現実世界にポケモンをぶち込んだらサバイバル系B級パニック物になってしまった (ケツマン)
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番外編 日本各地のトレーナー達の事情
薔薇色の男


番外編1発目はギャグ。普段の文章量の3倍くらい。
9/20 トロハマチさん、ステキな推薦文ありがとうございました‼︎
9/24追記 アンケートの結果、番外編3つ目は『あくタイプに喰われる(性的な意味で)ショタ)』に決まりました。


どうしてこうなったんだろうか。

 

 

突如として現れた未知なる怪物達。

妖怪、クリーチャー、モンスター。呼び方は様々な招かれざる客人達が世界中に現れ、暴れ始めたあの惨劇から半月が過ぎた。

 

小綺麗なマンションの一室にて、くたびれた学ランを着崩した青年『薔薇色 道行(そうびしき みちゆき)』は重い溜め息をついた。

道行は名は体を表すという言葉をまるで具現化した男で、文字通りの薔薇色の人生を歩んでいる男だ。

本人がどう思っていようが、少なくとも赤の他人から見た彼の人生はそうだった。

 

何せ道行はモテる。モテ過ぎるくらいにモテた。モテてモテてモテまくる男なのだ。

 

 

「だからこんな事になっちゃったんだろうな……」

 

 

またもや溜め息。幸せが逃げるから、などと道行の祖母はよく窘めたものだが今の現実では逃げる幸せなどとっくに尽きている。

甘いココアでも飲んで落ち着きたい。そして何も考えずにずっと寝ていたい。

 

そう道行が考えて三度目の溜め息を吐く直前だった。

彼の目の前にフヨフヨと何かが宙を漂いながら寄って来たのだ。

しかもよく見ればソレは彼が愛用していたマグカップではないか。

 

不自然に宙に浮かぶカップの中からは甘いチョコレートの香りが立ち昇っており、その中身が彼の好物であるココアだと主張しているようだ。

恐る恐るカップに手を伸ばすと、まるでそれを待っていたかのようにカップの方から吸い付くようにして道行の右手にスッポリ収まった。

 

道行は冷汗をタラリと流すとゆっくりとマグカップが飛んで来た方向に首を向ける。

引きつった表情を隠さぬその様は古びたブリキ人形がギシギシと軋みながら動くようだ。

 

 

道行には何故こんな計ったようなベストタイミングでココアが飛んで来たのだとか、そもそも何でカップが宙を飛んでいるかとか、その犯人の予想がついていた。

案の定、この奇妙な共同生活始めてから外れる事の無くなった勘は嬉しくもないのに的中。

 

視線の先には彼女がいた。

 

キラキラと輝くエメラルドグリーンの髪を二つに結び、頭の横からチョコンと伸びる赤い半円状の突起が角のように生えている。

雪のように白い肌、そして上物のルビーのようにキラキラ輝くそれはそれは大きな瞳を持つ。

そんな見目麗しい少女が微笑みを浮かべて立っていた。

 

 

否、正しくは美少女らしきモノだ。

 

 

翠色の髪の毛のように見える頭部は厳密には肌の一種らしく、我々地球人には全く未知の感触の物質で構成されているっぽいし。

その白い肌だってシミひとつ無くて綺麗っちゃあ綺麗だが、その色は暖かみが無いと言うか、無機質で白い絵の具や白い蝋を塗ったくったような。

そう、言うなれば人間の身体の色とは別次元のモノだし、しかも途中からは頭部と同じ緑色で構成されている。

 

そして先程は宝石のようだと比喩したつぶらで大きな瞳は確かに美しい。

いや、美しいのは間違いないんだけど、ぶっちゃけ明らかにサイズが大きすぎて少女漫画の二次キャラをデフォルメしたようになってる。

そのせいで顔の作り自体はとても可愛い。

可愛いんだけど明らかに人間とは全く違う生き物だとハッキリ主張している。

ヒラヒラとひらめくスカートは彼女によく似合うと思いきや、そのヒラヒラも身体の一部らしく、思いっきり人外アピールしているじゃないか。頭身だっておかしい。

ツッコミどころのバーゲンセールだ。

 

そして大前提として人間の頭には角が無い。

 

 

(しかも冷静に考えたら普通に全裸だ)

 

 

そんな事を道行が考えたのがいけなかったのか。

目の前の美少女(仮)はハッとした顔で目の前の青年を見つめた後、カァッと頰を赤らめてイヤンイヤンと凄くワザとらしく首を振りながら小さく声を上げた。

 

 

「キルルルリーン」

 

 

声を上げた。ぶっちゃけ鳴き声である。

多分、鳴き声である。

 

何故そんな奇妙な声で鳴くのだろうと道行が毎度の疑問に悩んでいると、普段から彼が『キルリー』と呼んでいる彼女が道行に近付いて来た。

しかもただ近付いてくるのではない。踊りながらだ。

まるで熟練のバレリーナのように。スカート(っぽい何か)とツインテール(っぽい何か)をヒラリヒラリとはためかせながらクルクルとターンしながら寄ってくる。

 

そして道雪の目の前で華麗に立ち止まるとスカートを両手に持ってキュートなカーテシーを披露。

そのままピタリと止まると無言のままキラキラした瞳で道雪を上目使いで見つめ始める。

 

 

(ホメテ。ホメテ。ホメテホメテ。)

 

 

別にテレパシーは使っていない。

その輝く瞳が勝手に主張しているだけである。

 

このようなやりとりをもう何度も繰り返している道行はダラダラと溢れそうになる冷や汗を、気合と根性とステキな何かで必死で抑えつけた。

心の中で自分に喝を入れると彼は目の前の美少女もどきに優しい笑顔を向け、その頭を優しく。それは優しく撫でてやった。

緑のそれは髪の毛では無い謎パーツだというのに、サラサラのスベスベで癖になる手触りである。

 

 

「キルリー、ココアありがとう。わざわざ気を使ってくれるなんて、君は本当に優しい娘だね」

 

 

繰り返すようだが薔薇色 道行はモテる。

もうコレ以上無いってくらいにモテる。街中で裸で突っ立ってても通報されるどころか欲求不満なお姉さま方に食べられちゃうくらいモテる。

そんな彼が年下っぽい(背丈は80cmぐらい)女の子に『笑顔』で『頭を撫でる』とどうなるか。

 

 

 

 

 

 

「キッ……キリュリュリュゥ……」

 

 

顔を真っ赤にして甘い声をあげるのだ。

そう、俗に言う『ニコぽ』『撫でぽ』の必殺コンボである。

その威力の高さは恐ろしい。どのぐらい恐ろしいかと言うと。

 

 

「あ、ヤバッ」

 

 

ふと少女の頭部から飛び出た突起に手が触れた途端、道行の脳内に洪水のように思考の波が流れ込んで来る。

 

 

 

 

 

(ミチユキ! ミチユキ! ミチユキ! ミチユキィィィィゥゥウウウワァアアアアアアアアアアアアアアアン‼︎‼︎

アァアアア……アア……アッアッアー! アァアアアアァアアア! ミチユキミチユキミチユキィイイイァワァアアアア‼︎‼︎

アァクンカクンカ! クンカクンカ! スーハースーハー! スーハースーハー! イイ匂イデスゥ……クンクン。ンハァ! ミチユキ・ソウビシキ様ノ漆黒ノ髪ヲ クンカクンカシタイデスゥ! クンカクンカ! アァア‼︎

間違エタ! モフモフシタイデスッ! モフモフ! モフモフ! 髪髪モフモフ! カリカリモフモフ……キルキルリイィ‼︎‼︎

困ッタヨウニ微笑ムミチユキ様可愛カッタアアアァァアア……アアア……アッアアアァァァアアン‼︎ ファァアアアアアン‼︎‼︎

番外編アンケート選バレテ良カッタネ ミチユキ様! アァアアアアカッコイイ! ミチユキ様カッコイイ‼︎ アッアアァァァァァァ……私ノ想イヨ ミチユキ様ヘ届ケ‼︎ ミチユキ様ノ卵産ミタイ‼︎)

 

 

「……おぅふ」

 

 

このぐらい恐ろしいのだ。

 

ちなみにキルリーと呼ばれている彼女は、とある世界にてポケモンと言われているモンスターの一種で『キルリア』と名付けられている。

超能力を得意とするエスパータイプに属する彼女は、その赤い二つの突起に触れる事で相手の感情を読み取る事が出来るのだ。

……出来るのだがあくまで読み取る事が出来るだけで自分の感情を伝える能力は無い。

 

だが天性のモテ男である道行の必殺コンボを受けると、恋する乙女は限界など軽く凌駕し新たなスキルに目覚めてしまう。ふしぎなアメやポイントアップよりも有用である。

 

現に感情が昂りすぎてサイコパワーが溢れたせいか、キルリアと道行の周囲の空間がぐにゃぐにゃと歪み始めて何か邪神とか降臨しちゃいそうな見た目である。

道行が慌てて彼女を落ち着かせようと宥めている。

 

人種の差というか種族の差さえ凌駕し、あっという間に惚れさせてしまう道行のモテ男体質。

しかもこんな感じで道行を恋慕い、あわよくば添い遂げたいと願うポケモン達が何匹もいるのだ。

 

 

(ああ、本当にどうしてこんな事に)

 

 

半分涙目になりながら道行は己の過去を振り返っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薔薇色 道行。

歳は17、身長は175cm、体重は60kgと特に目立つ体型でも無い。

ルックスも決して悪く言われることは無いが、彼より見目麗しい人間は探せばいくらでもいた。

 

特別、頭の出来が素晴らしい訳でもスポーツが万能と言うわけでも無い。

友人は多い方だがクラスの中心人物と言うわけでも無い。

特別目立つわけでも無い、言うなれば平凡な存在なのだ。

少なくともその見た目だけは。

 

 

だが道行の周りには常に様々な女性達の影があった。

実家暮らしの頃、家が隣の幼馴染からは電話をすればいいと言うのにわざわざリビング越しに毎晩話しかけて来る。

小学生低学年の時に親の再婚で出来た義理の妹は毎朝ベッドの上にダイブして起こして来る。

 

地元の有名な爆乳ヤンキー娘も、何故か道行には態度が柔らかくて話をする度に顔を赤らめている。

日本有数の大企業のご令嬢なのに何故か公立の中学に通う金髪ドリルお嬢様に毎日リムジンでの登下校に誘われたり。

向かいの家の色気ムンムンの歳上のお姉さんからは思春期男子の青い性を刺激するような揶揄いをしょっちゅう受けてきた。

 

そんな羨ま死刑な境遇から何故か抜け出すように、道行が高校進学をキッカケに一人暮らしを始めてからは更に凄かった。

同級生に慕われ、生徒会長には何故か強引に生徒会に加入させられ、アメリカ人の英会話担当の女教師には放課後の教室で犯されかけた。

女性達からの猛攻を躱しつつ、ようやく進級したと思えば帰宅部なのにも関わらず様々な部活や委員会からの後輩から慕われるハメになるわ、卒業した筈のOGからの襲撃も何度も受けて来た。

誰かしらからラブレターを貰い放課後の屋上で愛の告白をされたりは日常茶飯事だった。

 

実家を離れたにも関わらず義妹や幼馴染は勝手に合鍵使って入り込むし。

マンションの隣室のお姉さんからは作りすぎた肉じゃがを食べて欲しい、と言う名目で家に連れ込まれ晩酌の相手に付き合わされるし。

何故か家のしきたりで女装をして登校する同級生には掘られかけるし。

 

管理人であるどこか影のある儚げな美しい未亡人からは、しな垂れ掛かられて誘惑されるし。

おまけに彼女の娘達である三姉妹からもそれぞれ懐かれているし。

ちなみに上から21歳、17歳、8歳と。年上、同級生、ロリと幅広い包囲網。

 

兎にも角にも本人は何をやったという訳でも無いのに、道行の周りには魅力的な女性が次々と集まってくるのだ。

 

 

道を歩けば美少女が落ちてきたり、パンを咥えた女の子とぶつかったり、芋ケンピつけたドジっ子にツッコミ入れたりは当たり前。

ついでに言うなれば、寄ってくる動物や昆虫までもが全て雌。

 

その視線を合わせれば頰が赤く染まる。

その笑顔を見れば心臓が思わず高鳴る。

その手に撫でられれば切ない箇所がキュンと疼く。

 

 

女性達にとって道行はそんな魔性の男なのだ。

 

 

「お前はエロゲの主人公か。死ねよモテ男。死ねよ、頼むから死ねよ。なあ、本当に……お前がいるから‼︎ あの娘まで‼︎ あの娘までええええぇぇぇ‼︎‼︎」

 

「リア充爆発しろ。え? 無理? なら俺が今からテメェの頭を爆発させてやるよ。遠慮すんなって。友達だろ?」

 

「トゲキッス! でんじは からの エアスラッシュ からの エアスラッシュでずっと俺のターン‼︎」

 

 

そんな台詞で友人達にからかわれた回数など数えきれない。

ヤケに目が血走ってて噛み締めた唇から血が流れ、カッターナイフや金属バットに手をかけていた地元の友人達が懐かしい。

恐らく彼等なりのジョークを交えたコミュニケーションだったのだろう。

というかそういう事にしといた。しといて欲しい。

 

 

こんな感じで徹底的に女にモテまくる道行だが、意外な事に本人は誰とも付き合う事も無かった。

ならばモテ体質を利用して美少女達の身体を好きなように貪っているかというと、そうでも無い。

意外な事に彼は誰とも性的接触を持った事など無い、ファーストキスすら経験の無い生粋の童貞だった。

 

 

なら道行は女に興味が無いのか? 答えは否だ。

 

可愛い女の子と話すのは好きだし、身体を密着されればその柔らかさや香りについクラっとしてしまう。

彼は別に同性愛者だとか、人に言えない特殊な性癖を拗らせていた訳でもない。

健全な男子高校生である彼にとって、女性と接する事は胸が高鳴る事だった。

しかし道行は今後一切、恋人を作るつもりも無かった。彼にはあるトラウマのようなものがあったからだ。

 

 

小学生低学年の頃だった。

彼には気になる女の子がいた。幼すぎる故、それが恋だという自覚は無かった。けれども他のどんな女の子よりも気になって、仲良くしたいなと思う娘がいたのだ。初恋の蕾と言ったところだろうか。

 

件の少女は狐のように目が細くて頰はソバカスにビッシリと覆われた、お世辞にも可愛いとは言えない顔立ちの地味な娘だった。

今となっては理由すらも思い出せないが、道行は何故か彼女に惹かれていた。

 

彼自身は気恥ずかしい初恋の芽生えを周囲にしっかりと隠していたつもりだが、何せ道行は生粋のモテ男。

同級生12人、女教師3人、授業参観で一目惚れしたお母さん方28人、代理で来ていたお父さん方3人、近所のストーカーが8人に、おまけのヤンデレ気味の義妹。

常にここまでの女(一部例外有り)が道行の事を観察していたものだから、その淡い恋心など悲しいくらいにお見通しだった。

 

するとどうなるか。簡単だ。

陰湿で執拗なイジメが発生したのだ。それも道行に決して気づかれないように、だ。

ドロドロとした女の嫉妬の恐ろしさを知るには当時の道行はまだ幼すぎた。

まるで発酵したベトベトンに興奮したクサイハナを足したような、吐き気を催す邪悪な行いに道行が気付けた頃。

件の彼女はイジメに心が折れて、家族と共に遠い場所に転校が決まった後だった。

 

この出来事は道行の心に大きな傷をつける事になった。

自分が好意を寄せた。ただそれだけの理由で人一人の心をボロボロに傷つける切っ掛けを作り、人生を台無しにしてしまった。

 

しかもそれが、自分の初恋だった相手に。道行が自分の心に気付いた頃には時すでに遅し。

道行は自身の浅はかさと愚鈍さを呪い枕を涙で濡らす日々をおくった。

 

そして彼は決意した。

自分が人を好きになる。それだけで愛しい人を傷つけてしまうと言うならば。

簡単な事だ。自分は一切恋人や特別な関係の女性を作る事は諦めればいいのだ。

そんな極端な結論に至ってしまった。

 

こんな自分を好いてくれている人には、身勝手で悪い事かも知れない。

それでも不幸な人間を産み出さない為には、この決意こそが正しいのだと妙にネガティブに張り切ってしまったのだ。

そんな決意とともに道行は後ろ向きな努力を始めた。

 

 

女の子からの好意にワザと気付かないフリをして、好意を示すような台詞や態度にだけ都合良く聴こえなかったり見なかったフリをしてみたり。

 

顔さえ隠せばマシになるだろうと前髪を不自然なまでに伸ばし、目元を覆って不気味な男を気取ってみたり。

 

体育は実は得意だがワザと手を抜いて成績を落とし、運動オンチの情けない面を強調してみたり。

 

 

それでも根が真面目で心優しい道行は困っている人がいればついつい手を貸してしまい、ナンパに困る見ず知らずの女性を庇って惚れられる。

告白してきた女子生徒にごめんなさいとお断りをすれば泣かれてしまい、慰めのつもりで頭を撫でては更に惚れられる。

 

 

そんな努力すら虚しいモテ体質に本人が苦悩しつつも、道行はなんやかんやと騒がしくも平穏な日常をおくっていたのだ。

 

そう。あの日までは。

 

 

 

 

二時限目の英語の授業中に、まず大きな地震が起きた。

関東大震災もかくやという大揺れに、慌てて机の下に避難。

するとそれがキッカケだったのだろう。

グラウンドの地面からは巨大なカバらしき化け物が。

空からは見たこともない大量の怪鳥が。

そして学校どころか街全体を蹂躙せんとする異形の怪物達が突如として現れ、この世界に襲いかかった。

 

道行は理解出来ない唐突な化け物集団の登場と、それらによる大虐殺の光景に泣きそうになった。

だがそれでも持ち前の勇気となけなしのプライドを奮い立たせては奮闘した。

 

 

青緑色の触手の塊であるモンスターにグチョグチョにされている後輩を救い出した。

何故か日本刀を振り回してるヤマトナデシコな生徒会長と共に巨大なクワガタ虫を退治した。

恐怖に震える同級生をおぶりながら鋼鉄の巨大蟻から逃走した。

そして最後に担任の女教師の逃げ道の為に竹刀一本で殿を勤め、身体中傷だらけになりながらも何とか生きていたのだ。

 

この時点で既に人間離れしているというか、何がそこまで道行を駆り立てるのかと突っ込みたくなるものだが本人はとにかく全力で頑張ったのだ。

 

 

そして何故かアクション映画のワンシーンの如く爆発した校舎から命からがら脱出。

傷だらけのままグラウンドで座り込み一息入れるも、そんな道行をあざ笑うかのように地面の中から蝉の幼虫を巨大化したような化け物が彼を取り囲んだ。

 

もはやこれまでか。そう道行が諦めたその時、突然目の前の空間がグニャリと歪んだかと思うとそこから神秘的な美少女が現れた。

 

 

そう、冒頭のキルリアさんである。

 

道行の真っ直ぐな心に惹かれたのか、視線を合わせただけでポッと頰を赤らめて即落ちしたチョロリア。じゃなくてキルリアはサイコパワー全開で化け物を殲滅。

そして褒めて褒めてと言わんばかりに熟練のバレリーナのように踊りながら道行の目の前まで寄って来た。

 

普通ならあまりの超展開に気が動転してパニックを起こすだろうが、そこはモテ男の道行。

道に迷ってる外国人女性に声をかけたら何故かCIAとのカーチェイスに巻き込まれた経験は伊達じゃない。

疲れた身体に鞭を打ち、少女っぽい生命体の前にしゃがみ込んで視線を合わせて優しく微笑む。

そして義妹にしてやってるように優しくその頭を撫でてこう言ってやるのだ。

 

 

「助けてくれてありがとう」

 

 

ただその一言だけで。

 

 

「キッ……キリュリュリュゥ……」

 

 

はい即オチー。コイツは間違いなくチョロインですわー。

まるで某ハイスピード学園ラブコメに出てくるチョロコット並みのチョロインっぷりを披露した少女型モンスター、キルリアさん。

 

この時点で彼女はつい二分ほど前までは見ず知らずの相手だったのにも関わらず、目の前のトレーナー(という事に彼女の中ではなっている)添い遂げてタマゴを産みまくり幸せな家族計画を妄想する程に道行にゾッコンになっている。

人間とタマゴができるのかって? 出来るんじゃない?

公式の設定でポケモンと人間は結婚できるんだし。知らんけど。

 

 

閑話休題。

まあこのような感じで、逃走→化け物の襲撃→大ピンチ→都合良く雌モンスター助太刀→ニコぽ撫でぽ→なかまになりたそうに こちらを みている。

を繰り返して何故か都合良く無傷で無事だった自宅マンションに着く頃には五匹のモンスターに囲われるという誰得な逆ハー状態になってしまったのだ。

 

 

 

 

ググッと自分の首を無理矢理に引っ張られる感覚で現実に戻ってきた道行。

彼に触れてる者など何もいないのに見えない力で引っ張られる感覚はすっかり慣れたものだ。

その犯人を見やるとチョロリアことキルリアが瞳を閉じて道行を見上げるようにして、その小さい唇をチョコンと突き出しているではないか。

 

俗に言うキス顔である。

 

 

ちなみにこのキルリアという種族、平均的な身長が約80cm。身近な例えだ言うと幼稚園児と同じくらいの背丈である。

男子高校生と幼稚園児のマウストゥーマウスのキスが始まる五秒前

しかも女の方は舌を入れる気満々である。

 

どう見ても事案です、ありがとうございました。

 

 

「キッ、キルリー⁉︎ ちょっ、落ち着いて‼︎ こういう事は恋人同士がするものだから軽い気持ちではダメ……って更に謎パワーが強くなった⁉︎ あーダメです‼︎ 後生ですから‼︎ 後生ですからあああぁぁ‼︎」

 

 

念力によって首から上を完璧に支配された道行とキルリアの距離は徐々に縮まって行く。

そして今、唇が重なり合い、二人(?)は幸せなキスをしてハッピーエンド一直線。その直前に。

 

 

 

 

 

 

「クッチーーット‼︎」

 

 

キルリアのいた場所に鋼で出来た巨大な大顎がハンマーのように振り下ろされ、キルリアルートをぶっ壊した。

 

 

「キル⁉︎ キルリーッ‼︎」

 

「クッチ! チーチー‼︎」

 

 

テレポートで緊急回避を行ったキルリアが眦を釣り上げて無粋な乱入者に非難の声をあげるが、それに対抗するようにして後頭部に巨大な鋼の大顎を生やした異形の少女(っぽいモンスター)が負けじと怒鳴りかえす。

 

 

『チョット! 私ト ミチユキ様ノ邪魔シナイデヨネ⁉︎』

 

『邪魔するに決まってるでしょ⁉︎ ねんりき使って無理矢理キスとかサイテーよ‼︎ アンタなんかただの痴女じゃない! この似非バレリーナ痴女‼︎』

 

 

道行にはモンスター達の言葉が聴こえるだなんて都合のいい能力は無い。

にも関わらず何となく理解してしまったのは彼に集る女性達の言い争いを長年聴いてきたからだろうか。

 

キルリアに殴りかかったモンスターは道行にはチィと呼ばれている、あざむきポケモン『クチート』だ。

 

モンスターの中ではキルリアのように人間の子供に近く愛らしい姿をしているが、その後頭部には鋼で出来た鰐の口のような凶悪な大顎が生えている。

可愛い姿で油断させて後ろの口から捕食するという狡猾で残酷なモンスターだが言うまでもなく道行に惚れている。

出会った経緯も似たようなもので、キルリアとどっこいどっこいのチョロさであった。

 

 

「キルリー……キルキルッ‼︎」

 

「チーッ! クッチクッチー‼︎」

 

 

道行のとの念願の口付けを無粋な横槍によって遠ざけられたキルリアは激怒。

室内の空間を大きく歪ませ、サイコパワーを爆発させるサイコキネシスの発動しようと集中している。

対するクチートも黄色がかった肌を怒りで赤く染め、後頭部の大顎を大きく開く。

憎き恋敵を噛み砕くつもりなのだろう。

これに焦ったのが道行である。

 

 

「ちょっ‼︎ ちょっと待って二人(?)とも‼︎ 暴力は良くないよ‼︎」

 

 

大慌てで二人の間に割り込む道行は気が気ではない。

もし二人が争って大怪我したら大変だし、何よりこれ以上部屋をぶち壊されるのはゴメンである。

過去に何度モンスター同士の喧嘩で部屋がめちゃくちゃになった事やら。

キルリア含めた一部の住人がサイコパワーを使って修復出来なければ、軽く見積もっても十回以上はマンションごと崩壊するハメになっていただろう。

 

ちなみに先ほどクチートがハンマーよろしく大顎をぶち込んだフローリングは大穴を開けている。

下の階の住人が避難の為に長らく留守にでもしていなかったら普通に裁判沙汰である。

 

 

「ほ、ほら。僕なんかの為に争わないで……」

 

「キル‼︎ キルルルー‼︎」

「クチ‼︎ チチチチーッ‼︎」

 

 

「退いて! ソイツ殺せない‼︎」という副音声が道行の脳内に響く修羅場はまさに一触即発。

ここに女達の譲れない戦いの火蓋が、今切って落とされようとしている。

 

直前に。

 

 

 

 

「アッマージョッ‼︎」

 

「ギルッ⁉︎」

「グヂッ⁉︎」

 

 

隣室から飛び出した人影が華麗に二人の頭を蹴り飛ばした。

 

仲良く壁に激突した二人はぐったりと目を回して倒れている。どうやら事なきを得たようだ。

かなり乱暴な仲裁方法だが、この程度では二人とも死にはしないのを何度も実感した道行はとりあえず安堵した。

 

 

「マージョッ! アマアマ」

 

 

全くもうどいつもこいつも。とプンスカ怒りを表す彼女は一言で言うならば南国に咲く花を擬人化したような姿だった。

肉厚な緑色の葉がロングの髪を模し、小さな蕾が女王の冠のようにチョコンと乗っかっている。

全身を百合のような白とペチュニアの花を濃厚なしたような赤紫で構成し、パニエをたんまり含んだスカートを模した肉厚な花弁から伸びる美脚がまるでミストレスのような威厳を放つ。

 

彼女こそがフルーツポケモン『アマージョ』。

しかも道行にアママと呼ばれるこの個体は、特性として『じょおうのいげん』を持つ産まれながらの女王の様。

気品溢れる高貴なポケモンと言える存在……筈なのだが。

 

 

「あ、ありがとうアママ。助かったよ……ちょっと過激な気もしたけど」

 

 

そう道行が困ったように笑いかけるだけで。

 

 

 

 

 

 

 

「アッ……アママーッ‼︎」

 

「うおおおぉぉ危ねえええぇぇぇ⁉︎」

 

 

古典的な暴力的ツンデレヒロインに早変わりである。

 

ちなみに今何をしたかと言うと、顔を真っ赤にしたアマージョが照れ隠しに得意技の『トロピカルキック』を放ったのだ。

名前からすると何だか微笑ましい様子に思えなくもないが、このアマージョの代名詞である蹴り技の衝撃波だけで室内のテレビが隣室の壁ごとぶち壊れた事から威力をお察しして頂きたい。

 

道行は幅広いツンデレ女性から理不尽な暴力を受けつつも何だかんだ受け流して来た生粋のタフガイである。

だが幾ら何でも流石にこれは無理だったのか、横っ飛びでギリギリ回避する事に成功した。

 

ちなまに万が一でもかすっていたら爆発四散の人肉ミンチの出来上がりだろう。

タイプ一致のアマージョの蹴り技はサイドンやゴローニャのような硬さが売りのポケモンにすら大イメージを与えかね無い技なのだ。

 

 

「ア、アマママッ! アマージョッアママママッ‼︎」

 

 

「勘違いしないでよね⁉︎ アンタを守る為に二人を沈めたんじゃないんだからね⁉︎」みたいな事言ってるんだろうなーと思いながら、道行は気絶した二人を引き摺りながらソソクサと立ち去るアマージョを見送った。

彼女の顔は言うまでもなく真っ赤だった。

 

好きな人の前ではどうしても素直になれなくて脚が出ちゃうの。

そんなテンプレ乙なツンデレモンスターなんて誰得なんだよ、と道行は死にそうなかおでボヤいた。

 

 

「僕。一生、女難の相に苛まれるハメになるのかなぁ」

 

 

それが道行の定めである。

 

ようやく一息つけると安堵の息を吐く暇すら天は彼に与えない。

何故ならアマージョに入れ替わりで二匹の動物が部屋に入って来たからだ。

 

 

「ミミロ?」

 

「ルナルナー?」

 

 

茶色の体毛に長いロップイヤー。

体の節々にクリーム色のフワフワの綿毛がついている可愛らしくも逞しいうさぎポケモン『ミミロップ』

それから黄色と橙色のモコモコの体毛、豊かな尻尾に何故か木の枝を指しているきつねポケモン『テールナー』である。

この二匹は道行のモンスターハーレムの中でも元となったであろう動物の面影を強く残しているコンビだ。

 

おまけに二匹とも二足歩行で、身体つきもどことなく人間の作りと似ている。

更に表情がこれまた人間型のモンスターと比較しても見劣りしないぐらい整っており、更にどことなく女性的。

一部のケモナーと呼ばれる特殊性癖の方々からは堪らない姿だろう。

 

道行からはそれぞれミミロ、ルナナと呼ばれるモコモココンビ。

そんな可愛らしい彼女らの姿を視界に入れた道行はニコリと笑顔を浮かべ。

 

 

「三十六計逃げるに如かず‼︎」

 

 

窓を開けて即座に逃走を試みた。マルマインも真っ青の速さである。

 

因みに道行の部屋は二階なので飛び降りたとしても、運が良ければ怪我せずに着地できる。

そもそも昔から女性関係以外はヤケに豪運の彼なら傷一つ無く脱出出来たことだろう。

 

だがそうは問屋が卸さない。

 

 

「身体が、動かない……⁉︎ ルナナだな⁉︎」

 

 

何故なら窓枠に脚を引っ掛けた体制のまま、金縛りにあったように身体が急に凍りついたからだ。

首も動かせない事から確認は出来ないが道行にはその犯人を即座に察した。

 

 

「ルーナ」

 

 

道行の想像通り犯人はどことなくドヤ顔のテールナーだった。

尻尾に差していた木の枝を魔法の杖のように操作して素早く道行をサイコパワーで拘束。

更にビューン・ヒョイっと杖を振り回せばあっという間にウィンガーディアム・レヴィオーサ(浮遊呪文)。

道行の身体は宙を浮かんでそのまま大の字にベッドに寝かされてしまった。

フリットウィック教授もニッコリの早業である。

 

 

「ま、待て! 待つんだ二人共‼︎ 話せば分かる‼︎ 話せば分かるから‼︎」

 

どこぞの首相のような台詞を吐きながら焦る道行。死亡フラグの乱立確定である。

 

そしてそんな彼を煽るようにして二匹はご機嫌な表情でジリジリと彼に近付いて行く。

因みに二匹とも言うまでも無く道行に惚れている。

というかこの二匹の場合は彼の前では常に発情している。

 

どうやら見た目的にも動物に似ている事から、亜人型のモンスターよりもやや本能に忠実な傾向があるようだ。

ペロリと舌舐めずりした二匹はギシリと軋むベッドの上に身を乗り出す。

 

ミミロップは道行の胸板に蕩けた顔を擦り付けたり首筋にキスをしたりと甘えたい放題。

更にテールナーの方は巧みな杖捌きで道行には直接触れもしないのに、器用に彼のベルトを外し始める。

サイコパワーの無駄遣いにも程がある。

どこかの黒髪ロングのジムリーダーが見れば、怒りのあまりにお人形にされてドールハウスに閉じ込められてしまう事だろう。

 

 

「ミロミロ……ミミミ! ミロップ‼︎」

 

「ルナールナー……」

 

 

ミミロップの顔が道行の首筋から徐々に上に登って唇に迫る。

テールナーはベルトを外すと今度はズボンを脱がしにかかる。

 

 

「いやああああああぁぁぁらめええええええぇぇぇ‼︎」

 

 

生娘のような悲鳴をあげながら金縛りに反発するように指先だけで器用にパタパタ暴れる道行。

だが彼の悲鳴は捕食者達の情欲をくすぐるだけである。

息をハァハァと荒げ、目を血走らせ、もう女性というか雌としてもダメなんじゃないかという表情でついに彼女らは道行に襲いかかる……直前。

 

 

 

 

 

 

「アッマージョッ‼︎」

 

「ミミ⁉︎」

「ルナ⁉︎」

 

 

我らがツンデレヒロインのご到着である。

 

残念な事にこの作品ってエロ作品じゃないのよね。と無情な現実を叩きつけるような激しいトロピカルキックが扉をぶち抜いて二匹に叩き込まれた。

 

だが、これでさっきみたいに都合よく気絶して天丼完成。とは甘く行かない。

 

 

「ミッ……ミロップー‼︎」

「ルナ……テールナー‼︎」

 

 

ハーレムの中でも一番レベルが高いミミロップはステータス差で。

テールナーはタイプ相性で耐え伸びる。

アマージョの蹴り技は強烈だがそう簡単に二匹は沈まない。

 

何故なら彼女達は恋する乙女。そして発情期の獣。

乙女の意地と獣の性欲をたぎらせて邪魔する恋敵を迎え打つ。

普通に字面が最悪である。

 

 

「アッママー‼︎」

「ロップ‼︎」

「ルーナー‼︎」

 

 

そこから始まるのは大乱闘だ。

アマージョのトロピカルキックをミミロップが躱し、壁がブチ抜かれる。

テールナーのかえんほうしゃをアマージョが躱し、部屋が燃える。

ミミロップのとびひざげりをテールナーが躱し、ベッドが砕けちった。

既に室内はボロボロな上にボウボウ燃えている。

本家大乱闘メンバーであるルカリオさんとゲッコウガさんも真っ青の地獄絵図。

 

もちろん、そんなアビインフェルノな場所に種族人間である道行が耐えられる筈も無い。

テールナーのサイコパワーが弛んだ直後に泣きそうな顔でベッドから飛び降りる。

 

 

「こんな殺人技ばかり繰り出す連中と一緒の部屋に居れるか‼︎ 僕は逃げるぞ‼︎」

 

 

ずり落ちたズボンを必死に上げつつ必死に逃げる道行の姿はまるで浮気現場にカチコミを入れられた間男のようだ。

時折ズボンがひっかかって顔面からコケたりと、己が死亡フラグを立ている事など気づく事なくマヌケな姿ながらようやく玄関まで辿り着いた。

 

 

確かに彼女達モンスターには恩がある。

道行を護ってくれているのも、交代で食料調達をしてくれているのも感謝している。

 

だからと言って、毎日のようにアプローチを仕掛けて来るわ、喧嘩を始めるわ、挙げ句の果てに性的な意味でと襲い掛かられて来ては溜まったもんじゃない。

一番か弱いキルリア相手にすら、本気を出されたら道行は抵抗すら許されず貪られてしまうのだ。

 

 

「兎に角、一旦身を隠そう。そうだ、渋谷の大きな公園で確か有名な配信者が食料を分けてくれるとか……」

 

 

必死で記憶を漁りながら、ようやくズボンを履き直した道行は玄関のドアを開く。

 

人肉を砕く足技が飛び交い、灼熱の炎が身を焦がす地獄のような女の戦い。

その修羅場から逃げ出し、新天地へと向かう道行の旅路がガチャリとノブを開く音と共に今ここに始まりを告げーーーーー

 

 

 

 

 

「ジュラ。ルージュラ」

 

 

 

ーーーーー秒で終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしてこうなったんだろうか。

 

突如として現れた未知なる怪物達。

妖怪、クリーチャー、モンスター。呼び方は様々な招かれざる客人達が世界中に現れて暴れ始めたあの惨劇から半月。

 

小綺麗なマンションの玄関前にて金髪の唇オバケこと『ルージュラ』に両手で顔面を鷲掴みにされながら『薔薇色 道行(そうびしき みちゆき)』は静かに涙を流した。

 

道行は名は体を表すという言葉をまるで具現化した男で、文字通りの薔薇色の人生を歩んでいる男だ。

本人がどう思っていおうが、少なくとも赤の他人から見た彼の人生はそうだった。

 

何せ道行はモテる。モテ過ぎるくらいにモテた。モテてモテてモテまくる男なのだ。

 

 

「ジュラジュラ……ンム〜〜〜」

 

 

肉厚な唇が迫る。

それはまるで死神の鎌だ。

今までの思い出が走馬灯のように道行の脳を過ぎ去って行く。

 

 

 

嗚呼、せめて。せめて。

 

 

 

 

 

 

 

「せめてファーストキスは人間相手が良かったな」

 

 

そう最後に呟くと共に、グロテスクなまでにヌラついた真っ赤な唇がブチュリと重なって。

あくまのキッス→したでなめるのコンボで道行の意識は暗闇に落ちた。

 

 




『薔薇色 道行』
男/17才/175cm/60kg

兎にも角にもモテる男。本人が望んでいないにも関わらず女性からモテまくり、男からは嫉妬で嫌われる。
過去のトラウマから恋人は作らないと決めていたにも関わらず本能に忠実なモンスター達に囲われてその決意も無駄になった模様。
モンスターハーレムのメンバーが知らぬ間にタマゴを抱えていたがその親は不明。



『キルリー 』Lv27
キルリア ♀むじゃき

道行の始めてのポケモン。
エスパーパワーにて、ボロボロになりながらも他者を庇う姿とどんな女性にも紳士に接する姿を察して惚れる。
将来の夢は道行のお嫁さん。


『チィ 』Lv32
クチート ♀ なまいき

キルリーとはライバル関係。
キルリーのせいで道行になかなかアピール出来なくてモヤモヤしている。
将来の夢は道行のお嫁さん。


『アママ 』Lv30
アマージョ ♀いじっぱり

ハーレムメンバーの唯一の良心。
だが暴力系ツンデレ枠なのでついつい脚が出てしまう。ベッドの上では受け身。
将来の夢は道行のお嫁さん。


『ミミロ 』Lv48
ミミロップ ♀せっかち

ハーレムメンバー最強格。
元の世界ではとあるトレーナーの手持ちだったが強姦されそうになり蹴り殺して逃げて来た。今では道行を強姦するため狙っている。
将来の夢は道行を飼育すること。


『ルナナ 』Lv28
テールナー ♀ずぶとい

ミミロの舎弟的存在。
知能は高いが本能に従順、しかもサディストで道行を辱める事に悦びを感じている。
将来の夢は道行を性奴隷にすること。


『ジュラさん 』Lv31
ルージュラ ♀のんき

ハーレムメンバーの中でも下っ端なのに抜け駆けをしたのでリンチにあった。良い奴だったよ。
将来の夢は道行のお嫁さん。



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地獄の始まり
1ーOP 日常


処女作。逐一修正していくつもりです。
12/18 加筆修正。


「来たか」

 

ボロボロのドアの隙間から撒き餌を仕掛けたポイントをじっと見つめる。

雑巾のようなボロ生地の上に、生米や痛み始めた小麦を適当に混ぜ込んで放置しただけの哀しいくらいにお粗末な仕掛け。

だが出来の悪いゾンビ映画のようなこの終末世界では、例え痛んだ米粒一つだったとしても純金にも勝る価値を持つ貴重なものだ。

そんな食料を犠牲にした甲斐あってか、撒き餌の上には狙った通りの『小鳥』が寄って来て無警戒にも美味そうに米粒を啄んでいる。

そんな長閑な光景を薄汚い格好をした男が息を殺して観察しているだなんて。

側から見ると何て間抜けで怪しい構図になる事だろう。

 

件の小鳥が体長30センチ以上もある大物で、体当たり一つで大の大人を吹き飛ばす膂力を持った『モンスター』である事を考えなければの話だが。

 

 

(よし。行け)

 

 

獲物が餌に夢中になっている事を確認した俺は、自身の膝下で声を殺して控えている小さな相棒にハンドサインを送る。

水色がかった体色、見るからにプニプニとした触感の丸みをおびた身体全体で器用に頷くような動作をする。

やがて相棒はそのユーモラスな見た目にはそぐわぬ俊敏な動きで小鳥の前に飛び出すと、すぐさま戦闘態勢を整えた。

 

 

「今夜は焼き鳥だな」

 

 

いや、今夜は。では無く、今夜も。が正しい表現か。

と言うか、考えてみたら食料の節約と狩りの練習のせいで連日連夜、あの小鳥の肉ばかりを食っているよな。

そんなどうでもいい事をボヤきつつ、俺は竹箒の枝先に包丁をダクトテープで括り付けた手製の槍を右手に掴んだ。

そして音を立てないように注意しながらそっと裏口から外に出る。

 

ボロ古屋を大きく迂回し、小鳥の背後から回り込むように観察する。

予想通りに相棒と獲物が戦闘を行っており、しっかりと奴の目を引いていた。

ベージュがかった明るい茶色の羽毛を逆立て怒りを露わにする小鳥は器用に地面を蹴飛ばして砂をかけて目眩しをしかけたり、その鋭い嘴で敵を突き刺そうと俊敏かつ苛烈に攻めかかっていく。

対して我が相棒は、そんな攻撃の尽くをバネじかけの玩具みたいにピョンピョン飛び跳ねて躱したかと思えば、絶妙のタイミングでカウンターを決めている。

広範囲に広がる砂の目潰しをヒラリと躱したかと思えば、木造建築の民家ぐらいなら軽々と貫くであろう鋭い嘴攻撃を、不思議なスキルで『反射』して逆に大きなダメージを与えているのだ。

 

戦闘が始まってから僅か2分。相棒は擦り傷を負ってはいるものの未だに余裕。

対して獲物である茶色い小鳥は見るからに満身創痍。

そろそろ楽にしてやった方がいいだろう。

 

息も絶え絶えと言ったボロボロの小鳥の背後、俺はゆっくりと得物を構える。

西陽に照らされた俺の影に覆われた小鳥はようやく背後から迫る、もう一人の刺客に気付いた。

驚くように振り向き、慌てて迎撃しようと鳴き喚く。

 

が、もう遅い。

 

 

「悪いね。生きる為なんだ」

 

 

俺は汗ばむ手でしっかりと握り締めた槍を力一杯、突き刺した。

包丁の刃が小鳥の喉元に食い込み、その柔い骨をしっかりとへし折った感触が両の手から伝わって来る。

致命の一撃。小鳥のつぶらな瞳からゆっくりと光が消え、切り裂けた身体からドクドクと濃厚な血液を垂れ流し柔らかな羽毛を汚した。

 

余計な血を撒き散らして獣を引き寄せぬように慎重に槍から獲物を外し、今回も大活躍だった俺の自慢の相棒にチラと目を寄せる。

すると彼(もしくは彼女)のヌイグルミのような小さな身体が一瞬、真っ白な光に包まれたかと思えば、ガッツポーズのように両腕を振り上げてピョンピョンと無邪気に跳ねまわり始めた。

これもすっかり慣れ親しんだ光景だ。きっと小さな相棒は身体に力が滾って仕方ないのだろう。

 

 

「レベルアップ、おめでとう」

 

 

育成ゲームでもあるまいし、現実でこんな言葉を口にするとは。

全く人生どうなるもんか分からないなぁ。そんな下らない事を考えて俺は苦笑しながら相棒の頭を優しく撫でてやった。

 

槍先の包丁から鳩の血がポタリと落ちて、乾いた地面を汚す。

血潮混じりの砂埃が汗に濡れた俺の頰にベッタリと纏わり付き、眩し過ぎる太陽がたった今死んだばかりの小鳥の身体を焼き焦がす。

 

 

 

 

 

 

数えるも馬鹿らしい程に何度も繰り返される、ただの狩りの光景だった。

 

 

 




・ポッポ ことりポケモン(ノーマル/ひこう)
味わいは淡白。普通の鶏肉よりやや硬めなので酒に着けて身を柔らかくしてから唐揚げにすると美味。


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1ー1 前触れの無い惨劇

文字数が多い人って凄いと書いてて思った。サブタイどしよ?
12/18加筆修正済み。


 

始まりはあまりにも突然だった。

 

何か分かりやすい前振りがあった訳でもない。

漠然と嫌な予感がしただとか、奇妙な胸騒ぎがするだとか、やけに風が騒がしいだとか。

そういうのは一切無く、始まった。

 

 

学校に行くのが怠くなりサボタージュを決め込んで3日目の事だった。

昼過ぎまで惰眠を貪っていた俺は訳の分からぬまま、アパートごと揺らす巨大な爆発音にベッドから文字通り飛び起きるハメとなった。

 

 

「え?は?はぁ?」

 

 

思考に靄がかかった寝ぼけ頭のまま、意味もなく辺りを見回す俺の耳には、やはり連続して爆発音のようなものが叩き込まれていく。

しかもそれにリンクするようにして、大小様々な怒鳴り声や叫喚が窓の外から突き刺さるようにして鳴り響いている。

 

 

「え?花火? なんで?」

 

 

ようやく桜が散り始めたこの時期に花火大会や祭りは早すぎる。

しかも改めて聴けば聴くほど、お祭り騒ぎのような賑やかな喧騒と言うよりも、むしろ悲鳴や悲痛な叫び声ばかりが。言うなれば阿鼻叫喚と言った物騒な表現がピッタリな声ばかりが聴こえてくるのだ。

よくよく耳をすませば鼓膜を穿つようなガラスが割れる音や、何か大きく重い物が勢いよく倒壊する地響きのようなものまで聴こえてくる。

明らかにただ事ではあるまい。

 

訳が分からない。一体何が起きたんだ?

そんな疑念に突き動かされるままに俺は慌ててカーテンを払い窓を大きく開いて外の景色を伺った。

 

 

「は? 怪獣映画?」

 

 

思わずそんな間抜けな言葉を零した俺の顔は笑える程にポカンという擬音が似合う表情をしていただろう。

何故なら俺の目の前には今までの人生観や常識をぶち壊す、地獄のような光景が広がっていたのだから。

 

粉々に倒壊し轟々と音を立てて燃え上がる民家。

何かが綺麗にえぐり抜いたように不自然に3階の一部が円形に消失し、出来損ないのモニュメントと貸した高層マンション。

アチコチに転がりバチバチとスパークを立てる折れた電柱。

すっかりとひび割れて穴だらけになり、もはや道路としての形を成していないコンクリートの塊。

砕けたガラスの欠片が陽光をキラキラと反射し、横転した自動販売機のには真っ赤な何かがベッタリと付着している。

そして、そんな崩壊した日常から必死の形相で逃げ回る数え切れないほどの無数の人々の姿。

 

人、人、人。人の群れ。

 

そしてそれに我が物顔で混じりこむ異物達。

世紀末もかくやという地獄を引き起こしたであろう、諸悪の根源たる人ならざるモノ達の姿。

 

 

「あそこに見えるのドラゴン? てか空飛んでるあの鳥っぽいの何?デカすぎだろ。うわっ⁉︎ 犬が火吹いたぞ今⁉︎ 意味わかんねえよ⁉︎」

 

 

怪物。

そう形容するしか無いファンタジーな生き物達が見渡す限りにウヨウヨと蔓延っていた。

そう。今まさにこの瞬間にも暴虐の限りを尽くすかのように街を壊し、人を襲い、平和だった日常を蹂躙しているのだ。

 

轟音を立てながらコンクリートを突き破り、頭上の人間ごと宙に打ち上げる岩石で出来た巨大な龍。

逃げ回るスーツを着た男に今まさに炎を吐き出す角を生やした漆黒の狼らしき生き物。

建物も車も人すらも、目の前にある全てのモノを薙ぎ倒してひたすら爆走する、鎧のような皮膚を持つ四つ足の巨大な獣。

大空から疾風の如く襲いかかり、異様に長いその嘴でセーラー服の少女を串刺しにして空へ連れ去る怪鳥。

辛うじて無事だった電柱の上にしがみ付き、四方八方に電流を撒き散らす黄色い兎のような鼠のような生物。

 

そんな見たことも聞いたことも無い、未知の怪物達が日常を破壊していた。

 

 

「アルマゲドンだっけ。ノストラダムスの大予言?地球崩壊?バイオハザード?」

 

 

思考がまとまらず思いついた言葉をひたすら垂れ流しては呆然。

目の前の怪物達正体だとか、どうしていきなり現れたのだとか。

退屈かつ平穏な日常をただただ与えられるがままに暮らして来た凡人の俺には何一つ理解できなかったし、思考に没頭する気もなかった。

瞬間、俺の頭に浮かんだことはただ一つ。

 

 

「これ、さ。逃げなきゃ、死ぬやつだよな」

 

 

ヒビ割れた道路に倒れこむ人の中には明らかに息をしていない者がいる。

腕が、足が、首が、上半身が無い者がいる。

腹部を食い破られ、腸を撒き散らしている者がある。

彼等は、明らかに、死んでいる。

 

スッと血の気が引いて、自分の顔が真っ青になるのを自覚した。

それと同時に弾かれたようにして俺は駆け出していた。

 

 

「水と食料‼︎」

 

 

クローゼットから一番大きなリュックサックを引っ張り出すと、大慌てで避難準備を始めた。

詰め込めるだけの食料を詰め込みながらもパニックを起こしそうな頭で、何か武器を持って行った方がいいだろうかと必死に考える。

だが映画のように都合よく鉄パイプやバールだなんて一般的な母子家庭にある訳も無い。

無いよりましだろうとリーチが短い万能包丁

を確保。

幸いな事にまだ生きていた水道から空いたペットボトルに思いっきり水を注げるだけ注いで、食糧品のせいで余裕の殆ど無いリュックの中に強引にねじ込んだ。

本当だったら持って行きたいものは山ほどある。

だが荷物が多ければ多いほど身体の負担が増して脚が遅くなり、それが命の危機に繋がるのは明白だ。

 

車が有れば話は別だが免許を持ってない未成年である自分が運転出来る訳も無いし、そもそも穴だらけクレーターだらけ障害物だらけ。

おまけにモンスターだらけ死体だらけの道で車がまともに使えるとも思えない。

クソっ‼︎ サバイバルグッズとか防災グッズとか買い込んでおくべきだった。

そう毒づきながらも、悪足掻きのようにパーカーのポケットにチョコレートやバターなどの高カロリーな食品を限界まで詰め込む。

通帳?印鑑?財布に現金?

こんな世界崩壊待った無しの状況じゃ糞の役にも立たない代物だろう。

起きて早々に汗だくになった俺はパンパンに膨らんだリュックサックと包丁を手にして、玄関の扉を蹴破るようにして外へと飛び出した。

 

『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』

 

聖書の一説だっただろうか。

頭の片隅にそんな言葉が浮かんで消えた。

 

 

 

 

 

 

 

「た、助けて! 嫌だっ、嫌だあああああぁぁ‼︎‼︎」

 

「死ぬ‼︎ 誰か⁉︎ 誰か⁉︎」

 

「由香里いいいぃぃ‼︎ 娘が、由香里がいないんです‼︎」

 

 

外の世界はやはり地獄だった。

見るも無残な阿鼻叫喚の地獄絵図。

逃げ回る人波に逆らうようにして駆け抜ける俺の耳に響く人の声は悲鳴ばかりで、目に映る者はもっと悲惨でどうしようもないものだった。

 

喉を食い破られて倒れる地元の小学生。

腸をダラリと垂れ流しながら壁にもたれかかる青年。

全身が炭化している恐らくは人だったであろうモノ。

 

頭のどこかで警報が激しく鳴り響いた。

本能に従うようにして、どれもこれもを視ないフリして必死に駆ける。

ほんの少しでも視てしまったその時。彼等が目の前で死んでいると認識してしまったその瞬間。

自分の中の何か大切なモノが壊れてしまう気がして、何も視ないフリをして無我夢中で走り続けた。

心臓がバクバクと煩い。周りの悲鳴や爆発や倒壊の音に負けないくらいに音を立てている。

まだ走り始めて5分と経っていないのに、脚の感覚は既に麻痺し始めるしリュックサックの肩紐が擦れ過ぎたせいか肩からはパーカー越しからも鈍い痛みが響く。

不意に何かを踏みつけた感触が靴の裏から伝わって来た。

一瞬、立ち止まって足下に視線をやるべきかという思いが脳内に過ぎった。

だが、それでも無視した。

踏みつけたソレから「助けて」などとは聞こえなかったのだから。聞こえなかったのだ。

 

 

「畜生! 畜生‼︎」

 

 

誰を呪うでもなく呪詛を吐きながらも、俺は闇雲に走り続けた。

魑魅魍魎の怪物達は我が物顔で暴れ回り、俺達人間はただただ必至に逃げ回る。

まるで出来の悪いパニック映画じゃないか。

ミスト?スパイダー・パニック?ジュラシックパーク?それともドーン・オブ・ザ・デッド?バイオハザードか?

モンスターパニックとゾンビパニックとどっちがマシ?

怪物に食われるのとゾンビに食われるのとどっちがマシかな?

ふざけんな。クソ、クソ、畜生。

理系科目の成績は悪い自覚はあるが、今自分の脳内からハイになる物質がドバドバ出ているのが分かる。

死にたくない。死にたくないから走るのだ。

 

俺も。そして今まさに向かいから走って来るあの女性もだ。

涙で滲み駆ける反動でブレる視界の中に写った、ヤケに派手な服を着た妙齢の女性は酷い顔だった。

アイメイクは涙でグチャグチャで、真っ黒な涙を流しているのように見えたのが印象に残る。

そしてついに俺と擦れ違おうとしたその時に。

まるでワインのコルクでも抜くみたいにして、彼女の首がスポンと飛んだのだ。

ああ、これは一生忘れられない顔になったな。

俺は馬鹿みたいに泣きながら、馬鹿みたいな事を考える。

放物線を描く他人の血液が俺のパーカーをピチャリと音立てて汚すのが分かった。

 

パラパラ漫画のように。あるいはモンタージュのように?

とにかくチカチカとしてバラバラで、そんな纏まらないのに無情にも進んでいく思考と時間の中。

 

それでも俺は脚だけは止める事なく、視線だけで未だ宙に浮かんでいる生首を追った。

生前と何ら変わらぬ表情のまま首の向こうに

、空中でホバリングするように羽ばたくカマキリとトカゲ人間をくっつけたような怪物が浮かんでいた。

緑色の気色悪いその怪物は鎌となった両腕をペロリと舐めている。

 

瞬間、時が止まる。ヒュッと喉がなる。

心臓が一瞬だけ止まったかと思うと、体中からブワッと汗が吹き出した。

 

 

 

真っ赤な鎌を掲げていたソイツと。

 

 

 

不意に、目があった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ‼︎‼︎‼︎」

 

 

 

自分の中の何かが音を立てて切れたのが分かった。

 

怪物も、悲鳴も、日常も、生首も、平和も。

何もかもを置き去りにして、俺は喉が枯れるまで叫びながら必死で走った。

文字通り必死で走ったんだ。

 

 

 

 

 

 

少しでも止まれば、きっと死んでしまうという事が分かってしまったから。

 




・ストライク かまきりポケモン(むし/ひこう)
虫っぽくない見た目通り、虫っぽくない味。外骨格が硬く大きくて身は少ない。羽を素揚げして酒の肴に。


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1ー2 未知との遭遇

これも編集し直します。
12/19加筆修正済み。


 

 

身体が鉛のように重い。

運動神経にはそこそこの自身があったとは言え、文字通りの死力を尽くした全力疾走の反動はとんでもなく大きい。

両脚は小刻みに痙攣を起こし、感覚が麻痺したようで力が一切入らなかった。

もはや一歩足りとも動けずに、俺はそのまま崩れかけたコンクリの壁に寄りかかるようにして座り込んだ。

 

 

「人間、死ぬ気になれば何でも出来るっていうのは嘘だな」

 

 

少なくとも死ぬような思いをしたところで、今の俺では暫く動けない。

身体中から絶え間なく吹き出る汗を吸収したTシャツはまるで濡れ雑巾のようで、過労に打ちひしがれた俺の身体をさらに重くした。

荒げた呼吸をどうにか整えながらリュックサックを降ろし、苦労してねじ込んだ500ミリペットボトルを取り出し迷う事なく口つける。

本当は喉を鳴らしていっそ豪快に飲み干してしまいたいくらいに激しく渇いている。

だが考えるまでもなく今後、水は生命線になるだろう。

そう遠くない内にこのペットボトル一本に詰まったカルキ臭い水道水を巡って、陰惨な殺し合いが起きる未来すら簡単に想像出来る程だ。

ポストアポカリプス系作品定番とも言える生存者同士による物資の奪い合いやつだ。

 

こういう系統の作品は多かれ少なかれ似たり寄ったりな作風になりがちだ。

ゾンビパニックを始めとしたこれらは、結局のところ『一番恐ろしいのは人間同士の争いなのだ』という非常に分かりやすいメッセージ性をドヤ顔で押し付けてくる。

心のどこかではまたこの展開かよ、ハイハイ。等と失笑しつつも、やはり王道の展開というのは一定数以上の人気があるものだ。

かく言う俺もパニック系だとかサバイバル系だとかオブ・ザ・デッド系だとかは大好物なものだから、好んでそういう系統のラノベを読んだり映画を観たりしたものだ。

 

 

「ただしフィクションに限る。だよな、本当に」

 

 

頭を抱えながら、深い溜息を吐いた。

そりゃ俺だって世の中にゾンビが溢れたらどうやって生き残るかのチャートを頭に描いたりした事もある。

他には学校にテロリストが乗り込んで来て、それを華麗に撃退する妄想をしてみたりだとか。

果てにはもしトラックに轢かれて異世界に行けたら、どんなチート能力を貰ってどんな風に活躍してやろうだとか考えた事だってある。

だがそれらはあくまで妄想。作り事のフィクションだからこそ楽しいのだ。

 

そもそもゾンビパンデミックなんて籠城くらいしか考えられない時点でほぼ詰みだし、テロリスト云々は銃持った相手に逆らうのは只の自殺行為だ。

普通に考えればトラックに轢かれた時点で普通に大怪我か即死のロクでも無い結末で終了するだろう。

仮に。仮に神様とやらが存在して、これ以上の無いくらいの幸運に恵まれて異世界に行けたとしても、やっぱり平和ボケした日本の男子高校生じゃ何も出来ない内に野垂れ死にが関の山だ。

もっとも本当に神様とやらが居るのならば、こんな訳の分からぬモンスターパニックなど起こしたりはしないと思うが。

 

 

「本当何なんだろうな。あの怪物」

 

 

妖怪? クリーチャー? モンスター?

果たしてどう呼称するのな正しいのかは知ったことじゃ無いが、馴染みの育成ゲームにあやかって仮称でモンスターと呼ぶ。

風呂上がりのようにグッショリと汗に濡れた髪をかきあげ、モンスター達について少し考えてみた。

 

 

「どう考えても地球の、つーかまともな生き物じゃねえよな。火は吹くわ、放電するわ、人型なのに空を飛ぶわ。それに馬鹿みたいにデカイやつまでいるわ」

 

 

ヘラジカや象などとは比べものにならない巨体で暴れる一部のモンスターを思い出し、恐怖がぶり返して来て背筋が寒くなる。

誤魔化すようにして思わず右手で視界を覆い隠した。

 

名作ホラーゲームのバイオハザードの世界のようにマッドな研究者が造った生物兵器かもと一瞬だけ考えるも、幾ら何でも無理があるだろう。

まずその種類が明らかに多彩過ぎるし、その姿からは人工的に作られたような不自然さというのは殆ど感じられなかった。

必死に走りながらだったので薄らぼんやりとした記憶しか無いが、人間をそっちのけでモンスター同士で争っている奴らさえもいた気がする。

これらの要素から考えるとバイオハザード説は没だろう。

 

というか電気やら炎やら水やらを繰り出すモンスターはどう考えてもファンタジー要素が強すぎる。

空を飛んでいるやつだってそうだ。明らかに翼や羽根の大きさが身体の大きさに見合ってなかったり、そもそも翼も無いのに宙に浮いているヤツだっていたのだ。

現代物理学に喧嘩を売っているにも程があるというものだ。

何だか考えるのが馬鹿らしくなって来た。懐からスマートフォン取り出して現実逃避代わりにネットの海を漁った。

 

 

「まあ、生物兵器だったらこんな無差別にバラまかないよな」

 

 

掌の小さな液晶画面に映るのは動画投稿サイトに投稿されたフランス国内の動画だ。

異様に舌が長い、何と言うか恐竜をマルっぽくデフォルメした着ぐるみみたいなピンク色の謎モンスターが地元の軍隊だか警察と戦闘している姿が映っている。

よく見れば背景には別のモンスター達の姿もちらほら確認できた。

 

 

「おいおい。銃、効かないのかよ」

 

 

毒々しい体色のモンスターは、そのコミカルな外見からは想像出来ないほどにタフだった。

人間側が隊列を組むようにして拳銃の一斉掃射を浴びせたものの、僅かに怯むだけでほぼ無傷。

現代科学兵器のまさかの敗北に驚き慄く人間達に向かい、お返しとばかりにその異様に巨大で長い舌を伸ばす。

唾液でヌメヌメと光る肉厚のそれをまるで手足のように器用に使い、しなる鞭の如くして人間をなぎ払ってはボーリングのピンみたいに軽々と吹っ飛ばす。

最後の1人が逃げようとするも背後から素早く伸びた舌に縛りあげられ、3メートルは宙に持ち上げられた。

そこから目にも留まらぬ速さで地面に打ち付けられ、特大のトマトが潰れたようなグロテスクな姿になった。言うまでもなく即死だろう。

ここで動画は終了。CGとは違ったリアルなグロ映像に俺は自分の顔色がまた悪くなった事を自覚した。

 

 

「本格的に世界滅亡ルートじゃねえか」

 

 

モンスターの種類や個体によって強さの差はあるだろうし、たまたまこのベロザウルスが特別強力なボスクラスの実力者だった可能性もある。

だがそれでも人類の英知の結晶とも言える銃火器が効かないモンスターが存在するとなると、最早本格的に詰みではなかろうか?

いや、考えようによっては確かに核兵器や細菌兵器などの威力過剰な殺戮兵器も存在するのだろうが、結局はそんな物に頼った時点で人類の敗北は必至だろう。

 

 

「日本だけじゃないよな、そりゃ。アメリカにフランスにイタリアに中国。マジで世界中でモンスターパニックか」

 

 

中国ではダルマがそのまま命を宿したような外見のモンスターが火を纏って転がり周り、あちこちに引火させて家々を燃やして周る。

アメリカのとあるビーチでは東洋龍に良く似た空色の巨大なモンスターが極太のビームを薙ぎ払うようにして放ち、大暴れ。

韓国やカナダ、ブラジルにアフリカにも。

とにかく世界各地に突如として未知のモンスターは出現し、そして本能のまま縦横無尽に暴れまわっている。

 

情報収集代わりにネットサーフィンしたものの奴らの対処法はおろか、何処から来たのか何故突然に現れたのか。そのきっかけすら分からず仕舞いだ。

まあ、きっとファンタジーな何処ぞの異世界から何らかの手段で現代世界に召喚されたのだろう。

そんな阿呆らしい妄想を浮かべ、自嘲するように鼻で笑った。

 

 

「すっげー阿呆らしい考えだけど、それが一番アタリっぽい解答っていうのも皮肉だよな」

 

 

剣と魔法が似合うモンスター蔓延る異世界からの傍迷惑な乱入者。

そんなファンタジー全開な俺の妄想が正解だっとしても、肝心要の暴れまわるモンスター達への対処法が分からなければどうしようもない。

これ以上考えていても、堂々巡りで意味が無い事を悟った俺はもう一度深く溜め息を吐いて思考を放棄した。

 

パーカーのポケットを漁り、小さめの板チョコを取り出す。

リュックに入りきらなかった小さな菓子類はポケットが膨れ上がるまで詰め込んでおいたのだ。

とにかく今は身体が疲れきっている。カロリーが欲しい。

脳ミソの方も糖分を欲している事だろう。

 

 

「甘いものなんて、そのうち食えなくなるんだろうなあ」

 

 

そんな事をボヤきながら銀の包装紙を破き、火照った身体のせいか溶けかけているチョコレートに齧り付く。

ただしケチ臭く口を小さくして、ほんの少しずつ時間をかけて口に含んだ。

ミルクチョコレートの濃厚な甘さとホッとするような優しく蕩ける口溶けに、心の疲労だけでなく緊張に強張っている身体の隅々まで蕩けていくような気がした。

 

 

(こんなもん、いつも食ってるものだったのに。何だろ、すげー美味く感じるよ)

 

 

平穏が音を立てて崩壊し、何度も死を意識して来た今日この日。

一番に心を落ち着かせ頰を緩ませている事を自覚しつつも、小さな幸せの味を心の底から噛み締めていた。

 

だからこそ気付くのに遅れた。

 

 

「ナノー?」

 

「んなっ⁉︎」

 

 

瓦礫にもたれかかるようにして座る俺の目の前に、既に未知のモンスターが迫っている事に。

 

 

目の前でこちらの様子を伺うモンスターの身の丈は50センチ程度だろうか。

身体の色はほぼ水色一色で、大きな丸い頭に円錐状に広がる身体はてるてる坊主のような体型をしている。

頭の真ん中にはリーゼントやポンパドールのヘアスタイルを模したような丸いコブを生やし、小さな胴体からではなく頭の左右から細長い腕らしきものがスラリと伸びていた。

 

目と口は異様に大きくて鼻は耳は見当たらず、アスキーアートのような誰がどう見ても分かるような笑みの表情を貼り付けている。

チョコチョコと短い足に黒くて丸い尻尾、全体的にまん丸なフォルムはヌイグルミや、ゆるキャラ。もしくは幼児が描いた人間の成り損ないと言ったところだろうか。

フィクションの世界で例えるなら星のカービィシリーズのキャラクターや、ドラクエのスライムのようなマスコット的な要素に似た者を感じなくもない。

 

そんな、どことなく癒しを感じる可愛らしいモンスターを目にした俺は言うまでもなく。

 

 

「う……あぁ……‼︎」

 

 

恐怖と焦燥で硬直していた。

 

 

(何だこいつ⁉︎ 火吹くのか? それともビームか? ヤられる前にヤるか? でも包丁なんて効くのか⁉︎)

 

 

水色モンスターのニコニコと擬音でも鳴りそうな朗らかな顔が逆に恐怖を駆り立てる。

逃げるべきだろうか? いや、すっかり油断していたとは言え、そもそもこちらが気付かない内にこの距離まで近付かれている時点で逃げ切れるとも思えない。

見たところ敵はかなり小さく、身軽そうだ。相当に素早く動くモンスターと考えておいた方がいいだろう。逃走が悪手なのは明らかだった。

考えれば考えるほどに追い詰められていく状況に、俺の頭は次第に真っ白になっていく。

 

(死ぬ? ここで死ぬのか? 食われるのか? それとも嬲られるのか? もう終わりなのか?)

 

 

死にたくない。でも死ぬのか? なら、どうせ、死ぬならば。

殆どヤケになっていく自覚はあった。碌に働かない脳内の片隅で生存本能が囁き、それに従って左手をゆっくりと、焦れったい程にゆっくりと背中に伸ばした。

目標のブツは唯一の武器だ。刃先を新聞紙で包んだ包丁をベルトに括り付けて、いつでも装備できるように備えておいたのだ。

 

冷や汗が頬を伝っているのを感じる。

死にたくない。現に今は死ぬほど怖いし。

こんなモンスターと戦うなんてきっとそれ以上に死ぬほど怖い。

脳内にてポップコーンが激しく弾けるような、これ以上の無いパニック状態に涙が溢れそうになるも、なけなし勇気を振り絞るようにして自分に喝を入れる。

 

逃げ切れないなら、戦うしか無い。

生き残る為に、戦うしか無いのだから。

 

 

(包丁を掴んだらコイツの眉間にブッ刺すして、そのままダッシュで逃げる。殺せたにしろダメだったにしろ、とにかく刺したら全力で走る‼︎)

 

 

目の前のモンスターは身体を左右に揺するようにフラフラとしているが攻撃の素振りは見せない。

恐らくは惰弱で虚弱な種族人間にすっかりと油断しているのだろう。

こんな小さな未確認生物に見下さらていると考えると立腹ものだが、ならばこそ付け入る隙はある筈だ。

背中に伸ばした左手が包丁の持ち手を掴み、ゆっくりとベルトから引き抜いていく。

頬を伝った汗がツーっと滑るように顎先に垂れ下がり雫を作るのが分かった。

 

 

(ヤるぞ! 俺ならヤれる‼︎ こいつを殺して生き残るんだ‼︎)

 

 

衣摺れ一つ立てないように慎重に包丁をベルトから完全に引き抜き、スローモーションで腰を静かに浮かせて攻撃の態勢を整えていく。

極度の緊張で鼓動と耳鳴りが酷かった。

破裂しそうな心臓を抑えこむかのように、思いっきり息を吸い込んでから刃を握る左手に力を込める。

そして顎先に溜まった汗の雫が、今、この瞬間。

 

 

ポトリと。

 

 

落ちる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グ〜〜〜〜〜〜〜〜‼︎

 

 

直前に間抜けな音が響いた。

 

 

「……は?」

 

 

俺は思わず前のめりにガクッと転けそうになる。が、とりあえず気を取り直して目の前のモンスターを観察した。

フラフラと左右に力なく身体を揺する動きを見せ、腕の一本を腹?らしき部位に当ててさすっている。

そして視線は俺の方を。いや、正しくは俺の右手に釘付けとなっているのではないか?

