、今夜はそこで食事を、と」

 

 ピキっ、と、ヘスティアの心に亀裂が入る音がした。

 

「神様……?どうかしましたか……?」

 

「……なんでもないさ。ほら、ステイタス更新するなら、さっさとベッドへ行くよ」

 

 ドライな雰囲気を醸し出しながらそう言ってスープをかき混ぜるのをやめ、ヘスティアはベルの方を見向きもしないままベッドへと向かう。

 

(まさかベルくんがその辺の女に釣られてボクを捨てるなんて……ボクはショックでたまらないよ、ベルくん!)

 

 がしかし、その内面ではベルの発言に心で憤慨しながら大泣きし、その顔面にはベルを誘った女店員に対する悔しさと憎しみが滲み出ていた。

 

 今更ながらではあるが、神ヘスティアは、自身の眷属であるベル・クラネルに恋心を抱いている。

 例え禁忌とされるような愛であったとしても、その程度の障害で曲がるような半端なそれではなかった。

 だからこそベルが、犬猿の仲とも言える神ロキの眷属、【剣姫】を好きになったことを憎みもするし、ベルを誑かした女店員にも今こうして憤慨している。

 

 その様子を、何か自分の不手際で主神を怒らせてしまったと捉えた(実際そうとも言えるのだが)ベルはあたふたとしつつ、ヘスティアに言った。

 

「……すみません神様。本当は神様とも一緒に行きたいんですが……」

 

「いいさ!気を使わなくたって。呼ばれたのは君一人なんだから、ボクなんか置いて行っちゃえばいいさ!「あっ、いえ!そういうことではないんです!」じゃあどういうことなのさ!」

 

 ベルのご機嫌伺いのような言葉にムカッときて、さっきまでのドライさを保つ気も無くなったヘスティアは、ベルに少々怒気を含んだ声で尋ねた。

 

 その問いかけに、ベルは少し切ないような顔で俯き、小さな声で呟いた。

 

「……刃も、一緒がいいなって」

 

 ベルがそういった時、ヘスティアはハッとして立ち止まった。

 

「確かに最近では、ヘスティア様に美味しいものをごちそうできるくらいに稼げるようにはなってきました。……でも、今日のダンジョン探索で分かったんです。それだけ稼げていたのは、刃のおかげだったって。僕一人の力はまだまだ未熟だって。

 だから、僕だけの力で今と同じくらい稼げるようになったその時に、「僕の奢りだー」って言って、みんなで食べにましょう。だから、それまでは待っていただけませんか……?」

 

 ……ヘスティアがここで「そんなことないよ」というのは簡単だ。しかしヘスティアも、それが優しさではないことは理解している。

 

 再び言うが、ヘスティアはベルのことを愛している。だからベルの願いにはできるだけ添いたいし、何より愛する子どもが精神的に大きく成長しようとしている。それを応援したいというのが親としての愛だ。

 

 二つの愛情を天秤にかけて、私情をとるような神ヘスティアではなかった。

 

「……わかったよ。それならちょちょいとステイタス更新しちゃおっか!ベルくんを女の子を待たせるようなやつにはしたくないからね!」

 

「はい!神様!!」

 

 その後ステイタス更新は恙無く終わり、ベルは申し訳なさそうに笑いながら酒場へと向かった。

 

 ベルが居なくなり一人になったヘスティアは、ベッドに座って更新したベルのステイタスをジッと見つめている。

 

(……にしても、やっぱり異常な成長率だ)

 

 熟練度上昇値トータル200オーバー。普通の新米冒険者の上昇値と比べれば異常であるという他ない。

 

 それだけの上昇率の原因は、ベルに発現したスキルのせいであるとみて間違いないだろう。

 

 ────────────────ー

 

 〔憧憬一途(リアリスフレーゼ)

 ・早熟する。

 ・懸想(おもい)が続く限り効果は持続する。

 ・懸想(おもい)の丈により効果上昇。

 

 ────────────────ー

 

 今朝、ステイタス更新をした時に発現していたスキル。ベルが、自分を助けたアイズ・ヴァレンシュタインに見惚れ、憧れた結果得た「辿り着くため」のスキル。

 

 …………一言で言うとしたら、謎。他のスキルとは、全く似つかない。懸想(おもい)という不確定な要素を有し、明確な効果表記もない。()()()()を除いて、今まで見てきたどのスキルとも根本的に違っている。

 

「全く、ボクの子供たちは異端すぎるよ……」

 

 そう、こんなスキルが発現したのにさほど驚いていないのは、数日前にファミリアに訪れたとあるチート野郎()のおかげだ。その経験のおかげで、今回は冷静な判断ができていた。

 

 ヘスティアは、このスキルの存在をベルには伝えていない。

 

 刃の全集中の呼吸はまだ発動条件が()()()()()簡単な任意発動型という大義名分があるから良かったが、憧憬一途(リアリスフレーゼ)はそうはいかない。

 

 効果が異常、発動条件が異端、細かいところは謎しかなく、深いところは底がしれない。娯楽に飢えた神々がそんなものを目の当たりにすれば、ベルに危険が襲いかかってもおかしくはない。

 

(ベルくんが、周囲から忍び寄る魔の手をたやすく振り払えるくらいになった時、このスキルのことを打ち明けよう)

 

 ヘスティアは、そう心に決めたのだった。

 

 

 

 

 

 ────────────────────────

 

 一方その頃、豊穣の女主人では。

 

「えーっと、これが300ヴァリス、飲み物が200ヴァリスで、持ち金は4400ヴァリスあるけどこの前ポーション爆買いして貯金ほぼ吹っ飛んじゃったから無駄遣いは出来ないし……「ほいっ!」ヒェッ!?」

 

「足りないだろう?今日のオススメだよ!」

 

「いや頼んでないですって!!」

 

「若いのに遠慮しなさんな!」

 

 初めて訪れた酒場の雰囲気に、完全に圧倒されていた。

 

「いかがですか?ベルさん」

 

 そんなオドオドとした挙動不審なベルに、一人の女性従業員が近づいて話しかけた。

 

 彼女の名はシル・フローヴァ。この豊穣の女主人の従業員で、今朝ベルにお弁当を渡した張本人だ。

 

「シルさん……。正直、ダンジョンより活気があって怯えてます……」

 

「フフッ。皆さん一仕事終えたあとなのではしゃいでいらっしゃるんです。直に慣れますよ」

 

 そう言って、シルは酒場の全体を見渡した。

 

「この店、いろんな人が来て面白いでしょう?沢山の人がいると、沢山の発見があって。私、つい目を輝かせちゃうんです。……知らない人と触れ合うのが趣味というか……こころが疼くというか……」

 

「割と凄いこと言ふんでふね」

 

 遠い目でシルを見ながら、ベルは大盛りパスタをズルズルと口へ運ぶ。

 

「ニャー!ご予約のお客様、ご来店ニャー!」

 

 すると突然、ある獣人の従業員が大手を振って、団体の客を招き入れた。

 

 赤髪をポニーテールで纏めた糸目の女性を先頭に、十数人の冒険者が流れ込んできたその瞬間、活気付いた場の雰囲気が一瞬凍った。

 

「お?えっれぇ上玉じゃねぇか」

 

「やめとけって。あの目付き悪いのに絡まれたくねえっての」

 

「バカ、エンブレム見ろ!《ロキ・ファミリア》だよありゃあ!」

 

 一部の冒険者がザワザワと騒ぎ出す中、パスタを咥えたままの間抜けな顔をしたベルの視線は、《ロキ・ファミリア》団員のただ一人に固定されていた。

 

「てこたぁ、あれが剣姫……」

 

 アイズ・ヴァレンシュタイン。幼少の頃から《ロキ・ファミリア》の団員として戦い続け、ランクアップの最高記録をことごとく塗り替えたことにより、齢十六にしてオラリオに何万と存在する冒険者の中でも数少ないLv.5の冒険者としてファミリアの幹部を務める。

 圧倒的戦闘センスと強さ、そして大衆が思わず釘付けになってしまうようなその美貌から、神々から名付けられた二つ名は「剣姫」。

 これからの成長も鑑みれば、間違いなく最強候補の一角となりうる。

 

 そんな第一級冒険者にベルは先日ミノタウロスに追われていたところを助けて貰ったことから、すっかり一目惚れしてしまったのだ。

 

「ベルさん?ベルさーん?」

 

 シルがベルの名を呼んでも、ベルは依然顔を真っ赤にしたまま硬直している。

 

「みんな!ダンジョン遠征ごくろーさん!今夜は宴やぁ!!

 思う存分…………飲めえええええぇぇぇぇ!!!!!!!!」

 

「「「「「「「「「お──う!!!!」」」」」」」」」

 

 主神ロキの号令とともに、団員達はお互いのジョッキをかち合わせ、賑やかに飲み食いを始めた。

 

「《ロキ・ファミリア》さんは、うちのお得意様なんです。彼らの主神、ロキ様がここを甚く気に入られたみたいで……」

 

「へぇ……そうなんですか」

 

(じゃあ、ここに来ればアイズさんに…………)

 

 ベルはアイズに思いを馳せ、密かにこの店に通いつめようと決めた瞬間だった。

 

 

 

 

 ……それからしばらく経って、ベルの食事が終わりかけ、《ロキ・ファミリア》の面々に酒が回ってきた頃。

 

「おい、アイズ!そろそろ例のあの話!みんなに披露してやろうぜ!!」

 

 ロキの眷属の一人、獣人のベートがとっておきの笑い話がある、と語ったようなにやけ顔で話を切り出した。

 

「おいベート。貴様その話は「そっちじゃねーよ!」」

 

「あれだって!帰る途中で逃がしたミノタウロス、5階層で一匹お前が始末したろ!!?そんでほれ!あん時いたトマト野郎の!!」

 

 ベートの話を聞いて、その「トマト野郎」が誰を指しているのか、ベルは瞬時に理解した。

 

「いかにも駆け出しって感じのヒョロくせえガキが、逃げたミノタウロスに追い詰められてよぉ。そいつ、アイズが細切れにしたくっせえ牛の血を浴びて、真っ赤なトマトみたいになっちまったんだぜぇ!!?」

 

「あはは……そうなんだ」

 

 自分の憧れの人の前で辱めを受け、傍から聞いているベルの中で、恥ずかしさや苦しさや悔しさが駆け巡る。しかし、辛うじてこの耐え難い苦痛から逃げ出してはいない。

 

「それでよぉ、その後ちょいと離れたところにミノタウロス狩りにいって戻ってきて見りゃあ、そのガキアイズにビビって気絶しちまいやがってたんだ!!ハァッハハ!!なっさけねえったらねえぜぇ!!!」

 

「……あの状況では、仕方がなかったと思います」

 

「いい加減にしろ、ベート。そもそも17階層でミノタウロスを逃がしたのは我々の不手際だ。恥を知れ」

 

「アアン?雑魚を雑魚と言って何が悪い!?」

 

 ズボンの裾を握って、ぐっと感情を抑え込む。今言われているのは事実だ。それに怒って反発したってそれが変わる訳でもない。今はまだ未熟なのだから。と劣等感を感じる自分に言い聞かせる。

 

 そしてベートの矛先は、当事者であるアイズへと向けられた。

 

「アイズ、テメーはどう思ってんだよ!!例えばだ!俺とあのトマト野郎ならどっちを選ぶってんだ!?おい!!」

 

「ベート、君酔ってるね?」

 

 団長フィンの言葉にも反応せず、ベートはアイズとの距離をさらに詰める。

 

「聞いてんだよアイズ!!お前はもし、あのガキに言い寄られたら受け入れんのか?そんなはずねぇよなァ!!!

 自分より弱くて軟弱な雑魚野郎に、お前の隣に立つ資格なんてありゃしねぇ。他ならないお前自身がそれを認めねぇ!!」

 

 ベルの頭の中で昨日の様子がフラッシュバックする。ミノタウロスを前にして無様に逃げ回るしか無かった自分の姿が。アイズに助けられたその時、憧れと共に確かに感じた劣等感が。

 

「雑魚じゃ釣り合わねんだ!!アイズ・ヴァレンシュタインにはなァ!!!」

 

「ッッッ!!!!」

 

「べ、ベルさん!?」

 

 気付けば、走り出していた。

 

(畜生……畜生……!)

 

 瞳からは涙がこぼれ、月明かりのみが照らす街道を一心不乱に駆け抜ける。

 

 頭の中で気持ちの整理がついていないベルの胸にあったのは、ただ一つの衝動だった。

 

「ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!」

 

(強く……なりたい…………!)

 

 

 

 

 ダンジョンに入ろうが、少年は止まらない。

 

「ハッハッ、ゼアァ!!」

 

 ただひたすらに走り続け、視界に入った敵を。

 

「ガアッ!!」

 

 屠る。

 

「アアァ!!」

 

 屠る。

 

「ダアアァ!!!」

 

 屠る。

 

(足りない……こんなもんじゃ、全然足りない!!!)

 

 胸に宿るどうしようもない苛立ちを振り払うため、遅い来るモンスターを屠り続ける。

 

(僕は許せない……。何もしなくても、何か期待していた僕自身を!)

 

 この世界には、明確な才能の差というものはない。冒険者の位を区別するレベル、ひいてはステイタスを上昇させるために必要なのは、才能ではなく地道な努力であるからだ。凡人だって、落ちこぼれだって英雄になれる。それが神の恩恵(ファルナ)なのだ。

 しかしそれは、見方を変えればそれは()()()()()()()()()()も、()()()()()()()()()()も認めない絶望を与える。

 

 コボルト、ゴブリン、フロッグシューター、ダンジョン・リザード、ウォーシャドウ、キラーアント、パープル・モス、ブルー・パピリオ。

 

()と共に駆け巡った道、屠ったモンスター達。そうでなければ、ベル一人では決して太刀打ち出来なかった場所。

 

 だがそれは既に過去の話。あの頃のベルはもう居ない。たった一人でかつての強敵達をなぎ倒してゆく。

 

 そんなベルの目が、見たことも聞いたことも無い敵の姿を数体捉え、一旦岩陰に身を隠す。

 

 黒いローブに身を包み仮面をつけるそのモンスター達は、まるで中心で何かを守っているような動きをしている。

 

 ダンジョンを走り続けて傷だらけの体、未知の敵、本来なら即座に撤退しなければならない場面で、ベルの脳裏には、ある剣士の姿が浮かび上がっていた。

 

 金色の髪を揺らし立つ女性から、目を逸らす。

 

(もう嫌なんだ……。憧れに見下されるのは……!!)

 

 やらなければ、何もかもやらなければ、()()に立つことさえ出来ないのだ。

 

「やるんだ……」

 

 覚悟を決めて岩陰から飛び出し、高い敏捷を活かしたヒットアンドアウェイで攻撃を与え続ける。

 

「やるんだ、やるんだ!やるんだ!!やるんだ!!!」

 

 思いを叫ぶことで己を鼓舞し、ボロボロになった体に鞭を打って、トップスピードの疾走と連撃を繰り出し続ける。

 

 二人の剣士に当てた、たった一つの、願いのため。

 

「そこに、辿り着きたいのなら──!!!」

 

 

 

 ──────────────────────

 

「時透。時間が無いって言ってたのはどういうことなんだ?お前の分身が守ってくれてるなら危険なんてないだろ」

 

「無駄口叩いてる余裕あるんだ」

 

 壮絶な剣戟が繰り広げられる中、時透が斬り合いの最中に話を始めた刃を咎めるように放った足払いを刃は出始めで止める。

 

 初期には引っかかっていた攻撃にも対応可能になった教え子の成長にムスっとしながらも、時透は刃の質問に回答した。

 

「……こっちに意識がある分、分身の動きはからくり的な動きになっちゃうんだよ。複数体いるとはいえ耐久限界もあるし、さっさと誰かが救出してくれるのが一番いいんだけどね……」

 

 その話を聞いて、刃は安堵し、ニヤリと笑った。

 

「何笑ってるの?下手したら君死ぬんだけど?」

 

「なんでって言われてもな…………ただ信じてるだけだから」

 

 刃はあの、すばしっこい白兎の姿を思い浮かべた。

 

 ────────────────────ー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オラリオの北西と西のメインストリートの間の区画に存在する小さな教会。その入口横で、小さな女神が俯きながら立ち尽くしていた。

 

(ベル君、刃君……二人とも、一体どこに行ってしまったんだ…………)

 

 昨日の夕方、ダンジョンへ送り出した刃と酒場へ食事をしに行ったベルが翌日の朝になっても帰ってこなかったのだ。

 彼らの神は心配して夜も眠ることが出来ず、寒気の漂う早朝から玄関先へ出て彼らの帰りを待っていたのだ。

 

 そしてふとダンジョンからの帰り道の方向見てみると、ヘスティアの目に見慣れた白い髪が目に入り、ハッとした。

 

 彼に近寄って注視すると、その少年は至る所から血を流し、フラフラの様子で歩いている。いや、フラ付き方からして、誰かを背負っているようだ。

 

「ベル君!!」

 

 漸くヘスティアがベルに追いつき、それに気付いたベルが緊張を解いてヘスティアにもたれかかった。

 

 ベルの顔がヘスティアの方に乗った事で、背負っていたものの正体が明らかになった。

 

「刃君……?」

 

「神、様……。お願いします……。刃、ダンジョンで倒れてて……大事はなさそう、だけど、早く寝かせてあげて……ください…………」

 

「それなら今は君の手当が先だ!相当な傷だぞ!?」

 

 今のベルの出血量は尋常ではない。寧ろ止血無しでここまで動けていたことが不思議なレベルだ。

 

「神様……僕、助けられましたか……?刃のこと、助けてもらうんじゃなくて、助けられてますか……?」

 

「……!」

 

「神様…………」

 

 朦朧とする意識の中で、ベルはヘスティアに向けて、願望を吐き捨てた。

 

「僕、強くなりたいです……」

 

 

 それは血まみれで、泥まみれで、意地と駄々と衝動と、小さな苛立ちと大きな憧憬がごちゃ混ぜになった、最高に格好の悪い、英雄願望だった。

 

 




すっごい長くなった上難産で投稿までくっそ時間かかりました・・・。
皆さんほんと、暇な時は小説(出来ればこれ)読んで、コロナに負けないようにしましょう!!

あ、ついでに読み返したら刃がクソすぎだった前々回も改変したのでよかったらご覧下さい


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神の宴

 ……ここは《ヘスティア・ファミリア》のホームである隠し教会。普段ヘスティア達が暮らしている地下の部屋の真上にあるその場所で、ヘスティアは一人物思いに耽っていた。

 

『神様…僕、強くなりたいです……』

 

 最後にそう言い残して、刃を背負って帰ってきたベルが倒れるように眠ったのが、昨日の朝のことだ。

 

 あれから既に丸一日。未だに二人は昏睡状態のまま起きてこない。

 

 ヘスティアはここ最近この二人のことで心配ばかりしているような気がしてきていた。当たり前だ。二日連続で団員全員が意識不明なんて事態、つい半月前まで団員ゼロだったらヘスティアには縁遠すぎる話だったのだ。昨日だって、もし気を失うのがもう少し遅かったらと考えてみると、先刻から心労で胃袋がキリキリと鳴って仕方がない。

 

(刃君は大女神様が送ってきた転生者だから多少の規格外さは納得出来る。でも、あの子は……)

 

 ……得体がしれないというのはこういうことを言うのだろうな、とヘスティアは感じていた。

 

(……ベル君。君は一体、何者なんだい……?)

 

 思考のスパイラルに陥ってしまいそうだったので、頭をぶんぶんと振って、辛気臭い雰囲気を断ち切ってからホームへの階段をおりる。

 

 そのような事を今考えたところで、その答えが出ることが無いのはわかっていたから。

 

 そして…………、

 

「あ、おはようございます。神様!」

 

「……ああ。おはよう、ベル君」

 

 彼が愛する息子であるということもまた、変わりようのない事実なのだから。

 

 

 

「そ、そんなに伸びてるんですか!?僕のステイタス!!」

 

 今回のステイタス更新の結果を聞いたベルが、驚きのあまりテーブルに身を乗り出してヘスティアに確認を取った。

 

「ああ。今の君は恐ろしく成長する速度が速い。言っちゃえば成長期みたいなものだ。

 ……これはボク個人の見解に過ぎないけど、君には才能がある。お世辞でも方便でもなく、将来的には、あの剣姫君や刃君すら超えてしまう程の潜在性を秘めていると思っている」

 

 思わぬヘスティアからのベタ褒めに、ベルは少し照れて後ろ頭を搔く。

 

「君はきっと強くなれる。そして君自身も、今より強くなりたいと望んでいる」

「はい」

 

「ボクは君のその意志を尊重する。応援するしサポートもする。力も貸そう。だから君は思う存分戦って、強くなるといい」

 

 主神からの嬉しい激励の数々に興奮し奮い立つベルに対し、しんみりとした表情で、でも、とヘスティアは続ける。

 

「ホントは、あんまり無茶はしないで欲しいし、怪我もして欲しくない。でも、結局男の子ってのは、すぐ無理するし心配もさせちゃうんだ」

 

 ヘスティアは頭の中で、背後のベッドで寝ている剣道小僧の顔を思い浮かべた。普段は冷静な刃でさえ危なっかしいことが多いのだから、最早男の子とはそういう人種なのだろうとヘスティアは受け入れていた。

 

「だからこれだけは約束してくれ。傷だらけでもいいし、眠りこけててもいい。最悪、死にかけていたっていい。

 必ず生きてボクのもとへ帰ってきてくれ。お願いだから、ボクを一人にしないでおくれ」

 

 そう言ったヘスティアの声の僅かな震えを感じとることが出来たのは、ベルも同じ気持ちを、本当の一人の辛さを知っているからだろう。

 

「はいっ!約束します!強くなれるように頑張りますけど、たとえ死にかけになっても、何日かかったって絶対、ただいまってここに帰ってきます!!」

 

 だからベルは、拙い言葉でありながらも決意を表明した。

 

 ヘスティアもそれを受け取って、不安そうな表情を消して笑みを浮かべて見せた。

 

「その言葉が聞ければ、安心だよ!

 

 それじゃあ次の話、刃君についてだ」

 

「刃に何かあったんですか!?」

 

 ベルは自分のステイタスの伸びを聞いた時よりも激しい様子で身を乗り出し、ヘスティアに刃の安否を問い詰める。

 

「大丈夫。身体の方は君が早く連れ帰って来てくれたおかげで、なんの異常もなかった」

 

「そうなんですね。良かった……」

 

 あからさまにホっとしているベルを前に、「ただ、完全に安心って訳でもないんだ」とつけ加えてヘスティアは話を続ける。

 

「口で説明しても困惑するだろうから、これを見てくれ」

 

 ヘスティアは隣においておいた二枚の細い紙をテーブルに並べた。言われた通りベルは置かれた紙をとり、文字が書かれていたので内容を見てみると、書かれていたのは二枚とも文字列ではなく二つの異なる三桁の数字を右矢印でつないだ()()()だった。ベルから、というより冒険者と神々からすればとても見慣れた数字列だ。

 

「これって、ステイタスですよね?一列分しかないし、どの項目かも書かれてませんけど……。僕のどれとも一致しないから、刃のですか?」

 

「ああ。昨日君が帰ってきてから刃君の様子を見てみたんだが、彼から何か不思議な力を感じた気がしたんだ。なにか異常が現れていないかと思ってステイタスを更新してみたんだが、特に異常は見られなかった。左のはその時の。右のは今朝更新したものだ」

 

「そうなんですか?ならなんでこれを見せて…。え?」

 

 ベルは二つのステイタスを再度見比べると、明らかにおかしい点があることに気づき、困惑しながらヘスティアに尋ねた。

 

「神様、どうして寝たきりの刃のステイタスが上がってるんですか!?」

 

 ステイタスが上がるというのは、冒険者が戦うことでその中で得た経験値(エクセリア)を力に変えるという事。敵を攻撃することで力値が上がり、攻撃を受けることで耐久値が上がり、走ることで敏捷値が上昇する。

 

 そのはずなのに、直近丸一日は戦いに出ていないはずの刃のステイタスが上がっているというのはどう考えてもありえない状況なのだ。

 

「これもボクの見解ってだけだけど、多分刃君は何者かの精神攻撃を受けていると思うんだ。そしてそれはボクらの手では介入が出来ない」

 

 そこまでの説明を聞けば、いかに冒険者歴のベルといえど察しはついた。

 

「刃は今、心の中でその何かと戦っているんですね」

 

「ああ。ボクもそうと考えてる」

 

 ベルとヘスティアの見解は一致した。ならば次は今後の対応についての話になるのだが。

 

「じゃあ、起きた時のために色々と準備しとかないとですね!ご飯も全然食べられてないし」

 

「話が早くて助かるよ!ベル君!

