百合の花〜三題噺の箱庭~ (しぃ君)
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盲目少女と○○少女

 練習がてらに一話完結の三題噺を書きました。
 お暇な時にどうぞ。


 ──────────

 

「『彩り』、『自由』、『不幸』」

 

 ──────────

 

 世界は彩りに溢れている。

 誰かがそう言っていたのを今でも覚えている。

 だけど…そんなの嘘だ。

 だって、私には何も見えない

 生まれて此の方、光が見えたことは一度もない。

 

 

 先天盲…と言うらしいが、私にとってそんな事どうでもいい。

 ただ……

 

 

「世界が見たい……」

 

「ま~た、変な事言ってる。そりゃあ、見たいって思うのはしょうがないけど、諦めも肝心だよ? ねっ? はるはる」

 

「はるはるは止めてって前も言ったよね?」

 

「いーじゃん別に~」

 

 

 私の名前が春華(はるばな)(はるか)だから、はるはる。

 何度も止めてと言ってもその呼び方を止めない奴が、幼馴染み兼ヘルパー擬きをやってくれてる親友。

 名前は八橋(やつはし)(はる)

 明るくて、やかましくて、時々ウザイ。

 

 

 自分と同じく彩りある名前に生まれながらも、こうも違うと羨ましくなる時もある。

 だって、私は……暗くて、口が悪くて、多分愛想も悪い。

 なんでこんな自分と仲良くやってくれるのか、私は不思議でしょうがなかった。

 何度か聞いたことがあるが、名前が似てるからと言った意味不明な理由でスルスルと交わされてしまった。

 

 

 彼女の容姿を私は見た事はないが…きっとウザやかましい感じの明るい奴なのだろう。

 自分の容姿さえ分からないのに、世界の彩りさえ知らないのに……何故か彼女の容姿だけはハッキリと想像出来た。

 それがあっているかは分からないが……

 

 

「学校はどう? 楽しい?」

 

「まあまあかな。そっちは?」

 

「私は楽しいよ? 最近さぁ~、良いな~て思ってる人が居るんだけど。中々手強くてさ~、全然隙を見せてくれないんだよね」

 

 

 良いなと思ってる人…彼氏候補だろうか。

 私は盲学校と言う視覚障害者専用と言ってもいい学校に行ってるので、容姿で判断はせず性格頼みだ。

 悪い人じゃなければ上手くやって行けるが…偶に目が不自由なのを理由にセクハラ紛いのことをされて苛つく。

 

 

 ああ言う奴が居るから…視覚障害者がぞんざいに扱われることがあるんだ。

 …そうやって私が心の中で愚痴を漏らしていると、表情に出ていたのか晴が頬をつついてきた。

 

 

「怖い顔してるよ~可愛いんだから笑ってないと~」

 

「自分じゃ自分の顔なんて見れないから、そんな事言われても嬉しくない」

 

「厳しいな~、はるはる」

 

「だ~か~ら~! はるはる言うな!」

 

「他の患者様も居ますので、お静かにお願いします」

 

 

 不味い…病院だったことをスッカリ忘れてた。

 視覚障害はあっても動かす体に問題はない私は、通院も晴と二人で来ているのだ。

 不自由な部分はあるけど、自由な部分があるだけマシ。

 晴がよく私に言っている言葉。

 

 

 普通の事を言っているのに、偶に凄い事を言っているように聞こえるのは気の所為だろう。

 診察は終わっているので、後は診察費を払って帰るだけだ。

 番号が言われるのを待っていると、不意に右隣に居た晴からではなく左隣から声を掛けられる。

 

 

「黒い髪のおねーちゃん。何で病院に居るの~?」

 

「…おねーちゃんは目が悪いの。だから、目を良くするためにここに居るんだよ」

 

 

 出来るだけ優しい声音で諭すように言葉を紡ぐ。

 嘘を言ってしまっているが、目が見えないと言うと重く感じてしまうから、これぐらいでいいだろう。

 子供相手に毒を吐くわけにはいかない。

 晴ならいざ知らず、声からして五、六歳の子供に毒を吐くなど言語道断。

 良い返しが出来た、そう思って満足していると…また少年の声が聞こえた。

 

 

「じゃあ何で…おねーちゃんは一人で病院に来たの? お母さんとお父さん居ないの?」

 

「…はっ? いや、冗談でじょ? おねーちゃんの隣にお友達居るよ? ほらここに」

 

 

 見えないけど、感じることは出来る。

 触ることだって出来る。

 晴は私の右隣に居る…居るはずだ。

 居ないなんて……

 

 

「おねーちゃんやっぱりおめ目悪いんだね。おねーちゃんの隣誰も居ないよ?」

 

 

 …………有り得ない。

 何か言ってよ晴。

 私はここに居るよって、いつもみたいにウザったらしい声でそう言ってよ……じゃないと……

 

 

『八十六番の方~』

 

「私達だね……行こっか?」

 

「………………」

 

 

 晴が手を引いてくれる。

 温かい…温かい筈なのだ……

 なのに……何で……何も言わなかったの? 

 その言葉が口から出てくる事はなく、無事に診察費の支払いを済ませて病院を出た。

 

 

 今もまだ、手には温かい感触がする。

 握ってくれてる。

 晴はここに居る。

 そうやって強く思わないと……何かが消えてしまいそうだった。

 

 

「…はるはるには言ってなかったけ?」

 

「なに?」

 

「私、生まれつき……影が薄いんだよね!!」

 

「へっ? ……どう言う事?」

 

「さっきもちっちゃい男の子に全然気付かれなかったじゃん? それも生来の影の薄さが原因なんだよね~」

 

 

 おどけたように言う親友に呆れを通り越して殺意を覚える。

 ぶん殴ってやりたいが、彼女が転べば私も転ぶ。

 殴るわけにはいかない……いかないのだが……

 先程までの調子で言葉を続ける晴に嫌気が募る……やっぱり殴ってやろうかな。

 

 

「ちょっ!? 殴るのだけは勘弁」

 

「…口に出てた?」

 

「出てた出てた! マジで出てたよ!」

 

 

 今度から気を付けよう。

 一応、幼馴染みで親友の彼女を失うのは辛い。

 

 私の世界に彩りはないけど……少しは自由で不幸じゃないんだから。

 

 ──────────

 

 遥はまだ気付いてないよね? 

 …出来るなら一生、気付かないで欲しい。

 私は本来、この世界にもう居てはいけない人間。

 彼女の傍に居ることが出来なくなった人間で……一度彼女から逃げた人間。

 

 

 最初はなんでもない口論で……それが絶交って言葉が出るほど発展してしまった。

 何時もは私が居るから杖を持ってない遥を、病院近くの場所に置いて逃げた。

 目以外の全てが完璧な彼女の隣に居るのは、私にはもう耐えられなかったのだ。

 

 

 絶交って言われたのを良い機会に逃げ出した……

 本当は大好きだったのに、最高の親友だと思っていたのに……

 

 

 それをしっかりと自覚して、元の場所に戻ろうとした時…事件が起きた。

 遥は信号のない道路を渡ろうとしたのだ…見つけた時にはもう遅くて、助からない…そう思ったけど私は走り出していた。

 

 

 そして…私は車に轢かれて命を落とした。

 代わりに、遥は奇跡的に無傷で生還した…いや、してしまったのだ。

 私の訃報を聞いた彼女はショックで一時的な記憶喪失になり、今の彼女は私が生きていると錯覚している。

 

 

 違うな、錯覚じゃない。

 事実、私はまだこの世に留まっている…幽霊として。

 遥だけが私に触れられて、遥だけが私の言葉を聞くことが出来る。

 私の世界には彩りがあっても自由はないし……とてつもなく不幸だ。

 

 

 唯一の幸福は、まだ遥の隣に居られる…この一つだけだ。

 

 

「ご飯なんだろうね~?」

 

「さぁ、私はあなたのお母さんじゃないから知らない」

 

「…だよね~」

 

 

 たわいのない会話…これもあと何回出来るのだろうか? 

