憑依妖魔学園紀(九龍妖魔学園紀✕クトゥルフ神話) (アズマケイ)
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大いなる助走
秘宝を探し求める者よ


リマスター版が出ると聞いて初投稿です。


私は倒れていたらしく、無機質な声がしたことで目が覚めた。前後の記憶があいまいだが、強烈な光に目が眩む。その逆光によりいくつもの影が私を見下ろしているのはわかったが、まるで磔にされているかのように四肢が動かない。

 

「聞くがいい、《秘宝》を追い求める者よ」

 

「なぜお前は渇望する?」

 

「なぜお前は破壊する?」

 

「お前の明日へ繋がる道には光はなく───────」

 

「お前の通ってきた昨日には荒涼たる瓦礫の森が広がり、累々たる屍の山が積み重なり合う」

 

「よく聞け、秘宝を追い求める者よ」

 

「お前の真実の目はどこにある?」

 

「お前は自らの望みのために何を差し出す?」

 

「お前の心臓に宿るものはなんだ?」

 

「秘宝を追い求める者よ」

 

「未だ、お前の前には苦難と危険が広がり」

 

「お前には、それに抗うだけの人を超越した力もない」

 

「それでも追い求めたいというのか?」

 

「九龍の秘宝を───────」

 

「よかろう」

 

「いつの日か、お前が《秘宝》を探し出し、それを手にする時を待つとしよう」

 

「我が九龍の秘宝を───────」

 

なにやら一方的に言葉がなげつけられるのがわかったくらいで、意味を耳は聞きとってなどくれなかった。

 

そして私は意識を失った。

 

洞窟内のしんと沈んだ湿気のある空気に晒されながら、はださむさにたまらず目を覚ました。すぐそばにはエメラルドグリーンの地底湖がある。ふらふらと私は立ち上がり、あたりを見渡した。どうやら地下壕の最深部のようで、ここから地上に繋がるであろうという地獄のような竪坑がきれかけのランプをともしながら口を開けている。近くにリュックやらなんやらが散らばっていたのでかき集めたのはいいのだが。

 

「うっわ、なにこれ」

 

手榴弾、ライフル、ハンドガン、ナイフ、なにやらよくわからない機械。みるからに見なかったことにした方がいい物騒なものが私の周りに散乱していたのだ。

 

「しかも知らない身分証入ってるし。アタシの荷物どこいったのよ」

 

そこには知らない男の身分証やら旅行に必要なものが詰め込まれていた。

 

「もしかして誰かに襲われたとか?そんで奪われた?うっそでしょ、追い剥ぎ?」

 

恐ろしくなって私は逃げることを決めた。

 

確かめようにも暗すぎてわからないために、蟻の塔のように材木を組みわたした暗い坑道口に向かった私は覚束無い足取りで歩き出す。岩穴はまっすぐ立てないくらい狭い中をはいつくばりながら外に出た。

 

「!?」

 

目の前にはヘリコプターと担架をかかえた白衣の人間たち。慌ただしく作業をしているところだった。

 

「先生、人が!」

 

「どうやらバイタルサインは彼のようです!」

 

「すごい、自力でここまで出てこれたのか!」

 

あっというまに私の周りは人だらけになってしまった。うん?今なんて言ったの、彼?やっば、あの荷物の人も近くにいるの?悪いことしちゃったな。

 

「大丈夫ですか?落ち着いてください。我々は《ロゼッタ協会》所属の医師団です。あなたのH.A.N.T.から発信された信号を辿ってここまできました。もう大丈夫ですよ、さあ乗ってください」

 

「えっ、ちょっ......あの待ってください、アタシただの素人で」

 

「どうやら記憶に混乱があるようですね。はやくこちらに」

 

訳の分からないまま私は医療ヘリに乗せられてしまった。断片的な会話を聞くかぎり、私が地下壕にいっている間に大規模な地震があり、本来の通路は瓦礫で塞がれ、生き埋めになっていたらしい。たまたま10キロにもおよぶ地下壕の一角にいた私は岩盤が強いところにいたため崩落を免れたはいいが、地震により転倒して頭を打ったとのことだった。いつまでたっても帰ってこないから宿泊していたホテルの従業員が通報してくれたのかもしれない。気晴らしにと渡されたラジオからは皆神山を震源とする大地震により地殻変動が起こるほどの災害が起こったらしかった。

 

「君は実に運がいい」

 

バスケがしたいです、といいたくなりそうな白衣の男からそう言われた私は首を傾げた。

 

「《秘宝の夜明け》、墓守の襲撃、からよくぞ一人で天御子の遺産につづく碑文を探し当て、持ち帰ってこれたな」

 

かかげられた博物館でよくある古代文字でかかれた石板を見せられるが意味がわからなかった。

 

なにかのどっきりだろうか。なにもかもが私の知っているゲームのイベントと酷似していた。

 

はじまりはそう、九龍妖魔学園紀のSwitch版が2020年に出ると聞いて、久しぶりにゲームをやったら再燃したことだ。やがて物欲を抑えきれなくなり、1度は手放したコレクションを全て集めはじめた。そして完全版たるリチャージ発売記念に販売された皆神山の謎を題材にしたDVDを入手したのだ。私は、懐かしさのあまり貴重な有給を一気に消化して聖地巡礼を決行したのだ。

 

 

皆神山(みなかみやま)は、長野県長野市松代にある標高659メートルの山である。その周囲の山並みと異なる溶岩ドームの山容から、人工物と思い込む者が現われ、「太古に作られた世界最大のピラミッド」という説が起こり、一部信仰の対象になっている。

 

九龍妖魔学園紀はオーパーツがすべて本物でムーにのっていたり、やりすぎ都市伝説でやっていたりすることがすべて事実という恐ろしい世界線での出来事である。気功もクトゥルフもあるむちゃくちゃな世界だ。

 

だから世界最古のピラミッドなんて題材はもってこいだったのだろう。

 

登山を決行した私は、中腹の岩戸神社(ピラミッドの入口があるといわれている)、山頂には熊野出速雄神社(皆神神社)を巡った。ラーメン屋は潰れていた。残念。

 

たしかにここは「皆が神の山」という名称もさることながら、見た目も本当に“人工物”としか思えないような周囲の山々とは一風変わった違和感のある異質な形状をしている。また、この山にまつわる不思議な逸話は古代から現代に至るまで数多く存在していて、日本のパワースポットや聖地の中でも特に謎多き場所の1つとして知られているだけあって雰囲気があった。

 

さすがにローカル線の広告にロゼッタ協会の求人広告はなかったが、DVDが実写だったこともありデジャブを感じることが出来た。

 

「やばくない、これ」

 

皆神山につづく駐車場の看板を見つけた私は目が点になった。

 

 

皆神山の造山方法はエジプトのピラミッドのように人の労力ではなく初歩的な重力制御技法(部分的干渉波動抑圧)により、当時長野盆地が遊水湖沼(最後のウルム氷期の終末期で東・南信の氷解水による)となっておりその岸のゴロタ石等堆積土砂石を浮揚させ空間移動させるといったダイナミックな方法だった。従って現在でも皆神山山塊だけが非常に軽く負の重力異常塊となっている。

 

「なんか目眩がしてきた......」

 

この皆神山の盛土的山塊が自重により不均衡凝縮=ねじれ摩擦現象=起電=電流発生といったダイナモ機能山塊となり、電磁波が生じこの磁力と重力制御(反重力)により物体(電磁反発飛翔体)が垂直に離着陸するようになった。古文書に出てくる≪天の羅摩船[アマノカガミブネ]≫等がこの飛行体だ。

 

「なかなかやばいわね、これ。やっちーよくこんなヤマ登ろうと思ったなあ」

 

皆神山は、古い古墳時代や弥生時代更に遡っての縄文時代やエジプト・インダス・黄河シュメール各文明よりずっと古い、今から約2~3万年前(浅間山・焼岳ができたころ。飯縄・妙高・富士は約九万年前。)の超太古ともいうべき遠い旧石器の時代に造られた。人工造山=ピラミッド、ピラミッドはギリシャ語源で三角形のパンの意。

 

この皆神山を造った人間は、古事記に出てくる須佐之男命[スサノオノミコト](自然主義的な科学技術者の集団の総称)で現代科学とは全く異質ではるかに優れた高い知的能力を持つ人類だった。(旧人ネアンデルタール系)

 

「......九龍妖魔学園紀のダンジョン作ったやつらみたいね、これ」

 

何のために造ったかというと、墳墓ではなく地球上の各地や、宇宙空間への航行基地として造られた。超太古の宇宙航行基地である皆神山の祭神は従って高度の知的能力集団でみんな宇宙航行や宇宙基地に関する神々。

 

このように皆神山は、神々が活躍した基地であり、宇宙船で現われたり姿を消したりしたので自然人たちは神聖な山=高天ガ原[タカマガハラ]として崇め、後世に伝えた。

 

「高天原、あー......これはまた」

 

ツッコミどころ満載の文章だがここまでくると、創作力としてもさすがに大したものだ。こういった思想が現れるという背景が、皆神山のエネルギーには存在することは確かだし。

 

車がやっと通行できる細い山道を登った。中腹に、天照大神を祭る岩戸神社の石室があった。「皆神山ピラミッドの入り口ではないか」と書かれている看板があり、石室は確かにそれっぽくかなり暗いが中まで入れた。さらに歩くと道が広くなり、ほどなく、見晴らしの良い頂上付近に着く。頂上にも「皆神神社」と言う立派な神社があり、ここには、全国的にも珍しい低い標高でのクロサンショウウオの産卵池がある。

 

皆神山を下り、自転車で松代高校の横を通って西側の山を目指してこぎ、象山地下壕の入り口に移動した。皆神山の歩いて来た登山道の東側にも地下壕があるが落盤が激しいため立ち入り禁止。また、舞鶴山にもあり、気象庁の地震観測室になっており、天皇御座所などを少し見ることができる。

 

やっちーが落下して気を失っていた地下壕は思った以上にでかかった。総延長6km弱のうち500mが一般公開されていて、第3火曜と年末年始以外の9~15時半の時間内なら誰でも無料で自由に入れる。

 

 

「ここが天御子の遺産への入口になるわけだ」

 

 

そして、その先でなにをみた?

 

「いっつうっ───────!!」

 

強烈な痛みが私を襲った。

 

「大変だ、はやく運びたまえ!」

 

「大丈夫ですか?」

 

呼びかけられたのはあの身分証の男の名前だった。なんとなく気づきたくなかったが、私の声は異様に低くなっていた。どうやらあのときあったあの光、九龍妖魔学園紀に背景のおけるラスボスに私はなにかされてしまったらしい。私は意識を失った。

 

「実に興味深い」

 

明らかに福山雅治ではない男の声で私は目を覚ました。医療施設にでも担ぎ込まれたらしく白い部屋に白い服で白いベッドに寝かされていた。

 

「ひっ」

 

私はたまらず後ずさった。明らかに気を失っているはずの男がたったまま喋りかけているからだ。

 

「ああ、申し訳ありません。私、この体はまだまだ不慣れでして。気を抜くとすぐこれだ」

 

「は、はあ......」

 

男は名刺を渡した。

 

「初めまして。私は五十鈴文昭。この体は《ロゼッタ協会》の医療班の事務をしている者です」

 

私は口が塞がらない。

 

「夢じゃないんだ」

 

「夢じゃないんですよ、私共が保証します」

 

「......あの、まさかアンタ天御子の関係者?」

 

五十鈴は笑った。

 

「違いますよ。あなた、あのままだったら化物にされそうだったので惜しいと思ったので我々が保護したんですよ。あなたの肉体は我々が管理して元の世界でちゃんと日常生活をしながらあいつらを撃退してます」

 

「せ、精神交換......精神交換じゃないのそれ。まさかあんた」

 

五十鈴はうなずいた。

 

「お察しの通り、我々はイスの大いなる種族とあなたが呼んでいるものです」

 

「......九龍妖魔学園紀ってダゴン教団も依頼主だったもんね......驚きはしないわよ」

 

「おや、そうなんですか。それは興味深いですね。あなたの体があいつらに拉致されなくなるまで保護してあげますから、あなたの世界について知りうる限りのことを教えてくれませんか?」

 

渡されたのは紙とペンだ。五十鈴に聞かれたことに答えるために書き始めた。

 

五十鈴を始めとしたイスの大いなる種族は、クトゥルフ神話にでてくる宇宙人だ。九龍妖魔学園紀は東京魔人学園と世界観を同じくするためにあらゆるオカルトが実在するやばい世界なのである。

 

彼等は時間旅行の際、自らの身体はそのままに、精神だけを別の知的生命体の肉体に送り込む。これは彼等が精神生命体だからこそできた技術・発想なのだろう。これによりタイムパラドックスの発生も軽減され、何より質量保存の法則に反することはまず有りえない。

 

イスの大いなる種族に保護されたと知った私は協力する以外に選択肢がなかった。なぜなら時間旅行をした私は彼から逃げたら最後、ティンダロスの猟犬による追跡を1人でかわさなければならなくなるのだ。

 

「ところでこの体の精神はどこいったの?」

 

「ああ、彼ならわが星の大図書館に招待しました。自由に知的活動を行うことが許されています。協力的なので街への外出許可も与えられ、そこそこ悪くない待遇が待っていますよ」

 

「そ、そうなんだ」

 

「彼もあなたと同じようにあいつらに化物にされそうになりましてね」

 

「だからって女を男の体にいれるのはどうなのよ」

 

「いかんせん緊急事態でしたので。あなたは知識をもちえていますから預けるにはあなたしかいなかったんですよね」

 

「ええ......いつ戻れるのよ」

 

「あなたの知る彼が天御子を倒したあたりでしょうか」

 

「うっそでしょ」

 

私は頭を抱える。持ち主が帰還できるまで私は死ねないし、宝探し屋をつづけなければならないというのだ。

 

「ああそうだ、あなたの次の依頼、これですよ」

 

2004年5月1日づけで天香学園にいくよう言われた私は気が遠くなった。

 

 



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八千穂明日香と七瀬月魅

メインヒロイン登場


1700年前、大和朝廷において天御子が超古代文明を築き上げた。それは遺伝子操作による永遠の命の研究でもあった。その実験過程で生み出されたものがこの学園に眠る化人(けひと)という化物たちであり、イスの大いなる種族に助けてもらわなければ私の未来だった。

 

あれらはもとは人間なのだ。ゆえに封じられている伝説の「九龍の秘宝」は天御子が作った天香学園の遺跡をみるに遺伝子研究所だから秘宝は遺伝子情報だろう。用務員が持っていってしまったため詳細はわからないが。

 

いや、遺伝子解析に関する資料が秘宝かもしれない。たしかに、それによって化人を封じる(=人間に戻せる、あるいは力を奪う) ことができる。

 

いわゆる現代の医学でもまだ解明されてない脳神経の回路が記述された 模型とかがオーパーツであるのだが、その部類だろうと私は考えた。

 

転校してしまったものは仕方ない。私は私のやり方で遺跡を攻略させてもらう。あの地獄の日々は思い出したくない。五十鈴は所詮イスの大いなる種族である、人間を理解はしても寄り添ってなどくれない。思い出すだけで吐き気がするような所業により私は肉体の記憶を再現することが可能になっていた。

 

5月1日という中途半端な時期に転校することになったのは前任者がたったの3日で行方不明になったからだ。おそらく遺跡のトラップにでもひっかかったか化人に負けたかして食い殺されたかのどちらかだ。あまりにもはやすぎる。

 

それにしたってもう少し時間をあけた方がいいのではないかと五十鈴にいったのだが、行方不明になる期間が最速すぎて《生徒会》側すら把握してないらしい。

 

幸か不幸か私は東京で一人暮らしがしたくてたまらず転入したが、親が全寮制という都会で遊び呆ける理由を根こそぎ奪うような高校を指定したという私の事情に余計な勘ぐりをすることはなかった。

 

「ねえねえ、江見(えみ)クンッ!よかったら校舎の中、案内してあげよっか?」

 

3年C組で私に最初に声をかけてくれたのはやはりテニス部部長の八千穂明日香その人だった。このオカルトやシリアスが蔓延する学園において貴重なムードメーカーである。彼女がいるだけでどれだけ助けられるか私は知っているので邪険にする気はなかった。きっと彼女はすぐ行方不明になる転校生にこうやって毎回話しかけていたに違いない。やけに手馴れているからだ。

 

二つのお団子に結い上げた髪と眼の下のほくろが特徴的な、元気で快活、人懐こい女子高生である。愛称はやっちー。

 

一般人のはずだが、なぜかそのラケットから繰り出されるスマッシュは宝探し屋の初期装備たるライフルよりも上という恐ろしい威力を持っている。

 

今井監督いわく、あくまでその世界の一般的女子高生テニスプレイヤーレベルであるという。 攻撃手段としてのスマッシュの他、敵の射撃攻撃を反射するスキルを持つ。つまり、この世界ではきっとどこかに青春学園などがあるに違いないのだ。

 

「ありがとう、八千穂さん。行きたいところがあるんだけどいいかな」

 

「うん、いいよー!どこがいいの?」

 

「図書室に行きたいんだ」

 

「図書室?」

 

「うん。どうしても調べたいことがあって」

 

「そうなんだー。本読むの好きなんだね、江見クン。いいよ、案内してあげる。その前にA組にいこっか」

 

「どうして?」

 

「図書委員の子が鍵管理してるの。今日は始業式だけだから開けてないと思うんだよね」

 

「なるほど。うん、わかったよ。いこっか」

 

「こっちこっちー!こっちだよ、江見クン!」

 

やっちーはぶんぶん手を振りながら私を案内し始めた。

 

「月魅(つくみ)ー、いる?」

 

がらがら、と扉を開けるなりやっちーはいった。

 

「はい?」

 

そこには図書委員長、七瀬月魅(ななせつくみ)がいた。ショートカットの眼鏡、ドクロのモチーフのイヤリングをしている。実は隠れ巨乳である。

 

運動神経はゼロに等しいが頭脳明晰で古代史やオカルト方面に強い。基本的に地味な性格でクラスでは目立たない存在だが學園の機密を独自に研究するあたり行動力はある眼鏡っ娘だ。

 

九龍妖魔学園紀においては學園に潜り込んだばかりで右も左もわからない主人公にあれこれと教えてくれるブレーンとなる存在である。

 

「どうしたんですか、八千穂さん。それにええと」

 

読みかけの本に栞を挟みながら月魅は聞いてきた。

 

「あのね、あのね、紹介するねッ!こちら転校生の江見翔(えみしょう)クン。で、図書委員長の七瀬月魅。今、学校の中案内してるところなんだけど、図書室に行きたいんだって。調べたいことがあるらしいよ!」

 

きらり、と月魅の目が光った。

 

「古人曰く――、『好奇心は力強い知性のもっとも永久的な特性の一つである』」

 

来た、七瀬月魅の口癖。

 

「なにを調べたいのでしょうか?今日は図書室を開ける日ではないので、あまり長い間開けておけないのですが」

 

「大したものじゃないよ、歴代の卒業文集が見たいんだ。父さんがここの教師だったから」

 

「えっ、そうなの?」

 

「うん。歴史担当の江見睡院(えみすいいん)。10年以上前のはずだから遡って行くしかないんだけど。ずっと帰ってこなくてさ、最後にいたのがここの高校だったから」

 

やっちーと月魅は顔を見合わせた。この学園はしょっちゅう教師や生徒に行方不明者が出るのを知っているからだろう。

 

「実はね、会ったことがないし、父さんもオレのことを知らないはずなんだ。オレが生まれてから一度も帰ってきてないから。でもどうしても真相が知りたくて」

 

「......わかりました。そういう事情なら書庫もあけましょう。チャイムが鳴るまでになりますが私も手伝いますね」

 

「ありがとう」

 

「なんかごめんね、江見クン。そんな大事なこと教室で聞いちゃって。急ご急ご月魅」

 

「そうですね、人も集まってきてしまっていますし。行きましょうか」

 

「うん」

 

私は彼女たちに続いた。人混みの中に生徒会役員や執行委員が混ざっているのを確認してから教室をあとにした。

 

 

 

 

 

 

「それでー、最後がここッ!屋上だよッ!天香学園が全部見渡せるんだー。いい眺めでしょ?お昼を食べるのにサイコーなんだよ!」

 

「いいね、前の学校は鍵がしまってて立ち入り禁止だったから」

 

「へえ、そうなんだ。なら案内してよかったよ、気に入ってくれたみたいだし。さーて、お昼にしよっか」

 

「そうだね」

 

あまりの騒がしさに目を開けると八千穂が転校生を案内しているところだった。毎度毎度飽きないでよくやる。どうせすぐにいなくなるというのに。わざと音をたてて存在をアピールしようとした俺は口を閉じることになる。

 

「見つからなかったね、江見センセの卒業文集。議事録とか公文書とかにありそうなのに」

 

「途中で時間切れだったから仕方ないよ。明日また探してみよう」

 

「うんッ!がんばろ!」

 

江見睡院。えみすいいん。この学園において最深部に唯一たどり着いていながら消息不明になった宝探し屋だ。たしか歴史の教師として侵入したはず。生徒会から聞いたことがある名前だった。

 

「あー、でもさ、もし見つからなかったらだよ?墓地に埋められてるかも。ほら、あそこに見える学生寮の裏手にある森の奥にね、墓地があるんだけどさ。あそこには行方不明になった先生や生徒の持ち物が埋められてるんだって。だから」

 

「父さんの持ち物もあそこに?」

 

「うーん、たぶん?」

 

「普通家族に返すよね」

 

「えっ、引き取らなかったやつを埋めてるんじゃないの?」

 

「オレは少なくとも聞いたことは無いよ」

 

俺は沈黙するしかない。あの墓地に埋められているのは仮死状態になったまま未来永劫生き埋めになっている宝探し屋だったり侵入者だったりだからだ。家族に引渡しできるわけがないのである。

 

「そっか......ここはそういうところなんだね。変わったところだ、とても」

 

江見と名乗った転校生は無表情のままそう呟いたのである。

 

「ふあーあ、ったくうるせーな、さっきから」

 

わざとらしく大きな欠伸をしながら俺は立ち上がる。これ以上転校生の言葉が聞きたくなかったからだ。今回監視しなければならない転校生はなかなかに厄介だ。明らかに生徒会に不信感を抱いている。これからについて考えるのを放棄して、俺は八千穂たちに近づいた。

 

「あ、皆守クン!始業式にも来ないなんてどこに行ってたの!?新任の萌生センセ、困ってたのに!」

 

「萌生!あー、あのセンコーか。別にいいだろ、俺はずっとここにいたんだ。無駄な時間に埋没するより春の陽気の中で微睡んでいる方がいいんだよ、俺は」

 

「そんなこといっても、それってただのサボりだよね?」

 

「うるせえな......。で、そのうるせえやつに振り回されてる可哀想な転校生ってのはお前か?」

 

「あはは、初めまして。オレは江見翔っていうんだ。よろしく」

 

「俺は皆守甲太郎だ」

 

「ミナカミコータロー......もしかして長野県出身?」

 

「いや、生まれも育ちも東京だ」

 

「あれ。皆に神じゃなくて?」

 

「皆を守るでミナカミだ」

 

「そっか、ごめん。転入前の休みに遊びに行った皆神山の地震で酷い目にあったからさ、ついね」

 

「えっ、あの大地震の?大丈夫だったの!?」

 

「おかげで転入に一か月も遅れたよ」

 

「そっかあ、大変だったね」

 

「うん。でもさ、母さんが父さんの写真に手を合わせてオレを助けてくれって何度もいってたって言われたらこう、さ。たまらなくなったんだよ。だからオレはここにいるんだ」

 

江見睡院に家族がいたという事実に俺は衝撃を受けていた。侵入者であるが学生や教師はともかく宝探し屋は独身だと勝手に思い込んでいたのかもしれない。

 

「父さん?」

 

「ああ、うん。オレが母さんのお腹にいる時にここに所属してたら行方不明者になったんだ、父さんが。歴史担当の江見睡院。もう捜査は打ち切られて家出って結論が出てるんだけど、なんで家出したのか理由が知りたいんだ」

 

「だから転校してきたのか、お前」

 

「うん。そうだよ」

 

「そうか。ならお前に忠告してやろう」

 

「なに?」

 

「墓地には絶対に近づくな。生徒会と執行役員にもだ。お前まで行方不明になったら八千穂が悲しむからな」

 

宝探し屋だとしたら無意味な忠告だが、いつだって転校生はありがとうとうなずくのだ。

 

「でもそうか、困ったな」

 

「なにがだよ」

 

「ほら、生徒会室には歴代の生徒たちの記録とかおいてる学校多いでしょ?もしそうなら見せてもらえないか頼みたかったんだけどな」

 

「んな事悩むのお前だけだと思うけどな」

 

俺はなんとなく脱力した。安心が先に来たのだ。こいつはどうみても不幸にも宝探し屋を父に持つ一般人の息子が真相を探りに来たパターンだ。アプローチの仕方が平和すぎる。これなら監視も楽かもしれないと俺は思ったのだった。

 

あとで阿門にメールで聞いてみたら、それくらいなら問題ないと返された。たしかに隠す理由はない。名簿をみたところで父親が宝探し屋で墓地に侵入したために生徒会に粛清されたなんて普通考えつかないからだ。この学園に慣れていない江見のことだ、生徒会の連中に話しかけるのは予想出来たので対応は丸投げすることにする。

 

とりあえず真面目そうな江見相手にどう理由をつけてついていこうか、俺は考えることにしたのだった。

 

 



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神鳳充

「気をつけてください、彼の中には20代の女性の精神が入っている。皆神山の大地震の生還者らしいですが登山届は出ていないようだ。あそこには宇宙船がでたとか遺跡があるとか噂が絶えません。彼女の正体はもしかしたら」

「ううう宇宙人なんているわけねえだろいいかげんにしろ」


「君が噂の江見くんですか」

 

「えっと?」

 

「君は神鳳充(かんどりみつる)クン」

 

やっちー、月魅と図書室や書庫に入り浸ること1週間、定位置になっていた自習スペースの最奥で私は生徒会の生徒と出会った。びっくりしているやっちーを見ていると教えてくれた。

 

神鳳充は3年B組の弓道部部長。生徒会会計であるという。つけくわえるなら遺跡の墓守である阿門帝等の腹心である髪の長い冷静沈着な男。強い霊媒の能力を持ち、また弓術の達人でもある。開いているかいないか判らない細い目が特徴。

 

口寄せのできる家系のため、次の当主となるはずが病弱の妹がいるらしいがなにかあったのだろうか。わざわざこんな学園にいるんだから追い出されたか逃げてきたかの2択だと思うがそれはどうでもいい。今の神鳳は妹から貰った簪と引替えに妹や関係する記憶をまるごと失っている状態だからだ。

 

問題は彼が幽霊などのこの世に在らざるものを見たり祓ったりできる家系の人間だということである。

 

「初めまして。君の噂は聞いていますよ、父親を探しに来たとか」

 

「はやいね」

 

「ごめんね、江見クン」

 

「いいよ、気にしないでくれ。隠すようなことじゃないからな」

 

「よければ僕になにか手伝えることはありませんか?」

 

「どういうこと?」

 

「いえね、生徒会室の資料をかりたいと噂話が聞こえたものですから」

 

「えっ」

 

私はやっちーをみた。やっちーはぶんぶん首を振る。カウンター席にいる月魅もだ。やっちーは2人から真っ先に疑われている状況に少し涙目である。さすがに生徒会に私のことを話すほど口は軽くないらしい。私は葉佩九龍が宝探し屋だと月魅にばらす未来の前科を知っているからなんともいえなかった。

 

「僕も本を読むのは好きでして、よく利用するんですよ」

 

「八千穂さん」

 

「ご、ごめん......あたしそんなに声大きかったかな......」

 

「資料室からよく聞こえましたよ」

 

「八千穂さん」

 

「うわあ......ごめんね、江見クン」

 

やっちーは凹んでぺしゃんこに潰れてしまった。もっともらしいことをいってはいるが私たちが資料室に入り浸りの時間帯に神鳳が入ったところを見たことは無いので嘘だなとすぐに気がついた。図書室の利用者を見ることが出来るスペースがあるので、それとなく入る音がしたら確認していたからだ。

 

そもそも幽霊がみえる体質の神鳳なら学園内にウロウロしている幽霊あたりに話を聞いたらあっさり情報提供があるだろう。

 

あるいは皆守が気を利かせてくれたのかもしれない。めんどくさがり屋のくせに面倒みがいい、いわゆるツンデレのめんどくさい男だからだ。

 

「オレに話しかけてきたってことは、見せてもらえるのかな?卒業文集とか名簿とか」

 

「ええ、大丈夫ですよ。持ち出しは出来ませんが」

 

「そっか。見つからなかったらまた声かけるよ。B組だよね」

 

「ええ、わかりました」

 

「ありがとう」

 

「僕達も墓地に近づかない善良な生徒まで迫害するほど冷酷ではありませんから」

 

直球で忠告するのは神鳳らしい。いきなりのご登場に驚いたが、生徒会室に出入りできるというなら乗らせてもらおうではないか。

 

なにせ私は五十鈴からイスの大いなる種族にこの学園についての情報提供をする任務も課されているのだ。

 

そして私は数日後の放課後に生徒会室を訪ねることになる。

 

「僕以外誰もいませんがようこそ」

 

がらんとした異様に広い執務室みたいな部屋にて神鳳はまっていた。

 

「驚きましたね、君だけですか」

 

「やっちーは部活だし、月魅さんは図書委員の会議があるらしくてね」

 

「そうでしたか、ではどうぞ」

 

狙いをすましたように日付を指定しておきながらなにをいうのだこの男は。思いながらも口に出すほど愚か者ではない。私は見上げるほど大きな本棚を見上げた。

 

「この区画が卒業文集やらの資料ですね」

 

「ありがとう」

 

「僕はここで仕事をしてますので、終わったら声をかけてくださいね」

 

「わかったよ」

 

私はとりあえず図書室書庫になかった年代から1冊1冊遡ることにした。集中し始めたら数時間なんてあっというまだ。下校を促すチャイムが鳴り響き、私は神鳳に帰るよう促される。

 

「どうでしたか?」

 

「思った以上に量が多いから時間がかかりそうだなって」

 

「そのわりにメモしてますね、それなりに」

 

「メモ魔なんだ」

 

「勉強熱心ですね。その熱意に免じて何日もかかりそうですし、連絡先交換しましょうか」

 

「えっ」

 

「なにか?」

 

「いや、意外だなと思って」

 

神鳳は笑った。

 

「みたところ、どうやら君はまともなようですから」

 

「え」

 

「悪質なやつが取り憑いてるならこの学園に仇なすと困るから祓おうかと思ったんですがどうやら幽霊じゃないらしい」

 

私は釣り上がる口が抑えきれない。神鳳は目を開けた。

 

「生霊だとでも思ったのか?」

 

「男女のもつれで江見くんに取り憑いてるのかとばかり」

 

私は破顔した。

 

「神鳳にはオレはどう見えてるんだ?」

 

「20代の女性が江見くんの中にいるように見えますね」

 

「ならなんで除霊しない?」

 

「初めはそうしようかとも思ったんですが、君を祓ったら昏睡状態になると思うからやめにしたんです」

 

なるほど、と私はうなずいた。

 

「懸命ね。関わる気がないなら軽率に首を突っ込まない方がいい。関わらない方がいい。これはアタシたちの問題だもの」

 

「危害を加える気はないんですね」

 

「アンタがアタシたちに危害を加えたらその限りじゃないわ」

 

「なるほど」

 

連絡先を交換して私は生徒会部屋をあとにした。

 

なぜか微妙な顔をした皆守と次の日挨拶することになることなど知らないまま自室に帰った私は棚に飾ってある宝石を機械に設置した。

 

「ってことがあったんだけど構わないわよね?」

 

五十鈴と連絡を取るためのイスの大いなる種族が発明した通信機器だ。これは《ロゼッタ協会》の管轄外である。

 

「バレたならしかたないでしょう。アナタの働きには感謝していますのでこのまま続けてください」

 

「わかったわ」

 

通信を終えた私はそのままインテリアとして棚においた。どうみてもアンティークだ。まさか電気もなにも使わないで連絡できるなんて思わないだろう。

 

さて、寝ますか。

 

この学園に来てから私は風呂に入ったらすぐに寝る。なぜなら朝早くに行けば墓守は学校に行くためすれ違いとなるからだ。

 

「よお、転校生。また会ったな。こんな朝早くから元気だな」

 

「おはよう。夕薙もマラソン?」

 

「ん、ああ、まあそんなところだ」

 

私に声をかけてきたのは夕薙 大和。私と同じ3年C組のクラスメイトだ。柔道部所属という見るからに頑健で屈強そうに見える偉丈夫だが、外見に反し病弱体質だ。海外に行っていたことがあり、私より2歳年上である。超常的な物事に対して過剰とも思える拒否反応を示す。

 

ちなみに皆守とは、互いに腹に一物抱える存在であることを知りつつも、そ知らぬ顔で牽制しあう関係だ。

 

根っからのオカルト大嫌いだが、そりゃそうだ。ブードゥー教の儀式の生贄にされそうな惚れた女の子を救おうとしたら、父親と女の子を殺されて命からがら逃げたら夜に老人になる呪いをかけられたのだ。

 

そりゃオカルト大嫌いになるに決まっている。

 

ちなみに彼が今の墓守だ。これから寮に行くみたいだから墓地は無人である。明らかにランニング姿の私を見て夕薙はさして疑問にも思わずすれ違い、別れを告げた。

 

私はそのまま学園敷地内を満遍なく物色してそのまま墓地に向かった。宝探し屋は基本潜伏先での現地調達である。世知辛い。

 

墓地のある区画から遺跡に侵入し、

《魂の井戸》に向かう。いわゆるセーブポイントや体力や精神力回復のための部屋だ。ここで私は宝探し屋になるのだ。

 

ジャケットにゴーグルに手袋、そしてライフル、爆弾。

 

「さあて、今夜はどこまで行けるかな」

 

タイムリミットは夜明けまでの3時間、バディなしの単独特攻、セーブなしいうオワタ式縛りプレイである。葉佩九龍がくる9月までにどこまで攻略できるだろうか。え?執行役員たちをたおさないと次のエリアにいけない?いや、案外知らない区間がたくさんあるんだよ、この遺跡。だからこそ江見睡院こと父さんは最深部にまでたどり着いたのだとは思うんだよね。

 

それに私は遺跡の財宝というよりは碑文やエリアごとに模してある日本神話の関連性とかの情報を入手して《ロゼッタ協会》とイスの大いなる種族に送るのが役目なのだ。次にやってくる宝探し屋は期待の新人だから諜報部門の宝探し屋はぜひともサポートしてやってくれというわけである。

 

「......えーと」

 

ピッキングにより無事解錠した宝箱からアイテムを入手した私はアサルトベルトにつっこんだ。

 

「よかった、アイテムは補充されるみたいね。これなら葉佩のこと心配しなくてもよさそう」

 

これならクエストもこなせるだろう。葉佩より下のランキングにいるのはまずいからね、先輩として。

 

「よし、今日は一気にクエストこなすか」

 

私は気合いを入れて遺跡に侵入したのだった。そしてきっかり3時間たったころ、すべての戦利品を《魂の井戸》から自室に送り付け、墓地から這い出てまたぐるりと学園敷地内をまわることになる。朝日が昇る頃に男子寮に到着というわけだ。

 

自室に帰り、整理をそこそこに、風呂場で水浴びをすませて身支度をととのえ、H.A.N.T.を起動する。《ロゼッタ協会》から転送されてくるお礼メールややっちーたちからのメールを返信しながら昨日売店で買っておいたパンと牛乳を冷蔵庫から出して朝食代わりにする。

 

「しっかしなんだよ、皆守。この意味深なメールは。どういう意味なんだ」

 

お前って実は、いやなんでもない、的なメールが来ていた。数時間してからいや気にしないでくれ的なメールが来ていた。時間はだいたい真夜中。私が爆睡していた時間帯だ。なにか私が潜入している証拠でも掴んだのだろうか。冷や汗がながれる。

 

「おはよう、皆守。昨日の意味深なメールなに?」

 

送ったら速攻で返ってきた。はやっ!

 

「なんでもない」

 

「なんでもないわけないだろ」

 

「すまん」

 

「だからなんだよ」

 

「いや、その、あれだ。夕薙から聞いたが朝マラソンしてるんだって?」

 

「登山が趣味だからね。学園の規則だと外に出られないから登山にいくための体力作りだよ。朝は捗るんだ。皆守もくる?」

 

「いや、いい」

 

「残念」

 

「でもな、ひとついっとく。夕薙はあんまり信用するな、2年もダブってる先輩とつるむとろくなことにならないぞ」

 

笑うスタンプを押しながら私はしばらくして合点がいった。

 

「あー......見張ってたのか」

 

歴代の宝探し屋たちは葉佩九龍をみるに律儀に夜になったらすぐに探索していたようだから、私が転校してからずっと見張っていたのかもしれない。これで1週間たつから皆守的には警戒心が薄まってきたのだろう矢先に、夕薙から挑発でもされたのだろうか。夕薙的には呪いがばれるわけには行かないから深くは言わないはずだが。

 

残念ながら私の活動時間は3時から6時前だ。バレたらバレたなりに次の手を考えなくちゃいけないが、これは夕薙から聞いて確認したかったのかもしれない。あいつら無駄に意味深な会話するからな。

 

「よし、誘うか」

 

私は自室を出ることにした。



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皆守甲太郎

「人にはそれぞれ自分の生活ペースってもんがあるんだ。夜中の3時からマラソンだと?んなの付き合いきれるかよ」

 

くあ、と欠伸を繰り返す皆守に私は肩をすくめた。

 

「そうガッカリすんな」

 

「だってさ、夕薙から話を聞いたってことは、皆守も興味あるのかなと思ったんだよ。1人より2人の方が捗るだろ?」

 

「しらねえな」

 

「うーん、よくわからないな、状況が」

 

「はあ?なにがだよ」

 

「どういう状況で夕薙から聞いたのかなあと思ってさ。昨日だろ?オレが夕薙と別れたの3時くらいだし、皆守がそのあと会ったなら3時頃まで起きてたんだろ?でもメールは真夜中だからさ」

 

「んなのお前が風呂はいってすぐ爆睡してる間に決まってんだろ。寝ようとしてたんだが、何だか寝付けなくてな……。気分転換に夜の散歩をしてたら夕薙とすれ違ってお前の話を聞いたってわけさ」

 

「あー、そっか。だから真夜中に?」

 

「そうだ」

 

ダウトである。夜になった瞬間から夕薙は墓守をやらなければならない姿に変貌してしまうのだ。真夜中に皆守と会話するわけがないのである。

 

つまり私がマラソンしている情報提供をしたのは夕薙大和ではないことが確定した。神鳳が接触してきたことを考えたら私との会話ついでに調査報告をして注意しろと喚起してきたあたりが正解だろうか。

 

にしてはお前の正体は宝探し屋なのかと聞いてこないのが不思議でならないが。まあ様子を伺っているのかもしれない。皆守甲太郎は私が遺跡に出入りしている形跡や証拠をまだ見つけられていないのだとしたら、充分に考えられるところだ。

 

「不満そうだな」

 

「皆守って見た目以上に運動神経いいから隠れてなにかやってるんじゃないかと思ってさ」

 

「誰がスポーツなんて不毛なことするかよ」

 

皆守は失笑した。

 

「大体プロになる訳でもないのにスポーツなんて何の役に立つっていうんだ。不毛だ……確実に致命的に不毛だ......断言してもいいぜ」

 

「ほんとかなあ」

 

「お前の目は節穴か?どこをどう見たら八千穂みてーにスポーツに青春ささげてるおめでたい奴らに見えるんだ、この俺が」

 

私は極めて残念そうに肩をすくめる他なかった。

 

「しかし、夕薙がお前のことを面白がっていたのはほんとうだぜ。たった1週間で生徒会室に出入りしたってんで大騒ぎだ」

 

「そんなに大騒ぎすることかな?ただ資料を見せてもらっただけだよ。まあ、たしかに時間かかりそうだからって生徒会室使わせてもらう日調整するためだって連絡先教えて貰ったけど」

 

「......はあ?連絡先だと?」

 

「オレも驚いてるよ。案外親切なんだね、《生徒会》って」

 

「......そんなことないからな。むしろ目をつけられてんだぞ、気をつけろよ。楽しい学園生活を送りたいならなおさら」

 

「今更じゃないかな......会計の神鳳にはもう目をつけられてるし」

 

なに考えてんだ神鳳のやつ、といいたげな顔をして皆守はためいきをついた。

 

「お前、父親を探しに来たんだってな」

 

「正しくは行方不明になった理由が知りたいんだ」

 

「18年もたって?16ん時ならまだわかるが」

 

「オレだって皆神山の大地震にまきこまれなきゃ考えつかなかったさ。母さんがずっと父さんの写真拝んでたんだ。ああ、母さんの心の支えは父さんしかいないんだって気づいたんだよ」

 

「だからわざわざこの学園に転校してきたってことか。ずいぶんと母親想いだな」

 

「どうだろ。会いたくないからここにいるって方が大きいかもしれないよ」

 

「......へえ」

 

皆守はアロマをつけた。ラベンダーの香りがする。そういえば時をかける少女にでてくるラベンダーの香りは記憶を失わせる効果がある未来の叡智だったはずだ。それに未来人に恋した主人公が無意識のうちに打ち克ち、無意識のうちに2人は未来で再会することになるわけだが。皮肉にも皆守の場合も惚れた女教師への思いを記憶を失うだけでは心は忘れられなかったわけだから心ってのは難儀なものだ。

 

私にはトイレの芳香剤が先に連想されてしまうから笑うしかないんだけど。

 

「なに笑ってやがる。そりゃあ誰かの過去に何があろうがどんな傷を抱えてようが他人には所詮、関係ない話だ。だがな、話してる時になんの脈略もなく笑うな、気になるだろうが」

 

「気になる?本当に?さっきから随分とつっこんだ話をしてくるね、皆守。お節介だなあと思ってさ」

 

「ちっ......こっちは《生徒会》に1人で出入りする無謀な転校生に呆れてるだけだ」

 

「仕方ないだろ?昨日はたまたまやっちーは部活だし、月魅さんは図書委員の会議だったんだよ」

 

「他の日にしろ、他の日に。どうみたってたまたまなわけないだろ。父親と同じようになったらどうする気だ」

 

「やっぱりそう思うか?まあそうなったらそれまでだよね、運がなかったってことだよ」

 

「お前な......怪しんでるのに近づく馬鹿がどこにいるんだよ」

 

「大丈夫だよ、皆守。神鳳はやっちーたちの目の前で生徒会室の話をしたんだ。オレになにかあったらやっちーたちが騒ぐのわかってて下手なことしないよ」

 

「でもいったときは1人だったんだろうが」

 

「まあね。それなりに忠告はされたよ」

 

「ほらみろ」

 

「だからさ、オレもいったんだ。オレたちに危害を加えたらただじゃおかないってな」

 

「............オレたちってなんだよ、オレたちって」

 

「やっちーたちだよ。あたりまえだろ」

 

嘘つけという顔をしている皆守はしばし沈黙する。これは神鳳から私のことについて聞かされたで確定だろうか。

 

江見翔の体の中には本人ではなく正体不明の幽霊でも生霊でもない形で20代の女性の精神が入っているというオカルト全開の与太話を真夜中にメールで読まされたのだとしたら。

 

しかも皆守甲太郎は惚れた女教師に目の前で自殺されたことで、過呼吸になるほどの心の傷をおい、墓守としてその記憶と引替えに力を得た。だから記憶こそ失われたものの、無意識のうちに年上の女に苦手意識がある。

 

くわえて墓守として化人という化け物がうようよいる遺跡の内部は見慣れている癖になぜか宇宙人というものを異様に怖がる性質がある。

 

そして私は宝探し屋の体に精神交換により固着された女の精神体だ。万が一この体になにかあったらもろともしぬ。だが五十鈴曰く損傷が酷くなったら精神だけ回収して過去に飛んで無事な時期の体を回収してまた入れてくれるそうなのだ。イスの大いなる種族は私に江見翔の肉体の管理者としてかなり期待しているみたいだから、疑心暗鬼になる選択肢すらない。猟犬に追われることになるなんてごめんだ。つまり宇宙人と言われても否定できない。死んでも死なないのだ、イスの大いなる種族に見捨てられない前提ではあるが。まあ好きにしろと言われてるから大丈夫だとは思うが。

 

皆守甲太郎からしたら、私は宇宙人疑惑があるのだ。たぶん、きっと、メイビー。神鳳は皆守をからかうのにタチの悪い言い回しをよくするから、皆神山自体が宇宙船の空港だという話をしたのかもしれない。あたってるよ。ついでにお前らが管理してる遺跡を作った天御子の遺跡だ。

 

皆守は微妙な顔を通り越してやけに神妙な面持ちである。

 

「......江見......」

 

「ん?」

 

「......いや、なんでもない」

 

皆守は生徒会からその情報をもたらされたことを私に話すことが出来ないために、切り出すにはどうしたらいいか困っているらしい。しかも私が宇宙人だとわかったところで監視をしなければならないのは皆守だという事実が横たわっているのだ。宇宙人がめっちゃこわい皆守自身が。

 

神鳳充、ほんとにタチ悪いな、そんな話を真夜中にするとか何考えてるんだあいつ。

 

「神鳳に喧嘩売るとかお前馬鹿じゃねえのか」

 

「先に挑発してきたのはあっちだ」

 

「思ったより短気だな、お前」

 

「父さんの荷物を勝手に作った墓に入れてる連中になんで寛大にならなきゃいけないんだ?」

 

皆守はためいきをついた。

 

「お前、ほっといたらやばそうなのはよくわかった。次、生徒会室いくことになったら教えろ、俺もいく」

 

「えっ」

 

「馬鹿が余計なことして火の粉が飛んでこないか見張ってやるよ」

 

私は笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

「好きにしたらいいよ」

 

監視の為、止む無く付いて行こうとした時にそう言われた。見た目は普通なのに、父親が絡んだ途端にその穏やかな笑みから目の光だけが狂気をおびる。

 

俺も大概だが、こいつはその上を行くんじゃないか。"好きにしたらいい"という言葉が、本当にそのままの意味だとは思わなかったが。

 

俺は生徒会室に同行はしたが八千穂たちのように何一つ手伝わなかった。なにかいうかと思ったが江見はなにも言わなかった。存在すら忘れられるレベルで没頭していたらしい。次の日も、そのまた次の日も。生徒会室が俺の新しいサボり場所に認定されるレベルで江見は調べ物を続けていた、

 

「おい、江見。もう時間だぞ」

 

江見は俺の存在を今認識したかのように振り向いた。喜怒哀楽を表に出さず、何を考えてるか分からない無表情さ。これが真剣なときの江見翔だ。無関心にもほどがある。

 

調べ物の最中、江見は一度もこちらを気にした様子が無かった。俺がうとうとと微睡んでようと、スマホをいじっていようと、ガン無視した。

 

傍に誰がいてもいなくても変わらない。黙々とページをめくる背中が、そう物語っているかのようだった。

 

「ああ、もうこんな時間か。そろそろ帰ろう」

 

「どうだ、調べ物は」

 

「まだまだかかりそうだね」

 

「そうかよ」

 

暖簾に腕押し。他人の心配もどうやら届かないようだ。なんて奴だ。協調性というやつが欠片も見えない。

 

「江見」

 

「何?」

 

「お前って変わってるよな」

 

「ちょっと変わってるとはよく言われるよ」

 

「ちょっとどころの話じゃないだろ」

 

 

俺は頭が痛くなりそうだった。神鳳に自ら素性がバレそうになったとき、否定も肯定もしなかった時点で変人ではある。そこは誤魔化せよ、馬鹿じゃないのか。まァ、正体を偽ってる立場の俺が言う台詞でもないか。だが人間じゃないことだけは否定して欲しかった、俺の平穏のためにも。

 

ここは特に何をする訳でもなくのんびりと傍観するに限る。好きにしろと言ったのはあいつだ。だから俺も好きにさせてもらうぜ。

 

男子寮へ向かう途中の帰路も、江見はいつもとは違って終始話が弾む事は無かった。俺が何かを話しかけても、気のない返事が返ってくるだけ。一言二言で会話が途切れてしまう。怒ってんだろうな、と最初は思ったんだが、会話をしているうちに気がついた。こいつは俺を『背景のBGM』として扱ってやがる。どんだけこいつの地雷を踏み抜いたのかおもいかえそうとして、心当たりしかなくて笑ってしまう。まあそれでも構わないが、今後ずっとこんな態度を取られるのかと思うと気が滅入るぜ。

 

「疲れた……ふァ~あ……」

 

ようやく自室に入る事が出来て安心したのか、欠伸もどんどん出てくる。さっさと惰眠を貪る為に部屋着に着替えるか。と、その時。俺の携帯電話がメールを知らせてきた。

 

「誰だ?こんな時間に」

 

差出人名とその内容に、俺は沈黙した。

 

「今日はありがとう」

 

その短すぎるメッセージを、まじまじと覗き見る。差出人は江見翔だ。間違いなく、ついさっきまで淡々とした様子を保っていたあいつだ。

 

「言うなら直接言えよ……」

 

呆れて物も言えない。いや、言った所で泡沫の如く無に還って行くだけだ。やっぱりあいつの考えている事が分からない。いつもの愛想がいい穏やかな顔は外行きで、あの表情が抜け落ちたようなもぬけの殻みたいな顔が素なのかと思うとゾッとする。勘弁してくれ、神鳳の冗談が冗談に聞こえなくなってきたじゃねえか。

 

 

 

しかし、江見翔を紐解くのに相当な困難を要する事だけは、確実に理解した。

 



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JADE

トレジャーハンターギルド《ロゼッタ協会》所属の宝探し屋は、基本的にHunter Assistant Network Tool、略してH.A.N.T.という電子辞書に似た端末で活動を行う。《ロゼッタ協会》公式サイトにアクセスして任務を受けたり、メールや電話機能を使ったり、戦った未知なる敵の図鑑を確認したり、スキャニングしたデータの閲覧が出来たりする。基本は電子音声の英語なのだがカスタマイズできるのだ。着信の設定もできるため私は個人で設定を変えていた。

 

ちなみに武器調達も《ロゼッタ協会》サイトから提携しているサイトにアクセスすることで可能だ。

 

武器弾薬等を購入する通販ショップの名前はShadow of Jade。ちなみにバーチャル店主は若い男性で忍び装束に身を包み、やあ、いらっしゃいと声をかけてくる。《ロゼッタ協会》の宝探し屋は外国人が多いからこうもあからさまにNINJAだとウケがいいんだろう。金を稼ぐためならなんでもやりかねんからなこの24歳の店主は。

 

サイトのQ&Aにはオンラインしか受け付けていないとあるが、うそつけという話である。私は世界観を共通している魔人学園のシリーズもやったことがあるため知っているのだ。

 

彼はいわゆるゲスト出演というやつである。こんなにノリがよかったかは疑問符がつくが、天然で守銭奴だったはずだから周りの仲間に唆されたか迷走したか。容易に想像がつく。

 

彼は元禄時代から続く如月骨董品店を若くして営む青年で、如月翡翠(きさらぎひすい)、JADEは翡翠という意味だ。なぜ如月で2月辺りからサイト名を採らなかったのか甚だ謎だ。

 

かつては厳格な祖父によって厳しい修行を送ってきたせいか、性格は冷静でかつ実務的。使命感にとらわれやすく、仲間と衝突することもあった。先代店主であった祖父は彼に店を譲って数年前に失踪。母は幼い頃に他界、考古学者の父は音信不通。たぶん今もひとり暮らしを送っているはずだ。

 

まさかとは思うが音信不通の父は私と同じで宝探し屋だったというオチじゃないだろうな?

 

ともかくオンラインショップを経営するあたり運営は上手くいっているようでなによりである。

 

如月は徳川幕府に仕える隠密・飛水(ひすい)家の末裔で、水を操る力を持ち、その力で江戸の町を護ることを任務としていた。ノリの良さはあるが、仲間であろうと金は取る。 戦闘ではアイテム面では優秀だが、打たれ弱いのが難点。

 

魔人学園は登場人物がみんな宿星があり、いわゆる幻想水滸伝みたいに特殊な才能や力があってラスボスを倒す話だったため、如月も玄武という力があるのだ。あの玄武に変身できるというわけだ。

 

だから亀というわけである。

 

かつては仲間うちからしっかり金取るわ、自分の装備すら買わせるわとセコイことしていたが、今はどうなのだろう。ちなみにショップを利用しまくると愛想が良くなるあたり根っからの商売人である。

 

クエストで得た報酬アイテムのうち、ほかのクエストで使えそうにないやつはさっさと売り払うに限る。売り払いたいやつを片っ端から撮影してメールで送る作業を繰り返し、送信した。査定してもらうためだ。

 

しばらくしてメールがきた。

 

「うわ、たっか」

 

ゼロが2つくらい多い気がする。やっぱりイスの大いなる種族の知識を信仰するカルト教団あたりにご贔屓にされているせいか。クトゥルフ神話関連の団体さんからのクエストが殺到している私は当然報酬も邪神関連の品となる。見てくれよ、このチャウグナーフォーンの銅像。

 

アジアの山岳地帯にある洞窟の台座に鎮座している石像そのもののクオリティだ。夜になると動き出して犠牲者をむさぼり食うと言われても納得出来る。

 

胴体の端にヒルのような口を持つ、吸血鬼の特徴を持った象の他にもタコや人間が組み合わさり奇妙な姿になっている。耳は水かきのように広がり触手が伸びている。鼻は細い部分で直径30センチで朝顔の形に広がってる。手は人間と同じ形をしており、膝に肱を置きながら掌は上を向いている。肩幅は広く角ばり、胸と腹は太っているかのように突き出しているという。象の仮面を被った半裸の太った巨人だ。

 

禍々しいにも程がある。手元においといたら精神が蝕まれたりSANチェック入ったりしそうだから早く売り払いたいのだ。

 

手元においとくならやっぱりこのバステト神の銅像とか......。

 

「こんにちは、亀急便でーす」

 

「はい、どうぞ」

 

窓から現れたNINJA装束の男性に私は梱包したダンボールの山を渡す。

 

「いつもご利用ありがとう」

 

やはり邪神関連のアイテムはかつての黒魔術を使う仲間に高く売れるらしくNINJAは上機嫌である。

 

「おや、その猫は」

 

「ああ、それは可愛いから売らないで飾ろうと思いまして。バステト神の石像です。可愛いでしょう?」

 

NINJAはバステト神の銅像に釘付けだ。

 

「あのー、JADEさん?」

 

「少し触ってみても?」

 

「えっ、ああ、はいまあいいですけど」

 

言ってる傍から白い手袋つけて高そうなハンカチ口元に当てながら慎重に見始めたぞこいつ。なんでも鑑定団で見た事あるやつだ。これは高い。確信した私は飾ろうと決めた。

 

「江見くん」

 

「なんですか?」

 

「これ、譲ってくれないだろうか」

 

「えっ、売りませんよ。さっき言ったじゃないですか。つーか譲れだと!?明らかに高そうな扱いしといて?」

 

「価値がわかっていない君のところより僕のところに来た方がこの猫も幸せだと思うんだが」

 

「ええ......。アンタの趣味的にまねきねこの方がいいんじゃ?バステト神じゃないはずだ。目を覚ませ、バステト神に商売繁盛のご利益はないはずだぞ!」

 

「たしかにそうだがこれは猫の神様だ。まねきねこの上司にあたるはず。ならば無関係では無いはずだ」

 

「無理やりすぎません!?」

 

「とにかく譲ってくれ、なんでもする」

 

「今なんでもするっていいましたよね?じゃあ高いんでショップ安くしてください」

 

「それは出来ないね」

 

「まさかの即答だと......!?なんでもするっていいましたよね、今」

 

「常識でかんがえたまえ」

 

「NINJAがなんかいってる」

 

「そのNINJAから買ってる不審者は君だが」

 

「それは不審者スタイルじゃないです。宝探し屋の正装です」

 

「じゃあなんで《魂の井戸》でこそこそ着替えてるかいってみたまえ」

 

「人の事いえるんですか、アンタ」

 

「これは由緒正しきNINJAの正装だ」

 

「オレの知ってる忍者じゃない」

 

ピンポンピンポン空気を読まない呼び鈴とドンドンたたく音がする。

 

「おい江見、さっきからうるせーぞ。なに騒いでんだ」

 

ぴたりと私とNINJAは顔を見合わせた。ガチャガチャドアノブを回す音がする。私は目配せをして、NINJAはうなずく。ただちに私たちは行動を開始した。皆守甲太郎は本気を出したらボロい寮の扉なんて蹴破るのだ。NINJAが逃げて私は内側から鍵をかけた。

 

直後に蹴破る音がして、扉が無残にも倒れてしまい、蝶番がきいきい悲鳴をあげている。

 

「おい、聞いてんのか江見!」

 

「あー!!」

 

「な、なんだよ」

 

「それはこっちの台詞だよ、皆守!どうしてくれるんだ、チャウグナーフォーンの像が台無しじゃないか!」

 

「ちゃ、なんだって?」

 

「やめろ動くな一歩も動くな!亜空間に飛ばされて毒飲まないと元の世界に戻れなくなるぞ!」

 

「はあっ!?」

 

それは有名なクトゥルフTRPGのシナリオの話だがこの世界にはクトゥルフ神話が実在するのであながち嘘ではないのである。いっててなんだがクトゥルフTRPGはあるのかこの世界?

 

固まってしまった皆守に説明してやるのだ。まあドアの下敷きになって損傷がでかいわけだが。

 

「なんでそんなもん持ってんだよ」

 

「もらったんだから仕方ないだろ」

 

「誰から?」

 

私は目をそらした。

 

「や、ややっぱりお前......おまえっ......」

 

皆守がうっかり落としてしまったアロマパイプを私はひろいあげる。

 

「皆守、弁償してくれ。割とシャレにならない」

 

「......それで呪われなくて済むのか?」

 

「それはわからないよ、封じられてるタイプだったらもう手遅れだ」

 

「だからなにがだ!」

 

「わかってたら世話ないよ」

 

「ぐっ......」

 

皆守はパイプをうけとった。

 

「まあ、チャウグナーフォーンは両生類を肉体や精神を改造して人間みたいにした眷属を人間と交わらせて繁殖するタイプだから、両生類みたいな女に誘惑されなきゃ大丈夫だよ」

 

「やけに具体的だな」

 

「呪いはあんまりしないイメージだな。でもここまで壊されたらどうなるかは保証できないよ」

 

「お前のだろ、どうにかできないのか」

 

「壊した人がなんとかすべきだとは思わないのか、皆守甲太郎」

 

皆守は冷や汗で顔色が悪そうだった。

 



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黒塚至人

6月にはいったある日のこと、私は今ある部室にいる。ようこそ、とソファに座るよう促された。

 

「僕は、3-Dの黒塚 至人(くろづか しびと)。遺跡研究会って部の部長をやってるんだ。よろしく」

 

「オレは転校生の江見翔っていうんだ。こちらこそよろしく」

 

「部員は1人だけどな」

 

「1人じゃないさ、こんなにいるんだから」

 

蝶の標本の石バージョンに埋め尽くされた壁を見て、皆守はどこか疲れた様子でそうだなと小さくぼやいた。つっこみ放棄してるみたいだが大丈夫だろうか、皆守。チャウグナーフォーンの銅像壊してからどことなく元気がないようだが。

 

私がいくら聞いてもなんでもないと返すものだから取り付く島がないのだ。まさかチャウグナーフォーンの銅像、ほんとにチョーチョー人に崇拝されていたあの銅像だったりしないだろうな?夜な夜な密室に閉じ込められてお迎えが来る前に毒入りのスープを飲まないと殺される理不尽な夢を見てるんじゃないだろうな?それとなく探りをいれるたびに、待ってろ直せるやつ探すからの一点張りなのだ。

 

それはともかく。

 

興味深そうに私を見ているのは遺跡研究会、通称石研の部長で「石」をこよなく愛する石フェチの黒塚至人だ。ちなみに声帯は石田さん。ゆえに私は石田とか石塚とか呼んでいた。常にガラスケースに入った水晶を大切そうに抱えてその素晴らしさを周囲に説くが、倒錯的傾向が顕著でかなり引かれている。

 

「石」を本当に愛してる黒塚は本編中でもその「石」に対する愛を遺憾なく発揮してくれる。なにせ仲間にするフラグが石を拾ったり舐めたりすべすべしたりすることなのだ。普通に考えて意味がわからない。

 

「それで、僕に相談ってなんだい皆守くん」

 

「見りゃ早い」

 

「えっと、とりあえずこれみてくれないか?」

 

私は陶片の入ったビニール袋を渡した。

 

「もともとはこれだったんだけど」

 

携帯の写真を見せると黒塚は受け取ってくれた。

 

「なるほど、これが......」

 

「お前、こういう銅像関係も趣味だったのか?」

 

てっきり、ただの石好きかと…と聞きたげな皆守である。お願いしたのはお前な件について。

 

「趣味…......って程ではないけど、ちょっと嗜んでる程度ではあるかな?僕としては、石達が側にいるだけで充分だから、こういうものに力強さを感じるんだ。何の力も持っていない存在であっても僕は彼らの事が好きだからね。銅像はそんな彼らの別側面が見えるみたいで楽しいって言うのが本音なんだ」

 

「……お前のそう言う在り方だけは感心するぜ」

 

「そうかい?」

 

「ああ」

 

「直せる?」

 

「別の角度からとった写真はあるかい?」

 

「うん、あるけど」

 

「乱れなく彫刻された石細工…......。素晴らしい…......。うふふふ…......。でも、なんてことだ。これが、こうなってしまうなんて!」

 

「......悪かったよ」

 

「君か......君がこれをこうしたのか、皆守甲太郎くん。あんまり壊さないようにしてくれたまえよ」

 

「ぐっ」

 

「石はね、僕達よりもずっと長い時間を、この世界で過ごしてきてるんだよ。石の中にはそのたくさんの記憶が眠っている。その石に人間が文明を刻むんだ。文化を残すんだ。それをよくもここまで躊躇なく壊せるね」

 

黒塚はため息をついた。

 

「もとはといえばドアのすぐ近くに置いとくのが悪いんだろ」

 

「挟んだだけでこうなるのかい!?」

 

「......いや、蹴飛ばしたらドアが壊れた」

 

「蹴飛ばし?」

 

「............」

 

「皆守くん」

 

「悪かったよ」

 

「直せる?」

 

「ああ、もちろん。これくらいならなんとかりそうだ。それなりの時間がかかるけど」

 

「ありがとう」

 

さすがは黒塚至人、宝探し屋顔負けの修復技術である。遺跡のギミックを動かすだけはある。さすがにゲームみたいに3分クッキングとはいかないようだが、それはこちらの調合も同じなのでおあいこである。

 

「しかし素晴らしいコレクションだね、江見くん。博物館に寄贈されてもおかしくないんじゃないかな」

 

「曰く付きだからなあ......」

 

主に大都市で数百人規模の死者を出しすとか。言葉を濁す私を皆守がジト目でみている。

 

「はっ、まさか君は僕の知らない素敵な石が手に入れられる秘密スポットを知っているのかい!?」

 

「いや、これがどこにあるかは知らないよ?オレはアルバイトしてお礼にもらっただけだし」

 

「アルバイト?」

 

「バイト?いつしてるんだよ」

 

「ネットで依頼されたやつを郵送するアルバイトだよ。こういう陶片とか」

 

「はあ?ただの石じゃ?」

 

「父さんがよくアクセスしてたサイトにあるんだよ。なんでもいいんだ。もみじみたいな葉っぱとかそういうのを綺麗に乾かして包装して送るといいお小遣いになるんだよ」

 

「はあ?なにに使うんだよ、それ」

 

「学校の図画工作とかに使うみたいだよ。あとは小料理屋がさらに添えたりするとか」

 

「へえ」

 

「お前んとこによく宅配便が来るのはそのせいか」

 

「そのせいだね。一応寮の人はいいっていってたからやらせてもらってるんだ。あとは先生に頼まれて集める場合もあるけど」

 

「はあ?先生に?」

 

「うん」

 

「ちまちまよくやるなあ」

 

「そのお礼がこれか。すごいね」

 

「まあね」

 

それは人の出入りをカモフラージュするためにやってるアルバイトであって殆どは遺跡で収集したアイテムがメインだけどなと思いながらうなずいた。

 

やっと重荷がとれたのか皆守はさっさと退散してしまう。

 

「ふふふふふっ」

 

なぜか眼鏡の向こう側が白で塗りつぶされてしまった。謎の逆光である。

 

「ふっふっふっ…。石はいいよねぇ~。うふふふふ…」

 

なんかスイッチが入った。

 

「ラララ~石は何でも知っている」

 

なんか歌い始めた。

 

「ふっふっふっ…。ここには鉄鉱石達のかぐわしい香りが満ちているだろう?うふふふふ......。君も気づいてるんだろ、江見くん......。僕の目は誤魔化せないよ、君は、江見くん、君……、僕の知らない石の匂いがするね。同士の到来をみんな喜んでるよ。君は夕薙大和くんと同じ匂いがする。ずるいなあ、どこにそんな魅惑的なスポットがあるんだい?しかもこの学園の敷地内に」

 

「わかる?一応着替えてるんだけどな」

 

「わかるさ!誤魔化せないよ、この僕からはね」

 

「さすがは遺跡研究会」

 

「ああ、鉄鉱石のようで鉄鉱石ではない、君は一体なにものなんだ!」

 

めっちゃ触られているチャウグナーフォーンの銅像の破片に私は苦笑いした。

 

「是非とも知りたいんだけど、ダメかい?」

 

「うーん、考えとくよ」

 

「そうか......ちょっと残念だけど待っているよ。君なら大歓迎だからね。せっかくだし石たちをみていったらどうかな?みんなさっきからザワザワしてるんだ」

 

ラピュタの地下にいた爺さんみたいなことをいいはじめた黒塚である。差し出されたコレクションを見つつ、お宝鑑定団の紹介PVみたいな解説を聞きながら私は昼休みを費やすことになったのだった。

 

「皆守、ありがとう」

 

石研前をうろついていたにもかかわらず、今通りましたよという顔をしている皆守に私は声をかけた。

 

「直せるってか?」

 

「うん、大丈夫そうだ。よかった」

 

皆守はあからさまにホッとしている。

 

「皆守」

 

「なんだよ」

 

「どうしようもなくなったら電球割ってみるといい。なんか道が開けることがあるかもしれない」

 

「はあ?なんだよいきなり」

 

「なんでもない。よく寝れるといいね」

 

5時間目をサボるという皆守に別れを告げて、私は教室に向かうことにしたのだった。

 



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白岐幽花

温室にて待つ。下駄箱に入っていた白い封筒の便箋にはそうかかれていた。いつもは鍵がかかっている場所に行ってみると、中に入ることが出来た。クラスメイトの白岐幽花(しらきかすか)が待っていた。

 

彼女の名前は白岐幽花。どこか近寄りがたい神秘的・幻想的な雰囲気をまとう美少女で、「遺跡」に挑む宝探し屋に対し謎めいた言葉をかける。本作の重要な鍵を握る存在の一人だ。床まで届きそうな長い黒髪と、その身にまとう鎖が特徴。

 

関連本によるキャラクターデザイナーのコメントで、下着を着用していない疑惑がある。 他者を寄せつけない雰囲気を持ち、ひとり静かに絵を描いていることが多い女生徒でもある。休み時間なんかは頻繁に學園の墓地の方をうかがう仕草を見せる儚げな美少女だ。

 

「あなたはたしか、転校生の......」

 

「そう、同じクラスに転校してきた江見翔だよ。オレにこの手紙をくれたのは白岐さん?」

 

「......きて、しまったのね」

 

それだけいうと目を伏せてしまう。幽花はいわゆる巫女の家系の人間なのだ。ゆえに遺跡に潜入するたびに行方不明になる宝探し屋たちに胸を痛めており、遺跡自体に恐怖を抱いているために自分は近づくことができない。だから意味深な忠告をするのだが宝探し屋がその程度でとまるわけもなく、悲しみが募っている。

 

「もしかして誰かにいじめられてるのか?それでこれを出すように言われた?」

 

幽花は首を振る。

 

「いつのまにか......あったの......」

 

「え?」

 

「あなた宛てに......テーブルの上にあって......」

 

「誰かに渡されたとか?」

 

「いえ......私の部屋の......テーブルに......。あなたに......渡さなければと思って......」

 

「ええとそれはどういう?」

 

「聞きたいことがあるの......」

 

「なにを?」

 

「あなたもまた《墓》の眠りを妨げようとしているの?」

 

「それ、転校初日もいってたけどどういう意味かな、白岐さん。君はオレが父さんを探しに来たことは知ってるみたいだけど。そのことと《墓》になんの関係があるんだい?」

 

「......」

 

浮かんでいるのは諦めの色だ。

 

「あなたは……、《墓》の意味を考えたことがある?《墓》とは古の記憶そのもの。生半可な気持ちで近づいていい場所じゃないのよ」

 

「父さんと関係があるっていいたいのかな?」

 

「......そうだとしたら?」

 

「なら教えてくれないかな、白岐幽花さん。《墓》に父さんの残した私物以外のものが埋まってるっていうなら聞き捨てならない」

 

「............私が教えたら行くつもりでしょう?どんな危険が待ち受けているか知れないのに」

 

もう行ってるけど、と思いながら私は問いかけた。

 

「見てごらんなさい。《墓》は侵されるのを望んではいないわ。あなたが危険を引き寄せるのか。危険があなたを呼ぶのか……。私はここで祈るだけよ......」

 

私は肩を竦めた。

 

「忠告ありがとう、白岐さん」

 

そう告げて帰ろうとした矢先、引き止められる。思わず私は足を止めた。ゾッとするほど手が冷たいからだ。しかも手首を掴まれた。

 

「待っていたわ……」

 

幽花は微笑んだ。

 

「あなた、白岐幽花さんじゃないでしょう。誰?白岐さんはオレを怖がって避けているはずだ。そんなふうに笑いはしない」

 

「あなたの瞳に映る自分の姿を見て、この子は感じたのでしょう。あなたの向こう側にいるものたちが恐ろしいと」

 

「あー」

 

「こころあたりはあるのね」

 

「まあね。で、君は?」

 

「今こうしてあなたと話している私は、白岐幽花であって白岐幽花ではないの。それは江見翔であって江見翔では無いあなたと話をするため。だから答えてほしい」

 

「なるほど。手紙を書いたのは君か。やっぱり見えるのね、アタシのこと」

 

きゅ、と唇を結んで白岐幽花の姿を借りた誰かはうなずいた。驚いたなあ、まさかラストダンジョン付近で初登場するはずのキャラクターがご登場するとは思わなかった。

 

「私は遥か昔、この子の血と肉に溶け込んで生きてきた存在。長い長い年月をこの子の遺伝子の奥底で眠り続けてきた」

 

彼女は首元の鎖を握りしめて顔を顰める。

 

「でも……その眠りは妨げられてようとしている。この≪墓≫より目覚めんと欲する者の意思によって」

 

頭に葉の冠を乗せ、右肩から左脇へと、頭にあるものとは別の葉が襷のようにかけられていた。長めの首飾りには琥珀色の飾りが通されている。腰の辺りで白い着物を白と紫の帯で引き締め、薄黄色をした細長い布が身体を柔く覆うように在る。豊かな長い黒髪は足許に近づくにつれ横へと広がっていた。

 

身体の周りが薄黄色く光っているのがとても気になるが、まさに巫女といった出で立ちだ。彼女が白岐幽花の遺伝子と書いた心の中に潜んでいた存在である。

 

「私は、大和の巫女」

 

「大和朝廷の巫女ってことは、卑弥呼の家系でいいのか?」

 

彼女はうなずいた。

 

「本来であれば、この≪墓≫に封印されている存在と共に眠りについたままでいようと思っていたのですが……。その恐るべき≪力≫を持った存在が目覚めつつある。だから」

 

「そこにアタシが夜な夜な潜っているから不安になったわけだ」

 

彼女はうなずいた。そして話し始めた。オレではなく私の話を聞くにはフェアではないと思ったらしい。

 

かつて、大和朝廷と呼ばれる勢力がその版図を広げていたころ、東方の蝦夷と呼ばれる民と幾度となく激しい戦いを繰り広げていた。蝦夷は、長髄彦という男の下、荒吐神という自然神を信仰し、自らも荒吐族を名乗っていた。この国の正史では、激しい戦いの末、長髄彦は敗れ、八握剣で首を刎ねられたと伝えられている。彼女は大和朝廷を率いていた巫女の家系らしい。

 

そこに大和朝廷をも凌駕してこの国を支配していた者たち、私の宿敵たる≪天御子≫と呼ばれた者たちが突如現れた。

 

≪天御子≫とは、天より目的を授かって、地上に遣われてきた者の事。今でも、彼らの正体が何者であったのかはわからない。類稀なる≪叡智≫を有し高度な文明を築いていたことだけはたしかだ。

 

≪天御子≫の持つ巨大なる力に敗れた長髄彦や大和朝廷の人々は捕らえられ、地中に埋め込まれた巨大な石の施設に収容された。古代日本文明と古代エジプト文明の≪叡智≫の粋を集めて作られた場所、つまりこの墓地の先にある遺跡だ。

 

暗く、血と狂気が充満したその場所の異様な石の空間。そこでは密やかに古代日本文明における遺伝子工学と古代エジプト文明における死者蘇生技術。そして、その二つの技術の融合による≪永遠の命≫の研究がされていた。

 

そこに捕らえられている人たちは、その研究の被験体だった。長髄彦もその研究の被験体となったのはいうまでもない。

 

「私は大和朝廷の巫女でしたが、國を滅ぼされたあと研究施設につれてこられ、この遺跡を作った≪天御子≫の研究者たちに選ばれた被験体の世話役となりました。昼も夜もその忌まわしい場所で実験は続けられ、その過程で、多くの生命が産み出されました。あなたが、≪墓≫の中で見た化人と呼ばれる生き物たちがそうです」

 

白岐幽花に似た憂い顔で彼女はいう。

 

「植物の細胞と人の細胞を掛け合わせた者。細かな機械に人の臓器を移植した者。彼らは、自分たちがどうやって創られ、何故生まれたのか、知りません。化人とは、文字通り、人と化すために創られた狂気の産物。彼らの魂を解放する方法は、その命を絶ってあげる事だけ。私はずっと彼らを解放してくれる人を待っていました。でもあなたはその意思はなさそう」

 

そりゃそうだ。遺跡のギミックガン無視でどんどん奥に進んでいるんだから大和朝廷の巫女様には面白くないだろう。

 

「この遺跡には、神をも怖れぬ研究の中、様々な実験に晒されながら次第に人とは違う者に変わっていった哀れな人間の成れの果てが封印されているのです。度重なる苦痛と激痛。その中で、己こそが≪神≫なのだと思い込むようになった哀れな民が」

 

彼女は私を見る。そこには困惑があった。

 

「迷走する技術が産み出し、創り上げてしまった異形の≪神≫は、最早、創った者たちにすら制御の叶わぬ脅威と成り果てました。研究者たちは、ただちにその研究施設を放棄し、研究データと一緒にその狂える≪神≫を奥底に封じ込めると厳重に≪鍵≫を掛けました。そして、その《鍵》を人目につかぬ場所に隠したのです……。つまり、ひとりの少女の中に」

 

「その《鍵》があなた?」

 

彼女はうなずいた。

 

「彼が地上に放たれればこの學園だけでなく世界が狂気に包まれるでしょう。二度と私たちに明日は来ない。眩い暁の光が地上を照らす事もない。だからあなたに問いかけたいのです。あなたの目的はなんですか?なんのために遺跡を調べているの?」

 

「アタシたちはね、皆神山の遺跡......こことおなじく《天御子》の遺跡で化人にされかけたのよ」

 

彼女はいきをのんだ。

 

「さいわい別勢力の宇宙人に助けられたんだけど、匿ってもらうかわりに協力することになってね。興味があるのよ。あのままアイツらに捕まってたら、アタシはどうなってたのかなって」

 

「それは」

 

「宝探し屋が謎を解いたらこの遺跡は崩壊する。それじゃアタシの疑問は解けないじゃない。だから記録してあげるわ、余すことなく。全てを。アタシは知りたいの。ここでなにがあったか。残念ながら江見翔は諜報部門の人間でね、他を当たって」

 

「......誰かくるわ」

 

彼女の姿が消えて、白岐幽花だけが残された。

 

「いつまでぶらついてんだ」

 

覚えのある声に振り返ると皆守が居た。あいさつをされたので会釈を返す。

 

「ん?そこにいるのは白岐か?中々に珍しいツーショットだな」

 

「こんばんわ……。あなたこそ珍しいわね。温室に来るなんて」

 

「たまには、花を眺めて過ごしたい時もある。しかし、まさか、二人がそういう関係だったとは……。江見やるじゃないか」

 

「ちがうけどね」

 

「別にお前と白岐がどういう関係であろうといいさ」

 

少しからかい気味にそう言った。それにしても皆守は色恋沙汰に過敏な反応を示す割にはよくこの手の話を振ったりする。まぁその辺は夕薙と同じような事情なのだろう。その時幽花が微かに呻いた。私たちが同時に視線を向けると、苦しげに俯いている。

 

「あなたは恐ろしい。いえ、あなたの向こう側にいるものたちが恐ろしいのかもしれない。協力しているあなたも。いいがかりなのはわかっているわ。でも......その、ごめんなさい」

 

我に返った彼女は去ってしまった。

 

「これでも?」

 

「............あーその、なんだ。なんかすまん」



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劉瑞麗

劉 瑞麗(りゅう るいりー)は、中国出身の天香学園の保険医兼カウンセラーだ。名前の正式な読みは「ソイライ」で、「ルイリー」は愛称。凛とした物腰で大人の雰囲気を持つ美女。おみ足が美しい真っ白な中国服に白衣というどこのエロゲですかといわんばかりのスタイルの良さが最大の特徴だ。

 

「で、だ」

 

その日、昼休みであるというのに保健室は閑散としていた。いつもならば、数人の生徒がたむろしているものなのだが。今日に限って、そこにいたのはたった一人だけだった。 私である。瑞麗(ルイリー)先生が皆守たち保健室の常連たちを追い払ってしまったのだ。扉をしめ、鍵をかけ、はたからみたら何が始まるんだろうという青少年のドキドキがあるだろう。私に浮かんでいるのはもっぱら冷や汗だったが。

 

