紅の剣聖の軌跡 (いちご亭ミルク)
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序章
始まり


 

 

 

 貿易都市クロスベル。西のエレボニア帝国と東のカルバード共和国に挟まれたクロスベル自治州に位置するこの地で、一際存在感を漂わせる建物があった。オルキスタワーと呼ばれるその建物は、世界初の地上四十階の高層ビルとして周辺諸国を驚かせ、此度開催されている西ゼムリア通商会議の会場でもある。

 そして現在、オルキスタワー三十四階の休憩所に分類される部屋の中では、機関銃のものと思われる銃声が響き渡っていた。

 

 

 

 

 

 

「トワ、下がれ!」

 

 

 年は十六程だろうか。赤髪の少年が腰に携えていた刀を抜き、後方で今尚立ち尽くしたままの栗色の髪をした少女に向かって叫んだ。少年はその少女がソファーの後ろに隠れたことを気配で察知すると、先程から対峙している八体の機械人形に鋭い視線を向ける。

 

 

「自立制御型の機械人形(オートマタ)……帝国解放戦線の仕業か」

 

 

「グラン君っ!」

 

 

「心配しなさんな、会長殿」

 

 

 ソファーの影から悲痛な声を上げるトワに向かって、グランと呼ばれた赤髪の少年は安心させるように落ち着いた声で返す。そしてグランは今も後ろで体を震わせているであろうトワを心配しながら、その元凶である目の前の機械人形に向かって刀を構えると、踏み込みの体勢に入った。

 

 

「うちの会長を怖がらせた罪は重いぞ……『(あか)』のグラン、これより敵勢力の殲滅に入る。弐ノ型──疾風(はやて)!」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 事が起きる数ヵ月前。七耀暦1204年、3月31日。エレボニア帝国帝都近郊都市トリスタ。帝国内でも有名な士官学校があるこの街の駅前で、一人の青年がバッグを片手に立っていた。街中に咲き乱れる花々を見渡しながら、腰に携えている刀を握り締めてその一歩を踏み出す。

 普通ならば武装した人間が街に入れば人々から何かしら警戒されるのだが、周りにいる住民達はその姿を見ても何の警戒も見せず、すれ違う人々は彼に「頑張って」や「おめでとう」といった言葉をかけている。その理由は彼の服装にあり、今彼が着ている赤地の服は、街の奥に位置する士官学校の制服だった。

 トリスタの人々から温かい言葉をもらいながら、彼──グラン=ハルトは先にあるトールズ士官学院へ向けて歩き続ける。街中を進み、長い階段を上がった場所でグランは歩みを止めた。そして彼の目の前には、これから先で様々な経験をすることになる場所、トールズ士官学院の建物が建ち並ぶ。

 

 

「かのドライケルス大帝が設立した学院、か……つうか誰だよそのおっさん」

 

 

 グランは学院を見渡しながらそんなことを呟いているが、学院の教官なんかに聞かれていたら大目玉を食らうであろう大失言である。そしてグランの呟きに答えるように、彼の隣から可愛らしい声が聞こえてきた。

 

 

「もぅ~、駄目だよそんな言い方しちゃあ。とっても偉大な方なんだよ?」

 

 

 いつの間にか彼の横には、栗色の髪をした小動物の様な少女が立っていた。よく見れば少女は緑色の士官学院の制服を着ており、同じ新入生なのだと思ったグランは互いに自己紹介をして、彼女がトワ=ハーシェルという名前の二年生だと知る。グランは失礼な事を言わなくて良かったと安堵し、彼がそんなことを考えていたとは露知らず、トワはにこにこと笑顔を浮かべながら彼の顔をながめていた。暫くの会話をした後、トワはハッと表情を変えるとここに来た目的を伝える。

 

 

「グラン君、大遅刻だよ? 入学式もさっき終わったんだから……」

 

 

「すみません。向かい風が強くて中々進めなかったもんで……」

 

 

「そっか。それなら仕方……無くないよ!」

 

 

 からかわれたことでぷく~っとほほを膨らませるトワに癒されながら、グランは彼女の顔をしばし眺め、ある既視感を覚える。それは、いつの日か彼女と何処かで会った事があるかのような、こんな風に自身へと笑い掛けてくる事が以前にもあったような気がする、というもの。

 

 

「どうしたの?」

 

 

「い、いえ……何でも」

 

 

「そう? ならいいけど」

 

 

 少し困惑気味に返事をするグランの表情に首を傾げながらも、トワが深く追及する事はなかった。そして、彼女はふと用事を思い出したのか、慌てたように表情を変えるとグランの手を引き始める。

 

 

「そうだ! 今からグラン君のクラスの皆で何かやるみたいだから、早くいかないと!」

 

 

「え? ちょっ──」

 

 

 グランはトワに手を引かれながら、学院の奥へと走っていく。訳もわからず困惑の表情を浮かべるグランだったが、トワの後ろ姿を赤い瞳に映しながらふと昔の事を思い出していた。それは、今のように、彼の手を引きながら嬉しそうに笑顔を浮かべていた少女の記憶。

 

 

「(こんな事が昔にもあったな……誰だったか)」

 

 

 結局、グランがその少女の顔を思い出すことは出来ず。そしてこのあと、自分をここに入れた女教官の思惑を知って悩み事がどんどん増えていくことを彼はまだ知らない。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 トワの案内を受けながら学院の中を歩いていたグランは、気がつけば一つの建物の前へと連れてこられていた。それは見るからに何かが出そうだと感じるほど古めかしく、学院の他の建物と比べても明らかに以前から建っていたと思われる校舎。そして何より、彼は先程からこの建物に不思議な力を感じていた。

 神妙な面持ちで校舎を見つめるグランの横で、トワは案内を終えたのか「頑張ってね!」と言って来た道を戻っていく。その言葉に果てしない不安を覚えながら、グランはその校舎の扉を開ける。

 

 

「……」

 

 

 そして中に入り、建物の内部を見渡すとやはり年期を感じる造りで、よく見ると今いるフロアの中央は何やら床が抜けていた。嫌な予感がしたグランはすぐにその場で踵を返して校舎の中から出ようとするが、彼の背後から誰かがその手を掴んでそれを制す。ゆっくりと振り返り、そこにいたのはグランのよく知る女性。赤紫の髪に豊満な胸、そして顔もかなり美人の部類に入るその女性はグランの顔が自分の方に向けられると、大きなため息をつきながら握っていた手を放した。

 

 

「いつまで経っても来ないと思えば……何してたのよ」

 

 

「いやぁ、向かい風が強くて……嘘です。寝坊しました。だからその導力銃を頭から退けてください」

 

 

 額に突きつけられた銃に冷や汗を流しながら、トワと違って可愛さの欠片もないと、口にすれば今すぐトリガーを引かれそうな事をグランは考えていた。そして彼の考えは気づかない内に声に出ており、それを耳にした女性ーーーサラ=バレスタインはブレードを取り出してグランの首へと当てている。さすがにまずいと感じたグランは、謝罪をするとブレードと導力銃が放れたのを確認し、改めて目の前のサラと向き合う。

 

 

「久しぶりね。あんたのことだからバックレるんじゃないかって思ったわ」

 

 

「うわぉ、オレって信用ねぇ……」

 

 

「ふふっ……お帰りなさい」

 

 

 サラに優しく抱擁されたグランは、彼女の行動に少し驚きながらも抵抗することなくその温もりを肌で感じていた。数秒の後にサラがグランを解放すると、頬に赤みを増したグランが照れ臭そうに口を開く。

 

 

「サラさん、これからお願いします」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「おいおい、こりゃまた凄まじい光景だな」

 

 

 あの後グランは何の説明もなしにフロア中央に空いた穴へと放り投げられ、上手く着地したのはいいものの、現在目の前の光景に驚きを隠せないでいた。それは、自分と同じ年齢と思われる黒髪の少年がある少女の下敷きになっていたためだ。それも、その少女の胸部に顔を埋める形で。

 

 

「(金髪美女に胸を押し付けられる……何て羨まけしからん)」

 

 

 グランがその光景に見いっていると、金髪の少女はふと目を覚まし、今自分がおかれている状況に気付いたのか顔を真っ赤に染めながらその場で起き上がった。続いて黒髪の少年も起き上がり、その少女と向かい合うとすまなそうに頭を掻き始める。

 

 

「その、何と言ったらいいか……申し訳ない」

 

 

 少年の謝罪の言葉も虚しく、直後に乾いた音が周囲に響き渡った。少女は不機嫌そうに顔を背けると、少年から少し距離を取って立ち止まる。

 一方で少年は赤くなった左頬を押さえながら、明らかに落ち込んだ表情を見せている。側に駆け寄った紅茶色の髪の少年に励まされながら肩を落とす様子を、グランを含むその他数名の少年少女が見ていると突然全員の懐から呼び出し音が鳴った。音の発信源は、学院の入学が決まったときに送られてきた導力器……戦術オーブメントと呼ばれる小型の機械からだ。一同が不思議に思いながらそれを開くと、皆に聞き覚えのある声が流れた。

 

 

≪これで全員集まったわね≫

 

 

 通信越しに聞こえてくるサラの声に驚く中、続いてサラから様々な説明があった。今回支給されたこの戦術オーブメントが、ラインフォルト社とエプスタイン財団による共同開発によって生まれた新型であるということ。結晶回路〈クオーツ〉と呼ばれる石をセットすることで導力魔法〈アーツ〉が使えること。その他の機能は追々話すということらしく、一先ず部屋の隅にそれぞれ用意されたクオーツを各自セットして欲しいとのことで各々準備を始める。

 グランも同様にオーブメントにクオーツをセットし、他の皆は武器も用意されていたようでそれぞれ手にとって感触を確かめている。そうして準備を終えて皆が再び部屋の中央へ集まると、突如奥にある石の扉が開いた。

 

 

≪その先はダンジョン区画になっていてね。進んでいけば、元の一階へ辿り着けるわ。ちょっとした魔獣なんかも徘徊してるけど……何だったらそこの遅刻した馬鹿にでも押し付けちゃいなさい≫

 

 

「サラさん、少し酷くないですか?」

 

 

≪ふふっ、冗談よ冗談……これより、一年《Ⅶ組》の特別オリエンテーリングを開始する。文句は無事に一階まで辿り着けたら聞いて上げるわ……何だったら、ご褒美にほっぺにチューしてあげてもいいわよ?≫

 

 

 最後の一言は多分男子諸君をやる気にさせるために言ったのだとは思うが、少女達はサラの言動に呆れ、少年達は皆スルーして金髪の少年と緑色の髪をした少年の言い争いへと耳を傾けている。そんな中、グランは一人通信先のサラに向かって励ますように声を掛けていた。

 

 

「サラさん、今晩酒に付き合います」

 

 

≪……うん≫

 

 

 そしてグランから少し離れた場所では、サラと会話を行うグランを驚いた表情で見ている銀髪の少女がいた。

 

 

「……うそ」

 

 



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八葉の対面、まさかの再会

 

 

 

「さて、と。そんじゃサクッと終わらせますかね」

 

 

「その、ちょっといいか……?」

 

 

 先程サラとの通信を終えたグランは、支給された戦術オーブメント──ARCUS(アークス)〉を懐に納めると開かれたダンジョン区画の入り口へ向かって歩き出した。そんな時、黒髪の少年がグランに近寄りながら声を掛けるも、グランはそれに気付かずに奥へと進んで行く。そしてその後を、銀髪の小柄な少女が気付かれないようにこっそりとついて行った。その途中、銀髪の少女とすれ違った青髪の少女は、彼女を誘おうと声を掛ける。

 

 

「そなたも、私と一緒に──」

 

 

 銀髪の少女を誘おうと青髪の少女は声を掛けるも、その声に気付かずその場から去っていった。青髪の少女は後で声を掛ければいいか、と呟いた後に黒髪の少年と紅茶色の髪の少年、偉丈夫の少年の三人へ気を付けるように声を掛けて先へと進んで行く。その後ろを三編みの少女が歩き、最後に……黒髪の少年と金髪の少女がすれ違った。

 

 

「……ふんっ!」

 

 

「はぁ……」

 

 

 結局、言い争いをしていた金髪の少年と緑の髪の少年が最初に、その後にグラン、グランに続くように銀髪の少女がダンジョン区画へと入る。そして青髪の少女、金髪の少女、眼鏡をかけた三編みの少女の女子グループ。最後に黒髪の少年、紅茶色の髪の少年、偉丈夫の少年の男子グループという順番でダンジョン区画に入って行った。

 《Ⅶ組》のオリエンテーリングは、何ともまとまりのない形で始まることとなる。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 最後にダンジョン区画へと足を踏み入れた黒髪の少年達は、少し進んだ先で小休憩に入っていた。歩いた距離だけなら大したことはないのだが、何せ魔獣が徘徊しているエリア、戦闘にならないはずがない。一体ならまだしも複数を一度に相手し、それが数回続けば戦闘に慣れて無い者は激しく体力を消耗することになる。

 この男子のグループの内、紅茶色の髪の少年ーーエリオット=クレイグもその一人だった。

 

 

「二人とも凄いよ。全然疲れていないみたいだし……」

 

 

「俺はそれなりに鍛えているからな……ガイウスの方はどうなんだ?」

 

 

「俺もそんなところだ」

 

 

 床に手をつきながら肩で息をするエリオットの疑問に、黒髪の少年ーーリィン=シュバルツァーが刀を鞘に納めながら、十字槍を持った偉丈夫の男ガイウスと会話をしている。先程まで魔獣と戦闘を行っていた割には二人とも平気そうな様子でいるところを見ると、中々の実力者ということだろう。エリオットはそんな二人に感心しながらその場で立ち上がると、遠くから聞こえてくるある音に気付いた。

 

 

「何だろう、この音……」

 

 

「これは……剣戟と銃声、だな」

 

 

「ああ、もしかしたら……行くぞ! エリオット、ガイウス!」

 

 

 黒髪の少年が掛け声と同時に走り出し、その後をガイウスとエリオットが追いかける。フロアの通路を駆け、先の曲がり角を曲がると徐々に怒鳴り合う声も混じって聞こえてきた。その声で誰が戦っているのか確信した三人は、苦笑いを浮かべながらダンジョン区画を進んで行く。そしてその場所へと辿り着いた三人の目の前では、予想通り十体の昆虫型魔獣に囲まれながら口論を行っている金髪の少年と緑の髪の少年がいた。

 

 

「その緑色の頭は魔獣を引き寄せる成分でも含んでいるのか? マキアス=レーグニッツ!」

 

 

「そんな訳無いだろ! ユーシス=アルバレア!」

 

 

 金髪の少年、ユーシス=アルバレアは騎士剣を手に魔獣を退けながら、背後で背中を合わせている緑色の髪の少年、マキアス=レーグニッツへと愚痴をこぼす。マキアスは彼の明らさまな挑発に怒鳴り声を上げながらも、手に持つ散弾銃で魔獣への対応をこなしていた。

 駆けつけた三人は、互いに文句を言いながらも時折背中を合わせて魔獣を退けている二人を見て思う。この二人、本当は仲良いんじゃないかと。

 

 

「中々の連携だな」

 

 

「うん、二人とも凄い」

 

 

「だが流石にこのままじゃまずいだろう。俺達も加勢を……」

 

 

 上手く対処をしているとはいえ、このまま硬直状態が続けば体に蓄積した疲労によって必ず隙が生まれ、形勢は一気に不利な方向に傾くだろう。

 そう判断したリィンは斬り込もうと刀を構えるが、直後に二人の向こう側から何かが近付いてくる気配を感じる。ガイウスもその気配に気付いたのか槍を構え、それに続いてエリオットが魔導杖を慌てて構える中、突如三人の間を風が吹き抜けた。

 

 

「なっ、何!?」

 

 

「これは……」

 

 

 突然の風に驚いた様子のエリオットと、何か考えながら構えを解き始めるガイウス。そして、今までガイウスと同じく冷静だと思われたリィンは何故か、驚きの表情を浮かべながらその場に立ち尽くしていた。ほんの一瞬の間だったが、体を硬直させていた彼は我に返ると構えていた刀を納め、信じられない物を見るような目で後ろへ振り返る。リィンの様子を不思議に思ったガイウスとエリオットも同様に振り返り、その視線の先には……何かを斬り払ったかのように右手で刀を持つグランの姿があった。

 

 

「(あれは、弐ノ型『疾風(はやて)』。それも、かなり洗練されていた……)」

 

 

「うわっ、いつの間に!?」

 

 

「リィンは、今のが何か知っているようだな?」

 

 

 エリオットが驚きのあまり魔導杖を手元から落とす中、ガイウスはリィンの様子を見て相変わらず冷静に問いかけていた。そんなガイウスの声にリィンは首を縦に振ると、刀を鞘から抜きながら先程起こった事の説明を始める。

 

 

「俺も使っている流派で、名を『八葉一刀流』。そして今のは、八葉一刀流、弐ノ型『疾風(はやて)』……それも、かなりの練度だ」

 

 

 その証拠に、とリィンは先程から魔獣に囲まれていたユーシスとマキアスの方へと視線を向け、リィンにつられてガイウスとエリオットもそちらへ視線を向ける。

 視線の先には、既に魔獣の姿はなく、突然魔獣が消滅したことで困惑の表情を浮かべている二人だけがいた。三人は再度振り返ってグランへと視線を戻し、それを受けたグランも構えを解くと三人の傍へと近付く。

 

 

「ご名答。こんなところで八葉の使い手に会えるとは驚いたな」

 

 

「こっちこそ。それにしても、見事な太刀筋だ。目で追うのがやっとだったよ」

 

 

「そんなに褒められたら照れるだろ……はぁ。悪い、色々話したいとこだがまた後でな」

 

 

 三人の元へと近寄ったグランはリィンと握手を交わそうと手を伸ばしたところ、急に溜め息をつくとリィン達が来た道へ向かって走り出した。何故か出口とは逆方向に走っていくグランを見ながら三人が首を傾げる中、グランが曲がり角を曲がってからその姿が見えなくなると、リィンがそろそろ進もう、と二人に声を掛けてからグランが去っていった道とは逆の方へと歩き出す。ガイウスもそれに頷いて歩み出し、エリオットは落とした魔導杖を拾って二人についていこうとした時、またしても三人の元に風が吹き抜ける。

 

 

「わっ! 今度は何!?」

 

 

「ふふっ、エリオットは先程から驚いてばかりだな」

 

 

「全くだ。しかし……」

 

 

 またまた驚いた拍子に魔導杖を落とすエリオット。ガイウスはエリオットの慌てたようすに笑みをこぼしながら魔導杖を拾って手渡し、リィンはガイウスの言葉に笑顔で肯定するととある場所へ視線を向ける。その直後にリィンは苦笑いを浮かべるが、それもそのはず。彼の視線の先には……

 

 

「ユーシス=アルバレア! さっき魔獣と戦っている最中に僕の足を踏んづけただろ!」

 

 

「阿呆が。戦いの最中にそんなことを気にしていられるわけ無いだろう!」

 

 

「はぁ、この調子で大丈夫だろうか……」

 

 

 未だに言い争いを続けるユーシスとマキアスが互いの襟を掴み合っている。この状況どうしたものか、とリィンは大きな溜め息をついて彼らの元へと向かいながら、まだ少ししか進んでいないフロアの終点に辿り着くまで一体どれくらいかかるのか途方に暮れているのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「何とか撒いたか……つうかふりだしに戻っちまったじゃねぇかよ」

 

 

 リィン達と別れたグランは今、最初に落とされた部屋の地点まで戻ってきていた。どうやら何かから逃げていたらしく、撒くことに成功したのか刀を鞘に戻すとその場に座り込んだ。顎に手を当てながら、グランは先程までの出来事を考察する。

 

 

「しかし、さっきの黒髪と槍を持っていた奴はかなり出来そうだな。結構な面子を揃えたもんだよ、《Ⅶ組》ってのは……」

 

 

「ほんと、サラに感謝しなきゃ」

 

 

「いやいや、全くその通り──ってフィーすけ!?」

 

 

 頭の上から聞こえてきた声に顔を向けると、そこにはグランが今まで逃げていた相手……銀髪の小柄な少女、フィー=クラウゼルが笑顔を浮かべてグランを見下ろしていた。

 グランはその顔を見るやいなや立ち上がると、大慌てで壁際まで移動し、フィーはグランの元へゆっくりと傍へ歩みながら両手に銃剣を握りしめている。そして……

 

 

「とりあえず、一発撃たせて」

 

 

 鋭い視線を送りながら、何とも物騒なことを呟いてグランの眉間へ銃口を向けた。さっきも似たようなことがあったな、とグランは冷や汗を流しながら両手を上にあげ、降参の意思をフィーに伝える。その様子を見たフィーは、仕方ないといった感じで銃剣を下ろすと、そのまま下へ落とし……グランに抱きついて顔を埋めた。

 

 

「三年前、突然団を辞めた理由は?」

 

 

「それは……」

 

 

 フィーがグランに問いかけているのは、二人の過去に関する事だ。もう何年も前になるが、グランとフィーは同じ場所で共に過ごしていた。仲は兄妹と間違えるほど良かった二人だったが、何故か突然グランはフィーの前から姿を消した。

 フィーが問いただしているのは、その理由。それほど仲が良かった二人が、離れ離れにならなければいけない程の理由が何なのか。

 

 

「話せないなら別にいい。その代わり……」

 

 

「その代わり?」

 

 

「もう……勝手にいなくならないで」

 

 

 顔を上げたフィーの目には、溢れそうなほど涙がたまっている。グランの服を握りしめ、懇願するようなその表情と瞳からは否定を絶対に認めない強い意志が窺えた。

 グランは少し驚くが、直ぐに笑顔を浮かべるとフィーの頭に手をのせる。その懐かしい感覚にフィーは条件反射で目を瞑り、その拍子に涙が頬をつたうが、それは決して悲しみからきているものではない。

 

 

「勿論だ。今日から、また一緒だ」

 

 

 その言葉を聞いたフィーの表情は嬉しそうで、とびっきりの笑顔を浮かべている。グランはフィーの頭を撫でながら、今もいるであろう天井の先の人物へ向かって呟く。

 

 

「サラさん、やってくれましたね……」

 

 

 天井を仰ぐグランの表情は、あまり晴れやかなものではなかった。

 

 



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《Ⅶ組》発足

 

 

 

 巡り合わせというのは不思議なものだ──グランはフィーと二人でダンジョン区画を進みながら、そんな風に感じていた。一人物思いに更けるグランを、フィーは横目に見ながら首を傾げている。そんな二人の進むペースは割りと早く、ダンジョン区画は残り半分を切っていた。その間遭遇した魔獣は二人にとっては足止めにもならない。早急に片付け、現在はあと少し歩けばここを抜け出せるとこまで進んでいた。あと少しか、とグランが呟いたその時、二人の耳に魔獣のものと思われる叫び声が聞こえてくる。

 

 

「魔獣が殺られた?」

 

 

「恐らくな。他の奴等が先にいた魔獣を仕留めたんだろう。しかし、これは──」

 

 

「どうしたの?」

 

 

 突然グランが立ち止まり、それを疑問に感じたフィーが顔を上げると、険しい表情を浮かべて鞘から刀を抜刀するグランが視界に入った。グランはそのまま一直線に駆け出し、急な事態にフィーがその後を急いで追いかける。残りの一本道を通り抜け、奥に階段がある部屋に辿り着くと、そこでは満身創痍の他のメンバーが肩で息をしながら一体の大型魔獣と戦闘を行っていた。対峙している魔獣は背中に翼を生やし、強固そうなその皮膚は耐久力の高さを思わせる。先程二人の耳に入った魔獣の声は断末魔のようなものだった。傷が浅いところを見ると、発したのはこの魔獣ではない。ということは……

 

 

「おいおい、あれを二体相手にしてたって訳か……ならこいつの始末はオレ達がつけないとな。行くぞフィーすけ、オレに合わせてくれ!」

 

 

「任せて!」

 

 

 両者が高速で駆け出し、メンバーの間を通り過ぎると各々の驚いている様子に目をやることもなく、そのまま魔獣の両サイドに回り込んでそれぞれ武器を構えた。その様子に、代表でリィンが声を上げる。

 

 

「待ってくれ! 二人では危険すぎる……!?」

 

 

 リィンの制止に耳を傾けることなく、グランは魔獣の上に跳躍し、続けてフィーが少し高めに同じく跳躍。魔獣の真上に差しかかったところで二人の体が重なり、フィーはグランの背を踏み台に更に高く飛び上がると、グランはその反動で先程フィーが立っていた場所へと着地する。そしてフィーは空中に漂いながら魔獣へと銃剣の先を向け、射撃の準備が整った。目線も向けず、それを察したグランは空中のフィーへと叫ぶ。

 

 

「連撃で仕留めるぞ!」

 

 

「ラジャー!」

 

 

『紅妖疾風撃!』

 

 

 空中からフィーによる連続射撃、合わせてグランが超高速で魔獣の周りを幾重も駆け抜け、次々とその体に斬撃を叩き込む。完成されたコンビネーションは、魔獣の翼に幾つもの穴を明け、胴体を斬り刻み、その巨体に過剰とも言えるダメージを与えた。両者の連携が決まり、グランが立ち止まったその背後にフィーは着地する。そして魔獣の断末魔を前奏に、二人は口を開いた。

 

 

「『西風の妖精(シルフィード)』は健在だな」

 

 

「『閃光(リューレ)』もね」

 

 

「今は『(あか)』のグランだ」

 

 

 他のメンバー達が唖然とする中、魔獣は消滅し、振り返ったグランとフィーは互いにハイタッチを交わす。嬉しそうにピースサインをしているフィーだが、一方グランは不思議そうに呟く。それは、今の戦闘中に感じたとある感覚。

 

 

「しかし、久々の連携のわりには、フィーすけの動きが手に取るように分かったが……」

 

 

「うん、私も」

 

 

──それが、《ARCUS》の真価ってわけね──

 

 

 突然の声。全員が見上げた先、階段の上には皆をここに突き落とした張本人──サラが笑顔で立っていた。リィンや他のメンバーが階段を下りてくるサラに疑惑の視線を投げ掛ける中、正面まで移動したサラはにこにこと笑顔を浮かべ、拍手をしながら口を開く。最後は友情とチームワークの勝利よねー、とか言っているが今皆が聞きたいことはそれではない。リィンが皆の代わりに、その疑問を問い掛ける。

 

 

「教えてください、サラ教官。俺達が戦った時に感じた、不思議な感覚。そこの二人もそうみたいですが、これは一体……」

 

 

 サラは真剣な表情に切り換えると、その問いに答えた。《ARCUS》の機能、『戦術リンク』と呼ばれるそれは、持つもの同士を深く繋げ、互いの動きが手に取るように分かるという想像以上の物だった。戦場において、感覚のみで互いの動きを察し連携をとれるなど、通常はあり得ない。この機能が取り入れられたとなれば、それは最早戦場の革命とも言える。とは言え《ARCUS》は未だ試験段階で、実用には様々な課題があった。サラは続ける、その為に君達は選ばれたのだと。

 

 

「そしてトールズ士官学院は、《ARCUS》の適合レベルが高い数値を示した君達十人を選出した。《Ⅶ組》は、その為に作られたのよ」

 

 

 でも、とサラは続けて話す。これは強制ではないと。《Ⅶ組》のカリキュラムは他の同学年のクラスと比べてキツいし、何よりこのクラスは身分に関係無く集められている。階級制度のあるエレボニア帝国において、貴族と平民が同じクラスで過ごすのは抵抗があるかもしれない。それに予算の都合上、途中下車は出来ないらしい。

 

 

「だから、ここで改めて聞かせて欲しいの。《Ⅶ組》でやっていくか、それとも元々振り分けられる筈だったクラスに行くか。選択権は君達にある」

 

 

 長い説明を終え、サラは改めてメンバーに問う。《Ⅶ組》として過ごす意思、やる気があるかどうか。今後の学院生活において重要な選択でもあるため、皆暫く考えるだろう。そう思っていたサラだったが、彼女のその声に早々と答えたのはリィンだった。

 

 

「リィン=シュバルツァー、参加させてもらいます」

 

 

「ふぅん、どうやら事情がありそうだけど……」

 

 

「いえ、我が儘を言って行かせてもらった学院です。自分を高められるなら、どんな場所でも構いません」

 

 

 リィンの宣言に、ならば、と青髪の少女も続く。

 

 

「ラウラ=S=アルゼイド、《Ⅶ組》に参加させてもらう。元より修行中の身。此度のような試練、望むところだ」

 

 

 そしてガイウス、エリオット、三編みの少女──エマ=ミルスティン、金髪の少女、アリサ=Rも続いて参加を宣言。ユーシスとマキアスも一悶着ありながら、それぞれ参加を決める。残るはあと二人。

 

 

「どうするの? グランもフィーも、自分で決めなさい」

 

 

「めんどいから参加でいいわ」

 

 

「私も」

 

 

 後頭部で両手を組ながら、どうでも良さそうに話すグランとフィー。この二人にとってクラスは何処だろうとあまり関係ないのだろう。まぁ、グランはサラのいる手前、断ったら導力銃が飛んできそうだからという理由もあった。フィーは恐らくグランが参加したから、というのが本当だろう。

 

 

「これで全員参加っと……」

 

 

 サラは全員が参加を決めたことに嬉しそうに頷くと、一年《Ⅶ組》の発足を宣言する。これからビシバシ鍛えていくわよ、というサラの声に苦笑いを浮かべる一同。そして最後に、グランが思い出したように声を上げる。

 

 

「そうだサラさん、ご褒美のチューは?」

 

 

「はぁ……」

 

 

 フィーの深い溜め息と、その他全員のジト目がグランへと向けられるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 その日の夜、トリスタの街中に建っている第三学生寮の一室にて、頭を悩ませるグランとリィンがいた。話の内容は、ダンジョン区画に落ちた時にリィンがアリサの下敷きになって、胸へと顔を埋めてしまったこと。リィンの話では、庇おうとしたつもりが何故かあんな風になったということらしい。勿論悪気はなく、アリサの方もそれは知っているだろうとエリオットも話していたし、きっと直ぐに仲直り出来ると思っていた。それで先程アリサに謝ろうと部屋を訪れた際、その事態は起きてしまう。

 

 

──アリサ、ちょっといいか……? その、入るぞ?──

 

 

 ノックをしても部屋の中からアリサの応答はなく、リィンは断りを入れると扉を開けてアリサの部屋へと足を踏み入れる。そしてやはりアリサは部屋にいたみたいなのだが、これがリィンの宿命なのか。視線の先、白い下着姿のアリサがリィンの顔を見ながら顔を真っ赤に染めていた。

 

 

──い、一度ならず二度までも……──

 

 

──いや、決して、その……すまない──

 

 

 

 

 

 

「リィン、お前わざとやってないか?」

 

 

 リィンの話を聞いたグランが、率直に抱いた感想だった。着替えの最中に鍵をかけていなかったアリサもアリサだとはグランも思ったが、にしてもタイミングがよすぎるだろうとグランは呆れていた。一応リィンは真剣に悩んでいるようなので何とかしてやりたいグランだったが、結局のところ当人達で解決するより他ない。

 

 

「はぁ……」

 

 

「まぁ、そう落ち込むなよ。今回のことに関しては、オレからもそれとなく言っておくし」

 

 

「あぁ、ありがとう」

 

 

 そしてグランは、今からサラと約束があるということで椅子を直そうと立ち上がるが、その時棚に置いてある一枚の写真が目に入る。そこにはリィンの両親と思われる人物と、黒い長髪の清楚な少女の姿が写っていた。

 

 

「へぇ、人が良さそうなご両親だな。この子はもしかしてリィンの妹か?」

 

 

「あぁ、エリゼって言うんだ。そういえば手紙を出さないとな……グランはその、妹とかいるのか?」

 

 

「──いるよ。殺したいほど憎い、妹がな」

 

 

「えっ……!?」

 

 

 ほんの一瞬だが、グランから感じたとてつもない殺気にリィンは息を飲む。直ぐにそれは収まり、当のグランは冗談だ、と呟くと部屋をあとにした。その時グランの懐からなにか落ちたが、グランは気づくことなくそのまま出ていき、階段を上がる音が聞こえてくる。リィンはグランが落としたその金属製のアクセサリーを拾うと、下部についている突起部分を押してフタを開く。そして中に埋め込まれた写真には、白い長髪の十才程の少女が写っていた。

 

 

「もしかして、この子がグランの──」

 

 

 あの時一瞬感じた殺気は本物だった。グランにどのような事情があるのか、この少女と何があったのかは知らない。でも、いつか話を聞いて少しでもグランの力になれたらいいな……今日相談にのってくれたお礼に、とリィンはそのアクセサリーを机の上に置いて、着替えを始めるのだった。

 

 

 



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第一章ーー力を持つ者の条件ーー
八葉の使い手とアルゼイド流


 

 

 

 四月中旬、グラン達が士官学院に入学して早くも二週間が過ぎる。ユーシスとマキアスの二人は相変わらず仲が悪く、二人が揃うと毎回険悪なムードが漂っていた。一方リィンとアリサはというと、こちらも未だ仲直りをしてはいないが、二人共互いに謝る機会を窺っているような日々が続いており、仲直りも時間の問題だ。そして肝心なグランの学院生活。流石は名門トールズ士官学院と言ったところか、士官学院ならではの武術訓練もさながら、勉学に関してもこの学院はかなりのレベルを誇っていた。《Ⅶ組》の皆が訓練と勉強に追われる中、グランは今まで勉強らしい勉強をして来なかったので既に投げ出している。座学において、その時間はグランの睡眠時間へと変わっていた。そして本日の授業も終わり、生徒の皆は放課後を迎える。この日も、いつもと同じようにグランは寝ていた。

 

 

「すぅー、すぅー……」

 

 

「ねぇ、そろそろ起こした方がいいよね?」

 

 

 机でうつ伏せになりながら気持ち良さそうに寝息を立てているグランの横、その様子を見たエリオットが苦笑いを浮かべながら、近くにいるリィンとガイウスへ向かって話している。二人の頷く姿を見て、エリオットは未だ熟睡中のグランの肩を揺すり始めた。

 

 

「ねぇグラン、グランってば……」

 

 

「う、う~ん……あぁ、おはようエリオット」

 

 

「おはよう……じゃなくて、もう放課後だよ?」

 

 

 エリオットの声にグランは体を起こして大きく屈伸をすると、近くで苦笑いを浮かべるリィンとガイウスを見つける。よく見れば教室に残っている他のメンバーも同様の顔をしており、教壇に立っているサラに至ってはため息をつきながら呆れ顔でグランに視線を向けていた。

 

 

「あんたねぇ……寝るなとは言わないけど、授業に必要な本くらいはちゃんと出しなさい」

 

 

「サラ教官。そこは教官として、寝るなってちゃんと言ってください」

 

 

「それは無理」

 

 

 サラも普段から昼寝をよくするということで、アリサの声に直ぐ様無理だと返してそそくさと教室を出ていく。退室するサラを見ながら、この人が教官で大丈夫なのかと思う一同だったが、そんな中ガイウスがふと声を上げる。それは、グランが起きる前にサラが《Ⅶ組》の皆に話していた今後の予定についての事だった。

 

 

「そういえば来週は実技テストだな……皆は明日の自由行動日、どのように過ごす予定だ?」

 

 

 実技テスト──月に一度行われる実戦のようなものだと以前サラは話していた。そしてテストの後には《Ⅶ組》だけが行うという特別なカリキュラムの説明もあるそうだ。きっとこれから更に忙しくなるだろう。だから明日の自由行動日は出来るだけ有意義に過ごしたい。ガイウスの声に、近くにいるエリオットが明日の予定を話し始める。

 

 

「僕は楽器の手入れかな。一応今から吹奏楽部の見学にいく予定なんだけど……そう言うガイウスは?」

 

 

「俺は学生寮の自室で絵を描こうと思っている。今日は美術部に見学に行くつもりだ。リィンはどうするんだ?」

 

 

「俺はまだ決まっていないな。部活もどうしようか迷っているし……因みにグランはもう決めたのか?」

 

 

 リィンがそう言いながらグランの席へ視線を向けると既にその姿はなく、そばで話していたエリオットやガイウスでさえも気付かなかった。何処に行ったんだろう、と三人は教室の中を見渡すが、先程席で見かけたラウラの姿もいなくなっていることに気付いて理解する。

 

 

「またか……」

 

 

「まただな……」

 

 

「まただね……」

 

 

 苦笑いを浮かべている三人の視線は、学院のグラウンドがある方向へと向いていた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「だあぁぁぁぁ! 何で今日もついて来んだよラウラ!」

 

 

 教室に残っている三人の予想通り、グランは現在グラウンドにいた。ラクロス部や馬術部の先輩とぶつかりそうになりながらも、時折後ろに目を向けてグラウンドの中を必死の形相で走り回っている。そして、彼を追うようにラウラがその後ろを走っていた。両手に得物である大剣を握り締めて。

 

 

「そなたが言ったのだぞ。手合わせをしたいのなら捕まえてみろと!」

 

 

「捕まってたまるか! お前の両手剣受けたら刀なんか直ぐに折れるわ!」

 

 

「避ければ問題なかろう。そなたなら造作もないはずだ」

 

 

「その過大評価はありがた迷惑だーっ!」

 

 

 そんな会話を交わしながらグランはグラウンドを出ると、入学初日に《Ⅶ組》のオリエンテーリングを行った旧校舎の方へと向かう。そして旧校舎の敷地に入ると直ぐ様近くに生えている木の上へと飛び上がり、葉の生い茂る中へと身を潜めた。遅れてラウラが到着し、彼女はグランの姿が見当たらない事に気付くとその場で大剣を構え、その凛とした瞳を閉じる。そんなラウラの姿に、グランは少しばかり見入っていた。

 

 

「(こうして見るとかなりの美少女なんだが……惜しいな)」

 

 

 グランが失礼なことを考えながらその様子を眺めて数秒後、突然そよ風が吹き、それによってラウラのスカートがヒラリと動く。グランはカッ、と目を見開いた。

 

 

「(何っ! もう少し覗けば──)」

 

 

 この時点でグランの敗けは決まってしまう。彼が体を動かした途端葉の擦れ合う音がガサガサとなり、集中していたラウラは目を見開くとグランの潜んでいる木の幹へ横薙ぎに大剣を振るった。余りにも重いその一振りは幹を真っ二つにし、支えのなくなった木は徐々に倒れていく。隠れていたグランもたまらず中から飛び出すと、そばへと着地をした。そしてラウラの太腿に視線を移しながら、悔しそうに呟き始める。

 

 

「北風と太陽か……中々知恵を使う」

 

 

「何のことかはよくわからぬが……今日は私の勝ちのようだな」

 

 

 グランの呟きに首を傾げた後、ラウラは大剣を構え、グランは納刀している刀の柄に手を当てる。それぞれ出方を窺っているのかじっとしたまま動かない。そしてついにグランが目を瞑り始め、それを見て馬鹿にされていると感じたラウラは眉間にシワを寄せるとその場から駆け出した。

 

 

「であぁぁぁ!」

 

 

 動きは速い。ラウラはグランとの距離を直ぐに詰めると、グラン目掛けてその大剣を縦に振るう。だが寸前でグランは回避し、大剣は軽い風圧を伴いながら空をきって地面へと突き刺さった。同時に刺さった衝撃で部分的な地割れを起こし、それがラウラの放った一振りの威力を物語っている。そんな事態にもグランは動揺せず……というか、未だにその目を開いていなかった。同様の攻撃が何度か行われるが、グランは全て目を閉じたまま避け、徐々にラウラには苛立ちが募っていく。そしてラウラがまたグランとの距離を詰めて剣を振るうが、今度は今までよりも大振りで、空ぶった後に致命的とも言える隙が生まれてしまう。だがグランはこれまでと同様に避けると、バックステップで距離をとった。やはり、その間もグランは目を閉じたままだ。そこでラウラが口を開く。

 

 

「グラン、そなた何故攻撃してこない? 先程の攻撃で私は明らかな隙を見せたはずだぞ」

 

 

「誘いには乗らない。大振りの割には最初ほど威力もなかった、カウンターの準備でもしてたんだろう?」

 

 

「ふふ──やはり私の目に狂いはなかったようだ。初めて対峙した八葉の使い手が、そなたで嬉しいぞ」

 

 

 真剣な表情の後、ふと見せたラウラの純粋な笑顔。目を開けていたグランは不覚にもその姿にドキッとしてしまい、その一瞬の隙をラウラは見逃さず、即座に斬りかかる。これは決まっただろう。ラウラはそう確信したが、大剣はまたしても空をきる。これには本人も驚きを隠せない。

 

 

「──伍ノ型、残月(ざんげつ)

 

 

 最小限の動きでラウラの剣をかわしたグランは、刀を抜刀するとその勢いで彼女に向かって横薙ぎに払う。普通はこの間合いで、況してや剣を振るった後の硬直している状態では防ぐ術などないに等しい。そう考えていたからこそ、今度はグランが驚くことになる。刀の峰がラウラに触れる寸前、彼女はなんと大剣の柄でそれを防いでいた。

 

 

「(おいおい、光の剣匠の娘もこの強さかよ)……凄いな、ラウラ」

 

 

 二人が同時に後方へと距離をとり、グランの口からは驚いたとばかりにラウラへ向けて称賛の言葉がこぼれる。だが、ラウラの表情はあまり嬉しそうではなかった。大剣を鞘に納めると、グランのそばに近寄って彼へと鋭い視線を浴びせる。

 

 

「──そなた、どうして本気を出さない?」

 

 

「……」

 

 

 ラウラの問いに、グランの返答は無言だった。しかしそれは、ラウラの言葉を肯定していることに他ならない。ラウラは尚も問い掛ける。

 

 

「旧校舎の地下で拝見したそなたとフィーの連携は凄まじかった。しかしあれ以来、そなたもフィーも何故本気を出さない?」

 

 

「あれは《ARCUS》の戦術リンクがあったから出来たんだ。それに、オレもフィーすけも基本的にはめんどくさがりだしな」

 

 

「そうだとしても、だ。此度の手合わせで手を抜くのは、些か失礼ではないか? 私はそなたを見たとき、本当に嬉しかったのだ。この者と剣を交え、切磋琢磨していけば、いずれ父上にも追いつけるかもしれないと。そなたなら、私を高める存在になってくれると思ったのだ」

 

 

 顔を僅かに下へと向け、言葉を紡ぐラウラの表情は真剣そのものだった。その様子にグランは心を痛めながらも、やはり無理だと話す。自分にラウラの相手は、荷が大きすぎると。

 

 

「悪いな、軽い手合わせなら今後も相手になるよ。でも、自分を高め合う為の相手ならリィンをオススメするわ」

 

 

 そしてグランは納刀すると、ラウラに背を向けて学院の本校舎へと歩き出す。ラウラは自分の気持ちが伝わらなかった事に悔しさで両の手を握り締めているが、ふとグランが歩みを止めた事でそちらへと視線を向ける。すると、ラウラに背を向けながら突然グランが口を開いた。

 

 

「一つだけ教えておく。オレはな、本気を出さないんじゃない。出せないんだ」

 

 

「えっ……」

 

 

 一言、そう話すとグランは再び歩き始める。ラウラが茫然と見つめる先、その瞳に映ったグランの背中は……彼女にはとても小さく見えた。

 

 

 



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名前の違う学生手帳

 

 

 

 翌日、士官学院の生徒が……特にグランが待ちに待った自由行動日である。勉学に勤しむ者、部活動に励む者、アルバイトをする者、そして遊びに出掛ける者。グランはその中で、遊びに出掛ける部類に入っていた。と言っても帝都に出掛けて買い物とか、娯楽に時間を費やすといった訳ではない。トリスタの東に通る街道の道外れ、グランはそこの茂みで昼寝をしていた。

 

 

「やっぱ天気のいい日は昼寝が一番だな」

 

 

「そだね」

 

 

「……取り敢えず突っ込んどくか。フィーすけ、何でここにいんだよ」

 

 

 グランが体を起こして横に視線を向けると、いつからいたのかフィーがグランと同じように昼寝をしている。記憶を掘り起こして、こいつ確か園芸部に入るとか言ってなかったか? とグランが考えている中、突然彼の《ARCUS》から呼び出し音が鳴り響く。

 

 

≪もしもし、グラン君?≫

 

 

 《ARCUS》を開き、通信越しに聞こえてくるその声は、どこかで聞いた事のある少女のものだった。グランは暫く考えた後、横で首を傾げているフィーの顔を見て思い出す。そう言えば、この学院で一番最初に出会った人だなと。

 

 

「あー、トワ先輩ですか」

 

 

≪トワでいいよ。先輩って呼び方、何だか壁を感じるし──≫

 

 

「分かりました、トワ先輩」

 

 

≪も~、グラン君って意地悪って言われたことない?≫

 

 

 通信先からは楽しそうに話すトワの声が聞こえてくる。グランもその声に笑顔を浮かべながら答え、隣にいるフィーはグランと話している通信先のトワの声に耳を傾けていた。彼女はグランの妹的立ち位置として、トワの事を見定めようとしているようだ。

 

 

「それで、何の用ですか?」

 

 

≪えっとね、学生手帳の事なんだけど──≫

 

 

「グラン、どうしたの?」

 

 

 ここでフィーが動いた。通信先のトワに聞こえるように敢えてグランの傍で声をかける。フィーの合格条件その一、それは周りの人に気を遣う事が出来るかどうか。

 

 

≪あれ? もしかしてグラン君、今誰かと一緒?≫

 

 

「ええ、クラスメイトとデート中です」

 

 

≪そっか……お邪魔しちゃった、かな? 私の用事はまたでいいから、その子にごめんねって伝えておいてね?≫

 

 

 申し訳なさそうにトワがそう話した後、通信が終わってしまう。グランのとんでもない受け答えによって予想外の事が起きてしまい、フィーはグランに掛け直すよう催促するが彼はトワの番号を知らないらしい。仕方ない、とフィーは一言呟くと腰を上げ、そのままグランの手を引っ張り始める。

 

 

「ど、どうしたんだ?」

 

 

「直接会って確かめる。トワって言ったっけ?」

 

 

「すまん、話が見えないんだが──」

 

 

 自由行動日、特に用事のないグランはフィーに引きずられるようにトリスタの街へと戻るのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「……ちょっと残念かな」

 

 

 トールズ士官学院、学生会館二階の生徒会室にて。先程グランと通信で話していたトワは、手に持っている《ARCUS》を閉じると残念そうに呟きながら椅子に腰を下ろしていた。目の前の机に置かれている手帳を手に取り、それを開くと中にはグランの名前と彼の所属するクラスが記されている。

 

 

「それにしても……サラ教官も間違ってないって言ってたし、どうしてグラン君、偽名なんか──」

 

 

 トワが不思議そうに手帳に記された名前を見ている時、突然ドアの向こうからノックをする音が聞こえてきた。手帳を置き、トワが入室を促すとドアが開いて緑色の制服を着た銀髪の少年が中へと入ってくる。クロウ=アームブラスト、トワと同じ士官学院の二年生だ。

 

 

「クロウ君、どうしたの?」

 

 

「いや、ただ冷やかしに来ただけなんだが……何か元気ねぇな。失恋でもしたのか?」

 

 

 冗談めかして話すクロウだが、その言葉にトワは苦笑いを浮かべて誤魔化していた。クロウもそれに気付いたのか、面白い物を見つけたといった様子で側にあるソファーへ座ると話すように催促し始める。何ともデリカシーの無い言動だが、トワは彼の性格を知っているのか、余り気にした様子もなく話し始めた。

 

 

「実はね、《Ⅶ組》の子なんだけど──」

 

 

「成る程。それで《ARCUS》を使って呼び出そうとしたはいいが、そいつはデート中であえなく撃沈と」

 

 

「そうそう、って……もう、完全に盗み聞きしてるよ……」

 

 

 トワがクロウの非常識さにため息をつく中、突如《ARCUS》の呼び出し音が鳴り響いた。勿論発信源はトワの机の上な訳で、彼女は首を傾げながら《ARCUS》を手に取るとそれを開く。

 

 

「はい、こちらトワ=ハーシェル」

 

 

≪どうも、先程振りです≫

 

 

「あれ? もしかしてグラン君?」

 

 

≪はい、グランです。実は──≫

 

 

 通信先のグランからは、さっきのデート中という話は嘘であり、本当は特に用事が無いので今からこちらに向かうという事が伝えられる。トワは学生会館の二階にある奥の部屋で待ってると告げるとそのまま通信を切り、その表情は先程のしょんぼりしたものとは真逆で、どこか嬉しそうに見えた。そして、その変化を見逃すクロウではない。

 

 

「よし、今からゼリカ呼んでくるわ」

 

 

「も~、そんなんじゃ無いってば! アンちゃん呼んだら余計にややこしくなるよ──」

 

 

「やぁ、二人共。私がどうかしたのかい?」

 

 

 クロウも冗談で言ったのだが、二人の視線の先……部屋のドアが開いた所にはライダースーツを着用した女性──アンゼリカ=ログナーが笑顔を浮かべながら立っている。二人は思った。ああ……ややこしくなる、と。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 トリスタの街へ戻ったグランとフィーは、第三学生寮の三階にあるサラの部屋へと赴き、昼前のこの時間に早くも酒を飲んでいる彼女からトワの番号を聞き出した。教えてもらった番号で連絡を取り、トワが学生会館にいることが分かって学生会館の二階、生徒会室へと訪れる。そして現在……生徒会室のソファーでは、クロウとアンゼリカの間にトワ、三人に向かい合うようにグランとフィーが座っていた。

 

 

「私の名前はアンゼリカ=ログナー、そして彼はクロウ=アームブラスト……私も彼も、トワの保護者としてこの場に参加させてもらっている」

 

 

「……あの、取り敢えず状況を教えてもらっても?」

 

 

 生徒会室に入って直ぐ、何の説明もなしにソファーへと座らされたグランは、顔を引きつらせながら向かい側に座っているアンゼリカとクロウを見ていた。クロウが鼻下につけ髭のようなものを付け、アンゼリカは鋭い視線をグランへと向けている。何が何やらグランには訳がわからなかったが、フィーは状況を直ぐに理解した。

 

 

「私はフィー=クラウゼル、グランの保護者」

 

 

「いや、お前はどっちかというと保護される側だろ……」

 

 

「ゼリカ、これもう取っていいか?」

 

 

 悪乗りをするフィーにグランが突っ込みを入れる中、クロウは飽きたのかつけ髭を取ろうとアンゼリカに問い掛ける。しかし、彼女はクロウの顔を見ると、何だまだいたのか?という表情を浮かべていた。

 

 

「君はもう帰ってもいいよ」

 

 

「あれ、俺の扱い酷くね?」

 

 

「さて、グラン君と言ったかな? 君の事、少々調べさせてもらった」

 

 

 何ともクロウの扱いが雑だが、この二人には日常的なやり取りらしく、トワは苦笑いを浮かべるだけで特にフォローはしなかった。そしてアンゼリカが真剣な表情で言葉を口にしたその時、グランの眼つきが鋭くなる。

 

 

「先輩、プライバシーって知ってますか?」

 

 

「ふっ、いい目をするじゃないか。それに中々の気迫だ……こちらの条件は一つ。私のトワが欲しいのなら──」

 

 

 グランの視線を何ともせずに、アンゼリカは笑みをこぼしながら指を立てる。グランは自分の過去をばらされると思い、未だ鋭い視線を向けたまま。そして、アンゼリカは口にする。

 

 

「フィー君の頭を撫でさせてもらえないかい? 出来れば膝の上に乗せながら」

 

 

「却下」

 

 

「うん、マジで焦ったオレが馬鹿だった」

 

 

「あははは……ごめんね、グラン君。アンちゃんもクロウ君も、大事な話しがあるから席を外してくれるかな?」

 

 

 トワが申し訳なさそうに話しながら二人を退室させた後、改めてグラン、フィーの二人と向かい合う。その真剣な表情にグランもつられて真面目な顔をし、フィーはトワの手に握られている学生手帳を見てもしやと思った。そしてフィーの予感は的中する。

 

 

「実は昨日、同じ《Ⅶ組》の子のリィン君に学生手帳を渡してもらうように頼んだんだけど、グラン君の学生手帳だけ渡すの忘れてて……はい」

 

 

「あ、どうも」

 

 

「……」

 

 

 トワから学生手帳を受け取り、中身を見たグランと横目で同じくその中身を見たフィーの二人は驚きの表情を浮かべる。それもそのはず、学生手帳の中に記されていた名前は、グラン=ハルトではなかった。

 

 

「これ、名前間違えてますよ」

 

 

「私もそう思ってサラ教官に確認してみたんだけど……間違ってないって」

 

 

「あの酒飲み、徹底的に過去と向き合わせる気か……」

 

 

「グラン、大丈夫?」

 

 

「──ああ。フィーすけと会わせた時点である程度の覚悟は出来てたしな」

 

 

 グランは苦笑いを浮かべながら学生手帳を閉じると、席を立つ。その様子を見たトワは何か言いたそうな顔だったが、声に出なかった。それだけグランの表情に感じるところがあったのだろう。フィーも、トワと同じような表情を浮かべてグランを見上げていた。

 

 

「トワ先輩。オレの事は、グラン=ハルトでお願いします」

 

 

「うん……何か事情があるんだよね?」

 

 

「まぁ、そう言うことです。学生手帳、ありがとうございました」

 

 

 グランは一言礼を言うと、そのまま生徒会室を退室する。残されたフィーはグランがいなくなった後、困った顔を浮かべたトワに向かってグランの事をこれからも宜しく頼むと話す。彼がまた、いなくならないように。

 

 

「トワなら、きっとグランを引き止められるから」

 

 

「えっと、どういう事かな? フィーちゃんは、グラン君の事何か知ってるの?」

 

 

「今は話せない。いつか、グランが自分で話すと思う」

 

 

「分かった。でも、どうして私なのかな? よくわからないけど、グラン君を引き止めるのはフィーちゃんや他の《Ⅶ組》の子の方がいい気がするんだけど……」

 

 

 フィーがここまで自分に頼み込む理由がいまいち分からないと話すトワ。フィーはこれぐらいならいいか、と呟くと、トワに拘る理由を話し始めた。

 

 

「似ているから、トワはあの人に」

 

 

「あの人って?」

 

 

 トワの疑問に、フィーは少し顔を俯かせた後に答える。それは、一度だけ写真で見たことのある、自分では越えることができなかった人。そして、今のグランを生み出してしまった根本的な存在。

 

 

「グランの、大切な人」

 

 

 



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実技テストに巻き込まれた人

 

 

 

 実技テスト当日。澄んだ青空の下、《Ⅶ組》のメンバーはグラウンドへと集合していた。実技テストとは言っても内容を全く知らない皆は、今から何が始まるんだろうとそれぞれ話しながらその時を待つ。そして、予定の時刻に少し遅れてサラが到着した。

 

 

「お待たせ。それじゃ、早速実技テストの方を始めましょうか」

 

 

 そう言ってサラが指を鳴らしたその時、突然《Ⅶ組》の目の前に傀儡めいた不思議な物体が現れた。グランを除いた他のメンバーが驚き、そのリアクションを見て満足そうにサラが頷いた後、その傀儡を指差しながら説明を始める。

 

 

「こいつは、とある筋から押し付けられた物でね。色々と便利がいいから、実技テストで使わせてもらうことにしたわ」

 

 

 そして最初にリィン、ガイウス、エリオットの三名が呼ばれ前へと出る。内容は勿論、傀儡めいたその物体と戦闘し、撃破すること。しかし、ただ倒すだけでは駄目らしい。戦術リンクを活用すること、それがこの実技テストの主な目的であり、評価点にもなるという。

 

 

「リィン、ガイウス、エリオット、頑張りなさい──それでは、これより《Ⅶ組》の実技テストを開始する!」

 

 

 サラの号令の後、戦闘が開始された。リィンが前衛として斬りかかり、ガイウスがその攻撃をアシスト、エリオットは後方から二人の援護を行う。途中危ないところもあったが、三人は《ARCUS》の戦術リンクを活かして何とか撃破に成功する。傀儡が消滅し、三人が武器を納める様子を見てサラは満足そうに呟いた。

 

 

「上出来上出来、昨日の旧校舎の調査も無駄じゃなかったようね」

 

 

「む、そんなことが……」

 

 

「へぇ、リィン達頑張ってんだな」

 

 

 どうやら昨日の自由行動日、リィン達三人は旧校舎の調査を学院長から依頼されたようで、その時にもやはり魔獣との戦闘があったらしい。ラウラはその事を聞いて羨ましそうな顔をし、グランは見えないところで努力をしているんだなとリィン達に感心していた。

 

 

「続いて……ラウラ、アリサ、委員長。前に出なさい」

 

 

 またまたサラが指を鳴らし、何処からともなく新たな傀儡が現れた。その後も三人による戦闘が行われ、ラウラ、アリサ、エマ──ユーシス、マキアス、フィーによる実技テストも危なげなく終わりを迎える。だが忘れてはいけない、《Ⅶ組》にはもう一人いるということを。一人残されたグランは、グラウンドの隅で縮こまって何やら小鳥と会話をしていた。

 

 

「お前も一人ぼっちか。はは、仲間外れって辛いよな──」

 

 

「こーら、早くこっちに戻ってきなさーい!」

 

 

 一同がグランの様子にドン引きしている中、サラの呼ぶ声にトボトボと歩きながらグランが皆の元へと戻った。ちゃんと考えてあるというサラの言葉でグランの機嫌は何とか直るが、《Ⅶ組》の他のメンバーは皆実技テストを終えているため、組む相手はいないはずだ。どうするんだろう……と皆が考えていると、ある人物が一同の前に現れる。

 

 

「《Ⅶ組》の皆、こんにちは」

 

 

「えっ……トワ会長?」

 

 

 リィンが口にするように、皆の前へと現れたのはトワだった。どうして生徒会長が?と一同が不思議に思っていたり、会長だったんだ、とグランとフィーの二人が驚いたり……そんな中、サラはトワの横に並ぶと、指を鳴らして先程の傀儡を出現させ、自身の得物である強化ブレードと導力銃を取り出した。

 

 

「グラン、始めるわよ。人数合わせで忙しい会長にわざわざ来てもらったんだから……因みにそいつのレベルは五段階まで上げてるから、会長頑張ってね」

 

 

「ふぇっ!? サラ教官、私聞いてないですよ……」

 

 

「あの、サラ教官? 流石に会長が可哀想なんじゃ……」

 

 

「そうよね……私もそう思います」

 

 

「あら、それじゃあエマかアリサが代わりに入る?」

 

 

「何でもありません」

 

 

 トワを不憫に思ってエマとアリサが助け船を出そうとするものの、自分が代わりに出るのは無理だということで両者共断りを入れると直ぐに目線をそらす。最早泣きそうなトワだったが、《Ⅶ組》の皆はそれぞれ実技テストで余り体力が残っていない上、何より傀儡のレベルが五段階も上げられていることに躊躇いがあった。大丈夫だとトワに声を掛けるサラ、グランはせめてレベルを下げてくれとサラに頼み込むが、トワが目をごしごしと擦った後にそれを制す。

 

 

「グラン君、私は大丈夫だから。頑張ろうね?」

 

 

 小型の導力銃を取り出し、涙ぐみながら顔を見上げてくるトワを見てグランは決意する。

 

 

「──サラさん、戦闘中は背後に気を付けてください」

 

 

「こらそこ、物騒な事言わない」

 

 

 抜刀の準備をするグランにジト目で突っ込みを入れた後、サラは武器を構えると傀儡に導力銃の銃口を向ける。続いてトワが小型の拳銃を顔の横で構え、グランが鞘から刀を抜いた。三人共先程までと違い真剣な表情を浮かべ、特にサラとグランからは目に見えるほどの闘気を感じる。《Ⅶ組》の他のメンバーがその光景に圧倒される中、サラが号令を掛けた。

 

 

「さてと、それじゃあ始めましょうか。後方支援と全体の指揮は会長に任せるわね」

 

 

「はい!」

 

 

「オレは全力でトワ会長を守ります」

 

 

「はいはい、あんたも私と前衛務めるの」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「しかし、凄いものを見せられたな……」

 

 

 グラン達がそれぞれ武器をしまう姿を見ながら、リィンが口を開く。戦闘中のトワによる的確な指示、サラの戦闘能力の高さ、そして何より……サラとトワの二人は《ARCUS》の戦術リンクを完璧に使いこなしていた。状況に合わせて時折リンクを切り替えながら、グランや互いの動きをカバーする。それは、リィン達が目指しているものに他ならない。そして、マキアスには他にも気になることがあった。

 

 

「しかし、グランのあれは戦術リンクによるものではなかったようだが……」

 

 

「ああ。リンクを繋げていないにもかかわらず、教官の動きに完璧に合わせていた。かなり場馴れしているな……ふん、お前にしては珍しく意見が合ったな。マキアス=レーグニッツ」

 

 

「こちらの台詞だ。ユーシス=アルバレア」

 

 

 意見が合っても仲が悪いのは変わりなく、二人は相変わらず睨み合いながら火花を散らしている。それぞれが先の実技テストの感想を口にする中、サラはパチパチと手を叩くと皆の視線を集めた。

 

 

「はーい、先ずは今週末に行われるカリキュラムについて説明するわよー。あっ、会長これ配ってちょうだい」

 

 

 サラから十枚の紙を受け取ったトワは、メンバーに一枚ずつそれを渡して再びサラの横へと戻る。各々が紙に書かれている内容に目を通し、疑問は直ぐに生まれた。紙にはA班、B班でメンバーが五人ずつに分けられ、実習地と書かれた場所も記されている。

 

 

「《Ⅶ組》の特別なカリキュラム、それはこの課外活動の事よ。あなた達にはこの紙に書いてある場所にそれぞれ行ってもらって、用意された課題をこなしてもらうことになるわ」

 

 

「みんな、頑張ってね!」

 

 

「みんな、頑張ってね!」

 

 

「会長の真似をしない……グラン、あんたも行くの」

 

 

 トワの横で同じポーズを取って他人事のグランは、サラの言葉に敢えなく撃沈。面倒くさそうに頭の後ろで腕を組んでいた。サラはその様子を見て深くため息をついた後、ふと笑みを浮かべる。

 

 

「あんたの目的のためにも必要なことよ。頑張りなさい」

 

 

「──まっ、それじゃ仕方ないか」

 

 

「……ん?」

 

 

 二人の小声で行われていた会話を、近くにいるトワとフィーが首を傾げながら聞いているのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 日にちは過ぎて実習日を迎える。第三学生寮の一室、グランの部屋の前では何故かリィン、エリオット、アリサ、ラウラの四人が集まっていた。理由は簡単、集合時間になってもグランが一向に起きて来ないからである。しびれを切らした四人がこうして赴き、彼を起こすために色々と模索しているところだ。

 

 

「グラン、グランってば! も~、早くしないと列車の時間に遅れちゃうよー!」

 

 

「全然起きないわね……こうなったらラウラ、ドアごと壊してもらえるかしら?」

 

 

「ふむ、承知した」

 

 

 アリサの声に、ラウラが大剣を鞘から抜くと大きく振りかぶった。流石に拙いだろうということでリィンとエリオットが必死に止め、ドアが破壊されることはなかったが、このままでは列車の時間に遅れてしまう。どうしよう……と四人が大きなため息をつく中、上の階からサラが降りてくる。どうやら彼女も今起きたらしい。

 

 

「あら、A班はまだここにいたの」

 

 

「いや、それなんですが──」

 

 

 リィンは苦笑いをしながら事の経緯を説明し、その話を聞いたサラもため息をつくとドアを叩いてグランを起こしにかかる。勿論、リィン達と同じことをしたところでグランが起きてくるはずがない。サラはそこに付け足す。

 

 

「早く起きなさーい! オルランドくーん!」

 

 

 サラが声を発したその直後だった。部屋の中からはドタバタと音が聞こえ、ものの数秒で音が止むと部屋のドアが開く。中からは、荷物を持ったグランが物凄い笑顔で出てきた。

 

 

「いやー! グラン=ハルト、ただいま起床しました。みんな、遅れて申し訳ない!」

 

 

 グランはそう言った後、サラの肩に腕を回して何やらこそこそと話している。アリサとラウラはグランの様子に呆れており、そのグランは視線が合うと如何にもな作り笑いで誤魔化していた。そんな中、リィンは先程のサラが発した言葉に疑問を持つ。

 

 

「(オルランドって何だろう……もしかして誰かの名前か何か?)」

 

 

 その答えは一部の人間にしか分からないのだろう。少なくとも、この学院でそれを知っているのは担任であるサラ、その他の教官達、後はグランの事を昔から知っている旧友のフィーくらいか。リィンは頭を悩ませながら、いずれグランが話してくれるだろうということで余り深く考えなかった。

 

 

「おはよう、グラン。そろそろ駅に向かわないか?」

 

 

「ああ……と言うことでサラさん。次何か口走ったら寝込みを襲いますから」

 

 

「最低ね」

 

 

「最低だな」

 

 

「グラン、あんたそこの女子二名に軽蔑されてるわよ」

 

 

 実習地に向かう途中、列車の中でグランがアリサとラウラに弁解するのに必死になっていたのは言うまでもない。そして余談だが、ブレードと言う対戦ゲームでグランはその女子二名にフルボッコを食らったとか。

 

 

 



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風見亭にて

 

 

 

 トリスタ駅から列車に揺れること数十分、A班は実習地に指定された交易町ケルディックへと到着していた。ケルディックの駅を出て町並みを見渡し、一同がその光景に抱いた率直な感想は、田舎にあるのどかな雰囲気を醸し出した好感の持てるものだった。古い造りをした木造の建物が建ち並び、小鳥のさえずりや自然の香りが風に乗って六人の五感を刺激する……そう、五人ではなく六人。A班の実習には、何故かサラも同行していた。

 

 

「このケルディックは、ライ麦で造った地ビールなんかが有名なのよね。因みに君達は学生だから飲んじゃ駄目だけどね~」

 

 

「いや、勝ち誇ったように言われても……」

 

 

「全然羨ましくなんか無いんですけど」

 

 

 リィンとアリサが尤もな意見を口にする。人によっては成人を迎える前に酒を飲む機会はあるかもしれないが、未成年の内はそこまで旨いと感じる事は余りないだろう。そんな若者達に自分だけ酒が飲めるんだと勝ち誇ったところで、羨ましがる者などこの中にはいない。一人を除いては……

 

 

「そうだそうだ! 羨ましくなんかないわ!」

 

 

「あはは、グラン泣いてる」

 

 

「グラン、そなたもしや学院で酒を口にしていたのではあるまいな?」

 

 

 涙を流しながらサラに向かって叫ぶグランを横目に、エリオットは苦笑い、規律といったものに厳しいラウラに至っては眉間にシワを寄せてグランを睨んでいる。リィンとアリサがその光景にため息をつく中、グランは泣き止むとリィン、アリサの二人を見てふと思い出した。

 

 

「つうか、リィンとアリサは仲直りしたんだな」

 

 

「ああ、おかげさまで」

 

 

「別に仲直りってほど仲悪かった訳じゃないわよ……」

 

 

 リィンと顔を見合わせた後、頬を赤く染めながらそっぽを向くアリサを見てグランは確信する。成る程これがツンデレか、そしてリィンは早くもアリサを攻略しているのだと。

 

 

「いいなぁ、オレも美少女とイチャイチャしたいなぁ」

 

 

「だだだ、誰がイチャイチャよ!」

 

 

「……」

 

 

 グランの呟きにアリサが顔を真っ赤にし、その様子を見てリィンとエリオットが苦笑いを浮かべる中、ラウラは一人無言でグランの顔を見つめていた。メンバーの中で唯一その事に気付いたサラは、含み笑いを浮かべながらグランの肩へと手を回し始める。

 

 

「なーんだ、あんたも青春してるんじゃない♪」

 

 

「何がですか、しかも含み笑いとかキモいからやめてください」

 

 

 サラが何処か嬉しそうに笑みを浮かべている理由を、グランは知るよしもない。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

‌‌

 

紫電(エクレール)の君……まさかこんな所でお目にかかることが出来ようとは」

 

 

 駅の入り口から少し離れた場所で、リィン達と仲良さげにしているサラを見つめる人物がいた。貴族のような外見をしたその男は、サラに向けていた視線をリィン達士官学院の生徒へ変える。そして視線を移す中、グランの顔を見つけるとニヤリと口元を曲げ、尚も呟いた。

 

 

「それにしても……興味深い雛鳥達を連れているかと思えば、成る程。『紅の剣聖』が士官学院に入ったという噂は本当だったか」

 

 

 男はグラン達の方に向かって一礼すると、街道の奥へと消えていく。そして男の気配に気付いたのか、その背中を遠目に見ているグランの姿があった。彼は男の去っていった街道の先を見つめながら、物凄く嫌そうな顔をしている。

 

 

「──おい、何であの変態がいる」

 

 

「どうしたんだグラン、置いていくぞ?」

 

 

「悪いリィン、今行くわ」

 

 

 グランは此度の実習に果てしなく嫌な予感を感じながら、リィン達と今回世話になる予定の宿屋へと向かうのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 宿酒屋、《風見亭》。今回の実習にてリィン達A班が一晩お世話になる場所だ。昼前のこの時間、店内には早めの昼食に訪れている客の姿がちらほらと窺え、中には早くもビールを飲んでいるものまでいた。いたと言っても一人だけだが、その人物は何と帝国の由緒正しき士官学院の教官。勿論、リィン達《Ⅶ組》の担任であるサラ=バレスタインその人である。

 

 

「ぷはぁーっ! 仕事の後の一杯は、やっぱり格別よねー!」

 

 

 などと宣いながらリィン達の目の前でグビグビとビールを口にするサラ。全くもって教官の威厳など欠片もないが、この人はこういう人間だからしょうがない。サラがご機嫌につまみを頬張りながらビールを口にする姿を、グランは呆れ半分羨ましさ半分といった様子で見ていた……

 

 

「ぷはぁー! 本当に旨いっすね、女将さん!」

 

 

「おや、いいのかい? 学生さんがビールなんか飲んで」

 

 

 と言うか既に飲んでいた。サラと隣り合わせに乾杯しながら、完全にグランは満喫している。リィンとエリオットは顔を引きつらせながらその光景を眺め、アリサとラウラに至っては両の手を握り締めて今にも怒りが爆発しそうな程のオーラを漂わせていた。だが、酒が回っているグランにはその様を感じ取る事など出来ない。

 

 

「なーに怒ってんだよ二人共。実習前の景気付けじゃねぇか、一緒に楽しもうや!」

 

 

「まぁ、それもそうね……」

 

 

「ふむ、一理あるな……」

 

 

 グランの陽気な言葉に、何とアリサとラウラの二人が乗っかる。リィンとエリオットは意外な展開に驚きを隠せなかったが、アリサとラウラが次に取った行動ですぐに理解した。ああ、グランの人生が終わったと。

 

 

「最近弓の調子がいいのよねー……景気付けにグランの顔でどれくらいの命中率か確かめてあげるわ」

 

 

「私の剣も先日磨いだばかりでな……景気付けに試し斬りをしても構わぬか?」

 

 

「はい、私が調子に乗りました、申し訳ありません」

 

 

 気がつけば、グランは床に手をついて綺麗な土下座を披露していた。その甲斐あってか店内で二人の武器が使用されることはなく、その一連の出来事を終えた後、女将さんが今日泊まる部屋に荷物を置いてくるといいと進言する。言われるままにグラン達は二階の部屋へと案内されるのだが、そこでまた問題が浮上した。何と本日泊まる部屋にはベッドが五つ、要するに男女が同じ部屋になっていると言うことだ。

 

 

「ちょっと、どういうことよこれ!」

 

 

 アリサがたまらず声を上げる。確かに気持ちは分からなくもない、と言うか年頃の女の子が男子と同じ部屋で寝るのに抵抗があるのは当たり前だ。しかし、彼女は士官学院の生徒である。その延長上になる軍人等では、それこそ男女が同じ部屋で過ごす事などざらだろう。アリサの様子を見ながらラウラはそんな事を考えており、彼女自身リィン達と同室であることについては何の不満もなかった──一つの不安要素を除いては。

 

 

「リィン、エリオット、オレ今まで生きてきて本当によかったと思うわ」

 

 

「おいおい……」

 

 

「あははは……」

 

 

 そう、グランの存在である。士官学院に入ってから一月近く、グランという人間は《Ⅶ組》の中でも特に目立っていた。入学初日に行われたオリエンテーリングに加えて先日の実技テストで見せた驚くべき戦闘能力、ラウラはそれプラス一度グランと剣を交えているので尚更彼の実力の高さは印象に残っている。まぁ、それだけなら問題はなかった。問題なのは、彼が目立っているもうひとつの理由について。

 

 

──なぁ、委員長って何カップなんだ?──

 

 

──お、教えられるわけないじゃないですか!──

 

 

──アリサ。リィンと仲直りするためにも、先ずはどういう状況だったのかオレで再現してみよう──

 

 

──どういう理屈よそれ!──

 

 

──ラウラ、今度水泳部の時の水着姿でオレと手合わせしてくれ──

 

 

──なっ!?──

 

 

「──うむ、私もアリサと同意見だ」

 

 

 これまでのグランの言動を思いだし、ラウラの考えは直ぐに否定された。一人浮かれているグランと苦笑いを浮かべる二人をその場に残し、ラウラとアリサは一階のカウンター席でご機嫌モードのサラへと詰め寄る。男女別にしてくれと。

 

 

「同じ学生なんだから、別に仲良くすればいいじゃなーい♪」

 

 

「よくありません!」

 

 

「サラ教官、何とかならないのですか?」

 

 

 アリサとラウラが余りにも必死だったからか、サラはビールを飲むのを中断すると二人と向き合って同室にした理由を説明し始めた。一つはラウラの考えていた通りの事で、いざ軍人になって男女同室が無理などというのは話にならないから。そしてもう一つは、サラ個人の考えによるものだった。

 

 

「グラン……あの子は、あなた達から見てどんな風に見える?」

 

 

「どんな風にって……本当に男の子なんだなってくらいかしら?」

 

 

「そうね。以前の彼からは想像できないくらいだけど……因みにラウラは、グランがどう見えた?」

 

 

 サラの言葉に、ラウラは以前旧校舎の前でグランと剣を交えた時の事を思い出していた。太刀筋、戦闘運び、どれも自分とほぼ互角……それ以上のものを持っているようにラウラは感じた。故に、ラウラはあの時グランに聞いてしまった。真剣勝負にもかかわらず、実力を隠して遊んでいるような気がしたから。

 

 

──そなた、どうして本気を出さない?──

 

 

 しかし、返ってきた答えはラウラの想像していたものとはまるで違った。出さないんじゃない、出せないんだと。その言葉と背中からは、自分ではどうしようも出来ない事への歯痒さ、苛立ち、そして──

 

 

「自分が信じた道の上を、後悔しながら歩いているように感じました」

 

 

「へぇ~……」

 

 

「成る程、グランと何かあったみたいね」

 

 

 アリサが一人ラウラの顔を見て笑みを浮かべる中、サラはその言葉を聞いて立ち上がるとラウラの肩へ手をのせる。サラの目からはラウラの考えを肯定しているかのような意思を感じ、彼女もまたそれを感じ取っていた。

 

 

「その調子で、あの子の事よろしく頼むわね。それと……《Ⅶ組》の男連中に、特にグランには寝込みを襲うような甲斐性は絶対ないから安心しなさい」

 

 

 最後にグランに巻き込まれた感じで他の男子メンバーまで散々な言われようだが、話を終えたサラは席に着くとまたビールを片手につまみを食べ始める。結局何だかんだはぐらかされた形で男子と同室になることが決まった二人だが、一人には収穫があったようで、最初ほど機嫌は悪くない。

 

 

「ラウラも女の子だって事が分かったし、今回は良しとしようかしら」

 

 

「む、それは一体どういう意味だアリサ?」

 

 

 二人は暫くガールズトークに花を咲かせた後、二階から降りてきたリィン達三人と共に初めての実習へと取り掛かるのだった。

 

 

 




どうも、いちご亭ミルクこと、いてミです。
今回の話書いてて思った……あれ、このままだとヒロインラウラじゃね?


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グランの力とラウラの心

 

 

 

 リィン達は風見亭のカウンター席にいるサラから課題の書かれた紙を受け取ると 、店を出てそれを広げていた。目を通すと、用意されていたものは薬の材料調達、壊れた街道灯の交換といったお手伝いのような依頼に加え、街道の魔獣退治という危険を伴う依頼もある。《Ⅶ組》ならではの特別なカリキュラム……内容だけ見ると魔獣退治を除いてはそれほど難しくないように思え、これが特別実習なのか?と一同は拍子抜けしていた。この実習にどういった意図があるのだろう……皆が考える中、リィンは思い出したように口を開く。

 

 

「そういえば、自由行動日に俺が生徒会の手伝いとして受けた依頼も似たようなものだった……もしかしたらサラ教官は、依頼を通してその街や土地の実状を掴ませようとしているのかもしれない」

 

 

 リィンが話しているのは、先日の自由行動日に生徒会から手伝いを頼まれて依頼をこなしていく内に、トリスタの街の地理や状況がかなり把握できたというもの。アリサやラウラ、エリオットがその考えに成る程と納得する中で、グランはまた違う事を考えていた。それは、似たような事を生業にしている集団を思い出したからだ。

 

 

「しっかし、サラさんも遊撃士(ブレイサー)みたいな事させるんだな」

 

 

「っ……!? 遊撃士か、その発想はなかったな」

 

 

「ほう……グランも案外と考えを廻らせているのだな」

 

 

 グランの考えにリィンとラウラが感心し、エリオットが横で「そういえば最近見なくなったよね」と口にする。遊撃士協会(ブレイサーギルド)──民間人の保護を最優先とした軍とは異なった組織であり、その本部はレマン自治州と呼ばれる地域にある。支える籠手の紋章を掲げ、民間人の安全を守る組織でもあることから各国の市民には人気が高い。しかし、このエレボニア帝国ではある事件がきっかけで遊撃士の活動が大幅に衰退した。とは言えラウラの実家であるレグラムには遊撃士協会(ブレイサーギルド)の支部があるらしく、鍛練漬けで余り外の世界を見たことのない彼女はエリオットの言葉に首を傾げていた。そして、そんな考えが出てくれば新たな疑問も生まれてくる。

 

 

「でも、どうして遊撃士なのかしら?」

 

 

 アリサの言うように、何故遊撃士の様なやり方を選んだのか。先にリィンが言っていた考えが当たっていたとしても、その土地の実状を把握させるだけなら効率的な方法は他にもある。むしろ歩き回って時間をかけるより、その土地に詳しい者から話を聞くだけで済む話だ。一同が更に頭を悩ませる中、グランはハッと気が付く。朝の仕返しと言わんばかりに、グランはサラの事を話し出した。

 

 

「そりゃあ、サラさんが元遊撃士(ブレイサー)だからだろ」

 

 

 サラの意外な過去。本人のいないところで過去を勝手にバラすのは如何なものかと思うが、こうなったら皆気になってしまう。グランの話によれば、サラは現役時代『紫電(エクレール)』と呼ばれていた凄腕のA級遊撃士だったらしい。どのくらい凄いか……A級遊撃士の数が大陸全土でも二十人くらいしかいないと言えば、その凄さが分かるだろう。だが、それほど優秀だったサラは何故遊撃士を辞めたのか? 話を聞いたリィンはそれが気になり、グランへ問い掛ける。

 

 

「でも、どうしてサラ教官は遊撃士を辞めたんだ?」

 

 

「さ、さあ? 何でだろうな……」

 

 

 リィンのちょっとした疑問に、それを横で聞いていたグランは何故か目線をそらしていた。そんなグランの様子を見て首を傾げる四人だったが、グランが無理矢理この話題を終わらせたことでその理由も分からず終い。そして自分が教えたことは黙っていてくれとグランは付け足すと、実習の課題に取り掛かろうとリィン達に促した。その声に四人が頷いて、最初の依頼内容を聞くためにこの町の礼拝堂を目指して歩き始める中、グランはその四人の背中を見ながら自嘲気味に呟く。

 

 

「──言える訳無いだろ。サラさんが遊撃士(ブレイサー)辞めたのは、オレのせいだなんてよ」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「──どうしてこうなった」

 

 

 ケルディックの西に通った街道、その道中でグランは何故かそんなことを呟いていた。現在グランの周囲には狼のような姿をした魔獣が彼を囲む形で集まっており、その数、実に十二体。魔獣達はグランに向かって威嚇をしながらその距離をじわじわと縮め、今にも飛び掛かりそうな勢いだ。グランはその光景を見てため息をつきながら、こうなった経緯を思い出していた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 グラン達は初めにケルディック礼拝堂の教区長から薬の材料調達の依頼を受け、大市の薬局でベアズクロー、西ケルディック街道に住む農家から皇帝人参を受け取ってきてほしいと頼まれる。そして壊れた街道灯の交換も確か西ケルディック街道だったとリィンが思い出し、ケルディックにある工房『オドウィン』で同様に依頼を受けた。新しい街道灯を受け取り、取り替え時に入力が必要な解除コードの番号を教えてもらうと五人は町を出て西ケルディック街道へと足を踏み入れる。

 

 

「列車からも見えたけど、近くで見ると圧巻だな」

 

 

 町を出た先、街道には黄金色に染まった広大なライ麦畑の土地が広がり、リィンや他のメンバー達を驚かせた。そして街道ということは当然魔獣も徘徊しているわけで、道中何種類かの魔獣と遭遇する。とは言えリィン、ラウラ、グランの前衛、アリサの弓、エリオットの魔法(アーツ)による後方支援は十分すぎる戦力で、さほど苦労することもなく街道を進んでいく。そんな風に一同が歩いていくと、途中で壊れた街道灯のあるエリアへと差し掛かった。そこでグランが提案する。自分が街道灯を取り替えている間に、農家から皇帝人参を受け取ってきてくれと。

 

 

「グラン、本当に一人で大丈夫か?」

 

 

「任せとけってリィン。さっさと替えてくっから、皇帝人参貰っといてくれ」

 

 

「ふむ、作業自体はそれほど難しいものでは無いようだが……」

 

 

 グランの提案に、リィンとラウラの二人は少し心配しながらも納得。だがアリサはグランが一人で作業するということ自体に不安を抱いており、余り乗り気ではない。

 

 

「何だか果てしなく不安なんですけど」

 

 

「まあまあアリサ、ここはグランに任せてみようよ」

 

 

 結局エリオットの言葉もありアリサは渋々納得。グランはリィンから街道灯の替えを受け取ると、最後に解除コードを教えてもらってリィン達と別れて件の街道灯がある方へと向かう。そして程なくしてその街道灯は見つかり、グランは早速取り替えようと古い街道灯を取り外しに掛かった。だが、そこで問題が起きる。

 

 

「さて、解除コードは──466……の何だっけ?」

 

 

 早くもグランは解除コードを忘れていた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「──女子の感ってよく当たるんだな」

 

 

 回想を終えたグランはそう呟くと、側にある壊れた街道灯へ視線を向けていた。リィン達が向かった農家はここからそれほど距離は離れておらず、余り足踏みしていると直ぐに戻ってきてアリサ辺りから小言を言われるに違いない。そう考えたグランは大きくため息をつくと、手っ取り早く片付けるために闘気を高めようと腰を落とす。その直後、グランは闘気を最大まで解放した。

 

 

「ハアアアアア──ッ!」

 

 

 その瞬間、辺り一帯の空間が震える。グランの放つ闘気はウォークライと呼ばれ、傭兵の中でも一流の腕を持つ猟兵(イェーガー)にしか扱うことはできない。そして彼の使うそれは、父親の異名にあてられてオーガクライと呼ばれる。凄まじいまでのオーラがグランを纏う中、闘気を肌で感じた魔獣達はそれに充てられて次々とその場で倒れ始めた。魔獣が気絶し、無力化したのを認識したグランは徐々に闘気を鎮めると元の状態へと戻る。

 

 

「さて、と……」

 

 

 周囲に倒れている魔獣達に視線を向けていたグランは、その視線を上げて一人の少女へと移す。グランの瞳に映るのは、驚きの表情を浮かべながら大剣を構えるラウラの姿。

 

 

「そなた、今のは……」

 

 

「何でこのタイミングで来るかね……」

 

 

 大剣を鞘に納めて近寄ってくるラウラを、頭を抱えながら見ているグランだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 街道灯の側に生えた木の下で、グランとラウラは顔を俯かせながら互いに幹へもたれかかり、背中合わせに座っていた。暫くの間沈黙している二人だったが、程なくしてグランが口を開く。

 

 

「何で来たんだ? リィン一人で前衛はキツいぞ」

 

 

「心配だから、とアリサに言われてな。依頼の品を受け取る予定の農家は、ここから目と鼻の先。見たところ魔獣もいなかった故、問題ないはずだ」

 

 

 言葉を交わした後、またしても沈黙の時間が流れる。どうやらグランからは何も話す気はないらしく、それを感じたラウラは俯かせていた顔を上げると、グランへと問い掛ける。

 

 

「あれが、そなたの本気なのか?」

 

 

 分かりきった質問だな、と思いながらラウラは口にする。かなりの距離があったにもかかわらず、グランの放った闘気にラウラは体を震わせ、無意識の内にその両手には大剣を構えていた。ラウラ自身、あれほど肌が焼かれるような思いをした経験はない。もしかしたら、闘気だけなら自分の父以上ではと思ったくらいだ。

 

 

「一応な。魔獣以外の相手には使えないが……」

 

 

「どうしてだ? 先程のそなたの力なら、かなりの強者とも渡り合えるのではないか?」

 

 

「──力だけならな。その代わり、今まで培った八葉の剣は、ただの暴力にしかならないが」

 

 

 ラウラはグランの言っていることの意味がいまいち分からなかった。あれほどの闘気にグランの持つ八葉一刀流、二つが合わさればこれ以上の事はない。なのにただの暴力とは一体どういうことだろうか。ラウラが考えを廻らせていると、今度は逆にグランが問い掛ける。

 

 

「一つ、参考までに聞いておきたい……ラウラの考える、力を持つ者の条件って何だ?」

 

 

「それは……力なき者を、私の住む故郷のレグラムで言えば、領民を守るために振るう事を言うのだと思う」

 

 

「そうか……ラウラは持ってるんだな。ラウラなら、いつか『光の剣匠』を越えることが出来るとオレは思うぞ」

 

 

「……そなたに感謝を。因みに、グランの考える条件とはどのようなものだ?」

 

 

 グランの言葉にラウラは頬を微かに紅潮させ、聞き返す。興味があるのだ。グランのような、自分よりも力を持つ者にどのような考えがあるのか。だからこそ、ラウラはグランから返ってきた答えに戸惑うこととなる。

 

 

「──分からないんだ。何を持って条件なのか、オレに欠落しているものが何なのか」

 

 

「えっ……?」

 

 

「知り合いに言われてな。オレには、力を持つ者に必要な何かが欠落してるらしい」

 

 

 らしい、と言うことは本当に何なのかグラン自身分かっていないということだろう。ラウラは後ろに振り返ると、立ち上がったグランを見上げてその背中を視界に捉える。そしてその姿を見て、彼女は旧校舎での一件を思い出した。

 

 

「(まただ。グラン、そなたはどうしてそんな背中を……昔のそなたに一体何があったのだ?)」

 

 

 本当ならもう少し聞きたいところだが、これだけ話してもグランが一向に過去を話さないのは、やはり相当な理由があるはずだ。人の過去を無理矢理聞こうとするほどラウラはデリカシーのない人間ではない。いつかは分からないが、グランが自分から話してくれるその時を待とう。ラウラはそう決めると、同じく立ち上がってグランと視線を合わせ、口を開いた。

 

 

「そろそろアリサ達が戻ってくる頃のようだ。早く街道灯を交換しておこう……因みに解除コードは、466の515だ」

 

 

「……サンキューな、ラウラ」

 

 

 グランはラウラの心遣いに感謝しながら、途中のまま置いていた街道灯の交換を再開するのだった。

 

 

 




チートクライと時間制限はかなりのトラウマでした。因みにグランとサラの実力はほぼ互角ですが、オーガクライを使用した場合は上回ります。単純な戦闘能力はグランが上、経験の差でサラが何とか食らいつける感じでしょうか。


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光刃残月

 

 

 

──ラウラ、壊れた街道灯持っててくれ──

 

 

──うむ、承知した……あっ──

 

 

 農家の人から皇帝人参を受け取ったリィン達三人は、グランとラウラが二人で街道灯を取り替えている姿を遠くから見守っていた。街道灯を手渡した際に互いの手が触れ合ってしまい、ラウラが一人恥ずかしさで顔を赤くしたりする様をアリサがニヤニヤと眺めている中、その隣でリィンが話し始める。

 

 

「へぇ、ラウラってもしかしてグランの事を?」

 

 

「もう一押しって所かしら? 今はまだ剣の道っていう共通点から惹かれている感じがするし。にしても──」

 

 

「リィンって他人の事だと直ぐに気付くんだね」

 

 

 苦笑いを浮かべたエリオットの言葉に、リィンはエリオットが何の事を言っているのか分からず首を傾げていた。アリサは一人深いため息をつきながら、そんなリィンを見詰めている。他人の事を気にしている場合じゃないアリサだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 街道灯の交換を終えたグランとラウラの二人はリィン達三人と落ち合うと、五人でケルディックの町へと向かい始める。そしてその道中、リィン、アリサ、エリオットの三人が並ぶ後ろで会話をするグランとラウラの姿があった。

 

 

「グラン、先程の魔獣との戦いでは中々良い連携だったな」

 

 

「そうか? ラウラならもう少しいけるだろ」

 

 

「ふむ……ではもう一度合わせてみるか」

 

 

 顎に手を当てて考え始めるラウラを見て、余計な事を言ったとグランは苦笑いを浮かべながら頭を掻いていた。結局、その後は魔獣と戦う機会がなくラウラは一人落ち込んでいたが。そして程なく、A班一行はケルディックの西口へと差し掛かる。

 

 

「はぁ、やっと町に戻ってこれたよ……」

 

 

 エリオットは膝に手をつきながらそんなことを口にする。《Ⅶ組》の男子メンバーの中でも体力の低いエリオットには、少々キツかったかもしれない。お疲れ様、と隣にいるリィンが声を掛ける中、その背後にいたグランは頭の後ろで手を組みながら、何を言っているんだとエリオットに話す。

 

 

「おいおい、午後は手配魔獣の退治もあるんだぞ? 帝国男子足るもの、これくらいでへばってどうする」

 

 

「……グランに言われるとは思わなかった」

 

 

「まぁ、グランが言わなくても私が言っていたがな」

 

 

 腕を組みながらそう話すラウラに、エリオットは肩を落としてリィンとアリサへ助けを求めた。二人共苦笑いを浮かべながらエリオットを励まし、五人は一度大市の開かれている場所へ訪れて薬局からベアズクローを入手。その後工房『オドウィン』へ赴いて壊れた街道灯を渡して取り替えの報告をすると、礼拝堂に向かい教区長へ依頼の品を渡した。気が付けば昼を少し過ぎており、そのまま五人は少し遅めの昼食を取ろうということで風見亭を訪れる。そして酔い潰れたサラを遠目にため息をつきながら食事を終えた五人は、午後に行う予定の魔獣退治の依頼を受けようと風見亭を出て町の東にある街道へと向かった。

 

 

「ラウラ、確かサイロって人の依頼だったよな?」

 

 

「よし、グラン。今度こそ試してみるぞ」

 

 

「人の話聞いちゃいねぇー」

 

 

 街道を意気揚々と歩くラウラの後ろではグランが肩を落とし、リィンとアリサ、エリオットが二人の様子に笑みをこぼしながら続く。しかし……街道では何と一度も魔獣と遭遇することなくサイロという名前の人が住んでいる農家へと辿り着いた。またしてもラウラが一人落ち込んでいる中、四人はサイロから魔獣が生息している場所を聞き出し、街道の先へと進んでいく。そして街道の外れに坂があるのを見つけた五人はそれを上り、上がった先の高台──そこで件の魔獣を見つけた。二足歩行で辺りを歩き回るその蜥蜴型魔獣は、時折開いた口から鋭利な牙が見え、凶暴性を感じさせる。五人がそれぞれ武器を構え、魔獣もリィン達の姿を捉えたのか五人の元へと向かってきた。そして、グランが動く。

 

 

「弐ノ型──疾風(はやて)!」

 

 

 戦闘開始、先ずはグランの先制が決まる。気が付けばグランは刀を抜刀した状態で魔獣の後方に立っており、彼のすれ違い様の斬撃は魔獣にダメージを与えるとともにその体を硬直させた。グランの動きに一同が感嘆の声を漏らす中、その隙を見逃さず、刀を納刀しているリィンがそこに続く。

 

 

「四ノ型──紅葉切り!」

 

 

 同じくリィンも魔獣の横を駆け抜け、その際に刀を抜刀して魔獣の体へと一撃を叩き込む。八葉の業の連携──魔獣の体勢を崩すには十分すぎた。

 

 

「アリサ!」

 

 

「任せて!」

 

 

 リィンの声に離れた場所で弓を構えていたアリサは、導力によって形成された矢を正確な射撃で魔獣の胴へと命中させる。そして《ARCUS》を駆動していたエリオットも水のアーツを魔獣に叩き込み、それが弱点だったのか魔獣の苦しむ姿からは中々のダメージを与えていることが窺えた。敵の体力はあと半分近く。ここでグランとラウラがリンクを繋げた。

 

 

「ラウラ、ついてこい!」

 

 

「承知した!」

 

 

 グランが刀を構えて魔獣の背後に接近、ラウラは正面へ躍り出ると二人同時にその体へ強烈な斬撃を加える。あまりの一撃に魔獣が硬直する中、二人は魔獣の周囲を旋回しながら幾重も斬り刻み、その姿はまさに剣舞とよんで差し支えのない息の合った連携だった。そして最後に二人は魔獣の後方へ跳躍、ラウラは大剣を構え、グランは刀を納刀して両者が踏み込みの体勢をとる。

 

 

「はあああああ────!!」

 

 

 咆哮を上げて闘気を高めた二人は一斉に魔獣の両サイドを駆け抜け、ラウラは大剣による一撃を、グランはすれ違い様の居合いによる一撃を与えてその先で立ち止まる。だめ押しの攻撃を受けた魔獣は雄叫びを上げながら消滅し、その後に二人が笑顔で向き合った。

 

 

光刃残月(こうはざんげつ)、そんなところか……ラウラ、今のは完璧だったな」

 

 

「そなたのおかげだ。これからも共に高め合おう、そなたと私なら──」

 

 

 笑顔で握手を交わすグランとラウラ。今回の手配魔獣の退治、ラウラにはとても大きな収穫を得ることができたようだ。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 魔獣退治も終わり、農家にいるサイロへ報告を終えた五人は街道を進み再びケルディックの町へと戻る。町の入り口で領邦軍の人間と会い、騒ぎを起こさない様にと念を押されたリィン達は一通りの依頼を終えたということで風見亭へ戻ろうと歩き出した。しかしその時、町の奥からざわざわと声が聞こえてくる。

 

 

「何かあったのかしら?」

 

 

「ああ、行ってみよう」

 

 

 アリサとリィンの声に続いて残りの三人も頷き、五人は町の奥……ケルディックの名物でもある大市が開かれている場所へと向かった。数々の出店が立ち並ぶ中、リィン達は入り口を入って直ぐにその騒ぎの原因を見つける。道のど真ん中で、二人の男が今にも掴み合いになりそうな勢いで言い争いをしていた。

 

 

「ふざけんな! ここは俺が先に取ったんだぞ!」

 

 

「これを見て分からないのかね? この場所を契約したのは私だ!」

 

 

「んなもん偽物に決まってんだろ!」

 

 

「何だと……!」

 

 

 遂に互いの胸ぐらを掴もうと飛び掛かる二人だが、いつの間にか後ろに回り込んでいたリィンとラウラが羽交い締めにして何とかそれを防ぐ。二人を宥めて落ち着かせ、リィンとラウラも男達を放すと争っていた理由を聞こうとした。そんな時、四人の近くでまたしても言い争いが始まる。

 

 

「おいエリオット! ふざけんな!」

 

 

「えっ!? ちょっと、グランどうしたのさ!?」

 

 

 急にエリオットの胸ぐらにグランが掴みかかり、エリオットは何が起きているのか分からず助けを求めた。アリサが傍で驚き、喧嘩の仲裁をしていたリィンとラウラも何が起きたんだと駆け寄ると、グランはエリオットの胸ぐらを掴んでいたのを放して理由を話し始める。

 

 

「いやー、ラウラがそこの兄ちゃんを後ろから止めただろ? そん時と同じ事アリサもやってくれっかなーと」

 

 

「どうしてよ?」

 

 

「だってさ……当たってたろ、胸」

 

 

「なっ!?」

 

 

 グランがラウラの胸へと視線を向け、ラウラがその視線に頬を赤く染めながら両腕で胸を隠した。アリサとエリオットは頭を抱えながら、グランはこういう男だったとそのどうでもいい理由にため息をついている。そしてリィンが苦笑いを浮かべながらその光景を眺める中、一同の元に近づいてくる人物がいた。

 

 

「何やら随分賑やかなようだね」

 

 

「元締め!」

 

 

 その老人は、このケルディックの大市を取り仕切っているオットー元締めその人だった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「どうやら君達に面倒をかけてしまったようだね」

 

 

「いえ、そんな事は……」

 

 

 リィン達五人は現在、オットーの家へと招待されていた。言い争いをしていた男達はどうやら商人のようで、同じ場所の使用許可をそれぞれ取っていた事が争いの原因らしい。結局その場所を交替で使用する事で話はついたらしく、騒ぎは一応の終息を迎える。今はそれぞれ用意された場所で店の準備に取りかかっているようだ。そしてその話を聞いている中で、リィンはとある疑問を持った。

 

 

「領邦軍は騒ぎに駆けつけませんでした。自分達と顔を合わせたときはあれほど騒ぎを起こすなと言っていたのに……」

 

 

「そういえばそうね」

 

 

「ふむ……」

 

 

「本当だね、何でだろう?」

 

 

 よく気が付いたね、とオットーはリィンに感心しながらその理由を話し始めた。どうやらここら一帯を治めているアルバレア家──ユーシスの実家から大市の売上税を引き上げられ、それが原因で手取りの減った商人達は生活のため商売に必死になり、今回のようないざこざが度々起こり出したらしい。オットーは大市の評判が下がることによる客足の減少を不安視して、増税取りやめの陳情を何度も出しに行っているが、アルバレア公爵は一向に考え直す気配を見せないという。そして終いにはアルバレア家の従えている領邦軍は町で問題が起きても見向きもしなくなった、という事だ。本来の貴族が持つべき民を守るという理念から外れているとラウラは眉間にシワを寄せ、リィンとアリサもその現状に呆れていた。そんな中、エリオットがグランの様子を見て首を傾げる。

 

 

「どうしたの、グラン?」

 

 

「──いや。人の上に立つ人間はどの世界も同じ何だってな」

 

 

「なるほど……君はこれまでに色んな場所を見てきたようだね」

 

 

「まぁ、少なくともこのメンバーの中では経験豊富な方ってだけです」

 

 

 淡々と口にしていたグランだったが、リィン達はその言葉から深い怒りのようなものを感じ取っていた。ますますグランの過去が気になってくるリィン達だったが、いつの間にかメンバーから視線を一斉に浴びていることに気付いたグランははぐらかすと話を元に戻す。

 

 

「よし、風見亭に帰ってレポートでも書くかな」

 

 

「うわぁ、明らさま過ぎるよグラン」

 

 

「深くは聞かないけどね。私も人の事を言えた義理じゃないし……」

 

 

「……」

 

 

「オットー元締め、今日はお招きいただいてありがとうございました」

 

 

 リィンがメンバーを代表してお礼を言った後、五人はそれぞれが頭を下げて家を出ていった。そしてリィン達のいなくなった中、オットーは一人呟く。

 

 

「特科クラス《Ⅶ組》──ヴァンダイク学院長が期待しているのも頷けるな」

 

 

 この町の代表は、早くもリィン達に確かな可能性を見出だしていた。

 

 

 




段々タグが詐欺みたいになってきた……早く実習終えて会長出さないとマジでラウラがメインヒロインに……因みにグランのクラフトはこんな感じです。


『疾風』CP20 円L(地点指定)威力S 駆動解除 遅延+35

『残月』CP20 自己 物理完全回避 反撃50%

オーガクライ CP60 自己 STR+50% SPD+50%(5ターン) CP+100


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道化師の接触、七柱からの手紙

 

 

 

 その日の夕方、風見亭のテーブル席で料理を囲みながら談笑するリィン達五人の姿があった。サラはどうやらB班の方でトラブルがあった為フォローに回っているようで、既にケルディックにその姿は無い。そして食事をしながら仲良く話している五人の現在の話題は、それぞれが士官学院を志望したその理由について。士官学院に入った以上、何らかの目的や意図があり、そこで目指すものが各々にはあるはずだ。最初にラウラから話を振られたアリサは、少し考えた後に理由を答える。

 

 

「端的に言うと、自立したかったかしら? 実家と上手くいってないってのもあるけど……そういうラウラは?」

 

 

「そうだな……目標とする人物に追いつくため、といったところだ」

 

 

「誰なんだ? やっぱ光の剣匠か?」

 

 

「この場で名前を出すのは控えておく」

 

 

 アリサが実家と上手くいっていないというのは驚きだ。少し勝ち気なところはあるが、西ケルディック街道でのグランとラウラの一件では密かに気遣ったりと優しい一面を持ち、これまでの言動を見ても余り我が儘を言うような性格には思えない。リィンが一人そんな事を考え、光の剣匠というグランの言葉にアリサとエリオットが首を傾げる中、ラウラは言葉を濁すと話を元に戻した。

 

 

「エリオットは何故士官学院を選んだのだ?」

 

 

「うーん、僕って元々音楽系の進路を希望してたんだけど……何だかなし崩し的にね。そう言えばリィンの志望理由は?」

 

 

「俺か? そうだな、敢えて言うとしたら──自分を見つけるため、なのかもしれない」

 

 

 リィンの志望理由に、一同が様々なリアクションを取る。エリオットはかっこいいと褒め、アリサは意外にロマンチスト何だとからかい、ラウラは感嘆の声を漏らす。そしてグランは……一人爆笑していた。

 

 

「くっはははは! わりぃ、思わず笑っちまった」

 

 

「グラン、今のはリィンに失礼だぞ」

 

 

「くくっ、いや悪かったって。リィンも苦労してんだな」

 

 

「はは……ところでグランは何で士官学院を選んだんだ?」

 

 

 自然な流れでグランへと質問が回ってくる。グランの志望理由、これは四人も気になっていた。実力は《Ⅶ組》の中でも頭ひとつ抜け、正直なところ彼の実力なら今すぐ軍に入っても即戦力として活躍できるだろう。そんなグランがどうしてその軍属に進む過程の士官学院へ入学したのか。何か別の意図が、彼の過去に関わる何らかの理由があるのかとリィン達が考える中、グランは特に気にした様子もなく答える。

 

 

「サラさんが勧めてきたってのと、後は知り合いの助言でな」

 

 

「知り合いというと、そなたがあの時言っていた……」

 

 

「それ。何かと理由をつけて手合わせしたがる、困った人だったな」

 

 

 その人物の話をする時のグランの表情はどこか嬉しそうで、彼の様子からは相当の信頼を寄せているのが見てとれる。遠い目をしながら、多分もう会うことはないと話すグランの横で、ラウラはグランがそこまで信頼を寄せる人物がどの様な人なのかが気になっていた。それを察したアリサは聞き倦ねているラウラを見て笑みを浮かべながら、代わりにグランへと問い掛ける。

 

 

「ねぇ、因みにグランの話してるその知り合いはどんな人なのかしら?」

 

 

「どんな人って、そうだな……会うたびに毎回顔に鉄仮面つけて、ゴツい鎧着てたな」

 

 

「どんな人よそれ……他には?」

 

 

「他には……とんでもなく強い、と言うかそもそも強さの次元が違うと言ったところか」

 

 

 結局最後までまともに相手をしてもらえなかった、とグランが呟いた時は流石に四人も驚いた。アリサとエリオットは想像もできない、とグランの話に口を揃えて驚き、リィンとラウラは一度会ってみたいとその人物に対して様々な想像を広げながら、自分達のよく知る人物について話し出す。

 

 

「グランが言うなら相当の実力者なんだろうな。俺の中ではユン老師ぐらいしか思い付かないが……」

 

 

「うむ、私が知っている中で一番の手練れと言えばやはり父上だな」

 

 

 リィンの話しているユン老師──『剣仙』ユン=カーファイと呼ばれる剣の道では有名な、八葉一刀流の創始者。創始者ということは勿論リィンとグランの師でもある。そしてそのユン=カーファイに劣らず、ラウラの父親も剣の道で有名な『光の剣匠』ヴィクター=S=アルゼイド。名前の通りアルゼイド流の使い手で、これまた帝国最強の剣士と謳われており帝国内でも随一の強さを誇る。グランの説明に皆とんでもない人と繋がりがあるんだとアリサもエリオットも驚くばかりで、その様子にリィンとラウラは苦笑い。そんな中、グランはエリオットの驚いている顔を見てふと思い出した。

 

 

「つうかエリオットの親父も有名じゃないか」

 

 

「む、そうなのかエリオット?」

 

 

「気になるわね」

 

 

「俺も気になるな。グランはエリオットの父さんを知ってるのか?」

 

 

「知ってるもなにも、第四機甲──」

 

 

「わぁー! わぁー!」

 

 

「──んだよエリオット」

 

 

「早く食事を済ませないと、レポートも書かなきゃいけないよ!」

 

 

 必死に話題を変えようとするエリオットを見て、もしかして父親と仲が上手くいってないんだろうかと考えた四人は気を遣い、この話題を終わらした。その後食事も程なくして終え、五人は課題のレポートの作成に取り掛かるために二階へ用意された部屋へと向かう。ラウラはアリサと、グランはリィンとエリオットにレポートの書き方を教わりながら四苦八苦し、終わった頃にはやがて夜を迎える。そして……

 

 

「う~ん……ん? これは──」

 

 

 時刻は零時過ぎ、皆が寝静まる中でふと目が覚めたグランは体を起こし、とある違和感に気付く。ベッドを降りると音をたてないように部屋を出て風見亭を後にし、午前にリィン達と実習で歩いた西ケルディック街道へと向かった。ひんやりと冷たい夜風が頬をなぞる中、グランは街道の途中で立ち止まると星空を見上げながら不意に呟く。

 

 

「──どうしてお前がここにいる、カンパネルラ」

 

 

 その声にクスクスと笑いながら、グランの背後へ何処からともなく現れたのは緑色の髪をした少年。カンパネルラと呼ばれたその少年は貴族のように畏まった礼をした後、グランの横へと並んだ。

 

 

「お久し振り、と言ったところかな?」

 

 

「質問に答えろ。どうして盟主の代行であるお前がここにいるんだ?」

 

 

 親しげに話し掛けるカンパネルラの様子を見るに、この二人はどうやら知り合いのようだ。しかしその声をグランは鋭い目付きで一刀両断。つれないな、とカンパネルラはその声に首を振り、グランの質問に答えた。

 

 

「君と僕の仲じゃないか。勿論君の事が心配で──」

 

 

「ふざけろ。どうせ第二柱のパシリだろうが」

 

 

「あいたたた……なーんて、今回は違うんだよねこれが。『鋼の聖女』から手紙を預かって来たんだけど──どう、気になる?」

 

 

 『鋼の聖女』という単語に眉をびくつかせたグランの目の前で、カンパネルラは右手でつまんだ紙切れをヒラヒラと見せびらかすように棚引かせる。ただじゃ渡せない、と悪戯な笑みを浮かべるカンパネルラの横、グランはまるで何もなかったようにその場を振り返ると、街道の道を引き返し始めた。

 

 

「ちょ、ちょっと冗談だって! これ受け取ってくれないと僕の立場が無いんだからさぁ!」

 

 

「んだったら早く渡せっての」

 

 

 慌て始めるカンパネルラから手紙を受け取ったグランは、溜め息をつきながらその手紙を開く。そして手紙の内容に目を通しながら時折笑みを見せる中、何故かグランの表情が引きつった。その理由は、手紙の後半に書かれていたとある一節。

 

 

──何れ手合わせを願います。その時まで、貴方に足りない物が何か、見つけておきなさい──

 

 

「いやいや有り得ねぇって……何々、せめてこの刀は持っていきなさい? カンパネルラ、何か聞いてるか?」

 

 

「あぁ、これのことだよ。全く、盟主からの授かり物を置いていくなんて──」

 

 

 カンパネルラが手を挙げると、何もない空間から突如鞘に納刀された刀が現れる。それを手に取ったカンパネルラはグランへと手渡し、用を終えたのかグランから少し距離をとった。そして、彼の体を渦巻き状の炎が包み始める。

 

 

「それではごきげんよう。執行者No.ⅩⅥ『紅の剣聖グランハルト』」

 

 

「──もう執行者じゃない。今はトールズ士官学院、一年《Ⅶ組》のグラン=ハルトだ」

 

 

 炎はカンパネルラの体を完全に包み込み、やかて炎が消えると彼の姿はもうそこにはない。一人街道で佇むグランは受け取った刀を鞘から抜き、その刀身を星の光に浴びせていた。怪しく光る刀身を見詰め、グランは一人呟く。

 

 

「妖刀『鬼切』……奴を倒せる力を得るまでは、使わないつもりなんだけどな」

 

 

 刀を鞘に納めたグランは、それを腰に携えて風見亭へと引き返すのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 朝日が窓から差し込み、ベッドで横になるグランの肌を刺激する。眩しさに目を覚ましたグランは大きなあくびをして体を起こすと、部屋の中を見渡した。隣に二つ並んだベッドには既にリィンとエリオットの姿がなく、よく見ればアリサ達が寝ていたベッドとの間に掛けていたカーテンも無くなっている。もしかして自分だけ置いていかれたんじゃないかと焦り、大慌てでベッドから降りると部屋を出て風見亭の一階を見下ろした。するとテーブル席で朝食を取るリィン達四人の姿を見つけ、ホッとしたグランはゆっくりと階段を下りる。そして、食事をしていたリィン達もグランの姿に気付いたようだ。

 

 

「おはよう皆……リィン、お前早起きなんだから起こしてくれよ」

 

 

「おはようグラン。起こそうと思ったんだが、よく眠ってたから何だか忍びなくて」

 

 

「本当によく寝てたよね。もしかしてグラン、一人だけ夜更かしとかしてた?」

 

 

 エリオットの言葉に図星のグランは目をそらし、アリサとラウラからは冷たい視線が向けられる。そのせいかグランの額にはだらだらと冷や汗が流れ始め、その様をエリオットが苦笑いで見ている中、リィンがグランに席へ座るように促して食事を再開した。

 

 

「まあまあ二人とも……それよりグラン。朝起きたときにグランの刀が二本に増えてたんだが、いつ手に入れたんだ?」

 

 

「昨日の夜中に街道で散歩してたら拾ってな。これが使い物にならないのなんのって──」

 

 

「全く、やっぱりグラン夜更かししてたのね」

 

 

「アリサ、気にする部分が他にもあると思うのだが……」

 

 

 そんな感じで五人が談笑していると、急に店の外がざわざわと騒ぎ始めた。そして店の外にいた女性の従業員が風見亭の中に入り、彼女の話では何やら大市の方で揉め事が起きたらしい。食事をしていたリィン達五人は食事の手を止めると、一斉に立ち上がってそれぞれ視線を合わせる。

 

 

「昨日の事もある。一先ず様子を見に行こう」

 

 

 リィンの声に四人が頷く。そして五人は風見亭を出ると、昨日訪れた大市へ向かうのだった。

 

 

 




妖刀鬼切……因みに名付けたのはグランです。これでグランが倒そうとしている人物はほぼネタバレですね。オルキスタワーの一件はどう繋げていこうかな……


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ルナリア自然公園突入

 

 

 

 窃盗事件、簡潔に話すとそれが大市で起きていた騒ぎの原因だった。昨日大市で言い争いをしていた男二人の店が荒らされ、商品を根こそぎ持っていかれたらしい。互いが互いを犯人だと責め立て、その場に居合わせたオットー元締めやリィン達五人でも宥めることが出来なかった。しかしその時、領邦軍の兵士が現場に訪れて二人の言い争いを終わらす。だがそれはかなり強引な解決方法で、言い争いを止めなければ二人共領邦軍の詰所へ連行する、というもの。捕まることを恐れた男二人は大人しくなり、それを確認した兵士達は詰所へ、野次馬達は買い物の途中だったのか散り散りになる。そんな中、オットーが二人を励ます近くで、リィンが怪訝な顔をしながら此度の違和感を話した。

 

 

「どうして今回に限って領邦軍が来たんだ? オットー元締めの話では、今までに何度か問題が起きても見向きもしなかったそうだが……」

 

 

「確かに怪しいわね」

 

 

「ふむ……」

 

 

「うーん、ねぇグランはどう思う……? グラン、どうしたの?」

 

 

 リィンの言葉に各々が頭を悩ませる中、エリオットは隣に立つグランへと話し掛けるがそのグランから返事はない。不思議に思ってグランの顔を覗いたエリオットは、彼の表情を見て驚いた。それもそのはず。グランが、ある一点を怒りの形相で睨み付けていたからだ。

 

 

「──腐ってやがる。奴等確信犯だぞ」

 

 

 グランの視線を追った四人は、その視線の先に立つ領邦軍の兵士達が自分達の方を見ながら笑みを浮かべている事に気付く。そして歯軋りをするグランはその姿に我慢の限界が来たのか、腰に携えている刀に手を当てて踏み込みの体勢に入る。しかしそんなグランの手に、彼の取ろうとしている行動を制するように手を重ねる者がいた。

 

 

「グラン」

 

 

「……ラウラ、その手を退けてくれ」

 

 

「そなたの気持ちは分かる。だが領邦軍の兵士を痛め付けたところで、此度の問題が解決するわけではなかろう」

 

 

 ラウラの声に、グランは怒りを鎮めて冷静に考えてみる。確かに今領邦軍の兵士に斬りかかったところで、解決するのは一時的な怒りだけ。勿論問題行動として領邦軍に捕らえられ、皆に迷惑をかけてしまう。それに何よりオットー元締めの立場も悪くなるかもしれない。先日彼の家に訪れている以上、何らかの意図があったとこじつけられてしまうのは目に見えている。だからこそ、ラウラの言葉に感謝しながらグランは構えを解いた。

 

 

「……悪い、助かったよラウラ」

 

 

「気にしなくともよい。そなたのその怒りは、そなたの心の純粋さ故だ」

 

 

 微笑みながら話すラウラのその言葉にグランが照れて頬を赤くする様子を、他の三人がからかうという何とも奇妙な光景が広がるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 大市での窃盗事件。オットーからは気にせず実習に励むようにと言われたリィン達だが、やはり今回の事件に領邦軍が一枚かんでいる事は明白で、五人も気にせずにはいられなかった。結局諦めかけていたオットー達に事件の調査をする事を了承してもらい、独自に調べ回ったリィン達は幾つかの証言を得る。被害を受けた二人の商人、町の教会の前のベンチに座る女の子、そして酔っ払い。特に酔っ払いの証言は、夜中に大きな木箱を抱えた若い連中が西ケルディック街道へ走っていったというもの。その証言である推測を立てた五人は現在、先日の依頼で通った西ケルディック街道を歩いていた。農家のある場所を過ぎ、傾斜のある道を上がった先に目的の場所はあった。

 

 

「『ルナリア自然公園』……酔っ払いの話なら、奴等はここに盗んだ物を隠したんだよな?」

 

 

 グランの声にリィン達四人が頷き、改めて目の前の光景を見渡す。自然公園の入り口は鉄格子に南京錠とその道を固く閉ざされ、町の酔っ払いから話に聞いていた自然公園の管理人は何処にも姿が見えない。入り口に近寄った五人はどうしたものかと周囲を見渡し、そんな中リィンが目の前に落ちている何かに気付いた。

 

 

「これは……」

 

 

「ちょっと見せて……間違いない。大市で盗まれた物と同じだわ」

 

 

 リィンが拾った工芸品をアリサが手に取り、彼女はそれをじっくりと観察して確信する。今回盗まれた商品と同じ物だと。そして、それはこの自然公園の奥に盗品を隠しているという確固たる証拠に他ならない。五人は鉄格子の先を見据える……この先に、もしかしたらこの事件の犯人がまだいるかもしれない。だが奥に進むためには南京錠をどうやって解錠するかが問題だ。アリサとエリオットがどうしようと考える中、ラウラが手っ取り早く壊そうと大剣を鞘から抜くがその時リィンがそれを制した。

 

 

「ここは、俺に任せてもらえないか?」

 

 

 リィンは鉄格子の前に立ち、目を閉じると腰を落として抜刀の構えを取る。数秒による精神統一。そして沈黙の後、リィンはその目を見開いた。

 

 

「四ノ型──紅葉切り!」

 

 

 リィンによって振り抜かれた鋭い一閃は、小さな金属音を残して再び沈黙を生んだ。南京錠には何の変化も起きず、失敗したのかとアリサとエリオットが心配する中、それは杞憂に終わる。南京錠は綺麗に真っ二つに分かれ、地面へと落ちていく。

 

 

「うむ。八葉の妙技、見せてもらったぞ」

 

 

「はは、初伝クラスの技だけどな」

 

 

「謙遜すんなって。とても初伝には思えない技のキレだよ」

 

 

「グラン……からかわないでくれ」

 

 

 一先ずこれで自然公園の先に進むことが出来るようになった。グランにバシバシと背中を叩かれて困惑するリィンを、エリオットが助けると五人が中へ進み始める。そして自然公園の敷地内を歩きながら、五人は周囲の様子を見渡す。

 

 

「これは凄いな」

 

 

 リィンがその光景に思わず呟く。流石自然公園といったところか。草木が生い茂る道は緑の天井から漏れる日の光によって幻想的な雰囲気を作り出し、至る所に建つ石碑のようなものが更にその光景を神秘的に見せていた。各々が風景に見惚れる中、道を進んでいくと少し広い場所に出て突然笛のような音が周囲に響き渡る。五人がその音に首を傾げていたその時、リィン達の元に忍び寄る影が。五人は早速魔獸と遭遇した。

 

 

「こいつはまた面倒なのが出てきやがったな」

 

 

 グランの呟きに四人は一斉に武器を構えた。五人の視線の先、頭に二本の角を生やした大型の猿型魔獸が八体その道を塞いでいる。そして後ろからも同じ魔獸が四体、五人の逃げ道を塞ぐように取り囲む。この時は、珍しくグランが顔をしかめながら舌打ちをした。

 

 

「ちっ……クロスベルで見た奴と比べるとそうでもないが、この戦力じゃちとキツいぞ」

 

 

「しかし、退路を塞がれてしまってはどうしようも……」

 

 

「(このままでは……こうなったら、あれを使うしか──)」

 

 

 冷や汗を流し始めるラウラとリィンの傍で、アリサとエリオットの二人は弓と魔導杖を握るその手を震わせていた。そして何かを決意したリィンが一歩前に踏み出そうとしたその時、グランがリィンの前に躍り出てそれを制す。

 

 

「オレが前方の四体を斬り崩してその間に道を作る。あれを怯ませたその隙に、四人で一斉に駆け抜けろ」

 

 

「何を言ってるんだグラン! そんな事出来るわけ……」

 

 

「そうだよ! いくらなんでもグランを犠牲にするなんて!」

 

 

「他に何か方法があるはずよ!」

 

 

 リィン、エリオット、アリサの三人はグランの作戦を全力で否定する。自分が囮になっている間に先へ進めなど、ここにいる三人が認めるはずがなかった。しかしこのままではメンバー全員が大きな負傷を、もしくは全滅する可能性もあることを視野に入れるとその作戦を取り消す訳にもいかず、この先に犯人がいる事も含めて諦めるわけにもいかない。リィン達が何か方法はないかと考えを廻らす中、ジリジリと近寄ってくる魔獸達と睨み合いながらラウラが口を開く。

 

 

「グラン、本当にそなたにこの場を任しても大丈夫なのだな?」

 

 

「ああ。四人を行かせた後、必ず退路を見出して追いかけると約束する」

 

 

 ラウラがグランの作戦で妥協する。勿論他の三人は何を言っているんだと叫ぶが、もうそれしか方法がないのは事実だ。故の妥協。リィン達三人は危ないと揃って口にするが、グランの笑みを見て無事を確信したラウラは三人を言い包めると武器を構える。そしてそれを確認したグランは刀を抜くと先の魔獸へ鋭い視線を向け、踏み込み体勢に入った。

 

 

「秘技──裏疾風!」

 

 

 八体の内、道の中央にいる四体に向かってグランは駆けた。直線上に放ったすれ違いの斬撃、それは四人が今までに見たことのない速さ。動体視力に自信があるリィンですらその姿を捉えることが出来なかった。次々と魔獸が苦しみ始めて地に伏せるその姿に、リィン達四人は驚きを隠せない。そして傍へ戻ってきたグランが直後に魔獣達へ斬撃波を放ち、追撃の一振りを終えて叫ぶ。

 

 

「──走れ!」

 

 

 その声に我に返った四人は一斉に駆け出す。魔獸による包囲網を潜り抜け、何とかその先へと進むことが出来た。しかし、四人の傍にグランの姿はない。彼は未だに魔獸達に囲まれたままだ。そしてその姿を見た四人は……先に進むことなく残った四体の魔獸に向けてそれぞれ武器を構え始める。その姿にグランは先に進めと声を荒げたが、リィン達四人はグランの声に笑みで返した。

 

 

「最初はそう思ったんだけどな……」

 

 

「先程のそなたの一撃で、四体の魔獸は既に事切れている……ならばこの状況、恐れるに足らん!」

 

 

「グランにばかりいい思いなんかさせないわよ!」

 

 

「その通り!」

 

 

 グランは笑みを浮かべながら、後方にいるもう四体の魔獸に体を向ける。こんな気持ちは久方振りだと、こんなに温かい気持ちを覚えたのは何年前が最後だろうかと考えながら、自分の背後にいる魔獸の向こう側、リィン達に向かって叫ぶ。

 

 

「背中は預けたぞ!」

 

 

「ああ!」

 

 

「直ぐに片付けて援護に回る!」

 

 

「行くわよ、みんな!」

 

 

「後方支援は任せて!」

 

 

 五人と八体の魔獸による戦闘が、再び開始される。そしてものの数分で魔獸達を片付けた五人は、大市の盗品とその犯人がいるであろう先の道へと進んでいくのだった。

 

 

 




あれ?書いてく内にラウラに段々惚れていく自分が……もうヒロインラウラでいいや(嘘です)

因みにまたまた新クラフト……といっても風の剣聖が使いますが。


『裏疾風(はやて)』 CP30 直線L(地点指定) 威力S+ ×2 遅延+40 物理完全防御不可


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リィンの成長、そして動き始める影

 

 

 

 ルナリア自然公園を進んだ先、リィン達はそこで今回の窃盗事件の犯人と思われる四人の男の姿と盗まれた品が入った木箱を見つける。遠くから観察し、男達の会話を聴くと彼等が実行犯であることは確実。男達を捕らえるために駆け出した五人は彼等の正面へと躍り出ると、両手に抱える銃を構え始めた犯人達を無力化するべくそれぞれが武器を手に取る。戦闘が開始されるが、窃盗犯の四人は大した練度もなく、サラによる武術指導を受けているリィン達四人とグランにとっては相手にもならなかった。即座に無力化に成功、そして盗品の回収とケルディックの人達に謝罪させるため連れていこうとしたリィン達だったが、その時またしても先程の笛の音が何処からともなく鳴り響く。その後に遠くから聞こえてくる魔獸の雄叫び、そして地響き。案の定、リィン達と犯人グループの目の前にはこの自然公園の主と思われる巨大なヒヒが現れた。その傍には、リィン達がここに来る途中に戦った魔獸も数体ほど見受けられる。

 

 

「流石に彼等をこのまま放ってはおけない」

 

 

「あらま、綺麗な陣形なことで……」

 

 

「致し方ない。先にこの魔獸を片付けるぞ」

 

 

 リィン、グラン、ラウラの三人はまるで統率されたように横に並ぶ魔獸の群れに対して武器を構える。アリサとエリオットはリィン達の後ろ、無力化された事で身動きの取れない犯人グループの前に立って後方支援の陣形に入った。そして巨大なヒヒが雄叫びを上げたその瞬間、グランが高速で群れの側面に回り込む。今のグランにとって魔獸の群れは直線上、最早勝負は決まった。

 

 

「秘技──裏疾風!」

 

 

 グランの姿が消える。超高速で接近、次々と斬撃を浴びせて駆け抜けた彼の技は魔獸達に絶大なダメージを与えた。グランが元の位置に戻り、追撃の斬撃波を決めたその時には殆どの魔獸が瀕死の状態。《ARCUS》を駆動していたアリサとエリオットによる火と水のアーツで残りを仕留め終わる。だが、唯一グランの攻撃を受けて立っている魔獸がいた。群れの中でも一際巨大なヒヒが未だ立ち尽くし、周囲に威嚇をしている。

 

 

「気を付けろ! このデカぶつ異様に硬いぞ!」

 

 

「分かった! 行くぞラウラ!」

 

 

「承知!」

 

 

 続いてリィンとラウラが巨大なヒヒへと駆け出し接近、それぞれ刀と大剣による斬撃を加えた。しかし二人の攻撃は魔獸の巨大な腕によって防がれ、魔獸が腕を振り払う事により大きく後方へと飛ばされる。空中で上手く体勢を整え着地したものの、魔獸のカウンターは確かにリィンとラウラへダメージを与えていた。魔獸が追撃をしようと二人へ向かって駆けるがそれをグランが横から牽制、その間にアリサとエリオットがすかさず回復のアーツを二人へとかける。

 

 

「大丈夫!?」

 

 

「助かったアリサ!」

 

 

「エリオット、そなたに感謝を」

 

 

「ううん、任せて!」

 

 

「早く手伝ってくれっ!」

 

 

 四人が声を掛け合う間に魔獸の攻撃をかわしていたグランは、一人冷や汗を流しながら尚もその攻撃を捌き続ける。そしてリィン達が加勢するタイミングを見計らう中、魔獸の大振りな一撃を顔すれすれで回避したグランが動く。伍ノ型『残月』、抜刀による一閃は確かに魔獸の体勢を崩した。その隙をラウラが見逃すはずがない。

 

 

「はあああああ──!」

 

 

 駆け出したラウラは魔獸の懐に飛び込む。グランに目で合図をして彼が傍から離れたのを確認するとラウラは大剣を振りかぶり、未だ仰け反っている魔獸の胴へと叩き込んだ。

 

 

「奥義──光刃乱舞(こうじんらんぶ)!」

 

 

 流れるような動作から繰り出される大剣による三連撃。一つ一つに高い威力を秘めたその攻撃は、確実に魔獸の身体へとダメージを蓄積させていく。最後の一撃を振り抜いたラウラは後方へと跳躍、横に立つリィンへ追撃を任せた。

 

 

「頼んだぞリィン!」

 

 

「くっ!……」

 

 

 しかしリィンは踏み込めずにいる。この戦いの中でリィンは何かを掴みかけていたのだが、未だにそれが掴めていない。リィンが攻め倦ねている間にも魔獣は態勢を整え、このままでは硬直状態になってしまう。せっかく与えたダメージも回復され、戦況が振り出しに戻ってしまうその前に何とか仕留めなければならない。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるリィンの視線の先で、リィンの心境を察したグランが捨て身の猛攻を仕掛ける。

 

 

「(頼むぞリィン……)はあああああ──!」

 

 

 グランが闘気を高めて直後、魔獸の周囲を縦横無尽に駆け回る。時折残像を残しながら幾重も魔獸の身体を斬り刻み、悶え苦しむ魔獸の様子を片目で見ながら一向に止めようとしない。そして連撃の末、魔獸が大きく体勢を崩した。グランは魔獸の真上へと跳躍し、刀を両手持ちに切り替えるとそれを上空に高々と振り上げる。

 

 

「奥義──閃光烈波(せんこうれっぱ)!!」

 

 

 急降下と同時に魔獸へその一撃を振り下ろす。強烈な一振りをグランが叩き込んだ事により魔獸は大きく体力を削られ、瀕死の状態に陥った。そしてそれが魔獸の潜在能力を呼び起こしてしまったのか、魔獸は直後に大きな咆哮を上げてグランに向かいその腕を振りかぶる。しかし、グランは攻撃後の硬直で腰を落としたまま回避することができない。ラウラが、アリサが、エリオットが、繰り出される一撃を予感してグランの名前を叫んだ。そんな中、今までじっと目を閉じて集中していたリィンがその目を見開く。

 

 

「……掴んだ!」

 

 

 リィンの持つ刀に焔が纏い始める。高速で魔獸へと肉薄したリィンは炎の斬撃をその身体に次々と加え、魔獸の胴を焼き尽くす。そして、刀を両手に持ち変えたリィンは渾身の一撃を繰り出した。

 

 

「斬──ッ!」

 

 

 駆け抜け様に与えた一撃は魔獸の体力を大きく奪い、魔獸は最後に断末魔を上げてその場で崩れ落ちていく。緊張の糸が解れた瞬間だった。アリサとエリオットは大役を果たしたリィンの元へ笑顔で駆け寄り、次々にリィンに称賛の言葉をかけている。グランはそれを遠目に笑みを浮かべて立ち上がると、傍へ駆け寄ってきたラウラとハイタッチを交わした。

 

 

「全く、とんだ無茶をする。そなただけでも事なきを得ただろうに」

 

 

「結果オーライだろ。第一オレがあれを倒したところで、何か得るものがあったとは思えないしな」

 

 

 無事に魔獸を倒した五人は互いを称賛し合った後、改めて窃盗犯の元へ近寄った。四人とも先の戦いを見て戦意喪失したのか、既に抗う様子を見せない。そしてリィンが四人へ大市の人達に謝罪してもらうぞ、と声を掛けたその時だった。ホイッスルの音が鳴り響き、直後にやってきた領邦軍の兵士八人がリィン達五人の周りを取り囲む。そして両手で持った銃をリィン達に向けてその動きを制限すると、そこに隊長の男が現れた。リィン達が困惑する中、ラウラは男に問う。

 

 

「取り囲むのは彼等の方ではないのか?」

 

 

「何故だ? 彼等がここにある商品を盗んだという証拠は何処にもない。それに──盗んだという点なら、お前達にもその容疑はある」

 

 

 ラウラの問いに、隊長の男は何と今回の窃盗事件の犯人はリィン達五人にも容疑があると言い出した。笑みを浮かべながら話すその様子は最早確信犯としか言えない。アリサとエリオットは男の言動に呆れ果て、リィンとラウラが領邦軍の兵士達に鋭い視線を浴びせる。そして兵士達がリィン達五人を拘束しようと詰め寄ったその時、彼等の持つ銃全てが突如バラバラになった。刀を納刀する音が聞こえ、その場にいる全員の視線がグランへと向けられる。

 

 

「貴様、今何を……!?」

 

 

「──弁えろよ。揃いも揃ってこの様か……今度は全員のその首を落とすぞ?」

 

 

 グランから発せられる殺気がこの場を一瞬で支配した。領邦軍の兵士達は向けられた殺気に恐れをなして後退する。リィン達は自分に向けられているものではないと分かっていても冷や汗が止まらない。このままでは拙い、間違いなく隊長の男は無事ではすまない。危機を感じたリィン達がグランに声を掛けようとした正にその時、ある人物によって張りつめた空気はやぶられる。

 

 

「そこまでです。ここから先は、我々鉄道憲兵隊が引き受けます」

 

 

 軍服姿の綺麗な女性が水色の髪を棚引かせながら、五人の女性軍人を引き連れて一同の元に現れるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 クレア=リーヴェルト、それがリィン達の目の前に現れた女性の名前だ。階級は大尉、導力演算器並の頭脳と称され、その卓越した指揮能力から『氷の乙女(アイスメイデン)』と領邦軍から恐れられる鉄道憲兵隊きっての切れ者。そんな彼女が、何故あの場所に現れたのか。どうやらケルディックは帝国の鉄道網における中継地点の一つで、そこで起きた事件については領邦軍だけでなく鉄道憲兵隊にも捜査権は発生するという。つまり今回大市で起きた窃盗事件の調査で赴いたらしい。領邦軍の隊長はそれを聞いて苦虫を噛み潰したような顔をすると隊員を率いて撤退。リィン達五人は、クレア大尉から調書を取るため同行してほしいとお願いされる。状況説明から始まり、商人達とオットー元締めへの事件の報告、全てが終わった頃には空が茜色へと染まり、リィン達はケルディックの駅の前でオットー元締めとクレア大尉に見送られていた。

 

 

「君達には感謝してもしきれない。今回は、本当にありがとう」

 

 

「そんな、自分達は出来ることをやっただけで──」

 

 

「謙遜することはありません。此度の窃盗事件は紛れもなく、皆さんによって解決されたのですから」

 

 

 元締めの言葉にリィンを始め照れている五人だったが、クレアの称賛の言葉には五人も自然に笑みを浮かべていた。初めての特別実習は、リィン達に様々な経験をもたらし、帝国の現状を改めて認識させる。もしかしたら、サラはこういった帝国の実状をリィン達に見せるために特別実習というカリキュラムを作ったのかもしれない。今回の実習で考えさせられるものがあったリィン達は各々意見を話しているが、その横でクレアがリィン達五人の会話へ割って入る。

 

 

「もしかしたら、私は余計な事をしたのかもしれませんね。領邦軍が駆けつけた後の対処も含めての、特別実習だったのかもしれません」

 

 

──流石にそこまでは考えてなかったけどね──

 

 

 一同の元に聞こえてきた声は、リィン達に聞き覚えのあるものだった。声の方へ皆が視線を向けると、そこには歩み寄ってくるサラの姿が。B班のフォローを終えたサラは、たった今駆けつけたようだ。

 

 

「お疲れだったみたいね……二日目の課題はともかくとして、今回の実習内容は大した成果よ」

 

 

 微笑みながらそう話すサラだったが、リィンの中で二日目の課題は、という言葉が引っ掛かる。一日目はサラから直接課題の書かれた紙を受け取ったが、そう言えば二日目は誰からも渡されなかった。リィンが横にいるアリサへと問い掛ける。

 

 

「二日目の課題……アリサは知ってたか?」

 

 

「知らないわよそんなの……ラウラは?」

 

 

「ふむ……私も心当たりがないな。エリオットはどうだ?」

 

 

「僕も知らないよ……グランは?」

 

 

 そして皆の視線を受けたグランは少し考える素振りを見せた後、ダラダラと額から汗を流しながら制服の胸ポケットへと手を伸ばした。そして出てきたグランの手には、初日にサラから受け取ったものと同じ、トールズ士官学院の紋章の入った紙が。

 

 

「──女将さんから受け取ってたの忘れてたわ」

 

 

 その後、グランがアリサとラウラから小一時間説教を受けたのは言うまでもない。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「……」

 

 

 空が漆黒に染まり、町中や街道灯の明かりが目立ち始めた頃。ケルディックからトリスタに向かう列車を丘の上で遠目に見ている人物がいた。その者の手には縦笛が握られており、列車を見詰めながら呟く。

 

 

「『氷の乙女(アイスメイデン)』が出張ったのは想定内だが、『紅の剣聖』……あの男がいたのはやはり分が悪かったか……」

 

 

 だが問題ない、とその人物は続けて呟く。列車が遠くへと進み見えづらくなると、声からして男と思われるその人物は踵を返して暗闇の中へと姿を消していった。

 

 

──全ては、あの男に無慈悲なる鉄槌を下すために──

 

 

 ただ一言、深い憎しみを感じさせる声がその場に残るのだった。

 

 

 




『閃光烈波』 円LL(対象指定) 威力SSS 気絶100%
はい、グランも一応使えます。裏疾風に奥義三連発で漸く倒せるってグルノージャ強すぎww

それと活動報告の方ではアンケート行ってますんでよかったらコメントお願いしますm(__)m


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第二章ーー過去と今ーー
《Ⅶ組》の変化とグランの素性


 

 

 

 五月下旬。トリスタの街に咲き乱れていた花々も盛りを過ぎて散り始め、夜に吹く風が心地よく感じるようになった頃。トールズ士官学院の一年《Ⅶ組》では、様々な変化があった。

 一つはユーシスとマキアスの関係。此方は相も変わらず二人が顔を合わせる度に険悪なムードを漂わせていたのだが、四月の実習の時に一悶着あったのか更に険悪さを増していた。喧嘩が始まれば誰かが止めに入らないと殴り合いにまで発展しそうな事態になっており、最早最悪と言ってもいい。

 そしてもう一つあるのだが、何とリィンとマキアスまで仲が悪くなってしまった。と言ってもマキアスがリィンを一方的に避けている、という状態だが。その理由が、実はリィンが貴族だったからというもの。先月の特別実習の後、リィンが《Ⅶ組》の皆へ自分は貴族だと打ち明けたのだが、どうやら最初の自己紹介の時、マキアスには自分の身分をはぐらかす形で答えていたらしい。リィンが貴族だと知ってからマキアスの態度は一変、リィンと殆ど話さなくなった──とここまではよろしくない変化。

 無論、良い変化もある。それはグランとラウラの仲だ。元々仲が悪かった訳ではないのだが、実習での出来事があってから二人の会話が更に増えた。二人の席は隣同士なため、グランが授業中に寝ようものなら横からラウラが起こし、授業をしっかり受けさせるといった日々。グランには少々ありがた迷惑な部分があるかもしれないが、教官の皆からしたら大助かりで、何よりグランが少しずつ勉強についていけるようになったというのが一番良い変化だろう。

 そして現在、授業の終わった《Ⅶ組》の教室には、部活や他の用事等でいないメンバーを除いた、リィン、グラン、ラウラ、マキアスの四人がいる。本日も丸一日しっかりと授業を受けさせられたグランは、放課後のこの時間に机の上でうつ伏せていた。

 

 

「──終わった。もうやだこのクラス」

 

 

「お疲れ様グラン。今日も大変だったな」

 

 

 グランの席から二つ左隣の席に座るリィンが労いの言葉を掛けているが、弱々しく左手を挙げるのみでグランの気力は殆ど底を尽きていた。グランの右の席では、ラウラがその様子を見て情けないと口にし、それを聞いたリィンは苦笑いを浮かべている。

 

 

「ラウラ、今度からお前のこと鬼嫁って呼んでもいいか?」

 

 

「誰が嫁だ!」

 

 

「フッ……照れるなよ」

 

 

 恥ずかしさで頬を紅潮させるラウラに、調子に乗ったグランが微笑みながらそんな事を口走ってしまう。ラウラが不意に席を立ち上がり、そしてグランがそれを見上げると、彼の目には顔を俯かせて肩を震わすラウラが映った。流石のグランも気付いたらしい、やり過ぎたと。

 

 

「やばっ、じゃあなリィン!」

 

 

「今日こそ……その性根を叩き直してくれる!」

 

 

 危機を感じたグランは逃亡、続いてラウラが頬を赤く染めたままその後を追いかけていく。そして二人が教室を出ていく様子を苦笑いで見ていたリィンは、たった今席を立ち上がったマキアスの方へと視線を向ける。

 

 

「なぁ、マキアス──」

 

 

 リィンがマキアスの背中に向けて声をかけるが、彼は振り向かず、背を向けたまま口を開いた。必要以上に馴れ合う気はない、と。たった一言そう言い残すと、マキアスは教室を退室していく。そしてリィンはその場で一人、深い溜め息をついていた。

 

 

「どうにか、仲直りしないとな……」

 

 

 リィン=シュバルツァー、何とも気苦労の絶えない男である。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「よいしょっと……」

 

 

 学生会館二階、生徒会室。生徒会長のトワはこの時間、書物の整理を行っていた。小柄な体で分厚い本を何冊かまとめて抱え、机の後ろにある本棚へ次々と収納していく。そして最後の一冊を本棚へ納めようとしたその時、生徒会室の窓からコンコンとノックをする音が聞こえてくる。どうして窓から……と不思議に思ったトワは顔を窓へと向けた。

 

 

「ふぇっ!?」

 

 

 トワが驚くのも無理はなかった。何と窓ガラスの向こうでは下からひょっこりとグランが顔を出していたのだ。ここ二階だよね? とトワは頭を混乱させながらも窓を開け、グランを生徒会室の中へと入れる。そして入ってきたグランは疲れていたのか、ソファーに座るとそのまま横に寝転がり始めた。トワはそんなグランを見て少し心配になったようで、傍へ駆け寄るとグランの顔を覗き込む。

 

 

「だ、大丈夫? お水入れよっか?」

 

 

「……」

 

 

「……ん? グラン君、今何か言った?」

 

 

「──トワ会長マジ天使だわ」

 

 

 目を開いたグランは、心配そうに顔を覗き込んでくるトワを見て呟いた。グランの言葉が恥ずかしかったのか、トワは顔を赤らめると誤魔化すようにそそくさと離れてお茶の準備を始める。そんなトワを横目にグランは笑みをこぼした後、漸く顔から赤みが引いたトワが持ってきたお茶を手に取り啜った。

 

 

「グラン君ったら、アンちゃんみたいなこと言うんだから……」

 

 

「……ふぅ。いやいや、オレもアンゼリカさんがトワ会長を可愛がる理由、分かりますよ」

 

 

「もう~、グラン君怒るよ!」

 

 

「おー怖い怖い」

 

 

 最早先輩と後輩の立場が真逆になっていた。頬を膨らますトワの顔は怖いというか可愛らしく、グランも笑顔を浮かべながら彼女をからかっている。暫くそんなやり取りが続いていたが、グランの性格を理解したトワは溜め息をついた後、先程から気になっていた事を横になっているグランへと問い掛けた。

 

 

「はぁ……そういえばグラン君、どうしてあんなところから入ってきたの?」

 

 

「ちょっと鬼ごっこしてまして……」

 

 

「こら、お茶を飲むときはちゃんとお行儀よくしなきゃ」

 

 

 ソファーに横になったままお茶を啜るグランを、トワは苦笑いを浮かべながら体を起こすようにと促す。話を聞いているのかいないのか、トワの顔をぼぅーっと眺めていたグランだったが、そんな中彼の脳裏をある光景が過った。それは、白い長髪をした可愛らしい少女が、トワが今言った言葉と似たような事を口にする姿。

 

 

──こらっ、グランハルト! 食事は行儀よくしなさい!──

 

 

「!?」

 

 

「ど、どうしたの? 何かあった?」

 

 

 急にグランが慌てて起き上がったため、目の前に座るトワは驚くと彼の顔を心配そうに見詰め始める。グランはトワの顔を見ながら瞳を揺らし、明らかな動揺を見せていた。だがそれもほんの数秒、グランは冷静さを取り戻すとお茶を手に取って啜りながら、トワの顔を見て考え事を始める。

 

 

「(誰だ? 今の嬢ちゃんは一体……)」

 

 

「えっと、グラン君? 流石にじっと見詰められると恥ずかしいというか、何というか……」

 

 

「じぃー……」

 

 

「うぅ……絶対わざとだよね?」

 

 

 遂には目を潤ませ始めたトワがグランの顔を見つめ返し、その破壊力抜群の視線にやり過ぎたと気付いたグランだが心を痛めながらも決して視線を外さない。そして幾分かトワの顔を眺めて満足したグランは笑いながら彼女に謝り、トワもそんなに怒っていないようで目を擦りながら笑い返している。その後、トワはグランに学院での生活について尋ねた。

 

 

「グラン君、学院生活は楽しい?」

 

 

「えぇ。トワ会長もよくしてくれますし、以前の生活から比べたら信じられないくらい楽しいっすよ」

 

 

「えへへ……良かった」

 

 

 グランが学院生活に満足していることを知ったトワは、それは嬉しそうに笑っていた。グランもまた、これほどまでに後輩の面倒見の良いトワの気遣いを嬉しく感じて自然と笑みをこぼしている。そんな時、グランの顔を嬉しそうに眺めていたトワはふと気になったある事をグランに問い掛けてみた。

 

 

「あのね、グラン君。学院に来る前のグラン君って、どんな事してたの?」

 

 

 それは、以前生徒会室でグランに学生手帳を渡した時から気になっていたこと。名前の違う学生手帳、そしてあの時見せたグランの何か思い詰めたような顔をトワは忘れられなかった。深入りしてはいけないと思いながらも、大切な学院の生徒の一人として何か力になってあげたい。とは言えいきなり事の真意を問い詰めるのはデリカシーに欠けるので、先ずはグランの事を少しでも知っていこうと考えたのだ。

 

 

「えっと──」

 

 

「あ、あの、ゴメンね!? いきなりこんな事聞かれても困っちゃうよね!?」

 

 

「……そんなこと無いですよ。と言っても余り知られたくない事もあるんで、話せる範囲でよければ」

 

 

 少し困惑するグランの表情に焦り始めたトワだったが、直後に彼が笑顔を浮かべたことで安堵の表情に戻る。そしてトワの視線を受けながら、グランは一つ質問を、と切り出し始めた。

 

 

「トワ会長は、猟兵って知ってますか?」

 

 

「えっと……傭兵の中でも特に実力の高い人達の事、だよね?」

 

 

「はい。トワ会長は猟兵の事をどう思いますか?」

 

 猟兵──傭兵の上位互換に当たる存在であり、その性質は傭兵と同じくミラさえ支払えればどのような汚れ仕事であっても引き受ける。トワはそのような一般的な知識を脳裏に過らせながらも、当たり障りの無い返答を返した。

 そして次にグランからは何気ない質問が投げ掛けられる。しかし問う立場の彼の顔はどこか不安そうで、その表情からトワもそれを肌で感じていた。もしかしたら、とトワはグランの素性に気付きながらも表情を変えることなく、笑顔のままその問いに答える。

 

 

「──色々考えるところはあるけど……そういう仕事をする人は凄いなって思うよ」

 

 

「凄い、ですか?」

 

 

「うん。お金の為に何でもするって事は、その人は常に非情でなければならない。非情になるって、とても辛いことだと思うから……」

 

 

「何でもするんすよ? 盗みでも、人殺しでも、本当に何でも」

 

 

「でも、その人がやりたくてやってるんじゃないよね? 雇っている人がいて、その人は生活の為にやってるだけで……本当に悪いのは、そういった仕事を依頼した人だと私は思うな」

 

 

 トワの言葉に、グランはかなり衝撃を受けていた。こんな考え方をする人間がいるんだと、物事を全部理解した上でこんなことを言ってのける人がいるんだと。グランが呆気にとられている中、正面のトワは首を傾げてその様子を眺めている。グランはそんなトワの顔を見て笑みを浮かべた後、改めて質問に答えた。

 

 

「参りました、質問に答えますよ。実はオレ、ここに来る以前は──」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

──猟兵だったんです──

 

 

 生徒会室の外で、グランとトワの会話に耳を傾ける者がいた。青髪をポニーテールにまとめたその少女は、グランの話を扉越しに聞くと少しずつ後ろへ下がり始め、やがて振り返ると階段へ向かって走り出す。そして同じ階にある文芸部の部室から出てきたエマが、彼女の走り去る様子を見て首を傾げていた。

 

 

「ラウラ、さん?」

 

 

 《Ⅶ組》の委員長が目にした彼女の瞳には、確かに涙が浮かんでいた。

 

 

 




アンケートに早速コメントを頂けて嬉しい限りです。そして漸くトワ会長を出すことができた……

本編の会話を大分端折ってますが御了承を。


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誇り高き少女の迷い

 

 

 

「驚きました? 由緒正しき士官学院の生徒が、元猟兵で」

 

 

「うん、ちょっとだけ……」

 

 

 グランの過去は猟兵で、その事実は少なからずトワを驚かせていた。だからといって彼女のグランに対する接し方が変わるわけではない。過去がどうあろうと関係なく、トワの知っているグランという人間は、一緒にいると楽しい少し手のかかる後輩というものだ。トワは苦笑いを浮かべるグランを見詰めながら話す。きっと、グランにはこれから楽しい事が沢山待っていると。

 

 

「グラン君、とても頑張ったんだから。これから先は、きっと楽しい事ばっかりのはずだよ」

 

 

「そうだといいですけど──」

 

 

「絶対そうだよ! なんだったらグラン君が楽しく過ごせるために、私も力になるから!」

 

 

 トワの妙な迫力に気圧されたグランは、反射的に頷いてしまう。それを見て満足そうなトワはにこにこしながら手に持ったお茶を口にして、ハッと思い出す。グランはここに来る前に何をしていたと言っていたか。

 

 

「そうだグラン君、鬼ごっこはどうしたの?」

 

 

「あぁ……オレ的にはこのままトワ会長とダベってる方が楽しいんですけど」

 

 

「ダメだよ。鬼をしてる子はきっと今も探してるんじゃないかな?」

 

 

「はぁ……後で煩く言われるよりは、先に謝っといた方が幾分かマシか」

 

 

 グランはそう呟いた後、とても面倒そうに立ち上がると窓へ近付き、縁に足をかける。その行動を見たトワは何をしてるんだろうと首を傾げるが、彼がこの部屋にどうやって入ってきたのかを思い出して直ぐに声を上げた。

 

 

「あっ! グラン君──」

 

 

「トワ会長。それじゃ、また来ます!」

 

 

 やはり予想通りというか、グランは窓から外へと飛び降りた。トワは急いで窓に駆け寄ると外を眺めるが、既にグランの姿は何処にもない。やられた……と頭を抱えた後、彼女はソファーに戻って残りのお茶を口にする。

 

 

「全く、グラン君ったら。窓は出入口じゃないのに。でも……また来ます、かぁ……えへへ」

 

 

「──トワ、一体どうしたんだい?」

 

 

 トワが独り言を呟きながら笑みを浮かべたちょうどその時。トワと同じ二年生でツナギを着た小太りの青年、ジョルジュ=ノームが生徒会室を訪れた。彼は一人で楽しそうに笑顔を浮かべているトワを見つけるがその理由を知るはずもなく、彼女がジョルジュの存在に気付くまでは終始首を傾げているのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 生徒会室を飛び降りたグランは、ラウラの姿を探すために学院内を歩いていた。本校舎、図書館、グラウンドとラウラを探すも彼女の姿はない。そして最後に、ラウラの所属する水泳部が活動を行っているギムナジウムへとグランは訪れていた。屋内に入ると、貴族クラスの生徒が着用する白い制服を着た金髪の少年とすれ違う。グランは特に気にすることなく奥へ進もうとしたが、どうやら向こう側には用があったらしい。グランの背後でその少年が呼び止める。

 

 

「待て、その制服……お前も新設された《Ⅶ組》とやらの生徒か?」

 

 

「んぁ? そうだが……何か用か?」

 

 

「教官は何かと特別扱いしているらしいが……所詮お前達などただの寄せ集めにすぎない、という事をよく覚えておくんだな」

 

 

 少年の物言いは、グランを、《Ⅶ組》の事を明らかに見下していた。特別扱い、というのはおそらく先月に行われた実習の事を言っているのだろう。グランも彼の言葉に多少カチンときたようだが、貴族は大体このようなものかと割りきって堪える。確かに、貴族の中では《Ⅶ組》のリィンやラウラのように親しみやすい方がどちらかというと珍しい部類に入るだろう。

 

 

「ご忠告どうも。それじゃ、オレ急いでるんで」

 

 

 グランは貴族の少年との会話を終えるとギムナジウム一階の奥へ進み、屋内プールのある場所へと辿り着いた。プールと言えば水泳、水泳部に所属するラウラならこの場所にいるか、もしくは顔を出しているだろうとグランは考えたようだ。プールサイドで休憩している女子部員の元へ、グランが近寄る。

 

 

「すんません、ラウラって名前の人がここに来てませんか?」

 

 

「ラウラですか?」

 

 

「……」

 

 

 赤い髪をした水着姿の女子部員に尋ねたグランだが、その子が聞き返してきてもグランは何故か黙っていた。女子は急に黙りこんだグランを不思議に思って首を傾げている。そのグランは少し間を置いた後、やがて口を開いた。

 

 

「お嬢さん、お名前は?」

 

 

「私ですか? モニカって言います」

 

 

「ありがとうモニカ。その水着姿は良い目の保養になった」

 

 

「……っ!?」

 

 

「いやー、女子の水着姿じっくり見る機会ってあんまなくてな。グラビア誌もあるが、やっぱ本物の方がいいだろ?」

 

 

 何を言うかと思えばいきなりセクハラ発言を連発し出したグラン。モニカは恥ずかしさで顔を赤らめ、グランがその様子を笑顔で見ている中、近くにいた男子部員が二人の姿を見つけて駆け寄ってくる。話を聞くと、どうやらモニカが絡まれているんじゃないかと心配して様子を伺いに来たようだ。グランが自己紹介をして、男子部員とモニカはグランの事を知っていたのか、笑顔でそれぞれグランと握手を交わしている。

 

 

「君がグラン君か。優秀な水泳部員候補がいると話に聞いていたが、会えて嬉しいよ」

 

 

「とても運動が得意なんだって聞きました! 私あんまり運動得意じゃないんで、尊敬しちゃいます!」

 

 

「あ、どうも……」

 

 

 二人に詰め寄られたグランは、この場にいないラウラを恨みながら少しずつ後ずさる。実は以前からラウラに水泳部へ入らないかと誘いを受けていたのだが、グランはそれを頑なに拒否していたのだ。理由は勿論、放課後や自由行動日に昼寝ができなくなるというもの。この二人がグランの事を知っているのは、恐らくラウラがグランを水泳部に入れるために話したからだろう。

 

 

「ぜひうちに入ってくれ!」

 

 

「私泳ぐのが苦手なんで、よければ泳ぎ方を教えて下さい!」

 

 

「ど、どうしよっかなー……」

 

 

 二人から目をそらして考える素振りを見せるグランだが、勿論彼に入部する気などない。この状況をどうやって切り抜けようかと考えている。そしてグランが不意に後ろへ視線を向けると、その先には何故かリィンが。グランは閃いた。この状況を切り抜ける方法を。

 

 

「リィンちょっと来てくれ!」

 

 

「グランじゃないか。一体どうしたんだ?」

 

 

「実はこのリィン君、オレもビックリの運動センスなんですよ!」

 

 

 グランが傍に寄ってきたリィンの背中をバシバシと叩き、水泳部の二人の視線がリィンへと移る。そして二人の視線から外れたグランは、このチャンスを逃さなかった。三人が気付いた時にはもう彼の姿はない。

 

 

「やられた! 仕方ない、リィン君」

 

 

「えっと……まさか?」

 

 

「そのまさかです!」

 

 

 リィン=シュバルツァー、本当に気苦労の絶えない男である。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 同じ時刻、グランが探しているラウラの姿は第三学生寮にあった。第三学生寮の三階、角に位置するラウラの部屋。ラウラは自室の中央で目を閉じ、大剣を握り締めて立ち尽くしていた。そして閉じていた目を見開くと、手に持った大剣を目の前の空間に向けて横薙ぎに払う。風圧と共に空気を切る重たい音が部屋中に響いた。しかしラウラの剣にしては普段の鋭さも威力も垣間見えず、本人も今の一閃に納得していないのか、顔をしかめて大剣を鞘に戻すとベッドへ腰を下ろす。

 

 

「……思った以上に、私は動揺しているのだな」

 

 

 俯いたラウラの顔からは、信じていたものが違っていた時のような失望感が感じ取れた。彼女の頭の中では、学生会館の生徒会室で交わされていた会話の内容が幾度も繰り返される。

 

 

──実はオレ、ここに来る以前は猟兵だったんです──

 

 

 グランが猟兵だった。その事実を知ってしまったラウラは衝撃のあまりあの場所にいられず、気が付けば自分の部屋まで戻ってきていた。彼女にとってグランは、同じ剣の道を歩む者同士として切磋琢磨していけると信じていた掛け替えの無い友人の一人。本人はリィンの方が向いていると言って頑なに真剣勝負を拒んでいたが、それでもラウラはグランの太刀筋が好きだった。先月の実習で見せた彼の実力の一端、八葉一刀流を修めた者が総じて呼ばれる『剣聖』の名にも相応しいんじゃないかと思うほどの力。それからグランに対する思いは更に強くなっていた。なのに──

 

 

「そんなグランが何故、猟兵などという仕事を……」

 

 

 そして、その言葉を口にしてラウラは考えに至る。そう、これは彼女がグランに対して一方的に考えていたものに他ならない。信じるも信じないも、ラウラがグランに対して一方的に思いを寄せていただけで、グランにとっては迷惑極まりない。それに、グランは自分では高め合う存在にはなれないと言っていたではないか。その事に気付いたラウラは、自嘲気味に笑みを浮かべた。

 

 

「私は迷惑な女だな。一人で勝手に期待をして、真実を知った途端裏切られた気持ちになっている。今の私を父上が知ったら何と思われるか」

 

 

 そこまで理解して尚、ラウラのグランに対する軽蔑は無くならない。頭が理解しても、心が許さないのだ。猟兵はミラさえ支払えばどんなに汚い仕事にも手を染めるという。ラウラの持つ弱き者を守るという思想とは正反対のそれは、彼女にとって忌むべきもの。勿論猟兵の中にも様々な人間がいるだろう。例を上げるならば、塩の杭事件と呼ばれる出来事で壊滅的被害にあったノーザンブリア自治州。そこを拠点に活動する『北の猟兵』は、苦しむ民のために今も猟兵をしている。もしかしたらグランも、何か理由があって猟兵生活を余儀無くされたのかもしれない。

 

 

「事実と真実は決して同じではない。それが分かっていて尚、軽蔑している私はやはり愚か者なのだろう」

 

 

 やはり、今はグランの過去を受け入れることが出来ない。でもこれから先グランという人間を少しずつ知っていき、彼が自分と正反対の人間ではないと心が認めればもしかしたら……と考えに至ったラウラは立ち上がると、得物をベッドに置いて視線を窓の外へと向ける。

 

 

「グラン。そなたはこんな私でも、今までと同様に接してくれるだろうか──」

 

 

 彼女のその声は、夕闇の広がるトリスタの空へと消えていった。

 

 

 




モニカは結構お気に入りのキャラです。サブキャラの異様な可愛さは、閃の軌跡をプレイして思った事の一つだったり。


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『魔都クロスベル』へ

 

 

 

 翌日、トールズ士官学院の自由行動日。その日の早朝、グランは珍しく自室で出掛ける準備をしていた。白いカッターシャツの上に黒のスーツ、黒いズボンとどこぞのホストかお前はと突っ込みたくなるような格好をした彼は刀を腰に下げ、部屋の窓を開く。

 

 

「ったく。こんな朝早くから何で起きてんだフィーすけの奴は……」

 

 

 どうやらグランの部屋の外、ドアの前にフィーの気配を感じたらしく、見つかると拙いのかグランは溜め息をついた後に窓から外へと飛び降りた。そしてその数秒後に部屋のドアが外から開けられ、そこには慌てて入室してきたフィーの姿が。彼女は軽く舌打ちをすると、風の入り込んでくる場所、つまり先程グランが飛び降りたばかりの窓へと駆け寄って外を見渡す。トリスタの東西に引かれた鉄路が視界に広がるのみで、グランの姿は既に無い。

 

 

「……やるね、グラン」

 

 

 逃げられたというのに、フィーは笑顔を浮かべていた。完全に気配を消したはずなのに、あっさりとグランがそれを見破っていた事がフィーには嬉しかったようだ。実の兄のように慕っているグランは、昔と変わらずやはり凄いんだと再認識した彼女は笑みをこぼしながら窓から外へと飛び降りる。

 

 

「でも、私もあの頃より成長したんだから」

 

 

 学生寮の敷地内に着地したフィーは、そのままグランを探しにトリスタの街中に躍り出るのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 トリスタの街中にある建物、質屋『ミヒュト』と呼ばれる店にグランは顔を出していた。質屋といえば買い取りや金貸しが面になるが、学生に利用できるはずもなく、学生相手には交換屋という物々交換のような事をしている。そしてそんな表の仕事以外にも、この店では別の商売をやっていた。それは、裏の世界に通じている情報屋としての仕事。どうやらグランはそちらに用があったらしく、カウンターに座っている男の目の前に無言で茶封筒を置いた。男がグランに疑惑の視線を向けた後、封筒の中身を覗いて驚きの表情を浮かべる。

 

 

「……金貸しはやっているが、坊主に貸した覚えはないな」

 

 

「情報が欲しい。料金としちゃあそれでも十分な額とは思うが」

 

 

「ガキが生意気な口利きやがって……学生が何の情報を求めてんだ?」

 

 

 グランの言葉に舌打ちをした後、男が問い掛ける。学生が情報屋の自分に一体何の用があるのだと。そしてグランは考える素振りを見せた後知りたい情報を口にするのだが、それは一学生にはとても必要とは思えないものだった。

 

 

「ここ最近の大きな出来事、それと──『赤い星座』の動向だ」

 

 

「最初のやつは分かるが、またどうして『赤い星座』を……そうか、赤髪の刀使い。成る程な」

 

 

 男は一度怪訝な顔をするが、グランの容姿と腰に下げた刀を見て何か気付いたのかニヤリと笑みを浮かべる。流石にグランも気付いた。自分の素性がバレたと。とは言えここで動揺してしまえば男の思うつぼだ。グランは特に気にした素振りを見せずに先程の質問の返答を催促した。男はそんなグランを見て面白くないと呟いた後に答える。

 

 

「ここ最近で言やぁクロスベルで起きた教団事件だな。何でも『特務支援課』っていうクロスベル警察の新設部署が解決したって話だ」

 

 

「D∴G教団の残党が起こした事件だったな……他には?」

 

 

「それを知ってるんなら、後はお前さんも知ってるだろう情報ばかりだ。二つ目についてだが──」

 

 

 ここでグランの表情が険しさを増す。二つ目についてはグランがもっとも知りたい内容だった。『赤い星座』とは、西ゼムリア大陸でも最強と言われている恐ろしく高い戦闘力を持った猟兵団。『闘神』の渾名で恐れられるバルデル=オルランドが団長を務め、少し前に『西風の旅団』という同規模の猟兵団の団長、『猟兵王』と呼ばれる人物とバルデルが死闘を繰り広げて相討ちになったのはグランも知っていた。

 

 

「『闘神』と『猟兵王』が相討ちになったのは知ってるだろう? 現在は『赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)』が『赤い星座』を率いているらしいが……何でも『闘神の息子』を捜しているそうだ」

 

 

「……それで?」

 

 

「どうやらその『闘神の息子』、さっき話した特務支援課にいるようだぞ」

 

 

 この時、今日グランの向かう場所が決まった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

──クロスベル駅に到着しました。御入り用のお客様は、足元に気を付けてお降り下さい──

 

 

「……はぁ、漸く着いたか」

 

 

 列車を何度か乗り継ぐ事数時間。時刻は現在午後一時を回っていた。列車による長時間の旅を終えたグランは溜め息をつくと、凝り固まった体の節々を解しながら隣の席へ視線を向ける。そして彼の視線の先、そこには何故かスヤスヤと寝息を立てるフィーの姿があった。フィーがこの場にいる……つまり彼はフィーを撒くことが出来なかった。トリスタの街で『ミヒュト』を出た後、グランはその足でトリスタ駅へと向かったのだが、フィーはグランが遠出する事を予想して駅に先回りしていたらしい。受付でチケットの手配をするグランの姿を見つけて抱き付き、学院に残ってろというグランの言葉を無視してついてきたようだ。グランは気持ち良さそうに寝ているフィーのおでこを指で突いた後、眠たそうに立ち上がる彼女の手を取って列車を降り、クロスベル駅へと足を踏み入れる。

 

 

「貿易都市クロスベル……ここに来るのも久し振りだな」

 

 

 駅を見渡すグランの周り、仕事や観光で訪れた者達が次々と改札へ向かっていた。未だに寝惚けたフィーの手を引き、二人は改札を通り過ぎて駅のロビーを抜ける。駅の外、クロスベルの街中は大勢の人々で賑わいを見せていた。流石は急速に発展を遂げているクロスベルといったところか。導力車が市内を走り、休日という事もあって屋台も多く露店し、家族連れやカップルの姿がグランの視界に入る。その後に横で立っているフィーの姿を見て、グランは盛大な溜め息をつきながら彼女の頭へと手を置いた。

 

 

「クロスベルまで来たってのに相方がフィーすけとは……大体何でついて来たんだ?」

 

 

「ん。グランが何処かに行っちゃうと思ったから」

 

 

「あのな……まぁいい。取り敢えず腹減ったし、何処かに良い店は──」

 

 

 頭を抱えながらフィーの顔を見ていたグランだが、お腹も空いてきた事で先に昼食を済ませようと辺りに店がないか探し始める。フィーも同じく周囲の建物を見渡していたが、そんな時二人の近くで街の人々がざわざわと騒ぎ出す。何事かとグラン、フィーは声のする方へ顔を向け、二人の視線の先には街中にもかかわらず何故か二匹の鼠型魔獣の姿があった。大きさは成人男性の半分ほどもある。そしてその耳には針のようなものが無数に生えており、放っておけば怪我人が出る可能性も含めてグランもフィーもこの状況を見逃すことは出来ない。グランは刀を、フィーは両手に銃剣を構えて素早く魔獣の元へと接近する。

 

 

「大した魔獣じゃない。速攻で片付けるぞ」

 

 

Ja(ヤー)

 

 

 それぞれ魔獣の背後に回り込んで一閃、苦しみ悶えるその姿に更なる追撃をかけた。駆け抜け様に斬撃を浴びせ、二人が立ち止まったその後方で魔獣は消滅。一連の出来事を目撃した街の人々が歓声と拍手を巻き起こす中、グランとフィーは武器を納めるとハイタッチをして笑顔を浮かべた。

 

 

「やっぱり目立つか」

 

 

「悪い気はしないね……ちょっと恥ずかしいけど」

 

 

 フィーがにこにことVサインをする中、グランは周りがどんどん騒がしくなっているのに気付いて苦笑いを浮かべながら考え事をしていた。恐らく、魔獣が出現した事はクロスベルの遊撃士協会(ブレイサーギルド)や警察に連絡がいっているはず。今回自分が訪れた目的は『ミヒュト』で得た情報……『闘神の息子』がクロスベル警察の特務支援課という部署にいる事を確認するためなので、このまま待っていれば向こうから出向いてくるかもしれないし、今日の目的も直ぐに果たせる。そう踏んだグランはその場を動かず、警察関係者が来るまで待つことを選んだ。だが、その隣でフィーはお腹が空いた事と注目を浴びている事の恥ずかしさでそわそわし出し、早くこの場を離れたいのかグランの服の袖を引っ張っている。そして数分後にグランとフィーの元へ、とある人物が駆け寄ってきた。

 

 

「遊撃士協会、クロスベル支部に所属する者です」

 

 

「申し訳ありませんが、事態を把握するために同行をお願いできますか?」

 

 

 グランの目に入った人はクロスベル警察の人間ではなく、ここクロスベルで遊撃士をしている二人の女性の姿だった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 クロスベルの東通りに位置する、遊撃士協会(ブレイサーギルド)クロスベル支部。ここクロスベルでは警察よりも遊撃士の評判が遥かに高く、市民には絶大な人気を誇っていた。またクロスベル支部にはグランの兄弟子にあたる八葉一刀流、弐ノ型免許皆伝、『風の剣聖』と呼ばれるA級遊撃士のアリオス=マクレインも所属しており、彼が様々な事件を解決していることからその人気に更なる拍車をかけている。そんな遊撃士協会の二階、グランはピンクの背広を着た男性の向かい側の席に座り、自己紹介と駅前での魔獣騒ぎについて説明を行っていた。

 

 

「せっかくの休日って事でクロスベルに観光に来たんすけど、あの場面に出くわしまして」

 

 

「お礼を言うわ。お陰で怪我人も出ずに済んだみたいだし……エオリア、程々にしなさい」

 

 

 女性口調の男、ミシェルはグランに頭を下げた後、呆れた目つきでグランの左に座っている女性へと視線を向ける。エオリアと呼ばれた女性は、グランの横で何故かフィーを膝の上に乗せながらとても嬉しそうに座っていた。グランはアンゼリカがこれを見たらどれだけ羨ましがるだろうと考えながら、鬱陶しそうに眉を潜めるフィーの頬を突ついている。

 

 

「グラン助けて」

 

 

「良いじゃねえか。エオリアさん、よかったらこいつあげますよ」

 

 

「本当!? フィーちゃん、これから宜しくね♪」

 

 

 笑いながら冗談半分に話すグランの言葉を本気にしたのか、エオリアがフィーにすりすりと頬擦りをしながらその体を抱き締めていた。エオリアと同僚で同じくクロスベル駅前の現場に駆けつけていたリンと言う名前の女性は、ミシェルの隣で二人共に深い溜め息をつき、エオリアの姿に呆れ返っている。このまま彼女の相手をしていれば一向に話が進まないため、二人は一人別世界に旅立っているエオリアを置いてグランに事情を尋ね始めた。

 

 

「突然で申し訳無いんだけど──グラン君。君の容姿は私の知る要注意人物によく似ているんだけど合ってるかしら?」

 

 

「遊撃士協会に危険視されるような覚えはないんですけど……」

 

 

「ミシェルさん、彼も困っています。確かに彼は只者ではない様ですが──いや、待て。赤髪に刀を使う者と言えば……まさかヴェンツェルの言っていた?」

 

 

 驚きながらグランの顔を見て話すリンの隣。ミシェルは彼女の言葉に頷くとグランへと視線を戻し、平然を装っているグランに笑みを向けた後、その口を開いた。

 

 

「アリオスと同じ、八葉一刀流の弐ノ型免許皆伝者。二年前の帝国で起きた『遊撃士協会(ブレイサーギルド)襲撃事件』において、『死線』のクルーガーと共に暗躍した『閃光』の異名を持つ少年……《見喰らう蛇(ウロボロス)》の執行者、『紅の剣聖』グランハルトで間違いないわね?」

 

 

 クロスベルの地に来てすぐ、グランはいきなり窮地に立たされることとなった。

 

 

 




ご覧の通りの急展開です。構成下手で申し訳ない。


トワ会長が『鉄血の子供たち(アイアンブリード)』や星杯騎士だったらと不安で一杯の今日この頃……早く閃の軌跡Ⅱ発売して!!


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『赤い星座』と『西風の旅団』

 

 

 

「『紅の剣聖』グランハルトで、間違いないわね?」

 

 

 グランも遊撃士協会の情報網をナメていた訳ではない。本当は直ぐにでも脱け出したかったが、あの場で逃げれば怪しまれる事は明白。だから今回も適当にはぐらかして『闘神の息子』と接触した後に、トリスタへ帰るはずだった。それなのに、何とこのミシェルはグランの容姿を見ただけでその正体を見破ったのだ。いつもの様にはぐらかそうと考えたが目の前の男の鋭い眼光がそれを許さず、グランは声を出すことが出来なかった。ミシェルはグランの沈黙を肯定と受け取り、突然笑みをこぼし始める。

 

 

「冗談で言ったつもりだったんだけど、まさかビンゴだったとはね……」

 

 

「──っ!? いい性格してんな、オッサン」

 

 

「あら? ミシェルって呼んでくれないと捕まえるわよ?」

 

 

 捕まえる、というのは流石に嘘だろう。第一事件については一応解決している事になっており、仮にグランを逮捕するとしても、彼がクロスベルの市民の生命を脅かすような行為を行わない限り無理だ。グランもそれを分かっていたのだろう。控え目に殺気を放出するに留まり、エオリアの玩具となっていた為状況が飲み込めず不安そうな表情のフィーを見るや、安心させるために笑顔を浮かべている。とはいえこれ以上長居してもグランには不利な事ばかりなので、彼は席を立ち上がるとエオリアの膝に座らされているフィーを抱えあげ、引き上げる準備を始めた。傍へフィーを降ろし、エオリアは物凄く不満そうだが、フィーは解放された事で安堵の表情を浮かべてグランの服の裾を握っている。そして去り際、ついでにミシェルにも聞いておこうとグランは彼に問い掛けた。

 

 

「そうだ、一つ聞いてもいいか?」

 

 

「ええ、答えられる範囲なら」

 

 

「ランドルフ=オルランドがクロスベル警察の特務支援課って所にいるそうなんだが……知っているか?」

 

 

「ええ、詳しい事はクロスベル警察で聞くといいわ。ランディ君達も忙しいでしょう、支援課の方には今いないと思うけど」

 

 

 ここでミシェルがグランに本当の事を教える道理などないはずだが、恐らく今の情報は本物だろうとグランは感じた。何故ならランディという名前は『闘神の息子』、ランドルフ=オルランドの呼び名であり、親しい人物が使っている愛称だ。素直に情報を提供してくれたミシェルに少し驚きながらも、お礼にとグランも情報を差し出す。

 

 

遊撃士協会(ブレイサーギルド)に借り作るのも癪なんで、オレからも一つ。近い将来に、ここクロスベルへ『赤い星座』が来るはずだ」

 

 

「っ……!? 大陸最強の猟兵団がクロスベルに一体何の用で来るのかしら」

 

 

「さあ? ただ、あんたらも用心しといた方がいいと思うぞ」

 

 

 笑みを浮かべながらそう口にしたグランは、隣にいるフィーと共に階段を下りて遊撃士協会をあとにする。そして二階に残された三人は二人の背中を目で追った後、その姿が見えなくなると安堵の表情を浮かべて各々溜め息を漏らしていた。どうやらグランとの会話中、三人は相当神経を使っていたようだ。

 

 

「──とんでもない子ね。見た感じ、実力だけならアリオスと大差ないように思えたわ」

 

 

「フィーちゃんもあの年でかなりの実力持ってそうですし……」

 

 

「彼等がクロスベルにいる間は、此方も用心した方がいいですね」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 遊撃士協会を出たグランとフィーは、自分達がまだ昼御飯を食べてない事に気付いて近くに食事処がないか探していた。辺りを歩いていると同じ東通りに東方の料理を出している店を発見し、炒飯や麻婆豆腐といった食欲をそそる香りに誘われて店内へと入った二人はテーブル席へ腰を下ろす。そして水を運んできた店員の女性に料理を注文したはいいが、料理を待つ間の会話が二人にはない。何も話そうとしないグランの様子にしびれを切らしたフィーは、丁度いい機会だとグランと再会してからずっと気になっていた事を話し出した。

 

 

「グラン、聞いてもいい?」

 

 

「何をだ?」

 

 

「どうして急に、団を辞めたの?」

 

 

 フィーの問いにグランはいつものように苦笑いを浮かべて誤魔化そうとするが、今回はフィーも引き下がらない。旧校舎で再会した時には話せないなら別にいいとフィーは言ったが、本当は何故グランが辞めたのかずっと気になっていた。グランとはとても仲が良かったはずなのに、そんな自分にすら話さないで辞めた理由がどんなものなのか。もしかしたら自分がグランに嫌われるような事をしてしまったんじゃないかと不安になる時もあった。その答えをフィーは求めたが、グランは沈黙を貫く。暫くの間は互いに一歩も譲らない状態が続くが、フィーの向ける真っ直ぐな瞳にとうとうグランも誤魔化しきれないと判断した。グランは両手を挙げて降参のポーズを取ると、水を一杯口にしてから話し始める。

 

 

「オレが『西風の旅団』を辞める前日、『赤い星座』と一戦交わしたの覚えてるか?」

 

 

「うん。グランと『赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)』の一騎打ちは凄かったから、印象に残ってる」

 

 

「そいつはどうも……その一騎打ち、フィーすけにはどう見えた?」

 

 

 『赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)』とは『赤い星座』の副団長を務めるシグムント=オルランドの渾名であり、オルランドという名前から分かるように『闘神』バルデル=オルランドの弟。彼の死後、シグムントは代わりに団を率いており、猟兵の中でも最強の一角とされる人物なのだが、グランは何と以前シグムントに一対一の勝負を仕掛けた。そしてその勝負を目撃していたフィーはその時抱いた感想を述べる。

 

 

「──あのままだったらグラン負けてた」

 

 

 躊躇いもなく正直に話すフィーを見てグランは笑みを浮かべていた。当時、グランも勝てる見込みが無いと分かっていて勝負を挑んだ。実力自体はグランもシグムントもそれほど離れていなかったが、やはり戦闘経験や修羅場をくぐり抜けてきた数が違う。経験は時に実力よりも重要視され、相手の実力が上だとしても経験の優位が此方にあれば勝る事もある。フィーの話す通りグランはシグムントに負けるというのが目に見えていたのだが、そう考えると何故シグムントは決着を着けなかったのかということになる。フィーもその事だけは未だに分からない。そしてそれを察したグランは、その理由も付け加えた。

 

 

「あの時言われたんだよ。次に一騎打ちしてオレが負けたら、戻ってこいってな」

 

 

 その一言でフィーは理解する。実は『赤い星座』はグランが元々所属していた猟兵団で、グランはシグムントや『赤い星座』の団員から度々戻ってくるようにと言われていたが、それを頑なに拒否していた。『赤い星座』と『西風の旅団』の両団長は長年宿敵同士のような関係。頻繁に小競り合いのような事が起きていたため、グランがあのまま『西風の旅団』にいたとして今度対峙した時、グランが負けてしまえばグランとフィーは互いに敵同士になるという事。逆に言えば、グランにはシグムントに勝つ自信がこれっぽっちもなかったという事だ。

 

 

「一年程しか付き合いはなかったけど、団の皆は割りと好きだったし敵対したくなかったんだ。特にフィーすけ、お前とはな」

 

 

「うん……でも理由くらい話してくれてもよかったと思う」

 

 

「親父に勝てないから団辞めます、なんて言えるか馬鹿」

 

 

「確かに」

 

 

 漸くフィーの顔に笑顔が戻った。やっぱりそれなりの理由があってグランは辞めたんだと知ってフィーは安心したのか、にこにこと笑顔を浮かべながら料理が来るのを待っている。そしてその横でグランはフィーの様子を見て笑みをこぼした後、どこか遠い目で自分に言い聞かせるように考え事をしていた。

 

 

「(きっとそのはずだ。きっと……)」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「教団事件の方は無事片付いたみたいですね」

 

 

「ああ。どうやら例の新設部署が事件を解決したらしい」

 

 

 時刻はグランとフィーがまだ列車の中にいた頃まで遡る。グランがトリスタを発つ前に訪れた質屋『ミヒュト』にサラの姿があった。どうやらサラも遊撃士(ブレイサー)時代から情報屋としてこの店を利用していたらしく、士官学院に勤めだしてからもちょくちょくここから情報を仕入れていたようだ。現在店主のミヒュトにここ最近の情勢を聞いていたが、ミヒュトは一通りの情報を話し終わると突然グランの事を話し出した。

 

 

「そういえばついさっきお前さんとこの学生が来たぞ」

 

 

「はぁ……どうせグランが『赤い星座』の事でも聞きに来たんでしょ?」

 

 

「ああ……奴が『赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)』と敵対しているという噂は本当らしいな」

 

 

 奴とは言うまでもなくグランの事。ミヒュトの言葉にサラは頷き、その口振りからも彼女はグランの事情を大方把握しているようだ。とんでもない生徒を持って頭が痛いとサラは愚痴をこぼすが、そもそもグランを士官学院に誘ったのはサラ本人である。と言ってもそこら辺の事情を知らないミヒュトはサラに同情すると言いながらケタケタ笑っており、余りに他人事過ぎるその言動には彼女も少々苛立っていた。

 

 

「ったくもう、笑い事じゃありませんよ」

 

 

「すまんすまん……ところで奴は何で『赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)』と敵対してるんだ?『赤い星座』を脱けた理由にもなるんだろうが──」

 

 

 グランが『赤い星座』を辞めた理由……どうやらサラもそこまで詳しい事は知らないようで、彼女もそれは気になって以前グランに問いかけてみたらしい。そしてグランから返ってきた答えは、何ともはっきりとしない理由だった。

 

 

「何かムカつくから、だそうです。流石にそれはないと思いますけど……ただ話だけ聞いてると、本人はどうしてそこまで強い憎しみを抱いているのか分かっていないみたいなんですよ」

 

 

「それはまたおかしな話だな。理由もなく恨んでるってのか?」

 

 

 これにはミヒュトも首を傾げた。人を恨む理由といえば、何か大切なものを奪われた、とか酷い仕打ちを受けた、だったり大抵はそういったものだ。どこの世界に理由もなく相手に殺意を抱く人間がいるだろうか。サラも何とかして思い出させようと度々グランに過去の話を聞こうとしていたみたいなのだが、未だにグランから確かな事は聞けていないらしい。サラ曰く、話を聞いた時のグランの様子を見て、思い出せないというよりは思い出したくないように感じるとの事。

 

 

「そんな奴から聞き出そうとは、お前さんも案外世話焼きだな」

 

 

「そんなんじゃありませんよ。あの子が力を求めてる姿が辛そうに見えたから、手伝ってあげようと思っただけです」

 

 

「それを世話焼きって言うんだよ」

 

 

 サラ=バレスタイン。教官の中でも彼女はだらしない姿ばかり《Ⅶ組》の皆へ見せているが、実は見えないところで生徒のために一番苦労しているのかもしれない。

 

 

 




今回の自由行動日ちょっと長いです。あと二話ぐらい続くかもしれません。だったら一話で長く描けばいいと思いますよね? ごめんなさい、私には無理です(´・ω・`)


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『闘神の息子』との再会

 

 

 

 あれからグランとフィーは東方の料理に舌鼓を打った後、せっかくクロスベルに来たんだから観光でもしようということでクロスベル市内を歩いていた。まず、ここクロスベルにはIBCと呼ばれる金融機関がある。港湾区の先に建つ巨大なビル、国際規模の膨大な資産を管理するその組織は一見する価値があるだろう。と言うわけでグランはフィーの手を引きながらIBCのビルへと向かっていたのだが、その道中、ある建物を見つけてグランの足取りは止まる。

 

 

「とうとうクロスベルまで来やがったか」

 

 

 グランの目に止まったのは、一つの貿易会社。その名は黒月(ヘイユエ)貿易公司。クロスベルの湾岸区に位置する東方系のこの会社は、表向き貿易関係の仕事を請け負っている。しかしその実態は、カルバード共和国の東方人街に拠点を置く犯罪組織『黒月(ヘイユエ)』がクロスベルにおける裏社会の覇権を得るために仕向けたもの。現在クロスベル警察、遊撃士協会クロスベル支部はこの実態を把握しているため常に警戒を抱いているが、会社の支社長として訪れている『黒月(ヘイユエ)』の幹部、ツァオ=リーの巧みな手腕によって着々と地盤を固められている状態だ。流石にそこまで詳しい実状をグランが把握しているわけではないが、『黒月(ヘイユエ)』という組織については彼も知っていた。

 

 

「どうしたの?」

 

 

「──何でもない。ただこの街もまた騒がしくなるんだろうってな」

 

 

「……ん?」

 

 

 グランの言葉の意味がフィーに分かるはずもなく、首を傾げる彼女にグランは苦笑した後、再び歩き出す。そしてIBCへ向かう坂道に差し掛かったその時、グランは急に歩みを止めると腰に携えている刀へと手を添えた。フィーはグランの表情が険しくなっていくのを見て、辺りの気配を探るが特に何も感じるものはない。だがグランの顔をよく見ると、彼が横目で建物の陰へ視線を向けている事に気付く。その視線の先を注意深く探り、フィーも漸く気が付いた。

 

 

「何かいるね」

 

 

「フィーすけも気付いたか。どうやら向こうさんに仕掛ける気はないみたいだが……警戒だけはしておけ」

 

 

「うん、かなり手強そうかも」

 

 

 グランとフィーはそれぞれ得物に手を添え、何時でも太刀打ち出来るように臨戦態勢を維持しながら慎重に坂道を上がった。結局IBCの表門に着くまでその態勢を保っていたが何も事は起きずに済み、気配も消えた事で二人共得物から手を離すと目の前にそびえるビルを見上げる。IBCの本社、地上十六階の高層ビルは中々お目にかかれるものではなく、素直に二人を驚かせた。

 

 

「おー、ありゃあ落ちたら死ぬな」

 

 

「そだね」

 

 

「……屋上は、さぞいい眺めなんだろうなー」

 

 

「そこは関係者以外入れないと思う」

 

 

「……これ建てるのにどんだけのミラがかかったんだろうなー!」

 

 

「知らない」

 

 

 

 ビルを目の前にして二人の会話が弾まない。グランは盛り上げようと様々な感想を並べるが、フィーがそれを全て叩き落とすからだ。東方料理の店にいたときのフィーは割りと口数も多かったが、あれはあくまで自分の知りたい事だったからである。普段の彼女はどちらかというと無口なため、こういった日常会話はあまり得意ではなく、このように会話のキャッチボールが上手くいかない事が殆ど。フィーはビルをぼぅーっと見上げ、グランはそんな彼女の様子を横目で見ながらどうしてついてきたんだと言いかける。言いかけるが、グランはフィーから返ってくる答えが予想できたのか溜め息をついていた。その後、グランは街の方へ戻ろうとフィーに声をかけてその場で踵を返す。無言でフィーもその後に続き、二人が市街地へ引き返す中、その姿を見た警備員は思った……こいつら一体何しに来たんだと。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 グランとフィーは湾岸区を抜けて、隣の行政区へ移動していた。クロスベル市庁舎、図書館、そしてクロスベル警察の本部とこの街において重要な役割を担う建物が建ち並んでいる。他には屋台販売をしている店等も見えるが、グランにとってこの中でも用があるのはクロスベル警察だ。『闘神の息子』ランドルフ=オルランドの居場所を聞き出すため、グランはクロスベル警察の建物内へと足を踏み入れる。ロビーに設置されたソファーへフィーを座らせた後、グランは一人受付へと向かった。カウンター越しに座る女性はグランの姿に気付いたのか、業務を中断すると笑顔を浮かべて口を開く。

 

 

「こんにちは、本日はどうかされましたか?」

 

 

「すみません。知人がここに勤めていたと聞き、その人にどうしても伝えたい事がありまして……」

 

 

「そうですか。その人の名前を伺っても宜しいでしょうか?」

 

 

「──ランディって名前だと思うんですけど」

 

 

 グランは少し考えを巡らせた後、念のためにランディという名前で尋ねる事にした。遊撃士協会でのミシェルとの会話から、恐らくここではランドルフではなくランディの名で通っている可能性が高い。勿論ランドルフで尋ねても構わないのだが、仮にランドルフで名前が通っていなかった場合に変に怪しまれるのが面倒だからである。そしてどうやら、ランディの名で彼女には通じたようだ。

 

 

「ランディさんの知り合いの方だったんですね。実はランディさん、今急用で支援課を離れてて……あっ、ロイドさーん!」

 

 

 受付の女性が手を振りながら叫んだ先、クロスベル警察の制服を着た茶髪の青年とスーツ姿の眼鏡の男が二人で歩いていた。女性の声に気付いたその青年は、眼鏡の男に何か話した後グランの近くへと歩いてくる。その様子を見ながら、受付の女性が青年の事を話し始めた。

 

 

「あの人はロイドさんって言うんです。ランディさんと同じ特務支援課の人で、先日の教団事件でロイドさん達は大活躍だったんですよ!」

 

 

「フラン、恥ずかしいから止めてくれ……紹介に預かった、ロイド=バニングスです。えっと、先ずは君の名前と、今日どういった用件でここに来たのか教えてもらえるかな?」

 

 

 茶髪の青年、ロイドに名前と用件を問われたグランはほんの一瞬だけ顔を歪めるが、直ぐに表情を真剣なものに変えて問いに答えた。グランの鋭い視線にロイドと受付の女性の顔が強張り、そしてグランの口から発せられた言葉は二人を驚かせる事になる。

 

 

「オレの名前は、グランハルト=オルランドと言います。今日は……ランディ兄さんに用があって来ました」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「後でもよかったか」

 

 

 現在グランは導力車の中で揺られながら、窓側の席で外の景色を眺めていた。グランの隣には勿論フィーが座っており、二人が乗っている導力車はかなりの大きさなのか二人以外にも数人が同乗している姿が見える。グランとフィーが今乗っているのは、導力バスと呼ばれる大型の導力車だ。ここクロスベル市には導力バスという公共の交通機関が存在し、クロスベル周辺の離れた町や施設を利用出来るように一日に何度も往復している。クロスベル市とその周辺を繋ぐ市民の足であるこの導力バスが現在走行しているのは西クロスベル街道。そして目指している場所は、エレボニア帝国との境に位置するベルガード門に向かう途中の中間地点。何故グランとフィーがそこへ向かっているのかというと、クロスベル警察でロイドから『闘神の息子』ランドルフ=オルランドの場所を教えてもらったからに他ならない。因みにグランが呟いているのは、先に観光をしてからでもよかったなという実にどうでもいい話だ。

 

 

「クロスベル市に戻った頃にはいい時間だな……どうしたフィーすけ?」

 

 

「──何でもない」

 

 

 グランは外の景色を眺めた後、隣に座っているフィーの顔を見て何か違和感を感じたのか問い掛けるが、フィーは素っ気ない態度で答えた。グランは特に気にした様子もなく窓の外へと視線を戻すが、実は今現在フィーの機嫌は少々悪い。その理由は、普段の彼女からは想像がつかないほど女の子めいたものだった。

 

 

「(せっかく二人でクロスベルまで来たのに、結局遊べなかった)……グランの馬鹿」

 

 

「何か言ったか?」

 

 

「何も」

 

 

 クロスベル市でグランに手を引かれていたフィーはとても機嫌が良さそうだったのだが、今の彼女の顔はどこか寂しそうで、フィーの面倒をよく見ているエマあたりなら直ぐに不機嫌だという事が分かるだろう。女心と秋の空、とはよく言ったものである。そんな二人がバスに揺られること数分後、目的の場所の中間地点に着いたのか、街道の三叉路で導力バスは停車した。やはり休日の日にこんな街道の真ん中でバスを降りるのはグランとフィーの二人しかおらず、乗客の好奇の目に晒されながら二人はバスを降りる。グランとフィーが降車した後にバスはベルガード門方面へと走り去り、二人はその様子を見届けると南に伸びる街道へと歩き始めた。

 

 

「どうせなら警察学校までバスの運行しろっての」

 

 

「怠け者の考えだね」

 

 

「うるせぇ……ん?」

 

 

 グランの愚痴にフィーが突っ込んでいる中、グランは街道の隅で蠢く巨大な植物を発見する。人一人を丸飲み出来そうな程の大きさのそれはどうやら移動できるらしく、くるりとその場で反転すると視線と呼んでいいのか分からないがとにかく二人の姿を認識した。グランは嫌な予感がするも、鞘から刀を抜くとフィーにも銃剣を構えるように促して戦闘態勢に入る。その間にも植物型の魔獣は四体まで増えており、触手のような花弁を動かしながら蠢くその姿は実に気持ち悪い。フィーもその姿を見て思いっきり表情を歪ませた。

 

 

「グラン、本当にあれと戦うの?」

 

 

「出来ればオレも逃げたいが、流石にこのまま放っておけないだろ。バスの運行に支障が出ないとも限らないしな」

 

 

「遊撃士に任せとけばいいのに……グランって意外とお人好しだよね」

 

 

「今ごろ気付いたのか? さて……速攻で仕留めるぞ!」

 

 

 先制はグラン。前方の二体の内片方に接近すると刀を一閃、鋭い一振りが魔獣を襲った。その一撃に魔獣が苦しむ中、それを見たフィーは相変わらずのグランの速さに驚きながらも、遅れることなく同じ魔獣へ追撃を仕掛ける。今はグランが前衛のため、フィーは銃による援護射撃を選んで銃口を魔獣に向けるとその場でトリガーを引いた。連続射撃で魔獣の身に銃撃を叩き込み、ぐったりしていく様子を見るにグランとフィーの連撃は魔獣へと確実にダメージを与えている。他の三体は特に動く様子もなく、このまま一気に形勢を傾けようとグランが更に仕掛けた。

 

 

「弐ノ型──疾風(はやて)!」

 

 

 彼の十八番とも言っていい技。まるで地にラインを描くように、四体の魔獣へ駆け抜けざまに斬りかかるその姿はフィーでも目で追うのがやっとだ。始めに集中攻撃を仕掛けた魔獣は地にぐったりと倒れて最早生命は途絶えている。残りの三体もグランの一撃に苦しみながらその身をうねうねと動かし、いつの間にかフィーの隣に戻ってきていたグランは余裕そうな顔でその様子を見ていた。続いてフィーも追撃しようと前方に駆けて銃口を三体へ向けるが、その時二人に予想外の事態が起こる。突然周囲の大地が震動を起こして二人の自由を奪った。

 

 

「──っ!?」

 

 

「っく!?  こりゃまた面倒だな……おい、フィーすけ下がれ!」

 

 

 突然の地震に二人は態勢を崩され、グランが慌てて声をあげる中フィーはその声で前を向いた。二人が地震に戸惑っている隙に、フィーの直ぐ目の前に魔獣の三体の内一体が接近していたのだ。その魔獣はここぞとばかりにその身をフィーへ叩きつけようと大きく仰け反り返る。一撃は確実に浴びてしまう。グランもフィーもそれは確信したが、突如斬撃の音と共にその魔獣は動きを止めてその場に崩れ落ちた。魔獣が倒れたその後ろ、グランと同じ赤髪の男が、振り下ろしたハルバードを地面から引き抜いている姿が見える。

 

 

「ランディ兄さん!」

 

 

「ようグラン、しばらく振りだな」

 

 

 二人の助太刀に来たその人物は、グランの探していた『闘神の息子』ランドルフ=オルランドその人だった。

 

 

 




次回で自由行動日クロスベル編は終わりです。さて、二章の実習先はどうしようかな……

PS ネペンテスGとの戦闘中、ノエルのサポートクラフトで全体攻撃を喰らったのは私だけではないはず。


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教団事件の爪痕

 

 

 

 ランドルフの助太刀によって事なきを得たグランとフィーは残りの魔獣を片付けた後、三人で警察学校へと続く林道を歩いていた。その道中グランとランドルフは仲良さげに話をしながら道を進んでおり、フィーはその後ろで二人の光景に驚きを隠せないでいる。その理由は二つあるのだが、一つはグランの目的がランドルフに会うという事を知らなかったため。そしてもう一つは、ランドルフという人物についてだ。ランドルフ=オルランドは『赤い星座』時代、『闘神の息子』としてだけでなく『赤き死神』とも呼ばれ恐れられた冷酷な一面を持つ男。それを知っているフィーは、自分を助けてくれたとはいえ少なからずランドルフという男に警戒を抱いていた。オルランド一家にとって、グランは家族を裏切り寝返るという暴挙に出た男だ。少なくともグランに対していい感情は持ち合わせていないだろう。そう考えていた故の驚きである。そんな風にフィーが一人で心配していた事など露知らず、グランはランドルフと未だ談笑をしていた。

 

 

「しっかし、この六年で随分と差をつけられちまったな……」

 

 

「『赤い星座』を辞めた後、色々ありましたから。『剣仙』に会うことが出来たのが一番大きかったです」

 

 

「そうか……で、今日わざわざ俺に会いに来たのはどういう風の吹き回しだ?」

 

 

 その問いに、グランは先ず『闘神』が死去した事を皮切りに話し始める。ランドルフはそれを知らなかったようで、少し驚いた様子を見せるも直ぐに表情を元に戻した。『猟兵王』との一騎打ちで生涯を終えた自分の父親は、満足な人生だっただろうと彼は口にする。しかしグランがここに来たのはそれを伝えるためではない。その先の事、『闘神』を失った『赤い星座』の動向についてだ。

 

 

「どうやらあのクソ親父は、ランディ兄さんの事を探しているそうです」

 

 

「叔父貴が……今更何で俺を?」

 

 

「あの男の事です。多分『闘神』の後継ぎはその息子にしか出来ないとか思ってるんでしょう」

 

 

 全く迷惑な話ですね、とグランはランドルフに同情するように話す。ランドルフが『赤い星座』を脱けた理由まではグランも知らないが、仲違いがあっての事だというのは彼も流石に分かった。グランの話す情報に顔を歪ませているランドルフを見れば、それは一目瞭然だ。

 

 

「恐らくランディ兄さんがクロスベルにいる事は知っているはずです。教団事件なんてものを解決すれば、嫌でもその情報は流れていく」

 

 

「だろうな……それで、グランは俺にどうして欲しいんだ?」

 

 

 話が早い、とグランはランドルフの問いに笑みを浮かべて答えた。多分近い将来に『赤い戦鬼(オーガ・ロッソ)』はランドルフに接触してくる、『赤い星座』に戻れと。その時自分に連絡をくれとグランは話す。そして、ついでに一言伝えておいて欲しいとその内容を口にする。

 

 

「あんたの命は必ずオレが刈り取る。その後のために、精々シャーリィを大事にしとくんだな──そう伝えておいて下さい」

 

 

 グランが無意識の内に漂わせている殺気に、ランドルフとフィーは冷や汗を流しながらその顔を強張らせるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 ランドルフに案内されるままグランとフィーは林道の道外れにある崖に移動し、設置されたザイルを下りて木々が広がる森の中へと足を踏み入れていた。見渡せど二人の視界に広がるのは木々が生い茂っている光景で、それはまさに樹海と呼ぶに相応しいもの。この場所は普段、警察学校のサバイバル訓練にて使用されているのだが、現在はクロスベル警備隊の隊員達が実戦に復帰する為のリハビリを行う場所として利用されている。実は先日の教団事件において、クロスベル警備隊では一部の無能な上司によりとある薬を投薬され、警備隊の隊員達が被害を受けるという事態が起きていた。事件解決後、薬の後遺症によって体の衰弱した隊員達は病院で治療を受け、体力の回復した者からこの場所で実戦感覚を取り戻す為に訓練を受けている訳だ。そんな樹海の中、隊員達の元へと案内されたグランは現在、警備隊の女性陣に囲まれるという嬉し恥ずかしい状況に陥っていた。

 

 

 

「へぇー、グラン君帝国の学生さんなんだぁ」

 

 

「あどけなさの残る顔に頑張った感が漂うスーツ姿……お姉さん好みだわ♪」

 

 

「いや、その──」

 

 

「う~、照れちゃって可愛いっ♪」

 

 

 男連中に混じって訓練漬けの日々を送る女性方にとって、グランの幼さの残る顔や容姿は受けがよかったのだろう。照れくさそうに頭を掻くグランの仕草を見てきゃーきゃーと声を上げている。そして、その様子を離れた位置から悔しそうに眺めるランドルフと他の男性隊員達がいた。

 

 

「くっ、弟ブルジョワジーはロイドだけでうんざりなんだが」

 

 

「あのガキ、俺のレイアを……!」

 

 

「ミントさん、あんな顔僕にも見せたこと無いのに……!」

 

 

「シェリア……ランディ曹長、あの小僧は一体!」

 

 

 同僚を誑かされたと男勢は必死である。グランに敵意むき出しの隊員達へ、ランドルフはグランが自分の従弟だと教えた。それを聞いて少し弱気になる隊員達が歯軋りをしながらグラン達の様子を恨めしそうに見つめる中、近くに立っているフィーは少し拗ねた様子で同じくグランの事を見ていたのだが、そんな彼女の頭の上にぽん、と手を置く人物が。フィーが顔を上げると、そこには金髪の女性が笑顔を浮かべながらグラン達の姿を眺めている顔が見えた。

 

 

「あれがランディの従弟さん? 血が繋がっているとは思えないくらい可愛い子ね」

 

 

「ミレイユ……どういう意味だこら」

 

 

「そのまんまの意味よ」

 

 

 ミレイユと呼ばれた女性は直後に手を叩いて女性隊員達へグランを解放するよう促した後、ぐったりした様子で歩いてくるグランを見て苦笑いを浮かべる。そして目の前で整列を始める隊員達へ程々にするよう注意をしてから、休憩は終わりと告げてその場の指揮をランドルフに移した。隊員達の気怠そうな表情を見るに、どうやら今から訓練を再開するようだ。

 

 

「よーし、今日は学生も見学に来ているんだ。情けない格好は見せないようにな」

 

 

「ランディ曹長、自分から一つ提案があるであります!」

 

 

「お前そんな喋り方だったか……? まあいい、言ってみろ」

 

 

 ランドルフに促されて男性隊員の一人が提案したのは、グランと自分達が実際に戦った方がより警備隊の凄さを肌で実感してもらう事ができるというもの。要するに三対一の模擬戦形式を取るという意味で、学生相手に大人げない事この上無く、その話を聞いたミレイユは勿論猛反対。女性隊員達からもブーイングの嵐で最早彼等の立つ瀬は無いのだが、ランドルフは意外と面白いかもしれないとそれを了承した。

 

 

「ランディ何言ってるの!? 大怪我したらどうするのよ!」

 

 

「いや、俺は寧ろあいつ等の心配をしてるんだが……」

 

 

「警備隊の練度をなめてる訳じゃないけど、グランの足元にも及ばないと思う」

 

 

 ランドルフとフィーからは散々な言われようである。初対面の少女にまで馬鹿にされた男性隊員達は、自棄になって得物のハルバードをブンブンと振り回し戦う気満々。その様子に女性陣が呆れるのは当たり前の反応で、何故か模擬戦をする方向へと自然に話が進んでいるがグランにはたまったものではない。勿論嫌だと彼は断る。

 

 

「ランディ兄さん、勘弁して下さい」

 

 

「ほら、グラン君も嫌がってるじゃない──」

 

 

「よしグラン、お前さんが勝ったら後で俺のオススメする店に連れてってやる」

 

 

「よし、やりましょう」

 

 

 ランドルフの言葉に百八十度発言を変えたグランは、刀を抜いて男性隊員達の前へと躍り出た。危ないからと未だミレイユは反対のようで、ランドルフに止めるよう話しているがランドルフは彼女の声をどこ吹く風で聞き流している。男性隊員達は陣形を整えて戦う準備は万端。グランも彼等の正面で刀を構えて迎え撃つ準備は出来ている。そしてグラン達が対峙している間へと移動していたフィーは、自らの銃剣を上へ掲げて戦闘開始の合図をとった。

 

 

「制限時間は五分。時間までにグランが立っているか、警備隊が全員倒れたらグランの勝ち。その逆が警備隊の勝ち……多分無いと思うけど」

 

 

 フィーがトリガーを引いて発砲音が鳴り響くと同時に、男性隊員達は一斉に駆け出す。流石は日夜訓練漬けといったところか、隊員達の動きは良く練度もそれなりに高い。だが、ランドルフの言葉でやる気になっているグランには到底及ぶものではなかった。

 

 

「弐ノ型──疾風(はやて)!」

 

 

 警備隊の各々にはグランが突然消えたように感じただろう。高速で隊員達に接近して次々と斬撃を叩き込むグランの動きを捉えることが出来たのは、この場にいる者の中でランドルフとフィーの二人だけだ。グランが元の立ち位置に戻っている頃には男性隊員三人は膝を地面についており、グランが刀を鞘に納める音を皮切りにバタバタとその場に倒れ始める。開始五秒、模擬戦はグランの勝利で終わりを告げた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「……理不尽だ」

 

 

 警備隊との模擬戦を終えたグランは現在、導力車の後部座席に座りながら物凄く不機嫌そうに外の景色を眺めていた。その横ではフィーが同じく窓の外を眺めており、彼女の表情はグランと違って何処か嬉しそうに感じる。そしてそんな対称的な二人の様子を車のルームミラーで見ていた運転手の男ーーセルゲイ=ロウは笑みを浮かべ、カーブに差し掛かったのかハンドルを右に切った後、後ろにいるグラン達へと話し掛けた。

 

 

「くくっ、遊撃士協会から突然連絡がくるから何事かと思えば、ガキのお守りとはな。随分と面倒見のいい教官じゃねぇか」

 

 

「迷惑もいいところっすよ。第一サラさん、どうやってオレがクロスベルにいる事を知ったんだ?」

 

 

 実は警備隊との模擬戦が終わって直ぐ、遊撃士協会からクロスベル警察の特務支援課に一本の連絡があった。内容は、エレボニア帝国のトールズ士官学院に勤めるサラ=バレスタインという人物からグラン宛に連絡を受けたというもの。ランドルフと共に夜の町へと繰り出す気満々だったグランは、特務支援課の課長であり、連絡を受けて伝言を伝えに来たセルゲイの言葉で硬直する。

 

 

──今日中に帰ってこないと、貴方の秘蔵コレクションを頂くから──

 

 

 所謂脅しである。秘蔵コレクションとはグランが自室の棚に隠してあるお酒の事で、高いものは五十万ミラ、総額で三百万ミラもする代物。グランは教えた覚えなど無いのだが、何故かサラはグランが大切にしているその秘蔵コレクションを知っているらしく、グランがクロスベルで遊び呆けて学院をサボらないようにそれを人質?にしたのだろう。酒好きのサラの事なので、グランが今日中に帰らなかったら先ず間違いなく秘蔵コレクションは空にされる。その事を恐れたグランは、後ろ髪を引かれるような思いでランドルフ達と別れた後、セルゲイの車でクロスベルへと送ってもらう事にしたという訳だ。

 

 

「このままクロスベル市に着いても列車の時間まで結構あるな──仕方ない、フィーすけ」

 

 

「ん?」

 

 

「百貨店辺りで買い物でもして、時間潰すか」

 

 

「……ん」

 

 

 運転をしているセルゲイが見つめる車のルームミラーには、フィーの頭の上に手を置きながら笑顔で話すグランと、嬉しそうに笑っているフィーの姿が映っていた。セルゲイは仲睦まじい二人の様子に笑みをこぼした後、前方へと視線を移して車のアクセルを踏み込む。

 

 

「(久し振りに、アイツを飯にでも誘ってみるか)」

 

 

 今日の夜。クロスベル警備隊の司令を務めている女性と特務支援課の課長の二人が、中央広場のレストランにて仲良く食事をしている姿が目撃されたとか。因みにグランとフィーがトリスタに戻った時には、グランの秘蔵コレクションがサラによって半分ほど空になっていた。

 

 

 



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『紅の剣聖』グラン=ハルト

 

 

 

 自由行動日から三日が過ぎ、《Ⅶ組》の面々は士官学院に入って二度目の実技テストを迎える。皆は先月と同様にグラウンドへと集合しており、そこには既にサラとトワの姿もあった。今回の実技テストの内容は先月と同じで、サラが用意した傀儡を戦術リンクを駆使して倒すこと。サラが指を鳴らした途端に突然現れる傀儡に中々慣れないリィン達は少し驚きつつも、各々得物を取り出してその手に握り締め準備を始める。その様子を見たサラは早速始めようということで、最初に実技テストを行うメンバーの名前を挙げた。

 

 

「リィン、エリオット、アリサ、ラウラ。四人共前に出なさい」

 

 

 この時点でグランの心の中に少しの不安が過ったのだが、まあ大丈夫だろうと気にした様子を見せずにリィン達が傀儡と戦う姿を眺めていた。そんな中、リィン達四人は先月の実習を経験して一段と成長したのか、戦術リンクを活用しながら難なく傀儡を倒すことに成功する。傀儡が消滅し、それを確認した四人が武器を納める様子を見てサラは満足そうに頷いた。

 

 

「いい感じじゃない。実習を通して得た経験をちゃんと自分の物に出来てるみたいだし、感心感心」

 

 

「四人共凄くてびっくりしちゃった。リィン君達、お疲れ様」

 

 

「ありがとうございます、トワ会長」

 

 

 にこにこと笑顔で話すトワの労いの言葉にリィンが頭を下げる中、続いてサラは指を鳴らすとまたまた傀儡を出現させる。そして次にテストを行うメンバーの名前を呼ぶのだが、サラが挙げた名前を聞いてグラン以外の皆が一様に同じ考えを抱いた。

 

 

「次は──ガイウス、ユーシス、マキアス、委員長、フィー。貴方達よ」

 

 

(あ、グランが残った)

 

 

 ここまで来ると最早軽いいじめといっても過言ではない。名前を呼ばれた五人が苦笑いを浮かべながら前へと出る中、グランはその場でしゃがみこんで地面に落書きをしていた。そんなグランの様子を見て可哀想に思ったのか、トワは彼の近くへ歩み寄ると頭を撫でながら大丈夫だよと元気付ける。

 

 

「きっと理由があるんだと思う。ね? グラン君元気出して」

 

 

「いいんです。バレないように隠してた秘蔵の酒まで飲まれて、オレきっとサラさんに嫌われてるんです」

 

 

「そんな事ない……ん、お酒?」

 

 

 トワが聞き返してきて、グランは漸く自分の失態に気付く。会話を聞いていたサラは額に手を当てて、何を言ってしまったんだと天を仰いだ。グランはやってしまったと口を手で塞いでトワの顔を見上げるが、そこには先程までと同様に、にこにこと笑顔を浮かべたトワの顔が。怒られずに済んだと肩を下ろすグランだったが、そうは問屋が卸さなかった。

 

 

「グラン君、ちょっとこっちにおいで」

 

 

「はい、すみませんでした」

 

 

 笑顔を浮かべながら放つトワの異様なオーラに耐えきれず、グランは直ぐ様その場で正座をすると頭を地面へとつけた。後に《Ⅶ組》の面々は語る、これ程キレイな土下座は今まで見たことがないと。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「いい、グラン君。学生がお酒を飲んじゃダメって決まってるのはそもそも──」

 

 

「はい、すみません。本当すみません──」

 

 

「(グランも馬鹿ね~。ああなった会長は暫く煩いわよ……しっかし)」

 

 

 グランがトワから盛大な説教を受けている中、サラは傀儡と戦闘を終えたガイウス達の様子を見てため息をついていた。此方はリィン達四人に比べて人数も一人多く、傀儡の強さも同じなため通常ならば苦戦をせずに済むのが道理の筈だ。その筈なのだが……結果から言うと倒しこそしたものの、五人の実技テストは散々なものだった。個々の能力に問題があった訳ではない。問題は戦術リンクが上手く繋げなかった事で、それもこれもユーシスとマキアスの二人が全ての原因だ。先月の実習で一悶着あったこの二人は戦闘中、互いに連携を無視して張り合うかのように単独行動を取っていた。そんな調子で戦術リンクが上手くいく筈もなく、思った以上にガイウス達は苦戦を強いられた訳だ。フィーを除いて今も肩で息をする四人を、と言うよりはユーシスとマキアスの二人を見ながらサラは容赦なく話す。

 

 

「この体たらくは一体誰の責任か、言わなくても分かるわね?」

 

 

「くっ……」

 

 

 ユーシスとマキアスは揃って悔しげな顔をした後、リィン達が立っている場所へと戻っていく。他のメンバーがその様子を心配そうに見つめる中、サラは最後に一人残っているグランの実技テストを行うため声をかけようとした。しかし、グランの方を向いてみると彼は未だにトワから説教を受けていた。

 

 

「お酒を飲むのは成人になってからって規則がちゃんとあるんだから、守らないといけないの。グラン君だけそれを無視して──」

 

 

「本当、すみません──」

 

 

「……駄目だこりゃ」

 

 

 トワとグランの様子を見る限り彼女の説教はまだ当分終わりそうにないので、サラは仕方なくグランの実技テストを後回しにする事にした。そして残りの《Ⅶ組》メンバーに今月の特別実習の班分けと行き先が記された紙を配るのだが、その内容を見た一同はA班のメンバーにユーシスとマキアスが二人共揃っていることに気付く。マキアスはたまらず声を荒げた。

 

 

「冗談じゃない! またこの男と同じ班なんて納得できません!」

 

 

「こっちから願い下げだ。サラ教官、もう一度検討し直してもらおうか」

 

 

 マキアスとユーシスの言い分は分からないでもない。先月の実習で殴り合いにまで発展しそうになった二人を、何故敢えて同じ班に加えるのか。リィン達もこのあからさまな班分け内容には流石にリアクションに困っている。二人はお互い別々の班にしてくれと口にするが、サラには変える気など一切ないらしい。その理由は、今回のA班が向かう実習先にあるようだ。

 

 

「A班の実習先はバリアハートだし、ユーシスは外せないのよ」

 

 

「だったら僕をB班にすればいいでしょう! セントアークも貴族の街だが、バリアハートに比べれば遥かにマシだ。貴族主義に凝り固まった連中の所へなんか行きたくもない!」

 

 

「そんな事言われてもね~……」

 

 

 尚も食い下がるマキアスにサラはどうしたものかと頭を悩ませるが、そんなマキアスを説得するために立ち上がったのは意外な人物だった。先程までトワから説教責めにあっていたグランがいつの間にか復活しており、サラとマキアスの間に割って入る。

 

 

「マキアス。お前が貴族嫌いなのは聞いてて良く分かったが、だからってサラさんの出した決定事項に逆らうのは教えてもらってる側としてどうなんだ?」

 

 

「くっ……確かにそうだが、バリアハートにだけは……」

 

 

「ふん、威勢のいい割にはその程度の言葉で押さえ込まれるとは情けない──グラン、大体つい先程まで会長から説教を受けていたお前が言っても説得力など皆無だ。それにこれは俺とこの男の問題、部外者は口を挟まないでもらおう」

 

 

「あのなぁ……ごめん、オレじゃ手に負えないわ」

 

 

 マキアスを言いくるめそうなところでユーシスが間に入り、説得に失敗したグランはお手上げとばかりにそそくさとトワの元へ戻る。確かに先程まで説教を受けていたグランが話したところで、余り説得力は無い。にしても、ユーシスとマキアスが自分達の事しか考えていないのは誰の目から見ても分かる。本人達もそれは自覚しているだろうし、だからこそ半分自棄になっているのかもしれない。

 

 

「双方引く気はない?」

 

 

「はい」

 

 

「勿論だ」

 

 

「仕方無いわね……だったら私を力ずくで言い聞かせてみる?」

 

 

 強化ブレードと導力銃を取り出して挑発げに話すサラに、一同は驚きを隠せない。先月の実技テストで、彼女の実力の高さはここにいる皆が知っている。ユーシスとマキアスも苦虫を噛み潰したような顔をし、一人笑みを浮かべるサラへ鋭い視線を向けた。サラは足を前に踏み出せない二人を見て得物を鞘とホルスターへ納め、実習についての説明を続けようとしてふと思い付く。一石二鳥の解決方法を。

 

 

「そうだグラン、あんたユーシスとマキアスの相手してあげなさい……でもそれじゃあ直ぐに片が付くだろうから、ついでにリィン、あなたも入るといいわ」

 

 

「俺もですか?」

 

 

「ええ。同じ流派として学ぶところもあるんじゃない? もしこの三人でグランに勝つ事が出来たら、二人のお望み通り班分けを検討し直してもいいわよ」

 

 

 サラの提案にユーシスとマキアスは了承し、リィンも良い機会をもらえたと参戦する。三人は前に出てそれぞれ得物を手に取りやる気を見せるが、グランは物凄く嫌がった。何でオレがそんな事をしなきゃいけないんだと。サラは嫌がるグランへ今回の実技テストは三人に勝つことが条件だと付け足し、何故自分だけ実技内容が違うんだとグランは中々了承の意思を見せない。渋るグランに、ユーシスが騎士剣を手に握りながら早くしろと促した。

 

 

「教官の決定事項に逆らうのは教えてもらってる側としてどうなんだ、と言ったのはお前自身のはずだが?」

 

 

「いやまぁ、それはそうなんだが……」

 

 

「グラン君、やってあげたら? このままじゃ話が一向に進まないみたいだし」

 

 

 遂にはトワまで相手をしてあげたらと言い出した。グランは他の《Ⅶ組》メンバーへ助けを求めるが、皆揃って諦めろと口にする。四面楚歌の状況に立たされたグランは大きなため息をついた後、前に出ると刀を鞘から抜いてリィン達三人の正面に対峙した。

 

 

「──言っとくが手加減する気はない。オレも実技テストの評価が絡んでいるわけだし、二人の望みを叶えるためにわざと負ける何て真似は真っ平ごめんだからな」

 

 

「当然だ。全力で来い、返り討ちにしてやる」

 

 

「さてと、それじゃグランの実技テストを始めるわよ──時間は無制限、グランかリィン達のどちらかが戦闘続行不可能になった時点で終了とする。双方、構えなさい」

 

 

 サラの声にリィンが太刀を、ユーシスは騎士剣を、マキアスはショットガンをその手に構える。三人の前に立つグランは同じく刀を構えると、腰を落として初撃の構えをとった。互いに準備は整い、後は開始の合図を待つだけだ。

 

 

「実技テスト……始め!」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 グラン対リィン達三人の戦闘が開始されて直ぐ、離れた場所で見ていた他のメンバーは驚愕の表情を浮かべていた。何故なら、既にユーシスとマキアスの二人が地面に膝をついていたからだ。《Ⅶ組》の皆とトワには何が起こったのかさえ理解出来なかった。明確に状況を理解出来ているのは、戦いを見守るサラと唯一立っているリィンの二人だけ。アリサは突然の展開に若干の動揺を見せながら、隣にいるラウラへ今何が起こったのかを確かめる。

 

 

「ラウラ、一体何が起きたの? グランが消えた途端二人が……」

 

 

「いや、かく言う私も辛うじて見えた程度だ。だが、グランは確かにユーシスとマキアスに接近して一撃を加えたようだな……先月の実習で私達も見たはずだアリサ。あれは──裏疾風と言っていた」

 

 

 ラウラの説明に、アリサが驚きながら先月の実習の事を思い出す。ルナリア自然公園で魔獣に囲まれた時、大市で起きた事件の犯人を追い詰めた後に現れた魔獣との戦闘。確かに、同様の出来事があったとアリサは口にする。

 

 

「グランちょっと本気っぽいかも」

 

 

「フィーちゃん、グランさんはあれでちょっとしか本気出してないんですか!?」

 

 

「うわぁ、見えてる世界が違うと言うか……」

 

 

「グランは凄まじい実力を持っているようだな」

 

 

 フィーの率直な感想にエマが驚いているその隣で、エリオットとガイウスはフィーの言葉を聞いて改めてグランの凄さを認識する。本当にどうしてグランは士官学院に入学したんだろうと皆が不思議に思いながら戦いを見守る中、唯一グランの太刀に対応する事が出来たリィンは冷や汗を流しながらグランに向かって口を開く。

 

 

「ははっ、こう手合わせしてみるとグランの凄さが改めて良く分かるよ」

 

 

「何言ってんだ、裏疾風を対応されるなんて数ヶ月振りでこっちが驚いたわ。リィンって本当に初伝か?」

 

 

「ああ、間違いない。老師からは見限られたよ……そう言えば前から一つ気になっていたんだ。グランはその、やっぱり中伝クラスなのか?」

 

 

 刀を交える事でグランの実力の高さを改めて感じたリィンは、ずっと気になっていた事も含めて現在のグランがどのクラスに該当するのかを聞いている。仮にグランが中伝クラスなら、リィンは先ずその領域にたどり着かなければならない。彼にとっては良い目標にもなるだろう。離れた場所にいるラウラも二人の会話に興味があるのか耳を傾け、グランは話すべきかどうか一瞬迷うものの、どうせ直ぐに分かる事だと結論に至ってリィンの問いに答えた。

 

 

「じいさんが話してるかどうかは微妙だが、十二の歳で免許皆伝をもらった奴の事を聞いたことはないか?」

 

 

「……以前ユン老師から聞いたことがある。二年で免許皆伝に至った、同じくらいの歳の少年がいるんだと。確か渾名は『紅の剣聖』……えっと、まさか」

 

 

「そのまさかだよ。この際だし、改めて名乗らせてもらうか──八葉一刀流弐ノ型奥義皆伝、グラン=ハルトだ。よろしく頼む」

 

 

 グランの自己紹介に、リィンを始めユーシスやラウラの顔が驚愕に染まる。自分達の目の前にいるグランが『剣聖』の名を与えられるほどの人物だと知り、驚きの余り言葉も出ない。そして数秒の沈黙の後、リィンは漸く気が付いた。とんでもない男と自分は向かい合っているんだと。

 

 

 




ああぁ……早く《C》を出さないとグランの無双状態がいつまでも続いちゃう……

助けて!アリアンロードさん!