 それで病み上がりの君に頼むのも気が引けるんだが、ボクは今夜から二、三日留守にすることになるから、できる限り今日のうちにいっぱい稼いでボクがいない間家で刃君の様子を見ていてくれないか?」

 

「はい!任されました!」

 

 ──彼らは刃が「何か」に負けるとは微塵も考えていなかった。自分たちの知っている天道刃は、そんな状況も好機と捉え何か新しい技でも会得して絶対に帰ってくる。そう信じて疑わない。

 

 たった一週間の関係であろうがそれが=(イコール)浅い関係では無い。簡単なようで実はすごく難しい「信じて待つ」こと。お互いがお互いを骨の髄まで信じられる信頼関係を、この家族(ファミリア)は当たり前に持っていた。

 

「それじゃあ、早速行ってきます!刃、神様!」

 

「うん!行ってらっしゃい、ベル君!」

 

 

 

 ────────────────────ー

 

 

 

「本っ当に、すみませんでした!!」

 

 様々な話し合いを終え、三日間の食費などを稼ぐためダンジョンに向かっていたベルだったが、現在はその道中にある豊穣の女主人で、その店長であるミアに勢いよく頭を下げながらお金の入った袋を差し出している。

 

 朝っぱらからとてもとても異様な光景だが、何故こんな状況になっているのかは順を追って考えてみればその理由は明白である。

 

 先日、ベルが強くなりたいと願ってダンジョンを駆け巡った日。豊穣の女主人にいたベルは初めての酒場の雰囲気に気圧され、ミアに(無理矢理)色々と食べさせられていた。つまりは、払っていなかったのだ。飲み食いした分の代金を。

 

「自分から払いに来るとは関心じゃないか。……ま、来ないならこっちからケジメをつけに行くつもりだったがね」

 

 ベルが払った勘定を受け取ったミアがドスの効いた声でそう言ったので、ベルは血の気が引き身震いした。

 

「ほっ、本当に本当に本当にすみませんでしたっ!!」

 

「もう謝らないでください、ベルさん」

 

「シルさん……」

 

「戻ってきて貰えて、私は嬉しいです」

 

 ミアの威圧に錯乱しまくり腰を九十度に曲げ続けるベルを見かねて、シルが駆け寄ってフォローした。しかしそれでもまだ納得していない様子であったので、話を逸らす方向へとシフトする。

 

「そうだ!ベルさん、今日もダンジョンへ行かれるんですよね?」

 

「はい。色々あってちょっとお金が入り用になって。今日はずっと潜りっぱなしになりそうです」

 

「あら、それは大変です。じゃあこれ!お弁当です」

 

「えっ?いやそんな、悪いですよ二日続けてなんて」

 

「貰って下さい。ダメ、ですか?」

 

 そう言って上目遣いで甲斐甲斐しく弁当を差し出すシル。男が生涯でやって欲しいシチュエーション十位以内くらいには入りそうな行為を美少女のシルが行使しているこの状況を、堅物の刃ならまだしもベルに耐えられるわけもなく。

 

「はは……。すみません、いただきます」

「!ふふっ」

 

 ベルがなすすべなく弁当を受け取ると、シルはご機嫌な表情になって厨房の方へと姿を消した。

 

「シルには感謝しときな?あたしも含め、血の気の多いウチの連中があんたを許したのは、あれの説得のおかげだからね」

 

「……そうでしたか」

 

 それを聞き、弱くて罵倒されたことが情けなくなった上、自分勝手な理由で作ったトラブルをまた女の子に助けて貰ってしまったことに、ベルは少し自分が恥ずかしく思えた。

 そのベルの悩みを表情から読み取ったミアは言った。

 

「坊主。アンタが何を考えて、背負ってんのか知らないが、冒険者なんてカッコつけるだけ無駄な職業さ。最初のうちは、生きることに必死になってればいい。惨めだろうが笑われようが、生きて帰ってきたやつが勝ち組なのさ!」

 

 ミアはキョトンとした表情のベルの肩を掴み、グルンとベルの体を半回転させて出口の方へ向けた。

 

「あたしにここまで言わせたんだ。簡単にくたばったら許さないからね!さ、行った行った!店の邪魔になるよ!」

 

「おわっ、と、とっ」

 

 ミアの励ましによって、どこか沈んでいた気分が払拭されたベルは、笑顔になってダンジョンへと駆け出した。

 

「はい!行ってきます!!」

 

 

 ──────────────────────

 

 

「皆の者ッッ!よくぞ集まってくれたッッ!

 

 俺が!ガネーシャであるッッ!!」

 

 ここは神ガネーシャが主催する、神々の宴会場。天界きっての貧乏神であるヘスティアが、刃の世話をベルに任せてまでわざわざ宴に参加して何をしているかといえば……。

 

「ほっ、ほっ、はむはむ」

 

 宴の料理を自身の口と持参したタッパーに懸命に放り込んでいた。

 

(神連中がドレスも着られないボクを笑うから今まで来てなかったけど、宴の料理がこんなにおいしいなんて知らなかったよ!ベル君たちにも持って帰ってあげなくては……)

 

 本来このような場で出された料理を持ち帰るのは御法度、友人同士の飲み会ですらやらないのが暗黙の常識なのだが、今日を生き残ることに全力を尽くすような生活を経験してきたヘスティアはそんなものに縛られはしなかった。

 もしも目を覚ました刃がこれを受け取ったとすれば、ヘスティアに軽くげんこつを落とし説教をしたうえでそんなことをさせることのないよう今までの何倍もダンジョン探索に励むことだろう。

 

 そんな不審者同然の挙動のヘスティアに近付く、一人の女神がいた。

 

 それは、容姿端麗な神々が多く集まっている会場中の男衆の視線を根こそぎ奪い取るほどの美貌を有していた。それでもなお毅然態度であり続ける様は正に美の化身。

 

「こんばんは、ヘスティア」

 

「ン!!……フレイヤ」

 

 その女神の名はフレイヤ。オラリオ随一の美貌の持ち主であると同時にオラリオ二大最強派閥《フレイヤ・ファミリア》の主神だ。

 

「何やら熱心にやっていたようだけど……。お邪魔だったかしら?」

 

「ボクは君が苦手なんだ……」

 

「うふふ、あなたのそんなところ私は好きよ?」

 

 ボクは君のそういう得体の知れない感じが苦手なんだけど……と言おうとしたが、視界の端に映った神物(じんぶつ)を見て優先順位を変え、その気持ちを饅頭と共に飲み込んだ。

 

「まぁ、君はまだマシなほうだけどね。あいつに比べ「おーいフレイヤー!ドチビッ!」」

 

 たった今こそ話題に上がろうとしたのを察知したのか、一人の女神が一瞬でヘスティア達のいる場所まで距離を詰めてきた。

 

「君は相変わらず騒がしいね、ロキ」

 

「うっさいわ、この貧乏ドチビが」

 

 女神の名はロキ。フレイヤとは違い性格も気品も美とは言い難く、常日頃から酒を浴びるように飲み、時には真っ昼間から酔いしれるダメ親父のような神だが、天界きっての悪戯者(トリックスター)と謳われるほどの直感力と知力は凄まじく、フレイヤと同じく二大最強派閥の左翼《ロキ・ファミリア》の主神たる女神だ。

 

「まあいいさ。どうせ君のところにも行かなきゃと思ってたんだ。フレイヤ。これから少しロキとプライベートな話がしたいんだ。用があったなら今言ってくれないか?」

 

「あら、一体どんな話か聞いてみたいところだけど……無粋な真似はやめておくわね。確かめたかったことも済んだし、私は失礼させて頂くわね」

 

「ええ!?もうかいな!もうちょっと飲もうやーフレイヤー!」

 

 そう言ってフレイヤは、ロキの静止に一瞬微笑み返して連れの者と共に会場の出口へと歩いていった。

 

「あぁ、行ってもうた……。で?何やねん話っちゅーんは」

 

 フレイヤが早々と帰って行ってしまったことに対しゲンナリしたロキが若干苛立った様子でヘスティアに向き直る。

 

「まず、先日ボクのところの眷属が君の子に手を出した事をボクからも詫びたい。すまなかった」

 

「ホンマや!ドチビごときんとこのガキがウチのアイズたんに何生意気しとんねん!……って言いたいとこやけど、今回はウチの方からもやんちゃしに行ったみたいやからな。こっちこそ怪我させてすまんかった。これでこの件は終わりにしたるわ」

 

 ロキはつっけんどんな返事ではあるが、双方共非がどこにあるかが分からない子供では無いので、この件ではそこから先の喧嘩には至らなかった。

 

「この件についてなんだが、ロキ。ボクにはボクの子も君のところのヴァレン某君も、初対面でいきなりおっぱじめるような子達には見えないんだ」

 

「当たり前や。ホンマやったらウチのアイズたんがドチビのガキみたいな小物、相手にするわけないわ」

 

「ムカァッ……!いや、それなら尚更だ。何か知っていることがあるなら教えてくれないか?」

 

 刃が話せないと言った時には納得したような素振りを見せたものの、何故の疑問は消えてはいなかった。

 真相に少しでも近付くため、ヘスティアは胸の前で両手を握りしめ、犬猿の仲であるロキにプライドを捨てて懇願する。

 しかしそのヘスティアを見たロキは、若干の苛立ちを感じていた。

 

「……そのガキの事はウチの団員からも聞いた。ウチの団員しか知らんようなアイズの事も当てよったし、話も信じ難い部分はあったが筋は通っとった。ウチの幹部も認めとるようやし、今のところは信頼しとんつもりや」

 

「やっぱり知ってることがあるのかい!?だったら「そないな子がそないな重大なことを話さん理由なんか、一つしかあらへんやろが、このボケドチビ」うっ」

 

「お前らを危険に巻き込みたくないからや」

 

 ロキにそう言われ、ヘスティアは「あ…」と小さく声を漏らした。

 

「お前んとこにはもう一人駆け出しがおるんやろ?億が一、兆が一でも他全てを巻き込む大惨事になる可能性があるんや。吉と出るか凶と出るかまるで分からんこの状況で、当事者の小僧はしょうがないにしても、主神と仲間守りたい思うんは当然の事やろがい」

 

 ロキは手に持っていたグラスの中身をグイッと飲み干して、ヘスティアに背を向けて歩き出した。

 

「ま、そもそもその小僧が善か悪かも分からんし、確定要素もほとんどないふわっとした考察にすぎんのや。元から話すこともほとんどないわ。ほなウチはそこらで飲み直すから、今度こそこの話は終わりやで〜」

 

「……ああ。分かったよロキ」

 

 飄々とした態度で遠ざかる宿敵の後ろ姿を見つめるヘスティアは、唇を強く噛んだ。

 ロキとは個人としての喧嘩や言い争いは幾度となくしてきていたし、それにおいては自分が劣っているとは思っていない。

 しかし、ことファミリアの主神としての力と経験ではヘスティアは足元にも及ばない。見たことも話したことも無い刃の考えを見透かしたように答えていたことからも、その差は歴然。

 だが自分よりも刃のことを分かられていたという事実は、ヘスティアにとっては死ぬほど悔しい事だった。

 

「珍しく宴に来たと思ったら、何辛気臭い顔してんのよ」

 

「ヘファイストス!良かった、君に会いに来たんだ!」

 

 しかし、そんな事はヘスティアは元から百も承知だった。今回の事で変わったことといえば、抱いた決意がより強いものになったことぐらいだろうか。

 

「頼むヘファイストス。ボクに力を貸してくれ!」

 

「え〜……。またお金じゃないでしょうね?アンタなんだかんだ家がない、仕事がないとか言ってくるし……」

 

「グッ……。ぐうの音も出ないほどその通りだけど、今日は違うさ!ボクのためじゃない、家族のために!」

 

 今も自分たちが知らない場所で、他が為に奮闘している彼にもう二度と心配をさせないために、自分たちを助けようとしている彼を助けてやれるようになるために。

 

「《ヘスティア・ファミリア》が強くなるために、君の力が必要だ!!」

 

 

 

 

 

 刃が帰ってくることを信じ、それぞれがそれぞれの場所で戦う《ヘスティア・ファミリア》。

 

 その中で、一番早く心が折れるのは。

 

「ふっ、ざけんじゃ、ねーぞ……。時透ォ!!」

 

 他でもない、彼かもしれない。




なんか今回、場面転換ばっかっすね。

あと、ふと思ったんですけど、主人公の声優って誰が合うと思いますかね?



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心映箱

 ここは刃の精神世界。本来ならば存在しないはずの物すら生み出せてしまうこの世界の剣道場で、木刀を携えた二人の剣士が向かい合っていた。

 

 風音ひとつしない空間で、時透が弾いた銅貨の音だけが甲高く響いた。

 

 勢いよく打ち出された銅貨は強力な回転によりほぼ完璧な球体にすら見え、それは天井ギリギリの所まで迫った後、降下を始めた。

 

 両者共に脱力した状態のまま、気を張りつめてお互いの体の微妙な変化から出方を探る。

 

 そして、二人の丁度ド真ん中に銅貨が落ちた瞬間──ー。

 

「「ふっ」」

 

 彼らの戦いは、始まった。

 

 正面からバカ正直に突っ込めば、時透は技巧で、刃は力でねじ伏せられるため、二人は道場の中をめいっぱい使って駆け回り、相手に隙と死角を作らせるため四方八方から太刀を入れる。

 

 しかしこの二人は共に類まれなる剣の才の持ち主。ただ攻撃を繰り返すだけでは膠着状態が続くだけであり、そうなれば肺活量で劣る刃はジリ貧になり時透のワンサイドゲームになる。それを危惧した刃が先に膠着を破った。

 

 現在、刃が時透に追われている状況から壁を蹴って振り返り、刀を逆手に持ち替えた特殊な構えで迫る時透を迎え撃つ。

 

(何する気……?あの構え、もしかして……)

 

 逆手に持った刀を肩に担いだ時点で、刃の狙いは判明した。

 

(投擲!)

 

 腕を鞭のようにしならせて発射された木刀は、時透の右目をピンポイントに撃ち抜く軌道で一瞬で迫ってきた。

 

 時透は急ブレーキをかけ、右手に持っていた木刀で刃の木刀の腹を叩いて弾き飛ばした。しかし、木刀を上に払った時透は後ろに荷重が乗ったノーガード状態。投擲とともに迫っていた刃はすかさず時透の顔面に一発拳を叩き込む。

 

(獲った!)

「まだだよ」

 

 しかし鬼殺隊の柱を務める剣士に、常識というものは通用しない。体勢の整わない状態で強引に左手を動かし、顔面スレスレまで迫った拳を完璧に受け止めて見せた。

 

(……拳が軽い)

 

 だが、そこまでの全てが刃の布石。投擲によって刀での防御を潰し、右拳を繰り出して残った左手を使用不能にした上で視界を塞いで、胴体が完全にガード不可能なる状況を作り出した。

 そして、ガラ空きになった胴体に、ワンテンポ遅らせて放った左拳が確かに時透の胴体にめり込み、後方へ吹っ飛んだ。

 

(紙殴ったみたいな抵抗のなさ……。衝撃を逃がしやがったな!?)

 

 そう、刃が撃った拳は左と右を同時に撃った事で一発の威力が軽くなっていて、そこから追撃があると悟った時透はガードは不可と察し、後ろへ跳び、全身の筋肉の弛緩を解いて拳の衝撃を大部分を逃がしたのだ。昔格闘漫画で同じような技術を見たが、不完全とはいえまさか現実にそれをやってのける者がいるとは思いもしなかった刃はただただ驚愕していた。

 普通顔面パンチを貰いかけた直後であれば、体の硬直は当然存在するはずなのだが、時透にとっては関係ないらしい。もしくは恐ろしい速度で硬直を解いたのかもしれないが。

 

(いやまあ実際漫画のキャラだし現実でもないんだけども。確か原作の柱稽古で筋肉の弛緩と緊張の切り替えがどうのって言ってたけど、そういうレベルじゃねえだろ!?)

 

 すぐさま追撃が必要と考え、刃は宙を舞った木刀を掴み、飛んでいった時透を横から狙えるように回り込むように旋回した。

 

 対して時透は、飛ばされた勢いを逆に利用し、体を丸め二、三度転がった後壁に両手をつき、刃の足目掛けてスライディングをした。

 

「は!?ちょ、速!」

 

 完全に虚を突かれた刃は咄嗟に左右の回避が出来ず、せめて体勢を崩させはしまいと自分から前のめりに跳び、時透の真上を通り過ぎるようにする。

 

 しかし天才時透無一郎は、その体勢からでも容赦なく剣を振るう。

 

(クッソが!体動かせ!!もっとしなやかに、体柔らかく使って捻れ!!)

 

 刃は強ばっていた上半身の筋肉を弛緩させ、下半身を回転させた反動だけで上半身を強引に捻じ曲げけ、両手で木刀を支えて待った。

 

 時透の木刀が刃の木刀に当たると、刃の刀は力で肘が自然と曲がっていくと同時に沈み込むように衝撃を流し、そのまま時透の刀は流れに沿って滑って行った。刃はそのまま前転して起き上がり、時透はまだ床から背が離れていない。

 

 追撃の機会こそ逃したものの、刃はこの戦いの中で初めて時透の死角に入った。この好機を今度こそものにせんと言わんばかりに、時透がこちらを向く前に窓の出っ張りを利用して飛び上がる。

 

(……いない)

 

 振り返った時透は刃がいないことに気づき、すぐさま周囲を確認する。が、どこを見ても刃の姿はない。

 

 その瞬間、時透の背後でバサッ!と羽織がはためく音がし、凄まじい反射速度で刀を振るう。しかし、刀は空を斬り、刀身には刃の羽織がかかっていた。

 

「っ!羽織はおと「とった!!」グッ!」

 

 驚愕した時透のほんの僅かな隙をつき、背後に着地して両腕、片足を羽交い締めにした。自由なのは体を支えている軸足のみ。この状態では何もすることは出来ない。

 

「……参った」

 

 ──つまり、刃の勝利が確定した。

 

「いんよっっし!!!」

「ちっ……全身の弛緩は次の行動までに時差があるから、動作が単調になっちゃうんだよなぁ……」

「てかお前おかしすぎんだよ!!何であの体勢から打撃耐えた挙句、そっから反撃できるわけ!?」

 

 刃は歓喜してガッツポーズをし、戦いを終えた二人は恒例の感想戦に花を咲かせる。

 

 剣術指導という名目で時透が考案したこの呼吸使用禁止の試合を、二人は数百戦以上繰り返してきた。戦績としては 七対三ほどだが、刃が時透の技術を恐ろしい速度で盗んでいったことにより、近頃の実力は拮抗状態になりつつあった。

 

 刃にとっての剣術とはあくまで剣道であったため、全身をあまねく使い切る、戦闘としての新たな技術を習得していける事が刃はたまらなく楽しかった。

 

「よし!次やるぞ、次!」

 

「いや、もういいよ」

 

 意気揚々と次の試合を始めようとする刃に対し、木刀をカゴに入れ縄を両肩に担いで外へ向かって歩き出した。

 

「次段階だよ。さっさと来て」

 

「!おう!!」

 

 同じく木刀をカゴに入れて、刃は時透の後を追って外へ出た。

 

(道場が建ってること自体おかしかったけど、なんで豪華な庭園まであるわけ?ここほんとに俺の心の中?所有権乗っ取られてない?)

 

「着いたよ」

 

 しばらく庭園を練り歩いてたどり着いたのは、豪華な庭園には少々似つかわしくない古井戸だった。

 時透は担いでいた縄をドサッと地面に下ろし、井戸の蓋を縛っていた縄を解き始めた。

 

「刃、そっち持って」

「あ、お、おう」

 

 縄を解き終え、二人で力を合わせて重い石の蓋を持ち上げてどかす。あれだけキツく封印されていたことから井戸としての役割はありそうもないため、一体何があるのだろうと中を覗いてみたが、暗くて底まで見えなかった。

 井戸の中身を聞こうと振り返れば、そこでは時透が木に持ってきた縄を縛り付けていてますます謎は深まるばかり。

 

「なあ時透。一体何する気なんだ……?」

「いいからその辺の木と自分に縄巻き付けて、その手袋付けて。そこ、降りるから」

「…………は?」

「じゃ、先行ってるね」

「えっ!?ちょ、ま」

 

 刃の制止に聞く耳を持たず、マイペース大王時透無一郎は縄を掴んで井戸の中へと入っていった。慌てて刃も縄を巻き付け、手袋を装備して、不安を押し殺して井戸の中に飛び込む。

 先の見えない井戸の中を降りていくと時透と合流し、それからまたしばらく降りていく。井戸の中では延々と壁を蹴る音と、縄がスルスルと擦れる音だけが響いて…………。

 

「……」

 

 響いて……。

 

「………」

 

 響いて…………。

 

「……………………」

 

 響き渡って……………。

 

 

 

 

 

「いや深ぇよ!!なんだこの井戸!?深すぎだろ!!一体何のために作られてんだよこれ!?」

 

「うるっさいなぁ…!あともう少しだから黙って降りてよ、反響するでしょ…?」

 

 それからまた軽快に壁を蹴り降りて行くと、刃と時透は久方ぶりに床との再会を果たした。縦の距離感とは恐ろしいもので、暗闇であることも相まって、たかが二、三百メートルくらいの距離が無限に感じられた。

 

 地に足が着くありがたみをしみじみと感じている俺を横目に、時透はしゃがみこんでぺたぺたと壁に触っている。

 

「えー…、確かこの辺に…あ、あった」

 

 カチャカチャという金属音の後、時透が「ふんっ」と力を入れると同時に固まった錆が剥がれ落ちていく破壊音と金属と金属が擦れ合う音共に、壁に四角い正方形の大穴が出現した。

 

(暗くてよく見えないけど、あれ扉か?もしかして、何か特殊な修行場みたいな…!)

 

 色々と妄想していると、少し疲れた表情をした時透が扉を外から固定したまま「じゃ、中入って」と言うので、自分が先に入らないのかという疑問を抱きつつも意気揚々と中へ潜り込み、新たな修練場の床を踏みしめ──

 

「いっでぇ!!!!」

 

 ──た瞬間、思い切り天井にブチ当たった刃の頭蓋骨に大ダメージが入り、最早心地良さすら感じる程の轟音を鳴らした。

 

「……何やってんの君?そんなとこで立ったら頭ぶつけるに決まってるじゃん。井戸深すぎてバカになっちゃったの?」

「うっるせぇ……。これも発想力豊かな童心を取り戻すっていう修行の一環だ」

 

 若干の引きを見せる時透の問いに、しゅうしゅうと煙が発生する頭を押さえ、四つん這いの状態でうずくまるという醜態晒しまくりの体勢で苦しい言い訳を垂れる刃。

 

「こんなとこ何に使うんだ?修行どころか俺たち二人入ってギリギリくらいのサイズだけど……」

「これからの修行にはもう、実際の戦闘は必要ないよ。

 

 今日から毎日、全集中の呼吸を完全習得できるまでこの"心映箱(しんえいばこ)"に籠ってもらう。蝋燭とライターと時計は置いておくから、一日五時間までで帰ってくること。それと、()()()()()()()()()()()()()()。たとえ水に溺れようと、雷が落ちようと」

 

 あの時透無一郎でも、冗談を言うんだな〜、などというアホみたいな感想を頭に浮かべて一瞬ポカンとするが、やっぱりちょっと何を言っているか分からなかった。

 

「呼吸をするだけ?そんなの余裕すぎてなんの修行にもなんねーぞ?」

 

「そうじゃなくて、この部屋は……。もう説明面倒くさくなってきちゃった。自分で勝手に実感してよ」

 

 一通りの荷物を袖から出し、「それじゃ、頑張ってね」と言い残して時透はまた縄を伝って暗闇を上って行き、瞬く間に見えなくなってしまった。

 

「…さっぱりわけわかんないけど、まぁ百聞は一見にしかずってことで」

 

 全集中・常中を習得してからというもの、刃は昏睡状態の時であろうと全集中の呼吸を切らした事は無い。当然この修行もいつもやっていることと変わらず、それを知っているはずの時透が何を言っているのだろうかと困惑したり、部屋の酸素が相当薄いのではないか、などと様々な状況を想定していた……。

 

 

 

 

 ……ピチョン。

 

 

 

 

 ──が、しかし。刃の想像を遥かに下回ったそれは、やがて刃の精神を蝕んでいく事となる。

 

(ん?水滴か?まあここ井戸だしな。それより集中集中!)