「やあ、江見。再三の呼び出しをガン無視してたようだが、ご機嫌いかがかね?」

 

「だってカウンセリングされるような覚えはないんですよ、瑞麗先生」  

 

取って付けたような愛想の良い声と笑みで、私はそう言った。とたんに瑞麗先生の端正な顔にしわがよる。

 

「無理して笑う必要はない。特に、私の前ではそんなモノ、何の役にも立たんぞ」

 

「やっぱりですか」

 

「そうだ」

 

やはり心理学ガン振りのカウンセラーにして氣を操るためオーラがみえるという特殊能力の前には私の仮面は無意味なようだった。

 

「わかってますよ。でもこれは日本で生活するには一番効率的なんだ」

 

今度こそ、私の表情は抜け落ち、人形のように冷たく生気のないモノに変わる。私じゃない体、しかも異性の体を違和感なく操縦するのはやっぱり疲れるのだ。瑞麗先生がしなくていいといってくれるのは助かる。

 

「効率的、か。それは著しく偏っている氣のバランスと関係があるのか?この学園に来る前に何かあったのかい?」

 

「そんなに乱れていますか」

 

「ああ。だから意識していないと無表情になってしまうんだろう。思考と体の連動が上手くいっていないようだ。なにか不調はないか?」

 

「不調しかないですよ、そりゃ」

 

そりゃそうだ。いきなり九龍妖魔学園紀のラスボスに襲われかけて助けられたはいいが精神交換という形でこの世界に飛ばされ、男になって全寮制の学園に放り込まれたのだから。

 

「ふむ。ここまで氣が滞っているのは見た事がないな。氣は外界と常に行き来しているもので、それが活発な状態を元氣という。何らかの理由でそれが妨げられた状態を病氣というんだが。その場合、君は病気といえるだろう」

 

私は瞬きした。

 

「氣は澱みがなく循環しているのが正しい状態だ。でも、普段の生活の姿勢や、考え方や、行動などささいなことがきっかけで氣が滞る。体調だけではなく周囲との人間関係に様々な不調が出る。ここまで停滞しているのは初めて見る。良くまともな生活ができるな、君」

 

「え、そんなにですか」

 

「ああ、そうだとも」

 

「流れを良くしたら戻りますか」

 

「ううむ......その体と精神のギャップを解決するのは難しいかもしれないな、すまないけれど」

 

「ああ、それに関しては問題無いですから、大丈夫です。原因と解決法はわかっていますから」

 

「......やはり、なにか呪いのたぐいかい?」

 

「呪いではないですね、緊急事態だったので。これは隠れ蓑というか匿い先というか」

 

「にしては、18年振りに父親に助けを求めたくなるほどの事態ではあると」

 

「まあ、そうですね。否定はしません。助けてほしいのは事実ですから」

 

「ふむ......乖離性障害かと思ったんだが、精神と肉体のまとう氣がまるで異なる。やはり君は江見くんの中にいるんだな?女性なのに難儀なことだ」

 

にやり、と瑞麗先生は笑った。

 

「ついでにいうと、助けを求める上で江見睡院との共通点が欲しい時点で察しはつくが......《宝探し屋》の体に一般人が入ってしまうのは大変だっただろう。我々の機関に助けを求めてもよかったのではないかな」

 

「そこまでバレるんですか」

 

「わかるさ。江見睡院は我々の業界じゃ有名な《宝探し屋》だったからね。もちろん家族がいたなんて話は聞かない。あやかったのかと思ったが、ストレートに父親という設定で紛れ込んでくるとはさすがだ」

 

「あはは」

 

笑うしかない。瑞麗先生は《M+M機関》という怪異を探して狩る組織の異端審問官(エージェント)なのだ。《ロゼッタ協会》が宝探し屋のギルドとして秘宝を求めて墓荒らしをするたびに封印が解かれて、インディ・ジョーンズの冒険みたいなことになるたびに化け物とかが出現するため迷惑している。時に協力することもあるが敵対することもある機関なのだ。

 

「最初に助けてくれたのが《ロゼッタ協会》だし、この体を持ち主に返すまでは現状維持をしなくちゃいけないんですよ」

 

「そうなのか。なかなかに大変そうだね。ちなみにだが江見睡院が先祖のペンネームを文字ったコードネームだってことは有名だからね。先祖の江見水陰といえば文学作品を皮切りに、通俗小説、推理小説、冒険小説、探検記など多岐に渡る分野に作品を残し、硯友社、博文館など数々の出版社で雑誌の編集発行に関わったことで有名な人物じゃないか」

 

「詳しいですね」

 

「18年前に行方不明になるまでは《M+M機関》は彼に何度も煮え湯を飲まされたからな。嫌でも調べたくなるものさ」

 

瑞麗先生は笑った。

 

「先祖の影響で彼は考古学的な探検に興味を示し、各地の貝塚や遺跡を発掘して出土品を蒐集する趣味があり、そこから《ロゼッタ協会》に所属するようになったようだからね」

 

「江見睡院さんの家には敷地内に太古遺跡研究会が組織されてて、太古遺物陳列所を自宅の庭に造っているので影響を受けたといいやすかったんですよ」

 

「父親に同行して日原鍾乳洞探検や、戸隠山・富士山などの雪中登山にいったともいえるしな。にしては若すぎる息子だが」

 

「だからこそ探しに来たといえるじゃないですか」

 

ゲーム内では江見睡院の消息は不明だが、この世界だと歴史の先生として潜入後に行方不明となっているから仮死状態とはいえ生きているのは間違いない。だから私は江見と名乗ろうと思ったのだ。助けられると思ったから。私が名乗れば葉佩九龍だって生きているかもしれないから探してくれる、助けてくれるかもしれないと思ったから。あとはそう、葉佩九龍以外に唯一最深部にまで到達しながら行方不明になった宝探し屋並の実力を得たいという意味を込めて。

 

ようするに私が五十鈴と相談して作り上げた江見翔という存在自体が葉佩九龍に仲間だとわかってもらうためのてっとりばやい手段だったのである。ついでにこの学園にスムーズに入り込むためのキャラクターでもある。

 

「でもよくわかりましたね。隠し子かもしれないのに」

 

「名前にダジャレを使っておいてよくいうよ」

 

「やけに詳しいですね、瑞麗先生」

 

「ふふ......いや、な、弟がよくいってたから」

 

ああ、あの大阪弁の弟さんか。ちなみにそちらは東京魔人学園の登場人物だし、瑞麗先生の所属機関自体は派生漫画にでてくるキーワードだったりする。シェアワールド全開である。

 

「この国には《醒睡笑》と書いて《せいすいしょう》と読む江戸時代前期の咄本 (はなしぼん) があるそうじゃないか。著者が幼年時代から耳にしたり読書によって得た笑話を集めたもの、しかも笑話集として最古のものの一つで,しかも最大。そもそも江見睡院がコードネームなんだ、その息子が江見翔なんてどう考えても狙ってるだろう」

 

「これでも笑とかいてショウって名前になるはずだったのを全力でとめた結果なので褒めて欲しいですね、むしろ」

 

「ふふふ、そうか。《ロゼッタ協会》の連中の中には面白いやつもいるんだな。だが、君の家族は大丈夫なのか?いきなり成人女性が失踪したら心配しないかい?」

 

「《ロゼッタ協会》の人(の体を借りているイスの大いなる種族)が協力してくれるので大丈夫です」

 

「そうか......ならいいんだが」

 

瑞麗先生は私の頭を撫でた。

 

「同じ女性として今の状況には大いに同情するよ。辛くなったらいつでも来なさい。カウンセリングしてあげよう」

 

「ありがとうございます」

 



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皆守甲太郎2

ホームルームが終わり、予鈴が鳴る。これから放課後に突入し、帰宅部である俺はいつものように江見を誘って天香学園唯一の外食ができるファミリーチェーン店マミーズに行こうとした。

 

「そうだ、江見」

 

「はい」

 

担任の萌生が江見に声をかける。帰宅だったり部活か委員の活動だったりでざわめく教室で気に止める生徒は誰もいない。学級日誌を律儀に全ての行を埋めようとしていた江見は顔を上げた。

 

「お前、少し残れ」

 

「わかりました」

 

「おいおい、またかよ江見。また補習か?ちゃんと授業に出てるくせにダメじゃないか」

 

からかう俺を萌生が軽く叩いた。

 

「阿呆、授業サボり常習犯がいうな」

 

「宿題と授業最初の小テストをちゃんとすれば補習は免除するっていったのはアンタだぜ、萌生先生」

 

先生とつけろと呼び捨てにした瞬間にどつかれた経験上俺はとってつけたように呼んだ。

 

「小テスト終わった瞬間に席立つやつがあるか。全く......こんなことなら授業に出たらテスト免除にすればよかったか?いや大学じゃないから無理か」

 

ぶつぶついっている国語の担当教員でもある萌生に江見は目をつけられている。萌生は一定のラインに生徒の国語力を押し上げることに全力を注いでいる教師であり、宿題が膨大で毎回冒頭に小テストをするが全てこなせばなにも言わない教員だった。

 

俺は小テストが終わったらすぐ出ていくが、江見はちゃんと授業に出ている。にもかかわらず江見はよく補習の餌食になっていた。ここのところ毎回だ。最初こそ数人いた補習も今や江見だけである。どうやら江見は真面目に授業に出ていて宿題もしているのにテストが出来ないタイプらしかった。萌生の呼びだしもいつものことになってしまい、誰も気にとめない。

 

「江見くん、補習頑張ってね!また明日!」

 

「また明日、やっちー」

 

「うん!」

 

ばいばーい、と八千穂が去っていく。テニスの大会が近いようで最近忙しそうだ。

 

「またな、江見。ご愁傷さま」

 

「そういうなら手伝ってくれないかな、夕薙」

 

「残念だが今から瑞麗先生のカウンセリングなんだ」

 

夕薙は体調不良により欠席も多いがテストも宿題もこなしているあたり要領がいい。苦笑いしながら夕薙は去っていった。

 

まばらになり始めた教室にて、俺もカバンを持ってたちあがる。

 

「終わったらメールしてくれ。マミーズ行こうぜ」

 

「わかった。ありがとう」

 

「おう」

 

「仲良いな、お前ら」

 

「うるせえよ」

 

萌生をひと睨みして、俺は教室を去った。メールが来るまで自室で一眠りするつもりだったのだ。

 

「あ、皆守クン、皆守クン、いいところに!」

 

ようやくメールが来てマミーズでおちあう約束をした俺が男子寮を出ると部活帰りらしい八千穂が歩いてきた。

 

「なんだよ、さっきから。うるせえな、聞こえてるよ」

 

「だって皆守クン、聞こえてるか不安になるんだもん」

 

「お前が元気すぎるだけだ、安心しろ」

 

「えー。ってそうじゃないよ!ねえ、皆守クン。これ、いらない?」

 

「はぁ?」

 

「おばあちゃん家からね、たくさん届いたんだけど食べきれそうにないの。だから女子寮で配ったんだけどまだこんなにあるんだ」

 

じゃーん、と頼んでもないのに見せられたのはダンボールに敷き詰められたジャガイモ、サツマイモ。別のダンボールにはニンジン、タマネギ、ナス、他にもいろいろ入っていた。

 

「なんだ、八百屋でも開くのか?」

 

「月魅にも言われたけど違うからね!?ゴールデンウィークに帰ったとき、マミーズの話したら野菜食べろって言われちゃってさ。おばあちゃん、田舎に住んでるから量がわからないんだと思う」

 

毎年そうなの。しかも年々量が増えてるの、と八千穂は困ったようにいった。どうやらとうとう女子寮だけでは消費しきれなくなったらしい。1番すごいのはこれだけのダンボールを持ってくる八千穂だが俺はなにも言わなかった。

 

「そんなにいうならもらってやるよ」

 

「ほんとに!?」

 

「ああ。俺の部屋の前に運ぶからおいとけ。女子はこっから立ち入り禁止だからな」

 

「ありがとう!」

 

「今から江見とマミーズに行く予定だったんだがこれは変更だな」

 

俺はため息をついた。

 

「ありがとう、皆守くん!じゃあね!」

 

八千穂を見届けて、俺はため息をついた。たまたま通りかかった夕薙たちを捕まえてダンボールの重さを極力減らしながら江見が来るのを待つ。

 

「随分と遅いじゃないか、江見」

 

両手で荷物をかかえている江見を見た俺は嫌な予感がした。

 

「なんだそのダンボール。まさか八千穂に掴まったのか?」

 

「なんでやっちーなんだ?これはうちの知り合いが送ってきたやつだよ。海産物」

 

「海産物?」

 

「あれ、言ってなかったっけ。オレ、× × × 出身なんだよ」

 

たしかに要冷蔵の発泡スチロールの箱に入っている。なんでも宅急便の人間が困り果ててマミーズに預けていたらしい。

 

「メール見てなかったのか」

 

「ごめんごめん、知り合いからのメール見てやばいと思って取りに行くしか頭に無かったんだ。皆守とはあっちで会うからいいやと思って」

 

通りで返事が来ないわけだ。俺はため息をついて事情を説明した。

 

「ちょうどいい。こいつらをどうにかしなきゃいけないからな。お前も手伝え」

 

「うわ、凄い量だね」

 

「冷蔵庫のスペース考えたら俺の部屋だけじゃ無理だからな、お前も道連れだ」

 

「えー......オレこれもあるんだけど」

 

「つべこべ言わずに来い。夏場の野菜の痛みははやいんだよ」

 

俺はとりあえず江見にも手伝わせてダンボールの山を部屋に移動させた。

 

「よし、やるか。おい、エプロン持ってるか?」

 

「......え、ないよ(さすがに人間の遺伝子ぐちゃぐちゃいじってできた化け物由来の食材捌くのに使ってるのは出せないの意味で)」

 

江見は目を逸らした。なんだその不自然な沈黙は。

 

「は?自炊しないのかよ、金持ちだな。はあ......仕方ないな貸してやるからつけろ。冷凍保存用に仕込むぞ」

 

「仕込む?」

 

「そのままじゃすぐ腐るだろうが」

 

これはダメだな、と判断した俺は横から口出しをしまくりながら野菜の皮をむいたり一口サイズに切ったりしながらすぐに使えるように下準備をしていった。

 

キャベツは冷凍すると繊維感が目立つので、食感が気にならないよう細かく刻んだ状態にする。玉ねぎは刻んでソテーしたものを一度にたくさん作っておき、一回使い切りの量で冷凍しておく。トマトは加熱してソースの状態にする。アスパラはそのまま茹でてカットした状態で冷凍。サツマイモは加熱して皮をむいた後にすり潰した状態にする。あるいは焼き芋にして、一度水分が抜けた状態にしておくと冷凍に適した状態になる。ニンジンは3〜5mm角程度のブロック状や千切りにするなどして、食感が気にならない形にしてから冷凍する。きのこは、しめじや、シイタケなど複数のきのこをカットしてミックスしたものを冷凍しておく。カボチャは種とわたはスプーンなどでくり抜いて取り除き、洗うなら実の部分は濡れないよう皮の部分だけにして、水気はペーパータオルでしっかりふき取り、ラップで包んだら、冷凍用密閉保存袋に入れて冷凍する。

 

全部終わった頃にはすっかり夜になっていた。

 

「つ、疲れた......指が痛い」

 

「料理しない割りに切るの上手だったな」

 

「そりゃどうも(クトゥルフ由来の食材と格闘したらそりゃねの意)」

 

ふと時計を見た江見は固まった。

 

「あああ!やけに眠いと思ったらこんな時間じゃないか!」

 

「は?」

 

「マラソンに行けない!いつもはもう寝てる時間なのに!」

 

「お前馬鹿か?小学生だってまだテレビ見てる時間だぞ」

 

「うるさいなあ!マラソンは1日休むと取り戻すの大変なんだぞ!?」

 

「お前のそのマラソンにかける情熱はなんなんだよ......たまには休め」

 

「えー」

 

「グチグチいうな。せっかく海鮮があるんならシーフードカレー作ってやるから黙って待ってろ」

 

「寸胴鍋出してきたけど何時間かかりますか皆守サン」

 

「安心しろ、朝までにはできるはずだ。おいこら、せっかくカレー作ってやるんだから携帯弄るな」

 

「えええ」

 

ムカついた俺は手伝うよういった。



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秘宝を求める者よ2

「カレーってさ、2日目が美味しいよな」

 

その一言が俺の地雷を踏んだ。

 

家庭料理の定番と言えばカレーだ。香辛料に凝っている俺も寸胴鍋いっぱいに作ることはなかなかできない。いつもはいない客人がいるせいでついつい多めに作ってしまったのは悪かった。世間一般的には江見みたいに何日かに分けて食べることを前提としている人も多く、カレーは日持ちする料理と思っている人も少なくない。

 

だが、その勘違いこそが俺が許せないことでもあった。カレーはどのくらい日持ちするのか考えたことない癖に、呑気にいうんじゃねえよ。この時点で俺は江見翔という人間は料理をしない人間なのだと認定した。

 

カレーの常温での賞味期限は1日程度だ。何日にも分けて食べている人にとって、もしかしたら意外に思われることだ。江見も例外なくそういう反応だった。

 

俺は抗議した。特に今みたいな気温の高い夏場や細菌が繁殖しやすくなる梅雨時などは、1日ももたないこともある。そうなると、カレーを冷蔵保存するようにしようと考えるものだ。それすらしないで翌朝水道水で薄めて火にかけるとか本当になに考えてんだこいつ、と頭を抱えたくなった。

 

「大丈夫だと思うけどなあ」

 

「呑気か!どこまで呑気なんだお前は!カレーの冷蔵庫での保存の目安は2日~3日程度なんだぞ。冷凍しろ、冷凍」

 

「皆守のお土産のせいで冷凍室パンパンになる予感しかしないんですけど」

 

「じゃあ食え」

 

「もう無理だって」

 

「なら諦めるんだな」

 

「無茶苦茶だなあ」

 

江見は肩をすくめるが、俺は無視した。こいつの無駄口に応じている暇があったらジャガイモを除去する作業に追われていた。

 

実は、じゃがいもは冷凍には向かないのだ。カレーを保存する際は、じゃがいもを取り除いておくか、潰すしかない。また、カレーを冷凍保存する際は、加熱した後に十分冷まして行う必要があるのだ。

 

俺がやっているのはカレーを保存用袋で冷凍する方法だ。カレーを冷凍する場合は、一度加熱しておいてから十分に冷まし、それからタッパーやフリーザーパックに入れる。もっとも手軽なのはジッパー付きの保存用の袋だ。冷凍の場合はできるだけ短時間で急速に冷凍するのがポイント。これが、おいしくカレーを食べるポイントだ。

 

冷凍保存するときの基本は、カレーをいったん加熱して十分に冷ましてから冷凍保存をすることだ。保存用袋に入れて、冷凍保存を行う。この時、できるだけ短時間で急速冷凍する。

 

これは、カレーのおいしさをそのまま冷凍で閉じ込めるようにしたいからだ。基本的には、平らになるように保存袋に入れる。この方が急速に冷凍できるためだ。アルミパットの上に保存用袋を平らにして置き、そのまま冷凍庫に入れるようにすると、早く冷凍できるのでおすすめだ。

 

このときの保存期間の目安は約1ヵ月になる。常温にするよりもかなりの期間、保存することができるのでおすすめだ。解凍する際は、できるだけ自然に解凍したほうがいい。前の日辺りから。

 

そんなことを話していたら、もう夜中になっていた。あくびを繰り返す江見を見送り、俺もドアを閉めたのだった。

 

 

 

そして、翌朝のホームルーム後、一限目が国語のため必死に小テストのために頭に諺やら4文字熟語やらを頭に叩き込んでいたときのことだ。

 

「えーみー」

 

出席簿をがんがん当てながら萌生が江見のところにやってきた。

 

「ゴメンなさい、本当にゴメンなさい。わざとじゃないんです。メールでもいったけど」

 

「お前な、予定があるならちゃんと連絡しろよ。いくらメールしても電話しても出ないから、なにかあったんじゃないかとヒヤヒヤしたんだからな」

 

「ん?どういうことだ?」

 

「ほら、オレのアルバイトの話したよな?この前。その主な依頼主がこの人なんだ」

 

「あー、あのちまちま集めた色んなものを売ってるとかいう......萌生先生なにに使う気だよ」

 

「俺じゃない、ウチのガキ共が夏休みの工作に使う予定なんだよ」

 

「えっ、萌生先生、結婚してたのか。指輪してないのに」

 

「は?指輪もっていって無くしたらどうするんだ。教師といえども外部に出ることは禁止なんだぞ?嫁にバレたら死ぬ」

 

「しかも恐妻家」

 

「うるせえな、よーしこれから授業始めるぞ。机の上は筆箱以外しまえ。そしてプリントを後ろに回してけ。始めるぞー」

 

この瞬間、今回の小テストは死んだなと確信した。そして、俺と江見は揃って補習を受ける羽目になったのだった。明らかにトメハネハライの裁定が異様に厳しかったから報復だろうと俺は思っている。職権乱用もここまでくるといっそ清々しいものがある。ふざけやがってコノヤロウ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「とうとう皆守甲太郎の監視が厳しくなったかとヒヤヒヤしたぜ。まさかカレー作りに巻き込まれてたとはなあ」

 

ひとり大笑いしている萌生先生に私は肩を竦めた。

 

「笑い事じゃないです」

 

「しかもカルト宗教のやつらからお礼にもらった海産物をぶち込んでカレーにしたとか!おかげであの後笑いすぎて寝れなかったんだからな、いいかげんにしてくれ」

 

「皆守にエラとか生えたらどうしようかと思いました」

 

「《黒い砂》の影響下の人間は超人類になるから安心しろ。人間を遺伝子的にぐちゃぐちゃいじってできた化け物食ってる俺たちみたいなもんだ」

 

「言い方どうにかできませんか」

 

「今まで1人で遺跡に潜ってた阿呆にはこれで充分だ」

 

「だってオレは諜報担当なんですよ?それは実働部の仕事でしょう?」

 

「あのなあ、次来るやつは期待の新鋭とはいえガチの新人なんだぞ。少しはやりやすいようにしてやれ、先輩になるんだからなお前」

 

「ならアナタが残ればいいじゃないですか」

 

「それは無理だな、ひとつの遺跡に2人も諜報担当はいらん。だいたい俺は来月からヘクライオンの遺跡の調査にいく予定だ」

 

3人だけどなと思いつつ、私は不満を口にした。ちなみにヘクライオンの遺跡といえば葉佩九龍がチュートリアルダンジョンとして探索した場所だ。そして持ち帰ることになる財宝の在処を示した碑文があるのだが、それの解析やら新たな場所での諜報活動に赴くのだろう。

 

こうはいってるが、この人の後任は《ロゼッタ教会》の宝探し屋ではなく一般の新人の美人教師だから私は楽しみでならない。前任者みたいに死んでなくてよかった。地味に気になってたんだよね、二学期から担任が変わるとか不穏なスタートだったから。

 

「気にしてます?前の実働担当者のこと」

 

「あたりまえだろ......まさか3日で行方不明になるとは思わなかったんだよ。おかげで接触する前に全部終わっちまった。引き継ぎのためとはいえ、諜報担当のお前に遺跡に夜な夜な潜らせたのは悪かったな」

 

「いえ、3ヶ月ご指導いただきありがとうございました」

 

「まだ数週間あるけどな。なるべくお前にはノウハウ叩き込んでやるから覚悟しろ」

 

「了解です」

 

嫌ですといった瞬間に弾丸が飛んでくる以上、私は下手なこといえないのだった。

 

『敵影を確認。戦闘態勢に移行します』

 

H.A.N.T.の音声を聞いた瞬間、私は暗視ゴーグルのモードを切り替え、刀を構えた。迅速に扉を開き、別区画に入る。ゲームとしては相当やりこんだから出現場所が固定されている化人がどの配置かはわかるが、ゲームと違ってマス目がないから客観的に距離感がわからない。『遺跡』へと入り込んだ人間を排除すべく、襲い掛かってくるのをさばくため、私は剣を振るう。襲撃など数える事が億劫になる程に繰り返してきた私はさほど動じない。

 

襲い掛かってきた化人達の懐へと飛び込むと、弱点パーツの方が低いヒットポイントが設定されているために、そこをピンポイントで狙う。

 

絶叫が木霊して、液体をひっ被るが気にせず攻撃する。その重さと威力を兼ね揃えた一撃は化人の身体へ吸い込まれるように入る。この瞬間が1番気持ちいい。気持ちの悪い粘着質な音の後に、肉がこそげて骨が折れたような音がして、化人から切断された。

 

刃の部分が刃こぼれしている。「切る」には向かない武器特有の「叩き潰す」攻撃だった。うーん、やっぱり「切る」って難しい。西洋の剣の方が私には向いてるんだろうか。

 

そんなことを考えながら構えなおし次の攻撃をする体制を取る。

 

 

「あ、やっば」

 

私の攻撃の衝撃からいち早く立ち直った腕を切断されたばかりの化人が、奇声を上げながら攻撃してくる。

 

今までの私だったら、その化人の攻撃は隙だらけの身体に直撃し、下手したら致命傷を負っていただろう。少なくとも私の目の前にいる化人は、自分の攻撃が私を屠る事を確信し、歪んだ笑みを浮かべていた。

 

だが化人の拳が私に触れる前に化人は蜂の巣になった。

 

予想すらしていない、意識外の攻撃は全て弱点たるもうひとつの腕に集中していた。化人のズタボロになった腕には薄っすらと煙を立て鮮血が溢れ出している真新しい銃痕が残っていた。

 

攻撃を阻まれた事への怒りと、傷の痛みに咆哮を上げる化人だったが、休む事なく攻撃は続く。低い発砲音と共に増えていく傷についに身体が耐え切れなくなったのか、私に反撃しようとした化人は悲痛な叫び声を上げながら絶命した。

 

化人は死んだら構成している《黒い砂》が抜けて、1700年の時の流れをもろに食らうため一瞬で風化してしまう。

 

「下がってろ、江見」

 

私は巻き込まれないように直ちに距離を摂る。次々と放たれる弾丸は、それでも敵の弱点を正確に撃ち抜く。江見翔の体の記憶に依存しているとはいえ、そこそこの実力だとは思っていた私だが。明らかに違う萌生先生の技術に、息を飲む。

 

 

「敵に隙を見せるなと教えられなかったのか?一人だったらどうするつもりなんだ」

 

私は刀を収めた。

 

「立ち回りで剣か日本刀かナイフか切り替えていけ。そうじゃないと命取りだぞ」

 

『敵影消滅を確認、お疲れ様でした』

 

静寂が戻ってくる。私は頷いたのだった。

 



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大いなる助走

「初めから知ってたけどさ」

 

日本刀を抜き放つ。すらりとした美しい刀身が薄暗い遺跡に鈍色の軌跡を描き、冷ややかに翻る。それを満足気に視界の端に収めながら、江見は弾んだ声音で答えた。

 

「君たちが殺したんだな、皆守。オレの父さんを。江見睡院を。いつ話してくれるか待ってたんだけどな、残念だよ。最後まで話すどころか殺しにくるなんて。どこまでオレたちをバカにしたら気が済むんだ?」

 

力強く断言された言葉を聞いて思わず江見を攻撃する事も忘れてしまった俺は、頭痛がしてきた気さえする頭を片手で押える。アロマパイプを指に挟んで口から離し、緩く長く息を吐く。埃と砂塵ばかりの遺跡で唯一芳しい香りを放つラベンダーの香りが、吐息に乗って辺りを漂った。

 

一人だけ装いも態度も普段と変わらない様子で江見は、いつも通りのどこか淡々とした声音で呟く。

 

「オレ、言ったよな。好きにしろって。それは何をしてもいいってわけじゃないことくらいわかるだろ?散々警告したじゃないか。オレたちに危害を加えたらただじゃおかないって。意味はわかってたはずだろ?」

 

江見が転校してきた当初からずっと行動を共にしている俺だからこそ、その言葉は重く響く。途方も無い脱力感を感じながら、俺は江見が化人達の中央で嬉々として日本刀を振り回し、次々と敵を屠っている様子を見て、先程よりも重く深いため息を吐いた。

 

化人の急所へと狙いを定め、使い慣れた引き金を引くと軽い発砲音が部屋の中に響く。そして、弾を撃ったのと同時に音とは違い、決して軽くはない反動が江見の肩と腕を襲ったはずだが体勢すら崩さない。

 

「ほんとに残念だよ、皆守甲太郎」

 

まるで反動など無かったかのように、次々と化人の急所を鉛弾で正確に貫いていく。次はその無機質な瞳が俺に向けられた。江見は緩く息を吐いた。

 

「少しくらい、楽しませてくれると思ったのに」

 

俺はその銃を蹴飛ばした。銃は暴発し、江見の頭があっけなく吹き飛んだ。

 

「江見!」

 

「ほんとうにざんねんだよ」

 

転がった頭が言葉を紡ぐ。

 

「お前......お前やっぱり......」

 

「オレが人間じゃないこと、何度も教えてやったじゃないか。愚か者め」

 

江見翔の体からなにかが吹き出した。それはたちまちボコボコに溢れ出し、人間の原型をなくしていく。

 

胴体は底部の直径が約3m、高さが約3mの円錐体で、虹色の鱗に覆われている。 底部は弾力性のある灰白色物質で縁取られており、ある種の軟体動物のように這って移動するのに用いられると思われる触手が俺を見下ろしていた。

 

円錐形の頂部から伸縮自在の太い円筒状器官が4本生え、2本は先端にハサミを備え、重量物の運搬に使われているらしく、刀やらなんやらを抱え始めた。そのうち1本は先端に赤いラッパ型の摂取口が4つあり、最後の1本には頭部がついている。

 

頭部は黄色っぽい歪な球体で、円周上に大きな眼が3つ並び、上部からは花に似た聴覚器官を備える灰白色の細い肉茎が4本、下部からは細かい作業に使われる緑色がかった触手が8本、垂れ下がっている。

 

まるで植物みたいだな、と他人事のように俺は思った。

 

「アタシたちはね、君たちが守っていた遺跡を作ったやつらに殺されかけたのよ。そして追われる身になった。相手の正体を知るために遺跡に潜ってなにが悪いの?邪魔だてする時点で君たちも同罪よ。だって、なぜ遺跡があるのか、誰が作ったのか、なにひとつ知らないまま墓守をしているんだもの」

 

江見翔だったやつから女の声がする。

 

「ああもう、江見翔くんの精神を避難させてる間に預かってた体が破損しちゃったじゃない。どうしてくれるのよ。まあ、修繕なんていくらでもできるけど。だからまあ、悪く思わないでね。君の体、使わせてもらうから」

 

世界は暗転した。

 

「───────ああくそ、なんつー夢を見るんだ」

 

電気をつけて時計を確認した俺はまだ夜明け前だと気づいてたまらず舌打ちをした。久しぶりに誰かに殺される夢を見たが、やけに具体的な相手、しかも方法だと自嘲したくなる。夢は意識の根底にある願望だと聞いたことはあるし、否定もしないがせめて選ばせてくれ。よりによってこんな方法で死にたくはない。

 

びっしょりな汗を拭いながら、俺は冷房をいれた。もう眠気は吹き飛んでしまった。

 

よりによって、成り行きとはいえ一緒にカレー作って食べるという友達らしいことをした矢先に見る夢がこれってどういうことなんだと俺は頭をかかえたくなった。

 

江見が転校してきて、もう3ヶ月になる。父親の消息を求めてやってきたやつは図書室、生徒会室、職員室と資料が残っていそうな場所をひたすら巡りながら読み漁っている日々が続いていた。だいぶん学校にも馴染んできたようで俺の目の届く範囲では《墓地》に近づいている様子はない。最近は行き詰まりを感じているのか18年前のことを知っていそうなバーカオルーンのマスターんとこに通いつめているようだ。

 

江見翔が宝探し屋にしてはあまりにも行動の開始が遅いため、俺自身どうしたものか扱いに困っているのは事実だった。

 

俺が知っているのは、戸籍などからみて江見翔という人間は実在するということ。今年の4月に長野県の皆神山に登山にいっていたら未だに原因がわからない大震災に巻き込まれて防空壕に生き埋めになりかけて生還したせいで転校が遅れたこと。父親が18年前にこの学園に潜入した歴史教諭であり、最深部にて消息不明になり、その行方を探しに来たということだ。すべて江見翔の背景を補完している。

 

問題は皆神山から生還した江見翔の精神が本人ではない可能性について、江見自身が否定も肯定もしないままあいまいな立場であるということだ。俺んとこに入ってくる情報をまとめると、白岐幽花の中にいるはずの大和朝廷の巫女が警告するほどの危険な正体不明の女がいる。その時点で人間じゃない。そして宇宙人にやけに詳しい。チャウグナーフォーンとかいうあの気持ち悪い銅像について、あんなにぺらぺらしゃべる時点でおかしい。なんでそんなのを貰うんだ。繋がりが明らかにイカれてる。

 

俺が連日気味の悪い夢を見ていることを当てやがってアドバイスしてくるし。まあおかげで時間制限内にあの真っ白な女の子と俺は生きたままこの世界に帰還できたわけだから感謝はしてるがやばい銅像を持っている時点でアウトだろ。白岐幽花の中にいる女に《墓地》に近づくなと威嚇されたり、霊感のある神鳳充に警戒されていたりするんだからな。

 

ただ、だ。かと思えばカウンセリングの一環で嗜んだから氣が見えるとかいうオカルトに片足つっこんでいる瑞麗がやけに好意的だったり。オカルトのオの字が出るだけで物凄い剣幕でマジギレするはずの夕薙が萌生の補習に頑張れよと妙に馴れ馴れしかったり。江見翔の周りはずいぶんとチグハグなようだった。

 

だから俺は迷っているのだ。江見翔という存在について、どう思っているのか、どうも考えると迷走し始めている自分がいる。

 

なにせ江見から俺になにかをしてくることはないのだ、1度たりとも。八千穂みたいに授業にでろとは言わないし、何か意見をいうことはない。マミーズもいくし、大量の野菜の消費に付き合わせるし、萌生が仲良いなというあたり周りからはそう思われているだろう。ただ、俺が誘うのをやめた瞬間に挨拶しかしない存在に成り下がるのは目に見えていた。

 

「好きにしたらいいよ」

 

最初に江見がいった。それが全てなんだろう。ただ。

 

もう眠れないことを確信した俺は早めに着替える。そして外に出た。学生寮の周りを彷徨いていると新月のせいでいつもより暗い夜道に現れる影が輪郭をあらわしていく。

 

「あれ、皆守じゃないか。めずらしいね、こんなに朝早くに目が覚めるなんて」

 

ジャージ姿の江見がいた。

 

「3時からマラソンしてるお前に言われたくはない」

 

「なんだ、やっとマラソンする気になってくれたのかと思ったのに」

 

「たまたま目が覚めただけだ」

 

お前に殺される夢を見たせいでな、とはさすがに言えなかったが言葉にトゲがあるのは隠せない。

 

「機嫌悪いな、大丈夫か?」

 

「いや、悪い。夢見が悪くてな」

 

「そっか」

 

「マラソンて話だったがやけに重そうだな」

 

「ああこれ?」

 

あちこちに負荷をかけ、でかい荷物を背負い込んでいるように見える江見はなんの躊躇もなく外して渡してきた。ズシッときた。重い。

 

「登山の体づくりのためのマラソンだしね。普通に走っても意味が無いんだよ。登る方が負荷がかかるからさ、それを再現しながら走ってるってわけ」

 

「ほんとに物好きだな、理解できない」

 

「失礼だなあ」

 

アンクルを返しながら俺は苦笑いする江見をみた。

 

「最近、行き詰まってるみたいだな」

 

「まあね。ここまで調べてもなにも出てこないから家出になったのかもしれないと思い始めてきたよ」

 

「珍しいな、弱音か?」

 

「そりゃそうだろ、まさかここまで何も出てこないとは思わなかったんだよ」

 

はあ、と江見はため息をついた。

 

「そのわりに諦める様子はないんだな」

 

「それだけは無いよ、絶対にね。なんのために転校してきたと思ってるんだよ。なにも見つからなかったなんて母さんに言えるわけないだろ?その瞬間にオレは二度父さんを失うことになるんだ」

 

それは江見翔の体を預かる者としての使命なのか、江見翔自身の意志を引き継いだ決意なのかはわからない。必死なのはわかるが。

 

「一度聞きたかったんだが、江見」

 

「なに?」

 

「父親になんだってそんなに会いたいんだ?」

 

「は?なにいってるんだよ、皆守。会いたいからに決まってるだろ」

 

「いや......なんとなく、なんとなくだ。そう思ったんだよ」

 

しばしの沈黙の後、江見は小さく呟いた。

 

「助けて欲しいからに決まってるでしょ」

 

それは、それだけは、どう穿た見方をしても嘘をついているようには思えない俺がいた。

 

「そうか」

 

「そうだよ」

 

「......仕方ない」

 

「なにが?」

 

「なんでもねえよ。そろそろ朝飯の時間だ、マミーズ行くぞ翔」

 

「!?」

 



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閑話休題

次回からゲーム時期に突入します。


全寮制の学園も長期休暇たる夏休みになれば私も帰らなければならなくなる。江見翔の設定的に母親に顔を見せるために帰省しなければ不自然極まりないからだ。江見睡院の家は岡山県にあり、彼が行方不明になってから18年間《ロゼッタ協会》のフロント企業たる不動産が管理していたらしい。私はここを拠点に天香学園の生徒としての生活を送りながら、3ヶ月にも及ぶ潜伏生活についての報告書をまとめていた。傍らにはイスの大いなる種族から預かっているオーパーツを使った通信機器だ。

 

「五十鈴さん、ひとつ聞きたいんだけど」

 

「なんでしょう?」

 

「イスの大いなる種族の技術力なら70メートルのボーリング調査って可能?」

 

「ええ、可能ですがそれがなにか?」

 

「出来るならやる価値あるわね。自由研究でやろうと思うんだけどね、水月湖っていう福井県にある湖を。実はアタシの世界だと水月湖の年縞(ねんこう)がいずれ世界基準になるのよ。《ロゼッタ協会》やアナタ達イスの大いなる種族には有益な情報じゃないかと思うんだけど」

 

「世界基準ですか、それはすごいですね。しかも70メートル?待ってください、それは何年分になりますか?」

 

「えーっとたしか5万年分だったかな」

 

その言葉に無線で繋がっている五十鈴さんの向こう側にいるであろう部署がにわかに騒がしくなった。

 

「今すぐ行きましょう」

 

「えっ、今から?」

 

「はい」

 

私はあわてて旅行カバンに荷物を詰める準備を始めた。五十鈴の行動力から考えて迅速を目指して困ったことは1度もないのだ。

 

五十鈴たちが色めきたったのは、年縞が《ロゼッタ協会》にとってそれだけ大事なものだということだ。

 

年縞とは、長い年月の間に湖沼などに堆積した層が描く特徴的な縞模様の湖底堆積物のことで、1年に1層形成される。縞模様は季節によって違うものが堆積することで、明るい層と暗い層が交互に堆積することでできる。

 

これがなぜ必要なのかというと、世界中の遺跡を探索する宝探し屋の商売を考えたらわかる。市場に未知の出土品を出すことは出来ない。最低限いつの時代のものかを知らなくてはならないのだ。そこで使われる手段の一つが「放射性炭素年代測定法」。生物の体に含まれ、時間の経過とともに一定のペースで量が減少する「放射性炭素」の残量を測定し、年代を逆算する手法だ。

 

しかし、この放射性炭素年代測定法では時代によって数百年から数千年のズレがあるのが悩みだった。生物の体に含まれる放射性炭素は、もともとは大気中の放射性炭素を取り込んだものだ。時代によって大気中に含まれる放射性炭素の量にバラツキがあるため、全く同じ生物でも、時代によって体に含まれる放射性炭素の量が異なるからだ。

 

このズレを修正するためには、「年代ごとの正確な放射性炭素の量」がきっちりと整った「ものさし」が必要となる。この「ものさし」となるのが年縞なのだ。

 

年縞は1年に1層形成されるため、いつの年代のものなのか正確にわかりやすい。その年縞に含まれる葉の放射性炭素の量を測定することで、正確な年代と放射性炭素の割合の関係が明らかになる。

 

私の世界だと水月湖の年縞は考古学や地質学における「世界標準のものさし」として、年代測定の精度を従来より飛躍的に高めた。それがいま使えるとしたら。《ロゼッタ協会》が飛びつくのは無理もなかった。

 

ちなみに年縞が使われるのは年代測定だけではない。木の年輪のように1年で明暗1対の縞が出来ていくので、縞模様を数えることでその縞が何年前にできたものかが分かる。そして、その縞の中には湖周辺から飛来した木の葉や花粉などが含まれている。それらを調べることで、その当時に生息していた植物の種類やその移り変わり、また、その植生から当時の気候や環境も分かってくる。

 

その他にも、火山灰からは火山噴火活動や黄砂からは偏西風の風向きの変化、また、堆積層の変化からも洪水や地震の履歴を知ることが出来る。

 

こうした研究は、地球温暖化の解明や自然災害のメカニズム、人類史の解明など、今後の研究成果に期待が寄せられている。ちなみに水月湖の年縞の研究は1990年には始まっているが、国際的に認定されるのは2012年。2004年の今から8年後である。私の提案は五十鈴さんだけでなく、《ロゼッタ協会》を動かすだけの威力があったらしい。

 

気づけば旅行に来たという体で、私は母親役のスタッフと福井県にきていたのだから。

 

「ここが水月湖かあ」

 

ホテルに泊まった私は目の前に広がる湖に目をやった。

 

名勝「三方五湖」のひとつ「水月湖」は、年縞が形成される環境として「奇跡」と言われるほど理想的な湖だ。その理由は、直接流れ込む河川がない 。湖底に生物が生息していない 。時間が経過しても埋まらないため。湖底がかき乱されることがなく、美しい縞模様が形成される。また、断層活動のため湖が埋まることなく、水月湖では7万年もの間年縞を形成し続けており、これほど長い間連続している年縞は、世界でも他に例がないらしい。

 

うろ覚えだったが五十鈴は同僚たちに伝えていたようで、研究員扮する複数の人間がなにやら機材を持ってでかけていくのが見えた。誰一人反応しないのはさっき振りかけていた粉の効果なのかもしれない。数日かかるであろう調査に同行している私はとりあえず夏休みの宿題を終わらせにかかったのだった。

 

「メールを受信しました」

 

H.A.N.T.を広げてみると萌生先生からメールが入っていた。最後の引き継ぎだ。

 

「えっ、ちょっと待って。なにこの原稿の数。メールマガジンて個人宛じゃないでしょ」

 

そこには葉佩九龍の遺跡探索の進捗状況により自動的に送られるはずのメールマガジンを書いてくれ。推敲などはこちらがすると書いてあった。

 

メールマガジンは、発信者が定期的にメールで情報を流し、読みたい人が購読するようなメールの配信の一形態だ。

 

メールマガジンはそもそも双方向の配信システムを使用するメーリングリストとは異なり、購読者同士で情報交換ができないプッシュメディア方式の配信システムを使用することが一

たしかにメールマガジンを発行する場合、内容以外にも受信者の好みや環境の違いに配慮するなど、購読者の満足度向上に工夫が必要となる。でも葉佩九龍のためにピンポイント配信とかどういうことだ。

 

「諜報員として接触できないからってこんなことまでしないといけないんですか」

 

「この遺跡はかなり難しいからな。後方支援に徹する従来の方法だとまた俺達は仲間を失う。バディとして支えてやれ。さもないとせっかく準備したメルマガやらなんやらがすべて無駄になる」

 

ああ、やっぱり3日で行方不明になった葉佩九龍の前任者に責任を感じてるんだなと私は思った。

 

「わかりました」

 

まさか私はこのとき萌生先生がどん筆小説家の鬼編集者に変貌するとは思わなかったのだった。

 

数日後、岡山市に帰ってきた私はH.A.N.T.のメール通知で目を覚ました。

 

「メールを受信しました」

 

「メールを受信しました」

 

「メールを受信しました」

 

「ああもううるさいわね、なによ!」

 

H.A.N.T.を開いてみると全部葉佩九龍からだったものだから目が点になる。メールマガジンは一方的に送り付けるものだから返信は出来ないはずなのだが。調べてみたら私のアドレスに送られていた。怖い。

 

「はじめまして(顔文字のようだが文字化けしている)」

 

タイトルだけで頭が痛くなるメールは初めてだった。どうやら返事をしたかったが上手く送れないので《ロゼッタ協会》に連絡してメールを転送するよう頼んだらしい。

 

「いや止めてくださいよ萌生先生」

 

転送しましたの文言の向こう側に爆笑している萌生先生がみえた。頭を抱えた私はメールを打ち込んだ。

 

『No.999、KWLOONへ。メールマガジンは登録者に自動送信される機関誌なので、律儀に返事を返さなくても大丈夫ですよ。』

 

「これでよし」

 

「メールを受信しました」

 

「送った矢先にまた!?」

 

メールを読み返してみたが、やっぱり葉佩九龍はメールマガジンの意味がよくわかっていないようだった。

 

「......萌生先生にはやいとこ葉佩のデータ送ってもらおう。遺跡探索のステ足りるか不安になってきた......どんなステ振りしてるのよこいつ。つーか天香学園に派遣するとか《ロゼッタ協会》本気なの?頭大丈夫?」

 

いや、天香学園の遺跡の大体の内容や《天御子》の遺した《九龍の秘宝》について大和朝廷の巫女から聞いた話にかこつけて、あることないことすでに報告した私がいうのはなんだけども。そこまで考えて私は気づいてしまうのだ。

 

「......まさか《ロゼッタ協会》、あとは《九龍の秘宝》とってくるだけだからアタシに葉佩九龍の支援丸投げしてるとか言わないわよね?」

 

萌生先生にメールを送ると「がんばれ」の一言だけが帰ってきた。《ロゼッタ協会》は効率的に仕事をこなすやつに仕事をどんどんふりわけるブラック企業によくある体質だと今さら私は気づいてしまったのだった。

 

「メールを受信しました」

 

「いってる傍からうるさいわね!アタシへのメールは日記じゃないわよ、この距離なしめ!あーもう着拒否してやろうかな......。葉佩んときだけ受信音声切らなきゃ」

 

皆守たちのメールは携帯電話に転送して、日中はH.A.N.T.を起動しないように自室に放置している私だが、葉佩九龍のメールもH.A.N.T.にだけ転送するよう設定しようと決めた。

 

「どうしよう、新学期が不安しかない」

 

あっという間にうまってしまった葉佩九龍のメールに私は顔を引き攣らせたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

発信日:2004年8月9日

発信者:ロゼッタ協会

件名:探索要請

日本にて、超古代文明にまつわる遺跡の存在を確認。場所は東京都新宿区に所在する全寮制『天香(かみよし)學園高等学校』の敷地内。本メールを受信した担当ハンターは準備が整い次第、現地に急行せよ。尚、本件の関連資料は自動的にこのH.A.N.T.に転送される。

《ロゼッタ協会》遺跡統括情報局

 

「メルマガって普通こういうのだよなぁ」

 

《ロゼッタ協会》所属の宝探し屋になってから久しぶりに踏んだ日本の土地。《ロゼッタ協会》フロント企業のビジネスホテルに泊まった葉佩はベッドに寝っ転がりながらH.A.N.T.を眺めていた。

 

新米ハンターとして、その日は怒涛の1日だった。紅海から地下6KM下にある《ヘラクレイオンの神殿》から《イシスの碑文》を持ち帰るはずが、エジプト国内の砂漠に脱出した瞬間に敵対勢力に襲撃されたのだ。そいつらは《秘宝の夜明け》とかいて《レリックドーン》と読むテロ組織であり、超古代文明の秘宝をテロ活動に使おうと目論む宝探し屋集団だった。なんとか逃げ延びて案内役の老人サラーの記憶を頼りにオアシスを求めて砂漠を横断するという暴挙を仕出かして医療部と諜報部にボロカスに怒られた。まさか干上がっているなんて知らなかったのだ、仕方ない。

 

そして、救護ヘリで治療を受けていたら上記のメールが来たのだ。

 

新たな任務につくたびに担当者が変わるのだが、新しい担当者からのメールはこれだったのだ。

 

発信日:2004年8月9日

発信者:ロゼッタ協会

件名:担当者交代のご挨拶

 

《ロゼッタ協会》

IDNo.999

KWLOON様

 

いつも大変お世話になっております。《ロゼッタ協会》遺跡統括情報極の紅海と申します。本日は担当者変更のお知らせでご連絡致しました。

 

さて、これまで貴方を担当しておりました萌生が8月の人事異動でエジプト支部勤務となり、後任の私、紅海が貴方を担当させて頂くこととなりました。よろしくお願い申し上げます。

 

メールにて大変恐縮ではございますが、取り急ぎ担当者変更のご挨拶を申し上げます。

 

追伸《天香学園》潜入前に《ロックフォードアドベンチャー》の攻略をお願いいたします。

 

「......まさかのゲーム」

 

葉佩は笑ってしまう。

 

「いや、面白いけどさ」

 

あらすじはこうだ。ロンドンで探偵業を営むロックフォードのもとに、昔の友人レイブンウッドの娘タニスから依頼が舞い込んだ! なんとレイブンウッドは何者かに殺されたというのだ! レイブンウッドは有名な考古学の権威…ロックフォードはその点に狙いを定め捜査を開始するのだった!

 

H.A.N.T.を起動してゲームを始めた葉佩はなかなか嵌っている自分にちょっと負けた気がしていた。

 

ロックフォード・アドベンチャー~失われた黄金の港~は、《ロゼッタ協会》公式の新米ハンター育成プログラムである。

 

「セーブデータでアイテムもらえる意味がわかんないけどありがたいからいっか」

 

新米トレジャーハンターゆえに装備が貧弱な葉佩には非常にありがたいものなのだ。2時間でクリア出来るこのゲームはインディ・ジョーンズのパロディでできている。

 

「ここに出てくるサラーって子供、どっかで見たことあるような」

 

ついこの間まで一緒だった老人を思い出し、いやいやあの人じいさんだし、と葉佩はかぶりをふったのだった。

 

「まだ夏休みなんだよな、日本て。暇だ」

 

はやく新学期にならないかと思いながら葉佩は暇つぶしにゲームに勤しみながら担当者にメールを送りまくっていたのだった。



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本編
炎の転校生1


「みんな静かに。始業式でも挨拶しましたけど、家業を継ぐために退任された萌生先生にかわり、今学期からこの學園に赴任してきました、雛川亜柚子(ひなかわあゆこ)といいます。よろしくね」

 

はい、可愛い。

 

ぱちぱちぱち、と講堂と変わらない拍手が鳴る。ほっとしたように髪をかきあげながら新しい担任の先生が笑った。

 

彼女は葉佩九龍の持ち帰った秘宝を道しるべに新たな遺跡を探索すべくエジプトに旅立った萌生先生の後任として3-Cを受け持つことになった清楚な国語教師である。誰にでも分け隔てなく親身になって接するため生徒たちからは慕われるが、學園の現状に異を唱えていることから教師たちには煙たがられることになる。

 

ちなみに雛川先生にあるプレゼントをするとお礼に手作りのオレンジスコーンを貰える。だが、ここで無邪気に喜ぶプレイヤーはまだ知らなかった。彼女は加入条件が厳しく、フラグ立てに失敗した場合、仲間の証であるプリクラの代わりにくれるのがスコーンだということを……。

 

後に真実を知って絶望したプレイヤーは数知れず、「オレスコ被害者友の会」が結成されることになったのだった。これがのちのオレスコ先生誕生秘話である。

 

雛川先生のバディ加入条件がそもそも厳しすぎるのだ。攻略本や攻略サイトがなければ仲間にするのは容易ではない。スキルがレベルアップボーナスの増加(と声が堀江由衣)なので、涙をのんだプレイヤーは数知れず。また、一緒にクリスマスを過ごす条件も「序盤に本人からスリーサイズを教えてもらう」など、難易度が無駄に高い。ちなみにB85・W59・H89。

 

しかし、教室に入ってからなんか顔が赤いけど緊張してるんだろうか、雛川先生。チラチラさっきから視線を外に投げてるけど。気になってすりガラスの方を見ると人影が見えるんだけど。

 

「入ってきてくれるかな?」

 

がら、と扉があいた。

 

「えっ、嘘」

 

私の言葉は大して目立たなかった。

 

「転校生?」

 

「2人目なんて珍しいね~」

 

「え~、また男子かよ~」

 

「江見の次は女子にしろよな~」

 

周りが一気に騒がしくなったからだ。私は空いた口が塞がらなかった。まてまてまて待ってくれ、葉佩九龍転校してくるの早すぎないか?!たしかに萌生先生のエジプト行きとか葉佩九龍の初任務がやけに早いなとは思ってたけど。連日のメール爆撃のせいで世界で1番葉佩九龍に詳しくなってしまった自覚があるくらい暇暇うるさかったのは知ってるけど。まさか9月21日なんていうThe中途半端な時期じゃなくて普通に始業式と同時に転校してくるなんて思わないんだけど!?

 

雛川先生が顔赤いのあれか、葉佩九龍いきなり感情入力に《愛》連打しやがったなこいつ。

 

 

雛川先生の隣でニコニコしている青年に釘付けになっていた。東洋系の顔をしているものの、日本人離れした顔立ちや体格、身長といったすべてが外国人の血が入っていて、海外育ちだと物語る。天香学園はたしかに宝探し屋の潜入が多いため転校生が多いのだが、海外からの転校生は珍しいらしい。というか年に1人が普通らしいから注目度はさらにあがり、その雰囲気イケメンなところも手伝って女子生徒からはなかなかに好評だ。

 

雛川先生が綺麗な字でテストの度に恨みそうになるほど画数が多い難解な漢字を並べていく。

 

「今日からみんなと一緒にこの天香学園で学ぶことになった、転校生の葉佩九龍(はばきくろう)君です」

 

お辞儀しないで手を振り「HI」とやけに発音がいい挨拶をするあたり、私達が考える帰国子女の姿まんまなので教室中が一瞬にして色めきたった。昭和の少女漫画かテレビドラマの演出かなにかだろうか、今どきここまでコテコテな展開他にないぞ。

 

「今まで外国で生活していて、先月、日本にもどってきたばかりなの。はやく日本に慣れて欲しいというご両親の希望で、全寮制の本校に転校してきました。寮生活では、わからないことが多いと思いますが、みんな、仲良くしてあげて下さいね」

 

教室はまさかのサプライズで一気に騒がしくなる。全寮制の学園だと転校生は一大イベントなのだ。たとえすぐに行方不明になったり転校したり退学したりするとしても。

 

「それじゃ、葉佩君の席は───────」

 

「ハイッ、ハイッ」

 

「なァに、八千穂さん」

 

「あたしの隣の席が空いてまーす」

 

「きゃ~、明日香、積極的~ッ!」

 

「ずる~い、自分だけ~!」

 

「江見クンだけじゃなくて、葉佩クンにも手を出すの~?」

 

「そんな訳ないでしょ!隣が空いてるからだよ!!っていうか、翔クンまで巻き込まないでよね!」

 

やっちーが慌てたように叫ぶ。私はわかってるよと頷いてみせた。ほっとしたようにやっちーは笑う。

 

「もう......そんなんじゃないからね!仲良くなりたいのは事実だけどさ!」

 

「ふふふ。それじゃ、葉佩君。八千穂さんの隣の席に。何かわからないことがあったら、八千穂さん。教えてあげてね」

 

「は~いッ!葉佩君、隣の席だよッ!こっちこっち、はやく~!」

 

「はい、それじゃあみんな席についたら出席をとりますね。江見翔君」

 

「はい」

 

私は返事をする。

 

「翔君はね、4月から転校してきたんだよ。葉佩君の転校生仲間だね。18年前にいなくなったお父さんを探しに来たんだって。江見睡院先生っていうんだけど」

 

律儀にクラスメイトについて説明しはじめたやっちーの話を葉佩はうんうんうなずきながら聞いている。あのメール爆撃は仲間内だけのノリなんだろうか、めっちゃ絵文字とかスタンプとか顔文字とか使ってくるからパリピみたいなやつかと思ってたけど案外まともそうだな。ほっとした私は次の授業の準備を始めたのだった。

 

 

 

 

 

参ったな、まだまだ猶予があると思ってたから遺跡の探索ペースに支障がでてしまう可能性がでてきた。できることなら最深部にまで踏破しておきたかったんだが仕方ない。葉佩が転校してきたなら昼休みや放課後はどうしようかな。あらゆるイベントが1ヶ月先延ばしになるのか、早倒しになるのか全然読めなくなってきたぞ。ぐちゃぐちゃごちゃごちゃ考えていたせいで午前中の授業はほとんどノートをうつす機械と化していた私である。ああくそ、帰ったら録音してる授業聞き直して勉強し直さなきゃ。

 

「よく来たのう」

 

チャイムが鳴った瞬間、私は売店に向かった。そこにはスケベそうな爺さんがいる。名前は境玄道。天香学園の校務員兼売店の店主であり、覗きやスカートめくりなど、女生徒たちに対するセクハラの常習犯。しかし、とぼけたその風貌と裏腹のある秘密を持つ。なんとこいつ、私と同じ《ロゼッタ協会》の宝探し屋なのだ。

 

「カレーパンと焼きそばパンとコッペパンください」

 

「何個じゃ?」

 

「売れ残り全部」

 

「あいかわらず買い占めるのう」

 

「時間終わりに来てるんだからいいでしょう?」

 

「まあ、ありがたいがの。毎度あり」

 

それを知ってか知らずか境さんは毎日パンを買い占める私を見てはニヤニヤしている。一回尻を触られた時は男もいけるのかと本気でドン引きしたものだがあれきり音沙汰ない。おかしいのう、わしの勘も鈍ったか?と首を傾げていたのはみなかったことにしてやろうと思う。

 

私はパンをかかえて教室に帰ることにした。売店近くの壁がなぜか人型に穴が空いていて、境さんの体や顔のあちこちに強くうちつけたような跡があるがよくある事なので気にしないことにした。どうせスカートめくりをしてやっちーに壁にめり込むくらい殴られたのだ。

 

「えっへへ~、到着~!」

 

やっちーと葉佩がやってきた。

 

「お腹空いた~、ご飯にしよ~」

 

「おかえり、やっちー、葉佩。あと15分しかないから早く食べなよ」

 

「ただいま、翔クン!そうだね、はやく食べなくちゃ!」

 

「おー、噂をすればなんとやらだな!転校生仲間の江見さん家の翔クンじゃねーか!よろしくな」

 

「あはは、やっちーが増えたね。君とは仲良くやれそうだ。こちらこそよろしく」

 

《燃》を多用するタイプの葉佩九龍か、把握した。あたりまえのように握手を求められ、さし出すとぶんぶん振り回された。痛い。

 

「話はやっちーから聞いてるぜ。江見睡院先生探しに岡山から来てるんだって?」

 

お、さっそくさぐりにきたか。

 

「やっちーとすごく仲良くなったんたな、もうそんな話までしたのか。そうだよ。なかなか消息が掴めないんだけどね」

 

「そっか。俺、来たばっかだからなんも力になれないだろうけど、あれだ。元気出せよ?」

 

「うん、ありがとう」

 

「江見睡院先生のことは俺、よーく知ってるからさ」

 

「えっ、葉佩クン、江見睡院先生のことなにか知ってるの?」

 

「うん?そんなの知ってるに決まってるだろ?江見睡院先生といえば」

 

まて

 

「世界をまたにかける」

 

まてまてまて

 

「トレジャーハンターだからな!俺、尊敬してるんだよ!」

 

まてまてまてまてやコノヤロウ!

 

「トレジャーハンター?トレジャーハンターってあのインディ・ジョーンズみたいな?」

 

「そう!俺、好きなんだよ世界ふしぎ発見」

 

あ、あれ?

 

「江見睡院先生な、昔はよくミステリーハンターと一緒にテレビに出てたんだよ」

 

「そうなんだー」

 

「......よく知ってるね」

 

すっげえコアなとこついてきたぞ、こいつ。

 

「思えばそうあの番組見てた時にCM見たのがきっかけでトレジャーハンターにハマったんだよなー。《ロゼッタくん》と《ハントちゃん》て可愛い人形が出てるCMでさ」

 

「すごいね、翔クンのお父さん!テレビに出るような人なんだ!」

 

「......みたいだね、オレよく知らないんだけどさ」

 

「そっか、そうだよね。18年以上前だもんね。あれ、じゃあ葉佩クンいつ見たの?」

 

「えっ、嘘だろ、日本じゃそんなに前だったのか!?俺、普通にガキの頃テレビで見てたけどなあ」

 

「あ、そうだった!葉佩クン、日本語ペラペラだからすっかり忘れてたけど海外に住んでたんだっけ。そっか~、海外だとそんなに前の番組流すんだねッ!」

 

「そう、そう、そうなんだよ!俺が日本にきて1番感動してるのは、漫画やアニメが見放題なとこなんだ!あとゲームな!なんであんな安いんだよ、ずりーって!だから俺、1番新しい世界ふしぎ発見見れて超感動したんだよ!しかも江見睡院先生の息子さんなんだろ、翔クン。まじ持ってるわ、俺。これからよろしくな!」

 

「あはは......そういってくれて嬉しいよ、ありがとう。それより昼ご飯まだならお近づきにあげようか?」

 

「うわ、いっぱいあるじゃねーか。翔クンて意外と大食い?」

 

「違うよ、葉佩クン。翔クンてね、登山が趣味なんだって。だからね、毎日3時から6時までマラソンしてるんだよ。だから夜食だよね」

 

「そうそう。この学校、長期休暇以外は外に出られないからさ、体が鈍らないように毎日トレーニングしてるんだ」

 

「へー!すごいな、面白そう!俺もやってみたい!」

 

「ホントに?嬉しいな、こっちに来てからオレみんなに断られっぱなしなんだよ」

 

「マジで?面白そうなのに」

 

「皆守とか夕薙とか誘ったけどダメなんだ」

 

「皆守?皆守ってあのアロマ?」

 

「そうだけど、会ったのか?」

 

「会った会った、実家の匂いがするやつ」

 

「実家?」

 

「無性に懐かしくなってテンションあがっちまったんだよな~。前住んでた国の人ってみんな鼻が鈍いんだよ、こっちに来てから気づいたけどさ。風呂入る習慣ないしシャワーだけだし。ドライフラワーとかポプリみたいな香料などが染みついたものをリビングに飾ってたんだよ。来客が来る前なんかはばんばん使っててさ、なんでもかんでも日本より匂いがきついんだ。なんか無性に懐かしくなってさ~」

 

隣でやっちーが思い出し笑いしている。

 

「人が褒めてるのに喜ばないんだぜ、アイツ。やっぱ日本てシャイなやつ多いんだな。最初はあんなに嬉しそうだったくせにさ」

 

よっぽどツボにハマったのか、やっちーは肩を震わせている。腹筋が死にそうだ。私は気になってその詳細を聞くことにした。

 

「何がいい?いつもオレ余り物買い占めてるからだいたいあるよ」

 

「サンキュ、ありがとうな。じゃあオレ、焼きそばパンとアンパンにする」

 

「わかった」

 

「じゃあ牛乳あげるよ、葉佩クン」

 

「おー、やっちーまでありがとう。奢ってもらってごめんな、また今度返すから」

 

「いいっていいって、挨拶がわりに」

 

「そうだよー。葉佩クン、一人暮らし初めてなんでしょ?なにか困ったことあったらなんでも言ってね」

 

こうして私は葉佩とやっちーから校舎内見学についてなにがあったのか教えてもらえたのだった。

 



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炎の転校生2

もう外は夕暮れ時である。

 

放課後、私は夏休み直前から通い始めたバー「九龍(カオルーン)」に通いつめ、牛乳片手にマスターの話を聞く日々を送っている。この体になってからはや半年である。ああ、酒が恋しい。元の姿に戻ることができるのは何年後なのかという話である。

 

それはともかくだ。そのあたりの経緯はマミーズでみんなに喋っているからか、皆守は放課後までついてこようとはしなかった。

 

マスターの千貫厳十郎さんはこの學園の遺跡を管理する阿門家に昔から仕える執事だから監視する必要はないと踏んだらしかった。私もそれは重々承知していたが、今阿門家の当主である生徒会長にとって、千貫さんは父親代わりなのだ。なにせ母親を幼い頃になくし、《黒い砂》による遺伝子操作と洗脳で配下にした生徒を送り込み代々《生徒会》を裏で取り仕切っていた父親も亡くした今、天涯孤独なのである。バーにいくと赤ちゃんの頃から世話してきた「おぼっちゃま」の話を聞くことが出来るのだが、もちろんそれは生徒会長のことだ。彼は唯一生徒会長の父親の時代を知っているから、もしかしたら江見睡院について親しくなれば話してくれるかもしれないという期待感もあった。

 

まだまだ先は長いが、今日も「おぼっちゃま」の話を聞いて終わった私は男子寮の自室に戻ったのだった。

 

電気をつけてテーブルを見るとH.A.N.T.が点滅している。メッセージを受信していた。

 

受診日:2004年9月1日

送信者:ロゼッタ協会

件名:装備の発送

当局よりIDNO.999《KWLOON》の探索に必要な物資の発送を行った。現地には本日中に到着すると思われるため、荷物の運び込みなどで一般生徒に気づかれないよう手配を行うように。以上

 

《ロゼッタ協会》遺跡統括情報局

 

「子供か!」

 

たまらず私は叫んだ。なんでそんなことまでしてあげなくちゃいけないんだ、私は自分でちゃんとしたぞ!?嫌な予感がして外に出るとトラックが来ており、ダンボール箱をかかえた男がすぐ隣で出入りしていた。

 

「なッ......なんだよ、その目は......ッ!とッ......とにかく、俺はもう寝るんだからなッ。お前も、早いところ自分の部屋に戻って寝ろッ!」

 

「ちょっと待ってくれよ、皆守クンッ!まだ話は終わって───────痛いッ!!」

 

無理やり扉を閉められたらしく、頭を打ちつけたらしい葉佩はその場にしゃがみこんでいた。悶絶している。

 

「あはは......反応が面白いからってからかっちゃダメだろ、葉佩」

 

「からかってはないって......ついつい口が滑るだけで......いだだだだ......ケツがふたつに割れた......」

 

涙目の葉佩がチラチラこっちをみながらいう。そのうち静かにしろと皆守がまた蹴りだしそうだったので、私は助け舟を出してやることにした。巻き添えで怒られたらたまったもんじゃない。

 

「ったく、つれねーやつ。わざわざ一緒に帰るんだから仲良くしてくれるんだと思ったのに」

 

「なにしたんだよ、葉佩」

 

「何にもしてないさ、何もな」

 

「今はってつきそうな言い方だね」

 

「うーん、残念でした。俺、雛川亜柚子先生みたいな人が好みなんだ......翔チャンの気持ちには答えられないんだ。ごめんね」

 

「あははっ、裏声でいわなくてもわかってるよ」

 

そうか、皆守とお揃いで年上の女が好きか、仲良く出来ると思うよ葉佩。

 

「今気づいたけど隣の部屋なんだな、よろしく!時々変な鳴き声したり爆発音したりするけど気にしないでくれ」

 

「むしろ近づきたくないよ、それ」

 

身に覚えがありすぎるから私の部屋のスペースにより変な音や匂いや爆発が気づかれないくらいに緩和されたらいいなと楽観的に考えた。

 

葉佩九龍はあれだ。《燃》と《愛》

をやたら乱発する馴れ馴れしくて暑苦しいやつらしい。外国育ちをその距離なしでグイグイ人のパーソナルスペースに踏み入ってくる性格のいいわけにしてゴリ押しするタイプのようだ。

 

ぱんぱん埃をはらいながら葉佩は立ち上がると業者に全部丸投げするつもりのようで私のところにやってきた。

 

「なあなあ、やっちーからメールが来たんだけどなんでかわかるか?俺、教えてないんだけど」

 

「あー、學園のサーバに生徒用のメールフォルダがあるんだよ。やっちー、そこにメールしたんじゃないか?アドレスは簡単に調べられるし」

 

「どうやって?」

 

葉佩はなんの躊躇もなくH.A.N.T.を渡してきた。

 

「かっこいいパソコンだね」

 

「だろ?カスタマイズに金かかったんだよ」

 

なにこのノーガード戦法。堂々としすぎて逆に怖いわ。葉佩九龍め、私昨日メールしたはずだが忘れたのか?

 

仕事は迅速に。素性は決して明かしてはならない。それがプロの宝探し屋の暗黙の掟である。素性がバレれば《秘宝》の墓守や奪おうとする《秘宝の夜明け》に命を狙われることになる。《超古代文明》が残した《秘宝》の痕跡を求めているのは《ロゼッタ協会》だけでは無いのだから。正体(宝探し屋)がバレないようにしろ。油断するな。気をつけろ。《秘宝》の加護があらんことを。

 

昨日最終確認だってちゃんとメールしたし、葉佩もわかってます頑張ります(意訳)っていってたのになあ!?ためいきしか出ない私がいた。

 

「昼に奢ってもらっちゃったし、なにか返すよ。なんか欲しいものあるか?」

 

「そう?なんか悪いな」

 

「まあまあそう言わずにさ」

 

「じゃあ行動食がいいな」

 

「?」

 

「携行食っていった方がいい?持ち運べて、調理無しで、または簡易な調理で食べることが可能な食べ物のことだよ」

 

「あー、なんていうんだっけ。お弁当?」

 

「あはは、たしかにお弁当も一種の携行食さ。だけど日持ちしないしなあ。じゃあヒント。携行食に求められることは、栄養、調理不要、重量、嵩張らない、保存性、携行性である」

 

「あー、飴とかチョコレートか!」

 

「クッキーとかゼリー飲料もあるけどね」

 

「なるほど~。でも売店になかったよな?どこに売ってるんだ?」

 

「マミーズっていうファミレスの入口にあるよ」

 

「へえ~」

 

これは葉佩九龍に対するアドバイスだ。

 

「いつも登山の練習してるんだよ。ランニングじゃ物足りないんだけど、外出禁止だからね」

 

登山やハイキング、ロードレースなど体力を使う活動では3度の食事だけでは不十分で、途中で身体が十分に動かなくなる。そのため、食事と食事の間に行動しながら食べられる高カロリーな携行食を持っていく必要があるのだ。

 

 

特に登山する時は行動食は必ず携行すべきものだとされている。登山では、状況によっては、休まず移動しつづけなければならない状況になり、食事らしい食事の場を確保できないこともある。そうした状況では行動食が唯一の栄養源・活力源となり、重要度が増す。また、携行食を持っていないと行動力の低下を招き、遭難などの危機的な状況を招く可能性が高まる。怪我などで動けなくなった時などは、救助してもらえるまでの間、携行食で命をつなぐことになる。このため、登山では、適切な携行食を十分に持っているかどうかということが、生死を分けることもしばしばである。

 

神妙な面持ちで聞いていた葉佩だったが、空気を読まない引越し屋に呼ばれていってしまった。

 

「また明日な、葉佩」

 

「おう!」

 

さて、今夜はどう動こうかなあ。葉佩とのやりとりが気になるのか、探りをいれるメールがきている。気になるならそのドアを今すぐあけりゃいいのにと思いつつ、私はドアを閉めたのだった。

 

 

 

受信日:2004年9月1日

送信者:転送者

件名:FW:まだ起きてるか?

昼間に話したとおり、今日、七瀬とこの學園の秘密について盛り上がったんだけどさ(顔文字)

 

思ったんだよ、やっぱ墓地に何かあるってさ。江見先生の行方不明と関係があるんじゃないかってな。もしまだ寝てなかったら墓地に来てくれ(スタンプ)(スタンプ)(スタンプ)

 

最初は期待していたのだ。日中のあれは演技やかま掛けであり、実は《ロゼッタ協会》の関係者じゃないかと疑っているんじゃないかと。だが、現実は非常だった。やっちーときゃいきゃい騒いでいる葉佩を皆守は無言で蹴飛ばした。

 

「状況はだいたい把握したぜ。やっぱりお前のせいじゃね~か、このやろう!」

 

「いたい!」

 

まさか開口一番に《ロゼッタ協会》という宝探し屋ギルドから派遣された新米トレジャーハンターだと豪語されるとは思わなかった。江見睡院は俺の先輩であり、18年前にこの學園の遺跡を探索中に消息不明になったのだと言われた。しかも、私を江見睡院の息子だと本気で信じているようだ。接触を測ってくれたのは嬉しいけど違うそうじゃない。

 

おかしいな、ゲームだと一応隠そうとはしてたんだよ。やっちーと一緒に私を待ってるとか何考えてるんだこいつ。

 

「あ、悪い。返す」

 

「あ、うん、ありがとう」

 

「葉佩......葉佩......お前ってやつは......」

 

私はあきれ返って、棒のように突っ立ったまま立ち尽くすしかなかった。どうしていいか分からなかったからだ。

 

体のずっと奥のほうから心臓の鼓動が鈍い音のように聞こえて、手足がいやに重くて、口が蛾でも食べたみたいにかさかさした。

 

「わかってた......わかってたけどこれは......ダメだ。お前わかったぞ、お前、馬鹿だろう」

 

皆守に指をさされ、葉佩はなんでだよと抗議する。やっちーは目を輝かやかせていた。がんばれ、皆守。私は立場的に目を輝かせる人間だ。つっこみはお前だけだ。私はやっちーと盛り上がることにしたのだった。



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炎の転校生3

受信日:2004年9月2日

送信者:転送者

件名:FW:よかったですね!

天香學園サーバーより七瀬月魅さんのメールを転送します。

 

昨日の真夜中に八千穂さんから電話で聞きましたよ、江見さん!お父さんの行方がわかるかもしれないんですね、よかったです!ただものではないとは思っていましたが、まさか葉佩さんが世界を股に掛ける宝探し屋だなんて驚きました。

 

江見さんのお父さんも有名な宝探し屋だったなんて!かなりの実力があったのに行方不明になるなんて、學園内にそんなにすごい遺跡があるなんて知りませんでした。でも、専門家が一緒ならこれ以上に心強いことなんてないですよね!