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自分によく似た少女

前回の後書きから色々なご意見を頂き、改めてグランの立ち位置というか基準のようなものを決めることが出来ました。意見を下さった読者の方々に感謝と、そしてこれからもこの『紅の剣聖の軌跡』をどうぞよろしくお願いします。


 

 

 

「リィン、そろそろ再開しないか?」

 

 

 グランの声で、リィンは漸く現実に引き戻された。いつの日か、自分の師であるユン=カーファイが話していた人物が今目の前にいる。当時十二の年齢で免許皆伝にまで至ったという話を聞いた時ですら驚きを隠せなかったのに、同じ士官学院に通う、それも同じ《Ⅶ組》のメンバーの一人だという事実に驚かないはずがなかった。『紅の剣聖』……今のリィンには、到底太刀打ちできる存在ではない。だが、剣の道を歩む上でこれ程貴重な機会はないだろう。太刀を手に取ったその日から目指した、『剣聖』という頂きの一端を知る貴重な機会は。リィンは暫し目を瞑った後、その目を開いて正面に対峙するグランを捉える。

 

 

「──すまない、時間をとらせた。『紅の剣聖』の一端、この身で感じさせてもらうよ」

 

 

「それじゃ、オレはリィンを本気にさせてみるかね……!」

 

 

 言葉を交わした後、グランはリィンへと肉薄する。一同の耳に響いたのは甲高い金属音。消えたと錯覚するほどの速さにリィンは遅れることなく、太刀でその一撃を受け止めていた。そして小競り合いの末、グランが押し切るがリィンは後方へ距離をとって追撃を回避。しかし間髪入れずに再びグランがリィンに向かって駆ける。息をつく暇もない連撃、流石にリィンの顔にも焦りが見えた。

 

 

「(拙いな……!?)」

 

 

 グランの刀を受け止めたその時、リィンの胸の中で心臓が跳ね上がる。高くなる動悸、リィンの内に眠る何かが彼の意識を奪おうとしていた。直ぐにグランもリィンの異変に気付く。リィンから離れると、何かに耐えるように顔をしかめるリィンを見てグランは戦闘続行を不可能と判断した。リィンが胸に手を当てた一瞬の隙、戦いを終わらせるためにグランが動く。

 

 

「弐ノ型──疾風!」

 

 

 初撃と同じ構えから突然姿を消した。一同はグランを探すが、その姿は既にリィンの後方へと移動している。刀を振り抜いたグランの格好、そして太刀を支えに辛うじて倒れることを逃れた息絶え絶えのリィンを見て、漸く皆は理解した。グランがリィンへすれ違い様の一撃を与えていたという事に。

 

 

「勝負あったわね」

 

 

 サラの声と共に、グランは元の立ち位置へと離脱して刀を鞘に納める。開始数十秒の攻防は、外野の《Ⅶ組》メンバーから見れば何が起こったのか思考が追い付かない程の出来事だった。この結果を予想できていたサラとフィーの二人はそれほど驚いた様子を見せていないが、それ以外の皆は一様に信じられないと口を開く。そしてテストが終わったことで慌ててトワがリィン達に駆け寄って無事かどうか声を掛ける中、何故かグランは一人怪訝な顔を浮かべていた。その視線は、息を整えながら立ち上がるリィンの顔へと向いている。

 

 

「(何かいやがるな……リィンも相当なもんを抱えてるって訳か)」

 

 

「グラン君、グラン君ったら!」

 

 

 一人思考の海へと潜るグランは、自身がトワから声を掛けられている事に気が付いていない。徐々に頬を膨らますトワの様子に、他の皆は助けることなく和んでいる。確かに可愛らしいその姿は癒されるが、流石にいつまでも放っておく訳にもいかない。そう思ったリィンがグランに声を掛けようとしたが、リィンはグランの元に近寄って彼の視線が少しだけトワの顔へと向いていることに気付いた。

 

 

「(はは……グラン、確信犯だな。全くどうしたものやら……)」

 

 

「うぅ~グラン君ってば……もしかしてわざと?」

 

 

「あれ、バレてました?」

 

 

「もう、知らないんだからっ!」

 

 

 トワがそっぽを向いてしまうのも仕方がない、どこからどう見ても悪いのはトワをからかったグランだからだ。と言ってもグランを責める者がこの場に一人もいないあたり、トワの姿に和んでいた皆にもその責任はあるのだが。グランがトワの機嫌を直すために色々と声を掛けるその横で、サラは改めて今月の特別実習の説明を行う。

 

 

「それでは、予定通りリィン以下六名はバリアハート。ガイウス以下四名はセントアーク……異論はないわね?」

 

 

 サラの声に、メンバーの皆は頷いて了承の意思を見せた。ユーシスとマキアスの二人は納得のいった表情ではないが、約束した以上逆らうわけにはいかない。そして何か質問はないかと続けてサラは話し、一つだけ疑問に残っている内容をリィンが代表で訊ねた。

 

 

「どうして人数が偏っているんでしょうか? 多ければその分課題は楽になるだろうし、少なければ一人一人の負担が増します。A班とB班が平等でないというのがちょっと。その、異論とかではないんですが……」

 

 

 リィンの言っている事は尤もだ。A班はリィン、グラン、フィー、エマ、ユーシス、マキアスの六人。B班はガイウス、エリオット、アリサ、ラウラの四人。自分の班の方が人数が多く、有利だというのにリィンも律儀なものだ。しかし、よく考えてみればB班の方が実は有利だったりする。

 

 

「前回そこの二人が思った以上に酷くてね。ガイウスと委員長が大分苦労したみたいだから、救済措置ってやつよ」

 

 

 そう、A班は人数こそ多いがユーシスとマキアスの二人が揃っている。比べてB班は割りと仲も良好で当たり障りのないメンバー。確かに人数の優劣は余り関係無さそうだとフィーが一人呟く。そしてその呟きに二人を除いた皆が苦笑いを浮かべる中、放課後に生徒会の手伝いをするという条件で漸くトワから許しを得たグランが頭を抱えながら戻ってきた。

 

 

「最悪だ……今日の放課後が潰れた」

 

 

「グラン、これ見て。もっと最悪」

 

 

「ん? マジでか……」

 

 

 フィーから受け取った紙に書いてあるA班に振り分けられた自分の名前を見て、グランは更に肩を落とすのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 実技テストから三日後の、五月二十九日土曜日。《Ⅶ組》にとって二度目の特別実習の日が訪れる。朝の時間、A班のメンバーはグラン以外は皆トリスタ駅のロビーへと集まっていた。五人は時間まで椅子へと座って待つことにし、相変わらずユーシスとマキアスの二人が険悪なムードを漂わせる中、フィーはグランの事だからまだ部屋で寝てるんじゃないかとエマに話している。列車の時間まではまだ暫くあるので、急いで部屋まで起こしに行くのは可哀想だと《Ⅶ組》の委員長は優しすぎる事を言っているが、それも必要ないとリィンが二人の会話に入った。

 

 

「俺が部屋で準備をしている時、窓の外に学院へ向かうグランの姿が見えたから多分大丈夫なはずだ」

 

 

「グランさんが学院に……ARCUS(アークス)の整備でもお願いしに行ったんでしょうか?」

 

 

「……多分あそこかな」

 

 

 フィーにはグランが向かった場所の見当がついているようだ。どこか嬉しそうに見えるフィーの顔を見てリィンとエマは首を傾げながら、グランがロビーに来るのを待つのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 学生会館二階、生徒会室。この日、早くも生徒会の仕事を始めていたトールズ士官学院の癒し担当こと生徒会長のトワ=ハーシェルは、机の上で山積みになっている書類の整理に明け暮れていた。時折厚みのある本を開いて何かを確認するように目を通した後、あれでもないこれでもないと悩みながら書類整理を続けている。早朝から既に一時間は頭をフル回転しているトワなのだが、流石に疲れが出たのか少し休憩を取ろうと本を手に持って椅子から立ち上がった。その時、窓ガラスから響くノック音がトワの耳を刺激する。

 

 

「ん? 何だろう……ふえっ!?」

 

 

 トワが視線を向けると、そこにはグランが半分だけ顔を出して中の様子を伺っている様子が見えた。彼女は驚きの余り手に持っていた本を落とし、丁度落とした先が足の甲の上だったらしく苦痛の声を上げる。顔をしかめながらその場にしゃがみこんで、痛そうにタイツの上から足をさすっていた。

 

 

「うぅ~……腫れちゃったかな?」

 

 

 トワは歩く度にズキンと足の甲を刺激する痛みに耐えながら窓に近付くと、戸を開けてグランを中へと入れる。片目を瞑って悶えているトワの顔を見て、生徒会室に入ってきたグランは首を傾げて不思議そうに彼女の顔を眺めていた。そんな自分に起きた不幸の原因であるグランに怒ることもなく、どうしたの? と彼の用事を真っ先に訊ねる辺り彼女の人の良さが伝わってくる。

 

 

「いや~、女の子の悶える姿ってやっぱいいですね」

 

 

「……」

 

 

「すみません。会長から軽蔑の目で見られるとマジで傷つくんで勘弁して下さい」

 

 

 だったら初めからそんな事口にするなと突っ込みたくなる。普通ならドン引きの彼の発言も、心の広いトワは半分諦めた様子で許していた。いつの間にか引いていた痛みに気付くことなく、彼女はグランをソファーに座らせると正面に腰を下ろして改めて彼の用事を訊ねる。

 

 

「全くもう……で、どうしたの? グラン君今日は特別実習の日じゃなかった?」

 

 

「いや、その特別実習なんですけど……今から鬱な展開が続きそうなんで、会長の笑顔を糧に実習を乗り切ろうかと」

 

 

「もう……本当は?」

 

 

「今の言葉で恥ずかしさに顔を染める会長を見に来ました」

 

 

 ドS全開のグランの言葉に、トワは涙目で顔を俯かせていた。どうしてそんなに恥ずかしい事をスラスラと口に出来るんだと、トワは嬉しいやら恥ずかしいやら複雑な気持ちでグランの顔を上目遣いで見つめている。グランはそんなトワの顔を暫し眺めて満足したのか、立ち上がると窓へ向かって歩き出した。

 

 

「それじゃ、行ってきます」

 

 

「……うん、行ってらっしゃい」

 

 

 そして笑顔でグランを送り出すトワだったが、彼が窓の縁に足をかけて漸く気付く。またしてもグランが窓から外に出ようとしている事に。駆け寄った時には遅く、グランは窓から外へ飛び出しておりその姿はもう見えない。何度言っても扉から退室しないグランにトワは呆れながら、ふと足元に落ちている何かに気付いてそれを拾った。

 

 

「何だろう、グラン君の落とし物かな?」

 

 

 その金属で出来た大きめのペンダントは、恐らくついさっきまでここにいたグランの物だろう。トワは今度グランが生徒会室を訪れた時に返そうとそのペンダントを机の上に置こうとしたが、その時ペンダントの下部にある仕掛けに手が触れてしまい、触れた拍子でフタが開いて中の写真があらわになった。

 

 

「あれ? この子誰かに似ているような……」

 

 

 写真に写る白髪の少女に何か疑問を抱いたトワは、誰だろうと首を傾げながら思い出そうとしている。そして不意に向けた視線の先、机の端に置いていた小物の鏡が視界に入り、そこに映った栗色の髪の少女を見て彼女は思い出した。

 

 

「(あっ、私の顔だ……)」

 

 

 グランが落としたペンダント、その中に埋め込まれていた写真は確かにトワの顔によく似ていた。

 

 

 



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翡翠の公都へ

 

 

 

 特別実習一日目。生徒会室を出たグランがトリスタ駅のロビーに来たことで、A班一行は受付の女性から切符を受け取ると、トリスタ駅で停車した列車に乗り込んで目的地のバリアハートを目指す。列車内での六人は向い合わせの座席に三人づつ座り、エマとフィーの間にリィンが、そして険悪なムードを漂わせるユーシスとマキアスの間にグランが挟まれていた。リィンが時折エマの胸をチラッと見ては顔を赤く染め、その隣でエマがリィンの様子に首を傾げる中、正面に座っているグランは恨めしそうにリィンの顔を見ている。リィンが顔を赤くする訳、それは《Ⅶ組》の委員長ことエマの胸がとても大きいからである。良識人とは言えリィンとてお年頃の男子、出るとこは出てスタイルも抜群なエマの容姿は嫌でも目がいってしまう。そしてリィンとは違って堂々と見る事に躊躇いの無いグランは、それを正面から拝むために隣のマキアスへ席を代わるように促した。

 

 

「くっ……マキアス、オレと席を代われ!」

 

 

「断る。その男の隣だけは御免だ」

 

 

「そう言って……委員長の胸を真正面から眺める事が出来るから動きたくないんだろ!」

 

 

「なっ!?」

 

 

 グランの言葉に、マキアスとエマは揃って声を上げると赤面する。マキアスはエマの胸部へと視線を移し、エマは両腕で胸を隠してその真っ赤な顔を下へと向けていた。案外、グランの言ったことは的を射ていたのかもしれない。ユーシスはそんなマキアスを鼻で笑い、それが気に入らなかったのかマキアスはユーシスに突っ掛かってまたまた言い争いが始まってしまった。グランとフィーは溜め息をつき、エマが二人の喧嘩を見ておろおろとする中、リィンは喧嘩中の二人の中へ割って入る。リィンにしては珍しく、二人へキツい言葉を突き付けた。

 

 

「──そうやって、今回も二人は周りに迷惑をかけるつもりなのか?」

 

 

 ユーシスとマキアスの言い争いが止まる。二人は眉間にシワを寄せてリィンの顔を揃って見つめ、グラン達三人はリィンの言葉に少しばかり驚いていた。五人の視線を一斉に受けて、リィンは尚も続ける。

 

 

「仲良くしろとは言わない。でも今の俺達は、この特別実習をやり遂げるために集まった、共に同じ時を過ごす仲間だ。ユーシスもマキアスも、今回ばかりは協力してくれないか? このままじゃ、セントアークに行ったB班には評価点で確実に負けるだろう。俺はこの特別実習で、B班に負けるつもりはない」

 

 

 仲間、という言葉にエマは笑みをこぼす。グランとフィーはリィンの顔を見ながら感嘆の声を漏らし、ユーシスとマキアスの二人はリィンの言葉に驚いた様子を見せる。そう、リィンは今確かに負けたくないと言ったのだ。普段のリィンを見るに、余り勝ち負けにこだわるようなタイプには見えない。だからこそ、マキアスとユーシスには今のリィンがとても不思議に思えた。

 

 

「驚いたな。君が勝ち負けにこだわるとは……」

 

 

「はは、俺だってやる以上は勝ちたいさ」

 

 

「……いいだろう。その話に乗ってやる」

 

 

 自分もやる以上は勝ちたい、とユーシスはリィンの言葉に了承の意思を見せる。マキアスはその事に驚きつつも、今回は休戦だと彼も賛成した。一連の出来事を隣で見ていたエマは流石はリィンだと彼を称え、ユーシスとマキアスに感謝の言葉をリィンが口にする中、マキアスは少し照れた様子でリィンに向かって人差し指を突きつける。

 

 

「言っておくが、君の事も許した訳じゃないぞ! あくまでも一時的に休戦するだけだからな!」

 

 

「ツンデレだな」

 

 

「ツンデレだね」

 

 

「ええい! 君達は黙らないか!」

 

 

 明らかな照れ隠しを見せるマキアスをグランとフィーの二人はからかい、マキアスは更に顔を真っ赤に染めるとその場で立ち上がった。マキアス=レーグニッツ。貴族への偏見さえ無くすことが出来れば、彼は普通に良識的な人間である。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 翡翠の公都、バリアハート。帝国内で大きな権力を持つ《四大名門》と呼ばれる貴族の一人、クロイツェン州を治めるアルバレア公爵の邸宅が建つ事で知られる。現在帝国内では平民出にして宰相を務めるギリアス=オズボーン率いる革新派、《四大名門》率いる貴族派と呼ばれる二つの勢力が対立をしているのだが、その中でもアルバレア公爵は貴族派の筆頭に立つ人物。その影響もあってかこの街は貴族主義を唱える貴族の人間が多く住み、皆華やかな生活を送っていた。マキアスが嫌がる訳である。そんなバリアハートの駅に列車が着くと、リィン達は次々と駅のホームへ降りていった。そして彼らを待っていたのは、アルバレア家が所有する戦力でもある領邦軍の兵士達。先月の実習の事もあってグランは一人刀に手を添えて警戒をしていたが、ユーシスの言葉によってそれは解かれた。

 

 

「出迎えは無用だと連絡した筈だが」

 

 

「そうはいきません! アルバレア家に仕える身と致しましては、出迎えに上がるのは当然の事かと」

 

 

 領邦軍がアルバレア家に仕えるのならば、アルバレア公爵の息子であるユーシスもその対象に入る。要するに、ユーシスがA班にいる限り領邦軍も下手な真似を出来ないという訳だ。グランはそれに気付いて警戒を解いたのだが、直後領邦軍の兵士の後方から感じた気配に注意を向ける。グランの感じた気配、それは間違いなく強者が放つそれだった。やがて領邦軍の兵士が後ろから聞こえてくる男の声に道を開けると、六人の前にその人物は姿を現す。

 

 

「私が手配しておいた。そう邪険に扱わなくともよいではないか」

 

 

「あ……兄上!?」

 

 

「しばらく振りだな、弟よ。そしてご学友の諸君にはお初にお目にかかる。ルーファス=アルバレアだ」

 

 

 気配の正体、目の前の男はユーシスの兄、ルーファスだった。ユーシスと同じ金髪、そして気品のある格好と端正な顔立ちは貴公子と言っても差し支えない。事実、貴族派切っての切れ者と知られる彼は、その見た目から貴族のお嬢様方に大人気だ。リィン達が頭を下げる中、あれだけユーシスと言い争いをしていたマキアスでさえもルーファスの漂わせるオーラにたじろいでいる。

 

 

「外に車を待たせてある。先ずはそこまでご足労願おうか」

 

 

「……」

 

 

 グランが一人鋭い視線を向ける中、ルーファスはそれに気付きながらも終始笑顔で六人を案内するのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 結果から言うと、ルーファス=アルバレアはグランが思っていたような警戒すべき人間ではなかった。公爵家ならではの広い人脈か、リィンの父親であるテオ=シュバルツァー男爵や、マキアスの父親で帝都ヘイムダルの帝都知事を務めるカール=レーグニッツを知り合いに持つようで、時折ユーシスを冗談半分にからかいながら座談をするルーファスは誰がどう見ても弟思いの出来た兄に感じた。ルーファスが皆の前でユーシスをからかい、普段のユーシスからは思いもよらない戸惑った反応を見せる中、グランもいつの間にかリィン達と同じように笑顔を浮かべている。

 

 

「(シャーリィとも、昔は仲良かったんだよな。今は一方的にオレが避けてるんだが……)」

 

 

 『赤い星座』時代、妹ともあんな風に仲良くしていたな、とグランは二人の様子に昔の自分を重ね、今では修復不可能になってしまった関係を思い出して少し憂鬱になっていた。隣でフィーがグランの様子を見て首を傾げ、リィン達と雑談を終えたルーファスが今度はそんなグランに声をかける。

 

 

 

「しかし、我が弟の学友に『紅の剣聖』がいると知った時は驚いた。そなたの実力は聞き及んでいる」

 

 

「『剣聖』や『風の剣聖』に比べれば、まだまだひよっ子もいいところですよ」

 

 

「謙遜する事はない。その若さで『紅の剣聖』と呼ばれるまでに至ったのは、そなたが思っている以上に凄い事だ」

 

 

 ここまで褒められれば誰だって悪い気はしない。グランも素直に頭を下げてその言葉に感謝し、少し照れた様子を見せている。それを見たフィーはニヤニヤとグランの顔を眺めており、ルーファスがユーシスと内輪話を始める中、エマは隣のフィーへ気になっている事を話した。

 

 

「フィーちゃん。グランさんってそんなに凄い人なんですか?」

 

 

「うん……グランが本気出したら、多分サラより強いかも」

 

 

「さ、サラ教官より!?」

 

 

 実際に二人が戦ってみないと分からないとフィーは付け足すが、それでもサラ並みの強さだという事にエマは驚いた様子でグランの顔を見ている。そういえばグランは士官学院の武術訓練を全く苦にしていなかったな、とエマは普段のグランを思い出し、顔を合わせれば胸の話ばかりして自分を困らせている彼の事を少し見直していた。エマが暫くグランの顔を眺めていると、彼もその視線に気付く。どうしたんだ? と彼女に問い掛け、その声にエマは笑顔で答える。

 

 

「いえ、グランさんは凄い人なんだなぁって感心してたんです」

 

 

「……これ、もしかして脈あり?」

 

 

「そうかもね」

 

 

「胸触っても怒られない?」

 

 

「聞こえてますよ!」

 

 

 ひそひそとフィーにとんでもない事を話すグランへ、エマが真っ赤な顔をして声を上げる。エマの中で上がりかけていたグランの評価は、急激に下降していくのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 導力リムジンで今回の宿泊先へと送ってもらったA班六人は、ルーファスと別れを告げた後に目の前に建つホテル内へと足を踏み入れる。内装はいかにも貴族向けなきらびやかなもので、余りそういった事に無縁のグランは物珍しそうに辺りを見渡していた。一同が暫くその場に立っていると、ホテルの支配人と思しき男が六人の元へ歩いてきて口を開く。

 

 

「ユーシス様、本日は当ホテルをご利用いただき誠にありがとうございます」

 

 

「部屋は用意出来ているのか?」

 

 

「はい。ご学友の方々は男女別にお部屋を、ユーシス様には当ホテルのスイートルームを──」

 

 

「ちょっ、ちょっと待て!」

 

 

 支配人の話を遮り、グランが焦った様子で声を荒げる。理由は恐らく、リィン達五人は一般の部屋に対してユーシスだけはスイートルームに宿泊する事だろうと他のメンバーは考えた。公爵家の人間とは言え、今回はユーシスも実習で皆と一緒に訪れているわけで、確かにこの特別扱いは如何なものか。ユーシスもそれが分かっているからグランに言われる前に自分も男子と同室にしてくれと求め、マキアスは平等の扱いを求めようとしていたグランに少しばかり感心していた。だが、グランの考えていた事は他のメンバーの思っていた事とは全く関係ない事だった。

 

 

「男女別なのか?」

 

 

「は、はい。何か問題でも?」

 

 

「何てこった。委員長の生着替えを覗く絶好の機会が……」

 

 

「な、何考えてるんですか!」

 

 

 グランは先月の実習と違って男子と女子の部屋が別な事に落ち込んでいた。今回の特別実習、《Ⅶ組》の委員長はグランの事だけで前回以上の労力を使うことになるかもしれない。

 

 

 




周回プレイしようとPS3起動したら閃の軌跡のデータが消えてた……マラソンの日々が……(/_;)/


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真実は突然に

 

 

 

 ホテルの部屋へ荷物を運び終わったA班一行は、特別実習の課題が書かれた紙をロビーで待機していたホテルの支配人から受け取る。リィン達は早速取り掛かろうということでその場で紙を広げ、此度の実習内容を確認した。本日用意された課題は三つ、『オーロックス峡谷道の手配魔獣の退治』、『穢れなき半貴石』、『バスソルトの調達』と先月の特別実習同様に様々なものが揃えられている。一つ目と三つ目の課題はそれぞれ目を通してあらかた理解できたようなのだが、二つ目の課題である『穢れなき半貴石』というのは詳しい内容が書かれていないのでリィン達にもよく分からなかった。どうやらバリアハートの南に位置する職人通り、そこの宝飾店からの依頼らしく、まずは話を聞いてみようということで最初に職人通りへ向かう事に決まる。そして一行はホテルのロビーから外へと出たのだが、その時リィンが街並みを見渡しながらふと呟いた。

 

 

「『翡翠の公都』……名の通り、本当に綺麗な街だな」

 

 

 バリアハートの建物は、その建築様式の殆どが統一されている。中世を思わせる造りは歴史を感じさせ、街の地下全体に張り巡らされた巨大な水路は冒険好きの探求心を駈り立たせるだろう。そんな魅力の詰まった都市がバリアハートなのだが、中でも一番特徴的なのはやはり、建築物のその全てが深緑の屋根に統一されているというもの。まさに、翡翠の公都の名の通りの街並みがリィン達の目の前に広がっていた。各々が暫くその美しい光景に見入っている中、何故か突然マキアスが張り合う様に帝都を話題に上げる。

 

 

「まあ、街の規模と人々の賑わいは断然ヘイムダルの方が上だが」

 

 

 地方の都市と皇帝のお膝元である帝都の規模を比べるのは流石にどうかとは思うが、恐らくユーシスの地元ばかり賛美されていたのがマキアスには気に入らなかったのだろう。とは言えバリアハートの街並みの美しさを否定しない辺り、彼も目の前に広がる光景については皆と同意見のようだ。

 

 

「帝都も活気があっていいとは思うが、こういった風情のある景色もまたいいんじゃないか?」

 

 

「そ、それはそうだが……」

 

 

 グランの言葉に、マキアスはバツが悪くなったのか思わず口ごもってしまう。その後ろではユーシスが二人のやり取りを見ながら勝ち誇った様な顔を浮かべており、その表情に気付いたリィンはマキアスが見たらまた面倒な事になると一人ため息をついていた。そして一人蚊帳の外のフィーが退屈そうにあくびをしている中、エマがグランの顔を見ながら意外そうな表情を浮かべて口を開く。

 

 

「意外です。私てっきり、グランさんは街の風景や趣というものには興味が無いのかと……」

 

 

「そういうのを見るためだけにわざわざ足を運ぶ、ってところまではいかないけどな。機会があればついでに楽しむ程度だよ」

 

 

「それでもです。グランさんの事、ちょっとだけ見直しちゃいました」

 

 

「……こんな理由で見直されるって、委員長のオレに対する評価って一体……」

 

 

 複雑そうな表情でグランがエマの顔を見ながら呟く。ABC査定ならば、エマのグランに対する評価は間違いなくCだろう。今ので漸くBに上がりそうな段階か。兎にも角にも、日頃の発言が評価を大きく下げているという事にグランが気付く事はなかった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 バリアハート南、職人通りと呼ばれる傾斜のある道に件の宝飾店はあった。地元という事でメンバー内で最も土地勘に優れているユーシスの案内の下、『ターナー宝飾店』へと訪れたリィン達は、カウンターで客の男と会話をする店主と思しき男性へと依頼の内容を訊ねる。話を聞くと、どうやら男性はこの店の店主の息子、名前をブルックと言うそうで、今回出した依頼はある半貴石を探して欲しいとの事。実はブルックと話していた客の男は近々結婚を控えており、結婚指輪を求めに来たまではよかったものの、七曜石等の宝石が思ったよりも高価な為手が出ないらしい。そこで話し合った結果、宝石の価値としては七曜石よりも下がるが、見た目の美しさでは決して劣らない半貴石。樹の樹液が固まることにより生まれる自然の産物、『樹精の涙(ドリアード・ティア)』という石にする事に決めたそうだ。バリアハートの北に伸びるクロイツェン街道の樹から採取出来るそうなのだが、貴重な物には変わりないようで、見つけるには中々に困難を極めると言う。一連の話を聞き終わったリィン達は骨が折れそうだと頭を悩ませているが、グランだけは違った。

 

 

「……いや、案外と早く見つける事が出来るかもな」

 

 

 ただ一人、グランは眉間にシワを寄せながらそう話していた。どういう事だと他のメンバーが理由を問う中、グランは自分達の後方で店の品を物色している男に視線を移し、鋭い目を男へと向ける。そしてその視線に気付いたのか、男はその場で振り返ると青い髪を掻き上げ、グランに向かって笑みを浮かべながら一同の元へと近付いていく。男はリィン達の前で頭を垂れた後、グランに続くように口を開いた。

 

 

「確かにそちらの彼が言ったように、そう苦労する事もないだろう」

 

 

「えっ、と、貴方は?」

 

 

「これはこれは、名前も名乗らず申し訳ない。私は、ブルブラン男爵と申す者」

 

 

 突然の事に首を傾げるリィン達へ、青髪の男はリィンの疑問に答えるように一礼をしてからブルブランと名乗った。その後に先程言った事の理由を話し始めるのだが、何とブルブランは先の話で出ていた『樹精の涙(ドリアード・ティア)』をその目でついさっき確認したと言う。いかにも怪しさ満載な話だが、疑いの目を向けるリィン達に、グランは多分本当だろうとまるで根拠のない今の話を肯定する。そして未だにブルブランへ鋭い視線を向けたまま、グランが言葉を続けた。

 

 

「やっぱ知ってやがったか。つうか……何であんたがここにいる」

 

 

「ふふ、私にもプライベートというものがあるのだよ」

 

 

「あくまで私情でここにいると……まあ、あんたの活動拠点はここだったな」

 

 

「君の想像に任せる。しかし、『紅の剣聖』ともあろう君がわざわざ士官学院に入学とは……是非ともその理由をお聞かせ願いたい」

 

 

 両者の口振りから察するに、以前からグランとブルブランは知り合いのようだ。他のメンバーが二人の関係に疑問を抱いて首を傾げる中、ブルブランの言葉にグランは表情を変えず答えた。自分等まだまだ未熟で、学ぶべき事が多くあるからと。その会話を聞いていたリィン達は皆苦笑いである。グランとリィンが扱う八葉一刀流は、東方剣術の集大成とも言える流派だ。そして皆伝に至った者は武の道を極めた者が行き着く、物事の本質を見極める『理』にも通ずるとされる。仮にその八葉一刀流の免許皆伝に至ったグランが未熟なら、自分達は一体どうなるんだと。まあそもそもグランと今の自分達を比べる事自体がお門違いのような気もする、とはリィンの談である。

 

 

「取り敢えず必要な情報は手に入れたし、一先ずオレ達は探しに行かせてもらうわ」

 

 

 グランの何気ない言葉に他のメンバーが落ち込む中、当の本人は普段のお気楽な口調でそう話すと、リィン達より一足先に宝飾店を後にした。続いてリィン達がグランの後を追うように宝飾店を出ていき、ブルブランはその様子を終始笑顔で見送っている。そしてA班の面々が完全に店を出ていって直ぐ、ブルックと話していた客の男性はブルブランへと近寄ってお礼の言葉を口にした。彼等が見つけると決まった訳じゃない、とブルブランはお礼の言葉に答えた後、グラン達が出ていった店の扉へ視線を向け、笑みを浮かべながら口を開く。

 

 

「我が友グランハルト。君が求める力、その先を見通した『鋼』の意思。同じ場所に身を置く者として、そして何より一人の友人として、これからも君の行く末を見守らせてもらおう」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 ブルブランの助言通り、ターナー宝飾店を出たリィン達A班は北クロイツェン街道へ足を運んでいた。一つ一つそれらしい樹を物色し、やがて一本の樹から目的の半貴石、樹精の涙(ドリアード・ティア)を探し当てることに成功する。本当にあったとリィン達が驚きつつも、思ったより早く見つける事が出来たと、一同は男性客の喜ぶ顔を目に浮かべながら来た道を引き返す。そしてその道中、今回の依頼に大きく貢献したブルブランとの関係について、フィーがグランに問い掛ける。

 

 

「グラン、あんなのといつ知り合ったの?」

 

 

「フィ、フィーちゃん。あんなのって……」

 

 

 エマがフィーの物言いに苦笑いを浮かべる中、グランはフィーの声に答える事なくどこか遠い目をしていた。バリアハートを出てからずっとこんな感じである。心ここに有らずなグランだが、彼が何故そんな状態なのか。その理由はいたって単純なもので、考え事をしているからだ。それは、彼が士官学院に来る前に所属していたとある組織の内情についての事。

 

 

「(クロスベルの次は帝国と言ってたが、未だに第二柱の影は見えない……まあ、あの人の事だ。阻害でもされてんのかね)」

 

 

「グランは一体どうしたんだ?」

 

 

「さあな……さっさと半貴石を届けて、次の依頼に向かうぞ」

 

 

「何故そこで君がリーダー振るんだ……いや、今は休戦中だったな」

 

 

 ユーシスがリィンの言葉に素っ気なく答えて実習の進行を仕切る中、マキアスは突っ掛かろうとして思い止まる。列車での約束を思い出したのだろう。ここは我慢だ、と自分に言い聞かせるように呟きながらバリアハート内へ足を踏み入れた。続いてその後ろを上の空のグラン、その様子に首を傾げるフィー、最後に苦笑いを浮かべたエマが歩いていくのだが、何故か突然エマが驚いた様子で声を上げる。

 

 

「セ、セリーヌ!?」

 

 

 普段から大人しいイメージのエマが上げた突然の声に、リィン達は揃って彼女へと視線を向ける。上の空だったグランも顔を向けており、皆に視線を向けられている事に気付いたエマは恥ずかしさからか顔を赤く染め、メンバーに少し待っていてと断りを入れると駆け足でその場を後にした。その場で待機するリィン達は彼女の背中を目で追いながら首を傾げ、当のエマは街道のはずれまで走ると立ち止まる。そして草影に顔を近づけると、何やらこそこそと話し出した。

 

 

「ど、どうしてこんなところまでついてきたの!」

 

 

「そんなの決まってるじゃない。あなたが心配だからよ」

 

 

 エマのひそひそ声に答えたのは、綺麗な女性……ではなく綺麗な毛並みをした黒猫。そう、猫である。猫が人語を話したわけである。動物が喋ったらまず慌てふためくと思うのだが、エマはその猫の事を知っていたようで普通に話していた。大丈夫だから帰って、とエマがその猫に向かって必死に話しかける姿は非常にシュールなものがある。そしてエマの言葉を受けたそのセリーヌという名前の黒猫は、ひとつだけ伝える事がある、と深刻そうな声で話し始めた。

 

 

「漸く思い出したのよ、グランって子の事。エマ、彼には気を付けなさい。執行者No.ⅩⅥ『紅の剣聖』……あの子、『執行者(レギオン)』の一人よ」

 

 

「えっ……」

 

 

「あの女ともかなりの接点があるみたい。グランって子、は──」

 

 

 エマが驚いた様子でその顔を唖然とさせる中、セリーヌは話を続けるために言葉を紡ごうとして何故か急に歯切れが悪くなる。そして徐々にエマとセリーヌを影が覆い始め、ふとエマが後ろへと振り返った。彼女の顔が驚愕に染まる。

 

 

「委員長、その猫と面白そうな話してんな」

 

 

「……グランさん」

 

 

 彼女達の目の前には、いつもと変わらぬ笑顔のグランが立っていた。

 

 




閃の軌跡のデータが消えてからマラソン再開後……漸く第二章突入。あれ、遅くね?って思って友人に相談しました。

友人「いや、攻略サイト見たら早いんじゃね?」

いてミ「……マラソンの時間返せよ!?」

隠しクエスト探すのに走り回った時間を返して!?


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帝国の現状

 

 

 

 街道の外れ、草木の薫りを含んだ風が吹き抜けて両者の髪を揺らす。エマはその手に魔導杖を構え、セリーヌはその横で毛を逆立たせて威嚇をしていた。一人と一匹の目の前には笑顔を浮かべたグランが立っている。エマがグランに対して向けている目には、普段の彼女が漂わせている優しさの欠片も垣間見えない。少なくとも、この特別実習で同じ時を過ごす"仲間"に向けるものではなかった。

 

 

「グランさん……貴方の目的は何?」

 

 

 明らかな敵意を向けて、エマは口を開く。グランの表情からも笑みが消えた。一度その瞳を閉じた後、突き刺すようなエマの視線を睨み返す。街道の魔獣あたりなら一目散に退避していきそうな程、威圧的な雰囲気を伴った目。しかし、それでもエマが怯むことはなかった。僅かに震える手で力一杯魔導杖を握り締め、話す気配のないグランへと更に言葉を続ける。

 

 

「答えなさい。貴方の目的は何?」

 

 

「……委員長、手が震えてるぞ?」

 

 

「はぐらかさないで! 質問に答えなさい。貴方の……貴方達の目的は何ですか? もし《Ⅶ組》の皆さんを傷付けるつもりなら──」

 

 

 許しません。エマはそう言葉を紡ごうとして止まる。いや、止まらざるを得なかった。十数アージュは離れていたグランとの距離、それが突如として一瞬の内に埋まってしまう。認識することすら許されない速さ、それこそ互いの息づかいがはっきりと分かるほど二人の顔は接近していた。エマとグラン、両者の顔は現在僅か数リジュの距離に縮まっている。

 

 

「どうするつもりだ?」

 

 

「──っ!?」

 

 

 グランの声質は普段と変わらない。その表情も笑みを浮かべており、いつものグランだ。ただ、通常の何倍も重力がかけられたような錯覚を感じるほどの威圧感だけは未だ漂っている。突然至近距離まで接近してきたグランに驚きながらも、エマは思考を巡らせた。こんな状況だが、恐らくグランに争う気はない。勿論自分も彼と事を構えるつもりはない。それに今の一瞬の出来事から、彼がその気になればいつでも自分の口を封じることは出来るんだということも理解できた。そして同時に、問い詰めていた筈の自分の立場が既に逆転している事にエマは気付く。

 

 

「(駄目、私じゃとても敵わない……)」

 

 

 途端に彼女を恐怖が襲った。額からは嫌な汗が流れ始めている。魔導杖を握り締めた手も汗でベトベトだ。金縛りにあったかのように、エマはそのまま硬直して動けなくなった。彼女はグランに顔を向けたまま目線を横下へと向ける。唖然とした表情のセリーヌがそこにはいた。穏やかな気候の下張り詰めた一帯の空気は、一人と一匹の呼吸を許さない。ゆっくりとグランがエマの顔に手を近付け、彼女は身の危険を感じて反射的に目を閉じる。しかし、エマが終わりを覚悟したその瞬間、張り詰めていた場の空気は突然にして消える。

 

 

「……なーんてな」

 

 

 まるで今までの事が全て冗談だったかのように、グランは笑いながらエマの眼鏡を外し、胸ポケットから手拭いを取り出して彼女の額の汗を拭い始める。一方でエマには一瞬何が起こったのか分からなかった。軽い過呼吸になりながらも、目の前にぼやけたグランの顔があること、自身の額に浮かんだ汗が拭かれている事を認識する。程なくしてグランは眼鏡を元いた場所へと戻す。そして視力の回復したエマは、申し訳なさそうに自分の顔を見ているグランを視界に捉えた。

 

 

「あんまり過去は触れられたくないからな。少しばかりピリピリしちまった」

 

 

「……過去?」

 

 

「はぁ、はぁ……一体、どういう意味かしら?」

 

 

 怪訝な顔でエマがグランに聞き返す。同様にセリーヌも呼吸を整えてからエマに続いた。エマとセリーヌの声に、グランは自分の頭をわしゃわしゃと掻いてから言いにくそうに告げる。

 

 

「オレ、一応結社からは抜けたんだよ。つまり──元執行者ってわけだな」

 

 

「流石に納得しがたいわね」

 

 

「……ごめんなさい、グランさん。私達がその言葉を鵜呑みにすることは、出来そうにありません」

 

 

「弱ったな……あの変態を出しに使ってもいいんだが、絶対仕返しくらうだろうし……」

 

 

 頭を抱えながらブツブツと独り言を呟き始めるグランを目の前に、エマは迷っていた。確かにグランの言葉は信憑性に欠ける。だが、どちらにせよ信用するしかないのだ。万が一グランが敵だったとしても今の自分に対抗策などないし、第一自分達を騙してまで彼が《Ⅶ組》に居続ける意味がよく分からない、と。結局のところ、エマもセリーヌも現状を傍観する以外のやりようがないわけである。

 

 

「……リィンさん達を傷付けないと、約束できますか?」

 

 

「ん? そりゃあ、約束できるが……」

 

 

「でしたら……一先ずグランさんの言葉を信じます」

 

 

 完全にグランを信用する事はできないが、《Ⅶ組》の皆へ危害を及ぼさないという彼の言葉を信じて、エマは漸く笑顔を浮かべた。セリーヌもそれが落としどころだと納得し、グランは信用してもらえて良かったと笑みを浮かべている。A班はただでさえユーシスとマキアスの仲違いでピリピリしているのに、グランとエマまでそんな状態になったらリィンの心労は計り知れないだろう。そういった意味での妥協も、エマの判断材料には含まれていた。

 

 

「しっかし……委員長眼鏡外したらめちゃくちゃ美人だな」

 

 

「えっ!?」

 

 

「いやー、美人で胸が大きいとか委員長ドストライクだわ……サラさんは別だが」

 

 

 突然のグランからの不意打ちにエマが顔を真っ赤に染める中、グランは聞かされる本人からしたら恥ずかしい事を躊躇うことなく口にする。何気にサラは酷いことを言われているが。そして明らかに面白がってからかうグランの様子に、エマは肩を落としてため息をついた。

 

 

「も、もう……やっぱり信用できません」

 

 

「……本当に大丈夫かしら、彼」

 

 

 端から二人の様子を見ていたセリーヌは、その光景にただただ呆れているのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 現実では、時折考えられないくらい理不尽な出来事が起きるものだ。今まで頑張ってきた事が全て一瞬の内に水の泡になったり、必死の努力が一向に報われなかったりする。そんな事を言ってしまえば元も子もないのだが、そういった事態をどうしても避けられない時もあるだろう。そして現在バリアハート市内のホテル前にて、グランとエマが戻ってくるまで待機しているリィン達は、そんな理不尽な光景をつい先程目の当たりにしていた。

 

 

「くっ、これだから傲慢な貴族連中は」

 

 

「……」

 

 

 行き交う街の人々に聞こえない程度に、マキアスは怒りを露にして声を発する。普段ならその言葉に皮肉混じりで言い返すユーシスだが、今回の彼はマキアスの隣で目を閉じたまま無言だった。フィーはいつも通りの眠そうな顔で屈伸をしている。そしてその横でリィンは何だかやりきれない表情を浮かべていた。四人が目の当たりにした出来事、それは北クロイツェン街道で採取した樹精の涙(ドリアード・ティア)をターナー宝飾店のブルックの元へと届けた時に起きる。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「ああ、君達か……樹精の涙(ドリアード・ティア)は見つかったかい?」

 

 

「はい、こちらです」

 

 

 店内に入り、リィンは浮かない顔をしたブルックへと半貴石を手渡す。そしてそのまま加工の工程へ運ばれると思われたそれは、思わぬ人物の手へと渡ることとなった。カウンターへ、一人のメイドが近付いて来る。

 

 

「どうぞ、これが樹精の涙(ドリアード・ティア)になります」

 

 

「確かに……旦那様、こちらになります」

 

 

 メイドの手へと渡ったその半貴石は、そのまま店の隅にいた貴族の男の元へたどり着く。そして半貴石の行き着いた先は……何とその男の胃袋の中だった。男はメイドから樹精の涙(ドリアード・ティア)を受け取ると、口に含んでものの見事に噛み砕いたのだ。事情を知らないリィン達は唖然とし、マキアスに至っては貴族の男へ怒鳴り声を上げた。ユーシスも流石に見過ごせないと、その男へ説明を求める。

 

 

「俺達がわざわざ足を運んで手に入れたというのに……一体どういう了見だ」

 

 

「ユーシス様、実は──」

 

 

 貴族の男の説明によると、この半貴石は体内に摂取する事で滋養強壮の効果があるのだという。そして店主の息子であるブルックと、本来渡るはずだった男性とも今回の取引は成立しているのだと話す。ブルックも男の話を肯定し、樹精の涙(ドリアード・ティア)を受け取る予定だった客の男性も今回の事は何も問題はないんだと続けた。しかし、二人の顔は明らかに落ち込んでいる。貴族の男は用が済んだとばかりにメイドを引き連れて店を出ていき、店内に残ったリィン達は客の男性へ、納得の上での事なのかと問い掛けた。

 

 

「納得も何も、貴族に渡せと言われたら、僕達平民が渡せないなんて言えないんだよ」

 

 

「それ相応のミラは支払われたよ。残念だけど、今回は諦めるしかないんだ」

 

 

「そんな……」

 

 

「いいんだ。結婚指輪の資金は、村の皆から借りて何とか工面しようと思います……君達も、今日はありがとう」

 

 

 客の男性はリィン達へ御礼を述べると、重い足取りでターナー宝飾店を後にする。特別実習最初の課題は、帝国における貴族制の問題点を改めてリィン達へ思い知らせる形となった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 貴族とは本来、領民を守るために存在している。そしてその代償として、平民は畑を耕し彼等に税を納める。こうして見ると、貴族制は互いを支え合い、持ちつ持たれつの関係という理想的な制度だ。しかし、帝国の現状はその理想的な関係を築けてはいなかった。今回のような、貴族と平民の身分の違いによって引き起こされる優劣。平民は貴族に従うものだと、帝国各地で出来上がっている一方的な搾取の構図。

 

 

「ふーん、そんな事がねぇ……」

 

 

「男性の方、少し可哀想ですね」

 

 

「グランもエマ君もそう思うだろう? やはり、貴族制は廃止するべきだ」

 

 

 ホテルの前にてリィン達と合流したグランとエマは、一連の出来事を聞いてやはりやりきれない表情を浮かべている。勿論、全ての貴族がそういった人間というわけではない。一部の良心的な貴族には、民を思いやり、手と手を取り合って互いに助け合う理想的な構図を築けているところもある。例えば現在帝国内で対立している革新派と貴族派。その貴族派の筆頭とされ、各地を治めている《四大名門》なる大貴族。アルバレア公爵家、カイエン公爵家、ログナー侯爵家、ハイアームズ侯爵家。そしてその中でも、ハイアームズ侯爵家は今回行われた税の引き上げを唯一行っていない。これは、領民の生活を考えたハイアームズ侯爵の意向である。だからこそ、マキアスの言うように貴族制を廃止するべきだという考えが必ずしも正しい訳ではない。帝国の古きよき文化を大切にするという貴族派の意見も一理あるわけだ。しかしその貴族制の廃止を反対する貴族派は、自分達の立場が弱くなる事によって権力を失うのが嫌だという、これまた自己中心的な考えを持つ者が大多数を占めるので話が余計に拗れるのだが。

 

 

「今回の事は俺も不本意だが、これが帝国の現状だ。かと言ってそこの男が話すように貴族制の廃止が正しいとは思わんが」

 

 

「ふん……君達貴族と違って、僕はそこまで傲慢じゃない。必ずしも自分の意見が全てなどとは思っていない」

 

 

 だったら先ずその明らさまな貴族嫌悪の姿勢を変えろよ、と喧嘩腰のマキアスに対してグランが思ったのは仕方ないだろう。まあ、一応この特別実習では休戦中の二人なので、取っ組み合いになるような事はないだろうが。

 

 

「今回は残念だったけど、俺達も特別実習で訪れている身だ。落ち込んでばかりもいられないし、早く次の課題に取り掛かろう」

 

 

「賛成、この二人の言い争い聞き飽きた」

 

 

「右に同じ」

 

 

「はいはい。フィーちゃんもグランさんも、火に油を注ぐような事は言わないの」

 

 

 リィンの声に、フィーとグランは右手を挙げて同意する。そしてA班の保護者担当ことエマの言葉を最後に、六人は再び特別実習を再開するのだった。

 

 

 




ごめんなさい、マキアス批判っぽくなってますが作者はマキアス大好きです。もう少し上手く描写できればいいんだけど……私の今後の課題です。


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戦術リンクの断絶

 

 

 

 六人全員が揃ったA班は、中央広場にあるオープンテラスにて午後のティータイムを楽しんでいる貴族の男性二人組から『バスソルトの調達』を受ける。依頼の品はピンクソルトと呼ばれる文字通りピンク色の岩塩なのだが、どうやらオーロックス峡谷道で採取出来るらしく、『オーロックス峡谷道の手配魔獣の退治』と平行して進めることになった。そしてリィン達一行は、バリアハート東のオーロックス峡谷へと足を運ぶ。道中、リィンが峡谷道を歩きながら呟いた。

 

 

「へぇ……結構険しい道を想像してたけど、大分舗装されているんだな」

 

 

 峡谷とは言ったものの、その道は舗装されているためかなり歩きやすくなっていた。起伏の激しい道を想像していたリィンは少し拍子抜けだったのか、意外そうな表情を浮かべて道を進む。とは言え、舗装された道の周囲は起伏の激しい場所も確かに存在し、此度の手配魔獣も峡谷道の道はずれに生息しているという情報なので体力を使う事に変わりはないのだが。一行が暫く道なりに進んでいくと、手配魔獣の生息するエリアに差し掛かる。舗装された道からはずれ、リィン達の足下は徐々に険しいものへと変わっていった。側には深い谷底も見え、足を踏み外せば大惨事なので一行の足取りも慎重になっていく。そして、傾斜のある道が見え出してフィーがグランの袖を引っ張り始めた。

 

 

「めんどくさい……グラン運んで」

 

 

「やだよ! どうせ背負うなら委員長のほうが……」

 

 

 グランとフィーの緊張感のないやり取りに他のメンバーがため息をつき、グランの視線を受けたエマは彼の言葉の意図を理解したのか顔を真っ赤に染めて結構だと断っている。リィンはそんな光景に先行きが少々不安になりながらも道を進み、傾斜を上がると広い場所に出て今回の手配魔獣と思しき魔獣を視界に捉えた。二つの大きな鋭い爪を持つ禍々しい姿のその魔獣は人一人を軽く覆う程の大きさで、街道や峡谷道で見かけた魔獣とは明らかに違う存在感を放っている。手強そうだとリィンが話し、彼が太刀を手に取ったのを皮切りに皆もそれぞれ得物を構え始めた。

 

 

「おい、今回は僕達も戦術リンクを組むぞ。いつまでもこのままじゃ拙いからな」

 

 

「フン、いいだろう。寛大な心を持ってして貴様に合わせてやる」

 

 

「僕の方こそ……!」

 

 

 マキアスとユーシスも自分達の問題は意識していたのだろう。仲が良いとまではいかないものの、二人の会話を聞いたリィン達は良い兆候だと思いながら魔獣へと視線を戻す。そして睨み合った後にリィンが魔獣へ向かって駆けようとしたその時、グランがその動きを制した。

 

 

「こいつは……リィン、ここは任せた」

 

 

「グラン、どうした──これは!?」

 

 

 表情に険しさを増して話すグランの言葉の意味がよく分からなかったリィンだったが、その疑問は直ぐに解決する。自分達が今立っている丘の向こう側、下に通っている峡谷道から突然魔獣が飛び上がって来たからだ。その姿は先にリィン達が対峙した魔獣と変わらない。ただ、三倍ほどの大きさのそれは先の魔獣と比べ物にならない存在感を漂わせていた。二匹が同時に攻撃を仕掛けてくればリィン達は人溜まりもないだろう。最悪の事態を避けるため、魔獣の注意を引こうとグランが動いた。その姿が忽然と消え、直後に魔獣の苦しむ声が周囲に響き渡る。リィン達が気付いた時には、グランは既に刀を振り抜いた状態でその巨大な魔獣の後方にいた。

 

 

「お前さんの相手はこっちだ──」

 

 

 そう呟いた後、グランは丘の下に通る舗装された道へと飛び降りる。勿論魔獣に柔軟な思考判断が出来るはずもなく、その挑発に易々と乗った。同じく丘から飛び降り、グランの後を追っていく。残されたリィン達は突然の事に驚きを隠せない。あの大きさを一人で相手にするのは無茶だ、と五人は後を追おうとするが元々丘にいた魔獣がその道をふさぐ。巨大な爪を広げて威嚇を始め、どう考えても素直に通してもらえそうにない。リィン達は顔をしかめながら、魔獣に向けて再度武器を構えた。

 

 

「くっ……皆、何とか撃退してグランに加勢するぞ!」

 

 

 リィンは掛け声を発した後、魔獣に向かって一目散に駆ける。直ぐ様正面に躍り出ると一閃、魔獣の胴目掛けて両手に握り締める太刀を振り抜いた。しかし考えていた以上に魔獣の胴は硬いのか、リィンに余り手応えはない。魔獣も直ぐに攻勢に移り、リィンは爪による反撃を太刀で受けながら後方のエマへと声を上げる。

 

 

「委員長!」

 

 

「白き刃よ……お願い!」

 

 

 リィンが魔獣の爪を受け流して飛び退いたその場所を、エマが具現させた光の刃が通過する。物理的な攻撃に耐性のあるその強硬な魔獣の胴も、それを防ぐ術が無かったのか直撃を受けて大きく体勢を崩した。直後にエマがフィーの名前を呼び、リンクを繋げていたフィーも光の刃が通過した絶妙なタイミングで魔獣の懐へと飛び込み双銃剣のトリガーを引く。フィーによる零距離からの射撃、流石に効いたのか魔獣もうめき声を上げた。

 

 

「僕達も続くぞ!」

 

 

「フン、貴様に言われなくとも分かっている!」

 

 

 ここぞとばかりにマキアスの散弾銃による攻撃、そして着弾した直後にユーシスが魔獣に斬りかかる。戦術リンクを用いての穴のない連携、リィン達三人も二人が上手く連携を取っている様子に安堵の表情を浮かべていた。そして更なる猛攻を仕掛けようとユーシスが打突技を構えたその時、突然彼の動きが止まる。その隙を魔獣は逃さず、鋭利な爪をユーシス目掛けて振りかざした。ユーシスは眉間にシワを寄せながら、魔獣の爪を剣の腹で受け止める。

 

 

「この阿呆が……っ!」

 

 

「ユーシス、どうしたんだ!」

 

 

「戦術リンクが切れてる……ちょっと拙いかも」

 

 

 ユーシスの異変に気付いたフィーは直ぐにフォローへ回るため、離れた場所から双銃剣の連続射撃で魔獣の胴横を撃ち抜いた。しかし距離のある射撃は致命傷を与えることは出来ず、魔獣は大きく跳躍すると今度はエマとマキアスが立つ後衛の元へ着地する。戸惑う二人へ容赦なく巨大な爪を叩きつけ、二人共それぞれ魔導杖と散弾銃で何とか衝撃を受け止めた。とはいえかなりの威力が伴っていたのか、両者とも後方へ飛ばされて体勢を崩してしまう。魔獣は更なる追撃をと二人に向けて駆けた。

 

 

「はあぁぁ……せいやっ!」

 

 

 直後、リィンが鞘に納めた太刀を抜刀して発生させた斬撃波を魔獣の背後に浴びせる。エマとマキアスに焦点を合わせていたため周りが見えていないのか、魔獣はその場で硬直した。好機とばかりに、ユーシスとフィーが続く。ユーシスの騎士剣による斬撃、その一振りで崩れ落ちた魔獣の体にフィーが飛び乗った。

 

 

「これで……終わりっ!」

 

 

 連撃によって衰弱した魔獣の体へ、フィーは再び零距離の射撃を加える。威力は十分、その一撃で魔獣はピクリとも動かなくなった。フィーが魔獣の体から飛び退いて側に着地すると、駆け寄ってきたエマに向けてVサインをしている。胸に手を当てて安心した表情のエマと、同じく近寄ってきたリィン。だが、残りのユーシスとマキアスの二人は余り穏やかなムードではなかった。リィン達のすぐ近くで、両者は互いに睨み合っている。

 

 

「ユーシス=アルバレア……どうしてあのタイミングで戦術リンクが途切れる?」

 

 

「こちらの台詞だ、マキアス=レーグニッツ……一体どういうつもりだ?」

 

 

 この特別実習で始めて漂わせるユーシスとマキアスの酷く険悪な雰囲気。突然の戦術リンクの断絶は、自分達の身体の安否に関わる重大な局面で起こってしまった為に双方の怒りを倍増させる。ジリジリと互いの距離を縮める二人。そして案の定、二人は互いの胸ぐらを掴み合った。

 

 

「一度は協力すると言っておきながら、心の底では平民を馬鹿にする……君達貴族は皆そうだ!」

 

 

「阿呆が……その決め付けと視野の狭さこそが一番の原因だと何故気付かない!」

 

 

 流石にリィン達三人も二人の間に割って入ることが出来ない。二人の気持ちは痛いほど分かるのだが、今ここで言い争いをしている暇などない事をユーシスもマキアスも気が付いていなかった。リィン達の近くでのそりと起き上がる魔獣、そして魔獣の爪が狙う先は胸ぐらを掴み合っているユーシスとマキアスの二人。魔獣に息があることに気付いたリィンは声を上げると、言い争う二人を咄嗟に押し退けた。

 

 

「ぐっ……」

 

 

 魔獣の奇襲は掠り傷で済んだものの、リィンは肩を押さえてその場で膝をつく。一方でフィーは魔獣を観察するが、既に力を使い果たしたのか地面に崩れ落ちて完全に沈黙していた。エマが傷の手当てをするためにリィンの上着を脱がす中、原因を作ってしまったユーシスとマキアスは心配そうにリィンの顔を見ている。大丈夫だとリィンが二人に安心させるように声を掛け、エマによる迅速な応急処置のおかげか大した出血もなく大事に至らずに済んだ。

 

 

「ベアトリクス教官に教わった応急処置が役に立ちました……リィンさん、一応肩は動かさないで下さいね?」

 

 

「ああ、ありがとう委員長……それと二人共、怪我はないか?」

 

 

 自身の体が傷ついても尚ユーシスとマキアスの身を案じるリィンの姿は、周りを省みず言い争いをしていた二人の胸に痛く刺さった。ユーシスもマキアスも、自分に怪我はないとリィンの言葉に答え、リィンもその声に安心する。そしてリィンが立ち上がったその横で、フィーが重要な事を話した。

 

 

「ねぇ……皆グランの事忘れてない?」

 

 

「そ、そうでした! グランさん一人で先程の魔獣と……」

 

 

「行くぞ、皆!」

 

 

 怪我をしているにもかかわらず太刀を握って先頭を走るリィンをどこか危なげに感じながら、ユーシス達もそれぞれ武器を構えてその後をついていく。そして直後に魔獣の叫び声が響き渡り、丘の端まで駆け寄った五人は峡谷道を見下ろしてその光景に唖然とする。それもそのはず、五人の目には頭部と胴、二つの爪がそれぞれ分断された状態の魔獣が映っていた。同時にカチャっと刀を納刀する音が聞こえ、リィン達の視線は音のする方向へと移る。

 

 

「──見たか、八葉が一刀」

 

 

 五人の視線の先には、周囲の空間を一瞬で支配するほどの膨大な闘気を放ちながら、目の前に掲げた鞘に刀を納めるグランの姿があった。

 

 

 




ゲームを同時進行しながら、もう何で二人リンク切れちゃうのって肩を落としました。話だけ聞いてるとマキアスが一方的に悪い感じなんですがね……ユーシスもナチュラルに見下すような発言しちゃうからなぁ。でもやっぱりマキアスの方が悪いんだろうけど。


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《Ⅶ組》の意味

楽しみに読んでいた《死翼》の歩く軌跡が終わってしまうらしい……何この空虚感。


 

 

 

 体をバラバラにされた巨大な魔獣と、側で刀を納めている赤髪の少年(グ ラ ン)。彼の事を何も知らない人が、今現在リィン達が見ているこの異様な光景を目撃しても理解に苦しむだろう。グランの実力をよく知っているリィン達ですら、この状況に理解が追い付かずに驚いているのだから。そしてグランが漂わせている闘気は周辺の空気を張りつめたものへと一変させ、それは向けられていない五人にも息苦しさを感じさせるほどのものだった。 暫く唖然とグランの姿を眺めているリィン達だったが、突然何かに気が付いた様子のフィーが慌てて峡谷道へと飛び降りる。丘の上に残された四人はフィーの行動に驚きながらも、その後を追いかけようと峡谷道へ繋がる道へと引き返した。そして一目散にグランの元へ駆け寄ったフィーは、彼の背後から抱きついてその顔を背中へと埋める。同時にグランが放出していた闘気は鎮まり、表情も穏やかなものへと変わったグランは突然背中に抱きついてきたフィーへと声を掛けた。

 

 

「どうしたんだよ、フィーすけ。そっちの方は上手くいったのか?」

 

 

「うん、上手くいった」

 

 

「そうか……で、本当にどうしたんだ? 動けないから離れてくれ」

 

 

「……同じだった」

 

 

「ん?」

 

 

「──赤い戦鬼(オーガ・ロッソ)の時と同じだった」

 

 

 その言葉で、グランはフィーの言いたいことが直ぐに分かった。先程の魔獣との戦闘でグランは一時的に全力を出したのだが、グランはフィーに全力で闘う場面を一度しか見せたことがない。『西風の旅団』を辞める前日、自身の父親であるシグムントと一騎打ちをした時。そう、彼女は思い出したのだ。グランが突然団からいなくなった時の事を、その時感じた不安や悲しみを。抱きつく力を段々と強めていくフィーの心情を理解したグランは、その不安を取り除くために普段は発することのない穏やかな声で話す。

 

 

「フィーすけ達が応援に来るまで時間稼ぎしようと思ったんだけどな、無理っぽいからさっさと倒すために全力を出しただけだ」

 

 

「……」

 

 

「そう心配すんなよ。言っただろ? もう突然いなくなったりなんかしないって」

 

 

「……ん」

 

 

 グランの言葉で漸く顔を上げたフィーは、抱き付いていた体を離して振り返ったグランの顔を見上げる。その顔は少しだけ目が潤んでいる様にも見えるが笑顔を浮かべており、不安といった感情は感じない。グランはそんなフィーの頭をくしゃくしゃと荒っぽく撫でた後に、峡谷道へ転がっているバラバラになった魔獣へと視線を向けた。

 

 

「しっかし、学生にこれを退治してくれって少し無理がありすぎだろ。領邦軍は何考えてんだ」

 

 

「一応危なくなったら退くようにって捕捉してあった。それにこれ、多分手配魔獣じゃないと思う」

 

 

「そうなのか? だとしたら何つう間の悪さだよ……」

 

 

 グランは若干顔を引きつらせながら魔獣の残骸を見た後、息を切らしながら駆け寄って来るリィン達に気付く。手を挙げていつものようにお気楽な様子で無事をアピールし、リィン達もグランの様子を見て安心したのか側で立ち止まると肩で息をしながら呼吸を整えていた。グランは四人の様子に苦笑いを浮かべながら、ふとリィンの右肩へ視線を移して首を傾げる。

 

 

「リィン、肩どうかしたのか?」

 

 

「ああ、さっきの魔獣との戦闘でちょっとな。委員長が手当てしてくれたし、痛みも殆どないから大丈夫だ……でもよく分かったな」

 

 

「走ってた割には、右腕だけ振りが微妙に小さかったからな。まあ、大した怪我じゃないんなら何よりだ」

 

 

 リィンと会話をしている間、ユーシスとマキアスの表情が優れない事に気が付いたグランは、恐らく怪我の原因は二人だろうと思い至る。二人が怒鳴り合う声は魔獣と戦闘中のグランにも聞こえていたようで、その時は流石のグランも二人に呆れていた。だが今の二人の表情を見るにかなり反省しているようなので、多分同じ事は繰り返さないだろうとグランは安心する。そして最後に少し困った様子のエマへと視線を移した。

 

 

「委員長も大変だったな」

 

 

「あはは……でもグランさんの方が大変だったんじゃないんですか?」

 

 

「そうなんだよ、本当に大変だった……労ってもらえるか?」

 

 

 自分から労ってくれと話すのもどうかと思うのだが、人の良い《Ⅶ組》の委員長は笑顔でお安いご用だと答える。そしてエマが労いの言葉を掛けようとしたその時、グランの視線が段々胸へと下がっていく事に彼女は気付いた。エマは眉をひそめながら、グランが言いそうな台詞を考えて先に釘をさした。

 

 

「言っておきますけど、抱き締めて欲しいとかは無しでお願いします」

 

 

「何で分かったんだ……ガックシ」

 

 

「あははは……」

 

 

 グランが肩を落として落ち込んだ様子を見せる中、苦笑いを浮かべたリィンの笑い声だけがその場に広がるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 手配魔獣の退治も終わり、リィン達は報告をするためにオーロックス砦へと向かった。道中、貴族から受けた依頼の品であるピンクソルトも見つけたが、今日中に届ければ問題ないだろうというユーシスの判断でそのままオーロックス砦へ。峡谷道を抜け、砦へと到着した六人の目の前には要塞と化したオーロックス砦が広がる。帝国東部のクロイツェン州を守る領邦軍の拠点とはいえ、国境でもないこの場所に位置する砦には不釣り合いなほどの防衛機能を持っているように思えた。六人が領邦軍の兵士に報告するべく道を進む中、砦の側に引かれた鉄路(レール)の上を貨物列車が通過する。列車に積載されている、青色のシートで養生された物体を眺めてリィンが口を開いた。

 

 

「載っていたのは……戦車?」

 

 

「ああ、あれは確かRF(ラインフォルト)の最新型──」

 

 

十八(アハツェン)だね」

 

 

 首を傾げるリィンの疑問に、グランとフィーが続けて答えた。ゼムリア大陸でも一、二を争う巨大重工業メーカー『RF(ラインフォルト)社』の最新型、そして列車に積載されていた戦車の数が十数機は見えた事からその額は膨大だろう。公爵家が行った増税の行き先はここか、とグランが走り去る列車を見ながら呆れていた。一方でユーシスは別に考えるところがあるのか、怪訝な顔を浮かべた後に歩く足を早める。早く報告を済ますぞ、という彼の言葉にマキアスが突っ掛かろうとするのをエマが宥め、五人もユーシスの後を追った。そして六人はオーロックス砦の入口に着き、そこに立っている領邦軍の兵士二人に声を掛ける。リィンが魔獣退治の報告を終えると、その兵士達は驚いた様子で話し始めた。

 

 

「学生に頼むのもどうかと思ったんだが、退治してくれたのなら何よりだ」

 

 

「それもだが、あの魔獣も出始めていたからな。無事で良かった」

 

 

「あの魔獣……グラン、もしかして」

 

 

 兵士達の会話に、リィンはグランが倒した魔獣の事を思い出す。グランも多分それの事だろうと頷き、リィンは手配魔獣を発見した時に現れた同タイプの巨大な魔獣も退治した事を捕捉説明として話した。兵士達は信じられないと驚きを隠せない様子で、グランの顔を見ている。

 

 

「学生の身であれを一人で倒すとは……信じられん」

 

 

「実害等は特に報告されていなかったんだが、流石に放置しておくわけにもいかなくてな。近々装甲車数台による撃退を予定していたんだが……」

 

 

 グランの事を知らない兵士達はやはり戸惑い、予想できたそのリアクションにグランも面倒くさそうに頭を掻いていた。わざわざグランの事まで説明する必要はないので、話が広がる前に魔獣の話題は直ぐに終わらし、他に聞きたいことがあったのか突然ユーシスが兵士の前へと姿を現す。

 

 

「ユ、ユーシス様!?」

 

 

「今回は特別実習で訪れている身。一般的な学生と同じ扱いで結構だ」

 

 

「はっ、了解しました!」

 

 

 そして敬礼のポーズを取る兵士達にユーシスが問い掛けたのは、オーロックス砦が以前よりも大幅に改装されている事と、先程の列車に積載されていた戦車の事だ。兵士の話では先月に大きな改装工事を実施したらしく、戦車も最近になって導入され始めたとの事。はっきり言って、地方の治安を守る領邦軍には必要性を感じない防衛機能と火力の大きさだ。

 

 

「(貴族派は戦争でもおっ始める気か? ただ単に帝国の正規軍と張り合ってるだけという可能性もあるにはあるが……にしては金を掛けすぎだ)」

 

 

 現在、帝国では革新派と貴族派の対立が水面下で激化している。グランが考えている通り、帝国の現状は内戦が起こっても不思議がない状態で、その時に備えて領邦軍が軍備を拡張している可能性は大いにあるだろう。でなければ、地方の領邦軍にこれだけの機能は必要がない。近々対空防御が整うだとか、正規軍の奴等には負けていられないだとか兵士達は話しており、その可能性は更に増していく。

 

 

「報告も終わった。さっさとバリアハートに戻るぞ」

 

 

 ユーシスは知りたかった事が聞き出せたのか、五人に声を掛けると峡谷道へ向けて歩き出した。他のメンバーも歩き出し、砦から峡谷道に出ようというところで突然マキアスが先頭のユーシスに声を上げる。これは一体どういうことだと。マキアスも、この領邦軍の行き過ぎた軍備の拡張はおかしいと感じていた。

 

 

「国境を守るクロスベル方面なら兎も角、地方の州都には行き過ぎている戦力だとは思わないのか?」

 

 

「……貴様も気付いているだろう。これが帝国の現状だと」

 

 

 そしてユーシスもまた、自身の父親であるアルバレア公が行った軍備の拡張にはやはり感じるところがあった。地方の領邦軍には明らかに必要量を超えている、過剰な戦力。だからと言って自分が父親に意見をしたところで、アルバレア公の意向が変わることはまずないだろうとユーシスは話す。当主であるアルバレア公の意向は絶対であり、ユーシスや、ユーシスの兄のルーファスですら変えることは出来ないと。

 

 

「(革新派と貴族派も、行き着く所まで行き着くというわけか。まあ、帝国の現状は身分による落差が激しすぎるからな……そうか)」

 

 

 ユーシスとマキアスの会話を端から眺めながら、グランは考える。きっとこの先、帝国で内戦が勃発するのは必然だろうと。革新派と貴族派の思想は、国を守るという目的こそ同じだが、その過程は決して交わることないもの。そして、五人の姿に視線を移していきながらグランはある事に気付く。

 

 

「(──なるほど。そのための《特科クラスⅦ組(オレ達)》か)」

 

 

 《Ⅶ組》を創設した人物の目的に、グランは辿り着いた。

 

 

 




あれ? グランの頭が良すぎる……大丈夫! 剣聖なんだし、勉強が嫌いなだけで頭は悪くないはず!


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革新派の影、仲直りの一時

 

 

 

 オーロックス砦への報告も終わり、六人がバリアハートに戻った頃には既に日も落ち始め、空は茜色に染まっていた。貴族からの依頼の品、ピンクソルトも渡し終えて特別実習一日目の課題を無事に済ました一同は、レポートの作成を先に終わらそうと言うことでホテルへ向かって歩く。そしてホテルの前に着いたその時、六人の眼前で突然導力リムジンが停車した。窓が開きだした後部座席の方へ皆が視線を向ける中、そこにいた人物にユーシスが驚いた様子で駆け寄る。

 

 

「父上、報告が遅くなってしまい申し訳ありません。ユーシス、ただいま戻り──」

 

 

「報告は無用だ。ルーファスにも言っているが、滞在中は好きにするといい。ただし、アルバレアの家名に泥を塗るような事はせぬようにな」

 

 

 後部座席に座っている男は、ユーシスの父親のアルバレア公爵その人だった。しかし、アルバレア公はユーシスやその後方に立っているリィン達に顔を向けることなく車の窓を閉め、導力リムジンは走り去っていく。どう見ても、一連の会話は仲の良好な親子が行うものではない。

 

 

「……何あれ」

 

 

「やれやれ。貴族派筆頭の公爵殿は、我が子にも無関心か」

 

 

「ふ、二人共……」

 

 

 フィーとグランの物言いにエマが困惑する中、ユーシスは走り去る導力リムジンを眺めた後に五人の元へと戻る。リィンとマキアスが乗っていたアルバレア公の情報を話している所へ、戻ってきたユーシスはその会話に目を伏せながら続いた。信じられない事に、どうやらあれが俺の父親らしいと。

 

 

「……済まない、詮無いことを言ったな」

 

 

「あんまり気にすんなって。父親なんかいなくてもな、男は成長出来るもんだ」

 

 

「グラン……フッ、一応礼は言っておこう」

 

 

 まさかグランから励ましの言葉がくるとは思わなかったのか、ユーシスは少し意外そうな顔をした後にお礼の言葉を口にする。リィンやエマがその様子に笑みを浮かべ、マキアスがユーシスの顔を静かに見ているその横で、フィーは一人グランの顔を心配そうに眺めていた。グランが抱えている問題と、彼の成そうとしている事をメンバーの中で唯一知っているから。

 

 

「ん? フィーすけ、どうした?」

 

 

「……何でもない」

 

 

 フィーの心配する様子にグランが気付く事もなく。六人はそのままホテルの中へ入り、実習でかいた汗をシャワーで流し終えると、それぞれ実習一日目のレポート作成に取り掛かるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 街に夜の帳が下り始めた時刻。レポートの作成を終えたリィン達は現在、中央広場のレストランのオープンテラスにて夕食を楽しんでいた。丁寧な味付けが施された料理の数々に舌鼓を打ちながら、皆は今日一日を振り返る。半貴石の依頼、手配魔獣の退治と各々考えさせられる結果に終わった一日目は、決して完璧なものでは無かった。とはいえ、フィーの話によると先月のB班の時に比べればかなりマシな方だと言う。

 

 

「ふふ、何だか不思議な気分です」

 

 

 ふと、食事の手を止めてエマがそんな事を呟く。先月はこうして同じテーブルを囲んで食事をするなど考えられなかったとユーシスとマキアスの顔を見ながら続け、当の二人はその時の事を思い出したのか面目無いと頭を下げている。そんなに酷かったのかとリィンが問い掛け、それはもうとエマはニコニコ笑顔を浮かべながら笑い話のように話した。更に二人の顔が上がらなくなる中、結構Sっ気のあるエマの様子に苦笑いをしながら、グランは今日の実習の中で気付いた事を一人考察していた。

 

 

「(今後帝国で内戦が起こるのは必然的。だとしたら革新派と貴族派に対抗する為の勢力は、オレ達も頭数に入れられてる可能性がかなり高いか。そのための《Ⅶ組》だろうしな……)」

 

 

 これから先。内戦が起こるであろうその時までに自分達に必要な判断力や問題解決能力を養わせる為の実習だとするならば、わざわざ実習地などと決めて現地に向かわせ、帝国の実状を把握させるような事や、遊撃士紛いの実習内容も納得できるとグランは考えていた。革新派でも貴族派でもなく、第三の勢力として自分達に未来を託そうとしている《Ⅶ組》の創設者。正直なところ、グランにはその思想に協力する気など全くもってないのだが。

 

 

「あ~あ、戦争が起こる前にとっとと帝国から出るかな……」

 

 

「……グラン、不吉なことを言わないでくれ」

 

 

 グランのぼそりと呟いた声が一人だけ聞こえたのか、リィンは顔を引きつらせ、隣に座っているフィーはその様子に首を傾げながらスープを啜っていた。リィンの様子に気付いたグランは笑いながら謝り、食事を続けている五人を見渡した後に再び思考の海へと潜る。

 

 

「(まあ、これも何かの縁だしな。《Ⅶ組》の手助けくらいはしてやるよ、創設者殿)」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 深夜を迎え、日にちが丁度次の日に切り替わった頃。リィン達は男女別に用意された部屋のベッドの中で眠っていたのだが、グランだけは部屋におらず、ホテルの外、中央広場にて夜空を眺めていた。無数に煌めく星々を見渡しながら、グランはオーロックス峡谷道での一件を振り返る。

 

 

「(この時期にオーロックス砦へ侵入者か、間違いなく革新派の仕業だろうが……)」

 

 

 実は魔獣退治の報告を済ませたグラン達がバリアハートに戻る途中、オーロックス砦に侵入者が現れた。突然オーロックス砦から警報が鳴り響き、直後に砦から銀色の物体が飛び去っていく。その物体には子供が乗っていたという事もあって、六人には何が何だか分からず一様に首を傾げていたのだが、直ぐに砦から走ってきた装甲車が六人の元で停車し、オーロックス砦に侵入者が出た事を告げると銀色の物体が飛び去った方向に走っていった。このタイミングで侵入者となると、恐らく革新派の人間しかいないだろう。だがその侵入者らしき人間が子供だったという事に、グランは頭を捻っていた。

 

 

「(確か、鉄血宰相には『鉄血の子供達(アイアンブリード)』とかいうのがいたな……まさかその中の人間か?)」

 

 

 『鉄血宰相』の異名で知られるギリアス=オズボーン。彼が独自に見出だした戦力として認知されている『鉄血の子供達(アイアンブリード)』なる人物達。まさか本当に子供なのかとグランが考える中、その視線はホテルを出てから今までにずっと感じていた気配が漂う、遥か前方の翡翠の屋根へと移っていた。

 

 

「(本人に聞けば一番早いんだろうが……警戒されるのも面倒だし止めとくか)さーて、委員長の寝顔でも眺めてくるかな」

 

 

 一度はその視線を鋭いものに変えるが、直ぐに元に戻すとグランはその場で振り返ってホテルの中へと入っていく。そしてそんな彼の様子をホテルの前方にある建物の屋根から観察していた人物は、グランの背中を見ながら驚いたように声を上げる。

 

 

「うっわー、今の絶対気付いてたよ……『紅の剣聖』かー。オジサンが目を付けるのも分かる気がするかな……そろそろ行こっか、ガーちゃん」

 

 

 声からして少女と思われるその子供は、突如現れた銀色の物体に飛び乗ると、そのままバリアハートの夜空へと消えていくのだった。そして深夜の一時を回ったところで、ホテルの一室から女性の悲鳴と思われる声がバリアハートの街に響き渡ったとか。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 バリアハートは朝を迎え、ホテルの窓からは眩い朝日が差し込んでいた。六人は既に起床してホテルのロビーへと集合しているのだが、グランは何故か一人だけ両手を後ろで括られ拘束されている。リィン達男性陣はその姿に顔を引きつらせながら、グランに鋭い目を向けているエマへと視線を移した。

 

 

「全く、グランさんがここまでする人だとは思いませんでした」

 

 

「誤解だって。オレはただ委員長の寝顔を一目見ようと──」

 

 

「一目見ようと?」

 

 

「女子部屋に侵入しました。本当にすみません」

 

 

 有無を言わせぬ迫力を感じるエマの笑顔に、グランも恐れをなしたのか言い返せないでいる。まあ言い返すも何も、女子部屋に侵入するなど領邦軍に突き出されても不思議はない所業なのだが。事実エマは昨夜本当に領邦軍に突き出そうとし、リィン達の必死の説得で何とか事なきを得た次第だ。そしてそんな一同の元へふと近寄ってきた支配人は、ルーファスから預かっていたという二日目の実習課題が記された紙をリィンに渡すと、グランに呆れた視線を向けてその場から立ち去る。支配人のグランに対する視線は、勿論昨夜の出来事が原因だ。深夜に女性の悲鳴が聞こえれば、ホテル側からしたら何事かと駆け付けるのは当たり前。要するにグランの起こした一件でホテル側にも迷惑をかけてしまったということだ。

 

 

「と、取り敢えず実習の内容を確認しないか?」

 

 

「貴様は暫く黙っていろ。全く、父上に言われて早々、アルバレア家の家名に泥を塗る所だった」

 

 

 ユーシスの冷やかな視線にグランが言い返せる筈もなく、六人は二日目の実習課題を確認する。手配魔獣の退治は今回もあり、出没したのは北クロイツェン街道のようだ。そして昨晩夕食で世話になったレストランのオーナーから、料理の材料調達の依頼もある。二つの内容を確認し、早速課題に取り掛かろうとリィンが気合いを入れる中、突然マキアスがユーシスの名前を呼ぶ。

 

 

「何だ、マキアス=レーグニッツ」

 

 

「この実習中、何としてもARCUSの戦術リンクを成功させるぞ。丁度手配魔獣の退治依頼もある。昨日のリベンジと行こうじゃないか」

 

 

 他の五人はマキアスの急な言葉に一様に驚きを見せる。何故かは分からないがいきなり協力的になったマキアスの様子に、リィン達は暫く呆然と彼の顔を眺めていた。そしてユーシスはマキアスの変化に思い当たる節があったのか、鼻で笑った後にマキアスへ向かって話す。

 

 

「やれやれ、我らが副委員長殿は分かりやすいな。大方昨夜の話を盗み聞きして、絆されたといったところか」

 

 

 昨晩、ユーシスはリィンに自分の出自を話していた。自分はアルバレア公爵が平民の女性に産ませた、妾腹の息子だという事を。八年前にユーシスの母親が亡くなり、アルバレア家に引き取られる形になったのだが、それが夕刻にあったユーシスとアルバレア公の寒々しい会話の原因だと。そしてどうやら、ユーシスはマキアスが狸寝入りをして昨晩のその会話を聞いていたと踏んでいるようだ。

 

 

「勘違いしないでもらおうか! 僕は別に、リィンと君が話していた君の出自の事などこれっぽっちも……あ」

 

 

 無念マキアス。リィンもユーシスも、昨晩の会話がユーシスの出自の事などと一言も話していない。言い訳を取り繕うと必死になった挙げ句にボロを出してしまう。皆が笑いながらマキアスの顔を見つめ、恥ずかしさのあまりマキアスは顔を真っ赤にして言葉を詰まらせていた。結局ユーシスはマキアスの話に乗り、戦術リンクを成功させることに同意。二日目の実習は上手くいきそうだとリィン達は顔を綻ばせていたが、そんな所へ突然一人の男性が駆け寄ってくる。アルバレア家の執事を務める男性だ。

 

 

「アルノー、父上付きのお前がどうしてここにいる?」

 

 

 ユーシスの問いに、執事のアルノーは一礼の後に答えた。アルバレア公爵から、ユーシスにお呼びがかかったと。昨日はあれだけの態度を取っていながら今更何のようだとユーシスは更に問い掛けるが、アルノーも詳しいことは分からないと言う。アルノーの考えでは、アルバレア公爵も昨日のやり取りを省みたのではないかという事だ。ユーシスは迷いを見せるが、リィン達の後押しもありアルバレア邸宅へ戻ることを決める。午後にホテルのロビーで落ち合う事を決めてユーシスとアルノーはホテルから出ていき、その様子を見送った後に残りの五人は向かい合った。

 

 

「さてと。俺達はユーシスに楽をさせるために頑張るか」

 

 

「はい、それにしても……」

 

 

「えらい、えらい」

 

 

「やれやれ……」

 

 

 四人は一様に顔を綻ばせ、マキアスの顔を眺める。一気に顔を紅潮させたマキアスは、生温かい目を止めないかとか、そんな顔で僕を見るなとか必死だ。自分が照れている様子を誤魔化すために、リィンを初めに次々と突っ掛かっていく。

 

 

「大体リィン、言っておくが君とのわだかまりも完全になくなった訳じゃないぞ!」

 

 

「そ、そうなのか?」

 

 

「それとエマ君! 来月の中間テストでは遅れをとるつもりはない、君も全力を尽くしたまえ!」

 

 

「が、頑張ります」

 

 

「それとフィー! 君は授業中に寝るのを止めないか! 大体勉強というのは本来──」

 

 

「聞こえなーい」

 

 

 マキアスの反撃に三人がたじろぐ中、両耳を手で塞いでしゃがみこむフィーを見ながらグランはやれやれと首を振っていた。そして勿論、マキアスの矛先はグランにも向かっていく。

 

 

「最後にグラン!」

 

 

「お、オレも?」

 

 

「当然だ! 昨晩の事もそうだが、どうして君はそんなに不真面目なんだ! 最近こそラウラのお陰で授業はしっかり受けているようだが……この前の授業の回答はふざけているのか!」

 

 

 何故かグランに対しての反撃だけ長いマキアスだが、そんな彼が話しているこの前の授業の回答とは、丸縁眼鏡が特徴のトマス教官が行った歴史の授業での事。

 

 

──導力革命以降、人々の生活は大変便利なものへと変わっていきました。因みにその導力革命の発端となる、導力器(オーブメント)を開発した人物は……流石に分かりますよね? グラン君、どうぞ──

 

 

──お、オレっすか!? え、えっと……F=ノバルティス?──

 

 

「F=ノバルティスって誰だ! 授業は受ければいいというものじゃない。予習復習は勿論の事、日曜学校の範囲もしっかりと学修しておいてだな──」

 

 

「聞こえなーい」

 

 

 これは暫く止まらない、とグランもフィーと同じようにしゃがみこみ、いつの間に解いていたのか両手で耳を塞ぐ。因みに導力器の開発者は一般にC=エプスタイン博士と呼ばれる人物なのだが、知っている人は子供でも知っている超有名な歴史上の偉人である。本人はその時度忘れをしていただけと言っていたが、一体どこまで本当なのやら。

 

 

「ええい! 二人共耳を塞ぐんじゃない!」

 

 

 マキアスの反撃は、当分終わりそうな気配がなかった。

 

 

 




……何か今回のグラン考え事してばかりだな。ともあれ次回はいよいよマキアスが捕らえられる所ですね。グランはその時どうするのかな? 私にもまだよく分かりません(´・ω・`)


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和解と濡れ衣

 

 

 

──ロイス! べ、便器をもてぇぇ~!──

 

 

 貴族街の一角にて、建物の中から男の情けない声が響き渡る。バリアハートの街中を散策したいというグランの言葉によって貴族街を訪れていたリィン達は、不意に耳へと入った今の声に聞き覚えがあった。確か先日の半貴石の依頼の時、樹精の涙(ドリアード・ティア)を横取りした貴族の男の声だとマキアスが思い出す。建物から出てきた男性に何があったのかを訊ねると、この家に住む男爵位の男がお腹を下して大変な状況になっているという事らしい。事態を察したリィンは、今も苦しんでいるであろうその男の声が聞こえた部屋の窓を見上げると、苦笑いを浮かべて口を開いた。

 

 

「あはは……昨日の樹液に当たったみたいだな」

 

 

「おー、例の貴族か」

 

 

「ちょっと気分爽快」

 

 

 先日のターナー宝飾店での出来事に立ち合っていなかったグランはさして興味を示さなかったが、場面に出くわしたフィーは少し嬉しそうにリィン達と同じく窓を見上げる。悪行には必ず天罰が下るものだと、胸の前で腕を組むマキアスが納得したように頷いており、エマは窓の向こうにいるであろう貴族の男に向かって心の中で合掌をしていた。

 

 

「たまには寄り道してみるのもいいもんだろ?」

 

 

「まあ、今回はグランの提案に感謝しよう」

 

 

「だね」

 

 

 余程貴族の男に天罰が下ったのが嬉しかったのか。マキアスとフィーは笑みをこぼしながらグランの言葉に頷き、二人の様子にリィンとエマが苦笑いを浮かべて顔を合わせていた。因果応報……悪い行いには必ず、それ相応の報いが返ってくるというわけだ。因みに今回の実習中のグランが行った行為はフィーを通じて全てトワ会長の耳に入り、盛大な説教が行われたというのは余談である。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 バリアハート中央広場に店を構える、レストラン『ソルシエラ』。料理の材料調達の依頼を出したのはこの店で、内容を聞きにいったリィン達はオーナーシェフのハモンドから必要な材料を教えてもらう。と言っても材料の一つ『キュアハーブ』は同じ中央広場に建つバリアハート大聖堂のシスターから譲り受ける事になっており、話を通しているので直ぐに入手出来るとの事。そして残りの一つが肝心で、北クロイツェン街道の魔獣から取れる油脂が必要だと言う。これに至っては手配魔獣の退治もあるので、その時に探せばいいだろうという事に決まって一同は北クロイツェン街道へと足を運んだ。先日の半貴石を採取した場所よりも更に奥へ進み、ケルディック方面に続くザール橋の前で道を塞ぐ手配魔獣を見つける。

 

 

「植物型の魔獣か……」

 

 

「強さ的には昨日のと同じくらい」

 

 

 花弁のような胴体から三つの首が伸びるその魔獣は、取り巻きに同タイプの小型魔獣を十体程引き連れていた。フィーの見かけ通り、昨日オーロックス峡谷道で撃退した手配魔獣と能力的には大差はない。各々が得物を手に取って戦闘態勢に入る中、ふとマキアスがリィンへと体を向けた。

 

 

「リィン、昨日は迷惑をかけて済まなかった。その、僕のせいで怪我を──」

 

 

 突然のマキアスによる謝罪。昨日の手配魔獣の一件から、マキアスはずっと後悔していた。自分の愚かな行動が、リィンに怪我をさせてしまうという事態を引き起こした事に。しかし、リィンの貴族という部分が彼を素直にさせなかった。貴族嫌い故か、貴族に頭を下げるという行為が彼には難しい事だったからだ。だが、今までリィンを見てきてマキアスの考えが少しずつだが変化していた。もしかしたら、貴族の中にも良識的な者とそうでない者がいるのではないかと。そして、貴族だからと邪険に扱う自分の方こそ、自身の嫌う傲慢な貴族と何ら変わりない事をしているのではないかと。

 

 

「マキアス……いや、いいんだ。昨日のは油断をしていた俺にも責任があるからな。だから、今回はあの時のリベンジと行こう」

 

 

「リィン……ああ!」

 

 

 リィンは自分の考えているような貴族とは違うと、マキアスは改めて確信した。貴族という身分だけではなく、相手の人柄や人間性を見てその人物の事を判断する。人はそれを当たり前の事だと言うかもしれないが、マキアスにとってはとても大きな一歩だ。

 

 

「(これで《Ⅶ組》の不安要素は一つ無くなったわけだ……サラさんは多分、こうなるのを分かってたんだろうな)」

 

 

 二人の様子を横目に、グランは笑みをこぼしていた。そしてこうなる事をサラは知っていたのか、それは本人に聞いてみないと何とも言えないと考えながら、グランは自分と同じように笑みを浮かべるエマやフィーへと視線を移す。不安要素が一つ消えたという事は、少なからず今後の《Ⅶ組》にとっては良い方向に働くだろう。

 

 

「四人共。取り巻きはオレに任せて、四人ででかいのに向けて一斉に仕掛けろ。今のお前達なら大した相手じゃない──速攻で叩き潰すぞ!」

 

 

 直後に闘気を解放したグランの号令がエリア全体に響き渡る。対峙する魔獣達は威圧感を伴ったその声にたじろぎ、リィン達四人はグランの声にどこか力が湧いてくるのを感じながら、魔獣へ向けて武器を再度構えた。そしてジリジリと後方へ下がっている取り巻きの魔獣達へ向けて、グランが風の如く接近する。弐ノ型による刀の強襲は、手配魔獣の左側に集まった五体の魔獣達へ次々と襲い掛かった。斬撃を受けた五体の魔獣は数秒と保たず、力なく地面へと崩れ落ちる。フィーを除いた三人は一瞬の出来事に驚きながらも、正面の手配魔獣に焦点を合わせた。

 

 

「三人共、いくぞ!」

 

 

 リィンの掛け声の後、戦術リンクを繋いだ四人は行動に移る。わだかまりの無くなった四人は直後に見事な連携を見せ、難なく手配魔獣を退治するに至った。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 手配魔獣の討伐後、グランが取り巻きの魔獣から油脂を採取し、マキアスが改めてリィンに頭を下げて謝罪をした事で二人は完全に和解をする。そのままユーシスとも和解をしたらどうだとリィンが話すが、マキアス曰くそれとこれとは話が別らしい。ユーシスのは素で気に食わないとの事。とはいえ、嫌っているような素振りを見せはしているが、以前のように嫌悪感といったものは感じない。ユーシスが合流してからも問題はないだろう。そして五人が北クロイツェン街道からバリアハートに戻る道中、突然グランが四人の前に躍り出てその足を止める。

 

 

「さて、バリアハートに戻るわけだが──」

 

 

「どうしたんだ?」

 

 

「何かあったの?」

 

 

 リィンとフィーが首を傾げて聞き返す中、同じように首を傾げているエマとマキアス。グランはそんな四人を見渡した後、バリアハートの入り口へと視線を移す。その視線の先には、街中を警備している領邦軍の姿があった。この時一つの可能性がグランの脳裏を過る。先月の実習、領邦軍はケルディックでの窃盗犯を自分達に仕立てようとした。ユーシスが実家に呼び戻されてこの場にいない現在の状況、もしかしたら今回も領邦軍が何か企んでいるのではないかと。だがバリアハートはアルバレア公のお膝元であり、公爵家にとってはほぼ思い通りに統治出来ていると言っていい。街中で問題が起きるような事は仕組まないだろう。それに、ユーシスがいなくなってからバリアハートを散策した時は特に領邦軍も動きを見せなかった。

 

 

「……いや、何でもない。早いとこ街に戻るか」

 

 

「ええっと、グランさんどうなさったんでしょうか?」

 

 

「僕にもよく分からないんだが……」

 

 

 一抹の不安を覚えながらも、グランは街へ向かって歩き出す。エマとマキアスを初め、リィンもフィーもやはりグランの様子に顔を見合わせて分からないと首を傾げていた。一同はそのままバリアハート市内の駅前通りへと入り、ハモンドオーナーから頼まれていた残りの『キュアハーブ』を受け取りに行こうと中央広場の大聖堂を目指す……目指そうとしたその時だった、リィン達が呼び止められたのは。

 

 

「お前達だな? 実習とやらで来ている《Ⅶ組》というのは」

 

 

 リィン達を呼び止めたのは、青い軍服を着た領邦軍の兵士二人。リィンが代表してその通りだと答えると、兵士は突然ホイッスルを吹いて応援を呼び始めた。直後に自分達を囲み始める兵士達に四人は何事かと視線を向けるが、グランは領邦軍の意図に気付いたのか頭を抱えて刀の柄へ手を添える。そして、グランの考えは的中した。

 

 

「トールズ士官学院の、マキアス=レーグニッツだな? 昨日のオーロックス砦への侵入容疑で拘束する」

 

 

 領邦軍の兵士が発した言葉は耳を疑うものだった。昨日のオーロックス砦への侵入容疑など、勿論マキアスは冤罪だ。第一昨日のオーロックス砦へ侵入者が現れた時、領邦軍は銀色の浮遊物体を追いかけていたはず。それに四六時中共に行動を取っていたマキアスがそんなことを出来るわけがないとリィンは話すが、兵士達は聞く耳を持たないと言わんばかりにマキアスを拘束し始める。結局リィン達は抗う事も出来ず、従うしかなかった。明らかなこじつけ、と言うか濡れ衣だ。納得出来る出来ないの話ではない。兵士達がマキアスを連行していく中、リィンは何も出来ないのかと悔しい気持ちを圧し殺しながら、兵士達の背中へ向けて鋭い視線を浴びせている。そんなリィンの姿を片目にグランは考える素振りを見せた後、兵士達に向かって突然声を荒げた。

 

 

「ふざけんじゃねぇぞ、ずっと一緒にいたって言ってんだろうが! 砦への侵入一つ防げない領邦軍のくそったれが!」

 

 

「な、なんだと……?」

 

 

「おい、グラン! 早く謝ったほうが──」

 

 

「本当の事だろ。無能な領邦軍は侵入者を捕まえられなかった腹いせに、革新派の有力者の息子を犯人に仕立て上げてるんだからな」

 

 

「そこまで我々領邦軍を愚弄する気か……いいだろう、余程拘置所の中に入りたいらしい」

 

 

 流石にグランの発言は言い過ぎだが、何と兵士達はグランをも取り囲んだ。これはおかしいとリィンやエマが口を揃えて反発するが、兵士はやはり聞く耳を持たない。即座にグランも拘束する。

 

 

「貴様は先程、容疑者と常に行動を共にしていたと言ったな。ならば貴様も共犯者として連行する」

 

 

「え……マジで?」

 

 

「己の立場を弁えないからだ。こい!」

 

 

 リィン達三人は、マキアスとグランが連行される姿を呆然と見詰める。あり得ないほどの理不尽を目の当たりに、リィンは悔しさの余り一瞬刀に手を添えかけた。無論そんな愚かな行動をリィンが取るはずもないが、グランへの対応に至ってはどう考えても腹が立ったその仕返しとしか思えない。自分達の無力さに若干の苛立ちを覚える中、ふと振り返ったグランの顔を見てリィンは気付く。

 

 

──こっちは任せろ──

 

 

 リィンが目にしたグランの口元は、確かにそう呟いていた。

 

 

 




あーあ、マキアス捕まっちゃった……ついでにグランも。大丈夫、きっとグランには考えがあるはず!

えっ? アントン忘れてるって? ごめんなさい、作者も途中で気が付いたのですが、彼には自力で街まで帰ってもらうことに決めました。頑張れアントン! 砦まで行けたんだから帰ることも出来るはず!

因みにここでグランのクラフトが出てきました……オリジナルですが。

サポートクラフト 覇気号令(全体)次の味方の通常攻撃、クラフトが二倍 敵のDEF-50%(3ターン)

グランはサポートも出来るよ!


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地下牢脱出

 

 

 

「大人しくしていれば何もしない。暫くはその中で待っていろ」

 

 

 鉄格子の向こう側から、領邦軍の兵士がグランとマキアスにそう告げると歩き去っていく。領邦軍の兵士達に連行された二人は現在、バリアハート市内に位置する領邦軍の詰所、その地下にある拘置所の中へと放り込まれていた。若干の湿気があるものの、地下牢という割には掃除も行き届いており、長時間滞在しなければ衛生的にはそれほど問題ないだろう。そんな場所に放り込まれたグランは兵士の後ろ姿を見ながら舌打ちをし、そしてその隣ではマキアスが肩を落として溜め息をついている。グランは気落ちしているマキアスに気付くと、笑いながら彼の背中を軽く叩いた。

 

 

「そう落ち込むなって。溜め息なんかついてると運気下がるぞ?」

 

 

「この状況は既に運が尽きていると思うんだが……それより、済まないグラン」

 

 

「何で謝るんだ?」

 

 

「今回の事は恐らく、僕の父親が革新派の有力者だからというのが主な原因だ。僕のせいで君まで巻き込んでしまった──この通りだ」

 

 

 途端に頭を下げ始めるマキアスに、グランはこれまた笑いながら気にするなと話していた。それに自分が調子に乗って領邦軍の悪口を言った事がそもそもの原因だとグランは話し、いやそれでもとマキアスは自分が原因だと謝る。暫くそんな言葉が二人の間を行き交い、ふと会話が止まるとグランとマキアスは互いの顔を見ながら突然吹き出した。これではいつまで経っても会話の内容が進まないと、一先ずグランの自業自得という事で話がまとまる。

 

 

「君は本当に変わり者だな」

 

 

「おーお、あれだけ貴族嫌いを表に出していた奴がよく言うわ」

 

 

「ぐっ、それを言われると……」

 

 

「くくっ……冗談だよ。それよりも──」

 

 

「フン、随分と余裕だな」

 

 

 困り顔のマキアスに苦笑した後、グランは言葉を続けようとして突然第三者の声に遮られる。鉄格子の向こう側へ視線を移すと、そこには二人の兵士を引き連れた隊長格の男が立っていた。マキアスは男達を睨み付け、グランはその横で怪訝な顔を浮かべながら何の用だと隊長の男へ問い掛ける。グランの問いに、男は笑みを浮かべながら口を開いた。

 

 

「驚いたぞ。『紅の剣聖』がまさか、貴様のような学生だったとはな」

 

 

「よくもまぁご存知で……一体何が言いたい?」

 

 

「……公爵閣下がお呼びだ。喜べ、貴様はそこから出してやる」

 

 

 アルバレア公爵がグランの事を呼んでいる。マキアスは事態が飲み込めず呆然としているが、グランは公爵の思惑をすぐに理解した。現在対立を深める革新派と貴族派だが、武力という面で貴族派は革新派に劣っている。革新派筆頭のオズボーン宰相は、帝国の正規軍を殆ど掌握していると言ってもいい。隊員の練度や武装において、正規軍と領邦軍では力の差が有りすぎた。アルバレア公爵がグランを呼んでいるのは恐らく、その力の差を縮めるために貴族派に属せという事を話すためだろう。勿論グランにその気は微塵も無く、きっぱりと断った。

 

 

「公爵閣下に伝えとけ。オレが貴族派についたところで、革新派の優位は変わらない。第一──オレは帝国の内情なんか一つも興味がないってな」

 

 

「っ!? いいだろう、後でもう一度聞きに来る。暫くその中で頭を冷やす事だ」

 

 

 一瞬隊長の男はグランの物言いに顔を歪ませるが、直ぐに笑みを浮かべると一言言い残してその場で踵を返した。何度聞きに来ても答えは一緒だとその背中へグランが声を上げ、直に隊長の男の姿は見えなくなる。拘置所の廊下の奥に設置された椅子に座る兵士達を見ながら、グランはぼそりと呟いた。

 

 

「開けてもらわなくても出れるっての」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 グランとマキアスが領邦軍に連行されて約一時間が経過する。領邦軍の詰所地下、拘置所の中には未だにグランとマキアスの姿があった。そして二人の向ける視線の先、鉄格子の向こうには領邦軍の隊長が兵士達を連れて立っている。どうやらまたしてもグランを説得しに来ているようだ。

 

 

「いい加減素直になったらどうだ? 公爵閣下の話では、貴様の待遇も悪いようにはしないとの事だぞ」

 

 

「何度言われても答えは同じだっての。帰った帰った」

 

 

「く……もう一度来る頃までに考え直しておけ」

 

 

 隊長の男は顔をしかめた後、兵士達を引き連れて戻っていく。グランは懲りもせずに再び訪ねてきた領邦軍を鼻で笑いながら、その姿が見えなくなるまで視線を外さずにいた。そして、今まで動きを見せなかったグランに漸く好機が訪れる。

 

 

──ここはもういい。お前達も休憩に入れ──

 

 

──了解しました!──

 

 

 廊下の奥でグラン達を監視していた兵士達は、隊長の男の言葉に敬礼で答えると直ぐにその後をついていく。地下から人の気配が完全に消えた事を確認したグランは、ニヤリと笑みを浮かべながら話し始めた。

 

 

「仕事し過ぎなんだよ。さてと、そろそろここから出るか」

 

 

 落ち込んだ様子で床に座っていたマキアスは、不意にそんな言葉を口にしたグランの背中を見ながら耳を疑った。施錠され、頑丈な鉄格子が立ちはだかるこの場所からグランは出ると言っている。通常ならば不可能だ。外に協力者がいて解錠出来るというのなら話は別だが、生憎マキアスの父親が属する革新派にとっては敵の本拠地であり、それはあり得ない。領邦軍とグランの会話から、グランにも協力者がいるとは思えない。後は鉄格子を破壊して脱け出すくらいしかないのだが、こんな頑丈そうな物を破壊できるわけがないとマキアスは考える。しかし、グランが考えていた脱出方法はまさにそれだった。

 

 

「今回は武器を取り上げられなかったのが功を奏したか……マキアス、ちょっと下がってろ」

 

 

「あ、ああ……(グランは一体何をするつもりだ?)」

 

 

 マキアスは急に部屋の壁際まで後退し出したグランに首を傾げると、言われた通り腰を上げて部屋の隅へと移動する。マキアスが離れた事を確認したグランはその場で腰を落とすと、納刀した刀の柄に手を当てて目を閉じ始めた。静まり返った地下には、上の階から聞こえてくる話し声のみが響いている。そして数秒の沈黙の後、グランが目を開くとその姿が突然消えた。理解が追い付かず唖然とするマキアスをよそに、直後に甲高い金属音が遅れて地下一帯に響き渡る。音の発生源、鉄格子の鍵が掛けられている場所の正面には刀を振り抜いたグランの姿があった。マキアスは驚きを隠せず、口をパクパクしながらグランが刀を鞘に納める様子を眺めている。

 

 

「……やっぱりまだ駄目か」

 

 

 マキアスの視線の先では、どこか悔しそうな表情で呟くグランがいた。グランは舌打ちをした後、鉄格子を力任せに殴り付ける。そしてその直後、マキアスの目の前に信じられない光景が広がった。グランが殴り付けた鉄格子の部分はその衝撃で曲がり、鍵が施錠されていた部分に至っては床へと落ちて真っ二つに割れている。先程のグランが放った一閃は、鉄格子を通り越して鍵までもを切断していた。事の理解が未だ追い付かないマキアスが見詰める中、グランの手によって鉄格子はゆっくりと開けられる。

 

 

「グ、グラン……一体何をしたんだ?」

 

 

「何って……切ったんだよ、鍵を。本当ならあれで割れずに落ちるはずなんだけどな」

 

 

 どうやら今の結果はグランにとって納得のいかないものだったようだが、とにかくここから出られるとグランの近くへ寄ってきたマキアスはその表情に明るみが戻ってきていた。兵士達は休憩で上に上がっているため、二人は難なく部屋から出る事に成功する。そしてこのまま上手く地下を脱出しようとグランが先導して歩き出したその時、グランにとって予想外の事態が起きた。

 

 

「はは、俺とした事が隠していた雑誌を持ってくるの忘れてたぜ……ん?」

 

 

「馬鹿だなお前──お、おい! どうして中から出ているんだ!」

 

 

「一時間待った意味が……マキアス、オレ何か悪いことした?」

 

 

「心当たりがありすぎて返答に困るんだが……」

 

 

 地下へと降りてきた兵士二人に即座に見つかってしまうという失態。二人が顔を見合わせる中、兵士の一人は慌ててホイッスルを吹こうとするが、直ぐ様間合いを詰めたグランが繰り出した刀による峰打ちで気絶。その場に崩れ落ち、応援を呼ぶことは出来なかった。もう一人も口を開く間もなくグランに気絶させられて何とかこれ以上の事態にはならなかったものの、完全にグランの計画は失敗したといっていいだろう。見つかった以上、他の兵士達に気付かれる前に出来るだけ遠くへ逃げるしかない。

 

 

「マキアス、そっちの階段を降りるぞ!」

 

 

「わ、分かった!」

 

 

 グラン達が捕らえられていた部屋のすぐ側を通る階段を下りようと両者は駆け出すが、同時に階段の奥から何かの物音が二人の耳に入り、マキアスは階段の前で立ち止まって何の音だと警戒している。一方でグランは物音の正体に気付いたのか、散弾銃を構え始めるマキアスに警戒を解くように促すと、ゆっくりと階段を降り始めた。

 

 

「こっちは任せろって言ったんだけどな」

 

 

「……ん?」

 

 

 片方は笑みを浮かべ、片方は首を傾げながら段々と階段を降りていく。徐々に二人の耳には水の流れる音が聞こえだし、階段の終点が見え始めると人の話し声も混ざってグランとマキアスの耳を刺激する。二人は出口を抜け、元々は扉だったと思われる足元に落ちた鉄の板へ目線を落とした後、正面で立ち尽くしている四人へと視線を向けた。

 

 

「よっ、こんな所までご苦労だな」

 

 

「グラン!?」

 

 

「ほら、自分で出れた」

 

 

「お二人共、ご無事で何よりです」

 

 

 驚いた様子のリィン、グラン達が来る事を分かっていたかのような表情のフィー、笑顔のエマが二人を出迎えている。そしてマキアスの視線はそんな三人にではなく、一人無言で腕を組むユーシスへと向いていた。

 

 

「驚いたな。リィンやエマ君達はともかく、まさか君まで来ているとは……」

 

 

「何、貴様のべそをかいている顔を見ようと思っただけだ。グランも一緒に捕まっていたのは予想外だったが……それに、このくらいは父に一矢報いようと思ってな」

 

 

「そうか……」

 

 

 今朝方ユーシスが父親のアルバレア公爵に呼ばれたのは、恐らくユーシスに用があったからではない。今回のオーロックス砦侵入容疑でマキアスを拘束するため、領邦軍が動きやすいようにユーシスを自宅で軟禁するためだろう。そしてアルバレア公爵がユーシスを呼んでいると執事から聞いた時、ユーシスは顔にこそ出さなかったが心の中ではとても嬉しかったはずだ。アルバレア公爵の意図を知った時のユーシスの心中は、それこそ裏切られた時のような失望感で埋め尽くされただろう。目を伏せて話すユーシスの言葉に答えながら、マキアスはユーシスの心中を察した。この男も、色々と苦労をしているのだろうと。

 

 

「っと、こんな所で話してる場合じゃなかったな」

 

 

「ああ、ひとまずバリアハートから外に出よう──」

 

 

 ふと思い出したように呟くグランの横、リィンもその言葉に頷くと談笑する四人に視線を移す。全員が頷くのを確認し、領邦軍が駆けつける前に急いで地下水道を出ようと話し始めたその時。地下水道一帯を流れている水の音……にしては余りにも不可解な音が突如としてリィン達の耳に入った。

 

 

「これは……獣の声か?」

 

 

「それも複数」

 

 

「ああ、ここから離れないと拙いな……全員走れ!」

 

 

 リィンとフィーは音の正体が獣のものだという事にいち早く気付く。二人の言葉に肯定したグランは直後に叫ぶと、六人で一斉に地下水道の中を駆け出した。何故か地下水道の構造を把握しているグラン先導の下、追い掛けてくる獣達を振り切ろうと疾走する六人。その後方から猛スピードで近付いて来る巨大な影とその足音。やはり人の足でそれを凌駕出来る筈もなく、獣は走っている六人を飛び越えて正面に躍り出るとその退路をふさぐ。先頭に立つグランが目にしたのは、鋼鉄の装甲が頭部と胴体に当てられた巨大な犬型魔獣二体。更に六人を挟むように後方から二体の同型魔獣が現れ、計四体の犬型魔獣は六人の周囲を旋回する。あくまでリィン達の退路を断つのが目的のようで、その統率された動きは明らかに軍用に鍛えられたものだ。

 

 

「領邦軍はこんなものまで実用化しているのか!?」

 

 

「俺に言うな!」

 

 

「くっ……退路を完全に断たれたか」

 

 

 マキアスとユーシスが声を荒げる中、リィンは苦虫を噛み潰したような顔で周囲を旋回する魔獣達へ目を向ける。このままでは直に領邦軍が追い付き、今度は六人全員が捕らえられてしまうかもしれない。今はユーシスがこの場にいるのでその可能性は低くはあるが、だからと言ってその可能性が零というわけではないだろう。リィン達と共にユーシスが取っている行動は、少なくともアルバレア公爵の意向に背いた事になる。グランは考える……この場を切り抜ける方法を。

 

 

「この犬っころはオレに任せろ。お前達は何としてでも捕まるな」

 

 

「言うと思ったよ……俺は反対だ。何とかして全員で切り抜けたい」

 

 

 リィンはこれまでのグランが取った行動を思い出していたのか、その言葉は予測できたとグランの提案に反対。ユーシスも、エマも、マキアスも、リィンと同意見のようでグランの提案を却下。そして唯一賛成をすると思われたフィーもリィンの言葉に賛同する。

 

 

「今の私達は《Ⅶ組》。六人全員で切り抜けてこそ意味があると思う」

 

 

「フィーすけ……驚いたな。お前がそんな事を言うとは思わんかったわ」

 

 

「別に。ただグランに頼ってばっかりってのもどうかと思っただけ」

 

 

「そうか……オレの知らない所でフィーすけも成長してるってわけだ。いやー、お兄さん嬉しいわ」

 

 

 嬉しそうにくしゃくしゃとフィーの頭を撫でるグランと、そんなグランを上目で見ながら照れくさそうに頬を朱色に染めるフィー。グランは直ぐにフィーの頭から手を離すと、腰に携えた刀を抜いて肩に担ぐ。それを皮切りに、五人も周囲を旋回する魔獣へ向けて次々と武器を構え始めた。そしてグランの視線を受けたリィンは、頷いた後に号令をかける。今の六人なら必ず、この状況を切り抜けられると信じて。

 

 

「特別実習の総仕上げだ……A班、全力で目標を撃退するぞ!」

 

 

 




漸く次回で第二章は終わりそうです。無駄に長かった……原作同様に軍用魔獣を二体にすると戦力的にあれなんで(それでもそんなに変わらないかな?)四体にしちゃいました。六人頑張れ!


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《Ⅶ組》でしか得られないもの

 

 

 

 軍用に鍛えられた魔獣に、リィン達は想像以上に苦戦を強いられた。戦術リンクを駆使して連携を取る六人に対抗するように、魔獣達も四体が絶妙なタイミングで攻撃を仕掛ける。リィン、フィー、ユーシスの三人が前衛を担当しエマとマキアスが後方支援に徹する中、その攻撃後や援護の際に隙が生まれるメンバーへ向けて繰り出される魔獣の一撃を、グランが防ぐ事によって戦況を何とか平行に保っていた。しかし一進一退の攻防は確実にリィン達の体力を消耗させ、メンバー内でも体力の低い後衛のエマとマキアスは徐々に動きが遅れている。今も二体の魔獣と牽制しあっている前衛の三人へエマとマキアスが回復のアーツをかけようとARCUSを駆動させるが、その際に発生する隙を残りの二体の魔獣は見逃さず二人へと襲いかかった。魔獣の動きに警戒していたグランが動く。

 

 

「させるかっての!」

 

 

 二人への攻撃をさせまいと直後にグランが片方の魔獣の爪を刀で弾き、まるで鋼鉄同士がぶつかり合うような高い音が周囲に響く。もう一体の魔獣には稲妻の如く接近し、弐ノ型による駆け抜け様の一撃を浴びせる事でその行動を制した。回復アーツの発動後に二人は魔獣から距離を取り、エマは攻撃用のアーツの駆動を開始。マキアスは散弾銃を構えた。そして先のグランの一撃によって動きが硬直していた魔獣、それに気付いたフィーが急接近して背後から双銃剣による連撃を加える。戦術リンクによってフィーの行動をいち早く察していたリィンとユーシスも二体の魔獣を振り切ると、硬直している魔獣に向けて駆け出す。直ぐ様接近、二人は太刀と騎士剣による続けざまの攻撃を浴びせ、魔獣はその場に崩れ落ちた。

 

 

「えいっ!」

 

 

 最後にだめ押しとばかりにエマのアーツが発動。前衛の三人が後退したと同時に魔獣の周囲へ六つの剣が降り注ぎ、魔獣の真下に浮かび上がった魔法陣がそれを結ぶ。直後に魔法陣から立ち昇るように発生した強烈な幻属性の攻撃が身動きのとれない魔獣を飲み込んだ。息をつかせぬ集中攻撃で魔獣は沈黙、意識を失ったのか完全に動く気配はない。その直後にリィン達前衛三人の後方から二体の魔獣がその背後を狙うが、グランによる牽制で攻撃は失敗に終わった。残りの一体もマキアスによる射撃で動きは取れなかったようだ。

 

 

「一体は無力化に成功か……残り三体、一体ずつ確実に仕留めていくぞ!」

 

 

 地面に伏せている魔獣を見た後、残りの三体の魔獣を見渡しながら話すグランの声に五人が頷く。そしてグランの号令を皮切りに、六人は一気に攻勢へと移った。リィン達五人は一体の魔獣に攻撃を集中し、戦術リンクを駆使して確実に無力化していく戦法へと変更。勿論残りの二体がそれを黙って待つわけはないのだが、リィン達側には元々魔獣達と同等以上の戦力は存在する。

 

 

「《Ⅶ組》は漸く一歩を踏み出せたんだ──その邪魔は、オレがいる限り出来ないと思え」

 

 

 二体の魔獣の正面には、闘気を放出して刀を構えるグランが立ちはだかっている。端から見るとグランの正面に魔獣が立ちはだかるといった表現が普通なのだが、現状は前者の方が正しかった。二体はジリジリと後退し、徐々に唸り声をあげながらグランへの威嚇を始める。獣の直感とでも言うのか、既にこの二体はグランの力量を完全とはいかないものの把握していた。六人の中で一番厄介な相手、この人間から意識をそらせば直ぐに命を刈り取られると。

 

 

「おいおい。獣が恐れを抱いたら最後、ただの犬に成り下がりだぞ」

 

 

 後退する二体の魔獣を見ながら、つまらなそうにグランが呟いた。もう時間稼ぎをするまでもないと、まるで興味がなくなった玩具を捨てるような表情を浮かべてグランは二体の魔獣に背を向ける。この戦闘中にグランが初めて見せた隙、好機と言わんばかりに二体の魔獣がその巨体を跳躍させて飛び掛かる。グランはそれに気付いた素振りを見せず、直後に魔獣が爪を振り下ろしてグランのいた場所には二本の前足が地響きを伴いながら着地した。だが、魔獣達には何の手応えもない。二体が足を退けても、そこには無惨なグランの姿など何処にもなかった。

 

 

「弐ノ型──疾風!」

 

 

 二体の後方から発せられたグランの声。魔獣達が振り返ろうとして直ぐ、装甲が破壊される音と共に突然強烈な痛みが魔獣達の体を襲った。二体はその痛みに耐えきれず、ドシンと音をたてて地へと伏せる。二体が辛うじて目を開くと、視線の先には刀を振り抜いたグランの姿があった。そしてグランの傍には、息を切らしながらも駆け寄って来たリィン達五人の姿も見える。リィン達が戦闘を行っていた場所には、五人と戦っていた一体が既に気絶をして地面へと倒れている。残るは満身創痍の魔獣が二体。最早勝敗は決まった。

 

 

「くぅ~ん……」

 

 

「賢明な判断だ」

 

 

 力ない声を上げる二体の魔獣を見た後、グランは目を伏せながら手に持った刀を鞘に納めた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「この勝利、俺達A班全員の成果だ」

 

 

 戦闘を終え、意識が戻った魔獣達が走り去った後、六人が顔を見合わせる中でリィンがそんな事を口にする。個々の事情で幾度かの衝突があったA班六人にとって、戦術リンクを駆使しての軍用魔獣撃退は大きな功績と言えた。向かい合うリィンとエマは頬を緩め、以前は顔を合わせるだけで険悪なムードを漂わせていたユーシスとマキアスも、ぎこちないハイタッチを交わしている。そしてグランもまた、笑みを浮かべながら五人の顔を見渡した後に、横で嬉しそうにしているフィーの頭へと手を置いた。

 

 

「(特科クラスⅦ組……案外と、居心地は悪くないかもな)」

 

 

「グラン、何だか嬉しそう」

 

 

 顔を見上げてくるフィーの頭を撫でた後、グランはフィーの背後に回って彼女の両脇に手を入れると、その体を抱えて肩車を始めた。突然皆の前で肩車をされて恥ずかしいのか、顔を赤く染めてグランの両目を手で隠し始めるフィー。そんな彼女をよそに、リィン達四人はその様子を見て笑顔を浮かべている。

 

 

「グラン降ろして」

 

 

「昔は喜んでたじゃねぇか。それとも今は嫌か?」

 

 

「そ、そうじゃないけど……今やらなくてもいいと思う」

 

 

「人の顔見て笑うからだよバーカ。辱しめを受けろ」

 

 

 和やかな雰囲気が漂う地下水道内だが、そんな空気を引き裂くように突如ホイッスルの音が地下一帯に響き渡った。しまったと顔を焦らせるリィンの向けた視線の先には、徐々に近付いてくる領邦軍の兵士達十名の姿が。グランがフィーを下へと降ろす中、六人は直ぐに周りを囲まれ、兵士達はそれぞれ手に持った銃の銃口をリィン達へ向け始める。そして六人の前に遅れて現れた隊長の男が、眉間にシワを寄せながら口を開いた。

 

 

「貴様ら……よくも巫山戯た真似を……どうやらレーグニッツと『紅の剣聖』だけではなく、全員で捕まえられたいようだな!」

 

 

「ほう……だったら捕まえてもらおうか」

 

 

 隊長の男の前へ、鋭い目つきのユーシスが向かい合う。ユーシスは自宅で謹慎しているとばかり思っていた隊長の男はその声に驚き、兵士達はユーシスの言葉に狼狽え始めた。六人に向けていた銃口を下ろし、兵士達は困った様子で顔を見合わせている。しかし隊長の男は首を振った後、自分に言い聞かせるように叫んだ。

 

 

「ええい、狼狽えるな! いくらユーシス様と言えども、無断で軍事施設へ侵入する事は許されません。ましてや公爵閣下の命に背き、容疑者を逃がすなど……」

 

 

 その時、ユーシスの纏う雰囲気が変わった。隊長の男もその変化に気付いたのか、話している途中で口を閉じる。五人がその様子を見守る中、心の底に秘めていた怒りを徐々に解放するかのようにユーシスは静かに口を開いた。

 

 

「そりが合わないとはいえ、同じクラスで学ぶ仲間……その者があらぬ容疑を掛けられ、政争の道具に使われるなど────このユーシス=アルバレア、見過ごせるとでも思ったか!」

 

 

 一喝。兵士達はユーシスの声にたじろぎ、隊長の男もユーシスの言葉に気圧されたのか僅かに後方へと下がる。だが、それでも尚隊長の男は完全に引き下がらなかった。何とか六人の武装を解除しようと兵士達に声を上げるが、その声は突然後方から聞こえてきた言葉によって阻まれる。

 

 

「その必要はなかろう」

 

 

 声の主は、バリアハートの駅で六人を迎えたユーシスの兄、ルーファスだった。その場にいる全員が突然の彼の登場に驚く中、ルーファスは自身がここに来た理由を話す。どうやら士官学院の教官から此度の件による連絡を受け、帝都から急いで駆け付けたらしい。その教官と共に。

 

 

「ハーイ、お疲れ様だったみたいね」

 

 

「サラ教官!?」

 

 

「遅ぇんだよこの酒呑み」

 

 

 ルーファスの後方から近付いてくるサラ。そう、今回の件をルーファスに連絡したのはサラだったのだ。リィンや他のメンバーがサラの姿に驚く中、グランは先日の酒を飲まれた事による恨みがあるのか、その物言いには若干の棘があった。ともかく、この状況であれば既にリィン達の逮捕はないだろう。リィン達五人が急展開に理解が追い付かない横で、唯一警戒を解かなかったグランも漸く刀に添えていた手を離す。しかし、この状況でも隊長の男は渋る。公爵閣下の命により、自分はこの者達を捕らえなければならないと。その言葉を聞いた直後だ、ルーファスが口を開いたのは。

 

 

「父には話を通しておいた。それとも、この上私に余計な恥をかかせるつもりか?」

 

 

 有無を言わさぬルーファスの声。流石の隊長も恐れをなしたのか、兵士達を引き連れて即座に撤退を開始。サラは領邦軍が撤退していく様子を見ながら、意外といい動きをすると兵士達の高い練度を褒めていた。このような戯れに活かされるものではないとルーファスは話しながら、今回のアルバレア公爵が行った所業について皆へ謝罪をする。そして何とか事態は事なきを得たのだが、ふとリィンが気になっている事をにこにこと笑顔を浮かべているサラへ問い掛けた。今回の事は、領邦軍の連絡を受けて駆け付けたのかと。余りにタイミングの良すぎるルーファスやサラの登場は、リィン達にも疑問が残っていた。

 

 

「いや~、実はとある筋から早めに連絡をもらったのよ。そこで帝都にいた理事さんに連絡を取って、帝都からの飛行艇に一緒に乗せてもらったってわけ」

 

 

 何と用意周到な事だろう。そんなサラの返答にリィン達は驚きつつも、改めてルーファスに頭を下げる。ルーファスがいなければ、間違いなくリィン達は捕らえられていた。そういった意味ではサラの用意周到さに感謝しなければならないと一同は思いながらも、サラの言葉にあった理事という一言に首を傾げる。そういえば話してなかったとサラが呟いた後に、ルーファスが一歩前へ足を出した。

 

 

「改めて、士官学院の常任理事を務めるルーファス=アルバレアだ──今後ともよろしく願おうか」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 衝撃の事実から一夜が明ける。今朝方、ホテルで一日の疲れを癒しきれなかったリィン達六人は大きなあくびをしながらサラと共にホテルを後にし、迎えに訪れていたルーファスの車に乗ってバリアハート駅へと送り届けてもらった。別れの後、列車に乗車した七人はグランを除いた六人が三人ずつ向かい合わせに同じ席へと座り、通路を跨いだ反対側にグランが腰を下ろす。列車が発進して一同の体を小さく揺らし始める中、不意にエマが困ったように口を開いた。

 

 

「士官学院は、私達はどう振る舞えばいいんでしょうか……」

 

 

 昨日の実習中に起きた出来事は、紛れもなく帝国内における革新派と貴族派の対立が関係していた。トールズ士官学院を卒業した者は、革新派が率いる帝国の正規軍、貴族派が率いる領邦軍のどちらにも属している。軍属に歩むための教育を士官学院で受けている者として、今後自分達はどうすればいいのか。しかし、サラはエマの言葉にそこまで気にする必要はないと答えた。君達は今、学ぶ立場にあるのだからと。

 

 

「今回みたいに厄介な面倒事を、帝国の現状を少しずつ知りながら……それでも今しか得られない何かを見つけることは出来るはずよ──掛け替えのない、仲間と一緒ならね」

 

 

 笑顔を浮かべながら話すサラの言葉は、流石は教官だと思わせる感銘を受けるものだった。しかしリィン達六人はその言葉に暫く顔を呆けさせた後、サラの顔を見ながら爆笑し始める。リィン達曰く、普段のサラとのギャップが激しすぎてツボに入ったとの事だ。

 

 

「掛け替えのない、仲間と一緒ならね」

 

 

「ちょっ、グランやめたまえ! 僕達を悶え苦しませるつもりか!」

 

 

 キリッと表情を決めながら先ほどのサラの言葉を繰り返すグランに、五人は堪えきれずに再び笑い転げる。サラはそんな五人のリアクションを見て、恥ずかしさからか顔を赤くしてそっぽを向いていた。流石に失礼な事と自覚していたのか、五人が必死に笑いを堪えながら口を揃えて申し訳ないと謝っている。一方で、グランは一人車窓から見える青空へ視線を移していた。

 

 

「(しかし、今しか得られない何か、か……オレの探すもの、果たしてこのクラスで見つかんのかね──)」

 

 

 自身の父親を倒すための力、そしてそれに必要な条件を見つける事が出来るのだろうか、と。未だにその答えの手がかりすら見つけられない現状に、グランは少しばかり憂鬱気味になっていた。その答えはきっと、空の女神(エイドス)のみぞ知ると言ったところだろう。グランが答えを見つける日は、まだまだ遠い。

 

 

 




お、終わった……こんな調子で大丈夫なのかな?

とにもかくにも、次回から三章に入ります。グランにとって一番の難関である勉強の毎日、つまり中間テストが始まるわけですが……トワ会長、出番ですよ!


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第三章ーー迷いの日々の始まりーー
中間テストに向けて


 

 

 

 特別実習を終えて約二週間後。六月を迎えてからのトリスタの町は、珍しく長雨が続いている。じとりとした空気は人々の気分を憂鬱にさせ、その影響ではないが現在《Ⅶ組》の雰囲気は余り良いものではなかった。《Ⅶ組》に陰りが見え始めたのは先月の実習が終わってからなのだが、一番考えられるユーシスとマキアスの仲は良好とまではいかないものの良きライバルといった感じに変化しており、原因は二人ではない。原因なのは、グラン、フィー、ラウラの三人。先月の実習中、グランとマキアスがまだ地下牢に捕らえられていた時、バリアハートの地下水道にてフィーがリィン達に過去を明かしていた。士官学院に来る前、自分は猟兵団にいたと。実習終了後、士官学院に帰ったA班とB班はそれぞれ実習での情報を交換したのだが、フィーの過去に関する話が出たときにラウラのフィーに向ける視線が変わったのだ。そして何か軽蔑して見るようなその視線は、同じくグランにも向けられていた。グランはラウラに自分の過去を知られているなどと思ってもみないのでその理由が分からなかったが、フィーは直ぐにラウラの視線が変わった理由を察した。一般的に認識されている猟兵という存在、そしてラウラの性格を考えれば自ずと答えは見えてくる。ユーシスとマキアスの時ほど明らさまな嫌悪は表に出さなかったが、その変化は確実に《Ⅶ組》の雰囲気を重いものへと変えていった。そして今日もまた、その何とも言い難い雰囲気のまま《Ⅶ組》は授業を終えてホームルームを迎える。教壇に立つサラは、特に気にした様子もなく話し出した。

 

 

「さてと、明日から中間テストに入るわけだけど……教頭に嫌味を言われない程度には頑張って頂戴ね。今日はまだ昼過ぎだし、学院に残って勉強をしても、寮に戻って自由に過ごしても良いわよ」

 

 

 かねてより告知されていたイベントである中間テスト。学年毎に個人別の順位が掲示され、クラス別の平均点なんかも発表される。成績も良く、割りと勉強を苦に思っていないメンバーが多い《Ⅶ組》は特に心配ないだろう。勉強が苦手な部類に入るフィーはエマに教えてもらいながら頑張っているし、グランもよく顔を出しにいっている生徒会室で、中間テストの時期が近付いた頃からトワに手伝ってもらっていたりする。寧ろ心配なのは、中間テスト以外の事だ。

 

 

「……ま、色々あるみたいだけど頑張んなさい。委員長、号令お願い」

 

 

「は、はい! 起立……礼」

 

 

 どうやらサラも担任として、少しは《Ⅶ組》の現状を気にかけていたらしい。励ましの言葉を述べた後、号令が終わると教室を後にする。そんなサラの背中を見送った後、一同は教室の中心へと集合した。各々は明日の中間テストに備えて復習しておきたい科目を話し、教えて欲しいだとか設問を手伝ってくれ等意見を述べながら何組かのグループを作る。そしてエマとフィーの二人と試験勉強を行う事を決めたアリサが、メンバーの中で一人だけ溢れていたラウラへ気付いて声を掛けた。

 

 

「ラウラ、良かったら私達と一緒にやらない?」

 

 

「……いや、少々個人的に復習しておきたい科目があるのでな。失礼する」

 

 

 しかしラウラは一瞬フィーの顔を見た後に、せっかくのアリサの誘いを断った。フィーがいなければ受けたのであろう。アリサは少し心配そうな顔でラウラを見ており、その様子にはグランも気付いた。多分断られるだろうと思いながらも、グランは教室を退室しようとしているラウラの背後に声を掛ける。

 

 

「ラウラ、お前もトワ会長の所で一緒に勉強しないか? 会長教えるの結構上手いぞ」

 

 

「余計な気遣いは無用だ。それよりもそなたは自分の心配をした方がよいのではないか?」

 

 

「……ごもっともで」

 

 

 やはりグランの誘いも断ると、ラウラはそのまま教室を退室。グランは両手を上に挙げて首を振っていた。そしてラウラのいなくなった教室で、リィンがふとグランに問い掛ける。ここ最近、何かラウラを怒らせるような事を仕出かしたんじゃないかと。

 

 

「んな事言われてもな、思い当たる節がこれっぽっちも無いんだよ」

 

 

「俺には思い当たる節がありすぎて特定に困るがな」

 

 

 頭の後ろで手を組んで話すグランに、横からユーシスの鋭い指摘が炸裂する。この時他のメンバーがユーシスの言葉を聞いて、一様に首を縦に振ったのは仕方がないだろう。それだけ普段のグランは信用に欠ける言動を取っているという事だ。しかしもしそれが理由なのであれば、ラウラのグランに対する態度は《Ⅶ組》が発足してから常に現在と同じ筈である。当初は仲も悪い方ではなかったし、四月の実習以降二人の仲は良好だった。それを知っている一同は、やはりラウラの態度が変わった理由が分からないと話す。そんな中、突然フィーがグランの顔を見上げながら口を開いた。

 

 

「もしかしてバレたんじゃない?」

 

 

「バレたって……そういうことか」

 

 

 フィー以外のメンバーは何の事を言っているのか分からずに首を傾げているが、グランはフィーの言葉の意味を理解する。先月、グランはラウラから逃れるために駆け込んだ生徒会室でトワに自分の過去を少しだけ明かした。士官学院に来る前は猟兵として生活をしていた事を。その時にラウラが部屋の外から話を聞いていた可能性は十分に有り得るし、思えばあの時からラウラはどこか自分を避けていたなとグランは考える。

 

 

「だったらオレにはどうしようもないな……アリサ」

 

 

「どうしたの?」

 

 

「もし良ければだが、ラウラと一緒にいてやってくれないか? 流石に一人は寂しいだろうからな」

 

 

「グラン……ええ、私は大丈夫よ」

 

 

「それじゃ、よろしく頼むわ」

 

 

 アリサにラウラの事を託した後、グランはトワの所へ向かうべく教室を後にする。グランが教室を出てから一瞬室内は静寂に包まれるが、エマがフィーに先程のやり取りを問い掛ける事でその空気は破られた。

 

 

「フィーちゃんは、何か知っているんですか?」

 

 

「知ってるけど、私からは話せない。グランがいつか話すと思う」

 

 

「結局、俺達には見守る事しか出来ないようだな」

 

 

「うん……」

 

 

 フィーにはこの事について話す気が一切ないらしく、ガイウスの言う通り皆には見守る以外に出来る事は殆どないだろう。エリオットが困った様子でガイウスの言葉に頷く隣では、両腕を組んだマキアスがグランの退室していった教室の扉を見ながらやはり心配そうに表情を曇らせている。

 

 

「グランには先月の実習で助けられたからな。僕としても力になってやりたいんだが……」

 

 

「……いや、ガイウスの話す通り現状は見守るしかないだろう。俺達は俺達で、今は明日の中間テストに備えよう」

 

 

 マキアスの言葉にリィンが続き、一同はそれに頷くとそれぞれ教科書を手に取り始める。そして各自がグループごとに教室を退室していく中、エマと一緒に教科書の準備をしているフィーの横にリィンが近寄った。二人はリィンの顔を見上げる。

 

 

「フィーも何か悩み事があったら遠慮なく相談してくれ。猟兵だったとしても、フィーはフィーなんだからな。ラウラも、それはきっと分かってる筈だ」

 

 

「そうですね。どんな過去があったとしても、フィーちゃんはフィーちゃんです」

 

 

「……ありがと」

 

 

 どこか照れ臭そうに顔を背けるフィーを、リィンとエマの二人は微笑みながら見ていた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 士官学院の本校舎一階には、教官達が事務仕事を行うための部屋、教官室がある。現在は中間テストの準備の真っ只中であり、教官達は忙しなく室内を歩き回っていた。《Ⅶ組》の担任である、サラを除いて。彼女は忙しそうにしている他の教官達を自分の席に座って見渡しながら、この昼過ぎにもう眠気が襲っているのか盛大に欠伸をしていた。そんな彼女の背後を歩いていた金髪の男性教官、同じ《Ⅶ組》の副担任を務めるナイトハルトがわざとらしく咳き込んだ後に口を開く。

 

 

「バレスタイン教官、間違ってもここで寝ないように。そして手伝う気がないならさっさと退室してもらえると助かる」

 

 

「やれやれ、これだからお堅い軍人さんはや~ねぇ。こう、心にゆとりってものを持てないのかしら?」

 

 

「貴女の場合はゆとりを持ちすぎだ。少し忙しいくらいが、人は有意義な時間を過ごせるというもの」

 

 

「私は少しゆとりがあるくらいの方が良いと思うけど」

 

 

「とにかく、用がないならさっさと──ん?」

 

 

 若干の口論になり掛けた時、ナイトハルトは自分達に向けられている視線に気付く。それは周りの教官達ではなく、教官室の入口からくるものだった。そして視線の主は、二人が担任するクラスの一人であるラウラ。サラが声を掛けるとナイトハルトはやれやれと首を振りながら自分の席へと座り、教官室の入口にいたラウラも入室を促されてサラの元へと近付いてくる。

 

 

「すみません。サラ教官も今はお忙しいと思ったのですが、どうしても聞きたい事があって伺いました」

 

 

「アルゼイド、バレスタイン教官は昼寝をする程にお暇なようだ。試験勉強の一つでも見てもらうといい」

 

 

「余計な事を言わない……それで、私に聞きたい事って何かしら?」

 

 

「その……グランの事で……」

 

 

 周囲の目を気にしながら口ごもるラウラを見て、サラは笑みを浮かべると彼女の肩に手を置いた。ラウラの困惑した視線を受けたサラはその場で立ち上がり、親指をくいっと窓の外へと向ける。

 

 

「ちょっと外で話しましょうか」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 本校舎一階の裏手、中庭に設置されているベンチにサラとラウラは傘を差して座っていた。気持ちのいい風が二人の肌をなぞる……とはいかず、雨によって湿り気を帯びた風はどちらかというと不快感をもたらし、サラは場所の選定に失敗したと口にしながらわざとらしく笑みを浮かべている。その後に生まれる沈黙。流石に二人も雨音を聞きにきた訳ではないので、サラが用事を催促し、少しの間を置いてラウラが話を切り出した。

 

 

「グランは、グランは何故猟兵をしていたのでしょうか。『剣聖』の称号まで得た彼が、どうして猟兵のような仕事を……」

 

 

 深刻な顔を浮かべ始めたラウラは、今までずっと抱えていた悩みの種を明かす。それは他でもなく、グランの過去に関するもの。一般的に猟兵とは忌み嫌われる存在であり、隣国のリベール王国に至っては猟兵の入国を禁止しているほどだ。ミラさえ支払えば、人殺しだろうと窃盗だろうと平気で行う連中。グラン程の実力がありながら、そのような輩に成り下がる理由が分からないとラウラは話す。一通りの話を聞き終わったサラは、成る程と呟いた後にラウラの顔を見据える。

 

 

「猟兵はね、グランにとって都合が良かったのよ。強くなるための一番の近道は実戦。常に戦場と隣り合わせの猟兵は、グランの目的に一番近かったってわけ」

 

 

「八葉を修めても尚、グランは強くなるために猟兵の道を選んだというわけですか? 私にはその考えが理解出来ません。強くなるために人の義に反するなど……」

 

 

「一応グランの名誉のために言っておくけど、あの子は自ら猟兵の道を選んだ訳じゃないわよ?」

 

 

 ここでラウラは首を傾げる。グランにとって都合の良かった猟兵という道。なのに自らその道を選んだ訳ではないとはどういう事だと。明らかな矛盾、そして次にサラが口にした言葉に、ラウラは更なる疑問を抱く事になる。

 

 

「──グランはね、産まれた時から猟兵になる事が決まっていたのよ」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 同時刻、教室を出たグランは学院の中庭で自分の話題が上がっている事など知るはずもなく、学生会館の生徒会室にて試験勉強を行っていた。ソファーの前のテーブルには様々な分野の教科書が広げられ、グランが座っている隣には生徒会長のトワも同じく腰を下ろしている。生徒会の事務仕事の合間に、休憩がてらトワはこうしてグランに毎日勉強を教えていた。

 

 

「じゃあ今度はここ。救護に関する項目だね」

 

 

「任せてください。こう見えて人助けとか得意なんですよ」

 

 

 何故か自信満々にそう話すグランの様子に笑みをこぼしながら、トワは教科書を読み上げる前に先にグランへ質問を問い掛ける。人助けが得意なのであれば、恐らくは分かるだろう問題を。

 

 

「例えばグラン君が生徒会室に来て、部屋の中で私が倒れているのを見つけました。グラン君はどういう順番でどんな行動を取りますか?」

 

 

 にこりと微笑みながら問いを述べるトワ。因みにこの質問の答え、最初に行う行動は近くに駆け寄って意識の確認をするのが正解。自分で得意だと言っていたし、これくらいは大丈夫だろうと彼女はグランの回答に少し期待をしていた。しかし、その期待は直ぐに外れる。

 

 

「──人工呼吸です」

 

 

「何で直ぐにキスしようとするかな、もう!」

 

 

 トワは顔を真っ赤に染め上げると、目の前に顔を近づけるグランに応急措置の何たるかを叩き込むのだった。

 

 

 




第三章、始まりました。そしてやっとトワ会長が出せた……会長可愛いよ会長!因みにここまでの勉強風景は割愛させて頂きました。グランが間違える度にトワが頭を抱える姿を繰り返し繰り返し……需要ありませんよね?


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新たな苦悩の始まり

 

 

 

 この世界には、時に信じられないような環境で生を受けた人々が存在する。産声を上げた場所が戦場の中であったり、既に争いを終えて荒廃しきった土地であったり。親が富を得て、生まれた時から裕福な環境で育った者や、裕福とはいかないまでも争いのない平和な場所で生まれた者からしてみれば想像しがたい境遇である。そんな恵まれた環境の中でも前者に該当するラウラは今、その想像しがたい境遇に生まれたというグランの素性を聞かされていた。

 

 

「猟兵になる事が、決まっていた?」

 

 

「──そう。あの子は自分の意思に関係なく、猟兵になる事が決まっていた」

 

 

 サラによって知らされたグランの事情、ラウラは自分の耳を疑った。産まれた時から猟兵になる事が決まっていたなど、一体どんな家庭環境に生まれたらそんな理不尽な仕打ちを受けるのかとラウラは驚きを隠せない。そして同時に、彼女は一つの猟兵団を思い出してグランの素性にある仮説を立てた。

 

 

「北の猟兵……グランはもしや、ノーザンブリアの出自なのですか?」

 

 

 ノーザンブリア自治州、突然の災厄によって壊滅的な被害を受けた地域。今もそこで生活をしている人々は貧困に苦しみ、明日の食事を取る事もままならないと言われている。そんな人々のために金銭を稼ぐ集団、ノーザンブリアがかつて一国として存在した時の軍に所属していた兵士達を中心に結成された部隊は北の猟兵として有名だ。そこの出身なのではとラウラは推測した。

 

 

「あー、グランはノーザンブリアの出身じゃないわよ。あの子はまた別の特殊な部類に入るわ」

 

 

 しかしサラから返ってきた答えは違った。グランはノーザンブリアの出身ではないと。考えが外れたと自分の推測力のなさに落ち込むが、この時ラウラはほっと胸を撫で下ろしている自分がいる事に気付く。もしグランがノーザンブリアの出身であったなら、そのような過酷な場所で生まれ、生きるための手段として猟兵という道を選んだグランに自分はとんでもない目を向けていたから。そして今さらそのような安堵感を覚える自分に、ラウラは少しばかり苛立ちを覚えながらサラへ再び問い掛ける。

 

 

「では、グランは何故猟兵になる事が決まっていたのですか?」

 

 

「それは……本人から聞いてちょうだい。流石にこれ以上の事を私が話すのもね」

 

 

 一度考える素振りを見せた後、サラは再び笑顔を浮かべて困ったように首を傾げた。どうやらこれ以上、彼女にはグランの過去について話す気はないようだ。本人の知らない所でその人の過去を聞き出したり、話したりというのは元々余り誉められたことではない。ラウラもそれを察したのか、これ以上サラに問い掛ける事はなかった。そして、グランの出身に頭を悩ませるラウラへ、今度は逆にサラから質問が飛んだ。

 

 

「ところで、ラウラはどうしてそこまで猟兵を否定するのかしら? そうしなければ生活できない人達もいるって事は、あなたも分かっているわよね?」

 

 

「理解はしています。私の考えは、苦悩のない者が描くただの理想論だという事も。ですが、猟兵という存在そのものが人の義に反すると私の心がそれを許しません。どのような理由があっても、非道な行いはするべきではないと」

 

 

 境遇上、猟兵としての生活を余儀なくされる人々がいるのは仕方ないと肯定する自分と、猟兵という存在はあってはならないと否定をする自分。本来、人は皆誇り高くあれるとラウラは思っていた。境遇や身分に関係なく、人は誰しも尊ばれるべき存在だと。しかしグランやフィーの過去を知った事により、自分の中に眠っていた正反対の考えが浮上してしまう。その結果ラウラ自身、己が抱えているこの矛盾をどうしたらいいのか迷っていた。片方を認めれば、必然的にもう片方は否定する事になる。今のラウラには、どちらが正しいのか判断する事も、どちらでもない別の答えを導きだす事も出来ないでいた。明らかな悪循環に陥っているラウラ。しかし彼女の本音を聞いたサラはこの時、何故か安心したように笑みを浮かべていた。

 

 

「……良かったわ。だったら解決するのは時間の問題ね」

 

 

「──えっ?」

 

 

「ラウラにその気があるなら、一度グランやフィーと話してみなさい。きっと答えが見つかるはずよ」

 

 

 サラはそう告げると、席を立ち上がり本校舎へと向かって歩き出す。その背中を見ながらラウラは今の言葉の意味を考えるが、結局彼女にはサラの言っている事がよく分からなかった。雨によってぬかるみのできた地面へ視線を落とし、少し考えた後にラウラも立ち上がる。

 

 

「グランもフィーも、私などに話してくれるだろうか──いや、手掛かりだけでも得れた事に感謝せねば。今は一先ず、中間テストに集中しよう」

 

 

 ラウラは取り敢えずの区切りをつけると、サラと話している時からずっと心配そうに自分を見ていたアリサが待つ本校舎の中へと歩いていくのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 同じ頃、学生会館の生徒会室では急展開を迎えていた。教科書が広げられたテーブルの側、ソファーの上には瞳を潤ませたトワが仰向けに倒れている。そしてトワを覆うようにグランが上に乗り、彼女の顔の横に手をついて僅か数リジュの距離まで互いの顔を接近させていた。静まり返った部屋の中、速くなる心臓の鼓動を脳内に響かせながら頬に赤みを増したトワが声を上げる。

 

 

「──グラン君、本当にするの?」

 

 

「会長が言ったんですよ? 救護は実技の方が分かりやすいって」

 

 

 そう、このような事態になってしまったのは少し理由がある。グランに救護のいろはを教えようとして、トワが教科書に記載されている救護関連の項目をなぞりながらグランに説明をしている時。グランの性格を忘れていたトワが不意に失言をした。

 

 

──う~ん、本当は実際にやってみた方が理解しやすかったりするんだけど……マネキンがあればなぁ──

 

 

──じゃあ、会長が代わりにやったらいいですよ……そのマネキン──

 

 

──え……きゃあっ!──

 

 

 詰まりはそう言う事である。事の始まりもトワには一切落ち度などなく、グランの茶目っ気スキルが発動した結果現在の状況になってしまった。アンゼリカ辺りが目撃すればタコ殴りにされているであろうこの光景。勿論人工呼吸の建前でこのまま唇を奪うのはやり過ぎなので、流石のグランもトワの顔を暫く見た後に止めるつもりだった。つもりだったのだが……グランにとって不測の事態が起きてしまう。

 

 

「優しく……優しくだからね? 私、目を閉じてるから──」

 

 

 場の雰囲気に呑まれてしまったのか、トワがそう呟いた後に瞳を閉じ始めてしまう。そんな彼女の顔を見ている仕掛けた側のグランはこの時、頭の中が真っ白になっていた。なんちゃって、と冗談として終わらす事が出来なくなってしまったからだ。徐々に高くなるトワの胸の鼓動や呼吸音が何故か鮮明にグランの耳に入ってくる。この場にいるのは二人だけ、誰も止めに入る者などいなかった。次にどうするべきか考えが思い付かない。本当にどうしよう……と冷や汗をダラダラ流しながら本気で焦っていたグランだったが、突然彼に救世主が現れた。

 

 

──会長、リィンです……失礼します──

 

 

 不意に響いたノック音の後、リィンの声が扉越しに聞こえてきた。その声により意識の覚醒したトワとグランは直後に立ち上がり、入室してきたリィンの顔を見ながらいかにもな作り笑いを浮かべ始める。そんな二人の様子にリィンが首を傾げる中、グランは一人リィンに近寄ると彼の両手を握ってブワッと盛大に涙を流した。

 

 

「ありがとう、マジでありがとう──!」

 

 

「えっと、どうしたんだ? グランが会長の所で勉強をしているのは知ってたから、てっきり迷惑かと思ったんだけど……」

 

 

「あははは……そんな事ないよ。良かったらリィン君も一緒に勉強する?」

 

 

「はい、迷惑でなければお願いします」

 

 

 リィンは未だに涙を流しているグランと共にソファーに腰を下ろすと、向かい側に座るトワの拍手を機に中間テストに向けての勉強を始める。そして二人に勉強を教えるトワなのだが、この時の彼女の表情は、どこか落ち込んでいるように見えた。

 

 

「(何だろう、このモヤモヤした気持ち──)」

 

 

 勉強を教えながらトワはグランの顔へと視線を移し、自身の胸中に残る不思議な感情に頭を悩ませるのだった。彼女がこの感情の正体に気付くのは、もう少し先の事になる。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 《Ⅶ組》の面々が試験対策に明け暮れた翌日。六月十六日から十九日にかけて、計四日間の中間テストが開始される。教官達が用意した設問の数々に苦戦しながらも、トワとの勉強の日々が功を奏したのかグランは四日間を何とか乗り切った。時折睡魔に襲われながらも、一時限として眠らなかった事はグランにとっては称賛に値するだろう。最終日、グランが唯一得意と言ってもいい実技の問題を終えてテスト終了のチャイムが校内に鳴り響く中、試験監督を務めていた……といっても終始爆睡していたサラによる号令の後、グランは漸く終わりを迎えた中間テストの内容を思い返しながら机にうつ伏せていた。

 

 

「──終わった。応急措置で最初に意識の確認を選んだオレを盛大に誉めてやりたい……」

 

 

「へぇ、グランちゃんと答えてるじゃない。あなたの性格だとてっきり人工呼吸から入りそうなものだけど──」

 

 

「聞かんでくれアリサ。先日、その回答がどれだけ間違っているのかをこの身をもって知った次第だ」

 

 

「そ、そうなの……?」

 

 

 本当に疲れた様子で話すグランにアリサが困惑する横で、リィンはグランの健闘を讃えるために彼の背中を擦っている。その近くでは、テストの結果に満足だったのかマキアスがエマに対して自信ありげに話し、エマが困ったように笑みを浮かべ、直後にユーシスがマキアスに茶々を入れてマキアスが言い返す……という《Ⅶ組》の日常風景がそこにはあった。そしてガイウスとエリオットがリィンの元へと近寄っていく中、机にうつ伏せていたグランが不意に立ち上がる。

 

 

「さて、会長の所にでも行くか」

 

 

「はは、グランは回復が早いな……会長によろしく言っておいてくれ」

 

 

「おう、任せとけ」

 

 

「グラン、私も行く」

 

 

 リィンから伝言を預かったグランが歩き出したその時、グランと同様に机にうつ伏せていたフィーが起き上がると彼の横にぴたりと付き、二人でそのまま退室していく。教室を出ていく二人に一同は視線を移した後、その姿が見えなくなると再び各々テストの出来について話し始める。そんな中、教室の扉から視線を外さない者が一人いたのだが、それはラウラだった。彼女は席に着いたまま、二人が退室した扉の先を見詰めている。

 

 

「(目の前の果たすべき課題は終わった。今日こそ、二人に事の真意を──)」

 

 

 ラウラは席を立ち上がると、他のメンバーの視線を一度に受けながら二人の後を追うのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 《Ⅶ組》の教室を退室したグランとフィーの二人が訪れた先、学生会館二階の生徒会室に部屋の主であるトワの姿はなかった。いずれ来るだろうとソファーに座って待つ事を選んだ二人は、部屋の中に入るとソファーへ向かって歩き始める。その時、トワが生徒会の事務仕事を行う際に使用している机の上で、グランは見覚えのある品を発見した。

 

 

「ん? これって……何だ、ここに忘れてたのか」

 

 

 机の上に置いてあったそれは、掌程もある大きめのペンダントだった。そしてそのペンダントはグランの物だったのか、グランはそれを手に取るとお手玉のように片手で上空に放ってはキャッチを繰り返している。その様子を隣で眺めていたフィーは、少し表情を落ち込ませながら口を開いた。

 

 

「グラン、それまだ持ってたんだ」

 

 

「ああ──って、フィーすけこれ知ってたのか?」

 

 

「知ってたって……団にいた頃にグランがその中にある写真を見せてくれた」

 

 

「写真……一体何の事だ?」

 

 

 フィーはこの時、グランが発した言葉に驚きの余り呆然としていた。この男は何の冗談を言っているんだと、フィーはグランからペンダントを奪い取ってその蓋を開放する。中に埋め込まれた白髪の少女が写っている写真を、グランの目の前へと突き出した。

 

 

「クオン……って言ったっけ、グランの大切な人。これでも知らないって言い張るの?」

 

 

 これでもまだはぐらかそうものなら、銃弾の一つでもぶちこんでやるとフィーは考えていた。しかし、いつまで経ってもグランから返答は来ず。イラっときたフィーは銃剣を取り出してグランの顔を見上げる。だが、そこにいたのは普段の陽気な彼ではなかった。

 

 

「だれ、だ……くっ!?」

 

 

 フィーの視界に収まったのは、明らかな動揺を見せ、瞳を揺らしながら頭を押さえているグランだった。

 

 

 




クオン……漢字にすると久遠……久遠(キュウエン)……永遠(トワ)と似てるじゃないですかやだー

……すいません、調子に乗りました。ところで中間テスト短っ!?って思われた方は申し訳ありません。導力学とか軍事学とか、私の情報処理能力では理解できませんので、勉強描写は省きました……そこ、逃げてるとか言わない。


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少女の決意と思わぬ再会

 

 

 

──ごめんね……ごめんね、グランハルト──

 

 

「……眠ってたのか」

 

 

 いつの日か、何処かで聞いた覚えのある少女の声でグランは目を覚ます。生徒会室で突然の頭痛に襲われた彼は、そのまま意識を失って倒れてしまっていた。両手の感触を確かめ、感覚が正常に機能している事を確認したグランはゆっくりと体を起こす。視界に収まったのは白のカーテンと幾つかの医療器具。純白のベッドに自身が体を預けている事もあって、グランはここが保健室だと直ぐに理解した。そして彼が横になっていたベッドの側、二つの椅子にはトワとフィーの二人が腰を下ろしている。うつらうつらと小舟を漕いでいた彼女達は、ベッドの軋む音に意識を覚醒させると起き上がっているグランに気付いた。表情を曇らせながら、トワが口を開く。

 

 

「グラン君、大丈夫?」

 

 

「はい……それにしても迷惑かけたみたいですね、重かったでしょ?」

 

 

「……ラウラが運んでくれた」

 

 

「ラウラが……後でお礼言っておかないとな」

 

 

 フィーの口から自分を運んでくれた者の名前を聞き、この場にいない青髪の少女に感謝しながらグランはベッドを降りた。二人はまだ横になっていた方がいいと口にするが、問題ないとグランはカーテンを開けると、机で仕事をしていた保健医のベアトリクス教官に頭を下げてから保健室を退室する。残されたトワとフィーの二人は顔を見合わせた後、グランが無事だった事に安堵のため息をついた。

 

 

「良かった……生徒会室に着いたらグラン君が倒れてるんだもん、ビックリしちゃった。ベアトリクス教官の話だと問題ないみたいだから大丈夫だとは思うけど……」

 

 

「……あのペンダント、トワが暫く預かってて」

 

 

「えっ? あ、グラン君が落としたペンダントの事だよね?」

 

 

「うん……お願い」

 

 

 トワにペンダントの事を託すと、どこか元気のない様子でフィーも保健室を出ていく。フィーの退室していく姿を心配そうに見つめながら、トワはグランの倒れた原因を考えていた。ベアトリクス教官の話によれば、精神的な疲労が倒れた原因のようだが、詳しい事は分からないとのこと。中間テストの勉強を頑張りすぎたという可能性も無くはないが、その辺りはトワも細心の注意をはらって教えていた。あるとすれば、学院生活で何か重荷になるような事を彼が背負っているか、もしくは学院に来る前の彼の過去。猟兵時代に何かあったのかもしれない。暫く頭を捻りながら、やがてトワも生徒会の仕事をするため、生徒会室へ向かうべく歩き始めた。

 

 

「少し心苦しいけど、グラン君の事調べてみようかな……ごめんね、グラン君」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 士官学院の屋外、本校舎の一階入り口前でグランは茜色に染まった空を見上げていた。中間テストの話題で賑わいを見せる、周囲を歩く学生達の声も彼の耳には入らない。今のグランの脳裏には、生徒会室で見たペンダントの写真に写る白髪の少女の事が過っていた。

 

 

「クオン……ちっ、考えただけで頭痛がしやがる」

 

 

 再び訪れた頭痛に頭を押さえながら舌打ちをする。気にはなるが、あの少女の事を考えただけで頭痛が再発して止まない。とは言え頭痛というデメリットを払ってまで、今のグランにはそこまで記憶の片隅に存在する少女の事を思い出そうとする必要性が感じられなかった。忘れる程の存在なら、自分にはさして重要な人物でもないだろうからだ。それだけなら少女に対する疑問を忘れて終わってもいい。だが、グランには他に気になる事があった。

 

 

「何なのかねぇ。クソ親父とシャーリィを無性に殺りたくなってくるんだが……」

 

 

 少女の事を考えると同時に、自身の家族に対して沸々と沸き上がってくる殺意。それも、無意識に刀を抜刀してしまう程に。グランの様子に気付いた周囲の学生は突然の事に動揺し始め、グランも辺りの異変に気が付くと頭を抱えながら右手に握りしめていた刀を納刀する。いつから自分はこんなに理性的では無くなったのかと思いながらも、自身の体を廻る血を思い出して仕方ないのかもしれないと考えに至った。

 

 

「(考えても仕方がない。それに、無理に思い出す必要もないだろ……)いやー、今日はいい天気だなぁ!」

 

 

 結局は白髪の少女の記憶を忘れる事に決め、何もなかったかのように周囲の生徒達に声を上げながらグランは歩き出した。学生達も彼の陽気な声に安心したのか、笑いながら再び中間テストの話題を広げ始める。そしてグランがトリスタの町中に伸びる坂道を下り始めた所で、後ろから彼に向かって突然声を掛ける者が現れた。

 

 

「思ったよりも元気そうで安心したぞ」

 

 

「……ラウラか、さっきは世話になったな」

 

 

 部活に顔を出してからの帰りなのか、ラウラは立ち止まったグランの横に並ぶ。保健室に運んでくれた事のお礼をグランが述べた後、気にしなくていいとラウラが返して両者は再び歩き始めた。そのまま二人は無言で歩き続け、トリスタの町へと足を踏み入れる。元気に町中を走り回る子供達をかわしながら、やがて町にある喫茶店に差し掛かった所でラウラが唐突に話し出した。ずっと知りたかった、グランの事について。

 

 

「そなたは……何故猟兵になる事が決まっていたのだ?」

 

 

 歩みを止め、神妙な面持ちで問い掛けたラウラの言葉には、一切の飾り気などなかった。ラウラらしいとも言える真っ直ぐな質問、グランはやはりラウラが生徒会室での話を聞いていたんだなと今まで敬遠されていた事に納得する。そして問い掛けの内容は、グランが何故猟兵をしていたのか、ではなく、何故猟兵になる事が決まっていたのか、というもの。恐らくサラあたりが話したんだろうと踏みながら、先の貸しもあってグランは質問混じりに返した。

 

 

「じゃあ一つ聞くが、ラウラはどうして剣を取った?」

 

 

「そんな事は決まっている。レグラムに住む民を守るために──」

 

 

「悪い、質問を変えるぞ。ならどうして守るための手段に剣を、アルゼイド流を選んだ?」

 

 

 これほど分かりきった問いがあるだろうか、とラウラは思った。グランの表情を見るに、彼は質問の答えを既に知っている。と言うかこれについてはラウラの家系を考えれば誰だって分かることである。アルゼイドの家に生まれ、父は『光の剣匠』と謳われる帝国きっての剣豪。それ以上の理由はないとラウラは話し、同時に彼女は質問の流れで先の問いの意図を理解した。今の問いを、グランと猟兵に当てはめれば自ずと答えが出てくる。

 

 

「もしや、そなたの父君は猟兵なのか?」

 

 

「……ああ。それも猟兵の中では知らない奴がいない程、最凶最悪のクソ親父だよ」

 

 

 グランの父親が猟兵であれば、サラの言っていた事が必然的に当てはまると踏んだラウラの考えは正しかった。生まれた時から父親の背中を見て育ったラウラからしてみれば、グランが父親と同じ猟兵の道に進んだ事も当然だと理解する。しかし、それにしては腑に落ちない点が彼女にはあった。

 

 

「……そなたは、父君の事を余り良く思っていないようだな」

 

 

 今しがたグランが言ったクソ親父という発言は、明らかに敬意を示す言葉ではない。どちらかと言うと拒絶、否定の方が正しいのではないだろうか。父を敬愛して同じ剣の道を歩み始めたラウラにとって、猟兵という父を忌み嫌ったグランが同じ猟兵になった事が理解できなかった。そして、彼女はサラの言葉を思い出す。

 

 

──猟兵はね、グランにとって都合が良かったのよ──

 

 

 自身を鍛えるためにグランは猟兵を選んだとサラは話していた。父親と同じ猟兵という道、時には嫌でも顔を合わせることがあるだろう。それほどまでに強さを求める理由とは、果たして何があるだろうか。考え出したこの時、不思議にもラウラの頭の中でグランの目的と彼の父親という存在が結び付いた。そして、彼女はグランが強さを求める理由を知ってしまう。

 

 

「っ!? まさかそなたの目的とは、父君の事を……」

 

 

「どんだけ勘が鋭いんだよ──まあいい、知られたところで何があるって訳でもないしな」

 

 

 驚愕に染まるラウラの表情を見て、グランは彼女が答えに辿り着いた事を察した。頭を抱えながら、止めていた足を再び動かし始める。そのままグランが第三学生寮に入っていくまで彼の後ろ姿を見つめていたラウラは、怒りとも悲しみとも取れる感情を胸に抱きながら、両の手を握り締めて顔を俯かせていた。

 

 

「父と子が争うなど、そのような悲しい事があっていいはずがない。グラン、そなたの身に何があったのかまでは分からぬ。だが、それでも──」

 

 

──私はそなたを、止めて見せるぞ──

 

 

 固い決意を秘めたその瞳は、閉じられた第三学生寮の扉の先を見据えている。いつしか彼女のグランに対する感情は、軽蔑ではなく、同じ剣の道を歩む大切な仲間に向けるものへと戻っていた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「お帰りなさいませ、グラン様」

 

 

「あ、ただいま。シャロンさん元気そうですね」

 

 

「はい、グラン様もお元気そうで」

 

 

 第三学生寮に戻ったグランは、目の前で笑顔を浮かべる見慣れない紫ショートヘアーの美人なメイドと普通に会話をしていた。そして何事もなかったかのようにその場を通りすぎようとするグランだったが、シャロンと呼ばれたそのメイドはガシッとグランの腕を掴んで彼の動きを制す。必死に抵抗して逃れようとするグランだったが、結局逃げることが出来ずに抵抗することを諦めて振り返った。

 

 

「──何でここにいるんすか、シャロンさん」

 

 

「グラン様ったら、てっきりわたくしの事を忘れてしまわれたのではと、シャロン不安になりましたわ。しくしく」

 

 

「会話が成立してねー」

 

 

 グランの腕を掴んでいた手を離して泣き真似を始めるシャロンを見ながら、グランは頭を抱えていた。直ぐにシャロンも泣き真似を止めると、元のにこやかな笑みを浮かべてそんなグランを見ている。二人の関係性は分からないが、先程のやり取りを見てもシャロンの方がグランよりも一枚も二枚も上手なのだけは理解できた。当のグランもこの人には敵わないと呟いた後、同じく笑みを浮かべる。

 

 

「最後に顔を合わせてから、半年くらいは経ちましたかね」

 

 

「はい。グラン様のお顔を拝見する事が出来ず、シャロンは寂しゅうございました」

 

 

「オレは全然これっぽっちも寂しくなかったです」

 

 

「あら、ほんの少し見ない間にグラン様は冷たくなられましたわ。わたくし悲しいです、しくしく」

 

 

「はぁ……冗談ですよ」

 

 

 またしても泣き真似を始めるシャロンを見ては、ばつの悪そうな顔をしてグランが頭を掻く。冗談と分かっていながらこうして泣き真似をしたり悲しそうな表情を平気で浮かべるシャロンは、からかうことを日常として過ごしているグランにとっては天敵と言っても差し支えなかった。グランがため息をついた後、やはりシャロンはにこりと笑顔で返している。

 

 

「それにしても、グラン様は以前と比べて随分と柔らかくなられたようで……シャロンの見ない間に何かあったのですか?」

 

 

「どうでしょうか。今いる場所は居心地も悪くないですし、もしかしたら学院生活が影響してるんですかね?」

 

 

「あらあら、それは大変素晴らしい事ですわ。グラン様もとうとう恋路に目覚めてしまわれたのですね」

 

 

「何でそう解釈するんですか……」

 

 

 いつの間にかグランがからかわれる側に変化しており、クスクスと笑うシャロンを見ながら本当に敵わないなとグランは改めて感じる。この日から、学院の女性達に対してのグランのセクハラ発言が大幅に減ったとかなんとか。

 

 

 




ラウラの葛藤終了のお知らせ……シリアスなんてなかったんや!でも今度はグランがラウラの事を避けちゃいそうです。フィーとラウラについては……やっぱり四章で解決するのかな?

そして遂に、遂に!シャロンさん登場ということでグランはからかう側から弄られる側へと変化していきそうです。


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雑貨屋での一時

 

 

 

 翌日の自由行動日、早朝を迎えたトリスタの第三学生寮一階では感嘆の声が響いていた。《Ⅶ組》の面々が席に座ってテーブルに広げられた朝食を眺めながら、その種類の多さと華やかな見た目に驚いている。一同が暫く呆けていると、昨日から第三学生寮の管理人を務める事になった、そして朝食を作った本人でもあるシャロンが台所の奥から出てきて申し訳無さそうに口を開いた。

 

 

「お台所に慣れていないため、有り合わせの物で作る事になってしまいましたが……お気に召さなかったでしょうか?」

 

 

「いやいや、逆に有り合わせの物でこれだけのもんが作れるのが凄いんですが」

 

 

 グランの言葉にアリサ以外の他のメンバーも頷きながら、目の前に置かれた料理に次々と手を伸ばしてそれを口に運ぶ。口にした者は一様に満足そうな表情で、シャロンもその様子を見ながら笑みを浮かべていた。しかし、その中でもアリサだけは終始不機嫌な様子で腕を組んでいる。アリサが不機嫌な理由……それはズバリ、シャロンの存在にあった。

 

 

「アリサお嬢様、どうかなされましたか?」

 

 

「『どうかなされましたか?』じゃないわよ全く! これじゃ、母さまから自立しようとした意味が無いじゃない──」

 

 

「これもひとえに、イリーナ会長がアリサお嬢様を心配しての事ですわ」

 

 

「それが余計だって言ってるのよ!」

 

 

 アリサの母親はイリーナ=ラインフォルトという名前で、その名の通り大企業の一つであるラインフォルト社の会長を務める人物だった。勿論アリサ=RのRはラインフォルトのRということになる。大企業の娘ともなれば下手な貴族より位が高く、影響力も強い。そういった理由もあってアリサは家名を伏せていたのだが、今回ラインフォルト家のメイドをしているシャロンが訪れ、彼女が自己紹介をした事により皆に知られてしまう。そしてそのシャロンは此度、イリーナの言い付けで第三学生寮の管理人をする事になったらしく、アリサはその事が納得出来ずに機嫌を損ねていた。自分の気持ちを考えもしないで、勝手に今回の事を決めていたからと。

 

 

「まあまあお嬢様。お嬢様の大好きなアプリコットジャムも持って参りました。シャロンがお塗りして差し上げますわ」

 

 

「え、ほんと?」

 

 

 そして一家のメイドという事は、シャロンもアリサの機嫌の取り方を熟知している訳で。目の前に差し出されたジャムの入った瓶にまんまとアリサは釣られてしまい、しかめっ面は何処へやら、嬉しそうに表情を緩めていた。直ぐに自分の失態に気付いてアリサは顔を真っ赤に染めているが、一同には微笑ましい光景でしかない。二人のやり取りに思わずリィンが呟いた。

 

 

「はは、アリサも形無しだな」

 

 

「リィン、何か言った?」

 

 

「いや、何でもない……」

 

 

 逃げ道の無くなったアリサは、余計な事を口にするリィンに鋭い視線を浴びせるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 朝食を終えた後、《Ⅶ組》の面々はそれぞれの休日を過ごすため第三学生寮を出ていき散々になる。そんな中、グランは一度自室に戻って財布を手に取ると町の雑貨屋『ブランドン商店』へと足を運んだ。目的は、今回の中間テストで大変お世話になったトワへのお礼と、日頃の労いの意味も兼ねてのプレゼント。学院生活はおろかこういった自由行動日の日にまで生徒会の仕事に明け暮れているトワに、グランなりの感謝の意を示そうというわけだ。店内へ足を踏み入れると、視界に入ったのは棚や台に置かれた雑貨の数々。そして、店の中には見慣れた顔もあった。

 

 

「何だ、ラウラも来てたのか」

 

 

「っ!? グ、グランか。うむ、私用でな」

 

 

 グランの声に、昨日の一件からかラウラはどこかぎこちない様子で返事をしていた。先日グランの目的を止めて見せると決意を固めたとはいえ、齢十七の少女である。急に声を掛けられたりしたら流石にビックリするだろう。そんなラウラの反応にグランは首を傾げながら、何か良い物がないかと店内の品々を物色し始める。ラウラもまたグランの姿を見た後に、探し物の途中だったのか目の前の棚へと視線を戻した。

 

 

「しっかし、会長の欲しい物って何だ?」

 

 

 プレゼントとは言ったものの、トワがどういう好みだったりするのかはグランも知らず、何を持っていけば喜ぶだろうかと頭を悩ませていた。暫くの間商品を眺めるも、結局は決まらず。そして一先ず女子の意見を聞いてみる事にしたのか、グランは先程から棚を物色しているラウラの元へ向かった。

 

 

「よっ、お目当ての物は見つかったか?」

 

 

「ん? グランか。ふむ……よし、そなたに聞いてみよう」

 

 

「何の事だ?」

 

 

 一人で勝手に納得しているラウラに首を傾げ、グランはラウラが見つめる棚へと視線を移す。そこには大小様々な種類の雑貨が陳列しているのだが、ラウラの話だと今時の女子の趣味というものについて勉強をし始めたらしい。部活動等で他の女子生徒と会話をする際、自分だけ話題についていけなかった事が悩みだとか。グランも女子の趣味にそこまで詳しいわけでもなく、アドバイス出来るかどうかは微妙だと答えながらも棚の品々を物色し始める。

 

 

「女の子の趣味ねぇ……」

 

 

「因みに私はこれなんかが良いと思うのだが」

 

 

 グランが頭を捻る中、そう言ってラウラが取り出したのは筋肉隆々とした青髪の人形。名前はドギと言うらしいのだが、はっきり言ってグランには名前などどうでもよかった。問題なのはそのチョイスにある。いくらなんでもこれが女子の趣味とは思えない、と流石のグランも顔を引きつらせながら口を開いた。

 

 

「それはないだろ……」

 

 

「そ、そうなのか……やはり違うのか」

 

 

 グランの言葉にラウラは落ち込んだ様子でその人形を棚に戻すと、顎に手を当てながらまたまた物色を始める。同じくグランも棚に視線を戻して品々を見渡すのだが、その時ふとグランの視界に収まる一つのぬいぐるみがあった。大きさ約四十リジュ程の猫をモチーフにしたと思われるそのぬいぐるみは、灰色と白のボディに気の抜けた顔が特徴的な何とも愛らしい見た目をしている。これならもしかしたらと、グランはぬいぐるみを手に取った。

 

 

「『みっしぃぬいぐるみ』か……ラウラ、ちょっとこれ抱いてみろ」

 

 

「承知した……こんな感じでよいだろうか?」

 

 

 グランに言われるまま、ラウラはみっしぃという名前のそのぬいぐるみを受け取るとギュッと胸に抱き寄せた。首を傾げながらぬいぐるみを抱えたラウラを見て、これなら女子の趣味でも違和感はないだろうとグランは話す。ラウラは満足そうな表情でみっしぃのぬいぐるみを上に抱えると、ぬいぐるみの顔をじーっと見詰める。

 

 

「うむ、よく見れば中々に心惹かれるものがある」

 

 

「気に入ったんならなによりだ。さて、ラウラに聞いてもしょうがないから店員に聞くか」

 

 

「ん?」

 

 

 嬉しそうな様子のラウラを見て笑みを浮かべると、用を終えたとばかりにグランは受付に向かって歩き出す。ラウラもぬいぐるみを抱き直してその後を追い、グランは店の受付に立つ士官学院の緑色の制服を着た女の子の前で立ち止まった。頼りになる人間がいない今、店員に聞くのが一番だとグランは考えたようだ。

 

 

「すまん、ちょっと訊ねたいんだが──」

 

 

「何や……? おっ、アンタもしかしてグラン君やないか?」

 

 

「オレを知ってるのか?」

 

 

「知ってるもなにも、君女子の間で結構有名やで? あっ、因みにうちの名前はベッキー言うんや、よろしく」

 

 

 特徴的な喋り方をする女の子ベッキーは、どこか期待をしているグランを見ながら学院内での彼の評判を躊躇う事なく口にした。軽い人、ちょっとえっちな人、終いには顔は悪くないけど性格が残念と言いたい放題である。日頃の行いが如実に現れている女子生徒方のグランに対する印象は、彼の心を折るには充分過ぎた。

 

 

「女の子って怖い……」

 

 

「そなたももう少し日頃の行いを改めてみてはどうだ?」

 

 

「彼女さんの言う通りやな。相手がおるんならもっとしっかりせなあかんで?」

 

 

 そして直後のベッキーによる勘違い発言。二人共揃えて首を傾げていたが、直ぐに言葉の内容を理解したラウラが頬を紅潮させながらグランとの関係を全力で否定。余りの勢いにベッキーがたじろぐ中、そんなに否定しなくてもと心の折れていたグランは更に落ち込んでいる。彼の心境を察したベッキーは苦笑いを浮かべながらグランの肩に手を置いた。

 

 

「まあ、何や。アンタも元気出してな?」

 

 

「その、嫌とかそういうのではないのだが……」

 

 

「はぁ……まあいい、それより本題に入るぞ」

 

 

 ラウラも否定し過ぎた事に自覚があったのだろう。少し頬に赤みが残ったまま申し訳なさそうに呟き、その横では割りと早めに復活したグランがベッキーに今回来店した目的を話していた。普段忙しい女性の友人に、何か心の休まる物を贈りたいので目ぼしいものはないかと。ベッキーは考える素振りを見せた後、近くの棚に駆け寄って一つの商品を見つけると、それを手に取って再び受付のカウンターまで戻ってくる。そしてグランの前に差し出した彼女の手には、透明な袋に入った手のひらサイズのボトル型の御守りが乗っていた。

 

 

「『フローラルボトル』言うんやけど、このアロマの香りが結構落ち着くんや。これなんかどうや?」

 

 

「こんなのがあるのか……それで頼む」

 

 

「よっしゃ、一個で千二百ミラやな……そっちはどうするん?」

 

 

 買い取りが決まるとベッキーはにこりと笑顔を浮かべ、グランの隣にいるラウラが抱いているぬいぐるみへと視線を移した。ラウラは迷う事なくみっしぃのぬいぐるみをカウンターに置き、買い取りの意思を見せる。そして直後にベッキーが値段を告げるのだが、このぬいぐるみ、実は結構な値段がした。

 

 

「『みっしぃぬいぐるみ』は一万ミラや」

 

 

「ちょっと待て、ケルディックの大市で見たやつはせいぜい千ミラだったぞ」

 

 

「これやからトーシローは……そこらのぬいぐるみとは材質がちゃうんや、材質が」

 

 

 因みにカウンターの側にある棚にも同じようなぬいぐるみがあるのだが、それは千ミラだとベッキーが補足する。それを聞いたグランは千ミラの方を提案するが、流石は子爵家のお嬢様であるラウラ。ぬいぐるみの値段については特に気にしていないらしい。

 

 

「それに、そなたがせっかく選んでくれたからな。私も気に入ったし、これにしようと思う」

 

 

「おうおう、見せつけてくれるやんか」

 

 

「だ、だからそれは違うと……」

 

 

「何やってんだよ……一万千二百ミラ、これでいいな」

 

 

 ラウラが一人弄られている横で、グランは二人のやり取りを見ながら呆れた様子で財布からぬいぐるみの分も含めたミラを取り出すと、それをカウンターに置いて自分が購入した商品の入った包みを手に取る。にこにこと笑顔のベッキーがいそいそとカウンターに置かれたミラを回収する中、ラウラはぬいぐるみを手に取って抱き締めながら心苦しそうに声を上げた。

 

 

「グラン、流石にここまで世話になるわけには──」

 

 

「気にすんなって、昨日のお礼も兼ねてだ。それと、これで昨日の事は忘れてくれ」

 

 

「──えっ?」

 

 

「クソ親父の事は、聞かなかった事にしてくれると助かる……じゃあな」

 

 

 刹那、グランの鋭い視線がラウラの瞳を貫いた。ラウラはその視線を受けてびくつくが、グランが直ぐに目線をそらして店の出入口へと歩き始める事によってその場の緊張は解かれる。釘をさされて何か言いたそうな表情のラウラも、結局グランが店を出ていくまではその口を開くことは出来なかった。グランのいなくなった店内で、ぬいぐるみを抱き締める力を一層強めながらラウラは悲しそうに呟く。

 

 

「私は、そなたの力になれないのか? 私は、私は諦めたくないのだ」

 

 

 先程放ったグランの目は全てを貫くが如き鋭いものであったが、それでもラウラの決意は揺るがなかった。同じ剣の道を歩む者として、そしてなにより《Ⅶ組》で過ごす仲間として、彼女の決意は変わらない。グランの目指すものは間違っていると、彼の目的は達成されるべきものではないと。

 

 

「私は必ず、そなたの支えになって見せる」

 

 

 




……会長どこいった、会長おぉぉぉぉぉ!……すみません、取り乱しました。

ラウラ超ヒロイン回でした、異論は受け付けません!

勿論会長は忘れてないよ?次回はリィンとアリサが端末室で閉じ込められている下で会長とグランが甘々に過ご……せたらいいなぁ。

PS お気に入り300突破、本当にありがたい事です。思えば最初にチラシ裏で投稿し始めて、ある読者様の言葉を機に表へ出す事にしたのですが……想像以上に高評価を頂けて驚きの日々です、もっと頑張ります、これからもどうかよろしくお願いします!


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会議室の中で

読者の皆様、ブラックコーヒーの貯蔵は充分か……嘘です、ごめんなさい。会長成分補充の回です。甘党の人は個人で砂糖を用意してください。


 

 

 

 トールズ士官学院、本校舎一階右翼。教官室と学院長室を通り過ぎた先、最奥に位置する一部屋には白と緑の制服が混じった十人程の男女の学生達が集まっていた。楕円状に繋がったテーブルには何枚かの紙が椅子の配置されている前にそれぞれ置かれ、テーブルの側で集まっている学生達の中心にはトワが立っている。彼女は眉を八の字に曲げ、明らかに困った様子で学生達と話していた。

 

 

「書記の子が風邪で休んじゃったし……うーん、どうしようかな……」

 

 

「会議を延期するわけにもいきませんし、書記なら俺がついでにやりますよ」

 

 

「それはありがたいんだけど……」

 

 

 どうやら部屋の中に集まっている学生達は生徒会の者達らしく、今から行おうとしている会議に必要な書記を務める人間が風邪で休んでしまいそれが原因で皆は困っているようだ。男子の平民生徒の提案にトワがどうしようかと頭を悩ませるが、結局は自分が書記をする事に決めて皆にその旨を話す。学生達は会長にやらせるわけにはいかないとトワの話に反対し、トワもこれくらいなら負担にならないから大丈夫だと引かない。最終的には皆が彼女の押しに屈し、その提案を受け入れる事に。それぞれが席に座り、トワも奥の席に移動して腰を下ろす。そして早速会議を始めようとトワが話し出したその時、ガラガラと部屋のドアが開かれた。

 

 

「やっと見つけた、会長何やってんですか」

 

 

「グラン君!?」

 

 

 グランが突然現れ、部屋の中に入るとドアを閉めてトワの元へと近寄っていく。室内はざわめき出し、トワも驚いた様子でその場に立ち上がると彼の歩いてくる姿を見ていた。どうしてあの問題児が、という男子生徒の呟きが聞こえてきたり、女子生徒達が一様に胸を隠したりする様はグランが学院で何をやらかしたのかが非常に気になるところではある。しかしそんな事には目もくれず、グランは困った表情を浮かべ始めるトワの元へ辿り着いた。

 

 

「もう~、入ってきちゃ駄目だよ! 今から会議が始まるんだから」

 

 

「あー、それで生徒会の連中が集まってる訳か……何だったらついでだし、手伝う事とかあります?」

 

 

「手伝う事って──あっ、そうだ!」

 

 

 グランの提案を受け、顎に手を当てて考え始めたと思えば突然何か思い付いたようにニコリと笑みを浮かべるトワ。そんな彼女を見てグランは首を傾げ、近くで二人の会話を聞いていた貴族の生徒はまさかと顔を驚かせている。そして、その貴族生徒の危惧していた事は的中した。

 

 

「会議の書記、グラン君にお願いしちゃおっかな」

 

 

「……書記?」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 生徒会の会議は、学院の行事や活動の取り決め、学生達が有意義に過ごせるためのアイデアを出し合うといったものだった。途切れることなく次から次へと出される議題を、トワが周りの意見を採り入れながら巧みに捌いていく事で会議は終始スムーズに運ばれる。そのせいでグランは休む暇なく会議の内容を記す羽目になるのだが、部屋の中に流れる真剣な空気もあってか真面目に受け持った仕事をこなしていた。予定では二時間だった会議も、トワの手腕が発揮されたのか一時間で終えることとなる。トワが会議の終了を告げると学生達は皆資料を手に持って退室していき、その場に残ったのはブラックボードに書かれている会議の内容を見ながらノートに写すグランと、その様子を隣で嬉しそうに眺めているトワの二人だけ。そして最後の一行を書き終えたのか、グランはペンを置くと突然テーブルの上にうつ伏せになった。

 

 

「舐めてた、書記の仕事マジで舐めてた……」

 

 

「ふふ、グラン君お疲れ様」

 

 

 書記の仕事が想像以上に辛かったのか、グランはうつ伏せになったまま微動だにしない。そんなグランを微笑みながら見ていたトワは労いの言葉を掛けた後に席を立ち、自然と彼の頭を撫でていた。まるで割れ物を扱うかのように。そっと、包み込むように撫でるその優しい手つきは、グランの心の奥底に残っていた懐かしい記憶を引き出していた。

 

 

「(久しぶりの感覚だな……と言ってもいつの事かは思い出せないが)」

 

 

 頭に感じる心地よさに意識を向けながら、やがてグランの手は彼の頭を撫でているトワの手へと無意識の内に伸びていた。互いの手は触れ合い、両者の頬は僅かに赤みが増す。トワはグランの手が触れた事で自身の体温が上昇していくのを感じながら、撫でていたその手を止めた。

 

 

「ごめんね、嫌だった?」

 

 

「そんな事ないですよ。ただ──」

 

 

「ただ?」

 

 

「いつもフィーすけの頭を撫でていたから、自分がこうされるのが少し不思議な感じで……」

 

 

 触れていたグランの手は離れ、どこか悲しそうに話している彼を見て何か思うところがあったのか、トワは止めていた手を動かしてグランの頭を撫でていた。グランも再びその心地よさに身を委ね、徐々に重たくなってきた瞼に抗うことなく瞳を閉じ、視界の端に映っていたトワの顔も見えなくなる。やがて規則性のある呼吸音が聞こえ出すとトワは一度手を離し、グランに寄り添うように椅子を近づけてから腰を下ろして、スヤスヤと眠っている彼の頭を再び撫で始めていた。

 

 

「グラン君、普段は楽しそうにして隠してるけど……昔に何かあったんだよね? 倒れる程の出来事なんて、私には想像もつかないけど……」

 

 

 心配そうに話すトワの声に、眠っているグランが答えることはない。勿論トワはそんな事を分かっているし、グランが起きていたとしても答えてもらえるとも思っていなかった。だからこそ、彼女は今の自分に出来る事を考え、現在行動に移している。それがたとえ、グランに嫌われる事になるとしても。

 

 

「昔のグラン君に何があったの? 私ね、君の事をもっと知りたい……グラン君の力になってあげたい」

 

 

「スー、スー……」

 

 

「だからね、私決めたんだ……グラン君の事をもっと知ろうって」

 

 

 グランの頭を撫でていた手は彼の顔の輪郭をなぞり、そのまま頬へと添えられる。まるで我が子を愛する母親のように、その母性溢れる慈愛の笑みはグランの顔に向けられていた。

 

 

「大丈夫だよ、グラン君──私が必ず助けてあげるから」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 トリスタの町は夕刻を迎え、士官学院の空は既に茜色へと染まっていた。会議室で睡魔に襲われたグランは未だに熟睡中で、その隣ではトワがペンを片手に書類整理を行っている。休まずに行うと流石に彼女も疲れるので、所々で休憩を入れてはグランの寝顔を見て愛おしそうに彼の頭を撫でていた。そして丁度区切りがついたのか、トワはペンを置くと席を立ち、その際に発生したガチャリという音でグランを起こしていない事を確認。その後にお茶を入れるために離れた場所にあるポットへ向かって歩き出す。余程疲れが溜まっていたのかただの天然か、途中何もない所でつまづいて転けたりもするが幸い湯呑みを割ることはなく。トワはその場に立ち上がると痛そうに鼻を擦っていた。

 

 

「うぅ……鼻が痛い」

 

 

 目には若干の涙を浮かべながらお茶を入れ終わると、グランの隣に戻って再び腰を下ろす。お茶を一口啜った後、トワは未だに寝息を立てているグランの頭へと手を伸ばした。

 

 

「もう、グラン君ったら本当によく寝るんだから……まぁ、そのお陰でこうして可愛い寝顔を見れてるわけだけど……」

 

 

「──むっ、可愛いとは心外な」

 

 

「お、起きてたのグラン君!?」

 

 

「はい、トワ会長がそこで転んでいた辺りから」

 

 

 どうやら先程トワが席を立った時の音でグランは目を覚ましていたらしく、半目を開きながらトワの驚いている顔をニヤニヤと眺めていた。まさか自分の醜態を見られていたなんて、とトワが恥ずかしさで顔を真っ赤に染める中、グランはうつ伏せていた体を起こすとトワの頭を撫で返す。

 

 

「こ、こら! 女の子の頭を簡単に撫でたりしたら駄目なんだよ!」

 

 

「女の子の部分を男の子に変えてそのまま返します。それに可愛いとか男がどんだけ傷付くと思ってるんですか」

 

 

「うぐ、言い返せない……」

 

 

 グランが正論でトワを言い負かす事が出来るのは、恐らくこれが最初で最後だろう。グゥの音も出ないトワはされるがまま、グランに頭を撫でられている。大変愉快そうに笑っているグランは、そんなトワのしゅんとした姿を暫く眺めて満足したのか、彼女の頭を撫でていた手を離すと自身の懐から包みを取り出した。そう、町の雑貨屋で購入したトワへのプレゼントである。

 

 

「ほい、トワ会長への日頃の感謝」

 

 

「ふえ?」

 

 

「ハッハッハッ……いやー、その顔が見れただけでも満足満足」

 

 

 突然グランからプレゼントを渡されるという不意打ちに、トワは顔をキョトンとさせていた。受け取った包みを暫く見詰めた後、漸くその意味を理解したのか大慌てでその包みを落としかける。トワは何とか落ち着きを取り戻すと、物凄く困った表情でグランの顔に視線を移した。

 

 

「そんな、グラン君悪いよ……」

 

 

「勉強を見てもらっているお礼と日頃の労いを込めてのプレゼントです。と言うか受け取ってもらえないと泣きますよ?」

 

 

「本当にいいの?」

 

 

「迷惑でなければ」

 

 

「そっか……えへへ、ありがとうグラン君」

 

 

 とても嬉しそうに包みを胸に抱き寄せるトワを見て、この喜んでいる姿を見れただけでも千二百ミラ以上の価値があるとグランも満足に笑っていた。直後に開けていいかと聞いてくるトワに、恥ずかしいから帰って開けてくれと答えたグランだが無情にも包みは破られる。さっきの仕返しとばかりに、トワは悪戯っぽい笑みを浮かべながら包みの中にある物を取り出した。現れたボトル型のお守りを透明な袋から出し、キャップを外してそれを鼻へと近付ける。

 

 

「う~ん、良い匂い……何だか疲れが抜けていく感じがする」

 

 

「女の子はアロマとか好きかな、と思いまして」

 

 

「うん、とっても嬉しい。本当にありがとね、グラン君」

 

 

 フローラルボトルは概ね好評のようで、周囲にアロマの良い香りを漂わせながらトワは笑顔を浮かべている。グランのプレゼントで活力が湧いたのか、トワはフローラルボトルを一旦テーブルに置くと、最後の一仕事だと意気込んでペンをその手に握り締めた。その様子を傍で見ていたグランも、書類の一部を抜き取ると自分の前に置いて同じくテーブルに置いていたペンを取る。

 

 

「もう夕暮れですし、オレも手伝います。お礼はトワ会長の笑顔ということで」

 

 

「もう、グラン君ったら……それじゃあお願いしちゃってもいいかな?」

 

 

 グランの提案を受けたトワは頬に赤みを増しながら返し、彼の頷く様子を確認すると目の前にある書類に向かってペンを走らせる。グランも同じく目の前の書類に視線を移し、書類整理に入った。因みにこの時のグランの書類整理が思ったよりも手際がよく、これから何度もトワから生徒会の仕事の手伝いを頼まれるきっかけになったとか何とか。

 

 

 



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苛立ちの矛先は

 

 

 

 努力は必ず報われる。そんな事を口にする奴がいるならぶん殴ってやろうとグランは掲示板を見ながら考えていた。六月二十三日の昼休み、本校舎一階の掲示板に貼り出された中間テストの結果発表。士官学院一年生生徒百名の中、一位には同率でエマとマキアス、三位にユーシス、七位にリィン八位にアリサと《Ⅶ組》のメンバーが十位以内に五人も組み込むという輝かしい結果が表記されている。ラウラは十七位、ガイウスは二十位、エリオットは三十七位と好成績で、《Ⅶ組》最年少で勉強が苦手なフィーも七十三位、点数は半分以上採っているという健闘を見せた。そして、肝心なグランの順位。

 

 

「ちっ……くそったれが」

 

 

「グラン、どうだった?」

 

 

 掲示板を睨み付けるグランの傍へ、彼の表情が見えていないフィーが近付いて声を掛けた。フィーはグランの顔を見て酷く機嫌が悪い事を直ぐに察し、彼が見詰める先へと視線を移す。二人の視線の先、そこにはこう表記されていた。

 

 

二十五位 グランハルト=オルランド ⅠーⅦ

 

 

「あっ……」

 

 

「まさかとは思ったが……」

 

 

 掲示板に書かれているその名前を見て、グランの機嫌が悪い理由を知ったフィーは表情を曇らせる。学生手帳に本名が記載されていた時点である程度の予測はついていたのか、フィーの隣でグランは自身の名前が表記された掲示板を見た後に瞳を伏せながら呟いた。元々グランが本名を隠していたのは学院の人間に自分の素性を知られないための措置なのだが、オルランドという名前から『赤い星座』へ、況してや『赤い戦鬼(オーガ・ロッソ)』に繋がりがあるなど一般の生徒達にはまず分からないだろう。そもそもその二つを知っているかどうかすら微妙なもので、結果的に名前がバレた所でグランに余り痛手は無い。事実、名前を知られるという事だけが彼の機嫌を損ねているわけではなかった。

 

 

「──十位以内じゃねぇのかよ!」

 

 

「(そこだったんだ)……いや、サボりのグランが二十五位ってだけでも凄いと思うけど」

 

 

「十位以内じゃないと意味がねぇんだよ! くそ、いけたと思ったのに……」

 

 

 フィーがどこか安心した表情で慰めの言葉を掛けるが、グランは自身の頭をぐしゃぐしゃと掻きながら悔しそうに話す。確かにフィーの話すようにグランの基礎学力を考えれば充分過ぎる、というか出来過ぎと言ってもいいくらいの結果だ。しかし彼にはこの結果が大変不満のようで、採点間違ってるんじゃないのか、などと教官達を疑うというとんでもない事まで口にし出した。ここまでグランが十位以内に拘る訳、それは彼がテスト勉強を真面目に取り組むきっかけにもなったトワとのある約束が関係していた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 中間テストが始まる二週間前。授業が終わってからの放課後の時間、グランはいつものように生徒会室でくつろいでいた。ソファーに寝転がり、たまに起き上がってはトワの入れてくれたお茶を啜る。トワも仕事の合間にそんなグランのダメ人間ぶりを目にしては困った様子でため息をついており、良くは思っていなかったものの仕事の邪魔をされているわけではないので特に咎めたりはしなかった。と言ってもやはりどうにかしてあげないと、と生徒会の仕事をしながら何か良い案はないかと考えを巡らせるトワは本当に良くできた人間である。そしてそんなトワの考えを察したのかそれともただの偶然か、グランの向かい側で同じくソファーに腰を下ろしていたツナギを着た小太りの青年、ジョルジュがお茶を啜った後に突然思い出したように口を開いた。

 

 

「そういえば二週間後には中間テストだね……グラン君は勉強の方、どうなんだい?」

 

 

「最近は何とか授業についていける感じですけど……元々勉強とかはしたこと無いんでさっぱりですね。テストは既に投げ出してます」

 

 

「あはは……士官学院と言ってもそれなりのレベルだからね。最初は苦労すると思うよ」

 

 

 ジョルジュの話す通り、トールズ士官学院は名門という事もあって学問のレベルもそれなりに高い。授業に少しでも遅れればテスト等は散々な結果を残してしまうだろう。かと言ってグランのように堂々と勉強放棄を口にするのは流石にどうかと思うが。そして、その会話を聞いていたトワがそれを逃すはずがなかった。

 

 

「諦めたりしちゃ駄目だよ、グラン君。お勉強はとっても大切な事なんだから」

 

 

「聞こえなーい」

 

 

「もう~……あっ、そうだっ!」

 

 

 耳を塞いで聞こえない振りをするグランに頭を悩ませていたトワは、何か思い付いたように掌へ握り拳をポン、と乗せる。ソファーに座っていた二人は揃って首を傾げ、トワは机に置いていた教科書を手に取ると席を立ち上がった。にこりと笑みを浮かべる彼女の顔を見て物凄く嫌な予感がしたグランだったが、その予感は見事に的中する。

 

 

「グラン君、私とお勉強しよっか?」

 

 

「嫌です」

 

 

 即答だった。グランの返答にトワは一瞬顔を歪めるが、負けじと尚も勉強をしようと彼に問い掛ける。しかしグランも余程勉強をしたくないのか、頑なにその誘いを拒否した。余りの拒否っぷりにジョルジュは苦笑いを浮かべ、トワに至っては心が折れかけているのか泣きそうな顔で言葉を紡いでいる。その様子に少し心苦しくなったグランだが、それでもトワの言葉に中々了承を見せない。

 

 

「グラン君、どうしてそんなにお勉強するのが嫌なの?」

 

 

「えっ? だって、面倒くさいじゃないですか」

 

 

「う~……」

 

 

「あははは……そうだグラン君、もし中間テストで良い結果を残せたらトワに何かしてもらうっていうのはどうだい?」

 

 

 トワはその目に涙を浮かべながら唸り始め、そんな彼女を不憫に思ったのか直後に苦笑いを浮かべているジョルジュから助け船が出された。話を聞いたグランは面白そうだと途端にやる気を見せ、トワがグランの様子を見て現金だなと思いながらも勉強への意欲を見せ始めた事でその顔に笑顔が戻る。そしてソファーを立ち上がったグランが教科書を持ってくると言い残して生徒会室を退室、彼の姿を目で追っていたトワはグランが部屋からいなくなると首を傾げながらジョルジュへ問い掛けた。

 

 

「ねぇジョルジュ君、良い結果って何位くらいかな?」

 

 

「彼は日曜学校に通っていなかったみたいだからねー。基礎学力を考えたら、四十位でも取れればかなり優秀な方だと思うよ」

 

 

「やっぱりそのくらいだよね。でもグラン君のお願いって嫌な予感しかしないし……」

 

 

 結局トワは安全策として十位以内の順位に入る条件に決め、勉強を一度に詰め込みすぎるのも良くないということで二週間の間は良く出来て四十位くらいの順位が採れる程度の内容を教えることにした。後に二人がグランの中間テストの結果を知った時、予想を遥かに上回る順位をとっていたことに驚いたのは言うまでもない。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 初めての中間テスト、《Ⅶ組》はクラスの平均点にて一位を取るという素晴らしい成績も残し、午後には各科目のテスト用紙の返却も終わった。その後の時間は《Ⅶ組》の毎月恒例となっている実技テスト。グラン以外が若干浮かれ気味の《Ⅶ組》メンバーは、先月、先々月と同じようにグラウンドへと集合する。少しくらいは休ましてほしいものだとユーシスが愚痴る中、グラウンドへ遅れて到着したサラが今までと同じように指を鳴らして傀儡を出現させた。そして早速始めようとサラが最初のメンバーを前に出そうとしたその時、一同の元に招かれざる者達が現れる。

 

 

「何やら面白そうな事をしているじゃないか」

 

 

 三人の貴族生徒を取り巻きに現れた金髪の少年、Ⅰ年Ⅰ組に所属するパトリック=T=ハイアームズ。名前の通りハイアームズ侯爵家の子息であり、彼は三男にあたる。グランは一度ギムナジウムで話したことがあるが、その時は《Ⅶ組》の事を余り良く思っていない物言いで寄せ集めの連中と見下していた。マキアスが嫌う傲慢な貴族そのもので、事実現在のマキアスの表情はかなりしかめっ面を浮かべている。そんな突然現れたパトリック達にサラは授業中に何をしているのかと注意をするが、パトリックの話ではⅠ組は現在自習の時間らしく、その時間を利用して最近めざましい活躍をしている《Ⅶ組》と交流をしに来たとの事。パトリックを始め三人の貴族生徒が次々と騎士剣を鞘から抜き始め、彼の話す交流とはどうやら模擬戦を行う事のようだ。

 

 

「そんな急に──」

 

 

「ふーん、面白そうじゃない。実技テストの内容を変更、Ⅰ組と《Ⅶ組》の模擬戦とする」

 

 

 リィン達は余り乗り気ではなかったが、サラはパトリックの話を聞いて面白そうだと急遽実技テストの内容を変更した。指を鳴らして傀儡を消すと、リィンに三人メンバーを選べと話す。サラの声にリィンは頷くと、ラウラ、ユーシス、フィーの三人を選出した。呼ばれた三人がその声に答えると前へ躍り出る。しかし、何故かパトリックは慌てた様子で突然声を上げた。

 

 

「ま、待ちたまえ! 貴族である二人は無しだ、それと女子を傷付けるのは不本意だから女子の参加も認めない。選び直せ」

 

 

 ユーシスはアルバレアの子息だから、そしてラウラはその実力が学院内にも知れ渡っているからパトリックは二人の選出を良しとしないのだろう。後の女子を傷付けるのは不本意だからと言うのは多分本心だろうが。リィンはそれに渋々納得すると、後ろで立っているグランに視線を移す。

 

 

「(仕方ない……)グラン、悪いけど手を貸してくれない──」

 

 

「ったく。本名はバラされるわ十位以内に入れないわ散々だぞ……!」

 

 

「(これはとても頼める雰囲気じゃないな……やっぱり名前を隠していた事に何か理由があるんだろうか)すまない、ガイウス、エリオット、マキアス、頼めるか?」

 

 

 グランのイライラしている様子を見て無理そうだと判断したリィンは、パトリックの意見に合わせるため残りの男子三人へと声を掛ける。エリオットは若干不安そうだったが、ガイウスとマキアスは割りとやる気を見せていた。三人はリィンの横に並ぶと四人揃って前へ足を踏み出し、パトリック達四人の前に対峙する。サラの合図で八人はそれぞれ得物を構えると、試合開始の号令が掛かるのを待つ。

 

 

導力魔法(アーツ)の使用は自由、制限時間も無しよ。どちらか全員が戦闘続行不可能になった時点で終了とする──模擬戦、始め!」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 リィン達とパトリック達による模擬戦はし烈を極めた。戦術リンクを活用するリィン達に、パトリック達四名も高い宮廷剣術の腕前でほぼ互角の戦いを繰り広げる。中盤まではどちらが勝ってもおかしくない状態が続き、終盤でパトリック達が見せた僅かな連携の隙を戦術リンクを駆使して崩したリィン達に戦況の流れを与えた。結果的にはリィン達が辛くも勝利、リィン達四人が肩で息をする中パトリック達が膝をつき、観戦していた《Ⅶ組》のメンバーはその結果によし、と小さくガッツポーズをする。リィンは息を整えると、太刀を鞘に納めてパトリックへと手を伸ばした。

 

 

「良い勝負だった、危うくこちらが負けるところだったよ。良かったらまた──」

 

 

「触るな、下郎が! いい気になるなよ、リィン=シュバルツァー。ユミルの領主が拾った、出自も知れぬ浮浪児如きが……!」

 

 

 リィンの差し伸べた手を、パトリックは罵詈雑言と共に振り払う。直後にその矛先は他の《Ⅶ組》メンバーへと移り、今回の中間テストで一位を取ったエマとマキアスを始めに、アリサ、ガイウスにフィーと次々皆へ向かって暴言を口にする。パトリックの連れていた三人の貴族生徒は流石に言い過ぎではないかと意見するも、彼らの言葉を一蹴り。そして矛先は、パトリックの様子を見て鼻で笑うグランに移った。

 

 

「──貴様もだ、グランハルト=オルランド!」

 

 

「……」

 

 

 本名を呼ばれたグランは明らかに不機嫌な表情を浮かべながらぴくりとその耳を動かす。僅かに彼の周辺へ闘気が漂い始め、傍にいたフィーはその異変に気付いた。しかし、パトリックは気付かずに尚も彼へ罵詈雑言を浴びせる。

 

 

「何が『紅の剣聖』だ。やっている事は人殺しと何ら変わらない男が、よくも抜け抜けとこの学院に……この──」

 

 

 これで終われば良かった。事実彼の言う通り、グランは八葉を修めた後も猟兵を生業にし、猟兵ということは戦場で人を殺める事もある。グランはカチンとくるも、パトリックが間違ったことを言っているわけではないので反論はしない。グランの隣にいるフィーも同じだ。由緒正しきトールズ士官学院に、猟兵だった人間が入ることを一般の生徒が受け入れられないのは当然の事である。だが、この後の一言が余計だった。

 

 

「人の皮を被った“殺人鬼”が」

 

 

 突如グラウンド一帯の空気が変わる。一同の呼吸が息苦しくなり、その場にいる皆は肌を焼かれるような錯覚を起こすほどの強烈な闘気をその身に感じた。一同がその発生源へと振り返ると、そこには膨大な紅い闘気を体の表面に纏うグランの姿が。直後、パトリックの目の前で突然火花が散った。

 

 




やってしまったよ、パトリック。流石に彼もここまで言わないかな~と思いながらもこんな結果に。パトリックにも色々と苦労はあると思うんですけど、やっぱり言っていい事といけない事はあります。次回はどうなるんだろう……因みにガイウスのイケメンターンが無いという悲劇(´・ω・`)


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グランの本気

 

 

 

 物事には時に、越えてはならない一線というものが存在する。それが他人の個人領域(プライバシー)であるなら尚の事で、良識的な人物は普通その一線の手前で立ち止まるはずだ。しかしそれは周りが当人の事を理解している場合に限るもので、人には気付かずしてそれを越えてしまう事がある。良かれと思って行動に移した結果であったり、事情を知らずにいつの間にかそうなっていたという場合もあるだろう。そして今回、思い通りにいかなかった事の苛立ちの矛先としてグランに向けたパトリックの発言は、その中でも後者に該当した。“殺人鬼”……この言葉が、グランハルト=オルランドにとっての越えてはならない一線であり、禁句(タブー)だった。

 

 

「グラン、落ち着きなさい! この子はあんたの事情を知らない、そんな子の言葉を本気にしてどうすんの!」

 

 

 パトリックの首めがけて放たれたグランの刀による一閃に唯一反応したサラが、余りにも重いその一撃を両手持ちにした強化ブレードで受け止めながら必死に言葉を紡いでいた。目の前で行われるせめぎ合いにパトリックは腰を抜かしてその場に崩れ落ち、刀とブレードによる金属の摩擦音がその場に響く。程なくして事態が進展しない事を察したグランは、サラのブレードを弾くと後方に跳躍して距離を取った。その場の全てを威圧するかのように闘気を更に高めると、冷酷な目付きをサラへ向けながら警告する。

 

 

「──退け、サラ=バレスタイン。流石にあの男と同類呼ばわりされたのは見過ごせない」

 

 

「(ったく、完全にスイッチが切り替わってるじゃない……)『赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)』とあんたは違うわ、私が断言してあげる! だから刀を納めなさい!」

 

 

「──警告はしたぞ、『紫電(エクレール)』!」

 

 

 サラの言葉を聞き入れず、グランの姿は忽然と消える。助太刀をするつもりなのかラウラとフィーの二人はその手に得物を構えているが、視線が泳いでいることから恐らくグランのスピードに付いていけてはいない。当のサラもグランの姿を見失ったのか辺りを窺うように目を動かしている。そして彼の姿が消えてから三秒後、サラは突然後方に向かって右手に持つ強化ブレードを振り抜いた。直後、甲高い金属音が周辺にこだまする。

 

 

「流石は戦術教官殿、この程度の揺さぶりは話にならないか」

 

 

「舐めてもらっちゃ困るわね(なーんて、直感よ直感。この二年でとんでもなく速くなったわねこの子……!)」

 

 

 刀による奇襲を防がれたグランは大して驚いた様子を見せず、不敵な笑みを浮かべるとその手に力を込める。サラは一見余裕そうに振る舞って刀を受け止めているが、内心は焦りまくっていた。長年の戦闘経験と元A級遊撃士としての意地。そして何より今自分がグランを止めないとパトリックの命が危ない状況。力の差が分かったところで、彼女に退くという選択肢はあり得なかった。しかし不幸な事に、グランはサラの強がりをそのまま受け取ってしまう。

 

 

「二年前はあのオッサンに邪魔されたが、今回は決着をつけさせてもらうぞ!」

 

 

 グランは先程と同様にサラのブレードを弾くと、体に雷を纏って後退を始める彼女に追撃を仕掛けるべく前進。サラの左手に握られている導力銃から向かってくる紫電の弾丸を右に左に避けながら、やがて彼女の正面に肉薄する。八葉一刀流弐の型、その速度は人が認識できる許容範囲を遥かに越えていた。サラも人間離れした身体能力を有してはいるものの、スピードという点においてはグランの圧勝、彼女に逃れる術はない。とはいえサラも黙って防戦一方に追い込まれる気などなかった。導力銃の攻撃を避けられる事も、こうして正面に来る事も予測済み。グランの一閃が放たれる前に、ブレードを眼前に迫って来た彼に向かって振り抜く。だが、彼女の手に手応えはなかった。

 

 

「本体は──!?」

 

 

 分け身と呼ばれる東方に伝わる技術。目の前にいたグランは偽物で、サラのブレードが通り過ぎた直後に消滅する。そして、本体は彼女の直ぐ後ろで既に刀を振り上げていた。完全に背後を取られ、ブレードを振り抜いた事による硬直で反転して防ぐような真似も不可能。詰んだと思われた両者の勝負、しかしサラの得物はブレードだけではない。彼女の右脇から導力銃の口が顔を覗かせ、銃撃が炸裂する。グランは刀で何とか弾くものの、至近距離での一撃はかなりの威力だった。勢いを殺しきれず、後方に飛ばされ空中で体勢を整えてから着地。銃撃を受けた余波でビリビリと体の表面を走る痛みを振り払い、中腰から立ち上がると再度刀を構えた。

 

 

「力をつけていたのはオレだけではない、か……成る程、道理だ。だからこそ面白い」

 

 

「(ハイアームズの子は……よし、何とか離れたか。しっかし、グランの顔、あれ多分さっきの事はもう頭に無いわね。しかもスイッチ切り替わったままだし……)困ったわ」

 

 

 サラはパトリックがリィン達のいる後方で取り巻きの貴族生徒に肩を貸してもらっているのを確認し、この戦闘に彼らが巻き込まれない事を知ってひとまず安堵の表情を浮かべる。だが直ぐに目の前で刀を構えながらどこか楽しそうなグランを視界に捉えると、途端に頭を抱え始めた。グランの中に流れる一族の血が結果的に最悪の状況を回避させたのだが、こうなると決着がつくまで事態は収まりそうもない。駄目で元々、サラはブレードと導力銃をそれぞれ鞘とホルスターに納め、グランに向かって声を上げる。

 

 

「グラン、もういいんじゃない? これ以上やっても意味無いわよ、このままやっても多分私の負けだから」

 

 

「試合放棄だと……ふざけてんのか?」

 

 

「ふざけてなんか無いわ、本当の事よ」

 

 

 グランは眉間にシワを寄せながら返すが、事実サラの話す通り彼女の勝利はほぼ無いと言ってもいい。経験と勘、変則的な戦い方で何とか戦況を平行に保っている状況で、体力こそ残ってはいるがサラに一切の余裕は無かった。反してグランは焦った様子を見せず、内心で何を思っているかまではサラにも分からないが戦いの中で余裕は見え隠れしていた。そしてここは戦場でもなく、二人が対峙しているのはただの学院にあるグラウンド。腕一本、ならまだいいほうだろう。下手したら命まで失いかねないグランとの戦い。パトリックの命の危険が過ぎ去った今、それだけの大きな代償を支払ってまで彼と決着をつけるメリットがサラには一つもなかった。

 

 

「確かに、それもそうだな」

 

 

「でしょ? だったら──」

 

 

 意外な事に、グランはサラの言葉をすんなり聞き入れた。刀を鞘に納め、彼の表情からも不機嫌な様は感じなくなる。良かった、これで事態は丸く収まると安心し始めたサラだったが、彼女は彼の言葉に安堵する余りこの場にある違和感を見逃していた。グランの体に纏う膨大な紅の闘気──それが未だに放出されている事を。

 

 

「直ぐに終わらせてあの金髪を殺す」

 

 

 サラは彼の口から発せられた言葉に耳を疑う。グランの明確な殺意、もしかして彼女が思っていた以上にパトリックの発言はグランの触れてはならない領域を侵していたのか? いや、そうではない。元々グランにパトリックを殺める気など無かったはずだ。仮にグランが本気でパトリックを殺しに掛かるなら、わざわざサラが反応できる速度で彼に斬りかかったりしないだろう。恐らく決着もつけずに試合を放棄したサラの先の言葉が、グランの心中に失望を生むと共に一度心の隅に置いていたパトリックへの怒りを表に出させてしまった。そしてその怒りは、高ぶっていた心が落胆したことによる反動で倍増してしまう形になったといったところか。しかしあのままではサラの身が危うかった点を考慮すれば、彼女が失言をしたとはいえない。要はパトリックが大怪我をするか、グランとの戦闘でサラが大怪我をするかの二者択一。結果的に両者の身が危ないという最悪の状況を生んでしまったが、結局のところ初めから平和的解決などあり得なかったと言うわけだ。

 

 

「グラン、あんたまさか本気で──」

 

 

「我が剣は紅き閃光。何人たりとも逃れる術はない──」

 

 

 サラの言葉に答えることなくグランは瞳を閉じて抜刀の構えを取り、またしてもその姿が忽然と消えた。サラは慌ててブレードと導力銃を構えるが、握りの甘い二つの武器は直後に何かの力によって弾かれる。視認の叶わぬグランの刀による連撃、驚きの余りサラはその場に硬直してしまった。攻撃を受ける術を失ったサラは、もう回避行動を取るしか方法は残されていない。

 

 

「何処……!?」

 

 

 彼女は周囲を見渡すが、風を切る音以外は離れた場所で呆然と立ち尽くす《Ⅶ組》メンバーの姿しか認識できない。恐らくグランは現在、サラの周囲を恐るべき速度で旋回している。時折彼女の視界に映り始めた紅い残像が何よりの証拠だ。

 何処から来る? やはり背後か、それとも意表を突いて正面か? サラの脳裏にそんな考えが過る。幾つもの可能性を考える中、サラは先程のグランの呟きから二年前に彼と初めて対峙した時の事を思い出していた。

 

 

「(あの自己暗示は確か二年前も──まさか上!)」

 

 

 的中。見上げた先、上空で闘気に覆われて紅く染まった得物を腰の高さで構えるグランを視界に捉える。だが時既に遅し、最早回避が間に合うタイミングではなかった。苦虫を噛み潰したような表情でサラは歯を食いしばる。そして彼女の視線の先、険しい表情を浮かべたグランが空中で刀の柄を握る手を強めた。この戦いに終止符を打つための技、彼の持ちうる中でも最強の奥義。

 

 

「閃紅、烈波!」

 

 

 直後、サラの立つ場所を中心に大爆発が巻き起こった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「ど、どうなったんだ……?」

 

 

 爆風が吹き荒れる中、リィンは下半身に力を込めて何とか体勢を維持すると、顔を覆っていた腕を動かして目の前に意識を集中させる。爆発によって生じた砂埃が舞い、グランとサラの姿は隠れて見えない。眼前の光景を視界に収めながら、リィンはこれまでの戦いを考察する。

 

 

「(グランやサラ教官が今まで力をセーブしていたのは分かっていたけど──これが剣聖と最高ランクの遊撃士の戦いか)」

 

 

「実際に目の当たりにすると、力の差を思い知らされる。私達などまだまだと言うことだな」

 

 

「ラウラ……ああ、本当にその通りだ」

 

 

 隣に立って同じような体勢で話すラウラの言葉に肯定しながら、一度彼女に向けた視線を砂埃の舞う場所へと戻す。片や剣聖の一角を担う達人、片や最年少で最高ランクへと上り詰めた元遊撃士。二人の戦いはリィン達の知る世界を遥かに凌駕していたが、それでも彼らにとっては学ぶべき事が多く、同時に自分達が目指すべき目標の基準としてこれからの修行の中でも大いに役立つだろう。しかし、それだけ得難いものを目にしたにもかかわらず、一同の顔は緊張で強張り、自分達が戦っているわけでもないのに一切の余裕が無いように見えた。そう、グランとサラの戦いはただの模擬戦などではなく、二人の人間の命がかかっている。この場にいる者の中では恐らくフィーしか体験した事がないであろう空気、人はそれを戦場と呼ぶ。

 

 

「サ、サラ教官は負けたのか!?」

 

 

「負けてもらってたまるものか、俺達ではグランの足止めにもならんぞ!」

 

 

 顔を腕で覆いながら、マキアスとユーシスは溜まらず叫んだ。二人は一度グランと対峙しているからこそ彼の強さを肌で感じている。それもその時のグランは今のように全力などではなく、力をセーブしていた状態。二人が必死にサラを応援するのは至極当然の事だ。

 

 

「グ、グランどうしちゃったんだろう……わあっ!?」

 

 

「わ、私にも事態がよく飲み込めないと言いますか……きゃあっ!?」

 

 

「大丈夫か、二人とも。風が止むまで俺に掴まっていろ」

 

 

 魔導杖を支えに立っていたエリオットとエマは爆風で飛ばされそうになるが、二人の後ろにいたガイウスが受け止めることで何とか飛ばされずに済んだ。三人とも事態が余り飲み込めていないようだが、サラが敗北してしまうと拙い状況になるという事は何となく感じていた。

 

 

「い、一体何がどうなってるのよ……きゃっ!?」

 

 

「大丈夫かアリサ! 暫く掴まっていてくれ!」

 

 

「あ、ありがとうリィン……」

 

 

 エリオットやエマと同様に飛ばされそうになったアリサだが、近くにいるリィンが腕を掴むことによって何とか体勢を維持する。リィンの言葉に少し頬を赤く染めながら、アリサは彼の腰に手を回して飛ばされないように抱き付いた。そして《Ⅶ組》の後ろに立つパトリック達もまた、飛ばされまいと必死に踏ん張って体勢を保っている。数十秒ほど続いた暴風、やがて収まりを見せて砂埃が晴れていく様に気付いたフィーが声を上げた。

 

 

「煙が止むよ……!」

 

 

 フィーの声に一同の視線は真っ直ぐと正面に向けられる。徐々に消えていく砂埃、直後にあらわになる窪みは半径数アージュはあろうかという大きさ。そしてその中心に現れた光景に、皆は一様に驚いた。

 

 

「二人とも立っているぞ!」

 

 

 グランの刀を、ブレードの鞘で受け止めているサラの姿を確認したリィンの声が響いた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 咄嗟の判断。武器を失い、防ぐ術の無くなったと思われたサラが直前に取った行動が鞘による防衛。勿論刀のように鋭利な刃を持つ武器を、ましてや達人クラスの剣を受け止めるには防衛手段としては不向きな行為。金属の内側は得物を納めるため空洞に出来ており、余程頑丈に出来ていなければ真っ二つに切断されてそこから攻撃を浴びてしまいそれで終わり。幾らかは威力を和らげるかもしれないが、効果は余り期待できず焼け石に水とはまさにこの事。だが、今回はサラの判断が功を奏した。

 

 

「やっぱり、あんたは『赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)』とは違うわ。もし同じなら、私は今この世にいないもの」

 

 

 笑みを浮かべながら彼女は鞘から手を離す。サラという支えが無くなった鞘は重力に逆らって地面へと落下し、耐久力が底を尽きたのか直後にその衝撃で砕け散った。そして、刀の峰による一刀を防がれたグランは目を伏せながら得物を鞘に納める。

 

 

「興が削がれただけですよ。オレの視力に感謝して下さいよ、サラさん」

 

 

 刀を鞘に戻し、グランは目を開くとサラの姿を視界に収めた。見れば砂埃で汚れ、衣類も所々裂けて肌の露出度が増している。これで恥じらいがあれば満点なんだが、と考えるあたり彼はもう普段の様子に戻っていた。そして直後に可愛らしい声が響いて、グラウンドに立つ皆の耳を刺激する。

 

 

「ごめんねー! 少し遅れちゃって……きゃあ!?」

 

 

 一同が向けた視線の先、笑顔で駆け寄って来ていたトワが突然足元の石に躓いて顔面から転倒した。

 

 




はい、結果的にサラ一人が痛い目を見たという……パトリックは《Ⅶ組》の影で隠れてました。何だろう、自分で描いていてなんだけど非常に煮えたぎるものが……

そして全ては会長が持っていきました。以下新クラフト。

『分け身』 CP30 自己 物理、アーツによる攻撃を一度だけ無効

オーガクライ使用後の変化

『閃光烈波』→『閃紅烈波』 全体 威力SSS+ 気絶100% 物理完全防御不可


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明かされない素性、行いの報い

 

 

 

 グラウンドに突然現れたトワの姿は、転倒するというおまけ付きもあって一帯の空気を穏やかなものへと変えていた。そよ風のなびく音、鳥たちのさえずり、やがてそういった自然の演奏が一同の耳を刺激し始める。辺りに漂っていた緊張感やはりつめた空気は、いつしか気付かぬ内に消失していた。

 

 

「ぐすっ……痛い」

 

 

「何やってんですかもう」

 

 

 転倒後に立ち上がって涙を拭い始めるトワの元へ、グランは瞬時に駆け寄ってその無事を確認する。地面に打ち付けた事で顔が少し赤くなっているものの、何ヵ所か擦り傷が出来ている以外は怪我をした様子のない彼女の姿を見て安堵のため息をついていた。中腰になってトワの顔や制服についた砂を払い落としながら、グランは未だに瞳を潤ませている彼女の顔を見つめる。

 

 

「(全く、助けられましたよトワ会長。貴女のお陰で、オレはあの男と同類にならずに済んだ)」

 

 

 サラとの戦いの中、全面的に押し出してしまった自重という言葉を知らないもう一人の自分。ただ戦いを楽しみ、決着をつけるためなら互いの命すら惜しまない思考。その全てが双戦斧使いの男と重なり、自分の忌み嫌う殺人鬼と何ら変わりない事に思い至って憂鬱になる。だからこそ、グランはあの場で視界の端に映った小さなトワの姿に本当に感謝をしていた。この人が、トワという存在が、暗闇の中で自分の外しかけた道を照らしてくれたのだと。

 

 

「ほら、涙拭いて下さい。保健室に行きますよ」

 

 

「う、うん……」

 

 

「すいませんサラさん、ちょっと席外しますんで!」

 

 

 グランは遠目に見えるサラへ断りを入れ、トワに手拭いを渡すと彼女の手を引いて本校舎へと向かった。今月の特別実習についての話は後で聞けばいいし、顔から転倒したということもあってトワに大事がないかベアトリクス教官に見てもらった方がいい。そして何より、グラウンドに出来た不自然な窪みを視野に収める度に、先程までの事を思い出してしまうからだ。

 

 

「(サラさんを殺れなかった事が残念だと思う自分がいる、か。マジで思考回路もあの男と同じじゃねぇかよ……!)」

 

 

 己の身体に流れる血を受け入れているからこそ、彼の悩みは尽きることを知らない。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 グランのいなくなったグラウンド、彼が学院の本校舎に入っていく様子を遠目に見ていたリィン達は柏手の音が響いた事で一斉に振り返った。皆の視線の先には、つい先程まで命懸けの戦いを繰り広げていたサラが苦笑いを浮かべながら服についた砂埃を払っている。服が所々破れて肌が露出したサラの姿は男メンバーに少し刺激が強かったのか、目線を彼女からそらして出来るだけ直視しないようにしていた。エマが慌ててサラに制服の上着を渡し、それを彼女が着用して漸く男子達が直視出来るようになったところで、サラはパトリック達Ⅰ組の生徒へ教室に戻るように促す。

 

 

「誰にでも触れられたくないものってのがあるわ。私は君達に武術訓練で指導する事しか出来ないけど、こればっかりは一々誰かに教えてもらわなくても分かるでしょ?まあ、取り敢えず今は教室に戻りなさい」

 

 

「……失礼する」

 

 

 もしグランが聞いていたらアンタがそれを言うなと言われそうなサラの言葉を、パトリックは意外にも素直に受けとると取り巻きの生徒達を引き連れて去っていく。頭に血が昇っていたとはいえ、リィンを始め《Ⅶ組》の皆へ向けた彼の暴言は許されるものではない。結果的にグランがキレてしまい、サラはその対応に追われ、一同も彼の発言を咎めるどころではなくなったわけだが。だからこそそんな異常事態にパトリックも冷静さを取り戻し、サラの言葉にも素直に従ったのかもしれない。

 

 

「さて、今月の特別実習だけど──」

 

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 

「あら、どうしたのリィン?」

 

 

「どうしたって……」

 

 

 そして何事もなかったかのようにサラは今月の特別実習について話そうとするが、やはり無理があった。彼女の話をリィンが止め、先程の事について説明を求める。パトリックの言葉で、明らかにグランの気配は変わっていた。温厚とまではいかないものの、グランは争い事を好む性格ではない事をリィン達は知っている。それにどちらかというとグランはそういった事柄を面倒くさがる性格だ。なのに、さっきまでの彼は学院の仲間に刀を向けるどころか教官であるサラを本気で潰そうとしていた。リィンは問う。普段の陽気なグランと、先程の好戦的で冷酷な一面を持つグラン、一体どちらが本当のグランなのだと。

 

 

「どちらも本当のグランよ。ただ、どちらがより近いかと言われると……さっきのグランの方になるかもしれないわね」

 

 

「……もしかして、グランが名前を隠していたのと何か関係があるんですか?」

 

 

「待った。さっき私がⅠ組の子達に言ったように、誰にでも触れられたくないものがある。これ以上の事はそれに該当するわ」

 

 

 サラの言葉に、リィンもこれ以上は聞くべきではないと考えに至って問いただす事を止める。フィーはどこか安心した顔で、それ以外の者は少し不満そうではあるがリィンと同じくサラの言葉に渋々といった様子で納得。結局グランの事については何一つ語られることなく、サラの話は特別実習へと移るのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「はうっ!?」

 

 

 サラがリィン達へ特別実習について説明をし始めた頃、学院の保健室にて叫び声を上げて悶えるトワの姿があった。少し離れた場所で椅子に座ったグランがその様子を笑いを堪えて見つめる中、保健医のベアトリクス教官がトワの顔をガシッと掴みながら彼女の頬にある擦り傷に綿へ染み込ませた消毒液をつけている。反射的にトワも顔を動かそうとするが、どこからそんな力が出ているのかと不思議になるほどのベアトリクスの握力によって動かすことが出来ずにいた。

 

 

「こら、動かない。貴女は普段しっかりしてるのに、どこか抜けているようですね」

 

 

「うぅ……お手数お掛けします、ベアトリクス教官」

 

 

「くくっ……痛みに悶えてる会長も可愛いですよ」

 

 

「もう、グラン君ったら!──はうっ!?」

 

 

「だから動かない!」

 

 

 この時ばかりはトワもベアトリクスの言葉に従うほかなく、唸り声を上げながらグランの顔を見ては頬の傷に染みる消毒液の何とも言えない痛みに悶えていた。トワが声を上げては、動こうとする彼女の顔を押さえながらベアトリクスが傷口に消毒液をつけていく。近くにある教官室から小煩い事で有名なハインリッヒ教頭あたりに注意を受けないかとグランが騒がしい室内を不安に思う中、ふと視界に入った腰の刀に視線を向け、彼は突然鞘から刀を抜いた。

 

 

「(やっぱ無理矢理な使い方したらこうなるか……結構気に入ってたんだが、新調しないとな)」

 

 

 光を反射して輝く綺麗な刀身を見つめながら、グランはそんな事を考える。サラとの戦いで最後に放った技、あの時グランはトワの姿を視界に捉えて振り下ろそうとした刀を寸前のところで刃から峰へと裏返した。本来刀は切ることを目的とし、強烈な攻撃を受け止めたり、峰の部分を使って叩きつけるような事は普通行わない。使用目的にそぐわない使い方をすれば、物の耐久力を弱めてしまうのは分かりきった事だ。グランの持つ刀は見たところ綺麗で不備のないように感じるが、彼の目には後数太刀が限界だと映っているらしい。刀を鞘に納め、どこで揃えようかとグランが考える中、先程まで叫んでいたトワの声が止む。どうやらベアトリクスによる傷の治療が終わったようだ。

 

 

「う~、まだヒリヒリする……」

 

 

 余程傷口に染みたのか、未だに目に涙を浮かべたまま近寄ってくるトワを見てグランは苦笑いを浮かべながら椅子を立ち上がる。直後に並んだ二人は揃ってベアトリクスにお礼を言い、頭を下げた後に保健室を退室。部屋の扉を閉めてから、トワの顔へ視線を移したグランがこの後の事について話し出した。

 

 

「オレは先に生徒会室行ってますけど、トワ会長はホームルームの後に?」

 

 

「《Ⅶ組》の実技テストを見届けた後にそのまま生徒会室に行くって言ってあるから、私も一緒に行くよ」

 

 

「それじゃ、行きますか」

 

 

 因みにこの後トワはグランから中間テストの結果を聞き、余りに出来が良かったので落ち込む彼を見て十位以内ではないが何かお願い事を一つ聞いてあげることにした。そんなちょっとした良心が後に後悔の連続を生むことになるのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 実技テストで思わぬアクシデントがあったその日の夜、第三学生寮三階サラの自室にて。部屋の主であるサラがベッドに腰を下ろしてグラスに入ったワインを飲んでいる目の前で、床に座りながら同じくワインを口にするグランの姿があった。ニコニコと笑みを浮かべながらつまみを口にしてワインを飲むサラの様子を見るに、彼女は既に出来上がっている状態だろう。しかしそんなサラとは対照的に、グランは少し思い詰めたような表情でワインを飲んでいた。ふと彼に視線を移してその様子に気付いたサラは、グラスを側にある台に置いて不満そうに呟く。

 

 

「全く、ワインが美味しくてもそんな顔されたら楽しめないじゃないのよ~」

 

 

「あんな事があって、その当事者の目の前でこうして平然とワインを飲んでいるサラさんには脱帽ですよ」

 

 

「でしょ? ふふーん♪」

 

 

「誉めてねぇ……」

 

 

 何故か誉め言葉と解釈したサラがどうだと言わんばかりに胸を張る中、その様子を見てグランは頭を抱えていた。とは言え、こうして午後の出来事を何もなかったかのように振る舞うサラの姿に救われている部分も彼にはあるわけだが。ご機嫌な様子でワインを飲むサラを見て考えているのが馬鹿らしくなったのか、グランも思い詰めた表情を崩すと渋味のあるワインの味に意識を向ける。久し振りの味にグランも満足していたのだが、今頃になって彼は思い出した。

 

 

「(……今思ったんだが、これシャロンさんにバレたら不味くね?)」

 

 

 第三学生寮の管理人としてラインフォルト家より派遣されたシャロン。何でもそつなくこなし、非の打ち所がない彼女はまさにメイドの鑑とも言える人物なのだが、グランの記憶の中で彼女は実に面倒な一面を持っていた。それは、与えられた役割を完璧にこなすというもの。全然これっぽっちも悪いことではないのだか、この状況下でグランにとっては迷惑極まりなかった。学生寮の管理人と言う立場は、学生であるリィン達が不自由なく過ごせるために働くだけでなく、彼らにとって良くない事であるならば注意なりアドバイスなりしなければいけない。未成年が酒を飲む事は、勿論良くない事柄に該当する。よって今の状況をシャロンに見つかった場合、想像できない仕打ちが彼には待っていた。

 

 

「サ、サラさん。そう言えばシャロンさんって見ました?」

 

 

「ん~、見てないわねぇ。台所につまみを取りに行った時にはいなかったし、もう寝てるんじゃない?」

 

 

「はは、そ、そうですよねー──」

 

 

 さして興味も無さげにサラは返すが、引きつった表情でグランは彼女に向けていた視線を部屋の扉へと移す。ここでまず彼に嫌な予感が、閉めていたはずの扉が開いていた。即ち、ワインを飲んでいた間に誰かが中を覗いたわけだ。すかさずサラに問う。

 

 

「ど、どうして開いてるんですかね?」

 

 

「私は知らないわよ~」

 

 

「さあ、どうしてなのかわたくしも存じ上げませんわ」

 

 

「そ、そうですか……ん?」

 

 

 サラの後から聞こえた高い声、疑問に感じたグランは扉から後方へ視線を向けて顔を上へと動かす。そしてそこには、ニッコリと満面の笑みを浮かべた管理人シャロンの姿が。現実逃避に走ったグランは満面の笑みでシャロンに返す。直後に彼は悟った。この状況、最早詰んだ。

 

 

「グラン様、少しお二階の方まで宜しいでしょうか?」

 

 

「はい」

 

 

 抵抗するだけ無駄と諦めたグランが素直にシャロンに連れられて部屋を退室する中、後方で未だ酔っ払ったサラの頑張りなさいという言葉を聞きながら彼は思った。もう二度と、学生寮で酒は飲まないと。

 

 

 



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《Ⅶ組》でいるために

 

 

 

 グランがシャロンからこっ酷い仕打ちを受けた三日後の六月二十六日土曜日、トリスタ駅のロビーに《Ⅶ組》の面々が集まった。理由は今月で三度目になる特別実習の指定された場所へ向かうためで、A班にはリィン、アリサ、グラン、ユーシス、ガイウス、エマの六人。B班にはエリオット、マキアス、ラウラ、フィーの四人。A班はノルド高原、B班はブリオニア島と呼ばれる場所で、特にA班の実習先であるノルド高原は士官学院を設立したドライケルス大帝に所縁のある帝国北東の地であり、そして何よりガイウスの故郷でもある。両班とも帝都ヘイムダルまで向かい、そこからそれぞれ別の列車を乗り継ぐ事になるようで、トリスタ駅から出発した帝都行きの列車には《Ⅶ組》全員のメンバーが乗車した。

 A班はグランを除いた五人が向かい合う席に座り、B班も四人が向かい合うように二人ずつ席に腰を下ろしている。B班は会話の中で時折猟兵ならではの発言をフィーがしてしまい、ラウラの表情が険しくなるなどという非常に緊張した空気が漂っており、リィン達五人はその様子を横から見て苦笑いを浮かべていた。しかし彼らもB班の事を気にしている暇はなく、A班の中でも同じように何とも言えない微妙な空気が漂っている。原因は勿論、先日の実技テストで起きたアクシデント、詰まりグランの事だ。

 あの一件からグランの素性を知っているフィーとラウラを除いた《Ⅶ組》の皆はどこか彼と距離を取り、グランもそれを察知してか会話という会話を行っていない。今も《Ⅶ組》の面々が座っている場所から三つほど離れた席にグランは腰を下ろしており、そんな彼に視線を移した後にリィン達は揃ってため息を吐いた。

 

 

「グラン、やっぱりまだ気にしてるのかしら?」

 

 

 ため息をついた直後に、困惑した表情でアリサが口を開く。フィーとラウラの件も含め、アリサはせっかくまとまりかけた《Ⅶ組》に再び暗雲が立ち込めた事を心配していた。

 あれだけの事があり、当事者であるグランが気にしないはずがない。とは言えあの日、何故彼が突然収まりを見せたのか未だにリィン達も分かっていない状況で、その不信感もあってか現在グランと普段通りに会話をしているのはフィーかラウラくらいしかいなかった。しかしそのフィーは肝心なところになると口を閉じ、ラウラも言葉を濁して終わらせてしまうので結局皆がグランの事について知る機会はなく、三日間この状態を引きずっているわけだ。

 アリサの言葉に四人は考えを巡らせ、静かになった車内には列車の滑走する音が聞こえ始める。そして隣の席からマキアスのため息が漏れたところで、リィンが自身の考えを話した。

 

 

「いや、グランの性格を考えると気にしたりはしていないだろう。サラ教官とも今まで通り仲良さげに話をしていたし、気にしていたら《Ⅶ組》の教室にいるのも辛いだろうからな。寧ろ、グランと距離を取っているのは──」

 

 

「俺達、と言うわけか」

 

 

 リィンと同じ考えを持っていたのか、彼の言葉の続きをユーシスが口にした。リィンは頷いて同じ考えだと肯定を見せ、一同の表情は揃って曇りを見せ始める。二人の会話を聞いていたアリサも相槌を打ち、エマとガイウスも同じ事を思っているのか考え込んでいる様子。再び五人の間には沈黙が広がり、今度は横からエリオットのため息が漏れたところでエマが話し出す。

 

 

「否定は出来ませんね……グランさんの事を良く思っていない訳じゃないんですけど」

 

 

「そうだな……決してグランを非難しているつもりはないが、意図せずそういった状況になっているのは認めざるを得ない」

 

 

 エマとガイウスが話しているように、リィン達は決してグランの事が嫌いな訳ではない。日常レベルでセクハラをするグランを女性陣が敵視する事はあるものの、彼の陽気な性格やここぞという時に見せる頼もしい姿は少なくとも《Ⅶ組》の皆も好感を持っているし、頼りにもしている。

 だが、そんな普段の彼だからこそ実技テストの時のグランに対する皆の驚きや衝撃は凄まじいものだった。彼が暴走したあの場は何故か収束する事が出来たが、今度同じ事が起きれば止められる自信があるかと言われればリィン達には全くもってないだろう。グランが良い悪いどうこうではなく、リィン達周りが彼のレベルに合わせる事が出来ないからだ。

 

 

「何かきっかけさえあれば、グランの事も解決出来そうなんだけど……」

 

 

「きっかけ、か……俺とアリサの時みたいにか?」

 

 

「な、何で私達の話が出てくるのよ!?」

 

 

 そしてふと呟いたアリサの言葉に、何とリィンの朴念仁が発動。不意打ちを食らったアリサは頬を朱色に染めて思いっきり目を瞑りながら叫んだ。ユーシスとエマはその様子を見て別の意味でため息をつく事になるのだが、リィンは何で彼らが呆れた表情を浮かべているのかが分からなかった。

 

 

「すまない、何か悪い事を言ったのか?」

 

 

「言ったわよ!」

 

 

「全く、こいつらは幸せな事だ」

 

 

「あははは……」

 

 

「ふむ?」

 

 

 リィンの朴念仁振りにユーシスとエマが呆れたり苦笑いを浮かべる中で、ガイウスはリィンと同じく理由が分からずに首を傾げているのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 帝都行きの列車に乗車して直ぐ、《Ⅶ組》の面々から離れた場所に腰を下ろしたグランは外の景色に焦点を合わせていた。鉄路を囲む雄大な自然に目を向けながらも、彼の頭の中にはその景色は余り入ってこない。

 リィン達がグランとの事で頭を悩ませているのと同じく、彼もリィン達《Ⅶ組》メンバーとの事で少し考えるところがあった。それは実技テストの翌日、導力学の授業の時間に起きたある出来事。その日に教科書を忘れてしまったグランが、隣の席のアリサに見せてもらおうと頼んだ時の事だ。

 

 

──すまん、アリサ。教科書見せてくれないか?──

 

 

──わ、私!? え、ええっと……──

 

 

──ア、アリサさん。グランさんに教科書を貸してあげて、私と一緒に見ませんか?──

 

 

──そ、そうね、それが良いわ。はい、グラン──

 

 

「(これ絶対避けられてるよな……)」

 

 

 余りにも分かりやすい出来事だった。自分が暴走してしまった翌日、しかも教科書を見せてもらおうとしただけで困惑した様子を見せる。それが間違いなく自分と関わる事を避けているというサインにグランは見えて他ならなかった。

 アリサの反応は当然の事であるし、嫌われたとしてもグランや周りがアリサを非難する事があってはならない。当の本人である彼もその事は重々承知しており、事実今のグランは《Ⅶ組》のメンバーと意図的に一線を敷いている。出来るだけ皆が会話をしている放課後の教室なんかは直ぐに退室したり、第三学生寮でも食事時以外は殆ど自室で過ごしていた。

 周りから見たら引きこもりまっしぐらなグランの学院生活。しかし彼はその事を別に苦に思っているわけでもなく、昼休みや放課後は今まで通り生徒会室でアンゼリカと一緒になってトワをからかったり、自室でもトワに鍵をかけられた秘蔵コレクションの棚を何とかして開けようともがいたり、意外にも不満のない生活を送っている。

 だが、それでも全く彼の心に痛みがない訳ではない。少し話し掛けただけでびくつくエリオットや、サラの武術訓練で自分と誰も組みたがらない事は気にしていた。除け者にされているような気がして、それは自分が悪いと分かっていながらもどうする事も出来ない。そんな時間が、彼の学院生活における悩みになっていた。

 

 

「別に、嫌われたならそれでいいんだが……何だろうな、こう胸が苦しくなる感じは」

 

 

 自身の胸中に生まれ始めたそこはかとない痛みに、グランは首を捻る。一人で生きてきた彼だからこそ今までに感じた事のない痛み、しかしその理由にグラン本人は心当たりがない訳ではなかった。それは、四月の特別実習が終わった後にリィンが皆へ告げた一言。

 

 

──同じ《Ⅶ組》で過ごす仲間だからこそ、皆には話しておこうと思ってさ──

 

 

 リィンが自身の身分について明かした時、そんな事を言っていたなとグランは思い出す。『同じ《Ⅶ組》で過ごす仲間』──士官学院に入学してから今現在、グランのリィン達に対して抱いている思いは仲間と呼べるものではなかった。彼らが道を進んで行く姿を横から傍観、時には手を貸して助ける、と言ったどちらかというと同じ生徒ではなく教官達が抱く思いに近いもの。

 必要以上に関わらず、呼ばれたら応えるが自身から歩み寄る事はない。そんな学院の生徒とはかけ離れた達観した姿勢、それが《Ⅶ組》として過ごすグランの姿だった。だからこそ特別実習で危険な場面に遭遇すれば自分が受け持ち、リィン達は無事に帰さなければいけないという考えに至る。先月の実習でその行為を予想外にも反対され、皆の力で乗り越えたのは彼の記憶に新しい。

 

 

「『全員で切り抜けてこそ、意味がある』か……」

 

 

 バリアハートの地下水道で、絶対に反対しないだろうと思っていたフィーから言われた一言。一人で全て解決してきたグランにはフィーのその言葉がとても新鮮なもので、同時に嬉しいと感じた。きっと、これからもそうしてリィン達は問題を乗り越えていくのだろう。一人では出来ない事でも、仲間がいれば必ず乗り越えられると信じて。

 グランがこの先《Ⅶ組》として過ごしていくためには、最低でも仲間として彼らと共に歩まねばならないだろう。そしてその仲間の一人に加わるためには、此度失ってしまったであろう信頼というものを得なければいけない。だがそれを得るための手段の一つは、既にグランの頭の中に浮かんでいた。

 

 

「(少なくとも、ここに来る前のオレについて話しておかないとな……)そうじゃなきゃ、《Ⅶ組》でいるためには公平(フェア)じゃないだろ」

 

 

「どうしたの?」

 

 

 考えを口にしたその時、目の前の席に移動してきたフィーが首を傾げながら腰を下ろした。少しの沈黙が広がって心配そうな表情へと変わる彼女にグランは何でもないと告げた後、フィーに向けていた視線を窓の外に移して再度口を開いた。自身がこの《Ⅶ組》にいるために、今出来る最善の方法を。

 

 

「オレも、少しは過去の事を話しておこうと思ってな」

 

 

「いいの? あんまり過去を話したがらないのに、もしかして今回の事で無理して話そうと──」

 

 

「そうじゃねぇよ、って言ったら嘘にはなる。まあ、それで信頼されるかどうかは別にしてもだ。ただ──」

 

 

「ただ?」

 

 

 再び首を傾げたフィーの視線の先、窓の外を見ていたグランはフィーに向き直ると彼女の頭の上に手を置いた。困惑した表情を見せるフィーの目の前で、グランは笑みを浮かべながら彼女の頭を撫で始める。

 話したところで、皆には信頼されないかもしれない。逆に猟兵だったという事で更に怪しまれる可能性もある。とは言えフィーを受け入れたリィン達がそのような考えを抱く事は九割九分ないだろうが、どちらにせよ彼の望みを叶えるためには必ず話さなければならない。フィーと同じく、グランも《Ⅶ組》で過ごす仲間でいたいから。

 

 

「オレも《Ⅶ組》でいたいって事だ。それに今はこの場所が、フィーすけの家族だもんな」

 

 

「……そっか」

 

 

 理由を聞いた銀髪の少女に、彼の思いを止めるつもりなどない。彼女もまた、グランと再び家族でいる事が出来るからだ。フィーにとっては、大変だったけど楽しかったあの日々に。三年前の、グランが旅団にいたあの頃のように。

 

 

「また、グランの麻婆豆腐食べたいな」

 

 

「よく覚えてたな……機会があったら皆に振る舞ってやるよ」

 

 

「最初に食べるのは私だから」

 

 

「はいはい、つまみ食いでも何でも許してやるよ」

 

 

「ふふっ……」

 

 

 離れた場所で暗い雰囲気を漂わせるリィンやマキアス達とは異なり、二人の座る席はいつしか温かな空間に満ちていた。

 

 

 




因みにグランがアリサに教科書を借りた後の一コマ。

「助かったわ、委員長」

「いえいえ、お安いご用です」

「全く。グランはどうせ、いつものセクハラ発言でからかおうとするつもりだろうし……はぁ、あの子の隣は辛いわね」

はい、という事でちょっとしたグランの勘違いから過去を明かすフラグが立ちました。大丈夫だよグラン、嫌われるどころか皆君の事を心配してくれるいい子達ばかりだから。紆余曲折ありながらも、《Ⅶ組》って本当に良いメンバーですよね。
そしてまたしても6人と4人でバランス悪いですが、ノルドのメンバーにグランが入っているのは理由があります。
決して作者がオリジナル展開にするのを嫌がった訳じゃないよ……(震え声


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受け入れられた過去

 

 

 

 トリスタ駅を出発して数十分、《Ⅶ組》一同が乗車した列車は帝都の玄関口であるヘイムダル駅へと到着した。クロイツェン、ラマール、サザーラント、ノルティアの各州都へ向けて伸びた鉄道網が一同に介するこの駅は、大陸内でも非常に巨大な駅になるだろう。普段は大勢の人々が駅に出入りしているのだが、今朝のこの時間は人も少なく、リィン達がホームを見渡しても疎らである。

 A班、B班は互いの実習での健闘を祈った後、それぞれ実習地に向かうべく別々の列車へと乗り込んだ。グランのいるA班はノルド高原が実習地のため、ノルド行きの貨物列車が出ることになっているルーレ市に向かう列車に乗ることとなった。

 ルーレ行きの列車に乗車して、リィン達六人は三人ずつが向かい合わせに同じ席へ座る。グランは何か考え事をしているのか瞳を伏せて腕を組み、五人はその様子を見て彼の機嫌が悪いと思ったのか、その場が一気に気まずい雰囲気になってしまった。沈黙が広がり、発進を告げる車内アナウンスが流れた後に列車は走行を始める。そして走行する際に発生する軽い振動がリィン達の体に伝わり出したところで、グランは閉じていた目を開くと神妙な面持ちで唐突に話し始めた。

 

 

「皆に、聞いてもらいたい事がある……先日Ⅰ組の貴族生徒がオレに言った、殺人鬼という言葉の真意についてだ」

 

 

 突然彼の口から出た言葉に先日の出来事を思い出し、リィン達は表情を引き締めるとグランを見つめ返した。これから語られる事は恐らく、グランが士官学院に来る以前の過去に関わってくるのだろうと皆は感ずる。

 そして一方で、グランの脳裏には一抹の不安が過っていた。嫌われるかもしれない。これまで以上にリィン達と気まずくなる可能性もある。もしかしたら、過去を打ち明けずにこのまま少しの距離を置いて双方学院生活を過ごしていく方が良いのかもしれない。

 だが、皆と仲間でいるためには話しておくべきだと彼は決めた。五人の視線を一斉に受け、グランは不安を振り払うと意を決して打ち明ける。

 

 

「あの時Ⅰ組の奴が言ったのは大方虫の居所が悪かっただけだろうが、あながち間違いじゃない。士官学院に来る以前、オレは猟兵を生業にしていた。それ相応のミラを支払えば、余程の理由がない限り引き受ける……盗みもしたし、戦場で人を殺したこともある──それが、ここに来る前のオレだ」

 

 

 そして彼は言い切った、自分が非道な行いをしてきた人間であると。これでもうグランは後戻りが出来ない。いや、元より後戻りなど考えていなかっただろう。蔑まれても、罵られても、非難されても彼は受け止めると決めている。これで嫌われたならば、これまで通り一線を敷いて過ごすという心の準備も出来ていた。

 驚きの余り言葉も出ないのか、唖然とした表情で硬直する五人をグランは見渡す。リィン達の反応は無理もないだろう、これが猟兵を目の前にした時の一般的な人々の反応だ。再び生まれる沈黙の中、やはり受け入れてもらうのは無理があったかとグランは諦めたように瞳を伏せる。

 これまでと同じく、一線を敷いて過ごせばいい。後は五人から投げ掛けられるであろう非難の言葉を受け止めるだけだ。そんな風に、彼が非難の言葉を覚悟したその時だった。突然、アリサの笑い声がその場に響いたのは。

 

 

「ふふっ……もう、グランってば真剣な顔して何を言うかと思えば、そんな事だったの?」

 

 

「全く、お前が真面目に話すと違和感だらけで気持ち悪いな」

 

 

「フフ……確かに。グランが真面目というのは少し違和感があるな」

 

 

 アリサが笑みをこぼしながら話すと、同じようにユーシスとガイウスも笑みを浮かべながら続いた。グランにとってはその反応が予想外過ぎて、三人の顔を見渡しながら顔をきょとんとさせている。未だに余り状況が飲み込めていない様子のグランを見て、エマは笑顔を浮かべながら口を開いた。

 

 

「グランさんが猟兵だったとしても、私達にとっては余り関係ありません。今ここにいるグランさんが、私達の知ってるグランさんなんですから」

 

 

「……気に、しないのか? 盗みや人を殺める行為は、義に反する事だぞ」

 

 

 放心状態の中告げられたエマの言葉は、グランにとっては受け入れてもらえたと確信していいほどの嬉しいものであっただろう。しかし、それでも彼には腑に落ちない点があった。彼女達が余りにもすんなり受け入れた事、それがグランには疑問に思えてならない。

 彼には以前過去を話して受け入れてもらえたトワという存在がいるが、あれははっきり言って別格だ。幼い見た目とは裏腹に、彼女は猟兵というものに対する考え方そのものが達観している。エマの物言いを考えると、少なくとも彼女は猟兵という存在自体は余り快く思っていないのだろう。だからこそ、自分の過去を聞いて受け入れた五人がグランには不思議でたまらなかった。そしてそんなグランの心境を察したのか、リィンが彼の顔を見据えながら告げる。

 

 

「少なくとも、俺達の知ってるグランがそんな事をした記憶はない。これから先、グランがもし義に反する行為を行う事があるって言うのなら、俺達が全力で止めてみせるさ。それが……“仲間”って事なんじゃないか?」

 

 

 リィンの言葉に、グランも漸く気が付いた。彼らは、《Ⅶ組》の皆はお人好し過ぎる人間ばかりだったなと。

 人は普通、他人の過去を気にして繋がりを持つものだ。道徳的に考えて何ら問題がない人生ならばいいが、後ろめたい事や世間一般で非道徳的な人生を送っている者とは余り関係を持ちたがらない。世間体、周りの目、そういった社会的な自分の立場を気にしてだ。

 しかし、ここにいるリィン達は違った。過去など関係ない、今が大切なんだと。トワと考え方こそ異なるが、リィン達もまたグランを受け入れるだけの器量は持っており、猟兵という過去を知っても変わらず彼を受け入れる。そして、リィンの言葉からその事実を肌で感じた時、グランの顔には自然と笑みがこぼれていた。

 

 

「ったく。初めてだよ、そんな事を言ったやつは……これからも、よろしく頼む」

 

 

「ああ、こちらこそ」

 

 

「これからもよろしくお願いするわ」

 

 

「ふふ、よろしくお願いします」

 

 

「フ……よろしくと言っておこう」

 

 

「よろしくお願いする」

 

 

 照れくさそうに話すグランへ、リィンを筆頭に各々が笑顔を浮かべながら答えている。不穏な空気で始まるかと思われたA班の特別実習は、実に幸先の良いスタートを切ることが出来たようだ。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 列車に揺れること約四時間。帝都ヘイムダルを出発したA班は、『黒銀の鋼都』の名で知られるルーレ市の駅へと到着した。アリサの実家でもある大陸有数の重工業メーカー、ラインフォルトの本社が構えるこの都市は、帝国北部のノルティア州を治めるログナー侯爵家が住居を置いている事でも知られる。

 列車を乗り継ぐためにホームへ降りた一向は途中、第三学生寮にいたはずなのに何故か先回りしていたシャロンと駅の通路で遭遇して驚きつつ、用意してくれていた昼の弁当を彼女から受け取っていた。アリサはシャロンを見ながらまさかこの先もついてくるのではと彼女に問いかけるが、シャロンはこの後用事があるらしくここで別れるとの事。そしてそれを聞いたアリサは疑問に思う事があったのか、首を傾げながらシャロンに再び問いかける。

 

 

「用事? それって一体──」

 

 

「私が呼んだのよ」

 

 

 アリサが問いかけたその時、彼女の問いに答えるように突然リィン達の耳に入ってきたのは第三者の声だった。コツコツと改札の方から徐々に大きくなってくる足音が駅のホームに響く。首を傾げる一同、しかしその中でもアリサとグランは声に聞き覚えがあったのか怪訝な顔をしている。そして直後に一同の目の前へと現れた眼鏡をかけた金髪の女性はリィン達の前で立ち止まり、その姿を認識して直ぐ、アリサは動揺混じりに驚きの声を上げた。

 

 

「か、かかか……母さま!?」

 

 

「久し振りねアリサ。それとそちらの彼以外は初めましてになるかしら……イリーナ=ラインフォルト、ラインフォルト社の会長を務めているわ。宜しくお願いするわね」

 

 

 腰に手を当てながら堂々とした立ち振舞いで、女性……イリーナはリィン達を見渡した後にそう告げた。その最中、アリサは自分の母親が突然現れた事に驚きの余り開いた口が塞がらない状態で、リィン達はアリサ程ではないが驚きつつも、イリーナの自己紹介の後にそれぞれ同じく自己紹介をしている。そして四人が話し終えたところで唯一自己紹介をしなかったグランが一人前に出ると、イリーナに向かって軽く会釈をして笑みを浮かべた。

 

 

「半年振りでしょうか。お元気そうで何よりです」

 

 

「ええ、カルバードの視察では世話になったわ。機会があればまたお願いするわね……と言っても今の貴方に依頼は無理でしょうけど」

 

 

「はい。士官学院卒業後に、ご縁があればまた」

 

 

 実は士官学院に来る以前、グランは猟兵をしていた時にシャロンの紹介でイリーナの護衛任務を受け持った事がある。二人が交わしている会話の内容はその時の事を言っており、事情を知らないリィン達は傍で話を聞きながら首を傾げていた。

 そんなグランとイリーナの会話も直ぐに終わりを迎え、不肖の娘を宜しく頼むとイリーナが告げるとシャロンと二人その場を立ち去ろうとする。しかし、その直後に去ろうとする二人の足取りを止める者がいた。

 

 

「ふ、ふざけないで! 家出をした娘に、久々にあったっていうのに言いたい事はそれだけ!」

 

 

 突如として駅のホームに響いたアリサの叫び声。普段は優しい彼女が、これ程までに声を荒げるのは珍しかった。怒りとも嘆きとも取れる感情を含んだアリサの叫びを耳にして、後ろに立っているリィン達は彼女の後ろ姿を心配そうに見ている。そして先に立ち止まったシャロンが心配そうな表情でアリサの顔を見つめる中、その声の矛先であるイリーナは足を止めると、振り返って冷静な表情でアリサの顔を見据えた。

 

 

「貴女の人生、自分の好きなようにしたらいいでしょう。あの人のように勝手気侭に生きるのも自由よ」

 

 

「っ……!」

 

 

「それに、貴女の事は学院からの月毎の報告である程度把握してるわ」

 

 

 この時アリサは疑問を抱いた。シャロンが管理人としてトリスタにいる以上、彼女からの報告は恐らくあるだろう。しかし、自分の母親は今学院からの報告だと言ったはずだ。それは一体どういう事なのか、と。そしてイリーナはアリサの表情からその心境を察したのか、言っていなかったと告げるとそのまま続けて先程の言葉の意味を話す。

 

 

「貴女が通う士官学院の常任理事……その内の一人を任されているわ」

 

 

「……え、えええぇぇぇ!?」

 

 

 再び駅のホームにアリサの叫び声が響く。実家から自立するために士官学院へと入学した彼女にとっては、失態とも言える事実を突きつけられるのだった。

 

 

 




パワプロという野球ゲームのマイライフモードで俺TUEEEEをしながらゆっくり書いていたら6日経ってました、ごめんなさい。因みにキャラクターの容姿は銀髪紅眼です、シャアアアッ!