 

 

「ナノー……」

 

 

力無い鳴き声(たぶん)をあげるモンスターを前に俺はゴクリと唾を飲んで決意した。作戦変更だ。

保険として左手は包丁を握ったまま、恐る恐る右手を前に差し出した。

 

 

「ナノ?」

 

 

俺とモンスターの視線が交差した。

しばらく俺の顔色を伺っていたソイツはやがて何かを察したのか、ポテポテと気の抜けるような足音を立てて一歩一歩とこちらに歩み寄る。

未知の生物が近付いてくる恐怖で身体が震えるが、ここまで接近をされたのだから今更作戦を変更できない。

再び大きく唾を飲み込んで、俺は腹を括った。

 

ポテポテ、ポテポテ、ポテポテ。

 

やがて俺の目と鼻の先でピタリと止まったモンスターはその両手(たぶん)をゆっくりと俺の右手に伸ばし……

 

 

 

「ナノナノ〜‼︎ ソーナノ‼︎」

 

 

ものすっごいイイ笑顔でチョコレートに齧りついた。

 

 

「ふぅ」

 

「ナノ?」

 

 

作戦の成功を見届け一息ついた俺は、右腕で汗を拭って立ち上がると軽く尻を叩いて埃を払った。

そして左手にしっかりと握っていた包丁をゆっくりと持ち上げて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「腹減ってただけかよ‼︎‼︎」

 

「ナノ⁉︎」

 

 

 

 

 

明後日の方向に力の限りぶん投げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なお、包丁は後でしっかりと回収した。

 




・ベロリンガ なめまわしポケモン(ノーマル)
肉厚な舌は脂と筋肉の割り合いがまさに黄金比。じっくりと焼いた後にソースは掛けずに塩と胡椒だけで食べるのが通。


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1ー3 ハイエナの牙

話が進まない。
12/20加筆修正済み。


どちらかと言えばインドア派の俺の趣味は雑多である。

だがその中でもあえて選ぶなら映画鑑賞が第一に。そしてその次がネット小説やMMO系のネットゲームにあたる。

もちろん小説については作者としてではなく、読書側の立場としてだ。

 

特にネット小説はその手軽さがとても魅力的だ。

暇な時に好きなジャンルをササッと検索してお手軽に楽しめる。

もちろん素人が書いている場合が殆どの訳だから玉石混交で、読んでいていっそ不快になったり、時間をただ浪費するだけの駄作も混じっている事は否定できない。

だがそれと同じ位に。いや、むしろそれ以上の無数の良作やいわゆる神作と呼ばれるものが存在しているのも確かな事で、ついつい時間を忘れて読みふけってしまうのだ。

 

俺の一番好きなジャンルはゾンビ物やパンデミック系のものだが、結構な雑食を自負しているので結果的にはジャンルを問わず様々な小説を読んで来た。

王道のファンタジーはもちろん、学園モノや異能バトル、最近流行りのVRMMOを始めとしたSFもの。ちょっと変わったところだと軍記物語や料理ものに宮廷闘争を題材にしたものなんかも読んだ。

 

閑話休題。

今回はよくある剣と魔法のファンタジー作品を例に出して説明しようと思う。

主人公が剣士か魔法使いか、果てにはとんでもチート能力を持っているのかどうかにもよるが、最近の流行としては作中にて主人公のオトモというかペットというか。

ようするに相棒枠のモンスターみたいなのがよく出てくる。

そして理由は分からないが、比較的そのパートナー役のモンスターというのはスライム系かモフモフの犬や狼系というパターンが多いと思うのだ。

これについては色々と考えた事もあるのだが、読者がイメージしやすい為では無いかというのが俺の考察だ。

 

スライムはドラクエシリーズを始めとした屈指の知名度を誇るモンスターだし、犬や狼は実在する生き物で、忠誠心が強い。パートナーとして実にうってつけではないだろうか。

もちろんこれはあくまで持論。絶対の法則なんかでは無い。

知名度だけで選ぶならゴブリンやオークなんかもアリかもしれないし、作品によってはドラゴンや妖精なんかを相棒枠にするものも山ほどある。

動物系から選ぶにしても犬系じゃなくて猫系が登場する時だってあるだろう。

モンスターハンターシリーズのオトモの代表格たるアイルーというキャラクターも猫なのだから。

 

さて、ここまで長々と説明してきたがそろそろ結論に入ろう。

つまるところ、俺の意見としては相棒枠のモンスターというのは一定の知名度がある、メジャーな生き物こそが鉄板なのだ。

 

 

「俺の言ってること分かるか?」

 

「ソーナノー?」

 

「うん。そうなの。だから、あっち、行け」

 

「ノーナノー!」

 

「拒否るな! イヤイヤするな‼︎ チクショウ、無駄に懐きやがってからに‼︎」

 

 

身の安全を守る為とは言え、不本意ながら餌付けしてしまった一件から暫く。

足下で跳ね回るように纏わりつく、この水色てるてる坊主の扱いに俺はほとほと困り果てていた。

本来だったら適当に満腹にさせてとっとと逃げるつもりだったのだが、手渡したミルクチョコレートの甘さに味をしめたのだろう。

こちらがどんなに逃げ回ってもチョコマカと無駄に素早く跳ね回り、俺の背後にピタリと着いて来てしまうのだ。

 

 

「つうか俺の言ってる言葉、ニュアンスは理解してるんだよな? お前が特別賢いのか? それともお前らモンスター達はみんなそうなのか?」

 

「ナノ?」

 

 

ニコニコと笑みを絶やさずに人懐っこいのは美点かもしれないが、中途半端に知性があるというのも迂闊な事が出来なくなって非常に厄介だ。

何故なら俺はこの水色モンスターについて知識が殆ど無い。

精々が人懐っこいことと、甘味が好物である事。それから無駄に素早く妙チクリンな鳴き声をあげる事を知った程度だ。

こいつがどんな攻撃をするのか俺は一切知らない。

火を吹くのか、腕が伸びるのか、それとも俺には想像もつかないような魔法みたいな手段を使うのか。

どんな能力を持っていてどんな攻撃手段を取るのかが分からなければ、足下のてるてる坊主が脅威的なのかそうでないのか判断のしようがない。

 

本音では今すぐにでも邪魔臭いコイツを蹴り飛ばすか、石でも投げてやって無理やり追い払うかしてやりたい。

だがこちらの言葉を理解するだけの知能を持つ事が分かった今、万が一コイツが恐ろしい力を隠し持っていた場合に後々の復讐が怖い。

かと言ってこのまま訳の分からないモンスターの面倒を見るのも無しだ。

 

言っては何だが、見た目で判断するなら明らかに弱そうでお荷物確定な上に、生き物なんだから当然食事も必要になるだろう。

高カロリーとは言えどもチョコレート一枚でここまで動き回れる事から察するに、その見た目通り燃費は良いみたいだが、これから貴重になるであろう食料や水を得体の知れないモンスターにわざわざ分け与える程、俺はお人好しでは無い。

 

 

(これでコイツが何かの動物のような外見だったら、まだ簡単に判断が下せるんだがなぁ)

 

「ナノ?」

 

 

俺が訝しむような視線を足下に送ってやると、てるてる坊主は不思議そうに見上げて来た。

改めて観察しても地球に既存している生き物の名残が見当たらない未知の生き物だ。

仮に鳥や豚、羊に牛など。最悪は犬やら鰐などの動物が元になったようなモンスターだったら、不意打ちで殺してから食料にもできただろう。

残酷なようだが俺は自分本意な人間である自覚があるし、突き詰めればどんな人間だってそうだろうとも思っている。

 

ただコイツの場合は明らかに地球に存在しない、未知の生物だ。

喰えるか分からないどころか、下手したら毒があるかもしれない。

もしかしたらコイツの身体全体が人間には有害な謎物質で構成されている恐れだって当然考えられる。

 

少し考えただけでも連れて行くメリットどころかデメリットしか浮かばない。

だからこそ、この手の手合いとは関わり合いになりたくは無かったというのに、後悔先に立たずだ。

 

 

(あー仕方無え、しばらくは放置だ。本当に邪魔になったらその時はまた考えるか)

 

 

ただでさえ唐突な非日常で体も頭も疲れ切っているのだ。

先送りはあまり宜しくない事だが、とりあえずの脅威は無いと判断した俺は足下を極力見ないフリをして移動を続ける決意をした。

歩き出すとそれに追従するようにポテポテと気の抜ける足跡が聞こえてくるのが、妙に癪に触る。

 

 

「やっぱ刺しとけば良かったかな」

 

 

ベルトに括りつけた包丁の持ち手を摩りながら、態とらしく溜め息を吐き出した。

ありったけの幸福を逃してしまうような、大きな大きな溜め息だった。

 

 

 

 

 

 

歩き続けて2時間は経った頃だろうか。

時おり聞こえてくる様々なモンスターの鳴き声や、人々の悲鳴を避けるようにしてジグザグに進んだ為か直線距離は大して稼げなかっただろうがそれでも着実に進んでいる実感が持てた。

今の俺に明確な目的地は無いが今後の方針は決めている。

目指すは駅や都市部の方向から真逆。つまり人の少ない田舎の方面へと向かっていのだ。

 

理由としてはいくつかあるが、第一に将来的に生存者同士が争いになるのは火を見るより明らかなのでそのイザコザに巻き込まれない為。

それからモンスター達は獲物である人間に釣られ、人が密集している地域に集まっていくだろうという予想したからだ。

 

後者に関してはモンスターの食性に対する知識も無い上に、懲りずに人様の足下で跳ね回っているという、人に友好的なモンスターの存在を知ってしまった今となっては説得力の欠片も無いが、前者を防げるだけでも充分だ。

現に都市部から離れれば離れる程、目に見えてモンスターの数は少なくなり、自宅の窓の外から見下ろしたモンスターパニックが嘘のように静まり返っている。

 

 

(まあ、だからと言って平和って訳じゃないけどさ)

 

 

建物は崩壊。電柱はへし折れたり斜めに傾き、電線がダラリと垂れ下がり漏電している。

無数の血の跡がそこら中に付着し、人の身体の一部があちらこちらに散乱している。

地獄のような惨状に、現代日本の住宅街からは想像も出来ない完璧な静寂。ゴーストタウンという言葉が嫌と言うほどピッタリ当てはまるだろう。

バイオハザードで有名なラクーンシティの劣化版、とでも言えばイメージしやすいだろうか。

もっとも、こちらの世界では転がっている死体は動き出したりしないだろうが。

 

 

(みんな逃げ回る時は駅の方向に逃げたからな。ここに居るのは間に合わなかった人間か)

 

 

辺りをグルリと見渡せば崩壊した建物の中でも比較的元の形を保っている物や、奇跡的にほぼ無傷の家もチラホラと見える。

恐らくはその中で籠城して生き残っている人間も居るには居るのだろう。

だがこれ以上、同行者を増やすつもりの無い俺にとってわざわざ生き残りを探すメリットは無い。

むしろ不本意とは言えモンスターを従えている姿を赤の他人に見られてしまったら、不思議な能力があるとでも勘違いされて助けを求められる可能性だって考えられる。

日が落ちる前に少しでも距離を稼ごう。安物のデジタル腕時計は17時と表示していた。

 

 

「あ?」

 

 

ソレに気づいた瞬間、思わず固まって耳をすませた。

 

先ず初めに聞こえて来たのは遠くの方から聞こえた泣き声だった。

不気味なくらいに静まり返ったデストピア世界は、憎々しい程に女性の泣き声をハッキリと響き渡らせる。

やがてそれを追うようにして無数の足音が。それから獣の唸り声が。

まるでオーケストラのようにして様々な音や声を重ね合わせ、ドンドンと大きな騒音と化して辺りに撒き散らかされていく。

 

恐らくだがモンスターに襲われている少女が逃げ回っているのだろう。

逃げてくれるのは構わない、誰だって死にたくないのだから俺だってそうする。

だが、問題なのはその悲鳴がどんどんと俺の方に近づいて来ているという一点だ。

 

 

「糞っ‼︎」

 

 

自身に近いてくる命の危機を察した俺は、一早くこの場を離れる事に決めた。が、運命とやらにどうしても嫌われているらしい俺が決断するには、僅かに遅かったのだろう。

目測およそ10M先の曲がり角からセーラー服を着た少女が転がり込むようにして姿を現し、振り向き逃走を行おうとした身体が再びフリーズ。

しかもよりによって最悪な事は、彼女の視線が俺の姿を捉えたかと思うと、遠目からでも判る程にハッと顔を輝かせ「助けて‼︎」と叫びながら此方に一直線に向かって来たのだ。

背後から唸り声を上げて追いかけてくる二匹の黒い犬型のモンスターをご丁寧に引き連れて、だ。

 

 

「トレインとかふざけんなよ‼︎ MPKだってリアルでやったら殺人罪なんだからな⁉︎」

 

 

恐らく通じないであろうゲーム用語で見ず知らずの少女を罵倒するも意味などある筈も無く、彼女は一直線に此方へと走ってくる。

事実、あの娘に悪気は欠片も無いのだろう。ただ死の恐怖から必死に逃げ延びて、ようやく見つけた一抹の希望というやつが俺だったのだ。

徐々にこちらに近付いて来るその制服姿や背丈から判断するに、恐らく彼女は地元の中学生。

確かに彼女の目を通せば年上の男子高校生である俺の姿は大人に映るだろうし、こんな状況ならば無意識の内にでも頼りたくなるというのは分からないでもない。

 

だが、こちとら只の一般人なのだ。

正義の味方を目指してる弓兵でも無ければ、困っている人を見過ごせない頭に餡子が詰まったヒーローでも無い。

タダでさえ今日一日で何度も死にかけてここまで辿り着いたというのに、他人の巻き添えで死ぬのなんか馬鹿馬鹿しいにも程がある。

そんな最期は真っ平ゴメンだ。

 

 

(ファッキン・ファンタジー‼︎ 死ぬなら一人で死んでくれよ‼︎)

 

 

辛うじて毒づいたその言葉は口から外へ出すこと無く飲み込んだが、自分の顔が醜く歪んでいるのを自覚した。

人間というのは追い込まれた時に、その本性が現れる。

そんな格言を残した映画のタイトルは何だっただろうか。

 

果たして、そんな俺の邪な考えが悪かったのだろうか。

心の内で思わず唱えた彼女への罵倒が、呪怨となって無意識に祟ってしまったのだろうか。

 

 

「あっ」

 

 

信じられない。彼女が倒れこむ姿はそんな表情のまま宙に飛び込んだようにも見えた。

察するに、足下に散乱している瓦礫か何かに脚を引っ掛けてしまったのだろう。

ただ、転んでしまっただけなのだろう。

家から飛び出した俺のように、唯々夢中になって全力疾走していたのだろう。そんな勢いを思わせるまま飛び込むような姿勢で一瞬、宙に浮いた彼女の右手は俺の方へ伸びている。

この瞬間、まるで時間が停止したかのように彼女の姿が。視線が。表情が。そして何よりその心情が、俺の目には写った。

 

ガツンと重たいものがぶつかる音を立て、彼女の身体がアスファルトに激突した。

 

 

「嫌あぁっ‼︎」

 

 

それでも涙を流し、切れた額から血を流し、必死の形相で這いずるように前へと進み、僅かな可能性に縋り付くようにしてこちらへ腕を懸命に伸ばしている。

「お願いだから助けて下さい」

そんな懇願が幻聴と共に強く訴えかける伸ばされた彼女の小さな小さなその右手は。

 

 

「ギャアアアアアアアォォォ‼︎」

 

 

飢えた獣の咆哮と同時に、爪を逆立てたその前脚によって無慈悲にも踏み躙られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああああああああああああああ‼︎‼︎」

 

 

ブチュリと血肉が弾ける生々しい水音。

グチャグチャとした獣の下品な咀嚼音と満足気な唸り声。

そして何よりも惨い、生きながら今まさに喰い殺されている少女の断末魔。

あまりにも酷い音の羅列がゴーストタウンと化したこの街で大きく響き渡る。

 

無情にも犬とハイエナの間の子のようなモンスターに少女が押し倒されてから、僅か一分も満たない。

にも関わらず彼女の身体は見る見る内に飢えた化物に食い荒らされ、右頰から胸元にかけては殆ど肉が残っておらず白い骨が露出している状態だった。

あれだけジタバタともがき激しく暴れていたというに、あっという間にピクピクと痙攣をするだけの肉塊と化している。

人間は死んだ後も脳の反射機能でしばらく痙攣を続ける。そんな説明があったのは一体どんな映画だっただろうか。

 

 

あまりにも猟奇的な食事風景から逃避する為、そんな馬鹿らしい事に思考をすっかり割いていたのが悪かった。

狩りで遅れを取ったせいでランチを喰らい損ねたであろう、もう一匹のモンスターが既に俺を目掛けて一直線に駆けていた。

爛々と金に光る眼の中心はこれでもかと血走り、涎を撒き散らしながら殺意を剥き出しにして俺の喉を食い破らんと襲いかかって来る。

逃げるには余りにも遅すぎた。

 

 

(逃げられない‼︎ 包丁‼︎)

 

 

耳鳴りが鼓膜を鋭く穿ち、心臓の鼓動がスローテンポになり奇妙な程に大きく響く。

極度の集中からなのか、それとも死を間近に迎えた走馬灯のようなものなのか。

まるでマトリックスのワンシーンのように、世界がスローモーションになる。

 

 

 

右手を腰に回した。

近寄ってきた獣が体勢を低くした。

 

包丁を引き抜いた。

獣が跳躍して喉元に狙いを定めた。

 

右手で包丁を構えた。

獣が涎を撒き散らしながら大口を開いた。

 

 

 

(あっ)

 

 

 

汗で濡れた俺の手から、無情にも包丁が滑り落ちて地にゆっくりと落ちていく。

裂ける程に大きく開いた顎が迫り、唾液にテカテカと光る牙の一本一本まで見える距離に近づく。

 

 

 

(死んだわ)

 

 

俺の身体中から熱が、緊張が、力が。

そして何より生きる気力が四散するように急速に抜けて行く。

獣臭い吐息が俺の顔にかかる程、文字通り、目前に死そのものが迫って来た。

 

 

(ああ、痛いのは嫌だなあ)

 

 

瞳をゆっくりと閉じて、俺は襲い来る死を甘んじて受け入れた。

 

 

「ソーナノー‼︎‼︎」

 

 

直前にソイツは俺を庇うようにして目の前に飛び出し、何かをブチ砕くような轟音をたてて目前の獣を軽々と吹き飛ばした。

 

 

 

 

「……は?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はああぁん⁉︎」

 

 

 

 

ビックリした。

 

凄くビックリした。

 

 




・ポチエナ かみつきポケモン(あく)
非常に筋っぽく、臭いも強い為に食用へは適していない。
どうしても食べたい場合は香辛料の効いたカレーなどの料理の具にしよう。


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1ー4 笑顔と共に

ようやく一段落。サトシで言うピカチュウ枠のパートナー決定です。しかしヒロイン出すまでの道のりが長い長い。
12/20加筆修正済み


 

唖然呆然。

大口だけでなく目を大きく見開いてポカンとした俺の顔は側から見たらきっと笑いを誘う程に大間抜けな姿だろう。

だが、それほどまでに驚嘆する出来事が今目の前で起こったのだから俺のリアクションだって無理はない。

 

何が起こったのか分からない。

いや、ぶっちゃけ何となく理屈は分かってはいるのだ。

ただ単純に引き起こされた事象のインパクトがあまりにも強すぎて、矮小な俺の脳味噌では余りにも理解が追いつかないと言うべきか。

だがしかし、一体どうして誰が想像が出来たというのだろうか。

 

全くもって期待していなかった、ただのお邪魔虫的モンスターである我等が水色てるてる坊主。

ソイツがピョコンと俺の目の前に飛び出して、文字通りの肉壁になったかと思えば。

果たして力の限りぶん殴ったのか、それとも特殊なスキルやら魔法でも使ったのか。

とにかく方法は不明だが、目の前に迫ったあの凶悪な獣を一撃でぶっ飛ばしてくれるなど、一体どうやって想像しろというのだ。

しかもベキィッ‼︎ だとかボゴンッ‼︎ と言った明らかに威力過剰な爆音と共に、だ。

そして肝心のぶっ飛ばされた獣のモンスターの様子はと言うと。

 

 

「ハハ。ミンチより酷えや」

 

 

気が動転し過ぎたせいか、ついネタに走る程。人間、混乱し過ぎると一周回って冷静になるどころか笑いに走るのだなと奇妙な発見に驚いている自分がいた。

俺を喰い殺さんと襲いかかって来たハイエナ型のモンスターは一目で分かる程に瀕死の状態だった。

ギラギラと飢えに輝いていた金の瞳は情けない白眼に変わり果て、人肉を喰らわんと大きく開いていた顎からは力無く舌を剥き出しにして垂らしてブクブクと血の混じった泡を吹きながら時折ピクピクと痙攣している。

襲撃された時は死神の鎌よりも凶悪に映った、あの鋭い牙なんて特に酷い有様だ。

まるで爆発四散したかのように圧し折られで、そこら中に砕けた白い欠けらが散らばっている。

哀れ、化物の口の中には一本も残っていない始末だった。

 

 

「お前、本当に何やったんだよ?」

 

「ナノナノ?」

 

 

褒めて褒めてと言わんばかりに俺の目の前でピョンピョン跳ねて自己アピールをしていた水色モンスターは、相も変わらぬ朗らかなニコニコ笑顔を浮かべたまま不思議そうに首(正確には胴体の上部)を傾げている。

よく観察すれば、その小さな腹部に黒っぽい痣が見える事からノーダメージであのモンスターをぶっ飛ばしたというわけでは無さそうだ。

だがそれにしたって、どう考えても与えたダメージと受けたそれとの比率が明らかに釣り合っていない。

 

改めて俺の頰に冷や汗が垂れた。

もしや、このてるてる坊主擬きはそこらのモンスターよりも強い存在だったりするのだろうか?

だとしたらこの間抜けな姿と笑顔は擬態か何かなのだろうか?

危うく苛立ちに負けて包丁で無理矢理追い払うような真似をするところだった過去の自分に、良く耐えたと褒め称えてやりたい奇妙な気分になった。

 

 

「ギャアウ‼︎ エナアアアア‼︎」

 

 

緩和した雰囲気にほだされ、思考に沈んでいた俺の余裕を吹き飛ばすかのような咆哮が轟いた。

その獰猛な鳴き声に慌てて振り返ると、少女を貪っていたもう一匹のモンスターが此方に狙いを定めてグルルと唸り声をあげている。

本当につい先程まで食事をしていたのだろう。黒や暗い灰色だったであろう毛皮は顔面を中心に真っ赤に汚れ、所々は脂や内臓らしき肉片をこびりかせテカテカと滑った光沢を放つ。

瞳をギラギラと鈍く輝かせ、赤黒く汚れた鋭い牙を隠そうともしない凶悪でグロテスクな形相だ。

 

その凍りつくような殺意に当てられ悪寒に震えた俺は、慌てて取り落とした包丁を拾うと正面から向き直った。

すると予想通りに先程の襲撃を繰り返すような一直線の特攻を血塗れのハイエナが仕掛けて来た。

 

 

(畜生が! 二回目だってのに怖えんだよ‼︎)

 

 

体の震えは武者震い。そんな強がりを見せる余裕が有る筈も無い。

腰は今にも抜けそうで、脚には力が入らない。

そもそも唯一の武器がリーチの短い包丁という時点で頼り無いにも程がある。

やはり恐い。気を抜けば泣き出してしまいそうになる程、恐ろしかった。

ハッキリ言って勝てるどころかまともにダメージを与えられる気すら、微塵も感じられない。

 

だがほんの僅かながらも、先程の死線とは比べるまでもない小さな余裕を持っているのも事実だった。

つい先程、死に掛けたばかりで感覚が麻痺してしまったからだろうか。

いや、そうでは無い。まさかの大番狂わせ。ジャイアントキリング。ダークホース。

そんな言葉が最高にピッタリな心強い味方が。

いつも笑顔を絶やさぬ小さな英雄が、俺の味方に着いてくれると確信したからだ。

 

 

「上手くいったらチョコレートだけじゃなくて好きな菓子を好きなだけ食わせてやる‼︎ だから頼めるか⁉︎」

 

 

名前や性別はおろか、どんな生き物なのかも分からない謎のモンスター。

それでもその小さな身体を張って俺の身を庇ってくれたあの瞬間から、コイツは俺にとって最も信頼できる相棒になった。

随分と都合が良くて現金なことを考えている自覚はある。

出会った頃は散々に邪魔だとか、鬱陶しいだとか。そんなネガティブな感情しか抱けず邪険にしてきたモンスターに対し、思いっきり掌を返した下劣な人間だという自覚はある。

 

だからこそ。

だからこそ、後で精一杯謝ろう。それから思いっきり褒めてあげよう。

好きなだけ構ってやろう。お腹いっぱい甘いものを食べさせてあげよう。。

俺に出来る事なら、文字通り何だってしてあげよう。

 

だから。今この瞬間だけは。

 

 

「もう一発ぶちかませ‼︎」

 

「ソーナノー‼︎」

 

 

頼らせてくれ。相棒。

 

 

 

バキィッと再び激しい音が衝撃と共に鳴り響く。

襲いかかって来た二匹目の獣は、やはり先程の襲撃を焼き直しするかのように水色の小さな身体に弾き飛ばされて二度三度と地面をバウンドして倒れ込んだ。

だが、そのまま沈んでくれるかと思いきや、勢い良く跳ね上がるようにして瞬時に起き上がる。

どうやら先程の個体より身体が丈夫らしい。改めて観察すれば心なしか身体も一回りは大きく見える。

 

だがそれでも勝機は十分だった。

 

 

(イケる‼︎)

 

 

既に敵の脚は弱々しく震え、その顔面に至っては衝撃の為か大きく変形し、文字通り牙も何本か折れているだろう。

手負いの獣は恐ろしいとよく言うが、ここまでグロッキーならば恐れる事など何も無い。

その証拠に目の前の化物がつい先程まで浮かべていた捕食者の形相はすっかり崩れ、恐怖に怯えた被食者の表情へと変わり果てているのが見て分かった。

 

ここで仕留める。そう決意して包丁を握り直して一歩前へと進む。

そんな俺に怯えたのだろう。負け犬と化した獣は「キャウン」と情けない声を上げたかと思うと、すぐさま踵を返して逃げ出した。

だがその足取りはどこか弱々しい。確かに普通の中型犬に比べれば決して脚が遅いという訳では無いが、此方を食らわんとした時のあの疾走とは比べるまでも無い。

俺が全力で走れば簡単に追いつける速度だ。

 

包丁を逆手に構え直し、脚に力を込めて態勢を低くする。

そしていざ駆け出さん。そう決めた、その時だった。

 

 

「あん?」

 

 

俺は何やら奇妙な事に気がついた。

先ず異変が起きたのは逃走を計る獣からだった。

必死に逃げ出していた筈なのに、何故かある一定の距離まで離れたかと思うとその場で止まってしまったのだ。

一瞬、逃げるのを諦めて立ち向かって来るのかと気を引き締め直すもどうやらそうでは無いらしい。

よく見ると四本の脚はジタバタと全力で動いているのだが、まるで『何かに強引に繋ぎ止められている』かのように前へ進む事が出来ないようだ。

 

そして次に気がついたのは、影。

夕陽に照らされた影は俺の真正面に伸びている。

つまり俺の前方へと逃げ出した負け犬の影も、俺の視界にはハッキリと映らない正面側に出来ていないと物理的におかしい筈だ。

だというのに奴の影は『何かに引き寄せられるよう』にして『不自然に此方側に引き延ばされている』でないか。

 

怪訝に思いゆっくりと奴の影が延びる先を目で追いかけ、やがて振り向いた。

凡そ予想通りとは言え俺は感嘆の息を吐いた。

影の先に居たのは然もありなん。

 

 

「お前。本当に優秀なのな」

 

「ナノナノ」

 

 

態とらしく片足でステップを刻みながら、負け犬の『影を踏み付けて繫ぎ止めている』小さな相棒の姿がいた。

 

 

(影縫い、影踏み。カッコつけて英語っぽい名前つけるならシャドウバインドってところか? 効果は敵の逃亡阻止。さっきの反射スキルとは別系統のパッシブスキルってとこか)

 

 

ニコニコとした朗らかな筈の笑みに、どことなく凄みのある影を感じたのは気のせいだろうか。

前線に立って敵の攻撃を受け止め、手段は不明だが相手にも強烈なダメージを与えつつ逃亡まで阻止する。

改めて考えればなんと優秀なタンクだろうか。

これがMMOの世界だったら引っ張りダコの性能だろう。

 

 

「ナノ〜?」

 

 

トドメは刺さないの? 思わず見惚れていた俺にそんな疑問を伝えたいのか相棒は小さく首を傾げた。

それに応える為に小さく息を吐き出して気合を入れ直し、気を取り直して思いっきり駆け出した。

ジタバタともがいていた負け犬が俺の足音に気付き振り向く。

焦るようにひたすら前へ前へと駆けようとするも影という鎖に繋がれたコイツに逃げる術は無い。まるでルームランナーの上で走り続けているような醜態を晒す獣との距離はグイグイと縮んで行く。

 

そしてその距離があと一歩となった所で、逃げ出せない事を悟ったのであろう。

ボロボロの負け犬は焦ったようにひっくり返り、背中を地面につけ腹を剥き出しにして「クゥン」と媚を売るような声で鳴いた。

 

なる程。どうやら降参したらしい。

 

 

 

で、それが?

 

 

 

「死ね」

 

 

俺は負け犬の顔面に飛びかかるようにして刃を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局お前はどんな生き物なんだろうな?」

 

 

足下に向けて俺が問いかけると水色の小さなソイツは「ソーナノ」とご機嫌な声で謎の返事をするとニコニコと微笑んだ。

その手には無人となったコンビニから拝借したイチゴ味のチョコレート菓子が握られている。

これからますます厳しくなるであろう食料事情、本来ならこんな贅沢を覚えさせるのは良くないだろうが今回のMVPは間違いなくコイツだ。

二度も命を救われたのだから煩いことを言うのはまた今度だ。

 

 

(それにいくつか気になる事もあるしな)

 

 

俺が二匹目にトドメを刺した後の事。コイツの身体が一瞬だけ白く発光したのだ。

一体何が起きたとよく見てみると、やけにご機嫌になった相棒が跳ね回りながらシャドーボクシングのような動きで、はしゃぎ始める。

更によくよく観察を続けると、二度の戦闘で負っていた筈の傷痕が僅かに薄くなっている。

そう、まるで体力を回復したかのように。

 

体力の回復。それから力が滾って仕方ない示すようなアピール。

自分は強くなったんだ。そんな心情を訴えるかのような、元気いっぱいな様子を見て、俺はふと思い付いた。

 

 

「まさか、レベルアップか?」

 

「ソーナノ! ソーナノー‼︎」

 

 

小さな身体で器用に頷いては笑顔を更に深いものにして俺の右脚に抱き付いて来る。

どうやら正解のようだ。

 

謎のモンスターの出現。

現代科学をぶっち切って無視する魔法のような多種多様な攻撃手段。

オマケに戦闘を経て異様なまでに成長する体力やステータス。

 

 

「本格的にファンタジーものの育成ゲームの世界じゃねえかよ」

 

 

力無く空を仰いだ俺の考えは的外れなものでは無いだろう。

きっとこの世界はどこかのファンタジー世界と融合してしまったのだ。

モンスターハンターのように対人間でどうにかなるようならともかくとして、あの犬型ですらここまで手こずっているのだ。

世界中で出現しているモンスターの殆どには銃火器が効いてなかった筈。

つまりモンスターに対抗するにはどうにかして、モンスターを味方につけて戦ってもらうしか無いという事だ。

 

なんて良くある育成ゲームの世界観だろうか。

主人公はテイマーやサモナー系かな? 経験値の分配は難しいけど確かに夢のあるジョブだよね、俺も大好きさ。

だが現実にそんなシステムを強引にぶち込んだ結果がこの地獄絵図だ。ファッキン・ファンタジー。

ゾンビ映画よりタチが悪い。

 

 

「ナノナノ?」

 

 

クイクイとズボンの裾を引っ張られてふと足下を見やる。

そこには相変わらずニコニコとした微笑みを浮かべる小さな恩人の姿がある。

 

俺は少し態とらしく、「ふぅ」と息を小さく吐き出した。

それから周りに敵がいないかの確認を済ませるとしゃがんで目線を合わせた。

チョコレートで汚れたソイツの口元をパーカーで軽く吹き、その頭を優しく撫でてやる。

想像通りのプニプニとした感触と、少しヒンヤリとした体温が心地よかった。

 

 

「ありがとな。助けてくれて」

 

「ソーナノー‼︎」

 

 

これから世界はますます生きにくくなるのだろう。

映画の世界のような、死にかけるような悪意や脅威だって何度も襲いかかって来るのだろう。

 

だが、それでも。

 

 

「一緒に、来てくれないか?」

 

 

 

この小さな相棒が居れば、きっと生きていける筈だろう。

らしくもない希望的観測を口にしている自覚はあった。

 

確信も無ければ根拠も無い。ただの強がりのような俺の言葉。

だけどそんな言葉に笑顔を輝かせ、俺の胸に飛び込む『笑顔を絶やさぬ』(スマイルと名付けた)相棒の為にも。

 

 

 

 

 

俺は絶対に生きてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なお抱きしめた相棒が以外に重くて、支えきれず転けた事は忘れて欲しい。

 




・ソーナノ ほがらかポケモン(エスパー)
身はコラーゲン質でほぼ味は無い。水煮にして山葵醬油で頂くとなかなかの珍味。


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1ーED 転生者・土屋 大地の慟哭

エピローグって1章目のエピローグって意味なんで最終回では無いです。
12/20加筆修正済み。


ー都内某所・アパートの屋上にてー

 

 

 

今夜はこんなにも見事な満月だというのに、錆びついた金属のような鈍い色に映った。

方々から立ち昇る、白黒灰と入り混じった煙に霞んだ月光にボンヤリと照らされた一人の青年。

その顔色が、すっかり生気が抜け落ちて灰色に見えたのは果たして偶然なのだろうか。

 

長身の青年、土屋 大地(つちや だいち)は死人のような顔で自宅アパートの屋上にて呆然と立ち竦んでいた。

右手にしっかりと握っていた筈のスマートフォンは脱力感のあまりか薄汚れた屋上に転がり落ちていたが、大地はそれに気づきもせずに途方に暮れたように身体を凍りつかせている。

口を大きく開けて間抜け面を晒す男の顔は、やはり死人のようにしか見えなかった。

 

 

「……嘘だ」

 

 

目の前に広がる惨状を否定するかのように言霊が零れ落ちた。

それと同時に瞬き一つせずに固まっていた両の眼から涙が溢れ、そのまま頬を伝う。

呼吸をしようにも上手くいかず、ヒュウと喉から笛を鳴らした音がするだけだった。

次第に身体は小刻みに震え、甲高い耳鳴りが鼓膜を通して脳髄に突き刺さる。

胃液が次第に逆流し、ほんの少しでも気を抜けば嘔吐する事だろう。

 

激しい無力感に苛まれた大地は、彼自身の精神のキャパシティを軽々と超越したこの非日常的な光景に、ついにはドサリと音を立て膝から崩れ落ちた。

 

 

「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ」

 

 

轟音を立てながら倒壊するビル。

激しい爆発を起こして粉々になった駅構内。

黒煙を立ち上らせながら轟々と燃え盛る市民病院。

衝撃音と共に軽々と吹き飛ばされていく軽トラック。

そして崩壊された日常から必死に逃れようと悲鳴を上げながら逃げ回り、それでも蹂躙される人間達。

 

そしてその元凶たる。

モンスター。

 

欲望と本能のままに暴れ回り、人々を殺し、街を破壊している大小様々な種族が入り乱れる未知のモンスター。

その姿を青年は認められない。認める訳にはいかなかった。

 

 

「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ‼︎」

 

 

大地はそう大声で叫びながら両腕で頭を抱え、何度も何度も地面に額を打ち付けた。

その衝撃で額は裂けて血が吹き出し、脳が激しく揺れて吐き気と頭痛がさらに悪化した。

だが、そうまでしたところで現実は何も変わらない。

どうか悪夢から覚ましてくれ。そんな願いを込めた自傷行為は燃えるような激痛を通して、この地獄が現実だと無情にも彼自身に訴えるだけだった。

それでも、どうしても目の前の現実が認められない大地は何度も頭を床に打ち付け、やがて電池が切れたオモチャのようにピタリと動かなくなった。

 

 

「何で……何で……」

 

 

血塗れの顔面をゆっくりと上げると、涙を拭う。

産まれたばかりの子鹿のような頼り無い脚で力なく立ち上がりながら、震える自身の身体を必死で抱きしめた。

きっと夢から醒めた筈。現実から逃げるようにして請い願いながら再び視界に捉えた世界は、やはり先ほどまでの惨状と何一つ変わる事は無かった。

 

 

悠々と空を舞いながら鉄塔をその翼で切り裂く鋼の鶴。

雄叫びを上げながら見上げるようなその巨体でひたすらに暴れ回る熊。

身体をホイールのように丸めて人も車も轢き潰しながら爆走する象や、電柱に噛り付いて電気を吸収している毒々しい体色の不気味な大蜘蛛。

そんなモンスターを。『本来なら』そんな事をする筈がないモンスター達の存在を。

土屋 大地はどうしても認める事は出来なかった。

 

何故なら、彼は知っていたからだ。

本来の『正しい彼らの姿』を。

 

 

「何で『ポケモン』が俺達を殺すんだよおおおおおおぉぉぉぉ‼︎」

 

 

血を吐くような叫びと共に、魂の慟哭が地獄と化した都会の空に響き渡る。

そして絶叫すら無情にも掻き消すかのようにして。

日常が、世界が、人間が。

今まで甘受してきた、ありとあらゆる平和そのものが崩壊する音が絶え間無くなり続けるのだ。

 

 

エアームド、リングマ、ドンファン、デンチュラ。

大地は彼らの名前や生態、種族からといった些細な情報の事細かまで全てを知っていたのだ。

もちろん彼らの事だけでは無い。

叫び回り爆音で民家を吹き飛ばすドゴームの事も。

血走った眼に映る、全ての敵に襲いかかかり血祭りに上げているヤルキモノの事も。

空から三つの首でそれぞれ破壊光線を放ちながら飛び回るサザンドラの事も。

不意に地中から飛び出したと思えば、頭上で慌てふためいた人間の下半身を食いちぎったナックラーの事も。

 

 

「違うだろ⁉︎ ポケモンは‼︎ 俺たちの‼︎ 人間のパートナーだろうが⁉︎ お前ら何なんだよ⁉︎ ロケット団の手先なのか⁉︎ あああああぁぁぁぁ‼︎」

 

 

彼は知っていた。知るはずも無い彼らモンスターの全てを知っていた。

とある世界で『ポケットモンスター』と名付けられた、全く未知な生物達の知識を確かに持っていた。

 

結論から言えば土屋 大地は転生者だった。

若い内に自動車事故に遭い、呆気なく人生を終えたかと思えば記憶を引き継いだままに新たな生を与えられた。

原因も因果も一切が解らない。彼は仏教徒でもなかったし、死後の世界でいわゆる神様的な存在に遭遇した訳でも無い。

ふと気がついた時には既に前世の記憶を思い出し、年の割には異様に大人びた少年として新たな生を歩み始めたのだ。

 

前世の記憶が津波のように押し寄せ、新たな人格と混ざり合うようにして記憶が戻った当初は酷く混乱したものだ。

この世界に馴染めるか、果たして不審に思われずに年相応に振る舞えるかと不安を抱いたが、結局ソレは杞憂に終わった。

何故ならば、この世界は彼の前世における世界と『ある一点』を除いて全く同じ世界だったからだ。

 

『ポケットモンスター』。

縮めて『ポケモン』と呼ばれるゲームソフトやそれに関連する作品が一切存在しない事。

ただそれだけを除いて。前世にて、その青春の全てを注ぎ込んだ大切な思い出が存在しない事だけを除いて。

 

その事に気がついた大地は直ぐにインターネットで情報収集を始めた。

ポケモン。ポケットモンスター。ピカチュウ。サトシ。カプセルモンスター。等々。

思いつく限りポケモン関連のキーワードを何百何千と検索にかけるも、ついに目ぼしいものはヒットしなかった。

やはりこの世界ではポケモンは存在しない。それどころか知っている人間すらいないのか。

そう落胆する青年を、神は見捨てる事は無かった。

きっかけは良くあるチャット相手を募集する趣味の掲示板の書き込みだった。

 

 

『ポケットモンスターの知識がある人を探しています。私はアナタと同じ、やり直している人間です』

 

 

大地はその書き込みを見つけた時、歓喜の雄叫びを上げた。

大好きなポケモンを知っている存在。すなわち転生者が自分だけで無いと知った時の感動は言葉に出来ないものだった。

迷う事なくその書き込みに飛び付いた彼はすぐさまコンタクトを取った。

自分も転生者である事や、いかにポケモンを前世でやり込んだかをツラツラと書き連ねた。

そしてあっという間にスレッド主と個人的にスカイプのやり取りをする間柄になり、彼と協力してポケモンについての知識を持つ同士。つまりは前世からの転生者を捜し集め、定期的にオフ会を開いて交流を始めるまでに至った。

 

最終的に集まった転生者の数は年齢男女バラバラの8人。

奇跡的にも基本的なジムリーダーの数と合致した。

彼ら同好の士はグループチャットや定例となったオフ会で互いに連絡を密に取り合い、ある一つの目標を掲げた。

この世界にポケットモンスターが存在しないというのなら、前世の記憶を頼りに自分達の手でポケモンをアプリゲームとして作りあげて流行らせよう。と。

 

8人が心を一つに夢を追い始めてから約3年。

掲示板にスレッドを立てたプログラマーの男を中心にしつつ全員で協力しながら開発を進めて来た。

何度も修正し、テスターを募集して意見を取り入れ細かい調整を済ませたのがつい先週。

そしてついに今朝、開発班のリーダーからメンバー全員へ待ちに待ったメッセージが送られて来たのだ。

 

 

『全ての調整が終わった。明日の朝には俺達の夢が形になる。ポケットモンスターがこの世界に甦るんだ』

 

 

その知らせを受けた大地は期待に胸を膨らませ、夜明けを待っていた。

まるでサンタクロースを待つ幼子のように。

どこまでも純粋に、自分の青春の思い出が蘇る瞬間を待ち望んでいた。

唯、それだけだったというのに。

 

土屋 大地の希望は、全く予想だにしない形で崩壊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夢だろ、これ。なぁ? 悪い夢に決まってる」

 

 

震える脚を庇うようにしてフラフラと屋上のフェンスに向かい歩き出すその様は、死んだ顔つきも相まって夢遊病患者かリビングデッドにしか見えなかった。

瞳は虚ろ、真っ青な唇からは現実を否定するための妄想をブツブツと呪文のように呟き続けている。

大地の精神はすっかり限界を迎えており、もはや痴呆の老人や薬に犯された廃人となんら変わらぬ容貌と化している。

だが彼にとっては最早ただ目の前のカタストロフを否定する事に必死になり、それ以外の事を考える余裕がなかった。

 

そうだ、夢に決まっている。ポケモンは人間の友達なんだ。

っていうか、そもそもポケモンって二次元のキャラだし?

そりゃ現実に現れて欲しいとは思ったけどさあ。だからってコレは無しだわ、無し。マジで無し。

そもそもポケモンっていうのは悪戯に人間を傷つけたりしないし。殺したりなんかしないし。

ハイ、論破。QED。夢オチ決定。

これはムウマが魅せた悪い夢。

 

 

「夢オチとかサイテー……ハハッ。早く覚めろよ」

 

 

今にも崩れ落ちそうな覚束ない足取りのままに、倒れこむようにしてフェンスに寄りかかる。

錆びでボロボロになった鉄柵は、カシャンと軋む音を立て、その衝撃だけで所々にヒビが入り、その形状も僅かに歪んでしまった。

今にも崩れそうなその様は、まるで大地の心を比喩したかのようだった。

 

嗚呼、これは悪い夢。誰でもいい。誰でもいいからこんな悪夢から救ってくれ。

涙は既に枯れ果てた瞳を血走らせ、繰り返された絶叫の反動で血が混じった吐瀉物を吐き出しながらも大地は願い続けた。

誰に願っているのかすら分からぬまま、唯々一心不乱に懇願した。

 

嗚呼、きっとその願いが通じたのだろう。

この惨状をこれ以上見たくない。そんな願いを叶える為に『彼』は来てくれたのだろう。

 

 

 

ほら、フェンスにもたれる青年の背中に。

まるで羽虫が集るように。

ゾワリゾワリと周囲を冷やし。

黒いスモッグが次第に重なり。

その中心に無機質な大きな眼球が。裂けるような口が浮かび上がって。

怨霊が今まさに産声をあげながら。

目の前の男の心臓に向かってゆっくりと……

 

 

 

 

 

「……ゴゴゴ……ゴース……イーヒッヒッヒッ……‼︎」

 

 

 

 

 

 

黒い霧に包まれて。

また一人。死の街へと消えて逝く。

 

 




・ゴース ガスじょうポケモン(ゴースト/どく)
致死性のガスで包まれた実態の無い存在の為、食べる事は出来ない。が、一説によるマダツボミの塔にて厳しい修行を積んだ僧ならば、食べる事が出来るという都市伝説がある。


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閑話1 『R』

ご無沙汰してごめんなさい。近況について詳しくは活動報告に書くつもりです。


「うーん……」

 

 

思わずカメラのレンズを覗き込むもどうにも落ち着かない。

周囲の人間からはいわゆる今風の若者だとよく揶揄される青年だったが、実のところ彼は大の機械音痴だ。

フェイスブックを始めとした様々なSNSも学生時代に流行りに流され登録だけはしてみたものの、その楽しさや利便性を体感する前にすっかり飽きて放置してしまった。

愛用しているスマートフォンもどちらかと言えば新しめな機種にも関わらず、内臓されているアプリや各種機能だって写真撮影や一部の無料通話アプリぐらいしか使った事も無い。使う気も無かった。

 

少なくとも、3日前では。

今後とも使う気は無かったのだが。

 

 

「これ本当にちゃんと撮れんのかなぁ? テキトーにパクったから使い方わっかんないよ。編集とかできるのかしら?」

 

 

くすんだ金色の長髪を掻き毟ると、その振動につられて両耳につけた大量のピアスがジャカジャカとマラカスのように音を鳴らした。

龍を模した派手な刺繍入りの黒のドレスシャツに赤のチェックのスキニーを組み合わせたその姿は徹夜明けで疲れ果てた夜職の男のようだ。

肩掛けした派手なカフスで飾り付けたテーラードジャケットのボルドーが、なおの事ホスト面を主張している。

もっとも、シャツどころか靴下一枚さえも彼自身で購入したものでは無いのだが。

 

 

「あーテステス。オッケオッケ、声は通るな。そっちは準備オッケ?」

 

 

心ゆくまでレンズを眺めては指先で弄んだ青年はようやく満足したのか、顔を上げてカメラを構える相棒に声をかけた。

歯を剥き出しにしてチェシャ猫のような笑みで肯定する偉大なる小さな相棒の笑顔に、青年はつい最近知り合った関係とは思えない程の居心地の良さを覚え、何となく胸が暖かくなる。

我らが小さな親友は、両手はフリーのままにして彼の第3の手とも言える長い尾の先にしっかりと高性能のビデオカメラを握っていた。

 

 

「SMOKIN'」

 

 

口癖となったスラングで相棒を褒め称えながら、青年はニョロりと伸びたその紫色の尾に視線を向ける。

なんかアレに似てるな、ほら。自撮り棒だっけ?

そんな事を考えながら青年はカメラの前でスタンバイ。前髪や着慣れぬシャツの襟を毛繕いみたいに弄りながら相棒の合図を待った。

 

カメラの向こうの小さな相棒は、短い指先で器用に三本の指を立てた。

カウントダウン開始だ。

 

スリー、ツー、ワン。

アクション‼︎

 

 

「ハイどーも‼︎ 皆さん始めまして終末系配信者の」

 

「の、の、の」

 

「…あー、うん。ちょっとカメラ止めて」

 

 

派手に指を鳴らしながらカメラにポーズを決める。が、開幕の挨拶で唐突にフリーズ。

カメラを構えたまま首を傾げた相棒にちょっとゴメンと短く謝罪するとカメラストップ。

どうやら重要な事を決め忘れていたらしい。

 

 

「あー、ほら、名前よ。名前、決め忘れてたわ。こーいうのって本名でやるもんじゃないんしょ? 知らんけど」

 

 

もともと動画配信者という職業の存在は名前だけは知っていた。

だが故あって特定の住所を持たずにフラフラと放浪じみた生活を送っているこの青年にとって、それが具体的にどのような仕事なのかというのはごく最近まで知らなかった。

動画配信者とはとても自由な仕事だ。

利用する動画配信サービス会社の規約と、一般的なネットリテラシーや法律さえ守れば基本的にはどのような内容を配信しても許される。

オマケに一定以上の視聴者を稼いで成功してしまえば、悠々とした生活がおくれる程の収入が。

また、基本的には自分の顔を売っていく仕事なだけあって下手な芸能人とは比べ物にならない知名度を得られる。

もちろん最低限の設備さえ揃えてしまえば直ぐにでも始められる、とても敷居が低い業界だからこそ幾人かの輝かしい成功者の陰には数え切れない程の敗者がいる訳なのだが。

実のところ、これらの事実は青年にとっては割とどうでも良かった。

 

何をしても良い。面白ければ売れる。楽しければウケる。やりたい事がやりたい放題やれる。

まさに天職ってやつじゃないか‼︎

そんな天啓を受けたような気になった彼は、何件目かのお宅に『お邪魔』した際にパソコンを借りて名だたる配信者を調査し、ひたすらに動画を漁った。

そして慣れない機械操作に四苦八苦しながらも、なんとか簡単な動画編集の技術や方法を学んだ。

これにて準備完了。さあさあ、いざ行か我が栄光の一歩を。

という感じで気合いを入れて初めての撮影に踏み込んだは良かったものの、些か勇み足だった。

 

 

「名前ー名前ー何かないかー。ジョンドゥ。ジョン。ジョニー。トニー。ポニー。ソニー。コニー。コナー。ロナー。トリャー。ソリャー。アチャー」

 

 

あーだこうだブツブツ言いながらカメラの前を行ったり来たり。

もう面倒だし、いっそのこと本名でやっちまおうか。

そう諦めようとしたその時、この刺激的かつ甘美なる世紀末で出会った我がソウルメイト。最高にCOOLな(なおFOOLな部分も目立つが、それを含めて大好き)目の前の相棒の存在を改めて思い出した。

もっと詳しく言うなれば相棒の名前についてを、だ。

出会った当初は特に難しく考えもせず、ほぼほぼ直感で名付けたものだが、ここはあの名作映画に準えて名前を合わせるべきだろう。

ウンウンと芝居掛かった動作で頷いた青年はビシッとポーズを決めて相棒に向けてリテイクを指示。

再び始まるカウントダウン。

 

スリー。ツー。ワン。

アクション!

 

 

「ハイどーも‼︎ 皆さん始めまして終末系配信者の『ペニー』です‼︎」

 

 

指を鳴らしてカメラにポーズ。

SMOKIN'‼︎ 絶好調‼︎ 最高に決まったぜ‼︎

オープニングのBGMは『ヘイ・ パチューコ』を流そう。

いや、前奏長いし爽やかに『雨に唄えば』とかがいいかな。メジャーだし。

あ、でもインパクト的には『インディアン・ラブ・コール』の方がいいかな? 通向けっていうか、そんな感じで。

……いや、やっぱりそっちはエンディングにしとこう。脳みそ爆発オチだし、終わりに相応しいでしょ。

そんな自画自賛と今後の編集についてをあれこれ考えながら、終末系配信者『ペニー』の撮影は幕を開けた。

 

 

「そしてー‼︎ ペニーの相方。魂で繋がった親友! 前世は多分兄弟とかだったんじゃないかなマジで‼︎ カメラマン兼、アシスタント係のー……」

 

 

早口で捲し立てるように台詞を飛ばしながらカメラ越しにアイコンタクト。

するとすかさず相棒がピョコンと登場。

まるで名作『グレムリン』に出てくるグレムリンのような(笑いどころ)大きな耳と、真っ白な歯が並ぶ大きな口が特徴の『紫色の猿のようなモンスター』がペニーの右肩に着地した。

その衝撃で尾っぽに掴んだカメラがガクガクと手ブレ(むしろ此れは尾ブレ? いや、手のような尾だからやっぱり手ブレ? 判断が実に難しいところでございますなぁ)したがそこはご愛嬌。

後で編集して綺麗に繋いでおこうと青年は思考しつつも撮影は続く。

 

 

「とっても可愛いお猿の『ジョージィ』君でーす‼︎ ハロー。ジョージィ」

 

「キキキッ! パームパム‼︎」

 

 

ペニーの紹介にジョージィは鳴き声を上げながら宙に構えた尾先のカメラに向かって手を振った。

紫色の毒々しい体毛や、パートナーに影響されてか両耳に飾り付けられた大小様々な大量のピアスがギラギラと光る。

独特の鳴き声や明らかに普通とは違う進化を遂げた腕のような異形の尻尾。

コレらを観察し、可愛いお猿。と形容する事は恐らく常人には難しい事だろう。

 

 

「あ、あくまで呼ぶ時はジョージ。じゃなくてジョージィって呼んだげてね?」

 

 

そんな客観性を放棄したペニーは愉しげにどうでも良い事をマイクパフォーマンスに乗せて語り続けていた。

彼にとってジョージィは可愛いお猿であり、魂の繋がった相棒。

戯けたように語ってみせたこの台詞は、彼にとって何のジョークも含まない大真面目な言葉なのだから。

 

ジョージィとの出会いや近頃の情勢などをベラベラ語り続けること約5分。

掴みはこんなものでいいだろう。そう感じたペニーは配信の肝である企画に移ろうと決めた。

 

 

「さて‼︎ 最初の配信である今回の企画はーーーコレ‼︎」

 

 

あ、ここでババンって感じのSE入れよう。

そう考えながらカメラの前に突き出したペニーの手の中には真っ赤なソースが入った細長い瓶が握られている。

ラベルには毒々しい髑髏のマークが貼られており、悪戯厳禁の旨が綴られている。

 

 

「はい皆さんご存知デスソース‼︎ そう、この超激辛なデスソースを一気飲みしたら果たしてどうなっちゃうのか検証してみようのコーナー‼︎」

 

「パムパーム‼︎」

 

「イェーイ‼︎」

 

 

はい拍手ー‼︎と叫びながら手を叩くペニー。

何処からか取り出したクラッカーを鳴らしてでペニーに乗っかるジョージィ。

その後に響く静寂。

 

 

「……」

 

「パム?」

 

「なんか虚しい」

 

後々SEをガッツリ入れるつもりだが、動画撮影ってこんなに寂しいモノなのか。シーンと擬音でも鳴りそうな静寂にペニーはほんの少しだけ泣きたくなった。

とは言え、ようやく企画が始まった処なのだ。

ここで挫けては居られない。物静かな雰囲気を弾き飛ばすようにして気合を入れ直し、ペニーは強引にテンションを上げた。

 

 

「ん、んんっ‼︎ ではでは本日の特別ゲストを紹介しまーす‼︎ 今回の企画に挑戦してくださるのはこの方々」

 

 

ペニーの掛け声に合わせてジョージィのカメラが動く。

背後を振り向くとハンディカムの液晶モニターは次第にゲストの姿を映し出す。

ユラユラと揺れる尻尾の影響か、ガタガタにブレた映像だが、そこには椅子に座った三人の人影が写っている。

 

 

「モンスター蔓延る終末世界‼︎ だというのに怪物ちゃんに捕まる前にペニーちゃんに捕まっちゃったラッキーファミリー‼︎」

 

やがてジョージィがコツを掴んだのか映像のブレは次第に収まり、人影は男女の姿へ変化していく。

大中小と分かりやすいその大きさは夫婦とその娘、つまり一般的な家族の姿だろう。

 

 

「斉藤家の皆さんでーす‼︎ ハイ拍手ぅ‼︎」

 

 

カメラはしっかりと写し出した。

『椅子に縛り付けられた上に口枷を嵌められ、恐怖の表情ですすり泣く家族の姿』を。

憎々しい程にハッキリと。

 

 

「ハイ! では早速チャレンジに行ってみましょう。先ず最初のチャレンジャーは一家の大黒柱のお父さんから‼︎」

 

 

心の底から楽しそうに。無邪気な子供のような笑顔のままペニーは語り続ける。

妙に手慣れた手つきで一番右側に縛り付けられていた父親の口枷を外しにかかる。

あり合わせのタオルで作った即興のソレが禿頭の男の口から外れると同時に中年男は顔を真っ赤にして怒鳴りだした。

 

 

「貴様! 自分が何をやってるのか分かってるのか‼︎ 住居不法侵入に暴行罪だ‼︎ この犯罪者が! 非国民が‼︎ とっととこの縄を解け‼︎」

 

 

縛り付けられた椅子が何度も跳ねる程に派手に暴れる男の様にペニーは笑顔を崩して辟易とした。

動画映えするから元気なのは結構な事だが非協力的なのは頂けない。

せっかく盛り上げたテンションも微妙に萎えてきてしまう。

仕方ない。ここはいっそ小粋なジョークでも飛ばして友好関係を築いていくべきだろうか。

ペニーはそう決意すると役者のような大袈裟な身振りで改めて男の前に向き合った。

 

 

「えー。毎度、馬鹿馬鹿しいお話を一つ。隣の家に囲いが……」

 

「ふざけるな‼︎ とっとと離せ糞野郎‼︎ ただで済むと思うなよ⁉︎ 絶対にぶっ飛ばしてやる‼︎」

 

「囲いが……」

 

「糞が‼︎ とっとと縄を解け糞野郎‼︎ 早くしろ‼︎ 妻と娘のもだ‼︎ ぶん殴ってやる‼︎ ぶっ殺してやるぞ‼︎」

 

「あー……」

 

 

聞く耳持たないとはこの事か。

やれやれだぜ。ペニーは肩をすくめると説得を諦めた。

対話での交渉は無理だったのだ。仕方ない、こういう時の選択肢は限られている。

 

 

「アチョー‼︎」

 

「ぶぎっ⁉︎」

 

 

考えるな、感じろ。

燃える龍となったペニーは衝動のままに中年男の顔面に弾丸の如く拳をぶち込んだ。

縛り付けられた男の鼻がへしゃげ、鼻血が飛び散る。

 

 

「アチョ‼︎ アチョ‼︎ ホーアタッ‼︎」

 

 

ワンツーとコンビネーションを決め、最後は大きく勢いをつけた回し蹴りで横っ面を打ち抜く。

男は豚のような悲鳴を上げて、軋む椅子ごと横倒しになった。

歯が飛び散り、鼻だけでなく口からもドクドクと血を垂れ流している。

そんな一家の大黒柱の愉快な姿に何を感じたのか、隣で拘束されている妻子の口枷越しに漏れ出ているくぐもった泣き声が大きくなった。

 

 

「うーん、喧嘩はあんま得意じゃないんだけどねー。まあ静かになったならこれで良し」

 

 

ペニーはやれやれと疲れたように呟きながら、お多福のように膨れ上がった男の頬を強引に掴み上げる。

痛みと屈辱に呻く哀れなオッサンの口へ、そのまま蹴り上げるようにして右脚を振り抜くとブーツの先を強引に捩じ込んだ。

当たりどころが悪かったのか、再び歯が砕ける音と、えづいた様な汚い悲鳴が上がる華麗にもスルー。

最後に本日のメインである真っ赤なソースを取り出してキャップを素早く開けるとカメラに向かって笑顔で叫んだ。

 

 

「はーい‼︎ それでは改めてお父さんのデスソースチャレンジ! スタート‼︎」

 

 

宣言すると同時に視線で命乞いをする男の喉奥に、真っ赤な激薬を瓶ごと突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんか思ったよりつまんなかったなぁ」

 

 

とりあえず撮影を終えたペニーはパソコンにて編集作業を行いながら退屈そうに呟いた。

大きく伸びをすると、デスクに備え付けの回転式チェアーに身を投げ出すようにクルクル回って背後の惨状をチラと眺めた。

 

縛り付けられたまま痙攣する中年男は顔から3本の瓶を生やす、前衛的芸術作品の出来損ないへと進化。

口から、そして本来なら眼球が入っている筈の部分から根を張るようにして空になったガラス瓶が飛び出している。

 

その奥には色白で程よく脂を乗せ、熟し初めと言った年頃の美女がムッチリとした大きな桃尻を突き出すようにして四つん這い。

せっかくの色気に満ち満ちた美貌も白目を向いてヨダレを垂れ流し、おまけに肛門からガラス瓶を生やしていれば台無しだ。

何度挿入しても反射機能のせいなのか肛門括約筋が無理矢理でも瓶を外へ外へとひり出そうとするものだから、は最終的にガムテープでバッテンするように蓋をしなければならなかった。

 

唯一まともなリアクションをしてくれたのは隣で気絶している高校生と思われる娘さんぐらいだろうか。

母親似の美少女は解剖されたカエルのようにガニ股でひっくり返り、時折ピクピクも痙攣している。

真っ赤に染まった彼女の女性器からは5本の瓶が強引に捻じ込まれている。

彼女の股間からドボドボと漏れ出ている真っ赤なソレは果たして血液なのかソースなのか。

 

 

「もっと派手に暴れたり声が上がったりするもんだと思ってたのにさー。拍子抜けっていうかさー。どう思うよジョージィ?」

 

「パム?」

 

 

ペニーの気怠げな声にジョージィはお手玉代わりにしていた血濡れの眼球を適当に放り投げ、相棒の肩に滑るように飛び乗る。

紫色の体毛はすっかり真っ赤に染まっていたが、ペニーは特に気にする事なくアンニュイな溜め息を漏らすだけだった。

だって、あんまりだったのだ。あんまりにも地味な絵面だったと思うのだ。

 

先ず父親は普通にソースを飲ませても顔を赤くして噎せるだけで何にも面白いリアクションを取ってくれない。

というか喉が焼けたせいか碌に喋ることすら出来なかったのだ。

この時点でかなり萎えた。

ならお色気シーンを足せばマシになるかと思い、妻と娘の服を剥ぎ取ってみたところ、再び中年男がギャアギャアと騒ぎ出した。

いい加減に面倒になったペニーはDr.ジョージィの名手術で生きたまま眼球を摘出。

ギニーピッグを彷彿とさせるナイスなリアクションに僅かに心が踊り、せっかく空いた穴だからと眼球が有った部分から再びデスソースを飲ませてみたら、あっさりと死んでしまい意気消沈した。

 

なら次は色気ムンムンな奥さんに期待、とあえて肛門から飲ませてみるも、何と僅か数秒で気絶してしまい、ガックリと肩を落とした。

おまけに強引に広げた後ろの口からは汚物と混じりあった赤いソースがブピビと汚い音とを立てながら漏れ出してくるものだから、溜まったものじゃない。

 

オチの娘に関しては痛い痛いと元気よく叫びのたうち回るという元気の良さをアピールしてくれたは良いものの、彼女の下のお口は意外とおちょぼ口らしく、5本の瓶を挿入したところで白目を向いて気を失ってしまった。

せっかくだからキリよく10本は挑戦したかったのが本音だが、どうやら処女だったらしく拡張するには時間がかかると予想。

いくら可愛い女の子だったとしても、特別好意も興味も無い見ず知らずの少女の股座など極力弄りたくもないペニーは早々に飽きてしまった。

 

つまるところ、斉藤家の面々はペニーが期待するような面白リアクションを取る事なく全員が脱落してしまったのだ。

 

 

「萎えるわー。配信者向いてないのかなー?」

 

「パムパム」

 

 

大丈夫? と心配そうな鳴き声と共にジョージィはその長い尾でペニーの頭を優しく撫でた。

中年男の目玉を繰り抜く際にその尻尾にスプーンを握っていた為か思いっきり血塗れだったが、幸い誰も気にしなかった。

 

 

「あーあー。なんか参考になるような面白い動画ないかなー?」

 

 

編集作業に見事に飽きたペニーはネットの海に逃避する。

掲示板や動画投稿サイトをひたすら巡っては面白いものを探した。

モンスターに食われている人の写真や、自衛隊がモンスターに蹂躙されている瞬間を捉えた動画。

道路の真ん中で小学生くらいの女子児童を輪姦するポルノに、高校生がクラスメイトの首を切断するスナッフフィルム。

配信元の会社がマトモに機能していないせいか、どんな動画も検問無しで垂れ流しの状態だ。

だが平時ならともかくとして、何でもありの世紀末世界になった今としては特にペニーの気を引くものは無かった。

 

 

「ん?」

 

 

そんな時、その動画を見つけた。

 

少女にも見える美しい少年が、男の生首を抱え演説しているという動画だった。

まるで外国のテロリストの処刑シーンを再現するかのような少年の隣には、ヌイグルミのように見える不気味な黒いモンスターがふわふわと浮かんでいる。

このヌイグルミ擬きこそが少年のパートナーだろう。

サムネイルにも映っていたそのバストアップはなかなかインパクトがあり、ペニーも迷わず再生した。

だが肝心の演説の内容は酷いものだ。

とても幼稚で拙く、子供の妄言を垂れ流したような馬鹿馬鹿しいものだった。

 

 

「んふふ……」

 

 

あまりにも自分勝手な内容だった。

あまりにも考えが足りない内容だった。

そして何より、あまりにも唐突無形で非現実的な内容だった。

 

 

「せっ、世界征服って……ぶふっ! ぷぷぷっ‼︎」

 

 

モンスターの力で世界を変えよう。

世界を救おう。世界を我が手に。

我らこそが新しい世界を率いるのだ。

 

今時の中学2年生ですら小っ恥ずかしくて言えないような、馬鹿丸出しの世界征服宣言を聞き終えたペニーは腹を抱えて笑った。

 

 

「あっはははははははははは‼︎」

 

 

大きく仰け反り過ぎてチェアーからひっくり返り頭を打つ事も気にならなかった。

そのまま脚を激しくバタつかせたものだから踵が激しく痛みを訴える事気にならなかった。

血と糞尿が塗れた赤黒い液体でびしょ濡れになるも気にならなかった。

ジョージィが目と口を見開いて驚きを表していたが、ソレすらも気にならなかった。

 

 

「SSSSSSSSSSSSSSSSMOKIN‼︎」

 

 

実にEXCELLENTな話だ。

画面越しの小さなヒトラー殿は素晴らしく積極的かつ、攻撃的かつ外交的。

非常に若く、異常に大胆で、過剰に残忍。

面白い事をやるにはこーいう人間とおっぱじめるのが、うってつけだ。

 

 

「コイツはサイッコウにCOOLでFOOLだ‼︎ ペニーちゃんこーいう男の子は大好きだっ‼︎」

 

 

ペニーは床に寝そべったまま目を見開いて歓喜の雄叫びをあげる。

やがてハンドスプリングの要領でビヨン、とバネのように激しく飛び跳ね垂直に立ったペニーの表情はこれ以上ないくらいに輝いていた。

足元でポカンとした様子を見せるジョージィにお茶目なウインクを飛ばし、颯爽と彼を抱き上げて胸元に抱える。

頰を染めて鼻の穴をプクプク膨らませ、すっかり興奮したペニーはそのまま小気味良くステップを踏み始めクルクルと回り出し、ついにはノビのあるテノールボイスで朗々と歌い出した。

 

 

「アイム スゥイーンギンザ レーイン♪」

 

 

ここで大きくステップ。足元で尻を突き上げて気絶している女の横っ腹に突き立てるようなサッカーボールキック!