 

これでお父さんの行方がわかるといいですね。

 

私は転校初日からずっとお父さんの行方を探すために、岡山県から一人でこの學園にやってきて、休み時間や放課後をぜんぶお父さんの消息を探すために費やしてきた貴方を見てきました。

 

図書室、職員室、生徒会室まで探してもめぼしい資料が見つからず、失意のまま夏休みに入ってしまったとき、このまま二学期になったら転校してしまうのではないかと歯がゆくて仕方なかったのです。一緒に探すと言っても私にできることなんてほとんどありませんでしたから。

 

実は江見睡院先生と聞いたとき、江見水陰という作家さんが真っ先に浮かんだので、そちらからアプローチしたらいいのではないかと思っていたのですが、江見は岡山県だけにある苗字ではないし、たまたま同じ異口同音の名前だったら期待させるだけだと思って言えませんでした。

 

葉佩さんの話だと私の勘は正しかったようですね。貴方が江見忠功さん(ご存知だと思いますが江見水陰さんの本名です)の縁者かどうか聞くだけでよかったのに結果的に遠回りになってしまいました。本当に気が利かなくてごめんなさい。

 

もし江見睡院先生の行方について新しいことがわかって、少し學園生活に余裕が出来たなら、江見水陰さんの生家に住んでらっしゃるとのことなのでそちらのお話を聞かせてください。

 

それと、《ロゼッタ協会》という団体について調べてみたのですが、ホームページがあるあたり、世界中にパトロンがいる国際的にみて最大規模のギルドのようですね。

 

本来墓荒らしや盗掘とされる活動にもかかわらず堂々と活動しているのも納得のバックアップ体制です。そこからあなたのお父さんや葉佩九龍さんが派遣されるなんて道理でうちの学校には新任の先生や転校生が多いはずです。

 

そんなに重大な遺跡が眠っているなんて、考えただけで夜も眠れません。

 

葉佩九龍さんからお父さんの消息を探すために遺跡の探索に同行させてもらえると聞きました。八千穂さんも約束したそうですね。よければなんですが江見さんからも葉佩さ

 

容量をオーバーしました。

 

似たような状況のメールがたくさんあり、電話が何件か入っていた。

 

「......大変だわ、急がなきゃ」

 

メールを受けとった私は葉佩や皆守に捕まらないように朝一で学校に向かう。校舎があいたばかりのまだ誰もいない廊下を走り、階段をあがり、私は図書室にやってきた。既に扉はあいていた。

 

朝の7時を知らせる鈴が鳴り響く校舎内にて、いつもは生徒達の廊下を歩く騒がしい音と声が、打たれた頬の火照りにひりつくようにひびいてくるはずが静まり返っている。ただでさえ図書室は静かな場所だが、今は私の靴の音が特に響いているくらい特別静寂につつまれていた。古い本の匂いと秋になったばかりのまだ暖かい陽気がこもっている。

 

淀んだ紙の匂いがした。図書館の分類用ラベルを貼る作業に追われている月魅がそこにいた。扉を開ける音がしたから顔を上げる。私を認めるやいなや笑顔になった。

 

「古人曰く――、『知識のない熱心さは、光のない火である』。図書室にようこそ、江見さん。お待ちしてました」

 

「そりゃ、あれだけ転送失敗しまくりのメールと電話が来たらいくよ」

 

「えっ......あ、やだ、私そんなに長文送っていましたかッ!?ごめんなさい。電話に出ないから待ちきれなくてつい......」

 

はずかしそうに月魅は謝ってくる。私は首を振った。

 

「よくよく考えたら江見さん、いつもと違って真夜中に葉佩さんたちと墓地にいったんだから寝てますよね!ごめんなさい、3時になったら電話に出てくれるとばかり」

 

「あの後墓守のお爺さんに見つかっちゃってさ、寮に帰ったはいいけど皆守にずっと怒られてたんだよ。ごめん」

 

「そうでしたか、お疲れ様です。皆守さんて、見かけによらず規則を守る模範的な生徒ですよね。私も注意されたことがあります」

 

「えっ、今なんて?」

 

「実は......」

 

私は月魅が文学少女な見た目とは裏腹に覚悟を決めたらかなり行動派だと思い知ることになる。なんと私の手伝いをするようになってから、墓地にいって江見睡院と書かれた墓地をなんとか特定できないかとこっそり調べていたらしい。そのときに皆守に見付かって、なにかあったら私ややっちーが悲しむからやめとけと帰されたらしい。

 

そういえば4月頃月魅が真夜中墓地の周りをうろうろしてるけどなにしてんだあいつと皆守がボヤいてたなあ。私が遺跡に近づかないか夜な夜な監視してたから、たまたま見つけちゃったんだろうなあ。

 

だいたいの内容を把握した私はブワッと汗が吹き出すのがわかった。あぶない。あぶないにも程がある。誰も巻き込まないように、深入りしないように、わざわざ単独で墓地に潜り、日中は正攻法での調査に絞って行動していたのにまさか綱渡り状態だったなんて。私は大きく息を吐いた。

 

なるほど、だから私から葉佩に連れて行って欲しいと仲介をお願いする文面になるわけだ。葉佩が宝探し屋だと知っていよいよ我慢出来なくなったんだろうなあ。私は頭が痛くなってきた。

 

「ごめんなさい、江見さん。あなたにそんな顔をさせるためにしたかった訳じゃないんです。でも、やっぱり皆守さんのいう通りでしたね」

 

「ほんとだよ......オレのいない所で、オレのためとはいえ危ないことしないでほしいな。一言相談して欲しかったよ」

 

「そのとおりですね、ほんとうにごめんなさい。八千穂さんと貴方が私に頼ってくれたとき、とても嬉しかったんです。なんとか力になりたかった。なのに一学期の終わりごろはほとんど打つ手なしの状況だったじゃないですか。ほんとうにいたたまれなかったんです」

 

「そっか......。ほんとうに嬉しいよ。ありがとう」

 

私はいつの間にか月魅にとても気にかけてもらえていたことが嬉しくてたまらず噛み締めていた。そうでもしないと口元が緩みそうだったからだ。

 

「はい」

 

月魅はホッとしたように笑った。

 

「あ、そうだ。それでですね、江見水陰の書籍を探してみたんですが、寄付された文献を沢山みつけたんです。もしかしたら、あなたのお父さんの残したなにかがあるかもしれません。あなたのご実家から寄付されたようなんです」

 

「ほんとうに!?」

 

「はい。やっとお役にたてて、私も嬉しいですッ!何でも聞いてください。古人曰く『この世は一冊の美しい書物である。しかしそれを読めない人間にとっては、何の役にも立たない。』本には、古人の残した多くの有益な言葉が記されています。きっとこの中にはあなたの力になるものがあるはずですから」

 

「よかった......これでまた調べられるな」

 

「そうですね」

 

私がカウンターに近づいていくと、月魅が生き生きとしているのがわかる。

 

「実はですね……。八千穂さんから葉佩さんのお話を聞いて、いても立ってもいられなくなって」

 

出してきたのはデカいダンボール箱だ。

 

「私が3年間の間にこの図書室からかき集めた文献です。この天香學園にも何か大きな秘密が隠されているような気がしていました。墓地が怪しいと。それが当たっていたわけです。しかも葉佩さんはそれを知りたがっている」

 

わあい、楽しそうだなあ。

 

「あなたもそう思いますか?ふふ、私たち気が合いますね」

 

私は笑うしかないだけである。

 

「書庫室に収蔵されているこの學園の歴史などが記された古い文献を読んでいると、いたるところにそういう謎めいた痕跡が残されています。実は何度か、墓地に行ったことがあるのです。でも、何も発見できなくて。葉佩さんとあなたとなら、何か見つけられそうですね。今度一緒に墓地に行ってみませんか?」

 

「七瀬、本命はそれだろ」

 

「だ、だだだって、だってですよッ!?確かに墓地への立ち入りは校則で禁止されています。けれども! あの墓地には歴史的な発見があるかもしれないのです!時には危険を顧みない勇敢さも必要なのではないでしょうか!葉佩さんにあなたがお父さんの行方を探して同行するのはわかります。わかりますが、八千穂さんも行くなら私も行きたいです!」

 

「うーん......でもやっちーのスマッシュは強力だけど七瀬は運動からっきしだっていってなかった?」

 

「うっ......それは......。けれども、もしこの學園に超古代文明の遺産が眠っていたとしたら!その遺産はきっと発掘される時を待っているんですッ。多少の危険を冒してでも探してみるべきではないでしょうか?」

 

「ほんとに七瀬は《超古代文明》とかオカルト分野になると目の色が変わるなあ」

 

「江見さん......」

 

「葉佩、七瀬みたいなやつ大好きだと思う。内気かと思いきやめちゃくちゃ行動派だし」

 

「それじゃあ!」

 

「まあまあ待ってほしいな、七瀬。墓地に近づくの初めてじゃないってならほっといたら勝手に行きそうなのはよくわかったから。とりあえず葉佩に聞いてみよう。話はそれからだよ。まあたぶん即答でOKだとは思うけどさ」

 

「はい!」

 

下手なことされて《実行委員》や《生徒会》に月魅が目をつけられてる今、攻撃対象にでもされたら葉佩の探索に致命的な被害が出かねない!私は必死だった。

 

「ありがとうございます、江見さん。私ったらつい......」

 

恥ずかしそうに月魅は笑った。照れた顔が一番可愛いと思う。

 

「とりあえず待っててくれないか」

 

「わかりました。結果、早く教えてくださいね」

 

まさかの七瀬月魅、加入時期早まりすぎ問題である。えっ、どうなるんだろう、これ。明らかに私のせいだからこればっかりはどうしようもないんだけど。

 



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炎の転校生4

その日の昼休み、マミーズにて、カレーを食べていた2人に私は早速相談することにしたのだった。

 

「という訳なんだけど」

 

「うーんまいったな」

 

「えっ、ダメか?」

 

「七瀬のやつ何考えてんだ」

 

皆守は頭が痛そうだ。

 

「いや、いいんだよ。大歓迎なんだよ。たださ、一度に2人が限界かなって。俺が守れるのは2人までだからさ、わけなきゃな」

 

「......お前なら言うだろうなって言葉が一字一句あってるのはお前が初めてだよ、葉佩」

 

皆守は迷惑そうにしている。

 

「さすがだな、皆守クン。だが葉佩九龍検定一級への道はまだまだ先はながいぜ。免許皆伝は1人だけだからな!」

 

「どうせお前だろ」

 

「違うわ!ちゃんといるわ!担当者の紅海さん!」

 

「誰だよそれ......いやいい、目をキラキラさせながら説明しようとするな。お前の担当者には心底同情する。しかし、あれだ。葉佩も葉佩だがお前もお前だよ、翔。なんだって至福の時間を邪魔しやがるんだ」

 

「朝からずっと葉佩と一緒なのは君だろ、皆守。オレは葉佩に相談してるんだ」

 

「昨日散々説明しただろ!俺はお前たちを心配してだなっ───────って、あー......なにいってんだ俺は」

 

我に返ったらしく、皆守はバツ悪そうにしている。

 

「その点についてはありがとう、皆守」

 

「その点が余計だ」

 

「七瀬、止めてくれてたんだろ?ありがとう」

 

「ちっ......言うなっていってたくせに自分からバラすのかよ、あいつ。あーもういい。心配するだけ無駄だってよくわかったぜ。好きにしろ。ただし俺を巻き込むな」

 

拗ねてしまった皆守はカレーを食べ終えると出ていってしまった。

 

「あ、ちょっと待てよ、皆守クン!まだ組み分け決めてないだろ!」

 

「こっちくるな!だいたいなんで俺まで数に」

 

ぎゃいぎゃい騒ぎながら2人はいってしまう。

 

「いらっしゃいませ~。ご注文はなんですか~?」

 

ウエイトレスに言われた私はカレーを注文することにしたのだった。しばらくしたら皆守からさっきは悪かったとメールがきた。遺跡にいくつもりらしい。そりゃそうだ、監視役が離脱したら世話ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、放課後。自室にて。私は真夜中に墓地に来るよう葉佩にいわれることを想定して、五十鈴さんに相談することにした。

 

「忘れないで頂きたいのですが」

 

時間通信機から五十鈴の声がする。

 

「我々にとって別の種の身体を乗っ取るということは、とっても相当なストレスになってるということです。我々が最初に地球にきた時も、最初は慣れない身体に大勢が発狂して死んでいますし、仮に乗っ取りがうまくいったとしても。

 

精神が神経組織の構造や各種の神経伝達物質と無縁でない以上、地球にきた時点で「イスの大いなる種族」は生まれ故郷にいた頃とは実質的に別物になっています。

 

それでも我々が集団移転をするのは、所詮有限の存在である生命には遅かれ早かれ確実に訪れるカタストロフを回避するためでして」

 

「そう考えるとなんとも逞しいわね」

 

「そうでしょうか」

 

「ええ、ある意味では人間と同じ側だなと思ったのよ。広大無辺の宇宙に放り出された有限の存在、という点で。宇宙の無常に恐怖してる私からしたら、みれば、こうやって続いていく存在がいるってだけでも安心感が違うわ」

 

五十鈴の笑う声がした。

 

「そう言われてしまうとどうにもダメですね。異界の種族で最も優れたテクノロジーを持つのは我々だと明言されている。それはすなわち、この世で最も優れたテクノロジーを持つと考えて間違いないだろうと。我々は自分たちのテクノロジーを使うことに妙に気が進まない性質があります。これはイス人の人生に対する考え方によるのです。どれだけ優秀な電子機器でもパピルスほど有能な記録装置はありませんからね」

 

「なるほど、だから記録媒体を原始的な紙とペンで指定なわけだ」

 

「必要に迫られた場合素早く巧に新たなテクノロジーを生み出す。しかし、それも継続的に使おうとはしない。知性の収拾を何よりも優先する我々の興味は発明へと駆り立てるものではないのです。

 

ですが、他ならぬあなたからの依頼だ。四次元に影響を与える装置も発明している我々の装置は文明レベルに大きく差がある人類にとっては、簡単なもの以外は理解しがたく不可解なものに見えるでしょう。ですから、あなたでも扱えそうなものをさしあげますよ。電撃銃です」

 

亀急便から物騒な贈り物がとどいたころ。葉佩から連絡が入った。

 

 

 

 

 

 

葉佩九龍は私とは全く違う戦闘スタイルらしい。新しい区画に入る度に化人を掃討するまでは入って来るなと言われているからわからないが装備が近接武器ばかりだ。序盤の初期装備である銃や爆弾は高いから節約したいのかと思ったが、どうやら自分もダメージを受けながら倒すタイプらしい。私は5週も6週もしていたから区画ごとに出現場所が固定の敵は把握していた。だから射程範囲なんかを目測して銃で弱点を狙って倒す。敵にはだいたい弱点があり、そこだけヒットポイントが低く設定されているため、狙撃すればスマートに倒せるのだ。江見翔の体を預かる身であるし、なにより痛い思いをしたくないからだ。だが葉佩九龍は違うらしい。

 

「この遺跡はあたりっぽいな!テンションあがってきたぜ」

 

よくわからないドロドロした液体をひっかぶって安全になったから入っていいと葉佩は笑う。身体と意識はスリルを求めている。だからこの遺跡は自分の欲求を満たして離さない。浅い階層までしか探索を終了していない今の段階でもハイテンションである。

 

「な、なんだかよくわからないけどすごいです」

 

月魅は完全に別世界の住人と化した葉佩に目を輝かせている。なるほど、葉佩はスリルとショックとサスペンスを求めるタイプか。化人の血を求めて体が遺跡をもとめ、平穏が続くと心は満たされなくなり、スリルを渇望し、もっと、もっと遺跡の奥深くへ、ともう一人の自分が叫ぶタイプだ。まともな生活ができないタイプでもある。宝探し屋は天職だろう。

 

少しでも気を抜けば簡単に遺跡からの強烈な誘惑に乗ってしまいそうになる。同行者がいるから自制してる面もありそうだ。

 

けれど、「単独では絶対に遺跡の先へ進まない」とやっちーたちと約束しているらしいので、葉佩はそれを理由に頭の中から強引に誘惑を振り払うように、私達を奥に誘った。

 

『大気流動を確認。戦闘態勢に移行します』

 

アラームと警告音。舌打ちをした葉佩は月魅を庇うように前にたつと剣を抜いた。あ、よくみたら私が《ロックフォードアドベンチャー》クリアデータと引替えに送った剣だ。

 

「新手さんかよ、人気者はつらいね!ごめんな、七瀬、江見。ここは危ない離れるんだ!」

 

注意をうながしつつも敵の軍勢との間合いを測る。こちらに化人が来ようとする度に白羽が稲妻のように閃く。刃物が陽炎のようにきらめく。

 

「ぐっ......!」

 

あまりの数に近づかせないのが精一杯らしい。新たなる標的に嬉々とした様子で迫り来る。私は月魅をよろしくともろとも奥に抑え込まれてしまう。しまっ、と口にしかけた言葉は飲み込まれた。

 

私が電気銃をぶっぱなしたからだ。葉佩は目を見開いている。そりゃそうだ、懐から手のひらサイズの見たことも無い金属でできた、よくわからない原理で動くオーパーツの銃だからだ。イスの電気銃である。

 

「オレが唯一家から持ち出したやつなんだ。父さんのだって聞いてる。持ってきて正解だったみたいだね、よかった」

 

化人は麻痺になると一切攻撃を行わなくなるのだ。電気弱点の敵でよかった。

 

「やるじゃん、翔クンッ!さすがは江見睡院の息子だぜ、才能あるよ!」

 

にやりと笑った葉佩は親の仇のように剣を木偶の坊と化したうちの一体に突き刺した。総毛立つような白刃の光がみえた。氷刃のような白い裸の刀がぎらぎら光る。会心の一撃だったのか緑色の煌めきを残して切り捨てられてしまった。氷のようにきらめきつつ振り回される刀の光が、言いようもないほど綺麗に見えた。

 

「覚悟しろよ、同行者(バディ)に手を出しやがったんだ。生きて帰れると思うな」

 

葉佩の剣の白刃が虹を曳いて陽光を切る。十文字に交錯する剣と武器。金属音が響き渡り、闇の中で火花を散らして交錯する。稲妻のような剣さばきだ。魂を吸い込むかのように研ぎ澄まされた大刀が掛け声とともに打ち下ろされるたびに首は毬のように飛ぶ。あるいは鬼神のごとく振り、切り倒した。

 

『敵影消滅を確認。お疲れ様でした』

 

H.A.N.T.の電子音を最後に葉佩は剣を鞘におさめた。

 

「横槍が入っちゃってごめんな!もう安全なはずだから、行こうぜ。新規2名様、ご案内~!」

 

「は、はいッ!よろしくお願いしますッ!」

 

次からは分厚い辞書なんかを持って来た方がいいんだろうか、と相談をうけた私は是非そうしてくれと頷いたのだった。月魅の愛情値が反映される自動スキルは経験値上昇なのだ。

 

しばらくして。

 

やはり遺跡にいると時間の概念が死ぬから、携帯電話なり腕時計なりは大切な存在となる。夜明け前だと気づいた私は切り上げようと提案した。葉佩は未練タラタラだったがまだ始まったばかりである。月魅と説得してひきあげた。

 

頼りなげに揺れるロープを登り、遺跡の出口である墓の上に出るとすぐに、淡く柔らかな月の光が私達の身体を優しく照らした。もうだいぶ傾いている。

 

「今日、筋肉痛かもしれません......」

 

アドレナリンにより変なテンションになっていたらしい月魅の体は現実を思い出してしまったらしい。

 

「大丈夫か?」

 

「大丈夫~?」

 

「お恥ずかしいです......ついて行きたいっていったの私なのに......」

 

はあ、と月魅はためいきをついた。葉佩は暗視ゴーグルをあげて伸びをしている。瞑想紛いの行動は昂っている神経を宥めるためだろう。を閉じて静かに光を身体に受け止めていると、あれほど身体の中で膨れ上がっていた疼きが治まっていく。激しく心身を蝕んでいたスリルへの渇望は跡形も無く消える。覚えがある話だ。私は違うが、江見翔くんは葉佩と同類だったようだから。

 

「さあて、帰りますか」

 

「七瀬、大丈夫か?帰れるか?やっちー呼ぶ?」

 

「いえ、さすがにそこまでじゃないです。ありがとうございます」

 

「じゃあ行こうぜ。肩貸すよ」

 

「ありがとうございます」

 

森を抜ければすぐに寮だから助かる。本日の成果を纏めながら、葉佩はいった。

 

墓場の出口に細身の人影が立っている。

 

「また夜遊びかよ、あんだけ俺達と潜っといて。懲りねえな」

 

「やっほ~、皆守クン!お出迎えありがとう!連れて行けなくてごめんな、2人が限界でさ~」

 

「ちげえよ」

 

呆れた調子ながら悠々と足を進め、こちらへと近寄ってくる。一見しただけならばまるで無防備のように見えるのに、その動きには隙がない。

 

「……よぉ。大丈夫か?」

 

「オレは大丈夫だけど、七瀬がね」

 

「それは見りゃわかる」

 

「......お恥ずかしいです」

 

「気にすんな、葉佩についていける八千穂や江見がおかしいんだ」

 

「やだなあ、人のこと言えないくせに!」

 

「うるせえ」

 

「ところで皆守はどうしてこんな所に?」

 

私は疑問を投げた。だが自分の答えたくない問いは黙殺する主義の皆守はいつものように、質問を無視する。そして、黙ったまま視線を私の持つ銃へと移した。冷めた瞳は何の感情も浮かべていなかったが、僅かに動揺がみてとれた。監視役お疲れ様です、うんうん。

 

呆れたような表情を浮かべながら、ゆっくりと息を吐き出した。

 

 

「......お前はもっと賢いやつだと思ってたぜ」

 

「賢い?オレが?」

 

思わず笑ってしまった。賢い?いうにことかいて賢い?オウム返ししながら喉の奥で低く笑う私に、皆守はなに笑ってんだとつぶやいた。普段の私らしくない人を小馬鹿にしたような態度が透けて見えたらしい。

 

「ごめん、つい。それをいうなら散々警告したり文句ばっかりだったのに、今まで待っててくれた皆守もそうだろ?」

 

皆守は舌打ちをしただけだった。

 

 

江見翔と葉佩九龍はそう変わらない性質をしている。ただ、葉佩は素直に自分の感情や思った事を表して、江見翔は私というフィルターがあるから隠しているという違いがあるだけだ。結局、≪宝探し屋≫で在り続ける限り、誰も彼もが同じ穴の狢である。

 

《秘宝》に触れた時の感動と、遺跡に飲み込まれるかもしれないと思った時に、身体を駆け抜けるスリルは経験者にしかわからない。墓守には絶対にわからない。永遠に分からない、あの感覚に一度触れたら、終わりだ。

 

「この銃は皆守のアロマと同じだよ」

 

浮かべた笑みが気に食わないのか、思わず皆守が視線を逸らす。私はそれでいいが葉佩九龍は許さないぞ、ご愁傷さま。

 

「皆守クン、どんだけいいやつなんだよ、お前!」

 

感極まった様子で葉佩がいう。

 

「だーもううるさい、近づくな!」

 

皆守の閉鎖された世界を変える可能性を持つ、葉佩九龍という自由の塊。人と世界を拒絶する皆守の心にも遠慮なく足を踏み入れ、常識とわだかまりを破壊して、人の温かさと大切なものを皆守に思い出させる。

≪宝探し屋≫というのは、こんなにも厄介な人間ばかりが集まる職業なのだ。

 

「分かりたくもねぇよ」

 

「往生際が悪いなあ」



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蜃気楼博士

蜃気楼博士

 

月明かりの下、なかなか会えなかった時間を埋めるかのように天香學園の制服姿のまま、学生2人は求めあった。彼女は彼の上にまたがり、手際よく導いた。息を整えてから、彼女は複雑な図形を宙に描くようにゆっくり上半身を回転させ、腰をくねらせた。長いまっすぐな黒髪が、鞭を振るうように彼の頭上でしなやかに揺れた。彼の腰はすごいスピードで動いている。ロデオみたいに踊っていた。

 

私はまだ実況しようとしている葉佩の口を塞いだ。月魅が耳を塞いでなにもなかったことにしようとしている涙ぐましい努力を無駄にするんじゃない。ありがとうございます、とか細い声で言われて私はうなずいた。

 

いやらしい音はまだ続いている。

 

あのさあ......いくら全寮制の高校生活が暇だとはいえ、規則で立ち入りが禁止されている《墓地》で恋人同士で誰が見てるかわからないのにいきなりおっぱじめるのはさすがにどうかと思うよ、私。しかも出るに出られずずっと出入口で待機したせいで音楽室とかでこっそりしてたとか屋上で風船手に入れられる理由がわかっちゃったりしたがどうしたらいいんだよ、まったく。

 

葉佩、月魅、私はまさかの足止めをくらい、出てくるのに1時間かかったのだった。

 

なんとなく誰もが沈黙していた。おいこら葉佩、あの子たちが落としていった未使用風船をゲットトレジャーするんじゃない。くそ、私も欲しかったのに。爆弾つくる材料はいつだって足りないんだ。

 

精神的ショックでフリーズしている月魅をよしよししながら歩いていたらつま先になにか当たった。生徒手帳だった。開いてみる。

 

2年生の葉山真紀ちゃんね。月明かりに照らされる生徒手帳はなかなかに美人で、一緒に貼ってあるプリクラは同じクラスと思われる彼氏がうつっていた。これだけなら微笑ましいのにああ、さっきの相手なのかと私たちは把握してしまうのだ。

 

「......生徒手帳忘れるなよ......」

 

私はどうしようかと赤面したまま気まずそうな月魅をみた。聞かないでください、と目をそらされる。ニヤニヤしっぱなしの葉佩にだけは預けてはいけない。私は生徒手帳をポケットにしまった。皆守は絶対に嫌がるし、やっちーをはじめ女性陣には任せられない。

 

「2のB、か。よかった、Aじゃなかった」

 

「えっ、後輩なのにか?」

 

「出来たら近づきたくないんだよ。2のAには《生徒会》役員がいるんだ」

 

「噂の?」

 

「噂の」

 

「2年生で《生徒会》役員てすごいですね」

 

その実態は《副生徒会長補佐》という名前の雑用なんだが月魅に同意しておく。彼の名前は夷澤凍也(いざわとうや)。運動神経抜群で、礼儀正しいが度を超した自信家で才走った性格。 下克上を狙う野心溢れる少年だが、阿門たちからは「所詮は小物」と見られており、実際上も「生徒会」における彼の立場は雑用係に近い。また、副会長が誰であるのか知らない。 外見は整っており、美形メガネ。 女生徒からはこっそり「王子」と呼ばれているが、何分性格がアレなもんで、キャーキャー言われたりはしない。 好物がミルクなのは身長を伸ばしたいから。背が低いのを気にしているらしい。 音速の拳を繰り出し相手を凍りつかせる「力」を持つ。

 

ちなみに同じクラスには響 五葉(ひびき いつは)という演劇部所属の少年がいる。ウサギを思わせる気弱でおとなしい少年。生まれ付いて身に備わった、声を衝撃波に変える「力」の扱いに怯えながら生きてきたため、常にマスクをしている。

声による広範囲の音波攻撃を使うことができる。なぜか夷澤は響の尻拭いをすることが多かったりするがそれはおいといて。

 

「オレも転校生だから因縁つけられたら困るなと思ってたんだけど、隣のクラスならよかった。明日届けてくるよ」

 

「後で詳しく」

 

「葉佩さん、皆守さんに言いますよ」

 

「ごめんなさい、冗談です。皆守には内緒にしてくれ。俺の大事な脳細胞が死ぬ!」

 

もう、と月魅は肩を竦めた。こういうところは学級委員っぽいんだよな。そんなトラブルがありつつも、無事に探索を終えた私達は寮の前で解散したのだった。

 

 

 

そして、翌日。

 

「あーくそ、リア充爆発しないかな。なんでオレがこんなことしなきゃいけないんだ」

 

ギョッとした皆守がこっちをみてくるがまるっと無視した。

 

「おはよー、翔クン。なんだか不機嫌だね?大丈夫?」

 

「葉佩に任せると不安な案件があるからオレが届けに行くんだよ。詳しくは葉佩に聞いてほしいな。ちょっと2階にいってくる」

 

「そっか、わかったよッ!いってらっしゃい!」

 

「いってら~!」

 

私は意を決して2階に向かい、初めて2年生の教室に向かった。

 

「すいません、2のBの葉山真紀さんっていますか?生徒手帳わすれたみたいなんだけど」

 

やっぱり3年生がいきなり行くと教室が一気に騒がしくなる。ざわざわしはじめた。あんまり素行がいい生徒じゃないのか、生徒手帳を代わりに受けとってくれそうな友人がいない。こそこそ話をまとめてみると友達の彼氏にもちょっかいを出したり、部屋に彼氏を連れ込んだり、色々とやばい噂がある女子生徒のようだった。

 

「すいません、葉山さんだったら

音楽室に行きました」

 

「え、音楽?」

 

時間割をみても違う教科が書いてある。あの、その、と教えてくれた女子生徒が真っ赤になりながらしどろもどろになってしまう。あー、なるほど。どんだけお盛んなんですかねえ......。

 

「あ~......わかった。届けてくるよ」

 

ホッとした空気になるとかどんだけ嫌われてるんだ、葉山さん。

 

「あの~どこで拾ったんですか?」

 

「ああこれ?墓地に落ちてたよ、避妊具と一緒にね。オレ、毎朝マラソンするのが趣味でさ、その途中で落ちてるの見かけたんだ」

 

女子生徒たちを中心に下世話な噂が一気に広まり始める。これで少し気が済んだ私はそのまま教室を後にした。

 

「......音楽室かあ。どうするかな」

 

ここのところ《執行委員会》が動いた形跡はないのだが、葉山さんとやらが音楽室にいるというこの状況があまりにデジャヴすぎて急にやる気がなくなってきた。でも今更行かないのは不自然だし、グダグダ考えているうちに音楽室についてしまった。

 

なにやら言い合う声がする。音楽室は二重扉になっていて、内鍵がかけられていてあかない。ガチャガチャしてみたが開かない。

 

「葉山さん、いるか?!生徒手帳届けに来たんだけど!」

 

「きゃ───────ッ!!」

 

なんつータイミングで叫ぶんだよ、葉山さん!ああくそ、暗幕のせいで音楽室の向こう側が見えない!私はガンガン叩いたが鍵はあかない。防音扉すら通り越して聞こえるとか、まじでヤバイ断末魔じゃないか。私は慌てて引き返すことにした。

 

「どうした!」

 

「なんかすごい声がしたよッ!?」

 

「なんで翔クンが降りてくんの?」

 

「説明はあとだ!はやく職員室にいって鍵を借りてこよう!葉山さんが音楽室の中にいるみたいなんだが、内鍵のせいで開けられないんだ!」

 

私の叫びに葉佩が一目散に階段をおりていく。

 

「俺達は音楽室にいくぞ!」

 

皆守にひっぱられて私はまた音楽室に戻ることになった。皆守がガチャガチャドンドンやっている。

 

「やっぱり鍵はしまってるみたいだな」

 

「だから言ってるじゃないか」

 

「まあそう怒るなよ。お前かなり気が動転してたから、勘違いしたかもしれないと思ったんだ。気を悪くしたなら悪かった。たしかに開かねえな」

 

私は肩を竦めた。まあ疑われても仕方ないけど。私は宇宙人なわけだし。皆守は私の仕業ではないとわかったらあっさり謝ってくれた。まあお互い様だ。

 

「持ってきたぜ、マスターキー!」

 

葉佩がやってきてから私達は雪崩込むように音楽室に入った。葉山さんだった。腕をかばうように倒れている。

 

「助けて......助けて......しにたくない......たくやくん......たくやくん」

 

しくしく泣いている。葉佩が葉山さんを助け起こした。

 

「手が......手がァ......」

 

「こいつは......」

 

皆守が言葉を失う。

 

「あたしの手......あたしの......」

 

「手が干からびている......」

 

「葉山さん、葉山さん、大丈夫か?」

 

「うう......」

 

「もう大丈夫。オレたちは3年生だよ」

 

「何があった?」

 

「私......たくやくんに呼ばれて......誰かが音楽室にいるから......たくやくんだと思ったら、違ったの......」

 

私達は顔を見合わせた。

 

「あたしに飛びかかったと思ったら、突然そこの窓から逃げ出して......」

 

「この窓から?まるで猿だな?」

 

「うう......」

 

「どんなやつだった?」

 

「わからない......わからない」

 

「ちょっと皆守、落ち着けってば。葉山さんこまってるよ」

 

「そうだぜ、皆守」

 

「思い出せッ!どんなやつだった!?」

 

「皆守!」

 

「いやあああ───────!化け物!化け物があああ───────!ああァ、たくやくん、を、やめてやめて殺さないでしにたくないしにたくない!!」

 

いきなり葉山さんが暗幕の向こう側を指さして大暴れしはじめた。

 

「ちッ!おい、翔、葉佩。とりあえずこの女を保健室に運ぶぞ!」

 

私は嫌な予感がして暗幕をあけた。

 

「おい、なにし......!?」

 

「なっ」

 

そこには電信柱に絡みついている無数の砂と男子高校生の制服があったのだ。それを見た瞬間、白目を向いた葉山さんが絶叫する。

 

「何眺めてんだよッ!!おい、しっかりしろ!クソッ、どうなってんだ!保健室にこいつを運ぶぞ、手伝えっていってんだろ!!」

 

私達はあわてて葉山さんを担いで保健室に運んだのだった。

 

どういうことだ。このイベントだと葉山さんしか襲われないし、死人は出ないはずだ。でもこれは......。明らかに動揺している私にとっては、皆守と葉佩が先をひっぱってくれるのはありがたいことだった。



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蜃気楼博士2

昼休みになった。

 

この學園は呪われている、という噂が7ヶ月ぶりにささやかれ始めている。私達が葉山さんを保健室に運び込んだことで、手が枯れ木のようになっているのを目撃した生徒がいるらしい。瑞麗先生は氣のエキスパートだから治療は丸投げしたらいいだろうが、問題はたくやくん、こと2のBの葉山さんの彼氏である新島タクヤくんが行方不明になっているためだ。昼休みのチャイムがなると同時に保健室から追い出された私達は教室に戻り、昼ご飯を食べた。食が進まない私を見て、もりもりご飯をたべているやっちーが慣れてないもんねと米花町の住人のようなことをいっていた。いや、私も葉山さんだけだったら食欲は普通だったと思うんだよ。問題は新島が干からびたのではなく、砂になって死んでいたことである。《執行委員》は規則に違反した生徒に粛清は加えるが殺しはしないのだ。宝探し屋も遺跡で死ななければ植物状態で生き埋め状態になっている。

 

普通に考えたら首謀者は取手鎌治(とりてかまち)っぽいんだが、精気を極限まで吸い取ったとしても原型は残るはずだ。なくなるまで砂にすることは可能なんだろうか?生徒会長なら遺伝子を操作する力があるから、何らかの逆鱗にふれて直々に殺された可能性もなきにしはあらずだが。生徒会長自身は若くして死んだ父親の後を継ぐのに必死で、なるべく騒ぎにならないよう基本葉佩クラスの大騒ぎをして始めて《執行委員》を動かす。それをすっ飛ばしてまでするとは考えにくい。

 

やっぱり取手か?彼は長身と長い手が目立つ内向的な生徒だ。いつも音楽室でピアノを弾いており、ピアノの名手で聴覚に優れる。 他者の精気を吸い取る『力』を与えられ、「生徒会」執行委員として葉佩九龍たちの前に最初に立ちはだかることになる。

 

それだけの逆鱗にふれたとか?いやいやいや、葉山さんたちの粛清理由はゲームと同じだったはずだ。それに姉が友人とピアノの周りでふざけて遊んでいたら、ピアノの下敷きになり指に大怪我をした。プロの道を絶たれて不治の病で死んだことで崇拝していた世界が瓦解したのが彼が《執行委員》になる理由だったはずだ。さしだしたのは《姉の死の記憶》。根幹の記憶がなくなってしまい無意識のうちに女性の指に固執して、規則違反する女子生徒を狙っていたわけだから、男子生徒を狙う理由がないはずだ。欲しいのは女性の手だけなんだから。

 

わからん、わからん、なにがあったんだ?

 

私はなんだか気持ちの悪いモヤモヤ感にずっと苛まれていた。呪いって言葉が蔓延しているからかもしれない。自分の知らない遠い祖先が犯した罪から続くケガレ、遺跡から発散される強い怨念のような不気味さがあるからだろうか。

 

 

無間地獄の底に堕ちながら死のうとして死に得ぬ魂魄の嘆き。八万奈落の涯をさまよいつつ浮ぼうとして浮び得ぬ幽鬼の声。これが呪いの声だとしたら遺跡を暴こうとする宝探し屋は呪われる運命だろう。だが呪われたのは一般生徒だ。私でも葉佩でもない。謎である。まあ、解けない自己暗示を、人は呪いと言うんだから、病は気からともいうし、考えすぎない方がいいかもしれない。私はすでに精神交換なんて呪われた身だ。呪いに呪いは重複しないのだ、この世界は。

 

「なあなあ、翔クン。やっぱ具合い悪そうだぜ?保健室行ってこいよ」

 

顔を上げると葉佩がいた。

 

「甘いもん食べた方がいいぜ」

 

渡されたのは羊羹だ。私が一番好きな行動食だといったから覚えていてくれたんだろう。さっそくマミーズで調達してくれたらしい。

 

「ありがとう、葉佩。そうだな、そうするよ」

 

私は心配そうなやっちーと葉佩に見送られて保健室に向かったのだった。

 

「やあ、カウンセリングをお望みかい?」

 

葉山さんがいたら無理だろうなと思っていたが、誰もいなかった。

 

「ああ、葉山の見舞いに来てくれたのか?彼女の手の治療はすんだんだが、精神的にかなり追い詰められたようでね、錯乱状態だったから病院にいったよ」

 

「えっ、そうなんですか」

 

「ああ」

 

瑞麗先生はタバコをしまうと、扉をしめて鍵をかけ、カーテンをしめてしまう。

 

「実は気になることがあってね」

 

「気になること?」

 

「ああ、錯乱していた葉山が見たという化け物がどうも1人ではないらしいんだ。もう1人いたらしくてね、そいつが新島を砂に変えたと主張しているのさ。それがどうも君を構成している氣によく似ている。なにか心当たりはないか?」

 

「オーラ......ええと、具体的にはどちらですか?」

 

「言葉にするのはとても難しいんだが、江見翔でも君でもない、君を君たらしめているもの達のオーラというか」

 

私は沈黙した。

 

「心当たりがあるようだね」

 

「ぱっと思いつくのは2つくらいですね。ただ、証拠がない」

 

「なるほど......たしかに厄介だな。新島タクヤの所持品は全て職員会議の決議により《生徒会》が管理することになった。つまりは《墓地》行きだ。ようするにいつも通り、イカれているがこれがこの學園の普通だ」

 

「うーん、参ったな。正直、オレ以外にいるとは思っていなかったので、推理は出来ても接触はできないんですよね。どこにいるのか、なにが目的なのかわからない。図書室で調べようかな」

 

「参考までにその心当たりを聞いても?」

 

私はうなずいた。瑞麗先生は国際機関のエージェントだからか、クトゥルフ神話の噂は聞いたことがあるようで、まさかそっち方面の関係者だとは思わなかったと笑われた。

 

私がまず思いついたのは、クァチル・ウタウスだ。干からびたミイラのような小さな子供ほどの大きさをした姿をしている宇宙人であり、そのものに触れられたものは一瞬にして風化し死に至るといわれている。

 

別名〈塵を歩むもの〉、〈究極の頽廃〉、〈塵を護るもの〉。

 

クァチル・ウタウスの姿は小さな子供ほどの大きさでひからびてしわだらけ。毛がまったくはえておらず骸骨のような細い首にはのっぺりとした顔に網目状の筋を確認することができる。鉤爪のようになった管のような腕がゾンビのように前に突き出されてこちらを向いていたという。その姿は気をつけ、前ならえをしている子供のミイラのようだろう。

 

クァチル・ウタウスは年齢や死、衰退に関連する存在で、召喚をしようとするものの精神は無意識に自殺衝動に駆られることになり、時間の流れさえ早まることだろう。崇拝するものは稀ではあるが存在し、崇拝者は永遠の命を求めてクァチル・ウタウスに祈りを捧げているという。それらの目的から召喚の呪文が唱えられることになるのかもしれない。クァチル・ウタウスのことを知りたければ『カルナマゴスの遺言』を読むしかないだろう。ただし、クァチル・ウタウスが我々に与えてくれるのはたいてい死と崩壊である。

 

クァチル・ウタウスは光の柱を伝って空から舞い降り、目的を果たすと光の柱から帰っていく。帰った後に残るのはクァチル・ウタウスが作り出した塵の山と、クァチル・ウタウスの足跡だけなのである。だからこそ彼は〈塵を歩むもの〉なのだろう。

 

古代エジプトで崇拝されていた神カ=ラトー(Ka-Rath)との類似も指摘されている。

 

すべての組織を塵に還元してしまう能力はウボ=サスラも持っているといわれているが、果たして関係はあるのだろうか。クァチル・ウタウスの起源は知られていない、ただ暗黒の地獄の果てに棲んでいるといわれている。

 

一番最初、まだ地球創造の灰色の混沌の中ですでに存在していたウボ=サスラは粘膜と煙のなかに横たわり、小さな不定形細胞のようなものを分裂していたが、現在はどうしているかはわからない。

 

なにせウボ=サスラに関する最後の記録が残されているのは、遥か昔、大陸北部で目撃されたのを境に、その足跡は途絶えている。実は地球の生命起源の説はウボ=サスラ以外にもう一つあり、それは古の者が生命起源とする説がある。古の者は自分が生み出したショゴスの細胞が全ての生命の起源となっている。

 

しかし、それだと二つの起源が出てきて矛盾が生じてしまう。だが、古の者がウボ=サスラの不定形細胞を利用してショゴスを作ったとすれば辻褄が合うのだ。

 

次に砂に棲むものは簡単に言えばアメリカ西部のような場所の洞窟に棲むざらざらの肌をした瘦せた忌わしいコアラのような顔を持つ怪物である。この原始的な種族は各地の砂漠地帯に存在する可能性がある。

 

別名〈砂漠を忍び歩くもの〉。

 

その姿のイメージであるコアラというと可愛いイメージがあるが、大きな目と耳を持った人間と考えると耳が大きくなったスローロリスに近いのかもしれない。瘦せた人間の顔が耳の大きなスローロリス……夢に出て来そうなほど忌わしい存在になりそうだ。

 

どうやらざらざらな肌は水の少ない環境でも保水するためである。昼間は洞窟に潜んでいて夜に狩りを行なう種族らしく、雑食性で何でも食べるという。

 

砂に棲むもの、と記したが『破風の窓』に関しては一体だけではなく、洞窟の中からぞろぞろと複数体個体が出てくるのが確認され、雄雌どちらも存在していることが分かっている。なので「砂に棲むものたち」としても良いかもしれない。彼らは人間には理解できない言語を使い意思疎通をしているという。

 

これは別件の話にはなるが、砂に棲むものにも子育ての時期があるということをラヴクラフトは話している。どうやら棲息域は思ったよりも広いらしい。実は身近な砂地に潜んでいる可能性もあるのだ。

 

彼らは主にニャルラトホテプ、北アメリカなどの地域ではイグを崇拝しており、彼らの平均寿命が100~150歳と定めている。かれらの司祭は400歳まで生きるというのは特別なものを食べているのだろうか。

 

「あまりにも被害が小規模だからこいつだと私はふんでます」

 

「なるほどな......」

 

瑞麗先生はグラウンドをみた。

 

「また、砂か......やけに出てくる単語だ」

 

瑞麗先生はためいきである。

 

「《黒い砂》に聞き覚えは?」

 

「《黒い砂》?」

 

「《黒い砂》、《失われた旋律》、《白い指》、葉山を襲った不審者がいっていた言葉だそうだ。そして、そいつは《黒い砂》とやらが見えるらしく、錯乱状態で近づくなと蚊柱の中にいるような反応をしていたらしい。みるからに異様だから逃げようとしたら、僕じゃないと叫んだらしくてな。たまたま風がふいて、暗幕がめくれ、変わり果てた新島がいたもんだから葉山は殺されると思ったらしい。鍵がかかったようにあかなくなってしまったようだ。だから尚更パニックになって、そこを襲われたらしい」

 

「鍵?内鍵がかかってるから入れなかったんですけど」

 

「ああ、そこは葉山がパニックになって勘違いしたんだろうとは思ってるよ。君は二重扉の向こう側で葉山の異変に気づいて叩いていたんだろ?さすがに防音扉だったせいで聞こえなかったようだが」

 

「スクリーン見る訳でもないのに暗幕がおりてたせいで中が見えなかったんですよ。そしたら悲鳴が聞こえたから」

 

「なるほどな......うーむ」

 

瑞麗先生は思案顔である。

 

「もし、君の言うようなやつが音楽室に現れたとしたら、何らかの痕跡が残っているはずだな。私も少し調べてみよう」

 

「なら、オレも......」

 

「いや、君は休んでいたまえ。顔色が悪い。少し横になった方がいいだろう。おやすみ」

 

「ありがとうございます」

 

私は遮光カーテンに仕切られた簡易ベッドに向かったのだった。



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蜃気楼博士3

高校の昼休みの喧騒は保健室を通しても聞こえてくる。窓や廊下から聞こえてくるざわめきはまるで空間を埋めつくすように、学校中を満たしていた。生徒たちはまるでその貴重な45分に1日中の自由が詰め込まれているみたいに、一生懸命楽しんでいるように思えた。笑い声がはじけ、エネルギーが爆発していた。見上げるとはるかに青い夏空があった。光と影が空を渡ってゆくまぶしい午後のはじまりである。

 

じっと白い天井を見ているだけでも時間は過ぎていくものだ。だいぶん気分が良くなってきた私はベッドから起きた。

 

「あれ、鍵が」

 

誰かの声がする。私はカーテンを空けてみると、人影があった。あまりの長身である。そして極端に長い両手をみて、私は見なかった振りをしてカーテンを閉めてやろうかと思った。

 

「......誰かいるのかい?」

 

諦めて私は鍵をあけた。

 

「君はたしか......C組の江見君だったね。君、どうしたんだい? 具合が悪そうだけど……」

 

「あれ、まだ悪そうに見えるか?気分が良くなったから教室に戻ろうかと思うんだけど」

 

「瑞麗先生は?」

 

「用があるとかで出ていったよ」

 

「そうなのか......残念だな。でも、本当に大丈夫かい?まだ顔色が悪いよ……。保健室にまだいた方ががいいんじゃないか?」

 

「ありがとう。優しいな」

 

「いや......君は2年を運んでたじゃないか。だから気分が悪くなったのかと思ったのさ」

 

「大丈夫だよ」

 

「そんなに頑張ってどうするんだい……? 身体の不調は心の不調の場合もあるんだよ……。無理をせずに休むべきだ」

 

そうはいっても今の取手鎌治と二人きりは怖いんだけどな。

 

「辛いみたいだね……。そこで休んでいていいよ。僕は保健室から薬をもらいたかっただけだから......」

 

「わかった。ありがとう」

 

根負けした私はベッドに逆戻りした。

 

「そういう取手は大丈夫なのか?」

 

「......人のことは言えないかな。また、頭が割れるように痛いんだ。気を失うぐらい激しい痛みがして。......だから、また薬を貰いに来たんだ」

 

「さっきももらいに来てなかった?」

 

「そうなんだけどね......今日は特に頭痛がするんだ」

 

「そんなに痛いなら取手の方が休まなきゃいけないだろ。となりあいてるから休みなよ」

 

「ああ、そうだね。そうしようかな」

 

遮光カーテンを閉めたはいいが、寝られない。隣でぶつぶつ声が聞こえるからだ。

 

「やッ......やめろッ!!僕に近寄るなッ!あっちへ行けッ!!」

 

「《砂》だ......《黒い砂》だ......やめろッ!こっちにくるなッ!!やめろォオオ!!」

 

「違う......僕じゃない......これは僕じゃないんだ......やめろッ......そんな目で僕を見るなッ!僕じゃないッ!僕じゃ......!!」

 

こんなんで寝れるか!私はカーテンをあけた。案の定、ただでさえ病的に白い肌を青白くさせた取手が飛び起きていた。汗だくになっている。

 

「はァ......はァ......」

 

「魘されてたみたいだけど、大丈夫か、取手」

 

「何がだい?」

 

私の心配にこの反応である。ゲームで知っていたけど悪夢すらさしだした思い出と繋がっている場合、この意味不明なやりとりになるのが恐ろしすぎる。はたから見たら重度の精神疾患だ。

 

「何って......さっき、《黒い砂》がどうとか、僕じゃないとか、いってたじゃないか」

 

なにをいっているんだという顔をしている取手に私は肩を竦めた。取手が《執行委員》だという情報がなければ瑞麗先生を呼んできて、薬かなにかやっているんじゃないかと相談するところである。

 

「ほんとに大丈夫か?」

 

「......いや、大丈夫さ。これが僕の普通なんだ」

 

「取手......」

 

「君では僕を救うことはできないよ。瑞麗先生でさえ僕を救えないんだ。君が救えるわけがない」

 

「そうか......じゃあひとつだけ」

 

「なんだい?」

 

「オレは君を信じているよ、取手鎌治。君は人を殺すような人間じゃないってことを。だからいつか聞かせてくれないか。君は音楽室でいったい何を見たんだい?それは君が悪夢に見るほどおぞましいなにか、だったんだろ?しかも葉山さんに勘違いされて必死で否定するほどのなにか」

 

「......」

 

「だいぶん気分がよくなってきたから、やっぱり行くよ」

 

「......あの」

 

私は振り返った。

 

「江見君......君は......きみは、なにか知ってるのかい?」

 

「知ってるかもしれないけど、今はなんともいえない。証拠は《生徒会》が墓地に埋めたし、オレは暗幕のせいでなにも見てないんだ」

 

「......」

 

しばしの沈黙ののち、取手は口を開いた。

 

「......新島、君の......腹が......裂けたんだ」

 

「腹がさけた?」

 

こくり、と取手はうなずいた。

 

「そこから......黒いものが出てきて......無数の足を生やして......僕を取り込もうと......だから、僕は......僕はッ」

 

「ありがとう、取手」

 

私はその先を制した。

 

「え」

 

「充分すぎるほどわかった、ありがとう。つらいのに思い出させてごめん。これじゃあ皆守のこといえないな。つまり、あれだろ?風船が破裂したんだな?」

 

「......」

 

「運が悪かったな」

 

「君は......」

 

「?」

 

「なにも、言わないのかい?」

 

「オレとしては、新島を殺したやつの方が気になるんだ」

 

取手は沈黙した。

 

「......君…......、転校生と仲がいいみたいだけど、また墓地に行くつもりかい? あそこは危ないよ…。足を踏み入れるのはやめた方がいい……」

 

私は息を飲んだ。

 

「失う者の悲しみはわかっているつもりさ。でも、規則に違反した者は処罰しなければばならないから......」

 

「なんのこと?」

 

「なんでもない。なんでもないさ、これはただの独り言なんだから。ただ、心配だっただけだから……」

 

「そうか。じゃあ、聞かなかったことにするよ」

 

「僕の話を聞いているかい?君の様子じゃ、言っても聞かないだろうけど、とにかく墓地へ行くのはやめた方がいいよ……。君の為を思って言っているのに…。残念だよ……」

 

「取手......」

 

「そんな顔をしてもきっと君は行くんだろうな。まァいい…。忠告してあげただけさ……。転校生とつるむつもりなら、そうすればいい」

 

そうか、取手は私が父親を失っていると思っているなら、姉を失った自分と無意識のうちに重ねていたのか。あれだけ葉佩と遺跡に潜っていれば目もつくわけだ。私は肩を竦めた。

 

遮光カーテンがしめられてしまう。私は保健室をあとにした。

 

イスの偉大なる種族の関係者がいるからって、ショゴスを体内に飼ってるやつが生徒の中に紛れ込むのはどうかと思うんだ。頭が痛い。これはどう考えればいいんだ?

 

ショゴスといえば、大昔に地球に来た『古のもの』が創造した生命体だ。奴隷として狂気山脈などの建築に駆り出されていた水陸両生の生き物である。

 

俗に言うスライムのような不定形の体をしており、その外見通り姿形を自由自在に変えることができる。牙の覗く口や目玉が至るところに付いている姿がよく描かれる。

 

自身の身体にどのような器官も自由に形成できる。このため主人が望めばいかなる形でのコミュニケーションも問題なく行うことが出来る。他の生物と同じように身体を作り替えることも出来る。

 

テレパシーや呪文などを使えば操ることも出来るが、知能は低い為、必ずしも従順に従う事は無く、基本的に危険な生物である事に変わりは無い。

 

また、このショゴスの細胞を元に、人類を始めとする様々な動植物が地球上に誕生する事になったとされている。

 

およそ十億年前、生まれたばかりの時は不定形の姿で知能も非常に低かったが、脳を自ら固定化する事で知能が進化していく事になる。

 

やがて「ショゴス・ロード」と呼ばれる上位種族も生まれるようになった。 このショゴス・ロードは、物を製作する事が出来る等、現代の人類に引けをとらない非常に高い知能を誇っていたが、古のもの達に奴隷として飼われている事を自覚していくようにもなり、古のもの達が旧支配者であるクトゥルフと激戦を繰り広げた後、その知能故に自らの扱いに不満を持って反逆を起こした。

 

結果的に古のものを駆逐することに成功したものの、自分達も封印されてしまい、現在は地底奥深くや狂気山脈に蠢いているという。

 

ただし、全ての個体が同じ選択をしたわけではなく、作られた奉仕種族として本能的に主人を求めるものもいたらしく、現在でも何かしらの種族に奉仕していることが多い。

 

『インスマスを覆う影』にて深きものどもはショゴスの細胞を村に持ち込みアメリカ大陸の侵略に使用しようとしていたことがわかる。

 

さらに、地球上の生物はすべて、このショゴスの原型細胞から進化し発展したことがわかっている。すなわち人間も含めて全生物の最も古い祖先である。

 

このため、現在にも生き残る知能を持ったショゴスたちはいかなる生物にも自由に擬態できる。そもそも、地球上の全ての生物はショゴスの変化したものだとも言い換えられるため、遺伝子レベルで差異もなく、これを擬態と呼ぶのが適切かはわからない。

 

狂えるアブドゥル・アルハザードは必死になってこの生物の存在を否定している。それだけこの怪物が恐ろしかったようである。

 

「テケリ・リ!」という独特の声を発する。これは主人である「古のもの」が発していた言語を真似ているもの。古のものの会話も人間には「テケリ・リ」と聞こえていたため、知性を持っているショゴスは内容のある言葉を話している可能性がある。

 

ラヴクラフトの執筆当時、細胞や遺伝子の概念が発見され世間の話題になっていた。生物の原初、最も単純な生物はどのようなものかとラヴクラフトが想像したことで創作されたと言われている。

 

ちなみに、ファンタジー作品で扱われる「スライム」はこのショゴスをモデルに定着していった。

 

「......ダゴン教団あたりに天香學園の遺跡に心当たりがないか聞いてみないとダメだな、これ」

 

5限目の始まりを告げるチャイムが鳴る。私はあわてて階段をかけあがったのだった。



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蜃気楼博士4

放課後のことだ。私は体調不良により休んだ授業分のプリントや課題を取りに職員室に寄った。そしたら雛川先生が心配して話しかけてきてくれた。話し込んでいたらチャイムが鳴ってしまい、その分帰りが遅くなった。携帯電話を見てみれば、たくさんメールが来ており、私が来る前に、本日の探索に同行するバディは決まってしまったとわかったのである。

 

やっちーによると部活前に玄関でたまたま瑞麗先生と遭遇し、帰ろうとしていた葉佩と皆守を捕まえて話し込んでいたら、噂をすればなんとやらで取手が来たらしい。錯乱状態だったがすぐに正気を取り戻し、心配したやっちーが相談に乗ろうとしたら拒絶されてしまった。瑞麗先生から話を聞いた葉佩は一連の流れから葉山さん襲撃事件の犯人が取手らしいが本人は無自覚であると言い出した。《黒い砂》と《遺跡》という単語に異様な反応をするところから、取手のおかしな態度は連日連夜潜っている遺跡に秘密があるのではと。そういうわけでやっちーが張り切って探索したいと主張したらしい。

 

そしたら皆守が切れた。自分で何とかできないやつはそれまでだ。単なる同情心で救おうとする偽善者は嫌いだとやっちーと葉佩を目の前で自殺した女教師と重ねて激怒した。あとから冷静になったようで、やっぱり行きたいから今夜はやっちーと行かせてくれとわざわざ私や月魅にまでメールを送ってきていた。今日もあっちこっちにメトロノームしている皆守には同情を禁じ得ないが君が望んだ立場なんだから頑張れというほかない。

 

葉佩からも昼間の体調不良を心配したのか、大事をとって今日は休んでくれとメールされてしまった私は了承するしかなかった。いつものようにすぐに寝て、3時に起きてみたら体調はよかったので普通にマラソンをして帰ってきた。シャワーを浴びて着替えていたら、夜明け前に葉佩が尋ねてきた。

 

安定の不審者スタイルである。私はあわてて部屋に入れた。

 

「おっはよー、翔クン!君なら起きてるころだと思ったぜ!その様子だとマラソンは終わったのか?」

 

「おはよう、葉佩。ああ、終わったよ」

 

「そっか~、残念だな」

 

「そうだね、もう少し早かったら一緒に走れたのに......って疲れてるか」

 

「大丈夫大丈夫、魂の井戸にいけばなんとかなるなる」

 

それ、私が不在だったら不法侵入してゲットトレジャー出来たのに、って考えてるんじゃないだろうな?最近、皆守がストックしてるお気に入りのレトルトカレーをよく失くすと嘆いてたぞ。それとなく匂わせるとナンノコトカナーといわれた。なんだよその口笛。

 

「そんなに元気そうってことは、取手と《遺跡》の関係わかったんだ?」

 

「そうそう、そうなんだよ!今日の昼あたりにやっちーと語り倒すから楽しみにしててくれ。結論から言うと取手が仲間になった!」

 

「えっ」

 

「そうそうそれそれ~ッ!その顔が見たかったんだよ~!来てよかった!あ~七瀬の反応が楽しみだな~!マジでインディージョーンズもビックリなスペクタクル巨編だからさッ!」

 

私は空いた口が塞がらない。いくらなんでもはや過ぎないか?ゲームと違って遺跡の中はなかなかの広さだったと思うんだけど。たしかに1日2日の猶予があったとはいえ、1日で取手の担当エリア攻略するとかはや過ぎない?

 

「というか、今まで潜ってたのか?」

 

「そうだけど?いつものことだろ?」

 

「えっ」

 

「えっ」

 

「やっちーと皆守のバディとオレたちが交代する時って休憩くらいとってるよな?」

 

「え?取らないけど?」

 

「頼むからとってくれ、葉佩。君が倒れたらみんな悲しむよ。父さんだってそうだ。ロボットだってメンテナンスしないとすぐ壊れるじゃないか」

 

「翔ちゃん......立派に育って母さん嬉しい!」

 

「茶化すな」

 

「ふぁい」

 

私はすぐに破顔した。

 

「でもまあ気持ちはわかるよ。取手が仲間になったんだもんな、おめでとう」

 

「ありがとう!翔クン、翔クン、そんないいこな君に葉佩サンタから季節外れの贈り物だッ!さあ受け取りたまえッ!これは俺より君に相応しいものだからなッ!」

 

やけにテンション高く差し出されたのは5枚の古びた紙だった。それはエジプトの死者の書として有名なパピルスによく似た紙でできていた。一枚のサイズは24cmほど、長さは30cmほどで厚さは0.25mmらしい。

 

もともとは薄片を二層に接着して作るという構造上、表裏で繊維の向きが異なり、また折り曲げに弱いため冊子状にすることは難しいので、数枚から20枚程度のシートをアラビアゴムで長く繋ぎ合わせて巻物だったのだろう。それを裁断し、紙にしてあるのだ。葉佩曰く、ギミックや罠の先に隠してあり、まるで宝探し屋が来るのを待っていたかのような配置に置かれていたらしい。

 

腐敗防止の液体に浸されているためにちゃんと文章が残っていた。

 

「これは......」

 

「江見睡院先生のメモだ」

 

「これ......が......」

 

「だから来たんだよ、すぐ見せたくてさ」

 

私は震える指先で文字をなぞる。

 

体が震えるほど喜びがこみ上げてくるのがわかる。江見翔という存在は虚構にすぎないが、このメモの到達する先に遺跡の真実に葉佩九龍が到達することを意味する。まさしく私にとっての救世主だ。それに上手く行けば江見睡院という偉大なる宝探し屋の復活があるのだ。私が私の世界に帰還するための絶対条件である《天御子》という宿敵の打倒の第1歩がここにあるのだ。まさに悲願である。安堵とうれしさに震えている。

こみ上げて来る嬉しさと恋しさとで、口が利けなくなってしまった。

 

《中に浮かぶ化人を目撃。重力さえもコントロールする技術が古代日本に存在していたとは。細い通路を抜けると蛇が向き合った巨大な扉が目の前に立ち塞がった。蛇は紀行神話においても霊力をもつ獣だとされている。このメモには動物たちが持ち去るのを防ぐために特殊な香料が塗ってある。化人に効果があるかはわからないが、他の方法を探っている暇はない。動物に効果があると同時にこの香料は特定の虫を呼び寄せる。私の後に続く者には、きっとそれが目印になるだろう》

 

真下には写真が貼り付けてあり、葉佩によるとその虫を頼りに5枚もの紙を見つけたという。

 

「これが......父さんの......」

 

私は思わず紙を握る手に力がはいった。

 

「ありがとう......ありがとう、葉佩。父さんがこの遺跡を調査していた証拠がやっとみつかったよ。父さんが、江見睡院がいたっていう確かなる証拠が」

 

「喜んでくれると思って、持ってきたかいがあるってもんよ!」

 

「うん......うん。ありがとう。写真にとってもいいかな?母さんに見せたいんだ」

 

「どーぞどーぞ撮っちゃってくれ!翔クンのお母さんも喜んでくれるといいな!」

 

私は携帯電話で撮影してからすぐに葉佩に差出した。

 

「......やっぱり返すよ。これ、宝探し屋である葉佩あての手紙だしさ。これを手がかりに父さんの辿った道をオレに見せて欲しい」

 

「わかった!」

 

あのさあ......葉佩がいいやつすぎて罪悪感が半端ないんだけど、一応江見睡院メモは《ロゼッタ協会》に提出すべきアイテムだからな?江見翔的にはありがたいけどさ。

 

私は笑ってしまった。

 

葉佩九龍はいつだって尾ひれをつけて、まるで億万長者にでもなったかのように誇張する。話を料理するのだ。いつも、ちょっとひっかかれたくらいでも、おおげさに倒れてのたうち回り、ほら、こんなところに傷が!と傷口を指さしておいおいと泣き始める。オーバーリアクションながら本気なのか冗談なのかわからないうちは振り回されてしまうが、脊髄で反射的に会話しているだけだと割り切った方が楽だったりするのだ。これが全部擬態だったら私以上のたぬきだなと思うこともあるが、それはそれでカッコよすぎるのでありだと思う。

 

実際の感情以上に大げさな表情を作る葉佩なら、きっとクリスマスは永遠の別れのように大げさに涙をぬぐう一世一代の芝居を打つことになるだろう。それはきっとたくさんの人間を救うことに繋がるのだ。この勢いで頑張ってほしい。

 

そのためにもメールマガジンの配信やアイテム供給がんばろうと私は思ったのだった。

 

「あ、そうそう。取手が言ってたんだけどさ、ありがとうっだってさ」

 

「うん?」

 

「昼休みに保健室で取手に聞いたんだろ?君はなにをみたって。君は人を殺すような人じゃないって信じているって。新島が死んだの取手のせいじゃないってよくわかったな」

 

「ああ、そのことか。まあね。葉山さんの枯れ木の手を見たとき、《執行委員》の粛清じゃないかと思ったんだよ。そしたら保健室のベッドで《そんな目で見るな》《僕じゃない》《近づくな》って魘されてるの聞いちゃってさ。もしかしたらと思って聞いたら、新島の腹から黒い液体が出てきて取り込まれそうになったっていうだろ?取手の力が精気の吸収ならその黒い液体自体が精気で、新島の中がそれで満たされていたとしたら一瞬で干からびることもあるんじゃないかと思ったんだよ。新島が人間じゃないなにかで、たまたま取手が正当防衛で力を発揮したら相性が悪すぎたとかさ」

 

七瀬と《古代超文明》について図書室で調べているうちに、なぜか所蔵されている写本やらなんやらについて読んだんだと告げると葉佩は手を掴んだ。そしてぶんぶん手をふりはじめる。

 

「よくわかったなあ、すげ~!俺全然わかんなくてさ、途中からふわっとした流れしかよくわかってなかったんだよ!助かったぜ、翔クン!その調子で七瀬と遺跡探索これからもよろしくな!」

 

あっ、こいつ探索系の技能に全くポイント振らない気だと私は悟ったのだった。《ロゼッタ協会》から送られてきた葉佩九龍のデータベースみたときから嫌な予感はしてたんだよ。これまさか碑文ガン無視しながら進むタイプの宝探し屋じゃないだろうなって。これは知性が足りないと詰むエリアに来たら地獄を見るなと今から私は戦々恐々するはめになるのである。

 



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壊れ方指南

2004年9月10日昼休み

 

『アイテムを入手しました』

 

聞きなれたH.A.N.T.の電子音声につられて教室に入ってみると、なにやらコソコソしている葉佩がいた。せめて音声きりなよ、葉佩。学校の備品ぱくってるのは私もだからとやかくはいえないけど、白昼堂々はどうかと思う。

 

「Get treasure!」

 

聞いている者など自分以外に居ないというのに、流暢な発音でわざわざそう呟いた葉佩は満面の笑みで手に入れたお宝を四次元ポケットにしまった。あれは黒板消しかな?敵になげると粉状態になり、爆弾投げるとダメージがアップするのだ。序盤はじみに重宝するから困る。わかるわかる、大事なのアイテムだ。宝探し屋は現地調達が基本だもんな。

 

なるほど、だから普段なら一緒にいるはずの皆守がいないのか。学校の備品を葉佩が勝手に持ち出すと口煩く説教をしてくるので、たぶん昼休みになると同時に撒いたなコレ。いや、至極真っ当な指摘なんだけど。あとは連れてくると、ほぼ確実に皆守にこの事を喋ってしまうだろう、やっちーや七瀬の姿がないのもそのせいだ。

 

「何してるんだ、葉佩」

 

「ハッ!?そ、その声は......よ、よかった~、翔クンだったか~」

 

葉佩はあからさまにホッとした顔である。そして基本葉佩のやることは宝探し屋として必要なことなんだろうからという理由で基本放置気味な私は葉佩にこういわれるわけである。同業者のよしみだから見て見ぬふりをするのはあたりまえだ。よく考えてみてくれ、この九龍妖魔学園紀という世界は日常生活より遺跡探索に重きがおかれている世界なのだ。私が邪魔をしたせいで葉佩の探索に支障がでたら、私の《ロゼッタ協会》内での評価も下がるじゃないか、そんなこと断じて許されない。

 

ただ。

 

「オレだけに見つかったならよかったんだけどな、葉佩。次からは白昼堂々とゲットトレジャーするのはやめた方がいいよ」

 

「へ?」

 

私が視線をなげる先につられた葉佩の顔がひきつっていく。この状況で最も会いたくなかった人物が、教室の扉に背をもたれて立っている事に気付いたのだ。

 

「翔チャンの裏切り者~!」

 

「ごめん、葉佩。オレも今気づいたんだよ」

 

「なら話かけないでいてくれたらッ!」

 

「話しかけないでいたら、なんだ葉佩?」

 

いつもならサボる授業に無理やり連れ出され、いつもなら昼寝する休み時間は葉佩が學園内で窃盗行為を繰り返すためにことごとく潰されている皆守の怒りは尋常なものではなかった。遺跡探索に連れて行かないと葉佩が帰還するまで入口で待っているのを「寂しかったんだな、ごめんよ!」と検討ハズレなことをいっては蹴られている葉佩である。監視目的はわかるが律儀に待ってなくてもいいのに変なところで面倒見の良さを発揮する皆守である。いいかげん皆守もパーソナルスペースという概念がない葉佩九龍という人間に慣れたらいいと思うのだが、そうもいかないらしかった。

 

しかし、気配を感じさせずに背後まで近寄ってみせたのは流石の一言に尽きる。もちろんそんな悠長な事を思っているのは私だけで、殺気を向けられている葉佩はそんな場合ではない。正に、絶対絶命だった。

 

目の前にはかなり機嫌が悪いのか、完全に目の座っている皆守がいる。私は完全に呆れ返って生暖かい哀れみの視線を向けている。手助け?するわけないだろ、下手打ったらこっちの運動能力把握されるかもしれないんだから。

 

いつもなら持ち前の運動神経で無理やり突破する事も可能だっただろうが、今の葉佩は備品でパンパンの四次元ポケットのせいで重量がかなりある。そこに優秀な運動神経・反射神経を持っている上に、それを否応なく活用しなきゃいけない状況におかれて、隠すのも面倒になってきた皆守がいるのだ。銃火器や刃物があれば葉佩に軍配が上がるが、振り回されて蓄積されてきた圧倒的な経験に基づいて先読みされたら葉佩に勝ち目はない。

 

最終決戦でもないのになにやってんだこいつら。

 

「……葉佩」

 

皆守から普段より格段に低い、地を這うような声音が発せられる。確実に葉佩の行動に怒っている皆守が怖いのか、思わず助けを求めるように私の方へ視線をやってくる。ご愁傷さま、と私は拝んだ。葉佩は涙目である。

 

普段から備品を勝手に盗るんじゃないと何度も怒られているにも関らず、懲りずに盗みを重ねていた葉佩を私は助けるつもりは毛頭ない。バレるような盗み方をする方が悪いのだ、馬鹿め。諦めて、明らかに今の葉佩の技量だと盗めない備品の窃盗疑惑まで被って粛清されてくれ。尊い犠牲だったよ。

 

「話を聞いてくれ、皆守。これにはわけが!」

 

「情けない声上げるな、気色悪い」

 

やり取りを傍から見る分には仲良いなお前ら、随分子供っぽいなおいという話だが、お互い本気なだけに突っ込みはない。葉佩は何とか「おしおき」から逃れようと必死で、皆守は「おしおき」したいのだ。

 

「葉佩」

 

「な、なんだよ~、やだなあ皆守。せっかくのイケメンが台無しだぞ!」

 

まさか嗅ぎつけられるとは思っていなかったらしい葉佩は、自分の軽率さを恨むしかないわけだ。

 

 

「昨日、『二度と盗まない』と約束したのを忘れたのか?」

 

「あ~……そういえばそんな約束したような、しなかったような?」

 

 

にへらと気の抜ける笑みを浮べてみても皆守には効果がない。それどころか、葉佩がその笑みを浮べた瞬間にぶちり、と何かが切れた音が聞こえたような気がした。

 

それと同時に、その視線だけで弱い化人なら倒せてしまうのではないかと思える程に強い殺気と怒りを視線に込め、睨んできている。完全に我を忘れるくらいに本気で切れてしまったようだ。

 

あーあ。

 

思わぬ所から降って湧いた「生命の危機」に、冷や汗を流しながらも視線を廻らせ、何とか脱出路を探す葉佩を前に、往生際が悪いなあと私は思うのだ。きじもなかねばうたれまいに。

 

結局断末魔とともにH.A.N.T.に「心肺機能停止。CPRを実施してください」と言われてしまう位まで痛めつけられてしまったのはいうまでもなかったのだった。

 

ある意味、遺跡に潜る時よりも強い緊迫感が辺りを支配していたのは私の気のせいではないだろう。

 

「そろそろ昼飯だ、マミーズいくぞ」

 

「えっ、オレも?」

 

「そこの屍運ぶの手伝ってくれ」

 

私は葉佩九龍だったものを運ぶために手を貸すことにしたのだった。

 

「あれ程するなと言ったのにお前は……っ!!」

 

「元々ドロボウみたいなもんなんだから今更……、っ!?」

 

ため息を吐きながら余計な一言を付け加えてしまった葉佩には見事な靴の跡が残っていた。

 

当たっていたのなら、さぞかし痛かったのだろうと容易に推測できる跡に少なからず戦慄を覚えていると、不自然な程に抑制のない、淡々とした皆守の声がマミーズに響く。

 

「話を聞けっていってんだよ、葉佩」

 

「……はあい」

 

余りの剣幕に自然と両手を肩の位置まで上げ、「降参」してしまいながらも葉佩はへらへらとしている。懲りないやつだなあ。

 

「……このっ、ちょこまかと!!」

 

「思いっきり殺す気で蹴られたらさすがに逃げるよ、俺だって!」

 

「この状況でへらへら笑って、そんな台詞が吐けるお前は一体何なんだよ」

 

「宝探し屋だからさ!」

 

「んな話をしてるんじゃねえよ」

 

「おーい、菜々子ちゃん困ってるよ」

 

「店内で喧嘩はおやめくださ~い」

 

私が菜々子ちゃんと呼んだのは、ウエイトレスの女性だ。このファミリーチェーン店で唯一ウエイトレスをしている人であり、やっちーと同じく規格外の一般人であり癒し枠。あかるく活発で元気な女性だ。オレンジいのウエイトレス服と頭のカチューシャが良く似合う。ちなみにこの人も何れ仲間になるのだ。まさかカッコイイ男の子に口説かれたら遺跡でデートする羽目になるなんて思わないに違いない。20歳だからか私も菜々子でいいですよと言われてそう呼んでいた。マミーズのお菓子を買い占め、お持ち帰りメニュー常連の私は上客らしい。そのうち葉佩も同じになるだろう。

 

「そうそう、もうそろそろやめようぜ。俺もそろそろ疲れてきたし、これ絶対勝負つかないって」

 

「ちっ......」

 

「なあ……オレ、もう帰っていい?」

 

昼間にマミーズ、この状況はものすごく身に覚えがあるのだ。真後ろで《墓地》に行こうと噂してる馬鹿たちの話が聞こえた時点で私は逃げ出したい衝動にかられていた。また巻き込まれるパターンじゃないかこれ。

 

「ダメだ、だいたいお前が甘いから葉佩が図に乗るんだよ。葉佩がレトルトカレー盗んでるの知っていながら黙ってた罪は重いぞ、翔。よし、今日は奢れ」

 

「えええ......」

 

まさかの理不尽さに私は頭をかかえたのだった。

 

「いらっしゃいませ~!マミーズへようこそ~!本日はなにになさいますか~?」

 

「オムレ......」

 

「カレー」

 

「五目ラー」

 

「カレー」

 

「......カレーで」

 

「3人分な」

 

「えっ、俺もッわ?!」

 

「なんだよ、なんか文句あるのか?」

 

「いやないです」

 

「ないでーす」

 

否応なく私は半年間何度も聞かされてきたカレー談義に耳を傾けることになるのだった。

 

ああくそ、なんてタイミングで噂話をするんだ真後ろの生徒たち!興奮気味に話してるもんだから皆守たち気づいちゃったじゃないか!

 

夜の墓地で墓守が棺を《墓地》に埋めているのを目撃したらしく、所持品だけじゃなく遺体も埋められているのではないかと生徒たちは騒いでいた。ほんとに遺体が埋められていたら新聞や雑誌記者に情報を売って大儲けできるのではないかと。馬鹿だなー、真後ろに《生徒会》の人間がまさにいるんですけど!

 

「そういえば、まだお前にはちゃんと話してなかったな、葉佩。《生徒会》には《役員》と《執行委員》がいるんだ」

 

「もしかして、取手みたいな?」

 

「あァ。一般生徒の中に紛れ込んでいて、普段は、誰がそうなのかわからない。だが、常に俺達をどこからか監視していて、いざとなれば処罰するという訳さ。まったく、ろくでもない學園だぜ、わかるだろ?俺が《生徒会》に目をつけられないようにしろっていった意味が。なのにお前ときたら......」

 

紛れ......込んで......?私の脳裏にはゴスロリ少女やガスマスクや五右衛門やオカマやデジタル部略してデ部部長が脳裏をよぎった。

 

「おい、翔。なんだその顔は」

 

「いや、その......」

 

てけりり

 

「なんというか」

 

てけりりてけりりてけりり

 

「聞きたくない声がさっきから聞こえ」

 

てけりりてけりりてけりりてけりり

 

私は思わず立ち上がった。近くには綺麗な包装がされたプレゼントがある。

 

「───────ッ!!」

 

たまらず私は近くの窓をあけてプレゼントを放り投げた。校舎にぶつかったプレゼントからは黒い液体がどろりと溶けだし、意思があるのを示すように鳴いている。やがて音もなく茂みに消えてしまったのだった。

 

「な、なになに、いきなりどうしたんだよ、翔クン」

 

「......なんだありゃ、あの気持ちのわりいのは」

 

「なんで新島の体に入ってたやつが置かれてるんだ」

 

「えええっ!?」

 

「な、なんですか、あのスライムみたいなやつ!気持ち悪いですね!」

 

私は辺りを見渡すが私のいきなりの行動に戸惑う客しかいない。息を吐いたその時。

 

「ふふふっ」

 

くすくす笑いながら去っていく少女が見えた。あわてて辺りを見渡すとプレゼント箱がいつの間にか噂話をしていた男子生徒たちのところにまた置かれていた。

 

「うわっ、またプレゼント箱!」

 

「なんだよこれ、気持ち悪い!」

 

菜々子がお盆を落とした。

 

「あひゃあああああッ!!は、はこはこはこはこはここの箱ッ、何かものすごく熱いんですけどっ!!けけけけけ煙とか出ちゃってこれこれこれっつまさか......ば、ばくばくばく」

 

「おい、落ち着けって」

 

菜々子の叫びに店内の客がいっせいに立ち上がった。

 

「馬鹿ッ!!いいからそこから離れて伏せろッ!!葉佩ッ、翔、───────!」

 

叫ぶ皆守。

 

「翔クンのが菜々子ちゃんに近いよな、あとよろしく!」

 

私は葉佩にいわれてうなずく。あわてている菜々子の腕をつかみ、爆風の連鎖から護るため、テーブルの影にひっぱりこんだ。

 

「えっ!?えええええっ!?きゃ───────ッ!」

 

「なッ───────!?」

 

「うっさいなあ、叫ぶ暇があったらお前も伏せろよ、皆守。危ないだろーが」

 

「おやおや、これはいけませんね。みなさん、伏せましたね?では」

 

バーテンダーをしていた老人が私が開けていた窓目掛けてプレゼント箱をぶん投げる。箱が中庭で爆発したが、さいわい窓にヒビが入る程度ですんだ。

 

「はああああ~......びっくりしました~!ああっ、あのあのあのッ、江見くんは大丈夫ですか!?」

 

「オレは大丈夫だよ、ありがとう。菜々子ちゃんは怪我ない?」

 

「そうですか~。ああよかったです~。あのあのッ、ありがとうございました!」

 

「よかったよ、怪我なくて。すごかったね、爆発」

 

「そうですねえ......。ハッ......ももももし江見くんがさっきのプレゼント箱投げなかったら、あの黒い気持ち悪いスライムまみれだったかも!?ほ、ほんとうにありがとうございました」

 

菜々子の言葉に私は青ざめるのだ。待ってくれ、リカちゃん。あのプレゼント箱どっから入手したんだよ!

 



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壊れ方指南2

6時間目の化学を非常に警戒していた私だったものの座学だったため、実験がなかった。そのためだろうか、2回目の爆破未遂は起こらないまま今日の授業は終わったのである。肩透かしというか、なんというか。

 

「瑞麗先生のところにいって、黒い物体がまた出たって伝えてくる」

 

一緒に帰ろうと誘ってきた葉佩と皆守にそう伝えると、葉佩は行きたがったのだが瑞麗先生が苦手な皆守に引きずられていってしまった。取手から音楽室の鍵を貰ったと葉佩が能天気にいったものだから、考え直せというために音楽室に連行するらしい。そのあとはたぶんレトルトカレーを盗んでしまったお詫びとして昼間の私のように奢らされるか、インターネットで葉佩の金で買い戻させられるのだろう。ドナドナされていく葉佩に、やっちーはバイバーイと手を振っていた。

 

「そっかあ、わかったよ。なにかわかったら教えてね!じゃあね!」

 

やっちーは真っ直ぐ部活に向かった。今日はそのまま7時まで部活をしてからマミーズで打ち合わせらしい。部長は大変である。七瀬にも今日は図書室で調べ物はできないことをメールして、とりあえず私はすぐに保健室に向かった。そして、瑞麗先生に相談しに行ったのである。ちょうど一週間前の新島の事件についてエムツー機関から調査報告書が届いたらしかった。

 

「まずはこれを読んでもらえるかい?」

 

私はざっと目を通した。

 

「やっぱりショゴスでしたか」

 

「ああ。取手がたまたま新島に吸収の力を使ったものだから、ショゴスがすっからかんになってしまったのさ」

 

「......取手、よく大丈夫でしたね」

 

「一応身体検査にかこつけて調査してみたが異常はなかったよ」

 

「《黒い砂》の加護ですかね?」

 

「墓守を守るっていう意味ではたしかにそうだな」

 

「一瞬思ったんですけど、遺伝子操作の過程でショゴスを使うから同じ成分なら影響がないとかいわないですよね?」

 

一瞬虚をつかれたように瞬きした瑞麗先生だったが、いきなり笑い始めた。笑い事じゃないんだが。

 

「ふふふ、すまない。そういうつもりじゃないんだ。ただね、君は猫かぶりをやめた途端に無愛想で無表情になるだろう。その状態で取手たちを心配するような声色をするものだからギャップがな」

 

いいことだと思ったのさ、と瑞麗先生はいう。ほんとかなあ?