グランの過去、リィン達はすんなり受け入れました。これで実習は無事にいきそうです。でも、そう言えばノルドではケルディックの時と同じで男女一緒の部屋なんだよなぁ……大丈夫だろうか、主に委員長とアリサ。


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守るべき幸せのため

 

 

 

「もー! 私のばかばかばかぁーっ!」

 

 

 時刻は十七時を迎える頃、ルーレ駅からノルド高原のゼンダー門へ走る貨物列車の中。窓際の席に座っていたアリサは列車の窓を開けると、見渡す限りに広がる大草原へ向かってこれでもかと言うほど叫んでいた。アリサの心境を察しているリィン達は皆その様子に苦笑いを浮かべており、ため息をつきながら席へ座る彼女を慰めている。

 実家から離れたくて入学した士官学院が、実は母親が常任理事をしていたとなると、そのショックたるやかなりの大きさだろう。

 少しばかりどんよりした雰囲気が皆の間に流れ、とにかくその悪い空気を変えようと思ったグランは外の景色に目を移しながら口を開いた。

 

 

「ノルドか……かなり広いな」

 

 

「ああ、どこまで広がっているんだろう」

 

 

「ふふ、それは列車を降りてから言ってもらおうか」

 

 

 列車の窓から見える蒼穹の大地を前にグランとリィンが各々感想を呟き、ガイウスはその言葉に笑みを浮かべながら続いた。ガイウスにとっては実に三ヶ月振りの故郷ということもあり、家族や知り合いに会える今回の特別実習は楽しみだったであろう。

 程なくして貨物列車はゼンダー門へ到着し、列車が停止した後に一同は降車した。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 ゼンダー門にて列車を降りたリィン達一向は、右目に眼帯を着けた軍服の男による出迎えを受ける。ガイウスは男の事をよく知っているのか親しげに会話を行っており、その様子にリィン達は置いてけぼりにされていたが、グランは一人男の事を興味深げに見ていた。ガイウスは忘れていたとばかりに男の事をリィン達に紹介しようとするが、先にグランが発した言葉によってその紹介は不要となる。

 

 

「ゼクス=ヴァンダール……リベールの国境から飛ばされたかと思えば、ここで会うことになるとは思わなかったな」

 

 

「ヴァンダール……!? そうか、思い出した。隻眼のゼクス……アルノール家の守護者だ」

 

 

 帝国において、ラウラの扱うアルゼイド流と双璧をなす流派にヴァンダール流というものが存在する。リィン達の目の前にいるゼクスという名の男はそのヴァンダール流の使い手であり、代々皇族のアルノール家を守る事で知られるヴァンダール家の人間。隻眼のゼクスという名は、『アルノール家の守護者』、帝国で五本の指に入る実力者という事で帝国内外でもかなり有名だ。リィンの言葉にゼクスは謙遜をした後、グランの正面へと歩み寄って彼の顔を訝しげに眺める。

 

 

「……悪いが初対面ではないか?」

 

 

「実際顔を合わせるのは初めてだ。二年前のリベールの姫様……今は王太女ですか。あの時のやり取りは遠くから拝見させてもらった」

 

 

 怪訝な顔で問うゼクスへ、グランは少し不機嫌そうに答える。リィン達はグランの機嫌が悪くなった事も含めて今の状況をいまいち把握出来なかったが、ゼクスは直ぐに彼の話を理解した。ゼクスにとって、二年前のリベール王国の王太女と行ったやり取りと言えば一つしかない。

 グランが話している内容……それは『リベールの異変』と呼ばれる、二年前に突然リベール一帯から帝国南部にかけて導力器(オーブメント)が使えなくなるという謎の現象が発生した時のとある一件の事を言っている。当時サザーラント州に駐屯していたゼクスはオズボーン宰相の命令を受けてリベールとの国境へ進軍、その時事態を知って現地まで赴いてきたリベール王国の王太女、クローディア=フォン=アウスレーゼと対話をするという出来事があった。

 因みにグランのゼクスに対する態度や言葉遣いに若干の棘があるのは、ゼクスの容姿が少し関係したりするのだが彼らには知るよしもない。

 

 

「フ……王太女達と同行していたのか?」

 

 

「違うっての。知り合いで姫様のストーカーやってる奴がいるんだが、そいつの付き添いで眺めていただけだ」

 

 

 お陰でオレまでストーカー呼ばわりされただとか、グランセルで手伝ったばっかりに怪盗扱いされただとかぶつくさグランは愚痴り始めるが、話が段々横道にそれていきそうだと感じたリィンが直ぐに彼を宥めてその場は収まった。

 その後ゼクスの案内によりA班一行はゼンダー門を出ると、外に広がるノルド高原の地へ足を踏み入れる。景色を視界に捉えて直後、リィンは思わず呟いた。

 

 

「はは……これは凄いな」

 

 

 余りの景色に圧倒され、リィンはありきたりな言葉くらいしか出てこなかった。列車の車窓からも見えていた山々に囲まれた雄大な草原はいざ目の前にすると圧巻の一言で、夕刻を回った今の時間は茜色に染まった空の下動物達の鳴き声がこだまし、そこには帝国内で決して拝むことができないであろう大自然が広がっている。

 皆が一様にリィンと同じように感嘆の声を漏らし、ガイウスがそのリアクションに満足そうに頷く中、一同の後方からゼクスが近寄ってきた。そして彼の後ろには、ブルブルと喉を鳴らす六頭の馬が待機している。

 

 

「伝え聞いた通り、こちらで馬を用意しておいたぞ」

 

 

「中将、ありがとうございます……というわけでここノルドの地では馬が主な移動方法になるのだが、乗れない者はいるか?」

 

 

 ガイウスの声に、リィンとアリサ、ユーシスの三人は経験があるから問題はないと答えた。反対にエマは馬術の心得がなく、乗ることが出来ないとの事。そして最後に、ガイウスの視線はグランへと向けられる。

 

 

「グランは乗れるのか?」

 

 

「馬は乗った事がないな……まぁ、似たようなやつなら乗った事あるからたぶん大丈夫だろ」

 

 

 ガイウスの問いに、グランはどこか別の方向へ視線を向けながら答えていた。そんなグランの様子に首を傾げた後、リィン、アリサ、ユーシス、ガイウスの四人は傍で待機していた馬に手慣れた動きで乗り上げ、繋がれていた手綱を握り締める。一人戸惑っているエマに後ろへ乗るようにアリサが促し、五人の出発する準備が終わった中、グランは未だに一人だけ意識を別の所へ向けていた。

 

 

「(しっかし、ここに来てカルバードとの国境ねぇ……何もなければいいが、一応の準備はしとくか)」

 

 

「グラン、そろそろ出発するぞ」

 

 

「……悪い、今準備する」

 

 

 馬上から発せられたリィンの声にグランは手を挙げて答えると、四人が行っていた要領でわりとスムーズに馬の上へ乗り上げた。そして全員の準備を確認した先頭のガイウスの声を皮切りに一同が乗っている馬は駆け出し、手綱を握られた五頭の馬は風を切りながら青々と染まった大地の上を疾走する。

 大自然の中を走る感覚というのは実に心地の良いものであり、各々が草原の上を走る感想を笑顔で話している中、グランだけは輪の中に混ざらず前を走るアリサとエマの姿を……正確には、風によって棚引くスカートへとその視線を集中させていた。時折見え隠れするスカートの中を視界に捉えては、物凄く嬉しそうに笑顔を浮かべている。

 

 

「(いやー、目の保養になるわー)」

 

 

「うぅ、早くも腰が──ってちょっと!? グランさん一体どこ見てるんですか!?」

 

 

「何にも見てない見てない。委員長の下着が黒いなんてオレは知らないぞー」

 

 

 エマの悲鳴が響いて直後、状況を察したアリサが馬の走る速度を抑え、上手い事グランの後方へ回り込んで彼の視界から逃れた。馬の扱いに慣れていないグランが同じような事を出来るはずもなく、舌打ちをしながら悔しそうに表情を歪ませている。一方アリサは怒りで手綱を握る手が震える中、前を走るグランに向かって眉間にシワを寄せながら声を荒げた。

 

 

「グラン、あなた後で覚えてなさいよ!」

 

 

「リィン! アリサの下着はピンクだったぞー!」

 

 

「そ、それ以上喋るなあぁぁぁ!」

 

 

 顔を真っ赤に染めたアリサの絶叫がノルドの地にこだまする。暫くして一同は宿泊先のガイウスの実家があるノルドの集落に到着するのだが、到着して直ぐグランが二人から追いかけ回されたのは言うまでもない。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 ノルド高原は、エレボニア帝国北東部に連なるアイゼンガルド連峰の先にある異境の地として知られる。カルバード共和国との国境に位置するこの地は現在、帝国と共和国との間で領有権を主張し合っており、未だにどちらの国にも属してはいない。そのためノルドの地には帝国と共和国双方の軍事施設が建てられ、両国の間では常に緊張感が流れていた。

 歴史的な背景を見ても、ノルド高原は帝国中興の祖として知られるドライケルス大帝が獅子戦役の折に挙兵した場所とされ、帝国に所縁のある地である事を考えると、帝国側が領有権を主張するのは間違ってはいないのだろう。しかしそれが理由で帝国のもの、と扱う事は共和国側にとっては非常によろしくない事も理解できる。そんな両国間の板挟みを受けているノルドの住人達だが、彼らにとってその辺りの事情はさして重要ではなかった。

 帝国であろうと、共和国であろうと彼らの独自の生活が変わる訳ではない。ノルドの地が脅かされない限り、どちらの国に属そうが特に問題はなかった。

 しかし、現在ノルドの地が置かれている状況に危機感を覚える者が現れる。ガイウス=ウォーゼル、リィン達《Ⅶ組》の一員であるガイウスだ。彼はノルドで過ごす折、定期的に勉強を教えに訪れる七耀教会の巡回神父から様々な話を聞き、これまでの歴史の中で国同士の争い事に巻き込まれて荒廃した土地や消えた部族がいることを知る。

 そしてガイウスは焦った。帝国と共和国が牽制し合っている現在の状況、まさに話に伝え聞いた通りの流れではないかと。家族や仲間と過ごすこの平和も、いつの日か壊れてしまうかもしれない。彼はノルドのこれからを危惧し、直ぐにでも外の世界を知らねばという考えに至った。

 

 

「それが、この士官学院に入るに至った経緯だ」

 

 

 時刻は既に午後九時を回っている。リィン達はノルドの集落に着いてガイウスの家族から手厚い歓迎を受けた後、用意されたテントに移動してガイウスから士官学院に入学した動機を聞いていた。

 皆がそれを聞こうと思った理由は実に簡単なもの。ガイウスの実家で料理を振る舞われている時、彼の両親、三人の弟や妹達に囲まれながら嬉しそうに頬を緩めるガイウスの姿を見て、何故こんな幸せな場所から離れてまで士官学院に入学したのかが不思議に思ったからだ。

 話を聞いて、皆が考えていた以上にガイウスの入学した理由は現状を見つめているしっかりとしたもので、一同は今面を食らっているわけだが。

 

 

「すげぇな……そりゃあ慕われるわけだよ。やるな、ガイウスあんちゃん」

 

 

 リィン達と同様に話を聞いていたグランは、ガイウスの顔を見ながら感心したように話す。

 家族を、仲間を、大切な人を守るために恵まれた場所を飛び出したガイウスの行動は非常に勇気のあるもので、リィン達は皆感銘を受けた。

 因みにグランが名前に付け足したあんちゃんというのはガイウスの弟や妹達が彼を呼ぶときに使っているもので、グランにそう呼ばれるのは少し違和感があるのかガイウスは苦笑いで返している。この後妹達に呼ばれているということらしくガイウスはテントを去り、残りの一同は先の話に刺激を受けながらも今日はもう寝ようという事でカーテンを境に男子、女子それぞれ用意されたベッドへと潜り込む。そしてグランも同じくベッドの中に入ろうとしたのだが、突然カーテンの向こうからエマが出てきて彼の動きを制する。

 

 

「グランさん、待って下さい」

 

 

「どうしたんだ? まさか委員長、漸くオレと添い寝する事を許して……」

 

 

「ち、が、い、ま、す! グランさんはこれで寝てください」

 

 

 そう言ってエマの手からグランに渡ったのは、誰がどう見ても屋外で使用する寝袋だった。グランはそれを暫く無言で見つめた後、苦笑いを浮かべながらゆっくりと彼女の顔へ視線を移す。

 

 

「いやいや、冗談だろ?」

 

 

「いやいや、本気ですよ?」

 

 

「いやいやいやいや」

 

 

「いやいやいやいや」

 

 

 またしても沈黙が流れる。寝袋を持つグランの手は震え始め、徐々に彼の体全体が振動を起こし出した。カーテンの向こうからはむにゃむにゃとアリサの寝言が、近くにあるベッドの上では話し声に体を起こしたリィンとユーシスが無言で二人の様子を眺めている。そしてエマが満面の笑みで構える中、グランは震えながらもゆっくり歩き始めてやがてテントの外へと退室。エマもカーテンの向こう側へと入っていき、その様子を見ていたリィンとユーシスは気まずそうに顔を見合わせた。

 

 

「グラン、大丈夫なのか?」

 

 

「知らん。それに先月のバリアハートでの一件を考えれば当然の報いだ……まあ、流石に少しやり過ぎな気もしないでもないが──」

 

 

──誰が仲間だこんちくしょおおおぉぉぉ!──

 

 

「……」

 

 

「そっとしておけ。俺達も寝るぞ」

 

 

 外から聞こえてくるグランの叫び声にリィンは顔を引きつらせ、ユーシスは何もなかったかのようにベッドへと潜り込んだ。直ぐにリィンもベッドに潜り、暫くして二人は寝息を立て始める。

 特別実習初日の夜は、一人の心を完全にへし折る結果となった。

 

 

 




満面の笑みを浮かべる委員長とか恐い、グランこの後大丈夫だろうか……

エステル達がグランセルを駆け回る原因になった怪盗Bの一件、そしてクローゼが大きく飛躍する出来事でもある場面にはグランもいました。何だかんだでグランとブルブランは仲が良い設定になっています。おかげであらぬ誤解を彼女達から受けていますが。


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八葉一刀流の共通点

 

 

 

 ノルドでの特別実習二日目。朝日が昇り始めた早朝の時間にリィン達は起床し、ガイウスの実家で朝食を取った後、実習内容が書かれた紙をガイウスの父ラカンから受け取っていた。内容を見ると三つしか課題がなく、理由を聞くと一先ず午前の依頼のみで、午後に行ってもらう依頼は昼食を終えてから渡すとの事。話を聞いて昼の御飯が楽しみになった一同は早速実習課題に取り掛かりたいところだったが、実はそうもいかなかった。現在ここにいる《Ⅶ組》メンバーはリィン、アリサ、ガイウス、ユーシス、エマの五人……そう、昨晩寝袋を渡されて一人寂しくテントを去ったグランの姿が何処にもない。ウォーゼル家の家族で長女に当たるガイウスの妹シーダに捜しに行ってもらっているのだが、朝食を終えた今になっても未だ連絡が無かった。

 

 

「グラン、一体何処で寝てるのかしら?」

 

 

「フン、昨日の事に拗ねてサボっているとも考えられるがな」

 

 

 アリサが首を傾げる横で、ユーシスはエマの顔を見ながら腕を組んでそう話した。彼の視線を受けたエマは苦笑いで誤魔化し、リィンはそんな三人の様子を見渡した後に外から聞こえてくる声に耳を傾ける。徐々に声は大きくなり、他の皆も気付いたのか家の扉へ視線を移しながら首を傾げていた。そして突然、ウォーゼル家の扉が勢いよく開かれる。

 

 

「ラカン!」

 

 

「一体何事だ?」

 

 

「集落に魔獣が侵入した。赤い髪の少年が抑えてくれているが、近くにシーダが──」

 

 

 魔獣が侵入し、シーダが巻き込まれている。男の話を聞いた一同の顔が驚愕に染まり、ラカンとガイウスが立て掛けていた馬上槍を手に取ると彼の傍へ駆け寄った。リィン達もただ事ではないと感じ、それぞれ得物を手にすると三人の元へと駆け寄る。

 話を聞くに、魔獣を抑えている赤い髪の少年というのは恐らくグランだろう。だがリィンは安心出来なかった。何しろグランの持っていた刀は、昨夜就寝したテントの中で見かけたからだ。

 事態は一刻を争う。しかし戦える者は現在ここにいるラカンとリィン達、集落の男は今呼びに来た彼以外は出掛けているらしい。

 

 

「魔獣は?」

 

 

「集落の南口だ、ついてきてくれ!」

 

 

 グランとシーダの無事を祈りながら、一同は南口へと駆け出した。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「──後、二体……か」

 

 

 ノルドの民が暮らす集落の南口。左肩を右手で押さえながら、額から血を流しているグランの姿があった。彼の睨み付ける先には、強固な皮膚を持ち、胴体の左右に数本の角を生やした四足歩行の巨大な魔獣……ライノサイダーと呼ばれる個体が二体佇んでいる。その周りには二回りほど小さい同タイプの魔獣が三体、既に事切れているのか地面に崩れ落ちておりピクリとも動かない。そしてグランの後方、ガイウスの妹であるシーダが地面に座ったまま動けないでいた。グランは魔獣に視線を向けたまま、一度意識を後ろのシーダへと向ける。

 

 

「動けそうか、嬢ちゃん?」

 

 

「ご、ごめんなさい。腰、抜けちゃって……」

 

 

「いや、気にすんな……さて、と。後二体なのはいいんだが──」

 

 

 シーダが未だに身動きが取れない事を確認して、グランの意識は再び眼前の魔獣へと戻される。

 ライノサイダーの鼻息は集落に侵入した当初から荒い。恐らく興奮しているのだろう。何故興奮しているのかまでは特定出来ないが、グランには思い当たる節があった。とは言え今はその事を考えている場合ではない。何とかして、目の前にいる残り二体の魔獣を撃退しなければいけない。しかし先に仕留めた三体とは比べ物にならないほど頑丈で、体格は三アージュを越える巨大さ。それに先程一体が集落の中へ突入しようとした時、回避するわけにもいかず正面から受け止めたため衝撃で負傷してしまった。だが、彼に逃げるという選択肢はない。後ろに幼い少女がいる限り、その場を退くわけにはいかなかった。

 グランは重くなった左腕を上げ、掌を前へと突き出す。右手は腰の高さまで落とし、握り拳を作ると後ろへ引いた。かつて所属していた組織で一度手合わせをした、格闘術を得意とする痩せこけた男の顔を思い出しながら。

 

 

「(痩せ狼……悪いがあんたの技を借りるぞ)」

 

 

 当時の試合は辛くも勝利したが、父親以外に自身の刀を折った男が使っていた技。東方において、“氣”と呼ばれる力を主とする泰斗流を独自にアレンジさせた暗殺拳。八葉一刀流にも無手の型というのは存在するが、素手による戦闘では男が使っていたものの方が幾段も威力が高い。そのため、父親を殺すために使えるのではと一時期その男から教えてもらった事があった。

 仕留めるべき目標(ターゲット)は二体。二発も放てば、今日明日は右腕を使えないなとグランは思いながらも躊躇う事はなかった。自分抜きでもリィン達なら特別実習は上手くやってくれるだろう。昨日の一件で仲間の輪に加わったばかりのグランだが、彼自身不思議なほどにリィン達への信頼は大きかった。同じように彼が信頼されているかどうかは別として、だが。

 

 

「嬢ちゃん、オレがいいって言うまで目を閉じてろ」

 

 

「えっ? は、はい」

 

 

 シーダは不思議に思いながらも、言われた通りに瞳を閉じた。グランには彼女が目を閉じたかどうかの確認は出来ないが、閉じている事を信じて闘気を最大まで高める。同時に、魔獣を見つめるグランの目は冷酷なものへと変化していく。そして彼の闘気にあてられたのか、二体のライノサイダーがジリジリと後退った。グランはその様に笑みを浮かべながら僅かに腰を落とす。

 

 

「この二日間分、オレの右腕をくれてやる。その代わり──命はもらい受けるぞ」

 

 

 グランが声を発して直ぐ、その姿が掻き消える。接近するは弐ノ型の歩法、そして使うは自身の刀を砕かれた全てを粉砕する一撃。彼の姿が消えた直後、轟音と共に二体のライノサイダーは突然後方へと吹き飛んで宙を舞った。巨体はそのまま重力に逆らわずに落下し、その衝撃で辺り一帯には地響きが巻き起こる。既に息絶えたのか魔獣が動く気配はなく、よく見ると顔の部分と思われる部位は大きくへこみ、強固なその皮膚は割れて所々剥げていた。そんな目も当てられない姿へと変えた原因であるグランは、直ぐに元の立ち位置へ姿を現す。彼は血によって赤く染まった右手を押さえながら、受け身を取る事なくその場に倒れ込む。

 

 

「っく……血、流し過ぎたか──」

 

 

「グランさん、グランさん!?」

 

 

 全身を襲う痛みによって、グランの意識は徐々に遠退いていく。傍に駆け寄っていたシーダが悲痛な声を上げているが、意識を失った彼に届くことはなかった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 集落に現れた魔獣との戦闘で負傷したグランは、現場に訪れたリィン達によって昨夜使う予定だったベッドの上へと運ばれる。ノルドに住む薬師とエマの手によって即座に治療が施され、その甲斐あってか彼の命に別状はなかった。

 しかし予想外の事態になってしまった事には変わりなく、リィン達は最初、特別実習を続けるべきか悩んだ。結局のところ中断するわけにもいかず、グランの事は任せておけというラカンの言葉に甘えてリィン達は実習課題に取り掛かる事に決める。

 リィン、アリサ、ユーシス、ガイウスの四人は用意された課題をこなすべくテントをあとにするが、エマはグランの傍で彼の看病をする事に決めたのかその場に残る事にした。

 そして時刻は過ぎて現在午前十時。今も規則的に呼吸をして眠っている、額や腕、体に包帯を巻かれたグランの横……そこには椅子に腰を掛けて表情を曇らせるエマの姿があった。

 

 

「ごめんなさい、ごめんなさい。私の、私のせいで……!」

 

 

 自分が外で寝かせるような事をしなければ。エマはグランの怪我の手当てをしていた時からずっと、昨夜に自分が行った事を必死に謝っていた。命に別状があるわけではない、時間が経てば傷も回復するだろう。それに今朝の出来事など誰が予想できただろうか。リィン達も皆エマのせいではないと彼女を慰めたが、それでも罪悪感が彼女の心から消えることはなかった。

 

 

「我慢すればよかったんです! 私が、我慢していればこんな事には……!」

 

 

 自身を責め続けるエマの表情は、最早泣きそうなほどに歪んでいた。しかし、自分が泣くことなど許されないと彼女は必死に涙を堪える。泣きたいのは私なんかじゃない、本当に泣きたいのは彼の方だ、と。

 本来ならエマを慰める役目のリィン達も、課題をこなしているためこの場にいない。このままでは彼女は罪悪感と自身を責め続ける事によって心がまいってしまう。

 とうとう限界がきたのか、彼女の頬に一滴の涙がこぼれ落ちる。そしてその時、涙の冷たさと同時に温もりが彼女の頬に触れた。

 

 

「美人が泣いたら、それはそれで絵になるもんだな」

 

 

「ぁ……」

 

 

 エマの頬に触れたのは、包帯を巻かれたグランの手だった。グランが意識を取り戻した事を認識して、彼女の口からは力ない声が発せられる。本来なら喜ばなければいけないはずなのに、エマの心の中には嬉しさよりも恐怖の方がずっと強く漂っていた。

 きっとグランは激しく自分を責めるだろう。仕方ない、悪いのは私なのだから。

 エマは非難の言葉を受け止める準備をした。そしてこの時、ふと先月のバリアハートでの一件を思い出す。グランの正体を知った時、警戒していた自分がまさかこんな立場になるなど思わなかったと彼女は心の中で自嘲する。

 

 

「ありがとな、委員長」

 

 

「……ぇ?」

 

 

 そんな感情だったからこそ、エマは突然彼の口から発せられた言葉に戸惑った。非難ではなく、その言葉は感謝を意味していたからだ。そして彼女の顔を見て笑みを浮かべながら、グランはこう続ける。

 

 

「委員長が外で寝かせてくれなかったら、もっと悲惨な事になっていたかもしれない。礼を言うよ」

 

 

 確かにグランが外にいなければ、魔獣の進撃は止まらず集落が破壊されていた可能性はある。外に出ていた女性や子供達が、今のグランと同じ目かそれ以上の出来事に遭っていたかもしれない。だからこそ、エマの頬に流れる涙を拭いながらグランは笑顔で感謝の言葉を口にしたのだ。彼女は最善の事をした、だから涙を流すなと。

 

 

「どうして、どうしてそんな風に思えるんですか。私は、私は……」

 

 

「何事も良い方向に考えろっての。委員長はオレとの同室を嫌って外に出した事が、今回の発端だと責任感じてるみたいだが……それは自惚れだよ」

 

 

「……えっ?」

 

 

「元々オレには、こんな大怪我しなくても魔獣を倒せる方法はあったんだ。ちゃちなプライドが邪魔して奥の手を使わなかっただけで、だからこの怪我はオレ自身の失態だ」

 

 

 尚も自分のせいだと続けるエマに、グランは本当の事を話す。そう、グランにはわざわざ素手で戦う必要などなかった。テントに置いてある刀とは別に、彼にはもう一つ武器がある。しかしプライドが邪魔して使うことが出来なかった。そのため、結果的に素手による戦闘を選んで大怪我をしただけの事。エマのせいでもなく、これは自分のせいなんだと。

 グランの言葉に救われたのか、エマの表情は僅かに暗みが消える。しかし首を横に振ると再び元に戻ってしまった。どうしても、彼女は自分が悪いという考えを変えないつもりのようだ。

 

 

「しょうがねぇな、ったく。分かった、委員長のせいでオレは怪我をしたよ。だから一つお願い聞いてくれ、それでチャラにしてやる」

 

 

 意外と意固地なエマに、仕方ないとばかりにグランは困り顔で提案する。許してやるから願いを聞けと。

 そして一方で、グランのお願いと聞いてエマには嫌な予感しか思い浮かばなかった。きっと今から大変な目に遭うのだろう。しかし、自分のした事を考えれば妥当な処罰なのかもしれないと彼女は思い至る。

 エマは生唾を飲む。さあこい、どんな無茶な願いでも聞き届けて見せると。そして、グランの口から願い事が話される。

 

 

「眼鏡取ってくれ、そんで思いっきり笑ってくれたら許してやる」

 

 

「……えっ、そんな事でいいんですか?」

 

 

「そんな事じゃない。女の子の笑顔ってのはな、それだけで何物にも替え難い宝物なんだよ」

 

 

 一瞬呆けた後、エマは頬を朱色に染めながら眼鏡を外した。これで罪悪感が完全に晴れる訳ではない。でも、少しは心が軽くなるだろう。そんな風に感じながら、彼女は目に溜まった涙を拭うと、眩しいくらいとびっきりの笑顔をグランに向けた。

 

 

「こう、ですか?」

 

 

「ああ、バッチリだよ」

 

 

 そして、笑顔で返すグランを見つめながらエマは思う。八葉一刀流の使い手は、天然たらしの集まりなのかと。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 グランがエマの看病を受けていた丁度その頃、ノルド高原の集落を遠くから見詰める者がいた。その男は右手に縦笛を握り、ニヤリと口元を曲げる。そしてその視線は、集落の南口で処分されている魔獣達へと移った。

 

 

「『紅の剣聖』……刀を持たずしてこれ程の実力とは恐れ入った。だが、彼もこれで満足に動く事は敵わないだろう。予想以上の成果だ」

 

 

 ライノサイダーが突如集落に侵入した原因を作ったのはこの男だった。男は凶悪な笑みを浮かべながら、後ろで待機している数名の男達へと振り返る。彼は眼鏡をかけ直すような素振りを見せると、男達へ向かって口を開いた。

 

 

「今宵、当初の予定通り計画を実行する……全ては、あの男に無慈悲なる鉄槌を下すために」

 

 

 数名の男達は続けて彼の言葉を復唱した後、眼鏡の男を含めて全員がその場から姿を消していくのだった。

 

 

 




リィンはアリサとこの後良い雰囲気になるし、グランでもそれっぽい感じの事を書きたかったんだよ!後悔はしていない、でも会長の事は忘れてないよ?
えっ?委員長にフラグが立った?何のこれしき、某攻略王に比べたら……因みにこの後グランは委員長に立てかけたフラグをいつもの癖でへし折ります。恋愛って難しいね!


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古代遺物《アーティファクト》の存在

 

 

 

Lux solis medicuri eum(陽光よ彼を癒せ)

 

 

 エマが声を発した後、グランが横になっているベッドを中心に突然温かな淡い蒼光がテントの中を覆い始めた。その光は数秒にも満たないもので、直ぐに消えるとそこにはグランの体に両手をかざしたエマの姿がある。彼女はかざしていた手を離して一呼吸置くと、瞳を伏せたグランの顔へと視線を移した。

 

 

「どうですか?」

 

 

「……」

 

 

「グランさん?」

 

 

 エマがグランに問いかけるも、彼が返答する事はなかった。しかしグランの意識が無い訳でも、彼が寝ている訳でもない。目を伏せた瞼はピクピクと動き、エマが声を発する度に耳は動いている。

 では何故グランが無言を貫くのかという話になるのだが、実のところエマ自身はその理由に心当たりがあった。ため息をついた後、彼女は困ったように笑みを浮かべながらグランに声を掛ける。

 

 

「しょうがありませんね……お願い、聞いてあげますよ」

 

 

「マジか!」

 

 

「やっぱりその事で無視してたんですか……」

 

 

 突然勢いよくベッドから起き上がったグランを見て彼女は再度ため息をつく。エマを見詰めるグランの瞳はそれはもうキラキラと輝いており、何か期待した様子でエマを……というよりは、彼女の胸を凝視していた。

 彼女が言っているグランが頼んだお願いとは、先の眼鏡を外してどうこうの一件ではない。その後で思い出したようにグランが追加したもう一つのお願い事である。彼は右手の感覚を確認するためにという口実で、いつもの如くセクハラを発揮してしまった。

 

 

──委員長、ちょっと胸貸してくれ──

 

 

──む、胸ですか!? そ、それって一体どういう……──

 

 

──右手の感覚に少し違和感があってな。委員長の胸でも触れば何か分かると思うんだが──

 

 

 分かるのは年齢に比べて余りにも大きい双丘の柔らかな感触だけである。右手の感覚というよりは明らかにそちら目当てのグラン、仮に本当に感覚を確かめるにしてもその方法は無いだろう。エマは彼の言葉に顔を真っ赤に染め上げるとお願いを断固拒否し、グランが拗ねて無言になるという先程の場面に繋がるわけだ。

 キラキラと目を輝かせるグランに改めて出来ないとエマが告げると、またしても彼は拗ねた表情を浮かべてベッドに潜り込む。そんなグランを見ながらエマは苦笑いを浮かべ、椅子から立ち上がると彼に向かって声を上げた。

 

 

「本当にこの子は……明後日になれば、右腕も満足に動かせると思います。その代わり、今日明日は絶対に無理に動かさない事──いいですか?」

 

 

「……」

 

 

「はぁ……少し遅いですけど、グランさんの朝御飯を持って来ますから。待ってて下さい」

 

 

 ベッドの中に潜り込んでいるグランへそう告げて、エマはグランの朝食を受け取りに行くため退室する。そして彼女の姿が見えなくなって、グランはベッドから脱け出すとテントの扉へ視線を向けた。徐々に足音は遠ざかっていき、彼はエマがテントから離れた事を確認する。その後に彼女の座っていた椅子へと視線を移し、数分前にエマが見せた笑顔を思い起こしながらグランは笑みをこぼした。

 

 

「何とか元気は出たみたいだな……ったく、気を遣うなんてガラでもない事するもんじゃないな」

 

 

 エマとの話の中で、グランなりに彼女へ気を遣っていたらしい。若干口説いているともとれるような内容もあったが、事実エマの心は少しだけ救われているのだから間違ってはいないだろう。後半の胸を貸してくれというのは余計ではあったが。

 グランは椅子から視線を外すと、首や体の各関節を動かしながら今の状態を確かめていた。先の会話で出ていた右手の感覚とやらも、握っては開いてを繰り返しており特に問題は無いように見える。しかしそれはあくまで外見的な判断であり、本人の感じるところではやはり多少の違和感があるようだ。

 顔をしかめ、傍に立て掛けていた刀を手に取ると左の腰へと下げる。直後に重心を僅かばかり下へ落とすと、柄に右手を当てて抜刀の構えをとった。刹那、グランの目の前を鋭い一閃が走る。

 

 

「っく!?」

 

 

 表情を歪ませ、右腕を押さえながらグランはその場で膝をつく。抜刀した刀は辛うじて彼の手の内に収まっていたが、やがて握力の無くなった手から滑り落ちて床の上へと転がった。

 右腕を走る鈍い痛みに耐えながら、彼は右の掌に意識を集中させる。動かそうとする度に多少の痛みが伴うものの、痛覚があるという事は感覚が正常に働いている証拠であり、本人が思っていたほど状態も悪くないようでエマの言っていた通り明後日には問題なく刀を使えるだろうというのがグランの感想だった。

 徐々に右腕の痛みも弱まってきたのか、グランは床に落下した刀を左手で拾うと腰にある鞘へ納めてベッドの上へと向かう。ベッド側に刀を立て掛け、腰を下ろして一つため息をついた後、彼は屋内の天井を見上げた。

 

 

「しっかし、あれが委員長の力か……右腕以外は殆ど痛みが無いところを見ると、本当大したもんだな」

 

 

 ベッドへ横になっていた時に感じた、エマの手から放たれた温かな光を思い出して感心したようにグランは呟く。実際刀を振るった後の今も右腕以外に痛みという痛みは感じず、完治とまではいかないが右腕さえ使わなければ戦闘にも参加できる状態にまで回復している。とは言え刀を使えない時点で戦力ダウンは避けられず、リィン達が怪我人を前衛に参加させるはずもないので参加出来ても後方支援、先のエマの物言いなら恐らくは大人しくしているしかないだろうが。

 

 

「泰斗流と無手の型、素手での戦闘も見直しておく必要があるか……ま、それはさておきだ」

 

 

 今後の戦闘における課題点を上げた後、グランは思考を切り替える。彼が次に考えを巡らせたのは、突然集落に侵入した魔獣……ライノサイダーの事だ。直ぐに仕留めた三体は昨日夕暮れの草原で見掛けた魔獣と大差無い大きさではあったが、残りの二体はそれと比べても頑丈で大き過ぎる。そして、魔獣達は揃いも揃って異常なまでの興奮を見せていた。

 原因を特定するには余りにも情報が少ない……だが、グランはこの時既に確信に近いある推測を立てていた。

 

 

「(魔獣が攻めてくる直前に聴こえた笛のような音……ケルディックの時もそうだが、明らかに人の手が加わっていると見て間違いないか)」

 

 

 始めての実習にて、窃盗犯の捜索の際にルナリア自然公園へ入って二度耳にした笛の音。いずれもその後に魔獣が現れ、自分達の行く手を阻んだ事をグランは思い出していた。それと同じような事が今回も起きた……確かに偶然にしては不自然すぎる。

 しかし、ただ笛の音が聴こえたからといって魔獣が凶暴化するなどとは普通思わない。もしそうであれば士官学院の放課後、吹奏楽部の演奏中はトリスタ一帯が大変な事になっているだろう。

 普通の人間であればここで行き詰まって考えるのを止めてしまうのだが、グランはそこから更に繋げる事が出来た。士官学院に来る以前に辿った道で、先の件を可能にするものが存在している事を彼は知っていたから。

 

 

「(七耀教会の人間ほど詳しくないから物の特定までは出来ない。だが、大方それと見て間違い無いだろう……厄介な物が絡んできやがったな)」

 

 

 頭を抱えた彼の脳裏に過っていたのは、一つの存在だった。

 ゼムリア文明の遥か昔、現在の人の手では創作するのは不可能と言われる物が何者かによって造られる。今では殆どがその機能を失ってはいるが、中には強大な力を未だ有している物もあり、人の手で扱うには余る存在であった。空の女神(エイドス)の信仰で知られる七耀教会はこれを危険な物と判断し、今の世では人の手に渡る前に、或いは人が所有している事が分かれば現地に赴いて回収を続けている。

 人はそれを『古代遺物(アーティファクト)』と呼び、それこそがルナリア自然公園や今回の一件を可能にする代物だった。

 

 

「(ま、結局誰が何の目的でやってるのかは分からないわけだが……どうせ今日の実習には参加させてもらえないだろうしな、ついでに少し調べてみるか)」

 

 

「グランさん、シーダちゃんがミルク粥を作ってくれたそうですよ」

 

 

 グランが今日の予定を決めたところで扉が開き、彼が扉へ視線を移すとそこには笑顔を浮かべたエマが立っていた。彼女がテント内に入り、その後ろにはミルク粥の入った容器を乗せたトレイを持つシーダが続く。グランは左手を挙げて二人を迎い入れると、どこかよそよそしいシーダからトレイを受け取って遅めの朝食にありついた。

 

 

「甘いのは少し苦手なんだが……これは結構美味いな」

 

 

「ほ、本当ですか!?」

 

 

「ふふ。良かったですね、シーダちゃん」

 

 

 辛党のグランには少々物足りないようだが、味付け自体は丁寧に加えられており、美味しそうにミルク粥を食す彼を見てシーダは嬉しそうに手を合わせ、その様子を横目にエマは頬を弛めている。

 直に容器は空になり、グランは両手を合わせて頭を下げると空の容器をトレイに乗せて、それをシーダに渡した。彼女の頭に手を置いた後、立て掛けていた刀を手に取って立ち上がる。

 そして扉へ向かおうとしたグランだったが、はいどうぞと彼女が通すはずがない。顔をしかめたエマが彼の左腕を掴んでその動きを制した。

 

 

「こら、何処に行こうとしてるんですか」

 

 

「いや……ちょっとゼンダー門までな。魔獣の事で気になる点が見つかった」

 

 

「さっきの……リィンさん達が帰ってくるまで待てませんか?」

 

 

「昼までには終わる。それに委員長、どっちにしろ実習には参加させてくれないだろ?」

 

 

「当たり前です。グランさんは怪我人なんですから……それに、一人で行動させるわけにはいきません」

 

 

 エマは口元をへの時に曲げ、人差し指をピンと立てる。二人の傍で会話を耳にしていたシーダも同意見のようで、エマの言葉に終始頷いていた。

 二対一……グランにとっては余りにも不利な状況ではあったが、ふと彼は思い付く。これならば、エマも認めてくれるだろうと。

 

 

「──そんじゃ、委員長も一緒にゼンダー門に行くか?」

 

 

「……はい?」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 ノルド高原南部に広がる草原地帯。その中央付近で、グランとエマを除いたリィン達四人は八体の魔獣と向き合っていた。空中を泳ぐかのように浮遊する七体の魚型魔獣の中心には、群れのボスの如く佇む同型の巨大な魔獣が周囲に放電しながら左右合わせて六つの目を光らせている。

 数では明らかに魔獣に優位があるだろう。しかし、その差を埋める術をリィン達は持っている。四人が武器を構えて直ぐ、彼らの腰に下がっているホルダー内のARCUS(アークス)が淡い光を放った。

 

 

「弐ノ型──疾風!」

 

 

 戦術リンクを繋げて直ぐ、刀を構えたリィンが駆ける。大型魔獣の左に展開する四体へ向け、風の如き速さで接近。彼と交差した魔獣達は揃って斬撃を浴び、息絶えたのか草原の上へと落下した。

 四体を仕留めたリィンは刀を振り抜いた反動により、大型魔獣の正面で背を向けたまま動きを止める。そして隙を見せた彼を魔獣達が放っておくはずがない。

 電撃を浴びせんとばかりに魔獣達はその体に雷を纏い、リィンへ向けて放電の準備を始めていた。だが、リィン達もその程度は予測している。大型魔獣の右、取り巻きの三体へは既にガイウスが接近しており、頭上で槍を旋回させながら三体を視界に捉えていた。

 

 

「竜巻よ、凪ぎ払え!」

 

 

 ガイウスは旋回させていた槍を止めて目の前に一閃。その直後、突如として発生した上昇気流は轟音を伴いながら風の奔流となって周囲を巻き込み始め、三体の魔獣は為す術なく宙へと打ち上げられる。強烈な風の刃にその身を切り刻まれて絶命、風の奔流が収まると魔獣達は力なく地面へと落下した。

 残るは雷を放とうとしている大型魔獣一体のみ。今まさに放電しそうな状態ではあるが、その魔獣にすらも四人は攻撃の暇を与えない。

 魔獣の後方に回り込んでいたユーシスが騎士剣による三連突きを放ち、止めとばかりに横凪ぎの一振りを雷を纏う体へと叩き込んだ。魔獣は奇声を上げ、体に纏っていた雷も直後に拡散する。そしてそれを合図にリィン、ガイウス、ユーシスの三人は大きく後退した。直後にARCUS(アークス)を駆動していたアリサが動く。

 

 

「これで……終わり!」

 

 

 空中で硬直している魔獣の真下から突然鋭利な巨石が出現。岩はその胴を捉えて貫き、直後に役目を終えたとばかりに消滅する。

 アリサによる地属性のアーツは魔獣に致命的とも言えるダメージを与えていた。浮遊していた体はゆっくりと草原に降り、終始揺れていた尾ひれも動きを止める。六つの目も光を失っており、最早虫の息だ。

 しかし魔獣の静止を確認したからか、割りとスムーズに手配魔獣を片付ける事が出来たとアリサ、ユーシス、ガイウスの三人は直後に構えを解いた。しかし、戦闘の終了と判断するには少しばかり早い。魔獣の体が僅かに動く。

 

 

「まだだ!」

 

 

 いち早く気付いたリィンが声を上げるも間に合わず、魔獣の体から発生した電撃が周囲に放出される。電撃を浴びた四人は痺れによって思うように体が動かせず、技を放った魔獣の隙につけ入って攻勢へと移る事は出来なかった。

 魔獣は再び空中に浮遊し、またしても放電の準備を始める。四人は一斉にARCUS(アークス)を駆動させるが、このタイミングではアーツよりも先に魔獣の電撃が放たれるだろう。

 駆動終了まで後十秒、しかし魔獣は既に充填を完了したのか電撃をバチバチと体に纏い始めた。このままでは電撃を凌げないと敗戦が濃厚になる。それは全滅を意味し、四人の命が脅かされる結果を生む。

 ARCUS(アークス)を駆動するリィン達の額を冷や汗が流れた。後五秒、しかし魔獣は直ぐに電撃を放つだろう。一か八か、四人が危険な状況に追い込まれたその時だった。

 

 

──白き刃よ……お願い──

 

 

 リィン達四人の目の前を突然、光によって形成された四本の巨大な剣が通過した。大剣はそのまま魔獣の体を貫き、直後に拡散してその役目を終える。予想だにしない一撃を浴びた魔獣は纏っていた電撃を失い、その巨体を草原に打ち付けて動きも完全に停止していた。四人は魔獣の停止を確認すると、ARCUS(アークス)の駆動を解除してそれぞれ得物を納める。

 

 

「今のは……」

 

 

「何が起きたのかしら……」

 

 

 助かったとはいえ、ガイウスとアリサは突然の出来事に明らかな戸惑いを見せていた。一方でリィンとユーシスは先の現象を目撃した事があり、まさかと顔を驚かせている。そして四人の視線は、一斉に大剣が向かってきた方向へと移った。

 

 

──背中の感触が……柔らかいぞー!──

 

 

──いいですから! 早くゼンダー門に向かって下さい!──

 

 

「あれ……グランと委員長だよな?」

 

 

「ま、まさかね……」

 

 

「あれだけの怪我をしておいて……呆れたやつだ」

 

 

「フフ、助かったのだから良しとしよう」

 

 

 リィンとアリサは顔を引きつらせ、ユーシスは呆れた表情を浮かべ、ガイウスは微笑みながら馬に乗って走り去る二人の後ろ姿を見つめている。結果的に、手配魔獣の退治はA班全員の力で達成することとなった。

 

 

 



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委員長は泣き上戸

 

 

 

 澄んだ青空の下、新鮮な空気が風と共に蒼穹の大地を吹き抜けるノルド高原。その南部に位置するゼンダー門は、その風景に非常にそぐわない軍事基地である。

 昨日ゼンダー門からノルドの集落へと向かったため門の様子をよく見ていなかったグランは、馬に乗って集落からゼンダー門へと向かってきたこの時にそのような感想を抱いていた。貴重な自然を脅かされているようで快く思わなかったのか、彼は馬を降りながら僅かに顔をしかめている。同じく馬から降りたエマがその様子を見て首を傾げる中、それに気付いたグランもわざわざ話すような事ではないと表情を戻して大門横の通路口へ向けて歩き始めた。エマがその後を続き、扉を開けて中へ入ると二人の目の前にはゼンダー門に駐屯する軍人の一人が立っている。額や手から包帯が覗くグランの姿を見て動揺する彼に、二人はその事を何とか誤魔化して断りを入れた後、近くに設置された導力通信機に手を掛けてある場所へと連絡を取った。

 

 

≪はい、こちらトールズ士官学院です≫

 

 

「その声は……サラさんですか。丁度良かった」

 

 

≪あら、グランじゃない。一体どうしたのかしら?≫

 

 

 グランが連絡を取った先は他でもない、自分達が現在通っているトールズ士官学院だ。そしてグラン本人はサラに用事があったようで、サラが通信に出た事で手間が省けたと会話は直ぐに本題へ入った。

 彼は四月の特別実習の話も交えながら、今回起きた魔獣騒動の一端を話す。そしてその影に隠れている第三者や古代遺物(アーティファクト)の存在、推測の段階ではあるが起こりうる可能性を視野に入れながら話し合い、二人の会話は約十分程続いた。

 

 

≪一応グランも警戒しておきなさい。敵の詳細が見えない以上、向こうがあんたの正体を知ってる可能性もある≫

 

 

「既に知られてるとは思いますが……それに今回の一件も、オレが無関係ではないんでしょう。いずれにせよ、最悪の状況を回避するために一時的に仕事復帰しても問題ないですよね?」

 

 

≪ええ、それにあんたをそっちに行かせたのはそれが理由よ。私の方でも調べてみるけど、何かあったらまた連絡を頂戴≫

 

 

 会話は終わりを迎え、通信を切ったグランは今回の実習も面倒な事になりそうだとため息を吐きながらその場を振り返った。そこにはサラとの通信を後ろで聞いていたエマが不安そうに立っており、何か言いたげな顔をしている。

 その事に気付きながらも、余計な事を話すべきではないとグランは何も説明をせずに横を通り過ぎようとした。そしてやはりというか、エマは彼の手を取って動きを制すると、前に躍り出て進路を塞いだ。

 

 

「『早すぎた女神の贈り物』……確か、そんな風に言われていますよね」

 

 

「……委員長も知ってたのか、古代遺物(アーティファクト)の事」

 

 

「余り詳しくはありませんけど、危険な物が存在するという程度には認識しています」

 

 

 古代遺物(アーティファクト)の存在は、遊撃士のような大陸全土に情報網を持つ者やエプスタイン財団のような研究機関、七耀教会や考古学者のように専門的な分野の人間でないと通常は知り得ない。ましてや一学生がその存在を認識しているなどまずないだろう。だからこそエマの言葉にグランも多少の驚きを見せ、それが予想できたリアクションなのか彼女も笑みをこぼしながら答えていた。

 とは言え、エマが古代遺物(アーティファクト)の存在を知っているからとグランが彼女に話す理由にはならない。それほどまでに危険な代物であり、ひとつ間違えば彼女だけではなくリィン達A班全員に被害が及ぶ可能性がある。グランがリィン達を信頼していないからではない。仲間として認めているからこそ、これから面倒事に首を突っ込もうとしている自分に降りかかるであろう危険を彼らにも負わせたくなかったからだ。

 

 

「知ってんなら尚更だ、すまないがこれはオレ単独で調べさせてもらう。委員長は午後からリィン達に交じって実習の方を頼む」

 

 

「はい、と言うとでも思いましたか? グランさんが危険な事に関わろうとしているのなら、それこそ私達が見てみない振りは出来ません。もう、今回のような事は起こしたくありませんから……」

 

 

 今朝の出来事を引き合いに出し、表情を曇らせるエマの姿にグランも少し心苦しさを覚える。これが狙って言っているのなら彼女はとんだ役者だが、心配している気持ちは本物であろう。グランを仲間と認めているからこそ、彼女もまた彼を一人に出来ないのだ。全員が五体満足な状態で実習を終えたい、誰にも傷付いてほしくないという思いは正真正銘、グランを仲間として受け入れているからこそのものである。

 そんな彼女に駄目だとグランは言い聞かせようとするも、エマも中々引き下がらない。テントでの一件で彼女の頑固さはよく分かっていたグランだが、こればかりは折れるわけにはいかなかった。引き下がらない彼女にあれよこれよと言い訳を並べて言い繕おうとする。

 そして二人の様子に軍人の男が困惑する中数分ほど言い争いをしていたグランとエマだが、終わりを見せそうもないこの言い合いは思いの外簡単に決着がついてしまう。

 

 

「やっぱりグランと委員長だったんだな」

 

 

「二人共、一体どうしたの?」

 

 

 グランとエマの後方から、魔獣退治を終えたリィンとアリサが近寄ってくる。ユーシスとガイウスもその後ろから声を上げており、四人の声に気付いたグランはばつの悪そうな顔で、エマは丁度いいところにとその場を振り返って話し始めた。

 

 

「実は、今朝の事なんですけど──」

 

 

「なっ!? 委員長それ卑怯だぞ!」

 

 

「朝の魔獣騒動には裏があったみたいでして……」

 

 

 グランの言葉を一切無視して、エマは淡々と事の経緯を説明する。彼女から話を全て聞いたリィン達は揃ってグランの顔へ視線を移し、鋭い視線を彼に浴びせる。その様子を見てグランが一人目線をそらす中、エマがにっこりと笑顔を浮かべながら彼の前へと詰め寄った。

 

 

「ふふ、五対一です」

 

 

「……はぁ」

 

 

 エマの事を忘れてサラと会話をしていた時点で、グランの敗けは必然的に決まっていた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 リィン達が渡されていた午前の実習内容は、三つの課題のみ。その中でも監視塔への配達は四人が既に済ませており、手配魔獣の退治も先程倒した魔獣の事なので残るは後一つ。残っている課題は、ノルドで育てている馬の疫病を予防するために必要な薬草を調達してくるというもの。と言ってもリィン達は五つ薬草を既に採取しているため、後はノルドの薬師であるアムルへ渡せば午前の課題は終わりとの事で、六人はゼンダー門から真っ直ぐ集落へと帰還した。馬で移動の際、即座にアリサの後ろへエマが乗った事でグランのやる気が急降下したのは余談である。

 集落へ戻ったリィン達は薬師のアムルに採取した薬草を渡し、監視塔へ配達した時に帝国軍の人間からお礼の品として受け取っていたワインを交易所のキルテに報告と同時に渡して午前の課題は完了した。

 一同はガイウスの実家に帰宅し、空腹のためか昼食は思いの外取りすぎたようで男性陣は満足げに、アリサとエマの二人は落ち込んだ様子でお腹を擦っている。そして今は、シーダの淹れたハーブティーを食後の一息として飲んでいるところだった。

 

 

「シーダちゃんの淹れてくれたハーブティー、とっても美味しいです」

 

 

「フン……中々の味だ。これからも精進するといい」

 

 

 ハーブティーを飲んで、エマとユーシスがシーダの顔を見ながらその美味しさを褒めていた。横ではガイウスが二人の言葉に頷きながらシーダの頭を撫でており、照れくさそうにする彼女を妹のリリがからかうという微笑ましい光景も流れる。しかし、一同がハーブティーを美味しそうに飲んでいる中、一人だけ口をつけていない者がいた。

 

 

「あの、グランさん。お口に合わなかったですか?」

 

 

 シーダは不安そうな表情で目の前に座っているグランへ問い掛けた。アリサとエマからは彼に厳しい視線が浴びせられ、当のグランも流石にこの状況はよろしくないと思ったのかハーブティーの淹れられたカップを手に取る。そして、彼は何かを決意したようにそれを口につけた。

 

 

「……ああ、美味いと思うぞ」

 

 

「よ、良かった……」

 

 

 グランの言葉にどこかホッとした様子で胸を撫で下ろしているシーダを見た後、一同は同じようにカップを手に取って口につける。シーダの様子に父親のラカンと母親のファトマは互いに笑みを浮かべ、終始和やかな空間が辺りに漂っていた。

 程なくして昼食の時間も終わり、食後の後片付けをした後にリィンはラカンから午後の実習内容が書かれた紙を受け取る。北部に写真を撮りに行ったカメラマンの安否の確認、脱走した羊の捜索、集落の子供達への授業という三つの内容で、緊急性のある依頼も含む事からリィン達は早速取り掛かるためにガイウス家をあとにした。

 ラカン達ウォーゼル一家は一同を見送った後、それぞれ用事があるため別々の作業へと入る。ラカンは家を出ていき、ファトマは夕飯の支度を、リリは友達と遊ぶためにラカンと同じく家を出ていく。そして皆と同じように仕事に取り掛かろうとしたガイウスの弟のトーマは、ふと視線を横に移し、隣で落ち込んだ様子を見せるシーダに首を傾げていた。

 

 

「シーダ、どうかしたの?」

 

 

「うん……グランさん、ハーブティー美味しくなかったのかな」

 

 

 シーダは元気のない声でトーマに答えた後、料理に使われた器が片付けられている場所へと視線を向ける。グランの使用していたカップの中は、ハーブティーが少しも減っていなかった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 ガイウス家をあとにしたリィン達は長老宅に足を運び、行方の分からなくなったカメラマンの話を聞いていた。ノートンという名前の男性らしいのだが、本当はリィン達の午後の実習内容に彼の護衛を頼もうとしたところ、待ちきれなくなったのか男がノルド高原の北部へ馬を走らせたそうだ。何とも人迷惑な話だが、こうして話している間にもノートンが危険な目に遭っている可能性もあるので一同は直ぐに北部へと馬を走らせる。

 集落を出て、馬でノルドの北部に向かったリィン達が最初に目にしたのは南部とはまた違った自然の雄大さだった。南部よりも更に高原地帯になるのか辺りにはもやが立ち、山々が切り開かれた地形は自然の薫りを含んだ風が一層強くリィン達の傍を吹き抜けている。辺りの風景に見惚れながらもノートンを捜すために一同は休むことなく高原を疾走し、長老の話で彼がいるだろうと目星のついている場所へ向かった。程なくしてリィン達はノルドの民の間でも有名な場所……『巨像』のある付近に辿り着く。

 

 

「これはまた……とんでもないな」

 

 

 グランは目の前の光景に唖然としていた。近くの湖から伸びる川を挟んだ先、切り立った崖からは巨大な人型の像がその姿を覗かせており、どう考えても自然が造り出したものではない。しかし人の手で造るにはあまりにも無理があるその巨像は、ガイウスの話ではノルドの民の先祖に当たる人々がこの地に訪れた時からあったとされているそうだ。

 リィン達がその話に関心を寄せる中、彼らの近くでは次々とカメラのシャッター音が鳴っている。一同は音のする方向へ視線を移し、恐らくは長老の言っていたカメラマンの男であろう人物がそこにはいた。

 

 

「いやー、これはこれは……ん?」

 

 

「いたいた、さっさと連れて帰るぞ」

 

 

「うおっ!?」

 

 

 馬に乗ったままグランが器用にノートンを担ぎ上げ、後ろへと乗せる。撮影の途中だったのか降ろしてくれと男は必死にもがき、仕方ないといった様子でグランもノートンを下へと降ろした。結局彼の撮影は導力カメラのクオーツが切れるまで続けられ、名残惜しそうにカメラを持つノートンを連れて今度こそリィン達は巨像の前をあとにして再び集落へ向かう。

 羊の捜索と子供達への授業もあるので一同は飛ばし気味に北部をあとにし、真っ直ぐ集落へと帰還した。そしてリィン達が集落の北口に差し掛かったところ、中へ入ろうとした一同はそこで集落の柵に追突して煙を上げる導力車を目にする。その傍には一人の男性が立っていたのだが、それは今朝方グランが世話になり、午前の実習で薬草の調達依頼を出したアムルの姿であった。

 

 

「アムルさん、大丈夫ですか?」

 

 

「やあ、ガイウスに士官学院の皆。私は軽い怪我で済んだのだが……」

 

 

 事態を聞くに、導力車の運転中急にハンドルが重くなって操作が出来ず、慌ててブレーキを踏んだものの柵に衝突してしまったという事のようだ。幸い怪我人は彼以外出ていないらしく、彼の怪我自体も大したことはないようなので一同はホッとする。直ぐに遅れて集落から長老とラカンが駆け付けてきたが、どうやら話を聞くと集落には運搬用の車がこれしかないそうなので非常に困るらしい。それを聞いて、アリサは導力車に近付くと煙が立っているエンジンへと顔を覗き込ませた。

 

 

「こほっ……ふん、なるほどね。結晶回路の接続不良が原因みたいだわ。ハンドルが重くなったのもそれだと思うけど」

 

 

 手慣れた様子で事故の原因を見つける辺り流石はラインフォルトの令嬢だと言いたいところだが、彼女も知識があるだけで技術者ではないため修理は難しいとの事。リィン達はゼンダー門から技術者を呼んだ方がいいと提案するが、長老達やガイウスの話ではもっと頼りになる人がいるらしい。ノルド北部のラグリマ湖の湖畔に住んでいる老人の事のようなのだが、その話を聞いて一人だけアリサは思うところがあったのか考え事をしている。

 

 

「(帝国軍の技術者よりも頼りになる老人……まさかね)」

 

 

 導力車の修理は急ぎではないという事なので、羊の捜索と子供達への授業を終えた後に一同はラグリマ湖へ向けて馬を走らせる。この後、彼女はラグリマ湖の湖畔で思いがけない再会を果たすことになるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「いやー、グエン殿には助けられてばかりだわい」

 

 

「何々、困った時はお互い様と言うやつじゃ。ほれ、ラカン殿もガンガン飲んでくれ」

 

 

「ありがとうございます」

 

 

 ノルドでの実習二日目の夜、長老宅では長老とラカンに混じって酒を飲む一人の白髪の老人がいた。グエン=ラインフォルト……ラグリマ湖の湖畔に住んでいる老人の名前であり、なんとアリサの祖父。ラインフォルト社の前会長を務めていた人物である。湖畔に建っていた家の中で彼と思いがけない再会をしたアリサは驚き、その場でグエンに詰め寄っていた。黙って家を飛び出して一体どういうつもりだと。

 どうやらアリサの実家でも色々と問題が起きているようだが、詳しくその事が話される事はなく、今に至るというわけだ。皆が楽しそうに宴を行う中、先程どこか疲れた様子のアリサが退室し、それを見たエマの助言でリィンがその後をついていったところである。

 

 

「アリサさん、大丈夫でしょうか……」

 

 

「よっ、委員長も楽しんでるか?」

 

 

「グランさん……うっ、お酒臭いです」

 

 

 アリサとリィンが出ていった後、扉を心配そうに眺めていたエマの肩を後ろからグランが叩いた。彼の頬が赤くなっている事と独特な匂いから酒を飲んでいると判断した彼女は眉をひそめて見つめ返し、グランは特に気にした様子もなく手に持ったグラスでワインを飲んでいる。

 

 

「全く……会長に言い付けちゃいますよ?」

 

 

「ほう……そんな事を言う委員長はこうだ」

 

 

「な、何を──むぐっ!?」

 

 

 グランは完全に酔いが回っているようで、自分が飲んでいたワインの入っているグラスをエマの口につけて無理やり中へと流し込んだ。まさかの不意打ちにエマも驚きのあまり飲み込んでしまい、何とかグランを突き放したものの彼女の足元がおぼつかない。一日中馬に乗っていた疲れで早くも酒が回っているのか、頬に赤みが増したエマは自分からグランの持っているグラスを取って再びその中身を口に運んだ。

 

 

「……ぐすっ」

 

 

「お、おい。委員長どうしたんだ?」

 

 

「ひっぐ……うぅ」

 

 

 急に泣き出したエマに今度はグランが驚き、問い掛けるも彼女は更に泣いてその場に崩れてしまった。どうしたものかとグランは慌てていたが、取り敢えず何とかして泣き止んでもらおうと思い、その場に腰を下ろしてエマと視線を合わすと向かい合う。しゃがみ込んだ彼女の姿勢はそれはもうこれでもかというほど胸が自己主張しており、グランの理性を奪おうとしたのだが、首を左右に振って何とか耐えた彼はエマの肩へと両手を置いた。

 

 

「どうしたんだ、大丈夫か?」

 

 

「グランさん……私の名前知ってますか?」

 

 

「そりゃあ知ってるさ……エマ=ミルスティンだろ? 委員長の事なら誰でも──」

 

 

「グランさんのバカ! えっち! 天然たらし!」

 

 

 うわぁーんとその場で盛大に泣き始めたエマにグランは戸惑いつつ、彼女の本音にグサリと胸を刺されて落ち込んでいる。暫くして二人の様子に気が付いたユーシスとガイウスが駆け寄り、外で良い雰囲気を漂わせていたリィンとアリサに助けを求めたのは言うまでもない。

 

 




ノルド編を書きながら原作の3章を進めている最中です。ノルド高原……とても広いです(小並感)

リィン「こうして俺に色々と話してくれたって事は……多分、前に進めるきっかけが掴めたって事なんだろ?」

アリサ「でも、そういう風に言えるっていう事は……多分、前に進めるきっかけが掴めたって事なんでしょう?」

見ているこっちが恥ずかしいわ!でもユーシスさん、繰り返さないであげて……(震え声

閃の軌跡Ⅱ公式ホームページで遂にトワ会長の紹介が出ました!

彼女はある人物から重要な使命を託されるそうですが……ある人物って誰!?重要な使命って何!?ファルコムさん、情報はよ!


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襲撃事件の調査

 

 

 

 ノルドで迎える二回目の朝。リィン達は昨日と同じ様にガイウスの実家で朝食を取り、ラカンから実習内容が書かれた紙を受け取っていた。課題はノルド北部に現れた手配魔獣の退治のみで一つという事だが、どうやら最後の日くらいは自分達の好きなように過ごすといい、というラカンの粋な計らいによるもののようだ。

 リィン達は早く魔獣退治を終えて昨日後回しにした魔獣騒動の調査を行いたかったが、何と元々魔獣騒動を調査しようとしていた当の本人であるグランがまたしても朝からその姿を見せていない。まさか一人で勝手に調査に出掛けたのではとユーシスが口にし、可能性としては十分あり得ると他の皆が一様に頷いていた。とは言えグランを置いて実習に取り掛かる訳にもいかず、もう少しだけ待って彼が帰ってこなければ先にグランの足取りを追おうとリィンが提案し、時間にも余裕があることからアリサ達もその意見に賛同する。そしてグランを待つ間、時間潰しにと一同は昨晩の話題を広げていた。

 

 

「それにしても、昨日の委員長には驚かされたな」

 

 

「本当、中に戻ったら泣き崩れてるし……一体何があったの? あ、もしかしてまたグランが変なことしたとか」

 

 

「あははは……よく覚えてないんですけど、多分そんなところだと思います」

 

 

 苦笑いでリィンとアリサの声に答えるエマだが、実のところエマは酔っていた間の事を殆ど覚えていた。支離滅裂な発言や割りとグランに酷いことを言っていたと彼女は記憶しているようで、彼に対してちょっと申し訳なくなってしまうから余り思い出さない様にしているらしい。と言ってもグランの日頃の行いや先日の無理やり彼女に酒を飲ませた事を考えると、少々の事を言ってもそこまでバチは当たらないと思うのだが。

 

 

「フン……それはそうと委員長、グランの怪我は実際どの程度治っているんだ?」

 

 

「昨日の様子だと殆ど問題無さそうに見えたが……」

 

 

 エマに気を遣って、というわけではないだろうが話の話題を変えたユーシスが彼女に問い掛け、ガイウスもそれに続いた。課題は一つのみとはいえ、手配魔獣の退治依頼があることからグランがいるといないとでは彼らの負担は大きく変わってくる。仮にグランの怪我が殆ど治っていたとしても、リィン達の性格なら彼を後方支援に徹させるとは思うが。

 皆の視線がエマに集まる中、彼女はユーシスの問いに昨日のグランの様子を思い返しながら答える。

 

 

「そうですね……右腕以外は包帯も取れましたし、右腕さえ酷使しなければ問題ないと思います」

 

 

「そうなのか……グランが戻ってきたら、アリサや委員長と後方支援に回ってもらうように話しておかないとな」

 

 

 エマの言葉に、話を聞いていたリィンはやはりグランを後衛に回す事に決めた。どちらにせよ右腕を余り使わない方がいいという事は刀を使えないも同じで、結局のところアーツによる後衛しか選択肢はない。それがいい、とアリサもリィンの意見に賛同し、ユーシスとガイウスも同じく頷いて同意の意思を見せている。

 雑談も終わり、後はグランの帰りを待つのみで、一同は食後の一息にとシーダが昨日と同じように淹れたハーブティを楽しんでいた。そんな中、突然外から慌てた様子の声が聞こえてくる。

 

 

──ラカン、ラカンはおるか!──

 

 

 声の主はノルドの民の長老のもので、名を呼ばれたラカンは首を傾げながらその声に答えた。直後に扉が開き、長老とその横にはアリサの祖父であるグエン、カメラマンのノートンの姿もある。険しさを増した三人の顔を見るに、恐らくは良くない類いの知らせであろう。

 大変な事になった、と長老は呟く。その言葉にラカンやリィン達の顔も怪訝なものへと変わっていた。そして、この後に続いたグエンの話に一同の顔は驚きに染まる。

 

 

「帝国軍の監視塔と、共和国の軍事基地が襲撃を受けたようじゃ」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 ノルド高原共和国方面、帝国軍監視塔前方の上空。ノルドの空は機械エンジンによる轟音が響いていた。ゼンダー門に駐屯する第三機甲師団の軍用飛行艇、そして共和国方面からは共和国軍のものであろう飛行艇が双方数機、互いに牽制し合うように停滞している。今でこそ構え合っている状態ではあるが、このままではいずれ砲撃の嵐が吹き荒れることは間違いないと思うほど両国間の緊張は最大にまで高まっていた。

 平穏なノルドの地で起きた突然の戦争の前触れ。そして帝国軍の監視塔では、その様子を双眼鏡を通して確認しているゼクスの姿があった。

 

 

「共和国軍得意の、空挺機甲師団の先駆けか……」

 

 

「──共和国軍、第零八方面師団……空挺部隊『アルデバラン』だな」

 

 

 ゼクスは双眼鏡を顔から離すと声の聞こえた方へと振り返る。彼の視線の先、今先程の独り言に返したのはなんとグランだった。しかしグランの格好は何故か士官学院の制服ではない。白のシャツと下のズボンこそ同じものだが、シャツの上に着用しているそれはトールズ士官学院の紋章が入った制服ではなく、飾り気のない真紅のコート。

 グランの姿を見たゼクスは僅かに表情を険しくさせる。その理由は、既に彼の正体に気付いているからだ。グランが今している格好は、彼が士官学院に来る以前にしていた仕事の際に使用していたもの。

 

 

「かの『剣仙』ユン=カーファイが天武の才と認めた若き剣聖。要人警護のスペシャリスト、猟兵の中でも最強の一角として知られている人物──『紅の剣聖』グランハルト。まさか貴公がそうだったとはな」

 

 

「おーお、どう間違えたらそこまで話が膨らむんだっての」

 

 

「ふ……謙遜することはないだろう。私も剣には少々自信があるが、貴公が相手だと中々に苦戦を強いられそうだ」

 

 

「社交辞令が上手いことで」

 

 

 両者は言葉を交えた後、先程と同様に上空を見上げた。二人の視線の先では両国の飛行艇がその場で旋回し、それぞれが自国方面へと飛び去っていく。しかし双方警戒態勢を維持しているのか、上空を飛行し続けた状態のままで飛行艇は基地へと帰還する事はなかった。

 互いに探り合い、戦力が整うまでの時間を稼ぐ。恐らく一時間もすればどちらかが砲撃の合図と共に進軍を始めるだろう。

 そして交戦の時が刻々と迫る中、グランは懐から一枚の紙切れを取り出し、それを横に立つゼクスへと手渡した。

 

 

「使用されていた導力砲の弾は、向こうもこちらも恐らくラインフォルト製。共和国側の仕込みとも言えなくもないが、向こうさんも今は反移民政策派の対応で忙しいだろう。はっきり言って戦争を起こすタイミングとしては不可解だ」

 

 

「こちら側が仕掛けたという事実も無い……やはり、第三者の犯行によるものか」

 

 

「現状で両国の戦争が起きて特をするのは、機械屋とオレ達、後はテロリストくらいだな」

 

 

 此度の襲撃に対してのグランの考えは、帝国でも共和国でもない第三者によって引き起こされたというもの。ゼクスも彼の話になるほどと頷き、受け取っていた紙の内容へと目を通す。そこには、共和国軍が受けたとされる被害の全容が記されていた。

 

 

「被害はこちらの二倍以上か……」

 

 

「それだけ見ればどう考えても帝国側の仕込みだ。向こうには時間をくれと話はしておいたが、良くて十五時が限界だろう。一応犯人の足取りは追ってみるが、共和国方面に逃げられたら一戦は免れないと思ってくれ」

 

 

「致し方あるまい……今、何と言った?」

 

 

 協力の旨を伝えてグランが監視塔の屋内へ入ろうとするが、ゼクスは彼の言葉に首を傾げながら声を発して引き留める。グランは士官学院の制服ではなく猟兵時代の格好をしているわけであり、仮に彼が協力するとしても戦が始まってからになるはずだ。だからこそ、戦争回避の意を示したグランの言葉に聞き間違いではないのかとゼクスは聞き返した。

 グランはゼクスの言葉に立ち止まると、振り返って懐からあるものを取り出す。彼の手に握られているのは、トールズ士官学院の紋章が入った一つの手帳。

 

 

「この状況、リィン達が見過ごすとは思えなくてな。仲間の一人として、オレもノルドの平穏を守りたいわけだ……あ、調査と交渉の方は別料金だが」

 

 

「……ふ、了解した。ノーザンブリアへの送金手配もこちらで済ませておこう」

 

 

 グランの考えを知ったゼクスは笑みをこぼした後、屋内へ入っていく彼の背中を眺めているのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 帝国と共和国による戦争の危機。事態を知ったリィン達は、集落から馬を走らせてゼンダー門へと向かった。中将であるゼクスに、事の詳細を確認するためだ。高原に生息する魔獣達の視線を無視し、一同は真っ直ぐと目的の場所へ駆ける。ノルドの上空を飛行する飛行艇を目にして事態が深刻なまでに至っている事を感じ、手綱を握る手はいっそう強く力が込められた。

 集落を出た時刻が午前九時半、暫く高原を走っていたリィン達がゼンダー門へと到着したのは半刻後の午前十時の事。

 ゼンダー門に到着したリィン達は、同時に監視塔の視察から帰還したゼクスから事の詳細を聞き出した。事態を知った一同は迷いなく協力を申請し、此度の不可解な襲撃の調査を始める事に決める。そして現場確認のため、直後に監視塔へ向かった皆はそこで赤い士官学院の制服を着ている彼を発見した。

 

 

「フン、俺達を仲間だと言っていたのは何処の誰だったか」

 

 

「いや、夜の散歩をしていたら偶然立ち寄った監視塔で巻き込まれただけだって」

 

 

 現在、ユーシスの嫌味を十分に含んだ言葉にグランは頭を掻きながら言い訳をしていた。しかし言い訳にしては無理やり過ぎて、一人で昨日の晩に魔獣の調査をしていたのはバレバレである。一同の鋭い視線にグランは冷や汗を流し、程なくしてリィン達五人は呆れた様子でため息を吐いた。

 本当ならば一同もグランを責め立てたかったところではあるが、事態は一刻を争う現在の状況。グランの事は全てが終わってから問い質すことに決め、皆は監視塔襲撃事件の調査へと入る。

 

 

「一先ず現状を確認しよう。被害状況から、どういった線が濃厚か見極めないとな」

 

 

 リィンの言葉を合図に一同は聞き込みを開始。合わせて監視塔の被害状況も確認しながら、暫くして聞き込みを終えた六人は輪を組んだ。

 疑問に上がったのは主に三つ。一つ目は、監視塔の襲撃に使用されていた武器が共和国軍の使用している装備とは異なる点。

 

 

「襲撃に使われた導力砲が、ラインフォルト社の製品だったな」

 

 

「ええ、恐らくラインフォルトで造られた旧式の型だとは思うけど。共和国軍はヴェルヌ社製の物を使用しているし、共和国の線は薄いわね」

 

 

 確認するように最初の疑問点を上げたリィンの言葉に、アリサは頷いて改めて共和国軍が犯人だという線が薄い事を話す。他の者達も同意見のようで、話の腰を折ることなく議題は次へと移る。

 二つ目の疑問、それは監視塔が襲撃を受けた時に勤務していた男の証言だった。男によると、先に共和国軍の基地から火の手が上がり、その直後のタイミングで監視塔も襲撃を受けたと言う。同じ時刻に監視塔を訪れたグランも確かだと話し、同時に彼から帝国側が仕掛けた事実は無く、共和国側の被害は監視塔以上のものだという話も出る。

 現時点で帝国と共和国のノルドにおける事情は、緊張状態を崩して戦争を起こすような理由がなく、戦端が開かれても双方にとってはデメリットが多い。そんな状況下で帝国や共和国が仕掛けるとは思えにくく、一同もその事だけは気になっていた。そして、考えて程なく皆の脳裏にはある可能性が浮上する。

 

 

「第三者の犯行……か」

 

 

「目的は分からないが、その可能性が高そうだな」

 

 

 ユーシスの呟きにガイウスも続き、皆一様に頷いてその線が濃厚だと話す。僅かに見えた戦争回避の道筋、しかし素直に喜べるほど簡単な状況でもなかった。

 第三者による犯行の可能性が出たとは言え、その可能性を裏付ける証拠となるものがリィン達の手元にはないのだ。確たる証拠がなければゼクス達帝国軍もそれに沿って動くことは出来ないだろう。戦端が開かれようとしている今、彼らも共和国側の警戒態勢を解くわけにはいかない。

 せめて最後の疑問である導力砲の発射地点が見つかれば……リィンはそう話すが、この広いノルドの地でそれを探すにはここが故郷で土地勘のあるガイウスでも困難であろう。アリサやユーシスも同じ様に頭を悩ませ、その場に沈黙が生まれる。行き詰まるかに思えた此度の調査……しかし、それは直ぐに進展する事となった。

 

 

「仕方ない──」

 

 

「何とかなるかもしれません。アリサさんと、ガイウスさんの力を貸していただければ」

 

 

 グランの声を遮って、エマが直後に犯人へと至る道筋を繋げた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「うん、解りました」

 

 

 監視塔の襲撃が南側に集中している点を踏まえて、導力砲から発射される弾の速度や軌道、そしてノルドに吹く風がそれらに与える影響。アリサの知り得る限りの導力砲のスペックと、ノルドに吹く風をよく知るガイウスの知識の二つを応用して、エマは導力砲が使用された大まかな場所の特定に入る。答えに至るまでの数式、算出方法ははっきり言って士官学院で習う範囲を越えており、笑顔で解りましたと話す目の前の彼女を見て、エマと勉強で張り合っているマキアスが滑稽に思えてくるとユーシスが珍しく同情している。此度の実習が終わってこの事をマキアスに話してやろうとグランが口にした際には全員で反対していた。

 場所の特定を終えたリィン達はゼンダー門にいるゼクスへその事を報告してから監視塔をあとにし、監視塔の南方面に襲撃に適した場所があるか探索を始める。一同は高原の高台に沿って南に向かい、数分程馬を走らせてリィンがあるものを発見した。

 

 

「皆、あれを見てくれ!」

 

 

 リィンの声に、一同は視線を彼の指差す先へと移す。皆の視線の先には高台に設置されたワイヤー梯子があり、ここで作業をするような話は聞いたことがないというガイウスの話で怪しさは増していく。リィン達は馬を降りて近くでそれを確認するが、地面から十アージュ程の高所に設置されているため人の手では届かず、どうやって登ろうかと一同が頭を悩ませていた。そんな彼らの様子に、グランが一歩前へと足を出す。

 

 

「昨日の実習は皆に任せっきりだったからな。ここはオレに任せてくれ」

 

 

「え? あ、ああ……」

 

 

 グランの提案にリィンが首を傾げながら答え、他の者も彼の背中を眺めていた。一体何をするのか、と疑問に思う一同だったが、グランの行動は実に単純なもの。彼は目の前の土壁から三アージュ程距離を取ると、僅かに腰を落として両足へ力を込めた。左腰に携えた刀の柄を握り、その視線はワイヤー梯子へと移る。

 

 

「四ノ型──紅葉切り!」

 

 

 声を発した後、リィン達の目の前から突然グランの姿が消える。アリサ、エマ、ユーシス、ガイウスの四人は何処に行ったんだと辺りに視線を泳がせるが、リィンは一人唖然とした表情で高台の上を見上げていた。その様子に気付いたアリサが声をかけて同じく見上げ、三人も同様にワイヤー梯子が設置されている場所へと視線を向ける。

 

 

「いつつつ……」

 

 

 皆の見上げた先、右手に刀を持ったグランが屈んだ体勢から立ち上がり、右腕の鈍い痛みに顔を歪めながら肩へその刀を担ぐ。十アージュもある高さへ人の足で跳躍出来た事が信じられずリィン達がその様子に驚いている最中、まとめていた紐が切られたワイヤー梯子はカラカラと下へ下がり、高台への移動が可能となった。

 一瞬は驚きを見せたリィンも我に返り、これで確認に上がれると喜びを見せる。アリサやユーシス、ガイウスもグランの行動に驚きつつも、彼の功績に笑みを浮かべていた。

 そして梯子を登ろうとしたリィン達であったが、突然四人の顔から笑みが消え、何故か沈黙しながら梯子を登っていく。その様子を上から見ていたグランはどうしたんだと首を傾げ、五人が高台へ登り最後に梯子を登り終えたエマが彼の目の前で立ち上がる。

 

 

「グランさん、先日右腕使わないで下さいって言いましたよね?」

 

 

「──あ」

 

 

 リィン達四人の沈黙は、グランの目の前で笑顔を浮かべながら何とも言い難いオーラを放っているエマが原因だった。彼女の言葉からグランも理由を察したのか、包帯が巻かれた自身の右手を見た後にから笑いをしながら視線をそらしている。しかし、その程度の誤魔化しで今の彼女をやり過ごせるわけがなかった。

 

 

「言・い・ま・し・た・よ・ね!」

 

 

「さーせんっした!」

 

 

 怒りながら笑うという何とも恐ろしいエマを目の前に、グランは士官学院に入学してから何度になるか分からない土下座を披露するのだった。

 

 

 




この後ミリアム登場となるわけなのですが、実はその時もその後もグランが要らない子なんですよね。原作だったらサポートメンバーにポイってされちゃうとは思うんですが、皆様にヒントを一つ。

グランのオーブメント

3ー2ー2ー1の火2、時1固定

マスタークオーツ バーミリオン

クオーツは攻撃2しかセットしてないです。

……使えない意味、分かりますよね?



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銀色の傀儡使い

 

 

 

「いいですか? グランさんが思っている以上に、右腕の状態は良くないんです。只でさえ実習に参加するのは反対なのに……」

 

 

「いや、本当すみません」

 

 

 ノルド高原南部、帝国軍監視塔から南に位置する高台で発見したワイヤー梯子を登った先。グランは現在、地面の上に正座をさせられてエマから右腕を使用した事によるお叱りを受けていた。腕を組み、眉をひそめて話す彼女の目の前では、両膝に手を置いて落ち込んだグランがいる。何か以前にも同じような事があった気がする、と心の中で正反対のスタイルを持つ少女の事を思い出しながら、彼は顔を上げて反省した様子でエマの顔を覗き込む。

 

 

「(……本当委員長の胸デカイな)」

 

 

 反省していたのは上部だけ、心の中では全く反省していなかった。正確には先程まで反省していたのだろうが、彼女の胸部へ視線が移った途端にこれである。

 グランの視線が移った事に気付かないエマは瞳を伏せて説教を続け、彼女が見ていないのを良いことにグランも一点を見詰めていた。そして余りに静かなので彼女も反省したと思ったのだろう、伏せていた目を開くと見上げているグランを見詰め返す。

 

 

「今は緊急事態なのでこの辺りにしておきますけど──って何処見てるんですか!?」

 

 

「いや、腕を組んでこれ見よがしに胸を強調するから……」

 

 

「してませんよ!」

 

 

 エマは頬を赤く染め、胸を両腕で隠しながら終わるかと思われた説教を再び開始する。とは言えグランの表情は先の落ち込んだものではなく、ニヤニヤと笑みを浮かべていることからこの場は彼の領域と化していた。現在の主導権は既にグランである。

 

 

「あれだな、委員長が脱いだら犯人直ぐに捕まえられるんじゃないか?」

 

 

「なっ!? 何考えてるんですか!」

 

 

「そうと決まれば善は急げだ! 委員長、ここはノルドの平和を守るためだと思って──」

 

 

「完全にグランさんの個人的欲求ですよね!」

 

 

 いつの間にやらエマが壁際へ追い詰められ、彼女の目の前でグランが腕捲りをしながら近付いている。

 互いの距離は数アージュと言ったところか。このままではエマが更に何かしらのセクハラを受けてしまうのだが、リィン達は高台の先にあるであろう導力砲の確認に行っているためグランを止める者がいなかった。

 流石にそこまではしないだろうと思いながらも、グランの事だからもしかしたらと半分涙目でエマは彼に敵意のこもった視線を向ける。当の本人であるグランは涙目の彼女に対して笑みを浮かべながらゆっくりと近付いており、はっきり言って誰がどう見ても気持ち悪かった。

 そしてとうとう二人の距離が残り数十リジュとなったところ。エマが背中に握り締めていた魔導杖を使おうかどうしようか迷ったその時、グランが突然表情から笑みを消すと瞬時に彼女と接近した。

 

 

「グ、グランさん!? まさか本当に──むぐっ!?」

 

 

「しっ……この気配は──バリアハートの時のあれか」

 

 

 突如鋭さを増したグランの視線。エマは戸惑いながらも促された通りに口を閉じ、グランは彼女の口元に手を当てたまま意識だけを後方へと向ける。彼の急な態度の変化にエマも疑問を抱き、顔を僅かに動かしてその先の高原を見下ろした。

 彼女は目を細めるも、特に人影らしきものを見つける事は出来なかった。見つける事は出来なかったが、グランが気配と言うからには確かにそこに何かいるのだろう。顔を合わせば必ずと言っていい程セクハラを仕掛けてくるため、普段における彼女のグランに対する信用は全くと言っていいくらいに無い。しかし、こと実戦に関してはエマのグランに対する信頼は高かった。

 

 

「委員長、前方の空を見上げてみろ」

 

 

 エマが見つけられなかった事を表情から察したのか。グランは僅かに笑みをこぼすと、彼女の口元から手を離して左手の親指を後方の上空へと向けた。エマはその指先を視線でたどり、先の上空を見上げるがやはりそれらしき物体は見つからない。強いて言えば鳥が遠くに飛んでいるのは見えるが、そもそも空に人影何かがあるわけ無い、と彼女が探すのを諦めようとしたその時だった。

 

 

「あれ……鳥じゃ、無い?」

 

 

 唯一彼女が見つけていた上空を飛行する黒い点。鳥だと思っていたそれは段々と二人のいる高台に近付いて来ており、僅かながら形状が確認できる距離になったところでエマは首を傾げた。

 彼女が知っている鳥は一般的な認識と同じく、左右の翼を羽ばたかせて上空を飛行する生き物である。しかし視線の先を飛行しているそれは翼を羽ばたかせているような様子はなく、どちらかと言うと浮遊しているという表現の方が正しかった。

 浮遊している何かとの距離もかなり近付いてきている。それでもまだまだ距離はあるが、銀色の浮遊物体と言える程までにはエマも認識出来ていた。そして先程グランが口にした『バリアハートの時のあれ』という言葉、その言葉が引っ掛かっていた彼女はここで漸く気が付く。

 

 

「オーロックス砦から飛んでいった銀色の……!?」

 

 

「ああ、どうやらオレ達が見つけた物に用があるみたいだが……」

 

 

「それって……」

 

 

 グランが言いたいのは、現在リィン達が確認しているであろう導力砲の事。エマも彼の言いたい事に気が付き、まさかあれが今回の犯人なのかと表情を驚かせる。

 銀色の浮遊物体は最早はっきりと認識でき、そこにはバリアハートでの実習の時と同じく一人の子供が乗っていた。その子供はグランとエマの姿に気が付く事なく、リィン達がいるであろう場所を遠くから観察している。

 明らかに怪しくはあるが、それだけで犯人との断定は出来ない。しかし、間違いなく今回の件に何か関わりがあるのは明白。

 

 

「(仮にあのガキが鉄血宰相と関係があるなら、今回の犯人は大方予想がつく。その先の考えも当たっていたとしたらかなり面倒な事になるが……ここからはオレの許容範囲を超えるしな)」

 

 

「グランさん、どうしますか?」

 

 

 グランが考えている最中、彼の隣からエマが神妙な面持ちで問い掛ける。どうすると言ってもその表情から彼女も既に決めているようで、恐らくはグランと考える事は同じだろう。彼もそれを察しているらしく、エマの声に笑みを浮かべながら返した。

 

 

「考えてる事は一緒だろ? リィン達が戻ってきたら追いかけるぞ」

 

 

「ふふっ、分かりました」

 

 

 この後直ぐに導力砲の確認を終えたリィン達が戻り、彼らに一連の話をした後、一同は銀色の浮遊物体に乗る子供の追跡を開始した。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 ノルド高原南部の中でも一際高さのある場所には、人工的に造られたと思われる巨大な石柱群が存在する。ノルドの民の間では、古の時代何らかの祭壇として使用されていたと考えられているようだが、詳しい用途などは分かっていない。そして現在、その石柱群の集まる中央には一人の子供の姿があった。

 

 

「どうしよっかな……制圧するだけならカンタンだけど、逃がしちゃう可能性もあるし。でもミナゴロシにするのは流石にカワイソウだしなぁ」

 

 

 少女は頭を捻りながら、銀色の傀儡の正面で独り言のように呟いている。少女の呟く内容はあまり穏やかなものではなく、あどけない表情からは想像もつかないものだ。頭の後ろで両手を組んで、悩ましそうに銀色の傀儡を見詰める少女。そして突然、そんな少女の後方から制止を呼び掛ける声が聞こえてくる。

 

 

「──動くな!」

 

 

 声により少女が振り返った先、そこには銀色の浮遊物体を追いかけていたリィン達の姿があった。先の声はリィンのもので、この少女が銀色の浮遊物体に乗っていたという事は、先月のバリアハートでの一件や今回の事件に何らかの関わりがあると見ていいだろう。リィン達六人が少女と対峙する中、彼らの姿を視界に捉えたその少女は何か気付いたような表情で声を発した。

 

 

「あ……シカンガクインの人たち!」

 

 

「俺達の事を……!?」

 

 

 そしてその少女は何故かリィン達の事を知っている。リィンを初め、アリサやエマ、ユーシスやガイウスの五人はやはりその事に驚きの表情を浮かべているが、中でもグランは一人表情を変えてはいなかった。彼は腰に手を当てながら、その鋭い視線を少女へと浴びせる。

 

 

「バリアハートの夜に何をしていたのかは知らんが、隠れるならもう少し上手くやる事だな」

 

 

「や、やっぱりバレてたんだ……流石は『紅の剣聖』」

 

 

「そっちも知ってやがったか」

 

 

 苦笑いを浮かべながら目をそらす少女に、グランは目を伏せながら返した。彼の表情を見るに、素性が知られているのは大方予想できていたのだろう。渾名で呼ばれても、その表情を驚かせる事はなかった。

 そして、改めてリィン達は少女を見据える。この少女は明らかに怪しく、この場で直ぐに確認しなければならない。此度の事件に関与しているのか……二人の会話が終わった後、リィンとガイウスが前に出て少女へ言葉を投げ掛ける。

 

 

「君は一体何者だ? 軍の監視塔と、共和国軍の基地が攻撃された事に関係しているのか?」

 

 

「無用な疑いはかけたくない。だが、この地にいる理由と名前くらいは教えてもらえないか?」

 

 

 リィンとガイウスの問い掛けに少女は不機嫌そうに表情を変えてから、段取りが狂ったなどと呟いていた。その直後に何か考え事を始めたのか、瞳を伏せて考えるような素振りを見せ始める。そしてリィン達がそんな少女を見詰める中、少女は瞳を伏せて暫くした後、突然思い付いたようにその目を開いた。

 

 

「その手があったか! キミたちが手伝ってくれれば万事解決、オールオッケーだよね?」

 

 

 突然笑顔で話し出した少女の言葉に、リィン達は何の事だと怪訝な顔を浮かべ始める。しかしグランは今の言葉で少女の目的を察したのか、向けていた敵意は既に消し、後頭部で手を組みながら未だに瞳を伏せていた。

 そして笑みを浮かべていた少女は突然、六人の目の前で戦闘態勢に入る。リィン達が驚く中、少女は表情を真剣なものに変えてその身を構えた。協力をしてもらう前に、その力量を試させてもらうと。

 

 

「ボクはミリアム、ミリアム=オライオンだよ。こっちはガーちゃん、正式名称は『アガートラム』」

 

 

 少女の声に、リィン達は一斉に得物をその手に構えた。グランも刀を抜くと肩へ担ぎ、五人の後ろに下がって少女を見据える。その行動からミリアムと名乗った少女はグランが自分の意図を理解しているのだと笑みを浮かべ、五人に向けて更に声を発した。

 

 

「『紅の剣聖』はともかく、キミたち五人にどれだけの力があるのか見せてもらうよ……それじゃあ、ヨロシクね!」

 

 

 銀色の傀儡を引き連れて、ミリアムはリィン達に向かって駆け出す。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 リィン達の反応は速かった。戦闘開始直後に振り下ろされたアガートラムによるアームの一撃、六人は四方にステップを取って難なく回避に成功する。しかし振り下ろされたアガートラムの一撃は予想以上の威力で、地面には大きな窪みを作っていた。

 直撃すればひとたまりもない。アームを地面から上げるアガートラムを見ながら、リィン達の額に冷や汗が滲んだ。

 

 

「力で抑えるのは無理か……だが何とか隙を作って突破できれば──」

 

 

「一人だけでもあの少女の元にたどり着く事ができる」

 

 

「フン、いいだろう。何が目的かは知らないが、早急に終わらせてやる」

 

 

 リィンの声にガイウスが続き、二人の提案にユーシスも頷いた。前衛の三人の内誰かが少女の元まで近付く事ができれば、少なくとも防戦一方の状況は回避できる。

 後衛のアリサとエマも戦術リンクで前衛三人の意図を知る。リィン達の突破口を開くため、何としてでも銀色の傀儡の動きを止めなければ。二人は直ぐ様ARCUS(アークス)の駆動を開始した。

 

 

「ガーちゃん、バリア!」

 

 

 ミリアムの声により、一時的に彼女の傍に戻っていたアガートラムがミリアムの正面でアームを交差する。リィン達はその行動に疑問を抱きながらも、攻勢に移るため三人が同時に駆け出した。ミリアムもリィン達の動きに気付き、アガートラムを仕掛ける。

 三人に向けて再度振り下ろされるアガートラムの一撃。リィン達は先程同様にバックステップを取って後方に回避した。そしてその最中、二人のARCUS(アークス)の駆動が完了する。

 

 

「はっ!」

 

 

「えいっ!」

 

 

 直後、アガートラムの下方からは突然熱気が漂い、幾多もの火柱が立ち始める。エマの眼前からは銀色の閃光がアガートラム目掛けて放たれ、そのボディを捉えた。必然的にアガートラムもその動きを止める。これ以上ない隙だ。

 その隙を見逃さず、直後にリィンが駆ける。標的(ターゲット)は勿論ミリアム。しかしアガートラムの立ち直りも早く、彼の行動を阻止しようと動いた。だがその動きはガイウスとユーシスの連撃によって妨げられる。二人のサポートもあり、リィンは既にミリアムの眼前まで迫っていた。

 

 

「ふーん、結構やるなぁ」

 

 

 しかし目の前でリィンが太刀を振り上げても、ミリアムは冷静だった。実は先のアガートラムがミリアムの正面でアームを交差させた行動、あれは不可視の防御壁を展開させていたのだ。仮にリィンの太刀が彼女を襲っても、その防御壁によって防ぐ手筈になっている。

 アガートラムはガイウスとユーシスを振り払い、リィンの背後に向けて移動を開始した。彼の太刀を防ぎ、後ろからアガートラムの一撃を決めれば形勢はミリアムに傾くだろう。故の余裕だ。

 

 

「その余裕、いつまで保つかな?」

 

 

「えっ?」

 

 

 この時ミリアムに誤算が生じる。リィンは彼女に太刀を振り下ろす事なく右にステップを踏んだ。何をしようとしているのか……ミリアムは即座に思考を巡らせるが、答えを出すよりも早く事態は展開した。

 直後に不可視の防御壁が破られる感覚が彼女の脳に伝わる。ミリアムは理解が追い付かず、ふと足元から聞こえた物音に視線が移った。そこには二つに折れた一本の矢が落ちている。

 

 

「リィン、今よ!」

 

 

 アリサの声がその場に響いた。ミリアムも直ぐにリィンの存在を思い出し、慌てた様子で左に顔を動かす。だが時既に遅し、同時に彼女の首筋には冷たい感覚が走る。ミリアムの首筋には、太刀の峰が添えられていた。

 

 

「アガートラムの行動に違和感があったんだ。委員長に調べてもらって正解だった──俺達の勝ちだ」

 

 

「……うわぁ、キミたち結構すごいなぁ」

 

 

 ミリアムの両手が上空に向けて挙げられる。この時、ミリアム対リィン達五人の勝負は決まった。

 

 

 




やっぱりグラン戦闘では要らない子になっちゃいました。刀だけ担いでアリサとエマの間で突っ立ってるだけという……
流石はリィン達! グランを責めるよりも、リィン達を沢山誉めてあげて!


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予想外の存在

 

 

 

「手伝って欲しいのは、監視塔と共和国軍の基地を砲撃した連中──数名の武装集団の拘束だよ」

 

 

 ノルド南部、石柱群がそびえる場所にて。リィン達の力量を確認するための戦闘を終えた後、ミリアムは六人の視線を受けて此度の協力して欲しい事の内容を話した。その内容はリィン達の求めている監視塔を砲撃した犯人の消息であり、話を聞いた六人は一瞬迷うものの、他の手掛かりも無い事から協力をする事に決める。

 ミリアムの持つ情報は、砲撃をした犯人達が北部の遺跡に逃げ込んだというものだった。ガイウスの話では、ノルドの北には石切り場と呼ばれる千年以上前に出来たとされる遺跡が存在し、確かにそこなら隠れ場所に最適だという事。その話もあって、リィン達はこの傀儡使いの少女の言葉を信じ、ノルドの北部に向けて馬を走らせる。

 途中ノルドの集落へ寄り、ゼンダー門にいるゼクスへの報告も済ませた一同は目的の場所へと向かった。ミリアムとガイウスの案内を受けながら、昨日カメラマンのノートンを見つけた巨像のある場所の更に奥手……古代の遺産と呼ぶに相応しい石造りの遺跡、ノルドの民の間で石切り場と呼ばれる場所に到着する。

 

 

「ここで、間違いないのか?」

 

 

「うん、そうだよー」

 

 

 馬を降りた一同が遺跡の入り口であろう目の前の巨大な石門に視線を移す中、戸惑った声を上げるリィンに対してミリアムは頭の後ろで腕を組みながら呑気な様子で答えていた。そんな彼女に目を向けた後、リィン達は改めて石門へと視線を移す。

 皆の目の前にあるそれはどう考えても人の力で開けられるようなものではなく、リィン達は犯人がここに入ったというミリアムの話がどうしても信じられなかった。彼女が嘘をついている訳ではないだろうが、それだけ目の前の石門が頑丈でびくともしない造りだという事だ。

 そんな風にリィンを初めアリサやエマ達《Ⅶ組》メンバーが困惑の表情を浮かべる中、一人周囲を見渡していたグランは何かを見つけたようで、その視線を鋭くさせると皆に声を掛けてからある一点を指差した。

 

 

「侵入経路はあれか」

 

 

「そうそう、あっちから犯人達が入っていくのが見えたんだ」

 

 

 グランが差した指の先、そこには遺跡に侵入できる入り口があった。しかし今皆がいる場所からは離れている上に高所なため、先の高台にて見つけたワイヤー梯子のようなものがなければそこから侵入する事は出来ない。恐らく犯人達は事前に逃走経路を確保した上で砲撃を行い、今現在この中に隠れているという事だろう。

 犯人達が使用した入り口からは入る事が出来ない。正確にはミリアムだけならばアガートラムに乗ってその入り口から侵入する事は出来るのだが、他の皆が入れない以上結局は同じ事だ。後は一同の目の前にある石門しか侵入経路は無いのだが、そこから侵入するのは人の力では不可能と言ってもいい。

 

 

「ここまで来て諦めるわけには……」

 

 

「でも、こればかりはどうやっても私達じゃ開けられないわね」

 

 

「へっへーん、ボクに任せて!」

 

 

 悔しそうに呟きながら石門を見詰めるリィンとアリサの横、ミリアムは突然得意気な表情を浮かべて石門の前へ移動する。リィン達五人は何をするつもりなんだと彼女の様子に首を傾げるが、後ろで一連の会話を聞いていたグランは直ぐに気が付いた。

 そう、彼は先月領邦軍にバリアハートの地下牢へ捕らえられた時に同じ事を行っている。鉄の檻を破壊し、グランとマキアスは自力であの場を脱出した。その時と同じように、この石門を破壊する事が出来れば何ら問題はない。それが人の力では出来ないから皆困っているのだが、元々彼らには……正確に言えば、彼女の手の内にそれを可能にする方法は存在する。

 

 

「ガーちゃん!」

 

 

 ミリアムが右手を上げて直ぐ、その呼び掛けにアガートラムが応えて彼女の横へと姿を現す。そして直後、自身のアームを使って瞬く間に石門を粉砕した。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 リィン達が石切り場へ侵入して暫くの事。石切り場内部の奥、細い道を切り抜けた先にある広いスペースにて数名の男達が会話を交わしていた。

 一人は眼鏡の男、昨日の朝にノルドの集落へ凶暴化したライノサイダーを仕向けた男である。彼の目の前には四人の武装をした男達が腕を組んでおり、覆面を着用しているためその素顔は見えない。そして眼鏡の男の後ろでは、金属製のバイザーを装着した二人の男が彼らと同じく武装した姿で立っていた。

 

 

「なぁ、いつまで待たせるんだ? これだけやりゃあ十分だろう?」

 

 

「まだだ。帝国軍と共和国軍の戦端が開かれるまでが契約のはず。これで戦争が起こらなければ、もう一仕事やってもらう必要がある」

 

 

 四人の内一人の男が不満そうに声を上げ、眼鏡の男が眼鏡をかけ直しながらその声に返す。会話の内容を聞くに、この者達が両国の軍事施設へ砲撃した事は明白だ。そして武装した四名の男達は眼鏡をかけている男からその仕事を依頼されたのだろう。彼らの出で立ちから、傭兵の類いの人間という事が容易に想像できる。

 眼鏡の男の返答を受け、声を上げた傭兵の男は腰に手を当てると再び彼に問い掛ける。

 

 

「しかし、誰を味方につければそんな大金を払えるんだ? 前金だけでも大した額だが……」

 

 

「こちらの事を詮索しない事も契約内容に入っていた筈だが? 何ならここで契約を打ち切ってもいい」

 

 

「分かった分かった! こっちは報酬さえ貰えれば文句は無いって!」

 

 

 眉間にシワを寄せて話す眼鏡の男に対し、傭兵の男は慌てた様子で答えていた。彼らにとって今回の仕事は報酬の高い実に割りのいいものであり、ここで逃すわけにはいかない。眼鏡の男は眉間に寄せていたシワを消すと、それでいいと告げて会話を終える。

 このままいけば彼らの計画通り、帝国軍と共和国軍の戦争が始まったであろう。此度ノルドの地に訪れていた、想定外の存在がいなければ。

 

 

「そこまでだ!」

 

 

 突然男達に向けて放たれた声の主、リィンを筆頭にトールズ士官学院《Ⅶ組》A班のメンバーとミリアムが彼らの前に現れる。突如として目の前に現れたリィン達に傭兵の男達は一瞬驚くものの、皆が学生服を着ていることもあって子供だという事実に気が付くと途端に強きになった。

 傭兵達は一様に銃を構えてリィン達と対峙する。そしてその後ろで、武装した二名の男を引き連れた眼鏡の男は笑みをこぼしながら声を上げた。

 

 

「なるほど、ケルディックでの仕込みを邪魔してくれた学生共か」

 

 

「っ!? まさか大市での窃盗事件を仕組んだのは……!」

 

 

「そう、領邦軍ではなく私だったというわけだ……私の名前はギデオン、同志達からは《G》と呼ばれているがね」

 

 

 ギデオンと名乗った眼鏡の男は、四月に行われた初めての特別実習にてリィン達が解決に貢献した、ケルディックの大市で発生した窃盗事件の黒幕だった。ギデオンから告げられた真実に、事件に立ち会ったリィンとアリサは驚きの顔を隠せないでいる。ユーシスとガイウス、エマの三人も話だけは聞いているため鋭い視線をギデオンへ浴びせていた。

 突き刺すような五人の視線を受けて尚、学生だからなのかギデオンは余裕の表情を崩さない。しかし、直後にリィン達の前へ躍り出たグランの言葉でその表情は変化する。

 

 

「それを聞いて漸く合点がいった。あんたらの目的は革新派の打倒……いや、ここまで事を大きくするんなら本命は鉄血の首と言ったところか」

 

 

「っ……!? 『紅の剣聖』か。流石はその若さで剣聖を名乗るだけの事はある、中々に聡明なようだ」

 

 

「テロリストは腐るほどこの目で見てきたからな、そういう類いの人間の考えそうな事だ」

 

 

 ケルディックでの領邦軍との共謀、此度の戦争を起こそうとしている意図を僅かなヒントで答えにまで至ったグランの言葉に、ギデオンも少なからず驚いている。グランの話を横で聞いていたリィン達も理解が追い付かずに驚きの表情を浮かべており、彼らだけではなく、今まで表情に余裕を見せていた傭兵達もまた動揺を隠せないでいた。

 

 

「『紅の剣聖』だと!? そんな大物がいるなんて聞いてないぞ!」

 

 

「猟兵の中でも一人で『赤い星座』とやり合ったって話だ。そんなやつに敵うわけがない!」

 

 

「どんだけ話が大きくなってんだよ……クソ親父とやり合ったのは事実だが、誰があんな集団に喧嘩売るかっての」

 

 

 大慌てで後退る傭兵達に向け、呆れた様子でグランはジト目を向けていた。『赤い星座』と言えば猟兵団の中でも最強の一角に入る強者の集団で、一人一人が一騎当千の実力を持つと言われている。それを一人で相手にするのはグランでも自殺行為に近く、不可能とも言える暴挙だ。

 とは言え、仮にそれを抜きにしても彼の実力の高さは傭兵達の間でも知れ渡っている。紅の剣聖の渾名も飾りではなく、その筋の道の人間や武の世界の者の間ではそこそこに知られているため、この場で傭兵達が狼狽えてしまうのは仕方がないとも言えた。だが、それではギデオンには面白くない。少なくとも、自身が逃げるまでは彼らに足止めをしてもらわなければならないからだ。

 

 

「狼狽える必要はない。その男は今右腕を負傷している、あの包帯がその証拠だ」

 

 

 ギデオンの声に、傭兵達はグランの右手へと視線を向ける。そこには当然包帯が巻かれた彼の右手があり、グランが刀を使えない事を知った傭兵達は瞬く間に笑い声を上げた。刀の無い紅の剣聖など恐れるに足らないと。

 リィン達はそんな傭兵達へ再度鋭い視線を浴びせる。各々の手には得物が握られており、戦闘の準備は万全だ。傭兵達四人もその手にアサルトライフルを構え、迎え撃つ準備はできている。そしてギデオンと後ろの二人は余裕の表情で一連の様子を眺めていたが、その顔が突如怪訝なものへと変わった。傭兵達とリィン達の間に立つグランが、刀を鞘から抜いてその身を構えたからだ。

 

 

「悪いがここは任せてもらう、こちとら半分仕事で関わってるんでね」

 

 

「グランさん!」

 

 

「説教は後で飽きるほど聞いてやるよ……委員長の部屋でってのもいいな」

 

 

 右腕を使おうとしているグランに向けて、彼の後方からエマがしかめっ面を浮かべながら呼び掛ける。冗談めかして彼女に返すあたりグランにもかなりの余裕が見え、その表情からは右腕の負傷すらも忘れさせるほどの安堵感をリィン達も覚えていた。

 傭兵達はハッタリだとグランの様子に狼狽える事はなく、ライフルの銃口を彼に向ける。それを受けて手加減は無用と判断したのか、グランも視認できるほどの紅い闘気をその身に纏った。右足を軸にその場で回転し、刀を横一閃に振り抜く。

 刀による強烈な風圧が傭兵の集団とギデオン達を襲い、余りの勢いに彼らの体が僅かによろける。その様子にグランは冷酷な瞳を浮かべながら、今では全く痛みを感じない右腕を上げ、刀を構えた。

 

 

「──帝国軍第三機甲師団長ゼクス=ヴァンダールの依頼だ。此度のノルド高原での帝国軍監視塔、及び共和国軍基地砲撃の容疑でお前達を拘束する……共和国との交渉はアンタ達の身柄引渡しが入る予定だ、間違っても一太刀で死んでくれるなよ?」

 

 

 




……何故かノルド編終了間際に来て執筆速度が減速してしまいました。頭の中はこの先書く予定の四章での話ばかりが過ってどうしようも……ガキィィィン!とかドカァァァン!で戦闘場面を流していたあの頃が懐かしい……(遠い目)


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事件の収束

 

 

 

「ぐっ……この男は化物か……!?」

 

 

 石切り場内部。此度のノルド高原における監視塔砲撃事件の黒幕であるギデオンは現在、余りの体へのダメージに膝をついて息を荒げながら、目の前で静かに刀を納刀するグランを見ていた。グランの周りには気絶した傭兵達が地面に横たわっており、ギデオンの後ろでもバイザーをつけた二名の男が膝をついている。

 このような状況に至っているのは他でもない。グランが戦闘開始と同時に跳躍し、上空から降下しながら刀を振り下ろした事による一撃──閃光烈波によって武装集団を無力化したからだ。右腕の負傷もあってかある程度の加減が加わっていたらしく、衝撃を至近距離で受けた傭兵達は気絶、ギデオンと後方の二人は吹き飛ばされるものの、ダメージを負っただけで大怪我をした者は奇跡的に一人も出ていない。

 状況から勝敗は既に決している。そしてギデオンはその顔を歪めながら、ゆっくりと立ち上がった。

 

 

「化物には、同じ化物に相手をしてもらうより他ないか……」

 

 

 彼は直後に懐から縦笛を取り出し、その場で演奏を始める。怪しげな音色、太古の魔獣を呼び覚ますそのメロディーは石切り場の洞内に響き渡り、グランの脳裏に警報を鳴らす。ギデオンが吹いている縦笛を古代遺物(アーティファクト)と確信していた彼が、勿論このまま素直に演奏を続けさせるはずがない。しかし、グランは何故か動こうとしなかった。

 縦笛の音色が響く中、グランの後方で魔導杖を握りしめているエマはその異変に気付く。グランの右手に巻かれている包帯は赤く滲み、その指先からは血液が滴となって地面に落ちている。そう、グランは動かないのではなく動けなかった。

 

 

「(っ!? グランさん、やっぱり無茶をして……)」

 

 

 彼女の表情が僅かに歪む。砲撃犯の拘束という状況とは言え、拘束だけなら実力的にもリィン達とミリアムだけで何ら問題はなく、負傷しているグランが刀を手に取る必要はなかった。恐らく彼はそれを分かっていた上で、より確実性のある方を選択したのだろう。

 勿論この特別実習でリィン達に迷惑をかけたというグラン個人の思いもあったかもしれない。だが、彼女を初めリィン達皆は、右腕を犠牲にしてまでグランにそのような事を求めてはいなかった。

 

 

「阿呆が……グランは後ろに下がらせるぞ。あの程度の連中、俺達だけでどうとでもなる」

 

 

「ユーシスさん……」

 

 

 そして、エマの横で騎士剣を構えていたユーシスもグランの異変に気がついていた。どうやらリィン達は皆その事に気がついており、六人は揃ってグランの前へと躍り出る。

 彼の前に出たリィン達は一度振り返り、グランの顔へ視線を向ける。皆が見たその表情は、苦痛に歪んだ顔を強がって苦笑いで誤魔化しているようにも見えた。

 

 

「ったく情けない……悪いが手伝ってくれるか?」

 

 

「何言ってるの。それに聞く事が違うんじゃない?」

 

 

「全くだ。事件の調査はA班全員で行う……よもや忘れた訳ではあるまいな?」

 

 

 アリサとユーシスの言葉に、グランは何も言い返せない。素直に悪かったと謝り、痛みが少し引いて動かせるようになった右手で刀を抜く。彼はギデオンが吹いている縦笛が恐らく魔獣を呼び寄せるか、或いは操る類いの物だろうと判断している。その読みが当たっていれば、流石にリィン達だけでは魔獣の対応に追われて犯人達は逃げてしまうだろう。故に、グランはこの場を彼らに任せて犯人達を拘束する事に決めていた。

 程なくして、ギデオンによる縦笛の演奏が終わりを迎える。一見周囲には何の変化も見られない。しかし、事態は確実に進展していた。異変に気がついたガイウスが声を上げる。

 

 

「上だ!」

 

 

 洞内の上部にある、大きく空いた穴から突如として巨大な何かが飛び出した。それは地響きを伴いながら一同の傍へと着地をし、奇声を上げて一同の顔を見渡す。頭部にある複数の赤い瞳、頭と比べてアンバランスに大きな胴、そして八本の脚部。ガイウスは石切り場に封印されたと言い伝えられている悪しき精霊(ジン)ではないかと話し、リィン達も目の前に現れた巨大な蜘蛛型魔獣を見上げる。

 ふと、その蜘蛛型魔獣は糸を吐き出すと近くに倒れていた一人の傭兵を捕らえた。気絶していた傭兵達は意識を取り戻すと、目の前の魔獣に恐れをなして腰を抜かす。そして、糸によって拘束された傭兵の元へ魔獣が近づいた。 

 

 

「や、やめろ! やめてくれぇ!」

 

 

 傭兵の叫びも虚しく、魔獣は捕食を始める。リィン達はその光景に唖然とし、気が付けば残されていたのは傭兵のものだった血液が地面に作っていた小さな水溜まりだけ。残った三名の傭兵達は命乞いを初め、その隙にギデオンと二人のバイザーをつけた男はワイヤーロープにて近くの崖から石切り場の地下へと撤退を始めた。

 黒幕は逃げていくが、流石にリィン達も実行犯である残りの三名を残す事は出来ない。彼らまで失ってしまえば戦争回避の糸口は切れ、それを抜きしても見殺しにするという選択肢がリィン達の頭には無かった。

 

 

「ガキんちょ、あいつらの追跡を頼めるか?」

 

 

「任せて。それに今回の任務は元々あれが目的だったし」

 

 

 グランは刀を構えながら、ミリアムに向けてギデオンの追跡を託す。グランが今回ゼクスから受けた仕事はあくまでも戦争回避であって黒幕の拘束ではない。実行犯である彼らさえ拘束できれば彼のミッションは達成する。それに本来であればこの場を彼らに任せたかったが、現れた魔獣は予想以上に高い能力を秘めていたため彼もリィン達をこの場に残していく事は出来なかった。

 ミリアムはグランの声に頷くと、隣で浮遊するアガートラムに飛び乗ってギデオン達の追跡を開始する。そして、改めて六人は目の前の巨大な蜘蛛型魔獣へと意識を向けた。戦闘開始の声をリィンが上げる。

 

 

「A班戦闘準備、これより巨大蜘蛛の迎撃を開始する!」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「敵ユニットの傾向を解析……掴めました!」

 

 

 後方支援のエマにより、巨大蜘蛛の解析が完了する。戦術リンクを繋げた一同は彼女の解析から得た情報で最良の策を検討した。魔獣の弱点は火、そしてこの石切り場内部に侵入した時に感じた時、空、幻の上位三属性を有効にする力を考慮し、導力魔法(オーバルアーツ)をメインにした戦闘運びを選択。リィン、ユーシス、ガイウスの三人で魔獣を牽制しつつ、アリサとエマ、グラン三人によるアーツで総攻撃を仕掛ける算段だ。前衛の負担は大きいが、上手く戦闘を運ぶ事が出来れば最良の選択ではある。

 しかし、この作戦において一つの誤算が生じる。それは、グランが攻撃、補助問わず一つもアーツが使えない事だった。

 

 

「アーツが一つも使えないって……嘘でしょ」

 

 

「あはは……まあ、個人の適性もありますし。一つも使えないっていうのは流石に予想外でしたけど」

 

 

「いや……本当に面目無い」

 

 

 ARCUSを駆動しながら困り顔で話すアリサとエマの間、刀を肩に担いだグランが申し訳なさそうに瞳を伏せていた。結局彼は最悪の状況を考えてアリサとエマの守りに徹する事に決めている。早くも段取りが狂った一同だが、それでも先の作戦に変更はない。アーツによる攻撃が有効な以上、適性の高い二人の火力に頼るしかこの場を乗り切る方法はなかった。

 前衛の三人は忙しなく魔獣の周囲を動いている。一人が魔獣の視界に入れば残りの二人で左右、或いは後方から攻撃を加える事によって魔獣を翻弄、少ないながらも効率的にダメージを与えていた。

 そんな最中、二人のARCUSの駆動が完了する。魔獣の真下から突如として上がった火柱はアリサのアーツ、高熱の炎は燃やし尽くさんとばかりにその巨体を飲み込む。やはり前衛の物理的な攻撃よりもダメージが通っているらしく、魔獣は苦しむように奇声を上げていた。

 アーツによる炎は直ぐに消えるが、遅れて魔獣の周囲に複数の剣が突き刺さる。そして出現した魔法陣の弧がそれらを結び、中心からは幻属性の光が発生して瞬く間に魔獣を再び飲み込んだ。エマによる幻属性のアーツ、光が止むと魔獣の体勢が崩れる。好機と踏んだ前衛の三人が猛攻を仕掛けた。

 

 

「──焔よ、我が剣に集え……!」

 

 

 リィンが自身の握る太刀を手でなぞると、その刃に紅蓮の炎が纏い始める。直後に太刀を構えたリィンは魔獣の傍へ接近し、炎の斬撃をその身に浴びせた。魔獣の身を焼き裂く二連の太刀、そして三撃目で駆け抜けた彼の後方では魔獣の動きが止まっている。体勢を崩した今、物理的な攻撃と言えどダメージは確実に通っていた。

 遅れる事なくユーシスも動く。彼が魔獣に向けた騎士剣の先、蒼き光を発した魔法陣が展開している。直後に蒼白い光を纏った騎士剣を構えて接近、剣先を魔獣に向けて突き出した。そして突然魔獣を覆った蒼く光るドーム型の檻、ユーシスは再び騎士剣を構える。

 

 

「──クリスタル・セイバー!」

 

 

 流れるような斜め十字の二連撃の後、一瞬の間を置いて放たれた横一閃によって蒼き檻は砕け、ユーシスの斬撃は魔獣の胴へダメージを与えた。魔獣を覆っていた檻が砕けた事により、光を散りばめながら彼は幻想的な風景を前に後退する。

 二人による猛攻に魔獣も奇声を上げ続けていた。だが、その猛攻はまだ終わりを迎えていない。

 

 

「風よ、俺に力を貸してくれ……!」

 

 

 ユーシスが後退したと同時に、ガイウスが上空へ向けて跳躍する。直後、彼は空中で雄叫びを上げると両手持ちにした槍を魔獣に向け、その槍先に風を纏わせた。彼の視線は魔獣の巨体を捉え、狙いを済ます。故郷の平穏を守るため、目の前の壁を撃ち破らんとばかりに彼は突撃する。

 

 

「──カラミティ・ホーク!」

 

 

 ガイウスが魔獣の胴目掛けて突撃した後、衝撃と共に突然風の奔流が魔獣を中心に巻き起こった。風の刃は全てを切り裂かんと猛威を振るい、竜巻が魔獣を飲み込む。ガイウスはリィンとユーシスが肩で息をしている傍へ着地し、同じく荒い呼吸で竜巻を見詰めていた。

 直に竜巻は消滅し、風が収まりを見せる。そしてそこにあった光景は三者にとって信じられないものだった。その身は激しく傷を負っているものの、赤い瞳は光を失っていない。三人の猛攻を受けて尚、魔獣は耐えていたのだ。

 直後に魔獣は糸を吐き出し、三人の体を拘束した。

 

 

「しまった……!」

 

 

「ぐっ……!」

 

 

「これは……!」

 

 

 魔獣の吐き出した糸は、鋼の如き強度を誇るものだった。リィン達は抗うも、抵抗虚しく糸が破れる事はない。

 彼らの後方からアリサによる炎の矢が魔獣の体へ打ち込まれる。続けてエマによって放たれた四本の光の刃が魔獣の体を貫くが、魔獣の進行は止まらない。このままでは先の傭兵と同じく、その身を魔獣に捧げてしまう。

 五人の額に冷や汗が滲んだ。魔獣は捕食を行うためゆっくりとリィン達へと近付いている。アリサとエマが状況を打破するためARCUSを駆動させるが、タイミング的にも間に合わない。ここへ来て一同に最大の焦りが生まれる。しかし、まだ奥の手は残っていた。控えていたグランが、その身に宿る闘気を最大まで解放した。

 

 

「我が剣は紅き閃光、何人たりとも逃れる術はない──」

 

 

 アリサとエマの視界から、グランの姿が忽然と消える。そして直後にリィン達前衛三人を拘束していた糸が断ち切られ、その身を解放した。困惑はすれど、一連の出来事が起きた理由は皆が分かっている。五人が見上げた魔獣の真上、そこには刀を腰の高さで構えたグランが紅い闘気を纏っていた。

 

 

「塵も残さん……奥義、閃紅烈波!」

 

 

 グランが声を発したその直後、五人が学院のグラウンドで見た時とは比べ物にならない大爆発が巻き起こった。洞内では爆風が吹き荒れ、リィン達は飛ばされそうになっている傭兵達を押さえながら砂煙の先を見据える。

 徐々に煙は晴れていき、一同の目に魔獣の姿は映らなかった。魔獣の姿は消えており、代わりにそこへいたのは刀を担いだグランの姿。

 

 

「ミッションコンプリート。皆、よくやったな──」

 

 

 彼らの視界には、笑顔を浮かべて刀を鞘に納めるグランが映っていた。直後に力なく倒れる彼に向けて五人は駆け出し、その身を支える。

 リィンを筆頭に一同の口からは多少の呆れを含んだ労いの言葉が彼に掛けられ、本人も苦笑いを浮かべて返していた。そして、突然グランの顔が柔らかな感触に包まれる。

 

 

「グランさんの馬鹿、本当に無茶をして……今度やったら許しませんよ?」

 

 

「……ああ。委員長恐いからな、多分やらんさ」

 

 

「多分じゃ駄目です、絶対ですよ?」

 

 

 瞳にうっすらと涙を浮かべたエマが、笑みをこぼしながらグランをそっと胸に抱き寄せる。彼女の言葉に笑顔で返しながら、彼は直後に意識を手放した。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 七月某日、エレボニア帝国帝都ヘイムダル。皇族が住居を置き、帝国の重要処が集うバルフレイム宮にて。帝国政府宰相を務めるギリアス=オズボーンは今、ガラス張りの窓から厳格な面持ちで帝都の街並みを見下ろしていた。そして彼の後ろには、軍服を着用した水色の長髪をした女性──リィン達が四月の特別実習で世話になった鉄道憲兵隊、クレア=リーヴェルトの姿がある。

 

 

「共和国政府との交渉は完了。ノルド高原における戦闘状況は、完全に回避されたとの事です。彼らの身柄は取り逃してしまいましたが……」

 

 

 彼女の報告に、オズボーンは振り替える事なくガラス越しに反射したクレアの姿を視界に捉える。彼が報告に一言答えると、再びクレアが報告の続きのため口を開いた。

 

 

「しかし驚きました。レクターさんの話では、到着した当初に交渉はほぼ終わっていたとの事です。代わりに、実行犯である傭兵団は先方に引き渡すよう彼によって決められていたそうですが──」

 

 

「『紅の剣聖』……西ゼムリア各地で要人警護を主に活躍する猟兵。大方ロックスミスとのコネを利用したのだろう」

 

 

「恐らくは。当時は負傷して意識を失っていたようなので、会話は行えなかったそうですが……素質としては十分すぎると、レクターさんも話していました」

 

 

 一連の報告を聞き終わり、オズボーンは振り替えるとその目でクレアの姿を見据える。真剣な面持ちで言葉を待つ彼女に対し、オズボーンは考える素振りを見せた後に問い掛けた。『紅の剣聖』──グランハルト=オルランドに対しての考えを。

 

 

「彼を引き込むにはどうすればいいか……君はどう考える?」

 

 

「そうですね……現時点で彼をこちら側に引き込む材料はありません。『赤い星座』の情報は彼個人で入手できますし、ノーザンブリアの件については材料として弱すぎます……やはり暫くの間様子を見た方が良いかと」

 

 

「フフ、私も同じ考えだ。機はいずれ訪れる、判断を見誤っては元も子もない」

 

 

 オズボーンは彼女が同じ見解だったことに笑みをこぼしながら、再び視線を帝都の街並みへと向ける。そして、顎に手を当てながら上空へと移したその鋭い眼光は、さながら未来を見据えているように思えた。

 

 

「まずは帝都の夏至祭──子供達をどう動かすかな?」

 

 

 




お、終わった……やった! やっと会長が出せる! 会長可愛いよ会長、会長可愛いよ会長! 申し訳ありません、取り乱しました。
次回から4章へと移ります。ラウラとフィーが和解し、グランの過去が明らかになる章。気合い入れていくぞー! と言ったものの、話の細かい部分は決めていないので4章は時間がかかるかもです。


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第四章ーー旅の終わりへーー
北方からの客人


 

 

 

 七月中旬。暑さが続く夏の盛りの前、暑すぎる事もなく過ごしやすいこの季節、士官学院の制服は殆どの生徒が夏服へと変わっていた。夏の訪れを感じさせる蝉の鳴き声が響き渡り、学院の授業でも七月に入ってから水練が開始される。

 先月の特別実習は、A班、B班とも対照的な出来映えだった。リィン達A班はノルド高原における戦争の危機を回避するという素晴らしい結果を残し、グランの負傷という不足の事態もあったが、彼の怪我は現在保健医のベアトリクスの治療により無事完治している。そしてマキアス達B班の方はと言うと、ラウラとフィーの不仲が原因で思うように結果が残せなかった。七月に入って開始された水練の授業でも幾つかの衝突があり、ラウラはフィーを相容れない存在だと口をこぼし、そんな彼女の言葉にフィーも肯定するかのように沈黙。周りのⅦ組メンバーはどうにかしてあげたくとも、最終的には自分達で何とかするしかない問題のため中々二人の和解に手が出せないでいた。

 不穏な空気が中々晴れないⅦ組の現在の状況……そして、その不穏な空気を後押しするようにグランの元へとある一報が入った。

 

 

≪叔父貴がクロスベル入りしたぞ≫

 

 

 クロスベル警察、特務支援課所属のランドルフ=オルランドから入った情報。『赤い星座』のクロスベル入り、それは士官学院で学生としての生活を楽しんでいたグランを現実へと引き戻した。

 『赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)』はランドルフの説得を始めるだろう。そして彼が『赤い星座』に戻るか、或いは戻らないと見切りをつけて事を終わらせれば次は自分の元へ来る筈だ。思った以上に時間は早々と過ぎ去っている。楽しんでいる場合などではない、早急に目的を達成して復讐を遂げるための力を付けなければ、と。

 ランドルフからの連絡により、グランの学院生活は大幅に変化した。授業を終えていつもは学生会館のトワがいる元へと向かっていたのが、『赤い星座』のクロスベル入りを知ってから放課後はリィンに鍵を借りて旧校舎に出入りするようになる。リィン達は探索なら協力すると申し出たが、それを断ってだ。彼の急な変化にⅦ組の面々は驚き、担任であるサラもグランの行動に驚きを隠せない。名目上は旧校舎の調査と話しているため、彼にとっては貴重な放課後の時間を使っている訳であり、これにはグランを知る教官達も驚いていた。

 そして今日もまた、グランは授業を終えると椅子に掛けていた赤い制服を着用し、放課後の時間に旧校舎へと向かう。Ⅶ組の教室を退室すると本校舎をあとにし、夕刻前の未だ明るい道中を歩く中、学生会館の前に差し掛かる。彼は不意に建物の二階を見上げた。

 

 

「……そう言えば、ここ最近会長の顔を見てないな。無理してないといいが……」

 

 

 グランの口から漏れた声は、学生会館の二階で生徒会の仕事をしているであろうトワを心配するものだった。彼は生徒会の仕事を手伝っていた事もあって、トワがどれだけ多くの仕事を抱えているのかを知っている。彼女は普段から日が暮れるまで生徒会室に籠って仕事に明け暮れ、片付かなければ自室に持ち帰ってまで行うという徹底振りだ。グランでなくとも体を心配したくなるだろう。

 

 

「愛しのトワが気になるかい?」

 

 

 そんな矢先、グランの後方からは特徴的なハスキー声が聞こえてくる。彼が振り返ると、そこにはお馴染みのライダースーツを着用したアンゼリカの姿が。グランは軽く会釈をすると、再び生徒会室を見上げた。

 夏特有の心地良い涼風が二人の頬をなぞり、両者の髪を揺らす。そして忙しなく鳴き続ける蝉の声が響く中、アンゼリカはやれやれと首を振った。

 

 

「トワもグラン君の事を気にかけている。彼女が君に夢中になるのは不本意だが、彼女の悲しむ顔を見るのは忍びない。一度顔を出したらどうだい?」

 

 

「早急に目的を達成しないといけなくなりましてね。会長には十分すぎるくらい楽しい時間をもらった、オレとしてはそれで満足です」

 

 

「何をそんなに焦っているのか……全く。女の子をその気にさせておいて手放すとは、君も中々に罪な男だ」

 

 

「何がですか……それに何かアンゼリカさんにそれを言われるとムカつくんですが」

 

 

「私は手放すような事はしない。美少女は皆平等に愛しているからね」

 

 

 グランは誇らしげに語る彼女をジト目で見ながら、改めてアンゼリカのせいで昨年学院の男子達が寂しい思いをしていたという人伝に聞いた噂を思い出す。そして彼が当時の男子達に若干の同情をしていると、突然懐に納めているARCUSから呼び出し音が鳴った。

 通信先の声は担任であるサラのものだった。内容は、遠い場所からグランに会いに来た人物がいるから顔を出せというもの。彼は初め断ろうとするも、どうやらその会いに来た人物というのはかなり遠い所から訪れたらしい。それを無下にするわけにもいかず、グランは結局旧校舎へ向かう事を中止した。

 

 

「本校舎二階の談話スペースですか」

 

 

≪ええ。お土産も持ってきてるみたいだから早く来なさい≫

 

 

 通信を終え、グランはアンゼリカに事の事情を話すとその場で別れて本校舎へと戻る。そんな彼の後ろ姿を見ながら、アンゼリカは一人ため息を吐いていた。

 

 

「私のトワも、随分と険しい恋の道を選んだようだ」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 本校舎入口前の階段を昇った先、二階のすぐ近くにはソファーが並べられた談話スペースがある。昼休みや放課後の時間はそこに数名の学生達が集まって談笑などをしているのだが、今は学生ではない二人の姿があった。

 一人はⅦ組担任の戦術教官、サラ=バレスタイン。そしてもう一人は、シスター服を着た若い女性。白い長髪と肌は清楚な雰囲気を醸し出し、碧く澄んだ瞳が煌めく。見た目の年齢では学院の生徒達とそれほど離れていないだろう。二人は学生達の活気のある声を耳にしながら、世間話をしていた。

 

 

「復興の方、やっぱり難航してるの?」

 

 

「はい。自給自足が行えるようになるまでは長い年月が掛かると思います。グランハルト様の送金もあって、子供達は不自由なく過ごせていますが……」

 

 

「そう……」

 

 

 シスターの少女が落ち込んだ様子で答える中、サラもまた表情に曇りを見せて相槌を打つ。活気のある生徒達とは対照的に、暗い雰囲気を漂わせる両者。二人の話は行き詰まってしまったようで、暫しの間沈黙が流れていた。

 空気に耐えかねたサラは何か話題がないかと思考を巡らす。そんな折、二人の元に漸く目的の人物がやって来た。

 

 

「サラさん、客人ってこの人ですか?」

 

 

 サラによる連絡を受けたグランが姿を現す。サラはグランに対して右手を挙げて答えて見せ、シスターの少女は彼の姿を見るやいなや慌てた様子でその場を立ち上がった。身だしなみを整え、胸に手を当てて一呼吸置くと彼の前へと歩み寄る。

 彼女はグランの顔を視界に捉えて声を発した。高揚と、緊張と、様々な感情が入り混じった少女の声は一際高く校舎の二階に響き渡る。

 

 

「お久し振りですグランハルト様! あなた様に初めてを捧げた時から、今日という日を待ち焦がれておりましたっ!」

 

 

「──は?」

 

 

 談話スペースに周囲の生徒達の視線が集まる。口元を隠してヒソヒソと話し出し、学生達の表情は一様に赤みを増していた。グランは訳が分からず呆然とその場で棒立ち、当の本人であるシスターの少女は恥ずかしさに頬を紅潮させ、顔を伏せている。

 本校舎二階は静寂に包まれる。そして誰もがこの後のグランによる第一声に注目した。しかし、先に声を上げたのは彼ではなく、先程からニヤニヤと笑みを浮かべている女性教官。

 

 

「うっふっふ……何の事か、色々と話してもらうわよ~?」

 

 

 グランと少女の肩に手を回したサラが、玩具を見つけた子供のようなキラキラした瞳で二人をソファーへ引きずり込んだ。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「詰まり、クロエの初めてっていうのは不可抗力のキスの事で、こっちじゃないと?」

 

 

「そうですよ、あとそれはやめんか」

 

 

 数分後、グランとシスターの少女クロエから事の詳細を聞き出したサラが不満げな顔でソファーにもたれ掛かっていた。彼女の右手は握り拳を作り、人差し指と中指の間を親指が貫いたところでグランがその手を下ろす。その意味を理解したクロエは見るからに顔を真っ赤に染めて俯き、グランもただただ呆れた様子でため息を吐いている。

 突然サラが近くのソファーへ移動すると、用は終わったとばかりにそのままソファーの上で昼寝を始めた。余りに自由奔放過ぎる彼女の行動に二人は苦笑いを浮かべながら、事の本題に入る。

 

 

「で、どうしてまた遠路遥々ノーザンブリアからここまで来たんだ? と言うより何でオレがここにいると分かった?」

 

 

「グランハルト様が帰ってこないからです! 士官学院に入学していたのは驚きましたが……あと、居場所が分かったのは帝国軍の方に教えて頂いたからです」

 

 

 ソファーにもたれ掛かりながら話すグランに対し、クロエは眉をひそめて返していた。いつの間にか頬の赤みも消え、真剣な面持ちで彼の視線を受け止める。

 クロエはノーザンブリアの七耀教会に勤めるシスターだ。その過去は、二年前にグランが荒廃したノーザンブリアの地を訪れた時までに遡る。塩の杭と呼ばれる災害によって土地の大半を塩に変えられてしまったノーザンブリアは、当時も饑餓に苦しんでいた。クロエは当時塩と化した土地をさ迷っており、まさに死に向かう直前。そんな時、彼女の前に突然現れたのがグランだった。

 

 

──目の前で死なれても具合が悪い。来いよ、飯くらい奢ってやる──

 

 

「あの時は、自分よりも幼い少年に助けてやると言われた事が信じられず、本当に死んでしまったんだと思いました。今では居場所を提供して頂いて、本当に感謝しています」

 

 

「成り行きってやつだ。それにそこから教会で働く事になったのはお前自身の努力だろう。オレはきっかけを作ったまでに過ぎない、感謝なら教会の人間にでもしてやれ」

 

 

 目を伏せた後、頭を下げる彼女に向かってグランは素っ気ない態度で答えていた。目を開いたクロエは興味無さげな彼の様子にため息を吐き、尚も口を開く。初めて会ったその日から、全く変わってないなと。

 

 

「……相変わらずですね。そんな事だから上の方々が好きなようにあなたのミラを使うんです、子供達の生活分は除けていますけど」

 

 

「それについては思うところもあるが……こっちは契約して払ってるし、問題はない」

 

 

「月三回の家の掃除で一千万近くのミラってどんな契約ですか……はぁ、分かりました。私からその事については何も言いません」

 

 

 クロエは話に見切りを付けたのか、話題を終えて懐から一つの包みと封筒を取り出した。グランの前にそれを差し出し、彼も訝しげにその二つを眺めている。

 クロエが今日グランの元へ訪れたのは、その二つを渡すのが目的だったらしい。彼女は立ち上がると、包みと封筒を怪訝な顔で見ている彼に向かって笑みをこぼしながら話す。

 

 

「包みの中には、教会で暮らしている子供達からの感謝の手紙が入っています。五十枚くらい入っていると思いますが、全部読んであげて下さいね?」

 

 

「……封筒の方は何だ?」

 

 

「教会のお偉い方がグランハルト様に宛てた物のようです。ここ三ヶ月程あなたからの送金が無かったので、ご機嫌伺いか催促の内容でしょう。そちらは捨ててもらっても構いません」

 

 

「そうか、了解した」

 

 

「送金の方もお気になさらず、学院生活を楽しんで下さい。今までに送って頂いたミラがまだ沢山ありますから。それと……」

 

 

 クロエはサラが未だソファーの上でいびきをかいている事を確認すると、頬を僅かに紅潮させて一度瞳を閉じた。グランは彼女の様子に首を傾げながら包みと封筒を手にし、ソファーから立ち上がる。

 自身の胸に手を当てて、やがてクロエはその目を開いた。胸中で高鳴る鼓動を抑えながら、その顔には赤く染まった頬と温かな笑みを浮かべて。

 

 

「いつでもいいんです、一度顔を見せに帰って来て下さい。子供達も……私も待っていますから」

 

 

 失礼します、と言い残して彼女はグランに背を向けると階段を降り始める。そんな彼女の背中を見詰めながら、グランはため息を吐いた後に手に持っている包みへと視線を移して、その目を伏せた。

 

 

「(悪いな。あの家に帰るつもりは、もうないんだよ)」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 夕暮れ時、トールズ士官学院学生会館の入口前には生徒会長のトワの姿があった。彼女は目を閉じ、耳をすませて夏の薫りと音を感じ取る。

 トワが生徒会室から出てきたのは、書類整理で凝り固まった体を動かすためだ。学院内を散歩して、気分を一新しようと考えたらしい。そしてもう一つ、彼女には別の理由があった。

 

 

「グラン君、まだ学院にいるかな……」

 

 

 ここ二週間近く見ていないグランの顔。いつも授業の終わった放課後に顔を出していた彼が、突然生徒会室に姿を見せなくなった。一体彼に何があったのか、ここ最近トワはその心配ばかりで仕事が手につかないでいる。

 彼女がいつも生徒会の書類整理を行っている時、ソファーでお茶を飲んでいるグランの姿が彼女にとっての日常になっていた。そしていざ彼がいなくなると、その日常に激しく違和感を感じてしまったのだろう。日常とはそれほどまでに、個人の心理に強く働いている。

 

 

「聞きたい事、沢山あるんだけど……あっ」

 

 

 グランの姿を探そうとした矢先、トワは本校舎から出てくるグランを見つける。彼女は嬉しさを隠しきれずその表情に笑みを見せ、彼の元へと駆け寄ろうとした。そしてその時、突然強い風が士官学院に吹く。

 

 

「きゃっ……あれ?」

 

 

 スカートの下にはタイツを着用しているのでその必要は無かったのだが、トワは条件反射でスカートを押さえ、風が直ぐに止むと彼女はグランがいた本校舎の入口へと視線を移した。しかしそこには既に彼の姿はなく、トワはグランの立っていた場所まで駆け寄って周囲を見渡すが、やはりグランの姿はどこにもない。

 グランを探すのを諦めたのか、彼女は深くため息を吐いてから生徒会の仕事に戻るべく学生会館へ向かおうとした。そんな中、ふと足元に落ちている封筒を発見する。

 

 

「何だろう、これ」

 

 

 封が開けられていたため、トワは疑問に思いながら中に入っていた紙切れを取り出した。一つはクロスベルで人気を博している劇団アルカンシェルのチケット。思った以上に貴重なものだったので彼女は慌てるが、落ち着きを取り戻すともう一つの紙を取り出し、そこに記されている内容に目を通す。

 

 

──グランハルト殿、命を無駄にしてはなりません。『赤い戦鬼(オーガ・ロッソ)』の事など──

 

 

「これって……っ!」

 

 

 トワは驚きの表情を浮かべてチケットと紙を封筒に入れ直すと、急いでトリスタの町へと向かうのだった。

 

 

 




あれだけ会長おおおおお! と言っておいてまさかのちょっとしか出なかったという。ごめんなさい、次回は会長いっぱい出ますんで。

グランとノーザンブリアの関係についても次回で詳しく書く予定です。それにしてもアルカンシェルのチケット捨てるなんて……グランのバカ!


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封筒の中身は

 

 

 

 トリスタの南、東西に延びる街道と街の北に進む道が交差する道の中央。そこにはため息を吐きながら西の街道へ視線を向けているグランの姿があった。ある人物の気配を感じ取った彼は学院からここまで駆けてきたようだが、どうやらその人物には逃げられてしまったらしい。グランは空を飛空している青い鳥を見上げて再度ため息を吐き、気配を探ろうと周囲の様子を見渡した。しかし、その人物の気配は僅かに感じるのみで場所の特定迄には至らず。

 グランは探すのを諦め、その視線を第三学生寮に移すとそのまま帰路に着いた。そして寮の前に差し掛かったところで、彼はクロエから受け取った包みと一緒に持っていたはずの封筒が無くなっている事に気が付く。

 

 

「(落としたか……中身を確認しようと思ったんだが、まあ大した物でもないだろ)」

 

 

 落とした封筒を探そうとする事もなく、グランは学生寮の扉を開いた。そしてそのまま中へ入ろうとした矢先、突然彼の後方からグランの名前を呼ぶ少女の声が聞こえてくる。声の主に気付いたグランは無意識の内に浮かべていた笑みを消すと、扉を閉めてその場を振り返った。

 彼の視線の先では、トワが街中から第三学生寮に向かって息を切らしながら走ってきている。彼女は第三学生寮の前に立つグランの元へたどり着くと、膝に手をついて荒くなっている呼吸を整えた。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……合ってて良かったぁ──もう~、グラン君速いよ」

 

 

「どうしたんですか、そんなに急いで」

 

 

 困った様子で顔を見上げてくるトワに対し、グランも彼女が何故こんなに慌てているのかが分からず首を捻っていた。そんなグランを見るやいなやトワは不機嫌そうに背を伸ばすと、人差し指を立てて彼の額をピンと突く。

 突然の事に、グランは突かれた額に包みを持っている右手を当てて呆けた表情を浮かべていた。その表情が面白かったのか彼女は途端に笑みを浮かべると、ぶら下がっているグランの左手を取って優しく両手で包み込む。そして、愛おしそうに彼の手を撫でた後、彼女は寂しげに呟いた。

 

 

「最近、グラン君の顔を見てなかったから……無理とかしてないかなって」

 

 

「別に……と言うか会長の方こそ無理してるんじゃないですか? 夜に学生会館の前を通る時、生徒会室の明かりいっつも点いてますけど」

 

 

 グランは握られた手に目を向けた後、上空へ視線をそらして照れくさそうに頬を掻いていた。仄かに赤く染まった彼の頬は、空から注ぐ茜色の光によって誤魔化され、トワが気付く事はない。そして彼女にとっては心配していたつもりが逆にグランから心配されていたという事で、苦笑いを浮かべてその場を乗り切ろうとする。しかし直後に容赦なく彼の鋭い目がトワの瞳に突き刺さり、彼女は握っていた手を離すとしゅんと落ち込んだ様子で顔を俯かせた。

 落ち込むトワの姿にグランは笑みをこぼすと、彼女の頭にポンと手を乗せる。頭に伝わる温もりにトワも顔を上げると、グランの手が自分の頭に置かれている事に気付いて恥ずかしそうに頬を赤く染めていた。

 

 

「こ、こら。女の子の頭に手を置いたりしたら駄目だよ……」

 

 

「オレは会長の事を小動物的な何かだと思ってるんで問題ないです」

 

 

「む、それって女の子として見てないって事?」

 

 

「冗談ですよ、冗談……で、本当にどうしたんですか?」

 

 

 これ以上彼女をからかうと反撃を浴びてしまうだろうとグランは考えたのか、トワの頭から手を離して彼女が自分に訪ねてきた事の本題へと入る。トワも膨らましていた頬から空気を抜くと、思い出したような表情を浮かべて懐から封筒を取り出した。

 グランは彼女からその封筒を受け取り、中に入っている紙を取り出して記されている内容に目を通す。内容の前半はクロエの予想通り、遠回しに送金を催促するものだった。そして、内容の後半に目を通している途中でグランの目が鋭いものへと変わる。

 

 

──人には越えられない壁というものが必ず存在するものです。グランハルト殿、命を無駄にしてはなりません。赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)の事など忘れた方が宜しいでしょう──

 

 

「まだ催促だけの方が可愛いげがあったな……他人の限界勝手に決めんなくそったれが」

 

 

「グラン君……」

 

 

「もう見る必要もないな……そんで、会長もこの紙を見たと」

 

 

 記されていた内容に、表情を僅かに歪めたグランは紙を折って封筒に戻した後、心配そうな表情で顔を見上げてきているトワへとその視線を移した。彼女の何か言いたげな顔を見て、トワも内容を見てしまったんだろうと彼は判断する。その判断は正解で、グランに問い掛けられた彼女は申し訳なさそうに頷いた。

 このままトワを帰そうとしても、彼女はきっとそれを認めないだろう。内容から自分の事は殆ど知られてしまった、せめて彼女が聞きたい事だけでも話さないと帰りそうにない、とグランは思い至ってため息を吐く。

 

 

「仕方ない……どうぞ、会長の疑問に答えますよ」

 

 

 グランは第三学生寮の扉を開けると、トワに入室を促した。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 第三学生寮二階、グランの自室。グランが入室を促してトワがその中へ入ると、部屋の中にあるのは彼が就寝するためのベッド、現在トワによって鍵を掛けられた秘蔵コレクションの入っている棚、そして直径五十リジュ程の丸いテーブルに椅子が一つと、おおよそ学生の部屋にしては殺風景な空間が広がっている。トワにとっては棚に鍵を掛けに来た時以来のグランの部屋となるのだが、その当初と何ら変わりない室内の風景に彼女も笑みをこぼしていた。

 グランは封筒と包みをテーブルに置いて自室のベッドに腰を下ろすと、トワに椅子へ座るように声を掛け、彼女も笑顔で返しながら椅子を引く。そして彼女が椅子に座ったところで、疑問に答えるべくグランが問い掛けた。

 

 

「で、何が聞きたいんです?」

 

 

「──『紅の剣聖』グランハルト=オルランド」

 

 

「っ……!?」

 

 

「要人警護のスペシャリストとして、西ゼムリアを中心に活躍する猟兵。東方剣術の八葉一刀流を修めた若き剣聖としても知られる……ここまでは、合ってるよね?」

 

 

 真剣な面持ちで淡々と語り始めたトワの言葉に、グランは驚きつつも表情を同じく真剣なものに変えて頷いた。そして、ここまではと言う事は必ずその先がある。彼の頷きを見て、トワは更に続けた。

 

 

「大陸最強の猟兵団、『赤い星座』の元部隊長。そして六年前の当時『閃光』の異名で知られていたグラン君は、何らかの理由で突然『赤い星座』を抜けた」

 

 

「……合ってますよ。それにしてもよく調べましたね、情報の出所は大方理解できますけど」

 

 

「あはは……でもね、これ以上の事は話してもらえなかったんだ。ごめんね、グラン君の事を調べたりして」

 

 

 トワによる謝罪。グランの素性を調べた事に対する罪悪感からきたそれには、グランも苦笑いを浮かべるしかなかった。本当なら話す必要のない事を彼女は口にし、こうして頭を下げている。人が良いのか悪いのか分からないと、グランは苦笑しているわけだ。

 調べたのが彼女でなければ、恐らく彼も謝罪を邪険に扱った事だろう。それだけトワが特別な存在になりつつあるという事実には、グランも気付いていない様だが。

 

 

「それで、謝るためだけに来たんですか? 他に聞きたい事あったんじゃ……」

 

 

「うん、本題に入るね。聞きたかったのは──」

 

 

 そう言ってトワが封筒から紙を取り出し、テーブルの上にその紙を広げる。そして、グランが目を細めて紙を見詰める中、彼女は文の一節を指でなぞった。

 

 

「『命を無駄にしてはなりません。赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)の事など忘れた方が宜しいでしょう』……」

 

 

 文の一節をなぞりながら、トワは声に出してそれを読み上げた。読み続けているその表情には陰りが見え、彼女の顔は明らかに辛そうなものへと変わっている。

 トワの顔を直視する事が躊躇われたのか、グランは瞳を伏せて彼女の声を聞いていた。そして直にトワは読み終え、その辛そうな表情でグランの顔を見上げる。

 

 

「これって、どういう意味かな?」

 

 

「それは……」

 

 

 目を開けたグランは、辛そうにしながらも意思のこもった彼女の瞳に気持ちが揺らいでいた。正直に話すべきか否か、どうすれば良いだろうと。

 彼は確かに、トワの疑問に答えると言った。しかし実のところ正直に答えるつもりなどなく、適当に誤魔化せば問題ないと考えていたため、ここにきて迷っているのだろう。迷いを生んだ原因はトワの意思の強さか、はたまたグランの意思の弱さか。そんな中、彼女が追い討ちをかける。

 

 

「ミヒュトさんにね、グラン君がいた『赤い星座』の事も少し聞いたの。副団長のシグムント=オルランド……『赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)』の名前。グラン君の姓と同じだよね?」

 

 

「そこまで知られてたか。ったく、口の軽い情報屋だな……その通り、会長の考えている事は殆ど合ってますよ」

 

 

「じゃあ、ここに書かれてる意味って……」

 

 

「『お前じゃ父親に勝てない、だから止めておけ』要約するとそんな感じですよ、黙ってミラだけ受け取ってろっての」

 

 

 不愉快そうに語るグランを見て、トワも彼と父親であるシグムントの間に何かあったのだろうと感ずる。聞きたいところではあるが、親子間の事情というのは他人には踏み入れてはならない領域であり、これ以上は今触れるべきではないと彼女は思い至った。彼の事をもっと深く知り、より理解した上でいつか聞こうと。

 トワは話を戻すため、再び紙に書いてある内容について問い掛ける。

 

 

「そういえばミラで思い出したんだけど……グラン君、ノーザンブリアの教会に寄付してたんだね。この紙を見て知ったんだけど、感心しちゃった」

 

 

「契約ですよ、契約。家の掃除してもらってる代わりに払ってるだけです」

 

 

「もう、素直じゃないんだから……でもどうして寄付しようと思ったの? グラン君の性格と全然繋がらないんだけど」

 

 

「何気に失礼な事言ってくれますね……」

 

 

 悪気はないであろうトワの言葉に、グランは眉をピクピク動かしながらその表情を引きつらせていた。彼の様子に首を傾げていたトワも失言に気付いたようで、慌てて頭を下げて謝っている。

 グランはそんなトワの姿に笑みを浮かべると、ベッドに両手をついて後方へ体重をかけた。そして、天井を見上げながら彼女の疑問に答える。

 

 

「反面教師ってやつですよ。クソ親父と違って、オレはまっとうな人間になりたいって始めたんですけど……これがまた考えれば考えるほど惨めでして」

 

 

「どうして?」

 

 

「だってそうでしょ。意地になって張り合ってるようにしか感じない。それに、猟兵の時点でまっとうな人間じゃないですし。まあ、今更なんでノーザンブリアへの送金は続けてますけど……」

 

 

 自嘲気味に笑みを浮かべる彼を見て、トワの表情に再び陰りが見え始める。そんなことはない、そう口にする事が出来なかった。そのような言葉は、きっと気休めにもならないからと。

 慈善活動は実に素晴らしい行いである。恵まれない人々へ経済的な援助をし、救う事。だが、その行動事態がグランにとっては父親への対抗心を如実にあらわしているに過ぎないと感じてしまう。自分と父親は違うのだと、そう意地になっているようにしか彼には感じなかった。

 

 

「結局のところ、オレにはあの男の存在を消す以外に方法はないんですよ。それが、何よりもあいつの──」

 

 

──グランハルト、大丈夫?──

 

 

 そして言葉を続けようとしたその時、トワの心配そうにしている姿がグランの中である人物と重なる。彼の視界には白い髪をしたトワの姿が映り、直後に彼女の髪は元の栗色へと戻った。それと同時に、グランを突然の頭痛が襲う。

 

 

「くっ!? 今、のは……」

 

 

「だ、大丈夫グラン君!?」

 

 

 苦痛に顔を歪めて頭を抱え始めたグランの様子に、トワも慌てて近寄ると彼の体に手を添える。グランの頭痛は暫くして収まりを見せ、トワは体調を考えて今日は早く休んだ方がいいと彼をベッドに寝かした。

 余程疲れが溜まっていたのか、グランは数分程で規則的な呼吸を始める。彼が寝息を立て始め、トワはグランと自分の額に手を当てて熱がない事を確認すると安堵のため息を吐いた。

 

 

「ビックリしたぁ……サラ教官とシャロンさんにも話しておかないと。それじゃあ、グラン君またね」

 

 

 眠っているグランの頭を撫でた後、トワは急いで立ち上がった事で倒れてしまった椅子を片付ける。そして、制服の内ポケットからフィーに預かっていたグランのペンダントを取り出すと、ふたを開けて写真に写っている自分とそっくりな白髪の少女を見詰めた。

 

 

「(この子の事も聞こうと思ったんだけど、仕方ないか)」

 

 

 トワはペンダントのふたを閉じて内ポケットに納めると、グランの部屋を退室する。そして、テーブルの上には封筒から出していた紙が広げられたまま置かれていた。

 

 

──『赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)』の事など忘れた方が宜しいでしょう。クオンもきっと、それを望んでいる事と思います──

 

 

 




今回は会長が十割出ました。いつもこれなら私も嬉しいんですけど、特別実習になると途端に出せないんですよね……
しかーし!今回の特別実習には会長も出るという……やったね!


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賑やかな早朝

 

 

 

 翌日の七月十八日、日曜日。涼やかな風が頬をなぞり、昇り途中の朝日の光が心地良い早朝の時間。生徒会長のトワは生徒会に出された幾つかの依頼をリィンに任せるため、依頼内容が記された紙を第三学生寮にある彼のポストの中へ入れていた。リィンにとっては自由行動日の恒例と言ってもいい生徒会の依頼の手伝い。多くの仕事を抱えるトワにとっては彼の手伝いが非常に助かっており、彼女の暮らす第二学生寮から士官学院とこの第三学生寮はそれぞれ反対方向なのだが、学院に登校する前にこうしてわざわざ届けている。

 普段通りであれば、彼女はこのまま退室して学院に登校するはずだった。しかしこの日はリィンのポストへ依頼の書かれた紙を入れてから、無言で第三学生寮奥の階段へと視線を向ける。そして暫くの間トワがボーッと立ち尽くしていると、台所で朝食の用意をしていたシャロンが顔を出し、彼女を出迎えた。

 

 

「あっ……シャロンさん、おはようございます」

 

 

「おはようございます。毎日このような明け方からご苦労様です、グラン様とサラ様にも見習って欲しいものですわ」

 

 

 シャロンは挨拶と共にいきなりグランとサラの名前を上げ、直後にため息を吐く。そんな彼女の様子を見るに、グランとサラがどれだけ普段遅くまで寝ているのかが分かる。この前は学院の授業が始まった時間に二人共降りてきた、とシャロンがぶつぶつと語り始め、トワは苦笑いをするしかなかった。

 遅刻と言ってもサラに限ってはごく稀な事なのだが、それでも教官が授業に遅刻するなどあってはならないだろう。生徒の模範でなければならない立場の人間がそのような失態を犯せば示しがつかないし、何より職務怠慢で給料泥棒もいいところである。そして未だにシャロンは二人に対しての不満を呟いているのだが、このままじっとしていては会話が進まないため、トワは彼女の呟きを遮って声をかけた。

 

 

「あの、グラン君はあれからどうですか?」

 

 

「目を放せばサラ様はグラン様とワインを飲もうとしていますし……あ、申し訳ありません。二人への不満がつい」

 

 

「あはは……それで、グラン君の体調はあれからどうですか?」

 

 

「グラン様ですか? あの後お目覚めになられてから、普段通りのご様子でリィン様やアリサお嬢様達、Ⅶ組の皆様方とご夕食を共になさっていましたが……」

 

 

 苦笑いを浮かべながら再度問い掛けるトワに対し、小首を傾げた後にシャロンは答えた。望んでいた回答が聞けたのか、トワは胸を撫で下ろして安堵のため息を吐き、そんな彼女をシャロンは微笑みながら見詰めている。

 ふと、トワを見詰めていたシャロンが思い付いたように手を叩いた後に笑みを浮かべた。トワは突然彼女が手を叩いた事を疑問に思い、シャロンの様子に首を傾げている。

 

 

「ふふ、わたくしから一つお願い事があるのですが……」

 

 

「ん?」

 

 

 この時トワは気付かなかった。シャロンの浮かべている笑みが、彼女の事をよく知っているアリサとグランならば裸足で逃げ出すほど凶悪なものだという事に。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「それでは、ごゆっくりなさいませ」

 

 

 第三学生寮二階のグランの部屋の前、満面の笑みを浮かべたシャロンはその部屋の扉を閉める。そしてそんな彼女を呆然と眺めていたトワは、顔を真っ赤に染めたまま微動だにしなかった。現在彼女一人だけ……正確には、ベッドですやすやと寝息を立てているグランと二人、部屋の中に取り残されている。

 どうしてこんな状況になってしまったのか。この時トワは熱を帯びて思考の鈍くなった頭を、『氷の乙女(アイスメイデン)』にも勝る勢いでフル回転して考えた。しかし熱が発生して回路に異常をきたした導力演算機では本物に勝てるはずもなく、考えれば考えるほど彼女の頭は真っ白に。トワは考える事を直ぐに止めた。

 

 

──グラン様を起こしては下さらないでしょうか? あの方にはそろそろ早起きの習慣も覚えて頂かないといけませんので……あっ、おはようございますのキスなんてロマンチックですわ♪──

 

 

「っ!? ど、どうしよう……」

 

 

 シャロンからのお願い事を思い出して赤みの引いていた頬を再び染め、オロオロと部屋の中を見渡した後に発した彼女の第一声はそれだった。トワは目を潤ませながら、シャロンの閉めた部屋の扉を見詰めている。

 シャロンのお願いというのは、グランの早起きの習慣を身に付けるために手伝ってほしいとの事だった。おはようのキスがどうとか言っていた辺り間違いなくシャロンの悪戯が発動した訳なのだが、アリサやグランほど付き合いの長くないトワに彼女の悪戯前の兆候を見抜く事は出来るはずもない。

 おはようのキスの件を思い返していたトワが胸の高鳴りを抑えていると、廊下からは扉を閉める音や数人の足音が聞こえ始めていた。恐らくⅦ組の子達が目を覚ましたのだろうと彼女は考えながら、後ろに振り返ってベッドの横に近付く。そして、眠っているグランの後ろ髪を眺めていた。

 

 

「ふふ。本当に、ぐっすり寝ちゃってる……」

 

 

 先程までの緊張は何処へやら。グランの寝ている姿を視界に捉えると、トワは笑みをこぼしながら傍に置いてあった椅子へと腰を掛ける。彼の頭を優しく撫で、トワにとっては何故か心地良く感じるこの空間を楽しんでいた。

 暫く彼女がグランの頭を撫でていると、不意に彼が寝返りを打った。反射的にトワは手を離し、目の前に現れたグランの顔に再度胸の高鳴りを覚える。常人では想像を絶するであろう体験をしてきたとは思えない、あどけなさの残る顔。そんなグランの顔にトワは手を伸ばすと、頬とベッドの間に潜り込ませて彼の頬へと手を添えた。

 

 

──おはようございますのキスなんてロマンチックですわ♪──

 

 

「な、何でこんな時にあのフレーズが……」

 

 

 トワは突然シャロンの言葉を思い出し、自身の胸の高鳴りと共にその鼓動が急激に早さを増した事を認識する。顔は火照り、原因不明の熱は彼女から視力と正常な思考を奪い始めていた。

 薄れていた意識の中、ぼやけていた視界はやがて晴れ、トワは目の前の光景に息を飲む。いつしか自分は身を乗り出し、グランの顔に急接近していたからだ。しかしこの状況下では思考が正常であろうとなかろうと、恐らく彼女の次に取る行動は変わらなかっただろう。

 

 

「グ、グラン君が早く起きないのが悪いんだからね……」

 

 

 考える事を止め、全ての責任をグランに押し付ける。彼女は潤んだ瞳を閉じ、彼の唇へとその距離を縮めた。グランとトワの顔は元々至近距離、時は直ぐに訪れる。

 彼女は唇に温かな感触を覚えた。男の子との初めてがこんなのでいいのだろうか、でも恋愛小説は女の子の方が割りと積極的だし……と訳のわからない言い訳を脳内で述べながら、彼女はグランの権限を一切無視した結論に至る。

 早く彼は起きてくれないだろうか。これ以上このままだと、シャロンさんやⅦ組の他の子が来てしまうかもしれない。それに自分も少し息苦しい……と段々思考が正常に戻っていく中、トワはある違和感に気付いた。そう、自分が息苦しいなら彼も息苦しいはずだ。なのに何故いっこうに目を覚まさないのかと。

 そういえば唇の感触が少し硬い。男の人は皆そうなのだろうか、でも流石にゴツゴツし過ぎではないだろうか……と彼女の疑問が一つ二つと増していく中、トワは躊躇われていた目の前の光景を視界に収めるべくその瞳を開いた。

 

 

「──あっ」

 

 

「おはようございます、トワ会長」

 

 

 彼女の視界に広がったのは、ニヤニヤと笑みを浮かべたグランの顔だった。よく見ると自身の唇は彼の人差し指に進行を食い止められ、キスをしていたのはグランの唇とではなく彼の人差し指とだ。

 甘い甘い空間は、突如として冷やかな沈黙へと変わった。トワはグランの人差し指から唇を話すと、その目に溢れんばかりの涙を浮かべて振り返る。

 

 

「ふえぇぇぇん!」

 

 

「ちょっ!? 何でいきなり泣き出すんですか!」

 

 

「グラン君のバカ! 離して! ここにいたら私恥ずかしさで死んじゃうからっ!」

 

 

「離せるわけないでしょ! 泣いてる会長がオレの部屋から出ていったら、本当の意味でオレ死にますから!」

 

 

「グラン君なんか痛い目に遭えばいいもん!」

 

 

「先月の特別実習で充分遭いました!」

 

 

 第三学生寮二階の早朝は、いつもより賑やかだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 第三学生寮一階、そこではグランを除いたⅦ組の皆が朝の食にありついていた。相変わらず高級レストランに引けを取らないシャロンが作る料理に舌鼓を打ちながら、一同はここにいないグランの話をしている。

 会話の内容は、ここ最近グランが放課後に一人で旧校舎の探索を行っている事。それも、皆の協力を断りわざわざ一人でだ。彼の急な変化には、リィンを初め他のⅦ組メンバーも心配していた。

 

 

「今日もグラン遅いな。昨日は旧校舎に行っていなかったみたいだけど、連日の疲れが溜まっているんだろうな」

 

 

「心配だよね、グラン。先月の実技テスト以来恐くて話しかけづらかったから、その時の事を謝る意味でも手伝いたいんだけど……」

 

 

 ロビーに繋がる扉を見ながらリィンが話を切り出すと、表情を曇らせたエリオットが続く。他の皆も一様に表情に陰りを見せ、エリオットの言葉が如何に当時の自分達にも当てはまるかと痛感しているようだった。

 パトリックが暴言を吐いてしまったあの日、あの場にいた皆が恐れを抱いてしまったのは仕方のない事だ。結果的にサラが掠り傷程度で終わったとは言え、一歩間違えれば確実に一人の命が散っていた。士官学院に通う者ならいつか目にする光景だとしても、余りに残酷な光景を。だから逆に言うと、あの戦闘風景を目撃したにもかかわらず当初からグランの事を心配していたリィンやアリサの心が強すぎるのだ。エリオットが決して弱いわけではない。先月の特別実習を終えてA班、B班の情報交換を行う時まで、彼がグランに対して恐いと思ってしまうのは当然である。

 だが、エリオットの恐れもA班で起きた話を聞いて無くなる事となった。グラン本人から口にした猟兵という過去、そしてノルドの危機を救うために己の身を犠牲にしてまで尽力した話を聞いて、不思議と彼の脳裏からグランに対する恐れが消える。グランもⅦ組の一員でありたいと、平和を願う同じ仲間だと気付いたからだ。とは言え一連の出来事でグランに対する恐れが払拭出来たのは、エリオット自身も心が強いからなのだが。

 

 

「まあ、あれだけ寝てたら疲れは取れると思うけど……少し心配よね」

 

 

「はい、グランさんの無茶はこの目でしっかり見てしまいましたから……」

 

 

 苦笑いを浮かべながらアリサとエマが顔を合わせ、同班だったユーシスとガイウスも顎に手を当てて考え事をしている。馬鹿な男だ、と呟いたのはユーシス。続いて感謝の言葉を口にしたのはガイウスで、故郷を守る助けとなってくれたグランには彼なりの恩義を感じているらしい。皆と一緒にグランの事を考えている事こそがその表れだ。

 話題はそのままA班の特別実習について行われ、石切り場での出来事になったところでアリサがふと思い出した。

 

 

「そうそう、それでエマが倒れそうになったグランを抱き締めた時には驚いたわよね~」

 

 

「ア、アリサさん!? そう言うアリサさんも、星の綺麗な夜にリィンさんと恥ずかしい台詞言い合ってたそうじゃないですか!」

 

 

「ど、どうしてそれを知ってるのよ! リ・ィ・ン?」

 

 

 アリサによる不意の一撃に動揺しながらもエマが反撃し、最終的にその矛先はリィンへと向いた。アリサは凄みのある笑顔で彼を見詰め、リィンも突然巻き添えを食らってしまった事に慌てて弁明をする。しかし、これがリィンの性なのか。

 

 

「な、何で俺にくるんだ……委員長には話してないはずなんだが」

 

 

「委員長にはって……リィン、貴方まさか本当に!?」

 

 

「い、いや……あの後グランに聞かれて話しただけなんだけど」

 

 

 やはりリィンが悪かった。鈍感スキルを発動していたようで、グランに会話の一部を話してしまったようだ。そしてその会話には尾びれがついてⅦ組メンバーの間に伝わっていったのだろう。尾びれとは言っても最終的には真実に辿り着いていたが。そして、アリサの様子をニヤニヤと見ている一同の顔を見れば、既に皆がこの事を知っていたというのが分かる。

 

 

「リィン、少し話があるんだけど」

 

 

「え、遠慮させてもらえないか?」

 

 

「させるわけないでしょ!」

 

 

 リィンが椅子に座ったまま後退るという器用な事をやってのける中、恥ずかしさで顔を真っ赤に染めるアリサから猛攻が始まった。そんな二人の様子を微笑ましく見守る者、呆れている者、皆それぞれの反応を示していたが、意外な二人が同じリアクションを取っている。隣り合わせに座るラウラとフィーが、瞳を伏せながら口を揃えてこう言った。

 

 

「朝から賑やかだな」

 

 

「朝から賑やかだね」

 

 

「君達、実は仲が良いんじゃないのか?」

 

 

 口を揃えて呟く二人を目の前に、マキアスは思わず声に出してしまう。第三学生寮一階の早朝も、いつも以上に賑やかだった。

 

 

 




……特別実習ノルド編を執筆している辺りから『会長出したい病』を発症していたみたいです……会長可愛いよ会長おぉぉぉぉ!
冗談はここまでに(割りと本気だった)、次回から自由行動日ですね。ブリジットに対するアランの淡い恋心、写真部のクエストであらわになるトワ会長の写真、ナイトハルト教官の水練……は、まぁいいとして。エリゼ登場と書く事ありすぎだ……! 前回や今回みたいに話進まないかもです……ごめんなさい。


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それぞれの思い

 

 

 

「ふふ。お目覚めはいかがでしたか、グラン様?」

 

 

 第三学生寮一階、階段前。二階から降りてきたグランは今、悪戯っぽい笑みを浮かべるシャロンを前に頭を抱えていた。トワがいきなり自分の部屋に訪れたのは、やはりこの人が原因だったんだなと。彼は大きくため息を吐いた後、シャロンの横を通り過ぎて近くに設置されたソファーへ腰を下ろす。

 グランがソファーに腰を下ろした丁度同じタイミングで、二階からトワも降りてきた。階段を降りた彼女はニコニコと笑みを浮かべているシャロンと目が合うと頬を赤く染め、視線を近くのソファーへと移す。

 

 

「うぅ~……」

 

 

 トワは突然唸り始めると、潤んだ瞳をソファーに座っているグランへ向けた。当のグランは気まずそうな表情で瞳を伏せ、その額に汗を滲ませている。グラン自身、トワに対して申し訳ない事をした自覚はあるようだ。

 彼女が部屋に訪れて椅子に座った時、既に彼は起きていた。あのような状況になってしまう前にグランが起きていれば何事もなかったはずだし、こうしてトワが恥ずかしい思いをする事もなかっただろう。突然キスをしようとした彼女も彼女だとは思うが、それでも狸寝入りをしていたグランにも多少の責はある。

 唸りながら隣に腰を下ろしたトワに向けて、グランは素直に頭を下げた。

 

 

「悪気は無かったんです、ただああしてた方が面白いかなーと思っただけで……本当にすみません」

 

 

「……はぁ。良いよ、元はと言えば私が悪かったんだし」

 

 

 反省している様子のグランを見てため息を吐いたトワは、どこか諦めたように目を伏せるとソファーの背もたれへ体を預ける。あと一歩のところで成就されなかった彼女の思い、しかしトワがグランに対して唸っていた理由はそれだけではなかった。

 恥ずかしい思いをしたのは自分が先走ってしまったから、彼女はグランの部屋で起きた先の一件を確かに己のせいだと認めている。トワにとって問題なのはその後、先の一件が過ぎた後のグランの態度だった。

 

 

「いやぁ、良かった良かった。これで会長に嫌われたらどうしようかと思いましたよ」

 

 

「(……グラン君は、私の事どう思ってるのかな?)」

 

 

 人懐っこい笑みを浮かべて顔を向けてくるグランを見ながら、トワは彼の心境について考える。それは他でもない、グランが抱くトワに対する思いについてだ。

 初めてのキスが実らなかった直後、グランの部屋では一騒動あったわけだが、その時は兎も角として、その後のグランはいつもと変わらない様子でトワに接していた。恥ずかしさで頭が混乱していた彼女にとっては助けられている部分もあったが、同時に不満でもあったらしい。女の子の顔が目の前にあったにもかかわらず、彼は何も感じなかったのかと。

 トワはグランの顔から視線を外して俯くと、直後に目を伏せる。そして自身の胸に手を当てて、先の一件を思い出した事による胸の高鳴りを感じながら、彼女はゆっくりとその瞳を開いた。

 

 

「(私はこんなにもドキドキしてる。なのにグラン君はそんな素振りを一つも見せてくれない……ねぇ、グラン君)」

 

 

 トワは再び顔を上げると、その不安げな瞳をグランの顔へ向けた。彼女の視線を受けたグランは小首を傾げると、困惑した様子でトワの顔を見詰め返している。

 そんなグランの顔を見て、トワは出しそうになった声を必死に我慢して飲み込むと再び俯き始めた。声に出す事が何よりも恐くて、彼女は瞳を閉じると心の中でグランに問う。

 

 

「(グラン君は……私の事、好き?)」

 

 

 心の中で問い掛けても、グランは何も答えてはくれない。目を開けば答えを持ち合わせた当人がそこにいる、しかし不安で埋め尽くされた彼女の心では問い掛ける事は出来なかった。

 いつの間にかトワの頬は赤みを増し、胸の高鳴りは更に加速していた。彼女はそんな自身の胸を手で抑えながら、心の中で彼に向かって再び呟く。

 

 

「(私は……私はグラン君の事が好き)」

 

 

 彼女が心の中で呟いたそれは、嘘偽りのない、紛れもない本心だった。しかし本人にその気持ちを打ち明けるのは勇気がいる事だろうし、断られたらどうしようという不安でトワが直接声に出せないのは仕方がない事だ。とは言え、結局のところは打ち明けなければ事は進まないのだが。

 ただ、現状で彼女の前に進めている点を上げるとするならば。思いもよらない出来事が起きたこの日の朝、トワ自身がグランに対して特別な感情を抱いている事を認識出来た事が、大きな一歩だと言えるだろう。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 グランとトワが学生寮の一階に降りてきて数分後。二人は早朝に吹く涼風に髪を棚引かせながら、第三学生寮の前で互いに向かい合っていた。グランにとっては本当の意味での自由行動日だが、トワにとっては生徒会の仕事があり、余り学生寮で時間を潰すわけにもいかない。生徒会の仕事があるからとトワが第三学生寮をあとにし、そんな彼女をグランがこうして見送っているわけだ。

 トワは心なしか寂しそうな表情を浮かべ、グランの顔を見上げている。そして直後に彼女は寂しい気持ちを振り払うかのように笑顔を浮かべると、グランの服の袖を軽く握った。

 

 

「それじゃ、グラン君またね」

 

 

「ええ、余り無理しないで下さいよ?」

 

 

「うん、グラン君もあんまり無理しちゃ駄目だからね?」

 

 

 服の袖を握っていた手を離し、トワはその場を振り返ると学院へ向けて歩き出した。彼女はそのまま傾斜のある道を上がり、町中へ姿を消してグランの視界からも外れる。

 トワが離れていった事を確認して、グランはふとため息を吐いた。そして彼がため息を吐いた直後、突然第三学生寮の扉が開かれる。中から出てきたのは複雑そうな表情を浮かべたシャロンで、彼女はグランの隣で立ち止まると同じように町中へ視線を向けた。

 

 

「トワ様のお気持ち……グラン様は既にお気付きになられているのではありませんか?」

 

 

「……何の事でしょうか? オレには思い当たる節がありませんけど」

 

 

「ご冗談を……リィン様ならいざ知らず、グラン様はそこまで鈍い御方ではないと思っていたのですが」

 

 

「はは……リィンも酷い言われようですね」

 

 

 飛び交う言葉の中、グランは引き合いに出されたリィンに同情しながら苦笑する。しかしシャロンの言っている事も間違ってはいないので、彼がリィンの肩を持つという事はなかったが。

 グランは町中へ向けていた目を伏せ、数秒ほど沈黙してからゆっくりとその目を開く。彼の様子を隣で見ていたシャロンはこの時、何かを決意したような彼の表情から、同時に何かを諦めているようにも感じていた。

 

 

「もしトワ会長がオレの事をそんな風に思ってくれているとしたら、そりゃあ嬉しいですよ。オレも会長の事好きですし」

 

 

「では何故あのまま口づけを交わされなかったのですか? 相思相愛でしたら、きっかけなど余り関係ありませんわ」

 

 

「(やっぱ見てたんだな)……駄目なんですよ」

 

 

「え?」

 

 

「多分、本気で好きになってしまったら駄目なんです。トワ会長にとっても、オレにとっても」

 

 

 オレの目的、知ってますよね? と直後に付け足したグランの声に、シャロンも思うところはあったが概ね納得していた。彼の目的は危険を伴う、共にいれば必ずと言っていいほど巻き込まれる危険性が高い。グランの事を好きになってしまえば、悲しむ未来は容易に想像がつくと。

 だからと言って彼の判断が最善というわけでもない。二人が特別な関係になったとしても、互いが悲しまずに済む方法もあるはずだ。だが、今のグランではその方法を見つけ出す事は出来なかった。

 

 

「友達以上恋人未満、って言うんでしょうか。きっとそれが一番なんですよ。大切な人を失う悲しみは、味わわずに済むならそれがいい……って知ったような口利くのも可笑しいんですけど」

 

 

 再度苦笑いを浮かべて、グランは一人先に学生寮の中へと戻る。その時のグランの背中は、特別実習でリィン達から大きな信頼を寄せられているとは思えないほど小さなものだった。シャロンもまた、彼女の記憶にある以前のグランとはまた違った脆さを彼の姿から感じ取る。

 グランが士官学院に入学した本当の理由。それを知る一人でもあるシャロンは、この先の彼の学院生活が良い方向に働く事を願い、トリスタの町を包み込んでいる雲一つない青空を見上げた。

 

 

「(二年前、第三柱がグラン様に施した自己暗示型の記憶封印(メモリーシール)。もしそれが今のグラン様を産み出してしまった原因だとしたら……ですが、トワ様ならきっと──)」

 

 

 シャロンはその場で両手を組むと、青空を見詰めていた瞳をそっと閉じるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「しまった、また逃げられたか」

 

 

 士官学院旧校舎前。学生寮での朝食の時間にアリサから猛攻を受けたリィンは何とか彼女に許しを得た後、トワが早朝にポストへ入れていた生徒会の依頼に早速取り掛かっていた。現在彼は大きくため息を吐くとばつが悪そうに頭を掻き、技術棟の横に抜ける道の先を見詰めている。

 リィンが取り掛かっている依頼の内容は、写真部の部長から受けたものだった。部長曰く、部員のレックスが女子生徒を隠し撮りした写真を使い、裏で取引を行っているらしい。学院における風紀上の問題に関わり、見つかれば何らかの処分も考えられる。それを心配しての部長からの依頼であった。

 そして、リィンはこの旧校舎前でレックスと平民生徒が取引を行おうとしている場面に出くわし、彼らに話を聞こうとしたのだが、取引の証拠を見つける事も出来ずに逃げられてしまう。その理由が『水着姿のアリサちゃんがそこにいる』というレックスの嘘によって気をとられたという、何とも情けない話なのだが。

 

 

「他に人目のつかない場所と言えば──」

 

 

「水着姿のアリサって何処だ!」

 

 

 レックス達が他に取引に使いそうな場所をリィンが模索していると、突然旧校舎前にグランが駆け寄ってきた。彼の発している言葉を聞くに、リィンが騙された嘘の言葉がグランにも聞こえていたのだろう。

 リィンは近くで立ち止まったグランにそれは嘘だったらしいと告げ、彼はその場でガクリと項垂れた。

 

 

「よく考えたらこんな場所でアリサが水着姿な訳がないか……で、リィンはこんな所でなにしてんだ?」

 

 

「生徒会の依頼でさ、人を追ってるんだ」

 

 

「ふーん、因みに依頼内容は?」

 

 

 グランに内容を聞かれてリィンは少し躊躇うものの、彼ならこういう話は口外しないだろうということで大まかな依頼内容を話した。内容を聞いたグランは穏やかな話じゃないなと僅かに顔をしかめ、ぶら下げていた両腕を胸の前で組む。

 リィンはこの時、グランのリアクションに少しばかり驚いていた。普段の彼なら口外こそしないだろうが、どちらかというと似たような事を日常的に行っている彼である。責める事はなくとも、こうして否定的な反応は示さないとリィンは考えていたからだ。

 

 

「ん? どうしたんだ?」

 

 

「いや、意外だなと思ってさ。さて、そろそろ捜さないとな……グランはこの後どうするんだ?」

 

 

「ああ、旧校舎に入ろうと思ったんだが……プラン変更だ。リィン、その依頼オレにも手伝わせてくれ」

 

 

 そして更に意外な事に、グランから協力させてほしいと申し出がくる。リィンは彼に何か意図があるのだろうかと考えるが、先程の様子だと余り悪さをするようにも見えない。この申し出をどうしたものかと頭を悩ませる。

 とはいえ、考えたところでリィンには分かるはずもない。結局のところ本人に聞けば早い話で、リィンはグランに事の真意を問うことにした。

 

 

「どうしてまた手伝おうと思ったんだ?」

 

 

「どうしてかって……そりゃあ女子生徒の盗撮写真ばら撒いてるなんざ許せないだろ。それに……」

 

 

「それに?」

 

 

 首を傾げて聞き返すリィンに、グランは目つきを一段と鋭くさせて口を開く。まるで、それを手にするのは自分以外には認めないと言わんばかりに、その言葉には僅かながら怒気が含まれていた。

 

 

「女子生徒って事は、多分会長の写真も紛れてるはずだ。その写真で取引……絶対に許さん」

 

 

 リィンは理由を知ると共に、何かあれば写真部のレックスと取引相手の平民生徒を全力で守る事を決意した。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 トリスタの町から士官学院の敷地に入って直ぐ、左手には学院の行事で主に使用される講堂が建っている。普段は使用されないため入り口の扉は鍵が掛けられているのだが、この日は何故か鍵が開けられていた。不思議に感じたリィンとグランは講堂の扉を開き、建物内へと足を踏み入れる。

 やはり使用予定は無いのか、講堂内は何一つ置いておらず物寂しい空間が広がっていた。そして二人は講堂の奥手にある壇上の舞台袖、左側から人の気配を二つ感じ取る。

 

 

「リィンの話じゃ、かなり危険感知能力が高いんだよな?」

 

 

「ああ、一回目は感ずかれて逃げられた。ここは逃げ道を塞ぐために、壇上と舞台袖の入口から挟み撃ちをした方が良いかもしれない」

 

 

「よし、それでいくか」

 

 

 ミッション開始。戦術リンクを繋ぐとリィンは舞台袖の表口へ、グランは壇上へ足音一つ立てずに素早く移動を始めた。壇上へ上がったグランが舞台袖に入る手前でその身を隠し、リィンは表口の前にたどり着くと扉に手を掛けてタイミングを図る。

 数秒程間を置き、リィンが扉を開いたと同時にグランも舞台袖の中へ入った。両者の目の前には唖然とした表情の生徒が二人。ニット帽を被った少年は雑誌らしきものを、もう一人の少年は一枚の写真を手にしている。取引の現場を押さえる事が出来た、証拠はバッチリだ。

 観念するしか無くなった二人は力なく項垂れる。直後にリィンがニット帽を被った少年に、グランがもう一人の平民生徒へと近づいた。

 

 

「君がレックスだな? 取引したものを渡すんだ」

 

 

「くそっ、後もう少しだったのに……」

 

 

 ニット帽を被った少年レックスは悔しそうに手に持った雑誌をリィンに渡す。どうやらそれはグラビア雑誌だったようで、ミラや他の危ない物品ではなくて良かったとリィンは安堵のため息を吐いていた。

 しかし、もう一方の空気が余り穏やかではない。平民生徒から写真を受け取ったグランが、生徒会室で仕事中のトワの姿が写ったその写真を見て僅かに闘気を放っていた。

 

 

「ほう、たかがグラビア雑誌なんかでこの写真と取引しようとしたのか……ちょっと表まで面かせ、この写真の価値を教えてやる」

 

 

「ひぃっ!」

 

 

 鋭い目つきで睨み付けるグランに対し、平民生徒は怯むように首を引っ込めていた。この後平民生徒を引きずり出そうとしたグランをリィンが必死に止めたのは言うまでもない。

 

 

 




どうしよう、話が全然進まない……今更だけど。

グランはトワ会長の気持ちに気が付いていました。それでも彼には彼の思いがあるので一線を越えないようにしています。何気に白面さんの事も出ましたが……名前は出さないよ!

次回は少し話を飛ばして旧校舎探索から入ろうと思います。アランとブリジットの件はリィンがしっかりこなしてくれた事にしよう、そうしよう!ついでにナイトハルト教官の水練も。


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赤い扉

 

 

 

 時刻は正午を過ぎた頃、旧校舎の地下第四層、そこでは絶え間無く剣戟の音が鳴り響いていた。石造りの床の上には息絶えた魔獣の骸が転がり、その数は尚増していく。剣戟の音に合わせて次々と断末魔を上げ、魔獣達は一様に床へ崩れ落ちた。

 そして、その輪の中心には紅の闘気を纏ったグランが刀を肩に担ぎ、骸と化した周囲の魔獣を見渡していた。その数は二十を超え、彼は魔獣が完全に息絶えているのを確認すると体に纏う闘気を鎮め、刀を鞘に納めてその場に腰を下ろす。直後に俯いた顔は開いた両の手を交互に見詰め、グランは満足げに呟いた。

 

 

「コツは掴めた。後は対人戦で使えるかだが……」

 

 

 赤い星座のクロスベル入りを知ってからこの二週間近く、旧校舎に入り浸っていたグランは、この期間で一つの技を編み出そうとしていた。今になり漸く魔獣達に対しては通用するまでに至ったが、試行錯誤の段階らしく対人戦に使うまでは至らなかったようだ。そろそろ試したいが誰に頼むべきか、と頭を悩ませている。

 しかし、ここに来てその手合わせの相手を決めるという点が彼にとって最も難点だった。サラやナイトハルトのような実力者に頼めば望んだ戦果が得られるのだが、この確認はグランにとっても自身が前に進むために必要なものであり、全力で手合わせを行わなければ意味がない。必然的に手合わせは激化し、彼の戦闘におけるスイッチが切り替わってしまい教官達に迷惑をかけてしまうことになる。先月の実技テストの際に失敗を犯してしまった以上、安易にサラ達に頼むべきではないからだ。

 勿論リィン達Ⅶ組のメンバーにも頼めない。彼らもここに来てその実力を高めているとはいえ、やはりグランが全力を出せるはずもない。リィン達全員を相手にしても、彼の望む結果は得られないだろう。

 後は帝国正規軍の名誉元帥としてその実力が知れ渡っている学院長のヴァンダイク、そして過去に『死人返し』と恐れられた保健医を務めるベアトリクス等他にも実力者は揃っているものの、前線を退いた両者ではやはりサラやナイトハルトが受け持った時と同様の結果になる。実力的にはサラやナイトハルトよりもヴァンダイク達の方が上だが、だからこそ逆に手合わせは想像を超えるものになる可能性があった。

 

 

「(……やっぱり迷惑を承知でサラさんやナイトハルト教官に頼むか。学院長達にも同席してもらえば、何かあってもオレを無力化してくれるはずだ)」

 

 

 結局サラ達教官勢に頼ることに決めたグランは、話をつけるために向かうべくその場を立ち上がった。ズボンに付いた汚れを両手で払うと、一つ隣のフロアに移動して上層へ戻るための昇降機にたどり着く。

 昇降機に乗り、グランが手慣れた様子で操作盤を触ると昇降機は上の階へ上昇を始める。そしてその時、彼の懐からARCUSの呼び出し音が鳴り響いた。

 

 

「こちらグラン」

 

 

≪リィンだ。すまないグラン、少し頼みたい事があるんだが……≫

 

 

 通信先のリィンは今旧校舎の中に入っているらしく、昇降機が下層に降りているのを確認してグランに通信を繋げたようだ。実はリィン、自由行動日の日に旧校舎の調査をするよう任されており、何か旧校舎の地下に変化がないか調べてほしいと毎月ヴァンダイクから依頼を受けている。

 丁度良いタイミングだな、とグランは通信先のリィンに向けて呟く。そして昇降機の上昇が止まると同時に、彼はARCUSを懐に納めてから正面を見据えた。

 

 

「下に新しい階層が出来てたぞ、よかったら案内してやるよ」

 

 

 目の前でARCUSを片手に持つリィンと、彼に同行しているアリサ、ラウラ、エマ、エリオットの五人に向けて、グランはそう告げるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 昇降機はグランを含めたリィン達六人を乗せて、再度地下の第四層へと降下する。四層に着くと六人は昇降機を降り、ダンジョン区画の広がる隣のフロアへと移動した。そして、区画に入ってまず始めに、グランを除いたリィン達五人は目の前の異様な光景に唖然とする事となる。

 一同の見詰める先には、円状に二十体程の魔獣が倒れていた。無論、先程グランが倒していた魔獣である。アリサやエマ、エリオットは何事かと息絶えた魔獣の群を見て驚きの顔を浮かべ、リィンとラウラは驚きというよりは疑問を抱いているようで、訝しげな表情で倒れた魔獣の群を見詰めていた。

 二人はこの光景を作ったのがグランだという事に既に気付いているのだろう。先程まで旧校舎の地下にいたのはグラン一人であり、仮に別の事象が発生して起きたものなら彼が平然としているはずがない。だが、リィンとラウラには他に気になっている事があった。

 

 

「一ヶ所にこれだけの魔獣がいるのも気になるんだが、なんだかこの倒れ方は不自然じゃないか?」

 

 

「私もそれが気になっていたのだ。グラン、そなたが先程まで地下にいた時に一体何があった?」

 

 

 二人の疑問は当然の事である。一ヶ所に二十を超える魔獣が円状に倒れているというのも勿論だが、リィンとラウラが話しているのはその魔獣の倒れ方。これだけの数が集まっているのは何かカラクリがあるとしても、円状に倒れているのはグランが魔獣達に囲まれたという考えなら納得がいく。しかし、問題はその魔獣達が個々で別々の方向に向いて倒れている事。流石にそれは不自然としか思えない。

 

 

「ああ、カラクリがあるんだがちょっと試行錯誤の段階でな……因みに魔獣が集まったのはこいつのせいだ」

 

 

 そう言ってグランが懐から取り出したARCUSには、二つのクオーツが填められていた。一つは以前からのものだが、もう一つはここ最近になって手に入れたものらしい。どうやらそのクオーツが魔獣を引き寄せる原因になっているようで、グランにとっては都合が良かったため使用しているとの事。

 そして、そのクオーツを見て訝しげな視線を向ける者が一人。Ⅶ組の委員長ことエマである。彼女はへぇ、とクオーツを眺めるリィンと、クオーツを見て何処かで見掛けたような……と考え事をしているラウラの間に割って入り、悠然と構えているグランの前へと歩み寄った。

 

 

「グランさん、因みにそのクオーツ何処で見つけましたか?」

 

 

「ん? 何処ってそりゃあ……あれだ、第三学生寮で拾った」

 

 

「ちょ、ちょっとグラン。だとしたらそれってⅦ組の誰かのだったりするんじゃ……」

 

 

 エマの質問に何か言いたそうな表情を浮かべたグランは、ふと押し黙ると考えるような素振りを見せた後に改めて答える。そんな彼に対し、エリオットは若干引き気味になりながらも注意を促していた。拾い物を自分の物にするのは良くないと。エリオットの言っている事は尤もで、落とし物は届けるのが世の理である。自分が見つけたのだから自分の物、とするのは流石に誉められた事ではない。

 三人の会話を横で聞いていたアリサはこの時、呆れ顔を浮かべるとともにグランが拾ったクオーツに心当たりがあったようで、持ち主を思い出していた。どうやら隣のラウラも思い出したらしく、二人は同時に持ち主の名前を挙げる。

 

 

「それって委員長のじゃない?」

 

 

「うん、確かに委員長の部屋に行った時に見かけたな」

 

 

 エマの部屋で見かけた、グランのARCUSに填め込まれているクオーツ。持ち主であるエマが机の中に入れてから一度も持ち出していないと補足を告げると、グラン以外の五人は皆一様に同じ考えを抱く。またしても、グランが三階の女子部屋に侵入したのだと。

 いつもなら、またやらかしたのかという認識でこの問題は終わっていた。しかし、今回は流石に問題がある。拾ったどころの話ではなく、間違いなくグランはエマの部屋からクオーツを持ち出しているからだ。彼に言わせれば、委員長の部屋の机の中から拾ったとでも話しそうだが。

 結局どのような言い訳を並べたところで、やっている事は泥棒のするそれだ。流石に良くない、とリィンとエリオットはグランに謝るよう促し、アリサとラウラに至っては若干の軽蔑がこもった視線で彼を見詰めている。そして最後にエマの鋭い視線が容赦なく浴びせられる中、グランは何と気にした素振り一つ見せることなく自分が正しいかのように一同の様子を見渡していた。

 

 

「オレは悪くないぞ」

 

 

「グランさん、言ってくだされば差し上げます。今回は許しますけど……次はちゃんと声を掛けて下さいね?」

 

 

 勝手に人の物を取っていたというのに、エマは彼に対して怒る事なくすんなりとこの一件を許している。アリサとラウラは少し優しすぎるとエマの行いに若干の不満を見せているようだが、リィンとエリオットは逆にエマの心の広さに尊敬の念を抱いていた。

 だが、それでもグランの態度は変わらない。逆に変わったのは、この後にグランが発した言葉を聞いたエマの方だった。

 

 

「いや、了解もらったぞ。セリーヌって言ったか、委員長寝てたから代わりに話つけといてくれって頼んだはずなんだが……」

 

 

「セリーヌ? それって誰の事?」

 

 

「えっと、確か委員長が町で懐かれた猫の名前がそうだったような……グラン、まさか猫に話つけといてくれって言ったのか?」

 

 

 グランの口から出てきたセリーヌという名前。アリサは誰かの名前かと思ったようだが、リィンの言う通り間違いなく猫の名前である。ラウラとエリオットは流石にそれは断りを入れたとは言わない、とグランに対して呆れた様子でため息を吐き、リィンとアリサも同様にため息を吐いていた。

 だが、エマの様子だけは周りと違い、彼女は何故か冷や汗を流しながら一連の会話を聞いている。

 

 

「いや、だからただの猫じゃなくてだな──」

 

 

「グ、グランさん!? 少しこちらで個人的にお話しませんか!?」

 

 

 勿論、エマにとっては彼らに知られたくない事があるわけで。彼女は当然の如くグランの腕を掴んで昇降機のあるフロアまで全速力で戻り、昇降機の前で立ち止まると彼の腕を放して乱れた息を整えていた。

 隣のフロアからは、流石の委員長も怒ったか、というリィンの呟きや、グランの部屋を外側から鍵を掛けられるようにしないかというアリサとラウラの意見、それに対してただただ乾いた笑い声を上げるエリオットの声が聞こえ出す。アリサとラウラの意見を耳にしたグランはたまらず駆け出そうとするが、その様子に気付いたエマが必死に抱き止める事によって何とか秘密の漏洩を防いだ。

 

 

「は、放せ委員長! このままじゃオレの夜の楽しみが……いや、やっぱ放さなくていいか」

 

 

「何考えてるんですか!」

 

 

 エマが真っ赤な顔で怒鳴りながら、後ろから抱き止めていた彼の体を放す。解放されたのに残念そうな表情のグラン、そして直後にその様子を見たエマは深いため息を吐いていた。

 しかしこのままリィン達を待たすわけにもいかず、彼女は直ぐにクオーツの件について説明を求める。グランの話によると、深夜にエマの寝室へ忍び込んだ時に開いていた机の引き出しからこのクオーツを見つけ、丁度その場に居合わせたセリーヌへ借りていく断りを入れておいてほしいと代わりを頼んでいたらしい。先程の嘘はあくまでセリーヌの事を話題に出さないためにグランが機転をきかせようとしたみたいなのだが、セリーヌから話を聞いていないエマが気づくはずもなく、話の流れで一方的に自分が責められそうになったので本当の事を話そうとしたとの事。

 グランから話を聞き終えたエマは後でセリーヌに一言言っておくと呟き、この件については納得したのかこれ以上問いかけることはなかった。話の中には彼女の寝室へ忍び込んだという明らかに問題のある発言もあったが、分かりきっていた事なのかその部分をエマが追及する事もない。とは言え、一応彼にもお灸を据えておかなければいけないわけで。

 

 

「私も、グランさんの部屋外側から鍵を掛けられるようにしないかという意見に賛同してきます」

 

 

「ちょっ!? 委員長待ってくれ!」

 

 

「待ちません! ってどこ触ってるんですか!?」

 

 

 今度は逆に、リィン達の元へ向かおうとしたエマを後ろからグランが抱き止める形となる。抱き止めた際に彼女の胸に手が触れてしまったようで、エマの声に不可抗力だとグランは答えているが一体本当なのやら。兎にも角にも、気が付けば両者の立場は完全に逆転しているのだった。

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 旧校舎の地下第四層探索は、出鼻から一騒ぎあったものの無事に終える事となった。ダンジョン区画の最奥で突然現れた魔獣、そしてその魔獣を倒した直後に聞こえた地響きと共に昇降機のフロアに出現していた赤い扉。リィン達の中で旧校舎についての謎は深まるばかりだが、その赤い扉を調べようとしてもびくともせず、武器やアーツによる攻撃も意味をなさずに結局扉については学院長とサラに報告だけしておこうということで探索を終えて一同は解散した。

 しかしリィン達が旧校舎前で散々になっていく中で、グランはもう少し鍛練があるからと皆の姿が見えなくなるまでその場に残り、一同の去っていく姿を見送っている。そして彼らの姿が旧校舎前から消えた後、グランは再び旧校舎内へ足を踏み入れると地下の第四層へ昇降機を降下させた。第四層へ到着すると、彼は昇降機から降りて同フロアにある巨大な赤い扉を睨み付ける。

 

 

「……何かいやがるな」

 

 

 カチカチと導力時計の長針が動いているような音が扉の先から聞こえる中、グランは扉を見据えながらその場で天井へ向かって左手を伸ばした。彼の掌の上では突如空間が歪曲を始め、いつの間にかその手には鞘に納められた一つの刀が握られている。

 グランは手に取った刀を腰に下げると、鞘から引き抜いてその刀身をあらわにさせる。刃先から鍔までが真紅に染められたその刀は淡い光を放ち、材質から考えても人の手によって造られたとは到底思えない異質さを漂わせていた。妖刀鬼切……四月にケルディックの街道でカンパネルラなる少年から受け取っていた刀である。

 

 

「さっきは斬れなかったが……この刀ならどうだ」

 

 

 先程リィン達と共にこの扉を開けようとして、自分の放った一閃でも斬れなかった事が彼にとって気に入らなかったらしい。グランは刀を構えると精神統一の為に瞳を伏せ、同時に彼の体の表面を紅い闘気が纏い始める。そして暫しの沈黙が流れた後、グランの体からは周囲の空間を震えさせる程の膨大な闘気が放出され、辺り一帯に漂う空気を張りつめたものへと変化させた。直後に彼は瞳を見開くと、突然昇降機の前からその姿を消す。視認すら許されない稲妻の如き速度、グランは既に扉の正面へと接近していた。

 

 

「待ちなさい!」

 

 

 そしてグランが扉に向かって刀を振り下ろそうとしたその時、突然彼の後方から女性の声がフロア内に響き渡った。刀は扉に触れる寸前でピタリと止まり、グランは闘気を鎮めると動きを止めたまま意識だけを後ろに向ける。

 足音は聞こえず、近づいてくる気配と女性の吐いているため息の音だけが彼の耳に入り込む。一方、程なくしてグランの足元にたどり着いた彼女は、リボンの着いた尻尾を揺らしながら彼の肩に飛び乗った。

 

 

「何しようとしてくれてるのよ。その刀を使われたら本当に扉が斬れてしまうわ」

 

 

「……おいセリーヌ、お前が話しておいてくれなかったせいで変な疑い掛けられたぞ」

 

 

「さっきあの子から聞いたわ。それを謝ろうと思って様子を見に来たんだけど……来てよかったわね。その扉には手を出さないでもらえるかしら?」

 

 

 先の件を聞いたセリーヌは謝罪と共に、グランの顔横で間に合った事による安堵のため息を吐いていた。グランは納得のいった表情ではなかったが、仕方ないと言わんばかりに構えていた刀を鞘に納める。

 元々彼はバリアハートで初めて委員長とセリーヌの関係を知った時、自身の過去を黙ってもらっている条件として委員長とセリーヌに対しては深く詮索しない事を約束していた。今回の赤い扉出現は彼女達にとって重要な出来事らしく、壊されてしまってはたまったものではないという事でセリーヌがこうして呼び止めたのである。

 

 

「仕方ない……約束だしな」

 

 

「そうしてもらえると助かるわ。ここにいられても困るし、今日は早く帰りなさい」

 

 

 セリーヌはグランの肩から飛び降りると、彼に旧校舎を出るように促した。セリーヌの言葉に若干の疑問を抱きながらも彼は逆らう事なくその場を離れ、昇降機の上に戻ると操作盤に触れて上階へ向け移動を始める。

 そして昇降機が完全に見えなくなった後、セリーヌは視線を赤い扉へ移すと、ゆっくりとその扉を見上げていた。

 

 

「さてと。あとは鍵をどうするか、ね……」

 

 

 




凄い、全然進んでない!でもやっと次回にエリゼが出せる!リィン兄様やったね!