 やっぱり…私は不幸だ。

 

 

 夕日に照らされてアスファルトの地面に影が映る。

 だけど、その影は一つだけしかなくて。

 それが無性に悲しかった。

 

 

「遥…好きだよ」

 

「いきなりなに? …まぁ、私も嫌いじゃないけど」

 

「言ってみただけ。気にしなくていいよ~」

 

 

 ああ、どうせなら生きてる時に言いたかったなぁ。

 私は遥の目が見えなのがいいことに、涙を流した。

 彼女しか私を感じられないのに、彼女が感じられない方法で悲しみを吐き出す。

 

 

 明日も、明後日も嘘をつく。

 止まった時間の中に囚われる私を、彼女が置いて行かないように。

 遥が真実に気付くのは何時だろう……ずっと気付かなければ良いな。

 




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努力家な後輩と凛々しい先輩

 ──────────

 

「『夢』、『逃走』、『自愛』」

 

 ──────────

 

 私──島風(しまかぜ)龍華(りゅうか)には夢があった。

 それは、冬のウィンターカップにて全国優勝を飾ること。

 補足をするが、都内の女子校に通う私は、その学校のバスケットボール部に所属しており、二年生にして六番のユニフォームを着たエース。

 知らない人からしたら、「それがどうした?」って感じになると思うけど、ウチの生徒からしたら褒め称えられたり、羨ましがられたりすることは間違いない。

 

 

 何せ、私の学校のバスケットボール部はインターハイやウィンターカップの全国常連。

 全国からよりすぐりの猛者が集まる中、私は十八人の中に選ばれた。

 とても誇れることで、とても名誉な事だ。

 同じ部活の同級生からは、頑張って来いと背中を押されたり、経験値しっかり稼いで来いと少しからかわれたりした。

 

 

 ……先輩たちからも頼りにしていると言われて、相当に舞い上がっていたし、天狗になっていたのかもしれない。

 でも、練習は欠かさなかったし、部活終了後も残って自主練をしていた。

 だから…今、目の前で起こっている現実を直視出来なかった。

 

 

『試合終了! 78対77で○○高校が優勝となります!』

 

 

 実況席の人の声と同時に観客席から歓声が上がる。

 だけど、今の私には届かない。

 ずっと…ずっと……表示が一向に変わらない得点板を見ていた。

 あと一点。

 さっき打ったレイアップが入っていれば…私たちが勝っていた。

 私がキチンと入れさえしていれば、先程の実況者から言われる高校名は変わっていたのだ。

 

 

 泣いていた…試合に出ていたメンバーも、ベンチに居たメンバーも、観客席にいたメンバーも……全員が泣いていた。

 何時も凛々しく居たキャプテンの浜内(はまうち)球子(たまこ)先輩でさえも……

 泣いていなかったのは…私だけだった。

 

 

 自分の中にあったプライドやらなんやらが全て叩き壊された気分で、今すぐにでもこの場から逃げ出したい衝動に駆られた。

 けれど、私には逃げ出す権利なんてなくて、試合相手や観客席に礼をする。

 表彰式の時も、私は泣けなかった。

 未だに実感出来ていなかったのか…はたまた……。

 

 

 分からなかった、自分で自分が分からなかった。

 ウィンターカップが終わって普通の練習が始まった翌日、私は部長兼キャプテンに任命されたが…途中で抜け出した。

 体育館に居ることさえ辛くて、逃げ出したのだ。

 …どうも、私は本気になれていなかったらしい。

 

 

 泣けなかった訳はきっとそうなのだろう…。

 そう考えると少し安心したのと同時に、バスケへの熱意があっさりと冷めていった。

 結局、ウィンターカップが終わってから一週間ぶっ続けでサボり、バスケのことなんてすっかり忘れて生きていた。

 

 

 だって、しょうがないじゃないか? 

 夢を果たせなくて、憧れていた先輩を泣かせて、本気になれていなかったことを自覚して、どうやってやっていけと言うんだ? 

 ……私には、とても出来そうにない。

 

 

 暗い考えを払拭するように、風にあたる。

 屋上で当たる風は冷たいが心地いい。

 十二月も終わりに近づくその日、八日目となるサボりは屋上に居た。

 

 ──────────

 

 最近、後輩の龍華が部活に顔を出してないらしい。

 らしい、と言うのは後輩から相談されて知ったからだ。

 何でも、バスケへの熱意が冷めてしまったとか? 

 馬鹿馬鹿しい、一瞬そう思った。

 誰よりも努力家で、誰よりもバスケにひたむきだった彼女の熱が冷めるなんて。

 

 

 天地がひっくり返っても起こらないと確信していた。

 だが、現実はそう都合よく出来ていないらしい。

 …現に、部活動真っ最中で居ないはずの龍華が屋上に居た。

 思わず口から言葉が飛び出す。

 

 

「りゅ、龍華!? 何でここに居るの?! 部活は?」

 

「…球子先輩…」

 

 

 気不味そうな表情でこちらを見つめる龍華。

 何処か後ろめたさがあるのか、少し視線を逸らしながら話し始めた。

 

 

「…居づらくなったんです。部活に」

 

「どうして? 龍華は部長でキャプテンでしょ? イジメられてる訳でもあるまいし…」

 

「私、泣けなかったじゃないですか? あの時。きっと本気になれていなかったんです……。だから──」

 

 

 彼女が次の言葉を言う前に、私は頬を引っ叩いた。

 いきなりの行動に驚いたのか、龍華は体制を崩して地面に尻もちをつく。

 

 

「だから? だからバスケ辞めたの? 意味が分からない! そんなの逃げてるだけ! 知ってる、逃走兵に終わりはないんだよ? このまま逃げ続けるの? 大好きなバスケから、仲間から、信頼されてたコーチから、応援してくれてた親から、逃げ続けるの? 全てから逃げるのは、もう逃走でもなんでもないよ! ただの自愛! 自分が傷つくのが怖くて逃げてるだけ!」

 

 

 言いたい事は別にあった。

 ゆっくり戻ればいいと、諭そうと思ったのに。

 何でか、こんな正論ばかりが出てきた。

 …バスケを楽しそうにする龍華が本当に大好きだっから、勝手に投げ出そうとするのが許せなくて……それで……

 

 

 ついつい、キツい言い方で責め立ててしまった…。

 

 

「…………そりゃ、怒りますよね。でも、もう無理ですよ。夢も果たせなくて、尊敬してた先輩を泣かせて、本気にもなれてなかったんですから……」

 

「U-18日本代表。…ウチの学校からは私と龍華が選ばれてた。一緒にやろうよ? 悔しいって気持ちが少しでも残ってるなら、他の舞台で思いっきり晴らしてやろうよ。世界に八つ当たりしに行けばいいじゃん!」

 

 

 辞めて欲しくなかった。

 バスケをやっている時に魅せる、龍華の輝くような笑顔が見たかった。

 我儘かもしれないけど…彼女ともう一度バスケがしたかった。

 同じチームでやることは、今後あるか分からない。

 だったら、今やらなければ。

 

 

「…他の人の方が──」

 

「他の人じゃダメなの! 私は……私は……龍華と一緒にやりたいのよ!」

 

「球子先輩…」

 

「お願い。最後にもう一度だけでいいの、貴女と一緒にバスケがしたい」

 

「分かり…ました。やります…私もやりたいです」

 

 

 ぎこちなく笑う龍華を見ながら、私も笑った。

 最後まで想いは伝えられなかったけど、今はこれで十分だろう。

 まだ時間はある。

 今度こそ自愛の所為で逃走…もとい逃げる結果にならないように…。

 

 

 優勝してみせる! 

 私はそう強く心に誓い、龍華の手を取った。

 

 

「ほら! 早く行かないとコーチに怒られちゃうよ?」

 

「怒られるのはもう確定ですよ…」

 

「任せといて! 私が何とか言い含めといてあげるからさ」

 

 

 走りながら、小さく舌を出して龍華に向かってウィンクをした。

 私達の残り僅かな青春…絶対に笑顔で終わらせてみせる! 

 二つ目の誓を新たに立て、弾む心のままに廊下を走る。

 途中で先生に注意されたがどうでもいい。

 だって、私達は今──

 

 

「青春してるんだから!」

 

 

 高らかに叫ぶ私に若干引きつつも、龍華も笑って叫んだ。

 

 

 夢を終着点と言うか、夢を通過点と言うか。

 人それぞれの違いだが、私は夢は通過点だと思う。

 何故かって? 