声にならない鳴き声をあげたアラフォー女はバウンドして転がった。

 

 

「ジャスツ スゥイーンギンザ レーイン♪」

 

 

今度は逆方向に大きくスキップして飛び跳ねる。

カエルのようにひっくり返る少女の腹を思いっきり踏みつけた。

上の口と下の口からピューっと血が吹き出る様が何とも滑稽でますますペニーの気分が高揚した。

 

 

「ワッツ グローリアス フィリーング♪」

 

 

肉布団の上でグルリとスピンして再びヒップ・ホップ・ステップ。

顔面から3本の瓶を生やすというすっかり愉快なオブジェと化した中年男の顔面を踏み潰す。

勢い余ってか左目の瓶が音を立てて割れ、滑った血肉が飛び散っていく。

 

相棒の幸せそうな歌声とからか、目の前の地獄の様子からなのかペニーの腕に抱かれたジョージィもキキキと笑いながら口笛でリズムを奏でる。

 

 

「ああっ‼︎ こうしちゃいられない‼︎ とっとと素敵な男の子に合流しなきゃ‼︎」

 

 

やがて心ゆくまで歌って踊り、すっかり満足したペニーはそう言うや否や、慌てて別室に飛び込んだ。

父親の寝室と思われる部屋のクローゼットをひっくり返し、血塗れになった服をそっくりそのまま着替えた。

ホスト崩れの服装から一変、ファッションには無頓着な中年男のコーディネートに変身する。

そのままキッチンに向かい保存が効きそうな食糧品を漁るとジョージィを肩に乗せて玄関に向かいドタバタと走り出す。

 

 

「いざ行かん‼︎ 新たなる盟友の元へ‼︎ 我等が新たなボスの元へ‼︎」

 

「キキキッ! パムパーム‼︎」

 

「無限の彼方へ、さあ行くぞー‼︎」

 

 

握り拳の形にした尻尾を宙に突き上げたジョージィの合いの手に合わせ、ペニーは玄関のドアを蹴り飛ばしてぶち開けた。

叩きつけるような土砂降りの雨の中、彼らは傘もささず踊るようにして駆け出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて開きっぱなしだった玄関扉は強風に煽られ、ガチャリと音を立てて閉じていく。

 

 

汚物に塗れた1つの遺体と瀕死の2人だけが残された室内は、死んだように静かだった。

 

 




エイパム おながポケモン(ノーマル)
しっかりと発達した長い尾っぽは柔らかくも歯ごたえがあり、なかなかの珍味。焼き鳥のようぶつ切りにして串焼きに。


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一人と一匹
2ーOP 主人公に非ず


流石に1日に何度も投下するのは無理そうなので、ペース落ちるです。
一章の加筆修正もしたい。
9/11追記…投下2日目にて底辺ながらもまさかの日間ランキング入り。ありがとうございます。
12/28加筆修正済み


心の何処かでは理解していた。

決して自分が特別な存在などでは無いなんて事は。

 

それでも何処かで、ほんの少しだけ。

無意識にも甘ったれた期待をしていたのかもしれない。

この地獄を生き延び、掛け替えの無いパートナーと出逢った。

そんな、まるで御伽噺のような日々を生き抜いて来た自分自身こそが。

 

そう、俺こそが物語の主役なのだと。

俺は主人公なのだと夢を見ていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ……」

 

 

声は出なかった。

身体の何処かしらが負傷している今となっては、その原因が喉にあるのか耳にあるのか、それ以外の何かにあるのかすら判らない。

 

身体中が燃えるように痛い。

そう意識したかと思えば、次の瞬間にはまるで麻痺したかのように全身の感覚が鈍った。

かと思えば、あっという間に全身を冷蔵庫に突っ込まれたみたいに急速的に異常な寒気に襲われた。

そしてまた繰り返すように、灼熱に焦がされるような激熱が身体を蝕んでいく。

 

自分の身体が既に正常じゃ無い事は目を開けるまでまでも無く感じていた。

だが自分自身の事だと言うのに自らの身体がどんな状態か全く判らない事が、なんとももどかしい気持ちにさせていく。

 

 

(熱いのは傷が痛むからか。寒いのは血が流れてるから? 痺れは……死にかけてるからか)

 

 

身体は既に動かない。

鉛のように重い。なんて在り来たりな比喩では表せない程に、重く、硬く。

そして一分一秒事に命の血潮が魂の熱と共にトクトクと流れ出て、俺の身体から徐々に冷熱を奪っていく。

 

歯を食いしばった。痙攣する筋肉に鞭打ちながら、意識を覚醒させる。

ただ目を開けるだけの作業とも言えない行動だというのに、とても億劫だ。

体力の限界を超えた俺の身体は、辛うじて。

本当に辛うじて、ほんの僅かだけ首を持ち上げる事が出来た。

痙攣する身体を抑え付けるよう必死の思いで頭を上げ、両の眼をしかと見開き、冷たい大地に横たわる自分の身体を確認した。

 

 

「……っ……っ!」

 

 

喉が面白いくらいに激しく痙攣し、ヒュッ、ヒュッ、と。過呼吸でも起こしたような声とも呼べない音が口から漏れていく。

本当のところ、俺自身は皮肉げに乾いた笑い声をあげたつもりだった。

だが実際はまともに喋る事すら出来ず、奇妙な表情で顔を硬直させたまま気力を失い半開きになった眦から涙を流すだけで終わってしまった。

頬を伝う透明の涙があっという間に顔中の汗と傷に付着した砂埃と。

そして頭や鼻からダクダクと流れる血液と混ざり合って、泥のような汚水となっていくのが何となく分かった。

 

今更、言うまでもない。

俺の身体は傷だらけ、なんてチープな状態なんかでは無く明らかに瀕死の重体だった。

両脚は崩れ落ちたパペットのようにあらぬ方向にひん曲がり、脊髄が傷ついてしまったのだろう。下半身の感覚は完全に遮断している。

そして散々に齧られ、捻られ、嬲られた俺の左腕は千切れていないのが不思議なくらいの有様だ。

まるで最初から骨など入っていなかったようにグニャグニャと捻れてひん曲がり、辛うじて二の腕の筋繊維にぶら下がるように引っ付いているだけ。

いっそ切り取ってしまった方が清々しいのでは無いかと言うほどにグチャグチャしている。

まるで使い古しの雑巾をキツく絞った時みたいだ。

自分の身体の事だというのに、そんな他人事のような感想しか出てこなかった。

 

 

「ーーーーーーー‼︎‼︎」

 

 

遠くの方から何かの声が轟いた。

もはや自分の耳ではまともな音一つすら拾う事は出来なかった。

だが周囲の空気がまるで泡立つようにして激しく震え出すものだから、嫌でもその咆哮の力強さと敵意は感じ取れた。

 

間違いない。決戦が近いのだろう。

 

 

「グボッ⁉︎」

 

 

胸の奥が急激に熱くなり、奇妙な嘔吐感と共にそれを吐き出した。

酸っぱい臭いと鉄臭さが周囲に立ち昇る。

吐瀉物混じりの血の塊だった。

きっと肋骨の何本かが折れ、内臓にでも突き刺さったのだろう。

 

 

(物語の主人公だったら、肋骨なんて何本折れても平気だっていうのになぁ)

 

 

やはり俺は主人公では無いのだ。

何処にでもいる一般人が、星の巡りの因果でたまたま生き残っただけ。ただそれだけだったのだろう。

 

声すら出ない喉をヒクつかせ、頬を無理やり釣り上げる。

形だけの笑みだ。最期くらいは笑って逝きたい。

思春期の男の子の、何の意味もない強がりだ。

 

 

「ーーーーーーー‼︎‼︎」

 

 

再び、咆哮が大気を震わせる。

そして規則的な地の揺れが急速に大きくなっていく感覚から、獣の形をした『死』そのものが牙を剥き出しにして此方に近付いて来ているのを悟った。

最期の力を振り絞り、再び頭を上げて地を踏み鳴らす死神を見やる。

暗闇に真紅の光点が二つ、ボンヤリと浮かんでいる。

 

残り僅かな生命力を振り絞るようにして脳に映像を送っている俺の眼球は、殆どまともに機能してくれず正確な色彩を写す事は既に出来ない。

霞んで震えるノイズ混じりの視界は、本来の夜の暗さ以上の暗闇包まれている。

もはや徐々に近づくその輝く赤い光以外はブラックアウトしたように、すっかり何も見えなかった。

 

一層強く、甲高い耳鳴りがした。

身体が一気に冷えて、今まで以上の強烈な虚脱感が俺を襲う。

 

 

(死ぬのって、やっぱ痛いのかなあ?)

 

 

レーザービームのような細かい残像を残しながら、真紅の眼光は見る見る内に大きくなっていく。

烱々煌々と火花のようにスパークする赤が『死』と共に近付いて来るのを茫然と眺めながら、俺は静かに目を閉じた。




ガッツリ編集しました。混乱させてしまったら申し訳ありません。


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2ー1 束の間の平穏

ほのぼのもたまにはいいでしょ?


「ふう」

 

 

両手にベッタリとこびり付いたモンスターの血液。通称『小鳥』の血を濡れ雑巾で拭う。

むわりと匂い立つ血生臭い空気をから少しでも逃れる為、俺は大きく息を吐き出して汗を拭った。

 

 

モンスターを狩り、獲物を捌く事にもようやく慣れてきた。

もちろん、本業の猟師から見たらまだまだ拙く、素人の猿真似にしか写らない事だろう。

それでもスマフォ片手に四苦八苦しながら解体の手順を調べ、内臓の処理を半泣きになりながら、怖々しながらも何とかこなしているのだから大目に見て欲しい。

 

血抜きが不十分な事に気付かず作業を始め、部屋中に鮮血が滴り落ちては、生臭い悪臭に包まれて吐きそうになったり。

切り込みを入れた腹部に手を突っ込み内臓を取り出す時の生暖かく滑った独特の感覚に思わず硬直してしまい、ニュルニュルと滑る腸を足の上に落として悲鳴をあげたり。

何の根拠も無い直感と、昔テレビで目にした朧げな記憶を頼りに、おっかなびっくり『小鳥』を始めとする鳥型モンスターの身体を無駄に切り刻んでは途方に暮れていた。

 

そんな最初の頃と比べれば、出来栄えは雲泥の差なのだから。

 

 

「まあ、だいぶグロ耐性ついたよな、俺も。今なら人間の死体見てもどうとも思わなかったりしてな」

 

 

やや錆が残る肉厚の鉈を血塗れにしたまま右手に。そして羽毛を雑に毟った小鳥の首無し死体を左手に持ちながら呟く元男子高校生の図。

側から見たら中々に猟奇的な光景だろう。

 

だが仕方ないのだ。生きて行く為には食わなければいけない。

そしてポストアポカリプスまっしぐらな終末世界の現代では、コンビニやスーパーで丁寧にバラされた新鮮な肉類など手に入らないのだから、自分で何とかするしかない。

 

現実ポータブルゲームとは違い一つ一つの作業が酷く面倒な上に血やら汚物で、すぐに汚れる。

中学時代に盛大にハマったモンハンみたいにボタン一つで素材回収が出来たら果たしてどんなに楽な事やら。

心の中でそんな栓無き愚痴を零した回数はもはや数えきれない。

 

 

「あー肩が痛いし腕も痛いし腱鞘炎とかにならねえだろうな? 狩りそのものよりも、解体の方がキツイまであるぞ? これ」

 

 

とは言え、何だかんだ文句を言いつつも淡々と血抜きや解体作業をこなせるようになった俺の内心は満更でもなかった。

 

 

(何つーか、こう、生きてる‼︎ って感じするよな。一日一日に満足感があるっつうか。いやそれ以上に疲労感もあるんだけどさ)

 

 

そう。何だかんだ言いつつも俺はすっかり、このなんちゃって狩人としての生活に染まっていたのだった。

 

 

 

 

 

 

本日の獲物はほぼ毎日のように狩っている、茶色とベージュの羽毛が特徴の『小鳥』が二羽。

それから最近よく見かけるようになった、小鳥と同じ鳥系モンスターでもやたら好戦的な『鬼鳥』が一羽の計三羽だ。

 

『鬼鳥』に関しては小鳥と同じような大きさで、異様に鋭い三白眼の目つきと、逆立つ茶色い羽毛。

そして何より翼の部分だけが紅茶のような赤みがかっているのが特徴のモンスターだ。

 

強さや攻撃パターンも小鳥と殆ど変わらないので、不意さえつければ俺の包丁槍だけで倒せる程度。

最近はこの程度の雑魚モンスターならスマイルの援護も殆ど必要無くなっている。

 

ちなみに角が生えている訳でも無いのに、何故『鬼鳥』などという厳つい名前で呼んでいるかと言うと、小鳥と比べてヤケに好戦的なうえに「オニーオニー」と、スマイルとどっこいどっこいな妙な鳴き声をする事から名付けた。

実はその特徴的な骨格から『鬼雀』と名付けるかとも悩んだりもした。

だが常識的に考えて、こんなデカイ雀などいるわけ無いのでボツ。

果たしてモンスターの生態に常識を求めるのが正解かは分からないが。

 

 

(これでもし角でも生えてたら『小鬼鳥』、もしくは小鬼をもじって『ゴブリンバード』。なんて名付けてたかもな)

 

 

また、獲物とは別に狩りの途中で襲撃をしかけてきたモンスター達もいた。

 

アゲハ蝶の幼虫を体高30センチ程にまで巨大化させたような、気色の悪い緑色の芋虫『大芋虫』が二匹。

それから大きく突き出た前歯と、やけに丸っこいずんぐりむっくりとした茶色の毛皮が特徴のネズミ型モンスターである『丸鼠』を一匹、追い払った。

 

 

(スマイルと俺のコンビだけで何とかなるレベルのモンスターばかりだから良いものの、やっぱ種類が多すぎて、特に初見のモンスターを相手にするのはビビるんだよなあ)

 

 

狩りに関してはスマイルの『影踏み』(相手を逃げられなくする謎のパッシブスキル。『シャドウバインド』というちょっと厨二臭い洋風の名前にするか悩んだが、スマイルが影を踏みしめながらドヤ顔するのが可愛くて命名)無しでは成り立たない。

 

だが、食用として仕留めるつもり無いモンスターはただの害獣。もしくはスマイルの成長の為の経験値リソースでしかない。

傷を負わせて追い払う程度ならば俺一人でも案外何とかなるものだ。

 

『大芋虫』は助走をつけて思いっきり蹴り飛ばし。

『丸鼠』は見た目こそ不恰好だが実用性は抜群である手作りの包丁槍でチクチク刺せば悲鳴をあげて逃げていった。

 

 

(何だかんだでモンスターパニックが起きてから、もう二週間……か。そりゃ、俺もこんな生活に慣れてくる訳だよな)

 

 

もともと運動はそこそこ出来る方ではあったが、性根が生粋のインドア派である俺は身体を動かす事とは殆ど無縁の生活をしていた。

それが今では槍を振り回し、未知の怪物を退治して、あげく狩りをして糧を得る。などとアウトドアというよりも原始的な生活を送っているのだから、随分と変わったものだ。

 

 

「つーかこんなB級パニックモンスター映画みてーな世界で、ぐだぐだダラけられる程に俺も肝が座ってる訳でも無ぇしな」

 

 

 

そんな事どうでも良い事ををボヤキつつ、俺は処理を終えた三羽分の鳥肉を適当にブツ切りにし、夕飯用の一羽を鍋に適当に放り込む。

 

残りの二羽は保存食の代名詞である干し肉にする為、これから塩漬けにするのだ。

 

 

「狩猟協会の人達って、自分で狩った獲物は自分で料理すんのかな? 釣り人は何となくイメージ出来るんだがな」

 

 

大量の塩でパンパンに膨れ上がった45リットルのポリ袋の口を開き、腕を突っ込む。

何度か掻き混ぜると、塩の海の中からいくつかの干からびた肉塊を取り出す。

これは二日前にバラし、塩漬けにした鳥肉だ。

これがガチガチになるまで部屋の床隅に引いてある新聞紙の上でしっかりと乾燥させる事によりファンタジー世界で有名な保存食である干し肉が完成するのだ。

 

 

(まあ塩オンリーでスパイス何か一切使ってないから、本当に塩味の硬い肉の塊ってだけなんだけどな)

 

 

以前味見した時の、強烈な塩っ気を思い出して顔をしかめた。

とは言え贅沢も言ってられないので、今日もまた取り出した肉の代わりについ先程捌いたばかりの肉を塩の海の中に沈めた。

きっと二、三日経つ頃には水分が抜けきっている事だろう。

 

本当は塩ごと取り替えた方が衛生的なのだろうが、そんな細かい事を気にしてる場合では無いのでスルーする。

 

 

 

「しかし何とか定住できる拠点を見つけられたのはラッキーだったな」

 

 

都心から離れるように歩き続けて三日、ようやくたどり着いた安住の地がこの小さな古屋だった。

平和だった時代なら近付こうともしない程のボロ屋だが、住めば都とはよく言ったもの。一人と一匹の生活はあっという間に日常と化した。

 

 

「何だかんだで、もうすぐ二週間は経つのか」

 

 

鳥を捌いた鉈の血をボロ布で拭い、目の前の壁に薄く切り込みを入れる。

一日に必ず一本、斜めに斬りつけている壁の傷は、今日で丁度バツ印が六つ。

二日でバツが一つ出来る訳だから、今日でこの小屋で生活して十二日目という計算だ。

スマホのカレンダーを見れば日付の感覚を忘れる事などあり得ないのだが何となくワイルドな雰囲気に憧れ、あえて原始的な暦の数え方をしている。

こんな下らない事を楽しめる程、生活に余裕がある証拠だろう。

 

 

「ナノナノー」

 

「おー。水汲みサンキューな」

 

 

スマイルが持ってきた水桶を受け取り、血で汚れた手を軽く洗ってから頭を撫でてやった。

小さな身体だと言うのに両手を掲げてチョコチョコ歩きながら重量のある木桶を頑張って持ってくる様子は見ていてとても癒される。

毎日の狩りから始まり軽い雑用まで、我が相棒は笑顔を絶やさずに進んで行ってくれる。

 

 

「お前と会えて、本当に良かったよ」

 

「ソーナノー?」

 

「そーなの」

 

「ソーナノー‼︎」

 

 

胸元に飛び込んで来たスマイルを抱きしめる。

もし一人だったらこの拠点に来るまでに何度死んだ計算になった事だろうか。

 

あのハイエナのような獣型モンスターを殺した後、俺とスマイルは引き続き人気の無い方へ移動をしていた。

モンスターの鳴き声を避け、余計な荷物になりそうな他人の気配を避け。

夜になるとほぼ廃墟と化した民家やコンビニに忍び込み、夜を明かして物資を漁ったりしていたので、移動にはかなりの時間がかかった。

 

ただタナボタだったのはコンビニからは意外にもかなりの量が残っていた水や食料を。

お世話になった民家からは槍の材料になったダクトテープをはじめとした、便利グッズや日用生活品をいくつか入手出来た事だ。

 

不法侵入に窃盗までしでかした俺は平時ならまず刑務所行きとなるだろう。

だがもはや倫理も道徳も無価値となった、こんな世紀末まっしぐらな世の中なのだから、生きる為にと目をつぶって欲しい。

信じてもない神様と自分自身の僅かな良心に詫びながら、せっせと物資を強奪したのを思い出した。

 

そして歩き続ける事、三日。

今俺たちが生活しているこの拠点を発見したのだ。

 

 

(頼りになる相棒に、安心して眠れる住処。世界は最悪な事になってるが俺の運はどうやら尽きてなかったようだな)

 

 

木造建築のこの古屋は恐らく物置かなんかに建てられ、長らく放置されていたのだろう。

遠くに田んぼの見える竹藪に半分埋もれる形のボロボロの小屋。

錆びついた斧や工具に塩や酒、何故か石灰まで備蓄してある小さめの部屋。

それから大きな木製の作業机とその上に乗る、だいぶ古そうなカンテラ。同じく木製の椅子が二つ置いてあり、壁にはこの近辺の町内地図が額縁に飾ってある大部屋に別れていた。

言うまでもなくあらゆる物が埃まみれで小汚い。

そこらに蜘蛛の巣がいくつも張ってあり、一部の壁は腐食して穴が空いている始末。

だが周りに余計な人が居ない静かな場所だ。

そして何より、小さな井戸が付いていた事からすぐさま修復を開始。

一部の竹を斧と鉈で伐採したり、穴の空いた壁に布を貼り付け(流石に釘やハンマーは無かった為)て穴を塞いだり、害虫とスマイルが戦いながら掃除したりと。

そんな苦労もあってこの拠点は完成した。

 

ちなみに肉を捌く解体場とキッチンを小さい部屋、寝室兼リビングを大部屋として使っている。

 

 

「ほれ、飯にするぞ」

 

「ナノナノー」

 

 

皮を熱してから比較的涼しい所で瓶詰めして保存した鳥油で炒めた『小鳥』のステーキ。

ちなみに味付けは塩のみ。

付け合わせは栽培に成功しつつある、もやしとカイワレの野菜炒めだ。

食器なんて贅沢なものは持ってこれなかったので鍋から直接取って二人きりの晩餐だ。

その内、時間がある時にでも竹の食器でも作ってみよう。

 

 

「さて、今日も今日とて小鳥のステーキだが文句を言わずに美味しく頂くぞ」

 

「ソーナノー」

 

「はい。ではご唱和ください。いただきます」

 

「ナノナノナー」

 

 

捌きたての『小鳥』の肉は固く、味付けも粗野でやや塩っぽく、旨味のカケラも無い。

豪勢と言う言葉とは無縁の晩餐だが、こんなご時世に肉を毎日、腹八分目まで食えるのだから、俺たちはかなり恵まれているだろう。

 

 

(味が濃いモノ食いたくなるな。でもカップラーメンとかは節約しとかないと後悔しそうだよな)

 

 

一応、持ち込んだ食料は殆ど手づかずで残っている。

だがカップラーメンや缶詰など、美味しくて保存が確実な物は極力ケチっていくつもりだ。

貧乏性の自覚はあるが、いつ何があるか分からない。

 

ちなみに甘味などの菓子類はスマイルのみ食後に少しだけ渡している。

自分だけ甘いものを食べる事に提案した当初は申し訳無さそうな鳴き声をしていてが、キラキラした笑顔で食べる相棒に癒されるのだからWIN-WINみたいなものだろう。

今日はグミを食べさせる予定だ。

 

 

「うん、淡白だけど十分食える。胡椒があったら万々歳だが贅沢は禁物だな」

 

「ソーナノー!」

 

「明日は干し肉を茹でてスープにでもしてみるか? 食べられる野草を二人で探して、ちょっとだけ贅沢なスープを作るんだ」

 

「ナノナノ‼︎」

 

「そうか。俺も楽しみだよ」

 

 

笑顔のまま食べカスをつけたスマイルの口を拭う今の俺は、きっと優しく微笑んでいるだろう。

 

街明かりが作り出していたネオンの濁流が消滅し、月と星々がキラキラ輝く都会の夜からは考えられない静かな夜。

 

古ぼけたカンテラの優しい灯りがぼんやりと光り、時おり響くフクロウの鳴き声を聴きながら。

 

俺たち二人は、笑顔のまま晩餐を続けた。




・オニスズメ ことりポケモン(ノーマル/ひこう)
ポッポの肉よりさらに固く、癖が強い。逆にこの癖を活かす為には棒棒鶏やよだれ鶏などの中華をオススメする。


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2ー2

9/11お気に入りが100を超えました。ありがとうございます。週末に2章については大きく加筆修正する予定です。


 

午前五時。明方と早朝の中間。

ようやく太陽が昇り始めて薄暗い暗闇がゆっくりと晴れ、冷たい夜風が溶けるように消えていく。

 

 

「……シィッ‼ 」

 

 

俺はそんな時間から鍛錬の為に槍を振り回していた。

 

と言うのも、スマフォも電力を節約しなければいけない原始的なこの生活。暇つぶしの為の娯楽が全くと言っていい程に無い。

その上、日がな罠を張り、狩りをして、獲物を解体し、拠点の修繕をして。

などなど、引きこもり予備軍である現代っ子にはあまりにハードなスケジュール。

そのせいか夕飯を食べたらやる事も無い為に夜更かしする事も無く直ぐに就寝。

八時間と十分過ぎる睡眠を取っても必然的にこの時間帯には起きてしまうのだ。

 

 

「……ッ! シィッ‼︎」

 

 

早朝から狩りをしようにも獲物も寝ているものがほとんど。なら空いた時間をどうしようと考えた結果がトレーニングと鍛錬だった。

今でこそ狩りでも戦闘でも苦戦らしい苦戦とはすっかり無縁だが、この世紀末な世界は理不尽に溢れている。

未知のモンスターが急襲して来るかも分からないし、食料を求めた生存者が問答無用で襲って来るかもしれない。

 

ならばそれに備えられる事は出来るだけしておこう。

という訳でスマフォで槍の鍛錬の方法を検索、それっぽい電子書籍を購入。

不恰好ながらもこうして鍛錬に勤しんでいるという訳だ。

ちなみに並行して全身の筋トレも欠かさない。

どうせ食事は否が応でも高たんぱく質な鳥肉(鶏肉で非)メインの筋肉が喜ぶメニューだし、一石二鳥だろう。

最も日頃の重労働で少しずつだが筋肉がついた自覚もあるのだが。

 

 

「あぁ手が痛えよ畜生‼︎ ……やあっ‼︎」

 

 

清々しい快晴の空の下。

俺の情けない声と槍が風を切る音だけが延々と響き渡っていた。

 

 

 

 

無心とはいかずとも、そこそこ集中していた鍛錬の時間は六時に設定した携帯のアラーム音によって終わる。

額の汗を拭い、豆だらけになった手を軽くグーパーしているとスマイルが水桶とタオルをニコニコ笑顔運んで来る。これもすっかり慣れた光景だ。

 

 

「サンキュー、スマイル」

 

「ソーナノー」

 

 

シャツを脱ぎ捨て上半身をくまなく拭いていく。

これから夏を迎えようとする六月半ばの井戸水は程よく冷えていて、身体の火照りもスッキリ洗い流してくれる。

だが純日本人の俺としては熱い湯船にゆっくりと浸かり、身体の芯まで疲れを癒したいのが本音なのだが。

 

 

「五右衛門風呂作ろうにも流石にドラム缶は拠点にも置いて無かったしなぁ。かと言ってど素人が木を組んで樽風呂なんて作れる訳もねーし」

 

「ナノ?」

 

「ん? ああ、スマイルは風呂が分からないか。風呂っていうのは、こう、桶がもっと大きくなったような浴槽っていうのにお湯を入れてだな」

 

「ナノナノ」

 

 

身振り手振りをまぜた俺の説明にスマイルは身体全体で頷いたり、はしゃいで飛び跳ねたりしながら笑顔を輝かせ聴き入っている。

無邪気な相棒の姿に朝から癒されながら、いつか一緒に風呂に入りたいと俺は考えていた。

 

 

 

「やっぱ今日も大した情報は無し。か」

 

「ソーナノ?」

 

「残念な事にそーなの」

 

 

鍛錬の後、俺たちは朝食の干し肉を齧っては水で流し込む作業に勤しみながらスマフォを弄っていた。

ネットサーフィンをして遊んでいる訳では無く、このモンスターパニックに対する情報を少しでも得る為だ。

まあ、結果は空振り三振もいいところだが。

俺は溜息をついてカレンダー代わりに傷をつけている壁をチラりと見やる。

バツ印は七つ目だ。

 

 

「これだけ時間が経ってるのに情報が入らないってのはなあ。最近は掲示板なんかも殆ど動きが無いし、政府のページなんかほぼ凍結してるじゃねえか」

 

 

モンスターパニックから今日まで分かっている事はあまりにも少ない。

最初にモンスターが発見されたのは当日の早朝である事。

これは某動画サイトでモンスターに餌付けをしている事から判明。どうやら発見した女性は動画配信の業界では有名人らしく、コメント覧も非常に盛り上がっていた。

 

首元の盛り上がった白い体毛と、茶色い毛皮に潤んだ瞳が特徴の兎とスグリの間の子のようなモンスターに配信主は物怖じする事なく「可愛い可愛い‼︎」と騒ぎながらクッキーらしきものを何度も与えていた。

動画の締めではモンスターを抱き締めて「この子を家族にします!」と宣言していたので、俺とスマイルのような共生関係を築いているのかもしれない。

 

閑話休題。この動画をきっかけにツイッターやSNSにて未知の生物、モンスター達が世界中で目撃される様子が次々とアップされ始める。

そしてピークを迎えるようにして昼過ぎから爆発的なスタンピードが発生したという訳だ。

 

 

「俺、割とマジで間一髪だったんだな」

 

 

騒音に負けじと意地になって二度寝していたらそのまま永眠となっただろう。

危機一髪の状況に今さらながら悪寒が走り、ブルりと身体が震えた。

 

他にも色々調べたが明るい情報は殆ど無い。

総理大臣を始めとした政治関係の大物が揃って行方不明になっているニュースが広まっているし、都内に緊急出動した自衛隊が様々なモンスターに返り討ちにあっている動画がSNS経由で拡散。

どれもこれも調べれば調べるほどに絶望感を煽るものばかりだった。

 

 

「戦闘機を叩き落とすドラゴンに、戦車を投げ飛ばす亜人? か。見たこと無いモンスターばかりだが恐ろしいくらい強いな」

 

 

どれもこれもモンスターに蹂躙される様子の写真や動画ばかりだ。

そしてパニックから時間が経てば経つ程、新たな投稿は減っていく。

単純にスマフォやカメラが使えなくなったのか、それとも……

 

 

「ナノ?」

 

「ん。何でもないよ」

 

 

俺の膝の上にすっぽりと収まり、一緒になって画面を覗いていたスマイルを抱きしめた。

不思議そうな顔をする相棒を軽く撫で、スマフォを節電モードに戻して作業机の上に放る。

そして何も考えないように意識して、小さな相棒を構い倒してやる事にした。

 

考えれば考える程、恐ろしい想像が現実味を増していきそうだったから。

 

 

 

武器と言うのは人類の発展と共に進化していったと言われる。

ウホウホ言いながら戦争をしていた原始時代に生まれた棍棒から始まり、次第に剣、矛、槍。やがては弓と進化。

それが今じゃ銃や爆弾、音波兵器やガス兵器と、リーチの長さ殺傷力に満ち満ちた武器のオンパレードだ。

誰だって痛いのは嫌だから、遠くから安全に敵をぶっ殺したい。そう考えるのは当然の事なのかも知れない。

 

ヒュンヒュンと風を切る音を感じながら、俺は頭上に掲げた手製の新作武器を振り回す。

作った当初は狙った場所になかなか当たらなかったが、コツを掴んだ今では外す気がしない。

風切り音が次第に早く、そして大きくなる。

茂みの向こうの獲物にしっかりと狙いを定め……よし! 今‼︎

 

 

「喰らえや‼︎」

 

全力で振り回した「ソレ」を標的に思いっきり投擲。

十分な加速によって新兵器は両端の重りを拡げてフリスビーのように綺麗に宙を舞う。

そして狙い通り獲物の両脚に「絡み付いた」。

 

 

「オドォ⁉︎」

 

 

前衛芸術のような捻じ曲がった角をした鹿型モンスターは驚きの声を上げて逃走を図るも、そこまでが計算通り。

二本の前脚を縛るようにして絡み付いた俺の新兵器「ボーラ」は効果をしっかりと発揮したようで、不自由なまま走ろうとしたせいかそのまま激しく転倒。

地面を不恰好にもがいている。

 

そしてこの機を逃す俺ではない。

 

 

「も一つ喰らえ‼︎ 食器を作るときに余りまくった竹で作った投槍のシャワーだ‼︎」

 

 

1M単位で切り分け先端をこれでもかと尖らせた殺意に溢れた竹槍。

それをこれまた苦労して自作した投槍器。通称「アトラトル」にセットし、上半身の動きを意識しながら思いっきり投げつける。命中‼︎

 

 

「スマイル! 次っ!」

 

「ナノ‼︎」

 

 

足下でスマイルが差し出す次の竹槍を受け取り、すかさずセット。投擲。命中‼︎

受け取る。セット。投擲。外した‼︎

受け取る。セット。投擲。命中‼︎

受け取る。セット。投擲。命中‼︎

 

と、まあこんな感じで槍を投げ続けること数分。

運良く最初に刺さった槍が首筋の大きな血管を貫通していたようで初っ端から動きも鈍り、七本目の竹槍が刺さる頃には瀕死状態。

後はいつも通り愛用している包丁槍で狙いを定めて眉間をグサリ。

スマイルの不思議スキルに頼らず己の知恵と武器のみを使った初めての狩りは無事に成功を迎えた。

 

最も、鳥系以外の大物も狩ってみたいからと始めたこの計画だったが、既に第一目的は新しく作った武器の出来を試す事にすっかり変わっていた訳なのだが。

 

 

「うーん。アトラトルは苦労して作ったから特に改善点は無いけどボーラはやっぱ耐久性がなあ。ストッキングじゃ無理あったか」

 

「ソーナノ?」

 

「そーなの。かといって都合よく丈夫なロープなんかあるわけ無いし。いっそ、藁やなんかで紐を編んだ方が良いか? でも流石に時間かかりそうだし」

 

「ナノー」

 

 

今回使用した武器、ボーラの主な材料はなんとストッキングである。 そう、女性が脚に履くあのストッキングだ。

これは別に俺が隠れた性癖に目覚めたとかそういう訳でも無く、キチンとした理由が有って所持している。

実は伸縮性に優れたストッキングは隠れた防災グッズの一つとして有名なのだ。

骨折した時の簡易ギプスや、出血を抑える為に縛る道具としても活躍するのをテレビで特集していた事を思い出してコンビニで夜を明かした時に何枚か拝借していた訳である。

 

今回はストッキングに角が丸い小石を野球ボールサイズになるまで詰め込んで縛り、重しとした。

それを縛って飛び散らないようにして、同じ仕掛けを両端に施しただけという、何とも不格好なものだ。

武器? と首を傾げたくなる工作レベルの道具だが、結果的にあんな立派な鹿モンスターの脚をしっかり拘束出来たのだから効果は確かだ。

もちろん、材料が材料なので見かけと耐久性には難あり。鋭い牙や爪を持つモンスターにはあっさりと拘束切り捨てられてしまうだろう。

 

まあ、何はともあれ狩りは無事に終了した。

後は上手いこと捌いて血抜きをするだけなのだが。

 

 

「ところでスマイルさんや。お前さん、都合よく鹿の捌き方や内臓の処理の仕方を知ってたりしないかね?」

 

「ノーナノー」

 

「だよなぁ」

 

 

本日一番の重労働は仕留めた大物を拠点まで引きずって運ぶ事だった。

 

 

さて。今日の午前中は狩りをメインとしていたので、武器ばかりをお披露目していたが、俺はそれ以外にも色々と工作していた。

その最もたるものが、自信作である落とし穴だ。

 

 

「あーやっと完成。いいかスマイル? 絶対にこの付近と向こうで穴を掘った場所に近づくなよ? 下手したら死ぬからな?」

 

「ナノナノ」

 

 

ぶんぶんと頷くスマイルの顔は朗らかながらどこか真剣だ。

それもその筈。この直径、深さ1M未満というしょっぱい落とし穴だが穴底に竹槍をこれでもかと配置した殺意マシマシの罠。

これを拠点の裏口近くと、拠点に唯一ついている西側の小窓の近くの二ヶ所に設置した。

ちなみにシャベルやスコップが無かったので斜めに切った竹で、地道に穴を掘ったので制作期間は四日もかかっている力作だったりする。

 

元々は切っても切っても生えてくる竹を処理するついでに食器やら何やらを工作。

それでも大量に余るので投槍に加工たり、こうして罠にとして流用する事にしたのだ。

一応スマイル程度の重さでは反応しないように調整したが、日課の水汲みの最中にうっかり踏ん付けて引っかかったら大惨事だ。

フレンドリーファイアーで大事な相棒を失うなど考えたくもない。

 

 

「罠もこれで完成っと。後は火炎放射器がモンスターに通じるかも見たかったんだか……今日は無理そうだな」

 

「ナノナノ?」

 

 

そして俺の虎の子。最終兵器である火炎放射器も、もちろん自作だ。

と言っても、もはや作ったと言えるレベルでは無いが。

引火しない程度に距離を離した制汗スプレーにライターで着火。それを吹き付けるだけの代物だからだ。ここまで来るとただの小学生の火遊びである。

 

 

「未だに鳥を捌く時に羽毛の処理をする時くらいにしか使ってないぞ。これじゃただの劣化バーナーだな」

 

 

羽毛を処理する時は基本的に手で毟らなければいけないのでどうしても細かい取り残しが出てくる。

そこでこの劣化バーナーで全身を軽く焼いて、羽毛を綺麗に焼き尽くすのだ。

 

だがそろそろモンスターに火が有効なのか実験してみたいので、どうにか戦闘に使えないかと模索中だ。

 

 

「ナーノーナーノー」

 

 

ズボンの裾をクイクイ引っ張られ、足下を見るとお腹をさすっているスマイルの姿があった。

笑顔もどこか弱々しく「ボクお腹が空いたよぉ」と訴えているようだ。

 

 

「そういや鹿を捌くのに時間かかった上に、そのまま落とし穴を完成させたから昼飯まだだったよな。悪い悪い、何か食おうか」

 

「ソーナノー」

 

 

時刻は午後二時。太陽は既に真上から落ち始めている。

やや遅い昼食を取る為に飛び跳ねるスマイルを宥めながら拠点へと戻ろうとしたその時。

 

 

 

 

竹藪の茂みがガサリと音を立てて揺れ動いた。

 

 

「ん?」

 

 

俺は反射的に振り向いてそちらに目を向けてーーーーー

 

 

 

 

 

「キィ……」

 

「……あ」

 

 

 

 

 

 

ーーーーー思わず見惚れるような美しい獣と遭遇した。

 

 

 

 

 

 

.

 




・オドシシ おおツノポケモン(ノーマル)
やはり鹿と言えばジビエだ。血抜きをしっかりと行い、十分な熟成を経たオドシシ肉は塩と胡椒のみのステーキでも絶品だ。だが赤ワインをじっくりと煮込んだソースと合わせるとまさに天にも昇る美味へと進化する。


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2ー3

サブタイトルをしっかりつけるか悩み中。


「ピジョーーーーーッ‼︎」

 

 

耳をつんざくような叫びと共に巨大な化け物鳥は大きく翼を広げた。

器用にも上空に浮いたまま不自然なぐらい大きく身体を捻りって翼を振るう。すると辺りの空気が大きく歪み、竜巻もかくやという暴風を生み出す。

 

 

「ピジョッ‼︎」

 

 

そして荒ぶる風の塊を打ち出すように翼を羽ばたかせる。

ゴォッと轟音を立てながらこちらに飛んでくる小さな竜巻は物理法則など完全に無視した、まるで風の魔法だった。

こちらに近付いてくる度に風圧が増し、少しでも力を抜けば身体が吹き飛ばされる事だろう。

 

迫り来る風。勢いよく増す風圧。巻き起こる砂嵐。

竜巻が地に這う俺たちに牙を剥かんとしたその時。笑顔のスマイルがピョコンと竜巻に向かって跳ねた。

 

 

「ソーナノー‼︎」

 

 

カキンッと氷がヒビ割れたような、それとも金属に何かがぶつかったような音が響く。

それと同時に竜巻は進路を変え、その産みの親である怪鳥の元に進んでいく。

その勢いと轟音を倍増させ、吹き荒ぶ様はまさに鎌鼬の如くだ。

 

 

「ピジョッ⁉︎」

 

 

驚き慌てふためく怪鳥は狼狽し、何とか躱そうともがいたのだろう。

だが既に翼は荒ぶる風に絡みつかれ、自由を奪われまともに動く事も出来ない。

そして爆発的に推進力を増した大竜巻は怪鳥の身体を切り刻みながら飲み込んだ。

 

 

ゴキリ。という鈍い音が聴こえた。

砂埃から庇うようにして閉じていた目を開くと、其処には1Mはあろう巨大な怪鳥の成れの果てが転がっていた。

本来、鳥類は空を自由に飛ぶ為に骨の作りが軽く出来ていると聞いたのを思い出す。あの高さから落ちたのだ、全身の骨が粉々になっている事だろう。

場合によっては竹の火槍でトドメを刺すつもりだったが必要なさそうだ。

予めアトラトルにセットしていた、鳥脂を燃料に燃やした竹槍の先に強く息を吹きかけて火を消す。

俺は急いで地面に尻もちをつくスマイルの方に向かった。

 

 

「ナノナノ〜?」

 

 

どうやら風の衝撃が思ったより強かったのか、反射の反動で宙に吹き飛ばされてコロコロと地面を転がったようだ。

口元は笑いながらも器用に目をグルグル回すスマイルを揺すり起こして頭を撫でてやった。

 

 

「偉いぞスマイル。身体の大きい相手によくやってくれたよ」

 

「ナノナノ‼︎ ソーナノー‼︎」

 

「お前のお陰で俺は生きていけるんだ。本当に感謝してるよ……おっ?」

 

 

スマイルの身体が白く発光する。レベルアップの時間だろう。

いつもならカメラのフラッシュのようにピカッと光ってすぐ終わりなのだが、どうやら今回は様子が違うらしい。

発光してすぐに収まるのはこれまでと同じだが、それが二回も起きた。

しかも二回目はヤケに光を放つ時間が長かったのだ。五秒程度だろうか?

いつもなら強くなった事を嬉しそうに飛び跳ねてアピールしているスマイルも、今日は何だか身体を強張らせて小さく震えている。

まるで何かに耐えているようだ。

 

 

「スマイル、どうした? 身体が痛いのか?」

 

「……ナノ。ノーナノ」

 

「んー、無理すんなよ? 見たところ一気に二回分はレベルが上がったみたいだからなぁ。成長痛か何かかな?」

 

「ソーナノソーナノー。ナノ」

 

「ん? 抱っこか。待っててくれな」

 

 

アトラトルに付属した自作の紐を肩にかけ、両腕をこちらに差し出して甘えるスマイルを抱き上げる。

本来なら仕留めた獲物を拠点まで引きずり、早いとこ血抜きと解体を済ませるべきなのだろう。

だが俺の為に身体を張ってくれているスマイルの頼みだ。特にこうして大物を仕留めた時やレベルな上がった時は、めい一杯に甘やかせて褒めてやる。

 

 

「お前は本当に凄いよ、スマイル。あんな身体の大きい相手に臆せず向かって行けるんだからな。本当に、俺の自慢の相棒だよ」

 

「ナーノ。ナーノー」

 

「んー。どうしたどうした? 今日は随分と甘えたがりだな。よしよし、好きなだけ撫でてやるからなー」

 

 

頭のぷにぷにした突起をグリグリと俺の胸に押し当て、短い両腕で必死に俺を抱き締めるスマイルに思わず頬が緩む。

まだ十六歳のガキだと言うのに、なんだか子持ちになったような気分だった。

自分は将来、親バカになるだろうなぁと馬鹿な事を考えながら抱き締める腕に力を込め、心ゆくまで頭を撫でてやった。

 

 

「……ナノ」

 

 

弱々しい笑顔に陰りを見せるスマイルの姿にも気付かずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

獲物の血抜き、解体。そして食事に罠の見回り。

それらをこなしている内にあっという間に時は過ぎ、夜の帳が下りてから暫くが過ぎた。

スマフォを確認すると時刻は既に午後十一時。

普段ならとっくに寝ている時間だ。

 

 

「……はぁ」

 

 

俺は包丁を彫刻刀代わりにして、手慰みに鹿の角を削っていた。

ショリショリと角が削れ落ちる音と、スマイルの規則正しい寝息だけが響く室内に俺の溜め息が交じる。

 

眠れない。身体は疲れているが、どうしても昨日の事が忘れられない。

あの時出会った、圧倒的な存在がどうしても忘れられなかった。

寝ても覚めても何て言葉とはまさにこの事だろうか。

 

 

「恋する乙女かっていうの、俺は」

 

 

まともな恋愛経験どころか初恋すらもまだなのに。

そんな馬鹿げた自嘲的な言葉を漏らしながら、俺は僅か五分にも満たなかった逢着に想いを馳せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はその時、素直に『美しい』と思った。

 

堂々としたその巨躯から伸びるスラリとした四本の脚。

大樹の幹を思わせる焦茶色の体毛は風に揺れる度に上質なベルベット地のように滑らかに光を反射した。

叡智の輝きを見せる大きな瞳は波の無い海のように澄んでおり、只の動物とは格が違う事が一目で分かる。

 

そして頭上に伸びる角は、自然に根付く木々から伸びる枝そのもの。

その根元から生き生きと伸びゆく青々とした緑の葉は密かに輝いている。

そしてそこにチラホラと混ざる一目見ると梅の花のように見えるソレは、春が終わり夏が始まる六月という今の季節を表しているようだ。

生きる芸術とは正に、かの存在の為の言葉では無いだろうか。

いや、そうに違いない。

 

ろくに美術や芸術の知識も無い癖に。いや、無知な俺ですらそう思わせてしまうほどの荘厳な立ち姿は、生命力という抽象的な存在をその体躯で表す芸術作品のようだった。

 

俺の目の前に堂々と立つこの『鹿』の体高は約2m。

今朝俺が狩った鹿等とは比べ物にならない大きさだ。

それは単純な身体の大きさというだけでなく、その神秘的な存在感と言うべきものか、モンスターとしての格の違いか。

とにかく、あの獲物と比べても。俺のような矮小な人間と比べても。途方もなく大きな存在が目の前に悠然と立っている。

 

 

「……なんて」

 

 

今まで見たモンスター達とは何もかもが違う。

ただ悪戯に暴を振るう凶暴な怪物の姿とも違う。

今までの獲物のような既存の動物をただ巨大化したような姿とも違う。

スマイルのような未知ながらヌイグルミのような親しみやすい姿とも違う。

 

動物としての姿と自然である木々や草花が混ざりあっているにも関わらず、まるで魔法にかかったように違和感一つ感じられない。

子供が夢見るような神秘的で、夢のようなファンタジーの具現化。

そんな存在が今、目の前にいるだなんて。

 

嗚呼、なんて。なんて美しいのだろうか。

無意識のうちに、そんな言葉が溢れ落ちようとしたその時。

 

 

「ギィィ……!」

 

 

怒りの唸り声と共に。

時が、止まった。

 

 

そよ風に踊る木々の騒めきも。

辺りを飛び交う鳥の声も。

花に止まっていた虫の動きも。

音という音が一瞬で停止し、時が止まり。

 

 

「あ……」

 

 

俺の心臓も。

確かに一瞬、止まったのだ。

 

 

 

カランと何かが転がる音がした。

それが俺の手から零れ落ちた槍の音だと気付くその直前

 

 

「……キィ」

 

 

耳が痛くなる程の静寂は呆気なく溶けて消えた。

風は踊り、小鳥は歌い、虫は戯れ、世界は柔らかな暖かみを呆気なく取り戻した。

時が再び動き出す。

 

 

「……はぁっ⁉︎ はぁ……‼︎」

 

「ナノ⁉︎ ナノナノ⁉︎」

 

 

極度の緊張感と寒気から解放された俺は力なく倒れて、そのまま無様に尻餅を着いていた。

スマイルが心配そうに俺の身体を揺するがそれに答えてやる余裕すらない。

俺の身体からはドクドクと音立てるように汗が滝のように流れ、脈も乱れている。

抑えつけるように心臓の上に手を当てる。

動いている。当たり前のように動いている。

だが一瞬。一瞬だがあの時、俺の心臓は止まっていた。

 

 

「殺気って……こんな怖ぇものなの、かよ……」

 

 

血の匂いがこびり付いた得物に警戒をしたのだろう。

一応気をつけておくか。その程度の軽い警戒心。ほんの僅かな殺気。

たったそれだけで俺は動けなくなったのだ。

蛇に睨まれる蛙よりも惨めで哀れな姿だろう。

 

 

「キィ」

 

 

そんな俺に呆れたのか、緑を司る鹿のモンスターは小さく鼻を鳴らして林の奥に消えていった。

俺はそれを呆然と見送り、暫くそのまま呆けていた事にようやく気付いて心配そうなスマイルの頭を撫でてやった。

僅かに目が潤んでいる。ああ、お前も怖かったんだな。

 

 

「なあ、スマイル?」

 

「ナノ?」

 

「お前、今のアイツに勝てるか?」

 

「ナノ⁉︎ ノー‼︎ ノーナノー‼︎」

 

「だよなぁ」

 

 

全身を使って嫌々無理無理と身体を揺らすスマイルに苦笑しながら俺は相棒を抱き締めた。

強く強く、抱き締めてやった。

未だ震える自分の身体ごと抑えつけるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「痛っ」

 

 

回想に耽り過ぎ、手を滑らせる。

人差し指に2cm程の切り傷が入った。

俺は顔を顰ませながら舌先で滲み出した雫を軽く舐めた。

当たり前のように血の味がした。

 

ずっと妙だと思っていたのだ。

俺が今まで狩ってきたモンスター達は、槍や包丁なんかで簡単に血を流す。

膂力や体高、そして魔法のようなスキルは既存の動物とは比べ物にならないが、あくまで一生物の生命力は普通だ。

普通に傷ついて、普通に血を流して、普通に死ぬ。

 

だがそれはおかしい。

何故なら俺が過去にネットの動画で漁ったモンスター達は銃弾の一斉掃射でも即死せず、大砲に耐え、戦闘機をぶち壊すような規格外ばかりだった。

そんな奴らにチマチマ槍やら包丁やらで立ち向かった所で擦り傷すら碌につかないだろう。

林で出会ったあの『季節を司る大鹿』だってそうだ。

仮に装備を整えたとしても、火矢を使おうが落し穴に落とそうがダメージどころか怯みもしないだろう。

それだけ格が違うと、一目見ただけで分かる。

 

単純に種族的な格差もあるだろう。

自然界にも弱い動物と強い動物がいる。

コロセウムに放たれたライオンとハムスターじゃ勝負にならない。

動物の姿を模したモンスターが多く存在する事をから、そういったある種の必然的な戦闘能力の違いというのもあると考えて間違いない筈。

だがもう一つ。モンスターの格の差を明確に左右するものに.、俺は心当たりがあった。

 

 

「それがレベル」

 

 

寝息を立てるスマイルを見る。

常日頃からピョンピョンと跳ねている相棒だが、出会った当初はせいぜい俺の下腹程度の高さまでしか跳べなかった筈だ。

だが今朝の狩りでは怪鳥に立ち向かう際、優に2mは確実に跳んでいた。

恐らく何度もレベルアップを繰り返た事による身体能力の上昇の結果だろう。

そう言えば以前は水桶を運ぶ時は精々が早歩きだったのに、今では跳ねださんばかりに走りながら運んで来ている。

 

大物を狩った今、食料には余裕がある。

暫く狩りメインの生活は控えスマイルのレベルアップをメインの生活に切り替えるべきだろう。

 

 

「だけど明日は一日休ませてやらなきゃな」

 

 

本人自体も傷跡自体も大したことなさそうに見えるが無理は禁物だ。

拠点を探す時に拝借した消毒液と包帯、そして睡眠を取ることで自然回復を促す以外に傷を癒す手段が無い。

スマイルが疲労を隠して無理を続ければ、いざという時に共倒れとなりかねない。

 

 

「ゲームで言うポーションみたいな回復アイテムがあれば良いのに」

 

 

そんな都合の良いものある訳がない。

我ながら馬鹿な事を言ったとのだ。自分の独り言に苦笑いをしながら、俺は眠気が来るまで包丁を細かく振るった。

この調子ならきっと明日も寝不足だろう。

明日の自分に負担を押しつける事に溜め息を吐きながら。

 

だが俺はこの時、予想だにもしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『皆さん! この不思議な木の実があれば、傷も疲れも‼︎ それからもちろん食料事情だって万事解決しちゃうんですよ‼︎』

 

 

翌朝、あんまりにも都合の良過ぎるチートアイテムの存在を画面越しに知る事など。

 

 

 

 

 

 

予想出来てたまるかボケ。

 

 




・ピジョン とりポケモン(ノーマル/ひこう)
ポッポよりも身が引き締まり歯応えが増す。その大きさを目で楽しむ為にも甘辛い照り焼きソースをたっぷりと使う、贅沢な丸焼きで堪能して頂きたい。


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2ー4

周りのポケモン作品読むじゃん? ホッコリしたりワクワクするじゃん?
この作品読み返すじゃん? 我ながらジャンル違い過ぎて悲しくなるじゃん?


 

俺の目の前には既にお馴染みとなった『小鳥』がいる。

我が家の夕食の出演率驚異の九割超という、もはや俺たちの主食と言っていい鳥型モンスターだ。

 

時刻は午前十時。気温が徐々に上がって来る昼前。

俺とスマイル、そしてゲストの小鳥は拠点から五分程の場所にて向かいあっていた。

ちなみに小鳥は死にかけである。戦犯は俺。

 

血と砂埃で身体ドロドロのボロボロで、もはや飛ぶどころかまともに動けやしない。これ本当に大丈夫なの? と今まで散々に狩っては食ってきたにも関わらず、思わず心配になってしまうような絶妙なる半殺し加減である。

絶対に自力では動けない。苦しくて死にそうだけど、決して気絶は出来ない。

この塩梅に調節するのは結構な苦労をした。

相手をスマイルに任せたら、小鳥自身が勝手に特攻して反射スキルでそのまま自滅するのが目に見えてる。

かと言って俺の槍投だと手加減が効かない。

いくら俺の投擲スキルが神がかって上昇したとしても、モンスターにしては小さすぎて急所を外して当てるというのは無理ゲー過ぎた。

遠くに配置したスマイルのパッシブスキル『影踏み』を利用してその場から逃走を阻止、そして俺が小石をぶん投げて弱らせる。

もし俺がこの作戦を思いつかなければ実験の準備すら整わなかっただろう。

 

実験。そう、実験だ。

今回は狩りの為ではなく、とある実験の為にこの小鳥には犠牲になってもらう。

もちろん俺は悪戯に動物(モンスターだが)を虐待する趣味はないので実験が終了すればすぐに楽にした後、きちんと食材として頂く予定ではあるが。

 

 

「だからそんな顔で見ないでくれよスマイル。お前の為の実験なんだから」

 

「……ソー」

 

 

先程からスマイルの視線が痛い。笑顔なのに視線が痛い。

「うわぁ……ここまでヤるとかこいつマジかよ」って感じの視線は止めてくれ。

心の癒しであるお前からのその視線はマジで効くんだ。ダイレクトアタックなんだ。瀕死になっちゃうよ。

っていうか俺だってこんな実験はやりたくないのが本音なんだ。

 

いたたまれなくなりスマイルの視線攻撃からサッと顔を背ける。

俺は右手に乗せた今回の元凶を睨みつけた。

 

 

「これで効果が無かったら恨むからな」

 

 

掌に乗せた洋ナシ型の黄色い果実は当然ながら答えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話は今朝に遡る。

寝不足になりながらも五時には起床した俺は槍の鍛錬から始まる朝の日課をこなして、朝食を取る。

そして半ば惰性で続けているスマフォでの情報収集にて思わぬ成果を得たのだ。

 

 

「『速報‼︎ ソラたんがチート木の実を発見‼︎』って何だこりゃ?」

 

 

某掲示板にてモンスターパニック関連のスレを漁っていると、異様に盛り上がっているスレッドを発見した。

クリックしてみると動画のリンクが貼りつけられ、先ずは動画を見る事。そしてなるべく多くの人にこの動画を拡散して欲しいと書き込まれている。

 

ダメ元でリンクをクリックすると、何処かで見覚えのある少女のバストアップが映り出した。

 

 

『皆さんお久しぶりです! 約二週間ぶりの配信。お送りするのは〜ドレミファ! ソラ! はい、私ソラでーす‼︎』

 

 

ボブカットに大きな黒目。ぷくりと膨らんだ桃色の唇。オマケに大きく膨らんだワンピースの胸元からは深い谷間が見える。

誰が見ても美少女だと宣言するであろう俺と同い年くらいの少女。

この妙に頭に残る変な挨拶で思い出した。

確かこのソラという少女は初めてモンスターに接触した事を動画配信していた娘だ。

その証拠に最初の動画で餌付けしていた茶色いモンスターの長い耳がピョコピョコ映っている。

あの動画以降、配信が無かった為にネット内では死亡説が流れていたが生き残っていたのか。

 

 

『えーとですね。皆さんご存知の通り。今、日本だけじゃなくて世界中で大変な事になっています。こんな非常事態に何を呑気に配信なんか! って思う方もいらっしゃると思うんですが……』

 

 

話が長い。スライドして飛ばす。

問題のシーンは10分を過ぎた辺りと書き込まれていたのでその辺りで再生。

 

 

『……でも、皆さん信じられないかと思います! だから今から私が証拠を見せます‼︎ 今からやる事、見てて下さいね⁉︎ クッキー君、お願い‼︎』

 

 

何がどういう展開かは分からないが、ソラは『クッキー君』と名付けたであろうモンスターに腕を伸ばすと合図をする。

茶色いモンスターはその大きな瞳を悲しそうに潤ませてやや狼狽えたように小さく鳴き声を上げた。戸惑っているようだ。

だが瞳を閉じて何やら意を決したのか、次の瞬間にはキッと攻撃的な目つきになり差し出された真っ白な腕に思いっきり噛みいていた。

 

見た目は可愛いがやはりモンスターはモンスター。

噛みつかれた細い腕からは血が流れ、ソラは歯を食いしばっているようだが顔は苦痛に歪んで涙まで浮かんでいる。

いや。いやいや、一体何がしたいのだろうか?

しばらくするとソラはクッキー君の頭を軽く抑え自分から離すと、カメラに向かい噛みつかれた箇所をアップで写した。

肉が抉れ、白い骨が真っ赤な血肉の奥からほんの少しだけ見えている。平時だったら即アカウントが止められかねないグロ映像だ。

 

 

『いたっ……うぅ。本当に痛いよコレ。で、でも、これからが本番です‼︎ はい、コレです‼︎ さっきもお見せした『奇跡の木の実』‼︎ 今から食べます‼︎ だから、傷から目を離さないで下さいね‼︎』

 

 

ソラは画面外から黄色い果実を取り出して早口で何やら説明したかと思えばソレを皮ごと丸かじりした。

いや飯食ってないで治療しろよ。何やってんだこの娘。

この世紀末世界が辛過ぎて発狂でもしたのだろうか。本気でそんな心配をし始めた次の瞬間、俺は思わず本気で叫んだ。

 

 

「はああああぁぁぁ⁉︎ 傷が治ってる⁉︎ 木の実食っただけなのに嘘だろオイ⁉︎」

 

「ナノ⁉︎」

 

「……あ、悪いスマイル。何でもない」

 

 

大声にビックリして俺の膝から飛び上がったスマイルの頭を撫でて宥めつつも、俺の目は画面に釘付けだ。だが無理も無いだろう。

 

 

治ったのだ。

 

肉が抉れていた箇所が、穴のあいた傷をゆっくりと埋め尽くすようにしてあっという間に治ったのだ。

何度再生しても見間違いでは無い。果実を咀嚼して飲み込んだその瞬間、一気に傷が治っていく。

 

慌てて冒頭から動画を再生しなおし、『奇跡の木の実』とやらが紹介されるシーンを待つ。

冒頭から五分程はちょっと自己陶酔が入ったこの世界でも頑張りましょうエールと仲間にしたモンスターの紹介だった。

 

どうやらクッキー君だけでなく『ビスケットちゃん』と名付けた黄色と黒の危険色の体毛をした兎と鼠の中間のようなモンスターも手名付けたらしい。

りんごほっぺと短いギザギザの尻尾、それから大きく潤んだ瞳が可愛らしく「ピッチュピッチュ」とこれまた変わった鳴き声を甘えるような声色であげていた。

 

 

「しかしネーミングセンスが安直過ぎやしないか?」

 

「ソーナノ?」

 

「そうなの。どんだけお菓子好きなんだよってツッコミたくならないか?」

 

「ナノー」

 

「まあ俺も人のこと言えないが」

 

 

膝上のスマイルに癒されつつ動画の続きを観ていると、ついに問題の『奇跡の木の実』の紹介となった。

 

都内在住のソラの説明を要約すると、帰宅すると家族は既に家ごと潰れて全滅。いきなり重い。

 

モンスターパニックに巻き込まれて必死に避難場所へ向かうもクッキー君を抱えたままじゃ入れないと追い返される。

そこを何とかと押し問答していると街から空から、果てには地の底からも大型のモンスターが次々とやって来て避難所は丸ごと崩壊。

この時点で既に避難していた人間は全滅。

 

逃げ場を失った生存者達はモンスターから逃げ回りつつ、こぞってコンビニやスーパーに殺到して食料を強奪し、安全な場所を彷徨って数少ない無事な建物に不法侵入し、いつ来るとも分からぬモンスターの襲撃に怯える夜を繰り返した。

彼女もしばらくは似たような生活をしていたが都市機能が麻痺どころか崩壊し、モンスターの楽園と化した街からはあっという間に食料が尽きる。

奇跡的に無傷だったスーパーマーケットの食料を一晩で食いつくす傍迷惑なモンスターまで居たらしい。

 

三日もまともに食事が取れず飢えに苦しんでる時に、若者を中心とした生存者達のコミュニティに勧誘される。

ソラは甘い言葉についつい釣られて彼らにホイホイ着いて行き、食料が欲しければ。と身体を要求される。

拒否するも大人しく返してくれるはずも無く、最終的にはクッキー君の助けもあり貞操を守りつつ逃げだせたものの、その際にケガをして左腕が動かなくなる重傷を負う。

身体は痛み、あちこちでモンスターは徘徊しており、生存者も信用できない。

安心できる場所も食料も水も無い極限状態。

 

餓死寸前まで追い込まれ、もはやこれまでかと諦めたその時、ふと前方を見上げるとソラ一本の木に、果実が生っている事に気づく。

洋梨型で薄い黄色がベースで、所々に濃い黄色い斑点模様のついた毒々しい果実。

きっと毒がある。そう考えはしたものの、もはや食えるなら何でもいいと最後の力を振り絞って果実を手にとる。

クッキー君と半分に分けるとソレに無我夢中で頬張った。

 

すると不思議な事が続けて起こった。

一つは果実を無くした木が急に灰になって散ってしまった事。

そしてもう一つが、なんと左腕の痛みが薄れ、ゆっくりとなら動くようになった事。

驚くソラにクッキー君がどこからか見つけた同じ形の果実を加えて渡した。

これをまた半分に分けながら食すと、左腕のケガも身体のだるさも吹き飛んだ。との事。

 

 

「っていうか地味に凄いなソラ。俺だったら餓死するくらいならクッキー君を食べてたよ」

 

「ナノ⁉︎」

 

「いやだってクッキー君、見た目は兎とかスグリとかじゃん。筋っぽそうだけど食えなくはなさそうだし」

 

 

しかもそんな極限状態なのに拾ったばかりのモンスターにまでしっかり食事を分け与えるとか、なかなか出来る事じゃない。

素直に感心した。

 

で、動画の続き。

ソラはふと足下ににモンスターに食われたと思われる、ぐちゃぐちゃになり地面の上で潰れた果実の成れの果てを見つけた。

見た目が凄く悪かったので隠すつもりで何となく砂をかけた。

するとあっという間に発芽したそうだ。

驚いたソラはその場所で野宿をして様子を見る事にする。

発芽の速さからして、もしかしたらあの傷を癒す奇跡の木の実がまた食べられるのでは無いか。そんなあまりにも甘い期待をして。

 

そんな甘過ぎる期待がなんとドンピシャ。砂をかけた時から丸一日、二十四時間後には立派な木となって三つの果実をつけたのだ。

 

ソラは大興奮で果実の一つをクッキー君と食し、残る二つを埋めた。そしてまた翌日には二本の木に計六つの木の実が……。

といった調子で増やし続けているそうだ。

木の実に惹かれてか何度かモンスターの襲撃は受けたものの、ダメージを受ける度に木の実で強引に回復してひたすら特攻というある意味チートな戦い方で生き延びる。

戦闘をする度にクッキー君がみるみる強くなり、魔法のようなスキルまで次々に取得してまた強くなり。の繰り返しで、今じゃ大型のモンスターでもなければこの付近には寄って来なくなったとか。

 

ちなみにビスケットちゃんは空腹で行き倒れていた処を木の実で餌付けしたらしい。

スマイルと似てるな。見た目がマスコット的な奴は餌付けに弱いのだろうか。

思わずスマイルに目を向けるといキョトンした顔で首を傾げていた。まあ、可愛いからいいか。

 

 

『皆さん! この不思議な木の実があれば、傷も疲れも‼︎ それからもちろん食料事情だって万事解決しちゃうんですよ‼︎』

 

 

本当に嬉しそうな声でそう宣言するソラの顔は希望に満ちていた。

食事は取れているにしても、厳しい環境にいるには変わらないだろう。彼女の着ている白いワンピースのような服はボロボロに汚れている。

にも関わらず今の彼女の笑顔はとても輝いているではないか。

 

そして動画の最後に自分の拠点を大胆にも暴露し、その場所にさえ来てくれれば木の実を分け与える事を約束。

そして出来るだけこの動画を多くの人に広めて欲しい事をお願いして配信は終了していた。

 

 

「っていうか本気で凄いなこの娘。ちょっと正気を疑うレベルで良い娘過ぎないか?」

 

「ナノー?」

 

 

こんな世紀末世界で理不尽にも両親が死亡。

モンスターの脅威から逃げ、飢えに苦しみ、挙句の果てには男達に騙されてレイプされかけて大怪我を負った。

普通の人間はここまで追い込まれれば人間不信になるか、絶望のあまり人格が壊れてしまうかだろう。

にも関わらず、他人を救う為に拠点を晒して食料を分け与えるとか。善性の塊か何だろうか。

 

餌付けしたモンスターを邪険に扱い、助けを求める少女を罵倒して食い殺されところを眺めていた俺とは住む世界が違い過ぎる。

いや、今となってはスマイルは俺の半身とも言える存在だし、食い殺されるところだって好きで見た訳でも無いんだけれども。

 

 

「でも女の子一人で大丈夫か?」

 

 

また良からぬ輩に襲われたりしないだろうか?

死を目前にした人間は幾らでも無法な事をやらかすものだ。

窃盗を始め色々やらかしてる俺が言うんだから間違いない。

 

 

「いや、モンスターが二匹もいるなら大丈夫か」

 

「ソーナノ?」

 

「そうなの。多分クッキー君に関しては相当っぽいしな」

 

 

ビスケットちゃんは知らんがクッキー君がいるなら心配ないだろう。

田舎の拠点を中心としている俺と違い、殺人モンスターの群れや大型モンスターまで沸いている東京の真ん中だ。

そんな修羅場でここまでソラを守って来たならレベルアップの速度だって尋常じゃないだろう。

きっと一般人が相手なら何人居ようと簡単に追い払えるだろう。

俺はすっかりファンになった配信者ソラの無事を祈りながら立ち上がる。

跳ね回るスマイルと共に槍を手にして扉を開けた。

 

 

何の為に?