 

 辺りを静寂が包み、聞こえる音といえば炎の燃焼音と呼吸音くらいのこの部屋で、突然水滴の音が響き渡った。刃は一瞬反応を見せたが、使われていないとはいえ井戸に水滴が落ちるのは当たり前だ、という結論に至って再度集中を取り戻した。

 

 

 ……ピチョン。

 

 

 ……ピチョン。

 

 

 …ピチョン。

 

 …ピチョン。

 

 ピチョン。ピチョン。ピチョン。ピチョン。ピチョン。ピチョン。ピチョン。ピチョン。ピチョン。ピチョン。

 

 

(んんんんんんうるさいぃ…。段々ペースが上がっていく上に地味に反響してんのが鬱陶しい……)

 

「うわっひょおう!!?」

 

 どんどん落ちる頻度が高くなっていく水滴に眉間にシワを寄せる刃が、突然奇声を発しながら垂直に飛び上がり、ジタバタと転がり回りながら背中に手を伸ばして騒ぎ出した。

 先程からピチョンピチョンと音を立てる水滴が、注意散漫になっていた刃の背中に奇襲をかけたのである。

 

「つっ、冷てえなこの野郎!器用に背中に入り込みやがって!」

 

 滑り込んだ水滴の異常な冷たさに騒ぎたてる刃であったが、ある異変、というか異常な音が聞こえた気がして、途端にピタッと静止して、そっと耳を澄ました。

 

「……いやいやまさか、聞き間違いに決まってんだろ。ここは井戸の脇部屋であって、そこにこんな……」

 

 

 

ドドドドドドドドドドドドドドドドド

 

 

 

 微かに聞こえる気がするかも?というレベルだったがために成立していた現実逃避も虚しく、今度は小さくはあるが、はっきりと()()()()()()()()()が刃の耳に響き渡った。

 

「いやいやいやそんなはずないって。頭上から聞こえてるなんてそんな、ありえないって」

 

 

 ドドドドドドドドドドドドドドド。

 

 

 また一つカウントダウンした水流の唸り声は、紛うことなく、この心映箱(しんえいばこ)の真上から迫ってきていた。

 

「あ、あぁ、ああぁ…………」

 

 

ドドドドドドドドドドドドドドド

 

 

「うわああああああ!!!!!!」

 

 迫り来る恐怖からもう逃げられはしないと死期を察した刃は、咄嗟に息を止め、水が自身の体に襲いかかるのを、身構えて待った。イタチの最後っ屁、儚い抵抗、最後の足掻き。この行動に意味がなかろうと、刃はとにかく死にたくなかった。無論、ここは精神世界であるため死ぬなどということは無いのだが、気が動転した刃がそれをすっかり忘れているのは言うまでもあるまい。

 

 ……しかし、いくら待てども大量の水が降って来ることはなかった。不思議に思った刃は姿勢を戻して上を向いてみると、何やら違和感を感じた気がして、そっと背中に手を伸ばしてみる。

 

(……ん?)

 

 ──違和感は違和感ではなかった。

 

 つい先程水滴が入り込んだはずの刃の背中が、濡れていないのだ。

 

 本来、刃は幽霊や怪奇現象の類を全く信じていないのだが、今この瞬間だけはその存在を確かに認識し、全身に鳥肌が立ち上った。

 

「ま、まあいいや。修行再開しよ……」

 

 ここまで全てが自分の幻想で、何も起きなかったということにして、気を取り直して座禅を組み直し集中を取り戻す。

 

 

 

 ……パリッ。

 

「いい加減にしてくれよ!?」

 

 しかし、今度は周囲で放電したような音が響き、刃は涙目で誰もいない部屋の中で騒ぎ立て、その上勝手に反響した声にダメージを受けていく。

 

(くっっっそ!どうなってんだよこの部屋は!マジで!!こんなんじゃ呼吸の完全習得どころ……じゃ……)

 

 思考をめぐらせていると、これまでの出来事、自身がやった事、時透の発言から、一本筋の通ったある仮説が立てられることに気が付いた。

 

 すぐさま仮説を検証するため、集中を極限まで高めていく。それにつれて全集中の呼吸は研ぎ澄まされ、段々と呼吸音もそれまでとは一線を画す、獲物を狙いすます獣のような呼吸へと変わっていった。

 

 

 バリッ!!バリバリバリッ!!!

 

 

 そして刃の推測通りに、放電の音はどんどん激しさを増していく。

 

(恐怖に負けんな!!俺の仮説が正しければ、これは()()()()()()なんだ!!)

 

 やがて響き渡る放電の音と共に、雷雲が刃の頭上で蠢き出した。

 

 雷雲は猛々しく唸りを上げ、暗雲から漏れ出る雷光が暗闇を白く染めあげ──ー。

 

 

ピシャアアアアアアアン!!!!!

 

 

「あああああああ!!」

 

 雷鳴を轟かせながら、断末魔ごと刃を巻き込み、落雷した。

 

 それにより刃は一瞬意識が彼方へと吹っ飛び、そうなれば当然呼吸も一瞬止まる。

 

 その瞬間に、周囲で聞こえていた放電の音も、頭上の雷雲が蠢く音も、落雷によって刃の体に付いたはずの傷も、焼け跡も、ダメージも、ことごとく消え去っていた。

 

「はあっ、はあっ、間違いねぇ……」

 

 それと同時に、刃は自身の立てた仮説が正しいことを確信した。

 

「この部屋、俺の呼吸に連動してやがる……!」

 

 元来、人間は我慢することや、病気と戦うことを、()()()()()との戦いと揶揄してきた。

 

 これから戦う見えない敵は、刃の精神を粉々にしてしまうほどの辛い戦いになるかもしれない。

 

 

 

「刃、そろそろ部屋の仕掛けに気付いた頃かな…………」

 

 心映箱(しんえいばこ)に置いてきた刃のことを思い浮かべながら、時透は好物のふろふき大根を頬張る。

 

 時透は基本的に伸び代のないものと伸びない者には興味が無い。その時透が才能を見込んで、厳しく修行している彼なのだから、この修行で新しい力を得る事は微塵も疑ってはいない。

 

 しかし、

 

「部屋の本質を履き違えてないといいけどなぁ…………」

 

 唯一の懸念を浮かべながら、口の中を緑茶で洗い流した。




というわけで、ここで一旦終了です。刃が修行をしている心映箱は、結界師に出てくる無想部屋を意識してみました。今回割と書くの楽しくて、筆もグングン進みました。早く先に進みてぇ〜!


再来週から学校が始まるんで、修行編が終わったところで投稿ペースも亀になると思われますが、今後も末長くよろしくお願いします。


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分かった

「やっぱこの部屋……俺の呼吸をきっかけに仕掛けが作動してる……!」

 

 決死の覚悟で検証したことによりこの部屋の仕組みを理解した刃は、そうと分かれば早速攻略だ!と意気込み、全集中の呼吸を発動させる。

 

(この心映箱(しんえいばこ)の仕組み、多分呼吸が発動したら何らかの仕掛けが発動して、こっちの集中と呼吸を切らすってコンセプトなんだろうな……)

 

 つまりは、そのまやかしを振り切るほどの極限の集中こそが、全集中の呼吸の完全習得ということなのだろう。

 

「いやしかしまぁ、そんなに簡単にいかないからここに放り込まれたのであって……」

 

 そう、この修行ひいてはこの部屋のまやかしは、集中を途切れさせるどころか、使用者の心をズタズタに引き裂くほどの精神的攻撃力を持っている。

 

 ある時は雷に百連続で撃たれ。

 

「あああああああ痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛いいいぃ!!!!」

 

 ある時は大量の水で頭のてっぺんまで溺れ。

 

「待って!?水はダメじゃん!?呼吸って空気でするものなんだから水じゃ出来なゴボボボボボボボボボボボボボボボボボボボ」

 

 トリガーが呼吸という生命維持活動の一つであるため、休む間もなく水責め地獄と落雷地獄に襲われ続け、呼吸を極めるどころか一日五時間のノルマを終わるころには、精神の疲労から意識さえ保てなくなってきていた。

 

 そうして何とか五時間を生き延びた先には、もう一つ地獄が待っている。

 

「深えっつんだよこの井戸はよ……!なんか意味あんのかこの深さ……!?」

 

 そう、この井戸をもう一度上って帰らなければいけないという最後の修行があるのだ。

 

 疲れた体で、少なく見積もっても二百メートルは超える道のりを、今度は下るのでは無く上らなければならない。肉体に実質的なダメージは受けていないのに、身体が鉛のように重く感じる。

 

(昔、なんかの本で読んだことあったな……。確か目隠しされた人の手首をナイフの背で切り付けて、そこに水を流し続けると自分を出血多量だと思い込んで、実際に亡くなったって話)

 

 完成度の高い幻覚は、実際には何もされていない身体に本物の傷痕を呼び起こす。聖痕(スティグマ)と呼ばれるこの現象が、今まさに刃の全身の至る所に現れていた。

 そしてさらに、とっくに限界になっている精神そのものは、休息を求めスイッチのオンオフが入れ替わり続けている。

 少しでも気を抜けば、最下層まで真っ逆さま。心身ともに意識を細い糸でつなぎ止めているような現在の状態でこの深い深い井戸を上るのは、今までやってきたどの修行よりも命懸けだ。

 

「ぐっ、どりゃ……あっ!!たは〜。何とか生きて帰って来れたぁ。でも、もう動けそうにねぇや…………。あ!時透!」

 

 ようやく井戸の縁から体を出すことが出来、縁を曲点として身体をくの字に曲げた状態でほっとして力を抜く。既に体力の全てを使い切り、体はあらゆる駆動命令を筋肉に到達する前に拒否していた。

 すると、何の奇跡か、丁度井戸の近くの林の中を時透が練り歩いているのが見えた。

 

「…あぁ、もう五時間経ったんだ。何かが掴めた?」

「いや、まだなんとも…。それより時透!部屋まで運んでってくれないか?もう体が全然動こうとしてくんなくてさ…」

「え?やだけど」

 

 ……時透さん?

 

「そんな面倒くさいことするわけないじゃん。勝手に疲れたんだから責任もって自分で帰って来なよ」

 

 そう言い残して、時透は刃に目もくれずすたこらと道場の隣の屋敷へと戻って行った。

 

「上等だ…。しっかり自力で帰り着いてやらあああぁぁ!!」

 

 刃は筋肉の活動拒否をその上からさらに拒否し、力ずくで肉体を統べて井戸から全身を引きずり出す。一度無様に死している身ゆえ、今更守るべき誇りなどない。渾身の匍匐前進で埃まみれになりながら竹林を駆け抜けていく。

 

 火事場の馬鹿力とでも言うべきか、刃は恐るべきスピードで竹林地帯を抜け、瞬く間に道場近くの池で鯉を眺めていた時透に追いついた。

 

「どうだ時透!追い、ついて、やった、ぜ……ゲフッ」

 

「………」

 

 しかし、一時の感情の昂りから生まれた力は、当然目的の達成と同時に失われる。

 時透に追いついた時点で彼を見返すという目的を達成した刃の体は、限界に達した体にさらに追い討ちをかけたような行動をしたせいで、即座にスリープモードへと移行した。

 

 それを無言で見つめていた時透は、この男の子供のような負けず嫌いに呆れてため息を吐き、ほっぽってそのまま屋敷へと帰ろうとしたが、数歩歩いたところで踵を帰し、刃の体を自分の背中の上に乗せた。

 

「なんでこんなに無駄に重いわけ…?はぁ…」

 

 こんなのがほんとに自分に返って来るの? と、時透は一人の心優しい鬼殺隊士の顔を思い浮かべながら心の中で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてそれから、二週間が経った。

 

 修行開始からたかが二週間程度しか経っていない、と誰もが思うであろうが、この男、天道刃はその才の大きさゆえに転生を言い渡されるほどの紛れもない天才である。更に十年以上も一人で修行をしてきた彼には一人稽古の経験から、見えてきた()()の糸口からその本質を手繰り寄せる"勘"も優れている。

 

 この三日間の修行で、刃はその何かをその手に掴んでいた──!

 

「はっはー!雷の避け方はわかったぜ!!まずは一つ突破ァ!!」

 

 ただ一つ、掴んだ何かが技の会得に繋がらないものであることに目を瞑れば。

 

「ってちげぇよ!!水の方に対応出来てねーんだったら絶対攻略法ではないわ!!」

 

(クソッ!この二週間の精神攻撃がだいぶ頭に来てやがる……。つか、いつの間にか五時間経ってるじゃねえか。完全に無駄にしたな……)

 

 刃としてはもう少し潜って修行していたいところだが、先日一日五時間の禁を破った際時透にボコボコにされてしまったので、今日のところはひとまずこの辺で終わって頭を空っぽにすることにした。刃は部屋を出て、立ち上がって外へと続く頭上を見つめる。そして…。

 

「ほっ、たっ、ていっ、やあっ、とうっ」

 

 井戸に等間隔で付いている僅かな突起を足場に、軽々と井戸を駆け上がり、地上に出てほっと息を吐いて座り込む。

 

 いつぞや井戸を下りている時、この突起が十分足がかかる面積を有していることに気付いた時から、井戸から上がる時はこれを使って駆け上がっていた。何気にめちゃくちゃ危なく難しい行為ではあるが、それを一発で成功させるあたり、やはりこの男は腐っても天才であるようだ。

 

 しかし、こんな技術を向上させたところで本来の目的には何も役立っていないのは、刃も重々分かっている。それでも、何かをやり遂げたという達成感がなければ、襲い来る焦燥と不安が刃を蝕んでいくのだ。

 

「だいぶ切羽詰まってるみたいだね」

 

 突如として右前方の林から聞こえた声にギョッとして、思わず普段ならそこにあるはずの刀の柄を握ろうとした手が空を切る。心臓が早鐘を打つが、若干吹き出た冷や汗が頭を冷静にし、同時に活発な働きを取り戻した脳内で海馬が引っ張り出してきた音が、その場所から聞こえてくる声と酷似していることに気がついた。

 

 そこから現れたのは、たまたま通りかかった──風を装った──時透であった。彼は無表情のまま座り込んだままの刃に近寄り、手を差し伸べる。

 刃は伸ばされた手をしっかと掴み取り、引き寄せられる勢いに乗って、接地した足に体重をかけて立ち上がる。

 

(やっぱこいつ、幽霊かってくらい気配が感じられねぇ……)

 

 スキルとしての気配察知を持つ刃を欺いて容易く接近する隠密性。体格ではるかに劣る刃を腕力だけでいとも容易く引き寄せ、神の恩恵(ファルナ)を受け取った刃の挙動にも軽々と着いてくるフィジカルの高さ。この何気も無い一連の所作からでも、齢十四とは到底思えないほど洗練された彼の技術が見て取れ、刃は感嘆していた。

 

 そして同時に、彼が本気で戦う姿をその目に見てみたかった。

 

「……何?人の顔をジロジロと」

 

「なぁ、時透。少しでいいから手合わせ頼めるか?試合じゃなくて、呼吸解禁のマジのやつ」

 

 刃は思考の末、今一度この師に教えを乞うた。

 

 心映箱に篭り始めてからこれまで、幾度となく精神への攻撃を受け続けた刃。日を重ねる度に心は擦り減り、代わりに剣を握れずに数メドル弱の部屋に五時間監禁される生活にフラストレーションが溜まってゆく。その結果苦悩し思考力が低下して、気付けば前述の現実逃避が前面に押しでた攻略法が生まれてしまったのだ。

 

 刃は自分が天才であることは自負している。そして、自身の才能のタイプが何であるかも()()()()()()()()()だ。今の自分に足りないのは成功のイメージ。実際に時透の剣を受けることで、そのイメージを肌で感じ取ろうというのだ。

 

 時透、刹那の思考。

 

(ここで下手に手を出せば()()()の成長の妨げにもつながる可能性がある。今後の戦闘のことを考えればそれは避けておきたいけど…………。もしも違えていたなら面倒になるからなぁ……。ここで正しておくのが最善か)

 

「わかった。じゃあ今夜九時に道場に来て」

 

「!サンキュー!」

 

 了承を得て、小さくガッツポーズをする刃。現在の時刻は午後六時。この時間をも余すことなく利用したいと考える刃は水場で手を洗い、食事部屋まで突っ走って座布団の一つに着席。瞑想を始める。

 

(今日は無駄に動き回ったからなぁ……鶏肉と玉ねぎを数種調味料を加えて煮込んで、あーしてこーして……)

 

「出来たっ!」

 

 目をかっと見開いた刃が胸の前で勢いよく手を合わせると同時に、食卓上でどこからともなく爆発するような音とともにもくもくと煙が立った。

 

 立ち込めた煙が去っていくと、そこには大き目サイズの丼にこれまた大盛に盛られた親子丼がどこからともなく出現していた。

 

「よし!いっただっきまーす!」

 

 律儀にそう宣言してから、箸をもってがつがつと親子丼をかきこむ。

 

 これがこの世界における食事の仕組み。頭の中で食べたい料理の調理手順をイメージして、それを組み立ててゆくと実際の食物として具現化する。食事の美味しさは調理の丁寧さや現実味によって変化し、大雑把に構想すれば不味く、細かい所までしっかりと思考して調理すれば現実で自分が作った時と同じ味に。理論上で言えば一流料亭の味にだって進化する。

 

 以前、なんでこんなめんどくさいシステムにしたのかと時透に尋ねたところ、曰く、「イメージと身体の動きの連動率を高める修行みたいなもの」らしい。

 

「よし、今日も美味かった。ごちそうさまでした!」

 

 腹を十分に満たし、続いて風呂場へ直行し、汗を流してから酷使した脳を休めるため部屋に戻って仮眠をとる。

 

 

 

 そんなあれこれをしていると、いつの間にか約束の時間の三十分前となった。

 

「……八時半か。そろそろ起きて準備すっかな……」

 

 床から起き上がり、凝り固まった体をストレッチで解きほぐす。刃は戦闘までの準備にそれほど時間をかけるタイプではない。こちらの世界に来る前(現世に転生する前のこと)も、朝早くから試合があったりしたときには試合前に入念な精神統一や準備運動をするよりも、いつも通りの時間に寝てからギリギリまで睡眠時間を確保して、なるべく生活リズムを変えないようにしていた。

 

 しかもこの習慣が、ひとたびダンジョンに入ればいつどこで戦闘が始まるかわからないこの世界にぴったりであるのがまた面白いものだ。

 

『武士かよお前は!?生まれる時代間違えてんだろ!』

 

 いつぞや、かの親友にそのようなことを言われたのが懐かしい。

 

「さて……そろそろ行くとすっか」

 

 ストレッチを終えて頭も覚醒したところで、立ち上がって道場へと向かう。ついでに機動確認のために途中でバク転側転も行いながら。

 

 現実世界で俺を待つ家族のため。必ず強くなって帰るんだ。

 

 そう心を固め、剣道場の扉を勢いよく開け放った──!

 

「って、まだいねえじゃん」

 

 

 

 ……そして、到着から数分後。背後からするするという音が聞こえると同時に、時透がするりと足を踏み入れた。

 

「ん。じゃあ始めよっか」

 

「やっぱ九時きっかりに来たか。几帳面なんだかものぐさなんだか分かんねーな……」

 

 こういう待ち合わせの時、ものぐさの時透は早めに来て準備運動などせず、しかし時間はしっかり守る。結局は超効率的なのだろう。

 

 ぺたぺたと木刀の入ったカゴに近づき、いつも通り手入れの行き届いたそれらの一つを適当に選んで手に取って

 

 ──時透は、その姿を消した。

 

「戦闘はよーいドンでは始まらない」。この数週間の間、時透の口から何度も聞かされ、何度も不意打ちをくらった日々がフラッシュバックする。だからこそ、狼狽えることはもうありえない。

 

 瞬きの一瞬をついた潜伏。このパターンの攻撃は見てから反応しようが一点読みだろうが軌道を変えられるため、仕掛けられた側はどう足掻こうが後手に回る。

 

 ならばと刃は一時離脱よりもねじれ渦での全範囲のカバーが合理的だと考え、即座に息を吸い込む。

 

(水の呼吸 陸ノ型 ねじれ渦)

 

 

 瞬間、なにか嫌な感覚を覚える。

 

 

 振り返りと同時に放った刃の一閃と、空中から頭を目掛けて斜めに振り下ろされた時透の一閃が、わずかな一瞬にも満たない一合を交わしてすれ違う。

 

(は?なんだ?おかしい、なんで)

 

 ほんの一瞬、動揺からなる喧騒が刃の脳みそを塗りつぶしたことを彼は見逃さない。空中で体を丸め円を描きながら半回転し、背を向ける刃の頭に狙いを定めたまま、両足を突き出してかかと落としを繰り出す。

 

 刃は回避も迎撃も間に合わないことを瞬時に悟った。

 

 直撃が避けられないのであれば、威力の乗らないうちにとめてしまうのが最善。

 

 かすかに見える時透の姿から蹴りの入る位置、そして膝関節の位置を計算し、そこを目掛けて思い切り足を蹴る。

 

 想定通り威力の乗らないかかと落としは膝裏が刃の肩と衝突する。走ったのは微かの衝撃のみ。

 

 時透の顔が僅かに歪んだ。

 

 この機を逃すまいと、肩の上からとび出ている足首を瞬時にがっしと掴み、次の手が放たれる前に時透を全力をもって床に叩きつける。

 

 しかし、時透は体が振り下ろされる衝撃を受けながらも上体を起こして転がり受身を成功させる。

 

 すぐさま反撃に転じようと顔を上げた頃には、刃の木刀は回避不可の間合いに入っていた。

 

 そして刃は再び水の呼吸を発動させんと息を吸う。腕をクロスした状態で引き絞った刀を、両腕同時に振り抜き敵を切り裂く。刃がこの世界で最も修練し、一番最初に発動に成功した技。

 

(もう一度……!)

 

「水面斬りっ!」

 

 それは、時透との試合において、今までに一度たりとも聞いた事のない澄んだ快音をたて、彼のこめかみあたりを打ち抜いた。

 

 クリーンヒットした鋭い一閃は、例え木刀といえども時透の頭に傷を作った。時透のこめかみからは、じんわりと一筋の流血が生じている。

 

 しかし逆に言えば、それだけ。

 

 たった一筋の流血()()しか生じていない。

 

(まただ、この感じ。技を発動しようとした瞬間、体を弾かれるような感触。言うなれば、まるで……)

 

「「拒絶されたような感覚」」

 

 動揺が最高点に達し、思わず溢れ出た呟きに一つの声が同調した。

 

「……まだ開花には至ってなかったか」

 

 続けて彼がポツリと呟いた声が、やけに反響してきこえた。

 

 瞬間、辺り一帯を霧が覆いつくし、ふらついたような足取りで立ち上がった時透の姿がゆらり、と陽炎のように歪み、霧の中へと姿を隠す。

 

【霞の呼吸 漆ノ型 朧】

 

 全集中の呼吸。この世界に来て幾度となく修練し、対峙する様々な相手を屠ってきた刃にとって、初めて体感するその剣技は、おおよそ剣技と言うには難しいほど、彼の体に温く冷たく緩く鋭く纏わりついた。

 

(なんだこれっ。あいつの姿どころか、周りが、全く見えないっ……!)

 

 実質的に視覚を封じられた状態で動揺はさらに加速し、動悸が少しだけ早まる。力んで体が固くならないあたりは、修業の成果と言うべきか。

 

「呼吸に拒絶されたね。もしかして、自分が呼吸を支配してると思った?自由に使役しているとでも思った?傲慢だね」

 

 スっ、と。霧の中から刃の耳元で囁いた。

 

 すぐさま声の聞こえた方を切り捨てる────ことはせず、次に時透が現れる場所を予測し、そちらの方向へ刀を振る。

 

「呼吸は使うものじゃないんだよ」

 

 予想通りにそこにいた彼の姿が残像だったと気付いたのは、半ばから真っ二つにしたときだった。

 

 渾身の一振りを振り抜いて体が完全に硬直しているその隙に背後から、気配なく近づいてきたさっきとは打って変わって強烈な圧を感じ取った。そしてその圧は、刃の頭蓋骨を目掛けて一気に振り抜かれた。

 

【霞の呼吸 特式 夢幻霧想】

 

 それは、まるで脳に直接電気ショックを打ち込まれたと錯覚する麻痺感覚。三半規管が揺さぶられ、景色がぐわんぐわん揺れて、激しい吐き気とめまいで、体は言うことをきかなくなった。

 

「今回は力を貸すから、ちゃんと()()()()よ」

 

 視界が閉ざされた状況で、機敏になった聴覚が確かにその音を捉えた。

 

 鈍く響き続ける激流の音、けたたましく鳴り響く硬質な雷鳴の音。

 

 それはまるで、あの部屋と同じ。

 

 頭上から降り注いでくる激流の音を察知はするも体は重く、為す術もなく飲み込まれる。

 

「夢幻霧想は本来幻影を作る技。でもこの世界に限っては、実体を持つことができるらしいんだ」

 

(!占めた!水被ったら酔いが覚めたぞ!)