 

 

 答えは簡単で、もし、夢を終着点と考えたらつまらないからだ。

 

 

 夢を通過点にするために私達は走り続ける。

 夢を超えた先にあるものが見たいから……

 




 次回もお楽しみに!

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いつか来る終わり

 今回の話は地震が主軸に入っているので、嫌だと想ったらすぐにブラウザバックしてください。


 ──────────

 

「『終わり』、『明日』、『無意味』」

 

 ──────────

 

 私、震河(しんかわ)(いつき)の日常はごく普通の物だった。

 産まれは秋田の農村で、高校入学と同時に東京の学校に行く為に一人で上京。

 入学してからの一ヶ月は地獄のようだった。

 家事全般は出来たものの、慣れない言葉でクラスメイトと話したり、バイトをし始めたりして、苦難の連続に見舞われた。

 

 

 それでも、最初の一ヶ月を乗り切れば意外と何とかなるもので、私は周囲の環境に適応していった。

 三ヶ月目ともなれば、方言は殆ど顔を出さず、満員電車に乗るのも苦と感じなくなるように。

 

 

 夏休みに突入した今日はオシャレの街と言っても過言ではない渋谷に来ている。

 両隣には高校で知り合い親友とも言える間柄になったクラスメイトの二人。

 優美(ゆみ)美佳(みか)だ。

 休日なのにも関わらず、学校の制服に身を包みながらスクランブル交差点を歩く。

 

 

 何でもない話をして、笑って、ちょっと怒って、私達は歩いていた。

 ……本当に唐突だった、終わりと言うのは。

 

 

『緊急地震警報! 緊急地震警報! 大きな揺れが来ることが予想されます! ────』

 

 

 その次に続く言葉を、私は聞こうとしなかった。

 地震なんて、そんなに珍しくもない。

 どうせ、何時もみたいにちょっと揺れてそれで終わりだろう。

 

 

 そんな風に……私は考えていた。

 甘かった…甘すぎた。

 非日常的な事も、慣れてしまえばそれは日常。

 地震と言う非日常的な事象を、私達は多く経験しすぎてしまった。

 過去の記録が、被災の爪痕が、未だ残っているのにも関わらず。

 重く現実を受け止めようとしなかった。

 

 

 遥か昔、天災は神が起こすものだと信じられていたらしい。

 もし…もしも、これが本当だったなら。

 学校の授業で習うものこそが偽物だったなら……この天災は神様からの罰なのかもしれない。

 

 

 私は、そう思った。

 

 

 揺れた。

 横ではなく縦に揺れた。

 自分が今まで感じた地震なんて目じゃない。

 立っていることは出来ず、ましてやまともに辺りを見渡すことも出来ない。

 

 

 この時、初めて知った。

 幾ら経験しようが…無意味なものはあると。

 激しい揺れは数十秒と続き、辺りは阿鼻叫喚の地獄絵図。

 逃げようにも逃げられず、崩れゆく建物に押し潰された人は、何十、何百、何千、何万と居た筈だ。

 

 

 日常はたった今、呆気なく崩れ落ちた。

 

 ──────────

 

 どうやら、途中から意識を失ってたらしい。

 時間を確認するためにスマホを見ようとしたが……

 

 

「ウソ…最悪だ」

 

 

 画面はバキバキに割れていて、時間が見えやしない。

 辺りを確認しようと顔を上げると……辺り一面が瓦礫で埋め尽くされていた。

 両隣に居た筈の優美と美佳も…居ない。

 大丈夫! きっと先に起きて辺りを探してるだけだ! 

 

 

 そう決めつけて、私は辺りの探索に乗り出した。

 もし怪我をしてたり、困ってる人が居れば助けなければ。

 田舎暮らしだった私は、自分の安全を確保するより、周りの人間を助けることを第一に動き始めた。

 擦りむいたのか、膝から血が出ているが気にしていられない。

 

 

 奇跡的にほぼ無傷だったのだから、出来る事をしなければ。

 制服についた汚れを叩いて落とすと、辺りを散策するため歩き出す。

 目に映る限り全ての建物が倒壊しており、倒壊していない建物は見当たらない。

 あの揺れなのだから、倒壊していない建物を探すなど、砂場から針を探すより難しい。

 

 

 体感的に十分ほど歩いたが、一向に人が見つからない。

 もしかしたら、私は逃げ遅れてしまったのではないか? 

 そう思ったが…お門違いだったらしい。

 …紅い水溜りが見えた。

 そこかしこに、紅い水溜りが見えた。

 

 

 瓦礫の下から、少しづつ、少しづつ、溢れていく。

 どこまで行っても所詮女子高生、こんな状況に陥る可能性は皆無だ。

 当然動揺するし、腹の底から形容し難い感覚が、喉元まで押し寄せてくる。

 必死に堪えて出すことはしなかったが…口の中には胃酸特有の少々酸っぱい香りが残っている。

 

 

 …だが、それでも私は歩いた。

 優美や美佳、それ以外にも人が生きていることを信じて。

 その時の私は知る由もないが、この首都直下型地震の死者数と行方不明者数、並びに建物倒壊数は桁が一つ違ったり、数倍になっていたりした。

 それは揺るぎない記録として残っている。

 

 

 また、時間が経った。

 歩けど、歩けど、人は見えない。

 絶望に染まっていく心を支えていたのは、親友の優美と美佳の存在。

 二人ならきっと大丈夫、希望的観測どころか幻想にも近い想いは、ある一つの物を見た瞬間砕け散った。

 

 

 風に運ばれて来たのか、緑色のリボンが足元に落ちる。

 緑の他にも黒のラインが混ざっている物で……私が制服の胸辺りに付けているものと同じだ。

 歓喜した。

 リボンが流れてきた方向に行けば、会えるかもしれないと分かったからだ。

 

 

 けれど…足が動かなかった。

 …何せ、リボンは微かに鉄臭く…そして湿っていたからだ。

 冗談だと、そう思ってやり過ごそうとしたが…視線が自然とリボンに落ちていく。

 

 

(ダメ! これ以上はダメ! 戻れなくなる!)

 

 

 そう強く想っても、自然と視線は落ちていき……

 さっきはパッとしか見ていなかったリボンを、じっくりと見直す。

 …私の予想は当たってしまった。

 緑と黒で配色された綺麗だった筈のリボンは、全体に薄く紅いナニカが滲んでいるようだ。

 

 

 涙が出ると思ったが、不思議と出てこなかった。

 それもその筈だ、とっくのとうに私の心は壊れてしまったのだから……

 小さく嗚咽を漏らすが、反応する者は居ない。

 何故なら──みーんな肉の塊になっちゃったから! 

 

 ──────────

 

 今も小さな余震が続いている。

 一夜が明けても、私の見る景色は殆ど変わらなかった。

 瓦礫、血の海、瓦礫、血の海、瓦礫、血の海。

 食べ物は食べていないし、飲み物も飲んでいない。

 念の為にと残してある。

 

 

 もし、困ってる人が居たら、助けてあげなくちゃ! 

 鼻歌交じりにステップしつつ、辺りを見渡していく。

 やはり、人影は見えない。

 しかし、どこからが泣き声が聞こえた。

 

 

「おかーさぁん! おかーさぁん!」

 

 

 子どもかな? 