そしてここでグランが美臭のクオーツを委員長から貰った、というか勝手に取ってたという方が正しいんですが……とにかくこれでグランもアーツ戦に参加できる!やったねグラン!

だけどこの調子だと四章何話構成になるんだろう……果てしなく不安です。


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第一ノ試シ

 

 

 

 リィン達が旧校舎探索を終え、散々になった後の事。ラウラは一人ギムナジウムに訪れ、練武場の中へと入っていた。彼女は部屋の中央に立つとその両手に大剣を握り締め、静かに瞳を伏せている。

 無駄な力の入っていないその悠然たる構えは、学院トップクラスの実力と噂されるに値する隙の無さだった。静寂が部屋の中を包み込み、ラウラは一息吸うとその瞳を見開く。

 大剣は彼女の脳裏でイメージされた正面の敵へと振り下ろされ、空気を切り裂く音が部屋中に響いた。間髪いれずに跳躍を行い斬り上げ、着地と同時に体を回転させるとその場で横一閃に振り抜く。初撃の前の構えに戻ると、ラウラは漸く息を吐いた。

 その時、突然拍手の音が練武場の中に響き渡る。集中し過ぎてその存在に気付けなかった彼女は音のする部屋の入口に視線を移し、そこに立っているグランの姿を視界に捉えた。

 

 

「そなたも人が悪い。そこにいたのなら声を掛けてくれても良かったのだが」

 

 

「あんまり集中してるんでな……しかし、何とも迷いのある動きだな」

 

 

「ふふ……そなたは正直だな。先程来ていたリィンとは正反対の言葉だ」

 

 

 先程の流れるようなラウラの剣捌き。それは彼女のベストではなかったようで、グランは遠目からその事を一目で見破っていた。同じくグランが訪れる前に来ていたリィンも彼女の剣筋に迷いがある事に気付いたようだが、彼は気を遣ってグランとは逆の言葉を口にしたらしい。

 ラウラは笑みを浮かべながら剣を腰の鞘に納めると、グランの元へと歩み寄り、彼に向かって苦笑を漏らしていた。見られたくないものを見られたと言わんばかりに、彼女は苦笑いでその場を誤魔化す。

 

 

「初撃の振り下ろしは遅れて、斬り上げも跳躍とタイミングが合っていない。最後に関しては少し体勢崩してただろ」

 

 

「う……そこまでストレートに言わなくても分かっている」

 

 

「まあなんだ、気を紛らわすためにやってたんだろうが……そんな状態で剣振ったって得られるものはないぞって言いたいわけだ」

 

 

「うぅ……そなたは私をいじめに来たのか?」

 

 

 容赦なく意見を口にするグランの顔を、ラウラは涙目になりながら上目遣いで見詰めていた。自分で分かっていても、ここまで突っ込まれると流石に少し落ち込んでしまうようだ。案の定グランはそんな彼女の顔を見て笑みを浮かべており、この状況だけ見ると本当にグランがラウラをいじめに来た、と思われても仕方がない。

 そんな時、落ち込んだ様子で顔を俯かせるラウラはふと頭の上に温かな感覚を覚えた。彼女が顔を上げると、そこには先程まで落ち込んだ自分の姿を笑っていたグランが頭の上に手を置いてきている。

 そして同時に突然発生した原因不明の熱。彼女の頬は赤く染まり、その体温は急激に上昇していた。現在の状況が飲み込めずラウラが呆然と立ち尽くす中、グランは彼女の腰に下げている鞘から大剣を抜くと部屋の中央へと移動した。

 

 

「迷いのある今のラウラじゃ何をやっても駄目だ。その迷いの原因を断ち切るまでは……フィーすけとの仲違いを解決するまではな」

 

 

 呆然と立っているラウラに向けて声を上げた後、グランは先程の彼女と同じ構えで大剣を片手に持つと瞳を伏せる。数秒の精神統一を終えてその瞳を開いた直後、グランが振り下ろした剣は空気を切り裂くと共にラウラの時とは一段高い音を伴った。その後に行われた斬り上げも、着地と同時に旋回して放った一閃も、そのどれもがラウラの時とは一段高い音を伴って空気を切り裂く。動きは先程のラウラとほぼ同じなのにもかかわらずだ。

 その理由はいたって簡単だった。剣を振るうスピードの違い、ラウラの時よりもグランの剣を振るう速度が速いだけ。全ての動作が完璧なタイミングで行われたからこその違い、迷いがあるか無いかでその差は生まれる。

 

 

「完成形は光の剣匠なんだろう……だから今のは通過点くらいに覚えといてくれ。迷いさえ断ち切る事ができれば、今のラウラなら造作もないはずだ」

 

 

 ラウラは現在、目の前で軽々と大剣を片手に構えて笑顔を向けてくるグランに驚きを隠せなかった。確かに実力はグランの方が遥かに高い。だが今彼が握っているのは自分の体の一部と言っても差し支えのない使い慣れたもの、少なくとも大剣の扱いは自分の方が得意だという自負があった。

 それがどうだ。彼は初めてそれを扱うはずなのに、自分より数段上を行っている。剣筋、スピード、体捌き、そのどれもが自分を上回っていた。さすがの彼女もこれには驚かざるを得ない。そしてこの時、ラウラにはグランの姿が自分のよく知る最高の剣士と重なって見えていた。

 

 

「(グランは既に、父上と同じ領域に足を踏み入れているのだな……理に至った者は武器を選ばないと言うが、グランもその域まで達しているのだろうか)」

 

 

「どうしたんだ?」

 

 

「(何故だろう。もっとグランの剣が見たい、もっとグランとこのような時を過ごしていたいと思う自分がいる……)」

 

 

 一人首を傾げるグランの顔を見ながら、突如彼女の内に芽生えた不思議な感情。それを恋だとラウラが認識することはないが、その感情が芽生えた事で物事は良い方向へと向かおうとしていた。彼女は瞳を伏せると、暗闇で佇む自分と向き合った。

 思い出せと、自身の姿に向けて訴える。決めたはずだと、目の前の自分が投げ掛けてくる。そして、ラウラの声と目の前に佇むもう一人の彼女の声は、交互に折り重なり合うように心の奥底でこだました。

 

 

──グランと同じ時を過ごすために──

 

 

──彼と対等な立場で剣を交えるために──

 

 

──そんな未来を描くために──

 

 

──ここで迷いを断ち切る決意を──

 

 

「(私は何をこんなところで迷っている……そうだ、私はグランを止めると決めたではないか)」

 

 

 グランと今日のような時間を過ごすためには、彼の目的も止めなければいけない。そのためには更に精進しなくてはならない、ここで迷っているわけにはいかないとラウラは思い至った。そして、瞳を開いた彼女の顔にはもう、先のような迷いはない。

 彼女は既に、自身が抱えているフィーとの確執を取り除く方法を以前から見つけていた。フィーの性格上中々その方法を実行出来ずにいたが、ここに来て漸く決心がついたようだ。

 

 

「そなたに感謝を。私も漸く決心がついた……フィーと、正面から向き合ってみようと思う」

 

 

「よく分からんが……何か自己解決したみたいだな」

 

 

 グランにとっては知らない間にラウラが一人で解決していたのでおいてけぼりを食らっているわけだが、笑顔を浮かべている彼女の顔を見てそのような些細な事は気にならなくなったようだ。ラウラの近くに歩み寄り、彼女が腰に下げている鞘へと剣を納める。

 自分のやるべき事は終わったと、グランはラウラの隣を横切ってそのまま練武場を去ろうとした。だが元々用があってここに訪れたのだろうと思ったラウラは、彼の後ろ姿に問い掛ける。

 

 

「そうだ、そなたは元々用があってここに訪れたのではないのか?」

 

 

「ああ、空いてたら使おうと思ったんだが……今日は止めとく。それに学院長も出掛けてるみたいだしな」

 

 

「ふむ? そうか……では、もしそなたさえよければ──」

 

 

 フィーと向き合うその場を見届けて欲しい、そう続けようとしてその声は突如鳴り響いた彼女のARCUSの呼び出し音によって遮られた。若干不満げな声を漏らしながらARCUSを手に取ったラウラは、通信先の声に耳を傾ける。

 通信はアリサからのものだった。どうやら現在学院にはリィンの妹が訪れているらしく、先程リィンが家督を継がないという話を妹にした際にその姿を見失ってしまったという。リィンの妹の姿を見ていないかというのがアリサの通信内容だった。旧校舎の探索を終えてから練武場に籠っていたラウラは当然見ていない、彼女がグランに問い掛けてみるが彼もそれらしい人物は見ていないと話す。その事を聞いた通信先のアリサは見かけたら教えて欲しいと一言告げた後に通信を切った。恐らく他のⅦ組メンバーにも確認するのだろう。

 通信を終え、心配になったラウラは当然鍛練を中止してリィンの妹を探すことに決める。横で話を聞いていたグランも、彼女の視線を受けて頷いて見せた。

 

 

「ラウラはグラウンドの方を頼む。オレはそれらしい気配がないか学院内を探ってみる」

 

 

「承知した」

 

 

 二人は顔を見合わせた直後、ギムナジウムを飛び出した。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「……ここは、一体……」

 

 

 茜色の空を淡い闇が覆い始めた頃、旧校舎の地下第四層では黒を基調とした制服を纏う一人の少女が昇降機の前でフロアを見渡していた。赤みを帯びた瞼は涙を流した後なのか、少女は両目を擦ると眼前にそびえる赤い扉へと歩み寄る。

 少女の名前は、エリゼ=シュバルツァー。リィンの妹であり、現在Ⅶ組メンバー総出で探している少女本人である。兄妹喧嘩の末に、彼女は黒猫を追ってこの旧校舎内へと足を踏み入れていた。リィンとエリゼの喧嘩……正確には彼女が一人怒って立ち去ってしまったのだが、その原因の根本はリィンの出自にある。

 シュバルツァー男爵家は代々、皇帝家とも所縁のある由緒正しき家系であった。当主であるテオ=シュバルツァーも社交界に度々顔を出し、ユーシスの兄であるアルバレア公爵家のルーファスに狩りを手解きする等、名門貴族とも交流をしていた事がある。

 しかし、テオ=シュバルツァーが雪山でリィンを拾って彼を養子に迎えた十二年前、シュバルツァー男爵家はその事をゴシップとして上げられた。ユミルの当主は、出自も知れぬ浮浪児を拾った酔狂者だと。その事を境に、テオ=シュバルツァーは突然社交界に顔を出さなくなってしまう。

 ユミルに引きこもり、狩り道楽を送る毎日。リィンはそんな父の姿を前にして、こうなってしまったのが自分のせいだと思った。そして、来年十六歳になり社交界デビューを果たす妹にも同じように迷惑をかけてしまうのではないかと。だから自分はシュバルツァー男爵家を継ぐべきではないと、リィンは判断した。彼がその事をエリゼに打ち明けた後、今に至るというわけだ。

 

 

「兄様のバカ、父様と母様の気持ちも知らないで……それに、私のバカ」

 

 

 赤い扉へと歩み寄りながら、エリゼは肩まで伸びた黒髪を棚引かせて呟いた。家族の気持ちも知ろうとしない兄に向かって、怒鳴る事しか出来ない自分に向かって。

 エリゼはこれまで、兄であるリィンの事を迷惑だとかそんな風に思った事は一度もない。寧ろ彼と血の繋がりが無いことを知ってから、兄に向ける好意とはまた違った特別な感情を抱くほどリィンの事が大好きだった。だからこそ、迷惑をかけてしまうからと言った彼の言葉が許せなかったのだろう。

 この後どうしよう、と彼女は戸惑いながら目の前にそびえる赤い扉を見上げた。するとその時、突然その赤い扉から声が発せられる。

 

 

≪第四拘束解除後ノ初期化ヲ完了≫

 

 

「と、扉から声が……」

 

 

≪《起動者》候補ノ波形ヲ五十あーじゅ以内ニ確認≫

 

 

 狼狽えるエリゼにお構い無しに、赤い扉の先からは無機質な音声が流れ続けていた。彼女は得たいの知れないこの扉に対して畏れを抱き、その足を一歩二歩と後ろへ動かし始める。しかし、扉の先から声が止むことはなかった。

 

 

≪コレヨリ『第一ノ試シ』ヲ展開スル≫

 

 

 無機質なその声は止んだ。だがそれで安心したのか、エリゼは何だったんだろうと呟きながら後退していたその足を止めてしまう。直後に扉の中央にある赤い紋様が突然回転を始め、リィン達が何をやってもびくともしなかったその赤い扉は開かれる。

 扉の中から現れたのは、何かしらの金属で構成された巨大な騎士人形だった。片手にはその巨体に見合う大剣が握られており、ガシャリと足音を響かせながら腰を抜かしたエリゼの元へと近づいていく。

 一方、エリゼは突然目の前に現れた巨体な騎士の姿に腰を抜かしたまま動かなかった。恐怖のあまり、その場を動くことが出来ないのだろう。その瞳にはじんわりと涙が浮かび始めている。

 

 

「嫌……リィン兄様、助けて──」

 

 

 エリゼが涙をこぼす中、騎士人形の握る大剣は大きく上方へと振り上げられた。力なき少女に、その剣を防ぐ術はない。そして同時に、彼女の後方にある昇降機が突然上昇を始めた。彼女の唯一の逃げ場であるそれはまるで、この場に必要な役者を迎えるが如く旧校舎の一階に向かっている。

 エリゼが叫び声を上げ、無情にも騎士人形の振り上げた大剣は彼女の真横に振り下ろされた。その一撃は轟音と共に頑丈な石造りの床を粉々に砕き、近くにいたエリゼも吹き飛ばされて床の上に横たわる。気絶してしまったようで、今度こそ本当に動く事が出来ない。 

 死の宣告を告げるように、騎士人形は彼女の元へと再び近づいていく。そんな中、フロアの天井にある梁の一部からその光景を見下ろす存在がいた。

 

 

「さて、お手並み拝見といくわよ。リィン=シュバルツァー」

 

 

 リボンの括られた黒い尻尾を揺らしながら、彼女はこの場に訪れるであろう彼へと告げる。

 

 

 




エリゼ登場!ついでにオル=ガディアも登場!次回は遂にリィン兄様が覚醒します。

そして重大な事実に気が付きました。まだ自由行動日終わってない!それに日常パートなのに二話連続で会長が出ていない……でも次回はきっと出るよ!


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少しずつ前に

 

 

 

──きゃあああああ!──

 

 

「エリゼ……!?」

 

 

 旧校舎の入口を入って直ぐのフロア内。エリゼの姿を探しに中へと訪れていたリィンは今、突然地下から聞こえたその悲鳴に動揺の色を隠せないでいた。焦りをあらわにしながら昇降機のある部屋まで駆け出し、その後を成り行きで彼に同行していた二年生のクロウとⅠ組のパトリックという珍しい組み合わせが続く。

 リィン達が部屋に入った同じタイミングで地下からは昇降機が到着し、三人はそれに乗るとエリゼの悲鳴が聞こえてきた地下へと降下を始める。第一層、二層、三層を過ぎ、昇降機は此度出現した第四層で停止した。

 四層へ降り立ち、三人は目の前の光景を視界に捉えて唖然とする。眼前には巨大な騎士人形、そしてその下方には意識を失って倒れているエリゼの姿。三人の焦りは頂点へと達した。

 

 

「エリゼーーーーーー!」

 

 

 騎士人形がエリゼに向かって大剣を振り上げる。リィンは叫ぶが、彼女が意識を取り戻すことはない。双方の距離を考えてもここから間に合うとは到底思えなかった。彼らの脳裏を絶望が過る。

 絶体絶命の窮地、そして騎士人形が振り上げた大剣の動きを止めた正にその時。突如としてリィンの身に異変が起きる。

 

 

「オオオオオ……ッ!」

 

 

 リィンは自身の胸を押さえ、上体を反らしながら突然咆哮を上げた。場の空気はチリチリと肌を焼くような錯覚を起こすほどの変容を見せ、彼の黒髪は徐々に銀色へ、ラベンダー色だった瞳も燃えるような灼眼へと変色していた。リィンの後方で一連の変化を見ていたクロウとパトリックも驚きと動揺を隠せない。

 リィンが突然にして上げた咆哮も、数秒で収まりを見せる事となる。しかしクロウ達が向ける視線の先、そこにいる彼は今までの心優しい彼ではなかった。赤黒いオーラをその身に纏いながら、獰猛な瞳で騎士人形を見詰めている。その両手には、鞘から抜刀していた一振りの太刀を握り締めて。

 

 

「シャアアアアアッ!」

 

 

 直後、覚醒したリィンは瞬く間に騎士人形へと詰め寄った。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 旧校舎地下第四層。変容を見せたリィンと騎士人形による刀と大剣の応酬が繰り広げられる中、天井の梁からその様子を眺める存在が二つ。一つはエリゼが旧校舎に入る一因となったセリーヌだった。眼前で行われている戦いを興味深げに見詰め、何かを見定めようとしている。

 そして、もう一つの存在である彼はセリーヌの横で胡座をかき、彼女と同じようにその戦いを傍観していた。首まで伸びた紅い髪に、戦いを見詰めている真紅の瞳。腰に下げられた刀は彼の扱う流派に必要不可欠な得物。そう、グランである。彼はリィン達が旧校舎に入る以前にエリゼを見つけていたのだが、声を掛けようとしたところをセリーヌに止められてしまい、念のために気配を隠しながら彼女の後を追って現在に至るというわけである。

 

 

「なるほど、あの時感じた正体はこれか」

 

 

 先々月、五月に行われた実技テストの際にリィンから感じていた妙な気配。突如目の前でその姿を変えたリィンを見て、漸く合点がいったとグランは声を漏らしていた。その隣ではセリーヌが手を出すなとしきりに念を押しており、リィンの様子を見ながら同時に彼の動向にも注意を向けている。

 そしてグランとセリーヌが向ける視線の先、リィンと騎士人形の戦いはリィンに戦況が傾きながら未だ火花を散らしていた。騎士人形の動きが決して遅い訳ではないのだが、変容したリィンの速度は異常とも言える速さ。加えて一太刀の威力がこれまでの比ではないほどに高く、巨大な甲冑とも互角以上の戦いを繰り広げられるほどに彼の身体能力が向上しているようだった。しかし騎士人形も余程頑丈なのか、リィンの太刀による攻撃に体勢を大きく崩すことなく応戦する。

 このままの戦況の流れであれば、恐らくリィンの勝ちが濃厚だ。疲労による能力の低下も考えられなくもないが、その前に騎士人形の方が保ちそうもない。大剣による一撃はリィンに全て回避され、逆にリィンの太刀による一閃は全てその甲冑に当てられている。取り返しのつかない事態に陥る前に助太刀に入る事を決めていたグランだが、気を失っているエリゼも騎士人形の攻撃対象からは既に外れているため、現状で彼も余り心配していないようだった。しかし、リィンの優勢のまま終わると思われた戦いはここで変化をむかえる。

 

 

──オオオオオ……ッ!──

 

 

 戦いの最中、リィンはまたしても上体を反らすと胸に手を当てながら唐突に叫んだ。現在彼の体の主導権を握っているのは、彼の内に眠っていた獣じみた存在。ならば今度はリィン本人がその存在を抑え込もうとしているのか。眺めているグランはそのような印象を突然の異変から感じ取るが、その考えは正しかった。上体を反らしたリィンの髪は元の黒髪に、瞳もラベンダー色へと徐々に戻ってきている。纏っていた赤黒いオーラも消失し、息を切らし始めるリィンからは普段の穏やかな雰囲気が漂い出していた。

 

 

「へぇ、どうやら抑え込む事は出来るみたいね」

 

 

「その口振りからすると、あの力の正体を知っているみたいだな」

 

 

「さあ、どうかしら?」

 

 

 元の姿へ戻ったリィンを見て満足げに声を漏らすセリーヌを横目に、グランは彼女へ向けて訝しげな視線を送る。当のセリーヌは何処吹く風で彼の視線を受け流すと、助太刀に入ったクロウの援護を受けながら再び騎士人形を相手にするリィンの姿を眺めていた。まともに返答をもらえなかったグランは少し不満げなようではあるが、彼女と同じく目下で繰り広げられている激闘に視線を移して戦闘の行方を見詰める。その視線は先のセリーヌのように、何かを見定めようとしている類いのものであった。

 

 

「(寧ろ興味深いのはここから、か……)」

 

 

 グランの視線は、リィンの後方から双銃による援護射撃を行っているクロウの姿に固定されていた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

──ったく、こんな修羅場は一年前に卒業したはずだっつうの──

 

 

 数分、或いは数十分にも感じた激闘の果て。一人と一匹の見下ろす先では勝者であるリィンとクロウの姿があった。巻き込まれた形になったクロウは勘弁してほしいと言った様子で息を切らし、同じような状態のリィンと二人、倒れている騎士人形へと視線を移している。

 巨大な騎士人形との戦闘は、何故かARCUSを所持していたクロウとリィンが戦術リンクを上手く繋げ、結果的に辛くも二人に軍配が上がった。戦闘中に残りのメンバーであるパトリックがエリゼを安全な場所へと移動させていたため巻き込まれる事もなく、一連の騒動は無事に解決する。

 そして、意識を取り戻したエリゼの元へリィンとクロウが駆け寄っていく中、その様子を天井の梁から眺めていたグランはどこか納得していない表情を浮かべながら考え事をしていた。

 

 

「(オレの見当違いだったか……まあ、別にどうでもいいんだが)……さて、随分と遅い到着だったな」

 

 

 思考を切り替え、クロウに向けていた視線を外したグランは上の階から下降してきた昇降機へとその顔を向ける。そこにはエリゼを探していたⅦ組の皆に加え、彼らの担任であるサラ。同じく協力していたと思われるトワ、アンゼリカ、ジョルジュの二年生組の姿も見えた。リィン達の元に駆け寄った皆はそれぞれ安堵の表情を浮かべており、エリゼの無事を喜んでいるようだ。約一名エリゼに怪しい視線を向けている者も中にはいたが。

 そんな中、一人出るタイミングを逃してしまったグランはどうしようかと頭を悩ませていた。今飛び出したところで気まずくなるのは目に見えているわけであり、出来ればこのまま皆が去った後にこっそりと旧校舎を抜け出すのがベストだと思い至る。と言うわけで彼はこのままリィン達が立ち去るまで待とうと彼は考えたわけなのだが、そうは問屋が卸してくれなかった。

 

 

──えっ!?──

 

 

「あら、見つかったみたいね」

 

 

 まるで他人事のように話すセリーヌの視線の先では、驚きの表情を浮かべて天井を見上げているエマの姿が見える。どうやら彼女はセリーヌの気配を察知して見上げたようだが、まさかグランまでがいるとは思わず驚いているのだろう。彼女の驚きの声にリィン達他のメンバーも揃って天井を見上げ、同様の反応を見せている。

 しかしこの状況、グランには堪ったものではない。強制的に皆の前に降りなくてはいけないだけでなく、何故こんなところにいるのか。又は、いたのなら何故助けなかったのか等色々と問い詰められる事が容易に想像できるからだ。

 

 

「お、おう」

 

 

 行き詰まったこの状況下、額に汗を滲ませたグランは何となく右手を挙げてみる。リィン達から返ってきたのは揃ってジト目、厳しい反応であった。

 グランは一人大きくため息を吐くと、隣で他人事のように鼻歌を歌っているセリーヌへ鋭い視線を向ける。元はと言えばエリゼを見つけた時に声を掛けようとしたのを止めたのは彼女であり、グランにそこまで非はない。本来ならこのような事態に陥ることなく終わっていたのだから。

 

 

「どうせなら気配も消しとけっての」

 

 

「じゃあ逆に聞くけど、気配ってどうやったら消せるの?」

 

 

「は、反省してねぇ……」

 

 

 所謂開き直りである。そっぽを向いたセリーヌにグランは頭を抱えると、再度下を見下ろした。ここでじっとしていたところで状況を切り抜ける事など無理だと分かっている。どうせなら彼女も巻き込んでやろうと、彼はセリーヌの首根っこを掴むとその場から飛び降りた。猫が悲鳴を上げるという珍しい光景が広がる中、常人なら自殺行為のそれは真下にいるリィン達も驚いているようだ。

 直後に難なく着地を決めたグランを目の前に、一同の顔は唖然としていた。

 

 

「良かったなリィン、嬢ちゃんが無事で」

 

 

「ニャア」

 

 

 グランが笑顔でリィンに声を掛ける中、彼の手にぶら下がったセリーヌはあくまで普通の猫を演じ続けている。リィンはグランの声に苦笑いで返し、他のメンバーは彼の行動に呆れているが、そんな最中エマは大量の冷や汗をかいていた。セリーヌがボロを出さないか内心ハラハラなのだろう。そして予想通りというか、グランの掴んでいるセリーヌを見たエリゼは思い出したように声を上げた。

 

 

「そうでした。わたし、この猫を追ってここまで来てしまって……」

 

 

「ほうほう。だそうだが、どういうわけだ?」

 

 

「……ニャア」

 

 

 エリゼの言葉を受けて掴んでいるセリーヌに問い掛けるグランだが、やはり彼女はシラを切った。猫に聞いてもしょうがないだろうとリィン達がグランに突っ込みを入れ、エマも大袈裟なリアクションで彼らに賛同してセリーヌの話題からはすぐに外れる。グランも仕返しは十分だったのか、これ以上話を広げる事はなかった。

 あとはリィンとクロウが相手にした騎士人形についてなのだが、この事は後日調べるということに決め、エリゼの体調も考慮した上で一先ず旧校舎を出ようと一同は昇降機に向かって歩き始める。

 そしてこの時、アリサがアンゼリカの魔の手からエリゼを守っている様子を遠目に見ていたグランは、そんな彼女達へ同じように視線を向けているリィンに気付く。セリーヌを掴んでいた手を放した後に、彼の傍へ近寄ってその肩を軽く叩いた。

 

 

「どうしたんだ?」

 

 

「リィン。妹の事、大事にしてやれよ」

 

 

 オレが言える事じゃないが、と後に続けたグランはリィンをその場に残して先に昇降機へと向かった。彼の言葉に思うところがあったリィンはその表情を曇らせるが、グランに言葉を返す事なく同じく昇降機へと向かう。自分がどうこう言えるものではないと理解しているからだ。

 そして、グランとリィンが言葉を交わしている姿を後ろから見ていたエマは一人、何食わぬ顔で足元に隠れていたセリーヌを見下ろす。その視線は鋭く、彼女は明らかに怒りの感情をあらわにさせていた。

 

 

「……後でグランさんと一緒に詳しく聞かせてもらいます」

 

 

「……ニャア」

 

 

 この期に及んで、セリーヌは未だに普通の猫を続けていた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 翌日の早朝、トリスタ駅のロビーにはⅦ組の皆が集まっていた。二年生組からは代表でトワが顔を覗かせており、リィンを先頭に十一人が向ける視線の先には昨日士官学院を訪れたエリゼの姿が見える。この時間は帝都行きの列車が出る事になっており、リィン達はエリゼの見送りに来ているというわけだ。

 列車の時間までリィンとエリゼが他愛もない会話を行っている中、ふと落ち込んだ素振りを見せた彼女の頭をリィンが撫でている。その光景を後ろから見ていた他のメンバーは様々な思いを抱くが、アリサとエマの言葉に皆の意見が殆ど集約されていた。

 

 

「はぁ。妹さんにとはいえ、あんな事を平然とやるんだから……」

 

 

「あはは……あんな風にさりげなく頭を撫でるとか反則ですよね。八葉一刀流って一体何なんでしょうか」

 

 

「……なんとなしにオレまで馬鹿にされてないか?」

 

 

 リィンの朴念仁振りにグランまで巻き込まれた形だが、彼の行動にも同じように当てはまる事があるのだろう。エマの呟く後ろではトワとラウラが頭を縦に振っていたりする。

 そしてとうとう列車の時間を告げる場内アナウンスが流れ、エリゼは名残惜しそうな表情でリィンの顔を見上げていた。そんな彼女に心配をかけまいと、リィンは笑顔で語る。

 

 

「昨日の一件で、少しずつだけど前に進めているんだって事が実感出来た。だから心配しないでくれ。いつになるかは分からないけど……必ず、エリゼが納得するような答えを出してみせるからさ」

 

 

「リィン兄様……」

 

 

 彼の声に対し、エリゼの顔は晴れやかとまではいかないが、不安といった様子は感じられなかった。それでも心配しなくて大丈夫と言われたところで、彼女も多少の心配事は残っている。主に女性関係的な面でだが。

 そんなエリゼの心境を察したのかそうでないのか、後ろで会話を聞いていたグランは二人の傍へと近寄った。リィンの横に並んだグランは先ほどの彼と同じように、エリゼの頭に軽く手を置いている。

 

 

「あ……」

 

 

「大丈夫だ嬢ちゃん。嬢ちゃんの大好きな兄様にはオレ達がついてるんだ、心配すんな」

 

 

 エリゼの不安感を払拭しようとして行った事なのではあろうが、やはりグランとリィンの二人には何か共通点があるようだ。エリゼもリィンに似た温もりを頭に置かれた手から感じ取り、少し呆気にとられている。

 一見、グランの取ったそれは他人の妹を気に掛ける実に思いやりのある行動だ。しかし今回はそのやり方に問題があり、こうなると彼はもう標的を免れないだろう。

 

 

「はぁ、相手がエリゼさんで良かったと思った方がいいんでしょうか?」

 

 

「全く、普段はだらしがないのにこういう時に……」

 

 

「あはは……」

 

 

 頭を抱えながらエマとラウラが話す近くでは、エリオットが彼女達の様子に思わず苦笑いを浮かべていた。ユーシス達他の男性陣は微笑ましいといった様子で一連の光景を眺め、それぞれが温かい眼差しを向けている。

 そしてそんな彼らの後ろでは、グランがエリゼの頭に手を置いている様子を、複雑な表情を浮かべて見詰めるトワの姿があった。恥ずかしそうに顔を赤くするエリゼに対して笑みを浮かべているグランを視界に捉えた彼女は、少しだけ頬を膨らましてロビーの床へと視線を落とす。

 

 

「……グラン君のバカ」

 

 

 トールズ士官学院の生徒会長は、意外と嫉妬深かった。

 

 

 




やっと自由行動日が終わった……次回は実技テストから入ります。

そして会長がちょっとしか出ていない……これでいいのかメインヒロインなのに。


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意外な結末

 

 

 

 七月二十一日、水曜日の昼下がり。晴れ渡る空の下、毎月恒例となっている実技テストが行われる事となった。担任のサラを含めたⅦ組総員、そしてリィン達が向ける視線の先、サラの隣には生徒会長であるトワもテストの結果を見届けに訪れている。こちらも実技テストの観戦に訪れることが毎月の恒例になっていた。

 今月の実技テストの内容は、二人一組のペアを作ってそれぞれ模擬戦を行うというもの。サラの声を受けたリィンが一歩前に足を出し、彼は此度の模擬戦の相方にアリサを選んだ。リィンに名前を呼ばれたアリサはどこか嬉しそうに足を踏み出し、彼の横へと並ぶ。

 

 

「リィン、よろしくね」

 

 

「ああ、こちらこそよろしく頼むよ」

 

 

「はいはい、そういうのは後でお願いね」

 

 

 サラは楽し気に言葉を交わす二人に茶々を入れ、恥ずかしそうに顔を紅潮させて否定するアリサを受け流した後に二人の対戦相手を選択する。直後に彼女が呼んだ名前に、後ろで控えているメンバーはこの模擬戦の行方に関心を向けた。

 リィンとアリサの前には、サラに名前を呼ばれたラウラとフィーの二人が対峙する。実力的に考えれば彼女達二人の勝利は揺るがない。しかし、未だ仲違いを解決出来ていない両者には付け入る隙が必ずあるだろう。此度の模擬戦の勝敗もそこにあると、リィンとアリサは考えていた。直後に発せられた武器を構えろというサラの声に、向かい合う双方は互いにその手へ得物を構える。両組の戦闘準備が完了した事を確認したサラは、数歩後ろに後退すると戦闘開始の号令を掛けた。

 

 

「実技テスト……始め!」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「お疲れ、アリサ」

 

 

「ふふっ、いい感じだったわね」

 

 

 控えのメンバーが組んでいる輪の中へ戻ったリィンとアリサは、互いの健闘を讃えてハイタッチを交わす。リィン、アリサ組とラウラ、フィー組の模擬戦の結果は、意外な事に早い段階でリィン達に軍配が上がった。

 戦闘開始直後、リィンが前衛でアリサが後衛に回るというセオリー通りの戦闘配置につくリィン達に対し、ラウラとフィーは両者共が前衛を務め、リィンを標的に動いた。リィンとアリサが戦術リンクを活用して互いの動きを把握しながらカバーし合う中、ラウラとフィーは実技テストの要でもあるその戦術リンクを繋げる事なく応戦。必然的に生まれたラウラ達の隙をリィンが見逃すはずもなく、そこから一気に流れを引き寄せたリィンとアリサが太刀とアーツの連携によって勝利したのである。

 

 

「勝てなかった理由、貴女達なら分かってるわよね?」

 

 

「……はい」

 

 

「ん」

 

 

 勝利を喜ぶリィン、アリサ組とは対照的に、不甲斐ない戦いを見せてしまったラウラとフィーはどこか落ち込んだ様子でメンバーの輪の中へと戻っていく。サラはそんな彼女達に視線を向けた後、ユーシス、マキアス組とガイウス、エリオット組の両ペアを呼んで再び実技テストへと移る。

 ユーシス達の実技テストが始まったと同時に、トワは先のラウラ達の様子を見て心配したのか、理由を聞くためにグランの元へと駆け寄った。どうやら先月頃から二人の仲が拗れている事を知っていたらしく、彼女の問いを受けたグランは、怒鳴り合いながらも中々の連携を見せるユーシスとマキアスに視線を固定しながら答える。

 

 

「フィーすけの過去を知ってからずっとあんな感じですよ」

 

 

「あっ……」

 

 

 グランのその一言でラウラとフィーの仲違いの理由を察したトワは、やはり他の生徒達の事もよく見ているという事だろう。フィーがⅦ組メンバーに打ち明けた過去、そしてラウラの性格をよく知っていなければ普通はこんなに察しがいいはずがない。そして同時に、彼女は自分ではどうすることも出来ない事を理解する。

 ユーシス、マキアス組とガイウス、エリオット組の模擬戦も佳境に入っていた。互いに後衛を務めるマキアスとエリオットが双方同時に繰り出した地属性と水属性のアーツを受けて仲良く膝をつく中、ユーシスとガイウスの前衛同士が騎士剣と槍を激しく交差させて金属音を鳴り響かせる。

 

 

「フン、この間合いならば得意の槍も自由に使えまい……!」

 

 

「ふふ、やはりユーシスは手強いな……!」

 

 

 最早後衛の二人の事は頭にないユーシスとガイウスであったが、そんな部分も含めて今後の課題だと考えながらサラは模擬戦の行方を見守る。最終的には力で押し切ったガイウスが自分の間合いに持ち込み、ユーシスに勝利するという結果に終わった。

 ユーシス達が終えた事で、実技テストもそろそろ終盤を迎える。そして残るはグランとエマの二人だけなのだが、対戦相手であるもう一組がいない。まさかサラとトワが組むのだろうかと一同は考えるが、実際はその逆だった。

 

 

「さて、グランは会長と組みなさい。エマ、よろしくお願いするわね」

 

 

「は、はいっ!」

 

 

 サラに名前を呼ばれたエマは魔導杖を握り締めて彼女の隣へ移動し、グランは先程から隣にいたトワと一緒に彼女達の前へ移動する。グランとトワが目の前に移動した事でサラは笑みを浮かべながらブレードと導力銃を取り出し、エマは対照的に緊張の面持ちで彼女の後方に回ると魔導杖を構えた。サラが相方を務めるというのもそうだが、相手がグランという事が何よりのプレッシャーなのだろう。そう固くなるなとサラはエマに向かって話すが、彼女からしたら無理な相談である。

 グランもその様子を見て笑みを浮かべると抜刀の構えを取り、トワはエマと同じようにグランの後方で導力銃を構える。この時のトワの表情はやはりエマと真逆で、どこか嬉しそうであった。

 

 

「よ、よろしくね、グラン君」

 

 

「ええ、一先ずトワ会長は委員長のアーツを警戒してください。サラさんの攻撃からはオレが必ず守ります……何、会長には傷一つ付けさせませんよ」

 

 

「う、うん……(何でそんな事平気で口にしちゃうかな、もう)」

 

 

 振り返るやいなやニヤリと口元を曲げるグランの表情を見て、トワはその頬を朱色に染めながら困ったように笑みを浮かべていた。彼らと対峙しているエマ曰く、七つの型と無手の型からなる八葉一刀流の隠された裏の型『天然誑し』が発動したとの事だが、上手く言ったものである。八葉一刀流の創始者であり、『天然自然』を教えとするユン=カーファイも涙目であろう。

 そんなこんなで八葉一刀流に新しい型が追加された事も露知らず、リィン達控えのⅦ組メンバーは此度で最も興味深い一戦となるであろう目の前の両ペアへと熱い視線を向けていた。

 

 

「前回は少し予想外の事が起きたけど、今回は純粋にグランの剣技を見れそうだな」

 

 

「グランの全力はそうそう見れんからな。俺も参考にさせてもらうとしよう」

 

 

「凄いね、二人共。僕なんか何が起きてるのか毎回分からないのに」

 

 

「大丈夫よエリオット、私もだから」

 

 

 これから始まる模擬戦に期待を寄せながら話すリィンとユーシスの後方、感心したように声を上げるエリオットの横ではアリサが呆れた様子で同意している。士官学院の生徒としてはリィンやユーシスの反応の方が良いのではあろうが、半年前までは一般的な帝国民であったエリオットとアリサにそこまで強要するのは難しいだろう。とは言え、どちらも家系から言えば一般的という部類からは外れるが。

 そんな風にリィン達が談笑している一方で、今から模擬戦を行うグラン達も準備が整ったようだ。サラの呼び掛けで二組が対する間に移動していたラウラが、戦闘開始の合図をとった。

 

 

「実技テスト……始め!」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 声を上げて直後、戦闘開始の合図をとったラウラは目の前の光景に唖然とする。自身が後退するよりも早く眼前ではグランとサラによる鍔迫り合いが繰り広げられ、甲高い金属音を耳にしてから数秒程経過した後に漸くその場を離れた。同じように驚いた様子のリィン達が待つ輪の中へと戻り、彼らと同じくこの模擬戦の観戦へ移る。

 一方、開始そうそう刀とブレードによってそれぞれの一手を封じたグランとサラ。正確に言えばサラには左手に握る導力銃もあるのだが、グランの左手に手首を掴まれてこちらも機能していなかった。初手から双方攻撃手段を失った状態である。

 

 

「レディの腕をそんなに強く握っちゃ駄目じゃない……!」

 

 

「だったらそのブレードを放してくれませんかね……!」

 

 

 言葉を交えながら、刀とブレードによる小競り合いは尚続く。そしてグランとサラが双方の動きを封じている間、それぞれの後方ではARCUSを駆動したトワとエマが既に控えており、両者共その体の周りには蒼いリングを纏い、淡い光を放っていた。

 数秒にも数分にも感じる両者のせめぎ合い……その終了は、トワとエマがアーツを繰り出す準備を終えたとほぼ同時。サラはグランの刀を弾くとその身に紫電を纏って大きく後退する。

 

 

「なっ!?」

 

 

 そして突然驚きの声を上げたのはサラ、彼女の相方を務めるエマや観戦中のⅦ組メンバーも同様の反応を見せていた。何故なら、トワとエマの両者が放った銀色の閃光の先には未だグランが立っている。両アーツの直撃を受ければ流石のグランも無事では済まないだろう。しかし当の本人は微動だにせず、回避する気配も見えない。

 二人が放ったアーツ……ルミナスレイは直線の軌道のままグランを挟んで激突、爆発と同時にその場を砂煙が立ち上った。

 

 

「えっ……何か連携ミスでもあったん──」

 

 

「エマ、下がりなさい!」

 

 

 煙が舞う場所を困惑した様子でエマが見詰めている最中、彼女の声を遮ったサラは視認すら難しい恐るべき速度でエマの後方に回る。直後に僅かに苦しむ声をサラが上げ、甲高い金属音と重なり合う。

 エマが振り返った直ぐ先にはアーツの挟み撃ちに巻き込まれたはずのグラン、そして彼の刀を両手持ちに切り替えたブレードで受け止めるサラの姿。気付かぬ内に、彼女はグランに背後を取られていた。

 

 

「くっ……分け身って言ったかしら、相変わらず面倒な戦法ね……!」

 

 

「お誉め頂きどうも……ところで委員長隙だらけ何だが、ほっといていいんですか?」

 

 

 少しでも気を緩めれば押し切られるこの状況、サラはブレードを片手に持ち替える事が出来ずに苦虫を噛み潰したような表情。彼女の皮肉に顔色を変えず答えたグランは、助言でもしたつもりなのか目線をサラの後方に移して動揺した様子のエマを視界に捉えた。

 彼の視線を受け、呆然としていたエマは直ぐにバックステップで距離を取るとARCUSの駆動に掛かる。しかし、それよりも早くグランの後方に立つトワが次の一手を決めていた。

 

 

「えいっ!」

 

 

 トワが声を上げた直後、三人の足元が突如として暗闇に染まった。まるで水面であるかのように淡い暗闇は波紋を広げ、その地面からは次々と蝶が現れて周囲をヒラヒラと舞っている。

 まさか味方まで巻き込むのかとエマは考えるが、目の前のグランはニヤリと笑みをこぼすとその姿を消した。先程サラが口にしていた分け身を使用していたのだろう、分かりきっていた事なのかサラは舌打ちをしている。

 そして彼女が舌打ちをした直後、周囲を舞っていた無数の蝶は突然炸裂を起こす。轟音と共に、二人を砂煙が包み込んだ。

 

 

「さっすが、会長ナイスタイミング」

 

 

「えへへ、グラン君が回避できるのは戦術リンクで分かってたから」

 

 

 高位アーツの直撃、勝利を確信したのかトワは隣に現れたグランに向けて嬉しそうに笑顔をこぼしている。しかしグランの表情には未だ真剣さが残っていたため、それを疑問に思った彼女は首を傾げながら砂煙の舞う場所へと視線を移した。

 砂煙が晴れたそこには、半透明の球体に包まれたサラとエマの姿が見えた。アーツの直撃を受けたためノーダメージではなかったようだが、彼女達を覆っている球体はアーツの威力を軽減させたのか立てない程ではないらしい。頬に付いている砂埃を払う事なく、自身を包んでいた球体が消滅したと同時にそれぞれ武器を構え直している。

 

 

「助かったわ……さっきのはちょっとヤバかったわね」

 

 

「な、何とか間に合いました……」

 

 

 額に汗を滲ませるサラの後ろで、エマはホッと胸を撫で下ろしていた。二度に渡る自身のミスが敗北に結び付かなくて良かったと安堵しているのだろう。とは言えダメージを受けてしまったため、劣勢になったという事には変わりないが。

 まさか防がれたなんて、と二人の無事な姿にトワが驚いている中、グランは戦況が自分達に傾いていると踏んで一気に攻勢へと移る。右手に持っていた刀を鞘へ納めると、直ぐ様抜刀の構えを取った。

 

 

「我が剣は閃光、何人たりとも逃れる術はない──」

 

 

 そして忽然とその姿が掻き消える。戦術リンクを繋いでいるトワですらグランの動きを正確に把握出来ていないのか、彼女は困惑した様子で目の前を見渡していた。

 数秒も経たぬ間に、グランの太刀を浴びたのか苦しむ声を上げながらエマが膝をつく。残るはサラ一人だけなのだが彼女は僅かに反応出来るようで、ブレードを使って受けるような動作をしながら火花を散らせ、所々導力銃による射撃も行っている。射撃の際に金属音が聞こえたり聞こえなかったりするのは、大方グランに当たらなかったか的中したものの刀で弾かれているという事だろう。

 このままでは防戦一方のサラ。しかし彼女は見えない一閃をブレードで弾いた直後、突然導力銃の銃口を現在隙だらけのトワへ向けた。グランの太刀は浴びてしまうかもしれないが、どちらかは確実に戦闘不能にしておかないとこの先に勝機を見出だせないと判断したためである。どちらにせよ状況が不利になる事は逃れられないが、彼女としても教官として簡単に負けるわけにはいかない。

 そしてサラが次の一閃を受ける前にトワへ射撃をしようとしたまさにその時、突如としてグラウンド一帯の空気が震える。サラは驚きの表情で上を見上げ、他の皆も異変に気付いたのかその場にいる全員がサラの立つ場所の上空へ視線を移した。

 

 

「やめろーーーー!」

 

 

 叫び声を上げたグランが紅い闘気を纏いながら、明らかに動揺した様子で刀を振り上げている。サラはそれを視界に捉えると表情を真剣なものに変え、上空のグランに向けてその身を構えるとカウンターの準備に入った。

 直後、降下と同時にグランが刀を振り下ろしてサラを中心に爆発が巻き起こる。轟音を伴いながら周囲に爆風が吹き荒れ、皆は飛来してくる小石を防ぐために顔の前を腕で被い、飛ばされまいと両足を踏ん張って砂煙が立ち上ぼる先を見詰めていた。

 現状で考えればグランの勝利と思われた一戦。風が止み、砂煙が晴れた視線の先。トワやエマ、その場にいるメンバーは目の前の光景に驚きを隠せない。

 

 

「くっ……危なかった、わね」

 

 

「ぐっ……!?」

 

 

 一同の瞳に映ったのは、身体中に砂埃を付けたサラが力尽きてその場に倒れ始める姿。そして、彼女の傍で自身の頭を抑えていたグランが直後にサラと同じく倒れる光景だった。

 

 

 




何だろう、最近グラン倒れてばっかりのような……気のせいだよね! だって剣聖だもん!(現実逃避)

……ごめんなさい、現実を見ます。

でも会長に向かって導力銃を向けられたら誰だって動揺するんじゃない?(投げやり)


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この世界の最強は

 

 

 

──私ね、塩化して枯れ果てちゃったこの土地一面にハーブを植えて……もう一度蘇らせたいんだ──

 

 

 あるところに、自国の土地の大半が塩と化している惨状を見て悲しんだ一人の少女がいた。白い長髪を棚引かせる齢十歳程のその少女は目の前の非情な現実に目を背けず、笑顔を絶やす事なくその両手にスコップと苗木を持っている。

 そんな彼女が振り返った先には、赤い髪が特徴的な同い年と思われる少年が立っていた。彼は少女の無謀とも言える発言を嘲笑う事なく、彼女と同じように笑顔を浮かべて眼前の真っ白な土地を見据える。

 

 

──面白いじゃないか。力になれるかは知らないが、オレもクオンの夢に協力してやるよ──

 

 

──ふふ……頼りにしてるんだからね、『閃光』さん──

 

 

 少年の声に、クオンと呼ばれた白髪の少女は悪戯っぽい笑みを浮かべながら彼の傍に近寄り、その身を少年の体へと預けた。両者の頬は僅かに赤みを増し、少年に至っては照れくさそうに頭を掻いている。

 二人の視線の先に広がる塩と化した広大な土地は、一見復活させるというのは余りに絶望的とも思える現状だ。しかし二人の表情に迷いはなく、両者の瞳には現在目の前に広がる光景が違って見えている。青々としたハーブ畑が一面に広がる光景、現状とは全く異なる生まれ変わった状態で二人の瞳に映っていた。

 

 

──綺麗なもんだな、ハーブ畑が一面に広がる光景ってのも──

 

 

──おかしなグランハルト、まだ真っ白なままなのに──

 

 

──そう言うクオンも見えてたんじゃないか? ハーブ畑が広がる景色が──

 

 

──ふふ、考える事は同じだね──

 

 

 寄り添うように少年に体を預ける少女と、その少女の体を受け止めながら笑顔を浮かべる少年。絶望に満ちた国の一角、そんな二人の周りには確かに幸せが満ちていた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「……またこの嬢ちゃんの夢か」

 

 

 実技テストから三日が経過したこの日の早朝、グランは自室のベッドで瞳を伏せながら呟いていた。実技テストの翌日から毎日白髪の少女が登場する夢を見ていた彼は、この日も同様に夢の中で少女が笑った直後に目を覚ます。ベッドの上で体を起こした後、伏せていたその瞳を開く。

 夢の中に出てくるクオンという名の少女は、生徒会長であるトワの顔によく似ていた。しかしグランが気になっているのはそれだけではない。その少女と同じく毎回夢に登場する赤い髪の少年……見た目は十歳程の子供だが、確かにその少年はグラン本人だった。

 

 

「クオンって名前の嬢ちゃんの事、オレは確かに知っているはずだ……何故明確に思い出せない」

 

 

 少女の事を知っているはずなのに、記憶にあるのに思い出せない。引き出しの中に入っているのに鍵を施錠されて取り出せない、そんな違和感。以前この少女を思い出そうとした時に抱いた家族への明確な殺意はこの度も同時に表れ、グランは記憶の片隅に存在するクオンという少女を放っておくことが出来なくなっていた。

 とは言え今の彼にはクオンという名前と、夢の中で幼かった頃の自分が彼女と一緒に眺めていたノーザンブリアの地という手掛かり以外に何もない。そこからは道を絶たれたように情報が途切れ、これ以上少女の記憶を思い出すためには施錠された引き出しの鍵を……明確に言えば記憶を封じている何かを取り払うしか方法はなかった。

 

 

「今のところ引っ掛かるのは『教授』くらいだが……死んじまった人間に聞く事も出来ないしな」

 

 

 不気味な笑みを浮かべている眼鏡の男を脳裏に過らせ、その男が記憶という分野に関して幅広い知識を有していた事を思い出すも、既に他界してしまったために助言をもらう事も出来ない。少女を思い出そうとする度に殺意を抱いてしまう父親や妹なら何か知っている可能性もあるが、現状で会いに行く選択肢がグランの頭にはあるはずもなく。

 あとはクオンという少女とトワがそっくりな点についても疑問が残るものの、その点については不思議と彼は関連性が無いと容易に切り捨てる事が出来た。顔は確かに似ているが、グランが夢の中の少女から感じた気配とトワの気配が似ても似つかないからだ。

 

 

「結局現状は手詰まりか……ん?」

 

 

 行き詰まった現状にグランがため息を吐いていると、扉の向こう側から徐々に数人の足音が聞こえ始める。足音を耳にして今日が特別実習の初日だという事を思い出した彼は、ベッドから降りると椅子に掛けていた制服を手に取った。着ていた服をベッドの上に乱雑に放り、学院の制服へと着替える。

 結局少女について詳しい事は思い出せなかったが、今は特別実習という目の前の課題がある。先ずはそれを確実に達成してから、ゆっくり少女の事について調べればいい。そうグランは自己解釈すると、棚に置いてある鏡で制服姿の自分を確認してから扉を開けて自室を出た。

 

 

「……ま、案外とすんなり思い出したりしてな」

 

 

 能天気な言葉を呟いて学生寮の自室を立ち去るグラン。だがこの時彼が発したその言葉は、奇しくも今回の特別実習で実現することとなる。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 四度目となる特別実習を迎えた今日、Ⅶ組一同はトリスタ駅のロビーへと集合していた。いつものようにラウラとフィーの間に微妙な距離感を感じながら、一同はA班、B班共に特別実習に指定された帝都ヘイムダルへ向かう旅客列車が到着するのを待つ。

 ふと、隣合わせに無言で佇んでいるラウラとフィーの元へグランが近寄った。今回ラウラやフィーと同じA班へと振り分けられた彼は、これから帝都で行う実習が出来るだけスムーズに進むよう何とか仲を取り持とうと考えたわけである。今までその様な事を自分から進んで行う事のなかった彼だが、それだけグランにとってⅦ組という場所が気付かぬ内に居心地の良いものへとなっていたのだろう。

 

 

「まだ解決してないのか。てっきりこの前のラウラの様子を見て上手くいってるとばかり思ってたんだが……お前らいい加減折れたらどうなんだ?」

 

 

「……すまぬ」

 

 

「……ごめん」

 

 

「いや、オレに謝られてもだな……」

 

 

 二人の顔を交互に視界に捉えながら話すグランの声に、彼女達は申し訳なさそうに僅かに顔を俯かせた。その反応を見て困ったように頭を掻くグランの様子をラウラとフィーは上目遣いで窺った後、互いに視線を交わして直ぐにそれをロビーの床へと落とす。そんな二人の様子を、リィン達周りのメンバーも心配そうに見詰めていた。

 ラウラもフィーも、心の中では既に理解出来ているのだ。境遇上、猟兵という生き方を余儀なくされる者がいるのは仕方ない事をラウラはグランを敬遠していた時期に気付いている。フィーの方は元々ラウラが一方的に敬遠していたため原因と呼べるものは無いが、ラウラと会話がなくなってからいつしか彼女を相容れない存在なのだと思うようになった。それでも、ラウラが自分の事を本当の意味で嫌っている訳ではない事は気付いている。

 だからこそ、互いの心を打ち明け、本音で語り合う事で彼女達の問題は解決を迎えられる筈だった。しかし、先日決意を見せたラウラがフィーに声を掛けようとする度に、フィーが避けるようにその場を去る。両者が目線を反らさずに向かい合う状況が作れない。そんなもどかしい現状が、未だに二人が仲違いを解決できずにいる理由だった。

 

 

「(ラウラはこの数日間話そうとしていたみたいだし、何とかしてきっかけを作ってやりたいが……)」

 

 

 落ち込む二人の姿を目に、何か良い案はないかとグランは頭の中で思考を巡らす。彼があれでもないこれでもないと考える内に帝都行きの旅客列車が到着したらしく、一同はホームに向かい列車へ乗車した。

 列車に乗って直ぐ、A班はリィンとエリオット、マキアスが三人並んで席へと腰を下ろし、向かいの席にグランを挟んでラウラとフィーが座る。帝都までの列車旅に揺られながらグランは考えるも、結局二人を和解させる名案が思い付くことは無く。

 一同は帝都が地元であるマキアスとエリオットの話す現地情報を聞き終え、列車に乗車してから三十分程経過した後にヘイムダル駅へと到着する予告アナウンスを耳にする。列車の停止後、A班、B班共にヘイムダル駅のホームへ降車した。

 皆が帝都駅のホームに降りる中、最後尾を歩いていたグランは列車を降車する手前でふと歩みを止める。この時、彼は昨晩に訪れていたサラの部屋にて彼女から受けていた忠告を思い出していた。

 

 

──アンタなら大丈夫だと思うけど……もうあの組織を抜けてるとは言え、確実に警戒はされると思うから気を付けなさい。ま、この夏至祭は色んなイベントがあるみたいだし、危害を加えないと分かればちょっかいは出してこないでしょうけど──

 

 

「(『紅の剣聖』が結社を抜けたかどうかなんて向さんが知る分けがない、警戒されるのは確実だろ。だが……)」

 

 

 グランは止めていた歩みを再開し、ホームへ降りると先に降りていたリィン達が会話を行っている人物へと視線を向ける。

 水色の髪に、見覚えのある鉄道憲兵隊の軍服。悠然とした佇まいを見せるその女性は、四月の特別実習地であるケルディックにて発生した窃盗事件の解決に駆け付けた人物。当時はグランも忘れていたが、間違いなく『鉄血宰相』の息がかかった人間の一人。

 

 

「(皇族が出席する夏至祭のこの時期、どこまで手が回るか楽しみにしてますよ)──『氷の乙女(アイスメイデン)』殿」

 

 

 探るようなグランの視線は、リィン達と笑顔で会話を行っているクレア=リーヴェルトへと向けられていた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 時刻は少し遡る。Ⅶ組の面々が特別実習先である帝都行きの旅客列車に乗って直ぐ、トリスタ駅のロビーには息を切らしながら駆け込んでくるトワの姿があった。彼女はロビーを見渡して目的の人物の姿がない事を確認すると、受付の女性の元へと歩み寄る。

 トワがここに来た目的は、これから特別実習で学院を離れるグランに会うためだった。受付で既に帝都行きの列車が出発した事を聞いた彼女はガクリと肩を落とすと、落ち込んだ様子で近くに設置された椅子へ腰を掛ける。

 

 

「お見送り、間に合わなかったなぁ……」

 

 

 トワはロビーの床に視線を落としながらため息を吐き、グランを見送れなかった事をとても残念そうに呟いていた。ここ最近学院内で顔を合わせる事が減り、中々同じ時間を過ごす事の無かったグランに少しでも会いたいと、そう思って途中の仕事を残して駆け付けるも間に合わなかった。やっぱり朝早くから第三学生寮に行けばよかったと絶賛落ち込み中である。

 今回行われるⅦ組の特別実習は三日間。実習先は近場の帝都とは言え、山のようにある生徒会の仕事を置いて会いに行くのも生徒会の皆に申し訳ない。恐らくトワの願いならば生徒会に所属する貴族生徒も平民生徒も二つ返事で快く了承してくれるだろう。だからといって、責任感の強い彼女がそんなお願いをする事は無いが。

 グランが生徒会室に訪れる事が無くなり、長く感じるようになった学生会館での職務。今までは生徒会室の窓から外を歩いているグランの姿を目にして自分の気持ちを誤魔化している事はあったが、それも彼が学院からいなくなれば出来なくなる。自分の気持ちを誤魔化す事も出来ない、彼女にとっては非常に辛い状況だった。

 

 

「夏至祭の日は学院も休みだけど、残りの仕事を片付けない訳にはいかないし……そうだ!」

 

 

 ふと、落ち込んでいたトワは何かいい案を閃いたのか席を立ち上がる。急務の中、夏至祭に行くことが出来るようになる名案とは一体どのようなものなのか。仕事が忙しくて彼女と同じように夏至祭に行けない人達は耳を揃えて聞き入った事だろう。

 しかし、此度彼女が閃いた夏至祭に行くための名案。それは、少なくとも彼女にしかできないものであった。

 

 

「仕事を早く片付けちゃえば問題ないんだ! もう、何でこんな簡単な事思い付かなかったんだろう」

 

 

 意気揚々と、トリスタ駅のロビーを出て士官学院へと走り始めるトワ。山のようにある仕事を早く片付ける事が簡単な事、少なくともこんな風に言い放つ事が出来るのは彼女しかいない。急務で夏至祭に行けない人達が今の彼女の言葉を聞いていたら、出来るかと怒鳴り返す事だろう。

 トリスタの町中を走り抜けるトワの顔は、先程の落ち込んだ様子とは真逆で希望に満ち溢れているものだった。毎日放課後から夜遅くまで明け暮れている生徒会の山のような仕事。普段は目の前を塞ぐ難敵であるそれは、今の彼女にしてみれば気絶状態の飛び猫も同然。恋する乙女というのは、もしかしたらこの世界で一番強い存在なのかもしれない。

 

 

 




ここからグランの過去を断片的に出していこうかなと考えています。会長には彼の過去をどんどん掘り下げてもらおうかと。いや、やっぱりメインヒロインですし。

いよいよ次回からは帝都での特別実習。いつもは次章に進むまでテンション下降気味なのですが、今回は違います。だって会長が出るから!



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居心地の悪い場所

 

 

 

 ヘイムダル駅の一角、鉄道憲兵隊詰所内部にあるブリーフィングルーム。鉄道憲兵隊大尉を務めるクレア=リーヴェルトの案内によりそこを訪れていたⅦ組の面々は、各々席に座りながら上座で笑顔を浮かべている人物を一斉に見詰めていた。一同の視線の先、緑髪の眼鏡を掛けた男性はどことなくその風貌にマキアスの面影を感じる。事実、その男はマキアスの父親であり、この帝都ヘイムダルの知事と帝都庁長官を務めるカール=レーグニッツであった。

 レーグニッツ知事の話では、此度の特別実習の課題は帝都知事である本人自らが用意したもの。毎年人口が増加傾向にあり、現在八十万人を超える人口を抱える帝都は、やはり人の数が増すごとに帝都庁の抱える仕事も増えているらしい。今回の課題はその中から帝都知事が見繕ったという事になる。

 しかし特別実習とは言っても帝都は広く、都市の全域を駆け回るのはいくらなんでも時間がかかり過ぎる。勿論その事への配慮もされており、ヘイムダル駅から皇城バルフレイム宮まで一直線に延びている帝都中央を走るヴァンクール通りを境にA班が東側、B班が西側を担当する事となった。宿泊する宿についても東西にそれぞれ用意されているようで、A班は課題と共に宿の住所が記された紙をリィンが代表で受け取っている。因みにこの帝都内ではARCUSの通信機能が使用できるらしく、連絡手段があるのはありがたいと皆一様に笑顔を浮かべていた。

 

 

「さて、私からの説明は以上だ。それでは──」

 

 

「ま、待ってくれ!」

 

 

 そして特別実習についての説明を終えたのか、レーグニッツ知事が立ち上がろうとした矢先にマキアスが声を上げて彼を引き止めた。マキアスの話では、猫の手も借りたいほど忙しい帝都庁の職務の中、何故帝都知事自らが特別実習の説明を行いにわざわざ出向いたのかというもの。確かに特別実習についての説明や課題の受け渡しは帝都庁の職員が受け持てば済む話で、帝都知事と帝都庁長官を掛け持ち、革新派のトップであるオズボーン宰相の盟友としても知られる彼がこのためにわざわざ時間を作ったというのは違和感がある。例えマキアスの父親だからと言って、私情で行動を取るほどの時間が彼には無いからだ。

 しかし、事が職務に関係してくると話は変わる。

 

 

「そう言えば紹介がまだだったようだ。トールズ士官学院の三人の常任理事、その内の一人をやらせてもらっている」

 

 

「な……!」

 

 

 唐突に知らされたレーグニッツ知事のもう一つの役職に、息子であるマキアスは驚きのあまり開いた口が塞がらない状態だった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 レーグニッツ知事による特別実習の説明も終わり、A班とB班はヘイムダル駅をあとにしてそれぞれ宿泊先である宿の住所を探すことから始める事となった。リィン達A班はアルト通りと呼ばれる場所に向かう事となり、エリオットの実家が同じ地区にある事から彼の案内で街中を進む。

 実習の範囲を東西に絞ったとはいえ、やはり帝都の街は広い。移動は導力トラムと呼ばれる乗り物を利用して行う事になり、ヘイムダル駅正面にある導力トラムの乗り継ぎ場で乗車してからA班一向はアルト通りを目指す。目的地までの時間、リィン達は導力トラムの中で談笑していた。

 

 

「それにしても、やっぱり帝都は人が多いな」

 

 

「まあ、父さんの話では毎年人口も増加傾向にあるようだからな。このままいけば、これから先の帝都庁は想像もつかない忙しさだろう」

 

 

「だよね。百万人の人口なんて想像出来ないよ」

 

 

 窓越しに通りを歩いている人々を目に声を漏らすリィンに、マキアスは父親であるレーグニッツ知事の身をどこか案じているような表情で続く。二人の隣ではエリオットがマキアスの話に同意を見せ、苦笑いを浮かべながらその視線を目の前の座席に座っているラウラとフィーへ移した。やはり、隣合わせに座っていてもこの二人には会話がない。

 そして、現在乗り物内にはリィン達A班五人と他の乗客が数人だけ。何故かグランの姿が見当たらなかった。

 

 

「でも、グランどうして急に駅の中に戻っていったんだろう?」

 

 

「本当何でだろうな。ARCUSで誰かと話していたみたいだけど……」

 

 

「うーん……分からないな」

 

 

 実はエリオットとリィンが話しているように、A班が導力トラムに乗車する直前。グランのARCUSに通信が入り、通信を終えた後に彼はヘイムダル駅の中へと引き返していった。後々合流するから先に実習に取り掛かっていてくれと彼は話していたが、実習を抜けてまでの用事とは一体どのようなものなのか。マキアスは腕を組みながら考えるが、当然分かるはずもない。

 特別実習一日目の今日、ラウラとフィーの仲を何とか取り持とうとグランが頑張っていたのはリィン達も気付いており、今回の実習中の彼女達については彼らもグランを頼りにしていた。結局出鼻から挫かれた形になったA班だが、悲観していても仕方がない。グランが戻ってくるまでは、何とか無事に課題を進めようと三人は意気込む。

 

 

「一先ず、この住所に該当する場所を探さないとな」

 

 

「君の実家が近いようだし、頼りにさせてもらうぞ」

 

 

「うん、任せて」

 

 

 リィンとマキアスの視線を受けて、エリオットは力強く頷いた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 鉄道憲兵隊の大尉を務めるクレア=リーヴェルトは現在、憲兵隊詰所内のブリーフィングルームで一人の人物を待っていた。部屋の入口に背を向けて立ち、その片手には何故かⅦ組と一部の人間にしか支給されていないはずのARCUSも握られている。

 ARCUSを懐に納めて直ぐ、クレアはふとため息を吐いた。彼女は近くの席へ腰を下ろすと、神妙な面持ちでテーブルを一点に見詰め始める。

 

 

「……やはり、好意的ではありませんか」

 

 

 先程ARCUSで通信をしていた相手。クレアはその人物の受け答えから、自分達がよく思われていない事を察していた。とは言えそんな事は初めから分かっていたようで、呼び掛けに応じてもらえただけでも彼女にとっては収穫らしい。それだけで少なくとも脈はあると判断できる材料になるからと。

 そろそろ来る頃合いだと、クレアは身嗜みを整えて引き締めていた表情を柔らかくさせた。そして彼女が席に着いて数分後、不意に扉越しからノック音が聞こえてくる。

 

 

「どうぞ。開いていますのでそのままお入りください」

 

 

 彼女が入室を促し、扉がゆっくりと開かれる。そしてブリーフィングルームに入室してきたその人物は、先程リィン達とヘイムダル駅前で別れたグランだった。Ⅶ組の指定服である赤服を身に纏い、彼は扉を閉めると席を立ち上がったクレアの元へ歩み寄る。

 クレアは警戒心を薄めようと笑顔で迎えるが、グランの表情は思ったほど険しくもなく普段通りの彼だった。しかしやはりというか警戒はしており、彼女の姿を視界に捉えながらも辺りを観察していた。この場にいるのは二人だけだが、盗聴や録音をされているとすれば迂闊な発言は避けなければならない。彼の警戒も当然と言えた。そんな中でも、クレアは敢えて笑顔を崩さずに出迎える。

 

 

「嬉しいです、グランさんに来ていただけるとは思ってもいませんでしたから。この度は、特別実習の中突然お呼び立てして申し訳ありません」

 

 

「用件は?」

 

 

「順を追って説明させて頂きます、先ずは席に」

 

 

 談笑の暇もないとクレアが苦笑いを浮かべながら椅子を引き、グランが座った後に彼女も隣の椅子へと腰を下ろした。見た目では分かりづらいが終始警戒を怠らないグラン、クレアも警戒されているのだと薄々感じながら苦笑を漏らす。不用意な発言は控えなければと、彼女も笑みを崩して表情を引き締めた。

 

 

「明後日に行われる夏至祭、皇族の方々がご出席なされるのはご存知の事と思います」

 

 

「ええ、この時期にイベントが重複するとなると大変でしょう……だから大人しくしておけ、そう言ったお願いですか?」

 

 

「お話が早くて助かります。宰相閣下は問題ないと仰ったのですが、テロリストが襲撃してくる可能性が高い中で私共も不安要素は出来るだけ取り除いておきたかったんです。失礼な事だとは思いましたが、この場を借りてお伺いしました」

 

 

 申し訳ありません、とクレアは再度口にすると頭を深々と下げる。無論、グランはこの帝都で騒ぎを起こそうなどとは考えてもいないのでクレアの願い出に直ぐ様了承の意思を見せた。彼の返答を聞いたクレアは再び笑顔を浮かべると、お礼の意味も込めてもう一度頭を下げる。

 用件は終わったとばかりに、グランは席を立つと部屋の扉へ向かって歩き始めた。しかしクレアの方にはまだ用事が残っていたらしく、部屋を立ち去ろうとするグランの背に向けて声を上げる。

 

 

「グランさん。実は今日お呼び立てしたのはここからが本題なんです」

 

 

「……何ですか?」

 

 

 クレアの呼び止めに、グランは扉の前で振り返ると怪訝な表情を浮かべて彼女の顔を見詰めていた。仮に自分が猟兵時代に得た情報や知識を利用しようとするのなら、この場で関わりを完全に断つと心に決めて。

 しかし、帰ってきた言葉はグランの考えているものとは少し違っていた。クレアの口から発せられたそれは、彼の予想の少し斜め上を行くもの。

 

 

「グランさんは、来月末にクロスベルで行われる通商会議をご存知ですか?」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 導力トラムに乗って帝都の街を移動していたリィン達五人は、アルト通りに位置する二階建ての建物の前で足を止めていた。つい先程までは五人とも近くにあるエリオットの実家を訪れていたのだが、彼の姉であるフィオナ=クレイグに此度レーグニッツ知事から渡されていた住所を訊ねてこの場所に来たという訳だ。エリオットの突然の帰省にフィオナが嬉しさのあまり彼を中々開放せずに出足が遅れたのは余談である。

 レーグニッツ知事が今回用意していた宿泊先となる場所は、どうやら彼らの目の前にあるこの建物のようだ。しかし外観は少し大きめの一戸建て程度で、どう考えてもホテルのような宿泊施設には見えない。

 それもそのはず。この建物はかつて、遊撃士協会の帝都支部として使用されていたもの。とは言え現在は遊撃士の活動が大きく衰退したため使われておらず、アルト通りに実家があるエリオットすらもうろ覚えであった。

 

 

「ふむ、私の故郷のレグラムでは遊撃士協会の支部が今でも活動しているのだが……」

 

 

「うーん、確か二年前に大きな火事があってから見なくなったんだよね……テロだったって噂も流れていたみたいだし」

 

 

「二年前……アレか」

 

 

 建物を見上げて首を傾げるラウラの横で、エリオットは帝都における遊撃士協会の活動が衰退してしまった時の事を口にする。二人の後ろではこれまたフィーが何か思い出しのかエリオットの言葉に反応を見せ、ラウラは猟兵絡みの情報と判断したのか渋い表情を浮かべていた。

 リィンが住所の記された紙と一緒に受け取っていた鍵を用いて扉を開け、五人は揃って建物内へと入る。内装は受付として使用されていたと思われるカウンターが建物の中に入って正面、依頼等を貼り出していたと思われる掲示板が幾つか設置されていた。現在は帝都庁の管理下にあるという内容の貼り出しがされているのみで、最近使用された形跡は無かった。

 

 

「表が受付のままなら、寝室に使われる部屋は多分二階だな……ん?」

 

 

 二階に昇るための階段を目にして、荷物片手に歩みを再開しようとしたリィンはふとその動きを止めて振り返る。不意に入口の扉が開かれ、物音に気付いた四人もリィンと同様に後ろを振り返った。

 五人の視線が向かう先には、笑顔を浮かべたグランが片手を挙げながら一同へ向けて声を上げている。そんな彼の後方には僅かながらクレアの後ろ姿も見えていたが、彼女はグランをこの場所まで送ったのだろう。扉が閉まると共にその姿も見えなくなった。

 

 

「遅い、どこ行ってたの」

 

 

「先程の女性はクレア殿のようだが」

 

 

「まあ、何だ……大人の事情ってやつだな」

 

 

 グランの姿に気付いて直ぐ、彼の前にはフィーとラウラが詰め寄って不満そうに声を漏らしていた。はっきりとしない彼の言葉に二人の表情は更にムスッと不機嫌そうになるが、遅れて歩み寄ってきたリィン達に宥められてグランは何とか追及を逃れる事となる。

 そしてこの建物の中を見渡していたグランは、笑顔だった表情を僅かに崩して眉間にシワを寄せていた。彼はカウンターを見詰めた後、隣に立っているフィーへとその視線を下ろす。

 

 

「つうか何でお前らここにいるんだ?」

 

 

 何故この遊撃士協会の帝都支部だった建物に来ているんだと彼は首を捻る。今は使用されていない旧帝都支部の建物に一体何の用事があるのだと。彼の疑問は尤もで、綺麗に清掃されてはいるものの使用されていない場所に訪れる理由が見当たらない。

 そう言えばグランは知らなかったなと、リィンはレーグニッツ知事から受け取っていた鍵と住所の記された紙を彼の前へと差し出す。その二つを手に取ったグランは途端に驚きを見せ、直後に居心地が悪そうに顔を上げると左隣に立っているラウラへと訊ねた。

 

 

「まさか、今回の特別実習の宿って……」

 

 

「うむ、この建物のようだ……どうかしたのか?」

 

 

「あっ」

 

 

 ラウラを初めリィン達はグランの驚いている理由が分からずに首を傾げているが、彼らには気付けるはずも無かった。フィーは一人何かに気付いたのか気まずそうに声を漏らし、困惑した様子でグランの顔を見上げている。

 グランがこの建物で居心地が悪くなるのは当然の事だった。彼がここへ合流する前にエリオットが話していた、二年前の帝都で起きた火事。一部ではテロなどと噂をされていたその一件、実は当時のグランも現場にいたのだ。公には火事として処理されたが、本当は噂通り帝都の街中でテロが発生しており……グランは襲撃者の一人として、二年前に帝都支部を確かに壊滅させた。

 

 

「なんつう寝心地の悪い場所だよ……」

 

 

 彼が頭を抱える理由を、フィー以外の四人が知るはずもない。

 

 

 




白猫プロジェクトというゲームで三日間リセマラ(リセットマラソンの略、インストールしてはアンインストールを繰り返す)をして星4が一つも出ないという壊滅的に運が無い今日この頃。執筆が遅れたのはそのためです、ごめんなさいもうしません。

話は本編に戻りますが、かつて自分自身が壊滅させた場所で宿泊するとか何て罪悪感。と言ってもグランはそこまで抱え込む性格では無いのでちょっぴり寝心地が悪いかな程度です。それでもゆっくり寝られないって辛いですよね。

そしてクレアさんとの対話、お分かりかと思いますが五章への伏線です。これで会長とクロスベルでキャッキャウフフが……!忘れてました親父さんいました。


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譲れないもののために

 

 

 

 特別実習で宿泊する宿も見つけたリィン達は、旧遊撃士協会の二階へ荷物を置いた後に一階で此度の依頼内容を確認する。現在六人がいるアルト通りにある音楽喫茶からの依頼や、歓楽街として知られるガルニエ地区のホテルからの依頼。ヴァンクール大通りに会社を構える帝国時報やその先にあるドライケルス広場のアイス屋からの依頼等、帝都の東側地区の殆どから依頼が寄せられている。六人は依頼をこなしながら帝都を一通り見て回ることに決め、建物を出ると早速依頼に取り掛かるべく近くの音楽喫茶へと向かった。

 

 

「ヘミングさん、お久し振りです」

 

 

「お帰りエリオット。どうやら元気そうだね」

 

 

 店の扉を開け、カウンター越しでグラスを磨いている男性にエリオットは笑顔で声を掛けた。音楽喫茶『エトワール』は、アルト通りの出身であるエリオットやその姉フィオナが昔から世話になっているお店のようで、エリオットは店のマスターであるヘミングと親しげに会話を行っている。ピアノ教室を開いて音楽の道を歩んでいるフィオナと、元々音楽家志望のエリオットの二人は音楽関連で以前から何かとこの店に良くしてもらっているらしい。

 店の奥には数種類の楽器が配置され、店内にも心安らぐ音楽が絶え間無く流れている。人混み溢れる帝都の癒しの空間、音楽喫茶『エトワール』はそんな場所だ。

 そして、この店の店主であるヘミングが出した依頼はとある一枚のレコードを探して欲しいというもの。『琥珀の愛』という曲名で、エリオットによるとこの店では夜に流すことが多い曲のようだ。話によると今夜ヘミングの旧友がその曲を楽しみに訪れるそうなのだが、何とそのレコードが割れてしまったらしい。何ともタイミングの悪い話ではあるが、知り合いの頼みという事もあってエリオットはどうにかして『琥珀の愛』を入手してあげたいと話す。

 『琥珀の愛』は三十年前に発売された曲のため見付けるのは難しいという事だが、廃盤にはなっていないため入手出来る可能性は十分にある。早速ヘミングから依頼を受けたリィン達はレコードの代金を受け取り、エリオットの助言でフィオナの元を訪ねた。ヴァンクール大通りの百貨店で系列店のレコード屋に在庫があるかどうか聞いてみるといいと彼女にアドバイスを受け、一同はアルト通りのトラム乗り場からヴァンクール大通りを目指す。

 

 

「確か帝国時報社からも夏至祭関連の依頼があったな」

 

 

「ああ、百貨店に向かうついでに話を聞いておこう」

 

 

 導力トラムの中、帝国時報からの依頼も入っている事をグランが口にすると、リィンも同じ考えだったらしく頷いて依頼内容が書かれた紙を眺めていた。数分でヴァンクール大通りへと到着した六人は、導力車が行き交う道を見渡した後に一先ずヘミングの依頼であるレコードを探しに百貨店を訪れる。

 帝都の大型百貨店『プラザ・ビフロスト』は、食材売り場や雑貨屋、喫茶店等様々なジャンルの店が店内の一階二階に出されており、観光客のお土産選びや地元民の物質調達に利用されている。とは言っても今回訪れたのはレコードの調達のため、リィン達は受付の女性の元へと向かい系列店への在庫確認をお願いした。勿論商品は『琥珀の愛』のレコードである。

 

 

「申し訳ありません、系列店に問い合わせたところ在庫は品切状態でして……」

 

 

「そうですか……」

 

 

 品切と聞いてエリオットが少し落ち込んだ様子で項垂れる中、受付の女性は軽く頭を下げて謝罪の言葉を口にした後、メーカーに発注する事も出来るのでそれでどうだろうかと提案する。しかしそうなると少なく見積もっても一週間、時間が掛かる時は一ヶ月は見てもらうことになるようで、ヘミングの旧友が『エトワール』に来店するのは今晩、とてもではないが間に合わない。

 行き詰まってしまった一同がどうするべきかと頭を悩ませる中、そんな彼らの様子を見ていた受付の女性は考える素振りを見せた後、一つだけ心当たりがあると口にする。

 

 

「オスト地区にある中古屋を訪ねてみてはどうでしょうか?」

 

 

「そうか、その手があったか!」

 

 

 女性の提案に声を上げたのはマキアス。彼はどうやら帝都でもオスト地区の出身らしく、その中古屋とも昔から付き合いがあり知っていると話す。マキアスの話ではレコードも取り扱っていたということなので期待は持てるだろう。

 次の行き先は決まったも同然だが、このヴァンクール大通りではもう一つ依頼がある事も忘れてはいけない。しっかりとその事を覚えていた六人は百貨店を出ると、建物に沿って大通りを進むと帝国時報社の看板が掲げられている建物の中へと入った。

 一同は建物に入って直ぐのカウンターで座っていた女性に近寄ると、リィンが代表で説明を行い依頼を出した担当者の人間を呼んでもらう。そしてロビーの隅に設置されたソファーでその人物を待つ中、談笑をしていたリィン達の元に歩み寄る一人の男性の姿があった。

 

 

「待たせたね。今回君達に依頼を出させてもらったノートンという者だ」

 

 

「ん? おお、あの時のおっさんか」

 

 

 声を聞いて疑問に思ったグランが見上げた先。そこにはノルド高原の実習の時に出会った、帝国時報のカメラマンであるノートンの姿があった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 帝国時報社のカメラマン、ノートンからの依頼は単純なものだった。ヴァンクール大通りに店を構える百貨店や武器商会、ブティックから今回の夏至祭に向けての自己PRが書かれた紙を受け取り、その店の代表者の写った写真を一枚撮影して欲しいという内容だ。大通りを駆け回る事にはなるが作業自体に難しい点は特になく、導力カメラの使用という個人のセンスが問われる内容もあるが、A班の中ではリィンが使った事があるため問題はない。事実この依頼は二十分足らずで難なく終え、ノートンに各店舗の自己PRが書かれた紙とそれぞれの写真を渡して完了した。

 時刻は十時三十分を回り、リィン達は一息入れようということで見物がてらドライケルス広場に向かう事に決める。導力トラムに乗車して数分後、A班一行は『獅子心皇帝』の銅像がある事で知られるドライケルス広場へと到着した。

 

 

「何というか、ここに来ると毎回圧倒させられるな」

 

 

 リィンが呟きながら向ける視線の先、広場の噴水が生み出す七色のカーテンに彩られて悠然と構える一つの像があった。

 『獅子心皇帝』ドライケルス=ライゼ=アルノール。帝国中興の祖とされ、獅子戦役と呼ばれる内乱を収めた偉人の一人として有名な人物。アルノールという名前で分かることから現皇帝ユーゲント=ライゼ=アルノールの祖先に当たり、その知名度足るや帝国で知らない者はおらず、諸国でも偉人の一人として数えられる。

 

 

「あら? リィン達も来ていたの」

 

 

 一同がドライケルス像に目を奪われている中、彼らの元にはアリサを筆頭にB班の面々が近寄ってきた。この広場は帝都の中でも中央に位置するため、西側の地区を担当していたB班とも出会したようだ。とは言ってもこの広い帝都で顔を会わせるというのは稀な事であり、やはりⅦ組の皆には何かしら縁があるのだろう。

 あと一時間もすれば昼食の時間という事もあり、お互いもう一回りしたら再び広場で落ち合って情報交換がてら昼食を一緒にしないかという話になった。その提案を拒否する者がいるはずもなく、両班は広場で別れを告げるとそれぞれの担当地区の依頼へと向かう。

 リィン達は広場に露店するアイス屋から帽子の落とし物の持ち主を探す依頼を受けた後、その人物がオスト地区から来たという話を聞いてそのまま目的地であるオスト地区へ向かうべく導力トラムに乗り込んだ。

 オスト地区はマキアスの住んでいた場所のため、ここからは彼の案内で地区の中を回ることになる。車内で揺られながらオスト地区の情報をマキアスから大まかに聞き、やがてトラムは目的地へと到着する。

 

 

「開発に取り残された市街地ってわりには、クロスベルに比べて良く手入れが行き渡っているよな、ここ」

 

 

「ああ、これも父さ……今の帝都知事に変わってから良くなったみたいだ。って、グランはクロスベルに行った事があるのか?」

 

 

「私もあるよ。猟兵団にいた時に物資の調達で何回か」

 

 

 決して悪気があるわけではないのだろうが、顔を背けながら話すフィーの言葉は地雷を踏み、傍で聞いていたラウラの表情が僅かに歪んだ。グランとマキアスは余計な事を言ってしまったと気まずい雰囲気が漂う中後悔し、端から見ていたリィンとエリオットも苦笑いを浮かべるのみである。

 一同は気を取り直し、マキアスが帰省の挨拶をするついでにオスト地区を案内するという事で、彼を先頭に市街地を進んでいく。レコードを探すために街の中古屋『エムロッド』を訪れたり、ドライケルス広場のアイス屋から頼まれた帽子の持ち主の情報を聞きに居酒屋『ギャムジー』の店内に顔を出して情報を入手したりと実習の事も忘れない。

 幸な事に中古屋では探し求めていた『琥珀の愛』が見つかり、酒場の店主であるギャムジーからは帽子の持ち主がこの市街地の中にいる事を聞き、トラム乗り場で男性の姿を見つけて無事帽子を渡す事に成功した。どうやらジムという名前のその男性は結婚したばかりで、妻の手作りであるその帽子を無くして途方に暮れていたらしい。是非とも次は手放さないでほしいものである。

 オスト地区での用事と散策も終わり、リィン達はアルト通りの『エトワール』に戻って店主のヘミングにレコードと釣り銭を渡すと、最後にドライケルス広場へ向かいアイス屋の店員に帽子を持ち主へ返した事を報告。残るはガルニエ地区のホテルからの依頼のみとなる。

 

 

「さて、後はホテルの依頼だけだが……腹減ったし昼飯にしないか?」

 

 

「賛成」

 

 

「そうだな、時間も丁度十二時みたいだしアリサ達に連絡してみるか」

 

 

 ふと、頭の後ろで腕を組みながら話したのはグラン。彼の提案にフィーを初めその他のメンバーも腹が空いていたのか同意を見せ、リィンがARCUSを手に取ってアリサ達B班と連絡を取る。ヴァンクール大通りの百貨店にて昼食を共にするよう約束を取り付け、A班一行は百貨店『プラザ・ビフロスト』へと足を運ぶのであった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 時刻は午後を回り、東西に別れて実習を行っていたⅦ組の面々はヴァンクール大通りの百貨店二階にある喫茶コーナーでランチタイムを楽しんでいた。和気あいあいと午前の実習内容を話し合いながら料理を口に運ぶ各々だが、その中でも一際静けさが漂う空間がある。ラウラとフィー、そしてその二人の間に挟まれながら食事をするグランの三人が座っている席だ。

 両隣で気まずい雰囲気を醸し出しながら黙々と料理を食す二人を視界の端に捉え、遂に我慢の限界が来たのかグランは食器をテーブルに置くと突然立ち上がった。首を傾げて顔を見上げてくるラウラとフィーに対して、彼は目を伏せると共に眉間にシワを寄せながら声を上げる。

 

 

「少し外の空気を吸ってくる。これじゃ旨いものも喉を通らないからな」

 

 

「あ……」

 

 

「……ごめん」

 

 

 グランの言葉に、二人は見るからに落ち込んだ表情で声を漏らしていた。席を外れ、階段を降りていく彼の後ろ姿を見た後にラウラとフィーは顔を俯かせる。自分達のせいで遂に彼の気分を害してしまった、頼みの綱である彼に見放されたと感じたからだ。

 ラウラがグランの隣の席を選んだのは偶然ではない。彼女はフィーに対する複雑な気持ちを抱えながらも、何とかして和解の切っ掛けを切り出そうとずっと考えていた。しかしいざ言葉を交えようと思えばフィーが猟兵時代の情報を口にし、更にラウラ自身もどかしい事にその発言に一々反応してしまっている。二人の間に中々会話が生まれる事はなく、だからこそフィーとの仲違いを解くための架け橋として彼女はグランを頼った。結果は裏目に出てしまい、グランという架け橋は崩壊してしまう。

 そして、フィーがグランの隣に座ったのもまた偶然ではない。決してラウラに対抗している訳ではなく、彼女自身もラウラと仲違いを解きたいと考えていたからだ。つい猟兵時代の事を口にしてしまうのも悪気があるわけではないし、元々幼い頃に戦災孤児だったところを猟兵団に拾われて育ったフィーにとって、猟兵という生活そのものが当たり前であった。だからこそ言葉を選ぶ度にラウラとの間に溝が深まってしまう。フィーもその状況が良いものではないと気付き、彼女もラウラとの仲違いを解く架け橋としてグランを頼った。かつて兄のように慕っていた彼なら、猟兵だったという過去をラウラに知られても尚敬遠されていないグランなら、きっと何とかしてくれるとフィーは思い至ったからだ。

 

 

「フィー」

 

 

「ん、分かってる」

 

 

 そして何とか互いに和解したいと考える彼女達だからこそ、ここでグランという架け橋を失ってはいけない事も理解している。ラウラの声とその視線を正面から受け止めたフィーは、頷くと共に席を立ち上がった。ラウラも続いて席を立ち、二人はそのまま百貨店の一階へと降りていく。

 そんな彼女達の後ろ姿を、これまた心配そうに見ていたのは残されたⅦ組の面々だ。不機嫌そうに席を去ったグランのあとを追うラウラとフィーを見ながら、エマが食事の手を止めて話した。

 

 

「やっぱり、ラウラさんとフィーちゃんの仲直りはグランさんじゃないと難しそうですね」

 

 

「ああ。互いに敬遠していても、グランという存在が二人の仲を何とか繋ぎ止めてくれている。今のもグランの気分を害した事の罪悪感から向かったんだろう」

 

 

 エマの言葉に同意を見せて口を開いたリィンは何ともやりきれない表情を浮かべながら、彼女達が百貨店から出ていく姿をその目に映していた。彼も出来れば二人の仲違いを解く力になってやりたいと考えてはいるものの、今彼女達の間に入っても良い結果が得られない事など容易に想像できる。結局現状はグランに頼るより他なかった。

 

 

「全く、もどかしいにも程がある。グランが仲良くしろと一言言えば済む話にも見えてくるがな」

 

 

「君、それは流石に無いだろう」

 

 

「フン、そんな事など分かっている。冗談に対してまともに答える余裕があるなら、少しは解決の方法を考えたらどうだ?」

 

 

「くっ……考え付いていたら先月の特別実習で既に解決している! 君という奴はやっぱり嫌味しか言えない体質なのか!」

 

 

「思った事を口にしたまでだが?」

 

 

 いつの間にかラウラとフィーの話から脱線して口論を始める二人に、両隣で食事をしていたガイウスとエリオットはため息を吐いていた。エリオットに至ってはユーシスとマキアスまでがA班に揃っていなくて本当に良かったと考えるほどである。

 

 

「グランには申し訳ないけど、お願いするしかないわね」

 

 

 申し訳なさそうに話すアリサの視線の先。百貨店を出ていくラウラとフィーの姿を、一同は見守るように見詰めていた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「結局のところ、オレがフィーすけ達の仲違いを助長させているのかもな……」

 

 

 ヴァンクール大通りを走る導力車のエンジン音を耳にしながら、グランは帝都の空を見上げて不意に呟いた。彼が口にした言葉の内容はリィン達とは真逆で、グラン自身がラウラとフィーの仲違いをより長引かせているというもの。そんな彼の考えには、幾つかの理由があった。

 一つは、グランが猟兵を生業にしていたという事。一見ラウラとフィーの仲違いに関わりがないように見えるが、実はそうではない。

 そもそもフィーが猟兵だったという過去を打ち明ける以前、グランはラウラに猟兵だった事を知られている。四月の特別実習を機にグランと仲を深めたラウラは、その後直ぐに猟兵という過去を知った。

 これがまだ特別実習前なら少し違っていたのかもしれない。しかしラウラがグランという人間を特別な対象として意識しかけていた折り、猟兵という過去を知ってしまったのは非常にタイミングが悪かった。ラウラはグランという人間を好意的に見ていた事もあって、その反動足るや衝撃的なものであっただろう。猟兵という存在を更に疎ましく思うようになり、その後直ぐにフィーが猟兵という過去を話した。何とも最悪のタイミングである。

 そしてもう一つは、そんなグランがラウラとフィーの仲を取り持とうと思ってしまった事。これに関してはグランに責任があるわけではないのだが、彼の考えるところでは二人の仲違いを長引かせる原因になっているので責任を感じているようだ。

 六月に行われた実技テストにて、グランは最大の侮辱とも言える言葉をパトリックに浴びせられた事により暴走するなど危なっかしい面を持ち合わせてはいるが、本来グランハルト=オルランドという人間は、要人警護の依頼で数多くの人々と接してきた事により社会という枠組みの中での立ち回り方を知っている。猟兵という仕事柄、義に反する行為を行う事もあるが、物事の分別はつけることのできる人物だ。

 そしてそんなグランだからこそ、昔から慕っていた彼だからこそフィーは甘えてしまった。ラウラから敬遠され続ける中で、猟兵という仕事を生業にしながら一般常識をある程度持ち合わせているグランを防護壁にしたのだ。グランが傍にいれば何とかしてくれる、きっと仲違いも解決してくれると思うようになってしまう。そのため自分から一歩前に踏み出す事が出来ず、ラウラが漸くフィーと向き合おうとした際も彼女は逃げてしまった。

 

 

「オレが何もしなかったら……いや、そもそもオレがⅦ組にいなかったらここまで仲違いは続かなかったのかもな──そう思うだろ、二人共?」

 

 

 自分がここにいなければ、もっと物事は良い方向に進んだのかも知れない。その事を声に出したグランは、直後に振り返って百貨店の入口で立つラウラとフィーの姿を見据えた。

 導力車のエンジンが鳴り響く大通りでも、二人には今の声が確かに聞こえていたようだ。その表情は彼の言葉を否定するように、真剣な眼差しでグランの顔と向き合っている。

 

 

「それだけは絶対に有り得ない。この事だけは言わせてもらおう」

 

 

「右に同じ。自虐的なグランはあんまり見たくないかも」

 

 

 直後に返ってきたラウラとフィーの言葉は正にグランの考えを全否定するものだった。そして今回の彼の言葉を機に、二人の抱いていた思いは固く決意される。自分達の仲違いが原因でグランがⅦ組を去るなど、そんな事は絶対に認めないと。

 ラウラにとっては止めると決めた人物を、その背中に追い付くと決めた人物をここで失う訳にはいかない。そして『西風の旅団』という家族を失ったフィーにとっては、グランはもう二度と失う訳にはいかない大切な存在だから。

 

 

「私は私の理由で、そなたはそなたの理由で。私達には互いに譲れないものがある」

 

 

「言わずもがな、だね。そしてそのためには、私達は和解しなくちゃいけない」

 

 

「ああ。だからこそ、互いに納得出来る形で決着を着けたいと思う」

 

 

「ん。だからグランも見届けて……異論は許さないから」

 

 

 約束を交わした二人の少女の意思は揺るがない。それ相応の場所を用意した上で、互いに納得出来る形で決着を着ける事だろう。

 そしてそんな二人の視線を一身に受けたグランは、嬉しさのあまりその表情から笑みがこぼれていた。二人の頭にそれぞれ手を置いた後、百貨店の中へ向けて歩き始める。

 

 

「さっさと残りの昼食を取り終えるぞ。腹が減っては戦ができぬ、ってな」

 

 

 百貨店の中へ姿を消すグランを見詰めた後、頬を僅かに紅潮させたラウラとフィーは笑顔で向かい合った。

 

 




今回の特別実習はクエスト関連をサクサク進めていきます。重要な部分はじっくり書きたいと思いますが。主に変態紳士とか変態紳士とか変態紳士とかを。
ラウラとフィーが決闘をするまでの流れが原作と何か違いますがご了承下さい。と言っても元々二人には仲直りする気がありましたし、今回のグランの事についても切っ掛けに過ぎません。二人の中でのグランの存在が大きいからこそ、このような形になったということで。夜になってマーテル公園でいきなり『決闘を申し込む!』っていう展開もありなのかなぁとか思いましたが、それどこのギーシュだよって思ったのでやめました。


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歌姫の誘惑

 

 

 

 百貨店での昼食を終えた後、リィン達A班とアリサ達B班は互いに午後の実習の健闘を誓い合い、それぞれが担当する地区へと移動を開始した。A班はガルニエ地区のホテルから出されている依頼のみという事で、ヴァンクール大通りのトラム乗り場から帝都の歓楽街であるガルニエ地区へと向かう。

 ガルニエ地区は主に三つの大きな建物がある。高級ホテルの『デア=ヒンメル』、貴族御用達のカジノ、音楽界では有名なオペラハウスがあるなど一般的な家庭には無縁の場所であり、道行く人々もスーツやドレスといった正装を着こなし、その指や首元には七耀石をあしらった装飾品をちらつかせている。

 こっそりとカジノへ向かおうとするグランとフィーに気付いたリィン達が二人を引き止め、A班は依頼主の待つホテル『デア=ヒンメル』へと向かった。そしてホテル入口の扉を開けて建物内へ足を踏み出そうとしたその時、不意に顔を引きつらせたグランが突然その足取りを止める。

 

 

「どうしたの?」

 

 

「……すまん、オレこの依頼から外れてもいいか?」

 

 

 フィーが小首を傾げてグランの顔を見上げる中、彼はリィンが開いたホテルの扉を一旦閉じて気まずそうに話した。他のメンバーはグランが依頼から外れたがっている理由が分からずその事を訊ねるが、彼も言葉を濁して詳しいことは話さない。特別実習の評価点にも繋がる事から結局マキアスが許すはずもなく、グランは渋々といった表情を浮かべながらリィンが再度開いた扉を抜けてホテルの中へ入った。

 ホテルの内部へ入って正面、ロビーから上階へ続く階段が上り、綺麗に清掃が行き届いたその内装やホテルで働く従業員の動き等を見てもレベルの高いものだと感じ取れる。さぞかしゆったりとした寛ぎの時間を過ごせるのだろうと一同は考えながらも、今回の目的はホテル側から出された依頼を受けるためなので思考を切り替えた。何故かリィン達五人の後ろに隠れるように歩くグランに他の皆は首を傾げながらも、受付に立っているホテルの支配人らしき人物の元へと歩み寄る。

 

 

「すみません、トールズ士官学院の者です。今回こちらからご用意して頂いた依頼を受けて来たのですが……」

 

 

「レーグニッツ知事からお話はお聞きしています。皆様がⅦ組の方々ですか」

 

 

 支配人の男はリィンに対して笑顔で答えながら、今回用意した依頼の内容を説明し始めた。

 この帝都では街の地下に広大な地下道が張り巡らされているようで、そこでは魔獣も度々目撃されているらしい。そしてここ最近様子を見に降りた従業員が大型の魔獣を目撃したらしく、今回の依頼はその大型魔獣を退治してほしいというもの。常に客へ質の高い提供を心掛けているホテル側としては、宿泊する客も自分が寝ている場所の地下に魔獣がいるとなると不安になるだろうという考えで今回の依頼を出したようだ。

 リィン達は説明を聞き終えると支配人から地下水道へ続く扉の鍵を受け取り、一度ロビーの階段前へと移動した。

 

 

「このメンバーなら戦力的には問題ないと思うけど……」

 

 

 五人の顔を見渡しながらリィンが話した後、ラウラとフィーの二人へ他のメンバーの視線が集まった。今回の魔獣退治において一つだけ懸念される事と言えば、やはり彼女達の戦術リンクだろう。勿論それを抜きにしても十分な戦果は得られるとは思うが。

 しかし、ラウラとフィーは四人の視線をその身に受けると互いに顔を見合わせた後、笑顔でリィンの声に答えた。

 

 

「私達の事ならば問題はない。そうだろう、フィー?」

 

 

「モチ。楽勝だね」

 

 

 会話を交わす二人の間には今までの気まずい雰囲気は漂っておらず、彼女達の様子にグランを除く他の三人は理解が追い付かずに首を傾げている。百貨店で昼食を取った時から、今までに二人の間で何があったのか分からないと疑問に思っているところであろう。そんなリィン達の反応を受け、ラウラとフィーもまた首を傾げて三人の顔を見渡していた。

 そして、二人の様子を見て一人だけ疑問に思っていないグランを不思議に感じたリィンは彼の元へと近付く。

 

 

「そう言えば昼食の途中、百貨店を出た時に二人に何かあったのか?」

 

 

「ああ、それなんだが──げっ」

 

 

 リィンの疑問にグランが答えようとしたその時、彼は突然顔をひきつらせて上階へ続く階段を見上げた。グランの反応にリィン達五人も視線を移し、一同が見上げる階段には一人の女性が立っていた。

 薄いブラウンの長髪は水色と黄色に染まったリボンによって後ろでまとめられ、桃色の花飾りを頭に着けている。そして身に纏う青のドレスはスパンコールが光を反射してキラキラと輝き、端正な顔立ちもあってその容姿を更に美しく際立たせていた。

 

 

「クロチルダ様、そろそろお時間でしたかな?」

 

 

「ええ、行ってくるわ。それにしても……」

 

 

 受付から支配人が声を掛ける中、クロチルダと呼ばれたその女性は彼に返事を返した後、階段前で立ち尽くしているリィン達の姿を視界に捉えた。一段一段優雅な足取りで階段を降り、彼らの前で立ち止まる。

 リィンとラウラ、フィーは突然目の前で立ち止まった彼女の顔を見て首を傾げるが、マキアスとエリオットは女性の姿を見るやいなや驚愕の表情で体を仰け反らせた。

 

 

「ヴィ……ヴィ……ヴィータ=クロチルダ!」

 

 

「す……凄い、本物だ!」

 

 

 驚いた様子を見せる二人に、リィン達三人は未だ首を傾げたままマキアス達へ女性の事を訊ねる。マキアスとエリオットはそんなリィン達に呆れ顔を浮かべながら、目の前で苦笑いを浮かべている女性について熱弁し始めた。

 彼ら曰く、目の前に立っているこの女性はここガルニエ地区にある帝都歌劇場(ヘイムダルオペラハウス)のトップスターであり、オペラ界でも超が付くほど有名な『蒼の歌姫(ディーバ)』と呼ばれるオペラ歌手、ヴィータ=クロチルダだそうだ。マキアスとエリオットがその事を必死に話す様をリィン達は顔を引きつらせながら見ていた。

 

 

「有名と言っても、オペラの世界でだけだもの。知らないのは仕方ないわ……そうでしょ、グランハルト?」

 

 

 リィン達の姿を微笑みながら見ていたクロチルダはふと、その後ろで隠れるように立っているグランへ向けて声を上げた。彼女がグランの名前を知っている事に五人は驚きつつ、頭を抱えながらクロチルダの前へ歩み寄ったグランの後ろ姿を視界に納める。

 そしてグランが目の前に現れると彼女は彼の頬に手を添えて、その紅い瞳を見詰めながら顎の先までゆっくりと輪郭をなぞり始めた。

 

 

「この広い帝国の中で偶然にも出会えるだなんて……これも運命だと思わない?」

 

 

「ここは貴女のホームでしょう。必然ですよ」

 

 

「もう、相変わらず素っ気ないのね。もしかしてこの間の事を怒っているのかしら?」

 

 

「どうしてトリスタにいたのかは気になりますが……どちらにせよ話してもらえないでしょう?」

 

 

「そうね……今晩私に付き合ってもらえるのなら考えてあげるわ」

 

 

「そうですか……考えてみます」

 

 

「あら、てっきり断られると思ったんだけど」

 

 

 グランの後方にいるリィン達は、二人の会話に理解が追い付かず呆然と立ち尽くす。そして誘いを断られると思っていたようで、クロチルダは瞳を伏せたグランに対して意外そうに呟きながら彼の顔に添えていた手を離した。自身の胸元にその手を動かし、艶やかな声を漏らしながら鍵を取り出すと両手でグランの右手を包み込み、彼の手に鍵を握らせる。直後に少しグランの頬に赤みがかかった事に気付いた彼女は嬉しそうに笑みを浮かべていた。

 

 

「早くても二十時以降になるわ。話は通しておくから、特別実習が先に終わったらその鍵を使って部屋の中で待っててくれる?」

 

 

「行くと決めた訳じゃないんですが」

 

 

「そんな事言わないの。待ってるわ、グランハルト」

 

 

 グランの耳元に顔を近付けて呟いた後、最後に彼の後方で未だ呆然と立っているリィン達へ魔獣退治の激励を述べてクロチルダはホテルをあとにする。

 彼女の姿がホテルから去り、グランが大きくため息を吐いたその時に漸く思考を取り戻したリィン達は彼の元へと詰め寄った。オペラ歌手とグランでは全く接点が無い、彼らに疑問は山ほどあることだろう。直ぐ様マキアスとエリオットによる質問攻めが始まった。

 

 

「ヴィータ=クロチルダとあんなに親しく……君は一体彼女とどういった関係なんだ!?」

 

 

「グランとクロチルダじゃ全然繋がらないよ! 一体どこで知り合ったの!?」

 

 

「待て、二人とも落ち着けって──」

 

 

「いいや落ち着いてなどいられない! 第一宿泊しているホテルの鍵を渡されるなんてどんな関係なんだ!?」

 

 

「まさか、グランの事だからあり得ない話じゃないけど……嘘だよね!?」

 

 

「グランの言う通りだ、マキアスもエリオットも少し落ち着いてくれ」

 

 

 必死の形相でマキアスとエリオットがグランに詰め寄る中、リィンは二人を何とか引き剥がして興奮状態の彼らを宥める。先の熱弁振りから、恐らくマキアスもエリオットもクロチルダのファンなのだろう。ファンとしてはやはり彼女のプライベートも多少は気になるだろうし、何より同じ学院の同じクラスの生徒が関わっているとなると慌てるのも当然である。

 二人は肩で息をしていた呼吸を整え、その間に解放されたグランは安堵のため息を吐くと持っていた鍵を懐へ納める。リィンはそんな彼を苦笑いで見詰めた後、その視線をマキアスとエリオットへ移した。

 

 

「二人共落ち着いたみたいだな」

 

 

「すまないリィン」

 

 

「ごめん、少し動揺しちゃって」

 

 

「まあ、俺も少し気になったりするんだけど……グランは彼女と知り合いだったのか?」

 

 

 そして、リィンの問い掛けに一同の視線は一斉にグランへと浴びせられる。マキアスとエリオットの視線には敵意が垣間見え、ラウラとフィーに至ってもその視線は鋭かった。この状況を残して立ち去ったクロチルダを恨みながら、グランは再度ため息を吐く。

 恐らく軽くあしらったところで五人は見逃してなどくれないだろう。嘘は付かないが、本当の事を話さなければいい。真実を少し曲げて、グランは彼らに事の経緯を話した。

 

 

「元々、オレは要人警護を主に猟兵活動をしていてな。その時にオペラハウスから依頼を受けて、彼女の護衛を務めた事があるんだよ」

 

 

「ふーん、何か引っ掛かるけど」

 

 

「嘘は言っていないようだな」

 

 

 相変わらずフィーもラウラも視線は鋭いままだが、今のところグランもボロは出していない。昔から付き合いのあるフィーには少々感づかれているが、そこは仕方ないと大目に見てグランは更に言葉を続ける。

 

 

「その時にえらく気に入られてな。彼女がプライベートで旅行に出掛ける時は、大体護衛の任務をオレが引き受けていた訳だ」

 

 

「なるほど……何て羨まけしからん」

 

 

「いいなぁ、クロチルダのプライベートかあ」

 

 

 グランの話を聞いたマキアスは腕を組みながら、エリオットは羨ましそうに彼の顔を見詰めていた。少なくともこれで納得はしてくれただろうと二人の様子にグランは安堵し、会話の内容を地下水道の魔獣退治へ切り替える。

 そしてグランが五人へ魔獣退治の依頼内容を確認するように話している中、リィンは一人先程グランと話していたクロチルダの言葉を思い返して首を傾げていた。

 

 

「(彼女はどうして俺達が魔獣退治の依頼を受けた事を……それ以前に)」

 

 

──話は通しておくから、特別実習が先に終わったらその鍵を使って部屋の中で待っててくれる?──

 

 

「(何で特別実習の事まで知っていたんだ?)」

 

 

 今のリィンに、クロチルダが特別実習の事を知っている理由を知る術は無い。

 

 

 




漸く閃の軌跡Ⅱが手元に……! 取り敢えず棚の上に1ヶ月飾って、その後1ヶ月ベッドで添い寝して、その後1ヶ月一緒にお風呂入ってからプレイしたいと思います。
話は本編に戻りますが、出てきちゃったよ深淵さん。魔獣退治があるからエンカウントは必然だったんですが、皆の前でホテルの鍵渡すとかやりすぎだよ! 会長知ったらとんでもないことに!皆会長には内緒だよ!


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負けられない一戦へ

 

 

 

 目標というのは誰もが人生の中で掲げる目指すべきものであり、人が成長する上で欠かせない壁である。目標という壁を越え、夢だったものが目標へと変化し、また新たな夢が生まれる。そうして人は日々成長し、個々の存在というものを確立していくものだ。

 しかし、その夢や目標を親に否定された時はどうだろう。目指すべき道を理解されず、なくなく諦める者。親の元を飛び出し、自身の目標に向かって突き進む者。選択は人それぞれだが、どちらが正解でどちらが不正解というわけではない。生き方というものは、それこそ人それぞれだからである。

 あるところに、音楽家としての道を進もうとして親に否定された一人の少年がいた。幼い頃にピアニストである母を亡くし、姉は母と同じくピアニストの道へ。そして当然のように自分も同じ道を進むんだと少年が思っていた矢先、彼の目標に立ちはだかったのは帝国正規軍に所属する父親だった。

 

 

「『帝国男子たるもの、音楽で生計を立てるなど認められん』……そう言って、父さんは僕が音楽院に行こうとするのを許してくれなかった」

 

 

 帝都の街が闇夜に包まれた時刻。アルト通りに位置するエリオットの実家、その二階にある彼の自室でリィン達はエリオット本人から事の経緯を聞いていた。エリオットが士官学院に入るに至った経緯を。

 彼らがその話を聞こうと思ったのは偶然の出会いからだった。ホテルから出された地下道の魔獣退治、地下を進んで手配魔獣と思われる大型の軟体魔獣を討伐し終えた直後、リィン達は突然バイオリンやフルートを演奏する音を耳にしてその元を辿り、地下道の隠し通路を見つけてその道を更に進んだ。行き着いた先は地上、マーテル公園と呼ばれる帝都庁付近にある都民の憩いの場だった。

 空はすっかり茜色に染まり、夕刻の訪れを告げていた。そしてその夕暮れの公園に響いていた演奏はエリオットの友達によるもので、三人の男女が演奏する姿を見つけたリィン達はバイオリンとフルートの美しい音色に聞き入る。エリオットが途中で拍手をした事により演奏は途切れたが、演奏者である三人の男女は彼の姿を見ると嬉しそうに駆け寄った。三人はかつてエリオットが帝都の学校に通っていた頃の友人で、よく一緒に楽器を演奏した仲らしい。現在三人共帝都にある音楽院に通っているようで、そんな彼らがエリオットのバイオリンをまた聞きたいと口をこぼすくらいなのだから、彼のバイオリンの腕は大したものなのだろう。

 そう、だからこそリィン達は疑問に思ってしまった。士官学院でも吹奏楽部に在籍し、自由行動日には楽器の手入れをするなど音楽が好きなエリオットが何故彼らと同じく音楽院に行かなかったのかと。その理由はエリオットの実家で夕飯を食べた後、二階にある彼の自室で聞く事となった訳だ。

 

 

「『男なら軍の養成所か士官学校に入るべきだ』……あの時は正直父さんを恨んだよ。だけど結局逆らう事が出来なくて、そんな自分は音楽にその程度の気持ちしか持ち合わせていないんだって思った。だけどやっぱり諦めきれなくて、音楽に対して未練たらたらで」

 

 

 自身に対して呆れたような表情を浮かべながら、エリオットは更に話を続ける。彼が父親から反対された後に調べたところ、トールズ士官学院という場所なら吹奏楽部もあり、卒業生の半数は軍属以外の道を進んでいる事を知ってそこへ入学した。それこそが、エリオットが士官学院に入った理由。

 そしてその話を聞いた五人は、エリオットが士官学院に入った事を後悔しているんだと感じた。音楽の道を目指した挙げ句の果て、彼が進んだのは目標と正反対の軍属の道だから。そう思った折り、フィーはその考えを口にしてしまう。

 

 

「エリオットは、士官学院に入った事を後悔してるの?」

 

 

「フィーすけ、止めとけ」

 

 

 グランはつい口をこぼしてしまったフィーに注意を促すが、その後に発せられたエリオットの言葉にはリィン達全員が驚く事になる。フィーの問いを受けたエリオットは、何を当たり前な事を聞いているんだといった様子でこう答えた。

 

 

「後悔なんてするわけないじゃない。部活では大好きなバイオリンも弾けて、特別実習なんていうハードなカリキュラムもあるけど、僕自身の視野も広げられそうだしね。この先どんな道を歩む事になるかは分からないけど、今度は自分の意志で将来を決められると思うんだ。だから後悔するなんて事は絶対にあり得ない……何より、Ⅶ組の皆に出会えたから」

 

 

 真っ直ぐな瞳で、五人の視線と一つ一つ交わしながら口にするエリオットの言葉はリィン達にとっては赤面ものであった。エリオットだからギリギリセーフと話すリィンに対してだけエリオットは不満そうな顔をしていたが。

 親に逆らえず、それでも夢と目標を諦めきれずに決めた士官学院への道。初めも今も未練はあれど、彼自身の決意は入学当初と今とでは明らかに違うだろう。だからこの先、どのような未来が待っていようとも、エリオットがⅦ組として歩んだ道を後悔する事は決して無い筈だ。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 エリオットの士官学院を志望した理由を聞いた後、彼は姉であるフィオナのお願いにより実家で泊まる事となった。リィン達はレポート作成のため旧ギルド支部へと戻り、各々レポートの作成に取り掛かる……筈だったのだが、エリオットの実家を後にしたリィン達は現在マーテル公園へと足を運んでいる。発案者はグラン、そして彼の発案に乗ったのはラウラとフィーの二人。

 旧ギルド支部の中へ入ろうとした矢先、エリオットの話を聞いて思うところがあったのかラウラがフィーに提案したのだ。互いに抱えている問題の決着を、今日決めないかと。どうやら彼女はこのままでは眠れないらしく、フィーも同意見だったのかラウラの提案に頷いて了承の意志を見せた。そんな二人の様子を見ていたグランが彼女達にマーテル公園の一角にあるスペースを提案し、現在彼らがそこにいる理由となる訳である。

 夜のマーテル公園は、月明かりと外灯に照らされて何とも神秘的な光景を生み出し、水のせせらぎと夜虫の奏でる音はその光景を更に際立たせる。ラウラとフィーの両者が口を揃えて落ち着くと呟き、その姿を後ろから見ていたリィンとグランはやはり二人とも元々息が合うんだなと感じた。

 五人はマーテル公園の北東、人気のないスペースへと移動し、ここなら問題ないだろうという事で二人が決着を着ける場に選定。グランが立ち合いを引き受ける形で、ラウラとフィーはその場で対峙した。

 

 

「フィー。此度は私の勝負を引き受けてくれて感謝する」

 

 

「ん、一応そういう約束だったから」

 

 

「そこでだ。此度の勝負、もし私が勝ったら……そなたの過去を教えてほしい」

 

 

「……!?」

 

 

 一瞬の驚きを見せた後、ラウラの言葉を受けたフィーは怪訝な顔を浮かべて聞き返した。そんな事を知ってラウラに何の意味があるのか、何故自分の過去を知りたいのかと。

 けじめを着ける意味での今回の勝負、双方の得意分野である実戦による決着。その延長線上でフィーの過去を知ってラウラに何の利があるかと言われると特に得るものは無い筈だ。ただただ興味本意で聞きたいというだけなら、勿論フィーも話す気はない。だがラウラがそんな理由で人の過去を聞きたがる人間ではない事を彼女は知っている。だからこそラウラが聞きたがっている理由がフィーには分からなかった。だからこそ、次にラウラの口から発せられた言葉にフィーは困惑を見せる。

 

 

「そんな事は決まっている。そなたの事が好きだからだ」

 

 

「……な、何を……」

 

 

 突然の告白に、赤面したフィーは狼狽えながら後退る。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 ラウラにとって、旧校舎で初めて見た時のフィーという存在は非常に特殊なものだった。小柄な体格からは想像もつかないずば抜けた身体能力、そして双銃剣を使ったスピード主体の戦闘は学生のレベルを遥かに超える。彼女の知る武の常識からはかけ離れ、理知の外にあるフィーという存在。驚かずにはいられなかった。

 そして同時に、自身の腕を上げるためには必要不可欠な存在だとラウラは感じた。世界は自分が思っているよりも広く、知らない事など山ほどある。フィーという存在しかり、グランという存在しかり。

 だから彼女は興味を持った。旧校舎の地下でグランとフィーの連携を目撃し、その強さが何処からきているものなのか気になったのだ。故郷のレグラムに住む民を守るため、純粋に力を求めた彼女はその理由を探るために手合わせを願い出た。

 しかし、フィーは旧校舎での戦闘以降毎日を自分のペースでのんびりと過ごして介入の余地を与えない。手合わせを頼んでも面倒の一点張りで相手にされなかった。グランもグランで手合わせを嫌い、やっとの思いで実現したそれも手を抜かれてやり過ごされた。その時に何か理由があるのだろうと気付くも、やりきれない思いは消えないまま。

 

 

「八葉の剣技とは言え、私はグランの強さに納得がいかなかった。力があって尚持て余し、面倒の一言で片付ける……それはフィー、そなたに対しても同じだ」

 

 

「……」

 

 

「だが、初めて行われたケルディックでの特別実習。A班が窮地に陥った時、そこでグランの実力を垣間見て私は気付いた。私が既に、グランの剣に惚れ込んでいた事に」

 

 

 立ち合いを引き受けたグランが腕を組んで瞳を伏せる中、そんな彼に視線を移してラウラは話す。当時抱いたそのままの気持ちを。

 いかような理由があれど、その気持ちだけはラウラにも偽る事が出来なかった。自分を上回る剣技、彼の太刀筋、気が付けば全てに惚れ込んでいる自分に。そしてそんな折り、彼女はふと知らされてしまう。グランの強さの秘密、彼の過去の立ち位置を。

 

 

「だからこそ、私はグランが猟兵だと知って失望せずにはいられなかった。当時も今も、それはただの自分勝手な考えだと分かっていてもだ。猟兵という存在は個々に様々な事情があると頭では分かっていても、心がそれを許さなかった」

 

 

 そんな自分に嫌気が差して、ラウラ自身それからも苦悩した。自分は何と愚かな人間なのか、受け入れる事が出来ない自分はこんなにも狭量な人間だったのかと。そしてその思いを抱えたまま、彼女は更に知ってしまう。

 

 

「その後だ、フィー。そなたが猟兵だったと知ったのは」

 

 

「あ……」

 

 

「そうして二人の共通の過去を知り、葛藤を抱えた私は猟兵という存在を憎まずにはいられなかった。そして、猟兵だったそなた達をも敬遠するようになっていた」

 

 

 義を重んじる騎士道を正道とするならば、義に反する猟兵という存在はいわば邪道。そしてラウラ自身の考えと対照に属するグランとフィーの二人を、彼女は結果的に避けるようになっていた。そんな強さは認めないと言わんばかりに。

 だが、その後幾つかの偶然が重なってラウラはグランの過去の一端を知る事となった。彼が猟兵に至った経緯、猟兵の道を歩み続ける理由を。

 

 

「二人を避け続ける中で、偶然にも私はグランの過去の一端を知った。しかしその時、不思議な事に私自身グランへの戸惑いが消えたのだ」

 

 

 グランが父親を殺すために猟兵を続けている事を知り、更に敬遠するどころか彼女は何故か止めるという選択を選んだ。心が許さなかった相手を何故か間違った道へ歩ませてはならないと思った。

 その当時はラウラもそう思い至った理由が分からなかった。しかし、今となっては彼女も止めようと思い至った理由が理解出来る。

 

 

「先程エリオットの話を聞いて、私自身もう一度心と向かい合ってみた。そして漸く気付いたのだ、グランを受け入れる事が出来た理由を」

 

 

 自分の心は既に、グランという人間を認めていた。猟兵という存在がそれを邪魔してあたかも彼の存在を否定しているように感じていたが、実際は違った。グランは信頼に値する人物だと、心がしっかりと認めていたのだ。だからこそ彼の目的を止めるという選択が直ぐに浮かび上がった。猟兵という存在に囚われていた彼女の頭が、誤解を生んでいただけだったのである。

 そしてそれは、フィーに対しても同じ事。

 

 

「私は既に、グランを心の中で認めていたのだ。頭が認め、心が許さなかったのではなく、猟兵という考えに固執した私の頭が認めようとしなかっただけだった。そしてフィー、そなたに対してもそれは同様だった」

 

 

 フィーと打ち解けたいと思うようになった頃から、彼女は既にフィーという存在を心から認めていた。幾つかの不幸なタイミングでここまで仲違いが助長してしまった事は否めないが、結局のところフィーは信頼出来る人間だとラウラはとうの昔に分かっていた。グランの時と同じく、固執した考えが誤解を生んでいただけで。

 そしてそこまで気付く事が出来れば、後は彼女の性格である。気になったら知らずにはいられない。

 

 

「グランの時もそうだが、どうやら私は気に入った相手の事は知らなければ気がすまない性格らしい……フィー」

 

 

「……何?」

 

 

「だから私は、そなたがそう在る事の一端を知りたい。勿論これはただの私の我が儘だ、それ以上でもそれ以下でもない」

 

 

 最後に瞳を伏せて、ラウラはフィーからの返答を待つ。自分の思いは届いただろうか、開けたくなる目を必死に閉じてただ彼女からの返答を待っていた。

 数秒の沈黙、ラウラには数分にも数十分にも感じたことだろう。そして目を閉じて考え事をしていたフィーは、何か決意するようにその瞳を開いた。

 

 

「分かった。いいよ、ラウラに話しても」

 

 

「いいのか、フィーすけ?」

 

 

「ん。ただ、報酬は自分の手で掴み取るのが猟兵の流儀」

 

 

 心配するようにグランが声を掛ける中、フィーは彼に頷いて見せた直後に双銃剣をその手に握った。目の前で同じく大剣を構えたラウラを見据えて、その両手には更に力がこもる。自分の過去を話す事になれば必然的にグランの過去も出てくる事になる、彼女にとっては特に負けられない一戦。

 そして、だからこそラウラにとっても負けられない一戦となる。フィーとグランが猟兵時代に面識がある事は普段の彼らを見ていれば分かる、彼女に過去を聞くという事はグランについても少なからず知る事が出来るのだから。彼の目的を止めるためのヒントを、今自分に出来る精一杯を見つけるために。

 

 

「報酬などとは思わない……勝利の(いさおし)とさせてもらおう……!」

 

 

「上等……!」

 

 

 グランが合図を掛ける間もなく、二人は前方へ飛び出した。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 帝都のマーテル公園でラウラとフィーによる一騎打ちが始まった頃、トリスタにあるトールズ士官学院の学生会館は未だに明かりが点いていた。生徒会室の中では現在四人、部屋の主であるトワが鬼気迫るといった様子で書類整理を行い、同学年のアンゼリカ、ジョルジュ、クロウがソファーからその様子を観察している。彼らの手にも何枚か書類が握られている事から、生徒会の仕事を手伝っている事が窺えた。

 書類整理を手伝いながら談笑する三人の現在の話題は、これまで以上に必死になって仕事をこなし始めたトワについて。彼女の身を心配してのジョルジュから出た話題だが、アンゼリカとクロウの二人は彼に対して特に問題ないだろうと話した。

 

 

「トワが必死になってんのは多分、あの後輩君絡みだろ」

 

 

「君にしては中々鋭いじゃないか。恋する乙女は強しと言ったところかな、流石の私も彼には少し妬けてしまうよ」

 

 

「そうか、グラン君か……最近よく旧校舎に出入りしているようだし、僕の所にもARCUSの整備で頻繁に来ていたよ。その彼をトワがねぇ……」

 

 

 ジョルジュは顔を綻ばせ、仕事中のトワに視線を向ける。そしてそんな彼の視線に気付いたのか、書類整理を行っていたトワは走らせていたペンを止めて彼らの座っているソファーへと視線を移した。ちょこんと小首を傾げる彼女の姿にアンゼリカが悶えながら、その様子に苦笑いを浮かべたクロウとジョルジュがトワへ向けて声を上げる。

 

 

「あんまり切羽積めると肝心な時に体調崩すぞ。今のペースを落としても夏至祭には間に合うんだ、もちっと肩の力抜けって」

 

 

「クロウの言う通りだ。僕達が手伝ってる今のペースなら明日には終わるんだし、少しくらい休憩してもいいと思うよ」

 

 

「うん、それは分かってるんだけど……何だか落ち着かなくて」

 

 

 二人の労いの言葉に感謝しながら、トワは苦笑いを浮かべて椅子を立つと三人の座っているソファーへと歩み寄る。アンゼリカの隣に座り、彼女に頭を撫でられながらジョルジュが用意していたお茶を啜った。頭を撫でられるのはいつもの事らしく、学院の生徒達がいる前ならともかく旧知の仲である彼らの前なら大して反応を見せていない。だから逆にアンゼリカにはいいようにされるわけなのだが。

 ほっとため息を吐き、湯呑みをテーブルに置いたトワは自身が落ち着かない理由を話した。

 

 

「夏至祭に行っても、実習中のグラン君に会えるかなって思っちゃって……」

 

 

「そんな事で悩んでんのか? サラの話じゃARCUSが使えるんだし、連絡取れば早い話だろ?」

 

 

「グラン君達は遊びで帝都にいるわけじゃないんだから、私の勝手で呼び出したりなんて出来ないよ……それに最近、グラン君には何だか避けられてるような気もするし」

 

 

 建前は旧校舎の調査が忙しくて生徒会室に中々いけないというグランの話だが、実際のところ彼女が薄々感づいている通りグランがトワを避けている。その理由を彼女達が知るよしもないが、分からないからこそ彼に会っていいものかと思うわけだ。こればっかりはクロウとジョルジュにもアドバイスのしようがなく、頭を悩ませる。

 しかし、トワの隣には現在その手に関して学院内でもスペシャリストと言っていい人物がいる。話すかどうか悩んだ後、アンゼリカは隣で気落ちしているトワの肩へ腕を回しながら口を開いた。

 

 

「そう言えば先日グラン君に会った時、彼はこんな事を言っていた。『会長には十分すぎるくらい楽しい時間をもらった、オレとしてはそれで満足です』──とね」

 

 

「えっ……」

 

 

「おい、ゼリカそれは……」

 

 

「アン、流石にそれは……」

 

 

 端から見れば、アンゼリカの発言はトワにグランの事を諦めさせる意味合いのこもったものであり、余り誉められた発言ではない。事実今の発言でトワの表情は泣きそうになり、クロウとジョルジュも咎めている。しかし、アンゼリカがその言葉に込めた意味は違った。

 

 

「だが、私はそんな言葉を口にした彼の表情からこう感じ取った。『叶うならば、会長ともっと同じ時間を過ごしていたい』──とね。グラン君がどんな事情を抱えているのかは分からないが、本当は彼もトワの傍にいたいんだろう。私としては何とも妬けてしまう事になるが」

 

 

「それって……」

 

 

「先程のように愛らしいトワも好きだが、私はいつも皆のために一生懸命になっているトワが一番好きだ。こんなに可愛いんだ、もっと自分に自身を持たないとね」

 

 

「そういうこった」

 

 

「アンも初めからそう言いなよ」

 

 

 微笑みながら話す彼女なりのエール、トワの心には確かに伝わった。士官学院に入学した時から同じ時間を過ごした彼女だからこそ、トワにとってはその言葉にどこか勇気付けられるものがある。傍で同じく笑みをこぼしているクロウとジョルジュにいたっても、彼らの存在があったからこそトワはこうして生徒会長なんていう職務も全う出来ているのだ。力強くないはずがなかった。

 

 

「えへへ……ありがとう。アンちゃん、クロウ君、ジョルジュ君」

 

 

 二年生組の絆は、ここに来て更に固く結束した。

 

 

 




夜だけで丸々1話、しかもまだ終わっていない……因みに閃の軌跡Ⅱは棚に飾って二日目です。

ラウラにとって、フィーにとって、グランの事も含めて負けられない一騎打ちが始まりました。私の拙い戦闘描写でどこまで書ききれるだろうか……多分無理。

そして何とここで会長少しですが出ました。今回は二年生組の絆を再確認した形ですね、クロウが生徒会の仕事を手伝ったのは本当にトワのためなのかな?……きっとそうだと信じたい。


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フィーの過去、グランの本心

 

 

 

 帝都の夜、マーテル公園の一角では剣戟と銃声が鳴り響く。ラウラとフィー、両者が持つ大剣と双銃剣による激突が火花を散らせて金属音を奏でていた。二人の勝負の様子を離れた場所でリィンとマキアスが見守り、立ち合いを務めるグランは少し近くで勝負の行方を見届けている。

 長い小競り合いの末、埒が明かないと判断したラウラはフィーの得物を弾く。フィーは後退しながらも跳躍して双銃剣による射撃を行うが、威嚇射撃のためか銃弾はラウラの足元に至るのみで彼女の姿を捉えない。ラウラもまたフィーの射撃の意図を理解し、左右にステップを踏みながら銃撃に恐れる事なく前進。着地直後のフィーへと間合いを詰める。

 

 

「ホイっと」

 

 

「くっ……!?」

 

 

 ラウラが大剣による一撃を与えようとしたその時、フィーが懐から落とした閃光弾によって彼女は突如視界を奪われた。直ぐに目を閉じるも両目に痛みを覚え、瞳を閉じたまま的の定まっていない大剣を振り下ろす。しかし直後、後方から感じた気配に向けて即座に大剣を横凪ぎに振り抜き、フィーの双銃剣による奇襲を弾き返した。少し驚いた表情で後退したフィーが得物を構える中、ある程度視力の回復したラウラはそんな彼女の姿を捉える。

 

 

「やはりそなたは凄いな。先程は確実に決まると思っていた」

 

 

「こちらの台詞。閃光弾を使っても銃剣(ガンソード)が届かないとは思わなかった」

 

 

「フフ……」

 

 

「ふふ……」

 

 

「君達はもう既に分かり合っているだろう!」

 

 

 一進一退の攻防に心を高揚させ、互いの実力を讃えながら笑みを漏らすラウラとフィー。その二人を離れた場所から見ていたマキアスは叫ぶ、もう十分分かり合っているのに何故こんな事をするのかと。飛び出しそうになるマキアスをまるで馬を宥めるかのようにリィンが押さえ、二人の勝負に横やりを入れないために貢献している。

 ラウラとフィー、双方の体力は十分残っているとは言えない。特別実習の疲れもあるが、少しも気が抜けないこの状況で消費される精神力も相当なものだろう。加えて両者の実力は高い、その疲労が蓄積される速度も尋常ではない。故に、勝負は出来るだけ早い段階で着けるに限る。

 

 

「父上から授かった我が奥義で決めさせてもらう……!」

 

 

「私も、団長から教えてもらったこの戦技で……!」

 

 

 ラウラとフィーは得物を構え、互いに渾身の一撃を繰り出すべく闘気を高める。次で勝敗が決まると踏んだグランもその行方を見極めるために視線を鋭くさせ、何かあった時のために腰に下げている刀へと手を添えた。

 そして、闘気を最大まで高めたラウラとフィーはその場を駆け出した。

 

 

「──そこまでだ」

 

 

 ラウラとフィーが肉薄した直後。フィーの頭上に振り下ろされた大剣を刀で、ラウラの首筋に触れかかっていた銃剣を鞘で、それぞれの得物を止めたグランが二人の視界に姿を現すのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「ど、どっちの勝ちになるんだ?」

 

 

「正直なところ、引き分けにしか見えなかったけど……」

 

 

 立ち合いを務めるグランが二人の得物を止めて直ぐ、勝敗の行方が気になったマキアスが隣のリィンに問い掛ける。しかしラウラとフィーの攻撃がほぼ同時に繰り出されていたため、リィンも返答に困っていた。事実両者の攻撃のタイミングは同時で、誰が見ても引き分けと判断する一戦。

 リィンとマキアスが近寄ってくる中、ラウラとフィーは得物を納めて納刀するグランの顔を見上げていた。彼がこの一戦をどう判断するのか、次のグランの言葉に注目が集まる。

 

 

「今回はフィーすけの負けだな」

 

 

「ま、そうなるね」

 

 

「良いのか?」

 

 

「良いも悪いもない。猟兵は夜間戦闘が十八番だからな、この状況で引き分けに持ち込んだラウラの勝ちって訳だ。昼間なら負けてたんじゃないか、フィーすけ?」

 

 

「ん」

 

 

 グランが下した判断はラウラの勝利。夜間における戦闘はそもそも猟兵をしていたフィーにとっては得意中の分野であり、閃光弾まで使って勝てなかった時点でフィーの負けは必然となるわけだ。昼間であればそのような手段も余り期待できず、結果的にラウラが勝つだろうというグランの判断であった。フィーもその判断には納得しているようで、ラウラは自身の勝利を受け入れた。

 となると問題はこの後、ラウラが当初に約束した通りフィーの過去話へと移るわけなのだが、その事に気付いたリィンとマキアスは空気を読んで席を外そうとする。

 

 

「別にいてもいいよ。ラウラもそれでいいよね?」

 

 

「ああ、私は別に良いのだが……その、グランは良いのか?」

 

 

「別に構わないぞ。それと今から少し用事で席を外させてもらう……あとは頼んだ」

 

 

 ラウラの問いに了承した後、リィンとマキアスに二人を託してグランはその場をあとにする。マーテル公園のトラム乗り場に向かい、恐らくは昼にクロチルダと約束したホテルへと向かうのだろう。これからグランが取るであろう行動が分かったラウラとフィーは、彼の後ろ姿を見ながら不機嫌そうな表情で不満げな声を漏らしていた。

 

 

「くっ、この状況を残してクロチルダと会いに……何て羨まけしからん!」

 

 

「(どうしたものか……グラン、これは少し恨むぞ)」

 

 

 何とも気まずい雰囲気の中に一人取り残されてしまったリィンは内心でグランを恨むも、何とかこの空気は脱しようと見当違いの事を話すマキアスに突っ込みつつ、ラウラとフィーを宥めてその場を収めた。リィンの苦労の甲斐あって話題はグランから逸れ、話はフィーの過去について。ため息を吐いたラウラとフィーの二人がその場に腰を下ろし、夜空に煌めく星々を見上げながらフィーは話を切り出した。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「──気が付いたら私は戦場にいた」

 

 

 どこかの国の、どこかの場所で行われていた紛争。その場所で戦災孤児だったフィーは紛争地帯をさ迷い、偶然とも言える出逢いを果たした。『西風の旅団』という猟兵団、そこで団長を務める『猟兵王』なる人物と。

 猟兵団に拾われた彼女の仕事は、団の雑用や手伝いが主だった。団長である『猟兵王』が渋りつつも団員達から戦場で生き残るコツや銃剣の扱い方などを教わり、大変ではあったが充実した日々を過ごしていた。

 そしてフィーが十歳を迎えた頃、ふとした偶然がきっかけで彼女は実戦デビューを果たす事になる。元々の素質が高かったのだろう、その後はフィーも団の作戦に参加して徐々に実力を伸ばしていった。いつしかフィーにも猟兵としての渾名が付くようになり、そんな中で彼女はある人物と再会する。

 

 

──オレの名前はグランハルト。嬢ちゃんの顔見た事あるな、もしかして西風のメンバーか?──

 

 

「そして私が『西風の妖精(シルフィード)』なんて呼ばれるようになった四年前、突然私の前に姿を現したのがグランだった」

 

 

 グランハルト=オルランド。当時のフィーもその名前と姿はよく知っていた。西ゼムリア大陸で『西風の旅団』と双璧をなす猟兵団『赤い星座』、『西風の旅団』の団長である『猟兵王』とは長年宿敵同士で知られる『赤い星座』の団長『闘神』の甥に当たる人物。一騎当千の実力が揃う『赤い星座』の中で僅か六歳にして実戦参加を認められ、八歳で部隊長を任せられた『閃光』の異名を持つ少年。

 小競り合いのような事が頻繁に行われていた双方の猟兵団、当然の如くフィーもグランの姿を見た事はある。出会った当初、勿論彼女はグランを警戒した。

 

 

──猟兵王はどこにいる? 頼みたい事があるんだが──

 

 

──教える訳がない。教えたところで団長に門前払いをくらうだけ──

 

 

「そうか、グランとフィーは元々敵同士だったのだな」

 

 

「団長と『闘神』が敵同士だったから。でも、だから私はその後グランが話した事に耳を疑った」

 

 

──だったら嬢ちゃんから頼んでもらえないか? オレを西風に入れてくれって──

 

 

 『赤い星座』のメンバー、それも部隊長クラスの彼が宿敵である『西風の旅団』へ入団したいと口にする。もし団に入ったとなれば彼の家族であり、『赤い星座』のメンバーであるオルランドの人間とも対立する事になるだろう。フィーも突然グランがそのような訳の分からない事を願い出たため、彼を連れて『猟兵王』の元に向かうと事の全てを話す。傍でその話を聞いていた団員達は勿論反対した、これが『赤い星座』の仕組んだ罠という事も考えられるからだ。

 そこで『猟兵王』はある提案をした。西風の誇る団員二人に勝って見せろと、もし勝てたのならば西風に入る理由を聞いてみて考えてやると。フィーはこの時グランが旅団に入る事は叶わないと思った、彼の前に対峙したのは西風でも部隊長を務める『罠使い(トラップマスター)』ゼノと『破壊獣(ベヒモス)』レオニダス。二人の実力を知っている彼女はグランが負けるだろうと、余り興味を示さずに彼らの戦闘を見ていた。

 しかし、ふたを開けてみれば結果はグランの勝利。戦いを見ていたフィーはその事実に驚くと共に、彼に強い興味を抱いた。年齢も自分と一つしか変わらないのに、実力は猟兵の中でもトップクラス。グランハルトという人間の強さの根源を知りたい、自分もあの領域に辿り着きたいと。

 西風の団員二人に勝利したグランは、約束通り『猟兵王』とその他団員がいる前で西風に加入したい理由を話した。『猟兵王』含め彼の話を聞いた団員達は皆、フィーを除いて大笑いをする。

 

 

──オモロイ事言うやないか、気に入ったで──

 

 

──此度の敗北、次のリベンジのためにも俺はこの男の加入を希望する──

 

 

「団長や皆はグランが西風に入りたい理由を聞いて気に入ったみたいで、入団を快く迎え入れた。私も特に拒否する理由は無かったし、皆が納得してるのなら問題ないと思ったから」

 

 

「そのような事が……して、グランの話した理由とはどのようなものだったのだ?」

 

 

 ここまで聞くとラウラも気になってしまう、かつて敵対していた猟兵団に入りたいというその理由が。リィンやマキアスも興味を示し、フィーもこの三人なら話してもいいだろうと隠す事なく当時グランが話したそのままの言葉で答えた。

 

 

「──『『赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)』シグムント=オルランドを潰したい』……それが、グランが西風に入りたい理由だった」

 

 

 『赤の戦鬼』の異名を持つ『赤い星座』の部隊長、シグムント=オルランドを倒すためにグランは『西風の旅団』を選んだ。団員一人一人が一騎当千の力を持つ『赤い星座』、どれだけグランが強くても猟兵団に一人で乗り込む事は出来ない。恐らくはバックに『西風の旅団』を据える事で、シグムントとの一騎打ちに集中できるようにというのが彼の目的だったのであろう。

 そしてフィーからその話を聞いたリィンはふと疑問に思った。そう、グランが倒したいという人物の名前である。

 

 

「でも、オルランドって確かグランの姓じゃなかったか?」

 

 

「そう言えば、中間テストの結果発表で彼の名前がそうだったような……」

 

 

「フィー、グランの目的とはやはり……」

 

 

「ラウラは知ってたんだ、グランが猟兵をやってる理由」

 

 

 リィンの疑問にマキアスが同じく首を捻って思い出している中、ラウラが眉をひそめて口にした言葉を聞いてフィーも理解した。彼女は既に、事の殆どを知っているのだと。

 結局フィーがリィンとマキアスにその疑問点を答える事はなかった。ここまで話した内容だけでも彼に知られたら何て言われるか分かったものではない、これ以上は本人が話すべきだからと。

 

 

「グランが団に入って一年後、グランと『赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)』の一騎打ちがあった。結果は丸一日かかったけどグランの敗けで、その翌日にグランは団を止めた。それから二年ちょっと経って団長と『闘神』の一騎打ちもあって、三日三晩の激闘の末に相討ちで終わって、『猟兵王』がいなくなった『西風の旅団』のメンバーは私を残して突然目の前から去った」

 

 

 表情に陰りを見せながら、フィーは当時の事を思い返すように語る。兄も同然だったグランを失って、その後は家族である西風のメンバーも失って。途方に暮れていた矢先、両猟兵団の動向を探りに来ていたサラに拾われて、トールズ士官学院に入学する事が決まった。それが、フィーがここにいる経緯であった。

 リィン達にとっては想像以上の世界であろう。幼い頃から戦場で過ごし、生きるか死ぬかの毎日を送る。そして突然家族を失った悲しみ、とても考えられない人生をこの少女は齢十五で経験しているのだ。

 たからこそ、自分達がフィーの悲しみを埋められるように、新しい家族となれるように。リィン達はそう決意するのであった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 同時刻、マーテル公園をあとにしたグランの姿は現在ガルニエ地区にあった。歓楽街という事もあって夜にも関わらず賑わいを見せるこの地区は、昼間以上に人通りが多い。カジノの客が主であろう。

 グランがガルニエ地区に足を運んだのは他でもない。今日の昼過ぎにホテルから出された魔獣退治の依頼を受けに来た際、偶然再会したクロチルダにホテルの自室へ招待されたからである。初めはどうするか悩むも、グランなりに理由があって来たのだろう。

 ホテル『デア=ヒンメル』に入って直ぐ、彼を出迎えたのはこのホテルの支配人であった。どうやらクロチルダが話を通していたらしく、グランの容姿やその特徴を教えられていたそうで一目で分かったとの事。それも特別な客と言っていたのか、彼は数人の従業員に囲まれながら用意されていた部屋へ案内される事となった。

 

 

「それでは、ごゆっくりなさいませ」

 

 

「ええ、案内どうも」

 

 

 部屋の扉は支配人によって閉められ、一人残ったグランは室内を見渡す。ラベンダーの香りが周囲に漂っている事からクロチルダの宿泊している部屋だと感じ取った彼は、テーブルも椅子もソファーも無い室内を進んで隣の部屋へ続く扉を見つける。ここが客間だろうと踏んで扉を開き導力灯を点けるのだが、視界に広がった光景に息を飲んだ。

 嫌に雰囲気が作られた桃色の空間が広がる室内、四人は同時に寝れるのではないかと思うほどの大きなベッド。そして直後に後方から感じた気配、反応が遅れたグランは背中に軽い衝撃を受けると共にベッドの上へうつ伏せに倒れ込む。

 

 

「女性はもっとおしとやかな方が好みなんですけど」

 

 

「あら、積極的な方が色々と魅力は感じると思うのだけど」

 

 

「取り敢えず離れて下さい、当たってます」

 

 

「当ててるのよ、分からない?」

 

 

 グランはベッドに顔を埋めながら、背中に被さった人物と気配を察知出来なかった自分に対してため息を吐く。一層強く漂うラベンダーの香り、彼女の声からしてヴィータ=クロチルダだという事は直ぐに分かった。何とかその場をすり抜けると、彼女の背後に回ってその姿を見下ろす。

 不満げな表情で見上げてくるクロチルダを見て、グランはこの人物が以前自分の上司に当たる人間だったと思うと頭痛がした。上司とは言っても上と下に上下関係は無く、組織のトップに君臨する一人を除いては対等な関係ではあったが。

 

 

「中々素直になってくれないのね」

 

 

「素直になってますよ。それで、約束通り話してもらえるんですか?」

 

 

「あら、約束って何の事かしら?」

 

 

「嘘だろ……」

 

 

 勿論クロチルダは忘れてなどいない。そしてグランもまた彼女が誤魔化そうとしている事などとうに分かっていた。とは言えこの様子だと何をしても自分の知りたい事は話してもらえない、そう思い至った彼は無駄足だったと呟きながら部屋を出ようとする。

 その時、ベッドから立ち上がったクロチルダは突然グランの腕を掴んだ。彼の動きを制し、正面へと回り込んで顔すれすれの距離にまで接近する。両者が僅かに動いただけでもその唇が触れ合いそうな距離にまで彼女は詰め寄った。

 

 

「私のものになってくれるのなら、『幻焔計画』についても話してあげるわ」

 

 

「そうですか……交渉決裂ですね」

 

 

「待って!」

 

 

 最後の誘惑にも惑わされず、グランは瞳を伏せてその場を立ち去ろうとする。クロチルダの呼び止めにその足が一瞬だけ動きを止めるが、直ぐにベッドルームを出て彼女の部屋をあとにしようとした。

 そして、そんな彼の後ろ姿にクロチルダは問う。

 

 

「貴方が知りたかったのは『幻焔計画』じゃなかったの? 私のものにさえなってくれるのなら、貴方の知りたい事なら何でも……」

 

 

「確かに『幻焔計画』の事を聞きに来ました。でも、そうじゃないんですよ」

 

 

「それじゃあどういう事かしら?」

 

 

 困惑した表情で問い掛けたクロチルダの問いに、グランはその場を振り返ると鋭い目付きで彼女の瞳を貫いた。クロチルダの出した条件はグラン自身を対価に情報を与えるというもの、故に彼の脳裏には一つの答えしかない。

 トールズ士官学院の平民生徒が着用する、緑色の制服を着こなした栗色の髪の少女。入学式の日に出逢ってから毎日笑顔の絶えないその少女を瞼の裏に映し出した後、グランは再度クロチルダの顔を見据えた。

 

 

「どうせ結ばれるのなら、この人と決めた女性がいるんですよ」

 

 

 




グランはやっぱり会長一筋だった!
今回、フィーの過去話でグランの事もある程度リィン達に知られる事となったのですが、何とも微妙な結果に! まあ、元々フィーの過去を明かすんだからグランの事を詳細に語るのもね……それでも結構フィーは話していますが。
最後に……グランはやっぱり会長一筋だった!(大事な事なので二度)


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怪盗紳士との邂逅

 

 

 

──私がお(まじな)いを掛けてあげよう。足枷となる記憶を忘れ、君が迷いを断ち切れるように──

 

 

「……また変な夢見ちまったな」

 

 

 翌日、帝都での特別実習二日目の朝。旧ギルド支部二階の部屋にあるベッドで寝ていたグランは、不可思議な夢と共に起床した。聞き覚えの無い台詞の筈なのに、どこか現実味のある夢を。

 夢の中でグランに語りかけた人物、眼鏡を掛けたその男の事はグランもよく知っている。彼がとある組織に所属していた時、男から幾つかの任務を頼まれて遂行した事があった。

 

 

「『教授』が夢に出てくるとか最悪にも程があるだろ……やっぱり夢見が悪いな、この場所は」

 

 

 今日は幸先が悪いと、グランはため息を吐いてベッドを降りる。そして周囲を見渡すと丁度リィンとマキアスも目を覚ましたらしく、あくびをしながらも各々起床の挨拶を交わしていた。

 それぞれ就寝用の服から士官学院の制服へと着替え、夏服のリィンとマキアスとは違って赤の制服を上に纏ったグランはふと、胸の内ポケットに違和感を感じて中から折り畳まれた一枚の紙を取り出す。中身を確認しようと紙を広げたグランは、書かれている内容に目を通しながらその表情を引きつらせた。

 

 

──親愛なる『紅の剣聖』殿。正午の刻、獅子の見詰める七色の橋梁下にて君を待つ──

 

 

「この面倒な言い回し……あの変態か」

 

 

 差出人の名前も表記されておらず、ただ暗号めいた文章だけが書かれた紙切れ。しかしグランはこの覚えの無い手紙を差し出した人物に心当たりがあるのか、頭を抱えながら紙を折り畳んで懐へと仕舞い込んだ。そんな彼の様子が気になったのかリィンとマキアスが寄ってくるが、何でもないと彼らに一言返すと三人揃って部屋を退室する。

 リィン達が階段を降りると既にラウラとフィーは起床しており、起きるのが遅いと三人に向かって不満を漏らしていた。グランとリィンは苦笑いを浮かべて誤魔化すのみだが、ラウラとフィーの物言いを聞いて何故か額に青筋を立てたマキアスが突然、彼女達に向かって怒鳴り声を上げる。

 

 

「大体僕とリィンの起床が遅れたのは君達のせいだろう! あんな場所で決闘などしなければ、夜遅くまで憲兵から説教を受けずに済んだんだ!」

 

 

「む……」

 

 

「マキアス小さい」

 

 

 マキアスの意見は尤もなのだが、少女二人に怒鳴っているこの光景を見ると彼が悪者に見えてしまうから不思議である。結局何時もの如くリィンがマキアスを宥め、不服そうにしながらも彼が引き下がる形で朝の騒動は終えた。後に旧ギルド支部を訪れたエリオットの案内により、彼の実家を訪れてフィオナの作った朝食を平らげる。

 朝食の後、リィンがあらかじめ旧ギルド支部の郵便受けから取り出していた課題の書かれた紙を確認する事になり、その紙を広げて一同は課題内容に目を通した。

 

 

「『新製品のテスト』はヴァンクール通りのブティック『ル・サージュ』から。『迷い猫の捜索』は……オスト地区の人からの依頼だな」

 

 

「む……オスト地区からもあるのか」

 

 

「昨日は行かなかったけど、ヘイムダル港から魔獣退治の依頼もあるみたいだ」

 

 

「ほう……」

 

 

「私達の出番だね」

 

 

 リィンが紙に書かれた課題内容を読み上げていく中、マキアス、ラウラ、フィーの三人はそれぞれ内容に対して反応を見せる。

 オスト地区はマキアスの出身地だ。地元の人が出した依頼となると、見知った顔かもしれないと彼も自然と力が入るのだろう。猫の捜索依頼には一人やる気を見せていた。

 ヘイムダル港から出ている魔獣退治に反応を示したのはラウラとフィー。彼女達の本分は実戦、腕がなると今から浮き足立っている。

 そして、ここまで無言を貫いていたグランがふとリィンに問い掛けた。

 

 

「リィン、盗難依頼なんかあったりするか?」

 

 

「いや、見たところ今話した三つだけだけど」

 

 

「グラン急にどうしたのさ?」

 

 

「無ければいい。って事は午後からって訳か……」

 

 

 エリオットが首を傾げてグランの顔へ視線を向ける中、当の本人はリィンの返答を受けて思考の海へと潜り込んだ。彼の問いに隠された意味をリィン達が理解する事は無かったが、特に気にする事もなく一同は早速二日目の実習を行うべくクレイグ家をあとにする。

 一つ目の依頼をこなすため、ヴァンクール通りのブティック『ル・サージュ』へと訪れたリィン達を迎えたのはこの店のオーナーのハワードだった。依頼内容は新しく入荷予定の新作の靴、スニーカーのブランド会社で有名な『ストレガー社』の製品の耐久性を確認するというもの。テストに出された条件に該当するのはラウラのみで、早速彼女がテスト品に履き替えて依頼を開始する事となった。目標歩数は二千歩で、同時に手渡された導力歩数計が規定歩数に達したら戻って来てほしいとの事だ。恐らくは靴の摩耗具合等を確認するのだろう。

 このまま目標歩数までだらだらと時間を過ごすのは勿論勿体無いので、一同は導力トラムでオスト地区へと移動して『迷い猫の捜索』を受ける事にした。やはり依頼主はマキアスの知り合いで、まだ幼い飼い猫が外へ逃げてしまったため捜索依頼を出したようだ。オスト地区を隈無く探し回り、フィーのお手柄もあって無事保護するに至った。

 オスト地区での依頼も終え、残るはヘイムダル港から出された魔獣退治の依頼のみとなる。猫の捜索に少し時間を用してしまったため時刻はもう少しで正午に差し掛かるといったところだが、ここでなんとリィン達に予想外の事態が訪れる事となった。

 

 

「すまん、ちょっと用事を思い出した……悪いが魔獣退治の方は任せた」

 

 

 突然グランが実習から離れると話す。魔獣退治では一番頼りになり、勿論彼だけに負担をかけるような真似をリィン達がするはずもないが、それでもグランの離脱というのはこれからの課題には大きい痛手である。それ以前にチームプレイが重要な特別実習においてこのような勝手が許されていいはずがなく、リィン達はどんな用事があるのかと聞き返した。

 しかし、グランは言葉を濁して詳しい内容を話さない。班行動を離れて個人が勝手に動くのはどうなのかとリィン達は決め倦ねるが、そんな彼らの隙をついてグランは一人駆け出す。

 

 

「こら、待たぬか!」

 

 

「追いかける!」

 

 

 急に逃げ出したグランの後ろ姿にラウラが声を上げ、いち早く反応していたフィーが彼の後を追いかけた。だが彼の逃げ足の前に彼女の追跡も意味をなさず、グランは住宅街の屋根に飛び乗ってその姿を眩ます。直後に申し訳なさそうに戻ってきたフィーを慰めた後、グランが戻ってきたら咎めなければと一同は眉をひそめていた。

 結局、グラン抜きのままリィン達A班はヘイムダル港へと向かい、魔獣退治の依頼をこなす事になるのであった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「待ち合わせ場所はここで合ってる筈なんだが……」

 

 

 導力時計は現在正午の針を差す。オスト地区から逃げ出したグランは今、ドライケルス広場の噴水近くである人物を待っていた。朝起きた時に制服のポケットの中から見つけた紙、それを仕込んだであろう人物を。

 紙に書かれた内容は『獅子の見詰める七色の橋梁下にて君を待つ』というもの。この帝国で獅子と言えば『獅子心皇帝』の渾名で知られるドライケルス大帝、そして更に解釈すると帝都のドライケルス広場にある彼の像を指しているという事になる。

 『七色の橋梁下』というのは何とも回りくどい表現だが、恐らくはドライケルス広場の噴水が生み出す虹の事を言っているのだろう。そのためグランはドライケルス広場の噴水近くで待機している訳である。

 

 

「……実習に戻るか」

 

 

「──自由に空を羽ばたく鳥に憧れた鬼の子は、一人翼を求め雛鳥の群れへと紛れ込む、か。フフ、鬼に翼は生えないと知っていて尚求めるその姿は余りにも滑稽だが……その醜悪さと純粋さが合わさる歪な形もまた、人の美しさだろう」

 

 

 グランが待ちくたびれてヘイムダル港へ戻ろうかと思っていた矢先、貴族風の男が青髪を掻き上げながら彼の元へと歩み寄って来た。バリアハートの特別実習の際に宝飾店で姿を見せた男である。その時はブルブラン男爵と名乗り、グランとも知り合い同士のような会話をしていた。

 男の言葉を聞くと如何にも偶然出会ったかのように感じるが、実はそうではない。グランをこの場所へと呼び出したのは他でもない、彼である。

 

 

「誰のことを言っているかは置いといてやる……ところで回りくどい事せずに普通に書け普通に」

 

 

「それでは私が面白くない。我が親友を名乗るなら、あのような単純な問題は解いてもらわないと困る」

 

 

「いつオレがお前の親友だと名乗った」

 

 

「ふむ、確か『美』を追い求める私に君が共感を抱いた時からだったような……」

 

 

「待て、だからあの事を言っているのなら言葉の綾だと何度も──」

 

 

「人は得てして無意識の内に本心を声に出しているものだ……『失われていく時にこそ美は最大に映える』何とも素晴らしい感性ではないかね」

 

 

 照れる事はない、と愉快そうにブルブランは笑う。この一連のやり取りは二人が会う度に行われており、その都度グランは頭を抱えていた。いつの日かグランが不意に呟いた言葉を彼が気に入り、その日からグランとブルブランは腐れ縁のような仲になっている。どのような状況でグランがそんな事を呟いたのかは非常に気になるところではあるが。

 そしてその事に対する誤解は一生解けそうにないと、心の中で諦めたグランは一人ため息を吐く。

 

 

「もう勝手に解釈してくれ……で、一体何の用だ?」

 

 

「ふむ、もう暫くここで互いの美について語りたいところではあるが……本題に入ろう」

 

 

 話し足りないようではあるが、漸く話は本題へ。ブルブランがグランを呼び出した理由、それは一言で言えば犯罪に手を貸せというものであった。ガルニエ地区の宝飾店に展示されている宝飾品、厳重に盗難防止措置が取られているそれを盗み出す手伝いをしてほしいというもの。

 単純に宝飾品を盗んで終わるのならばグランも手を貸さない、と言うよりはブルブランが手を借りる事はないだろう。何せ彼は巷で有名な『怪盗B』という人物であり、帝国軍から戦車を盗んだという逸話もある男。盗みという分野に優れた彼がわざわざグランに手を借りるまでもないからである。

 しかし、今回ブルブランがその宝飾品を盗むのにグランの手を借りようと思ったのは他に理由があった。

 

 

「君の仲間である雛鳥達……特科クラスⅦ組のA班、彼らに私の出す試練を受けてもらおうと思っている」

 

 

「またやるのか、あの面倒なやつ……」

 

 

 理由を聞いたグランはブルブランの意図を知り、その場で力なく項垂れるのであった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 人が誰かを嫌う場合、そこには必ず嫌う理由が存在する。何となく、という理由でさえその人物の人となりや性格が合わないという何かしらの嫌う理由があり、それでもそのような理由では表面上普通に接する事は出来るだろう。当人にとってはそこまで重要な問題では無いからである。

 しかし、同じ空間にいるだけで我慢がならないなどの拒絶にまで事が発展する場合、嫌う理由というのはその人にとっての深い因縁や過去のトラウマといったものにまで関わってくる。明確な嫌悪や拒絶というのは、余程重要な出来事が起きなければ抱く事はない感情であるからだ。

 そして、それに該当する人物がⅦ組には存在した。マキアス=レーグニッツ、士官学院に入学した当初から貴族の人間を露骨に嫌悪していた彼の事である。相手が貴族という身分かどうかで接し方が変わっていた当時。今でこそリィン達との学院生活によって考え方が変わっているが、マキアスの根源にはやはり貴族の人間へ対する嫌悪というものが未だにある。

 では何故彼がそれほどまでに貴族を嫌うようになったのか。そこには彼の幼少期、家族のように共に生活をしていた一人の女性の存在が関わっていた。

 

 

「自殺したよ。姉さんは伯爵家からの露骨な嫌がらせに耐え続けた結果、最後に相手の男から手酷く裏切られてね」

 

 

 棚に飾っている三人の人物が写った写真を見詰めながら、マキアスはテーブルの上に置いた手を握り締める。椅子に座っている他の面々は表情に陰りを見せ、顔を歪める彼の姿を見ていた。

 ヘイムダル港で魔獣退治の依頼を受けたリィン達は地下道で討伐対象の魔獣を倒し、その帰り道に隠し扉を発見してオスト地区へと辿り着いた。近くにマキアスの実家があることから昼食を購入して彼の実家で取る事となり、彼の淹れた珈琲を楽しみながら外で購入したジャンクフードを平らげる。

 そんな中、棚に飾られている一つの写真立てが一同の目に入った。写っていたのは幼少期のマキアスに、彼の父親であるカール=レーグニッツ。そして、マキアスの従姉に当たる女性が一人。

 その写真を見て複雑な表情を浮かべたマキアスに対して、リィンは彼が貴族を嫌う理由がその女性にあるのだろうと思い至る。事実リィンがその事を問い掛けるとマキアスは頷き、迷惑でなければというリィン達の希望もあって彼の過去を聞くに至った。彼が姉さんと慕っていた従姉、その彼女がマキアスの父親の紹介によって知り合った当時の彼の部下、伯爵家の男と交際し、最後に手酷く裏切られて自害したという真実を。

 

 

「公爵家との縁談が持ち上がった以上、伯爵家が姉さんに対して嫌がらせをするのも利益を優先したに過ぎないのだろう。『妾として大事にしてやる』と言った彼に対しては思うところもあるが、実際姉さんの事は大事にしてくれていた……」

 

 

 それでも、当時のマキアスには姉の命を奪ったとも言える伯爵家、伯爵家の縁談先であるカイエン公爵家、更には貴族という存在そのものを恨まずにはいられなかった。マキアスの父親であるカール=レーグニッツは男の事をどう思っていたのか分からないが、その出来事以降役人としてのし上がり現在の地位を確立するに至る。

 一方で憧れの存在である従姉を失い、その怒りの矛先をどこに向けてよいのかも分からないマキアスは結果的に貴族の人間を疎ましく思うようになってしまった。自分の大切な姉さんを奪ったのは、貴族という存在なんだと。貴族を恨まずにはいられなくなった彼は、いつしか人を身分によって判断するようになっていた。

 

 

「でも結局は“その人”なんだろう。貴族も平民も関係ない……その事はリィン、ラウラ、君達に教えられたからな」

 

 

 バリアハートでの実習、そして普段の学院生活においてマキアスは当たり前の事に気付いた。共に学院生活を送るリィンやラウラの存在が、視野を狭くしていた彼の視界を広げたのだ。身分によって判断するのではなく、“その人”の人間性を見て判断するという事を気付かせた。そしてマキアスの過去を聞き終え、リィン達は全てを話してくれた彼に感謝の意を込めて頭を下げる。

 腹を割って話し、互いの認識を深めた今回の特別実習。Ⅶ組としての絆、結束力はここから更に深まる事だろう。




ブルブランの雰囲気が中々出せない、やっぱり同じ変態紳士じゃないと難しいんでしょうか……

ここに来てマキアスが過去を打ち明けるという原作通りの流れになりましたが……ごめんねマキアス、わりと雑にイベント終わらせて。私の腕ではこれが手一杯です、彼からマキシマムショットを素直に受けようと思います。

次回は変態紳士大活躍のあのイベント。思わぬ形で巻き込まれたグランですが、彼がどういう立ち位置で過ごすのかは私にも分かりません(´・ω・`)


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与えられた試練の先は

 

 

 

「盗難事件、ですか?」

 

 

 マキアスの実家で昼食を終えた後、オスト地区のトラム乗り場にてARCUSの通信先へ疑問を投げ掛けるリィンの姿があった。通信先の人物はマキアスの父親のカール=レーグニッツ帝都知事、そして通信内容は先程発生したという盗難事件について。

 レーグニッツ知事の話しでは、リィン達が昼食を食べている間にガルニエ地区の宝飾店で盗難事件があったとの事。現状については余り把握できておらず、宝飾店からの通報によると、何でもⅦ組A班を名指しで呼んでいるという事のようだ。

 リィンはARCUSの通信を切り、後ろで何事だと問い掛けるラウラ達に事の事情を話して一先ずガルニエ地区に向かおうという結論に至る。導力トラムに乗ってガルニエ地区へと移動したリィン達は、盗難の被害にあったという宝飾店『サン・コリーズ』の店内に入り、展示ケースの傍で立つ店長と思われる女性の元に近寄った。

 

 

「トールズ士官学院、Ⅶ組の者です。こちらで盗難事件があったとレーグニッツ知事から連絡があったのですが……」

 

 

「お待ちしておりました!」

 

 

 泣きそうな顔で声を上げたのはこの宝飾店の店主、コーデリア。彼女の話しによると、この店で展示されている宝飾品『紅蓮の小冠』という一億ミラにも上る価値のあるティアラが盗まれてしまったと言う。そしてその盗んだとされる人物は『怪盗B』、帝都でも有名な盗賊で『美の解放活動』という訳の分からない名目を掲げて盗みを行っている輩である。

 しかしこの怪盗B、実は犯行を行う前に予告の手紙を出す事で有名で、その事を知っているマキアスは予告カードのような物が無かったのかとコーデリアに問い掛ける。彼の推測通り予告カードは出されており、そこには『紅蓮の小冠は既にすり替えさせてもらった』と記されていたようだ。盗難防止として設置されていた防犯システムを信用しながらも、万が一の為にシステムを解除して展示ケースを開けて確認しようとしたコーデリアの隙を見逃さず、照明を落としてその隙に『紅蓮の小冠』を盗んだというのが今回の怪盗Bによる手口。

 そして話は本題へ入り、何故実習中のリィン達が呼ばれたのか。そこには怪盗Bが『紅蓮の小冠』を返却する条件として、ある内容を記した書き置きを残していったため。

 

 

「こちらになります」

 

 

 コーデリアが差し出したカードに書かれていたのは、事件を鉄道憲兵隊に報告しない事と、同封されているもう一つのカードをトールズ士官学院特科クラスⅦ組A班に渡すこと。そしてⅦ組A班のメンバーが、カードに書かれた試練に打ち克つこと、という何とも理解不能な内容である。しかし内容を見ればリィン達の行動によってティアラが返ってくる事が考えられるため、怪盗Bの挑発とも取れる今回の事件は何としても解決しようと一同は意気込む。そして、先程のカードと同封されていたもう一枚のカードに書かれていた内容は、『紅蓮の小冠』に至るための最初の試練であった。

 

 

──鍵は全て緋色の都にあり。始まりの鍵は『獅子の心を持つ覇者、その足元を見よ』──

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「あった、これじゃない?」

 

 

 ドライケルス広場にある『獅子心皇帝』の像、その基礎の部分に貼り付けられているカードを見つけたエリオットがそれを手に取ると五人に向けて差し出した。そこには第二の試練である次の謎掛けが書かれており、一同はカードの内容へと視線を移す。

 『光透ける箱庭の中、北東の座に』、これが二つ目のヒントであった。このヒントを見て首を傾げるリィン達だったが、一人何か思い浮かんだのか不意にマキアスが眼鏡を人差し指で持ち上げる。

 

 

「恐らくはあそこだろう、付いてきてくれ」

 

 

 そして直後に彼が目的地として上げたのはマーテル公園。トラムに乗って移動した一同はマーテル公園に着くと、マキアスがここを選んだ理由に気が付いた。マーテル公園の敷地内には『クリスタルガーデン』という建物があり、屋根と外壁がガラス張りの造りになっている屋内庭園として知られている。二つ目のヒントにある『光透ける箱庭の中』にぴったりだからだ。

 クリスタルガーデンの内部に入り、リィン達は陽の注ぐ庭園内を歩いて北東に位置するベンチの元へと移動する。そこには案の定ベンチの足にカードが貼られており、マキアスがそれを手に取って確認すると次のヒントが記されていた。

 

 

──かつて都の東を支えた籠手たち。彼らを束ねし者の場所、『紅の剣聖』が刻みし傷跡に──

 

 

「えっと……『都の東を支えた籠手たち』は、遊撃士の事でいいんだよな?」

 

 

「だろうな。だが『彼らを束ねし者の場所』、そして『紅の剣聖が刻みし傷跡に』というのは一体……」

 

 

 ここに来てヒントの難易度が少しばかり上がった。三つ目のヒントに目を通しながら、リィンに続いてラウラも頭を捻る。遊撃士というキーワードは掴めたが、その次が思い付かないようだ。

 『彼らを束ねし者の場所』というのは考えれば分かりそうではあったものの、その次は流石に一同にも分からなかった。何かの喩えだとは分かっていても、それが彼らにとってのヒントになっていないからである。知らない事を喩えで出されたところで分かるはずもない。

 

 

「グランに聞いた方が早い。前半は兎も角、後半のヒントは多分いくら考えても私達じゃ分からない」

 

 

 リィン達が思考を巡らす中、何かに気付いた様子のフィーから助言が入る。『紅の剣聖』がグランの事を指しているのは皆も気付いていたものの、途中で実習を投げ出したグランにヒントをもらうという意見は一同にとってかなり不服ではあった。結局事件の迅速な解決が目的である事から、渋々といった様子でラウラがARCUSを取り出す。

 そしてラウラがグランに通信を繋ごうとしたその時、突然リィン達の元に一人の男が歩み寄ってきた。

 

 

「久方ぶりだ。このような場所で再び出逢うとは、これも空の女神(エイドス)の導きか」

 

 

 青髪を掻き上げる鬱陶しい動作、気障ったらしいその台詞。リィンとマキアス、フィーの三人には覚えがあった。バリアハートの実習の際、宝飾店で顔を合わせたブルブラン男爵である。

 彼の事を知らないラウラとエリオットに、ブルブラン男爵本人から美を探す旅をしていると自己紹介が入った。流石に二人ともリアクションに困っているようで、一言挨拶を返すのみに留まる。

 ふと、マキアスの手に握られている暗号の書いたカードへ視線を移してブルブラン男爵は押し黙る。その様子を見ていたリィンは疑問を抱くが、彼の視線に気が付いたブルブランは僅かに笑みを浮かべた後にその場を振り返った。

 

 

「さて……私はこれで失礼させてもらう。また会おう」

 

 

「え、ええ……(一体何がしたかったんだ……?)」

 

 

 結局彼が何をしに来たのかリィン達にも分からないまま。ブルブランと別れてリィンが一人頭の中で何かに引っ掛かっている傍、ラウラが再びグランへ通信を繋ぐのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 マーテル公園の入口付近、敷地内を見渡しながら何故か表情の固まったグランが一人その場で立ち尽くしていた。彼の耳には手にもったARCUSが添えられ、通信先はグランと同じくマーテル公園内にいるであろうラウラから。ARCUSを落としかけて再度持ち直したグランは、通信先のラウラに向けて聞き間違いであろう会話の内容を聞き直す。

 

 

 

「おい、ラウラ今何て言った」

 

 

≪ではもう一度聞く。『紅の剣聖が刻みし傷跡に』というのはどういう意味なのだ?≫

 

 

 通信先のラウラの声を聞き、グランは歯軋りをしてその鋭い視線を右方へと向けた。そこには先程までクリスタルガーデンの中にいたブルブラン男爵、もとい怪盗B。サプライズが上手くいったと愉快そうに笑みを浮かべて笑い声を漏らす彼を見て、こういう男だったとブルブランの性格を思い出したグランは掴みかかりそうになるその手を抑えた。

 グランはARCUS越しにどうしたのかと心配そうに声を漏らすラウラへ何でもないと返した後、あくまで冷静に彼女が問い掛けた内容を説明する。

 

 

「その前に、『彼らを束ねし者の場所』ってあるだろ」

 

 

≪あ、ああ……だがどうしてそなたがそれを──≫

 

 

「旧ギルド支部の一階にあるカウンターの裏手を調べてみろ。一ヶ所だけ床の音が違う場所がある、床板を外せるようになっているから分かるはずだ」

 

 

 ラウラの疑問の声を遮り、必要な情報だけ告げるとグランはARCUSの通信を切った。そして懐へ納めて直ぐ、不機嫌そうに眉をひそめるブルブランを睨み返す。

 ブルブランが不機嫌そうにしているのは、グランが通信先のラウラに対してヒントどころか答えを告げたからである。しかし先にグランが不意打ちを浴びたのは事実で、彼にだって言い分はあるだろう。

 

 

「友の愉悦に水を指すのは美徳センスに欠けていると思わないかね?」

 

 

「じゃあその友の過去を他人にバラすのはどうなんだ?」

 

 

「何、君が敵に回るのもまた一興だと思った次第だ」

 

 

「なるほど……確かに面白そうだな」

 

 

「やはり私と君は考え方が似ているようだ」

 

 

 ふっ、と不敵な笑みをこぼしながら瞳を伏せる両者。実際は考えている事も全く共通していないのだが、何故かこの瞬間に二人の心が通じ合った。

 類は友を呼ぶ……一見似ても似つかない両者の間には、他人には分からない共通点があるのかもしれない。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

──水際にて佇む鋼鉄の鳥、その身に課せられた白き重荷の裏に──

 

 

「水際に鋼鉄の鳥……これも何かの喩えなんだろうな」

 

 

 グランとブルブランの二人が何故か意気投合していた時刻から暫くの事。リィン達の姿はマーテル公園のクリスタルガーデンから、今回の特別実習にて用意されているアルト通りの旧ギルド支部へと移動していた。ラウラが通信先のグランから聞いた情報通り、旧ギルド支部のカウンター裏手を調べると一部だけ床板が外せる場所があり、その下から次の謎掛けが記されたカードを発見する。

 カードに書かれた内容にリィンを初めマキアスとエリオットが頭を悩ませる中、ラウラとフィーの二人は彼らとは別の事を考えていた。先程ラウラが通信を繋げたグラン、彼が何故怪盗Bの仕込んだカードの内容を知っていたのかを。

 

 

「どう思う、フィー?」

 

 

「怪盗Bはグランじゃない……でも、全くの無関係ではなさそう」

 

 

「ああ、これはグランを少々問い詰めなければいけないようだ」

 

 

 ラウラとフィーはそれぞれ自身の得物に手を添え、視線を交わすと互いに頷き合った。何とも言い難いオーラを放つ二人にリィン達が顔を引きつらせる中、勇気を出して話題を変えようと声を上げたエリオットの健闘もあり一同の会話はカードの暗号解読へ。

 鋼鉄の鳥、白き重荷というキーワードは中々思い付かず、水際という言葉だけを頼りにリィン達はトラム乗り場へ移動してアノール河が通るヘイムダル港へと向かった。もしかしたら現地で残りのキーワードに該当するような物があるかもしれないからだ。

 程なくして停止した導力トラムを降車した一同は、午前に一度訪れたヘイムダル港へと到着する。荷役作業を行う作業員達の活気のある声を聞きながら、周囲を注意深く探って港の中を進んでいく。

 

 

「っ! まさか……」

 

 

 港の中を進んでいく最中、ふと何かに気付いたリィンが歩行速度を上げて荷役作業中のクレーンの元へ向かって歩き出した。突然のリィンの行動に四人は戸惑いながらも、彼の後を追ってクレーンの元へと辿り着く。

 そして、リィン以外の四人も漸く彼が足を早めた理由を察した。クレーンの傍にある白いコンテナ、なるほどと納得した様子でマキアスが呟く。

 

 

「『白き重荷』はこれの事か。だとすれば『鋼鉄の鳥』はこのクレーンになりそうだが……」

 

 

「多分そうだろう。そして次のカードは恐らくこの白いコンテナの裏側にあるはずだ」

 

 

 マキアスの考えに同意を見せたリィンは、このヘイムダル港を仕切るダンベルトの元へ向かって白いコンテナをクレーンで持ち上げてもらえないかと訊ねる。午前に世話になったからお安いご用だと、ダンベルトは作業員達に指示を飛ばしてクレーンを操縦させると、白いコンテナを持ち上げさせた。

 コンテナが軽く宙に浮いた状態でその下を覗き込んだ一同の視線の先には、想像通り今までと同様のカードが貼り付けられている。直後にコンテナからカードを剥がしたリィン達は、カードに記された内容を見て一様に安堵のため息を吐いた。

 

 

──待ち合わせに赴いた、長き鋼鉄の車。深紅の宝はその中で眠る、黒き匣に包まれて──

 

 

 その内容は次で終わりを迎えるという意味であり、漸くゴールが見えたこの試練とやらをさっさと終わらそうと五人は意気込む。待ち合わせ、長き鋼鉄の車……リィン達の考えは一致したようで、その視線はトラム乗り場に停車している導力トラムへと向けられていた。

 トラム乗り場へと駆け寄った五人は、外で待機している運転手の男に事の経緯を話してトラム内を確認するための了承を得る。二つ返事で快く引き受けた運転手の男に頭を下げた後、リィン達はトラムに乗って座席の最後尾……その足元に置いてある一つの黒いケースを見つけた。

 

 

「『黒き匣に包まれて』……間違いない、『紅蓮の小冠』はこの中にあるはずだ」

 

 

 その場で即座にケースを開け、そこには大きな紅耀石(カーネリア)があしらわれたティアラが輝きを放っていた。目的を達成した安堵と同時に、一億ミラという国宝級の品という事もあってマキアスとエリオットは『紅蓮の小冠』を前に息を飲んでいる。

 一先ずトラムを出ようと、五人は降車して運転手の男に目的の物が見つかった事を報告した。自分が見たときは無かったと呟き、それでも見つかって良かったと笑顔を見せる。

 怪盗Bに振り回されただけというのは彼らにとっても多少の不満はあるだろうが、取り敢えず先に宝飾店に渡しにいこうとマキアスが話したその時。リィンが突然、目の前に佇む運転手の男に向けて驚きの言葉を口にした。

 

 

「もう茶番は終わりにしませんか? ブルブラン男爵……いや──怪盗B!」

 

 

 何の事だと、他の四人はリィンの発言に戸惑いを見せて目の前の男へ視線を向ける。しかし彼が根拠も無しにそのような嘘をつく人物ではないため、何か理由があるのだろうと思いつつ、何故か黙り込んだ男に若干の疑問を抱いた。

 トラム乗り場を静寂が包み、運転手の男とリィン達五人は互いに無言で立っている。そして暫しの沈黙が流れた後、男は突然その場で笑みを浮かべた。

 

 

「フフ、フフフ……ハーッハハハッ!」

 

 

 突然の高笑いにリィン達が身構える中、男の身体を突如として光が包み込んだ。そして直後にその場に現れたのは白いマントを羽織った仮面の男。その青髪は彼らにも見覚えがあるブルブラン男爵のもので、彼こそが怪盗Bだった事にリィン以外の四人も気付く。

 リィンが一人鋭い視線を向ける中、ブルブラン男爵こと怪盗Bは愉快そうに笑みを浮かべながらその視線を正面から受け止めた。

 

 

「これだから、これだから青い果実はたまらない……改めて自己紹介をしておこう。怪盗Bこと、『怪盗紳士』ブルブランだ……因みにいつから見破っていた?」

 

 

「見破るもなにも、わざわざクリスタルガーデンにまで現れるくらいだ。貴方自身そこまで隠す気は無かったんだろう……あとは、これまでの行動パターンからもう一度姿を現すと思ってね」

 

 

「なるほど、良い読みだ」

 

 

 自己紹介をした後、ブルブランはリィンの推測に対してこれまた愉快そうに笑みを浮かべた。何がそこまで嬉しいのかは分からないが、それこそがブルブランという人間である。

 どうしてこのような事をしたのかと、彼の正体に驚きつつつもマキアスが問い掛けた。青髪を掻き上げ、聞きたいかと勿体振った返事を返すブルブランだが、リィンはそれも必要ないと話す。

 

 

「これ以上ここで貴方と話し合うつもりはない」

 

 

「ん、泥棒は犯罪」

 

 

「我等から逃げられるとは思わぬ事だ」

 

 

 リィンの声にフィーとラウラが続き、導力トラムを背に立つブルブランの正面を五人で囲う。この状況下、既にブルブランには逃げ道などない。

 しかし、何故か彼は余裕の態度を一つとして崩さなかった。その事に疑問を抱く一同だったが、ふと上空から何か気配を察したのかリィンが上を見上げて驚きの表情を浮かべる。

 

 

「皆、下がれ!」

 

 

 彼の叫び声に驚きながらも五人は一斉に後退。バックステップを踏んだ後、直前まで自分達が立っていた目の前の場所に大剣が振り下ろされている事に戦慄する。

 一方で突然リィン達の目の前に大剣を振り下ろした赤い髪の男は、その髪色と同色のマントを棚引かせながら、ブルブランと同じ仮面を着けておりその素顔を隠していた。大剣を構え直すと、感心したようにリィン達五人を見渡す。

 

 

「中々の反応速度だ。どうやら子供にしてはかなりの使い手達らしい」

 

 

「遅かったではないか、怪盗G」

 

 

「お前が先走って正体バラすからだろう」

 

 

 怪盗G、その名前はリィン達五人にも聞き覚えがあった。二年程前から怪盗Bと共に現れるようになった盗賊で、その剣の実力は帝国軍の導力戦車を一太刀で破壊する程の腕前。軍のような組織に対して盗みを働く時にしか現れないため、今回の事件では彼の存在を完全に忘れていた。

 大剣を構える男の姿からとてつもない気当たりを感じ、リィン達の額には冷や汗が流れる。今の自分達では勝ち目がない……そんな風に彼らが窮地に立たされていた矢先、事態は更に進展した。

 

 

「くっ……!?」

 

 

「何とか間に合ったみたいだな」

 

 

 突如として剣戟の音が響いた直後、大剣使いの男が膝をついたと同時にリィン達の目の前には刀を振り抜いた状態のグランが現れる。ブルブランは突然姿を現したグランに対して驚き、彼の剣技を浴びた大剣使いの男の姿は徐々に薄くなっていきやがて消え去った。

 空いた口が塞がらない状態の五人に背を向けた後、グランは再び刀を構え直してブルブランと対峙する。

 

 

「そっちの大剣使いには逃げられたか……さて、どうするよ怪盗紳士」

 

 

 苦悶の表情を浮かべながらステッキを構えるブルブランに対して、グランはその顔に笑みを浮かべるのだった。




お分かりかと思いますが怪盗Gはグランです。(怪盗Gという名前すら感想で先に言い当てられてしまいましたが……泣かないもん!)
そして何故リィン達の前にグランが二人いたのか……これもお分かりの方がおられるとは思いますが、次回に説明しようかなと思っています。(ブルブランの謎かけ書いてる内に疲れて面倒になったなんてとても言えない)



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女学院で待ち受ける者達

 

 

 

「そ、その……申し訳ない」

 

 

「何かごめん」

 

 

 ヘイムダル港入口に停泊する導力トラムの中、最後尾の座席に腰を下ろしたグランは現在何故か目の前に立つラウラとフィーから頭を下げられていた。彼にも何が何やら分からず、突然謝りだした彼女達に対して首を捻っている。

 リィン達が大剣使いの男と対峙して窮地に立たされていた時、颯爽と現れたグランの助太刀により無事怪盗コンビを撃退するに至った。気障ったらしい捨て台詞を残して一人消えたブルブランを呆然と眺めた後、結局捕まえられなかったと彼らが肩を落としたのはつい先程の事である。

 窮地に駆け付けたグランの活躍によって無事に終えたと言ってもいい今回の盗難事件。怪盗コンビ撃退後、『紅蓮の小冠』を取り戻していた事に対してグランが一同に労いの言葉をかける中、そんな彼の姿を見てラウラとフィーは申し訳なくなった。何せ彼女達は怪盗Gが現れた際、その人物を前に心の中にてグランなのではないかと疑っていたからである。自分達の窮地に駆け付けてくれた彼に対して何だか申し訳ない、それが現在二人がグランに向けて頭を下げている理由だった。

 

 

「今回の盗難事件、少しばかりそなたの事を疑っていたのだ。仲間を疑うなどどうかしていた、この通り謝らせてほしい」

 

 

「そういうこと」

 

 

「そんな事か……気にすんなよ。極秘裏に怪盗Bの事を探ってたんだ、怪しむのも無理はない」

 

 

 表情を曇らせて話すラウラとフィーに対し、グランはその場を立つと慰めるように彼女達の頭へ手を置いた。柔らかな笑みを浮かべながら、気落ちするなと声をかける。

 そんな三人の様子をリィン、マキアス、エリオットの三人は微笑ましいなと見守り、ラウラとフィーは頭の上に感じる温もりに何とも言えない恥ずかしさを覚えながら、僅かに頬を紅潮させるとその顔を俯かせた。

 

 

「(言えねぇ、自分の分け身叩き斬って騙したなんてとてもじゃないが言えねぇ……)」

 

 

 ラウラとフィーがグランの存在を改めて頼もしく感じている中、当の本人の心の中では彼女達にとって余りにも不憫な真実が呟かれているのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 怪盗Bの出した試練を見事乗り越え『紅蓮の小冠』を奪還したリィン達は、ガルニエ地区の宝飾店『サン・コリーズ』の店主であるコーデリアにそれを渡した。彼女の感謝の言葉を耳にして店を出た後、ヴァンクール通りのブティック『ル・サージュ』から受けていた依頼も既に目標歩数を過ぎていたため、その報告に向かうべくガルニエ地区から導力トラムを使ってヴァンクール通りへと移動を開始する。

 ヴァンクール通りのトラム乗り場で降車後、『ル・サージュ』へ訪れたリィン達はハワードへ時間が遅れた事の謝罪をし、ラウラが耐久テストのために履いていた靴を脱いで彼へ提出した。この依頼を受ける前に彼女が履いていた靴はかなり摩耗していたとの事なので、依頼の報酬にとハワードが用意してくれた新品の靴をラウラが身に付けて一同はブティックをあとにする。

 突発で受けた盗難事件を含め、本日用意された課題を全て片付けたリィン達。時刻がそろそろ夕刻に差し掛かろうとしている現在、早めにレポートの作成も終わらしておこうという話になったようで、アルト通りに向かうためにトラム乗り場で導力トラムの到着を待っていた。そして待ち時間の間に六人が談笑している中、突然リィンのARCUSから呼び出し音が鳴り響く。

 

 

「はい、トールズ士官学院Ⅰ年Ⅶ組、リィン=シュバルツァーです」

 

 

≪ハロハロー、頑張ってるみたいじゃない≫

 

 

「その声は……サラ教官?」

 

 

≪ビンゴ、当たり。これも愛の為せる業ね≫

 

 

 リィンは通信先のサラに対して反応に困りながらも、一応彼女の言葉だけは否定しておく。そんな彼の返答にサラは若干不満そうに声を漏らしながらも、話を直ぐに本題へと移した。

 サラによる通信内容は、今からサンクト地区にある聖アストライア女学院に向かってほしいというものだった。帝都の西側を担当するアリサ達B班にも同じ内容を伝えているらしく、リィンは何故女学院に向かわなければならないのか疑問に思うものの、用件を話し終えたサラが突然通信を切ったため理由は分からず。通信を終えたリィンは、直後にA班の面々へサラからの通達を伝えた。

 

 

「『聖アストライア女学院』か……リィンの妹さんも通っているんだっけ?」

 

 

「ああ、確か同学年にアルフィン皇女殿下もおられたはずだ」

 

 

 エリオットの問いにリィンが答えている横で、フィーはリィンの話の中で出された人物の名前に首を傾げていた。アルフィン皇女殿下は誰なのかと。

 彼女の疑問にマキアスが呆れ、エリオットが苦笑いを浮かべる中、外国の人からの知名度はそんなものなのかもしれないとリィンが思い至る。そして首を傾げるフィーに向けて、彼女の傍に立つグランが説明を始めた。

 

 

「皇帝陛下の娘さんだ。確か双子の姉だったか、帝国時報なんかでもよく取り上げられてる」

 

 

「ほう、グランはアルフィン殿下の事を知っていたのだな」

 

 

「顔と名前だけな。会った事は無いし、雑誌や情報屋との話ついでにしか知らない。護衛任務といっても、あのクラスになると近衛兵がいるからな」

 

 

 皇族の人間ともなれば各々専属の護衛や近衛部隊を保持しているため、要人警護の任務をしていたグランでも関わる機会は余り無い。とは言え隣国のリベールの王家の人間とは顔見知りで、仕事上の関係で何度か話した事はあったりする。彼からその話を聞いたリィン達はやはりというか、驚きの表情を見せている。

 そんな風にグランの話を聞いて一同が反応を見せる中、トラム乗り場の前に甲高いブレーキ音を響かせながら導力トラムが停車した。いつの間にかトラム乗り場へ集まっていた帝都民であろう数人の男女が到着したトラムへ乗り、その姿を見たリィン達も同じくトラムの中へと乗り込む。

 トラム乗り場から客が全員乗車したのを運転手が確認後、導力トラムは次の地区を目指して発進する。そして走行する最中、座席に腰を下ろしたグランはこれから向かうサンクト地区の女学院に対して想像を膨らませていた。

 

 

「(『聖アストライア女学院』……何故ここに来てそこなのかはよく分からんが、このタイミングなら間違いなく大物が接触してくるか……まあ、それは兎も角)……女の子しかいないのか」

 

 

「はぁ……グラン、本音が出てる」

 

 

「彼を連れて行って本当に大丈夫なのか?」

 

 

「いや、多分大丈夫じゃない」

 

 

「……」

 

 

 最後にぼそりと呟いたグランの声に隣のフィーがため息を吐き、その前側の席に座るマキアスとリィンは二人揃って頭を抱えている。そして彼らの後ろの席に座っているラウラがグランの座っている席を無言で見詰めるその横では、エリオットが彼女の様子を見て一人苦笑いを浮かべていた。

 

 

「(あはは……リィンもだけど、グランも結構鈍感だよね)」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 帝都ヘイムダル、サンクト地区。七耀教会のヘイムダル大聖堂、諸外国の大使館が集うこの地区には、『聖アストライア女学院』という貴族の子女達が通う学院が存在する。貞淑、清貧を掲げる由緒正しき学院であり、エレボニア帝国現皇帝、ユーゲント=ライゼ=アルノールの娘であるアルフィン皇女も在学し、帝国内で知らない者は殆どいない。

 そしてそんな女学院の内部には現在、此度特別実習にて帝都を訪れているトールズ士官学院のⅠ年Ⅶ組十名の姿があった。東西に分かれてA班、B班と実習課題をこなしていた彼らは担任教官であるサラの通達により、本日用意された課題をそれぞれ終えた後ここ聖アストライア女学院の前へと集合し、案内役として現れたリィンの妹であるエリゼを先頭に女学院の中を進んでいる。

 

 

──あれは、公爵家のユーシス様!?──

 

 

──ラウラ様もおられますわ!──

 

 

──あの眼鏡の女性の方は……何だか羨ましいスタイルですわね──

 

 

 Ⅶ組の面々がエリゼに連れられて学院内を進んでいく道中、その姿を目にした女学院の生徒達は各々会話を交わしている。彼らの姿を見て感想を声に漏らし、リィンの事を格好いいやら頼りになりそうやらという話が聞こえたところでエリゼの表情が不機嫌になったのは流石ブラコンと言ったところか。

 そして集団の最後尾を歩くグランに対しても女学院の生徒から感想が囁かれる。

 

 

──後ろを歩いている赤い髪の男性、先程から目を閉じたままですがどうしたのでしょうか?──

 

 

──ええ、ですがその姿が何だかとてもミステリアスでいらっしゃいます。あの方からは一際特別なオーラを感じるというか──

 

 

「む……」

 

 

「……」

 

 

 女学生達の呟きが耳に入ったのか、ラウラの表情が僅かに不機嫌な様を浮かべ、その隣を歩くエマも無言ではあるが瞳を伏せて同様の顔を浮かべていた。そしてその間もグランは何故か目を閉じたままである。

 ではどうしてグランが瞳を閉じたままなのか。実は彼らが女学院の中に入る前に、グランに対してラウラとエマの二人から忠告があった。

 

 

──グラン、そなた中に入って大人しく出来る自信はあるか?──

 

 

──無い──

 

 

──では中に入ったら目を瞑って下さい。いいと言うまで開けてはだめですよ──

 

 

 つまり女学院の中に入ってから彼が士官学院の時と同じように問題を起こしてはいけないため、ラウラとエマの思い付きによりグランは目を閉じている訳である。女学生がグランから感じた特別なオーラも、彼が開きそうになる目を必死に堪えながら負のオーラを漂わせているだけあり、特別でも何でもない。

 因みに、どうしてグランが二人の忠告を素直に聞いたのか。それは無論、彼女達から無言の圧力を受けたからである。

 

 

「なあ、もう目を開けてもいいか?」

 

 

「まだだ」

 

 

「ダメです」

 

 

 結局、目的の場所へと到着するまでグランの目が開く事はなかった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「姫様、お客様をお連れしました」

 

 

──ありがとう、入っていただいて──

 

 

 エリゼの案内により女学院内を進んだ一同。学院の中にある屋内庭園、この学院の薔薇園に当たる場所へと案内された彼らは現在、扉の向こう側から聞こえてきた少女の声に驚きを隠せないでいた。わざわざこのような場所へ非公式に呼び出し、尚且つエリゼが扉の先にいる人物へ向けて口にした言葉が『姫様』である。かの皇女がこの学院に在学しているという事もあって、リィン達の脳裏に一つの可能性が過った。そんな彼らの反応を見たエリゼも想像通りだと述べ、彼女に連れられてⅦ組メンバーは薔薇園の中へと入る。

 薔薇園に入って直ぐ、一同を出迎えたのは濃い金髪をした十五才ほどの少女であった。エリゼと同じく女学院の制服を着用したその少女はスカートの裾を持ち上げると、驚いた様子のリィン達へ向けて僅かに頭を下げる。

 

 

「初めまして、トールズ士官学院の皆さん。私の名前はアルフィン、アルフィン=ライゼ=アルノールと申します」

 

 

 皇族の一人であるアルフィン皇女の登場、リィン達が驚くには十分な理由だった。彼らが反応に困る最中、Ⅶ組をこの場所へ呼び出したアルフィンは悪戯な笑みを浮かべた後に一同を紅茶の用意されたテーブル席へと案内する。リィン達が各々席へと座わり、彼らを案内したアルフィンとエリゼの二人も同時に席へ腰を下ろす。全員が席に着いたところで控えていたメイドがそれぞれのティーカップへ紅茶を注いだ。

 そしてアルフィンは左隣で不機嫌そうにそっぽを向いているエリゼを見て微笑んだ直後、右隣に座っているユーシスとラウラへ視線を移しながら口を開いた。

 

 

「ユーシスさんとラウラさんはお久しぶりですね。お二方ともお元気そうで何よりです」

 

 

「殿下こそ、ご無沙汰しておりました」

 

 

「以前お会いした時よりも更にお美しくなられましたね」

 

 

「ふふ、ありがとう」

 

 

 普段の態度からは想像が付かないほど穏やかな声で返すユーシスの隣、性別が違っていれば口説いているのではと疑うほどのラウラの言葉に戸惑う事なくアルフィンも返している。悠然としたその対応は流石皇女と言ったところか。

 そして二人との会話を終えたアルフィンは、未だに顔を背けているエリゼの方へと顔を向けた。

 

 

「エリゼ、そろそろ機嫌を直して?」

 

 

「知りません……!」

 

 

 小首を傾げながら謝るアルフィンの視線の先では、彼女に見向きもせずにエリゼが不機嫌な様を隠す事なく声を上げる。どうやらエリゼはリィン達がここへ来る事を知らされていなかったようで、その事が彼女にとっては不満だったのであろう。とは言え不機嫌と言ってもそこまで怒っているようには見えないので、恐らくは大好きな兄が来るという事を一言も話さなかったアルフィンに対して少々不貞腐れているだけだとは思うが。

 そしてそんな彼女達のやり取りを見て他のメンバーが反応に困っている中、リィンは一人エリゼの顔を見ながらある事を思い返していた。

 

 

──私の方といえば日々、つつがなく暮らしております。大切な友人にも恵まれ、充実した毎日を送っています。ですからどうかご心配なく──

 

 

「(そうか、エリゼが手紙で言っていたのはアルフィン殿下の事だったのか)」

 

 

 彼が思い返していたのは、数ヶ月前にエリゼから送られてきたという手紙の内容であった。リィン自身エリゼの大切な友人というのがまさかアルフィンだった事に多少の驚きはあるものの、仲睦まじい二人の様子を目にし、エリゼが女学院で楽しい日々を過ごしているという事を認識して安堵の表情を浮かべる。

 そしてそんな風にリィンが二人を交互に見ている中、その視線に気が付いたのかアルフィンが彼と視線を合わせた。

 

 

「ところで、リィン=シュバルツァーさん。お話は予々、妹さんからお聞きしています」

 

 

「自分も、妹から話は聞いていました……『大切な友人に恵まれた』と。兄として、一言お礼を言わせて下さい」

 

 

「兄様……」

 

 

 アルフィンの声に笑顔を浮かべながら返すリィンの横、そんな彼をエリゼは頬を僅かに紅潮させて見上げている。二人の様子を傍で見ていた他の面々は、本当に仲の良い兄妹だなとその頬を弛めた。

 そしてリィンによる感謝の言葉を受けたアルフィンはというと、彼女はリィンの顔を見詰めながらエリゼと同じくその頬を紅潮させ、両手を当ててうっとりとした表情を浮かべている。

 

 

「これは、妹さんから聞いていた通り……ううん、それ以上ですわね。あの、リィンさん。私の方からお願いがあるのですけど……」

 

 

「はい?」

 

 

「その、リィンさんの事を妹さんから聞いている内に、何だか他人とは思えないようになってしまって。迷惑でなければで良いのですが、今後妹さんに倣ってリィン兄様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」

 

 

 そしてこの爆弾発言である。リィンとエリゼは突然の彼女の申し出に驚きの表情を見せ、リィンに至ってはその様子から半分動揺の色が見えていた。他の皆が苦笑いを浮かべる中でアリサだけは一人リィンにジト目を向けているが、今回に関して言えばリィンに責任は無い。

 動揺しながらも畏れ多いとアルフィンに返すリィン、そんな彼に対して自分にも兄がいるから直ぐに慣れると話すアルフィン。どうなるかと思われたこの一幕、我慢の限界が来たエリゼの一言で直ぐに片付いた。

 

 

「姫様、いいかげんにしてください」

 

 

「……エリゼのケチ、ちょっとくらいいいじゃない」

 

 

 恐ろしく満面の笑みを浮かべて忠告するエリゼを見て、アルフィンは拗ねたようにその顔を俯かせた。リィンからすれば皇族の人間に兄様と呼ばれるのは色々と問題があるので、兎に角呼ばれずに済んで良かったと胸を撫で下ろしている。

 皇族という人間に対しての想像と現在目の前にいる実物が大きく異なっていたのか、一連の出来事を目の当たりにして困惑した様子のⅦ組一同。そしてここまで終始瞳を伏せていたグランが、アルフィンの顔をその目に捉えて突然口を開く。

 

 

「皇女殿下、そろそろ本題に入って頂いても宜しいでしょうか」

 

 

「え、えっと、貴方は……」

 

 

「トールズ士官学院特科クラスⅦ組所属、グランハルト=オルランドです。殿下が御自分の兄から話を聞いているのであれば、こう言った方が分かりやすいかもしれませんね──『紅の剣聖』グランハルトと」

 

 

 普段の親しみやすい雰囲気とは一変、皇族に対する最低限の言葉遣いながらも敬う気配の一切無いグランの自己紹介。彼の話す姿を眺めていたリィン達も今までの様子とは打って変わって動揺し、内心冷や汗をかきながら二人のやり取りを見詰めている。

 一方で不敬とも取れるグランの態度を目の前に、アルフィンは納得した様子で頷いていた。その顔に苦笑を浮かべながら、彼の自己紹介に返す。

 

 

「そうでしたか、貴方があの『紅の剣聖』……お噂は兄から聞き及んでいます。噂通り、聡明でいらっしゃるのですね」

 

 

「聡明なら皇女殿下相手にこのような失礼な態度は取りませんよ。先程から感じる気配に疑問を抱いただけです」

 

 

──フフ、やはり君には気付かれていたか──

 

 

 グランとアルフィンの対話が行われている中、突然男性の声と共にリュートの奏でる調べが一同の耳へと聞こえてくる。直後に隣接する建物へと続いている扉が開かれると、そこからはアルフィンと同じ髪色の青年がリュートをその手に抱えながら入室してきた。

 突如として現れた青年に対してリィン達が各々反応に戸惑いを見せる中で、その青年は立ち上がったアルフィンの隣に並ぶと前髪を掻き上げて一同の顔を見渡す。

 

 

「本当は愛の狩人なんだが、ここでそれを言うと洒落にならないから止めておこう……オリヴァルト=ライゼ=アルノール、通称『放蕩皇子』さ。宜しく、Ⅶ組の諸君」

 

 

 思いもよらない大物の登場に、グランを除くⅦ組の面々は驚きを隠せないのであった。

 

 

 




アルフィン好きな方々、グランの代わりに謝ります、ごめんなさい。グラン自身彼女を嫌っている訳ではないのですが、ちょっとした理由で失礼な口の聞き方になってしまっています。原因はオリヴァルト皇子、もといオリビエなのですが、その理由は次回行われる会食にて明かそうと思います。しかし考えてみるとグランはリィン達を見倣わなければいけませんね、特に貴族嫌いを克服したマキアスとか。
そして怪盗Bの一件でグランを疑っていた事に罪悪感を覚えてしまうラウラとフィー、グランは本気で彼女達に謝らないといけません。いつか本当の事がバレて報いがあればいいなぁ、と主人公の彼に対して思ったりします。そしてバレた時は皆さんでこう言いましょう、『グランざまぁw』と。
最後に、以前感想欄にてグランの過去が複雑すぎるよおおおぉぉぉ!とお話を頂いたので、活動報告にて詳細を纏めております。彼の過去を整理しておきたい方はお目を通し下さいませ。因みに本編でグランの事が明かされ次第、随時更新していきます。


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『放蕩皇子』の真意

 

 

 

 聖アストライア女学院内部、会食の場として用意されている一室へ設けられた縦長のテーブル席には現在、Ⅶ組一同とエリゼ、この場を設けたであろうアルフィンとオリヴァルトの計十三名が席を連ねていた。オリヴァルトの登場の後、理解が追い付かない中薔薇園から会食の場へと招かれたリィン達は、テーブル席にそれぞれ座らされて直後上座に座っているオリヴァルトを見据える。そして彼らの視線を一身に受けたオリヴァルトは、一同の顔を見渡しながら口を開いた。

 

 

「改めて挨拶させてもらおう。オリヴァルト=ライゼ=アルノール……トールズ士官学院の理事長をやらせてもらっている、宜しく頼むよ」

 

 

 まず初めにオリヴァルトが話したのは、彼がトールズ士官学院の理事長を務めているという事。元々トールズ士官学院の理事長職は皇族の人間が務める慣わしになっており、名ばかりの理事長として自身がその職務を受け持っていると。世間を騒がせている『放蕩皇子』が士官学院の理事長をやっているのは、余り聞こえが宜しく無いだろうと彼自身が口にした時は一同も反応に困っていた。

 そして次に、Ⅶ組設立を決めた人物がオリヴァルト自身だという事。名ばかりであった彼が学院の運営に関わるようになったその理由、本人の談によれば一昨年のリベール旅行が原因らしい。

 

 

「『リベールの異変』……あの危機における経験が、帰国後の私の行動を決定付けた。そして幾つかの悪あがきをさせてもらっているんだが……」

 

 

「なるほど……その一つが、Ⅶ組設立という訳か」

 

 

「ああ、その通りさ」

 

 

 そして突然、オリヴァルトの対面の下座に座っているグランが不機嫌な様を隠す事なく話を遮る。彼の失礼極まりない態度にオリヴァルトが笑みを浮かべて返す正面、グランの隣の席に着いているエマは冷や汗を流しながら彼を注意するが効果は全くと言っていいほど無い。

 アルフィンやエリゼ、Ⅶ組の面々がどうなる事かと内心冷や冷やしている最中。いつの間にか一同に視線を向けられている事を知ったグランは、突如瞳を伏せてその場を立った。

 

 

「……皇子殿下の仰りたい事は大体分かりました。これ以上は聞く必要も無い、先に失礼させてもらう」

 

 

「うーん、出来れば君にも聞いてもらいたかったんだが」

 

 

 席を立ち、後方の扉に向かって歩き出したグランの後ろ姿を見て苦笑いを浮かべるオリヴァルトの視界の両端。グランのクラスメイトであるリィン達は気まずい空気の中、不敬な言動をした彼の代わりにオリヴァルトへと頭を下げた。オリヴァルトはそんな彼らを再び見渡した後、気にする事は無いと一言告げて話を本題へと戻す。

 そして、Ⅶ組設立の本当の理由がオリヴァルトによって語られ始めた最中。ラウラは一人、グランが退室した扉を心配そうに見詰めていた。隣に座っているフィーは彼女の様子に気付いたようで、周囲に聞こえないようにラウラに向けて小声で言葉を投げ掛ける。

 

 

「ラウラ、行ってあげて」

 

 

「いや、しかし……」

 

 

「ラウラさん、行ってあげて下さい。グランさんにも何か事情があるんだと思います」

 

 

 ラウラが迷っているところへ、フィーだけではなくエマからも小声で後押しが掛かる。この二人も、内心ではラウラと同様にグランの事を心配しているのだろう。ただ、彼の相手ならばラウラが一番だと考えたようだ。

 そして小声とは言え彼女達の話し声は当然のごとく周囲にもバッチリと聞こえており、オリヴァルトの話も中断されて三人の元へ視線が注がれていた。いつの間にか自分の身に視線が集中している事に気付いたラウラは、恥ずかしさで少し頬を染めながらゆっくりと席を立ち上がる。

 

 

「申し訳ありません、殿下。少し席を外させていただきます」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「まさかあの男が理事長だったとはな……完全に入学する場所を間違った」

 

 

 聖アストライア女学院正門前。会食の場を抜け出したグランは現在、夕闇の広がる帝都の空を見上げた後にため息を吐くとその場で項垂れていた。成り行きで入学したトールズ士官学院に思わぬカラクリがあった事に落ち込み、それはもう本気で学院を退学しようかと考えるくらいに。

 この後会食が行われている場に戻る訳にもいかず、顔を上げたグランはどうしようかと頭を捻る。そんな折、彼は背後から突然何者かの気配を感じた。

 

 

「……ラウラか。良いのか? 皇子殿下の話を聞かなくて」

 

 

「殿下には断りを入れてきた。そなたの事が気になってな」

 

 

 グランの振り向いた先には、先程彼を追うように会食の場から抜け出してきたラウラが苦笑を浮かべながら歩み寄ってきていた。彼女はグランの横に並ぶと歩みを止め、首を傾げている彼の顔を見詰めた。

 そして、途端に曇りを見せ始めたラウラの表情を見てグランは今更ながら彼女に気を遣わせてしまった事に気付く。彼はバツが悪そうに頭を掻いた後、ラウラの顔を視界の端に映しながら帝都の空を見上げた。

 

 

「……二年程前だ。オレが皇子殿下と……いや。旅の演奏家オリビエと会ったのは──」

 

 

 ラウラは突如語り始めたグランの顔を見ながら、その話を一言一句逃さまいと耳を傾けた。彼の話は、二年程前にグランが仕事の関係でリベール王国を訪れた時にまで遡る。

 当時彼が護衛任務を受け持った際、護衛対象の人物と共に温泉で有名なエルモ村へ立ち寄ったのだが、グランはその村にある旅館の中でリベール旅行中のオリヴァルトと偶然にも出くわした。

 

 

──ダメ、もう飲めない──

 

 

──相変わらず情けないわね~、男ならもっとシャキッとなさい!──

 

 

──シェ、シェラ君。背中叩かないで……うっぷ──

 

 

「苦しそうな奴を助けたのが全ての間違いだった。お陰でヴィータさんと二人『銀閃』との飲みに巻き込まれて、挙げ句の果てには朝までコースに付き合わされた」

 

 

「……」

 

 

「オリビエはいつの間にか書き置きを残して消えていてな。何が『少年よ、後を頼んだよ(ハート)』だ! 結局朝になって酔い潰れた二人を面倒見た後、トラッド平原の魔獣退治まで片付けるはめになって……遊撃士の尻拭い何か初めてしたぞ……!」

 

 

 話す内に余程怒りが込み上げてきたのか、グランは額に青筋を立てながら右の手を握り締める。恐らくオリヴァルトが今目の前に現れたら問答無用で殴り掛かる事だろう。

 そして、無言で話を聞いてくれているラウラも自分に同情してくれているのだろうとグランは彼女の顔へ視線を移す。しかし彼の予想は全く当を得ておらず、ラウラはグランの話に終始呆れ返っていた。今度は彼の視線を受けたラウラが額に青筋を立て、半目でグランを睨み返す。

 

 

「……そなたの心配をした私が愚かだった」

 

 

「あはは……冗談だよ。実際その恨みがあるってのは嘘じゃ無いが」

 

 

 ラウラの鋭い視線を受けて、苦笑しながら冗談だとグランは話した。そんな彼に対してラウラはため息を一つこぼした後、改めて疑問に感じていた内容を問う。グランは何故、突然会食の場から抜け出したのかと。

 そしてグランは彼女の問いに対し、さも当然のように返す。

 

 

「だからあの時言っただろ、言いたい事は分かったから聞く必要も無いってな。大方あの場でⅦ組設立の理由でも話そうと思ってんだろ」

 

 

 彼の返答にラウラは納得の表情を浮かべていた。今回の会食で、Ⅶ組を設立したのは自分だとオリヴァルトが明かした時点で話の流れは概ね理解出来る。次の話題は、何故Ⅶ組のような特殊なクラスを立ち上げたのかという内容になるからだ。士官学院入学初日に行われたオリエンテーリングにてARCUSの試験運用と説明を受けたとは言え、毎月行われる特別実習などはその理由に該当しない。その疑問を抱かない者はいないだろうし、ラウラ自身その疑問はⅦ組で特別実習を経験していく中で抱いていた。

 だが、それにしてはグランの言動に対して腑に落ちない点がある。それは彼が、オリヴァルトの言おうとしていたⅦ組設立の理由を理解している点だ。Ⅶ組を設立した本当の理由、そればかりはあの場で行われた僅かなやり取りで分かり得る筈がなかった。故にラウラは疑問に思う。

 

 

「グランは、殿下がⅦ組を設立なされた理由を知っているのか?」

 

 

 彼女はその疑問を率直に問い掛けた。何故知っているのかなどとラウラは問わない、今の自分では彼の思考回路に追い付く事が出来ないと分かっているからだ。だから今は彼の見解を聞いた後、会食の場でリィン達がオリヴァルトから聞かされているであろうⅦ組設立の理由を彼らにも聞いておこうと思い至る。

 途端に表情を真剣なものへと変えたラウラの様子にグランは笑みをこぼしつつ、再び夕闇に染まった空を見上げる。そして、バリアハートの特別実習の際に自身が辿り着いた一つの答えを口にした。

 

 

「あの男がⅦ組を作ったのはな、帝国の現状に横槍を入れるためだろうよ」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「リベールからの帰国後、私が行おうと決めた幾つかの悪あがき。その内の一つが、士官学院に『新たな風』を巻き起こす事だった」

 

 

 女学院の正門前にてラウラがグランから事の事情を聞いている最中。リィン達が残っている会食の場では現在、オリヴァルトによってⅦ組が設立された本当の理由が話されていた。彼がリィン達Ⅶ組に馳せている真の想いを。

 帝国では現在、貴族派と革新派の二大勢力が互いに対立している。その中でも革新派のトップであるオズボーン宰相は帝都民から絶大な支持を受け、武力の面においても正規軍の七割を掌握するに至っており、勢力図で見ても革新派の優位は明らかだ。実質、革新派の思惑通りに事が進んでいるという現状であった。

 しかし、貴族派がそれを黙って見ているはずがない。着々と軍備を拡張し、来るべき日に向けて備えている。貴族派と革新派の対立が行き着いた先、内戦という最悪の事態へと。リィン達も、特別実習の中でその現状は嫌というほど思い知らされた。

 

 

「帝国における貴族派と革新派の対立だけではない。帝都と地方、伝統と宗教に技術革新。そして帝国以外の国や自治州までも……現実には、様々な『壁』というものが存在する。私はまず、君達にそれを知ってもらいたかった」

 

 

 西ゼムリア大陸が抱えている様々な『壁』、オリヴァルトはそういった現状をリィン達に見せたかったのだ。それを認識させる事で、その『壁』を目の前にする事でどう考えるか、現状をどう捉えるのかを図りたかった。

 そしてもし、彼らが壁に立ち向かい、乗り越えようとする意志を見せたのならば。特別実習ほど向いているカリキュラムは他に無い。

 

 

「この激動の時代において、あらゆる『壁』から目を背けず、自らが主体的に考え行動する。そういった資質を、君達若い世代に期待しているのだよ」

 

 

 その力を、資質を伸ばすために特別実習は行われている。その話を聞いたリィン達自身、そういった手応えがあるのは確かだった。貴族や平民といった身分に関係なく集められたⅦ組、個々に様々な事情を抱えながらも乗り越えてきた彼らには納得のいく理由だ。

 そしてオリヴァルトは、Ⅶ組の運用からは既に手を引いている事も明かした。にも関わらずこの場を用意してリィン達を呼んだのは、あくまで自分の想いを伝えるため。Ⅶ組設立を提案した者として、この想いだけは伝えておきたかったと彼は話す。

 しかしそんなオリヴァルトの話を聞いた中で、現在Ⅶ組が置かれている状況に対しての疑問が、リィンにはまだ残っていた。

 

 

「お話を聞かせて頂いてありがとうございます。改めて、自分の中の芯が一本通ったような心境です。ですがお話を聞く限り、自分達が期待されているのはそれだけではないようですね」

 

 

「ほう……」

 

 

 リィンが話した疑問に、オリヴァルトは感心したように声を漏らしていた。ユーシスやマキアスも同様の疑問を抱いていたのか、リィンの話に頷いている。

 彼らが疑問に思うのも無理はなかった。理事長であるオリヴァルト以外にも、トールズ士官学院に三人の常任理事が存在する事はリィン達も知っている。マキアスの父親であり、帝都庁長官と帝都知事の肩書きを持つカール=レーグニッツ。アリサの母親であり、ラインフォルト社の会長を務めているイリーナ=ラインフォルト。ユーシスの兄であり、アルバレア家の長男に当たるルーファス=アルバレア。この三人は間違いなく、オリヴァルトとは異なる思惑を持っているだろう。

 そして中でも、マキアスの父親レーグニッツ知事とユーシスの兄であるルーファスは、革新派と貴族派として互いに対立する立場である。この二人だけを見ても、違う思惑を持っている事は容易に想像が付く。

 

 

「君達も知っての通り、常任理事の中でもレーグニッツ知事とルーファス君は互いに対立する立場にある。イリーナ会長はARCUSや魔導杖の技術方面で関係しているが、その思惑は私にもよく分からない。先程も言ったようにⅦ組の運用は私から外れ、三人の理事達に委ねられている……そして特別実習の行き先を決めているのは他でもない、彼らなのさ」

 

 

「そうだったんですか……」

 

 

 オリヴァルトの話に驚いた様子で声を漏らすリィンの周囲。アリサやエリオット、その他Ⅶ組のメンバーも一様に驚きを見せていた。Ⅶ組設立の発起人であるオリヴァルトを除いて運用される現在の状況、確かにそれぞれ違う狙いを持っていると考え至るのは当然である。

 

 

「Ⅶ組を設立するにあたり、彼らから譲れない条件として提示されたものでね。正直躊躇いはしたものの、それでも我々は君達に賭けてみる事にした。君達が、帝国の抱える様々な『壁』を乗り越える“光”となる事を──」

 

 

 だが、それも自分達の勝手な思惑に過ぎないと彼は続ける。リィン達はあくまで、士官学院生として青春を謳歌するぺきだろうと。彼がⅦ組に向ける期待も、常任理事の三人がⅦ組に抱く思惑も、結局のところは一方的な考えに他ならない。リィン達はリィン達で、あくまでも自分達のために学院で時を過ごすべきである。青春というものは、人生の中でも今のリィン達にしか味わえないものなのだから。

 

 

「あはは……」

 

 

「そう言って頂けると、少しだけ肩の荷が降りました。ですが、殿下は先程“我々”と仰いましたが……他にも、殿下の考えに賛同する方々が?」

 

 

 安堵の様子で苦笑いをするエリオットの左、不意にアリサから疑問の声が上がった。士官学院に新たな風を巻き起こしたいというオリヴァルトの想い、彼の発言からそれに賛同する同志が他にもいるのだろうかと疑問を抱いたのだ。

 そして問いに対してオリヴァルトが口にした人物の名は、リィン達にとっても実に馴染みのある者の名前だった。

 

 

「ああ、ヴァンダイク学院長の事さ。元々私もトールズの出身で、あの人の教え子でね。Ⅶ組設立にも全面的に賛同をしてくれてたんだ」

 

 

「なるほど……確かに、学院長には色々とお世話になっているな」

 

 

「はい、ヴァンダイク学院長には何かと配慮して頂いていますね」

 

 

 ヴァンダイクとの関係を聞き、納得の表情を浮かべながら頷くガイウス。 彼の言葉を肯定するようにエマも続き、他の者達も同意見のようだった。自由行動日の恒例になっている旧校舎の調査などは特に、危険と知っていながらもⅦ組の成長のために調査の依頼をリィン達に出すといった配慮まで行っている。彼らがここまで一歩一歩進んでこれたのも、ヴァンダイクによる協力があってこそのものである。

 

 

「Ⅶ組の運用方針に口を出せる立場ではないが、理事会での舵取りなども行ってくれている。そして何より、彼は現場に最高のスタッフを揃えてくれたからね」

 

 

「えっと……サラ教官の事ですか?」

 

 

「彼女だけではないがね。だが、ヴァンダイク学院長が彼女を引き抜いたのは非常に大きかっただろう。帝国でも指折りの実力者だし、彼女の経歴を見てもこれほど特別実習にうってつけの人材はいないだろうからね」

 

 

 リィンの問いを受けて笑みを浮かべながら答えるオリヴァルトに対し、なるほどとリィン、アリサ、エリオットの三人は頷いた。ケルディックでの特別実習にてグランからサラの経歴を知らされている三人は、遊撃士の過去を持つ彼女なら間違いなく適任だと思えるからだ。フィーも猟兵をしている時期にサラと出会っているため彼女の過去は知っており、リィン達三人と同意見だろう。

 だが、残された四名はそんな事など知りもしない。マキアス、ユーシス、ガイウスにエマは四人とも同様に疑問を抱き、オリヴァルトの話にも今一理解した様子を見せていなかった。故に、彼らの疑問にオリヴァルトは答える。

 

 

「帝国遊撃士協会にその人ありと言われた若きエース。最年少でA級遊撃士になった恐るべき実力の持ち主──『紫電』のバレスタイン。それが君達の担任教官さ」

 

 

「サ、サラ教官は遊撃士だったのか」

 

 

「A級遊撃士……事実上の最高ランクか。まさかあの教官にそのような経歴があったとはな」

 

 

 この場で初めてサラの経歴を知ったマキアスとユーシスは共に驚き、ガイウスとエマに至ってもそれは同様だった。とは言え彼女の実力の高さを知っている彼らからしたら納得のいく過去であり、驚きを見せたのもほんの僅かである。次に口々に呟かれた言葉は、あれで遊撃士が務まるのかというユーシスによる発言を初めとした散々なものであった。笑い声を漏らすオリヴァルトを除いて、学院でのサラを知らない皇族一人と女学生一名は苦笑いを浮かべるのみである。

 

 

「ハッハッハッ……まあ、サラ教官の私生活における問題点は兎も角として。彼女を士官学院へと引き抜いた事により、私にとっては嬉しい誤算があってね。グラン君の過去は本人から聞いているかい?」

 

 

「えっと……はい。猟兵として要人警護の仕事をしていたのは知っています。それにしても……嬉しい誤算、ですか?」

 

 

「ああ。サラ教官が彼を士官学院へと導いた事は、私が理想の形として実現させたⅦ組において更なる恩恵をもたらしてくれる結果となった」

 

 

 オリヴァルトの問いにリィンが代表として答え、他の者達に戸惑うといった反応が無いところを見ると、彼が嬉しい誤算と称する人物がこの場にいない少年の事だと既に彼らは理解している。ラウラが先程追いかけた、今のⅦ組において必要不可欠な彼を脳裏に過らしている事だろう。

 学院では問題を起こす事の方が多いが、年相応の少年のようでありながら、窮地を向かえると普段とは打って変わって頼りになる存在。これまで自分達Ⅶ組が『壁』にぶつかった時、一歩前を進んでは引っ張ってくれていた頼もしい仲間の一人。

 

 

「東のカルバード共和国を初め、帝国と共和国の二国間に挟まれたクロスベル自治州、猟兵の雇用を禁止していた帝国南部のリベール王国でさえその存在を認めた。要人警護の仕事上、西ゼムリアの首脳陣クラスと人脈を持ち、齢十六にして剣聖の名を冠された稀代の天才──」

 

 

 各国の重鎮達のみとは言え、大陸規模に渡るというグランの知名度には一同も驚かないはずがない。マキアスに至っては口をパクパクさせて開いた口が塞がらない状態である。

 ただ、その中でもフィーだけは驚いた表情こそしているが周りほど戸惑ってはいない。直ぐに普段通りの表情へと戻り、その時の彼女の顔はどこか嬉しさに染まっているようにも感じ取れた。実の兄のような彼が誉められて、フィーにとって嬉しくないはずがないのだろう。

 そしてオリヴァルトがリィン達へ向けて話したその内容に込められた意味は、グランという人物の存在の大きさと、彼がⅦ組の中で期待されている役割についてのものだった。

 

 

「『紅の剣聖』グランハルト。それが、君達と共に学院生活を過ごしている彼の総評であり、帝国の現状において抑止力になり得る可能性を持つ人物の一人さ」




はい、ごめんなさい。アルフィンとエリゼがまさかの空気……だってⅦ組の設立理由の回だもん!(開き直り)

空の軌跡FC後に当たるのでしょうか。オリビエが温泉巡りしていた時にグランは一度会っていたりします。そしてグランの猟兵としての仕事は要人警護が主なので、各国の重鎮クラスからは評価が高いです。年齢を考えたら相当優秀だなって感じの評価ですね。ただ士官学院に来てからの彼を見せたら評価が総じて下落しそう……因みに民衆からの知名度は低めです。

そしてちゃっかり出ちゃった深淵さんの名前。た、ただの護衛任務だから……(震え声)



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当たり前の日常を

 

 

 

 トールズ士官学院一年、特科クラスⅦ組。オリヴァルトによって明かされたⅦ組設立の真の理由。リィン達に託された思いや期待というのは、彼らの想像以上に大きなものだった。帝国の現状を変える光となる、勿論今のリィン達ではそれほどの存在になる事は出来ないだろう。

 しかし、人は前に進む事で成長する無限の可能性を秘めた生き物である。肉体的にしろ、精神的にしろ、今のリィン達にはまだまだ成長の余地があるのだ。今は出来なくとも、彼らが歩む事を止めない限り、必ず光となる日も訪れる。

 だから今はひたすらに前を、自分達の信じた道を進んでいく。そうする事で、彼らはいつの日か帝国の抱える様々な『壁』を乗り越える事が出来るだろう。

 そして、現在女学院の正門付近でラウラに話をしているグランもまた、オリヴァルトがリィン達に託そうとしている思いに気付いている。彼なりの解釈を混じえながら、ラウラは会食の場で聞くはずだった内容をグランから聞かされていた。

 

 

「今の帝国を変えるために必要なのは、Ⅶ組のような存在なんだろう。だからこそ、ラウラ達なら帝国の現状を変えてくれる……そんな期待を、あの男はしてるんだよ」

 

 

「殿下が、私達にそのような期待を……」

 

 

「まあ、あまり気負いする事も無いだろう。お前達なら必ず、あの男が思っている以上の結果を出す事が出来る筈だ。期待や思い何てものは考えずに、今はただ前へ向かって進めばいい……自分の信じる道をな」

 

 

 グランは笑みをこぼし、隣で胸に手を当てているラウラに向かってそう話した。結局は自分の人生なのだ、オリヴァルトの思いや期待何かは関係ない。自分の信じる道を進まないでどうするんだと。思いもよらない自分達へ託された大きな期待、そんな重圧に心が少しだけ弱気になっていたラウラは彼の言葉で勇気を取り戻した。

 グランの話す通り、今はひたすらに自分の信じる道を進もう。そんな風に心に決めたラウラだったが、直後に彼女はとある疑問を抱いた。

 

 

「グラン……そなたの言葉が妙に他人事に感じるのは気のせいか?」

 

 

 そう、グランは先程『お前達』と言った。彼の話を信じるのなら、オリヴァルトが期待するⅦ組にはグランもいる筈である。なのに彼の話す内容は余りにも他人事だった。

 ラウラがグランの言葉に違和感を覚える中、問われた本人は彼女の顔へ一度視線を移し、いつの間にか闇に覆われていた帝都の空を見上げる。自嘲的な笑みを浮かべたその顔は、ラウラに一抹の不安を過らせた。

 

 

「……何、大した事じゃない。あくまでオレもⅦ組の一員だと思ってる」

 

 

「ふむ……? そうか、それならば良いのだが」

 

 

 彼の返答を受けて心の奥底に何かが引っ掛かるものの、最低限求めていた答えを聞けたラウラは首を傾げながらも納得した。直後に足音を耳にした両者は振り返り、オリヴァルトとの話を終えたリィン達が歩み寄ってきている事に気付く。

 彼らを見送りに来たであろうエリゼが一同に挨拶を交わす中、彼女は何故かリィンの事を無視してその場を立ち去った。リィンに声を掛けられても無言を貫く彼女によって正門は閉じられ、リィンが一人困惑する中周りの皆は苦笑いを浮かべる。

 

 

「エリゼの嬢ちゃん何か機嫌悪かったな。リィン、お前またやらかしたのか?」

 

 

「いや、俺としても心当たりがないんだが……」

 

 

 グランに問われて困ったように頭を掻くリィンの周囲、アリサを筆頭にⅦ組の全員がため息をこぼしていた。実はオリヴァルトの話が終わった後、アルフィンが明日にマーテル公園のクリスタルガーデンで行われる園遊会のダンスの相手をリィンにお願いしたのである。結局アルフィンはリィンを相手にするのを諦めたらしいのだが、あくまで今回はという事のようだ。来年彼女はエリゼと同じく十六の年を迎え、社交界デビューをする事になるという。それまでに考えておいてほしい、それがアルフィンの妥協であった。

 一連の出来事にエリゼが機嫌を損ねるのも仕方がないと言えば仕方がないのだが、リィンに責任が無いと言えばそれも正しい。しかしリィンに自覚が全く無いという一点が、彼を悪者にする理由なのだろう。無自覚もここまで過ぎると呆れを通り越して尊敬する、とはユーシスの談である。間違っていないので誰もリィンをフォローする事は無かった。

 そんなユーシスの言葉にリィンを除く皆が苦笑を漏らす中、そろそろ宿場に戻ろうとグランが一同に向かって意見を述べる。そしてそんな折、彼らの耳にはふと聞き慣れた人物の声が聞こえてきた。

 

 

「いたいた、どうやら殿下の話は終わったみたいね」

 

 

「サラ教官……と、クレア大尉?」

 

 

「ふふ。こんばんは、Ⅶ組の皆さん」

 

 

 女学院正門前、リィンが首を傾げる視線の先。階段を上がって一同の前に現れたのは、サラとクレアという珍しい組み合わせの二人だった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「明日から行われる夏至祭。初日の各イベントに皇族の方々がご出席なされる事は皆さんもご存じかと思います」

 

 

 ヘイムダル駅、鉄道憲兵隊司令所内部。ブリーフィングルームの中では現在、クレアによる明日の夏至祭に関する説明がリィン達に向けて行われていた。

 夏至祭初日には皇族が出席する幾つかのイベントが催される事になっており、アリサ達B班が実習で担当している西側の地区では、サンクト地区のヘイムダル大聖堂にて行われるミサに皇太子のセドリック=ライゼ=アルノール。競馬場で行われる夏至賞には、セドリックの兄であるオリヴァルト皇子がそれぞれ出席をする予定。

 一方リィン達A班が担当する東地区では、マーテル公園のクリスタルガーデンで行われる園遊会にアルフィン皇女が出席する予定となっている。皇族三名がゲストとして、夏至祭初日の各イベントへと招かれているようだ。

 そして何故クレアがこのような説明をリィン達にしたかという疑問が生まれるのだが、実は鉄道憲兵隊の大尉であるクレアが当日の各所行事の見回りをⅦ組にもお願いしたいとの事。クレアの話では、先月の特別実習でA班が直面したノルド高原での戦争危機。それを引き起こしたとされるテロリスト、ギデオンと名乗った男が今回の夏至祭初日にテロを起こす可能性が高いという事らしい。

 鉄道憲兵隊と帝都憲兵隊が協力体制で厳重な警備を行う中、この広い帝都では彼らですら把握出来ていない区画が存在し、警備に穴が無いとも言い切れない。そのためⅦ組に遊軍として当日警戒に当たってもらいたい、それがクレアがリィン達に協力を願い出た理由であった。

 

 

「まあ、受けるか受けないかはあんた達の自由よ。このお姉さんの悪巧みに付き合わない場合は、夏至祭関連の依頼をレーグニッツ知事に用意してもらえるわ。にしても……遊撃士協会(ブレイサーギルド)が残っていれば手助け出来たんだろうけどねー」

 

 

「あの、サラさん? あの件に関して私達は全く関係ないのですが……」

 

 

「どうだか。あんたの所の親分と兄弟筋は今でも露骨だけど?」

 

 

 サラが半目でクレアを見ながら話し、困惑した様子で苦笑を漏らしながらクレアがサラに返すという図面が一同の目の前に広がっている。グラン以外が彼女達の会話に含まれている意味を理解する事は無かったが、彼らは目の前のやり取りを一先ず置いて話し合う事にした。

 話し合うとは言ってもリィン達の答えは既に決まっている。当然彼らがクレアの願い出を断る筈がなく、班の代表としてリィンとアリサが視線を通わせて頷いた後、リィンがクレアへ協力する旨を話した。明日の特別実習は中止になり、夏至祭の警備の協力をする事となる。

 クレアから明日の夏至祭についての細かな説明が行われ、彼女の話が終わった後リィン達はA班、B班に再度分かれてそれぞれの宿場である旧ギルド支部へと戻った。リィン達A班が今日一日の事をレポートに書き終えた頃には既に午後十一時を回っており、明日の朝も早い事から一同は二階の寝室にてそれぞれ眠りに付く。

 そして、時刻は皆が寝静まった午前零時へと進む。

 

 

「……はぁ。今日は中々眠れそうに無いな」

 

 

 旧ギルド支部二階、薄暗い寝室の中ではベッドから体を起こしたグランが表情に陰りを見せながら呟いていた。寝心地が悪いながらも就寝出来た昨日とは違い、今夜は彼にとって非常に眠り辛い事態となっている。その原因は現在隣室で眠っている人物、女学院前で合流したサラにあった。

 今から時を遡る事二年前、帝国内で突如発生した遊撃士協会襲撃事件。当時その事件の首謀者から依頼を受けて事を起こしたグランにとって、事件の被害者のサラとこの場所にいる事は思った以上に抵抗があった。

 彼女が遊撃士を辞める原因、帝国における遊撃士協会の活動が大幅に衰退した事自体は彼のせいではないが、そのきっかけを作ったのは間違いなくグランである。普段のサラの様子を見ても彼女がグランを恨んでいない事は分かるのだが、だからこそ彼は当時の事を仕事だと割り切っていながらも罪悪感に苛まれていた。

 

 

「……気分を変えるか」

 

 

 気分転換に外の風を浴びようと考えたのか、グランはベッドから抜け出してリィン達を起こさないように寝室の扉を開ける。そして彼が寝室を出た同じタイミング、隣の部屋の扉が突如として開いた。

 直後にグランが視線を向けた先、隣室から出てきたその人は彼が今一番顔を合わせたくない人物だった。

 

 

「あら、グランも眠れないの?」

 

 

 サラ=バレスタイン。かつてこの場所で遊撃士として活躍し、帝国遊撃士協会のエースとも呼ばれていた程の人物。しかしグランの目の前には、とてもそうは思えない儚げな彼女の姿があった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「あれからもう二年ですか」

 

 

「ええ、時が経つのも早いわね」

 

 

 旧ギルド支部一階、導力灯の淡い光に照らされながらカウンターにもたれ掛かっているグランとサラの二人は現在、何かを思い返すように言葉を交わしていた。どこか懐かしむように室内を見渡すサラの隣、そんな彼女の姿を見る事に躊躇われたのかグランはずっと瞳を閉じている。この時彼の姿を視界の端に捉えたサラは、グランの心境を察して僅かに笑みをこぼした。

 片や事件を起こした側の人間、片やその事件によって居場所を失った人間。常人であれば言い争いの一つや二つ起こりそうなものだが、そこは人生の先輩でもありグランの理解者でもあるサラのお陰だろう。彼女が取り乱すような事は無いため、状況とは反して静かな空間が広がっていた。

 

 

「サラさんは、今でもオレを恨んでますか?」

 

 

 ふと、グランがサラに向けて問い掛ける。瞳を開いた彼の表情はいたって普通だが、その問いの裏に後悔の念がこもっている事はサラも直ぐに感づいた。

 もしかしたら、二年前の事をグランは今でも引きずっているのかもしれない。そう思い至ったサラは、彼の体に軽く肘打ちを当ててから口を開く。

 

 

「らしくないわねぇ。あんたは恨みつらみを気にするタイプじゃないでしょうに」

 

 

「流石にこの状況下だと多少は気にしますよ……で、実際のところどうなんです?」

 

 

「んー……まあ、正直なところ最初は恨んだわ。今はもう恨んでなんか無いけど……あ、奴らは別ね」

 

 

 当時の二人は敵同士である。襲撃者のグランに対してサラが敵対心を持たない訳がなく、事件の後に段々と活動が衰退していた状況で彼女がグランへ負の感情を覚えなかった筈がない。

 だが、そう考えると一つだけ疑問に浮かぶ事がある。それはサラがトールズ士官学院に再就職した後、学院へ入学するようにと彼女がグランを誘った点だ。今でも恨んでいるのかというグランの問い、彼の質問の意図はそこにあった。

 

 

「いつか聞こうとは思ってました。事件の後のふとした偶然から付き合いが出来たとは言え、どうしてオレを士官学院へ誘ったのか。オレの目的に必要とは言いながらも、貴女が隠している本当の理由は未だに分かりません」

 

 

「……ふふ、なるほどね。あんたの目的に力を貸すっていうのとは別に、何か私に意図があると?」

 

 

「当たり前でしょう。あの日オレが目的を話して真っ向からそれを否定した貴女が、途端に協力すると言ったんです。そしていざ入学してみればフィーすけがいるわ、明らさまにオレの過去をバラそうとするわ……最初は嫌がらせで呼んだんじゃないかとも考えましたよ」

 

 

 頭を抱えながら当時の心境を話すグランの横、彼がそうなる原因を作ったサラ本人は苦笑しながらその姿を見詰めていた。

 自身の父親を討ち取るためにグランは力を求めている。そしてそれを知ったサラは当時、その目的を真っ向から否定した。どのような過程を辿っても、悲しい結末を向かえるであろうその目的。サラでなくても反対するだろう。

 しかし、彼女は途端に意を翻して協力すると言いグランを士官学院へ誘った。そして何故か、入学した後に彼にとって嫌がらせとも言える出来事がサラによって仕組まれていたのだ。そのような理解不能な行動、グランには分かり得る筈もない。

 

 

「そう思われても仕方ないわね。これはフィーにも言える事なんだけど……あんたには、年相応の時間を過ごしてもらいたかったのよ」

 

 

「年相応の時間?」

 

 

「ええ。普通に学校に行って、普通に友達をつくって、普通に楽しい毎日を過ごす。そんな当たり前の毎日を……あんた達には欠けていたものよ」

 

 

 それは、弟を心配する姉心のようなものか。微笑みながら話すサラの言葉からは、そんな心理が垣間見えていた。

 人が成人を向かえるにあたり、必ずと言っていい一つの過程がある。学校と呼ばれる勉学を教える場にて、生きていく上で必要な最低限の教養を身に付けるというもの。そしてその環境の中で人々は友と呼べる仲間を作り、教養とは別にゆっくりと豊かな心を育んでいく。教育過程を終えた頃には、ある程度の常識をそれぞれが身に付けているだろう。

 だが、フィーやグランは境遇上その過程を歩む事は敵わなかった。フィーもグランも、生まれた時の環境が普通ではなかった。

 フィーに関しては、彼女は気が付いた頃に戦場にいたのだ。遭遇したのが『猟兵王』でなければまた違った道が見えていたかもしれないが、そもそも戦災の中で普通の日常に戻るような何かが起こるなど想像がつかない。

 グランに関して言えば、彼はそもそも生まれた家系が特殊だった。生まれた時から猟兵になる事が決められていたため、普通の日常を過ごすとなると今回の生は諦めないといけない。フィーとグランに普通の日常が欠けているのは仕方が無く、だからこそサラは両者に手を差し伸べたのであろう。

 

 

「そしてその中には、あんたが求めている欠落した“何か”がきっとあると私は思ってる……これが私の本心よ」

 

 

 非日常の世界を生きてきたグランに欠けている何か、あるとすればそれは日常の中かもしれない。同時に日常を過ごす中で彼の考えも変わればそれが一番いい、そのような思惑もあってサラはグランをトールズ士官学院へと誘った。父親を討ち取るために力を求めているというその理由は一先ず置き、学院での生活が彼にとって得難い何かを与えてくれると信じて。

 そしてその成果は少なからず今のグランに顕れている。士官学院での日常は、普通というものを余り経験した事のない彼に癒しをもたらし、リィン達のような同年代の仲間も出来た。何より、仲間である彼らと共に時を過ごすというのが大きいだろう。共に喜びを分かち合い、悲しみを共有し、助け合うという毎日は彼の幼い心を確かに育んでいる。父親を討ち取るべく磨きあげてきた実力と、その過程で得た様々な人脈。それらが置き去りにしてしまった、未だ成長過程のグランハルトという少年の心を。

 

 

「……まあ、フィーすけの事は正直感謝してます。西風の団長はあいつを戦場から遠ざけたかったみたいだし、結果的に戦場と無縁と言うには難しい場所で収まりはしましたが、争いの絶えないあの場所よりは遥かにマシでしょう」

 

 

 あくまでフィーの事に関してだけ、グランはサラへ向かって頭を下げる。彼女の本心を聞いた事で自分がどれだけ思われているのかを知り、素直に感謝をするのが恥ずかしくなったというところだろう。

 そしてそうなるとからかいたくなるのがサラ=バレスタインという人間である。

 

 

「照れてる照れてる。全く素直じゃないわねぇ……もう少し自分の事に対する感謝をしなさい。こう、私のお陰でっていうエピソードとか無いの?」

 

 

「……オレは今のところサラさんに酒を飲まれたっていう最悪の思い出しか残ってないんですが──って、そう言えばそもそもそれが原因で会長にバレたんじゃないですか!」

 

 

「あっははは……そんな事もあったかしら?」

 

 

 そしてここに来てまさかの墓穴を掘ってしまったサラ。しんみりとした静かな空間は一転。色々と思い返したグランが、二階のリィン達も起きてしまうのではというほどの声を彼女に向かって上げ始める。一番の原因はグラン本人にあるため逆恨みもいいところなのだが、飲酒を容認していた身であるサラは力強く言い返す事は敵わなかった。

 結局、グランがトワに鍵を掛けられたという棚の解錠をサラが手伝うことで話がまとまったのは午前一時を回った頃である。




……漸く特別実習の二日目が終わった。そしてトワ会長が出せなくて禁断症状ががががが。

ともあれ次回会長が出ます! これで勝つる!