 

 横に転がって激流から脱し、後ろに退避しながら立ち上がって構えをとる。

 

 瞬間、刃は多方向から自身へと向かってくる気配を感じ取り、それらを全て躱しきる。

 

 しかし相手は人間ではなく自然現象。気配なんてものは存在せず、全てを目で見てから反応して対応していれば、この猛攻を裁くことはできない。

 

(違う、これじゃあダメなんだ。考えろ、思い出せ。精神(この)世界でやってきた事には全て意味があるはずなんだ。探せ!記憶の中から答えを見つけ出せ!!)

 

 

 呼吸をすると同時に出現する水流や落雷。

 

 

 "水"の呼吸と"雷"の呼吸。

 

 

『ここでの食事の意味?まあイメージと身体の動きの連動率を高める修行みたいなものだよ』

 

 

『自分が呼吸を使っているとでも思った?傲慢だね』

 

 

『呼吸は使うものじゃないんだよ』

 

 

『ちゃんと()()()()ね』

 

 

 

 

「…分かった」

 

 一度、刃は全集中の呼吸を止めた。これまでの認識、思考を断ち切るように。

 

 そして改めて、息を吸う(向き合う)

 

(ヒントは全部だった。躍起になってルールを探したって答えが見つかるはずもなかった。最初から、理屈じゃなかったんだな)

 

 頭上から、とてつもなく大きな流水が降ってこようとしている。刃はそれに抵抗するでもなく、それを避けるでもなく、ただただ身を委ね。

 

 感じた水の柔らかさに、心は溶けだして行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、現実世界では。

 

「神様、お願いします」

 

「ダメだ!!そんなのはダメだよ、ベル君!!!」

 

 主人公の戦いは、止まることを知らない。




【霞の呼吸 特式 夢幻霧想】
朧発動時にのみ使える、相手に幻影を見せる技。最も手練相手にはこの程度の幻影は通用しないし、相手の頭を的確に狙って脳を揺らす技なので、対鬼戦には全く使えないので封印。誕生の経緯は『マンネリな時に適当に遊んでたらなんか出来た』ということらしい。


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怪物祭(モンスターフィリア)

〜〜今回投稿再開するまでに起こったこと〜〜
・鬼滅の刃が連載終了する
・ダンまちの3期まで残り一ヶ月
・関係ないけどハイキューが終わった(悲しい)
・半年たってもまだコロナ続いてる


ぱっと思いついたのはこれだけだけど、これでええんかV.IIIIIV³?

鬼滅は終わっちゃったけど、最近1500人とか閲覧10万ってやべえ数字だよなって自覚したので、まったりでも続けていこうと思います。こんな俺を見放さないでくれる方々は、これからもよろしくです!!


「……起きないな、刃」

 

 ヘスティアが用事があるので留守にすると言って出かけた夜から現在まで、ベルはダンジョンにも行かず刃に付きっきりでの看病をする生活を送っていた。

 

(無理やりご飯食べさせてるだけだから、取れてる栄養の量が少ない。まだ衰弱してるってほどではないけど、そろそろ起きてくれないと……)

 

 ベルが昏睡状態の刃を背負って帰ってきた日から、既に四日。一向に目を覚ます兆しが見えない。

 

 以前、二人がアイズと初めて出会った日、刃はダンジョンで今回とは比べ物にならないくらいの大怪我を負った時でさえ丸一日で目を覚ましたと言うのに。(その時のベルは、アイズと刃の剣戟の衝撃に一合目から耐えられなかったため、何が起こったのか全く記憶していない)

 

 ヘスティアは、今の刃は"何者か"からの精神攻撃を受けている状態だと語った。そしてそれを聞いた上で、ベルもヘスティアも、刃がそれを乗り越えて帰ってくるに決まっていると信じて疑わなかった。勿論それは今でも変わっていないのだが、それよりも先に肉体の限界が来てはどうしようもない。

 

 どうにかして刃の力になりたいと思うベルだが、刃が今蝕まれているのは物理的な攻撃でも対処方法が明確な毒攻撃でもない。いまのところ得体のしれない精神攻撃という括りである以上、その手の事象に有効なスキルどころか、魔力すら目覚めていないベルにはどうすることも…………。

 

 というところで、ベルの思考が電撃のように駆け巡った。

 

「まさか、誰かからかけられた魔法!?」

 

 ベルが新しい可能性として弾き出したのは、他の冒険者、またはモンスターからの魔法攻撃である。

 

 通常なら真っ先に疑うであろう可能性ではあるが、刃が転生者であるという事と、それに伴う規格外の行動や彼に降りかかった──正確には自分から首を突っ込んで行った──災難の数々から、今回の出来事もそれと同列のものだろうと考えたヘスティアは、純粋な攻撃によるものである可能性を無意識に除外してしまったのである。

 

 そして、自分自身に魔力が宿っていなかったゆえに、ベルもまた魔法攻撃の可能性は考えつかず、ヘスティアの考察を疑わなかった。

 

「そうだとしたら、まず犯人を見つけ出さないと!」

 

 そう意気込んで情報収集に出ようとするが、現状で確定している情報が少ないため、有益な情報は得られないことに気付き足を止める。

 

「でも、刃が倒れてた階層にそんな魔法を使うモンスターはいないはずだし、そもそも僕、魔法のこと何も知らない……」

 

 知識が足りないながらも思考を回し、刃を発見した時の状況などを思い出して少しでも手がかりをつかもうとする。

 

 …………しかし残念というか、なんというか。実際のところは魔法どころか攻撃ですらなく、犯人は現実に存在しない時透無一郎(亡霊的な何か)である。

 

 刃はベルがこんなにも悩んでくれていることはいざ知らず、その亡霊に嬉嬉としてしごかれている真っ最中なのだが、ベルがそれを知る日が来るのはまだまだ遠い先の事だろう。

 

「うーん、何かいい方法は…………。そうだ、エイナさんに聞いてみよう!」

 

 冒険者歴三週間ちょっとの自分の知識なんかよりも、ギルド職員に聞いた方が何かが分かるだろう、という一縷の望みにかけて、ベルは手早く身支度を済ませ街へ駆け出した。

 

(待っててね刃。刃は必ずボクが助けるから!)

 

「おーい白髪頭!ちょっと待つニャ!」

 

 ギルドへ向かって全速力、とはいかずもそれなりの速さで走っていたところを、とある女性の声に引き止められた。

 

 声の聞こえた方向を振り返ってみると、そこにあったのは先日世話になった居酒屋『豊穣の女主人』と、その店の制服である黄緑色を基調としたメイド服を身にまとった獣人の店員、アーニャであった。

 二人は律儀に朝の挨拶を交わした後、ベルの手元に小さながま口財布が置かれた。

 

「にゃからー、おみゃーは、おっちょこちょいのシルにこの財布を届けるのニャ」

「……すみません、まだ状況が飲み込みきれてなくて……」

 

「アーニャ。それでは説明不足です。クラネルさんも困っています」

 

 アーニャの独特なペースについていけなくなっていたベルの元に、洗濯カゴを抱えて出てきたリューの鶴の一声が降ってきた。

 

「リューはアホニャ。店番をすっぽかして怪物祭(モンスターフィリア)を見物に行ったシルに財布を届けてやって欲しいなんて、いちいち言わなくてもわかることニャ」

 

「という訳です。無論、シルは休暇を取って祭り見物に行っています。今頃財布がなくて困っているところでしょう。引き受けて頂けますか?」

 

 なるほど、確かにシルであればやりかねない。と、ベルは軽く相槌を打つ。本来なら困っている女性を見逃すことなんてことはしないベルだが、いかんせん今はファミリアの治療の方が優先順位は高い。

 

「すみません。これから急いでギルドへ行って、やらなきゃいけない事があるんです」

 

「?何やら焦っているようですが、どうかされましたか?」

 

 リューに焦りを見抜かれ、一瞬驚いて体が跳ねた。適当にお茶を濁して先を急ごうとも思ったが、そこはやはりお人好しのベル・クラネル。自身を心配してくれているリューの気遣いには逆らえず、事の顛末を事細かに二人に話した。

 

「なるほど。そのような事が……」

 

「ていうか、白髪頭のとこのファミリアって、おみゃー以外に団員いたんだニャ」

 

「つい一週間前くらいに新しく入ってきたんですよ。て言っても、僕が入ったのもその二週間前くらいなので、ほとんど同期みたいなものですけどね。それではそういうことなので、申し訳ありませんが失礼します!」

 

「それでしたらクラネルさん。貴方はやはり怪物祭(モンスターフィリア)へ行った方がいいかもしれない」

 

 ギルドへと向かって踏み出した足が、今度はリューの言葉によって引き止められる。

 

「どういう事ですか?」

 

「貴方の話を聞く限り、その症状は魔法と言うよりも呪詛(カース)に近いものと見受けられる。解呪のためには専用の魔道具と、高レベルな魔導師の力が必要です。そこならば、両方見つけられる可能性は高いでしょう」

 

 怪物祭(モンスターフィリア)。通称フィリア祭はオラリオの代表的な祭りの一つ。大勢の人達がそれを楽しみにして、コロシアムで行われる戦いを見物にやって来る。そんな稼ぎ口を逃さぬよう、コロシアムの外周では多くの屋台が出店する。

 

 その魅力に釣られ、ただの住民や商人だけでなく、冒険者、神々まで立場を問わず様々な人物が訪れる祭典。それが《ガネーシャ・ファミリア》主催の怪物祭(モンスターフィリア)だ。

 

 もしギルドに行ったとしても、せいぜいが冒険者依頼(クエスト)の発注という形で終わり、他のファミリアとの関係の薄い《ヘスティア・ファミリア》の身内問題となれば、それが受託されるには長い時間がかかるだろう。その点怪物祭(モンスターフィリア)の参加者をどうにかして引き込めれば、かかる時間は僅かに一日で済ませることが出来る。

 

 刃の体に何が起こっているか分からない分、長い時間が空くのは良い選択ではない。合理性を考えても後者の方が刃に良いのは明らかだ。

 

「でも、僕にそんな魔法使いにツテなんて……」

 

「大丈夫。コロシアムに着いたら、《ヘルメス・ファミリア》のアスフィを探してみて下さい。私の名を出せば力になってくれるかもしれません。他にもいくつかアテがあるので、メモにまとめて渡しておきます」

 

 一瞬、そのような人物達に対するコネクションを持っているリューは一体何者なのかという疑問が生じたが、今はそれより、刃の問題に一縷の望みが見いだせたことへの歓喜が勝った。

 

 リューからアスフィについての情報や、彼女がどこにいる可能性が高いかなどの情報を受け取り、最初に向かっていた方向からコロシアムのある方へ方向を変え、出発態勢を整える。

 

 最後にリュー達にお礼を言い、財布は任せてください、と言い残して、ベルはコロシアムの方へ走り去っていった。

 

 

 

 

 そして、間もなくしてコロシアムに到着。屋台のエリアからコロシアムの出入口まで多くの人でごった返していて、小さく会話を交わしているだけの声も相乗効果を伴い、大きな喧騒に変わって耳に届いてくる。

 

「ようやく着いた……。とにかく、アスフィさんを探さなきゃだけど……」

 

 眼前いっぱいに広がる人混み。人が人の壁になり、道を挟んで片側の屋台は煙しか視認できないほどの混雑具合を改めて眺め、ベルは深くため息をついた。

 

 この様子ではリューに身体的特徴を聞いただけのアスフィは愚か、顔見知りのシルですら見つけることは困難であろう。

 

 しかしファミリアのため、今は泣き言を言っている暇はない。人混みへ足を踏み出す。

 

 その時、どこからか聞きなれた声が聞こえた気がして、はっと辺りを見渡した。流れる人から邪魔だという視線を向けられていることに気付きながらも、足を止めてぼんやりと浮かぶイメージを確定させようと頭を回す。確かに近付きながら繰り返される声が頭の中で反響する度イメージははっきりとした形を持ち、人混みから見え隠れする純白の手袋を見た瞬間、それは確信に変わった。

 

 "それ"は人混みの中からベルに飛びついて、二人まとめて通路脇に倒れ込んだ。

 

「神様!!おかえりなさい!」

 

「やっぱりベル君だった!会いたかったよ!」

 

 そう言って、ヘスティアはベルの胸にすりすりと頭を擦り付ける。道行く人にチラチラどころかガン見されているし、何より自身が死ぬほど恥ずかしいのでヘスティアをどかそうと手を浮かす。

 

 だがしかし、あまりに幸せそうにしているヘスティアの姿を見ると、なんだか先程まで張っていた緊張の糸が緩んだ気がした。普段ならばありえないが、今日はもう少しこのままでいようという気持ちになり、そっと手を下ろし抵抗をやめた。

 

 そしてベル成分を十分に充電しきったヘスティアは、冷静になって浮かんできた疑問をベルに問う。

 

「ベル君はこんなとこで何をしていたんだい?刃君が見当たらないようだけど、もしかして、まだ起きていないのかい!?」

 

 先程の緩みきった表情から一転して緊迫した声を上げるヘスティア。ベルは現在の状況を細かく説明していき、協力を仰ぐ。ヘスティアは少し俯き顎を指で支え、なるほど、と息をつく。

 

呪詛(カース)か……。確かに、症状的には十分に考えられる」

 

 なんでそんなことにも気づかなかったんだ……!と、ヘスティアは心の中で自問自答し、髪の毛を乱雑に掻き回す。

 

 そんなヘスティアの荒れている姿を心配そうに見ていると、ヘスティアの目元に、深い()()があったのを見た。

 

「(ちょっと考えればたどり着く可能性だった。刃君が転生者だからって、ここではたった一人の冒険者であることには変わりないって言うのに…………何を勝手に結論づけて安心していたんだ、ボクは!!)事情は分かった。ベル君、早急に魔導師をさがムグゥッ!?」

 

 思考をまとめあげ、一刻も早く刃を助けるために動こうとベルの方向に振り向くと、口の中に何かを入れられた。いや、ヘスティアが顔を動かしたことで口の中に入り込んだというのが正しいか。

 途端、甘い味が舌の上で溶けだした。そこでようやく、自分の口に入り込んだのがクレープであったと気付く。

 

 ヘスティアは困惑し、向く方向を間違えて屋台を回っている途中の人が手に持って歩いていたクレープを食べてしまったのではないかと考えたが、クレープに添えられた手を辿ってみれば、そこに居たのは紛れもなくベルであり、ヘスティアが咥えているクレープを持つ手と同じように、もう片方の手にもクレープを抱えていた。

 

「神様。僕達のために、すっごく大切に思ってくれるのは、とっても嬉しいです。心配かけてしまって本当に申し訳ないとも思ってます。

 でも、神様が僕達を思うのと同じくらいに、僕達も神様を大切に思ってます。だから、今日は羽を伸ばしてください」

 

「ベル君……。でもいいのかい?そんな悠長にしていたら刃君が……」

 

「大丈夫です。情報収集しながら、寄り道して屋台を回るだけですから。そのための時間くらい、刃は平気で耐えてくれます!」

 

 そう言ってベルは、左手に持った自分用のクレープにかぶりつき、ニカッと笑って見せた。

 

 その顔に、その声に、その言葉に。焦りや苛立ち、様々な負の感情に包まれていたヘスティアの心は払拭され、魅了された。

 

「……分かった。じゃあ思いっきりお祭りを楽しもうじゃないか、ベル君!」

 

 満面の歓喜の笑みを浮かび上がらせながらそう言ったヘスティアは、今度は自分の意思で、勢いよくベルの手にあるクレープを頬張った。

 

 ────────ーベルの"左手"にあるクレープに。

 

「えぇっ!?!?ちょっ、神様!?何してるんですか!」

 

「いいじゃないか、その分ボクの方もあげるからさ!はい!」

 

 …………魅了されていたのは、とっくの昔からであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなファミリアの微笑ましい光景を、覗くようにして見ていた神が一神(ひとり)

 

「いきなり呼び出しといて自分はよそ見しながらうわの空とか、何がしたいねんお前は」

 

 背後にアイズ・ヴァレンシュタインをたたずませて、《ロキ・ファミリア》主神ロキは、テーブルを挟んで向かい側に座る()()()に問いかける。

 

「……あらごめんなさい。外でとってもいい色が見えたから、つい見とれてしまって」

 

 そう言って、美の化身フレイヤは頬を赤らめる。

 

「あいっかわらずお前の色トークはよぅわからんわ。まさか、そいつが今回目ェ付けた子どもかいな?」

 

「えぇ。そんなところね。と言っても、片方しか見られなかったのは残念でしたけど」

 

「なんや、今度は二人もおるんかいな?全く、ホンマにとんだ浮気もんやで。で?今回のはどないなもんなんか吐いてもらおか。わざわざウチのファミリアといざこざになんかなりとうないやろ?」

 

 あくどい笑みを浮かべ、声と併せてフレイヤを睨め着けるように問いかけるロキ。先程からロキの目線がチラチラとアイズの方向へ向けられているのも、先刻の発言の本気さを底上げする。

 

 そんなロキからの問いかけ(きょうはく)にも動じずフレイヤは両頬に手を当て、うっとりとした表情で語り始めた。

 

「初めて見たのはほんの数日前。両方まだ強くはなくて、一人は本当に少しつつけば壊れてしまいそうな程だったわ。でも、それはとても綺麗に透き通っていた。色という表現が適しているのか分からないほどに透明。今まで見たことの無い色に、見とれてしまったものよ」

 

「ほぉ、やっぱ色トークは分からんが、なんやヤバいことは分かったわ。そんでもう一人の方はどないなんや?」

 

 フレイヤの独特な感性による色トークを、自分から聞いておきながらも半ば聞き流しながら聞いていたロキが、飲み物片手に相槌を打つ。

 

「…………そうね。何も見えなかったわ」

 

「はぁ?」

 

「今までにも強い光を放つ色は沢山見てきたわ。でも、あの日見たのはそんなものじゃない……。全てを照らす天の輝きにすら等しいと感じたわ。そんなもの、直視なんてしたらこっちの光が奪われちゃうわよ」

 

 今度は左手で自分目を覆い隠しながら、そう言った。それを一通り聴き終わったロキはグラスの中身を飲み干し、タァン!と音を立てながら卓に置く。

 

「それはなんや。その子どもはワイら神と同列のもんやとでも言いたいんか?」

 

 開眼したロキの目が、ギラリとフレイヤを睨みつける。

 

「そこまでは言わないわ。でも、そうね……。あの水晶のような光に、あの輝きを通したら…………。考えただけでときめいてしまうわ」

 

 思い返しているだけなのに、完全に心を奪われたような表情で語るフレイヤ。先程まで威圧感を全面に押し出していたはずのロキもゾッとして、ドン引くついでに血の気も引いていった。

 

 ロキの反応には目もくれず、我に返った様子のフレイヤが急に立ち上がった。

 

「……ごめんなさい。急用を思い出したから失礼するわね」

 

「はぁ!?なんやねん急に!?って、勘定こっちかいな!」

 

 背後から聞こえるロキの声を無視して──正確には最初から最後までほとんど聞いていなかったが──颯爽と歩き去るフレイヤ。

 

 店を出てしばらく歩き、フレイヤはコロシアムのある場所へと続く薄暗い通路を歩いていた。

 

(そういえば、話し忘れちゃったわね。()()()のこと)

 

 コロシアムの檻に鎮座する怪物(モンスター)達を魅了しながら、ロキに話す予定だった重要なことを忘れていたことを思い出す。

 

(でも、あれじゃどの道話せなかったわね。それに、確かに見た事ない色ではあったけど…………)

 

 フレイヤの『美』に魅入られた怪物達は、自身を取り囲む窮屈な檻を突き破り、植え付けられた本能の赴くまま、標的の匂いを追い求めて走り出す。

 

(あんなに汚く歪に汚された色なんて、なんの興味もないわ)

 

 これから巻き起こる大騒動の首謀者であるこの神は、暗闇の中で小さく笑みを浮かべていた。

 

「さぁ、私が魅了された色たちは、どんな風に魅せてくれるのかしら?」

 

「ウゴゥルアアアアアアアァァァアアァア!!!!!!!」

 

 だだっ広い広場に怪物の雄叫びが響き、祭りを始める(ベル)が鳴る。

 

「シルバーバック!?」

 

「ベル君、アイツ……ボクを見ていないか?」




〜〜今回の話を投稿するまでに起こったこと〜〜
ベル君たちがモンスターフィリアにいくための口実が見つからなくて執筆止まる。
→何とか捻り出してコロシアムに到着する所まで執筆。
→前の話を読み返すと、口実がその話とめちゃくちゃ矛盾してることが発覚。
→一回書いたやつを修正するのはなかなか難しく、手こずって時間がかかる。
→何とか矛盾をなくしてから続きを書く。
→ようやく完成。

やっぱ間開けすぎるのはダメだって思い出したよね。


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憧れ→





 それは、突然の出来事だった。

 

 未だ眠ったまま目を覚まさない刃を助けるべく、リューから貰ったリストを元に魔導師を探していたベルとヘスティア。

 

 フィリア祭の人の多さを活かせば一人くらい簡単に見つかると思っていたが、かなりの時間探して回っても影を掴める気配すらなかった。

 

 身体的特徴と名前だけでは限界を感じ始め、とりあえず一息つこうと広場に出た時に、呼応するように奴は来た。

 

「ウゴゥルアアアアアアアァァァアアァア!!!!!!」

 

 白い体毛に包まれた巨躯をゆらゆらと揺らし、獰猛な雄叫びが大地さえも震撼させる。体の様々な場所に付けられた鼠色の拘束具は、なんの役目もなしていないようだ。

 

 広場にいた大勢の人々はその恐怖から走馬灯が頭の中を駆け巡り、一瞬硬直した。そして雄叫びの振動を直に受けたことで走馬灯から目覚めた彼らは、目の前に鎮座する白い怪物"シルバーバック"が夢などではなく、現実に起こっていることを、数秒遅れで理解する。

 

「……う、うわあああああああああああ!!!!!!」

 

 一人の男が叫び出したのを皮切りとして、数多の悲鳴を共鳴させながら一斉にその場を離れて大通りへと駆け込んでいく。

 

「なに!?なにあれなんなのあれぇ!!?」

「ヤバいって、訳わかんねえ!!《ガネーシャ・ファミリア》の連中はどこだよ!!」

「逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろぉ!!!」

 

「神様、これ一体どういうことですか!?これも怪物祭(モンスターフィリア)の催しとかじゃないんですか!?」

「残念ながら、過去に一度もこんな物騒なイベントが開かれたことはないはずだぜ。一体全体どうなっているって言うんだい?ガネーシャの奴!」

 

 そしてそのモンスターは大声で叫び逃げ惑う民間人には毛ほどの興味も抱かず、もはや自分の意思かどうかも分からないまま、それ特有の赤色に光る目をぎょろぎょろと動かして、数瞬後に何かを発見した。

 

 そしてそれはつまり、その"何か"の方からもそれと目が合ったということである。

 

「ベル君……。なんだかあいつ、ボクの方を……というかボクを見ていないか?」

 

 それは、植え付けられた本能に従い、辺りへの被害などお構い無しで彼女に襲い掛かる。

 

「!?神様、危ない!!」

 

 ベルはシルバーバックがヘスティアをターゲットにしていることを理解し、繰り出した拳がヘスティアに届く前にヘスティアの体に飛びついて、その勢いで拳を躱した。

 

「すみません神様。そしてさらに失礼しますっ!」

 

 咄嗟に飛びついたせいで倒れてしまったことを律儀に一瞬謝罪してから、追撃が来る前にヘスティアの背中と膝裏に手を回し、お姫様抱っこの状態で屋台が展開できない程の狭い裏路地へと入っていく。

 

「べ、ベル君……不謹慎だが、ボクは今この状況に感動すら覚えているよ……!」

「なに呑気なこといってるんですか!」

 

 つい一瞬前までヘスティアはここまでの出来事に対する困惑やら、ベルのお姫様抱っこへの歓喜やら、初めて体験するお姫様抱っこの地味に効く物理的高度と支えの心もとなさの恐怖やらが混ざりあった状態にあったのだが、どうやら最後に勝ったのは歓喜であったようだ。

 

 そしてベルが予想した通りに、シルバーバックは民家の屋上を軽快に飛び越えて自身らを追ってきている。

 

「やっぱりあいつ、ボクらを追ってきてるね」

「はい。人気のない裏路地へ来て正解でした」

 

 幸い、ここダイダロス通りは『もう一つの迷宮』という別名が付くほどにひどく入り組んだ構造になっている分、狭い路地などが多く、建物は頑丈なものが多いため、民間人に被害が行くことはないだろう。

 

 現在、追尾中のシルバーバックは建物の上を飛び越えて自分たちを追っている状態である。どうにか奴の視線から切れるために、細い路地を右へ左へと駆け抜ける。

 

 その道中に、解放していた家の窓の戸を閉める住民がちらほらと見えた。ベル達を追いかけるシルバーバックに自分たちは無関係だ、ここに獲物は居ない、という暗黙のメッセージを伝えるためだろう。

 

 コロシアム周辺はほとんどの住民が「せっかくだから」と怪物祭(モンスターフィリア)見物に出向いていたため、民家に人がいなかったが、その場からかなり離れたことでその効果も薄れてきたようだ。

 

 シルバーバックが民家を壊しながら身体をねじ込んで来る危険性がある以上、人がいては巻き込まれる可能性が高い。リスクが高くなったため、このまま裏路地を進み続けることは難しいと判断し、ベルは進路を変えて一度広いところへと出ようと考える。

 

(でも、そうすれば僕だけじゃ神様を守りきれない……!)