 泣いているなら、笑わせてあげなくちゃいけない。

 私は高校生のお姉さんなのだから。

 声のした方向へと進行方向を変えて走り始める。

 親御さんの状態次第では助けられるかもしれない。

 

 

「大丈夫?」

 

「…ゔぅ、あ゛ぁ~ん! おねーさん! おかぁさんを助けて! 下、下に居るの!」

 

 

 可愛らしい洋服を所々血で濡らし、焦茶色の瞳から涙を流しながら懇願してくる。

 夜空色のロングヘアーが愛くるしさを増幅させるのと同時に、少女の体中に見える擦り傷や血の跡が加速度的に、愛くるしさの増幅を止めて押さえ込んでいく。

 

 

「……待っててね、おねーさん頑張ってみるから」

 

「…うん」

 

 

 少女が指をさした瓦礫の下に紅い水溜りが見えることから…答えなど分かりきっている。

 だが、少女の願いを無下にする訳にはいかない。

 出来る限りのことはしよう。

 

 

「ふっ! んぬぅ!!」

 

 

 幾ら瓦礫を持つ手に力を入れようと、ピクリとも動かない。

 少し動いてくれるだけでも希望はあるのだが……

 

 

「づぅ!」

 

 

 どうやら、先に限界が来たのは私の体のようだ。

 昨日は怪我をしているのなんて、膝だけのものだと思っていたが、腕も怪我をしていたのかもしれない。

 制服の上とワイシャツを脱ぐと……腕には青アザが出来ていた。

 肘から上の二の腕辺りを覆うように青アザが出来ている。

 

 

 痛みの原因はこれだ。

 

 

「…ごめんね。……おねーさんじゃ、ダメだったみたい」

 

「ううん。おねーさんは悪くないよ…。私が悪いの。おかあさんとの約束を破って先に行っちゃったから……」

 

 

 またしても、先程と同じように涙を流そうとする少女の体を、私はゆっくりと抱き寄せた。

 無意味な行為かもしれない。

 母親との別れを経験するには幼すぎる。

 見たところ小学校低学年…と言った所だ。

 

 

 心が壊れてしまった私には分からないが、凄く悲しくて苦しい筈。

 だったら、優しく抱き締めて上げなくてちゃ。

 温かく、包み込むように抱き締めて上げなくちゃ。

 悲しいって感情が、苦しいって感情が和らぐように。

 

 

 私が、助けて上げなくちゃ。

 私は、おねーさんなんだから。

 

 ──────────

 

 私の家におとうさんは居なかった。

 おかあさんだけが、私の家族。

 私の明日の為に、おかあさんは頑張っていた。

 私が学校に行くのと同じ位に『行ってきます』をして、『ただいま』をするのは私が家に帰ってきたずっとあと。

 

 

 疲れるのに、私のご飯を作ってくれて、寝るまで本を読んでくれる。

 大好きだった。

 本当に…大好きだった。

 

 

 だから──あの日、私は泣いた。

 泣きまくった。

 体中の水分が無くなるんじゃないかってくらい泣いた。

 

 

 泣いている私を抱き締めたのは、知らないおねーさんだ。

 ショートに切りそろえた焦茶色の髪と、夜空色の瞳が綺麗なおねーさん。

 かっこいい服を着て、私のお母さんを助けようとしてくれた。

 でも、助けることは出来なかった。

 当たり前と言えば当たり前で、おねーさんは怪我をしていたからだ。

 

 

 …だけど何となく、怪我をしていなくても助けられなかったことを、私は──宮地(みやじ)水香(すいか)は知っていた。

 

 

 その後は、おねーさんと一緒に居た。

 おかあさんとお別れして、瓦礫だらけの街を歩いた。

 自衛隊のおにーさん達に助けられるまでの一週間、少ないご飯を分け合って食べた。

 ……本当は、おねーさんが水以外を口にしていないのを知っていたけど、私は何も言わないように口を噤んだ。

 

 

 だって、私が何か言ったら本当に何もかもが壊れてしまいそうなくらい、おねーさんの笑顔は脆く見えたから。

 自衛隊のおにーさんに助けられた後、私はおねーさんの家に行く事になった。

 

 

「おかあさんは助けられなかったから、私が水香ちゃんのお母さんになるよ!」

 

 

 あまりにも脆い笑顔で言うものだから、私は傍を離れるのが怖くなっておねーさんと家族になった。

 養子縁組?と言うらしく、家族構成的には私はおねーさんの妹になる。

 そうなる事が分かると、おねーさんは言葉を変えた。

 

 

「お母さんにはなれなかったけど、おねーさんにはなるから! よろしくね!」

 

 

 少し年の差がある筈なのに、同い歳と言っても信じられる程の純粋さがおねーさんにはあった。

 おかあさんを失った事で出来た穴に、おねーさんがすっぽりとハマる。

 抜こうにも抜けない程に、すっぽりとハマった。

 

 

 多分、おねーさんの心は終わってしまった──ううん、壊れてしまったのかな。

 脆い笑顔が、明日を心から待ち遠しいと思えるほどの笑顔になるまで、私は傍にいようと思う。

 もし、おねーさんがそうなれたら、この想いを伝えよう。

 

 

 あの、地獄の日々で芽生えた淡い想いを伝えよう。

 

 

「おねーさんのことが大好きです」

 

「私も大好きだよ?」

 

 

 今はこんな風に流されてしまうけど…何時かきっと。




 次回もお楽しみに!

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文系女子と神話生物系女子が出会ったら

 ──────────

 

「『混沌』、『裏側』、『恋』」

 

 ──────────

 

 高校三年生の春、進学にしても就職にしても、進路活動に追われる一年が始まるその時期。

 一人の転校生が訪れた。

 一流の造形師に造らせたような無駄のない体付き、夜空に浮かぶ星々を彷彿とさせる輝く銀色の髪、最後に深淵と言っても過言ではないほど暗い純黒の瞳。

 

 

 人目見ては分かった、彼女は普通じゃない…と。

 担任が黒板に名前を書く中、純黒の瞳は冷たく私たちを見下ろしていた。

 男子連中は美女のそんな眼差しに、形容し難い快感を覚えていたようだが、私──噺書(はなしかき)L(ラブクラフト)想加(そうか)は違う。

 …私は彼女の視線に恐怖と好奇心の両方を感じた。

 

 

 因みに、一応言っておくが私はアメリカ人の父と日本人の母の間に生まれたハーフだ。

 名前がややこしいのもその所為。

 元々、母さんの苗字がややこしいが今は気にする場面ではない。

 父さんは作家で、とある神話体系を確立した凄い人だ。

 

 

 私も父さんに触発されて、今では物書きの端くれ。

 だが、一つ腑に落ちない事がある。

 父さんは私に作品を見せてくれたことがないのだ。

 何でも、混沌がどうのこうのと言っていたが意味が分からない。

 

 

 ……また、話が逸れてしまった。

 今は目の前の好奇心を唆られる転校生の動向を観察しなければ。

 

 

「はーい! 静かに静かに。彼女はナイアー・ラトテップさんだ」

 

「ナイアーでも、ラトテップでも好きな方でどうぞ」

 

 

 どこかで聞いてことがあるような…ないような。

 まぁ、取り敢えずハッキリしたことがある。

 彼女は異国の人と言うことだ。

 幸い、流暢な日本語を喋るので会話に支障はない。

 距離を詰められば、きっと面白いネタがゲット出来るに違いない。

 

 

 この時の私は馬鹿だった。

 彼女が──ナイアーさんが裏側の人間どころか、神であり這い寄る混沌と言う別名を持つ怪物だったなんて、知りもしなかったのだから。

 

 ──────────

 

 ナイアーさんが転校してきて早数ヶ月。

 私は、何とかナイアーさんと距離を縮め、親友と言えるレベルの仲になった。

 ここまでに出来うる限りの努力をしてきたのは、ナイアーさんには秘密だ。

 

 

「想加? 今日は何処に行くの?」

 

「え? あぁ、最近新しいケーキ屋さんが出来て、そこに行こうかなーって。どうかしたの?」

 

「…いえ、少し話したいことがあったから」

 

「話したいこと? ケーキ屋さんの中でも出来る話し? 出来ないなら場所変えるけど…」

 

(キター!! これは確実にキタ! やっとネタゲットのチャンス。粘り続けた甲斐があったよ!)

 

 

 苦節数ヶ月、穏やかな春と激しい夏を乗り越えて、ようやく辿り着いた。

 この数ヶ月で、ナイアーさんの事は色々と分かったが、それ以上の事が聞けるのなら最の高だ! 