実はこの回、夜中の旧ギルド支部一階ではグランとリィンが話すという流れで初めは進めていたんです。そしてリィンの恥ずかし発言でグランの顔がポッと赤くなるという流れ……まで書いてアッーと叫んで書き直しました。この小説にBL成分は含まれておりません。


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胸騒ぎ

 

 

 

──ずっと、一緒にいようって約束したのに……──

 

 

 闇夜の中。周囲は灼熱の業火に包まれ、地獄絵図と化した村の中心部。白き少女は赤い髪の少年の腕に抱かれ、力ない声でそう呟いた。真っ白だった髪は自身の血によって赤く染まり、澄んだ青の瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちる。少女には既に痛覚などない、その涙の理由は痛みによるものではなかった。

 目の前で同じく涙を流す赤い髪の少年に、これから永遠の別れを告げなければならない。少女が流す涙の理由は、愛する人間と離れ離れになる事への悲しみからきているものだった。

 

 

──約束、守れないかも──

 

 

──今は喋るな! それにこんな怪我で弱気になってんじゃねぇ!──

 

 

──馬鹿なグランハルト。私が弱い事、知ってるくせに──

 

 

 困ったように笑う少女の見上げている先、少年はこの状況でも諦めてなどいない。少女の衣類を裂き、銃弾によって貫かれた腕や足、腹部の止血を始める。応急措置でこの場を凌げる事が出来れば、これから異変に駆け付けるであろう七耀教会の人間に助けを求められると。

 しかし、そんな少年の考えを嘲笑うかのように少女の胸の鼓動は段々と弱まっていた。この時自身の命の灯火がもうすぐ尽きると悟った少女は、最後の力を振り絞って右腕を上げる。白く小さな手を、ゆっくりと少年の頬へ添えた。

 

 

──お別れ、言わなくちゃ──

 

 

 少女の声を耳にして、止血を行っていた少年の動きが止まる。蒼白とした顔を浮かべ、手を添えてきた少女の顔へ視線を移す。

 その先を聞きたくない、それ以上話すなと。少年は何度も何度もそう呟いた。そんな中、苦笑を漏らすその少女は少年へ向けて最後の別れを告げる。

 

 

──ごめんね……ごめんね、グランハルト──

 

 

 少年と生涯を共に出来なかった事への悲しみと、少年を悲しませてしまった事への謝罪を最後に。少女は両頬へ一滴の涙を流した後、早すぎる空への旅立ちを向かえた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……っ!?」

 

 

 七月二十六日月曜日。激しい既視感と共に、グランはこの日の早朝に目を覚ました。息切れを起こした呼吸を調え、乱れた精神を落ち着かせると先程までの夢を思い出す。闇夜に燃え盛る炎の中で、幼い自分が白き少女と交わしていた別れの一幕を。

 白き少女の名はクオン、その出身地は塩と化した北のノーザンブリア。そこまでは何となくだが彼も覚えている、だがその少女が自身にとってどのような存在だったかまでは思い出せないでいた。

 

 

「くっ!? オレとクオンの間に何があった……!」

 

 

 グランは焦燥と動揺に瞳を揺らしながらも、頭をフル回転させて考える。しかし、やはりと言うか少女に関する記憶は明確に思い出せなかった。少女と自分がどのような関係だったのか、夢の中の悲劇は何故起こってしまったのかすらも記憶に無い。

 考えれば考えるほど、覚えてしまう焦りと動揺。そしてこの時、何故か突然グランを妙な胸騒ぎが襲った。

 

 

「(今日はテロリストの襲撃が予想されているが……まさか、何かあるのか?)」

 

 

 昨晩クレアから説明を受けた、テロリストの襲撃が予想される皇族の式典。グラン自身も実習前から予想はしており、この時感じた胸騒ぎはテロリストに関係していると判断する。今日この帝都で事が起こるとすれば、テロリストの襲撃以外に他無いからと。。

 ベッドを抜け出したグランは就寝用の服から制服へと着替え、書き置きを記して未だ寝息を立てているリィンの枕元にそれを置いた。部屋の扉を静かに開け、階段を降りて旧ギルド支部をあとにする。

 

 

「警戒するに越したことはない。先ずは場所の特定に入るか……」

 

 

 旧ギルド支部の前で立ち止まったグランは、ARCUSを取り出してある人物の元へ通信を繋げるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 時刻は現在正午過ぎ。グランを除くリィン達A班の姿は今、オスト地区の一画にあった。彼らは夏至祭の行われている最中、怪しい人影や問題が起こっていないか等各所の見回りを行っている。

 午前中、皇族を乗せたリムジンは時間通りにバルフレイム宮から現れ、各イベントが行われる場所へと出発した。リィン達が担当する帝都の東側では、アルフィン皇女を乗せたリムジンが各地区を回りながら無事に目的地のマーテル公園へと到着する。今頃は帝都庁主催の園遊会が催されている事だろう。

 アルフィン皇女を乗せたリムジンの到着も確認したリィン達は、朝から行っていた見回りを再開して東地区の警戒に入っていた。そして、現在オスト地区の見回りを再び終えたところである。

 

 

「問題なさそうだな」

 

 

「ああ、オスト地区はこれで大丈夫だろう」

 

 

「こっちも問題無かったよ。後はラウラとフィーだね」

 

 

 リィン、マキアス、エリオットの三人はオスト地区の中心でそれぞれの経過報告を行っていた。今のところ特に怪しい人影や問題らしき事は無く、このまま無事に夏至祭初日を終える事が出来ればと少し安堵の表情を見せている。

 そしてそんな三人の近く、見回りを行っていたラウラとフィーの二人が姿を現した。彼女達は何処か不機嫌そうな表情を浮かべながら、談笑をしているリィン達の元へと近付く。

 

 

「こちらは問題無かったぞ」

 

 

「こっちも」

 

 

「あ、ああ……了解だ」

 

 

 見回りの報告を告げるラウラとフィーに、リィンは少し困惑した様子で頷いて返した。彼の両隣にいるマキアスとエリオットも苦笑いを浮かべているが、三人とも彼女達が何故不機嫌なのかは知っている。彼女達が不機嫌な理由、それはこの場にいないグランの事であった。

 今朝方リィン達が起床した時、旧ギルド支部には既にグランの姿が何処にも無かったのだ。代わりにリィンが寝ていたベッドの枕元に書き置きらしき物が残されており、そこにはこう記してあった。

 

 

──オレは別ルートから警戒に回る。リィン達は各所の見回りを頼む──

 

 

「全く、グランは何を考えているのだ。独断専行ばかり……!」

 

 

「教育が足りなかった、今まで甘くし過ぎたかも」

 

 

 何度目になるか分からないラウラとフィーの不満声を耳にして、三人は苦笑するしかなかった。リィンは試しにグランへ五度目の通信を繋げてみるが、やはり繋がる事は無く彼女達の機嫌を直すには至らない。

 グランが独断専行に走るのは今に始まった事ではないが、だから仕方無いで終わる事も出来ないだろう。特別実習はあくまでも班行動である、六人の連携無くして評価点は貰えない。

 事実、これまでグランが属してきたA班の評価は余りよろしくなかった。メンバー的に問題無かったケルディックでの実習は、グランが二日目の実習内容を風見亭の女将から受け取ったまま忘れていた為C評価。ユーシスとマキアスの問題があったバリアハートの実習が一番高くA評価。実習に取り掛かってから一番蟠りの無かった筈のノルド高原の実習においては、戦争危機を回避する働きを見せるも、彼が負傷してしまった為B評価である。評価点はSからEまであるが、恐らくグランがいなかったらA班は全てにおいて最大のS評価を取れた可能性があった。今回もグランの独断専行をマイナス点に数えられれば、良くてB評価辺りが妥当だろう。本人には考えあっての行動だとしても、それは確かにリィン達へ迷惑をかけている。

 

 

「次回の特別実習までに、グランには集団行動の何たるかを叩き込まねば」

 

 

「協力する。取り敢えず逃げないように首輪と鎖は必須」

 

 

 そしてグランの独断専行を何とかしようと考える彼女達。特にフィーの口から漏れたハードな内容には、流石にリィン達もグランへ同情を覚えるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー 

 

 

 

 時刻は午後一時を回った頃。帝都の中心地でもあるドライケルス広場、夏至祭に訪れた人々で賑わうその一角。見慣れない機械の傍で佇む二人の女性の姿があった。一人はトールズ士官学院の平民生徒が着用する緑色の制服を着た小柄な少女、そしてもう一人はライダースーツを着用した紫色の髪の麗人。トールズ士官学院の二年生、生徒会長を務めるトワ=ハーシェルとその友人アンゼリカ=ログナーである。

 トワが抱えていた生徒会の仕事は昨日に全て終えたのだが、今朝方に突発の仕事が発生したため午後に帝都を訪れる事になった。そして今、アンゼリカと共に帝都へ到着したトワはARCUSで誰かへ通信を繋ごうとしているところなのだが──

 

 

「……グラン君、出ないなぁ」

 

 

 トワが通信を繋ごうとしている相手、グランは何故か通信に出る気配を見せない。何処か寂しそうに落ち込んだ表情を見せながら、彼女は暫くしてARCUSを懐へ納めた。その隣では、アンゼリカが苦笑を漏らしながらトワの頭を撫でている。

 このまま気落ちした状態かと思われたトワだったが、直後に彼女の表情が晴れやかなものへと変わった。そんな彼女の様子に疑問を抱いたアンゼリカは、トワが顔を向ける先へと視線を移す。

 

 

「リィン君達だ!」

 

 

「トワ会長……それにアンゼリカ先輩も? どうしてここに……」

 

 

「やあ、奇遇だね。特別実習は順調かい?」

 

 

 昼食の後、見回りを再開していたリィン達の姿が二人の前に現れる。リィンはどうしてトワとアンゼリカがここにいるのか疑問に思っているようだが、今日は士官学院も休みだという事をトワが話して彼は納得の表情を浮かべた。

 他愛もない会話を行う最中、トワは何かを探すように突然辺りを見渡し始め、ふとその様子にリィンが気付く。リィンは首を傾げながら、視線を泳がせる彼女へ問い掛けた。

 

 

「えっと、トワ会長どうかしましたか?」

 

 

「え? う、うん。グラン君もA班だったと思うんだけど……」

 

 

「ああ……グランなら別行動を取ってます」

 

 

「あっ、そうなんだ……」

 

 

 グランがいないと分かるや否や、落ち込んだ様子で俯き始めるトワ。先程から喜んだり落ち込んだりと忙しい彼女だが、この時トワの姿を見た一同が抱き締めたい衝動に駆られたのは仕方がないだろう。流石はトールズの癒し担当である。

 そしてそんな風に落ち込んだトワに皆が癒されている中、話題を変えようとリィンが午前中に見掛けた人物について話し始めた。

 

 

「そう言えば、朝にヴァンクール通りの百貨店でクロウ先輩を見ました」

 

 

「そうなんだ。そう言えば『夏至賞は俺のもんだ!』って朝早くに学生寮を出てたっけ……」

 

 

「確か当選祈願にヘイムダル大聖堂でお祈りしてくるとか言ってましたね」

 

 

「えっ!? はぁ、何て罰当たりな事を……後で厳しく言っておかなくちゃ」

 

 

 マキアスの話を聞いたトワがため息をこぼし、後でクロウを見付けたら叱らなければと呟いた事には誰もクロウに対して同情を覚えなかった。確かに競馬の当選の願掛けで空の女神に祈りを捧げるなど、七耀教会から袋叩きにされてもおかしくない所業であろう。

 そしてそんな風に一同が会話を交わしていると、何故か突然周囲の人々が妙に騒めき始める。疑問に思ったリィン達が辺りを見渡すと、その原因は直ぐ目の前で見付かった。

 

 

「噴水が……!」

 

 

 エリオットが驚きの声を上げる先、噴水の水量と水圧が共に上昇したのか水が激しく舞い上がり、枠内に収まりきらずに外部へ漏洩している。夏至祭の余興かとマキアスが首を傾げるが、その考えは直後に否定された。

 地表を突き破り、地下水が上空目掛けて次々と噴き上げ始める。流石にこの現象は異常だと感じたリィン達、そしてトワが上げた声に一同が反応を示した。

 

 

「もしかして、テロリストの仕業……!」

 

 

「トワ会長もテロリストの事を……!?」

 

 

「うん、サラ教官のお手伝いもしてるから……ってそれよりも!」

 

 

 トワはリィンに答えて直ぐ、この異常事態に帝都民や憲兵達が混乱している状況を見て避難誘導を行うべくアンゼリカへ指示を飛ばす。彼女達が混乱の収拾に向けて直ぐ様行動に移す中、リィン達はトワへ自分達にも手伝わせてほしいと願い出る。

 しかし、彼らの協力をトワは受けなかった。

 

 

「ここは私達に任せてリィン君達は動いて! 君達にしか出来ない事がきっとあるはずだよ!」

 

 

「俺達にしか出来ない事……」

 

 

 トワの言葉に、リィンは今行える最速のスピードで思考を巡らした。自分達にしか出来ない事、それが何なのかを。

 そもそもリィン達がここにいる理由は何か。特別実習の最中、鉄道憲兵隊のクレアから要請を受けて夏至祭の見回りを行っているためだ。

 では何故見回りを行っているのか。そんな事は考えるまでもなく、夏至祭初日に皇族が出席する各行事にテロリストの襲撃が予想されている事から、遊軍として彼らは警戒態勢を敷いている。

 そしてそこまで考えが至れば、彼らにしか出来ない事は自ずと見えてくるだろう。

 

 

「まさか……狙いはマーテル公園!?」

 

 

「くっ、陽動か……!?」

 

 

 ラウラとマキアスが敵の狙いに気付いた。リィン達はトワに一言断りを入れると、彼女の激励を背にその場を駆け出す。目指す場所は他でもない、アルフィン皇女が出席しているマーテル公園のクリスタルガーデンである。

 リィン達がマーテル公園へと向かう最中、その後ろ姿を眺めていたトワは彼らが無事に帰ってくるようにと祈る。そして自身も避難誘導を行うべく広場の中心へと駆け出すのだが、この時彼女を突然の胸騒ぎが襲った。

 

 

「(……ううん。大丈夫、リィン君達ならきっと大丈夫……!)」

 

 

 自身の胸中で巻き起こる胸騒ぎを振り払い、トワはリィン達の事を信じて避難誘導を開始する。その胸騒ぎが、自分の身を脅かす事態を予知しているとも知らずに。




始まりました夏至祭。トワ会長出したくてかなり駆け足になっています、本当ごめんなさい……

いよいよ動き始めた帝都のテロリスト達、次回の冒頭はマーテル公園から入ります。きっとギデオンさんが『ぐぬぬ』ってなっているかと。


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『紅の剣聖』の目覚め

 

 

 

 ドライケルス広場で異変が起きて程なく、マーテル公園でも異常事態が発生していた。公園の敷地内には何処からともなく巨大なワニのような魔獣が現れ、人々は悲鳴を上げて逃げ惑う。クリスタルガーデンを警備していた近衛兵や領邦軍の兵士達はその対応に追われ、園遊会が行われている庭園内は最早無防備の状態と言ってもいい。そして他でもない、テロリスト達の狙いはそれであった。

 クリスタルガーデン内では爆発音と共に突如地面が陥没し、地下からは今回の騒動を起こした三人の男達が姿を現した。彼らの狙いはアルフィン皇女の身柄を拘束する事、そしてその目的は民衆が抱く革新派への支持を失墜させる為。帝都憲兵隊と協力体制を取っている鉄道憲兵隊の無能さを知らしめ、革新派への支持を下落させようというのが今回テロリスト達が企てている作戦の根本である。

 眼鏡の男、ギデオンの指示で皇女の拘束に向かう二人のテロリスト。庭園内は案の定混乱に陥っており、テロリスト達にとって肝心のアルフィン皇女は一人の少女と共に立ち尽くしているだけで無防備な状態であった。難なく拘束に至るだろう、ギデオンはこの時作戦の成功を確信していた。

 しかし、計画というものは常に想定外の事態が付き纏うもの。

 

 

──そうは問屋が卸さないってな!──

 

 

 自分達に向けられた明らかな敵意、テロリスト達はアルフィン皇女の目の前にまで迫るも一時的に後方へ下がった。直後に彼らがいた場所には刀による一閃が走る、あれが直撃していたらとテロリスト達は一様に冷や汗を流した。

 アルフィンと一人の少女、エリゼの前に現れたその男は、此度皇族の警護で集められたラマール州の領邦軍が着用する軍服を着ている。男は右手に持った刀の剣先をテロリスト達へ向け、その後ろで動揺の色を浮かべているギデオンへと告げた。

 

 

「何処が確率四割だよ。本職のオレとしちゃあ九割方こっちが本命だっての……まあ、四割でも想定してただけ十分だとは思うが」

 

 

「な、何の事を……」

 

 

「悪い、此方の事情だ。氷の乙女(アイスメイデン)殿にはセドリック皇太子の方に回るよう言われてたが……正にここが当たりだった訳だ。残念だったな、同志《G》とやら」

 

 

 口元をニヤリと曲げて言い放つ領邦軍の男に、ギデオンは驚きと動揺をあらわにする。男の後ろに立っているアルフィンとエリゼも困惑した様子で彼の後ろ姿を眺め、現在の状況が今一飲み込めていなかった。

 そしてそんな最中、領邦軍の男の体が突如光を放ち始める。直後に光が収まってそこから現れた人物に、ギデオン達テロリストや男の後ろにいるアルフィンとエリゼも驚きを隠せなかった。

 

 

「──ブルブランの特技も役に立つもんだな。アルフィン殿下とエリゼの嬢ちゃん、二人共怪我はないか?」

 

 

「あ、貴方は……!」

 

 

「兄様と同じトールズの……!」

 

 

 男が着ていた領邦軍の軍服は、いつの間にかトールズ士官学院の紋様があしらわれた赤い制服へ。そして彼は赤い髪を揺らしながら、その深紅の瞳にテロリスト達を映している。男の姿を正面から見ているギデオン達は驚愕の表情を浮かべていた。

 男の後ろにいるアルフィンとエリゼも、その後ろ姿はつい先日に見覚えがある。その姿は正に、リィン達と同じくトールズ士官学院へ通っているグランハルト=オルランドその人。

 

 

「『紅の剣聖』だと!? 貴様がどうしてここに……!?」

 

 

「何、ただの気紛れだ」

 

 

 苦虫を噛み潰したような顔で吼えるギデオンに、グランは笑みを浮かべながら一言返した後、瞳を伏せて刀を鞘へ納めた。直ぐ様抜刀の構えに移り、赤い瞳を開いてその視線を一段鋭くさせるとテロリスト達を視界に捉える。この時既に、ギデオン達には為す術など無いに等しかった。

 撤退の二文字が脳裏に過り始めた彼らへ向けて、グランはこの場で宣告する。

 

 

「──『紅』のグラン、これより皇女殿下とその友人の護衛に入らせてもらう。今回は運が無かったと思って諦めてくれ……言っておくが、二人には指一本触れられると思わない事だ」

 

 

 要人警護において十割の任務達成率を誇る彼の宣告は、テロリスト達の作戦の失敗を告げていた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「これは……」

 

 

 ドライケルス広場をあとに、リィン達はマーテル公園へと辿り着く。彼らの眼前に広がる光景は、混乱で逃げ惑う人々と、所々で姿が確認出来る大型魔獣を相手に戦う領邦軍の姿だった。肝心のクリスタルガーデンはマーテル公園の入口からではその様子が確認出来ないため、魔獣の相手は領邦軍に任せてリィン達はクリスタルガーデンへと一直線に走る。

 庭園内へ足を踏み入れた一同は、目の前の光景に驚きを隠せなかった。陥没した地面を後ろに膝をつく三人のテロリスト達、彼らの膝を地に着かせたであろう赤い髪の少年の後ろ姿。そして少年の後方ではアルフィン皇女とエリゼが立ち尽くしている。

 ふと、リィン達の姿に気付いて駆け寄ってきた人物がいた。園遊会に出席していた人達を、庭園内の角に避難させていたレーグニッツ知事である。一同はレーグニッツ知事の無事に安堵の気持ちを抱きながら、彼の息子でもあるマキアスが現在の状況を問い掛けた。

 

 

「父さん、無事だったか! しかしこれは一体……」

 

 

「来てくれたか。だがここはもう大丈夫だろう、全く彼には驚かされる」

 

 

「彼……?」

 

 

 レーグニッツ知事の言葉に疑問を抱いたリィン達は、先程からテロリスト達と対峙している赤い髪の少年へと視線を移す。アルフィン皇女とエリゼを守っているであろう少年、その後ろ姿と彼が手に握っている刀には見覚えがあった。

 アルフィンとエリゼがリィン達の姿に気付いて振り返る。彼女達の嬉しそうな顔を目に、一先ず無事を確認出来てリィン達は胸を撫で下ろした。そして、少年も同じくリィン達の姿に気付いたのか、その場で顔を僅かに後ろへと向ける。

 

 

「やっと来たか、遅かったな」

 

 

「グラン!?」

 

 

「どうしてそなたがここに……!?」

 

 

 テロリスト達と対峙していたのは、朝からその姿を消していたグランだった。リィンとラウラは彼の顔を見るやいなや驚きの声を上げ、その反応を待っていたと言わんばかりにグランは笑みをこぼす。そんなグランをフィーは半目で睨み、マキアスとエリオットに至っては驚きの余り口をパクパクさせていた。

 各々の様子を見て、後で文句の一つ二つは覚悟しないといけないだろうとグランは苦笑を漏らした後、改めて眼前で立ち上がったギデオン達へ視線を戻す。

 

 

「これは恐れ入った……『紅の剣聖』の異名、改めてこの胸に刻んでおこう」

 

 

「勝手にしてくれ。此方はさっさと身柄を拘束させてもらう」

 

 

「フフ……まあ、そう急く事は無い。この身を引き渡す前に、一つ贈り物といこうではないか」

 

 

 先程の動揺や驚きは消え去り、突然不敵な笑みを浮かべて余裕の態度を見せ始めるギデオン。彼の急な変化には流石のグランも違和感を覚えた。まさかここに来て気でも狂ったか、そう感じずにはいられない。

 テロを起こす段階で正気も狂気も無いのだが、この時ギデオンは確かに気が狂った訳ではなかった。絶対的劣勢を覆す一打、彼はその術を未だ残していた。

 

 

「そろそろか」

 

 

「何をする気だ……っ!?」

 

 

 ギデオンが呟いた直後、突如として外部より轟音が響き渡った。何事だと一同が振り返った先、ある場所からは爆発で生じたであろう煙が立ち昇っている。方角と距離から計算するに、爆発が起こった場所はドライケルス広場で間違いない。

 先の陽動でドライケルス広場の人々は避難をしている筈、今更同じような真似をして何の意味があるのかとグランは疑問を抱く。だが、広場から煙が立ち昇っているのを見たリィンの顔が蒼白とする。そう、彼らがここに来て間もないという事は即ち。

 

 

「そんな、トワ会長とアンゼリカ先輩が……!?」

 

 

「……っ!? リィン、今のはどういう事だ!」

 

 

「恐らくまだ会長とアンゼリカ先輩が避難誘導を行っている筈……!? 不味い、あの爆発に巻き込まれた可能性が高いぞ!」

 

 

 リィンが煙を見詰めて瞳を揺らす中、グランが発した怒号に答えたのはラウラだった。爆発音と立ち昇る黒煙から規模を推測するに、ドライケルス広場内に人がいれば確実に巻き込まれる大きさ。無論取り残されていれば無事では済まないだろう。

 グランの表情がこれでもかというほどに歪んだ。対照的に彼の睨み付ける先では、ギデオンが愉悦に満ちた表情を浮かべていた。広場では更に爆発が起こったのか、新たに黒煙が舞い上がる。このままここにいれば、取り返しのつかない事態に陥る可能性があった。

 と言ってもあの優秀なトワの事だ、異変を察知して先に避難を終えている可能性もあるだろう。二人を信じて、グラン達はテロリストを先に拘束するべきなのかもしれない。

 だが、グランはこの時今朝方に感じた胸騒ぎを再発していた。その次に彼の脳裏を過ったのは、朝に見た悲劇のような最悪の事態。故にこの状況下で彼の取る行動は一つしかなかった。

 

 

「(朝の胸騒ぎはこれか……!)」

 

 

「どうやら学友が広場の爆発に巻き込まれた様子。フフフ、運が無かったと思ってくれたまえ」

 

 

「っく!? リィン、この場を頼む!」

 

 

 彼のミッション、アルフィン皇女とエリゼの身柄の保護は既に終えている。グランはギデオンの声に腹立たしさを覚えながらも、今はこの場をリィン達に託してドライケルス広場へと駆け出すのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 硝煙の匂いが辺りを漂い、黒煙が立ち昇るドライケルス広場。その広場の中心では現在、肩で息をしながら小型の導力銃を構えるトワ、そして彼女を護るように手甲を手に立ちはだかるアンゼリカの姿があった。彼女達の眼前にはガラクタと化した傀儡の数々、しかしその周囲には未だ数体の機械人形と魔獣達が控えている。質より量、如何に優秀な二人と言えど数の暴力には敵わなかった。

 先に起きた爆発は、トワが事前に民衆を避難させていたため死傷者は一人もいない。そして彼女の機転により彼女達自身も何とかギリギリの所で回避するに至った。しかし何故かARCUSの通信機能が働かず、応援を呼ぶことが出来ない。この広場にはトワとアンゼリカ、広場の各所で戦闘を行っている憲兵が数名程度しかいなかった。

 とは言えこの異常事態だ、他の憲兵達が異変に気付けば直に応援が来るだろう。何せ目の前には皇帝の居城のバルフレイム宮もある、応援が駆け付けるのにそれほど時間は要さない筈だ。

 直に苦境は去る、ならば今の自分達に出来る事はこの状況を何とか耐え凌ぐ事。彼女達が行動に移すのは早かった。

 

 

「背中は預けた!」

 

 

「うん、アンちゃんもお願い!」

 

 

 二人は戦術リンクの接続を確認後、機械人形の一斉掃射を合図に左右へ別れて同時に駆け出す。トワはARCUSの駆動を開始すると共に、機械人形達に向けて導力銃を構える。今から単身で魔獣達の元に突っ込むアンゼリカを援護する為だ。

 アンゼリカはワニのような姿をした大型魔獣の内一体に接近、魔獣の突進を寸前で回避するとその胴横に回転蹴りを叩き込む。魔獣の胴が盾になり機械人形の掃射も無かった、ここまでは計算済みである。

 しかし直後に回り込んでいた機械人形の一体が彼女の横から掃射を開始する。無理矢理バックステップを取るが勢いが足りず、アンゼリカの頬に銃弾の一つが掠った。僅かに鮮血が舞うが気にしている場合ではない。直ぐ様鋭い蹴りによって発生させた衝撃波のカウンターを決める、機械人形は直撃を受けてガラクタの一部と化した。

 

 

「キリがないね、早く援護を受けたいものだが──!?」

 

 

 アンゼリカが呼吸を整えた一瞬の隙、彼女の左方からは先程回転蹴りを決めた筈の魔獣による尾の凪ぎ払いが襲った。瞬時に両手をクロスしてガードするも、後方に弾き飛ばされて宙を舞う。空中に投げ出された彼女は機械人形にとって格好の的である。

 しかし機械人形達が体の一部でもある銃口をアンゼリカへ向けたその時、突然の冷気と共に辺り一面が凍り付いた。凍結された機械人形達は行動を封じられ、掃射どころか身動きすらも取れない。アンゼリカが空中から見詰める先には、ARCUSを片手に近くの魔獣を銃撃で牽制するトワの姿があった。

 

 

「アンちゃん大丈夫!?」

 

 

「ああ。トワの援護のお陰でね、この通り無事だ」

 

 

「良かった! このまま何とか凌げば──」

 

 

「トワ、そこを離れるんだ!」

 

 

「──えっ?」

 

 

 油断していたと、この時トワは自身の考えの足らなさを悔やんだ。彼女がアンゼリカの声で振り返った後方、魔獣の巨体が直ぐそこにまで迫っていた。強靭な顎を開き、噛み砕かんとばかりにトワの体を捉える。

 幸いな事に重症は免れた。アンゼリカが空中から蹴りによる衝撃波を放ち、魔獣の一撃を僅かに逸らしたからだ。しかしトワは魔獣の突進をその身に受けてしまい、僅かに後退して片膝を着く。

 直後に巨大な尾による凪ぎ払い、これは流石に離れた場所にいるアンゼリカも対処のしようが無かった。凪ぎ払いの直撃を受けたトワは吹き飛ばされ、近くの地面にその体を打ち付けた。

 

 

「かはっ……!?」

 

 

 全身を駆け抜ける激痛に、トワはその場を直ぐに立ち上がる事が出来ない。アンゼリカも援護に向かおうと着地後に直ぐ様駆けるが、魔獣と機械人形がその道を塞ぐ。流石の彼女も後退せざるを得なかった。

 その間にも魔獣は刻々とトワの元へ近付いている。アンゼリカが必死に声を荒げるが、周囲の憲兵達もそれぞれ対応に追われており助太刀を期待できそうにない。

 ふと、滑りとした感覚が頬を伝いトワはその場を見上げる。彼女の頬にかかったのは魔獣の唾液、眼前ではその顎を大きく広げてトワを飲み込む寸前。最早タイムリミットは迫っていた。

 

 

「……ぁ……」

 

 

 ここで終わってしまうのかと、トワは力ない声を上げて魔獣の巨体を見上げた。死へのカウントダウン、それは秒刻みで訪れている。

 これから自身の身を襲うであろう恐怖に耐えきれず、彼女の瞳に溜まっていた溢れんばかりの涙が崩壊した。次々と頬を伝い、じわりと地面を濡らしていく。そして魔獣の牙が眼前に迫る中で、最後にトワは微かな望みをその胸に抱いた。

 

 

──グラン君、助けて──

 

 

 直後、トワの眼前に迫っていた魔獣は轟音と共に吹き飛ばされる。事態の飲み込めない彼女は涙を流したまま呆然とし、痛みを必死に堪えて顔を動かした。 

 トワが向けた視線の先には、刀を地面に振り下ろした赤い髪の少年がいる。顔は影に隠れて見えずとも、それが誰なのかトワには直ぐに分かった。

 

 

「(嘘。願い、届いちゃった……)」

 

 

 少年は刀を鞘に納めるとトワの体を抱きかかえ、比較的安全な広場の隅へ向かって歩き出す。そんな中、近くにいる魔獣達は不思議な事に隙だらけの彼を襲う事は無かった。一切の障害無く目的の場所へ移動した少年は、トワを座らせて壁に寄り掛ける。

 相変わらず少年の顔は前髪に隠れて見えなかった。しかし、少年が誰なのかは最早問うまでも無いだろう。意識が遠退いていく中、トワは涙をこぼしながら今出せる精一杯の声と共に少年へ向けて苦笑を漏らした。

 

 

「ごめんね……ごめんね、グラン君」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

──ごめんね……ごめんね、グランハルト──

 

 

 何故忘れていたのかと、空を見上げながらグランは自身に向けて問い掛ける。

 忘れる事を望んだからだと、自身の心がグランに向けて返してくる。

 グランは黒煙が立ち昇っている目の前を見渡し、マーテル公園で見た大型魔獣や見慣れた機械人形の数々と視線を合わせた。そして足元で眠りについたトワを一度見下ろした後、魔獣と機械人形の群れに再度視線を移す。その突き刺すような視線に、魔獣達が一斉に後退したのは見間違いではないだろう。

 グランは刀を鞘から抜刀し、その刀身を静かに見詰めていた。かつてこの刀に刻んだ思い、願いの全てを思い出しながら。数分、数十分、或いは数時間にも感じる一瞬の時。瞳を伏せ、つい先程手に入れた鍵を用いて封印していた全ての記憶を解き放つ。

 そして全てを思い出した時、彼はその場で盛大に笑い声を上げていた。

 

 

「くっははははは……! そうか、そういう事だったのか。クオンを忘れていた事も、剣の道に限界を感じたのも全てオレ自身の“弱さ”が原因か……こりゃあいい、傑作だ」

 

 

 頭を抱えて笑い声を上げたと思えば、途端に鋭い目付きで魔獣と機械人形の群れを見渡す。この時のグランの雰囲気は明らかに異常だった、先月の実技テストで彼が暴走した時の姿に近いだろう。

 グランが一歩前に足を動かす度に、彼の眼前の群れは同じように一歩後方へと下がる。魔獣達は獣の直感で、機械人形達はある種のセンサーでも働いたのだろうか。“今の彼に触れてはならない”と。

 いつの間にか魔獣達は壁際まで後退しており、これ以上下がる事が出来なかった。

 

 

「感謝するぞガラクタ共。この二年引っ掛かっていた、クソ親父への殺意の元凶を漸く思い出した」

 

 

 動きを止めた魔獣達に向け、グランが声を発する度に彼が纏っている紅の闘気は幾度と無く膨れ上がる。底知れない凄まじいまでの気当たり、ドライケルス広場で未だ戦闘中のアンゼリカや憲兵達の視線までもが彼へ集中していた。

 グランの闘気に充てられたのか、彼の持つ刀は徐々にその刀身を紅く染め上げていく。そして全てが紅に染まった時、彼はその刀を顔横に構えた。

 

 

「詫びに面白いものを見せてやる。『紅の剣聖』の所以、その最たる絶技の一端を──」

 

 

 グランの姿が蜃気楼の如く揺らめいた。恐れをなした魔獣達は突撃を始め、機械人形達はここぞとばかりに一斉掃射を行う。しかし、魔獣達の突撃は全てが意味をなさず、機械人形の掃射は何れも不発に終わった。グランの姿は元の場所から一切動いていないのにも関わらずだ。

 奇声を上げる魔獣達を背に、駆動音を発する機械人形を前に。グランはこの空間に存在する全ての敵へ告げる。

 

 

「蹂躙劇の開幕だ……無事で済むと思うなよ」




オーガクライ→オーガクライⅡ CP100 自己 STR+50% DEF+50% SPD+50%(5ターン) CP+200

という訳で本編だとシャキーン! という音と共にクラフトが進化します。因みにグランが話している絶技の一端、これは未完成の技だったりします。もしかしたら5章で完成するかも……?

ギデオンの作戦は一応潰したと言ってもいいのでしょうが、何とも微妙な結果に終わってしまいました。広場に現れた魔獣や機械人形は一体誰の差し金だコノヤロー!

原作だと避難誘導して終わりなのに、グランがいるから会長もこんな酷い目にあってしまうという……取り敢えず次回は非常に貴重な、グランによる無双が繰り広げられると思います。


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不可視の剣技

 

 

 

「なっ……!?」

 

 

 対峙していた機械人形と魔獣を何とか仕留めるに至ったアンゼリカ。彼女は現在、ドライケルス広場の一画に広がっている異様な光景を前にその表情を唖然としていた。彼女が視線を向ける先、突如紅色の閃光が過ったかと思えば機械人形が爆発を起こして消滅。魔獣に至ってはその肢体を突然切り離されるという致命傷を受け、更には首を撥ねられて絶命する。一方的な虐殺にしか見えない蹂躙劇。目に見えない何かが、次々と機械人形と魔獣の群れに襲いかかっていた。

 標的を失った数体の機械人形が銃口の標準を四方に迷わせる。魔獣達も攻撃対象を見失ったのか焦点が定まっていない。その間にも機械人形は破壊され、魔獣の肢体と首は刈り取られ続けている。

 アンゼリカが見詰めている先では、つい先程まで機械人形と魔獣の群れの前に立っていた筈のグランの姿が何処にも見当たらなかった。それは即ち、今起きている不可思議な現象が彼によるものと見ていいだろう。蜃気楼の如く揺らめいていた彼の姿は、いつしかその気配と共にほぼ完全に消えている。気配すら感じぬ不可視の剣技、最早人間の域を逸しているとアンゼリカは乾いた笑い声を上げた。

 だがそれも束の間、直後に彼女は怪訝な顔を浮かべ始める。

 

 

「機械人形の数が減っていない……いや、寧ろ増えている。一体何故……」

 

 

 そう、機械人形の数が余りにも多すぎるのだ。アンゼリカとトワが最初に確認した機械人形の数は多くても五、六体。魔獣は殆どがその活動を停止しており、機械人形を破壊した数から考えても既に片付いていないとおかしかった。何者かが絶えず機械人形を放っているとしか考えられないが、その手段は不可能とも思える。

 アンゼリカが思考の海に潜ろうとした最中、いつの間にかその近くで魔獣が意識を取り戻していた。その事に気付いた彼女は魔獣が反応するよりも早く正面に接近、頭部へ強烈な拳の一撃を叩き込む。更に気絶状態に陥った魔獣の顎下へ蹴り上げを決め、手早く沈黙させるに至った。地に伏せた魔獣から離れ、彼女は軽く息を吐く。

 ふと、アンゼリカの近くで突如機械人形がその姿を現した。自分へ銃口を向けている事に気付いた彼女は掃射のタイミングを見計らって回避を取ろうと身構えるが、突然機械人形が爆発を起こした事により銃弾の嵐が降るには至らず。そして彼女が怪訝な顔を向ける先、爆発によって生じた煙が徐々に晴れていくその場所では人影が見えた。

 爆風に揺られる赤い髪、両手持ちで振り下ろされた紅い刀身の刀。直後に立ち上がると近付き始めた彼の顔を見て、アンゼリカはその表情を驚きに染める。

 

 

「これは驚いた。グラン君、一体いつの間に……」

 

 

「向こうのガラクタが一旦片付いたんで助太刀に。取り敢えずアンゼリカさんも無事で良かった」

 

 

「あの数をこの短時間で……いや、済まない。心配をかけてしまったようだね」

 

 

 体に付いた砂埃を払いながら、笑みをこぼしてアンゼリカがグランへと返す。そして言葉を交わした二人が直ぐに視線を向けた先は、広場の隅で壁に寄りかかっているトワだった。意識を失っていた彼女だが、身動ぎしている姿が見える事からそろそろ意識を取り戻すだろう。

 そんなトワの様子を見て安堵の息を漏らすアンゼリカ、しかしグランの表情は未だに険しかった。彼が表情を険しくさせたまま直後に向けた視線の先、グランがつい先程機械人形と魔獣達の群れを全滅させた筈の広場の一画。そこでは突如空間が歪曲を始め、不安定になったその場所からは再び機械人形が姿を現す。先に彼らが破壊した物よりも一回り大きなそれは、機体の節々を回転させながら空中に浮かんでいる。

 

 

「新手……!?」

 

 

「チッ……足止めの為に一体どれだけ用意してんだ、第二柱は」

 

 

 舌打ちをした後、機械人形へ突き刺すような視線を向けるグランの隣。彼が何かを知っているような口振りに対してアンゼリカは疑問を覚えるも、今は他に対処しなければいけない事があると思い至って思考を切り替える。グランが見詰めている先、新たに現れた機械人形五体へとその視線を向けた。

 グランが刀を構えた直後、アンゼリカも機械人形と応戦するべくその身を構える。しかし戦闘態勢へ移った彼女へ、グランはトワを連れてこの場を離れるように促した。トワの安全を最優先とするか、彼に加勢するべきか、アンゼリカは悩む。

 

 

「君一人で事足りるとは思うが、万が一の事もある。トワならあの場所に休ませておけば、一先ず巻き込まれる危険性は少ないだろう。やはり……」

 

 

「……トワ会長も直に目を覚まします、出来れば今のオレをあの人に見せたくはない。それに万が一という点なら、あの二人が降りてきた場合に、あなた方が巻き込まれる危険性が高い事も含めて」

 

 

「あの二人……?」

 

 

 アンゼリカはグランの言葉に疑問を抱くものの、彼女が問いかけるよりも早く彼はその場を駆け出した。単身での機械人形五体との戦闘、数も然ることながらその大きさは一人で相手取るには無謀としか思えない。しかしアンゼリカはグランを信じる事に決め、彼が駆け出した方向に背を向けて直ぐ、壁に寄りかかっているトワの元へと走り出した。意識を失ったままの彼女を抱え、規則的な呼吸を行っている様子に笑みをこぼすと先程現れた機械人形へ再度視線を移す。

 アンゼリカの見詰める先、グランが向かったであろうその場所では突如爆発が起こり、周囲に強烈な風を巻き起こした。爆風は二人の髪を激しく揺らし、風が吹き止んだ直後に彼女が再び視線を向けた先では既に機械人形が二体へ減少している。この異常なまでの破壊速度、アンゼリカは最早笑うしかなかった。

 

 

「君の想い人は底知れないな、全く」

 

 

 自身の腕に抱かれたトワへ苦笑を漏らした後、アンゼリカは近くに置かれている機械、導力バイクへと駆け出す。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「へぇ、結構派手にやってんな」

 

 

 ドライケルス広場の周囲に建つ建造物。緋の一色に統一されたその建物の屋根上から、爆発と黒煙が絶えず巻き起こる広場を見下ろす男がいた。手入れされていない緑がかったボサボサの長髪、眼鏡の奥の気怠げな瞳。しかしその容姿に反して、男からは威圧的な何かが漂っている。

 そしてそんな男の隣では、これまた同じように広場の様子を見下ろす少女が一人。中世の騎士が身に付けるような甲冑をその身に纏った少女は、グランによる一方的な破壊が繰り広げられている光景を目下に驚きをあらわにした表情を浮かべていた。次々と現れる機械人形、そしてその機械人形達をひたすらに破壊し続けるグランに対してたまらず声を漏らす。

 

 

「す、凄まじいですわね……っ!? ふ、ふんっ。このくらいなら私でも朝飯前ですわ」

 

 

 自身が口にした驚きの声に羞恥心を抱いたのか、その頬を僅かに赤く染めると対抗するように胸を張る少女。隣の男はそんな少女の言動に反応を示す事なく、相も変わらず興味深げに広場の戦闘を見続けていた。

 そして隣で広場を見下ろし続ける男の姿を視界の端に捉えた少女は、ふと気になった事を男へ問い掛ける。

 

 

「因みに先程までの彼の動き……あなたには見えましたか?」

 

 

「──いや、見えなかった」

 

 

 僅かではあるが瞳に鋭さを増し、男は少女の問いに答えた。少女はこの時思う、この男ですらその姿を捉えきれないものだったのかと。とは言えそこまで驚いた様子ではない事から、彼なりの対処法はあるのだろうと少女は思い至った。

 次々と姿を現す機械人形達、だがそれも徐々に出現する数を減らし始めている。今回の使命もそろそろ終わりだと呟き、少女は男に顔を向けた。

 

 

「さて、そろそろ行きますわよ……ん?」

 

 

「レーヴェの阿呆が死んじまって、グランの馬鹿も辞めちまってからどうも退屈してたが……どうやらこれから、面白くなりそうだな」

 

 

 その瞬間、男からは突如として異質な気配が漂い始めた。視認出来る程の闘気の顕れ、それはどちらかと言うと闘気よりも焔と言った方が正しいか。男が垣間見せたその力の一部は、人の域を遥かに凌駕しているものだと容易に想像できた。

 気怠げだった瞳は失せ、その目には確かな意思が宿っている。男が笑いをこぼしながら既に戦闘を終えていたグランへ視線を注ぐ中、その隣に立つ少女は男の様子に気付くや否や困惑した様子で声をあげた。

 

 

「ちょっ、ちょっと何一人でやる気になってるんですの!? 余り気配をあらわにしてしまうと──」

 

 

 少女は慌てふためきながら、確認するべく広場で佇むグランへと視線を移した。未だに刀を右手に握ったまま立ち尽くす彼の姿を視界に収め、ホッと胸を撫で下ろす。

 しかし彼女の安堵も束の間、直後に見上げてくる彼とバッチリ視線が合っていた。

 

 

「あーもうっ! 思いっきりバレてるじゃありませんか! 気付かれずにあの子を偵察してくるという我が(マスター)からの命が……」

 

 

「知るか、そんなもん。第一グランの奴ならとっくに気付いてただろ」

 

 

 地団駄を踏んだ後にガックリと肩を落とす少女。そんな少女の姿に知った事かと、既に気怠げな瞳に戻った男はボサボサの頭を掻く。直後に自身の身を焔で包んだかと思えば、焔が消えると同時にその姿までもを掻き消した。面倒事が起きそうだからという理由による途中離脱である。

 

 

 

「こ、これだからこの男は……! んん、コホン。ま、まあ良いでしょう。バレたのでしたら仕方ありませんわね」

 

 

 少女は一人面倒事を残して立ち去った男に対して歯軋りをするも、結局は開き直って広場で佇むグランと再度視線を合わせた。彼が刀を鞘に納めたのを確認後、その場を跳躍してドライケルス広場へ颯爽と着地を決める。

 その場を立ち上がり、眼前で瞳を伏せて立ち尽くすグランを正面に捉えながら少女は余裕の態度を保っていた。グランへ向けて、その視線を鋭くさせながら口を開く。

 

 

「お久し振りですわね。どうやら少しは前に進めたようですけど……その程度で我が(マスター)の傍にいられると思ったら大きな間違いですわ!」

 

 

「あ、相変わらずだなデュバリィ……まあいい。『劫炎』もいたようだが、お前ら一体何しに来た? 今回の件にどのくらい関わってやがる?」

 

 

 グランは調子を狂わされつつも警戒心を強め、目の前の少女デュバリィを視界に捉えた。彼の問いに対してデュバリィは瞳を閉じ、風がその場を吹き抜けた後に両者の間を沈黙が包み込む。

 静かに佇む彼女を前に、グランも僅かに訝しげな顔を浮かび始める。そんな彼の様子を片目に映しながら、直後にデュバリィは笑みをこぼした。

 

 

「ふふ、それはそれは気になりますわよね? でも教えてあげませんわっ!」

 

 

 突然勝ち誇ったように笑い声を上げ始めるデュバリィを前に、グランは完全に調子を狂わされたようで一人頭を抱えていた。会う度に何故か敵対心を抱いてくるこの少女を、どうしたものかと彼は頭を悩ませる。

 彼女と付き合いがあった頃。グランは毎回手合わせで決着をつけていたのだが、その時はグランが勝てばデュバリィが納得いくまで再戦が続き、稀に彼女が勝てば機嫌が直ってその場が収まるという日々であった。更に勝負事以外でも何かと彼女は張り合い、そして必ずと言っていい程後々面倒な展開を迎える。それが、グランの記憶にあるデュバリィという少女だった。

 本当は彼自身じっくりと問い質したいところではあるのだが、現在グランは少々急いでいる。テロリスト達の追跡を行っているであろうリィン達の援護に向かわなければいけないからだ。こんな時に構っている場合ではないかと、結局彼はそう結論付けた。

 

 

「……まあ、話す気が無いなら別にいい」

 

 

「……えっ?」

 

 

 割りとあっさり諦めたグランの様子に、デュバリィは拍子抜けしたようでその表情を呆然としていた。彼女はグランが必死に聞き出そうとしてくると踏んでいたのだろう、肩透かしを食らったらしく彼の言葉に戸惑っている。

 グランはそんなデュバリィに背を向けて、離れた地点で戦闘を終えた様子の憲兵達の元へ向かおうと足を動かした。彼が立ち去ろうとする最中、デュバリィは慌てた様子でその背中へ向けて声を上げる。

 

 

「ちょ、ちょっとお待ちなさいな。本当は気になって気になって仕方がないんでしょう? それをただやせ我慢して……!?」

 

 

「だから別にいいって……それとも、力ずくで吐かせてもいいのか?」

 

 

「ひっ……!?」

 

 

 振り返ったグランから感じる明確な敵意、貫くようなその視線にデュバリィは反射的に目を瞑ってしまう。犬猿の仲とまではいかずとも、余り友好的な関係は築いていなかったグランとデュバリィ。それでも互いに高め合うような関係として、彼女は彼女なりの親しみをグランに対して抱いていた。そんな彼が突如向けてきた敵意、特に先の戦闘を見せられた後では一瞬と言えどもデュバリィが怯えてしまうのは無理もない。

 

 

「きょ、今日のところは一先ずこれくらいにしておいてあげます。次に会ったが最後……お、覚えてやがれですわ!」

 

 

 最後は狼狽えながらも精一杯対抗心を見せ付け、デュバリィは捨て台詞を残すと光に包まれてその場から姿を消した。転移による離脱、追う必要は無いとグランは止めていた足を再び動かして憲兵達の元へ向かう。

 突如現れた広場の機械人形と魔獣達は殲滅し終えたと報告を済まし、グランはARCUSを手に取るとサラへ通信を繋げて状況の報告に入った。先程トワが使用した時は通信阻害をされていたため繋がらなかったが、今は難なく使用出来るらしい。

 

 

「ええ、既に片付きました。これからオレもマーテル公園へ向かいます。それとトワ会長達ですが……」

 

 

≪トワとアンゼリカなら大丈夫、無事に鉄道憲兵隊の司令所へ着いたそうよ≫

 

 

「そうですか……良かった。これで思う存分やれる訳だ」

 

 

≪えっ? グランあんた今──≫

 

 

 通信先のサラの言葉を待つことなく、グランはARCUSを懐へ納めた。直後にその場を駆け出して建物の壁へと跳躍した後、壁を蹴って屋根上へと着地をする。

 屋根上からは帝都の西側、B班が担当している地区の方でも何ヵ所か黒煙の立ち昇っている場所が見えていた。今はアリサ達が無事に対処している事を祈り、グランは目的のマーテル公園へと視線を向ける。

 

 

「待ってろよテロリスト共……このケリはきっちり着けさせてもらう」

 

 

 刀を鞘から抜き放ったグランは静かな怒りをその胸に、マーテル公園へ向けて駆け出した。




貴重なグランによる無双回、恐らく次回で終わりになるかと思います。不可視の剣技って一体どれだけ速いんだよ……

感想欄にて『マクバーンが出そうです!』という話を頂いたのですが、私自身まだ閃Ⅱを始めていませんのでどういったキャラクターなのか分からず、どうなんだろう……と思いまして。早速閃Ⅱのプレイ動画を少し見てどんな性格なのか確認してみました。

マクバーンさんが鬼畜ぅぅぅ! そしてデュバリィがアホ可愛いと言われている理由が分かりました。特にオーロックス峡谷でのデュバリィがアホ可愛い。ヴィクターと対峙した時のデュバリィも可愛かった。取り敢えずデュバリィは可愛い。

で、何だかんだではありますが今回二人とも出してしまいました。そのため会長が全くと言っていい程出ていません。きっと次の次くらいで会長が活躍するから……(震え声)


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襲撃の裏で

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……お風呂上がって確認したらとんでもないことに……!

どうして謝っているのかは聞かないで……


 

 

 

 帝都の地下には、地下墓地(カタコンベ)と呼ばれる暗黒時代の産物が存在する。遥か昔、混沌と化していた暗黒時代に出来たとされる帝都の地下の一画にあるそれは、薄暗い区画に墓地が広がった何とも不気味な光景である。

 異質な空気が地下一帯に漂う中、リィン達は地下へ逃走したテロリストを追跡してその場所へ追い詰めるに至った。しかし拘束しようとした折り、テロリストの一人であるギデオンが手に持っていた笛を使用してあるものを呼び寄せる。暗黒時代に帝都を支配した魔の存在を。

 徐々に地面から浮かび上がる死骸は、次々とその骨を繋ぎ合わせて一つの形を形成した。古に伝わる暗黒竜、帝都を支配した魔へとその姿を変える。

 瘴気を放ちながら具現した魔竜は地鳴りを起こしながらリィン達に接近すると、対峙している彼らの前で動きを止めて突如咆哮を上げた。耳を劈くようなそれは地下一帯に響き渡ると同時に、その空気を瞬く間に震わせる。さながら死の宣告にも聞こえるそれは、彼らが恐怖を抱くに十分すぎた。

 

 

「なああああっ!?」

 

 

「ひっ……!?」

 

 

「敵戦力不明、動きが読めない……!?」

 

 

「くっ……!」

 

 

 マキアスは驚き、エリオットは悲鳴を上げて両者共が後退る。Ⅶ組随一の戦闘力を持つフィーですら動揺を見せ、ラウラに至ってもその顔は険しかった。彼女達は実力者だからこそ、目の前に立ちはだかる敵の強大さが嫌でも分かるのだろう。

 そんな四人の様子を見たギデオンは直後、愉悦に満ちた笑みを浮かべて突如高笑いを上げ始める。そして右の手に縦笛を握り締めながら、竜の後方で勝ち誇ったように声を漏らしていた。

 

 

「これぞ『降魔の笛』の力! 暗黒時代の帝都の魔すらも従わせる古代遺物(アーティファクト)だ……!」

 

 

 五対三の優勢と思われたリィン達は、暗黒竜の出現によって突如劣勢へと覆される。人の域を凌駕する竜という存在が、彼らを死出の旅路へと誘わんとばかりに再度咆哮を上げた。

 竜の咆哮は空気を震わせ、五人の肌へと伝う。恐怖を覚えるエリオットとマキアス。動揺と焦りを見せるフィーとラウラ。眼前に立ちはだかる強大な存在を視界へ収めながら、敗北の文字が四人の脳裏を過る。

 しかし、彼だけはこの状況でも諦めていなかった。

 

 

「はあああああっ!」

 

 

 右手に握り締めた刀へ闘気を纏わせ、両手持ちに切り替えると地面へ向かって振り下ろす。発現した闘気は周囲へ拡散し、竜の放っていた瘴気を打ち消すと共に萎縮していた四人の心を奮い立たせた。自身の心から恐怖や焦りが消失した事で、リィンの後ろに立つラウラ達は驚きの表情を浮かべている。

 自分達が培ってきたものは、こんなところで砕けるほど脆くは無いと。この状況を打破できるだけの力なら、今の自分達でも十分持ち合わせている筈だと。己が信じる仲間を背に、リィンは刀を構え直すとその場で唐突に叫んだ。

 

 

「みんな、気合いを入れるぞ! 今回の実習で俺達が得てきたものを考えれば──勝てない相手じゃないッ!」

 

 

 剣先を竜へと向けながらリィンが告げる。この光景を見た者はきっと、立ち向かう彼を愚かな人間だと嘲笑う事だろう。人の身でこんな化け物に敵う訳が無いと。

 だが、そんなリィンの声は確かに四人へと届いた。焦りを見せていたラウラとフィーはその顔に笑みを浮かべており、エリオットとマキアスの表情からは既に怯えが消え去っている。自身の得物を握り締め、五人全員が立ち向かう決意をその胸に宿していた。

 

 

「悪あがきを……さあ、暗黒時代の魔物よ。この、愚かで、哀れな若者共に無慈悲なる鉄槌を下すがいい……!」

 

 

 両手を掲げたギデオンは、リィン達の敗北を確信している。後方で笑みを漏らす二名のテロリスト共々、暗黒竜の負けなど微塵も思っていない事だろう。

 しかし、この時彼らは知らなかった。人の持つ可能性──意志の力の強さというものを。

 

 

「総員迎撃準備、全力で撃破するぞ!」

 

 

 リィンの掛け声を合図に、各々は自身の役割を果たすべく駆け出した。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 リィン達が暗黒竜との一戦を地下で繰り広げている時刻。突然のテロリストの襲撃により、混乱へ陥った帝都の街中を一台の導力車が走行していた。ARCUS片手に誰かと通信しながら運転をしているのは、鉄道憲兵隊大尉のクレア=リーヴェルト。そして運転する彼女の隣の助手席へ座っているのは、トールズ士官学院Ⅰ年Ⅶ組担任のサラ=バレスタイン。

 二人は現在、クリスタルガーデンにいるレーグニッツ知事からテロリスト襲撃の連絡を受けて急遽マーテル公園へと向かっていた。現在の状況が緊急事態であるのは確かなのだが、クレアもサラもその表情はいたって冷静で落ち着いている。動揺の色一つ見えない辺りは、流石氷の乙女(アイスメイデン)紫電(エクレール)と言ったところか。

 クレアは通信を終えたのか、懐に納めると導力車のアクセルを踏み込んで車の速度を上げる。そしてそんな彼女を横目に見ながら、サラが不意に口を開いた。

 

 

「完全にしてやられたわね。まさかグランの動きまで封じられるとは思わなかったわ」

 

 

「はい。ですがそれ以前に、グランさんにはヘイムダル大聖堂の方へ警戒に回るようお願いした筈なのですが……」

 

 

「今回みたいな連中の相手はあの子の方が専門でしょう。本命を出し抜かれた辺りは、悔しかったりするのかしら?」

 

 

「あはは……流石は要人警護のスペシャリストと言ったところですね。独断専行さえなければ、頼もしい限りです」

 

 

 痛いところを突いてくると、クレアは苦笑を漏らしながらサラに対して涼しげな声で答えた。思ったような反応が返ってこなかったのか、サラはそんなクレアを面白くないといった様子で見ている。大人げない事この上無い。

 グランによって皇女の誘拐は阻止する事が出来た。ヘイムダル大聖堂や競馬場でもテロリストの襲撃はあったが、そちらはクレアの指示によって現場の憲兵が対応し、加えてアリサ達B班の協力もあったので問題は無い。皇族の人間は一人も負傷せず、テロリストが企てていた計画は阻止したと言ってもいいだろう。

 しかし、それにしては腑に落ちない事がある。それは現在グランが対処しているドライケルス広場の襲撃について。既に帝都民や観光客達が避難を終えている場所での突然の爆発、その意図については彼女達も未だ分からずにいた。

 

 

「……ドライケルス広場の襲撃、サラさんはどう思われますか?」

 

 

「広場を襲う理由は私にも分からない。避難誘導であの子達の移動が遅れていたから結果的にグランが対処に回ったみたいだし……彼らにしてみれば運よく事が進んだんでしょうけど」

 

 

「……トールズの二年生、生徒会長のトワ=ハーシェルさんとログナー侯爵家のアンゼリカ=ログナーさんでしたか。先程、司令所の方から二名の学生を保護したとの連絡がありました」

 

 

「さっきの……広場から避難してヘイムダル駅に向かったんでしょう。無事で良かった、グランは無駄足になったか……っ! まさか──」

 

 

「私も同じ事を考えました。限り無くゼロに近い確率ではありますが」

 

 

 会話の最中、驚いた様子で声を漏らしたサラに対して同じ考えだとクレアは頷いた。限り無くゼロに近い確率と彼女が話すそれは、テロリストが今回トワ達が帝都に訪れる事を前提にした上で広場の襲撃を企てたという推測によるもの。

 しかし、テロリスト達による襲撃は仕込み等を考えても随分前から計画されていた筈だ。トワ達が当日帝都に訪れる、それもドライケルス広場にいるなどという不確定な要素をあてにして今回の事を起こすわけがない。もしそれすらも必然的にするのであれば、彼女達が帝都に訪れるように何かしらの手を打たなければいけないだろう。テロリスト達にそれが出来るはずもない。

 更に不確定な要素を上げるとすれば、そもそもグランが広場の応援へ駆け付ける事自体が確定的ではない。憲兵達が対応をしている上に彼の助太刀が必要な事態ともなれば、余程の出来事である。実際のところは憲兵達でも対応しきれないほどの事態が広場で発生しているのだが、現場から一切の連絡が無い状況で彼女達がそれを知り得る筈もない。

 

 

「何れにせよ、今はリィン達が追っているテロリストの拘束を最優先に……ん?」

 

 

 会話の最中、ふとサラの懐から呼び出し音が鳴り響く。彼女が取り出したARCUSが発するそれは、何者かによる通信が来ている事を意味する。僅かに首を傾げた後、サラはARCUSの通信を繋げた。

 通信先の人物の声を耳にして、彼女は驚きの表情を浮かべる。それもそのはず、サラの通信相手は現在ドライケルス広場にいる筈のグランだった。

 

 

「グラン! どう、そっちの状況は……」

 

 

≪大型魔獣十五体、自立制御型の機械人形四十八体。計六十三体の魔獣の群れが広場に現れました。それによって憲兵達は何人か負傷しています≫

 

 

「なっ!? 魔獣と機械人形ってどういう事!?」

 

 

≪足留めに差し向けてきたようです……今回の件、間違いなく『蛇』の連中が関与しているかと≫

 

 

「……っ……! そう……」

 

 

 通信先のグランが行う状況報告にサラは驚きの表情を見せ、彼が発した『蛇』という言葉には一段と反応を示してその目を見開いていた。しかし彼女の僅かな動揺も一瞬、既に表情は険しいものへと変わっている。

 彼女達の知らぬ間に、広場で起きていた予想を上回る異常事態。とは言えグランの無事はイコール既に事態は収拾しているという事になる。その点はサラも特に心配していなかった。

 

 

「それで、当然魔獣と機械人形の方は片が付いたんでしょう?」

 

 

≪ええ、既に片付きました。これからオレもマーテル公園へ向かいます。それとトワ会長達ですが……≫

 

 

「トワとアンゼリカなら大丈夫、無事に鉄道憲兵隊の司令所へ着いたそうよ」

 

 

 トワ達の身を心配している彼へ、サラは笑みをこぼしながら二人の無事を伝える。彼女の話を聞いたグランはホッと胸を撫で下ろしたようで、通信先からは安堵のため息が漏れていた。これでもう懸念事項は残されていない、後は犯人を拘束するだけ。サラはグランからの状況報告を聞き終え、そんな風に考えていた。

 しかし、直後にグランが発した言葉に彼女は一抹の不安を覚える。

 

 

≪そうですか……良かった。これで思う存分やれる訳だ≫

 

 

「えっ? グランあんた今──」

 

 

 その声は普段のグランよりも少し低く、どこか残忍な印象を思わせるものだった。サラは慌てて聞き返そうとするが、通信を切られたため言葉の意味を問い質す事は出来ず。彼女は困惑した様子でARCUSを懐へ納めた。

 車を運転しているクレアも彼女の異変に気付いたようで、チラチラとサラの顔へ視線を移しながら様子を窺っている。車内に暫しの沈黙が流れた後、頭を抱えたサラは悔しげな表情で声を発した。

 

 

「不味いわね。あれは完全にスイッチが切り替わってた……今回のテロリスト達、多分無事じゃ済まない」

 

 

「通信はグランさんからのようでしたね……とにかく今は、出来るだけ早く現地に向かいましょう。彼らの身柄を無事に拘束するためにも」

 

 

「ええ、飛ばしてちょうだい!」

 

 

 不穏な空気が漂う中、事態を察したクレアはアクセルを更に踏み込んで導力車の速度を上げるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 帝都の地下、地下墓地(カタコンベ)の奥地では現在進展を迎えていた。剣戟は止み、銃撃音は収まりを見せ、地下一帯に響いていた竜の咆哮さえも聞こえない。激戦が繰り広げられていたその場所は不気味なほどに静まりを見せ、静寂な空間が広がっている。

 それもそのはず。リィン達は竜を見事に撃破し、三人のテロリスト達を完全に包囲するに至った。ギデオンの持っていた降魔の笛はリィンが破壊したため、彼らは増援を呼ぶことも敵わない。そのまま鉄道憲兵隊の到着を待ち、彼らの身柄を引き渡す事で事件を終えるはずだった……そう、そのはずだった。

 しかし、ギデオン達を包囲していたリィン達の前に突如テロリストの仲間と思しき二名の男女が現れる。片手剣使いの女と巨大なガトリング砲の使い手である屈強な男。その二人によってリィン達の包囲は崩され、テロリストの拘束をするには困難な状況へと変わってしまう。

 そして、事態は更にリィン達にとって困難な状況へと変化する。それはテロリスト達のリーダー、マントを身に付けた《C》と名乗る仮面の男の登場だった。人数だけを見てもリィン達が五人、対してテロリスト達は六人。場は明らかにリィン達の劣勢だった。

 

 

「どうかな? これで双方引くというのは。学生の身である諸君がこれ以上深追いする事もないだろう」

 

 

「……聞けないな」

 

 

「恐れ多くも殿下達の身を危険に晒した事、到底見過ごす訳にはいかぬ」

 

 

 変声器を通して話す仮面の男の提案は、リィンとラウラが即座に却下する。犯罪者を目の前にして見逃すなど、彼らの選択肢にあるはずもない。フィー、エリオット、マキアスの三人も同意見のようだ。

 とは言えこの状況ではリィン達も攻め倦ねている。後から現れた三名は対峙しただけでもその実力の高さは窺え、加えて数の利を考えれば勝算も少ない。つまり彼らの最善の選択肢は、何とか時間を稼いで鉄道憲兵隊の応援を待つ事。間違ってもこの状況下で拘束しようなどと考えない事である。そして、それが分からないほどリィン達も馬鹿ではない。

 

 

「あんた達はどうしてこんな事をするんだ? 罪の無い人達を巻き込み、殿下までもを危険に晒した……許される事じゃないと分かっている筈だ」

 

 

「フフフ……教えてもいいのだが、ただで話すのも面白くないか。相手をしてやろう、諸君の健闘によっては詳しく話してもいい」

 

 

 一戦交えないかと提案する仮面の男は、何と直後に一人でリィン達の前へ近付いた。それは他でもない、彼一人がリィン達五人の相手をするという意味だろう。男の後方にいる仲間達は異存無いようで、余裕の表情で仮面の男の後ろ姿を見守っていた。

 確かに仮面の男は高い実力を秘めているようだが、リィン達とて武術訓練や特別実習を経験して成長している。特にⅦ組の中でも群を抜いているラウラとフィーが揃っているこのメンバー相手に、男一人で太刀打ちするのは少し無理があるようにも思えた。仮面の男の行動には、やはりリィン達も驚きを隠せない。

 

 

「なっ……!」

 

 

「……面白い」

 

 

「……すごい自信」

 

 

「嘘、だよね?」

 

 

「この男、正気か?」

 

 

 完全にリィン達は舐められている。彼らにもプライドはある、このような挑発とも取れる行為をされて余り良い気分ではないだろう。それぞれが得物を構え、応戦する姿勢を見せていた。

 そんな彼らの姿に満足したのか、仮面の男も直後に得物を取り出す。棒術のように回転させながら取り出したそれは、非常に特殊な武具だった。双刃剣(ダブルセイバー)、両端に刃が付いたその得物は、扱う人間を選ぶ暗黒時代の遺物である。

 

 

「さあ、何処からでもかかってくるといい」

 

 

「くっ……みんな、行く──」

 

 

──お前らは下がってろ──

 

 

「……えっ?」

 

 

 仮面の男の言葉にその場を駆け出そうとしたリィンは、何処からともなく聞こえてきた声に若干の驚きを見せながら動きを止めた。そして声が聞こえた後に突然彼の横を紅い閃光が駆け抜ける。閃光は仮面の男の真上で止まり、そこには紅く染まった刀を構えるグランの姿が突如現れた。

 

 

「奥義、閃紅烈波!」

 

 

 上空から訪れた刀による強襲は剣戟の音を奏で、同時に仮面の男を後方へと吹き飛ばした。仮面の男は体勢を立て直すも苦悶の声を上げて膝をつき、その後ろに立つテロリスト達は突然の事態に皆驚愕の表情を浮かべている。その場にいる全員の視線が、突然の介入者である彼へと一斉に向けられた。

 振り下ろした刀は地面を抉り、その身には周囲の空間をも震わせる紅き闘気を纏っている。直後に立ち上がったグランは僅かに顔を後ろに向け、驚きに染まったリィン達の顔をその瞳に映していた。

 一方で、彼の姿を確認したリィンとラウラは驚きの声を上げる。

 

 

「グラン!?」

 

 

「どうしてそなたがここに!?」

 

 

「広場の騒動が片付いたんでな、少しばかり挨拶でもと顔を出したんだよ。しかし……今の一撃を耐えるか」

 

 

 二人の疑問に答えた後に、グランは一層鋭くさせた視線をテロリスト達へと向ける。力を抜いた牽制とは言え奥義を凌がれたのだ。仮面の男の実力は相当なものだとグランも警戒を強める。

 とは言えグランの加入によって数の差は無くなった。形勢が逆転したとまでは言えないが、少なくとも善戦は出来る筈だ。それこそ鉄道憲兵隊が来るまでにこの場を持ちこたえるだけなら無理な相談ではない。

 そしてそう考えていたリィンだからこそ、次にグランが発した言葉に驚きを隠せなかった。

 

 

「悪い、ここから先はオレ一人に任せてもらう」

 

 

「っ!? 待ってくれグラン、一体どういう──」

 

 

「アンタらの中でまともに戦えそうなのは三人か……来い、纏めて相手をしてやる」

 

 

 グランは刀を両手持ちに切り替え、顔横で構えるとその剣先をテロリスト達へと向ける。直後に彼を中心に発現した膨大な紅き奔流は、テロリスト達だけでなく後方にいるリィン達をも仰け反らせた。グランの闘気に充てられて空間は震え、その場にいる全ての者達が強烈に肌を焼かれる錯覚を覚える。

 テロリスト達は驚きの声を漏らしながらも、仮面の男を筆頭に片手剣を持つ女とガトリング砲を構えた男がグランの前へと対峙した。双刃剣、片手剣、ガトリング砲、その矛先が全て刀を構えたグランへと向けられる。

 

 

「あらあら、私達も舐められたものね」

 

 

「ハッハーッ! かの有名な『紅の剣聖』と一戦交えられるたぁ、光栄だぜ」

 

 

「フフフ……我らも甘く見られたものだ。鉄道憲兵隊が到着する暫しの間、存分に相手をしてやろう。その威勢、いつまで続くかな?」

 

 

 無謀だと、リィン達はグランの背中を見詰めながら考える。グランの実力の高さは嫌と言うほど彼らも知ってはいるが、それを含めてもテロリストの三名は何れも実力者だ。戦力は未だ分からないが、リィン達が知っているグランの実力ならこの三名相手はかなり厳しい。

 しかし、それはあくまで“今までの”グランならという話だ。

 

 

「八葉一刀流、弐ノ型奥義皆伝、グランハルト=オルランド。これより目標の殲滅に入る。ドライケルス広場の襲撃で会長を傷付けた報いだ……仮面を割られたくなければ精々防御に専念するんだな!」

 

 

 帝都の地下、グランとテロリスト達による第二幕が開戦する。




まさかの無双無し、ごめんなさい石投げないで……!

何故かリィン達の様子とかクレアとかサラとか書いてたらこんな事になりました……オレTUEEEEはもう親父ーズに全任せしようと思います。取り敢えず5章で光の剣匠辺りに一回……

次回でテロリスト達との絡みは終えて会長との対話に。漸く会長との嬉し恥ずかしな絡みが……!


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戦鬼の息子の片鱗

 

 

 

 剣戟と轟音、銃声による三重奏。帝都の地下の一画では轟音を伴いながら次々と局地的な爆発が巻き起こる、壮絶な戦いが繰り広げられていた。地下墓地で行われているグラン対テロリスト三名の一戦により、周囲の地形は一瞬にして変容を遂げている。

 グランが振るった刀を仮面の男が寸前で回避すれば、行き場を失った力は轟音を伴って地面を抉り、その余波によって爆煙が巻き起こると共に地下一帯を激しく揺らす。余波は止まる事を知らず、回避に徹底した仮面の男がグランの攻撃を受け流す度に刀は地に亀裂を入れ、轟音を響かせて次々とクレーターを造っていた。二人の攻防と言うよりはグランの一方的な攻撃で地形は次々と変容し、瞬く間にその場を戦場と化していく。これが人の手によって繰り広げられているのだ、最早近代兵器どころの騒ぎではない。

 しかし、それほど強力な攻撃を繰り出すには動きも連なって大きくなる。それこそが仮面の男がグランの太刀を何とか避ける事の出来る要因であり、彼らの攻めいる隙でもあった。

 

 

「ふふ、背後がお留守よ!」

 

 

 グランの隙を窺っていたテロリストの一人、片手剣を手に持った女は刀を振り下ろしたグランの後方へ向けて駆け出す。背後からの死角、仮面の男に意識が向いているグランにその剣技を浴びせようと瞬時に接近した。

 そして彼女が剣を振るった直後、驚く事に女は突然後方へと吹き飛ばされる。接近に気付いていたグランによる横一閃が彼女の剣を弾いていた。少年の姿からは想像もつかない桁外れの膂力に体を震わせながら、女は空中で体勢を立て直すと地面へ着地を決める。

 

 

「この子、本当に人間なのかしら?」

 

 

「残念ながら人間だ。アンタ達と同じな……!」

 

 

 女の剣を弾いた後、グランは後方から追撃に迫ってきた仮面の男の双刃剣を受け止める。刀と双刃剣は金属音を伴って火花を散らし、数秒間の小競り合いの末に両者がそれぞれ相手の武器を弾いてバックステップを取った。

 

 

「これならどうかしら……!」

 

 

 グランが後退した直後、体勢を立て直していた女は不意に離れた場所で手に持った片手剣を振るう。女の立ち位置はグランの後方、死角での行動に彼が気付ける筈がない。片手剣の刃は分裂、鋼糸に繋がった連結刃となってグランへ襲いかかる。

 しかし、グランはまるで後方が見えているかのように連結刃が触れる直前でその姿を掻き消した。ここまで容易く見破られていた事に女は驚き、連結刃を引き戻してその形状を片手剣へと戻す。

 

 

「伍ノ型──残月」

 

 

「くっ……!?」

 

 

 姿を掻き消していたグランは既に仮面の男の背後へ回っていた。訪れた抜刀の一振りを仮面の男は何とか受け流すも、続けて刀による袈裟斬りが襲う。男は間一髪反応すると上体をそらす事で避け、二撃目に訪れた逆袈裟は両手持ちにした双刃剣で受け止める。しかし現在の間合いを不利と判断したのか、仮面の男はグランの放つ刀の力を利用して後方へ下がった。

 そして直後にグランへ向かって銃弾の嵐が降り注ぐ。後退した仮面の男へグランが意識を向けている事を逆手に取った銃撃。戦いの中で気配を消していた屈強な男が放ったガトリング砲による銃連射。だがそれすらも見切っていたらしい、グランの姿は銃撃を浴びた直後に掻き消える。

 

 

「チッ、気付いてやがったか」

 

 

「法剣も見抜かれちゃってたわ」

 

 

「紅の剣聖……多対一の戦闘を得意としているのは聞き及んでいたが、まさかこれ程の実力とは」

 

 

 誰もいない筈の地点を三方向から見詰め、テロリスト達は驚きの声を漏らしていた。彼らの見詰める先、人影すら無かったその場所には蜃気楼の如くグランの姿が現れる。東方の武術に取り入れられている氣を操作しての分け身と呼ばれる技、それに伴う気配遮断は三人を同時に欺く程完成度の高いものらしい。

 テロリスト達の視線を一身に受け、グランは再度その刀を構えた。

 

 

「成る程、防御に徹されると流石に押し切れないらしい」

 

 

「ケッ、よく言いやがるぜ。こっちとしちゃあこれでも十分押し切られているつもりなんだがな」

 

 

「……出し惜しみしても仕方がないか」

 

 

 ガトリング砲を構えた男が地面へ唾を吐き捨てる中、ぼそりと呟いたグランはゆっくりとその瞳を伏せる。直後に彼が纏っている闘気、その紅き奔流は更に膨れ上がった。

 

 

「オオオオオ──ッ!」

 

 

 地下一帯に震動を起こす戦鬼の叫び(オーガクライ)。グランを中心に突如発生した衝撃波は、空気を伝って周囲の空間を震わせる。彼を三方向から囲んでいたテロリスト達、戦いを見届けている彼らの仲間やリィン達ですらもその闘気に充てられて苦悶の声を漏らした。数秒後に紅い奔流が収まりを見せたその場所では、紅く染め上げられた刀を手に持つグランの姿が陽炎の如く揺らめいている。

 刀を再度顔横に構え、剣先を仮面の男へ向けながら彼は告げた。

 

 

「見切れるか! 万端を断つ終焉の太刀、視認の敵わぬ閃紅の刃を──」

 

 

 グランが目を見開いた後、突如その姿が掻き消える。同時に気配すらも消失した事にテロリスト達三人が驚きを見せる中、直後に彼らを不可視の斬撃が襲うのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「これが……これがそなたの本当の……」

 

 

 漸く揺れの収まった地下墓地の一画。グランを三方向から囲んでいたテロリスト達が地に膝を着き始める中、その中心で刀を支えに片膝を着きながら息を切らすグランを視界に捉えてラウラは一人呟いた。紅の剣聖の実力、グランの力を前にその体を震わせる。

 ラウラは六月に行われた実技テストの折り、予想外の事態によって起きたグランとサラの戦闘を目にして彼の全力に驚いた。今の自分では到底及ばない実力差。それでもその時の戦闘を見る限りでは一太刀くらいは対応出来る範囲であり、努力を積み重ねればいつの日かあの領域にも届く筈だと彼女は感じた。

 それなのに、今目の前で行われた一戦は何だ。個々が自分達よりも実力の高い三人のテロリスト達、そしてそれをたった一人で無力化したグラン。人の域を遥かに超越した剣技、人の身で辿り着けるのかすらも怪しい未知の領域。実技テストの際にグランが手を抜いていた節は見られなかった、だったら今目の前でテロリスト達を相手にした彼は誰なのだと。

 本当はラウラも分かっている。これがグランの全力、紛う事なきグランハルト=オルランドの真の姿なのだという事を。これ程の光景を見せられたのだ、信じるより他ないだろう。

 

 

「(私はグランの剣が好きだ。なのに何故だ、そなたの剣を前にして体の震えが止まらない。私は、私はそなたが好きなのに……!)」

 

 

 現在自身が抱いている恐怖を振り払うかのように、辛そうな表情のラウラは己の心へ向かって言い聞かせる。自分はグランの剣が好きだ、彼の太刀筋が好きなんだと。しかし、それでも彼女の体の震えが止まる事は無かった。

 ラウラは必死に恐怖を押し殺そうとひたすらに大剣を握り締める。そして片膝を着いていたグランがその場を立ち上がる中、ラウラはその姿を瞳に映しながらケルディックの街道で彼と交わした会話の一部を思い出していた。初めてその力の一端を垣間見た時、人相手に使えないとグランが話した事に対して自身が抱いた疑問を。

 

 

──どうしてだ? 先程のそなたの力なら、かなりの強者とも渡り合えるのではないか?──

 

 

──力だけならな。その代わり、今まで培った八葉の剣は、ただの暴力にしかならないが──

 

 

「(っ!? そうか……そういう事であったか)」

 

 

 そして彼女は恐怖の正体に気付く。それはグラン自身が話していた、己の持つ力が八葉の剣をただの暴力に変えてしまうというもの。ラウラが好きなグランの太刀筋が、その力によって暴力へと変化しそうな今の状況に彼女は恐れを抱いた。自身の好きな彼の太刀筋が、力に飲み込まれて失われてしまいそうで。

 勿論グランは力を律する事が出来ている。当時のグランがそういった表現をしたのも、別に己を制御できないからという訳ではない。だが彼女はグランが力を求める理由を知っている、分かっていてもその不安は頭を過ってしまう。

 だから今は少しでも彼の近くに、グランは自分が支えなければ。そう思い至るや否や、大剣を納めたラウラはリィン達の驚きの声を耳にテロリスト達が囲む輪の中、刀を納刀したグランへと駆け寄る。

 

 

「流石に連発はキツかっ──」

 

 

「グランっ!」

 

 

「って! なっ、何だラウラ!?」

 

 

 突然の抱擁。冷めた表情を浮かべていたグランは突如体に訪れた衝撃に痛みを覚え、直後に背中へ感じた柔らかさに戸惑うも、背後で体を抱き締めてくるラウラに向けて困惑の声を上げた。離れるように彼は言葉を投げ掛けるが、その度にラウラの抱き締める力は強まっていく。

 ドライケルス広場の時から少々無理をしていたグランは更に訪れる痛みと柔らかさに葛藤を覚えるも、このままでは体が保たないと判断してラウラを何とか引き剥がす事に成功した。脇腹を押さえながら、目の前で不安げな表情を浮かべる彼女へと視線を移す。

 

 

「す、済まぬ。こうしないと、そなたが何処かに行ってしまいそうで……」

 

 

「何処かって……お前はオレの彼女か何かか」

 

 

「いや、その……だから私はそなたの剣が好きで、このままではそなたの剣が失われてしまいそうだったからこのような方法を取っただけで他意は無いというか……っ!? だ、誰が彼女だ!」

 

 

「いや、何を言ってるのか分からんし。怒鳴られる意味も分からん」

 

 

 顔を真っ赤に染めて怒鳴り声を上げるラウラ、そしてそんな彼女をグランは半分呆れた表情で見詰める。とてもテロリスト達のいる緊迫した状況とは思えないほど、場は既に和んでいた。

 しかし、二人を囲むテロリスト達が立ち上がった事でその空気は再び張り詰める。

 

 

「チッ……太刀の入れようが甘かったか」

 

 

「っ!? この者達は完全に無力化出来ていた筈。何処にこのような力が……」

 

 

「フフフ……どうやら侮っていたのは此方だったようだ。紅の剣聖、流石は最強の猟兵に数えられるだけの事はある」

 

 

 グランは刀を、ラウラは大剣を構えて立ち上がった三人の姿を見渡した。仮面の男が感嘆の声を漏らす中、三者は得物をそれぞれ構え直し戦う意思を見せている。とても体力が残っているようには見えない、彼らは既に執念のみで体を動かしているようだった。

 あと数太刀、浴びせる事が出来れば今度こそ完全に無力化出来るだろう。しかしテロリスト達と同様、グランにも体力の限界がきていた。ドライケルス広場に続いてテロリスト達との連戦、太刀のキレが衰え始めている。

 戦いを傍観していたギデオンを含む三人のテロリストが加勢に入る中、包囲されたグランは仮面の男へ向けている視線を一層鋭くさせながら声を漏らした。

 

 

「……ラウラ、一人で法剣使いの女を凌げるか?」

 

 

「少し厳しそうではあるが、何とかしてみせよう。それに──」

 

 

「私達もいる」

 

 

 額に汗を流しながら、笑みを浮かべて答えたラウラの視線の先。テロリスト達の包囲網を潜り抜け、輪の中へ入り込んだフィーの姿が彼女の隣にあった。女の後方では控えていたリィン達四人もその手に得物を構えている、フィーと同様これから加勢に入るつもりなのだろう。

 戦うのは自分一人ではない、皆がいるから心配は無用だと。大剣に力を込め、ラウラがその場を駆け出そうとしたその時──

 

 

「そこまでです!」

 

 

 突如地下へ響き渡った涼しげな声、開戦直前だった一同が視線を向けた先。そこには導力銃を構えるクレアと、ブレードと導力銃を両手に持つサラの姿が現れた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 クレアとサラ、その他鉄道憲兵隊の応援が到着して状況を優位に変えたリィン達。しかしテロリスト達は彼らの一瞬の隙をつき、ある宣言を残して地下から退却を始めた。予め各所に仕込んでいた爆薬を起動させ、地下を崩落させる事で追跡を逃れる。

 これ以上の深追いは危険だと判断したグランによって一同は地下墓地から退却。彼らが退却した後に道は完全に崩落し、テロリストの追跡は不可能となった。一同は崩落した道の先を悔しげに見詰めた後、各々の無事と成果を讃えて帝都の地下をあとにする。

 リィン達はマーテル公園に戻り、クリスタルガーデン内では彼らの帰還を見つけたアルフィンとエリゼ、レーグニッツ知事の三人が一同の元へと駆け寄った。リィンの身を案じていたエリゼか彼に抱きつき、心配をかけた事に対してリィンが謝るといった光景が広がっている中、その様子を端から見ていたグラン達の元へ一人の少年が歩み寄ってくる。

 

 

「ふん、どうやらテロリスト共の拘束は敵わなかったようだな」

 

 

「お前は、Ⅰ組の……」

 

 

 グランの前へと現れたのは、此度の園遊会に呼ばれて出席していたパトリックの姿だった。二人が対面した事でグランの後ろに立つラウラとフィー、エリオットとマキアスの四人は冷や汗を流す。つい先程地下であのような光景を目撃したのだ、六月の実技テストの一件を知っている四人がこの状況を見て焦らない筈がない。

 しかし、そんなラウラ達の心配も束の間。パトリックが腰に下げている剣を確認したグランは、笑みを浮かべて彼の前へ右手を差し出した。

 

 

「リィン達がいない間、ご苦労だったな」

 

 

「っ!? うっ、うるさい! 別に君達の為にここを守った訳ではない、僕は貴族として当然の義務を果たしたにすぎ──」

 

 

「礼は素直に受け取っておくもんだ」

 

 

「くっ……」

 

 

 グランが無理矢理握手を交わし、それが恥ずかしかったのかパトリックは彼の顔から視線をそらした。それでもグランの手を振り解こうとしない辺り、彼自身グランの感謝の言葉を耳にして悪い気はしていないようだ。そんなパトリックの姿を見ていたマキアスは、素直になれない男だと困ったように笑みを浮かべていた。

 近衛兵の尽力もあり、突如マーテル公園を襲った魔獣の群れは既に殲滅を完了している。事後処理とテロリスト達の足取りは鉄道憲兵隊へ一任する事になり、リィン達はサラの指示で一度ヘイムダル駅の鉄道憲兵隊司令所へと向かうことになった。

 憲兵の運転によって導力車でヘイムダル駅へと訪れた一同は、司令所内部へ通されて個々が休息を取るように言い渡される。戦闘で体力が消耗していたリィン達にとっては非常に有り難かったようで、重要な区画以外の立ち入りが許される中で個々が休息に入った。

 そして現在。グランを除くリィン達五人の姿は、司令所内のブリーフィングルーム前にあった。

 

 

「いや、しかし驚いたな」

 

 

「ふふ、ラウラも大胆だね」

 

 

「うぅ……そなた達、からかうのも程々にするがよい」

 

 

 地下での一件、ラウラが突然グランに抱き付いた時の事を思い出しながら笑みをこぼすリィンとフィー。そんな二人の声に羞恥心で頬を赤く染めながら、やってしまったといった様子でラウラは顔を俯かせていた。状況が状況だっただけに、彼女の取った行動はそれはもう衝撃的だった事だろう。導力車で移動する最中、他言無用だとラウラがもの凄い剣幕でリィン達に詰め寄っていたのは彼らの記憶に新しい。

 テロリスト達を拘束する事が出来なかった今回の襲撃事件。とは言え皇女の身が拐かされる事は阻止でき、襲撃による被害は少なからずあったものの大事には至らなかった。アリサ達B班も西側で起きた襲撃の対処に貢献したようで、Ⅶ組は学生の身ながら十分な働きをしたと言えよう。

 しかし今回の事をリィン達が納得している筈もない。皇族の身を脅かした不届き者、テロリスト達を捕らえられなかったのは彼らもやはり悔しかった。この先テロリスト達が何か事を起こす可能性は非常に高い、それをさせないために今回捕らえるべきだったとリィン達は考えているからだ。

 本来それは鉄道憲兵隊や領邦軍の仕事なのだが、今回ばかりは彼らがそう考えてしまうのも仕方がないようにも思えた。その理由は、地下墓地から逃走したテロリスト──仮面の男が最後に残した言葉にあった。

 

 

「静かなる怒りの焔をたたえ、度し難き独裁者に鉄槌を下す……」

 

 

「帝国解放戦線……テロリスト達が言っていた言葉だよね」

 

 

 エリオットが顔を向ける先、マキアスが口にしたそれは去り際に自分達の事を帝国解放戦線と名乗った彼らが残した言葉である。その言葉が意味するもの、誰を指したものなのかは火を見るより明らかだった。帝都民からは絶大な支持を得ながらも、その強引すぎる手腕で恨みを買う事も多いとされる鉄血宰相。ギリアス=オズボーンを指す言葉である。

 と言ってもこれらの事をリィン達が深く考える必要はないだろう。あくまでテロリスト達の対処は鉄道憲兵隊の仕事であり、今回彼らは巻き込まれた形で協力こそしたが普段は一介の士官学院生だ。帝都で行われる残りの特別実習を確実にこなす事が、今のリィン達の仕事である。

 

 

「彼らにどんな理由があって事を起こしたのかは気になるけど、今は一先ずサラ教官とB班の帰りを待とう。話はその後でも遅くはないんじゃないか?」

 

 

「それもそうだな」

 

 

 リィンの提案にマキアスが納得する形で終え、テロリスト達に関する話はここで終わりを迎える。次に彼らの話題に上がったのは、テロリスト達と単体で互角以上の戦いを繰り広げていたグランの事だった。

 これまでリィン達がグランを見てきた中で、衝撃的だったのは六月に行われた実技テストの一件だ。周囲を飲み込む膨大な闘気、あのサラですら終始後手に回って敗北を喫した程の実力の高さ。明確な実力差に、当時のリィン達が衝撃を受けたのは当然である。

 それでも今回のグランはその時と比較しても明らかに異常だった。人に為せるとは思えない技、何一つとして理解の追い付かなかった未知の領域。そして、少しでも近づけば一瞬にして意識を飲み込まれてしまいそうな底知れない紅の闘気。ただ眼前の敵を殲滅する事を考えただけの一方的な暴力は、グランを仲間の一人と受け入れていなければ彼らもきっと恐怖に怯えていた事だろう。

 

 

「(まるで、あの時の俺と同じような……いや。制御出来ているのと出来ていないのとでは全く違うか)」

 

 

「リィン、どうかしたのか?」

 

 

「ラウラ……いや、グランは凄いなと思ってさ」

 

 

「……そうだな。我らももっと、精進せねば」

 

 

 リィンが黙り込んでいる様子を気にしたラウラが声を掛けた先。頭を掻きながらばつの悪い顔をするリィンを見て、彼女は笑みをこぼした後にぐっと右の手を握り締める。今回グランの本当の姿を前にした上で、改めてラウラの中でも決意が固まったようだ。

 そしてそんな折り、ふとフィーが疑問の声を漏らす。

 

 

「そう言えばグランは?」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 鉄道憲兵隊司令所内部の救護室。室内の角に置かれた白いベッドの上で、上体を起こしながら表情を落ち込ませるトワの姿があった。そしてそんな彼女の傍、ベッドの横にある椅子にはグランが座っている。両者は先程から沈黙を貫き、どちらも話を切り出そうとする素振りを見せなかった。

 自身の身を助けにグランが訪れた事で、結果的にテロリスト達を拘束出来なかったとトワは思っている。ここはテロリスト達の対応を行っている鉄道憲兵隊の本拠地、いやでも情報は入ってくるだろう。責任感の強い彼女が、今回の一件で自責の念に駆られてしまうのは仕方がないのかもしれない。

 実際のところ、ドライケルス広場で突然発生した異変の際、迅速な対応で避難誘導を完了させるという見事な手腕を彼女は見せた。本来今回の一件でトワが誉められる事はあっても、彼女が思っているように責められる事はない。グランもその辺りをよく分かっているからこそ、中々話を切り出せないのだろう。

 

 

「……ごめんね、グラン君」

 

 

 グランが救護室に訪れて、トワが漸く紡いだ言葉は謝罪だった。自分のせいでグランはテロリストを捕まえられなかった、彼の仕事を邪魔してしまったと。

 彼女からの謝罪を受けて、グランは笑みをこぼしていた。声が出せないのかと心配した、そう冗談混じりに返しながら彼は当時の状況を口にする。

 

 

「あの時広場一帯には、導力波を妨害する強い力場が広がっていたようです。現場の状況を、司令所の憲兵達が直ぐに把握できなかったのも仕方がないでしょう」

 

 

「そっか。だからサラ教官にも連絡出来なかったんだ」

 

 

「そういう事です。第一オレも、広場が襲撃に遭うなんてこれっぽっちも思いませんでしたよ。現場に急行してみれば、魔獣と訳の分からない機械人形達がドンチャン騒ぎで夏至祭楽しんでるし……」

 

 

「ふふ……ありがとう、元気付けてくれて。何だか慰められちゃったね」

 

 

「それが今のオレの役目ですから」

 

 

 冗談混じりの状況報告は、何とか落ち込んだトワの気持ちを慰める事が出来たらしい。笑顔を浮かべ始めた彼女を見て、グランも安心したようにため息を吐いていた。

 二人は笑いを混じえながら、楽しそうに会話を再開する。先までの静まり返っていた空気は嘘のようで、周囲で手当てを受けている憲兵や医務官もその光景に和んでいた。空気を読んでか手当てを受けた憲兵達は静かに退室し、医務官も隅に移って次の業務を行い始める。

 

 

「しっかし、あの時トワ会長顔がベトベトだったんですけど……一瞬触るの躊躇いましたよ」

 

 

「うぅ……トラウマになりそうなんだから思い出させないでってば……」

 

 

「何か髪もネチョネチョしたし……もしかして魔獣の──」

 

 

「いやーっ! それ以上は言わないで!」

 

 

 グランの言葉でトラウマ級の出来事を思い出し、トワは両の手でその耳を塞いだ。そんな彼女の姿をグランはニヤニヤと笑みを浮かべて見ている辺り、やはりこの男はドSである。

 そしてトワが恨めしそうにグランの顔を見ている中、不意に彼女の制服の懐から何かがこぼれ落ちた。

 

 

「あっ……」

 

 

「……会長が持ってたんですか、そのペンダント」

 

 

「うん。フィーちゃんに持っててって頼まれてたから……」

 

 

 トワの足上に落ちたそれをグランが手に取り、彼がロケットの蓋を開けるとそこには一人の少女が写った写真が嵌め込まれていた。これまで彼の夢に幾度となく出てきた白き少女、クオンという名の少女が幸せそうな笑顔を浮かべている写真が。

 少女の写真を前にして、グランは笑みをこぼしていた。しかしその表情から何か深い悲しみを感じ取ったトワは、今ならもしかしたらと彼へ問い掛ける。

 

 

「クオンちゃん、だったよね?」

 

 

「ええ……叶う筈もない夢を必死に追いかけて、最後までその夢を諦めなかった。本当に馬鹿で、何処か放っておけなくて……とても優しい奴でしたよ」

 

 

「そっか……あのね、グラン君──」

 

 

 グランの心を救うならば、今この時しかないとトワは思った。想像もつかない波乱の過去、今彼が垣間見せた深い悲しみを生み出してしまった原因を知るための機会は。

 自身の胸に手を当てて、瞳を閉じた彼女は躊躇わない。次にその目を開いた時、トワの瞳は真っ直ぐとグランの目を見詰めていた。

 

 

「クオンちゃんの事、教えて欲しいんだ」




……どうしてこうなった。ラウラがメインヒロインじゃないよ! どこからどう見てもそうだけども!

テロリスト達と互角以上に戦ったグラン。でも最終的に逃げられる辺り、紅の剣聖(笑)とか言われる理由なんでしょうか……でも今回は倒れなかったよ!

そして漸く第四章のメインでもある会長との絡み。きっとここから会長が巻き返すから……!


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白き少女の真相

 

 

 

──大好きだよ、グランハルト──

 

 

「初めて会ったのは確か、九年前だったか」

 

 

 あどけない笑顔を浮かべた白い長髪の少女、目の前に座っているトワにそっくりなその少女を脳裏に過らせながら、グランは彼女の望みに答えるべく語り始めた。彼が生涯護ると誓って護りきれなかった少女。クオンという名の少女との出会いを。

 九年前、当時七歳だったグランは既に赤い星座で戦力の一つとして数えられる程の実力を身に付けていた。四歳から戦闘の基礎を叩き込まれ、六歳になると実戦参加。七歳に上がった頃には二つ名まで付けられ、実戦の度にその実力を伸ばしていく飛び抜けた彼の戦闘センスには、身内である赤い星座のメンバーや敵対する勢力も驚かされたようだ。

 そしてそんな非日常を過ごしていく中で、運命の出会いは当時七歳のグランがクロスベルの地へ足を運んだ事によって訪れる。

 

 

「九年前、当時オレがまだ赤い星座にいた頃の話です。団の物資の調達でクロスベルを訪れたあの日、待ち時間の間、暇潰しに街道の魔獣でも相手にしようと外出した時の事でした。街道の脇道で、魔獣に囲まれていたアイツを見付けて──」

 

 

──……よし、見なかった事にするか──

 

 

──ちょ、ちょっとそこの君! 今完全に目が合ってたよね!? 目が合ってたと思うんですけど!?──

 

 

「無視しようとしたんですけど、余りにも五月蝿かったんで……助けたのが始まりです」

 

 

「あはは……そ、そうなんだ」

 

 

 クオンと初めて会った日の事をグランから聞き、トワはその時の状況を思い浮かべながら苦笑する。当時のグランは赤い星座の一員として、戦いの日々を過ごしていたのだ。民間人の危機に関心を示さないのも、仕方ないのだろうと彼女は考えた。

 そんなふとした偶然で出会ったグランとクオン。そして当時七才ながらクロスベルの街で屋台を営んでいたクオンは、街道で助けてくれたお礼にとグランを店に招待した。クロスベル市の中央広場の一角にある、多種多様のハーブが並べられた屋台の店へと。

 

 

──お父さんの手伝いでね、たまにクロスベルへ来てるんだ。今日はもうお手伝い終わったから、私が趣味で育てているハーブを売ってるの──

 

 

──ハーブ? そこら辺に生えてる雑草と同じに見えるけどな──

 

 

──雑草言うな! これでも結構評判良いんだからね!──

 

 

「クオンの父親は七耀教会の司祭をやってて、その手伝いでアイツはクロスベルに来ていたんです。趣味で育てていたハーブも飲みましたが、これが結構美味いんですよ」

 

 

「へぇー、私も飲んでみたい」

 

 

「機会があれば取り寄せますよ……そして、団がクロスベルに数日滞在する事になって、必然的にクオンとも顔を合わせるようになりました。アイツは気の許せる友人が誰一人いなくて、オレも同年代の知り合いと言ったら双子の妹くらいしかいなかったんで、クオンと過ごす日々は新鮮なものでした」

 

 

 街道の一件以来、それまで友人が一人もいなかったクオンはグランに懐き、グランはそれを面倒に思いながらも数日の休みを彼女と共に過ごした。戦いの日々で当たり前の日常を過ごす事の無かったグランは、彼女と共にいる時間が何処か心地よいものに感じる。それは買い物であったり、屋台の仕事であったり、彼女の父親に頼まれたお使いであったり。

 しかし、そんな何でもないようで充実した日々はあっという間に過ぎ、気が付けばグランがクロスベルを立つ日が訪れていた。そして別れ際、グランは涙ぐむクオンを見て不思議な感情を抱きながらも、指切りをして再会を誓う。

 

 

──絶対、絶対また会おうね!──

 

 

──……まあ、縁があればな──

 

 

──うん……待ってるから!──

 

 

「クロスベルを立った後、それから東の方で大規模な作戦があって、その後も団の仕事をこなしていきながら……クオンと別れてから二年後、再びクロスベルを訪れました。たまにしか来ないと言ってたんであんまり期待はしていなかったんですけど、中央広場に足を運んだら偶然にもハーブを売ってるクオンがいて──」

 

 

──え、うそ……グランハルト、なの?──

 

 

──髪伸びたから分かんないかもだが……久し振りだな、クオン──

 

 

──ぐすっ……バカ! 一つも連絡ないから死んじゃったかと思ったじゃない!──

 

 

──いや、どうやって何処に連絡すんだよ──

 

 

 クロスベルで再び出会ったグランとクオンは、これまで離れていた空白の時を埋めるかのように過ごした。二人がまたクロスベルを立つ日まで、互いに思い残しが無いようにと。この時クオンのグランに対する想いは確かなものへとなり、グランもまたクオンに対して不思議な感情を抱いている事を自覚した。若干九才ながらも恋人のように街中を歩く二人は、当時のクロスベルでも少し話題になったとか。

 そして楽しい時間というのは、思っているよりも早く過ぎるものである。グランがクロスベルへ滞在する数日も、直ぐに終わりが訪れた。

 

 

──また行っちゃうんだ──

 

 

──まあな。縁があったらまた会えるだろ──

 

 

──うん……あのね、グランハルト。私、伝えたい事があるんだ。その、私ね、あなたの事が──

 

 

「別れ際にちょっと驚くような事もあって、クロスベルを立ってからクオンの事がずっと頭から離れなかった。団の仕事は手につかない、戦場でも敵を見逃すなんていう自分でも信じられないような甘い判断をしたり……そして、オレの異変に気付いたクソ親父がオレをクロスベルへ連れ出しましてね。確かクオンと別れてから三ヶ月くらい経ってたか」

 

 

──何か用事があるなら終わらせてこい。それまでは部隊長を任せられん──

 

 

 グランがクロスベルを立ってから何かおかしいと感じた当時のシグムントは、それを解決させるべくグランをクロスベルへと連れ出した。グランも自身が抱いている迷いには気付いていたため、その原因でもあるクオンに会うべく手掛かりを探しにクロスベルの教会を訪れる。

 そして彼が教会へ訪れると、そこには買い出しに出掛けているのかクオンの姿は無かったものの、代わりに彼女の父親である司祭の姿があった。またしても偶然クロスベルの地で会えた事に驚きながらも、三ヶ月ほど前、別れ際にクオンが自身へ伝えた言葉、想いをクオンの父親に相談する事で解決の糸口を見付けようとしたグラン。しかしその時にクオンの父親から返ってきた言葉は、グランにとって思いもよらないものだった。

 

 

──あの子とはもう会わないで欲しい。私達も、もうこの地へ訪れる事は無いだろう──

 

 

「翌々考えれば当然の答えでした。クオンの父親は赤い星座の事を知っていて、オレの事もアイツから聞かされていたみたいで。オレは猟兵の息子で、クオンは七耀教会の司祭の娘。そもそも立場が違い過ぎた……今思えば、クオンの父親はクオンの事だけじゃなく、オレの事も考えて言ってくれたんだと思います」

 

 

 そして、本当ならグランはそのままクロスベルを去る筈だった。赤い星座の部隊長としての日々へと戻り、当時呼ばれていた『閃光』の異名を傭兵達の間に轟かせていた事だろう。

 しかし、クオンの父親がグランへ告げたその言葉を、偶然その場に居合わせたクオンが耳にした事で運命は加速する。

 

 

──お父さんのバカ……お父さんなんかだいっ嫌い!──

 

 

「クロスベルの教会は街の外にあるんで、街道に飛び出したクオンが心配になってアイツの父親と二人で追いかけました。街道を少し進むとクオンは案の定魔獣に囲まれてて……ただ、涙を浮かべて魔獣に怯えるクオンの姿を見たあの時、オレの中で確かに何かが変わったんです」

 

 

──いや、助けて……助けて、グランハルト……!──

 

 

──下がれ……下がれやこのガラクタ共がああああッ!!──

 

 

 魔獣に囲まれたクオンを目にした事で、グランの心にとある変化を生む事となった。クオンを恐がらせる存在は許さない、彼女に仇なす敵は慈悲もなく鉄槌を下す。その白い少女は自分が何としても護り抜く、そんな一人の少女を想う純粋な気持ちを。

 鬼気迫る形相で魔獣を瞬時に撃退したグランは、地面へ崩れ落ちたクオンを抱き締めて自身の本当の気持ちを打ち明ける。

 

 

──心配するな、オレはずっとクオンの傍にいる。オレの生涯を賭けてお前を護ってやる──

 

 

──……ぁ……──

 

 

──オレもお前の事が好きだ、クオン──

 

 

「誰かを護りたいと思うなんて初めての感情だった。だからこそ、オレは命を賭してクオンを護らなければと思ったんです……何より、初めて惚れた女ですから」

 

 

「そっ、か……」

 

 

「それが、オレにとってのクオンという少女です。あんまり面白い話じゃないでしょう?」

 

 

「そんな事ない。グラン君の事が、クオンちゃんの事が知れて私は嬉しいよ……」

 

 

 苦笑を漏らしたトワはこの時、目の前で気恥ずかしそうに頭を掻くグランを目にして悟った。自分では彼の話したクオンという少女には敵わない、彼女の様にはなれないと。

 何故ならクオンの話をしている時のグランは、何処か辛そうにしながらも幸せな雰囲気を漂わせていた。話し伝えでも分かる。クオンという少女がグランへ抱いている想い、そしてグランが抱いているクオンへの想い。彼の口から写真に写っている少女の話を聞き、グランとクオンが互いにどれだけ強く想い合っているのかが痛いほどよく分かってしまった。

 

 

「(とても、私が入る余地なんて無いんだ……何だか悔しいなぁ)」

 

 

 失恋とはこういう事なんだと、顔を俯かせて瞳にじわりと涙を浮かべるトワ。太股にかかったスカートの裾をぎゅっと握り締め、今浮かべている情けない顔を見られまいと必死に涙を堪えていた。

 このままではいけない、こんな情けない先輩では心配をかけてしまうと。瞳に浮かんだ涙を指で拭い、トワは精一杯の笑顔を作ってみせた。

 

 

「ありがとうグラン君、クオンちゃんの事を話してくれて……グラン君の恋人かぁ、一度会ってみたいな」

 

 

「はは……それは無理ですよ」

 

 

「どうして?」

 

 

「……死にましたよ、六年前に。いや、殺されたと言った方が正確か」

 

 

 瞳を伏せて話すグランを前に、この時トワは言葉を失った。今彼は何と言ったのか、クオンがどうなったと言ったのか。これは触れてはいけない事だったと、クオンに会いたいなどと声を漏らした数秒前の自分を彼女は恨んだ。クオンの事を話しているグランの顔が、何処か辛そうにしていたのも納得がいくと考えながらトワは顔を落ち込ませる。彼にとって、クオンという少女がどれだけ大きな存在だったのかが分かった今だからこそ、投げ掛ける言葉が見つからないのだろう。

 そして、そんな彼女の様子を目にして苦笑いを浮かべたグランは、そっとトワの頭へ手を乗せた。

 

 

「どうして会長が落ち込むんですか」

 

 

「ごめんね、聞いちゃいけない事だったのに……私、普段はもっとちゃんとしてる筈なのに、グラン君の前だといっつもこんなのばっかりで……」

 

 

 顔も合わせた事がない、声も聞いた事がない少女の事でここまで落ち込めるものなんだとグランは笑みをこぼし、トワの頭を優しく撫でていた。彼女に聞こえない小さな声で、ありがとうと一言呟いた後に頭を撫でていたその手を離す。

 この人になら話してもいい、この人だから聞いて欲しいと。そんな不思議で、何処か覚えのある感情を胸に抱きながら、グランは顔を上げたトワの瞳を真っ直ぐに見詰めた。

 

 

「……さっきの話、実はまだ続きがあるんです。聞いてもらえますか?」

 

 

「えっ……でも、グラン君は辛くないの?」

 

 

「辛いからこそ聞いて欲しいんですよ。いない人間の事で会長を悲しませるのは、オレにとっては結構辛い事なんです」

 

 

「……うん、分かった。聞かせてもらえるかな?」

 

 

 グランの言葉に頷いた後、トワは困ったように笑みを浮かべながら彼の顔を見上げた。自分の我が儘で始まったグランの昔話、こうなった以上は彼の過去を知っておきたい。グランが幸せを掴んだ後に訪れた不幸を、彼の悲しみを自分も背負ってあげたいと。

 トワの返答を受けたグランは安堵のため息をこぼし、一つ呼吸を置いてから話を再開する。

 

 

「クオンと生涯を共にすると誓って、まずオレが最初に取った行動は猟兵を辞める事でした。あの場所に、オルランドの家族がいる場所にクオンを連れていく訳にはいきませんでしたから……所謂家出ってやつです」

 

 

──正気か? 考え直せ、一時の情に流されては部隊長なんぞ務まらん──

 

 

──グラン兄がいなくなったらさぁ、シャーリィの相手は誰がしてくれるの?──

 

 

──そうだぞ。こんな虎のお守りを出来るのは叔父貴かグランかってくらいなんだぜ? 頼むから俺に押し付けないでくれ──

 

 

──む、ランディ兄ひどくな~い?──

 

 

「結局オレの声は誰の耳にも入らなくて、家族は誰一人としてまともに話を聞いてくれませんでした。赤い星座の団長でもあるバルデルの親父も、お前達で解決しろと我関せずで……まあ、端から見てもオレがおかしいんでしょうけど」 

 

 

 数日の説得を試みるも効果は無く、グランは家族達の理解を得ないままクオンと時を過ごす方を選択した。この決断にはクオンも彼女の父親も反対したが、これしか方法が無いというグランの強い意思に押し切られて渋々引き下がる。結局彼はクロスベルをあとにしたクオンと彼女の父親と共に、二人の故郷でもあるノーザンブリアの地へと訪れた。

 

 

「クソ親父はオレが直ぐに戻ってくると踏んだんでしょう。何の妨害も無く、無事にクオンと共にノーザンブリアへ着く事が出来ました。初めて訪れた北の大地は、公都だったハリアスクを中心に一面が真っ白で……信じられます? 全部が塩だったんですよ」

 

 

「噂なら聞いた事があるけど……やっぱり本当なんだ」

 

 

「ええ。そして、ノーザンブリアの南東部にある村のはずれ、クオンが住む教会で一緒に生活する事になって……退屈でしたけど、充実した日々でした」

 

 

 グランは当時のノーザンブリアにおける事情に驚きながらも、災害による被害を奇跡的に受けなかったノーザンブリアの南東部、小さな村のはずれに建つ教会で住み込みとして働く事になる。たまに受け持っていた魔獣の討伐依頼を除いて戦いの無かった平凡な日々は、当初の彼にとって退屈ではあったものの、クオンと共に過ごすというそれだけでグランには幸福と充実感を与えていた。

 そして、ノーザンブリアで過ごして三月余りが経ったある日の事。村の一画を借りて行っていたクオンの趣味でもあるハーブの栽培、それを手伝っていたグランはクオンに連れられてある場所へと訪れる。小高い丘の上、白い大地が見渡せる場所へと。

 

 

「クオンと共に日々を過ごしていく中で、アイツの夢ってのを聞かされましてね。普通の人間だったら、何を馬鹿な事を言っているんだと嘲笑うような夢でした」

 

 

──私ね、塩化して枯れ果てちゃったこの土地一面にハーブを植えて……もう一度蘇らせたいんだ──

 

 

──面白いじゃないか。力になれるかは知らないが、オレもクオンの夢に協力してやるよ──

 

 

──ふふ……頼りにしてるんだからね、『閃光』さん──

 

 

 塩と化した広大な大地を見渡し、笑顔で夢を語るクオンにグランは改めて心を惹かれた。普段は村や教会の外に住む魔獣に手も足も出ないこのひ弱な少女が、実はこれ程までに強い心を持っていた事に感心しながら。

 クオンの夢を叶えてやりたい、だから自分も精一杯力になろう。そんな風に決意をしたグランは、改めてクオンに生涯を託すと誓った。己が愛して止まないこの少女に、自身の全てを捧げようと。

 しかし、彼の誓いはたった数日後に叶わぬものとなる。

 

 

「クオンの口から夢を聞かされて、その夢を叶えるためにアイツの力になってやろうと決意して……そしてその日から丁度二日後の夜です。あの村が炎に包まれたのは」




語りながらなので普段の薄い描写が更に薄く……努力します、はい。

とは言え漸くグランの過去に迫れました。ただしグランの語りで明かされる過去なので、当時の詳しい情景であったりは後々番外編か何かでやりたいですね。そう言えばグランと執行者の絡みとかも希望があったのですが、それも番外編でやってみようかな?

ともあれこれで会長のヒロイン指数はグッと急上昇しました!……した筈……したよね?


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想いの果てに

 

 

 

 幸せだったグランとクオンの日々は、一夜にして全てが崩れ去った。静まり返る闇夜の中、突然村が焼き討ちにあった事によって。

 村が焼き討ちにあう少し前。村に植えているハーブ達が気になるからと、皆が寝静まっている中でクオンは一人村へと向かっていた。村に火の手が上がり、教会の一室で目を覚ましたグランがその事に気付いた時にはもう遅い。

 

 

「同じベッドで寝ていたのに、アイツが脱け出していた事に気付かなかった当時の自分を呪いましたよ。村から火の手が上がっている事に気付いて、刀を手に急いで向かった時には全てが終わった後だった」

 

 

 当時、グランが現場に駆け付けた時に見た光景は信じられないものだった。村は灼熱の業火に包まれ、無事な家屋は何一つとして無い。破壊され、焼き付くされた目の前の惨状は、グランにとっては懐かしい硝煙の匂いを振り撒きながら非常な現実を突き付けていた。

 そしてグランが不意に視線を向けたハーブ畑があった場所。そこは既に炎が燃え広がり、緑の欠片も見えなかった。更にその近くには、白い髪を血によって所々赤く染めたクオンが倒れている。グランの思考回路が停止したのは直ぐだった。

 

 

──うそ、だろ……? クオン、おいクオン目を覚ませ!?──

 

 

──ごめん、ね……グランハルトが折角、手伝ってくれた、のに……畑……守れな、かった──

 

 

──そんな事は今考えなくていい! 直ぐに止血を──

 

 

「死にかけてるってのに、ハーブの心配なんかしてバカですよ。七耀教会の人間が気付いてくれるのを願いながら、急いでクオンの止血をしようとして……その時です、あの二人が姿を現したのは」

 

 

──グラン兄だ! パパ、グラン兄がいる!──

 

 

──捜したぞ。ケリが着いたのならさっさと帰ってこい、任せたい依頼がある──

 

 

 ライフルを抱えたグランの妹、後に『血染めの(ブラッディ)シャーリィ』と呼ばれる少女と父親であるシグムントの姿。それは惨状を生んだのが二人である事を意味し、グランの理性を吹き飛ばすには十分な理由だった。

 しかし、歴戦の猛者であるシグムントとの間にある決定的な実力差は埋められる筈もなく、一矢報いる事も出来ずにグランはあっさり返り討ちにあってしまう。

 

 

「クオンを撃ったのはオレの妹でした。そして、指示を出したのはクソ親父みたいで……赤い星座が村を焼き払った理由はとある人物からの依頼(リクエスト)。クオンはハーブ畑を守ろうとして、偶然それに巻き込まれた。まあ、罪の無い人間が巻き込まれるのは戦場じゃあよくある話ですよ」

 

 

 自身の家族の手によって、愛する人が殺された。その事実をグランから聞かされたトワは、衝撃のあまり言葉が出なかった。クオンという少女の死の真相は、彼女が想像していた以上に辛く、非情な現実であったからだ。

 これ程までに辛い出来事を、悲しい思いをグランは幼い頃に経験していた。抱え込んでいる悲しみを、苦笑いで紛らわしているグランの顔を見たトワはこの時、その全てを話してくれた事への嬉しさと感謝を胸に改めて思う。幸福から絶望へと突き落とされたこの子を、何としても救ってあげたいと。

 

 

「クオンを殺された後、オレはその仇を取る為に力を求めました。巻き込まれたアイツへの、せめてもの手向けとして。旅をする中で、色んな出逢いや偶然が重なって、今では漸くその足掛かりも出来て……でも、一つだけ選択を間違ってしまいまして」

 

 

「え? それって……どういうこと?」

 

 

「とある誘いに乗って、クオンと過ごした日々を……アイツに関する全ての記憶を封じた事です。そのお陰で当時抱いていた迷いは無くなりましたが……本当に、二度とクオンの墓の前に立てないような過ちを犯しました」

 

 

 自嘲気味に笑みを浮かべながら、グラン自身が話し始めた犯してはならない過ち。不意に疑問を抱いたトワが聞き返した先で彼が話したそれは、先までのクオンの話を聞いていた彼女からすれば想像出来ないものだった。

 クオンを好きだった筈のグランが、どの様な理由であれ彼女との思い出を故意に封じた。その行いがどれだけグランにとって辛い事なのか、後悔を生んでいるのかが嫌でも分かってしまったから。

 

 

「あんまり自分を追い詰めたりしちゃ駄目だよ、グラン君」

 

 

「……っ……!」

 

 

 気付けばトワは、グランの頭を自身の胸に抱き寄せていた。椅子に座っているグランの前へ、膝立ちで移動していた彼女は包み込むようにベッドの上で彼の頭をそっと抱き寄せる。ぎゅっと、しかし強過ぎる事の無いように絶妙な力加減で。自責の念に囚われ、今でも自身を攻め続けている彼を優しく包み込む。

 トワの胸の中、グランは僅かに驚きの声を漏らしていたが、当の本人は更に驚いていた。無意識の内に自身が取っていた行いに、周囲に憲兵達がいるにもかかわらず移してしまったその行動に。先程から傷の治療で小さく苦悶の声を上げていた者達の声も、彼女の取った行動に気が付いてピタリと止んだ。

 自身が抱える辛さや悲しみを、苦笑を浮かべる事で必死に隠そうとするグランの顔がトワには見るに耐えなかった。その結果思い掛けず抱き締めてしまった彼女だが、逆にこの状況下で彼女の決意は固まったらしい。トワはその頬に熱が帯びていくのを感じながら、ゆっくりと瞳を閉じる。

 

 

「あのね、グラン君。前へ進む事は勿論大切な事だけど、時々立ち止まって休む事も大切なんだよ? 疲れちゃったり、苦しくなったら、無理をせずに休んだっていいの。だってグラン君はこれまで、ずっと歩き続けてきたんだから」

 

 

 母が我が子をあやすように、姉が弟を思いやるように。グランの頭をその小さな体で包みながら、トワは歩き続ける事だけではなく、立ち止まって休む事の大切さを伝える。クオンを失って以来、恐らくは一度も歩みを止める事の無かった彼へと向けて。

 人の体力は無限ではない。それは肉体的にも、精神的にも言える事である。彼のように幼い頃から猟兵の道を歩き続け、大切な人を失ってからその罪悪感に苛まれながら過ごしてきたとなると、体力の消費は相当なものだろう。そして休む事なく今まで歩き続けてきたグランは、それこそ消費出来る体力の限界はとうに超えている筈だ。

 

 

「だからね。今はきっと、グラン君は休む時なんだと私は思う。辛かった事、苦しかった事、悲しかった事……今はもう、一人で全部抱え込む必要は無いんだよ?」

 

 

 トワは包み込んでいたグランの頭を解放し、目の前で僅かに瞳を揺らす彼の頬へ手を添えながら優しく微笑んだ。大好きだったクオンの死、そしてその後に行ってきた過ちも今は抱え込まなくていいと。今この瞬間くらいはせめて、抱え込まずに全てを吐き出したっていいんだと。グランから感じ取った深い悲しみの根源を知ったトワが彼を救うために選んだ方法は、彼が抱える悲しみを、苦しみを共に背負うというものだった。

 そんなトワの言葉に、彼女の優しさに、自身の全てを包み込むかのように微笑む姿に、グランは動揺してその瞳を揺らす。いつの日か触れた事のあるその温かさは、彼の凍結した心を溶かすには十分過ぎた。

 そして、この時グランは更に驚く事となる。ほんの一瞬、刹那の出来事。目の前で微笑むトワの姿が、自身が愛して止まなかったクオンの姿へと移り変わった。直後に両目からこぼれ落ちた何か、自身の頬を伝う冷たさに思わず驚きの声を漏らす。

 

 

「はは……おかしいな。クオンが死んだ時以来、こんな事なんて無かったのに……」

 

 

「……それはきっと、クオンちゃんや学院のみんなのお陰だと思う。大切な人の死を、いつまでも悲しむ事が出来る優しい心。グラン君がクオンちゃんと出会うまで気付かなかった、クオンちゃんが亡くなってからグラン君が学院に来るまで忘れてた大切なもの……やっと、グラン君はそれを思い出したんだよ」

 

 

 グランの瞳から流れる涙を指で拭いながら、トワは彼が流した涙の理由を語る。猟兵として過ごしてきた彼が、クオンを失ってからこの瞬間まで忘れていたもの。今グランの目からこぼれ落ちた涙が、それこそがグランハルトという少年の心の奥底にある優しさの正体だと。

 クオンを家族の手によって殺されたあの日から、グランは人の情を捨てたつもりだった。力を求める上で不必要と、目的の障害になると判断したからだ。クオンとの思い出を封じたその時には、強力な暗示をかけられたとは言えその存在を完全に忘れる程に。この身に大切な存在は要らない、居てはならないと。同じ悲劇を繰り返さないように、人を好きになる事を彼は止めた筈だった。

 しかし、そんな彼を目の前で微笑むこの少女は変えた。人を思う事の大切さを、愛する事の尊さを肌で感じさせてくれている。今この時、グランは自身がトワに対して抱いている感情をはっきりと理解した。自分は既に、この少女に心から思いを寄せているんだと。だからこそ、これから先、クオンを失って立てた筈の誓いが崩れそうで彼は恐れを抱く。

 

 

「止めてください会長。今、そんな事されたら……甘えたく、なるじゃないですか……っ!」

 

 

「いいんだよ、甘えても。女の人に甘えるのはね、男の子の特権なんだから」

 

 

 大切な存在はもう作らない、作ってはいけないと決めた筈なのに。トワを突き放す事も出来ないグランの弱さが、その心に僅かな迷いを生む。そして彼の弱さを彼女は肯定し、抱擁する事でそれを受け入れた。

 啜り泣くグランを胸に抱き寄せ、トワは現在の状況を考える。例えば今、自分の想いを彼に伝えたらどうなるだろうかと。この場で想いを伝えれば、恐らく彼は自分の気持ちに応えてくれるだろう。心に抱えていた悲しみを吐き出し、弱りきった今の彼ならばきっと。

 しかしそれは公平ではない。零からグランの心を振り向かせたクオンとは違い、弱った彼の心へ漬け込むそれは余りにも卑怯な選択と言えるだろう。だからこそ本当の意味でグランと繋がる為には、想いを伝えるのは今ではないとトワは思い至った。今の自分の役目は、グランがまた心から笑って過ごせる日々を作り出してあげる事だと。

 

 

「(今の私に出来る事はきっと、暗闇に染まっちゃったグラン君の道を再び照らしてあげる事。クオンちゃんがそうしてあげたように、グラン君がまた道を踏み外さないように……きっとそうだよね? クオンちゃん)」

 

 

 かつて暗闇を歩いていたグランの道を、光照らした白き少女へ向けてトワは問う。彼女が向けた視線の先、グランの手に握られているペンダントにはクオンの写真が嵌め込まれている。優しく微笑むその表情は、幼いながらも慈愛に満ち溢れていた。

 この少女の代わりは自分には出来ない。でも、彼女がグランにしてあげた事なら私にも出来るはずだと。グランの頭を愛おしそうに撫でながら、トワは心に誓いを立てる。

 

 

「(大丈夫だよ、グラン君。私はずっと傍にいる。どんな事があっても、ずっと……だから大丈夫。私が必ず、あなたを幸せにしてみせるから)」

 

 

 いつの間にかトワまで瞳に涙を浮かべ、その悲しみを共有するかのように彼女はグランを抱き締める。幸せだった日々を奪われた彼の悲しみを共に抱え、新たに光照らす日々を作り出してみせると。

 そしてこの時、とある不思議な光景が救護室の一画に広がる。それは夢か幻か。抱き合うグランとトワの傍、そこには白い長髪の少女が一人寄り添うように佇み、優しく微笑んでいた。

 

 

「──」

 

 

 その少女の姿は、室内の誰にも気付かれる事なく静かに掻き消える。それが誰なのか、動かしていた口はどんな言葉を紡いでいたのか。少女の姿を認識できなかった以上、その疑問に答える事の出来る者はいない。

 クオンを失い、その悲しみと自身が犯した罪を一身に抱えて旅を続けてきたグラン。今の自分が抱える想いに気付き迷いが生じた彼が、この先本当の意味でトワと向き合った場合。自身の気持ちに正直になったその時、双方が思いを通わせれば彼らには大きな試練が待っているだろう。守るべき存在(もの)を見つけた少年(グラン)には、最強の猟兵である戦鬼が。そして彼と寄り添う事を選んだ少女(トワ)には、人喰い虎と称される血染めの少女が。

 どちらも恐らく相当な困難が待っている、それこそ乗り越えられるのかすら怪しい程の高き壁だ。それも一度の失敗も許されない、乗り越える事の出来る機会(チャンス)は一度しかないという絶望下。仮にその壁を乗り越える事が敵わなかった場合、皮肉な事に彼女の名前と同じ永遠(トワ)の別れが訪れる。

 だが、そんな絶望下でも乗り越える事が出来たなら。その先はきっと、双方にとって本当の幸せが訪れる事だろう。




二週間前に閃Ⅱを始めて、漸く先日クリアしました。終章終わってこれで終わりかいっ! と思ったらまだあった、取り敢えずロイドは爆発しろ。

一先ず会長が天使で安心しました、そして終章のイベントは会長ではなくアリサを選んだという……いや、最初会長選んだんですよ? ただその後に本気で心を折られました、直ぐにアリサに変更。そこヘタレとか言うな。
ファルコムさん、いやもう本当勘弁してください。

話は今話に移りますが……漸くメインヒロイン発揮! でもまだ結ばれる訳ではないという……当初はこの時に想いを伝えあって付き合う展開でした。でもこのタイミングで告白する程会長あざとくないよ! グランも流石に切り出さないだろうという理由で断念。取り敢えずどうなるかはまだまだ先になりそうです。

今年もあと一日を切りましたね! 年内にここまでこれて良かった、というか一年掛かってこれだと閃Ⅱ終わる時間軸までどれだけ掛かるんだろう……ま、まあきっと完結させるよ!

この一年紅の剣聖の軌跡を呼んで下さった読者の皆様、本当にありがとうございました。そしてこれから先、グランや会長、その他のⅦ組のみんなもどうなっていくかを見守っていただけると幸いです。

それでは皆様、来年も良いお年を!


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時代の傑物

 

 

 

「うぅ……ドキドキする……」

 

 

 七月二十九日木曜日、午前の帝都ヘイムダル。ヘイムダル駅前のトラム乗り場から発進した導力トラムの中、そこではどこか落ち着かない様子のトワが座席に腰を下ろし、緊張の面持ちで顔を俯かせていた。彼女の隣にはグランも同じく座席に座っており、緊張した様子の彼女を視界の端に捉えて苦笑を浮かべている。

 三日前、夏至祭初日の帝都で発生したテロリストによる襲撃事件。マーテル公園で催されていた園遊会、そこへ出席していたアルフィン皇女を拐かす事を目的にしたテロリスト達。その目的を確実に達成する為に陽動として各所で暴動や異常事態を発生させ、その一つとして襲撃を受けたのがドライケルス広場。陽動によって混乱に陥ったドライケルス広場だったが、当時現場にいたトワによる迅速な避難誘導で人的被害は一つも無く、テロリストの主目的である皇女誘拐もグランやリィン達Ⅶ組の働きにより防ぐ事が出来た。

 本日、Ⅶ組は帝都での特別実習の最終日なのだが、此度の襲撃事件のお礼を言いたいからと、オリヴァルトやアルフィンにバルフレイム宮へ呼ばれている。そして広場で避難誘導を行ったトワもその功績を称えられ、同じくバルフレイム宮へと招待された。この時間士官学院は授業の真っ最中だが、彼女が帝都にいるのはそのためだ。グランがトワを駅へ迎えに訪れ、二人は現在ドライケルス広場へ向かう途中である。

 

 

「ね、ねぇグラン君。私可笑しいところとか無いかな?」

 

 

「……」

 

 

「グラン君?」

 

 

「ああ、そうですね……顔に米粒ついてますよ」

 

 

「はわわわ……! ど、どこどこ!?」

 

 

 不安そうに顔を見上げてくるトワへ、グランは顔を向ける事なく上の空で声を返していた。そんな彼の言葉を本気にした彼女は大慌てで自身の顔を触りながら、グランが話した米粒を必死に探している。

 しかしトワの顔の何処を見てもそんなものなど一つもついておらず、彼女が慌て始めるその様子に気付いたグランは直後に言い辛そうに話した。

 

 

「あー……嘘です」

 

 

「え……も、もう~グラン君!」

 

 

 グランの言葉を本気にしていたトワは大変ご立腹で、表情をむすっとさせながら彼の顔を睨んで突然唸り始めた。そんな彼女の視線を受けたグランはいつも通りの反応で、怒っている筈のトワの顔を見ては笑みをこぼしている。端から見れば二人は仲睦まじい学生達であり、彼らの近くの席へ座っている老年の夫婦も微笑ましそうにグランとトワの会話を聞いていた。

 緊張で固くなっていたトワの表情も、グランが上の空で話した一言によって多少の和らぎを見せている。本人にその様な意図は全く無かったが、結果的には功を奏したと言ったところか。

 

 

「はは、怒ってる会長も可愛いですよ……っ!?」

 

 

「もう、グラン君ったら……あれ? グラン君どうしたの?」

 

 

「い、いや。何でも無いです」

 

 

「そう? 変なグラン君」

 

 

 ふと、恥ずかし気もなくトワの事をからかうように話したグランが顔を背け、彼の態度が変わった事によりトワは僅かに首を傾げる。彼女が問い返すもグランはよそよそしい態度で誤魔化すのみで、結局何故グランの態度が変わったのかは分からず。トワはそんな彼を不思議そうに見詰めていた。

 そしてこの時、グランは首を傾げるトワを眺めながら先日の出来事を思い返していた。鉄道憲兵隊司令所内の救護室、そこで彼女と交わした会話の一部始終を。

 

 

──いいんだよ、甘えても。女の人に甘えるのはね、男の子の特権なんだから──

 

 

「(駄目だな。薄々分かってはいたが……)」

 

 

 瞳を伏せ、クオンの姿と重なりそうになるトワを一度視界から外す。この場でクオンの事を思い出し、不安や悲しみの感情をトワに悟られて心配をかけないように。

 グランは元々、トワに僅かながら想いを寄せていた。自身の生い立ちやこれから歩む道を考慮して、それを意識しないように無理矢理気持ちを抑え込んでいただけで。それはクオンの事を思い出していない時に抱いた想いではあるが、彼は今回の出来事によってトワの事をより意識してしまう事となる。

 グラン自身が抱えていた弱さを、それは恥じるものではなく大切なものだとトワは受け入れてくれた。それは彼が愛していたクオンという少女の持つ価値観と同類であった為、グランがトワを意識してしまう原因となった。違うとは分かっていても、頭が勝手に彼女をクオンの姿と重ねるのだ。

 そしてグラン本人は気付いていないが、彼がトワに弱さを見せた当時の状況が何よりも一番大きかった。心が弱った人間というのは、無意識の内に近くにある優しさに甘えてしまうものだ。勿論それが彼女の事を意識してしまう一つの要因になったのは、根本でグランがトワに対して好意を抱いているというのが前提ではあるが。

 

 

「(クオンは、今のオレをどう思ってるんだろうな……)」

 

 

「どうしたの?」

 

 

 暫くグランが物思いに耽っていると、それを疑問に思ったトワが小首を傾げて声を掛ける。グランはそんなトワを視界に捉えて笑みをこぼした後、何でもないと返して話の話題を彼女へと振った。

 乗客の体を揺らしながら、導力トラムはドライケルス広場へ向けて走行する。そのトラム内で隣り合わせに座って楽しそうに会話を続ける二人の姿は、周囲からは仲の良い恋人同士の様に見えるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 緋の帝都ヘイムダル。その呼び名の由来は緋の色に染まった帝都の建築様式にあるが、中でも最たる建造物と言えばやはり皇城バルフレイム宮だろう。エレボニアを統べるユーゲント皇帝陛下、国を運営する帝国政府の主要機関等が集う巨大な城は、正にエレボニア帝国の象徴と言っても過言ではない。

 そして現在、そのバルフレイム宮内にある大広間の中央にはグランを除くリィン達Ⅶ組と担任教官のサラが集まっていた。更に彼らの前にはオリヴァルトを初め彼の妹であるアルフィン、彼女の双子の弟、中性的な顔立ちの金髪の少年セドリックと帝国の至宝とも言われる二人も姿を見せている。アルフィンの傍にはリィンの妹であるエリゼ、更にはマキアスの父レーグニッツ帝都知事の姿もあった。

 此度の夏至祭で起きた襲撃事件の解決と現場の収拾に貢献したリィン達は、そのお礼を改めて行いたいと、今こうして皇族である彼らに呼ばれている。そして先程までオリヴァルト達から感謝の言葉を受けていたⅦ組の面々は、その身を引き締めながらも各々笑顔を見せており、ある程度の緊張は和らいでいるようだった。そんな彼らに向けて、レーグニッツ知事は笑顔を見せながら話す。

 

 

「かなり変則的ではあったが、今回の特別実習も無事終了した。各々帝都での実習を糧に、これからもより一層精進に努めてもらいたい」

 

 

「了解です」

 

 

「……とは言え、君達はまだ士官学院の一生徒に過ぎない。あくまで学生としての生活も重要だ。今この時にしか出来ない事を第一に、それぞれ悔いの無いよう精一杯やるといい。その考えはきっと、ルーファス卿やイリーナ会長も同じだろう」

 

 

「父さん……」

 

 

 常任理事の三人には、Ⅶ組を運営する上でそれぞれ思惑がある。Ⅶ組という新設クラスに求めるもの、士官学院全体に対しての考えで方向性の違いは多々あるだろう。しかし、それでも三人の考えで共通するものはある。

 実技テストや特別実習という新たなカリキュラムをこなしながらも、リィン達にはそれぞれ学生としての生活を大切にしてもらいたい。学生である今しか出来ない事を、自分達のやりたい事を、悔いの無いようやりきって欲しい。そういった思いは、レーグニッツ知事を初めルーファスやイリーナも持っている。常任理事の一人でもある知事本人からその言葉を聞いて、リィン達の肩の荷も少しは下りたことだろう。

 今回の特別実習はこれで終了した。後はトリスタに帰ってレポートの最終仕上げを行うのみなのだが、まだこの場にメンバー全員が揃っていないため各々待つ事になる。そしてリィン達がオリヴァルトらと暫し談笑をしていると、予定の時刻に少し遅れてグランとトワの二人がクレアに連れられて到着した。

 

 

「お揃いのようですね。グランさんとトワさんのお二方をお連れしました」

 

 

「悪い、少し遅れたか?」

 

 

「もー! グラン君がガルニエ地区に寄り道なんてするから!」

 

 

 軍服姿のクレアに連れられ、笑顔のグランと少し頬を膨らませたトワの二人が一同の前に姿を現す。表情をむすっとさせながらトワが話すそれは、間違いなくグランが歓楽街であるガルニエ地区へ寄り道をした事による遅刻を表していた。Ⅶ組メンバーはその様子を見てため息を吐き、他の者達は苦笑を浮かべている。

 クレアが広間をあとにする中、オリヴァルトにアルフィン、セドリックの皇族三人が不意にグランとトワの前へ歩み寄った。先日の事件解決に対するグランやトワの働きに改めて感謝の意を、という事だろう。その顔に笑顔を見せながらオリヴァルトが口を開く。

 

 

「グランハルト=オルランド君、ならびにトワ=ハーシェル君。先日の襲撃事件では本当によくやってくれた。特にグラン君、妹のアルフィンやエリゼ君についてはとても感謝しているよ」

 

 

「僕からもお礼を言わせてください。グランハルトさん、この度は姉を助けていただき本当にありがとうございました。トワさんも、ドライケルス広場における混乱の収拾ご苦労様でした」

 

 

「はわわわ……!? そ、その……勿体無いお言葉です」

 

 

「殿下達にお怪我が無くて何よりでしたよ……って、会長何顔真っ赤になってるんですか」

 

 

「だ、だってオリヴァルト殿下やセドリック殿下から直々にお言葉を頂戴したんだよ? 今でもまだ信じられないというか、恐れ多いというか……」

 

 

「……そうですか」

 

 

 どこか嬉しそうに頬を赤く染め、顔を俯かせるトワを見ながら面白くないといった様子のグラン。そんな彼の様子に後ろに立つリィン達が気付く事は無かったが、グランの正面に立つオリヴァルトはその僅かな変化と理由までもを見抜く。何やら急に前髪を掻き上げて嬉しそうにしていた。

 

 

「ハッハッハ……グラン君も中々可愛い反応をするじゃないか。これは、兄弟共々無意識の内に罪深い事をしてしまったかな?」

 

 

「ほう……それ以上は宣戦布告と捉えるが?」

 

 

「……グラン君、君うちのミュラーと話が合うと思うよ」

 

 

 からかわれたグランはオリヴァルトを鋭い眼光で睨み付け、その視線を受けたオリヴァルトは力なく項垂れる。そんな二人の会話に周囲はどう反応をしたら良いか分からず、ただただ苦笑を漏らすのみ。結局、アルフィンが兄のオリヴァルトに代わって謝罪をする事によってその場は収まった。

 

 

「はぁ、お兄様ったら……グランさん、この度は本当にありがとうございました」

 

 

「私からもお礼を言わせてください。本当に、ありがとうございました」

 

 

 アルフィンとエリゼが軽く頭を下げ、グランが二人からの礼を受け取った事で皆がこの場に集まった目的を終える。そしてサラとトワ、リィン達Ⅶ組はこれからバルフレイム宮を出てトリスタの街へと帰路に着く予定なのだが、直ぐにこの場をあとにする事は敵わなかった。

 それは、彼らが会話を終えた直後に一同の耳へと聞こえたある人物の声が原因だった。

 

 

「どうやらお集まりの様ですな」

 

 

 厳格な雰囲気を孕んだ声が広間へと響き渡る。リィン達がその声に驚きの表情を浮かべる中、コツコツと足音を鳴らしながらその人物は彼らの前へ現れた。精悍な顔付きのその男は、ここエレボニア帝国で現在宰相の地位に君臨するギリアス=オズボーンその人である。

 オズボーンは先程までレーグニッツ知事と共にセドリックと会っていたようで、彼は皇族であるオリヴァルト達へ軽く会釈をした後、リィン達の前へと歩み寄った。

 

 

「して、諸君らがトールズ士官学院のⅦ組か」

 

 

「は、初めまして、閣下」

 

 

「その、お会い出来て光栄です」

 

 

 アリサとエリオット、声は出さないがトワを含めてリィン達は皆オズボーン宰相の放つオーラに気圧されている。そんな中、サラは敵意のこもった目でオズボーンの姿を捉え、グランは表情をそれほど変えずに彼の顔を見ていた。

 そしてサラの視線に気付いたのか、オズボーンは顔を彼女の方へと向ける。

 

 

「久しいな、遊撃士」

 

 

「ええ、その節は大変お世話になりました」

 

 

 笑みを浮かべて話すオズボーンとは対照的に、どこか含みのある声でサラは腕を組みながら瞳を伏せて返す。彼女がこの様な態度を取るのは帝国において遊撃士の活動が衰退した事と関係があるのだが、現状でその事を知るのはこの場でオズボーンとオリヴァルト、あとはグランの三名しかいない。当然リィン達がその理由を知るはずもなく、彼らはサラの態度に疑問を抱きながら視線を彼女からオズボーンへと移した。

 そして、オズボーンの視線はトワの隣に立つグランへと向けられる。

 

 

「顔を合わすのはこれが二度目か。依頼の件は礼を言うぞ、紅の剣聖」

 

 

「それなりの額は要求させてもらうけどな。しっかし、相変わらず評判悪いぞアンタ」

 

 

「フ、何のことかな……そして、隣にいるのが……」

 

 

 オズボーンの視線はグランの隣に立つトワへと移り、厳格な顔で見下ろされた彼女はグランの服の袖を握りながら僅かに震えていた。怖じ気づいた彼女は聞こえるか聞こえないかという小さな声で自己紹介をし、反応を窺うかのようにオズボーンの顔を見上げる。

 直後、トワの姿を隠すようにグランが前へ体を出した。

 

 

「あんまりうちの会長を恐がらせないでもらいたいんだが」

 

 

「フフ、これは失礼。何、来月の通商会議に同行するという学生がどの様な顔かと思ってな」

 

 

「同行……どういう事だ?」

 

 

「直に士官学院へ通達がある、詳細はその時に聞くといい」

 

 

 怪訝な顔を浮かべるグランに、オズボーンは詳しく答える事なく視線を再びリィン達へと移す。次に彼の口から出た言葉、それは先日の事件解決への貢献を労うものだった。その圧倒的な雰囲気にリィン達は萎縮しながらも各々が返事を返し、オズボーンによる彼らへの労いは終わる。

 そしてオリヴァルト達に断りを入れてその場を立ち去ろうとしたオズボーンは、最後にリィン達へ激励の言葉を贈った。

 

 

「諸君らも、どうか健やかに。強き絆を育み、鋼の意志と肉体を養ってほしい──これからの、激動の時代に備えてな」

 

 

 その場の誰もが、オズボーンの放った言葉に声一つ返す事が出来ない。それ程までに、彼の言葉には有無を言わさぬ迫力が伴っていた。そして同時にリィン達は思う。鉄血宰相ギリアス=オズボーン、彼は間違いなく、この時代が生んだ傑物の一人であると。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 帝都の中央を走るヴァンクール通り。その道を走行していた導力トラムがヘイムダル駅前で停車すると、トラムの中からはバルフレイム宮へ行っていたリィン達の姿が次々と現れる。彼らはそのまま駅内へと入り、これから列車に乗ってトリスタへと帰還する途中だ。

 そして、そんな彼らの様子を空から眺めていた青い鳥が一羽。その鳥はヘイムダル駅へ入るリィン達一同、その最後尾をトワと隣り合わせに歩くグランの姿を瞳に移していた。

 

 

「全く、あれだけの機械人形を用意したというのに、あんな短時間で片付けるなんて……危うくあの子が捕まるところだったわね。でも……ふふ、本当に惚れ惚れする光景だったわ」

 

 

 どこか聞いた事のあるその女性の声は、何と空中を羽ばたく青い鳥が発していた。幻聴の類いでは無いだろう、何せトリスタにもセリーヌという喋る猫がいるのだから。勿論セリーヌの場合は特殊な事情があるのだが、もしかしたらこの鳥も彼女と同類か、或いは何かしらの共通点があるのかもしれない。

 ふと、歩みを止めたグランが上空を見上げた。そして見間違いでなければ、今確かに彼の瞳は青い鳥を認識している。

 

 

「あら、気付かれちゃったわね。ふふ……良いかしら、グランハルト。貴方の事を諦めたつもりは無い。必ず、貴方を私だけのものにしてみせるわ」

 

 

 そう言い残し、青い鳥は一層羽ばたくと帝都の空へ消えていった。




今話で第四章は終わりでしょうか。次回から五章のレグラム、クロスベル編へ入る予定です。と言ってもその前に夏期休暇の話を入れようと思っていますが。中間テストで十位以内に入れなかったグランを慰めようと、会長が言ってしまった『一つだけお願いを聞いてあげる』という内容になります。あ~あ、会長そんな事言っちゃうから大変な事に。

そして前回の一件でグランがツンデレに目覚めつつあるようです。皇族から感謝されて顔真っ赤なトワ会長を見て拗ねちゃうなんて序の口、『べ、別に会長のためじゃないんだからねっ!』何て事も……気持ち悪いですね、ごめんなさい。


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第五章ーー明日を掴むためにーー
一夏の思い出 上


 

 

 

 八月に入り、トリスタの街は猛暑に見舞われていた。日中にギラギラと照り付ける日差し、昼夜問わず忙しなく鳴き続ける蝉の声にはうんざりとする者も少なくは無いだろう。しかしそんな冷めた大人達の考えとは逆に、幼い少年達にとっては宝物のような一時でもある。

 この時期、貴族生徒の殆どは領地運営の勉強の名目で学院を離れ、長期の休暇を取っていた。残された平民生徒達はその事を羨みながら、暑さの中日々学院で勉学や武術訓練に勤しむ事となる。

 だが、そんな彼らにも一時の休暇は設けられていた。五日間の短期休暇。その間は勉強や武術訓練を忘れ、各々が過ごしたいように日々を過ごす事が出来る。勉学もよし、鍛練もよし、娯楽もよし。勿論休暇の時間に好き好んで勉学や鍛練に励む者は少ないので、殆どの者は趣味や娯楽に時間を活用しているのだが。

 そして、そんな短い夏期休暇の朝の時間。第三学生寮の一室、グランの部屋では現在、部屋の主であるグランとサラの二人が揃って棚の前で立ち尽くしていた。

 

 

「だあー! もう全然開かないじゃない!」

 

 

「サラさんでも心当たりがないか……」

 

 

 突然声を上げたサラがイライラとした様子で頭を掻きながら床に座り、その隣では何処か諦めた様子のグランが頭を抱えている。そしてそんな二人が直後に向けた視線の先、棚の扉には不思議な形の鍵が施錠されていた。

 金属で作られた長方形のそれには、0から9の数字に合わせられるようになっているダイヤルが計八つと赤いスイッチが一つ。見たところ、それぞれ該当する数字にダイヤルを合わせてスイッチを押せば鍵を解錠出来るという仕組みだろう。この鍵の製作者は技術部の部長ジョルジュで、それを依頼したのは彼の親友であり生徒会長のトワだった。

 グランが学生にもかかわらず酒を持ち込んでいた事を知ったトワは、彼がまた自室で飲酒を行わない様にジョルジュの協力のもと棚へ鍵を設置した。通常の鍵を設けてもピッキング等で開けられるのは明白なので、この様な凝った作りにしたのであろう。それから二ヶ月を過ぎているが、グランは未だに解錠出来ないでいる。

 

 

「くっ、今度こそ……!」

 

 

 苦虫を噛み潰した様な表情のサラは再度棚の前へ詰め寄ると、ダイヤルを回して次々と数字を合わせていく。帝都での特別実習の時、グランへ鍵を開けるという約束をしてしまった以上彼女も投げ出すわけにはいかない。と言ってもここまでサラが熱心に鍵の解錠を試みるのは、中に入っている物目当てというのが一番の理由なのだが。

 それぞれダイヤルを合わせたサラは、真剣な面持ちで赤い色のスイッチを押した。これで数字が合っていれば鍵は開くのだが……

 

 

『こら、学生はまだお酒を飲んじゃダメだよ』

 

 

 鍵が外れる事はなく、代わりに何故かトワの声が鍵の中から聞こえてくる。恐らくグランが開けようとするのを見越したトワが、ジョルジュに頼んで録音した声を組み込んだのだろう。解錠を失敗する度にトワから説教をされるという仕組み、因みにグランはこの声を既に何百回と聞いていたりする。

 

 

「私は学生じゃないっての! はぁ、何か段々トワに対して腹が立ってきたわ……しっかし、アンタこれ何百回も聞いててよくあの子の事を嫌いにならないわね」

 

 

「まあまあ、これはこれで結構面白いですし。何時でも会長の声を聞けると思えば悪くないですよ」

 

 

「はいはいごちそうさま。で、一通り思い当たる数字はやってみたけど全然駄目ね……どうするの?」

 

 

「そうですね……」

 

 

 グランは顎に手を添えると、サラの視線を受けながら思考の海へと潜り込む。グランよりトワとの付き合いが長い彼女でも、解錠のパスワードは分からなかった。やはり根気強く試していくしか方法は無いのか、ただそれだと残り約一億通りの数列を試さなければならないという地獄が待ち受けている。流石にそれは無理だろう。

 トワの親友でもある二年生組に助力を求めるという案もあった。だがアンゼリカやジョルジュは当然トワの味方をするだろう、クロウは面白がってヒントを教えるどころかまともに相手をしない可能性がある。勘繰られない様に彼らからヒントを聞き出すのが妥当か、グランが出しかけた結論はそのようなものであった。

 しかしそんな中、思考の海へと潜り込んでいるグランを見ていたサラは突如首を傾げて話す。

 

 

「って私思ったんだけど、わざわざ鍵を開ける必要なんて無いんじゃないかしら」

 

 

「……と言うと?」

 

 

「開ける方法ばかり考えるから駄目なのよ。開かないんだったら──壊せばいいじゃない」

 

 

 サラは突然腰に下げていた強化ブレードを抜き、ホルスターから導力銃を取り出すとその銃口を鍵へと向ける。解錠ではなく壊錠、成る程パスワードを一つ一つ試していくよりも遥かに効率的だろう。部屋の中で導力銃を放つのは少し洒落になっていないが。

 しかし、それが出来ればグランはとうの昔に鍵を破壊している筈である。どうだと言わんばかりの表情のサラへ対し、グランは頭を抱えながら返した。

 

 

「それが出来たらしてますよ」

 

 

「え? どういうわけ?」

 

 

「『壊すなんてしたら、絶対に駄目だからね?』って泣きそうな顔で言われまして。いやー、流石に会長を泣かせるわけには……」

 

 

「よっしゃ今すぐ壊しましょう」

 

 

 グランからその理由を聞いたサラは額に青筋を立て、導力銃の銃口を再び鍵へと向ける。御年二十五歳にして彼氏無しのサラ=バレスタイン、グランの話した理由が少々癇に障ったらしい。今すぐにでもそのトリガーを引きそうな状態である。

 部屋の中で銃を使われては堪ったものではない。サラの取った行動にグランは若干の焦りを見せながらも、直ぐ様彼女の左手を掴んで銃口を棚の鍵から逸らした。

 

 

「何してるんですか!? 壊すなって言ってるでしょう!?」

 

 

「ええい放しなさい! 目の前で惚気話聞かされてこっちは堪ったもんじゃないわよ! こんな鍵壊してやる!」

 

 

「だから止めろっ──」

 

 

 グランはサラの動きを抑えようとするが、必死に抵抗をしていた彼女が勢い余って引き金を引いてしまった。第三学生寮の中には銃声が鳴り響き、何事だと他の部屋からは驚きの声が聞こえてくる。頭を抱えるグラン、対してサラはから笑いをしながら扉が開き始めた部屋の入口へと視線を移す。

 そしてグランの部屋の扉が開いた先には、満面の笑みを浮かべたシャロンが立っていた。

 

 

「サラ様、流石に学生寮内での銃の使用はお控え下さい」

 

 

「あーあ、サラさんオレ知りませんよ」

 

 

「な、何薄情な事言ってんのよ! アンタも何か弁明しなさい!」

 

 

「はぁ……それにしても、朝方からお二人でどうかされましたか?」

 

 

 慌てるサラの視線の先、シャロンは彼女の様子に溜め息を一つこぼした後、普段から朝の遅い二人が珍しく揃って起床している事に疑問を抱く。グランは彼女の問いにどう返事を返そうか悩むが、そんな時にふと思い付いた。トワからパスワードのヒントを然り気無く聞き出す方法、もしかしたらシャロンならいいアイデアがもらえるかもしれないと。

 

 

「いや、それが以前トワ会長に棚へ鍵を掛けられまして。八つのダイヤルを数字に合わせて解錠する仕組みみたいで、そのヒントをどうやって会長から聞き出そうかなぁ、と」

 

 

「聞き出す方法、ですか?」

 

 

 棚の中身が何であるかをシャロンに気付かれれば取り上げられるのは明白なのだが、リスクを負ってでもシャロンから助力を受ける方法をグランは選んだ。それだけ、シャロンが優秀な人物であり、グランにとっても頼りになる存在なのだろう。

 しかし、後にグランはこの選択を酷く後悔することになる。 

 

 

「そうですわ! ふふ……グラン様、私から一つご提案が」

 

 

 シャロンは何かを思い付いたような表情をした後、突然両手を合わせて悪戯な笑みを浮かべ始めた。そして、全ての事が終わってから、グランは漸くこの時の彼女の笑顔の真意に気付く事になる。

 そう、彼女の方がグランより一枚も二枚も上手だった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 トールズ士官学院の平民生徒達に与えられた、五日間の夏期休暇。学院の皆はそれぞれ自由に過ごす時間が設けられたわけだが、本学院を取り仕切る生徒会はそうもいかなかった。学院で行われる様々な行事の取り決めや部活動等からの要望その他諸々、そして近い時期で言うと再来月に行われる学院祭もある。そのため、夏期休暇ではあるが生徒会の者達は今日も事務仕事に勤しんでいた。

 しかし現在、生徒会長のトワが座るデスクの周囲を何故か生徒会の者達がひそひそ話をしながら囲んでいる。男子生徒は驚きと動揺の混じった表情で、女子生徒はその頬を薄紅色に染めながら。そしてそんな彼らの視線の先には、椅子に座って顔を唖然とさせるトワと、そんな彼女を照れくさそうに見下ろすグランが立っていた。

 

 

「え、えっと。聞き間違いかもしれないからもう一回お願い」

 

 

「だから……昼からオレとデートしませんかって話ですよ。何度も言わせないで下さい、恥ずかしい」

 

 

「……ふえぇぇぇっ!」

 

 

 突然の誘いを受けたトワは驚きの声と共に、火が出そうな程にその顔を真っ赤へ染め上げる。男子達は彼女と同様に再度驚きの声を上げ、女子達はキラキラと目を輝かせながらトワとグランの姿を見ていた。

 恥ずかしさに顔を火照らせた両者の間には、暫し沈黙が生まれる。そして、漸く先に言葉を紡いだのは顔を俯かせたトワだった。

 

 

「そ、その、誘いはとっても嬉しいんだけど……生徒会のお仕事が残ってるし……」

 

 

「大丈夫ですよ会長、それだったら私達で何とかなりますから! 良いよね、みんな?」

 

 

「お、おい! ちょっと待て──」

 

 

「あー、男子の意見は却下で」

 

 

 貴族の男子生徒の声は女子達の耳に届く事はなく、盛り上がりを見せる彼女達の意見のみで事は決まる。色恋沙汰ともなれば女子達にとっては大イベントである、それが彼女達の慕う人物に関する事となれば応援したくなるのも当然だろう。

 そしてそれに従って、本日の生徒会はこれから緊急会議を開く事になった。

 

 

「議題は『トワ会長とグラン君のデートを如何にして盛り上げるか』手が空いている他のみんなにも声をかけて、一時間後に会議室へ集合する事!」

 

 

「はい!」

 

 

「了解しました!」

 

 

「頭が痛くなってきた……」

 

 

 女子達が上機嫌に生徒会室を退室していく中、男子生徒達は一様に頭を抱えて溜め息を吐いていた。そしてそんな風に呆れてはいるものの、資料を手に生徒会室を退室しながら、何処がデートにオススメだろうと呟いているあたり彼らの付き合いの良さが見える。それだけトワは生徒会の皆に慕われているという事だろう。

 

 

「ふふ、いつの間にかデートをする方向で話が進んじゃったね」

 

 

「オレは誘った側なんであれですけど、会長はいいんですか?」

 

 

「うん。何だか女の子達も張り切っちゃってるから、今回は甘えさせてもらおうかな。それに……前にグラン君のお願いを一つだけ聞いてあげるって約束しちゃったし」

 

 

 未だ頬に赤みを帯びているトワは微笑みながらグランを見上げ、机の上に並べてある資料を整理すると席を立つ。何処か安堵した表情の彼の傍へと、照れた様子で歩み寄った。

 気が付けば、生徒会室はグランとトワの二人きりになっている。二人は互いに顔を見合わせて笑顔を浮かべた後、午後からのデートへ向けてそれぞれ想像を膨らませながら仲良く生徒会室をあとにするのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 午後一時、帝都ヘイムダル行きの旅客列車内にて。列車が鉄路を走りながら鳴らす規則的な走行音が聴こえる中、列車の揺れによって乗客達が体を僅かに揺らす座席の一画には、私服姿のグランとトワの二人が隣合わせに座っていた。白いシャツの上に紅いコートを纏い、青のジーンズを履いた簡単に着替えを済ましているグランとは違い、トワの服装は空色のワンピースに日除けの麦わら帽子、普段は後ろで一つにまとめている栗色の髪も解いて肩の下まで下ろしている。薄化粧だが身なりもきちんと整えており、近場の帝都への外出にもかかわらず結構な気合いが入っていた。

 そして、二人が座る足元には割りと大きめの鞄が二つ。近場の外出にしては、少し多い気もする荷物の量であった。

 

 

「しっかし、会長が髪を下ろしているのって珍しいですね。新鮮と言うか、妙に大人な感じがすると言うか……」

 

 

「あはは……男の子と出掛けるならきちんとしないと、ってアンちゃんが。私は制服でも良かったんだけど」

 

 

「アンゼリカさんが……結構似合ってますよ。いやー、会長に大人の魅力があったとは思いませんでした」

 

 

「えへへ……そうかな?」

 

 

 グランの言葉に照れた様子を見せながらも、直後に褒められているのか若干疑問に思うトワだったが特に気にはしなかった。帝都へ到着するまで三十分足らずという決して長くはない列車旅だが、こういったグランとの会話も大切にしたい。先月顔を合わせる機会が少なかった彼との時間を埋めるように、トワはその顔に笑顔を咲かせながらこの時を楽しんでいた。

 そして、ある一点を除けば完璧なのだが、と思いながら、彼女は目の前に腰を下ろしている人物へと視線を移す。

 

 

「ったく、どうして私まで付き合わされんのよ」

 

 

 頬杖をついたサラが、外の景色を眺めながら不機嫌そうに呟いていた。そんな彼女の姿を視界に捉えたグランとトワは苦笑し、互いに顔を見合わせる。

 シャロンがグランへ吹き込み、生徒会の皆によって計画された今回のデート。その筈なのに何故サラがこの場にいるのか、それも彼女の口振りからすると半ば無理矢理付き合わされているようだ。折角の二人の時間、普通に考えればグラン達が付き添いを頼むはずがなかった。しかし、これには少々理由がある。それは今回生徒会のメンバーが行った会議の結果、決定したデートプランの内容だ。

 デート先が帝都というのは満場一致で決まった。近場であり、尚且つ百貨店や公園と言ったデートに適した場所が多くあるからだ。トリスタもその辺りの条件は満たしているが、やはり帝都の方が活気も違うだろうし、何より見知った人ばかりで二人の時間に集中出来ないだろうと言う意見で上がらなかった。その後はグランがトワをデートに誘ったにもかかわらず彼が無計画だった為、女子達がルートの作成等に時間を費やし会議は予定の一時間を超えたりもしながら、行き先や内容が粗方決まる。

 そして時間は二時間近く経ち、漸く会議も終えようとした中でふと一人の女子生徒が呟いた内容が採用された。

 

 

──うーん、お泊まりとかだったらもっとワクワクするんですけど──

 

 

 トワによると、この時ほど生徒会の女子達の声が揃った事は無いというくらい彼女達の心が一つになった瞬間だった。会議の中でデートの予算の話が出た際に、グランは貴族生徒でもないのに割りとミラを持っているのも皆は知っていたので金銭的な面で問題が無い事も分かっていた。切り詰めていたプランを急遽変更して時間の帳尻を合わせ、本日の午後と明日を含めた一泊二日のお泊まりデートへと内容を変える。とは言えこれは流石に行き過ぎではないかとグランとトワも思い意見したが、女子達の盛り上がりに彼らの声は一瞬にして掻き消された。デートへ行く本人達よりも周りがはしゃいだりするのはよくある事だ。

 しかし、そんな風に盛り上がりを見せる彼女達の考えには問題が生じた。

 

 

──ハインリッヒ教頭が知ったら黙ってないだろうな──

 

 

 小煩いことで有名なハインリッヒ教頭、彼に知られたら間違いなく大問題に発展するだろうと男子生徒の一人が口にする。まあ小煩かろうがそうでなかろうが、今回の彼女達が考えた内容を知れば学院の教官という立場なら承諾しかねるだろう。何せ学生二人だけで、それも男女が学院を離れて外泊するのだ。自分達の慕うトワには出来るだけ楽しいデートをして欲しいと皆共通意見ではあるが、流石に風紀上の問題が絡むとなると生徒会の立場としても決め倦ねる。ここに来て最大の難関が会議の内容に支障をきたした。

 ある程度色恋沙汰にも寛容で、名目上付き添いとして現地へ到着するまで付き合ってくれるお人好し。若しくはグランかトワに借りがあるような人物なら断り難いだろうから尚の事いい。そんな暇を持て余した、都合のいい教官など士官学院にいるはず……という考えまで至って生徒会全員の脳裏に一人の人物の姿が過った。

 

 

──いたな、一人──

 

 

──ええ、これでもかって言うくらい該当する人物がいたわね──

 

 

「誰が暇を持て余した都合のいい教官よ! 敬う立場の教官をこんな面倒事に利用して……失礼しちゃうわ全く……!」

 

 

 会議室での一連の出来事を思い返していたトワは、目の前で不満の声を上げるサラを見て苦笑いをするしかなかった。面倒事を押し付けてしまっている事に少し申し訳無く思いながら、彼女へ投げ掛ける言葉に迷っている。

 一方で、グランはブツブツと文句を口にするサラを見ながら頭を抱えていた。

 

 

「聞きましたよサラさん。Ⅶ組の担任教官なのに、特別実習やその他各方面への連絡や手続きを殆ど会長に任せてるそうじゃないですか……人の事言えませんって」

 

 

「こらこら、サラ教官も忙しいんだから。事務仕事は得意だから、私の方からさせて下さいってお願いしてるの」

 

 

「そうそう、こう見えて私も色々と大変で──」

 

 

「忙しい人が休日の昼間っから自室でワイン飲んだりします?」

 

 

 態とらしくトワへ疑問を投げ掛けるグランの姿にサラは言葉を詰まらせ、トワは返答に困って苦笑いを浮かべている。今のサラには教官の威厳などこれっぽっちも無かった。

 サラがグランの言葉に苦しい言い訳をし、グランが話し半分に彼女の意見を聞き、そして二人のやり取りにトワが笑みをこぼしながら。そんな三人を乗せた帝都行きの旅客列車は、間も無くヘイムダル駅へ到着予定だ。




何故か日常を描きたくなってきました。なのでここ二、三話は戦闘が無いかもしれません。いや待てよ、戦闘が無いとグランが要らない子に……やっぱり戦闘を混ぜよう。

シャロンさんの差し金+生徒会女子達の暴走により帝都でデートをする事になりました。トワが苦労する姿しか思い浮かびません、はい。そして最後はグランと会長にとってのラスボスの登場も……あるかもしれません。そこは時系列と相談しながらですね。一日くらいなら帳尻合わせられるかな……


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一夏の思い出 中

 

 

 

 平日の午後、帝都の玄関口であるヘイムダル駅は多くの人々で溢れていた。夏期休暇の時期という事もあってか家族連れが多く、そのため列車から降りたグラン達の姿はさながら旅行に訪れた姉弟の様にも見える。

 人波を抜け、三人は駅のホームをあとにして帝都の中央を走るヴァンクール通りへと躍り出た。真っ先にグラン達の耳へ入り込んだのは導力車のエンジン音、街中を歩く人々の賑わう声、トリスタの街で昼夜問わず鳴き続ける蝉に負けず劣らずの忙しなさである。

 一先ず宿泊する部屋を取るためにガルニエ地区へ寄ろうと決めた三人は、未だトラムの到着していない乗り継ぎ場へと向かって歩き始めた。そしてその時、一際強い風が彼らの傍を吹き抜ける。

 

 

「あっ……ちょ、ちょっと取ってくるね!」

 

 

 被りの浅かったトワの麦わら帽子は風によって飛ばされ、少し慌てた様子で彼女は風に流された麦わら帽子を追いかけていく。そんな彼女の姿をグランは苦笑を漏らしながら眺め、少し経って帽子に追い付いたトワが安堵の表情でそれを掴む様子を、グランの横に並んだサラが笑顔で見詰めている。

 そして、帽子を手に持ったトワが二人へ向けて照れた様子で笑顔を浮かべる中、ふとサラが隣に立つグランへ向かって話し始めた。

 

 

「ところで、アンタ怪我の具合は大丈夫なの?」

 

 

「……怪我って、特に怪我なんてしてませんけど」

 

 

「誤魔化しても無駄よ。ノルドの実習の時に負った怪我、まだ完全に治ってないんでしょ? この前テロリストを呆気なく逃した時にピンときたわよ」

 

 

「……別に怪我自体は治ってるんですけどね。感覚が戻るまではあと二週間ってところですか」

 

 

 瞳を伏せたグランは、ばつが悪そうにサラへ向かって本当の事を話す。ノルドで負った怪我は回復しているものの、以前の状態に戻るまでにはもう一時の時間を要する事を。

 グランがノルドの集落で負った怪我は、確かに完治までに時間を要する程の重症ではあった。しかし実のところ、本当であれば怪我は既に完治していないとおかしい。現場にいた薬師やエマによる迅速な治療、石切り場で倒れた後も二人の治療は施され、その時の見解では完治までに二週間程かかるというもの。学院に帰還してからも保健医のベアトリクスによる治療を受けており、治療環境にも問題は無いからだ。

 それでも尚、グランが未だにノルドで負った怪我の後遺症を完全に回復出来ていない理由。それはノルドでの実習の後、学院に戻ってからも安静にする事なく旧校舎にこもっていた事が原因だった。

 

 

「ったく、赤い星座がクロスベル入りしたからって焦るからそうなんのよ」

 

 

「あはは……バレてましたか」

 

 

「せいぜい今は休養なさい。アンタが怪我したって知った時、あの子物凄く心配してたんだから」

 

 

 視線を移し、帽子を被りながら歩み寄ってくるトワを視界に収めてサラは微笑む。グランもまた彼女の視線を追ってトワを視界に捉え、ばつが悪そうに頭を掻いていた。二人の元へと戻ってきたトワは両者の視線の意味が分からず、不思議そうに首を傾げている。

 そして、ふとサラはグランが手に下げている二つのバッグを取り上げると、二人に背を向けて歩き始めた。

 

 

「私は先にホテルで宿取っておくから、アンタ達は勝手によろしくしてなさい。ただし……二人っきりだからって、あんまりハメを外すんじゃないわよ~?」

 

 

「サ、サラ教官っ!?」

 

 

「あのですね……」

 

 

 からかうように話すサラの言葉に、トワはその頬を朱色に染め、グランは頭を抱えてため息を吐いていた。そんな二人を余所に、サラは三人分の荷物を手に抱えながらトラムの到着した乗り継ぎ場へと近付いていく。

 残された二人は直後に互いの顔を見合わせ、トワが照れた様子を見せながらグランから視線をそらした。

 

 

「うぅ……そ、それじゃあ行こっか?」

 

 

「ええ。時間も無い事ですし、早速みんなに考えてもらったプランを進めましょう」

 

 

 グランは生徒会の皆が考えたプランを記している紙をポケットから取り出すと、トワに左手を差し出し、頬を赤く染めている彼女の手を取るのだった。因みに、グランが右手に握っている紙には最初の項目へこう書かれている。

 

 

──お泊まりデートにおける約束事項『デート中は両者とも手を繋ぐ事!』──

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「モニカ、これはどうだろうか?」

 

 

「えー、ラウラそれは無いよ……」

 

 

 午後二時、帝都の大型百貨店内にて。装飾品が陳列されたショーケースの前では現在、トールズ士官学院の夏服を着ている二人の女子の姿があった。一人はラウラの姿で、彼女は手に持った小物サイズのドライケルス像を差し出し、もう一人の女子である同じ水泳部のモニカから否定的な意見を受けている。モニカの反応にラウラは顔を僅かに落ち込ませると、カウンターに立っている雑貨店の店員へとドライケルス像を返却した。

 在学中の士官学院生達に与えられた短い間の夏期休暇。彼女達はそれを利用し、こうして帝都で仲良く買い物を楽しんでいる。そして、それは二人だけではない。

 

 

「どうしよ、今月のお小遣いもう使いきっちゃったよぉ……」

 

 

「あはは……コレットさんお買い物が大好きなんですね」

 

 

 どんよりと重い雰囲気を漂わせ、肩を落として二人の前へ現れた茶髪の少女は一年Ⅲ組のコレット。そしてそんな彼女の隣では、エマが苦笑いを浮かべながらその様子を見ている。因みに今月は始まってまだ一週間も経過していない、コレットの生活は大丈夫なのかと三人は彼女の先行きが不安になった。本人の談では毎月同じような事の繰り返しとの事なので、何とかやっていけるのだろう。

 

 

「でも、フィーちゃんも来ればよかったのにね」

 

 

「フィーは園芸部の活動が忙しい様子だったからな。またの機会に誘えばよかろう」

 

 

 ラウラとモニカが発案した此度の帝都での買い物。ラウラがエマを誘い、モニカがコレットを誘った事により現在四人で赴いているわけだが、本来ならばこの輪の中にはフィーも加わるはずだった。彼女に部活動を休んでまで来てもらうというのもどうなのかとなり、四人での買い物になったのである。

 そして二人の会話にコレットは疑問を抱いたのか、不意に首を傾げた。

 

 

「今更だけど、アリサさんは誘わなかったの?」

 

 

「そう言えば……誘わなかったのラウラ?」

 

 

「ああ、それなのだが……」

 

 

「えっと、何と言ったらいいか……」

 

 

 困ったように顔を見合わせ、ラウラとエマは言い辛そうに言葉を濁す。彼女達の様子に首を傾げるモニカとコレットだったが、別段それほど気になる訳でもなかったためこれ以上は問わなかった。追及をされずに済み、二人はホッと胸を撫で下ろす。

 直後にラウラとエマは柔らかな笑みを浮かべながら、窓の外に広がる青く染まった帝都の空を見上げた。

 

 

「あの二人は今頃、上手くいっていると良いのだが」

 

 

「そうですね……」

 

 

 同じ青空の下。現在トリスタの町で買い物を楽しんでいるであろうリィンとアリサを想いながら、後に百貨店の中へと現れた二人の男女の姿にラウラとエマは驚くのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 生徒会メンバー発案による帝都でのデートプランを、グランとトワの二人は一つ一つ楽しみながら消化していた。ブティックや百貨店での買い物に、公園での散歩。トワの意見を採り入れ、グランが特別実習で回った場所を辿っていきながら、時間は瞬く間に過ぎていく。因みに、デート中は両者とも手を繋いだままでなければならないという取り決めがあったが、サラと別れてから開始数分でトワが恥ずかしさに耐えられなかったため、無かった事になっている。

 現在の時刻は十六時。辺りも明るくホテルへ帰るには些か早い時間なのだが、買い物の手荷物を一度置きに行こうという事になり、グランとトワの姿は今ガルニエ地区にあるホテル内のロビーにあった。

 

 

「……」

 

 

 頭に被っている麦わら帽子を手に取ったトワは、口を開けたまま茫然とホテルの内部を見渡していた。必要以上に彩飾を施していない広いロビーの天井には、二つの大きなシャンデリアが設置され、中央を昇る階段の先には、国賓級の人間のみが入るというVIPエリアが見える。ホテル自体を訪れる機会が無いのか、彼女はその広さに呆気に取られていた。

 そして、そんなトワの隣では、その反応が可笑しかったのかグランが微笑ましそうに笑みを浮かべている。この時彼の顔を視界の端に捉えたトワは、顔を朱色に染めながら不機嫌そうに頬を膨らませた。

 

 

「あはは……そんな顔しないで下さいよ」

 

 

「……ホテルなんて来る機会が無いんだもん」

 

 

「機嫌直して下さいって。てっきりアンゼリカさんあたりに誘われた事があるかと思って……いや、オレが悪かったですから」

 

 

「……ちゃんと反省してる?」

 

 

「そりゃあもう」

 

 

 不機嫌そうに頬を膨らませていたトワは、大袈裟に胸を張って答えるグランを見るとため息を吐きながら肩を落としていた。全く反省した素振りを見せないグランと、からかわれていると分かっていながら素直に反応を返してしまう自分に対してである。

 諦めた様子のトワが一呼吸置き、気を取り直したのか一人受付へと向かって歩き出す。そしてそんなトワの後ろ姿に視線を向けながら、グランは満足そうに彼女の後を追った。二人はそのまま受付へ立っている従業員の元へ近寄り、部屋を案内してもらうために自分達の名前を告げる。

 

 

「予約していたグランハルトです。多分サラ=バレスタインという女性が先に来ていると思うんですが」

 

 

「お待ちしておりました。お付きの方は先にご案内致しております、どうぞこちらへ」

 

 

 会話を聞いていた近くの従業員の一人がグラン達へ声をかけ、案内をするべくロビーの中央にある階段へと歩き始める。グランとトワが持っていた荷物は受付の人物が呼び出した他の従業員によって既に持たれており、客への気遣いの良さが伝わってくる配慮だ。

 従業員の案内により階段を上がったグランは、左右に別れた階段を上がらずにそのまま直進する案内人に疑問を抱いて首を傾げる。何故ならロビーの階段を上がって正面はVIPエリアであり、一般客を入らせる筈の無い区画だからだ。

 

 

「いいのか? こっちに入っても」

 

 

「どうしたの?」

 

 

「いや、こっちは確か──」

 

 

 不思議そうに首を傾げるトワの横、グランは違和感を覚える中でふと気が付いた。突然空気を伝って流れるラベンダーの香り、意識を前方へ向けると自分達を案内していた従業員がいない。そして徐々に近付いてくる気配、それは紛れもなくグランの知っている中ではラベンダーの香りを放つ者。

 漸く異変に気付いたトワが少しの焦燥感を抱く中、二人の前へと現れたのは、蒼のドレスを身に纏ったオペラ歌手──ヴィータ=クロチルダだった。

 

 

「あら、こんなところで会うなんて偶然ね。元気にしてた? グランハルト」

 

 

「(っ!? 迂闊だった……何故気付けなかった!)」

 

 

「グラン君、この人ってもしかして──」

 

 

 ヴィータの顔に見覚えがあったのか、トワはグランへ問い掛けようとするが言葉を続ける事が出来なかった。僅かな動揺を見せるグランがトワを咄嗟に抱き抱え、大きく後方へとステップを踏んだからである。急な展開に付いていけず、トワがグランの腕の中で呆然とする正面、ヴィータは愉しそうに笑みを浮かべていた。

 そしてそんな彼女を悔しげに見詰めていたグランは、抱き抱えたトワを傍に立たせ、警戒心を一層強めながら口を開く。

 

 

「得意の(まじな)いですか……完全にしてやられましたよ」

 

 

「もう、そんなに怖い顔をしないで? こうでもしないと会ってくれないでしょ?」

 

 

「一体何が目的ですか」

 

 

「貴方に会いたかったから……それが理由じゃ駄目かしら?」

 

 

 悪戯な笑みを浮かべたヴィータは、ゆっくりと二人の元へ歩み寄る。対して彼女の動きに警戒するグランだが、ヴィータから明確な敵意を感じない以上、下手に手出しする事も出来なかった。彼らが今いる場所はホテルのVIPエリアである。一般客は立ち入る事が許されない区画であり、ヴィータが声の一つでも上げればグラン達が捕らえられる事は目に見えているからだ。

 グランの頬に軽く手を添えた後、ヴィータは優しい手付きでトワの頭を突然撫で始めた。

 

 

「あ、あの……」

 

 

「貴女にも会いたかったの……ふふ、とっても可愛らしい子。それも──虐めたくなってしまうくらい」

 

 

「……っ!?」

 

 

 ヴィータは困惑した様子で顔を赤く染めるトワを撫でていた手を、輪郭をなぞりながらゆっくり彼女の頬へ向かって動かした。その手が顔をなぞる度にトワは耐えるように甘い声を漏らし、その仕草にヴィータは笑みをこぼす。

 そしてヴィータの手がトワの首筋を辿り、胸元へと差し掛かったところで突如場の空気が張りつめる。僅かに驚きを見せるヴィータが視線を向けた先、トワの横に立つグランは瞳を伏せながら腰に下げた刀へと手を添えていた。

 

 

「今は引いてください、必ず時間を作ります」

 

 

「……少し意地悪が過ぎたかしらね」

 

 

 トワの胸元から手を離したヴィータは、一言謝罪を告げると二人の横を通り過ぎる。グランはそんな彼女の背に鋭い視線を向けながら、いつの間にか床へ落ちていた麦わら帽子を拾ってトワの頭へと被せた。気が付けば二人を案内していた従業員が駆け寄り、見失ってしまった事へ対して頭を下げている。

 再び案内によってホテル内部を進んでいく中、漸く頭から熱が冷めたトワが隣を歩くグランへと顔を向けた。

 

 

「ねぇ、グラン君。さっきの人ってあのヴィータ=クロチルダさんだよね?」

 

 

「ええ、会長はオペラに興味があったんですか?」

 

 

「そういう訳じゃないけど……ほら、『蒼の歌姫(ディーバ)』って有名だし。グラン君と親しそうだったから、少し気になっちゃって」

 

 

「ああ、その事ですか。心配しなくても、オレはまだ襲われてませんよ」

 

 

「そ、そういう意味じゃないよ!」

 

 

 顔を真っ赤に染めながらトワが声を上げ、そんな彼女を横目にグランは笑みをこぼしながら眺めていた。トワをからかう程の余裕があるように見えるが、内心ではヴィータとの関係を深く追及されずに済んでほっとしていたりする。聞かれたところで彼が正直に答えるという事はあり得ないだろうが。

 他愛もない雑談で二人の時間が進んでいく中、やがて従業員の歩みは止まり、グラン達は本日宿泊予定の部屋へと到着した。

 

 

「お荷物は既に中へと運んでおります。それでは、何かあればお申し付け下さい」

 

 

「ええ、ありがとうございます」

 

 

 従業員へお礼を述べた後、二人は扉を開けて部屋の中へと足を踏み入れる。VIP専用の部屋という事もあって、室内は広く家具も高価な物で揃えられていた。少しでも傷を付けてしまったら大変だと、トワはその額に汗を滲ませる。

 そして不思議な事に、隣接する隣の部屋からはグランにとって聞き覚えのある声が聞こえてきた。サラの声も確かに聞こえるが、複数人の話し声が聞こえる事から一体誰がいるんだろうと彼は疑問を抱く。首を傾げながら隣室の扉を開け、そこにいる人物を視界に捉えてグランは呆然とする。

 

 

「や、やっと来たか……遅いぞグラン。だがまあ、これで漸くサラ教官から解放されるな……」

 

 

「お、お二人とも。お待ちしてました……」

 

 

「む……私と付き合うのがそんなに嫌だったのかしら~?」

 

 

 何故かここにいるラウラとエマの二人、そしてワイングラス片手に彼女達へ絡んでいる教官にあるまじき姿のサラ。その姿にトワが反応に困って苦笑いを浮かべる横、グランは目の前の惨状に頭を抱えながらそっと部屋の扉を閉めた。

 扉の向こう側からラウラとエマの助けを請う声が響く中、直ぐ様彼は部屋を退室し、部屋の前を歩いていた従業員へと声をかける。

 

 

「すみません、あれは一体何ですか?」

 

 

 入室数十秒、なんとも早い申し付けだった。




今更ながら知り合いに薦められて、SAOⅡを観ました。マザーズロザリオ編で泣いた、取り敢えず2ヶ月引きこもるぐらい泣きました。誰でもいいからユウキ助けてあげて……でも、本編はあれで彼女も救われたんだと思います。そう信じたいです。

とまあ、気分が憂鬱になって更新ペースが遅れてしまいました……全然言い訳になってないですね! ごめんなさい、ペース上げていくから石投げないで……

そして出ちゃいました深淵さん。彼女の呪いってこんな事もできるの? なにそれ恐い……でも会長は釘をさされた事に気付いてないみたいです。因みにグランはこの時、何かに気付いてたり……?



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一夏の思い出 下

 

 

 

 夕刻の時間。ガルニエ地区のホテルに宿泊しているグランは、部屋に設置されたテーブルに着いて夕食を取っていた。流石はVIP専用の部屋といったところか、ルームサービスも充実しており、提供される食事の質は高く、種類も豊富でテーブルの上には所狭しと料理が並べられている。そしてこの夕食の時間、明日の予定をトワと話しながら、グランは今日の夕食を満喫する筈だった……そう、それを楽しみにしていた。

 

 

「うむ、この牛の煮込みも中々に美味だな。フィー、食べてみるといい」

 

 

「ありがとラウラ……ん、中々」

 

 

「フィーちゃん、お口にソースが付いていますよ」

 

 

「ぷはぁーっ! 夏の夜はビールに限るわね!」

 

 

「……お前ら帰れや!」

 

 

 台無しだった。サラは酔っ払い、ラウラとエマは未だに同席し、何故かフィーまで増えている。トワと二人で仲良く食事だとか、いい雰囲気で会話をするなんて暇もない。グランの隣の席ではトワも四人の姿を眺めながら笑顔で食事をしているので、彼女が楽しんでいる以上変にラウラ達を叱るのもどうかと思ったグランだったが、流石に我慢の限界が来たようだ。そんなグランの顔に視線を移して彼を宥めるトワ、サラは酔っ払っているので聞く耳持たず、ラウラ達は少し不満げにグランの顔を見詰めていた。折角の楽しい食事に水を差すなと言いたそうだが、グランからすればこちらの台詞である。

 とは言えラウラ達にも邪魔をしているという罪悪感があるのだろう。少し不機嫌な様子でトワに受け答えするグランを見ながら、僅かに表情に陰りを見せていた。

 

 

「……少々長居し過ぎたかもしれぬ」

 

 

「はい……やっぱり、私達は帰った方がいいかもしれません」

 

 

「別にそこまで気にする必要も無いと思うけど……サラがいる時点で雰囲気も何もないし」

 

 

「ん~、今馬鹿にされた気がするのは気のせいかしら?」

 

 

 食事の手を止めたラウラとエマをフォローする様にフィーは話すが、今回グランとトワはデートという事で帝都へ来ている。その事を二人が説明している訳ではないが、彼女達もそれを勘付かない程鈍感ではない。ただフィーの言い分として、今のサラの状態を見れば自分達がいてもいなくても雰囲気は台無しだと言いたいのだろう。これについてはサラを選任した生徒会メンバーに落ち度があった。

 ただ、それを踏まえてもラウラとエマが感じているように、彼女達がこの場にいるのは場違いなのかもしれない。だが、ここでラウラ達を突き返すのもグランにとっては後味が悪いのも確かだ。

 

 

「はぁ……帰れとは言ったが、今更気にしなくてもいい。確かにフィーすけの言う通り、サラさんがいる時点で雰囲気も何もないしな」

 

 

「あはは……そうだね。折角だし、みんなで仲良くしようよ、ね?」

 

 

「……ふんだ、どうせ私はお邪魔虫ですよーだ」

 

 

 そしてグランとトワもフィーの意見を肯定してしまった為、流石のサラも不貞腐れてしまう。トワだけが慌ててそんな事はないと彼女をフォローするが、他の皆は苦笑を浮かべるのみで擁護の一つもなかった。

 しかし、何故かサラがグランとトワのデートに水を差しているようになっているこの流れ。だが実際のところ、このメンバーの中で一番の被害者はサラだという事を忘れてはいけない。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 帝都に夜の帳が下り、歓楽街が昼間以上の賑わいを見せる頃。ホテルの部屋に設置されたソファーで寛いでいるグランは、ワイングラスを片手に溜め息を吐いていた。彼が表情に陰りを見せる理由は、現在隣の寝室で寝ているトワやサラの事でも、別の部屋を取ってホテルに宿泊しているラウラ達の事でもない。それはとある理由で先月の帝都の一件から警戒をしていた筈なのに、何故か無警戒でホテル内にて遭遇したヴィータについてである。

 と言っても何故無警戒だったのかはグランも粗方の見当が付いていた。それは彼が以前に所属していた組織内において、『蒼の深淵』の異名で呼ばれている女性が得意とするもの。この世の因果を捻じ曲げる事を可能とする術、帝国に古くから伝えられる魔女の眷属という存在のみが知り得る秘技。

 

 

「いつでも此方の手を封じれるという警告か……それとも本当にただ会いたかっただけなのか……どちらにせよ、こうして考えている事自体無意味なんだろうが」

 

 

 酒が廻れば陽気になる性格のグランとは思えないほど、今の彼が浮かべている表情は深刻なものだった。帝都の街でトワと過ごしていた時の笑顔は嘘だったかのような、苛立ちと深い絶望を抱えた色の消えかかった瞳。今のグランはかつてクオンを失った時と似た状態へ陥りかけていると言っていい。

 どうしてヴィータと会ってしまったというだけでこれ程の落胆を見せるのか、何故これ程までに彼は何かを諦めたような表情を浮かべるのか。それを知るのはグラン本人だけだ。

 

 

「先が見えるというのも考え物だな……どう足掻いても、所詮は負け戦か」

 

 

 グラスに入ったワインを口に含み、飲み込むと再度溜め息を吐く。溜め息ばかり吐いていると幸せが逃げると言うが、まさに負の悪循環へ陥っている今のグランを表した言葉だろう。部屋の明かりは消えていない筈なのに、この場の空気が重苦しい為か暗く感じた。

 考えれば考えるほど、脱け出す事の出来ない暗闇の迷宮。それでも、暗闇の隙間にはいつだって光があるものだ。

 

 

「もう、グラン君お酒飲んじゃダメだよ!」

 

 

 暗闇を照らした光は、隣の部屋から起床してきたトワの声だった。昼間のワンピース姿とは打って変わって、袖が手首まで伸びたシャツとワンサイズは裾の長いスウェットパンツを着用したトワはかなりご立腹である。グランは声が聞こえた直後に冷や汗を流しながらワイングラスを横の台へと置き、明らかに怒った表情のトワが近付いてくる姿を色を取り戻した視界に捉え、どう言い逃れしようかと苦笑いを浮かべていた。

 やがてグランの傍へと歩み寄ったトワは、その頬をこれでもかと言う程に膨らませる。

 

 

「全く、目を離すと直ぐにこれなんだから」

 

 

「えっと……そうそう! 会長、これ実はワインに見せ掛けたジュースなんですよ!」

 

 

「嘘、お酒の匂いがする」

 

 

「そこも再現しているだけで本当にジュースなんですよ。疑うんだったら飲んでみて下さいって」

 

 

「……ほ、本当?」

 

 

「本当ですって。オレが会長に嘘ついた事なんてあります?」

 

 

 寧ろ嘘をつかなかった事がないと思いながら、トワはグランの隣に座ると疑い深い目を向けてワイングラスを受け取り、中身を口へと含む。勿論、グラスの中身は本物のワインなのでトワは直ぐに渋い表情を浮かべた。

 

 

「これ前にアンちゃんに飲まされたのと同じ味がする……もう、やっぱり本物だよ……」

 

 

「会長お酒飲んだ事あるんですね。あ~あ、生徒会長なのに駄目じゃないですかー」

 

 

「ち、違うんだよ!? 飲んじゃダメだよって注意したら、アンちゃんが急に口移ししてきて……じゃなくて! あう……余計な事まで言っちゃった」

 

 

 グランの煽りを受けて話さなくていい事まで口にしてしまい、トワは恥ずかしさからか頬を朱色に染めて視線を下へと落とした。そんなトワの様子をニヤニヤと笑みを浮かべながら眺めていたグランは、彼女の手からワイングラスを取り、残っている中身を自身の口の中へと流し込む。その行為を横目に見ていたトワは声にならないといった様子で、耳の先まで真っ赤になっていた。

 そして、流石に悪戯が過ぎたかもしれないと、直後にグランは羞恥心に堪えているトワを見て苦笑する。

 

 

「(ったく、会長は本当に良いところで来ますよ……あんだけ悩んでいたオレが馬鹿みたいじゃないですか)」

 

 

「もう、グラン君ってばそんな事ばっ、かり──」

 

 

 ふと、顔を真っ赤にしていたトワが隣に座っているグランへ体を預ける。どうやら寝ていた途中の上、アルコールを摂取してしまった事で急な睡魔に襲われたらしい。その表情は最早寝る寸前で、瞼が閉じかかっていた。トワは寝まいと必死に目を開けようとする。

 

 

「ごめん、ね。直ぐ、にベッドへ、行く、から……」

 

 

「はは、別に気にしなくていい……って、もう寝ちまったか」

 

 

 トワの睡魔への抵抗も空しく、彼女はグランの左肩を枕にしながら規則的な呼吸を始める。このままの体勢で寝ていると流石にトワが体を痛める可能性もあるので、少しだけ今の時間を楽しんでから彼女をベッドへ運ぼうとグランは考えた。

 自身の肩へ頭を預けるトワを横目に暫く眺めた後、彼の表情は何かを決意したようなものへと変わる。

 

 

「(どうせ負け戦だ。だったらせめて、会長が少しでも笑っていられるように頑張ってみますか)」

 

 

「えへへ……もう、グラン君ったら……みんなが見てるよ……」

 

 

「……会長の夢の中のオレは公衆の面前で一体何を要求してるんだ?」

 

 

 改めてこれから自身の歩む方向を定める最中。隣でなんとも情けない表情を浮かべながら寝言を口にするトワを見て、自分が彼女からどのように見られているのかが少し不安になるグランだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 夜の帳は上がり、帝都の空には晴れやかな青空が広がりを見せる。早朝の時間、グラン達三人は別の部屋で宿泊していたラウラ達を誘い、六人で朝食を取っていた。口にソースが付いたフィーを見て微笑むラウラ、そのソースが付いた口を代わりに拭いているエマ。笑顔の絶えない朝の食事風景に、グランとトワの表情も自然と笑みがこぼれている。

 朝食を取り終え、身支度を整えたグラン達は部屋を出てホテルのロビーへと降りた。そしてそんな中、ホテル内が僅かに忙しなく感じたグランは首を捻ると、受付に立っている支配人の男へ近寄って声を掛ける。

 

 

「おはようございます、お寛ぎ出来ましたでしょうか?」

 

 

「ええ、それにしても何かあったんですか? 妙に騒がしいというか……」

 

 

「申し訳ありません。昨晩見回りを行っていた従業員が、ホテルの地下で大型の魔獣を目撃したようで。遊撃士の方へ依頼をしたのですが、到着が遅れている状況です。当ホテルへ滞在されているお客様の安全は保証しますので、ご安心ください」

 

 

 先月の特別実習にて、ここにいるグラン、ラウラ、フィーの三人が所属していたA班ではホテルから地下道の魔獣退治依頼を受けている。その際に依頼された魔獣と思しき大型の魔獣は確かに討伐しており、この短期間でまた出現したというのは流石に頻度としては異常だ。話を聞いていた他の皆もグランと同様に首を捻っており、此度の大型魔獣出現には疑問を感じている。

 一方でグランは一人何かに気付いたのか、支配人の男へと再び問い掛けた。

 

 

「すみません、その魔獣の特徴とか分かりますか?」

 

 

「はい。何でも歯車が幾つも付いた、機械の様な魔獣だと聞いています」

 

 

「(やっぱりな。あの時全部破壊したつもりだったんだが……)」

 

 

 目撃者による魔獣の特徴は、機械の様な姿。となれば先日テロリスト襲撃の際に、グランがドライケルス広場で相手にした機械仕掛けの魔獣と情報も一致する。同じく現場にいたトワも気付いている様子で、当時の状況報告を聞いていたサラもその表情を真剣なものへと変えた。

 依頼した遊撃士の到着は早くても三時間。そこから地下を探索となると、魔獣を討伐するまでかなりの時間を要するだろう。加えてグランが知る中では、機械の魔獣には厄介な仕掛けもあった。故に、彼の中で選択肢は一つ。

 

 

「鍵を貸してくれ、オレが処理を引き受ける」

 

 

「そうだね、その魔獣が街に出てこないとも言い切れないし」

 

 

「ええ。私も機械の魔獣で気になる事があるし、手伝うわ」

 

 

 地下に現れた魔獣の討伐を任せてくれと、グランにトワ、サラの三人が名乗り出る。ホテルに宿泊している客人にその様な事を頼めないと支配人は話すが、グランの顔を暫し見詰めた後に彼は思い出したようだ。先月特別実習として訪れていたトールズ士官学院の面々の中に、彼やその後ろに立つ少女の顔が確かにあったと。

 

 

「分かりました。大人の方もおられるようですので、正式な依頼として出させて頂きます。しかしそうなりますと、依頼していた遊撃士の方へ断りを入れなければ……」

 

 

「それは必要ないわ。多分その遊撃士は私の顔馴染みでしょうし、丁度会って話したい事もあるから」

 

 

「そうですか……では、こちらが地下へ続く扉の鍵になります。くれぐれもご無理をなさらないようにお願いします」

 

 

 支配人が差し出した鍵を代表でグランが受け取り、彼は振り返るとトワやサラへ視線を移して両者が頷いた事を確認する。トワの腰にはホルスターへ納められた導力銃。サラはブレードと導力銃をそれぞれ腰に下げており、準備も整っている。グランは既に腰へと刀を携えているので、いつでも地下へ向かえるだろう。

 準備も万端。後はラウラ達へ断りを入れるだけだとグランは考えていたのだが、よく考えてみればこの状況、彼女達が見過ごす筈もなかった。

 

 

「あー……ラウラ達はどうするんだ?」

 

 

「無論、手伝わせてもらおう」

 

 

「そだね、朝の運動には丁度いいし」

 

 

「ご迷惑でなければ、私達にもお手伝いさせてください」

 

 

 グランの声に、当然の如く同行を申し出るラウラ達。これだけの戦力があれば、地下に現れたという大型魔獣の討伐もかなり楽になる筈だ。

 それぞれが自身の得物を確認して、地下へ続く扉へと向かい始める。もしこの六人の事を知る者が現在の状況を見れば、これから討伐されるであろう魔獣がさぞかし不憫に思える事だろう。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 帝都の地下、ホテルの下へと続く地下道は特別実習の際に訪れた時と何ら変わりはなかった。道中幾つか仕掛けられているギミックも解除済みで、地下を徘徊している魔獣達もこれだけの戦力だと大した事はなく、特に苦労する事もなく順調に大型魔獣が目撃されたエリアへと進んでいく。

 暫く道なりに進んでいた一行は、行き止まりになっている場所、恐らくは最奥と思われる広い区画へ辿り着いた。しかしフロアには魔獣と思しき姿は無く、皆も拍子抜けだったようで徐々に警戒を解き始める。

 従業員が目撃したと言うのはただの見間違いだったのか……そう思い始めていた一同。だが次の瞬間、グランとサラの声によって警戒は最大にまで膨れ上がる。

 

 

「来るぞ!」

 

 

「あんた達、構えなさい!」

 

 

 得物を構えてグランとサラが鋭い視線を向ける先、突如空間が歪曲を始めると何もない筈の場所から二アージュ強はあろうかという大きさの機械の魔獣が姿を見せる。光学迷彩、光を完全に回折させる所謂ステルス機能と呼ばれるもの。並の技術で成し得る事ではなく、製作した者は余程の技術者という事になる。

 一体かと思われた魔獣は次々と姿を現し、フロア一帯には六人を囲むように計五体の機械仕掛けの魔獣が出現した。皆の退路は完全に絶たれたが、そもそもグラン達に逃げるという選択肢は無い。

 

 

「オレとサラさんと会長で三体引き付ける、後はいけるか?」

 

 

「任せるがよい!」

 

 

「任せて」

 

 

「が、頑張ります!」

 

 

「このガラクタは致命的なダメージを受けると自爆する、それだけは頭に入れておけ!」

 

 

 グランの指示に力強い声を返し、ラウラとフィーはそれぞれが機械の魔獣へと駆ける。エマは二人の補助に徹し、魔獣の解析とアーツによる援護へ回った。剛と柔の連携に加えてエマの援護、二体の大型魔獣相手でも決して後れを取っていない。

 戦術リンクを活用した三人の動きを見て、グランとサラも得物を手に駆け出す。

 

 

「先ずは一体確実に潰しましょう!」

 

 

「手ぇ抜くんじゃないわよ!」

 

 

 グランの姿は忽然と消え、剣戟の音が響いた後に魔獣の後方へ彼は姿を現す。弐ノ型による一撃は視認すら許さない速度、更にグランが横一閃に振るった刀は斬撃波を生んで機械の魔獣の一部を切り落とした。

 動きの止まった魔獣に間髪を入れず、サラがその魔獣へ急接近するとブレードによる二連撃を決める。

 

 

「これで一体目!」

 

 

 連撃の後にサラは後方へと跳躍、同時に彼女の左手の導力銃からは雷を纏った三連弾が放たれた。百発百中、しかし限界に近いダメージを受け、グランの言葉通り機械の魔獣は熱暴走を引き起こす。

 このままでは大きな爆発が地下で巻き起こり、崩落の可能性もある。だが、この二人がその手を打っていない筈がなかった。

 

 

「やっ!」

 

 

 ARCUSを駆動させていたトワによるアーツの発動。爆発寸前の魔獣の周囲は凍てつく氷塊に閉じ込められ、上昇していた温度を急激に下降させた。熱を奪われた機体は膨張を止め、その機能を停止させる。爆発を起こす事なく一体目を仕留めるに至った。

 ラウラ達が引き付けている二体を除き、残り二体の魔獣達からグランは距離を取ってトワとサラの元へ一度下がる。彼は手にしていた刀を鞘の中へと納め、トワの頭へ軽く手を置いた。

 

 

「流石は会長、ジャストでしたよ」

 

 

「えへへ、少し不安だったけど……」

 

 

 三人の力量を把握したのか、警戒を強める二体の機械魔獣。僅かに後退するその様は、既に己の不利な状況を悟っての事か。

 そんな中、余裕を見せるグランは照れた様子のトワを眺めながら、彼女の頭へと手を置いたまま。二人の傍へ立っているサラはその姿に呆れた様子で肩を落とし、後に地下一帯へ響き渡る大きな怒号を耳にする。

 

 

──砕け散れ!!──

 

 

──躍れ、焔よ……アステルフレア!!──

 

 

「……あんた絶対いつか刺されるわよ」

 

 

 未だにトワと和やかな雰囲気を放っているグランの背中へ、サラは一人頭を抱えながら忠告をしていた。そして肝心の魔獣達だが、この後ラウラとエマの大活躍によって予定よりもかなり早く終了する事となる。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 時刻は過ぎて、帝都は午後を迎える。街は賑わい、導力車や人々の通行も多く、昨日同様の活気を見せていた。

 朝の時間にホテルから魔獣退治を依頼されたグラン達は、従業員が目撃したという機械仕掛けの魔獣を驚きの早さで討伐し、ホテル側が報酬として用意した昼食をご馳走になる。その後は、遅れて来るという遊撃士を待つサラを除いた五人でトリスタへ帰還する事に決まった。

 そして現在。帝都からトリスタへ向かう列車の中では、列車に揺られて寛ぐグラン達の姿があった。

 

 

「……で、どうして二人はずっと機嫌が悪いんだ?」

 

 

 グランは向かいの席に座るラウラとエマを眺め、魔獣退治を終えてから何故か不機嫌な様を見せる彼女達に対して疑問を投げ掛ける。その様子を見ている彼の右隣に座るトワは終始苦笑いを浮かべ、左に座るフィーに至っては完全に我関せずだった。実はこの二人、既にラウラ達が不機嫌な理由を何となく察しているのだが、あえて触れないようにしていたりする。

 そしてグランの問いを受けたラウラとエマだが、少しばかり彼の顔を見詰めた後、再び顔を背けた。

 

 

「そなたの胸に聞いてみるがよい」

 

 

「全くです」

 

 

「いや、分からないから聞いてるんだろ……」

 

 

 あくまで教えるつもりの無い二人に対して頭を抱えるグランだが、どちらかというと本当は自分達の方が頭を抱えたい位だとラウラとエマも感じていた。それは同様に、幼子のような反応しか返せない自分自身に対してだったりもするのだが。

 そして二人から聞き出すのは無理だと判断したのか、グランは次にフィーへ聞いてみた。

 

 

「なぁ、フィーすけ分かるか?」

 

 

「ん……自業自得」

 

 

 グランにはその意味が理解出来ていない様子だが、フィーのその回答こそが全てを物語っているのは最早言うまでもないだろう。流石のトワも苦笑を漏らしつつ、心の中では少しラウラ達に同情していた。結局、何故ラウラ達の機嫌が急に変わったのかグランには分からず仕舞い。

 そしてその報いかどうかは分からないが、既に本末転倒となってしまっている今回のお泊まりデート。列車がトリスタに到着してからトワを第二学生寮へ送った後、グランが第三学生寮の自室へ帰宅すると、棚の鍵は既に解除され、中が綺麗にもぬけの殻と化していた。




ラウラの鉄破刃とエマのアステルフレアが真・鉄破刃とアステルフレアⅡに強化されました。やったね二人とも!

という訳で急ぎ足で夏期休暇のエピソードを終える事になりました。取り敢えずこのエピソードのMVPは深淵さんで決まり。そうしないと色々ヤバイんだよ……(ぶるぶる)※個人的にはシャロンさん

そして結局出したかった人物は出せず仕舞いという……まぁ、パパはクロスベルで忙しいから仕方ないよね!