 

 ベルは全力疾走しながら思考を回した。グルグルと、今の状況を打破するための起死回生の策を探し続ける。

 

 そして、目の前の角を曲がった瞬間、底を抜けた先に都合良く広場があるのを発見し、いま走っている路地の対角にあるものを見つけたとき、ベルの頭に妙案が浮かんだ。

 

 成功するかは分からない、どころか失敗が濃厚な策。

 

 しかし、ここでやらなければ、この通りに住むに住む大勢の命が消えてなくなる。

 

 それとベルとヘスティアたった二人の命を天秤にかけた時に、ベル・クラネルは、自分らの命の方に天秤が傾くような男では、決してなかった。

 

「……神様、僕を置いて逃げてください。僕はもう、家族を失いたくないです」

 

 

 

 

 ────────────────────────

 

「エイナ、エイナ!大変だよ!」

 

「どうしたの?ミィシャ」

 

 場所は変わって、西側での大騒動がまだ伝わっていない様子のコロシアム東側。今日は怪物祭(モンスターフィリア)の開催にあたってダンジョンへ行く冒険者が少ないため、案内番の業務中のエイナに、なにやら興奮した様子のミィシャがかけよってきた。

 

「今聞いたんだけど、フィリア祭の会場西ゲートから、モンスターが脱走したって!」

「!?ちょっ、声が大きいよ!パニックになったらどうするの!」

「あっ!」

 

 ハッとして、慌てて両手で口を覆うミィシャ。周囲を見渡してみたが、どうやら今の会話を聞いていた者はいなかったようで、二人でほっと息をついた。

 

 同じ轍を踏まぬよう、二人は距離を詰めて声のボリュームを最小限にして話し合う。

 

「で、所属ファミリアは問わないから、冒険者に声をかけて事態の収束を図ってくれって」

 

「でも、そう都合よく冒険者なんて……」

 

「なんや、儲け話かいな?」

 

 そんな二人の会話に、どこか鼻につく特徴的な声が割り込んできた。

 

 二人は驚き、声のした方を振り返ったところにいたのは、二人の女性だった。

 

 一人は、全身のコーデが紫一色で固められ、鮮やかに透き通るような赤髪を頭の後ろでまとめる女性。オラリオ最強のファミリアの一角の主神にして、天界きっての道化師(トリックスター)という異名を持つ、知略の神ロキ。

 

 そして、もう一人は──ー

 

「……何か、あったんですか」

 

 腰まで伸ばした金色のロングヘア―が陽光を反射してきらめく、煌びやかで見惚れてしまう女性。

 

《剣姫》、アイズ・ヴァレンシュタイン。

 

 エイナとミィシャはまさに今探していた都合のいい冒険者が現れたというのに、突如として第一級冒険者とその主神を目の当たりにしてフリーズしてしまっていた。

 

「……あっ!えと、それが……」

 

 フリーズが解けて我に返ったミィシャは、先ほど《ガネーシャ・ファミリア》の者から受けた通達を、エイナに伝えたものよりも詳しく伝えていく。

 

「ほんほん、なるほど。そういうわけならうちのアイズガンガンつこてもろてええで。な?アイズたん」

 

 事情を聴いた《ロキ・ファミリア》の二人は、ミィシャたちの申し出を即答で承諾する。

 

 ロキの問いかけにこくりと頷いたアイズはその場にしゃがみ込み、周囲に風を巻き起こしながら大きく飛び上がり、コロシアムの最高点に着地した。

 

 いきなりのアイズの行動に困惑したエイナは、それとは対照的にまったく動揺していないロキに尋ねた。

 

「あ、あの、あれはいったい……?」

 

「ん?ああ、気にせんでええで。ただ見とるだけや。上からのほうがよう見えるからなぁ」

 

 コロシアムの頂上からオラリオの街を見渡したアイズは、モンスターの所在を確認し、たった一言、つぶやくように言い放った。

 

「──-目覚めよ(テンペスト)

 

 その瞬間、アイズを中心にして、強い風が巻き起こった。旋風をその身にまとったアイズはモンスターのうちの一体を標的に定め、コロシアムの壁を蹴って文字通り()()()いく。

 

「おあっ!?置いてかんでーなアイズたん!ほな、ウチらのほうでも対処しとくからその他もろもろはよろしゅうな!」

 

 そう言い残して、ロキは飛んでいったアイズを追いかけて走り去っていった。

 

「やっぱすごいね〜剣姫」

 

「うん。ベル君が憧れちゃうのも分かるよ」

 

「……はぁ。うちの子の感情も、それぐらいピュアなものだったら良かったのに……」

 

 離れていく二人をポカーンとしながら見つめているエイナとミィシャ。現実に見た《剣姫》の姿に、彼女らは各々の担当冒険者の姿を思い浮かべていた。

 

 その時、後方で悲鳴のような声が連なって聞こえてくるのを確かに感じた。

 

 二人はその声を確かに聴きとり、同時に振り返ってその出所を探す。

 

 視線の先にいたのは、こちらへと逃げてくる人の波と、その向こうから迫る巨大なモンスターの姿だった。

 

「!ミィシャ、避難誘導!」

「オッケーエイナ!……っ!」

 

 見つけられたのはほぼ直観だった。

 

 ギルド職員として、パニックになって逃げ惑う人たちの避難誘導に出向こうとした刹那。密集する人の波の内側に小さな少年が飲み込まれていた。

 

 足取りがおぼつかず波の中を彷徨う少年はモンスターから逃げる人に無意識下でぶつかられ、蹴られ、傷を負って波からはじき出された。その衝撃で少年は転び、向こうからモンスターが迫っていることに目もくれず、感情が噴出してその場に泣き崩れた。

 

(あのままじゃ、モンスターにやられちゃう……!)

 

 ミィシャはとっさに方向を変えて、全速力で少年に駆け寄る。

 

(幸いあいつは走ってはきてない。急いであの子を救出して脇に逃げ込めば……)

 

 しかし、運命はそんなわずかな希望の道さえも無慈悲に閉ざす。

 

 すでにミィシャと少年の間には五メドルほどの距離しかないが、少年とモンスターとの距離もまた二十メドルとなくなっている。そんな状況で、モンスターは屈強な足をフルに稼働させ走り出してしまった。

 

 ミィシャは苦肉の策で近くにあった武具屋の出店から閃光弾をつかみとり、ピンを抜いてモンスターに投げつける。

 

「でりゃあ!!」

 

 閃光弾が炸裂し、強烈な光がモンスターもろとも辺りを包み込む。

 

 数秒して炸裂した光が消え去った後、急な閃光に巻き込まれた周囲の人々のほとんどの視界が戻らない中、ミィシャが閃光弾を投げたことを理解したエイナを含む数人と、閃光弾を投げたミィシャは目をつぶっていたため、視界がつぶれるのを回避していた。

 

 ミィシャは守られた視界で、モンスターの様子を確認し、驚愕した。

 

(……っ!あいつ、あの至近距離からの閃光がきいてないの……!?)

 

 モンスターは閃光弾の光をものともせず、真っすぐにこちらへ向かって突進を続けている。

 

 いまだに多くの人が閃光の影響で視界は戻っていないため、今から協力を得られそうにはない。

 

 その時点で、ここからの行動は確定した一択から、博打の二択へとすり替わる。

 

 

 

 

 このまま突っ込んで、その勢いで少年を抱えて通り脇の屋台に飛び込むか。

 

 

 モンスターの前に出て時間を稼ぎ、少年の救出をエイナに任せるか。

 

 

 

 

 両方助かる博打の道か、自己犠牲の片方は安全な道。

 

 奇しくも"彼"の運命の分岐点と全く同じ状況で、彼女が選んだのは。

 

「こんなとこで死んでたまるかー!!!」

 

 座り込む少年の懐に手を伸ばして抱え込み、その勢いのままモンスターの進路を外れるために、渾身の力で地面を蹴って通りの屋台へダイブする。

 

 そして、二人の体が完全に宙に浮いたとき、彼女は悟った。

 

(これ、飛距離……足りない)

 

 体を傾けて少年を抱え上げた後すぐに跳んだゆえ、体が流れ気味で力の入らないジャンプだった。冒険者でもないただの一女性であるだけのミィシャの力では、小さいといえど男子一人を抱えて跳ぶには、僅かに力が足りていなかった。

 

「ミィシャアア!!!!」

 

 エイナの悲痛な叫びが辺りにこだまする。

 

 スローモーションになる景色の中で、せめて少年に直撃することだけはないように、と自分の背をモンスターに向ける。

 

(あぁ、死ぬときに走馬灯が見えるっていう話って、ウソだったんだなぁ)

 

 ミィシャはスローになった世界の中で、そんなことを考えていた。その考察が間違っているわけではないが、彼女がそれを断定することはまだできない。

 

「霹靂、一閃」

 

 轟音と閃光が走るとともに、風が吹き抜けた。

 

「ゴルアアアアアアアアアアア!!!!!」

 

 モンスターの雄たけびが辺りを震わせると同時に、ミィシャと少年の体が地面に落下した。

 

 ミィシャの頭は体を打った痛みを感じることすら忘れ、先ほど聞こえたささやきの元を探す。

 

 そうして振り返った先に、太陽を背負う彼はいた。

 

「お疲れ様です、ミィシャさん。あとは任せてください」

 

「遅いよっ。ヤイバ君……!」

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────ー

 

 ダイダロス通りの小さな広場の端に、ベルは一人たたずんで、扉一枚挟んで路地側に立つヘスティアと向かい合い、言葉を交わす。

 

「お願いします、神様」

 

「…………絶対死ぬなよ、ベル君」

 

 互いに短くそれだけ言い残して、ベルは扉の留め金を下ろし、ヘスティアがこちら側へと渡ってくる手段を断った。

 

 数秒後。広場を影が覆いつくし、鈍い音とともに地面を揺らしながら、シルバーバッグが姿を現した。

 

 着地の衝撃から戻った怪物はゆらりと巨体を揺らして、ついに追いついた標的に狙いを定める。

 

 足が震える。手が震える。全身の血流の温度が数度低くなったかのような寒気が襲う。

 

 それでも怪物からは目を離さない。拳を握り、右手に握った漆黒の短刀を体の前で構える。

 

 ヘスティアから託された、神様の刃を。

 

『──ダメだ。そんなのはダメだよベル君。絶対に』

 

 それは、ベルが覚悟を決めた直後に放った言葉を否定する言葉だった。

 

『家族を失いたくないだって?そんなのボクだって同じだ。君がいなくなる、それもボクがみていないところで勝手にだなんて、そんなのボク()は絶対に許さない』

 

 ヘスティアは神として、ベルの言葉を否定する。あえてボク達といった意味は言うまでもなくベルは察していた。

 

(……これで折れてくれるのが、一番楽な道だったんだけどな)

 

 そのヘスティアの言葉を聞いて、ベルはため息交じりに僅かに笑みを浮かべる。そんな反応ができるのは、恐らくなんとなくわかっていたからであろうか。

 

『……なら神様、覚悟を決めてください』

 

 瞬間、ベルの表情がガラリと男の表情に変わる。ここからが本当のベルの覚悟。

 

『あそこの広場に、扉付きの路地があります。神様には、その扉の向こうで、僕を見ていてください。そうして、あいつを確実に広場に足止めします』

 

『……!そうか。なるほどね』

 

 現状、シルバーバックがベルとヘスティアのどちらを追っているのかは判明していない。もしもヘスティアが逃げることを了承していたとしても、シルバーバックがベルに目もくれずヘスティアを追いかけていたらどのみち作戦は失敗に終わっていただろう。

 

 だからヘスティアを安全圏におきつつ、二人がそろった状況を作れば、奴は確実にそこで足を止める。

 

 口に出せば逃げられない。だから彼は大きく息を吸って、決意の言葉を口に出す。

 

『そうすれば絶対に、僕が一対一で、あいつを倒します』

 

 よどみなく、彼は一息にそう言い切った。

 

『……最高だぜ、ベル君。それでこそボクのベル君だ!」

 

 そう言ってヘスティアは、抱えていた薄紫色の布を解き、その中から木箱を取り出す。

 

 ベルは一度走るのをやめてヘスティアを下ろし、木箱の中身を取り出す。

 

 中から出てきたのは、上から下まで全身が黒く染められた漆黒の刃。

 

『使ってくれ、ベル君。これは君の、ボクらの武器だ。名付けて神様の刃(ヘスティア・ナイフ)!君が憧憬に追いつくために、刃君の隣で戦うための力だ!』

 

『……ありがとうございます、神様!!」

 

 ────本来の歴史では、彼が冒険者として戦おうと覚悟するのはもう少しだけ先の話だった。

 

 だが、この世界のベルは、その覚悟をすでに持っている。それはおそらく、彼がいたから。

 

 神の恩恵を授かったばかりだというのに、初めてのダンジョン探索でモンスターたちを圧倒させた彼。

 

 キラーアントに襲われた時も、彼がいたから切り抜けられた。いや、今考えれば、自分がいなかったとしても刃は切り抜けていたのだろう。

 

 だからベルは刃のことを口では相棒と呼びながら、無意識に憧れとして、かなわない存在だとして認識してしまっていた。

 

 そして今も、自分ではなく刃であるならば、この現状を難なく打破できるのだろうと思っている。

 

(でも、そんなこと考えてたら君に並び立つことはできない)

 

 憧れは魔性だ。絶対に勝ちたい、越えたいと頭の中で思いながら、心の奥では負けるところを見たくないと思ってしまう。

 

 だから、ベルは刃に憧れていた心を捨て去った。

 

「君はボクの自慢の子どもだ。そして比喩でもなんでもなく、刃君に劣ってなんかいない!見せつけてやれ、君の力を!」

 

(憧れなんかじゃない。僕は君の隣で戦いたいから、戦うんだ!!)

 

「神様は僕が守る。ここにいる誰も傷つけさせない。お前はここで、僕が倒す!!」




進め方はへったくそだけど、書きたかったベル君の心情の変化はかけたので満足はしてます。

さて、ようやく主人公が復活しましたが、次はベルのシルバーバック討伐になります。多分短くなるかもなんで、次はもうちょい早く投稿できるかも。(夏休み終わるから確定ではない)

そして、新たに評価をしていただいた皆さんありがとうございます!感想とかもドシドシ送っていただけると作者は喜ぶので、そちらの方もよろしく!


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この空は

 上を見上げれば、快晴の空が広がっていた。

 

 そういえばあの日の空もこんなに気持ちよく晴れていたなと、朧気な記憶が蘇ってくる。

 

『お、おい!大変だベル!』

 

 あの日山でモンスターに襲われて、おじいちゃんは死んだ。

 

 その日は悲しくて、涙が止まらなかった。泣いても泣いても泣いても、僕を慰めてくれる人はもうその家にはいないんだと分かって、それが悲しくてさらに泣きじゃくった。

 

 ひとしきり泣いて涙を枯らしたあとは、おじいちゃんがよく読み聞かせてくれたおとぎ話の英雄譚を見て、おじいちゃんの言葉を思い出した。

 

『ダンジョンに出会いを求めなければ。これぞ冒険の醍醐味だ』

 

『……おじいちゃん、僕、冒険者になる』

 

 何度も読み返してきた英雄譚。小さなころから僕たちによくしてくれた、村の人たち。おじいちゃんと一緒に食べて、寝て、遊んだ家。おじいちゃんとの思い出もすべて捨てて、僕は旅立った。

 

 向かったのはおじいちゃんから聞いていた冒険者の街、オラリオ。

 

 千年前に神々が下界に降り立ち、現在も多くの神様たちが自分のファミリアを作って生活している場所。また、世界で唯一迷宮(ダンジョン)が存在し、そこのモンスターから得られる魔石やドロップアイテムで繁栄してきた商業の街。そして世界的に見ても最高峰の強者ばかりが集う戦いの街。

 

 ここで僕は冒険をするのだとおじいちゃんに誓って、オラリオに足を踏み入れた。

 

 でも、そこに待っていたのは、甘い想像を打ち砕く厳しい現実だった。

 

『失せろ小僧。お前の食い扶持はねえ』

『掃除係なら雇ってやってもいいぜぇ?』

『持参品でも持ってきな!』

 

 こんな弱そうな僕はどこへ行っても門前払いで、どの神様からも蔑んだような目で見られ、受け入れてくれるファミリアはなかった。

 

『お願いします!僕をファミリアに……あっ』

『もっと強くなってからくるんだな!』

 

 その日も街中を歩き回り、ファミリアを探しては断られ続け、宿に戻って枕を濡らすいつも通りの一日を過ごす。

 

『少年』

 

 ────そう、思っていた。

 

『ファミリアを探しているのかい?』

 

 神様が、そこにいた。

 

 僕の前に現れた純白の神様は、屈託のない笑みを浮かべて僕に手を差し伸べた。

 

 僕はその手を取って、迷わずその場で誓った。

 

『──あなたは、僕の神様だ』

 

 だから、この人は僕が守る。家族を失わないたくないから。神様に家族(ぼく)を失わせたくないから。

 

 身に着けていた外套を脱ぎ捨てて、漆黒のナイフを鞘から解き放つ。

 

ォルゥアアッ!!」

 

「!少し下がっててください、神様!」

 

 相対するシルバーバックが雄たけびを上げながら右の拳を振りかぶり、僕に向かってそれを振り下ろす。その一連の動作がはっきりと理解できた。

 

(見える。頭はちゃんと追いついてる!)

 

 シルバーバックの動きはそこまで速くない。さらには僕らにとっては広場と言えるこの場所は、実際のところはダイダロス通りの構造上できてしまった空きスペースでしかない。ゆえに、シルバーバックが巨体を揺らして動くには狭すぎるのだ。

 

(この戦いを左右する重要なファクターは速さだ。この身軽な体をフルに生かして、シルバーバックをぶっちぎってやる!!)

 

 迫る拳に向かって斜めに飛び、飛んでくる右腕に沿うように回避する。するとついさっきまで僕がたっていた場所の地面が深くえぐれていた。あの様子では、建物に当たれば崩落する危険性がある。できるだけ攻撃の角度も考えなければならなそうだ。

 

 シルバーバックの真横へ回り込んで、右腕のガードを失ってがら空きの脇腹にナイフを突き立てる。

 

「刺さる……!」

 

 今までであれば通らなかったはずの強度。ここ最近の並々ならぬ力値の上昇によるところも大きいのだろうが、恐らくそれだけではない。

 

「ゴガァァァ!!」

 

 刺突の痛みに悶絶したシルバーバックが伸ばした右腕を振り払おうとするモーションを読み取った。いまだ刺さっているナイフを順手に持ち替え、シルバーバックの体を蹴り上がりながらナイフを切り上げる。傷口から噴き出る鮮血を浴びながら、ナイフが体から抜けたタイミングでシルバーバックの体を蹴り飛ばして横へ大きく跳ぶ。

 

 何とかリーチ外まで跳べたため腕の振りは紙一重で回避することができたものの、腕についていた拘束具の鎖が鞭のようにしなって、僕に迫りくる。

 

 既に僕の速さでは回避不可能。攻撃を防ぐため、ナイフの背を掌にあて攻撃の衝撃に備えて身構える。攻撃力がナイフの強度を上回ってしまえば、その時点で終わり。

 

 瞬間、さっきのパンチの威力が頭をよぎる。だけど、嫌な想像はすぐに払拭。

 

(信じろ、神様を!)

 

 強大な風圧とともに僕の体を襲った鎖鞭は構えたナイフに当たり、衝撃力が僕の体を襲う。しかし、攻撃を受けたナイフ自体は完全な無傷を保っていた。

 

「すごい……!」

 

「それが今の君の力だ。ベル君!!」

 

 感極まった様子の神様が扉の鉄格子を握りしめ、いまにもこちらへ乗り出してきそうな勢いで僕に叫びかけてきている。下がっててって言ったのに。

 

「そのナイフは生きてる!使い手が、君が成長すればするほど強くなるんだ!!」

 

(僕の……成長)

 

 このナイフを打った鍛神、ヘファイストスはこのナイフのことをこう称した。

 

《駆け出しの冒険者に持たせる一級品の武器》

 

 シルバーバックの胴体を貫いたのも、地面をえぐる破壊力の攻撃を耐えきったのも、このナイフがやり遂げたことは、全てがまぎれもなく僕の力。

 

 フッと笑いがこぼれて、同じように笑っている神様と一瞬のアイコンタクトをする。

 

 つかみに来る攻撃をジャンプでかわし、腕の上を駆け抜けてすれ違いざまに目を切りつける。すると目に深い傷が入った。右目の視界はほとんど奪った。

 

 着地と同時に地面を蹴って体の真下へ滑り込み、右の膝裏を削り取る。

 

「ゥㇹルゥ……!!!」

 

 今までけたたましいうめき声しか上げていなかったシルバーバックが、うめき声のような音を喉から鳴らし右膝をつく。

 

(機動力を奪った!!いける、攻め立てろっ!!!)

 

 戦闘の終局が近づいていることを悟り、全脚力を開放し、一気に勝負をきめにかかる。

 

 シルバーバックのぼやける視界を縦横無尽に駆け回ることで、ただでさえ削れた認識回路をさらに掻き乱す。

 

 その場から動くことすら出来ず、満足に狙いも定まらず、放った拳は残像を捉えて空虚を打ち抜く。そんな状況に業を煮やしたシルバーバックは、ただただ乱暴に両腕を振り回し始めた。その力任せな攻撃は転じて全方位防御としての役割も満たす。

 

 しかしそれは見方を変えれば僥倖。薄い膜一枚を破って腕を抜けて懐まで入れれば、その一撃で確実に倒せる。

 

 しかし、さっきまでの逃走劇に加えて、神経を研ぎ澄ましながらのこの戦闘で、僕の体力もすでに限界を迎えていた。

 

(肺が焼けるように痛い。大気の流れが速すぎて思うように息を吸えない。足が重い。膝がズキズキする)

 

 だけど、一度走るのをやめれば、きっともう足は僕の言うことを聞かなくなる。だけど辛くて、苦しくて、もう今すぐにでも止まって楽になりたいと思ってしまう。心が折れてしまいそうになる。だけど、だけど。

 

「信じるんだ!ナイフ(ボク)を!君自身を!!」

 

 綻びかけた心に届いた願いが、僕に進めと火を灯す。

 

 勝負所も踏ん張りどころも、間違いなく今ここ、この瞬間だ。この一番つらい時を乗り越えろ。

 

(まだ……まだいけるだろ!!!)

 

 もういけない。もう進めない。そう思った瞬間からの一歩を迷わず踏み出せ。一歩一歩を積み上げろ。

 

 そして、眼前に広がるこの防御を抜けるための一歩を、壁に突き立てる。

 

 石造りを駆け上がり、地面だけじゃなく壁と壁の間をも跳ね回って、正真正銘三百六十度から命を狙いに行く。

 

 ──ここだ!