もちろん奇跡の木の実を探しに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてさて。動画内では毒性や副作用なんかは見られなかったが生憎と俺は臆病者なんでね」

 

 

今朝の事を思い出しながらゆっくりとボロボロの小鳥に近づいた俺は、弱々しい眼光をむける小鳥の目の前に黄色い木の実をそっと置いた。

お隣の東京に生えているならK県にも生えているのではとダメ元で探してみればウジャウジャと生えていたのだ。

拠点から北へ10分程の林の浅い所には既に、奇跡の果樹園が自然発生していたのだ。

 

ぶっちゃけ有り難みも糞も無かったが、実験さえ上手くいけばスマイルの大幅なレベルアップが狙えるのだ。

大事にしなければなるまい。

 

 

 

ゆっくりと目の前の果実を咀嚼し始めた小鳥を眺めながら乾いた唇を俺はペロリと舐めた。

胸の鼓動が早くなり、顔が赤く熱を帯びたのが自分でも分かった。

 

 

「ハハハッ。なんだか始めて傍迷惑なファンタジー世界に感謝したかもな」

 

 

瞳に精気を宿し傷一つない翼を広げてこちらを威嚇する小鳥の前で、俺は小さく笑いながら呟いた。

 

 

 

 




・イーブイ しんかポケモン(ノーマル)
遺伝子が不安定な為か個体によって味と食感がバラバラな為に食材には向いておらず、個体数の少ないイーブイを食材目的で捕獲すると全国のポケモン愛好家から袋叩きにあうので注意しよう。


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2ー5

日間ランキングで20位代までヒョコっと顔だしました。ビックリ。
それからアンケートご協力ありがとうございました。お気に入り100記念の番外編は『♀ポケモンとエロゲ主人公(笑)』に決定です。
9/18追記 お気に入り300記念の番外編は『草ポケモンとボッチ喪女』に決定です。次回アンケートは500記念か何かおめでたい事があったらやる予定です。


「ラタアアアアッ」

 

ジャンガリアンハムスターを巨大化させて凶暴化させ、ついでに思いっきり不細工にしたような小麦色の『大鼠』が突き出した前歯で敵を貫かんと飛び掛かる。

 

 

「反射! 打上げ!」

 

「ナノ‼︎」

 

 

俺の短い指示に迷いなく従った相棒は小さな身体を縮こませるようにしゃがみ込む。

そして大鼠と衝突する瞬間、身体を大きく反らして反射角度を瞬時に調整した。

 

ガキンッ! と耳慣れた大きな衝突音と共に、苦悶の表情を浮かべる大鼠が吐血しながら空に打ち上げられる。

俺は腰を落として右手に握ったアトラトルを構えてタイミングを計る。

ふと中学のバレーボールの授業を思い出す。アタックを打つ時はトスが上がって、引力に引っ張られたボールが一瞬静止した瞬間を狙うのがベストだそうだ。

 

真上に宙を飛ぶ鼠の速度が徐々に落ちる。

三。二。一。間も無く停止するだろう瞬間。間違いない。ここだ。

 

 

「シィッ‼︎」

 

 

肩の回転を強く意識して右腕を振り抜いた。

アトラトルから発射された燃え上がる竹槍は避けようもない空中にて大鼠の腹に真っ直ぐ突き刺さり、そのまま落下。

鳥脂をたっぷり塗りたくったお陰か火の勢いは収まる事を知らず、直ぐに鼠の体に燃え広がった。

 

 

「ラッ!……ラッ……ダァ……」

 

 

既に重症だった鼠からしたら決定打だったのだろう。

炎に包まれながら二度三度と身動ぎしただけで、そのまま静かに絶命した。

パチパチと音立てる死体に土をかけて手早く消化し、鼠の死体に脚を乗せて踏ん張りって竹槍を引き抜く。

その後しつこく燃え上がる竹槍を二、三回振り回し消化。

足下の鼠型モンスターからは、ゴムと獣肉が焼けるものを混ぜたよう独特な臭いがした。

 

 

視界の端で白い光が上がる。光の発生源はもちろんスマイルだ。

早朝から始まったレベルアップトレーニングは順調に進み、本日は既に十体の敵を倒し三度目のレベルアップ。

スマイルの動きも随分と良くなり、ステータスの上昇が見て分かる程だ。

 

だが、そんな順調な筈のレベルアップだが気になる事もある。

発光の時間が以前と比べて明らかに長くなってるし、相変わらずスマイルはレベルが上がる度に何かを堪えるような姿勢で暫くプルプルしているのだ。

やはり成長痛が酷いのだろうか?

 

 

「なあ、本当に無理してないか? 嫌だったら無理に戦わなくていいんだぞ。別に食糧調達の為の狩りでもないんだから」

 

「ナノ。ノーナノー」

 

 

スマイルは問題ないとばかりにガッツポーズをしてみせる。

が、どうにも俺には強がっているようにしか見えない。

レベルアップの度にはしゃぎ回って飛び跳ねてた頃の相棒を知っているからか余計に不安だ。

だが本人は強くなる事にそれなりの執着を見せているようで、無理に止めさせるのも悪い気がした。

 

 

「……なら良いけど。本当に無理はするなよ? ほら、木の実だ。しっかり食べろよ」

 

「ノー。ノーナノ。ナノ! ナノ‼︎」

 

「抱っこか? ちゃんと後でしてやるから先に傷を治した方が……」

 

「ノー‼︎ ノーナノ‼︎ ナノ! ナノ‼︎」

 

「わ、分かった分かった。ほら、おいで」

 

 

木の実を渡そうとするも、地団駄を踏みながら両腕を俺に広げて抱っこをせがむスマイルの様子にはどこか鬼気迫るものがあった。

一応抱きしめて思う存分甘えさせてさえやれば、普段の素直で明るいスマイルに戻る。

だがレベルが上がる度にこの調子なので、どうにも不安が募る。

 

一種の幼児帰りみたいなものなのだろうか。

スマイルの種族がどれほど生きるのかは分からないが普段の言動から見て本人は幼児、または子供程度の幼さだと見ている。

レベルアップ=精神的な成長と考えればまあ、納得出来なくはないのだが。

だがそう考えるとあっという間に反抗期が訪れてしまいそうで複雑だ。

 

 

五分間たっぷりと甘えたスマイルはピョコんと大地に降り立つと俺の手から黄色の果実。奇跡の実を受け取ると美味しそうに食べ始めた。

実験の過程で俺自身も腕に包丁で傷をつけてから試食したが、この木の実は見かけからは想像できないほどに美味だった。

甘みが特別強い訳では無いが程よい渋味と苦味が良い塩梅で、まったりとした果肉の食感が面白い。

普通に販売しても売れるのでは無いかと思った。まあ、今の時代では金など文字通り便所で尻拭く紙にしかならないだろうが。

 

 

「さてと、続けるか」

 

「ナノナノ! ソーナノー‼︎」

 

 

エイエイオーッと右腕を天に伸ばすスマイルに頬を緩ませながら、投槍をアトラトルにセットした。

空はまだまだ明るい。俺たちは糧を求めて再び歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太陽が徐々に沈み始める午後六時。徐々に長くなる陽に季節の移り変わりを感じる。

奇跡の実を活用したレベル上げは大いに捗り、今日だけで五回はレベルアップした。

だが育成モノのお約束と言うべきか、敵を倒す頻度は変わらないにも関わらずスマイルのレベルは徐々に上がりにくくなってきた。

 

具体例を出すと前回は一気に二回もレベルが上がった『怪鳥』を今日も一匹倒したのだが、今回はそれだけではレベルが一つも上がらなかったのだ。

結局その後に初めてスマイルが倒したモンスターである、懐かしの黒い犬型モンスターを二匹倒してようやく一つレベルアップ。

 

 

「この調子じゃ明日はもっと上がりにくくなるだろうな」

 

 

これに関しては妥協するしかないだろう。

スマイル自身が強くなってるのは明らかだし、上がりにくくなったとは言えモンスターを倒す事でゲーム用語の『経験値』を稼げてる事は確かな筈だ。

だがこうしてレベル上げに勤しんでいる途中に俺は一つの問題に気付いた。

 

 

「肝心のスマイルの今のレベルが分からないんだよなあ」

 

 

レベルアップ時の発光の回数からかんがえると、行動を共にしてから恐らく15~20近くは上がったと思う。

思うのだが、いかんせん出会った当初のレベルが分からない。

ついでに言うと普段戦ってる敵のレベルも分からないものだから、スマイルの具体的な実力が判らないのだ。

 

 

「狩りの獲物を選ぶ基準もスマイルの判断に任せてるからなあ」

 

 

常日頃から臆病である俺は初見の敵に出会った時、スマイルに勝てそうかどうか確認を取ってから戦闘に入る。

一度に複数の相手は避けている事や、スマイル自身が見た目の割にタフだし反射スキルも凶悪な為に大概の場合は問題無しと判断して即戦闘に移る。

 

だが、時たまスマイルが元々青い顔をさらに青くして戦うことを激しく拒否したりするモンスターもいる。

分かりやすい例を出せば『季節を司る大鹿』何かがその筆頭だ。

流石にアソコまでヤバイ奴は中々いないが、戦い慣れたスマイルが警戒する程度には強いモンスターも潜んでいる。

そういう場合は大人しく撤退して近づかないようにしている訳だが。

 

 

「異世界物のラノベみたいに鑑定魔法なんかありゃいいのに」

 

 

今日だってダメ元で色々と試したのだ。

スマイルに向かって「ステータスオープン」と叫んでみたり「鑑定」と指差してみたり。

結果はスマイルがキョトンとして俺の黒歴史が増えただけ。

世界は変わっても人間が魔法は使えるようにはなっていなかった。

まあ、前触れも無くモンスターが沸いて出る世の中だ。

人間に優しくないのなんて今更だろう。

 

 

「……にしてもコレ、本当に食えるんだろうな? 腐敗臭が凄いんだけど」

 

 

閑話休題。

 

俺は現在、拠点内の解体室にて巨大な肉塊と向き合っている。

その正体は以前、ボーラとアトラトルの実験台となった不思議な角を持った鹿の肉だ。

 

鹿と言えばジビエ。という漠然としたイメージだけはあった俺は解体した後、鹿肉の食い方やジビエについてスマフォで色々と調べたのだ。

本格的な調理は無理だとしても、自分の力だけで狩った人生初の大物なのだ。

少しでも美味く喰いたいと思うのは自然な事だろう。

そして調べたの結果、俺は肉を美味く喰うには熟成が必要という結論に至ったのだ。

 

 

「新聞紙に包んでたから流石に虫は沸いてないが、やっぱ冷蔵庫無しではキツかったか?」

 

 

本来なら適当な大きさに切り分け、クッキングペーパーなどで水気を取った後に冷蔵庫で保存するのがセオリーらしいのだが、当たり前ながらこの拠点に電化製品など無い。

仕方ないので肉の周りに塩を塗りたくり、新聞紙で包んで陽の当たらない場所に放置した。

その結末がこの腐敗した肉塊だ。

例年に比べれば涼しい気候とは言え、初夏である六月に常温放置は無謀だっただろうか。

だが今さら棄てるのは余りにも勿体無い。

 

 

「先ずは腐ってる部分を削ぎ落とすか」

 

 

気を取り直して嫌な色に変色した肉の表面を槍から外した包丁で丁寧に削ぎ落としていく。

ケバブの肉を削るようにして、みるみるうちに小さくなった肉塊は最終的に食用可能と思われる真っ赤な赤身は全体の半分より少し多い程しか残らなかった。

予想よりも腐敗部分が多い。やはり常温にしては放置し過ぎたようだ

 

 

「まあ普通に食えそうだから妥協点だろ」

 

 

自分を納得させるように独り言ちると、削ぎ落とした部分を新聞紙に包んでまとめて置く。

この腐った肉に関しては後ほど、内臓や使わない死体を埋めてある穴に投げ込み、焼却する予定だ。

 

 

「うん。ネットで見た肉と同じ色だな。削ぐ前は不安だったけど美味そうに熟成されてるな」

 

 

ぬらぬらと光る鹿肉は濃厚な血を凝縮したような深い紅色に仕上がっていた。

いい感じに旨味が凝縮されている事だろう。初めての熟成はなんとか成功したようだ。

暇があれば今後は小鳥肉や怪鳥肉でも試していいかもしれない。

 

 

「んじゃ。切り分けて持っていくとしますか」

 

 

包丁で適当に肉をぶつ切りにして鍋に押し込み、塩を多めにぶっかける。

かなり削ぎ落としたとは言え、やはり大物の肉塊。

余りに肉の量が多いので鍋から溢れて小山のようになってしまったが、まあスマイルと二人なら食べきれるだろう。

最悪余ったら塩漬けして干し肉にすれば良い。

 

予め汲んであった井戸水で手を洗ってから大部屋に置いてあるリュックサックを開く。

自宅やコンビニなどから持ち込んで来た食料品から目当ての物をいくつか取り出し、鍋を抱えてスマイルが待っているであろう拠点の外に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

「おー。本当に石窯作っててくれたんだな。サンキュー、スマイル」

 

「ナノナノ!」

 

 

拠点の外では既にスマイルが大小様々な石を積み上げた簡単な石窯の前で待っていた。

ネット検索した画像を見せて「こういう風に石を並べてくれ」と頼んだだけなのに中々の再現度だ。

メイド・イン・スマイルの石窯の中に適当な小枝と少量の固まった鳥脂を放り込んでチャッカマンで着火。

枝の量を調節したり息を吹きかけたりしながら火の勢いを確認して、窯の上にやや小さめの鉄板を敷いた。

この鉄板は拠点に転がっていた古い鍬の頭の部分を丁寧に洗って再利用したものだ。

 

実はこの鍬。落とし穴を掘る時に使ったら一振りしただけで先端の金属部分がすっぽ抜け、鍬としては全く使い物にならなかったのだ。

金属は貴重だから念の為に。捨てないで取っておいたが、まさか鉄板焼きに使うとは当時はまだ俺も予想できなかった。

 

 

「うん。そろそろいいかな」

 

 

待つ事しばらく、鉄板がしっかりと熱くなった事を確認すると俺はその上に適当にちぎったブロック状のバターの塊を乗せた。

鉄板の上でジュウジュウ音たてて蕩けながら食欲をそそる独特なまろやかな香りを上げている。

 

 

「ナノナノ〜」

 

 

スマイルは初めて嗅いだバターの香りにウットリとしている。

確かにこの香りは癖になるよな。小さく笑いながら俺は竹で作った二つの皿の上に鯖味噌缶の汁だけを移す。

そこに再びバター、そして塩。最後に奇跡の実の果汁をほんの少しだけ入れてからかき混ぜる。ジャンク臭が拭えないが、これでもステーキソースの代用品のつもりだ。

 

 

「んじゃ焼くぞー」

 

「ソーナノー‼︎」

 

 

鉄板の上にやや厚めに切られた鹿肉が乗る。

先ほどのバターよりも大きな音と共に肉が焼ける匂いがする。

いつもの鳥脂や小鳥肉では無いからか、この匂いを嗅いでるだけでも贅沢な気分だ。

頃合いを見て肉をひっくり返し、鉄板の端っこでカイワレとモヤシを焼く。

待ちきれないのかスマイルはウズウズソワソワしている。

ソースの入った皿を持っていなければ今頃は飛び跳ねていただろう。

 

 

「そろそろいいだろう」

 

 

失敗は無いと思うが素人の熟成なので肉が傷んでいる可能性も考慮し、焼き加減はミディアムウェルダンだ。

いい焼き色に仕上がった鹿肉と付け合わせの野菜をそれぞれの皿に移す。

ゴクリと唾を飲んだのはスマイルか、そらとも俺だろうか。とても美味そうだ。

 

 

「さて、レベル上げの為の連戦おつかれ様。今日は思いっきり贅沢にジビエを楽しむぞ‼︎ それでは、いただきます‼︎」

 

「ナノナノナー‼︎」

 

 

ソースに潜らせた熱々の鹿ステーキを口に放り込む。

即席で作った割には濃厚で甘みの強い味噌ベースのソースは鹿肉にピッタリだ。

久々に口にする塩以外の調味料の味に鈍っていた味覚が刺激されたような気分になって思わず涙が出そうになる。

そして、肝心のステーキの出来だ。

 

 

「柔らかい。柔らかくて、美味え……‼︎」

 

 

脂肪の少ない赤身はよくグルメリポーターの定型句である『舌の上で肉が蕩ける』なんて事は決して無い。

だが噛めば噛むほど程よい脂と鹿肉の濃厚な味がジュワジュワ滲み出て来る。

熟成が上手くいったおかげか、しっかりと火を通したにも関わらず程よい噛み応えと柔らかさのバランスが絶妙だ。

このサバイバル生活が始まってから。いや。下手したら今までの人生で口にしてきたどんな肉料理よりも美味かった。

 

 

「ナノナノ‼︎ ナーノー‼︎」

 

 

スマイルもその美味さに感動したのだろう。

口の周りをベタベタに汚しながら、いつもの食事とは比べものにならない勢いでガッついている。

大好物のチョコレートを渡した時の反応にも負けていなかった。

 

 

「肉はドンドンあるからな。たくさん食べて、明日からも頑張ろうな」

 

「ナノ‼︎ ソーナノー‼︎」

 

 

鉄板の上に追加の肉を置きながらスマイルに微笑む。

小さな相棒は今日一番の輝く笑顔で俺に応えた。

 

優しい月明かりがたなびく煙で仄かに霞む夜空の下。

俺達は最高に贅沢な二人きりのジビエパーティーを心から満喫していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だからこそ、気付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「……グルルルラアアアアァァ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな俺達を林の奥から炯々と瞳を光らせて観察する存在に。

 

 

 




・ラッタ ねずみポケモン(ノーマル)
肉質はゴムのように固く、臭みも強い。
食用には向いてないが割とどこにでも生息している上に身体はそこそこ大きいので、食べるものが無いサバイバル時には非常食とされる。


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2ー6

久々に更新したと思ったら話が進んでない件。あ、メリクリです。


高校に入学してすぐの事だっただろうか。

 

週末の日課でTSUTAYAに映画を借りた後、ふと小腹が空いて近くのラーメン屋に入った。するとそこで小学生時代に仲の良かったクラスメイトとバッタリ再会した。

せっかくの機会だからと相席になった旧友は、坊主頭に愛嬌のある歯抜け笑顔が似合っていた少年時代の面影は殆ど無くし、髪を金に染めて整髪料の臭いをプンプンさせる場末のチンピラ崩れのような風貌と化していた。

 

味の薄いラーメンを啜りながら互いの近況を語り合ったところ、劇的な見た目の変化から察せる通り。目の前の旧友は進学先のヤンチャな校風にすっかり染まってしまったらしく、やれ何処の学校は弱かっただの、たった一人で5人をぶっ飛ばしただの。

そんな愛想笑いで受け流すしか無い下らない武勇伝を聴かされるハメになった。

だがその中でも彼がボクシングを始めたという言葉は少しだけ俺の興味を引いた。

 

インドア派の俺からしてみれば、格闘技なんてものはひたすら自分を苛め抜きオマケに試合では痛い思いばかりする。

つまりは、ちょっと頭のおかしい人間か特殊な性癖の人間しかやらない不謹慎なイメージを持っていた。

その事を出来るだけやんわりと伝えたところ、意外にも目の前の不良見習いは苦笑いしながら「その気持ちは分かる」と理解を示した。

 

彼曰く。体力作りの走り込みや筋トレは地道で退屈だし、スパーリングはとにかく気力も体力も全てが燃え尽きるような重労働だそうだ。

公式の試合に本人は出た事はまだ無いらしいが、同じジムの先輩はあまり戦績が良く無いらしく試合の度に顔がボコボコに変形するまで殴られまくる。

その光景は喧嘩慣れしている彼から見ても背筋が寒くなるような恐ろしいものらしい。

辛い練習や厳しい環境に負けそうになり、今まで何度も辞めたいと思った。

だが、それでも必死の思いでジムに通い続けているそうだ。

 

 

「自分が強くなった実感ていうのがさ、癖になるんだわ。格闘技やってるやつが大きい声で言えた事じゃ無いけど、昔は絶対に勝てなかった喧嘩自慢のやつをぶっ飛ばした時とかよ。強くなって良かったーって。この感覚は麻薬みてーに病み付きになんだよ」

 

 

まあ、薬どころか酒も煙草もやらねーけどな。とケラケラ笑いながら語った彼の言葉に俺はどんな反応をしたのだったか。

今はもうすっかりと忘れてしまった。

だが、彼が悪戯っぽく笑いながら言ったあの言葉が。

「強くなる実感は麻薬のようだ」という何かのフレーズをそのまま引用したような、その言葉だけが俺の脳みそに焼き付いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エナアアアアァァ‼︎」

 

 

飢えと敵意に眼を金色に光らせながら大口を開けて、本能のまま小さなハイエナ擬きが俺に飛び掛かってくる。

俺は無駄に力まぬ事を意識しつつ、首筋を狙うモンスターの目の前に槍を静かに構えた。

突く事では無く、その場に刃を置く事を強く意識して。だ。

 

 

「グギャッ⁉︎」

 

 

一度体を浮かせてしまえば、そう簡単に勢いは殺せない。

ロケットの様にご丁寧にも一直線に突っ込んで来てくれたハイエナ擬きの喉奥に、月光を反射する刃は吸い込まれる用に呑み込まれた。

そのまま滑る様にして柄の中心まで呑み込まれる頃には、獣の尻の先から血濡れの刃が肉と毛皮を引き裂きながら顔を出す。

信じられないと嘆くような表情ででパクパクと槍の柄を何度も咥えながらピクピクと痙攣。

やがて血混じりの細かい泡をシオマネキのようにブクブク吹き出しながら、白眼を向いて舌をダランと垂れ流して絶命した。

 

息つく間も無く、死体をぶら下げた槍をすかさず投げ捨てる。

足元には体勢を崩そうと目論んだのか身体を沈むように低くして、俺の脚に噛み付こうとするもう一匹のハイエナ擬きが既に構えていた。

俺は短く舌打ちしながら右手でベルトに引っ掛けていたボーラを取り出し、風切り音を立てて回転させる。

それと同時に強引に身体を前進して、大きく開いた獣の顎にねじ込むようにして右脚の爪先を捻じ込んでやった。

 

 

「エナッ⁉︎」

 

 

犬に噛まれた時は引き抜くよりも押し込んだ方が効果的。とはよく言った話だ。

噛み付く直前で喉奥に深く異物を突っ込まれたハイエナ擬きは焦った様にえづいた。

だが闘争本能からかそれとも単純な食欲からなのか、悶えながらも無理やり噛み千切ってやろうと顎に力を込めるのを諦めようとはしない。

俺の足にむしゃぶりついて、まんまとその場に釘付けになってくれたのは非常に有難い。

自然と口角が上がるのを自覚しつつ、獲物を構えた右腕を振り上げる。

 

 

「っらあああ‼︎」

 

 

十分に回転を乗せたボーラをその勢いのまま、モーニングスターの如くモンスターの頭蓋に叩き込んだ。

運動靴のつま先と、隕石の如し速度で叩きつけられた石の塊に押し潰されたインパクトにハイエナ擬きは耐え切れなかった。

骨が砕ける触感が手に伝わると共に、眼球がパーティークラッカーのように勢いよく飛び出し、そのまま悲鳴一つあげる前に死んだ。

 

 

「これで二匹目だ」

 

 

口元に飛び散った獣の血をペロリと舐め取る。

鉄臭しと獣臭が混じったその味は酷い物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時刻は深夜2時過ぎ。

久々の御馳走をたらふく平らげ、気持ちよく熟睡していたが、急な振動に揺り起こされた。

寝ぼけ眼ですわ何事かと顔を上げると、俺の身体を激しく揺さぶるスマイルの姿が見える。

どうやら俺を安眠の世界から引きずり出した犯人は小さな相棒のようだった。

何故こんな時間に? 一言文句を言ってやろうかとも思い半目で睨みつけてみるも、よく見ればスマイルのトレードマークである朗らかな笑顔にどこか焦りが見えた。

 

 

「えーと。スマイル、一体」

 

 

どうしたんだ? そう尋ねようとした時だった。

 

 

「エナアアアアア‼︎」

 

 

拠点の外から獣の遠吠えが聞こえてきたのだ。

しかも一匹だけではない。

 

 

「ギャオオオオン‼︎」

 

「エナッ! エナアアアアア‼︎」

 

「グルルルッ!」

 

 

まるで山彦のようにして何匹もの獣の声が拠点を取り囲みようにして響いて来るではないか。

スマイルの形相にも納得するしかあるまい。

これはサバイバル生活始まって以来の緊急事態だ。

 

 

「夜襲かよ畜生! 迎え討つぞスマイル‼︎」

 

「ナノナノ、ソーナノー」

 

 

脳内のスイッチを戦闘モードにカチッと切り替えた俺は寝床の隣に置いてあった狩道具を素早く装備。

最後にお馴染みの愛槍を右手にしっかりと握りしめる。

テーブルに常備してある回復薬代わりの奇跡の実をパーカーのポケットに突っ込むと、俺の呼び掛けに先立つように外へ飛び出したスマイルを追いかけて俺は初めての夜戦に挑んだ。

 

 

冒頭に戻る。

当初、扉の外に待ち受けていた10匹以上のハイエナ擬きの群れを確認し、その圧倒的な戦力差に萎縮しつつあった。

だがそんな俺の気など知ってか知らずか、果敢にも群れのど真ん中に飛び込んで行くスマイルの姿に勇気付けられて闘志の炎を燃やしながら戦闘に突入したのだ。

 

 

俺は足元に転がった二匹の死体を冷めた目で眺めた。

何というか、自分自身がすっかり変わったのだなと強く実感しているのだ。

思えば始めて戦ったモンスターもこの黒と灰色の毛皮が特徴のハイエナ擬きだった。

当時は目の前で年下の少女が無残にも喰い殺され、そのショッキングなシーンに恐れ戦いて失神しそうになったのも記憶に新しい。

初めての戦闘では緊張と恐怖のあまり、まともに武器すら構えられず危うく殺されかけたものだ。

だがそれが今ではどうだろうか。

 

 

「チッ‼︎」

 

 

瞬間、背筋の辺りにチリチリと焼け付くような不快な感覚が生じた。

本能に従うように素早く振り向くと、やはりそこには背後から組み敷いてやろうと飛びかかるハイエナ擬きが涎を垂らして口を大きく開いていた。

殺気という未だ全貌を捉えられない未知の感覚に戸惑いながらも、俺は攻撃の手を緩める事はしない。

 

 

「喰いたきゃ喰えよオラァ‼︎」

 

「エギャッ⁉︎」

 

 

先ほどの串刺し攻撃を繰り返すかのように、躊躇なく自分の左手を獣の口に突っ込む。

まさか無手のまま拳を呑み込ませるとは思っても見なかったのか、ハイエナ擬きは驚愕に目を見開きつつも素早く顎を閉じた。

奴はえづきながらも顎の力を緩めようとはしなかった。

その鋭い牙は俺の左腕を徐々に抉るように刺さり、その度にブチブチ筋繊維が千切れる嫌な音を立てながら筋肉にめり込んでいく。

 

傷口から灼熱。思わず眉間に皺を寄せて歯をくいしばる。

脳内にて、その激しい熱こそが痛みなのだとアラームがガンガンと鳴り響いた。

 

 

「痛えんだよ、この……」

 

 

右手に握ったボーラを放り投げる。

そのまま中指と人差し指の二本だけを伸ばしたまま拳を握り締め、力を込めた。

イメージは憎悪に光る長釘、もしくは殺意に冷えたアイスピックだ。

そのまま思いっきり腕を振り上げて、未だ人様の腕にぶら下がり肉を食い破ろうとする憎き獣に狙いを定めた。

 

 

「犬畜生があああああ‼︎」

 

 

噛み付かれた左腕の痛みを誤魔化すように叫びながら、思いっきり右腕を振り抜いた。

二本の指は吸い込まれるように目の前で食らいつく獣の右眼を突き破り、呆気なく眼球を潰す。

指先で感じた触感は、まるで少し柔めのナタデココみたいだ。

場違いにもそんな間抜けな感想を覚えたのが印象的だ。

 

 

「エギャアアアア‼︎」

 

 

激痛のせいか、それとも異物が眼孔に入った衝撃と困惑か。

ハイエナ擬きは俺の腕を放り出したかと思うと背中から不恰好に墜落し、そのまま翻筋斗打ってのたうち回る。

その度に、眼球が潰えた空っぽの孔から水鉄砲のように真っ赤な血が勢いよく飛び散る。

蛇口に繋いだままホースが踊り狂うようにして水を吹き出す様を思い出し、何だか愉快な気分になってきた。

 

アドレナリンを初めとした脳内物質が引き起こす、異様な高揚感と万能感に侵されている自覚がある。

俺はすかさず背に抱えた矢筒から投槍の一本を取り出すと、血涙を流すモンスターの頭を右足でしっかりと踏みつけて狙いを定めた。

 

 

「死ね」

 

 

両手で竹製の細槍をしっかりと握りしめ、杭を打ち込むようにして獣の首すじに力の限り突き刺した。

 

 

「エギョッ⁉︎」

 

 

ハイエナ擬きは潰れたカエルのような悲鳴を一瞬漏らすとそのまま静かに絶命。

種族人間を獲物としか見ていなかった狩人気取りのモンスターは、その人間様の手で呆気なくくたばった。

 

 

(やっぱり俺、強くなってるよな)

 

 

人心地ついた俺は串刺しにされたハイエナ擬きから包丁槍を引き抜きつつ、静かに思考に浸った。

 

この夢のようで糞ったれなファンタジーに侵されつつある世界は、紛れもなく現実だ。

だからこそ俺達人間は中途半端に現実世界のリアルな縛りから抜け出す事が出来ない。

幻想の世界からの侵略者であるモンスター達のように、敵を殺してレベルアップする事で身体能力をガッツリと強化する、なんて事は出来ない。

魔法のような不思議スキルを使う事も出来ない。

それはモンスターだけの特権だ。俺達人類にとってあまりにもファンタジー世界は過酷な現実を強いて来るのだ。

だがそれは種族人間の存在を否定する訳でも無ければ、その成長を否定している訳でも無い。

俺達人間は当然、身体を鍛える事が出来る。精神を鍛える事だって出来るのだから。

 

サバイバル生活を始めてからの日々はとてつもなく濃厚で刺激的な日々の連続だった。

与えられるがままの惰性的な平和に肩までドップリと浸かっていた、学生として過ごしてきた人生の何と腐敗したものだったのかと嘆きたくなる程に。

この世紀末世界の一日一日が激動と苦悩の連続だった。

 

獲物を狩るにしても、まず気付かれ無いように接近する足捌きから学ばなければいけない。

目の前で生きている命を奪わなければいけない。

殺す為の心構えや技術が本能に刻み込まれるまで繰り返さなければいけない。

そして獲物の血と臓物に塗れながら解体して、その肉塊を運んで処理しなければならない。

思い起こせば一つ一つは簡単な事だが、それをルーチンとするにはかなりの体力と覚悟が必要だ。

 

スマイル頼みの狩りとは言えども、場合によっては俺だって身体を張らなければならない。

獲物の勢いを反射しきれず弾丸の如く吹っ飛んだスマイルを抱き止めたと思ったら、勢いを殺せずにそのまま二人してぶっ飛ばされた事もある。

油断していたところを怪鳥の奇襲を喰らい、魔法のような突風に煽られて激しく吹き飛ばされて全身を打ち付けた事もある。

ネズミやビーバー。ハイエナ擬きに噛み付かれて骨が露出した事だって。

数えればキリが無いほどの痛みと経験を重ねて来たのだ。

 

 

俺はゲームの主人公のように劇的に強くなる事なんて出来ない。

魔法もチートスキルも使えない。

 

だが死線を潜り、痛みに慣れ、技術を学ぶ事は出来る。

その小さな積み重ねの結果がコレなのだ。

人喰いハイエナ擬きの10や20。今の俺からしたらただの雑魚だ。

 

 

「この感覚は確かに麻薬だな」

 

 

痛みを忘れて熱に浮かされたせいか、らしくも無い台詞が俺の口から零れ落ちた。

 

 

「ナノー‼︎」

 

 

可愛らしくも頼もしい相棒の雄叫びに釣られて、思考を放棄して振り向くとそこには予想通りの光景が広がっていた。

 

俺達を囲うようにして出迎えた計10匹のハイエナ擬きの群れ。

中心に立ったリーダーらしき身体の大きな奴が一吠えすると、大半はスマイルの方に標的を定めて襲いかかったのだ。

果たしてそのコミカルで小さな見た目から弱者だと判断したからなのか、それとも本能でレベル差を感じて強者だからと判断したのかは分からない。

だが俺が傷だらけになりながら三匹の獲物を仕留めている僅かの間に、その倍の数がスマイルの周囲に転がっている。

見るからに瀕死状態で気絶しているか、死んでいるかのどちらかだろう。

 

考えてみればスマイルには出会った当初ですらほぼ無傷で同種族のモンスター2匹を戦闘不能に追い込む実力があったのだ。

それにも関わらず現在は少なく見積もっても20回以上のレベルアップを果たしているのだ。

しかもどんな傷でもしっかりと回復してくれる奇跡の実も常備している今、100や200ならまだしもハイエナ擬きの10や20は物の数でも無いのだろう。

 

 

「キャインッ⁉︎」

 

 

ガツンと反射スキルの音が響いた。

よく見ればリーダー格のハイエナ擬きがヤケクソ気味にスマイルに特攻を仕掛け、スキルの餌食になり反対方向に吹き飛んで行く光景が見えている。

群れのボスなだけあってレベルが高めなのだろう、空中で器用にもバク宙するように体制を立て直し、唸り声をあげている。

だが致命傷には至らずともそのダメージは甚大だったのだろう。

だがその瞳からは闘士の炎はすっかり鎮火し、むしろ恐れからか涙に潤んで震えてみえる。

足元はフラつき、威嚇の声も明らかに弱々しい。

 

 

「エウッ……エナ‼︎」

 

 

まるで捨て台詞を吐きすてる三流悪人のような仕草で一つ吠えたかと思うと、そのままハイエナ擬きは脱兎の如く俺達から逃げ出して行った。

だが殺しにかかって来たのだから、そうは簡単に逃げられない。

このまま放っておいたところでスマイルの凶悪スキル『影踏み』の餌食になるのだろう。

必勝のパターンがすっかりハマったのだ。

 

 

「ナーノナーノナー」

 

 

だがここで我が相棒が奇妙な動きを見せた。

 

 

「ナーノナーノナ! ナーノナーノナ‼︎」

 

 

スマイルは何故か突然、一定のリズムで歌うように鳴き声をあげながらそれに合わせて手拍子を始めた。

一体何が起こるかと思いきや、不思議な事にスマイルの歌声に呼応するかのようにして逃走していた獣がボンヤリと光り出した。

しかもその光り方が、何というか独特なのだ。

 

 

(スポットライト? か、アレ?)

 

 

どこにも照明器具など無いというのに、まるでハイエナ擬きの頭上からピンスポットが照射されたかのようにしてクッキリとその姿を照らし出した。

霞んだ月光の他に明かり一つ無い夜の闇に浮かぶようにして輝くそのライティングは、まるで敵前逃亡を計る負け犬が舞台役者にでも変身したかのような錯覚を覚える程。

モンスターが起こす超能力や魔法のような謎スキルは何度も見て来たがコレは一体どんな効果があるのか、とんと見当がつかない。

暗闇でも敵を見失わないような、マーキングのようなスキルだろうか。

 

 

「ナーノナーノナ! ナーノナーノナ!」

 

 

スマイルの鳴き声。それから、ポフッポフッと気の抜ける三拍子の拍手の音が暗闇に響いて溶けていく。

その度にハイエナ擬きのスポットライトはギラギラと輝きを増す。

すると遠くへ走り出している獣の様子が次第におかしくなった。

 

最初は小さな変化だった。

先ず尻尾を捲って逃走していたハイエナ擬きの脚が徐々に失速していった。

『影踏み』の射程範囲に達し、逃げられなくなったのかと思ったがどうやら違うらしい。

スポットライトに照らされた獣は完璧に停止したかと思うと、今度は次第に身体が震え出す。

やがて此方に向き直ったかと思うと、逃げ出した道をなぞるようにして再びスマイルに向かって勢いよく駆け出して来たのだ。

 

 

(逃走を諦めて反撃に移っただけか?)

 

 

この暗闇の中、不自然に浮かぶようなピンスポットに照らされたら確かに逃げようにも逃げられない。

それを察して玉砕覚悟で再び闘志を燃やして勝負を挑んで来たのかと察したが、その考えは直ぐに破棄した。

此方に向かって駆けてくるハイエナ擬きの表情が、次第に鮮明になって来たからだ。

 

何というか、一言で表すと泣きべそをかいていた。

涙を零してイヤイヤと首を振り、キャンキャンと許しを請うような媚びた声で鳴いている。

にも関わらずその脚は速度を緩める事なく、スマイルに一直線に向かっているのだ。

そう。『闘いたくないのに、身体が勝手に動いている』かのように。

 

 

(強制的に攻撃を誘発させているのか?)

 

「ナーノナーノナ! ナーノナーノナ!」

 

 

リズミカルな手拍子と鳴き声。

それに釣られて、まるで『先程の攻撃を再現するかのように』ハイエナ擬きは歯をむき出しにしてスマイルに近付いていく。

 

 

突然だが、我が小さな相棒の能力を思い出して欲しい

小さな身体にお似合いのチョコマカとした素早い動きは相手を翻弄するが、逆にその見た目を裏切るかのような強大なタフネスと防御力を持っている。

そして極め付けはあらゆる攻撃を反射して膨大なダメージをお返しする『反射』スキルに、敵の逃亡を阻止する『影踏み』スキル。

そんな理想的なタンクポジションのスマイル。

だが、彼には決定的な弱点がある。

それは自発的な攻撃手段が余りにも乏しい点だ。

 

反射スキルは凶悪だが受動的なものなので、相手側が攻撃してくれなければ意味が無い。

影踏みに関しても相手が逃げ出そうとしなければ。つまり此方を脅威的存在だと認識してくれなければ無用の産物と化してしまう。

 

他にスマイルが取れる攻撃手段と言えば精々が何か物を投げつけるか、高く飛び跳ねてから軽く踏み付けるくらいだろう。

だが、こんなものでは対人戦はともかく対モンスター戦ではダメージを与えられず、攻撃手段としては成り立たない。

コレでは相手が持久戦を望んだ場合、千日手になる可能性がある。

 

だが、もしも。もしも、だ。

もし『相手を強制的に自分に攻撃させるスキル』をスマイルが会得していたとしたら。

スマイル本来の性能と組み合わせた時、非常に強力な。否、凶悪なカウンターモンスターと化すのでは無いだろうか。

 

 

(手拍子とリズムに乗せて敵の攻撃を煽る……いや、動きから見るにして前ターンの攻撃を強制的に繰り返させるスキルか)

 

 

名付けるならば『リプレイ』か。

いや、あのライトの演出とスマイルの動きから『アンコール』とでも名付けるべきか。

そんな事を考えている内に、操られるままの獣は最早駄々をこねる子供のように必死で鳴き喚きながら首をバタつかせるも甲斐は無し。

強制的にリプレイさせられた噛み付き攻撃の動作でハイエナ擬きはスマイルに飛びかかった。

その瞬間、チラリと小さな相棒がこっちに視線を向けるのに気付いた。

相棒の合図を受けて俺は一つ頷き、声を張り上げる。

 

 

「スマイル! こっちに打ち上げて寄越せ‼︎」

 

「ソーナノー‼︎」

 

 

俺の声に笑顔で応えたスマイルは身体の角度を大きくずらし、身体を半身にしてこちらに向けた。

相棒の目と鼻の先には悲痛な未来から必死に怯えて震える哀れな負け犬が大口開いて突っ込んで来た。

 

ガツン! と周囲が震える程の大きな衝撃音をが鳴り響いた。

綺麗な放物線を描くようにして此方に吹っ飛ばされたハイエナ擬きはピクリともせず、もしかしたら既に事切れているかもしれなかった。

だが戦いの熱にすっかり染まった俺には関係無い。

暴力的な衝動をそのままエネルギーに変換し、右腕に握ったボーラを今日一番の勢いで激しく回転させた。

やがて俺の頭上に獣が落下してくる。このタイミングだろう。

俺は肩を一つ大きく回し、爪が食い込むほど強く右手を握り締めた。

 

 

「くたばれファッキン・ファンタジー‼︎」

 

 

狂気的な闘争心をぶちまけるような雄叫びと共に振り抜いたボーラは獣の顔面にクリーンヒット。

骨と何かが砕けて潰れる触感と共に、錘部分のストッキングが弾けて破れて小石が辺りに散乱。

会心の一撃を受けたハイエナ擬きはそのまま一直線に吹っ飛び、拠点西側の小窓の下に落ちていく。

 

 

「ホールインワンだな」

 

 

落下する勢いのまま、窓の下に設置した落とし穴に吸い込まれるように落ちていった。

今頃は穴の下の中で全身串刺しになっている事だろう。

二回も反射攻撃を喰らい、さらには顔面を殴打して骨を砕かれ、駄目押しに全身串刺しとは飛んだオーバーキルだ。

間違ってもこんな死に方はしたくない。

 

溜め息一つ。

身体の熱はようやく落ち着き、アドレナリンの分泌もようやく落ち着いてきたようだ。

今更になって噛まれた左腕を始めとした、身体の細かい傷の痛みがジワジワと染み出すように主張してきた。

 

 

「あー何か変にハイになってたな。戦時中の兵士ってこんな感じなのか?」

 

「ソーナノー?」

 

「まあ、詳しくは知らないけどさ。あー、やっぱり痛いもんは痛いわ」

 

 

涙目になりつつパーカーのポケットから自作の簡易皮袋を取り出し、その中から奇跡の実を取り出して半分に割る。

スマイルと二人で分け合いながら食すと、あっという間に身体中の傷が消えていった。

スマイルも元気良くピョコピョコと跳ねている。

 

 

「やっぱ何度喰っても慣れないな。皮膚が再生するシーンって純粋にキモいわ」

 

「ナノー?」

 

「まあ、今更か。にしても夜襲食らうとはなー。ジビエが原因だよな、やっぱ」

 

 

胸に飛び込んで来たスマイルを抱き締めて撫で回しながら後悔の言葉を呟く。

 

油断していた。このサバイバル生活に慣れきって、緊張感が欠けていたのだろう。

今回は戦い慣れた格下の群れだったから軽々と無双できたが、次回もそう都合良く行くとは限らない。

また気を引き締め直すべきだろう。

 

 

「こんな事が二度と起こらないように、明日から心を入れ替えてしっかりやっていこうな」

 

「ソーナノー」

 

 

決意を固めると同時に、強烈な眠気が襲って来る。

気がつけば胸元のスマイルと共に大きな欠伸が一つ口から漏れ出た。

いくら奇跡の実とは言え、眠気や気疲れまでは癒せないのだ。

いくら戦い慣れたとは言え根っこはバリバリの小市民だ。

夜はしっかり寝ておきたい。

 

 

「まあやるべき事はとりあえず明日でいいか。寝ようぜスマイル」

 

「ナノナノー。ソーナノ……」

 

 

死体の処理を始めとしたやるべき事は幾らでもあるが、今日だけは明日に先送りしよう。

クシクシと片目を擦って眠気を我慢するスマイルに癒されつつ、俺達は拠点に向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

その瞬間。

 

 

 

 

「グラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼︎」

 

 

背筋が凍り、心臓がピシリと一時停止した。

ゾワゾワと全身を虫が這うような悪寒と共に身体中から冷や汗がドバッと吹き出す。

 

 

スマイルと共に恐る恐る振り向いたその先にヤツは居た。

 

ハイエナ擬きの真のリーダーなのだろう。

圧倒的に体格が大きく、威圧感が大きく。

そして何より、明らかにモンスターとしての『格』が違う偉大な存在がそこに悠々と立っていた。

 

しっかり右手に握っていた筈の槍がポトリと落ちた。

気が付けば身体は震え、今にも失禁しそうだ。

この感覚は知っている。

ヤツと同じだ。あの『季節を司る大鹿』に感じた圧倒的な絶望感と同じだ。

 

 

その巨大な咆哮に。

その鋭い眼光に。

 

そしてその強大な存在感に俺の全てが停止した。

 

 

「……ハハハ。ラスボスの登場かよ」

 

 

理不尽は何時だって此方が油断した時にやってくる。

嫌という程に学んだはずなのに、まるで不意打ち騙し打ちを喰らったようで心底嫌になる。

ああ、天に召します糞神様よ。我が呪詛をどうか聞き届け給え。

 

 

「くたばれファッキン・ファンタジー‼︎」

 

 

俺が空元気を振り絞って涙混じりの悪態を叫ぶと同時に、赤眼のハイエナは大地を震わす轟音の咆哮と共に襲いかかって来た。




アンケートありがとうございました。
更新優先で頑張ります。


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2ー7

話がようやく進むー


「グルアアアアアアアアア‼︎」

 

 

大気が震え、草木を揺らす。

つい先程までの戦いの熱も、勝利の余韻も全てを吹き飛ばした。

 

咆哮一つ。

それだけで俺の身体は驚き竦み上がり、恐怖で肌が泡立って行くのが分かる。

過度の緊張で身体中の筋肉があっという間に硬直し、胸元に抱いたスマイルがコロリと転げ落ちた。

 

 

(化物だ……‼︎)

 

 

唯の鳴き声一つ。

それだけでこちらの気勢を悠々とへし折る様は、明らかに今までの格下との格の違いを証明していた。

強敵への恐怖とプレッシャーでつい先程まで果実を頬張っていたにも関わらず、口の中がカラカラ乾いて大きく唾を飲み込む。

 

 

「グラアッ‼︎」

 

 

そして気が付いた時には目の前の巨獣は既に大地を大きく抉りながら、疾風の如く駆け出していた。

 

 

(速い⁉︎)

 

 

その速度は今まで相手にしていたハイエナ擬きとは比べものにならないものだった。

目測30メートルはあった距離を一瞬で詰め寄ると大きく避けた牙を剥き出しにして襲いかかろうとしている。

その異常な俊敏性に驚愕しつつも、どうにか自分に喝を入れて凍り付いた身体を動かす。

しゃがみ込んで転がり回るような無様な形だが、地面に尻餅をついて呆然としていたスマイルを辛うじて抱きかかえ、横っ飛びで避ける。

 

その瞬間、頰を切り裂くように一陣の烈風が吹き荒ぶ。

すれ違いざまに頰を叩きつける暴風が赤眼のハイエナの速さを物語っている。

あの勢いで牙を突き立てられたら、肉と一緒に骨まで噛み砕かれるのではなかろうか。

 

 

(デカくて速くてパワーもあるとか、どうすりゃいいんだよ⁉︎)

 

 

すぐさま受け身を取って跳ねるように獣へ向き直ると、奴は前脚を軸にガリガリと大地を削りながら急速なターンを掛けて此方に振り返った。

旋回した後脚が激しく大地を抉るって砂煙を巻き起こす様は、ハリウッド映画で良く見る高速のカーチェイスを思わせる。

夜の暗闇に靄をかけるように立ち昇る砂煙。

その奥から滲み出るようにして響く、重く低い唸り声はまるで地獄の悪鬼のような執念深さを匂わせた。

絶対に逃がさない。暗闇にぼんやり光る真っ赤な眼光は殺意と飢えに燃え上がっている。

 

やがて静かに風が吹いた。

砂煙が晴れて行き、霞んだ月光が弱々しくも夜闇を照らすと徐々に新たなる強敵の全貌

が浮かび上がったきた。

 

 

意外にも体高は1メートル程だった。

恐らくは今まで相手をしていたハイエナ擬きの近縁種、もしくは上位種か何かなのだろう。

その配色や身体つきは先程まで戦っていた小さな獣と似通った部分が多く、親子の関係と言われても遠目には納得出来たかも知れない。

だがその身体以上に大きく見せて相手を圧倒する強者独特のプレッシャーは今までの弱者とは隔絶した存在感を主張している。

 

顔の形は小型犬やハイエナというよりも、狩猟犬や狼のように険しく獰猛な物に。

金色の眼光が特徴的だったハイエナ擬きに対して、執念と殺意を燃え滾らせるように不気味に煌く瞳の色は紛れもない真紅。

より発達したマズルに、生理的な嫌悪を覚える程に大きく大きく裂けた口。

そしてその顎から、はみ出るようにして覗いている鋭い牙はその一本一本が非常に重厚で過剰なまでに鋭利。

 

仮にこの『赤眼の牙狼』がハイエナ擬きの親玉だったと考えても、ファンタジー世界で言うならば、今まで戦って来た格下がコボルドのような雑魚。

対して此奴はコボルドキング。否、ワーウルフやフェンリルなどの上位個体やボスキャラと言っただろうか。

それ程までにレベルが違うのだ。

 

 

(避け続けるのはジリ貧だ。なら攻めるしかねーけど、あの早さじゃ俺は何も出来ない。だが、あそこまで凶暴な奴にスマイルの反射だけじゃ……)

 

 

腕に抱えた相棒を見やる。

想像通り、元から青い顔を真っ青にして小さく震えている。

狩りの獲物を探している時に敵わないと判断したモンスターを見た時と全く同じ反応だった。

 

スマイルの反射スキルは非常に便利だが万能では無い。

相手が攻撃してこないと使えない。という意味では無く、厳密に言うと反射スキルは『攻撃そのものを反射している訳では無い』のが一番の弱点なのだ。

便宜上、反射と名付けているが本来このスキルは『自分が受けたダメージ分を上乗せして、相手に衝撃を与える』というもの。

つまりは攻撃を一度確実に受け止めなければならないので、どう足掻いてもスマイル自身はダメージを受けなければならないのだ。

それ故にあまりにも強すぎる一撃を受けてしまてば、反撃の間も無く瞬殺されてしまう可能性だってある。

もちろん大きなダメージを受ければ受ける程に相手へ返すダメージも倍増するが、スマイルの負担と死へのリスクは大きくなっていく正に諸刃の剣なのだ。

 

 

(スマイルの反射で受け止められるのか? 無理なら逃げるしか……いや、あの脚の早さじゃ逃げ切れない!)

 

 

脳内にて様々な選択肢が浮かんでは速攻で消えていく。

モンスターパニックが起こってから初めての格上との正面決戦に、俺はすっかりパニックに陥っていた。

 

その僅か数秒にも満たない隙を見逃してくれる程に敵は甘くなかった。

態勢を低くしながら重圧的な唸り声を上げていた赤眼の牙狼は首を跳ね上げるようにして天を仰いで大きく顎を開いた。

まるで狼が月に向かって吼えている。

そんな画になるような構図に見惚れている暇など無かった。

何故なら裂けるようにして大きく開かれた顎の中から、僅かに浮かぶようにして何かが『闇色に輝いていた』のだ。

 

 

(何だアレは⁉︎)

 

 

漆黒に煌めくオーラの塊のようなものは球形からゆっくりと形を変えて、ドーナツぐらいの大きさのリング状になった。

もしやレーザーでも吐き出すのかと思い、俺は直ぐに動けるようにスマイルを投げるように降ろすと近くに落ちていた槍を拾い上げて体勢を立て直す。

だが、いつでも迎撃する為にとった咄嗟の行動は大きな間違いだった。

あの時の俺は、耳を塞いで身体を伏せておくべきだったのだ。

 

 

「GURAAAAAAAAAAA‼︎」

 

 

爆発。それは音の大爆発だ。

周囲の空気が破裂したかと思わせる音の爆撃は先程までの威嚇の為の遠吠えなどとは明らかに違うものだった。

赤眼の牙狼の爆発的な叫喚に合わせ、その口内に浮かんでいた謎のリングが大きく膨れあがったかと思うと炸裂。

月光に霞んだ夜の闇よりも遥かにドス黒く色づいた漆黒の衝撃波を周囲に放出し、辺り一面に無造作弾け飛ばしたのだ。

その衝撃の強さたるや。

牙狼を中心に大地を破り地震を巻き起こし、大気を震わし砂嵐を起こす程。

一生物の声とは思えない程の圧倒的な音の暴力。

その脅威性に俺がようやく気付いた時には既に遅かった。

 

 

「ぎゃあああああああああああっ⁉︎」

 

 

激しい頭痛と同時にフワリと身体が浮き上がった。

身体の自由が奪われたと自覚したと同時に、紙屑にでもなったように簡単に背後に吹き飛ばされ背中から地面に打ち付けられたのだ。

 

 

「ぐはっ‼︎」

 

 

何度も地面にバウンドした衝撃で肺の奥から強制的に空気が押し出され、上手く呼吸が出来ない。

どうにか立ち上がろうにも脳味噌が掻き混ぜられたかのような頭痛と激しい吐き気。さらには目眩まで起こり、身体が全く言う事をきいてくれない。

それからガラス戸を引っ掻き回したような激しく甲高い耳鳴りが脳内を占拠し、それ以外の音が一切聴こえないでないか。

 

 

(こっ、鼓膜が破れたのか⁉︎)

 

 

想像以上のダメージに戦慄が走るも、音の爆撃は止まってはくれない。

赤眼の牙狼は、そのまま捲し立てるようにして凶器と化した咆哮を機関銃のように放ち続ける。

 

 

「ぐっ⁉︎……うごっ‼︎……」

 

 

その度に俺の身体は激しい頭痛と耳鳴りと共に何度も何度も吹き飛ばされ、身体が言うことを聞かないままに満身創痍にまで追い込まれた。

 

 

「ぅぐ……ぢぐじょう……」

 

 

三半規管がやられたのであろう。

既にまともな平衡感覚は失われ、蹲っているにも関わらず世界がグルグルと激しく回転している。

一向に治らない激しい耳鳴り。

内臓がシェイクした事により催したこれ以上の無い吐気にどうにか耐え、ようやく顔が顔を上げたその時。

 

 

「グラアアアアアア‼︎」

 

 

目の前には牙を剥き出しにした獣が既に飛び出して来ていた。

聴力が完璧に奪われた今、距離感が全く図れずに此処までの接敵を許してしまったのだろう。

 

 

(マズイ)

 

 

グラつく脳味噌を急速に回し、槍を突き出そうとするも身体が言う事をきかずに愚鈍な動きを晒すのみ。

その牙が俺の首元に喰らいつく、その直前。

 

 

「ソーナノー‼︎」

 

 

相棒は俺を見捨てる事は無かった。

 

反射スキル独特の鈍い衝撃音を立てながら牙狼を迎撃。

だがその衝撃は小さな身体で受けきるにはあまりに強大だったのか、勢いよく俺の胸元に弾け飛んで来た。

 

 

「ぐふっ⁉︎」

 

「ナノッ‼︎」

 

 

何とか抱きとめるもスマイルの衝撃は殺せず、そのままぶっ飛ばされるようにして背中から倒れこむ。

何度も地面をごろごろと転がり、ようやく勢いが止まった時には全身の痛みがぶり返して涙が止まらなくなった。

 

 

「オエェッ……‼︎」

 

 

それと同時に我慢の限界に達し、血混じりの鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら大地に激しく吐瀉した。

まともに身体に力が入らず、下半身が急速に湿っていく。ああ、失禁したのか。

この歳になって漏らした羞恥のせいか、はたまたモンスターの圧倒的な凶暴性に打ちひしがれた恐怖のせいか。

俺は汚い体液に混じりながら顔をグシャグシャにして震えて泣いた。

 

 

「ナノ! ソーナノー‼︎」

 

 

不意にスマイルが鳴いたかと思うと、胸元に抱いた温もりが跳ねるように抜け出した。

恐らく闘いに行ったのだろう。触れる事すら無く、唯の咆哮一つで人間を瀕死に追い込むあの怪物に立ち向かう為に。

 

 

「ず……ずまびるぅ……」

 

 

目まぐるしく歪む視界の中、どうにか気力を振り絞る。

震えながら立ち上がり、どうにか涙を拭って小さな相棒を目で追った。

そこには、正に人知の及ばぬモンスター同士の闘いが繰り広げられていた。

 

 

「グラアアアッ‼︎」

 

「ナノッ! ナノッ‼︎」

 

 

赤眼の獣は周囲を駆け回りながら、牙を剥き出しにして隙あらば噛み付いて行く。

スマイルは跳ね回りながら攻撃を避け、時に反射を仕掛けて反撃している。

そう表すしか無いような、唯、それだけの単調な動作の応酬なのだ。

それら全てが目で追うのもやっとの速度で繰り出され、衝突の度に激しい轟音と共に小さな衝撃波を生み出していなければの話だが。

 

赤眼の牙狼はまさに漆黒の烈風だった。

残像を残しながら縦横無尽にスマイルを翻弄するように駆け巡り、隙を見つけては牙を剥き出しにして小さな身体を食い破らんとしている。

対してスマイルも負けてはいない。

いつもの狩りとは比べものにならない速度で跳ね回ってはひたすらに避けまくる。

避けきれない攻撃を反射する時も敵を大地に叩きつけるように角度を調整し、最小の動きで最大のダメージを与える理想的な立ち回りを演じている。

 

 

(凄ぇ……)

 

 

決して人類が到達する事の出来ない激戦の光景に、俺は先程までハイエナ擬き相手に無双して調子に乗っていた事が恥ずかしくなった。

これがモンスターの力なのだ。

種族人間が逆立ちしても勝つ事の出来ないファンタジー世界の住人の力。

圧倒的なスピード、パワー。銃器さえも通用しない驚異的なその膂力。

映画やフィクションでは感じる事の出来ない熱は、満身創痍の俺の痛みを忘れさせる程の迫力を持っていた。

 

だが物事にはいつだって終わりがある。

 

 

「グラアアアアアア‼︎」

 

「ナッ……ナノ⁉︎」

 

 

力負けしたのか、それとも元の膂力の違いがここに来て顕著に現れたのか。

牙狼の電光石火の如く突進がスマイルの反射スキルの対応速度すら上回り、その小さな身体を軽々と弾き飛ばした。

 

 

「ナ……ノ……」

 

 

全身を傷だらけにし、なおかつ立ち上がろうとするスマイルの顔は血と涙に濡れていた。

 

勝てない。

 

恐らくスマイル自身はとっくに。それこそ、闘いに挑む前から分かっていた筈だ。

だと言うのに彼は愚直なまでに格上の相手に挑み、こうして食い下がっているではないか。

何故か。そんな理由はわざわざ考えるまでもなかった。

 

 

(スマイル‼︎)

 

 

俺の為だ。

虚弱で、惰弱で、脆弱な。

あまりに脆く、あまりに危うく、あまりに弱い。

そんな劣等種である人間の為。俺の為に戦っているのだ。

 

餌付けをした。共に狩りをした。一緒に飯を食った。同じ寝床で眠った。抱きしめて頭を撫でてやった。

一ヶ月にも満たない短い想い出。ただそれを守る為だけに。

種族も力も何もかもが違う、相棒たる俺を守る為だけに闘っている。

 

そして、たった今。

 

 

「エナアァ……」

 

 

勝利の余韻に浸り加虐的な笑みを浮かべる牙狼に組み付かれ、噛み殺されようとしているのだ。

 

俺はそんなスマイルの命の危機を目の前にして。

 

 

(見捨てよう)

 

ストン、と。何かが胸に落ちる気分だった。

深く考え込むまでもなく俺は簡単に結論出していた。

確かにスマイルには恩がある。

命を救われて、狩りを手伝ってもらい、知識不足のサバイバル生活において何度も助けてもらった。

スマイルが居なければ俺はとっくの昔に死んでいた事だろう。

もちろん、助けてやれるなら助けてやりたいとは思っている。これは紛れも無い本音だ。

 

 

(いや、勝てる訳無いじゃん)

 

 

だがあくまでも、俺が助けられる範囲ならの話だ。

先ほどのハイエナ擬きや何度も狩りの獲物にして来た小鳥や鼠のモンスターならともかく、あんなのに勝てる訳が無い。

助けに行ったところでアッサリと返り討ちになる事は想像に難く無い。

命あっての物種なのだ。何が悲しくて自殺などしなければならないのか。

 

 

(というかスマイルが喰われようとしてる今がチャンスだよな)

 

 

そうだ。そもそもスマイルだって勝てないのは察していた筈だろうし、ここで俺が逃げ延びる事こそが相棒の献身へ応えるたった一つの冴えたやり方という奴では無かろうか。

幸い赤眼の牙狼は思わぬ歯応えのある獲物を痛ぶる事に夢中になっている。

明らかな格下である種族人間が逃げ出したところで飢えさえ満たせれば追って来る可能性は低いだろう。

 

 

(逃げるか)

 

 

そうと決めれば行動は早かった。

思考は驚くほど冷静だったし、この行動を第三者に非難される事はあったとしても間違いは無かったと胸を張れるつもりだ。

俺は自分の身が可愛いのだ。自分さえ無事ならそれで良いのだ。

人間なんて突き詰めればそんなものだろう?

 

 

(よし。理論武装完了)

 

 

俺は痛む身体と歪む視界を気合で押し留めると、一目散に駆け出した。

 

不意に死にかけのスマイルと目があった。

貼り付けたような変わらぬ笑顔だというのに、まるで「信じられない」と器用な事に表情一つで絶句したような心情を表していた。

申し訳無いとは思っている。

 

俺も、俺自身がこんな人間だとは思ってはいなかった。

 

 

(いや、ここで逃げなきゃ唯のバカでしょ)

 

スマイルの顔を見ていたら、軽く鼻で笑ってやる余裕すら出てきた。

何度でも謝罪してやりたい気分だ。だがもう決めてしまった事なのだ。脚は駆け出しているのだ。

 

 

(あーあ。やっぱ俺って最低の人間なんだなあ)

 

 

全身の力を滾らせてひたすら脚を動かした。

『右手に槍を握りしめて』スマイルのいる方向へ全力疾走だ。

景色が目まぐるしく変わっていく中、目標の牙狼の背がドンドン大きくなっていく。

 

 

(命賭けて囮やってくれたのに、無駄にしちまったよ)

 

 

 

 

 

「死ねやあああああああああああああ‼︎‼︎」

 

「ギャオ⁉︎」

 

 

スマイルに首ったけになり、完全に油断していた牙狼に近づくのは用意だった。

文字通りの死力を尽くした突撃。

スマイルの上から弾き飛ばすと同時にその横っ腹に両手で構え直した槍を力一杯突き刺すと同時に、俺は勝利を確信した。

 

 

 

ボキリ

 

 

 

「えっ」

 

 

簡単な話だった。

レベルアップを重ねたモンスターは人智を超えた力を手に入れる。

そう、呆れるくらいに簡単な話だったのだ。

レベルアップを繰り返す事よって銃弾をも弾き返す防御力を手に入れるモンスターに『刃物など効くわけが無い』のだ。

 

 

「んぉ?」

 

瞬間、俺は宙を舞っていた。

やがて激しい衝撃。全身に激痛。

再び浮遊。違う、振り回されてる。

左腕だ。噛み付かれている。

衝撃。地面に叩きつけられた。

鼻が折れて、目の前に星が散る。

痛みよりも不快感と浮遊感、走馬灯のように変わる眼前の景色に酩酊したような気分になった。

 

 

「グラ」

 

 

再び振り回される感覚の後、大きく跳躍した。

俺は空を飛んでいるのか。

が、両足から嫌な音を立てて大地に激突した衝撃で夢から覚める。

恐らく、噛み付かれ、振り回され、投げ捨てられたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

(あーあ。馬鹿みてえ)

 

 

格上との予期せぬ対決。相棒のピンチに颯爽と登場。

二人は力を合わせて勝利を収める。これにて一件落着、めでたしめでたし。

 

馬鹿丸だしだ。

結局俺のした事はこれから死体になる人数が増えるだけ。

傷一つ碌に与えられずに、まるで虫ケラを払うかのような扱いでこうして死に掛けてる始末だ。

 

まるで自分が物語の主人公にでもなったと痛々しい勘違いをしていたというのか。

ここまで来ると一層笑えて来る程だ。もはや痛みが酷く、声すらまともに上げられないのが残念でならない。

 

心の何処かでは理解していた。

決して自分が特別な存在などでは無いなんて事は。

 

それでも何処かで、ほんの少しだけ。

無意識にも甘ったれた期待をしていたのかもしれない。

この地獄を生き延び、掛け替えの無いパートナーと出逢った。

そんな、まるで御伽噺のような日々を生き抜いて来た自分自身こそが。

 

そう、俺こそが物語の主役なのだと。

俺は主人公なのだと夢を見ていたのかもしれない。

 

 

「ーーーーーーー‼︎‼︎」

 

 

遠くの方から何かの声が轟いた。

もはや自分の耳ではまともな音一つすら拾う事は出来なかった。

だが周囲の空気がまるで泡立つようにして激しく震え出すものだから、嫌でもその咆哮の力強さと敵意は感じ取れた。

 

間違いない。決戦(死期)が近いのだろう。

 

 

一層強く、甲高い耳鳴りがした。

身体が一気に冷えて、今まで以上の強烈な虚脱感が俺を襲う。

 

 

(死ぬのって、やっぱ痛いのかなあ?)

 

 

レーザービームのような細かい残像を残しながら、真紅の眼光は見る見る内に大きくなっていく。

烱々煌々と火花のようにスパークする赤が『死』と共に近付いて来るのをボンヤリと眺めながら、俺は静かに目を閉じた。

 

 

その瞬間。暗闇が晴れるように真っさらな光に包まれていく。

既に瞼を開く力すら無い俺には確認のしようが無いが、何か起きたのだろうか。

それとも人間死ぬ時は視界がホワイトアウトするような映画のオチのような決まりでもあるのだろうか。

 

 

 

「ーーー‼︎」

 

「ーーー‼︎」

 

 

殆ど機能しない役立たずの俺の耳が空気の震えを拾う。

何かが言い争いをしているのか、戦っているのか。

ほんの少し気にかかるが、死に逝く俺にはもはや関係の無い事だ。

 

死ぬ事に対して身構えていたような痛みは無かった。

身体がまるでフワリと浮くようにして力が抜け、この虚脱感がむしろ心地良い程だ。

そして思考までも夢幻に蕩けようとするその瀬戸際に、幻のようにスマイルの姿が見えた気がした。

 

 

(お前は生き残れよ。相棒)

 

 

最期の最後にスマイルの声が、俺の頭に大きく響いた。

今際の際にぼんやりと映ったスマイルの姿がヤケに大きく見えたのは何故だろうか。

 

 

そんな事を考えながら、俺は眠るように意識を失った。




・グラエナ かみつきポケモン(あく)
肉はポチエナより硬く臭みが強くなって食用には向いていない。
むしろその牙を加工してステーキナイフにする方がおススメ。


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2ーED 転生者・中縹 花雄の選択

あけおめことよろ。2章の最終章で初めてまともなポケモンバトルするポケモン二次作品ってどう思います奥さん?