 

「しかし、そうか、そうだな、その可能性もあるな。さすがは本職だ、私よりよっぽど詳しいじゃないか。実に興味深いね、つまり江見はショゴスは《遺跡》から調達されて何者かが學園にばらまいてるといいたいんだな?」

 

「いやだって《遺伝子組み換え実験場》だったんですよ、あの《遺跡》

!それに」

 

「それに?」

 

「《執行委員》は人間を殺す奴らじゃないって取手を見て思ったんですよ」

 

なんだか面白そうに瑞麗先生は目を細めて私を見ていた。やはりなんだか含みを感じるのは気のせいだろうか。じっと瑞麗先生を見つめて抗議の意思表示をしてみると、にやりと笑われた。意思疎通が出来ている気がまるでしない。なんでだ。

 

「で、次の《執行委員》は誰だい?」

 

「七瀬に聞いたんですが、A組の椎名リカさんです」

 

椎名リカとは、ゴスロリ風に改造した制服をまとう、151センチしかない西洋人形のように可憐な少女である。生徒会執行委員の一人であり、幼さゆえの純粋さと残酷さを併せ持つ。

 

それというのも溺愛する父親がリカの無邪気さゆえの残酷さを叱ろうとする母親を無視して、殺したペットや壊したおもちゃを新しく買い与えまくったのだ。月日は流れ母親まで早くに死んでしまい、新しく母親を連れてきてくれと頼む娘が恐ろしくなり見捨てられたのである。明らかに父親が諸悪の根源だ。

 

やがて父親に見捨てられ孤独になったリカは耐えきることが出来ずに《執行委員》になって今に至る。

 

「リカ研究会」と言う自らのファンクラブを主宰している。実際に生徒たちの人気は高いが、同クラブへの入会審査は非常に厳しいらしい。 名前は漢字で書くと「梨花」。 爆発物の知識に長け、また、分子を振動させてあらゆる物を爆発させる「力」を持つ。 攻撃手段はいうまでもなく爆弾である。怖い。

 

私が今一番危惧しているのは、あのプレゼントの配布先なのだ。

 

「なるほど、それで私のところに来たというわけか」

 

私は頷いた。

 

「当たってるよ。どうやら新島はリカ研究会の部員に嫌がらせをしていたことがあるようだ。葉山の差し金だったらしいがね。精神的にえぐい嫌がらせだったようだ。謎の爆発事故があってからはやめたようだがね」

 

「じゃあ、新島がショゴスを体内に取り込んだのは椎名さんの爆弾を食らったせいですか?」

 

「その可能性が高いな」

 

「うわあ......」

 

私は目眩がした。

 

「ゲテモノ食いでも流行ってるんでしょうか」

 

「いや、まだわからん。部員が椎名に献上しているのかもしれないな。そもそもリカ研究会は名前はともかく裁縫などを行うサークルで女性部員ばかりだそうじゃないか。たまに男子生徒の部員もいるそうだが、椎名の技術や化粧技術に惹かれてくるらしいからな。たまにサークルの名前を勘違いした男子生徒とトラブルになるらしいが」

 

「それが新島とか?」

 

「ああ、まさにそうさ」

 

「葉山さんいるのになにしてんだ、新島。それはともかく人間がショゴスのかけらを食べさせられて、体内にショゴス細胞が定着して体力・腕力が人間離れするって話は聞いたことありますが、ショゴスを詰め込んでばらまいただけで体内が満たされるってどんなんですか」

 

「恐ろしいことにそのトラブルは一年前......去年の今頃、そうだな、私が赴任したばかりのころだったよ」

 

「一年前......一回だけでそこまでなります?」

 

「普通なら継続的に摂取しなけりゃならないが......とてつもなく高濃度なら有り得る話だな。原ショゴスくらいの」

 

「南極にある恐怖山脈にでも登らなきゃ手に入らないじゃないですか」

 

「ぞっとする話だ」

 

いわゆるオトメン、女装男子、刺繍などの趣味がある男子生徒やリカと似たような趣味がある女子生徒に慕われているリカが可愛いとは対極にあるショゴスに手をつけるとは思えない。おそらくなにかあったのだ。新島の感染源がリカ研究会なのは間違いなさそうだった。1回話を聞かないといけないかもしれない。ええとリカ研究会ってどこでやってたっけ?

 

「おっと、チャイムだな。今回は時間切れだ。なにかわかったらまたおいで」

 

「わかりました。ありがとうございます」

 

私は保健室を後にしたのだった。

 

「うふふふふ」

 

「───────ッ!」

 

ちら、と明らかに私を見て、くすくす笑いながらリカが通り過ぎていく。反射的に辺りを見渡してみたがなにもない。ほっとしたのも束の間だった。

 

「うぎゃあああああああああぁぁぁ!!」

 

上の階から絶叫が聞こえてきたのだ。あわてて階段をかけあがり、廊下を走り抜け、人だかりの山をかきわけていってみると、先生たちに担がれていく男子生徒の姿があった。

 

「あの男子生徒、1年生だったのか!」

 

マミーズにいた真後ろの男子生徒たちはどうやら1年生だったようである。

 

「やっぱり呪いだよ!」

 

「そうだそうだ!」

 

「あいつら、《墓地》掘り返そうとしてたもんね」

 

「えっ、まじで?」

 

「いくらなんでも墓掘り返すとかひくわァ」

 

「やりすぎだよな。そりゃ《執行委員》に粛清されて当然っつーの?」

 

私はゴクリと唾を飲んだ。

 

「ねえ、キミ」

 

「え、あ、はい。なんでしょうか?」

 

「あの子達運ばれたけど何があったんだ?」

 

私が3年生だと気づいたらしく、後輩の男子はすぐ教えてくれた。

 

「化学の実験の片付けしてたんですよ、あいつら。でもふざけあっててビーカー落としたのか?」

 

「ううん、違うよ!だっていきなりビーカーが沸騰したみたいに泡立ちはじめて、熱くなって、勝手に倒れたんだ!」

 

「えっ、でもあいつら頭からひっかぶってたよ?」

 

「それは足を滑らせたからで」

 

「なんの液体なんだ?そのビーカー」

 

私の一言に誰もが沈黙した。わからない。異口同音である。片付けるために棚からビーカーを出して空きスペースをつくっているところだったとかでラベルまではわからないらしい。

 

「きゃあ!」

 

「なにこれっ!?」

 

「きもちわるいんだけど!」

 

「うわっ!」

 

また化学室が騒がしくなる。教室をのぞいてみると、われたビーカーの散らばる床に蠢く黒い物体をみた。明らかにそれは質量を超えて肥大化しており、どんどん大きな水たまりのようになっていく。

 

てけりりてけりりてけりり

 

ひとつの音はたとえ小さくてもより集まった個体の数だけ鳴いたらそれだけ大きな輪唱となる。あまりにも異様な光景だ。現実を受け入れられない1年生は卒倒し、パニックになり、あたりは一気に騒がしくなっていく。

 

ぱんぱん、と手を打ち鳴らす音がやけに大きく響いた。

 

「なにを騒いでいるんだ?放課後のチャイムが鳴っただろう。ただちに校舎から出なさい。《生徒会》の規則に違反するつもりかい?」

 

その言葉に一瞬にして生徒たちは静まり返った。そして我先にといっせいに教室に荷物を取りに戻っていく。卒倒した生徒をかかえて、とおりすがりと思われる先生が私の横を通り過ぎた。

 

「君、みたところ3年生だね。ちょうどいい、保健室に連れて行ってくれるか。僕は掃除を手伝ってくるから。いいね?」

 

「あの」

 

「ああ、そうだそうだ何組だい?」

 

「Cです」

 

「名前は?」

 

「江見翔です」

 

「ああ、君も転校生なのか。わかった。《生徒会》に保健室をあけてくれと伝えておくよ。君も用が済んだらすぐに校舎を出なさい。荷物は保健室に届けるよういっておくから」

 

女子生徒をかかえて私は歩き出したのだった。保健室に逆戻りした私に瑞麗先生は苦笑いしたのはいうまでもない。ちなみに男子生徒たちは消化器官の洗浄などをするためにエムツー機関のフロント企業たる病院におくられたらしい。よかった、すくなくてもショゴス爆弾にはならないだろう。



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壊れ方指南3

「という訳だから気をつけて欲しいんだ」

 

私の忠告に葉佩はニヘラと笑った。

 

「あー、それもう手遅れだなァ、俺」

 

奇遇だな、私もだよHAHAHA。笑い話にもならない。ゲームの時点で宇宙人に無理やり遺伝子操作された古代の人間から生成されたモンスターと戦わされるシナリオなのだ。そこから食料品を調達して回復アイテムを調合するというぶっとんだシステムを採用している《ロゼッタ協会》である。葉佩九龍も江見翔も、きっと用務員の境玄道だってそのやり方に染まりきっており、私が江見翔の中の人になる前から別の遺跡で似たようなことをしていたはずだ。しかもこの世界はなにやらクトゥルフ要素ががんがんに出てくるので、ショゴスなんて可愛いレベルのゲテモノを食べていた可能性がある。現に私は以前クトゥルフ由来のシーフードカレー食べても体になんの異常もきたさなかった。葉佩のいうとおり、きっと手遅れなのだ。今更遺跡で回復アイテム調達するのをやめる縛りプレイをしたところで、最序盤たる葉佩は万年金欠に陥ってろくに装備を揃えられなくなってしまうだろう。そっちの方が困るのだ。

 

「......葉佩、まさか俺のカレーに入れたんじゃないだろうな」

 

皆守が同人誌や二次創作で一度は知らされて精神的ショックを受けるのは定番だが、さすがはカレーとラベンダーの匂いしかわからないと噂の皆守だ。ぶれない。

 

「日本の総理大臣からの依頼だったんだ、仕方ないだろー」

 

「おいまて、それどういう意味だ。今、たしかアメリカのどっかの大臣が来てるとかニュースでいってたぞ」

 

「そうなんだ、皆守詳しいな。じゃあたぶんそれだ。なるほどな~、日本が核兵器を持たない理由はこれか~」

 

「おいこら」

 

「嘘じゃないって、ほら~」

 

葉佩はなんの躊躇もなくH.A.N.T.を起動して、クエストを皆守に見せていた。ついでに《ロゼッタ協会》のシステムについて説明をはじめた。

 

《ロゼッタ協会》は現地調達が基本だが、人類の叡智とかいて銃火器や弾丸などの武器はネットで購入しなければならない。刀剣類はたまに遺跡でも入手できるが、今のところ葉佩のランキングの位置だと銃火器はネット購入オンリーだ。銃は敵の弱点狙って攻撃できるので、結構重要だが葉佩はプレイスタイルが合わないからガン無視している。化人に爆弾は有効な敵が多いがアサルトベルトの容量を圧迫するためあんまり持ちたくない。だが、壁を破壊しないとアイテムや江見睡院メモが入手出来ないので、定期的に補充しなければならない。

 

そして、「購入」と言うからには当然お金が必要だ。最初の持ち金は5万円。爆弾の定期的な補充にはウン十万かかる。遺跡探索で敵を倒してもお金は落ちない。世知辛い。敵を倒すことで、多少はアイテムを入手できるが、それを売っても大した金額にはならない。

 

では、どのように稼ぐか?

 

《ロゼッタ協会》ではクエストを受け付けており、それを達成することで報酬としてお金を受け取れるのだ。クエストは、依頼主にアイテムを渡すことで達成できるのだが、依頼されたアイテムを入手するには調合などをしなければならないわけだ。

 

依頼主は、日本国首相から大英博物館の館主、恵まれない少女、黒髪の未亡人などの多種多様だ。

 

「意味がわからないんだが、なんだこの《亡くなった主人の 追悼式で 思い出の品として 轟炎爆薬 を供えたいの》って。思い出の品が爆薬ってどんな思い出持ってんだよ。戦場で出会ったのか?実は、追悼式そのものを爆破したいとかじゃないだろうな?」

 

「あはは、皆守は想像豊かだな」

 

「お前にだけは言われたくないんだが、葉佩。つうか大英博物館の《新しい展示室の 古代美術展で 脇を飾る華として プリン を出展したいのです》って明らかに普通のプリンじゃないと気づいてるだろう、相手」

 

「そりゃそうだろ~。じゃなきゃプリンにこんだけ法外な値段つけるわけないじゃん。蒼き瞳の皇太子なんて《舞踏会で出逢った 偉大なる人物に 悪を挫く剣として ソーセージを 与えたいのです》だぜ?ソーセージで、どうやって悪を挫けるんだよって話だしさ。実は偉大な人物と言ってますが、心の中では見下してるじゃん、みたいな」

 

「ほんとに大丈夫なのかよ、こいつら」

 

「大丈夫だったらそもそも泥棒集団の《ロゼッタ協会》に依頼しないと思うよ」

 

「......開き直るなよ、お前の所属だろ」

 

「開き直ってないさ、これが当たり前なんだからさ。よくわからない理由で依頼をしてくるけど、依頼は一度だけじゃなくて何度でも依頼をしてくるよ。どんだけ普段困ってるんだって話だけどね。でも依頼主ごとにクエストを一定回数達成すると、お礼の手紙や、ご褒美・お礼の品を送ってくれたりするよ」

 

皆守はとうとうつっこみがおいつかなくなってきたのか、ため息をついたあとアロマを吸い始めた。

 

あのさあ、散々私たち宝探し屋をこき下ろしてなんだけど、君《生徒会》の人間だからな?取手やリカみたいに遺伝子操作の過程で体内にショゴスが入れられてるから体が超強化されてる可能性があることを華麗にスルーすんじゃないよ。いや、これは脳が理解することを放棄したパターンだろうか?SANチェックのダイスが乱舞しかねないもんな。

 

「とりあえず、お前にはカレーパンか通販で買ったことが確認できたカレーしかもらわないことにする」

 

「えええっ、なんだよそれめんどくさいな!?」

 

「やっぱり化人食わせるきマンマンだったじゃねーか!」

 

「仕方ないだろ、金がないんだよ!」

 

だから手遅れだって、皆守。私は何も言えないまま遺跡に乗り込むことになるのだった。

 

 

 

葉佩九龍の《遺跡》の探索は2回に分けて行われる。まずは化人の討伐をして行ける所までいき、罠やギミックの解除という具合にだ。まだ最序盤だから能力不足でH.A.N.T.がエラーを吐き出すことはまずないらしい。いつもは碑文をガン無視していくのだが、私が同行したことにより上昇する補正分により一気に攻略するつもりのようだ。定期的にメンバーを変えるのは取手が仲間になったことにより、2人にわけるのが難しくなったからだという。

 

扉をあけると中は四方を台座に囲まれた広い部屋だ。右手側に扉が見えたが、その扉は鍵が掛かっていた。

 

「まずは石碑だな~」

 

「初めて見るパターンだが明らかにこれが普通だよな」

 

「うるさいなあ」

 

皆守を人睨みしてから葉佩は私を呼んだ。おいおいと思いつつ、まずは基本に忠実になることにした。罠の解除方法は石碑に記された伝承や神話になぞられている事が多いからだ。葉佩はH.A.N.Tを起動させる。

 

「表面よりエジプト文字を検出」

 

ゴーグルを通して文字が浮き出る。わざわざ手で触れなくても文字を検出する機能だ。ただし、翻訳機能はないため解読は《宝探し屋》自身が行わなければならない。

 

H.A.N.T.にも表示されているため、私は葉佩に見せてもらったところを読み上げる。

 

「わくわく」

 

「わくわくすんな、本職。素人に解かせるなよ」

 

私はまさしく本職だけどな。それにしてもイスの偉大なる種族補正と私自身のステータスを加味したら葉佩にどれだけプラスされているのか気になるところだ。マイナス補正はないと思うけど、たぶん。

 

古代の日本語の習得は基礎中の基礎だ、解読は容易だ。近くにある壺や不自然な大気流動がある壁、中身を確かめる前にH.A.N.Tを起動させてもらうとその内の二つに生体反応あり。罠である可能性が高い。

ギミックを解除すると次の扉の鍵の外れる音がすると、動体反応があったツボが割れる音がした。

 

「よっしゃ、きたな!」

 

葉佩は剣を構える。後ろから眺めている度に思うんだけど葉佩はあれか。銃火器の禁止、弓矢の禁止、アイテムをとるため以外の爆弾は禁止みたいな縛りプレイでもしているんだろうかという気になる。

 

「敵影確認――移動してください」

 

H.A.N.Tが告げるまでもなく、葉佩は残骸に変えた。反射的に2体目の頭を切りつけた。

 

「!!」

 

相手の急所だったらしくいとも簡単に砕けた。 

 

「敵影消滅――」 

 

H.A.N.Tが戦闘の終了を伝えた。そして、遭遇した敵のデータをH.A.N.Tを通して協会のデータベースに手動でアップロードした。自分のためでもあるし、後続のためでもある。こうしたマメさと慎重さが葉佩が短期間で《宝探し屋》になれた理由だろう。

 

開いた扉を開くと廊下があった。しかし、奥に続く通路は高い場所に存在し、近寄って登ろうにも水路が邪魔している。泳ぐのは危険だ、水質が全く分からないのだから。にしては躊躇なくワイヤーガンをぶっぱなしているが。

 

「また碑文だ!翔クンッ!」

 

「あのさ、少しは読もうよ葉佩。なんかカッコ悪くない?」

 

「いーからいーから。俺は全然気にしないから」

 

「いや気にしろよ」

 

私は緊張を張り直し、石碑を読む。

石碑を読み終え、その通りに像を動かしてやると足場が出現した。

 

「どっちが宝探し屋かわかったもんじゃないな」

 

「さすがは翔クンッ!頼りになるぜ!ありがとうありがとう。さすがは江見睡院先生の息子さんだ!」

 

私はため息しかでないのだった。

 

「低域に大気流動を確認」

 

足場を渡った先にはH.A.N.Tのナビ通り、足下に通れそうな穴が開いていた。みんなで匍匐前進する。また鍵があり、施錠を完了すると開いた扉の向こうには、黄金の鎖で封印された扉があった。葉佩はもってきていた液体でとかしてやる。簡単にあいた。

 

「敵影確認――移動してください」

 

葉佩が飛び込んでいく。断末魔が聞こえるから大丈夫だろう。

 

「うーん、やっぱり2倍くらい敵がいるなあ。前の階層より狭くはなってるのに」

 

ぺたぺた葉佩が壁をさわっていると何かの作動音がした。

 

「――!!」

 

同時に私たちは強烈な敵意に襲われ、そしてH.A.N.Tが警告アラームを鳴らす。

 

「高周波のマイクロ波を検出、強力なプラズマを確認」

 

そして何事かと葉佩は剣を、私も電気銃を構えた。目の前にある壁が崩れ、降りてきた梯子も衝撃で崩れてしまう。壁から巨大な化物飛び出してきたのだ。

 

「よーし、面白くなってきたぜ」

 

 

 

 

 

「おい、待て!お前A組の椎名だな?」

 

「あら......、リカのことをご存知なんですかァ?ふふふ、そちらの方が噂の《転校生》さんですのね。はじめまして、A組の椎名リカと申しますゥ」

 

「これはこれはご丁寧にどうも。俺は葉佩九龍と申しますゥ」

 

「なにつられてんだよ」

 

「痛い!」

 

「まァ、葉佩クンとおっしゃるのですかァ。仲良くしてくださいですゥ」

 

「こちらこそ仲良くしてくださいましィ」

 

「ふふふ。こちらこそ、どうぞよろしくですの」

 

「よーし、これでお友達だよな、椎名サン。教えて欲しいんだけどさ、ここでなにをしてるんだ?」

 

「あァ、その事ですのォ?規則を破った悪い人は罰せられなくてはならないでしょう?だからァ、ここで準備しているんですの」

 

「あの爆弾はお前がやったのか?」

 

「えェ、そうですわ。リカはァ、なんでも爆発させることができるんですの。分子と分子をォ、ぶるぶる~っとさせて、蒸気がしゅわ~って出て、それでバーンですの。ふふふっ、試しにあなたたちもバーンってなってみますかァ?」

 

「がーん!そんなっ!せっかくお友達になったのにもうお別れなんて嫌だ!俺は君のことがもっと知りたい!」

 

「まァ......ふふふっ、怖いんですの?」

 

「死にたくないよ!」

 

「《死》ですかァ?それだったら別に構わないと思いますゥ~。だってお父様がいくらでも代わりを用意してくれましたもの。今までもこれからも」

 

「なにいってるのかわかんないですね。死んだら終わりだよ、椎名サン。ただの物体になるんだ。代わりなんていない」

 

「......どうしてそんな顔をするんですの?」

 

「......死ってのはな、そんなもんじゃない」

 

「皆守?」

 

「葉佩のいう通りだ。死んだやつには二度と会えない。誰もそいつの代わりなんてなれない。お前は本当に死の意味が分からないのか?」

 

「おっしゃる意味がよくわかりませんわァ。だってお父様が蘇らせてくれたリカのペットはここにいますもの」

 

「はい?」

 

「なにいってんだ、こいつ。嘘なんかじゃないさ。なあ、葉佩」

 

「嘘なわけないじゃん。残されたものの痛みをわかるはずの君がそんなこというなんて残念だよ、椎名サン」

 

「......お前も知ってるのか。その痛みを......」

 

「一体なんですの、急に出てきて訳のわからないことばかりいって!あなたたちの言ってることは全部でたらめですわ!リカはちゃ~んと知ってるんですの。死んだ人を死の国に迎えに行くことが出来るって!ここに書いてあるんですもの!」

 

「えっ、読めるの椎名サン」

 

「おいこら黙れ」

 

「イザナギの神様はイザナミの神様が死んだ時、ちゃ~んと死の国である黄泉の国まで迎えに行ったんですのよ。だからお父様はお母様やベロックやお友達もなにもかも全部リカの所に連れて帰ってきてくれましたもねか。あなたたちなんて大っ嫌いですわ!それでは、失礼しまァす」

 

「待って椎名サン!」

 

「やあ~です!」

 

リカと私達の目の前に巨大な石碑が立ふさがる。

 

「お約束とはいえ、よくぞまあ収まってたなあこんなでかいやつ!下がってくれ、2人とも!生体反応がある!しかもかなりでかいヤツ!シャレになんないレベルだ!」

 

葉佩は暗視スコープのコマンドを切り替え、H.A.N.T.を戦闘モードに切替える。剣がひらめいた。

 

「翔クン、右端のやつが電気弱点っぽいんだ。狙える?」

 

「わかった。任せてほしいな」

 

そいつはまるで犬のような雄叫びをあげる。白くて大きな犬を思わせる姿ながら背負う歪な機械とそこから漏れ出す液体が化人だと知らせていた。明らかに液体が弱点だろう、臓器らしきものがゆれている。私は電気銃を放った。

 

「よーし、俺も負けてらんないな!」

 

こいつもまた新手だった。ゲームでは見た事もないやつだ。若い女に見える化人である。両手の異様に長く伸びた鋭利な刃物をしならせて攻撃してくるが葉佩はそれを全部切り伏せた。

 

「うわっと」

 

「ぼーっとしてんじゃねえよ」

 

ふあ、と欠伸をしながら皆守が葉佩を蹴飛ばす。攻撃は葉佩の頭上を掠めた。白い犬は麻痺状態になっているようで動けない。私はすかさず電気をあびせてやった。葉佩も一気に間合いに入り込んで切り伏せる。

 

「......り、か......」

 

切ない声をあげて女の化人は消え去った。周りを見るがすでにリカの姿はない。

 

「あー......リソース使い切っちゃったな。そろそろ戻ろうぜ、みんな」

 

なんだかなにも話したくなくて、沈黙が私達を支配していた。葉佩は探索を明日に回すようで、私達はその場で解散したのだった。

 



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壊れ方指南4

翌日の夜、再び私達は《遺跡》のリカがいた階層への侵入をこころみた。白い犬の化人たちが壁をぶち破ってはいってきたところが新しいエリアへの侵入経路となったのである。時折、休憩やメンバー交代を挟みながら慎重に進んでいった最深部で私達はまたリカと遭遇することになる。

 

「ようこそ、葉佩クン。やっぱり来たんですのね。それはつまりィ、死を恐れてはいないっていうことですよね?」

 

「二度とその言葉を口にするな」

 

「えっ......ではどうしてこんなところまで来たんですの?おかしな人。さあ、あなたの望む罰をさしあげますわ」

 

リカの言葉と同時に複数の昆虫、もしくはサソリのような化人が出現した。葉佩は冷静に一体ずつ仕留めていく。そして近づいてきたリカ目掛けて黒板消しを投げつける。

 

「やだ、なんですのこれ!?」

 

チョークの粉まみれになったリカ目掛けて葉佩は爆弾を投げ込んだ。その爆風によりリカだけでなく手下たちも吹き飛んでいく。

 

「ひどいっ......」

 

涙目になったリカは泣き出した。

 

「アオーン」

 

壁の向こうから犬の鳴き声がする。

 

「高いマイクロ波を確認。生体反応大、注意してください」

 

壁を破壊してリカを守るように化人が現れた。見上げるほど巨大な犬の上に女の裸体がゆれている。まるでリカを守るように葉佩の前に立ち塞がり、いきなり雄叫びをあげはじめた。

 

「昨日倒した化人に似てるきがするのは気のせいだったりしないかなあ!?」

 

「残念ながら違うと思うよ、葉佩」

 

「ですよねー!」

 

私は電気銃で新たなる形態を獲得した化人の水槽に標準をあわせる。そして一気に連射した。ここまでわざわざ力を温存したのはそれなりのわけがあるのだ。

 

「きゃううん!」

 

下の白い犬が怯むものの、上の女が爪を鞭のようにして攻撃し、後退なり撤退なりを促しているのをむりやり行進させている。犬の四足が麻痺により痺れて女はバランスを崩し、爪が深深と遺跡の床につきささって身動きが取れなくなってしまった。

 

「よし、ナイス!さすがだぜ、翔クンッ!」

 

葉佩はチャンスを逃すまいと一気に化人に切り込んだ。断末魔が響き渡った。

 

「ベロック!お母様!起きて、起きてよ、リカをひとりにしないでェ!」

 

「残念だけど愛しのベロックやお母様は復活に一日かかっちゃうみたいだな、椎名サンッ!次はアンタの番だ!」

 

真っ黒な液体まみれの剣で葉佩はリカに宣戦布告する。

 

「お父様......おとうさま、たすけて......リカにまたあたらしいベロック、おかあさま、つれてきてくださいィ......」

 

完全に戦意を喪失していたリカはなすすべがなかった。呆気なく倒せると思いきや、リカの全身から《黒い砂》が吹き出す。

 

「またか!」

 

葉佩は舌打ちをした。気を失っているリカを私達に頼んだ後、葉佩は新たなる敵と対峙したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

失われた記憶がよみがえる。リカの頭の中でオルゴールの声がした。割れたガラスの破片のような記憶が、頭の中でバラバラになりながら再生される。何かが弾けた。ダムが決壊するように記憶の洪水が頭の中を駆け巡る。

 

それはまっ黒な過去のドアがかすかにきしんで、最初の曙光が射しこんでくるのに似ていた。

 

リカが生まれた時に渡されたオルゴールを片手に、父親はリカを悲しませる自分の無力さに気づくのを恐れるあまり死について向き合わせなかったことを謝罪した。そして母親は二度と会えないことを告げた。リカは母親に会えないのはもっと嫌だと泣きわめき、父親は悲しげな顔をした。何度も諭されても理解出来ず、教会を抜け出して泣いた。そして父親の言葉は嘘だろうと考えて、また母親を連れてきてくれといったのだ。父親は根気強く死について教えようとしたが15まで与えるだけの優しい虐待をされてきたリカは理解することが出来なかった。

 

「お父様......」

 

見捨てられたリカは呆然としていた。そして全寮制の高校に進学させられることになった。絶望の最中に《生徒会》の《執行委員》に任命されて、辛い記憶を封印したリカはある日担当することになった《遺跡》にいってみた。

 

手紙が入っていたのだ。願いを叶えたいなら《遺跡》にいけと。《化人造成の間》はリカが担当するエリアだった。一連の流れはしんとした夜更けによく響く鐘をうち鳴らしたみたいにリカの頭の片隅にこびりついていた潜在的記憶を一瞬にしてありありと蘇らせた。

 

母親と父親からの贈り物から流れてくるメロディを忘れたリカは余りにも無防備な子供だったのだ。その声はリカの身体に激しい個人的な揺さぶりのようなものを与えたのだ。

 

そう、それはとても個人的な種類の揺さぶりだった。まるで長いあいだ眠っていた潜在記憶が、何かのきっかけで思いも寄らぬ時に呼び覚まされたような、そんな感じだった。肩を掴まれて揺すられているような感触がそこにはあった。これまでの人生のどこかの地点で、深く関わりを持ったのかもしれない。スイッチが自動的にオンになって、リカの中にある何かの記憶がむくむくと覚醒したのかもしれない。

 

葉佩が次々質問すると糸がほぐれて記憶が回復する。具体的な場所が意識にのぼれば、いやおうなしに記憶は自ら記憶を掘り返しはじめ、穴や理由を埋めようとする。

 

リカの心が記憶をさかのぼってゆく間の、ほんのわずかの時間だ。頭の中が広々とした雪の草原のように真っ白になり、高い高い空の果てで何かが微かに響いていた。思い出が、匂いや音ごと甦ってきた。

 

気づいたらリカは泣いていた。あのエリアの碑文はなぜかリカは理解出来たのだ。器を用意して黒い液体をいれたら死者は蘇ると。それを記憶を失っていたリカは父親からのプレゼントだとさっかくしたのだ。

 

そこからはもうもっとたくさんの、言葉ではなくてある種の情報の洪水だった。あるデータを封じていたのに、何かの手違いでまとめて呼び出してしまったような塊が、まとめてどかんと入ってきた。

 

リカは動揺した。なんでこんなきっかけでこんなことになってしまうのだろう? それらはどんどん流れを作り、筋道にそってあっという間に並べかえられてひとつの物語を作ろうとしていた。その処理は勝手にどんどん行われ、ただ見ているしかなかった。もっと高度で、もっと完璧な、完成されていて丸くて立体で、リカの情の入る隙間もないほど厳密なもの。  

 

大きな渦巻き、まわりじゅうの人々や、出来事を海みたいに取り込んで、満ちて引いてリカ独自の色に染め抜かれた世界に一つしかない、あるいは皆と共通の一つのシルエットを 創る流れのらせんを感じた。  

 

アンドロメダみたいによく知っていて、きれいで遠い姿をしていた。  

 

そして、目をあげると。ありとあらゆるものが、歴史をたたえてそこに存在していた。さっきまでとは、世界が違ってみえた。  

 

リカの記憶の欠けていた所が戻ってきたのだ。声に出してそう言ってみたけれど、何よりもさっきまでそういうのが思いだせない、混乱していた部分を自分が持っていたというのがもう感覚としてわからなかった。  ただ、何一つ変わっていないように見える遺跡のものが、突然ひとつひとつ別のデータを表現しているように感じられた。

 

「お父さま......」

 

リカはオルゴールを抱きしめていた。

 

 

「その手紙ってある?」

 

「もちろんございますわ」

 

リカは生徒手帳をみせた。

 

「......」

 

葉佩はH.A.N.T.を起動して、照合をこころみる。

 

「......新しい江見睡院メモだ」

 

一瞬空気が凍った。

 

「と、父さんのメモを誰かが椎名さんに渡したってこと!?」

 

「ちがう......違うよ、翔クン。これは18年もたってない、紙こそ同じだけど文章自体が新しい。つまりこれは」

 

「父さんの新しいメモ?」

 

私は声が震えているのがわかる。

 

「このお手紙が江見クンのお父様の書いたもの?葉佩クン......あなたはいったい......」

 

「俺は人呼んで平成のトレジャーハンター、宝探し屋さ」



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閑話休題

私はいつも思うのだ。江見翔と精神交換されなかったら、《宝探し屋》として2回も日本の高校生活なんて送ることはなかっただろう。

 

遺跡に潜った時のような、心と身体を沸き立たせるスリルや興奮はないけれども、それなりに楽しい生活に大分感化されている自分を自覚して私はあきれてしまう。かつて自分が高校生活を送っていたころは、こんな気持ちになった事は一度もなかったからだ。人も案外変われるものだと思いながら、昼休みの売店から教室に向かっていた。

 

「江見クン」

 

高く澄んだ可愛らしい声に名前を呼ばれ、殆ど反射的に廊下を歩んでいた足を止める。そして声の主に僅かな心の動きも悟られないよう、上手く江見翔の仮面を被り直してから振り返ると、そこにはリカが立っていた。

 

ふわふわとした金髪と、ゴスロリ風に改造した制服が人形のように愛らしい彼女には、もはや無邪気過ぎて危険だと感じていた少女の面影はない。そのかわりに、あの日、「思い出のオルゴール」を解放して以来、良い意味での「純真無垢」な少女になったリカは、その救い手となった葉佩にものすごく懐いていた。取手と同じパターンである。そのとき同行していた私、皆守に対してもそこまでではないが打ち解けてくれたのだ。七瀬ややっちー、取手も仲間だと知ると、ひとりにしないでくださいと聞いて回っていたから友達にはなりたいらしかったので、やっちーあたりがものすごく喜んでいた。

 

だからか、リカはスカートの裾を掴み、優雅に会釈してみせた。

 

「呼び止めてしまって、ごめんなさいですの」

 

「パンは買った帰りだから大丈夫だよ。それより椎名さん、どうかした?」

 

 

なるべく相手が話しやすいよう、穏やかな笑みを意識して浮かべ、優しく問いかける。この笑顔が江見翔の代名詞であり、なおかつ生徒や同僚教師に好評だからだ。

 

「ふふっ、特に用はございませんの。ただ……あなたとお話してみたかっただけですゥ」

 

「えっ、オレと?」

 

そんな私の計算など意に介した風もなく、リカ自身の纏うレースのようにふんわりと、あどけなく微笑みながらそう答えた。予想もしていなかったリカの言葉に私はちょっと驚いて、瞳を見開く。すると、そんな私の素の反応を見て、リカは口元を隠しながら楽しそうにくすくすと笑った。

 

 

「葉佩クンたちと今日ご一緒にお昼ご飯を食べた時に、色々と江見クンの事を話していらしたものですから、リカも一度お話してみたくなりましたの」

 

「葉佩が?」

 

 

隠し事が出来ないのか、それとも隠すつもりがないのか、友人には何でもぺらぺらと喋ってしまう葉佩の事を思い出して私は笑ってしまった。

元々、私は葉佩のサポートを主な任務として、この學園へやってきているのだから身分を明かす気は無いが、隠すために用意したいつわりの身分について葉佩に宣伝されることになるとは思わなかった。江見睡院て人は相当慕われていた伝説的な宝探し屋なのかもしれない。

 

相手が事情を知る者だからと思っての事だろうが、いつまでもそれを通してしまえば、葉佩はいつか足元を掬われるだろう。思わず、≪宝探し屋≫の先輩として、心配になってしまう。ついつい「仲間」から「素の自分」に戻ってしまい、さらに楽しげにリカは笑った。

 

「江見クン、いつもマミーズのお菓子をたくさん買ってらっしゃいますのね。お菓子がとてもお好きだと言っておりましたわァ」

 

「あ~、うん、まあね。登山の練習にはかかせない行動食だから。甘いものも好きだけどね」

 

「美味しいですわよね~!リカもキャラメルが大好きですのォ」

 

「あ、もしかしてキャラメルが欲しいの、椎名さん」

 

ぱっとリカの顔がかがやいた。ああなんてわかりやすいお使いクエスト。

 

「ならC組にいこう。オレのカバンの中にあるからさ」

 

「ありがとうございますゥ~!」

 

ふふふ、とリカは笑う。

 

「リカ、ほんの少しだけ勘違いしてましたの」

 

「なにを?」

 

「江見クンて、恋多き人だと思っていましたわ」

 

「愛の伝道師は葉佩みたいなやつをいうんだよ」

 

「ふふふ。江見クンて、仲良くしていくと男の子を感じなくなるんですのね。よくわかりましたわ」

 

「えっ」

 

「性別を感じなくなりますの。とても付き合いやすいですわ」

 

「......それって、褒められてるのか?」

 

何とか……本当に何とか、それだけの言葉を搾り出す。はっきりと表情を引きつらせた私を見て、リカは首を傾げた。

 

ほっそりとした白い指先を、淡く色づいている頬に当てながら首を傾げる、小鳥めいたその仕草は酷く愛らしいものの、それを愛でる余裕はない。加えて、次に彼女が発した言葉は更に私の気力を削っていった。

 

 

「中性的で素敵だと思いますわ。ところで江見クンは、男の子と女の子とどちらがお好きですの?」

 

 

心底不思議そうに、リカが問いかけてくる。そんな彼女に対し、私は苦笑いしか浮かべられない。

 

「女の子が好きだよ、ふつうに」

 

五十鈴情報だがこの体の持ち主はふつうに女の子が好きだ。

 

「どんな方が好きですの?」

 

「う~ん、そこまで考えたことはないかなあ」

 

宝探し屋家業が楽しくてそこまで考えたことはなかったようだが。リカはきょとんとしている。

 

「意外ですゥ」

 

「えっ」

 

「だって江見クン、葉佩クンのこと好きでしょう?」

 

「それは友達としてね。それだけじゃないけどさ。葉佩はずっと探してた父さんの手がかりを掴んでくれたし、行方を探してくれると言ってくれたんだ。椎名さんと同じ恩人さ」

 

「それだけですかァ?」

 

「いや、なんで食い下がるのさ」

 

リカは目を細めた。

 

「だって、江見クンと葉佩クン、阿吽の呼吸でしたもの」

 

「ああ......バトルのこといってるのか。あれは葉佩の指示が的確なだけだよ」

 

私は肩を竦めた。そりゃ葉佩九龍のサポートのために身を粉にして働いているんだから、的確な支援が出来なきゃいみがないじゃないか。

 

≪宝探し屋≫として葉佩に抱いている感情を述べるのならば、彼は少し危なっかしさを感じるものの優秀ではあるし、将来が楽しみな人材だと思っている。彼ならば、数多く居る同業者の頂点にまで上り詰められるだろう。

 

けれど、私としての意見を聞かれたのなら、話は別だ。面白いやつだとしか答えられない。正直、肉体的には同性なのに毎回毎回会う度におふざけ半分で熱烈に「愛」を囁かれたり、抱きついたりしてくる相手に対して、苦手意識を抱かない人間の方が凄いと思っている。プレイヤーとしてはよく選んでいた選択肢とはいえ、第三者として観測したり、巻き込まれる側となったりしては話は別だ。

 

「椎名さんは葉佩がそんなに好きなんだな?」

 

「もちろん好きですわ。葉佩クンは誰よりも暖かくて優しくて、素敵ですもの」

 

胸の前で掌を合わせながら、そう言い切ったリカはおしろいからもわかるくらい薄っすらと頬を赤く染める。たぶん女の子にしかみせない葉佩があるんだろう。

 

その様子を見て、彼女の知る「葉佩九龍」と、自分の知る「葉佩九龍」の間には大きな隔たりがあるような気がして、私はさすがは愛の伝道師だなと思った。野郎どもの前では意味不明な行動しか取らないとはいえ、女の子にはさすがに変えているらしい。

 

 

ふいに私の後ろへ視線を向けたリカの表情がぱぁ、っと明るくなり、彼女の唇が嬉しそうに葉佩の名前を呼ぶ。

 

 

「葉佩クン!」

 

それと同時に私の背中に、今となってはもう慣れてしまったような気さえする重みが圧し掛かってきた。そんな事をする人間など、私の知り合いには一人しか存在しないので、完全な不意打ちであっても相手の予想が付いてしまう辺り、慣れてしまっている。

 

「うわっ!?」

 

「やっほー、翔クン、リカちゃん、一体何を話してんだい??」

 

急に背後からかかった重みに声を上げてしまったのが少し癪だったが、どうしようもない。葉佩はそんな私の様子に気付きもせずにいつも通りの明るい笑顔を浮かべながら、覗き込んでくる。とりあえず抱きついてきている葉佩を引き剥がした。

 

「あのなあ。そういうことは女の子にやりなよ、葉佩」

 

「ちえー、やっぱ翔クンには軽くあしらわれちゃうよなァ。つまんない」

 

「つまんないて。皆守と一緒にしないでくれよ」

 

苦笑いしながら腕を振り払われ、葉佩は一瞬だけ少し残念そうな顔をしたもののすぐにまた笑顔を浮かべる。切り替えの早い男だ。そして、どこか芝居がかった妙に優雅な仕種でリカの前に膝を付くと、彼女の細い掌を取った。

 

「昼休みぶりだね、リカちゃん。また会えて嬉しいよ」

 

「ふふふっ、リカも嬉しいですわ」

 

目の前でリカと葉佩によって繰り広げられているラブコメ空間がほほえましい。そうそう、そういうのでいいんだよ、いくらでもやってくれ。ただし私はまきこむな。

 

ドレスのように改造した制服を身に纏っているリカは容貌も相まって、こういう挨拶をしていてもおかしくない。葉佩は黙っていれば帰国子女という設定が通用するくらいには雰囲気イケメンなのだ。中世の騎士じみた挨拶をするのは似合ってるから困る。

 

葉佩の容貌は同級生の中でも抜きん出ているし、彼が何をしても、「葉佩だから」の理由で納得してしまえる。何故ここまで違和感無く流れるような動きでその行動が取れるのか分からないが役得だろう。

 

大体、こんな廊下の中央でどうしてそんな挨拶をするのか等、ツッコミたい事は色々あったが、言いたい事が多すぎて何を言っていいのやら分からない。そんな葉佩にいつもツッコミを入れている皆守を私はほんとうに尊敬しているのだ。

 

そこまで考えを廻らせているとリカへの挨拶を終えたらしい葉佩が立ち上がり、こちらを振り返ると唐突に掌を取った。どうやら今度は、私への挨拶らしい。懲りないやつ。

 

「翔クンも昨日の夜遊びにはおいてっちゃってほんとごめんな!江見睡院先生のことがあるから、遠慮しろって皆守に言われちゃってさ。寂しかっただろ?」

 

「あーはいはい、分かった分かった」

 

そのままの体勢でいると、再び抱きしめられかねない勢いを感じて、すぐに私は彼の手を振り解く。すると葉佩は予想通り、あからさまに残念そうな表情を浮かべた。

 

「残念」

 

「何が?」

 

思わず反射的に突っ込んでしまう。まだひと月にも満たない間にすっかり葉佩の対応にも慣れてしまった。

 

突っ込んでから、また相手をしたら葉佩が調子に乗って何かアホな事をやらかすのではないか、と一抹の不安が過ぎる。

 

しかし今度は予想に反し、彼はあっさりと私に構う事を諦めるとくすくすと小さな笑い声を立てて笑っているリカへ問いかけた。

 

 

「ところでさ~、俺がなんだって?」

 

「あら……聞こえていましたの?」

 

少し驚いたように瞳を見開いたリカに、五感は結構良いんだよと少し自慢気に笑いながら葉佩は答える。

 

「葉佩クンの事が好きなのかと、リカが江見クンに聞いていましたの。その前のリカの質問は流されてしまったようですけれど」

 

「リカちゃんの質問?」

 

眉を顰めながら言葉を鸚鵡返しに葉佩が呟くと、リカはくすくすと軽やかな笑い声を立てて私へ少し悪戯っぽい視線を向けてくる。

 

「葉佩クンにお話してもよろしいかしら?」

 

「話すもなにも、隠すような話じゃなくないか?」

 

リカは笑みを優しげなものへ変えると、質問とやらに興味をそそられ、好奇心に瞳を輝かせている葉佩へ向き直った。

 

「リカは、江見クンは葉佩クンのことが好きですの?と聞きましたの」

 

「いや、だから、友達だって」

 

「え?……へぇ~、なるほど」

 

 

最初は面食らった顔をした葉佩だったが、すぐににやり、と何か企んでいるような……物凄く嬉しそうな表情を浮かべる。そして、その表情のまま私を見つめてくる。

 

それを見た途端、長年培ってきた勘で思い切り嫌な予感を感じ取ってしまった私は慌てて、助けを求めるようにリカの方を見たが、彼女はただ微笑むだけだった。

 

「椎名さん!こいつに餌をあたえないでくれ!」

 

「ふふふっ……リカはいつでも、葉佩クンの味方ですの。だから頑張ってくださいませ」

 

「もっちろん!ありがとう、リカちゃん!!」

 

「葉佩も悪ノリするなよ!」

 

リカは軽く会釈するとその場から去っていく。彼女の後姿を見送る余裕もなく、リカと同じようにその場を立ち去ろうとした私だったが……すぐに、葉佩に捕獲されてしまう。

 

振り払おうと試みたが、先ほどとは違い逃がすつもりがないのか、手が離れる気配はない。

 

 

「俺も大好きだよ、翔チャン!」

 

「ほらやっぱりきた~!!やめろ、シャレにならないんだよッ!!」

 

「だからもっと素直になろうぜ、俺を名前で呼ぶとかね?」

 

腹立たしい程、様になっているウインクを添えて茶目っ気たっぷりに言う葉佩ではあったが、私はげんなりである。

 

「好感度が足りません」

 

「えっ、そう?俺としては、そんなに遠い未来じゃないと思うんだけどな~」

 

堪えた様子もなく、のんびりと言う葉佩は相変わらずマイペースである。

 

「時々お前が怖くなるよ、葉佩」

 

「たしかに翔クンてだんだん可愛くなってきてるよなー、しぐさとか」

 

「ああ、体が馴染んできたんだな」

 

「そういうよくわかんないとことかさ」

 

「それはきっと気のせいだよ」



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10万光年の追跡者

「こんな朝早くから呼び出して、どうしたんだよ、七瀬。何度メールしても教えてくれないし」

 

「しっ......静かにしてください。さあ、こちらへ」

 

七瀬は私の腕を掴むなりぐいぐい押して資料室に入った。そして鍵をかけてしまう。

 

「あのッ、江見さん!」

 

「お、おう」

 

ずいっと顔を近づけてこられて私は反射的に後ずさる。ホコリだらけの本棚の匂いがした。なんだなんだなんだ。

 

「この一週間ずっと考えていたんですッ」

 

「なにを?」

「笑わないで聞いてくださいねッ」

 

「う、うん」

 

「私、気づいてしまったんですッ」

 

「えっ」

 

「江見さん」

 

「は、はい」

 

「江見さん、宇宙人にあったことありませんかッ!?」

 

「宇宙じ、え?」

 

まさかバレるのが七瀬が一番最初だなんて想定外なんだが。あまりにも驚いて固まる私に七瀬はあまりにも真剣な顔をして言うのだ。

 

「考えてみれば単純なことだったんですよ。江見さんは皆神山の大震災に巻き込まれ防空壕の崩落で唯一生き残った。皆神山は宇宙船の空港として有名なところなんです。だから江見さんはおぼえていないかもしれませんが、宇宙人に誘拐されて、なにかマークをつけられたかチップのようなものを植え付けられたんです。それはなぜか。あなたが江見睡院の息子であり、天香学園に転向することを未来予知してわかっていたからです!それは宇宙人が天香学園に攻めてくる機会を狙っていたからであり、行方不明になった江見睡院さんの体を乗っ取り遺跡に潜入しているんですよ!そして葉佩さんと遺跡に潜っているあなたを見て、これ以上遺跡に侵入させないように《執行委員》を焚き付けているに違いありませんッ!!」

 

どうしよう。細部は違うけどだいたいあってる。その宇宙人が私であり、襲う気がないことになれば完璧だ。そうか、七瀬的にはやっぱり皆神山の伝説は捨て置けないわな。

 

「一応聞いていいか、七瀬」

 

「なんでしょう?」

 

「なんでそう思ったんだ?」

 

七瀬の目がきらりと光った。あ、やばい、地雷を踏んでしまった。後悔した時には遅かった。

 

「私、昨日見たんです」

 

「なにを?」

 

「《墓地》の方角から眩い光がでていて、その中心付近の真上からなにかが降りてくるのをッ!私の部屋にたくさんの煙が流れ込んできて、そのまま気を失ってしまったんですが、見てくださいここッ!」

 

いきなり七瀬が前のスカーフをといて制服を緩めたものだから私はあわてたが、七瀬は平然と首筋を見せてきた。なにかの痕がある。

 

「なにかありませんか!」

 

「赤い斑点が何個か並んでるけど」

 

「でしょうッ!これはきっと私は宇宙船に連れ込まれて、キャトルミューティレーションされてしまったに違いありませんッ!江見さんはどうですか!?」

 

「み、見せろって?」

 

「はい、ぜひ」

 

「いやいやいや、いくら七瀬でもそれはちょっと」

 

「何故ですか?」

 

「いやなぜって」

 

 

手のひらの汗までわかるような、爆発しそうな羞恥心を覚えた私はあわてて七瀬から逃げる。泣きたくても涙が出てこないようなもどかしさだ。なにが悲しくて背中を走る神経の束を逆撫でされたような苛立ちを七瀬に向けられなくてはならないんだ。誰か助けてくれ!

 

明らかに七瀬はテンションがおかしい。高く空の上へ引き上げられるような興奮の只中にある。オカルトマニアには垂涎の的なのかもしれないが、心を締めつけられている様な異常な感情の高ぶりに晒される身にもなってほしい。

 

体はぶるぶるとして顔は張りつめにつめ、ちょっと押せばぐらっと崩れる空気のなか、鼻で震える呼吸をしながら七瀬がちかづいてくる。身体中の皮膚が火照ほどの異状な昂奮に包まれている。これはダメだ、なんとかしないと。

 

私は息をのみこんだ。鍵がかけられている。鍵は七瀬が持っている事実に気づいた私は口の中が乾き気味になっている。興奮して体温があがったのだろうか。

 

「江見さん!」

 

どうしよう、七瀬の見開いてしまった目に異様な光が宿っている。怒りに似たような興奮があらわれていた。

 

「ごめん、七瀬」

 

謝るしかない。私は七瀬を気絶させた。

 

「───────はっ......私は一体......」

 

「落ち着いたか、七瀬」

 

私に気づいた七瀬は瞬き数回、ようやく前後の記憶を思い出したようで顔がみるみるうちに真っ赤になった。

 

「ご、ごめ、ごめんなさい、江見さんッ!わたしったら、なんてことをッ!」

 

「目が充血してるよ、七瀬。睡眠不足で頭が回ってないんじゃないかな。最近、夜遊びによく駆り出されてるみたいだし、葉佩にいってやろうか?」

 

「は、はい、それはそうなんですけど、違うんですッ!」

 

「え?」

 

「興奮のあまり寝られなかったんです。葉佩さんのせいではありません。ありがとうございます」

 

「一応聞くけど、何があったんだ?」

 

「わたし、わたしみたんですっ!宇宙人を!」

 

「......えーっと」

 

「ほんとうなんですッ!」

 

興奮気味に七瀬がまくしたてる。体長は、約1.5mほど、ピンク色か薄赤色の甲殻類のような姿の宇宙人だったらしい。渦巻き状の楕円形の頭には、アンテナのような突起物が幾つか生えている。鉤爪のついた手足を多数持ち、全ての足を使って歩行することも、一対の足のみで直立歩行することも出来る。背中には、一対の蝙蝠のような翼を持ち、この翼は、特殊な膜で構成されており、地球上の大気中より宇宙での使用に適しているようにみえた。

 

「あの宇宙人たちは《墓地》に向かっているようでした。でも、そこで......」

 

七瀬はいうのだ。

 

「黒い液体が立ち上ったかとおもうと、まるで犬のような化人......そうですね、椎名さんと戦ったときにでてきたような犬になってその宇宙人たちをすべて食べてしまったんです。あの宇宙人は体が地球の生物とは、異なる物質によって構成されているのか、直接見たり触れたりすることはできるが写真等には写らないみたいで、映像はなにもないんですけど......。死ぬと数時間のうちに消滅してしまうみたいなんです。墓守の人がいなくなってから行ってみたから間違いありません」

 

拳をにぎり力説する七瀬に私は引き攣るしかないのだ。信じているからこその反応だと気づいてしまった七瀬は一気にうれしそうに笑う。

 

仲間同士では、頭部の変色させたり、ブザー音のような鳴き声かテレパシーで意思の疎通を行うが人間の発声も可能らしい。七瀬は携帯電話の音声データを聞かせてくれた。なんらかの鳴き声が入っていた。なにやらノウカンノウカン鳴いている。

 

「気をつけてください、江見さん。彼らは江見睡院さんを探しているようです」

 

「..................そう、みたい、だな。あはは」

 

私は正体を明かすことなく七瀬の仮説を覆すことが出来るほどの理論武装するだけの余力がない。昼休みか放課後にでも葉佩のH.A.N.T.で七瀬と私の生体反応をみてもらおうという提案を飲むしか選択肢は残されていなかったのだった。

 

ここでようやく私は七瀬がSAN値チェックに失敗し、一時的な狂気に陥っているのだと気づいたのだった。

 

七瀬のいう宇宙人とは、あきらかに

ミ=ゴというクトゥルフ神話TRPGにてある意味お馴染みの地球外生命体である。

 

本拠地は、遥か彼方の外宇宙あるいは、異次元にある。太陽系では、未知の惑星ユゴス(冥王星あるいは、別の惑星)を前哨拠点としている。人間や鉱物資源を採取するために度々地球を訪れている。初めて地球を訪れたのは人類誕生以前ジュラ紀のことで、この時、先住種族である「古のもの」を北半球から駆逐している。

 

このとき、イスの偉大なる種族と地球を分割統治していたはずだから、何らかの繋がりがあるなら五十鈴あたりから情報が得られるかもしれない。

 

現在の地球上では、南北米大陸やヒマラヤ、ネパールなどで活動していると聞いたことがあったが日本にわざわざなにしにきたのだろうか。それもよりによって《執行委員》が宇宙人騒ぎに乗じて生徒を粛清しようとしているこの忙しい時期に。

 

ああダメだ、頭が痛い。ミ=ゴが人間に手出しないのは、単に採掘作業を優先しているからであり、必要以上に自分達に近づくものに容赦しない。しかし時には、信頼できる人間を仲間に引き入れることもあるらしい。彼らに協力する人間は、見返りに様々な技術や知識の恩恵を受けることができるという。

この世界だとあの有名な宇宙人リトルグレイはミ=ゴが対人インターフェースとして創りだしたロボットということだ。つまり、現在、アメリカ合衆国は、ミ=ゴと密約を交わし、人類の拉致などを容認する見返りとして様々な技術提供を受けているということになる。アメリカでやれよ、ここは日本だぞ!

 

七瀬の音声記録を信じるなら、ミ=ゴは江見睡院のノウカンが欲しいらしい。納棺ではない。脳缶だ。

 

ミ=ゴは人間の脳を缶に詰めて生かし続けることが出来るのだ。これは人間を生きたまま彼らの星に連れていく為に必要な処置だとされており、彼らの高度な外科手術能力と科学力の一端なのだそうだ。あのバルタン星人みたいな手でどうやって外科手術しているのか謎だが、イスの偉大なる種族も似たようなものだからいいか。

 

まあミ=ゴがくる理由はわかる気がする。なにせ地球でのみ得られる名も知れぬ鉱物、南極の地下で眠る邪神の肉片、その他様々な素材を使って邪神機動要塞を建造し、かつて存在したという彼らの帝国を復興させるのが目的らしいから。天香學園の遺跡はまさに宝の山だろう。

 

ダメだ、明らかに敵だ。ああくそ、どうしたらいいんだ。誰か教えてくれ!ただでさえ江見睡院の中に誰かいるフラグがたってるのに!!

 

朝のチャイムが鳴り響く中、私はため息をつくしかなかったのだった。



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10万光年の追跡者2

七瀬の話を横で聞いていた皆守は、

猜疑心に満ちた、胡散臭いものをみるような、妙に疑り深い探るような目を光らせる。気持ちはわかるが今回は私じゃない、断じてちがう、と私は首を降った。眉をひそめるな。挑みかからんばかりに目尻の下に滲み出るのを私は見て見ぬふりをしているしかない。

 

鋭い目でこちらの顔面の皮を、柑橘類の厚皮を、一枚ずつ剝くかのように、剝こうとしている。私は皮の中から本音が出るのを恐れ、心の奥へと押し込める。どこかに罠がしかけられているんじゃないだろうかといった疑っているようだが、私じゃないというほかない。

 

葉佩はというと、七瀬の話が果たして本気なのかどうなのか、何度も七瀬の顔を見返すほど妙に神妙だった。

 

小声で皆守はいうのだ。

 

「ほんとにお前じゃないんだな」

 

私は肩を竦めた。

 

「あのな、なんで上手く行きそうな今邪魔する必要があるんだよ」

 

葉佩みたいに巧みな身振りと味のきいた言葉で説得することが出来たら楽なんだが、私はそこまで大きな碇のように重い説得力をもたない。こういうとき葉佩の力を実感するのだ。すべての船はその大きさと重さに相応しい碇を持つ。葉佩は確かに大きな船を思わせる人間だった。

 

「あのな、皆守。オレが助けて欲しくてこの學園に来たこと知ってるだろ。その邪魔をすると思うか?」

 

さすがに私は少しだけ怒った。皆守の疑いは正論だが、今回はノイズにしかならない。その怒りの声を何度も何度も聞いているうちに、皆守はさっき決断をした時の気持ちすら思い返すのが難しくなってきたのか、威勢が弱まってきた。納得がいかなそうな顔もあったが、とりあえず反論はやんだ。

 

ぐうぐう寝たフリをして聞かなかったことにしたかったようだが、ちょうど七瀬の相談が終わったようで葉佩が勝手に説明を始めてしまう。そして。

 

そこに宇宙人の話をしていることに気づいたやっちーが私も《墓地》に眩しい光があって部屋に白い煙がたちこめてきて気を失ったといったものだから皆守はいよいよ不機嫌そうに沈黙してしまう。

 

「あのさ、皆守さっきから変だけどもしかして宇宙人怖いのか?」

 

「───────はぁッ!?」

 

とんでもない名推理をかましてきた葉佩にいきなり図星をつかれた皆守はむせた。あっ、とやっちーと七瀬は顔を見合わせて皆守をみる。やさしい笑顔が2人にうかぶ。察せられてしまい、皆守はそれどころではなくなってしまう。

 

「断じて違うからなッ!」

 

宇宙人疑惑のある江見翔である私が近くにいるからだろうか、なおさら過敏に反応する皆守である。馬鹿だな、葉佩が面白がって掘り下げるに決まってるじゃないか。言い合いは激しさをまし、周りで聞き耳をたてていたクラスメイトたちが笑い始める。

 

「なら、八千穂さんも葉佩さんのH.A.N.T.で生体反応を見てもらってはいかがですか?」

 

「あっ、いいね、それ!」

 

「面白そうだしやってみようか」

 

「......お前ら楽しそうだな」

 

疲れたように皆守はつぶやく。いつもなら常識人枠の七瀬は今一時的な狂気に陥っているのでしばらくは孤立無援だと教えてあげるといよいよ皆守は沈黙してしまう。

 

「アロマがうまいぜ......。というか七瀬のみたやつはマジモンの宇宙人かよ......」

 

悪夢にうなされたときに見た江見翔の中にいるであろう宇宙人とどことなく造形が似ていることに気づいた皆守が地味にSANチェックをしていることなど私は知る由もない。

 

葉佩はH.A.N.T.でバディ申請した私たちのデータを表示したまま、戦闘モードを起動した。そしてこっちにカメラを向けてくる。H.A.N.T.は光をぴぴぴという音と共に点滅させる。

 

「やっちーは異常なーし」

 

「ほんと?よかったあ。じゃあ蚊に刺されたのかな?」

 

「いや......それは違うみたいだ。誰かに攻撃された判定がでてる」

 

「え゛」

 

「わたしは、私はどうですか、葉佩さん!」

 

「うーんと七瀬も特に気に......いや、待ってくれよ。えーっと......あ、七瀬の精神的な状態が異常感知してる」

 

皆守がアロマをむせた。

 

「精神反応ってさ、正気、健全さを図る数値なんだけど、いわば心のHPなんだよ。ある意味普通のHPよりも大切な数字でさ、凄惨な現場を目の当たりにしたり、恐ろしい真実に行き当たってしまったりすると減少するんだ。0になってしまうと取り返しのつかない発狂状態になるから注意しないとな」

 

人はそれをSANチェックという。H.A.N.T.の精神反応ってそういう意味だったのか。私は精神交換した時点で異常値しか出さないから五十鈴さんが手を回して数値を改ざんしてるはずだから使ったことなかったんだよな。参考になる。

 

「ってことは、やっぱり月魅がいってた宇宙人のせいなのかなッ!?」

 

「化人見ても異常値出さないくらい慣れてるはずの七瀬がこれだもんな......オカルトとか詳しいから気づいちゃいけないことに気づいたのかもしれない」

 

「よかったな、八千穂。お前はこうはならないってよ」

 

「な、なによ~ッ!皆守クン酷い!」

 

「さあて、じゃあ翔クンやろっか」

 

「わかった」

 

まあ、結果は出てるんだけど。

 

「えーっと」

 

葉佩は説明にこまっている。

 

「七瀬が突発的な事象によるパニックだとしたら、翔クンは度重なる事象による精神疾患、かな。心が受け止められる限界ギリギリのダメージを受けた状態というか」

 

「ちなみに具体的な症状は?」

 

「強迫観念に取り付かれた行動ってあるね。手を洗い続ける、祈る、特定のリズムで歩く、割れ目をまたがない、銃を絶え間なくチェックし続ける、とか」

 

みんなの同情めいた眼差しが私にむけられた。

 

「七瀬みたいになって、忘れたはいいけど、恐怖は忘れられないから江見睡院を探しに来たってことか?」

 

なるほど、H.A.N.T.みたいな現代文明だと私は単なる精神疾患扱いになるわけだな。通りで五十鈴さんが改ざんするわけだ。

 

「オレは今のオレが普通の状態だからなあ、これが異常っていわれても困るんだけど」

 

「ま、たしかに翔クンは翔クンってことだよな。それだけはたしかだ」

 

「そうだよねッ!なにがあってもあたしたち友達だからね、翔クン。なにかあったら相談してよねッ」

 

「力になりますからね」

 

「......ま、あんま無理すんなよ」

 

「あはは......みんな、ありがとう」

 

「そーだ、江見睡院さんを宇宙人が狙ってるんでしょう?しかも《墓地》に侵入しようとしてるなんて危ないよ。あたし達でなんとかしない?」

 

「......はあ?」

 

さすがはやっちーだ、ぶれない。

 

「ったく......なんで具合の悪い俺まで巻き込もうとしてんだよ」

 

「だってどうせ、皆守クン仮病でしょ?」

 

「お前なァ......そうやって人を日頃の行いで決めつけるのは───────」

 

「実はみんなを信頼して相談するんだけど......」

 

「おいッ、八千穂ッ!俺の話聞いてんのかッ!?」

 

「これも宇宙人の仕業かもしれないんだけど、最近誰かに見られてる気がするんだ......」

 

「八千穂さんもそう思っていたんですか」

 

「あ、やっぱり月魅も?覗きじゃないかっていう人もいるんだけど、あたしだけじゃなくて月魅まで見たなら絶対そうじゃないよね。だから、それをみんなに女子寮を見張って欲しいの」

 

「はぁ?なんで俺たちがそんなこと......警備員に頼めばいいだろ?」

 

「警備員さんはダメだよ。月魅の証拠みせてもマトモに取り合ってくれないもん」

 

「で?」

 

「宇宙人の仕業だよね、これ」

 

「お疲れさん。じゃあ葉佩、翔、俺先に寮に帰ってるわ。じゃあな」

 

「あッ、ちょっと皆守クンッ!まだあたしの話が終わってないでしょッ!!」

 

「馬鹿野郎ッ!百歩譲って江見睡院を狙ってる宇宙人がいるとして、どこの宇宙に女子寮を覗く宇宙人がいるんだよッ!!んなお前のくだらない妄想に健全な俺たちを付き合わせんなッ!」

 

「そうそう、やっちー。警備員さんに俺たちが覗きの宇宙人だって勘違いされたらアメリカ軍に引き渡されちゃうしさ。それに皆守宇宙人怖いんだから巻き込むのかわいそうだよ」

 

「い......いや、だからそういう意味で俺は反対してるわけじゃなくてだな......そこまでして無理やり俺に同意されても気持ち悪いんだが......」

 

「でも、私たちに人工的な傷がつけられているのは事実ですよ、皆守さん。《墓地》に出入りしている私たちを宇宙人が監視しているなら、常に誘拐する機会をどこかから伺っていてもおかしくはないのでは?頭の中にチップかなにか入れられたらGPSで1発ですよ?」

 

《生徒会》の一員として実は1番誘拐されるかもしれない心当たりがありまくる皆守は汗がだらだらである。

 

「やっぱり皆守クン......葉佩クンのいうとおり怖いんだね」

 

「なっ───────!?」

 

「そっか、そっか、ゴメンね。怖いのに無理言って。そうだよねェ......誰でも宇宙人は怖いよね」

 

「誰が怖いって言ったよ?宇宙人なんているとしてもこんな東京のど真ん中の高校に現れるわけねえだろ。いるはずのないもの怖がっても意味が無いだろうが」

 

「いいよいいよ、強がらなくても。みんなには内緒にしてあげるからさ。取手クンたちには声かけてあるから、皆守クンだけいなくてもなんにも問題ないからねッ」

 

「ぐっ......ちッ、お前の内緒ほど信用出来ないもんは無いぜ」

 

「え?な~に?なにか不満?」

 

「なんでもねえよ......」

 

ふふん、とやっちーは勝利宣言をした。

 

「わかった!見張ればいいんだよな!でもそのまま女子寮前で見張ってると俺たちまで覗きで捕まるかもしれないんだけどどーする?」

 

「あ、そうだね!宇宙人どこにかくれてるかわからないし、用具室調べてくれない?じゃあ男性陣、頑張ってねッ!取手クンにもメール送っておくから!」

 

「おいおいおい、よりによって葉佩に鍵預けるんじゃねえよ!こいつが盗みに入るじゃねーかッ!」

 

「でも宇宙人と戦うならそれくらい見過ごすのが普通じゃない?」

 

「はあ?お前ら葉佩を信頼しすぎだろ......なにやってんだよ......」

 



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10万光年の追跡者3

不意に虫たちがなきはじめ、カエルが繁殖期のためか特にうるさく啼きたてる。夕焼けがだんだん妙な風に蒼んで来て、秋の黄昏は幕の下りるように早く夜に変わった。女子寮前の灯がうすい靄につつまれて、秋の夜風が身にしみるようだ。空には星が幾つも流れて行く。

 

女子寮の見回りを頼まれた私達は、二手にわかれてくまなく当たりを回ることにした。俺は用具室を葉佩から守る義務があるんだと決意表明している皆守から根回しメールがあったので私はライト片手に回ることになった取手を待っていた。

 

「やぁ….....、江見君、こんばんは。お待たせ」

 

「こんばんは、取手。気にしてないよ、やっちーからメール来て驚いただろ。大丈夫だったか?」

 

「今日は......バスケの練習もピアノの練習もなかったからね......。八千穂さんは大事な仲間だから、力になれてうれしいよ......。君は、調子はどうだい?」

 

「みんなに言われてるけど大丈夫だよ。異常かもしれないけど、これがオレの正常だ」

 

「江見君......」

 

「父さんがいきなり現れるなんておかしい。きっと《生徒会執行委員》を焚き付けてるやつらに利用されているんだ。葉佩九龍がいう誇り高き宝探し屋がそんなことするわけないからな」

 

取手は安心したように笑った。

 

「そうか。それは良いことだね。君は強いな......自分をしっかりと保っていられるんだ。でも体調は気をつけた方がいいよ......。具合が悪いと考え方もどんどん悪い方向へ進んでいくからね…......」

 

「心配してくれてありがとう」

 

「これは僕がとても実感したことだからね......。葉佩君や八千穂さんのような、いつも元気で明るい、性格がうらやましいよ......」

 

「なんか、嫌なことでもあったのか?あ、まだ新島の事件がやばいなら寮に帰った方が......」

 

「いや、違うんだ......。あのあと、《遺跡》に椎名さんと潜る時があって、あの黒い液体について、教えてもらったからね......。もし、またあの化け物が出たら、僕は力になれると思ったのさ......」

 

「あー、うん、たしかにね」

 

「実績があるからね......」

 

主に新島という名前の。どうやらジョークを飛ばせるくらい元気にはなっているようだ。

 

「もし、気分が落ち込んだら、音楽を聴くと心が落ち着くよ。よかったら今度音楽室に来るといい......。練習曲で良ければ聞かせてあげるよ」

 

「ありがとう」

 

「ふふ。さすがに10月に入ると寒いね......毛布でも持って来た方がよかったかな」

 

「でも不審者か宇宙人がいたら邪魔になりそうじゃないか?」

 

「それもそうだね」

 

雑談に興じることにした。

 

「ところでゲームってするのかい、君」

 

「ゲームか、こっちに来てからはやらないなあ。RPG大好きなんだけど」

 

「そうか。僕は謎を解いていくゲームなんかは頭の運動にもなって、楽しいよ」

 

「脳トレみたいな?」

 

「いや、脱出ゲームかな」

 

「へえー。オレはやったことないなァ。ゼルダの伝説なら好きだな、オレ」

 

「ああ、面白いよね、ギミックが凝ってて。なるほど、君はああいうのが好きなのか。たしかにRPGだ」

 

この話題なら盛り上がれると思ったんだ、と取手に言われてしまい気を遣われたことをしる。

 

そして満月が顔を出した。

 

 

犬の雄叫びが響き渡る。私たちはライトに照らしてみた。

 

「誰かいる。いってみよう」

 

「あ、待ってくれ、江見君。一応、葉佩君たちにも連絡をするから。1人じゃ危ない」

 

「え、ああ、そうだね」

 

取手がメールを送るのを待ち、私たちは《墓地》に続く森に侵入を試みた。

 

「なんだか今日は特に冷えるね......」

 

「うーん、いくらなんでも寒すぎないか?まだギリギリ9月なのに」

 

凍てついた空気により白くなる息を吐き出しながら、私達は進んだ。風のない凍てる夜、《墓地》に続くはずの森はどこも凍りついている。辺りはしんと冷えている。妙に冷え冷えとしている違和感により警戒心をふるいたたせながら、ライトをもつ手に力がこもった。

 

いつもの早朝のマラソンだってこんなに冷たい空気を肌に感じることは滅多にない。おかしいな、天気予報ではこんなに真冬を思い起こさせるような鋭い冷たさの警告はしてなかったような気がするのに。

 

寒気で五臓まで締め付けられるような氷点下と勘違いしそうな酷寒の中で、私達は確実になにかいると感じていた。

 

月の光がいよいよ冷たさを増すかのように輝きながら降りてくる。

 

その先で私達は凍りついている犬を見た。いや、正しくは浮遊している立方体から照射される光により一瞬で凍りつく犬の化人だ。《遺跡》から脱走したのかと思ったが、黒い液体が次々と化人を生成しているのが見えたから、あの立方体を攻撃していることがわかる。その立方体を操作している人ならざるものをみて、私達は息を飲んだ。

 

「......七瀬さんがいっていた宇宙人だね......」

 

「そう、だね」

 

どこをどう見ても《遺跡》に眠る超古代文明産の鉱物を持ち帰ろうと侵入をこころみるミ=ゴたちと全力で抵抗している化人たちの構図です、ありがとうございました。うっわ、近づきたくねえ......。

 

ミ=ゴたちは邪神を信仰する精神構造をしている上に人体改造に関してなんの躊躇もしないから関わろうとしなければ無害なんだよな......。下手に関わろうとする探索者たちが痛い目をみるパターンなわけで。

 

どうする?と無言で見つめあう私達を後目にミ=ゴとショゴスの熾烈な争いは激化していく。

 

「あッ......人が......」

 

「えっ」

 

取手の声につられて見てみると、ふらふらという足取りで明らかに夢遊病と思われる生徒たちがそちらに歩いていくのが見えた。月明かりに照らされる顔ぶれに私は目を見開いた。

 

「......あの時の一年じゃないか」

 

「えっ、知り合いかい?」

 

「椎名さんに粛清されかけた男子生徒だよ。黒い液体上から被ったけど瑞麗先生の処置で新島みたいになることは避けられたはずなんだけどな。なんでここにいるんだ?」

 

「まさか、黒い液体を取り除ききれなくて、あの液体に呼ばれたとか?」

 

ちら、と取手が携帯を目にする。どうやらバイブレーション設定にしていたらしい。

 

「あ~......ありそう。まずいな、大変だ。このままではあの生徒たちまで凍ってしまう。どう?葉佩たち来れそうだって?」

 

取手は首を振って携帯をしまった。

 

「......だめだね......葉佩君たちは不審者を追いかけている途中みたいだ......」

 

「やっぱり覗き魔は別にいたんだ?じゃあ仕方ない、オレたちだけでやろうか。どうみても黒い液体に呼ばれてる。止めようとしても難しそうだから、あっちを叩こう」

 

「そうだね」

 

私達は茂みに隠れながらミ=ゴたちに近づいていく。そして、私は電気銃を手にした。狙うのはミ=ゴが苦手とする犬の化人対策に設置していると思われる立方体だ。心配そうに見守る取手を待機させながら、私は狙いすました一撃を放った。いきなりの敵襲に驚いたのかミ=ゴたちがあたりを見渡す。次々と立方体を故障させていくと、冷気から開放された犬の化人がミ=ゴたちに襲いかかる。ここからはもう阿鼻叫喚だ。私たちはあわてて立ち往生している生徒たちのところにむかう。ショゴスは司令を下すどころではないようで、次々と倒れてしまったからだ。

 

「おーい、おーい、大丈夫か?」

 

ミ=ゴたちを監視しながら私は近くの男子生徒を覗き込む。揺さぶってみたが微動打にしない。さいわい息はあるようだから一安心だが。

 

「だめだ、気を失って......」

 

「江見君、下がっていてくれ」

 

「え?」

 

私の前にオーケストラを前にした指揮者のような構えをする取手がいた。

 

「見せてあげるよ。僕の≪力≫を。この曲を聴かせてあげよう」

 

ミ=ゴたちはブザーのような悲鳴をあげながら混乱しているのか明らかに動揺しているのがわかる。そうか、取手の《力》は音波属性だから装甲無視の貫通攻撃な上にNP吸収だからミ=ゴにとっては相性が最悪なわけか。しかも拡散する波動によりショゴスとの戦闘で疲弊していた中には倒れてしまう個体も現れた。

 

「ありがとう、取手」

 

私は男子生徒をかばいながら電気銃をミ=ゴに向ける。あちらにも麻痺効果がある電気銃があるはずだが、似て非なるものなはずだ。それがわかるのか、明らかに私の武器に反応しているのがわかる。私が連射した攻撃により麻痺、もしくは重症を負った個体が次々と犬の化人に食い尽くされていく。よし、狙い通りだ、よかった。

 

「問題は黒い液体だけど......」

 

取手と私が見守る中、破片のひとつも残さないままショゴスは《墓地》に向かっていく。どうやらおなかいっぱいになったか、敵対勢力を撃退できたからか、いなくなってしまった。

 

「よかった」

 

「なんとかなったな、お疲れさま」

 

なんとなくハイタッチをして、私達は男子生徒たちを起こしにかかる。目が覚めたあたりで夢遊病に悩まされているという話を聞かされ、是非とも瑞麗先生に相談して病院に連れて行ってもらえと伝えて、寮に帰した。そして証拠になるからと電気銃で破壊された立方体と鉛色をした塊をひとつずつ寮の自室にもちこみ、残りは全部葉佩に渡すために《墓地》にいくことにした。



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10万光年の追跡者4

森をぬけて葉佩と皆守がいるはずの《墓地》に向かった私たちを待っていたのは、月夜に照らされた陰惨な報復現場だった。

 

ドゴォ、バキイ、ガアン、と目を背けたくなるような音とぎやあああというやたらドスの効いた断末魔が《墓地》中に響いていた。取手が驚いてリンチしているやっちーと無言で六法全書の角でぶん殴っている月魅を止めようとしたが皆守にとめられた。

 

「やめとけ、やめとけ。今止めに入ったら、八千穂と七瀬に覗き魔の味方をするのかってキレられるぞ。明日、まともに登校したいならやめろ」

 

「えっ......いったい、何があったんだい?」

 

「話せば長くなるんだがな......」

 

足元に散らばる盗撮と思しき写真をゲットトレジャーしようと虎視眈々と狙う不届き者を蹴りつつ皆守がため息をつく。首根っこひっつかんで私達の所によこしてきた。

 

「俺、すどりん倒すの頑張ったのにさァッ!扱いひどすぎないか、皆守ッ!」

 

「うるせえよ、オカマと意気投合したのはどこのどいつだ、きもちわりい。こっちにくるな」

 

「なんだよ、すどりんと同じ空間にいたくないからって《墓地》入口で待ってたくせに!皆守なら1人で捕まえられただろッ!」

 

「馬鹿いえ、なんで俺がんなことしなきゃいけねえんだ。だいたい来るのが遅いんだよ。なんで武器持ってこいって言ってから1時間もかかるんだ」

 

「仕方ないだろ!新しい武器揃えるにはそれなりに時間がかかるんだよ~ッ!」

 

「かかりすぎだ、馬鹿野郎」

 

はあ、と皆守は深深とため息をついて、肩をすくめる。

 

「......葉佩君じゃなくて、皆守君に連絡をいれたらよかったんだね......メールしたら追いかけるのに忙しいってあったからてっきり......」

 

「───────はァッ!?てめー、葉佩ッ!ふざけるのもいいかげんにしろ!」

 

「ごめんてば、皆守ッ!ぐあっ、ちょっとは蹴るところ考えてくれよ!」

 

気を取り直して、皆守は私たちを見た。

 

「まず、こっちに宇宙人はいなかったぜ」

 

ドヤ顔で言われても困るんだが。

 

「まずは女子寮を覗き見してる不審者が二人いたからシバいといた。用務員のエロジジイだろ」

 

「ああ、境さん?」

 

「あの人......そんなことまでしていたのかい......?」

 

「あァ。そんでだ、次はグラサンに髪染めてるヤンキーみたいな派手な出で立ちのおっさんな不審者がいてだな。そいつは探偵らしい」

 

「探偵?」

 

「行方不明になってる生徒の親が學園に不信感を抱いて大枚はたいて依頼したらしい。それを俺たちが生徒だってわかるやいなや、ぺらぺら喋るやつだ。実力なんてたかが知れてるぜ」

 

「ん~、どうかなあ。だって鍵、勝手に入手してたじゃないか」

 

「それをどさくさに紛れて頂戴するんじゃねえよ、このコソドロが」

 

「痛い!」

 

「そっか、なら内通者がいるのかもしれないな」

 

「あァ、俺もそれは考えてた。まったく迷惑な話だぜ」

 

一言でいえば、やっちーによる血祭りが行われていた。おかしいな、あれはやっちーをバディに選ばなければ発生しないイベントだったのに。不思議に思って聞いてみると、なんと七瀬がやっちー唆して連れてきたのだという。宇宙人と会える歴史的瞬間の証言者になりたいとかなんとかで。

 

ドン引きしている葉佩たちを捕まえて事情を聞いたところ、いろいろと教えてくれた。

 

宇宙人騒動の犯人が一見マスクを被っていると思わせる地顔と俊足の脚が特徴。 嫌いな物は軟体動物の触手のいわゆる体と心が一致しない男子生徒、自称我等がビューティー・ハンター、朱堂茂美(すどうしげみ)、通称すどりんと判明した。

 

遺跡の奥で追い詰められたすどりんは自分が《生徒会執行委員》の一人である事を明かす。 彼女もまた生徒会長・阿門帝等によって呪われた力を自身の宝と引き換えに与えてもらった人物。

 

引き換えにした宝はコンパクトミラー。美しくなるために初めて自分で買った宝だとか。 それを代償とし得た力は『筋肉の超精密動作』の力である。

 

彼女の攻撃方法はその力を利用したダーツ投げ。ただダーツを投げるだけだが、彼女の精密動作によって全く同じ場所にダーツを命中させることが出来るという恐ろしい精度を誇る。やっちーのスマッシュの威力には劣り、やや控えめなためやっちーが《生徒会執行委員》だったら詰んでたとは葉佩の談である。

 

倒したら《墓地》に出てきて、なぜそんなことをしたか教えてくれた。彼女が女子寮を覗いていた理由は自らの女らしさを磨くため、女子の仕草、言葉遣い、男に好かれる性格、化粧、ファッションなどのデータを集める為だった。理由に呆れてしまった葉佩と皆守は女子にすどりんを突き出すのを止めて彼女を見逃そうとしたら、やっちーたちと合流した。それが悲劇の幕開けだった。

 

 

すどりんはやっちーたちに女子達が羨ましかったと自分が女子になれなかった悲しみを吐き出す。その悲しみを理解したやっちーたちは彼女を許し和解するがその直後、すどりんは男子生徒から頼まれていた女子の隠し撮り写真を落としてしまい、すどりんは激怒したやっちーに殴られている。というわけである。

 

「うわあ」

 

取手もどんびきである。最後の一撃がやっちーから炸裂したのはほぼ同時だった。とりあえず女性陣を怒らせてはいけないとみんなの共通認識になったのはいうまでもなかったりする。

 

「あれ?」

 

私達の視線が集中する。なにやら採掘キットをもっている男子生徒が現れた。

 

「おかしいなあ?」

 

そこにいたのは黒塚だった。キョロキョロと辺りを見渡している。

 

「あれ、黒塚クン。どうしたの?」

 

「もしかして起こしてしまいましたか?」

 

「いやあ、すごい悲鳴だったねぇ。男子寮は大騒ぎだよ。女子寮の電気もついてたから、たぶん似たようなものじゃないかな?」

 

「やりすぎちゃったかな......」

 

「いえ、まったく」

 

「そうだよね。警備員の人に突き出さないだけマシだと思ってもらわなきゃ」

 

果たしてどちらが幸せだっただろうか。私はなぜだろうか。すどりんだったものを見ていると警備員に掴まって覗き魔として警察に突き出されて退学処分になった方がマシな気がしてならない。

 

「ふふふ、石はなんでも知っている~」

 

「黒塚は騒ぎが気になって出てきたのかい?」

 

「やあ、奇遇だね江見君。君の秘密の場所がようやく分かったよ。葉佩くんから誘われたのさ!これでようやく楽園に僕は到達することが出来るというわけだね。楽しみだなあ」

 

「こいつまで勧誘したのかよ、葉佩」

 

「そりゃそうだろ~、だって俺遺跡研究会の部員だぜ?部長も話がわかるやつなら勧誘しない手はないだろ?」

 

「おいおい......夜遊びにさそわれてないなら待機してろよ、黒塚」

 

「ん~、いやそれはそれで残念だったんだけどね。今回は別件さ」

 

「はあ?みるからに発掘調査に行くみたいな格好しといて?」

 

「えっ、違うのか......どうしてここに?」

 

「石たちに呼ばれたんだけど、急に声が聞こえなくなってしまったんだよね。眠いのかもしれない。おやすみ」

 

「ああ、うん」

 

なぜだろうか、いつもの黒塚の決めゼリフが異様に怖かった。そういえばミ=ゴも鉱物収集に協力してくれる人間を協力者にすることがあるんだっけ......?