 

 その刹那。シルバーバックの真正面に立ったその瞬間。トップスピードを超えた速さを、一瞬緩める。

 

 それをシルバーバックの本能は見逃さなかった。上下から、縦横から高速の揺さぶりを駆け続けた中に生まれた一瞬の隙。残像しかつかめなかったその体の実体をようやく目にできたことで、その体は過敏に反応した。今度こそ逃がさないという意思を強く持ち、全力でつかみかかった。

 

 ただ一つ問題があったのは、その意思が強すぎたことだろうか。

 

 その瞬間、確かにとらえていたはずの姿は再び消えて、残る力を振り絞って飛びかかったシルバーバックは動きを止める事が出来ず、勢いそのままに倒れこんだ。

 

 宙高く飛び上がって、建物の間にかかる洗濯用ゴムロープをつかんでブレーキをする。すると相対的に、つかまれるロープはギリギリと引き絞られて、元の状態に戻ろうとする力が働く。

 

 その弾性力をそのまま推進力に流用して、倒れこむシルバーバックの首元に狙いを定め、体を弾丸のように射出した。

 

『いけえええええええええ!!!!!!』

 

 広場に響く()()の声。その願いをすべて集約した刃は、シルバーバックの首筋に深く突き刺さった。

 

「ゴルゥア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛!!!!!!」

 

 攻撃が急所へ直撃した痛みから反射的に上体を起こして、耳をつんざくような重厚な断末魔を上げたシルバーバック。その体が黒い砂となって四散し、大きな両腕サイズの魔石が地に落ちた硬質な音が、戦いの終了を告げるゴングとなった。

 

『うおああああああああああ!!!!!!!!』

 

 瞬間、辺りは歓喜と拍手の渦に飲み込まれた。

 

 シルバーバックが消滅したのを確認した周辺の住民が、シルバーバックから振り落とされて座り込むベルの元に駆け寄っていく。

 

「凄かったな兄ちゃん!」

「勇敢ね!」

「熱い戦い見して貰ったぜ!」

 

「え……あ、ありがとうございます」

 

 思い出した疲労と安堵で倒した実感がわかない中で、僕を賞賛してくれる人達に空返事をしながら、あの人を探すけど、人混みがすごすぎて全然見つからない。

 

 でもその人は逆に、人混みを無理矢理にかき分けて、満面の笑みで真っ先に僕に飛びついた。

 

 僕はその重量を受け止めることが出来ずに、流されるまま地面に倒れ込む。

 

 ──ああ。やっぱり今日はよく晴れてる。

 

 でも、一つだけ訂正しておこう。この空は、あの日の快晴の空とは別のものだ。だって、あの日と違ってこの空は。

 

「すっっっっごく、かっこよかったぜ!ベル君!!」

「ありがとうございます。神様」

 

家族を守れた空だから。



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"成る"

ちなみに今回、全集中の呼吸に関する独自設定というか、独自解釈があります。ダンまちの世界観やシステムに合わせるという面でもこの設定を変えることは無いので、気に入らなかった、という方はそっとブラウザバックをお願いします。


 目が覚めた時、刃の目に映ったのはいつもの木造の屋根ではなく、石でできた硬質な天井であったことで、現実に戻ってこられたことを認識する。

 

「……ホームか。ここ」

 

 少々の時間を置いて、自分の寝ている場所が自身のホームのベッドであることを認識する。

 

 それもそのはず、刃がここで暮らし始めたのが現実時間での一週間前で、その上この男はそのうちの半分以上を寝たきりで過ごしていたのだ。さらにはなんだかんだ、精神世界にいた期間が主観的に一か月半ほど。この場所に違和感や不慣れな部分を感じるのも無理はないだろう。

 

 ──すると、刃が急にベッドから降り、寝巻の上から羽織を羽織って、刀をもって外に出る。

 

 刃は首を振って手早く周囲を確認したのち、地面の三十セルチ四方くらいのタイルを一枚引っぺがして、教会の屋根に飛び上がる。西の方で何やら騒ぎが起こっているのを見つけた。

 

 その方向では、白い体毛に全身を覆われた獣が建物の上を飛び回っている。しかしてその獣が追っている二つの気配を見つけたところで、刃はフッと笑った。

 

「あっちに行く必要はなさそうだな」

 

 手をワキワキとさせて、眠っていた期間で衰えた体の動作・連動確認をおこなう。そして先ほどはがしたタイルを思いきり投げ上げる。その直後に刃もタイルを追いかける形で、屋根を蹴って空高く飛び上がった。

 

「シィィィィィィィィィ…………」

 

 空中で姿勢を整えながら、目的の方向(けはい)をギラリと睨みつける。左手で鞘を握り、右手で柄を握って、神経を全集中。

 

【全集中 雷の呼吸 壱ノ型】

 

 瞬間、鞘の中で眠る刀から淡い光がこぼれだし、彼の瞳が金色に輝く。

 

 飛び上がったタイルに刹那にも満たないわずかな時間で衝撃を加えることで、タイルは後方へ飛んでいく前に刃の踏み切りを押し返して推進力を生み出す。

 

 音速を超えた光速の世界で、景色の流れは瞬きをする間も与えない。

 

 だがそれでも、刃の視線は全くぶれることはない。ミィシャの体を破壊しようとするモンスターの右腕から。

 

 零コンマ数瞬ののち、刃が戦場に降り立ち、重力が一身に降り注ぐ。

 

 着地した後も光速の世界は継続し、周囲の者たちはほんの数ミリしか動けない。つまりこの刹那は、刃だけが動ける時間。

 

 着地の衝撃をそのまま踏ん張りの力へと変えて、ミィシャへと伸ばされるその右腕に狙いを定め、ぽつりとつぶやく。

 

「霹靂、一閃」

 

 煌々と輝く金色の刀が一瞬で振り抜かれ、鞘へと戻る。

 

 鞘がパチンという音を立てると、刃はクルリと踵を返して、地面に打ちつけられかけているミィシャ達を抱き抱えようと手を伸ばす。

 

 ──しかし、技を打ち切った瞬間に、世界は動き出す(刃の速さも元に戻る)

 

「あ、やべ」

 

 モンスターが自身の右腕が切られた痛みに気づくのと同時に、あたりを轟音と突風とまばゆい閃光が覆いつくた。

 

 つまりは伸ばしかけた手の先にいるミィシャ達もまた動き出すということであり、ミィシャは子どもを守ろうと覆いかぶさったゆえに背中側から勢いよく打ち付けられ、擦り付けられた。

 

 うわぁ、痛そうだなぁ。などと呑気な事を思って苦笑いしていると、そのミィシャが息付く間もなく起き上がり、周辺をキョロキョロと見回して視界の橋に移った人物を、バッと振り返って直視する。

 

 ──ーそれは安堵だったのか、恐怖からの解放ゆえだったのか、もしくはその他の言葉にできない感情のどれが当てはまるのかは定かではない。

 

 ただ、視線の先にいた彼が。ここ三日ほど行方不明になっていて散々心配をかけたくせに、ヒーローのように登場した自身の担当冒険者が、幻覚でもなんでもないと悟った時。

 彼女の両の瞳から涙が溢れ出た。

 

「あの場面で誰も悲しませないための選択ができる勇気、すっげえかっこいいです。お疲れ様、ミィシャさん。あとは任せてください」

 

「遅いよっ、ヤイバ君……!」

 

 刃は、膝をついてへたり込むミィシャの頭に手を乗せて、ピンク色の髪を労わるように優しく撫でる。

 

「!! 危ない! ヤイバ君、後ろ!!」

 

 そんな休息の時間も束の間。先程まで背後で痛みに悶えていたはずのモンスターの右腕がいつの間にか再生しており、振り上げた両の拳で刃達を叩き潰そうとしていることに気付いたエイナがそう叫んだ。

 

 刃達が為す術もなく潰されることを確信した周囲の者達は、目をつぶった上からさらに両手で覆い隠し、辛い現実から目を背けようとする。

 

 一方、追撃の気配を知らされるまでもなく理解していた刃は、短く一言、ミィシャと少年に向かって囁いた。

 

「失礼します」

 

 

 パリバリッ。

 

 

 空中に小さなスパーク音が響き、硬質的な光の筋が空間を裂いた。

 

 それから瞬きの間も与えず、モンスターの攻撃が振り下ろされ、地面は陥没し辺りが揺れる。

 

「ミィシャアアアアァ!!」

 

 周りと同じように視界を閉ざしていたエイナが両手を外して、瞳に涙を浮かべながらモンスターの拳の下にいるであろう親友に叫びかける。

 

 大地を震撼させる程の威力。ただのギルド職員と少年、そしてlevel1の駆け出し冒険者に耐えられる訳はなく、確実に即死であろうとその場にいた人の誰もが思った。

 

 ──その異変に気付いたのは、モンスター自身のみ。

 

「グルァ……?」

 

 拳を振り下ろす前までは確かにその場にいたはず。しかし、その拳には肉を潰した感触が見当たらない。

 

 モンスターがそっと拳を持ち上げると、そこにあるはずの無惨に潰されたミィシャ達の死体が存在していなかった。

 

「今、なんか体が微妙に痺れたような……」

 

「あれ、すいません。気をつけたつもりでしたけど、ちょっと掠っちゃいました」

 

 その声は、モンスターの背後から聞こえてきた。

 

 届いた声を聞き取ったエイナがモンスターの向こうを覗き込むと、そこでは腕に抱えたミィシャと少年を地面に下ろしている刃の姿があった。

 

 そして、周囲の人々は確信する。

 

 彼は強い、と。

 

(あれ……。今だいぶ時間稼いだし、みんな逃げてくれたと思ったんだけど……)

 

 周囲の人々からはこの場から離れようという意思はほとんど感じられず、それどころか、視線をこちらに向け、これから始まるであろう真剣勝負に期待を馳せる観客となってしまった。

 

「はぁ……ったく、しょうがないな」

 

 そもそも、荒れた地面に思い切りダイブしたせいで傷だらけのミィシャはしばらくは動くことは出来なさそうだったため、ミィシャを守って戦うことは確定していたわけだ。ならば今更守る対象が数十人増えようが、守る方向が全方位になろうがどうということない。

 

 いや、どうにだってできるという確信が、刃にはあった。

 

(あとは……)

 

 刃は膝を折り曲げてしゃがみこみ、ミィシャの腕の中で未だ恐怖に震えている少年に話しかける。

 

「なあ君、名前は?」

 

「え……? カ、カイラ……」

 

「そっか。カイラくん、俺はこれからアイツを倒すために、ここを離れなきゃいけない」

 

「え……まって、いかないで「だから」」

 

「このお姉ちゃん、守ってくれるか?」

 

「……! うん!」

 

 その掛け合いのうちに男の子の瞳に浮かんでいた涙は引き、ニカッと笑って拳を突き出してきたので、刃も自身の拳をコツンと打ち付ける。

 

 男子という生き物は、どこであろうといつの時代であろうと、「女の子を守る」というシチュエーションには燃えるものである。

 

「それじゃあミィシャさん、あと少しだけ待っててくださいね」

 

「うん。絶対勝ってね、ヤイバ君」

 

 ミィシャは瞳に溜まった涙を袖で拭い、戦いにいく刃の()()()()()瞳を見つめて言葉をかける。

 

(……ん? ヤイバ君の目って、赤みがかった黒目のはずじゃ……)

 

 ミィシャ・フロットは、中々に観察眼に長けた人間である。刃のような人間の域を超えたような分析力とは言わないまでも、ギルド職員という仕事とその社交的な性格から、普段から人のことをよく見ているし、初対面な上すぐに帰っていった刃を覚えていたことからも、人に関する記憶力は優れたものを擁していることが分かる。まあ、門前払いをくらったからというインパクトもあるだろうが。

 

 そしてその観察眼が見抜いた刃の変化は、正に今回刃が得た進化の象徴と言えるものであった。

 

 

 ──ー 一方当の刃は、ミィシャ達の救出を終えて、目の前に鎮座するモンスターと相まみえる。

 

 そして刃は、本家ともいえる並外れた分析眼を全稼働して、敵の概要を把握する。

 

(八層まででは見たことないモンスターだな。体長とか体格はミノタウロスに似てる。攻撃力はミノほどはなさそうだけど、あの鎧みたいな装甲はキラーアントに近いかな。簡単には破れそうにないけど、ところどころに継ぎ目が見える。狙うならあそこだ。あとは再生能力が厄介。できることなら長引かせたくないし…………魔石を一発で破壊するのが最善か)

 

 両者とも、一瞬前とは気合の入りようが違う。互いを互いの敵と認識した目で、相対する敵から目をそらさない。

 

 ここまでの状況を踏まえてなお、いままでのようにゆっくりと攻撃を仕掛けるほどモンスターもバカではない。

 

 先ほどの素早い動き、そして威力の乗った右腕を半ばから吹っ飛ばすほどの威力。それらを目の当たりにしたモンスターにとれる手は、シンプルな先手必勝のみ。

 

「ゴルルァ!!!」

 

 その巨体からは考えられないほど俊敏な動きで、予備動作をほとんど見せずに刃に飛びついた。

 

 それに全く動じることをせず、刃は一つ、深く息を吸う。

 

「フゥウウウ…………」

 

 モンスターはさながら豹のように美しく跳び、両の掌で確かに刃をつかみ取ったと予感する。

 

 そしてモンスターの両の掌で刃の姿が完全に隠れた時。

 

【霞の呼吸 漆ノ型 朧】

 

 その掌の中から白いガスのようなものが吹き出し、たちまちモンスターと周りを遮断するように立ち込めた。

 

「なにこれ……? 煙、いや、霞……?」

 

 観客の間で疑問が飛び交う中、霞の内側にいるモンスターを訪れたのは再びの喪失感。

 

 また逃げられた。それを理解したモンスターは、再度どこかに潜むであろう刃を探し、見つけ出す。

 

 間髪入れずに腕を横に振り、その方向に立つ刃を薙ぐ。

 

 しかし、その右腕が触れた瞬間、刃の体は消え、実体のない霞へと化して風に流れる。

 

「グゴァッ!!」

 

 反対方向から硬い装甲の間を縫って後頭部へと刃が滑り込み、強い痛みがモンスターを襲う。

 

「ここじゃなかったか」

 

 急所というならばまずは頭部であろうと狙いを定めて一点突きをしてみたが、滑らせた刃で頭の中をかき回してみても魔石の硬い感触は得られない。

 

 再生できるといっても、痛みはそのまま残っているため悶えて暴れるモンスターの体は激しく揺れる。瞬時に刃はモンスターを蹴飛ばして刀を抜き取り、モンスターから飛び降りた。

 

 そこに、モンスターが間髪入れずに空中の刃に反撃を食らわせるも、またも刃は霞と化して消える。

 

 なぜ? どうして? 尽きぬ疑問を持ち、現状を打破する術を考えなければと考えるも、再び視界に現れた刃を倒そうと逸る本能が思考をシャットダウンさせる。

 

「お前らの本能は思考には追い付かない。そして、気づいてるか? 本能(そいつ)が、だんだんと自分の首を絞めていってること」

 

 どこからか刃のささやきが聞こえた瞬間、モンスターを形容しがたい悪寒と不快感が襲った。

 

 皮膚に刃の霞が触れる度、ねめつけるような視線と触れた部分を抜き取られたような一瞬の脱力感を感じる。

 

 それはまるでまな板の上の鯉を捌くように、体の隅々までを解剖され、のぞかれているような。

 

 このようなことは、今までの刃では不可能だった。これは、心映箱(しんえいばこ)での、ひいては時透との修行によって新たな扉を開いた結果である。

 

 全集中の呼吸。ある世界で、人間の身体能力の限界を飛び越えて、ある怪物と戦うために編み出された技。

 

 しかし、この技の本質は身体能力向上(そこ)ではない。

 

『全集中の呼吸の頭に水とか霞とかいう名前がついているのはなんでだと思う?』

 

『え? 気にしたこともなかったけど……初代水の呼吸の剣士の剣術が水の動きに似ていたから、とか……?』

 

『外れ。ていうか根本から間違ってるからはずれとすら言いたくない』

 

『そこまで言わなくていいだろ!』

 

『呼吸はあくまでカギであり、型なんてのはただの最適解。力を引き出すために必要なのは第一にイメージ力なんだよ。だから心映箱があって、()()世界があって、君の住む世界につながる。なんでもありえる、なんでもできるって信じることがスタートラインなんだ』

 

 修行に行き詰った刃が時透にそんな話を聞いたのが、体感的な数日前。

 

 あの時は質問の意味すら分からなかった。今では自分で使っている技だとは言っても、刃にとっての全集中の呼吸は創作上の産物。名前のことも最初からついていたものであるため、由来を聞かれてもフッと思いついたことを言うことしかできなかった。ましてやその後に続いた話などもってのほかだった。

 

 しかし、今となっては時透の言葉全てが理解出来る。

 

(全集中の呼吸は、遠い昔の剣士達が創り出した自然を冠する剣技。でもそれは、俺たちがその力を支配することじゃない。自然の力をイメージして、呼吸と型を通して力を借りて、自分自身がそれに"成る"ための方法だったんだ)

 

 刃が今イメージしているのは、どこまでも果てしなく揺らめく霞雲(かうん)

 

 無論、今充満しているのは本物の霞ではない。

 

 しかし、前世での短い人生で染み付いた常識をぶち壊して、何にでもなれると思い込んだ刃のイマジネーションは、雷の電気だろうが水の感触だろうが、限りなく本物に近しい幻覚を見せる。

 

「お前を取り巻くその霞は、その全てが俺の一部であるようなもんだ。つまり、俺はお前が吸い込んだ空気から、お前の中が全て分かる」

 

 そう宣言した直後に、刃は霞を通じてモンスターの《へそ》の下あたりに、何やら他とは成分などが違う物質を見つけた。

 

「そこだな」

 

 途端、シイィィィという呼吸音とともに刃の眼光が黄色に変わり、瞼一ミリの隙も与えずモンスターの正面に出る。それはまさに、雷の光速に等しい。

 

 次いで、呼吸音がヒュウウウゥと鳴り出すと、刃の瞳が蒼く透き通った。

 

(波紋の中心を狙うように、じゃない。雫が落ちた後に波紋は広がっていくんだ)

 

 そして、刃の持つ日輪刀が眩い蒼色の光を放ち、白い霞の中で乱反射する。

 

【水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き】

 

 駆動の妨げにならないように空けられた、股関節部分の装甲の継ぎ目。そこから滑り込んだ刃は、一直線の魔石に衝突し、貫いた。

 

「ッッグ、ゴ……ァァ」

 

 霞が晴れた時、最後の一手に勘づくことすら出来なかったモンスターは、断末魔をあげることも出来ずに、ただ自分が負けたという衝撃だけを残して、黒い砂となって宙に散った。

 

 カランコロンと、真ん中辺りで真っ二つになった魔石を終戦のゴング代わりに、辺りから耳をつんざくほどの歓声と拍手が湧き上がった。

 

『うおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!』

 

 刃の元に一斉に寄ってきた観客に賞賛や質問攻めを受けながらもみくちゃにされる刃。

 

「ちょっ、待って、俺一応昏睡起きなんで今体弱ってるから…………あー! こうなったら!!」

 

 再び刃の瞳の色が白く染まり、辺りに霞が発生する。

 

「おいなんだこれ!」「あの坊主はどこだ!」などと何も見えない霞の中でやり取りしている観客の間をすり抜けて、霞に包まれた人混みゾーンを抜け出す。

 

 なんとか息をついたところに立っていたのは、刃の頼れる担当アドバイザー、ミィシャ・フロットであった。

 

「おかえり、ヤイバ君」

 

「ただいま、ミィシャさん。カイラはどこいったんですか?」

 

「あの子なら、ヤイバ君がもみくちゃにされてる間にお母さんが引き取りに来たよ。ほら」

 

 そう言ってミィシャが指さした方向を見てみると、こちらに向かって笑顔で手を振るカイラと、ペコペコと頭を上げ下げする母親と見える人物がいた。刃は彼らのメッセージに対し、グッとサムズアップで答える。

 

「そうだ。ミィシャさん、怪我は大丈夫ですか? あちこち怪我してるみたいですけど、早く傷薬を塗らなきゃ……」

 

「へーきだよ! 大半が擦り傷だし、今のとこ骨折したような痛みも無さそうだしね。それより、私はヤイバ君の方が心配だよ! 途中からなんにも見えなくなっちゃったし! 怪我とかしてないの!?」

 

「俺はほんとに大丈夫ですよ。ほら、どこにも怪我なんてないでしょ? 

 でも……やっぱり、だいぶ心配はかけちゃったみたいですね。すみません」

 

「ほんとだよ! 何日もギルドに顔を出さないと思ったら、急に現れてあんな強そうなモンスターを相手にしちゃうし! ちょっとはこっちの心労も考えてよね!!」

 

「うぐっ、す、すみません…………」

 

「いーや、今のままじゃ許せないね! ヤイバ君は一度約束したくらいじゃ聞かなそうな匂いがプンプンするし!」

 

「うっ、じゃあ、何したら信じて貰えますか……?」

 

 言われたことに心当たりがありすぎて、目に見えてダメージを負って凹む刃。

 

 そんな刃が面白くてからかっていたが、そろそろやめてやろうと思い、ミィシャは言葉を続ける。

 

「今日の晩ご飯、一緒に食べてくれるなら許してあげる。もちろんヤイバ君の奢りでね!」

 

「! ……ふふっ、分かりました。今日は夜が明けるまで飲み明かしちゃいましょう!」

 

「やったぁ! 流石ヤイバ君! かっこいい!」

 

「あっはは、褒めたってなにも出ませんよ?」

 

「…………本当に思ってるけどね」

 

 囁くように言われたミィシャの言葉に、少しだけドキッとして、耳の辺りが熱くなってくるのを感じる。そしてそれを感じ取ったミィシャはニヤニヤとして、刃の頬をつつき出した。

 

「お? 一丁前に照れてるな〜? このこの〜もう一回言ってあげようか〜?」

 

 あぁ、俺はこれから先も、この人に勝つことは出来ないんだろうな。と、その時の刃は心から思ったという。

 

「カッコよかったよ! ヤイバ君!」




メインヒロインが決まってるからって、サブヒロインが出ねえわけじゃぁねえよなぁ?(未確定)


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最高の

 ──────────────────────

 

 本日、怪物祭(モンスターフィリア)にて、モンスター数体がコロシアムを逃げ出し暴走する事件が発生。

 

 多少街の建築物に被害はあったものの、《ガネーシャ・ファミリア》《ロキ・ファミリア》、《ヘスティア・ファミリア》の尽力により、死傷者重傷者はともになし。

 

 混乱は沈静化してオラリオに平和が戻ったものの、事後の調査により、今回の件は計画的犯行であったことが判明した。

 

 犯人については手掛かりがなく、犯行方法も目的も全く不明。原因の解明が急がれる。

 

 ギルド議事録 記録者 エイナ・チュール

 

 ──────────────────────

 

 日が完全に落ちた直後の夜の始まり。世の中の働く者たちの大多数が就業時間を終えるこの時間は、酒場が一番にぎわう時間帯だ。現にここ『豊穣の女主人』もそのような者たちであふれかえっている。

 

 狭い酒場ががやがやと楽しそうに賑わい、たくさんのジョッキがぶつかりあう音や食器を鳴らす甲高い音が相乗してうるさいくらいに鼓膜に響く。

 

「シルー!二階でちょっと休憩してていいよー !ついでにあの坊主にこれ持ってってやんな!」

 

「はーい!」

 

 熱気に包まれている彼らから離れて二階へと上ると、物理的な距離のせいで若干の静けさを感じ、一階の騒がしさもどこか他人事のように思えてくる。

 

「スゥ……スゥ……」

 

「あら、かわいい寝顔」

 

 階段を少し上がって二階の柵の間から顔をのぞかせてみると、そんな心地よさにあてられたのか、二階で縮こまって座っているベル・クラネルは、襲い来る眠気に耐えられずうたた寝に興じている。

 

「……ふあ、シルさん……」

 

「あ、ごめんなさい。起こしてしまいましたね。女神さまのご様子は?」

 

「疲れが出て眠っているだけみたいです。お騒がせしました。ベッドまで貸していただいちゃって」

 

「困ったときはお互い様ですよ。ミアお母さんにも許可は取っていますので。これもその一つです」

 

 そういうとシルは、手に持っていたお盆を顔の高さまで引き上げて、柵の間を通してベルの前にコトリと置いた。

 

 置かれた器の中身は、大きな塊肉を豪快にステーキにして、その周りを付け合わせ料理が取り囲む肉料理。

 

 いかにも値段の張りそうな肉を目の前に口内で唾液があふれ出し今にもかぶりつきたい衝動に駆られ前のめりになるベルだったが、懐で揺れる金属音の軽さに我を取り戻しギリギリ踏みとどまることができた。

 

「ありがとうございます、シルさん。でも、僕お金が……」

 

「お代はいりません。だってもとはと言えば、私がお財布を忘れてしまったせいで……ベルさんを騒動に巻き込んでしまって…………」

 

「いえ!そんな!シルさんのせいじゃ!」

 

 言葉の尻に近づくにつれてシルの声がどんどん暗くなっていくので、ベルは慌てて土下座しながらシルの言葉を否定しようとする。

 

「おーいシル!そろそろ戻ってきて!こっちの子の食べる量が多すぎて人出が足りないんだよ!」

 

 そんな二人の空気の中に割って入ったのは、厨房担当のメイが、シルを呼び出す声だった。

 

 その声につられて二人そろってホールの方を見ると、そこでは通常の冒険者五、六人分の量の器を空にして積み上げつつも、いまだ食べるペースを落とさず目の前の料理にがっつき続ける男がいた。