ー埼玉県某所・市民公園ー

 

 

すっかり荒廃し、まるで荒野か砂漠かと見間違う程に豹変した小さな公園の中。

奇跡的に原型を留めていたベンチに、薄汚れた学生服を着た二人の青年の姿があった。

 

 

「バケモン?」

 

「違うって、ポケモン」

 

 

学ラン姿で寄り添う大小の二人組はその身長差からか、仲の良い親子のようにも兄弟のようにも見える。

平和だった頃は学内のいけ好かない奴等に同性愛者では無いかとよく疑われ、からかわれたものだった。

平時では三分の丸刈頭だった頭部からそのまま伸っぱなしの黒髪は苔のように短いが、その心根を表すかの如く、針金のように硬い。

学生服を窮屈そうに着用した屈強な益荒男が怪訝な顔で口にしたそんな疑問。

それに隣でチョコンと腰掛けている華奢なもう一人の青年。

中縹 花雄(なかはなだ はなお)は苦笑いをしながら丁寧に答えた。

 

 

「ポケットモンスターが正式名称でね。それを略して通称ポケモンって訳だよ」

 

「ポケッ……いきなり下ネタかますなよハナ」

 

「いやいや、スラングの方じゃなくてね」

 

 

糸のように細い瞳を更に細くして花雄は困ったようにポリポリと頬を掻いた。

元より唐突無稽な話をしている自覚はあったし、簡単に信じて貰えるとは思っていなかった。

だが、どうやら自分の想像以上に親友への事情説明に手間がかかってしまいそうだからだ。

 

 

「あー。つまり、だ」

 

 

そんな友人の困ったような顔色を見て気まずげな声を出した大男。

黄土 童子(おうど どうじ)はゆっくりと話を噛み砕き、今までの説明を自分なりに整理してみせた。

 

 

「ハナはラノベとかでよくある、前世の記憶がある転生者」

 

「うん」

 

「そしてその前世ではこの現代と殆ど変わらねーが、ポケモンっていうゲーム作品が存在して大人気」

 

「アニメやカード、アプリに映画まで出たからねえ」

 

「そんでもって今目の前にいる『コイツら』が……」

 

 

童子は目線を友人の膝の上に下ろした。

そこには水色のワニをデフォルメしたような、小さくも奇妙な生き物がチョコンと座っている。

遠目から見たらヌイグルミや小さなマスコットキャラクターにしか見えないだろう、そいつは今まさに瞬きをして不思議そうな瞳を彼に向けている。

 

 

「ワニャニャ?」

 

 

鳴いた。

ワニというよりかは猫のような、奇妙な鳴き声だ。

童子の眉間に皺が寄る。

どっからどう見ても目の前の生き物がまともで無い事は、世界が荒廃してからの約一ヶ月

の間に痛いほど実感していたからだ。

 

 

「ポケットモンスター。縮めてポケモンだと」

 

「うん。そうだよ」

 

 

花雄はそう答えると柔らかな笑みを浮かべて、膝の上に座る相棒。

アクアと名付けた『ワニノコ』の頭を優しく撫で、そのしっとりとした鱗の触感を掌全体で愉しんだ。

ご主人による愛情の込もった繊細な愛撫に目を細めて、ウットリするその姿はとても可愛らしい。

世界崩壊待った無しのこの時代に不謹慎ではあるが、この愛しいパートナー達に会えた事に関してだけは神に感謝していた。

そんな花雄の様子に呆れたような視線を向ける童子は気を取り直すようにして口を開く。

 

 

「んで、ハナは前世の記憶がある人間達をSNSで探して、えーと。同人サークルみたいなのを作ってその前世のゲームを再現しようとしていた」

 

「うん。スマフォのアプリゲームでね」

 

「で、ようやく完成して、いざお披露目って時にポケモンが現実世界に現れて大暴れ。今に至ると」

 

「そういう事だね」

 

「……つまり、理由は不明だがフィクションの二次元キャラが何故か実体化して現代で大暴れしてる。って言いたい訳か?」

 

「うん」

 

「いや、うん。って言われてもだな……」

 

 

童子はのほほんとした親友の回答に重い溜め息を吐き出し、その大きな右手で自身の頭を抱えた。

それから獣が出すような重く低い唸り声をあげて考え込み、やがて隣に座る友人の顔を改めて観察する。

歌舞伎の女形を思わせる嫋やかな彼の表情はいつも通りの穏やかな笑顔だ。

だが付き合いの長い童子はこの童顔で細身の青年が、先程の三流パニック映画の筋書きのような妄言を至って真面目に言っているのがよく理解できた。

 

 

「ウパパー?」

 

 

間の抜けた鳴き声に釣られて童子は足下に視線を向ける。

そこには花雄の足の陰からこちらを恐る恐る伺っている、ウーパールーパーの変種みたいな二足歩行の謎生物の姿がある。

とりあえずコイツらがモンスターだと言うのは今更の話だ。

今までも散々見かけて来たし、何度も襲われて来たのだ。

納得せざるを得ないだろう。

 

 

「前世云々はともかく。つまり、このバケモンどもについてハナは専門家って事でいいのか?」

 

 

結局童子は面倒な事は先送りにして建設的な事を話し合う事にした。

元々目の前の親友はやや天然というか、彼独特の奇妙な世界観に生きている節がある。

態々それを否定して、この非常時に仲違いをする事だけは避けたかったのだ。

そんな友人からの不器用な心遣いを悟ったのか、花雄は穏やかな笑みを保ったまま困ったように口を開いた。

 

 

「うーん。僕は前世で第三世代までしかやってなかったからなあ。一応、アプリ制作では作画担当だったからそれ以降のポケモンも名前と見た目くらいは分かるけど、専門家って言える程じゃあ」

 

「待て、待て。第三世代って何だ? つーか世代って何の事だ?」

 

「何って、人気作だもの。そりゃ続編が作られるに決まってるじゃない?」

 

 

花雄は糸のように細い目をほんの僅かに広げてキョトンとした表情を浮かべた。

が、聴かされてる童子の方は堪ったものじゃない。

唯でさえ目の前の友人の破茶滅茶なカミングアウトのせいで混乱している上に、聴くべき情報がドンドンと増えていくではないか。

童子は自称転生者に知っている事を出来るだけ細かく、かつ丁寧に説明するように催促した。

 

 

「確か、八世代まで出てたんじゃないかな。最初はポケモンも151匹だったけど最後の方は800だか900だかいた気がするよ」

 

「そんなにか⁉︎ ハナはそいつらの弱点とか生態とか覚えてるのか⁉︎」

 

「うーん。僕は前世でもガチ勢じゃなかったからなー。基本的に厳選とかしないで旅パでエンジョイしてただけだし」

 

 

唖然とする童子を置き去りにして専門用語が並ぶ花雄の説明は続いた。

やれ技の数がどんどん増えるから全部は把握しきれてないだとか。

同じポケモンでも厳選や努力値の振り方で能力が大きく変わるだとか。

悪や鋼はともかくフェアリータイプとか意味分からないだとか。

そもそもモンスターボールが無い時点で詰んでるだとか。

アル何とか仕事しろだとか。

 

童子にはそれらの説明の殆どは理解が出来ないものだったが、花雄の口ぶりからあまり喜ばしく無い話をしている事は察することができた。

 

 

「ワニワニ」

 

「ウパァ」

 

 

そんな花雄を慰めるようにして二匹のモンスターが彼に身体を寄せ合わせた。

水色の小ワニはグリグリと顔を青年の腹に押し付け、大きな瞳を潤わせる。

スワンピーと花雄が名付けたウーパールーパーのヌイグルミなようなモンスター(花雄曰く『ウパー』という種族らしい)も彼の脚にその丸っこい尻尾を絡ませて、円らな瞳で主人の顔を見上げている。

その光景に童子はまたもや眉間の皺を深くした。

が、その理由は意外にもくだらない事だった。

 

 

(う……羨ましい)

 

 

純日本人の男子高校生にも関わらず、何故か某白人レスラーに似ていると言われる黄土 童子、18歳。

筋骨隆々に髭面、ギョロリとしたどんぐり眼と、その厳つすぎる見た目とは裏腹に、実のところ彼は小動物が好きだった。

小動物が大好きだった。

ぶっちゃけ目の前のワニノコとかウパーを抱きしめて撫で回してやりたかった。

 

散々人間を虐殺してきたモンスターに対して思うところはあれど、愛くるしい見た目で親友にしっかりと懐いている様を見ると場違いな嫉妬心がメラメラと燃えてくるのだ。

細身で色白。中高年の叔母様方にやけにモテる純和風顔の親友に陶酔したように身を寄せるファンシーな生き物達は最高に画になる光景だ。

それに対して、自分はどうしてこうなったのだろう。

 

 

「なあ、一応聞いとくけどよ」

 

「何だい?」

 

「『コイツら』もポケモン。つーかモンスターなんだよな」

 

 

童子は自分の頭上を指差しながら胡乱な目をしながら顔を見上げた。

そこには彼を挟むようにして、二匹の『ナニか』が浮いていた。

 

 

「うん。そうだけど、どうして?」

 

「モンスター、なんだよな? 機械部品とか謎ロボットじゃなくて、生き物なんだよな?」

 

「もちろんだよ。それにしても童子に良く懐いてるよね」

 

 

はんなりとした笑顔で肯定する親友に童子の眉間の皺は更に深くなった。

何故なら彼の頭上にて左右に浮かぶ『ソレら』はとても奇妙な外見をしていたからだ。

 

右手に浮かぶのは灰色の二つの歯車だ。

ガチャガチャと静かながらも音立てて回転しつつ、恐らくは目だと思わしきパーツで童子の事をジッと見つめている。

 

そして左手に浮かぶのは、何と言うべきか。奇妙な金属球だった。

灰色の大きなボールに子供の落書きのような大きな瞳が一つ。

腕の代わりなのか左右に大きなU字磁石を携え、アンテナのように頭?と胸元?に計三本のネジが突き刺さっている。

 

どっからどう見てもファンタジーな生き物どころか、怪しい機械部品である。

 

 

「『コイル』と……そっちは確か『ギアル』だったかな? 序盤に鋼タイプを二匹もゲットするなんて、童子は凄いなあ」

 

「コイツらが勝手に着いて来るだけだ⁉︎ つーか本当に生き物なんだろうな⁉︎」

 

 

思わず声を荒げた童子だが無理も無い。

なんで親友の方はヌイグルミと見紛うような小さくて愛くるしいモンスターをパートナーにしてるのに、自分はコレなのか。

いや、コレと言ったら失礼かも知れないが。いや、だが、明らかに機械では無いか。

花雄のように。とまでは贅沢言わないが、自分だってせめて生き物らしい姿をしたモンスターに懐かれたかったと言うのが、彼の切実な思いだった。

 

 

「つーかハナの方は餌付けしたり怪我の治療したりで懐いたのは分かるけどよ。何でコイツらは俺に懐いてんだ?」

 

「性格かな? ポケモンにも個性があるから人懐っこいのもいるだろうし。それか童子から鋼タイプを引き寄せるフェロモンでも出てるのかもよ」

 

「出してたまるかそんなもん」

 

 

童子は親友の珍解答に再び溜め息をついて頭上を見上げた。

そこには相変わらず無言で浮かぶ二匹の金属生物。

せめて鳴き声一つでも上げてくれれば愛着でも湧くかもしれないというのに。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

無言。いや、耳をすませばコイルの方からは電磁波のノイズが。ギアルの方からは歯車が噛み合う金属音が聴こえるのだが明らかに生き物が出す音では無い。

やっぱりコイツらをパートナーとして扱うのは嫌だ。童子は改めてそう思った。

 

 

「でも実際コイルは強いよ。電気・鋼の2タイプ持ちだし進化もするし」

 

「進化? ああ、ゲームのキャラだからそういうシステムもあるのか。進化したらもっとマシな姿になるのか?」

 

「うん。数が三匹に増えるよ」

 

「俺の知ってる進化と違う」

 

「ちなみに名前は『レアコイル』だよ。ギアルの方は、何だったかなー」

 

「どうせレアギアルとかギアギアルとかの適当な名前だろ」

 

 

ラインで知り合いに確認してみるね。と花雄は疲れた様子の童子をほったらかしてスマフォをいじり始めた。

それを興味深そうにワニノコとウパーが覗き込もうとしていて微笑ましい。

が、生きるのもやっとな状況でこうもノンビリとしていて良いものだろうかと童子は不安になった。

幸い。と言ってもいいのか分からないが童子も花雄も家庭環境は複雑で過酷だった。

童子は片親で父親は酒と賭博にハマり借金まみれのロクデナシ。

このモンスターパニックでとっくに死んでいるだろうが、寧ろ死んでくれた方が清々する気持ちだった。

 

そして花雄の両親にはややネグレクトの気があった。

が、これは一概に彼の両親が悪いとも言えない事情がある。

 

 

父親は野球選手、母は元アナウンサー、更に兄は甲子園常連校の野球部エースと絵に描いたような野球一家に産まれた花雄。

だが彼は前世の頃から運動が苦手で部屋に篭って絵を描くのが趣味の生粋のインドア派だ。

外に連れ出そうとする父や兄を拒み、顔を合わせるのも徹底して避けていた。

何故そこまでしたかと言えば、これは中縹 花雄という男が転生者である事が原因だった。

 

前世では中級家庭に育ち、何不自由なく両親に愛されて育った花雄。

そんな彼が気が付いたら赤ん坊となり、全く知らない人間が自分の親や兄になるという状況。

それは齢1歳にも満たない頃に強制的に記憶を取り戻してしまった彼からすれば、恐怖以外の何物でもなかった。

前世では引き篭もり気味で友人が極めて少なかった彼からすると、嫌がっているにも関わらず積極的に外に連れ出して苦手な運動を強要(少なくとも花雄自身はそう感じていた)する自称父親。

さらに年相応に子供らしい幼稚な話しか出来ない自称兄は嫌悪の対象にしか映らない。

人を嫌うという事は、その対象に嫌われる確率が跳ね上がる事だ。

かくして花雄は家族の中で孤立。家庭の中に花雄の居場所は消失し、居ても居なくても変わらない空気のような存在と化した。

 

 

モンスターパニック発生時はいつも通り校舎のベンチに座って二人で昼食を取っていた為、こうして今の今まで二人で行き当たりばったりな行動ばかりして来た。

だが、もしも二人が一般的な家庭環境に育っていたら家族の事が心配になって真っ先に家に駆けていた事だろう。

果たしてそうなった時、こうして自分達に付き従ってくれる友好的なモンスターと知り合い、味方につける事が出来ただろうか。

そして、この地獄のような現実を生き残れる事が出来ただろうか。

 

 

(まあ、ハナがこのモンスターの事に詳しいっつーのは御の字だな)

 

 

童子は静かに息をついて眉間の皺を揉みほぐした。

地元で底辺扱いされている男子校に押し込まれた二人には他に親しい友人など居ない。

童子は190近い長身とプロレスラーもかくやという屈強な巨体に厳つい顔のせいで、何もせずとも恐怖の対象とされて徹底的に周りの人間から避けられていた。

花雄は常にぼんやりした様子で授業を聞き流して、いつも自分の世界に閉じこもってひたすら絵を描いていた為に必然的に周囲から浮いていた。

 

花雄の描く独特の世界観の絵。今となってはポケモンの絵だと理解できるソレに童子が心を惹かれて話しかけてなかったら、花雄はタチの悪い不良どもに目をつけられていたかもしれない。

見た目は正に凸凹コンビの二人だが、モンスターパニックを生き延びる過程で元々唯一の友人同士だった二人の絆は更に深くなる。

今では正に断金の交わりと言っても過言では無いものと変化していた。

 

 

 

 

 

 

 

「スバアアアアアアアア‼︎」

 

「あ?」

 

 

突如、空より咆哮。

物思いに耽っていた童子が怪訝な顔で空を睨みつける。

そこには明らかにサイズのおかしいツバメのような何かが此方を刃物のような鋭い目付きでギラギラと睨みつけていた。

見間違えようがない。モンスターだ。

 

 

「おいハナ! 久々に敵だぞ⁉︎ あいつは強いのか⁉︎」

 

「んー?」

 

 

焦る童子に対して花雄は落ち着いていた。というか落ち着き過ぎている程だ。

ノンビリとスマフォをポチポチ弄るのを止めると、ゆっくりした動作で空を見上げる。

戦闘の空気を感じたのか花雄に纏わり付いていた水ポケモン達も青年達の前に庇うようにして立ち塞がるが、肝心のご主人様は緊張感の欠片も見受けられない。

 

 

「あーあれ『オオスバメ』だね。へえ、リアルだとあんな感じなんだ。思ったより大きくは無いんだねー」

 

「感心してる場合か⁉︎ アイツに俺たちの戦力で勝てるのか⁉︎ 何か今までの奴より強そうだぞ⁉︎」

 

「『スバメ』の進化後のポケモンだしね。んー、そうだねー」

 

 

顎に手を当てて首を捻る花雄の表情は相変わらずポヤッとしたものだったが、その脳内では急速に計算を初めていた。

 

 

(オオスバメの進化レベルは20ちょい。アイツはどの程度だろ? こっちの最大戦力である童子のコイルが警戒してないって事は30は無いよね)

 

(僕のアクアは兎も角スワンピーと童子の持つ二匹はかなりレベルも上がってる。数とレベル差、タイプ相性から考えても……)

 

 

花雄はうん。と一つ頷くと余裕のある表情で童子に振り返って簡単な指示を出した。

それと同時に上空でこちらの様子を伺っていたオオスバメが意を決したように大空から急速に降下。

此方を獲物と見て襲いかかって来た。

 

 

「じゃあ童子。さっき言ったみたいにコイル達に指示を出してみて」

 

「だから何でお前はそんな落ち着いて……ええい‼︎ ジシャク! 『電磁波』だ‼︎」

 

「……前から思ってたけど、もうちょっと名前考えたら?」

 

「喧しい‼︎」

 

 

即興コントのようなやりとりをする大柄なパートナーの指示にジシャクことコイルは無言のまま従った。

その小さな体が静かに磁気を強め、次第に発光。

バチバチと音立ててスパークしたかと思った瞬間、即席の稲妻のネットのようなものを発射。

 

 

「スッ、スバアア⁉︎」

 

 

真正面から飛び込んできた巨大なツバメ型モンスター、オオスバメに難なく命中した。

 

 

「うん、麻痺したね。じゃあ『鳴き声』あげられても面倒だし、対策と目眩しにスワンピーは『白い霧』、それからアクアは『水鉄砲』でオオスバメをビショビショに濡らしちゃおう」

 

 

まるで世間話をするような穏やかな声で発したご主人の声に二匹の水ポケモンは一鳴きして直ぐに従った。

ワニノコの口からは間欠泉を思わせる勢いで大量の水が、それに次ぐようにウパーの口からは煙幕のように純白の霧が吐き出される。

 

 

「スバッ……‼︎」

 

 

空中で痙攣するようにもがいていたオオスバメに水鉄砲は命中。

痛みと不自由な体にその鋭い目つきをさらに歪ませながら、不自然な程に白い霧の中に消えていった。

 

 

「うんうん。麻痺がいい感じに効いてるね。じゃあ童子、トドメをお願いね」

 

「お、おう。ジシャク、『電気ショック』‼︎それからハグルマはチャ、チャ、『チャージビーム』? 」

 

「あってるあってる」

 

 

コイルは先ほどよりも激しく発電。瞬く稲光を迸らせ、白煙の中心に向かって浴びせた。

ハグルマことギアルは身体の回転を激しくさせ、火花を散らせる。

それは次第に大きくなり、やがて光の鏡へと形を変える。

ハグルマの稼働がさらに加速したと思った次の瞬間、黄金に煌めく鏡面から極太のビームが放射。

電気ショックを追従するかのように白い霧へと向かって行く。

 

 

「スビャアアアアアア‼︎」

 

 

白い霧の中から絹を裂き、鼓膜を劈くような激しい断末魔が響いた。

やがて白煙からオオスバメが力無く落下し、そのままボトリ地に落ちる。

羽毛は殆どが焼け落ち、肉が爛れている。

落下の衝撃か翼や首はあらぬ方向にへし曲がり、嘴からは存外に大きな舌がダラリと飛び出し、身体を痙攣させている。

 

明らかに死んでいた。

 

 

「うげぇ」

 

 

肉が焼け焦げる臭いと、グロテスクな光景に童子は顔を顰めた。

モンスターに襲われる度に繰り返される光景だが、厳つい顔とは対照的な優しい心の持ち主である童子にはなかなか慣れないものだった。

 

 

「快勝だね。やっぱりポケモンバトルは楽しいねー」

 

 

対する花雄はどこか愉しげに呟きながら、胸元に飛び込んで来た二匹の手持ちを抱きしめている。

現実のポケモンバトルは命のかかった危険な戦いだが、それを抜きにしてもアニメの主人公のように大好きなポケモン達に指示を出して共闘するという状況は花雄を夢心地にさせてくれるものだった。

 

 

「ん?」

 

「あら?」

 

 

各々が戦勝後の感慨に浸る中、ポケモン達に変化が起こった。

童子の頭上に浮かぶコイルが。花雄の胸元で抱かれるワニノコが。

それぞれ真っ白な光に包まれたかと思うと、その姿を徐々に変えていったのだ。

 

 

「コレが進化、か。マジでゲームだな」

 

「わあ、凄いねー」

 

 

花雄の胸元から飛び出すように地に降りたワニノコは真っ赤なトサカが特徴的な『アリゲイツ』に。

童子の目の前にゆっくりと降りて来たコイルはその球体の数を三倍にも増やした『レアコイル』へとそれぞれ進化を果たした。

 

 

「アーリゲイツ‼︎」

 

「わあ、凄いねアクア。進化おめでとう」

 

「アリアーリ‼︎」

 

「……」

 

「本当に数が増えるだけなのな、お前」

 

「……」

 

「そして相変わらず喋らないのな、お前」

 

 

パートナーの新たな姿にそれぞれの感想を漏らす中、ふいに花雄のスマートフォンから通知音が鳴った。

アリゲイツを撫でていた花雄はベンチに座り直すと、ウパーを抱き上げながら液晶画面を覗き込む。

 

 

「あ? さっきのハグルマの進化後の名前でもお仲間に教えてもらったのか?」

 

「んー。そんなとこ」

 

 

この時、童子がやけに存在をアピールしようとするレアコイルにかかり切りになっていなければ、花雄の今の答えに疑問を持っていた筈だ。

彼の特徴的な糸目がほんの一瞬だけ見開かれ、珍しくも常日頃から浮かべている穏やかな笑顔が崩れていたのだから。

花雄のスマフォに届いたラインは三通。

それぞれポケモンを愛する転生者仲間からだ。

そしてその内容は奇しくも全て同じ要件だったのだ。

 

 

(他の転生者仲間には知らせずに、自分のコミュニティに合流して欲しい。ねー)

 

 

自分を含めてたった八人の転生者仲間。

内二人とは既に連絡が取れなくなっているので、もしかしたら亡くなっているのかも知れない。

彼らは確かに同好の士で、同じポケモンを愛するコミュニティの仲間だった。

だがそのコミュニティやメンバーに抱いていた愛着や執着は各々によって大きく異なっているのが実情だった。

 

魂の繋がった一生涯の大親友達と考える男もいた。

仲の良い年の離れた友達グループと捉える男もいた。

ただの友人の集まりだと考える女もいた。

アプリが普及すれば金になるからと利益の為に付き合うだけの女もいた。

 

そして彼。中縹 花雄にとって彼等の存在は……

 

 

(まあ、良いや)

 

 

暗い思考に沈みそうになった花雄は小さく溜息を吐き出すと、ウパーの湿り気を帯びた頭を優しく撫でた。

現実的に考えて、どこかのコミュニティに入るのは悪い案では無い。

東京渋谷でも有名な動画配信者が大きな生存者コミュニティを築き、もはや新たな町とも言える大勢力になっているのはあまりに有名な話だ。

童子と二人、長い道のりだが渋谷を目指すのも良いかも知れないとつい先日話し合っていたばかり。

全く知らない人間の集団に合流するよりかは、顔見知りと落ち合う方が気楽かも知れない。

 

それに何より。

 

 

(誰に着いたとしても、少なくとも僕よりはポケモンに詳しいだろうしねー)

 

 

花雄は自分の弱点を知っていた。

彼は転生者の中でも比較的ポケモンというツールに執着が薄く、その知識も決して豊富という訳では無いという点だ。

そう考えると自分よりも詳細な知識を持つ人間を頼るのは悪い話では無い。

ならば考える事はただ一つ。

 

 

(誰の側に着くか。だよねー)

 

 

転生者グループのリーダー格。

最年長で頼り甲斐はあるが、やや博愛主義な面が玉に瑕の青年に着くか。

 

前世ではガチ勢。戦闘に対する知識には他の追随を許さなかったが、やや性格に難のある少年に着くか。

 

知識は自分と同等か、ほんの少し上の程度。だが豊富な人脈と合理的かつビジネスライクな考えを持つ女性に着くか。

 

 

「おい、ハナ」

 

 

液晶画面をジッと見つめる花雄に大きな影がかかる。

顔を上げるとそこには不思議そうな顔をした親友の姿があった。

 

 

「結局、どうなんだ?」

 

「んー? 何の話?」

 

 

花雄の解答が気に入らなかったのか童子の眉間に皺が寄り、厳しい形相になる。

花雄の腕の中にいるウパーが脅え出し、プルプルと震えている。

が、親友たる花雄には彼が別に怒っている訳で無いのは分かっていた。

前世の記憶に苛まれ、家族からは孤立。

親しい友人も碌に作れなかった花雄に対して唯一向き合ってくれた、たった一人の友人なのだから。

 

 

「だから名前だよ。返信来たんだろ、お仲間から。ハグルマの進化後は」

 

「ああ。『ギギアル』だってさ。ちなみに最終進化先は『ギギギアル』」

 

「レアコイルより手抜きの名前じゃねえか‼︎」

 

「僕に言われてもなー」

 

 

両手で頭を抑えてオーバーアクションを取る友人の姿に花雄はクスリと笑みをこぼす。

自分一人だけだったなら。

きっと誰とも合流する事なく可愛いパートナー達と細々と生きていく選択肢もあったかも知れない。

そして何処かで静かに朽ちて行ったのかも知れない。

 

だが童子はダメだ。

彼は本当に良いやつだ。自慢の友人だ。

彼が死ぬような事は絶対に避けなければいけない。

花雄はこの時、静かに決断した。

 

 

「ねえ童子。ちょっと行きたい所があるんだけどさー……」

 

 

転生者、中縹 花雄の選択。

この選択が近い将来、次第に苛烈になっていく生存者同士の生き残りを賭けた争いを助長するモノになる事を。

 

今はまだ、誰も知らなかった。

 

 




・オオスバメ ツバメポケモン(ノーマル/ひこう)

塩漬けにして携帯食にするのがポピュラーな食べ方。通は酢に漬け込み独特の匂いを楽しみながら頂くそうだ。


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閑話2『O』

今回ちょっとグロいです。苦手な方は注意。


 

 

刃が欠けた。魂が折れたのだ。

 

 

 

最期の狩りに相応しい大物だった。

通常の個体からは考えられないような岩山と見紛う巨体を誇るギガイアスとの対決は、彼が率いる群れ全員が参戦する激戦であった。

幼さの残る若き戦士達が羽虫のように蹴散らされ、群の全滅すら覚悟せざるを得ない死闘。

だが配下達の献身もあってからどうにか手負いの状態にまで持ち込み族長である彼、キリキザンとギガイアスとの一対一の決闘の形にまで持ち込んだ。

 

全身全霊。身体中の刃を惜しみなく使い、あらゆる剣技をその大岩の鎧に幾度と無く叩き込んだ。死闘は長かった。陽は落ち月が顔を出し始めた。

そして、遂に。相打ち覚悟で『アイアンヘッド』をぶちかましギガイアスの巨体を大きく仰け反らせて僅かに怯ませた。その瞬間。

急所に向けて放たれたキリキザン渾身の『辻斬り』が炸裂。

 

激しい火花が迸り、金属同士が擦れ合う甲高い音が響き渡る。

ぐらりと揺れた、と同時にギガイアスの巨体が轟音を立てて大地に沈んだ。

その重量に大地が悲鳴をあげるようにひび割れ、激しい砂煙を巻き起こす。

 

強い北風が吹いた。やがて沈黙。

群のボスである歴戦の勇者が、今までに無いほどの大物の討伐を果たした。

だというのに、五十を超える群の雄たちは一匹たりとも声をあげない。

それもその筈。キリキザン族の魂の象徴、その頭上から生えた大きな刃。

それが最後の特攻にて大きくヒビ割れ、砕けてしまったのだから。

 

 

 

 

今ここに、一匹のキリキザンの刃が折れた。

 

そして族長としての。戦士としての魂が。

 

静かに折れたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

群れを離れた元族長のキリキザンは、燃え尽きた灰となった。

目的も無く、あても無く。それでもただひたすらに歩き続けて日々を過ごす。

いっそのこと自決の文字が脳裏を過ぎったが、それは誇り高く生きてきた自分への侮辱になると察して思い直した。

 

既にこの世を去っているが、彼には深く愛した連れ合いもいた。

その子供達がさらに子供を産み、さらにその子供が子供を産み、戦士として群に貢献する程に。

その程度は長く生きて来たこの生涯に悔いなど一片も無い。

誇り高き一生の最期に汚れをつけるような真似だけはしたくなかった。

 

だが戦いへの熱意、そして族長としての責務。

それら全てから一気に放り出された彼は残された余生をどう過ごせばいいのか、全く理解が及ばなかった。

野を超え、山を越え。湖畔を超え、砂漠を超え。

幾度も月や太陽を見送った。

 

腹が減ったら適当な獲物を切り刻んでは血肉を貪る。そして死んだように眠る。

やがて静かに目覚めては、また途方に暮れながら歩みを進める。

そんな永劫に繰り返される、虚無一色に染まった灰色の日常。

 

『ソレ』が起きたのは、そんなある日の事だった。

 

 

 

まず気づいたのは喧騒だ。悲鳴、怒号。そして咆哮。

ふと顔を上げれば、そこには数え切れないほどの種族のモンスターが入り混じり、好き勝手に暴れまわっていた。

雪山にしかいない筈のマニューラも、砂漠にしかいない筈のワルビアルも。湿った沼地が生息地のトリトドンも。

まるで虫カゴに閉じ込められたように、様々な種族が混ぜこぜになりながら大混乱を起こしているのだ。

 

そして次に目に入ったのは人間だ。

モンスターボールなる捕獲武器を用いて我らモンスターを捕獲する事に夢中な筈の下等種族が、どうした事か唯々やみくもに逃げ回っているのだ。

ゴローンに潰され、ダゲキに殴られ、オンバーンに攫われていく人間達。

一方的に刈り取られていく彼はの様子は、キリキザンが知っている種族人間とは違う生態の生き物のように見えた。

 

阿鼻叫喚。

まさにそんな言葉がぴったりの地獄絵図の中。

キリキザンは観察を終えると、またゆっくりと当てもなく歩身を進めた。

 

どうでもいい。

 

彼の心に巣食った虚無感はこの混沌染みた戦場においても居座ったままだった。

もし彼が現役の戦士だったら、群れを率いる族長だったなら。

刃を鳴らしながら視界に入った全ての者が肉片になるまで虐殺を行ったであろう。

だが今の自分は違う。刃も、心根も、魂も。

ひび割れ、砕け、ポッキリと折れたただの残骸だ。

 

溜息を一つ。

キリキザンは暴れまわるモンスターも逃げ回る人間も無視して真っ直ぐ歩き続けた。

中には無謀にも襲いかかってくる異種族達もいたが、殺気に反応して反射的に振るわれた一刀のもとに、全て骸と化す。

やがて周囲のモンスター達も格の違いを察したのか、彼を避けるようにして方々に散っていった。

まるで足跡のようにして、キリキザンの歩いた路には屍と血痕だけが残された。

 

 

もう、しばらく歩いただろうか。

あの喧騒が嘘のように静まり返り、辺りには倒壊した建物や人間の死体ばかりが目立つ。

改めて観察すれば、キリキザンが本来生息していた世界と建物の構造が大きく違っていた事に気づいただろう。

だが彼の興味を引いたのは崩れ落ちた瓦礫の山などでは無い。

 

目の前に立つのは女だった。

年若い、縁の黒い眼鏡をかけた黒髪の少女だった。

 

水兵服にスカートを合わせた奇妙な制服。確か、セーラー服と言っただろうか?

ベッタリと血に染まった制服を着る少女は、鋭い刃を纏いてらてらと輝く血化粧や贓物の破片で身を飾ったキリキザンの前に立つ。

恐怖の表情で脅えるわけでも無い。玉砕覚悟で攻撃をしかけてくるわけでもない。

 

唯、彼の前に立ち止まって。じっくりと、異形の姿を観察するだけだった。

 

 

「綺麗。ですね」

 

 

しばらく経ってから、少女はポツリと呟く。

キリキザンは初め、その言葉の意味が分からなかった。

だが鉄仮面のような無表情のままに、瞳の奥だけを器用に蕩かせる少女の表情その様から、ようやく己を賛辞しているのだと気づいた。

 

 

「血に染まった刃が。本当に、本当に綺麗です。素晴らしい切れ味なのでしょうね」

 

 

つらつらと詩を吟じるように語りキリキザンの目の前までゆったりと歩くと、真っ赤に染まる右腕の刃に誘われるようして、少女は病的なまでに白い人差し指をつうっと滑らせた。

当然、その柔肌はぱっくりと肉が裂け、花咲くように真っ赤な雫が滲み出る。

それでも顔色一つ変えず、瞳だけで惚けたように己を褒め称える女の姿に。キリキザンは異種族ながらも異様だと悟った。

 

切り刻もうと思えば一瞬。一瞬で済むだろう。

この少女が死を自覚する刹那の暇すら与えず細切れになる事だろう。

 

だが眼鏡越しにこちらを覗く眼球の奥底から。

どろどろと濁り、それでも烱々と輝く狂気的な瞳を見ていると一切の殺意が沸かなかった。

むしろ何処か心惹かれるものを感じる。

仄かに甘く、優しい感情。

 

そう、これはきっと安堵だ。

 

 

「着いてきて下さい」

 

 

虚無感に支配されていた己の心に僅かな綻びが生まれた。

その事実に驚き、固まっているキリキザンの腕を優しく掴んだ少女は死体が散乱するコンクリートの上を振り返って歩き始めた。

彼女はキリキザンを先導しながら静かに語り始めた。

 

 

「私は人の縁に恵まれた幸運な人間でした。溺れる程の愛情を与えてくれた両親に祖父母。皆が羨むような恋人。明るい幼馴染。それから、沢山の友達……」

 

 

キリキザンに聞かせるというよりも、まるで少女自身に言い聞かせるようなこの語りは声量こそは小さいものの、静まり返った死の街では存外によく響いた。

 

家族の事。友人の事。恋人の事。

日々の生活。学校という施設内での日常。

心に残った景色や、思い出の場所の事。

抑揚の無い静かな声の少女の語りは心地良く、いつまでも聴いていたくなるような妖しい魅力があった。

 

 

「こんなに素晴らしい人達に囲まれ、沢山の想い出を手に入れた私は。きっと」

 

「きっと、幸せ者。なんでしょうね」

 

 

問いかけるようにして締めくくられた言葉と共に、少女の脚が止まる。

目の前には古風な一軒家。広い庭と縁側が美しいこの家が、彼女の家なのだろう。

 

 

「どうぞ上がって下さい」

 

 

引戸を静かに開ける少女の言葉に従って家内に入る。

石造りの広い玄関。上質な木材で造られたであろう奥行きのある廊下。

室内は、無音。そして嗅ぎ慣れた潮と鉄の混じった、あの香り。

 

 

「紹介しますね。彼氏の祐一君です」

 

 

少女が指差した先には、廊下の壁にもたれかかるように座る男の姿があった。

 

 

「彼は本当に良い人なんですよ。この間も、付き合った記念日だからってプレゼントをくれたりして」

 

 

「私は忘れていたんですけどね」と無表情のまま語る少女は静かに屈むと、恋人の頰に優しく触れた。

蝋のように白い女の細い指がヌルリと滑り、赤く染まる。

『全身を穴だらけにされ、顔面を構成する全ての部品をそぎ落とされた』青年だったものは、少女の手に触れるとバランスを崩したのか首をガックリと落とした。

 

 

「始めに、首を刺しました。血がタラタラと流れて、祐一君は凄く驚いた顔をしてて。何だかソレが可愛く見えて」

 

「脚、腹、腕。次は背中だったでしょうか。とにかく用意した刃物を全部使ってたくさん刺しました。その後、倒れ込んだ祐一君の上に私は乗りました」

 

「耳を切りました。鼻を削ぎました。目を抜きました。舌を抜きました。それから最後に」

 

 

立ち上がった少女は青年の股座の部分を指差した。

釣られて視線を向けてみると、目の前の死体からは雄としての象徴が切り取られている。

 

 

「『体や首を持って逃げるわけにはいかないので。一番思い出の多いところを切り取っていったのです』」

 

 

そう言うと少女はキリキザンの様子を伺うようにジィッと見つめる。

しばらくそうしていると、何か納得したのか小さく頷いた。

 

 

「阿部定。なんて知りませんよね。ええ、ごめんなさい。なんだかあなたとのお話は、凄く楽しくて。私、少し浮かれてるみたい。口が軽くなってますね」

 

 

ドロリとした瞳を一層濁らせ、キリキザンの顔を覗き込みながら少女は言う。

お話。と彼女は言うが、キリキザン自身は鳴き声どころか頷きすらしていない。

 

だが、それでも構わないのだろう。

少なくとも少女の中では、目の前に立つ刃の化物と言葉を交わしているつもりなのだろうから。

 

 

「次は家族を紹介しますね」

 

 

少女は何かに満足したのか、ゆっくりと背を向けると再びキリキザンを再び先導した。

 

鋼の異形が歩みを進める度に、薄茶色の床材が小さく悲鳴をあげている。

木製の廊下が滑らかに光を反射するのは果たしてニスの光沢故か、それとも未だ乾かぬ多量の血液か。

ギシリギシリと足音だけが沈黙の中に響く中、ゆっくり歩く間も少女の独り言は途切れない。

 

 

「母は私によく料理を教えてくれました。女の子なら花嫁修行は早い方がいいのよ。なんて微笑みながら。きっと、私は将来、祐一君のお嫁さんになると思っていたんでしょうね」

 

「父はとても優しい人で、怒ったところを見たことがありません。でも逆に母や祖母にもっと男らしくなりなさい、なんて怒られたりもしてました」

 

「祖母は私に御着物の着付けを教えてくれたり、祖父は私に剣道の稽古をつけてくれたり。きっと、理想の家族っていうのは、私たちみたいな事を言うのかなって。思ったりします」

 

 

やがて少女は大きな障子張り戸の前で立ち止まると、滑るように戸口を開いた。

スッと音立てて開けた大きな和室の中には、キリキザンが想像した通りに。少女の家族と思わしき者達が勢揃いしていた。

面頬のような金属製のマスク越しに、キリキザンの嗅覚が反応する。

多量の鉄臭さの中に、ほんの少しだけ藺草の香りが混じっているのが特徴的だった。

 

 

「父は一番体力があったので迷わずに心臓を刺しました。母は私の行動にビックリして固まってしまいましたので、頭を調理器具で殴打しました」

 

 

中年で痩身の男が、腹に大きな穴をぽっかりと空けた状態で畳の上に倒れている。

胸の膨らみから辛うじて女だと分かる死体が、腫れ上がった歪な顔をして座り込んでいる。

 

 

「私は色々試してみたかったので、次に祖父の首を延長コードで締めました。意識は直ぐに無くなったのですが、実はまだ生きていて、結局は祖母の後にもう一度締め直さなければなりませんでした」

 

 

「私はリバーサイドキラーには向いていないようです」そう続ける少女の視線を追うと、目玉をひん剥いた老人が、苦悶の表情のまま事切れている。

よほど苦しかったのだろう。種族の違うキリキザンにもその必死の形相から翁の苦痛が伝わって来た。

 

 

「祖母は一番小さくて軽かったので、少し変わった方法を試してみました。溺死、ですね」

 

 

祖父の遺体と横合わせになるように、小さな老婆の骸が転がっている。

外傷が殆ど見当たらないせいか、他の死体よりも心なしか穏やかな顔をしているようにも見えた。

 

 

「本当は浴槽に沈めるのが楽だったのですが、お湯を張るのに時間がかかってしまいますので。昔、使っていた大きなたらいに水を入れて、その中に沈めました」

 

 

「火事場のなんとやら、でしょうか。とても暴れて大変でした」と、平坦な声で語り続けた少女は少し間を置いた。

そしてモルグのように静まり返った和室を一通り眺めると、思い出したようにポツリと一言呟いた。

 

 

「『殺人は息をするのと同じ事だ』。ええ、確か。ヘンリー・リー・ルーカス」

 

 

何やら思考に耽ける少女から視線を外したキリキザンは改めてこの部屋を観察した。

畳独特の鮮やかな若草色に栗色の木材で統一された家具の数々。本来なら調和のとれた芸術的な美しさを持った室内だったのだろう。

ちゃぶ台の上には丁寧に切り分けられた内臓が展示され、天井からリースのようにして腸が飾り付けられていなければ、さぞ見事な部屋だったに違いない。

 

ぽとり。と音立ててキリキザンの右肩に滑った粘液が落ちてきた。

天井を見上げると毒々しいピンク色の贓物がてらてらと光り、血混じりの粘液をとろとろと滴らせている。

腹の減る光景だ。キリキザンはそう思った。

 

ぼんやりと腸を見上げていた時。突然、聴きなれないメロディが響いた。

目覚まし時計のアラームのような音の発生源を探して隣室に入るとそこは厨房だ。

和のテイストの室内からは些か浮いている真新しいオーブントースターがメロディを鳴らしている。

甘辛く、食欲をそそる香りがキリキザンの鼻をくすぐった。

 

 

「お昼、ちょうど焼き上がったみたいです。良かったら、ご一緒にいかがですか?」

 

 

断る理由もない。まるで幽霊のように気がついたら自分の隣に立っている少女に肯定の意を示す為、キリキザンは初めて自分の意思で頷いた。

 

 

黒髪の少女はちゃぶ台に乗せたてあった血塗れの内臓達を宝物でも抱えるようにして両手で丁寧に抱え上げ、空いている座布団の上に場所を移す。

生臭い赤色の面積が室内に更に広がり、むせ返るような鉄臭さが思い出したように匂い立った。

 

自身と向き合うように座るキリキザンの前に手慣れた手つきで食器とお椀を並べると、少女は豊かな胸の前で軽く手を合わせて「頂きます」と食前の挨拶を唱えた。

その動作と言葉の意味はキリキザンには覚えが無かったが、どこか尊い行為のような気がしたので、形だけ真似をして軽く頭を下げた。

 

だが、いざ食事が始まってからが問題だった。

長い二つの木の棒。少女は箸を使って綺麗に食事を進めるも、鋼と刃の身体を持つキリキザンとしては全く未知の道具だ。

普段の食事のように手掴みするのもどうにも品が無い。かといって向かいに座る少女を観察しながら見よう見まねで箸を握ってみるも、ボキリと鈍い音を立てて折れる始末。

 

鋼の異形が、たかが棒切れ二本に悪戦苦闘する様をぼんやりと眺めていた少女はおもむろに席を立つと彼の隣に膝をつく。

そして困惑しているに彼に向かい、少女が手ずから箸で食事の世話をし始めた。

 

 

「口を開けて下さい。遠慮はせずに」

 

 

種族が違うとは言え、自分より明らかにひ弱で幼い女に世話をやかれるのはどうにも気恥ずかしい。

だが結局、少女の視線の圧に負けてキリキザンは彼女に食べさせて貰うことにした。

 

鼈甲のように輝く肉の焼き物は甘辛く、美味ながらどこか懐かしい風味だった。

柔らかくジューシーな肉質は昔狩ったポカブに似ていた。

人間の料理とは興味深い。しっかりと味わいながら黙々と咀嚼した。

 

やがて一人と一匹が食べ終わると少女は小さな声で「ご馳走さまでした」と頭を下げた。

キリキザンも真似をすると、少女はおもむろに席を立ち、隣室に消えていった。

しばらくして戻って来た少女の腕には風呂敷に包まれたハンドボール大の丸いものが抱かれている。

 

 

「では、私に着いてきて下さい」

 

 

短くそう言って少女は居間を出て行った。

特に従う理由は無いが、拒否する理由もない。キリキザンは大人しく彼女の後ろをついて行く。

 

 

「私の家は、歴史のある旧家なんだそうです。一度家系図を見せて貰ったのですが、長すぎて覚えきれない程でした」

 

 

少女は会話という独白を垂れ流しながら長い廊下を渡り、裏口へ。

ゆらゆら揺れるお下げ髪を追いキリキザンが外に出ると、そこには随分と古めかしい小さな蔵があった。

 

 

「今は亡き祖父は数少ない刀鍛冶師でした。世に出すには未熟と判断した作品などをあの蔵にしまってあるんです」

 

 

「祐一君やお父さんを刺した刃物も彼処から頂戴したのですよ」と語る少女は古びた閂に手をかけた。

ギリギリと鼓膜を揺らす耳障りな音を立てながらも引き抜くと、分厚い鉄板の門がゆっくりと開く。

 

蔵の中は薄暗く、埃まみれだった。壁に立て掛けられた無数の刃物、床に散乱する鍛治道具。

そしてその場に似合わぬ、パイプ椅子に縛り付けられた小さな人影。

耳をすまさずとも、すすり泣く声が狭い室内に切ないくらいに反響している。

 

 

「紹介しますね。幼馴染の由紀ちゃんです。家が隣ですから、産まれた時からの付き合いでして。今も同級生なんですよ」

 

 

キリキザンは拘束された茶髪の少女を観察した。

言われて見れば、目の前で縛られた娘は自身を案内して来たお下げの少女と同じ服装をしている。

人間は服装を統一する事によって所属しているグループを示すと風の噂で聞いたあるキリキザンは、二人の少女は同じような組織に所属している縁の深い存在なのだろう。と解釈した。

もっとも、今の両者の立場の違いは語るまでもなく明確であろう。

 

 

「彼女、暴れたんですよ。祐一君の死体を見た時。それで、泣き叫んで、私に掴み掛かって来たものですから。ちょっとだけ手荒な真似をしてしまいました」

 

 

茶髪の娘の両脚は脛の辺りからぼっこりと赤く腫れ上がり有らぬ方向にひん曲がっている。

後ろ手に縛られた両腕もよく見れば肘より先のところで奇妙な曲がり方をしてるのが分かった。

鈍器か何かで殴打されて、へし折られたのだろうか。

 

 

「痛かったですか。長い間、放っておいてしまってごめんなさいね、由紀ちゃん。お詫びと言っては何ですが。これ、お土産です」

 

 

キリキザンの隣に立っていたお下げ髪の少女は拘束された彼女の前に立つ抱えていた荷物の風呂敷をするすると解いた。

そして露わになったお土産をすっと茶髪の娘の前に突き出した。

拘束された娘は目の前に差し出された『ソレ』の正体に気付いた瞬間、口枷越しのすすり泣きすら忘れ、大きく目を見開いた顔からはさあっと色が消えていく。

 

 

「妹さんの真由ちゃんですよ。姉妹の感動の再開ですね」

 

 

ヒクッヒクッとカエルが痙攣したような耳障りな音が室内に響いた。

その音が目の前で縛り付けられている娘の喉から鳴っていると気付いたお下げ髪の少女は、今思い出したと言わんばかりに手早く口枷を外してやった。

 

 

絶叫。

血を吐くような絶叫。

 

 

最早、言語と化していない獣のような慟哭が空気を震わし爆発した。

傍で佇むキリキザンが辛うじて聞き取れたのは「何故? 」「どうして?」と言った疑問符ばかりだった。

果たしてその疑問は目の前の妹の成れの果てについてなのか。それとも仲の良かった筈の幼馴染の突然の狂行に対してのものなのかキリキザンには分からなかった。

だが、長い付き合いである犯人には目の前の娘の言葉を理解できたようで小さく頷くと、静かに顔を伏せてその表情を隠した。

 

 

そして一拍の間。

 

少女が再び顔を上げた次の瞬間、キリキザンは目を見開いて驚愕した。

 

 

何故なら今まで鉄仮面のように表情が変わらなかったお下げ髪の少女の顔面に、輝くような美しい笑みが浮かんでいたからだ。

まるで大輪の向日葵のような笑顔は見る者全てに元気を分け与えてくれる、とても魅力的なものだった。

先程まで人形のように無表情だった少女と同一人物とはとても思えない。

驚き固まるキリキザンを他所に、変貌を遂げた黒髪の少女は弾むような明るい声色で語り始めた。

 

 

「皆、私が素晴らしい人間だと褒め称えます。家族は自慢の娘だと褒め、祐一君は笑顔が素敵な魅力的な女性だと恥ずかし気もなく語りました」

 

「由紀ちゃんも、困っている時にいつも助けてくれる心の優しい頼り甲斐のある親友だと笑いかけてくれましたね。覚えていますよ。ええ、だってみんながみんな私を素晴らしい人間だと笑顔で言うのですから」

 

「困っている人がいたら率先して手助けしました。人からの頼み事は決して断りませんでした。辛そうな人には親身になって話を聴きました。少しでも誰かの力になれるように微力を尽くしてきました」

 

 

キラキラと輝くオーラを放ちながら楽しそうに語る少女の言葉はまるで呪文だった。

聴いているだけで心に染み入るような、前向きになれるような。

見る者の心を癒し、力を分け与える天使の笑顔から放たれる旋律は不思議な魅力を持った魔性の呪文だった。

 

 

 

 

 

「でもね」

 

 

瞬間、変貌。

少女の笑顔が消滅した。

 

いや、仮面を捨てた。もしくは擬態を解いたというべきか。

輝かんばかりの笑みは人形の如き無表情に戻り、鈴の音のように美しい声はまるでロボットが台詞を朗読するように平坦で無機質なものに変貌する。

 

 

「本当の私は、とっても、とっても」

 

「悪い子なんですよ」

 

 

少女の瞳の中に。どろどろとした薄汚い淀みがぐつぐつと音立て煮え滾っている。

キリキザンの目には蠢く闇が確かに見えていた

 

 

「本当に不思議でした。ええ、今になっても不思議だなと思う事が多すぎるぐらいです」

 

「物心ついた時から、周りの人間が幸せそうにしていると、心の底から燃え上がるような憎悪が沸いてきて、どうにかしてその顔を歪ませたくて仕方なかったのです」

 

「家族や友人の笑顔を見る度に。私を愛し、慕ってくれる人達を見る度に。私は、あらゆる言葉を尽くして罵詈雑言を浴びせたくなるのです」

 

「実のところ幸福という言葉の意味がずっと曖昧なのです。だって、周りの人達が幸せそうな顔をしているのを、いくら真似しても、何にも感じないのですから」

 

 

幼馴染の異様な変貌ぶりに先程までの慟哭をすっかり忘れたのか凍りついた茶髪の娘の前に一歩一歩と近付きながら、少女は抑揚の無い声で、まるで経を読むかのように語り続ける。

 

 

「由紀ちゃんの家で前に飼っていた愛犬のマロンが亡くなった時。ええ、酷く落ち込む由紀ちゃんに私は一晩中つきそい優しい言葉をかけていましたよね。覚えてますとも」

 

「だって本当はあの時。マロンの死体を掘り起こしてバラバラにして辱めた物を」

 

「由紀ちゃんの目の前に撒き散らしてやりたいという強い衝動に駆られて。それを抑えるので必死で。本当に、本当に必死だったのですから」

 

 

一歩。

 

 

「祐一君は私の笑顔が好きと言って愛を告げました。鏡の前で試行錯誤しながら生み出した、周りに同調する為だけの、顔面の筋肉を引きつらせた薄っぺらい仮面を褒めていました。私は笑顔という言葉の意味が、また少し、分からなくなりました」

 

「愛の言葉を囁きながら彼は何度も私を抱きました。その度に私は懸命に腰を振る祐一君の首筋にナイフを突き刺す妄想に浸っていました」

 

「愛の営み。なんて素敵な別名がつく、恋人との性行為の最中に。愛する女に刺し殺されて驚嘆の顔を晒す男の最期が。気になって、気になって仕方なかったのです」

 

 

一歩。

 

 

「家族は私にこう言いました。『人に優しくしなさい。人の痛みを知りなさい。人を幸せに出来る人になりなさい』だから私は演じました。優しく、慈愛に溢れ、愛情深い少女を」

 

「顔も、声も、仕草も。全て鏡の前でたくさん練習して身につけました。私が理想の女の子という、本物の私とは似ても似つかない偽物に近づけば近づく程に。周りの人達は私を褒め讃え、慕い、愛してくれました」

 

「その度に私は必死で我慢をしてきました。私に愛していると囁く両親の首を絞めてやりたかった。優しい祖父母の肉を少しずつ削ぎ落としてやりたかった。友人も、視界に写る全ての人間を苦痛に歪めたかったのです」

 

 

また一歩。

 

 

 

「人を傷付けたくて仕方ないのです。叩いて、殴って、燃やして、沈めて、縛って、突いて、刺して、切って、削いで」

 

「私は悪い子なんです。悪い事がしたくて堪らないのです。あらゆる凶行を、あらゆる悪事を、悪行を、悪虐の限りを尽くしたいのです」

 

「ねえ。由紀ちゃん。私、ずっと、ずーっと昔から」

 

 

目を見開いて震える娘に、あわや口付けでもせんとばかりに顔を近づけた歪んだ少女は瞳に病的な殺意を孕ませながら。

一字一句、噛み締めるようにこう結んだ。

 

 

「人を。殺したくて。仕方がなかったのですよ」

 

 

蔵の中を再び重く、冷たい沈黙が覆った。

それは数秒の僅かな間だったのか、それとも分単位の時間だったのか。

安物のパイプ椅子がかたかたと軋む音だけが小さく響く。茶髪の娘は震えながら幼馴染の顔を見上げていた。

その視線はもはや人に向けるものでは無い。化物を眺め絶句する娘からは怒りの色も慟哭の音も消失している。代わりに浮かぶのは未知への恐怖と嫌悪。

足元から幾千の蜚蠊が這い上がるような、絶望的な嫌悪と破滅的な恐怖が体中を這い回り纏わりつく。

未だかつて見たことの無い怪物への純粋な恐怖だけが、拘束された娘の表情に張り付いていた。

 

 

「でもね」

 

 

ぽつりと黒髪の少女は呟いた。

無様に震える娘から無言で視線を外した彼女はキリキザンの方をゆっくりと振り返る。

生気の無い、下手すれば幽霊と見間違うかのような真っ白な喉が微かに振動する。

 

 

「私、分かっていたんですよ。自分が、本当に悪い子だから、この気持ちは抑えなきゃいけないって。例え何があっても押し殺さなきゃいけないって」

 

「少なくとも私は、周りの人から見れば幸せ者なんだろうなあ。と悟れるぐらい、清く優しい、善性に満ち溢れた人々に囲まれて生きて来たのですから」

 

 

キリキザンは悟った。

己にふらふらと近付いてくる目の前の少女の瞳は、濁ったままで表情は鋼の如く不変だ。声色も同様だ。

だがこちらに虚ろな眼差しを向ける歪な少女が、ほんの少しだけ。

迷子の幼子のように、誰かに必死で縋りつくような。そんな脆さを僅かに孕んでいる事を。

 

 

「だから、決めてたんです。死のうって。高校を卒業したら、それを区切りに真っ先に自決しようって。本当に、決めてたんです」

 

「だって、そうでしょう? 毎晩毎晩、人の死に顔を夢に見て、うっとりする私みたいな異形が」

 

「異常で、非情な。そんな人でなしは、この世界で生きてはいけないって。私のような獣はこの平和な世界に存在してはいけないと。本当に、そう、覚悟していたのです」

 

 

歪な少女はそこまで語って口を噤み、静かに俯いた。

そしてまた、薄暗い室内が沈黙に包まれた。

 

 

 

「fufufu」

 

 

羽音がした。少なくともキリキザンはそう思った。

 

ミツハニーやスピアーの羽音に似た、独特な音が唐突も無く聞こえたように感じた。

 

 

「ufufufufufufu」

 

 

そして音の発生源に目を向けたところで、ようやくキリキザンは気付いた。

人間の。いや、生物の喉から発生したと思えないこの機械的な振動音が。

 

 

「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」

 

 

血走る眼球をドロドロと濁らせた、歪な少女の嗤い声だと。

 

表情は相変わらずの虚無だった。

ほんの僅かに口元を引きつらせ、器用にも喉の筋肉だけ痙攣したかのようにブルブルと震わせている。ただそれだけだ。

凡そ、正気な人間の笑い方では無いソレを見た時。キリキザンはようやく納得した。

目の前にいる生粋の悪タイプは、我らで言うところの『色違い』に当たるのだと。

 

 

「でも、仕方ないじゃないですか。世界はこんなにも私に都合良く壊れてしまったんです。耳をすませば悲鳴、息を吸えば仄かに甘い贓物の芳香。見渡せばうっとりしてしまうような死体の数々。嗚呼、なんて素敵な理想郷」

 

 

種族にもよるが、モンスターは群れを作る。

そして群れは同調を強いる。そして異形は排他される。

稀に産まれてくる『色違い』が良い例だった。

 

他の同族とは体色が違う彼らは産まれた時から差別の対象だ。

種族によって異なるが、その大半は産まれた直後に捨てられるか、殺されるか。

良くて群れの中の最下層の者として、ストレス発散の生きたサンドバッグになるのが殆ど。

稀に群れを追放された個体が生き延びる事もあるらしいが、大概が目立つ配色のせいで周りのモンスターから真っ先に狩りの獲物として襲われる事になる。

そんな産まれた時から四苦八苦の障害が確定された、哀れなる異形。

 

 

「だから私は止めました。我慢するのを止めました。私を偽るのを止めました。産まれてこの方十六年、煮詰めに煮詰めた醜い衝動に身を任せて。脳髄の奥に刻まれた本能のままに生きることを決めたのです」

 

「両親を殺した時に私の胸には言い様の無い『安堵』が浮かびました。祖父母を殺した時は小さな『歓喜』が。恋人を痛めつけて殺した時には蕩けるような『幸福』を感じたのです」

 

 

目の前の少女もそうなのだ。人間という種族に生まれた異形なる色違いの個体。

それが偶々カクレオンのような擬態を得意とする、夢のような特性を持っていた為に、今日この時まで生き残ってきた。

 

そして今。自分の存在を、個性を、幸福を。

全てを偽ってきた哀れな異形が、こうして己を解き放ったのだ。

 

 

「ねえ」

 

 

キリキザンがふと気づいた時には少女の膝の如く黒ずんだ眼が目の前に広がっていた。

微かに温かい吐息が当たり、もう半歩踏み込めば口付けるコンマいくつの距離で、目の前の色違いはキリキザンの右腕の刃を蝋の如き白い人差し指つうっとなぞった。

 

 

「貴方の、その、美しい刃で」

 

 

抑揚の無い声に。欲望を滲ませて。

か細い指を刃からふわりと浮かすように放し、振り返りもせずに静かに後ろを指差して。

 

 

「由紀ちゃんの身体。バラバラに」

 

 

こちらを覗く、黒い眼差しが。

 

 

「切り刻んでくれませんか?」

 

 

脈打つように澱んで燃える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「由紀ちゃん。まだ生きてますか?」

 

 

薄暗い蔵の中はムワッとした鉄の匂いで満ちていた。

真っ赤なペンキをぶちまけたように広がる血液は、積もった埃と泥のせいで赤黒くますますグロテスクな色彩を帯びている。

その中心で色違いの少女が、椅子に『辛うじて立て掛けられている』茶髪の娘の顔を覗き込む。

プルプルと震える歪な肉塊はコヒューコヒューと酸欠になった金魚みたいに口をパクパクさせながら、目玉をギョロギョロと見開いている。

滑らかな四つの切断面からどろりと血が落ちる度に、その顔色は悪くなっていくというのに必死の形相で何かに耐えているかのようだった。

 

 

「良かった、まだ生きてますね。由紀ちゃんにどうしても伝えたい事がありましたので」

 

 

パイプ椅子の隣には女の四肢だったものが崩れた積み木のように乱雑に重ねられている。

およそ生き物としてマトモとは言えない成りにされたと言うのに、未だ必死の形相で生にしがみつく種族人間にキリキザンは僅かな驚きと大きな哀れみを覚えた。

 

右腕、左脚。左腕、右脚。

色違いの少女の指示通り、キリキザンは拘束されていた女の肉体を解体した。

 

別に彼女の言葉に従う義理などサラサラ無かった。

彼はトレーナーと名乗る人間達に捕獲、調教されては闘奴のように扱われるモンスター達の事を軽蔑していた。

どういう理由か定かではないが、トレーナーに従い戦いを重ねると効率よく強くなれるという情報は、キリキザン族を含めた世に蔓延るモンスター達全てが知っている常識だ。

 

だが、彼から言わせてみれば手下が居なければ自分で自分の身も守れない。そんな下等種族である人間の力を借りなければ強くなれない者など、恥以外の何物でもない。

そしてそんな愚物を手足のように使って悦に浸るトレーナーの事も心底嫌悪していた。

 

だが、こうしてキリキザンは目の前にいる女のお願いに従っている。

その理由は彼自身も、実のところハッキリとは理解していなかった。

 

ただ、彼女の、あの黒い眼差しが。

この世の悪意を煮詰めて固めたような悍ましい本性が。

癪気のように吹き出すドス黒い威圧感が。

それら全てがキリキザンに刃を振るわせる切欠となったのは確かだろう。

 

 

「昔、アルバート・ハミルトン・フィッシュ。という人が居ましてね。沢山の人を殺して食べてしまった有名人なのですが、こんなエピソードがあるんです」

 

 

達磨と化した死にかけの幼馴染の頭を軽く撫でると色違いの少女は彼女からゆっくりと離れながら語り続けた。

 

 

「ある幼い少女を誘拐した氏は絞殺し、その肉を細切れにして調理したんだそうです。そしてソレを9日間じっくりと味わって食したそうです」

 

 

少女は床に転がっていた妹の生首をゆっくりとした動作で拾い上げ、軽く埃を払い人形を弄るみたいにして、乾いた血で固まりつつあるショートカットの髪を手櫛で整えた。

 

 

「その味を、氏は笑顔でこう評したそうです」

 

 

再び達磨女の前に戻った少女は両腕に生首を抱え、瀕死の女の眼前に見せつけるように突き出した。

隙間風のような、か細い呼吸で喘ぐ達磨女の耳元で悪意に陶酔した少女は鼓膜を舐め回すような粘着質な声でこう言った。

 

 

「『美味かったよ』」

 

 

その言葉の真意を理解したのか、達磨娘はビクンと一度跳ねるように痙攣させたかと思うと、そのまま呆気なく絶命した。

無言のまま肉達磨を眺めていた黒髪の少女は何を想っているのか。暫くそのままボンヤリと立っていた。

 

 

「『藤 きり』です」

 

 

唐突にポツポツと口にした単語にキリキザンは思わず首を傾げた。

ゆらりと振り向いた少女のどす黒い瞳を見た時、ようやくそれがこの姦人の名前だという事に気付いた。

もう随分と長い時間を共に過ごして来た気になっていたが、未だ自己紹介すらしていないほどの短い付き合いだという事に、わずかな驚きを覚える。

 

 

「行きたい所があるんです。私みたいな、悪い子が、お友達を募集しているようでして」

 

 

大事に抱えていた生首をゴミのように放り投げた少女、きりは真っ赤に染まった制服のポケットから小さな機械を取り出して、キリキザンに見せてやった。

スマートフォンの液晶画面が写すのは性別がハッキリとしない、きりよりも幼い人の子の姿。

それから、その横に浮かび悪意に満ち満ちた笑みを浮かばせるゴーストタイプのモンスターだ。

同じ種族のモノと過去に何度か対峙した事があったので見覚えがあった。確か、種族名はジュペッタだったか。

 

 

「彼は、世界征服をしたいのだとか。私はあまり、政治の事には興味はありません。ですが、きっと。その過程で、沢山の人を傷つける事が出来ると思うのです」

 

 

羽音のような笑声を時おり漏らすきりの瞳にはぐつぐつと闇が蠢いている。

愉しくて仕方ないのだろう。きっと、この少女が正気の笑い方を思い出していたならば、蔵の中を揺らす程の大笑いをしていたに違いない。

 

 

「ですので。もし、良かったら」

 

 

キリキザンの前に細く、白く。赤く、汚れた右手が差し出された。

ふと顔を上げれば、黒い眼差しが吸い込むようにしてこちらを見つめている。

 

 

「一緒に。来て、頂けませんか?」

 

 

その言葉を聴いた時、キリキザンの背筋に百足が這い周るような寒気が走った。

蠢めく闇の向こうから、深淵の底から。

何かが自分の心を覗き込み、そしてそのまま取り込もうとしている。

嫌悪と恐怖。それから僅かばかりの興奮が綯い交ぜになったこの感覚は非常に危うく、魅力的である。

 

だが産まれながらの戦士にして、数多の死線を潜り抜けた彼からすれば簡単に抗える程度の稚拙な誘惑だった。

 

 

「嗚呼。良かった。私、一目見た時から、貴方には縁を感じていましたので」

 

 

だからこそ、キリキザンは頷いた。

あえてその誘惑を受け入れる事にした。

 

目の前の色違いはこれから数え切れないほどの悪業を成すだろう。きっと数え切れない程の同族を虐殺するのだろう。

だが擬態を解いた色違いが長生きできる筈がない。

ましてや生き急ぐどころか死に急ぐような生き方では尚更だ。目を離せばこの少女は直ぐに骸を晒す事になるだろう。

 

自分は存分に生きてきた。存分に戦ってきた。最早この一生に悔いなど無い。

ならば最後に。最期の最後に、この生粋の外道に付き従うのも酔狂だ。

鋼の身体と悪の本能を持つコマタナとして生まれ、研ぎ澄まされた刃の如き戦士であるキリキザンとして生きて来た自分だ。

惰弱な人間に従うなど考えた事もなかったが、この世の悪意を煮詰めたような生粋の大悪党である目の前の姦人の刃となるのも悪くは無い。

 

 

「あの。貴方のお名前が聞きたいのですが。もしかして、名前。無かったりしますか?」

 

 

きりが思い出したように尋ねると、キリキザンは静かに頷いた。

彼らの種族は名前というものをつける習慣がなかった。

特に彼の場合は族長として長く生きて来た為に、『ボス』や『長』という呼び名が半ば彼の固有名詞と化していた。

 

 

「でしたら、僭越ながら私が名前をつけてもよろしいですか? きっと、これから長い時を一緒に過ごす仲になるでしょうから」

 

 

特に否定するものでも無い。キリキザンは肯定の意をもって再び頷いた。

 

 

「では、しっかりと考えて名付けなければいけませんね。幾つか候補はあるのですが……その前に」

 

 

きりはゆっくりとした動きで死体と化した肉達磨の前に歩を進めると、些か乱暴な手つきで元幼馴染の茶髪を鷲掴みにした。

 

 

「新鮮なお肉も手に入りましたし、御夕飯でも如何ですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて蔵の中には誰も居なくなった。

 

暗闇に残ったのは、数多の刃物。無数の肉片。引き摺られたように入り口に線を描く多量の血痕。

 

 

 

そして置き去りにされた少女の生首だけだった。

 

 

 

 




・ギガイアス こうあつポケモン(いわ)
食用不可。無理やり飲み込んだ場合は命に関わるので直ぐに病院へ。


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楽園追放
3ーOP 毒婦


お待たせしました。


 

古今東西、映画に始まり小説や漫画。

様々な創作物の中、サバイバル系と言われるジャンルには王道とも呼べる争乱の火種が存在する。

それは数少ない食料や水だったりだとか、生存者カーストでトップに立つ為の強力な武器だったりだとか。

そして何よりも争いを呼び込むきっかけとなるのは女だ。

世紀末もさながらの無法地帯と化した暴力的かつ混沌としたサバイバル世界で、女性の価値はとんでもなく跳ね上がる。

時には性の吐け口として。また時には権力者の生きたトロフィーとして。

 

理性を揺らし欲望を擽る、女体の甘美な誘惑は多くの男達を惑わし、秩序の崩壊を誘う。

混迷の世界において、女とは混乱の暴風を巻き立てる台風の目のような存在なのだ。

 

 

 

時が経つのは早く、モンスターパニックが始まってから一ヶ月以上も過ぎた。

ハイエナ擬きに喰われかけたり、巨大な怪鳥にぶっ飛ばされたり、変な毒虫に追いかけ回されたり。

腕が千切れかけたり、身体中の骨が折れまくったり、痛みのあまりに気絶しながら糞尿を垂れ流したり。

思い返せば血生臭いどころか、良く今の今まで生きていられるのが不思議になってくるような、思わず回想するだけで瞳が急速に濁り果てるような地獄の日々。

そんな生存本能を嫌という程にビンビンに刺激される日常を過ごしているからなのか、俺という人間にも人並みの欲が。

もっとはっきり言うならば煮えたぎるような性欲が溜まっていた。

 

とは言え一人と一匹の男同士(確証はないが、恐らく)で生き抜くだけで精一杯のサバイバル生活を過ごしている現在、女性と縁がある訳が無い。

なればこそ、せっかくの世紀末世界。

悪知恵を駆使して己が欲望と暴力のままに身近な生存者コロニーを襲撃でもしてやって、女性を拐かしその肉体を思う存分に貪り尽くしてやろう。

という気にもならなかった。

 

勿論、性欲は溜まりに溜まっている。スマフォの小さな液晶画面に写る卑猥なイラストやグラビア画像を目にするだけで、まるで爆発寸前になる程に昂ぶっている。

だが女性を仲間に引き込もうだとか、あわよくば襲ってやろうだとかは考えは否だ。

ほんの少し考えただけでもメリットよりもデメリットの方が遥かに多いからだ。

 

性欲なんてものは今まで通り自己処理すれば済む。

男なんて単純なもので、一発抜けば多少の虚しさは残るもののストレスも肉欲もすっきりと解消出来る。

だが、仮に何かの間違いでこの世紀末真っしぐらな世界で下手に女性と行動を共にすればどうなるだろうか?

 

死と隣り合わせの危険な日常による吊り橋効果で恋仲になれるかもしれない。

その結果、なんか、こう。いい感じの雰囲気に流されて身体を重ねる仲にもなるかもしれない。

だが、前にも言った通りこの世界での女性の価値は非常に高い。

どこで女を匿っている事がバレるとも限らない。もし見つかったら最悪だろう。

肉欲を滾らせた余計な輩が引き寄せられるのは考えるまでもないだろう。

 

ならばどこかのコミュニティに保護してもらい、そこで平時のようにゆっくりと女性との仲を深めるのはどうだろうか? 結論から言うとこれも最悪だ。

生きるか死ぬかで皆が必死な中で、カップル成立でもしたら絶対に面倒な事になる。

この世紀末世界で女の取り合いなんて起こったらサークルクラッシュなんて軽い言葉じゃ済まされない。

最悪は女体を取り合うドロドロの殺し合いに発展する事だろう。

 

たかが底辺よりちょっと上程度の男子高校生である俺の間抜けな脳みそですら、ちょっと考えただけで埃のようにデメリットが出てくる。

だからこそ俺はこの終末世界で女性と行動を共にするつもりは無いし、関わるつもりも無かったのだ。

 

無かったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、さあ。一応、聞くけどさあ」

 

 

瓦礫の上にはつい先程まで確かに生きていた男達が倒れていた。

一人は背中を抉るようにして大きな穴をぽっかりと空け、鉄板で肉を焼くような香ばしい音を傷口から立てては溶解を侵食させている。

隣で転がっている肥満体の男は全身に毒々しい色の細かい針が突き刺さっており、まるで 手芸で使うピンクッションみたいな有様だ。

おまけに傷口の一つ一つが拳程の大きなコブを作ってボコボコに膨れ上がり、目鼻や耳孔といった身体中の穴という穴から満遍なく流血している。

一目みただけで分かる。なんかしらの毒物に犯されたのだろう。

それも、相当な激毒だ。

 

 

「アンタ。まさか、こいつらのお仲間って訳じゃあ。無いよね?」

 

 

そして俺の足元に縋り付くようにして右腕をのばしたまま倒れている最後の死体は首筋にちいさな穴が空いている。

果たして何口径の穴なのだろうか?