 

なぜか今のタイミングで思い出してしまった私はこのことに触れるべきか否か悩んでいるうちに、葉佩にそれはなんだとミ=ゴからの戦利品に食いつかれてそれどころではなくなってしまった。

 

取手からミ=ゴとショゴスの大乱闘を聞かされた皆守が魂抜けたのも、葉佩が調合して新たなオーパーツ武器を生成しようと意気込んでいるのも、黒塚が明らかに怪しいムーブをしているのも気のせいだよね、たぶん、きっと、めいびー。



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海底牧場

2004年10月6日放課後

 

呼び鈴がなる。どんどんドアが叩かれ、携帯電話にはたくさんの履歴が更新されつづけ、バイブレーションとアラームがうるさい。私は今日も一日ベッドから起き上がれなかったことを悟った。グズグズしながらようやく手繰り寄せた携帯電話に話しかける。

 

「......もしもし」

 

「もしもし、翔クン?俺だよ、葉佩。出てくれてよかった。倒れてたらどうしようかと思ってたんだよ。大丈夫か~?」

 

「......心配かけてごめん......大丈夫じゃないよ」

 

「うわ、声掠れてるじゃん。これ以上長引くようなら瑞麗先生に診断書書いてもらって病院いけよ~。学校のプリントとノートのコピー、ポストに入れとくからな」

 

「............いつもありがとう、葉佩。ごめん」

 

「いいって、いいって。すどりんの事件で体冷やしちゃったんだろ、たぶん。お大事にな」

 

「......うん」

 

玄関の向こう側でなにかが投函される音がした。私はふらふらする体を鞭打って電気をつけながら進んでいき、ポストをあける。葉佩がいれてくれたクリアファイルの塊と白い封筒。

 

「......またか」

 

私はハサミで切って中身を出してみる。中には裁断されたパピルス、そして封筒サイズに細切れにされた江見睡院の直筆のメモである。さすがにゲームにでてきた数十枚のメモの内容までは覚えていないため、H.A.N.T.を起動する。

 

「H.A.N.T.のナビゲーションシステムを起動します。戦闘態勢に移行します」

 

白い封筒はいつも反応がないからH.A.N.T.のカメラでパピルスを見てみる。あらたなる江見睡院メモがアップデートされた。パピルス内の炭素の状況と福井県の水月湖の年縞により具体的な作成時期が特定できる。判定はやはり最近だ。

 

「......警告かなにかか?」

 

私が江見睡院の息子でもなんでもない赤の他人の《ロゼッタ協会》諜報員だと知らない時点で《生徒会》か《遺跡》に潜む何者かによる犯行だろう。一応《ロゼッタ協会》に報告はあげておく。今のところH.A.N.T.で感知できるトラップはないから私は放置していた。

 

なにせ手紙の内容は「《遺跡》にかかわるな」「逃げろ」「《天香學園》から出ていけ」どれも受け入れることなどできない世界がそこにはあるからだ。

 

「ああ、だめだ、ねなきゃ」

 

ぞくぞくする。悪寒が背中を走る。体の具合が、袋をかぶっている様にはっきりしない。体調が悪いのか、ちょっとやそっとじゃ治らない、かなり風邪である。頭の芯がグラッと揺れた気がした。 やはり風邪をひいたようだ。口の中はザラザラするし、体じゅうに紙やすりをかけられたような気分だ。寝床のなかで満潮のように悪寒が退いてゆくのを待っているしかない。

 

病気というものは決して学校の行軍のように弱いそれに堪えることのできない人間をその行軍から除外してくれるものではない。最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱虫でもみんな同列にならばして嫌応いやおうなしに引き摺ずってゆく。そんな漠然とした不安があった。お腹すいたからこんな妄想にかられるのかとまた起き上がる。思えば水ものしか今日は食べていなかった。

 

「......さいあくだ......食料つきた......」

 

部屋に誰も入れたくなくて買い込んだはずの食材が尽きてしまっている。私は覚悟を決めた。インテリアと誤魔化せそうなものはおいといて、H.A.N.T.やらなんやらを覚束無い手つきでかき集めて押し入れの中に入れる。

 

「......葉佩にさっき頼めばよかった」

 

ウィダー系がほしいとメールを送っておく。滋養強壮に効きそうなやつならなんでもいいが、化人産の料理を出されても今は舌がバカになっているからわからないだろうなと思った。

 

「よっしゃ、まかしとけ~!」

 

メールの返信を確認して、私はベッドに戻った。

 

「......ありがとう、葉佩」

 

「いやいや、いつも翔クンにはお世話になってるしな。遺跡探索的な意味で。はやく復帰してもらわないと」

 

「ははッ......少しは自分で読めるようになりなよ、葉佩」

 

「やだね」

 

「なんでそんなえらそうなのさ」

 

私は笑った。たくさんもらったご飯をビニール袋ごと受け取る。

 

「ところで葉佩」

 

「ん~?」

 

「最近江見睡院メモは見つかった?最近書かれたようなやつ」

 

「いんや、《遺跡》には18年前のメモしかでてこないね」

 

「そっか......なら見てもらいたいものがあるんだけど」

 

「?」

 

私がいつもポストに入ってる江見睡院メモをわたした。

 

「これが毎日入ってるんだ。なにか手がかりにならないかな」

 

「......これは。ありがとう、話してくれて。誰だよこんなたちわりぃ」

 

明らかに怒っている葉佩が封筒をにぎりしめ、いってしまう。

 

次の日、私は保健室に連行されていた。葉佩はチャイムがなってホームルームにいってしまう。残されたのは呆れ顔の瑞麗先生とぼーっとしている私だけだ。

 

「......なんでこうなるまで放っておいたんだ」

 

「えっ」

 

「君はただでさえ精神交換されて、他の人間よりも肉体の中ですら不安定な存在なんだぞ。いくら体に馴染んできて融合が始まってるとはいえだ。結論から言おう、君は死にかかっている。精神力を奪うウィルスを継続的に摂取しているせいだ」

 

「まさかあの手紙?」

 

「そうだよ。しらべさせてもらったが......あれは未知のウィルスだな。人間の精神力を糧に繁殖するめずらしいタイプのウィルスだ。ある意味呪いといってもいいかもしれん」

 

私はそのウィルスに心当たりがあった。デジタル部が主催でやっている《隣人倶楽部》とかいう怪しいセミナーみたいな宗教みたいな集まりだ。でもあれは電子ドラッグみたいなものにウィルスが混入しているからではなかったかな?

 

「ちなみに《隣人倶楽部》にいったことは?」

 

「ないです、一度も」

 

「だろうとは思っていたよ。君にはもっとも縁遠い存在だろうからね。君と似たような症状を発症して保健室に運ばれてくる生徒がここのところ多くてね、頭を悩ませていたところなんだ。《隣人倶楽部》が関係ないならば、これはインクに付着しているようだね」

 

「インク......おかしいな、H.A.N.T.には反応無かったのに」

 

「それはそうさ。お菓子を満たす湿気を防ぐ気体のように、封を開けた時点で大気中に拡散されてしまうレベルの混入率だったようだからね」

 

「......」

 

「体調不良は治らないはずだ。君は緩やかに死にかけているのだから」

 

ようやく理解した明確な殺意に私は息を飲む。

 

 

見えないものに常に監視されているような圧迫感にじわりじわりと押し付けられて息苦しい。はけ口のない、耐え難い陰鬱な殺意は、いつしか私の中で何百トンもあろうかという水を全身で浴びているような重圧となっていたようだ。無言の声が、見えない矢のように体のそこここに突き刺さり、質量を持たない心の状態が肉体に様々な影響を与えた結果だと瑞麗先生はいう。

 

「このまま手紙を読んでいたら、君は重症化して死に至る。精神力ばかり攻撃されてここまで悪化するのは君だけだろうね。しばらくは手紙をさっさと葉佩にくれてやることだ。そうしてこれを飲むといい。ただでさえ君の氣はせき止められた川のように澱んでいるからね、せめて循環の助けになれば回復に向かうだろう」

 

「ありがとうございます」

 

「ともあれ、手遅れになる前でよかったという他ないな。気をつけて帰りなさい」

 

「わかりました」

 

私は保健室をあとにした。



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海底牧場2

私は遺跡研究会のソファに座っていた。

 

「飲むといいよ」

 

瓶になにかの石がつめられ、水が入っている。なんかの健康法にかぶれているのかと疑いたくなるが、この世界は全てのオカルトが実在する世界だから案外効果があるのかもしれない。

 

そそがれた水を飲む。

 

黒塚が向かい合うように座る。

 

「おちついたかい?」

 

「ありがとう」

 

「ああ、よかった。目に焦点があってきたね。《墓地》のあたりでは本当に光がなかったから」

 

私はこのまま寮の自室に帰るつもりがどうやら無意識のうちに足がそちらに向いていたらしい。たまたま石を探しに来ていた黒塚が見つけてくれたというわけだ。

 

「1週間も休んでいるだけはあるね、この子たちも心配してたよ。やはりあたってしまったようだ」

 

葉佩の《遺跡》探索に同行するようになってから新しいコレクションが増えたようで、色々と出しながら教えてくれた。その説明を聞いていると、興が乗ってきたのか後ろの棚から鍵をあけて特別な石を見せてくれた。

 

「僕の地元の徳島県にはね、百名山のひとつに剣山て謎が深い、謎の深さはそのまま、神聖の深さかもしれない山があるのさ」

 

黒塚はいうのだ。

 

元は立石山と呼んだが安徳天皇が宝剣を奉じ剣山に改名されたとの伝承がある。天然の山のようだが、その地形を利用したピラミッドとも云われ、太陽石やミイラが発見されたという話もある。頂上付近には巨石群も多い。

 

しかしピラミッドよりも、キリストの墓(又は弟イスキリ)があると云われる青森県へライ村と同様イスラエル由来が色濃い場所として有名だ。

 

イスラエルのソロモン王の秘宝=三種の神器が入った【契約の箱】(失われたアーク)が、隠された山として知られる。

 

「契約の箱?」

 

「そうさ」

 

私の問いに黒塚の目が光る。

 

「葉佩君や君が好きそうな話だと思ってね」

 

「貴重な情報ありがとう」

 

「構わないさ、こんなに貴重な石をくれたんだ。それなりの報酬は払わないといけないからね」

 

黒塚の手には私がクエスト報酬から横領した貴重な鉱石があった。なにせ超古代文明時代に琥珀にたまたま閉じ込められた植物の化石が混じっているのだ。

 

黒塚はうれしそうに話し始める。

 

契約の箱とは、『旧約聖書』に記されている、十戒が刻まれた石板を収めた箱のことである。

 

神の指示を受けたモーセが選んだ、ベツァルエルが、神の指示どおりの材料、サイズ、デザインで箱を製作し、エジプト脱出から1年後にはすでに完成していた。

 

アカシアの木で作られた箱は長さ130センチメートル、幅と高さがそれぞれ80センチメートル、装飾が施され地面に直接触れないよう、箱の下部四隅に脚が付けられている。持ち運びの際、箱に手を触れないよう2本の棒が取り付けられ、これら全てが純金で覆われている。そして箱の上部には、金の打物造りによる智天使ケルプ2体が乗せられた。

 

モーセの時代に、この中へマナを納めた金の壺、アロンの杖、十戒を記した石板が収納される。しかし、ソロモン王の時代には、十戒を記した石板以外には何も入っていなかったと伝えられている。

 

『聖書』ではヨシヤ王の時代に関する契約の箱の記述を最後に、比喩的に用いられる以外に直接言及される部分はなく、失われた経緯についても不明である。このことから、失われた聖櫃(The Lost Ark)と呼ばれることもある。

 

現在、聖櫃(契約の箱)を保持しているとして、これを崇敬しているのは、エチオピア(エチオピア正教会)だけである。

 

「あのあたりの秘境はまさにいい石と巡り会うことが出来るのさ。

 

「それで、この石を?」

 

「そうさ。この子を拾ってから、君や葉佩君のような同胞が現れると騒ぐ子達が増えたよ。君が心配だと教えてくれたのはこの子なんだ」

 

ニコニコと黒塚は笑う。

 

「江見君、大丈夫かい?」

 

「そんなに疲れてるように見えるかな?」

 

「身体的にと言うよりは精神的に、と言った方がしっくりくるね」

 

さすがは石を拾った人間を見てはメモを取るだけはあって人間観察が好きらしい。そのものズバリを言い当てられて私は笑うしかないのだ。

 

「噂はかねがね聞いているよ。あの探検家の江見睡院先生の息子さんだったなんて。君も水臭いなあ、まったく」

 

「じゃあ、オレがどういう状況かも知ってるだろ?」

 

「もちろん知ってるとも。でも君はこの程度でへこたれなんかしないだろ?いや、へこたれた瞬間に壊れるから出来ないが正しいかな?」

 

「よくわかってるね、さすが」

 

「君が僕に期待してることはわかっているつもりだよ。ゆっくりしていきたまえ。みんなも歓迎しているからね」

 

ふと目にした石に目のようなレリーフが彫り込まれていることに気づいてしまった私は汗がつたう。

 

「ああ、これかい?剣山で拾ったのさ」

 

「他によく出来た石像とかなかった?」

 

「いや、僕は石像より普通の石の方が好きだからね」

 

「でもこれは......」

 

「ああ、僕のところに来たがっていたからね」

 

「えええ......」

 

ふうん、と言うように私の驚愕に黒塚が首を傾げる。

 

「帰りたいっていったら帰すけど、まだいたいらしいからね」

 

さも当然だばかりに返答に一瞬私は混乱する。これはどっちの意味だ?邪神からなにか影響を受けているのか、いつもの黒塚のいうように石がしゃべるからなのか。

 

「この子はこの近くでとても珍しい子なんだ。多分あの《遺跡》と同じ時代のもので、似たような場所から来たって言ってた。地層の隆起の関係か何かで偶然僕の手元に来てた訳なんだけど」

 

「黒塚、大丈夫か?皆守みたいに変な夢みてない?」

 

「ふふふ、この子はね、僕が拾ったんじゃない。この子自身が選んで、そう望んで僕の元に来たんだよ。それがこの子の望みだったんだ。僕はこの子が望まないことは出来ないから、そんなことはしないさ」

 

まるで禅問答のような黒塚の言葉に私はそっかというしかない。そんな私に構うことなく黒塚は言葉を続けた。

 

「だからね、江見君。人間だって一緒なんだ。そういうふうに世界は出来ているんだから、あれこれ難しく考えなくても大丈夫さ。初めから相手が望まないことなんて出来やしないんだよ。君には聞こえるんだろう?それは望まれている証さ。僕が聞く石たちの声のように」

 

にっこりと笑って続けられた言葉に私は息を吐いた。

 

真っ直ぐこちらを見つめる視線はとても強く、迷いが無い。だから私は相談にくるのだ。

 

「結果は気長に待つべきだね。どんな石だって磨かないとどんな輝きを放つかは分からないから」

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

「とりあえず、あの目のレリーフは裏返した方がいいよ。人によっては恐怖を抱くから」

 

「う~ん、そうかなあ?それはそれとしてだよ、君。葉佩くんにはもう話したけれど、《隣人倶楽部》って知ってるかい?」

 

「《隣人倶楽部》?」

 

「ああ」

 

「いや......オレはそれどころじゃなかったから」

 

「だろうね。いつもの君ならまず気にも止めない集まりだ。ただ、今の君にあそこはかなり怖いところだよ、みんなうわ言のように同じ言葉を繰り返してる。一体どんな意味があるのか僕は知らないけれどね。相談に乗ってくれるとか、ダイエットできるとか、雑誌の後ろの穴埋め広告みたいなことをデジタル部がしているみたいなんだ。気をつけなよ」

 

「ありがとう」

 

「まあ、僕はただ石たちの声に耳を傾けて、その言葉を君に届けているだけなんだけどね」

 

「それでもだよ」

 

ふふふ、と黒塚は笑う。

 

「大事な同胞を《隣人倶楽部》に取られる訳にはいかないからね、くれぐれも気をつけてくれたまえ」



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海底牧場3

最近デ部の宗教にかぶれている八千穂は付き合いや部活の出席率が悪くなったと専らの噂だった。《隣人倶楽部》には気をつけろと取手や椎名、夕薙、に警告され、俺が散々忠告したにもかかわらず、タイゾーちゃんはいいやつだから、というくだらない理由で通い続けていた八千穂は、案の定、6限目の体育途中で倒れた。保健室に運び込んだ俺たちを引き止めたカウンセラーは、これで何人目になるかわからないなとため息をついた。葉佩が意味深な台詞に食いつかないわけもなく詳細を聞きたがり、放課後の予定が固定されてしまった。

 

ボヤく俺を引き摺りながら葉佩は保健室に直行し、カウンセラーの話を俺も聞く羽目になってしまった。

 

カウンセラーいわく、八千穂の皮膚には微量なウイルスが付着していた。これらが体内に入り込み、正常な身体機能を阻害した。感染した者は生命活動に必要なエネルギーをウイルスに吸い取られ、徐々に衰弱する。ウィルス自体はそれほど生命力の強いものではないが、継続的に摂取することで威力が増すらしい。

 

ほらみろ、《隣人倶楽部》の主催者であるデ部部長の肥後大蔵(ひごたいぞう)は《生徒会執行委員》だったじゃないか。これに懲りたらもう《隣人倶楽部》には参加するなと目を覚ました八千穂に告げたら、八千穂のやつ、全然懲りてやがらねえ。

 

「でも、タイゾーちゃんは悪くないと思うの。なにか、なにか間違った方向に行っただけじゃないかな。ねえ、葉佩クン。椎名サンや取手クンを救ってあげたみたいに、また助けてあげられないかな?」

 

ふざけるな、と怒鳴ろうとしたが病人に大声出すなとカウンセラーに言われてしまい舌打ちする。葉佩はいうまでもなく、ノリノリだから余計イラつくのだ。

 

「やっちーがいうなら間違いないなッ!安心してくれ、やっちー!豪華客船に乗ったつもりで!」

 

「タイタニックじゃないだろうな?」

 

「大丈夫大丈夫、皆守も死なば諸共だ!」

 

「おいこら」

 

「えへへ......ありがとう葉佩クン......」

 

そういう訳で俺達は《遺跡》に行くはめになったのだった。《墓地》で待ち合わせをしていると、葉佩は既に待っていたのだが、H.A.N.T.を前に険しい顔をしていた。

 

「よォ、葉佩。怖い顔してどうした。お前らしくないな」

 

「そりゃそうっしょ、翔クンの次はやっちーだぜ?《隣人倶楽部》のせいでこんなことになるなんて」

 

「ん?翔は風邪じゃないのか?」

 

「それがさ、風邪じゃなかったっぽいんだよね。うちの部長からメール」

 

「部長......ああ、黒塚か。なんて?」

 

「翔クン、無意識のうちに《墓地》に行こうとしてたらしい。今はおちついてるから大丈夫みたいだけど」

 

「は?椎名の爆弾食らった1年みたいにか?」

 

「そのまさかだよ」

 

「......おいおい」

 

「まさかと思って瑞麗先生にメールしてみたら、ビンゴだった。ここ1週間のうちに体調不良で早退した生徒全員、無意識のうちに《墓地》にいって墓守に捕まるか《執行委員》に粛清されてるんだ。行方不明になった生徒はたぶん《遺跡》に入り込んで化人に襲われたな」

 

「......」

 

「おかしいよな、《執行委員》って《墓地》に一般生徒や教師が近づかないようにしてるんだろ?焚きつけるようなマネしてどうするんだよ。矛盾してないか?」

 

「......言われてみれば、そうかもな」

 

「だろ?」

 

「それをいうなら毎週毎週《執行委員》が活動し始めるのもおかしな話だがな。9月まではなにもしなかったんだから」

 

「あははッ、人気者はつらいネッ!」

 

「笑い事じゃねえよ」

 

「葉佩クン、お待たせいたしましたのォ。皆守クンもごきげんよう」

 

「待ってたよ、リカちゃん。君の力を貸してほしいな」

 

「はい、わかりましたわァ。任せてくださいまし」

 

「今日は椎名か......」

 

「はいですの。リカを置いて、ひとりで 先に行かないでくださいましね」

 

「行かねえよ」

 

葉佩と俺たちはあたりが寝静まるのを待って、《墓地》に向かう。アサルトベルトに暗視ゴーグル、《ロゼッタ協会》から支給された銃とナイフが標準装備だが、葉佩は銃を剣に、爆弾にかえた。

 

「あれ、携帯?」

 

「すまん、俺だ」

 

七瀬からのメールだった。文面をみた俺は真顔になる。

 

「やばいぞ、葉佩。八千穂が行方不明になったらしい。女子寮のどこにもいないそうだ」

 

「あらァ、それはたいへんですわね......せっかく忠告してさしあげましたのに......葉佩クンのお友達、いってしまわれたのね」

 

「ん?なんだって?」

 

「だから忠告したんですのよ。リカの研究会の方も何人か来ないとお話しましたでしょう?行方不明だと」

 

「あ~......あれはそういう意味かよ......リカ研究会からくら替えされたって意味かと思ってたぜ」

 

「なっ!?絶対やっちーも《遺跡》じゃないかッ!急ぐぞ、皆守ッ!リカちゃん!」

 

H.A.N.T.のナビゲートに従い、俺達は遺跡に進んでいく。遺跡の大広間の南にある扉が開いていた。その扉の隣には《魂の井戸》があり、これからの激しい戦いを予兆させる。案の定この区間には判断をあやまると一瞬に死に至るようなトラップの数々が仕掛けられていた。そして次第に強力になっていく化人の群れ。この区画の最深部にやっとたどり着いた。前のエリアとは違うものものしい意匠の扉の向こうに行こうとしたとき、椎名が葉佩の袖をひいた。

 

「葉佩クン、葉佩クン。こちらから風が吹いてきていますわ。ひび割れた場所があったら、爆弾とかで壊してみるといいですの」

 

「んんッ!あ、ほんとだね、ありがとうリカちゃん。ちょっと下がっててくれよッ」

 

「あァ」

 

葉佩が爆弾を投げつけ、あっというまに壁は脆くも崩れ去っていった。新たな通路の出現だ。今日もまた何度も《魂の井戸》を往復して八千穂を助けるまで一気に遺跡をかけぬける気満々の葉佩にはあくびがでてしまう。早く寝たいぜ。

 

「ちょっと待ってくださいですの。 今、爆弾を用意しますから」

 

「ん?どうしたんだよ、いきなり」

 

「何だか、 この場所は見たことがありますの」

 

「どこで見たんだい、リカちゃん」

 

「リカを守ってくれた、お母様とバロックによく似た化人がでた場所ですわ」

 

その言葉に葉佩はH.A.N.T.を起動して、戦闘態勢にはいる。俺はアロマスティックを消した。

 

廊下の奥から、何かネチャネチャという水っぽい音が聞こえる。また、そこら中から何かが這うような音が聞こえるが、姿は見えない。奇妙な音がひたすらに区画内に届く。嫌な予感がした。それはネチャネチャという、水っぽい何かが蠢くような不快な音だ。その音は至る所から聞こえ、やがて目の前に現れた。

 

「これは、もしかして ピンチというものですの?」

 

「おい。もしかして、この状況はヤバくないか?こんなところで死ぬなよ?」

 

「言われなくてもわかってるさ。やっちーも連れ戻してみんな帰ろうッ!」

   

扉の近くの石壁の隙間から、灰色のスライムのような生物が這い出てきた。それは鼻を衝く異臭を放ち、意思を持って行く手を塞いでいる。

   

「神様、どうか リカたちをお守りください」

 

椎名は祈りを口にして、リボンでつつまれた白い箱を投げつけた。どうやら火に弱いらしい。あっというまにそいつらは割れ目に逃げ込んでしまう。

 

「逃すかってのッ!」

 

葉佩は椎名と共に爆弾の雨を降らす。あっというまに灰色のスライムみたいなやつらはいなくなってしまった。

 

「よし、いこ~ぜッ!リカちゃん、お疲れ様!」

 

「はいですの!お役にたててリカ嬉しいですゥ!」

 

手を繋いで進んでいく椎名と葉佩に遠足かよと思いながら俺は後ろをついていく。ちら、とうしろを振り返ると染みが濃くなっている気がした。

 

行き止まりは広い区画だった。中はまるで牢獄のようで、床から壁、天井には いたるまで血なのか体液なのか、なにかが飛び散ったあとがある。壁には何かがはりつけにされていたような跡がある。溶かされた焼かれた生き物の生皮がそのまま壁の染みとなっており、ひどい拷問を行ったのだとわかる。それが制服の山だとわかってしまった俺達は息を飲んだ。奥で倒れているのが八千穂だと気づいたからだ。血の気がひくのがわかった。

「やっちー!」

 

「八千穂ッ!」

 

あわてて抱き起こしてみると、どうやら気を失っていただけらしい。H.A.N.T.の生体反応も異常を示すことはなく、気絶というアナウンスが流れた。

 

「皆守、やっちーのこと頼む」

 

「あァ」

 

背負った俺の前に葉佩がたつ。

 

「やっちー達を呼んだのはお前か?」

 

そこには俺たちと同じ天香學園の制服を着た男子生徒がいた。

 

「......いや、君も被害者みたいだな」

 

葉佩はいいなおす。男子生徒は灰色の涙を流していた。よく見ると腕も足もスライム状になっており、体の色も灰色になっている。どうやらさっきのスライムに飲み込まれるとこうなるらしい。

 

「なんで......なんでくるんだよォ......生贄用意したら食われずにすむのに......邪魔しないでくれよ......」

 

スライム状の腕からナイフがあらわれ、突き刺そうと襲ってくる。椎名が牽制に爆弾をなげるが、どうやら男子生徒の体と融合しているために

火を恐れずに襲ってくるらしい。

 

「生贄ねえ......やっちーや翔クンを呼んでたのは君か?」

 

「仕方なかったんだ......まさか、こんなことになるなんて......」

 

半狂乱状態のせいかろくに話が通じそうにない。やりにくいなあ、と葉佩はぼやく。

 

「......おい、なんだそれ」

 

「ん?これか?よくぞ聞いてくれましたッ!取手と翔クンからもらった宇宙人の武器改良版でーす。ちなみに試験は一切してない」

 

「はあっ!?」

 

「さあて、効くかな?」

 

なんの躊躇もなく葉佩は立方体の物体を男子生徒に投げつけた。

 

「ぎゃあっ!腕が......腕がァッ!」

 

「凍ったら同じだよな。悪く思うなよ」

 

スライムと融合しているせいでダメージが通らないと知った葉佩はなんの躊躇もなく剣をぬいた。戦い慣れていない一般人がナイフを振り回したところでたかがしれている。凍らせて攻撃、しかも爆弾の援護。俺は男子生徒に同情した。

 

やがてスライムは男子生徒から剥がれ落ち、どこかの隙間から逃げてしまう。男子生徒はいよいよ怯えきってしまい、葉佩と椎名に殺さないでくれと土下座していた。

 

「興味本位だったんだ......《墓地》に穴があいてたから......そしたら灰色のスライムに襲われて......」

 

男子生徒は泣きながら説明し始めた。

 

そのスライムは服の隙間に入りこむと、まるで体の一部になったかのようにその肉体と融合してしまった。

そして、このまま生贄として取り込まれたくなければ新たな生贄を用意しろと脅迫されたらしい。死にたくなかった男子生徒は、灰色のスライムの言われるがままに手紙を用意したり、《隣人倶楽部》の連中に紛れ込んで灰色のスライムの破片をマウスパッドに仕込んだりした。灰色のスライムにはこの先にある本体に生贄として取り込まれにいこうとする本能があり、テレパシーでより被害者を増やそうとするらしい。

 

「あと一人......あと一人なんだよ......そしたら解放してくれるっていうから......。ちくしょう、誰だよ、外にたくさん人間がいるって教えたやつ!」

 

「馬鹿じゃないのか、そんなの嘘に決まってんだろ」

 

「そうですわァ。ここのスライムはリカの担当していた区画より賢い見たいですけれどォ、どうみても難しいですよぉ?」

 

「そっかァ、助かりたいのか~」

 

「おい、葉佩。まさかこいつまで助ける気じゃないだろうな?こいつは何人も生徒を生贄にしてたんだぞ?」

 

「除去くらいはできるだろ~、目に見える部分は。ただ細胞レベルで汚染されてたらちょっと無理かな~。やってみるか?」

 

葉佩は冷凍爆弾と剣を構えて男子生徒に迫る。頼む、と言われたらなんの躊躇もなく男子生徒はダルマになるだろう。おいおいおい、と思いながら見ていると痛いのは嫌だと男子生徒は泣き出した。

 

「ふ~ん、やっちー生贄にしようとした挙句、翔クン殺そうとしといてよく言うなァ。都合よすぎないかァ?」

 

「俺だって、俺だって、すきでやりたかったんじゃないんだ!やらないと殺されるから!怖くて!仕方なかったんだよ!わかってくれよ!」

 

「え、微塵もわかんね~んだけど。で、どうすんの?俺が除去してやろうか?それとも瑞麗先生に全部ゲロって助けてもらうか?」

 

長い長い沈黙の末に、男子生徒は自首すると告げた。

 

「今日は帰ろう、皆守、リカちゃん。やっちーの容態が心配だ」

 

男子生徒いわく、取り込まれたい本能により無意識のうちに八千穂はここまで来ただけらしい。

 

「おい、灰色のスライムの本体はどうすんだ」

 

「う~ん、残念ながら俺宝探し屋だけどゴーストハンターじゃないんだ。灰色のスライムが火に弱いことはわかったから、感染してる子達にはそれで対処できるかなって。まだタイゾーちゃんとの戦いが残ってるからね、そっち優先でいくよ」

 

「そうかよ」

 

「わかりましたわァ。葉佩クンのお友達、ご無事でよかったですわね」

 

そういうわけで、俺たちは一旦退却することになったのだった。

 

......勘弁してくれよ。いつの間にあんなやつが《遺跡》占拠してやがるんだ。俺の担当してる区画までしみ出てないか気になりすぎて寝れる気がしないんだが。



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海底牧場4(オリ主プロフ末尾にあり)

葉佩から私の体調不良の原因と解決、《隣人倶楽部》の解体と肥後大蔵の仲間入りが知らされたのは、翌日の10月8日のことだった。

 

そして、学校に復帰したのは翌週の11日である。早朝、溜まりに溜まった課題や提出物のために職員室に来ていた。担当教師の誰もが長期の休みについて言及するどころか腫れ物みたいな扱いをされていることが気になってしかたなかった。そしたら雛川先生に捕まり、奥の進路指導室に連れていかれたことでようやく私は事の深刻さを把握することになる。

 

「ねえ、江見君。たしかに私は今学期から赴任したばかりの新米教師かもしれない。でも、私はあなたの担任なの。先生じゃ江見君の力になれないかしら?」

 

「......雛川先生?」

 

雛川先生は憂い顔である。

 

「劉瑞麗先生から聞いたわ。この一週間の体調不良によるお休みは、嫌がらせによる精神的な問題が大きいって。そんなに思い詰めていたのに、気づくことができなくてごめんなさいね」

 

瑞麗先生どんな説明をしたんだろうか、とものすごく気になったが雛川先生は止まらない。

 

「葉佩君と皆守君が心配していたわ。先生、ちょっと聞いちゃったんだけどね。体に不調が出て、死にかけるほど追い詰められていたなんて......いったいなにがあったの?やっぱり萌生先生じゃないと相談なんて出来ないかしら......」

 

その言葉に大体のことを把握した私は頭を抱えたくなった。学校のド真ん中で私の話をするわけがないから、きっと屋上や保健室など皆守の出席率をあげるために自主的に巡回している雛川先生は、たまたまた二人の会話を聞いてしまったのだろう。私の事情を限りなく正確に把握している皆守は、きっと私が死にかけたことに驚き、葉佩はそこまで追い詰められていた、と判断した。

 

客観的に見れば言われたとおりの状況だから困る。

 

しかも同じ《ロゼッタ協会》所属の大先輩たる萌生先生から教導をうけ、引き継ぎをしていた関係で、私がかつて萌生先生に相当懐いていたと考えているらしく、雛川先生はものすごく気にしているらしい。言葉の節々からベテラン教師から途中でかわったことに対するプレッシャーが透けて見えてしまい、気の毒になってしまう。

 

「えーっと......」

 

言葉を慎重に選ばなくてはならない。この人は特記事項に想像力が豊かですと書いてあるくらい、色々と不安になればなるほど考えすぎて視野が狭くなり孤立してしまうタイプの先生だ。新任ゆえなのか理想の先生になるために必死でがんばるのに、いまいち報われない。理想と現実の乖離と孤立気味な職場に涙しながらもら頑張るしでいい先生すぎて不安になる人なのだ。これは断片的な情報を渡して想像力をかきたてるより全部渡した方がいいかもしれない。

 

私は雛川先生をみた。

 

「江見睡院ってご存じですか、先生。18年前まではテレビにも出たりしてそこそこ知名度があった考古学者であり探検家なんですが」

 

「ええと......ごめんなさい。存じ上げなくて。同じ苗字ってことは......もしかして、江見君のお父さんかしら?」

 

「はい、そうです。18年前歴史の教師としてこの學園に赴任して、そのまま行方不明になったオレの父です」

 

「えっ......ほんとうに?」

 

「はい。オレは父を探しに5月からこの學園に転校してきました。そのとき、なにか資料は残ってないかと思って、探し回っていたんです。職員室の資料を見せてもらおうとしたから、萌生先生には事情を話しました。でも見つからなくて、今に至ります」

 

「そうだったの......それで......」

 

「これだけは知っておいてほしいのですが、雛川先生が頼りないからではなく、頼る機会がなかっただけなんです。生徒会室も図書室も職員室や書庫まで調べ尽くしてもなにも出てこなくて。だからもし雛川先生が4月から担任だったならオレは頼っていたと思います」

 

「そっか......ありがとう、江見君。でもね、嫌がらせについては相談して欲しかったな......」

 

「ああ......オレはあんまり気にしていなかったので......」

 

「でも、精神的に追い詰められていたから休んだのよ、江見君」

 

「そうですね......」

 

なにもしらない人にはそう説明するしかないから困る。私はほほをかいた。

 

「今月に入ってから、父から手紙が来たんです」

 

「えっ、ほんとうに?」

 

「ただ、學園から出ていけってメッセージが毎日ポストに入っていて、ほんとうに父の手紙なのかわからないんです」

 

雛川先生の表情が強ばるのがわかる。そうだよな、普通ならそうなるよな。そりゃ、私だってそんな状況になったら思い詰めてしまうことだってあるかもしれない。江見翔という存在そのものが虚構じゃなかったら、この世の終わりみたいな絶望感に苛まれていたかもしれない。雛川先生は生徒の側にたとうと足掻きまくる先生だから、私の状況がだいたい把握できたらしかった。

 

「なんてことを......そんなの悪質すぎるわ......。辛かったわね、江見君」

 

私はうなずくしかない。悪質な手紙なのは事実だし、この手紙のせいで危うくこの体に固着している私という精神そのものが死ぬところだったのだから。

 

「今は、もう大丈夫なの?」

 

「あ、はい、それは大丈夫です。それで、葉佩たちが犯人捕まえてくれたんです」

 

「そうなの......」

 

あっ、まずい雛川先生の目が一瞬濁った。同じ時期にやってきた自分はなにも出来ないのに、學園内で噂になっている葉佩九龍の活躍に対するいろんな葛藤が浮かんでるやつだ。......葉佩雛川先生攻略してるみたいだから上手くいってるみたいだな。なにか、なにかフォローしなきゃ。

 

「雛川先生、ならお願いがあるんですが」

 

目に光が戻った。よかった。

 

「BAR《九龍》ってご存じですか?」

 

「えっ、ああ、あの?以前瑞麗先生に教えてもらってからは時々いっているんだけど」

 

「実はあそこのマスター、18年以上前からマミーズとBARをやっているんです。だから父のこと知ってるはずなんですよ。オレ時々話を聞きに行くんですけど、なかなか本題に入れなくて」

 

「まあ、そうなの」

 

「だから、今度瑞麗先生と女子会開くとき教えてください。オレもいってみます。雛川先生、大人だからお酒飲めるでしょう?オレより話を聞き出しやすくないですか?」

 

「そうね、それはたしかに」

 

「お願い、できますか?」

 

「ええ、もちろん。瑞麗先生と都合が合わないときでも先生がんばるわね」

 

「えっ、先生、そこまでしなくても」

 

「いいの、いいの、気にしないで」

 

はたから見たら教え子とBARにいくやばいシチュエーションなわけだが、雛川先生はあっさりと了承してくれたのだった。さすがはみんなのオレスコ先生だ。なんだかよくわからないが、ものすごくやる気になってくれてなによりである。

 

ここが人気の秘密なのかもしれない、となんとなく私は思ったのだった。

 

「あら、もうこんな時間だわ。江見君、そろそろ教室にいきましょうか」

 

「そうですね」

 

このあと私は葉佩からやけに雛川先生と仲いいがどういうつもりだと尋問を受けることになるなどまだ知りもしないのである。

 

 




《江見翔(えみしょう)》
3のCに5月に岡山県から転校してきた江見睡院を父に持つ一般人。18年前行方不明になった父を探してやってきた。宝探し屋だった父のことを主人公から聞かされてバディに加入することになる。

知力+40
取得経験値とレベルアップ時の上昇ポイントに影響
精神-15
ステータス異常に影響
洞察+10
銃撃に影響
直感+10
すべての武器の攻撃力に影響
敏捷+10
最大APに影響

数学+10(鍵開け)
歴史+10(碑文解読)
地学+10(行動力)
体育+10(ジャンプの飛距離)
生活+10(料理に影響)

アクティブスキル《電気銃》謎の古代銃、必ず麻痺効果、威力ははかいしれない。or《冷凍銃》謎の古代銃、必ず氷結、威力は破壊しれない。

パッシブスキル《父の知識》H.A.N.T.にランダムで射程情報追加→《偉大なる知識》確定で射程情報追加

相関図
友情
→期待の星
→希望の星
→羨望の星
愛情
→愛の伝道師?
→いみがわからない
→きみのせい


江見翔の相関図はだいたい事情把握してそうな意味深なものが多く、瑞麗先生、夕薙、七瀬、やっちーは好意的、幽香、生徒会は否定的、黒塚と皆守がなんかおもしろいことになっている


江見翔の弱点は精神力への攻撃。精神交換により江見翔の体を動かしているため、貫通して精神力けずられると中の人死ぬのでだめ。基本ロゼッタ協会に回収されて五十鈴にこんなところで死ぬとはなさけないされるので復活に時間がかかる。


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君の名は1

 

受信日:2004年10月12日

送信者:転送者

件名:FW:必ず会える!

 

天香サーバーに届いた鴉室 洋介さんからのメールを転送いたします。

 

いや~、タイトルで期待しちゃったか?ま、読まずに捨てられちゃ適わないんでな。調べたところ、夜中3時以降は墓守は《墓地》を見回りしないようだ。君の友達の江見翔くんはマラソンが趣味らしいから、それに付き合う形で彼を《墓地》まで連れ出してくれないか。是非君に手伝ってほしいことがある。

 

H.A.N.T.を返した私は肩を竦めた。体調が回復してから初めての誘いは《遺跡》の探索ではなくマラソンだったので、葉佩が気を使ってくれたんだなと思っていたがどうやら違うらしかった。

 

つーかイベントの発生はやすぎないか、まだ10月半ばだぞ?ゲームだと11月じゃなかったかな?やっぱり私がいる影響か、それともクトゥルフ神話勢力がこの《遺跡》に住み着いていることが判明したからか、それともこの《遺跡》の秘密にクトゥルフ神話要素があるからか。エムツー機関はずいぶんと行動がはやいらしかった。

 

「なるほど、そういうことか。ちょっと残念だな。やっとマラソンに付き合ってくれるのかと思ってたのに」

 

私の言葉に葉佩はわらう。

 

「じゃあ《墓地》まではしろ~ぜ、翔クン」

 

私はあわてて葉佩を追いかけた。向かうのはいつもの《遺跡》の入口に近い《墓地》の中程ではなく、男子寮から1番遠い森の隅っこの方らしい。

 

かすかにこもってきこえてくる秋の虫の声を聴き、木陰の葉叢の匂いにまじって漂って来る温室からの花の匂い。雨風にさらされて粉を吹いたように風化した墓石が並んでいる。

墓を掃き清め、墓石をせっせと洗い、長いこと手を合わせる者などいない。そこにあるのは無数の死を築く墓地である。人間の毛髪の一本一本を根元から吹きほじって行くような冷めたい風が吹いて来た。

 

「葉佩君ッ、江見君ッ、こっちこっち。いや~待ちくたびれたよ。メール見てくれただろ?」

 

「もちろんッ!だからこうして翔クン連れてきたじゃないですか!」

 

「そうかそうかッ、よくやったぞ葉佩君!さすがは葉佩君、この俺が見込んだ奴だけのことはあるぜ。よォ、君が噂の江見翔くんかな?」

 

めっちゃ葉佩と意気投合しているおっさ......いやお兄さんが現れた。

 

「あなたは?」

 

「俺は鴉室 洋介(あむろ ようすけ)

。行方不明になった息子を探してくれって親御さんからの依頼で違法なのを承知のうえで探してる探偵さ」

 

「葉佩がいってた宇宙探偵ってこの人?」

 

「そうそう、泣く子も黙る宇宙探偵はこの人。な?面白そうだろ?」

 

そこにいたのは革ジャンにアロハシャツ、でかいサングラスという派手な出で立ちをした男だ。天香学園に潜入調査を行っている私立探偵。ヒーロー特撮物にかぶれており、軽薄でお調子者に見えるが、隠された裏の顔を持つ。エムツー機関のエージェントにして瑞麗先生のパートナーだ。ついでにいえば、実は前作東京魔人學園伝奇シリーズスピンオフ漫画の『妖都鎮魂歌』全二巻にカメラマン役として登場する。ほんのチョイ役とはいえ、カメラマンから探偵になるにはなにか事情があったのだろうか。

 

ところで瑞麗先生から《ロゼッタ協会》の諜報員が私の体の正体であり、中の人はイスの偉大なる種族により精神交換で保護された見返りに協力者となっている人間なのは把握済みのはずだがとくに接触する気はないらしい。あくまで私が支援している葉佩との接触が最優先のようだ。意外と有能だなこの貧乏探偵。さすがは皆守甲太郎の本気の蹴りを受けてもすぐ回復した男、ギャグ補正はつよい。

 

「君たちに協力してもらえるならこれほど心強いことはない。何せ君たちの方が詳しいはずだからな。あの墓地のことなり。へへへッ、知ってるぜ。夜な夜なあそこへ出入りしてるだろ?」

 

「さすがは宇宙探偵!有能!」

 

「あはははは!いいこだなあ!おっといいんだ、人それぞれに事情ってもんがある。それについて説明する気は無い。まずは情報をやろう。ついてきな」

 

後についていくと、かなり古そうな墓の前に私達はやってきた。そこに刻まれているのは。

 

「ここが江見睡院、君の父親の墓だ」

 

「......ここが」

 

私は息を飲んだ。《ロゼッタ協会》の報告書で知ってはいたが、実際に墓が前にあるのではやはり衝撃が違う。ここに墓があるということは、江見睡院は《遺跡》で命を落としたのではない。生きているという紛れもない証となる。

 

「江見睡院先生......」

 

尊敬する《宝探し屋》が葬られたと早合点している葉佩は神妙な顔をしている。

 

この學園に来てから、最深部のラスボスを倒さないと《墓地》の犠牲者たちは蘇生できないと知っていたため、《遺跡》の攻略最優先だった私は江見睡院の墓がどこにあるのか知らなかったのだ。見つかったら江見翔の學園にいる理由がなくなってしまうからである。葉佩と合流する前にそんな事態になるのを避けるためだったが、江見睡院の名を騙る不届き者が確かに存在することが名実ともに明らかになったわけだ。さて、どうなるか慎重にいかないといけないな。

 

「江見君大丈夫か~?」

 

呼びかけられた私は顔を上げた。一番ショックを受けているはずの私より嘆き悲しんではいけないと思ったようで、心配そうな葉佩が覗き込んでくる。

 

「ありがとう、葉佩。オレなら大丈夫だよ」

 

「顔色わるいけど」

 

「それは葉佩もだろ。葉佩の方が父さんにずっと近いところにいるはずなんだからさ、なにも思わないわけないよな。わかってるよ。だから気にしないでくれ。オレにとって一番嫌なのは、葉佩が父さんの二の舞になることなんだから」

 

「翔クン......」

 

「いやあ、泣けるねえ~、男の友情ってのは!だが待ってほしい、本題はここからだぜ」

 

どうやら、初めから準備していたらしい。軽く土を払うと、あっさり墓が掘り返された。私たちが驚いている前で、貧乏探偵はなんの躊躇もなくなかにある棺の蓋をあけてしまう。中は空っぽだった。棺の内側は引っ掻いたようなあとが無数にある。生き埋めにされていたのは明白だ。私達は息を飲んだ。

 

どうやって極限まで精気をすいとられてミイラ状態になっていながら江見睡院は蘇生したんだ?どうやって外に出たんだ?万が一オーパーツかなにかで蘇生したとしても生き埋めにされている以上、身動きとれない棺の中からゾンビよろしく這い出すことなど出来そうにない。

 

「どうよ、俺もね、毎日遊んでるわけじゃないだろ?」

 

「さすがは宇宙刑事ッ!かっこい~!憧れる!」

 

「すごいですね、さすがです......。所持品がないってことは、どこかに誰かが持ち去ったか、初めからからっぽってことだ。これ以上ないくらいの情報です。ありがとうございます」

 

「あっはっは。いや~モテる男はつらいねえ。さて、本題はここからだ。しかる筋によると、江見睡院さんはここからどうやら逃げ出した可能性があるそうじゃないか。俺は依頼人の息子さんの墓を掘り返すつもりだ。埋まってるものが本当に所持品だけならなんの問題もないはずだろ?だがもしも、それ以外の何かが出たとしたら、そいつは君たちにとっても有益な情報になるんじゃないかと思うが......どうかな?」

 

葉佩は目を輝かせている。私はうなずいた。

 

「所持品が盗まれたのかどうか気になります」

 

「いやいやなになに、そんなに尊敬の念を込めて見つめなくてもいいからな。さ、そうと決まればさっそく行こうぜ。あっという間に朝になっちまうからな」

 

私達は黙々と作業を続けた。

 

「......なァ、葉佩君。さっきはああいったが、実は俺、結構興味津々なんだぜ。君が一体なにものなのか。江見睡院さんがなにものなのか。葉佩君は?俺に興味とかないの?貧乏探偵ってのは世を忍ぶ仮の姿で、実は......とか」

 

あ、やっぱりこの人私の情報知ってるな、私にふってこないし。

 

「えっ、宇宙刑事じゃないんですか!?やべえ、もっとすごいのきちゃうやつ!?」

 

「あっはっは、そんなに期待されちゃうとな~、どうしよっかな~」

 

なんだかんだではぐらかされ、最後にさしかかると28さいのお兄さんは仕上げにかかった。

 

そこにいたのはミイラだった。やっぱり実物で見ると気持ち悪いなあ。さすがに葉佩たちも顔色が悪い。

 

ここに安置されているのは精気を極限まで吸い取られた人間であり厳密にはミイラではない。ミイラのような状態においこんで生き埋めにし、魂を生贄にして最深部にいるやばいやつを封印しているのだ。

 

「いやァ~、想像以上に面白いことがわかったな、2人とも。さあ、そろそろ埋め直そうか」

 

私達はスコップを持って作業を開始したのだった。

 

「いい収穫だったよ。じゃあな、また会おう」

 

鴉室さんを見届けて、私達は男子寮に戻ったのだった。

 

「───────葉佩に江見?なんだ、マラソンにいったんじゃなかったのか?ってそんなに泥だらけになって何やってたんだよ、全く......。おい、江見。お前のマラソンてのはいつもこうなのか?」

 

「そんなわけないだろ。葉佩に騙し討ちくらったんだよ、感謝はしてるけどね」

「感謝だ?」

 

「詳しくは葉佩に聞いて欲しいな。オレは成り行きで巻き込まれただけだから」

 

深深と皆守はためいきをついた。

 

「やっぱり、毎度の事ながらなんかあるとはお前のせいなんだな、葉佩」

 

「ひっどいなァ~ッ!今回は翔クンのためになると思って誘ったんだからな?」

 

「だからそれに関しては感謝してるよ、葉佩。ありがとう」

 

「へへっ、どういたしまして」

 

「あ~......んなに汚れてるなら風呂はいってこいよ。どうせ葉佩のことだからボイラー室の鍵ちょろまかしてんだろ?」

 

「よくわかったな!」

 

「葉佩に詳細を聞かなきゃならないからな、とりあえず、江見は先に入ってこいよ」

 

「え~ッ!?」

 

「えーじゃない」

 

遠回しに気を使ってくれている皆守の言葉に甘えて、私は先を急ぐことにしたのだった。

 

 



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君の名は2

登校したら玄関近くにある庭に設置されている生徒会長像が真っ二つに叩き切られていた。あー、はじまったか。タイゾーちゃんを唆していたファントムを名乗る何者かが《執行委員》を唆して《宝探し屋》に喧嘩を売り始める話だ。ちなみにこれが葉佩がきた途端に毎週毎週《執行委員》が事件を起こす間接的な理由だから困る。

 

「あッ、翔クンッ、おっはよ~ッ!ねえねえ聞いたッ?學園の敷地内で謎の生物が目撃されたって話!」

 

宇宙探偵こと鴉室さんが流した噂のことだろうが、私はクラス中の噂になるほどのことか疑問が浮かんでしまう。すでに宇宙人やら謎のスライムやらなんかが《墓地》を跋扈しているこの學園でなにをいまさらそんなに盛り上がることがあるのだろうか。

 

「また出たのか?スライム」

 

「ぶっぶ~、残念でした~!実は違うんだ~!」

 

「おっはよ~、やっちー!」

 

「あ、おっはよ~、九龍クンッ!ねぇねぇ、学校の噂聞いた?」

 

あれ、やっちーの呼び方が葉佩クンから九龍クンに変わってる。いつの間に。これはあれか、私が1週間死にかけている間に遺跡に潜りまくったんだろうか、葉佩。昨日までは呼び方一緒だったのに。ん?と一瞬固まる葉佩だったが、やっちーがにこにこしているので気にしないことにしたらしい。

 

「あ~、知ってる知ってる。ツチノコが出たんだってな!」

 

「そうそう!さっすがだね。あ、そっか、情報収集能力がないとダメだもんね、《宝探し屋》って。さすがは本職!」

 

「すごいだろ~?惚れてもいいんだぜ、やっちー」

 

「や、やだなあ、なにいってるのよ、九龍クンったら!」

 

「───────い゛」

 

そりゃやっちーの照れ隠しによる本気の肩パンは痛いだろう。葉佩は冷や汗を浮かべながらニヤニヤを崩さないよう頑張っていた。

 

「ツチノコ?なんでそんな騒ぎになってるんだろ、今までもやばいやつはいたのに」

 

「それはね、いいことをすると願いを叶えてもらえるから保護してあげたい子達が多いんだと思うよ」

 

待ってくれ、それ明らかにツチノコの範囲超えてないか。鴉室さんこの學園内になに放ちやがった。ちょっと聞き捨てならなくて詳細を尋ねてみると、興味をもったと思ったのか、やっちーは教えてくれた。

 

 

実はあらゆるオカルトが存在するこの世界においては存在がほぼ確定しているツチノコである。日本に生息する未確認動物 (UMA)のひとつで、鎚に似た形態の、胴が太いヘビ。普通のヘビと比べて、胴の中央部が膨れている。10メートルほどのジャンプ力があり、日本酒が好き。チーと鳴き声をあげる。歯はすきっぱである。非常に素早い。

 

シャクトリムシのように体を屈伸させて進む、尾をくわえて体を輪にして転がるなどの手段で移動する。いびきをかく。味噌、スルメ、頭髪を焼く臭いが好き。猛毒を持っているとされることもあるらしい。

 

うん、私が知っているツチノコと変わらない。

 

「ツチノコかあ」

 

「いると思う?葉佩クン」

 

「そりゃいるだろ~。縄文時代の石器にツチノコに酷似する蛇型の石器があるし、長野県で出土した縄文土器の壺の縁にも、ツチノコらしき姿が描かれてるんだよ」

 

「えっ、そうなのッ!?そんな昔から?」

 

「だから生き残ってても全然不思議じゃないな!」

 

「そうなんだ!すごいね!」

 

「どんな目撃情報が上がってるんだい、やっちー」

 

「よくぞ聞いてくれましたッ!それがね、すごいんだよッ!翔クンが学校休んでる間に運動部の子達からはじまって、学生寮の裏の森あたりで見たって子がではじめて。えーっとね、あたしが聞いた話なんだけど、野球ボールが茂みまで飛んじゃったから探しにいったらツチノコ見つけたんだって。捕まえようとしたらたくさんの蛇がこっちをみてたんだって。でね、捕まえようとした子達は熱出して、やめさせようとした子達はテストとかでいい結果が出たんだって!」

 

「それでそれで?」

 

「ツチノコは神様じゃないかって噂になったんだ」

 

「へぇ~ッ、神様かあ!おもしろいなあ。でもなんで保護?」

 

「そのツチノコ、怪我してたみたいでね。手当しようとした子にはいいこと、捕まえようとした子には悪いことがあったらしいの。そんなことが沢山あって、ツチノコは神様の姿じゃないかって噂になったみたいだよ」

 

それ、イグと関係あったりしませんか?と聞きたくなった私は悪くないと思う。

 

ちなみにイグとはクトゥルフ神話における蛇の神であり、子供達を引き連れて飛来した宇宙人だ。その子供達があらゆる蛇類やヴァルーシアの蛇人間の祖先となった。北米ではネイティヴ・アメリカンに崇拝が伝承されている。人間の信者も多く蛇を大切にする者には、それなりの見返りもある。又、信者達のリーダーでテレパシーを持つ女性司祭はスネークマザーと呼ばれる。従属種族はスススハー率いる蛇人間たち。

 

イグの姿は蛇の頭をした人間、もしくは鱗に覆われた人間のような腕を持つ巨大な蛇の姿をしているといわれている。イグは北米だけでなくブードゥーの一部やヘビ人間、イグの眷属に崇拝されているといわれている。比較的崇拝者に優しい旧支配者であるが怒りっぽく自分自身の姿に似ている普通の蛇を殺したものを処罰するといわれており、イグの教団の邪魔をしたものに対してイグの手先や子供を送り込むといわれている。

 

ちなみにツチノコはこのイグの子供ではないかと言われている。たしかに比較的人間に優しいとはいわれているが、まさかイグの子供のことをツチノコだと広めるとは思わなかったぞ、鴉室さん。違和感なさすぎてスルーするところだった。慣れって怖い。

 

「うちの學園の七不思議にね、3番目のツチノコってあるからさ。神様なら間違いなく願いを叶えてくれそうだから、見つけたら怪我の手当とかエサあげようとか考えてるみたいだよ!」

 

......案外創立100年目のこの學園敷地内にある《遺跡》には、ツチノコに似た化人がいるのかもしれないと思った。

 

「ねえねえ、九龍クン、翔クン。せっかくだからあたし達もツチノコ探してみない?いつもより危険はなさそうだけど、ひとりじゃ怖いし......みんなで探したら怖くないと思うし」

 

「いいね、いいね、おもしろそうだしッ!たまにはこういうのも気分転換になっていいよなッ!」

 

「えへへッ、ありがとう、九龍クン!私も九龍クンが協力してくれたら嬉しいよ!」

 

「2人がそういうならいいよ。オレも手伝う」

 

「翔クンもありがと~ッ!」

 

「さすがは翔クン、ノリがいいッ!」

 

「おい、九龍、翔。お前らな、悪いこと言わないからやめておけ」

 

誰もがこの時間帯にいるはずもない人物の声がしてビビったのは不可抗力だ。ついでに昨日今日で呼び方変えましたって感じじゃなさげな顔して呼んでるが、こいつは早朝の私達と男子寮であっていたはずなのに呼び方が違うのはなぜだ。タイミングがタイミングだけに違和感しかないが、葉佩たちの驚きはもちろんそこでは無い。

 

「よぉ」

 

机に足を乗せながらふんぞり返っている皆守にやっちーたちがとんでいく。面倒くさそうに眉を寄せているが口をはさんだ時点で周りが騒がしくなることは当たり前の流れなんだよなァ。

 

「み、皆守クンッ!?今朝はどしたの?すごく早くないッ!?」

 

「何処ぞの阿呆共が朝っぱらから外で騒いでたから起こされたんだよ」

 

「ひっどいな~ッ!俺達騒いでないし、話しかけてきたのは甲太郎からだろッ!勝手に捏造するなよ~ッ!」

 

「お前らは足音がうるさいからすぐにわかるぜ」

 

「理不尽すぎないかッ!?」

 

不機嫌そうに皆守はいう。聞きたがったから話したのに、と葉佩が抗議しているあたり。どうやら葉佩は《墓地》でのことをまるっと話してしまったようで、江見睡院のミイラもどきがなくなったあたりのくだりで寝るに寝れなくなったとみた。自業自得では?

 

「そうなんだ。でもよかったじゃない、早起き出来て」

 

「あのな、そういう問題じゃないだろ」

 

「えへへ、そう?でもこのままちゃんと出席できたらきっとみんなで卒業式できるよね~」

 

「......」

 

一瞬皆守が言葉に詰まる。

 

「卒業式か~、いいね、いいねッ!こうあれだろ?暮れなずむ町の光と影の中だろ?」

 

「そうそう、去りゆくあなたへ~」

 

「あれって失恋の歌らしいけど卒業式のイメージ強いよな」

 

「えっ、嘘、まじで?」

 

「海援隊の人が嘆いてたよ、テレビで」

 

「えええ~ッ!」

 

「でも卒業式か~、楽しみだな。東京と岡山ってどう違うんだろ?」

 

もりあがる私達の隣で沈黙したまま皆守がアロマをくわえる。《宝探し屋》と宇宙人が平然と卒業式を迎えたいと笑っている姿は今の皆守にはどう見えているのだろうか。私は遺跡を攻略してすべてをなぎ払う葉佩がいる時点で確定した未来だと知っているし、なにがなんでも成し遂げられるよう支援する気満々だからある意味決意表明なのだが。

 

そして話の輪から離脱しようとしている皆守の気配を察知した葉佩とやっちーが二人がかりでツチノコ捕獲に皆守を巻き込み始め。

 

うっかり失言から全く情報を持ち合わせていない何のことか全くわからないツチノコについて、勝手に想像しながら黒板にかく羽目になった皆守なのだった。

 

これはひどい。土の子と連想したとはいえ酷い。鬼もどきを書いてしまった時点でやっちーがぶっぶーと笑い出す。

 

「ツチノコって、槌、ハンマーみたいに太い蛇のことだよッ!」

 

自信満々に横に描き始めるやっちーだが、デフォルメされすぎてただの蛇なのだ。なぜわかっているのにこうなるのか。

 

そしてやめとけばいいのに、なぜか自信満々で互いに正しいと主張するやっちーと皆守が喧嘩をし始めた。

 

「やっちー、甲太郎ときたら翔クンの流れだよなッ!はいど~ぞ、チョーク」

 

「えっ、オレも?」

 

「だってこん中で宇宙人と会ったことあるの翔クンだけだしさ、UMAって宇宙人みたいなもんだから描けるだろ~?」

 

あっ、面白がってるぞ、この愉快犯!まあ古墳時代の石器がどうのこうのいってたから大体の形状はしっているんだろうけどさ。やっちーは面白そうに見ているし、皆守は宇宙人にUMA描かせるのかって変に身構えてるし。よし、それなら期待に応えないといけないな、画力がおいつくかどうかは別として。

 

「ねえねえ、翔クン。横のニョロニョロな~に?」

 

「え?やっちーがいってただろ、たくさん仲間がいるって」

 

「なんでガンつけてるんだよ、こいつ」

 

「え?悪いことしたら災いがふりかかるんだろ?」

 

「何その無駄にクオリティ高いのッ!しかも蛇の顔した人間だしッ!なんだよこの悪魔合体!」

 

「え?だってやっちーが神様だっていうからさ、蛇神的な」

 

葉佩は腹を抱えて笑いだしてしまい、やっちーと皆守は私よりはマシなはずだと何故か仲直りし始めた。

 

「古人曰く......誰もが皆真実のために戦っている」

 

ちょうど滞納している不届き者たちから本を回収してまわっていたらしい七瀬が葉佩に同情めいた言葉を投げかける。

 

「えー、よくかけてると思うんだけどな」

 

「お題はツチノコですよ、江見さん。トンボがお題なのにヤゴを描くようなものです」

 

一瞬皆守がこっちをみた気がしたが、気のせいだろう、きっと。



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君の名は3

ただいま昼休み、食事を終えた直後である。まだ時間は半分ある。

 

ツチノコ騒動が起こった時点で私は葉佩についていくか、月魅についていくか、ずっと考えていた。なにせ昼休みでも放課後でもなく午後の授業中にあるイベントが発生するためである。授業をサボることになるのか、休み時間の出来事なのか、よくわからないので張り付くなら今からでも行動を起こさないと場所の把握が難しくなってしまう。

 

理由はのちのち明らかになるから置いとくとして、用事ができたため月魅の方にいくことにする。

 

図書室はいつになく満員御礼である。ツチノコ効果すごい。

 

これじゃあイグのこと思い出して無性に気になってきた九龍という言葉について調べることは難しそうだ。なにせ九頭龍とは、九つの頭を持つ龍の事である。大元はインド神話に登場する蛇神「ヴァースキ」。仏教の八大竜王としても数えられていたが、中国を経て日本に伝来するにあたって九つの頭を持つとされてしまった。日本各地で九頭龍を祭る信仰は存在しており、神社やお寺などにその神威を感じることができる。

 

そして日本では龍と蛇を同一視し、水の神様と崇めたことはよく知られた話なだけに、九頭龍を別名にもつクトゥルフと《九龍の秘宝》について結びつきを今まで思いつきもしなかった私が悪いんだが。まあいいや

ダメもとで月魅に聞いてみよう。

 

「図書室へようこそ、江見さん。今日はどうされましたか?」

 

本の貸出作業が一息つくのを見計らって、私は月魅のいるカウンターに声をかけた。

 

「なんか噂になってるツチノコって蛇の神様らしいからさ、やっちー達にオレの絵が正しいんだって教えたくてさ。なにかいい資料ないかな」

 

みんなに馬鹿にされたことを根に持っている訳では断じてない。円滑に物事を進めるために必要なとっかかりが必要なだけだ。私の話を聞いて、月魅はなんだか微笑ましい顔をしているが気のせいだろう、きっと。

 

「そうですね......蛇神の伝承などでしたら資料室に古書があったと思います。でも、利用者がツチノコ効果からか、いつになくたくさんいるので放課後になってしまいますが構いませんか?」

 

「ああ、いいよ、それくらい。そういえば七瀬はこんなに忙しそうなのにひとり?」

 

「ええ。でも気にしてはいないです。本と触れ合える機会を軽視するような人が図書委員になられても邪魔なだけなので」

 

「そっか」

 

図書委員としてサボりがちな委員になにかしら怒りがあるようだが、そういうことを考えるだけ無駄だとばかりに月魅は眼鏡を直した。

 

「ああもう......やっぱり図書室の当番、私がもっと入るべきだった......」

 

「なにかあった?」

 

「聞いてください。実はですね、最近、図書室の備品が頻繁に消えるんです。私が当番じゃない時ばかり消えるし、貸出不可のものばかりだから、きっと他の人が適当に扱って無くしても黙っているんだと思います。江見さんは心当たりはありませんか?」

 

心当たりがありすぎて胸が痛い。私はこっそりメールで葉佩に返却するようメールした。好感度あげるチャンスだぞ。でも、よく聞いてみたら私がこないだ調べ物をしてから元の場所に戻すの忘れていた本のタイトルもあったので、それとなく抜きとって渡してみた。

 

「あッ! ありました!それです!一緒に探してくれて、ありがとうございます。江見さんは親切なんですね」

 

「いや~、ごめん。これ、オレが戻す場所間違えてたみたいなんだ。ここってことは「あ」行なんだ?「わ」行だと思ってた」

 

「なるほど、そういうことでしたか。ならば私の見落としが原因ですね。この作者はタイトルに英語の読みのタイトルをつける特徴があるので、普通に読んだ場合が頭から抜けていました。いけない、いけない、イライラしてたせいですね。私の不注意で大切な備品をなくしてしまっている場合もあるのかもしれないのに」

 

「案外、時間をおいて探してみたらまた見つかるかもしれないよ、七瀬」

 

「そうですね......覚えがある話です。今はこれくらいにしようかな......。どこにいってしまったのかしら……。

ふぅ……、これからはもっと管理体制をしっかりしていかなければ」

 

葉佩からの返信だとマミーズから時間がかかるみたいだから時間を潰すことにした。

 

「そういえばさ、七瀬ってどんな本が好きなの?」

 

「私ですか?私は、シリーズものの本がすきですね。ジュヴナイル伝奇という書物をご存じですか?」

 

「ジュヴナイル?時をかける少女とか?六番目の小夜子とか?」

 

月魅が食いついた。

 

「あなたもお好きなのですね!」

 

「オレはドラマから入ったけど面白いよな、あれ。嬉しそうだね、七瀬」

 

「ええッ、もちろん私も愛読書ですッ!ジュヴナイル伝奇のジャンルにおけるあの壮大な物語は素晴らしいの一言ですねッ!心躍るような素晴らしい作品ですよねッ!ああ…、こんな風に語り合えるなんて、あなたと会えて本当に良かった…」

 

同じジャンルの沼にハマったオタク特有のテンション高い早口の月魅がここにいる。やっぱり月魅は好きなことになるとものすごく熱血キャラに変貌するよなあと思いながら、私はハマっている本などについて語り合う。月魅、カリギュラとかにハマりそうな予感がするな。

 

「ATLASの女神転生シリーズとか興味無い?」

 

「ゲームですよね?ネットでよく見るタイトルですけど......私ゲームはやらないんですよね」

 

「そっか。七瀬の好きそうなタイトルもあるから、やりたくなったら言ってくれ。ゲーム機ごと貸すからさ」

 

「ゲーム機ごと......江見さんて布教活動のためなら何でもするタイプなんですね......。見習わなくちゃ......」

 

「あはは。単純にハマってるやつがいないから寂しいだけなんだけどね」

 

2004年はまだ2ちゃんねるくらいしかないからな......。

 

「忙しそうだし、そんなに大変なら手伝おうか、七瀬」

 

「え?図書委員の仕事をですか?いえいえ、今はもう借りに来る人はいないみたいなので大丈夫です。ありがとうございます。たしかに大変ですけどやりがいがありますよ。お昼は忙しいですけど」

 

「たしかに返却するよう言って回るの大変そうだよな」

 

「いえッ!なにより、好きなものに囲まれている訳ですからッ。そんな風に言っていただけるなんて恐縮です。あ、でも、江見さん本がお好きみたいですし、もしよろしかったら、図書委員になりませんか? あなただったら歓迎しますよ」

 

「そうだな~、今からでもやれるなら雛川先生に相談してみるか?」

 

「ほんとうですかッ!?なら、職員室にいってみましょう。ツチノコ騒ぎで図書室の利用率が上がっているのはいいのですが、本の貸し借りのルールを知らない人が多くて困っているんです。今日も本の回収に回らなきゃいけないので、一人でやるよりは効率がいいですよね!」

 

「そうだな。よし、いこっか」

 

葉佩には職員室にいくようメールをうっておく。これでよし。流れで図書委員になることになっちゃったけど、なにかあるとは図書室で調べものばっかりしてるから私は意外と図書室にいるのだ。委員になったところでなにも変わりはしないだろう。

 

利用者がいないことを確認して、月魅は図書室に鍵をかける。廊下を歩いているとなにやら声がした。

 

「なにか聞こえませんか?」

 

「なんか騒ぎみたいだね」

 

だんだん騒ぎが大きくなっていく。

 

「誰か捕まえてくれッ!不審者だッ!」

 

「まてえええッ!絶対に逃がさないんだから───────ッ!」

 

私と月魅の傍をものすごい勢いで走っていく鴉室洋介28歳独身さん。やっぱりお前だろうな。

 

「ふ、不審者......?先生がホームルームでいってたのってもしかして......」

 

「みたいだね」

 

そして金属バットを振り回しながら走っていく葉佩とやっちー、あと何人かの男子、あるいは女子。あっという間に見えなくなってしまった。

 

「なんだったんでしょう?」

 

「さあ?」

 

今のうちに階段をおりて1階の職員室に向かおうとした。中ほどまで降りた頃。

 

「2人とも逃げろッ!不審者が!」

 

「だーかーら、お兄さんは不審者じゃないってばもー!参っちゃうなこれ!」

 

葉佩がノリノリで鴉室さんをぶん殴るために金属バットを振りかぶる。いちばん怖いのはお前だよ。いやたしかに鴉室さん生徒会長像をぶったぎる木刀並の威力を誇る皆守の上段げりくらってもピンピンしてるほど頑丈だけどさ。

 

「ちょいと失礼!」

 

そうこうしているうちに鴉室さんが手すりを飛び越えて無駄にかっこいい跳躍をしながら降りていく。ばささささ、となにかが落ちた。

 

「あっ、やっべ」

 

「あああッ!」

 

反応したのは七瀬が先だった。

 

「それ、無くしたと思っていた本じゃないですかッ!あなたが犯人だったんですね、許せないッ!」

 

「お~っと、これはやばい雰囲気だな。じゃあそういうことで!」

 

「返してください、それは持ち出し禁止の本なんですよ!」

 

「えっ、ちょ、七瀬ッ!?待てってば、あぶないよ!」

 

「離してください、江見さんッ!あんな雑に扱われたらもう我慢できませんッ!!」

 

「うわっ」

 

七瀬に振り払われてしまった。やっべえ、まさか追いかける展開かこれ?!私はあわてて階段を転がるように降りていく葉佩と七瀬、やっちーに続く。

 

「きゃあッ───────!」

 

「うわあああッ───────!」

 

あっちゃー!やっぱりこうなるのか!

 

私がようやく追いつくころには月魅と葉佩がもつれるようにして倒れていて、やっちーがあわてて助け起こそうとしている。月魅が立ち上がりH.A.N.T.と金属バットを拾っていってしまう。

 

「どうしよう、翔クンッ!九龍クン目を覚まさないんだけどッ!」

 

「やっちー、瑞麗先生連れてきてくれ!もしかしたら頭打ってるかもしれない!」

 

「わ、わかった!いってくるッ!」

 

さあて、どうしようかなあ。私は葉佩(おそらく中身は月魅)を介抱しながら途方にくれたのだった。



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君の名は4

「───────これは保健室に運んだ方が良さそうだな。江見、運んでくれるか?八千穂、君はそろそろ授業に戻りたまえ」

 

チャイムが鳴ってしまう。

 

「翔クン、九龍クンのことよろしくね」

 

「わかった。じゃあ、あとで」

 

「うん......」

 

不審者を追いかけるのを手伝って欲しいと葉佩にお願いした結果、階段から転げ落ちて頭を打ったのか目を覚まさないのだ。やっちーは元気がなさそうだが教室に戻っていった。

 

私は葉佩を背負って保健室に向かう。扉をあけるとベッドに葉佩を寝かせて私は椅子に座った。

 

「葉佩の体から七瀬の氣を感じる。八千穂に私を呼びに行かせたのはこのためか?」

 

「目を覚まさないのもあるんですけど、月魅がH.A.N.T.と金属バットを持って鴉室さんに全力疾走で走っていったのでおかしいと思って」

 

「ああ......なるほど。よりによってそのせいか......すまないな、うちのバカが」

 

瑞麗先生は頭が痛いのか眉を寄せた。

 

「いつもの七瀬ならありえないと。さすがは当事者だな、すぐ可能性に行き着くとは」

 

瑞麗先生はため息をついている。彼女の祖国たる中国に伝わる道教の教えには魂魄、つまり肉体も魂も氣という物質から成り立つという考え方があるのだ。この世の摂理や事象のすべてが氣によって成り立ち、万物は氣の流れの中で隆盛をくりかえさは、氣が病めば魂も肉体も病み、氣が枯渇すれば死ぬ。わかりやすくいえば死にかけた私みたいな状況になるわけだ。

 

ゆえに氣が大気や水のように流れるものであり、肉体も魂の概念でさえかならず一致しているわけではない。だから憑依、霊媒、生まれ変わりなんてものが起こる。だから魂が他人と入れ替わることもある。

 

しかも宇宙人の技術により精神交換した事例が今ここにいるわけだ。私が助けを呼んだ時点でクトゥルフ神話絡みの被害かと身構えていたら斜め上をかっとんでいったから気が抜けたらしい。いや、緊急事態には変わらないんだけど。

 

「どうやら事故のようだね」

 

「そうですね」

 

「念の為聞くが君の同胞による精神交換ではないね?」

 

「それはないですね、いないみたいなんで。私にも連絡ないみたいだし」

 

携帯を一応みるがメールも電話もない。

 

「ふむ」

 

「どうやったら戻ります?月魅と九龍」

 

「そうだな......。入れ替わった時と同じ方法を試せば元に戻るかもしれない。まずは七瀬のことは私に任せて葉佩をさがしたまえ。それともうひとつ、このことはあまり人に知らせない方がいい。葉佩を狙っている者がこの學園にいるようだからな。君としても、葉佩の体を借りているのが七瀬だとバレて、様子を見ていた者たちまで襲いかかることは得策とはいえないだろう?」

 

「あ~......」

 

「どうした?」

 

「私もすっごくいい案だとは思うんですけど、その......九龍がそこまで考えて行動するとはどうしてかな。微塵も思えなくて」

 

「ああ、たしかにその可能性を見落としていたな。むしろ面白がって事態を悪化させそうだ」

 

ふふ、と瑞麗先生が笑う。さっきから私の電話のバイブレーションが鳴り止まないのだ。ポケットから出して携帯を見てみれば、皆守甲太郎の名前があった。

 

「もしもし」

 

「翔、今どこだ?」

 

声が低い。怒っているようだ。電話ごしですらわかる。古人曰くと呟いている七瀬の声がする。そうか、葉佩の悪ふざけの犠牲者は皆守か。

 

「保健室だよ」

 

「ッてお、おいッ!なにやってんだよ!」

 

一瞬電話が遠くなる。今葉佩が七瀬の体であることをいいことに、夢じゃないかを調べるべく好き勝手やってるのは把握した。

 

「どーした?」

 

「い、いや、その......なんでもない。とにかくだ、お前なんかしたんじゃないだろうなッ!?七瀬が明らかにおかしくなってるんだがッ!」

 

「どんなふうに?」

 

「ど、どんなふうにって......その、鏡の前で古人曰くっていったり、いきなり胸をも......ってなに言わせようとしてんだッ!笑うなッ!お前なにかしってるなッ!?」

 

「七瀬が自分のこと葉佩だって言い張ってるなら、今すぐ保健室に連れてきてくれ。たぶん皆守が考えてるのと同じ事態が起きてるよ」

 

「ああくそッ、やっぱりか!いつかはやらかすとは思ってたが、とうとう本性表しやがったな!」

 

「前から思ってたけど、お前って被害妄想甚だしいよね。オレ、なにもしてないだろ?今回も違うからな?」

 

「この場に及んで騙されるかッ!九龍と七瀬が被害にあってるだろッ!しらばっくれるな!」

 

「だから事故だって。葉佩に聞いてみたらわかるだろ?とりあえずそこにいる不届き者ぶん殴ってでも連れてきてくれ。あとはよろしく。君だけが頼りだよ、甲太郎」

 

なにやらいきなり黙り込んでしまった皆守の通話を一方的に切った私は瑞麗先生をみた。心底おかしそうに瑞麗先生は笑っている。

 

「君はほんとうに皆守の扱いがわかっているな」

 

「宇宙人が怖いなら名前で呼ぶくらい仲良くならなきゃいいのに。変わってますよね、甲太郎って」

 

「そうだな......だが、悪い事ばかりではないんだろうさ。だから君とも葉佩とも一緒にいるんだよ、皆守はな。死んでも認めたがらないだろうが」

 

「それはあたってますね」

 

あはは、と笑ったあたりで後ろのカーテンが開く音がした。私は笑いをひっこめた。そこには目を瞬かせて硬直している七瀬がいたのだ。瑞麗先生は笑っている。気づいてて気付かないふりしてたなこの人!