 

 

 分かり易く、ナイアーさんの情報を纏めるとこうだ。

 その一、身体能力はトップアスリート並。

 その二、学力は全国模試余裕の一位。

 その三、学園祭であったミスコンで堂々たる一位。

 その四、変装と言って全く別の姿に変わる時がある。

 その五、偶にボソリと「シャンタク鳥」や「忌まわしき狩人」と寂しそうに呟く。

 

 

 ……四からは意味不明だが、構わない。

 些細な情報も、いずれ代えがたい宝になるかもしれないのだから。

 

 

「いいえ、ケーキ屋でも大丈夫よ」

 

「なら良かった。ナイアーさん、前甘い物作ってあげた時凄く嬉しそうだっから、このお店どうしても紹介したくて!」

 

 

 私が笑顔でそう言うと、ナイアーさんは少し顔を俯かせて耳を赤くしていた。

 追加事項として、最近知った事を書き加えると。

 その六、ナイアーさんはとても私に好意を持っている──いや恋をしている。

 好意や恋から生まれた感情を悪用するのは嫌なので、出来るだけそうしないように振舞っているのだが、如何せん上手くいかず時たまこうなってしまう。

 

 

 だけど、そんなビクビクした生活も今日でおさらば。

 ネタさえゲット出来れば、後は本当に普通の親友としてやっていける。

 下心なく過ごせるのは凄く望ましい生活だ。

 …そして、時が経ったらしっかりと言おう。

 言えばきっと信じてくれる。

 

 

 もしかしたら、絶交を切り出させる可能性もあるが構わない。

 私はそれだけの事をしたのだ。

 …でも、出来るなら親友として、今後も付き合っていきたい。

 

 

 よし! 

 取り敢えずは話を聞こう。

 考えるのはそれからでもどうにかなる筈だ! 

 

 ──────────

 

 日本のとある学校に転校して早数ヶ月。

 私は生まれて初めて、友と言える存在が出来た。

 這い寄る混沌や無貌の神としての私を知らないからかもしれないが、それでも嬉しかった。

 本当の意味で世界の裏側に居る私に、普通の学友のように接して来てくれた人間は初めてだった。

 

 

 大抵は、私の深淵を映す瞳を見て、畏怖や恐怖してしまう者ばかり。

 だが、彼女は恐怖を好奇心で上書きしてまで私に迫った。

 下心…そう言えるモノがあったのは確かだろうが、それでも嬉しかったのだ。

 人間なんて、私に弄ばれるだけの存在だと思っていたが、存外違ったらしい。

 

 

 今では、私の方が弄ばれている。

 想加の一挙一動に心動かされてしまう。

 少し手が触れるだけで胸が高鳴り、想加に話し掛けられるだけで心が弾む。

 傍に居るだけで、幸福な気持ちになれるなんて知りもしなかった。

 人間を破滅に追い込み、堕ちるところまで堕ちたさまを見るのがずっと幸福だと思っていた。

 

 

 違う、違うのだ。

 想加が教えてくれた。

 彼女が笑ってくれるだけで心が温かくなって、彼女が嬉しそうにすると自分も嬉しくなれて、幸せが溢れてくる。

 逆に、彼女が泣いていると自分も悲しくて、彼女が怒っていると自分も怒りを抱いてしまう。

 

 

 …認めよう、私は想加に恋をしていると。

 だけどきっと、私と恋仲になったら彼女──想加は色々な輩に狙われる。

 それで、彼女を傷つけるなら一緒に居ない方が良い。

 …それに、アザトース様が何と言われるか分からない。

 あの方の一言で、私はこの世界に居る全ての生命を敵に回す事もありうる。

 

 

 けど、私は……

 

 

「ナイアーさん? ケーキ来たよ?」

 

「ご、ごめんなさい。ボーッとしてしまって…」

 

「良いよ。気にしてないし。…それより、話があるんでしょ?」

 

「…うん。……実はね──」

 

 

 私は話した。

 自分の事、この世界の裏側──外宇宙の事。

 過去に起こした事件や悪行の数々。

 覚えている限りの全てを話した。

 常人なら、この話を聞いただけで正気ではいられなくなるが…想加は踏みとどまったようだ。

 

 

 大分、顔色が悪いが……

 

 

「いきなり、こんな話をしてごめんなさい。でも、どうしてもいっておきたくて…!」

 

「そ、そっか。話してくれて、ありがと」

 

「あ、あとね、もう一つ言いたい事があって…。その、えっと……想加の事が好きなの! も、勿論、LIKEじゃなくてLOVE! こ、恋の方で」

 

「あ、それは知ってるから大丈夫」

 

 

 さっきまでとは打って変わって、冷静な顔で返事をしてきた。

 そ、その前に! 

 ま、待って……嘘……気付いてたの? 

 有り得ない! 

 騙し通せてると思ってたのに! 

 

 

「…私が作家志望だって話したよね?」

 

「そ、それは前に聞いたわ。それが?」

 

「人間観察、苦手じゃなくてさ。ナイアーさんのことは出会った頃からずーっと観察してたんだ。だから、私に……その……好意を持ってくれてたのも何となく知ってる」

 

 

 頬を朱に染めて話す想加は何だか凄く愛おしい。

 このまま食べてしまいたいくらい。

 …おっと、不味い不味い。

 最近、人間よりになっていた感覚が怪物側に戻りつつある。

 それもこれも、想加の所為だ! 

 

 

「……返事、聞いても良いかしら?」

 

「…うん。大丈夫」

 

 

 想加は一拍置いてから言葉を──言う前に窓ガラスが割れる。

「ガシャアン!」と音を響かせて、体表を湿った鱗で覆った人型の生物がケーキ屋に侵入して来た。

 ……深きものども、何でここに。

 それよりも、早く想加を逃がさなくては! 

 

 

「想加、早く外に」

 

「で、でも…」

 

「私はナイアーラトテップ。あんな奴らには遅れを取らないわ。それに…私は貴女が傷つくほうが嫌」

 

 

 私がしっかりと言い切ると、想加は避難している人に混ざって外に出た。

 スマホも持って行っている辺り、冷静さはあったようだ。

 …良かった。

 私の本当の姿を見られたら、きっと今まで通りなんて無理。

 付き合うどころか、絶交確定。

 

 

「ほほう、お前。同族か?」

 

「お前たちのような下級なものと、私が同族だと? 大きくでたな!」

 

 

 傍に誰も居ないことを確認して、私は本気で拳を振り抜いた。

 深きものどもは油断していたのか、簡単に私の拳を受ける。

 拳を受けた個体は、内側から爆発し息絶える。

 

 

「な、何!?」

 

「さぁて、今度はだぁれ?」

 

 

 私は想加に会う以前のように、不気味に表情を歪ませて深きものどもと相対する。

 数は後二匹、油断していたとしても、余裕で捌ききれる数だ。

 ……告白の返事を邪魔された借りは大きい、絶対に生きて返すものか! 

 

 

 そうして、私は本日二度目の鉄拳制裁を加える為走り出した。

 

 ──────────

 

 ……昨日、未確認生物(UMA)が乱入して来た所為で言いそびれちゃった。

 ナイアーさん、大丈夫かな? 

 大丈夫だよね? 

 昨日調べたけど、ナイアーラトテップってクトゥルフ神話の中では強い部類に入る筈だし。

 

 

 這い寄る混沌とか無貌の神とか別名も有るくらいなんだから、きっと大丈夫……大丈夫だと思いたい。

 朝、学校に行く途中の道で、私はずっとナイアーさんの事を考えてた。

 恋愛感情なんて、無いと思いっていたのに…。

 

 

「あるとすれば、一目惚れ…なのかな」

 

 

 何時もなら隣に居る彼女が居なくて、少し寂しさを感じる。

 悶々とした気持ちを抱き続けるくらいなら、早く言っちゃえば良かった。

 私が後悔を口に出して言おうとした時、後ろから肩を叩かれる。

 

 

「おはようございます、想加」

 

 

 そこには、所々にかすり傷を負ったナイアーさんが居た。

 処置はしてあるけど、雑差が目立つ。

 応急手当などした事もなかったのだろう。

 …ナイアーさんの傷を見て思った。

 逃げよう、と。

 

 

「ナイアーさん。逃げよっか?」

 

「そ、想加? いきなり何を?!」

 

 

 彼女の手を取り、無我夢中で走り始めた。

 ノートパソコンに向かってキーボードを打つだけの生活をしてきた私にとって、運動は苦痛で苦痛で仕方がないがナイアーさんの為ならどこまでも走れる気がした。

 十分ほど経っただろうか……

 ぜぇ、はぁ、と息が絶え絶えになっている私を見ながらナイアーさんがそっと呟いた。

 

 

「何で……そこまで……」

 

 

 呟きは本当に小さくて、普段の私ならきっと聴き逃していたが、今の私は恋する私だ。

 好きな人の言葉は絶対に聴き逃したりしない! 