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通商会議へ向けて

 

 

 

 八月も中旬を迎え、トリスタの街は今年一番の猛暑に見舞われていた。ビールが美味しく感じてくるこの季節。殆どが故郷へ帰省している貴族生徒を除いた平民生徒達は、その様な息抜きも短い夏期休暇で終了となり日々修練に励んでいる。

 Ⅶ組に在席しているリィン、ユーシス、ラウラの三人は貴族生徒のため帰省許可が出ていたが、三人共帰省する事なく他のメンバーと同様に勉学や武術訓練を受けていた。こういった要所要所にⅦ組の絆が見え隠れし、繋がりの強さを思わせる。

 そして八月十八日の水曜日、いつもの様に何の変哲もない朝の時間。何故かグランがいないⅦ組九名は教室で他愛もない会話を行いながら、恐らくは寝坊で朝のホームルームに遅刻しているサラを待っていた。

 

 

「おっ待たせ~……って、何よその目は。言っとくけど寝過ごした訳じゃないわよ?」

 

 

 教室に入った途端、リィン達から冷めた視線を向けられたサラは不満げにそう話した後、教壇に上がって各々席へ座るように促す。そして皆が席に着いた事を確認した彼女は、短い前置きを述べてから唐突に編入生を紹介すると言い出した。この時期に編入生というのもあってかリィン達は皆困惑しており、室内が僅かにざわつきを見せる。

 そんな中、サラは扉の向こう側で立っているであろうその人物へ入室してくるよう声を上げ、直後に扉が開いて中へと入ってきた人物の顔を見たリィン達は更に困惑した。

 

 

「さっさと自己紹介しなさい」

 

 

「ちぃーっす、二年のクロウ=アームブラストです。今日からⅦ組に参加する事になりました……ってなワケで、よろしく頼むわ♪」

 

 

「えっと……何かの冗談ですか?」

 

 

 思わずリィンが呟いた、そして他のメンバーも心の中の声は同じだった。にこやかに教壇の前で自己紹介をしたクロウを余所に、何故二年生の先輩でもある彼がいきなりⅦ組へ編入なのか一同がサラへ問い掛ける。

 編入してきたクロウ本人の談では非常に深刻かつデリケートな理由があるとの事だが、次にサラが話したその理由にリィン達は揃って頭を抱えた。

 

 

「こいつサボってばっかりだから、一年の時の単位を幾つか落としててね。今更泣きついて来たもんだから、今回は特例として三ヶ月間Ⅶ組で授業を受ければいいって事になったのよ」

 

 

「ただの阿呆か……」

 

 

「何ですか、そのどうしようもない理由は……」

 

 

 ユーシスとマキアスの呟き同様に一同の顔は呆れ果てており、クロウも声を詰まらせる。サラは溜め息を吐いて肩を落とし、誰一人としてクロウの事を擁護する事はなかった。

 所々から溜め息が漏れるⅦ組の教室……そして、ふとガイウスが未だに開いたままの扉に気付く。

 

 

「サラ教官、扉が開いたままのようだが……もしや他にも?」

 

 

「ええ、その通りよ……入って来なさーい」

 

 

 サラが廊下へ向かって呼び掛け、リィン達も誰が来るのだろうとその視線を扉が開いた場所に固定する。教室内は静けさを増し、メンバーの誰もが入ってくるであろう編入生に注目した。

 しかし、どれだけ待っても教室に入ってくる気配はない。しびれを切らしたサラは面倒そうに頭を掻いた後、教壇を下りて一度退室する。

 

 

「こら、呼んだら来なさいって言ったでしょうが──」

 

 

「うーん、やっぱりガーちゃんと一緒にどっかーん! って登場した方が良いかなぁ?」

 

 

「普通に行け普通に……教室ぶっ壊すつもりかお前は」

 

 

 サラの視線の先には、何とも物騒な事を話す水色の髪の少女とそれを宥めるグランの姿。恐らくはこの少女がもう一人の編入生という事になるのだろうが、その顔はまさにノルド高原でリィン達と共に襲撃事件を解決したミリアム=オライオンである。

 鉄血宰相ギリアス=オズボーンの配下『鉄血の子供達』の一人として数えられる少女がこのタイミングでⅦ組へ編入してきた。本来ならばオズボーンを敵対視しているサラが編入を反対しただろう、何故なら彼女が鉄血宰相の息がかかった人物を生徒の傍に置く筈がない。オズボーンを憎むテロリストが事件を立て続けに起こしている現状、士官学院の生徒とは言え、これ以上リィン達を危険な目に遭わせるわけにはいかないからだ。

 しかし、それはミリアムという少女を組織的観点から捉えた話である。此度の編入は色々と思惑が見え隠れするところではあるが、それを除けばミリアムという少女は本当に何処にでもいるような小さな少女だ。だからこそサラはミリアムの編入に口出しをしていない。そしてグランもまた、こうして彼女と普通に接している。

 

 

「時間も押してるから早くしなさい」

 

 

 一先ず自己紹介を先に済ませるようにと、サラはミリアムへ告げてから教室の中へと戻っていく。そしてそんな彼女の背を眺めた後、ミリアムはその顔に笑顔を咲かせながら突然グランの前で跳び跳ねた。

 

 

「そうだ! 改めてになるけど……ボクはミリアム、ミリアム=オライオンだよ。ガーちゃんと一緒に、これからヨロシクね、グラン!」

 

 

「Ж・Wпэгк」

 

 

「分かったから、取り敢えずアガートラム消して教室で自己紹介しような」

 

 

 抱えている背景とは裏腹に純粋無垢な笑顔を向けてくる少女と、彼女の傍で不意に姿を現して理解不能な言語を発する銀色の傀儡、アガートラム。グランは先行きが不安になりつつも笑みをこぼしながら一緒に教室へ入るのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 クロウとミリアムがⅦ組へ編入してから、早くも三日が過ぎる。二人は不思議なほど自然とⅦ組に馴染み、リィン達も違和感無く普段の学院生活を過ごしていた。学院の色んな場所で突然アガートラムを呼び出したりと一時士官学院が騒ぎになったりもしたが、それ以外はミリアムも大人しく、授業も真面目に受けていたりする。

 そして本日行われる授業の一つ。歴史担当のトマス=ライサンダーは教壇に立ち、授業開始の号令を終えてから早速語り始めた。

 

 

「えー、獅子戦役を終結させたのがドライケルス大帝であるという事は、皆さんに話すまでもないと思います。今日は、その大帝が獅子戦役を終わらせるに至った彼の協力者について話を進めていきましょう」

 

 

 二百五十年前に獅子戦役を終結させたドライケルス皇子。獅子心皇帝とも呼ばれ、現代でも尊敬されてやまない彼の内戦介入当初の手勢は非常に少数だった。ノルドの地で挙兵し、ノルドの民を初めとする各地で戦果を挙げつつ集めた仲間と共に、ドライケルス皇子は少しずつではあるが着実に勢力を増やしていく。

 そして彼が内戦の地を駆け抜けていく中で、後に内戦終結の立役者とも言える一人の女性と出逢う事となった。

 

 

「それではミリアム君。そのドライケルス皇子が内戦の最中に出会った、後の獅子戦役終結の立役者は誰でしょう?」

 

 

「はーい! リアンヌ=サンドロットでーす! またの名を──」

 

 

「『鋼の聖女』……だったか?」

 

 

 立ち上がっているミリアムが続けようとした中で、彼女の後方の席に座るグランが頭の後ろで両手を組みながら呟いた。早くも居眠りをしているクロウを除いた皆の視線が彼へと移ったが、各々の表情は頭を抱えていたり苦笑を浮かべていたりと様々である。実はグランの答えは間違っており、その時グランの左前の席のエマと担当教官のトマスの目が僅かに細くなって見えたのは気のせいだろうか。

 そしてグランの間違った解答を正すために、彼の右隣ではラウラが微笑みながら彼に向かって話した。

 

 

「正しくは『槍の聖女』だ。グラン、テストに出ていれば間違いになっていたぞ」

 

 

「マ、マジか……サンキューなラウラ。槍の聖女っと……何かごっちゃに覚えてたみたいだな」

 

 

「何と間違えていたのだそなたは……グランは本当に歴史が苦手だな。そ、そなたさえ良ければ……その、時間が空いた時にでも一緒に勉強をしてやろうか?」

 

 

「おっ、じゃあよろしく頼むわ」

 

 

 何気にラウラがグランと勉強会の約束を取り付ける中、トマスの仕切り直しの声によって授業が再開される。頬を僅かに紅潮させたラウラは机の下で小さくガッツポーズを決め、その様子をエマとフィーが微笑ましそうに眺めていた。

 そしてトマスによる歴史談義が行われる中で、ミリアムは後ろのグランへ意識を向けながら心の中で声を漏らす。

 

 

「(グランってば隠してるのか隠してないのか分かんないよねー)」

 

 

 声に出していれば、お前にだけは言われたくないとグランが突っ込んだ事だろう。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「えっと、こっちがクロスベルの概要で、こっちが……」

 

 

 放課後、生徒会室では机の上に置かれた資料をまとめるトワの姿があった。とある事情で抱えている生徒会の仕事を急遽片付けなければならなくなった彼女は、これから必要とする資料をまとめつつ、書類整理を平行して行っていた。終始目を動かしながら左右の手で違う作業を行う様は、事務仕事にうってつけの器用さと優秀さである。

 そしてトワが忙しなくもどこか嬉しそうに仕事を行っている最中、突然近くのソファーから彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。

 

 

「会長、紅茶切れました」

 

 

「はーい、ちょっと待っててね」

 

 

 トワが返事を返した先、ソファーにはテーブルに置いた十数枚の資料を眺めるグランがいた。第三者がこの光景を見たら紅茶くらい自分で淹れろと突っ込むところではあるが、室内には二人しかいないためグランが注意される事はない。トワも大概人が良いため、忙しい中作業を中断して席を離れると、テーブルの上に置かれた空のカップを手に取って紅茶を注ぎに向かう。

 そしてついでに自分も一息入れようと考えたのか、トワはグランのカップともう一つ取り出したカップに紅茶を淹れる。近くに置いていたクッキーの入った器と一緒にトレイへ乗せると、グランの傍へ移動してから彼の隣へと腰を下ろした。

 

 

「はい、どうぞ……さっきから忙しそうだけど、この書類どうしたの?」

 

 

「仕事ですよ。会長には敵いませんけど、面倒な用件を頼まれまして」

 

 

「面倒な用件?」

 

 

「ええ……っと、早速会長が淹れてくれた紅茶を頂きますか」

 

 

「ふふ……この間趣味で焼いたクッキーもあるから、良かったら一緒に食べてみて」

 

 

 グランは資料をテーブルに置き、紅茶を一口含んだ後にクッキーを一枚頬張る。甘さ控えめのグランの味覚に合わせられたそれは、彼も満足そうに口にしていた。その表情を見たトワは微笑み、自身もまた紅茶を一口すする。

 二人はカップをテーブルに置くと、ソファーの背もたれへと体を預けた。

 

 

「……ところで、会長本当にクロスベルへ行くつもりですか?」

 

 

「あれ? 私まだ話してないのに、グラン君どうしてそれ知ってるの?」

 

 

「この前小耳に挟みまして」

 

 

 トワが不思議そうに首を傾げる中、彼女の視線を受けながらグランは苦笑を浮かべた。唐突に出たトワのクロスベル行きの話題、実はこの話には今月末にクロスベルで開催されるという通商会議に関係する。

 先月の帝都で起きた襲撃事件において、的確な避難誘導を行い民間人の負傷者を出さなかったトワはその能力を買われ、帝国政府からとある誘いを受けていた。

 八月末に行われる、IBC(クロスベル国際銀行)総裁兼、クロスベル市長を担うディーター=クロイス氏の発案した『西ゼムリア通商会議』。帝国からユーゲント皇帝陛下の名代として出席するオリヴァルト皇子、帝国政府代表として出席するギリアス=オズボーン。そして彼らと同行する帝国政府の随行団、そのサポートとして同行をしないかとトワは勧められていた。この様なまたとない貴重な機会を彼女が断ることは無く、トワも今回の通商会議へ同行する事になっている。

 

 

「うん。滅多にない機会だから、色々と勉強させてもらおうかなって思ってるよ……それがどうかしたの?」

 

 

「いや、どうって事は無いんですけど……一言相談して欲しかったなぁ、とか思ったり思わなかったり」

 

 

「あっ……ご、ごめんね!? グラン君にもちゃんと話そうって思ってたんだけど、話す機会が無くて……!?」

 

 

「はは……冗談ですよ。クロスベルと言えば、最近物騒な話も聞くんで心配しただけです」

 

 

 慌てた様子で話すトワに苦笑をこぼしながら、グランはテーブルに置いていた書類を一枚手に取った。彼はそれをトワへ差し出し、受け取った彼女はその書類に記されている内容に目を通す。

 そしてトワは書類の内容に目を通す中で驚いた。何故なら書類に記されているのは、クロスベルにおける内情や出来事等を詳細にまとめているものだったからだ。

 

 

「会長がクロスベルに行くって聞いて調べたんですよ……役に立つかは分からないですけど、良かったら後でその内容に目を通してみてください」

 

 

「グラン君……えへへ、ありがとう。大切に読ませてもらうね」

 

 

 思いもしていなかったグランの気遣いに感動しつつ、それほどまでに彼が自分を心配してくれていた事にトワは自然と笑みがこぼれる。書類をテーブルに置くと、グランの左手を取って愛おしそうに両手で包み込んだ。

 突然の彼女の行動にグランは若干の照れを見せつつも、視線をトワからテーブルに置かれた一枚の書類へ移してその笑みを消した。彼女がグランの様子に気付かない中、彼は徐々に表情を険しくさせながら心の中で呟く。

 

 

「(それだけじゃ無いんだが……まあ、話して変に心配させる事もないか)」

 

 

 書類を数回折り畳み、掌サイズに収めるとポケットの中へと仕舞った。まるで、この一枚だけは見せられないと言うような行動である。

 何故グランはその書類だけを除けたのか。実はグランが隠したその書類には、題目としてこう記されていた。

 

 

──『帝国政府と赤い星座の繋がりについて』

 

 

遊撃士協会クロスベル支部代表 ミシェル──




5章に入ってクロウとミリアムの参加、最近真面目に過ごしている風に見えるグランも徐々に行動を起こしてⅦ組のみんなは胃が痛い思いをするかも。自由行動日の水練なんかはその最たるイベントになるんじゃないかと。

そして会長のクロスベル行き、グランも会長に打ち明けていないけど色々と抱えてます。光の剣匠や第七柱と軌跡のチート枠総出の今章、いったいどうなるの……(困惑)


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プールサイドの悲劇

 

 

 

「グラン、良かったら今から俺と付き合ってくれないか?」

 

 

 人が人を好きになるというのは世の理である。男が女に好意を抱き、女が男に想いを寄せる。異性に特別な想いを抱く事は、人であれば誰もが持つ可能性のある情の一つだろう。

 同性愛、という一つの形がある。男が男を好きになる、女が女に想いを寄せる。一般的に受け入れられる事が難しい感情ではあるが、そういった想いを抱く事もまた人であるという証だ。誰かを愛おしく想うという情は、人が持って生まれた物の中でも不要であり、必要な心という機能の一つである。

 グランはその中でも異性を好む、世間一般的な感情であろう。特別な感情という事であれば彼はトワへ想いを寄せ、トワもまたグランへ想いを寄せている。所謂両想いであり、男女が関係を持つ中でも理想的な形の一つだ。

 だからこそ、グランはその想いに応える訳にはいかなかった。彼は同じ学院で生活を共にする仲間であり、大切な仲間の一人。それでも、たとえその関係が壊れてしまうとしても、グランはその言葉に頷く事は出来ない。

 

 

「……すまないリィン、オレには他に好きな人がいるんだ──」

 

 

「ちょっ!? ちょっと待ってくれグラン、何か飛んでもない勘違いをしてないか!?」

 

 

 グランが自室の扉を閉めかけたところ、リィンが慌てた様子で身を乗り出す事によって扉の閉止を防ぐ。顔をしかめつつ徐々に扉を開けるグラン、リィンは大切な何かを失うところだったと一人安堵の溜め息を吐いていた。

 リィンを自室に招き入れ、彼に椅子へ座るよう促してからグランはベッドの上へと腰を下ろす。どこか元気がない様子のグランは、一つ溜め息を吐いてからリィンの顔へ視線を移した。

 

 

「ったく朝からテンション下がるような事言いやがって……何の用事だ?」

 

 

「お、俺が悪かったのか? まあ、いいか。それにしても……やけに物が減ってないか?」

 

 

「ああ、少し事情があってな……」

 

 

 リィンが見渡した周囲、グランの部屋には確かに以前あった筈の棚等の家具が殆ど無くなっており、現在部屋に置かれているのは寝具とリィンが座っている椅子、そして小さなテーブルのみだ。そんなふとした疑問によって更に落ち込みを見せるグラン。リィンもそんな彼を心配するが、用事が押している事から特に追及はせずに改めて用件を話した。

 

 

「いや、実は聞きたい事があって来たんだ」

 

 

「聞きたい事?」

 

 

 グランの声に頷いた後、リィンは唐突に食の好き嫌いを教えてくれと口にした。またしてもグランが若干の警戒を見せるが、勿論リィンの質問にその様な意図は無い。彼も恋愛対象は女性だからだ。

 何故その様な事を聞くのかとグランは疑問を抱くが、別段教えたところで何か不都合がある訳でもないため、少し考える素振りを見せた後に口を開く。

 

 

「そうだな……好んで食べるのは辛いものと苦いものか。その点に関しては一般的な味覚と同一視しない方がいいかもしれないな」

 

 

「えっと……じゃあ嫌いなものとかあるのか?」

 

 

「甘いものは余り好かないな。あとハーブが苦手って事くらいか」

 

 

「ハーブ……そう言えば、ノルドの時にグランだけハーブティーを殆ど飲んでなかったのは、単に苦手だったのか」

 

 

「……まあな」

 

 

 これで聞きたい事は大体聞けたと、リィンの用事は終わりのようだ。何故リィンが自分の好き嫌いを知りたかったのかは結局話してもらえず、グランには若干の疑問が残る事となったが。

 ありがとうと一言口にして、リィンは椅子から立ち上がると扉へ向かって歩き始める。そして扉を開けて退室するその時、彼はふと思い出したように振り返ると、笑みをこぼしながらグランへ告げた。

 

 

「今日の昼は、必要以上に食べないようにしてくれ」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「はぁ……」

 

 

 本日は八月二十二日の日曜日、学院生達には貴重な自由行動日の日である。各々が好きな時間を過ごせるこの日、Ⅶ組の皆も例外に漏れず部活動や趣味に明け暮れているのだが、グランだけはそうもいかなかった。彼は自室に置いていたテーブルや椅子、寝具も解体すると全て一階へと降ろし、溜め息をこぼしながら空となった部屋の掃除を始める。

 何故グランがこのような事をしているのかと言うと、実はクロウがⅦ組へ編入してきた事と関係している。本来なら第二学生寮の部屋を使用しているクロウだが、此度の件に伴って彼は第三学生寮へ引っ越しをする事になった。

 そこでⅦ組担任教官のサラ、第三学生寮の管理人を務めるシャロン、当の本人であるクロウの三人で話し合いをおこなったのだが、よく考えてみれば男子が使用する二階には空き部屋が無い。三階は女子の使用する階だが、どちらにしろミリアムが編入してきたために空きも無い。男子の誰かと相部屋をするという意見も出たが、クロウが渋ったためにその意見も却下となった。

 ではクロウが住む部屋をどうするのか。中々良い案が出ない中で、ふとシャロンが飛んでもない事を提案した。

 

 

──では、わたくしと相部屋というのはいかがでしょうか?──

 

 

 その飛んでも意見にサラは驚愕した。次いでクロウは人生の中でも一番と言える歓喜を見せた。シャロンとの同室、なるほど彼からすれば色々な妄想や期待が膨らむ事だろう。

 しかし、言葉が足らなかったとシャロンは先の話に続けてこう付け加えた。

 

 

──クロウ様がわたくしの部屋に来るのではなく、グラン様が使用している部屋をクロウ様がお使いになり、グラン様がわたくしと同室になるという事です──

 

 

 それならとサラは二つ返事で納得した。次いでクロウは人生の中でも一番と言える落胆を見せた。数秒の間に何とも感情の起伏が激しい男である。

 ではシャロンとグランの相部屋、男女が同室で過ごす事を何故サラは反対しないのかという話になるのだろう。その理由は、二人が旧知の仲である事を彼女が知っており、邪な感情を一切挟まないという事を理解しているためだ。

 しかしよく考えてみると、この決定はグランの意思を完全に無視している。

 

 

「もうやだ、平民クラスに編入したい……」

 

 

 そしてこのグランの落ち込みように繋がる訳である。女性大好きな彼がシャロンと同室に決まって落ち込むというのも考えてみれば不思議ではあるが、女性と言ってもグランにとってサラとシャロンだけは話が別だった。特にシャロンは取り分け別で、グランは完全に彼女を女性として見ていない。これについてはグランが以前所属していた場所での事に関係してくるのだが、兎に角グランはシャロンを姉の様な存在として認識しており、これっぽっちも異性とは結び付かない訳だ。

 シャロンとの同室が決まり、これからの生活に不安しかないと、グランは憂鬱気味に部屋の掃除を続ける。そして三十分余りが過ぎたところで、突然部屋の扉が開いた。

 

 

「まあ、キレイになりましたね。グラン様、このくらいで宜しいかと思います」

 

 

「あ……はい」

 

 

「お荷物は既にわたくしの部屋へお運びしてますので、ここで少し休憩と致しましょう」

 

 

「あ……はい」

 

 

 にこやかなシャロンとは正反対に、終始暗い返事を返すグラン。その足取りも対照的で、軽やかなシャロンに比べてグランのそれは非常に重い。結局歩みの遅いグランの腕をシャロンが取り、引きずりながら進む形となった。

 

 

──今日はグラン様がお好きなビターチョコを沢山ご用意致しておりますわ──

 

 

──はは……シャロンさんが段々天使に見えてきました──

 

 

──もう、グラン様ったら御上手ですわ♪──

 

 

 シャロンが用意したビターチョコは、さながら冥土の土産とでも言えようか。廊下から聞こえるグランの声は、これからあの世にでも逝くのかというほど全く覇気が無かった。 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 リィンの自由行動日は殆ど休みがない。トワから頼まれた生徒会の受け持つ様々な依頼、そして彼自身とても人が良いため、困っている人を見かけたら雑用や手伝いをかって出る事もある。学院長から託された旧校舎の調査も合わせれば、朝から夕方まで働き浸けだ。

 例外なく今日もまた、彼は朝から第三学生寮のポストに届いていた依頼を確認して行動に移している。トワから頼まれた個人的な依頼、導力バイクと呼ばれる自動二輪車の性能テスト、士官学院に伝わる七不思議の調査に恒例の旧校舎の調査と目白押しだ。依頼をこなしていく途中でエマと一緒にセリーヌを探したり、ラクロス部に所属するアリサとⅠ組の女生徒フェリスの勝負を見届けたりと、旧校舎を除いた三つの依頼を終えた頃には既に昼を過ぎていた。

 そして学生会館の食堂で遅めの昼食も取り終え、少し休憩に入ろうかと思っていたその矢先。突然腰に下げたホルダーからARCUSの通信音が鳴り響く。

 

 

≪愛しの教官よ、今ちょっと良いかしら?≫

 

 

「……手短にお願いします」

 

 

 通信先はサラで、嫌な予感がしたリィンは僅かに顔をしかめながら用件を窺った。サラから来た突然の通信、そしてその内容は、先月の自由行動日にてⅦ組の男子勢がナイトハルトによる水練を受けたのかというもの。その時にグランだけは呼び出しに応じていないため五人で水練を受けたとリィンは返したが、直後に何故かサラの不機嫌な声が通信越しに聞こえていた。

 何でもここ最近男子達の泳ぎがメキメキと上達しており、自分の指導による成果だと思っていたサラはふとナイトハルトからその話を聞いたらしい。ドヤ顔を決められたのが余程悔しかったのか、今から女子達の水練を行うからリィンもギムナジウムのプールへ来いとの事。勿論リィンに拒否権は無く、彼の返答を待つこと無く通信は切られた。

 

 

「……取り敢えず、水着を取りに一旦学生寮へ戻るか」

 

 

 放っておけばいいものを、リィンも大概人が良い。食堂の席を立つと学生会館を後にして、トリスタ街中にある第三学生寮へと赴いた。

 自室に戻ったリィンは水着の入った袋を取り出すと、ギムナジウムへ向かうべく学生寮の階段を下りる。そして学生寮を後にしようとしたその時、Ⅶ組メンバーでいつも夕食を取る部屋の扉から突然グランが姿を現した。

 

 

「鬱だ……会長の所にでも行こう」

 

 

「グラン、凄い落ち込みようだけどどうかしたのか?」

 

 

 リィンは生気の無いグランの姿を目にして顔を引きつらせつつ、彼の元へと歩み寄る。グランはそんなリィンの顔へ視線を移した後、溜め息をこぼしながらその理由を話そうとした。

 しかし、ふとグランはリィンの持っている水着の袋に気が付くと、自身の話を中断してから問い掛ける。

 

 

「水着なんか持ってどうしたんだ?」

 

 

「いや……何でもサラ教官が今から女子達の水練を行うらしくて、半強制的に俺も呼び出された」

 

 

「なん……だと……?」

 

 

 理由を話して今度はリィンが溜め息をこぼす中、驚きの表情を浮かべるグランは徐々に生気を取り戻していた。色を失っていた瞳には紅い色が蘇り、身体を小刻みに震えさせる。

 そしてグランの様子に気付いたリィンが心配しているのを余所に、当のグランは突然リィンの両手を握るとキラキラとその瞳を輝かせた。

 

 

「行くぞリィン、オレ達の理想郷へ……!」

 

 

「いや、何を言ってるんだ?」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 夏と言えばプール、世の人々はそう思うだろう。暑さの中で冷たい水を浴び、泳ぐというのは実に心地が良いものである。水泳は普段使う事の無い全身の筋肉を使う事になるため、トレーニングとしても優秀なスポーツの一つと言えるだろう。

 夏と言えば水着、もしそう思った人は少し自分を見つめ直した方がいいかもしれない。何故ならその感性は、寸分違わず彼と全く同じものであるからだ。

 

 

「……で、どうして女子の水練にこの二人がいるんですか」

 

 

 ギムナジウムに完備されている屋内プールにて。学院指定の水着を着用したⅦ組の女子達がサラから此度の水練について説明を受けた後、アリサが不意に視線を移しながらそう話した。彼女が向けた視線の先、同じく水着姿で苦笑いを浮かべるリィンと満面の笑みを浮かべるグランの二人が立っている。

 リィンはどちらかと言えば巻き込まれた側なので少し不憫にも思えるが、グランに至っては便乗して女子達の水着姿を拝みに来ただけに過ぎないので同情の余地は無い。フィーとミリアムを除く三人の女子達からは一斉にジト目がグランへ向けられていた。

 

 

「私も呼んだつもりは無いんだけど……まあ、この際だからあんたも参加なさい」

 

 

「流石はサラさん、今日も綺麗です」

 

 

「知ってるわよ」

 

 

 息の合っている二人のやり取りに各々溜め息をこぼしたり笑ったりしながら、やがてサラの仕切り直しの声によって本来の目的である水練へと移る。と言っても内容はリィン達男性陣がナイトハルトから受けたもののため、ここからはサラではなくリィンによる説明となった。

 

 

「まずは『相克修練法』ですね。確か一対一の対戦形式で泳ぐという内容だったと思います」

 

 

「ふーん、競争心を持たせて効率を上げようって算段ね。理にかなったこと考えるじゃない……それじゃあ、まずはリィンにやってもらおうかしら。相手を選びなさい」

 

 

「分かりました。では教官、お願いしてもいいですか?」

 

 

「へぇ……中々良い度胸じゃない」

 

 

 女子達に見本を見せるという流れになり、リィンが対戦相手として選んだのは恐らくこの場にいる中でもトップクラスの泳ぎを誇るサラだった。指名を受けた彼女は割りと満足そうで、リィンが位置に着く様子を見ながら自身もスタート位置へと移動する。

 そしてサラが泳ぐため、スタートコール及びゴールの判断はグランに任せられた。しかしこの男、何をしに来たのか全く手伝う気配がない。

 

 

「いやー……胸でかい委員長にばっかり目がいってたが、こうしてみるとラウラとアリサも結構大きいよな」

 

 

 いかがわしいその視線は終始、エマとアリサとラウラの姿に固定されていた。

 学生とは思えないほどの大きさを誇るエマの胸。着用している学院指定の水着がはち切れるのではという位に母性の塊が猛アピールをしている。これに関してはグランでなくとも目移りすると思われるので仕方無くもないが、これまで最多でグランからセクハラ被害を受けているのが彼女のため、やっぱりこの場においてはグランが悪い。

 次いでアリサもエマがいるため目立たないが、学生にしては平均以上の大きさの胸を持っており、スタイルも良いため水着姿だと見事なプロポーションを披露してくれる。これもグランに限らず男なら多少目移りすると思われるので仕方無くもないが、彼の存在自体がセクハラのようなものなのでやっぱりグランが悪い。

 そしてラウラもまた日頃の鍛練の成果か見事なスタイルで、胸も平均以上の大きさを持つ。水着越しでも想像が容易いその弾力、更に脚線美に目がいかない男は最早男ではない。それでも結局は以下省略。

 

 

「グランさん!?」

 

 

「ちょっと!?」

 

 

「そなた先程からどこを見ている!」

 

 

「どこって、胸だが?」

 

 

 グランの視線に気付いて胸を両腕で隠すエマとアリサとラウラの三人。その行為が逆に胸を寄せて余計に強調させているため、結果的にグランのいかがわしい目が三人の水着姿に釘付けになっているという事には気付いていない。加えて顔を赤く染めながら胸を隠すという行為そのものがグランにとってご褒美なため、アリサ達の敵意のこもった視線も何のその、彼のセクハラを煽るだけである。

 三人の姿を見詰めながら次々と感想を述べていくグラン。そしてここまで好き放題してしまうと、流石にサラの堪忍袋の緒が切れた。

 

 

「ミリアム、アガートラム出していいからその馬鹿放り出しなさい」

 

 

「りょーかい。ガーちゃん!」

 

 

 アガートラムの呼び出し許可を受けたミリアムは嬉々として銀色の傀儡を呼び出した。何も無い空間から突如現れるアガートラムは不思議だが、何だかんだで皆も慣れてきているためそれほど驚きを見せていない。

 ミリアムの指示を受けたアガートラムはエマ達に絡んでいるグランへ向けて接近する。見た目とは裏腹に俊敏なその動きは、彼へ迫った直後にアームによる強烈な一撃を振り下ろした。

 

 

「あぶなっ!」

 

 

──惜しいっ!──

 

 

 グランが寸前で避けたためにアガートラムの一撃は床を抉り、当たらなかった事に女子達の顔は悔しげだ。尚も続く強襲をグランは避け、次々と屋内プールの床は悲惨な変貌を遂げていく。彼が刀を手にしていれば容易にアガートラムを撃退できたかもしれないが、更衣室に置いているため中々反撃の糸口が見えない。

 そしてここに来て漸くサラは事態の深刻さに気が付いた。そう、これ以上ギムナジウムを壊してしまうと補修費用が馬鹿にならない事に。

 

 

「マズッ!? ミリアム、早くアガートラム止めなさい!」

 

 

「えー、ガーちゃん楽しそうだしいいじゃん」

 

 

「いいから止めな──」

 

 

 サラがミリアムへ声を荒げて話す中、突然轟音が響いて彼女の声は掻き消される。ハッとサラが顔を向けた先、アガートラムを応援していた筈のアリサ達が沈黙しており、その表情は固まっていた。

 そして嫌な予感が脳裏を過りながらも彼女が視線を向けた場所には、腰を深く落として右腕を突き出した姿勢のグランと、ギムナジウムの壁に埋まっているアガートラムの姿が。

 

 

「『ゼロ・インパクト』……痩せ狼の直伝だ。オレを倒したかったらパテル=マテル級を連れてくるんだな」

 

 

 不敵な笑みを浮かべてその場を振り返るグラン、アリサ達はその表情を唖然とさせており、サラとリィンは揃って頭を抱えていた。サラに至っては給料引きになるであろう補修費用を想像して直後、心ここにあらずな状態である。

 そしてグランが右腕を回して感覚を確かめながら近付く中で、その様子を見ていたフィーがVサインで彼の視線に応える。

 

 

「やるね、流石はグラン」

 

 

「フィー、笑ってる場合じゃないから」

 

 

 肩を落としたリィンの力無い声が呟かれるのだった。




……調子に乗りました、申し訳ございません。そしてこのあと皆はハインリッヒ教頭とナイトハルト教官に沢山叱られた事と思われます。勿論ギムナジウムの補修費用はサラさん持ち。

クロウが編入してきた事によってグランの住む場所が追いやられ、このような結果になってしまいました。何も知らない学院の男達はそれはもう彼を羨ましがるでしょうが、グランにとっては絶望でしかありません。生活管理されて自由が無くなるって辛いんだろうなぁ……(遠い目)


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かつての戦友達

 

 

 

「よし、これで準備はバッチリっと」

 

 

 ギムナジウムで騒動が起きていた頃。学生会館の食堂奥にある厨房の中では現在、様々な食材の入っている器を眺めるトワの姿があった。彼女は制服の上に純白のエプロンを着用し、三角巾を頭に着けて非常に張り切った様子で腕まくりをしている。実は今から厨房の一部を借りて調理を行う予定で、出来上がった料理は学生会館の食堂へ来るようにと呼びつけてあるグランに食してもらう算段だ。

 今朝がたトワが不意に思い付いた料理によるもてなし。先月のドライケルス広場での一件、月初めの夏期休暇にグランと行った帝都でのお泊まりデート、そして昨日彼から受け取ったクロスベルの詳細が事細かに記載された資料。それらの恩返しの意味を込めて、今回彼女は手作りの料理を振る舞う事にしたわけである。普段の生活で自炊をする事もあり、学院の調理実習でも中々の成績を残しているトワの料理なら確かだろう。グランにとってもこれ以上無い至福の一時となるだろうし、想い人の手料理、実際のところ味なんてものは二の次だ。彼女が作ったという事に意味がある。

 そのような食す側の気持ちをトワが考える事は無いが、彼女も女の子、好きな男子に食べてもらう物に妥協は許されない。そのため生徒会の依頼がてらリィンにグランの好みを聞き出してもらい、食堂の厨房を管理するラムゼイに助言をもらいながらトリスタの街で食材集めに奔走した。本来今日はクロスベルへの出張前に色々と調べものをする予定だったが、グランが集めた資料があるためそれも必要ない。午前中に導力バイクの性能テストに付き添った後は、リィンから報告を聞いて準備に時間を費やした。

 さて、そうなると問題は何を作るかである。グランの好みは辛いものと苦いもの。具体的な食べ物や料理なら兎も角、リィンからは味覚に関しての話しか聞いていないため料理も一から決めなければならない。

 

 

「ゆっくりしてたら間に合わなくなっちゃうし、早くしないとだね」

 

 

 レシピの書かれた紙を片手に、食材達とメモを交互に見ながら早速調理を開始する。グランに満足してもらえるように、彼に少しでも幸せな一時を過ごしてもらえるように、今の自分が提供する事の出来る精一杯の癒しを与えたい。トワは作業一つ一つに想いを込めて、黙々と食材の下ごしらえを続ける。

 

 

──『美味しい東方料理の作り方』──

 

 

 彼女が手に持っているメモの端からは、そんな見出しが見え隠れしていた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 突如雨雲に包み込まれた帝都近郊都市トリスタ。突然降り始めた夕立に学院生達は足止めされてしまい、部活動を行っていた者達は学院の本校舎や学生会館で雨宿りをしている。昼までは晴天だったため、殆どの者は傘など用意しているはずもない。学院の外で傘をさして歩いている生徒は中々に勘が鋭いのだろう。

 現在傘をさして本校舎の裏手を歩いているグランもその一人だ。と言っても彼に限っては自分で用意していた訳ではなく、外出の際にシャロンから折り畳み式の傘を手渡されたので、雨に濡れずに済んだのは彼女の功績によるものだが。

 午後にギムナジウムの屋内プールで行った女子達の水練にて、迫り来るアガートラムをグランが迎撃した結果現場は散々な事になった。サラは未だに学院長室でハインリッヒとナイトハルトから説教をされている最中、元凶のグランとミリアムは屋内プールで瓦礫の後片付けを命じられた。そして二時間ほどかけて片付けを終えた彼は、先程トワから連絡を受けて今から学生会館の食堂へ向かう途中である。

 

 

「絶対悪いのオレじゃないだろ。ったく……ん?」

 

 

 経緯を見れば誰がどう見ても彼が悪いのだが、自分が元凶のような扱いを受けた事に不満げな様子のグラン。そんな彼は道中、園芸部が世話をしている花壇の傍で人影を見つける。銀髪に背の低い後ろ姿、間違いなくフィーだ。

 傘もささずに何か作業を行っている彼女は、グランが傍に近付いても気付いた様子がない。髪や制服を濡らしながら花壇のすみに棒を打ち込む姿に、グランは少し困った様子で笑みを浮かべていた。

 

 

「雨に濡れた女の子ってのは魅力的だが、風邪引くから止めとけフィーすけ」

 

 

「……グラン、どしたの?」

 

 

「どしたの? じゃない。花の世話に夢中になるのはいいが、風邪引いて体調崩したら元も子もないだろ」

 

 

 グランは自身がさしていた傘をフィーへ手渡すと、彼女の手から金槌を受け取って足元に転がった棒を花壇の周囲に打ち込み始めた。フィーはありがとうと呟いた後、彼が雨に濡れないように傘をさしながらあとをついて回る。

 やがて全ての花壇の周りへ棒を打ち込み終わった二人は、上からブルーシートを被せて更に風に飛ばされない措置として大きめの石をそのすみへ置いた。簡易的な措置だが、夕立が止むまでの間ならば充分であろう。

 

 

「これで暫くはいいか」

 

 

「ん、ありがと……へくちっ」

 

 

「言わんこっちゃない、一旦校舎に戻るぞ」

 

 

 隣でくしゃみをするフィーにグランは溜め息を吐いた後、彼女を連れて二人で本校舎へ。一階の医務室を訪れ、ベアトリクスからタオルを受け取るとベッドに腰を下ろして髪を拭き始める。グランは元々そこまで雨に濡れていた訳ではないため、自身の髪を軽く拭くと、フィーからタオルを奪って代わりに彼女の頭を拭き始めた。

 フィーの髪を拭くグランの手つきは慣れた様子で、彼女もまた気持ち良さそうに目を閉じて髪を拭かれている。そして彼女の髪が乾き始めた頃、グランが突然飛んでもない事を口にした。

 

 

「服の下も濡れただろ、拭いてやるから脱げ」

 

 

「……え」

 

 

 フィーは唖然とした様子でグランの顔を見上げ、彼と視線が合った直後に顔を下へ向けてその頬を僅かに赤く染めた。当然の反応である、異性の前で服を脱ぐなど恥ずかしくて出来る訳がない。むしろその無自覚なセクハラ発言に声を荒げなかっただけでも彼女は立派だ。

 もじもじと体を動かして服を脱がないフィー。グランはその様子に首を傾げていたが、やがて自分の失言に気付く。どこか申し訳なさそうに彼は頭を掻き始めた。

 

 

「……悪い、そういやフィーすけも気にする年頃だったか。オレも中々昔の癖が抜けないな」

 

 

「別に気にしてないけど……後ろお願い」

 

 

「ああ……じゃあ前は自分で拭いてくれ」

 

 

 グランはベッドに上がるとフィーの背後へ回り、その姿を確認した彼女は徐々に制服のボタンを外し始めた。そして全てのボタンを外し終わると、濡れた制服に肌着、更には下着も外してからフィーは急いで傍に置いていたタオルで前を隠す。

 フィーの白い肌があらわになり、彼は手に持ったタオルでその背中を拭き始める。昔からグランを兄のように慕っているとは言え、彼女も女の子だ。羞恥心は完全に拭えないのか、以前その顔は赤く染まったまま。そしてそんな風に両者が黙り込んで静かな空間が広がりを見せる中、ふとフィーが笑みをこぼしながら口を開いた。

 

 

「こうしてると、グランが団にいた頃を思い出す」

 

 

「西風か……あの時は結構楽しかったな。ルトガーの親父ともバカやったもんだ」

 

 

「うん……グランが副団長になってからみんな頭抱えてた。団長が二人いるみたいだって」

 

 

「はは……そんなに似てたか?」

 

 

「そっくり。普段の性格とか、頼りになる感じとか……だからみんな、グランを副団長として認めてたんだと思う」

 

 

 嬉しそうに話すフィーの後ろで、グランは苦笑を浮かべながら応えていた。二人の脳裏を過るのは三年前までの日々。今から四年程前にグランが西風の旅団へ加入し、彼が一年後に団を脱けるまでの間の、大変ではあったが充実していた楽しい毎日。

 グランの性格を考えると、彼と同じような性格の団長を抱える西風の面々は当時大変だったに違いない。何せ一人いるだけでもいっぱいいっぱいなのだ、グランが加入して二人ともなれば手に負えなかったはずである。それでも、そんな事を全部引っくるめて、両者とも慕われていたのだろう。

 

 

「だから、三年前にグランが団からいなくなった後、みんなすごく怒ってた。グランは一人で全部抱え込んで……周りからは頼られても、あいつは結局誰にも頼らなかったって」

 

 

「そりゃあクソ親父に関しては個人的な問題だしな。つっても、西風のみんながいるだけでオレは結構頼もしかったんだぞ?」

 

 

「そんなの理由にならない。一人の問題はみんなの問題……それが家族だから」

 

 

 いつしかフィーはその身を翻し、グランの顔を見詰めていた。今まで一度として周りを頼った事のない彼へと向けたその顔は、どこか怒っているようにも見える。

 士官学院に入学し、Ⅶ組で特別実習を行っていく中で確かにグランは変わってきていた。ルナリア公園で魔獣に囲まれた時、バリアハートの地下で軍用魔獣に道を阻まれた時、ノルドの石切り場で傭兵達を追い詰めた時、帝都の地下でテロリスト達を追い詰めた時。いずれも、グラン一人ではなくⅦ組のみんなで切り抜けてきた。

 しかし、その全ては本来グラン一人で対処の出来る内容だ。当時の彼も任せこそしたが、それは頼っての選択ではない。みんなが成長していくための、強くなっていくための判断である。故に、グランはこれまでみんなを信頼していても頼った事は一度もなかった。

 自身のこれまでの行動を振り返り、グランはばつが悪そうに頭を掻く。

 

 

「そうだな……西風にしても、今いるⅦ組にしてもオレ達にとっては家族みたいなもんか」

 

 

「そゆこと」

 

 

「だったら……オレが頼りにするくらい大きくなってもらわないとな」

 

 

「ん……頑張る」

 

 

 頭に手を置かれ、くしゃくしゃと撫でられて目を閉じるフィー。どこか嬉しそうにしている彼女にグランも自然と笑みがこぼれ、ベッドの上にいる二人の姿はどこからどう見ても本当の兄妹だ。

 そして、二人に紅茶を出そうとカーテンのすみからその様子を覗いたベアトリクスも、彼らの姿を微笑ましそうに見詰めた後、そっとその場を下がるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 フィーをベアトリクスに預けた後、グランはトワに呼ばれていた事を思い出して学生会館へと向かう。学生会館に入って食堂に訪れた彼は、トワを探すもその姿を見つける事が出来なかった。実際は厨房の中で調理の最中なのだが、そのような事を彼が知るはずもない。

 トワが来るまで待っていようと、グランが食堂のテーブルへ着こうとしたその時。導力カメラを手に学生会館へ入ってきた平民の男子生徒が彼の視界に入った。

 

 

「へっへー、雨に濡れた女の子達を激写しまくったぜ!」

 

 

「レックス、詳しく話を聞かせてもらおう」

 

 

「あ?……ってお前Ⅶ組のグランじゃねえか!?」

 

 

 いかがわしいその発言にグランが反応しないはずもなく。いきなり視界に彼が現れたため、レックスもかなり驚いた様子である。

 先月の自由行動日、隠し撮りした写真を使って他の生徒達と取引をしていたレックスは取引現場でリィンとグランに捕まってしまう。その時は写真を全て処分され、現像する前の威光クオーツを光に照らして中身を消す事で話はついた。金輪際隠し撮りはしないと、写真部の部長でもある二年の貴族生徒フィデリオにも誓っている。

 しかし、人間そう簡単に改心するものではない。レックスも隠し撮りを控えて相手の同意の元写真を撮る事が多くなってはいるが、癖付いているのかたまに先の発言のような行動を取る。そして、彼がそのような行動を中々止められない原因は他にもあった。

 

 

「結構いい写真が撮れたんだ、今から現像するんだけどよかったら一緒に見ようぜ……ってもしかして用事でもあるのか?」

 

 

「眠りそうになるくらい暇だ、付き合おう」

 

 

 レックスの写真に需要があるのだ。彼の写真は写っている人が自然体で、皆生き生きとしているため総じて評価が高い。勿論この間のようにその写真で取引をする事はないが、彼が撮影した写真を楽しみに見る者もいる。グランもその一人だ。

 何かと趣味の合う彼らは互いの考えを認めあっている仲で、たまにレックスがグランを誘って女の子を撮影した写真を見せる事が何度かあった。そして今からトワとの約束があるというのに、そのレックスの誘いに乗って学生会館の二階へ上がっていくグランは本当に最低である。生徒会の女子達に知れたら袋叩き必須であろう。

 

 

「……あれ? グラン君の声が聞こえたと思ったんだけど……気のせいかな?」

 

 

 グランとレックスが二階へ上がった丁度その時、料理を作り終えたのかトワが厨房から姿を現した。グランの姿が見えない事に首を傾げた後、彼女はテーブル席に着いて彼が到着するのを待つ。トワが不憫に思えてやまない瞬間だった。

 そしてトワが食堂で待ち続ける事四十分。グランは未だ写真部にいるようで、中々食堂に姿を現さない。待ち続けていたトワは日頃の疲れがたまっていたのか、睡魔に襲われたようでうたた寝をしていた。

 

 

「お父さん……お母さん……えへへ……」

 

 

 幸せな夢を見ているのか、トワが嬉しそうな顔で寝言を呟いていた。彼女はこの容姿で十八才という意外性の持ち主だが、呟かれているその内容は見た目通りの可愛らしいものである。

 そしてトワが眠りについて暫く、学生会館の二階から漸く彼が降りてきた。

 

 

「完全に会長との約束忘れてたわ……怒ってるかもな」

 

 

 しまったといった表情で、グランが食堂へ姿を現す。彼は直後にテーブルでうたた寝しているトワを見つけ、苦笑いを浮かべながら彼女の隣の席へと腰を下ろした。未だ夢見心地のトワを眺め、その幼げな顔に笑みをこぼす。

 そして、そんな風にトワを眺めている中でふとグランは思い返していた。先月の帝都での特別実習初日、鉄道憲兵隊の詰所内でクレアと交わした会話の内容を。

 

 

──来月末、クロスベル市に新設されるオルキスタワーと呼ばれる建物において、西ゼムリア各国の代表が集います──

 

 

──それをオレに話してどうするんですか?──

 

 

──今、帝国で閣下の命を狙うテロリスト達が動いている事はご存じですよね? そこで、閣下の……ギリアス=オズボーン帝国政府代表の護衛として、グランさんに通商会議へ同行していただきたいのです──

 

 

「(マジで受けといてよかった……会長一人を、クソ親父の待つクロスベルへ行かせるわけにはいかないからな)」

 

 

 特別実習開始前、クレアが極秘裏にグランへ要請していた護衛任務。当時は三千万ミラという契約金を提示された事で受け持つ事にした彼だったが、後にトワが通商会議へ同行する事を知って断らずによかったと溜め息を吐く。しかし、同時に彼の脳裏には幾つかの疑問が残っていた。

 実は、事前にクロスベルの状況を把握しておこうとグランが情報を集めた中で気になる内容があったのだ。従兄のランドルフが所属するクロスベル警察の特務支援課繋がりで、遊撃士協会のクロスベル支部から受け取った情報の一つ。それは、帝国政府と赤い星座の間で何らかの契約が交わされているというもの。因みにその契約金は、一億ミラという膨大な額である。

 

 

「(オレと赤い星座を引き合わせて何を企んでんだか……クロスベルでオレがくたばるのを期待してんのか、或いは……)」

 

 

「う~ん……あれ? 私寝ちゃってたんだ……」

 

 

 グランが一人思考の海に潜っている横、うたた寝をしていたトワが目を覚ました。彼女は寝惚けた顔で周囲を見渡した後、隣で瞳を伏せているグランをその視界に捉える。寝起きで焦点が定まっていないのか、暫く彼の顔をぼんやりと見上げ、目を擦ってからまばたきを何度か繰り返す。そして鮮明になった視界に再びグランの顔を捉え、漸く彼女の脳が覚醒した。

 

 

「ご、ごめんね!? 私が呼んでおいて寝ちゃうなんて……!?」

 

 

「ん?……おはようございます会長。疲れが溜まってたんでしょう、よく眠れましたか?」

 

 

「すぐに準備するから!」

 

 

 慌てた様子で立ち上がったトワは、駆け足で厨房の中へ入っていった。そんな彼女の姿を見ていたグランは笑みをこぼし、トワが厨房の扉を閉めたところで彼は再び思考の海へと潜る。クロスベルに滞在する赤い星座の対応、現地で必ず奇襲を仕掛けてくるであろうテロリスト達の対処について。

 そして、徐々に厨房から聞こえ始めたトワの慌てた声と食器の割れる音に心配しつつ、今度こそはとグランは誓う。

 

 

「(必ずだ……必ず会長を護りきるッ──!)」

 

 

 瞳を伏せた彼の脳裏には、かつて目の前で失ったクオンの姿が過っていた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

「すみません。買い物を任されているので、これで失礼します」

 

 

「そう、付き合わせてごめんなさいね。それじゃあ……『アーベントタイム』今夜もよろしくね」

 

 

 夕立も降り止み、空が暗やみに染まり始めたトリスタの公園にて。買い物袋を手にしたリィンと楽しげに会話を行う女性がいた。マリンキャップを頭に被り、眼鏡をかけたどこか色気の漂うその女性は、第三学生寮へと入っていくリィンの後ろ姿をじっと眺めている。

 どこかで聞いた事のある声を発する彼女。そしてリィンが学生寮の扉を閉めた後、その女性は眼鏡を外して怪しげな笑みをこぼした。

 

 

「ふふ……なるほど、彼だったわけか。あの様子で間に合うのかしらね」

 

 

 女性は腕を組むと、学生寮をその紫の瞳に映しながら意味深げな言葉を呟く。ラベンダーの香りを周囲に漂わせ、その顔はどこか愉しんでいるような表情だ。

 彼女は一体何者なのか……その疑問は、直後に聞こえてきた声によって明かされる。

 

 

「ヴィータさん。お願いですから、オレの仲間に接触するのだけは避けてもらえませんかね」

 

 

「大丈夫よ、彼を導くのはあの子の役目だもの。それにしても……上手く変装したつもりなのだけど、やっぱり貴方には気付かれちゃうのね」

 

 

 そのカジュアルな服装からは想像がつかない女性の正体。ヴィータはその場を振り返り、トワの手作り料理を食べた帰りの彼──自身の正体をすぐに見破ったグランの顔を瞳に映す。悪戯な笑みを浮かべて彼を見詰める姿は、蒼のドレスを身に纏った時の妖艶な彼女を思い出させた。

 直後にヴィータは眼鏡をかけ、傍に近寄ってきたグランの顔を覗き込むように前屈みの姿勢になる。

 

 

「全く、連絡してくれれば時間を作りますから」

 

 

「あら、もしかして黙ってリィン君に会った事にヤキモチを妬いてるのかしら? ふふ、心配しないで。私が見ているのは……グランハルト、貴方だけ」

 

 

「同じ事を以前レオンハルトに言ってた気がするんですが」

 

 

「昔の事は忘れたわ……そう言えば、レオンは結局一度も振り向いてくれなかったのよね。分かってはいた事だけど」

 

 

「『分かっていたのなら止めてくれ』……きっと今そう言ってますよ」

 

 

 アッシュブロンドの髪の青年を思い出し、グランとヴィータは夜空を見上げて少しの間物思いに耽る。グランにとってはかつてある組織へ誘ってもらい、何度も手合わせをした良き理解者。そしてヴィータにとっては、何度も気を惹こうとして結局叶わなかった人物。本当に惜しい人を亡くしたと、二人は口を揃えて二年前に命を落としたその青年の死を悼む。

 夜の公園は静けさが漂い、夏の夜にしては空気も僅かに冷たさを増しているようだった。二人が感傷的になった影響か、顔を合わせたグランとヴィータは思わず苦笑を漏らす。

 

 

「逢瀬はまたの機会にしようかしら。この前貴方の師匠(せんせい)にも釘をさされちゃったし、今度は誰にも気付かれない場所で会いましょう」

 

 

「はぁ……オレとしては、出来れば会わずに済むのが一番なんですが」

 

 

「そんな寂しい事を言わないで……それじゃあまたね、グランハルト」

 

 

 グランの頬に手を添えた後、ヴィータは公園を出てトリスタの西にある建物──ラジオ局の中へとその姿を消した。あの場所に何の用事があるのかと疑問に思うグランだったが、彼女がミスティという名でラジオのパーソナリティーをしている事を彼は知らないため、その疑問も仕方ない。

 一人になった公園には、冷たい風が吹き抜ける。グランは瞳を伏せた直後、穏やかな表情で再び闇夜の空を見上げた。

 

 

「カリンさん、だったか……幸せにな、レオンハルト」

 

 

──余計なお世話だ……お前もな──

 

 

 トリスタの夜空からは、確かにそんな声が返ってきた気がしたグランだった。




猟兵王ってどんな人だったんだろう……まあ、取り敢えずめちゃくちゃ強かったのは確かだよね。

グランが結社に入ったのは三年前、剣帝が亡くなったのは二年前……という事は、福音計画進めながら何度もグランに付き合ってくれたのか……レーヴェなんて良い人!


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過去を乗り越えて

 

 

 

 自由行動日から三日が経つ。八月二十五日の午後、晴れ渡る学院のグラウンドではⅦ組恒例の実技テストが行われようとしていた。例のごとくトワも訪れており、彼女は整列したリィン達十二名の姿をサラの隣に立って笑顔で眺めている。

 サラが用意した傀儡を相手にしてそれぞれの成長を試す実技テスト。今日もまた同じ内容なのだろうかと勘繰っていたリィン達だが、どうやら今回は違うらしい。その旨は、皆の前に立つサラによって説明が行われた。

 

 

「今回は嗜好を凝らしてみる事にしたわ。今から四つのチームに別れて、それぞれ模擬戦をしてもらう予定よ」

 

 

 サラによって話されたチーム別の対抗戦。四チームという事は三名ずつメンバーを選定していく事になると思われたが、どうやら少し違うようだ。

 チーム分けは以下の内容になる。リィン、ミリアム、クロウによる変則チーム。グランを除いた男子達のチーム。トワ以外の女子チーム。そして最後にグランとトワの二人チーム。サラによればこれで戦力はある程度拮抗するとの事だが、グラン一人だけで戦力差はかなり違うはずだ。そのため、当然グランに対しては措置がとられている。

 

 

「グランは刀の使用禁止よ。さっき渡した手甲を使っての徒手格闘による戦闘に限定する事……いいわね?」

 

 

「いいわね? って……刀取り上げられたらそうするしかないでしょう」

 

 

「まあまあ、グラン落ち着いて……」

 

 

 不機嫌な様子のグランは手甲を装着した手で刀の無い鞘を握り、その隣では彼を落ち着かせようとエリオットが宥めていた。他の皆もグランに若干の同情をするが、それはすぐに疑問へと移り変わる。

 そう、グランが徒手格闘による戦闘の心得があるのかという点だ。彼が修めたのは八葉一刀流、その名称から刀を使用した流派である事は誰もが分かる。故に思う、刀無しというのはいくらグランでも分が悪いだろうと。おまけに彼はトワとの二人チーム、人数の優劣まで加わっている。得物も無し、戦闘の間合いも普段と違う、更に人数の優劣。誰が聞いても少しやりすぎではないかと考えるのは当然だ。

 しかし、幸いな事にグランは徒手格闘による戦闘の心得があった。そしてその事を話したのは、グラン本人ではなくリィンとトワの二人。

 

 

「八葉一刀流『無手の型』……俺も老師から叩き込まれたけど、多分グランも扱えるはずだ」

 

 

「アンちゃんが言ってたんだけど、グラン君の動きはアンちゃんと同じ『泰斗流』っていう武術に近いみたい」

 

 

「剣を失った時の状況まで想定する、か……用意周到な事だ」

 

 

 二人が情報を告げる横では、ユーシスが少し感心したように声を漏らしながらグランを見ていた。そして同時に全員のグランに対する同情が消えた、どうやら事情を知って手加減の必要が無いことを理解したらしい。余計な事を話してくれたと、グランは一人溜め息をこぼしているようだが。

 少しずつ私語が増した状況にサラが注意をしつつ、場を取り直して漸く実技テストへと移る。そして最初に模擬戦を行うチームとして選ばれたのは、リィン率いる三人と男子四名によるチーム。

 

 

「頼んだぞミリアム、クロウ先輩も」

 

 

「へっへーん、ボクとガーちゃんに任せて!」

 

 

「合点承知だぜ!」

 

 

 リィンの掛け声にミリアムとクロウの気合いも充分。得物を構えて準備万端、ミリアムはアガートラムを呼び出し、いつでも対応できるよう戦闘態勢は整った。

 リィン達の姿を見て、男子チームもそれぞれ戦闘態勢に入る。前衛のガイウスとユーシスは槍と騎士剣を構え、後衛のエリオットとマキアスは魔導杖と散弾銃をその手に握った。

 

 

「エリオット、後方支援は任せた」

 

 

「任せて、ガイウス!」

 

 

「精々足を引っ張らない事だ」

 

 

「くっ……君の方こそ!」

 

 

 ガイウスとエリオットは仲良さげに声を掛け合い、ユーシスとマキアスは相変わらずではあるが息も合っている。どの間合いからでも対応が可能なこのメンバー、リィン達とて油断は出来ないだろう。戦術リンクを繋ぎ、無意識下で互いの感覚を掴む。

 ガイウス達も戦術リンクを発動させ、連携に抜かりはない。立ち合いを務めるサラは双方の準備を確認すると、導力銃を上空に向けて模擬戦開始の合図を告げる。

 

 

「見応えのある勝負を期待してるわよ──模擬戦、始め!」

 

 

 響き渡る銃声と同時に、双方が得物を手に駆け出した。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「──そこまで! 勝ったのは女子チームか……男子チームは二連敗ね。これからも精進なさい」

 

 

 サラ考案のチーム別による模擬戦も、休憩を挟みながら既に三戦目を終えていた。好成績なのはリィン達のチーム。一戦目の男子チーム、二戦目の女子チーム相手に勝ち、二戦二勝と完璧な内容だ。

 続いて女子チームが一勝一敗。彼女達は初戦でリィン達に敗北するも、二戦目の男子チーム相手には常に優位に立ち回った。危なげなく一勝を手にする。

 そして男子チームが二戦二敗。どちらの試合も善戦したが、決定的な場面で押し切られての敗北だ。更なる精進が必要だと、各々少し悔しそうに得物を納めている。

 

 

「さて、次が最後の試合よ……グラン、トワのペアにリィン達変則チーム。両方とも前へ出なさい」

 

 

 名前を呼ばれ、両チームが前へと踏み出す。グランは手甲の状態を確認しながら、隣に立っているトワへ視線を向けた。直後に顔が合った二人は笑顔を浮かべ、改めて表情を引き締めると対峙するリィン達へ視線を移す。既にリィンとクロウは得物を構え、ミリアムはアガートラムを傍に待機させて態勢は整っていた。

 三人の姿を視界に捉えた後、グランは一度その瞳を閉じる。

 

 

「(クロスベル前のシミュレーションだ……)──任務開始(ミッションスタート)。紅のグラン、これより敵勢力の殲滅を開始する」

 

 

「(っ!? 凄い集中力……私も頑張らないと!)」

 

 

 開いた瞳は一層鋭さを増し、呟いた声も普段に比べて僅かばかり低い。右腕を引き、左手を首の高さまで上げた半身の構えでその時を待つ。刀を失っているとはいえ、その身に漂う闘気は等しく周囲の人間を威圧する。

 そして彼の様子を横目に見ていたトワは自身に喝を入れると、太股に下げたホルスターから導力銃を抜き、顔の高さで構えてグランと同様半身の構えを取った。直後に二人が感じた感覚のリンク、グランとトワのARCUSは淡い光を放ち始める。

 

 

「おいおい、おっかねぇ事言ってるが大丈夫か?」

 

 

「刀が無いとはいえ、グランの実力は本物です。気合いを入れていきましょう!」

 

 

「この間のリベンジだね。行くよ、ガーちゃん!」

 

 

 見えない圧に冷や汗を流しつつ、クロウは二丁の導力銃を構え直す。リィンも太刀を握る手に力が入り、ミリアムはやる気充分にアガートラムへ向けて激を飛ばした。両チームの準備が整い、観戦するメンバーは注目する。

 熱い視線が注がれる中……開戦はサラが声を上げたのとほぼ同時。

 

 

「準備はいいわね?──模擬戦、始め!」

 

 

「くっ!?」

 

 

 刹那、一迅の風を伴いながら高速移動(トップスピード)がリィンを捉えた。踏み込む間も無くリィンはその身に衝撃を覚え、金属音を響かせながら後方へと吹き飛ばされる。彼が立っていた場所の前には直後にグランの姿が現れる、振り抜いた拳は手甲が日の光を反射して煌めいていた。

 繰り出されたその一撃はまさに、先制打にして決定打。

 

 

「(流石だな、速い上に一撃も重い……だけど、対応出来ないわけじゃない──ッ!)」

 

 

 リィンが宙を舞う姿に驚きの声が周囲から漏れたが、どうやら辛うじて太刀による防衛が間に合い威力を軽減させていたらしい。彼は上手く体を捻って着地を決めると、拳を振り抜いた体勢のグランへ向けて再度刀を構えた。

 慌ててリィンの傍にクロウとミリアムが駆け寄るが、リィンは大丈夫だと一言告げてその場を駆け出す。

 

 

「驚いた、初手で終わらせるつもりだったんだが……」

 

 

「今度はこちらから行くぞ──!」

 

 

 僅かに目を見開いたグランへ向けて、リィンは太刀を手に接近する。直ぐ様間合いを詰めて逆袈裟に振り上げるも、手甲によって刀の進行は防がれた。弾かれて直後に反撃の回し蹴りが迫るも、寸前でかわして再び太刀を振り抜く。

 鋭い一閃を悉く弾き返し、グランも拳や蹴りをまじえながら応戦する。時折金属音を響かせながら続く徒手格闘と刀の応酬に、観戦するメンバーも息を飲む。両者共に力任せの一点突破。単純だが、それ故に体力が続く限り手数は無限。ただ近接戦にはグランに利があるのか、打ち合いの中で少しずつリィンが圧され始めた。

 しかし、戦っているのは彼らだけではない。

 

 

「いっけーっ、ガーちゃん!」

 

 

「ARCUS駆動──はっ!」

 

 

 ミリアムの指示でアガートラムが飛び出し、クロウはアーツによる援護でリィンの補助に徹する事に。リィンの動きが速さを増したところを見ると、発動させたのは身体能力を底上げする類いのアーツだろう。高速駆動による補助は、流石一年先輩と言ったところか。

 手数の増したリィンの太刀による反撃、そして加勢したアガートラムがリィンの動きに合わせてアームによる豪撃を繰り出す。クロウも銃撃を織り混ぜながら身体強化の補助アーツによる援護を続け、グランが圧していた戦況は僅かに傾きの様相を見せ始めた。

 少しずつではあるが、リィン達に傾きかけた場の流れ──だが、彼女がいる事も忘れてはならない。

 

 

「グラン君下がって──やあっ!」

 

 

 長い時間を要したトワのアーツ、ARCUSの駆動がこのタイミングで終了する。突然響き始めた轟音にリィン達が視線を上へと向ける中、突如上空に浮かび上がった魔法陣からは徐々に銀色の巨大な手が姿を現した。直後に一同が感じ取ったのは、巨大な手に集束し始めたその手と同色の膨大なエネルギー。最高位に位置する幻属性のアーツが、今まさに発動しようとしていた。

 あれは不味い、直撃すれば人溜まりもないと、リィン達の額に汗が滲み始める。クロウが耐久効果の補助アーツを駆動するが、発動タイミングはギリギリ間に合わない。せめてグランだけでも巻き込もうと、リィンは足止めすべく傍に立つ彼へ向かって太刀を振り下ろした。しかし、太刀による一撃は手応えもなく、その姿は徐々に掻き消えていく。

 

 

「しまった……!?」

 

 

 分け身によるグランの離脱、これで既にアーツの攻撃範囲にはリィン達三人しかいない。エネルギーが放出される寸前、苦し紛れにリィンは太刀で、クロウは双銃を重ね、ミリアムは両腕を交差させて防御の姿勢へと移る。一先ずこの場を凌がなければ、反撃どころの騒ぎではない。

 リィン達がその身を構える中、無慈悲にも白銀の砲撃が放出された。

 

 

「──あれ? ガーちゃん!?」

 

 

 ただ、光に包まれるその中で、ミリアムは繋がりがあるため一人だけ気付いた。リィンの傍にいたアガートラムが皆を守るために、上空を浮遊しながら単身で光に向かって防護壁を展開している事に。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「……まあ、トワへの対処に手が回らなかったらこうなるわよねぇ」

 

 

 グラウンドの一部へ轟音と共に銀色の光が放たれる最中、遠目に観戦していたサラは状況を眺めながら独りでに呟く。トワのアーツ適性が高い事を知っている彼女はこうなる事が分かっていたようで、他の皆が驚きを見せる中で余り驚いた様子を見せていない。

 戦況は完全にグランとトワへ傾いた。たとえリィン達がこの場を凌いでも、結果的に二人の勝利で模擬戦は終わるだろう。戦術教官でもある彼女は、既にこの戦いの終わりを予見していた。故に、この勝負はこれ以上の意味をなさない。

 

 

「ここからが本当の試験よ……グラン、見事自分の心に打ち克ってみせなさい」

 

 

 途端に表情に険しさが増したと思えば、サラは左手に導力銃を構えるとその照準をトワへ向けて合わせた。観戦している他の皆は銀色の光に目を奪われており、誰一人サラの突然の行動に気付いた様子はない。

 此度のグランの実技テスト、その評価点は模擬戦の勝利などではなかった。模擬戦におけるサラの真の目的は、トワが狙撃される中でグランがどのように対応をするかというもの。前回の実技テスト同様に取り乱すのか、或いは冷静に対応して見せるのか。トワへ銃口が向けられている事を知った彼が、暴走しない事がこの実技テストにおける合格条件。

 導力銃の引き金は、彼女の人差し指によってゆっくりと引かれていく。そしてサラが完全にトリガーを引き終えるその時、光を挟んでトワの反対側へ立っているグランとその視線が交差した。

 

 

「クロスベルでトワを守りきれるかどうか……証明してみせなさい──グランハルト=オルランド!」

 

 

 グランがサラの行動に気付いて驚きを見せる中、その銃声と共に放たれた紫電の弾丸が吸い込まれる様にトワへ襲い掛かった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 闇夜。業火に包まれた村の中央では、硝煙の匂いを振り撒きながらその熱量が肌を焼く錯覚を引き起こす。人々の悲鳴やうめき声が所々から聞こえ、地獄絵図と言っても差し支えない光景が広がっている。

 そんな直視も躊躇われるような風景の一部始終を、グランは遠くから傍観するように、悲惨な状況を前に手も出せず歯軋りをする事しか出来なかった。ただただ一方的に地獄絵図を見せられる状況。そして、そんな中で一区画に三人の姿が現れる。

 

 

──グランハルト、助けて──

 

 

 白き少女は涙を浮かべながら助けを求め、数アージュ先で銃口を向けてくる赤髪の少女と、眼帯を着けた同じ髪色の屈強な男に対して怯えていた。彼女は訪れる死の恐怖に耐えられず、少しずつその場を後退る。

 そして、その光景を目撃する中でグランも漸く気付いた。これは昔、現実に起こった大切な人の死が訪れる直前の出来事だと。悔やんでも悔やみきれない、自身が間に合わなかった過去の場面である事を。

 

 

──いや……っ!?──

 

 

「……ッ!」

 

 

 響き渡る銃声は、唐突に彼女へ死の宣告を告げる。赤髪の少女が放った銃弾によって腹部から血を流し、クオンはその場に倒れ込んだ。その様子を少女と男は無言で見詰めた後、その場から姿を消していく。

 そして、ここに来て漸くグランの体に自由が戻る。彼は一目散にクオンの傍へ駆け寄ると、血塗れになった彼女を抱えて瞳を伏せた。

 

 

「ごめんな、クオン。オレに力が無かったせいで、結局お前を守れなかった。お前の夢を……こんなにも早く止めてしまった」

 

 

──でも、今はそうじゃないよね?──

 

 

「──えっ?」

 

 

 瞳を開いたグランの目の前、クオンが微笑みながら彼の頬へと手を添えた。突然の行動にグランが困惑を見せる中、その姿に再度笑みをこぼしながら彼女は口を動かす。

 

 

──今のあなたは誰よりも速い、あの銃弾から私だって守れるくらいに。だってそうでしょ? グランは閃光(リューレ)……私の自慢の、紅の剣聖なんだから──

 

 

「──ッ!」

 

 

 クオンの笑顔が見えた直後、突然硝煙の匂いや業火の熱量は消え失せる。気が付けば周囲も明るさを取り戻し、グランの意識は模擬戦中の学院のグラウンドへと戻っていた。彼は突如起こった場面の移り変わりに動揺しつつも、遠くからトワがいるであろう場所に銃口を向けるサラの姿をその瞳に映す。

 現状を把握し、彼の血流は加速度的に上昇していた。怒りや哀しみ、込み上げてくる感情の全てを抑え込みながら、自身の中に循環する戦鬼の血を(たかぶ)らせる。

 

 

「させ……るかよ──ッ!」

 

 

 理性を保つべく奥歯を噛み締め、半身の構えに移るとその手に刀を顕現させた。復讐を遂げる力を手にしたその時に使うと、そう決めていた紅き刃を持つ一振りの太刀を顔横に構える。

 そして直後に解放していく膨大な闘気は、驚く事に彼の握る刀と共鳴を始めて紅い光を放っていた。観戦するメンバーが彼の姿に漸く気付いたその時、グラウンド一帯に銃声が響き渡る。同時に、グランはその場から突如として姿を消した。

 

 

「──絶技、紅皇剣」

 

 

 繰り出された不可視の一撃は、確かに紫電の銃弾からトワを守るのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

Gratulations(グラッチュレーション)……(そっか、漸く思い出したのね)」

 

 

 リィン達が砂煙に包まれる中、自身の放った一発を見事に切り伏せたグランへ向けてサラは微笑んだ。暴走する事なく、あくまで意志を保ちつつ銃弾を防いだ彼に称賛を贈る。彼女は導力銃をホルスターへ納めてから、同じく刀を鞘に納めるグランの元へと歩み寄った。

 

 

「い、今何が起こったの?」

 

 

「見えませんでした……」

 

 

 歩み始めたサラの後方、観戦していたアリサとエマは困惑した様子で声を漏らしている。他の皆にも同様の反応が見られる事から、誰一人グランの姿を捉える事は出来なかったようだ。ただラウラとフィーに至っては、帝都の地下でグランが一度見せたものと同じだと気付いているのか、他の者達に比べて驚きは少ない。

 一同が驚きと困惑の視線を向ける中、サラはグランの傍で立ち止まった。

 

 

「合格よ。これで私も、安心してあんたを赤い星座の待つクロスベルへ送る事が出来る」

 

 

「やっぱり試したんですか……会長の身を危険にさらして、質が悪いにも程があります」

 

 

「間に合ったんだからいいじゃない……ふふ、この学院に来て、正解だったでしょ?」

 

 

「まあ、それに関しては否定しませんが……一応礼は言っておきます」

 

 

「そう、お姉さん嬉しいわ」

 

 

 弟の成長を喜ぶかのようにサラが頭を撫で、照れくさそうにグランは彼女から視線をそらした。誘われて来た手前やはりサラには敵わないと、グランは突拍子のない行動を取る彼女に溜め息をこぼしつつも、自身の成長を見守ってくれていた事に感謝する。

 そして二人だけで完結しているこの場だが、模擬戦の行方も忘れてはいけない。砂煙が晴れ、中から姿を現したリィン達へ皆の視線が移る。

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 

「ボ、ボクもう無理……」

 

 

「フゥ……間に合ったぜ」

 

 

 刀を支えに膝を着くリィンと、疲労で地面に倒れ込んだミリアムの二人は既に戦う気力が尽きているのか動く気配はない。ちゃっかりアーツの駆動が間に合ったクロウは二人ほどダメージも無く、額の汗を拭いながら割りと平然としているが。

 そして三人の姿を視界に捉えたトワは、導力銃片手に笑顔でVサインを決めていた。

 

 

「えっへん、どんなもんだい!」

 

 

 優秀な生徒を多く抱えるトールズ士官学院。その生徒達の代表でもある生徒会長は、やはり例に漏れず強かった。




どんまいガーちゃん、アルティウムバリアは物理障壁だからアーツ防げないんだよ……それにしても会長のアーツ一撃で沈んだリィン達、きっと冥皇のクオーツ先取りしてたんじゃないんですかね?(すっとぼけ)

トワ会長のSクラフトの可愛さは異常。


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悩める少女達

 

 

 

「──却下。いいからさっさと実習の準備なさい」

 

 

 八月二十八日、土曜日の早朝。珍しく目を覚ましているサラは自室のベッドに腰掛け、どこか疲れた様子で目の前の人物にそう告げていた。今日から開始される予定の特別実習の準備で各所方面と連絡や手続きを行った疲れか、起きているとはいえその目は今にも閉じそうである。

 そしてそんなサラが声を上げた先、彼女の前に立っている人物はフィーだった。フィーはサラの返事に不満げな様子で、その表情も普段の彼女とは打って変わって真剣なもの。何かの了承を得るためにここへ来たフィーは、諦めずに再度同じ内容を口にする。

 

 

「私もクロスベルに行く」

 

 

「だーかーらー、ダメって言ってんでしょうが。何を急に我が儘言い出すの」

 

 

 再びフィーが口にしたその言葉に、サラは悩ましげな様子で頭を抱えながら否認する。実は先程から何度もフィーは同じ内容を話しているのだが、その悉くをサラが却下して認めない構図が広がっていた。

 本日より始まる五度目の特別実習。三日前に行われた実技テストの後、A班はラウラの故郷でもあるレグラム、B班は帝国西部にあるジュライ特区へ赴く事がⅦ組メンバーに告げられた。そして二日間の実習を終えた後には、クロスベルとの国境でもある帝国東部のガレリア要塞へ訪れる旨も説明され、同時にA班はリィン、ユーシス、ガイウス、ラウラ、エマ、ミリアムの六人。B班はアリサ、フィー、エリオット、マキアス、クロウの五人というメンバーの振り分けも発表される。

 しかし、ここで一つ皆の脳裏に疑問が浮かび上がった。そう、グランの名前だけが双方の班のどちらにも無いことだ。当然ながらリィン達はその疑問をサラへ投げ掛けるが、トワを含め彼らは返ってきた言葉に驚きを見せる。

 

 

──今回グランは実習メンバーから外してるのよ。一応A班に同行してもらうけど、別の仕事を頼んでるから。それと……ガレリア要塞に向かう当日、グランはトワと一緒にクロスベルへ行く予定よ──

 

 

 リィン達へ唐突に告げられた、グランのクロスベル行き。彼が実習メンバーから外れる事に皆は一様に驚きを見せ、同じくグランがクロスベルへ同行する事を知らなかったトワも目を丸くしていた。直後にグランはそんなに優秀だっただろうかというエリオットの呟きが漏れ、額に青筋を立てたグランが彼へ拳骨をお見舞いしたのは余談だが。

 ただ、特別実習の説明が行われた時にはフィーもその内容に異論は唱えなかった。特別実習の班分けにしても、グランのクロスベル行きにしても彼女が反対する理由は無かったし、そもそも決定事項、何かしら異論があったとしても覆される事は滅多にない。

 では、何故フィーがここまでクロスベルへ行きたいと頑なに懇願するのかという話になる。

 

 

「グランはクロスベルへ遊びに行く訳じゃないのよ。第一、あんたこの前グランと一緒にクロスベルへ遊びに行ったでしょう?」

 

 

「そうじゃない……昨日、サラの部屋の前で話を聞いてた」

 

 

「っ!? 全く……迂闊だったか」

 

 

 どうしてこうもフィーが食い下がるのか疑問に思っていたサラは、彼女から返ってきた言葉で漸く理解した。フィーがクロスベル行きを志願する理由、それは昨日の夜遅くにこの部屋で交わされていたサラとグランの会話の内容にある。

 特別実習前夜、恐らくはクロスベルから帰還するまで顔を合わせる事が無いだろうという理由でサラはグランを自室に呼び出した。そして行った会話の内容は、グランがA班へ同行してレグラムに行った時の頼み事と、クロスベルへ向かった際の注意点について。

 

 

──クロスベルに着いても、『赤い星座』には絶対にちょっかい出すんじゃないわよ。あくまで与えられた任務を遂行する事に専念なさい──

 

 

──無理な相談ですよ……まあ、五体満足で帰ってこれるように努力はしてみます──

 

 

──ったく……分かったわ。ただし、もう二度とフィーが悲しむような選択はしないでちょうだい──

 

 

──……絶対とは言い切れません。でも、仮にオレがいなくなったとしても、今のフィーすけなら大丈夫でしょう──

 

 

──っ!? グラン……──

 

 

「グラン、クロスベルで決着をつける気なんだと思う」

 

 

「……そうかもしれないわね」

 

 

 昨晩の会話を耳にしてフィーが出した結論は、クロスベルの地でグランが父親と決着をつける気でいるというもの。彼女の言葉に否定的な意見を返さないあたり、サラも考えている事は同じなのだろう。

 五月にグランとクロスベルへ訪れた際、フィーは彼が何故三年前に西風の旅団を脱けたのか、その理由を直接問い質した。そしてその時に理由を聞かされ、グランが父親に敗れれば赤い星座へ戻らなければいけない事を知っている。フィーがクロスベルへ同行したいと懇願する理由も、理解できないわけではない。

 

 

「……で、付いていったとしてあんたに何が出来んの?」

 

 

「っ……それは、まだ考えてない」

 

 

 そう、例えフィーがグランに同行したとしても、彼女に出来る事はあまりにも少ない。精々グランの傍を離れず、訪れるかもしれない別れの時に怯える事くらいだ。サラがフィーの意見を受け入れないのは、決して彼女を苛めているわけでも、手続きが面倒なわけでもない。付いていったところでフィーが自身の無力さに打ちひしがれる事が分かっているからこそ、サラも彼女のクロスベル行きを了承しないのである。

 目の前で表情を落ち込ませるフィーにサラも心を痛めるが、やはり彼女のクロスベル行きを認める事は出来ない。だからこそ、せめてフィーに気持ちの整理をつける時間を与えようと、彼女に一つの提案をした。

 

 

「私の方から伝えとくから、あんたもA班に同行しなさい。レグラムの実習の間に、ちゃんと考えを整理しておく事」

 

 

「……分かった」

 

 

 力ない声で返事をした後、フィーは実習の準備を行うべくサラの部屋を退室する。そんな彼女の落ち込んだ後ろ姿を眺めていたサラの表情は、なんともやりきれないものだった。どうにかしてあげたいと思うものの、何もする事の出来ない自分に僅かな苛立ちを覚える。

 腰掛けていたベッドへ仰向けになり、サラはため息混じりに呟く。

 

 

「全く……問題児ばかり抱えると、教官ってのはやりがいがあり過ぎて困るわね」

 

 

 また一つ新しい仕事が増えたと、彼女は愚痴をこぼしつつARCUSで数人へ連絡をした後、一時の微睡みに身を任せるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 第三学生寮一階。管理人でもあるシャロンが使用している部屋の扉の前では現在、実習の準備を終えたラウラが一人立ち尽くしていた。その表情は明るく、これから向かう実習先のレグラムは故郷という事もあり、数ヵ月ぶりとなる帰省に彼女もどこか嬉しそうである。

 そんなラウラがシャロンの部屋の前で立っている理由、それは朝の弱いグランを起こすためだった。彼女にとっては誰よりも特別な意味を持つ今回の実習、列車の時間に遅れて乗り逃がした等という事があってはならない。高確率で寝坊するグランを、予め起こして遅刻のリスクを排除しようというわけだ。

 

 

「シャロン殿と同室とはいえ、やはり心配だからな。しかしなんだ、その……妙に気恥ずかしいのは何故だろうか?」

 

 

 ラウラは扉を前にして僅かな胸の高鳴りを覚えながら、一度、二度とノックをする。しかし部屋の中からは応答がなく、グランはともかくあの完璧メイドのシャロンですらまだ寝ているのだろうかと彼女は疑問を抱く。

 そしてそんな風にラウラが首を傾げていると、突然部屋の中から話し声が聞こえ始めた。

 

 

──シャロンさん、お願いですから自分でさせてください──

 

 

──弟の世話を焼くのは姉の務めですわ。さあさあ、ご遠慮なさらず──

 

 

──いや、だから勝手に脱がさないでくれと何度も──

 

 

「なんだ、グランも起きているのではないか……グラン、起きているのならば返事をしてくれてもよ──」

 

 

 中に二人がいる事を知り、ノックに返事を返してくれなかった彼へ多少の不満を感じつつラウラは扉を開いた。そして中にいるであろうグランへ向かって声を上げる中、ふと彼女の声が止む。直後にラウラの表情は固まり、顔を真っ赤にしながら部屋の中へ向けていた視線をそらした。

 彼女がそんな反応を見せてしまうのも当然だった。何故なら部屋の中では、夏服をはだけさせて上半身が露出した下着姿のグラン。そしてグランの傍には、彼が履いていたズボンを脱がしている格好のシャロンが片膝を着いた姿が。

 

 

「ば、ばばば馬鹿者! 学生寮で一体何をしているのだ!」

 

 

「ああ、ラウラか。おはようさん」

 

 

「おはようございます、ラウラ様」

 

 

「お、おはよう……ではない! そなた、学生寮でそのような不埒な事を……!」

 

 

 割りと普通に二人が挨拶を交わしてきたのでラウラも思わず頭を下げたが、直ぐに我に返った彼女は再び頬を紅潮させ、震えながらグランへ人差し指を突き付ける。しかしそんなラウラの姿を見ていたグランとシャロンは、顔を見合わせた直後に悪戯な笑みを浮かべ、ラウラの正面へと詰め寄った。

 頭が混乱したラウラには気付けないが、第三者が二人の顔を見れば即座にこう思うだろう。ああ、これは弄りがいのある玩具を見つけた時の顔だと。

 

 

「ほう……“そのような”とはどのような事を言ってるんだ?」

 

 

「ふふ、わたくしも気になりますわ」

 

 

「いや、それは、その……取り敢えずそなたは服を着て下を履いてくれると……」

 

 

「ほら、いいから言ってみろ」

 

 

「どうかお聞かせくださいませ」

 

 

 現在裸に近い格好で詰め寄るグランは最早犯罪としか言えないが、シャロンまで悪乗りをして詰め寄ってくるため、ラウラも彼の格好を指摘する声が小さくなっていた。尚も二人の攻めを受け続ける彼女は段々とその顔に赤みを増し、頭の中もごちゃごちゃになって訳が分からなくなっている様子だ。

 そして追い詰められたラウラは耐えきれず、遂にその一言を声に出そうとしていた。

 

 

「だ、だから、そ、その……男女の行うあ、あれと言うと──」

 

 

「ラウラじゃない。シャロンの部屋の前でどうしたの?」

 

 

 間一髪だった。二階から降りてきたアリサが部屋の前で立ち尽くすラウラに声を掛け、彼女の姿に気づいたラウラは涙を浮かべながら抱き付く。アリサは突然の事に理解が追い付かなかったが、部屋の中から聞こえてくる声で直ぐに状況を理解した。

 

 

──くっ、もう少しで言質取れたってのに……──

 

 

──まだまだチャンスはございますわ。グラン様、そう落ち込まずに──

 

 

「ア、アリサ……そなたに感謝を……!」

 

 

「よしよし、あとで私からキツく言っておくから……」

 

 

 アリサに頭を撫でられながら、彼女の腕に抱かれてラウラは涙ながらに思う。もう二度と、グランを起こしには行かないと。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 それぞれの準備が整い、トリスタ駅のロビーにはⅦ組全員が集まっていた。A班、B班の面々は互いに実習の健闘を祈った後、列車の時間が僅かに早いB班のメンバーが先に駅の改札を抜けていく。

 ロビーに残された姿は、A班の実質的なリーダーでもあるリィンに、今回の実習先が故郷でもあるラウラ。今から楽しみでしょうがないのか一人はしゃいでいるミリアムに、彼女の横で頭を抱えているユーシス。どこか落ち込んだ様子のフィーに、そんな彼女の姿を見て心配そうな表情のエマ。最後にメンバーからは除外されているが、彼らと同行する予定のグランを含めた計七名である。

 

 

「良かったぁ、間に合ったみたい」

 

 

 A班一同が十分後に訪れる列車を待つ中、突然の声と共に駅のロビーへ一人の少女が駆け込んでくる。皆が向けた視線の先にいるその少女はトワの姿で、各々が挨拶を交わすとそれに応えながら彼女はグランの傍へと近付いていく。

 グランが笑顔で手を挙げる姿に微笑みながら、トワは彼の傍で立ち止まった。

 

 

「いよいよ明後日ですけど……クロスベルへ向かう準備、進んでますか?」

 

 

「うん、グラン君のおかげでバッチリだよ。でも、グラン君も大変だねぇ……遊撃士協会(ブレイサーギルド)のお手伝いだっけ?」

 

 

「ええ、今回個人的に大分借りが出来ましたから。後々利用されるのも癪なんで、今の内に貸し借り無しにしておこうかと」

 

 

 通商会議を控えた二人は、他愛もない会話を交わしながらその顔に笑顔を咲かせていた。

 トワにとっては一人だと思っていたクロスベル行き。グランも同行すると知ってから嬉しさを隠しきれないのか、この様に毎日笑顔を見せていたりする。グランの事情を知っているフィーは対照的に、二人の会話を耳にしてその表情に陰りを見せるが、そんな事をトワが知るよしもなく。フィーの傍に立っているエマはますます彼女の事を心配そうに見ていた。

 

 

「グラン君はケルディックで合流する事になると思うけど、あんまり遅れると宰相閣下やオリヴァルト殿下をお待たせしちゃうから気を付けてね?」

 

 

「待たせてりゃいいんですよ。あんな人使い荒いオッサンや変態くらい」

 

 

「もう、またそんな事言って。本人の前で失礼な事言わないか心配だよ……」

 

 

 グランの言動に先行きが不安でしょうがないといった様子のトワだが、この様子ではクロスベルでの彼女の精神的疲労が溜まる一方になりそうだと、会話を聞いていた周囲の皆はトワに若干の同情をしているようだった。所々から苦笑が漏れ、ミリアム一人だけが終始楽しそうに笑っている。

 やがて列車が到着する予定時刻を迎え、アナウンスと共にホームから列車のブレーキ音が響いた。

 

 

「列車が到着したか……それじゃあ二日後にケルディックで」

 

 

「うん、お手伝い頑張ってね」

 

 

 グランはホームへ向かう前に別れを告げ、トワは彼の手を取ると両手で包み込みながら実習先での無事を祈った。彼女が手を離した後、グランは振り返ると改札へ向けて歩き出す。

 そしてその時だった。改札を抜けようとしたリィン達の向かいから、スーツを着用した赤い髪の青年が姿を現す。

 

 

「あっ、レクターだ! こんなところでどうしたのさ?」

 

 

「おお、元気そうじゃねぇか。学院生どもに迷惑かけずにやれてるか?」

 

 

 ミリアムの頭を撫でている男の名は、レクター=アランドール。帝国政府に属する情報局という機関の一人であり、ミリアムの同僚として、鉄血の子供たち(アイアンブリード)の一人としても知られている。非公式の外交任務を多くこなしており、これまで成功率百パーセントの実績からかかし男(スケアクロウ)の異名を持つ人物だ。

 先々月の実習で当時B班だったラウラとフィー、意識を失っていたグランも顔を合わせていないが、ノルドでの戦争回避に尽力した際にリィン達は彼と会っていたりする。

 

 

「ま、こんなんだけど精々仲良くしてやってくれ」

 

 

「は、はい……」

 

 

 突然の彼の登場にリィン達も困惑した様子を隠しきれず、受け答えもどこかぎこちない。口調も軽く、親しみやすい様に感じるが、そこは情報局の人間という認識が邪魔をしているのだろう。

 あまり歓迎されている感じがしないとレクターは苦笑を漏らした後、リィン達の後方に立っているグランの元へと歩み寄った。

 

 

「しっかし、漸くご対面と言ったところだナァ。ノルドの件は世話になったゼェ、紅の剣聖」

 

 

「そりゃどうも。最近クロスベルでこそこそかぎ回ってるらしいが、なんだ……この時期にテロリストの情報でも寄越しに来たか?」

 

 

「っ!? ハハ……末恐ろしいガキだぜ、ったく。紫電にしてもそうだが、お前さん達情報局(うち)に来ないか? ノーザンブリアへの送金も含めて、結構優遇してやれると思うぜ?」

 

 

「お断りだ。さっさとサラさんに情報渡して帰るんだな」

 

 

 勧誘に耳を傾ける事なく、グランは一人改札をあとにする。彼の後ろを戸惑いながらリィン達が続き、ロビーにはレクターとトワの姿が残った。若干気まずい雰囲気を感じながらもトワが頭を下げ、レクターも陽気な返事を返して彼女の横を通り過ぎる。

 そしてそんな中、もう一人の人物がロビーの中へと現れた。

 

 

「グランに一言言い忘れてた……って、げげ。嫌な顔があるじゃない」

 

 

「どいつもこいつも手厳しいぜ……ほらよ、先月帝都に現れたテロリスト達のデータだ」

 

 

「っと……やけに気が利くじゃない」

 

 

 ロビーに入ってきたサラは、レクターが放り投げたデータ端末を掴むと彼へ鋭い視線を浴びせていた。レクターは頭を掻きながら溜め息をこぼし、直後にトワを連れてロビーを立ち去ろうとする彼女へ伝えておく事があると声を掛ける。

 疑問に思ったサラが振り向いた先、レクターが告げたのは鉄道憲兵隊のクレア=リーヴェルトからの伝言だった。

 

 

氷の乙女(アイスメイデン)から伝言だ。『三日後の通商会議に合わせて、帝国内でも由々しき事態が起こる可能性あり』だそうだ」

 

 

「ふーん……あの子が言ってたのと同じわけか」

 

 

 クレアからの伝言に彼女も驚くだろうと踏んでいたレクターだったが、思ったよりも反応を示さないサラに対して彼は僅かに疑問を覚える。そして今度はサラがクレアに伝言があると告げ、次に話したその内容に流石のレクターも驚きを見せた。

 

 

「聞いたかどうか知らないけど、昨晩グランから預かってた伝言よ。『通商会議当日、国境付近の警備を固めておけ。特に列車砲は厳重に』だそうよ」

 

 

「!? なるほどナァ……こりゃあ、紅の剣聖をクロスベルに行かせたオッサンの判断は正解らしいな」

 

 

「? 何の事よ?」

 

 

「いや、こっちの都合だ……じゃあな、紫電(エクレール)殿」

 

 

 意味深な言葉を呟いたレクターは、怪訝な表情を浮かべるサラを残してトリスタ駅をあとにするのだった。




予定していたより全然進まなかった! 執筆遅れたのはスマホゲームに夢中になっていたためです。ゆるドラ面白い。

フィーはグランのクロスベル行きと赤い星座の事を知って絶賛落ち込み中です。そのため緊急措置として実習メンバーを急遽入れ替え……あんちゃんは尊い犠牲になったんや。

対照的に会長は嬉しさ全開といった感じですね。ただクロスベルで高い壁が待ち受けている事を彼女ほまだ知らないという……頑張れ会長!

言葉攻めされて顔真っ赤なラウラ可愛い。セクハラ全開のグランはよくやった……でも後で会長からお仕置きを受けてね!


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霧と伝説の町で

 

 

 

 帝国南東部の辺境地、レグラム。列車はトリスタからクロイツェン本線を用い、終点のバリアハートから更にエベル支線というローカル線を進んだ先。エベル湖の湖畔に位置するその町の呼び名は、『霧と伝説の町』。季節問わず霧が発生し、エベル湖のほとりにそびえるローエングリン城はかの槍の聖女が本拠地にしていた場所としても知られ、レグラムが霧と伝説の町と呼ばれている所以でもある。

 時刻は昼過ぎ。早朝七時からの列車旅を終えてレグラム駅へと到着したリィン達は、荷物片手に駅のホームを出ると、視界に広がる霧に包まれた幻想的な町並みや湖の風景に感嘆の声を上げていた。そしてそんな彼らの反応にラウラが一人満足そうに笑みをこぼす中、不意にグランが驚きの声を漏らす。

 

 

「おいおい、マジかよ……」

 

 

「グラン、どうしたのだ?」

 

 

「悪い、先に行ってるぞ」

 

 

 ラウラが疑問の声を向けた先、グランは断りを入れると突然その場を飛び降りてレグラムの町中へと躍り出た。そんな突拍子の無い彼の行動に皆が呆れている中、グラン本人は町中を駆け抜け、とある場所で立ち止まる。彼が見上げる先、そこには三体の人物像があった。

 右側には大剣を地面へ突き立てた男の像が跪き、左側には巨大な斧を持つ男の像が同じように跪いている。そしてグランにとって問題なのはその両者が頭を垂れている先、巨大な馬上槍を掲げている女性の像だった。

 

 

「そっくりだな……あの鉄仮面と何か関係あるのか?」

 

 

 レグラムの地に伝わるかの槍の聖女の像。それと似た容姿を持つ人物を、グランはどうやら知っているらしい。女性の像を見上げる彼の表情は、終始驚いている様子だった。

 グランが驚きながら像を見上げる事数分、駅の前から町中へと降りてきたリィン達が彼の姿に気付いて傍へ歩み寄る。グラン同様リィン達が像を見上げて各々感想を漏らす横、いつの間にか彼らと共にいる口髭を生やした白髪の老人がグランの隣へ近寄って口を開いた。

 

 

「『紅の剣聖』殿はかの槍の聖女に興味がおありですかな?」

 

 

「いや、興味と言うか疑問と言うか……って、じいさん何でオレの事知ってんだ?」

 

 

「ラウラお嬢様の手紙を拝見する際、度々あなた様の事が書かれておりまして……おっと、これは挨拶もせずに失礼を致しました。わたくし、アルゼイド家の執事を務める者で名をクラウスと申します」

 

 

「グランハルト=オルランド、長いからグランとでも呼んでくれ」

 

 

「それでは、グラン様と」

 

 

 一見何でもないような老人の立ち振舞い。しかしその動きには僅かたりとも隙が無く、平然と会話をする中でグランも少しばかり驚いていた。それでも光の剣匠には及ばないかと、彼のクラウスへ対する興味もすぐに無くなってはいたのだが。

 そしてグランの次の興味は、クラウスが先程話したラウラの手紙について。

 

 

「そう言えば、ラウラの手紙ってどんな内容なんです?」

 

 

「そうですな。学院でのお嬢様自身の生活についてや、グラン様の事などが少々。と言っても八葉一刀流を含めてグラン様に関する内容が実に七割を占めておりまして……」

 

 

(じい)! 余り余計な事を話すでない!」

 

 

「ハッハッハ、これは少々口が滑りましたかな」

 

 

 クラウスのからかいに頬を染めて動揺を見せるラウラを先頭に、一行はサンドロット像をあとにして町中を進んでいく。道中高台へ続く階段を上がる中で、アルゼイド流の門弟が修練に励んでいるという練武場から聞こえる剣戟や声に立ち止まりながら、やがて目的の場所へと到着する。

 リィン達の目の前に佇むそれは、町中でも一際大きな建物だった。家紋と思われるそれは中央に鳥が描かれ、青色に染まった垂れ幕同様入り口に掲げられている。それは間違いなく、帝国において武の世界では知らぬ者はいないであろうアルゼイド家の紋章。

 

 

「ようこそ、レグラムへ。不在の父に代わり、娘の私が当家を案内させてもらおう」

 

 

 執事のクラウスを引き連れ、皆の前に躍り出たラウラは微笑みながら告げるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 アルゼイド家の現当主、ラウラの父アルゼイド子爵が不在のため、彼女によって家を案内されるリィン達。二階建てで構築された家の中は必要以上の装飾は無く、目立つものと言えば床一面に広がるアルゼイド家の家紋くらいか。

 二階へ続く階段を上がり、男性陣はクラウスに連れられて、女性陣はラウラによって此度の実習で使用する寝室へと案内を受ける。執事のクラウスがリィン達を連れて部屋へ入った事を確認したラウラは、エマとフィー、ミリアムを連れて隣の部屋の扉を開けた。四つのベッドが据えられた部屋には、彼女自身も含めて計五人……そう、何故か四人ではなく五人の姿が。

 

 

「結構いい部屋だな、流石は子爵家と言ったところか」

 

 

「どうしてそなたがここにいるのだ……」

 

 

「グランさん、本当に懲りないですよね……」

 

 

「あれ? グランはリィン達と一緒の部屋じゃないの?」

 

 

「……」

 

 

 さも当然のように付いてきているグラン。彼の姿にラウラとエマは頭を抱えて溜め息をこぼし、ミリアムは首をかしげてグランを見ている。しかしそんな中、グランの傍に立っているフィーだけは相変わらず落ち込んだ様子で彼の顔を見上げていた。直後にラウラとエマが頭を抱える原因でもあるグランまでもが溜め息を吐いたのは、少し疑問に思う光景ではあったが。

 そして、リィン達が案内されているであろう部屋へ行けとラウラとエマが言いかけたその時、飛んでもない事をグランが言い出した。

 

 

「なあ、今日この部屋で寝ていいか?」

 

 

「ラウラさん、寝袋ってありますか? グランさんは街道で寝るくらいが丁度良いと思うんですけど」

 

 

「確か修行用に父上が使っている物の予備があったはずだ、取ってこよう」

 

 

「あはは、二人とも目が本気だね」

 

 

 エマとラウラの会話は容赦がないが、その反応も当然であろう。寝袋を用意してもらえるだけでもありがたいものである。ただラウラの実家でも普段通りの言動をするあたり、グランも流石と言ったところだが。

 ミリアムが一人楽しげに笑顔を浮かべる中、割りと本気でラウラが寝袋を用意しようとしたその時。部屋を出ようとした彼女を呼び止めるフィーの声が室内に広がる。

 

 

「私からもお願い。グランもこの部屋で寝かせてあげて」

 

 

「フィー……まあ、そなたの頼み事ならば仕方あるまい。エマとミリアムもそれで良いだろうか?」

 

 

「そうですね、フィーちゃんのお願いなら仕方がないですね」

 

 

「ボクは別にいいよー」

 

 

「……三人とも、ありがと」

 

 

 懇願するようなフィーの表情に何か思うところがあったのか、ラウラとエマもにこやかな笑みで了承を示す。ミリアムは元々男女間の微妙な問題に疎いのか、二人のようにフィーに対して何かを感じたわけではないがグランの同室を認めた。三人の返事を受けたフィーの表情も、レグラムへ到着する以前よりは少しばかり明るさが戻っているようだ。

 そして彼女達の友情が垣間見える微笑ましい光景が広がるそのすぐ傍。場の空気を完全に読んでいないであろうグランが拳を握り締め、直後にその手を天井へ向けて思いっきり掲げていた。

 

 

「Ⅶ組で過ごす事早五ヶ月、漸く委員長の生着替えを堂々と見れる日が……!」

 

 

「勿論グランさんがこの部屋に来ていいのは私達が着替えた後ですから」

 

 

「当然だな」

 

 

「なんだ、がっくし……」

 

 

 直後に釘をさすエマの一言に、グランは残念そうに肩を落としていた。同室する事への承認を得ることのできた彼だったが、そこまでエマやラウラも甘くなかったようだ。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 特別実習一日目。恒例の実習課題を進めるべくアルゼイド家二階のテラスへ集まったリィン達は、今回の課題を用意していると思われる執事のクラウスへ話を聞いた。しかし、此度の実習課題はクラウスではなく、その筋のスペシャリストに用意を依頼したとの事。ある場所に依頼した人物がいると説明を受け、その内容を聞いたリィン達は僅かに驚きを見せていた。クラウスが指示した場所、それはレグラムの町中にある遊撃士協会だった。

 霧がたち込む本日、町中にあったはずの遊撃士協会に気付かなかったリィン達だが、彼らが驚きを見せたのはそれだけが理由ではない。帝国内では大幅に活動が衰退している遊撃士が、この地では今も活動を続けているという点である。

 そしてクラウスの説明に驚きつつ、アルゼイド家をあとにしたリィン達はラウラの案内で町中にある遊撃士協会、レグラム支部の前へと訪れた。

 

 

「支える籠手の紋章、確かに遊撃士協会みたいだな」

 

 

「よくこんな辺鄙な場所で細々とやってるもんだよ」

 

 

「辺鄙な場所というのは否定せぬが……そなた、もう少し言葉を選んで言えぬのか?」

 

 

 リィンが扉の傍にある遊撃士協会の紋章を見上げる横、後頭部で両手を組みながらグランが失礼な事を呟いていた。間違っても人前で言わないでくれと、その隣ではラウラが彼の失礼な発言に溜め息をこぼしている。ユーシスやミリアムは彼の呟きに我関せず、リィンとエマの苦笑いが広がるのみだ。

 

 

「そういえば、確か以前にバリアハートで遊撃士の方に会いましたよね。街中にギルドは見当たりませんでしたけど……」

 

 

「バリアハートにあった支部は一年前に閉鎖されたと聞いている。どうやら公爵家からの圧力があったようだが……」

 

 

「まあ、遊撃士って基本的に偉いヒトには目障りだよねー。ミラや権力になびかず、民間人の安全を最優先に動く組織だから」

 

 

「確かに、潰されて当然かも」

 

 

 何とか話題を変えようと言葉を紡いだエマだったが、ユーシスの応答に反応したミリアムとフィーが身も蓋もない事を口にする。またしても場がなんとも言えない雰囲気になるが、その空気を破ったのはこの場にいるメンバーではなかった。

 突如開いたギルドの扉。そして現れたのは、白を基調とした上着を羽織る金髪の男。

 

 

「さっきから聞いてりゃ痛い所ついてくるぜ、ったく」

 

 

「あ、あなたは……!」

 

 

「バリアハートでお会いした……」

 

 

「遊撃士だね」

 

 

 頭を掻きながら現れたその人物は、かつてバリアハートでの実習にてマキアスとグランが領邦軍に囚われた際、リィン達へ地下水道の情報を提供した遊撃士だった。リィンとエマ、フィーが声を上げる中、当の本人でもある男は気さくに三人へ声をかけている。ラウラとは顔見知りなのか彼女とも気さくに会話を交わしており、この町では遊撃士も不自由なく活動できている様子が見受けられた。

 支部は異なるものの、当時サラが帝都のギルドで活動していた頃の同僚という事になり、リィン達と会話をする中で判明したのだがどうやら彼女とも顔見知りらしい。因みにバリアハートでの一件は事前にサラから何かあった時のフォローを頼まれていたらしく、その話でリィン達が礼をしたのは余談だ。

 

 

「おっと、そういえば自己紹介がまだだったな。遊撃士のトヴァル=ランドナーだ……よろしく頼むぜ、Ⅶ組の諸君」

 

 

 自己紹介も終え、一通り説明するからとリィン達はトヴァルに連れられてギルドの中へと入る。そして受付を行うカウンター前で立ち止まったリィン達の向かい側、回り込んで移動していたトヴァルにさっそく聞きたい事があると告げたのはラウラだった。故郷でこうして遊撃士が普通に活動している事を知っていたラウラは、二年前から遊撃士の活動が衰退していた事を知らずにいたようだ。

 二年前、帝国政府ならびに各州を治める公爵家達からの圧力を受け、各地のギルド支部はたてなみ閉鎖を余儀なくされていった。それでもこのレグラムで活動を続けられているのは、この地を治めているアルゼイド子爵のお墨付きがあるからとの事。何でも、アルゼイド子爵は遊撃士の活動に対して協力的な姿勢を見せているらしい。

 

 

「どうも父上の気風に通じるところがあるらしい。独立独歩、人を助ける理念、そして誇り高さ……叶うならギルドに所属して働きたいと前々から仰っていたな」

 

 

「流石に領地を持つ身では無理があるだろう」

 

 

「そ、そうですね。でも流石はラウラさんのお父さんと言ったところでしょうか」

 

 

 独立独歩の気風で知られるというアルゼイド子爵。その理念と共通している遊撃士になりたいという話は、まんざら嘘でもないのだろう。と言ってもユーシスが話す通り、領地運営を任された身で遊撃士の活動はとても出来そうにはないが。

 そしてラウラ達の会話を聞いている中で、不意に呟いたミリアムの言葉に皆が反応を示す。

 

 

「光の剣匠が遊撃士かぁ……格にしても実力にしてもカシウス=ブライト並みだろうし、いきなりS級とかあり得そうだよねー」

 

 

「カシウス=ブライトか……」

 

 

「ふむ、確かリベール王国の准将にして『剣聖』だったか」

 

 

 『剣聖』カシウス=ブライト。リベール王国の准将にして、百日戦役と呼ばれる十二年前に帝国とリベール王国の間で勃発した戦争にて活躍した、リベールでは救国の英雄とまで謡われている人物である。当時圧倒的な兵力で帝国側が戦況を握っていたにもかかわらず、彼の考案した飛行挺を使っての電撃作戦でリベール側を対等にまで建て直したのだから、その知名度も当然なのだろう。リィンやラウラが知っているのは、カシウス=ブライトが八葉一刀流を修めた『剣聖』として武の世界で有名だからというのも理由の一つではあるが。

 

 

「まあ、光の剣匠の実力が伝え聞く通りなら、少なくとも実力はカシウスのおっさんの方が下だとは思うが。正面からの勝負ならオレでもおっさんに競り勝つ自信はあるぞ」

 

 

「ふーん、でもグランって確か二年前にカシウス=ブライトに負けてるよね」

 

 

「あれは勝負に負けたんじゃない、おっさんの作戦にしてやられたんだ。戦略的撤退ってやつだよ」

 

 

「それって結局負けたんじゃ……いたっ! いいんちょー、グランがいじめる~」

 

 

「もう、グランさん。ミリアムちゃんを叩いたりしたら駄目じゃないですか」

 

 

 会話の中でグランの癇に障る何かがあったのか、彼は拳骨による一撃を繰り出し、直後に頭に痛みを覚えたミリアムは泣き真似をしながらエマの胸へと飛び込む。その光景を目にして拳を握り締めるグランは別の意味で悔しがっていたりするのだが、思考が不埒じゃない他のメンバーには分かるはずもなく。

 リィンやユーシス、ラウラにフィーがその光景に呆れ顔や溜め息をこぼす中。カウンターではトヴァルが一人、会話を聞いて頭を抱えていた。

 

 

「ったく、このガキども俺の前で飛んでもない会話しやがるぜ……」

 

 

 彼が頭を抱える理由は、この場にいないサラにしか分からない。




やっぱり進まなかった! 一話で半日も進まない、それが私のクオリティ……はい、もっと精進します(涙)

グランなら少なくともカシウスには勝てます、あくまで正面からの勝負になりますが。知略とかその他諸々は全く敵いません。

そしてここで皆様のご意見を頂きたいのですが、詳細は活動報告にて参照お願いします。




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出会いは二年の月日を経て

 

 

 

 帝国遊撃士協会、レグラム支部に寄せられた依頼の数々。今回の特別実習におけるリィン達の課題は、遊撃士のトヴァルがその中から見繕った依頼を手伝うというものだった。街道の魔獣退治、導力灯の交換、アルゼイド流の門弟達との手合わせ。リィン達がトヴァルから受け取った依頼の内容は、これまで彼らが特別実習でこなしてきたものと大差なく、その手際も手慣れたもの。トヴァルからの説明も程々に、リィン達は実習課題を進めるべくレグラム支部をあとにした。

 そして此度の実習メンバーに参加していないグランはというと、ギルド内のカウンターで書類仕事をするトヴァルから束になった書類を受け取り、彼の隣で同じく事務仕事に取りかかっていた。

 

 

「いやぁ、正直助かるぜ。ここ最近書類が溜まる一方だったからな」

 

 

「気にしないでくれ。あんたらには手を借りたからな、ここで返しとかないと後々何を頼まれるか分かったもんじゃない」

 

 

「そんなに警戒しなくてもなぁ……こっちはそれ相応の報酬貰ってんだ、何も恩を売ったつもりは無いんだぞ?」

 

 

遊撃士(ブレイサー)に手を借りた事が個人的には癪なんだよ」

 

 

「可愛くないねぇ」

 

 

 可愛いげの無いグランの言動に苦笑を漏らしつつ、トヴァルは溜まりに溜まった書類を一つ、また一つと片付ける。グランも作業自体はトワの手伝いと何ら変わり無いため、手慣れた様子で次々と書類整理を行っていた。静まり返った空気の中、両者とも黙々と作業に明け暮れる。

 やがて二人の作業は三時間を経過し、夏に比べて涼しい気候とは言えそろそろ休憩の一つも欲しくなってきたそんな時。外から近付く足音を耳にしたグランとトヴァルは筆を片手に扉へ視線を移し、その扉が開いた直後にギルドの中へ入ってきた少女の姿を視界に捉える。

 

 

「あのぉ、今少しいいですか?」

 

 

「おっと、どうしたんだお嬢さん」

 

 

「今から街道にお花を摘みに行きたいんですけど、上でお稽古をしている門弟の方達は今忙しいみたいで……」

 

 

 トヴァルが声を向けた先、ギルドに姿を現したメイド服姿の少女の目的は、花を採取するためにレグラムの外へ……要はエベル街道へ出たいから護衛をして欲しいという事らしい。アルゼイド流の門弟達は練武場で鍛練を行っている最中で、彼女自身門弟達の手が空いているかの確認をしてきた訳ではないようだが、遊撃士であるトヴァルになら気軽にお願いできるからここへ来たとの事。事実、遊撃士は便利屋のような仕事を受ける面もあり、この手の依頼は少なくない。

 今日一日は溜まった書類を少しでも多く片付けておきたいトヴァルだったが、突然とはいえ少女のお願いを断るのも中々気が引ける。いっそリィン達が報告に戻ってきたら頼むという手もあるかと考えていた矢先、隣で黙々と書類整理を続けるグランをふと視界の端に捉え、良い案を思い付いたと彼は一人声を上げた。

 

 

「丁度良かった。お嬢さん、今なら最高の護衛をタダで雇えるぞ」

 

 

「絶対こっちに回すと思ったが案の定か……仕方ない、気晴らしに受けてやるよ」

 

 

 話を振られる事が分かっていたらしく、面倒そうにしながらもグランは結局引き受けるようでその場を立ち上がった。少女は戸惑いつつそんな彼へ頭を下げるが、頭を上げてグランの顔を見た途端に訝しげな表情を浮かべ始める。

 数秒ほどの広がりを見せる沈黙……そして直後、少女の驚きの声がギルド内に響き渡った。

 

 

「あ、貴方は……ラウラお姉様と一緒にいた男どもの一人!」

 

 

「そ、それがどうしたんだ?」

 

 

 それはもう敵意丸出しの視線でグランを睨み付け、少女が突然不機嫌になったためグランも訳が分からずに戸惑っている。しかし彼の隣にいるトヴァルは何かに気付いたのか、すぐにしまったといった表情を浮かべてその瞳を伏せた。

 グランは少女に何と声を掛けたらいいのか分からず、鋭い視線を浴びせてくる彼女へ対して苦笑を漏らす。そして少女は終始不機嫌な様子のまま、結局その場を振り返るとギルドの入り口へ戻り、その扉を勢いよく開いた。

 

 

「護衛は結構ですっ! 街道に出るくらい私一人でも出来ますからっ!」

 

 

 怒気を含んだ声でグランに向けて言い放った後、少女はまたしても勢いよく扉を閉めるとギルドをあとにした。少女が立ち去る姿を眺めながら、自身が気付かない内に何か少女に対して失礼な事をしたのかと、グランは首を傾げながら声を漏らす。

 しかし彼の隣に座っているトヴァルは多分そうじゃないと話し、顔を引きつらせながらこう続けた。

 

 

「ラウラお嬢さんは町の女の子達にかなり好かれていてな……あの子はいわゆるアレだ」

 

 

「アレって……アレか?」

 

 

「ああ……アレだ」

 

 

 溜め息を吐くトヴァルを横目に、彼の言いたい事を理解できたようでグランは関わりたくないタイプの人間に会ってしまったと頭を抱えている。二人が話すアレ……それは、女性が女性を好きになるといういわゆる百合(アレ)である。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 レグラムの東を通るエベル街道。公都バリアハートに通じるクロイツェン街道へ繋がるこの道は、レグラムの町中以上に濃い霧が立ち込めていた。十アージュ先の風景は最早霧の中に飲み込まれ、足元ですら注意して歩かないと、石や木片、草花に足を取られかねない程の濃霧。しかしその分夏真っ盛りにもかかわらず気候は涼しく、過ごしやすいと言っていいのか微妙な環境だ。

 そんな道先も見えにくいエベル街道の舗道を、周囲を警戒しながらゆっくりと進んでいく少女が一人。ギルドへ護衛の依頼を出そうと赴くも、グランを見るや否や声を荒げて立ち去った少女その人である。

 

 

「や、やっぱりギルドの方にお願いすれば良かったでしょうか……いえいえ、あんなお姉様を誑かす不届きものに頼むなんて……!」

 

 

 少女の名はクロエ。レグラムに住む、ラウラをお姉様と慕って止まない少女の内の一人。間違ってもノーザンブリアに住んでいるシスターではない。彼女はギルドへ依頼をせず、かといってアルゼイド流の門弟に頼むわけでもなく、カゴを片手に結局一人でエベル街道へ外出していた。

 本来魔獣が出没する街道を、戦う事のできない少女が一人で出歩くのは危険極まりない。彼女もそんな事は分かっているし、普段ならこのような危険な行動を取ったりはしなかっただろう。

 

 

「ラウラお姉様は、どうしてあんな男と仲良さげに……なんて、なんて羨ましい……っ!」

 

 

 クロエは今、自分が誰に対して羨ましいなどと思ってしまったかに気付いて顔を真っ赤に染めていた。照れや恥ずかしさとは違う、ただ単純に悔しさから来ている怒りに近い感情によって。彼女がスカーフでも持っていれば、それを噛み締めて悔しさを表現しているに違いない。

 そんなクロエは道中、ハッと我に返ると周囲を見渡した。晴れた日ならば今自分がどこにいるのかも分かったが、濃霧が広がる今日。舗道から外れた彼女は、自身が今エベル街道のどこにいるのかが分からなくなってしまう。

 

 

「どうしよう、迷ってしまいました……っ!」

 

 

──グルルルル……!──

 

 

 草を掻き分ける音と共に、周囲から聞こえ始める魔獣の唸り声。それが自分を狙っているものだと、クロエが理解するのはそう難しい事ではなかった。見えない恐怖で彼女の足は鉛のように重さを増し、逃げたいと思っても動かすことが出来ない。

 余りにも危険なこの状況、だがこんな周りに助けを乞う事のできる人がいるはずもなく。

 

 

「そんな……助けて、ラウラお姉様──!」

 

 

「囲まれたな……ったく、考え事しながら街道を歩くからこうなるんだよ」

 

 

「え……」

 

 

 瞳に涙を溜めていたクロエは、突如隣から聞こえてきた男の声に耳を疑った。まさかこんな時に、いやこんな時だからこそ幻聴でも聞こえたのかと思いつつも、恐る恐るその顔を横へと向ける。

 そしてそこにいたのは、先程自分がギルドで敵意を向けていた男の……グランの姿だった。

 

 

「い、いつの間に……!」

 

 

「いやぁ、人をつけるのは得意でな」

 

 

「……それってストーカーって言うんですよ」

 

 

「止めてくれ……二年前にリベールの姫さんにそれ言われて結構ショックだったんだ」

 

 

「はぁ……(あれ? 私どうしてこんなにも落ち着いて……)」

 

 

 肩を落とすグランにジト目を向けながら、いつしか自身の心から恐怖が消えていた事にクロエは疑問を抱く。今も周囲では濃霧で見えない魔獣達が唸り、威嚇を続けているのは変わらない。にもかかわらず今の自分には恐れや不安といった感情が一切ない、それが彼女には不思議でたまらなかった。

 そしてそんな風にクロエが戸惑う中、グランは頭を掻きながら彼女の前へと移動する。

 

 

「仕留めるのは簡単だが、この距離だと血が跳ねるか──ッ!」

 

 

──グルルッ!?──

 

 

 刹那、霧によって涼しい場の空気がより一層冷え込んだ。クロエがその寒さに身震いをしている間、周囲を囲んでいた魔獣と思しき複数の気配は驚いたような声を上げて散々になる。草を掻き分ける音と共に、数秒もすると魔獣の気配は完全に消え失せた。直後にグランが息を一つ吐き、クロエの立っている背後へ振り返る。

 

 

「え? 今なにが起こったんですか?」

 

 

「さあな、周りにいた魔獣は帰ったらしいぞ……聞き分けのいい奴らじゃないか」

 

 

「う、嘘です! さっきまでこの周りには確かに獰猛な魔獣が……戦わずにあんな数の魔獣を追い返せるなんて、お館様くらいにしか……っ!」

 

 

 困惑した様子で彼女がグランへ詰め寄る最中、再び何処からか草を掻き分ける音が響き渡る。やはり魔獣は残っていたんだとクロエが怯える傍、グランはその姿に微笑みながらその時を待っていた。

 何かの気配が段々と近付いてくる、クロエは相変わらず怯えたまま。そして、直後に気配の正体が二人の前に姿を現した。

 

 

「クロエ? それにグランではないか……二人で一体何をしているのだ?」

 

 

「ら、ラウラお姉様!? ラウラお姉様っ!」

 

 

「おっと……いきなり抱き付いてくるとは、一体どうしたのだ?」

 

 

 姿を現したラウラは突然飛び付いてきたクロエに困惑しながら、笑顔を浮かべているグランへ向けてその首を傾げていた。後に彼女の後ろから姿を現したリィン達も、そんな三人の様子に理解が追い付かず疑問を感じている。

 皆が皆どういう状況なのか全く分かっていない中、リィン達の傍にいたフィーとエマがグランの元へと歩み寄った。

 

 

「もしかして、グランはあの子の付き添い?」

 

 

「ああ。そこの嬢ちゃんが急に街道へ飛び出してな、放っといても良かったんだが……」

 

 

「もう、そんな事言って。でも……こういう時のグランさんは頼りになりますね」

 

 

 フィーの問いにグランは素っ気ない態度で返し、直後にエマがグランの顔を覗き込むような視線で微笑んだ。どこかの誰かと同じような事をすると、彼は苦笑いをしつつもその強調された二つの膨らみからは視線を外さない。エマはすぐにグランの視線に気付いて彼から僅かに離れ、先の自身の取った行動を思い出して頬を赤く染める。

 そしてグラン達が話している所へ、ミリアムを引き剥がしながらユーシスが近付いてきた。

 

 

「何を聞こえない声でこそこそと……いかがわしいな」

 

 

「えー? いいんちょーっていかがわしいのー?」

 

 

「ユ、ユーシスさん!? ミリアムちゃんも本気にしなくていいですから!」

 

 

「はは……慌てているところを見ると、案外的を射ていたりするのかもな」

 

 

「もう、リィンさんまで……!」

 

 

 思いがけない方向からの集中攻撃に、エマは火が吹き出そうな程に顔を真っ赤に染めて叫んだ。このあと彼らはレグラムへ戻る道中に幾度か街道の魔獣と戦闘を行ったのだが、前衛のリィンとユーシスの背後に、本気でアーツをぶつけようかとエマが悩んでいたのは本人のみが知り得る事である。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「わ、私はまだ貴方をお姉様の相手として認めた訳じゃありません。でも、お姉様と話すくらいなら認めてあげてもいいです……い、言いたい事はそれだけです!」

 

 

「いや、言いたい事って言われても今一意味が分からないんだが……」

 

 

 クロエが予定していた街道での花摘も無事に終え、結局嫌われたままという何とも理不尽な結果に溜め息をこぼしつつ、グランは夕焼けの中で彼女が町中へ戻っていくのを眺めていた。すぐにラウラからは謝罪の言葉と彼女へのフォローが入るが、別にそこまで気にしてないと告げて彼もギルドへ向けて歩き出す。リィン達も街道の手配魔獣を退治していたようで、その報告があるからとグランと同じくギルドへ向かった。

 そしてギルドの扉の前に一同が近付いたその時、グランの顔が僅かに驚きを見せる。

 

 

「この気配は……なるほど、とうとうおいでなすったか」

 

 

「ん? グランどうしたんだ?」

 

 

「いや、リィンも入れば分かる」

 

 

 グランの言葉に他のリィン達は首を傾げつつ、彼が扉を開いて中へ入ったそのあとに続いて彼らも中へと入る。そして直後に皆が目にした光景は、カウンターに立つトヴァルと会話を行っている男の後ろ姿。

 

 

「フフ、丁度良いタイミングだったようだな」

 

 

 ギルド内に響いたのは、重量のある芯の通った声だった。振り向いた男は、深い青色の髪に青のコートを羽織った中年と思しき男性。しかし相応の年を思わせながら、その顔は若々しく、精悍な顔つきをしている。

 その男の正体は──『光の剣匠』ヴィクター=S=アルゼイド。

 

 

「ち、父上!?」

 

 

「(これが光の剣匠か……!)」

 

 

 ラウラは突然の父親の姿に驚き、直ぐ様彼の傍へと駆け寄った。しかしそんな彼女の背後、ヴィクターの姿を見たグランの顔は恐ろしい程に笑みを浮かべている。皆光の剣匠という大物が目の前にいるために彼の表情に気付かないが、それが功を奏したか。

 そして父親の傍へ駆け寄ったラウラは、普段の凛々しい彼女とは思えないほど子供らしさがあった。

 

 

「父上、お久し振りです。てっきり、此度の実習では会えないものと思っていました」

 

 

「所用に一区切りついたのでな。しかし、どうやら一回り大きくなって帰ってきたようだ……久しいな、我が娘よ」

 

 

「お、幼子扱いはお止めください……!」

 

 

 ラウラの顔を胸に抱き寄せ、彼女の頭を愛おしそうに撫でるヴィクターの姿はどこにでもいる優しい父親の姿を思わせた。学院では常に凛とした姿勢のラウラも、不意を突かれた格好か動揺しながらもその頬を紅潮させ、どこか嬉しそうである。

 暫しの父娘の対面……それも十数秒でヴィクターがラウラを解放して終えると、彼は次にリィン達の姿へ視線を移した。

 

 

「して、彼らが……」

 

 

「紹介します。私の級友にして、学院で共に切磋琢磨する仲間です」

 

 

 ラウラが紹介する中で、ヴィクターはリィン達の前へと移動する。光の剣匠を生で拝見する事となったリィン達の表情からは、僅かな緊張と驚きが見えた。

 そしてそんな彼らの緊張をほぐすかのように、ヴィクターは穏やかな笑みを浮かべて口を開く。

 

 

「レグラムの領主、ヴィクター=S=アルゼイドだ。娘が世話になっているようだな……よろしく頼む、Ⅶ組の諸君」

 

 

 ヴィクターからの自己紹介を受け、各々が程よい緊張を持ちながらそれぞれ自身の名前を告げていく。一人一人の紹介に一つずつ彼が返事を返していく中、やがて自己紹介が残っているのはグラン一人となった。

 皆からの視線を受けながら、グランはヴィクターの前へと歩み寄る。

 

 

「そうか、そなたが噂に聞く……」

 

 

「グランハルト=オルランドです。音に聞こえし光の剣匠……お会いできて光栄です、子爵閣下」

 

 

「こちらもだ。紅の剣聖グランハルト……その異名と実力、そなたの事は聞き及んでいる」

 

 

 両者は握手を交わし、互いに笑みをこぼして見詰め合う。二人の様子を傍で見ているラウラは若干の戸惑いを見せるが、そんな彼女の様子に二人が気付く事はない。

 二年前、とある事件で敵対していたにもかかわらず、二人は互いに顔を合わせる機会がなかった。そして二年の時を経た今日……漸くこれが、光の剣匠と紅の剣聖が初めて出会う瞬間となる。




グランがトヴァルに話している借りというのは、クロスベルの情報収集に彼も貢献してもらったためです。ぶっちゃけランディ経由で得たという情報でも十分だったんですけど、念には念をと言うことでサラのコネで遊撃士に依頼していたようです。

今回はラウラ大好きシスターズの一人でもあるクロエに登場してもらいました。何故彼女にしたとかは聞かない……因みに学院でのグランの行動が彼女達に知れたら、包丁とか手にして追っかけてきそうです。いやマジで。

最後に光の剣匠とご対面。グラン戦う気満々ですね、でも先にリィンのターンだから待ってね!


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畏れと共に

 

 

 

 

「リィン、考え直すがよい!」

 

 

 レグラム一帯を包んでいた霧も晴れ、空が暗闇に染まった時刻。アルゼイド家を出て階段を下りた右手、アルゼイド流の門弟達が鍛練を行う練武場の中では現在、壇上を見上げながら何かを必死に止めようとするラウラの声が響き渡っていた。そしてそんな彼女の周りには、リィンを除いたメンバーがラウラ同様壇上を見上げて真剣な眼差しを向けている。

 一同が視線を向ける先、そこには何故か対峙するリィンとヴィクターの姿があった。ヴィクターの傍には執事のクラウスが立ち、彼の両手には剣を納めるための縦長の箱が抱えられている。その大きさから言って、ラウラが使用している大剣と同程度の得物が納まっていると見ていい。

 壇上に立つリィンとヴィクターの姿から見て、二人がこれから剣を取り合うのはまず間違いないだろう。剣士が二人壇上へ上がれば、行う事は剣を交えるくらいだ。事実リィンは今からヴィクターと、この場で手合わせを行う事になっている。そう、指南や手解きなどではなく……対等な立場で剣を交える手合わせを。

 

 

「……ラウラ、止めないでくれ」

 

 

「これは私と彼の勝負だ。そなたは下がるがよい」

 

 

「ですが……!」

 

 

 リィンとヴィクターは同時にラウラの姿を視界に捉え、彼女へ引き下がるようにと告げる。しかしラウラの表情は納得していない、尚も食い下がろうとした。

 ラウラが必死に止めようとするのも分かる、何せこれから行うのは指南ではなく手合わせだ。八葉一刀流の初伝の彼と、アルゼイド流の筆頭伝承者でもあるヴィクターとの間には埋められない実力差がある。例え百回、千回、一万回行ったとしても、一度として勝てないほどの明確な実力差が。

 リィンがそれを分からないはずがない、だからラウラも納得出来なかった。今から二人が行おうとしている手合わせは、恐らく手合わせと呼べるようなものではない。一方的な、運が悪ければリィンが大怪我をするかもしれないという可能性が高い非常に危険な行為だ。

 リィンの考えを改めさせるために、更に説得を続けようとするラウラ……そしてそんな時、彼女の後方からグランが声を上げる。

 

 

「ラウラ、それくらいにしておけ。リィンだって馬鹿じゃない、相手と自分の力量差くらい把握しているはずだ」

 

 

「だったら何故グランは止めぬのだ! リィンが負けると分かっていて、それだけならばまだ良い。最悪大怪我をする可能性も──」

 

 

「晩飯の時のリィンと子爵の話を聞いていなかったのか?」

 

 

「っ!? それは……」

 

 

 グランの言葉に、ラウラの声は少しばかり勢いを無くした。彼が話す、夕飯の際に行われたリィンとヴィクターの会話を思い出したのだろう。

 そもそもリィンがヴィクターに手合わせを願ったのは、その夕飯での会話が原因だった。何気ない世間話の最中、ヴィクターが突然リィンの顔を見詰めながら発した言葉に起因する。

 

 

──どうやら、そなたの剣には畏れがあるようだな。その畏れのせいで、そなたは足踏みをしているように見える──

 

 

 リィンを一目見ただけで、ヴィクターは彼が内に秘めている何かを恐れているという事を見抜いた。リィンにはその事が衝撃だったようで、そんな驚く彼へとヴィクターは更に続ける。

 

 

──『剣仙』ユン=カーファイ殿。八葉一刀流を開いたあの御老人には、何度か手合わせを願った事があってな──

 

 

──そうだったんですか……その、失礼ですが勝敗の方はどちらに?──

 

 

──着かなかった。互いの理合が心地良くてな、存分に斬り結んでいるといつも時間が過ぎてしまう──

 

 

 八葉一刀流の開祖、『剣仙』ユン=カーファイ。この人物の実力は、修行で傍にいた事もあってかリィンはよく知っている。そして自分の師匠と互角の実力というヴィクターに指摘された事で、彼の中では一つの決意が生まれた。

 このまま畏れを抱いたまま、足踏みをしていれば現状は何一つとして変わらない。だがもし今、目の前にいる光の剣匠と剣を交える事が出来たなら……何かが掴めるかもしれない。あるいは、畏れで足踏みをしているこの現状を、変える事が出来るかもしれないと。

 

 

──子爵閣下……いえ、光の剣匠殿。どうか自分と、手合わせをしてもらえないでしょうか?──

 

 

 これが、リィンとヴィクターが手合わせを行う事になった経緯である。そしてリィンの何かを決意したような表情を思い出し、ラウラはこれ以上食い下がる事はなかった。そんな彼女へ感謝を述べたあと、リィンは腰に下げる鞘から刀を抜刀する。

 彼の姿を見詰めながら、ヴィクターもクラウスの抱える箱から一本の大剣を取り出した。宝剣ガランシャール……ラウラが言うには、かつて槍の聖女の配下だった鉄騎隊の祖先が使用していたものらしい。そして驚く事に、ヴィクターはそれを軽々と片手持ちで構えた。

 

 

「信じられん……」

 

 

「すご……」

 

 

「スッゴいねー……」

 

 

 ユーシスにフィー、ミリアムからは驚きの声が漏れている。常人なら両手持ちでも扱うのに苦労するはずであろうそれを片腕一本で振るうなど、確かに常識的に考えれば目を疑う光景だ。

 とは言え、グランは以前にラウラが持っていた大剣を片手で振るってみせた事がある。しかしヴィクターの構えからは、彼女に見せたものとは段違いの精練された剣だとグラン自身感じていた。

 

 

「八葉一刀流初伝、リィン=シュバルツァー、参ります」

 

 

「アルゼイド流筆頭伝承者、ヴィクター=S=アルゼイド……参る」

 

 

 両者が名乗りとともに構え、ラウラとエマが心配そうな表情でリィンを見詰める中……立ち合いを引き受けるクラウスの声が場内に響き渡る。

 

 

「始め!」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「……っ……はぁ、はぁ……」

 

 

「何をしている? 勝負はまだ着いていない、()く立ち上がるがよい……それがそなたの本気でない事は分かっている」

 

 

 ──もう何度、リィンは太刀を振るった事だろうか。

 開始数分にも満たない壇上では、床へ倒れているリィンが荒い呼吸で上半身を起こす。目の前に立つ強大な、強大過ぎる存在に一太刀すら届かない現状が、彼にとっては予想以上の出来事だった。

 そんな彼の見上げる先、そこには立ち塞がるように佇むヴィクターが大剣を片手に構えている。彼は開始前から一歩としてその場を動かぬまま、リィンの太刀を悉く躱し、あるいは弾き返した。それでもリィンが何とか届かせようと必死で太刀を振るう中、その隙をついたたった一振りで彼は見せ付ける。どのような奇跡が起きようとも、覆せない絶対的な力量差を。

 

 

「まあ、こうなるわな」

 

 

「だから言ったのだ……」

 

 

 そして二人の戦いと呼べるのかすら疑問に思える一戦を、当然の結果といった様子で見上げるグランとラウラの二人。ラウラは見るに耐えないと瞳を閉じ、エマは苦痛の思いで、ユーシスやミリアムはヴィクターの実力をその目にして驚愕の表情を浮かべている。まるで大人が幼子をあしらうかの如く光景、最早それは手合わせなどと呼べるようなものではなかった。

 勝敗は既に決している、これ以上に戦う意味などありはしない。そう思っても仕方がないほどの現状……そんな中、次に呟いたグランの言葉に気付いたエマは驚きでその目を見開く。

 

 

「リィン、畏れるだけなら今までと同じだぞ。その内に眠る理を外れた力……それを認めない限りは」

 

 

「っ!? グランさん、あなたはリィンさんの力の正体を知って……」

 

 

「似たような力を見た事があってな、と言っても本質だけだが……っと、漸くお出ましか」

 

 

 不意に呟いたグランの言葉に、エマが驚きながら彼へ問う中。グランは彼女を横目で見ながらその答えもそこそこに、事態が進展を迎えた壇上へ再び視線を戻す。ヴィクターが床へ倒れているリィンへ振り下ろした大剣が、空を切って外れたその光景へ。

 リィンが突如として姿を消した事にラウラ達が再び驚きを見せる先。一撃を躱されたヴィクターは、表情を何一つ変える事なく対応して見せる。

 

 

「──甘いな」

 

 

 彼が振り向き様に振るった大剣が、その姿を捉えた。いつの間にか後方に移動していたリィン、その太刀による一閃を見事に弾き返す。更に間髪入れずに訪れる袈裟斬り、逆袈裟の連続。そして更なる袈裟斬りを放ち、納刀してからの抜刀による計五連撃。だがヴィクターはその身に迫る怒涛の太刀の連撃の何れをも躱し、最後は大剣で防ぎきる。リィンは一度間合いを取る事を選択したのか、バックステップを踏んでヴィクターから距離をとった。

 そんな中でも驚くべきは、リィンの風貌が先月の旧校舎の地下の時と同様に変化している点だ。銀色の髪に獰猛さを思わせる赤き瞳、その身体から発せられる赤黒いオーラ。彼の漂わせる雰囲気からは、かつてのリィンの意識は殆ど失われている。

 

 

「……」

 

 

「──そうだ、それでよい。その力は本来、そなたの奥底に眠るもの。それを認めぬ限り、そなたはこれからも足踏みをするだけだ」

 

 

 強引に引きずり出す形となった、リィンの内に眠る力。正気を失った彼が獣のような目で見詰める先、ヴィクターは諭すようにリィンへ向けて語りかける。彼にその言葉が届いているかどうかは分からないが、今はそれほど重要な事でもないだろう。寧ろ重要なのは、観戦するメンバーの内グラン以外が……正確にはグランとエマを除くメンバーが初めて、リィンの抱えるものを知ったという事である。

 

 

「これが、リィンが恐れていたという……」

 

 

「人が変わったみたい」

 

 

「……」

 

 

「ふえ~……」

 

 

 ラウラとフィーは驚き、ユーシスは言葉を失い、ミリアムは興味津々といった様子でそれぞれ視線を向けている。流石に、今まで見たことが無い未知の力を前に困惑を隠せないようだ。

 これまでと違い互角の打ち合いを見せ始めたリィンを見て、各々が驚きや困惑を見せる傍。それほど驚いた様子のないエマと、壇上で再開された戦いを興味深く見詰めるグランが会話を続ける。

 

 

「あの力は、私達でもよく分かっていないものです。ただ、今のリィンさんがあれを限界まで解放してしまうと、命に関わる事くらいは……」

 

 

「その辺はオレ達が抑えてやればいい、その為の仲間だしな。それに……委員長は、リィンを導くためにここへ来たんだろ?」

 

 

「っ!?」

 

 

「心配しなくても、目的まで詮索するつもりはない。だって委員長は、リィンを無闇に危険にさらすような事はしないだろうからな」

 

 

「グランさん……はい、それだけは必ず約束します」

 

 

 周りの皆が壇上へ視線を向ける中で、グランとエマは互いに顔を合わせて笑みをこぼす。ただ第三者が二人の話を聞いても、何の事を話しているのかは分かるはずもなく。二人が微笑み合う横で、その姿に気付いたフィーは訳が分からず首を傾げていた。

 そしてリィンとヴィクターの戦いも、いよいよ佳境に差し掛かる。変貌したリィンはこれまでほぼ互角の打ち合いを見せている、光の剣匠に対して一歩も引かないその姿は先のリィンとは比べ物にならなかった。しかし、互角に見えるその打ち合いは……どうやらそうではないようだ。

 

 

「フフ、中々やる……だが、そろそろ終わりにしよう」

 

 

「……!?」

 

 

 突然ヴィクターの纏う雰囲気が変容を見せた。理性を失っているリィンだが、その異常性には感づいたらしい。勝負を急いだか、太刀をその手でなぞると焔を纏わせ、ヴィクターへと瞬時に詰め寄った。そして直後に繰り出された焔の斬撃は、その身を焼き付くさんとばかりに彼へ向かって襲い掛かる。

 しかし、その焔を纏う斬撃がヴィクターを捉える事はなかった。太刀を振り下ろしたリィンは彼の姿が消えた事に驚きを見せ、同時に僅かにその動きが止まる。そしてそれは、この戦いにおいて致命的な隙となった。

 

 

「奥義──洸凰剣」

 

 

 背後から聞こえてきた声を最後に、理性を失っているリィンの意識は途切れた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「リィン!」

 

 

「リィンさん!」

 

 

 ラウラとエマが悲痛な声を上げ、太刀を支えに辛うじて身を起こしているリィンへと駆け寄った。その姿は既に普段のリィンへと戻っており、ヴィクターの一撃をまともに受けたのが余程効いたのだろう。声を出すことすら儘ならないといった様子である。

 驚きで言葉を失っていたユーシスとミリアムにフィー、少し遅れてグランがリィンの傍へと近付く中。身を案じるようにリィンの肩へ手を置いているラウラは、クラウスの持つ箱へ大剣を納めるヴィクターの後ろ姿へと声を上げる。

 

 

「父上、やり過ぎです!」

 

 

「……大丈夫、ちゃんと手加減してくれた……」

 

 

 自身の父親へ向けて声を荒げるラウラへ、息絶え絶えのリィンが声を掛けながらその顔を徐々に上げる。そして彼は少しずつ呼吸を整えながら、ヴィクターの後ろ姿をその瞳に映した。

 

 

「……参りました。光の剣匠の絶技、しかと確かめさせて頂きました」

 

 

「フフ……どうやら、分かったようだな」

 

 

 振り返ったヴィクターは、どこか清々しさを感じるリィンの顔を見て笑みをこぼしていた。伝えたかった事がしっかりと彼へ伝わった、そんな安堵の表情を浮かべている。

 先程の戦いとは打って変わって穏やかな笑みを浮かべる彼は、床に膝を着いているリィンの傍へ歩み寄り、ゆっくりとその腰を落として目線を合わせた。

 

 

「力は所詮、力。扱いこなさなければ意味はなく、ただ空しいだけのもの──だが、あるものを否定するのもまた、欺瞞でしかない」

 

 

「はい……天然自然、師の教えが漸く胸に落ちた心地です。ですが、これで一層迷ってしまう気もします」

 

 

「……それでよい。先ずは畏れと共に立ち上がり、足を踏み出すがよい……迷ってこそ人、立ち止まるより遥かに良いだろう」

 

 

 ヴィクターは目の前のリィンへ手を差し伸べ、リィンもその手を取るとゆっくりその場を立ち上がった。贈られたその言葉を胸に、今のリィンは迷いこそあれど、畏れで立ち止まっているような事はない。恐れながらも、少しずつ前に踏み出していく決意がその表情からは読み取れた。

 心配を掛けてしまったラウラとエマ、ユーシスやフィー、ミリアムに囲まれてリィンが笑顔を浮かべている傍。彼らの輪に入り損ねたグランは、ヴィクターの横へ近付いて苦笑を漏らしていた。

 

 

「不甲斐ない兄弟子が世話になりました」

 

 

「気にする事はない。だが……そなたが傍にいながら、彼が足踏みをしたままというのは少し引っ掛かる」

 

 

「一応オレは弟弟子ですから、リィンにもプライドがあります……ただ個人的な意見を言わせてもらえば、十六そこら生きただけの人間が、誰かを諭そうってのはお門違いだと思いまして。子供を導くのは大人の役目ですよ」

 

 

「そうか……そなたがそう思っているのなら、私からは何も言わないでおこう」

 

 

 笑みを一つこぼし、ヴィクターはグランへ向けていたその瞳を閉じる。グランもリィン達の傍に向かおうと、輪の中へ入るべくその足を踏み出した。

 そしてその時だった。ふとグランは踏み出していた足を止めると、背後で瞳を伏せているヴィクターへ向けて、振り向き様に口を開く。

 

 

「そうだ、オレからも一つお願いがあるんです……明日の朝、ここでオレと一戦交えてもらえませんか?」




思ったより長引きましたが、漸く次回にグランと光の剣匠による一戦が始まりそうです。一体どうなる!……まあ、勝てないのは分かってるんですけどね。(白目)

グランがもう少し厚かましい性格だったり、説教系ならリィンももっと早くに自分と向き合えていたという……ごめんねリィン、文句はグランに言って!


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可能性の証明

 

 

 

 レグラムの町中は静まり返り、殆どの家屋から灯りが消えて住民達が眠りについた頃。アルゼイド邸の一室、女子達が寝室に使用している部屋の中ではグランが一人ベッドの上で体を起こしていた。同室している他のメンバーは皆規則的な呼吸で寝息を立て、彼以外に目を覚ましている者はいないようだ。そしてそんなグランが部屋の中を見渡す先、離れた場所には横並びに設置されたベッドが四つほど見える。

 実はグランのベッドは部屋の入り口側の隅に設置されており、女子達が眠っているベッドはこれでもかと言うほどに彼と距離を取っていた。と言ってもそもそも女子達と同室している現状が間違っている訳で、除け者にされたような配置ではあるがグランを擁護するという事はあり得ない。まあ、それでも多少可哀想な気もするが。

 

 

──いいですか? もし半径五アージュ以内に入ったら即テラス行きですよ?──

 

 

「半径五アージュってもうベッドから降りた時点でほとんど動けないんだが……そこまで警戒しなくてもいいだろ」

 

 

 就寝前にエマから告げられた言葉を思い出し、グランは肩を落して彼女達が寝ているベッドへと視線を移す。彼の口振りだと何もしないと言っているように感じるが、その実心の中では気付かれないように忍び寄るのもありかと考えているから救いようがない。

 そしてもう少し時間が経過してから寝顔を覗き込みに行こうかと、グランが最低な結論へ至っていたその時である。女子達が就寝しているベッドの内、右端の一つだけが布団越しにもぞもぞと動いた。

 

 

「そういや忘れてた──フィーすけ、起きてるな」

 

 

「……ん」

 

 

 グランがそのベッドへ向けて声を上げると、どうやら起きていたようで、名前を呼ばれたフィーは体を起こして頷いて見せた。彼女はベッドから脱け出すと、音を立てないように注意しながらグランの傍へと近寄る。

 フィーが傍へ寄って来る姿を見ながら、グランは足横の布団を軽く叩いて座るようにと促す。そして彼女がベッドに腰を下ろした事を確認して、グランが溜め息を一つこぼしてから話を切り出す。

 

 

「昨日の夜、サラさんとオレの会話を盗み聞きしたらしいな」

 

 

「……ごめん」

 

 

「謝らなくていい、落ち度があったのはオレの方だからな……それで、フィーすけは一緒に行きたいのか?」

 

 

「え……?」

 

 

 少し困ったように話すグランの言葉に、フィーは呆気にとられていた。何故なら、昨晩の話を盗み聞きした事、サラにクロスベルへ行きたいと無理に懇願した事を怒られると思っていたからだ。しかし彼が告げた言葉は叱咤ではなく、クロスベルへ同行したいのかという確認。

 そしてその声のトーンは穏やかで、頷けばクロスベル行きを了承してくれるのではないかと思うほど優しげなもの。ダメで元々、フィーは上目遣いで口を開いた。

 

 

「行っても……いいの?」

 

 

「ああ。サラさんは五月蝿いかもしれないが、オレが何とか説得してやる……どうせ、守る対象が増えるだけだ」

 

 

「……」

 

 

 守る対象が増えるだけ。その言葉は、要人警護の任務において失敗がない彼だからこそ口に出来るものだった。護衛対象が一人増えれば、それだけ任務に必要とする能力は必然的に上がる。そしてグランが護衛任務を遂行する際に自身に課している決め事は、護衛対象に優先順位を付けず、全てを護り抜くという信念。彼が言い切るのなら、赤い星座が滞在し、テロリストが襲撃してくる可能性の高いクロスベルでもフィーが怪我を負うような事態は起こらないだろう。グランの傍にいる限り、彼女の安全は保証される。

 だが、同行を認めてもらえたにもかかわらず、フィーの表情は冴えなかった。

 

 

「……私も、手伝う」

 

 

 そう、“護られる”という事が彼女には気に食わなかった。思い起こせば、フィーは西風の旅団にいた頃も、この学院に来てからもグランに守られてばかり。彼の隣で、彼と対等な立場で物事に取り掛かった事は一度として無かった。グランが西風時代に赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)と対峙した時も、学院に来てから特別実習で壁にぶつかった時も、少なからずグランは彼女の数歩前……もしかしたらもっと先を進んでいた。

 だがそれも仕方のない事である。何故ならば、彼女にはまだそれだけの力が無い。

 

 

「バカ言うなっての、自分と相手の実力差が分からないお前じゃないだろ。猫が虎に勝てる要素は一つも無い」

 

 

「もしかして……シャーリィ=オルランドの事?」

 

 

「そうだ。今だから話しておくが、オレが西風を脱けた本当の理由……それはな。シャーリィがお前に興味を持ったからだ」

 

 

「っ!?」

 

 

 告げられた真実は、フィーを驚かすには充分すぎるものだった。以前グランと二人でクロスベルに行った時、彼から聞かされた理由とは全く違うその言葉に。

 グランが西風の旅団を辞めたのは、彼に父親を倒す力が無かったからではない。彼女に、フィーに力が無かったから。当時十三才という若さで赤い星座の主戦力として功績を上げていたグランの実の双子の妹……シャーリィ=オルランドに、フィーが勝てる要素が無かった。それこそが、当時グランが西風の旅団を脱退した理由。

 

 

「オレがクソ親父とやり合う前日、シャーリィのバカがオレを探して西風の陣地へ入った事があったろ」

 

 

「うん……少し驚いたけど」

 

 

 猟兵という人種は基本的に、たとえ敵対する存在であっても戦場以外では事を構えない。殺し合った翌日に、酒場で顔を合わせればその事を酒の肴に盛り上がる事もしばしば。常識的に考えれば異常とも言える思考だが、それが猟兵である。

 そのため、当時フィーも西風の面々も陣地に侵入したシャーリィを警戒こそすれど、事は構えなかった。グランは余り乗り気では無かったようだが、歓迎とはいかないまでも、彼女がグランの昔の話をして西風のメンバーは盛り上がっていたらしい。

 そして中でも重要なのは、その会話の最後にシャーリィがグランへ話した事だった。

 

 

「その時、オレがお前の面倒を見ているのを丁度シャーリィが見たらしくてな。追い払うのも可哀想だから話してやったら、懐かしい話のあとに飛んでもない事をぬかしやがった。実力こそ下だが、フィーすけと戦いたいと……それも、単なる殺し合いをしたいってな」

 

 

「それって……」

 

 

「そのままの意味だ、あのバカに手加減の文字は無い。終いには……フィーすけが消えたら団に戻ってくれるのかとか聞いてきやがった」

 

 

「っ……そう、だったんだ」

 

 

 グランの声からは僅かに怒りを感じ、そんな彼の言葉を受けながらフィーは気落ちした様子で俯く。話を聞けば聞くほど、自身へと襲い掛かる無力さと責任に。

 そもそも彼女が責任を感じる事はない。グランが西風の旅団を脱けたのは、少なくとも彼の弱さという部分も理由にある。フィーを守りきる自信が無い、そういったグラン自身の力が足りなかった事も彼が団を脱けた理由の一つだ。しかし、グランは敢えてそれを口にしない。

 

 

「今回のクロスベル行きにフィーすけが同行したいって言うのならオレは何も言わない。だけどな……戦場の中で“何もしない勇気”が、フィーすけにはあるか?」

 

 

「っ!? それは……」

 

 

 止めとばかりにグランはフィーへ向けて問う。昨晩の話を聞いていた上で、グランが現地で父親と戦いになった際に彼女自身が耐えられるのかと。負ければグランは即赤い星座へ戻り、離れ離れになる決定的な瞬間を目にする覚悟はあるかと。

 戦場において手を出さない、普通に考えればそれは勇気ではなくただの臆病者だ。戦いを恐れ、敗北を恐れ、痛みに怯える。弱者の思考のそれである。

 しかし、この場においての意味合いは違う。少なくとも、フィーには猟兵時代に培った実力と経験がある。ARCUSの戦術リンクも組み合わせれば、ほんの少しの手助けにはなるかもしれない。万に一つの可能性として、力になれるかもしれないという要素が今の彼女にはある。だからこそ、グランは敢えて“勇気”という言い方をした。

 そして同時に、グランの問いは彼が父親に勝てる要素があるのかという意味と同期する。

 

 

「ごめん……無いかも」

 

 

「だろうな。オレが言うのも何だが、一人で勝てるか微妙なところだ。良くいって痛み分け、どちらかと言うと負ける可能性の方が高い」

 

 

 フィーは首を横へ振り、グランもまた苦笑を漏らしつつ彼女の答えに頷いた。それはそうであろう、そもそもフィーがグランの勝利を信じているのなら同行するなど言い出さない。更に現状でグランが父親のシグムント=オルランドに勝てる確率は、彼曰く良くて二割という絶望的な数字である。そのような返事を聞いてフィーが安心できるはずもない。今ではレグラムへ来る以前よりも、彼女の表情は落ち込んでいるように見える程だ。

 そして、だからこそグランはフィーを安心させるべく、ある一つの選択をした。

 

 

「と言う訳でだ……フィーすけ、朝六時に下の練武場に来い」

 

 

「どうして?」

 

 

 ふと、グランが唐突に話したそれにフィーは首を傾げた。何故そんな朝早くに起きなければ……それも練武場に来いという訳の分からない内容に彼女が理解できるはずもない。何が、と言う訳なのか察しろというのが無理な話である。

 そしてそんな風にフィーが戸惑っている中、グランは彼女の顔を見ながらニヤリと笑みを浮かべて告げる。

 

 

「現状でオレが示せる可能性……それをフィーすけに見せてやる」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 夜が明けて、昇り途中の朝日が射し込むレグラム。今日は霧も出ておらず、エベル湖の水面が淡い光に照らされてキラキラと輝きを放っていた。更に湖に浮かぶローエングリン城がより一層神秘的な雰囲気を漂わせ、まさに聖女の住んだ城に相応しい風景である。

 導力時計は朝の六時を示し、真夏とは思えない涼しい気候の中。現在、アルゼイド流の練武場内では試合を行う壇上の上にて二人の人物が対峙している。二本の刀を腰に携えたグランと、大剣を片手に握ったヴィクターの二人だ。先程壇上に上がった二人は、互いに向かい合って今の今までその瞳を伏せている。

 そして、それぞれが極限まで集中を高めてから同時に目を開いた直後。グランは壇上を見上げてくるフィーを視界の端に捉えながら、苦笑を浮かべつつ口を開く。

 

 

「朝早くから迷惑かけます。実習中のアイツに見せてやれるのは、朝くらいしか無いもんで」

 

 

「気にする事はない。そなたの申し出を聞いて、年甲斐もなく昨夜は中々眠りにつけなくてな」

 

 

「そりゃまたお若い精神をお持ちで」

 

 

 苦笑いをしながらグランが声を向ける先、対峙するヴィクターは笑みをこぼしつつ彼の声に答えた。戦う前の他愛もない会話に、二人してどこか楽しげである。

 そして二人が今から手合わせを行うという事は、同時に立ち合いを引き受けてくれる者が必要となる。その役目は、グランとヴィクターが視線を向けた場所……二人の間に立つ執事のクラウスが任されていた。

 

 

「クラウスにも、この様な明け方から世話をかける」

 

 

「悪いな、じいさん」

 

 

「いえいえ、とんでもございません。稀代の天才と称されるかの紅の剣聖と、光の剣匠の手合わせ……この目で生にて拝見できるとは、長生きもしてみるものですな」

 

 

 二人からの礼を前に、クラウスは口髭を軽く触りながら笑顔で返す。これから行われる試合は、どちらも一つの剣術を極めた者同士。その年齢こそ二回り以上離れてはいるが、剣の道に生きる人間にとってはこれ程興味深いものはないだろう。

 片や武の頂点を極めた者が至る理にも通ずるとされる、八葉一刀流を修めし剣聖。片や帝国最高の剣士と謡われる、アルゼイド流筆頭伝承者でもある光の剣匠。クラウスの言葉も、恐らくは世辞などではなく本心で言っているのだろう。

 

 

──紅の剣聖とお館様の手合わせ……もしかして俺達かなり運がいいんじゃないか?──

 

 

──ああ。紅の剣聖か……どれ程の実力か、拝見させてもらおう──

 

 

 壇上でグラン達が会話を行う中、練武場内には次々とアルゼイド流の門弟達が集まっていた。朝早くにこの場へ訪れたという事は、皆熱心な努力家なのだろう。手にしている得物こそ様々だが、これから始まる試合はきっと彼らにも良い刺激を与えるはずだ。

 話も程々に、時間も押しているためそろそろ始めようとグランは腰に下げている刀を抜いた。抜刀された刀身は綺麗な白銀の色を放ち、彼はヴィクターへ向ける視線に鋭さを増しながらその刃を顔横に構える。

 そして対峙するヴィクターもまた、右手に握る大剣……リィンとの手合わせの際にも使用していた宝剣、ガランシャールを両手持ちに切り替え、同じく顔の高さに構えた。

 

 

「開幕から全力で行かせてもらう、くれぐれも手を抜く事のないようにな」

 

 

「……当然だ。そなたの方こそ、噂に違わぬ実力を期待するとしよう」

 

 

「言ってくれる」

 

 

 互いに試合前の最後の言葉を交わし終え、同時に練武場内の空間全てを支配するかの如くその身から膨大な闘気を発現させた。グランの身は紅き闘気に包まれ、ヴィクターの身は青き闘気が纏いを見せる。壇上を見上げるフィーや、門弟達。立ち合いをするクラウスですら目を見開く程の強烈な威圧感に、皆の視線が離れる事はない。

 そして、クラウスは額に滲む汗を一つ拭い、足を数歩後ろへ下げた。

 

 

「八葉一刀流弐ノ型奥義皆伝、グランハルト=オルランド……参る」

 

 

「アルゼイド流筆頭伝承者、ヴィクター=S=アルゼイド……参る」

 

 

「──始め!」

 

 

 開始直後。二人の姿が消えた途端、剣戟と共に強烈な衝撃波が場内を揺らした。彼らは直ぐに壇上の中央に姿を現したかと思えば、互いに剣を激しく交差させてせめぎ合っている。同時に剣を弾いて再び交差、幾度と繰り返される衝突の度に剣戟の音と衝撃波が周囲を襲う。

 そして攻撃の手は止むことを知らない。数撃の打ち合いの後、グランはヴィクターの剣を半身の姿勢で間一髪回避すると逆袈裟を放つ。空間を裂くその一振りはしかしヴィクターも同様に寸前で躱して見せ、反撃とばかりに地を穿つ程の神速の袈裟斬り。だがグランも尚躱す、手を緩めずに背後へ回り込んでの横一閃。しかしそれでもヴィクターは見切った。

 彼は振り向き様に一閃を受け止めて見せ、再度場内では轟音が空間を揺らす。

 

 

「チッ、技量はそちらが上か……!」

 

 

「こちらは初手から数歩後れをとった、速度では劣るようだ……!」

 

 

 互いに双方の実力を把握し、更に刀と大剣は激突を繰り返す。グランはヴィクターを上回る速さを生かし、時折大剣の軌道を読みながら寸前で躱して回り込む。それでもヴィクターは全方位を視界に捉えているかの如く、あらゆる死角からの一閃を受け止めた。

 双方一歩も引けを取らない刀と大剣の応酬、絶妙な駆け引きを混えながらの斬り合い。場内が揺れる中、二人は姿を消しては現れ剣戟を奏で続ける。そして何度目かも分からない背後からのグランによる一閃をヴィクターが受け止めた瞬間、両者とも互いの得物を弾いて後方へと跳躍した。

 二人は同時に得物を構え直し、視線を通わせる。

 

 

「これはクソ親父と同格か……この男に勝てれば証明は果たせる」

 

 

「八葉一刀流の持つ独特の理合の深さと玄妙さ……なるほど確かに、ユン=カーファイ殿から伝え聞く通りのようだ。そなたの剣、そして理合……実に心地が良い」

 

 

「この状況で楽しんでやがる……いよいよオレも人間辞めないと勝てないらしいな」

 

 

「フフ……そなたも既に、充分人の域からは外れている」

 

 

 グランもヴィクターも、互いに人の域を超えている事は間違いない。でなければ剣を交差させただけで地面が揺れたり、衝撃波が発生して壁が一部破損したりするわけがないだろう。これでも二人は周囲に与える被害を最小限に抑えながら戦っているのだから信じられない。

 立ち合いをするクラウス、何が起きているのか殆ど見えないがそれでも真剣な眼差しで壇上を見上げるフィーや門弟達。そんな皆の視線を一身に受けながら、グランとヴィクターは再び剣を顔横に構えると腰を僅かに落とす。

 

 

「さて……第二幕の開演だ」

 

 

「存分にお相手いたそう」

 

 

 その言葉を皮切りに、両者は再度姿を消した。




始まりました、紅の剣聖vs光の剣匠……はい、早くも練武場の一部が壊れました(白目)

建物が全壊したら? 修理は? 大丈夫、気が付いたらきっと直ってるよ(適当)


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一撃に見出だした答えは

 

 

 

「な、なんだ!?」

 

 

「一体何が起きている……?」

 

 

 現在朝六時過ぎ。突如聞こえ始めた轟音と地響きに、リィンとユーシスは驚きでベッドから体を起こす。思いもよらない目覚ましに、二人の表情は何が起きているのか分からず戸惑っている様子だ。

 二人は急いで就寝用の服から制服へ着替え、現状を確かめるために部屋を飛び出した。そして同様に隣の部屋も扉が開き、そこからは同じように慌てた様子のラウラとエマが姿を現す。

 

 

「そなた達も起きたようだな」

 

 

「おはようございます」

 

 

「ああ、おはよう。それより……」

 

 

「この轟音と地鳴り……今どういった状況なのか、お前達は知っているのか?」

 

 

 軽く挨拶を交わしてからの現状確認。ユーシスの問いに、しかしラウラとエマは首を横に振った。やはり、二人も現状がどうなっているのかは知らないようである。

 そして状況を確かめ合う会話の中で、リィンはふと疑問を抱いた。そう、ラウラとエマを除いた他のメンバー……フィーとミリアム、彼女達と同室しているはずのグランを含めた三人の姿が見当たらない事に。リィンは再び問う。

 

 

「他の三人は?」

 

 

「グランとフィーの姿は先程から見当たらない」

 

 

「テラスの方にもいませんでした。それとミリアムちゃんなんですが、まだ起きなくて……」

 

 

「フン、この状況で呑気なガキだ」

 

 

 この異常事態ですら目を覚ましていないというミリアムにユーシスが呆れつつ、四人は見当たらないグランとフィーを探すべく屋敷の一階へ降りる。一階を見渡し、彼らの視界に映ったのはホウキを手に慌てた様子のメイドだった。彼女の様子を見るに現在何が起きているかは分かっていないかもしれないが、せめてグランとフィーの姿を見たかどうかの確認を取るべく駆け寄る。

 

 

「プラナ、グランとフィーを見なかったか?」

 

 

「ラ、ラウラお嬢様! 今この町で一体何が……!?」

 

 

「一先ず落ち着いて聞いてほしい。取り敢えず、グランとフィーを……私達と実習に来ていた、赤髪の男と銀髪の少女を見なかったか?」

 

 

「えっと、その方達でしたら確か……先程お館様とクラウス様のお二人とご一緒に、練武場へ行くと……」

 

 

 プラナから話を聞き、まさかと声を上げたラウラは一人その場を駆け出して屋敷を飛び出す。リィン達はそんな彼女の様子に戸惑いつつ、その姿を追ってアルゼイド家をあとにした。

 屋敷の前の階段を下り、一同は右手に建つ練武場へ駆け寄る。轟音と地響きの発生源は間違いなくこの場所だと、ラウラが扉を勢いよく開いた。

 

 

「これは……!?」

 

 

 先頭のラウラはその光景を目の当たりにして、驚愕の表情を浮かべ始める。屋内で繰り広げられていたそれは、四人の想像を遥かに超えるものだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 導力時計の針は現在午前七時半を表す。練武場でのグラン対ヴィクターの一戦は、地鳴りと衝撃波を伴いながら今尚続いていた。アルゼイド流の門下生達が住民へ状況を説明した為か、観戦者の顔触れは開始直後に比べて明らかに増えている。因みにこのままでは練武場が保たないと判断した門下生の数名により、速やかな補強が行われたのは余談だ。

 そして未だ激戦を繰り広げているグランとヴィクターもまた、壇上へ向けられる視線の数が増えた事は肌で感じていた。互いの剣を弾き、或いは受け流し、時には回避に徹しながら。壇上から消えては姿を現すといった異常なまでの速度を保ちつつ、やがて両者は距離を取って一度その動きを止める。

 

 

「ったく、客が増えてきたな……闘いにくいったらありゃしない」

 

 

「なるほど……周囲への被害を考えながら立ち回っているあたり、そなたにはまだまだ余力が見える」

 

 

「そう言うアンタも無理に受け流しながら力を逃がしてるだろ……大分余裕なんじゃないのか?」

 

 

「フフ……否定はしないでおこう」

 

 

 周囲の視線を確認した後、一度鞘へ刀を納めたグランは僅かに不機嫌そうに漏らし、彼の様子にヴィクターは苦笑を浮かべながら剣を構え直した。そして言葉を交えて直後、両者は前へ踏み込んで再度互いの距離を詰める。

 近距離に達したその瞬間、ヴィクターは目の前のグランへ大剣を振り下ろす。目にも止まらぬ速さとはこの事か。強烈な風圧を伴うその一撃は、しかしグランが僅かに半身の姿勢を取り、開始して何度目か分からない回避に成功する。反撃とばかりに神速の抜刀も、その一閃は下からの打ち上げによって不発。押し返された直後、再び訪れた横凪ぎの一振りは間一髪刀で防ぎ切る。

 

 

「やはり通らぬか……!」

 

 

「分かりきってんだろ……ッ!」

 

 

 力任せに大剣を弾き、後方に下がったヴィクターへグランは接近すると共にその姿を消した。ヴィクターは僅かに目を見開くも、直ぐ様半回転して後方から来た死角の袈裟斬りを受け止める。その際の衝撃で発生した強風は両者の髪を揺らし、地鳴りを伴って練武場内へと響き渡った。

 回り込んでも悉く防がれる刀の一撃、しかしそれでグランの攻撃の手が止まる事はあり得ない。防いだ大剣を無理矢理押し返し、尚も回り込んで空いた身体へ横一閃に振り抜く。だが彼と同時に振り向いていたヴィクターによる大剣の一振りが、僅かに速度を上回ってグランの姿を捉えた。

 

 

「ッ!?」

 

 

 そして剣が触れたその瞬間。グランの姿は掻き消え、ヴィクターの大剣は空を斬る。それでも動揺は一瞬、またしても後方から感じた気配を察知して彼は振り向き様に大剣を正面で構えた。直後に訪れた剣戟と衝撃波は、分け身を使用して尚グランが刀を防がれた事実を意味する。

 

 

「背中に目でも付いてんのかよ……!」

 

 

「今のは流石に肝を冷やした……東方に伝わる武術、やはりそなたの剣は八葉一刀流だけではないようだな?」

 

 

「察しの通りだ。八葉に泰斗、東方に伝わる氣の運用から暗殺術に至るまで。こうまでしないと……いや、これでもまだ目的は果たせない──ッ!」

 

 

 顔横に刀を構えた瞬間、グランはまたしてもその姿を壇上から消す。しかし速度はこれまでの比ではないらしい、ヴィクターの表情が明らかに険しさを増した事が何よりの証拠だった。

 紅の残像は不規則に彼の周囲へ現れ、誰一人その姿を正確に捉える事は出来ていない。しかしそんな中、驚く事にヴィクターは数秒程辺りを窺うように視線を動かした後、その瞳をゆっくりと伏せる。

 

 

「────ッ!」

 

 

 閉じていたその瞳が見開いた途端、まるで剣舞を舞うかのようにヴィクターは周囲へ大剣を無造作に振りかざし始めた。時折右に左に後ろに前に、ステップを踏んでは身体をそらし、尚剣舞は止まらない。

 一見ただ一人で動いているように見える彼の動作。しかしそれは、ただヴィクターが意味もなく行っている訳ではない。そしてその根拠は、彼が剣を振る度に周囲へ響き渡る剣戟の音が何より物語っていた。

 

 

「見事なまでの体術の応用と剣技、その若さでこれ程に至ったのはまさに天武の才と言えよう……だが──」

 

 

 空を裂き、再度光速の刀を弾いたヴィクターは剣は顔の高さに構えて上を見上げる。彼の見詰める先……そこには確かに、周囲を閃光の如く移動していた筈のグランが驚きながら刀を振り上げる姿があった。

 

 

「──閃紅烈波ッ!」

 

 

「甘い──ッ!」

 

 

 上空から訪れた閃光の強襲、しかしヴィクターはそれを見事に弾き返した。対して空中へ打ち上げられたグランは明らかな隙、だが尚射程外に逃れようと彼は無理矢理身体を捻って距離を取ろうとする。

 グランが直後に放った滞空中からの刀による一閃、それに伴う風圧を利用した空中移動──しかし、それでも彼から逃れる事は出来なかった。

 

 

「逃しはせぬ──ッ!」

 

 

「なっ!?」

 

 

 突如ヴィクターを中心として発現した青の闘気、その渦は逃れようとした彼を強引に引き寄せた。完全に判断を見誤ったと、グランはその表情に悔しさを滲ませながら来るであろう一撃に備える。

 グランの姿が射程内に訪れたと同時、ヴィクターは左足を軸に大剣を水平に構えた。

 

 

「はあああああっ!」

 

 

 旋回の動作で放たれた回転斬りは、周囲へ剣圧に伴う風を巻き起こしながら引き寄せたグランを前方へ吹き飛ばす。剣戟の音を奏でる強烈な一振りは、それでも辛うじて刀で受け流したらしくグランは壇上で踏み止まった。

 持ち堪えたかに見えたその光景は、しかし更なる追撃を与える要因でしかない。

 

 

「──奥義、洸凰剣!」

 

 

 グランへ向けられて振り下ろされたその一撃は、光を放ちながら周囲の空間を染め上げる。黄金の羽根が舞う光景は夢か幻か──だが、ヴィクターが放ったその剣技がグランの膝を地に着かせたのは紛れもない事実だった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「やっぱり、今のグランでも勝てないんだね……」

 

 

 ヴィクターの絶技、それを正面から受けて刀を支えに何とか倒れる事を逃れたグラン。そして、そんな痛々しい姿の彼を見上げるフィーはその表情に陰りを見せながら呟いた。今の光景を視界に収めたくないと、現実から逃げるかのように彼女はその瞳を閉じる。

 現状で彼が示せる可能性……それは、赤の戦鬼と同格の実力だとグラン自身が口にしていた光の剣匠を、結局は彼が超える事が出来ないという厳しい現実だった。当人にとってもフィーにとっても辛いその事実は、安心してグランをクロスベルへ送り出すという彼女の願いを否定している。

 もう終わり、決着が着いた以上先に待ち受けるものは何一つ変わらない。グランの敗北という目の前の光景から、フィーはクロスベルで起こりうる未来を想像して顔を歪めていた。

 いつの間にか彼女の隣に移動していたラウラやエマ、リィンにユーシスも、眼前で着いた勝負以上にフィーの顔を見て表情を曇らせる。周囲に立つ門下生達や住民が驚きや歓声を上げるが、彼らの耳には何一つ入らない。練武場の一部に広がり始めた何とも言えない光景……しかし、重い空気を漂わせているその空間を直後に破る者がいた。

 

 

「はあはあ……まだだ、まだ終わっていない……ッ!」

 

 

 フラフラと、刀の支えを外して覚束ない足のまま立ち上がるグラン。風貌こそ弱々しく見えるが、その瞳からは素人であろうと分かる程に確かな意志が感じられた。この状況下でも、グランはまだ勝ちへの可能性を諦めていないらしい。

 彼と対峙するヴィクターはその姿に驚きを見せるが、グランが諦めていないと見るや否や大剣を再び顔横に構えた。しかし、その場に響いたのは応援ではなく……抗う姿を見せるグランへ向けた悲痛な声。

 

 

「もういい! もういいから! グランは光の剣匠相手でもこれだけ戦える、二時間近くも凌げる実力を……立ち回れる可能性を見せてくれたから! だからもういい!」

 

 

「フィー……」

 

 

「フィーちゃん……」

 

 

 初めてフィーが露にした剥き出しの感情に、隣に立つラウラとエマは驚きで彼女を見詰めていた。普段は眠たそうな顔ばかり。滅多にやる気を出す事もなく、感情すら余り表に出さない印象があるからこそ、その意外性にリィンやユーシスですら驚いている。

 フィーは必死に言葉を紡いでいるが、それが彼女の本心なはずがない。グランが父親には勝てないと理解させられた現状で、彼女が納得している訳がないだろう。しかし、それでもフィーにはこの戦いを止めたい理由があった。

 

 

「三年前もそうだった! グランはボロボロの身体で赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)に立ち向かって、落とし所も着けずに丸一日も戦い続けて結局勝てなくて。勝てないって分かってたのに、最後に刀を折られるまで必死に抵抗して……! 勝てなくていいから、負けたって誰も責めないから、無事に帰ってきてくれたらそれだけでいいから……だから何処にも行かないで……!」

 

 

 これまで抑えていた感情の全てが決壊した。顔を振り、瞳に浮かんだ涙をこぼしてフィーは叫び続ける。もう三年前のような事は繰り返したくない、グランの心が折れる前に繋ぎ止めたい、彼と離れたくないと。父親と決着なんか着けなくてもいい、勝てなくてもいい、無事に帰ってくれればそれ以外は何も望まない。悲痛なまでの彼女の声には、流石に歓声を上げていた者達の声も止んでいた。

 涙を流し続けるフィーは、その顔を下へ向けて必死に涙を抑えようと唇を噛み締める。しかし、そんな中でふと耳に入った声にフィーは再び顔を上げた。

 

 

「──良いわけあるかよ」

 

 

「えっ……」

 

 

「勝てなくていい? 勝った方が良いに決まってるだろ。誰も責めない? 周りが責めなくてもオレ自身が責めるんだよ。無事に帰ればいい? 例えクロスベルから無事に戻っても、クソ親父と対等か超えない限り、オレは一生クオンを守れなかった過去を引きずったままだ」

 

 

「だったらどうしたら……!」

 

 

「言っただろ? フィーすけに、オレが今現在示す事の出来る可能性を見せてやるって。そうしないと、お前は安心して学院で待ってくれないだろうからな」

 

 

 不思議な事に、壇上に立つグランは笑みをこぼしていた。その表情が意外で、フィーは涙を浮かべたまま顔を驚きに染めている。彼を正面から見据えているヴィクターも、その表情から何かを感じ取ったのか警戒するように身構えた。

 グランはフィーへ向けていた視線を対峙するヴィクターへ戻すと、その視線を今まで以上に鋭くさせて両手持ちの刀を顔横に構える。

 

 

「歯ァ食いしばれよ光の剣匠。大切な妹を納得させる為の、守るための今現在オレが出せる最高の一撃だ」

 

 

「良いだろう、心行くまで存分にお相手いたそう……!」

 

 

「オオオオオオオ──ッ!」

 

 

 空間を揺らすは戦鬼の叫び(オーガクライ)。その瞬間、これまでの比ではない紅の闘気が場を完全に支配する。グランはその身を蜃気楼の如く揺らめかせ、周囲へ凶悪なまでの威圧感を漂わせていた。立つ者は皆一様に、重りを付けられたかのように体が自由に動かない。

 そしてグランと対峙するヴィクターもまた例外ではなかった。目を見開いて空間を支配する異常に驚きつつ、一瞬の閃きと同時に闘気を最大にまで解放する。その青き闘気は、場を支配する紅の闘気に唯一の抗いを見せていた。

 

 

「見切れるか! 万端を断つ終焉の太刀、視認の敵わぬ閃紅の刃を──ッ!」

 

 

「これは……!?」

 

 

 ヴィクターはその表情を驚愕に染め、直ぐに姿を捉えるべくグランへ詰め寄る。しかし捉えたと思われたその大剣は手応えもなく、グランの姿が掻き消えると共に空を斬った。

 だが先も似たような状況にて、ヴィクターは確かにグランの追撃の数々を凌いだ上で更に上回っている。もし同じ事を繰り返しているのであれば、グランの刀は防がれるだろう。

 しかし、グラン自身が最高の一撃だと言い放ったそれは……確かに彼の予想を上回っていた。

 

 

「(姿が見えない。いや、だが彼の異常なまでの速度だけが原因ではないようだ……っ!?)──なるほど。完全にのまれてしまったらしい……その若さでこれ程の意志を見せるとは、全く先の楽しみな少年だ」

 

 

 この場に働いている現象のカラクリに気付き、ヴィクターは感嘆の声を漏らしながら先と同様に瞳を閉じる。五感の殆どをシャットダウンし、ただ己の力と経験を信じた心眼による見極めを選ぶ。

 異様なまでに静まり返った空間は、グランが移動しているような空を切る音も、彼の気配すらも完全に消え失せていた。張り詰めた空気の中、これから起こるであろう一幕に全ての者の注目が集まる。

 

 

──見ておけフィーすけ。これが、現時点でオレが示せる可能性の全てだ──

 

 

「来るか──!」

 

 

「絶技──紅皇剣!」

 

 

 ヴィクターの後方、彼に光の如く速度で接近するグランの姿が現れる。認識していなかった筈のその姿に、しかしヴィクターはまたしても反応して見せた。反転して大剣を振り抜き、彼の後方には刀を振り下ろしたグランが立っている。

 遅れて鳴り響くは剣戟の音、それは今までのどれよりも澄んだ音だった。心地の良い音を感じながら、両者の姿に皆の視線が集まる。

 

 

「──くっ!?」

 

 

「グラン!?」

 

 

 片膝を着いたのは虚しくもグランだった。刀こそ支えにしていないが、気配を完全に絶って尚捉えられた事に悔しげな表情を浮かべつつ呼吸を荒げている。そんな彼を悲痛な顔でフィーは見上げ、彼女の周りからもラウラ達の残念そうな声が漏れていた。

 しかし、彼女達の落胆も束の間。

 

 

「どうやら、完全には捉えきれなかったようだ……っ!?」

 

 

 ヴィクターも遅れて片膝を着いた。門下生や住民達はその光景に驚き、悲痛な表情を浮かべていたフィーは俯きかけたその顔を上げる。グランとヴィクターが背を向けながら、互いに膝を着くその現状に段々と彼女も理解が追い付いていく。

 グランの太刀は、彼の渾身の一振りは確かに光の剣匠に届いていた。グランが最終目標に掲げる赤の戦鬼に、彼が立ち向かえる可能性が今確かに証明されたのだ。膝を着いた二人がゆっくりと立ち上がる中、たまらずにフィーはグランへ向かって駆け出した。

 

 

「グランっ!」

 

 

「っと、痛ててて……どうだ、しっかり見てたか?」

 

 

「うん! グランの刀が光の剣匠に届くとこ、バッチリ見てたよ!」

 

 

「そりゃあ良かった。これで見逃してたら、また一戦頼まないといけなかったからな」

 

 

 胸に飛び込んできたフィーを苦笑を漏らしながら受け止め、直ぐに笑顔を浮かべると嬉しそうな彼女の頭を優しく撫でる。現状で彼が示せる可能性が確かに証明できたのだ、フィーだけでなくグランとしても嬉しいことこの上ないだろう。

 グランがフィーの頭を撫で続ける傍、遅れてラウラ達も彼の元へと駆け寄った。

 

 

「父上が膝を着くところなど初めて見た……本当に、そなたは遠い所まで行っているのだな」

 

 

「なに、最後のアレは初見殺しだ……次は無いだろうよ」

 

 

「それでもですよ。グランさん、本当にお疲れ様でした」

 

 

「はは、とんでもない勝負を拝見させてもらったよ」

 

 

「非常に興味深い一戦だった……一応礼は言っておこう」

 

 

「おうおう、凄いだろ?」

 

 

 ラウラ達から激励の言葉を受け、調子に乗ったグランはどうだと言わんばかりに胸を張る。これが無ければ本当に素晴らしい光景なのだが、それもご愛嬌というものだろう。調子に乗るなと苦言を呈しつつ、皆は笑顔を浮かべてグランを取り囲んでいた。

 そしてそんな彼らを微笑ましく眺めていたヴィクターは、傍へ歩み寄ってきたクラウスの姿を視界に映す。彼に顔を向けて直後、その手に持っていた大剣を用意している箱へと納めた。

 

 

「最後の一撃は素晴らしき内容でしたな。私は反応すら出来ませんでしたが、氣を放出しての場の支配でしたか」

 

 

「恐らくはな。相手を自身の闘気で飲み込み、場を完全に支配しての気配遮断だろう。互いが観衆という制限下でなければ、痛み分けに持ち込めたのかも怪しい程だ。分け身という東方の技も含めて、どれも齢十六で身に付けられるような熟練度ではない。一体どれ程険しい道程を歩んできたのか……」

 

 

 皆に囲まれて笑顔のグランを見詰めながら、ヴィクターは穏やかな表情で話していた。グランがこれまでどのような道を歩んできたのかを想像して、しかし結論には至らずに瞳を伏せる。そんなヴィクターの様子にクラウスも笑みをこぼしながら、同じくその瞳を伏せた。

 そしてまた何かやらかしたのか、顔を真っ赤に染めたエマがグランへ声を上げる最中。瞳を伏せていたヴィクターはふと、思い出したとその瞳を開く。

 

 

「そう言えば、かつてユン=カーファイ殿が言っていたな。『堕ちる運命を辿りながらも、自らの意志で至る道へと繋げた興味深い少年がいる』と。もしや、彼の事かもしれぬな」

 

 

「なるほど……確かに彼の印象には当てはまりますな。内に抱える怒りと悲しみ、それらを受け止めて尚進み続ける意志が先の一戦で垣間見えました。本当に、末恐ろしい少年ですな」

 

 

「フフ……全くだ」

 

 

 二人が互いに漏らすその笑みは、将来が楽しみな人材を見つけた事による嬉しさか、はたまた新たな強者と巡り会えた喜びか。それは、当人達にしか知り得ない事である。




なんか釈然としない終わり方になってしまったかもしれません。結局勝敗なのですが、一応引き分けになります。あくまで現状は、パパンと同格のヴィクターにグランの一撃が届くという可能性を証明する事が重要だったので。今回の戦いが終わり、今グランとシグムントが戦ってグランが勝てる確率は三割くらいでしょうか。つまり七割はパパが有利なわけで……うん、勝てる気しないね(白目)

フィーに若干のキャラ崩壊が……あんまり感情を激しく表す子じゃないし、これはタグをつけた方が良いのかな?


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行き違い

 

 

 

「聞いたぞ? 昨晩光の剣匠に手合わせを願ったんだってな。大したもんだ」

 

 

「はは……とても勝負と言えるようなものじゃ無かったです」

 

 

「なに、光の剣匠と手合わせをしようと思えただけで凄い事さ。サラも化け物じみた強さだが、子爵閣下はそれの上をいくからなぁ」

 

 

 レグラムには平穏が戻り、町の人々が朝食を取り終えた午前八時過ぎ。町中の遊撃士協会レグラム支部の中では、昨晩の一件を早くも耳にしたトヴァルがリィンとその事を話題に上げる様子が見えた。内容を思い返して苦笑を漏らすリィンへ向けて、トヴァルは笑顔で彼を褒め称える。その決意がどれ程勇気のいるものだったのか。ヴィクターの実力をよく知るトヴァルはそれを理解し、だからこそお世辞などではなく本心で言っているのだろう。リィンがその言葉に苦笑いを続ける傍、グランを含むⅦ組メンバーは彼の姿に笑みをこぼしている。

 

 そして、リィンへ笑顔を向けていたトヴァルは直後に呆れた表情を浮かべ、彼の隣に立つグランへとその視線を移した。

 

 

「それと……隣のおたくは朝からとんでもない騒ぎを起こしてくれたな。内戦でも始まったのかとヒヤヒヤしたぜ」

 

 

「知るか、あれでも互いに弁えてた方だ。あのレベルと本気でやり合えば、練武場くらいは軽く吹き飛ぶ」

 

 

「へいへい、そいつは殊勝な事で」

 

 

 瞳を伏せて当然のように話すグランに対し、トヴァルは彼の発言に頭が痛いと一人溜め息を吐いていた。リィン達もグランの言葉に若干困った様子で、本当にやりかねないと心の中で呟いている。しかし、この中でミリアムだけは観戦出来ていない為、終始不機嫌な様子だった。

 眠気も覚めやまぬ早朝にレグラムを襲った地鳴り、何も知らない住民からしたらいい迷惑である。トヴァルも例に漏れず、心地の良い微睡みの中から突然追い出された被害者の一人。愚痴の一つや二つ言いたいだろうが、オレは悪くないと言わんばかりの彼の表情に大人の態度で返すあたり出来た人物だ。

 ただ、遊撃士として活動する上で、一定水準の武術を身に付けたトヴァルも先の対戦に魅せられた事は否定できず。

 

 

「まあ、貴重な対戦(カード)を見れた事は確かだな。その年で光の剣匠と互角の立ち回りが出来たんだ。お前さんも……“目標”を越える日はそう遠くないんじゃないか?」

 

 

「誰が“目標”だ、誰が。あの男は排除対象でしかない」

 

 

「……」

 

 

 からかうように話すトヴァルの声に、どこか苛立ちを漂わせながら応えるグランの後方。彼の後ろ姿を見詰めているラウラの表情は、余り優れたものではなかった。事情を知っているフィーは無言で彼女を横目に映しているが、他の皆は状況を飲み込めず首を傾げている。

 明日、グランが向かう予定のクロスベルの地で、彼の宿敵でもある父親が待ち受けている事をラウラはまだ知らない。知っていたならばフィー同様止めたかもしれないし、或いは同行を申し出た可能性もあるだろう。だからこそ、ラウラがその事実を知らない現状は幸運と言うべきか。

 

 

──しかし、彼女の答えは否だ。

 

 

「ラウラ」

 

 

「……? どうしたのだフィー?」

 

 

「あとで話したい事がある」

 

 

 少なくとも、ラウラの親友であるフィーはそれを良しとしなかった。グランの心情も鑑みるべきではあるが、それでもフィーはラウラに伝える事を選んだ。グランを止めるために己を磨き続ける彼女には、知る権利があると考えたのだろう。

 そして、フィーの真剣な表情にラウラは僅かに戸惑うも、直ぐに笑みをこぼすと彼女の声に頷いてみせるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 トヴァルから実習の課題が記された紙を受け取り、リィン達はレグラム支部をあとにした。残ったグランは昨日同様にトヴァルと二人黙々と事務仕事を続け、一つ、また一つと書類を片付けていく。たまに訪れる来客の対応を行いながら、時間は刻々と過ぎていった。

 筆を置いた二人がふと壁に立て掛けた導力時計へ目を向けると、時刻は既に十一時を回っている。そしてあともう一仕事終わらせて昼食を取ろうと彼らが話していた矢先、突然外の様子が騒がしさを増した。

 

 

「何かあったのか?」

 

 

「さあ? 一先ず様子を見てみるか」

 

 

 互いに首を傾げながら顔を合わせた後、外の様子が気になった二人はギルドの建物から外へと出る。直後に辺りを見渡すと、住民の姿の中に混じった何人かの兵士達の顔触れ。白と紫の色を基調としたその軍服は、西のラマール州を統轄するカイエン公配下の領邦軍が着用するものだ。

 不意にグランが町の波止場へ視線を移すと、一隻の水上船が停泊していた。

 

 

「どうやら結構な大物が来たらしいな」

 

 

「ああ……ラマール州の領邦軍か、こりゃあまさか──」

 

 

 トヴァルが何か言いかけた折り、二人が視線を向ける水上船からは此度レグラムへ訪れた来客が姿を現した。護衛と思しきサングラスを着用した二人の男を引き連れ、橙色の長髪を棚引かせる高貴な身なりのその男は、間違いなく大貴族の一人。

 そして、トヴァルとグランもまた男の名を知っていた。その顔を驚きに染めながらトヴァルが口を開く。

 

 

「マジでカイエン公じゃないか……おいおい、直々にアルゼイド子爵の所へ出向いたってのか?」

 

 

「光の剣匠に釘でも差しに来たんだろ。こりゃあ貴族派もそろそろ本格的に動きを見せてくるか──っ!」

 

 

 四大名門の筆頭、西のラマール州を統轄するカイエン公の登場に対してそれぞれ反応を示す中、グランがふと視界に映った二人の護衛の姿に驚きを見せた。その様子を見て隣で首を傾げ始めるトヴァルを残し、グランは町中へ足を踏み入れた三人の元へと徐々に近付いていく。

 カイエン公爵を先頭に、護衛の男達と周囲を領邦軍の兵士が進んでいく正面。彼らの目の前に姿を現したグランは、その行く手を阻んだ。

 

 

「ん? 私に何か用事でもあるのかね? 生憎急いでいる身だ、そこを通していただきたい」

 

 

「いや、あんたに興味はない。用があるのはその二人だ──久し振りだな、ゼノ。それにレオニダス」

 

 

 訝しげな表情のカイエン公爵を余所に、グランが笑みを浮かべて向けた視線の先。片や痩せた体型の男、片や筋骨隆々とした体躯の男という対照的な姿の護衛が二人その表情を驚きに染めている。しかしそれも一瞬の内、次には懐かしむような顔へと変化していた。

 痩せた体格の男──ゼノは、特徴的な言葉遣いでグランの傍へと歩み寄った。

 

 

「何や、我らが元副団長やないか。久し振りやなぁー、元気しとったか?」

 

 

「お陰さまでな……レオニダスも相変わらずの無愛想な面だ」

 

 

「ははっ、言われとるで」

 

 

「久しいな、グラン……三年振りか」

 

 

 巨体の男──レオニダスも加わり、グランとゼノの三人で仲良さげに会話を行う中。一人取り残されていたカイエン公爵はグランの事が気になったのか、二人へ彼についての説明を求めた。

 別段名乗る気はないとグランが言い放ち、カイエン公爵が僅かに不服そうな表情を浮かべた隣。レオニダスが仲裁を取る形で、グランについての情報を口にする。

 

 

「『紅の剣聖グランハルト』……閣下もその呼び名に聞き覚えはあるでしょう?」

 

 

「!? なるほど、貴公がかの稀代の天才と称される……思わぬ収穫があったようだ」 

 

 

 グランの素性を知り、カイエン公爵の表情は怪しんでいた様子から直ぐに企んでいるような笑みへと変化した。彼は不意に右手を差し出し、今度は逆に訝しげな視線を向け始めたグランに握手を求める。

 しかしグランは一切手を出す気配がない。そしてそれが分かや否や、カイエン公爵は苦笑を漏らしながらその手を引いた。

 

 

「此度はギリアス=オズボーン宰相の護衛として通商会議へ赴くと聞いた。帝国人民の一人として、礼を言わせてもらおう」

 

 

「よく言う、テロリストの手を借りてまで葬ろうって奴が。内戦の準備は出来てんのか?」

 

 

「何の事だね、と言いたいところだが……どうやら魔女殿の話す通り、君を敵に回すと少々厄介なようだ。鉄血宰相の護衛を終えた後は手が空いているのだろう?」

 

 

「だったら何だってんだ?」

 

 

「帝国を有るべき姿に戻す為、君にも協力してもらいたい。無論、それなりの報酬は用意させてもらう……どうかね?」

 

 

 突如カイエン公爵が提案した貴族派への加入。詳しくは協力という形の雇用になるが、これにはグランも僅かに疑問を抱く。何故なら、カイエン公爵が提案したそれは貴族派にとってはある種の賭けだ。

 現状のグランは革新派の筆頭とされるオズボーン宰相の護衛任務を請け負い、これまでの彼の行動を客観的に見ても革新派に協力していると捉える事が出来る。にもかかわらず、カイエン公爵は敵の息がかかっている可能性のあるグランを手の内に加えようと考えた。革新派と貴族派が水面下で対立を激化させている今、敵の戦力を削ごうという話なら理解できなくもないが、流石にリスクが高過ぎる。

 そして、そんなグランの考察に気付いたか。カイエン公爵は愉快に笑みをこぼすと続けた。

 

 

「ふふ、君が訝しむのも当然だろう。いや、実は貴公と昔から親しい関係にあるという魔女殿のお力も借りていてね。彼女曰く、『グランハルトは私に逆らえない』との事だ。その言葉を信用しているまでの話だよ」

 

 

「っ……取り敢えずは保留だ。その時の状況による」

 

 

「ふむ……まあいいだろう。報酬は充分な額を用意しておこう、君の賢しい判断を期待している」

 

 

 グランへ忠告を終えると、カイエン公爵は後ろに立つゼノとレオニダスを引き連れて彼の前を通り過ぎる。満足げな表情を浮かべているカイエン公爵を見るに、彼の中ではグランが手の内に加わる事が確定的なのだろう。魔女殿と呼ぶ人物がどういった関わりなのかは不明だが、少なくともその人物の言葉を信用しているあたり、そこそこの信頼関係は築いているらしい。

 そして三人があとにする姿を無言で見詰めていたグランは、ふと思い出したように旧友の二人へ声をかけた。

 

 

「そうだ、二人とも。フィーすけもここに来てるんだが、どうするんだ? 顔くらい見ていってやったらとは思うが」

 

 

「!? フィーがこの地へ……」

 

 

「なんや話が違うやないか……そうやグラン。ワイらがここにおる間、フィーのやつが気付かんようにちょいと上手い事してくれへんか?」

 

 

「……」

 

 

 フィーの名前を聞いて僅かに目を見開いた二人はその動揺も直ぐに抑えると、直後にばつの悪そうな様子でゼノがグランに向けて声をあげる。彼の頼みに思うところがあるのか、グランは暫く無言で佇んでいたが、結局はその言葉に応えると決めたらしく頷いてみせた。二人は彼へ礼を述べると、カイエン公爵の護衛に戻るべくその場をあとにする。

 一人町中へ残されたグランも同じく、離れた場所から様子を窺っているトヴァルの元へ戻ろうと歩き出した。

 

 

「まあ、オレがあいつらの事を言えた義理じゃない、か……」

 

 

 グランが浮かべた笑みはどこか自嘲気味で、僅かな悲しみの感情を思わせるものだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 突然のカイエン公爵の来訪。そして町中を我が物顔で歩く領邦軍の兵士達に、住民達も動揺や不満を隠せない様子。彼らの独立独歩の気風もあって、いつ喧嘩が始まるやもしれない状況が生まれるのも時間の問題と思われた。しかしレグラムの住民達は弁えていたらしく、口々に不満を漏らしながらも何とか堪えているようだ。

 町中は僅かにざわめきを増し、実習課題を終えてエベル街道から戻ってきたリィン達もその様子に気付く。まるで、自分達の領地の如く歩き回るラマール州の領邦軍。ユーシスはその様子を眺め、他人の土地で取る行動ではないと非難し、眉間にシワを寄せている。それは、自身の実家がクロイツェン州を統轄しているという現状から出た発言か。或いは、級友の父が治めている場所で礼節を弁えない彼らを見て、ラウラの気持ちを慮ったものから出た言葉か。

 町中へ降りた一同は、事態を把握するべく住民達に事の説明を求めようと行動を起こす。そして住民の一人に話を聞こうとしたその折、リィン達は突然後方から訪れる声によって呼び止められた。

 

 

「よ、課題の方は順調か?」

 

 

「グラン。丁度良かった、この騒ぎは一体──」

 

 

「ラマール州から水上船が来たみたいでな。来客はなんと、カイエン公爵だ」

 

 

「トヴァル殿……それは本当か?」

 

 

 リィン達を呼び止めたのは、グランとトヴァルの二人だった。リィンの疑問にはトヴァルが答え、カイエン公爵の訪れを知ったラウラやその他メンバーも驚きを見せている。このような辺境の地へ、四大名門の筆頭とされるカイエン公爵自らが訪れた……光の剣匠の名が知れ渡っているとは言え、やはりその来訪には皆も驚きを隠せないようだ。

 カイエン公爵にどのような思惑があっての来訪なのか。その疑問を抱くのは当然の事で、直後にリィンが口にした確かめようという提案にA班のメンバーは勿論だと頷いて見せた。そして早速アルゼイド家へ向かおうとしたその時、そう言えば一つ伝えておきたい事があるとリィンがトヴァルへ向けて話す。

 

 

「実は、討伐依頼にあった魔獣で気になる事があったんです。何だか、機械で出来たような感じの魔獣で……」

 

 

「そいつは……了解した、こっちで確認しておこう。お前さんもついて来てくれるとありがたい」

 

 

「別にいいが……そうだ。フィーすけ、その魔獣の所まで案内頼めるか?」

 

 

「結構分かりやすい場所だよ? 別に案内いらないと思うけど」

 

 

「いいから案内しろ」

 

 

 グランはフィーの腕を掴むと、有無を言わさず彼女を傍へと引き寄せる。半ば強引な形で案内役を引き受ける事になったフィーは、少し不機嫌そうな顔をしていた。今からリィン達が確認に向かう中に自分も当然同行するものだと思っていたようで、恐らくはカイエン公爵の顔でも拝んでおきたかったのだろう。結局、グランとトヴァルはフィーの案内の元エベル街道へ。残りのリィン達実習メンバーは先の提案通り、状況の確認をするべくアルゼイド子爵家へ向かう事となった。

 そしてこの時、グランがフィーを無理矢理案内役へ選んだ事が、意図的な行き違いを生んでいるとフィー自身が気付くのは数ヶ月先の事である。

 

 

 




最初はグランが普通に西風組と会話をして、そのあとリィン達がアルゼイド子爵家へ向かう流れで進めていたんですけど……フィーがこっちの班にいたの忘れてた(汗

今フィーをゼノ達と引き合わせたら、彼女の頭の中が大変な事になりそうだったのでこのような形に。グランの判断は正解なのだろうか……



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グランの居場所

 

 

 

 レグラムからバリアハート方面へと通じるエベル街道。晴天の下、昨日とは変わって霧も薄く、周囲の見通しは良好だった。魔獣の類いは相も変わらず所々で出会すグラン達だったが、彼らの戦力で苦労などあるはずもなく。途中からはグラン達三人を見掛けた魔獣達が逃げていくという構図が目立っていた。

 舗道を外れ、フィーの案内によって街道外れにある高台へと三人は訪れた。薄い霧を運ぶ涼風は髪を棚引かせ、夏真っ盛りとは思えない心地良い冷ややかな感覚を三人の頬へ与える。しかして彼らの視界には現在、そんな自然の産物とはかけ離れた光景が広がっていた。

 

 

「おーお、こりゃあまた派手に壊したな」

 

 

「大体ラウラのせい」

 

 

「お、おっかねぇな、最近の士官学院生ってのは……」

 

 

 見るも無惨に破壊された機械人形の残骸。胴体は変形し、肢体に該当する部分は切断されてバラバラになっていた。愉快そうに笑うグランの隣、フィーは他人事のように話しているが、トヴァルからしてみれば全くもって笑えない状況である。

 戦術オーブメントの恩恵を受けた複数人が戦ったとは言え、リィン達は皆一応学生の域だ。勿論学院の中でも彼らは強者の部類に入りはするものの、機械人形とはそもそも学生であるリィン達には過ぎた相手だろう。結果的には、リィン達の実力でも十分対処できる範囲だったのだが。

 ではそれほどの危険性を有する機械人形。出現理由は不明、魔獣の類いで無ければ製作者も不明、そしてその意図も不明。誰が何故どうして製作し、この地へ放ったのかという疑問点が残る。

 しかし、実はここにいる三人の内、二人はその理由に気付いていた。

 

 

「まず奴らの差し金で間違いないと思うが……お前さんはどう思う? こいつのデータ採取が目的なのか、或いはこのタイミングだと陽動って線の方が固いが……」

 

 

「さてな。ただまあ、性能テストって割には見掛けた事のある型式(タイプ)だ。状況的に見ても陽動の可能性は高い。確かめてみない事には断言出来ないが……結構デカイ事を仕出かそうって魂胆か」

 

 

「奴らって?」

 

 

「フィーすけは知らんでいい。いや……いずれは関わる事になるか」

 

 

 顎に手を当てて考察する二人の傍。話に置いていかれているフィーの問いに対し、考える素振りを見せた後にグランが答える。二人が話していた可能性、それを裏で密かに進めているという存在について。

 その名は、『身喰らう蛇』。遊撃士や七耀教会からは結社と呼ばれている、一つの組織だった。

 

 

盟主(マスター)を筆頭に、七人の使徒と、その下にいる執行者で主に構成されている組織だ。これまでずっと裏で暗躍していたんだが、実力も保有する技術レベルも、現状では最高クラスだろうな」

 

 

「おっと、意外な形で情報得られそうだが……遊撃士の前でそんな話してもいいのか?」

 

 

「フィーすけに説明してやるだけだ。第一アンタ程の人脈なら、今から話す事くらいは知ってるだろうからあんまり期待しない方がいい」

 

 

 話に割り込んだトヴァルへ牽制を入れつつ、グランは少し戸惑った様子の彼を置いてフィーへの説明を再開した。結社、身喰らう蛇の概要についてだ。

 曰く、この組織はとある目的を掲げて過去から今現在も暗躍を続けているという。盟主の悲願を果たす為に、使徒がそれぞれ計画を遂行していき、執行者がその手伝いを行う立場にある。しかし執行者自体は盟主によってあらゆる自由が約束されているため、必ずしも計画を手伝わなければいけないという訳では無いらしいが。

 

 

「まず盟主ってのが厄介でな。姿形も不明、おまけにとんでもない能力まであるときた」

 

 

「ふーん……それって?」

 

 

「いや、これは確証が無いからいい。次に使徒と執行者についてだが、俺が知ってる中でまともなのは片手で数えるくらいしかいなくてな。各々実力は飛び抜けて高いが、性格は頭のイカれた連中から騎士道精神を重んじる奴まで様々だ。出来れば金輪際関わりたくない変人の巣窟だよ」

 

 

「ははっ、そりゃあ言えてるな」

 

 

「……?」

 

 

「それとこれだけは覚えておくといい。結社の連中と出会したら、まず確実に退路を見出だしておけ」

 

 

 そして最後に付け加えられた忠告。グランが念を押すという事が、それだけ彼が結社の人間達の戦闘力を高く評価しているのだと感じてフィーは頷く。関わらないのがベストではあるが、グランの言い様ではこの先彼女が結社の人間と相対する可能性がある事を示唆している。素直に聞くに越した事はないだろう。

 しかし、ここでフィーはふと疑問に思う。話を聞くに、結社とは表舞台に顔を出す事の無い素性の知れない組織だ。いくらグランが猟兵として情報を得ているとしても、何故ここまで詳しいのかと。

 

 

「何だ、他に聞いておきたい事でもあるのか?」

 

 

「……ううん、何でもない」

 

 

 だが、グランの声にフィーは首を横に振る。彼女がその疑問を問う事は無かった。グランはその様子に少し気にした素振りを見せるが、それ以上続ける事はなく。

 フィーが聞かなかったのは、その疑問を信じたくなかったからだ。彼女の抱いたその疑問がもし本当なのだとしたら、この先、本当の意味で彼と敵対する事になるかもしれないと、フィーの勘が告げていたからである。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 突然の訪れ。カイエン公爵によるアルゼイド家への訪問は、レグラムの領民に激震を走らせると共に、決して小さくない警戒心を彼らに生む事となった。連れ立った領邦軍の態度も一つの原因だが、最も大きな要因として、カイエン公爵自らがアルゼイド子爵に対し、貴族派への所属に応じるよう脅し混じりに伝えたからである。その事を話し伝えに聞いた領民達が、町の入口から街道へ走り始める導力リムジンへ揃って厳しい視線を送っていたのはつい先程までの事だ。

 カイエン公爵一行がレグラムの地をあとにし、平穏な空気が戻った町中の奥。アルゼイド家の屋敷内にある書斎にて、椅子に腰を下ろしたヴィクターは眼前で立ち並ぶリィン達へ視線を移し、その表情に悩ましげな様子を見せていた。

 

 

「父上……やはり、カイエン公爵は貴族派への勧誘をしに……」

 

 

「ああ。貴族ならば貴族派に属せと言うのが、あちらの言い分なのだろう。噂では、あまり気乗りしない貴族達も強引に引き入れていると聞く」

 

 

 ラウラの不安げな顔を前に、ヴィクターは噂で聞いた貴族派の強引な手段を口にして表情に陰りを見せる。直後にヴィクターがどのような考えなのかとラウラは問い掛けるが、勿論応じるつもりはないという返答に彼女は安堵の表情を浮かべた。独立独歩で知られるアルゼイド家が、そうそう貴族派への所属に応じる事はないだろう。

 しかし、それはあくまでもヴィクターのように強固な精神と意志を持った人間だから出せる答えである。普通の片田舎を領地にする貴族達が、それだけの力や意志を持ち合わせているのは極めて稀だ。大抵は権力という大きな力に飲まれ、自らの意志とは反対に従わざるを得ない状況に陥ってしまう。そしてだからこそ、メンバーの中でもその片田舎の貴族に該当するリィンは不安そうな素振りを見せていた。

 

 

「……その、俺の実家については何か聞いていたりしませんか?」

 

 

「そなたの実家……ユミルの領主、シュバルツァー家の事か。なに、彼ならば心配は要らないだろう。シュバルツァー卿と言えば、私以上の頑固者だ。貴族派の声に動じるような事はあるまい」

 

 

「そうですか……少し、安心しました」

 

 

「……いや、待てよ。ならばまだ手の打ちようがあるか」

 

 

「……父上?」

 

 

 リィンと交わす会話の中で、何かを思い付いた様子のヴィクターは突如として席を立つ。ラウラが声を掛ける先、他の者達の視線も一斉に彼へと向けられる。

 そしてヴィクターが直後に口にした言葉に、彼の傍で佇むクラウスとラウラを除いたメンバーは僅かに驚きを見せた。

 

 

「クラウス、また暫く屋敷を空ける事になる。留守を頼む」

 

 

「かしこまりました」

 

 

 即断即決、それがヴィクターの信条なのだろう。どうやら彼はこれから各地の中立派の貴族達と連携を取り、繋がりを強くする事でその者達が貴族派の波に飲まれないようにという魂胆らしい。急な話だが、いつもの事だからとラウラは父親の行動に慣れた様子で、クラウスもにこやかな表情を崩していない。

 そして、領地の事をクラウスへ任し、行動に移るためヴィクターが書斎をあとにしようとしたその時。突然部屋の扉が開かれる。

 

 

「その話、俺も乗らせてもらえませんか」

 

 

「トヴァルさん?」

 

 

 エマが首を傾げる先、扉の向こう側で話を聞いていた様子のトヴァルが現れる。エベル街道での確認は終えたようで、その姿に部屋の中の皆も視線を移し、書斎へ入ってくるトヴァル、彼の後ろを続くグランとフィーの姿に気付く。

 

 

「グランとフィーもお帰りー!」

 

 

「ええい、ひっつくな! ……その様子だと、無事確認は終わったようだな」

 

 

 話ばかりで退屈だった事の反動か、ユーシスの横にくっついていたミリアムはグラン達へ元気の有り余る声を向けていた。ユーシスは鬱陶しそうに彼女を剥がしにかかりながら、同じく二人を迎え入れる。その様子に周囲も若干苦笑気味だ。

 一方グランは軽く手を上げてその声に応えると、何やら悪態をついていた。

 

 

「ったく、片付けまでやる羽目になるとは思わんかったけどな」

 

 

「グランが片付けたのって、確か金属片一つだけだったと思うけど」

 

 

「それは片付けを行ったとは言わないのでは……」

 

 

 やれやれと首を振るグランの傍でフィーが捕捉を入れ、若干呆れた様子のラウラが突っ込みを入れつつ、場の話題は先程の内容に戻る。ヴィクターの話を聞いていたトヴァルが、同行を申し出た件についてだ。

 トヴァルは早速エベル街道で出現した魔獣の事についてヴィクターへ報告し、機械仕掛けの魔獣の出現は二年前の反攻作戦以来かとよく分からない内容に発展。最終的にヴィクターはトヴァルの同行申し出を受ける事となる。リィン達はその会話に半おいてけぼり状態で、今一彼らの話を理解していないがそこは仕方がないだろう。寧ろこの場において、二人の会話を理解している彼がおかしいわけで。

 

 

「態々こんな場所までガラクタを寄越したんだ、対象が遊撃士だった二年前よりも荒れる可能性は十分にある。まあ、頑張るこった」

 

 

「はは、お前さんが素直に情報寄越してくれさえすれば大分楽にはなるんだがな」

 

 

「彼にも事情があるのだろう。今は我らに出来る事をするだけだ」

 

 

「……ありがとうございます、子爵閣下」

 

 

「礼は無用だ。何、我が娘はどうもそなたに興味が尽きぬようだからな。恩を売っておくのも悪くはない……実のところ、そなたの剣をじっくり見る事が出来なかったのは心残りだが」

 

 

「ち、父上!? 昨夜相談した事はそういう意味ではなくて──」

 

 

「見せられるようなモノじゃないですよ」

 

 

「まあよい……皆の事を宜しく頼む」

 

 

 顔を真っ赤に染めて否定するラウラを横目に映しながら手を差し出すヴィクターへ、グランもまた彼女を苦笑気味に眺めながら彼と握手を交わしていた。ヴィクターへ向けたグランのその表情は少し困惑しており、彼の内心での迷いを表している様に見えた。

 実のところ、ヴィクターはグランの事情をある程度知っている。彼の素性、経歴、そしてその目的までも。ラウラが話した訳ではなく、彼女がそれを知る以前から既に。

 しかし、それでもヴィクターはグランへ託したのだ。自身の娘を、彼女が所属するⅦ組の事を。彼ならば任せられると、その目を持ってして間違いないと判断した。二人が今交わしている握手には、それだけの意味がこもっている。

 だからこそグランも迷っていた。この先帝国で起こるであろう事態をこれまで培った洞察力で見抜き、そして自身ではそれに抗う事は出来ないと彼の勘が告げている現在の状況で。ヴィクターの言葉に応える自信が無い、自分ではラウラやリィン達を護りきる事は難しいと。分かっているからこそ、その顔は苦笑を浮かべたまま。

 

 

──それでも。

 

 

「断りたいところですが、オレもこいつらには借りがありますんで。基本的に自分の為にしか行動しませんが、その延長線上でよければ付き合おうと思ってます」

 

 

「そうか……フフ、良い回答が返ってきてなによりだ」

 

 

 帝都のホテルで決意した事が、自身の選んだ選択が彼らの為にもなると信じて。グランはきっとこれから、その為に行動するだろう。

 帝国に所縁があるわけでもなく、この地に思い入れがあるわけでもなく。帝国へ関心の無かった彼がここまで変わったのは、間違いなく士官学院へ入学した事が大きな原因だ。入学式の日に出逢ったトワを初めとする、学院の皆との触れ合い。学院生活や特別実習を通して得た、仲間との絆。そしてなにより──

 

 

「まあ、これでも一応クラスメイトですから」

 

 

 今のグランは紛れもなく、Ⅶ組の一員なのだから。

 

 

 




ヤバい、執筆進まなくて気が付いてたら4ヶ月経ってました……ま、まあエタってないから大丈夫だよね!(どの口が

あれだ、忙しい合間にやってるスマホゲーが悪いんだ。FGOサーヴァントの育成つらすぎ……イベント配布の素材で漸くオルタとリリィの最終再臨終わったよ……そんな時間あったら更新しろですよね、本当ごめんなさい。

こ、これから本気出すし!