 

「いいじゃないか、仲間がいるっていうのは精神的にどれだけ安心かわかるか?」

 

「いやいやいや、それは人によるん」

 

「えええええっ───────!?」

 

「ぐえっ」

 

「えっ、ちょっ、どういうことですかッ!?翔さんが私と同じって......宇宙人って......えっ、えっ!?」

 

「喜ぶといい。七瀬は大喜びみたいだぞ」

 

「どういうことか説明してください、翔さんッ!あなたはまさか超古代文明の宇宙人だからあんなに詳細な蛇神がかけたんですかッ!?」

 

「はなすっ......はなすから、はなしてくれ、月魅ッ......いきができない、しぬっ......」

 

「あっ、ご、ごめんなさい!」

 

葉佩の姿になっても月魅は月魅だと痛感した私は、身元の一部を明かす羽目になってしまったのだった。

 

「皆神山で宇宙人に......なるほど。あの大震災で傷一つなく生還できた時点で只者じゃないとは思っていましたが、そんなことがあったんですね。別の宇宙人に助けられて江見翔さんの体に保護されたあなたは、江見翔さんの体の記憶を頼りにこの學園にやってきたというわけですか」

 

「うん、そうだね。あってるよ」

 

「江見翔さんの魂はあなたの体に?」

 

「いや、宇宙人にすごく気に入られたみたいで、故郷に招待されてるみたいだよ。私は命を狙う宇宙人を倒さないと元に戻れないんだ」

 

「すごい......すごいすごい、すごいじゃないですか、翔さんッ!私が考えている以上にすごいことになってるッ!しかもご本人は宇宙人の故郷に!?羨ましいですっ!」

 

ダメだ、話せば話すほど月魅の目が輝いていく。

 

「瑞麗先生以外にあなたの正体を知っている人はいるんですか?」

 

「《生徒会》の人にはバレてるみたいだね」

 

「《生徒会》......ああ、会計の......」

 

「そう。だから私を牽制しに来たんだと思うよ。彼はそういうのが見える体質らしいからね。あとは白岐」

 

「白岐さんですか」

 

「どうやら《遺跡》を侵略しにきた宇宙人だと勘違いされたみたいでね、嫌われてる自覚はあるよ」

 

「神秘的な人だとは思っていたんですが、すごいです。そんなことまでわかるなんて」

 

月魅はすっかり今の体が葉佩のものだということがすっぽ抜けているのかと思いきや、私というもっとやばい状況のやつがいるから冷静になっただけだった。

 

「目が覚めたら葉佩さんの体と入れ替わっていて......どうなるかと思ったんですが、瑞麗先生と翔さんのお話を聞いて安心しました。そうですよね、私の体には葉佩さんがちゃんと入っていて、かなり恵まれているんですよね。もうずっとこのまま元に戻らなかったりしたら、なんと怖くなるのはまだ早いですよね」

 

「そうだよ、月魅。最悪の場合、私の知り合いに頼んでみる手もあるから」

 

「翔さん......ありがとうございます。励ましてくれて。すいません、私ったらすぐに悪い方向に考えてしまって......まったく、しっかりしなさい、そっちの方がやりたいなんて考えちゃダメ!」

 

「七瀬」

 

「き、気の迷いです、気の迷いッ!」

 

しかし、女の子女の子してる葉佩は携帯にとりたいくらいレアだ。怒られそうだからやらないけどさ。

 

「そうよ、そうですよね。このままじっとしていても解決法は見つからないですよね。なんとか元に戻る方法を探さないと」

 

「そうだな、その意気だ。だがな、他人として7ヶ月も過ごしている江見はともかく、七瀬が葉佩として行動するのは無理がないか?」

 

「あっ......」

 

ようやく七瀬は葉佩が《宝探し屋》であることを思い出したようで言葉につまる。

 

「提案なんだが、とりあえず元に戻るまでは保健室にいなさい。なにか調べたいなら江見が図書室にいったらいい」

 

「それいいですね。月魅もボロ出さなくて済むし、《生徒会執行委員》に襲撃される危険が減るよ」

 

「翔さん......なにからなにまでありがとうございます」

 

そして、しばらくすると皆守がやけに凛々しい七瀬こと葉佩をつれてくることになるのだった。

 



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君の名は5

皆守からの告発によりセクハラ案件を暴露された葉佩は、厳しい視線を一身にあびながら手を挙げて発言許可を求めた。元の姿になったら処刑となることがすでに確定している保健室にて、瑞麗先生が許可した。これ以上の失言は許さんと目を光らせている皆守(私が宇宙人だと認めたせいか微妙に距離がある)の殺気をあびながらいうのだ。《生徒会執行委員》からの一騎打ちを申し込まれているけどどうしようと。

 

「誰だ?」

 

「真里野剣介(まりやけんすけ)っていってた」

 

その言葉に誰もが顔を見合わせるのだ。

 

「あの人、《生徒会執行委員》だったんですね」

 

「よりによってあの男かよ......」

 

「なんてタイミングの悪い......」

 

「えっ、マジでそんなにやばいやつなのか?」

 

葉佩の言葉に私たちはうなずいた。

 

真里野剣介は生徒会執行委員のひとりで、生徒会長によって呪われた力を自身の宝と引き換えに与えてもらった人物だ。引き換えにした宝は古い手紙、彼にとってかけがえのない大切なものらしいが、本編にてどう大切なのかは語られていない。 もしかしたら師匠は女性なのかもしれない。このあとのことを考えると。そして宝と引き換えにした呪われた力はなんでも斬ってしまう力。

 

本人曰わくモノには間というものがあるらしく、力を得てそれが見えるようになりそれを断てば何でも真っ二つらしい。

 

剣道部部長だけあって剣術において比肩する者のない存在だ。武士道を重んじる義理堅い性格で卑怯な行為を嫌う。 ゆえに正邪といった白黒はっきりした観念の持ち主であるため、《生徒会》の命令にすら疑問を感じたら従わない。ただし利用するにはわかりやすく、御しやすいが、敵に回すと恐ろしい存在になる。

 

彼は武士である。 それはもう立派な武士である。 學園にも剣道着で通う武士である。 とても義理堅い武士である。 白米をあげたら刀をくれる武士である。等価交換?なにそれおいしいのというレベルで自分の好きな物をくれる者には最大級の礼という骨の髄まで武士である。

 

容姿は剣道着に木刀を携えたまさに武士といった出で立ち。 さらに眼帯までしているが隻眼というわけではない。

 

では何故、眼帯をしているのか。どこぞの剣道隊長のように眼帯に自分の霊圧を喰わせているわけでもない。 何故、眼帯をしているのだろうか、その謎は未だ明かされていない。もしかして厨二病なのかもしれないと私は疑っていたりする。

 

「それ、延期できないんでしょうか」

 

葉佩と入れ替わっている七瀬があたりまえのように聞いてきた。そりゃそうだ。中身が葉佩とはいえ真っ向からやり合うのは七瀬の体である。無事であるとは到底思えない。

 

「それが、そうもいかないんだよ」

 

葉佩が見せてきたのは果たし状だった。えらい達筆で読むのに苦労したため、H.A.N.T.で解析したらしい。そこには人質がいるから余計なことを考えずに1人でこいとかいてある。

 

「人質?」

 

「正々堂々と決闘申し込むような真里野が人質?」

 

「おいおい、まじか」

 

「そんな......」

 

「タイゾーちゃんの時もそうだったけど、俺の事を悪い《宝探し屋》だって唆しながら《執行委員》を焚き付けてるやつがいるらしいんだよね」

 

「私に手紙を送り付けてきたやつとは別みたいだね。江見睡院の字体を完璧に模写したところでH.A.N.T.にかかれば真偽がすぐにわかる。この字体は新規みたいだし」

 

「つまり、その人が果たし状を送り付けてきた?」

 

「まあ、言われてみれば最近の《生徒会執行委員》は規則に違反する前の未遂者ですら粛清しているようだからな。今までは融通がきいたのに理由なき厳罰化をしては學園内の不満を煽っているのかもしれない」

 

「それで《生徒会執行委員》が槍玉にあげられるってわけか」

 

「実に巧妙な誘導だな」

 

とりあえず七瀬の体のまま、葉佩は行くしかないようだ。

 

「......九龍さん、どうか生きて帰ってきてくださいね」

 

「任せといてよ、月魅」

 

葉佩はいつもみたいに笑った。

 

 

 

 

 

 

とはいうものの、葉佩はいつもとはあまりにも違う七瀬の体に悪戦苦闘していた。いつもより動きにくく、パワーも足りない。やはり男と女の体は違う。江見はどれだけ苦労したのか透けて見えるようだ。十分な武器と防具を装備していかなければならない。

 

七瀬の体力を考えたら重たい装備は出来ないので、一度戯れに鏡の前でつけたガーターベルトを装着してみる。やっぱりガーターベルトは女の人の体に装備すべきものだ。

 

「やあ~ん」

 

H.A.N.T.の音声がやたらとえろくなった。なんか体が軽くなった気がする。主に俊敏さあたりが。そこそこの威力を発揮しそうな気配だ。笑ってスカートの下のガーターベルトをもう一度動きやすいように調整してから、爆弾をいくつか仕込んでいるのを確認する。

 

「さあて、いきますか」

 

七瀬はコンタクトすら持っていない眼鏡愛好家なせいで、暗視ゴーグルごしでは裸眼を強いられるからかなりぼやけた世界が広がっている。

 

「うあ~、これはやばいな。慣れるまでクエストこなすか」

 

一人で墓地の穴をくぐって中に入るとじめじめした空気が襲ってくる。いつもの剣は重すぎて使えなかった。ゆえにいつもは高いからと溜め込んでいる銃火器と鞭でびしっとしたらまぁ、どうにかなるんじゃないだろうか。鞭のしなりを確かめて、頷いてみせる。誰も見ていないしぐさに意味なんてない。

 

「お?」

 

暗視ゴーグルの映像がアップデートされた。この区画に存在している敵情報にそれぞれの攻撃範囲や移動範囲が明瞭になる。

 

「おおおッ!」

 

葉佩はテンションがあがった。

 

「翔チャンありがとうッ!」

 

それは本来江見が同行したときだけ発生する表示であり、葉佩はそれが江見睡院の息子である江見翔の技術だと思っていた。どうやらあたっていたらしい。

 

「これなら七瀬の体でも安心だ」

 

階段から転げ落ちる実験を明日に控えている今、これは一時的なものですぐに七瀬にこの体を返すことになる。

 

白い皮膚の下から青い血管が透けて見える。太陽をろくにあびたことがない女性の柔肌だ。褐色のが好みだなと笑って、ドアを開いていく。暗視スコープの頭の大きさが少し違う。

 

やっぱり無傷というわけには行かず、裂傷だとかなんだとかかわいい制服も破れていく。あー、賠償しなくちゃなと葉佩は思った。

 

ようやく慣れてきた頃、葉佩は真里野剣介のところにいくことになった。

 

制服のスカートから太ももがちらつく。そこにセットしてある爆弾をひとつ。それぞれの仕草ひとつに真理野が動揺するのがわかる。真面目実直な性格から察するに、ルパン三世にでてくる五右衛門みたいな性格らしい。男なら欲情するかもしれない、とふと思う。色仕掛けのつもりは毛頭ないけれど。

 

あっけに取られた顔をした真理野が「調子が狂う」とか言いながら七瀬をみつめてくる。どうやら色仕掛けはH.A.N.T.の音声もふくめていっているらしい。ならば少しでも魅了効果がないかと期待してみたのだか、全然狂っていないまっすぐな剣捌きが飛んできた。よくいうよ、と思いながら葉佩はムチを奮った。

 

「こーるみーくいーん、なんちゃって」

 

まさか完膚無きまでにボコボコにしたせいで真里野が七瀬に惚れることになるなど思いもしなかったのである。



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君の名は6

葉佩と七瀬の体は翌日には戻ったものの、真里野剣介と真っ向勝負した七瀬の体は当然ながら使い物にならず、1週間ほど休む羽目になった。ついでに魂が乖離しやすくなるということで漢方を処方してもらった結果、なんとか七瀬は登校することができるようになった。

 

「......九龍さん、私の体でなにをしていたのかしら......」

 

朝っぱらから色んな人から話しかけられ続け、七瀬はぐったりしていた。《遺跡》探索以外であまり接点がない椎名リカにいきなり自分の裁縫技術の継承者となってくれる約束をしていたのだから、今からリカの持つレース編みの全てを伝授するために特訓すると無理やり理科室に連れていかれて朝休みはレース編みについやされた。

 

「あッ、月魅~!!一週間ぶりだね!今からご飯?」

 

「はい、そうです。八千穂さんは打ち合わせは終わりましたか?」

 

「うんッ。月魅が来るってわかってたら、待ってたのにな~。あっ、もしかして......誰かさんと待ち合わせ?」

 

「はい?いえ、今日はひとりですけど」

 

「そっか、よかった。じゃあいいや、デザート頼んじゃえ!聞きたいことあったしね、えへへっ」

 

「なんですか?」

 

「ねえねえ、月魅とみなか」

 

「八千穂さん、私と皆守さんは付き合ってはいませんし、翔さんは新しい図書委員になってくださったので説明してまわっているだけなのです。あなたが転校生に學園内をいつも案内してあげていたように」

 

何回聞かれたかわからないやり取りだった。七瀬はついでに探索仲間にしてきたことをうんざりしながら説明するのだ。江見の事情は本人が話すべきことだからおいといて、葉佩と七瀬が入れ替わっていたという話をしないと皆守の行動の説明ができないのだ。

 

「も~、やだなァ。そんなウソまでついて、誤魔化さなくてもいいじゃない。そっか、そうだったんだ。そうならそうといってくれればよかったのに。水臭いなァ。あたしっと、ほんっとに鈍くてゴメンね。三人がそういう関係だとは思わなくてさ。そっか~、青春だなァ」

 

「やっ、八千穂さん、からかわないでください!!だから三角関係ではないと言っているではないですか、八千穂さん。皆守さんや翔さんに失礼ですよ」

 

「だっていつの間にか名前呼びになってるし~」

 

「それは八千穂さんもでは?あなたが九龍さんと翔さんと三角関係だと噂されているようなものですよ?」

 

「え~ほんとかなあ?」

 

「そんなに疑うなら瑞麗先生に聞いてみてください。私、まだ薬が手放せないのに......」

 

七瀬は溜息をつきながら漢方を飲む。

 

「だって皆守くん、すぐ逃げちゃうんだもん。だから噂ばっかりが広がっちゃってね」

 

「八千穂さんのせいでしょう、わかってますからね。九龍さんのこと気になってるのばらしますよ」

 

「はえっ!?ちょっ、まってよ、月魅ッ!待ってまってまってお願い、あやまるからはやまらないで───────!」

 

七瀬は携帯電話をおいた。八千穂は七瀬が本気だとようやくわかったようで後で瑞麗先生に聞いてみるとほこをおさめた。

 

「あッ、あのォ~、ちょっと噂に聞いたんですけどォ~。あなたがその......みなか」

 

「付き合ってません」

 

「きゃ~ッ、ってことは江見翔くんなんですね!」

 

「ちがいますよ!」

 

「えっ、違うんですか~?前の席の子達がそんな話をしていたから、あたし、てっきり......。あ、す、すいません、あたしこういうお話大好きで、つい......」

 

「私は誰とも付き合っていません!」

 

「そうなんですか~。よかった~。実はあたし、江見くんのこともちょっと気になってて~。この學園て結構カッコイイ子多いから~。あッ、やだッ......これナイショですよ!」

 

「は、はあ......わかりました」

 

「はい、では気を取り直しまして。いらっしゃいませ~、マミーズにようこそ。ご注文はどうされますか?」

 

七瀬はとりあえず八千穂がごめんごめんと謝り倒して奢ってくれるとのことでメニュー表を広げたのだった。

 

「あ、月魅。もう大丈夫なのか?」

 

「あ、翔クン」

 

「あっ、翔さんッ!!あ、あの......そ、その節は色々とご迷惑をおかけしましたッ!本当にすみませんでした......私が軽率な行動をとったせいで、翔さんにまでとんだご迷惑を......」

 

「まあまあ。元に戻ってよかったじゃん。大変だろ、九龍が好き勝手したから」

 

「ええ、本当に一時はどうなることかと思いましたが......」

 

「え、えーっと、もしかして月魅がいってることってホントなの?」

 

「八千穂さん......」

「だ、だってえ......」

 

「間違いないよ、真っ先に気づいたのオレだしね。月魅がいくら本を盗んだ不審者相手とはいえ、金属バットとH.A.N.T.を持って全力疾走するわけないだろ?」

 

「え、あ、そうだっけ?」

 

「そうだよ」

 

「私もさすがにH.A.N.T.を持っていく理由はないですよ、八千穂さん」

 

「あ、そっか、そうだよね。そっか~、なんだ」

 

「八千穂さん」

 

「えへへ、ごめん。あッ、そうだ。まだ席決まってないなら一緒にどう?」

 

「あ、あのッ、私も構いませんのでぜひ」

 

(......やっぱり月魅って相当翔クンのこと意識してるんじゃないかなァ)

 

(八千穂さん、よけいなことしたら許しませんよ)

 

(う~......わかったわよ、やめる......)

 

(?)

 

「で、月魅はもう大丈夫なのか?」

 

「あ、はい。もう影響は残っていないです。なんとか元通りになりました。もっとも、最初の3日間はろくに筋肉痛で動けませんでしたけどね」

 

「九龍、かなり苦戦したみたいだしな、お疲れ様」

 

「私の体を気遣ってくださるのはうれしいのですが、なぜあんな装備で......」

 

「えっ、ぜんぶ聞いてるの?」

 

「はい......。真里野さんは私と戦ったことになっていますので、私が知らないとおかしいでしょう?」

 

「あ、そっかあ。大変だね」

 

「ところで───────どういうわけか」

 

「うっ」

 

「私達がその......皆守さんも巻き込んで三角関係になっているなんておかしな噂が流れてますよね」

 

「あうっ」

 

「いったい、どうしてこんなことになってしまったのか......」

 

「はうっ」

 

「あッ、いえ、別に迷惑とか嫌だとかそういうことではなくてですね、私達、同じようなことがあったとはいえ、まだお互いに知らないことの方が多いなんて不思議で、や、やだ私ったらなにいっ......ちがいます、違うんです、言葉を間違えました。あのですね、迷惑なんじゃないかって不安で、その」

 

「私からしたら、月魅がもとに戻ったことは希望だよ」

 

「よかった......私、あなたのことがもっと知りたいです。力になれることならなんでも協力しますから、いつでもご連絡くださいね。それと、今日の放課後から図書委員の仕事頑張りましょう」

 

「そっか、最初に気づいたの翔クンなんだ。それって......いや、なんでもないよ。ふふふ」

 

 

 

 

 

 

 

 

図書委員会とは、小・中・高等学校などの教育機関などで司書教諭や図書館ないし図書室担当教諭の指導を受けて生徒たちが行う委員会活動の一つである。委員会業務内容は生徒への本の貸し出しの手続き、書庫の整理、読書推進のためのポスターや新聞の作成など。貸し出しカード。

これは本の本体に付属するブックカードと利用者個人用の個人カードの二種類のどちらかが使われる。

 

ツチノコ騒ぎが不審者によるものだとわかってから、また利用者が激減した図書室にて。一通りの仕事の説明が終わったところで七瀬が江見に話しかける。相談したいことがあるらしい。

 

「古人曰く『人が天から心を授かっているのは、人を愛するためである。』......翔さんはこの學園で気になる人はいますか?」

 

「私?私はいないよ。それどころじゃないし、この体じゃ江見翔クンにも相手にも失礼でしょ?」

 

「ほんとうに?」

 

「?」

 

「萌生先生と仲良かったとお聞きしました」

 

「あ~......」

 

江見は困ったように頬をかいた。彼が諜報員であるという情報は《ロゼッタ協会》トップシークレットである。迷ったすえ、江見はいう。

 

「そんなんじゃないよ。よくはしてもらったけどね、とても」

 

だがその迷いが七瀬には別の意味にうつってしまったようだ。

 

「余計なことを聞いてしまいましたか?そうだ、あなたにこの言葉を教えましょう。古人曰く『恋の悲しみを知らぬものに恋の味は話せない。』辛い思い出も、きっとあなたを成長させる糧となりますよ」

 

「あはは......ありがとう。それで、相談て?」

 

「私は......その、当分、実感できそうにありません」

 

「まあ、あんなことがあったらね」

 

「その......真里野さんなんですが」

 

「うん?」

 

「今朝もきてらしたんですが......その......」

 

「あー......」

 

「最初はお礼参りかと思ったのですが、どうも違うみたいで。よくわかりませんが仲間になってくれたようなんです。私を強さを求める同士と思われたらどうしようと思ったんですがそれも違うって......」

 

「うん、あってるよ、月魅」

 

「ですよね!?どうしたらいいんでしょうか?真里野さんが好きになったのは九龍さんが憑依した私なんですよ?早く冷めて欲しいのに、次は情に生きろなんてアドバイスするから......」

 

はあ、と七瀬はためいきをついた。

 

「明らかに私ではないですから、そのうちに興味をなくしてくれるとは思うのですが」

 

たしかにガーターベルトにムチつかう七瀬月魅。こーるみーくいーん、と妖艶に笑う女子高生。明らかに七瀬ではない。

 

「しかも皆守さんや翔さんと付き合ってるなんて噂が流れてるし......」

 

「あれは九龍が悪いよ」

 

「はあ......」

 

「噂も75日だからすぐ終わるさ」

 

「だといいんですけど。翔さんは男性が好きなのに......」

 

「今は、ね」

 

「え?」

 

「瑞麗先生がいってたでしょ。そのうち私は江見翔クンの体と融合し始めて性的自認は男性になるんだよ。そうなれば女性が好きになるかもしれない」

 

「翔さん......」

 

「まあ、先のことはわからないよ。やることをやるだけなんだから」

 

江見は笑ったが、そこには狂気の瞳が宿っていた。



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素顔の時間

「《遺跡》にいる灰色のスライム......男子生徒を眷属にして君を死に追いやる手紙を届けていた邪神の名前がわかった。アブホースの落とし子だ。ずいぶんと肥大化しているようだから、あの《遺跡》ができた頃から迷い込んできたのか、連れてこられたのか」

 

報告書を片手に瑞麗先生はいう。

 

「はい?ショゴスじゃなくてですか?」

 

「ああ、私も驚いているよ。よほど本体に食われたくはないらしい。遠路はるばるこんな所にまで逃げてくるとは。本体の真似事をしてはいるがね」

 

私は息を飲んだ。どうなってんだ、あの《遺跡》。どこまでクトゥルフ神話に汚染されてんの?そりゃイスの偉大なる種族が好奇心抑えきれなくて私をこの學園に送り込むわけだわと感心してしまいたくなる。

 

アブホースは灰色のアメーバめいた外なる神である。 この存在は幻夢境の地底深くにあろう、地下世界ンカイに潜んでいると言われる。

 

居住地のンカイの最奥に留まり、徒に落とし子を産み出し、産み出した落とし子を即座に貪るだけを繰り返している。 何者かが現れた場合でも、その姿勢は崩さないが、気紛れにコンタクトを採る場合もある。 だが、直後にアブホースもしくは、産み出した落とし子が襲い掛かる事もあり、常に注意する必要がある。

 

 

地底の空洞にわだかまる巨大な灰色の水溜まりのような姿をしており、その中からは絶え間なく灰色の塊が形成され、それが這いずりながら親から離れていこうとする。アブホースから延びている無数の触手は、そういった自らの落とし子をつかんで貪り食う行為を絶え間なく続けている。

 

氷河期が訪れる前はハイパーボリア大陸という、今は海底に沈んだ大陸のヴーアミタドレス山の地底の最深部に棲んでいたが、現在では北アメリカの地下にあるン・カイの一部と化していると言われている。

 

アブホースは知性を持っており、テレパシーで会話が出来るが、 地上や人間に関しては疎く、興味も持っていないようである。

 

皮肉っぽい精神の持ち主だと言われるが、 遭遇して無事に戻ったものがほとんどいないために、詳細は不明である。知られている限り人間の崇拝者はおらず、地下世界の一部の生物が礼拝していると考えられる。 自らの住処から動く事はまったくなく、召喚に応じる事はまず有り得ない。

 

だから本体がお出ましになることはない。だから瑞麗先生は落とし子だと思ったのだろう。

 

アブホースの落し子は外なる神アブホースから産まれた落とし子の奉仕種族である。別名〈外なる神の痕跡〉。

 

アブホースから産み落とされた落とし子は様々な形のものが存在しており、泥のなかをのたうつ存在である。アブホースから遠くに離れた場所にいる落とし子ほど大きく成長しており、アブホースの浸かる湖から脱出できない落とし子は様々な場所にあるアブホースの口に呑み込まれ、また違う落とし子を産み出す糧にするのだといわれている。

 

その様々な形というのは本当に様々であり体の一部や肉片などの未完成と思われるようなものから怪物の姿、人間、不定形など同じ落とし子は存在しないと言い切れるかもしれないほどである。その形態によってどのような動きをするかが変化し、動きやすい形態をしているものだけがアブホースの捕食から逃げ出すことができるのだろう。

 

彼らはアブホースの潜む湿っぽい洞窟に潜むだけではなく人間界やドリームランドにまで逃げ出すものもいるというが、そんなときにはアブホースの落とし子だと気がつくことはまずない。

 

たまたま逃げ出したアブホースの落とし子が寄生した人間か動物が《天御子》の実験体になりこの《遺跡》にやってきたと考えるのが残当だろうか?

 

それともアブホースの本能たる食性を植え付けるために注射でもしたんだろうか?

 

人間に限らず同類を食べる行為は狂牛病なんかの病気を引き起こしたり精神を冒したり遺伝子レベルで忌避しようと本能がインプットされている。だが化人にそんなものはないため、ありえる。

 

どのみちゾッとする話ではないか。私はそいつらに捕まりそうになったんだから。エロ同人どころの話じゃなくなるのは間違いない。

 

「未だに君あてに手紙が届いているそうじゃないか。葉佩が内容を確認していると聞いていたが、内容が内容だけに私に相談してきたんだ。あの場所にこいとあるとね」

 

提示された裁断されたパピルス。初期の頃より小さくなっているのは手持ちがなくなってきたからか。

 

「いくかい?」

 

パピルスを手にした私はうなずいた。

 

「江見睡院さんの棺桶になにも入っていなかった時点で嫌な予感はしていたんです。私はいきますよ、瑞麗先生。これは江見翔くんのためでもある」

 

「はあ......まあ、いうだけ無駄だとは思っていたが、しかたあるまい。かならず葉佩といくんだ、いいね。一人ではいくなよ?かつてのように」

 

私は笑った。

 

「わかってますよ、そんなこと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「翔チャンお待たせ」

 

いつもの出で立ちで現れた葉佩は、私が準備万端なのを確認するなり《遺跡》に潜ろうとする。

 

「あれ、他に誰か呼んでないの?」

 

「ん~、今日はそういう気分じゃなくてさ。翔チャン一人だけ。寂しい?」

 

「え?いや、九龍が決めたんならいいけどさ」

 

「なら問題ないな。いこっか」

 

いつもの要領で縄ばしごを括りつけ、一先に降りていく。私もあとに続いた。

 

「翔チャンの話を考えているうちにさ、ど~しても聞きたいことがあって」

 

「うん?」

 

「翔チャンさ、江見翔クンの体に入れられたときすんごい不安だったと思うんだよ。たった1日過ごした俺ですらしんどかったんだから」

 

「まあね、否定しないよ」

 

「月魅がいってたよ。転校してからずっと普通の男の子だと思ってたって。皆神山の震災からたった1ヶ月でそこまで演じられるって、やっぱりすごい努力があったと思うんだ」

 

「ああ、うん、まあね」

 

イスの偉大なる種族は人間を理解はしても寄り添ってはくれないのだと思い知る日々だったから思い出したくはないので言葉をにごす。

 

「俺が《宝探し屋》だって話したとき、真っ先に仲間になってくれたのは江見睡院さんに助けてほしかったからだよな?」

 

「そうだね。九龍が江見睡院さんと同じ《宝探し屋》だと知って、もしかしたらと思ったんだ」

 

「そっか......やっぱりそうなんだ。聞いてよかったよ。翔チャン、なんだかんだで会ったときから当たり前みたいに協力してくれるからさ。江見睡院さんに18年たった今、助けて欲しい理由がどうしても思いつかなくてもどかしかったんだ」

 

葉佩は伸びをする。

 

「それだけじゃない。なんかこう、さ、強い糸で結ばれた間柄でもないのに、物凄い信頼というか期待というかそういう、ムズムズするようなものを感じてたんだよ。うれしいけどなんでかな~って気になったりしてね。やっちーや月魅みたいな好奇心でも、瑞麗先生みたいな見守るかんじでもない、無条件な信頼というか。怖くもあったんだ。《宝探し屋》であることが大事だったんだな」

 

「違うんだけどね」

 

「へッ?!どこらへんが?」

 

「私を保護してくれた宇宙人は時間の秘密を解き明かし、自由に時間跳躍する技術があるんだ。それが精神交換なわけだけど、その技術により彼らはあらゆる事象を観測できる。私は一部しか使わせてもらえないけど色々教えてはもらえたのさ。たとえばそうだな、私を助けてくれそうなやつが2004年9月に《宝探し屋》として現れるとね」

 

にやっと笑った私に葉佩は目を丸くする。

 

「じゃあ、今まで協力してくれてたのは......」

 

「江見睡院さんのこともある。でも、一番は葉佩九龍、君に協力したかったからなんだ。なんの理由もなく協力してもやりにくいだろ?だから私なりに理由を準備してみたんだよ。隠しきれてなかったみたいだけど」

 

あれ?私は葉佩をみた。

 

「なんでそっちむくんだよ、今のタイミングで」

 

「いやあ......俺どっちかっていうと追っかけるのが好きで追っかけられるの慣れてないというか。ド直球に褒められると恥ずかしくなるというか」

 

「いつものキャラどこに置き忘れてきたんだよ、九龍。ありがと翔チャンってなるところだろ、普通」

 

「い~だろ、たまにはッ!俺だって男の子なんだよッ!!」

 

「あははッ、なにそれ!」

 

「ちょっ、笑うとこかよ、翔チャンひでえッ!」

 

笑いの発作がおさまったあと、私はすっかり機嫌を悪くしてしまった葉佩を宥めなければならなくなるのだった。

 

 

 

 

 

そして。

 

「この先があいつが言ってたところだよ」

 

私たちの前には一際大きな両開きの扉がある。ここまで来ると何か粘着質な水っぽい音が聞こえてくる。開けてみると内部はまるで儀式の間だった。他の部屋と同じく、明かりはついていない。

 

石造りの四角い部屋の中央には何かが腐ったような強烈な腐敗臭がする台座がある。その向こう側は地盤をえぐったようにぽっかりとした大穴になっている。

 

その大穴を満たすように、悪習を放つ大量の水が波打っていた。その水たまりの中から灰色がかったスライムのような塊が縁から溢れそうになっている。

   

塊は身を震わせながら、絶え間なく膨らみ続けている。そしてそこから多様な形の分体が生み出され、あらゆる方向へ向けて這い出ている。まさしくそれは不浄の源と呼ぶべき存在。人知を超えた宇宙的恐怖の片鱗だった。

 

周りには誰もいない。葉佩は後ろを警戒しているが扉が閉ざされる様子はない。すると、どこからか声のような音を発して私たちの脳内に語りかけてくる。

 

「お前たちが今回の生贄か?違うのであれば、生贄を連れて来い。そうすれば助けてやろう」

 

その間もアブホースの落とし子は自らの落とし子を貪り食っている。

 

「誰かいなかった?」

 

「誰かだと?」

 

「この手紙を書いたやつ」

 

灰色の落とし子がズルリと産み落とされたかと思うと、そいつはたちまち一人の男を形成した。

 

「この男か?」

 

驚く私達にアブホースの落とし子は満足げに、大穴の底へと沈んでいく。床に空いたヒビから地中へと流れ込んでいき、姿を消した。後に残ったのはポッカリと空いた大穴だ。

 

「ついてくるがいい」

 

暗黒の《遺跡》を満たす灰色の塊が、突如発生した光の渦に包まれていく。この世の物とは思えない不快な呻き声が脳内に響いたかと思えば、先へ先へと促してくる。

 

その先に瀕死の男がいた。

 

「......翔」

 

男の声がする。魚の腐敗したような香りと排泄物のようなにおいがまざった強烈なにおいがする。

 

「どうして来たんだ......あれだけ来るなといったのに......」

 

葉佩はH.A.N.T.を起動している。私はなんの躊躇もなく氷結銃をぬいた。

 

「誰よ、あんた。江見睡院の中にいるのはわかってんの。しょうもない演技してないで出てきなさいよ」

 

「......状態異常あり、男子生徒より悪化してるな」

 

「やっぱりね。アブホースの落とし子に取り込まれた人間がまともなわけないじゃないの。それができるのはよっぽど精神力が強い人間だけよ」

 

にい、と男が笑う。

 

「なにがおかしいのよ」

 

「アブホースの落とし子、か。本当に我々をそう思っているのならば、とんだお笑い草だな」

 

「江見睡院さんだ」

 

「間違いない?」

 

葉佩はうなずく。《ロゼッタ協会》には江見睡院の生体認証が記録されているのだ。その体がほんものなのはこれで判明してしまった。

 

「ミイラだったはずの江見睡院さんがまるで生きてるみたいに行動出来るわけがないだろ。誰だ、お前」

 

葉佩が剣を抜く。

 

「知りたければ《遺跡》を暴け、《宝探し屋》。深淵にまでこなければ明かす気は無い」

 

江見睡院だったなにかが宣言した瞬間に、あたりに灰色の液体が溢れ出す。そして何体もの大型化人があらわれ、私たちに牙をむく。

 

「まずはお手並み拝見だ」

 

男はさらなる回廊を開いていってしまう。私は舌打ちをした。

 

「ごめん、翔チャン。もうひとり連れてくるべきだったな」

 

「大丈夫、ひとり5体仕留めれば何とかなるわ」

 

「よーし、やるか」

 

「そうね」

 

葉佩一人なら手加減する必要も無いか。

 

「九龍、銃火器持ってるでしょ?グロッグ以外貸して」

 

「えっ、マジ?」

 

「出し惜しみしてたら死ぬでしょ。さあて、やりますか」

 

葉佩からライフルや予備をうけとり、慣れた様子で装填する。

 

「私、やられる前にやるタイプなんだよね。敵に回したこと後悔させてあげる」

 

今まででいちばん怖かったと葉佩がいうのは、たぶん久しぶりに銃火器握れてテンションあがったからだと言い訳をしておくことにしよう。



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2人の追跡1

「よォ。朝からなんつ~格好してやがる。とうとうとち狂ったか、九龍」

 

登校早々、探索にでもいくきかとばかりに皆守が尋ねる。疲れたまま寝坊して教室にはかけこんできたのか、と私に聞いてきたので、最初からこうだよと教えてあげた。

 

「おっはよ~、甲太郎ッ!よくよく考えたんだけどさ、みんな派手だから俺がいつもの格好したくらいじゃ目立たなくない?さすがに暗視ゴーグルはやめたけどさ」

 

「......」

 

ぱらぱら、とめくられる生徒手帳にぺたぺたはられている仲間たちのプリクラに皆守はかなしいかな反論の余地がなかった。目立たないのはやっちーと私くらいである。月魅ですら髑髏のピアスをしているのだから。

 

「あ~あ、気づいちゃったか」

 

私はいつもつるむ仲間からさらに少数派がへることを気にもしない。むしろ暗視ゴーグル抜きとはいえ、今の葉佩の方が見慣れている。

 

「焚きつけるな、焚きつけるな」

 

「だよな、だよなあッ!?」

 

「必死か。《生徒会執行委員》の連中が派手なだけだからな」

 

「《生徒会》もね」

 

やっちーがいうものだからそういう方針なのかと葉佩は真面目に考え始めた。んなわけあるかと皆守はいいたげな顔をして黙ってしまう。たまたまだ、たまたま、とでも自分に言い聞かせているのかもしれない。

 

「......なんだっていきなりそんなこと思いついたんだ」

 

「メルマガ担当の紅海さんがいってたんだよ、そんなに濃いならいつもの格好でも目立たないのでは?って」

 

「あァ、あのお節介焼きな心配性か。お前の任務聞いてたらそうもなる。しかし余計なことを......せっかくのアロマの香りがけがされるじゃねえか」

 

「あはは、硝煙と砂埃の染み付いた不審者なんて日本中どこ探しても九龍だけだね」

 

「《宝探し屋》とはバレてるからさ、もうそれでいいかなって」

 

私は笑うしかない。葉佩に《ロゼッタ協会》の諜報員だと正体を明かせない理由がここにある。今なおメール爆撃が激しい葉佩である。最近は《愛》連打してくるくらいだから、正体明かしたら最後葉佩は絶対テンションあがってばらす。私は紅海だってことをばらす。私ですら、見てみて、ってメルマガ回し読みにH.A.N.T.を渡されるのだ。皆守のことだ、しれっと他のメールもかこつけて読んでる。葉佩はメールの履歴は一切消さないらしいから。

 

「というわけで、にゅー葉佩をよろしくなっ!」

 

「は~い」

 

「あはは」

 

「あほか」

 

順調に《生徒会執行役員》を《遺跡》から解放し、心強い味方が増えた葉佩だが残りの執行委員の一般生徒への制裁は次第に苛烈になっている一方で、反発する生徒は増えてきている。その影には、葉佩を利用し、生徒会の力を弱め様とする仮面の男<ファントム>の存在があった。

 

はたからみたら生徒会、葉佩、ファントムの三つ巴の様相を呈する学園。そんな中でも度々ピンチに陥りながらも仲間たちの協力を得、墓の秘密を暴く葉佩。このまま順調いってくれたらいいのだがはたして。

 

さて、今日の教室はいつものごとくファントムの話題で持ち切りだ。

 

昨日も廃屋街に財布を落とした生徒が真夜中に取りに行ったらガスマスクの男に襲撃されて軽傷をおったらしい。《生徒会執行役員》となのる男に事情を説明しても問答無用だった。今までは警告を何度かしたあと、無視したら威嚇射撃はしてきたが生徒にうったことはなかったというのだから反発はひとしおだ。そりゃいきなり豹変したら権力を傘に来て一般生徒をいたぶって楽しんでいるのでは?と疑問を抱く。そこにファントムが現れて救出されたとなれば、生徒たちは助けてくれたと思い込む。うーん、なんで真里野といい墨木といい、ファントムが助けた時点で利用されていると気づかないんだろう?

 

やっぱりあれか?力を得て《生徒会執行役員》になったはいいが、なぜ力を得るにいたったか思い出せない。実はその人の願いであることが多いため、そこに直結するはずの大切な思い出がなくなっているために迷いが生じる。結果として《生徒会執行役員》は葉佩がくるまでは実力行使にまではいたっていなかった。そこをファントムにつけ込まれていいようにいいくるめれられているのか。だから強く言えない?

 

《生徒会》はファントムの陽動は挑発だと気づいているために静観を決め込み、《生徒会執行役員》に命令しないため余計に混乱しているのだ。《遺跡》を守ることが學園を守ることにつながる、生徒たちを守り事につながる。ファントムがなにをしようと《墓守》なる《生徒会執行役員》は本能的に《遺跡》を守るため、現状維持で問題ないとしているらしい。葉佩の実力を測りたいのかもしれない。ついでに居着いているクトゥルフ神話関連の邪神と共倒れしてくれないのかと思ってるとか?まあ、皆守が目立った動きをしていないから、憶測だけど。

 

ファントムは「生徒会の圧政から生徒を救う正義の味方」という位置づけにされている。どうやら、そう思わせるように、ファントム自身が仕組んでいるみたいだ。

 

葉佩によると真里野との一騎打ちのあと、正体をあらわした幻影と書いてファントムとよむ仮面にマントの男はいった。思ったより身長が低いと180前後の葉佩がいうのだが、ファントムはきっと167だから貫禄が足りないのは許してあげて欲しいと私は願ってやまない。本人はコンプレックスで男子寮の自販機や売店でいつも牛乳が売り切れなのはそのせいだから。そいつこそが紛れもなく雛川先生を誘拐し、果たし状を送り付けてきた犯人である。七瀬と葉佩の体が入れ替わったのもこの学園がもたらす混沌によるもの。《宝探し屋》と目的は同じであるため《生徒会》相手にもっと働いてもらう必要がある。今回の騒動は葉佩の実力をはかるためだという。

 

タイゾーちゃんや真里野といった《生徒会執行役員》を唆して、規則を破る前から兆候のある生徒を処罰させ、反感をかわせている。はたから見たら葉佩に対する支援に見えるが葉佩と《生徒会》の対立を煽り漁夫の利を狙っているのは明瞭だ。ゆえに葉佩は味方ではなく敵と睨んでいる。

 

 

 

真里谷の事件からすでに10日たつ。気付けばもう10月も下旬だ。私がメルマガごしに防具とかを仕込んどけといったのはそのためだ。ガスマスクの男こと墨木がなかなか接触してこないのである。

 

墨木 砲介(すみき ほうすけ)は視線恐怖症のためガスマスクに素顔を隠しているミリタリーマニア。空気中から鉛を集め無限に銃弾を精製する「力」を持ち、銃器の扱いに長じる。高い所と亀が苦手。弾丸が切れた際に一定確率で自動リロードを行う。この時APも弾薬も消費せずに済むため私のプレイスタイルだと1番連れ歩きたいバディだ。葉佩が真里野を連れ回しているのと同じ理由である。

 

 

葉佩は皆守とは「親友」になったようで、互いを探すなら互いを目印にした方がはやくなってきた。まぁ、葉佩もやたらと皆守にくっ付いているし。

 

ゲームだと遺跡で皆守を連れ歩いていると「そんなにくっ付くなよ」って言うから、てっきり一緒に連れてる八千穂やリカちゃんに言ってるのかと思ってたけど、バディが男子2名の時も言ってるから、たぶん、葉佩がくっ付いてる。男同士の相合い傘で大喜びするしなぁ・・・大丈夫かオマエ。そのくせ雛川先生や七瀬にも猛アタックだし、ほんとワケ分かんないが、この葉佩も愛の伝道師だけあってわけわかんない。

 

「あ、そうそう阿門と遭遇したんだけどさ~、徹底的に楯突いといたよ~」

 

「はあっ!?」

 

「阿門クンって生徒会長の!?」

 

「墓場に近づくと危険が及ぶとか言ってたけど、生徒会が絡もうがどうしようが、どっちにしたって墓場は危険だしぃ〜」

 

「なんだよ、その椎名か朱堂かどっちつかずなしゃべりかたは。気持ちわりぃんだよ」

 

げしげし蹴りながらぼやく皆守は、イライラしているのかアロマスティックを吸う回数が増えている。そのうえ物思いにふけることが増えてきているから、葉佩としては気になるのかもしれない。わざと爆弾発言を繰り返して興味をひきたがる。

 

「江見睡院さんからは相変わらずお手紙来てるしな~。どいつもこいつも《遺跡》には近づくなっていいながら待ち合わせは《遺跡》だもん。追っかけるの大好きな《宝探し屋》の本能刺激してくれちゃってさァ」

 

「たのしそうだな、お前」

 

「へへへ」

 

はいどーぞ、と渡されたパピルスをみて、ほんとにいつもの文面だから私は返した。これ以上は危険だはやく帰れ、と真実が知りたければ奥まで来いの交互である。同じ文面が1枚のパピルスにあるときもある。

 

「最近変だよな~、なんか片方削ったりさらに切断したような跡があるんだよな~」

 

「真実がどうの?」

 

「そうそう、江見睡院さんの偽物だってバレてんのにいつまで同じメッセージ送る気だろう?」

 

「まるで二重人格だな、ジキルとハイドみたいだ」

 

「ファントムと江見睡院さんが同じとかいう?」

 

「それはないだろ、父さんはマスクにマントはしてないし、九龍と似たような身長だ」

 

「だよなァ......。もしかして、江見睡院さんの意識が時々浮上してるとか?」

 

その言葉に私は一瞬言葉につまった。考えもしなかった。ミイラ状態からスライムに全身満たされた水風船状態になった場合、しかも魂はラスボス封印の枷にされている場合、意識が目覚めることなどあるのだろうか。

 

「......だったらいいなァ......オレの名前、覚えててくれたんだ」

 

私の言葉に葉佩は失言を謝ってくれた。

 

もしそうだとしたら、江見睡院は私が《ロゼッタ協会》の関係者で助けようとしているのを警告しているのかもしれない。単純にまっさらで息子だというやつがいるから警告なのかもしれない。そもそもスライムのやつの矛盾したメッセージならば、イスの偉大なる種族に手をひけといいながら、宝探し屋たる私は邪魔だから殺したいのかもしれない。私がいなくなればイスの偉大なる種族は関わることが出来なくなるからだ。どのみち謎が多すぎる。

 

「それはともかくファントムだよ。最近、ファントム同盟なんて勝手に応援する会ができたらしいよ」

 

「なんだそりゃ、徒党を組んで《生徒会》に反旗でも翻そうってわけでもないのか」

 

皆守が鼻で笑う。

 

「自分から何かをする勇気のない奴にかぎって、ああいうのを祭り上げたがる。大衆ってのは哀れなもんだ、なあ、九龍」

 

「うん、みんなで渡れば怖くない的な......集団心理の悪いところが出ちゃってるねぇ」

 

「そうだ。所詮奴らは本物の《生徒会》を知らない。小さな力をどれほど重ねて集めてみても、絶対にかなわないものがあることを奴らは知るべきなのさ」

 

「皆守くん......」

 

《生徒会副会長》がいうと重さが違うからこまるぜ。ポエムに拍車がかかっている。

 

「そ~かなあ」

 

「あ?」

 

「九龍?」

 

いつもと葉佩の反応が違う。皆守も驚いたのか、一瞬息を詰めて葉佩をみた。

 

「それはきっと悪いことじゃないよ。ちゃんと行動してるじゃないか。人間、考えなくなったら終わりだからな」

 

「......ちッ」

 

皆守はいってしまう。

 

「九龍クン?」

 

「なーんちゃって。甲太郎のことだから保健室にサボりにいったんだな。つれもどしてくるよ」

 

「う、うん、喧嘩しないでね?」

 

「わかってるよ!」

 

ホームルームが終わる直前には葉佩が皆守を連れて戻ってきたのだった。



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2人の追跡2

三限目の国語が終わったあとの休み時間、トイレに行きたくて早々に席を立って帰ってきたら葉佩がいなかった。進路に関する話があると雛川先生に連れていかれた、と皆守が教えてくれた。抜け出そうとするとは九龍か雛川先生が連れ戻しにくるので、せっかく止めそうな2人がいなくなってもすでに立つ気力もないらしい。あ~......そういやホームルーム前は皆守を連れ戻しに葉佩、教室から出ちゃったから雛川先生、葉佩に話かけられなかったのか。

 

こないだ青い目の皇太子の報酬を目にした瞬間に目の色変えたように葉佩がクエストガチャしまくってたから雛川先生にプレゼントはしたんだよな、髪留め。今日は結果発表か。ずぶ濡れなら成功だな、幸運を祈る。

 

時間はズレてるけどわざわざ屋上いったなら大丈夫だろうと怪しくなり始めた曇り空をみて思った。

 

「ヒナ先生ってほんとにいい先生だよね。あたしはすっごい好きだなあ」

 

「はあ?うざいだけだろ」

 

「そこがいいんじゃない、今どき熱血教師って感じの先生いないよ?」

 

「ふん」

 

ものの見事に皆守のトラウマを抉る雛川先生である。ばつ悪そうに皆守はそっぽむいた。

 

「も~、皆守クンてば素直じゃないんだからァ。ねえねえ、翔クンはすきだよね、ヒナ先生のこと」

 

「うん、いい先生だと思うよ」

 

「ねッ!優しいし、美人だし、いうことないよね~ッ!翔クンてヒナ先生ってどうなの?タイプ?」

 

「え、雛川先生?う~ん、そうだな」

 

「おいおい......」

 

「だって皆守クンに振ってもつまんないんだもん」

 

「雛川先生も可愛いとは思うけど、オレは瑞麗先生の方が可愛いと思うな」

 

「!?」

 

「へえ~ッ、かっこいい大人のひとがタイプなの?瑞麗先生を可愛いっていう人初めて見たよ」

 

「タイプというか、憧れるよね。弟がいるらしいから、弟じゃないって積極的にアピールしたらどんな感じになるか見てみたくはあるよ」

 

「なんかやけに具体的だな......」

 

「ああいうタイプは弟みたいに思ってる人から迫られると驚くんだよ」

 

「おおおッ......なんか新鮮だァッ......翔クンからそんな話きくの。そっかあ、じゃあギャップがある人がいいんだね、翔クンは」

 

「あはは、まあ好きだよ。そういう人は」

 

「そういえば翔クンてさ、月魅のことどう思ってるの?」

 

「またその話かよ、八千穂。俺らは関係ねえっていってるだろ、七瀬は九龍の被害者だ」

 

「皆守クンじゃなくて翔クンに聞いてるのッ!」

 

「オレ?そーだなあ」

 

私は笑った。

 

「真里谷といい感じになると思うから、きっと振られると思うよ、オレ」

 

「えっ、でも───────」

 

「ただいまァ~」

 

やっちーがなにか言いかけたとき、葉佩がかけこんできた。外はとうとう降り始めている。葉佩は雨に濡れたのかびっしょりだ。

 

「うわっ、どうしたの九龍クンッ」

 

「なんだそのにやにやは」

 

「じゃじゃ~んッ!雛川先生のプリクラゲットしたぜ!」

 

「えっ、それほんとッ!?」

 

「はぁ......はあっ!?」

 

「すごいな、九龍。おめでとう。でもなんでそんなにびしょ濡れなんだよ風邪ひくよ?」

 

タオルを投げてよこす。やっちーもハンカチを渡した。ありがとうありがとうとプリクラが濡れないよう死守してきたらしい葉佩は生徒手帳を拝み倒している。皆守はいよいよ空いた口が塞がらないようだ。人を教室には呼び戻しといて隙を見て勧誘かよという顔である。

 

葉佩にプリクラを渡すということは、《遺跡》探索に同行する、つまり仲間になったということだ。これで少なくても葉佩は国語および3のcにおいては《遺跡》探索は黙認されることが確約されたのである。よくやった。幾千のオレスコ被害者友の会の犠牲を乗り越えて、葉佩はついに成し遂げたのだ。

 

「なんか最近頑張ってると思ってたらこれか。お疲れ様、おめでとう」

 

「そうなんだよ、そうなんだよ、翔チャンッ!応援ありがとう!」

 

「すご~いッ、ヒナ先生まで!?じゃあ次あたしヒナ先生とがいいなっ、九龍クンッ!」

 

「おっけ~、おっけ~、まかしといてくれ!ばっちし考えとくからさ」

 

「うんッ!」

 

「............アロマがうまいぜ」

 

皆守がふかぶかと息を吸い込んだ時だ。ちょうどチャイムがなった。

 

「大変大変、4時間目自習だってッ!安田先生、さっきの授業が終わったのに生徒からの質問に答えてて教室から出なかったら、あのガスマスクの男に襲撃されて」

 

いっきに教室がさわがしくなった。もう嫌だ怖いと泣きそうな顔でいう女子生徒、ファントム同盟に入ろうか揺れる男子生徒。ファントムは正体不明の不審者だから信用するな、先生がみんなを守るから、と正論をぶつけたばかりの雛川先生よりファントムを応援したがる生徒。《生徒会》不要論を唱える生徒。噂はあっというまに感染していく。そのうち集団ヒステリーで倒れる生徒が出そうな勢いである。

 

「うう~ん、なんだかいや~な雰囲気になっちゃったね。でもファントムってほんとに何者なんだろ?誰かのイタズラ?正義の味方?本物の幻影?」

 

「正義の味方じゃないのは確かだねッ、正義の味方がマッチポンプなんかしないよやっちー」

 

「たしかに!人知れず悪を成敗し名も明かさずに去っていく正義のヒーローってわけじゃなさそう」

 

「江見睡院さんの前例があるからさ~、案外、誰かが乗っ取られてるのかもしれないよ」

 

「《墓地》から蘇った人だとしたらやだね......可哀想」

 

「それだけは許せないね、絶対に」

 

「翔クン......」

 

「まァ、案外幽霊かもしれないぞ。《遺跡》があるんだからな、幽霊くらいいてもおかしくは無い」

 

「あ、皆守クン」

 

「それにしても《生徒会》の不当な処罰から生徒を守る学校の怪談4番目のファントムねぇ。たしかに《執行委員》の暴走ぶりは目に余るもんがあるからな」

 

「あれっ、珍しい~。皆守クンがそんなふうにいうなんて。前だったらぷはぁってアロマ吹かしながら、そんなヤツらと関わり合いになるような行動する方が悪いのさ、っていいながら屋上いっちゃってたよね」

 

「お前な......俺をどういう目で見てるんだよ」

 

「だって、ねえ?皆守クン、ちょっと変わったかな~って。ね、九龍クン。かわったと思わない?」

 

「そりゃそうだろッ!俺が不良健康優良児の更生がんばってんだからッ!」

 

「うんうん、九龍クンの熱血指導の賜物だもんねッ!」

 

「たしかに前より全然話しやすくなったのは事実だよな」

 

「だろ~?」

 

「ちッ、勝手なことばかりいいやがって......」

 

「あれッ、皆守くんどこいくの?」

 

「どこだっていいだろ。まったく、お前は俺の監視役かよ」

 

お前がいうな、もしくは自己紹介お疲れ様である。普通はお前は俺の母親かが出てくるところだぞ、皆守。平穏無事な日常が戻ってくるたびに《生徒会執行委員》が倒され、《生徒会》と直接対決の日が近づいていく。《副生徒会長》としての任務と親友の葉佩との日常を過ごす皆守の本心がぐらぐら揺れ始めるのは案外この頃なのかもしれない。

 

「あ~......いっちゃったあ。なによ......最近はなんだかんだで戻ってくるくせに~」

 

「まだ4時間目あるのにな。しゃ~ない、連れ戻してくるよ」

 

「えへへ、いってらっしゃ~い!」

 

「おつかれ、九龍。あとで雛川先生どうやって仲間にしたのかおしえてくれ」

「皆守クンにこんなにいい友達ができるなんてあたし嬉しいなあ。ほらッ、早く行かないとおいていかれちゃうよッ!じゃ、またあとであたしにも教えてね、九龍クンッ!」

 

葉佩は皆守を追って教室を出て行った。やっちーは《生徒会執行委員》に2人が襲撃されないか心配しているが《生徒会》の副会長である。まずありえないだろうなあ。

 

しばらくしたらチャイムが鳴ってしまった。

 

「あ~あ、2人とも帰ってこなかったね。九龍クン見つけられなかったのかな?ねえねえ翔クン、一緒にお昼食べよったか」

 

「いいよ、マミーズ?」

 

「うん!」

 

玄関を出ると雨がふっていた。

 

「うわ~、最悪」

 

「傘持ってるから貸そうか?」

 

「えっ、いいの?ありがとう!でもなんてふたつ?」

 

「こないだ無くしたと思ってたオレの傘を九龍が装備してたんだよ。壊れてたから弁償してもらったのが今日なんだ」

 

「あははッ、そうなんだ~。九龍クンも懲りないよね~」

 

どこか寂しそうな横顔があった。

 

「......翔クン」

 

ちょっと泣きそうな顔をしたやっちーがいたが、一瞬のことで直ぐに笑顔になる。

 

「ねーねー、月魅と真里谷クンッてどう思う?」

 

「今は困ってるみたいだけど悪くはないんじゃないかな。本人たち次第ではあるよね。出会い方が特殊すぎるとはいえ、話はちゃんとしたわけだし、真里谷も衆道のけはないっていってたし」

 

「えっ、翔クン聞いたの?」

 

「そりゃ聞くさ。月魅怖がっててせっかく図書室に足繁く通ってるのにろくに話ができなくて挙動不審になってるし。ストーカーじゃないかって思われたらさすがに可哀想だし」

 

「そっか、応援しちゃうんだ翔クン......。もー、そういうとこだぞッ!」

 

「えっ、なにが?」

 

「まあ......翔クンは翔クンでやらないといけないこと、たくさんあるもんね。それどころじゃないか、そっかあ」

 

「?」

 

「えへへっ、なんでもない。いこっ」

 

「そうだな」

 

降りしきる雨のなか、やっちーはずーっと喋っていた。

 

「やっちー」

 

「え、なになに翔クン」

 

「やっちーってさ、九龍好きだろ」

 

「えっ!?」

 

「見てたらわかるよ」

 

「ううう......えーっと、その、あはは。もお~、なんでバレちゃうんだろ~......」

 

やっちーは俯いてしまう。

 

「言わないでね?」

 

「いわないさ」

 

「ありがとう。でもね、なんか、まだわかんないんだ」

 

「わかんない?」

 

やっちーはうなずく。

 

「なんかね、最近、どんどん仲間が増えてるじゃない?私は力なんてないし、知識もないし、力になれないし、呼ばれる回数減ってきてるし、さみしいの。なんか、やなんだ......」

 

それが友達をとられるという危機感なのか、好きな人に構ってもらえない寂しさなのか、やっちーはわからないらしい。

 

いつもなら胸がドキンとして一遍に頭がのぼせる。その瞬間何十年もしまい込まれていたものが蓋を弾き飛ばして溢れ出るくらい、恋と言う切ない感情だとわかるくらいの始まりらしい。

 

「九龍は違うんだ?」

 

「うん、そうなんだよね~」

 

やっちーいわく、長年探していたパズルの最後のピースを見つけたような一目惚れではない。

 

小中学生のころ、ある男の子を本当に大好きだと痛烈に感じた日、いつもの学校の帰り道がちがって見えた。五感の膜が一枚はがれたように、いつも見ている電線ごしの青空が急にみずみずしく見え、家の近くのケーキ屋さんから流れてくるバターの溶けた甘いスポンジ生地の香りが鼻をくすぐった。一日分の教科書が入ったかばんはいつもより軽く、道路を駆けぬけてゆく車のスピードさえ心地良かった。ずっきゅーんと、心臓が跳ね上がった。それは手持ちのなにもかもを無償で差し出したくなっちゃうような最強の笑顔だった。

 

なのにだ。

 

「九龍くんのこと考えるとね、なんか、苦しいんだ」

 

手に届かないものを漠然とあこがれるような想い。満たされることのなかった、そしてこれからも永遠に満たされることのないであろう憧憬。

 

気が合えば合うほど、二人の間の永遠に縮まらない距離が浮きぼりになる。気が合う、ふつうよりちょっとだけ距離の近い平行線、なんの火花も散らなければ、なんの化学変化も起こらない。そんな予感がチラついてしまうという。

 

私はなんとなくやっちーに伝えた。

 

「九龍って、《宝探し屋》だから、任務が終わったらいなくなる。お別れが初めから目に見えてたら、やっぱり躊躇するんじゃない?やっちー、怖いんだよ、きっと」

 

「そうかなあ?よくわかんないよ」

 

「やっちーがわかんないなら、オレもわかんないなあ。でも、やっちーが笑ってるのが九龍にとっては一番うれしいことだと思うよ。お別れの日がきても連絡とれるのか聞いたり、《ロゼッタ協会》について聞いてみたら?九龍ならめっちゃ教えてくれると思うなあ。知らないから怖いってこと、案外あると思う。元気だしてね」

 

「えへへ......ありがとう、翔クン。相談に乗ってくれて。ちょっとだけ、楽になった気がするよ」

 

やっちーがようやく笑顔になってくれてホッとした矢先、突然中庭の方から銃声が響いた。



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2人の追跡3

「見るなッ、見るな見るな見るなァ───────!!」

 

ガスマスクを被った男子生徒が銃を乱射している。この事実を110番しただけで天香学園は一瞬でパトカーや救急車が殺到することになるだろうなと私は思った。実際は職員や《生徒会》に握りつぶされてしまうが。10年もしないうちにスマホが普及すればインターネットを介して動画があげられてしまう。そうしたら一環の終わりである。

 

今この瞬間出来なければなんの意味もない想像だ。

 

「あれって、《生徒会執行委員》の子だよね?」

 

「ガスマスクだから間違いないな」

 

「いったいどうしたんだろ?」

 

「見るなっていってるから、なにか怖いんじゃないか」

 

「あっ、取手くんの時みたいに《黒い砂》のせいで幻覚を見てるのかも?」

 

話している間にも弾丸はとんでくる。

 

「いやあ───────!」

 

「たすけてくれ───────!」

 

「ファントムたすけてくれ!!」

 

どうやら中庭で集会をやっていたら《生徒会執行委員》が乱入してきたため生徒たちが混乱し、墨木も視線恐怖症のため感化されてしまったらしい。

 

なんてこった、よりによってなんでこれを粛清しようとしたんだよ墨木。いくらなんでも数が多すぎるだろ......。そりゃ無数の視線がむけられたら粛清どころの話じゃなくなるのはわかるが。

 

銃声が響く中、どうにか出来ないかと考えてみるが集会の規模がかなりでかい。

 

まずいな、このままだとパニックになって人が死ぬぞ。正しい情報を得られない状況に陥った人々が冷静な判断力を失った時に発生するパニックは、発生する状況には幾つかの必要条件があるのだ。まず差し迫った脅威を現実のものとして実感していること。何からの方法によってその危険から逃れて助かる見込みがあると信じられていること。しかし確実な脱出が困難であり、他の脱出者との競争に勝たなければ生き残れないかもしれないという危機感が集団の間に広がること。そしてコミュニケーションが機能せず全体の状況を把握することができなくなることといった条件である。

 

これらの条件はいずれも実際の状況がそのようなものであるかどうかに関係なく、人々の主観的な思い込みだけで引き起こされるが、条件のうちの幾つかが成り立たなくなれば、パニックを防ぐことができる。

 

私は携帯をひらいてメールをうつ。

 

「なにしてるの?」

 

「助けを呼んでる。九龍、今日はいつもの服だろ?」

 

「あっ、そっか」

 

気づいてくれよと思いつつ、送信を押した。事態はだんだん悪化の一途をたどっている。逃げ惑うファントム同盟の生徒たちの中に、痙攣や失神、歩行障害、呼吸困難などの身体症状などの精神症状が伝播しはじめたのだ。

 

次々倒れていく生徒たち。墨木に打たれて殺されたと勘違いして、さらに阿鼻叫喚になっていく中庭は異様な空気に包まれていく。

 

個人または集団において突発的な不安や恐怖、ストレスによる混乱した心理状態、またそれに伴う錯乱した行動を人は恐慌、もしくは集団ヒステリーという。

 

対処法としては互いに目に入らないくらい距離をとり、じっとしていること。だがこうも銃を乱射されたら近づけない。

 

「うわあああ───────!」

 

また一人撃たれた。痛い痛いとなきじゃくる生徒が血だらけの腕をみて絶叫する。近くに転がっている薬莢をみて私は戦慄した。固体がゆるやかに液体になり生徒の傷口に入ろうとしているではないか。それを見てしまった生徒はぶんぶん腕を振る。そしてなんとか逃げようと走り出した。

 

「こっちこっち!」

 

やっちーが叫ぶ。こっちにやってきた生徒が飛んだ。間髪でさっきまでいた場所に弾丸が着弾した。私はハンカチで生徒の腕にはいつくばる液体の物体をつかんだ。握りつぶしたらやがて動かなくなった。

 

「あ、ありがとう......」

 

「念の為に保健室にいって瑞麗先生に見てもらって。これ、渡したら伝わるから。行けるな?」

 

「わかった......ありがとう......」

 

生徒は去っていった。

 

「あぶなかったね......なんだったんだろ、あの気持ち悪いの」

 

「たぶん、父さんに取り憑いてるやつの仕業だ。あの弾丸にスライムが変化したやつが混ざってるんだよ」

 

「えッ」

 

「あのスライム、明らかに傷口を通して中に入ろうとしてたからな。下手したら新島みたいになってたよ」

 

「よ、よかった......」

 

「残念ながらまだよくない......あいつ、なんか様子がおかしい。たぶんスライムが混ざってることに気づいてないんだ。しかも、1回もリロードしてない。弾丸作るのがあいつの力かな」

 

「えっ、ど、どうしよう、はやく止めないと新島くんみたいな人が......」

 

「さっきの子の話を聞いたら瑞麗先生飛んでくると思う。それまでにどうにかできないかな......」

 

「どうやって?」

 

成り行きをオロオロと見守るやっ、ちーと私は顔を見合わせた。

 

「やっちー、カウンターで返せない?」

 

「む、むちゃいわないでよぉ......さすがに銃は無理だよッ!テニスラケットないもんっ!」

 

「だよね......こっからじゃテニスコート遠いしな......」

 

金魚のように口をパクパクさせるやっちーには悪いがここはテニスラケットのくだりはいらなかった。やっぱりテニヌじゃないか。

 

ためいきをついたところで、ポケットにバイブレーション。私はメールをひらいた。

 

「......」

 

私はポケットにしまう。

 

「翔クン、どうしたの?」

 

「やっちー、今から2階にいくよ。あっちの非常階段から上がれるだろ?」

 

「えっ、あ、うん」

 

私たちは慎重に歩みをすすめた。 2階にあがり、今は使われていない暗幕がはってある準備室にはいる。

 

「よぉ、少年。いつぞやぶりだな」

 

「あッ───────」

 

私はやっちーの口を塞いだ。しー、と口元に指をあてるとこくこく頷く。

 

「いやあ、君もなかなか大胆なこと考えるねえ」

 

「緊急事態なので」

 

「そりゃそうだ。ほらよ、ご所望のやつだ」

 

「ありがとうございます。ちなみに鴉室さんは?」

 

「全然ダメだな。相方に丸投げしてるんだ」

 

「そうですか、わかりました」

 

ライフルを受け取った私は窓から標準を合わせる。

 

「翔クン......え、嘘でしょ、できるの?」

 

「しっ、手元狂ったらどーすんの」

 

「あっ......」

 

やっちーはあわてて口を塞いだ。私のスコープには墨木砲介の銃をもつ手がうつっている。誰を狙っているのか確認した私は一瞬頭が真っ白になった。

 

「............!」

 

奇妙な焦燥に駆り立てられる。心が乱れ、動揺し、心の中を掻きむしられるような激しい混乱が巻き起こるのがわかった。支離滅裂な言葉が頭の中でぐるぐるにかき混ぜられ、ざわざわと頭を毛で逆撫でされるような感覚に気持ち悪くなってくる。吐きそうになった。奈落へ突きおとされるような絶望があった。

 

ころさなきゃ。はいじょしなきゃ。わたしが、やらなきゃ。

 

「はいはいはいストップストップ、どこ狙ってんの君、今はこっちだろ」

 

鴉室さんの声でふと我に返る。

 

「行き詰まったと君が思い込んでいるだけだよ。人ってのはみんなそうだ。例えば、砂漠に白線を引いて、その上を一歩も踏み外さないように怯えて歩いているだけなんだ。周りは砂漠だぜ、縦横無尽に歩けるのに、ラインを踏み外したら死んでしまうと勝手に思い込んでいる。んなこたーない、案外近くにオアシスがあるかもしれないんだ。視野は広く持とう、視野はな」

 

私はスコープの距離設定をいじる。さっきまで1人しかいなかったはずの九龍を助けようとしている皆守がみえた。ようやく感情に支配されていた頭に理性が帰ってくる。なに考えてんだ私、あそこは皆守が助けてくれるパターンが可能性高いだろ。今回は放課後のイベントが昼休みになっただけだ。

 

ようやく心が軽くなる。私は標準をさだめ、引き金をひいた。墨木の手から銃が吹き飛ぶ。手を抑える墨木、その隙を狙い、銃を蹴飛ばす葉佩と倒れている生徒たちを介抱しようと焦る皆守。

 

「よっしゃ、ナイス。やるじゃないか、お兄さん感激しちゃう」

 

「ありがとうございます。助かりました」

 

「いやあ~、素直にあやまれる子は好きだよ、俺。あいつがいってた意味がよくわかったわ......よかった俺いて」

 

「あはは」

 

「す、すごい......すごい、翔クン......。こんなことできるなんて......」

 

「あ、そうだ、やっちー」

 

「なあに?」

 

「みんなには内緒だよ」

 

「えっ、九龍クンにも?」

 

「ばらすよ?」

 

「そんなにっ!?わ、わかった、言わない、ぜ~ったいに言わないからっ!約束する!」

 

私達が指切りする傍らで鴉室さんはライフルをしまい、あでぃおす!と去ってしまったのだった。あとで瑞麗先生にお礼いわなきゃ。

 

「えへへ、よくわかんないけどかっこよかったよ、翔クン。なんか、九龍クンみたい」

 

「あはは、ありがとう、やっちー。さて、みんなの手伝いにいこうか」

 

「うん!」

 

私達は非常階段を駆け下りたのだった。

 



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2人の追跡4

「どごにいだんだのがど思っだらそごがよ~ッ!メールぐれよばがぁ~ッ!!」

 

号泣する葉佩にやっちーもろとも巻き込まれてしまった私はひたすらゴメンと謝った。

 

「んなことしてる場合かッ!はやく怪我してる連中運ぶの手伝えッ!」

 

「いだうっ!なんだよ、なんだよ、人が感動の再会してる時に水差しやがってこの野郎ッ!」

 

「アホか、んなの後からできるだろ。ほかの連中、こいつら助けたら《生徒会》に処刑されるんじゃないかってビビっちまって誰も手伝ってくれねえんだよ」

 

「なんだと~ッ!?まさかさっきの狙撃もファントムの仕業とかいう流れか、もしかして?」

 

「もしかしなくてもそうだ。全く、よく出来た劇だぜ」

 

「やんなっちゃうね、まったく。よし、運ぼうか。やっちーは......そうだなあ、どさくさ紛れてゲットトレジャーしようとしてる不届き者監視してくれ」

 

「は~いッ!ほら、九龍クンッ!なにしてるの、はやくみんな運ばなきゃ」

 

「ぎくうッ!皆守が増えた~ッ!」

 

「いってる傍からお前は」

 

「痛いッ!」

 

ぎゃーぎゃーいいながら介抱に回っていると騒ぎを聞きつけた仲間たちが手伝いに来てくれた。みんなで手伝えばなんとかなる。おかげで保健室は超満員になり、エムツー機関の病院にみんな担ぎ込まれることになったのだった。

 

そして、この騒ぎがあまりにも大きくなり始めたために、午後からは明日まで休校になってしまったのである。

 

「えええ───────ッ!?そんなことがあったんですか~ッ!?大変でしたね、みなさん!」

 

ひっくり返りそうなくらい驚いている菜々子に葉佩がうんうんうなずいている。昼休みを救護にあてたせいでだいぶんずれこんでしまった昼ごはんのために私達はマミーズにいた。

 

「そうなんだよ~、おかげでお腹ぺこぺこなんだ。菜々子ちゃん」

 

「お疲れ様でした~。なるほど、だからお客さまが今日はたくさんなんですね~。ご注文はなにになさいますか~?」

 

「カレー2つ」

 

「え、ちょっと待ってくれよ、甲太郎ッ!俺まだ頼んでないのに!」

 

「じゃあオレ五目ラーメンで」

 

「あたし、チーズバーガーセットお願いしま~す」

 

「は~い、かしこまりました~」

 

 

 

 

五目ラーメンを食べながら考える。

 

墨木砲介の撃った弾丸がスライムに変化した理由がわからない。弾丸の中に混じっていたのか、力により生成された中にスライムが混入しているのか。前者ならリカと同じパターンで兄からの手紙が偽造され、弾丸が送られていたことになる。後者なら銃そのものにスライムが入っていて、力が発動して自動的に弾丸が補充される過程で混入したことになる。どちらだろうか。

 

「九龍、怪我は大丈夫?」

 

包帯をまいている手が目に入って声をかけた。葉佩はひらひらと手を動かしながら笑う。

 

「うん、大丈夫大丈夫。瑞麗先生にめっちゃ怒られたし、レントゲンとかされたけどあのスライムの成分は入ってないってさ」

 

「そっか、よかった」

 

「あれ怖かったよね、翔クン。九龍クンになにもなくてよかったよ」

 

「ほんとにな。逃げろっていってんのに逃げねえんだ、自業自得だぞ」

 

「いや、だってさァ......朝、皆守探しにいった時に見かけたんだよ、あいつ。あん時はまともだったからまた話通じるかと思って」

 

「はあっ!?」

 

「え、墨木クンとあったの、九龍クン」

 

「なんて?」

 

「いや、普通に歩いてたらさ、トイレの方から怪しげな声が聞こえてくるんだよ、うううっ、うううって。見るなっていったから目を逸らしたらありがとうっていわれてさ」

 

規律正しい男子生徒の声がするだけでどんな姿かはみなかったらしいが、声が一緒だったからとのこと。目をそらした葉佩に感謝したからか、嫌いとかではないと弁明したかったからか、墨木は自分が視線恐怖症だと自ら告白したらしい。どうしても自分を見る人の視線が痛くて怖くて苦しくて恐ろしくてたまらない。途中で見ず知らずの葉佩に弱音を吐いているのか正気に戻ったのか情けないと項垂れているようだったという。

 

さすがに心配になって声をかけたら、いたく感動されて安心させてくれるいい声だと褒めてもらえたと葉佩はにヘラと笑う。脳天気な、という話だが、見知らぬ人間だから安心して話せたのだろう。まさかそれが天敵の《宝探し屋》だとは思わなかったようだが。

 

「そっかァ......墨木クンて大変なんだね......」

 

「こんなことじゃ正義は貫けないってもがいてたけどさ~、あれみてからだと銃乱射するようなやつには思えないんだよな」

 

「銃でみんなを傷つける正義ってなんだろう?」

 

「きっと忘れたから苦しんでるんだろうよ、他のやつらみたいにな」

 

なんだかしょんぼりしている八千穂に葉佩は悪いやつじゃなさそうだから《生徒会執行委員》として立ち塞がるならまた救い出すだけだと意気込む。

 

 

「よお。まったく、ここは相変わらず賑やかな學園だとは思わないか?」

 

「あ、夕薙クン」

 

「いつも以上に混んでるみたいでな、相席いいか?」

 

「いいよ~、甲太郎奥詰めてくれ、奥」

 

「あ?仕方ねえな」

 

「助かる、ありがとう。しかしあれだな、それは名誉の負傷か、葉佩?」

 

「これ?うん、まあな~。墨木は逃がしちゃったんだけど」

 

ビフテキ丼をおいた夕薙は、へえ、と意味深な顔をしながら笑うのだ。おいこっちみんな。皆守が怪しむだろうが。

 

「それにしても随分と物騒な匂いさせて食べてるな、葉佩」

 

「でもさ~、物騒だから着てきたらこの有様だよ。運よすぎない?俺」

 

「なんだよ、俺にはなにも匂わないぜ?」

 

「まぁ、甲太郎の鼻はラベンダーとカレーの違いしかわからないからな」

 

「勝手に言ってろ。で、なんなんだよ、結局」

 

「なにって決まってるだろ、硝煙の匂いだよ」

 

「あ~、ハズレ。俺、銃火器より剣のが好きだし」

 

「はははっ、そうか。まっ、夜遊びもほどほどにな」

 

「へ~い」

 

「じゃあ、あれか。墨木の銃のせいか?どれだけ腕に自信があるか知らないが白昼堂々銃を乱射するような輩が、正当な法の執行者であるとは俺には到底思えない。葉佩はどう思う?今の《生徒会》のやり方に君は賛同できるかい?」

 

葉佩がカレースプーンをおいて水を一気に飲み干した。いつの間にか食べ終わっていたようだ。

 

「その前に聞きたいんだけどさ~、夕薙は《生徒会》が無視してるのか、指示してると考えてるのか、どっちよ?それによって変わるけど。ど~よ、夕薙」

 

「そうか?《生徒会執行委員》は《生徒会》の代表だ。制御しきれてない時点で意味するところは同じだろう?《生徒会》が真に學園の生徒のための組織ならばこんな暴挙にはでないはずだ」

 

「うーん、俺はそうは思わないけど?月魅がいうには4番目のファントムって定期的に現れてるっぽいんだよな。《生徒会》と敵対する立場として陽動してるっぽくてさ、今までは静観してるうちに自然消滅してるから慣例にならってるだけじゃない?組織として一番ダメなやつ。今回は色々別の勢力がごたごたしてんだから、いっぺん現場に顔ださなきゃダメなパターン」

 

「あっはっは、お前が一番辛辣だな、葉佩」

 

「人にはいろんな考え方があるけどさ~、人間考えるのをやめたら終わりだと思ってるからね、俺」

 

「ははは、頼もしい限りだな」

 

長いこと沈黙を続けていた皆守がようやく口を開いた。

 