 

 

「…好きだから」

 

「えっ? …も、もう一度言ってくれない?」

 

「だ〜か〜ら〜、好きだからですよ! 何度も言わせないで下さい!」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 

 …はぁ、想いを言葉にして…声にして伝えるって恥ずかしいものなんですね。

 物語の中の主人公に臭いセリフを言わせることは良くありましたが、まさか自分が言う側に回るなんて、思いもしませんでした。

 ですけど……これも良い体験ですよね? 

 

 

「ナイアーさん。逃げましょう、世界の裏側でも何処にでも。貴女が居れば、私はどこでだって私で居られるから。……あっ、でも、出来るなら電気があると嬉しいな〜? 紙で書くの慣れてないから」

 

 

 私が苦笑気味にそう言うと、ナイアーさんふ吹き出すように笑ってこう言った。

 

 

「もう、それじゃあ、さっきまでの言葉が台無し」

 

「……えへへ」

 

 

 満更でもない笑顔だ。

 …私は物語の主人公みたいに、特別な能力がある訳じゃない。

 投げ出すことの出来ない宿命や、成さなければいけない使命がある訳でもない。

 この世界ではモブも良い所だ。

 

 

 だけど、大切な人を笑わせることくらいなら出来る。

 彼女と居れば、私が徐々に壊れていく可能性は否定できない。

 …まぁでも、物書きなんて壊れててなんぼだ。

 きっと、何とかなる。

 例え、ナイアーの深淵の瞳に引き込まれても構わない。

 

 

 混沌の中に堕ちようと、私は私……噺書・L・想加だ。

 

 

「…じゃあ、行こっか。貴女が好きそうな場所に連れてって上げる。ネタが困らなそうな場所よ」

 

「やったぁ! ドリームランドとか行ってみたかったんだよね!」

 

「何処へでも連れて行って上げるわ。貴女が望むなら」

 

 

 彼女に畏怖や恐怖の念を抱かない私は、既に狂っているのだろうか? 

 それとも…………

 

 

 考えるのはやめだ。

 今は楽しもうじゃないか。

 折角、次元の扉を超えることが出来るのだから。

 

 

 斯くして、私たちの異次元逃亡の度が始まった。

 この後、クトゥグアに殺されかけたり、ハスターとお茶したり、はたまたヨグ=ソトースに求婚されたりと色々あったが、書き記すのはまた別の機会にしよう。

 

 

 時間はまだたっぷりとあるのだから。




 次回もお楽しみに!

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全部全部あなたが悪い

 ──────────

 

「『寝取られ』、『愛』、『加工』」

 

 ──────────

 

 私、綾瀬(あやせ)(かな)は青春真っ盛りのJK。

 三ヶ月前、初めての恋人が出来て、高二の夏直前で浮かれまくっている。

 あれやこれやと夏休みの予定を建てては、親友の川崎(かわざき)真奈(まな)とあーでもないこーでもないと話していた。

 

 

 恋人の(れん)はイケメンではないが、凄く優しくて頼りになる人だ。

 告白したのはあっちで、私は最初乗り気ではなかったのだが、真奈の後押しもあり友達から始めることに。

 喧嘩をしてしまう時もあったが、今では校内有数のラブラブカップル。

 だが、今でも真奈や他の友達との関係も崩れていない。

 

 

 特に、真奈とは彼氏が出来る前より一緒にいる時間が増えた。

 何故なら、恋愛初心者の私は彼女に色々と教えを乞いていたからだ。

 そのお陰で、蓮とは良い関係を築けている。

 

 

 …本当に、幸せに満ち溢れた日々。

 けど、私の幸せの日々は…夏休みに入る直前終わりを告げた。

 

 

 丁度その日は、蓮に用事があり真奈と二人で帰ろうとしたのだが、彼女も都合が悪く一人で帰ることになった。

 寂しくはあったが、彼氏が出来てから偶に遊びを断ることがあったので、仕方ないと感じる。

 勿論、最初は了承して後から断ったのではなく、最初から断っていたが……少しだけ彼女の寂しそうな顔が痛かった。

 

 

 帰宅途中、自宅に帰るには駅前を通り過ぎなければいけないため、嫌嫌ながらも人通りの多い道を歩いていると蓮を見つけた。

 

 

(用事って、電車でどっかに行くことだったんだ。……声掛けたら少しくらい驚いてくれるかな?)

 

 

 ほんの出来心だった。

 蓮なら笑って許してくれると信じていたし、怒られていても彼と一緒に居れるならそれでも良いと思っていた。

 恋心とは読めないものである。

 

 

 …けれど、その行動が私の未来を大きく変えた。

 声を掛けようと近付いたその時、見えたのだ彼の隣を歩く親友の──真奈の姿が。

 見間違えかと思ったが絶対に違う。

 私の視力は2.0で全く持って悪くないし……それに、自分の親友を見間違えるほど私はバカじゃない。

 

 

(…なんで? 二人とも今日は用事があるって、都合が悪いって……言ってたじゃん…)

 

 

 胸がズキズキと痛み、目頭が熱くなる。

 しかし、それだけでは終わらなかった。

 真奈は蓮にキスをしたのだ。

 しかも……大人がするような熱烈なものを。

 

 

 瞬間、私の心は音を立てながら崩壊した。

 全ての感情がグシャグシャに混ぜられて、それを許容できなかった事で心は簡単に砕け散ってしまった。

 私の初恋は、私の人生で初めての彼氏は、親友に寝取られて終わった。

 

 

 信じたくなくて、信じられなくて。

 確認するように何度も何度も思い返しては、グチャグチャになった感情が吐瀉物となって吐き出される。

 彼との間にあった愛は、呆気なく上書きされてしまった。

 

 

 翌日、私は彼に──蓮に別れを切り出した。

 必死に弁明の言葉を述べる彼に、私は言葉が出なかった。

 優しかった彼が、頼りになった彼が、余りにも小さく見える。

 

 

「浮気なんてしてない! あれは無理矢理されたんだ! 君以外の子と関係は持ってないし、あの子には昨日──」

 

「もういいから。私の前から消えてよ…」

 

 

 それだけ吐き捨てて、私は彼の前から姿を消した。

 いや、学校から姿を消した。

 幸い、残りの出席回数などたかが知れているし、出なくても問題は無い。

 今は、学校と言う空間に居ることが、苦痛で苦痛でしょうがなかった。

 …だって、あそこには思い出が沢山ありすぎるから。

 

 

 夏休みの間に、壊れた心を癒すよう頑張ろうとしたが……やる気が全く起きなかった。

 親友と彼氏、大き過ぎる二人の存在を失った私は、第三者が想像できない程衰弱していた。

 

 ──────────

 

 夏休みも中盤、八月の頭に入った頃。

 私は特に変わらず、無意味に時を過ごしていた。

 蓮との思い出の品は全部壊して、出かける約束を書いたカレンダーも破いて捨てた。

 少しスッキリした部屋とは裏腹に、私の心はグチャグチャである。

 

 

 来る日も来る日も、トラウマのように()()()の光景が脳に浮かび上がって、思い出す度に胃の中にある全てを吐き出した。

 

 

(…いっその事、私の中にある感情も吐き出せればいいのに)

 

 

 そんな思いも虚しく、私は今日も怠惰に過ごす───筈だった。

 突然、家のインターホンが鳴る。

 どうせ郵便物か何かだろう。

 仕事をしている人に迷惑は掛けたくない。

 人間不信になっても可笑しくない体験をした私だが、人に対する良心は忘れていなかった。

 

 

「はーい、お待たせしま───し…た?」

 

「久しぶり…だね。奏」

 

「ま……な…。どうして、ここに……?」

 

「どうしてって…言われても。親友だからとしか…」

 

「ッ!! 蓮君を奪っておいて…良く言えたねッ!!」

 

 

 私は怒りに任せて、平手打ちを喰らわせようとしたが……

 その攻撃が届くことはなかった。

 元々、できる筈ないのだ。

 童顔で小さくて、子どもみたいな私に真奈のような親友が出来るなんて都合が良すぎている。

 

 

 だって、真奈は背が高くて、胸も大きくて、綺麗な顔してるし。

 欠点なんて一つもありはしない…強いて言えば性格くらいのものだろう。

 …何せ、今回のことに関しても、彼女は全く悪気を感じていないのだから。

 

 

「…まっ、私のことは信じてくれなくて当然か。叩かないでくれただけマシかな? ……それ、見れば?」

 

「…何これ?」

 

「見れば分かるでしょ? 奏の元彼さんの写真だよ。日付け、よーく見てね?」

 

 

 真奈は私に三枚の写真を手渡して来た。

 …私は、恐る恐るその写真を見た。

 そこに写っていたのは、元彼である蓮と…知らない女の子。

 他の二枚も、片方は蓮でもう片方は違う女性だった。

 日付は…六月十日から二十日。

 

 

 私が蓮と付き合っていた時期に被っている。

 偶然? 加工された写真? 