FPSは専門外の俺には死体の傷跡から推測する事は出来ないが、俺に問いを投げかけた長身の女の手元を見れば一目瞭然だった。

 

 

『M360J SAKURA』。

 

伝説的な銃器メーカーであるS&W社製の5連発リボルバーで、日本のお巡りさんが標準装備している小口径の拳銃の名だ。

果たしてその凶器は壮絶な人間ドラマの果てにどこかで彼女に託されたものなのか。それとも血みどろの争いの末にどうにか奪い取ったものなのか。

 

この際そんな事はどうでもいい。

問題なのはただ一つ。

 

 

「弾、節約したいし。とりあえず大人しく、此処に来た目的を話してくれない?」

 

「シャアッーーー‼︎」

 

 

女の身体に巻きつく毒々しい紫色をした蛇型のモンスターが牙を剥き出しにして威嚇している事。では無く。

 

巨大な化け蛇を身体に巻きつけた女の手で怪しく輝く凶器。

 

その銃口が俺の胸元に向けてしっかりと構えられている事だ。

 

 

(やっぱりサバイバル物で女は貧乏神だ)

 

 

俺は強張った身体で何とか両手を挙げ、引き攣った顔でそんな事を考えていた。

 




・アーボ へびポケモン(どく)
身は鶏肉のように淡白。調理する時は毒腺や強力な胃液に触れないように注意が必要。


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3-1

なんか段々長くなる


手のひらサイズの液晶画面越しに、薄水色のプリムシャツを涼しげに着こなす美少女の姿が映る。

段々と強くなっていく陽射しに焼けたせいか、茶色がかっていた髪はますます明るくなり鮮やかな栗色となってサラリと揺れている。

桜桃のような瑞々しい唇を開き、小鳥のよう。と比喩するにはやや大き過ぎる元気な挨拶。

 

 

『皆さんお早うございます‼︎ 第3回目の配信。お送りするのは、今日も元気に頑張ります‼︎ ドレミファ〜!』

 

『……ソラ‼︎ はい、私ソラでーす‼︎』

 

 

恐らく、この終末世界において日本で1番の有名人となった動画配信者。

『ソラ』の配信のスタートだ。

 

 

 

 

いつもの変わった挨拶から始まり、恒例となりつつある近況報告に入る。

やや大袈裟なアクションと元気を張り上げるようなハキハキとした語りで、大きくなっていく渋谷の生存者コミュニティ状況などを語った。

老若男女合わせ、現在のメンバーは百を超えたとの事。

果たして現代日本にどの程度の生存者がいるかは分からないが、なかなかの大きなコミュニティを築きあげたのではないだろうか。

 

 

『奇跡の木の実も順調に栽培が進んで.ご飯もお水もみんなで集めてます。生き残ってる皆さん‼︎ 諦めないで下さいね‼︎ 私達が待っていますからね‼︎』

 

 

拳を握りしめながらエールを送るソラの姿は以前の動画よりも明らかに顔色が良くなっている。

ボロボロだったワンピースから新たな服に着替えているところから察するに、食糧やその他の生活必需品も今のところは豊富に確保しているのだろう。

まあ、クッキー君を始めとした『戦力』を確保しているソラに優先的に物資を回している可能性もあるのだろうが。

 

 

(にしても普通の女子高生が終末世界で百人規模のコミュニティを統括するって、かなりの重圧だろうに。本当に根っからの善人なんだろうな)

 

 

相変わらずの彼女の善人っぷりに感心しながら考察に耽っていると、いつの間にか今回の配信のメインテーマへ移っている。

すでに十本近くの動画を配信しているソラのアーカイブから、わざわざこの動画を探し出したのは動画のタイトルにもなっている今回のメインテーマがお目当てだったからだ。

 

 

『……というわけで‼︎ クッキー君とビスケットちゃんが『変身』してしまったんですよ‼︎ 二人ともとっても強く、とーっても可愛いくなったんですよ‼︎』

 

 

二人ではなく二匹では? 等とどうでもいい事を考えつつも、俺はソラに寄り添うようにして写る二匹のモンスターをじっくりと観察する。

 

黄色と黒の目立つ配色をしたビスケットちゃんは一回り大きくなり、二頭身から三頭身へと身体のバランスが変わっていた。

瞳だけがやけに大きかった顔つきも端正に変わり、そのド派手な体色と雷を模したように不自然にギザギザした尻尾を除けば、自然界にいる兎とそう変わらない体型となっている。

 

 

『ピッカ‼︎ チュウチュウ、ピッカチュー』

 

(でも相変わらず鳴き声は変なのな)

 

 

一応チュウチュウと鳴いているので兎では無くて鼠の親戚かもしれない。

両頰についた真っ赤な頬袋のようなものからバチバチと音立てながら青白い雷をスパークしているところから、電気鼠。もしくは電気栗鼠と言ったところだろうか。

 

兎にも角にもビスケットちゃんに関しては変身前の面影を強く残し、そのまま成長したような姿だった。

 

 

だがソラのメインパートナーであるクッキー君に関しては違う。その変化は劇的だった。

 

まずその大きさが違う。スマイルのようなヌイグルミのサイズからグッと大きくなり、体高は目測一メートル程に成長している。

そして何といっても目立つのは体色の変化だろう。

焦げ茶色だった全身の体毛はペールホワイトをベースに。

頭部やつま先、大きな耳の部分に関してはなんともメルヘンチックなパステルピンクになっている。

胸元についていたモコモコの毛の塊は蝶ネクタイを模した可愛らしい結びリボンに変化し、左耳の付け根にも同様の触覚らしきものが生えている。

更にそこから羽衣のようにしてリボンの尻尾を身体にふんわりと纏わせている様は幻想的だ。

アクセントのようにリボン型の触覚の先端と、その大きく潤んだ瞳の色は透き通るようなパステルブルー。

 

白、ピンク、水色と何ともメルヘンチックでファンシーだ。

サンリオキャラクターや魔法少女ものに登場する相棒役のマスコットキャラクターを想像させる。

動物や怪物、という表現よりもむしろ妖精や幻獣といった神秘的な存在へと変貌を遂げている。

 

 

『フィイ。フィニィー』

 

 

どこと無く癒される愛らしい鳴き声をあげつつ、羽衣のようなリボンをゆったりとソラの腰に巻きつけ、嬉しそうな表情で彼女の脚に顔を擦り付けるクッキー君。

共に死線を潜り抜けた仲だからなのか、本物の親子や姉弟のような信頼を築きあげている様だ。

 

 

(にしても雄に見えねえなぁ。それに名前もクッキーよりマカロンとかクリームとかショートケーキとかの方が似合う見た目だし)

 

 

クッキー君は本当に雄なのだろうか? もしや最近流行りの男の娘とかいうやつでは?

なんて馬鹿げた事を考えている内に配信は進み、公園内に生えている木を的にスキルの威力がどれだけ上がったのかを比較検証するようだ。

 

 

結果的に言えば一目瞭然だった。

ビスケットちゃんの電撃は小さかった頃と比べて明らかに強力になり、大人の胴よりも太い大木を一瞬で焼き切ってみせる。

 

電撃スキルだけでは無い。純粋な身体能力も大幅に強化されたようで、ソラの「アタック‼︎」という単純明快な指示に従い、電光石火の如く目にも留まらぬ高速移動を披露。その勢いのまま隣の的に全力で体当たり。

小さな身体からは考えられない強烈なぶちかましは、衝撃波を生みながら大木を大きく抉り、圧し折ってみせた。

ソラは、フンスと鼻息荒くいわゆるドヤ顔を見せるビスケットちゃんを抱き上げ頬ずりする。

きっと相棒の成長が嬉しいのだろう。何となくその気持ちが分かる気がして、俺も思わず笑顔になった。

続くクッキー君のお披露目だが、こちらはビスケットちゃん以上にド派手なものだった。

 

以前までは身体を張った突進や、爪や牙での攻撃が目立っていた。

だがそのファンシーな見た目通り、まるで魔法のようなスキルを次々と披露してくれたのだ。

 

 

『クッキー君、キラキラバリア‼︎』

 

『フィア‼︎』

 

 

 

ソラの指示に瞬時に反応し、クッキー君は一瞬の内に目の前に光り輝く薄い膜を召喚した。

金色にも銀色にも見える不思議な輝きを見せる光の膜は一体どのような原理で現れたのか、どんな物質で構成されているのか全く判断できない。

 

 

『はい、このキラキラバリアーはですね‼︎ なんと炎や電気なんかを防いでくれる、とっても心強い不思議なバリアーなんですよ‼︎』

 

 

ソラは光の膜に何度も手を潜らせてみせ、ホログラムのように実体が無いことを証明すると、ビスケットちゃんに軽い電撃を放つように指示した。

 

 

『じゃあビスケットちゃん、あのバリアーに向かって弱めの電撃‼︎』

 

『ピーカーチューッ‼︎』

 

 

先程の攻撃より幾分か規模の小さいその雷撃はクッキー君の眼前の光り輝く防壁に衝突。

すると先程のソラの説明通り、見事に防いでみせた。

 

 

(防御系のスキルか。効果は物理攻撃以外の無効化ってところか? 強度にもよるだろうが対モンスター戦では重宝するな)

 

 

無意識の内に画面を睨みつけるようにして考察に夢中になる俺を他所に動画は進んでいく。

 

 

『はい‼︎ じゃあ次は攻撃技です‼︎ とっても強くて、とっても綺麗なんですよ‼︎ クッキー君、キラキラ星‼︎』

 

『フィーア‼︎』

 

 

パートナーの雄姿にご機嫌なソラの指示(一瞬、技名なのか歌のことを言ってるのか解らなかった)にクッキー君は的確に応えた。

一瞬、身体が光ったかと思うと自身の周囲にキラキラと幻想的に輝く星の結晶を生み出し、宙に次々と浮かせてみせたのだ。

 

 

(さっきのバリアーよりワケ分かんねーな。見た目は派手だがあんま強そうには見えねえけど……)

 

 

 

 

手の平サイズの星型のエネルギー達は黄金に輝きながら数をドンドンと増やしていく。

神秘的な光景ではあるが、果たしてソラが太鼓判を押す程の攻撃スキルなのかと言えば、正直なところ首を傾げるしかない。

 

が、そんな疑問は直ぐに吹き飛んだ。

 

一瞬。僅か一瞬だけ残像が見えた。

クッキー君の周囲に浮かんでいた黄金の星々が急にブレたかと思うと、レーザービームのような残像を残して消えた。

それを認識した瞬間、どうやら遅かったようだ。

 

 

「はあぁ⁉︎ チートスキルじゃねえか⁉︎」

 

 

思わず叫び出したが無理も無いと思う。

何故なら動画に映っている的となった大木が一瞬で細切れになっていたのだから。

 

恐らく先程まで浮かんでいた星型のエネルギー達は文字通りの流星群と化し、的に向かって発射されたのだろう。ただしその速度が問題だ。

 

 

(視えねえ。何度再生しても、ほんの少しの残像しか視えねえ‼︎)

 

 

弾丸だ。大木をも切り裂く、即死の弾丸。

メルヘンチックなお星様の外見からは想像できないマジカルな機関銃。

もし敵のモンスターがこんなスキルを使ってきたら、絶望でしか無いだろう。

 

 

『じゃあ最後はあそこに。あの木がいっぱいある所に向かって攻撃しますね‼︎ 沢山のモンスター達に囲まれた時、この技でクッキー君に助けてもらったんです‼︎』

 

『いくよ、クッキー君‼︎ ビックリハウリング‼︎』

 

『フィン‼︎』

 

 

バリヤー、星型レーザー、と続いて最後の〆めは、まさかまさかの、絶叫攻撃だった。

鋭い目つきで目標を睨みつけたクッキー君がギュッと全身に力を入れたかと思うと、狼のように空を仰ぎ大声で雄叫びを上げた。

 

 

「うるせぇっ⁉︎」

 

 

画面越しとは言え、脳天を揺らせる程の絶叫に、俺は即座にスマフォをミュート設定に変え、しばらく画面から目を逸らす。

10秒程待ってから、無音の画面越しで恐る恐るその音波の威力を確認すると、言わずもがな。

ターゲットにした大木のみならず、周辺の樹木ごと纏めて軽々と圧し折ってみせた。

 

 

(くっそ強ぇ……敵になったら勝てる気がしねえぞ)

 

 

特に最後の雄叫びはダメだ。音波攻撃は個人的に激しいトラウマだ。

どう足掻こうと避けようの無い無差別っぷりと、自分がゴム毬にでもなったかのように軽々しく吹き飛ばされる衝撃は二度と味わいたく無い。

多彩なスキルの利便性とその恐ろしい破壊力に勝手に戦慄して冷や汗をダラダラ流している俺を他所に、ソラは輝くような笑顔でこう叫んだ。

 

 

『これは只の変身じゃありません! まさに『進化』です‼︎ 皆さん、クッキー君たちモンスターは戦って強くなって進化するんです‼︎』

 

『怖いモンスターも多いですけど、クッキー君みたいにお友達になってくれる子だって居るんです‼︎ モンスターをお友達にして、いっぱい戦って、いっぱい強くなれば』

 

『きっと! もっと! ずっと‼︎ この世界で生き残れる確率が大きくなる筈なんです‼︎』

 

 

絶望も、不安も、憂鬱も。

何もかもを吹き飛ばすような太陽のような笑顔。

この荒廃した世界の生きる希望となった少女、ソラの声は希望と自信に満ち溢れていた。

 

 

『だから私、戦います‼︎ クッキー君とビスケットちゃんと一緒に‼︎ 皆さんを一人でも多く助けられるように‼︎ だから皆さん‼︎』

 

『諦めないで下さい‼︎ 私がいます‼︎ 私達がいます‼︎ みんなで一緒に‼︎ 精一杯、生きましょう‼︎』

 

『絶対に‼︎ 諦めないで‼︎』

 

 

最後に自分の拠点の住所をフリップに書いて避難民を募集をかける。

応援のメッセージを最後に残し、動画は終了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーやっぱ可愛いなー。ソラ」

 

 

余韻に浸り、思わずしみじみと呟いた。

ソラの天真爛漫な笑顔と、不安を吹き飛ばす希望の篭ったエールに心から癒され、また始まる地獄の一日を生き残る為の活力を得る。

すっかり彼女のファンになってしまった、と俺は小さく苦笑しながら節約モードに切り替えたスマフォを寝袋の上に適当に放り投げる。

 

そして俺はゆっくりと。

 

焦れったくなる程にゆっくりと振り向いてからこう言った。

 

 

「んで。何か言い訳はあるか? あぁん? スマイルくぅーん?」

 

「ソ……ソーナンスゥ……」

 

 

ネチッこさを意識した嫌味ったらしい俺の質問に目の前のスマイル『らしきモンスター』はビクリと震えて『大きくなった身体』をこれでもかと縮こませていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先ず結論から言うと俺は生きていた。

 

 

死んだように気を失った(実際すっかり死ぬ事になると覚悟していた)かと思えば、いつもの小屋の中であっさりと覚醒した。

あまりにも呆気なく目覚めたものだから、悪い夢でも見ていたのではないかと勘違いした程だ。

枕元にまるめて置いてあった血塗れのボロ切れ。つまり俺が戦闘時に着ていた衣服の成れの果てがなければ、呑気に二度寝を決め込んでいたかもしれない。

 

噛み付かれ、引き摺り回された結果、そこらの雑巾よりも余程グッチャグチャにされ千切れかけていた筈の腕はすっかりと元の健康な状態に回復している。

腕だけでは無い。骨という骨がボキボキに折れ、耳や鼻からも激しく出血し、全身に満遍なく擦り傷や切り傷に打撲といった満身創痍だった筈の身体はすっかりと元通りになっているではないか。

 

上半身を起こし、ストレッチ代わりに軽く身体を動かす。

身体が少し軋み、関節から軽くポキポキと音が鳴ったりはするものの、普通に動く分には何一つ問題無い。

全くもって、これ以上ないぐらいに健康な状態だ。

 

 

「よく生きてたな、俺」

 

 

寝袋内で全裸という奇妙な格好のまま起き上がりながら、思わずポツリ。

口元がやけにベタつくし甘ったるい。気を失っている間に、あの奇跡の果実を押し込まれたのだろう。

死にかけの俺をわざわざ救ってくれた奴なんて一人(一匹)しか考えられない。

丁度そんな事を考えた正にその時、扉が開き、ひょっこりと我が相棒が顔を出し、驚いたように叫び声をあげた。

 

 

「ソ⁉︎ ソーナンスー‼︎」

 

 

俺が想像していた相棒の姿と鳴き声とは、違いが生じていたのが大きな問題なのだが。

 

 

 

 

 

 

ここで冒頭に戻る。

俺は目の前で縮こまるスマイルの面影を残しつつ、そのまま成長したような新種のモンスターをジロリと睨んだ。

 

 

体長は目測1メートル以上。まあ150センチは確実に無いだろうが、あの小さかったスマイルと比べると随分と大きい。

身体の色は変わらず、鮮やかな水色。肌の質感も変わったようには見えない。

きっとプニプニして、ヒンヤリとした触り心地なのは変わらないのだろう。

 

何より大きく変わったのは体型だ。

今までのスマイルはてるてる坊主のような球形の頭部に円錐状に広がる小さな胴体。そしてそこからちょこん伸びた二本足と黒い尻尾というヌイグルミのような体型だった。

だが目の前の新種は違う。

頭部と胴体の境目が無くなり、ぷっくりと楕円型に膨らんだ大きな胴の上部にそのまま顔面のパーツが付いている。

ちょこんと生えた小さめの足はパッと見は変わらないものの、よく観察すると四本脚になっているではないか。

 

おまけに以前は前頭部についていたポンパドールを模したようなコブが消え、その代わりに後頭部に段差のような幅広の突起が現れた。

髪型で例えるなら、ヘアジェルで長めの前髪をオールバックに撫で付けたような形に見えるだろう。

顔の横から生えている長い両腕や、黒地に白い斑点が顔のように見える短い尻尾はそのままだが、それ以外は明らかに違う。

更に突っ込むなら声質もやや低くなったように感じる。

 

 

「さて、先ずは確認だ。お前はスマイル。育成ゲームよろしく進化したが、俺の相棒のスマイルって事には変わりない。ここまでは良いか?」

 

「ソー‼︎ ソーナンス‼︎」

 

 

俺の言葉に激しく頷く(胴体の上部、顔面の下辺りを激しく折り曲げている。恐らくここが首なのだろう)随分と成長した我が相棒。

進化前は朗らかな笑顔を貼り付けたような表情だったが、今はキュッと目を瞑ったような顔つきに変化している。

 

が、こうして向き合えば嫌でも分かる。目の前の新種はどう見てもスマイルだ。

なんだかんだと勿体つけたものの目の前の新種が相棒である事は確信しているのだ。

 

 

だがそれをすんなり認め、進化のお祝いをしよう。と馬鹿騒ぎをするには今の俺は少々、不機嫌である。

 

進化したのは良い。明らかに身体が大きくなり、体重も増えた。

身体の大きさは戦闘時に大きな利点となるだろうし、単純にリーチも伸びる。それ自体は歓迎しよう。

もしかしたら新しいスキルなんかにも目覚めているかもしれない。

 

 

「オーケー、スマイル。今から言う事に正直に答えろ。言葉の話せないお前に日本語を語れなんて無理難題は強制しない。首を振るだけの簡単なお仕事だ」

 

「ナ……ナンスゥ」

 

 

だが問題なのは……

 

 

「お前、実は結構前から進化出来ただろ? んで、理屈はよく分からんが進化するのを無理やり我慢してただろ?」

 

「ナンスゥ⁉︎」

 

 

そう。明らかに『進化するタイミングが良すぎる』という点だ。

 

 

強敵との予期せぬ戦闘。最早これまでか、という瞬間に更なる力を渇望し、己の新しい力に覚醒する。

なんてドラマチックな展開だろう。なんて感動的なシーンだろう。

 

そして、何てフィクションらしいワンシーンだろう。

 

 

「お前、最近レベルアップする度になーんか様子がおかしかったもんなぁ? 身体にギュッと力を込めて、まるで何かに堪えるようにプルプル震えてさぁ?」

 

「ナナナ……ナンスゥ?」

 

 

強引に胴体を捻って思いっきり目を逸らす戦犯。

ピュウピュウと下手くそな口笛擬きまで吹いてる始末だ。

おい、どこで覚えたそんなジェスチャー。

 

間違いない。黒だ。

瞬間、俺の頭がカッと熱くなる。

 

 

「なんで直ぐに進化しなかった‼︎ 出し惜しみなんかしてる状況じゃないだろ⁉︎ 強くなれるなら手段なんか選んでる場合じゃ無い‼︎ 命がかかってるんだぞ⁉︎ 分かってるのか⁉︎」

 

 

俺の怒声にスマイルは再び身体を縮こませてプルプル震えだした。

 

助けて貰った側の俺がこうしてスマイルに当たるのは間違っているのだろう。

これは間違いなく八つ当たりの類だ。

だが、それでも納得がいかなかったのだ。

 

モンスター育成ゲームのようなこのファッキンファンタジー世界。

考えればレベルアップだけではなく、育成の醍醐味である進化なんてシステムがあるのは当然なのだろう。

どういう原理だかは分からないが、スマイル自身がそれを知っていて、なおかつ自分の意思で進化を我慢し『キャンセル』していた。

 

ソラの動画を見るに進化の恩恵はとてつもなく大きなものだ。

身体能力(ステータス)も大きく向上し、新たなスキルを獲得できる。

クッキー君やビスケットちゃんの進化後を比較すると、成長性の違いはモンスターの種類によって多々あるのだろう。

だが、間違っても弱くなるなんて事はあるまい。

 

 

「答えろスマイル‼︎ 何でわざわざ進化を我慢した‼︎ どうして強くなる事を拒否したんだ⁉︎」

 

 

もしも直ぐに進化していたら、あの理不尽なまでの強さを持った赤眼のハイエナにも抵抗出来たかもしれない。

死にかけた挙句の辛勝などでは無く、俺もスマイルも痛手を負う前に悠々と勝利したかもしれない。

全ては仮定の話。たらればの話だ。

怒鳴りながら思う。本当に自分自身が嫌な奴だと。

 

スマイルに助けて貰った立場だというのに何を偉そうに。

そもそも彼が居なかったらこんな世界で生きていける筈が無いのに。

頭では分かっている。分かっているのだ。

左腕がジクジクと疼く。それに合わせて心が痛む。

理屈は分かっている。だがそれを飲み込むには俺はまだ幼過ぎた。

 

シン、と小屋の中に沈黙が満ちる。

一分か。五分か。短いようで長い沈黙の末、スマイルが呻くように声をあげた。

 

 

 

「ナンスゥ……」

 

 

弱々しい声と共に、スマイルはその長い両腕を俺に向けて広げる。

グッと身体をこちらに押し出しながら涙で潤む瞳でしっかりと俺の顔を見つめて、何かを懇願するような素振り。

 

スマイルの行為の意味を理解できず、俺が怪訝な顔で更に悪態をつく寸前に。

 

ふと思い出した。

 

 

「スマイル、お前」

 

 

小さかったスマイルがこのジェスチャーを何度も繰り返して来た事を。

頼み事を終えた時。敵に勝利した時。そしてレベルが上がった時。

 

そんな時、スマイルは飛び跳ねながら俺に向けて両腕を広げて何度もせがんで来たでは無いか。

そうして俺が微笑んでやると、嬉しそうに胸元に抱き着いて来たでは無いか。

 

いや、まさか。だけど、つまり。

 

 

「……お前、まさか身体がデカくなったら俺が抱き上げられなくなるから、進化する事を拒否してたのか?」

 

「ソーナンスゥ‼︎」

 

 

そんな馬鹿な。という理由を思わず口にするとスマイルは大きな声をあげながら今までに無いくらいに激しく頷いた。

 

 

「いや、お前。えー。そんな、そんな理由って……」

 

 

拍子抜け。そんな言葉がここまで当て嵌まる場面はあるだろうか。

まさか進化拒否の理由が抱っこの為とは。

俺は脱力し、怒りの気持ちもすっかり蒸発した。

 

 

(そんな下らない理由で。って怒るところなんだろうけど)

 

 

 

スマイルは単純で幼い。俺と行動を共にするようになったきっかけが、お菓子をくれたから。という理由の時点でソレは察していた。

随分と長い間一緒に生活をした気になってはいたが、まだ出会ってから二ヶ月程しか経っていない。

 

今でこそ進化して身体は大きくなり、恐らくは成体と呼べるほどに成長したのだと思う。

だが、果たしてその内面。つまりは精神面は大人として成熟したと言えるのだろうか?

進化は一瞬だ。僅か一晩で身体は大きくなった。

だがその一瞬で、心まで大人になれるのだろうか?

 

 

「……はぁ」

 

 

色々と考えた末、何だか馬鹿らしくなった俺はわざとらしく大きな溜息を零した。

スマイルの身体がそれに反応するようにビクビク震える。

 

つまりはそういう事なのだ。この反応を見れば嫌でも分かる。スマイルはまだ幼く、甘えたい盛りのお子様なのだ。

 

 

「よっこいせっと」

 

「ナンスッ⁉︎」

 

 

俺はスマイルの大きくなった胴回りに両腕を回し、ちょっとばかし気合いを入れながら抱え上げた。

叩かれるとでも勘違いしていたのだろう。スマイルは戸惑いの声をあげて固まっているのが何だか笑えて来る。

 

 

「おぉーやっぱり進化前よりは重い。大きくなったなあ」

 

 

ほぼ零距離になり、改めて観察する。

スマイルの身長は130センチ程。抱え上げた感じから察して、体重は30キロ程だろう。

確かに抱き上げてやるには今までより苦労する事だろう。だが、それでもそこら辺の小学生よりも小さくて軽い。

 

そう、小さくて軽いのだ。

 

いつだってこの小さな身体を張って、俺の事を助けてくれる大切な相棒。

 

その対価がこうして抱き上げて欲しい、甘えさせて欲しいという程度。

 

叶えてやれない訳がない。

 

 

 

「助けてくれて、ありがとうな」

 

 

俺は改めて正面からギュッと抱きしめ、感謝の言葉をかけた。

スマイルは嬉しそうに、進化のおかげでほんの少し大人びた声で「ソーナンス‼︎」と変わった鳴き声で答えてくれる。

 

こうして、また。一日が始まるのだ。

 

 




・ソーナンス がまんポケモン(エスパー)
ぷにぷにとした外皮からは想像できないほどに筋肉が固い。コラーゲンの塊のような食感で非常に淡白。麺つゆに浸けたものを酢で和えると、なかなか美味。


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3ー2

ながぁい


「ピジョーーーーーッ‼︎」

 

 

雄大な青空の下、照り付ける陽光を背に、空中で此方を睨みつける『怪鳥』を観察していて改めて思う。

体格こそ一回りは大きいものの、その骨格や顔つき。そしてなにより鋭いその目つき。

鮮やかな薄紅色の鶏冠とたなびく尾羽が特徴的なこのモンスターは、我が食卓の常連となっているモンスターである『小鳥』の上位種。

つまりは進化後の姿では無いのかと。

 

モンスター育成ゲームが現実になったようなこの世界。

野生のモンスターだって当然の事ながら一生物として自然の中で生きている。そして食事の為に獲物を狩る。

狩るという事は戦闘を行い、それに勝利するという事だ。

つまり敵モンスターも上位種。進化済みのモンスターが存在する事も当然だ。

厳しい世紀末世界を生き抜く為に狩っては狩られを繰り返し、成長していくのだろう。

 

思えばあの『赤眼の牙狼』も、何かと縁のあるハイエナ擬きの進化後の姿なのかもしれない。

 

 

「ピジョッ‼︎ ピジョーーーーーッ‼︎」

 

 

考察に耽る俺を、威嚇の鳴き声が現実に引き戻す。

もはや聞き慣れた甲高い鳴き声を上げた怪鳥は翼を振るい、瞬時に巨大な暴風を巻き起こす。

その様は何度見ても、ファンタジーゲームなんかに登場する風の魔法にしか見えない。

 

だがその魔法は今まで何度も見てきているし、時には身を以てその威力を味わってもいる。

 

 

「ソーナンス‼︎」

 

 

勿論、こうして俺の前に飛び出して文字通りの肉壁となったスマイルも同様だ。

 

 

「スマイル、反射‼︎」

 

「ソォーナーンスゥ‼︎」

 

 

凶暴な旋風は相棒の身体に激突すると同時にガラスの割れるような音を立てて反射した。

しかもただ方向を変えただけでは無い。

 

暴風は爆風に、旋風は竜巻へと。その威力を倍増させるのだ。

 

 

「ピジョッ⁉︎」

 

 

慌てふためく怪鳥の身体をあっという間に飲み込んだ反逆の竜巻は、その身体をあっという間に切り裂き、吹き飛ばし、大地に叩き付ける。

 

そして、その命をあっさりと奪うのだ。

 

 

 

 

(やっぱり強くなってるな)

 

 

安定の反射スキルで『怪鳥』の風スキルを弾き返し、一発KO。

進化前から何度も対峙していた敵だけに苦戦の不安は無かったが、こうも圧倒的に蹂躙する様を見せつけられると、やはり進化の恩恵というのを実感させられる。

 

 

「ソーナンス‼︎」

 

 

そんな無双の力を見せつけた相棒は、こちらを振り向くとピョンピョンと目の前にすかさず跳ねて来た。

 

 

「ナンスゥ?」

 

 

進化前と変わらず褒めて欲しそうにウズウズしながら俺の顔を覗き込んで来る。

やはり中身はまだまだ幼い。甘え癖はしばらく治りそうもない。

 

 

「お疲れ様、スマイル。強くなったな」

 

 

夏の兆しが見え始めるこの季節にも関わらず、相変わらずスベスベでひんやりとしたスマイルの頭を撫でながら労わった。相棒にもそれが伝わったのだろう。

進化前よりも少し大人びた、それでいてどこか甘えたような声をあげると嬉しそうに敬礼のようなポーズをとった。

 

 

 

 

 

 

 

俺が死にかけて、スマイルが進化したあの晩から三日。

改めて進化後の戦闘を観察していると、やはり我が相棒は防御力や耐久に特化したタンク型として成長しており、今までよりも圧倒的に耐久性が強化された。

 

具体例をあげるなら、進化するまでは戦闘を終えた後に必ず奇跡の木の実を食べて回復のインターバルを取っていた、対『怪鳥』戦。

それが今となっては回復無しで怪鳥相手に五連戦して勝利している。

一度に二匹同時で襲い掛かって来た事もあったが、特に苦戦する事も無しに俺というお荷物を庇いながらしっかりと撃退してみせた。

 

期待していた新しいスキルには残念ながら目覚めなかったようだが、純粋な身体能力だけでも破格の成長だ。小さかった頃のスマイルとは一味も二味も違う。

進化の恩恵は想像以上に大きかった。

 

 

(まあデメリットが無いわけでもなかったが。予想の範囲内だし)

 

 

進化による唯一のデメリット。

それは進化後は更にレベルが上がりにくくなった点だ。

例えば今日の戦績を振り返ると、かつての強敵だった怪鳥を含めてなんと約二十匹もののモンスターに勝利した。

にも関わらず、上がったレベルはたった一つだけ。

 

拠点近くの狩場としている範囲に出現するモンスターは、今のスマイルにとってはすっかり格下扱いだ。

恐らくスマイル自身が強くなり過ぎた結果、戦闘を経て敵モンスターから得られる経験値的な何かが対照的に少なくなってしまったのだろう。

 

 

(かといって狩場を変えるのもなあ)

 

 

強敵を求めて様々な種類のモンスターが多数出没すると予測できる市街地の方に遠征をする、という選択肢もある。

それに格上のモンスターと聞いて真っ先に思い浮かぶ『季節を司る大鹿』が潜む、拠点としている小屋の裏側に広がる竹藪の奥も未知の領域だ。

未知なる強敵を求め、そちらを開拓する。という選択肢もある。

 

だが、どちらにしてもリスクが大きい。

 

 

(藪をつついて蛇。どころかヒュドラやバジリスク、最悪はドラゴンが出てくる可能性もあるよなぁ。こんな世界じゃ)

 

 

同格、もしくはやや格上の敵なら経験値的に美味しいのかもしれない。

だが現実に攻略サイトがある訳でも無い都合上、実際に遭遇したモンスターがラスボス級でした。では即ゲームオーバーだ。

現にスマイルはかなり強くなったとは言え、あの身も竦むような殺気を放つ『季節を司る大鹿』に果たして勝てるのかと言われれば、かなり苦しいだろう。

 

 

(それに、あの大鹿。めちゃくちゃ強いのは確かだろうけど、あいつがあのエリアのボスとは限らないんだよな)

 

 

ただ君臨するだけで俺達に圧倒的な格の差を見せつけた、美しく強大なあの季節を司る大鹿。

極端な話だが、もしもあのレベルの格上モンスターが、こちら側の狩場で言う『小鳥』程度の雑魚モンスター扱いだったとしたら修羅の世界なんて生易しいものではない。ただの絶望だ。

 

どう足掻いても生きて帰る事は出来ないだろう。

 

 

(うん、止めとこ。いのちだいじに、だな)

 

 

チキンで結構、ヘタレで上等。それでも俺は生き残る。

とりあえずは少しでも経験値を稼ぐ為、これまで以上に積極的にスマイルに戦闘を任せていこう。

俺はそんな情けない決意をして、大きく背伸びをする。

身体を動かすのも、考え事をするのも疲れるものだ。

今からは癒しの時間だ。俺はスマフォを手に取った。

 

 

日々の日課についてだが、小屋に住み着いてからは特に大きな変化は無い。

起床して、筋トレと槍の鍛錬。その後の狩りとレベル上げの為の戦闘。

その後は家に戻り、肉の加工や刃物の手入れ。

風呂代わりに濡れタオルで身体を清めて、スマイルとの二人きりの晩飯を済ませた頃。

つまり月明りが照らす今はすっかり夜の時間だ。

 

サバイバル生活を始めた当初は生きる為の日課をこなし夜になった瞬間、すっかり疲れ果てて泥のように眠っていた。

だが最近は体力がついたお陰か、比較的ゆったりとした夜を過ごしている。

 

スマイルと共にマルバツゲームなどの簡単な遊びをしたり。

拾った材木なんかで食器を。モンスターの爪や角素材に食器や小道具を手慰みに作ってみたり。

そしてなんと言っても、ネットを通じてこの世界での情報収集をしたり。

 

 

(あーあー。やっぱりソーラー充電だと遅えよなあ。日中は出しっ放しにしてたのに70パーセントも溜まって無えのかよ)

 

 

愛用していた乾電池式の携帯充電器は避難時に持ち込んだ単三電池が既に切れており役立たず。

最近は平時では滅多に使っていなかったスマフォカバーについているソーラー充電で、何とかやりくりしている。

 

食材については日々の狩りで余裕があるものの、衣服を始めとした生活必需品には限界が見えて来ているのが現状だ。

特に明日がどうなるか分からないこんな世界で、情報源であるスマフォが使えなくなるのは致命傷。

果たしてニ年間も愛用していた、もう一つの相棒がいつまで生きていてくれるのか。と不安を嘆きながらも、何だかんだで最近ハマっている癒しの時間は忘れはしない。

 

 

「スマイルー。ソラの動画観るけど一緒に観るか?」

 

「ソー‼︎ ソーナンス‼︎」

 

 

そう、我らがアイドル。ソラの配信だ。

 

 

ソラは今まで十本近くの動画を配信していた。

終末世界では日本一の知名度となった彼女の動画は掲示板からまとめサイト(軽く探しただけで幾つもあった)に飛んでアーカイブを漁れば簡単に見つける事ができる。

 

 

「お、新しいモンスターを手懐けたのか。また戦力が増えたのか」

 

「ナンスゥ?」

 

 

今夜再生するのは今から丁度、二週間前に配信された動画だ。

動画タイトルは『新しい家族を紹介します』と、何とも分かりやすいもの。

どうやら進化して更に強力になったクッキー君、ビスケットちゃんに次いで、新たなモンスターを仲間にしたようだ。

 

 

『皆さんお早うございます‼︎ いつの間にか第8回目となりました。お送りするのは、もちろん‼︎ ドレミファ〜!』

 

『……ソラ‼︎ はい、私ソラでーす‼︎』

 

 

恒例の挨拶に始まりコミュニティの現状説明、次いで雑談。といつもの流れで動画は進む。

ソラの笑顔と声に癒される事5分、ついに新たなモンスターのお披露目となった。

 

 

『……と言うわけで、この子が新しくお友達になってくれた『サブレ君』です‼︎ おいで、サブレ君‼︎』

 

『チャモ‼︎ チャモチャモー‼︎』

 

 

ソラの掛け声と共にその胸元にピョコンと飛び込んだモンスターは鳥型だった。

夕焼けのような鮮やかなオレンジ色の羽毛をベースに黄色がかった鶏冠や羽の色がとても鮮やかだ。

そんな新たなソラの友人の姿形は、40センチ程度に大きくなったカラーひよこを想像すると分かりやすいかもしれない。

 

そしてモンスター特有の変な鳴き声は変らない。

見た目どおり「ちゅんちゅん」や「ピィピィ」とは鳴かずに「チャモチャモ」である。

甲高い声でけたたましく鳴きつつ、ソラの豊満な胸に大きな頭をグリングリンと擦り付けている。おい鳥、そこ代われ。

 

 

「あの鳥公は絶対に雄だ。間違いない」

 

「ナンス」

 

 

ふわふわの羽毛がフワフワな膨らみにポヨンポヨンと跳ねている。

大きな頭をこれでもかと擦り付ける鳥公は非常に嬉しそうだ。庇護欲をくすぐる無垢で可愛らしい笑顔が、まるでラッキースケベに鼻の下を伸ばす中年親父の汚い笑みに見えて来るのは俺の心が汚れているからなのか。

 

 

(禁欲生活が長過ぎて変な事ばっかり考えちまうなあ)

 

 

閑話休題。

ソラ曰くサブレ君との出会いは、物資を確保する為の遠征時。周囲のモンスターに寄って集って虐められていた(ソラ主観の表現。恐らく本当は食い殺されそうになっていたのだろう)ところを偶然ソラ達が救出。

その結果サブレ君はソラ達にすっかり懐き、こうして新たな仲間になったらしい。

 

鮮やかな炎のような体色からなのか、サブレ君はソラの合図で嘴から小さな炎を吐き出してみせた。

ビー玉よりもほんの少し大きい程度の火の玉を何発も連射する様は、ドラゴンが吐き出す灼熱のブレス。とは程遠い小さな火の粉だ。

ファンタジーものでお馴染みの魔法『ファイヤーボール』と名付けるにしては物足りない。

あえて名前をつけるなら『ベビーファイヤー』だとか、『プチファイヤー』と言ったところだろうか。

 

 

「まあ、モンスターの吐き出す炎だし、見た目よりもずっと強力なのかもな」

 

「ソー?」

 

「分かんねえけど、可能性として、な」

 

 

サブレ君の炎のおかげで、戦闘だけでは無くむしろ調理の方がグッと楽になったとソラは無邪気に喜んでいた。

 

それにしてもヒヨコ型のモンスターにサブレという名付け。

お菓子に拘るソラ流は今更だが、絶対に某銘菓を意識した名前だろう。

ソラの安直なネーミングセンスに思わず笑ってしまう。

 

やはりソラの動画は俺の心を癒してくれる。

この娯楽の少ない殺伐とした世界にて、彼女の存在はとても大きいものだった。

 

 

 

 

名残惜しくも癒しの時間を終了し、俺は再びネットの海を漁り始める。

 

 

「さて、と。ソラばっかり眺めてる訳にもいかないよな」

 

 

 

テレビ世代全盛期が過去となり動画配信者と言う職業がメジャーとなった令和の現代。

生きるか死ぬかの、この世紀末世界ではチャンネルや配信者の数こそ激減したものの、ソラ以外にも動画を配信している者はある程度いた。

多くは知人に無事を呼びかける生存報告や、生存コミュニティのメンバー募集、人探しなど。すっかり災害用の緊急ダイヤルのようなコンテンツと化しているのが現状。

我らがアイドル、ソラのようにモンスターとの共存を掲げ、その生活模様や情報を提供する配信は殆ど無い。

 

だが裏を返せば、殆ど無い。と言うことは僅かにある。という事でもある。

俺はここ最近あらゆる動画チャンネルやそのアーカイブを漁っては、ソラ以外にもモンスターと共存している様子を撮影した動画は無いかと探し続けた。

すると両手で数えられる程ではあるがモンスターと共存している様子を配信してる人達を見つけることが出来た。

 

 

「スマイル、お前の知ってるモンスター、いるか?」

 

「ナンナン」

 

「だよな。聞いただけだよ」

 

 

頭に草を生やしたマンドラゴラの親戚のような不思議な植物モンスターと共に、食べられる雑草を紹介しては調理の様子を撮影し、サバイバル料理教室を配信する中年の男性。

 

ピンクのボールに手足と三角の耳がチョコンと生えた、星のカービィに出てきそうな桃色球で「プリプリ」とこれまた奇妙な鳴き声をあげるモンスターの生態をひたすら観察して配信する妙齢の女性。

 

ジッパーで縫い合わされた口元が特徴的な、古びたヌイグルミ型のモンスターを側に浮かせ、世界征服の宣言をしちゃってる痛くて痛くて可哀想になってしまう少年など。

 

 

(やっぱり探せばいるもんだな。生き残る為にも、モンスターと暮らす人間はこれから増えるんだろうな)

 

 

そんな多種多様な配信者の中でも、特に強烈なインパクトを放つ人物が二人いた。

 

一人は平和だった現代にて大ブレイクしていた有名なアイドル歌手兼、動画配信者。

悪役令嬢系アイドルこと『杜若アリス』だ。

 

元々は某大手芸能事務所からアイドル歌手として華々しいデビューを飾り、抜群の歌唱力とその華々しいルックスを武器に、飛翔するかの如くスターの階段を駆け上る。

ライブチケットは常に売り切れ満員状態。歌番組だけでなくバラエティやドキュメンタリーなどジャンルを問わずにテレビやラジオに引っ張りダコ。

まさに歴史に名を残す正統派、美少女アイドルが爆誕‼︎

 

……する筈だった。

 

 

『何がソラよ‼︎ ちょーっとチヤホヤされたからって良い気になっちゃって馬鹿じゃないの⁉︎』

 

 

が、日本人離れした美貌やハリウッドでもスタンディングオベーション確実とまで言われた抜群の歌唱力。

そんな超ド級の武器をそっくり台無しにする程、口も態度も手癖足癖も。

何よりその性根の悪さが仇になり、数え切れないほどのトラブルを日夜巻き起こす。

最終的には日本を代表するとまで言われる大スターの超大物歌手との共演中に、生放送にも関わらず暴言を吐いた挙句に金的をお見舞い。

あっという間に業界から干されてしまった。

 

 

が、杜若アリサは口も性格もついでに目付きも悪いが諦めはそれ以上に悪かった。

 

自身の性格の悪さとスキャンダラスなキャラクターを逆に全面に押し出す事でヒールキャラを確立。おまけに流行りの波に上手く乗っかった結果、日本で一二を争う程の有名動画配信者としての地位を築き上げる。

元々実家が資産家だったらしく、個人で事務所を設立し、そこから動画配信者兼アイドル歌手として返り咲く様は世間をあっと驚かせた。

 

アイドルやら女優やらに全く興味の無い俺ですら、SNSのニュース欄の情報だけでここまで知っている程だ。

恐らく、平時のアイドル業界や動画配信者業界では、超がつくほどの有名人なのだろう。

 

 

『何であんな運が良かっただけのポッと出の小娘が‼︎ この‼︎ 一流アイドルの‼︎ 杜若アリス様より人気なのよ‼︎ おかしいでしょ‼︎ あり得ないわよ‼ アイツのファンって絶対キモヲタの集まりよ‼︎ あーキモいキモい‼︎‼︎︎』

 

 

そんなアリスは現在、二匹のモンスターと共に歌をメインに配信しておりソラに続く再生数を稼いでいる。

だがその実情は、人気者のソラとは正反対だった。

 

 

『あの、アリスさん? 機材とか無いから編集出来ませんし、Live放送で、その、そういう過激な発言は……』

 

『うっさいのよこのヘタレ‼︎ 役立たず‼︎ 糞童貞‼︎ あんた私のマネージャーのくせして、あのポッと出の女の味方するとか喧嘩売ってる訳⁉ 蹴っとばすわよ⁉︎』

 

『いや、そういう事では無く……あー、ハイ、一回配信止めます、ハイ』

 

 

杜若アリス。今までの発言からも分かる通り、彼女はソラのアンチ筆頭勢だったのだ。

 

どうやらモンスターパニックが発生してからしばらく後。

アリスはチャリティーコンサートのノリで、慰撫として最新曲を堂々と配信したらしい。

恐らく本人としては荒廃した世界に少しでも癒しを与えよう。という意思を持って配信したのだろうが、生きるか死ぬかの危機的状況では大衆に好意的に受け止められなかったのだ。

 

まあ、予想通りというか。主に『この非常時に不謹慎だ』といった批判を始め『空気読めこの馬鹿女』『自重しろガイジ』『死ね』『踏んで下さい』などと言った暴言のコメントがウジャウジャと湧いて出る。

しかも、アリス本人が非常に短気で口が悪い為に、彼女のチャンネルは常に炎上状態。

 

しかも同時期にタイミング悪く、ソラの動画が日本中に広まる。危機的な食糧事情を一変させる『奇跡の木の実』の発見動画だ。

自身の拠点を惜しみなく公表し、更には現代科学では考えられない性能を誇る未知の傷薬とまでなる奇跡の木の実をあっさりと分け与えると宣言をしたものだから、さあ大変。

 

片や時勢も空気も読まずに、自分の曲を配信した、口も目付きも性格も悪い美少女。

片や自己犠牲も厭わず、貴重な情報と食料を提供した善性の塊のような癒し系美少女。

どちらが人気になるかなど、比べるまでも無い。

ソラとの対応を比較するコメントが相次いだ為にアリスの炎上は爆発的に加速。

おまけにアリス自身も自分の人気をまんまと食ってくれたソラに対して憎悪を募らせるという悪循環に陥ったのだ。

 

 

『だいたいね‼︎ あの女が連れてる兎だか狐だかも気に食わないのよ‼︎ 何よあの「僕たちとっても可愛いです〜」って媚び媚びの見た目‼︎ あんなの好き好んで連れてる女なんか絶対に性格悪いに決まってるじゃない‼︎

絶対に裏で身体売ってるわよあの売女‼︎』

 

『いや、アリスさん? 想像である事ない事を言わない方が……それに連れて歩いてる怪物の見た目については人のこと言えないんじゃ?』

 

『はあぁあん⁉︎ 何、意味の分かんないこと言ってるのよ⁉︎ 私の『バハムート』と『オベロン』の方が最強に可愛くて最高にカッコいいに決まってるでしょ⁉︎』

 

『いや、見た目に関しては完敗ですし、名前も、ちょっと前衛的過ぎるような……痛っ⁉︎ 痛い痛い痛いです‼︎』

 

『こんの糞童貞‼︎ あんた本当にどっちの味方なのよ⁉︎ いい加減に蹴るわよ‼︎ 蹴り倒すわよ⁉︎ 蹴り殺すわよ⁉︎』

 

『痛い、もう蹴ってます‼︎ 蹴りながら言わないで下さいって‼︎ 痛っ、痛い痛い……た、助けてー‼︎』

 

 

まともに歌っていたのは最初の配信だけ。今や公開されているアーカイブの殆どがこんな感じで、ソラへの罵倒や批判的なコメントに対する反撃。

それから発言からマネージャーと思われるカメラマン男性への八つ当たりが占めている有様。

もはやアイドル歌手なのか炎上芸人なのか分からない有様だが、そんなアリスも言葉の通り二匹のモンスターを常に侍らせていた。

 

 

『……ヤドン』

 

 

ほぼ全身を明るいピンク色に染めた、やけに尻尾が長いカバのような見た目のモンスター。

出し巻き玉子のようにくるっとした特徴的な耳に、ぷっくりと膨らんだペールイエローの口元。

ポカンと開いたままの口元。黒目が極端に小さく、焦点があってない眼差し。

ポケーっとした表情はどこか愛嬌があるが、同時にマヌケ面。

 

どう考えても古代の伝説の超巨大魚やドラゴンの代名詞として有名な『バハムート』という名前は似合っていない。

魚要素も無ければドラゴンっぽさも一切無い。

 

 

『……ヤァン』

 

 

名前を呼ばれる度に、こんな感じで鳴いては目線をカメラから逸らしている。

本人(本カバ?)も何処と無く名前を嫌がっているようにも見えるのは俺の気のせいだろうか。

 

 

『ベロローン』

 

 

そしてそんなバハムートの背の上を定位置にする『オベロン』と呼ばれたのは紫をベースに毒々しい体色をした奇妙な小人のようなモンスターだ。

吊り上がった四白眼に、突き出すようにツン尖った鼻。側頭部から宙に突き刺さるように伸びる一対の耳か角か分からない突起。

大きく裂けた口から真っ青に染まった長い舌をぶらつかせ、人を小馬鹿にしたような表情を常に浮かべている。

妖精王『オベロン』の名前を与えられているにも関わらず、どう贔屓目に見ても小悪魔のようにしか見えない。

 

 

『ベーロベロ。ベーロベロ。ベロベロバー』

 

 

小さな両手を煽るように揺らしながら舌を剥き出しにしてカメラに貼り付く様はどう見ても小憎らしいインプだ。

 

 

「……名前負け感がすげえな。おい」

 

「ソーナンス」

 

 

俺の呟きにスマイルも同調した程だ。

競う者ではない。が、少なくともモンスターのルックスと名付けのセンスに関して言えばマネージャーの発言通りソラには完敗だろう。

 

 

ソラの一ファンとして杜若アリスの言動にはややイラつく場面もあるものの、アリス本人がどこか小物臭いこともあるからだろうか。

特に脅威などは感じない。仮に道端でエンカウントしたところで敵対するイメージは浮かばない。

彼女の場合は単純に二匹のモンスターを連れているという点で印象に残っただけなのだ。

今後とも息抜きの芸人枠として杜若アリスの動画には世話になる事だろう。

 

杜若アリスは性格が悪い。だがその本質が悪かと言われば、それは恐らく否だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ハイハイ、ゼアー? 今日も元気に生き延びてるー? 終末系配信者のペニーとお猿のジョージィ君でーす‼︎』

 

『エーヒヒヒッ‼︎ パムパーム‼︎』

 

 

対してこっちは悪人だ。文句のつけようも無い極悪人が、もう一人の配信者だった。

 

 

(問題はこの男だよな)

 

 

チャンネル名「ペニー&ジョージィwithラッキーモンキーベイビーズ」というツッコミどころ満載の名前で動画を投稿している男、

ハンドルネーム、『ペニー』。

燻んだ金髪をホストのように派手に盛りつけた髪と、両耳の至る所に散りばめられたド派手なピアスが特徴的なこの長身の男。

そして相棒たるペニーをリスペクトしてか、ジャラジャラと大小様々なピアスで大きな両耳を飾りつけた猿型モンスターの『ジョージィ』。

 

 

『今回の企画はこちら‼︎ ペニー&ジョージィが終末流のナイフ投げをやってみた‼︎ のコーナーでーす‼︎』

 

『パムパーム‼︎』

 

 

コイツらは最低最悪。

文句の付けようが無い悪党だった。

 

 

『はい‼︎ ではベイビーズ達が用意してくれた彼方の特設セットに御注目ー‼︎』

 

 

ペニーの指示に合わせて動くカメラの先には、色取り取りの三匹の猿のモンスターが自由気ままに動き回りながら存在をアピールしていたしていた。

ペニーの言葉から察するに彼らもこの男の仲間なのだろう。飼い主に似たのか、それぞれに顔付きに違いはあれど、どこか加虐的な嘲笑めいた笑みを浮かべている。

 

 

(最悪だな)

 

 

それもその筈。三匹のモンスターが囲んでいるのは大きな木製の板。そしてそこには『文字通り』磔にされた中年の男の姿があった。

 

つまり、彼が。

生きている人間こそが、このナイフ投げの『的』という事なのだろう。

 

 

『ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。死にたくない死にたくない助けて母さんごめんなさい』

 

 

スローイングナイフ自体は昔ながらのサーカスの演目として一般的ではある。

だが縛り付けられている男性が、顔を涙でグシャグシャにして、恥も外聞も捨て去り必死で命乞いをしているのだ。

どう見ても、無理やり捕らえられ、脅されて磔にされたに違いない。

 

中世の処刑は見世物としての側面が強かったという。

これも同じ、もしくはそれ以上の見世物だ。

人の命そのものを対価として弄ぶ、鬼畜の見世物だ。

 

 

『……はいはーい‼︎ナイスなジョージィ君に変わって続いてはペニーちゃんの第三投目……アチョー‼︎「いぎゃああああああああああああああああ」おほ⁉︎ 股間に刺さったっぽいね? んーこれはポイント高いよー。果たしてジョージィ君にこの名プレイを超えられるかな?』

 

『イヒヒヒッ‼︎ パムゥ』

 

 

人間が、人間の身体に刃物を刺している。

 

その光景を、心の底から愉しんでいる。

 

それを周りのモンスター達も、嬉しそうに囃し立てている。

 

 

(悪夢だな)

 

 

恐らくペニーと最も付き合いの長い相棒なのだろう。

紫色の体毛に包まれ、人の腕のような奇妙に長い尾を持った猿のモンスター。

『ジョージィ』がピョンと両脚をバネに飛び上がると、尻尾を器用に使いナイフを投擲。

くるりと宙返りしながら放たれたスローイングナイフは弾丸のような勢いのまま、磔にされた男の眉間にスコンと突き刺さる。

 

 

男はピクピクと痙攣し、あっという間にグリンと白目を剥いた。

 

死んだ。

 

 

 

 

 

「無理だわ」

 

 

俺はスマフォの電源を落として遠くへ放り投げた。

再生時間を見るに動画はまだまだ続きがあるようだが、もはや限界だった。

 

 

(そりゃ、善悪も糞も無い世界だからさ。こういう奴らが出てくるのは分かってた。分かってたんだけどさあ)

 

 

今まで散々に人間の骸や、モンスターの内臓といったグロデスクなものを目にして来た。

だからこそ、そういう事に対する耐性はついたと自覚している。

だが、好き好んで人の死体を眺めて悦に浸れる程、俺の常識も倫理感もぶっ壊れてはいない。

ましてや他人の悪意の末に好き勝手に弄ばれ、あげく無様に殺された人間をじっくり観察など。そんなサイコパスじみた思考に染まるつもりもない。

 

罪も無い人間を痛めつけ、その命を弄ぶ狂気に染まったペニーという男。

そしてそれに嬉々として従うモンスター達。

彼らのケタケタと壊れた嗤い声が耳元にベッタリと張り付いて離れない。

奴らがハンドルネームの元ネタにしたであろう名作ホラー映画に登場した、イカれたピエロが耳元でケラケラ嗤っている妄想に襲われた。

 

 

「あー。不味いかも」

 

 

俺は、かなり、キていた。

 

 

「ナンスゥ? ソーナンス?」

 

 

スマイルが何かを察したのか心配そうにこちらを覗き込んで来る。

大丈夫だと笑いながら、相棒の頭を撫でてやるも俺の頭の中の暗雲は少しも晴れてくれやしない。

 

スマイルは強い。俺と協力したとは言え複数のハイエナ擬きを相手に返り討ちにし、あの絶望的なまでに格上だった『赤眼の牙狼』だって倒して来たのだから。

さらに進化した事により、以前とは比べものにならない程にタフにもなった。

間違いなく、俺の相棒であるスマイルは強いのだ。だが。

 

 

(スマイルと俺だけで。二人だけでどこまで生きれるんだ?)

 

 

ソラ。アリス。そしてペニー。

 

善悪や倫理観。そして恐らく目的も様々な三人だが、彼女達は共通して複数のモンスターを仲間にして連れている。

仮に。仮にだが、彼等と敵対した場合、果たして俺とスマイルだけで太刀打ちできるだろうか。

仮想敵としてモンスターの特徴やスキルも判明しているソラとそのパーティーとの戦闘を試しに考察してみるも、どう足掻いても勝機が見えない。

 

 

(スマイルがクッキー君のスキルに足止め食らってる間に、俺が他のモンスターにあっさりやられるな。いくら走っても電撃なんか躱せる訳が無い)

 

 

多種多様なスキルを持つクッキー君。破壊力と即効性が脅威となる電撃を使い熟すビスケット君。そして新入りで未だ弱いとは言え、伸び代が未知数のサブレ君。

 

一対一ならスマイルは勝てるだろう。苦戦するかもしれないが、最終的には勝利を収めてくれるだろう。

だがソラという自陣のモンスターを知り尽くしている少女を司令塔に据えた上での多対一での戦闘。どう悪足掻きをしても万に一の勝機すら見えないのが現実だった。

 

手数が、足りない。戦力が足りない。そして何より。

 

モンスター(武器)が、圧倒的に足りない。

 

 

 

「仲間のモンスターの増強。考える頃合いかもな」

 

 

それがどんなに難しくとも。生き残る為にやらなければいないのなら。

 

俺は乾ききった唇をペロリと舐めた。

不穏に満ちた明日を生き延びる為に。不安に満ちた心を誤魔化す為に。

 

 

「スマイル。頑張ろうな」

 

「ナンス?」

 

 

俺は心配そうに寄り添うスマイルの身体をギュッと抱きしめた。

考えれば考えるほどに不安を色濃くする未来についての考えを全て後回しにして、ゆっくりと目を閉じる。

 

眠りに逃避をした暗闇の中。

磔にされ、嬲られ、殺された男の悲鳴が瞼の裏に焼き付き離れない。

 

 

夜はどこまでも、暗かった。

 

 




・アチャモ ひよこポケモン(ほのお)
羽毛が殆どなので、肉は想像以上に少ない。柔らかくふわふわな肉質なのでサッと茹でて水晶鶏やよだれ鶏で味わうのがオススメ。


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3ー3

息抜きギャグ回


 

『LOVE & PEACE』。直訳すると愛と平和。

 

たった二つのこの単語には、途方も無く深いメッセージが含まれている。

 

 

ラブアンドピースという言葉が広まり始めたのはベトナム戦争前後に流行したヒッピー文化が関係しているらしい。

保守的な宗教に対してのカウンターカルチャーとしての側面が強いヒッピーだが、そこに根ざした愛と平和に対する強い欲求は本物だ。

 

争いは無くならない。このファッキンファンタジーな世紀末世界でも、それ以前の世界でもだ。

奇跡的に戦争とは無縁である超平和国である日本の外に目を向ければ、何処かしらの国が毎日のように戦争をしている。

そして毎日のように人を殺し、毎日のように人が死んでいく。

 

いくら愛と平和を願っても現実は変わらない。

誰かが愛と平和を唄い、訴え、懇願しても、無情にも現実は揺らぐ事は無い。

 

だが、だからと言ってソレを願うのは本当に無駄な事なのだろうか?

 

 

ふと思い浮かぶのは逆境にもめげずに身体を張って生存者コミュニティを作り上げた少女、ソラの姿。

モンスターパニックに翻弄され、人々の悪意に晒され、地獄のような飢餓に襲われた少女。

だがそれでも彼女は折れなかったのだ。

 

一人でも多く生き残って欲しい。少しでも平和だったあの頃に近付けたい。

ともすれば青臭く、偽善めいたその信念を元に、数少ない食糧を配給したり、率先して安全地帯の確保に赴いては少しでも多くの人を救う為にパートナー達と戦っている。

 

そんな彼女の原動力こそが、愛なのではないか。

そんな彼女の願いこそが、平和なのではないか。

 

 

LOVE & PEACE。

たった二つのこの言葉こそが、俺達人類が忘れてはいけない、とても尊いものなのでは無いだろうか。

 

世は荒れ果て、人心は荒んでいる。

思い出すのは哀れな男を標的に命を弄ぶゲームを配信していた悪意に染まりきった男、『ペニー』の姿だ。

 

悪人は消える事は無いのだろう。例えどんなに愛と平和を叫んだところで、全ての人間が善の心に満たされる訳では無い。

争いを、犯罪を、そして何より悪意を。それらを完璧に消滅させる事は不可能だろう。

 

だが、それでも願い、叫ぶ事は本当に無意味なのだろうか。

俺は信じたい。こんな世の中だからこそ、傷付き、争い、絶望が覆い尽くそうとしているこんな世の中だからこそ信じたいのだ。

 

 

LOVE & PEACE。愛と平和を。

 

何故なら、きっと。

 

愛は世界を救うのだから。

 

 

 

 

 

「そうさ。ラブアンドピースなんだ。確かに俺達はいがみ合って来た。戦い、傷付け合い、命を奪い合ってきた」

 

 

俺の目の前にはかつての宿敵が佇んでいた。

鋭い眼光で俺を貫かんとばかりに睨みつけ、憤怒の表情のまま今にも俺に襲いかからんと身構えている。

昨日までの俺なら殺意を滾らせる彼を目にした瞬間、得物である槍をすぐさま構えては戦いを挑んでいた事だろう。

何故ならこの世界は世紀末。命があまりにも軽い、絶望の世界だからだ。

 

だが、俺は大事な事を忘れてしまっていたのだ。

 

 

「愛なんだ。そう、LOVEなんだよ。この荒んだ世界が生み出す争いや悪意を覆す為に必要なものはただ一つ。平和を取り戻す為に必要なのはたった一つだけの、小さく、暖かい、愛って奴なんだよ」

 

 

世界中の詩人が愛を詠い、世界中の歌手が愛を歌っていたではないか。

今の俺の脳内に流れているのはジョン・レノンの名曲『イマジン』だ。

俺が産まれるよりずっと昔に流行った曲だが、その旋律と歌詞に込められた人類愛と平和への強いメッセージは本物だ。

嗚呼、やはり、こんな時代だからこそ愛と平和が必要なのだ。

 

俺は心打たれたような、どこか夢見心地な気分のままに。

目の前のかつての敵、そして今日からの親愛なる友へ微笑みかけた。

 

 

「俺は君に愛を持って接しようと思う。今までの殺伐とした俺達の関係をやり直し、絆を深め、平和を目指す同士として、掛け替えのないパートナーとして歩き出そうじゃないか」

 

 

俺は大袈裟なくらいに両腕を大きく広げる。

そう。平和を夢見る同士となるであろう、愛しい彼がいつこの胸に飛び込んで来たとしても、優しく抱きしめられるように。

 

 

「さあ、LOVE&PEACEの心を持ってこの胸に飛び込んでおいで‼︎」

 

 

やがて俺の愛の言葉に感じ入るものがあったのだろう。

睨みつけたまま、決してその場を動こうとしなかった彼、小鳥は。

その瞳に大きな決意を滲ませ、やがて俺に向かって大きな一歩を踏み出し......