 

 その男は毛先が赤みがかった長めの髪を後ろでひとまとめにし、トレードマークの太陽の黒羽織を羽織って、赤みがかった瞳をギラギラと輝かせる剣士。

 

「すいませーん!これもう二皿追加でー!」

 

 そう、天道刃である。

 

「あいつ……知らないうちに起きてたと思ったら、昏睡明けにあんなにドカ食いして……」

 

「あっははは、元気でいいじゃないですか」

 

 遡ること約一時間前、シルバーバックとの戦闘の後、近頃のいろいろな疲れからか眠ってしまったヘスティアをどこかで介抱しようと運んでいると、途中から戦いを見ていたシルが出てきて、「うちの店を使ってください」と許可をもらったため、最初は渋ったものの厚意に甘えることにしたのだった。

 

 ……そうして店に着いた時、(その男)は既に口いっぱいに料理を詰め込んでそこにいた。

 

『おー、へふ(ベル)おはえほひはほはー(おまえもきたのかー)

 

『えぇ!?刃、なんでこんな、ていうか意識戻っ、え!?』

 

『ん、ぷはぁ。どうしたそんなに動揺して。あ、金なら心配しなくていいぞ。オラリオ来る前に稼いだ分がまだ残ってたからな。ていうか、ヘスティア様どうした?』

 

 ベルが心配や驚愕などの様々な感情に振れまくっているのに対し、その相棒は楽観的なご様子。

 

 ヘスティアを二階のベッドに寝かせたあと急いで刃に詰め寄ると、刃もまたモンスターとの戦闘を繰り広げていたことにベルはまたも大声を上げて驚愕した。

 

 そして刃は戦闘を終えてミィシャと食事の話を取り付けたことで、自分が()()()()()()()()()()()()()ことに気付いた胃が、とてつもなく大きな唸りを上げた。

 

 ある意味刃の救援要請を受け取ったミィシャは大笑いすると、『もう時間も良い頃だし、今から行っちゃおっか!』とミィシャが言って、刃も迷わず賛同して酒場へ向かおうとすると、二人の空気を壊すまいと傍観していたエイナが二人を…………厳密に言うとミィシャを引き止めた。

 

『……あのね、ミィシャ。私たち、これからギルド職員として今日の事後処理しなきゃいけないの。だから刃君には悪いけど、その…………この子、連れてくね?』

 

『やだああああああああ私はけが人だぞおおおおおおお!!!』

 

 ──というわけで、ミィシャが連行されていったものの、刃の腹の虫が鳴りやむことはなかったため、当初の予定通りに酒場へ行くことにして、なんとなくビビっと来たこの『豊穣の女主人』にてこうして飯をむさぼりつくしているわけである。

 

「おーいシル―!はやくー!」

 

「はーい!今行きまーす!あっ、そうだ」

 

 ホールのアーニャからも催促がかかったため、急いでホールへと向かおうとしたシルだったが、何かを思い出したような表情で踏み出した足をクルリと翻した。

 

「街の方々が言っていましたよ。モンスターと戦っているベルさんは勇敢だったって」

 

「そ、そんな。勇敢なんて言ってもらえるような立ち回りはできなかったですし……」

 

「そんなことありません。実は私も…………」

 

 シルが体を傾けて柱の間に顔を寄せてくるので、それに合わせてベルも耳を傾けてシルに近付く。

 

「……見惚れちゃいました」

 

「……ッ!」

 

 その言葉の破壊力と、耳元で美人に囁かれるというシチュエーションも相まって、ベルの頬は耐熱量を軽く飛び越えて真っ赤に染まった。

 

 シルは恥ずかしがるようにお盆で顔を隠し、トタタっと階段を駆け下りホールへ降り立つ。

 

 帰り際に空き皿を回収していく中で、刃のテーブルにも立ち寄った。

 

「こちらお下げしますね」

 

「ありがとうございます。それに、うちのファミリアのことも」

 

「いえ、ベルさんにも言いましたが、困ったときはお互い様ですので。お聞きしましたよ?あなたもモンスターと戦ったって」

 

「……えぇ。しかもそいつ、なんだか俺を狙っていたように見えたんですよ。聞いた話によれば、ベル達が戦ったモンスターも、ベル達を狙って追いかけていたらしいですし。一体犯人は、何が目的だったのでしょうね」

 

 刃はコップの水を飲みほして口の中をリフレッシュして、さわやかに笑いながらわかるはずもない疑問を投げかける。

 

「…………さぁ。私にはなんとも。犯人はお二人に惚れていたのではありませんか?なんて」

 

「はは。惚れたから襲わせるって、なかなか物騒な発想してますね」

 

「ふふふ。確かにそうですね。でも「ヤイバくーん!いるかーい!?仕事早く終わらせてきてやったぞー!!」……あら、お連れ様が来たみたいですね。では、私はこれで」

 

 入り口の扉を勢いよく開けて、ミィシャがやってきて刃の隣に座った。

 

 シルはここでお役御免ということを察して、にこやかに笑いかける。刃もそれに笑顔で返すと、シルは軽く頭を下げて厨房に去っていった。

 

 何気ない店員と客の会話。ただ一つ普通と違う部分があったとすれば。

 

 彼らの目が、終始笑っていなかったことだろうか。

 

「どうしたんだよヤイバくーん!せっかくミィシャさんが来てやったんだからもっとテンション上げてこーぜー!ミアさん!エールちょーだい!」

 

「十分上がってますよ。ていうかミィシャさん、飲む前からすでに酔ってないですか?」

 

「何言ってんの!夜はまだまだこれからだよー!」

 

 妙にテンションの高いミィシャに対抗するように、二階から勢いよく扉を開いて、目の周りを赤くはらすベルの手を引いた女神が現れた。

 

「僕抜きで随分盛り上がってるようじゃないか!抜け駆けは許さないぞー!」

 

「おはようございますヘスティア様。元気そうでよかった」

 

「それはこっちのセリフだぁ!!こっちにもエール一つ!」

 

 刃の向かいの席に座って怒鳴りながら、厨房の方を向いて酒の注文を済ませるヘスティア。その隣にベルも座って刃のテーブルの席が一瞬で満席となった。

 

「全く、君は気付けばいっつもグースカグースカ!一体ボクにどれだけの心労をかけさせれば気が済むんだい!?」

 

「うっ、言うこと全部的を射てるせいで反論出来ない……「でも!」?」

 

「信頼は揺るがなかったぜ!ボクの最強の眷属くん?」

 

 テーブルに肘をついて組んだ両手の上に顔を乗せ、屈託のない笑顔でそう言い放った。

 

 その言葉を聞いて、刃の中にどうしようもなくある感情が湧き上がった。それは自分を信頼してくれたという嬉しさも、今度こそヘスティア、ひいてはベルに心配はさせないという決意すらも押しのけて、忘れていたことを呼び覚ますようにふつふつと心の炎が燃え盛らせた。

 

「いえ、今の俺には「最強(それ)」はあまりにも身に余ります」

 

 それは、彼が前の世界では半ばで折れ、この世界で果たすことを決意したただ一つの野望。

 

オラリオ(ここ)に来てからは、義務?使命?が多くて、原点を忘れてたかもしれないな)

 

 そんなことを考えながら、刃は崩れ行く精神世界でかわした時透との最後の会話を思い出す。

 

『……時透、お前がここに現れたってことは、やっぱそういうことなんだよな』

 

『うん、君が思ってる通りだよ。想像から疑いまで、全てね』

 

 願わくば否定してほしかった。自分の考えすぎであってほしかった()()空想に救いの手は差し伸べられなかったようだ。

 

『最悪だな。大女神様は一体どんなノルマを課したってんだ?』

 

『さぁね。僕にはわかんない』

 

 やせ我慢のように吐いた冗談を、時透は軽く受け流す。刃は少しうつむいて、いつにもなくか細い声で呟いた。

 

『……正直、重く感じてるよ。俺にはそんなこと『できるよ。君なら』……でも、俺は』

 

『大方、自分を犠牲に友達を守ったあの時のことを、失敗だとか考えてるんでしょ?』

 

 図星だった。相変わらず、自身の思考を読んでいるかのような時透の発言に、刃は少しだけ恐怖を覚える。

 

『あの場ではあれが最善の救出だったと思うよ。それを恥じることはない。ただ、あれを最高な救出だったと言うつもりはない。結果的にあの子は助かったけど、心には君を死なせてしまったという深い傷が残っただろう』

 

『………………』

 

 何から何まで、時透の言葉は俺の奥の触れられたくない部分をついてくる。

 

『で、だから何?』

 

『?!?!?!?!?』

 

『君があの日のまま成長してないなんて誰が決めたの?僕とあれだけ修行してまでそんなこと言えるなんて、うぬぼれないでくれる?』

 

『ちょ、まて、いきなり言葉の使い方おかしくないか?』

 

 心の的確にえぐってきていた先ほどまでとは打って変わって、理解が追いつかないののしり方をしてくる時透。

 

『だめだったから悔やんで、最善を最高にするために生きていくんだよ。

 

 ──ー自分の終わりを、自分で決めたらだめだよ』

 

 そのワンフレーズを聞いて、刃はハッとした。前世で何度も読み返したあの戦い。自分にたくさんの勇気をくれた目の前の人物が、勇気をもらったあの場面がフラッシュバックする。

 

『大丈夫。知ってるでしょ?人のためにすることは、巡り巡って自分のためになる。そして人が自分ではない誰かのために戦うとき……』

 

 信じられない力を出せる生き物なんだ。と、時透の言葉に続くように、心の中である人物の声がこだました。

 

 既に刃の心に、曇りは一点もなくなっていた。間違いなく時透のおかげで。

 

 だから彼は、今までの恩返しか意趣返しか、どちらを使えばいいのかわからない感情で、言葉を返す。

 

『うん、知ってる』

 

 それを聞いてフッと笑った時透の体はうっすらと半透明になっている。もう時間がないということだろう。

 

『おそいんだよ。僕らが君になにかできるのはこれきりなんだから、あんまり世話焼かせないでよね。……そうだな…………』

 

 時透がおもむろに上方を指さす。つられて刃も見上げると、太陽が猛々しく燃える快晴の青空が広がっていた。

 

『天道の天は"晴天"の天。晴れた君の空には、きっと"無限"の可能性が広がってるよ』

 

『プフっ、そこそこ考えた割には案外そのまんまなこと言うんだな。語彙力は兄貴に吸い取られちまったか?』

 

『うるさい。現実では君の仲間が大変だっていうのにこんなことしてる暇あるの?さっさと帰りなよ』

 

『はぁっ!?初耳なんですけど!?早く帰らねえと、っと!』

 

 刃は早く帰ろうとあたふたしていると、ふと何かを思い出したような素振りで振り返る。

 

『時透。()()()の思い、託された。だから、あとは俺達に任せてくれ』

 

 そして刃は両のかかとをカッとあわせ、右手を剣の柄に添えて、姿勢よく立つ。そして大きく息を吸い込んで、大声で言い放った。

 

『ありがとうございました!!!』

 

 その一言には、数え切れないほどの意思が含まれていただろう。前世で、今世で刃の力となってくれたこと。そして刃の裏にうっすらと見える、たくさんの黒い服を来た者達、ひょっとこをつけた者達の思いまでも。

 

 刃はいつの間にか出口へ向かって走っていって、もう姿は見えない。いや、そうでなくても捉えることは出来なかっただろう。

 

 彼の目からこぼれる涙が、それを邪魔するから。

 

『ほらね。やっぱり、無駄死になんかじゃなかっただろ……兄さん』

 

 泣きながらもにこやかに笑いながら空に語りかけるその心は、決して「無」などではなかった。

 

 

 

「…………さて、明日からまた二人でガンガンダンジョン行くためにも、今日は腹ごしらえするぞ、ベル!!」

 

「まだ食べるの!?そろそろやめときなよ、お腹壊しちゃうよ!」

 

「なあに、このくらいどうってことねえさ!こちとら育ち盛りの男子高校生じゃい!」

 

「あ、そうだぁ、刃君」

 

 ベルと肩を組み合って料理の追加注文をしていると、後ろから酔った様子のヘスティアの声が聞こえ、刃は振り向いた。

 

「はい、どうしました?ヘスティア様。それにミィシャさんも(なんだ?なんか嫌な気配が……)」

 

「「君、しばらく冒険禁止ね」」

 

「え?」

 

 さて、彼ら(主役)の後押しは終わった。

 

 彼らの歩んだ足跡は、今日もこの街に『眷属の物語(ファミリア・ミィス)』を刻み込む。

 

 …………彼らと言っても、まだそのメンバーは全然揃ってはいないが。

 

「おら、何してやがる。さっさと行くぞ、この使えねえ腐れサポーターが」

 

「……………………」

 

 さて、お前達はどうする?




刃の心「いや、(冒険できなきゃ)どうにも出来ねんだけど」


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尾行のち最上級鍛冶師(マスター・スミス)

 怪物祭(モンスターフィリア)の騒動から数日後。冒険者たちの尽力により被害が最小に抑えられた街には早くも平和な日常が帰ってきていた。

 

 街を闊歩する冒険者たちをはじめ、モンスター被害の復旧に励む大工たちや、いつも通りの業務で街を支える商人たち。そしてなにより、街をいつも通りに過ごす住人たちの姿が日々の穏やかさを際立たせる。

 

 ギルドに訪れて本を読み漁っている俺も、今に限っては穏やかな日々を楽しむ住人側。戦いの中に身を投じて感じる荒々しい空気が彼の大好物だが、もちろんこんな何気ない日々も嫌いではない。

 

 ホームから持ってきた軽食も食べ終えて時刻はそろそろ昼下がり。窓から差し込む心地いい日の光に、ついうとうとと眠気に襲われる。今朝も早かったことだしこのまま少しひと眠り……。

 

「ヤイバくん! エイナのデート尾行するからついてきて!」

 

「どういう文脈?」

 

 

 

 

 突如として意識の外から現れたミィシャさんの勢いに引きずられ、俺は彼女がひっ捕まえた馬車に詰め込まれた。馬車に揺られる僅かながらの衝撃で我を取り戻した俺は落ち着くために一度息を吐ききって、以前ワクワクとした表情で目の前に座る彼女に一先ずざっくりとした話の全容について聞いてみることとした。

 

 事の発端は、ベルが一人でのダンジョン探索で張り切りすぎた? ことにあるらしい。

 

 昨日のベルは、先の戦いでステイタスが大幅に上昇したことで相当自信がついた様で、うっきうきでダンジョン探索に赴いた。最初は久しぶりのソロでの探索ということもありいつもより浅めの層で探索をしていたのだが、俺といるときは毎回7階層に行っていること、さらに上昇したステイタスの影響もあってか、5階層程度では物足りなくなってしまったそうだ。

 

 実際ステイタス的にも適正の条件はクリアしていたためいつも通り7階層まで降りて探索を行ったのだが、心配性のエイナさんはそれを良しとしなかったとのこと。

 

 しかしステイタスが適正値を示している以上、エイナさんにはベルを止める理由は個人的感情以外にない。ならばせめて、上等な装備を整えてダンジョンに行ってほしいという願いからこのデートを提案したそうだ。

 

 ミィシャさんによると、今回の目的地はオラリオのど真ん中、摩天楼(バベル)。なんでもバベルの敷地内の一帯はオラリオ屈指の鍛冶師(スミス)系ファミリアである《ヘファイストス・ファミリア》の縄張りであるらしく、高級ブランド故に第一級冒険者用の武器が大半ではあるものの、駆け出し鍛冶師のリーズナブルな掘り出し物目当てにやってくる駆け出し冒険者も多いんだとか。確かに装備をそろえるのならうってつけの場所と言える。

 

「ヤイバくん、朝早くからギルドで勉強とは熱心だね! おかげでいいお供ができたよ」

 

「お供……。ていうか、勉強してたのはミィシャさんたちに言われたからじゃないですか」

 

「あー、そういえばそうだっけ」

 

 なぜ俺が朝早くからギルドにこもっていたかと言えば、怪物祭(モンスターフィリア)後にヘスティア様とミィシャさんに言い渡された"ダンジョン禁止令"が理由だ。

 

『君たちは先の戦いを経てそうとう自信がついただろうからね。ほっといたら、明日にでもすーぐ10階層だの12階層だの行くつもりなんだろう?』

 

 この禁止令はエイナさんも一枚噛んでいるもので、当然目的は俺たち二人の暴走気味なダンジョン攻略にブレーキをかけるためである。怪物祭(モンスターフィリア)で一つの山場を乗り越えて成長した俺たちは、きっと深い階層で力を試そうとするだろうと。

 

 そこでダンジョンに入ること自体を禁止させることで湧き上がる戦闘意欲を落ち着かせようとしたわけだが、無駄に稼ぎをストップさせては万が一の場合の貯金が足りなくなってしまう。どちらか片方はダンジョンに行く必要があるため、比較的控えめな性格のベルを稼ぎ役として、暴走癖の強い俺の方を拘束する流れになったそうだ。

 

 実際この采配は間違っていなかったと思う。なんせベルだけでさえこんなイレギュラーデートの予定ができてしまうほどエイナさんを心配させたんだ。禁止令が出されなかったら、ヘスティア様の想像通りの結果になっていたことだろう。

 

 それに、俺が居残り組になった理由はもう一つある。

 

 ひとまず興奮を落ち着かせたとしても、攻略するための実力は伴っているため、先のベルの件のように強制することはできない。いずれは10階層以降にも滲出することとなるのだが、10階層からはダンジョンのギアが一段上がる。踏破のためにはそれ相応の知識が必要なのもまた事実である。

 

 無知はそのまま死に直結する。まだオラリオに来て日の浅い俺はそのあたりの知識が圧倒的に薄いため、知識が揃うまでは10階層以降への進出は認めない。というのがヘスティア様達の見解であり、俺が朝からギルドに籠ってダンジョン関連の本を読み漁っていた理由だ。

 

「確かに常識が足りてないのはちょくちょく感じてたんで、その面でも丁度よかったと……。お、あそこに立ってるのベルじゃないですか?」

 

 どうやら長話をしている間にいつの間にか目的地付近まで来ていたらしく、ふと首を振ると開けた広場でいかにも待ち合わせという風にそわそわしながら立っているベルを発見した。

 

「ほんとだ! おじさん、ここまででいいです! 馬車止めて!」

 

 向こうに見つかっては尾行にならないため、スピーディーに馬車から降りて広場に面した建物の陰に隠れる。

 

「でもミィシャさん。この距離でバレずについてくのは流石に厳しいと思いますけど……」

 

「ふっふっふ……。そんなこともあろうかと! えいっ!」

 

「うわっ!」

 

 ミィシャさんが得意げに懐に手を突っ込んだかと思えば何やら大きな影が飛び出し、それは俺の頭に勢いよくかぶせられ、柔らかな感触とものすごい毛量感が頭部を包み込んだ。

 

 つけられた感触でもう半分正体はわかっているが、一応素手で頭部をさすって確認してみる。すると後頭部あたりをさすろうとした伸ばした手はいつもよりも遥か前方で止まり、先ほど感じた柔らかさと、明らかに自分のものとは違うごわついた毛の感触が手に伝わってきた。

 

「ヤイバくんの髪色特徴的だからね! これで隠しちゃおう!」

 

「理屈はわかりますけど……。なんでアフロなんですか」

 

「そりゃあもちろん、尾行といえばアフロでしょ!」

 

 キラキラとした目で純粋な子どものように言い放っているが、その奥に潜む面白いもの見たさの思惑はお見通しである。というか、自分はちゃっかりお洒落サングラスかけてるし。

 

 もちろんアフロは突き返し、近くの雑貨屋で調達してきた深めの帽子を被って尾行を続行。

 

「おーい! ベルくーん!」

 

 建物の陰を出て広場にいる人たちに紛れつつ待っていると、それほど時間が経たないうちにエイナさんがベルの下にやってきた。

 

「エイナさん! おはようございま、す……」

 

 近づいてくるエイナさんの声に反応して顔を向けたベルの顔が、みるみるうちに紅潮していく。

 

「早いね、ベルくん! そんなに私とのお買い物が楽しみだったの?」

 

「い、いえ! あ、いや、楽しみにしてなかったという意味ではなくてっ!」

 

「ふふ、分かってるよ」

 

 ベルの動揺を読み取っていじり倒すエイナさんは、いつもの仕事一筋の冷静で優しいイメージとは真逆のいたずらっ子のようだ。

 

「わかりやすいね~。ベルくんって」

 

「おめかししてきたエイナさん相手に平常運転なんて、ベルには無理ですよ」

 

 エイナさんは、美人揃うオラリオの地の中でも際立った容姿とどの冒険者にも必要以上に優しく接する心配性ともいえる性格から、冒険者の間でファンが多いらしい。ミィシャさん曰く「正確に言うと勘違いさんが多い」ということらしいが。

 

 いつも見慣れた職員姿の時であればこのような事態にはならないのだろうが、今日のエイナさんは眼鏡を外して完全オフのプライベートモード。レースをあしらった白のブラウスにフレアレッドのミニスカートを合わせた私服姿は、仕事の時の堅さが抜けてかわいらしさを感じさせる。

 

「……ヤイバくん」

 

「はい、なんですか?」

 

 なんやかんやでエイナさんに揉みくちゃにされだしたベルを眺めていると、ミィシャさんが横から肩をとんとんと叩いて呼び掛けてきた。

 

 ベルたちへの視線を切ってそっちに目を向けると、ミィシャさんはその場でくるりとターンした。ロングスカートの裾が風に乗ってふわりと翻り、ほのかな甘い香りが鼻孔をくすぐる。

 

「今日の私を見て、何か言うことはないかね?」

 

 そう言うと彼女は俺の方を向いて止まり、軽く手を広げて自身のプライベートモードを見せつけてきた。

 

 ミィシャさんの私服姿は、ベージュのロングスカートに白のTシャツを合わせた上からデニムジャケットを羽織る落ち着いた雰囲気を感じさせるコーディネート。かわいらしさを押し出したエイナさんとは反対に、大人っぽさを感じさせる。

 

 ミィシャさんもエイナさん同様スタイルも容姿も整っていて、とても魅力的な姿ではあるのだが……。

 

「どこにアフロ隠し持ってたんですかゲフッ」

 

 左脇腹にミィシャさんの手刀が突き刺さり、鈍い痛みを感じる。ミィシャさんは俺がステイタスを封印している状態なのを忘れているようで、全力で打ってきているためそれなりに効く。

 

「あ、エイナたち移動し始めてる! 追うよ、ヤイバくん!」

 

「は、はい……」

 

 そっぽを向いてスタスタと歩いていくミィシャさんを追いかけて、ベルたちの後を追う。

 

 その後十数分歩いたところで、目的地のバベルに到着。

 

(エレベーター的な)昇降機待ちでかち合うといけないため、後から別の昇降機で追いかけるために物陰からベルたちの行き先を確認しておく。

 

 ベルたちの行き先は四階。本来のお目当てである掘り出し物エリアは八階にあるため、どうやら目的地に直行する訳ではなく、一級品エリアを少し覗き見していくようだ。

 

 すぐにひとつ隣りの昇降機に乗り込み四階を指定すると、格子状の扉が閉まり、円形の台座が重々しく動き出す。ちなみにこの昇降機は、この台座の下に取り付けられている魔石の魔力で浮力を生んでいるんだとか。

 

「よしっ、とうちゃーく「何をやってるんだ、ベル君──!!」!?」

 

 ウキウキで昇降機から飛び降りたミィシャさんだったが、それをかき消す近くからの女性の大声に気圧されてよろけてしまう。というか、妙に聞き覚えのありすぎる声だったような……。

 

「っと、大丈夫ですか? ミィシャさん」

 

 声の圧に押し戻されたミィシャさんがそのまま倒れそうになっていたため、すぐさま俺も昇降機を降りて後ろに回り、肩を支える。

 

「うん、ありがとうヤイバくん。ていうか、今の声って……」

 

 ミィシャさんと共に声の出処に視線を向けてみると、そこにあったのはエイナさんと、またもや揉みくちゃにされているベル。そして、そのベルを揉みくちゃに、というより噛み付いている我らが神、ヘスティア様の姿だった。

 

 当然、なぜここに、俺たちのように尾けてきたのか? という疑問が頭に浮かぶ。しかし、いつもの青と白を基調とした衣装とは程遠い、赤と白で染められたメイド服のようなヘスティア様の装いを見てそれはないと理解した。恐らくあの店でバイトしているところで、デート中のベルと鉢合わせたというところだろう。

 

「バイト増やしたのは気付いてたけど、まさかこんなとこで会うとは……」

 

「あはは、変わった神様だね……。って、この距離だと見つかっちゃう! 一旦離れよヤイバくん!」

 