 そんな訳ない、何故なら……私が彼の顔を見間違える訳ないのだから。

 

 

「撮るの、苦労したんだよ? 中々腹ん中見せてくれないから、尾行して色々調べたの。私の体を差し出したのも必要経費ってとこ。…奏にバレちゃったのは、計算外だったけど。……でも、これで分かったでしょ? 遅かれ早かれ、二人の関係は終わってたんだよ」

 

「…最初から知ってたの?」

 

「全然。奏と本気で付き合うってなったから、身辺調査のつもりで始めたら。まぁ、あれよあれよと情報が出てきてね…幸せそうな顔してるあなたに伝えるのが辛くてさ…」

 

 

 どこか遠い瞳で、私を見つめる真奈。

 その瞳の奥には、悲しみの色があった。

 痛い…痛いよ。

 蓮に浮気して、その相手が真奈だった時より……ずっとずっと痛い。

 胸が今にも張り裂けそうで、泣きながら彼女に謝った。

 

 

「ごめん! ごめんね! 私、わたしぃ、全然真奈の気持ちに気付けてなかった! ホントに、ごめんなさい!!」

 

「イイよ。奏と、もう一度やり直せるなら、それで」

 

「うん! うん!! 私も、やり直したい! もう一度、真奈とやり直したいよぉ!!」

 

 

 その後も、私は真奈に抱き着きながら嗚咽と涙を流し続けた。

 …明日から、もう一度やり直そう。

 きっと、今度は前よりも仲良くなれる筈だ。

 私には、()()()()()()()んだから。

 

 ──────────

 

 今、私は泣き疲れて寝た親友に膝枕をしながら、頭を優しく撫でている。

 本当に、奏が良い子で助かる。

 何時も、最後の最後は私の言葉を信じてくれるのだから。

 

 

 ……写真が()()だって、全然気付いてなかった。

 それもそう、何せプロに依頼して本物と判別できないレベルで仕上げてもらったからね。

 お金は掛かったし、友達に加工するようの写真を撮らせてもらうのにも手間が掛かった。

 理由は適当にでっち上げたが、意外と何とかなるものだ。

 

 

 まぁ、何にせよ。

 この子()が手に入るなら、痛い出費にはならない。

 態々、色々とお膳立てした甲斐があった。

 蓮君を焚き付けて奏に告白させて、その後は私がアドバイスと称して色々と誘導する。

 お互いを本当に好きになった頃に、私が登場。

 

 

 駅前で偶然を装って彼に接近し、奏が来るのを待ちつつ会話を持たせる。

 奏が来たら強引にキスを迫る。

 勿論、奏を動揺させる為にキスはディープキス。

 初めての相手が蓮と言うのが癪に障るが、しょうがないものはしょうがない。

 

 

 後は、勝手に奏が蓮を振って、一人になれば成功だ。

 ここまで来たら、あとは赤子の手をひねる様なもの。

 用意した写真を見せて、私をもう一度信頼させてやり直す。

 奏は信頼出来る本当の人間は私一人。

 彼女は、私に依存するしかなくなる。

 

 

 残念、寝取られたのは本当は奏……あなただったんだよ? 

 愛しい愛しい私の奏、これからも私の掌の上で踊っていてね? 

 

 

「大好きよ、奏。あなたを、愛しているわ」

 

 

 ゆっくりと顔を近付けて、彼女の唇に私の唇を重ねる。

 甘い、甘過ぎる。

 世界中の甘味を合わせても届かない程の甘さだ。

 蕩けるような感覚が、私の中に溢れていく。

 

 

「唇の味は分かったわ。でも、他の所の味は…どんなものかしら?」

 

 

 私を狂わせたのはあなたよ、奏…だから責任を取ってくれるわよね? 

 愛してるは、心の底からあなたを。

 世界中の誰よりも……ね。

 




 次回もお楽しみに!

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助けて欲しくて欲しくなくて

 今回の話も胸糞っぽいので苦手な人はブラウザバック推奨です。


 ──────────

 

「『存在価値』、『絶望』、『ごめんなさい』」

 

 ──────────

 

 私、結坂(ゆいざか)千夏(ちか)は…親から虐待を受けている。

 いきなりこんな話をされたら混乱すると思うから、順を追って話そう。

 

 

 最初の原因は、恐らく私にある。

 生来、私は体が弱かった。

 ただの風邪で生死を彷徨うのは当たり前、たった数十秒ほど夏空の日差しに当たっただけで熱中症で死にかける。

 他にも、体を少し強く壁に当てただけで、骨にヒビが入り病院行き。

 

 

 幼い頃から、両親に多大な負担を掛けていた。

 それが原因か、両親は些細な事で私に手を挙げた。

 母は、トイレのドアを閉めないから、エアコンがついているのに部屋のドアを開けっ放しにしたから、掃除が下手だから、作った料理が不味いから、そんな理由で叩かれる。

 父は、テストの点が悪いから、持久走での順位が低いから、面倒事を押し付けるから、箸の持ち方が下手だから、そんな理由で殴られる。

 

 

 勿論、私が全面的に悪いものもある。

 だけど、どう足掻いても出来ないものがあった。

 テストの点数や持久走の順位だ。

 これだけは、体が弱くてまともに学校に行けていない私にはどうにも出来ない。

 

 

 点数を上げるために必死で勉強しても、順位を上げるため必死に走り込みをしても、結果はたかが知れていた。

 途中で力尽きるのだから、良い点数や良い順位が取れる訳が無い。

 

 

 小学校五年生までそんな事が続いたが、私は両親を愛していた。

 病気にかかった時に看病してくれたのは母だったし、怪我をした時に私を病院まで運んでくれたのは父だったから。

 だから、私に厳しく接するのも愛故に、強く育って欲しいと思ってるからだと、幼いながらに信じていた。

 

 

 しかし、その幻想は──本当に呆気なく砕け散る。

 十一歳の誕生日だったその日、私は浮かれていて…当時の母が大事にしていたコップに傷を付けてしまった。

 隠す事など選択肢に無かった私は、恐る恐る傷付けてしまったコップを母に見せて謝った。

 

 

「お母さん、ごめんなさい! コップ…傷付けちゃった」

 

「………そう。もう…いいわ」

 

 

 長い間を開けて、母はそう言った。

 許してもらえた、そう思ったが母の言葉には続きがあったのだ。

 その続きとは──

 

 

「あなたなんて、産まなければよかった」

 

「…………え?」

 

 

 存在価値の否定。

 続く言葉は、私と言う存在の価値を根本から否定する言葉だった。

 物理法則に従って、目から出た涙が地面に落ちる。

 驚きより先に来た感情は……絶望。

 愛されていると言う幻想を壊されたことによる、深すぎる絶望が私に襲いかかった。

 

 

 そして、その日を境に虐待は明らかに酷くなった。

 何もしていないのに、ただムカついたからと理由で殴られて、ストレスを発散するために叩かれて……仕舞いには台風の中で家の外に追い出された。

 

 