「夕薙......お前な、あんまりこいつを焚きつけるのはよせ。この學園の禁忌に近づけば待ってるのは《生徒会》による処罰だけだ。命をかけるほどのものなんてないだろ」

 

「それは葉佩が決めることであって、甲太郎には関係ないことだろう?そもそもなんでお前こそそんなにムキになるんだ?」

 

「それこそお前には関係ないことだろ?」

 

「え......ちょ、ちょっと、ふたりと」

 

「は~い、たんまたんまたんま。2人して俺の取り合いとか嬉しいけど注目浴びるの葉佩恥ずかしい~!」

 

「んなッ、止めるんならもっとまともなこと言えッ!!」

 

「おいおい、俺まで噂に巻き込むのは勘弁してくれよ」

 

「えっ、マミーズでこんだけ騒いどいて今更なにいってんだよ、夕薙。手遅れだぞ、あっはっは」

 

「どんな噂だよ......」

 

「え、聞きたい?」

 

「絶対にいやだ......」

 

「悪い悪い、たしかに葉佩のことで俺達が口論てのもおかしな話だな。悪かった。それと甲太郎」

 

「......なんだよ」

 

「たまにはカレー以外も食わせてやれよ」

 

「余計なお世話だっ!」

 

「えっ、待ってくれよ、それ余計じゃない余計じゃないッ!俺だってたまにはラーメン食べたい!」

 

「ああ、わりいな九龍。カレーラーメンがよかったか」

 

「ちがあうッ!!」

 

「ご馳走様、と。邪魔したな。俺はいつも通り、葉佩の活躍を楽しみにしてるよ」

 

「火種だけまいて帰るなよ、夕薙ッ!」

 

「ははッ、それじゃあな。あ、そうそう、江見。お前、男物の香水が染み付いてるぞ。萌生先生の時もそうだが密会は人を選べよ?まあ、お前の趣味なら余計なお世話かもしれんがな、七瀬あたりが余計な勘ぐりしてるから伝えておくぞ」

 

「えっ、ちょ、夕薙大和さん、去り際になにいっ───────」

 

明らかに楽しんでるという顔をして夕薙は去っていく。さっきまでの喧騒が嘘みたいに静まり返るマミーズにて私は逃げ出したい衝動にかられるのだ。

 

「翔チャン」

 

手を掴むな、葉佩。

 

「翔クン」

 

めっちゃ目を輝かせるな、やっちー。

 

「翔チャン、翔チャン、なにその話、すっげえおもしろそうな話じゃんか。聞かせろよ~」

 

「あァ、なるほど。そういうことかよ、雛川になったとたんに国語の成績急上昇したのはそういうわけか」

 

どういうわけだよ、皆守。

 

私はためいきをついた。うっわ、帰りてえ......。

 

「引き継ぎだよ、引き継ぎ。オレがなんの手引きもなく潜入できたとでも思ってんの?」



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2人の追跡5

「《生徒会》は本当はなんなのか、か......。───────ん?」

 

皆守の携帯がなり、携帯を確認した。メールを見るなり表情が曇る。

 

「......ちッ、ちょっと用ができた。俺に構わず先に帰ってくれ。いいな?」

 

「え~」

 

「えっ、今から?」

 

「大丈夫なのかよ、甲太郎。校舎戻ったらまずいんじゃ?」

 

「......《生徒会》に許可とってりゃ大丈夫さ。俺も用が済み次第すぐ行く。お前らが男子寮につく頃には追いつくさ。じゃあな、気をつけて帰れよ......寄り道するなよ」

 

じゃあな、とあまり気乗りしない様子で皆守は校舎の方に戻っていく。さすがに今回の騒ぎは《生徒会》として放置はできないってことだろうか?ただ似たようなイベントはゲームでもあったしなんとも言えない。たしかなのは《副生徒会長》という《生徒会執行委員》の粛清の対象外がいなくなったこの瞬間から、葉佩も私も正真正銘、無防備ということである。

 

休校という名前の臨時休校である。學園敷地内から出てはいけない規則により、実質自宅待機である。部活もなにもなくて、降って湧いた休日にやっちーは暇なようだ。

 

「宿題いっぱい出されちゃったねえ」

 

「寮は出入り禁止だしなあ」

 

「さてどうしようかなあ、昼間にうろつけるのはありがたいけどね。墨木が監視にうろついていることを考えると。一度、昼間にいってみようかな、《遺跡》」

 

葉佩はウキウキした様子で笑うものだから、つられて私は笑ってしまった。安定の葉佩である。

 

「じゃあね~!ヒナ先生と一緒に行きたいから約束だよ、九龍クン!」

 

「ばいば~い、やっちーの番が回ってきたらメールするよ!」

 

別れた私達は男子寮に入った。

 

「あれ」

 

「九龍?」

 

「いや、気のせいかな~?いつもの虫がいないなあって」

 

「化人避けに寄ってくる虫?」

 

「そうそれ」

 

私はすっかり習慣になっているドアをあけたままポストをあけて、白い封筒がないか確認した。

 

「───────?」

 

「どったの、翔チャン」

 

「......まだ、手紙が来てない」

 

「お、マジで?あ、ほんとだ」

 

私のポストには一通も手紙が入ってはいなかった。私は葉佩と顔を見合わせる。

 

「一回、確かめるべきだよな~とは思ってたんだよね」

 

「奇遇だね私もだよ、九龍」

 

「よし、待ち伏せに翔チャンの部屋使わせてもらってもいい?」

 

「なんでだよ、おかしいだろ。九龍がドア開けたら挟み撃ちにできるじゃないか。だから九龍の部屋一択だよ」

 

「いやあ、翔チャンの部屋、生活サイクル違いすぎてガード固いからまだ見た事なかったんだよね~ッ!」

 

「あははッ、いい度胸だね、九龍。不法侵入するつもりならそれなりの覚悟でこいよ。その瞬間から君のH.A.N.T.は初期化されることになるんだからな」

 

「い゛っ......嫌だなァ、翔チャン。冗談だって冗談ッ!ささっ、どーぞどーぞ、散らかってるけど!」

 

「毎回思うけど寮長にチェックされたら一発アウトだよね」

 

「やめて」

 

私たちは九龍の部屋で待ち伏せすることにした。

 

「えっ、マジでそんなことも出来るの......?宇宙人怖すぎでは?」

 

「こんなの専門の知識があれば誰でも出来るよ。私の前職がそっち方面だっただけさ」

 

「あっ、なるほど、そういう......。もしかして萌生先生からの引き継ぎって、萌生先生も翔チャンの正体しってたってこと?宇宙人じゃなくて?まじかよ、《ロゼッタ協会》諜報員渋って一般人に引き継ぎしたのかよ」

 

「九龍の知ってる萌生先生が宇宙人ならそうじゃない?まあ、案外上手くいってるからいいじゃん。文句あるなら萌生先生にいいなよ」

 

「やっだなァ、やめてくれよ。あの人にそんな冗談飛ばしたら首と胴体がお別れするじゃん」

 

「よくわかってるね」

 

「あ~......なるほどね。翔チャンのあれは萌生先生仕込みかァ......そりゃ強いや。俺が来るのわかってたから萌生先生に江見睡院先生のこと知ってるって近づいたんでしょ?やだ......翔チャン怖い......。つまり翔チャンは萌生先生からのお下がり......」

 

「人聞きの悪いこと言うと萌生先生のお下がりで蜂の巣になるよ、九龍」

 

「ひいっ......ノックバックする気でしょう、タクティカルLで!化人みたいに!化人みたいに!」

 

「やってもいいけど」

 

「やめて。萌生先生思い出すからその笑顔やめて」

 

もう私が紅海であることに気づきそうなもんだけど、なんでか江見睡院という人間が本名であるという思い込みが強固に葉佩の思考にあるようで考察の視野を狭めているようだった。ここまでくると正体ばらすのもめんどくさくなってくる。まあいいか、ほっといても。メルマガだと葉佩には全力で甘やかしてるし、構ってるしで江見翔とは人格が乖離気味な自覚はある。あっちだとファンのノリでやれるからな。リアルにやるのは疲れるんだよね。面と向かってやるのとでは別問題だ。

 

「でもさ~いいのかよ。きっとみんな萌生先生宇宙人だって思い込んでるよ」

 

「いいよ、別に。あの人、私から見ても充分人外だもん」

 

「ごめんなさい、先生。俺は翔チャンに反論する余地がありません」

 

「というわけで萌生先生が宇宙人だから、自動的に九龍がヘマしたら九龍も宇宙人になるから」

 

「やめろ~ッ!俺は人間だ!」

 

そんな雑談を小声でかわしているうちに、足音が近づいてきた。

 

「......通り過ぎた?」

 

「いちにで開けるよ」

 

「了解」

 

「いち、にの、」

 

さん、で私達はドアをあけた。

 

「......」

 

ぽすん、と間の抜けた音が響き、白い封筒が入る。そこに江見睡院の姿を確認して、九龍はナイフを手にしようとした。

 

「───────!?」

 

「───────翔、か?」

 

私は一瞬固まった。そこにあるのは《遺跡》であった江見睡院の皮を被った男の姿はどこにもない。純粋に息子との再会を喜ぶ父親そのものがあった。殺気がないのだ。目の奥に狂気はない。だから私の体は反応できない。

 

「───────よかった」

 

「へ?」

 

「会ってはいけないと思っていたが、我慢できなかった」

 

「......江見睡院さん?」

 

「寂しい想いをさせてすまない。だが、これ以上《遺跡》に近づくな、翔」

 

葉佩はどうしたものか迷っていた。私も迷っていた。

 

「君もだ、葉佩九龍。君はかつての私の痕跡をたどり、《遺跡》の真実に近づこうとしている優秀な《宝探し屋》だ。だからこそ、これ以上来てはならない。この《遺跡》はダメだ」

 

葉佩はいう。

 

「............俺が《宝探し屋》を目指すきっかけになった江見睡院先生は絶対にそんなこといいません。叱咤激励するはずだ。だから警告です。翔から離れてください」

 

「───────残念だよ」

 

「離れろ、江見睡院。これ以上は待てない」

 

「───────だが誇りに思う」

 

江見睡院は私から離れた。

 

「もう日が落ちるから帰らせてもらうよ。一目会えてよかった。ありがとう」

 

「───────まっ......父さ......」

 

今、なぜ私は父さんと口走りそうになったのだろうか。江見睡院を名乗る男が本気で私を息子だと思っいこんでいる事実に同情して演じようとしたのだろうか。それとも飲まれたのだろうか。

 

葉佩がナイフを構えたその刹那、一陣の風が吹いた。たまらず目を瞑った私達が目を開ける頃には誰もいなくなっていた。

 

からん、とナイフが落ちる。

 

「九龍?」

 

「あはは......」

 

葉佩が崩れ落ちてしまう。私はあわてて駆け寄った。

 

「1番きつい展開きちゃったなァ......。勘弁してほしかったのに......こういう時に限っていっつもこうなっちゃうんだよ。......ごめんな、翔チャン。うかつだった。もし、あいつだったら今頃翔チャン死んでたかもしれないのに」

 

今にも泣きそうな葉佩に言われて、ようやく私は状況次第では死んでいたのかもしれない事実に戦慄するのである。だからこう返すのだ。

 

「父さん、オレのこと覚えてたよ、九龍。あいつの目じゃなかったから動けなかったんだ、ごめん」

 

葉佩は首を振る。

 

「父さんの意識があるなら、まだ希望はあるかもしれない。明日、《遺跡》にいってみよう。昼間にいったらまた会えるかもしれない」

 

「......そうだよな、うん。翔チャンは強いなあ......」

 

私は笑うしかないのだ。

 

「私は、江見翔じゃないからね......。他人事なんだと思うよ。ほんとは九龍みたいになるのが普通なんだから」

 

「......そんなことないよ。翔チャン、今、泣いてるじゃないか」

 

その言葉で初めて私は泣いていることに気づくのだ。

 

皆守が驚いた顔をして近づいてくるまで、私たちはその場から動けないのだった。



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2人の追跡6

鏡の破片でも振りまくような強い秋の陽光を肩に感じる。並木の上に踊るように輝く。しかしそれも男子寮から森をぬけて《墓地》に向かうまでの話だ。

 

《墓地》に到達すると辺り一面に彼岸花が咲いていたのだ。いつもは夜中に潜り、帰る頃は足元を気にかける余裕なんてないから気づかなかった。どんよりと物悲しい秋の日が、朝だというのにまるで夕方のような侘しさをたたえている。

 

晴れきった朝が透き通るまぶしいほど晴れ上がった午前、秋の陽はつるべ落としで、黄ばんだ陽が白く乾いている。

 

静かで慰めるような日光が樹木の間に差し込んで秋の陽がからんと、明るく映さしている。ゆるやかに冬至に近づいてゆく十月の脆もろい陽ざしの中で。私たちは《遺跡》にいこうと縄ばしごを準備していた。

 

「貴様ら───────何者ダッ!」

 

「おっと───────ッ......まさか朝早くからずっと監視されてるとは思わなかったなァ」

 

葉佩はひとりそうごちる。

 

「ここは規則により立ち入りが禁じられている《墓地》でアルッ!貴様の行いは神聖なる學園の生徒として言語道断!《生徒会執行委員》の名において、貴様らを処罰スルッ!」

 

ガスマスクの男が叫ぶ。私達は歩みをとめた。葉佩がゴーグルをはずす。

 

「やっほ~、墨木砲介クン。昨日ぶりだな」

 

「......───────ッ!?!貴公はまさか......中庭の......昼間の......そうか、やはり《宝探し屋》なのか......」

 

明らかに墨木がトーンダウンした。

 

「なんたることだ......貴公には2度も助けられた............ぅゥ......ウウウっ......だがッ!正義は遂行されねばならないノダッ!」

 

墨木が銃を構える。

 

「自分は《生徒会執行委員》にして3年D組の墨木砲介でアルッ!校則に反した貴様らに処罰を与える前に名前を聞いておこう」

 

「俺の名前は葉佩九龍、《宝探し屋》だよ」

 

「ただの違反者ではなく相手が《宝探し屋》ならば話は別ダッ!貴様は神聖なる《遺跡》を侵した大犯罪人でアルッ!ここはなんびとたりとも土足で踏み入ることは叶わぬ聖地でアルッ!それもわからぬ不届き者の命、貰イウケルッ!」

 

「そうはさせん」

 

葉佩の前に立ち塞がったのは真里野だった。鋭い音が私たちのすぐ側で響いた。

 

「斬───────ッ!」

 

「───────ッ、なッ!?自分の弾丸を真っ二つに......貴様、何者ッ!?」

 

「またつまらぬものを切ってしまったか。だがこれも友の身を守らんがため、当然のことよ。九龍、無事か?」

 

「ひゅ~ッ!さすがだぜ、剣介~ッ!俺はこのとおり元気さ」

 

「そうか、ならばいい」

 

不敵に笑う真里野はどこをどうみても五右衛門である。接近戦に特化している葉佩にとってはなくてはならない仲間であり、最近はほとんどレギュラーポジションを獲得している新鋭だ。

 

「おのレ───────ッ!貴様ッ......裏切り者メッ!」

 

「ふっ。お主の心に混沌が見えるぞ。何を信じ、何を疑うべきなのか───────それすら解らぬお主にこの男がたおせるはずもない」

 

「信じるべきモノ......?クッ......」

 

墨木が撤退してしまう。私達は後を追う。《遺跡》に向かうことになった。

 

「しかしあれだな。今宵の探索は皆守ではないのだな」

 

「最近の化人掃討は甲太郎と剣介だったもんな。今回は墨木に聞きたいことがあるんだ。翔チャンも聞いてもらいたいからね、甲太郎には留守番をお願いしたよ」

 

「すっごい渋ってたけどね......オレも譲れないから悪いことしちゃったな」

 

「なにいってもどうせ適当なこといって《遺跡》には行くんだろって拗ねられちゃったんだよな~」

 

「甲太郎なりに心配してるんだよ、九龍。君、自分の危険度外視してるとこあるじゃん」

 

「やだ~、俺ってば愛されてる~」

 

「この學園の全ての答えはこの《遺跡》の中にあるんだよ。それを暴く君が倒れちゃ世話ないよ」

 

「わかってるよ」

 

「そうか......」

 

「なに?」

 

「いや、なんでもない」

 

「?」

 

私たちは《遺跡》の大広間に降りた。新たに開いた北北東の扉から先に進む。植物の群生するエリアをくぐり抜け、最深部で待ち受ける墨木のところへたどり着いた。

 

「やはり来たカ、葉佩九龍。これは最後の警告ダ。命がおしくば即刻この場から撤退せヨ」

 

「それは出来ないね。君に聞きたいことがあるんだよ」

 

「......」

 

私は、墨木に電撃銃を浴びせた。

 

「グアッ!」

 

「悪いけどその弾丸、全部撃たせる訳にはいかないんだ。人外になるのはごめんだからね」

 

「なんだとッ!兄貴が送ってくれた弾丸が化け物にッ!?ふざけるのもいい加減にシロッ!」

 

叫ぶ墨木に笑いすら浮かべないで返したのは葉佩だった。あ、怒ってる。

 

「ふざけてるのはお前だよ、墨木。瑞麗先生から聞いたけど、お前の兄貴は陸上自衛隊の化学部隊にいるそうじゃないか。自衛隊の弾丸ひとつ無くしたらどれだけの騒ぎになるかお前なら知ってるはずだろ?お前の兄貴はミリオタの弟に弾丸を渡すようなクズなのか?」

 

「違う───────断じて違ウウウウウッ!」

 

「じゃあ、今お前の銃に装填されてる弾丸は誰のものだ、いってみろ墨木砲介」

 

「ぐうう───────、これは兄貴が......自分ニッ......だがこれは......クズではなイッ───────」

 

「お前の兄貴は守るべき国民をスライムに変える弾丸をお前に渡すような人間なのか?」

 

「なんダトッ......」

 

「みるがいい、この木刀に残りし残骸を。変容してスライムに変わっておるわ」

 

真里野が原子刀をふると墨木の足元とちょうど中間におちる。それはまるで生きているかのように蠢く不気味な生命体だった。不定形であり、絶え間なく体の姿をかえて移動している。まるで寄生先を探しているようだった。

 

「ウソダ───────ッ!」

 

墨木は引き金をひこうとするが手が震えてうまくいかない。がたがたと手の中で銃が揺れているのがわかる。墨木砲介は動揺していた。この上ないくらいに動揺していた。弾丸がまたこの化け物になった瞬間に兄から送られた手紙も弾丸も偽物ということになるからだ。

 

「うってみなよ、墨木。お前のいう兄貴がくれたっていう弾丸ならうちぬけるだろ?ここ」

 

葉佩が笑う。そして心臓があるあたりを手にぽんぽんあててみせた。

 

「スライムにはならないよな?」

 

「ぐううウウウ───────」

 

苦悶の雄叫びがこだまする。私と真里野は固唾を飲んで見守った。

 

「な、何故ッ......クソっジャムったカ───────!」

 

何度トリガーをひいても弾丸が発射されない。自動装填の拳銃や自動小銃などで起こる弾詰まりが起こったようだ。空薬莢の排出がうまくいかず、次の弾が装填されない。この場合、手動で詰まった空薬莢を排除しなければ次の弾を撃つことができない。

 

葉佩は動いた。ジャムれば一時的にではあっても拳銃などの火器は使用不能になる。攻撃が途切れたその瞬間はどうしても無防備になり、反撃の機会を与えてしまうのだ。その一瞬を逃がすほど甘くはない。

 

墨木は鈍器として扱うことを決めたようで葉佩に殴りかかるが、葉佩が懐に飛び込むのがはやかった。銃をはじき飛ばす。空中に舞う銃。内側からなにかがしみ出てくるのがわかる。私は宝石をセットしなおして、冷凍銃をぶちこんだ。葉佩はそれを弾いて遥か後方に飛ばした。揉み合いになったが葉佩は墨木を制圧して動けなくしてしまう、

 

「見てみろよ、墨木。これはお前の兄貴がくれたものか?」

 

氷が内側から灰色に変わる。そしてそれは割れ目から下に吸い込まれてしまった。残されたのは灰色の粘着質な液体に満たされた銃だけだ。どうみても使いものにはもはやならなさそうである。

 

「自分は......自分はッ───────」

 

墨木がもがき苦しみ始める。やがて世界は《黒い砂》によって塗りつぶされていった。

 

「きやがったな、墨木の思い出掬って出来やがった化人ッ!こっからは俺が相手だ!」

 

高らかに葉佩が宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

《黒い砂》から解放された墨木は、ペンダントに加工された引き金を葉佩に渡されて過去をようやく思い出した。

 

数年前、視線恐怖症が悪化して相手にエアガンで怪我をさせたとき、兄が引き金とエアガンを分解し、引き金だけをペンダントにして渡したらしい。守るものが見つかったらエアガンにとりつけるという兄との約束。それも傷害事件により地元にいられなくなり、天香學園という全寮制の學園にはいることになり、自衛隊のため連絡がなかなかとれない兄への寂しさが重なり、耐えきれなくなったという。それが執行委員になるきっかけだった。

 

「そこをファントムにつけこまれ......兄からの贈り物だという小包を信じ込み......情けないでありマス......」

 

「じゃあ、守るものがないなら俺守ってくれよ、墨木。俺の探索に同行してさ」

 

「なななんとっ!いいのでありますカッ!?分かりました、自分は今日から葉佩殿のために身を粉にして働く所存でありマスッ!」

 

こうして新たな仲間が加わったのだった。

 

 



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おしゃべり迷路

あの日から平日は昼の間に男子寮にいることが出来ないため、土日祝日は自宅で江見睡院さんに会えないか待機している私だが、あれきり会えないでいた。手紙が入っているタイミングを見計らってドアをあけても、一陣の風が吹き抜けるだけだ。

 

11月に入ってから《生徒会執行委員》の襲撃がやみ、ファントムも目立った動きを見せない。気持ちの緩みもあるのだろうか、私も葉佩も変化を求めていた。

 

私の部屋のポストを見ては代わり映えのしない手紙に落胆し、《遺跡》で江見睡院を探して見落としていないか回廊を探す日々である。

 

バディと《遺跡》探索を続ける葉佩はそのうちショックから立ち直り始め、笑顔をみせるようになった。私も一安心である。

 

そんな代わり映えのしないある日のことだ。

 

「學園祭?」

 

「うんッ、そうなの~ッ!天香學園の學園祭は毎年11月の第2土曜日なんだよッ!」

 

《生徒会》も《執行委員》も動きを見せない膠着状態なのを葉佩と不思議に思っていたら、やっちーがそんなことをいいだした。

 

「いつもは10月下旬から準備期間なんだけど墨木クンの騒動で今日からになっちゃったんだよね~。2週間しかないからいつも以上に忙しいよッ。だから《生徒会》のみんなも忙しいんじゃないかな?」

 

..................あっ、ああああああああぁぁぁ思い出したッ!たしかに言われてみればあったなそんなイベント!ドラマCDだったから忘れてたわ普通にッ!!

 

そりゃファントムは活動しないし、《生徒会》も《執行委員》も動きがないわけだわ!忘れてたけどここ学校だったねそういえば!3年の2学期だからあらかたのイベント終わってるし、中間テストも終わってあとは学期末テストだけだと思ってたわ!

 

ようやく今の状況を把握した私とは違い、疑問符が飛びまくっている葉佩である。

 

「やっちー、学園祭ってなーに?なんかすっげえ楽しそうな雰囲気だけど」

 

「あっ、そっか~。九龍クン海外ぐらしだったからわかんないよね。う~ん、でも改めて説明するって結構難しいかも?」

 

「じゃあオレが説明するよ、九龍」

 

「さっすが翔クン、頼りになる~」

 

「じゃあ静かに」

 

「は~い、翔チャン先生~」

 

葉佩に軽く説明してやる。學園祭とは、日本において生徒の日常活動による成果の発表などの目的で行われる学校行事のことだ。学校によっては文化祭、学校祭、学院祭などと呼ぶ場合がある。

 

日本のように学校教育の一環として毎年全員参加型の文化祭が開催されている例は世界的に見て珍しい。

 

正規の教育課程であり、生徒の履修(出席)が義務づけられている。その開催日時および準備日時は、出席しなければならない日数および授業時数に算入される。

 

主に各学級ごとに創作活動、演劇発表、文化部の発表会、模擬店の開催などが実施される。

 

多くの学校では文化祭を一年に1回開催し、文化祭の運営は、児童会・生徒会の下に設けられた「文化祭実行委員会」などの組織が中心となって行われる。他行事と交互に実施するなどの理由により、2年または3年ごとの開催である学校もある。

 

「あ、うちは《生徒会》が管理してるよ~。企画書とかを出して、承認もらえたイベントができることになってるの」

 

「へえ~、そうなんだ。そういうの聞くとちゃんと《生徒会》らしいことやってるんだな~」

 

「九龍クンが来るまではちょっと権限が強いだけの《生徒会》だと思ってたからそういわれると困っちゃうんだけどね」

 

「ふむふむ、なるほどなるほど。學園祭が終わるまでは《生徒会》も動けないわけだ。自分たちにとっても最後のイベントだもんな」

 

「そういうことっ!だからね、九龍クンにも學園祭楽しんでもらいたいなって思うんだ。ここのところ、《遺跡》に通いつめてるし、学校にいるときくらい楽しまない?残り少ない学生生活を謳歌しなきゃ。ね?」

 

「いいね、いいね~。俺、こういうイベント初めてなんだ~。楽しみだな!よ~し、そういうことなら俺がんばっちゃうぜ、やっちー!な、翔チャン」

 

「そうだね。ファントムも父さんもあれから姿を見せないし、少しくらい息抜きしてもいいかもしれない」

 

「ほんとッ!?ほんとにほんと?ありがとう!よかった~......。あの日から2人とも落ち込んでるし、ショック受けてるし、《遺跡》ばっかりで上の空だからみんな心配してたんだよ~?事情が事情だから下手なこといえなくて、見守ることしかできなかったんだからねッ!」

 

このこの~!と嬉しそうにやっちーが肩を叩いてくる。

 

「うあ~、やっちゃったな~。俺としたことが《愛》を振りまくんじゃなくて《悲》を振りまいてどうすんだって話だよな~。ごめんな、やっちー心配かけて!」

 

「ほんとだよッ!九龍クンも翔クンも理由はわかるけど、なんだか遠くにいっちゃったみたいで怖かったんだからね!このまま居なくなっちゃったらどうしようって思ったんだから!」

 

ちょっとだけ泣きそうになっているやっちーの頭をぽんぽん葉佩がなでる。

 

「九龍クンが《遺跡》の秘宝を探すために来てるのはわかってるし、次の任務が来たらいっちゃうのもわかってるつもりだよ。でもね、あたしは、九龍クンと少しでも一緒にいろんなこと楽しみたいの。ダメじゃないよね?」

 

「ダメじゃない、ダメじゃない。ぜんっぜんダメじゃないよ、やっちー。ありがとうな、うれしいよ」

 

「えへへ」

 

「気を遣わせちゃったみたいでごめんな。これから葉佩九龍完全復活だから!」

 

「オレの方こそごめんね、やっちー。ちょっと考え込みすぎてたよ。相談すればよかったね」

 

「ほんとだよ~!ちょっとは反省しなさいッ!」

 

私と葉佩は揃ってやっちーに謝ったのだった。

 

文化祭は楽しさが感じられる行事であり、生徒にとっては學園祭の成功という目的のために、仲間とのあいだで共同作業に邁進することができ、達成感の強い行事である。同時に、自分の学校の特色を実感する機会にもなる。そんなことをやっちーは熱く説明しはじめた。

 

「天香學園が唯一一般開放される日なんだよッ!だからね、露店とかもやるんだ~。招待状がないと入れないから不審者は入ってこれないけどね」

 

「へ~、そうなんだ。楽しそうだな~」

 

「楽しそうじゃない、楽しいのッ!」

 

やっちーはノリノリだ。

 

学校と地域社会相互の結びつきを深め、人々の豊かな生活に貢献するという意味合いもある學園祭は、天香學園において年間最大の行事となる。生徒たちは、長い時間を費やしてその準備に力を注ぐ。

 

「だからねッ、學園祭の準備期間中は放課後校舎に残っても怒られないの。今年は準備期間短いからなおさらね。今日のホームルームは、クラスの出し物を決めるから絶対出席すること!い~い?」

 

「は~い」

 

「わかりました、やっちー先生!」

 

「よろしい!それじゃあ、あたし、テニス部の後輩たちとミーティングしながらお昼食べなきゃいけないからあとでね~!」

 

やっちーは去っていった。

 

「そっかそっか、學園祭か~。翔チャンてどんなのやった?参考までに聞きたいんだけど」

 

「う~ん、うちは売店したり、休憩室にしたり、やる気によって全然違ったね。天香學園はやる気がある学校みたいだから、喫茶店とか本格的なのやるんじゃない?」

 

「えっ、なにそれ考えてた以上に結構面白そうじゃん!場所はどこ?教室?」

 

「クラス対抗だから教室だろ?」

 

「あ、そっか。やっべーワクワクしてきたッ!こうしちゃいられない。甲太郎にも教えてやらないとなッ!」

 

「あれ、カレーは嫌だって喧嘩してたんじゃなかったっけ?」

 

「カレーパンでも献上すれば許してくれるだろ。俺は初めて天香學園セット頼めたから満足なんだ。付き合ってくれてありがとう、翔チャンッ!これお金!あとよろしく!お釣りいらないから!」

 

そういうやいなや、一気にかきこんだかと思うと葉佩はマミーズを去っていったのだった。

 

「あーあ、振られちゃった、なんてね」

 

目の前のお札を手にしつつ、昼休みが急に暇になってしまったことをどうしようか悩みながら、私はオムライスを食べ進めたのだった。

 

「......あれ、メール?」

 

月魅からメールだ。どうやら図書委員の仕事をサボる人がいたようで穴埋めに来て欲しいとのことである。よかった、暇じゃなくなった、ラッキー。そうと決まれば急がなくては。私はマミーズをあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が廊下を歩いていると、真っ黒な出で立ちの男が歩いてきた。めっちゃこっちみてるんですが怖すぎない?どうしようか迷ったのだが、今更逃げるのも癪だし、奥が図書室だからそのまま私は声を掛けた。

 

「こんにちは。今日から學園祭の準備期間なのは本当なんだね、《生徒会》の見回りなんて」

 

「こうして顔を合わせるのは初めてだな、江見翔。俺の名は阿門帝等(あもんていと)。この天香學園の《生徒会長》を務めている」

 

「君が噂の《生徒会長》?初めまして、オレはご存知のとおり江見翔。18年前に行方不明になった父さん......江見睡院を探しに来た《転校生》だよ」

 

「なるほど、なかなかに侮りがたい。お前には聞いておかねばならない事がある。教えてもらおうか......あの《墓》の中で何を見たのかを」

 

白昼堂々聞くのがそれかよ......。周りを見ると昼休みだからか授業のない準備室などが多いこの廊下は案外人がいない。しまったな、そこまで考えてなかったぞ。でも聞かれたなら仕方ない。私は正直に答えることにした。

 

「九龍じゃなくて、オレに聞くってことはあれかな。《遺跡》に巣食う邪神について聞きたいのかな?あそこにはショゴスという奴隷種族でもアブホースという外なる神でもない、正体不明の不定形の生命体がいるんだ。本人はいま、父さんの体を乗っ取り《生徒会執行委員》に自身の断片が仕込まれたプレゼントを送る裏工作をしている。体内に取り込むと1年以内に体の細胞という細胞に行き渡り、奴隷になるんだよ。父さんはどうやら昼のあいだは意識があるみたいでね、オレに學園から離れるよう言われた。でもそれは出来ない」

 

「......そうか。お前は魅入られているようだな、あの広大なる《遺跡》の深淵に潜む闇に」

 

「なんだって?」

 

「江見翔、これは警告だ。お前を誘おうとしているのは幻影だ。江見睡院ではない。これ以上深入りするのはやめておけ」

 

「どうして断言できるのさ。君はなにを知ってるの?父さんの遺留品になにかヒントがあるのか?」

 

「それ以上足を踏み入れるつもりならば、《生徒会》はお前も不穏分子と見なし、相対せねばならない。俺の忠告に従うも従わざるも、お前の自由だ。さァ、どうする?」

 

「肝心なことをはぐらかされて、はいそうですかっていうタマに見える?なら心外だね」

 

「......そうか。それがお前の選択か。だが、気をつけるがいい。もし今度、《遺跡》に入るようなことがあれば、その時はお前の身の安全を保証できない」

 

「そこで死んだらそれまでだよ、心配しなくても」

 

「......そうか、だがお前は自分が探しているものが本当に見つかるとでも思っているのか?真実はいつも全てを明るく照らすわけではない、時には残酷なこともある。本当に理解しているのか?」

 

「やっぱり18年前になにかあったんだね、《生徒会》と父さんの間に。それは教えてもらえないのか?」

 

「それだけはできん。この學園は巨大な墓場だ。それ以上でもそれ以下でもない。そして《墓》にはそれを守る《墓守》たるべきものがいる。それだけのことだ。......お前と話せて有意義だった。では、残り少ない學園生活を有意義に楽しむ事だ。また会おう」

 

「そんなに話すことない気がするんだけどなァ」

 

ぽつりと呟いた私に阿門は眉ひとつ動かさない。

 

「お前にどう思われていようが俺は関係ない」

 

「ならなんで話かけたの?」

 

「......」

 

「誰かの忠告?」

 

「いや......これは俺個人の行動だ」

 

「そっか」

 

「ああ」

 

「ありがとう」

 

阿門は身長が187センチもあるから175センチの私はかなり威圧感を感じるのだが、心配するような目つきをされるとどう反応していいか困ってしまう。

 

葉佩はともかく私に接触したいならば転校してきた頃にすればいいものをもう11月である。なにを今更警告するというのか。

 

喉に刺さった小骨のように心に引っかかる。空腹の胃に吐き気がくるような不安だ。心の中の拭き切れぬ影が雨雲のようにひろがる。

 

皆守ならまだ話はわかるのだ。彼は心配の権化である。かの偉大なる頭脳はナポレオンのそれが功名心をもって充満せるがごとく、まさに心配をもってはちきれんとしている。最近、《生徒会》役員の収集があったからか、ふだんの落ち付きを失ってしまったようにそわそわ立ってもすわってもいられないようになった。ばかなと思いながらこわいものにでも追いすがられるようだった。

 

アロマも手につかない程心配になっていることはよくわかる。この心配に濃い色が加わり、いつも何となく肩が重い様子がこちらにまで伝わってきそうだ。

 

「明日はどうやったって今日の続きだよ。先のことを考えても楽しくない。まだ起こってもいないことを案じるのはほんとうに体に悪い。やめた方がいいよ。敵の心配ならなおさらね」

 

「......」

 

なにかいいかけて口を閉じてしまった。

 

 

阿門にしてはずいぶんと後先考えない行動だこと。何層ものセキュリティを仕込んでおく、イタチのように何度も振り返って、確かめてから入る、そんな性分なイメージだったんだけどな。

 

自分の周囲に見えない垣根を張り巡らす。念には念を入れる。急がば回れ、回った先に石橋があったら叩いて渡る。そうやって18年間生きてきた顔をしている。相手の胸の中を探りながら会話を進めていくタイプだろうに、ずいぶんと発言に感情が出ているように思った。

 

「いくら気をつけても気をつけすぎることはない。俺の言うことを用心深すぎると笑うかもしれん。だが、つまらん事故は実際に起きるし、それで死んだり大怪我をするのはいつも、注意深い人間を笑うようなやつらだ」

 

「ええと、そんなに心配される理由がいまいちよくわからないんだけど......なにがいいたいのかな。はぐらかすだけなら急いでるんだ。そこ通してくれないかな、図書委員なんだよ、オレ」

 

ポケットから鍵をみせると、阿門はそうかとだけ呟いてしばし考え込む。そして、横にどいてくれた。

 

「ありがとう、それじゃこれで......」

 

「......俺の父は、」

 

横切ろうとしたら気になる言葉を言われたもんだからたまらず私は歩みをとめた。

 

「阿門のお父さんが、なんだって?」

 

「江見睡院、お前の父親のことを最後まで悔いていた」

 

「───────え」

 

振り返った時には阿門は歩き出していた。

 

「ちょっ......どういう意味だよ!」

 

たまらず叫んだ私に阿門は、また会おう、とだけ返して去ってしまった。えええええ、なんだよいきなりあらわれて意味深な言葉なげかけて去っていかれても困るんですけど阿門帝等さあん!どうしようか迷っていると、図書室から月魅が呼んでいる。《生徒会長》に話しかけられている私を見て心配になったようだ。私はそちらに向かうことにしたのだった。

 



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おしゃべり迷路2

「図書室へようこそ、翔さん。《生徒会長》から話しかけられていたようですが、大丈夫でしたか?」

 

「ああ、うん、まあね。《遺跡》にこれ以上近づくようなら容赦はしないって今更忠告されたよ。死んだらそれまでだから敵の心配するなとはいったけどね」

 

「そうですか......。ほんとうにそれだけですか?それとも何か悩みがあるのですか?」

 

「え?」

 

「古人曰く『夜になって星が輝き始めるのは、悲しみが我々に真実を示してくれるのに似ている。』悩むことによって、色々と見えてくるものもあるはずです。まずは悲しい出来事を受け止めることが大事だと思いますよ。もし一人では難しいようなら、私も力になりたいです」

 

「月魅......。ありがとう。実はさ、オレと九龍があった江見睡院は偽者だからこれ以上接触するなっていわれたんだ」

 

「えっ......それは......本当なんですか?」

 

「うん......。18年前は《阿門》の名前がつく生徒も教師も見つけられなかったけど、親戚、縁戚って形でなにかしらいたんだろうね。少なくても《生徒会》は影響下にあったはずだ。なんで断言できるのかははぐらかされちゃったよ」

 

「......そうですか」

 

「阿門の父さんがオレの父さんのことを最期まで後悔してたっていってたんだ」

 

「───────それはッ」

 

「まるで父さんが死んだみたいに聞こえる。でも、行方不明になった人間しか埋葬しない《墓地》には江見睡院の墓石はあるんだよ。死んだら九龍の前の人みたいに埋葬すらしないはずだろ?しかも棺桶は内側から無数の引っかき傷があるんだ。ほかの墓とは明らかになにかが違ってる。だから父さんの体が乗っ取られてる今、18年前になにかあったのは間違いないんだ。また会おうっていってたから、問い詰めなきゃ」

 

「......そうですか、そんなことが......」

 

しばし月魅は考え込んだ後、不思議そうにつぶやいた。

 

「阿門さんが《生徒会》以外の人と話しているのを見たのは初めてです」

 

「ああ、うん、個人的に話したかったみたいだよ。驚いたけど」

 

「そうなのですか。......あの人なりに翔さんのことを気にかけているのでは?」

 

「そりゃ、転校初日から敵だと隠しもしなかったからね」

 

「いえ......それだけではない気がします」

 

「あ、やっぱり?月魅もそう思う?だから私もどう対応していいもんか迷ったんだよね。なにもわからないから突き放す態度とったら、こっちの興味引くようなこと話してくれるし......悪いことしちゃったかな」

 

頬を掻く私に無理もないですよと月魅はうなずいてくれた。

 

私は5月からずっと江見睡院を探すために一貫して行動し続けている。それは江見翔というキャラクター設定で天香学園に潜入するうえでなによりも大切な行動指針であり、《ロゼッタ協会》の大切な同僚にして先輩たる江見睡院を助けるためだ。この天香学園の真相に世界で最初に気づいたであろう実力者を失いたくない。尊敬に値する誰もが実力ある人間だったというくらいなのだ。しかも葉佩があれだけ取り乱すんだ、《ロゼッタ協会》の中でもそうとう精神的な支柱だったことがうかがえる。今や私自身の行動原理にまで昇格していた。

 

阿門が私の行動をあらゆる人間から聞いているのは事実だろう。皆守だったり千貫さんだったり《生徒会》にあがってくる報告書なり。

 

阿門自身は阿門一族最後の生き残りとして実直なまでに《墓守》の運命を真っ当しようとしているだけのまともな感性をしている18歳の青年だ。

 

母親も父親も亡くし、千貫さんと豪邸に一人暮らしの阿門は、寂しかったから《生徒会》に傀儡をたてずに自分がなったといっていたはず。だから、取手たちのように私をかつての自分と重ねているのかもしれない。宿敵といえる立場の私が敵視することはわかっていたはずなのにわざわざ話しかけてきたんだから。案外、敵だからわかる、妙なシンパシーというやつだろうか?

 

まさか父親が出てくるとは思わなかったが、たしか父親は皆守みたいな才能ある人間を選んでは《黒い砂》の影響下において《生徒会》を組織していたはずだ。大人だから背後から操る体制だった。《執行委員》は存在しなかった。すべて《生徒会》だけがこなしていた。江見睡院の時代はもっと小規模なぶつかり合いのかわりに交流の余地もないから初対面から《遺跡》の可能性もある。初めから敵対が濃厚なのに、悔いていた?数多の《宝探し屋》を屠っておきながらなぜ江見睡院だけ?

 

考えれば考えるほどわからなくなる。阿門の言葉からさっするに死の間際まで父親が江見睡院のことを後悔していたことになる。阿門がそう思ったわけではなさそうだ。

 

一体なにがあったんだろう、18年前に。どう考えても江見睡院が今あんなことになっている何よりの原因があったのだとしかいえないが。

 

うーん、わからない。わからなすぎて混乱してきたぞ。なによりなぜ今私にそんなことを話すんだろう。

 

「でも、よかったです」

 

「え、なにが?」

 

「だって翔さん、ここのところ考えごとばかりしていたでしょう?時計ばかり気にして、はやく学校が終わればと願ってやまない顔をしていましたから。気づいていますか?ようやく表情が顔に出るようになったんですよ」

 

「えっ、そんなに?やっちーにも言われたんだけど」

 

「やはり気づいていませんでしたか......。あの人が声をかけたのはそれもあるのではないですか?どうやら翔さんとあの人は因縁があるようですから」

 

「あはは......心配させちゃったのかな......そうか、そんなにか......」

 

《遺跡》に潜む闇に魅了されている、か。心当たりがありすぎて私は苦笑いしか浮かばないのだった。

 

「翔さんが元気になったことですし、相談したいことがあるのですがいいですか?」

 

「うん?」

 

「私、文学部の部長もしているのですが、部員のみなさんライトノベルばかりでほかのジャンルの本をなかなか読んでくださらないのですよね。最近の若者は読書離れが進んでいます。この事態を翔さんはどのように思いますか?」

 

「うーん、そうだな。とっかかりがあれば案外本は読むと思うんだよ。ドラマや映画の原作とかね?とっかかりがないんじゃないかな、みんな」

 

「なるほど、みなさんの好奇心を刺激するということですね。それをうまく読書に結びつけたら事態は変わるのかもしれませんね。参考になります」

 

「こういうのって、本を読める家庭環境だったかも大きいからね。私らだけの問題ではないよ」

 

「たしかに。読書の楽しさを教えられない現代の体制にも問題があるのかもしれませんね。現在は様々な娯楽が溢れています。けれどもそんな移り変わりの激しい時代だからこそ、いつまでも変わらない輝きを放つ名作に目を向けてもらえるよう、そう思う私たちが読書の素晴らしさを伝えなければいけない。これは図書委員である私の使命だと思っています」

 

「ほんとに月魅って、意外に熱血キャラだよね……」

 

「もちろん、翔さんも手伝ってくださいますよね?」

 

「ああうん、手伝えることならやるよ?話題作を並べたりとか色々あるよね」

 

「ありがとうございます!翔さんがいてくれると助かります。さっそくなんですが、教えてください、翔さん」

 

「え、なにを?」

 

「萌生先生からの引き継ぎって具体的にはどんなことを?機密事項にひっかからない程度でいいので教えていただけませんか?実は文学部で出す作品の進捗がなかなか捗らなくてですね」

 

「月魅」

 

「ついでに今までで1番こまったことを教えてください。私、1日だけだったので」

 

「ネタにするつもりだね、月魅」

 

「......部員の中にはネタが浮かばなくて発狂してる人がいるんですよ、冬の祭典に間に合わないと。學園祭にまで支障をきたしかねないので」

 

「目を見て言ってよ、月魅。それ、きみのことじゃないだろうな?」

 

「違いますッ!断じて違いますッ!私はまだそっちの沼には落ちていません!」

 

「ほんとに?」

 

「ほんとですよ。だいたいみなさん漫画やアニメ、ゲームの二次創作ばかりで私のような小説ジャンルの人はなかなかいないんですから」

 

「そっか」

 

「はい」

 

「すどりんの盗撮からネタをもらってるとかないよね?信じていいんだよね、月魅」

 

「えっ、誰ですかそんな不届き者がいるんですかっ!?」

 

「瑞麗先生から注意喚起が来たんだよ......」

 

「えええ......」

 

元カメラマンのアムロなんとかさんが、すどりんに買収されてるかもしれない事実に私は頭が痛いのだ。通りで被写体にブレがなくて綺麗にうつっているはずだよ。

 

「ないですけど、文学部の人に誰も買ってる人がいないとはいいきれない......」

 

「いつの時代も元気だよね。今はあれかな、テニスの王子様あたり?案外九龍あたりの噂もそっちからだったりしてね」

 

「えっと、つかぬ事を伺いますが翔さんまさか先輩にあたるのでしょうか?」

 

「さあどうだろう。月魅が原稿みせてくれたら考えるよ」

 

「よく誘われるのですが私は興味がありませんのでよくわかりません」

 

口が裂けても九龍妖魔学園紀で沼に落ちたんだとはいえない私だった。はやいもので15年も前の話だ。一度落ちたらもう手遅れなんだよなあ。遠い目をする私になにかを察したのか月魅は文学部に誘ってきた。やめて。まじでやめて。今はそれどころじゃないんだから。



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おしゃべり迷宮3

「みんな静かに~。それじゃあ3のCでやる出し物を決めたいと思います。まずはなにをやるか決めましょうか」

 

は~い、といつになくやる気に満ちた生徒たちに雛川先生は嬉しそうである。

 

「はいはいは~いッ!あたし、喫茶店やりたいで~す!」

 

やっちーが真っ先に手を上げた。高校一、二年は無難なものばかりやっていたから、最後の學園祭ということで気をてらったやつをやりたいらしい。

 

お化け屋敷は隣のクラスがやりたいという噂をききつけたのか、却下された。あたりまえだ、そのクラスは神鳳がいるのだ。本物が出るなんてちゃちいお化け屋敷がたちうち出来るわけがない。

 

被服が得意なサークルや部活の人間がいる訳でもないため、自動的に無難なやっちーの意見に決まったのだった。

 

実際にカフェをすると決めたならば、まず考えなくてはいけないのがコンセプトと名前だ。

 

実際に営業しているカフェでも「猫カフェ」や「メイド喫茶」、「爬虫類カフェ」など色々なコンセプトがある。

 

學園祭で普通のカフェをやっても良いのですが、皆の記憶に残る思い出にするために、少し変わったコンセプトにしても良いだろう、とみんな考えたらしい。

 

一番お店の宣伝になるのはやはりお店の名前なので、どういうカフェなのか一目で分かるような名前が最適だ。もしくは興味を引けるもの、最低限カフェだと分かれば名前でふざけてみても良い。

 

・メイド喫茶

・執事喫茶

・男装喫茶

・妹喫茶

・魔女っ娘カフェ

・OLカフェ

・病院カフェ

・監獄レストラン

・ヴァンパイアレストラン

・男の娘カフェ

・戦国カフェ

・学校カフェ

・宇宙人カフェ

・探偵カフェ

 

ネタも込みでいろんなネタが浮かんできた。いうだけタダである。それから消去法で消えていき、私の推しだった宇宙人カフェは皆守あたりの猛反対で却下された。解せぬ。葉佩に無理やり連れてこられたわりに真面目に参加してることにびっくりだよ私は。ドラマ CDだと当日までガン無視してたっぽいのに。

 

「じゃあ、なにを担当するか決めましょうか。接客か調理でわけましょう。飾り付けはみんなでやるとして」

 

「私、接客やりた~い!ね、白岐サンもやらない?」

 

「えっ......ええ、私は構わないけれど」

 

「じゃあ俺もするか。女子ばかりだとクレーマーが出たら大変だからな」

 

「ありがとう夕薙クン。九龍クンはなにするの?」

 

「俺?俺はね~、コスプレも楽しそうだけど、料理やりたいな」

 

「料理か~、九龍クン上手だもんねッ!ハンバーガーおいしかったし!」

 

「お、九龍が調理担当か?なら仕入れ任せられるな。他のクラスよりいい材料がつかえるぞ」

 

「任せてもいいかしら?」

 

「は~い、ヒナちゃん先生!」

 

「九龍がやるならオレもやろうかな、仕入れとか1人じゃ大変だろ?」

 

「助かるぜ、翔チャン」

 

「ちょっと待て」

 

さっきまでボーッとしていた皆守が口を出した。

 

「九龍に翔だと?嫌な予感しかしないから俺もやる」

 

「お、意外にやる気がある奴がいるぞ」

 

「......意外ね」

 

「皆守クンもやってくれるんだ!意外~ッ!ふけるとかいいそうなのに~」

 

「......うるせえな」

 

この誰もお前には期待していなかったのに感である。思わず笑ってしまった私に皆守は睨みつけてから舌打ちをした。日頃の行いというやつである。雛川先生は嬉しそうに名前を書いていく。

 

「え~、嫌な予感ってなんだよ、嫌な予感って!失礼なッ!」

 

「前科しかないんだよ、お前は」

 

「いたい!」

 

「しかも甘やかすだけ甘やかして放置なんて無責任なことしやがる翔がついたらストッパー誰もいないだろ......なに考えてんだよ......。どいつもこいつも餌付けされやがって」

 

「じゃあ食材の管理よろしくね、甲太郎」

 

「ああ、流通経路からなにからしっかり管理してやるよ。食材の管理方法を間違えてしまうと食中毒に繋がりかねないからな」

 

「食中毒だけかなあ」

 

「わかってんなら九龍をとめるの手伝ってくれ......」

 

「え、いやですけど」

 

「翔......お前な、ほんとお前そういうところがだな......あーもういい。心配して損した」

「え?」

 

「......なんでもねえよ」

 

皆守は葉佩をみた。

 

「あのな、一度食中毒を学校から出すと次の年からは學園祭で模擬店を出すことが出来なくなるんだぞ。いいな?せっかくの學園祭なんだ、しっかりと皆が楽しめる場は守れよ、九龍」

 

「甲太郎の口からそんな言葉がきけるとはな、ははは」

 

「うるせえ、何も知らないと呑気でいいよな、まったく......」

 

はあ、と皆守はためいきをついた。

 

「安心してくれよ、甲太郎ッ!俺頑張っちゃうからな!手伝ってくれよ!」

 

「たかが仕入れになんで気合いを入れる必要があるんだよ......」

 

先が思いやられるとばかりに皆守は頭をかいた。

 

カレーの仕込みに付き合わされた経験上わかるが、どうやら皆守の要領の良さや真面目さはカレーだけでなく材料などにも及ぶようだ。さすがは未来のカレー仙人である。どっかで店でも開くのかもしれない。

 

そうこうしているうちに、接客組はコスプレなどをして楽しい雰囲気のカフェをやりたいので内装は手作り、衣装は借りてくる、と決まったらしい。やっちーが演劇部に衣装を借りてきてくれるそうだ。

 

実際にお店で使っているようなものを使うのは予算的にも教室のサイズ的にも難しい。実際にカフェでも使われていそうなものの中で學園祭の予算でも買えそうなものを先生にお願いするらしい。

 

コーヒーメーカーあたりはマミーズに借りてくるらしい。エスプレッソやミルクも出すことが出来るから、この1台でコーヒー、カフェラテ、カプチーノ、エスプレッソと4種類のメニューを提供することが出来る。

 

どうやらメニューはホットサンドにするらしい。デザート系とおかず系で別々に具材を用意しておくだけで簡単にメニューを増やすことが出来るから合理的だ。火を使うわけではないので教室でも安心して使用できる。

 

必要な材料はメニューから逆算して考えるということで、予算オーバーしないようにどんどん仕込み班に割り当てられた私たちに意見がよせられてくる。葉佩のやる気は尋常ではないくらいに充ちていて、皆守はこれを全部監督しなきゃいけないわけだ、がんばれ。え、私?一日とはいえそれなりの準備は必要だろうから人手だよ、人手。

 

 

 

 

 

 

「それじゃあいってみよー」

 

「言ってる傍から《遺跡》にいくな。やっぱり仕入れって《遺跡》じゃねえか......」

 

「ちっちっち~、違うよ甲太郎。クエストこなして報酬にもらうんだよ」

 

「あのな、なんでまたそんな遠回りなことを......。んな事しなくても買えばいいだろ?」

 

「わかってないなあ、甲太郎はッ!夕薙がいってたじゃないか!最高級の素材が欲しいって!ならやろうぜ~!お宝が俺を呼んでいる~ッ!」

 

「なんだよやる気なのはいい......なんで方向性が間違ってるんだ......」

 

「俺にとってはこれが最適解!」

 

ぐちゃぐちゃいってる皆守を連れて現れた葉佩はニコニコしながら縄ばしごをかけた。先に降りていくと今日は違うんだと言われた。

 

「クエストこなしたら行きたいとこがあるんだ」

 

いつものように《遺跡》でクエストをこなしたあと、葉佩につれられて、《魂の井戸》に向かうと紫色の蝶がとんでいた。それになんの躊躇もなく葉佩はふれる。

 

「おい、なにし......」

 

「ここは......」

 

明らかに空間転移だった。

 

「ここはランダムな異空間でさ、入る度に出現敵や宝箱、地図や井戸の位置などが変化するみたいなんだ。9階ごとに魂の井戸があるから、そこまでは地上に帰還出来ないからよろしくね」

 

「は?」

 

「え?」

 

「下の階に進むほど強い敵やボスが出現するけど入手アイテムも良くなるからね。お目当てのリストが埋まるまで帰れないよ~!題してお目当ての食材手に入れるまで帰れま10!」

 

どっかのテレビ番組みたいなことを口走った瞬間に葉佩目掛けてわりと本気な皆守の蹴りが炸裂した。

 



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おしゃべり迷宮4

この世界にはかつて葉佩が屠った敵、化人や《生徒会執行委員》の偽物が襲いかかってくる。蝶の迷宮というエリアであり、いわゆるレベル上げの場所だ。《遺跡》の到達具合いで行ける階層は連動しているらしく、その先に行こうとしても硬い扉に閉ざされている。9階層ごとに《魂の井戸》が出現するのだが、お目当ての食材が手に入らないからと駄々をこねる葉佩によりどんどん下におりていく。

 

はじめこそ愚痴っていた皆守だったが、だんだんしゃべることすら億劫になってきたのか口数が壊滅状態になってしまった。どこまであるのか調べたいという気配を感じてたまらなくなった私は999階あるという事実をものすごく伝えたくなったが堪えた。

 

この空間は異空間だ。時間の流れが死んでいる。この世界でいくら過ごそうが現実世界では一分も流れていないという世にも奇妙な物語のため、葉佩が下手したら行ける所までいくと言い出しかねなかった。

 

一応死んだら現実世界に戻れるが、口が裂けてもいえない。覚悟を決めて私は足を踏み入れた。

 

「九龍、この先に隠し部屋があるみたい。気をつけてね」

 

扉の向こうにいこうとする葉佩に声をかける。

 

「九龍、大気が流動してるよ。どこかから風が来てない?」

 

別の階層にいく階段の途中で注意を促す。

 

「九龍、敵忘れてない?右の区画にいるよ」

 

最後の一体はこちらで始末した。

 

基本H.A.N.T.に探索技能を丸投げして戦闘技能にばかり特化している葉佩を見ていると気が気ではない。おかげで私はH.A.N.T.を初期からたびたび大幅なバージョンアップの必要性にかられてきた。

 

敵の位置や配置、個体の情報を区画に入った瞬間にH.A.N.T.に表示させたり、隠し部屋やトラップについて感知性能を上げたりした。

 

にもかかわらず、葉佩はスルーするときがあるのでたまらず私は口に出してしまう。あとからH.A.N.T.が反応するので黙っていればよかったかと思う時もあったが、敵影の移動が開始されたところだったので結果オーライだ。

 

ありがと~ッ!という声が聞こえてくるあたり、まだまだ葉佩は絶好調らしい。

 

「なんでわかるんだよ、お前?」

 

不思議そうに皆守がいう。頑丈な扉の前で声をかける私が葉佩が気づいてすらいないところを指摘するのだから、はたから見たらすごいのかもしれない。

 

「宇宙人の技術だよ」

 

実際は職業病だ。H.A.N.T.の音声をひたすら聞き続けて5月から7月までの2ヶ月間ひたすら一人《遺跡》にこもってきたせいか、経験と知識があいまって脳内音声を垂れ流すようになってしまったのである。いくら蝶の迷宮が完全なるアトランダムとはいえ、999階層もあると似たようなパターンはだいたいわかってくる。

 

その区間がどんな形をしているのか外側から確認できるのだから、あとは鳴き声やら葉佩の使う武器の内容からだいたい把握はできる。あと葉佩、戦闘中はしゃべりまくるタイプだから実況中継聞いてる気分だ。

 

ここは似ているのだ。私がイスの偉大なる種族に放り込まれたある《宝探し屋》の記憶の宮殿と。諜報員ながら5年間も生還してきた《ロゼッタ協会》の《宝探し屋》の技術すべてを会得しないと出られなかったおぞましい鍛錬場によく似ているのだ。

世にも奇妙な物語で死刑囚の男が薬物投与により5分間であらゆる責め苦を味わい30日間絶え間なく拷問された結果廃人になったが、体感的には似たようなところだった。

 

ここは葉佩と皆守がいて、休憩時間も適度にとれるし、なにより頑張れば帰れるからずっとましである。

 

「第3の目ってやつか?それともこう透視?」

 

「それは神鳳や白岐でしょ?あたしのは単なる経験だよ。膨大なパターンを覚えているだけ。彼らの技術は高度すぎてあたしには扱えないからね」

 

「それをH.A.N.T.に転送してるわけか。前から思ってたが、おまえ、ほんとに九龍に甘いよな」

 

皆守は呆れたようにいう。ぽつぽつとではあるが自然と会話は生まれるのだ。新たな区画の化人の掃討に一生懸命になると私たちは置いてきぼりだ。守れないから絶対に入るなと言われているので扉の前で立ち往生することになる。互いに沈黙するのは気まずいのだ。

 

「なにいってるのさ、あたりまえでしょ。この空間突破できるの九龍だけなんだから。九龍が死んだ瞬間にあたし達死なばもろともなんだけど。そこんとこ分かってる?」

 

「わかってるさ、もちろん」

 

「縛りプレイする余裕なんかないわよ、あたしには」

 

「......そうか、そうだったな。翔なりに必死だったな」

 

「そうだよ」

 

「............俺も俺なりに必死なんだけどな」

 

「否定してるわけじゃないんだから、そんな顔しないでよ。あたしがいじめてるみたいじゃない」

 

「どんな顔だよ」

 

「手鏡あるけどみる?」

 

「いや、いい」

 

「そう」

 

「あァ」

 

しばらくの間、沈黙がおりた。

 

「最近、無表情じゃなくなってきたよな、お前。転校したてのころ、時々無表情だったのは、もしかして体が馴染んでなかったからか?」

 

「え?たしかに気を抜いたらすぐマネキンみたいになるから苦労してたよ。それがどうかしたの?」

 

「......気を抜いたら?わざとじゃなくてか?」

 

「うっわ、なにその反応。もしかして意外とマネキンになってた?」

 

「ああ。てっきり無視されてるのかと思ってたぜ」

 

「言ってくれたら治したのに。瑞麗先生にそんな笑顔しても隠せないから無駄だぞって言われたから甲太郎もそうかと思ってたよ。なにかに気づいたような反応してたからさ」

 

「............あー......そういうことかよ。無表情なのはお前なりにリラックスしてたってことか。まぎらわしいな」

 

「だからごめんって。体と魂が融合始めたからか、違和感なく反応できるようになったんだから許してよ」

 

「いや、それはそれでやばいだろ、お前。なんでそんなに冷静なんだよ」

 

「冷静じゃないよ。考えないようにしているだけ。どうにもならないことに悩むなんて時間の無駄だし、体にも良くないでしょ」

 

「おまえな......」

 

皆守はちょっと笑った。

 

「なんでそういうとこだけ......」

 

「え、なにそれ笑うとこ?」

 

「............いや、なんでもない。ただ、俺の勘は正しかったんだと思っただけだ」

 

「ふうん?」

 

よくわからないが皆守が機嫌が良くなってなによりである。そうこうしているうちに、葉佩が私達を呼ぶ声がした。

 

ボスを倒し、最後の扉をあけると《魂の井戸》が出現した。

 

「みんなおつかれ~。休憩しよっか」

 

皆守がこの空間で入手したものは意地でも食わないというものだから、先を見越していたのか葉佩は自室と繋がる井戸から炭酸飲料を出してくる。冷蔵庫から取り出すところを見せられては無言で受け取るしかない皆守だった。

 

「ほい、翔チャン」

 

「ありがとう、九龍」

 

私はなんの抵抗もないので滋養強壮のスープをもらった。

 

「お前よく食えるな......」

 

「おいしいよ?」

 

「いらねえよ」

 

「プリンいる?」

 

「あ、ちょうだい」

 

「......入手先はどこだ」

 

「卵もゼラチンもマミーズだけど」

 

「..................いる」

 

「おお、とうとう盗品から作ったやつだとわかってるのに受け取った。甲太郎疲れてる?」

 

「なんでお前は疲れないんだよ......」

 

「マラソンしてるからかな?」

 

「それだけなわけあるか」

 

まあ、私は客観的に今の状況把握できるからなあ。皆守みたいに訳の分からないところに連れてこられて、散々連れ回されている訳では無いから。わかっているのとわからないのでは疲弊の仕方にも違いが出るのかもしれない。

 

「今何階かなあ」

 

「しらねえよ」

 

「ずいぶんたったしねえ......どうだろう?9階ごとに休んでるわけだから......ダメだな途中で数えるの脳が拒否し始めたから」

 

「九龍がわからないなら誰もわからないだろ」

 

「あはは、たしかに」

 

「あと一個、あと一個でないんだよッ!」

 

地団駄をふむ葉佩にいい加減諦めるよう皆守がいいかけたところで、《魂の井戸》全体に女性の声が響いた。

 

「ちょうちょ、ちょうちょ、なのはにとまれ」

 

童謡を口ずさみながら現れたのは、ついさっきまで紫の蝶の姿をしていた謎の美女だ。外見は派手なドレスに身を包み、蝶のアイマスクで目元を隠している妙齢の女性。 九龍内でおそらく二番目におっぱいがデカい。 謎めいたセクシーなおねいさんが『ちょうちょ~ちょうちょ~』とを歌いクルクル回る。

 

固まっている皆守と私を横目に葉佩の表情がばっと明るくなった。

 

「マダムバタフライ!」

 

「ふふふ......ようこそ、私の迷宮へ」

 

「だれだよ、九龍」

 

「この迷宮の主だよ。物々交換してくれるんだ。回数に応じて交換できるアイテムが増えるんだよ。要らない食材系アイテムはここで交換するんだ」

 

 

シストの弾み車

王様プリンとの交換で手に入る。 孔雀の羽と調合して浮遊輪にするとAPが上がり消費APも減る素敵オーパーツ。

 

翡翠の仮面

紅葉鍋と交換で以下略。女神の真珠と調合して叡智の仮面にすると入手経験値が上がる効果がある素敵オーパーツ。

 

パルティアの壷

タンシチューとの交換以下略。陶片と調合して賢者の壷にすると同一の敵から複数のアイテムが獲得できる。

 

「まさかとは思うがなかなか出ようとしなかったのは制覇するためか?」

 

「うん、そうだけど?」

 

「遺言だけは聞いてやる。さあいえ」

 

「やだなあ、潜りたいっていったのお前じゃん」

 

「それならそうと先にいってよ、九龍」

 

「電気銃構えないで翔チャン、さすがに麻痺したら甲太郎の蹴りよけられない!」

 

「避けなくていいよ」

 

たまには私も皆守の肩を持ちたいときくらいあるのだから。



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かごの中の瞳

「江見、残念なお知らせだ。今日この瞬間から君は晴れて江見翔という人間になった。肉体的にも精神的にも完全に融合を果たし、分離するにはそれなりの労力がかかるだろう。まあ、イスの偉大なる種族の前には釈迦に説法だと言わざるをえんがね」

 

「あ~......いつかくるとは思ってましたが、男になっちゃったんですね、とうとう」

 

「あとは肉体に精神が最適化していくだけだ。性的自認も思考も緩やかに男性化していくだろう。鈍化させるには早期に性転換に必要な過程を踏むべきだったが、君はすべて拒否したからな」

 

「だって、この体を正常な状態で管理することがあたしが今ここにいる存在理由なんですよ、瑞麗先生。江見翔くんの体を勝手に改造することはできません」

 

「そうか......江見がそう決めたなら私がどうこうできる問題ではないからね。これからについて話そうじゃないか」

 

「いいですね、これからについて」

 

「ひとつ聞きたいんだが、君はその体の本来の持ち主についてどれだけ知っているんだ?」

 

「《宝探し屋》としての経歴と簡単なプロフィールはしってますが、《ロゼッタ協会》に所属する前なにをしていたのかは全くわからないです。イスの偉大なる種族が江見翔くんに接触したのは、《宝探し屋》になったあとだそうなので」

 

「なるほどな......なにか情報があればよかったんだが、わからないなら仕方ない。ならば注意点として、今の君は江見翔の体と君本来の精神が融合して最適化され固着した状態だ。次第に双方の氣も融合していくにちがいない。いわば化学反応だ。つまり、君が知らないことも江見翔の体が知らないこともたくさん起こるだろう。なんでもいい。ささいなことでもいいから、なにかあったら報告しなさい。江見翔という人間の操縦方法について、説明書を作っていこうじゃないか」

 

なんとも頼もしい言葉である。私はお願いします、と頭を下げたのだった。

 

「まずは試しだ。健康診断といこうか」

 

校舎の前に季節外れの献血車が止まっているのはそのせいか。もちろんエムツー機関の息がかかった病院から派遣されたスタッフも車の施設もまともなもののわけがない。頭の先からつま先まで調べ尽くされるだろう、肉体も精神も。わかりました、と頷いた瞬間に私は車に放り込まれて次出てきたのは放課後だった。表向きは墨木砲介がばらまいた灰色のスライムを体内に取り込んでいないかの再検査のため誰もとがめはしない。學園祭の準備でどこもかしこもおおわらわである。

 

「とりあえず、詳細は一週間後にわかるんだが......気になるところだけリストアップしてもらったカルテがここにある。江見、君には目の検査を受けてもらう」

 

「え、目ですか」

 

「ああ。ライフルを撃ったとき、目の奥が痛そうだったと報告が上がっているんだ」

 

「ライフル......ああ、言われてみれば眼底あたりが静電気でも走ったみたいに痛かったです」

 

「なるほど。その時なにを考えていた?」

 

「なにって、墨木を止めないとって」

 

「そんなちゃちな思考回路か?銃が明らかに頭部を狙っていたとあるが?」

 

「あ~......あれは、スコープを絞りすぎて九龍と墨木しか映らなかったんです。九龍が5発ほど撃たれて倒れるところで頭が真っ白になりました。それで思わず」

 

「なるほどな。かねがね状況は一致している」

 

「鴉室さんにはお世話になりました」

 

「ふふ、それはよかった」

 

瑞麗先生は笑った。そして、いっておいでと送り出される。私はそこで眼底検査やなにかを測定され、サンプルをとったスタッフたちが機関に送っているのをみた。

 

そして一週間後たる今日、瑞麗先生の話を聞きに来たというわけである。

 

「やあいらっしゃい、カウンセリングがお望みかい?」

 

「こないだの結果を聞きにきました」

 

「なるほど。じゃあ早速本題に入ろうか。結果が届いているよ、見たまえ」

 

茶封筒を渡され、私は封をあけてみる。やはりただの身体検査ではなく、みたことのない項目が目白押しであり、バツやらマルやらが書いてある。

 

「......えっと、やっぱり目が一番変化してます?」

 

「ああ、そうだね。すでに体に馴染んでいる君には自覚がないかもしれんが、ここまで顕著に出るということはそういうことだ。イスの偉大なる種族による技術で問題なく運用できているようだね。ただ、これからつかえば使うだけ強力になっていく。頭がキャパシティオーバーしたらまた眼底に焼け付くような痛みが走るだろう。気をつけたまえ」

 

「............これ、ほんとですか?あたし、男になりつつあるんだから、この体に本来あった能力がまた機能し始めたってことでしょう?これ、女性にだけ継承されるものでは?」

 

私の言葉に瑞麗先生はそうだねとうなずいた。

 

「さすがはイスの偉大なる種族の支援を受けるだけあるな、もう知っていたか。ならわかるだろ?だからこそ君はその体を守りながら管理しなくてはならないんだ。《天御子》の手に落ちたら取り返しがつかなくなるからね」

 

「だいたいこの体の素性がわかりました。あとで話を聞いてみます。大気を感じ取ることが出来る、龍脈を見ることができる、見ることに特化した力なんていくつもないはずだし。言われてみれば最近《遺跡》のことにH.A.N.T.より先に気づくことが増えてきてたんで、きっとそのせいですね」

 

「まあ、おかしくはないんだ。《如来眼》と呼ばれるその力は隔世遺伝だからな。ただ......私が聞いていた話だと孫娘が引き継いで宿星を集めていたと聞いたんだが......。たしかに一年後に弟が失踪して行方不明だとは聞いていたんだがね?」

 

「ほぼ確定じゃないですか」

 

「今、また宿星が目覚める事件があちらで頻発しているようだから、また龍脈が活性化している。その影響で新たに覚醒したのかもしれないが......」

 

「それはこの《遺跡》の封印がとけかかっている間接的な理由でもありますからね。ただ先生もご存知でしょう?弟さんが宿星に目覚めたんだから。一度目覚めた宿星の持ち主が力を喪失するのは継承されたときだけです。たった6年で失うはずがない。初めからその弟さんが継承していたんですよ、きっと。姉の立場がなくなるから黙っていたか、周囲を誤魔化して姉に伝えていただけで。だから失踪したのでは?」

 

私はためいきをつくしかない。この体の持ち主が襲われる理由に察しがついてしまったからだ。

 

九龍妖魔学園紀の前作は東京魔人学園、文字通り龍脈の活性化により宿星という超能力に目覚めた魔を宿す人が宿敵を倒すために次々と覚醒していく事件が1999年にあった。2004年、つまり今年は別の宿星に目覚めた双子が主な舞台だった真神学園て場所で事件を解決する話がただいま進行中なのである。ちなみに小説版だ。

 

瑞麗先生がいっている《如来眼》は魔人学園では出てこない。三部作である二作目にでてくる。学園の創立にかかわった時諏佐百合(ときずさ ゆり)という美女が龍脈の吹き出る気穴を見る「如来眼(にょらいがん)」の力を持っていた。その子孫が直接魔人学園に登場することはないが、真神学園の校長は「時諏佐槙絵」という人物となっている。宿星はわからない。戦闘には参加しないからだ。

 

二作目の主人公が仲間と出会うのは時諏佐がその力を使って宿星に目覚めるであろう人材を集めていたから。一作目の一部の仲間たちが鍛えられていたのも予め宿星に目覚める若者を見つけ出して師範をあてていたのでは、という考察をみたことがある。

 

この《如来眼》という力はヒロインの力とついになっているらしく、隔世遺伝だとするなら校長先生から誰も引き継いでいないのはおかしいと思っていたら孫が継承していたようだ。《如来眼》は女性しか継承しないから1999年時点では姉が継承して宿星を集めるために協力していたのに弟が失踪して、今私が検査をしたら覚醒していると判定がでるなんておかしすぎる。

 

なにかあったんだろうなあ。わざわざ出奔してまで《ロゼッタ協会》に入るなんて。

 

そこまで考えたときに、魔人学園からの継続キャラでなおかつ依頼人などのチョイ役ではなくがっつりかかわっている人を私は知っている。しかも《宝探し屋》5年目になる江見翔と前から知り合いであるにもかかわらず、唯一私が憑依したあともなにも聞いてこなかった人物だ。他の人たちは五十鈴さんが捏造した診断書により《天御子》と接触したせいで精神に異常をきたしたという診断結果を信じて気をつかってくれていた。前と後で態度が全く変わらないのもおかしな話じゃないか。これは詳しく話を聞かないと。

 

「江見、まだ龍脈は見えないようだが、大気の流れは感じとっているんだ。そのうち見えるようになるだろうがね、《遺跡》に連日潜っているようだから。もし、なにか違和感を感じたらこれを飲みなさい。鈍化させる漢方。あと眼鏡だ。余計な情報を遮断してくれる。ないよりはマシだろう」

 

「九龍が仕入れに張り切っちゃって......」

 

「あはは、それは大変だな」

 

がんばりなさい、と肩をたたかれてしまった。私はチャイムがなるのを確認して男子寮に戻った。話を聞くには誰もいない時間帯を狙った方がいいだろうと思ったからだ。

 

「やあ」

 

亀急便のJADEさんである。私は茶封筒を渡した。

 

「もしかしてJADEさん、オレの事情ぜんぶ知ってました?」

 

「ああ、いつか来るとは思っていたよ。答えはYESだ。《ロゼッタ協会》に手引きしたのは他ならぬ私だからな。時諏佐家と如月家は学園創立以前から付き合いがあってね、慎也とは親戚みたいなものだった。よく相談に乗っていたよ。跡取りの姉と扱いが違うとか、《如来眼》に目覚めてしまったどうしようとか。よくしてくれたおじさんが人外だった、とかね」

 

「やっぱり」

 

JADEさんはわらう。

 

「慎也は《如来眼》のせいでだいぶ苦労したんだ。継承できなかった姉の立場を考えて頑張っていたよ、まだ中学生だったんだがな。そうして、宿敵を倒した今となっては継承する必要はない。継承するかどうか選べるようにするにはどうしたらいいか、調べたいと私に相談してきたんだ」

 

「そして、《ロゼッタ協会》に?」

 

「途方もないことを可能にすることができる秘宝をあそこは扱っているからな。だから諜報員として送り込んだんだ、潜伏からの支援が基本だから《遺跡》に入る機会は少ないし死ぬことは無い。情報は確実に手に入る。私も人探しをしていてね、慎也が手伝ってくれていた」

 

「あれ、じゃあどうして皆神山に?」

 

「メインで動くはずの《宝探し屋》が行方不明になって慎也が調査に向かった矢先だったよ。まさか放棄した拠点にやつらがまた現れるとは思わなかった」

 

「ああ......1700年振りですもんね、予測するのは無理だわ」

 

「まさか《ロゼッタ協会》にイスの大いなる種族が紛れ込んでいるとはね。しかも慎也が《如来眼》を持っていたから興味を持たれて助けられるなんて誰が思う」

 

「あれ、そこまで把握してるんですか」

 

「当然だろう、慎也は4歳しか離れていないからな。弟みたいなものだ。義体に関する知識が欲しいから宇宙旅行するといって聞かないからな......諦めたよ」

 

「もうちょっと頑張って欲しかったです、JADEさん」

 

「すまない......まさか女性が新たな持ち主になるとは思わなかったんだ」

 

「いや、そういう問題じゃなくてですね」

 

「昔から宿星に振り回されてきた慎也を見ていたからつい」

 

「ついじゃなくてですね。そこまでしってたなら、なんかしらのサポートしてくださいよ。こっちはどんだけ苦労したと思ってるんですか」

 

「おや、今の境遇についての怒りじゃないのか?」

 

「それはないですよ。天御子に私が狙われた理由なんて知りませんが、化人になる未来よりは精神交換で保護された方がマシです。嫌だからって逃げ出したら、今度はさらに猟犬に追われることになるんですよ?私は充分恵まれてます。だからこそ思うんですよ、なんで安くならないんですか?」

 

「それはそれ、これはこれだ。慎也にもそこだけは話を通しておいたからね。諦めてくれ」

 

「えーッ!?血も涙もないですね?!」

 

JADEさんは笑った。

 

「慎也より君は優秀な《宝探し屋》だ。だからつい見守ってしまう」

 

「いや、助けてくださいよ。《如来眼》なんて扱い方わかんないです」

 

「ああ、そうだな。それについては教えよう。ただ男性の体だとだいぶ違う効果を発揮するらしくてな、しかも君が入っているとなると......。長丁場になりそうだな」

 

「うっそでしょ」

 

私は頭を抱える羽目になったのだった。



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かごの中の瞳2

「翔さん、そちらのダンボールをテーブルまで運んでいただいてもいいですか?」

 

「これ?」

 

「いえ、横の......緑色のガムテープがはってあるものです」

 

「了解......って重いなこれ?なに入ってるの?」

 

「學園祭に向けて配布する冊子です。今年はみなさんちゃんと期限内に文芸作品の創作と、その合評を提出してくださったので、頑張ってみました」

 

「これから製本するんだね」

 

「はい。みなさん、毎年クラス発表の準備に追われているので、私だけでやってしまおうかと。今年は翔さんがいてくれて助かります」

 

「えっ、毎年月魅だけでやってたの?!」

 

「私の代で伝統を途絶えさせる訳にはいかないので。20分くらいしたら2年部員が3人ほど来てくれるはずなので、テーブルに並べてしまいましょうか。1枚ずつ並べて最終的にホッチキスで止められるように」

 

「そっか、よかった」

 

「私もほっとしています。今まで頑張って来てよかった。次はあの子たちに任せようと思います」

 

文学部は男手が足りないとのことで、學園祭に向けた準備を手伝っている私である。図書室の奥にあるテーブルを固めて四角をつくり、A4用紙をまとめておいていく。

 

七瀬の頑張りもあり、じわじわとではあるが月に1度の頻度で開催している部内合評会、読書会や勉強会も出席率があがっているらしい。引き継ぎのことを考えて、扱っていいジャンルは、小説、漫画、詩歌、映画。文字媒体に関わっている文化的作品なら何でもいいと開き直ったら、神妙な顔をした後輩達が1冊くらいは小説に取り組まないといけないと思ったようで、手にしてくれることが増えたという。翔さん本当にごめんなさいと何故か謝られてしまったので、手元のこの作品集の中にはどれだけ私から提供されたネタが使われているのかちょっと怖くなったのはここだけの話だ。同級生たちの出席率がよくなったのは明らかにそのせいだよなとも思ったりする。

 

ガワだけ見れば立派な部誌に収録される作品は、すべて部員が鋭意執筆したもの(小説、エッセイ、詩など)だ。集まった原稿を自分たちで構成、編集して部誌として製本し、配布する。建前は完璧である。

 

「ちょっと読んでみていい?」

 

「あ、はいどうぞ」

 

パラ読みした限り、寄稿した作品は合評会で相互批評の俎上に載せられ、個性と知性相溢れる部員たちによるさまざまな角度からのフィードバックされている。

 

定例会では、昼食を交えながら各々執筆の現況や次回作のアイデアを語りあったり、文学談義に華を咲かせたりしているらしいことがうかがえる。

 

「担任の先生の授業だけ成績悪くて毎日居残りするとこんな感じになるんだね」

 

「............本当にごめんなさい、うちの部員の食いつきがとてもよくてつい」

 

「まあ、気持ちはわかるよ。これが私じゃなくて美人な女子生徒だったらもっとよかった。まさか引き継ぎだなんて思わないよね、みんな」

 

「まさに現実は小説より奇なり、ですね。宇宙人の潜入員の引き継ぎだなんて作家が提案したら編集者に却下されるようなチープさですよ」

 

目をキラキラさせている七瀬に浮かぶのは苦笑いである。《ロゼッタ協会》とイスの偉大なる種族からくる引き継ぎだ、あながち間違っていないから困る。チープで済んでしまうオカルト少女が一番怖いんだけども。

 

「ええと、ホッチキスは......」

 

「あ、カウンターからとってくるよ」

 

「ありがとうございます。私、冊子をまとめ始めますね」

 

「うん、わかった」

 

私がカウンターに顔を出すと、キョロキョロあたりを見回している白岐と目が合った。

 

「あ、月魅に用かな?白岐さん」

 

「え、ええ」

 

まさか生理的に嫌っている人間が現れるとは思わなかったらしく、白岐の顔がこわばる。戸惑っているように見えて、手に取るようにわかる怯え。幼稚園児じゃないから仲良くしましょう、なんて虫がいいことはいわない。

 

怖がっている相手の視界に入るのは可哀想だからと私はなるべく白岐の傍には近寄らないようにしてきた。初対面の頃からイスの偉大なる種族の気配を感じている上に、大和朝廷の巫女から救いの手を求められたのに拒否したものだから、その時感じた絶望や悲しみが白岐に残滓として残るのだから、嫌われても仕方ない。私には私なりに譲れないことがあるのだから尚更、私にできることは七瀬と交代することだ。

 

「ごめんね、すぐ変わるから」

 

「......あ、あの......ごめんなさい」

 

泣きそうな顔で謝られてしまう。俯いてしまう。私は肩を竦めた。

 

「謝ることないよ、白岐さんは悪くないさ。月魅、白岐さん」

 

「はい?」

 

「月魅探してるみたいだからいってあげて」

 

「あ、はい、わかりました」

 

七瀬はあわててこちらに走ってくる。私はホッチキスが大量に入った箱を持って奥にひっこんだ。そしてやりかけの冊子の枚数を確認して重ねてやる。どうやら天香學園の印刷機はまとめて一気に冊子を作ってくれない不親切設計らしい。2004年てこんな性能だったかな。15年も経てば電子機器も進歩するものである。

かつての事務環境を懐かしく思いながら私は冊子をまとめていた。

 

「......呪いってどういう意味ですか?」

 

やけに響く七瀬の声に私は思わず手を止めた。

 

「......白岐幽花さん、あなたは時々窓の向こうから《墓地》を見る度に學園は呪われていると呟いていますよね。前から思っていましたが、それは一人言なのでしょうか。それとも今のように翔さんと私が友達だと知っていながら、呪われていると口にしたのと同じ意味なのでしょうか。教えていただけませんか?」

 

「......ごめんなさい、そういう意味ではないの......」

 

白岐の戸惑いがちながら否定する言葉と、どういう意味か詰問する七瀬の声が響く。たまらず私はカウンター席にむかう。汗が吹き出すのがわかった。これは修羅場というやつではないだろうか。

 

「......わかってはいるの......。江見さんは、思っていたよりもずっと優しい人だということは......八千穂さんや葉佩さんたちとのやり取りをみているから......」

 

「ならどうして?」

 

意外だな、と私は思った。目が合うと悲しげな顔をして顔を背けられてしまうから、嫌われているんだと思っていたのに。白岐からするとやっちーや九龍など好感度が高い人間と一緒にいる私は悪い人間ではないと思うらしい。まあ、背後を怖がっているから同じだろうか?ヤクザの子供がいくらいい子でもヤクザは怖い。ヤクザの子供はいいこだとわかった、みたいな?