 ミィシャさんに手を引かれ、ベルたちとは反対方向に向かって、気付かれないように小走りでフロアを回る。

 

 ヘスティア様の騒ぎがうっすらと聞こえる程度の場所まで移動出来たところで、ひとまず止まって一息吐く。

 

「ふぅ、ここまで来れば大丈夫かな、って……。ふふっ」

 

 ミィシャさんが話しかけてきているが、その声は俺の耳には届かない。

 

 いま俺の心は、間違いなく一つのショーウィンドウの中に取り込まれていた。

 

 この辺りは極東の武器を扱っているエリアなのか、俺が見ているショーウィンドウの中には、他のものはなく日本刀だけが数本鎮座している。

 

 そしてそれらの品は、真剣のことは基本的なことしか知らない俺から見ても、その美しさに目を引かれる一流のものばかりだ。

 

 全体像、刃文、地鉄。それら全てが見事な芸術であることは言うまでもないが、どれをとっても刀一つ一つに個性があり、同じものはひとつとしてないという点がまた興味を引く。

 

 そう、尾行という目的に隠れていたが、ここは《ヘファイストス・ファミリア》の一流鍛冶師が作った一級品の武器が並ぶ武器の街。

 

 目の前に広がる全てが最高品質の最高級品であるとなれば、気分も高揚するというものだ。少しミーハーではあるが。

 

 そんな俺を見て、ミィシャさんは少し微笑み、ショーウィンドウに張り付く俺と肩を並べた。

 

「やっぱり冒険者なら、こういう一級品武器を手にしてみたいとおもうものかな?」

 

 そのミィシャさんの言葉は、今度は耳を通り過ぎることなく引っかかり、俺の頭を悩ませることとなった。

 

「うーん……。それは……。どうでしょう」

 

 肩掛けにして背中に回していた刀に手を回し、鞘ごと持ち上げて頭の上を通して前に持ってくる。ちなみに俺はダンジョンに行かない日ではあっても、感覚が鈍るため刀は常に持ち歩くタイプだ。

 

 他の人の迷惑にならないよう少しだけ鞘から刀身を抜き出し、小さく唸りを上げてじっくりとショーウィンドウに並ぶ刀と見比べてみる。

 

「ヤ、ヤイバくん? どしたの?」

 

 またもやミィシャさんの声で我に戻り、刀を鞘に納め、彼女に微笑みかけた。

 

「いえ、なんでもないです! そうですね。確かにここに並ぶ刀はどれも魅力的です」

 

 ただ、と前置きを打って、俺の刀をミィシャさんの前に出して言った。

 

「この刀はある人に貰った大切なもので、出来ればどこまでもこいつと一緒に駆け抜けたいな……って」

 

 大女神様に貰ったこの日輪刀。"最高品質"と銘打って注文しただけあって、パッと見の外見はここに並ぶどの刀にも見劣りしない。

 

 俺が憧れた剣士達が握り、この世界に来てからの十数年を共に走り続けた日輪刀。全集中の呼吸という力で戦っていく以上、この刀に自身を最果てまで導いて欲しいという我儘な気持ちが俺には確かにあった。

 

「……そっか。だったら「少年。その刀は誰の作品だ?」わひゃあっ!?」

 

 またもやミィシャさんの言葉を遮るように背後から影が伸びてきて、その主が言葉を発した。

 

 即座に体を180度回転させて驚いてこれまた同じように倒れかけたミィシャさんの肩を左手で抱きよせる。

 

 右手で刀の柄に手を添えて臨戦態勢に入ると、目の前にいた大柄の女性は、少し慌てた様子で微笑みながら手を頭の上まで上げて言った。

 

「すまない、驚かせるつもりはなかった。勿論戦いの意志もない」

 

 そう言って優しい眼差しで敵意がないことを伝える女性の目は、片方が眼帯で塞がれている。

 

 豊満な胸にさらしを巻いているだけで褐色の肌をさらけ出している豪快な上半身に比べて、下半身は足首まである赤色の袴でしっかりと隠されているという、上下で対称的な装いをしている。

 

 首裏で一束に纏められた綺麗な黒髪も相まってこれまた"オラリオ美人"といった容姿だ。

 

 しかしそれらの外見的特徴を置いてまず俺が感じとったのは、滲み出る強者の風格。

 

 オラリオには冒険者の街と言うだけあって、その辺を歩いているだけで身の毛もよだつような空気を漂わせる強者をちらほらと見かける。

 

 この人はそんな中でも別格のプレッシャー。今の俺では手も足も出ないと実感させる強さの圧。先日お邪魔した『豊饒の女主人』の店主や、店員のエルフさんを前にした時と同レベルのそれに襲われて、咄嗟に臨戦態勢を取ってしまった。

 

 とはいえ知らない人が会話にいきなり割り込んできた、という状況自体は事実であるため、両者の間に奇妙な沈黙が流れる。

 

 その沈黙を破ったのは、未だ俺の腕の中で驚いた表情を浮かべるミィシャさんが、何かに気付いた様子で漏らした あっ、という呟きに続く声だった。

 

「椿・コルブランド氏!?」




話があまり進んでいませんが、長くなるためここで一度切ります。


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契約のち耳飾り

「急に来てもらってすまないな。粗茶だが、良ければ飲んでくれ」

 

「ありがとうございます」

 

 テーブルの上にコトリと置かれた湯呑みを持って、熱々のお茶を一口啜る。

 

(あ、やっぱりこれ緑茶だ)

 

「美味いだろう。知り合いのツテで取り寄せた本場ものだ。見たところお主も手前と同じで、極東出身のようだからな」

 

 そう言って俺たちの対面に座り、自分の分のお茶を豪快に流し込む大柄の女性。

 

 彼女の名は椿・コルブランド。この摩天楼(バベル)にいくつもの店を構える 鍛冶師(スミス)系《ヘファイストス・ファミリア》の団長で、オラリオに数多に存在する鍛冶師の中でも頂点に君臨する最上級鍛冶師(マスター・スミス)の称号を持つ鍛冶師である。

 

 しかし、彼女が1ファミリアの団長たる由縁は、勿論鍛冶の腕前だけではない。彼女は鍛冶師として最上級の実力を持ちながら、自身の打った武器を自ら使いこなす、lv.5の第一級冒険者なのである。ちなみにこれは本人いわく、「武器の試し斬りをしていたらこうなった」らしい。

 

 あの後、俺は彼女に連れられて、刀のショーウィンドウの店を入った裏にある、隠し部屋のようなところにお邪魔している。《ヘファイストス・ファミリア》が経営するお店である以上、どこにでも作品を出品している団長は顔が利いて、出入り自由なんだとか。

 

 なお、ミィシャさんは用があるとかで、俺を置いて行ってしまった。用ってそれ尾行のことでしょう。

 

「それで、コルブランド氏「堅苦しい呼び方をするな。椿でいい」──では、椿さん。これが俺の刀、日輪刀です」

 

 背中がけの刀を下ろして、テーブルの上にそっと置く。

 

 すると、椿さんの雰囲気が少しだけピリついたものになった。

 

「……頼んでいる立場で言うのもなんだが、そんなに簡単に渡して大丈夫か? 冒険者にとって武器(それ)は共に生き抜く"命"、半身だ。少なくとも手前はそうあって欲しいと思っている。特に、手前の打った武器を使う者にはな」

 

 少し低くなった声色に、椿さんの鍛冶師としての矜恃のような、プライドのようなものが垣間見える。

 

 聞くところ、椿さんは一流の鍛冶師と呼ばれるようになってもう長い。鍛冶師として名を挙げたことで、その名に群がるように武器を欲する冒険者も多かったのだろう。

 

 ただ自分の名を挙げたいがために、手っ取り早く実力をつけたいがために強い武器を欲する者は大勢いる。

 

 それ故に椿さんは、自身の武器を軽々しく扱う者を許せないのだろう。こうして俺に諭すように問いかけてくれている。その心意気だけで十分信頼できる根拠に足るのだが、おそらくこの人はそう言っても納得はしないだろう。

 

 どう伝えようかと考えていると、ふと先日あったホームでの出来事を思い出す。

 

「……俺の信頼する人達があなた方のお主神を信頼していましたから」

 

 それは先日、ベルがダンジョン探索から帰ってきたときの一幕。

 

 帰ってきたベルが荷解きをして出てきた戦利品や洗濯物を整理回収していると、いつもベルが使用していたものとは違う、上から下まで真っ黒なナイフが置いてあったのを見つけた。

 

『ベル、ナイフ新調したのか?』

 

『あ! それね、神様が僕にプレゼントしてくれたんだ! 神聖文字(ヒエログリフ)で何か書いてあって、意味は分かんないけど、すっごくかっこいいよね! それに……』

 

『分かった、分かったから』

 

 興奮してナイフの魅力を語るベルを宥め、許可を貰ってナイフの刀身に目を移す。ナイフのには確かに、これまで見たことの無い文字が刻まれていた。表面や裏面だけでなく、刃の部分までビッシリと。

 

 その時気付いたのだが、どうやら俺はヒエログリフとやらを完璧に読み解くことができるらしい。ヒエログリフとはその名の通り、天界に住まう神様達が扱う文字。下界人の俺たちにとっては、博識な人たちが必死に勉強してやっと少し読めるくらいのものであるらしい。

 

 なぜそんな文字を俺が読めるのかと言えば、考えられる理由はただ一つ。

 

(あ、『転生後の世界の言語、文字の理解能力』……)

 

 そう、転生する際に決めた特典のうちの一項である。あの時はただ「周りとのコミュニケーションに手間取ったら嫌だからな~」というつもりだけだったのだが、まさかこんな仰々しいものまで読めるとは思わなかった。恐るべし、大女神さまの力。

 

 そんなわけで、好奇心にそそのかされるまま刀身に刻まれた文章を解読していく。なにやら個人的な文言が目に入った時点で読むのをやめたが、読み進めたあたりのところまでで大体の経緯は予想できた。

 

『ヘファイストスから盟友ヘスティアへ……か』

 

「……詳しくは言えませんが、俺の信頼する相棒(ベル)を溺愛している神様(ヘスティア様)が、あなた方のお主神(ヘファイストス様)に大切な相棒の"命"を託しました。そんな方が信頼して団長を任せるあなたを疑う余地は、俺にはありません」

 

 俺が語った根拠を聞いた椿さんは一瞬の間を置いてから、空を仰ぎながら大口を開けて、高らかな笑い声を上げた。

 

「はっはっは! これは一本取られたな! そうか、ヘファイストス様が鍛冶場に籠っていたのはそういうわけだったのか。それは手前もヘファイストス様に感謝せねばな! そう考えると、こうしてお主と話しているのも何かの縁かもしれんな」

 

 そう言ってなおも笑い続ける椿さんの姿からは先ほどのピリつきは抜けていて、外見から想像していた通りの豪快な性格が表に出ていた。きっとこれが彼女の素なのだろう。

 

 なんとか椿さんの試験? を通過できたことにホッとして、釣られて俺の顔からも次第に笑いがこぼれだす。

 

「そういえば、まだ名を聞いていなかったな。なんというんだ?」

 

「天道刃です」

 

「そうか。お天道様とはまた大層な名を持って生まれたものだな。では刃、お主の刀を少し借り受ける」

 

 椿さんはテーブルに置かれた日輪刀に手を伸ばし、一気に白銀の刀身を抜き切った。

 

 それからは刀と二人きりの世界に入ってしまったようで、色々なことを試していた。刀の全体像を嘗め回すように観察していたと思えば、立ち上がって普通に振ってみたり、槌で刀身を満遍なく小突いてみたりなど。刀鍛冶のノウハウがない俺から見たら何をしているのかさっぱりなのだが、やはり最上級鍛冶師(マスター・スミス)のやる事となれば、なんらかの意味はあるのだろう。

 

「うーむ……」

 

 お茶を飲みながらまったり待ち十分ほど経過した頃。椿さんが初めて動きが止め、手に持った刀を眺めながら低いうなり声を上げた。

 

 どうかしたのかと見ていると、椿さんが刀を見つめたまま なあ刃、と問いかけてきた。

 

「この刀は誰が打ったものなのだ?」

 

「え、っと……」

 

 椿さんの問いかけに俺は一瞬戸惑い、言葉が詰まった。

 

 この日輪刀は、転生する際に貰った特典のうちの一つ。なんなら一番値が張ったメインの物である。そのため当然この世界に生まれ落ちた時には傍らに用意されていたし、製作者など分かるはずもない。それどころか誰かが打ったものなのか、無から生成されたものなのかすら分からない。

 

 強いて言うならば大女神様が製作者なのだろうが、そのことを安易に口に出すわけにもいかないだろう。

 

 適当なごまかしを言ったとして急ごしらえの嘘ではすぐにボロが出るだろうし、何より椿さんに失礼だ。となればとりあえずぼかしておくしかない。

 

「それが、その……。その刀は俺の故郷に代々伝わる刀で、もう何百年も前の代物なので、詳しくは俺にも」

 

 なんとか原作のあの刀の設定を流用してそれっぽい事情を作ることができた。これならばある程度の追求なら原作を思い出すことでなんとかなる。我ながら上手くぼかすことができただろう。

 

 最大の関門と言える質問をクリアし、一安心してお茶を啜る。

 

「そうか。では刃よ。お主は神であったりするか?」

 

「ぶーーーっ!!」

 

 口に含んだお茶が勢いよく吹き飛んでいった。僅かに残った水分が気管に侵入し、異物を排除せんとして激しく咳きこむ。

 

「けほっ、けほっ。な、何言ってるんですか椿さん? そんなわけないじゃないですか」

 

「はっはっ、だろうな。言ってみただけだ」

 

 そう言って笑う椿さんが刀を鞘に納め、テーブルに戻ってきて俺にタオルを差し出してくれた。

 

 一言のお礼を欠かさずにタオルを受け取って口周りに付着した水滴をふき取り、椿さんの話に耳を傾ける。

 

「この刀からは、神の意志を感じる」

 

 冷や汗が一筋、頬を垂れる。

 

「なにか仕掛けがあるように感じるのだが、何を試してもうんともすんとも言わん。だが、確かにここには神の力があるのだ」

 

 恐るべし、最上級鍛冶師の洞察力。確かにこの刀には、呼吸に反応して光を発するという特性がある。

 

 もちろんただ光るだけの剣な訳はなく、呼吸の特徴に刀が寄り添う感覚みたいなものがあるようにも感じる。それぞれ異なったとがり方をする呼吸を使いこなすために備えられた特性のようなものなのだろう。

 

 それにこの刀には、俺が開放できていないだけで、まだほかの特性も眠っている。

 

 とりあえず分かっているだけの特性をここで見せてもよいのだが、どうやら、椿さんの目的はそこにはないようだ。

 

「手前が目指す神の領域が、いま目の前にあるのだ。この刀と徹底的に向き合ってみたい」

 

 そこでだ、と前置いて椿さんは席を立ち、テーブルをぐるりと回って俺の真横に立った。

 

 何をされるのかと椿さんの顔を見上げながら構えて待っていると、突然椿さんが俺の視界から消えて、地面に膝をついて、両手の握り拳をゴッ! と地面に突き立てて、決意の目で俺を見上げた。

 

「頼む刃。今後、この刀の手入れを手前にやらせてもらえないか」

 

 それは、駆け出し冒険者に最上級鍛冶師が鍛冶契約を懇願するという、はたから見ればなんともおかしな光景だった。

 

「ええっ!? そんな、俺最上級鍛冶師(マスター・スミス)に依頼するお金なんかっ」

「代金はいらん! 見返りも何らかの形で必ず用意する! 何か問題があった時には、容赦なく契約を切ってもらって構わん!」

 

 そう告げる椿さんの目は、体裁など全く気にしない、ただ実直に高みを目指す者の目だった。

 

「必ず最高の品質にして返すことを約束する。だからお願いだ。お主の命を手前に預けてくれ」

 

 そんな彼女と真正面から向き合えば、俺には迷う余地などない。見据える場所は違えど、同じく高みを目指す者として、彼女の思いに応えずにはいられない。

 

 テーブルから立ち上がって椿さんの前に立ち、こちらも膝を着いて正座し、目線を合わせる。あくまで対等な立場であることを示すために。

 

 そして、膝の上に乗せた手のひらを片方、椿さんに差し出した。

 

「分かりました、椿さん。俺の命、あなたに預けます」

 

「……! 感謝するぞ、刃!」

 

 椿さんが地面についた拳を解いて、俺の差し出した手を掴み取った。

 

 こうして、駆け出し冒険者と最上級鍛冶師(マスター・スミス)の、奇妙な協力関係が始まった。

 

 

 

 昇降機が下降し終わり、数時間ぶりに地面に降り立つ。塔内から街へ一歩踏み出せば、人工的な真っ白い照明の光から一転。どっぷりと地平線に沈みゆく太陽が、最後の力と言わんばかりに街を茜色に染め上げている。

 

「おぉ、いつの間にかこんな時間か」

 

 椿さんとの話が思ったより長引いていたのか、バベルを出るとすっかり夕方になっていたことに気付く。塔に入る頃 真上にあった太陽はとっくの昔に過ぎ去って、上を見上げれば黒いカラスが茜色の空を一匹、二匹と横切っていくのが見られた。

 

「ベルたちは……。もう帰ったっぽいな」

 

 とくれば、それを尾行していたミィシャさんも帰ってしまったことだろう。そうと決まれば長居する用事もないため、俺も帰路に着くことを決める。

 

 少し掘り出し物エリアを見て行きたくはあったが、生憎突発的に連れてこられたために金を一銭も持っていなかったことに気付き、帰宅を余儀なくされてしまった。

 

 掘り出し物の話を聞いたからついでに尾行にしていたようなものだったのに、これじゃただ尾行しに来た人じゃないか、と落胆してため息を吐く。

 

「いや、椿さんに出会えたのはプラマイで言えば普通にプラスだな」

 

 今日の晩飯当番はベルだったな……。などと考えながらホームへ向けて歩き出すと、視界の端で、ピンク髪の女性が手を振りながら近づいてくるのを捉えた。

 

「おーい! ヤイバくーん!」

 

「え、ミィシャさん!?」

 

 それは紛れもなく、ミィシャさんの姿だった。とっくに帰ってしまったと思っていたミィシャさんが、俺の方に走ってきていたのだ。

 

 すぐに俺もミィシャさんに向かって走り出して合流し、疲れた~、と一息吐いた彼女に問いかける。

 

「なんでまだここに? もしかして、まだ尾行中なんですか?」

 

「ううん、エイナたちはもうとっくに帰ったよ。私は君を待ってたの」

 

 俺を待っていた? という疑問に首を傾げていると、なにやらミィシャさんがジャケットの胸ポケットに手を入れて、そこから何かを取り出した。

 

「はい、ヤイバくん。私からのプレゼント」

 

 そう言って、ミィシャさんは丁寧にラッピングされたポチ袋大くらいの大きさのプレゼントを、俺に手渡してくれた。

 

 しかしそんな突然のプレゼントに困惑して、俺は反射的に手を出して受け取りつつも言葉を返す。

 

「そんな、受け取れませんよ! 今日は俺が勝手に置いていっちゃって、しかも待たせたみたいで、むしろ俺がなにか用意しなきゃっ!」

「いいから開けてみてってば! この前助けてもらったお礼でもあるんだから!」

 

 プレゼントを突き返す俺の手をつかんで、強引にラッピングを取らせようとするミィシャさん。

 

 せっかく綺麗に包んでもらったものを無理やり開けるのは気が引けたため、受け取ることを承諾して離れてもらった。

 

 ならばヨシ。と腕組みをして見守るミィシャさんを横目に、ラッピングを丁寧に剥がしてゆく。

 

 やがてその中から見えてきたのは、二本のチェーンとそれにつながれた二枚のライトブルーの薄い板。材質は宝石のようなものに思えるが、よく分からない。色はついているものの、奥が見えるほど鮮やかに透き通っていて、大きさはちょうど掌に収まるくらいの細長い長方形。表面には太陽を模した図柄が彫られている。そう、まさにこれは。

 

「耳飾り、ですか?」

 

「そう。これすごいんだよ! ダンジョンの18階層にある特殊な結晶(クリスタル)で作られてて、時間や環境によって光ったり消えたりするんだ! 太陽みたいだなーって思ってたら、ヤイバくんのこと思い出して! もうすぐに買っちゃった!」

 

「……それ、お金大丈夫なんですか? ダンジョン結晶(クリスタル)系の製品って、結構値段しますよね」

 

 先ほどまで饒舌に耳飾りの魅力を語っていたミィシャさんが、いきなり石化したように う、と固まってしまった。思った通り、結構値の張るお買い物だったようだ。

 

「やっぱり受け取れませんよ。そんな高額なものならなおさら……」

「だめ! 私のために受け取って!」

 

 俺の言葉を遮ってそう言うと、ミィシャさんが悲しげな表情でぽつぽつと語りだした。

 

「昔担当した冒険者さんの話なんだけどさ。私にとって初めてのアドバイザーとしての仕事で、一生懸命サポートするぞ! って息巻いて、色々支援してるうちに、その人への思い入れが段々強くなっていったんだ。好きだったって言ってもいいかもしれない。……でもその人、ダンジョンで亡くなっちゃったんだ。

 

 勿論、そんなことアドバイザーにとっては日常茶飯事だって頭ではわかってたんだけど、実際体験してみると結構きつくて……。だから、それから担当してきた冒険者さんには、最低限のサポートだけするようになったんだ。思い入れ過ぎて、もしもの時に辛くなっちゃわないように」

 

 辛い思い出の話をするミィシャさんの姿は、見てるこちらも心が痛くなる。

 

 ダンジョンでの死という冒険者には必ずついて回る話を聞いたこともあるが、それよりも身近な人が死んでしまうことに慣れてしまった、と言うミィシャさんの心模様がとても苦しい。

 

 出会ってからの期間はほんの少しだが、それでもミィシャさんの身内思いの性格は知っている。いくら当たり前にある話だとしても、優しいミィシャさんがそれに慣れるまではかなりの時間がかかったはずだ。

 

 そんな風に考えていると、でもね、と前置きを置いて、ミィシャさんがいつもの明るい顔になってこちらに向き直った。

 

「私、君には本気で死んでほしくないと思ってるの。だからこれ、受け取ってほしい。お守り替わりだと思って」

 

 そう言ってミィシャさんは、耳飾りを持つ俺の両手を自身の両手で握って、俺に笑いかけた。

 

 いつもの天真爛漫な笑顔と違う、優しい微笑み。夕陽をバックに手を握られているというシチュエーションも加わって、大人っぽい雰囲気がさらに強調されたその美しい所作には心惹かれるものがあり、少し顔が紅潮していくのが自分で分かった。

 

「……わかりました。ありがたく頂きます。つけてみていいですか?」

 

「うん! 貸して、つけたげる」

 

「ありがとうございます」

 

 握られている手にそのまま耳飾りを渡して、横に回ったミィシャさんが俺の耳に結晶(クリスタル)の耳飾りをつけていく。

 

「うん! 思った通り似合ってる!」

 

 ミィシャさんの声が聞こえるとともに、両耳に確かな重みを感じるのが分かった。

 

 といっても邪魔に感じることは何もない。少し強めに頭を振ってみても、音が鳴ることもなければ、耳が振り回されるような感覚もない。なるほど、これはなかなか着け心地がよさそうだ。

 

「どう? 違和感ない?」

 

「思ってたより全然自然な感じです。すごいですね、これ」

 

「でしょー? さっすが私、いいもの選ぶ天才!」

 

「はは、そうですね。これからダンジョンから帰るたび、耳飾りを見せつけに行きますよ。ちゃんと帰ってきたぞって」

 

「……ふふ。それはそれは、楽しみに待っています」

 

 気付けば空の色は茜色すら通り越して暗くなりかけていて。

 

 他愛のない会話をする俺たちの足取りは、自然と帰路を辿っていた。

 

「そういえばそれ、買ったお店の人が言うにはマジックアイテムらしいよ! なんでも、持ちお主をいざって時に助けてくれるんだとか」

 

「なんですかその胡散臭い話」

 

「えへへ、実際占い師みたいなかっこした胡散臭いおばあちゃんが言ってたことだからね」

 

「それは期待しない方がいいですね。っていうか、大丈夫ですか? ぼったくられたりしてません?」

 

「むっ、失礼な! 私だってね……」

 

 こうして俺の人生史上一番振り回された休日は幕を閉じた。

 

 たまには、こういう慌ただしい日も悪くない。

 

 

 

 

 

 

 ちなみに尾行はエイナさんに思いっきりバレていたらしく、後日俺たちはこってり絞られたのだった。




ベル→淡い緑(のプロテクター)
刃 →淡い青(の耳飾り)


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