 

 

 

「さあ、俺と友達に「ポポオオオオオオオオオッ‼︎」ぐふぇっ⁉︎ 痛っ、ちょっ、くちばし刺さってるって痛たたたたた‼︎ 違う‼︎ ほら過去は忘れて俺の仲間に「ポオオオオオオオオォォッ‼︎」痛っ⁉︎ いてて痛い痛いちょっとタンマって ......てんめえいい加減にしやがれこの鳥公が‼︎ ぶっ殺して焼鳥にすんぞゴラァ‼︎」

 

 

普通に攻撃して来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

様々な動画配信者の実態を知ったあの晩。

俺はまともに寝付く事も出来ずにひたすら思考の海に沈んでいた。

 

モンスター。奴らの存在はこの無法の世界において明確な武器となる。

剣や槍や弓なんて以ての外。銃や爆弾なんかよりも強力で貴重な武器だ。

その武器の力を利用し、あのペニーという男のように悪事を働く人間は今後も増えるだろう。

 

俺は別にこの世界に蔓延る悪意を消しとばしたいだとか。世界人類の平和を願っているだとか。

そんな不相応で大層な願いを持っている訳では無い。

ただ単純に自分がその悪意の標的になった時、それを跳ね除ける力が欲しいだけなのだ。

 

故に俺は決意した。俺も武装しよう、と。

力には力を。武器には武器を。モンスターにはモンスターを。

つまり早い話がスマイル以外のモンスターを仲間にし、有事に備えようという訳だ。

 

 

そして冒頭へ。

まあ、考え過ぎて寝付けずにほぼ徹夜をしたせいだろう。

何だか変なテンションで、阿保みたいな妄言を垂れ流していた気がするが、要するにそういう事だ。

俺は現在、拠点としている小屋から少し離れた竹藪の周囲でモンスターへのスカウト作業に勤しんでいるのだ。

 

 

 

「ほーらご飯だぞー。俺は敵じゃないぞー。お前と友達になりたいだけなんだぞー」

 

「......ナマァ?」

 

 

怒りのままについつい首を圧し折ってしまった小鳥の死体から離れて十分後。

気を取り直して新たなモンスターの前で、俺は柔らかい笑みを浮かべながら奇跡の木の実を差し出した。

 

竹藪近くのしっとりとした腐葉土にベッタリと寝そべっている豚のような鼻と、眠気を堪えているような瞳が特徴の新たなターゲットは非常に分かりやすい見た目をしている。

全身全霊でダラけきっているこのモンスターはナマケモノ型だ。

 

 

「……ケロ」

 

 

全身は小麦色の毛皮に覆われ、目の周りと背中の一部分だけトラ猫のような模様で焦げ茶色に染まっている。

中型犬程度の大きさにしては両手脚とも異様に長いのも特徴だろう。

両手に生えた二本の鉤爪は、ギラリと陽光を反射し見るからに鋭く尖っている。

が、このモンスターの特性なのか動きが非常に鈍く、おまけにその眠たそうな表情通り闘争心のカケラも見せない。

拠点近くで今までも何度か見かけており、遠くから観察しようが、あえて近くを通ってやろうが全く動く気配が無い。

 

基本的にこちらから攻撃しなければ一切の動きを見せず、時おり欠伸をしては怠そうに地面に這い蹲っているだけなのだ。

 

まあ、見るからにノロマで明らかに弱そうなのは少々頂けないが大人しいモンスターなのは有難い。

こうして向き合った時点でこちらを威嚇し、隙あらば体当たりをぶちかまして来るような小鳥とは雲泥の差だ。

 

 

「ほら、お食べ。俺からのプレゼントさ。なぁに、遠慮なんかいらないからな」

 

「ナマァ?......ケロォ」

 

 

慣れない猫撫で声が功を奏したのか、俺の言葉は通じてくれたようだ。

目の前のナマケモノは眠気を孕んだトロンとした鳴き声をあげると、ゆっくりとした動きで奇跡の木の実に手を伸ばす。

 

 

「......ケロ。ナーマァ」

 

 

そうして焦れったくなるほどゆったりとした手付きで、鉤爪をフォークのように木の実に刺す。

そしてこれまたゆっっっっっくりとしたスローペースのまま、口に運ぶ。

 

 

「……ナマ……ナマ……ケロォ」

 

 

そしてこれまた、ゆっっっっっっっっくりとした怠慢な動きで、モシャモシャとようやく咀嚼。

一噛み一噛みに十秒程かかっている事にツッコミたい気持ちが募るがここは我慢。

どうやら奇跡の木の実はお気に召したらしい。

ふんにゃりとした、どうにも気の抜ける笑顔を見せながらケロケロと変わった鳴き声をあげている。

 

 

(よし、こいつならイける)

 

 

チョロいもんだぜ。俺は勝利を確信し、ニヤリと口角を上げた。

 

 

「ナンス……」

 

 

背後からスマイルの呆れたような声が聞こえて来た。

有事に備えて俺の背後に控えている我が相棒はどうやら俺のネゴシエーション能力を見くびっているらしく、鼻からこの交渉が失敗すると踏んでいるようだ。

背中を見せているというのに、ジトっとした視線が突き刺さっているのが分かる。

 

だが気にしたら負けだ。ここからがスカウトの本番なのだ。

なに、華麗に成功させてスマイルを驚かせてやればいい。

 

 

「さて、と」

 

 

俺はふんにゃり笑顔になったナマケモノと視線を合わせる為、地面に膝をついて顔を近づける。

湿った腐葉土のせいでジーンズの膝部分が濡れて気持ち悪いが、そこは我慢だ。

俺はゆっくりと、それでいてハッキリとした発音を心掛け、目の前のモンスターへ語りかける。

 

 

「俺は今、一緒に戦ってくれる仲間を探してるんだ。分かるか? 仲間。友達、家族。そういった感じのやつ。一緒に生活して、共に助け合う仲さ」

 

 

決して視線をそらす事無く、相手の反応を待った。

トロンとしたナマケモノの瞳を見てるとどうにも気が抜け、こちらまで眠くなってくるがここが正念場だ。

ゴクリと唾を飲み込み、畳み掛けるように俺は訴えた。

 

 

「いつだって食事を与えるよ。それに生活に余裕ができたらもっと美味いものを好きなだけご馳走する、約束するから。だから」

 

 

俺は緊張に固まる身体を無理やりに動かし、ゆっくりと腕を伸ばした。

 

 

「この手を取って、俺の仲間になってくれないか?」

 

「......」

 

 

ふと生暖かい風が吹いた。

数分か、それとも数十分か。しばらくの間が空いた。

 

果たしてどれ程の時間が経ったのだろうか。

幾度も風が吹き、木々が騒めき、鳥が羽ばたき、虫達が鳴いた。

 

 

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 

 

 

 

「ナァ〜ナァ」

 

 

あとスマイルの欠伸が聞こえた。

 

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 

真上に上がった太陽がやがて傾き、ギラギラとした陽光がますます色鮮やかになっていく。

そよ風に木々が騒めき、沈黙に浸る俺達を強調させているように感じた。

この静寂の時間が、まるで永遠に続くかのような錯覚を覚えた。

 

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 

 

 

(もっしゃもっしゃ、ごくん)

 

 

あとスマイルが何か喰ってる音が聞こえた。

 

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 

やがて太陽は雲に隠れ、風も止んだ。

この世界に音という音が無くなった。

そんなあり得ない妄想に取り憑かれてしまう程に、静かで。それでいて異様なまでに緊迫した空気が包み込んでいるのだ。

 

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 

 

 

「……ナンスゥ……スゥ……スゥ……」

 

 

あとスマイルの寝息が聞こえた。

 

 

「……ふぅ」

 

 

溜息を一つ。張り詰めた空気を払拭するかのように軽く首を振ってみると、コキリと音が鳴った。

 

やがて俺は静かに立ち上がり膝を払って泥を落とす。

そして、相変わらずのゆっっっっっっくりとした動きで顔を上げ、此方を見上げているナマケモノと再び視線を交わす。

 

俺はとても穏やかな気持ちで。まるで波の無い海のような、凪の心境のままニコリと笑いかける。

 

そして目の前の心優しい隣人に向かい、大きく一歩を踏み出して……

 

 

「反応が遅えんだよこのノロマがああああああああ‼︎」

 

「ゲロオオォッ⁉︎」

 

 

顔面を蹴り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほーら、ご飯だぞー。遠慮せずに食えよー?」

 

「ビィ?」

 

 

苛立ちのままに顔面を蹴り飛ばし、あっという間に気絶したナマケモノから離れること十分少々。

俺は今度こそ、と気合を入れ直して別のモンスターに奇跡の木の実を与えていた。

最近、竹藪の周辺でよく見かけるようになった巨大な黄色い芋虫型のモンスターだ。

頭部に鋭い一本角が生えていることから、俺は『角芋虫』と名付けている。

 

チョココロネのように球体が繋がったような細長で円筒形の胴体に、桜桃のような真っ赤で丸いイボ足。

頭頂部に生えた5センチ程の大きさの一本角と、尾の先についた小さな棘。

円らな黒い瞳、それから顔面の中心にある大きく膨らんだ赤い鼻のようなパーツが特徴的だ。

 

 

「美味いか? いいぞいいぞーどんどん食っていいからなー?」

 

「ビィ‼︎ ビィビィ‼︎」

 

 

もしゃもしゃと存外にもハイペースで木の実に喰いつく様は見ていて気持ちがいい。

小鳥のように警戒するでもなく、ナマケモノのように極端にトロいわけでもない。

これは今日の中でも1番の当たりのモンスターでは無いだろうか。

 

 

(間違いない。勝ったな)

 

 

三度目の正直というやつだ。俺は今度こそ揺るぎない勝利を確信し、歯を剥き出しにしてニタリと笑みを浮かべた

 

 

「……ソー」

 

 

背後からまたしてもスマイルの溜息が聞こえて来る。

どうやら我が相棒は完璧に俺の交渉能力に見切りをつけているらしい。

背中には先程よりも強烈な呆れと失望の視線がこれでもかと突き刺さって来るではないか。

 

だが、ここで諦めたら男では無い。

今度こそスカウトを成功させ、スマイルに如何に俺が有能な男であるかというのを証明してやろうではないか。

 

 

「……と、言うわけで俺に着いて来てくれるなら好きなだけ美味いものを食わせてやる。だから仲間になってくれないか?」

 

「ビィ?」

 

 

すっかり陽も傾き始めた今、無駄な時間は使えない。

簡潔に要点だけを伝えてみると角芋虫は軽く頭を傾げ、考えるようなジェスチャーをとった。

やはりモンスターなだけはあるのだろう。

地球に生息している虫どころか、そこらの動物なんかよりもよっぽど賢い知能を持っているようだ。

 

 

「ビィ‼︎ ビーイビィ‼︎」

 

「おお⁉︎ 着いて来てくれるのか⁉︎」

 

「ビィビィ‼︎」

 

 

しばらく黙って考え込んでいた角芋虫は、やがて俺の顔を見上げて甲高く鳴き声をあげた。

俺の言葉に器用にコクコクと頷き、瞳を細めて笑顔のようなものを作っている。

間違いない。俺のスカウトは成功したのだ。

 

 

「よっしゃ‼︎ それじゃこれから宜しくな‼︎ 」

 

「ビィ‼︎」

 

 

俺は新たな仲間に右手を差し出すと、角芋虫は嬉しそうに鳴きながら俺の右腕に頰を擦り付け、器用に腕をよじ登り始めた。

 

 

プニプニとした角芋虫の柔らかな身体が手に触れる。

スッと俺の体温が低くなった。

 

ツブツブとした角芋虫のブツブツのイボ足が腕をなぞる。

ゾワゾワと俺の背筋が凍りついた。

 

ウネウネと蠢く巨虫が俺の身体をグニャグニャ這い回る。

ガタガタと俺の身体が震え出した。

 

 

「ビビィ?」

 

 

震え始めた俺を心配したのだろうか。どうしたの? と言わんばかりに角芋虫は首を傾げて俺の顔を覗き込む。

肘の関節辺りで円な瞳を瞬かせる新たな仲間候補に、俺はニコリと笑いかけてやる。

 

そしてゆっくりと。ゆっくりと空いている左手を動かして……

 

 

「ゴメンやっぱキモいからデカい虫は無理‼︎」

 

「ビギャアアアアア⁉︎」

 

 

左手で掴んだ愛槍をその顔面にぶっ刺した。

 

 

 

 

 

 

「……ナンナンス?」

 

「いやいやお前スマイル‼︎ あのサイズの虫は幾ら俺でも無理だって⁉︎ マジで鳥肌が治らないんだぞ⁉︎」

 

 

スマイルがまるで悪魔を見るような視線で俺を眺めながらドン引きしているが、これは不可抗力だ。

冷静に考えて見てほしい。人の頭程の大きさのある虫が身体に引っ付いきグニャグニャと這い回るのだ。どう贔屓目に見ても気持ち悪くて仕方ないだろう。

 

最早スカウトどころの騒ぎでは無い。

俺は冷や汗を流しながらジリジリと距離を取り始めたスマイルに向かって必死で弁解をする羽目になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、もう。全くうまくいかねー」

 

「……ソー」

 

 

何だかんだ言って半日以上。早朝から仲間探しに勤しんでいる訳だが結果はご察しの通り。

先の小鳥から始め、ナマケモノ、角芋虫と続き、あれから十匹近くのモンスターを仲間にしようと試してみた。

が、あの芋虫以降はどんなモンスターも目線が合った瞬間に襲い掛かってくるものだから餌付けどころの話ではない。

 

いつでも飛び出せるようにと背後にスマイルが控えていてくれる為に怪我などは無いものの、戦闘になってしまった時点でスカウトどころでは無いのだ。

 

 

「あーあー。やっぱ芋虫で妥協しておくべきだったかなぁ」

 

「ナンス?」

 

 

どこから取って来たのか見たこともない果実をもしゃもしゃと食べながら首を傾げるスマイルにボヤいた。

 

 

一応、勝算はあるつもりだった。

 

例えばスマイル。彼の場合は言わずもがな、きっかけは餌付けだ。

だが注目するべきなのは餌付け、という行為そのものではなく、お菓子に釣られて見ず知らずの異種族である人間と行動を共にしようと決定してしまう精神的な幼さと単純な思考についてだ。

 

様々な経験を経てある程度は成長し、更に進化まで遂げた今でさえ彼の甘えたがりは治らず、しょっちゅう俺に抱き着いてくる。

そこから逆算すると、恐らく出会った当初のスマイルは、産まれたての赤ん坊。もしくは幼児といったところだろう。

 

とにかく無垢で、人を疑う事を知らずに空腹だった時にたまたま食料(しかもそれが甘くて美味しいお菓子)を与えてくれた異種族である俺をまるで親か兄弟かのように慕い、こうして行動を共にしている。

つまり、一種の刷り込みのような現象が起きているのではと予想しているのだ。

 

 

(それにソラに付き従ってるモンスターもそうだ)

 

 

クッキー君、ビスケットちゃんともに餌付けがきっかけでソラに懐いた。

新入りのサブレ君に至っては野生のモンスター達にリンチされているところを助けて貰い、恩を感じて懐いた。

 

ここで注目すべきなのはモンスターの知性だ。

人間の言葉を理解し、様々な命令を遂行する。

動物としての本能とは明らかに違う、理性的な行動を取る。

つまりモンスターは俺達人間と同等。またはそれ以上の知能を持っていると考えられる。

あの角芋虫ですら俺の言葉を完璧に理解していたのだ。これは間違い無いだろう。

 

 

(スマイルも、ソラのモンスターも小さくて幼かった。そんでもって言い方は悪いが、パッと見は弱そうで覇気の無い奴らばかりだった)

 

(つまり小さくて非力な進化前のモンスター。アイツらは総じて幼年期のようなものなんじゃないか?)

 

 

極端な例を挙げよう。

産まれて間もない赤児を懐かせるのと、すっかり成人した人間を懐かせるのと。果たしてどっちが楽だろうか?

言うまでも無い。当然、前者の方が圧倒的に楽だろう。

大人というものは様々な経験を経て社会を知り、常識を学び、その過程で人の下心や悪意までも学んでいくのだから。

 

以上の事から俺の出した結論は非常に分かりやすいものだ。

 

 

「見た感じ小さくて弱そうな。明らかにこれから進化を控えていそうな、幼い見た目のモンスターを狙っていけば。サクッと懐いて楽々仲間になってくれる。……と思ったんだけどなあ」

 

 

だが現実はそう上手くいってはくれない。

戦果も無いまま、既に時刻は午後五時半を回っている。

日が長くなったとは言えそろそろ小屋に戻るべきだ。今日はもうタイムオーバーだろう。

 

 

「しゃあ無い。また明日にでもスカウト作業の続きでも……あ? スマイル?」

 

 

そろそろ帰り支度をしよう。と振り向きながらスマイルに告げるとそこには誰もいなかった。

つい先ほどまで俺の後ろで何やら木の実を食べていたのに。

 

 

「ナンスッ‼︎ ナンスッ‼︎ ソーナンスッ‼︎」

 

 

一体どこへ、と周囲を伺っていると少し離れた林の奥からピョコピョコと跳ね回る相棒の姿を見つけた。良かった、遠くへ逸れていたらどうなる事やら。

安堵の溜息を吐きながら俺は小走りでスマイルの方へ向かった。

 

 

「おいおい、勝手にいなくなるなよ。心配しただろ?」

 

「ナンスッ。ソーナンスッ」

 

「ん? 何だそりゃ」

 

 

いつもなら少しでも叱ってやればションボリとした顔で俯くスマイル。

だが今の彼はどこか誇らしげで自信に満ち溢れている。いわゆるドヤ顔でその腕に抱えた物を俺に差し出して来た。

 

 

「ナンスッ‼︎ ナンスッ‼︎」

 

「おいおい。コレってまさか……」

 

 

恐らく林の中に落ちていたのだろう。

サイズこそ明らかに大きいものの、ツルリとしたその表面に特徴的なやや歪な楕円形。

平和だった現代ではコンビニやスーパーの食材売り場で何度も目にしている見慣れた物。

 

 

「モンスターの、卵。なのか?」

 

 

バレーボール大の、大きな大きな卵だった。

 




・ナマケロ なまけものポケモン(ノーマル)
やや固めながら牛肉に似た味わいはなかなかに美味。
脂肪分が多いのでプルコギやカルビ丼にオススメ。


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3-4

話すすまなーい


『皆さんこんにちわ‼︎ 今日は予定していなかった緊急配信です‼︎ どうすればいいか悩んでます‼︎ 皆さんの知恵をお貸しください‼︎ と、いうわけで今日もお送りするのは、ドレミファ〜!』

 

『……ソラ‼︎ はい、私ソラでーす‼︎』

 

 

いつもの挨拶から始まるソラの動画だが、少しばかり彼女の様子が今までとは違う。

彼女を囲うようにして寄り添うモンスター達が。そして何より、ソラ本人がどこか慌てた様子でカメラに向かって捲したてている。

どうやら予期せぬハプニングがあったようだ。

 

 

つい先日配信されたばかりのこの動画。

実はチャンネル内のコメント欄だけに収まらず、様々な掲示板などで異様なまでの盛り上がりを見せている話題の神回らしい。

 

「まさかのハプニング‼︎」「これは歴史に残る瞬間‼︎」「怪物達の生態の謎がまた一つ解けた瞬間」「ソラは俺の嫁」等々。

 

まるでお祭り騒ぎのようにあちこち盛り上がっており、奇跡の木の実を発表したあの動画とほぼ同等の反響を呼んでいるようだ。

そんな今回の動画のタイトルはシンプルに『卵を拾いました‼︎』というもの。

この要点のみを切り抜いた題名。

そして掲示板やコメント覧での爆発するような盛り上がり。

これらの要素だけで何となくオチが読めて来るではないか。

 

 

理不尽な障害にも折れず、人々の悪意に汚される事も無く。

ただただ自分の意思と、正義のままに突き進む美しい少女。

様々な出逢いを経て次々と新たなモンスターを仲間にしては、無限に沸いて出る邪悪な敵と戦い、勝利して成長していく。

間違いない。ソラという小さなヒロインは、やはり『何か』を持っているのだ。

 

 

(善意の塊のような心と言い、率先して周りを引っ張る行動力と言い、何よりその強運と言い。やっぱ主人公みたいな娘だよなあ、ソラって)

 

 

俺は眩しいものを見る気持ちで、小さな画面に映る彼女の姿を眺めていた。

 

 

挨拶から流れるようにコミュニティの近況報告。といつも通りの流れをいつも以上にサラリと流すソラの様子は、やはりいつもより興奮気味だ。

頰を赤らめて早口で説明を終えたソラは、この時を待ってましたとばかりに身を乗り出した。

 

カメラ外からヒョイと取り出したソレを彼女の豊かな双丘の間にスッポリと大事そうに抱え込む。

白地に青い斑点模様。歪な楕円形の球体。

つるりと光を反射したバレーボール大の大きさの『ソレ』の名は。

 

 

『ハイ‼︎ 卵ですよ、卵‼︎ コレ、見たこと無い卵なんです‼︎ って事はきっと、クッキー君やビスケットちゃんみたいなモンスターの卵ですよね⁉︎』

 

 

間違いなく『モンスターの卵』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

配信を続けた結果、順調過ぎる程に人数を増やし続けるソラ率いる渋谷生存コミュニティ。

奇跡の木の実の栽培は順調なものの、やはり増え続ける生存者を飢えさせない為には木の実だけではやっていけない。

成人男性を中心にした探索班を結成し食料や生活必需品なんかを拝借する為、広範囲に遠征を行っているそうだ。

件の卵もその遠征時にたまたま発見されたものらしい。

 

卵を見つけたのはソラ本人では無く、つい最近コミュニティに合流したばかりの中年男性のグループ数人だそうだ。

すぐさまソラに報告すると同時に卵を引き渡そうとする年上の男性達の様子を疑問に思ったのだろう。

「見つけた本人が育てるべきでは?」とソラも提案したらしい。

 

だがモンスターの卵とは薄っすら理解しているものの、果たしてどんな種類の生き物が産まれるかさっぱり分からない上に、産まれて来るモンスターが人間を害する種である可能性も否定できない。

もし戦力になるなら頼もしいが、逆だったら命の危機だ。あまりにもリスクが高く、非常に悩ましい。

ならばここはモンスターのプロであり、コミュニティのリーダーである我らが救世主。ソラちゃんに任せようではないか。という話になったそうだ。

 

ソラの口からの又聞きだが、話を盛るような性格の娘でもない。

恐らくは、ほぼほぼ実話なのだろう。だが、何というか、どうにも、情けない話ではないか。

 

 

(まあ、無理も無ぇけどさ)

 

 

例えば俺にとってのモンスターは言うまでもなく、その殆どが敵だ。

隙あらばの無力な種族人間を喰らい、痛めつけようとするファッキンファンタジーな畜生どもは厄災でしか無い。

だが俺にはスマイルという大きな例外がある。

大した能力も無い平凡な俺を唯一無二の相棒と慕い、どんな無茶な命令にも命を賭けて従ってくれる。そんな最高のパートナーという大き過ぎる例外だ。

 

だが、その他の多くの人間にとって、モンスターという存在は一括して理不尽な災害でしか無いのだ。

人を喰らい、傷付け、暴れ回るだけの招かれざる客人。

恐らくソラのコミュニティに合流した殆どの人間はモンスターの被害に遭い、身近な人間を亡くしているのでは無いだろうか。

そんな人達にモンスターとの共生を強いる事は余りにも酷だ。

 

そんな圧倒的弱者の地位に追いやられた種族人間の中の極めて貴重な例外。モンスターを友とし、共に戦い助け合う事が出来る奇跡のような存在が身近にいるのだ。

それが自分よりもずっと幼く、非力な少女だったとしても。

ついつい頼り、縋ってしまう事は果たして悪い事なのだろうか。

 

 

(俺もスマイルが居なかったらどうなってたかなあ。必死になってソラのコミュニティに合流する為に移動してたかもなあ)

 

 

まあ、そうなったところで合流する前にハイエナ擬き辺りに喰われて死ぬのがオチだろう。

そもそもスマイルと出会わなければ今こうして身体を休めている小屋にたどり着く前に死んでいる筈なのだから。

 

 

閑話休題。

 

どうやら卵がソラの元に届けられたのはつい先日だったらしく、どの様に育てれば良いのか。また、どんな子が産まれるのか。

そもそも産まれたモンスターは人間に友好的なのか?

こんな未熟な自分を親代わりと認めてくれるのか?

未だ見ぬこの子の幸せを願うなら無理を承知で卵の本当の親を探しに出掛けた方がいいのか?

 

と、どうにもソラは思いっきりズレた方向で悩んでいるらしい。しかも真剣にだ。

 

普段はコメント欄には軽くしか触れないソラも、今回ばかりは色々といっぱいいっぱいなのだろう。

物凄い勢いでスクロールしていく視聴者達からの大量のコメントに逐一真剣な表情で対応している。

 

 

『卵を発見した状況ですか? はい、卵を持って来てくれたオジサンから聞いた話では普通の住宅街の中に、ポツンと落ちていたそうです。はい、周りにはモンスターも特に居なかったとか。だから、どんな子の卵なのか全く分からないんです‼︎』

 

『大事を取って捨てるべき。ですか? でも……産まれる前に捨てられるなんて。それって、とっても悲しい事じゃないですか? せめて大きくなるまでは面倒を見てあげたいんです。

クッキー君達もいるから、きっと沢山お友達が出来て、この子も寂しい思いはしないでしょうし』

 

『毒を持つモンスターが産まれる可能性もあるから隔離すべき。……毒。うん、毒、毒は怖いです。前にサブレ君が毒を持った大きな虫に刺されてしまって。あ、その時はクッキー君が取って来てくれた不思議な木の実で治ったんですけど』

 

 

動画の中では常に明るい笑顔を浮かべているソラだが、今日ばかりは常時シリアスモードでコメントの一つ一つに返事をしている。

モンスターの卵など、大勢の人間にとっては命を脅かしかね無い危険物でしかないが、彼女にとっては小さな一つの命なのだ。

仲間として、家族として受け入れる事が出来るかどうかは、非常に大きな決断なのだろう。

 

 

『……え? あ、はい。奇跡の木の実とは別の種類のですね。次の配信で紹介しようと思っていた、とっても甘い木の実なんですけど。まるで桃みたいな……あ、あれ⁉︎』

 

 

そんないつもの配信風景とは程遠い、厳粛な空気が流れている。その時だった。

 

胸元に抱き抱えられていた卵がビクビクと大きく震え出したのだ。

驚き固まっているソラを尻目に、卵はまるで暴れまわるように痙攣し徐々にヒビ割れていくではないか。

 

間違いない。孵化の兆候だ。

 

 

 

『え、えぇ⁉︎ 昨日拾ったばかりなのに⁉︎ ど、どうしよ⁉︎ ねえどうしたらいいのクッキー君‼︎ あ、お湯⁉︎ お産だからお湯を用意すればいいの⁉︎ ほら、ヒッヒッフー、ヒッヒッフー‼︎』

 

 

何故か卵に向かってラマーズ呼吸を伝授するという奇行に走るソラ。

どっからどう見ても完璧にテンパっている彼女の瞳には心なしかぐるぐると渦を巻く幻覚が見えている。

そもそもお産ではなく孵化だと言うのに、そこら辺の違いも判断できない程に混乱しているのだろう。

 

いつも以上にバタバタと大きく動き回り、あわあわと慌てているソラを嘲笑うかのように、胸元の大きな卵は孵化の準備をドンドンと早めていく。

ピキピキと音立てながら殻の欠片を撒き散らし、跳ね回るようにしてますます大きく動き出した。

 

 

『あ、ど、ど、どうしよ⁉︎ えっ、何⁉︎ ひっ、光⁉︎ きゃあああっ⁉︎』

 

(うおっ⁉︎ 眩し⁉︎)

 

 

そして、ついに縦方向に真っ二つに割れる大きなヒビが入ったと思った、次の瞬間。

辺りが真っ白に染まる程に、爆発的に発光した。

まるでモンスターが進化する時のあの光景を再現するかのような強い光だ。

あまりの眩しさにソラも、そして画面に注目していた俺も思わず目を瞑る。

 

やがてパリンと何かが割れる音が響き、光はスッと霧のように消えていく。

残されたのは辺りに撒き散らされ粉々になった卵の破片。

 

そして何よりも、ソラの胸元にしがみついて居るのは。

 

 

『……リィ? リォー?』

 

 

濃厚なロイヤルブルーの毛皮に身を包んだ、小さな獣人型のモンスターだった。

 

 

 

 

あのバレーボール大の卵に収まっていたとは思えない三頭身の体は70センチ程だろうか。

卵の時よりも明らかに力を込めて耐えているソラの様子から、そこそこ体重も増えているようだ。

 

顔立ちは狼やジャッカルを思わせる端正なもので、それとは対照的に大きな紅い瞳がウルウルと揺れている。

大きな頭を支える、細く小さな首を守るように巻かれた金の首輪のような不思議な部位がキラリと光を放つ。

 

その見た目通りに獣と人の両方の特徴を持っているからなのか。

胴体の作りは人間のソレと大きな変わりは無いようで、犬や狼といった獣の特徴を思わせる小さな手足と長めの尻尾が揺れている。

両手の甲には骨がポコリと隆起したような突起が。両足の裏にはピンク色の柔らかそうな肉球が生えているのがそれぞれ印象的だ。

 

しっとりとした体毛は殆ど全身が見事な青色に染まっているが、両目の周りをまるでアイマスクで囲うように。

そしてそこからなぞるようにして、鼻のラインまでが黒く染まっている。同じように両脚も真っ黒だ。

青と黒。それから紅い瞳のコントラストは自然界の動物からは考えられないものだが、どうにも上手く調和を見せており、どこか神秘的な色合いにも見えてくるから不思議だ。

 

特に目を引くのは獣耳の下にある真っ黒な房のよう突起だろう。

赤子が不思議そうに首を捻る旅にユラユラと揺れる様は、まるで髪に結いつけたリボンのよう。

人間には存在しないそのパーツが何の意味を持つのかは分からないが、どうにもこの『青毛の小獣人』には似合っているように思えた。

 

 

『わぁ……』

 

 

新たな生命の誕生を目の当たりにして上手く言葉が出ないのだろう。

ソラは感動のせいか小さく震える手の平を恐る恐る胸元の赤子に差し出した。

 

 

『リオー‼︎』

 

 

ソラを母と認識したのだろう。

赤子は嬉しそうな声で鳴き声をあげると、そのモフモフとした両手で彼女の手をギュッと掴むと、まるで乳を吸うようにそのままソラの人差し指を口に咥えてチュウチュウと吸い始めた。

 

 

その微笑ましい様子にソラの顔はあっという間に真っ赤に染まり、感動と興奮。

それらが綯い交ぜになった爆発的な歓喜にその大きな瞳を潤ませ、蕩けたような声をあげた。

 

 

『か、可愛い。可愛いよぉ。え、赤ちゃん、赤ちゃんだよね。あ、ご飯、どうしよ? ミルク、ミルクだよね? あ、おっぱい。え、と、私、出るかな?』

 

 

 

もはやすっかり感情の制御を放棄し、暴走状態のソラ。

産まれたばかりの小さな生命に眠っていた母性が刺激されてしまったのか、何と自らが着ている薄桃色のシャツのボタンを胸元まで大きくはだけさせたかと思うと、下着に手をかけ始めたではないか。

 

 

『フィア⁉︎ ニィニィ‼︎ フィアー‼︎』

 

『ピカ⁉︎ ピッカチュー‼︎』

 

 

ブラのホックを外し、たわわと実ったソラの魅惑の果実がカメラの前にさらけ出される。その直前。

慌てた様子のクッキー君がリボン型の触角で素早く彼女の動きを拘束。

同じく焦りの表情を見せたビスケットちゃんが電光石火の早業で持ってカメラの前に飛び出して視聴者からの視線を遮った。

 

 

(チッ。惜しかったのに)

 

 

『え、クッキー君? ビスケットちゃん? ……あ、あぁ。そうだよね、私、まだおっぱい出ないもんね。それに配信中だもんね。は、恥ずかしい……でも、どうしよう? 赤ちゃんだからミルクを、へ? 笑った‼︎ ほら‼︎ ほら、今、確かに笑いましたよ⁉︎ ほら、へにゃって。へにゃっーって笑ってますよ』

 

 

ご主人の思わぬお色気サービスに慌てふためき責めるような瞳を向けるモンスター達を尻目に、ソラは赤子の表情にすっかり夢中でカメラに向かって呼びかける。

彼女の指示通り、ビスケットちゃんから離れたカメラが改めてソラの胸元をズームすると、そこには確かに大きな瞳をにんまりと細めた赤子の笑顔が写っていた。

 

人間に対して敵対的なモンスターが産まれたらどうすべきか。散々コメント覧で議論されていたが、どうやらそんな心配は杞憂だったようだ。

ソラの指を咥えてうっとりした様子で胸元に甘えるその姿は、どう見ても彼女を実の母と慕っている事がありありと伝わって来るのだから。

 

そんな無垢な様子に完璧に心を撃ち抜かれたのだろう。

ソラは、ほぉっ。甘い息を吐き出すと、恋い焦がれるような様子で自身の感情を吐露した。

 

 

『か、可愛い。可愛い過ぎるよぉ。私の赤ちゃん、可愛い……好きぃ。可愛い、好きぃ』

 

(お前の方が可愛いよ‼︎)

 

 

胸が熱くなり心の中で思わず叫んだ俺は悪く無い。

 

少なくともこの動画を観ている男どもは年齢問わず、俺のように彼女の尊さに激しく胸を高鳴らせている事だろう。

 

 

結局その後、赤子のあまえる攻撃にトロトロに蕩けてしまって幸せいっぱいのソラはヘブン状態のまま中々戻って来なかった。

クッキー君やビスケットちゃん、それから途中から顔を出したサブレ君までもがソラの身体を引っ張ったり突っついたりと気を引こうとするも、彼女の意識は赤子に首っ丈である。

 

すっかり機能停止したソラとは対照的にコメント覧はますます加速して、まるで文字の洪水状態。

赤子の誕生を祝うコメントから始め、「授乳すべき、おっぱい早よ」とサービスシーンを催促するコメント。クッキー君とビスケットちゃんのファインプレーを讃えるコメント。

赤子の見た目からその生態を考察するコメント等々。とにかく様々な意見や感想が垂れ流しだ。

 

 

再生時間の終了二分前になって、ようやく戻って来たソラが爆発的な加速を見せるコメント覧に気付いた頃には収拾のつけようが無い程に。

 

結局、突発的なハプニングの為に今日はここまで。

とやや打切り気味に終了を宣言し、次回の配信は来週。赤子の様子をメインにお伝えします、と宣言。

 

恐らくソラ本人は最後くらいはしっかり締めようと意識して、キリッとした真面目な表情を作ったつもりなのだろう。

が、いつのまにかスヤスヤと寝息を立てている赤子の様子をチラチラと盗み見ては我慢出来ずにニヘラと頰を蕩かせているのが何とも滑稽だった。

 

最後こそ締まらなかったものの、ソラの天然な一面。

そして何よりモンスター誕生の瞬間を映像に収めたこの動画は、確かに歴史的な価値あるものとなったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「神回。だった、な」

 

 

節約モードに切り替えたスマフォを寝袋の上に放り投げた俺は満ち足りた気分で感嘆の溜息をついた。

思わぬセクシーシーンにドキドキしたり、夢中になっている我らがアイドルの尊いシーンに激しく萌えたりと。そんな至高の一時だった。

 

 

「とは言え、そろそろ現実を見ないとな」

 

 

が、いつまでも余韻に浸れないのが現実の悲しさという奴だ。

俺は横目で相棒を。もっと言うならば相棒の胸元に抱かれているものをチラリと見やった。

そう、歪な楕円形をした、バレーボール大のアレだ。

 

 

「……やっぱ卵だよなあ。モンスターの」

 

「ナンスー、ナンスー」

 

 

ソラが抱えていた卵と似たソレを胸元に抱え、優しく撫で回しているスマイル。

微笑ましい様子に、思わず俺も釣られて笑顔になりそうになるが、残念ながら呑気にニコニコしていられる状況ではない。

 

 

「一応、聞くけどさあ。やっぱ育てるつもりか? スマイル」

 

「ソー‼︎ ソーナンス‼︎」

 

 

勢いよく首を振って肯定する我が相棒の眩しい笑顔。いつもなら憂鬱な気持ちを吹き飛ばしてくれる癒しの笑みなのだが、状況が状況だけに今回ばかりは素直に喜べない。

自分の顔がヒクヒクと引き攣っているのが自覚できるほどに。

どうやらスマイルの中で、この卵から産まれる未来のモンスターは新たな家族の一員と決定しているようだ。

 

 

「あー。実は内緒にしてたんだが俺はそれなり以上に料理が。特に、卵料理が得意でな?」

 

「ソー?」

 

「ほら。ちょうど目の前には大きな卵がある訳じゃないか。是非とも今夜のディナーで俺の料理の腕前を披露させて「ナンナンス⁉︎ ナンナン‼︎ ナーン‼︎」……だよな、分かってた。冗談、冗談だからそう怒らないでくれ。悪かったよ」

 

 

尻尾をベチベチと床に叩きつけ、プンスカと怒りながら、卵を庇って俺から隠すスマイルの姿は、まるで巣を守る親鳥のようだ。

残念ながら久々の卵料理はお預けらしい。

目玉焼きからプリンまである程度はササッと作れるというのに残念だ。

家庭の事情から半ば強制的に取得せざるを得なかったとは言え、そこそこ自慢の調理スキルを披露する事を諦めた俺は改めてスマイルが拾ってきた卵を観察する。

 

色味や模様こそ違うものの、やはりソラが抱えていたあの卵と殆ど同じものだ。

つまりこれは間違いなくモンスターの卵なのだろう。

 

 

「ナンスッ、ナンスッ、ソォーナンスー」

 

 

すっかり卵を気に入ったスマイルはこうして拠点に帰ってから片時も手放そうとしない。

ソラを真似ているのか、細長い両手で卵を抱え込んではタオルでせっせと磨いたりして世話をやいている。

自分の弟が妹が産まれて来るのを期待しているのだろう。

 

 

(食っちまうのは冗談にしても、ぶっちゃけ爆弾にしかならない気がするんだよなあ)

 

 

いつも以上にニコニコとご機嫌なスマイルの様子から言って、いくら卵を廃棄するよう説得したとしても無駄だろう。

最近はすっかり癖にになってしまった大きな溜息を吐き出した。

 

 

確かに俺は新たな仲間となるモンスターを探していた。

だが、何が生まれるか分からない卵と言う名のビックリ箱を懐に抱えるというのは単純に心臓に悪い。

 

それに、ソラの動画のように人間に友好的、かつ家族として慕ってくれるような利口なモンスターが確実に産まれてくれる保証などどこにも無い。

もっと言うなれば、動画内の卵から『青毛の小獣人』が『誕生してしまった』点も問題なのだ。

犬や狼といった哺乳類と人間の特徴を持ったモンスターが『卵から産まれた』という事実。

つまり数多のモンスター達は、明らかに卵生とは思えない人型や、哺乳類の特徴を持つ種族までもが総じて卵生である可能性を示しているのではないだろうか。

これはかなり大きな問題だ。

 

虫や爬虫類、鳥なんかならともかく。犬や猫、獣人や人型。果てには存在するのか分からないがドラゴンやらベヒモス、グリフォンにユニコーンまでもが卵から生まれると考えると、恐ろしくはないだろうか?

 

おまけに動画内の獣人のように、羽化した瞬間に『明らかに卵に収まらないサイズにまで巨大化する』可能性も考えられる。

出会った当初のスマイルサイズならともかく、卵から孵った瞬間に10メートル越えの巨大怪獣が誕生しました。何てことになったら笑い話にもならない。

 

 

(ヤベェ。冷静になって考えれば考える程に厄ネタじゃねえか)

 

 

考えれば考える程に不安要素が湧いて出てくる。

俺は自分自身がソラのような善人でもなければ主人公の如く強運を持っている訳でも無いのを自覚している。

卵が孵化した時が俺の最期。なんていう最悪の可能性だってあり得てしまいそうだ。

 

 

「なぁスマイル。今から元あった場所に返してくるとか「ナーン‼︎ ナンナン‼︎」だよな。はぁ……」

 

 

まあ、とりあえずは先送りしよう。流石にソラのように今日明日に孵化する訳でもあるまいし。

 

それに仲間が欲しかったのは今でも同じだ。

今後産まれたモンスターに刷り込みが効くならば忠実な味方になってくれる今年だろう。将来的な戦力の投資と思えば悪くはないかも知れない。

と言うかそうでも考えないとやってられない。

 

ただでさえ毎日が生きるか死ぬかのサバイバル生活の最中だというのに、何が悲しくてパンドラの箱を抱え込まなくてはならないのだろうか。

 

 

(まあ、アレだ。本格的に邪魔になったら非常食にしちまおう)

 

 

俺の邪な考えが電波に乗って伝わったのか。

スマイルがふいにビクリと震えて辺りを見回している。

そんな状況でも愛しそうに卵を撫で回す相棒を尻目に、俺はまた大きく溜息を吐き出した。

 

 

(せめて産まれるなら『角芋虫』以外にしてくれよ)

 

 

そんな下らない事を願いつつ、俺は卵に夢中な相棒の為に晩飯の支度に取り掛かった。

 




・リオル はもんポケモン(かくとう)
筋肉の塊の為、とにかく身が硬い。オマケに骨太で食べられる箇所が殆ど無い上に個体数が少なので、どこまでも食用に向いていない。
どうしても食べたい場合はルカリオに卵を産ませて養殖しよう。


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3-5

お久しぶりです


昔の神がかって偉い人はこう言った。

 

 

『人はパンのみにて生くるにあらず。たまにはお米もパスタも食べたい。あとラーメンも』

 

 

……まあ、ニュアンス的にはこんな感じだろう。多分。

 

 

要約するとこの言葉は「人間は物質的な目的だけで生きているのではなく精神的な満足感を得られてこそ、充実した人生を送ることができる」という教訓だ。

 

ボロ屋とはいえ安心して眠れる拠点。

毎日腹八分まで獣肉が食べられるし、冷たい井戸水のお陰で渇く事も知らない食生活。

命を脅かすモンスターから俺を護り、共に戦ってくれるかけがえのない相棒。

生きるか死ぬかのこんな殺伐とした世界の中、モンスターの襲撃に怯える事も、飢えと恐怖に苦しむ事も無い日々を過ごせている俺は、幸運なのだろう。

 

 

が、果たしてその幸運はいつまで俺の側に在るのだろうか?

 

 

 

 

 

 

「ムクウゥ……」

 

 

今にも一雨降り出しそうな分厚い灰色の雲を背景に、大空を飛び回りながらこちらを威嚇するモンスターの瞳は刃物のように鋭い。

風を裂くようにして俺達に狙いを定める白黒の化け物鳥の体長は、最近の俺達の主食になりつつある『怪鳥』に比べれば小さいものの、それでも大型犬並みだ。

 

 

「クバアアアアアアアァ‼︎」

 

 

心の中で『大椋鳥』と名付けたモンスターは『怪鳥』よりも甲高く、鋭い威嚇の声を上げた。

思わず俺の身体が竦みあがる。その隙に大椋鳥は俺達の背後に回り込むように大きく旋回。

俺の視界からその姿が消え、慌てて振り向く。

既に俺の目の前には、大地を削りながら激しい砂煙を巻き起こす竜巻のような旋風が。それからその背後で翼をはためかせ、不敵な笑みを浮かべる大椋鳥の姿があった。

 

大椋鳥がくり出す鳥モンスター特有の風攻撃は、種族の違いかレベルの差なのか。とにかく、これまで相対して来た怪鳥等のそれよりも激しく威圧的で強力だった。

男子高校生の平均以下の体重しか無い俺など、あっという間に風に巻き上げられ、切り裂かれ、吹き飛ばされてしまう事だろう。

 

 

「スマイル‼︎」

 

「ソーナンス‼︎」

 

 

俺の隣に相棒がいなければ、の話なのだが。

 

 

行動範囲が広いのか、鳥系のモンスターは最近になって怪鳥以外にも様々な種類が顔を見せるようになった。

そして、同じ鳥類だからなのか空飛ぶモンスター達の行動パターンは似たり寄ったりである。

 

奴らは上空から突風を巻き起こし吹き飛ばそうとするか、急速に加速してこちらを嘴で突き殺そうとするかの二択が殆だ。

結論から言えばスマイルご自慢の反射スキルに任せておくだけで、勝手に自滅してくれる。

 

稀に鼓膜を突き刺すような甲高い鳴き声をあげて威嚇し、こちらの動きを止めて来たり。

地面に降り立って砂煙を巻き上げて目潰しをしかけてきたり、と小癪な真似をしてくるタイプもいた。

が、今のところ大した脅威にはなっていない。

 

鳥系のモンスターは動きが早い代わりに打たれ弱い傾向が見られる。

身体が軽いからなのか、モンスター特有の事情なのかは不明だが、威力を倍返しするスマイルのカウンタースキルには相性が悪いようだ。

 

 

「ムギャアア‼︎‼︎」

 

 

現にこうしてスマイルによって打ち返された旋風は爆発的に勢いを増し、荒ぶる烈風となって大椋鳥を飲み込んだ。

 

 

「お、生きてる。思ったよりタフだな」

 

「ナンス」

 

 

これが最近よく獲物にしている怪鳥ならば一撃で地に堕ちているのだが、大椋鳥は未だその場に浮かぶようにして羽ばたいていた。

見た目からして同じ鳥系モンスターとはいえ『怪鳥』よりも強い種族なのか、それとも単にレベルが高いからなのか。

もっとも、その全身は風の刃に切り裂かれ、血塗れだ。

羽根の一部が無残に抜け落ち鳥肌が露出しており、翼の先端もあらぬ方向にひん曲がっている。

いつ墜落してもおかしくない程の瀕死状態である。あと一撃かましたら間違いなく沈むだろう。

 

対してこちらは、ほぼ無傷。進化後もたゆまぬレベルアップを重ねたスマイルのタフさは伊達では無い。

胴体に多少の傷は見えるものの、放っておけば自然治癒する程度の擦り傷のみ。

ポーション代わりに持ち歩いていると『奇跡の木の実』の出番は無さそうだ。

 

 

「ムバッ……ムクウウゥ‼︎」

 

 

流石に不利を誘ったのか、大椋鳥は「覚えていろよ」と負け犬の遠吠えでもしたかのように濁った声で一つ鳴くと、素早くこちら背を向け、飛び立った。

瀕死の重傷にしては存外俊敏な動きであっという間に遠くに飛び立つ敵に対しては俺の投槍も射程外となる。

 

このままでは狩りは失敗だ。無駄な戦闘に付き合わされ時間を浪費し、やっと追い詰めたかと思えばあっという間に逃げられる。

俺たちは戦果となる獲物も、スマイルの経験値も何も得られない。

まさに骨折り損のくたびれ儲けだ。

 

 

「ムグッ⁉︎ ムググッ‼︎」

 

 

が、そう簡単には逃がさない。

何故ならスマイルは戦闘を開始した直後から大椋鳥の『影を踏んでいる』のだから。

圧倒的な破壊力をもつ反射スキルに隠れがちながら、逃走を阻止できる、狩人としては最高の『影踏み』スキルこそスマイルの恐ろしさの真骨頂だ。

 

 

「よし。相手がパニクってる隙にアンコール」

 

 

そして始まる必勝コンボ。

 

 

「ソーナンス‼︎ ソーナンス‼︎」

 

 

俺の指示にスマイルはピョコピョコと阿波踊りのように跳ねまわり、気の抜ける鳴き声と共にペチペチと手拍子を鳴らす。

それに呼応するようにして敵モンスターの頭上から照射される『まるでスポットライトのような不自然な光』。

『アンコール』と名付けたこのスキルは敵の意思を無視して強制的に『直前に行ったスキル、行動を繰り返させる』悪どい技である。

 

 

「ムクッ⁉︎ ムククゥ‼︎」

 

 

不気味なスポットライトに囚われた大椋鳥に逃げ場は無い。

何かに操られるかのような、ぎこちない動きでこちらに振り向きながら再び翼を大きく振るい、破壊力抜群の突風を俺たちに放つ。

 

 

「んじゃスマイル。もう一回反射な」

 

「ソーナンス‼︎」

 

 

敵の攻撃を『反射』し、致命傷を与える。

相手が怖気付き、逃走を計ったところで『影踏み』で阻止する。

さらに『アンコール』で攻撃を強制させ、また反射。

スマイルの体力が尽きさえしなければ無限に続くこの極悪必勝コンボ。

 

 

「ムッ⁉︎ ムバアアアアアア‼︎」

 

 

狩れない敵は未だ居らず。

 

こうして新顔のモンスター『大椋鳥』との初戦は、再び反射された風の刃に切り刻まれる自滅という形で幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すっかり長くなった陽もようやく暮れはじめた夕方、スマートフォンに内蔵されたカレンダーは八月に突入。

梅雨の兆候なのか、ここ最近は雨の日が多い。

件の『大椋鳥』を撃墜した辺りで、ついにポツリポツリと降り始めたので、スマイルと二人掛かりで獲物を引きずりながら早めの帰宅だった。

 

 

(やっぱり今日も『小鳥』は来なかったか)

 

 

新種の獲物に悪戦苦闘しつつも、ようやく大椋鳥を羽毛の処理を終えたのを機に、俺は小休憩を取って考えに耽っていた。

 

 

(ここ最近、拠点の近くに顔を出すモンスターの傾向が変わって来てるよな)

 

 

まず大前提として出没するモンスターの数が少なくなっている。

 

サバイバル生活を始めた当初、痛んだ穀物を適当にバラ撒いただけで入れ食い状態だった『小鳥』を始め、紫色の毒々しい体毛が特徴の『大鼠』。ジグザグ模様の毛並みが特徴の『縞浣熊』など。

俺が拠点に住み始めた頃には毎日のように顔を出していた手頃に狩れていた格下のモンスター達。

ざっくり言ってしまえば、いわゆる『雑魚モンスター』達がすっかり拠点の周りに寄って来なくなったのだ。

 

 

(まあ、例外はあるがな。あんのキモ芋虫め)

 

 

数少ない例外は俺がトチ狂った頭の時に仲間にしようとしてしまった、巨大な芋虫型のモンスター。

モチモチとした黄色い身体と頭頂部の鋭い角が特徴の『角芋虫』。

奴らだけは何度追い払っても沸いて出てくる。

恐らくだが、未だ見ぬ林の奥に奴らの大きな巣があるのだろう。

日を追うごとにジワジワ出現率が上がっているのが非常に不気味である。

 

 

(そもそも角芋虫って何の幼虫なんだか。まあ毛虫っぽいから蛾だろう。それか毒蝶かな)

 

 

動きも遅く、蹴り一発で瀕死になる程度の雑魚だ。実際に大した敵ではない。

だが、頭の角には洒落にならない猛毒を持っている点。

毎日肉が食えている今、わざわざ虫を食おうとも思わないので殺したところで死体の処理が面倒な点。

更には弱すぎるせいで倒したところでスマイルのレベルアップに全く役立たない点。

と、全く益の無い文字通りの『害虫』モンスターが件の角芋虫なのだ。

 

 

(その内、林の中に討伐に行かなきゃマズイかもなあ。梅雨明けにでも大繁殖しそうだし)

 

 

やっかいな害虫モンスターという例外があるとは言え、格下のモンスターとのエンカウント率は著しく低下した。

だが代役を務めるかのようにして、小鳥の進化系と思われる『怪鳥』を始め、先程襲ってきた『大椋鳥』のような比較的に大型で手応えのあるモンスターが。

更には、かつて文字通りの死闘を繰り広げた『赤眼の牙狼』などの強敵達との戦いが徐々に増えている。

 

 

(まあ、理由も何となく分かるけどさ)

 

 

単純にスマイルのレベルが上がり、強くなったからだろう。

例えばスマイルがまだ進化する前の小さくて弱々しかった頃、自分が敵わないと感じた敵に対しては俺が攻撃を支持しても真っ青な顔で拒否してきた。

逆に俺から見たらなんだか強そうだから逃げた方がいいのでは? と提案したにも関わらずスマイルが勝手に遮二無二突撃して、その実あっさり勝利してしまった事もあった。

 

 

(互いの力量差を把握する為の『何か』を持っているんだろうな)

 

 

これはあくまで俺の予想なのだが、モンスター達は敵対する相手のレベルを本能的に。あるいはパッシブスキル的な何かで察知する事が出来るのではなかろうか。

それこそファンタジー小説によく出てくるテンプレ、『鑑定スキル』のように。

だからこそ初見の敵でも瞬時にその力量を推し量り、戦いを挑むか逃げるかの判断を素早く下せるのでは無いだろうか。

 

 

(まあ、それを抜きにしても実際スマイルにも貫禄っつーか。オーラみたいなのついてきたしなあ)

 

 

常に側にいる俺からしたらピンと来ないが、意識してスマイルを観察してみると肌がピリつくような威圧感があるような気もしなくもない。

特に進化してからはそれが顕著になり、レベルアップを重ねるごとに強者のオーラのようなものを、時おり感じるのだ。

いきなり異能バトルものキャラ設定みたいなふざけた事を言っているように思えるかもしれないが、実際にそうなのだから仕方あるまい。

 

強者といえばかつて林の中で見た『奇跡を司る大鹿』。

あの心臓が凍りつくような凶悪な殺気を思い出す。

スマイルのユーモラスな外見からして、果たしてあのレベルの強さまで至れるのかは疑問ではあるが、何はともあれ我が相棒が順調に強くなっているようで何よりだ。

それに関しては何よりなのだが。

 

 

(狩りの問題だけじゃ無いんだよなあ。これが)

 

 

我がサバイバル生活における最も大きな問題。

それは、何を隠そう物資の不足問題なのである。

 

 

(平和だった頃は地元のコンビニか駅近くのデパートに行けば、簡単に何でも揃ったんだけどな。……いや、スゲー今更の話だけどさ)

 

 

古屋に最初からポリ袋に詰めてあった大量の塩は、小鳥を始めとしてバラした獲物の生肉を長い間漬け込んでいたせいか、濁ったように変色し悪臭を放っている。

知識としては塩化ナトリウムが腐らないとは知ってるものの、これから迎えるであろう猛暑を考えると、この異臭を放ち始めた塩の塊に漬け込んだ肉を食べたいとは思わない。

同じく袋詰めされていた石灰もトイレの消臭剤代わりや、食材にならないモンスターの死骸を燃やした後の処理に振り撒いたりした結果、殆ど無くなってしまった。

 

 

(補充無しで一ヶ月近く。ここまで持った事を誇るべきか、悔やむべきか)

 

 

火起こしのライター、携帯充電器、ビニールゴミ袋、災害用ダクトテープなどなど。

この拠点に辿り着くまでに様々なお宅から無断で拝借したお役立ちグッズのストックも心許ない。

情報調達、兼、心の癒しの為のマストアイテムであるスマートフォンも液晶画面にヒビが入っているし、カバーについた安物のソーラー充電器では日々の充電すら覚束ない。

 

 

(武器もなあ。正直もう限界だし)

 

 

俺のメインウェポンである包丁槍だって、刃先はボロボロだ。

柄に関しては所詮は元が竹箒だからなのか何度もポキポキ折れやがる度に、ダクトテープで強引に補強した為に不恰好極まりない。

妙な愛着が湧いてしまっているので未だに手放せないでいるが、武器としてまともに使えるかというとかなり怪しいところだ。

少なくとも対人ならともかく、最近よくエンカウントする『怪鳥』レベルのモンスターには役に立たないだろう。

 

 

「流石に、そろそろ現実見ないと、詰むよなあ」

 

 

重苦しいため息を一つ。

四苦八苦しながらようやくバラし終えた椋鳥の肉塊を、異臭を放つ塩袋の中に突っ込んだ。

食材に関して言えば、甘味を始めとした保存の効くインスタント食品や缶詰なんかはとっくに切らしており、最近の食事はバラした鳥肉のステーキに炒めたもやしとカイワレの付け合わせ。

そこにスマイルがどこからか拾ってきた様々な木の実がポツポツと混じる程度だ。

 

人はパンのみに生くるにあらず。

俺は鳥肉のみに生くるにあらず。

こんな時代に何を贅沢なと思われるかもしれないがら塩味オンリーの鳥ステーキの味に、俺はすっかり飽きてしまった。

 

 

「井戸のお陰で水はある。狩りさえすれば毎日肉が食える。ボロとは言え比較的、安全な拠点だってある。何より頼りになる相棒がいる」

 

 

生きるか死ぬかの世紀末世界。

混迷したこの時代にやや原始的とは言え、安定した生活を送っている俺は間違いなく恵まれているに違いない。その確信がある。

 

だが、それでも。

 

 

「どうにも、お先が薄暗い感じなんだよなあ。マジで」

 

 

血生臭さがムワッと広がる古屋の中。俺は、雨音が弾けてボヤける小窓の外をボンヤリと眺める。

重く、どんよりとした灰色の雨雲が窓越しにモザイクみたいにどこまでも広がっている。

 

すっかり激しくなった雨音に、俺の乾いた言葉は吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『皆さんお早うございます‼︎ 今日も嬉しいお知らせがいっぱいです‼︎ お送りするのは、もちろん‼︎ ドレミファ〜!』

 

『……ソラ‼︎ はい、私ソラでーす‼︎』

 

 

明けて翌日。

いよいよもって本格的な梅雨が始まったのか、昨日の夜から降り続いて今朝もシトシトとした雨だった。

 

わざわざこんな天気の中で狩りに勤しむ程、食料に切迫してはない。

俺は日課の筋トレをこなし、寝袋の上にゴロリと転がる。

今日一日、穴熊のように拠点に引き篭もると決めたのだ。どうせ外に出ないのだから、と早速ソラの最新の動画を観る事にした。

 

 

「なんかまたソラの所のコミュニティが大きくなってるっぽいぞ。スマイル」

 

「ナンス?」

 

 

いつもの様に卵を抱えたスマイルが、寝転んだ俺の頭の上からスマフォを覗き込む。

ソラの配信は我が相棒もお気に入りなのだ。

 

いつもの珍妙な挨拶から始まり渋谷コミュニティの近況と続き、メインテーマへと進行していく。

どうやら今回も大きなニュースがあるようだ。

 

 

『……はい‼︎ という訳で皆さんへの嬉しいご報告があります‼︎ 何と私、ソラ以外にも! モンスターとお友達になって戦ってくれる人達が集まってくれたんです‼︎』

 

「……マジかよ」

 

 

ソラの輝く笑顔から放たれた言葉の衝撃に、俺は思わず驚嘆の言葉を零した。

 

 

数少ない『テイマー』(モンスターを従え、戦う人間の仮称。勝手に俺がつけた)の中でも群を抜いた戦闘力を持ったソラ。

そんな彼女の元に新たに二人の新参テイマーが合流し、更に避難民の一人がつい先日モンスターを手なづける事に成功したというのだ。

流石にソラのように多数のモンスターを従えている訳ではないようだが、それでも立派な戦力だ。

 

 

「ソラだけでも下手な武装集団なんか目じゃなかったっつうのに。ちょっとした軍隊になるぞ、こりゃ」

 

「ナンス」

 

 

もはや渋谷コミュニティはソラ一人が屋台骨となり、救助を待つだけの生存者コミュニティでは無い。

十分な戦力を蓄えて確固たる地盤を着々と整えつつあるその様は、まるで戦国時代の小国だ。

一人、戦慄する俺を他所に画面越しのソラは笑顔で語り続ける。

 

 

『……残念ながら新しく合流してくれた人達は、画面に映るのは恥ずかしいという事です。ですから、今回は皆さんのパートナー達だけを紹介しますね‼︎ みんな個性的で可愛いだけじゃなく、とっても頼りになるんですよ‼︎』

 

 

エヘン、と胸を張り、大きな胸をポヨンと揺らすソラの言葉と同時に画面が切り替わった。

そこには個性豊かな三匹のモンスター達が写っていた。

 

 

『葉っぱを纏ったドラゴンのようなこの子がハーブ君‼︎ とっても固い岩の身体に長い腕が特徴の石ノ介君‼︎ とってもお洒落でカラフルなインコの彼女がドレミちゃん‼︎』

 

『名前はそれぞれのパートナーが考えたんですよ‼︎ みんなとっても素敵ですよね‼︎』

 

 

首回りと頭頂部に青々とした葉っぱを生やす竜脚類によく似た『ハーブ』。

大きめの丸っこい石に目と口が生え、アンバランスな程に長い両腕を携えた『石ノ助』。

音符を模した真っ黒の頭部と対照的なド派手な色彩の羽毛に包まれた鳥型モンスターの『ドレミ』。

 

どれも違った特徴を持つモンスター達だ。

 

 

「つーか石ノ助って『手長岩』じゃねえか。あいつ硬いけど突進しかして来ねえんだよな」

 

「ナンス」

 

 

石灰岩を荒く削り取ったような石ノ介の同族である『手長岩』とは何度か戦ったことがある。

足は生えてないのに無駄に発達した両腕だけ生えていたのがなんとも不気味でよく覚えていた。

 

動きが鈍く、発達した両腕を全く活かす事なく、愚直にも真っ直ぐに体当たりばかりしてくる。実に御し易い手合いだった。

はっきり言って雑魚モンスターの類だが、岩石で出来た身体は伊達でなく非常に硬い。

投槍どころか包丁槍すら通じないので、こちらにスマイルがいなかったら厄介な敵だったかもしれない。

 

まあ見た目通り非常に鈍足なので、逃げようと思えば幼児でも余裕だろうが。

 

 

『モンスター達をお友達にして戦う人が増えて、この渋谷はますます安心安全な環境になりました‼︎ みんなクッキー君達に負けず劣らずの、頼りになる凄い子なんですよ‼︎』

 

 

グッと拳を握って語るソラの言葉は清々しい程に力強い。

この動画が撮影された日付は三日前。少なくたもこの時点でテイマーが四人、共に戦う味方モンスターが七匹も集まっているのだ。

それだけでなく、モンスター達の人外の力や不思議スキルを存分に利用し周囲の建物や車を解体。

次々と資材を確保し、拠点の要塞化や一般人による探索班用の戦闘装備なども準備しているのだとか。

 

電気や炎、不思議スキルを使いこなせるソラパーティーの力あってこそだ。

仮に悪意を持った人間が武装して襲いかかったとしても、余程の大世帯でも無い限りは返り討ち確定だろう。

 

 

(こりゃ、ますますソラの元に人が殺到するだろうな)

 

 

戦う術を持たない一般人からしたら、この渋谷コミュニティは強力な戦力を有した心強いセーフゾーンだ。

きっと彼等にとっては、縋り付いてでも辿り着きたいパライソに映る事だろう。

スマイルという心強い相棒がいる俺から見ても、ソラをリーダーとしたこの集団はかなり魅力的なのだから。

 

 

「距離の問題すら無かったら、俺も合流を考えたかも知れないけどな……」

 

「ソーナンス?」

 

「いや、確かに直線距離上では大して離れちゃいないんだがな」

 

 

俺の現在地は神奈川県の中南部。更にその端っこの閑散とした田舎の掘建て小屋だ。

ここから渋谷駅まで大きな線路に沿って歩いていったとしても、直線距離なら計算上は徒歩で半日ほどの距離にあたる。

まあ実際は真っ直ぐに歩道がある訳でも無いのでもっと時間がかかるだろうが、それでも一日あれば十分に辿り着ける距離だ。

スマフォの地図アプリはどうやらまだ生きている様だし、道に迷う心配も無いだろう。

 

 

「でも、実際のところ無理っぽいよなあ」

 

「ソーナンス」

 

 

現状、暴れ回るモンスター達の影響でコンクリートの道路は荒れ果てており、クレーターだらけで真っ直ぐ歩くのすら困難だ。

建物は崩壊し、街並みはすっかり変わり果てた今、既存の地図など果たしてどれほど役に立つというのだろうか。

 

更に移動する時は常にモンスターからの襲撃を警戒し続けばならない。

ストレスは際限なく溜まるだろうから、休息も何度も取らなければ身体が保たないだろう。

事実、地図上では大した距離にもならない筈だったこの古屋に自宅から避難するのにすら、まる三日かかったのだ。

そう言った事情を考えれば、俺が五体無事のままソラのコミュニティに合流するというのは不可能に近いだろう。

 

 

「まあ、外部のコミュニティに目を向けるのは必要かもな」

 

「ナンス?」

 

 

だが物資が尽きかけている現状、そろそろ遠出して生活必需品の補給をしなければならない。

今のところはスマイルと俺のコンビだけで十分やって行けてるが、この先も安定した生活がおくれる保証はどこにも無いのだ。

 

人間同士の諍いに巻き込まれるリスクが有る為、積極的に他所の生存者コミュニティに合流するつもりは無い。

だが、いざという時の避難場所の候補として、近辺のコミュニティの情報を集めておくのも悪くはないだろう。

 

 

 

「まだ死にたくないし。念には念を入れといて損は無いよな」

 

「ソーナンス」

 

「んじゃ、今日は充電が危なくなるまでひたすらネットで情報を漁るか」

 

「ソー? ソーナンス」

 

「ソラの動画はまた今度な。ほれ、暫く調べ物するからスマイルは卵でも磨いとけ」

 

「ソーナンス‼︎」

 

 

スマイルは俺の言葉に大きく頷き、鼻歌を歌いながら卵をタオルで丹念に磨き始めた。

相棒の微笑ましい姿に癒されながら、俺は再びスマフォの画面と睨めっこしながら近所の情報を収集を始めるのだった。

 

 

 

結局、夜になって雨が止むまで丸一日。

小さな古屋の中には、弾けるような雨音とスマイルの調子外れの鼻歌だけが響いていた。

 




・ムクバード むくどりポケモン (ノーマル/ひこう)
以外にも癖が少ない上に肉本来の味わいが強い為、幅広い料理に活用できる。
骨ごとスープにいれる旨味がたっぷり。


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3ー6

後半駆け足


「邪魔臭え‼︎」

 

 

怒声をあげ、目の前の害虫を蹴り飛ばす。

弾力のある身体はまるで蹴鞠のように勢いよく飛んで行き、バウンドした。

 

 

「ビギョッ⁉︎」

 

 

足先から伝わる感覚から会心の一撃を悟る。

今までの経験上、恐らくは瀕死だろう。

 

 

「ビィビィ‼︎」

 

「ビビー‼︎」

 

 

仲間がやられた事に怒ったのか、俺の周囲を囲むようにして、あちらこちらに這い回る巨大な害虫。

『角芋虫』が一斉に殺気立ち、不気味な鳴き声をあげて威嚇する。

つぶらな瞳を怒りに歪め、毒液で滑る頭部の角を妖しく光らせこちらに狙いを定めてようとしている。

だが、邪魔臭いだけの害虫の攻撃をわざわざ俺が待ってやる義理などない。

 

 

「煩え‼︎ くたばれ‼︎」

 

「ビギィ⁉︎」

 

「ビギョッ‼︎」

 

 

一気に間合いを詰めて先ずは一匹蹴り飛ばし。

そのまま身体を捻って竹槍をぶん投げ、遠くの一匹を大地に縫い止める。

身体の勢いを殺さぬまま、最後に包丁槍を両手で構え直し、思いっきりぶん回して三匹まとめて薙ぎ倒す。

反撃を許す事なく、無事に五匹を片付けることが出来た。

 

 

「ビギャア⁉︎」

 

 

と、息をつく間にも背後から断末魔。

どうやら気づかぬ内に俺の死角に回った一匹が、隙ありとばかりに突進して来たようだ。

 

 

「ソーナンス‼︎」

 

「スマイル、ナイスカバー‼︎」

 

 

だが俺の背後には頼りになる相棒が控えているので問題無い。

それに今日のスマイルはいつもと違う。

水色の身体全体を覆うように、蒼白く煌めいた、幻想的なオーラを身に纏っているのだ。

 

 

「ほれ、ラスト‼︎」

 

 

スマイルだけではない。

青みがかった白銀のベールは、オーロラのように揺らめき輝きながら、俺の身体も満遍なく包み、その恩恵を与えてくれる。

 

いくら鈍間な角芋虫が相手とはいえ数は力。致命傷は無いものの、どうしても捌ききれなかった攻撃が掠ることは多々ある。

これがただのモンスター相手だったら気にもしないが相手は毒を持っているのだ。

その威力は一突きするだけで大木の幹が腐食し、崩れ落ちる程の猛毒。

 

本来ならそんな物騒な相手に擦り傷一つでも喰らったら命の危機な訳だが、それを防いでくれるのが、この輝くオーラ。

 

スマイルの新スキル『守護のオーラ』だ。

 

 

以前、スマイルからの身振り手振りの説明を翻訳したところ、このオーラは攻撃のダメージそのものを無効化する事は出来ないが、それらに付随するステータス異常を。

今回の場合は角芋虫の『毒そのもの』を防いでくれるのだそうだ。

 

このファッキンファンタジーな世界の住人達が毒以外にどんなエゲツない武器を持っているかは不明だ。

だがスマイル曰く(実際に喋った訳ではないが)毒以外の様々な状態異常も防げるのだとか。

 

ゲームで言うなら石化や混乱。狂化や睡眠などが思いつくが、実際にどんなやっかいな攻撃が存在するかは定かではない。

だが擦り傷一つを致命傷に変えてしまう毒の恐ろしさを防いでくれるだけで充分に有用なスキルだ。

これで安心してスマイルの反射スキルを活用する事が出来るのだから、彼のタンクとしての価値は計り知れないものがある。

 

 

「ようやく終わった。……無駄に疲れたな」

 

「ソーナンス」

 

 

包丁槍で顔面ごと地面に縫い付けられた害虫の死骸を蹴り飛ばし、ようやく一息ついた。

そもそも梅雨もあけていない嫌な天気の中、どうして俺達が角芋虫と乱闘を繰り広げていたのか。

それは林の近くに生えている不思議な木の実の果樹園に用があったからだ。

 

奇跡の木の実は今更であるが、それ以外にもモンスターパニック以降は見慣れない果実が何種類も現れた。

最近になってちょくちょくスマイルが採取してはオヤツに食べているのを知っていたので、目当ての木の実がなっている樹まで案内して貰ったのだ。

 

そこで結果的に角芋虫の大群に遭遇。

あっという間に囲まれて、小雨の中で戦闘するハメになったのだ。

 

 

(アイツら、一匹沸いたと思ったら次々出てきやがって。ゴキブリかっつうの)

 

 

用心深く竹やぶの奥の様子を伺うも、これ以上は害虫達の援軍は無さそうだ。

一段落ついたところで、俺は戦闘前に別の場所から採取しておいた一つの木の実を取り出し相棒に放った。

 

 

「スマイル。大丈夫だとは思うが一応、食っとけ」

 

「ソーナンス‼︎」

 

 

まんま桃を小さくしたような見た目のその木の実は柔らかく、かなり痛みやすいので扱い辛い。

非常に甘く、ややしつこいぐらいに濃厚な味わいの果実はスマイルの大好物だ。

だがこの木の実。ただ美味いだけでは無く、実はとんでもない力を持っているのだ。

 

 

(さて、と。本来なら穴でも掘って死体の処理をした方がいいんだろうが)

 

 

笑顔で木の実を頬張るスマイルの姿に癒されるも、辺りに散乱した角芋虫の死体に目を向けると、せっかくの癒しも台無しだ。

まとめて火葬しようにも火元として持ち歩いていたライターの在庫は無いし、穴を掘って埋めるにもシャベルもスコップも無い。

 

 

(まあ面倒だから放置でいいか。獣の死体なら血の臭いでモンスターを誘いそうだけど、虫なら大丈夫だろ)

 

 

凄惨な光景から目を逸らした俺はとっとと目的のブツである一本の樹の前に立って、お目当ての木の実をありったけもぎ取る。

 

 

(おっ。やっぱり枯れるのね)

 

 

やがて最後の木の実を採取した瞬間、先程まで青々と葉を茂らせていた木が急速に色を失い、そのまま灰になって消え去った。

奇跡の木の実を採取した時にも、同様の光景が見られた。全く訳の分からない生態だが、今更だろう。

あるいはこの不思議な木もモンスターの一種なのかも知れないが、今のところ害がある訳でもないし気にしない。

 

もぎ取った木の実を指で摘まみ、じっくりと観察した。

大きさは直径2センチ程。トマトのような真っ赤な色に、長いヘタがクルクルと螺旋を描いている。

見ようによっては桜桃の変種にも見えるこの木の実。確かその効能は……

 

 

「麻痺治し。だったっけか?」

 

 

今朝に観た動画で発表された新情報。

ソラに続き彗星の如く現れた、もう一人の救世主。

俺はそんな一人の少女とその相棒の姿を思い出しながら、『クラボの実』と名づけられた小さな木の実を観察していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『皆さんこんにちは‼︎ 今日はなんとゲストが登場‼︎ ビックリ情報も満載でーす‼︎ お送りするのは、もちろん‼︎ ドレミファ〜!』

 

『……ソラ‼︎ はい、私ソラ‼︎』

 

 

毎度お馴染みとなったソラの動画配信。

栗色の髪を編み込んだ美少女を中心に様々なモンスター達が笑顔を浮かべながら画面を覗き込む、そんないつもの姿。

 

 

『それから特別ゲストの〜?』

 

 

だが今回はソラとその相棒達だけで無く、もう一人の人影があった。

 

 

『あー。えっ、と。み、ミドリだ。その……よろしく』

 

 

ミドリと名乗る少女は目立つ事に慣れていないのか、カメラからチラチラと視線を外しながら恥ずかしそうに自己紹介をした。

 

 

『はい‼︎ というわけで、今日の配信は私、ソラとゲストのミドリちゃんとの二人でお送りしまーす‼︎』

 

『お、おう。宜しく、な』

 

 

女性にしては珍しい程のベリーショートの黒髪。

やや厳つさを感じさせるツーブロックの刈り上げに、ツンとすました唇と鋭い目付きはそこらのギャルや不良なんかよりもよっぽど迫力がある。

だがその小さな背丈と整った顔立ち。染み一つ無い雪のような白い肌。

何よりソラには及ばないとは言え、胸元の豊かな膨らみが非常に女性らしい。

 

 

(ソラとはまた違ったタイプの美少女だな。なんつーか、クール系? ツンツンしてそうだけども)

 

 

眼福な事に、ソラに続いての美少女の登場。

そしてそのミドリの隣には体高1メートル弱程のモンスターが静々と控えている。

その様子から見るに、恐らく彼女こそ渋谷コミュニティに合流したテイマーの一人なのだろう。

 

 

ソラ曰く、ゲストのミドリは彼女と同い年の17歳。つまりは俺と同じ、平時だったら高校二年生。

住まいは東京と神奈川の境目辺りで、ソラの配信にて渋谷コミュニティの存在を知り移動を開始。

その途中でパートナーとなるモンスター『ハーブ』と出会い意気投合。

テイマーが未だ珍しい今の時勢、頼り甲斐のあるボディーガードを侍らせているミドリは何度も他のコミュニティに誘われて来たらしい。

だがソラと合流するまでは有象無象の声に一切承諾する事なく渋谷コミュニティを目指し、パートナーとのコンビだけで一直線に向かって来たそうだ。

 

 

『……ミドリちゃんとハーブ君のコンビはとっても強いんです‼︎ ビスケットちゃんとサブレ君の二人で戦っても勝てないぐらいなんですよー‼︎』

 

『いや、あれは、別に。運が良かっただけだし』

 

『そんな事ないよ‼︎ 私も、渋谷のみんなも‼︎ ミドリちゃんの事、凄いなって思ってるんだから‼︎』

 

『お、オレは……別に……』

 

 

ソラのキラキラ輝く笑顔と純度100パーセントの賛辞に耐えきれなくなったのか、ミドリは眉を顰めてすっかり俯いてしまう。

だがその顔は両耳まですっかり赤く染まっており、照れ隠しなのが丸わかりだ。

キツめの顔立ちとのギャップが微笑ましい。

 

 

(一見クールに見えて恥ずかしがり屋の俺っ娘。ってまたキャラ濃いなあ、おい。こりゃミドリも人気出るだろうな)

 

 

今にも百合の花が咲き乱れそうな美少女二人のじゃれ合いを挟みながらも配信は続いていく。

前回の動画を撮影してから五日。

渋谷コミュニティに実を寄せ合う人数はなんと300人を超えたという。

モンスターの襲撃もテイマーを中心に跳ね除け、老若男女問わず避難民全員が一丸となって生活しているそうだ。

現在では希望する避難民に対し積極的にモンスターと関わらせる事で、少しでもテイマーを増やそうと試みているらしい。

 

未だ新たなテイマーが誕生したことは無いが、一部の住民に徐々に懐いてきたモンスターも多数いるのだとか。

万が一好戦的なモンスターが襲いかかって来ても、直ぐにソラを筆頭とした多数のベテランテイマー達が対応できる、渋谷コミュニティならではの政策だろう。

 

今後ますますテイマーを増やし、渋谷コミュニティが単なる避難所からモンスターテイマー達の集まる組合に。

ファンタジーゲームやラノベなんかでお馴染みの、俗に言う『ギルド』や『クラン』のような組織になる未来も夢では無いかもしれない。

 

 

『この動画を見ている皆さん‼︎ 是非、渋谷コミュニティに来て下さい‼︎ 安心安全、私達がしっかりお守りしますからね‼︎』

 

 

同性の話し相手がいるからなのか、いつも以上に上機嫌でトークに花を咲かせながらコミュニティの現状報告は終え、今回の配信のメインに移る。

 

配信の度に彼女のチャンネルは話題になり、掲示板や未だ奇跡的に生きている各種SNS等でも熱狂の渦を巻き起こすのだが、今回のソレはいつもの比では無い。

 

ソラという終末世界の最後の希望の名前が轟いたあの動画。

『奇跡の木の実』の存在を公表した時のものには匹敵する程だ。

 

 

『……はい‼︎ ではでは本日のビッグニュースのお時間です‼︎ 今日のお知らせはこちら‼ ジャジャーン‼︎︎』

 

 

カメラに映るソラの両手に抱えられたのは大きめのザル。

その中には様々な果実がこぼれ落ちんばかり山盛りとなっている。

 

それぞれ個性的で目を惹くカラフルな配色やその造形。

どれもこれもモンスターパニックが始まってから発生するようになった不思議な『木の実』の一種達だ。

 

 

『奇跡の木の実の親戚さん‼︎ 謎の木の実たちの不思議な効果についての発表です‼︎』

 

 

一つ食べればどんな傷も治り、二つ食べれば欠損すら治り。

そして三つ食べれば瀕死の重態ですら無傷の健康体へと全快させる『奇跡の木の実』

 

現代科学へ真っ向から喧嘩を売ったファンタジー世界の謎植物は一種類に留まらない。

黄色地に斑点模様の奇跡の木の実以外にも、世界が豹変してからは様々な異形の果実を身につけた不思議な果樹が、あちらこちらに生えて来るようになった。

今回はその謎に満ちた木の実たちの効能が配信のメインテーマになるようだ。

 

 

『今回の企画はミドリちゃんが個人的に調べてくれた木の実の効果を皆さんにお知らせして、役立て欲しい‼︎ って言ってくれたから実現したんです‼︎ ミドリちゃん、本当にありがとう‼︎』

 

『はあっ⁉︎ そういうの、別にいいから‼︎ マジで‼︎』

 

 

キャッキャウフフと尊い塔が立ちそうな雰囲気が漂うが、割愛。

どうやら先ほどのソラの言葉通り、今回の企画はミドリが発案したものらしい。

 

 

『奇跡の木の実は怪我を治す凄いパワーがありました‼︎ そしてそれ以外の不思議な木の実たちも予想通り、とっても凄いパワーが隠されてたんですよ‼︎ まずはこちら‼︎』

 

 

そう言ってソラが木の実の山から摘み上げたのは4センチ程の一口サイズの桃そっくりな木の実だ。

これには俺も見覚えがある。大の甘党であるスマイルがいつの間にやら抱えて込んでは、おやつにしている。

この拠点の近くにも結構な数が群生しているのだ。

 

 

『モモンの実だな。これは主に解毒作用があるんだ。モンスターの技による毒ならどんな種類でも治せる。毒虫だろうが、毒蛇だろうが、毒草だろうが全快だ』

 

『この木の実は私も食べた事あるよ‼︎ それにサブレ君が怖い虫に刺された時にこの木の実を食べたら元気になったの‼︎』

 

『毒針でも喰らったのか? 虫タイプは毒タイプも複合してる場合が多いから注意した方がいいぜ』

 

(タイプ?)