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命を賭して

 

 

 

──少々逞しく育てすぎたゆえ、迷惑をかけることもあるかもしれぬが……我が娘の事、これからもよろしく頼む──

 

 

──じゃあなお前さん達、あとの事はよろしく頼んだぜ──

 

 

 所用で外出したヴィクターとトヴァルに郷を任された後、リィン達は遊撃士協会レグラム支部の屋内で書類整理に明け暮れていた。トヴァルが指示した午後からの課題は主に、溜まりに溜まったレグラム支部の書類整理となっている。トヴァルから引き継いでいたグランによる監修の中、各々書類との見つめ合いが続く。飽きっぽい性格のフィーとミリアムの二人に限っては、予想通り途中から投げ出したが。

 ラウラとエマの二人に手伝ってもらいながら、何とか書類仕事をこなしていくフィーとミリアム。そして黙々と作業を進めていく中、フィーはふとラウラの顔に視線を向け、彼女の表情が悩ましげなものになっている事に気付いた。

 

 

「どうかしたの?」

 

 

「あ、いや……実は、実習の途中にそなたから聞いた事について考えていた」

 

 

「グランの事?」

 

 

「ああ。グランがこれから何をしようとしているのか、分かっていながら何も出来ない自分自身に腹が立ってしまってな」

 

 

 表情は苦笑いで誤魔化しているものの、ラウラの両の手が太股の上で握り拳を作っているのがフィーには見えた。何も出来ない事への歯痒さ、苛立ち。フィーはそれをよく知っているからこそ、エベル街道でラウラに本当の事を話してしまった事に対して少し罪悪感を感じてしまう。しかしそこはさすが親友と言うべきか。その感情の変化に気付いたラウラが、気にする事はないとフィーに微笑みかけて彼女も笑顔を戻した。

 実習の課題を進めにエベル街道へ足を運んだ折り、ラウラはフィーからある事を聞いていた。それは、グランがこれまで歩んできた道がどのようなものなのか、彼女が知っている限りの事。現在クロスベルの地にグランの父親であるシグムント=オルランドが滞在している事。恐らくはグランが、通商会議の同行でクロスベルへ向かうこの機に父親と決着をつけようとしている事。そして、シグムントと戦闘を行った場合、グラン曰く現状での勝率は三割あればいいという当の本人も認めている力の差を。

 

 

「そういえば、フィーは確か一度グランが父親と闘っているところを見たと言っていたな? そなたの目から観て、赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)とはグランが太刀打ち出来る相手なのか?」

 

 

「……正直分からない。向こうの実力が三年前と同じなら、グランにも勝ち目はあると思う。でも、そんなわけないし……ラウラのお父さんには聞かなかったの?」

 

 

「見送りの際、駅の中で聞いてはみた。父上が仰るには、赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)が噂通り合理的な人物であるならば或いは、と……」

 

 

「どういう意味なんだろうね。今のグランを軽くあしらうのは赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)でも無理だと思う。何て言ったって光の剣匠相手に立ち回れたんだし。向こうも足元を掬われたら元も子もない事ぐらい分かってるはず。グランは確実に赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)を仕留めにいく……どちらかが倒れない限り、闘いは終わらない」

 

 

 フィーの意見を聞き、やはりラウラは顔を曇らせる。勝ち目の薄い勝負、この際はっきり言ってしまえば単なる潰し合いだ。どちらかが倒れるまで繰り広げられる闘い、この場合倒れるというのは死を意味するもの。どちらに分があるかという話以前に、この大前提がラウラには納得いかなかった。

 そしてふと、ラウラはフィーの言葉に疑問を抱く。彼女は確か、当初グランのクロスベル行きを快く思っていなかった。先の手合わせで納得したとしても、グランの勝ち目がほとんど無いという事を彼女は今も理解している。どういう事なのだろうかと。

 

 

「フィーは、このままグランがクロスベルへ向かう事に対して不満は無いのか?」

 

 

「あるよ。今でもグランのクロスベル行きを快くなんてこれっぽっちも思ってないし、出来れば取り止めてほしいくらい。だけど、証明されちゃったから。私は、グランが負けないって信じてる」

 

 

「グランに勝ち目がほとんど無いと分かっていてもか?」

 

 

「勝率と信じる事とは別問題だよ。それに、勝率が少しでもあるって事は、勝てる可能性もあるって事。猟兵は確実に仕事をこなす為に、確率や効率を最優先に考えるけど……ほら、私はもう猟兵じゃないから」

 

 

「ふふ……そうだったな」

 

 

 自分は何を悩んでいたのだろう、とラウラは笑みをこぼした。目の前にいるこの親友は、過去よりも今を共にいる事を選び、こうして心を開いてくれている。それなのに、今の自分はかつて自身が最も嫌っていた猟兵、その在り方に近づいてしまっていた。無論その考えが間違っているとは彼女自身思ってはいないが、改めて考えると今の自分が滑稽に思えてきたのだろう。

 自分らしく考えよう。グランが闘った場合の勝算など考えるのをやめて、ラウラはどういう風に見切りをつけるべきか改めて思考を巡らした。今の私ならばどうするか、グランに想いを伝えるにはどのようにすれば自分らしいかと。そして、結局はこの結論である。

 

 

「グランと剣を交えよう」

 

 

「ああ、やっぱり」

 

 

「何だその分かっていましたという顔は……考えた末、これが私にとって一番のやり方なのだ。ただ……今回だけは、全力で相手をしてもらわなければ意味がないだろう」

 

 

 少し拗ねたような顔でフィーの声に反応するラウラだったが、その表情はすぐに真剣なものへと変わる。彼女の決意を感じたのか、フィーも僅かにその表情を強張らせた。

 指南に似た手合わせのようなものであれば、ラウラはこれまで学院で幾度となくグランと行ってきた。武術訓練においても、グランの相手を務めるのはラウラやフィーだった。しかしそれは、手合わせと呼べるものではない。

 

 

 そう、これからラウラがグランに願い出るのは、仕合という名の真剣勝負である。それも、命懸けの仕合。

 

 

「ラウラ、それは……」

 

 

「分かっている。恐らくグランはまともに取り合ってくれないだろう。仮に相手をしてくれたとしても、少なくとも私にそれだけの力量が伴っていなければ仕合の意味がない事も。だが……」

 

 

 ラウラは席を立ち、不安げな様子のフィーを見て笑みを浮かべる。自分にはそれだけの自信がある、これまで培ってきたものは確かに力になっていると。今の自分なら、かつて旧校舎の前で軽くあしらわれた時のようには絶対にいかないと。

 

 

「皆と一緒に待っていてほしい。必ず、グランに私の想いを届けてみせよう」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「一応、最終確認をしておくが……本当にいいんだな?」

 

 

「──無論だ。手を抜くような事があれば怒るからな」

 

 

「はいはい、ラウラが納得するぐらいには気合いを入れてやるよ……まあ、お前次第だが」

 

 

 落陽の刻、静まり返った練武場内その壇上にて対峙する剣士が二人。そこには大剣を両手持ちで構える青髪の少女と、刀を腰に下げた気怠そうな紅髪の少年の姿があった。二人の容姿とその声は紛れもなく、ラウラとグランのものに他ならない。

 屋内に二人以外の姿はなく、既にリィン達とは別行動を取っている。アルゼイド流の門下生達の姿が一人も見当たらないのは、大方ラウラが追い出したか、彼らの方が空気を読んでその場をあとにしたか。どちらにせよ、この場においてその辺りの問題はさして重要ではない。問題なのは、何故このような状況になっているのかという事。

 グランをこの場へ連れ出したのは、勿論ラウラである。レグラム支部で書類整理を行う最中、フィーとの会話で決意を固めた彼女は、善は急げと言わんばかりにグランへ声をかけた。

 

 

「ではまず初めに、此度の手合わせを引き受けてくれたそなたに感謝を。そして次に……誠にすまぬ!」

 

 

「いや、何でそこで謝る?」

 

 

「実は、その……そなたがこのあと向かうクロスベルで何があるのか、そなたの事情を含めてフィーに教えてもらったのだ。全て私の我が儘ゆえ、本当にすまぬ」

 

 

「別に謝る必要はない。しかしそうか、なるほど。そこまでフィーすけのやつは心を許して……」

 

 

 理由を口にしたラウラの詫びる姿を視界に収めたグランが、彼女の事を咎める事はなく。そもそも、既にラウラはグランの目的に辿り着いていたし、更にその事をグラン自身も知っていたのだ。勝手に話したフィーに対してならともかくとして、怒りの矛先をラウラへ向けるのは筋が通っていない。

 そして咎めるどころか、ラウラの言葉に対してグランは笑みをこぼしていた。フィーにとってのラウラの存在が、親友と呼べるほどに距離を縮めているという事に。兄のような立場でフィーを見守っていたグランだからこそ、何か心にくるものがあるのだろう。

 頭を上げたラウラはそんなグランの微笑む姿に首を傾げながらも、改めて表情を真剣にし……そして、それはすぐに哀しげなものへと変化した。

 

 

「そなたの目的がそうなってしまった事については、私も分からないわけではない。そなたの父親は、妹は、それだけの事をした」

 

 

「今更同情なんてよせって……ただそれも今では理由の一つに過ぎないがな、あくまで根本ではある。だが、それを分かっていて尚オレの目的を否定するんだろう? その目的こそが、オレがこの道を選び、生きる意味として見出だしたものだと知っても」

 

 

「ああ。それでも私はそなたの目的を良しとはせぬ。父と子が争い、どちらかが命を落とすような悲劇を起こさせるわけには……いや、違うな」

 

 

「ん?」

 

 

「単に止めたいだけなのだ。そなたの為にという偽善じみた理由などではなく、ただそなたにそうあってほしくない、父親を殺めてほしくないという──私の意志(自分勝手)に応える為に!」

 

 

 心の内を全て出し切り、迷いを捨てたラウラは真っ直ぐな瞳をグランへ向けながら大剣を構えた。それがグランの気持ちを無視していると、自分勝手な思いだと理解していて尚、彼女はその答えを選んだ。相手の意見も汲まなければいけない場合もあるが、今回は自分自身を信じることにした。それこそが、ラウラ=S=アルゼイドという人間なのだと。それが、ラウラなりに出した答えと決意。

 そして、啖呵を切った彼女を前に唖然としていたグランは──

 

 

「く……くっははははっ! こりゃあいい、開き直りやがった。テメェの事を勝手だと言い切って尚通すか……変わったな、ラウラ」

 

 

「ふふ……士官学院に来て今日まで、Ⅶ組の皆と実習や様々な出来事を経て変わったのかもしれぬ。何より一番私を変えたのはそなただ。そして散々私を悩ませたのだ、これくらいの我が儘は聞いてもらわなければな」

 

 

「そうかそうか……了解した、そいつは責任問題だ。しかし何だ、この感じはいつ振りか……『紫電』以来かもしれん」

 

 

「……グラン?」

 

 

 ふと、ラウラは気付く。グランの纏う気配の違いに、場の空気が僅かに変容した事に。しかし、それだけならば些細なことだ。これから行うのは真剣勝負、剣聖の域に辿り着いた者との仕合。場の一つや二つ張り詰めたところで、何ら不思議はない。だが、此度ラウラが引っ掛かったその違和感は、少しばかり特殊だった。

 そして、彼を昔から知る者が今の様子を目撃したら、間違いなく口を揃えてこう話すだろう。

 

 

 “スイッチが入った”──と。

 

 

「いい意味で予想を裏切られたぞ。思いの外興が乗ってきた、今回ばかりは素で相手をしてやる。万端を断ち切る閃紅の刃、全身全霊で抗うといい……死ぬなよ、ラウラ」

 

 

「くっ!?」

 

 

 凄まじいまでの闘気、ただ対峙するだけで襲ってくる強烈な威圧感にラウラはたまらず後退った。触れたその瞬間、全てが蒸発しそうなほどの圧倒的な熱量の幻覚をその身に覚える。

 ラウラは今まで傍観者だった。場面は違えど、グランがこれまで向けていた先は、サラやテロリスト達、今朝の事で言えば自身の父親である光の剣匠に対してだ。彼女はこの時初めて戦慄する。これから始まる仕合、その時に訪れるかもしれない死期を感じて。

 

 

「さすがにこちらも予定外だ、特例として制限時間を五分設ける。凌ぎきればそちらの勝ち、敗北は無論死を意味する。いいな?」

 

 

「確認の必要はない」

 

 

「それでいい……久方振りの潰し合い、妥協は一切無しでいかせてもらう!」

 

 

 グランは刀を抜き、脇差の構えで鋭い眼光をラウラへ向ける。だが、その動きに対して彼女は冷や汗が頬をつたい、顎先から滴り落ちるまで微動だにしなかった。余りに予想外の威圧感に体が動かないのか、第三者の目から見ればそう思ってもおかしくはない。

 しかしそうではなかった。ラウラはほんの一瞬瞳を閉じて呼吸を整えると、その表情はすぐさま笑みへと変わる。その顔は畏れではなく、好敵手と対峙した時のそれである。構えた大剣を握る手に力を入れ、自らを鼓舞していた。

 何故ならば。この瞬間、紛れもなくラウラはグランと対等な立場で剣を構える事が出来たのだから。

 

 

「私の全力を持って、そなたの太刀を凌ぎきる!」

 

 

 ラウラの命を賭した告白(闘い)が始まる────

 

 

 




想いを伝える闘いだから告白で合ってますよね? あ、違いますかそうですか。こんなの告白じゃないと……

 年内の更新はこれが最後となります。去年の今頃、来年で完結するといいなと言っていたのがついこの間のように感じる今日この頃……はい、見事に更新滞ってますねごめんなさい。

 来年は完結するといいね!(FGOでガチャを回しながら


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決意の一戦は

 

 

 

「──阿呆、上だ!」

 

 

「っ!?」

 

 

 ただ単純に見えなかった。互いに十歩は離れていた、にもかかわらずその距離から瞬時に真上へ近接していた。瞬間移動と錯覚してしまうグランの速度に驚きつつ、ラウラは頭上からくる刀の強襲を咄嗟に剣で受け止める。

 初手から一切の容赦なき一撃を、グランの声を耳にしてから防げたのは奇跡だった。それほどまでの速さ、荒々しくも研ぎ澄まされた音速を越える一振り。二度目はどうなるか分からないと、額の冷や汗を拭う暇もなく彼女はただ必死に凌ぎ合いを堪える。まだ十秒すら経っていない、これがあと五分近くあるのだ。その時に自分は立っていられるのだろうか、先までの決意とは裏腹に彼女の中で僅かな揺らぎが生じる。

 己の決意とその身を賭けた勝負、グランの剣を凌ぎきらなければそこで終わってしまう五分間の死の綱渡り。この闘いにそれだけの価値が、意味があるのかはラウラ自身にもよく分からない。もしかしたら早まったのかもしれない、ここでグランに想いを届けるのは時期尚早だったのかもしれない。グランの刀に抗いながら、今になって一抹の不安がラウラの脳裏に走る。

 

 

「さっきまでの威勢はどうした? この程度で揺らぐ決意で、何故戦場(ここ)に立っている?」

 

 

「くっ……」

 

 

「まあ、それもまた良しか。所詮はその程度だ、オレの見当違いだったか──」

 

 

「決め、つけないでもらおう……かっ!」

 

 

 挑発を遮るような強引な押し返し。刀を弾いたラウラは鋭い目付きで、距離を取ったグランへ即座に詰め寄る。馬鹿にされて頭に来た、一撃は叩き込まないと気がすまない。ラウラの表情からは既に、不安といった感情は消えていた。

 剣を背に振りかぶり、前進力を逃がす事なく乗せ、直後の隙などお構いなしに彼女は全力で剣を振りかざす。アルゼイドの基礎を忘れる事なく、しかし痛烈なその一振り。いつものグランなら反撃を狙って回避を選ぶが、聞こえてきたのは空を切る音ではなく剣戟。彼は敢えてその剣を正面から受けた。

 

 

「そうだ、それでこそお前の剣だラウラ。勝ちに向かうならともかく、畏れで受けに徹する事ほどつまらんものはない!」

 

 

 漸く潰し合いが出来ると、グランは畏れを払拭したラウラの剣の悉くを刀で対応する。幾度となく斬り結び、剣戟は絶えず鳴り響く。息をつく間もない斬り合い、少しでも気を抜けば圧し潰されそうな重圧。一つの躊躇が命を落としかけない現状は、二重にも三重にもなってラウラを襲う。それは彼女にとって紛れもなく、グランがこれまで歩んできた戦場と同等の空間である。

 ラウラが詰め寄って漸く始まりを告げた闘い、しかし気付けば彼女の立ち位置は壇上の端にまで追い込まれていた。いくら互いに同時のタイミングで剣を弾き返していたとしても、やはり地力の差はそうそう埋まるものではない。完璧にグランの太刀に対応していても、それだけの差がある事はこの場を見れば明白だった。加えてラウラには息切れも見え始め、対してグランは呼吸ひとつ乱していない。場況は既に……いや、初めから(・・・・・)グランに傾いていた。

 

 

「思いの外硬いな、ここまで全ての太刀を凌ぐとはよくやる。そこまで通したい想いか……この感覚も随分と懐かしい」

 

 

「くっ……!?」

 

 

「一つ確認しておきたい。何故ここまでやる? オレ個人の考えとして、グランハルトという人間にそこまでの価値は無い。ましてや命を賭けるなど……理解に苦しむ」

 

 

 刀と大剣が競り合う中、ふとラウラにかかる重圧が軽くなった。大剣と凌ぎ合う刀も若干その力を弱め、彼女にも思考と言葉を発する余裕が出来る。応答出来るようにというグランの配慮だろう。

 ラウラは不意に問われた内容に対し、自身の持ちうる回答を探すべく瞳を伏せる。そして答えるのは思いの外早かった。彼女にとってそれは、ごく当たり前の事のように。

 

 

「仲間、だからだ。そなたが剣の道を歩む同志であり、また同じ学舎で過ごす級友でもある。理由としては十分であろう……それだけでは不満か?」

 

 

「何だ……不満というよりな、引っ掛かるんだ。お前何か他に隠している事はないか?」

 

 

「そ、それは……」

 

 

 ラウラの瞳が泳ぐ。その頬も僅かに赤みを帯び、グランに向けていた視線も場外に移して彼の姿を視界から外した。やはり隠していたかとグランはため息を一つ、ここまできて何を躊躇うと若干の呆れを見せていた。

 しかし、その態度が今度はラウラに不満を抱かせる。ジト目がグランへ向けられた。

 

 

「やはりそなたもリィンと似通った点があるな。あれか、エマの言っていた通り、八葉の使い手は皆そうなのか?」

 

 

「いいから言え、これが最後の問答になるとも限らん」

 

 

「絶対に言わぬ……というかこの状況で言えるか!」

 

 

 断固とした決意で刀を弾く。少なくともこの場で告げる事ではないと、グランの後方へ移動したラウラは剣を構え直す。熱を帯びていた頬の赤みは消え始め、気持ちを切り替えたのかその表情も凛とした彼女の姿に戻っていた。グランは若干不満げな様子ではあったが、彼女が話さない以上は仕方がないかと再度刀を構える。

 仕切り直しになった現状だが、肩で息をしているラウラと何一つ変化の無いグランとでは、追い込まれているのがどちらかなど分かりきった事だ。だからと言ってラウラがここで諦めてしまえば、訪れるのは最悪の結果。故に、どのような状況であれ、彼女には一つの選択肢しかない。

 ラウラは自身に活を入れた後、地を蹴ってグランへと駆ける。

 

 

「──砕け散れっ!」

 

 

 接近とともに跳躍、全てを砕かんとする一撃がラウラによって振り下ろされた。場内に響くは刃が交差する金属音、それはまたしてもグランが回避ではなく受け止めた結果を示す。回避行動事態は不可能ではなくとも、あくまで正面からの衝突、力で押し通す彼の考えは変わらない。

 しかし、その姿を捉えてなおグランの体勢は僅かに崩れるにとどまる。揺らがない。ラウラは開始から全ての攻めにおいて己の全力を出していながら、彼の優勢を傾ける事が出来ない。競り合いの最中、いつまでも押しきれないその現状に、彼女の表情が一段と苦いものを浮かべた。

 そして、事態が動き始めたのはその直後。

 

 

「あの時とは比べ物にならん技のキレだ、まさかこちらの体勢が崩れるとはな」

 

 

「攻めいる隙も無い、崩したとは言わぬっ!?」

 

 

「ああ……だからこそ、ここで終いだ」

 

 

 瞬間、ラウラはその場で一度意識を失いかけた。しかし持ちこたえる。飲まれまいと唇を噛んで意識を正し、目の前から距離を取ったグランを視界に捉えた。だが、次に彼女の目には信じられない光景が映る。

 全てが紅く染まっていた。異界の雰囲気に空間そのものが震えていた。練武場だったそこは、血に塗れた世界とも呼ぶべき異空間へ。そして空間を塗り替えるほどの闘気の元凶、場の色よりもいっそう紅い瞳で彼女の姿を捉えながら、グランは刀を納刀した。

 

 

「ここまでよくもった、その気概には敬意を評する。礼を言うぞ、久方振りに楽しめた」

 

 

「これは、あの時の……」

 

 

「少し違うがな。あの時ほどの速さもなければ、認識できない仕掛けもない。今のオレの限界だ」

 

 

 グランは瞳を伏せ、今の己を自嘲するかのように笑みをこぼした。その表情には、自身に対しての哀れみ、皮肉といった感情が入り雑じっている。この姿は決して認めない、容認する事は出来ないと言わんばかりに。

 対し、ラウラは──

 

 

「──っはぁ、はぁ、はぁ……っ!?」

 

 

 空になった肺に漸く空気を送り込む。呼吸の乱れはこれまでの比ではなく、胸を押さえて息を整えるその様子は完全に呼吸を忘れていた。何が今の自分に起きていたのか、混乱する中で額から頬へ流れた汗を拭い、何とか状況を整理する。

 しかしその必要はない。彼女は現状を既に理解していた。頭でも、心でもなく、その身体自身が。

 

 

「震えが、止まら、ない……?」

 

 

 己の命を奪い取るもの。この身を斬り裂く絶対の悪性。目の前にいる憧れが、半年を共に過ごした級友が、言葉ではなく存在そのもので語りかけてくる。次に刀が鞘を離れた時、その命は無いと。

 殺意という悪性、恐怖を、ラウラはこの時初めて認識した。開始直後に感じた不安など些細な事のように、今の状況が絶望的なものであると、身体が必死に警笛を鳴らす。引き返せ、この闘いから退却しろ。壇上から降り、全てを無かった事にするのだと。その命を繋ぎ止めようと、身体は震えという信号で示していた。

 

 

「止まれ……止まれ、止まれ、止まれっ!」

 

 

 必死に身体へ暗示をかける。震えていては剣を使えない、これから来るグランの太刀に対応できないからと。開始前、この命を賭けてでも彼を止めて見せる、その決意を無駄にしたくない。何より自分自身に嘘をつきたくない。必死の暗示の効果か、その震えはゆっくりと収まりをみせた。

 目の焦点を合わせたラウラは、その目にグランの姿を見据える。彼の瞳は未だ開いてはいない。この醜態を晒さずにすんだという安堵の気持ちと、いっそのこと見られて失望されたほうが良かったのかもしれないという、複雑な心境が胸の中に広がる。しかし──

 

 

「これでは、駄目、だ」

 

 

 不意にラウラは頭を振った。このままではいけない。どう抗おうと、揺らいだままではグランの太刀を凌ぐなど不可能だ。悪性に畏れてもいい、殺意に恐れてもいい。その代わり、自分自身を見失う事だけは絶対に駄目だと。この先へ進むためにも、彼女はその決意を改めて声に出す。

 

 

「……私はここで終わらない。槍の聖女に追いつく為に、そなたに背を預けられる存在になるまで。何より、そなたに私の想いを伝えるまでは絶対に──!」

 

 

 彼女の決意が場に響いたその時だった。紅に染められた場内の景色が、僅かに変容をみせる。紅一色だったそれは、一点を照らす青が少しずつではあるが膨らみ始めた。それはまるで、流れた血を清水で流すように、傷を癒すように青が紅を取り込んでいく。いつしか場の光景を元の練武場へと、異境と化していた空間を消し去っていた。

 自身の闘気に抗いをみせるそれに、グランは驚きで目を見開く。先程までは絶望下で沈んでいたラウラが、暗闇の中で光を見つけたかのような、希望に満ちた表情を浮かべていたのだから。思わず彼も笑みがこぼれる。

 

 

「不思議な奴だ、この一瞬で精気を取り戻すか。なるほど、オレが見込んだだけの事はあったようだ……さて、凌ぎきればお前の勝ち。出来なければオレの勝ちだ。その決意、どこまで通せるか試させてもらうぞ」

 

 

「無論、通すつもりだ。そなたの全てを受け止めた上で、私の全てをそなたに届けてみせよう」

 

 

「上等だ……!」

 

 

 互いが闘気を最高潮に高める。その覇気は競り合うようにぶつかり合い、一歩も譲る気配をみせない。次の手が最後になる。グランは鞘に手を当てると刀を抜刀し、一刀で斬り伏せるべく構えをみせた。姿勢は半身に、刃先を前へ、顔の高さに刀の位置を合わせたそれはラウラがこれまで幾度となく見てきた──弐ノ型のそれである。

 そして彼の構えを見て目を伏せた後、ラウラは大剣の刃先を後方に向け、重心を下に──剣を腰の高さに構えた。

 

 

「その構えは……思い切ったな」

 

 

「そなたも知っている筈だ。我らアルゼイドの流派は、固執することなく、あらゆる武術の利点を学び、取り入れる。私はこれまでずっとそなたを見てきたのだからな、必然であろう?」

 

 

「そうか……如何ほどのものか」

 

 

 互いに交わすべき言葉は尽きた。丹田に力を、足底に意識を集中し、瞬発の時に備えて双方姿を見据える。グランはラウラを仕留めるべく、ラウラはグランの太刀を凌ぐべく。呼吸を一つ、肺に僅かな空気を含め──先に地を蹴ったのはグランだった。

 

 

「秘技──」

 

 

 姿が消えたと同時に第一の剣戟が鳴り響く。遅れて踏み込んだラウラだが、倒れてはいない。体勢が僅かに崩れるも、大剣は未だ腰の高さに、足はしっかりと地へ着いていた。彼女はグランの太刀を凌いだのだ。

 しかし、彼の扱う弐ノ型(それ)は一撃に非ず。

 

 

「裏疾風!」

 

 

 ラウラの背後から突然襲いかかる弧の斬撃。後にグランの姿が現れるそれは、人の域では認識できないほどの速度を表している。やはり地力の差は覆らない、どうあっても不可能は不可能のまま終わってしまうのか。

 ラウラにとっては完全な隙、死角からの追撃だ。もう彼女に為す術は無い──が、その時。

 

 

「はあああああ──っ!」

 

 

 硬直していたと思われたラウラは、何と身体を反転させて逆袈裟の一撃を繰り出した。弧の斬撃は反撃によって二つに分かれ、彼女を完全に捉える事は出来ず。しかしそれでも追撃は通っていたらしく、直後にラウラは大剣を落として膝をつく。

 だが、凌ぎきった。凌ぎきったのだ。音速を超える一撃を、認識すら出来ない筈の太刀と追撃を。彼女は今、確かにこの逆境を乗り越えた。しかし──

 

 

「──三撃目は、予測出来なかったか」

 

 

「そん、な……っ!?」

 

 

 刀を振り抜いていた筈のグランが、いつしかラウラとの距離をゼロにまで縮めていた。追撃の後の三撃目。得物を落とし、尚且つ立ち上がる力など残っていない彼女に対応など出来る筈もなく。

 凌ぎきる事の出来なかった無念さと、決意を通せなかった絶望を胸に。ラウラは意識を手放した。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「そうか……私は、グランの太刀を凌げなかったのだな」

 

 

 陽光が照らす大木の下、幹を背にしてラウラは一人俯いていた。彼女は感覚的に悟る、この場は先程までいた世界ではないという事を。

 命を賭したグランとの一戦。決意を胸に挑んだ闘いは、想いを通せずに終わりを告げた。やるせない気持ちをその胸に秘めながら、幹の反対側から感じる気配に一人語りかける。

 

 

「勝てない事は分かっていた。全力を出したグランに、私が敵うはずなど無いと。普段の手合わせで軽くあしらわれる私が、勝てる要素など一つとして無かった。ふふ……何故、仕合など挑んだのだろうな」

 

 

「……」

 

 

「ああ、分かっている。自己満足のために行った結果だ。ただ、不思議な事に、この結果に後悔は無い」

 

 

 幹に背を預けていたラウラは腰を上げ、その場で立ち上がった。立ち止まっていては何も始まらない、進み続けることこそが己の取り柄だと。動きを止めたままだと性に合わない、彼女の表情からはそんな感情が見て取れる。

 

 

「そなたも一緒に行かないか? ここで立ち止まっていては、出会いにも出来事にも巡り会えないぞ?」

 

 

「……く……て……」

 

 

「ふむ? よく聞こえなかったが──」

 

 

「早く彼の所へいってあげて。あなたがここへ来るには、ちょっと早すぎるかな」

 

 

 聞き返したラウラの視線の先、幹の反対側で座っていた少女の声にその顔を覗かせると、その少女は見たことがある人物のものだった。いや、忘れようはずが無い。その顔は、ラウラが通っているトールズ士官学院の生徒会長、トワ=ハーシェルと瓜二つだ。

 見間違いかと目を擦り、ラウラはもう一度その少女の顔を瞳に映す。しかしその時、突然の睡魔が彼女を襲った。

 

 

「会長……では、ないな。そなたは、一体──」

 

 

「ふふ……私の事は、いつか彼の口から聞いてみて──」

 

 

──私に無かったその強さで、グランハルトの事をお願いします……ふふ。でももう一人の子、結構難敵みたいだよ?──

 

 

 優しげな少女の声と共に、ラウラはその場で眠りに落ちる。少女が見守る中、世界はやがて真っ白に染まり、二人の姿さえも消えていく。

 悠久の刻、あるいは刹那の出来事とも言えた。意識だけが存在する不可思議な現象、体が浮遊しているような感覚、そんな状況に一人困惑している中。ふと、身体を揺らされているような感覚をラウラは感じた。

 

 閉じていた瞼が、ゆっくりと開き始める──

 

 

 

「よう、おはようさん。結構早く目が覚めたな」

 

 

「あ、れ……ここ、は──」

 

 

 ぼやけた視界の中、聞き慣れた声でラウラは目を覚ました。目を擦り、視界が良好になって辺りを見渡すと、そこは懐かしい故郷。レグラムにあるアルゼイド流の練武場の中だという事を理解した。何故こんな場所にいるのだろう、少し混乱した頭の中でもやもやとした気分のまま思考を巡らす。

 そして次に、視界を真上に向けた彼女は懐かしい顔をその瞳に映した。

 

 

「グラン……?」

 

 

「おいおい、大丈夫か? こりゃあ混乱してんな、さっきまでの事を覚えてるか?」

 

 

「あ、ああ。そういえば、確か私は先程までそなたと剣を──ん? 私は今何を……」

 

 

「何って、人の足の上で小一時間寝てたんだよ。少しは遠慮しろっての」

 

 

 頭を掻いてため息をつくグランを見詰めながら、ラウラは彼の言葉で徐々に今の自分が置かれている状況を理解した。先程まで自身が、グランと命を賭けた仕合を行っていた事。その勝負に自分が負け、一時の間別の場所へいた事。そして、負けたのに何故か自分が生きているという状況であるという事。

 更に、胡座をかいたグランの足の上で、自分が頭を預けている事を。

 

 

「な、なな何故このような状況に……っ!?」

 

 

「ああ、今は無理して動くな。まともに太刀をくらったんだ、少し安静にしてろ」

 

 

「そ、そう言われても……! そ、そうだ、一つ聞きたい事がある。私はそなたとの勝負に負けた。なのに何故、私は……」

 

 

「は? 誰が負けたんだよ誰が。さっきの仕合はお前の粘り勝ちだ。全くしてやられたよ」

 

 

 グランの口から告げられた言葉に、ラウラは疑問を抱く。何せ、彼女はグランが放った追撃を……三撃目を対応できなかった。そしてそれをまともに受け、意識を手放した。それはつまり、仕合に負けて命を落としたという事だ。いまいちグランの話に納得がいかないと、ラウラの疑問は晴れなかった。

 対してグランは面倒くさそうな表情ではあるが、事を飲み込めていない彼女へ向けて極めて簡潔に説明をする。

 

 

「三撃目の直前、制限時間を過ぎた。詰まりはそういう事だ」

 

 

「あ……」

 

 

「しかし残月の応用とは恐れ入ったぞ。それも回避じゃなく、受けきった上での対応か。上手いこと考えたな」

 

 

 そう、グランは仕合の開始直前に確かに制限時間を設けていた。それなりに気合いを入れる予定だったのが、予想外に興が乗ったという名目で。途中からそんなことなど忘れていたラウラは今漸く思い出したようで、呆けた表情を浮かべている。

 そんな彼女の顔を見たグランは笑いながら、先の仕合について説明を再開した。

 

 

「あの仕合はな、あくまで闘いに必要のない感情を廃したオレとの勝負だ。お前の決意を通す闘いだったんだろ? 少なくともオレが道を外れそうになった時、止められる可能性がなければこちらも納得できない。まあ、結局オレは負けたんだが」

 

 

「そ、そうだったのだな。だからあの時のそなたは、あんな事を……」

 

 

 最後の状況を思い出し、ラウラも漸く納得した。彼女が想いを通すための、グランの目的を阻止するための必要な条件。それはつまり、グランが暴走した場合に彼を諭せなければならない事。そしてそのためには、少なくとも彼の太刀を凌ぐ事が必要不可欠になる。だからこそ、潰し合いと言いながらも、闘いの中でグランは“試す”という発言をした。

 そして、ここにきて漸くラウラも実感する。グランの太刀を凌ぎきれた事に、仕合に勝利したという喜ばしい事実に。瞼を閉じ、その嬉しさを口にこぼす。

 

 

「勝ったの、だな。私はそなたとの勝負に。そうか、ふふ……」

 

 

「おめでとうさん、ラウラ。その決意は、想いは確かに刃を通して伝わった。これを機に、少しは考えてみる事も必要だと感じたよ。しかしなんだ……もっと早くお前と逢えていたら、オレもここまで道を外さずに済んだのかもな……」

 

 

「っ……グラン」

 

 

 祝福の言葉と共に呟かれた何気ないそれは、笑顔だったラウラの表情に陰りをみせる。その言葉が冗談などではなく、割りと真剣に言っているという事に気づいてしまったからだ。グランの弱気なところを殆ど見たことのない彼女にとって、それは素直に喜べるものではなかった。

 そんな時、ふとラウラは思い出す。意識を取り戻す前に見ていた夢、その時の別れ際に少女から言われた内容。あの時の少女は確かにグランの名前を口にし、己に託した事を。

 

 

「そうか、もしかしてあの少女が……」

 

 

「お、おい。身体を起こして大丈夫か?」

 

 

 グランの心配を余所に、ラウラの中で点と点が結び付いた。フィーから聞かされていた存在。グランが復讐を考えるに至った理由でもある、ノーザンブリアに住んでいたという少女。夢の中の少女は、もしかしたらそうなのかもしれない。彼女はこの時、ほぼ確信に近い思いを抱いていた。彼を支えていた存在であり、彼の生きる意味にもなっていた少女。そして、自分はその少女からグランの事を託されてしまった。最後に何か言っていたような気もするが。

 そしてふと考えてみた。もしかしたら、今がその時ではないのかと。仕合の途中では流石に口に出来なかったが、今ならこの想いを伝える事が出来るかもしれないと。

 グランが心配する中、ラウラは彼と向かい合う形で正座をすると、頬を僅かに紅潮させつつ、よそよそしくなった。

 

 

「グ、グラン。その、実はまだ、そなたに伝えていない事があるのだ」

 

 

「ん? 何だ今更改まって……」

 

 

「じ、実はだな。その、私は、その、そなたの事が──」

 

 

 そして彼女が想いを伝えようとしたその時。夜の帳が降りようかという時刻にもかかわらず、急に外が騒がしさを増す。若干気になるものの、今は気にしている場合などではない。構わず、ラウラは想いを伝えるべく言葉を紡ごうとした。

 だが──

 

 

「グラン、ラウラ、ちょっといいか!」

 

 

「おう、リィン。どうした?」

 

 

「っ……」

 

 

 練武場へ駆け込んできたリィンに、ラウラが意を決して伝えようとしたその場の雰囲気は完全に壊される。タイミングが悪いにも程があるが、リィンに悪気も責任もない事を彼女には分かってもらいたい。

 取り敢えず、このあと話の一部始終を聞いたエマとフィーを含めた三人から、終始冷ややかな視線が彼へ向けられる事になるのは言うまでもない。

 

 

 




あーあ、リィンやっちゃったー(棒読み

このあとリィンが不憫な目に遭うとかそんな事はともかく、ラウラは何とか凌ぎきりました! 二人の関係はこれからどうなる!(おい

それはさておき、次回はローエングリン城へ突入です。あのお方は出るのか!? 処刑用BGM流しながら現れちゃうのか!? 多分出ます。


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月夜の再会

 

 

 

「チッ……ここにも居ないか」

 

 

 夜の帳が下りたエベル街道。その道を、焦り混じりの表情でグランが駆ける。気配を感じては岩蔭に近寄り、目の前の魔獣を斬り捨てて再度捜索のやり直し。レグラムの練武場をあとにしてからの彼は、その繰り返しばかり行っている。

 

 ラウラとの手合わせを終え、リィンが駆け込んできた練武場内。そこでグランとラウラは夜になっても町の子供達が帰ってこないという話を彼の口から聞かされた。心配になった各々は町中を捜し回るが、そこでは子供達の姿は見つからず。最終的に、子供達が向かったと思われるエベル湖の畔、ローエングリン城へリィン達が向かい、グランは念の為街道を捜索するという話にまとまった。

 

 そして現在、グランは南クロイツェン街道の手前まで捜索を終えていた。

 

 

「これだけ捜しても居ないところを見ると、子供達はローエングリン城の方向か」

 

 

 当初から言われていたローエングリン城に子供達は居る。街道をくまなく探し、彼の口から出た結論はそれだった。と言っても既にリィン達が向かって暫く時間は経過している為、そろそろ彼らが見つけていてもおかしくは無いが。ただ、ARCUSによる連絡手段が使えない以上、その事を知るにはリィン達が帰還してくるまで分からない。

 

 しかし、もしリィン達が子供達を発見できなかった場合。その事も含めて考えておく必要がある。仮にそうなってしまった際の対処法も決めておこう、グランがその結論に至ってレグラムへ戻ろうとしたその時だった。

 

 

「————ッ!? この気配は、まさか……」

 

 

 突如ある一点から感じたとてつもなく強大な氣。懐かしささえ感じる武人のそれ。どう足掻いても今の自分では到底敵わない程の手練れであり、彼が目指すところでもある最強を体現する存在。それ程の存在感、グランにとっては遥か先を歩んでいる人物の気配。

 

 そして感じた気配のその方向は彼の視線が示す先、リィン達や子供達が居るであろうレグラムの向こう側ーーーーローエングリン城である。

 

 

「こんな場所まで何しに来やがったと言いたいところだが……ローエングリン城か。気まぐれってわけでも無さそうだな」

 

 

 当初グランの表情は驚きを見せていたものの、思考自体は冷静に物事を考えていた。その人物が訪れた理由、恐らくはローエングリン城と関連性のある、もっと分かり易く言えば槍の聖女と関係のある何か。ここ最近になって知ったその共通点や思い当たる節に、彼も引っかかる点が幾つかあった。

 

 しかし、そこに確信も無ければ確証も無く。特に歴史関連に疎いグランには、余り得意分野でもないそれを考察するという事自体が難題である。それに、現状での優先順位はそこではない。

 

 

「やめたやめた、オレらしくもない。そういうのは他の奴らに任せとけばいい。今は子供達の捜索が第一だ」

 

 

 今優先すべき事は、ローエングリン城に向かったと思われる子供達の安否である。歴史の考察はあとで幾らでも出来るし、そもそもグランにそのような学力は無い。考えるだけ無駄であろう。ただ、やはりその場所に彼女が現れたという事は、現状でも無視出来る案件というわけでもなく。

 

 

「あの人に限って無いとは思うが……間に合うか、行くだけ行ってみるか」

 

 

 彼の中で心配は無用と思いながらも、感じた気配が気配だけに確認の必要があるだろう。そう判断するや否や、グランはリィン達の元へ向かうべくその場をあとにする。自身の出せる限界の速度で街道を駆け抜け、彼はローエングリン城へ向かうのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 エベル湖の畔にそびえるローエングリン城。風光明媚な雰囲気を漂わせるその建物は現在、青白い光を帯びた状態で、より美しく、神秘的に城の姿を見せていた。しかしラウラによればこのような事はこれまでに一度も無く、不可思議なその光景は明らかな異常事態である。町の波止場から小舟で渡ってきたリィン達は、現状に驚きつつも、突入を試みた。これだけの異常事態、ここに来る前に子供達が乗って来たと思われる小舟を見つけた事もあり、その安否も含めて事は急がなくてはならない。彼らに躊躇う余地はなく、周囲を警戒しつつ屋内へ立ち入った。

 

 そして、六人全員が足を踏み入れた直後の事。不可思議な事に入口の扉が独りでに閉まる。

 

 

「なっ、何!?」

 

 

「くっ、閉じ込められたか」

 

 

「そのようだな。この異常事態を解決しない以上、ここからは出られぬようだ」

 

 

 突然の事に身体をビクつかせるミリアムの前、リィンは扉が開かなくなっている事を確認し、ラウラは自分達の陥った状況を理解して入口の扉を見据える。理解の届かない現状、その解決にこの場の異常事態が関わっている事は明白だった。そんな二人の声にユーシスはいつも通りの冷静な様子で、事態の解決へ動く姿勢を見せる。フィーはミリアムの隣で彼女を励ましているあたりその心にも余裕が見えていた。

 

 子供達の捜索と事態の解決、彼らが果たすべき目的はその二つ。子供達の姿を先に見つけて無事を確認出来ればそれに越した事はないが、このままでは帰れない現状では並行して進めていく道以外はない。最悪の事態になっていない事を祈りながら、調べていくしかないだろう。

 

 そして、目的に向けて動こうとした正にその時だ。突如鐘の音と思わしき音が響き渡り、一人目を伏せて佇んでいたエマが瞳を開くと魔導杖を手に突然広間の中央へ身構えた。

 

 

「来ます! 皆さん構えて下さい!」

 

 

 彼女の視線の先、何もいない筈の空間から突如として得体の知れない魔獣が複数体現れる。怪しげな霧を纏った髑髏のようなその姿は、街道で見かける普通の魔獣達とは明らかに雰囲気が違った。エマの声にリィン達も慌てて得物を構え、魔物とも言うべき異形の存在と対峙する。

 

 エマ曰く、扉が開かないのは結界と呼ばれる力が働いている為で、魔物が現れた事も含めてローエングリン城全体の異変はその不可思議な力によるものらしい。その説明はリィン達にとってかなり有益な情報ではあるが、彼らに一つの疑問を残した。何故彼女がそのような知識を有しているのか、という事である。疑問や僅かな不信感もあるが、とは言え何かしらの事情をエマが把握しているのであれば、彼女の知識がなければ事態の解決は難しいだろう。それにここまで共に歩んできた仲間だ、何があろうと彼らの信頼関係が崩れる事は無い。

 

 まずは目の前の魔物を倒してからの話。一同はその身を構え直す。

 

 

「Ⅶ組A班、これより戦闘を開始する!」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 エベル湖の水上を、一つの小舟が進んでいく。霧の中を一直線に進むその舟に見えるのは、エベル街道から帰還してきたグランの姿だった。彼はローエングリン城へ向かう為、執事のクラウスに小舟を手配してもらい今に至る。リィン達では対処出来る範囲を超えるであろう何者かの気配、それを確認するべく城へ向けて突き進む。

 

 目的地に近づくたび、徐々に感じ始める異様な気配と空気。此度発生した不可思議な現象、どのような原因で起きたのかは、判断材料の少ない現時点では不明である。ただ、グランには何か気付いている事があるようで。

 

 

「ヴィータさんの気配は無い。意図的に起こしたもので無いなら、きっかけは単なる霊脈の乱れってやつか。まあ、その乱れの原因は意図的に起こしてるんだろうが」

 

 

 霊脈の乱れ。恐らくはエマも気付いているであろうそれをグランが気付いたのは、似たような事例を過去に幾つも体験していたからである。勿論そのような面倒事を彼が好んで関わるはずがなく、巻き込まれたというのが主になるのだが。これまでの事を幾つか思い出したようで、グランは深いため息をついてローエングリン城のある方角へ顔を向けた。

 

 

「……ったく、結社と関わるとロクな事がねぇ。先を考えると更に面倒な事になりそうだが……あぁ、会長の笑顔が恋しい……」

 

 

 先を見据え、見えてくる結果に落胆したグランは鬱な気持ちを払拭するべく目を閉じてトワの顔を思い浮かべていた。いわゆる現実逃避というやつである。

 

 そもそもの話、結社という組織と関係を持つようになったのは彼の意思によって決まったのだが。結社の者達が今の言葉を聞いていたら総ツッコミ必須であろう。しかし、自分の事は棚に上げて、都合のいいように解釈するというのは如何なものか。そして、活力を養おうと必死にトワの笑顔を思い浮かべるグランであったが、彼の脳内補正をもってしてもトワはしっかりしていた。

 

 

『グラン君、自業自得だよ』

 

 

「ですよねー……っと、バカな事をしている場合じゃなかった」

 

 

 気付けば既に波止場が見え、目的地に到着した事を確認したグランは舟を止めて固定した後、陸へと移る。上へ続く階段を駆け上がり、より一層異様な気配を感じながらやがてその足を止めた。青白い光を発する古城、その入口を前にして。

 

 彼には一目でその異常が分かった。扉に何かしらの力が働き、普通の方法では開ける事すらままならないと。事実、グランがここへ来る前に、ミリアムが内側からアガートラムにて破壊を試みて失敗しているためその判断は正しい。

 

 そして、ならばとグランは腰に下げた二本の刀の内、いつも使用している白銀の太刀の柄へと触れる。その鞘が、僅かに紅い光を帯びた。

 

 

「単純な話、結界を破壊するにはその強度を超える力が必要なわけだが……氣ってのは自由にコントロール出来ると便利でな、こういった方法もある訳だ!」

 

 

 刹那の抜刀。生じた紅い弧の斬撃は風を切って扉を襲う。そして扉を触れたその時、結界と思しき魔法陣が浮かび上がると共に、ガラス細工が砕け散るかの如く音を発して搔き消える。氣を刃に変換しての結界破壊の技は、どうやら上手くいったようで、刀を納めたグランが扉へ手を掛けると開き始めた。

 

 扉の先、グランが目にしたそれは、月の光と松明に頼った薄暗い城の屋内にて、異形の魔獣が蔓延る光景。リィン達と思しき複数の気配は未だ感じる為、彼らの身の無事は確認できているわけだが、予想外の出来事が起きる可能性も視野に入れると、早い内の合流が望ましい。気配を感じる方向へ足を向け、合流する為に走り始めた。

 

 魔獣の姿を振り切り、瞬く間に異様な気配を強く感じる奥地へと進んでいくグラン。そして、同時に彼らの気配を強く感じ始めた外回廊を駆け抜ける中。突如として異様な気配が膨れ上がると共に、得体の知れぬ力の奔流を感じ取る。驚きと同時に、その足を止めた。

 

 

「この力は……リィン達の気配が弱まった!? くっ、間に合うか!」

 

 

 危惧していた予想外の出来事。その表情に焦りを見せながら再び駆け始めたグランの視線の先、事態が進行しているであろう部屋の中から突然眩いばかりの閃光が放たれる。その光はすぐに収まりを見せるが、再びグランの足が驚きで止まった。

 

 この時彼は感じていた、すぐ近くで顕現するとてつもない大きさの気配を。驚きのあまり一瞬体の動きが硬直するが、我を取り戻して部屋の中へと進入する。そこには、所々制服が汚れて戦闘の跡が見えるリィン達が倒れた姿。

 

 

「おい、何があった! しっかりしろ!」

 

 

「グラン……さん?」

 

 

「そ、そなた。街道の方に向かったはずでは……」

 

 

 エマやラウラ、皆の意識は幸いな事にしっかりしており、特別大きな怪我も負っていないようでホッと胸をなで下ろす。迷子になった男の子二人の姿も見え、安全も確認出来た事でグランの緊張も漸く解けた。一人一人に声を掛け、改めてその無事を確認する。

 

 少しの間を置いて全員の意識がはっきりと戻り、各々状況の整理が追いついていく。そんな中、ふとリィンが部屋の奥に設置された台座へ顔を向けた。

 

 

「見間違いじゃない。槍が……巨大な馬上槍(ランス)が、宝珠(オーブ)を貫いた。そして、確かにあそこに誰かが立っていた。そうだ、黄金の髪の色をした、女性が……」

 

 

「……まさか!?」

 

 

 リィンが口にした言葉に、ラウラが驚きの表情を見せると同時に彼が見上げる先のテラスへ向けて走り出す。他のメンバーもまさかと思いながら彼女に続いてテラスへと向かう中、ミリアムは一人状況についていく事が出来ていないが、困惑しながらも後に続いた。

 

 ラウラを先頭にテラスへたどり着いた一同は、その場に誰もいない事を確認して再び困惑する。見間違いではないかとグランがリィンに問いかけるが、リィンの言っていた事は確かに見間違いではなく、この場に遅れてきたグランを除いてほぼ全員が目撃している。

 

 

「いや、リィンの言った通りで間違いない。俺も見たからな」

 

 

「えっ、ユーシスも見たの? も……もしかして、オバケ!? オバケ!?」

 

 

「えぇい、くっつくな!」

 

 

「……? ラウラ、どうしたの?」

 

 

 怖がった様子のミリアムがユーシスに抱きついて鬱陶しがられる中、フィーはラウラが呆然と立っている事に気付いて声を掛ける。そして、彼女がふと発した言葉に、一同の顔が驚きに染まった。

 

 

「……槍の、聖女」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 リィン達は部屋の中で事態の元凶と思しき宝珠(オーブ)を発見し、そこから顕現した死の王(ノスフェラトゥ)なる存在と対峙した。拮抗した戦闘の結果何とか退けるも、一瞬の隙をつかれて身体を拘束され、敗北する寸前に追い込まれる。そして絶体絶命の中、突如飛んできた巨大な馬上槍(ランス)宝珠(オーブ)を貫き、危機を救ってくれたという。テラスを降り、部屋の中へ戻った後、グランは自身がここへたどり着くまでに起きた事の説明をリィン達から受ける。

 

 何はともあれ、リィン達の健闘の結果、この異常事態の解決と子供達の捜索を達成出来た事は言うまでもない。彼らの成果をグランは笑顔で称えた。あとは町へ戻り、事態の解決と子供達の無事を報告するだけである。これ以上遅くならない内に町へ帰ろうと、皆で来た道を戻り始める。

 

 しかし、グランは一人やり残した事があると一同の輪から外れた。レグラムの遊撃士協会へ応援に来る人物への報告用に、もう少し詳しくこの辺りを調べてから帰るとの事。何人かは手伝おうかと提案するも、リィン達が疲労している今の状態を心配した彼が断った為に、結局グラン一人で残る事に。

 

 宝珠(オーブ)が砕けて事態の解決を迎えたとは言え、不測の事態が起こる可能性もある。グランの事だから心配はないが、気を付けてくれと言い残してリィン達は部屋をあとにした。そして、リィン達がこの場を去って数分後……グランが独りでに語り始める。

 

 

「最初はただの気まぐれだと思っていた。冗談で話した士官学院の入学に賛同したのも、帝国の内情を把握させてから呼び戻すんだろうってな。まあ、思いの外充実した生活で、その事も最近までは忘れていたんだが……」

 

 

「……」

 

 

 グランが一呼吸置いたその瞬間、確かに同じ空間の中でもう一人誰かが呼吸しているのが確認出来た。リィン達は皆この場にいない事から、独りでに語っていたと思われたグランが話しかけているその人物は、全く別の第三者である。しかし、その姿は何処にも確認出来ず、彼の前には依然現れる様子がない。

 

 だが、それでも関係無いと。一方的にグランの語らいは続く。

 

 

「一つ、引っかかっていたんですよ。『深淵』や『劫炎』、『神速』に『西風』、貴族派との内通。他にも戦力はいそうだが……そこに、オレまで加えるってのは明らかに過剰戦力でしょう。貴女達にしては用心し過ぎだ……何か、別の目的があったんじゃないですか?」

 

 

「……なるほど、気付いていましたか。ならば、おおよその見当はついているのでしょう?」

 

 

「ええ……『白面』の施した記憶封印(メモリーシール)の解除と、Ⅶ組の監視が目的か?」

 

 

「……安心しました。一時の休息の中でも、その洞察力は健在ですか。彼女の言っていた事も、あながち間違いではないのかもしれません」

 

 

 カツン、カツン、と。テラスに続いている階段を降りる音が屋内に響いていく。エベル街道で感じた懐かしい気配、それも今のグランにははっきりと感じ取れた。徐々に目の前に現す薄暗い部屋の中に潜ませていたその姿は、彼にとっては見慣れた黄金の髪色と騎士鎧。そう、リィン達が助けてもらったという人物のものとも一致する。

 

 グランの目の前で歩みを止めたその人物は、スポットライトの様に姿を辿った月光によってその身を現した。月の光に照らされた神秘的なその姿は、絶世の美女と謳われても不思議ではない、美しき女性の姿。帝国の歴史に例えるならば、恐らくはこう言うべきであろう————槍の聖女と。

 

 

「この日を楽しみにしていました。貴方に欠けていたもの、その答えを聞かせてもらいます。グランハルト」

 

 

 結社、身喰らう蛇が第七柱、アリアンロード。月夜に佇むローエングリン城にて、鋼の聖女の降臨である。

 

 

 




最近執筆が進みません。何ででしょう、気分転換とかしてるのになぁ(ガチャガチャ

リィン達の活躍端折り過ぎだって? 委員長のSクラフトどうやって表現しろって言うんだよ!(ガチャガチャ

アリアンロードの登場が中途半端? 次回に戦闘を回すためです。その方がモチベーション上がりそうだから、少しは早く書けると思う……多分。

結論、FGOって面白いね(十万爆死から目を逸らしつつ


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似た者姉妹

初めに謝ります、アリアンロードとの戦闘は省略しました(前回の後書きを消しつつ

言い訳は後書きで見てね!


 

 

 

「ったく。こちらに来るのなら連絡の一つくらい寄越してください」

 

 

「連絡なら第二柱に言付けていたはずですが……彼女の事です、どうやら上手く伝わっていなかったようですね」

 

 

 驚きの後。やれやれと首を振りながらそばへと歩み寄るグランに、彼女は不思議そうな顔で応えるが、直後に一人納得した様子で目を伏せた。情報伝達に多少手違いが生じたようで、どうやらその第二柱という人物にミスがあったらしい。アリアンロードの口振りでは、呆れつつも予想がついていたようだが。

 

 グランも彼女の言動からある程度の事を察すると、溜息を一つこぼしてその歩みを止めた。

 

 

「ヴィータさんにも困ったもんですよ。契約の事はありますが、猟兵稼業を中断してⅦ組に在籍している今、もう少し自重してもらわないと……」

 

 

「貴方がそれを言うのですか……その契約の経緯を考えれば、この件に関してはグランハルト、貴方の自業自得だと思いますが」

 

 

 困ったように話すグランの顔を前に、アリアンロードは頭が痛いと額に手を当てながら当の本人へ同情の念を抱く。彼女のその言葉は、二人の話の中心人物であり、同じく身喰らう蛇の使徒任務を遂行する第二柱、ヴィータ=クロチルダへの同情が含まれたもの。時折行き過ぎた行いをする事もあるが、根本的な原因を作った彼がこの調子では流石に第二柱も報われないだろう、と。

 そんなアリアンロードの様子に、グランは不満気な顔をした。

 

 

「この手の話をすると結社の連中は揃ってそう言いますが、一体オレの何処に要因が……」

 

 

 不服そうなグランは腕を組みながら、当時ヴィータと交わした契約を思い出す。二年前、結社における数少ない良識を持ち合わせた人物であり、良き理解者でもあった彼を亡くし、ヴィータと二人リベールの湖でその死を惜しんだ時の事を————

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「レオン……本当に、いってしまったのね」

 

 

「……ええ、未だ信じられませんが」

 

 

 リベール王国、ヴァレリア湖の一画にて。月夜が映し出された湖面の揺らぎを目に、二人の男女がその瞳を伏せる。この地で命を散らせたかつての同僚、レオンハルトという二人が慕っていた銀髪の青年の姿を脳裏に浮かべながら。

 グランにとってはライバルのような存在であり、何かと気に掛けてくれていた良き理解者。生前、結社に所属する以前、ある悲劇の中でカリンという恋人を失った境遇を持つ彼にとって、争いに巻き込まれてクオンを失ったグランはどこか放っておけなかったらしい。お節介とまではいかないものの、色々と手を焼いてもらった事をグランは懐かしむ。

 そしてヴィータにとっては、その好意を寄せていた思い人。幾度と掛けたアプローチは悉くあしらわれ、少しも振り向いてもらえなかった。更には早過ぎる死を迎え、もう二度と言葉を交わす事は叶わず。良い男とはこうも縁が無いのだろうかと、彼女はその表情に陰りを見せる。

 

「ヴィータさん、そう悲しい顔をしないで下さい。貴女の悲しむ顔は、アイツも本意ではないでしょう」

 

 

 ヴィータの落ち込む顔を横目に、グランは彼を引き合いに出して慣れない気遣いをする。在り来たりな言葉しか思い付かず、それでも何も言わないよりはマシだろうと。彼女はそんなグランの優しさに気付くが、思った以上にその心は沈んでいるようで。

 

 

「そうかしら……そうだといいのだけど」

 

 

 笑顔で返すことは出来ず、以前その表情は悲しみに暮れたまま。

 夜の静けさは一層気不味い空気を作り出し、互いにとってこの状況は好ましいと思えない。だが、だからと言ってそう易々と変えられることが出来る程の状況でも無いだろう。誰かを失う悲しみは、況してや好意を向けていた者の死がどれ程の悲しみなのかグランは良く知っている。この時の彼は記憶封印を施されていたが、その感情だけは何故か容易に思い出し、困惑したのは別の話。

 第二柱の心が今揺らいでしまっては、この先の計画に支障を来たす恐れがある。グラン自身は結社に恩がある訳ではないが、このままヴィータを放っておける程彼も無関心という訳ではなかった。それ以前に、悲しむ彼女を残したままというのも、流石に気が引ける。何か良い案はないかと思考を巡らし、思いのままに言葉を紡ぐ。

 

 

「オレではレオンハルトの代わりは出来ません。ですが、その穴埋めぐらいにはなれるかもしれません」

 

 

「えっ?」

 

 

 不意に話したその言葉に、ヴィータは僅かな動揺を見せた。今も隣で目を伏せている、グランの顔をその瞳に捉える。

 レオンハルトの代わりは出来ない、グランが断言したようにそれは覆しようの無い事実だろう。人の存在というのは個々が特別であり、代替の利くような単純なものでは無い。

 だからグランはこう言った、穴埋めなら出来るかもしれないと。盟主の悲願を達成する為に計画を実行する使徒、その補佐として計画を手伝う執行者。執行者のNo.Ⅱ剣帝レオンハルトとしての彼の穴埋めとして、純粋な戦力としてなら自分が尽力する事は可能だろうと。その存在の肩代わりは出来ないが、彼と同じ事をするのは無理な話では無い、グランはそう結論付けた。

 

 

「貴女が悲しむ顔をするなら、それを笑顔に変えてみせます。貴女に降りかかる災厄があれば、その悉くを振り払いましょう。それくらいなら、オレにも出来る」

 

 

「あ……ふふ、ありがとう」

 

 

 グランの言葉を受け、ヴィータは一瞬その顔を呆然とした後、僅かに笑みをこぼす。少し気恥ずかしさも感じるのか、その頬は朱色に染まり、彼に向けていた視線もヴァレリア湖の湖面に戻した。

 そして、そんな彼女の表情を見てか、身を翻した彼は安心した様子で続けた。

 

 

「ヴィータさんはいつも笑顔でいて下さい。貴女には、それが一番似合う」

 

 

「もう……褒めたって何も出ないわよ?」

 

 

「女性の笑顔ってのは、掛け替えのない宝物なんですよ。ヴィータさんが笑えば、それだけでオレにとっては報酬です」

 

 

 何処でこんな言葉を覚えるのか。齢十四の少年の幼げながらも凛とした表情を横目に、ヴィータはその頬の熱が増すのを感じた。

 冷んやりとした夜風が両者の間を吹き抜け、彼女の顔の熱を徐々に奪う中、グランは歩き出してその背を向けた。そして、その足音が少しずつ離れていく中で、不意にヴィータは呼び止める。

 

 

「ねえ、グランハルト……貴方は私を守ってくれる? 私の騎士に、なってくれる?」

 

 

「……貴女がそれを望むなら。任せて下さい、守るのはオレの十八番ですから」

 

 

「ふふ……そうだったわね」

 

 

 答えを聞き、ヴィータは嬉しそうに頬を緩めると瞳を伏せた。やがてグランの足音が消え、この場から彼が居なくなったのを感じるとその身を翻す。グランが歩き去った方向……闇夜の中へと、その熱い眼差しを向けた。

 

 

「もう、グランハルトったら……本気にしちゃうわよ?」

 

 

 熱を帯びた頬へ右手を添え、その肘を左手で支えながら彼女は悪戯な笑みを浮かべる。ヴィータがグランに拘る理由にもなった一件、どう考えてもグランが悪かった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「……特に思い当たる節は無いんだが」

 

 

「はぁ……お互い時間もありません、本題へ移りましょう」

 

 

 いつの日か、契約を交わした時の一幕を思い返してグランは頭を捻る。ヴィータと知り合ってから一番深く関わったのは契約の時ぐらいだが、別に何も可笑しい事は無かったと。

 過去の自身の行いを振り返って尚気付かない彼を前に、アリアンロードはため息をこぼすと話題を変えた。今回訪れた目的の一つ、グランをこの地へと向かわせた理由と、その答えを。

 

 

「第三柱……いや、今は元か。『教授』が施した記憶封印(メモリーシール)とⅦ組の監視の件についてですか」

 

 

「はい。と言っても、今回の用は前者のみになりますが……その様子では、自力で解除出来たようですね」

 

 

「まあ、色々ありまして。自力とは言い難いですが、一応取り戻しました」

 

 

「そうですか……やはり、貴方をこの地へ向かわせて正解でした」

 

 

 苦笑いをするグランの姿に、黄金の騎士は頬を緩めた。今は亡き身喰らう蛇の第三柱、ゲオルグ=ワイスマンによって施された自己暗示型の記憶封印。当時反対した彼女だったが、彼が立案した計画の成功の為、そして何よりグラン自身がそれを望んだ為に実行されてしまった愚策。当初は迷いが無くなり任務に支障を来たさなくなったグランだったが、それが後に自身の成長の足枷、何より本来の実力を出せなくなる程の事態になっていた。今グランが浮かべている苦笑いは、当時のアリアンロードの反対を押し切って決行してしまった挙句、結局は彼女の助言により解決を迎えた事に対する気不味さからきているものだった。

 

 

「当時は本当に失望しました。貴方にあれだけ太刀打ち出来なかった神速でさえ、十度の内に二度はその姿を捉える事が出来ていたのですから」

 

 

「あの時は本気でアイツに怒鳴られました。『こんな体たらくでどうするんですの!』って。オレにその意味が分かる訳無かったんですが」

 

 

「フフ……先日あの子が報告に戻った時の嬉々とした姿、貴方にも見せてあげたいほどでした」

 

 

「オレとしては、それ模擬戦の流れになりそうなんで遠慮したいんですが……どうやらアイツにも心配を掛けたみたいだ。戻る機会があれば、少しは付き合うと伝えておいて下さい」

 

 

「分かりました。あの子もきっと喜ぶでしょう」

 

 

 かつての失敗と、それによってもたらされた様々な出来事を両者は笑顔を浮かべながら話す。先月、帝都を襲撃したテロリストの一件において、ドライケルス広場に現れた元同僚の一人をグランは脳裏に過ぎらせ、いつか謝らなければと呟いた。

 思いの外長くなったが、余り談笑をしている余裕は互いに無い。リィン達の事だ、グランの帰りが遅くなれば当然心配して様子を見に来るだろう。それはグランにとっても、アリアンロードにとっても好ましい事態では無い。そろそろ頃合いだと、両者は得物を構え始めた。

 

 

「さてと……それじゃあ手っ取り早く始めましょうか」

 

 

「約一年振りになりますか。以前貴方に課した条件、此度取り戻したそれが条件足り得るのか、見極めさせてもらう予定でしたが……少し予定を変えます」

 

 

 ふと、アリアンロードはそう口にした。今回グランを試しに来たのは他でもない、彼がクロスベルで赤の戦鬼と相対するに相応しいかの判断も含め、彼がこの地で培ったものの確認をする為である。個人的に楽しみだったりするのは彼女以外の知るところではないが。

 だが、その予定を変えるというのは腑に落ちない。グランが過去を取り戻している事は既に明白だが、現在の彼が具体的にどの様な状態なのかは彼女にも分かっていない筈だ。しかし、次の彼女の言葉で全て納得する事になる。

 

 

「貴方は少し節操の無さを自覚した方がいい。今回は、その点を重点的に教えましょう」

 

 

「え」

 

 

 アリアンロードは鋭い目つきで馬上槍(ランス)を構え、グランの姿を見据える。断罪を下すその矛先は、月夜の光に照らされて白銀の輝きを放っていた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「グランさん、遅いですね……」

 

 

「流石にあの子でも『鋼の聖女』相手は分が悪いんじゃない?」

 

 

 エベル湖の畔、ローエングリン城の聳える陸の波止場。異変の収まった城を見上げながら、心配そうな表情のエマとセリーヌが彼の帰りを待っていた。どうやらリィン達は保護した子供二人を届ける為に町へ帰還した様で、この場には彼女達しかいない。何人かはエマと一緒に残ってもいいものだが、そこは彼女の事だ。何かと理由をつけてリィン達だけ送り出したのだろう。

 結社の幹部とも言える使徒との接触。グランが心配だと現場に向かおうとしたエマだったが、行ったところで何も出来ないとセリーヌに止められた。ただただこの場でグランを待つ事しか出来ないもどかしさに駆られ、彼女の不安は増すばかり。それに彼女が問題にしているのは、何もグランがアリアンロードと戦闘を行なっているという点だけではない。

 

 

「セリーヌ。やっぱり私達も……」

 

 

「やめときなさいって。彼なら無事に戻ってくるわ。あの女ならともかく、鋼の聖女なら下手な干渉はしないでしょう」

 

 

「でも……もしグランさんがこのまま執行者に戻ってしまったら……」

 

 

 そう、エマが心配しているのはグランの身の安全だけではなかった。彼がこのまま、第七使徒と共に結社へ戻るのではという可能性の話だ。セリーヌは大丈夫だと口にしているが、根拠が無い以上彼女の心配が消える事はない。

 エマは依然不安げな表情で城を見詰める。そして、そんな彼女を足元で見上げているセリーヌは、不意に笑みをこぼした。

 

 

「それにしても、不思議なものね」

 

 

「どうしたの、急に笑ったりして」

 

 

「貴女を見ていて可笑しくなったのよ。彼の正体に気付いた時にはあれだけ敵意剥き出しだったのに、今じゃコレだもの。猫だって笑うわ」

 

 

 エマはその言葉に首を傾げ、どうやら含まれた意味に気付いていない様子。遠回しに言われても何が言いたいのか分からないと、セリーヌに説明を催促し、その言葉に答えるように彼女は続けた。

 

 

「あの子の事、好きなんでしょ?」

 

 

「っ!? な、何を急に言い出すの!?」

 

 

「ノルド高原の実習、だったかしら? あれからアンタのあの子に対する接し方が変わったもの。深く聞かなかったけど、何かあったんじゃないの?」

 

 

 セリーヌが言い放った思いもかけない言葉に、エマは顔を真っ赤にして明らかな動揺を見せた。先々月に行われたノルドでの実習を思い出し、更に彼女の声が詰まる。そんなエマの様子に、セリーヌはため息を一つこぼす。

 グランに対しての特別な感情、はっきり言ってしまうとエマにもよく分からなかった。不意打ちの様に放つグランの言動に戸惑う事はこれまでもあったが、基本的な彼は自分勝手で欲望に忠実だ。普段は女性の胸ばかり見て顔を緩ませるグランを、エマは好ましく思っていない。ただそれは、嫌悪感とは違う何かというのもまた事実だった。

 

 

「私にはよく分からない。だけど、ラウラさんはグランさんの事を……それに、グランさんとトワ会長は……」

 

 

「それよ。トワって子がいる以上、あの子が学院を離れる事はない。少なくとも今すぐになんて事は有り得ないわ」

 

 

 ここで、セリーヌの誘導に掛かったという事にエマは漸く気付いた。

 グランが結社に戻ってしまうのではという不安は、確かにトワという存在がいる限り解決される。トワが学院を卒業する来年まで、余程の出来事が起きない限りグランが学院を離れる可能性は低い。先の不安は、思いがけない質問から解消される事になった。

 しかし、何故かエマの表情は晴れない。

 

 

「そう、よね。トワ会長がいればグランさんは……」

 

 

「はぁ……こうは言いたくないけど、アンタは少しあの女の事見倣いなさい」

 

 

 表情の優れないエマを見上げ、またしてもセリーヌは深いため息をつく。これはとうとう手の施しようがないと彼女が呆れ返っている矢先、不意に前方から物音がした。疑問に思った彼女達は顔を向け、薄暗い道に現れる人影をその目に捉える。

 

 

———あ、あの鉄仮面覚えてやがれ……くっ!?———

 

 

「アレって……」

 

 

「グランさん!?」

 

 

 セリーヌが目を細める中、グランの姿だと気付いたエマが急いで彼のそばへ向かって駆け出す。赤い刀身の刀を支えに何とかここまで辿り着いた様子のグランは、支えにしていたその刀を滑らせてしまいその場に倒れかける。しかし間一髪、間に合ったエマが彼の身体を支えて転倒を防いだ。

 

 

「グランさん、大丈夫ですか!?」

 

 

「い、委員長か……何でここに———」

 

 

「今はそれより、早く怪我の治療を……!」

 

 

 疑問に思うグランの言葉を遮り、エマは彼を地面に寝かせて自身も正座でその場に腰を下ろす。彼の頭を太股に乗せ、膝枕の要領で治癒行為へ移った。グランの身体の周囲を温かな淡い光で包み、恐らくはノルドの地で見せた力を使用しているのだろう。身体の痛みに顔を歪ませていたグランの表情は、次第に安らぎを取り戻していく。

 淡い光は収まりを見せ、やがて完全に消失した。時間にして僅か数十秒の治癒行為だが、今回はそれで十分だったようだ。体調を伺うエマの声に、ほんの少しの痛みがあるだけで問題無いとグランは立ち上がった。

 

 

「助かった委員長。ったく、第七柱は手加減ってのを知らねぇのか」

 

 

「えっと、グランさん? 結社の第七使徒と何かあったんですか?」

 

 

「ああ、これが酷いなんてもんじゃ……あ」

 

 

「今更隠しても無駄よ、私達も気付いてたから」

 

 

 心配そうに問いかけたエマへ口を滑らせたグランは、直後に現れたセリーヌの言葉で要らぬ心配をしたと焦り混じりの表情を元に戻す。これで結社の執行者が務まっていたのが不思議だと皮肉をこぼすセリーヌに、グランとエマは苦笑いを浮かべるしかなかった。

 微妙な空気が漂う中、そう言えばとエマが話題を変える。

 

 

「グランさん、あの後ローエングリン城の中で何があったんですか?」

 

 

「ああ、ヴィータさんの事で第七柱とちょっとな……いや、別にオレ悪くないんだが」

 

 

「姉さんの事を……里を出ても、あの人は周りに迷惑かけてばかりなんですね」

 

 

 グランの話を聞き、エマの表情が途端に陰りを見せた。これは口にしては不味かったのかとグランはセリーヌに視線を向けるが、彼女は気にしないでいいと一言。どうしたものかと頭を悩ませる中、ふと何かを思い出したグランは笑みを浮かべる。

 

 

「委員長、実はそうでもないぞ」

 

 

「えっ?」

 

 

 不意に呼ばれ、顔を呆けさせたエマはグランの顔を瞳に映した。その顔が少し可笑しく見えたのか、グランは少し笑い声を漏らすと、彼女に向けていた視線を夜空へ移し、先の言葉を続ける。

 

 

「オレにはそっちの事情は分からないが、少なくともヴィータさんがいて良かったと思う事もある。あの人の純粋な笑顔はな、華があるって言うのか、こう、見てると嬉しくなるんだよ。そうそう、委員長はそういう時のヴィータさんに似てる」

 

 

「私が姉さんに、ですか?」

 

 

「ああ。だから委員長も、出来ればオレの前では笑っていてくれ。さっきみたいな落ち込んだ顔じゃなく……な」

 

 

 首を傾げているエマへ再度視線を向け、グランが浮かべた笑顔はとても優しげな表情だった。彼女はその顔を瞳に映し、ノルドで同じ様な事があった事を思い出して頬を赤く染める。恥ずかしそうにしながら顔を僅かに背けた後、瞳を伏せて口を開く。

 

 

「……が、頑張ります」

 

 

「こ、この子いつか女に刺されるわね……」

 

 

 顔を背けるエマの様子に笑みをこぼすグランの足元。セリーヌはそんな二人を見上げながら、そう遠くない未来を想像して顔を引きつらせるのだった。




見事に戦闘描写が書けなくなりました(涙
光の剣匠の時から違和感を覚えつつも、アリアンロードとの戦闘も書いていたら分かりにくいったらありゃしない! あれ、どうやって書いてたっけ……暫く戦闘シーンは無いかもです。

更新遅すぎて見放されてると思ったら、温かな言葉をいただいて感激中です。少しずつペースを戻せたらいいな……


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再会の約束

 

 

 

 朝日は眩しく、揺れる湖面を煌びやかに照らし続ける。霧はなく、晴れ渡ったレグラムの町からは、湖畔に浮かぶローエングリン城が容易く確認出来た。そして、そんな景色をグラス片手に眺める影が一つ。アルゼイド邸宅の二階テラスにて、朱色がかった頬を冷ますように、グランが一人佇んでいた。

 

 

「いよいよこの日が来たか……さて、これで学生として見る帝国の景色は最後になるかもしれないわけだが」

 

 

 感慨深げに、或いは物悲しそうに呟くグランの姿は、普段の彼と比べて余りにもらしくなかった。弱気、とはまた違うが、消極的なその思考は先日までの彼とはまるで別人だ。諦念、諦観的思考というのが相応しい。

 今見ている光景を目に焼き付けるかのように、景色を眺めてはグラスの中を口に含むの繰り返し。するとそんな時、彼の後ろから人影が現れる。

 

 

「いよいよだね。グランの事だから、別に心配はしてないけど」

 

 

「早いな、フィーすけ。ガレリア要塞の前だ、もう少し休んでおいた方がいいぞ」

 

 

「大丈夫。それに、起きてるのは私だけじゃないよ」

 

 

 ふと現れたフィーが横目にそう告げると、室内から次々とテラスへ立ち入ってくる人影が。ラウラ、エマ、ミリアムの三人だ。彼女達はテラスから吹き抜ける風で目を覚ました様で、グランとフィーの姿を見つけて姿を見せたのだろう。三人はフィーの隣へ横並びになり、中でもミリアムは大きな欠伸の後に、羨ましそうな表情でグランへ視線を向けた。

 

 

「いいよねー、グランだけクロスベルに遊びに行けるんだもん。フコーヘーだよ」

 

 

「もう、ミリアムちゃん。グランさんは“一応”お仕事でクロスベルに行くんですよ?」

 

 

「でも一日中ってわけじゃないでしょ? あそこ何とかっていう劇団とテーマパークがあるし」

 

 

「劇団アルカンシェルと、保養地ミシュラムにあるテーマパークの事だな」

 

 

「それそれ!……って、ラウラ詳しいね?」

 

 

「んん、まあな。それよりグラン、そなたの宿泊先はもしや、保養地ミシュラムなのか?」

 

 

「お前ら……一応仕事とか遊びに行くとか好き放題言ってくれるな。土産は期待するなよ」

 

 

 グランのクロスベル行きは公的なものであり、オズボーン宰相直々に依頼された護衛任務である。ともすればこの酷い言われようにはグランも顔を引きつらせるわけで、気分も害するはずだ。彼の最後の一言を受けて各々言い過ぎた節があるというのに気付いたのか、冗談だったと苦笑気味に謝っている。しかし、約一名心の底から残念がっているような落ち込みを見せる者が。

 

 

「そ、そうだな。グランも任務で向かうのだ、余計な気を遣わせるものではないな……」

 

 

 ラウラの落ち込み様を片目に映しながら、彼女はそんなにお土産を楽しみにする性格だったかと、普段の姿との相違にグランは首を捻る。とはいえ、その余りに沈んだ様子に少しばかり心が痛みだした彼は、仕方ないとばかりにため息を一つ。

 

 

「まあ、持てる範囲での土産なら買ってやらんこともない。ラウラとフィーすけはオレの事バカにしなかったしな、二人の欲しいものなら一つ二つ優先的に買っておくか」

 

 

「ほ、本当か!?」

 

 

「やったね」

 

 

 落ち込んだ姿から反転して喜びを見せるラウラと、したり顔のフィー。残念がるエマの隣からミリアムの猛抗議が始まるが、グランは見向きもせず。ただ、そんな彼の表情は、先程とは違いどこか晴れやかなものだった。

 

 

「(これが最後かもしれないってのに、土産の約束をしてしまったか)……どうやら、何が何でも持って帰らないといけないらしい」

 

 

「何当たり前のコト言ってるの! そうじゃなくて、ボクにもお土産、おみやげー!」

 

 

「あーもう分かった、分かったから袖を引っ張るな! ワインが溢れる」

 

 

「そう言えば何故そなたは平然とワインを飲んでいるのだ!」

 

 

 大きな試練の前の和やかなひと時。この場所へ帰らなければならない理由が出来てしまった今、彼の瞳に先の迷いは微塵も無い。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 執事のクラウスを始め、アルゼイド家に仕える者達。遊撃士協会レグラム支部へ派遣された人物に、個性的な少女達や昨夜助けた子供、そのほか町の人々。それぞれと別れの挨拶を終えた後、リィン達一行はレグラム駅にて列車へと乗車した。リィンとユーシス、向かい側にはエマとミリアムが席に座り、通路を挟んだ席にはグラン、その正面にラウラとフィーが腰を下ろす。

 レグラムの景色と別れを告げた彼らは、これからエベル支線、クロイツェン本線を用いてケルディック駅へと向かい、ジュライ特区での特別実習を終えたB班と合流した後、二班合同で大陸横断鉄道を経てガレリア要塞へ訪れる予定となっている。そして、グランは宰相護衛任務の為、ケルディック駅にて帝都から走る列車へ乗り、トワと合流してクロスベルへと向かう。

 寝息を立てるミリアムを除き、各々が談笑の中。リィン達が乗車した列車はエベル支線を抜け、公都バリアハートを過ぎた。徐々に近づく一時の別れに、リィンはグランへと視線を向ける。

 

 

「いよいよだな。グランの事だから、余り心配はしていないけど」

 

 

「心配事なら山程あるだろう。向こうで問題を起こして、俺達に恥をかかせない様にな」

 

 

「何だ、ユーシス。オレのどこに心配する要素がある?」

 

 

「バリアハートでの一件を忘れたとは言わせんぞ。まったく、あんな馬鹿馬鹿しい事で他人に頭を下げたのは初めてだ。思い出しただけで頭が痛い……」

 

 

 隣で頭を抱えるユーシスに、リィンは苦笑いをしながら同情の目を向ける。二人ともあの一件に巻き込まれた身であり、何度ホテルの関係者に頭を下げたか分からない程床を見つめたと愚痴をこぼす。知らない筈のエマとフィーの部屋をグランが勘で当てたというのもあり、彼がやらかした事が下手をすれば大問題になっていた可能性があった。当の本人は何の悪気もないのが尚更タチが悪い。

 そして、その件で最も被害を被ったのが……

 

 

「いやぁ、今思い出してもあの薄着の委員長は実に良かった。何と言っても胸が……」

 

 

「何思い出してるんですか!?」

 

 

 グランの言葉に皆が呆れる中。エマは顔を真っ赤に染めて、一人恍惚とした表情のグランへ叫んだ。しかしそんな恥ずかしがる彼女の姿すら楽しんでいる為、この男はどうしようもない。

 エマの顔の熱も徐々に冷め、思い切り脱線した会話を漸くラウラが元に戻す。

 

 

「まったく。ところで、会長もクロスベルへ行くのだったな」

 

 

「ああ。学生の身で大したもんだよ、あの人は。卒業後の進路は聞いていないが、色んな所から誘われてるらしいな」

 

 

 この時、グランの表情が僅かに険しさを増す。

 トールズ士官学院の生徒会長、トワのクロスベル行き。士官学院での成績、人望、先月の帝都襲撃事件で見せた高い能力をかった帝国政府は、随行団の一員として西ゼムリア通商会議へ彼女を呼んだ。それ自体は何ら不思議ではない。普段の彼女を知っている学院の皆は誇らしげにトワを讃え、今朝に見送った事だろう。グランの表情の変化は、それが理由ではない。

 問題なのは、このタイミングで請け負う事になった宰相の護衛任務である。様々な思惑が入り交じった、この西ゼムリア通商会議。恐らく一筋縄ではいかないだろうと、彼は頭を悩ませていた。

 

 

「(帝国解放戦線、及び共和国反移民政策派の暗躍。赤い星座のクロスベル入り。西ゼムリア通商会議の開催。そしてその根底にあるのは幻焔計画、か……)さて、どう手を打つべきか」

 

 

「グラン、どうしたの?」

 

 

「いや、何でもない……どうにかしてみるか」

 

 

 グランはくしゃくしゃとフィーの頭を撫で、窓の景色へと視線を向ける。数分後、列車は到着アナウンスと同時にケルディック駅にて停車した。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「皆さん、お久し振りです」

 

 

 時刻は午前九時半を迎える。リィン達が降りたケルディック駅のホームにて、涼しげな声と共に一人の女性が姿を見せた。彼女に気付いた一同は顔を驚かせ、その女性の前へ次々と立ち並ぶ。帝国では言わずと知れた鉄道憲兵隊の軍服、戦闘帽の下の水色の長髪。鉄道憲兵隊大尉を務める、クレア=リーヴェルトの姿だ。そして、ミリアムは一人顔に花を咲かせて彼女へと飛びついた。

 

 

「クレアだー!」

 

 

「ふふっ。ミリアムちゃん、元気でしたか?」

 

 

 仲睦まじく抱き合うその姿は、年の離れた姉妹と見間違うほどで、とても鉄血の子供たち(アイアンブリード)と恐れられている人物には見えない。クレアに頭を撫でられながら笑顔のミリアムを見て、一同の表情にも笑みがこぼれていた。

 二人の二ヶ月振りとなる再会も程々に。クレアはふと視界の端にグランの姿を捉えると、その眉をひそめた。

 

 

「ところで、グランさん。一つ確認しておきたい事があるのですが」

 

 

「出迎え感謝します、クレア大尉。何ですか?」

 

 

「どうして貴方がこんな所にいるんですか」

 

 

 彼女の問いに、一同は揃って首をひねる。それもそのはず、グランがここにいる理由を、鉄道憲兵隊の大尉である彼女が把握していないはずが無い。依頼を出した側の人間であるクレアが、この後の予定を知らないというのは可笑しな話だった。グランは自身がここにいる旨を説明する。

 彼が先日帝国政府側から伝え聞いた内容は、本日午前九時半頃に、ギリアス=オズボーン、オリヴァルトらを乗せた特別急行列車、アイゼングラーフ号がケルディック駅にて停車し、グランの乗車をもってクロスベルへ向かうというもの。その手筈になっているとグランはクレアへ改めて確認するが、それを聞いた彼女は顔を驚かせ、更に帰って来た答えは全く違うものだった。

 

 

「予定では、アイゼングラーフ号はケルディックを通り過ぎます。クロスベルへ到着するまでは停車しません。グランさんは、今日の午前八時までにトワ=ハーシェルさんとバルフレイム宮へ来るようにと、レクターさんが文書でお伝えしているはずなのですが……」

 

 

「こちらが聞いた話では、トワ=ハーシェルのみが登城予定だったはずですが……あのカカシ野郎、無条件で共和国にテロリスト引き渡したのを根に持ってやがったな」

 

 

 情報の行き違いは伝達ミスというより、故意に起こされたものらしい。ただ、その理由は単なる嫌がらせという呆れた内容なのだが。しかし、過ぎた事はどうしようもない。警備上の問題でアイゼングラーフ号を停車する訳にはいかないらしく、グランは別のルートでクロスベルへ向かう必要がある。クレアはレクターの仕業だと知って困惑しながらも、クロスベルまでの列車の切符を手配するべくARCUSを手に取った。

 

 

「クレア大尉、別ルートの手配は必要ありません。こういった非常時も含めての護衛だしな」

 

 

「えっと、それはどういう……?」

 

 

「いや。態々他の手を回さなくても、合流する方法はあるって事ですよ」

 

 

 グランはクレアに背を向けると、突然身に付けていた士官学院の赤い制服を脱ぎ、無造作に放り投げた。ラウラが慌ててそれを受け取る中、彼は近くに置いていたスーツケースから紅いコートを取り出し、その身に纏う。そして、腰に下げていた二刀の内、普段使用している白銀の太刀を鞘ごと腰から抜くと、それもラウラへと手渡した。突然の事に、一同は困惑した様子で彼へ視線を向ける。

 

 

「少しの間だが、制服と刀を預けた。オレが戻って来なかったら、そうだな……リィンにでもくれてやってくれ」

 

 

「お、おいグラン」

 

 

「ばか者、縁起でもない事を言うものではない」

 

 

 グランの言葉にそばで聞いていたリィンは困惑気味に、受け取ったラウラは少し怒った様子で返す。二人の後ろにいる皆の表情も、言っていい冗談ではないとでも言いたそうな顔をしている。当の本人も、流石に調子に乗り過ぎたかと、申し訳なさそうに頭を掻いた。

 

 

「そういや、リィンとユーシスは何か土産のリクエストとかあるか?」

 

 

「はは、余り気を遣わないでくれ。グランが無事に戻ってくればそれでいいさ」

 

 

「何も問題を起こさずに帰って来るのが一番の土産だ」

 

 

「欲がないな、お前ら」

 

 

 模範的な返答のリィンに、バリアハートでの一件を根に持っている事が容易に分かるユーシスのリクエスト。欲がないとグランは言うが、彼らが言った事が、皆にとって一番の土産になる事は言うまでもない。

 

 

「委員長とミリアムは何かあるか? あ、委員長は土産のお礼に一晩付き合ってもらう予定だから、覚えておいてくれよ?」

 

 

「もう、だったら入りません……ですが、リィンさんが言われたように、無事に戻って来てくださればそれだけで」

 

 

「あ、ボクはお菓子とかがいいなぁ。美味しいやつ!」

 

 

「ああ、了解だ」

 

 

 相も変わらずからかって来るグランを受け流しつつ、エマはリィン同様に彼の無事が一番だと願う。ミリアムは年相応のリクエストだが、グランが無事に帰って来る事を一番に思っているのは間違いない。

 そして、グランは最後に目の前で立っているラウラへと視線を移す。

 

 

「……それじゃまあ、少しばかり親子喧嘩に行って来る」

 

 

「はあ、本来の目的はオズボーン宰相の護衛任務であろう、全く。……程々にしておくのだぞ。そなたが父君と分かり合えるよう、この地で祈っている」

 

 

「無理無理。グランと赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)じゃ何回生まれ変わっても分かり合えないと思う」

 

 

「お。流石フィーすけ、分かってるじゃないか」

 

 

「全く、そなた達ときたら……」

 

 

 いつの間にかそばへ来ていたフィーがグランと視線を交わす横、ラウラはそんな二人の様子を見て若干呆れ気味に笑みをこぼす。それぞれ胸の中に不安はあれど、必ず無事な姿で再会出来ると信じて。普段と変わらないやり取りで、少しばかりの別れの時を待つ。そして、程なく駅のホームに場内アナウンスが流れ始める。

 

 

『まもなく一番ホームを、特別急行列車が通過いたします。かなりのスピードですので、くれぐれもご注意下さい』

 

 

「よし、そろそろか……そうだ、みんな」

 

 

 スーツケース片手に滑走路へと近づく中、グランはふと思い出したように後ろへと振り返った。そして、彼の声に首を傾げた一同へ向けたその言葉は、更なる疑問を与える事となる。

 

 

「————背中は任せたぞ」

 

 

 直後。グランは滑走路を跳び越えて一番ホームへ辿り着くと、高速で走り抜ける列車の上部へと跳び乗った。

 

 

 




 皆さん、明けましておめでとうございます(笑
……笑えませんね、今四月だよ、新年明けてから3ヶ月以上経ってたよ。執筆速度を上げると言っていたあの発言は何処に……

 気を取り直して。五章は終わり、これから断章と題して西ゼムリア通商会議編へと場面は移り変わります。パッパと妹との再会、はっきり言ってこの章が一部のメインになるので、ここで盛り上がりに欠けたら後々蛇足感がハンパなくなってしまいます。頑張らねば……

 そう言えば閃の軌跡3の情報出てたんですね。リィンがトールズの分校の教官になるとか何処ぞの将軍が分校長になってるっぽいとか色々気になる事はありますが……
 一番の問題はノーザンブリア併合ですよ! 北方戦役とかオズボンさん何やってんですか! いつかはやるんだろうとは思ってたけども! この案件グラン巻き込まれ不可避じゃないですかやだー


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断章ーー西ゼムリア通商会議ーー
温度差


 

 

 

 アイゼングラーフ。鋼鉄の伯爵と呼ばれるその列車の名は、現帝国政府宰相のギリアス=オズボーンに合わせて付けられた名だ。彼は平民の出であったが、十一年前に宰相の任へ就いた際、皇帝から伯爵の地位を賜わった事で伯爵位となった。それ故に列車の名もそう呼ばれ、まさに鉄血宰相と畏れられる彼の呼び名と酷似している。

 物々しい名を冠するその列車は、帝国政府の専用列車というだけの事はあり、性能も高い。その速度は一般に利用する列車の比ではなく、内装も必要以上の煌びやかさはないが、利便性にも優れている。そこがまた、彼らしいと言えばらしいのだが。

 そして、そんなアイゼングラーフ号は現在。西ゼムリア通商会議が行われる予定のクロスベルへと向かっている訳なのだが、列車内の座席の一画。窓際の席に一人座っていた彼女は、どこか寂しそうな様子で移り変わる外の景色を見詰めていた。

 

 

「……グラン君、今頃どうしてるのかなぁ」

 

 

 トワはそう呟くと、見飽きてしまった外の景色から視線を移し、目を閉じて座席に背を預ける。そう長い列車旅ではないが、彼と二人で過ごすはずだった貴重な時間。クロスベルへ到着してからはそれぞれ仕事の為、会話が行える時間は限られている。だからせめて、この貴重な時間を。二人きりとまではいかなくとも、大好きな彼と隣り合わせで、何でもない会話をして過ごせるこの時を楽しみにしていた。それを帝国政府側による情報伝達のミスで失ってしまい、普段は笑顔の彼女が、こうして寂しそうにしている姿に繋がるわけである。

 しかしこのまま現地へ着いては、折角のチャンスを、帝国政府の仕事に関わる機会を台無しにしてしまう。気分は簡単に晴れないが、仕事に私情をはさんではいけない。そう考えたトワは、気分転換にと席を立ち上がった。向かう先は、列車内部を案内された際、休憩に使っていいと教えられていたバーのエリア。テーブル席は随行団や帝国政府関係者が使用していた為、カウンター席へと移動した彼女は、紅茶を一つ頼んだ。

 

 

「いや、護衛を頼んでおいて放ったらかしとかあり得ないだろ。酒でも飲まないとやってられるかっての」

 

 

「ハハハ、宰相閣下もグラン様を信頼しての事でしょう。しかし、本当に走行中のこの列車へ乗り込むとは……驚きました」

 

 

「ったく。警戒レベル上げんなら、列車本体の外部にも注意を払えって話だな」

 

 

 カウンターには先客がいたようで、どこか聞き慣れた心地良い声と、バーテンダーの渋い声が交互にトワの耳へと入ってきた。その内容はよく聞いていなかったが、飛んでもない事というのは直ぐに理解し、同時に重要な何かを聞き逃したように彼女は感じた。しかし、ふと頭を過ぎった紅い髪の少年の姿はここにいるはずもないと、ため息をついて頼んだ紅茶を待つ。

 

 

「紅茶を何も割らずに注いでどうしたんだ?」

 

 

「あちらの方のご注文です。どうやら随行団の方のようで、可愛らしいお嬢さんですよ」

 

 

「ほう……可愛い子には目がなくてな。貸してくれ、オレが届ける」

 

 

「では、こちらを」

 

 

 マスターと男の会話を耳に入れ、もし話の内容が自分の事だったらどうやって男の誘いを断ろうかとトワは再度ため息を一つ。グラスの中で氷が転がる音と男の足音が徐々に近づき確信した彼女は、一先ず彼の話を聞いてからやんわりと話を逸らそうと決める。そして、トワの目の前へと紅茶の注がれたグラスが置かれた。

 

 

「ご注文の品です、可愛らしいお嬢さん」

 

 

「あ、ありがとうございます……え?」

 

 

 トワが視線を向けた先、隣の席へ腰を下ろした男の姿に彼女の表情が固まる。それもそのはず。マスターから紅茶の入ったグラスを受け取り、トワの元へ届けたのは、ここにいるはずのないグランだったからだ。彼女の驚く姿が見れて満足なのか、グランはにやにやとその顔を見つめ、少し間が空いて我に返ったトワは慌てた様子を見せ始める。

 

 

「グラン君!? ど、どうして……」

 

 

「いやーケルディックで待ってたんですけど、駅を通り過ぎるってんで列車に飛び乗りました」

 

 

「と、飛び乗ったって……もう、あんまり無茶したら危ないよ」

 

 

「以後気を付けます……それじゃあ、再会と、互いの仕事の成功を祈って」

 

 

 トワは相変わらず予想の埒外の行動を取るグランに困惑しつつ、その表情にはどこか嬉しさを滲ませていた。グラスを手に取り、彼の持つグラスと乾杯をして中身の紅茶を口に含んだ。グランはそんな彼女の姿に笑みをこぼした後、自身もグラスに入ったカクテルを飲み干す。

 そして、トワは手に持ったグラスをテーブルに置くと、突然丸椅子をくるりと回転させてグランの方へ体を向けた。直後にその顔はニコリと笑顔を浮かべ、彼女の人差し指は彼が手に持つグラスを指し示す。

 

 

「ところでグラン君、そのグラスに入ってたのは何かな?」

 

 

 アイゼングラーフ号がクロスベルに到着するまでの間、グランはトワによる説教を受け続けるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「つまんなーい!」

 

 

 クロスベル自治州中心部、クロスベル市の中央広場から続く裏通りの一画。建物の屋上で、紅い髪の少女が不満そうに叫んだ。そして、あどけなさの抜けきっていない齢十六の少女のそばには、彼女の使用する武器、火炎放射器にチェーンソーとライフルが一体化した特殊銃火器テスタ・ロッサが無造作に置かれている。そしてその銃器を所持しているという事は、この少女の正体は一人しかいない。現在赤い星座の部隊長を務める、シャーリィ=オルランド。血染めの(ブラッディ)シャーリィの渾名で知られる、恐ろしい戦闘力を持った少女である。

 そんな彼女の近くには、同じ赤い星座の団員と思しき三人の男が立ち並ぶ。狙撃の名手として知られる猟兵ガレス、副隊長を務めるザックス。そして中でも圧倒的な存在感を示すのは、シャーリィと同色の髪に、眼帯をつけた屈強な容姿の男。彼こそが、闘神の死後、赤い星座をまとめ上げている赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)、シグムント=オルランドその人。

 

 

「もうすぐ式典が始まる。そうすればオルキスタワーとやらも拝めるだろう」

 

 

「パパー、それっていつ〜?」

 

 

「もうすぐだ……っ!」

 

 

 自身の娘を宥めながら、ふと違和感に気付いたシグムントは閉じていた目を見開く。周囲を軽く見渡し、ある一方向を直視した途端、彼の口角が突如吊り上がった。その様子に、シャーリィ達は疑問を抱く。

 

 

「シグムント様?」

 

 

「パパ、どうしたの?」

 

 

「フフ、士官学院とやらでぬるま湯に浸かっているとばかり思っていたが、そうか……いい面構えになったな」

 

 

 内から溢れ出す喜びを、隠す事なく笑みを浮かべるシグムントの横。シャーリィやガレス、ザックスも彼の視線を辿り、目を細めてその先を見つめる。

 シグムントの視線が示していたのは、中央広場の一画にある建物の屋根。そしてそこに佇み、彼らを凝視している人物が一人。肩まで伸びた紅い髪、真紅の瞳、腰に帯刀した一振りの刀。紅いコートを身にまとったその少年の姿は、紛れもなく彼のもの。

 

 

「あれは、まさか……」

 

 

「はは、幻でも見てるんスかね……」

 

 

 ガレスとザックスはその姿を捉え、驚きを見せる。かつては赤い星座で共に闘い、慕った、幼き部隊長の一人。二年前はその姿を見る事が出来なかった為、二人にとっては実に七年振りの顔合わせとなる。成長した彼の姿に、懐かしさと共に感慨深いものを感じていた。

 

 

「……帰って、来たんだ。パパ、帰って来たんだ!」

 

 

「ああ」

 

 

 シグムントとシャーリィにとっては、今でもその帰りを待つ大切な家族の一人。シグムントは思っていても口に出しそうにないが、彼を見つめるその表情は、再会を喜ぶ父親そのものだ。そして、一人声を上げて喜びを見せるシャーリィは、我先にと屋上を駆け出す。

 

 

「グラン(にい)が、帰って来たー!」

 

 

 四人の視線の先には、団員の皆が帰りを待ち望んでいるグランの姿があった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 アイゼングラーフ号はクロスベル駅にて停車し、姿を現したギリアス=オズボーン、オリヴァルト皇子らを導力リムジンで出迎える。二人と護衛を含み数名が乗車し、クロスベル警察の導力車を先頭と後尾に配置した状態で目的の場所へと発進した。空港や東の街道からも次々と導力車が現れ、各国の代表をある一点へ護送する。

 しかし、鉄血宰相の護衛を務めているはずのグランは乗車を断り、一人中央広場にその姿を残した。付近の建物の屋根へと跳躍し、駅に降りてから感じていた懐かしくも腹立たしい気配の元、クロスベル市の裏通りへと視線を向ける。ほぼ同時のタイミングで相手と視線を通わし、待ち侘びた時に口角を吊り上げた。そして……

 

 

「グラン(にい)だ〜、えへへ」

 

 

「っ……」

 

 

 屋根の上を飛び移り、駆け寄って来たかと思えば突然抱きついて来た妹。シャーリィの突拍子のない行動に、グランは戸惑いを見せていた。三年前、僅かに言葉を交わして別れた最愛にして最哀の妹。六年前にクオンの命を奪い、自身の幸せを壊した張本人。その彼女の余りにも親しげな態度に、グランはどう対応したらいいのか困惑していた。彼がまだ西風の旅団の一員だったあの時、再会した妹の事は確かに突き放した。なのにどうしてこうも慕ってくるのかと。

 グラン自身、シャーリィに対しての怒りは確かにある。彼女が大切な人をその手で奪った事は、決して許している訳ではないし、これからも許すつもりはない。ただそれは憎しみではなく、哀れみの情であった。グランが真に憎むべきは、ここにいる彼女ではなかったから。それでも、複雑な心境なのには変わりない。一度妹に触れそうになった手を、グランはゆっくりと戻した。

 

 

「シャーリィ、離せ」

 

 

「んー、もうちょっとだけ……って思ったけど、もうすぐ団に帰って来るからいっか」

 

 

「……どういう意味だ?」

 

 

「えっ? だってグラン(にい)、パパと闘いに来たんでしょ?」

 

 

 笑顔を浮かべながらシャーリィが返してきた答えは、一切の悪意無く全てを物語っていた。彼女の言葉を要約すれば、この後グランは父親との闘いに敗れ、約束通り赤い星座へ戻る事になると言っている。それはグランにとって望まないものであり、極めて不愉快な結果だ。

 しかし、彼女はまるでそれが良いことの様に話している。最善の結果であるかのように話している。赤い星座の団員達も、シャーリィと同様の考えである事は言うまでもない。何故ならそれは、グランが赤い星座から去った詳しい原因を、彼女を含め団の皆に伝えられていないからだった。事の詳細をシグムントが説明しなければ、皆も分かろうはずがない。そして、グラン本人にはそんな状況など知る由も無い。

 これこそが、グランと赤い星座の間にある食い違いであり、温度差だった。

 

 

「チッ……クソ親父に伝えとけ。互いの仕事が一段落したら、その時が決着の時だってな」

 

 

「グラン(にい)……?」

 

 

 グランは首を傾げるシャーリィを引き剥がし、屋根を飛び降りて人波の中へと紛れ込む。彼が駅前で護衛対象と別れてから数分と考えて、オズボーンとオリヴァルトを乗せた導力リムジンは既に目的の場所であるオルキスタワーへと到着しているだろう。護衛を務める以上、彼らから余り目を離しすぎるのは問題だ。クロスベル警察や各国代表の身辺警護がいるとしても、もしもの時に自分がいない状況で代表達に何かあれば猟兵という仕事の信用に関わる。

 

 

「ったく、ここにきて何を迷ってんだオレは……」

 

 

 任務についての考えを巡らし、自身の脳内を過ぎる感情を誤魔化す。そうする事で、訳のわからない迷いなど消し去る事ができた。必要なのは最善の成果、そして自身にとって最高の結果のみ。

 

 

 そう……分かり合う事など、元より不可能なのだから。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 アイゼングラーフ号がクロスベルを訪れて直後。エレボニア帝国内、大陸横断鉄道を走る列車の中。サラを含めたトールズ士官学院Ⅶ組のメンバーは、通路を挟んで各々が座席へ座っていた。A班、B班共に無事、特別実習を終え、現在目的地のガレリア要塞へ向かう途中、皆はそれぞれの実習地での話題で持ちきりだった。

 

 

「槍の聖女の幽霊なんて本当かしら。そういえば、ラウラはその幽霊を見たの?……ちょっと、ラウラってば聞いてるの?」

 

 

「……あ、すまぬアリサ。もう一度頼む」

 

 

 グランが着ていた制服を手に顔を俯かせていたラウラは、申し訳なさそうにアリサの顔を視界に捉える。ケルディック駅で合流してからずっとこんな調子でいるラウラの様子に、アリサは心配していた。グランと別れる前、どのような事があったのかはその場にいなかったサラもB班の面々も話を聞いている。冗談混じりとはいえ、形見のように制服と刀を預けて去った彼の行動は、笑顔で見送ったといってもラウラの心に一抹の不安を残すのは当然だ。彼女と同じくグランを見送ったリィン達も、不安を拭いきれないのは同様だった。

 

 

「確かにそんな形見みたいに置いてかれちゃあ、心配にはなるわね。あの子もその気は無いんだろうけど、もしかしたらって事はあるし。確率的には、そのもしかしたらの方が高い訳だけど」

 

 

「サラ教官、もう少し言葉を選んで下さい」

 

 

 サラはマキアスの注意を受けて、苦笑気味に謝る。ただ、彼女の言葉がA班の皆にとって図星なのは事実だ。その事から目を背けては、それは逃げているにすぎない。グランが何を背負い、どんな心境でクロスベルへ向かったのか、Ⅶ組の殆どが知らない以上、向かい合うこと自体難しいわけだが。

 Ⅶ組が始動して今日まで、彼らはグランの事を知らなさすぎた。

 

 

「一つ聞きたいのだが、みんなはグランの事をどこまで知っているんだ? 俺は学院で過ごすグランの事しか知らなかった。知っている事があるなら、少しでも教えて欲しい」

 

 

 ふと、ガイウスがこの場にいる全員に問う。学院に来るまでノルドで暮らしていた彼は、当然の如く学院に来てからのグランしか知らない。だから、Ⅶ組の一員として、共に助け合う仲間として、彼の事を知りたいと願った。

 

 

「そう言われると、僕も彼の事は学院での姿しか知らないな。何度も助けられたというのに、情けない話だ」

 

 

「それを言ったら僕もだよ、マキアス。仲の良かったラウラや、知り合いだったフィーやサラ教官以外のメンバーは、殆ど知らないんじゃないかな?」

 

 

 エリオットが周囲を見渡すと、三名を除いて皆が首を横に振った。彼の話す通り、その三名を除いてグランについて詳しく知っている者はいない。一名例外はいるにせよ、同じ団にいたフィーは除いてサラやラウラも話し伝えにしか彼の事は知らない。グランが皆に語った事といえば、紅の剣聖として知られている元猟兵だという事だけ。クロスベルで彼を待ち受けているものが何か、彼が抱えているものが何か、本質的な意味で理解している者はいない。フィーでさえ、そこには至っていないのだ。

 

 

「ったく、どいつもこいつも難しい顔しやがって。そういうのは、グランが帰って来てから本人に直接聞けばいいじゃねぇか。それともあれか、そこまでお前さん達はアイツから信頼されてないってのか?」

 

 

 気怠そうにクロウの口から発せられた言葉は、実に辛辣なものだった。この状況では、からかう事が目的の冗談だったとしても皆はその言葉を真に受けてしまう。皆が食い下がる事を期待した彼だったが、この場では誰一人言い返せる者がいなかった。

 逆効果だったかとクロウが額に手を当ててため息をつく中、ふとリィンが思い出す。この空気を変えられるかもしれないと、唐突にその言葉を口にした。

 

 

「『背中は任せたぞ』……そういえば、グランはどうしてあんな事を言ったんだろうな」

 

 

 リィンの声に、その場でグランの言葉を聞いていた者もそうでない者も驚きを見せる。背中を任せるとは即ち、戦闘中での自身の身を委ねるという意味だ。前方の敵に集中する為、背後の敵は任せたという意味合いで用いられる。クロスベルと帝国に双方がいる状態で、何を考えて彼がそう言い残したのか皆には見当もつかなかった。正確には、その意味を真に理解した者もいるようだが。

 そして、その意味を理解した者の一人。サラは笑みをこぼすと説明を始める。

 

 

「これは物の例えだけど、グランが今いるクロスベルを基点とした場合、その背中は何処になるかしら?」

 

 

「それは……東のカルバード共和国は勿論の事ですけど、このエレボニア帝国も当てはまります」

 

 

「さすが委員長、その通りよ。そうね、仮にクロスベルの背中が帝国としましょう。この地では今、どんな問題が起きているのかしら?」

 

 

「……なるほどね」

 

 

「帝国解放戦線、という事か」

 

 

 フィーを初め、ユーシスの声に皆も答えに辿り着いた。帝国の現状は、革新派と貴族派の対立は勿論の事、最近になって帝国解放戦線という名のテロリストが暗躍している事が発覚した。サラの導きによって出された結論は、グランがクロスベルにいる間、テロリストがいる背中を、帝国を任せたという意味となる。

 だが、そこに一つの疑問が残る。帝国解放戦線の狙いは、あくまで鉄血宰相ギリアス=オズボーンの首だ。その男がクロスベルにいるというのに、一体何をもってグランがそういった言葉を残したのかという事。

 

 

「この事はガレリア要塞で説明する予定だったんだけど、今回の通商会議を受けての情報局の見解よ。これはグランの見解と同じなんだけど……帝国解放戦線の連中、どうやらクロスベルだけでなく、この帝国でも何か仕出かすみたいね」

 

 

 詳細はガレリア要塞の中で話す事になるらしいが、サラから告げられた内容に一同も驚きを隠せない。先月の帝都襲撃に続き、またしても愚かな考えを抱くテロリスト達に怒りや呆れを感じていた。そして、サラは尚も続ける。

 

 

「あとは……これはグラン独自の見解なんだけど。私達が今から向かうガレリア要塞も、そのリストに入るようね」

 

 

「おいおい、マジかよ」

 

 

「ふーん……そこはクレアも盲点だったかもね」

 

 

 終始気怠げだったクロウとミリアムの顔に真剣味が増した。皆も驚いているが、現時点では鉄壁を誇るガレリア要塞に襲撃するはずもないと踏むのが妥当だろう。グランの伝言を伝え聞いたクレアは、鉄道憲兵隊の人員の一部をガレリア要塞へ派遣する事にしたが、他の重要地点の警備に配置する為の人員を割く為、余り多くは派遣できていない。実際問題、ガレリア要塞は重要拠点ではあるが、他の地点を手薄にするリスクを負ってまで人員を割く場所ではない。何しろ帝国正規軍最強と謳われる第四機甲師団が駐屯する場所を襲撃するなど正気の沙汰ではないし、あり得ないと考えるのが普通だ。結果的には、ガレリア要塞側に襲撃の可能性を伝えたというだけで、それだけでは常在戦場の帝国正規軍にはあまり意味のない情報だろう。有益な情報となると、襲撃のタイミングや手段といった具体的な内容が望ましい。

 とはいえ、確かにグランはその可能性を考えた。そしてもしもの時、その背中を任せるとリィン達に言った。そこまで考えが至れば、グランがⅦ組の皆を信頼しているかどうかなど容易に分かるというものだ。

 

 

「そうか。グランはそこまで考えて、私達に託したのだな……」

 

 

 ラウラの表情に、そしてⅦ組の皆の顔には徐々に笑顔が戻った。グランは既に、自分達を友として、信頼に足る仲間として見てくれていたのだ。そして無事に帰って来る為に、帰って来た時の為に、この帝国を任せると言って別れた。であるならば、その期待と信頼に応えないわけにはいかない。

 

 

「残りの特別実習、必ず無事に終えてグランの帰りを待とう!」

 

 

 リィンの声に、皆がその場で頷いた。一丸となり、この特別実習も成功させて見せると。グランが帰って来た時、笑って彼を迎えようと。ガレリア要塞に向けて、Ⅶ組の決意は更に強固となった。

 

 

「(紅の剣聖……末恐ろしいぜ、ったく。この先敵にならない事を祈るばかりだな)」

 

 

 ただ一人、窓の外を眺める男を除いて。




 少し更新速度上がりました、はい。(今後も維持できるとは言っていない

 ところで本編について触れていきますが、グランが赤い星座を辞めた理由は、シグムントが話していないのでシャーリィや団の皆は詳しく知りません。せいぜいシグムントと親子喧嘩してるんだろうとしか認識していないという……今はいませんが、バルデルさんは知っていたようですね。仮に知っていたとして、シャーリィ達がグランに対してどう思うかは……分かりません。ただ、シャーリィが知っていた場合、トワを見つけたら問答無用で排除するでしょう。グランに、赤い星座以外に帰る場所があっては困りますから。だって大好きなお兄さんだからね……恐ろしい娘!

 そしてリィン達は漸くというか、グランの事を知らなさすぎると改めて思い始めました。彼がクロスベルから帰って来たら、直接話を聞くでしょう。そこで詳しくグランの過去編をやるよ!

 最後に……トワ教官とかグラン参戦フラグじゃないですか、北方戦役の後で帝国の為にグランも教官になるとかだと酷過ぎ……まあ多分やるけどね!(流石は会長キチry


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最善手

 

 

 

「皆様にお披露目させていただく、大陸史上初の超高層ビルディング……オルキスタワーであります!」

 

 

 クロスベル市長、ディーター=クロイスの威風堂々とした声と共に、高さ二百五十アージュから降りた垂れ幕が左右に開く。そこに現れたのは、地上四十階、各階がガラス張り構造の巨大なビル。このゼムリア大陸において最も高いとされるオルキスタワーの初公開をもって、此度の西ゼムリア通商会議の開催が宣言された。各国の首脳陣、関係者、遠くから眺める市民達は感嘆し、或いは驚愕した。これ程のものを作り上げるのにどれほどの技術が、そしてミラが使われたのか計り知れない。オルキスタワーの完成は、人智の可能性を新たに感じさせるものだった。

 しかし、オズボーンの護衛としてその近くにいるグランはオルキスタワーを前に関心を見せず。その表情は険しく、眉間にしわを寄せている。彼はタワーを視界に別の事を考えていた。

 

 

「(テロリスト達が共同戦線を張るなら、襲撃は恐らく明日の本会議開始後。随行団がタワー内で作業をする今日は、大丈夫だと思うが……)」

 

 

 此度予測される、帝国と共和国のテロリストによる通商会議襲撃。それぞれが各国の代表であるオズボーン宰相とロックスミス大統領の命を狙う以上、殺害する確実性をより求めるのであれば、互いに協力態勢を敷いている可能性が高い。そしてだからこそグランの考えている通り、公の場で対象の二人が揃う本会議に当たる明日が、襲撃が最も警戒されるタイミングとなる。

 であれば、今日テロリスト達が作戦を開始するのは確率的に低い。随行団のメンバーの内、トワが配属された組が作業を行う予定のオルキスタワーは比較的安全だろう。鉄血宰相の護衛で彼女のそばを離れなければいけないグランは、少し考える素振りを見せながら独りでに納得していた。そんな中、彼はオルキスタワーを見上げていたオズボーンから不意に声を掛けられる。

 

 

「真面目な事だ。依頼をした側が言うのも可笑しな話だが、少しは肩の荷を下ろしても良いのではないか?」

 

 

「これも性分だ。アンタの護衛とクロスベルの情報整理に手を割かれたら、ここにいる間は会長と殆ど離れるからな。心配もするし、手を尽くしたくもなる」

 

 

「そうか。学友の方は精々守ってやれ。護衛についても明日の本会議が契約の主な内容だ。夕食の時刻までに戻ってくれば、ここでの行動はある程度許容しよう」

 

 

「ヘェ〜、紅の剣聖殿はフリーって訳か。だったらこっちの仕事も手伝ってくれると助かるゼ」

 

 

「そっちはそっちでやってろ」

 

 

「手厳しいねぇ」

 

 

 会話に入ってきたレクターはやれやれと首を振りながら、顔を背けるグランを視界に捉える。そもそも初めからあてにしていなかったのか、飄々とした姿はそのままで、落ち込んだようには見えない。グランも彼の事はまともに相手にしていないようで、改めてこの地で行える最善手を考える為、思考を巡らし始めた。

 今回のテロリスト襲撃に備え、あてに出来る戦力は大きく分けて四つ。自身を含めた帝国側の戦力は勿論の事、カルバード側からもそれなりの手練れは来るだろう。そして遊撃士は風の剣聖を初め、顔見知りもいる。クロスベル警察、クロスベル警備隊にもそこそこ期待はできる。ただのテロリスト相手ならば、これでも充分すぎる戦力だ。しかし、その戦力の中に懸念事項はある。

 

 

「(赤い星座に黒月(ヘイユエ)……鉄血と狸が何を考えているのかは別にしても、この二つは警戒するに越した事はないか。何れにせよ、護衛対象は必ず守ってみせる)」

 

 

 不安材料は多々あるが、鉄血宰相の護衛として、何より随行団の一員として訪れたトワを守る為に。この先考えられる展開を、起こりうる可能性の全てを予測して。必ず大切なモノを守りきると、改めて彼はここに誓うのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 ディーターによって各国代表がオルキスタワー内部の案内を受けた後。昼食会を終えた首脳陣は、それぞれが目的の為に散り散りになった。グランの護衛対象でもあるオズボーンは軍の護衛を連れて迎賓館へ向かい、トワはオルキスタワー内部の一画で宰相のスケジュール調整や視察の資料作成、レポートなどのまとめに明け暮れている。

 本当であればトワをからかいにオルキスタワーへ向かいたい彼だったが、自身の趣味嗜好で動くわけにもいかず。事前に届けていたある依頼を受けてもらう為、グランは一人遊撃士協会クロスベル支部を訪れていた。

 

 

「邪魔するぞ……何だ、他の遊撃士は不在か」

 

 

「あら、誰かと思えばグラン君じゃない。猟兵が遊撃士協会に何の用事?」

 

 

「依頼を出しに来た。と言っても、話は特務支援課が来てからになるが」

 

 

「……取り敢えず先に二階の席でかけてなさいな。大したもてなしは出来ないけど」

 

 

「了解だ」

 

 

 互いに敵対関係とはいえ、歓迎ムードではない場の空気にグランは苦笑を漏らしながらカウンター横の階段へ向かった。赤い星座、黒月(ヘイユエ)という警戒対象に加えて結社に連なる者が突然現れたのだ。公的な立場での来訪だとしても、遊撃士協会側が彼を警戒するのは仕方がないだろう。

 階段を上がり、横長のテーブルに合わせて複数設置された椅子の一つにグランは腰を下ろす。そして、クロスベル警察、特務支援課のメンバーが訪れるのを静かに待つグランだったが、テーブルの端で何かの教本を片手に頭を悩ませる少年とふと視線が合った。

 

 

「ど、どうも」

 

 

 勉学に励んでいた銀髪の少年は、視線が合うなり困惑した様子で挨拶を行う。グランはそんな彼の姿に、人見知りな性格なのかと軽く会釈をするにとどまった。一つ気になることはあるが、その程度の覇気なら大した手練れではないと判断したからだ。それに、余り懇意に接しても、それはそれで彼にとっても迷惑だろうと。

 そして、その判断は彼ーーーーナハト=ヴァイスにとっても非常に有り難かった。死を恐れて逃げて来た場所に最も近い存在、それも規格外の人物と遊撃士協会の中などという思いもしない場所で出逢ってしまったのだから。

 

 

「遊撃士なんて仕事は余りお勧めしないが、戦場なんかよりは遥かにマシだろう。ま、精々頑張れよ」

 

 

「っ!?……ハハ、ありがとうございます」

 

 

 興味無さげに、ナハトへ励ましの言葉を贈るグラン。彼がどの様な経緯で遊撃士を目指すに至ったのか全く関心が無い訳ではなかったが、彼が目指すそれが自身とは相容れないものであると、僅かばかりの関心もアッサリと切り捨てる。以前に面識があればまだ対応は違ったかもしれないが、知り合いでもない“元猟兵”とこれ以上話す必要は特に無いからだ。

 対して、グランの言葉に作り笑いで返しているナハトは、正直気が気ではなかった。

 

 

「(はは、このクラスが相手だとやっぱり気付かれるか……って何で紅の剣聖なんて化け物がここにいるんだよ!?)」

 

 

 グランが遊撃士協会から去るまで、冷や汗を流しながら遊撃士についての勉強を続けるナハトであった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「差出人不明の要請、ですか?」

 

 

 クロスベル市中央区、特務支援課ビル一階のフロア。クロスベル警察捜査官ロイド=バニングスは、課長のセルゲイから伝えられた要請内容に疑問を抱いていた。差出人不明の要請、そしてその内容は待ち合わせの場所で詳細を話すというもの。はっきりとしない要請に、彼が訝しむのも当然だ。そして、ロイドの隣の椅子に座る胸の豊かな銀髪の女性、エリィ=マクダエルは一人手を挙げる。

 

 

「ちょっといいかしら。その要請なんですけど、課長に直接届けられたんじゃないんですか?」

 

 

「ああ。それがな、ついさっきデスクの上を見たらこれが置いてあってな」

 

 

「それって不法侵入されたって事じゃないですか!?」

 

 

 やれやれと困った様子で片手の便箋を揺らすセルゲイの言葉に、戦闘帽を被る茶髪の女性ノエル=シーカーは驚きを露わにして声を上げる。要請の内容は検討するにしても、大前提として特務支援課ビルに無断で立ち入られたというのが問題だ。警察の施設内に不法侵入とは、大胆不敵にも程がある。

 セルゲイ曰く、オルキスタワーがお披露目された後、ロイド達がここへ戻って来てから昼休憩に入るまで、デスクに便箋は置かれていなかった。であるならば、彼らが小休憩で一時的にこのフロアを空けた僅かな時間に侵入されたという事になる。

 そして、不法侵入を許したという事は、もう一つ確認しておかなければならない点がある。緑髪の中性的な容姿の人物、ワジ=ヘミスフィアはその疑問を問い掛けた。

 

 

「所で一つ確認なんだけど、盗まれた物とかはあるのかい?」

 

 

「その辺りは大丈夫だ。この要請の手紙を置いた奴が荒らした形跡は特に無い。お前達は自分の部屋にいたんだから、何か盗まれているなんて事は無いだろうしな」

 

 

 ワジの疑問に、セルゲイは窃盗の心配は無いと告げた。通商会議前、警戒態勢の中各所との連絡も担うセルゲイの部屋となると、情報の漏洩が最も危険視されたが、どうやら本当に要請の手紙を置いていっただけで、重要な情報等を見られた可能性も低いとの事。それが分かっただけでも一先ず安心だと、女性陣のエリィとノエルは胸を撫で下ろしている。

 しかし、ここで二人の安心に不安要素を投げ掛ける者が。グランの従兄であり、特務支援課のメンバーの一人ランディ=オルランドである。

 

 

「お嬢達が安心してるとこ悪いんだが、まだこのビルの中にいるって可能性もあるんじゃないか? 仮にもしそいつが男だった場合、他に侵入される所は大体予想がつくがな」

 

 

「ちょ、ちょっとランディ何変なこと言ってるのよ」

 

 

「そ、そそそうですよ。ランディ先輩何言ってるんですか」

 

 

「今もお嬢かノエルの部屋で色々漁ってたりしてな」

 

 

 ニタリとランディが笑みを浮かべた途端、エリィとノエルは叫び声を上げながら自室を確認するべく全速力でその場を後にする。その冗談はタチが悪いとロイドがため息をつき、ワジはケラケラと一部始終を見て笑っていた。話が脱線してしまい、セルゲイは一人頭を抱えているが。

 数分ほど経過した後、自室に戻っていた二人は息を切らしながら階段を下りてくる。彼女達は疲れ切った表情で席へと着いた。

 

 

「突然取り乱してごめんなさい。取り敢えず私の部屋は大丈夫だったわ」

 

 

「私の部屋も特に変わった事は……ランディ先輩も驚かさないでくださいよ!」

 

 

「ハハ、悪い悪い。それより、その手紙さっきから気になってたんだが……」

 

 

「これがどうかしたのか?」

 

 

 話を元の手紙の内容に戻し、何か気付いた様子のランディはセルゲイから手紙を受け取る。紙に記された文面を確認した彼は、どこかで見た事のある癖字だと首を捻り、見覚えがあるというその言葉にロイド達も驚きを見せた。しかしランディの知り合いならわざわざ匿名で要請する必要は無く、ますます分からないと一同は頭を悩ませる。結局のところ、真相を確かめるには待ち合わせの場所に向かう以外に方法は存在しない。

 

 

「一先ず指定された場所に行ってみよう、そこで差出人が誰なのかはすぐにわかるわけだし」

 

 

 特務支援課のリーダーであるロイドの提案に、メンバー全員が頷いた。そして、一斉に待ち合わせ場所が記された文面へと視線を移す。

 

 

『民を守りし平和の体現者。魔都を支える拠点にて待つ』

 

 

 謎かけを前に、とある人物が皆の頭に浮かんだのは言うまでもない。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「待ってたわ。丁度お茶の用意が出来たの、上がってちょうだい」

 

 

「どうも、ご無沙汰しています。待ってた……ということは、あの要請はミシェルさんが?」

 

 

「違うわよ。彼なら二階で待ってるわ」

 

 

 遊撃士協会クロスベル支部にて。トレイに複数のティーカップを載せて運ぶ途中のミシェルは、屋内に姿を現したロイド達特務支援課の面々の前に歩み寄った。直後に二階へ上がるよう彼らに促し、一人階段へと向かっていく。揃えて首を傾げながら、ロイド達も彼の後に続いた。

 特務支援課に出された差出人不明の要請は、遊撃士協会クロスベル支部の事を指していた。数々の要請に応えてきた彼ら特務支援課には簡単な謎かけではあったが、待ち合わせの場所が場所だけに相手も下手な真似はできないと分かって一安心。更に一同の頭によぎった人物の可能性も無くなったため、ある程度の心の余裕がロイド達にも出来ていた。

 クロスベル支部の二階へ上がり、先頭を歩くロイドは席に座る紅髪の人物を視界に捉える。ロイドに続いて支援課のメンバーが二階に姿を見せ、同時に彼もその身を翻した。

 

 

「多忙な中、要請に応じてもらい感謝する、特務支援課の諸君……ってのは、流石に偉そうですか」

 

 

「君は確か、以前ランディに会いに来た……」

 

 

「グランじゃねぇか!? なんでお前がここに……ってかあの紛らわしい手紙はお前かよ!」

 

 

 苦笑気味のグランの姿に、ロイドとランディは驚き混じりに彼の元へと近寄った。そして見たことのある字はグランのものだったのかとランディが一人納得している中、彼らの後ろから残りの支援課メンバーが集まる。エリィにノエル、ワジの三人は共にグランと初対面な為、不思議なものを見ているかのような目でグランを視界に捉えていた。すかさず、ランディから紹介が行われた。

 

 

「お嬢にノエル、ワジは初対面だよな。俺の従兄弟にあたるんだが、あのシャーリィと双子の兄、グランハルトだ」

 

 

「初めまして、グランハルト=オルランドです。特務支援課では、いつもランディ兄さんがお世話になっているそうで……これからもよろしくお願いします」

 

 

「ふふ、ご丁寧にありがとう。話には聞いていたけど、ランディとは違って礼儀正しいのね。エリィ=マクダエルです、こちらこそ宜しくお願いします」

 

 

「ノエル=シーカーです。ランディ先輩には以前からお世話になっています、私の方こそ宜しくお願いしますね」

 

 

「ワジ=ヘミスフィアだよ、どうぞお見知り置きを。グランハルトって言うと、君があの“紅の剣聖”なのかい?」

 

 

 各々自己紹介を終え、最後にワジから投げかけられた問いにグランはその通りだと頷いた。ロイドとノエルは紅の剣聖と聞いて首を傾げるが、エリィは知っていたのかその顔を驚かせる。先程までの子供を見詰める様な優しい表情から、途端に目を丸くした。

 

 

「エリィは知っていたのか?」

 

 

「え、ええ。紅の剣聖と言えば、これまで各国の首脳クラスを対象に、何度も護衛任務をこなしてきた凄腕の猟兵よ。人を護る仕事を専門にしている彼の理念に、猟兵の入国を禁止しているリベール王国の女王陛下でさえ雇用を認めたっていう話は有名ね」

 

 

「そ、そんなに凄い男の子だったの、君!?」

 

 

「そんなに大した人間じゃないですよ。アリシア女王陛下の特別雇用の件についても、各国への牽制で唾をつけただけだと思いますし」

 

 

「それが凄いんじゃない。グランハルト君一人の為にリベールの規律を覆したようなものなんだから。それにしても、本当にこの子ランディの従兄弟さんなの? こんなに常識のある子が、とてもそうは思えないのだけど……」

 

 

 褒めても何も出ないとグランが苦笑を漏らす中、ランディはエリィの疑問に余計なお世話だと額へ青筋を立てた。ロイドとノエルは二人の様子にから笑いで、ワジは依然探るような目をグランへと向けている。グランもその視線には気付いたようで、目を合わせた一瞬、グランの表情が温厚なものから好戦的な笑みへと変化した。

 

 

「(こちらの正体は明かしていないっていうのに、もう感づかれたか……今後の彼の動向には注意をしておいた方がよさそうだ)」

 

 

「ワジ、どうしたんだ?」

 

 

「あ、ああ。何でもないよ」

 

 

「そ、そうか?」

 

 

 僅かな動揺を見せるワジの顔を見て不思議に思うロイドだったが、はぐらかされて彼の変化に気付く事はなく。グランも元の温厚な表情に戻っており、ワジ以外はグランの見せた一面に気付く事は無かった。

 ミシェルが各席にティーカップを置き、そろそろ本題に入ろうと提案して一同はそれぞれ席に着く。要請の手紙の差出人であるグランから、各々へ説明が行われた。

 

 

「明日、オルキスタワーで西ゼムリア通商会議が行われるのは当然知っていますね? その本会議において、帝国と共和国で活動をしているテロリスト達の襲撃が予想されています。その情報はそちらには?」

 

 

「!? その話、詳しく聞かせてくれ」

 

 

「では、オレが学生として帝国にいた間の、エレボニアの内情から説明させてもらいます」

 

 

 ロイドに説明を促され、グランは今現在の帝国の内情、革新派と貴族派の対立から、テロリスト出現の大まかな経緯を話した。そしてその内容はロイド達特務支援課のメンバーには知らされていなかったようで、皆驚いた様子で話に聞き入っている。ミシェルは遊撃士協会の情報網である程度は仕入れていたらしく、それ程驚いてはいないようだが。

 グランによる説明が一通り終わり、話は改めて要請の主な内容に移る。

 

 

「今回オレは、帝国政府の依頼を受けて彼らの護衛任務に就いています。そこで、今回の通商会議ではオレを含め、クロスベル警察、クロスベル警備隊、遊撃士と協力態勢を敷きたいと考えています」

 

 

「ちょっと待って頂戴。通商会議の警備についてなら、既に各国同士とクロスベル、うちも含めて話はついているはずよ。どうして今更グラン君がそれを?」

 

 

 ミシェルの疑問はもっともだ。各国が集う会議の場で、警備の面において話がされていないはずがない。現に遊撃士協会には、当日の本会議を見届ける役目としてアリオス=マクレインが出席する旨を伝えられている。本会議中の警備についてもクロスベル警察、クロスベル警備隊も各国の警備とそれぞれ協力して既に動いている。今更そんな話をされても、と考えるのは正しいだろう。

 ただし、事前に行われたそれがあてに出来ればというのが前提ではあるが。

 

 

「帝国と赤い星座、共和国と黒月(ヘイユエ)の関係性を知っているあんたらが分からないとは言わせんぞ」

 

 

「……なるほど。“信用出来ない”というわけね」

 

 

 流石は遊撃士協会の代表といったところか。グランの僅かな言葉で、ミシェルはその考えを当てる。それと同時に、改めてこの少年の行動力と思慮深さに身を震わせた。確かにこの少年は、齢十六の若さでありながら剣聖の器を持っていると。

 ただ、彼らだけが納得しても話は進まない。グランが何故改まってこんな話を持ちかけたのか。その意図を皆に理解してもらわなくては、話は先に進めないからだ。グランが説明しようとした矢先、エリィから質問が飛ぶ。

 

 

「えっと、信用出来ない、というのは?」

 

 

「簡単な話ですよ。帝国は赤い星座と、共和国は黒月(ヘイユエ)と、それぞれ何らかの契約を交わしたという情報があります。表で警備体制を敷いておきながら、裏では猟兵団や犯罪組織と手を組んでいる。考えられる可能性としては、先日の教団事件を受けてクロスベルの警備をあてにしていないか、若しくはテロリストの襲撃に合わせて何か別の狙いがある……或いはその両方」

 

 

 クロスベル警察、遊撃士協会クロスベル支部の双方が警戒をしている二つの勢力。ここにきて名前の挙がったそれらに、一同は表情を険しくさせていた。そしてだからこそ、誰もがグランの推測を眉唾物と言い切る事が出来ない。可能性として、彼の話は確かにあり得る事なのだから。

 ただ、それと話の内容を全て納得するというのは別の問題で。

 

 

「クロスベル警備隊をあてにしていないって……そ、それはどういう事ですか!」

 

 

「ノエルさん、落ち着いてください。現時点で、帝国と共和国側がクロスベルに不安要素を見出すとしたらの話です。オレ個人としては、警備隊の人と手合わせをした経験もありますし、その実力は高く評価しています。それに、教団事件についても概要は把握していますし、警備隊の皆さんに落ち度が無い事も知っています」

 

 

「あ……その、突然怒鳴ったりしてごめんなさい」

 

 

「気にしないでください。それに、こちらの方こそ言葉が足らず不愉快な思いをさせてしまい、すみませんでした」

 

 

 一先ず話の誤解も解け、場の緊張は無くなった。ノエルは学生に怒鳴ってしまって大人げなかったと落ち込みを見せるが、ワジとランディのフォローで何とか笑顔を戻す。

 そして、一同は改めてグランの顔を見据える。帝国から護衛任務で訪れ、その身内も信用出来ない中で彼の取った最善の行動が、個人的にクロスベル側の人間と協力態勢を敷くというもの。とても学生の起こせる行動ではないと、彼の内に潜む本質の一部を垣間見た気がして鳥肌を立てた。

 

 

「さて、これでオレの依頼は理解して頂けたと思いますが、どうですか?」

 

 

「ああ。こちらこそ、喜んで協力させてもらうよ」

 

 

「警備隊の方でも、出来る限り協力させて頂きます」

 

 

「こちらも了解したわ。遊撃士協会の人間として、クロスベルの危機に見て見ぬ振りはできないもの」

 

 

 グランの要請は、クロスベル側の人間に無事引き受けられた。二大国の思惑に反する事になる以上、戦力としては不十分かもしれない。仮に一矢報いたとしても、大局は動かない可能性が高い。それでも、守るべき存在があるから。出来る限りの事を行動に移し、少しでも良い方向に物事を進める為に。

 

 

「では、これから皆さんにお願いしたい事があるので、その話から————」




 ランディが空気になってますね。ま、まあ彼は成長したグランの姿を見守っていたという事に……とそれはそうと、漸くグランが特務支援課(ティオは居ませんが)と出会いました。次話で支援課との交流も含めてクロスベル内を行動する事になります。果たしてエリィの胸は無事なのか!(オイ

 暁の軌跡から友情出演! ナハトはクロエと違って先にクロスベルに到着してミシェルさんと出逢っていたようですし、遊撃士の勉強をしていたみたいなのでこういったサプライズもありかなと。ナハトにはいい迷惑ですけどね!

 そう言えば、待ち合わせの場所を謎かけで記すなんてグランはまるで怪盗みたいですね(すっとぼけ


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改められた認識

 

 

 

「じゃあ、明日は手筈通りに頼んだぞ」

 

 

 遊撃士協会クロスベル支部の扉が開き、中からグランがその姿を現す。明日に行われる予定の西ゼムリア通商会議へ向け、当日の警備方針や必要な準備についてミシェルや特務支援課のメンバーと話し合った彼は、話し合いを終えて遊撃士協会を出たばかりだった。

 一先ず打つべき手は打った。そしてこの後のグランの予定は、ミシュラムの迎賓館で開かれる夕食会と、夕食後に各代表が観劇する劇団アルカンシェルの公演の間の警備である。今の時刻から、オズボーンが指定した夕方までは時間があった。と言う事で、折角だから前回訪れた際に行けなかった場所も含めて、少し息抜きでもしておこう。そんな風にある考えを思い付いた彼は、近くで談笑をしている五人組へと視線を移した。

 

 

「そういやぁ、グランはこの後どうするんだ?」

 

 

「グラン君は確か、オズボーン宰相の護衛としてクロスベルへ来ていたのよね?」

 

 

「はい。それが、各代表の夕食会が行われる夕刻までは暇を持て余してまして……実は、皆さんにもう一つ要請(オーダー)をお願いしたいんです」

 

 

 グランはランディとエリィの問いに、追加の要請としてクロスベル市と周辺の案内をお願いしたいと口にする。前回クロスベルを訪れた時は詳しく見て回れなかったから、この機にクロスベル周辺の情報を知っておきたい。それに、テロリストが潜伏している可能性もある以上、見て回れる場所は出来るだけ確認しておきたいと彼は要請の意図を話した。

 しかし、特務支援課の彼らも一人の為にクロスベル案内をするほど暇では無い。この後も市民から寄せられた要請に応えなければならず、そうするとグランを案内している時間などは無い。ロイドから理由とともに断りの謝罪を受けたグランだったが、そこで良い考えがあると彼は返した。

 

 

「その要請、オレにも手伝わせてください。今回こちらから出した要請に対する謝礼、としては不足かもしれませんが、少しはお力になれると思います。無論、寄せられた要請の内容や関連する情報は口外しません」

 

 

「なるほど。こちらも手伝ってもらって楽が出来るし、ついでに周辺の案内も君に出来る、と」

 

 

「ワジ君、楽が出来るとか言わないの。でも、それならグラン君の要請にも応えられますね」

 

 

 早くも楽をする気満々のワジにノエルが呆れつつ、グランの提案は悪くないかもとその視線を頭を悩ませているロイドへ移す。

 警察へ宛てられた要請な以上、無関係な人間を巻き込むのは余り好ましくないというのが、捜査官としてのロイドの考えだ。しかし、それでグランの要請や提案を断るというのも確かに可哀想ではある。それに、彼の提案は基本的に、ロイド達にはメリットしかない。故に答えは決まっていた。

 

 

「そうだな……依頼者に要請の手伝いをさせるのは少し気が引けるけど、確かに良い考えだ。よし、それでいこう」

 

 

 特務支援課のリーダーを務めるロイドの承認により、グランは協力者として彼らと行動を共にする事に。決まった以上、早速行動に移そうとロイドが告げ、各々彼の言葉に頷いた後、一先ず各要請の再確認とグランの紹介を行う為、最初の行き先は特務支援課が腰を構えるビルへと向かう事になった。

 遊撃士協会のある東通りから南西、クロスベル中央区にある特務支援課ビル。警察のエンブレムが掲げられたそのビルの前に、グランを乗せた特務支援課の車が停車する。そして車を降りたグランは、先に降車していたロイドによって開かれたビルの入口へと近づいた。

 

 

「さあ、入ってくれ」

 

 

「では、お邪魔して————」

 

 

「ロイドおかえりー!」

 

 

 突然、特徴的な甲高い少女の声と同時にグランは体へ軽い衝撃を受けた。彼の目の前には体へ顔を埋めている緑髪の少女、そして隣にいるロイドは苦笑気味にその光景を見守っている。ぞろぞろと姿を現したエリィやランディ、ノエルにワジもその光景を目にしてどこか苦笑気味だ。

 一方、待ち望んだ返答がいつまでも返ってこない事に疑問を抱いた少女は顔を上げる。

 

 

「あなただれ〜?」

 

 

「いきなり人の体に飛びこんでおいて質問とは、いい性格してんな嬢ちゃん。ロイドさん、この子は?」

 

 

「キーアって言って、うちで預かっている子なんだ。ほらキーア、挨拶して」

 

 

「こんにちわー」

 

 

 キーアと呼ばれた緑髪の少女が挨拶とともに笑顔を浮かべたその瞬間、グランは未だかつてない衝撃を受けた。物理的な意味ではなく、主に精神的な意味合いで。

 屈託のない笑顔は癒しを運び、無垢な瞳は万人を魅了する。特徴的な高い声は耳を伝い、脳へと直接働きかけた。麻薬のような中毒性で声を刷り込み、その声を聴けば本能的に守らなければ、と感じる程の保護欲が無条件に湧き上がる。目の前の少女を視界に収め、揺り動かされる感情にはグランも驚き、身を硬直させた。

 キーアを前に動揺の色を隠せないグランは、オレには会長がいる、と訳の分からない独り言を何度も呟きながら徐々に冷静さを取り戻す。彼は邪念でも振り払うかのように頭を左右へ振った後、改めて目の前の少女へ視線を向けた。

 

 

「こんにちは。オレの名前はグランハルト、お嬢さんの名前は?」

 

 

「キーアだよー」

 

 

「そうか、いい名前だ。よろしくなキーア。それと————」

 

 

ーーーー面白い力を持ってるんだなーーーー

 

 

「っ!?」

 

 

 ふと、耳元で聞こえた言葉にキーアは顔を驚かせる。彼女は急いで視線を横へ向けるが、グランは既に耳元から顔を離していた。その表情も笑顔を浮かべ、あたかも最初から何も無かったかのように彼女の驚いた顔を見下ろしている。もしかして今の出来事は気のせいなのか、耳にした言葉は聞き間違いなのかと、キーアは目の前のグランを視界に首を傾げていた。

 だが、それは確かに気のせいでも、聞き間違いでもなく。

 

 

「なんだなんだ、キー坊とグランの二人だけで内緒話か?」

 

 

「え? う、うん……」

 

 

「ランディ兄さん、この子も困ってますよ。取り敢えず中にお邪魔します」

 

 

 からかうランディをグランがあしらった後。一人、また一人と。グランを先頭に、特務支援課のメンバーはビルの中へと入っていく。しかし、入口で未だ放心状態にあるキーアは、一人その場に立ったまま。少し経って不思議に思ったロイド達が中から彼女を呼ぶ事で、漸くその意識を覚醒した。

 

 

「いまいくー」

 

 

 キーアは扉を閉め、ロイド達が待つオフィスの中へと戻る。そして、彼らによって会議を行う席に案内されていたグランの顔へ、その視線を向けた。

 

 

「もしかして、気付かれたのかな……? うんうん、そんなことないよね」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「……」

 

 

 遊撃士協会クロスベル支部のカウンターにて。書類数枚を片手に持ち、悩ましげにそれを見詰めるミシェルの姿があった。彼は先刻グランがここを訪れ、ロイド達特務支援課を交えて会議を行った後、受付業務に戻ってからずっとこの調子だ。書類整理や資料作成、依頼の確認や手続き等仕事は他にも山ほどある筈なのだが、それらは一切手に着かず。屋内にはミシェルのため息が響くばかりである。

 手に持つ書類を読み返しては、何度目になるか分からないため息をつく。そんな中、ふと入口の扉が開かれた。

 

 

「ったく、やっと一息つけるぜ……」

 

 

「はは、通商会議ともなると人の数は普段の比じゃないからね。忙しいのは仕方がないさ」

 

 

「わかってるっての……ん? ミシェル、何かあったのか?」

 

 

「ヴェンツェルにスコット……丁度いいタイミングで戻って来てくれたわ」

 

 

 クロスベル支部に所属する遊撃士、金髪をオールバックに整えた男ヴェンツェルと、茶髪の男スコット。ミシェルは一時帰還した彼らを手招くと、二人へ手に持っていた数枚の書類を手渡し、目を通してくれと話す。ヴェンツェルとスコットの二人は首を傾げつつ、手渡された書類に目を通した。

 書類を読むにつれて、表情に険しさを増す二人。そして、ある程度の内容を読み終わったところで、スコットがミシェルに問い掛ける。

 

 

「内容を見るに、通商会議でのテロリスト襲撃に備えた警戒態勢についてのようだけど……これがどうしたんですか?」

 

 

「……エレボニア帝国政府臨時武官、グランハルト=オルランド……紅の剣聖が提案したものよ」

 

 

「なんだと!? ヤツがここへ来やがったのか!?」

 

 

 紅の剣聖の名を聞いた途端、ヴェンツェルは眉間にしわを寄せて怒鳴り声を上げた。事情を知っている二人は彼の反応を見てそれ程驚いた様子を見せてはいないが、今はその感情を押し留めてもらわなければいけないと、彼を宥めて話を元に戻す。そして、改めて書類に視線を向け、遊撃士と警備隊の配置図を見てスコットが疑問を抱いた。

 

 

「しかし、この図を見ると警備の配置と言うより、テロリストが使う襲撃地点の作戦図みたいだね」

 

 

「グラン君が作成したんだけど、彼が警備をする時のやり方みたいよ。自分がテロリストならここを攻める、この地点を破壊する。そして、ここを逃走経路に使用する。彼自身が襲撃する仮定でその作戦を立てて、上塗りで警備の配置図を作成するようね」

 

 

「フン、襲撃するのは得意だろうからな。それを逆手に取ったんだろうよ」

 

 

 警備において最も優先される事は、襲撃を受けた際に重要拠点やその場にいる人物を守りきる事であり、可能ならば犯人の拘束もしなければならない。予めテロリストの襲撃を予測し、その地点や関連する設備の防衛を行う事が警備の目的である。その為、テロリストの観点から見た襲撃の構図というのは非常に重要となってくる。

 そして、グランが護衛任務を遂行する上で警備配置を決定する方法は、まず己をテロリストとして仮定し、襲撃を立案する。自分ならここを襲撃、或いは破壊すると言った地点を特定し、そこを重点的に警備するというもの。一般的な警備の取り決めと余り変わらないように見えるが、実は少し違う。テロリストの立場で襲撃作戦を立案し、作戦の流れを全体図で記す。その事により、テロリストによる襲撃の意図や、襲撃時の現場の状況や敵の行動予測、その時点での防衛においての欠点というものが明確になってくる。ただ単に襲撃を予測して重要地点の警備をするよりも、緊急時の対応が遥かに円滑に進む。それが、グランの警備配置における考え方だった。

 無論、欠点もある。自身で襲撃作戦を立案し、それを土台に警備配置を決める以上、どうしても主観的な考えが混ざらざるを得ない。自身とテロリストとの考えの相違、互いの力量差、そう言った違いに脆い部分もある。故に、味方や敵の情報というものが非常に重要になってくる。その違いを客観的に分析し作戦に組み込む事で、脆い部分を埋める必要があるからだ。

 

 

「なるほど、彼ならではという事か。ところで一つ気になるんだけど、この警備の人員の少なさは?」

 

 

「彼たっての希望でね。赤い星座や黒月(ヘイユエ)との繋がりが、帝国と共和国にある以上、両国を交えた事前の警備配置があてにならない。そこで、両国には内密に独自でクロスベルの戦力を頼ったってわけ。実際、この作戦に各国の戦力は含まれてないわ」

 

 

「ちっ、俺達の警戒対象も視野に入れての警備を再構築したってわけか。ヤツの考えってのは胸くそ悪りぃが、この作戦は確かに悪くねぇ。つうかこの作戦、人員こそ少数だが、作戦の密度も情報量も一国の軍の会議で扱うレベルじゃねぇか」

 

 

「そう、問題はそこなのよ」

 

 

 話の中で顔を驚かせるヴェンツェルの言葉に、ミシェルは再び悩ましげな顔を浮かべる。グランが立案し、遊撃士協会に託した警備配置の案。その警備の規模こそ少数人員だが、クロスベルにおける状況や、襲撃が予測されるテロリスト達の情報、そしてそれらを踏まえた上での襲撃を計画し、更にその上塗りで作成した警備配置。そう、ここまで緻密に練られた作戦を、これだけの情報を一人で……それも齢十六の子供が考え、処理している事が異常だった。

 そして同時に、ミシェルは一人の人物を思い出す。

 

 

「実力はアリオスに匹敵する上に、これほどの指揮能力まで兼ね備えているなんて……まるでカシウス=ブライトね」

 

 

「リベールの『剣聖』か。経験の差や実績を考慮すると、流石にあれと肩を並べるには早いだろうがな。まあ、若いが確かにこいつも国を守護するだけの器は持ってやがる。帝国や共和国にでも引き抜かれたら脅威だな」

 

 

「考えたくもないわね。本当、リベールの女王陛下が紅の剣聖の特別雇用を承認したのはファインプレーよ。彼に軍人としての経験を積ませれば、それこそカシウス=ブライトに匹敵する存在にもなり得る。その上結社とも繋がりがあるんだから……いっその事、遊撃士でも目指してくれないかしら」

 

 

「はは、それはそれで問題ありそうだけど……紅の剣聖、彼の評価を改める必要があるね」

 

 

 三人は手に持った書類とは別の、カウンターに置いた警備に関する書類十数枚を見詰め、その表情を険しくさせる。その全てが、グランが立案し、或いは提供した情報であり、また彼という脅威の一部でしかない事に。

 今回の一件は、グランという人間の、紅の剣聖という存在の脅威度を実感するには十分過ぎた。その知略と行動力は彼らの予想以上であり、グランが今後このクロスベルへ与えかねない影響を考えて三人の眉間のシワは更に増える。情勢の不安定なこの地において、彼という脅威は無視できない。たとえ此度は手を組むとしても、決して気を許す事はあってはならない、と。

 遊撃士組の苦悩は続く。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「エリィさんの胸って何カップですか?」

 

 

「……え?」

 

 

 突如、グランの一言で特務支援課のロビーが凍り付いた。これまで仕事上を理由に敬語を崩さなかった彼に、そろそろ堅苦しいのは無しにして、普段通りに振舞っていいとランディが助言した矢先の事。遊撃士協会で一目見た時から気になっていたと、グランは爽やかに問い掛けた。質問を投げかけられたエリィを初め、ロイドとノエルはその問いに驚きの余り顔を硬直させる。ランディはやってしまったと頭を抱え、ワジに至っては笑いを堪えるのに必死だ。特務支援課の警察犬として登録されている、白と青の毛並みが特徴の狼ツァイトのそばにいるキーアは首を傾げてグラン達を見ていた。

 十数秒の硬直の後、漸く我に返ったエリィはグランの視線が未だに自分の胸から離れていない事に気づいて困惑する。

 

 

「あははは……グラン君、急にどうしたの?」

 

 

「どうしたも何も、その大きさは誰でも気になりますって。それと……」

 

 

「そ、それと?」

 

 

「ノエルさんも結構良い形してますね」

 

 

「服の上から判るの!?」

 

 

 どういう会話の流れなのか不明だが、何故か話に巻き込まれたノエルは頬を染めて胸を半身の姿勢で隠す。エリィも両手で胸を隠して困惑気味に頬を染めていた。真面目な少年だと思っていたのに、まさかこんな事を口にするとは思わず。逆にここまで堂々と話されては、怒るよりも恥ずかしさが勝って二人とも強く出れないでいた。

 

 

「な、なぁランディ。彼をセクハラで捕まえてもいいか?」

 

 

「すまん、こんなんでも俺の従弟なんだ。悪いが堪えてくれ」

 

 

「あっははは……! 面白いね、彼」

 

 

「因みに触ったりとか……」

 

 

「ダメに決まってるじゃない!?」

 

 

「ダメですよ!? 何考えてるの!?」

 

 

 ロイドとランディのため息は深く響き、ワジは堪えきれずに腹を抱えて笑っている。更にとんでも無い事まで言い始めるグランへ、二人は断固として全力で拒否していた。

 返ってくる答えなど分かりきっているだろうに、深い落ち込みを見せるグラン。そして、そんな彼を見てエリィとノエルは思った。ああ、やっぱりこの子はランディの従弟だと。




やらかしました(笑)

ま、まあ隠してたっていつかバレるんだし、早い内に打ち明けたほうがいいよね!(なお自重はしない模様

そう言えば、暁の軌跡をPS3で始めました。(PC環境が無いので)
ロード長過ぎ、休日の昼間なんかまともにプレイ出来ないよ! 運営さん、サーバー強化はよ!

エリィとノエルの(胸の)明日はどっちだ……!


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仔猫の捜索

 

 

 

 特務支援課の創設は、市民から無能と蔑まれていた警察の信頼回復を目論んで行われた。現状のクロスベルでは、法の兼ね合いもあり、クロスベル内で帝国、共和国民が絡む事件が発生しても、警察は強い執行力を持つ事が出来ない。その為、民間第一を主義とする遊撃士に活躍を奪われてばかりの日々だった。そして、ここに来て漸く危機感を覚えた警察上層部は、その現状を打破するべく、警察という組織の在り方を示すためにも民衆へ寄り添う事が必要とし、特務支援課の発足を決定、今に至る。

 立場上、警察という組織の行動力が、どうしても遊撃士に及ばない部分があるのは否定できない。各国に支部を構える遊撃士協会は、クロスベルという枠組みの中で主に活動する警察と違って融通が利き、尚且つその情報網は段違いに広い。それ故に、捜査前の段階で大きく差をつけられ、遊撃士側は更に迅速な対応が可能になる。この時点で警察側にほぼ勝ち目が無いように思えるが、しかし、遊撃士には遊撃士の利点と欠点があるように、警察という立場にもまた利点はある。それは、警察、遊撃士協会とそれぞれが掲げる組織の在り方、規約に関わるもの。

 遊撃士協会が各国に支部を構える事が出来ている大きな要因の一つ。彼らの掲げる規約の中には『国家権力に対する不干渉』というものが存在し、国との間で取り決められている。そしてそれを規約としている遊撃士は、国の介入が決定した時点であらゆる事件、出来事から手を引かなければいけない。無論、その例外はあるが。

 対して警察という組織は、法の下に自治州の秩序を守る為に設立された。であるならば、遊撃士と違い国家の干渉があったとしても、そこに違法性があれば捜査を継続する事が可能になる。ただ、唯一の利点であるそれも機能していないというのが、警察が無能と称され、遊撃士人気を高める要因の一つになっているのだが。

 そこで、市民の悩みや問題を解決する為に設立された特務支援課の出番である。しかし、住民の声を反映し、警察が民に寄り添う親しみのある組織だと認識してもらう為に発足した以上、その職務はどうしても遊撃士の活動と似通ったものになってしまう。故に発足当初は遊撃士と比べられ、足蹴にされる時期もあった。それでも、ロイド達特務支援課の努力により、今は市民からも頼られる存在に成長した。遊撃士協会も彼らを認め、先日は教団事件と呼ばれる重大事件の解決に至ったほど。

 

 

「しかし、思っていたより警察は市民から好印象なんですね」

 

 

 警察に寄せられた要請に応えるべく特務支援課ビルを後にし、最初の目的地である東通りの住居へ向かっている途中、市民から親しげに声をかけられるロイド達を見て、グランは意外そうに話した。事前情報として警察と遊撃士の格差を知らされていた彼は、意外にも住民達に溶け込んでいる彼らに少しばかり驚きを見せている。彼の言葉にはロイド達も苦笑気味で、痛い所を突いてくるといった表情だ。

 心なしか、グランと距離を置いて歩くエリィとノエルの内、発足当初からのメンバーであるエリィが懐かしむように口を開いた。

 

 

「そう言えば、最初は何かと大変だったわね。市民からは勿論、警察内部での印象もあんまり良くなかったし……」

 

 

「まあ、あの頃は遊撃士に色々掻っ攫われてたからなぁ。エステルちゃんとかが居たのも大きかったんだろうが」

 

 

「はは……でも、エリィやランディ、ティオや課長達みんなが居てくれる。だからここまでやってこれたし、これから先も、何があっても乗り越えられるような気がするよ。みんなには、本当に感謝してる……ありがとうな」

 

 

 エリィ、ランディの両者の言葉に、何処か照れくさそうにしながらも笑顔で答えるロイド。その言葉で逆に恥ずかしくなったのか、エリィとランディは頬をかいて顔を背けていた。これで無自覚なのだから、ロイドという男はタチが悪い。

 そして、彼らの傍でその様子を見ていたグランとワジ、ノエルもまた、ロイドという男の恐さを肌で感じていた。

 

 

「す、凄まじい天然だな。リィンに匹敵する奴がこんな所にいたとは……」

 

 

「フフ……全くだね。そのリィンって名前の子も余程のタラシと見た」

 

 

「ロ、ロイドさんに匹敵する人がいるなんて、考えたくも無いです……」

 

 

ーーーーはっくしゅ!……ーーーー

 

 

ーーーーどうしたシュバルツァー、風邪か?ーーーー

 

 

ーーーーいえ、何でもありません。訓練を再開しますーーーー

 

 

 何か不名誉な事を言われている訓練中の士官学院生はともかくとして、ロイドという男がこの先最も警戒しなければいけない人物だとグランは確信する。少なくとも、この地へ共に訪れている彼女だけは絶対に会わせないようにしなければ、と。

 グランがそんな事を考えている間、一同は目的地の住居に当たる東通りのアパルトメント『アカシア荘』へ到着した。指定された家の前で立ち止まり、扉をノックして返事を確認した後、中へと入る。

 

 

「サニータがいけないんですの。サニータがちゃんと見ていなかったからマリーは……!」

 

 

 家の中では、両親に慰められながらも、自分自身を責めて涙を流す桃色髪の少女の姿があった。依頼人でもある父親のボンドによると、昨日東通りの露店で家族水入らずの時間を送っていたところ、少し目を離した隙に飼い猫の仔猫マリーを見失ってしまったとの事。普段は娘のサニータに懐いて傍にいるようで、だからこそ注意もそこまで向いていなかったのだろう。その日は住民達に協力を得て暗くなるまで捜したが、結局見つからなかったらしい。捜索を一旦切り上げる際、中央広場に向かったという情報を得て、仕事が休みの今日はそちらを捜す予定のようだ。

 見失ってから一日経過している事もあり、仔猫とは言っても捜索範囲は市内全域まで広げなければならないだろう。あくまで情報は昨日の時点のものなので、下手をしたら街道にまで逃げている可能性もある。ただ、昨日の目撃情報と仔猫の行動範囲、そして臆病だというその猫の性格を考えれば、まだ市内で迷子になっている可能性が高い。

 

 

「とにかく街に出て捜すしかないわね。先ずはこの東通りをもう一度捜してみる?」

 

 

「ああ。昨日の繰り返しになるけど、それがいいだろう」

 

 

 エリィの提案にロイドが頷く形で、捜索は東通りから行うことが決定した。ノエルが東通りでマリーが行きそうな場所を尋ね、露店の魚屋がお気に入りとの情報も得てロイド達はアカシア荘を後にした。

 東通りの露店で聞き込みを行うべく、露店街へ下りる階段へ向かおうとしたその時。ふと、グランが立ち止まる。

 

 

「ロイドさん、ここに仔猫は居ないようです。他を当たりましょう」

 

 

 唐突なその言葉に、特務支援課メンバーは驚きを見せる。まだ捜索を始めて間もないどころか始まってすらもいない段階で、グランはこの東通りに仔猫が居ないと断言したからだ。特務支援課ビルで見せた彼の一面はともかくとして、遊撃士協会で見せた辣腕は確かであり、彼の優秀さはロイド達も目の当たりにした。だが、何を持ってグランがそう断言するのかが疑問な以上、信用に値する言葉にはほど遠い。しかし、唯一グランを昔から知っている彼は気付いた。

 

 

「そうか、グランにはそれがあったな」

 

 

「ランディ先輩、どういう事ですか?」

 

 

「グランの索敵能力の事だ。昔からこいつの気配探知は異常でな、一キロ圏内なら余裕で気配を見極められる。ティオすけと同等か……それ以上だろうな」

 

 

「へぇ、そりゃあ首脳クラスが護衛任務を依頼するわけだ。それだけ気配に敏感だと、奇襲や暗殺は意味を成さないだろうからね」

 

 

 ランディの話を聞いて、ワジは感心したようにグランの顏を見ていた。これまで彼が護衛任務を請け負って一度の失敗もない大きな要因。一流の猟兵としての実力に加え、気配感知という優れた能力まで有している事。奇襲、暗殺といった敵意に対する絶対的な力であるそれは、要人警護の任務においては絶大な効果を発揮する。東のカルバード共和国にて噂される伝説の凶手、東方人街の魔人と呼ばれる存在ですら、その索敵範囲内を潜り抜ける事は敵わないだろう。

 ロイド達はグランの力の一端に顔を驚かせながらも、それなら信用に足ると捜索場所を隣の地区へと移す。何処か足早に移動するグランに疑問を感じながらも、行政区へ向かう彼の後を追う事に。しかし、そんな彼らを突然呼び止める声が。

 

 

「グラン兄にランディ兄じゃん、それに昨日のお兄さん達も。みんな揃って何してるの?」

 

 

「……気づかれたか」

 

 

「チッ。グランが急いでたのはそういう事だったのか」

 

 

 突如響き渡った無邪気な少女の声に、諦め顔のグランと不機嫌な様を露わにしたランディの二人が歩みを止めた。ロイドを初めエリィ達もその声の方向へ視線を向け、歩み寄ってくる赤い髪の少女の姿を捉える。シャーリィ=オルランド……赤い星座の部隊長を担う、血染めの少女が彼らの前に姿を現した。

 不意に訪れた緊張状態だが、流石の彼女もこの様な街中で、しかも通商会議開催に伴って各国が集うこの時に暴れるような事は無いだろう。当の本人もそのつもりは無いのか、あくまで賑わっているクロスベルの街中を楽しんでいるだけのようだ。笑顔で片手に鳥肉の串焼きを握る姿がそれを表している。

 シャーリィは彼らの姿を見つけて歩み寄ると、グランの前で立ち止まった。

 

 

「あは。さっきは突然グラン兄が何処かに行ったから探してたんだよ? せっかくクロスベルが賑わってるんだから、一緒に遊びたかったのに」

 

 

「オレも仕事で来ている身だ、お前の相手ばかりもしてられん。」

 

 

「冷たいなーもう。昔はよく一緒に屋台廻ったりしてたじゃん……こんな感じで!」

 

 

ーーーーグラン兄、次あっち行こうよ!ーーーー

 

ーーーーグランハルト、次あっち行こうよ!ーーーー

 

 

ーーーーそんなに急がんでも物は逃げねえっての……ったくーーーー

 

 

ーーーーえへへ! だって楽しいんだもーん!ーーーー

 

 

 ふと、グランの脳裏を過ぎった懐かしい光景。それは幼き頃に過ごしたシャーリィとの思い出だけではなく、既にこの世にいない白髪の少女と共に過ごした時の一幕だった。目の前で笑顔を浮かべながら腕を組んでくる妹が、その手で命を奪った大切な彼女との記憶。自身の腕をとり、笑顔を浮かべて街中を共に歩くシャーリィとクオン、それぞれとの懐かしき過去。交互に繰り返される彼女達との思い出は、様々な思いや葛藤はあれど、グランにとってはどちらも大切なものである事に変わりはない。ただ、忘れていたクオンとの思い出の一幕を開けるきっかけが、シャーリィの行動によるものというのは皮肉以外の何物でもないが。

 自然と腕を回してきたシャーリィへその腕を離すようにグランは言い聞かせるが、離せと言って離すほど彼女の聞き分けがいいはずがなく。どこ吹く風で腕を組んだまま串焼きを食べていた。

 

 

「こうして見ると、双子だけあって似てるんだな。どこにでもいそうな仲の良い双子の兄妹みたいだ」

 

 

「ええ。この光景だけだと、二人が猟兵だなんて微塵も思わないわね」

 

 

「私もフランとよく遊んでましたから、あの関係は微笑ましいですね」

 

 

「紅の剣聖に血染めの(ブラッディ)シャーリィ……今思うと中々凄い組み合わせだよね」

 

 

 一見戯れているようなグランとシャーリィの姿に、特務支援課の彼らは各々思いを述べているが、実際は仲の良い関係や微笑ましいといったものではない。体面上、グランが仕方なくシャーリィに合わせている状況で、彼女がただ欲望のままに甘えているだけの構図である。グランが弁えていなければ、本来の二人の関係性なら剣戟の一合や二合飛び交っても不思議ではない状況だ。

 そして、唯一この中でその関係性を知る者。二人の身内でもあるランディは、グランの対応に僅かながら驚きを見せていた。

 

 

「(はは、あれだけの事があって割り切れてるんだからお前はスゲェよ。俺にはとてもじゃないが……)」

 

 

 赤い星座の元部隊長、ランドルフ=オルランド。闘神の息子である彼もまた、グランと同じく複雑な心境でシャーリィの前に立っている。しかし揺れ動く彼の心には、意志の強さ、決意の有無というグランとの明確な違いがあるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 仔猫の捜索依頼を受けていたロイド達は、シャーリィに足止めをくらったものの直ぐに捜索を再開した。グランの気配感知を頼りに仔猫を捜索するべく、次の捜索場所である行政区へと向かう。この方法では市内を歩き回る羽目にはなるが、グランへのクロスベル案内も合わせて行う事が出来る為それほど非効率的でもない。捜索方法という観点から見れば、手掛かりも無しに歩き回る事自体は非効率ではあるが。

 そしてそんな中、仔猫を捜すべく市内を歩くグランの隣には、未だにシャーリィの姿があった。グランがロイド達特務支援課と行動を共にしている事に興味を持った彼女は、グランとランディの帰れという言葉に耳を貸さず勝手について来ている。彼らもシャーリィの事は諦め、何をしているのか興味を持った彼女へ、ロイドが特務支援課に寄せられた依頼の内容を仕方なく説明した。

 

 

「それでグラン兄を頼りに歩き回ろうって事? ダメだよそれじゃあ、もっと仔猫の気持ちにならないと。その家族、引っ越したばかりなんでしょ?」

 

 

「あ、そうだわ。どうして気がつかなかったのかしら」

 

 

 シャーリィは仔猫の話を聞いて直ぐに気付いたようで、エリィも彼女の言葉で見落としていた点に漸く気付く。今回の仔猫の捜索において最も重要な点、ボンド一家が先日東通りへ引っ越したばかりだったという事に。

 仔猫のマリーは東通りでボンド一家とはぐれた後、確かに彼らの元へ帰ろうとしていたのだ。しかしそれは東通りの新居ではなく、以前住んでいた住宅街の一画。マリーは思い出深い引っ越し前の場所へと向かっていた。

 シャーリィの助けにより、マリーが住宅街にいる可能性が浮上した。旧ボンド宅はロイド達も知っているようで、早速そちらへと向かう事に。仔猫に会いたいという理由で依然シャーリィはついてくるが、手伝ってもらった以上誰も彼女の同行に異を唱える者はおらず。グランは腕を組んで離さない彼女の事は諦め、ご機嫌なシャーリィを引き連れて一行はクロスベル西部の住宅街へ向かう。

 住宅街の一画、旧ボンド宅には既に人が住んでいた。ロイドは家の中から聞こえてくる青年達と思しき声に聞き覚えがあったのか、住人が協力的だったら良いがと後ろ向きな言葉を呟き、直後に扉をノックして開く。

 

 

「誰だ……?」

 

 

「お、お前らは……!?」

 

 

「警察の奴らじゃねぇか!?」

 

 

 中にいたのは三人組の青年達。彼らは以前、市内を車で暴走した事によりロイド達警察のお世話になっていた。その時の恨みが少なからずあったようで、彼らの様子は余り歓迎ムードではない。ロイドは駄目で元々訪ねて来た旨を説明するも、やはり青年達はまともに取り合う事はなく。話を聞くに仔猫がここへと姿を現した事までは分かったが、それから先の事を聞きたければ誠意を見せろと彼らは話す。遂には土下座や女性陣の裸踊りで手を打つなどという無茶まで言い出した。

 エリィとノエルは彼らの非常識な発言に呆れ、ロイド達も脅して吐かせるわけにはいかずどうしたものかと頭を悩ませる。そして調子に乗る青年達に手間取るロイド達を後ろで見ていたシャーリィは、その姿に呆れ顔だった。

 

 

「お兄さん達、どうしてこんな連中に手間取ってるの? さっさと————」

 

 

 シャーリィが青年の一人へ掴みかかろうと足を踏み出したその瞬間。彼女は横から差し出された手に制止され、直後に驚きの表情を浮かべる。自身を制止したグランは直前まで隣にいたにもかかわらず、認識する間も無くロイド達の前へと躍り出ていたからだ。グランは青年達の内一人の胸倉を掴むと、警告だと言わんばかりに彼らへ睨みを利かせる。

 

 

「調子に乗るのもそこまでにしておけ。土下座で済ませるなら兎も角、女性への辱めまでは流石に看過出来ない」

 

 

「な、何だこいつは……!?」

 

 

「おいテメー、ユーリから手を離せ!」

 

 

 女性陣へ向けられた卑劣な言動には、傍観する立場だったグランも流石に怒りを露わにした。青年達は突然の事に驚き、ロイド達も彼の行動には動揺を見せる。エリィとノエルはグランの怒りが自分達の為だという事に嬉しく思うも、だからと言って彼の行動を容認する訳にはいかない。少なくとも彼らは、クロスベル警察が守るべき市民の対象だ。暴力で事を解決するのは、彼女達も望んではいない。すかさず二人はグランの制止に入る。

 

 

「グラン君、私達は大丈夫だから」

 

 

「そうですよ。だから彼らの事は本気にしないで————」

 

 

「オレですらエリィさん達の胸を拝めるかどうかって段階なのに、その程度の貸しで裸を見せろだと? 羨ま……じゃない、これ以上出過ぎた行動を取るならこちらにも考えがあるぞ」

 

 

 しかしグランの本音はこれである。彼を宥めようとしたエリィとノエルは伸ばしかけた手を止めて、こういう子だったと項垂れる。ロイドは呆然とし、ワジとシャーリィは口元を押さえて笑い声を漏らしていた。だが、事は彼らが思っている程楽観的なものではない。本心ダダ漏れではあるが、グランは本気だ。彼の性格を考えれば、青年達がこれ以上巫山戯るようなら彼は容赦しない。仕方ないといった様子で、ランディが彼らの仲裁に入る。

 

 

「グラン、それくらいにしておけ。お前さん達も、これ以上馬鹿な事言ってると独房行きだぞ」

 

 

「は? 馬鹿を言っているのはそっちの方だろ」

 

 

「何でこんな事くらいで捕まるんだよ。ていうか俺達まだ何もしてねぇだろ」

 

 

「そいつは軍の関係者だ。しかも上の人間とも繋がりがあってな、有る事無い事吹き込まれたらどうしようもない。あとは……言わなくても分かるな?」

 

 

 ランディの言葉に二人の青年は動揺を見せ始めるが、グランに胸倉を掴まれたユーリと呼ばれる青年だけは彼の話を鼻で笑った。嘘をつくならもう少しマシな嘘をつけと。確かに、グランのような身なりの男を軍人だとは、況してや軍の上層部と関係のあるような地位の高い人物には見えない。第一そんな人物が、仔猫の捜索を手伝ってこんな住宅街に来るなんて話は信じられないというのは尤もだろう。だが、動揺を見せる青年の一人は、確かに彼を目撃していた。

 

 

「ユーリ……そう言えば俺、昼前にこいつが共和国の軍人みたいな奴と話しているのを見た」

 

 

「な、何? まさか、お前……」

 

 

「あ? ああ、あの時か。以前ロックスミスのオッサンには世話になったからな、軍の人間なら顔見知りぐらいいくらでもいるぞ」

 

 

 青年達に戦慄が走った。ロックスミスという名前を、況してや共和国の出身である彼らが知らないはずがなかった。サミュエル=ロックスミス……カルバード共和国の現大統領にして、此度開催される西ゼムリア通商会議の為この地へ訪れている人物である。

 ユーリはグランの話を口から出まかせだと信じていないが、その威勢は先に比べれば随分と弱い。そして、その変化をグランが逃すはずもなく。彼の口元がニヤリと口角を吊り上げる。

 

 

「なるほど、お前ら共和国の出身か。よし……何なら今から共和国に帰るか?」

 

 

 直後、ロイド達は仔猫が先程この家を飛び出していったばかりだという情報を入手した。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 青年達の家を後にしたロイド達は、住宅街の路上で仔猫を直ぐに発見した。走り去る仔猫の後をつけ、歓楽街に迷い込んだところを包囲して捕らえる事に決めた彼らだったが、追い込み方も追い込んだ場所も悪かった。多人数で詰め寄れば仔猫が怯えて逃げる事は必至で、更に追い詰めた場所がアルカンシェルの劇場の前。怯えたマリーは劇場の中へと逃げ込んでしまう。

 支配人の協力を得て、各自手分けして劇場内を捜索する。そして、仔猫が舞台の仕掛けに飛び乗って落下しそうになるアクシデントもあったが、シャーリィと現地の助っ人によって無事保護に至った。ロイド達は顔見知りだった現地の助っ人リーシャ=マオに礼をした後、仔猫を主人の元へ送るべく劇場を後にした。

 そんな中、ロイド達の後ろを歩いていたグランは自身の名を呼ぶ声に一人歩みを止めると、その場を振り返った。彼は見送りで表まで姿を見せている黒髪の女性——リーシャと互いに向かい合う。そして、グランの視線を受けた彼女は、その頭を深々と下げた。

 

 

「その……ありがとうございます。ロイドさん達に、私の事を黙っていて下さって」

 

 

「礼の必要はない。オレがあの時退けたのは(イン)であって、リーシャ=マオじゃないからな」

 

 

 素っ気なくリーシャの礼に応えたグランは、彼女の姿を静かに見詰める。アルカンシェルの大型新人アーティスト、リーシャ=マオ。その彼女が現在纏っている、今夜の舞台で使用される銀の月姫を模した衣装。身長とは反比例の大きな胸を強調させたその幻想的な姿に、彼は少なからず見惚れていた。リーシャはそんなグランの視線に戸惑い、苦笑を浮かべる。

 

 

「えっと……変、でしょうか?」

 

 

「いや、よく似合っている。迷いの中で装う黒装束よりも、楽しげに纏うその姿の方がずっとな。せっかく見つけた場所だ、大切にするといい」

 

 

「はい。私がここに居てもいいのか、今でも迷う事はありますけど……この場所は、いつまでも大切にしたい」

 

 

 かつて刃を交わした両者は笑顔で向かい合う。一方は光を見出した彼女の行方を祝福するかのように。また一方は、漸く見つけた場所の温かさを肌身で感じて喜ぶように。交わす言葉も尽き、グランはロイド達の元へ戻るべくその身を翻した。

 歩みを再開した彼の後ろ姿へ向けて、リーシャは問いかける。

 

 

「あの……どうしてあの時、私を見逃したんですか? 私は貴方の護衛対象を狙いました。伝え聞く噂が本当なら、紅の剣聖は敵対者に情けをかけるはずがありません。その貴方が何故……」

 

 

「さて、どうだろうな……オレは胸の大きい女性が好きだ、もしかしたらそれが理由かもな」

 

 

「もう、私は真剣に聞いているのに……」

 

 

「……ったく、聞いても一文にもならないと思うが」

 

 

 大した情報でもないのに、やけに問い詰めてくるとグランは困った様子で歩みを止めた。別段隠したいほどの理由ではない為、彼は一度振り返るとその理由を告げる。

 

 

「あの場で斬り捨てるには惜しいと思っただけだ。殺しの道を選んだ少女が、どんな末路を迎えるのか……教訓にでもしようと思ってな」

 

 

「……趣味、悪いですね」

 

 

「余計なお世話だ。ただ、後悔したくなければ早く気付く事だ。オレがあの時、始末しておけばよかったと思わないようにな」

 

 

「っ!? それは、一体……」

 

 

 リーシャの声に応える事はなく、不穏な言葉を残したままグランは振り向くとロイド達の元へ歩き出す。彼女はその後ろ姿を、ただ疑問を抱えたまま見詰める事しか出来なかった。そこから先は自分で考えろ、そう彼に背中で言われたような気がして。

 グランがロイド達に追いつき、彼らが歓楽街を後にするまで彼女はその姿を見つめていた。その瞳からは、グランが去り際に浮かべた笑みが離れなかった。

 

 

「紅の剣聖、グランハルト=オルランド。あの時は確かに、温かい人だと感じたけど……」

 

 

ーーーー結構可愛い顔してるじゃないか。綺麗に着飾って出直して来い、その時はまた相手をしてやるーーーー

 

 

 頭を荒々しく撫でてきながら、自身を見逃してくれた時の事を彼女はふと思い出す。

 

————無謀な仕事だった。対峙すれば命を失うかもしれないと分かっていた。紅の剣聖を振り切って対象を暗殺するには、自分の腕では荷が重すぎると分かっていて仕事を引き受けた。実際現場で対峙した時、勝てないと確信に至ったほど彼との実力差はあった。

 だけどあの時、彼は確かに温かな笑みを浮かべて見逃してくれた。(イン)としてではなく、ただの女の子として私を認めてくれた初めての人だった。もしかしたら、それはただの思い違いなのかもしれない。

 そうだとしても。今日、この姿を見て似合ってると言ってくれて嬉しかった。この場所に居てもいいと、彼から直接言われた気がして。

 それなのに、彼が最後に向けてきた笑みは————

 

 

 いつの日か、望んだはずの再会を果たした少女。彼女はこの場から去った少年に問う。去り際に浮かべた笑みを、その奥に垣間見えた狂気の真意を。

 

 

「一体どちらが、本当の貴方なんですか?」




 特務支援課withグラン始動!……一人ついてきましたが、まあ仕方ないよね。グランにとっても双子の妹として可愛がってた部分があるので、突き放したつもりでも中々強く拒絶出来ていないようで。だからシャーリィにはいいように絡まれてるんですが。

 リーシャ登場! この依頼では必然的に出てくることになりますが、グランってば昔会ってたのね。何気にフラグ立てかけてる……まあ結局はロイドに取られるけどね! 会長LOVEなんで当然ですが。

 次回は四章でポッと出のあの人が出てきます。少し重い話になるかも……


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演奏家の捜索、その裏で

 

 

 

 彼女にはそれが全てだった。闘争の渦中で生を受け、戦場の中で過ごした日々。闘いに喜びを見出し、命のやり取りに心を躍らせ、鮮血を浴びれば高揚する。それが彼女にとっての当たり前であり、同時に幸せだった。その身体を駆け巡る血の本質が、闘いというものを求めていたから。

 時折彼女は考える。それが顕著になったのはいつからだっただろうかと。そして結論に至る。そこには必ず、双子の兄グランハルトの存在があった。彼がいたから、彼という存在が傍にあったから。自身にとっての喜びを、この世界に生まれた意味を、あんなにも早く見出せた。

 彼女にとって、グランハルトは血の繋がった家族であり、憧れの兄であり、戦場での英雄だった。自身が戦闘技術を学ぶより早く実戦に参加し、驚異の速度で猟兵の間に名を轟かせた戦の申し子。私もあんな風になりたい、あんな風に戦場で駆け回りたい。漸く戦闘訓練の参加を許された頃には、既に部隊長として活躍していた兄の背中を誇らしげに眺めていた。

 辛く苦しい訓練、時には死を覚悟した時もあった。それでも、そこが自身のいるべき場所だと、求められている場所だと知っていたから。何より、それが楽しくもあった。課題をクリアすれば父親と兄が褒めてくれる、強くなればそんな父親や兄と共に戦場を駆け回れる。死と隣り合わせの生活を受け入れる理由としては、それだけで十分だった。

 彼女が実戦参加を許されたのは、訓練に参加し始めた年と同じく八つの時。己の実力を過信した事への制裁として、父と兄の企みによって地獄を見たあの日。記憶の奥底に深く刻み込まれた当時の恐怖と高揚。そして、その日から兄の事をより憧れた。何も知らずに初の実戦を心待ちにしていた当時の自分を、愚かであったと笑いが止まない。彼女の脳裏には、その夜の一幕が鮮明に浮かぶ。

 

 

 

 

 

 

「お嬢さんに実戦は早過ぎます! グラン隊長、やはりここはシグムント隊長に掛け合ったほうが……」

 

 

「相談も何も、シャーリィの実戦参加のタイミングはオレに一任されてる。オレが問題無いと判断した以上、いつまでも遊ばせておくわけにはいかないだろ」

 

 

「し、しかし……」

 

 

 七耀暦1196年冬。冷たい風が吹き抜ける、月夜の山岳地帯の一角。焚き火の前に座って身体を温めていたシャーリィは、部隊長の兄グランハルトとその補佐を務める男の話を、風に揺れる焚き火越しに聞いていた。揉め事の内容はどうやら、彼女が明日から参加する隊の作戦行動についての様だ。

 僅か八つの年で団の訓練への参加、そして実戦投入というグランの考えは、いくら何でも早過ぎると彼の隊員達からも多少なりは異議が出ていた。しかし、前例として六才で実戦参加をしている自分がいるというグランの考えには、流石に異議を唱える事も出来ず。同じ年に生まれた双子のシャーリィに同じ才能が無い、などとは隊員達も口に出来なかった。例え、グランハルトという人間が異常な才の持ち主だとしても、シャーリィを性別の違いで彼の才より劣ると下の人間が決め付けるわけにはいかない。加えて彼らの父親であるシグムント=オルランドがシャーリィの実戦参加の旨を容認した以上、隊員達が逆らう事などあり得なかった。

 グランの補佐役を務める男は依然渋い表情を浮かべたままだが、その姿にはシャーリィも機嫌を悪くしたようで。

 

 

「カインはわたしが実力不足だって思ってるんだ? 訓練の時だって問題無かったんだし、大丈夫だよ」

 

 

「お嬢さんの才能は我々も認めています。ですが、今回の作戦は訓練とは比べ物にならない。お嬢さん一人で歴戦の猟兵達複数を相手にしなければいけないんですよ」

 

 

「心配性だな〜。隊長クラスなら兎も角、そうじゃないんだからわたしでもなんとかなるって」

 

 

「お嬢さんは事を簡単に考え過ぎです! 私なら、お嬢さんを実戦投入するにしてもここはまず——」

 

 

 楽観的なシャーリィの様子に堪忍袋の緒が切れたのか、カインと呼ばれた猟兵の男は愚痴を漏らしながら地面に作戦を書き連ねていく。恐らくはグランが書いたであろう当初の作戦における部隊配置の横へ、自身の考える案を手際よく記した。そこには、グランの作戦では前線への配置になっているシャーリィの名が、部隊の後方へと記している。事実上の戦力外通告だった。

 ともすれば、それを見たシャーリィの顔が不貞腐れるのは当然の事で。不意に立ち上がった彼女は、不機嫌な様を隠す事なくその場で叫ぶ。

 

 

「カインのバーカ! 明日の作戦でお前の援護なんかしてやんないから!」

 

 

「お、お嬢さん待ってください……!」

 

 

「あ〜あ、ありゃ完全に嫌われたな。カイン、お前明日の作戦単独で突っ込むか?」

 

 

「冗談キツイですよ隊長……!? あーもう、お嬢さん私が悪かったですからー!」

 

 

 他の隊員達が談笑をしている方へと走り去るシャーリィの背中を眺めながら、グランはカインへ死刑宣告にも等しい一言を告げる。勿論彼からすればたまったものではなく、心底困った様子で彼女の後を追いかけ始めた。そして、二人が走り回る姿から視線を外し、グランは改めて地面に書き連ねてある部隊配置の図を見詰め直す。

 左に書いたグランの図には、自身の名を先頭に順を追ってカインやシャーリィ、その他隊員達の名が記されている。しかしカインが先程記した作戦図には、シャーリィの名は部隊の後方、後方支援と言っても殆ど戦闘に遭遇しないであろう場所にある。この扱いには、流石にシャーリィも機嫌を損ねたということだろう。ただ、グラン自身もカインの書き足した作戦には理解を示していた。それは即ち、本当は彼もまた、シャーリィの実戦参加のタイミングは早いと判断したという事になる。

 

 

「明日は十中八九やられるだろうな。運が悪ければ死ぬが……元よりその為の初陣だ。さて、空の女神ってのは猟兵にも加護があるのか」

 

 

 グランが見上げた先、黒の天井は星々が我一番と煌めきを見せていた。そして彼の声に反応するように、闇夜の空には一筋の流星が光の橋を掛ける。ついでに願い事の一つでも言えばよかったと、グランが声を漏らす頃には流れ星もその姿を消していた。

 

 

「グラン兄ー、カインがしつこ〜い」

 

 

「しつこいじゃないですよ!? 隊長助けて下さいよ〜!」

 

 

「お前らの仲違いにオレを巻き込むなよ、ったく」

 

 

 再び騒がしくなったとグランが向けた視線の先、姿を現わすや自身の背後に隠れたシャーリィと、それを追ってきたカインは目の前で今にも泣きそうな顔。作戦前夜にしょうもない揉め事を起こすなと、グランがシャーリィの頭に軽く手刀を下ろす。

 自分だけ怒られた意味が分からないとシャーリィは涙目で頭を両手で庇うが、その表情は直ぐに笑顔を取り戻す事に。

 

 

「作戦変更だ。カイン、お前明日オレの代わりに一人で西風の隊長の相手な」

 

 

「隊長の鬼ーっ!」

 

 

「あっははは! ざまーみろー!」

 

 

 涙を流すカインの姿に、指をさして笑うシャーリィの横。妹の笑顔を横目に、グランにも笑みがこぼれる。

 朝日が昇れば硝煙が撒い、ここは直に戦場と化すだろう。穏やかな空間の先に迎えた初の実戦、彼女には生涯に渡って忘れる事のできない一日となった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「あー楽しかった。久し振りにグラン兄には甘えられたし、仔猫とも遊べたから、今日の成果は上々かな」

 

 

 クロスベル市中央区にある噴水前のベンチには、満足げな様子で寛ぐシャーリィの姿があった。仔猫の捜索で特務支援課と行動を共にしていた彼女は、用も終えて裏通りに帰還がてら、噴水前で涼んでいる。先程までグランと繋いでいた手を見詰めては、頬を弛めてその余韻に浸っていた。彼女にとっては二年、体感時間ではもっと長かった。それほどに待ち侘びたひと時。しかし、待ち望んだそのひと時には少しばかり不満もあった。

 ふと、彼女は思い返す。どうしてこんな事になってしまったんだろうと。二年前の再会の時も、少し前まで行っていた仔猫の捜索中も。兄であるグランハルトは一度も自分に笑いかけてくれなかった。彼が赤い星座にいた頃、戦闘中に見せていた鬼神の如き姿。日常においても訓練中は厳しかったが、その反面で見せる笑顔。自分を褒めてくれる時に浮かべる嬉しそうな表情は、ここ何年も見ていない。兄の顔から笑顔が消えたのは、一体いつからだったか。そして、いつも思い当たるのはあの日の出来事。

 

 

「やっぱりアイツが死んでからだよね、グラン兄がおかしくなったの」

 

 

 クロスベルに来るといつも兄と仲良さげに話していた白髪の女。雪女と渾名で呼んでいた彼女と出逢ってから、グランハルトは変わっていった。そして今のように冷たい態度を取り始めたのは、彼女が死んだあの日から。この手で引き金を引き、撃ち殺したあの時からだ。

 当時、作戦上の障害となったクオンと言う名の少女を始末した。ただそれだけだ。個人的に嫌いな相手だったから丁度良かったが、そこに私情を挟んでいたとしても、あの時の行動は何も間違っていない。作戦の為だった、なのにあの時のグランは激怒していた。殺す必要は無かった、他の手段があった、そうやって生温い戯言を口にしながら父親に刃を向けていた。ただそれ自体は不思議な事ではない。

 

 

ーー貴様に酒は早い、やめておけーー

 

 

ーーんだとこのクソ親父、今日こそぶっ殺してやる!ーー

 

 

 そう、あの二人にはよくある親子喧嘩だ。ガキに酒は早いと、父親が取り上げただけで本気で殺しにかかるグランの事だ。今回の件も、それが少し長引いているだけ。何らおかしい事ではない。そうやって、この事はいつも同じ結論に至る。

 

 

「ま、結局はいつものグラン兄って事なんだよね。どうせ帰って来るんだし、もう考えるのやめよ」

 

 

 その内考える事に飽きてきて、今回もまたグランについての疑問は諦める。近い未来にグランは赤い星座へ戻る事になる、今更考えたところで余り意味はないというのが今回の彼女の結論のようだ。シャーリィはベンチから立ち上がると、軽く背伸びをしてから辺りを見渡した。

 

 

「ちょっと寄り道し過ぎちゃったかな。パパも待ってるだろうし、そろそろ——」

 

 

 そしてその時だった。それはまさに、彼女にとっては偶然の出逢い。“彼女”からすれば最悪の出逢いだが、これは避けられぬ運命、必然とも言える邂逅だ。逃れられぬ時が、少しばかり早く来てしまったというだけの事。問題はそこでは無い。重要な事は、少し別の点にある。

 そう……シャーリィが見つけたその学生姿の少女は、彼女にとって非常に興味深い容姿をしていた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

ーーさってと、仔猫も無事に届けた事だしそろそろ帰ろっかな。楽しめそうなのも見つけちゃったし。それじゃ、グラン兄にランディ兄とお兄さん達も、まったね〜ーー

 

 

 東通りの一画に位置する、アカシア荘の入口にて。仔猫の捜索を無事に終え、主人の元へ送り届けたロイド達はアカシア荘を後にして次の要請の確認を行っていた。シャーリィは他の要請には特に興味を示さなかったようで、先程一人帰って行ったというわけだ。漸く厄介者が居なくなったと、グランとランディは安堵の息を漏らし、他のメンバーはその言葉に苦笑を浮かべていた。

 残る要請内容は、演奏家の捜索依頼と東クロスベル街道の魔獣討伐依頼、そして遊撃士訓練の参加要請の三つ。その中で街中の要請は演奏家の捜索依頼のみの為、そこから片付ける事に決まり、待ち合わせ場所に指定されたクロスベル駅に一行は向かう。

 ロイド達が辿り着いた先。通商会議の影響か、多くの人が行き交い賑わいを見せるクロスベル駅のホーム。そこに件の人物はいた。黒いスーツにサングラスを着用し、仁王立ちの大柄なその男は、声を掛けづらい雰囲気を醸し出している。辺りには他に待ち合わせをしているような人物は見当たらない事から、恐らくは彼が依頼主だろう。ロイドを先頭に、男の元へと歩み寄った。

 

 

「すみません。特務支援課の者ですが、もしかして依頼を出された方ですか?」

 

 

「む……? 依頼を受けてくれたか。すまない、恩に着る」

 

 

 男はロイドの声に反応すると、軽く頭を下げてから直ぐに話を依頼の内容へと移した。曰く、本日帝国からクロスベルへの訪問に同行している演奏家の男が、彼の目を盗んで遊びに出掛けたらしい。こういった事は度々起こり、余り自由にさせておくと余計なトラブルを持って来る為、早々に捕獲したいとの事。

 件の男の名はオリビエ=レンハイム。特徴としては、金色の長髪で、その性格は気障ったらしく、華やかな場所を好むそうだ。となると捜索場所もある程度は絞る事が出来る。但し、向こう側も手慣れており、捜索されそうな場所は避けて行動しているようだ。依頼主の男が事前に歓楽街や裏通りを調べたが、その姿は見つからなかったそうだ。ならばこそ、クロスベル市を誰よりも把握している特務支援課の出番だろう。

 

 

「了解しました。それでは早速、演奏家の方の捜索を始めます」

 

 

「頼んだぞ……ところで」

 

 

 状況を訊き終え、行動を開始しようとしたロイド達を不意に男が呼び止める。その声に振り返る彼らだったが、用があるのは紅髪の男……つまりグランの事らしい。呼ばれたグランは特に疑問に思う様子もなく、男の前に歩み寄った。そして、ロイド達には聞こえない大きさの会話を始めた。

 

 

「こんなところで何をしている。宰相の護衛はどうした?」

 

 

「夕刻まで暇をもらってな。アンタの所のと考えている事は同じだろう」

 

 

「そうか。その様子だと、上手く特務支援課に取り入ったようだな。こちらも後に合流するが、お前はどうする?」

 

 

「何もなければそのまま同行する予定だ。あんたの連れに時間を割かれなければな」

 

 

「了解した。少々手荒な真似をしても構わん、なるべく早く頼む」

 

 

 依頼主の男と言葉を交わし終えたグランは、ロイド達の元へと戻り改めて捜索を開始した。演奏家の行方としては、歓楽街と裏通りを省くとなると、賑やかな場所というのはある程度限られる。屋台店が建ち並ぶ東通りや中央区、イベントが行われている湾岸区。酒が飲める場所という点ならば、裏通り以外では旧市街区にもバーがあるとの事。それぞれ離れた区画の為、一つ一つ見回るというのは非常に効率が悪い。と言ってもそれ以外に案も思い付かず、結局は捜索ついでにグランへの街案内も出来る為、街中を回る事に関してはそれほど無駄足という訳ではないのだが。

 話し合いの結果、旧市街を始点に北へ向かって捜索を開始する事にしたロイド達。先ずはワジの案内の元、旧市街の一画にあるプールバー『トリニティ』へ。旧市街の一画、地下へ降りる階段を進み、一行は店内へと入る。

 モダン風な店の雰囲気に、流れる音楽は客人の心に安らぎを与える事だろう。薄暗い店内では淡い光によって幻想的な風景を演出し、旧市街という事もあって外と中ではまるで別世界のようだ。一行はそんな店の中を見渡し、店奥に目を向ける。すると先客がいるのか、ビリヤードテーブルには数人の姿が。

 

 

「なかなかやるね、お兄さん」

 

 

「ステキー!」

 

 

「ハッハッハ。僕の本心としては、こんな玉突きよりもキミたちのハートを射抜きたいんだがね」

 

 

「やだー、冗談が上手いんだから!」

 

 

 二人の若い女性に挟まれながら、従業員とビリヤード対決をしている金髪の男性。その言動、容姿はまさに先程依頼主から聞いた特徴と合致する。傍にはリュートが置かれ、皆は捜索依頼を受けた演奏家と同一人物であると確信した。現場では盛り上がっているが、特務支援課の彼等も仕事である。大人しくお縄についてもらうべく、男の元へと近づいた。

 そして、不思議そうな顔で見てくる四人の男女へ歩み寄ったその時。

 

 

「いだっ! 痛い痛い痛い!?」

 

 

 金髪の男が突如苦痛の声を上げる。両隣にいた女性二人と従業員の男は驚き、近付いたロイド達もまた突然の事に動揺を隠せない。男の背後には、彼の手首を捻りながら後ろに回したグランの姿があった。

 依頼主からは少々手荒な真似をしても構わないと言われているが、本人という確認もまだ取っていないこの状況下。流石に事を急ぎ過ぎだとロイド達も慌てるが、当人はその事については問題無いと話す。曰く、この人物とは昔に会った事があるらしい。

 

 

「相変わらず人の手間取らせやがって。アンタはそんなにオレの邪魔をしたいのか?」

 

 

「イヤダナー、ナンノコトカナ?……ってウソですごめんなさい痛いから離して!?」

 

 

「逃げられても困る。ミュラー=ヴァンダールに引き渡すまでは我慢しろ」

 

 

「そんなー……」

 

 

 ガクリと肩を落とすオリビエと、彼を引きずりながら店を後にするグラン。周囲の人間はその姿を呆然と見詰め、状況に置いていかれていたロイドは慌てて依頼主への連絡を取った。彼と旧市街の入口で待ち合わせをすると、特務支援課もグランのあとを追いかける。

 旧市街の入口では、落ち込んだ様子のオリビエと彼の襟元を掴んだグランが立ち止まっていた。ロイドが連絡を取った事をグランへ伝えると、依頼人が到着するまでその場で待機となる。その間、一つの疑問をエリィが問い掛けた。

 

 

「そういえば、グラン君はオリビエさんと知り合いだったのよね?」

 

 

「いえ。知っているというだけで、知り合いではないです」

 

 

「つれないなぁ、共に熱い夜を過ごした仲じゃないか。この……て・れ・や・さ・ん」

 

 

「……そうだったな。人が助けてやったのをいい事に、銀閃を置いて逃げやがった事もあったな」

 

 

「今日初めて知り合いました」

 

 

 話の流れでグランの表情に不機嫌さが増した事で、この話題については触れない方がいいとロイド達は思った。息の合ったと言っていいのかは分からないが、二人の会話を聞いているだけでも知り合いだという事は分かる。両者の掛け合いに皆が苦笑いを浮かべていると、待ち人である依頼人の姿が見え始めた。

 男の姿を見つけた途端、オリビエの表情が急に明るさを増す。

 

 

「会いたかったよミュラー君! 早速だけど助けてくれないかい?」

 

 

「人の目を盗んで勝手に逃げ出したのはお前だろう。そのまま暫く痛い目に遭っていろ、と言いたいところだが……すまん、オルランド。放してやってくれ」

 

 

 依頼人、ミュラーの頼みによってグランが解放すると、オリビエは顔を輝かせて彼の方へと駆け寄った。抱き着こうとするオリビエの顔を抑えて阻止するその姿は、世話のかかる幼馴染を持ったミュラーの苦労を表している。特務支援課の面々はオリビエの言動に若干引いていた。

 捜索依頼を無事に終え、二人を見送ったロイド達。次の要請を確認しようとしたロイドだったが、グランの助けもあって想定より早く要請が片付いているという事で、一先ず市内を案内しようとエリィから提案があった。要請ついでにクロスベル案内を行う予定が、思いの外市内を歩き回る事なく終えてしまった為だ。無論その意見には皆も賛成で、旧市街から案内を始める事に決まった。

 グランが改めて見渡した旧市街の街並みは、年々発展を遂げるクロスベルとは思えない、寂れたスラムの様な風景。社会からはみ出された者、俗に言う不良が辺りを歩き回り、屋根の無い自作の住居を構える人の姿も見える。開発とは程遠い、華やかさとは無縁の地。それが、クロスベルの発展に取り残された、旧市街という区画の現状だった。

 

 

「しっかし、相変わらずここだけは手入れの気配も無いな。帝都にも似たような場所はあったが、まだ市街地として機能していた。急発展を続けるクロスベルの宿命ってやつですかね」

 

 

「そうね。経済の急激な成長は、発展と同時に取得の差やインフレも激しくしてしまうから。全ての人が平等に、恵まれた生活を送るというのは難しいけれど、決して不可能な事じゃない。だけど、現状は二大国に挟まれたクロスベルという街が、利益を優先した結果、その弊害が生じてしまっている。それでも、お祖父様は旧市街の支援に積極的な御方だから、きっとディーター市長とご一緒に解決してくださるわ」

 

 

「ディーター=クロイスか……IBCという後ろ盾は確かに大きいでしょうね。とは言え、IBCは国際バンク。盾にするには世界的な金融リスクが大きい上に、それをしてしまえば帝国や共和国、クロスベルだけの問題ではなくなる。クロスベルというものの根本から変えなければ、現状の打破は無理か」

 

 

「ええ。でも今は法の制定や改正も行われて、少しずつではあるけれど、クロスベルにとって良い方向に進んでいる。教団事件以降、議員達の汚職も明らかになって、人員改革も行われた。これまでの様に、帝国や共和国の思惑に振り回される様な事は少なくなるでしょう。クロスベルの体制も、ディーター市長の手腕で整ってきている事だし」

 

 

「表面上なら、と言うべきでしょう。国として繁栄したのなら兎も角、自治権程度の力じゃ体制を整えたところで心許ないのが現状だ。レマン自治州の様にアルテリアの承認があれば別だが、国家主権の無いクロスベルにおいての主導権は完全に帝国と共和国。クロスベルがクロスベルとして存在するには、障害になる壁が多過ぎる」

 

 

 クロスベルの闇。帝国と共和国に挟まれ、それぞれの思惑が行き交う事で発生する様々な障害。この旧市街もそれの一部に過ぎず、現状では解決困難な問題をクロスベルは数え切れない程抱えている。一国としての力を持たず、二大国の思惑に踊らされながら今のクロスベルという街が出来上がってしまっている以上、現状を変えるというのはそれこそ不可能に近いだろう。奇跡と呼べる行いですら、変革を遂げる事が出来るのかも怪しい。

 クロスベルの抱えるそれは、理想と現実が余りにもかけ離れている。それでも誰しもがそれを認知し、抗うからこそ今はまだ自治州としての形が残っていると言える。クロスベルの人間が諦めたその時、自治州としての機能は完全に崩壊するだろう。エリィの様な考えを持つ人がいればこそ、クロスベルにはまだ未来がある。

 彼女の意見に対するグランの返しは辛辣だが、的を射ているのも確か。エリィ自身もその問題から目を背けている訳では無いが、改めて現実を突きつけられてしまうとどれ程困難な状況なのかを再認識してしまう。クロスベルの危機的状況は言わずもがな。少し気落ちしたエリィの表情に気付いたグランは慌てて彼女に謝った。

 

 

「すみません。護衛という職業柄、その辺のややこしい話は嫌でも耳に入ってくるもので。クロスベルそのものを軽んじている訳ではないんですが……」

 

 

「気にしないで。グラン君の言っている事は確かにその通りだし、悪気が無い事も分かってるから。それに、グラン君みたいに各国の首脳と出会う機会のある人は稀だし、こういった話の相手になって意見を交わしてくれる人って結構貴重だから。特に第三者目線での意見は勉強になるから、逆にお礼を言いたいくらいよ」

 

 

「グラン、お前さんも変わったなぁ」

 

 

「あの、お二人が何を話しているのかさっぱりなんですけど。ロイドさん分かります?」

 

 

「まあ、何となくは……」

 

 

「こうして話を聞いてると、クロスベルも相当危機的状況だと思い知らされるよね」

 

 

 どこか楽しそうにグランと話すエリィを、ロイド達は難しそうな表情で眺めていた。政治と経済。クロスベルにとっては最も大きな問題と言えるそれは、複雑怪奇で解決には尋常では無い労力を要する事になる。ならばこそ、クロスベルを仕切る者の手腕が問われるという事だろう。

 難しい話も程々に、皆の行動はグランへのクロスベル案内に戻る。旧市街を歩きながら、一行は奥にある一つの建物に差し掛かった。中からは派手な音楽が外に漏れ、周囲の迷惑を考えないその行いは不良のたむろする場所だと容易に気付かせる。ここは特に案内する場所でも無いとロイド達が告げ、一同は引き返す事に。すると、旧市街の入口へ向かう彼等の背後から扉の開く音が。

 

 

「はあ……相変わらず、ここの人達は自分を大切にしないというか、何というか。バーニカの教会にいる孤児達の方が余程聞き分けがいいですよ、全く」

 

 

 不良が縄張りとする建物の中から現れたのは、雪の様に白く長い髪を下ろし、碧い瞳を持つシスター服の女性だった。中で説教を行なって出てきたのか、その表情は機嫌を損ねている様子。左手に持つ棒術用の得物を今にも振り回しそうなほどである。

 音に振り返った一同と、シスターの女性は互いに視線を通わせる。ロイド達はそのシスターと知り合いだったのか、自然と挨拶を交わす。

 

 

「今日も不良達の躾っスか? クロエさんも大変っスね」

 

 

「ありがとうございます、ランディさん。これも私の仕事ですから。特務支援課の皆さんもこんにちは。毎日見回りご苦労様です」

 

 

 ランディの声に愛想よく返し、彼に歩み寄って笑顔を浮かべるシスターのクロエ。鼻の下が伸びたランディの後ろでノエルはやれやれと首を振り、他のメンバーも彼の様子に苦笑気味。女性にだらしがないのは、グランと同じ血を通わせる彼の宿命か。

 そして、クロエの声に反応して、特務支援課の影からグランが顔を覗かせる。

 

 

「何やってんだ、お前」

 

 

「……グランハルト様!? なんで、どうしてここにいるんですか!?」

 

 

 グランとクロエ。彼女が士官学院に訪問して以来、一ヶ月振りの再会だった。




重い話と言ったな、あれは嘘だ。……単に収まり切らなかっただけです、ごめんなさい。

シャーリィとグランのちょっとした過去。仲良かったんだよなぁ、昔は。仲違いの原因はなんとなくシャーリィも察していますが、なぜそれが原因になるのかが分かっていない様子。好きな子目の前で射殺されたらキレますよ、そりゃあ。ただ、彼女には昔のグランのイメージが強烈に残っているので、その程度で嫌う理由にはならない、と考えているといったところでしょうか。グランの赤い星座時代の話は今章で時折混ぜて行こうかなと思っています。

オリビエの扱いはご了承を。だってグラン彼の事嫌いだから。まあ、扱い的には原作と大差無いか。

クロエ登場! 本当は彼女の過去をメインに、昔のグランの事を混じえてシリアスに突入する予定だったんですが、思ったより進まず。次回に先延ばしです。ごめんなさい石投げないで……!?

最後に……会長逃げて、超逃げてー!


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母娘の想い

 

 

 

「エリィ、援護を頼む!」

 

 

「了解!」

 

 

「ティオすけ、援護は任せたぞ!」

 

 

「合点承知です」

 

 

「全体のアシストは私に任せてください!」

 

 

 クロスベル、マインツ山道の隧道(トンネル)を進んだ先。月の僧院と呼ばれる遺跡の内部で、特務支援課の五人は邪気を放つ異形の怪物と対峙していた。クロスベル警備隊のノエルによるサポートの下、突如発生した悪魔と呼称するに相応しい魔物を討伐すべく、前衛と後衛に分けた二人一組による戦闘へと移行する。

 ロイドとランディが双方からの強襲を仕掛ければ、魔物に攻撃の隙を与えぬようにエリィの拳銃、水色の髪の少女ティオによる魔導杖の牽制。二人の援護の空いた隙をノエルによるアサルトガンの追撃で補い魔物の行動を封じ、前衛二人の連携をベースに着々とダメージを与えていく。数の利と連携を活かした作戦は、魔物へ隙を与えない。そう、確実にダメージは与えているはずだった。

 時間にして僅か十分にも満たない。しかし、その間絶え間無く攻撃を続けていた筈のロイド達の眼前には、未だ崩れない魔物の巨体がその攻撃に抗っている。

 

 

「くそっ! どんだけタフなんだよこいつは!」

 

 

 人間とは比較にならない程の桁外れた体力、或いは耐久力。

 倒れない。どれだけ攻撃を受けたとしても、苦にする様相も無く反撃の機会を待つ。ランディは悪態をつきながら依然反撃の暇を与えず、ロイドと二人攻撃の手を緩めない。

 しかし、時間が経過すると共に、次第とそれには隙が生じる。特に体力の少ない者から起き、噛み合っていた連携も保てなくなる。そしてその判断は、全体を見通せる確かな視野と、状況の分析を的確に行える者の役目だ。魔物が反撃の様相を見せ始めたのも束の間、ロイドが両の手に持つトンファーで腕の一振りを捌きながら叫ぶ。

 

 

「ランディ、エリィ達の牽制のタイミングがズレてきてる。一旦後方に下がって立て直そう!」

 

 

「くっ……仕方ねぇか!」

 

 

 ランディはハルバードで受け止めた魔物の拳を振り切り、先に後方へ下がったロイドに続いて一時前衛を離脱する。連携が上手くいかない以上、仕切り直しは最善の判断と言えた。しかし、敵のリーチから外れたとは言え、いつ仕掛けてくるかは分からない。魔物への視線は常に外せない。

 五人は対峙した魔物と睨み合う。敵も先の交戦によって警戒しているのか、飛び出す気配は無い。双方は一時的な膠着状態へと入った。特務支援課はあと一手、押し切るには一手が足りない。持久戦にしても数の利を活かすには不十分、下手をすれば消耗戦で敗北する可能性も考えられる。通常の魔獣とは違い、魔物という存在はそれ程の脅威という事だ。彼らには喉から手が出る程欲しい追撃の一手……そしてそれは、不意にそこへ訪れた。

 

 

———助太刀いたします!———

 

 

 ロイド達の後方から響く鈴のような声。驚く彼らを余所に、現れたシスター服の女性は魔物へ肉薄した。突然の奇襲に魔物も硬直したまま、隙ありとばかりに跳躍からの棒術棍が炸裂する。額と思わしき部位に振り抜かれた一撃に、魔物は体勢を崩して尚も怯んでいる。白い髪を棚引かせながら、魔物と対峙するその碧い瞳は振り返ると彼らを見据えた。

 

 

「勝機は掴みました————皆さん、ここは一気に攻めましょう!」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「かくして、俺とクロエさんの運命的出逢いは今に至ると言うわけだ」

 

 

「どこが運命的なんだよ、どこが」

 

 

 ロイドの突っ込みを受けながら、ランディの説明もそこそこに。クロエとロイド達が出会った日の事を、グランはクロスベルの道すがら聞かされていた。困り顔のクロエを見たノエルが申し訳なさそうに頭を下げている姿は、後輩としての苦労を物語っている。そもそもノエルが謝る必要は無いのだが。

 浮かれるランディの姿に呆れた様子で溜息をつき、エリィはふと気になっていた事をグランの背後へ問いかけた。

 

 

「それにしても、グラン君とクロエさんは知り合いだったのね。二人はどういった経緯で?」

 

 

「えっと、それは……」

 

 

「すみません。その件に関しては、出来れば触れないでもらえると」

 

 

 何気ない質問は、場の空気を僅かに変容させる。問われた二人の纏う雰囲気は先とは違い、明らかに重い。ここまで開放的だったグランですら口を閉ざす程には訳ありという事だろう。過去の詮索は時に悪手となる。とは言え、エリィの問いはいたって普通のものだ。彼女の方に問題が無いとすれば、それは二人の出会いの経緯に問題があると言う事。気まずさから頭を下げるエリィだったが、直後に謝る必要は無いとグランは苦笑気味に彼女をフォローした。

 淀みの生まれかけた場の空気。何とか元に戻そうと、原因の一人であるグランは隣のクロエに唐突な話題を振る。旧市街で顔を合わせた時から気になっていた事を。

 

 

「しかし、クロスベルへの活動を再開していたとはな。クオンが死んで以来、話が無くなっていたから驚いたぞ」

 

 

「————え」

 

 

 場の空気を変える為にと紡いだ何でもない言葉。グランが問い掛けたその疑問に、クロエは声を失って足を止めた。突然の事に皆も歩みを止めて彼女へ疑問の視線を向けるが、直後にその様子に驚く。目の前の光景に各々動揺を隠しきれないが、それも仕方の無い事だった。何故なら、グラン達の眼前にいるクロエは涙を流していたから。

 

 

「何やら尋常ならざる事態のようだけど」

 

 

「クロエさんどうしたんっスか!?」

 

 

「今何かありました!?」

 

 

「ええっと、特に無かった筈だけど……」

 

 

「ああ、あるとすれば……」

 

 

 冷静な様子のワジの横、ランディはクロエの涙を見て慌てふためいていた。ノエルの声に反応したエリィはロイドと共に、困惑気味にグランの顔へと視線を移す。彼女が涙を流した理由、あるとすれば直前の彼の発した一言以外には有り得ない。クロスベルの派遣……いや、恐らくはクオンという人物の死について触れた辺りだろうと。

 

 

「おいおい、どうした急に———」

 

 

 僅かな動揺を見せながらクロエの顔を視界に映したグランは、ふと訪れた衝撃に言葉を止める。気付けば彼女はグランの胸に顔を埋め、彼の服をその涙で濡らしていた。突然の行動に当人や周りも更なる驚きを見せるが、やがてクロエの口から紡がれた言葉でグランは理解する。その涙の理由を。

 

 

「良かった……思い、出したんですね。クオン様の事、バーニカ村での日々の出来事を」

 

 

「……そうか。お前にも、ボルのおっさんにも世話をかけたみたいだな。これまで至らずに済まなかった」

 

 

「私やアルハゼン司祭の事はいいんです。これまで一番苦しんでいたのは、他でもない貴方ですから。バーニカ村の悲劇を知る者として、あの教会に仕える者として、グランハルト様の記憶がお戻りになったという事が、私にはとても嬉しくて……!」

 

 

 涙を流しながら眩しいほどの笑顔を見せるクロエを前に、自身の思い知らぬところで色んな人々へ迷惑をかけていた事を彼は改めて実感した。そして同時に、一時の気の迷いとは言え、クオンに関する記憶を封じた事がどれ程愚かな行為だったか。その重大さを、彼はその身をもって感じる。記憶の封印を解くキッカケとなった、現在共にこの地へ訪れている女性には後生頭が上がらないと。彼はトワの姿を脳裏に過ぎらせては、自然とその頬を緩めていた。

 二人の様子を窺っていた特務支援課の面々も、その場に取り残されたままという訳にもいかず。ロイドは会話を終えて未だ密着する両者へ、気まずいながらも事態の進展の為声を掛ける。

 

 

「えっと……取り敢えず、話は落ち着いたのか?」

 

 

「あ……す、すみません取り乱してしまって!?」

 

 

 彼の声で今の状況をようやく理解したクロエは頬を真っ赤に染め、グランの胸から離れていた。公衆の面前で、それも知った顔の前での行為としては羞恥心の限界だったのだろう。もう少し待ってあげるべきだったかと、エリィとワジが微笑ましそうに揶揄う様子に対して彼女は顔を真っ赤にしながら否定していた。

 何とか和やかな空気に持ち直した場の状況。しかし、約一名この状況を快く思っていない者が……

 

 

「ぐぬぬぬ……!」

 

 

「ランディ先輩、これを機に浮ついた心を入れ替えてみたらどうですか?」

 

 

「う、うるせぇ! まだ脈はある!」

 

 

「いや、どう見ても無いと思いますけど……」

 

 

 クロエと隣合わせに立つグランを前に、悔しげな表情のランディの横。ノエルは彼の様子に呆れたと溜息を一つ。いつになったらあの人の気持ちに気付くのだろうかと、彼女の呟く声は風に乗って遥か彼方へと消えた。

 エリィとワジの二人に揶揄われる事暫く。ロイドの助けもあって漸く熱の冷めたクロエはひと息つくと、改めて皆の前で先の失態の謝罪を行い、状況の説明をするべく動き出した。

 

 

「先程は失礼いたしました。道すがら、クロスベルの案内の後に大聖堂へご足労いただけますか? 宜しければ、そこで皆さんにご説明致します」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 クロエ=ページ。それが、産まれた私に与えられた名だった。母親は日夜娼婦として働き、町の人達からは余り良い評判を聞かないけれど、私と同じ白髪に碧い瞳をした、とても綺麗で優しい人。だから、男の人に言い寄られる事も多かったそうだ。料理の腕だけは、お世辞にもいいとは言えないけど。

 父親は、町の復興支援の為に働いていると聞いた事があったが、詳しい内容は知らない。小さい頃には偶に家に帰ってくる事はあったみたいだけど、父とは会話をした事も、顔を合わせた事も片手で数えるほどだった。父の顔も声も記憶は曖昧で、あまり思い出せない。

 だから、どちらかと言うと私はお母さんっ子だ。幼少の頃から母に甘えれば何でも買ってくれた、何不自由ない暮らしをさせてもらっていた。あなただけは幸せになって欲しいからと、興味のある事は何でもさせてくれた。一つだけ、例外はあったけれど。

 私はお母さんが大好きだった。町の人達には何と言われようと、私にとっては自慢の母だった。私もお母さんみたいになりたい、そう言って叱られた事もあった。その時は、何故母が怒っていたのかは分からなかったけど。

 そうだ、私はお母さんが大好きな筈だった。なのに、大好きなその気持ちは、気が付けば驚くほど嫌悪の感情へと変わっていた。母へ抱いていた愛情は、いつしか紛れも無い憎悪に。こんな人達のところへ産まれて来なければよかったと、一晩中涙を流した。それは確か、十六になった年の事。

 

 

ーーーークロエの奴もショックだろうよ。ワシが父親だと知ったらなーーーー

 

 

ーーーーあの子には知らなくていい事です。貴方に襲われた時に身籠った子だと知ったら、あの子がどんな思いをするか。くれぐれも、叔父様が父親だという事は黙っていて下さいーーーー

 

 

ーーーーそれは、お前次第だよーーーー

 

 

「何、それ……」

 

 

 偶然だった。叔父が家の様子を心配して顔を出しに来た時、偶々二人が話している内容を耳にしてしまった。ショックだった。私は望まれて産まれた子では無いんだ。そう思うと、私は家にいるのが怖くなってすぐに飛び出した。

 今思えば、思い当たる節はあった。元々、母と叔父は余り仲が良くなかったと思う。いつも笑顔だった母が、叔父が家に来ると決まって顔を曇らせていた。私にとっての叔父は普通の人だ、私自身は特別何かを思った事はない。だから、母の嫌がっていたその理由に気付けなかった。

 結局、その後は行くあてもなくて、夜には家に戻った。叔父は帰っていて、家では母が心配そうな顔をして、私を見た途端母は涙を浮かべながら抱きついて来た。いつもだったら、母のスキンシップを嬉しく思いながら苦笑いで誤魔化す私も、その時は自分でも驚くほど無感情で。母に対する気持ちが冷めたのか、その日から母とは余り会話をしなくなった。日々の会話も殆ど交わさず、食事中も無言で気まずい空間が広がる。母は反抗期だとか親離れなのかとか一人で寂しそうにしていたけど、私にはどうでもよかった。だって、その言葉も、感情も、嘘偽りで出来ているのだから。

 自分の価値も、生まれてきた意味も失いただ惰性で過ごす毎日。そんな生活が、気が付けば二年も経っていた。母は相変わらず仕事を続け、偶に家へ来る叔父さんの相手をしているらしい。らしいというのは、叔父さんが家へ来た時は決まって私が家を出るから確認していない為だ。二人が行為をしているところなど、汚らわしくて見たくもない。母は理由があって逆らえずに従っているようにも見えたけど、私には関係のない事だ。

 

 今日もまた、叔父さんが家へと来た。私は家を出て、夜の帳が下りた頃に戻る。その時間には、叔父さんは自分の家に帰ってもういないから。いつもそうだった。家の扉を開けると、そこにはテーブルに顔をうつ伏せている母がいて。なのに、どうして。今日は何で、母がいる筈の場所に貴方がいるの?

 

 

「クロエ、そろそろお前も働き時だ。アイツは最近拒むようになってきたし、手初めにワシが色々と教えてやる」

 

 

「待って、叔父さんやめて!」

 

 

 椅子を立った叔父は強引に私の腕を掴むと、身体を床へ押し付ける。木材の冷たさと、頭を打ちつけた痛みが脳に伝わるがそれどころじゃない。目の前で気持ちの悪い笑みを浮かべる叔父から、何とかして逃れないと。

 力で敵わないのは分かってる。だけど、私を守るには抵抗するしかない。叔父の手を振り解こうとするけど、やっぱり男の人の力の前では無力だ。叫んでも、暴れても力で押さえ付けられる。それでも外の人が音に気付けば、まだ助かるかもしれない。私は必死で抵抗した。拒絶して、叫んで、暴れて。だけどそれも僅かな時間。

 気を失いそうになるほどの衝撃が、私の頬を襲った。

 

 

「何のために今までお前を不自由無く育ててきたと思ってるんだ? このために決まっているだろ。感情豊かな娘は、客を満足させる様な反応が出来るからな。その辺りもワシが教えてやる、大人しくしていろ」

 

 

 酷く耳鳴りがする。痛みで意識もはっきりしない。叔父は私が大人しくなったのを確認したのか、身に纏う衣服を脱ぎ始めている。薄れゆく意識の中、自分の顔横に涙が伝うのが分かった。

 これは本当に人なのだろうか。違う。この男は人の皮を被った悪魔だ。これから私は、この悪魔に人としての尊厳を奪われるのだ。使い捨ての人形の様に、かつて望まない子を宿した母の様に。今なら分かる。母が当時、どれほどの恐怖と絶望を味わったのかを。

 

 

「お前の母親に教える時は苦労した。今のお前よりは若かったが、無駄に力が強くてよ。必死で抵抗しやがるから無理矢理押さえてたら、挿れたままイっちまってな。お陰で一年は使い物にならなかった」

 

 

「ちょっと、何をしてるんですか!?」

 

 

「もう帰って来たのか……何って見てりゃ分かるだろうが。お前がつまらんからコイツに教えてやってんだよ」

 

 

「お願い、仕事の方は全部私がするからその子には手を出さないで!」

 

 

「どの道コイツにも教えにゃならん。お前は黙ってそこで見ていろ」

 

 

 今お母さんの声が聞こえた気がした。今更だが、身勝手に嫌っていた母の助けをあてにするほどには私の心は折れてしまったようだ。

 この後私はどうすればいいんだろう。叔父……いや、実の父親に凌辱され、道具となった私に生きている価値などあるだろうか。存在している意味などあるのだろうか。もういっそのこと死んでしまおう。楽になれば、これ以上辛い思いをしなくて済む。苦しまなくて済む。そうすれば、私はきっと救われる。

 生きる事を諦めて、現実から逃げ出して。意識を手放そうとしたその時、突如響いた叔父の叫び声で急速に視界が晴れた。

 理解が追いつかない。今何が起きているのか分からない。私を襲おうとしていた筈の叔父が、突然苦しみながら隣へ倒れた。ふと温かくなった右手を上げて確認する。何かが、私の手を真っ赤に染めていた。それが叔父の流している血だと気付くのに、そう時間はかからなかった。

 

 

「あはは、やっちゃった……」

 

 

「お母、さん?」

 

 

 目の前には、包丁を持つ母がいた。白い髪は返り血で赤く染まって、包丁を持つ手は震えていて。その姿を見た時、お母さんが私を助けてくれたんだって気付いた。あんなに冷たく当たって来たのに、一方的に突き放していたのに。

 母にとって、叔父はとても恐ろしい存在だった筈だ。なのに、その恐怖を押し殺して私を助けてくれた。何故かは分からない。けれど、これだけは確かだと言えるものがある。私の胸の奥から湧いて来た、温かい感情。以前の私が持っていた、大好きなお母さんへの思い。

 そうだ、私はお母さんの事が大好きだった。いや、違う。本当は、今までもずっと母の事が大好きだったんだ。私の生まれを知った時はショックだった。それは確かだし、その点はこれからも誇ることは出来ないだろう。それでも、母の子供として生まれてこれた事は私の誇りだ。

 気が付けば、隣に倒れた叔父が上げていた呻き声は次第に収まっていた。きっと死んでしまったんだろう。こんな人、死んだって思うところなんか無いけど。だけど、この人は死んでも私達の足を引っ張るつもりらしい。

 

 

「私達もう駄目だ……クロエ、お母さんと一緒に死のう」

 

 

 私が体を起こした途端、母は虚ろな目で真っ赤になった包丁を向けて来た。急な事に動揺して、それでも体は勝手に反応した。母はきっと混乱している。叔父の血を見てパニックになっているだけだ。包丁を持つ母の手を必死で押さえて、私は母に呼びかける。

 

 

「お母さん、しっかりして! お母さん!」

 

 

「クロエは私と死ぬのが嫌? お母さんと一緒は嫌?」

 

 

「そうじゃない! そうじゃなくて!」

 

 

 ダメだ、母は気が動転して冷静になっていない。このままだと本当に一家心中になってしまう。そんな結末だけは嫌だ、こんな形でお母さんと別れたくない。これまで酷く当たって来たお母さんに、それでもずっと私を大切にしてくれたお母さんに謝らないといけないから。それから二人でやり直すんだ。二人で、新しい生活を始めるんだ。今度は私が働いて、お母さんを楽にしてあげるって決めた。今決めた。私の自分勝手で寂しい思いをさせた母に、それ以上の幸せをあげるんだ。だから、絶対に私が母を止める。そう、手に力を込めた時だった。

 

 

「楽になろう……もうね、お母さん疲れちゃった」

 

 

 ふと母の抵抗が無くなった。同時に、その手に持つ包丁の向きが反転した。刃先は吸い込まれるように母の胸へと迫っていく。力を抜いた時には遅かった。私の手に握られた包丁が、お母さんの胸を突き刺した。

 

 

ーーーー◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️ーーーー

 

 

「あ、ああ……」

 

 

 目の前の事実が怖くて、恐ろしくて。母が動かなくなるまで発していた、声も表情もよく思い出せない。ただ、気付いた時には私がお母さんを殺したという事実だけが、その手に残っていた。

 どうしてこうなってしまったんだろう。自分の生まれに落ち込んで、母を遠ざけて、そしてまたやり直そうとしたその矢先に。私は私自身の手で、その未来を手放してしまった。

 

 

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……!」

 

 

 家を飛び出して、必死で町を駆け抜けた。復興が進んでいないこの町の外は塩害の地、町の外に出たことの無い私にはどこに何があるのかも分からない。それでもいい。私は逃げ出したかった。この事実から、私が犯してしまった恐ろしい現実から。少しでも、あの地から離れたかったのだ。

 行くあてなどない。そんな事は分かっている。それでも、逃げる為には歩き続けるしかないんだ。知らない橋を渡って、知らない丘を抜けて、知らない塩の大地をただただ進んで。食事もままならない、運良く水源を見つけても塩辛くてまともに飲めない。一度眠ってしまえば、夢の中で叔父さんとお母さんが私を責める。だから、足が動き続ける限り、私はなるべく歩いた。

 

 一体あれから何日経ったんだろう。気が付けば、私の歩くペースは落ちている気がする。昨日見えた筈の岩が、まだまだ視線の先にある。何だか視界もぼやけて来た。考えようとしても、頭が上手く働かない。いつになったら、人がいる場所に辿り着けるんだろう。

 もしかしたら、私はもうどこにも辿り着けないのだろうか。ふと、そんな考えが頭を過ぎった。そうか、考えてみればそうだ。知らない土地を歩き続けたところで、母親殺しの大罪人に、神のお導きなどあるわけがなかった。もし、こんな私にも神様から御慈悲が下るとすれば、それはきっと……天罰だ。

 

 

「あはは……そっか、天罰が下ったんだ。だからどこにも辿り着けない、誰一人にも出会わない。そうだ、だから……」

 

 

「こんな場所で散歩とは珍しいな……ってそっちに行っても崖があるだけだぞ」

 

 

 人の声が聞こえた気がした。この場所で、そんな幻聴が聞こえる程度には私も壊れてしまったらしい。もう疲れた。何処に辿り着けるわけでもないのに、いつまでも歩き続けるのは辛くて苦しい。ただ、もう少しだけ歩けば楽になれる。何処かへ辿り着ける。そんな気がした。

 あと一歩、足を踏み出せば私の望む場所へといける。そんな思いが私の足を動かしたその時、突然身体に軽い衝撃が走った。私の体は何かの力によって、後ろへ引き寄せられた。

 

 

「おい、人の話聞いてんのか! 飛び降りるんなら他所でやれ!」

 

 

「え……ひと?」

 

 

 視界のぼやけた私の目では、よく確認できないけれど。私に向かって怒鳴り声を上げているのは、恐らく私よりも年下の少年だ。身長も私より低い、声にも幼さが残っている。彼は、こんな場所で何をしているのだろうか。

 この子はもしかして、死神か何かなのだろうか。そうでなければ説明がつかない。こんな場所に、人なんかが、子供なんかがいるわけがない。目を凝らしてみる。紅い髪に、紅い瞳。可愛らしい顔は子供らしさがあり、キリッとした目と男の子の声色がなければ、女の子にも見えなくもない。こんな可愛い死神なら、ついていってもいいかもしれない。

 

 

「何をしたらこんなに衰弱するんだよ……ったく、目の前で死なれても具合いが悪い。来いよ、飯くらい奢ってやる」

 

 

 男の子は掴んでいた私の腕を引っ張ると、何処かに向けて歩き始めた。その行き先は、きっと—————

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「いやぁ、これだけ食いっぷりが良いと料理人冥利に尽きるねぇ」

 

 

「す、すみません……」

 

 

「あっはっは……気にしないでくれ。お代は貰っているから、好きなだけ食べるといい」

 

 

 男の子は死神ではありませんでした。私が連れられた先は、バーニカ村という名の村、そのはずれにある七耀教会だった。教会の中にある食堂に連れられ、男の子が司祭の人と何か言葉を交わした後、少し席で待たされた後にテーブルいっぱいの料理が運ばれて来た。自分が女であるのも忘れて、はしたなく料理を口の中に掻き込んだ。気付いた時には恥ずかしさで顔が熱くなったけど、隣で笑っている司祭の男性の方に促されて、食事を再開した。

 最初は空腹で味わうどころじゃなかったけど、一口一口確認するととても丁寧な味付けで、私の記憶にある料理の中でどれも一番の美味しさだった。鶏肉と野菜のスープに、お魚を甘辛く煮たもの。香辛料が食欲をそそるパスタに、魚介の素材と出汁が美味しい彩のいいこの料理はパエリア、と言っていたか。他にも見たことの無い料理が並んでいるが、この厳しい国でどんな事をしたらこれだけの贅沢が出来るのだろうか。そう考えると、振舞われている立場なのに少し嫉妬してしまった。

 

 

「しかし、彼も似た子を連れて来たものだね。やはり、記憶を失ったように見えても心の中にはあの子がいるのだろう」

 

 

 そういえば、料理に夢中で肝心な事を忘れていた。私をここへ連れて来てくれたあの男の子はどこに行ったんだろう。全てを諦めて、現実から逃げ続けて、それでも生き汚く歩き続けた。そんな私を、偶然の出会いで救ってくれたあの男の子には、ちゃんとお礼を言わないといけない。返せるものはないけれど、せめてもの感謝の気持ちは伝えないと。この人なら、彼が今何処にいるのか知っているかもしれない。

 

 

「彼……そういえば、私をここへ連れて来たあの人は?」

 

 

「ああ……彼なら離れで休んでいるよ。用があれば案内しよう」

 

 

「あ、お願いします!」

 

 

 残った料理を口に掻き込んで、司祭様の後を追って教会の外へ向かった。あの男の子は教会の外にある建物で過ごしているらしい。

 目的地へ向かう途中、司祭様からあの子に関する話を聞いた。男の子の名前はグランハルト=オルランド。どうやらあの子は護衛を専門にした有名な猟兵で、仕事の報酬の一部をこの教会へ寄付しているそうだ。年は十四で、私より四つも下だ。そんな年で、彼は一人の人間として立派に自立している。私なんかとはまるで違う。そこに至るまでの苦労は、きっと想像もつかないものだろう。

 彼の情報を聞きながら、足を止めた司祭様の前に建つ小屋へ視線を向ける。三角屋根の小さな小屋は、本当に寝泊まりする為だけに建てられたような造りだ。司祭様に促されて小屋の扉を開くと、部屋の奥にある椅子に座る彼の姿があった。彼はこちらに視線を向けると、素っ気なく要点だけを口にした。

 

 

「ミラなら渡してある、暫くはここで世話になるといい」

 

 

「え……いや、その……」

 

 

 外で出会った時は何にも感じなかったのに。彼の顔を見た途端、言い様のない緊張に囚われた。初めて見た時とは全くと言っていいほど大人びた印象で、顔も幼く身長も私より低いのに、年上なのかと錯覚するほどだ。彼を見ていると、生きた時間の長さよりも、その時間で得た経験の濃さがいかに重要なのかが分かる。それほど教養の高くない私でもそう感じるぐらいには、彼の過ごして来た日々が想像を絶するものだとその身に纏う空気が物語っていた。

 緊張で中々言葉を発しない私に気を遣ったのか、司祭様は私の隣に来て代わりに話してくれた。しかし、それは想像もしていなかった内容で。

 

 

「ああ、実はその事なんだが……彼女に、ここでシスターとして働いてもらうのはどうかと思ってね」

 

 

 食事を与えて下さっただけでなく、働く場所まで提供してくれるというその内容に私は驚いた。ついさっきまで生きる事が辛く諦めかけていた私にとっては、願っても無いチャンスだ。この国でこれだけ恵まれた環境に辿り着くのは、そう簡単な事ではない。恐らくもう二度と巡って来ない機会だろう。

 この誘いを受ければ、私はこの先幸せに過ごせるかもしれない。ここに来るまでの苦労が報われるくらいには。ただ、これまでの事を思い出す中で、同時に私が犯してしまった罪まで思い出してしまった。

 そうだ、私はお母さんを殺した。私を大切にしてくれたあの人を裏切った。そんな私が、この神聖な場所にいていいのだろうか。いいわけがない。この汚れた両手で、女神様に祈りを捧げるような真似をすれば、きっと私には死ぬよりも苦しい罰が下る。そう思うと、とても司祭様の提案を受け入れる事など出来なかった。

 

 

「それは、出来ません! ご、ごめんなさい。こんなに良くして頂いたのに……」

 

 

「ふむ……何か訳ありのようだね。よければ、断るその理由を聞かせてもらってもいいかな?」

 

 

「そ、それは……」

 

 

 私の目を真っ直ぐ見つめてくる司祭様に、下手な嘘は通じない事は直感で分かった。このまま黙っていれば、何も答えなければ、きっと安定した生活を送れる。本当の事を話してここを出ていけば、きっともう人のいる場所へは辿り着けない。それは即ち死ぬという事。その恐怖はあるけれど、罪の意識に苦しみ続けるよりはずっと楽だ。

 私は司祭様とグランハルトさんに、ここに来るまでの事情を嘘偽り無く話した。私が母とその叔父との間に生まれた子供だという事。私を大切にしてくれた母に、辛く当たっていた事。そして、私を襲おうとした叔父から助けてくれた母を、この手で殺してしまった事。二人へ事の経緯を話しながら、いかに自分が最低な人間なのかというのを再認識した。やっぱり、私は幸せになっていい人間ではない。

 

 

「なるほど。よくある話にしては、運が無かったな」

 

 

「それは、辛かったね」

 

 

「私は、司祭様の御慈悲を受けられる人間ではありません。私のような汚れた存在が、母から受けた恩を仇で返す親不孝な娘が、これ以上皆さんへ迷惑をかける事があってはならないんです。今日は良くして頂いて、本当に感謝しています。ですから……」

 

 

「よし! ならばさっき食べたご飯の代償として、一週間ここで住み込みで働きなさい。うんうん、それがいい」

 

 

 この人は、私の話を聞いていたのだろうか。ちゃんと聞いていてくれたのなら、すぐにでもここを追い出す筈だ。もし聞いていたのだとしたら、お人好し、にしても人が良すぎる。この国でそんな同情心は命取りだ。私のような人間には意見すら許されないのは分かっているが、この人は裕福だからそんな事が言える。司祭様が素晴らしい人だというのは分かる。こんなに良い人は大陸中探したってそうはいないだろう。だけど、そんな人の良い方だからこそ、私はその良心を受け入れてはいけない。それに第一、食事代は彼が払ってくれたのではなかっただろうか。

 

 

「え……でも、お代はさっきグランハルトさんが……」

 

 

「確かに払ったぞ……まさか、五十万ミラで足りないとか言い出すんじゃないだろうな?」

 

 

「足りないねぇ。細かく言えば、あと一ミラ足りない。グラン君、今手持ちはあるかい?」

 

 

「そりゃああるが……今から死地に出て行くって奴の為にこれ以上払うのは胸糞悪いな」

 

 

「ま、待って下さい……!」

 

 

 たまったものではない。私にお金がないと分かっていて、司祭様は一ミラという金額を要求しているのだろう。二人共意地悪だ。私に用意出来ないから、選択肢を選ぶ権利を与えておきながら、その実半強制的に首を縦に振らすつもりだ。何でそこまでして私を留めるのか、その理由が分からない。もしかしたら彼らにとって何か利益があるのかもしれないが、どちらにせよ話をそのまま飲み込むわけにはいかない。あてはないけれど、何とかして用意する以外に方法は無い。

 

 

「い、一ミラくらいならすぐに用意してきます! ですから————」

 

 

「どうやって?」

 

 

「そ、それは……村の人にお恵み頂く、とか」

 

 

「————誰も恵んではくれないよ」

 

 

 これまで終始優しい笑顔を崩さなかった司祭様が、この時初めてその表情を歪めた。私を襲おうとした時の叔父なんか比では無いくらい恐ろしい顔。鬼のような怒りの表情と威圧で、私の意識を飲み込んだ。堪らず身をすくめて、視線を床下へと逸らす。これ以上直視すれば、私はきっと恐怖で床を汚してしまう。そのような痴態だけは晒すわけにはいかない。

 

 

「生きる事を諦めた人間に、ミラを恵もうなどという者はこの村にはいない。それに君は今、一ミラくらいと言ったね? この国でその一ミラを稼ぐのにどれだけの苦労が必要か、それを分かって言っているのかい?」

 

 

 司祭様のお怒りも、仰っている事も尤もだ。支援によって支えられているこの国で、お金の価値を否定するような言動がどれほど常識の無い事か、働く人々や支援者に対する暴言なのかは分かっていた。一ミラくらいなどと、軽はずみでも絶対に口にするべきではない。私は、先の発言をひどく後悔した。

 

 

「ごめん、なさい……」

 

 

「顔を上げなさい。そう落ち込まずともよい、君は大変運がよろしい。この教会で一週間働けば、君が今必要な一ミラを給金として出そう。衣食住付きだ、悪くない条件だろう?」

 

 

「いや、衣食住提供とはいえ一週間で一ミラの給金は詐欺だろ」

 

 

「んん、グラン君は黙ってよろしい」

 

 

 顔を上げると、司祭様の顔は元の優しいものへと戻っていた。優しい人が怒るととても怖いと言うが、まさにその通りだ。金輪際、この人を怒らせてはいけないと心に刻んだ。

 私に返済するあてはない。ならば、選択肢はもう一つしかない。グランハルトさんの声を一蹴りした司祭様は、微笑みながら私の言葉を待っていた。

 

 

「さて、考えは決まったかな?」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「クロエおねぇちゃん、おしえてー」

 

 

「おねえたん、おちえてー」

 

 

「はいはい、今度はどんな形が知りたいの?」

 

 

 この教会に来て、漸く一週間が経過した。シスターとしての私の仕事は主に、教会の中での雑用と、ここで暮らす二人の子供のお世話だ。その子達は、親が面倒を見きれずに手放した子と、両親を亡くして天涯孤独になった子だ。それでも、二人とも純粋で、とてもいい子達。生きる事に希望を持っていて、毎日新しい事に目を輝かせていて、私なんかとは違って未来を見ている立派な子達だ。だから、そんな子供達と楽しく過ごしていると、私の犯した過ちを時々忘れそうになってしまう。もしかしたら、多分それが司祭様の狙いなのかもしれない。

 今日もまた、雑用をこなした後に子供達の相手をする。この子達は本当に可愛くて、好奇心旺盛で、新しい事に興味津々だ。ここで働き始めた初日の日に教えてあげたものの内、あやとりという糸を使った遊びを二人が特に興味を持ってくれて。今も新しい形を教えてほしいと、五歳と二歳の女の子が言い寄って来た。

 

 

「漸くか。ここ一週間で随分と雰囲気が変わったな」

 

 

「細かく言うとあと数時間あるけどね。でも、あれが本来の彼女なんだと思うよ。心の優しい、素直な娘だ。事の経緯はどうあれ、彼女の母親はあの子を立派に育て上げた。とても素晴らしい奥方なのだろう」

 

 

「これを機に、心変わりでもすればいいけどな」

 

 

「ああ、本当に。しかし、グラン君まで付き合うことはないだろうに……仕事の方はいいのかい?」

 

 

「任せっきりってのも気が引けるしな。元より自由な商売だ、おっさんが気にする必要はない。それに、どうせ明日には旅立つつもりだ」

 

 

「そうか……私としては、君にもここで暮らしてほしいけどね」

 

 

「特別な縁でも無いだろう……支援金の話で偶然知り合っただけだ。おっさんはオレを買い被りすぎだっての」

 

 

「……すまない、失言だったようだ」

 

 

 少し離れた場所から、司祭様とグランハルト様の話し声が聞こえてくる。その内容までは詳しく聞き取れなかったけど、多分今日私がここを出て行く事について話しているのだろう。私の中では、どうするかはもう決めている。

 今日はここにいられる最後の日だ。だから、せめてこの子達には一つでも多く教えてあげよう。そう思っていると、子供達は今教えたばかりのあやとりの形を保ったまま、二人の話し声が聞こえる方へと向かって走ってしまった。

 

 

「おっさん、クロエおねぇちゃんに教えてもらったー。カニー!」

 

 

「かにー!」

 

 

「そうかい、良かったね。そしていい加減私の事はアルハゼン司祭と呼びなさい」

 

 

「えー、おっさんはおっさんだよー」

 

 

「おったんおったん〜」

 

 

 あの子達は、またあんな言葉遣いをして。直すようにと言い聞かせているけれど、中々言うことを聞いてくれない。初めは怒るけど、気がついたら子供達の可愛さに許してしまっていて。私には、躾の才能がないというのもここで知った事の一つだ。兎にも角にも、子供達の言葉遣いが直らない要因の一つは、あの話の輪の中にいるのだけど。

 

 

「いいじゃないか、慕われている証拠だろ」

 

 

「全く、君の真似をしているというのに他人事な。二人とも、グラン君の真似をしていては立派な大人になれないよ」

 

 

「あーグランハルト様の悪口言ったー!」

 

 

「ぐあんはるとたまのことわるくいったー! おったんのあほー!」

 

 

「あ、あほ……?」

 

 

 流石にこれ以上の暴言を見過ごすわけにはいかない。今日までとはいえ、子供達の面倒を任せられた以上私にも責任がある。私に出来る精一杯の怖い顔を浮かべながら、急いで四人の元へ向かった。今一瞬グランハルト様が私に気付いて笑っていたけど、流石にそれは失礼じゃないだろうか。ともかく、二人には説教をします……自信はないけど。

 

 

「こらこら二人とも。司祭様になんて事を言ってるの、謝りなさい」

 

 

「クロエおねぇちゃん怒ったー!」

 

 

「おこったー!」

 

 

「こら、待ちなさい……!」

 

 

 やっぱり、子供達はきゃっきゃと笑いながら走って逃げた。司祭様のように怖い顔をするのは中々に難しい。あそこまで怖いと嫌われてしまいそうだから、少し怖いくらいでいいのに。私には威厳というものがない。きっと、人を怒るというのが向いていないのだろう。八つ当たりと言ってはそれまでだけど、一人笑っている彼へと標的を変える事にした。

 

 

「もう。全く、あの子達は……グランハルト様も、子供達の前では言葉遣いに気をつけて下さい」

 

 

「今日出て行く人間にしては、妙に面倒見がいいじゃないか」

 

 

「それは……」

 

 

「まあ、肝に命じておくよ」

 

 

 彼は冗談混じりに言ったつもりだろうけど、それを言ってしまわれると、私には何も言い返せなかった。少し気まずくなったのか、グランハルト様は子供達を追って一人教会の外へと向かって行く。その後ろ姿を見詰めながら、私はこれからについて考える事にした。ここを出て行った後、どうするのかを。

 考えては見たものの、結局はどうするもこうするもなかった。死に場所を探して、再び塩の大地を彷徨うだけだ。そんな自分の姿を想像したら、彼の皮肉は当然の事だと思えた。そんな中、落ち込む私に同情したのか、司祭様はいつもの優しい笑顔で話しかけてくれた。

 

 

「彼の言った事は気にしないでいい。どうだい、ここの生活もいいものだろう?」

 

 

「はい。二人ともいい子で、こんな私にも優しくしてくれて。この一週間は、私にとって夢のような時間でした。本当に楽しくて、幸せで、こんな日がずっと続いたらいいなって思います」

 

 

「それは良かった、この教会も人手不足でね。クロエさん、君さえよければこの教会でシスターとして生きる道を選んではみないかい?」

 

 

 一週間前、司祭様に提案されたシスターとして生きる道。あの日はすぐに否定したけど、今の私は少し言葉に詰まるくらいには気持ちが変わっていた。それほどまでに、ここでの生活は楽しく、幸せなものだった。もしかしたら、ここでこのまま過ごすのも悪くないかもしれない、そう思ってしまう。

 だけど、それは許されない事。あってはいけない事だ。名残惜しく思いながら、私は揺らぐその決意を声に出した。

 

 

「……ごめんなさい。やっぱり、私はここにいていい人間ではないと思います。純粋なあの子達を見ていたら、余計にそう感じてしまって……」

 

 

「お母さんを殺めた事が、まだ許せないかい?」

 

 

 司祭様の言葉に静かに頷く。私が忘れてはいけない事、背負い続けなければいけない母親殺しの罪。私を恨んでいる母が見ているこの世界で、私が幸せになる事は許されない。もし母に許してもらえるとすれば、それは恐らく私の死だ。私がこの命を持って償う事で、初めてその罪の意識から解放される。だから、そう。私には、きっとその道しか残されていない。

 沈黙が広がる中。司祭様はポケットから硬貨を取り出すと、私の前に差し出した。

 

 

「約束の給金だ。ただ、これを受け取る前に少し話を聞いていきなさい」

 

 

 そう言って、司祭様はとある話を語ってくれた。それは、ノーザンブリアのどこかで起こった二人の少年少女の話。

 

 あるところに、十歳ほどの少年がいた。彼はその年で恋人がいて、恋人と二人で暮らすため、彼は恋人であるシスターの少女の故郷、ノーザンブリアのとある村へ訪れた。

 村の者達は、その少年を快く受け入れた。少女が村人達から慕われていたというのもその理由だった。彼女が連れて来た子が、悪い子なはずがないからと。少年はその日から、村の仕事を手伝いながら、村はずれにある教会で少女との生活を始めた。

 そして少年がノーザンブリアでの生活を始めて数日後、ある騒ぎが起こった。何処からか、少年の素性が村の者達に知れ渡ったらしい。少女が連れて来たその少年、実は村に来る以前は猟兵として過ごしていた。それも、北の猟兵ではなく、赤い星座というかなり有名な猟兵団に所属していたのだ。その日から、村人達は少年に対して冷たく接するようになった。少年が何か悪さをしたというわけでもないのに、酷い話だ。当然、少女はその事を知って悲しんだ。

 少年が猟兵だった事は少女も知っていた。混乱を避けるために、敢えて村人達に少年の過去は伝えなかった。しかし、現実はそうもいかない。村人達との間に亀裂が生じた少年は、彼らと距離を置きつつ教会での生活を続けた。

 そしてそんなある日、村の中に魔獣が迷い込むという事件が起きた。凶暴な魔獣は、畑を食い荒らすだけに飽き足らず、逃げ惑う村人達にも襲いかかった。騒ぎを知った少女は村へ急いだ。当然、少年もそれに付き添った。二人が村に着くと、目の前では魔獣が暴れ回っている最中。少年は腰に帯刀した刀を使い、村人に襲いかかっている魔獣を殺した。

 この時、少女は不謹慎ながら少し喜んだ。この一件で、少年も村人達に受け入れてもらえると思ったからだ。彼は村人達の命を救った。感謝されこそすれ、非難される謂れは無いのだから。

 だが、村人達は魔獣の返り血を浴びた少年を見て恐怖した。あんなにも凶暴な魔獣を、彼は事も簡単に殺せると知ったからだ。一人が罵倒を浴びせると、それに続いて村人達は少年を責め立てた。こんなにも恐ろしい人間は見たことがない、今すぐここから出て行け……と。

 恐怖というのは時に、目の前にある最も重要な事実を見逃してしまう要因になる。そして、その村人達が見逃していた事実を明確にしたのは、やはり少年の恋人である少女だった。

 

 

『みんなを守ってくれてありがとう、グランハルト』

 

 

 少女の言葉で、村人達も漸く我に返った。少年は自分達を救ってくれた命の恩人なのだと。なのに、何故あの様な酷い事を言ってしまったんだと。少女の行動によって、徐々に村人達の意識は変わっていった。その日から村人達も、少年に対して優しく接する様になった。少年と少女は、それから二人で幸せな日々を過ごしたのだそうな。めでたしめでたし。

 

 

 ……何だか強引な終わり方のような気がしないでもないけど。その二人は、結局幸せな日々を過ごすことが出来たのだ。微笑ましいと思う。だけど、司祭様は何故私にこんな話をしたのだろうか?