 ようやく、ここまできて悟った。

 両親にとって私は、本当に存在価値なんてないと言う事を。

 両親にとって私は、ストレスを発散するための道具だと言う事を。

 絶望と言う感情は、私の中で日に日に大きくなっていき、遂には両親に向けていた愛情さえも飲み込まれた。

 

 

 表向きは仲の良い家族、だから中学三年生になった私に両親は家庭教師を雇った。

 早く寮がある高校に受かって、家から出て行って貰いたいのだろう。

 ……少しは体が強くなった私自身も、実家から早く出たいと思う気持ちは強く、家庭教師の件で反対などしなかった。

 

 

 家庭教師が来る最初の日、私は緊張しながらも部屋で先生を待っていた。

 優しい人だったら良いな、と思いつつそれほど期待はしておらず。

 勉強を真面目に押してえくれれば誰でもよかった。

 けど、来た先生は良い意味で私の期待を裏切ってくれた。

 

 

「は〜い。今日から勉強を教えさせてもらいます、金沢(かなざわ)優奈(ゆうな)です。拙い所もあるかもだけど、精一杯頑張るからよろしくね?」

 

「は、はい! こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 

 マシュマロのように柔らかそうな肌色の体は、無駄に付いた肉があまりなくグラビアアイドル顔負け。

 少しウェーブがかかった明るい茶色の髪に、広い海を表すかのような蒼い瞳。

 雰囲気、声、瞳、仕草、全てが柔らかく温かい人だった。

 

 

 優奈先生に出会ってすぐに、二つの思いが生まれる。

 彼女に助けてもらいたい、と言う思い。

 彼女に虐待の真実を気付かれたくない、と言う思い。

 二律背反のような思いだった。

 

 

 絶望から来た、救いの思い。

 存在価値の否定から来た、もう誰に捨てられたくないと言う憐れな思い。

 絶望から救って欲しくて、真実を気付かれて捨てられたくなくて、欲張りな思いが生まれてしまった。

 

 

 中学三年生の夏休み、私は怯えながらも優奈先生に会える日を楽しみにしていた。

 

 ──────────

 

 私、金沢優奈が美少女の中の美少女と言っても過言ではない、結坂千夏ちゃんに出会ってから数週間。

 病的なまでに白い肌と、私と似た明るい茶色の髪、瞳の色は透き通る翠色で、まるで異世界の住人に出会ったように感じたが、今では大分落ち着いてきた。

 

 

 千夏ちゃんも、最初は私の事を警戒していたようだったけど、挨拶で悠々と挽回出来るほどのコミュ力が私にはあり、最初の授業もスムーズに進められた。

 

 

 夏休みも半ば終わり、八月の中旬。

 家庭教師のバイトが二桁目に突入したその日。

 私は……凡そ他人が踏み込んではいけない、彼女の──いや()()()()()()の領域に踏み込んでしまった。

 

 

 その日は丁度、予定の時間より早くバイト先の結坂家に着いてしまい、千夏ちゃんの部屋に上がっていて良いとの事だったので、遠慮なく上がらせてもらったのだが……

 

 

 どうにもタイミングが絶妙に悪かったらしい。

 夏の蒸し暑い季節、エアコンを付けていても嫌でも汗はかく。

 事実として、この現象は誰しも例外はない。

 そう、千夏ちゃんも……だ。

 

 

 今日は家庭教師のバイトの日、千夏ちゃんもそれを知っているので、汗をかいたら服を着替えるか汗を流しにシャワーに入る。

 彼女の行動は前者のそれで、だからこそ必然か偶然か…それは起こってしまった。

 

 

「ノックもなしにお邪魔しま〜す。しっかり勉強してるかな〜?」

 

「ゆ、優奈先生!? ご、ごめんなさい! まだ着替え中なので、そ、外に!!」

 

「わわ!? こちらこそ……ごめ…ん…ね?」

 

 

 …痣、痣、痣、痣。

 服の下には、数え切れないほどの無数の痣があった。

 全ての痣が服の下に隠れているあたりを見ると、やった人間はしっかりと考えて暴力を振るったことが分かる。

 

 

「……千夏ちゃん、その痣」

 

「っ……! こ、これは、その……」

 

 

 千夏ちゃんの声は段々と小さくなっていき、代わりに翠色の瞳からポタホタと涙を流し始めた。

 話を聞くに、両親から暴力を振るわれている…らしい。

 らしい、と言うのは今の彼女が本当の事を言っているのか分からないからだ。

 

 

 だって、両親は子供を何よりも大切にする者の筈だ。

 それが、暴力なんて……

 

 

(踏み込むのはお門違いかもしれない…けど…。今、千夏ちゃんの言葉を信じなかったら一生後悔する気がする…だから)

 

 

 真実を確かめに行く。

 虐待のことを堂々と聞き、動揺したらその時点でクロだ。

 いや、動揺しない方がクロかもしれない。

 ……ここで立ち止まって考えるのは辞めだ。

 目で見て、心で聞けば相手の嘘なんて何となく分かる! 

 

 

「ごめんね、千夏ちゃん。ちょっと先生、下でお話してくるよ」

 

「だ、ダメ!! そしたら、優奈先生に迷惑が…」

 

「でもね、千夏ちゃんの言葉が本当なら、私は一大人として千夏ちゃんを助ける義務があるの」

 

 

 大学二年生の若輩者だが、一応は大人。

 傷付いている年下の女の子を助けるのは、義務にも似た善意だ。

 そうして、私が下に降りるために部屋のドアを開けようとすると、服の裾を千夏ちゃんが弱々しく掴んでいた。

 

 

「ごめんなさい…ごめんなさい…それだけは、辞めてください」

 

「……………………」

 

 

 言葉が出なかった。

 出る筈もなかったのだ。

 両親の言葉に、自分の扱いに酷く絶望したのに、存在価値の否定に酷く心が傷付いた筈なのに……

 

 

 それでも彼女は、両親に恩義を感じて助けようとしている。

 痛々しかった、見ていられない程に痛々しかった。

 だから、私は決めたのだ。

 

 

 この子を優しくて温かい場所に連れて行ってあげよう、と。

 

 

「千夏ちゃん。一つだけ、言ってもいいかな?」

 

「……はい」

 

「私と一緒に暮らさない?」

 

「…嬉しいです。…嬉しいですけど……」

 

「心配しないで、嫌だろうけど体の痣とか証拠写真撮って、千夏ちゃんの話も合わせればあの両親からあなたを救える」

 

「…お父さんやお母さんは、どうなるんですか?」

 

「法で裁こうなんて考えてないよ? 千夏ちゃんは嫌なんでしょ?」

 

 

 私の何時もの声音に、千夏ちゃんはコクリと頷いた。

 

 

「だったら、近付けないようにだけすればいい。弁護士さんに相談して、色々とやればそれくらい出来るから」

 

「……ありがとうございます。もう、好きでもないけど恩があったから、仇で返したくなくて…」

 

「ホントに、良い子だね。千夏ちゃんは」

 

 

 上手く笑えているだろうか? 

 あまりの怒りに青筋を浮かべそうなのを必死に堪えて、優しく千夏ちゃんを抱きしめた。

 苦しかっただろう、悲しかっただろう、辛かっただろう。

 私が、今までの不幸を思い出しても、笑えるくらい幸せにして上げなければ! 

 

 

 それが、子供から両親を取り上げようとする、私の覚悟だ。

 

 

 二週間後の八月末、私はある誓約書を持って結坂家に訪れた。

 誓約書の内容を守らなかった場合、罰金が発生することを念入りに言って印鑑を押させた。

 内容は小難しく書いてあるが、大きく分けると二つ。

 一つ目は、千夏ちゃんの半径三百メートル以内に近付かない事。

 二つ目は、成人するまで毎月養育費を払う事。

 

 

 …養育費の方は取れるだけぶんどっておいた。

 今までの罰、と言うやつだ。

 散々千夏ちゃんに酷いことをしたのだ、それなのに全て金で物事が簡単に片付くなら、願ったり叶ったりだろう。

 

 

 これから、私と千夏ちゃんの生活が始まる。

 戸惑うこともあるだろうが、彼女にはゆっくりと心を開いていって欲しい。

 遠くない未来、彼女自身が──千夏ちゃん自身が憂いなく最高の笑顔で笑える為に。




 次回もお楽しみに!

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