 

 

ここでミドリの口から聞き慣れない言葉が飛び出してきた。

タイプとは何だろうか。既にモンスター達の共通点を発見し、分類分けにでもしているのだろうか。

 

 

『タイプ? え、えーと……種族とか属性って意味? かな? それにこの小っちゃい桃の実もモモンの実って言ってたけど……もしかしてミドリちゃんが名づけたの?』

 

『えっ⁉︎ いや、それは‼︎ あれだ‼︎ ……知り合いがそう言ってたから、何となく頭に残ってたんだよ、うん』

 

『へえー、なるほどー。でもモモンの実かぁ。可愛くて覚えやすくていいかも‼︎』

 

 

ソラのように変わったネーミングセンスを持っているのか、ミドリの名付けもまた独特のものだった。

ただ、何となく。名付けについてソラに説明したミドリの様子が妙に感じたのは気のせいだろうか。

 

結局、タイプという謎の言葉に再び触れる事もなく動画は続いていった。

 

 

(しかし解毒効果のある木の実ねえ。前にソラもそんなのが有るような事を口走ってたから予想はついてたが、こりゃまたファンタジックなアイテムだことで)

 

 

ゲームなんかでは状態異常の代表格となっている毒。毒は確かに恐ろしい。

平和だったあの頃から、キノコやフグの毒で毎年誰かしら死んでいるし、毒蛇や毒蜘蛛の被害も馬鹿にならない。

 

おまけにファッキンファンタジーなこの世界になってからというもの、明らかに毒を持っていると自己主張しているモンスターはそこら中にいる。

タフなスマイルにとって毒で即死。なんて事にはならないだろうが、ジワジワと効いてくるスリップダメージは痛すぎる。

ゲームのように体力が毎ターンごとに一定値だけ減るならまだしも、全体的なコンディションの不調により十全な力を出せなくなるだろう。

今後、生き残る為にも毒対策は必須だった。

 

 

『毒を消しちゃうだけじゃないんですよ‼︎ 不思議な木の実は色んな種類がありますからね‼︎ ね、ミドリちゃん?』

 

『ああ。モモンの次は……』

 

 

モモンの実を皮切りにミドリは次々と木の実を紹介していく。

麻痺に効くという桜桃のような『クラボの実』に、眠気覚ましになるという青く大きな傘が特徴の『カゴの実』。

パニック状態を治めるという渋柿を小さくしたような『キーの実』など。

ミドリはその特徴と効能。それから自ら名付けた木の実の名前をスラスラと紹介していく。

ソラにわざわざ企画を提案するだけあり、謎の木の実について並ならぬ知識を持っているようだ。

 

 

(にしても名前のセンスが独特だなあ。なんか法則でもあんのか?)

 

 

ミドリ曰く、見た目が似ている既存の果実の名前をもじったものを木の実の名前としているらしい。

桃に似ている『モモンの実』に桜桃に似ている『クラボの実』までは分かる。

だが、果実でも無い零余子を元ネタにした『カゴの実』や柿をもじった『キーの実』なんかは、どこか強引なネーミングな気がするのだ。

 

 

(零余子なんて滅多に見ねーし。それに柿をもじるなら、そのまんま『カキの実』とか『カーキの実』とかでよくないか? まあ、センスは人それぞれって言われたらそこまでの話なんだが……)

 

 

どこか腑に落ちない気もするが、画面越しのソラはそんな細かい事は気にならないようだ。

時おり木の実を齧ってはその味わいや食感を笑顔で語っては、ミドリの説明に凄い凄いと相槌を打ちながら無邪気に、はしゃいでいる

 

 

『凄いよミドリちゃん‼︎ これって凄い発見だよ‼︎ きっとこの動画のおかげで、もっともっと沢山の人が生き残ることができるよ‼︎』

 

『いや、そんな。あんま、持ち上げないでくれよ……オレ、そういうの苦手で』

 

 

ソラの笑顔が眩しいのか、目を反らして頬を掻くミドリの顔は相変わらず真っ赤だ。

ぶっきらぼうながらも満更でも無いその表情は、思わず抱きしめたくなる。

クールでボーイッシュな俺っ娘美少女のギャップ萌えの恐ろしさ。

 

その可愛いらしさは種族をも凌駕するのか、侍るようにして控えていた彼女のパートナーが笑顔で擦り寄って来た。

 

 

『ベイー‼︎』

 

『んなっ⁉︎ おい、こら‼︎ 撮影中だから離れろ‼︎ あ、後で遊んでやるから‼︎』

 

 

照れている自分の主人が愛おしくて堪らないのか、大きな瞳を嬉しそうに細め、からかうようにして頬ずりするモンスター。

パートナーへの愛情をスキンシップでこれでもかと表現している。

ミドリのパートナーである彼の名前は、確か『ハーブ』だったか。

 

 

『あははっ。ハーブ君はミドリちゃんのこと大好きだからね』

 

『いや、コイツがワガママなだけで……だあああ‼︎ はーなーれーろー‼︎』

 

『ベイベイー‼︎』

 

 

前回の動画で紹介された三匹の中では一番身体が大きく、見た目も強そうだ。

進化して一回り大きくなったクッキー君よりも背が高い事を考えると、もしかしたら既にに進化を経験しているのかもしれない。

 

 

(うーん。絶対に強いよな、コイツ)

 

 

そんなハーブの特徴を一言で説明するなら『植物が生えた恐竜』だ。

ひょろりと長い首に、がっしりとした四脚の下半身と短い尻尾は男心を擽ぐる竜脚類そのもの。

体色は若草色。真紅の瞳は大きく、鋭さよりも愛嬌を感じる。

額には角の代わりに大きな葉っぱがピョコンと生え、首元からはアーチ状に何かが生えている。

パッと見は葉っぱの一種にも見えるソレだが、やけに分厚く頑丈そうだ。もしかしたら色づく前の蕾か、種子の一種なのかもしれない。

 

誰がどう見ても、植物に関する異能を持っているモンスターだというのが一目瞭然だ。

 

 

(見た目に関しては今まで見たモンスターで一番カッコいいかもな。にしても植物ねえ……)

 

 

我が相棒であるスマイルは例外としても、今まで出会ったモンスターは鳥や獣など元になった生物が分かりやすく、その生態や行動パターンも想像しやすいものだった。

だが植物のモンスターとなると、どうも直ぐに思いつかない。

 

ゲームなんかで有名なのはマンドラゴラやアルラウネ。それからトレント、マタンゴ辺りか。

俺がそんな事を考えている間にも動画は進み、再びソラとミドリの雑談タイムとなっていた。

 

 

『それにしても、ミドリちゃんって本当に不思議な木の実について詳しいんだね‼︎ 私やクッキー君も知らなかったのに……どうしてそんなに木の実に詳しいの?』

 

『⁉︎……それ、は』

 

(あん?)

 

 

じゃれ合う中で投げかけられた、ふとした疑問。

そんな、なんて事もないソラの言葉にミドリは一瞬。

わずか一瞬ながらも、分かりやすく表情を歪めて硬直した。

 

 

『……ミドリちゃん? どうかした?』

 

『あ、いや。その』

 

 

まるで聞かれたくない事を聞かれたように。

隠し事を指摘されたかのように。

 

 

『……ほら、ハーブがさ。草タイプ、じゃなくて植物が混じったモンスターだろ? だから、なんとなく木の実も気になってさ。色々調べようと思ったんだ』

 

 

ミドリは目を反らしつつ、そう答えた。

 

 

彼女の言葉によると、自分のモンスターが見るからに植物に関係している種族だし、いざ戦闘を任せた時にも、毒々しい胞子を利用して敵にデバフや状態以上をかけるトリッキーな技を使うことから、色々と実験を繰り返したらしい。

特に毒に関しては自爆の可能性もある危険物という事もあり、念入りに実験をしたとか。

 

 

『……ハーブが使う技の粉、っていうか胞子か。敵を毒状態にしたり、麻痺させたり眠らせたり。こっちが敵にかける分には頼りなるけど逆は怖いだろ? なんか解決方法とかねえかなって考えた時にソラの動画を見て、だな』

 

『奇跡の木の実の動画かな?』

 

『ああ、うん。そう、それだ。それで、他の色んな木の実にも変わった効果があるんじゃねえかって思って。まあ、手当たり次第に試したんだよ』

 

『なるほどー』

 

 

ミドリのたどたどしい説明にソラは感心したように瞳を輝かせながら何度も頷いている。

首の動きに合わせてポヨンと跳ねる胸元の大きな果実に目を奪われつつも。

 

どうにも俺は先程のミドリの説明の態度。

そして何よりも、どこか罪悪感を感じているような彼女の表情に、底知れぬ違和感を感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まあ、そんなもん俺が考えたとこで仕方ないから放っておくしかないんだけどな」

 

 

閑話休題。

 

現在、拠点の中には大量の木の実が山積みになっている。

しつこい角芋虫を追っ払いながら半日かけてひたすら目につく木の実をもぎ取って来たのだ。

特に、身体を癒してくれる奇跡の木の実と、解毒剤となるモモンの実はひたすら漁ってきた。

その他の様々な木の実についても、ミドリ曰く『極端に変な味なものはあるが、毒性は無いので非常食に便利』との事なので手当たり次第に採取。

 

その甲斐あって今の俺はご機嫌だ。

悪天候の中による毒芋虫の掃討はかなりの重労働だったとはいえ、目の前の宝の山を見れば些細な事である。

何と言っても久々の鳥肉以外の食事なのだ。

獣臭いタンパク質の塊ばかり食らっていた俺からすれば、色とりどりの木の実はご馳走の山である。

 

 

「ソラの実況では苦がったり辛かったりするのもあるみたいだが、塩味以外なら今の俺には贅沢なもんだ」

 

「ナンス」

 

 

早速モモンの実をモシャモシャと齧りながら、俺の言葉に笑顔でスマイルは頷く。

甘くて美味しいのは分かるが、貴重な解毒剤なので節約して欲しいのが正直なところ。

だが、今日一日ぐらい、細かい話は置いておこう。

何故なら俺も、我慢できなかったからだ。

 

周囲に様々な木の実が生っている事は知っていた。

だが奇跡の木の実以外の味や効能。それから人間に対する毒性が判明していなかった為、どうしても手を出す事が出来なかった。

 

だが今朝のソラとミドリの動画のおかげで無毒だと判明。

おまけに一部の木の実に関しては、ファンタジックな効果まである事が分かったのだ。

これで心置きなく、何の心配もなく、安心して豊かな食生活を送れるというものだ。

 

 

 

「さて、と。んじゃ、試食会を始めますか」

 

 

獲物の種類も徐々に代わり、生活必需品を殆ど消費してしまった以上、物資調達の為の遠征の期日は着々と近づいている。

 

いざという時の貴重な携帯食の味を確かめる為にも。

そして何より、奇跡の木の実のようなファンタジックな効能が本当なのか確かめる為にも。

 

俺は笑顔のまま、目についた苺形の果実を摘んで口に放り込み、その味を噛み締めたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おえええええええええええぇぇぇ‼︎⁉︎」

 

「ソーナンス⁉︎」

 

 

 

 

 

あまりの苦さに直ぐ吐き出したのは秘密だ。

 

 

 

あと皮がめちゃくちゃ堅かった。

 

 

 

 

 




・ベイリーフ はっぱポケモン(くさ)
肉質は筋張っている上に、独特なスパイシーな芳香を放っている為に食用には向かない。
頭の葉っぱはローリエの代用品に使えるので、大鍋でカレーや煮込みハンバーグを作る時に刻んで入れてみよう。


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3ー7

説明回ですね。動きが少なーい


井戸水を満タンに注ぎ入れた500ミリペットボトルが三本。

すっかり水分が抜け、まるで金属のようにカチカチになった『小鳥』の干し肉を大量に。

緊急時の為の『奇跡の木の実』。

それから毒や麻痺、睡眠などの未知の状態異常スキル対策として『モモンの実』に『クラボの実』、『カゴの実』をありったけ集めた。

 

武器は、何度もへし折れ壊れ、砕ける度にダクトテープを巻きつけ、ガチガチに補強した相棒の包丁槍。

それから、投槍として細くカチ割った竹を五本と、本体から肩がけ紐までメイドイン俺のアトラトル。

最後にストッキングと小石を使ったなんちゃってボーラを用意して準備完了だ。

 

 

「これでいつでも遠征に行けるな」

 

「ソーナンス」

 

 

不思議な木の実の試食会から一夜明けた午後。

俺は近々行う予定である遠征の荷造りをしていた。

季節はすっかり梅雨に入ったようで昨晩からシトシトとした雨が降り続いている。

本当だったら少しでもスマイルのレベル上げに行きたいところだが、この天気で無理をして風邪でも引いたら堪ったものじゃない。

暇つぶしも兼ねて、大人しく拠点に引きこもって作業していた。。

もっとも、整理整頓の単純作業な為か十分足らずでやる事も無くなってしまったのだが。

 

 

「まあ、もともと必要な物が足りないから遠征する訳だし。持ってく物なんて殆ど無いんだけどな」

 

「ソーナンス?」

 

「そーなんすよ。戦闘はスマイル任せな訳だし。余計なもん持って行って、リュックの容量減らしたくないしな」

 

 

そんな当たり前の事を確認するようにスマイルと駄弁りつつ、俺は充電が心許なくなってきたスマフォの画面を眺めていた。

そこに映るのは現在地である神奈川県の中南部の一部。平塚市を中心とした県地図を拡大した画像だ。

遠征を決めたその日の内にスクショを撮っておき、暇を見つけてはネットを漁りっては付近の生存者コミュニティ情報なんかを入手しては、画像加工アプリを利用して逐一メモをしていたのだ。

 

 

「ネットの情報をまとめると、神奈川県内で目立ったコミュニティが有る地域は主に三箇所か」

 

 

俺の拠点である古屋から近い順に挙げていくと、一番近いのが鎌倉市の集団。

次点で横浜市の、最後に川崎市のコミュニティ。

奇しくも東側に候補が集中する結果になった。

もちろん西側にも生存者コミュニティはいくつか在るらしいが、一番活発な集団は静岡との県境を拠点にしており、かなり遠い。

合流を考えるには非現実的だろう。

 

 

「必死こいて情報集めたはいいものの、それが本当の事なのかの確証は無いんだけどなあ」

 

「ソーナンス?」

 

「そりゃ、所詮はネットの噂をまとめただけだしな。ソースが提示された訳でもないし」

 

 

ネットの各種掲示板やSNS。

それからソラの動画でお馴染みのとなっている動画配信サイトのサムネイルを、手当たり次第に漁った結果をそのまま地図に書き殴った訳だ。

情報を参考にするだけならともかく、そのまま鵜呑みにすると馬鹿を見るだろう。

 

実際、俺のように個人で細々と生き残っている人間だって居る。

例え集団生活をしている人でも余計な食い扶持を増やさない為に、自分が所属しているコミュニティの存在を隠そうとする者も居て当然だ。

むしろ無法地帯となった今の世界では不特定多数の見ず知らずの人間が集まる、生存者コミュニティには恐ろしくて関わりたくも無いと考える人だっているだろう。

 

 

(最後に信じられるのは自分だけ。ってな)

 

 

無理も無い。

そもそも俺自身がそういう考えのもと、わざわざ人里離れたボロの拠点に引きこもっているのだから。

 

 

「ベストなのはコミュニティに所属する事なく、適当な街中まで遠征して程々に物資をパクってこの拠点に帰還。そしてまた物資が無くなるまで引き篭もる。それをひたすら繰り返して生活する事なんだが……」

 

 

常識が通用しなくなったファッキンファンタジーなこの世界。

一度気を抜けば、寝静まった頃にあの『赤眼の牙狼』以上の化け物が襲ってくるかもしれない。

もしくは最近エンカウント率が増えている『角芋虫』のような毒を持ったモンスターの群れが津波のようにスタンピードを起こし、蹂躙されてしまうかもしれない。

 

もしもの話とは言え今までの経験上、十分にあり得る話だ。

そう考えると、もしもの避難先としてどこかのコミュニティに頭を下げてでも受け入れて貰う。

そんな最後の逃げ道は残しておくべきだろう。

 

 

「まあ、スマイルのレベル上げの為にもっと強いモンスターがいる場所に引っ越しちまうのも有りなんだけどな」

 

「ソーナンス?」

 

「そーなんすよ。お前が強くなってくれりゃ、間接的に俺の安全にも繋がるしな」

 

「ナンス」

 

 

レベル上げの効率以外にも消耗品の補給の度に遠征を繰り返すとなれば、日帰りとは行かない訳で大きなタイムロスとなる。

ならばいっそ、現在の拠点を放棄し大量の物資が眠っているであろう都会の方に引っ越しする。という選択肢は悪くない。

だが、物資が多い場所には確実に人が集まる訳で。

 

 

「豊富な物資に飛びついて拠点を移した結果、知らない内にどこかの大きなコミュニティの縄張りに侵入していて攻撃されました。なんて事になったら笑えないからな」

 

「ソーナンス」

 

 

無用な争いを防ぐ為にも周囲の生存者集団の情報を調べるのは必要事項だ。

だが、果たしてどこまで集めた情報が役立つか。

 

 

「みんながみんな、ソラんとこの渋谷コミュニティみたいに明け透けだったら簡単なんだけどなあ」

 

 

ネット上でソースが不明な情報は信用できない。

そんな事は百も承知だが、ここは不自由極まりない世紀末世界。

いつ電気が使えなくなるか分からない中、ネットで情報収集できるだけでも有難いと思わなければやっていけない。

 

俺は溜息を吐きながらスマフォの画面を拡大する。

画像加工アプリによって赤マーカーを模したメモ書きが乱雑に広がる中心に、鎌倉市の文字が写った。

 

 

「鎌倉かあ。小学校の時の修学旅行で行ったきりだなあ。」

 

 

大仏や神社で観光地として有名な鎌倉市。

中でも一際大きく、有名な神社である鶴岡八幡宮を主な拠点としているのが鎌倉コミュニティだ。

避難民の数は30人から50人程度と、やや規模の小さい集団のようだ。

 

どうやら過去には数百人規模の集団で暮らしていたそうだ。

だが、人の気配が原因か生活音に誘き寄せられたのか。

何処からともなく現れた大量のモンスターの襲撃により散り散りに。

命からがら逃げ延びた生存者が再び合流した時には、僅か50人足らずしか生還できなかった。

現在は数人の警察官が中心メンバーとして集団をまとめ上げ、いつか来る筈の救助を必死で待っている、とのこと。

 

 

(この期に及んで、まだ救助を待ってる人間なんか居たのか。まあ、現実逃避したくなる気持ちも分かるけど)

 

 

戦車や戦闘機を始めとした完全武装の自衛隊が、モンスターの集団に近づく事も許されないまま、一瞬のうちに全滅した動画は今ではすっかり有名だ。

あの動画を一度でも観れば、第三者の救助を待つ。だなんて考えは捨てざるを得ないだろう。

 

そもそも本当に自衛隊や政府側の人間が生き残っているならば。

積極的にモンスターを仲間にし、コミュニティの領土を拡大して治安維持に貢献しているソラを始めとした、名の知れたテイマー達に接触を図っていてもおかしく無い。

にも関わらず、本来なら人々を救う側の警察官までもが救助を待っている現状。それはあまりにも、絶望的ではないか。

 

 

(まあ、警察官だってピンキリだろうし。下っ端の人間は政府の対策や方針を知らされる事なんて無いのかもな。とにかく待ちの姿勢しかしていない鎌倉コミュニティは行く価値無しだな)

 

 

静かに滅びを待つ事になるだろう鎌倉コミュニティの人々にどこか哀れみを感じつつも、俺は素早く画面をフリックすると同時に心を切り替えた。

 

次に画面に映るのは横浜市だ。

神奈川県の県庁所在地であり、中華街やランドマークタワーなどの名所を幾つも抱えている大都会。

その横浜を拠点としているコミュニティはかなりの数があるようだが、特に目立つ集団は三つだ。

 

一番情報量が多く、なおかつその規模も大きいのは、某総合病院を拠点とした生存者コミュニティ。

通称はそのまま、『病院コミュニティ』だ。

避難民の数は凡そ200人前後とかなりの大世帯。

コミュニティ内を撮影した画像や動画は見つからなかったが、どうやら『雷を操る二匹の兎型モンスター』を使役するテイマーがこのコミュニティのリーダーらしい。

リーダー以外にもテイマーが居るのか、『二つの頭を持った不思議な竜』や『番いで飛び回る巨大な蛍型モンスター』の目撃情報も多々寄せられている。

 

 

 

(やっぱりテイマーが指揮しているコミュニティがあったか。しかし雷を使う兎って……ソラのパートナーのビスケットちゃんと似た種族か?)

 

 

ソラの動画で活躍するビスケットちゃんは戦闘以外にも電化製品のバッテリー代わりとして大活躍していた。

奇跡の木の実のおかげで医薬品の価値は下がったとは言え、十分な設備を備えた総合病院の中で電気が使えるとなれば、かなり恵まれた環境だろう。

横浜市内で最大のコミュニティとして名高い理由も納得だ。

 

 

残る同市内の二つの集団に関しては病院コミュニティ程の詳しい情報は掴めず、虫食いだらけの話となる。

だが、各集団の特色はそれぞれハッキリとしていた。

 

某工業高校を拠点とした『高校コミュニティ』の面々は授業で学んだ事を活かしてでもいるのか、各々の武装を自作し、学び舎もガンガン魔改造。完全に校舎を要塞としているそうだ。

噂では改造銃や地雷なんかも作っているとか。

いくら工業系に力を入れている学校の生徒とは言え、果たして本当にそんな物騒な銃火器までも作れるのかは大きな疑問ではあるのだが。

はっきりとした避難民の数は不明だが、雰囲気としてはなかなかの大人数が身を寄せているようだ。

 

どちらかというと「ヒャッハー‼︎」という雄叫びが似合う武闘派の集団らしく、積極的に周囲の物資を回収しては領土を広げ、小さなコミュニティを次々に飲み込んでいる。

未だ人間同士の争いで死者は出ていないものの、怪我人が何人も出ているのだとか。

『炎を纏う黒い鼬』の目撃情報が多数寄せられている事から、テイマーが所属しているのは確定だろう。

 

 

(銃火器に炎を操るモンスター。ってまた物騒な組み合わせだな、おい。敵対だけはしたくねえぞ。……んで、もう一つのコミュニティは。っと?)

 

 

最後のコミュニティは市立の巨大な図書館を拠点としている、通称『図書館コミュニティ』だ。

この集団はネット上で積極的に避難民を募集しており、豊富な物資をこれでもかとアピールしている。

現在避難している人数は23人とやけに具体的な情報まで掲載しているのも印象的だ。

 

だがこのコミュニティ。かなり変わった趣味趣向の人間がリーダーをしているのか、肝心の避難民の募集内容の方が訳あり。

『このコミュニティ内で保護する条件は中学生未満の児童に限る』とあからさまに変な条件をつけている。

果たして何の意図があって年齢制限を設けているかは不明だが、まあ、どう考えても怪しい。

ネット上ではこのコミュニティの評判は非常に悪く、『ロリコンやショタコンの小児性愛者がハーレムを作るための罠だ』。等とボロクソに叩かれる始末だ。

テイマーが所属しているかは不明だが、図書館近辺で『宙に消える化け狐』の目撃情報が多数寄せられているのも胡散臭さに拍車を掛けている。

 

 

(なんつうか、『高校コミュニティ』も『図書館コミュニティ』も物騒な集団だな。方向性は全く違うが)

 

 

横浜市内には他にもそこそこの規模のコミュニティが多数存在しており、場合によっては限られた物資で貿易紛いのやり取りをしている者達もいるのだとか。

軽く調べただけでここまで情報が集まるという事は、この町にはかなりの人間が生き残っているという事だろう。

 

 

(もし避難するなら鎌倉よりも横浜方面に行くべきか? でも人口が多いとその分、面倒事に巻き込まれるリスクも上がるしなあ)

 

 

頭を悩ませながらも画面をフリック。写ったのは最後の候補地である川崎市だ。

横浜に次いで賑やかな地域で、工業地帯としてもそこそこ有名な場所だ。

一部では神奈川県内の中でも、度を抜いて治安が悪い地域。等とネガティブな噂も聞くが、その影響なのか川崎市のコミュニティ事情はかなり混沌としていた。

 

まずザッと調べただけでも生存者コミュニティそのものの数が非常に多い。

活発に活動している筈の横浜市よりも倍以上存在するのは確実で、駅ビルや市役所。ホームセンターや競馬場にハローワーク施設。

更には高層マンションや高級住宅街の一画を住人を追い出して堂々の不法占拠。

そんな勢いのまま旗揚げした小さなコミュニティ達が、街中でひしめく様にビッシリと密集しているのだ。

 

それから、この地域は非常に治安が悪い。

軽く調べただけで、毎日のようにしてコミュニティ同士の物資の奪い合いが発生している事が分かった。

喧嘩やトラブル等と生易しい話では済まず、人間同士の殺し合いが日常茶飯事と化しており、既に多くの死人が出ているのだとか。

 

更にタチの悪い事に、モンスターを従えたテイマーの目撃情報もチラホラとあがっている。

 

『宝石の瞳を持つ悪魔』を従える火事場泥棒。

『巨大クワガタ』と共に暴れまわる少年。

『催眠術を操る黄色の獣人』と悪事を働く男。

『何でも呑み込む真っ青な怪鳥』と共に物資を強奪する女。等々。

 

そうしたモンスター達とタッグを組んだテイマーを中心に。

コミュニティ同士が、もしくは各々個人個人が好き勝手に暴れ回る。

常にどこかで血みどろの闘争を繰り広げ、勝者が敗者の全てを略奪していくのが日常と化しているのだ。

 

先に名前が挙がった、横浜市内では一番の武闘派である『高校コミュニティ』が可愛く思える程の混沌っぷり。

力こそ正義。その言葉が全てを表す世紀末世界を体現した、地獄のような魔境がこの地域なのだろう。

 

 

(ヤクザ者や半グレが暴れてるのか、それともモンスターの力に酔って気が大きくなった馬鹿が暴れてるのか。どっちにしろ年中戦争やってるこの辺りに避難するのは無しだな)

 

 

何があってもこの近辺には近寄らない事を決意し、俺はスマフォを放り投げた。

鎌倉方面には、わざわざ合流する程のメリットが感じられない。

川崎近辺はそれ以上に死んでも近づきたく無い。

 

となると、残った選択肢は必然的にただ一つ。

 

 

「もしもの時は横浜方面に逃げて、大手のコミュニティを目指して避難する。が現状のベストだな」

 

「ナンス」

 

 

俺の現在地である平塚から横浜までは、元々電車で一時間かからない程度の距離だ。

もちろんこんな時代に電車どころか車も無い訳で、いざ移動するとなると何日もかけての徒歩による行軍になるだろう。

それ相応の危険も伴うだろうが、渋谷コミュニティに合流するよりかは距離的に考えて現実的だ。

 

 

「まあ、あくまで最悪の話だ。極限状態における人間関係のトラブルが楽しめるのなんてなんてフィクションだけの話だっつうの」

 

 

散々ここまでダラダラと考えたが、どこのコミュニティにも属すること無く一人と一匹での生活を続けたいという意思は変わらない。

スマイルのレベルを上げながら仲間のモンスターを増やし、戦力を蓄え未知の敵に備える。

 

そんな安心安全の引き篭もりライフこそが俺の理想の生活なのだから。

 

 

「さて、と。もしもの話はこれまでとして、間近に迫った問題を考えなきゃな」

 

 

そうボヤキつつも頭を切り替え、遠征について考える。

 

 

「一応、欲しい物資をリストアップしたけど。最優先はやっぱ水と食料だよな。久々にポテチ食いながらコーラ飲みてえよ」

 

「ナンス?」

 

 

井戸がいつ枯れるか分からない。獲物がいつまで獲れるか分からない。

そんな不安定なサバイバル生活の必需品は水と食料だ。これは間違いない。

 

次に俺が欲しいのは武器と防具だ。

ダクトテープを巻きすぎて、もはや原型を留めていない包丁槍に代わる武器は身を守る為にも必要だ。この際、金属バッドやゴルフクラブでも構わない。

防具についてはあまり期待はしていないが、丈夫な作業着や鉄板入りの安全靴が。

そして何よりも、急所である頭部を守るヘルメットなどが是非とも欲しい。

奇跡の木の実のおかげで腕が千切れようが、脚が避けようが全快出来るとは言え、即死してしまったら流石にどうしようもない。

 

いや、もしかしたらドラクエでいうザオリクのような死者復活のスキルもあるのかも知れないが……

 

 

「スマイル。俺が死んだら復活させる蘇生スキルとか持ってない?」

 

「ナンナンス⁉︎ ナン‼︎ ナン‼︎」

 

「無いよな。知ってた」

 

 

タダでさえ天才的なタンクの素質を持つスマイルに、復活スキル持ちの上級ヒーラーとしての素質を願うのは流石に無理な話だ。

そもそも、いくらファンタジーに侵食されたこの世界とは言え、死者を蘇らせるスキルなどあるのだろうか。

 

 

「まあ、そんな事はさておき。水と食料、武器防具の次は……服だな」

 

 

現在の俺の服装は長袖のTシャツとジーパン。それから暑くなってからは着ることも古屋の隅に放置されている黒のパーカーのみ。

この拠点に辿り着くまでに何着かは『お世話になった』民家などから勝手にパクって来たが、全然足りない。

暑い中の鍛錬。毎日の戦闘。獲物の解体。

そんなルーティンが1ヶ月近く続いているのだから、文字通り血と汗と涙が染み込んで上から下までボロボロのシミ塗れだ。

 

 

(シャツはともかく、下着にズボンは新しいの欲しいよなあ。年がら年中、同じ物を着てるのも気分悪いし)

 

 

特に下着とジーパンに感しては例の『赤眼の牙狼』との戦いで盛大に『汚して』しまった為、今着ているものが一張羅の状態だ。

衛生面から考えても今の状態は好ましくない。

それから今後もスマイルとの引き篭もりサバイバルを続けるならば、夏が明けた後の事も考えなければならない。

上着はパーカーが一枚のみの現状では、秋はともかく日本の冬を乗り切る事は不可能だろう。

 

 

(今の時期はともかく、厚手の服は欲しいな。あ、そういや遠征する時に久々にパーカー着てくか。気休め程度でも露出が減れば防御力的なのが上がりそうだし)

 

 

俺はふとそんな事を思いつき、愛用していたパーカーを拾い上げて皺を伸ばす。

久々に触ったからか厚手のスウェット生地がやけに重く感じた。

例年よりはマシな温度とは言え、サウナのように暑い日本の夏空の下で、この真っ黒なパーカーを着るなど、自殺行為のような気もする。

だが一歩外に踏み出せば未知のモンスターが襲いかかってくる魔境なのだ。

熱中症の心配よりも、腕の一本を食い千切られないように少しでも備える方が大事だろう。

丁寧にパーカーの皺を伸ばし折りたたむ。衣服以外にも必要な物はもり沢山だ。

 

いい加減、塩漬けの干し肉以外にも保存食を作れるようになりたいので、簡易式の燻製機やスモークチップなんかがあったら是非とも持って帰りたいし。

フライパンや包丁を始めとした調理器具だって足りていない。

火種となるライターやマッチは幾ら有っても足りないくらいだし、古屋の補強をする為にも釘や螺子。金槌やドライバーといった工具だって必要だ。

 

やはり考えれば考えるほどに必要な物が増えていく。

 

 

(となると、狙い目なのはやっぱホームセンターやアウトドアショップ、かな)

 

 

パニック映画やゾンビ映画などで立て籠もる際の拠点として良く登場するホームセンターだが、こうして追い込まれた状況になってみると、成るほど確かに。

フィクションとは言え多数の作品にてセーフゾーン扱いされるのも納得の便利さである。

 

最も、映画のようにチェーンソーを武器にしてゾンビや化け物に立ち向かう真似はするつもりも無いが。

 

 

「ま、そんなところかね。雨が止む頃を目処に出発するか」

 

「ソーナンス?」

 

「もうだいぶ長いこと降ってるしな。あと二、三日もしない内に梅雨も明けするだろ」

 

 

遠征先の目標を決めた俺はスマイルの頭を軽く撫で、大きく背伸びをした。

雨のせいで長いこと引き篭もっているからか、身体が鈍った気がする。ポキポキと身体中から骨が鳴った。

命がけのサバイバル生活を続けている身からすれば、どうにも最近は力を持て余し気味だ。

 

 

(無事に帰って来れるに越した事は無いが、多少は身体を動かしてえな。都心の方にはどんなモンスターがいるのかねえ)

 

 

スマイルのレベル上げに役立つ程度に強く。それでいて、こちらの命を脅かさない程度の強さでいる事を願う。

新しく仲間になってくれるような人懐っこいモンスターが居れば、なお良しだ。

 

 

(ゲームじゃあるまいし、そう上手くもいかないか)

 

 

あまりの退屈からか、そんな都合の良すぎる贅沢な妄想を浮かべている自分に気付いて思わず苦笑いを浮かべた。

ふと横を見れば、いつの間に卵を抱えたスマイルがご機嫌な様子で調子外れの鼻歌を歌いつつ卵を磨いている。

ここ最近の相棒の日課の様子は、何度見ても癒されるものだった。

 

 

「さて、と。とりあえず飯でも作るかね」

 

 

すっかり日常の一部と化した相棒の愛らしい仕草に笑みを浮かべつつ、どこか気の抜ける鼻歌をBGMに、俺は少し遅めの昼飯の支度を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日。

俺達が寝静まった深夜。三つもの異変が起きていた。

 

 

 

まず一つ。

 

スヤスヤと眠るスマイルの腕に大事そうに抱かれた大きな卵。

そんな相棒の大切な宝物が、ほんの一瞬。

僅かに跳ねるようにしてピクリと動いた事。

 

 

そしてもう一つ。

 

古屋の背後に広がる竹林の奥。

まるで呼吸をするかのように木々全体が不気味に蠢き、獣が低く唸るような羽音が徐々に大きく響き始めた事。

 

 

 

 

 

 

それから最後にもう一つ。

 

遠征用に準備して丁寧に畳んでおいた黒いパーカーが。

スゥッと音も立てず、まるで幽霊のように室内を徘徊していく。

 

やがて誘われるようにして、俺の頭上でピタリと止まり。

 

まるでその生態を観察するようにして。

 

 

「……」

 

 

愛用のパーカーに取り付いた『ナニかが』俺の寝顔をじっくりと眺めていた事に。

 

 

 

 

 

当時の俺は、気づく余地も無かった。

 

 




・ビードル けむしポケモン(むし/どく)
その味わいは、巨大な蜂の子そのまんま。額の角の周囲には毒腺がビッシリと張り巡らせているので、調理に慣れてない人間は頭部を切り落としてから頂こう。


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3-8

長らくお待たせしました。


 

非日常は突然に。

モンスターパニックの始まりが唐突だったように、厄災というのは特に前触れなくやってくるから厄介な話だ。

 

ノンフィクションとフィクションの壁は次元を隔てるだけあり、果てしなくぶ厚い。

とは言え、今まで実在しなかったファンタジックなファッキンモンスター供が蔓延る幻想にじわじわと侵略されていくこの世界。

理不尽とは言え、こうして現実世界がフィクションみたいな設定に改変されているのだ。

せめて映画のプロローグのように思わせぶりな前振りがあったらいいのに。

 

そんな事を未だ願う俺は、まだこの世界に適応しきれていなかったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シイイイッッ‼︎」

 

 

現実逃避を半分、八つ当たりをもう半分込め、俺は叩きつけるような勢いでアトラトルを振りかぶる。

空気を切り裂く音が鼓膜を揺さぶると同時にセットしていた竹槍が弾丸のような勢いのままぶち込まれた。

 

 

「ビギャッ‼︎」

 

 

七、八十センチぐらいに切り分けた竹筒を四分割になるようカチ割り、先端を削って尖らせる。

小学生の図画工作並みに簡単な作りの投槍は一直線に突き進むと獲物である害虫の頭部を見事に貫通。

ターゲットは巨大な芋虫だというのに、まるで絞め殺された豚のような断末魔をあげると同時に、古びた木の床に串刺しとなる。

二度三度、必死になって身をよじるも無駄な抵抗だ。

数秒もかからぬ内にビクビクと身体を仰け反らせるよう痙攣した後、動きを止めた。

 

 

(殺った)

 

 

間違いなく仕留めた。

 

 

が、その瞬間。

俺の油断した隙をつくようにして天井から消火器が噴出するような勢いで、真っ白い何かの塊が吹き出して来た。

 

 

「あっぶね⁉︎」

 

 

慌てて俺は転がり込むようにしてソレを避ける。

瞬時に身を翻して受け身を取り、その勢いを殺さないようにして床に落ちていた未だ作りかけの竹槍を咄嗟に掴む。

身体を跳ね起こす勢いと共に天井に向かってぶん投げると天井から不意打ちしてきた角芋虫の胴体を貫通し、竹槍はそのまま天井に突き刺さった。

ボタボタと垂れ落ちる、巨大な虫どもの体液が鬱陶しいが、休む暇など無い。

 

 

「ビイイイイ‼︎」

 

 

新たに侵入してきた大きめの個体が叫びながら一直線に突進。

ご丁寧に頭に生えた角がしっかりと此方を狙っている。串刺しにする気なのだろう。

 

 

「スマイル、カバー‼︎」

 

「ナンス‼︎」

 

 

ただ一言でスマイルが瞬時に俺の目の前に飛び出し、肉壁となった。

相棒の反射スキルの威力を知っている俺は、突進してくる個体をスマイルに任せ、振り向いた。

 

 

「おいおい、何匹居るんだよマジで」

 

 

サァッと体温が下がり、顔面が引き攣るのを自覚する。

 

うじゃうじゃ、と。

 

まさにそんな言葉がピッタリの惨状は、床にも壁にも、天井にも。

そして拠点の壁に空いた、大きな穴から次々と侵入してくる角芋虫の大群が此方に狙いを定めているのだ。

 

バキン! と何かが割れるような音と大きな衝撃が背後から響いてきた。

恐らくスマイルが反射によって一匹片付けてくれたのだろう。

だがとてもじゃないが一匹殺した程度で喜べる程、楽観的になれる状況では無かった。

 

 

「くたばれファッキンファンタジー‼︎」

 

 

こちらに這い寄ってきた一匹を蹴り飛ばしながら、ダクトテープを巻きすぎて真っ黒に染まった歪な包丁槍を構える。

飛び道具の在庫が無くなった今、唯一の武器だ。

ゴム毬のようにポーンと飛んでいった角芋虫が腐りかけていた古屋の壁を豪快に突き破って飛んでいく。

あまりの衝撃に身を竦めている害虫供を一匹でも早く駆除するために、再び武器を振るいつつ、どうしてこんな状況になったのかと俺は思い返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

世界が崩壊し、命がけのサバイバル生活が始まってから幾ばく。

五月の穏やかな陽気がもはや懐かしい。季節は初夏。湿っぽい梅雨の時期へと突入していた。

 

何度も命の危機に瀕して来たが慣れとは恐ろしいもので、俺はこの生活に確かな充実感と仄かな幸福感すら得ていた。

 

朝の鍛錬。手作りで不恰好ながらも愛着の湧いた槍を手にとっての狩り。大切な相棒であるスマイルのレベル上げ。

一人と一匹、仲良く二人並んでソラの動画を鑑賞する就寝前の僅かな時間。

そして、程よい疲労感のまま寝袋に包まる睡眠して一日を終える。

 

こんな日々のサイクルがなかなか幸せだった。

 

 

そして朝日が昇り、新たな一日がまた始まろうとする。

寝袋の中、幸福な微睡みに浸る俺の腹部に僅かな重みがゴソゴソと動いている。

 

 

「……ん〜……降りろよぉ、スマイル」

 

 

小さな相棒はまだまだ甘えん坊なのだ。

早く目が覚めてしまって甘えて来ているのだろう。

常日頃から俺にベッタリでなかなか可愛い奴だとは思うが、それでも睡魔には勝てはしない。

 

全く。進化して少しはしっかりしたかと思ったのに、まだまだ赤ん坊もいいとこだ。

 

 

(……ん?)

 

 

と寝ぼけ頭で考えるが、ふと違和感を覚えた。

 

 

(いやいや。そうだ進化したよな、ちょっと前に。そんで身体もデカくなって体重も増えたよな?)

 

 

いや、進化を経た現在もスマイルは俺と比べれば小柄だし体重も十分に軽い。

だが、それにしても今こうして自分の腹の上に乗っかっているのが相棒だとすると、あまりにも小さく、何よりも軽過ぎるではないか。

 

 

(つーか冷静に考えてみりゃ進化してからは流石に俺にベッタリなんて事も少なくなったし、そんなスマイルがいきなり寝てる俺に甘えてくるのも変だぞ?)

 

 

漸くそこまで考えが至ると同時にハッと目を開き、即座に周囲を見回す。

 

 

「ナンスゥ……スゥ……」

 

 

右隣にはいつものように壁にもたれ掛かって器用にも立ったまま熟睡しているスマイルの姿。

 

 

「ビィ?」

 

 

それから俺の腹の上に居座る角芋虫さんの姿が。

あらやだ朝からなんて大胆なのかしら。

 

 

「……」

 

「スゥ……スゥ……」

 

「ビィー?」

 

 

スマイルの寝息を背景にしばし見つめ合う俺と角芋虫。

見つめ合うと素直にお喋りできない。そんな歌詞が頭を過ぎると共に時は過ぎ行き、俺は優しく。

それはもうこれ以上ないほどの優しい笑みを浮かべて挨拶してあげた。

 

 

「やあ、おはよう。素晴らしい朝だね?」

 

「ビィ? ビイビーィ」

 

 

俺の明るい笑顔とご機嫌な挨拶に釣られてか、腹の上の芋虫も嬉しそうに目を細めて思わずニッコリ。

巡り合えた時からまるで魔法にかかったかのような光景に、俺は笑顔のままゆっくりと身体を起こして……

 

 

 

「死ねやオラアアアアアァァァ‼︎」

 

「ブビギュウウウウゥ⁉︎」

 

 

力の限りその顔面をぶん殴り、飛び出すように寝袋から脱出した。

 

 

「ナンナンスゥ⁉︎」

 

 

寝床の近くに備えてあった装備類を慌てて引っ手繰り、角芋虫の悲鳴で飛び起きてあたふたしているスマイルの隣まで駆け寄って身構える。

 

 

「嘘だろ。おい……」

 

 

そこで目にしたあまりの光景に、頭に昇っていた血がサァッと降りて僅かに残っていた眠気は粉微塵に吹き飛んだ。

 

床にも、壁にも、天井にも。

視界のどこかしらには角芋虫が這い回り、拠点内は半ば奴らに占領されている光景だった。

 

頭の毒針を利用したのだろう。

竹林に面していた古屋の壁はボロボロに腐り果て、大型犬程度なら楽々通り抜けられる大きさの穴がポッカリと空いていた。

こちらが寝静まった深夜、奴らは物音一つ立てずに拠点を破壊して侵入して来たのだろう。

 

 

 

 

そしてたった今、仲間の一匹が俺にぶん殴られ瀕死にさせられたのを見て。

 

 

「「「「「ビイイイイィ‼︎」」」」」

 

 

全方位から殺気立った威嚇の鳴き声をあげた。

 

 

こうして最悪の一日は、相変わらず前触れのないままに始まったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キリが無えよ畜生‼︎」

 

 

横薙ぎに叩き付けるようにして包丁槍を振るい、眼下で突進しようと身構えていた角芋虫をまた一匹吹き飛ばす。

目の前の虫型モンスターの体液でベトベトに汚れた包丁の刃先はすっかり切れ味を無くし、もはや刃物としては使えまい。

それでも長物としてのリーチがあるので鈍器の代わりに振り回しては敵を牽制するぐらいには役に立つ。

 

だがこうも延々と戦闘を続けていると体力が削られていく。

汗が吹き出て、息が上がる。その時だった。

 

 

「あがっ⁉︎……っ痛ぇ‼︎」

 

 

目の前で横倒れとなった獲物に留めを刺そうと踏み込んだ直後。

皮膚を突き破り肉が抉れ、寒気の走るような未知の触感。やがて遅れて走り来る、燃えるような激痛。

 

 

「ビィッ‼︎」

 

 

左足首の痛みに歯をくいしばって耐えながら目をやると、そこにはジーンズごと串刺しにせんと頭上の毒針を踝の辺りに無遠慮に突き刺す毒虫の姿があった。

 

 

「ああ‼︎ 糞っ‼︎」

 

「ビッ⁉︎」

 

 

刺された脚を大きく振り上げ、角から思いっきり引き抜き、その勢いのまま踵を振り子のように引き戻し、憎きモンスターの顔面に踵をぶち込む。

角芋虫は無駄に蹴り心地のいい感触でポーンと放物線を描く。

 

 

(あああああ痛え痛え痛え痛えよ畜生‼︎ 俺が何したってんだ糞虫が‼︎)

 

 

傷口から血液が吹き出し、痺れるような激痛が走る。

身体が強張り、痛みに泣き叫びたくなる衝動をグッと堪えるも喉の奥からは堪えきれない苦悶の悲鳴が僅かに漏れた。

 

耐久性が売りだった筈のデニムズボンには哀れにもポッカリと穴が空き、藍色の生地を染めるようにして赤黒い俺の血潮が滲み出ている。

アドレナリンが吹き出している戦闘中だからこそ、どうにか我慢が出来ているが、当たりどころが少しでもズレていたらアキレス腱がぶち破られ、即歩けなくなっていただろう。

おまけにその一撃には、木材を一気に腐らせる程の猛毒つきだ。

 

 

(スマイルのスキルで毒を防いでくれて無かったら、今ので確実に死んでたぞ‼︎)

 

 

燃えるような激痛に止まらない脂汗。

早急に治療したいところだが、状況はそれを許してはくれない。

左足を庇いながらも周囲を警戒しつつ、相棒の様子をチラリと見やる。

 

 

「ソー‼︎ ナンスゥ‼︎」

 

「ビギャッ⁉︎」

 

「ビビイッ‼︎」

 

 

狭い小屋の中を器用に跳ね回り、反射スキルを存分に活かして大暴れするスマイルの身体は俺と同じように銀色の神秘的な輝きに包まれていた。

あらゆる状態異常から身を守るスキル『守護のオーラ』。

この幻想的なベールが俺と相棒を包んでいる限り、角芋虫の最大の脅威である毒攻撃を無力化してくれているのだ。

 

 

ひ弱で惰弱な種族人間ですら、槍を振るえばほぼ一撃で。

むしろ武器すら無くとも勢いをつけた蹴りを何発かぶち込めばあっさりと死ぬ。

動きも鈍く、魔法のようなスキルも持たない格下であることから、普段の戦闘では油断さえしなければ無傷で倒せる雑魚代表。

常識外れな膂力を持ったモンスター達の中で、ある意味では常識離れした弱さを見せる角芋虫。

 

 

(雑魚の癖に群れやがって……‼︎)

 

 

だが、それが数匹。数十匹。

しかも狭い小屋の中を埋め尽くすようにして群れているなら話は別だ。

 

たった一撃。

俺達を守る陽炎のように揺らめく一枚のオーラ。

非常に薄っぺらい、一見すると頼りないこの銀の抱擁が消えてしまえば、俺達にとってはたった一撃ですら致命傷だ。

頭頂部で怪しく光る毒液塗れの大きな角が直接皮膚に掠りでもしたら、一体どんな恐ろしい事になるのだろう。

 

 

(化物に食われるのも御免だが毒物で苦しんで死ぬのも御免っだっつうの‼︎)

 

 

獲物を振るう度に小屋の中を角芋虫の死骸が埋め尽くしていく。

果たしてどれ程の時間を戦っていたのか、壁の穴から新手が沸ぎ出てくるペースがようやく落ち着いて来たように思える。

 

この無限に続くかと思われた害虫駆除にも終わりが見えて来た。

 

 

「ビィッ‼︎」

 

「げ⁉︎」

 

 

その時、壁に引っ付いて様子を伺っていた個体の口から勢いよく白い何かを噴射した。

ガス漏れのような特徴的な音と共に飛び出して来たのは煙でも液体でもない。

 

 

(これ、糸の塊か⁉︎ 粘ついて足が動かねえ‼︎)

 

 

キラキラと輝く、か細い糸の束は俺の左足に着弾すると異様に強力な接着力で床に完全に固定してしまった。

 

 

(蜘蛛でも無えのに何でこんなに頑丈な糸を……全然取れねえ‼︎)

 

 

必死でもがく俺に追い打ちをかけるかのようにもう一匹の角芋虫が勢いつけて突進してくる。

毒針を剥き出しにした体当りを仰け反るようにして何とか躱した。

 

 

「痛っ‼︎」

 

 

だが床に叩き付けるようして着地した衝撃で負傷していた左足に大きな負担がかかり、激痛。

そのまま身体を支えきれないまま、ひっくり返るようにして仰向けに転倒してしまったのだ。

 

 

「ビィーッ‼︎」

 

「んなっ‼︎ や、やべえっ⁉︎」

 

 

モンスターはその隙を見逃してくれない。

突進を躱された角芋虫がUターンして全速力のまま、俺の顔面に向けて突っ込んで来た。

倒れた衝撃で手持ちの武器は全て投げ出してしまい、左足は負傷した上に右足は粘着性のある糸で固定されていて動きが取れない。

まさに万事急須だ。

 

 

(避けられ無ぇ‼︎ なら、とにかく即死だけは避ける‼︎ 痛みは気合いで我慢だ畜生‼︎)

 

 

あの速度のまま額に毒針を刺されたら、先端が脳みそまで貫通して即死だろう。

流石に奇跡の木の実でも死んでしまっては治せない。

 

必死の思いで姿勢を丸め両腕で頭部をガードする様はボクサーのようにも見えたかもしれない。

もっとも横倒れのまま痛みと恐怖で半泣きになりながら迫り来る角芋虫の突撃に備えている俺の姿はたいそう無様なことだろう。

 

 

「ビイイイィィィィッ‼︎」

 

「ああああああ来るな来るな来るな畜生‼︎」

 

 

迫り来る毒針への恐怖に思わず幼児が駄々をこねるように無様に叫びながら、身体を堅くして必死になって頭部を庇い衝撃に備える。

 

 

その時。

 

 

「ビギッ⁉︎」

 

 

突進する角芋虫を真横から吹き飛ばす勢いで黒い何かが飛んで来た。

 

 

「はっ?」

 

 

あたふたともがく角芋虫に絡みつく大きめな布地には見覚えがある。

枕元に置いてあった、俺のお気に入りのパーカーだった。

 

 

(な、なんでパーカーが飛んで来た? スマイルがぶん投げたのか? いや、そんな事より今がチャンス‼︎)

 

 

思わぬ横槍に一瞬、惚けるも、このチャンスを逃す訳にはいかない。

疑問だらけの思考を放棄し、グッと身体に力を込めて手を伸ばし、落とした包丁槍を掻き寄せるようにして手に取り素早く反転。

奮闘の末、ようやくパーカーから脱出した角芋虫がこちらに気付く頃には、既に俺は包丁槍を逆手に構えて力いっぱい振り下ろす直前だった。

 

 

「死ねや糞虫があああああ‼︎」

 

「ビギッ……⁉︎」

 

 

頭蓋から一直線に串刺し。

トマトが弾けるようなブチュリとした音を立てて体液が辺りに散乱。

それと同時に響いたドシンといった衝撃音に振り向く。

そこにはスマイルの反射スキルの餌食になったであろう、最後の一匹となった角芋虫が壁に叩き付けられ、ズルリと床に寝そべったところだった。

 

 

「ソーナンス?」

 

「おお、無事か。スマイル」

 

 

俺の隣には無数の角芋虫をあっという間に蹴散らした相棒が心配そうな表情をしながら、奇跡の木の実をヒョイと手渡してくれた。

こちとら死に掛け騒ぎまくったというのに、スマイルには目立った傷跡は一切無い。

か弱い種族人間との実力差に思わず泣きそうになりながらも、俺は木の実に噛り付いた。

 

 

「あー。兎に角、芋虫地獄は終わったみたいだな」

 

「ソーナンス」

 

 

ぽっかりと空いた壁の穴から援軍の様子は見られない。

木の実を飲み込むと同時に左足の震えと激痛も、緊張と疲労による怠ささえも、まるで全てが夢だったかのようにあっさりと消えていく。

 

 

だが現実は厳しかった。

床一面に散乱している数え切れない程の角芋虫の死骸とその体液。

あちらこちらに貼り付いている粘ついた糸の塊に、四方八方に突き刺さっている竹槍。

見るも無残に成り果てた我が愛する拠点はボロボロという言葉ですら生易しく感じる、見るも無残な状態だった。

 

こんなことなら意地を張ってまで小屋の中で大立ち回りを演じる事なく、素直に外へ脱出してから戦うべきだったか。と涙が頬を濡らすも、残念ながら後悔先に立たず。

 

重い、重い溜息を吐いたと同時に隣にいたスマイルの身体がピカリと光った。

 

 

「あー……レベルアップか。うん、久々だな。とりあえず、おめでとさん」

 

「ソー……」

 

「ああ、いや、レベルアップは嬉しいんだけど。いや、でも。これ、どうしよ?」

 

 

死骸を片し、槍を引っこ抜き、体液を拭き、壁に空いた大穴を塞ぎ、拠点を修理する。

言葉にすると簡単な各作業、があまりにも重労働だったからだ。

 

 

「ナンスゥ」

 

「ハァ……」

 

 

再びの溜息はスマイルと同時だった。

未だに粘着力の落ちない白い糸の塊から靴を脱ぐ事でようやく脱出した俺はガックリと項垂れ、肩を落とした。

 

 

(ん?)

 

 

その時、角芋虫の死骸の近くに落ちていたものが俺の視界に入った。

俺の窮地を救った、あの黒いパーカーだ。

 

 

(ああ。そういやこれも、謎なんだよなあ)

 

 

あの時はスマイルが俺を援護する為に投げつけたのかとも思ったが、あの戦闘時の位置関係的に腑に落ちない点がある。

 

俺の背後で戦っていたスマイルがどう頑張ったところで、俺へと『真正面に突っ込んで来た角芋虫を真横からぶっとばす』勢いでパーカーを投げ付けるのは物理的に不可能だ。

土壇場になってスマイルが新たにサイコキネシス的な不思議スキルを覚えたのならあり得る話だが、そう都合よくポンポンと新たな能力を覚えられるとは思えない。

 

俺は訝しげに眉を潜めながらパーカーを拾い上げると、両手でしっかりと皺を伸ばしてから肩の部分を摘んで広げ、改めてしっかりと観察した。

 

 

(何かちょっと違和感あるんだよなあ。具体的に何。って訳じゃ無ぇんだけど、何か違和感が……)

 

 

何の変哲も無い筈の、黒い無地のプルオーバーパーカー。

色も、質感も、生地の厚さも。

 

そしてその重量も……。

 

 

(あれ? このパーカーってこんなに重かったっけ?)

 

 

ようやく違和感の正体に勘づきかけた。

 

その時だった。

 

 

 

「ソーナンス‼︎」

 

「な、何だ⁉︎」

 

 

まず感じたのは身体ごと突き飛ばす衝撃とスマイルの身体の感触だった。

 

相棒は目にも止まらぬ反射速度で横から俺を抱き抱え、そのまま転がりこむようにして床に押し倒したのだ。

 

 

「痛っ‼︎ スマイル、てめぇ‼︎」

 

 

無遠慮に突き飛ばされ、スマイルと床のサンドイッチにされた衝撃に思わず声が漏れた。

突然の裏切りともいえる相棒の奇行にすわ何事かと怒鳴りつけようと俺がスマイルを睨みつけた直後。

 

 

バキバキと樹木が粉砕される地響きのような破砕音と衝撃波。

そして高速で小屋の中を貫通した何かが起こした激しい風圧が辺り一面を吹き飛ばした。

 

 

「は……?」

 

 

竹林に面していた拠点の壁は、先の襲撃で空いた大穴が可愛いと思える程の規模で大きくぶち抜かれ、もはや壁として機能するのは不可能だろう。

戦車砲の砲撃にでもあったかのように拠点を豪快にぶち抜いた『ナニか』は、まるでコンマ数センチの距離を猛スピードのバイクが横切るような異様な速度で、耳を裂く風切り音を立てて通過していった。

 

粉砕された木屑が俺の頬をかすめて血がタラリと垂れる。

ドップラー効果のせいか通過音がすっかり小さくなった頃、ようやく俺は事の深刻さに気づく事が出来た。

 

つい先ほどまで、俺が呑気につっ立ってパーカーを観察していたその場所に、小屋の壁を軽々とぶち抜く何かが目にも留まらぬスピードで貫通した。という事実に。

 

 

「は……? なん……だよ。まだ終わりじゃねえのかよ‼︎」

 

 

つまり、今まさに死に掛けた。というあまりにも冷たい現実に。

 

 

更に最悪はまだ終わらない。

先程の何者かの凶行がトドメになったのだろう。

 

拠点のあちらこちらがミシミシと嫌な音を立てると同時に、天井から埃混じりの木屑が雪のように降り注ぐ。

おまけに地震でも起きたかのようにガタガタと震え始め、壁や天井の至る所からヒビ割れ、バキバキと何かが折れる嫌な音が響きわたっている。

 

 

(不味い‼︎)

 

 

先の展開があまりにも容易に想像出来る。

キュウッと心臓が苦しくなり、激しい目眩が俺を襲った。

 

 

「ナンス‼︎ ナンス‼︎ ソーナンス‼︎」

 

「畜生‼︎ 弱り目に祟り目かよ‼︎」

 

 

慌てて跳ね起きるスマイルの腕に捕まりながら、俺は必死で駆け出した。

武器も荷物も貴重な食料も、何もかもを置き去りにして小屋の入口のドアを蹴破ったその時。

ついに限界を迎えたのか、まるで大きな悲鳴のような音を立てながら『天井が落ちて来た』。

 

 

「うおおおおおおおおおおおおお‼︎」

 

「ナンスウウウウウゥゥゥ‼︎」

 

 

腕を交差して頭を庇いながら飛び込むようにして何とか脱出。

勢いのまま何度も前転し、全身砂まみれになりながらもようやく振り向いた時にはもう遅かった。

 

 

「……何だよ、これ」

 

 

 

突然の終末に焦燥していた俺達安らぎの地が。

毎日冷たい水を恵んでくれた古井戸が。

獲物を捌いていたあの小部屋が。

カレンダー代わりに傷をつけていた壁が。

備蓄してきた大量の干し肉と木の実が。

数少ない荷物を纏めたリュックサックが。

相棒と二人で過ごした思い出の我が家が。

 

愛すべき我が拠点は轟音を立て、崩れ落ちた後だった。

 

 

 

「何で。なんだよ」

 

 

俺達に安寧を与えてくれた楽園のあまりの呆気ない最期。

喉の奥から何とか絞り出した、掠れた呟きには誰も応えてくれない。

 

 

「ナンス‼︎ ナンス‼︎」

 

「……はあ?」

 

 

俺の裾を騒ぎながら必死に引っ張っる相棒につられ、脱力感と虚無感に支配され幽鬼のようにユラリと振り向いた先のその光景。

 

 

「……ああ、そう。そうかよ。そういうパターンね」

 

 

倒壊する轟音も、僅かに降り出した雨音も。

そして俺の嘆きの声すらも。

薄汚い曇り空から響く重々しい羽音が、全てを掻き消してしまったのだから。

 

 

「大量に湧いて出た雑魚どもは前座って訳ね。……ハハ、そりゃそうか‼︎ そうだよな‼︎」

 

 

俺は思わず泣きながらも笑うしかなかった。

 

 

「ジジジジ……スピ……スピピ……‼︎」

 

 

重い雨雲の覆われた分厚い曇天に響き渡る、重い羽音の正体。

先程の突進をかまし、俺達の拠点を木っ端微塵に砕いてくれたであろう巨大で凶悪な下手『蜂』が、宙に浮かびながら感情の見えない複眼で俺達を見下ろしているのだから。

 

 

「雑魚戦の次がボス戦って、よくある話だもんな‼︎ ゲームのお約束だよな糞ったれがあああああ‼︎」

 

 

真っ赤な複眼に二本の触覚。薄く透き通った大きな羽。

黄色と黒の危険色に染めた1メートル程の体躯に装備するのは、前足と尻部の先についた凶悪すぎる三本の毒針。否、毒槍とでもいうべき凶器。

 

昆虫と言い捨てるにはあまりに大きく、凶暴で、狂気的な、殺意に溢れるそのフォルム。

 

そのプレッシャーたるや。

相対しているだけで心臓の鼓動がドクドクと高鳴り、脳髄からビンビンに死の気配が警告してくるのだから溜まったものではない。

 

 

 

 

非日常は突然に。

厄災というのは特に前触れなくやってくるから厄介な話だ。

 

武器も無い。回復アイテムも無い。オマケに帰る家も無い。

 

 

「くたばれファッキンファンタジー‼︎」

 

 

理不尽極まり無い死闘を前にして俺が怒りの咆哮をあげると同時に目の前のモンスターは襲いかかって来た。

 

 




・スピアー どくばちポケモン(むし/どく)
食べられないことも無いが、毒腺の数が非常に多くて処理が困難。
また味わいもビードルやコクーンには劣るので食用としてはあまり用いられない。


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