 

 

「さて、こんな話をして私が何を言いたいんだと思うだろう? 私が言いたいのはね、今の君が少年を責め立てた村人達と一緒だという事だ」

 

 

「私が、ですか?」

 

 

「今の君は、現実に怯えて本当の事が見えていない。恐怖の影にある真実に目を向けていない。心を冷静にして考えなさい。襲われていた君を助け、自らを犠牲にした君のお母さんは、どんな気持ちだったと思う?」

 

 

「……っ!?」

 

 

 その言葉に、私は堪らず顔を背けた。私がこれまで逃げて来た現実。母を刺してしまった時の、母の言葉や表情。思い出したくない。私にいつも微笑んでくれたお母さんが向けてくる憎悪の目を、軽蔑の顔を思い浮かべたくない。私には、私が母を裏切ったという事実だけでいい。

 

 

「……きっと、私を恨んでいると思います」

 

 

「そうか……それが君の答えなら、私からはこれ以上何も言わない。約束の一ミラは貰っておこう。ただ、ここを出て行く前にグラン君へ挨拶していきなさい」

 

 

 司祭様は諦めたように一ミラを握ると、窓から教会の外へと視線を向ける。あの子達が遊んでいて、その様子を少し離れた場所で見守っているグランハルト様の姿が見えた。司祭様に見送られて、私は彼の元へと歩み寄る。

 私をこの場所へ導いてくれたのは、紛れもなくこの人だ。何があったとしても、その感謝と、与えられたひと時の幸せは絶対に忘れない。

 

 

「グランハルト様。その、助けて下さってありがとうございました」

 

 

「礼はいらない。生きる事を諦めた人間の礼なんか不要だ」

 

 

 彼の機嫌は悪そうだ。でもそれは仕方のないこと。せっかく助けた人間が、生きるあてもないのに死地へと出て行くのだ。怒ってくれているだけ、この人も司祭様と同じで優しい人だ。このまま立ち去ってもいいけど、どうせ最後ならせっかくだから、あの話の事を聞いてみるのもいいかもしれない。思い切って、司祭様から聞かされた話の事を聞いてみた。その話を聞いた彼は、特に驚く素振りも見せなくて。まるで他人事のようだった。

 

 

「おっさんも面白い話をしたもんだな」

 

 

「あの、この少年ってもしかして……」

 

 

「で、それを話しにここへ来たのか?」

 

 

 返って来た反応は、想像とは違ったけれど。私が本当に聞きたいのは、もっと別の事だ。自分では完結していながらも、どこか迷っているあの時の事。この疑問を彼に言い切ってもらえれば、私はきっと迷わない。納得して、この一生を終えられる。

 

 

「きっと母は、私を恨んでいると思います。でも、司祭様はその答えに納得されていないようで……グランハルト様は、どのように思いますか?」

 

 

「知るか。答えはお前にしか分からない、気になるんならもう一度思い出してみたらどうだ? お前が母親を殺した時、どんな様子だったかをな」

 

 

 彼も、司祭様と同じだ。主観的な話ではなく、私自身が見た真実を求める。答えは、分かりきっているのに。私には事実だけでいいのに。母は絶対に、私を恨んでいる。その言葉が欲しいだけなのに。思い出せと言われると、無意識でもあの時の事が脳裏に過ぎってしまう。あの時の事を必死で誤魔化す為に、反射的に顔を俯かせる……でも、彼に顎を持ち上げられてそれはかなわなかった。

 

 

「……っ!?」

 

 

「顔を背けるな。その過ちは、例えお前が死んだとしても消えるものじゃ無い。未来永劫、償い続けなければいけない罪だ。だからこそ目を向けろ。お前が殺した時、母親はどんな顔をしていた? 感情の無い無機質なものだったか、それとも絶望に染まっていたか? よく思い出してみろ」

 

 

 駄目だ、彼の瞳から視線を外せない。意識を逸らして誤魔化しきれない。このままじゃ、あの時の母の顔を思い出してしまう。そんな苦しみは求めてない、母が私を恨んでいる事実だけでいい。なのに、なんでこの人達は私を苦しめようとするの?

 あああああああ……!? 嫌だ、思い出したくない! 母の顔は、母の顔は————

 

 

「え、嘘……」

 

 

「もしかして、笑っていたんじゃないのか?」

 

 

 そう。私が母を刺した時、お母さんの顔は笑っていた。何で、訳がわからない。大切にしたのに、恩を仇で返されて、裏切られて。なのにどうしてお母さんは笑ってるの? 疑問はそれだけじゃない。この人はどうして、母が浮かべていた顔が笑顔だと知ってるの? この人は一体何を知ってるの?

 私は即座に彼へ詰め寄った。そして、その疑問に対する彼の答えは、実に単純なものだった。

 

 

「そりゃあ、母親だからだろ」

 

 

「えっ……」

 

 

「これまで色んな人種を見て来たが、これだけは寸分違わず同じだった。母親ってのはな、男親みたいに理屈じゃなく本能で子どもを愛する生き物だ。だから見返りも求めず子どもを育てる、無償の愛を捧げ続ける。自分のお腹を痛めて、生命を分け与えた掛け替えのない存在だからだ。お前の母親にとっても、それは変わらなかったんだな」

 

 

 見返りを求めない? 母親はみんな同じ? それが、恨んでいないという理由になるのだろうか。お母さんは、本当に私を恨んでいなかったのだろうか。分からない。でも、それだけじゃお母さんが笑ってた説明がつかない。

 

 

「お前の母親はきっと、狂いながらも確かな意識があったんだろう。だから最後に理性が働いた、子供を傷つける前に自分の死を受け入れた。そして、自分の胸に包丁が刺さったのを知って安心した。『この子に怪我をさせなくて良かった』ってな。それなら、死に際にお前を見て笑顔なのにも納得がいく」

 

 

「あ……」

 

 

 ある日の記憶を思い出す。それは、日常の中で母と私が交わしていた何でもない会話。中には、同じ事ばかり毎日口にしている言葉があって。しつこいって、分かったからって、その言葉にいつも苦笑で返していた。

 

 

————お母さんの仕事を手伝いたい? 馬鹿なこと言わないの! あなたがお金の事を考えなくていい、お母さんに任せなさい————

 

 

 違う。

 

 

————クロエったら、最近お母さんに冷たくない? はぁ、そろそろ子離れしないといけないのかな————

 

 

 違う。

 

 

————何かあったらお母さんに言いなさい。絶対に、お母さんがクロエを守るから————

 

 

 そうだ。

 

 

————あなたは私の宝物なんだから。もう、お母さんクロエの事だーい好きっ!————

 

 

 そう、だ。そうだった。お母さんは、いつだってそうだった。うるさいって嫌がったフリをしても、分かったからって流そうとしても、いつも笑顔で私に言ってくれた。その顔が幸せそうで、こっちまで嬉しくなって、私もそんなお母さんが大好きで……!

 

 

「おっさんが言ってたぞ。クロエさんは、素晴らしい母親に育てられたんだろうって。あのおっさんの目は確かだ。それが断言するくらいだ……あんたは、いい母親を持ったんだな」

 

 

 何で忘れていたんだろう。私は、お母さんが恨んでいると思っていて、私を嫌いになったんだと思っていて。私に向けてくれていたあの笑顔を、その幸せそうな顔を、私自身がその思い出から消そうとしていた。お母さんを刺した事を、殺してしまった事実だけを受け入れて。そんな現実に、恐怖に怯えて本当の事を忘れていた。

 今なら思い出せる。鮮明に思い出せるよ。あの日、母を殺してしまったあの時。母は、お母さんはいつもと変わらない笑顔で、私にこう話してくれたんだ。

 

 

『お母さんのところに、生まれて来てくれてありがとう。クロエ、ずっとずっと大好きだよ』

 

 

「お母さん、お母さんっ……!」

 

 

 本当の事を思い出した。その瞬間、涙が止まらなくて、とめどなく溢れてきて。お母さんがくれた沢山の愛情が、私を幸せにしてくれたあの笑顔が、全ての思い出が蘇った。

 お母さんが息を引き取るその前に、私もだよって、お母さんが大好きだよって言えなくて。そんな後悔で胸が苦しくなって、それでも大好きなお母さんの笑顔が浮かんで。それすらも許してくれそうなくらい、お母さんのとびっきりの笑顔が浮かんできて。ごめんなさい、ごめんなさい……!

 

 

「あー、グランハルト様おねぇちゃん泣かしたー!」

 

 

「ぐあんはるとたまのあほー!」

 

 

「悪かった悪かった。ったく、女を泣かせる役回りなんか振るなってんだよ……あとは頼んだぞ」

 

 

 私は本当に取り返しのつかない事をして、それなのに自分のことばかり考えていた。私自身が恐ろしくて、現実が怖くて逃げ出してしまった。そんな私の心の弱さが、母の与えてくれた愛情すら隠してしまって。

 

 

「どうやら、気付いたようだね」

 

 

「はい……! 私、お母さんを裏切ったんだって、そう思って、でも違くて、それで……!」

 

 

「一つずつでいい。ゆっくり、落ち着いて話しなさい」

 

 

 司祭様に背中をさすられながら、嗚咽も少しずつ収まってきて。涙はまだまだ止まらないけど、頭の中は言葉を紡げるくらいの余裕が戻ってきた。私に微笑みかけてくれる司祭様に、私は思い出した全ての事を打ち明けた。

 

 

「私、お母さんに恨まれてるんだって思ってました。お母さんを刺した時、母は私を見て、親不孝者って、裏切り者って軽蔑の眼差しを向けているんだって思ってて。でも、考えたら違いました。お母さん、私の事が大好きで、ダメダメで、でもとっても優しくて……!」

 

 

「うんうん、君を見ていれば手を取るように分かる。いいお母さんに恵まれたんだね」

 

 

「私、そんなお母さんの事が大好きで、なのに殺してしまって。だから恨まれてるんだって、そう思って。でも、それでもお母さんは、私の事を大好きで、いてくれて……!」

 

 

 せっかく落ち着いてきたと思ったのに、また涙と嗚咽が止まらなくなって。だけど、私の想いは司祭様に伝わったようで、司祭様はお父さんみたいな優しい顔で私を撫でてくれた。

 

 

「素敵なお母様だ。クロエさん、あなたはお母さんに救ってもらったその体を大切にしなければならない。そして同時に、犯してしまった過ちは、その手で償い続けなければいけない。生きる事を諦めるというのが、命を捨てるなどという愚行が、いかに間違いか……今なら分かるね?」

 

 

「はい、はい……!」

 

 

 私の過ち。それは、お母さんを殺してしまった事もそうだけど、それだけじゃない。現実から目を背けて、恐怖から逃げ出してしまった事。本当の意味で、母の愛情を仇で返そうとしてしまった事だ。今なら分かる。私は、この罪を背負って生き続けなければいけない。生涯をかけて、償い続けなければいけない。それがきっと、これから私が為さなければいけない事だ。

 そして、全てをやり終えた後に、直接お母さんに伝えるんだ。ごめんなさいって、私もお母さんの事が大好きだよって。

 

 

「さて、もう一度問わせてもらおう。クロエ=ページさん。この教会で、シスターとして生きる道を選んではみないかい?」

 

 

 司祭様のその言葉に、私は力強く頷いた。




祝、100話!
と、そんな事はさておきまして。あけましておめでとうございます。節目の話数だから主人公についてとかそんな事はなく、まさかのクロエの過去編で二万文字超えた。あの、グランの過去回想一万文字くらいだったよ……?(涙

さて、本編の話に参ります。クロエの過去、重いながらもそれを乗り越えた彼女はとても強い女性です。グランと出会わなければ、あの一歩で崖下へ落ちて悲しい結末になっていたでしょう。グランと出会ったからこそ、あの一歩が希望の一歩に変わりました。バーニカ村の教会、説明は不要かもしれませんが、かつてグランがクオンと過ごしていた場所です。アルハゼン司祭はクオンの父親というわけですね。アルハゼン? どっかで聞いた名前のような気が……気にしない気にしない。剣の達人とか、そんな事はないヨ……?(目そらし


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邂逅

 

 

 

「以上が、グランハルト様と知り合うに至った経緯です」

 

 

 クロスベル市の住宅街を抜けた先。マインツ山道へ繋がる道に位置するクロスベル大聖堂、その客間にて。グランへクロスベル市内の案内を終えたロイド達一行は、クロエに連れられて大聖堂へ訪れ、彼女の過去についてクロエ本人から説明を受けていた。彼女が話したそれは、返す言葉にも困るような辛く苦しい過去の出来事。しかし、過去を語るクロエからは、大切な思い出を語るかのような温かな気持ちを感じているのもまた事実だった。そのおかげもあってか、客間の空気は話の内容ほど重くはない。とはいえ、かける言葉に困るというのもまた事実であり、ありきたりな言葉だと思いつつ、ロイドとエリィはクロエに向けて口を開く。

 

 

「そうか……クロエも、大変だったんだな」

 

 

「お母様は、本当に素晴らしいお方だったのね」

 

 

「そう言っていただけると、天国にいる母も喜びます」

 

 

 エリィの声に答える彼女の姿はとても誇らしげで、同時に、その笑顔からは苦難の道を乗り越えてきた強さも感じられた。彼女ほどシスターに向いている人はいないと、この場にいる皆がそう思うほどに。

 

 

「ぐすっ……とても尊敬します。クロエさんも、クロエさんのお母さんも」

 

 

「若いのに苦労してきたんスね……俺、クロエさんの為なら何だって力になりますよ!」

 

 

「あ、ありがとうございます……?」

 

 

 涙ぐむノエルの横、ランディは一人心を打たれたのか、感極まったと言わんばかりに立ち上がるとクロエの手を取り、彼女を困惑させている。彼の気持ちも分からないでもないが、彼の性格故か。いつもの悪い癖が出たと、ロイドに引き摺られて席へと戻った。

 そして、そんな中一人考え事をしていたワジはふと、クロエの過去話に登場した人物について問いかける。

 

 

「そういえば、話に出てきたアルハゼンって人はどんな人なんだい? 今の話を聞くに、中々愉快な御仁のようだけど」

 

 

「アルハゼン司祭の事ですか? そうですね……とても優しいお方ですよ。司祭としての仕事の傍ら、村周辺の魔獣討伐なども請け負ってらして……バーニカ地域一帯の安全は、あの方で保っているようなものです。村の皆さんからも、あの若さで慕われていますし」

 

 

「あの面で若いとか言われてもな。あれで三十代は詐欺だろ」

 

 

「もう、グランハルト様。司祭も結構気にしておいでなんですから、本人の前でそんな事は絶対に言わないで下さいね?」

 

 

 話に横槍を入れて来たグランをクロエが牽制し、ため息を一つ。会話の内容からグランもアルハゼンという司祭の事は知っているようで、その口調から親しい仲というのも推測できる。ワジは二人の話に満足したのか納得した様子で頷き、他の者達は苦笑気味に会話の様子を眺めていた。

 そして、ふと響いた扉の開く音で皆の視線は客室の入口へと向けられる。まるで会話の終わりを待っていたかのように、話に一区切りがついたその場へ一人のシスターが現れた。

 

 

「何やら楽しそうですね」

 

 

「リースさん、戻ってらしたんですね」

 

 

「ええ、先程。部屋へ入り辛い雰囲気でしたので、扉越しに貴女の過去についても聞いてしまいました」

 

 

 リースと呼ばれた鉛丹色の髪のシスターは、客室に集まる一同に会釈をした後、クロエの声に応えた。偶発的に起こった事とはいえ、盗み聞きのような真似をしてしまったと彼女はクロエに頭を下げる。しかし、当の本人はそこまで気にしていないらしく。

 

 

「あはは……気にしないで下さい。リースさんを含めて、ここにいる方々なら問題無いですから」

 

 

 複雑な過去を知られても、クロエにはそれ程動揺した様子はない。それだけこの場にいる皆を信頼している、という事だろう。場の空気は穏やかなまま、直後のリースによる言葉を皮切りに、話の流れはクロエのその後について触れていくことになった。

 

 

「その、お母さんの供養はどうなさったの?」

 

 

「それなんですが……実は、私の故郷の町で働いている男性方が、埋葬してくださって。その話を聞いて、後日御墓参りに行ったんです」

 

 

「こいつの母親……ミア=ページは、町の男連中にとても慕われてましたよ。娼婦の仕事と言っても、実際のところは復興作業で疲弊している男連中の相談に乗っていただけみたいです。あの聖母のような女性(ひと)を相手にするには、とても自分達じゃ釣り合わない……男連中は皆一様に同じ事を口にしていました」

 

 

「はは……そりゃあすげぇな」

 

 

 クロエ、グラン両人の話に思わずランディが声を漏らす。当時クロエに付き添う形で同行したグランが町で聞いた、彼女の母親に関する情報。現地で人々から聞いたそれは、彼女の母親がどの様な人物だったのかを十二分に物語っていた。苦しい環境下に置かれて尚、町の復興に尽力する者達を懸命に支え続けたクロエの母、ミア=ページ。人々の支えになり、慕われていた母の真の姿をその時クロエは知った。そして、彼女は母の様になりたいと、少しでも近づきたいと思い、現在は母の役目を受け継いでいる。

 

 

「今でもバーニカ村の教会には、故郷の町で働く男性の方々が訪れてくれて。母がしていたように、週に一、二度は故郷に帰って相談に乗ってあげてるんです」

 

 

 今も故郷で復興に尽力する皆の力になるべく、母と同じく町の人々を支える道を歩み続ける。月に一度クロスベルへ訪れているのも、その延長だと彼女は話す。これがなかなか言うことを聞いてくれないと愚痴をこぼし、旧市街の不良達の素行に頭を悩ませているのが現状のようだ。

 現在のクロエの悩みにクロスベルの治安を守る警察関係者としても頭が痛いとロイドがため息をつき、苦笑気味にノエルとエリィが続いた。

 

 

「でも、本当に素敵なお話ですね」

 

 

「ええ。町の人達にとって、クロエさんやクロエさんのお母様は聖女のような存在なんだと思うわ」

 

 

「あはは……それは流石に恥ずかしいです。でも、そういえば一つおかしな事があったんですよね」

 

 

「おかしな事、ですか?」

 

 

 赤みの増した顔で、クロエがふと口にした疑問。その様子にリースが訊き返すと、次に彼女が告げた言葉で皆の脳裏に最悪の可能性が過ぎる。

 

 

「はい。町の人が母の遺体を見つけた時、その場に叔父の遺体が無かったそうなんです」

 

 

 その言葉は正しく、クロエの叔父……父親が生きているかもしれないという可能性を示唆するもの。彼女の母親の身を呈した行為を無碍にするものだ。

 皆の不安げな表情からその考えを察したクロエは、余計な事を言ってしまったと、慌てた様子で補足を入れた。

 

 

「ええっと……その、叔父は多分亡くなっています。もし生きていたのなら、あの男は直ぐに私を訪ねるはずですから」

 

 

 クロエの説明に納得したのか、彼女の言葉に疑問を投げる者はいなかった。だが、その言葉を証明する事は難しい。機会を伺い、今も身を潜めているという可能性もゼロでは無い。そして、その考えに至ったのだろうランディは、周囲に話を聞かれる事のないよう隣へ座るグランに耳打ちした。

 

 

「グラン、実のところどうなんだ?」

 

 

「死んでいますよ……間違いなく(・・・・・・)

 

 

「そうか……悪りぃ、変なことを聞いたな」

 

 

 グランの言葉から何かを察したのか、ランディがそれ以上返すことは無く。二人の様子に周囲は首を傾げていたが、話までは聞こえていない様で、会話に割って入るような事もなかった。

 話も一区切りし、一息つこうとそれぞれが目の前に置かれたティーカップに視線を移す。予定より長話となった為か、当初は立ち上っていたティーカップの湯気は消え、香りも弱く、素人目に見ても飲み頃を過ぎていた。これでは楽しめないと、苦笑を浮かべていたクロエはその場を立つとカップの回収を始める。

 

 

「入れ直して来ますね。リースさん、こちらの席にどうぞ」

 

 

「有り難う、では遠慮なく」

 

 

 皆のカップを台に乗せ、とっておきを用意するから楽しみにしていて下さいと、リースに席を譲った彼女は一人退室した。皆がその様子を目で追った後、彼女の姿が見えなくなってから、ふとノエルがロイドに尋ねる。今後の予定についてだ。

 

 

「この後は、どうしましょうか?」

 

 

「残っているのは、魔獣討伐と遊撃士の訓練要請だな。ただ、グランの話を伝えにベルガード門とタングラム門へも寄るとなると、あまり長居は出来ないかもしれない」

 

 

「お茶を戴いたら、すぐにでも出発しましょうか」

 

 

「だな」

 

 

「ゆっくりしたいところだけど、予定も詰まってるからね」

 

 

 意見もまとまったのか、特務支援課一同は頷き合うと雑談を始めてクロエの帰りを待つ。そして、その輪から外れていた二人……リースとグランは、楽しそうに話しているロイド達とは違い、彼らの様子片目に淡々と言葉を交わしていた。

 

 

「残念ですね。貴方には、色々と聞きたいことがあるのですが」

 

 

「こちらは特に無いがな。とはいえ、その内嫌でも顔を合わせる機会があるだろう」

 

 

「そうですね。その機会が協力的な場面であることを願っています」

 

 

「全くだ」

 

 

 それ以上の言葉を交わすことはなく、二人の間には重い沈黙が続く。同じ室内でこれほど空気が違うのも珍しいが、当の本人達が気にしている訳でもないので当然変化も無い。その空気が破られたのは、数分後に客室の扉が開いて漸くの事だった。清涼感のある香りをティーポットから漂わせながら、人数分のカップを台に乗せてクロエが戻ってきた。

 

 

「お待たせ致しました」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「随分とご機嫌だな、エリィ」

 

 

 クロスベル大聖堂を後にした特務支援課は現在、魔獣討伐依頼の出ている東クロスベル街道を目指して市内を歩いていた。大聖堂にてクロエ達と雑談後に本来の任務を遂行している訳だが、エリィの足取りが皆と比べても明らかに軽い。鼻歌交じりに歩くその姿は、よほど嬉しい事があったと見えよう。今もロイドの声に、先頭を歩く彼女は機嫌よく振り返った。

 

 

「ふふ、そう見えたかしら?」

 

 

「そりゃあ鼻歌なんかしてれば誰でもそう思うっての」

 

 

「だって仕方がないじゃない。まさかあのハーブティーが飲めるなんて思わなかったんだもの」

 

 

 何を分かりきった事をとランディが返した先、エリィは大聖堂での出来事を思い出し、嬉しそうに両頬へ手を添えていた。こうも彼女がはしゃぐのは珍しいと、ロイドは先の大聖堂での出来事を思い出しながらエリィの姿を眺めていた。

 大聖堂の客室内で雑談が飛び交う中、戻ってきたクロエが皆に振る舞ったそれは、富裕層では有名なあるハーブを使ったハーブティーだった。独特の清涼感のあるその香りに皆が関心を持つ中、香りに心当たりがあったエリィはその場で固まった。それはもう鬼気迫る勢いでクロエに問い質し、若干引き気味の彼女から返ってきた答えに、エリィが恍惚の表情を浮かべていた記憶は皆の脳裏にも新しい。

 

 

「確かハーブの名前は、ノーザンマレイン……でしたよね?」

 

 

「ええ! ノーザンブリアのバーニカ地方でしか栽培されていないハーブなんだけど、中々お目にかかれない希少品なの。まさかクロエさんがそこの教会から来ているだなんて、驚きだわ」

 

 

 ハーブティーに使われていたハーブの名をノエルが口にすると、彼女の顔に迫る勢いでエリィが答える。その迫力にノエルが押されている姿を、他の皆は苦笑気味に眺めていた。ロイドとランディにもその名には聞き覚えが無かった様だが、ハーブの種類となると流石にその筋に興味のある人々にしか分からないだろう。

 ただ、このノーザンマレインというハーブは、数多あるハーブの中でも少々特殊な代物らしい。

 

 

「ノーザンマレイン……消して枯れる事のない神秘の植物にして、別名を時無し草だっけ。でもそのハーブって確か物凄く高価じゃなかったかい?」

 

 

「ええ。近年は特に発育が悪いらしいんで、市場には僅かな数が一束九万ミラで出回っているはずです。と言ってもその殆どが直ぐに裏に回るでしょうから、闇市での入手になるとその三倍は見たほうがいいでしょうね」

 

 

 ワジの声に応えたグランの話の内容に、一同は戦慄する。ハーブ一束で約二十杯のハーブティーが飲めるとして、表の市場価値が一束九万ミラ。ざっと計算してもティーカップ一杯で四千五百ミラ、裏の市場価値だと一杯一万ミラ以上の計算になる。大聖堂でクロエから出された時、ゆっくりと味わっていたのはエリィとワジの二人のみで、それ以外の者は大して味わっていない。グランはまだしも、不思議な味だと直ぐ様飲み干したロイドやランディ、ノエル達はその価値を知った途端、その額に冷や汗を滲ませていた。

 

 

「はあ……その情報だと、今年も手に入れるのは無理そうね」

 

 

 三人の心情など知るよしもないエリィは一人、グランの情報を聞いて落ち込みを見せている。毎年の様に市場に顔を出すものの、その度に品物は売り切れており、入手出来ずという状況がここ数年続いているらしい。昔はクロスベルで個人の屋台に出回る様なマイナーなハーブだった様で、エリィか始めて飲んでファンになったのも祖父がその屋台で購入した物との事。昨今の価格高騰は異常だと語る彼女の表情は暗い。

 そんなエリィの姿に見兼ねたランディは、助け舟を出すべくグランへその視線を移した。

 

 

「グラン、お嬢の為にも何とかしてやれないか?」

 

 

「まぁ、本来あのハーブは商売目的じゃないですし、オレの伝手でいくつか回してもらうことは出来ますけど……そうですね。何だったら、現地から特務支援課宛に直接送らせましょうか?」

 

 

「ほ、本当!?」

 

 

「ええ。あまり数は用意出来ませんが、それでいいのならミラも適正価格でいいですよ」

 

 

「と、とんでもないわ! ありがとう、グラン君!」

 

 

 そしてダメ元だったランディの助け舟で、なんとまさかのグランによる入手ルート確保。エリィは心を躍らせ、感極まって彼に迫るとその手を取って飛び跳ねている。だが、その高揚が警戒心を解いてしまった。

 そう、忘れてはならない。彼という男の性質と、彼女自身が持つその元凶を。

 

 

「いやいや、礼なんかいいですよ。十分な報酬は今もらいましたから」

 

 

「ほ、報酬……? それって……っ!?」

 

 

「いやー、エリィさんの胸の感触を味わえるなら、ハーブなんて何束でも送らせますよ」

 

 

「あ、相変わらずですねこの子……」

 

 

 グランに迫るという事は、つまり彼と体が触れ合う至近距離に立つという事。不意にグランの腕に触れたエリィのたわわな双丘は、彼の腕を包み込まんとばかりに見事な山脈を形作っていた。エリィは自らの不注意に気付いて直ぐ様グランから距離を取り、一部始終を目の前にノエルは顔を引きつらせている。

 

 

「お嬢もはしゃぎ過ぎだ。それとグラン、うちのリーダーが怖い顔してるからそのくらいにしておけ」

 

 

「まったく……ふざけてないで依頼に戻ろう」

 

 

 このままでは事が進まないと、ランディがエリィへの注意と同時にグランへ釘を刺し、ロイドが現状に呆れつつも統率を取るべく仕切り直しの声を上げ、その身を翻す。しかし、エリィの態度を見て何故か脈アリと判断したグランは、彼女の胸を凝視しながらその手は準備運動をしていた。

 

 

「む、胸を揉ませてもらえるなら定期契約を結んでも……」

 

 

「そ、そんなのダメに決まってるでしょう!?」

 

 

「ダメだこの子……って私の方見ても、エリィさんの代わりにとか無いですからね!?」

 

 

 他人事の様に見ていたノエルが、不意に自身の胸へ向けられたグランの視線に身体を震わせる。完全に彼のペースに飲み込まれた場の状況に、取り残された三人は呆然と立ち尽くしていた。

 

 

「こ、ここまで欲望に忠実だといっそ清々しいけどね」

 

 

「ランディ……」

 

 

「すまんリーダー、もう少しだけ堪えてくれ」

 

 

 特務支援課の任務が進む気配は無かった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 グランが特務支援課の任務に同行していた頃。クロスベル市の裏通りに位置する、とある商会の事務所。そのオフィスの一画、執務室には現在、向かい合わせのソファーに身を預ける二人の少女の姿があった。

 一人は、西ゼムリア通商会議の開催で賑わう市内を散策し終え、ホームへと戻ってきた赤い髪の少女、シャーリィ=オルランド。彼女はもう一人の少女と雑談の最中らしく、現在その話題に出てきたある人物の情報に驚きの表情を見せ、信じられないと声を上げていた。

 

 

「あの勉強嫌いのグラン兄が!? うっそ、全然想像出来ないんだけど」

 

 

「嘘じゃないよ。グラン君、中間テストで良い点取れるようにってそれはもう頑張ったんだから」

 

 

 そしてシャーリィの声に返したもう一人の少女は、帝国政府の随行団のスタッフとしてここクロスベルに同行していたトワ=ハーシェルの姿だった。オルキスタワー内で仕事をしていたはずの彼女が、何故シャーリィと共にこの様な場所へ来ているのか。

 グランが特務支援課と共にクロスベル大聖堂にいた同時刻。オルキスタワーで資材整理と会議資料の準備を手伝っていたトワは、随行団のスタッフの一人に資材の補充を頼まれ、現地で調達すべく一人市内へ外出していた。資材リストを記したメモを渡され、どこか腑に落ちないと思いながらも彼女が百貨店へと向かう途中。突然現れたシャーリィによって強引にここまで連れ去られ、今に至るという訳である。

 

 

「だって闘いと酒と女の人以外に興味が無いあのグラン兄だよ? 昔勉強教えてもらおうとした時だって『歴史? そんなものは自分で作れ』とか訳の分かんない事言ってた人だよ? ありえないありえない」

 

 

「そ、そんな事言ってたんだ……」

 

 

 連れ去られてから現在までの状況は、グランの士官学院での様子をトワが話し、それに対して信じられないといった様子でシャーリィが昔のグランについて語り、そんな過去のグランの言動にトワが困り果てるという繰り返しである。だが、いつまでもそのような状況が続くわけでは無い。話のネタが尽きれば、流石に繰り返しの会話も終わりを迎えるというもの。

 

 

「ふーん……でも話を聞いてみると、グラン兄も結構楽しんでるんだね、士官学院」

 

 

 そして不意にシャーリィの口から漏れた、彼女による私感。この時トワは、シャーリィの反応を受けて意外だと驚いていた。彼女の言葉が、では無い。その表情が、まるで親愛する兄に向ける顔そのものだったからだ。

 トワは彼女達がグランに行なってきた非道を、また彼がどの様な境遇にいるかを知っている。そして知っているからこそ、オルランド家は間違いなく互いに対立関係にあると思っていた。しかし、話してみればシャーリィはグランを敵視していないどころか、慕っている様な素振りさえ見て取れる。兄の学院生活の話に喜色満面な事からも、それは窺える。

 そんなシャーリィを見て、トワは思ってしまった。まだ手遅れではないと。彼女の行ないは許されたものではなくとも、壊れかけているグランと家族との関係は、改善出来るのではないかと。そんな淡い期待を抱いてしまった。

 

 

「じゃあさ、今度はお姉さんの事教えてよ」

 

 

「私の事?」

 

 

「うんうん」

 

 

 好奇心の眼差しで、シャーリィはトワの顔を見つめていた。この状況、トワにとってこれはチャンスだった。ここで自分の話を皮切りに、彼女についても知る事が出来れば、彼女達と深く関わる事が出来れば、グランとの事についても必ず光明が見えてくる。彼がこれから実行しようとしている悲しい結末を変えられるかもしれないからだ。

 と、そんな風に意気込んでいた彼女だったが、シャーリィが自身の胸部辺りに両手で双子の山を描きながら放った言葉に、全てを持っていかれた。

 

 

「グラン兄ってさ、おっぱい大きい人にしか靡かないでしょ? なのに話聞いてるとさ、なんかお姉さんの事も意識してるっぽいんだよね」

 

 

「あんまり考えないようにしてたけど、そうだよね。グラン君ってやっぱりそうなんだ……」

 

 

 前半部分の一言目がトワの頭に響いた様で、学院でのグランの生活態度を思い返しながら酷く落ち込みを見せていた。何かまずい事を言ったかとシャーリィは戸惑い、彼女もかける言葉に困っている。

 微妙な空気が漂い始め、二人の会話が途切れかけた。しかし、関心があるのかと思えば、途端に興味を失う。まるで猫のような性格が、シャーリィにはあった。

 

 

「ま、別にいっか。どうせグラン兄が団に戻ってきたら、お姉さんともお別れだし」

 

 

「え? それって、一体どういう————」

 

 

 トワに向けていた好奇心の眼差しは消え、シャーリィは退屈そうにソファーへともたれかかる。しかし、今度はトワの方に訊ねる事が出来た。落ち込む最中に聞こえてきた、その言葉の真意を彼女が問いかけようとした、その矢先。

 

 

「随分と騒がしいな。来客か?」

 

 

 猛々しいその声は、扉の先から聞こえてきた。問いかけようとしていたトワは、背後の扉から現れた人物への反応に一歩遅れる。そして、その人物へ先に声を発したのは正面に座っているシャーリィだった。

 

 

「あっ、ゴメンねパパ。部屋使わせてもらってる〜」

 

 

「別に構わんが……なるほど、そういう事か」

 

 

 視界に捉えずとも分かる、その存在感と威圧感。武術に精通していない彼女ですら感じるほどの、熱量と覇気。重くなった体をなんとか動かし、トワが振り返ったその先に彼はいた。

 眼帯を付けた勇ましいその顔つきは、赤い獅子を連想させ、筋骨隆々な大柄の身体は、鋼鉄の如き強度を思わせる。トワの視線の先、彼女が初めて邂逅したそれはまさしく————

 

 

「……グラン君の、お父さん」

 

 

 戦場を蹂躙し尽くしてきた、鬼の姿だった。

 



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由々しき事態

トワのオルランド家家庭訪問の続きです。

会長頑張ってね!


 

 

 

 クロスベル市内裏通りには、クリムゾン商会と呼ばれる企業の事務所が構えられている。帝都では有名な、最近ではここクロスベル市の歓楽街にも進出した高級クラブ『ノイエ=ブラン』を始め、その他の商法にも手を掛けているという噂があるが、重要な点はそこでは無い。

 大陸随一と知られる大規模の猟兵団『赤い星座』の資金運用の一つとして、商会の名を騙っている。公には知られていないが、それが真実であり、トワが事前にグランから手渡されていた資料にもその旨が記載されていた。私有でクロスベル市を散策する際、絶対に近付いてはならないと。結果的に、彼女はその地へ足を踏み入れてしまった訳だが。

 

 

「あ、あの……」

 

 

「……何だ?」

 

 

「グラン君の事、なんですけど……」

 

 

 社長椅子に座るシグムントを見上げながら、気まずそうにトワが口を開く。しかし彼女の声に当の本人は寡黙で、トワも会話の継続に難航している。特別空気が張り詰めている、というわけではないが、シグムントの纏う厳格な雰囲気に声を掛けづらいのだろう。

 そんな物怖じしている彼女へ痺れを切らしたのか、正面に座るシャーリィが助け舟を出した。

 

 

「大丈夫だよ。今日のパパ、機嫌良いみたいだし」

 

 

 不意の助言に、トワは素直に驚きを見せていた。目の前の彼女が助けてくれた、からではなく。現在のシグムントの機嫌が良い、という事に。とてもそうは見えないと、シャーリィの話に若干の不安を感じながら、トワは学院での出来事を語り始めた。

 

 

「その……グラン君、トールズ士官学院では、一年Ⅶ組に所属していて。やんちゃなところもあるけど、毎日すごく頑張っていて。トールズは学業でもレベルが高いのに、グラン君学院に来て初めての中間テストで、二十五位の高成績だったんです」

 

 

 グランの士官学院での生活について、これまでの出来事を想い巡らせながら彼女は話した。中間テストが行なわれるまで、彼の言動に困惑しながらも毎日勉強を教えていた事や、テスト終了後にその結果を残念そうに報告へ来た姿を微笑ましく見ていた事も。懐かしい、というには早いが、それらは日々の楽しい思い出として。そんなありふれた日常を、今でもトワは鮮明に記憶していた。

 

 

「……そうか。あの馬鹿はやらなかっただけで、出来ない訳ではない。当然だろう」

 

 

 応えたシグムントの言葉は、あまり優しい物言いではなかった。しかし、その表情からは僅かに笑みがこぼれ、心の内にある本音が垣間見えた。やはり彼にとって、息子であるグランは今でも”家族”なのだろう。

 そんな彼の姿に、トワの表情も漸く緊張が解けたのか。時折笑顔を見せながら、彼女が知る学院でのグランの姿を語り続ける。

 

 

「グラン君、生徒会での仕事も手伝ってくれていて。それがとても手際が良くて、私も見習わないといけないくらいで。他にも、Ⅶ組の子達と———」

 

 

 Ⅶ組の特別実習を始め、個々の氏名や事情を伏せながら、課外活動でのグランについてもトワの口から語られた。話の最中、シャーリィは退屈そうで、シグムントも口を挟む事はなく。聞いているのかよく分からない態度ではあるが、話す方のトワは過去の思い出に楽しそうで、特に気にする事もなく続けている。

 そして、グランについての話が終わった直後。シグムントは伏せていた目を開くと一言。

 

 

「つまらんな」

 

 

 その言葉には、笑顔が見えていたトワの表情にも影が差す。グランの事と言っても、トワの主観的な話だった事もあり、彼の求めているものでは無かったのか。楽しんでもらおうとした話ではないが、流石につまらないの一言で片付けられては、彼女も落ち込みを見せる。

 しかし、シグムントの言葉には続きがあった。

 

 

「だが……グランハルトはそれなりに楽しんでいたのだろう。バカ息子が迷惑をかけたようだ、名は?」

 

 

「トワ=ハーシェルです」

 

 

「フ……覚えておこう」

 

 

 彼女が思っていたよりも、しっかりと話を聞いていたようで。名を告げるトワの姿を視界に捉えながら、シグムントは一度その瞳を伏せる。依然として彼の表情からでは機嫌を窺う事は出来ないが、少なくとも悪い印象は与えていないと、トワも内心胸を撫で下ろしていた。

 

 

「しかし、こうも似た娘を見つけてくるとは……」

 

 

「ホント驚きだよね。初めて見た時は本人かって思ったくらい似てるもん」

 

 

 ふと、トワの眼前で行なわれた親子の会話。その内容が、誰と誰を指しているのか、彼女は察してしまった。そしてその人物の死こそが、グランが赤い星座と敵対し、自身の父親への復讐を誓う事になる悲劇の幕開けでもある。

 そしてトワの僅かに歪んだ表情の変化から、シグムントは気付く。

 

 

「その様子だと、話は聞かされているようだな」

 

 

「はい。クオンちゃんの事については、グラン君から直接」

 

 

「へ〜……グラン兄がお姉さんの事気に入ってるっぽいのは分かってたけど、もうそこまで進んでるんだ」

 

 

 そして忘れてはならない。クオンという少女の死の元凶は紛れもなく、この二人だという事を。

 

 

「そう身構えるな。たかが似ている程度で、危害を加えるような真似はせん」

 

 

「そうそう。お姉さんに何かあって、グラン兄が団に戻ってくる時に支障が出たらそれはそれで迷惑だし」

 

 

 無意識の内に立ち上がっていたトワを、シグムントとシャーリィは事もなげに見詰める。その口角は僅かに吊り上がり、動揺する彼女の姿を愉しんでいるようにも見えた。グランがどれだけ悩んでいたか、苦しんでいたかと叫びたい気持ちを抑え、表情に敵意を浮かべながら、トワは再びソファーに腰を下ろす。

 そして、トワにもこの場で聞きたい事が出来ていた。正確にはシグムントがこの部屋に訪れる直前にも、シャーリィの口から聞かされた内容だ。

 

 

「あの、グラン君が団に戻るって、一体どういう事ですか?」

 

 

「なーんだ、お姉さん知らなかったの? グラン兄、今の護衛任務が終わったらウチに戻る事になってるんだけど」

 

 

「正しくは決闘の勝敗によるが……赤い星座への復帰は確定していると言っていい」

 

 

 トワにとっては初耳だった。決闘の事も、その結果次第ではグランが赤い星座へ戻るという事も。何故これほど大事な事を彼は話してくれなかったのか、そんな戸惑いを抱えながら、彼女は更に問いかける。

 

 

「じゃ、じゃあ今通ってる士官学院については、どうなるんですか!?」

 

 

「そんなの辞めるに決まってるでしょ」

 

 

「そ、そんな……」

 

 

 シャーリィの告げた最悪の結末に、トワは堪らず俯いた。幾ら何でも突然過ぎると、考えが追いつかずに思考が定まらない。グランがいなくなる、と決まっている訳ではない。だが、シグムントの物言いではグランの赤い星座復帰という未来はほぼ確定的だ。

 この二人に、少しでも家族としての良心が残されているのなら。グランの気持ちを考えるだけの優しさが残っているのなら。そんな淡い希望を胸に、彼女はもう一度顔を上げ、問い掛ける。

 

 

「もし……もしグラン君が帰らないって言ったら、どうしますか?」

 

 

「どうしたい、などという個人の意思に意味は無い。それが契約である以上、グランハルトも覚悟の上だ」

 

 

「でも、それじゃあグラン君の気持ちが……」

 

 

 無論、通るはずもなく。他者の気持ちを尊重する、などという温情は彼らには無い。そもそも仲違いの原因は彼らで、それを反省している素振りすら見せないのだ。前提として、シグムント達には相手の気持ちを汲む、という選択肢が存在しない。

 トワは何処かで期待していた。家族というのは、ただそれだけで特別な繋がりを持つ。きっと分かり合える、きっと修復出来ると。しかし、そんな彼女の期待は崩れ去り、同時に理解した。本質的に、この二人とは分かり合う事が出来ないのでは無いか、と。

 俯いたトワの顔を覗き込むように、シャーリィが頬杖をつきながら口を開いた。

 

 

「お姉さん、もしかしてグラン兄と離れたくない、とか?」

 

 

 不意に飛んできたその質問に、トワの身体が僅かに跳ねる。

 これまでのやり取りの中で、彼女はグランの為という名目で意見を聞き、また返していた。勿論それは嘘偽りなどでは無い。グランの為というのは彼女の本心だ。しかし、そこには別の感情が存在する事もまた、事実だった。シャーリィの言葉は、まるで心の中を覗かれているような気がして。トワも、その問いには口を開く事が出来なかった。

 

 

「うわぁ、図星だ」

 

 

 無言で俯くトワの姿に、シャーリィは呆れた様子でソファーへもたれ掛かる。

 この手の話をシャーリィは苦手としていた。色恋沙汰ほど、理屈の通らない面倒な案件はないからだ。聞くんじゃなかったと瞳を伏せ、目の前で俯く彼女に、いつの日か自らの手で殺めた人物の姿を重ねる。直後に何故か湧き上がってきた苛立ちに、その顔を僅かに歪ませていた。

 そして、そんな自分の娘の変化に気付いたのか、そうでないのか。シグムントはシャーリィの後ろ姿を見下ろした後、俯くトワへとその視線を移した。

 

 

「トワ=ハーシェルと言ったな」

 

 

「は、はい」

 

 

「……ウチに来る気はあるか?」

 

 

 シグムントによる、唐突な赤い星座への勧誘。トワは目を丸くして顔を上げ、シャーリィは何を言い出すんだと驚きの様子で、背後に座る父親へと振り返っていた。

 トワという人間と猟兵では、流石に住む世界が違い過ぎる。猟兵という職業柄、必ず手を汚す場面があるだろう。彼女にそれが務まるはずがない。トワを知る人物ならば必ずそう思うほど、彼女は善良な人物だ。

 

 

「団の仕事といっても、戦場に立つだけが全てではない。統括指揮能力には中々のモノがあると聞いているが?」

 

 

「わたしは反対。お姉さんには絶対ムリだよ」

 

 

「グランハルトの首輪には丁度いいと思うがな」

 

 

「そ、そうは言うけどさぁ……」

 

 

「何れにせよ、決めるのはそこの娘だ。来るなら仕事は用意してやる、来ないならばそれまでだ」

 

 

 室内は沈黙に包まれた。シグムントとシャーリィの視線は、未だトワへと向いている。彼女が出す答えに、二人の意識は集中していた。

 シグムントの勧誘は、トワにとってはある種のチャンスだ。グランと共に道を歩む、二人で苦楽を共にしていく、そんな未来を確定出来るチャンス。隣を見れば、そこにグランがいる。もしかしたら、いつの日か夢見たかもしれない、その情景を思い浮かべて。彼女の口は、肯定の言葉を紡ぎかけた。

 しかし、彼女が想像したグランの表情はどこか暗い。苦しそうで、辛そうで。とても、幸せとはかけ離れた表情だった。そして、彼の視線が向いている自らの手を見た時、理由に気付く。彼女の手は、何かの血で真っ赤に染められていた。

 本当に、その未来は望んだものなのか。幸せなのか。改めて考えた時、彼女の中で出すべき答えが確定した。

 

 

「……お誘いは、断らせて下さい」

 

 

「ほう……理由は?」

 

 

「私に、その仕事が出来るとは思えません」

 

 

 トワが以前から抱いていたもう一つの夢。今まで、そしてこれからも頑張り続ける目的でもある。帝国の未来の為に、平和な世の中にする為に。そんな漠然としていて、成し遂げられるかどうかも難しい彼女の願い。少なくとも、それは赤い星座にいて叶えられるものではない。

 クオンの夢を応援し、彼女の願いを支えたいと思ったグラン。そんな彼が、夢を捨ててまで、もっと言えば願いとは真逆の道を歩むトワの姿を好ましく思うなどあり得ない。そう考えれば、トワの出した答えは必然だった。

 彼女の返答に、シグムントは笑みを浮かべて瞳を伏せていた。残念だと口をこぼすが、そのどこか含みのある表情からはとても残念がっているとは思えない。そして、そんな父親の表情からシャーリィも察する。

 

 

「なんだ、そういう事か……お姉さん、断って正解だよ」

 

 

「どういう事?」

 

 

「どうもこうも、もし考えも無しに首を縦に振ってたら、どうなってたか分からないって事。最悪適当な理由つけて囮にされて、最後に敵まとめてバァン! なーんてね」

 

 

 誘いを受けていた場合のシャーリィの見解に、トワはその身を震わせる。冗談のように彼女は語っているが、この二人では本当にやりかねない。もし、先の誘いに乗っていたらと思うと、トワの身震いも当然だろう。

 

 

「冗談にしては質が悪いっていうか、パパも人が悪いよね〜」

 

 

「この程度で判断を見誤るなら、所詮はその程度という事だ。感情に左右されず、己を律するのが長生きの秘訣だ、覚えておけ」

 

 

 当の本人の気持ちなど何のその。トワの目の前では、シャーリィとシグムントが笑みを浮かべながら彼女を見ている。どちらかと言えば、その決断に至ったのは感情に左右されたからで、とは彼女も口に出来ず。先程の会話に命の危険が潜んでいたかと思うと、揶揄われた当人としては実に頭の痛い話だった。

 

 

「(は、早く戻りたい……)」

 

 

 振り回されるこのやり取りに、どこか既視感を覚えながら。直ぐにでもこの場を去りたいトワであった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 クロスベル市より東、アルモリカ村とタングラム門への道が続くクロスベル街道の一画。そこでは、大型の魔獣と思しき姿が……正確には、水牛型の大型魔獣が六体、既に事切れた状態で横たわっていた。特務支援課宛に要請のあった、手配魔獣と一致するその魔獣の死体を前に、現場に居合わせた特務支援課の面々は、驚きを隠せないでいる。

 そして彼らの向ける視線の先。紅い刀身の刀を払い、鞘へと納めるグランの姿があった。各々が上げた感嘆の声は、グランへ向けたもの。実力の把握として、彼は単独で魔獣の撃破を名乗り、見事に証明してみせたのだ。今も歩み寄ってくるグランへ、ランディが呆れた様子で声をかけていた。

 

 

「あの数を一瞬かよ……ったく、やっぱりこの間は手を抜いていたわけか」

 

 

「あの時はフィーすけも連れていましたから……これで少しは頼りに出来そうですか?」

 

 

 グランはランディの声に答え、その視線をロイドへと移す。

 彼らも剣聖と呼ばれる人物の実力は、クロスベルにいる遊撃士アリオス=マクレインを見て知っている。その目に見えたグランの実力は、確かに彼と比較しても遜色のないものだったようだ。

 

 

「十分過ぎるくらいだ。明日からの本会議では頼りにさせてもらうよ」

 

 

「何も起こらないのが一番だけどね。ただどちらかと言うと、私達の方が頼りになるか心配だけど」

 

 

「ですよね……」

 

 

 心配するエリィの声に続くようにノエルが呟き、その肩を落としていた。

 彼らも十分な実績を持ち、その実績こそが実力を示している。謙虚と言えば聞こえはいいが、もう少し自信を持ってもいいだろう。そんな、心の声をグランが口にする事はなく。彼はロイドに向けて予定を話すワジへ、その視線を移した。

 

 

「さて、この後はアルモリカ村だっけ?」

 

 

「先にタングラム門へ寄る事も出来るけど……グランさえ良ければ、要請の方から済ませたいんだけど、どうかな?」

 

 

「問題ありませんよ。帰路の途中に寄って頂ければ、それで」

 

 

 話も決まり、一同は導力車に乗り込むとノエルの運転の元、アルモリカ古道を抜けてアルモリカ村へ。到着後、村の入口付近に車を停止させると、車からぞろぞろと姿を現した。

 貿易都市として発展したクロスベル市とはかけ離れた、昔ながらの農村と言った風景が広がるアルモリカ村。村の畑で収穫される野菜や、養蜂場で採取される蜂蜜が名産で、クロスベル市へも多く流通している。帝国で言えばケルディックに近い印象を覚えながら、グランは村の中を見渡していた。

 要請に応える為、ロイドを先頭に一同は歩き出し、依頼主との待ち合わせ場所、村の宿酒場トネリコ亭へと訪れる。テーブル席に座る二人の人物へ近付くと、ロイド達の姿に気付いたのか、その身を翻した。

 

 

「やあ、来たね」

 

 

「ティオちゃん……はまだいないんだ。テンション下がるなぁ」

 

 

 声を投げかけてきたのは、遊撃士協会クロスベル支部に所属する二人だった。グランが先日訪れた際、最初に遭遇した現地人でもある。黒い短髪を揺らすリンの横、エオリアは薄紫の長髪を棚引かせる。

 エオリアはロイド達を見渡し、目的の人物がいなかったのか一人落胆している。そんな彼女にロイドが謝り、リンが謝り返す中、ふとエオリアの視線はグランへと向いた。

 

 

「あら、そこの彼は……」

 

 

「紅の剣聖か……君が何故ここに?」

 

 

「任務がてら、特務支援課に同行している。詳しくはクロスベル支部にいるオッサンから聞け」

 

 

 警戒気味のリンに素っ気なく答え、グランは屋内の観察に移る。両者の間に漂う何とも言えない空気に、周りもどう扱うべきか困惑していた。遊撃士と猟兵は、ただそれだけで敵対関係にある。リベール女王による特別雇用の件を踏まえても、遊撃士協会の人間としては彼を特別視する事は出来ないのだろう。

 逸れていた話題を戻し、ロイドは要請内容の確認に移る。遊撃士訓練への参加……それは、ここにいるリンとエオリアの訓練相手として、特務支援課のメンバーをご所望のようだ。戦闘訓練の為に村の入口を使用する了承も、アルモリカ村の村長から得ているとの事。

 早速訓練に移ろうと、ロイドが一人声を上げた。

 

 

「では、村の入口に移動しましょうか」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 遊撃士組二人と特務支援課による戦闘訓練。双方二人一組(ツーマンセル)での戦闘と、遊撃士組二人対特務支援課全員での戦闘訓練を両方とも終え、現在はリンによるロイドへの戦技指南が行なわれていた。待ち時間の間、支援課メンバーはロイドの訓練の見学、グランは村の散策と別れ、一度メンバーから外れたグランは一人、アルモリカ村の様子を窺っている。

 村の家屋や畑、情景や人々を観察しながら、彼は一人首を捻る。

 

 

「……なるほど、奴らも手を貸している訳か」

 

 

 クロスベル市内の様子や、これまで見てきたクロスベル周囲の状況から、何か思い当たる節があったのか。グランが一人納得している最中、その後ろから突然声を掛けられる。訓練を終えたロイドを筆頭に、特務支援課メンバーがグランの元へ集まって来た。

 

 

「グラン、待たせたな。こっちの要件も終わったよ」

 

 

「お疲れ様でした。その様子だと、上手くいったみたいですね」

 

 

「ああ、おかげさまで」

 

 

 満足に応えるロイドの表情からは、十分な成果を得られたであろう事が想像出来た。ここに来て戦闘での手数が増すのは、グランにとっても朗報だろう。明日の本会議開催までに、出来るだけの戦力は揃えたいというのが彼の本音だ。無論、それはクロスベル側の戦力でなければならないが。

 

 

「エオリアさんが、フィーちゃんに宜しくって言っていたけど……グラン君の知り合いの人?」

 

 

「ええ、オレが通っている士官学院の同級生ですよ。今は帝国内にいますが」

 

 

「そ、そっか。グラン君ってまだ学生なんだよね」

 

 

 エリィに対してグランが応える姿を目に、彼が学生であった事を思い出したノエルは苦笑気味だ。確かに、ここまでのグランの行動は学生とは思えないほどの働きだ。打ち解けてからの言動には少々見過ごせないものもあるが。

 雑談もそこそこに、一同が次の目的地へ向かおうとした矢先。突然、グランのARCUSが鳴り響く。

 

 

「はい、こちらグランハルトです……何だ、アンタか」

 

 

《俺で悪かったな……と、悪いが緊急の案件だ》

 

 

 グランの通信は、帝国政府の書記官として訪れているレクターからのものだった。通信越しからは彼の焦りも感じ取れ、看過出来ないトラブルの発生を予測させる。

 そして、通信先のレクターの報告は、グランの動揺を生むに十分過ぎる内容だった。

 

 

《落ち着いて聞け……トワ=ハーシェル嬢が拐われた》

 

 

 告げられた事態に、グランの瞳が激しく揺れを見せる。まだ通商会議も始まっていないこの時に発生した予想外の事態に、彼も言葉が出なかった。そして返答を待たずして、更にレクターは報告へ補足を入れる。

 

 

《厳密にはその可能性がある、と言うだけだ。どうやら、随行団のスタッフの一人が、彼女に資材の現地調達を頼んだらしい。ハーシェル嬢がオルキスタワーを出てから、既に二時間だ。ARCUSにも連絡を入れたが、応答が無い》

 

 

「何故だ……何故あの人を単独で市街地に出した!」

 

 

《お前さんの怒りは尤もだ。だが今はこちらも回せる手が無い、すまないが至急———》

 

 

 苛立ちを露わにしながら、グランはレクターが話している途中にARCUSの通信を切る。ARCUSを地面に叩きつけたい衝動に駆られながらも、何とか堪えるとホルダーへ戻した。

 その様子を見ていたロイド達は、グランにとって何か尋常ではない事態が発生したのだと感じる。すかさず、ワジが問い掛けた。

 

 

「何かトラブルでもあったのかい?」

 

 

「ええ……帝国政府の随行団に同行していた学生が、誘拐事件に巻き込まれた可能性があると」

 

 

「おいグラン、その学生ってのは———」

 

 

「すみません、時間が惜しい。オレはここで離脱します」

 

 

 ランディの声を遮り、その場にいる皆に断りを入れるとグランは駆け出した。クロスベルの状況把握などしている場合ではない。何としても無事に、彼女の身柄を確保しなければならない。その身を守ると誓った決意を、こんなところで裏切るわけにはいかないと。

 しかし、グランが話した異常事態は、彼らにも無関係というわけではない。ロイドは直ぐにグランを呼び止める。

 

 

「待ってくれ! クロスベル市に戻るにしても、導力車の方が早い。俺たちにも手伝わせてくれ」

 

 

 彼の意見は尤もだ。アルモリカ村からクロスベル市までとなれば、人の足に比べて導力車の方が早いのは当然である。更に言えば、彼らはここクロスベルの治安維持を担う警察官だ。クロスベル内で発生した事件に、見て見ぬ振りは出来ない。

 

 

「……こちらからお願いします。どうか、力を貸して下さい」

 

 

 未だ焦りは見えるが、グランも何とか冷静さを取り戻した。ロイドの申し出に振り返ると、神妙な面持ちで支援課メンバーへ向かって頭を下げる。今はどんな手を使っても彼女を見つけ出さなければならない。彼にとって、その申し出は有り難かった。

 グランの声に皆が頷いた後、急いで導力車に向かって駆け出す。

 

 

「(会長、どうか無事で———!)」

 

 

 グラン達を乗せた導力車は、全速力でクロスベル市を目指す。

 




トワ会長、赤い星座入団ならず。まあ仕方ないね。冗談で殺されるとかたまったもんじゃないんですがそれは……

ただの家庭訪問が大変な事態に……! 誰だよ会長に資材調達頼んだの。実はレクターの自作自演だったり? どうでしょうか。

グランにとっては緊急事態です。トワの安否は如何に……!

ところで話は変わるのですが、一度活動報告で募集していた通商会議後のミシュラムデートについて、候補を三人に絞って再アンケートを実施します。(アンケート機能なんてあったんですね)

誰にするかなんて……当たり前だよなぁ?



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絡み合う思惑

今回は少し場面切り替えが多いです。どうやったら違和感なくかけるの……


 

 

 

「着きました!」

 

 

 急ブレーキと同時に、ノエルが操縦席で声を上げる。グラン達を乗せた特務支援課専用車両は、アルモリカ村から東クロスベル街道を抜け、クロスベル市東通りへと到着した。彼女の声を皮切りに一同はドアを開け、車内を駆け下りる。

 移動中、何度通信しても繋がらなかったトワのARCUSへ再度連絡を試み、通じない事を確認したグランは自身のARCUSをホルダーへと戻す。そんな彼の姿を横目に、ロイドは捜索対象の情報を問い掛けた。

 

 

「グラン、その学生の特徴があれば教えてもらえないか?」

 

 

「聞き込みは不要です、彼女の気配を探ります———ッ!」

 

 

 ロイドの問いを流したグランは、瞳を伏せると腰に下げた刀の柄を握り締める。ロイド達は猫の捜索時に彼が使用したものだと察したが、正確には少し違った。

 グランが目を見開いた直後、その身に発生した異変に皆が驚きを見せる。彼を中心に周囲へ広がった見えない波動は、次々に他者の意識へと働きかけた。

 

 

「ひっ!?」

 

 

「な、何ですか今の!?」

 

 

「驚いた……心臓に悪いね、これ」

 

 

 エリィとノエルは驚きと共にその身を震わせ、ワジも無意識に構えかけた動きを止めた。ロイドもワジと同様の反応を見せており、ランディのみが表情を変えずにグランを見ている。周囲を見渡せば、東通りを歩く人々も突然の異変に驚きで立ち止まっていた。

 自身の意識に突如として突き刺さる何か、彼等もそれと似た体験をした事がある。戦場で敵と相見えた時、等しくその身に降りかかる敵意。人はそれを殺気と呼ぶ。

 

 

「……捉えた!」

 

 

 突如、グランは声を上げると険しい表情を浮かべながらその場を駆け出した。迷いの無いその足取りは、トワの気配を感知したのか。通りで立ち止まっている人々の間を縫うように、彼は一人東通りを抜けていく。

 突然の事に反応が遅れたロイド達は、グランへ向けて声を上げたが彼に止まる気配は無く。その様子にランディは呆れつつも、皆へ追跡を促した。

 

 

「俺達の事忘れてやがるな、ったく……追いかけるぞ!」

 

 

 距離を離されながらも、ロイド達は何とかグランの姿を見失う事なく追跡を続ける。中央広場に差し掛かり、広場を歩いていた人々も東通りの人々同様に異変を感知していたのか、皆困惑気味に立ち尽くしていた。事態は混乱にまでは至っていない為、説明は不要と判断して彼等はグランの後を追う。

 一方、トワの気配を感知して走り続けていたグランは、ある場所で突然その足を止めた。中央広場を抜けた先、裏通りに位置するそこは、グランが事前にトワへ渡した資料に記載していた、要注意リストに分類される場所。クリムゾン商会の名で知られる、赤い星座の本拠地である。

 

 

「予想通りか」

 

 

 グランの表情は未だ険しく、その目は建物へ向けて鋭い視線を浴びせている。トワの気配を感知した際、彼も嫌な予感はしていた。裏通りに位置する場所からの感知、まさかよりによって何故この場所なのかと。彼女の生存は確認出来ているものの、無事である保証はない。過去の出来事が頭を過れば、その不安は更に膨らんだ。

 兎に角、最も優先される事項はトワの身柄の保護である。そして、彼が建物の入口へ歩き出したと同時に、その扉が開かれた。現れた黒いスーツ姿の男は、グランへ向けて深く頭を下げる。

 

 

「グランハルト様、お久し振りでございます。この日を、心よりお待ちしておりました」

 

 

「ガレスか……用件は分かるな?」

 

 

「はい。お連れの方がお待ちです、どうぞこちらへ」

 

 

 ガレスと呼ばれた男の案内の元、グランは屋内へと足を踏み入れる。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 レクターの通信を受け、グランがトワの捜索に乗り出して暫く。クロスベル市裏通りのクリムゾン商会内部では、ARCUSを片手に困惑した表情を浮かべるトワがいた。通信機能の故障か、何度試しても繋がらない。頼まれていた資材の調達も未だ出来ておらず、時間もオルキスタワーを出てから随分と経過している。流石に急がなければと、彼女は仕事に戻るべく目の前で談笑しているシグムントとシャーリィへ断りを入れた。

 

 

「あの、すみません。私そろそろ戻らないと」

 

 

「もう帰っちゃうの? グラン兄が来るまで待ってればいいのに」

 

 

「え……グラン君がここに?」

 

 

「みたいだよ? 私は知らないけど、元々話はつけてあるらしいから」

 

 

 シャーリィの言葉にトワも首を捻る。彼女の言っている事が本当なら、元よりグランがこの場へ訪れる予定があったという事だ。無論、随行団のスタッフから連絡が行き、ARCUSによる連絡が取れなくなってしまった自分を探してこの場へ向かっているという可能性もある。しかし、シャーリィの言い様では恐らく前者の方が正しいだろう。

 トワは顔を上げ、社長椅子で腕を組んでいるシグムントへとその視線を移す。恐らく彼なら知っているだろうと、彼女が疑問を問い掛けようとした、その矢先。

 

 

「それって、一体———っ!?」

 

 

 突如、トワの身を震わせる見えない何か。得体の知れないその敵意に似た恐怖は、彼女の身を竦ませる。対して暑くもない気温の中、その額にはジワリと汗が滲み始めていた。

 一方で、二人は今の異変の元凶について知っていたようで。シャーリィは驚きと共に後ろにいるシグムントへと振り返った。

 

 

「今のってグラン兄!?」

 

 

「そのようだな。直にここへ来るだろう、やはりあの馬鹿の気配探知は侮れん」

 

 

「相変わらずデタラメだよね、これ。未だにどういう理屈か分かんないし」

 

 

 二人は、今の異変がグランによるものだと判断している。目の前の会話を聞いていたトワは信じ難いようで、未だに胸の内にある不安を拭えていない。室内は沈黙に包まれ、導力時計の秒針が時を刻む音が響いていた。

 トワが異変を感知して数分後。突然、後方にある入口の扉が開く。現れた人物の姿を視界に入れたシグムントとシャーリィは、それぞれ反応を見せた。

 

 

「……来たか」

 

 

「ヤッホー、グラン兄」

 

 

 二人と同様に、トワも入口へと振り返る。瞳に映ったその姿に、安心と不安が入り混じった複雑な心境を抱きながら、彼女は声を絞り出した。

 

 

「……グラン君」

 

 

「無事なようで安心しました……で、一体どういうつもりだクソ親父」

 

 

 トワが向けた視線の先。グランの表情は険しく、その突き刺すような視線はシグムントへと向けられていた。彼は爆発寸前の激しい怒りを、理性で何とか抑え込んでいる。その熱量は、言葉にせずとも周りへ伝わる程のものだ。

 対して、視線を浴びたシグムントは気にする素振りすら見せず。自らが原因である事を知りながら、含みのある笑みを浮かべて彼を宥めた。

 

 

「クク、まあそう怒るな。少しそこの娘に用があっただけの事だ。無事に返せば文句は無いだろう?」

 

 

「大アリだ。カカシ野郎からは誘拐された、と連絡が来たが?」

 

 

「ほう、そういう事にしたか。中々食えん小僧だ」

 

 

 グランの話に、事情を察した様子のシグムントは一人笑みを浮かべている。彼の反応を見てグランも何か気付いたようで、これ以上の問い詰めはしなかった。本心としては、色々他にも言いたい事が山程あるとは思うが。

 二人の会話を眺めていたシャーリィは、そんなグランの内心に気付いたか。誘うように、自身が座るソファーの隣を叩いた。

 

 

「取り敢えずグラン兄も座ったら? 色々話す事もあるだろうし」

 

 

「その必要は無い。会長、行きましょう」

 

 

「う、うん……」

 

 

 グランはシャーリィの誘いを一蹴し、トワの側へ歩み寄る。困惑気味に立ち上がる彼女の手を取り、この場を離れるべく入口へと向かい始めた。その姿に不満な様子のシャーリィは不貞腐れているが、グランの心境を思えばこの場を即座に離れたいと思うのは当然の事だろう。

 ふと、退室しようとしていたグランはその歩みを止める。振り返る事なく、意識だけを後方にいるシグムントへと向けて口を開いた。

 

 

 

「一つ聞くが、今回の帝国との取引、何処までが契約だ?」

 

 

「クク……流石に、帝国政府の護衛であるお前でも教えられん。ノーコメントだ」

 

 

「まあいい、だったら一つ忠告しておく。今回の契約、フイにされたくなければ”蜥蜴の尻尾”くらいは掴んでおけ」

 

 

「ほう……この数時間で特定するとは。何か先程の探知に引っ掛かったか?」

 

 

「って事は、グラン兄の知ってる顔?」

 

 

 疑問を返す二人に応える事なく、グランはトワを連れて退室した。彼が閉めた入口を静かに見詰めるシグムントとシャーリィを残し、室内には沈黙が広がる。

 そんな中、シャーリィは不服そうにソファーへ横になると、肘置きを枕代わりに呟いた。

 

 

「折角来たんだから、グラン兄ももう少しゆっくりしていけばいいのにさ〜」

 

 

「まあ、そう言ってやるな。向こうも仕事中だ、こうでもせんと時間が取れんくらいには忙しいのだろう」

 

 

 シグムントは不満顔のシャーリィを目に苦笑しつつ、先程までこの場へ訪れていた息子の事を思い返す。このクロスベルで二年振りの顔合わせの際、遠目に確認出来たその姿は想像よりもずっと逞しく成長していた。そして、近くで彼の姿を見るとその成長をより肌で実感したようで。

 

 

「(———大きくなったな、グランハルト)」

 

 

 親としての本心は、言葉にする事なく心の奥にしまったまま。その気持ちを直接彼が伝える事は、この先も無いのだろう。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 クリムゾン商会前にて。グランを追跡してこの場へ辿り着いていたロイド達は、中の様子を気にしつつ心配そうな表情で彼の帰りを待っていた。事情が事情だけにランディは他の皆以上に心配している様子だが、何とか無事に事が済むのを見守るしかなく。

 暫く時間が経過した後、建物の扉が開いて二人の人物が姿を現す。その姿を確認したロイドは、安堵の表情を浮かべながら二人へと声を掛けた。

 

 

「良かった、どうやら無事だったみたいだな」

 

 

「場所が場所だけに、肝を冷やしましたよ。会長に何事も無くて良かったです」

 

 

「あの、お騒がせしてすみませんでした。何か行き違いがあったみたいで」

 

 

 ロイドが声を掛けた先。彼同様に安堵の表情で応えるグランと、その隣では建物を出る間にグランからある程度の事情を聞いていたトワが、謝罪の言葉と共に頭を下げていた。そんな彼女の姿に、エリィとノエルは笑顔で返す。

 

 

「気にしなくていいのよ、私達はグラン君を送っただけみたいなものだし」

 

 

「そうそう。此方もグラン君に協力してもらってるし、お互い様、ですよね?」

 

 

「そう言っていただけると助かります。グラン君にも色々と協力して下さっているみたいで……彼の事、どうか宜しくお願いします」

 

 

 特務支援課のメンバーに向け、再度トワが頭を下げる。彼女の様子からは、グランとトワの関係性がどういうものであるか、ロイド達にも容易に想像が出来た。こうして二人の並んだ姿を見て、皆の頬が緩むのも仕方がないだろう。

 

 

 

「此方こそ、お嬢さん。彼が血相を変えて走って行った理由も、これなら納得だね」

 

 

「はは、確かに。これだけ可愛いらしい女の子だと、心配になるのも無理はないさ」

 

 

「え、えっと、その……」

 

 

 ワジの言葉に賛同するように、ロイドがトワへ向けて微笑んだ。流石に今のは恥ずかしかったのか、言われたトワも反応に困って赤みの増した顔で視線を泳がせている。その様子に、悪い癖が出たとエリィとノエルがロイドの後方でため息をつき、肩を落とした。

 一方、一連のやり取りがグランにはどうも気に入らなかったらしく。

 

 

「ランディ兄さん、これは喧嘩を売られたと見ていいですか?」

 

 

「グラン、ウチのリーダーも悪気は無いんだ。と言うかお前も散々お嬢達をからかったんだからお互い様だろうが」

 

 

 ランディへ向けて抗議の意を述べるグランだったが、返って来たのは当然とも言える言葉だ。これまでの言動を考えれば、彼の自業自得と言うより他は無い。ただしこの場合、他に被害に遭っているのはトワだけという何とも不憫な内容ではあるが。

 ロイドへ向ける視線に敵意が増すグランの様子に、ランディがため息をつきながら。そう言えばと、彼はトワの姿を見て気になっている事を問い始めた。

 

 

「なあ、お嬢ちゃん何処かで会った事ないか?」

 

 

「え? 記憶違いでなければ……初対面、だと思います」

 

 

「そうか? 何処かで会った事があると思うんだが……」

 

 

 トワの返答に満足いかなかったようで、彼女と同じ目線の高さに合わせたランディは尚もその顔を見詰めていた。困惑した様子で視線を浴びているトワの姿を、これまた面白くないとグランの訝しげな視線が彼にも向けられる中。グラン以外にも同様の反応を見せる者がいた。先程までロイドの後方で肩を落としていたエリィとノエルの二人だ。

 

 

「やだランディ、まさかこんな子にまでナンパする気?」

 

 

「うわ〜最っ低」

 

 

「違うわ! 俺の好みはもっとこう…ってお前ら俺の事どういう目で見てんだっつうの!」

 

 

 普段の言動がどういうものなのかは兎も角として。流石に二人の物言いには不服があったようで、ランディも必死に反論をしている。グランの表情には未だ敵意が見えるものの、他の皆は笑顔を見せており、特務支援課の仲の良さにはトワも自然と笑顔を浮かべていた。

 

 

「ふふ……あ、そう言えば私、名前も言わずにすみません。トワ=ハーシェルといいます。宜しくお願いします、特務支援課の皆さん」

 

 

 ふと、トワは思い出したように自らの名を名乗るとロイド達へ向けて微笑んだ。自己紹介がまだだったかとグランが彼女の隣で笑みをこぼす中、挨拶を受けた当の本人達は自己紹介を返す事はなく。その表情は、皆が驚きを見せていた。たまらずロイドが尋ね返す。

 

 

「驚いた……此方の紹介もまだだったのに、俺達の事を知っていたのか?」

 

 

「えっと、クロスベル警察の方でグラン君と行動出来るとなると、話題の特務支援課の方達なのかなぁ、と」

 

 

 彼らの疑問に、ロイドの服へあしらわれたクロスベル警察の紋章を見ながらトワが答えた。彼女の幼い容姿もあってか、ただの学生と認識して接していたロイド達には、その情報力や頭の回転の良さが意外に思えたのだろう。人は見かけによらないと、そんなトワの事をノエルやエリィも感心した様子で見詰めている。

 

 

「凄いですね、トワさん」

 

 

「なるほど。貴女が帝国政府の随行団に選ばれた理由が分かったわ」

 

 

「帝国は優秀な人材がいて羨ましいね……っと、ボクらも自己紹介といこうか」

 

 

 ワジの声を皮切りに、各々がトワへ向けて自己紹介を始める。その後の帰り道で行なわれた雑談では、支援課の任務に同伴していた際のグランによる言動についてランディが口を滑らし、トワのお叱りがあったのは言うまでもない。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 特務支援課と中央広場で別れたグランとトワの二人は現在、オルキスタワーへ向けて市内を歩いていた。彼女が頼まれていた資材の調達も終え、随行団のスタッフが待つオルキスタワーへ戻るトワに付き添う形でグランが同伴している。夕刻まで時間はもう少しあるものの、彼女を心配したグランが申し出た為、残りの要請をロイド達に託し、こうして二人並んでの帰り道となっている。トワは大丈夫だと何度も言ったが、先のような事があってはグランの心配も当然であろう。

 そんな二人の道中。このような事態を引き起こした張本人と思しき人物へ向け、グランは一人恨み節を口にしていた。

 

 

「あのカカシ野郎、余計な事を……いつか絶対に後悔させてやる」

 

 

「こら、あまり責めるような事を言っちゃダメだよ。レクター大尉の方でも何か手違いがあったのかもしれないし」

 

 

「会長は優し過ぎますよ……一層のこと、ここらで殺っとくか?」

 

 

「だから物騒な事言っちゃダメだって……」

 

 

 相変わらずなグランにため息を吐きつつ、トワは肩を落とした。流石に殺傷沙汰までは起こさないだろうと思いつつ、嫌がらせの二つ三つは平気でしそうな彼の様子に心配が尽きない。この後顔を合わせた時、何もなければいいなと彼女は淡い希望を抱いていた。

 そんな中、グランの顔を見上げたトワはふと思い出す。それは、クリムゾン商会にてシグムント達と交わした話の内容の一つ。彼にとって、彼女にとっても重要な事。

 

 

「ねぇ、グラン君」

 

 

「そうだな、手始めに……ってどうしました?」

 

 

「赤い星座に戻るかもしれないって……どういう事かな?」

 

 

 不安な感情を抑え切れず、せめて表情だけは悟られまいと、俯きながらトワは話す。シャーリィやシグムントが言っていた、後に行なわれる予定の決闘、その勝敗によるグランの赤い星座復帰の可能性。それを知ってしまった彼女が、グランに直接その事を問うのは当然と言えた。

 しかし、グランは否定する。

 

 

「なに、心配いりませんよ。あの男は必ず倒します。オレが団に戻る事はありません」

 

 

「他に、もっといい方法はないのかな。グラン君だって、本当はお父さんと———」

 

 

「和解、なんてものはあり得ません。あの男は必ず……って、街中でこんな話はやめましょう」

 

 

 グランは自身が口にしかけた言葉を飲み込み、笑顔を見せると会話を中断する。心配させないようにと彼が浮かべたその気遣いは、トワを余計に不安にさせた。

 結局、この話がこれ以上続く事は無く。どうにかしたくてもどうにも出来ない状況は、彼女を更に苦しめる。

 

 

「(このままじゃダメ、ダメだけど。一体どうしたら……)」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 夕刻が過ぎ、通商会議に訪れた各国代表への歓迎の一環として、アルカンシェルの観劇が行なわれている頃。特務支援課の課長室では、課長のセルゲイがロイドに手渡された資料を手に悩ましげな表情を浮かべていた。複数枚ある資料を何度か読み返し、暫く頭を悩ませた後。彼の口からは、ロイド達の期待と正反対の回答が告げられた。

 

 

「残念ながら、この作戦は受理出来ない」

 

 

「ど、どうしてですか!?」

 

 

 セルゲイの言葉に、ノエルは声を張り上げて問い掛ける。彼が読んでいた資料には、先刻グランから託された通商会議における警備態勢の旨が記されている。

 警備隊に所属していた彼女から見ても、資料に記載されている内容は完璧なものだった。少し主観的なきらいはあるが、一つ一つの配置目的にも彼なりの根拠がある。考え直す価値はある、と彼女は判断した。だが、目の前の各所連絡役を担うセルゲイにも、受理出来ない理由があった。

 

 

「理由はいくつかあるが……まず第一に、今回の警戒態勢は事前に各国了承済みの元で敷かれているという点だ。仮にこの作戦通りの配置に変更する場合、オルキスタワー内部を含め、事前の配置から大幅な変更が強いられる。各国と連携して警備にあたる以上、当然報告の義務があるし、であればこの提案の趣旨には反する」

 

 

 一つ目の問題として挙げられた、各国への事前確認無しでの配置変更の点。無論、当日何かしらの問題が発生し、急遽人員が別の場所へ割かれる事はあるだろう。しかし、それは事後連絡になってもしょうがない、緊急事態における措置に限られる。そういった特殊な事情が無い以上、どれだけ一見の価値がある内容だとしても、報告も無しに秘密裏にというのは組織的に無理だという見解だ。遊撃士のような、個人の行動に一定の自由が認められている存在で無ければ難しい、と彼は補足する。

 そして二つ目に、とセルゲイが口にしようとした矢先。今まで彼らの話を傍観していた緑髪の眼鏡の男、ロイドの先輩にあたる捜査官でもあるアレックス=ダドリーが資料を手に口を挟んだ。

 

 

「次に、通商会議当日にテロリストの襲撃が懸念されるのは分かった。その話を知った以上、こちらでも警備について見直しを進言せねばならんだろう。だが、それを警戒してこの資料通りに一部の設備を重点的に監視し、他を疎かにするという訳にはいかん。この作戦はギャンブル性が高過ぎる上に、こう極端な配置にすると他のトラブルが発生した際に現場が混乱しかねん」

 

 

 二つ目の問題として、テロリスト対策に偏った人員配置の点。勿論、グランの用意した資料には通常警備においても人員が敷かれているが、その数は元の計画に比べて大幅に減っている。襲撃や潜入が予測される場所へ人員を割けば、他所の警備が減るのは当然である。更に言えば、ダドリーが話すようにそこを起点として別のトラブルが発生し、現場が乱れる可能性も否定出来ない。通商会議を無事に終えるという点は共通していても、通商会議のみを重点視しているグランとクロスベル全体の安全を担う警察や警備隊とでは、そもそもの前提が違う。

 

 

「他にもあるが、最大の理由として……お前らは、あの小僧が帝国政府の差し金だという事を理解してこの提案に乗ったのか?」

 

 

 最後にセルゲイから告げられた最も重要な理由として、グランが帝国政府による手招きで訪れているという点。これを言ってしまうと、今まで言い連ねてきた理由は意味を成さないが、事実この理由がクロスベルにとって最も重大である事は否めない。もし、この点を軽視する者がいれば、それは少々危機意識が足りないと言わざるを得ないだろう。

 セルゲイが告げた理由は、どれも確かなものだ。しかし、ロイド達にもグランの意見を汲んだ理由はある。エリィとロイドは、そうなるに至った自らの勘を述べた。

 

 

「そ、それは……ですが、彼は独自に行動を起こしていると言っていました。帝国政府と赤い星座の繋がりから、身内を信用出来ないと。遊撃士協会を交えて話し合いましたが、彼なりの根拠は示されていましたし、そこに帝国政府の思惑が絡んでいるとはとても思えません。それにもしクロスベルのみの人員で安全を保障出来ると証明出来るのであれば、私達にとっても追い風になります」

 

 

「夕刻にあったオリヴァルト皇子やリベールのクローディア殿下との情報交換の際にも話が出ましたが、彼らからも信用は得ている様でした。少なくとも、彼は本気でクロスベルや通商会議の安全を守る為に行動しているはずだと。実際に、俺も彼と話してみてそう感じました」

 

 

 エリィとロイドの言葉は、セルゲイやダドリーと比べれば確たる根拠はなく、証明の難しいものだ。話だけを聞いてみると、どうしても上司と先輩である二人の言葉の方が納得出来るものであり、ロイド達の言は弱い。

 しかし、修羅場を経験し、苦境を超えてきた者の弁ならば言葉にも重みが伴う。セルゲイやダドリーもそうだが、ロイド達もまた、それに見合うだけの働きをしてきた。であれば、彼らの言葉にも一聞の価値はある。そして、セルゲイもまたそう結論付けていた。

 

 

「まあ、お前らの言い分もわかる。この提案は確かにクロスベル側としては都合が良い。護衛任務において絶対の安全が約束されると言われる紅の剣聖に、クロスベルの戦力のみでそれが可能だと言われている様なもんだ。個人的には、この作戦行動は支持してやりたいが……」

 

 

「そう簡単にはいかねぇって事か」

 

 

「彼にとっては残念な報告になりそうだけど、こればかりは仕方ないね」

 

 

 ランディとワジも、複雑そうな表情でセルゲイに続いた。警察や警備隊が多くの人員を束ねる組織である以上、細かな融通が利かないのは皆も承知している。更に今回のような様々な思惑が入り混じるイベントの中で、帝国と共和国の両宗主国に挟まれた彼らが大手を振るって動けない事もまた、このクロスベルが抱える問題の一つでもある。それは、簡単に解決出来るようなものではない。

 

 

「そもそもの話、この様な提案を受けたのなら先に上へ相談するのが常識だろうが。全く、誰に似たのやら」

 

 

「まああまり言ってやるな。俺には、事前の各国打ち合わせの段階で何故紅の剣聖を会議に交えていないのかが一番気になるがな。取り敢えず今回の件について、俺の方から警備隊と上の方に進言はしといてやる。だが、帝国政府の要請で紅の剣聖が来ている以上、上の心象は余りよろしくないだろう。残念だが、期待しない様に言っておいてくれ」

 

 

 最低限の手は打つと約束し、セルゲイの手元にある資料はまとめられた。今回の通商会議におけるグランの立ち回りに、僅かな綻びが見え始める。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 大陸に夜の帳が下り、数多く灯っていた地上の灯りが消えて数刻後の深夜の事。帝国某所では、武装をした男が多数、闇に紛れて会話を行なっていた。どうやら本日正午過ぎより開かれる通商会議について関連する何かのようだ。

 

 

「首尾はどうだ?」

 

 

「順調だ。本日午後、予定通りクロスベル東西各門の陽動を合図にオルキスタワーへ奇襲をかける」

 

 

 内容はあまり穏やかではなく、彼らが通商会議で警戒されているテロリストの一味である事は会話からも窺えた。話の内容通りに事が進めば、通商会議の現場が混乱する事は容易に想像出来る。

 そんな中、彼らの輪へ歩み寄る男が一人。

 

 

「残念だが、貴様達の計画は失敗に終わるぞ」

 

 

「カイエン公の雇った猟兵か……どういう事だ?」

 

 

 テロリストの一人が問い掛けると、猟兵と思しき男は複数枚の書類を投げ渡す。それを受け取り、男達はそれぞれ資料に目を通し始めた。場の空気は少しずつ、険しいものへと変化していく。

 

 

「オルキスタワー及び周辺施設の襲撃予測図……と言うよりは、それを軸にした警備配置図か」

 

 

「立案者は、グランハルト=オルランド帝国政府臨時武官。まさか、これを紅の剣聖が……!?」

 

 

「クロスベル警備隊へ流れた資料のコピーだ。潜伏中の仲間が入手に成功した。補足すると、同じ物がクロスベル警察や遊撃士協会にも渡されているらしい」

 

 

 猟兵の男に説明を受け、尚も資料に目を通すテロリスト達。それぞれが目を通していく中で、各々驚愕の声を上げ始める。

 

 

「各門の対空レーダー重点警戒に、地下のジオフロント区画を警戒した周回路……人員不足か、配置からは除外されているが、我々が使用予定にしている地下の逃走路まで特定済みだと!?」

 

 

「紅の剣聖が遊撃隊を担うという事は、現場を離れる事を想定しているのか? 奇襲経路の記載を見る限り、上空からの襲撃も予測済みと見るべきか……」

 

 

「どうする? ここまで正確に手を回されては……いくらこの人員の配置と言えど、宰相や大統領に接近するまでもなく捕縛されるぞ」

 

 

 その表情は闇で隠れているが、言葉からは確かな焦りが感じ取れた。事前に予定していた作戦を的確に見抜かれ、対策を打たれている現状に焦らないはずもないが。

 しかし、一人冷静に資料を読み、意見を上げる者がいた。

 

 

「……いや。柔軟な対応が可能な遊撃士は兎も角、クロスベル警察や警備隊がこの立案通りに事を運ぶ可能性は低い。紅の剣聖は仮にも、帝国の息がかかった猟兵だ。事前に決定されている警戒態勢を変更してまで、彼の提案を受理するとは思えない」

 

 

「だが、各門を突破したとしても上空の襲撃を予測して紅の剣聖が待ち構えている。更に各国の将校まで出張られては、いくら内部で各国の軍を分断したとしても、対象への接近は困難だ」

 

 

「言われずとも分かっている、紅の剣聖の実力はこの目で確認済みだ。せめてこの男だけでも、引き離したい所だが……」

 

 

 冷静だった男も口調が僅かに荒くなるが、落ち着きを取り戻すと考えに耽る。資料に記載された襲撃予想と警備の流れを何度も確認し、そこに活路がないか探っていた。

 そして、読み返す事数分。彼は一つ気になる点を見つける。

 

 

「何故特定していながら、周回路の対象から外れている……事前に捕らえる以上、逃走路の警戒優先度は低いという訳か。だが……いや、待て。そうか、その手があるか」

 

 

「同志G、何か策が?」

 

 

 テロリストの一人から同志Gと呼ばれた男ギデオンはその声に頷くと、資料を提供した猟兵の男へと視線を移す。その表情は、この作戦における勝利を確信した笑みを浮かべていた。

 

 

「伝達を頼む……今回の作戦、大幅な変更になりそうだ」

 

 

 襲撃を企てるテロリスト達は、ここへ来て新たな動きを見せ始める。

 




トワが無事でよかったね!(尚ロイドに攻略されかけた模様

通商会議、テロリストはどう出る……?


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西ゼムリア通商会議

 

 

 

 七耀歴1204年8月31日。時計の針が十三時を廻り、遂にその時が訪れる。各国代表は本日午後より執り行われる西ゼムリア通商会議の為、再びオルキスタワー入口へと集結した。導力カメラのフラッシュが焚き乱れる中、彼らは各国より派遣された軍人や親衛隊、クロスベル警察の警備の元、此度の通商会議提案者であるディーター=クロイスを先頭に続々とタワー内部へ足を踏み入れる。

 帝国政府の護衛として訪れたグランも又、彼らと同様に。余りにも高すぎるそのタワーを見上げて首の可動域限界を迎えた後、入口へ視線を戻して内部へと向かう。

 

 

「昨日は何やら一人で動き回っていたようだが、満足のいく結果だったかな?」

 

 

「残念ながら不十分だ。アンタの所の書記官に邪魔されてな」

 

 

「さて、私には何を言っているのかが分からないが」

 

 

 含みのある笑みを浮かべるオズボーンを横目に、グランは内心腹立たしさを増しながら彼の後ろに控えるレクターへとその視線を移した。視線を浴びた当の本人も何処吹く風と、態とらしくグランから目を逸らす。

 契約である以上、彼らの護衛を放棄する事は出来ない上、任務を疎かにする事も自らの信用に関わる。グランが個人的な感情で今回の仕事に対して手を抜くなどという事は無いが、本心ではオズボーンを狙う帝国解放戦線にエールを送りたかった。但しそれは、トワへの脅威が一切ない事が前提ではあるが。

 

 

「(クソ親父に警告は入れた。黒月(ヘイユエ)の連中にも昨晩情報は流した。後は、テロリストがどのタイミングで事を仕掛けるか、だが……)」

 

 

 此度予測されるテロリスト襲撃に備え、打てるだけの手を彼は尽くした。テロリスト襲撃などという事態が起こらないのが最も望まれる事だが、それを願ったところで敵が諦めるわけでもなく。だからこそ、グランは自らの出来る全てを尽くした。

 当初は只の仕事として請け負った。いつもの様に護衛対象を護り、敵対する者がいればその場で葬れば良いと。しかし今は違う。

 この会場を、そこにいる護衛対象を、何としてでも護り抜く。その身を脅かす存在の登場すら認めない、今出来る最善を求めて立ち回る。そこには一分の脅威すら許さず、そこに一縷の気の緩みも無い。

 

 

「(何れにせよ、会長に指一本触れさせるつもりはない)」

 

 

 全ては、ただ一人の少女の為に。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 通商会議が行なわれる数刻前。クロスベル市港湾区に位置する、黒月(ヘイユエ)貿易公司。その事務所内にて、東方系の衣装を見にまとった一人の青年が椅子に腰掛け、デスクへ置かれた文書らしき物を静かに見詰めていた。赤紫の髪に、一見人の良さそうな容姿をしているその男は眼鏡を指で一度持ち上げると、置かれた文書を手にして何度も読んだその内容を目で追い始める。

 

 

———反移民政策派の連中に、竜の影が確認された。全てを鬼に狩られたくなければ、足元へ目を凝らしておけ。奴らが地上に上がるまで、そう猶予は無いぞ———

 

 

「これは、我々を利用する気満々ですね」

 

 

 男……ツァオ=リーは密書を再びデスクへ置き、やれやれと首を横に振る。ツァオというこの男は、黒月(ヘイユエ)貿易公司の社長を務め、様々な思惑を受けてこのクロスベルに居を構える類い稀な才覚を持つ人物。故に、その密書の意図を既に理解していた。

 静かに佇むその顔の裏では、送り主の思惑を含め様々な考察が行なわれる。突然送り付けられた密書の内容は、一見情報提供のようでありながら、その実警告を意味しているもの。この密書に記された言葉の意味、送り主の目的、また自分達はどう動くべきか。様々な推測を繰り返し、それも全ては向かわせている調査の報告を持って判断する事だと、ツァオは思考に耽っていた頭を休めて背もたれに身体を預けた。

 そして程なくして、室内には扉をノックする音が響く。彼が入室を促すとその声に応えた人物が扉を開き、そこには彼同様東方系の衣服を着用した男が現れた。

 

 

「調査の結果、確かに街の数カ所へ猟兵の仕業と思しき痕跡が確認されました。既に潜入しているものと思われます」

 

 

「そうですか、ご苦労様です。であれば、これと同等の情報を赤い星座が有している事は確かでしょう。その情報元も、当然彼なのでしょうが」

 

 

「紅の剣聖は、何故情報を流したのでしょうか?」

 

 

 ふと、部下は目の前に座るツァオへ問い掛ける。話の中で話題に上がった密書の差出人……紅の剣聖が何故このような手段を用いたのか。互いに警戒対象として探り合う中で、敢えて敵に塩を送る形で打って出た彼の思惑がよく分からない。少なくとも、その情報を流さずにいれば、損をするのは黒月(ヘイユエ)の人間だ。彼にとっても都合はいいだろうに。

 部下の疑問を受け、ツァオは表情を変える事なく淡々と語る。紅の剣聖がそうするに至った理由と、自身の考える彼に対する推測を。

 

 

「彼が外部勢力へ情報を流す際の理由は主に二つです。情報による錯乱を狙うか、動きを誘導して利用するか。今回はどうやら後者の様です」

 

 

「と、言いますと?」

 

 

「紅の剣聖の護衛は、その安全性が最も評価されています。取り分け今回の場合は、その安全という点を重視しているのかと。つまり此度の通商会議において、彼はテロリスト達をオルキスタワー内部へ招くつもりが無い。事前に排除する事を目的にしているわけです。その役目が、我々だという事でしょう」

 

 

「その為の情報ですか……もし、我々が彼の意に反した場合は?」

 

 

「当然、その場合は同様の誘いに乗った赤い星座によって排除されるでしょう。仮にもし彼らが動かなかった場合は、紅の剣聖が全て対処を行なう。密書の内容から見ても、テロリストの動きは把握しているようですし……何れにしても、我々には何一つ残らないでしょうね」

 

 

 お手上げだと、ツァオは話を終えると両手を挙げて首を横に振った。紅の剣聖の狙い、またそれによってどういった結果がもたらされるのか。何れにしても、意に反した場合の結果は黒月(ヘイユエ)の人間にはデメリットの方が多い。とどのつまり、彼らの答えは決まっているようなものだ。部下の人間も、ツァオの話でその事を察した。

 

 

「なるほど。我々には、選択肢が一つしかないと」

 

 

「正解です。いやはや、よくもまあこれだけ合理的に物事を考えられるものです。此方としては知らずに横取りされていた方がまだ諦めがつくのですが。全く、掌の上で踊らされるというのは、余り気分のいいものではないですねぇ」

 

 

 笑顔で返すツァオの視線は、密書の内容へと向けられた。その視線には、彼に対する最大級の讃美と苛立ちを乗せて。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「今のところは特に動き無し、か」

 

 

 オルキスタワー内部にて。国際会議場の様子を、ガラス越しに見下ろしながらグランが呟く。

 現在彼が立つ場所はオルキスタワー三十六階、各国代表の控え室が設けられたエリアの通路。外側はガラス張りで市内を一望する事が出来、内側もガラス張りでカーテンを開けると下階の国際会議場内部を見下ろす事が出来る仕様となっている。

 通商会議開始後、約一時間が経過したが、今のところ各勢力に目立った動きは無い。とは言え会議もこれから折り返し地点に入る段階で、まだまだ気を緩ませる事は出来ないだろう。このまま何も無ければ苦労はしないと、儚い望みを脳裏に過ぎらせてグランは視線を通路外側の市街地方面へと向けた。

 高さ二百アージュを超える地点からの眺めは圧巻だ。人々が点となって市内を流れる様は、人一人が如何に小さな存在かというのを表している。市内の全てを手の中に収められるほどの遠近差は、鳥が空から地上を見下ろす感覚に近い。屋内の為風を感じることは出来ないが、この景色だけでも十分な価値があるだろう。

 そんな風に、グランが外の景色を眺めている最中。不意に彼へ声を投げかける者がいた。特務支援課の面々だ。

 

 

「よう、グラン」

 

 

「お疲れ様です、ランディ兄さんに皆さんも。いやー、しかし中々いい景色ですね。おまけに各国のお偉いさんを見下ろせる機会なんてのはそう無いですから、何だか胸がスッとします」

 

 

 グランの声に、この場を訪れたロイド達も同様に外の景色へ視線を向け、同感だと語る。流石に後半部分の方は同意し辛かったのか、誰からもコメントが無く。仮にも西ゼムリア各国の首脳へ向けた発言だ、彼らも滅多なことは言えない。

 

 

「ここに居るという事は、何とかタワーの警備に潜り込めましたか」

 

 

「ああ、何とかね。ただ、グランに謝らないといけない事が……」

 

 

「分かっていますよ……警察と警備隊が、オレの案に乗らなかったんでしょう?」

 

 

 ロイドの申し訳なさそうな表情に、事を察したグランは苦笑気味に返した。特務支援課に託していた警備態勢見直しの案は、様々な事情によって受理されない形になってしまったが、そもそもの話、グランはそうなるだろうと踏んでいたようだ。受け入れられればそれに越したことはないが、現状では提案として投げかける事に意味があったようで。

 

 

「へぇ、分かってたのかい?」

 

 

「まあ、半分は諦めていましたから。現実的な脅威を伝えるという意味での案でもありましたし、特務支援課が応援に来ている現状だけでも、此方としては頼もしいです」

 

 

 ワジの声に応え、グランは改めて特務支援課の面々を見渡す。先日このクロスベルを混乱に陥れた教団事件と呼ばれる大事件、その解決に最も貢献したとされる彼らが現場にいる事はグラン自身も非常に有り難かった。テロリストという脅威に対抗する手段として、揃えられるのならば戦力は幾らでもあった方がいい。

 ふと、グランは特務支援課の面々を見渡す中で、見慣れない一人の少女と目が合った。昨日共に行動した際のメンバーの中にその姿は無く、水色の髪を棚引かせるその小柄な少女は、明らかにグランよりも年下だ。彼の視線を受けた少女は前へ出ると、淡々と自己紹介を始める。

 

 

「皆さんから話は聞いています……初めまして、ティオ=プラトーです。別件で一時的に支援課から離れていましたが、昨夜より合流となりました。よろしくお願いします」

 

 

「此方こそ。グランハルト=オルランドです、見知り置きを」

 

 

 差し出されたその手に、グランも手を差し出して握手を交わす。ティオと名乗った少女は年下だとは思ったが、彼もトワという前例があった為、あくまで仕事上の対等な立場で接した。流石に初対面の女性にいきなり年齢を尋ねるというのは不躾な上、仕事の都合で関わっているのだ。幼い見た目というだけで彼女に対しての接し方が他と変わるというのは、責める程の事ではないにしても、あまり褒められた事ではない。

 握手を終え、両者が手を離したところでティオの視線がグランの腰へと移る。正確には、彼女の視線はグランの腰に下げたホルダーへと向けられていた。

 

 

「その、そちらのホルダーにあるのは……」

 

 

「ああ、これですか。オレが通っている士官学院で運用試験中の、新型戦術オーブメントARCUSです。貴女ならご存知なのでは?」

 

 

「エプスタインが帝国のラインフォルト社と共同開発したという……なるほど、そうでしたか」

 

 

 オーブメントの名を聞き、納得した様子でティオは頷いた。どうやら彼女はエプスタイン財団に関係のある人物なのか、ARCUSについても把握していたようだ。その視線は、興味深そうにグランの手にあるARCUSへと注がれている。

 しかし、彼へ向けられていた視線はティオのものだけでは無く。支援課メンバーは全員が同様の視線をARCUSへと向けている。そんな中、ロイドは自身が持つ戦術オーブメントのエニグマⅡを手に持ち、比較するようにその視線を交互にそれぞれの戦術オーブメントへと動かしていた。

 

 

「そう言えば、エニグマⅡとは随分違うみたいだな」

 

 

「はい、試験的に特殊な機能が組み込まれていると聞きます。確か戦術リンク機能、でしたか。連携相手の動きが手に取るように分かるとか」

 

 

「それはまた……随分便利な機能ね」

 

 

「私達にも欲しいですね、それ」

 

 

 ティオの説明に、少し驚いた様子のエリィとノエルは依然として興味深げにARCUSへ視線を送る。特務支援課の人間としても、戦闘面において強力な恩恵を持つ新型オーブメントというのは是非とも手に入れたい代物だろう。開発と運用に関わっているのが帝国でなければ、今後の入手にも期待は持てそうだが。

 

 

「オレには過ぎた代物ですが、これがなければ迎えられなかった出逢いもある。ARCUSには結構感謝してるんですよ」

 

 

 支援課一同の視線の先、グランは自身の手にあるARCUSを感慨深そうに見詰めていた。彼にとっては未だ数ヶ月の学院生活だが、そこには新たに得た人との繋がりや、何物にも変えがたい日々がある。そして、それはきっと、これからも続いていくと信じて。そんな数ヶ月の記憶を脳裏に過ぎらせた後、グランはARCUSをホルダーへと戻した。

 グランの言葉に、彼らもそれが何を指しているのかを何となく察していた中。ふと思い出した様にワジが声を上げる。

 

 

「そう言えば、グラン君の通っている士官学院はあのオリヴァルト皇子が理事長と聞いたけど」

 

 

「ええ、屈辱的な事に。オレから言わせれば、あの学院における唯一の汚点ですね」

 

 

「ハハ。しかし、グランと同じところに振り分けられたガキ共はさぞかし大変だろうな……特に女の子達は」

 

 

「そ、そうね」

 

 

「何となく想像出来ました」

 

 

 ランディの私感には、この短期間で既に被害を被っているエリィとノエルの二人が思わず同意し、肩を落とす。実際のところ、グランと同じⅦ組の少女達は現在進行形で迷惑しているのでその私感に間違いは無い。問題は、それが士官学院全体にまで及んでいるという事だが。

 そして中でも一番と言っていいくらいに被害を受けている人物について、当事者のグランは何の悪びれもなく語る。

 

 

「いやぁ流石にエリィさんの胸には負けますが、同じクラスにかなりデカイ子がいまして……これが全然触らせてもらえないんですよね」

 

 

「ほ、本気で言ってるんでしょうね、この子」

 

 

「その女の子の苦労が手に取るように分かりますね……」

 

 

 ガクリと肩を落とすグランの姿を、これまた肩を落としていたエリィとノエルがその顔を引きつらせながら見ていた。何故触らせてもらえると思ったのか彼の考えが全く分からないと、二人は話に出た少女に同情する。

 一人落ち込みを見せるグランの様子に、このままでは話が進展しないと踏んだのか。静かに一部始終を見ていたティオは唐突にロイドへ話を振る。

 

 

「ところでロイドさん、昨晩の件について彼に伝えておいた方がいいのでは?」

 

 

 ティオの声に、そう言えばとロイドは昨晩自分達が遭遇した出来事について話す。

 昨夜、クロスベル地下のジオフロント区画にある端末部屋にて、何者かがハッキングを行なった形跡があり、現場ではオルキスタワーの内部構成データが発見されたとの事。通商会議が開催されるタイミングという事もあり、念の為にグランへ情報を知らせておくべきだと判断した。

 話を聞いたグランは、少し考える素振りを見せた後に口を開く。

 

 

「現時点で犯人の特定には至りませんが、その利用目的についてはタイミング的にもある程度予想がつく」

 

 

「やっぱりグランもそう思うか」

 

 

「ええ。襲撃における重要な事前情報の一つとして、対象施設の構造把握は絶対です。恐らく、テロリストにも流れていると見ていいでしょう」

 

 

 こう幾つも条件が揃うと、テロリスト襲撃の可能性は更に高まる。今まで以上に用心した方がいいと、グランも彼らへ警告を促した。支援課の皆であれば、そのような事は言われずとも重々承知だろうが。

 ふと、皆が視線を国際会議場へ向け、中では代表達が次々と席を立つ姿が確認出来た。会議も中間の休憩に差し掛かったのか、談笑する姿も見受けられる。

 

 

「どうやら会議も休憩に移りそうなんで、オレは一旦ここで戻ります」

 

 

 グランはロイド達へ断りを入れると、一人昇降機のフロアへ向かうべく歩き出した。その後ろ姿を支援課の面々は視線で追い、相変わらずだったと女性二人は苦笑気味に声を漏らす。彼女達の苦労をその目で見てきた男衆は、同じく苦笑いで相槌を打っていた。

 一方で、ティオはこれまでの事を知らない為か、他のメンバーとは違い冷静に彼の後ろ姿を見詰めていた。

 

 

「彼が紅の剣聖、ですか」

 

 

「何だ、ティオすけもグランの事を知ってんのか?」

 

 

「はい、噂程度ですが。その話では、財団の幹部が彼に護衛を依頼した事があるとか」

 

 

 意外そうな表情を見せるランディに対し、ティオは頷いた。彼女は以前に仕事仲間から人伝に話を聞き、名前だけは知っていたようだ。そして、その噂話の内容を思い出しながら、彼女は瞳を伏せると一呼吸置いて再度口を開く。

 

 

「ですが、その噂も余りアテにはならないようですね……今日初めて彼と会いましたが、とても噂の内容とは雰囲気が一致しないというか」

 

 

「因みにどんな噂なんだい?」

 

 

「それは……やめておきましょう。私の話で皆さんに、彼への悪印象を植え付けるのは不本意ですから」

 

 

 ワジの問いに対し、ティオは首を横に振るとその話題を畳んだ。そんな彼女の言葉に、ロイド達がそれ以上の疑問を投げかける事は無かった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「現時点では、特に変化は無いようだな」

 

 

 オルキスタワー三十五階に用意された、帝国政府宰相の控え室。その内部では、ガラス張りになった部屋の側壁から景色を眺めるオズボーンの姿があった。表情は至って静かなものだが、終始厳格な雰囲気を醸し出しているその空気には、何人も近寄り難い。

 そして、彼が声を向けた先。部屋の中央に設置されたソファーへ腰を下ろしているのは、護衛として部屋に待機しているグランだった。彼は背を向けたまま振り返る事なく、オズボーンへ向けて発言した。

 

 

「今のところはな。ただ、会議の後半も気は抜けないだろう。奴らは必ず来る」

 

 

「来てもらわねば困る……と言いたいところだが、そちらにとっては都合が悪かろう。だからと言ってどうする事も出来んが」

 

 

「その点については既に手を打った。出来ればクロスベル側にもう二、三手戦力を期待したかったが、結局はアンタと大統領の二人勝ちだ。これが今のクロスベルの限界だろう」

 

 

「それは重畳、引き続き頑張りたまえ。それと、先程ロックスミス大統領から伝言を頼まれてな。何やら挨拶したいそうだが」

 

 

 一連の話の中で気を良くしたか。オズボーンは笑みをこぼすと、頼まれていたという言伝をグランへ伝えた。

 カルバード共和国の大統領、サミュエル=ロックスミスからの誘い。グランにとっては単身で猟兵稼業を始めてから何度も世話になっている存在の為、当然無視は出来ない。個人的にそういった恩がある以上、用事の無い今は出向くべきだろう。

 

 

「挨拶なら昨日済ませているはずだが……了解した、今から向かう」

 

 

 グランは部屋を退室し、ロックスミスの待つ控え室へと向かう。

 宰相に用意されていた部屋の場所が、オルキスタワーの左側面奥。ロックスミスに用意されている部屋の場所はオルキスタワー右側面奥に位置する為、それぞれの移動距離は他の代表に用意されている部屋よりも長い。タワー内部の対照位置に部屋を用意しているのは、帝国と共和国の関係性を表しているかの様である。

 目的の場所へ到着したグランは、扉前で立つ人物へと近寄る。どうやら共和国軍より大統領に同行している将校の男のようだ。

 

 

「グランハルト殿、お疲れ様です。大統領閣下がお待ちです」

 

 

 グランは将校の男の敬礼に応え、男がその場を下がった後に扉へ手を掛ける。中にいるであろう彼へ向け、断りを入れつつ扉を開いた。

 

 

「失礼します、閣下」

 

 

「おーグラン君、来てくれたか」

 

 

 中にいた人物は、鼻下から伸びる口髭を整えたふくよかな体格の男だった。齢六十を超えた年齢を思わせない壮健さと朗らかさ、人の良さを思わせるその姿は、大統領の様な威厳さとはかけ離れた一般的な容姿をしている。

 だが、間違いなくその男は大国家を束ねる党首であり、此度カルバードより訪れた代表の一人。カルバード共和国現国家元首、サミュエル=ロックスミス大統領その人である。

 

 

「昨日は簡単な挨拶しか出来ず、申し訳ありません。どの様なご用件で?」

 

 

「いや何、昨日は形式的な挨拶だけだったのでな。君と世間話でも、と思ったのだよ」

 

 

 オズボーンとは対照的に、その口調からも親しみやすさを思わせる。グラン自身も先のオズボーンとの受け応え時とは正反対の口調で、丁寧な物言いだ。仕事上の恩がある、というのも理由の一つだが、そもそも国家の首脳クラス相手に不作法なのがどうかしている。無論、彼にもそうしたくなる理由があるのだろうが。

 ロックスミスは自身が座っているソファーの正面に来るようグランへ促すと、彼が座ったのを確認して早速話へと移った。

 

 

「帝国の士官学校に通っているようだが、調子はどうかね?」

 

 

「以前と比べると退屈な生活というのは否めませんが……それなりに楽しんでいます」

 

 

「そうか、それは重畳。君の年なら本来は学校に通う年齢だろう、今までの苦労を忘れて十二分に楽しむ事だ」

 

 

 世間話の話題は、グランの通う士官学院について。

 相手の身近な話題から徐々に懐へ探りを入れていく話法は、情報収集において必須のスキルだ。更に彼のように親しみやすい雰囲気を醸し出した人物であれば尚の事、それは強力な武器となる。流石にグランが気付いていないはずも無いので、言葉選びに気を付けながらの受け応えとなってしまう。元々大統領に対して探りを入れに来た訳ではなく、単に呼ばれた身である以上、下手な情報を漏らさない様に注意を向けるのは仕方がない。彼が何を聞きたがっているのかは、グランにも大方予測出来ていたが。

 

 

「しかし、宰相殿が羨ましい。グラン君が帝国にいる間は、彼も身の安全が保証されている様なものだ。共和国の学校に君が通っていれば、私も護衛を頼めたものを……今からでも転校してはどうかね?」

 

 

「ハハ、恐縮です。共和国の方では、反移民政策派の連中が未だに抵抗を続けているようですね」

 

 

「困った事にな。彼らにも理解してもらえる日が来ると良いのだが……」

 

 

 やれやれと首を横に振るロックスミスの言葉には、嘘をつけ、と突っ込みたくなる気持ちを抑えてグランも苦笑を漏らす。

 

 

「君が帝国にいる間は、此方としても中々依頼を頼み辛くてなぁ。グラン君は学校を卒業したら、以前の仕事に復帰するのだろう?」

 

 

「先の事なので、はっきりとは……ただ、暫く帝国でやらなければいけない事が出来たので、仕事に復帰しても今まで通りとはいきそうにないですね」

 

 

「そうか、既に先約が……うーむ、ますます宰相殿が羨ましいな」

 

 

 困った様子で額に手を当てるロックスミスの姿に、グランも相変わらずな御仁だとその身振り素振りに先程から苦笑を隠せない。おまけに予定にしている今後の帝国での活動を口に滑らせたのは、先手を打たれる前に断っておく口実とする為なので致し方なし。ただ、先の問いが純粋にその情報を聞き出す為のものであったならば、ロックスミスの思うツボではあるが。

 本当に食えない性格だと、その老獪さに感心しながら。グランが未だ苦笑を浮かべる中、彼から遂に予想していた質問が飛ぶ。

 

 

「そう言えば、今回の通商会議の警備について独自に手を打ったそうだが、状況はどうだね?」

 

 

「正直なところ、厳しいと言わざるを得ません。現状のクロスベルでは、考え得る全てを実行しても二手……三手は足りません」

 

 

「そうかそうか、やはりそうだろうな。君の口からそれが聞けて安心したよ」

 

 

 ロックスミスはこの対話の中で一番の笑顔を浮かべ、深く頷いた。知りたかったのはやはりそこかと、オズボーンと同様にその件について確認をしてきた彼へはグランも感服せざるを得ない。であれば、此度の彼の用事も終わったと見ていいだろう。

 グランは退席するべくその場を立ち上がった。

 

 

「私はそろそろこれで。閣下の事ですから、彼らもここに呼んでいるんでしょう?」

 

 

「グラン君にはお見通しだったか。何、クロスベルで起きた問題は共和国の問題でもある。事件を解決した彼らには、勲章の一つや労いの言葉でも掛けてやらんとな」

 

 

 これからこの場へ訪れる者達へ同情の念を抱きながら、グランは入口へと向かった。途中、この場へ残り彼らのフォローへ回ってもいいとも考えてみたが、とって食うような事はされないだろうと考え結局後にする事に。本心としてはここを早く去りたいという気持ちが強かった為だ。

 グランは扉を開き、ロックスミスへ頭を下げた後にドアノブへと手を掛けた。

 

 

「そうそう。共和国の士官学校への転校、真剣に考えておいてくれたまえよ」

 

 

 扉を閉める最中。中から聞こえてきたその声にため息をつき、将校と苦笑気味の顔を合わせてからその場を後にするグランだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 オルキスタワー三十四階に位置する休憩室。憩いの場として設けられたその部屋は広々としており、ガラス張りの壁からは高層ビル特有の絶景も見渡せる。休憩用のソファーやテーブルが設置され、各種飲料を揃えた販売機もある。通商会議が小休止に入った今も、会議関係者や記者の人間達が寛ぎ、話に花を咲かせていた。

 そんな休憩室の一画、ガラス張りの壁沿いに設置された椅子の一つにトワが座っていた。彼女は先程まで会議資料の整理や記録、各所への連絡に明け暮れていたが、その余りの仕事振りに随行団のスタッフ達が堪らず休憩を促した為、仕方無くこうしているわけだ。と言っても、学生の彼女には同年代の話し相手もいなければ顔見知りがいるはずもなく。一人寂しく、休憩が終わるまで待つだけの時間となっている。

 これだったら仕事をしていた方が余程良いと、現在周囲で楽しそうに会話を行なっている人々を見渡し、トワはため息を一つ。気が付けば、その手は無意識に腰へと下げたホルダーに伸び、膝の上でARCUSを持っていた。

 

 

「グラン君、きっとお仕事で忙しいよね……」

 

 

 落ち込んだ様子でARCUSを見詰める彼女は、今も上の階で任務中のグランを想い、更に肩を落とした。クロスベルの地へ訪れてから彼に対しての心配事は多々あるが、本人も中々話そうとしてくれない。何かいい方法はないかと仕事の片手間に考えてはみたものの、そう簡単に思いつくはずもなく。今のところ、トワは何も出来ずにいる。

 そんな風にグランに対して心配が尽きずにいる彼女だったが、どうやら他人の事ばかり心配する彼女でも、感情の我慢に限界はあるらしい。その気持ち以上に今は寂しさに耐えられないのか、これまた無意識にグランへの通信を繋げてしまった。周囲の楽しそうな状況も引き金になったのだろう。トワも慌てた様子で通信を切ろうとするが、なんとワンコール目で彼が出てしまった。

 

 

《はい、此方グランハルト》

 

 

「と、突然ごめんね。お仕事中なのに」

 

 

《会長でしたか……構わないですよ。どうかしましたか?》

 

 

 その声を聞いた途端、寂しさで押しつぶされそうになっていた彼女の心が和らいだ。仕事中の彼へ繋げてしまった罪悪感はあるが、それに勝る勢いで同時に幸福感も増して。本当なら自らに責を問わなければいけないが、今回はそんな自分を大目に見て許す事にした。

 ただ、ついうっかりと繋げてしまった通信の為、トワも何を話していいのか分からず。

 

 

「えっとね、特に用事は無いんだけど……何だか、急にグラン君の声が聞きたくなっちゃって」

 

 

《何ですか、それ》

 

 

 自分でも何を言っているのかよく分からない言い訳に、通信先のグランは笑い声を漏らす。そんな彼にトワも釣られて笑顔をこぼし、落ち込んでいた表情にも綻びが見え始める。気が付けばぶら下げていた両脚を揺らしながら、彼女は自然と言葉を紡いでいた。

 

 

「今のところは、特に問題無さそう?」

 

 

《はい、このまま何も起きないのが一番なんですけどね。会長の方は、仕事順調ですか?》

 

 

「うん。割り当てられてた仕事が思ったより早く片付いちゃったから、他の人の仕事を回してもらってたんだけど……休憩して来なさいって気を遣われちゃって」

 

 

《そりゃあ本職の人間も形無しですね。いやー、会長が周りのスタッフを嘲笑ってる顔が目に浮かびますよ》

 

 

「そ、そんな顔してないもん!」

 

 

 グランからの失礼な言いがかりには、トワも思わず頬を膨らませた。彼女も揶揄われているのだろうと理解してはいるが、ついムキになってしまう。彼の前ではなるべく良き先輩でありたいと思っていても、つい。それは、同期のアンゼリカやクロウ、ジョルジュにも見せない彼女自身の自然な姿である。

 

 

《くくっ、冗談ですって。そんなに頬を膨らませてたら突つかれますよ?》

 

 

「もう、人聞き悪いんだから……」

 

 

 楽しげに話すグランへ、呆れ半分でトワも返事を返す。そしてそんな中、彼女は今の彼の言葉に何か引っかかると疑問を抱いた。グランは今、確かに自分の表情の変化について話していたのだ。丸で、こちらの様子を見ているかのように。

 まさかとは思いながらも、トワは周囲の様子を見渡す。その何か期待をしているかのような眼差しは、直ぐに休憩室入口付近の販売機へと固定された。販売機の影からは、何やら紅い髪が揺れる姿が見え隠れしている。

 

 

「あっ……!」

 

 

「いやー、会長の喜怒哀楽を遠目に眺めるってのも悪くないですね……隣、いいですか?」

 

 

 本当に居たと、トワは歩み寄ってきたグランに驚きながらその姿を見上げる。彼はいつもの様に人懐っこい笑顔を浮かべながら、何の悪びれもなく隣への相席を求めた。一瞬彼女も頷きそうになったが、それでは手玉に取られている様で悔しいのも事実だ。いつも揶揄われている身としては、せめて少しでも抵抗を見せなければ、と。

 そんな、可愛らしい反抗心を抱きながら。彼女は頬を膨らませると、その顔をグランから背けた。

 

 

「……遠目に見てる方が楽しいんでしょ?」

 

 

「うーん、流石に揶揄い過ぎたか……すみません、会長が可愛くてつい」

 

 

「もう……グラン君も休憩に来たの?」

 

 

「はい。上は性格悪い人間ばかりで、いい加減話に疲れまして……」

 

 

 そして申し訳なさそうに頭を下げるグランを見て直ぐに許してしまうあたり、彼女の意地悪を出来ない優しさがその対応から滲み出ている。グランもそんなトワの性格を知ってか、彼女の相席許可を待つまでも無く隣へと座った。

 折角こうして休憩時間に出会えたのだから、何か会話が弾むような話のネタになるものはないだろうかと。グランの為にという建前で思考を巡らし、本音は彼女自身がこの時を楽しんでいるというのは内緒で。結局は、今自分達がいる場所についての話題しかなかったが。

 

 

「それにしても……オルキスタワー、凄い建物だよね」

 

 

「急激な発展を続けるクロスベルの新たな象徴として、これ以上のものはないでしょう。景色も中々の物ですし……一般に開放されれば、屋上なんかは人気スポットになりそうですね」

 

 

「この階から見える景色も十分凄いけど……でも、屋上かぁ。最上階から見える景色はもっと凄いのかな? 一度でいいから見てみたいよね」

 

 

 背後に広がるガラス越しの雄大な景観に、これ以上の感動が屋上にあるのだろうかとトワは考えながら笑顔を浮かべる。流石に仕事中にそんな想いは叶わず、通商会議が終われば直ぐに帝国へと帰還する為、ただの願望となるのは彼女も承知の上で語っているのだが。

 しかし、彼女が見たいと言うのなら。グランも動かない道理が無く。

 

 

「会長が見たいのなら、オレの方から———」

 

 

「……グラン君?」

 

 

 何かを告げようとして、不意に言葉に詰まる彼をトワは不思議そうに見詰めていた。グランの表情は微動だにせず、その視線はトワへ向いているものの、意識は全く別の方向へと向かっていた。

 そしてこの時、グランの脳裏にはある光景が過っていた。不意に入口の扉が開き、そこから突如として現れた正体不明の機械人形による銃乱射が行なわれ、隣に座るトワの表情が恐怖に染まっていく様を。自身の身に何が起きているのか、それを冷静に考える余裕もない程焦燥感に駆られるそれは、既視感と似て非なるもの。丸で、その場面に出会した事があるかのようなリアルさ。

 

 

「会長、下がれ———!」

 

 

 この正体不明の焦りに対する動揺を抑えながら。グランはトワを庇うように入口へ向けて立ち上がり、唐突に叫ぶのだった。

 




帝国解放戦線「あの、トワとかいう少女には一切触れるつもり無いんですが」

同志達……諦めろ(無慈悲


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束の間の休憩

 

 

 

「会長、下がれ———!」

 

 

 焦燥の中、トワの前に躍り出たグランが叫ぶ。不意に頭を過ぎったこれから起きる惨状に、その身体は無意識で戦闘体勢へ移行していた。確証はない。根拠もない。それでも、ただの既視感というには余りにも不可思議な程、その光景には色があった。機械人形が放つ銃弾の音、それらが漂わせる火薬の香り、その光景を前に恐怖で身を震わせるトワの表情。そしてそれら全てが、これから起きると感じた出来事のはずが、まるで体験したかの様な錯覚を与える矛盾。これは異様だと、グランも休憩室の入口に向ける視線に鋭さを増しながら、腰に下げた刀の柄を握る手に力が入る。

 トワや周囲の人間が彼の行動に困惑した様子で注意を向ける中。グランの敵意を込めた視線の先、入口の扉はゆっくりと開かれた。

 

 

「……随分と物騒な挨拶だな」

 

 

 グランの前に現れたのは、長い黒髪を揺らす一人の男だった。左頬に大きな傷痕が残るその男はグランと同様に刀を帯刀しており、今にも抜刀しそうな彼を視界に収めても慌てる事なく冷静に振舞って見せた。その落ち着いた立ち居振る舞いからは、只者ではない気配を感じ取れる。

 その男の名は、アリオス=マクレイン。遊撃士協会クロスベル支部に所属するA級遊撃士であり、八葉一刀流弐ノ型免許皆伝の実力者。風の剣聖の呼び名で知られ、クロスベルでも圧倒的な人気で英雄扱いされている人物だ。その卓越した剣技と問題解決能力は、遊撃士の最上ランクでもある非公式ランク、S級への昇格を本部から打診されている程。そして、グランにとっても深い関わりを持つ人物でもある。

 扉の先から現れたのがアリオスと確認し、グランの焦燥感は徐々に薄れていた。柄を握っていた手は離れ、その視線からは既に敵意が消えている。周囲が向けていた視線も三人から逸れ、各々談笑を再開していた。

 

 

「なんだ、アンタか」

 

 

「グラン君の知り合いの人?」

 

 

「アリオス=マクレイン……なんて事はない、そこら辺にいるただの遊撃士ですよ」

 

 

「そこら辺にいるただの遊撃士で悪かったな」

 

 

 トワの疑問に答えたグランの物言いには、流石のアリオスも僅かに渋い表情を見せる。相変わらず口の利き方が悪いと指摘を行ない、そんな彼の視線はグランの後ろにいるトワへと向けられた。アリオスにとって彼女は見ない顔だ、疑問も抱くだろう。

 彼の視線を受け、それに気付いたトワも前に出ると直ぐに頭を下げる。先程のグランの態度もあってか、その下げ幅は挨拶にしては少し深かった。

 

 

「トワ=ハーシェルと言います。その、グラン君が失礼な事を言ってすみません」

 

 

「この男の性格は承知している。何も君が謝る必要は無い」

 

 

 自己紹介と同時に深々と頭を下げて行なわれたトワの謝罪には、渋い表情だったアリオスも笑みをこぼす。彼女を少しでも見習った方がいいとグランに向けて彼は話すが、当の本人は何処吹く風。態度を改める気は更々無いようだ。

 そんな彼の様子に、追加でトワから謝罪が行なわれる中。三人の元へ歩み寄る人物がいた。

 

 

「おや、中々興味深い組み合わせですね」

 

 

 三人の輪へ声を掛けてきたのは、ペンと手帳を片手に灰色の髪を揺らす女性だった。アリオスとは顔見知りの様で、彼と親しげに挨拶を交わすその女性は、訝しげな表情を浮かべるグランと彼の隣に立つトワへと視線を移し、自らを名乗った。

 

 

「そちらの彼と学生さんは初めまして。クロスベルタイムズで記者をやっている、グレイス=リンです。宜しく」

 

 

 彼女の自己紹介に対してトワは丁寧に名乗り返すが、グランは口を開かなかった。

 記者という存在は、一般市民への情報発信の要ではあるが、同時にゴシップの様な後ろめたい内容を記事にする事も多い。単純に、彼女とは宜しくしたくないという意思表示だろう。最初にリンヘ向けていた訝しげな視線も、彼女の風貌からある程度は察していた為か。ここでも失礼な対応をしたグランに変わってトワが謝罪を行なうが、彼の事は知っているから自己紹介は不要だと、リンはフォローを入れる。そして、三人へ声を掛けた理由についても話した。

 

 

「今回の通商会議の記事に、お二人の事も載せたいなと思いまして。良ければなんですけど、お二人の並んだ姿を写真に撮らせて頂いてもいいですか?」

 

 

「別に構わないが、どうだ?」

 

 

「……写真くらいなら」

 

 

 撮影に対して了承の意思を見せた二人に礼を述べた後、リンは導力カメラを携帯している助手を呼び、グランとアリオスの二人並んだ姿を写す様に指示を出した。フラッシュが二度、三度と焚かれ、笑顔とは言い難い二人の表情に撮影する男は苦笑気味だ。

 写真撮影を終え、カメラマンの男の横に控えていたリンは手帳にメモを加えながら、再び二人の前へと近付く。

 

 

「紅と風、二人の若き剣聖の邂逅……これは特集で組めそうね。もし良かったらこのまま取材の方も———」

 

 

「悪いが時間だ。行きましょう、会長」

 

 

「え? 時間ってまだ———」

 

 

 リンから取材の話が持ち掛けられた瞬間、グランは困惑するトワの手を引いて休憩室を後にした。記者を相手にしても碌な事にならない、という判断だろう。彼自身の本心としては、先程の胸騒ぎへの不信感と、彼女との時間を邪魔された意趣返しも含まれていたが。

 二人の退室する姿を目で追った後、リンはしまったと額に手を当てていた。

 

 

「あちゃー、流石に強引だったか」

 

 

「全く、此方にも用事があったんだがな」

 

 

「すみません、つい」

 

 

 不満を漏らすアリオスに頭を下げ、彼女は再びグラン達が出て行った入口へと視線を向ける。噂には聞いていた紅の剣聖という人物の印象は、記者として観察眼を養ってきた彼女の目から見ても只者ではない雰囲気を感じた。仮にも剣聖と呼ばれるだけの器はありそうだと、隣に立つアリオスと比較しながらどちらに分があるのかという興味も湧き始める。

 ただ、リンが驚いたのはそれだけでは無い。彼女が最も意外に感じたグランへの印象……それは、彼の見た目だった。

 

 

「紅の剣聖……話には聞いていましたが、随分と若いんですね」

 

 

「今は十六才だったか。以前会った時よりも随分逞しくなったものだ」

 

 

「十六!? それはまた……とんでもないですね」

 

 

「先日彼が遊撃士協会(ブレイサーギルド)に提出した警備態勢の変更案を見たが、よく考えられていた。多少強引な配置にも見えたが、それ以上の案を思いつかないくらいには理想的なものだった。これまでの実績を考慮しても、遊撃士で言えばA級と同等の評価は間違いない」

 

 

「アリオスさんがそこまで言いますか……」

 

 

 年齢とは不釣り合いな程の実績と評価に、リンは戦慄する。何がどうなったらあれだけの若さでそこまでの働きが出来るのかと、俄然彼女のグランに対する興味は増していた。

 

 

「帝国は、彼を引き入れるつもりなんでしょうか」

 

 

「それについては帝国に限った話では無いだろう。未だ本人にその気が無い、というのがせめてもの救いではあるがな」

 

 

「うーん、どうにかして彼に取材できないかしら」

 

 

 帝国政府の護衛として同行した件については勿論の事、帝国との関係からその他の繋がり、彼自身の思惑、聞きたい事は尽きないとリンは目を光らせている。記者である以上何とかして取材出来ないかと考えるのは当然の事ではあるのだろう。

 しかし、一方のアリオスは今回通商会議の見届け役として、遊撃士協会を代表した立場にある。である以上、下手に騒ぎを起こされるというのは非常に迷惑だろう。

 

 

「揉め事を起こされても困る。せめて時と場所は弁える様に」

 

 

「さっきの学生さんは彼の知り合い? なら彼女から攻めてみるのもアリか」

 

 

「頼むから騒ぎを起こさない様にしてくれ」

 

 

 どうにかして取材を行えないかと、あの手この手を尽くそうとする気満々のリンを横目に。アリオスは一人不安が募るばかりだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 休憩室を後にしたグランは、トワの手を引きながらオルキスタワー内の通路を進んでいた。取材の拒否を理由にあの場を離れ、徐々に薄れていた焦燥感も今では完全に消え失せている。それでも、まだ安心は出来ないと。彼女をスタッフ達のいる場所まで送り届けるべくその足取りは早かった。

 一方で、手を引かれているトワは状況を飲めておらず困惑したまま。未だ手を引き続ける彼を見上げて、不安に思いながらも声を上げる。

 

 

「ね、ねぇグラン君」

 

 

「(以前、あの場所で確かに襲撃が起きた。どう考えても有り得ない事だが……いや、まさかあれは———)」

 

 

「グラン君ってば!」

 

 

 心ここに在らずな彼へ向け、トワも堪らず声を張り上げる。先程から今に至るまでの彼の焦り方は異常だ。何かしらのトラブル、ないしは不測の事態が発生したのかと彼女の不安は増していく。少なくとも、グランが取り乱すという事は尋常ならざる事態だというのは間違いない。

 彼女の呼ぶ声で、思考の海に潜っていたグランも漸く現実に引き戻された。足早に移動していた歩みを止め、無理に手を引いていた彼女の姿を視界に捉えるとその手を離す。困惑したトワの様子にも気付き、自身の強引な行いに申し訳なさを感じたのか、その表情は落ち込みを見せていた。

 

 

「すみません、会長」

 

 

「さっきからずっと何かを気にしてるみたいだったから、どうしたのかなって」

 

 

「いえ、もう大丈夫です。”今回”は無事に終わりそうですから」

 

 

「そう? だったらいいけど……」

 

 

 納得とまではいかないものの、焦りの消えているグランの様子にトワも大丈夫そうだと判断し、理由までは聞かなかった。結局は、聞いたところで彼が話してくれる事はないだろうと彼女が妥協したわけだ。二人は止めていた歩みを再開し、トワの仕事場へと向けて通路を進む。程なくして、二人は目的の場所へと到着した。

 トワが扉に手を掛け、開こうとしたその矢先。二人の立つ後方では、通路を歩く一人の男が通信を行なっていた。それほど離れた距離ではなかった為、二人にも会話の内容の一部が聞こえてくる。

 

 

「何、赤い星座と黒月(ヘイユエ)が? 分かった、此方は今のところ特に問題無しだ。そのまま追跡を———」

 

 

 通路を走り去る男と一瞬視線を交わしたグランは、彼の漏らした会話の内容から事態を察した。赤い星座と黒月(ヘイユエ)が見せた何らかの動き。しかし彼の表情に変化が無い事からも、グランにとっては予測していた事態であるという事が見て取れる。

 

 

「漸く動き出したか」

 

 

「ねえ、グラン君……本当に、大丈夫なんだよね?」

 

 

「ええ、問題ありません。会長は仕事の方に集中していて下さい」

 

 

「うん……絶対に、無理だけはしないでね?」

 

 

 依然心配そうな表情のトワが、グランの手を取ると両手で包み込んだ。彼の無事を祈るように握られたその手は小さい。こんなに小さな手で、彼女はいつも周りの心配をし、多くを抱え、同時に支えてきた。そんな誰からも愛され、誰よりも努力してきたこの人を何としても護り抜かなければと、グランはトワの両手の温もりを感じながら再度決意する。

 グランは部屋へ戻る彼女を見送った後、自らも持ち場へと戻るべく踵を返す。そして通路を歩き出したその時、突然彼の持つARCUSへ通信が入った。

 

 

「此方グランハルト」

 

 

《遊撃士協会のミシェルよ。グラン君の想定通り、赤い星座と黒月(ヘイユエ)が動き始めたわ》

 

 

 ミシェルによる通信は、赤い星座、黒月(ヘイユエ)両組織がここで見せた怪しい動きについて。何かしらの動きを見せる可能性は元々グランから彼らへ示唆されていたが、それが現実になってしまった。通商会議が未だ続く中で、警戒度を更に引き上げなければいけない事態だ。此度の通信はその為の指示、ないしは助言を求めての通信だろう。

 

 

「先程確認した。追跡はクロスベル警察に任せて問題ないだろう」

 

 

《あら、耳が早いわね。ベルガード門とタングラム門に向かっている手を呼び戻した方が良いかしら?》

 

 

「いや、そちらは各門に向かったままでいい。何れにせよ、どちらも間に合わん」

 

 

《そう……了解したわ。そちらも気をつけて》

 

 

 グランからの指示を受けたミシェルは彼へ注意を促し、互いの通信は切れた。想定通りの事態の為取り乱した様子は無かったが、彼らがどう動くか分からない現状にしては、通信越しに何かを察した様子のグランにミシェルも引っかかるものがあったのか。通信が切れる直前、確かに彼の声には訝しんでいるような節があった。その辺りの追求に時間を取られなかったのは、グランも助かったが。

 兎にも角にも、前兆を確認した以上これから舞台は大きく動き出す。会議の後半は忙しくなると、彼もARCUSを握る手に力が入った。

 改めて持ち場へと戻る為、グランは歩みを再開する。

 

 

「ここにいたか」

 

 

 ふと、グランを呼び止める声が通路に響いた。彼が振り返ると、そこには帝国の軍服を着た大柄の男が立っている。昨日特務支援課と共に請け負った演奏家の捜索において、彼らへ依頼を出した男……オリビエと名乗りクロスベル市内を散策していたオリヴァルトの護衛として訪れている、ミュラー=ヴァンダールの姿がそこにはあった。

 

 

「ミュラー=ヴァンダールか……どうした?」

 

 

「皇子達がお前と少し話をしたいそうだ。休憩時間も残り少ないが、時間は取れるか?」

 

 

 オリヴァルトからの誘い。トワと談笑していた時であれば断ったであろうその呼び出しは、用事の無い今なら受けても問題はないかとグランも結論に至る。

 これがオリヴァルト一人からの呼び出しであれば、用事が有ろうと無かろうとグランは断っていたかもしれない。だが彼の口振りから察するに、誘いの場にいる人物は恐らくオリヴァルト一人ではない。

 

 

「ああ、別に構わない」

 

 

 グランがミュラーへ了承の意思を見せた後、二人はオリヴァルトの待つ控え室へと向かった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 ミュラーの案内により再び三十六階のフロアへ移動したグランは、エレボニア帝国皇帝の名代として通商会議に参加しているオリヴァルトの控え室へと訪れた。扉を開け、ソファーに腰を下ろした二人の人物を視界に捉える。

 一人は、グランをこの場へ呼び出したオリヴァルト本人。談笑中だったのかその表情は楽しげなもので、彼はグランの姿を確認すると気さくな様子で声を上げた。

 

 

「いやぁ、貴重な時間をすまないね、グラン君」

 

 

 グランの視線の先、オリヴァルトの座るソファーの隣にはもう一人の女性が腰を下ろしていた。グランの姿に気付いた彼女は席を立つと、彼に向けて微笑みかけ、紫の短髪を揺らす。女性の姿を確認したグランは、やはり誘いを蹴らずに正解だったと胸を撫で下ろした。

 女性の名前は、クローディア=フォン=アウスレーゼ。リベール王国の姫君にして、次期女王の地位を確約されている王太女である。

 

 

「お久し振りです、グランさん」

 

 

「王太女殿下でしたか……先日は挨拶も出来ず、申し訳ない。以前にも増してお綺麗になられた」

 

 

「ふふ、ありがとうございます。今回は私達だけしかいませんから、いつも通りの砕けた話し方で構いません」

 

 

 グランの挨拶にはクローディアも手慣れた様子で返し、彼女は再びその場で腰を下ろす。グランも向かいのソファーで歩みを止めると、彼女と向かい合うように席へと着いた。先程からクローディアの隣に座っているオリヴァルトは一人、一連のやり取りに自分との扱いの差を感じて不満そうな声を漏らしているが。

 呼出の用件についてグランが尋ねたのを皮切りに、オリヴァルトは彼へ向けて話し始める。

 

 

 

「通商会議の後半は、主に安全保障に関する内容について協議される予定でね。当然クロスベル側は厳しい状況に立たされるだろう。そこで、宰相殿や大統領がどう出るか、グラン君の見解を聞きたい」

 

 

「知るか、素人意見に何の価値がある。本人に直接聞け」

 

 

「僕は紅の剣聖としての君の意見が聞きたいのさ。仮にも各国首脳を相手にしてきた君なら、当事者の我々とは別の観点から物事が見えている筈だ。その意見を参考にしたい。結果的に事は変わらないにしても、何かしら彼らのフォローに回れないかと思ってね。それは、レミフェリアのアルバート大公は勿論のこと、クローゼ君も同じ考えだ」

 

 

「はい、間違いありません」

 

 

 オリヴァルトの話にクローディアも頷き、二人の視線はグランへと向けられる。当の本人は自分の意見にさして価値は無いと判断している為か、関心を示さずに気怠げな様子で瞳を伏せていた。

 通商会議後半、安全保障に関する協議においての帝国、共和国の両国の主張。その際に話題として出てくるのは当然、両国が宗主国として承認しているクロスベル自治州についての問題だ。貿易都市として発展を続ける以上、他国の勢力やそれぞれの思惑が蔓延る現状のクロスベルには、安全上の問題点が様々ある。その上両宗主国の制約下で自治を行うともなれば、法律の壁や抜け道というのは数多く存在する。協議の場において、クロスベル側が窮地に立たされるのは目に見えており、帝国や共和国の都合に合わせて事を運ぼうという思惑が宰相や大統領から見て取れるのは当然だ。

 しかし、この西ゼムリア通商会議は彼らだけの主張の場では無い。クロスベルの現状を憂い、良き方向に持っていこうと考えているリベール王国、レミフェリア公国側の意見も反映されて然るべきだ。オリヴァルトは帝国代表の立場で訪れているものの、その考えは宰相とは相容れない。事に強引な手段を打ってきた宰相への牽制も含めて、他国と協力してクロスベルを支える姿勢でいる。

 そんな彼らにグラン自身が肩入れする理由は特に無い。仮に手を貸したところで、当人達が理解している様に状況を動かす事は出来ないだろう。当事者である帝国や共和国にその気が無い上に、現状を脱したいクロスベルにもその様な力は無い。

 それでも、今では無く今後を見据えて少しでも情勢の流れに変化をもたらす事が出来れば、もしかしたら終着点は変えられるかもしれない。そんな淡い期待を、オリヴァルトやクローディアは抱いている。そして、それに賛同するというわけでは無いが、グランも宰相の思惑通りに事が進み続ける現状は気に入らないようだ。グランにしては珍しく、オリヴァルトに対して協力的だった。

 

 

「会議の場を用いて、クロスベルへの軍事侵攻の表明くらいは覚悟しておいた方がいい」

 

 

「まさか」

 

 

 唐突に語るグランの可能性の話に、オリヴァルトも驚きを見せる。そう遠くない未来の話としては予想だにしない、というものでは無いが、あくまでも西ゼムリアの平和と発展を願って開催された通商会議でそれは信じられないと。数々の強引な手段を用いてきた宰相や、虎視眈々とクロスベルの属州化を狙う共和国といえどそこまで恥知らずでは無い。彼もそう思いたかった。

 そして、可能性の一つとして警告したグランの話にはそもそも一つの問題がある。

 

 

「で、ですがそれは、三カ国間で締結された不戦条約に抵触します」

 

 

 クローディアの話すそれは、アルテリア法国を統治する七耀教会立会の元、エレボニア帝国、カルバード共和国、リベール王国の三カ国で締結された、武力による解決手法を用いず、対話による問題解決を目的とした平和条約である。クロスベルへの軍事侵攻は、間違いなくそれに抵触するというのが彼女の主張だ。

 しかし、その平和条約にも問題はあった。

 

 

「そもそも不戦条約に法的な拘束力があるのか? 仮に百歩譲ってそれを問題提起したとしても、クロスベルは国家主権の無い自治州だ。当然不戦条約には関わっていない。教団事件の件もある、治安維持を建前にしてこの機に動き出すというのもあり得ない話じゃない」

 

 

「そんな、横暴過ぎます!」

 

 

「根拠は?」

 

 

「クロスベルの自衛能力について、宰相と大統領の両人がオレの意見を聞いてきた。気の合う事だな、全く」

 

 

 呆れたように話すグランの姿には、オリヴァルトやクローディアも事の信憑性が増したのを感じ、その表情に険しさが浮かぶ。外交上、護衛において安全性を約束された彼の意見は、安全保障の観点から見ても価値が大きい。だからこそ、彼の意見には二人も興味を示しているわけだ。

 

 

「グランさんは、御二方にどの様な返答を?」

 

 

「悪いが正直に答えさせてもらった。現状のクロスベルでは限界があるってな」

 

 

「うーん、そこは君に上手く躱して欲しかったというのが本音だが……グラン君を責めるのは筋が違うか」

 

 

 宰相達の問いに嘘偽り無く答えたグランの話には、二人も残念そうに瞳を伏せる。彼を責めるわけではないが、そこで何かしら言葉を濁しておけばとオリヴァルトが考えるのも無理はない。グランとしては護衛任務を遂行してきた誇りや信念がある。彼らの期待に応えて発言を撤回する事も、自身の見解を偽る事も出来ない。

 だが、グランの話し方からは改善の余地があるかの様な節が見て取れた。クローディアはふとそれに気付く。

 

 

「現状で、という事は……何か対策があるんですか?」

 

 

「単純に保有戦力の強化、というのが理想だが……それこそ現状のクロスベルでは難しいだろう。自分達が武装能力に制限を掛けておいて、仮に自衛能力の問題点を指摘するってんならとんだ面の皮の厚さだがな」

 

 

「そうは思いたく無いが、あの二人の事だ。十分考えられる」

 

 

「そもそもが自治州でなければって話なんだが、それを今言ったところでな」

 

 

「先行きは余り思わしくないですね」

 

 

 話せば話すほど問題が浮き彫りになる現状に、場の空気も重量を増した。やはり、今回の通商会議でのクロスベルの立場というものは変わりそうにない。現時点では、心構えをするという意味での意見交換で終えるより他はない。

 そんな中、行き詰まった話し合いに少し話題を変えようと。オリヴァルトは思い出しように口を開いた。

 

 

「そう言えば、グラン君が独自に動いたという警備関連の話はどうなったんだい?」

 

 

「ああ、先日特務支援課の方達が言っていた件ですね」

 

 

「どうもこうもあるか。利用するつもりが利用された……いや、どう動いていたとしても、あの二人にとっては良いようにしかならなかったってところか。オレには関係の無い話だが、余り良い気分じゃないのは確かだ」

 

 

 独自に動いた警備態勢についての私感を話すグランの様子には、話が見えずに二人とも首を傾げていた。その点についてもう少し詳しく話を聞きたいと乗り出したオリヴァルトだったが、それは叶わず。

 グランのARCUSからは時報の音が鳴り、休憩時間の終わりを告げる。

 

「残念だが時間のようだね。ありがとうグラン君、とても参考になった」

 

 

「私達の方でも、出来る限りの手は尽くしてみます……突然のお呼び出し、すみませんでした」

 

 

「何、リベールの女王陛下には恩もある。そこの変態はどうでもいいが、何かあれば話くらいは聞こう。陛下にもよろしく伝えておいてくれ」

 

 

「相変わらず手厳しい」

 

 

「ふふ……確かに承りました。女王陛下やカシウス中将も、グランさんの事は心配していらっしゃいましたから」

 

 

 三人は席を立ち、グランは二人に背を向けると一足先に部屋を退室した。そんな彼の姿を見詰めながら、オリヴァルトとクローディアは残念そうに呟く。

 

 

「時間があれば、彼が通っている士官学院での生活についても話がしたかったんだがね」

 

 

「私もお聞きしたかったですけど、仕方ありませんね。またの機会という事で」

 

 

 二人はグランと入れ違いに部屋へ入ってきた護衛と共に、通商会議の後半へ向けて部屋を後にするのだった。

 




第一話で機械人形の襲撃があったのに、どうして今回は無いの?(無垢な瞳

次回から通商会議は大きく動きを見せます。テロリストの明日はどっちだ……!(キボウノハナ−


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紅の剣聖の策

 

 

 

 休憩時間も終わりを告げ、通商会議は後半戦を迎える。会議前半に行われた経済関連の取り決めとは打って変わり、後半は予定通り安全保障関連の協議へと移った。 

 オリヴァルト達の想定していた通り、ここに来てクロスベル側には耳の痛い指摘事項が帝国、共和国双方から次々と挙げられる。クロスベルが発展を続けていくにあたり露呈してきた自治州法の不備、法改正の有無、治安維持能力の不安。オリヴァルトやクローディア、レミフェリアのアルバート大公もディーター達のフォローへ回るが、オズボーンやロックスミスの発言に間違いが無いことから、それらの意見を否定するというわけにもいかず。協議における主導権は、完全に両国が掴んだと言っていい。

 三十六階の通路から国際会議場の様子を見下ろしていたグランもまた、現場にいる各人の表情でそれを察していた。同じ帝国代表の立場であるはずのオズボーンとオリヴァルトの両者が真逆の表情を浮かべている事に笑みをこぼしつつ、その視線は標的となっているディーター市長、クロスベル市議長ヘンリー=マクダエルの両者へと向けられる。

 

 

「クロスベルとしては、ここが踏ん張りどころか」

 

 

「叔父様の顔、あんまり状況は良さそうに無いわね」

 

 

 会議場を見下ろすグランの横、不意に現れた特務支援課のエリィは彼同様会議場を見下ろし、ディーター達の様子に心配そうだ。祖父であるヘンリー議長の補佐もしていた彼女にとっては、現状を理解しているが故にその不安は尽きない。

 不正も摘発され、少しずつではあるが確実に法改正も進み、間違いなく今のクロスベルは良き方向へと向かっている。しかし向かい始めたばかりの今では、帝国や共和国を跳ね返す程の実績は無い。長いクロスベルの歴史の中で、今軌道に乗ったばかりの政策や活動が会議の場で効力を持つかと言われると、正直な話発言力としては弱い。それだけ、今のクロスベルは抱えている問題が多過ぎる。当然、エリィもそれは理解しているし、だからこそ会議場にいるディーターや祖父であるヘンリーの心境も察していた。

 彼女の後方にいる他のメンバー達も同様に、現在会議場でクロスベル側に厳しい展開が続く様子には不安を隠し切れない。そんな彼らを励ますというわけでは無いが、グランも隣に立つエリィを横目に彼女の心中を察し、口を開いた。

 

 

「予想出来ていた事態です、ここからどれだけ食い下がれるかがクロスベル側の気概の見せ所でしょう。新進気鋭のクロイス市長に経験の豊富なマクダエル議長……二人なら、必ず巻き返せる」

 

 

「そう言ってもらえると心強いわ」

 

 

「会議については、ディーター市長とマクダエル議長に任せるしか無いからな」

 

 

「何とか乗り切れるといいですけど……」

 

 

 ロイドやノエルも不安げに、会議場の様子を見下ろす。依然として心配ではあるが、それでもクロスベルの代表として出席する彼らに期待し、又自分達も彼らに顔向けできるように任務を全うするしかない。ロイド達がこの場でディーター達に貢献出来るとすれば、任された仕事を確実にこなし、此度の通商会議を無事に終わらせる事だ。そうする事で、彼らも安心して協議へ臨めるというもの。

 苦しい表情ではあるものの、未だ強い意志を感じさせるディーター達の姿を見下ろしながら。そう言えばと、思い出したようにランディがふと声を上げる。

 

 

「そういやグラン、鉄血宰相ってのは一体何者だ?」

 

 

「ああ、あの男にも呼ばれましたか」

 

 

「大統領の方もとんだ狸だったけど、宰相の方ははっきり言って化物だよね」

 

 

「はい。私達とは立っている次元が違うというか……とんでもないオーラを感じました」

 

 

 とても同じ人間とは思えないと、ワジとティオの二人は揃って帝国宰相ギリアス=オズボーンの印象を語る。

 彼と対面しただけでイメージとして伝わってきた、業火の如き灼熱を思わせる苛烈な意志。対話の中で見えた、冷徹かつ合理的なその思考。彼の立っている場所が余りにも自分達とは場違い過ぎて、同じ土俵に立つ事すらままならなかったと。鉄血宰相と畏怖される理由を肌で感じ、その規格外さにはロイド達も驚きを隠せなかった。

 

 

「あれは完全に人の領域を外れた男ですよ。苛烈な意志がそのまま人の形を形成していると言ってもいい……その点、大統領の方が話し易かったでしょう?」

 

 

「ま、まあ。話し易さだけならね」

 

 

「大統領閣下も、中々侮れない御方だけど……」

 

 

 敢えての比較対象としてロックスミスの名を出したグランだったが、苦笑気味のロイドとエリィの反応を見るに、彼との対話でも何か問題があったのだろう。会議の間の休憩時間、という割には全く休憩出来ていない特務支援課の彼らには、グランも同情を禁じ得なかった。

 通商会議も後半を迎えてから、未だ目立った問題は起きず。相も変わらず会議場ではクロスベル側にとって厳しい状況が続いてはいるものの、その点を除けば危惧されていた事態には至っていない。このまま何事も無く乗り切れればと、会議場の様子を見ながらロイドが口にした、まさにその時。

 突如グランのARCUSからは警報音が鳴り響く。アラート音には特務支援課の面々も警戒した様子でグランへ視線を向け、その表情は僅かに険しさを増していた。当の本人はARCUSを取り出して警報を切ると、目的の場所へ移動するべく動き出す。

 

 

「来るか……オレは屋上に先行します」

 

 

「来るって、一体何が———」

 

 

「空からの襲撃が来ます。先行して屋上へ向かいます」

 

 

 唐突にグランの口から告げられた、テロリスト襲撃の予見。直前まで特に異常も無く、会議場の様子も変わった点はない。休憩中に知らされた赤い星座と黒月(ヘイユエ)の動きについては警戒すべき案件と言えるが、それ以降何か動きがあったわけでもない。テロリスト襲撃に関連する情報として、彼らの元へ他に危惧する様な何らかの連絡が入ったわけでもない。何か予兆があればまだしも、何も動きがない現状ではロイド達もグランの話には懐疑的だ。

 しかしこれまでの彼の動きを見ても、何の根拠もなく物事を言い切る人間ではない事はロイド達も分かっている。仮に時間があれば事の説明を求めることも出来るが、グランの様子からはその様な暇がないというのが見て取れた。悩む時間もない為、今回はグランに信頼を置き、彼の話した事態に至っているというのを前提にして話を進める事に。

 

 

「でも、空から来るという事は要するに、飛行艇による襲撃があるという事よね?」

 

 

「それなら対空レーダーが感知してないとおかしいけどな」

 

 

「レーダーは恐らく陽動の際に破壊されます。遊撃士の連中をベルガード門とタングラム門へ応援に向かわせていますが、間に合わないでしょう」

 

 

 エリィとランディの疑問に対するグランの回答は、これから起きるという予測の域を出ないもの。可能性としてはあり得るが、やはり確証を示そうにも方法はない。

 仮に事態がグランの危惧する通りに進行していると考えれば、当然クロスベル東西の各門に配備された対空レーダーの破壊は確定されているという事。警備隊に対する防衛能力の信用が無いとも取れるその発言については、警備隊の所属経験があるランディやノエルも流石に渋い表情だ。あからさまな言い方ではなく、勿論グラン本人に悪意があるわけでも無い為問い質す様な事は無かったが。

 そして、飛行艇による襲撃を前提に考えるにしても、一つ問題がある。

 

 

「そもそも一介のテロリストにそれだけの資金があるとは思えませんが……」

 

 

「旧式の型でも、一般人が手に出来るような値段ではありませんし……」

 

 

「立場的にオレが公言する訳にはいきませんが、つまりはそれだけ資金力のある相手が背後にいるという事です。共和国側のテロリストについても、軍の飛行艇を奪われたという情報から察するに、恐らくは」

 

 

 ティオとノエルの挙げた資金力への疑問点は、背後にいる協力者の存在や軍用艇の盗難被害を根拠にグランも答えた。話だけなら、飛行艇による空からの襲撃は可能という事になる。無論それらは可能というだけで、現状における襲撃の可能性を示しているものの、その事態が起きるという確証たり得ないわけではあるが。

 依然として懐疑的な反応を示す特務支援課の面々。そして、彼らの最終的な判断はリーダーである彼へと委ねられる。グランの話に一応の理解を示しながら、ワジはロイドへ決断を仰ぐ。

 

 

「彼の話を聞く限りは、空からってのも確かに頷けるけど。此方としては襲撃の確証が無いし……どうする、リーダー?」

 

 

「……いや、俺達はオルキスタワー内の警備を続けよう。グランに協力したいところだけど、それだと返って動きに融通が効かなくなる」

 

 

 ロイドの決断には、納得した様子で支援課の面々も頷いた。ロイド本人の考えとしては、グランに同行して屋上へ向かうというのは最善の判断では無いという事だろう。

 現場を離れて屋上でテロリストの襲撃を待つ以上、オルキスタワー内で発生した問題や会議場での異変には当然気付くのが遅れる為、対応が遅れてしまう、或いは対応出来なくなってしまう。あらゆる事態に対応する為の、遊撃部隊として通商会議の警備に参加している特務支援課としては、グランが行動に移そうとしている限定的な対処には同行し辛いというのが正直な話だ。もし仮にグランの危惧している事態が発生したとしても、彼ならば応援に駆けつけるその時まで必ず持ち堪えてくれる。そういったグランへの信頼も含めての判断である事は言わずもがな。

 グランとしては同行してもらえれば仕事としては楽になる為、多少残念な思いもあるが、ロイドの判断が正しいことは理解していた。事は急ぐが、彼らに強要するつもりはない。寧ろ、考えもせずに同行を申し出る事なく、現状を把握した上で直ぐに決断を下した彼に対し、内心では感心もしていた。

 

 

「貴方が支援課のリーダーをしている事に納得しました。上はオレ一人で対処可能でしょう、特務支援課は引き続き内部で警戒をお願いします」

 

 

「ああ、気をつけて」

 

 

 グランはロイド達に背を向けると、屋上に向かうべく昇降機のある方向へと駆け出した。特務支援課は彼を見送った後、再び屋内の警戒を続ける事に。そして時間にして僅か三分後、彼らは驚く事となる。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 オルキスタワーの地下には、導力車の駐車スペースとしての利用目的で広い区画が設けられていた。車社会を想定して造られたその区画は駐車スペースにしては余りにも広大で、車の姿は点々とするのみ。需要とかけ離れた光景がそこには広がっている。

 そして、通商会議後半の協議が執り行われている今、その区画には多数の人影があった。二人を先頭に全員が武装状態で進行中のその集団は、此度オルキスタワーへの襲撃が予測されているテロリスト達の姿。現在彼らはオルキスタワー内へ侵入する為、地下の昇降機へと向かっていた。

 ふと先頭を走る二人が立ち止まり、後ろに続いていた同胞達へと振り返る。それぞれが仲間の無事を確認した後、先頭を走っていた二人の片方、帝国解放戦線のメンバーでもあるギデオンが、隣に立つ共和国のテロリスト、反移民政策派の幹部でもある男へ向けて口を開く。

 

 

「ここまでは概ね予定通りだ。これより奴の計画における唯一の穴……我らが退路に予定していた道を利用し、上空の襲撃を陽動として同時にオルキスタワー内へ奇襲をかける」

 

 

「大したものだ。我らの動きを完璧に予測した紅の剣聖といい、その紅の剣聖の動きを利用した貴様といい……上空へ向かった彼らには、何とか紅の剣聖を振り切ってもらいたいものだ」

 

 

「フン、上手くいけばいいがな……」

 

 

 会話を行うテロリスト達の最後尾、彼らとは纏う武装が異なる二人の男のうち一人が嘲笑気味に呟く。その二人はどうやらテロリストに加担している猟兵のようで、目的地を前に笑みを浮かべるギデオン達とは違い、何処か警戒した様子で周囲を見渡していた。

 そして、彼らがオルキスタワーへ侵入するべく侵攻を再開しようとしたその時。猟兵達の危惧していた事が、見事に的中した。

 

 

————あっはははは! あんた達、本当にグラン兄の事出し抜けたと思ってるんだ————

 

 

「誰だ……!?」

 

 

 突然地下へと響き渡った少女の声。思いもよらない事態にギデオン達は驚きつつもそれぞれ陣形を整え、声の聞こえた後方へ向けて振り返る。彼らは視線の先、通路の影から現れた武装集団の姿をその目に捉えた。

 テロリスト達の前には、突如現れた集団の先頭に立つ二人の人物が立ちはだかる。赤い星座のメンバー、シャーリィ=オルランドと、シグムント=オルランドの姿がそこにはあった。

 

 

「こんにちは、オジサン」

 

 

「なるほど。蜥蜴が紛れているとは聞いていたが、竜の連中か」

 

 

 テロリスト達の前に現れたシグムントは、彼らの傍に控えている二人の猟兵を視界に捉え、笑みをこぼす。シャーリィもその姿に気付き、笑みを浮かべるその視線に鋭さを増した。

 対して、二人の姿を前に猟兵の二人は苦しい表情だ。テロリスト達の顔も、徐々に険しいものへと変わっていく。

 

 

「赤い星座……」

 

 

「チッ……読まれていたか」

 

 

「な、何故だ!? 何故赤い星座がここにいる!?」

 

 

「同志G、これは一体……」

 

 

「いや、有り得ない。紅の剣聖は彼らと敵対している、協力関係を築くなど……まさか、あの男の差し金か?」

 

 

 テロリスト達が次々と取り乱す中、ギデオンは焦燥に駆られつつも冷静に事態を分析する。此度の事態が、抹殺対象である帝国政府宰相ギリアス=オズボーンによるものだと。だがそれを知ったところで、対策が打てるわけでもこの事態を収束出来るわけでもない。一騎当千の実力を持つと知られる赤い星座の一部隊、それも大隊長や副団長クラスまで揃っては、彼らの突破は絶望的と言えた。

 漸く自らの手で鉄槌を下せるところだった。それを、このような不測の事態で失敗に終わってしまった。紅の剣聖への対処に目を奪われていた時点で自分達は敗北していたのだと、ギデオンは悔しさをその顔に滲ませる。

 

 

「紅の剣聖を欺いただけではまだ足りぬという事か……!」

 

 

「ああ、それそれ。オジサン達、本当にグラン兄の考え読み切れたと思ってる? それ勘違いだよ」

 

 

「何……?」

 

 

 堪らず口にこぼした後悔の念に対するシャーリィの指摘。これには、ギデオンもその表情を怪訝なものへと変えた。紅の剣聖が作成したとされる襲撃予想図、それを逆手に取った作戦は完璧なものだった。現に今も、赤い星座による妨害が入らなければ自分達はオルキスタワーへ侵入可能だ。この娘は何を言っているんだと、ギデオンもその真意を汲み取れずにいる。

 しかし、猟兵である協力者の二人は違った。彼らは、そもそも何故赤い星座がこのタイミングで自分達の前に現れたのかという点に疑問符を置いている。そう、ギデオン達はこれからオルキスタワーへ襲撃を行うところだ。未だ事を起こしていない彼らの元へ、赤い星座の横槍が入るというのは何かがおかしいと。そして先程のシャーリィの物言いを思い返したその時、猟兵達は事の顛末を察する。

 

 

「そういう事か。どこまでも用意周到な男だ……いや、まさか貴様達も————」

 

 

———ええ。恥ずかしながら、お考えの通りですよ———

 

 

 猟兵の一人が顛末を口にしかけた矢先、突如として男の声が響く。直後、テロリスト達が向かう筈だった方向から赤い星座とは別の勢力が現れる。武術に用いる法着を身に纏う複数人の集団に加えて、黒装束を纏う人物が一人。そしてその先頭には、彼らを束ねる眼鏡をかけた男。先の声の正体でもある、ツァオ =リー率いる黒月(ヘイユエ)の集団だ。

 ツァオの登場に驚きを見せたのは、ギデオン達帝国解放戦線ではなく共和国のテロリスト達だった。反移民政策派である彼らはツァオの姿を視界に捉え、その身を引いた。

 

 

「ツァオ=リー!? 黒月(ヘイユエ)の連中が何故ここに!?」

 

 

「あっちはまさか、東方人街の魔人か!?」

 

 

「何故と言われましても……我々も彼の口車に乗せられたという訳でして」

 

 

 どういう事だと、やれやれと話すツァオの理由に怪訝な表情を浮かべる共和国のテロリスト達。ツァオの話し方からすると、黒月(ヘイユエ)の彼らも赤い星座と同様、何者かによる誘導があって現場に居合わせたという事になる。

 赤い星座と黒月(ヘイユエ)、敵対する二つの勢力の同時利用。どちらも容易く動かせるような組織ではない。そのような事を可能にする存在が、果たして本当にいるのか。テロリスト達は依然、現状に対して信じられないといった反応だ。

 しかし、テロリスト達の一人、帝国解放戦線のギデオンは今までの会話を思い返してふと気付いた。自分達がこの場にいる事、赤い星座や黒月(ヘイユエ)とこの場で居合わせた事、これらの流れを可能にする、一人の人物を。

 

 

「まさか、こちらへ情報が流れたのは紅の剣聖による故意だったというのか? いや、そんなはずは無い。だが、情報が漏洩し、我々が逃走ルートの穴を見つける事までも予見していたというならば……それは最早読みなどでは無い、未来予知の領域だぞ!?」

 

 

「噂には聞いていたが、これが奴の”戦場読み”か」

 

 

「”策を講じず、五倍の戦力で上回れ”……紅の剣聖とやり合った連中の戯言も、強ち嘘ではなかったという訳か」

 

 

 事の真意に思い至り、驚きを隠せず動揺を露わにするギデオン。テロリストの彼らに協力している猟兵の二人も同様の見解なのか、苦虫を噛み潰したような表情でその視線に鋭さを増す。

 一方で、利用された立場であるツァオとシグムント達はその表情に笑みをこぼしながら、テロリスト達を間に挟んで視線を通わせた。

 

 

「使える者は何でも使う。いやはや、彼の合理性には驚かされます。本当に、何処かの誰かさんにそっくりですねぇ」

 

 

「フ……本来のあいつは俺ですら測りきれん合理性の塊だ。だが余り褒めてやるな、あの馬鹿が聞いたらつけ上がる」

 

 

「あっはは、とか言ってパパも嬉しいくせに〜」

 

 

「御三方共、お戯れはその辺りで」

 

 

 楽しげに交わす三者の会話に、控えていたガレスの忠言が入った。流石に雑談が過ぎたと、彼の声を機にそろそろ仕事へ取り掛かるかと、それぞれが武器を手に、或いは拳を手に叩きつける。

 

 

「まぁ今回はグラン兄が相手だったし無理もないかな。じゃ、オジサン達も諦めてね?」

 

 

「くっ、紅の剣聖がこれ程までとは……!?」

 

 

 シャーリィの合図と同時に、控えていた赤い星座の団員達五人が帝国解放戦線へ向け、アサルトライフルの銃口を光らせた。それに対してギデオン達四人も慌てて自らの持つ銃器を身構えるが、その身はジリジリと後方へ身動ぎしている。猟兵である二人も赤い星座の部隊を脅威と判断してギデオンへ加勢するが、それでもシグムントとシャーリィを含めた七人に対し、彼らは合計で六人。各人の実力を考慮すれば、戦況は見るに明らかなものだった。

 

 

「それでは……我々の八つ当たりを受けて頂きます」

 

 

「ぐっ……!?」

 

 

 ツァオの構えを合図に、黒月(ヘイユエ)の部下達や黒装束の男も彼同様に反移民政策派のテロリスト達へ向け、その身を構えた。対して共和国のテロリスト達も武器を構え、応戦の姿勢を見せる。数は双方六人と互角だが、やはりテロリストはツァオ達の闘気に気圧され、その身を強張らせていた。

 そして、事態を見詰めていたシグムントはテロリスト達へ向け、最後の通告を行う。

 

 

「さて————帝国の貴様らは全員、女神(エイドス)行きだ」

 

 

 直後、オルキスタワー地下駐車場の一画は、六人の赤い血で染められた。

 




???「とまるんじゃねぇぞ……」


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紅の由来

 

 

 

「———何ですと!?」

 

 

 オルキスタワー三十五階、国際会議場。その中で、驚きを露わに立ち上がるヘンリーの声が響き渡る。彼についてよく知る周囲からは温厚な性格で知られ、見た目からもその優しさが伝わる老人の浮かべる現在の表情は険しい。何とか怒りを堪えているといった様子で、彼は厳しい視線を一人の人物へと向けていた。

 ヘンリーの怒りに触れる原因となったのは、ギリアス=オズボーン帝国宰相の放ったある発言へと起因する。それは、クロスベルの治安維持に対する不安、そしてそれを解決する為の方法として彼が告げた、とある手段だった。

 

 

「今、何と仰ったか! 申し訳ないが今一度、繰り返していただきたい」

 

 

「お望みとあらば何度でも。無能なクロスベル警備隊は即時解体し、クロスベルには他国の治安維持部隊を駐留させる。それが、最も建設的かつ現実的だと申し上げた」

 

 

 発言の確認を受け、改めてオズボーンが放ったクロスベルの治安維持改善策。クロスベルの立場を蔑ろにしたとも取れるその提案には、ヘンリーも険しい表情を崩さず。ディーターは瞳を伏せ、静かに聞き届けるその姿からは心境を察せない。

 他国の戦力によるクロスベルの治安維持。クロスベルの保有する治安維持組織の脆弱性を指摘した事で発展したその提案は、全くの根拠がないという話ではない。より確実な安全性を求めるのであれば、自治州の保有する小規模な戦力よりも、大国の持つ大きな戦力を頼る方が効率的だと考えるのも一理あるだろう。しかし、他国の軍を派遣という事はつまり、クロスベルへの直接の武力介入を意味する。それには当然、国家間の問題が付き纏う事になる。平和的、とは言い難いその提案には、会議に参加しているクローディアもその視線に鋭さを増した。

 

 

「お待ち下さい! 宰相閣下は、不戦条約の条項をお忘れではありませんか……!?」

 

 

「ああ……クロスベル問題に対し、武力による解決を図らないよう努める、ですか。今回の提案は別に侵略を意味しているわけではありません。治安維持組織そのものが、たかだか宗教団体一つ如きで崩壊しかけたというのがそもそもの問題……民間人を危機に陥れるそのような無能な集団は、解体すべきだと言いたいのです」

 

 

「っ!?」

 

 

「実際、クロスベル警備隊の持つ自衛能力など、帝国軍、或いは共和国軍にとっては存在しないに等しい。どれだけ高性能な装甲車を揃えようと、戦車の前では紙切れ同然。そんなものに高額な維持費を費やすぐらいなら、他国の治安維持部隊に安全保障を委ねる……それが、”自治州”如きには一番効率的な在り方でしょう」

 

 

「些か乱暴すぎる意見と思いますが……」

 

 

 クローディアの指摘も躱し、オズボーンは辛辣な意見を理路整然とした考えで語る。レミフェリア公国の代表として参加しているアルバートからは苦言が漏れるが、彼の提案は現状の不安定なクロスベルに対する対策として、現実的なものである事は否定出来ない。それがどれだけ強引な手段であろうとも、否定材料無くして反論の余地は無い。

 ただ、仮にクロスベルの治安維持を他国の軍が担うとして、問題はどの国がクロスベルへ軍隊を派遣するのかという事になる。話の流れから事を察するのは簡単だが、その通りになってしまえばオズボーンの思い通りに事は運ぶ。させるわけにはいかないと、牽制の意味も込めてオリヴァルトが隣にいる彼を横目に腕を組んだ。

 

 

「その他国の治安維持部隊というのは何処を指しているのかな? まさか貴方ともあろう人が、歴史的経緯を推し量らずに”帝国軍”などと言わないだろうね?」

 

 

「ハハ、そうは申しておりません。ですが、過去の事を水に流してでも協力すべきだとは思います……それが、西ゼムリア大陸の平和と発展に繋がるのであれば」

 

 

 協力、と言えば聞こえの良い今回の駐留案。結局のところは武力による介入であり、捉え方によっては軍事侵攻とも取れる采配だ。クロスベルの隣国は帝国と共和国、現実的な話として他国の治安維持部隊を派遣するとなると、この二カ国が候補に挙がる。グランの言っていた通りに会議の場が運んでいる現状には、オリヴァルトやクローディアの表情も渋い。異を唱えても、そこに提案を覆すだけの確かな理由や根拠、代わりとなる代替案が無ければ反論も続かない。クロスベル側からも反撃の無い今、このまま会議が進めばオズボーンの提案は現実的なものとなる。

 しかし、彼の提案には意外な人物からも否定的な意見があった。

 

 

「私も、宰相閣下の意見は少し強引に思えますな」

 

 

 一連の流れを聞いていたロックスミスが、オズボーンの提案に異を唱える。

 

 

「しかし、クロスベル警備隊が軍にもなりきれない中途半端な組織であるというのも分かります……実は先刻、その事で紅の剣聖殿と会話をする機会がありましてな」

 

 

「今回宰相殿の護衛をしていた……私も一度だけ会った事がありますが、あの若さで驚くほどの聡明さでしたな」

 

 

「大公閣下も彼の事をご存知で! いや、この西ゼムリアの各国を担う者であれば知らないはずはありませんか」

 

 

 愚問だったと、ロックスミスはアルバートの発言に対して反応を見せた直後に瞳を伏せる。この場に参席している者なら必ず知っているであろう彼を、今更説明する必要も無いと。それだけ、紅の剣聖という存在の認知度は首脳クラスの間では比較的高い。その地位の人物を主に護衛対象として仕事を行なってきたというのも理由の一つではあるが。

 

 

「私も以前から友好的な関係を築いているのですが、こと安全という面において彼以上の信頼を預けられる人物は、この大陸を探してもそうはいません。そして、その休憩の際に気になった事を一つ彼へ聞いてみたのです……現状における、クロスベルの治安維持問題について」

 

 

 ここで出して来たかと、オリヴァルトとクローディアは横目で視線を通わせる。休憩時間にグランがロックスミスとの対話で尋ねられたというクロスベルに対する自衛能力の有無。オリヴァルト達が聞いた限りでは、現状のクロスベルにおける自衛能力に対して彼の意見は厳しいものだった。宗主国である二カ国によって設けられた様々な制約下で自治を行うクロスベルでは、現状で尽くす事の出来る手段に限りがある。その様な状況下での解決策は、彼も提示出来なかった。

 しかし、ロックスミスが語るグランとの対話内容は、彼らが事前に話を聞いていたものと異なる。

 

 

「結論から言うと……クロスベル警備隊では、いずれまた民間人の安全を脅かす。自衛能力が著しく欠如している以上、周辺国に協力を仰いで治安維持を行うのが現実的だ。というのが紅の剣聖殿から返ってきた答えでした」

 

 

「待って下さい! 私も休憩時間に彼と同様の話題を話す機会がありましたが、そこまで具体的な事は……」

 

 

「王太女殿下もお聞きになられていましたか。このような言い方は失礼ですが……殿下はまだお若く、女性でもある。心優しく可憐な殿下へは、彼も不安を煽らないよう具体的な内容を話す事を憚ったのでしょうな」

 

 

「そ、そんな事は……」

 

 

「大統領。紅の剣聖殿の発言を曲解している、という事はないだろうか。彼が貴方ほどの人物に、政策に対する具体案を提示するとは思えないのだが」

 

 

「皇子殿下、曲解などそのような事は決して。クロスベルの現状を心配する余り、彼も意見せざるを得なかったのでしょう」

 

 

 オリヴァルト達の話す通り、グランは現状に対する現実的な具体案など一言も言っていない。だが、実際に彼と対話を行なったロックスミス本人、或いはグラン本人にしか本当の事は分からない。グランに事の確認が出来ない以上、この場ではロックスミスの話す内容がそのままグランの語った意見という事になる。

 とはいえ、流石にそれらを全て鵜呑みにする程この場に参席している者達は安易に考えない。実際に当人の口から語られなければ、その発言内容が本当に話した内容であるのか信用に値するとは言い難い。非公式であれば尚のこと。しかしそれは、共通の内容を知る第三者がいれば別の話になる。

 

 

「私の方でも、大統領閣下と同様の意見を彼の口から聞きましたな」

 

 

「宰相閣下もお聞きになられましたか! いやはや、非公式での話とはいえ、こと安全保障に関わる問題において紅の剣聖殿の意見は無視出来るものではありません。その点については、ディーター市長とヘンリー議長の御二方にもご理解頂きたい」

 

 

 オズボーンがロックスミスの発言を肯定する事で、グランの発言が確かなものである事の証明を行えるわけだ。こういった流れにだけはしたくなかったと、オリヴァルトとクローディアもその顔には陰りが見える。ヘンリーやアルバートの表情も渋く、ディーターは未だ静かに話を聞き届けているが、内心は彼らと同様だろう。安全保障に関わる事項として、この場にいる者達にとってもグランの発言はそれなりの価値があるというのは共通認識なのか、その点について指摘する者はいなかった。ただ、先程クローディアの若さを指摘したロックスミスが、彼女よりも更に年齢が下のグランの意見を持ち出したというのは実に都合のいい話ではあるが。

 そして、話は先の提案へと戻る。

 

 

「そこで、先程宰相閣下がご提案された件についてですが……警備隊の規模を大幅に縮小し、代わりにベルガード門へ帝国軍、タングラム門へ共和国軍をそれぞれ駐留させる……というのはどうですかな? それならば、有事にも即座に駆けつける事が叶いましょう。紅の剣聖殿の意見を参考にした形ですが、これならば彼が危惧しているクロスベルの安全性も保証出来るかと」

 

 

 ロックスミスから提案された、今回の問題提起に対する対策案。帝国と共和国が宗主国を担う中で、帝国側に配慮しつつ、共和国としても一歩踏み入る形となるその内容に、周りの表情は決して思わしくない。何故なら、その提案にはクロスベルに対する配慮というものが一切欠けている。具体的な対策に乗り出したクロスベルの今後を見守っていきたいスタンスのオリヴァルトを含むリベール、レミフェリア側としては、安全保障に関する内容についてもクロスベルに一任したいというのが本音だ。帝国と共和国の圧力が増すその対策案には否定的な見解を示している事が、彼らの表情からも推測出来た。

 しかし、やはりと言うべきか、この人物は対策案に関心を示す。

 

 

「なる程、検討に値するかと。流石は大統領閣下、野党の突き上げを捌きつつ政権運営を担われているだけの事はありますな」

 

 

「いやいや、宰相閣下こそ頑迷な貴族勢力を抑えながら改革をなされている。貴方に比べれば私など」

 

 

「いい加減にしたまえ。この場は二国だけの会談の場では無いぞ」

 

 

 他者の介入する余地すら無い二人のやり取りには、流石のオリヴァルトも苦言を呈す。まるで事前に示し合わせたかの様に帝国と共和国主体で流れる会議の進行具合は、最早突っ込む気力すら周りには無かった。

 

 

「さて、議論は斯様な方向へと流れたわけですが……御二方の意見はどうかな?」

 

 

 口角を吊り上げ、オズボーンはクロスベル代表の二人へとその視線を移す。ヘンリーは提案を突き返すだけの手段を持ち合わせていないのか、反論する事も具体的な代替案を提示する事もなく苦しい表情で唸った。

 しかし、一連の流れを静かに聞き続けていたディーターは違う。彼は不意にその場を立ち上がると、参席する代表達の顔を見渡した。

 

 

「今この場で語られているクロスベルの安全保障の件について、私の方から一つ提案させて頂きたい事があります。それは———」

 

 

 二カ国への反撃として、彼が用意していた策。それを口にしようとした、その矢先。

 

 

「———方々、下がられよ!」

 

 

 会議の見届け役として、ディーター達の後ろに控えていたアリオスが唐突に叫ぶ。彼の声に一同が視線を向けたその時、プロペラが空を切る飛行音を伴ってガラス張りの向こう側には二隻の飛行艇が突如姿を現した。

 現れた二隻の飛行艇は装備された双銃を用い、国際会議場目掛けて突然銃の一斉掃射を行なった。鳴り響く銃器の発射音、一面ガラス張りの壁はけたたましい音を伴って次々と亀裂が発生する。流石は有事に備えた設備か、十数秒の銃乱射に強化ガラスは耐え、場内に弾丸が侵入する事はなかった。参席者全員が対面まで避難し、一同が険しい表情で現れた飛行艇を見据える。

 そんな彼らの視線に気付いたか。事の当事者である男達は場内アナウンスの支配を乗っ取り、スピーカー越しに名乗り始めた。

 

 

———会議に出席されている方々、我々は帝国解放戦線である———

 

 

———同じく、カルバードの古き伝統を守る為に立ち上がった反移民政策派の者だ———

 

 

———この度、我々は互いの憎むべき怨敵を討ち取らんが為、協力する運びとなった……覚悟してもらおう! 鉄血宰相ギリアス=オズボーン!———

 

 

———ロックスミス大統領……共和国の未来の為、貴方にはここで退場して頂く!———

 

 

「ふん、話にならん」

 

 

「愚かな……」

 

 

 テロリスト達に名指しされた二人は彼らの目的を聞き、呆れた様子で瞳を伏せる。自らが命を狙われている割りには、その表情は至って冷静だった。大国を率いる立場に立つ者の豪胆さか、或いはこの様な事態になるのを確信した上で必ず乗り切れるという自信から来る余裕か。どちらにせよ、現状は二人の元へ危険が迫りつつあるというのは変わらない。それは、同席する他の代表達にも言える事ではあるが。

 テロリストの宣告が終わり、飛行艇がタワーの屋上へ向けて飛空を開始する。そんな中、オズボーンの傍に控える帝国政府書記官のレクターは、普段の飄々とした姿とは違い、緊張の面持ちで飛行艇の消えたガラスの向こう側を見詰めていた。

 

 

「しかし、チョイとまずいな……って、肝心な時にウチの護衛がいねぇんだが」

 

 

 周囲を見渡し、クロスベル警察の人間や他国の代表達の護衛が集結する姿を確認しながら。真っ先に自分達の元へ来なければいけないはずのグランの姿が見当たらない事に一人、肩を落とすのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 オルキスタワー地下に位置する広大な駐車場区画。その一画に、人だったモノの肉塊が六つ、血溜まりの中で散乱している。空間を漂う濃厚な鉄の匂い、直視すら躊躇われる惨状が、そこには広がっていた。帝国の未来の為、鉄血宰相を亡き者にすると誓った四つの意志は、無残にもこの場で砕け散る。彼らに加担した猟兵二人もまた同罪とされ、同様に女神の元へと旅立った。

 そんな惨状を生み出した張本人でもある赤い星座の隊員達は、構えていた銃器を下ろしてその場を振り返る。彼らの視線の先では指示を出したであろうシャーリィとシグムントの二人が、作り出した惨状を前に佇んでいた。その表情には笑みすら見え、テロリスト達の抵抗などあってなかったようなものという余裕が窺える。

 

 

「ニーズヘッグの二人は兎も角、他は思ってたよりも退屈だったかな」

 

 

「フ、あの程度の連中に食い下がる気概を求めるのは酷だろう」

 

 

 あろう事か退屈とまで言い放ったシャーリィの発言。シグムントも言葉選びにこそ違いはあるが、彼女と同様の意見であろう事は言うまでもない。猟兵である以上、この様な事が日常茶飯事の彼らにとって、目の前に広がる凄惨な光景は気に留めるほどの事でもなかった。その惨状を自らが作り出した以上当たり前ではあるが。

 一方で、共和国のテロリスト六人を生け捕りという形で拘束したツァオ達は、自分達とは真逆の展開を迎えた帝国のテロリストだったモノへ視線を向けて苦笑気味だ。

 

 

「相変わらず容赦の無い。あなた方を相手にしたテロリスト達が可哀想ですね」

 

 

「皆殺しか……彼らに同情の余地は無いがな」

 

 

 ツァオの隣では、黒装束の男が冷たく言い放つ。確かにテロリストなどという存在に同情の余地は無いが、赤い星座の作り出した光景に動揺の色一つ見せないところを見ると、彼らもまたこの光景を見慣れているという事だろう。存在する経緯は違えど、根本的には同じ様な存在なのかもしれない。

 ツァオ達の声に振り向いた赤い星座は、互いに仕事の最中という事もあり交戦の意思は無かった。ただ、シャーリィは先の戦闘中に一人気になる事があったようで、その視線を黒装束の男へ向ける。

 

 

「ずっと興味があったんだよね……確か(イン)だっけ。さっきから思ってたんだけど、その覆面外したら?」

 

 

 唐突にシャーリィが口にしたそれは、正体を見せろという意味にしか取れない発言。無論その言葉で男が覆面を脱ぐ事は無いが、そもそもシャーリィの言葉はそういった意図では無かった。

 

 

「何か身体の使い方も妙だしさ……普通にしてた方が強いんじゃない?」

 

 

「ほほう……」

 

 

 シャーリィの指摘には、(イン)と呼ばれた男も覆面越しに少し驚いた様子で、その隣に立つツァオもまた、彼女の言葉に興味のある素振りで(イン)へ視線を移す。彼の視線を受けて余計な事を言ってくれたといった様子の(イン)。そしてその感情に気付いたというわけでは無いが、シグムントは自身の娘の発言が不粋だったと詫びを入れた。

 

 

「フフ。親馬鹿と言われるかもしれんが、こいつの見る目は確かでな。気に障ったのなら謝ろう」

 

 

「……別に」

 

 

———こちら屋上、紅の剣聖の姿を確認した。これより交戦する……本隊の健闘を祈る……!———

 

 

 彼らが雑談を交わす中で、突然地下に響いた通信機越しの声。発信源は一同が向けた視線の先、ツァオ達に拘束されている共和国のテロリスト達の懐からだ。屋上へ向かった同胞達の激励には、誰も応えること叶わず。ロープに縛られた身体を捩らせながら、六人は悔しげに悪態をつく。

 虚しく消えさった通信に反応したのは、テロリストの彼らだけでは無かった。(イン)に好奇心の目を向けていたシャーリィもまた、先の通信で何やら思う事があるらしく。

 

 

「うーん、ランディ兄の方は大丈夫かなぁ?」

 

 

「ランドルフ様、ですか?」

 

 

「いや、だってあの腑抜けてたランディ兄だよ? グラン兄は私達以上に敵に容赦無かったからさぁ。結果的には同じでも、こっちはまだ身体が繋がってる分マシだし……というか人間の首ってあんなに綺麗に飛ぶもんなのって感じだよね。あのお兄さん達も引かなきゃいいけど」

 

 

「長期休暇の奴にはいい薬だろう。他の者達には……少々刺激が強いかもしれんがな」

 

 

 ケラケラと笑うシャーリィに、シグムントもその口元をニヤリと曲げる。二人の懸念通り、と言っても心配しているわけでは無いだろうが、その予感は見事に的中することとなる。

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

———何故目を離した! クソ、今更何を言っても遅い。お前達はそのまま奴の後を追え!——

 

 

 オルキスタワー内の昇降機にて。飛行艇を用いたテロリストによる襲撃の直後、遊撃隊としてタワー内部を警戒していたロイド達特務支援課は現在、グランが応戦しているであろう屋上へと向かっていた。

 グランの予見通り、彼が屋上へ向かって数分と待たずにテロリストによるオルキスタワー襲撃が行われた。まるで未来予知だとロイド達がその事に驚いたのは勿論だが、それ以上に彼らが驚いたのはオルキスタワー内で起きた異変だ。

 各階に備えられた緊急用の自動シャッターが突如機能し、国際会議場とその下階の警備隊が控えるフロアがそれぞれ孤立してしまった。警備隊の一個中隊はテロリストの迎撃に向かえず、仮にテロリスト達が国際会議場へ辿り着いた場合、対処可能な手数は遊撃士のアリオスにクロスベル警察の一部、各国代表の護衛のみ。とは言っても、先手としてグランが既に屋上へ向かっている為、暫くはそこで膠着状態となる可能性もあるが。

 そして幸運な事に、ロイド達が見回っていた国際会議場の上階フロアは自動シャッターの作動を逃れ、昇降機を使用する事が出来た。ならば向かう場所は一つだと、グランの応援に駆けつけるべく屋上を目指しているというわけだ。

 ただ、彼らが行動に移す直前にダドリーからの通信で知らされた代表達の無事と、自分達が伝えた内容に対する彼の反応には、ロイド達も首を傾げていた。

 

 

「どうして、ダドリーさんはあんなに焦っていたんだ?」

 

 

「グラン君に任せるのが不安そうな感じだったけど……」

 

 

「あの子の実力は確認してますし……まぁ、確かに一人で複数のテロリストを相手にしているというのは心配ですけど」

 

 

 ロイドの疑問に続く形でエリィとノエルが話す中、昇降機はひたすら屋上へと上っていく。

 宰相と大統領の殺害が目的ならば、テロリスト達の数は複数、それも二、三人のような少数ではないはずだ。多数のテロリスト相手に一人で立ち回る以上、幾らグランの実力を把握していたとしても心配になってしまうのは仕方がないだろう。ただ、それがもしそういった意味での心配事であればの話だが。

 

 

「いや、心配しているのはむしろ———」

 

 

 ロイド達とは別の、恐らくはダドリーと同様の懸念をしているランディの声は、昇降機の到着音によって掻き消される。彼らは扉の開閉と同時に昇降機を飛び出し、屋上へ続く階段のドアノブに手を掛けた。

 ドアの先はタワーの壁に沿う形で階段が昇り、彼らは静かな空気に違和感を覚えながらも階段を駆け上がる。そして屋上に辿り着いた特務支援課は、二隻の飛行艇をその視界に捕捉した。

 

 

「どうやら無事にテロリストを拘束しているみたいだけど」

 

 

 ワジの声の先、片方の飛行艇の傍にはテロリストと思われる二人の男がロープによって拘束されていた。心配は無用だったかと安堵する中、屋上を吹き抜けた一陣の風が一際濃い鉄の匂いを彼らの鼻元へ運び込んだ。

 風が運んだ匂いの元、もう一方の飛行艇の影へ視線を向けたティオは、その光景に唖然とする。

 

 

「ぁ……」

 

 

「ティオ、どうしたんだ———っ!?」

 

 

 ティオの様子に、異変を感じたロイド達が向けた彼女の視線の先。一同はそこで、異様な光景を目に焼き付ける。

 そこには、赤い水溜りの上で無残に転がる四つの顔があった。そう———ただの死体ではなく、胴体の無い頭部のみ(・・・・・)がそこに。

 

 

「ひ、酷い……」

 

 

「そんな、どうして……!」

 

 

 その余りにも悲惨な光景を前に、エリィとノエルは顔を歪め、言葉を失っていた。ロイドはティオの視界を遮る形で前に立ち、ワジは表情こそ静かなものの、その視線は鋭利な刃物の如く鋭い。

 そして、恐らくはこの惨状を生み出した本人……グランが飛行艇の死角からその姿を現す。彼は近くに転がる目を見開いた四つの頭を見下ろした後、表情を変える事なく視線を移し、ロイド達の姿を視界に捉えた。

 

 

「皆さんも来たんですか……此方は問題ありません。予想よりも数は多かったですが———」

 

 

「問題無いわけねぇだろ!」

 

 

 突如、グランの声を遮るように屋上一帯へランディの怒号が広がる。彼はその場を駆け出し、直ぐにグランの元へ接近するとその襟元を掴んで引き寄せた。

 

 

「何でだ……何でこいつらを殺しやがった!?」

 

 

「何で? ランディ兄さんもおかしな事を。貴方なら分かるでしょう。任務の障害となる存在は、例外無く排除する……生け捕りが依頼内容に含まれていれば、話は別ですが」

 

 

「俺が言ってんのはそういう事じゃねぇ! この程度のテロリスト、お前なら殺さずに無力化出来ただろうがっ!?」

 

 

 ランディがグランに怒りを向けている理由は、ただ殺したという点だけに向けられているわけでは無い。

 実力の拮抗した者同士であれば、闘いの結末はどちらかの命の消失をもって迎える事も少なくないだろう。結果が同じでも、過程に違いがあれば彼もここまで怒りを露わにする事は無かった。元はといえば、宰相や大統領の命を狙ったテロリストの自業自得だ。生け捕りが望ましい結果とはいえ、対峙するグランにも命の危険がある以上、命の駆け引きが発生してしまうのは仕方の無いことである。

 だが、今回は違う。人数の優劣はあれど、その点を考慮した上でグランに分があることをランディは理解している。であれば、当然グラン本人も理解しているはずだ。現に今も、二人のテロリストは生存した状態で拘束されている。仮にも猟兵の中で最強の一角と噂されるグランの実力をもってすれば、無残な死を遂げた四人のテロリストも生存したまま拘束可能だったはずなのだ。

 

 

「確かに、一般的にはその言い分の方が正しい意見でしょう。奪わずに済むなら越した事はない。猟兵から身を引いた今のランディ兄さんなら、その考えに至って当然です。そこを否定するつもりもありません」

 

 

「なら、どうして———」

 

 

 分かっていて何故殺したのかと、ランディが口にしようとした矢先。グランの瞳は一際紅く煌いた。その視線は豪然たる意志の強さを現すかの如く、ランディの瞳を貫く。

 

 

「言ったでしょう、任務の障害は例外無く排除すると。これがオレのやり方であり、猟兵としての流儀です。仮にも猟兵から逃げた貴方がそのやり方に異を唱えるんだ———それなりの覚悟はあるんだろうな?」

 

 

「———っ!?」

 

 

 視線を向けられたランディに留まらず、彼の後方にいる支援課のメンバー全員をも貫きそうな程の錯覚を生むグランの決意に、ランディもその身を竦ませる。

 グランが赤い星座にいた頃、その容赦の無さは有名で、ランディも当然知っていた。しかしある悲劇を境に赤い星座を辞めた彼なら、自分と同じくその道を後悔しているのだと、非道な行いはしないものだと信じていた。大切なものを失う悲しみを知った彼が、誰かの命を奪う事とその命を天秤にかけられない事を知っているはずの彼が、容易く他者の命を刈り取るような事をするはずが無いと。

 しかし、それは間違いだった。失うことの悲しみを、命の重さを知った上で、彼は猟兵としての流儀を全うしている。その覚悟に対抗するだけの決意が、意志が今のランディには無かった。結局は返す言葉無く、その手をグランに振り払われる。

 そんな二人の一部始終と、その背後に広がる惨状を視界に。ティオはある話を思い出し、同時に後悔した。

 

 

「私が、あの噂を皆さんに話していれば……」

 

 

「噂……そう言えば、そんな事を言っていたな」

 

 

「どんな噂だったの?」

 

 

「エプスタイン財団の人間が、製品を輸送中に起きた出来事です。その情報を何処からか入手した賊の一味が、製品の強奪を目的に襲撃を行なって……盗賊は少数だった為、その時護衛をしていたグランハルトさん一人で難なく対処を行い、幸い襲われた彼らにも怪我人はいませんでした」

 

 

 ロイドとエリィに話を振られる形で行われたティオによるグランの噂話。彼が請け負った任務中に遭遇した盗賊の撃退時、当時の現場の様子が噂にてこう語られていた。

 

 

「ですが、事が収まった光景は———襲撃犯の盗賊達全員が、血の海の中で横たわった、無惨なものだったと……結局、首が繋がった者は一人もいなかったとの事です」

 

 

 それはまさに、今彼らの目の前に広がる光景と同じもの。彼に配慮せず、その話を事前に伝えていればとティオは申し訳なさで押し黙る。その話をしていたところで、今回の事を未然に防げたかどうかは疑問だが。

 一方で、ワジはランディの手を振り払って彼の眼前に立ち塞がるグランを視界に、とある事を呟いた。

 

 

「鮮血の如き髪を棚引かせ、その瞳は同色の血を求めているかの如く煌きを放つ。咎人の首を刈るは、常闇に浮かぶ無情の紅い月———漸く思い出したよ、彼が紅の剣聖と呼ばれる由来」

 

 

 今自分達が目にした光景は、まさにその由来通りのものだと。これまで触れ合ってきたグランハルトという少年と、紅の剣聖グランハルトという猟兵の姿を重ねる。その異質さには、ロイド達もただその場に立ち尽くす事しか出来なかった。




???「首ぃおいてけ〜」


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決意

 

 

 

「そうか……ご苦労だった」

 

 

 通信機からの報告を聞き終え、ディーターは耳に当てがっていたそれを懐へ収める。ため息を吐くその表情は決して思わしくない。隣に立つヘンリーもまた、悩ましげに彼の姿を見詰めている。

 そんな二人の周囲では、護衛を傍に各代表達が険しい顔で状況の進展を待つ。飛行艇によるテロリストの襲撃が訪れてから十分弱、そろそろ何かしらの事態の変化が起きてもいい頃合いだ。そしてまさに、ディーターが通信によって受けた報告がそれだった。

 

 

「皆様、一先ずご安心下さい。テロリスト達は無事に取り押さえられたようです」

 

 

 ディーターの告げた吉報に、各々が胸を撫で下ろす。しかし、彼の表情は依然として思わしくない。皆が護衛を控えたまま会場の座席へと戻る中、ヘンリーは一人その事を気にしていた。

 そして、直後に行われたディーターによる事の詳細説明によって、それは明らかとなる。

 

 

「先程の件について説明致します。飛行艇による襲撃犯達は紅の剣聖殿によって拘束、引き続き爆発物などの解体作業が彼によって執り行われているそうです……ただ」

 

 

「ただ?」

 

 

「共和国のテロリストと思われる二名は無事拘束に至りましたが……帝国のテロリストと思しき四名は、彼によって全員が斬殺されたようです」

 

 

 言葉を失う、とはまさにこの事だった。ディーターの様子に首を傾げていたヘンリーを始め、オリヴァルトやクローディア、アルバートの表情は驚きに染まる。屋上で繰り広げられた余りにも慈悲の無いその行いには、皆も心を痛めている様だった。

 更に、間髪入れずディーターの報告は続く。

 

 

「また、同時刻に地下区画にて多数のテロリストの姿をクロスベル警察が確認しましたが、そちらは赤い星座という猟兵団と、黒月(ヘイユエ)なる貿易会社の人間によって対処されたようです。クロスベル警察が確認したところ、どちらとも帝国、共和国政府の委任状を所持していたとの事」

 

 

「まさか本当にネズミ一匹入れないとは、驚嘆に値する」

 

 

「彼らは我々の友人のようなものでしてな、身分は保証しますのでご安心を。いや、しかし流石はグラン君だ。我々への接近すら許さないとは」

 

 

 報告の最中、周囲の表情とは対照的にオズボーンとロックスミスは満足げに笑みをこぼしていた。グランの行いに対して称賛とも取れる発言を聞くに、他の者達との反応の違いは明らかだ。二人に浴びせられる視線は厳しい。

 そして、地下に侵入していたテロリスト達の顛末についてもアルバートから確認が入った。

 

 

「して、地下のテロリスト達はどのように……」

 

 

「そちらも報告が来ています。共和国のテロリストは黒月(ヘイユエ)にて連行……帝国のテロリスト達は、屋上と同様に全員、赤い星座による処刑が行われたとの事です」

 

 

「何たる事か」

 

 

 ディーターの口から告げられた顛末に、アルバートは苦渋の顔で俯いた。帝国政府によるテロリストへの所業は、何れも人道的とは言い難い対処だ。各国代表の身を危険に晒した者達と言えど、この一時で何人もの命が失われたとなると、彼らも悲観せざるを得ない。

 問題はそれだけでは無い。帝国側も、これらの行いが対外的にどの様な印象を受けるかは目に見えている。流石のオリヴァルトも隣のオズボーンに厳しい視線を向け、声を荒げた。

 

 

「宰相、これは一体どういう事だ!? 帝国政府が処刑を理由に、国外で猟兵団を運用しただと?」

 

 

「はい、確実を期すために。私は兎も角、皇子殿下の命までもを狙った罪は万死に値すると言わざるを得ません」

 

 

「くっ……グラン君は今、私が理事をする学院の生徒だぞ!? あろう事か、貴方は我が校の生徒に処刑を命じたのか!」

 

 

「私からそのような指示は出しておりません。ですが、彼ならば確実に我々の安全を保障してくれる。そう思った故に、対処の方法は彼へ一任しました。テロリストの背後にいる愚か者達への牽制にもなるでしょう」

 

 

「貴方という人は……!」

 

 

 紅の剣聖という人物は、任務の際に護衛対象の身を脅かす存在と敵対した場合、例外なく排除する事を決めている。これは会場にいる皆が周知している内容であり、紅の剣聖と呼ばれている所以でもある。しかし同時に、敵対者への処遇に条件を付ければ、彼がその通りに任務を遂行する事もまた周知の事実だ。猟兵の雇用を禁止しているリベール王国が、紅の剣聖の特別雇用を認めたのもそれがあったからである。

 今回の場合においても、処刑を前提で雇用した赤い星座は兎も角、現在は学生という立場でもあるグランに非人道的な指示を出せば国内外からの非難は確実だ。情報が漏れた際、帝国内でも名門と謳われるトールズ士官学院にも不名誉な烙印を押されかねない。だからこそ、オズボーンは敢えて帝国のテロリストに対する処遇について指示を出さなかった。帝国政府による指示でなければ、後は彼が勝手にやった事だ。その点に関与していない以上、帝国の立場からすれば何とでも言い訳が可能というわけである。おまけに共和国のテロリスト二名が生存しているという事は、国際的な問題を懸念してそちらはきっちりと指示を出しているという事だ。オリヴァルトの怒りも当然だろう。

 

 

「自治州法では、何れも公的執行権について認めざるを得ませんが……」

 

 

「だが、これは……余りに信義にもとるやり方ではありませんか!?」

 

 

 会議に参席する弁護士の男の言葉に続くように、ヘンリーは声を荒げてオズボーン、ロックスミスの両者へ向けて言い放つ。国外における犯罪組織や猟兵団の運用、警戒されるテロリストについての事前情報黙秘、更にはそのテロリストに対する扱いまでも。幾らクロスベルの地で帝国、共和国に一定の権利が約束されているとしても、これ程の暴挙を流石に黙っているわけにはいかない。クロスベル側からの非難は必至であり、他国からも同様の反応があって然るべきだ。

 

 

「おお、それは誤解です」

 

 

「ところで、私の方から一つ宜しいかな?」

 

 

 ロックスミスの弁明の後、オズボーンは右手を上げて注目を集めると、そばに控えていたレクターへ視線で合図を送る。彼が導力器を取り出して通信を繋げた後、扉が開くと隣の部屋からトワが姿を現した。少し元気の無い様子の彼女の両手には、複数枚を一つにまとめた書類の束が握られている。

 彼女は手に持った書類を各代表の前へ配り終えると、レクターと同様にオズボーンの後ろへと控えた。そして、一同の手に渡り終えた事を確認した彼は、自身もその書類を手に取ると説明を始める。

 

 

「これは、此度の通商会議が開催されるにあたり、紅の剣聖殿が独自に考案した警備の再編案です。同様の内容が記載されたものが、クロスベル側にだけ提出されていたようですが……ご存知ですかな?」

 

 

「報告は受けています……あらゆる事態を想定した結果、この案を元に警備配置の見直しを行なったはずです」

 

 

 書類を見詰めていたディーターは頷き、質問の真意を探る様にその視線をオズボーンへと向ける。ヘンリーも同様の視線を向けているが、彼は気にも止めていない様で、表情を変える事なく目を逸らした。

 一方で、他の代表達の反応は様々だった。

 

 

「これは驚いた! 襲撃の方法や経路に至るまで書かれ、尚且つその推測の殆どが今回の件と一致している」

 

 

「これが、グランさんが考案した……」

 

 

「これが噂に聞く彼の”戦場読み”か」

 

 

「これを何故我々に?」

 

 

「先程、これらがクロスベル側にだけ提出されていると話しましたが、それには理由があります。紅の剣聖殿が考案した再編案の人員には、遊撃士を含めたクロスベルの治安維持部隊のみしか記載がありません……つまり、現時点でのクロスベルの治安維持能力がどの程度信頼出来るものなのか、その証明にもなる」

 

 

 オズボーンの言葉に、クロスベル側の二人は僅かに表情を強張らせる。実際の所、クロスベル側がグランの提案した再編案を受理した訳ではないが、テロリストに関する情報を知った後、それを参考にして警備の配置を変えたのは事実だった。グランの再編案も少なからず影響している事から、オズボーンの話す様に今回の件が能力の証明となるのは確かだ。グランが事前にテロリストの襲撃を的確に予想し、彼らに知らせていた以上、クロスベル側にも有利な点はある。無論、言い逃れは出来ない。

 

 

「結果的に、先の襲撃は抑え込めたものの……彼はクロスベルの戦力のみと警備案に縛りを設けながら、実際には我々の用意していた戦力を頼らざるを得なかった。紅の剣聖程の人物をもってしても、クロスベルだけでは確かな安全を保障出来なかった……そう言えますな」

 

 

「なる程。要人警護において驚異的な任務達成率を誇る彼ですら、今回の件で失敗する懸念があったと。実際、紅の剣聖殿が飛行艇の襲撃を予見していながら、クロスベル側で事の対処を行えなかった訳ですから、我々の懸念が彼によって図らずとも証明されたという事ですな」

 

 

「ええ。更に言えば、彼が独自に持ち掛けたはずのこの提案内容が記載された資料が、どうやらクロスベル警備隊からテロリストへ漏洩していたようなのです。我々の協力者が、現場で応戦したテロリストから現物を確認しました」

 

 

「なんと!? 警備隊の情報管理はその程度ですか……いや、ここはそのハンデを背負いながらも対処して見せた彼を讃えるべきでしょうな」

 

 

「全くですな。ただ事実をはっきり申し上げますと、我々の配慮がなければ、敵を眼前に近付けただけでなく、この会場にいる方々に更なる危険が迫っていた。つまり、その程度の能力しか今のクロスベルには備わっていないという訳です」

 

 

 会議の場は、再び帝国と共和国の両者が支配権を握った。グランがクロスベル側に配慮する形で行なった今回の行動は、返ってクロスベルの治安維持に対する不安を露呈させる結果となってしまう。彼らには知る由もないが、仮に警備隊がグランの再編案をテロリストへ漏らさなければ、帝国や共和国の思惑とは違う結果になっていた可能性もあった。治安維持能力の有無は別として、今回の件がクロスベル側の失態だと指摘される事に反論の余地は無い。

 利用するつもりが利用された……この時、グランが先刻話していた愚痴の意味をオリヴァルトとクローディアの二人が理解する中、オズボーンは各代表へ告げる。

 

 

「先程の大統領閣下の駐留案、最早真剣に検討せざるを得ないのではないかな?」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 テロリストの襲撃、帝国と共和国の両思惑が絡み合う等様々な展開を迎えた西ゼムリア通商会議も、漸く閉幕した。会議後半は終始、クロスベル側が帝国と共和国から猛攻を受け、苦しい展開が続く事となったが、それも過去の話。会議の最後に、クロスベル代表の一人、ディーター=クロイスの放った発言が全てを持っていく形となり、今頃は記者達も慌ただしく編集作業に明け暮れている事だろう。

 通商会議終了後。各国代表が次々と自国へ帰還していく中、帝国代表の二人も護衛や随行団を連れ、クロスベル駅に停車している専用列車へと向かった。帝国政府の護衛として訪れていたグランは駅のホームへ先行し、現在は列車の入口前で彼らが無事に乗車していく姿を確認している最中である。そして、程なくして軍の護衛を引き連れたオズボーンが駅のホームへと姿を現す。グランの姿を確認したオズボーンは彼の前で立ち止まると、その場で今回の護衛に関する最終確認が行われた。

 

 

「これで今回の契約は完了だ。送金手配を含めて、後の事は任せるぞ」

 

 

「フ、了解した。此度の護衛任務、実に噂に違わぬ仕事振りだった……些か、此方の要求よりも働き過ぎではあったがな」

 

 

 通商会議における護衛任務の完了と共に、両者は握手を交わす。オズボーンの言葉に多少の嫌味が含まれている事には、グランも不敵に笑みをこぼした。今回の結果が会議にどういった影響を及ぼしたのか、グラン自身が事の詳細を知っている訳ではないが、オズボーンの反応を見るに彼の目論んでいた展開とは少し違ったのだろう。トワの身の安全を第一に考えた結果の行動ではあったが、それだけでも尽力した甲斐があると、グランの機嫌も上々だ。

 互いに手を離し、話は通商会議の内容へ。

 

 

「クロスベルの国家独立の提唱……流石にアンタも予想していなかったんじゃないのか?」

 

 

「彼には驚かされたが、そもそも現実的な話ではない。気に留める程でもなかろう」

 

 

「所詮は理想論か。当ての無い発言をする人じゃなかったはずだが……その辺りは掴んでいるのか?」

 

 

「フフ、どうかな?」

 

 

 通商会議の最後に、ディーター=クロイスによって提唱されたクロスベルの国家独立案。この発言が此度の通商会議における話題を全て攫ったと言っていい。発言に対し、宗主国である帝国と共和国は当然否定的な反応だが、クロスベルを後押しする方針のリベールやレミフェリアは理解を示した。近くクロスベルでは市民に国家独立の賛否を問うとの事だが、市民の理解を得た先が最も困難である事は言わずもがな。結果的に、オズボーンの話す通り現実的ではないとの見方が多くなりそうだ。少し考えるような素振りだが、グランの見解もどちらかと言うと否定的な見方のようである。

 通商会議についての話題も終え、両者とも交わす言葉が尽きたのか。オズボーンは列車内へ、グランはホームの入口側へとそれぞれ体を向け、互いに視線を外した。

 

 

「では、ご苦労だった。後は帝国より、その身の無事を祈らせてもらおう」

 

 

「フン、心にも無い事を」

 

 

 すれ違い様に発した激励の言葉と共に、オズボーンは列車内へとその姿を消していく。対してグランはホームの入口へ戻った後、帝国政府の関係者が無事に乗車していく姿を遠目に確認しながら、やがて彼の前には随行団のメンバーが駅のホームへと現れた。そして、メンバーが次々と列車内へ向かい足を踏み入れていく中で、一人の人物がグランの前で立ち止まる。

 

 

「グラン君、お疲れ様」

 

 

「会長もお疲れ様でした。帰りの道中は大丈夫だと思いますが、気を付けて下さい」

 

 

 現れたトワの労いの言葉には、グランも笑顔で応えた。しかし、グランの表情とは対照的に、彼女はどこか元気が無く、複雑そうな表情を浮かべている。優しい彼女の事だ。随行団の一員として通商会議に関わった彼女が何故そのような表情なのか、グランが分からないはずもない。彼はその件に関して当事者という立場である。であれば、トワの心の内も読めるというものだろう。

 

 

「今回の事は、非難してもらって構いません。トールズを背負う人間として、貴女にはその権利がある」

 

 

 トールズ士官学院の代表とも言える立場のトワには、身勝手な行いの結果として今回の件に関してグランを咎める権利がある。猟兵として請け負った仕事であっても、彼は未だ在学中の身。テロリストへの対処とはいえ、その行いの結果が学院の皆を巻き込まない保証はどこにも無い。どの様な正当性を主張しようと、やった事は人殺しだ。この結果が、様々な問題として指摘され、多方面に迷惑をかける事は想像に易い。そしてその被害を最も被るのは他でも無い、士官学院の教員や生徒達である。

 グランの行いに対しての問題点は多々あるが、兎も角トワにはそれを責めるだけの権利があるわけだ。しかし、やはりと言うか。彼女はグランの言葉に首を横へ振ると、その言葉を否定した。

 

 

「ううん、私にその権利は無いよ。確かに思うところはあるし、グラン君のした事全てを認めることは出来ない。だけど、非難されるとしても、それはグラン君だけじゃない。今回の依頼を出した帝国側にもその責任はある……勿論、同じ現場にいた私も含めてね」

 

 

「そんな事は……」

 

 

「グラン君が何を抱えているのか、気付いてあげられたのは傍にいる私達だけだったから。力になれなくて……一人で背負わせちゃってごめんね」

 

 

 自身の胸に手を当てながら、憂いた表情でトワは語る。自らをも責めるその言葉には、グランも心苦しさを覚えずにはいられない。

 彼女がそういった考えに至る人物だという事は、この数ヶ月学院生活を過ごした中で彼も知っていたはずだ。トワの身の安全を確保する為の行いであっても、そこに彼女の笑顔がなければ当然意味は無い。だが、それを承知で事に至ったのだ。ならばこの結果は、自身への罰として受け止める責任があるだろう。

 悲しげな表情のトワを前に、グランも中々かける言葉が見つからず。そんな両者の沈黙を破ったのは、列車の発車時刻が近付いた事を知らせるホームのアナウンスだった。気まずい空気を無視して場内を流れるアナウンスには、グランも助けられたようで。安堵の表情を浮かべた後、トワへ別れの挨拶を告げる。

 

 

「それじゃあ、リィン達に宜しくお願いします」

 

 

「グラン君は、一緒に帰らないの?」

 

 

「すみません、片付けないといけない用事が残っていますから」

 

 

 グランの話す用事について、トワも彼がこれから何を行うのかは理解している。赤い星座の二人が話していた、グランの団への帰還と離別を賭けた決闘。勝敗によってはグランの退学が確定し、この先二人が会える保証はどこにも無い。もしかしたら、今行なっている会話が二人の最後になるかもしれない可能性もある。

 そして、背を向けて数歩歩いた後。振り向き様に発した彼の言葉は、トワを更に不安にさせた。

 

 

「———どうかお元気で。会長の幸せを、誰よりも願っています」

 

 

「ぁ……」

 

 

 彼女が手を伸ばした先、グランは振り返る事なく進んでいく。引き留めたくて思わず伸びた手は、グランがホームから姿を消した事で力なく項垂れる。その場に佇むトワの表情には憂愁の影が差し、ホームの入口を向いていた顔も次第に俯いていった。

 伝えたい想いは未だ伝えられず、助けると誓った彼の心は未だ救えていない。彼の行く先を照らしたいと、共に歩んで行きたいという彼女の願いは、このままでは終ぞ果たされる事はない。

 本当にこのままでいいのか。グランが戻って来る一縷の望みに賭けて、ただ待つだけの自分の姿に後悔は無いのか。自らの心に、彼女は問う。

 

 

「(私は、どうしたいんだろう)」

 

 

 自分が何をしたいのか、どうしたいのか。辛く苦しい道のりを進んできた彼の心を救う為に。掛け替えの無い仲間と共に、日々を楽しく過ごしてきた彼の学院生活を守る為に。そして何より、そんな彼のあどけない笑顔を、この先も隣で見続ける為に。

 

 

「私は———」

 

 

 そして答えを見つけた時、彼女の足は自然と進むべき方向へと動く。胸に当てていたその右手は、自身の決意を表すかのように力強く握られていた。




次回から遂にパパとの決闘が……シャーリィさんは大人しくしててね?


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