 

「......わからない......わからないの......。私の前に立ち塞がる人は多いわ......でも江見さんは......その一人ではないとわかっているのに......。どうしても......どうしても......學園の呪いと......江見さんが......重なってみえてしまう......。災いをもたらすんじゃないかと、なぜか心配になってしまうの」

 

「そこまでいっちゃうか」

 

「翔さん!」

 

「......ごめんなさい」

 

「いや、私が悪いんだけどね。怒らないであげて、月魅。譲れないものがあるとはいえ、先に宣戦布告した上に手を振り払ったのは私の方だから」

 

「......でも......。私は、嫌です。友達を呪われているといわれるのは、嫌ですよ」

 

「まあまあ、落ち着いて。白岐さんはそうとしか言えないんだよ。生理的に嫌って人くらいいるだろ、月魅にもさ」

 

「......翔さん」

 

「......あなたと話をしていると寂しくなる時があるの......。お互いの感じ方が違いすぎるせいかもしれないけれど......わたしは、あなたが分からない......。どうして、あなたは、許してしまうの......?」

 

「......えーっと?」

 

「......あなたは、いつもそう。だから、わたしは......言葉をなくしてしまうの」

 

私は七瀬に助けを求めることにした。

 

「えーっと、《生徒会長》もそうだけどさ、嫌われてると思ってた相手に限って、ものすごく心配されるのってなんでだろうね、月魅」

「古人曰く『愛の反対は憎しみではない無関心だ』。白岐さんと翔さんがどんなやり取りをしたのかはわかりませんが、無関心であること、関わりを持たずに傍観者であることが愛の対極にあるといいます。白岐さんはどんな感情であれ翔さんに関心があるわけですから、翔さんが白岐さんにしている対応はむしろ辛辣なのではないでしょうか?」

 

「そうなの?」

 

「......わからない......。ただ、一番不思議なのは、今、なんとなく、心地いいと感じている私がいるわ......」

 

「あー、なんかごめん。こんなことならもっと早く話したらよかったね」

 

「......わたしの方こそ、ごめんなさい。わたしばかりがあなたを傷つけているのに止められなくて、辛くなってしまうの」

 

「白岐さんは何とかしたいと思ってるのはよくわかったよ」

 

私の言葉に白岐はどこかほっとしたように笑った。はじめてみた気がする。七瀬も機嫌が治ったみたいで良かった。

 

「参考ついでに聞きたいんだけどさ、私のどこが怖いの?具体的にいうと。体?魂?精神?オーラ的ななにか?」

 

なんとなく聞いた事だったのだが、今は魂魄に刻まれたオーラが怖いと言われてしまって凹むことになるなど私は思いもしないのだ。イスの偉大なる種族より怖い私のオーラってなんだよ。

 

 



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かごの中の瞳3

「翔クン、あの時相談に乗ってくれてありがとう~ッ!あのね、あのね、九(きゅう)チャンが連絡先おしえてくれたよッ!」

 

お、やっちーの呼び方がとうとう九龍から九チャンになったぞ。私はつられて笑顔になった。

 

「え、連絡先?もう交換してるんじゃ?」

 

「天香サーバに登録されてるメルアドじゃなくて、《ロゼッタ協会》のサーバにあるメルアド。仕事する時の連絡先。あとね、九チャンの個人のメルアド教えてもらったのッ!」

 

「あ~......そういうことか、なるほど。よかったね、やっちー。いい返事もらえたんだ?」

 

「うえっ......ちょっ、やだなあ、まだだよ......卒業しても連絡取りたいっていうので精一杯だよ......」

 

「あ、そうなんだ。ごめんごめん、急かしたみたいで。でも勇気出してよかっただろ?」

 

「うんッ!」

 

えへへ、とやっちーは笑う。

 

「天香サーバのメルアドって数年後には削除されちゃうなんて知らなかったよ。でも、よく考えたらそうだよね。個人情報どうたらっていうし。危なかった~......ずっと使ってたから考えもしなかったよ」

 

「それは盲点だったね、やっちー」

 

「ほんとよかった......勇気出してよかった......九チャンと連絡取れなくなるところだったよ......。九チャンからあたしに連絡くるまで待つしかなくなるとこだった......。ありがとう、翔クン」

 

ちょっと泣きそうな顔をしてやっちーはいうのだ。ほんとうに怖かったらしい。

 

「九チャン、忘れてたって顔してたよ。そうだよね、《宝探し屋》ってお仕事してたら、《ロゼッタ協会》経由のサーバ使えるから、いちいち連絡取れなくなるかもなんて考えないよね。すごくない、翔クン。あたし達、九チャンの最初の普通の友達なんだよッ!忘れちゃうほど当たり前に思ってくれててさ、涙出ちゃった」

 

私はやっちーの頭を撫でた。落ち着いてきたのか、涙を拭ったやっちーは私を見上げる。

 

「一歩進んでよかったね、やっちー」

 

「うんッ!」

 

ほにゃっと笑ったやっちーは、あ、と我に返ったようにいうのだ。

 

「どうしたの?」

 

「九チャンだけじゃないよッ!よく考えたら、みんなの連絡先交換しなきゃッ!みんな出身地バラバラなんだから気軽に会えなくなっちゃうッ!あ~もう、なんで気づかなかったんだろ、あたしッ!」

 

「あはは。今気づいてよかったじゃん、やっちー。結果オーライだよ」

 

「そうだけどさ~......。ま、いっか、今から聞いて回ればいいよねッ!というわけで翔クンも教えて!」

 

「わかった」

 

赤外線通信とか久しぶりすぎるけど、15年前はあたりまえのやり取りだったんだから不思議なものだ。それがLINEにとってかわられるんだから時代の流れははやい。ところでこの携帯電話の端末、《ロゼッタ協会》からの支給品なわけだがこれからも継続して使えるんだろうか?任務ごとに回収なんだろうか?そこまで考えて、皆神山で保護された時あとから返された荷物の中にH.A.N.T.以外の端末がなかったことを思い出した私はやっちーを呼び止めた。

 

「どうしたの、翔クン」

 

「Googleのメルアドも教えとくよ」

 

「Googleって、あの検索サーチの?」

 

「今年の4月からメールサービス始めたみたいなんだ。そっちのが便利だしね」

 

「そうなんだ?よくわかんないけど、翔クンそっちの方がつかうの?」

 

「うん、まあね」

 

主にメール爆撃をする葉佩によりH.A.N.T.のメール機能がすぐいっぱいになってしまうせいなのだが。プライベートな話は機密情報が入らないならこちらをつかえと同僚に言われたことを思い出して私は苦笑いした。......待てよ、葉佩に見られたらバレるのでは?

 

「待って、今から登録するから」

 

「あれ、今も使ってるんじゃないの?」

 

「ふふふ、いいのかな~?やっちーとのやり取り全部宇宙人に見られてもいいのかな~?今使ってるやつ、監視されてるやつなんだけどな~」

 

「つ、月魅がいってたことってやっぱりほんとなの、翔クン!?」

 

「やっぱり月魅バラしてた......」

 

「も~ッカマかけるなんて酷いよ、翔クン!」

 

「やっちーわかりやすいからね。どこまで聞いたの?」

 

「え?えーっと、翔クンが皆神山で宇宙人に襲われて、他の宇宙人に助けてもらったかわりに協力しなくちゃいけなくなったっていってたような?お父さんを探し始めたのもそのせいで?えーっと、あとは......なんだっけ」

 

「あはは、だいたいあってるから大丈夫だよ、やっちー。細かいことを気にする必要はないから。ただ、卒業したらどこ行かなくちゃいけなくなるのかわからないんだよね。だから一応教えとくよ。海外だと携帯意味なくなるからね」

 

私がぽちぽちGoogleのメルアドを登録しているとどうやら七瀬の与太話が本当らしいと気づいたやっちーが不安そうな顔をしてくる。

 

「ね、翔クン。こわくないの?岡山県に帰れないかもしれないのに」

 

「う~ん......こわいよ?」

 

「じゃあなんで......九チャンは?九チャンなら助けてくれるかも......」

 

「まあ、殺されそうになったところを助けてくれたし、おかげでやっちーにも会えたし」

 

「翔クン......」

 

「こわいとは正直思うけどさ、岡山県に帰ってもまた襲われたときを思うとどうしてもね。それに九龍は《宝探し屋》であってゴーストバスターじゃないだろ?そこまで迷惑はかけられないよ。でも大丈夫、なんかあったら九龍にお願いするよ」

 

「翔クンがそこまでいうなら、あたしはいいけどさ......無理しないでね?あ、メールはしてもいいんだよね?」

 

「なんにも言われてないから、たぶん制限は無いと思うな」

 

「よかった~。翔クンにはいっぱい感謝してるんだ~。だからね、卒業してから連絡とれないってなったらヤダからよかったよ。まだ相談したいこともあるかもしれないし、翔クンに相談もされたいし!」

 

「あはは、わかったよ、やっちー。空メール送るから登録よろしくね」

 

「うん、わかった。試しにメールしていい?」

 

「いいよ」

 

ぽちぽち携帯電話を押しているやっちーをみながら、現役女子高生はさすが両手打ちが神がかっているなと思ったのだった。

 

 

 

 

 

 

江見睡院が天香學園に寄贈した膨大な数の蔵書の中には、日本神話にかかわるものが多い。間違いなく、《遺跡》について合法的に調べるためだったにちがいない。図書委員の人間に熱心な人間でもいたのか、きっちり持ち出し禁止の資料庫の奥底に眠っていたため劣化などはなく本の原型をたもったままのものが多い。

 

白岐から私の魂が怖いと言われてしまった日から、七瀬が集めてくれた蔵書を私は隙を見ては読みふけっていた。

早朝に来て、あるいは昼休みに、あるいは七瀬に頼んで古書を男子寮に持ち帰って。

 

學園祭の準備は主に真夜中に着々と進んでいる。文学部と図書委員の展示の準備は図書室で行われるからか、七瀬の手伝いをしていると認識されている私は、どうしても抜けられない時はやっちーたちに呼び止められるが基本免除されていた。

 

七瀬も七瀬で自分のクラスがリカたちがメインのネイルサロンをすることになってしまったせいで、あんまりクラスにいたくないらしい。やっちーに接客を頼まれたという建前でC組に入り浸っているか、図書室ににげこんでいた。

 

今朝もこうして図書室に入り浸っていると白岐がいた。

 

「あ、おはよう、白岐さん」

 

「あの......江見さん......」

 

「ああ、気にしないで白岐さん。だって気になるでしょ。私が呪われてる可能性を今の今まで見落としてたとか馬鹿すぎない?」

 

「えっ......」

 

「ここに来る前、皆神山でこの學園の《遺跡》をつくったらやつらに拉致されかけたのよ、私。そのときなにかされたのかもしれないと思って」

 

私の言葉に白岐が気まずそうに目をそらす。

 

「えーっと、まさか違う?」

 

「いえ......その......江見さんの魂魄に刻まれたそれは、1年や2年のものではないわ」

 

「マジすか......じゃあ私が知らなかっただけで......なんか因縁が......?いや、そんなはず......」

 

待って待って待って道教の思想が流布するこの世界だと輪廻転生は真っ向から否定されるわけだから、私がなにかしらの転生体ってことはない......はず?いや、魔人学園シリーズの場合は、普通に転生した人間いたはずだしうーん、あらゆるオカルトが実在する世界だとなんでもありすぎてわからん。

 

そもそも私がこの世界の人間じゃないんだから、いくらこの世界が奇天烈な世界だとしても私には適応されないはずだ。

 

そのはずなんだけどな......白岐は私の魂魄を見ることが出来る人間だ。それは七瀬と葉佩が入れ替わろうとも魂の方の対応をする、しかも肉体が入れ替わっている事実に気づいていなかったあたり、肉体的な部分が見えていない証でもある。そんな人間に直々に魂魄が怖いって言われた時点で嫌な予感しかしない。

 

「不愉快では、ないの?」

 

「いや、それどころじゃないからね?だって白岐さん嘘ついてないでしょ?事実なんだからどう足掻いても仕方ないじゃん。私はどうしてそうなったのか知りたいのよ。そうじゃないと対処のしようがない。私が皆神山で襲われた理由は間違いなくそこにあるはずなんだ」

 

しばらく考え込んだ後、白岐は口を開いた。

 

「江見さんは、本当はどこの出身なの?」

 

「私?生まれも育ちも茨城だけど」

 

「ご両親は?」

 

「父方も母方も地元は同じなのよね、中学時代の同級生らしいから」

 

「そう......なら、茨城でしらべてみたらどう?」

 

「まじすか......。普通の家なんだけどなあ」

 

 

この學園の《遺跡》は、逆さピラミッドだ。ピラミッドはもともと王の墓なので、埋葬された者が天に召されるように作られている。だが、この《遺跡》はその逆で、「呪われろ、地の底に落ちろ」という意味が込められたものになっている。その呪いと重なるものが私の魂魄に刻まれているというのだ。

 

普通に考えたら大和朝廷に滅ぼされた人たちにかけられた呪いと同種と考えるべきだろうか。

 

とりあえずアラハバキは違うはずだ、それはこの《遺跡》の化人だから。

 

土蜘蛛だろうか?それとも日立市あたりに拠点があったとされるアマツミカボシ?なにか根拠になるような資料がみつけられるといいんだけど。



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かごの中の瞳4

今日も今日とて図書室のカウンターには、私が読むためのたくさんの古書が平積みされている。江見睡院寄贈の本ばかりだ。

 

「......あれ、これもだ」

 

持ち出し禁止のものがほとんどなのだが、たまに一般図書に紛れ込んでいるものがあり、貸し出しの記録が残っている。あまりにも読む生徒が少ないために黄ばんだ貸出カード。私は見慣れた名前を指でなぞった。

 

「阿門帝等......1年のときのね。ずいぶん勉強熱心だったんだ」

 

それは皮肉にも《遺跡》を作った諸悪の根源に対する記述がある本だった。なんとなく気になった私は、持ち出し禁止の本を読むために書かなければならない名簿録を探す。やっぱり末尾は今年度だったので、資料室にひっこんだ。何度も出入りしているからもうどこになにがあるかすぐわかる。

 

「あったあった、2002年度......。えーっと......あ、ここにもある......。入学してからすぐ通いつめてたんだ......」

 

《生徒会》を組織する人材を探す傍ら、《生徒会執行委員》を集めるためのシステム作りに奔走している様子が目に浮かぶようだ。

 

阿門が読んだであろう本たちはいずれも日本神話を解説したものばかりだ。

 

この《遺跡》を作った天御子は日本神話の天地開闢においてあらわれた別天津神(ことあまつかみ)という五柱の神々の一柱である。高天原に「独神(ひとりがみ)」(男女の性別が無い神)としてあらわれたが、そのまま身を隠したという。その名は天の真中を領する神を意味する。

 

『日本書紀』の本文には記述がなく、『古事記』『日本書紀』共にその事績は何も記されていない。

 

平安時代の書物には祀る神社の名は記載されておらず、信仰の形跡は確認できない。この神が一般の信仰の対象になったのは、近世において天の中央の神ということから北極星の神格化である妙見菩薩と習合されるようになってからと考えられている。

 

妙見菩薩とは、インドに発祥した菩薩信仰が、中国で道教の北極星・北斗七星信仰と習合し、仏教の天部の一つとして日本に伝来したものである。道教に由来する古代中国の思想では、北極星(北辰)は天帝(天皇大帝)と見なされた。これに仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、「妙見菩薩」と称するようになったと考えられる。「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである。

 

妙見信仰が日本へ伝わったのは7世紀(飛鳥時代)のことで、高句麗・百済出身の渡来人によってもたらされたものと考えられる。当初は渡来人の多い関西以西の信仰であったが、渡来人が朝廷の政策により東国に移住させられた影響で東日本にも広まった。

 

妙見菩薩信仰には星宿信仰に道教、密教、陰陽道などの要素が混交しており、像容も一定していない。 他に甲冑を着けた武将形で玄武(亀と蛇の合体した想像上の動物で北方の守り神)に乗るもの、唐服を着て笏を持った陰陽道系の像など、さまざまな形がある。

 

「妙見菩薩......北極星......北辰......うわっ......いやな単語を見つけちゃった......」

 

カウンターにもどり、昨日白岐に勧められて読み漁ったばかりの古書を手にする。大和朝廷に滅ぼされた民族の散見する歴史をまとめたら貴重な書物だ。

 

「アマツミカボシだっけ......」

 

ぱらぱらめくってお目当てのページを見つける。何度も開いた形跡があるのはやはりアラハバキである。勝手にめくれないようにしながら読み進める。

 

「あったあった」

 

アマツミカボシは日本神話において星を神格化した神だが日本書紀の本伝ではなく異伝にほんの少ししか出ていないかなり謎の多い神である。

 

第一の記述では剣神にして雷神であるタケミカヅチと同じく剣神のフツヌシが全ての国津神を平定するもアマツミカボシは最後まで抵抗し、 従えることができず、機織りの神であるタケハヅチノミコトによって懐柔され、ようやく平定したと言われている。

 

第二の記述ではタケミカヅチとフツヌシが天にはアマツミカボシという悪神がいてこの神を倒してから平定に行きたいと発言したとされている。

 

つまり現時点で確定しているのは打ち倒すべき悪神である事、星を司る神である事のみである。

 

何故日本神話屈指の戦神であるタケミカヅチとフツヌシですら屈させる事ができなかった彼を機織りの神であるタケハヅチが懐柔できたかは諸説ある。

 

まずはタケハヅチが織物や機織りの神ということから女神として解釈され、ようするにハニートラップにアマツミカボシがひっかかったという説だ。

 

あるいは織物に星そのものを司るアマツミカボシを織り込んで封印できたからという説がある。

 

異説として元々タケハヅチはアマツミカボシサイドの神であり、天津神側にほだされて極秘で天津神側に寝返り、

寝返った事を知らないアマツミカボシサイドを内部から崩壊させたというものもある。

 

星を神格化した星神というのは世界各地で見られ、主祭神として扱われることが多い。だがアマツミカボシは打ち倒すべき悪神として伝わる。これは星神を祀る民族がおり、 大和朝廷になかなか屈しなかった為に悪神として扱われるようになってしまったのだろう。

 

漢字表記に"天津"甕星とつくことから天津神の一柱とされる神だが同胞であるはずのタケミカヅチやフツヌシと戦って返り討ちにし、 タケハヅチノミコトに屈服させられるという記述がある事から天津神でありながら国津神側に付いて反乱を起こした裏切り者ではないか?という説も語られているらしい。

 

また、神仏習合の発想では北極星を神格化した妙見菩薩の化身とされることもある。

 

「......嫌な予感しかしないのは気のせいじゃないわよね......」

 

これはどう解釈すればいいんだろうか。どの説を採用するかでアマツミカボシたる星を信仰していた民族が何者かかわってくるんだけど。

 

「......星を信仰するってなにを信仰してたのよ......北極星じゃないでしょうね?金星ならまだセーフなんだけど」

 

それはクトゥルフTRPGでお馴染みの

ハスターの代名詞だからだ。かの神は旧支配者(グレート・オールド・ワン)と呼ばれる強大な力を持った存在の一員とされる。四元素の「風(大気)」に結び付けられる。

 

ヨグ=ソトースの息子でシュブ=ニグラスの夫とされ、四大元素の「水」に結び付けられるクトゥルフとは半兄弟とされるが、ハスターとクトゥルフは対立している。

 

ハスターの姿がどのようなものであるかは、詳細は不明である。目に見えない力があり、触手に覆われた200フィート大の直立したトカゲである、ハリ湖に棲むタコに似た巨大生物と関連している、などの説がある。ハスターが人間に憑依した際には、犠牲者の体は膨らみ鱗のようなものに覆われ、手足から骨が無くなり流動体のように変形してしまった。これはハスターが去った後でも治る事はなかったらしい。

 

 

ハスターは「風」の神性の首領とされ、イタクァおよびロイガーとツァール、バイアクヘーと呼ばれる有翼生物がハスターに仕えている。また、ミ=ゴと呼ばれる雪男のような生物もハスターに仕えているとされる。

 

そう、あのミ=ゴだ。明らかに《遺跡》にいるスライムと対立しているミ=ゴだ。

 

「......そういやあたし、ミ=ゴに攻撃されなかったのよね......。あいつらが犬の化人に怯えてたのもあるんだけど、《如来眼》て大気がみれるような......あーやだやだ寒気してきた」

 

たまらず私は本を閉じた。

 

「妙見菩薩ってのがダメよね。よりによってなんでこれと習合してんの、アマツミカボシも天御子も」

 

ため息しか浮かばない。ぼんやりとだが輪郭が見えた気がする。

 

「白岐さんが私を怖がるはずだわ......むしろよく話しかけてくれたレベルなんだけど」

 

如来眼が妙見菩薩と縁が深いならこの体はハスター関連怪しいし。私の魂がアマツミカボシと関係あるならこれまたハスター関連怪しいし。アマツミカボシが天津神である以上、天御子側の内紛の気配がするから国津神の子孫の白岐さんからしたら、邪神と支配階級のハイブリッドである。なにこの......なに?

 

私の魂が元天御子側かつ天御子側から呪いを受けた民族由来なのだとしたら、どれだけ禍々しいのかという話である。

 

困ったことに1999年の龍脈活性化時期に東京魔人学園のみなさんは深きものどもとの乱戦、そして深きものたちがアザトース(クトゥルフのさらに親玉)を呼ぶつもりが失敗して盲目のもの(イスの偉大なる種族の天敵)をうっかり召還したことがあるのだ。

 

しかも2004年現在、これまた双龍関係で龍脈が活性化している。ダメだクトゥルフ側が好き勝手してた形跡しかない。そりゃハスター側も全力で偵察にくるわよね、このクトゥルフ側の勢力が天御子側と協力してつくりあげたと思われるこの《遺跡》を。アマツミカボシの末路を考えるに、天御子内での内部抗争はクトゥルフ側に軍配があがったようだし。しかもハスター側の内部分裂による自滅で。

 

まさか、五十鈴さんたち全部見越して私をこの体にいれて《遺跡》に派遣したのでは?なんとなく、そんな予感がちらついて離れないのだった。

 

そんなとき、チャイムがなった。

 

「やっば、もうこんな時間だッ......帰らなきゃ」

 

私はあわてて古書を司書室に戻して鍵をかけ、図書室の戸締りを確認してから鍵をかける。しっかりかかっていることを確認して、一気に階段をかけおりたのだった。

 

すっかり生徒や先生の姿はない。やばいやばいやばい、學園祭準備期間とはいえ7時にはチャイムが鳴るのだ。下駄箱で履き替えて真っ暗になった外に飛び出す。

 

肌寒くなり始めた11月上旬、今日は満月だと初めて私は気づいたのだった。

 

 



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かごの中の瞳5

「もうチャイムはなり終わってるぜ、翔。生徒の夜間の校舎への立ち入りは禁止されている。早く帰るぞ」

 

「あれ、甲太郎だ」

 

「なんだよ」

 

「いや、意外だなと思ってさ。いつもなら九龍とマミーズだろ?」

 

「あァ......九龍なら用事があるらしくてすぐに帰ったぜ。そのくせ夜の探索にはこいっていうんだから呑気なもんだ。お前もメールはきてんだろ?」

 

「あ、ほんとだ。来てる」

 

「今気づいたのかよ......」

 

呆れた様子でためいきをつく皆守が先を促すので私も帰ることにした。

 

「で、今度はなんの調べもんだ?転校してきたときみたいに図書室に入り浸りやがって。八千穂と九龍が寂しがってたぞ」

 

「あ~うん、ごめん。もう大丈夫だって2人にはメールしとくよ」

 

「白岐にもしとけ。毎朝図書室に通ってんのは私のせいだなんだうだうだしてるぞ」

 

「白岐さんには気にしないでくれっていってるのになあ......むしろ感謝してるのに」

 

「あのな、どこの世界に呪われていると言われて感謝する馬鹿がいるんだよ」

 

「ここにいるよ。白岐さんのおかげで調べる気になったんだから」

 

「だから何をだ。七瀬が《生徒会長》と会話してから翔の様子がおかしいっていってるんだが」

 

その言葉を聞いて、《生徒会長》に話を聞いてもはぐらかされてしまっている苛立ちが透けて見えた気がした。皆守はいつもそうだ。自分が心配しているとは絶対にいわない。かならず誰かを引き合いに出し、その言い訳のために聞いて回る実績をつくる。それが面倒みがいい、素直じゃない、と皆守の不本意な評価に繋がっているとはきっと本人は思わないだろう。思わず笑ってしまった私に皆守が眉を寄せる。

 

「あいかわらず面倒みがいいよね、甲太郎は」

 

「はァ?なにいってんだ」

 

「みんなに聞いて回ってるんだろ?要領得ないから私に直接聞きに来たんだ」

 

言葉が直ぐには出てこなくて、あー、といいながら言い訳を探している。照れているのか、恥ずかしいのか、私と視線はあわせない。やがて取り繕うことを諦めたのか、がしがし頭をかいた。

 

「......わかってるなら言わせるなよ。少しは回りに気をつかえ。なんで俺や九龍がフォローしなきゃなんねーんだ」

 

でてくるのは愚痴だ。声が低いから怒っている。

 

「うん、ごめん。図書室に入り浸るのはこれで最後だったと思うからさ、明日からは教室にいるよ」

 

「で?」

 

私は肩を竦めた。

 

「白岐さんに私の魂魄、つまり肉体と精神が怖いと言われたんだよ。《遺跡》の呪いと重ねてみてしまう、いつか災いをもたらす気がするってね」

 

皆守は沈黙した。長い長い沈黙だ。江見翔の体と精神交換した私の魂どちらも脅威であるという判定が出たことに驚いているのだろう。

 

「..................想像以上にきついな」

 

「まあね、久しぶりに泣きそうになったよ」

 

「......でも、泣かないんだろう、お前は」

 

「嘆いてる暇がないんだよ。皆神山で私を化人にしようとしたやつらと同じだと言われたんだ。魂も、肉体も。九龍と月魅の入れ替わりに気づいてるのに、肉体の変化には気づけなかった白岐さんにだ。私が無自覚なだけで襲われた理由があるんだとわかったから、いてもたってもいられなくなってさ、調べてたんだ」

 

「......そうかよ」

 

「うん、そう」

 

「で、わかったのか?」

 

「憶測ばかりだけどね。どうやら私にはあいつらと対立したあげくに殺されたやつの遺伝子が組み込まれてるらしい。かつてあいつら側に組みしながら、《遺跡》に封じられて《呪われろ地に落ちろ》と呪われたやつのね。そういう一族が祖先のどっかにいるらしいんだ」

 

「......おいまて、それはお前の精神の話だろ?肉体の方は......」

 

「私は知らなかったけど、遠い親戚みたいだね。ありえないはずなんだけどな......事実ばかりが積み重なっていくんだ......やんなっちゃうよ。助けて欲しくてここにきたのに、なんでこんなことになるんだ。私がなにをしたっていうんだ」

 

「..................なあ、翔。今夜の探索、休んだ方がよくないか?」

 

「そんなにひどい?まいったな......下手にひとりでいると余計なこと考えそうで怖いから受けるつもりだったんだけど」

 

「あー......お前は誰かに傍にいて欲しいタイプか。意外だな」

 

「意外ってなんだよ、意外って」

 

私は思わず笑った。

 

「泣くのか笑うのかどっちかにしろよ。余計いたたまれないんだが」

 

「あー、ごめん」

 

「謝るなよ、俺が泣かしたみたいだろうが」

 

困ったように皆守がつぶやく。

 

「───────」

 

喉が腫れ上がって、うまく呼吸ができない。言葉も紡げなくなって、無理矢理開こうとすると今度は胸腔の辺りに圧迫感を覚える。 喉は張り付いたように、動いてくれない。喉が、込み上げてくる涙を吞み込むかのようにごくりと動いた。

 

急に胸が一パイになって、どんなに我慢しても、声を立てて泣かずにはいられないような気持ちになってしまう。

涙で瞼まぶたがふくらんできて、子供のようにしゃっくりが出てきた。

 

冷たい涙が流れて、せぐりあげる涙をどうする事も出来ない。ほとんど話せないくらい淋しくて、私は気づいたら泣いていた。人前で泣くなんて何年ぶりだろう。

 

ただ黙って皆守は満月を見ていた。

 

こんなドラマの一コマみたいな光景、本当にあるんだという冷めた思いが胸によぎる。そうでもしないと抑え切れないものが、自分の中にも込み上げてきていた。それまで吐き出したら後戻り出来なくなるから懸命にこらえる。

 

私が泣き止んだのは、だいぶんたってからだった。ハンカチがどろどろになってしまう。いまはきっとひどい顔に違いない。

 

「......みなかったことにしてやる」

 

「......ありがとう」

 

「......探索に行くなら、そのひどい顔どうにかしろよ。九龍が心配するぞ」

 

「わかってるよ」

 

私は顔を上げた。

 

「......その目は、泣いたせいか?」

 

「え?」

 

「............あれ?いや、気のせいか?いや、なんでもない」

 

「え、なんか変だった?」

 

「見間違いだろ」

 

「待って、教えて、頼むから。今の私、体と魂が完全に馴染んできたからか、色々変化が出始めてるらしいんだ。瑞麗先生には特に目は注意しろって言われてるんだけど」

 

「なんだと......?次から次と忙しいヤツだな......。通りであちこち行くわけだ」

 

「私だって好きでこんな状況なわけないでしょ」

 

「あァ、わかったわかったから怒るな。今はもうなんともないみたいだが、一瞬目が変な色になったぞ、翔」

 

「どんな色?」

 

「黄色みたいな、緑みたいな、変な色だ」

 

「そっか......いよいよかな」

 

「......なにがだ」

 

「なんか、変なものが見えるようになるらしいよ」

 

私はカバンを漁る。そして眼鏡をかけた。

 

「いきなりどうした」

 

「瑞麗先生がかけなさいって」

 

「へえ」

 

皆守はまじまじと見つめてきた。

 

「......腹が減ったな。九龍さそってマミーズいくか、翔ちゃん」

 

「えっ」

 

「なにしてんだ、はやくいくぞ」

 

「えっ」

 

「やっぱりお前は間抜けな顔のがいいな」

 

「なにそれ」

 

私は思わず吹き出した。

 

「じゃあ、ひどい顔治すためにマミーズ行く前に風呂入らなきゃいけないな」

 

皆守はぎょっとした顔で私を見る。

 

「なんだよ」

 

「......いや、それは......」

 

「あははっ。なんで言葉濁すんだよ、このままマミーズ行けるわけないだろ。それこそ甲ちゃんになにかされたと思われるよ?」

 

「いや、だから、それはやめといてやれ。ほかの男子のためにも。お前に羞恥心はないのか」

 

けらけら笑う私を見て、皆守は軽く小突いてきたのだった。

 



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かごの中の瞳6

目の前でひたすら野菜を切っていた私はエプロンのポケットからバイブレーションを感じた。手を止めて携帯をひらく。メールのようだ。

 

「............」

 

メールをみた私は反射的に携帯をとじた。

 

「どったの、翔チャン。顔色わるいみたいだけど」

 

エプロン姿で横から葉佩が覗きこんでくる。

 

「なんだ?」

 

皆守も気になるのか聞いてくる。私はポケットに携帯をしまった。

 

「ごめん、2人とも。瑞麗先生から呼び出し。こないだの再検査の結果が出たみたいでさ」

 

「目の検査だっけ?」

 

「あァ......もっと詳しく見るってやつか?」

 

「うん、そう」

 

「そっかあ......なんにもないといいね」

 

「だといいんだけどね。話聞くだけみたいだからすぐ戻るよ」

 

「わかった~」

 

「うん、いってくる」

 

「よし、翔チャンが大変みたいだから付き添いしてやるよ」

 

「おいこら待て」

 

「いだだだだ」

 

「つべこべ言わないで手を動かせ、九龍。まだまだ野菜の下処理が残ってるんだからな。料理は準備が5割だ」

 

「わ~んっ!甲太郎のいけず~!」

 

抜け出してきた葉佩が皆守に掴まって連行されていくさなか、私は教室を抜け出した。今日は探偵喫茶のメニューの試食会だからみんな張りきっているのだ。私も残りたかったのだがメールを考えると待たせるわけにはいかない。あわてて階段をかけおりた。

 

「よう、江見」

 

慌てて扉をあけた先で私を待っていたのは保健室にいたのは墓守の仕事のせいで年中睡眠不足の夕薙である。ベッドに寝たままなのでさっきまで寝ていたのは事実のようだ。

 

「お楽しみの試食会をまえに呼び出して悪いな。みんなの目を盗んで会うにはこうするしかなかった」

 

「食べ物の恨みは恐ろしいよ、夕薙」

 

「ははッ、肝に銘じておくよ」

 

私は丸椅子をひいてすわった。

 

「で、なんの用?こんなメールよこして。その内容によってはオレにも考えがあるよ」

 

そこにあるのは萌生先生と私が《墓地》に潜入するところ、そして私が単独で《墓地》から出てきた直後の画像だった。荒いのは携帯でとったからだろう。ガラケーだから薄暗いのだが、月明かりがそこにいるのは誰か位は教えてくれる。身構える私に夕薙は口を開いた。

 

「君が呪われているのは本当なのか?」

 

「えっ」

 

キョトンとしている私に夕薙は苦笑いした。

 

「皆守が白岐を問い詰めているところを聞いてしまってな、気になっていたんだが......いうまでもなかったな」

 

私は思わず眼鏡に触れた。

 

「また変な色してた?」

 

「ああ。いきなりメガネは掛けてくるし、漢方は飲み始めるしで心配していたんだが......。その目を見て確信した。そんな奇妙な色の目になるんだな......」

 

私は夕薙の意図を測りかねて眉を寄せるしかない。てっきり《宝探し屋》だってバレたからこの《墓地》の真相を突き止めるのに付き合えとか。白岐と話すようになったからそれについて探りをいれられたり、苦言を呈されるとでも思ってたのに。

 

「まってまってまってタンマ、夕薙、え、このメールはなんだよ。関係なくないか?」

 

「関係あるさ。君は誤魔化すのが上手だからな、無駄だとわからないと意味が無い」

 

「直球で聞いといて?」

 

「直球で聞いた方が君みたいなやつには効果があるからな。悪いとは思ったんだがこの手を使わせてもらったよ」

 

「..................」

 

「あたってるか?」

 

「あたってるから腹立つ......」

 

夕薙は笑った。

 

「そうだよ、オレは呪われてる。だから父さんを探しに......」

 

「あのな、江見。画像の意味、わかってていってるのか?」

 

「あはは......騙されてはくれない?」

 

「それだけはできないな。俺がわざわざカードをきったんだ」

 

「そっか......心配だから話をきくためだけに......意味がわからない......」

 

「一応、友達だと思いたかったんでな、悪い。試すような真似をして。ただなあ。忠告するんだが、いくら着替えても硝煙の匂いは簡単には消えないぞ。毎朝硝煙の匂いさせながらすれ違えばいつかは気づくもんだ。特に匂いを知ってる人間はな」

 

「そうか......やっぱそうか......油断してた......」

 

夕薙はしてやったりな顔をする。私は白旗を上げた。まさか心配だから話をきくためだけにこんなに大事な画像をもってることを私にメールするとは思わなかった。

 

「君は葉佩の同僚なんだろう?そして萌生先生もだ。なぜ葉佩に黙ってるんだ?」

 

「そういう任務なのもあるし、オレが呪われてるからってのもある」

 

「なに?」

 

「皆守たちの話はどこまで聞いたんだ?」

 

「たしか、江見は呪われていて、そのせいで宇宙人に襲われて、どうこうだったかな。あの皆守が真剣な眼差しで話してたから妙に記憶に残ってな」

 

「甲ちゃん......なにやってんだよ......」

 

私はためいきをついた。

 

「で、どうなんだ?」

 

「結論からいうなら2人が話してたことは全て事実だ。ここからは君が嫌いなオカルトが満載の話になるけどいい?」

 

「矛盾なく話せるものならやってみてくれ。そのあとで俺が判断する。これからも君と友人でいられるかどうか」

 

私は肩を竦めた。

 

「この体の持ち主は九龍の同僚だから萌生先生と探索もいくし、九龍のサポートもする。本来の魂は宇宙人に拉致されたまま帰ってこないからな。私は彼の現状を維持する義務があるんだ。それまで私は他人の体のままだ。これが呪いじゃなかったらなんなんだ?」

 

「......まってくれないか?いきなり飛ばしすぎじゃ?」

 

「聞いたのは君だろ、夕薙。ちなみに瑞麗先生に聞いてくれたら、肉体と精神の関係と赤の他人の肉体と私の魂が融合したせいでもはや乖離不能になってることまで説明してくれるはずだ。科学的にも証明出来る」

 

「さっきからオレじゃなくて私なんだな」

 

「私はあくまで私だからね。この体の持ち主と不運にも同じ時期に長野県の未だに原因不明の大震災が起こった皆神山の防空壕でやつらに襲われた30代のOLが私だ」

 

「......まさか、君は......女性だと?」

 

「だとしたら?私はこの學園に《遺跡》をつくったやつらに目をつけられたんだ。あやうくこの《遺跡》に蠢く化物が私の未来だった。そこを奴らと対立する勢力に助けてもらったはいいけど、人類に理解はあっても配慮はない連中でね。男と女の違いがわからない。だから男の精神は気に入ったから拉致して、私の精神は避難所として男の体にいれられた。一般人より戦えるしバックアップできるからはるかに安全だと私は《宝探し屋》の体に押し込められた。私の体はそいつらが管理してくれてる。そして言われたんだ。帰してもいいが、《遺跡》をつくった奴らを倒さないと一生怯えて暮らすことになるぞ。いつ見つかって拉致されるかわかったもんじゃない」

 

私は夕薙を見ていうのだ。

 

「そこに来たのがこの《遺跡》の調査依頼だったんだ。私をこんな体に避難させたやつらがつくった《遺跡》のね」

 

「......ふむ」

 

傷がある顎を夕薙はさする。

 

「なにか気になることがあったら、瑞麗先生に聞いていいよ。私はずっとこの体の運用方法について相談してたからね」

 

「............」

 

夕薙は考え込んでいる。

 

「今までずっと一人で風呂に入ってたのはそのせいか?」

 

「まあね」

 

「着替えをわざわざトイレでしたのも?」

 

「そうだよ。というかよく見てるね」

 

「転校してからずっとそうだからな、目立ってたぞ。自覚はないみたいだが」

 

「あはは......」

 

「てっきり銃創かなにかがあって、人には見せられないのかと思ってたよ」

 

「まあ、傷はあるけどね」

 

「......そうか、強制的に精神を交換......拒否すればあの化け物に......」

 

夕薙には同情が浮かんでいた。

 

「助けてくれたやつがまともじゃないってのは難儀だな」

 

「信じてくれるんだ」

 

「まァな......瑞麗先生の名前を出されたら、俺はカウンセリングしてくれる先生まで否定することになるからな」

 

「それは良かったよ」

 

 



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ウィークエンド•シャッフル

私が保健室から帰ってくると、ちょうど皆守が葉佩を詰問しているところだった。

 

「もう一回いってみろ、九龍。今なんていった?返答次第によっちゃ蹴るのは勘弁してやらんこともない」

 

「だから~、タイゾーちゃんに頼まれたんだって~ッ!まさか學園祭で使うとは思わなくてさ~ッ!信じてくれよ、俺は無実だッ!」

 

「へえ?さっきもってった食材の量みてまだいうか。肥後一人でダンボール10個分も食うわけないだろうがッ!どんだけエンゲル係数あるんだよッ!」

 

「だってタイゾーちゃんお得意様なんだよ~ッ!」

 

「まさかとは思うがほかのクラスにも依頼されてるんじゃないだろうな、お前?」

 

葉佩は目を逸らした。

 

「おい、九龍。俺の目を見てもう一回いってみろ」

 

ひきつった顔のまま、皆守がいう。えー、そのー、あのー、と葉佩はもにゃもにゃいうだけで要領を得ない。ぐにょ、と口を掴まれて葉佩が変顔になる。しばらく待ってみたものの埒が明かないと思ったのだろうか?183センチの葉佩が175センチの皆守に胸ぐら掴まれて壁に叩きつけられた。

 

「伸びる~っ!頭が縦に伸びる~っ!暴力反対~ッ!」

 

「言えっていってんだよ、阿呆」

 

「痛い痛いやめて脳細胞ガチで死ぬからやめてッ!だって昨日の試食会の片付けしてたらさ~、タイゾーちゃんに頼まれちゃったんだよ~ッ!射撃喫茶で使う的はでかい方がいいのに予算が足りないっていうからさ~!」

 

「おまっ......」

 

「中庭の露店とかやってる後輩たちがタイゾーちゃんと俺の話聞いてたみたいで、安く食材手に入るなら利用させてくれって頼まれちゃってさ~」

 

「おいッ!」

 

「最初で最後の學園祭だからみんなの力になりたかッ」

 

「そんないいわけ通用するとでも思ってんのか!」

 

「ぎゃっ」

 

「そりゃ安くあげられるよなァ、調達するのは俺たちなんだから」

 

「いたいいたいいたい」

 

「おかしいとは思ってたんだよ、毎晩毎晩蝶の迷宮連れてかれて。どんだけ用意する気なんだと」

 

「首、首締まってるってば!」

 

「こちとら10時間は寝ないといけないってのに毎晩毎晩呼び出しやがるし、授業には連行しやがるし、學園祭にお前が不穏な食材持ち込まないか監視しなきゃなんねーから睡眠不足におちいってるってのに」

 

「やめ、まじでやめてくれ、いたいいたい」

 

「喫茶店の装飾作りくらいなら問題ないだろと放置してたら、その隙に學園中のクラスから依頼請け負うとかいい加減にしろよお前」

 

「なんでだよ~ッ!《遺跡》からとってきたんじゃなくて、クエストの報酬なのは甲太郎も見てるじゃないかッ!」

 

「お前が大量に獲得した食材を料理してあの女に献上してるのは知ってるが、ありあまるくらい余ってるのもしってる。肥後がもっていったダンボールはそれを管理してたやつだってこともわかってんだが?下処理手伝わせといて、よくもそんな嘘がつけるな、九龍?」

 

「なんだよ~ッ!最近はそっちで作った料理も食ってるくせに~!」

 

ぴしっと皆守は固まった。

 

「背に腹はかえられんって諦めたのは誰だよ!地上最強カレーに屈したのはどこのどいつだ!」

 

「それは......」

 

「美味いってくってたじゃん!」

 

「そのだな......」

 

「別にいいんだよ?俺は甲太郎にカレーパンでも」

 

「いや、それだけは......」

 

「今まで誰も食中毒になったことないのが安全な証だろ!」

 

「ぐっ......だがな、それは九龍の腕が確かだからだろッ!ほかのやつが作ったらどうなるかわからないじゃねえかッ!」

 

「え~、それいっちゃうのかよ、甲太郎~ッ!依頼人からの辛さを求めんクエスト、横取りしてんのだれだっけ~?」

 

「うっ......」

 

「石油王が美味かったって絶賛する手紙くれたっていったら喜んでたじゃん!」

 

「..................クソっ」

 

あっ、負けた......。 好きにしろっていいながら皆守はだまりこんでしまった。おもむろにメールをうってるけど、このタイミングでメールか。

 

まさか《生徒会》に密告して謎食材を一斉摘発する気だろうか?さすがに保健所ってわけにはいかないだろうし、《生徒会》も《黒い砂》の影響を受けた超人たちなんだから、謎食材食べたくらいで体調不良になるとは思えない。原材料だって原型がないくらい普通の食品になるまで葉佩は懇切丁寧に作業をおこない、傍から見たら取り寄せた冷凍してある食材にしかみえないわけだ。味見したところで最高食材にしかならない訳だが、《生徒会》は摘発するんだろうか。ものすごく気になったが携帯を覗き込むわけにもいかず、私は調理室に入った。

 

「ただいま。なにしてんの、2人とも」

 

「おかえり、翔チャンッ!聞いてくれよ、甲太郎のやつ酷いんだぜ~?」

 

「チッ......それより早く食えよ、翔ちゃん。試食楽しみにしてただろ」

 

ラップがしてある皿を指さす皆守に私は待ってましたとばかりに向かうのだ。

 

「で?今頃重役出勤か、大和」

 

「いやあ......もう一眠りしたかったんだがな、八千穂から来ないと試食させてやらないと来たからでてきたよ」

 

「は?八千穂がだと?」

 

「おや、聞いてないのか?今日から寸劇の打ち合わせだぞ」

 

「え?」

 

「うん?」

 

「あれ?」

 

「どういうことだ、大和。俺たちは裏方だろ。料理と仕込み、その上接客までやれってのか」

 

「なんだなんだ、ここにいるってことはもう話は通してあるのかとばかり思ってたがちがうのか?」

 

「へえ~、劇するんだ接客。当日、調理室と教室の往復大変だと思ってたんだけど、期待されちゃやらない訳にはいかないよな~」

 

あ、葉佩が復活した。私は小皿にとって試食しながら話を聞いていた。夕薙に俺もくれと言われたから小皿を渡してやる。

 

クランベリー初恋パフェとアロマカレーと高級オムレツ、チーズハンバーグ、やけに種類が多いアイスクリーム。どれも安定でおいしいから困る。葉佩に毎日おいしい料理振舞ってもらえてるのが幸福だと考えるか、蝶の迷宮に毎晩連行されるのだから帳消しだと考えるのか、評価がわかれそうだ。

 

ちょこちょこつまんでいるとあっというまになくなる。うん、これなら問題なさそうでよかったと考えながら片付けをしているとやっちーと月魅がやってきた。

 

 

 

「どういうことだよ、八千穂。接客は任せろっていったのはお前だろ。なんで俺たちまで巻き込んでんだ」

 

「そんなこといっちゃって、乗り気なくせに~」

 

「ほんとにな」

 

「うるさいッ、外野は黙ってろ!主張させてもらうがな、俺達はちゃんとやるべきことをやってるはずだ。なんだっで接客までしなきゃなんね~んだッ!」

 

「ごめん、ほんとごめん!2人ほど足りないの!」

 

「はあ?寸劇するだけだろ?役が足りないってなんだよ」

 

「それが~......」

 

「ごめんなさい、私のせいなんです」

 

「七瀬が出てくるってことはまさか、劇が大規模になったのか?演劇部に脚本借りてくりゃいいだろ、お前な......」

 

「八千穂さんに頼まれて、張り切りすぎちゃいました。最後の學園祭ですし、どうしてもオリジナルでやりたかったんです」

 

「あたしが悪いの、せっかく探偵喫茶やるんだから月魅にお願いしようって無茶振りしたあたしが!」

 

「..................あ~......すまん、いいすぎた」

 

しょんぼりしているやっちーと月魅に皆守はトーンダウンする。

 

「なーなー、月魅。とりあえず脚本見せてくれよ。俺興味ある!」

 

「......たしかにそうだな。話はそれからだ」

 

「月魅、脚本ある?」

 

私たちの前に渡されたのはやたらと分厚い台本だ。やばい、思った以上にずしっときた。私達は無言のまま顔を見合わせ、渡された冊子をぱらぱらとめくっていく。内容は探偵喫茶で殺人事件がおこり、犯人を推理するというドラマCDそのままである。問題はどの配役も渡る世間は鬼ばかり並に長文の台詞が乱発されることだ。

 

「......で?誰が足りないんだ?」

 

「えーっとォ......誰の手も上がらなかったのは~......探偵役と死体役」

 

「主役じゃね~か!」

 

「だってみてよ、これ。探偵が犯人なんだよ!?」

 

「はあ?」

 

「探偵と犯人が同じ人なので、どうしてもほかの配役より台詞が1.5倍になってしまうんです。ごめんなさい、ついつい筆がのってしまって......」

 

「まあまあ、さすがにこのままじゃやらないよね、月魅?これを1週間で覚えるのは無理あるしさ」

 

「あ、はい。だいたいの流れだけ同じで骨格だけは決まっているので1時間に収まるように台本はかえました」

 

「な、なんだ......これじゃないんだな?」

 

「末尾の冊子です」

 

「......やっぱ探偵役台詞多いな」

 

「あたしね、ここの犯人がお客さんを共犯者にしたてあげるシーンみたいんだー!」

 

「共犯者だ?なんでまた」

 

「いわゆる参加型を意識してみました」

 

「客の中に共犯者を呼んどく感じ?」

 

「それは各担当に任せようかと」

 

「かく」

 

「たんとう?」

 

「せっかくやるんだから、3回くらいできるでしょ?」

 

「もしかして、俺たち呼んだのはそのためか?」

 

「おもしろそうじゃん、甲太郎。仕入れの時間は休憩もかねれるしラッキー。あれだろ?料理は盛り付けだけできるように準備しとくんだろ?なら問題ないじゃん」

 

「あはは......さすがにオレ、探偵役は無理かな~。死体役なら途中しかで出番ないだろうけど、図書委員とか文芸部の手伝いとかあるし......」

 

「あ、大丈夫ですよ、翔さん。当日は後片付けだけ手伝っていただければ」

 

「でも、ほかの演し物見に行きたいし......」

 

「1時間くらいで終わるから、それ終わったら順番で回ろ?」

 

「オレ、3回とも死体役がいいなあ」

 

「え~ッ、ずるいぞ翔チャン!オレ、1回はやりたい!」

 

「なんでそんなにやる気なんだよ......普通、死体役は嫌がるところだろ。大きなカブのカブ役かよ」

 

皆守は呆れ顔だ。

 

「へえ、意外と乗り気なんだな、甲太郎。探偵役も満更じゃなさそうだが」

 

「そうこなくちゃな~ッ、お前ならいってくれると思ってたぜ!へへっ、残念だったな、翔チャン。1対2で決定だ!よし、それなら甲太郎が探偵するとき、俺死体役しよっと」

 

「えええっ!?」

 

「やったー!皆守クン、九チャン、ありがとう~ッ!というわけで~、翔クンは諦めて衣装の採寸にいこっか~!」

 

「待ってよ、やっちー!オレ、台詞覚えられる気がしないんだけど!」

 

「大丈夫ですよ、翔さん。アドリブ部分多めに変更しておきますので」

 

「難易度あがってない!?」

 

「......いやまて、違うぞ。俺は一般論をいっただけであってだな......」

 

そそくさと逃げようとする皆守を夕薙が捕まえる。

 

「今更なにいってるんだ、甲太郎」

 

私も皆守の肩をつかんだ。

 

「甲ちゃんさ......心配してくれるのは嬉しいけど、白岐さんとのやり取り夕薙に見られてんじゃないよ......」

 

おっと力が。

 

「!?」

 

「ははっ、うかつだったな」

 

「おかげで宇宙人だってバレたじゃないか。あやうく絶交するところだったんだけど?」

 

「......いや、その......あれはだな......」

 

「いい訳ならあとで聞くから採寸いくよ」

 

「みんなで教室に移動だ~、レッツゴー!」

 

私達はやっちーたちに強制連行されたのだった。



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ウィークエンド・シャッフル2

 

制服の上からメジャーではかられ、サイズが合う衣装のうちどれがいいか聞かれる。

 

「ほんとに......ほんとに心残りなんです。ほんとはモルグ街の殺人のデュポンを入れたかったんですが、参考になりそうな画像がネットで拾えなくて......」

 

月魅は心の底から残念がっているのか、ためいきが深い。

 

「モルグ街の殺人かあ......読んだことあるけど、たしかにこれってイメージないよね。ああ......オレもコナンの鍵穴だけしかみたことないや」

 

「世界で最初の名探偵にして、安楽椅子探偵なんですけど......ほんとに残念です」

 

「それで、オレのサイズ的に大丈夫そうなのは?」

 

「翔さんは皆守さんとだいたい背丈が同じなので、こちらですね。どうします?えーっと、ポアロ、ホームズ、金田一耕助、ワトソン、ヘイスティングスあたりですね」

 

「だってさ、甲ちゃん」

 

「そのラインナップで、なんで明智と小林少年がねえんだよ」

 

「あ、それはね!小林少年があたしで、月魅が明智小五郎やるからだよッ」

 

「ちゃっかり先取りしてんじゃねーよっ......しかもコンビで。となるとだ、どっちかが探偵でどっちかが相方になるのがセオリーってもんだな」

 

「お~、いがーい。皆守クン、月魅と同じこといってる~」

 

「はあ?なにいってんだ、探偵っていやあ、ホームズにワトソン、ポアロにヘイスティングスがつきもんだろうが。それがお約束なんだよ」

 

「だってあたし探偵ものあんまり詳しくなくてさ~、月魅がものすごく一生懸命選んでる衣装貸してもらうのお願いしまくってたから、どれがどれかわかってないんだよね~」

 

「おいおい、とんだ少年探偵団だな。事件解決できるのかよ、明智」

 

「大丈夫ですよ、皆守さん。小林少年はお約束があまりありませんから、むしろ八千穂さんにぴったりなんです」

 

「えへへ、そういうことだよッ!ねえ、どうする~?」

 

「思ったんだけどさ、コンビでやった方がやっぱ映えない?それならオレが死体役やってさ、九龍と甲ちゃんがコンビでコスプレしたら?」

 

「そうだな......やっぱ探偵には助手がいるよな」

 

「死体役の人が料理とってくることにしたら?ちょっと忙しいけどさ、テープで死体がありましたよって体にすれば途中で抜けられるし」

 

「なるほど~、いい考えだねッ!それ採用!」

 

「ということは、助手が途中で犯人に気づく......いや、探偵が気づく?」

 

「月魅、アドリブ多いなら探偵と助手に投げちゃえば?」

 

「適当だな、おい。ま、俺はかまわんが......」

 

「うんうん、オレより九龍のがしっくりくるよ。ってことで九龍、甲ちゃんのご指名だからコスプレ先にえらんでくれ」

 

「えっ、いいのかよ、翔チャン。ありがとう!」

 

「どうぞどうぞ」

 

そうして、皆守がシャーロック・ホームズを選び、葉佩はワトソンになった。どっちが犯人役か決めたりするつもりのようで、衣装合わせが終わるまで入って来るなと言われた。どうやら当日までのお楽しみらしい。

 

「衣装どうしよっかなあ。 いちいち着替えてたら時間なくなるよね?」

 

「そうですね、基本的には使い回しになると思うので、そのままの衣装になりますね」

 

「あはは、じゃあ衣装によっては探偵が探偵殺しちゃうことになるんだ。いや、助手がかもしれないけど。やっぱ、探偵のがいいかな」

 

「では金田一かポアロですね」

 

「うーん、どうしようかな」

 

「翔が犯人役やってくれるんなら、ヘイスティングスやってもいいぞ」

 

「あ、夕薙」

 

「俺に合う衣装、警官役ばっかりでな。レストレードにしようかとも思ったんだが」

 

「何気に長い台詞回避しようとしてる......」

 

「ははは、悪く思うなよ?どのみち翔は主役を1回はしなきゃいけないんだ。探偵、死体、助手、それなら主役のときはサポートしてくれる助手はいた方がいいと思うが」

 

「うっ......たしかに......」

 

「なら決まりだな」

 

「えーっと、九龍と甲ちゃんはたぶん助手と探偵入れ替えてやってくれるから、その間2回は死体役やってー、最後は主役か。九龍死体やりたいっていってたから、夕薙が助手やってくれるなら......」

 

「皆守なら仕込み係に専念しそうだな」

 

「たぶんそうだね。よし、ポアロにしよう。デブでも小さくもないからもはや誰かわかんないけどね」

 

そうこうしているうちに、葉佩と皆守がでてきた。

 

「はい、江見さん更衣室に入りまーす」

 

茶化したように笑うやっちーに見送られて、私はカーテンで間仕切りしてある更衣室に入った。本来あるはずの窓ガラスは隣のクラスのお化け屋敷に使われるため、すべて貸し出している。今頃マジモンの幽霊を呼ぶために《生徒会》会計の神鳳あたりが鏡の配置を色々とクラスメイトに指示しているに違いない。3のCはここが広めにとられている。荷物置き場ついでに殺人現場となるからだ。

 

「はいはいは~い、翔クンッ!あけていい?翔クンはこれね!」

 

渡されたのは、紙袋だった。

 

襟先が前に折れた襟型が特徴の鳥の翼のように襟先が折り返され開いている「ウィングカラー」と言われているシャツ。結婚式や披露宴など、華やかな装いが似合うシーンで着用する方が多いイメージだ。

 

灰色の蝶ネクタイをつける。

 

灰色の背広の下にはベストをきちんと着て、懐中時計の金鎖が粋に覗いているように忍ばせ、灰色のスパッツを着用する。その下にはぴかぴかの黒いエナメルの靴。

 

丁寧にプレスされた、いい生地を使ったスーツ、その上に仕立てのいいロングコートを羽織る。黒い山高帽子に上等な手袋、黒いステッキ。やたら小物が多いな、ポアロって。鏡がないとやりにくい。

 

悪戦苦闘しながらなんとか様になったのを確認して、私は更衣室から出た。

 

「事件の真相はここにあります......私の灰色の脳細胞の中に!」

 

「ポアロの名言ですね!」

 

「へえ~、そうなんだ~ッ!なんだかかっこいいね!ねえねえ、写真とってもいい?九チャンたちのもとったから!」

 

「え?あ、うん、いいよ」

 

「あとで送るね~」

 

やっちーが携帯と使い捨てカメラで取りまくってくる。動かないでね~、といわれたものだから表情を変えられない。笑顔がいいかげん疲れてきたころ、ようやく解放されたのだった。

 

「おつかれ」

 

「あはは、ほんと疲れたよ。これから通し練習なのに」

 

いつの間にか着替えている夕薙がいた。どうやら私が撮影されている間に着替えたらしい。夕薙は初めから接客担当だったからやっちーの写真攻めは終わっていたようだ。

 

「翔ちゃんはポアロか、で大和がヘイズディングズ?」

 

「そうだよ、ホームズ」

 

「コート着てるからワトソンてわかるけどめっちゃ医者っぽい格好だね、九龍」

 

「なんか月魅がさ~、わかりやすさを重視するっていってたぜ?」

 

「へえ」

 

「葉佩はワトソンか。ずいぶんと手癖が悪そうなワトソンだな」

 

「医学の心得があるのがヘイスティングズってのも変な話だが、お前がワトソンよりマシだ」

 

「ハハッ、たしかにな」

 

通し練習が始まった。

 

「......なんで甲ちゃん、そんなにペラペラ喋れるんだよ」

 

「さすが、更衣室でひたすらぶつぶついっ、」

 

「余計なこというな」

 

「なんでだよ~ッ!褒めただけじゃんか、横暴だ!」

 

「ほんとに行動的なのか、やる気がないのか、よくわからん男だな」

 

「甲ちゃんはいつもこうだろ、夕薙。九龍の影響受けまくりでさ、否定するんだ」

 

「ちがいないな」

 

「うるさいぞ、そこ。つーか、さっきから何撮ってんだ、翔ちゃん」

 

「え?初歩的なことだよ、ワトソン君!のシーンがあまりにドヤ顔だったからさ、ついね」

 

「ぶっ、ゴホゴホっ、てっ、め、なにとってんだ、消せ!」

 

「翔チャン、翔チャン、俺は~?」

 

「九龍も撮ったよ。たしかに兄ちゃんは人を殺したけど俺にとってはヒーローだったんだ!バカにされるのだけは許せなかった!ってアドリブ?めっちゃ感情入ってたけど」

 

「お~、俺顔こわ。やっぱさ~、犯人は自供するとこが華だよなって。がんばっちゃったぜ」

 

「......鬼気迫りすぎて迫力あったよな、九龍。まさかとは思うが......」

 

「私は決して君に打ちのめされない。君にもし私を破滅させるだけの知力があれば、私にもまた君を破滅させるだけの知力があるのだ」

 

「......なんだよ、そのドヤ顔は。というかだな、途中で実はモリアーティだった展開はやめろ。打ち合わせでそんなんなかっただろうが」

 

「いや~、流れで?甲太郎ばっか注目されてうらやましくなっちゃってさ」

 

「次で主役やるんだから助手は助手らしくやれよ。いつのまにかワトソンが死んでることになってるし、お前な」

 

「あれはびっくりしたよね、いつのまにか入れ替えトリックにオレ使われてるし」

 

「皆守クンの動揺が面白かったよね~」

 

「おい」

 

私は夕薙を見上げた。

 

「サポートしてくれるんじゃなかったのかね、ヘイスティングズ」

 

私の不満はそこなのだ。

 

「ハハッ、サポートはしてあげたじゃないですか、ポアロさん」

 

「噛んだとこを動揺してると指摘して、犯人にしたてあげてくとかひどすぎないかね?君が犯人な流れじゃないか」

 

「あなたが犯人じゃないと信じたくて推理した結果ですよ」

 

「君が推理するのは私が病で死んだあとにしてくれたまえ」

 

「おや、また死体役をするおつもりで?」

 

「話変わるからやらないさ。1時間じゃ収まらなくなるよ」

 

「頑張って台詞覚えてください、ポアロさん」

 

「ぐっ......」

 

「ねえねえ、翔クン。だいたいの流れだけ考えて台詞はアドリブにしちゃう?台本ない方がすらすらいえてるよ?」

 

「言わないでやっちー。頑張るから、せっかく月魅が作ってくれた脚本無駄にするのやだし!頑張るし!」

 

「ありがとうございます、翔さん。でも無茶しないでくださいね」

 

これから私は必死で1週間台詞を覚える羽目になるのだった。



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ウィークエンド•シャッフル3

今朝から天香學園がなにやら不穏な空気に包まれているのは、《墓地》で謎の爆発があったり、故障中のはずの時計塔の鐘が急に鳴り出したりしているからにちがいない。

 

あとはB組が本格的すぎるお化け屋敷のセッティングをしているせいで、気の早いマジモンの幽霊が蛍光灯をちかちかさせたり、ガラスや鏡をポルターガイストしたり、停電させたりしているせいか。

 

それともD組が停電対策に黒塚のもってきた謎の石にコンセントさしたら抜けなくなり、片付けを手伝う羽目になったからだろうか。

 

A組は別の意味で男子共が騒がしいが《生徒会》書記の双樹咲重(ふたきさきえ)という巨乳美女にメロメロになって自分から進んで下僕になっているからだ。コミュ力を上げたいからと接客に手を挙げた取手は双樹にあれこれ注文されて下っ端状態になり、羨ましがられてえらいことになっている。

 

いよいよ今日が學園祭当日だというのに大丈夫だろうか、と普通なら不安になるところだが、台詞暗記に必死の私はそれどころではなかった。

 

「よう、瑞麗先生から預かってきたぞ、江見。君の犯行動機」

 

「non、そうじゃないんだ......あ、ありがとう夕薙」

 

「江見、いっそのこと自分のいいやすいように変えたらどうだ?台詞」

 

「ぐっ......夕薙までそんなこという......」

 

「だってなあ......もう半日たったら君の番だぞ?」

 

「考えとく......」

 

「そろそろ準備したらどうだ?死体役さん」

 

「仕込みをね」

 

台本を隅の方に山積みにされているカバンにしまう。これから午後まではひたすらに死体役兼調理室の冷蔵庫と教室の往復は地味にきついが仕方ない。

 

「お、騒がしいと思ったら......江見、ちょっと来てみろよ」

 

「へ?」

 

更衣室のカーテンをあけてみる。探偵喫茶は探偵の特殊機材や調査報告書の展示はもちろん盗聴発見や指紋採取なども体験できるアミューズメント性も抜群!ネタみたいな広告と看板だが、意外と気になるのか野次馬はちょくちょくいる。

 

テーブルには、実際に“浮気調査”で提出される浮気現場の一部始終をまとめたレポートのレプリカが置いてあり、臨場感満載だ。

 

昼ドラ並みにドロドロした話ばかりかと思いきや、こんなほっこりする美談も。ある案件で、定期的に深夜帰りする夫の浮気を疑う妊娠中の妻からの依頼で、探偵さんが実際に尾行してみたところ、その夫は女性の元ではなく、なぜかひとりで繁華街へ。目的は、出産資金を少しでも稼ぐために居酒屋でアルバイトをするためだったそうだ。

 

ちなみに調査依頼で2番目に多いのが、“人探し”。「初恋の人を探してほしい」という、年配の方からのロマンチック(?)な依頼もけっこう多い。

 

指紋鑑定や精液鑑定キット、振り返らなくても背面が見えるサングラスなど、探偵ならではの専門グッズも満載で非日常気分を味わえる。

 

もちろん全て宇宙探偵からの借り物である。

 

「おや、見回りにしては随分と大所帯だな。あれが《生徒会役員》か......さすがに《執行委員》とは貫禄が違うな」

 

「《生徒会》相手にそんなこといえるの夕薙だけだよ」

 

「人のこといえるのか?噂になってるぞ、君が《生徒会長》に話かけられるほどとんでもない人間だってな」

 

「どんどんカオスになってくね、オレの噂。あはは......。ま、たしかに三人揃ってるときは近寄りたくないかなあ。貫禄ありすぎ」

 

「甲太郎みたいなこというんだな、江見も」

 

「お前が言うなって言葉がこれほど似合う言葉もそうそうないよね」

 

「ははッ、江見ならそういうと思ってたよ。情報収集は大切な戦略のひとつだからな。君のもってる情報のひとつにでもあやかりたいもんだ」

 

「私たちに危害を加えなければ考えるよ」

 

「葉佩にまで手を出すなといわれると困るんだがな......」

 

カーテンの向こう側には《生徒会》のみなさんが勢揃いである。見回りに来たのかと思ったがどうやら様子が違うようだ。

 

「あのさァ~、なんでもかんでも俺のせいだと思ったら大間違いだからなッ!今日のためにどんだけ準備してきたと思ってんだよッ!少なくても、今朝の時計塔と《墓地》の爆発は俺とは無関係だよ!」

 

びしっと指をたてる葉佩に神鳳が意外そうにいうのだ。

 

「學園祭を楽しもうという気概があるのですか。噂の《転校生》もこうして見る分には普通の学生さんですね」

 

「ふふッ、いい男はなに着てても様になるわ......」

 

「うちのワトソンを疑うのはやめてもらえるか?こいつとは朝から打ち合わせしてたんでな、証人はこのクラスの誰もがなるぜ」

 

「ふん......《転校生》、どうやら俺の忠告はお前には意味をなさなかったようだな。俺の言葉を忘れたわけではあるまい?」

 

「《転校生》は《転校生》らしく大人しくしてろって話だろ?忘れたわけじゃないさ。現に今日は學園祭楽しむつもりで頑張ってるんだし」

 

「なるほど......なかなかに侮れん。威勢だけはいいようだ」

 

「予想以上に天然ですね。それとも処せ術に長けていると見るべきでしょうか?はたまた礼儀正しいのか、迷うところですね」

 

「ふふッ。いいじゃない、どっちでも。可愛い子だって事に代わりはないわよ」

 

「で、みなさまなんの用?まさか俺を警戒しに巡回でもきたのかな?」

 

「《生徒会》に匿名の通報がありましたので、抜き打ちの検査をさせていただきますね。出店するメニューを見せていただけませんか?」

 

食中毒が出ないよう細心の注意をはらいながら準備してきた料理をみながら神鳳がそういうものだから3のCに妙な緊張感が走った。

 

「どうして今年だけするの?今まで、そんなことしなかったよね?」

 

やっちーが不安そうにいう。

 

「他意はありません。規則により通報があった場合は《生徒会》が判断しなければならないので、なにもなければ悪戯でしょう。こうして飲食を扱うクラスすべて回っているので、なにもこのクラスだけではありませんよ」

 

「そ、そっかァ......よかった」

 

「じゃあ、さっさと食ってでてってもらおうか。ご注文は?」

 

「皆守甲太郎君、君は《生徒会》に対して言葉が過ぎるのではありませんか?」

 

「いや、やめておけ」

 

「......わかりました」

 

「ご注文は?」

 

試食するだけかと思ったら普通に1人1品、しかもデザートまで注文するとか実は調査にかこつけてみんなの料理食べたいだけでは?私は怪しんでいたがボロが出るのは嫌なので奥にひっこもうとした。

 

「翔チャン、翔チャン。超低温パネル出して」

 

「え、アイスのまだストックあるだろ?」

 

「ここまで喧嘩売られたら買わなきゃダメだろ?だからよろしく!」

 

「わかったわかった、ちょっと待って」

 

私はあわてて葉佩の荷物を探る。超低温パネルを装備する(つかう)ことで特殊な料理を作ることができるようになるのだ。効果は一律AP&HP80回復

校内MAPで誰にどれを渡しても好感度大などの特徴がある。どうやら《生徒会》のみんなはアイスを頼んだらしかった。

 

私は葉佩に渡す。葉佩はエプロンつけてやる気満々でキッチンにたった。

 

あのー、たしかにメニューには初恋パフェってあったけど、このアイテム使うと同じヨーグルトと非時香果使ってもジュヴナイルRっていう特殊なアイスになるんですがそれは。

 

やたら種類が多いアイスは全部これで作ってたらしい。まじかよ、後半みんなにあげるアイテム大盤振る舞いしてたのか葉佩!?

 

夕薙に呼び出されていて知らなかった私は驚くしかない。まじっすか。

 

「あら、《転校生》が作るの?」

 

「そうだよ~、先に料理楽しんでてね!」

 

そんなんずるいわ。私が食べたい。出来たて食えるとかズルくない?私以外にも思ってる人はいるようで、やっちーや白岐さん、月魅あたりは葉佩をガン見している。皆守はラベンダーがないのが残念そうだ。

 

ストックがあるから料理自体ははやくに提供できる。アロマカレー誰も頼んでないのが皆守は残念そうだ。それにしてもマダムバタフライに毎晩すさまじい量の料理を献上している葉佩の腕を仲間でもないのに思い知るのか《生徒会》。

 

皆守が通報したのかと思ってたけど違うのかな、これ。

 

「ふッ……。おかしな男だ」

 

注文した料理も葉佩作だと知って阿門が笑ってる。そりゃ笑うわ。

 

「僕はこれに目がなくてね」

 

神鳳が敬語忘れてる件について。

 

「私の好きな物を持ってきてくれるなんてやさしいのね」

 

なんか声がエロい。

 

しばらくして、葉佩がアイスを配った。

 

「ありがとう……。あなたの気持ち、ちゃんとこの胸に届いたから」

 

「これは随分と精がつきそうですね」

 

「さすが《転校生》だと褒めてやろう」

 

態度がものすごく軟化している。葉佩はやったぜとばかりに私にピースしてきた。

 

「どうやらただの悪戯だったようですね。問題なさそうでなによりです。それではまた」

 

《生徒会》は去っていった。そーいや夷澤凍也がいないけど先輩に喧嘩売られてんのかな?

 

「また来てくれよな~!」

 

葉佩は手を振って見送った。

 

「お前ってやつは......」

 

皆守は呆れ顔ながら笑っている。

 

「ところでさ、甲太郎」

 

「なんだ?」

 

「俺阿門しかしらねーんだけど、あとの二人誰?」

 

「お前な......知らないのに料理出してたのかよ」

 

「學園祭は《生徒会》主催なんだろ?クレーム対応までするなんてすげーじゃん。なら敬意は払うべきだろ?次はただじゃおかないけどな~」

 

にへらと葉佩は笑った。



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ウィークエンド・シャッフル4

「真里野ってオレより少し高いから176センチくらいだろ?わざわざ高い下駄はかなくてもよくない?」

 

「むむッ......な、なんのことでござるか、江見殿。拙者はなんのことだかさっぱり......」

 

「金田一耕助の衣装勝手に着てるのもそうだけどさ、つまずいてるでしょ?右足が変だよ。ひねってない?怪我したら月魅が心配するよ?ただでさえ眼帯してて距離感掴めないんだから」

 

「し、しかしだな、江見殿。七瀬との身長差を考えるにこの方が良いと朱堂殿が教えてくれたのだ」

 

「あぁ......25センチくらいがいいって?男女の身長差は15センチくらいがいいって俺は聞いたけどなあ。月魅160じゃん」

 

「なんとッ!?もしそうならば何も履かぬ方がよいのか?」

 

「いや、月魅も内履き履いてるからね?」

 

「ぬう......身長差というのは難しいのだな......かたじけない江見殿。また助けられてしまったな」

 

「いや、それはいいんだけどね。なんでいるのさ、君。B組はお化け屋敷だろ?」

 

「せ、拙者は断じて誰かに会いたくてサボってきているわけではない!」

 

「ならB組にいる神鳳にかけあって《生徒会》に許可取りなよ。月魅も申請してうちのクラス手伝うの許可得てるんだからさ。なんでいるんだって次の巡回で指摘されたら迷惑だよ。そういうのちゃんとやるからね、月魅」

 

「なんとッ!!そうであったのか、すまぬ。ならばすぐにいってこよう」

 

「うん、頑張って説得してね」

 

「うむ、こころえた!」

 

今頃お化け屋敷の最後の井戸の中に待機しているであろう神鳳を見つけられるだろうか。あいつ、からかうの好きだからなー、真里野がんばれ。無責任に応援しながら私は更衣室からでていった真理野を見送った。

 

「翔チャン、翔チャン、そろそろ材料とってきてくれ、無くなりそう!」

 

「早いな、もう?」

 

「《生徒会》のみんなが食べたやつが欲しいってお客さんが多いみたいなのッ!」

 

「驚いたわ......ここまで宣伝効果があるなんて......」

 

「口コミってやつだな、行列ができるとそれだけ並びたくなる」

 

「なるほど、わかったよ。なにがたりない?」

 

顔を出した私はメモを渡された。ほとんど《生徒会》が注文したやつだとか宣伝効果すごいなこれ。やけに呼び子の声が聞こえないと思ったらそれすら必要ないほどの繁盛ぶりだとは思わなかった。

 

「すぐとってくるから!」

 

「早くしろよ」

 

「がんばれ、翔チャン」

 

キッチンは戦場状態である。私は客達のあいまをぬって調理室にかけおりた。借りているでかい冷蔵庫から3のcと書いてあるダンボールを手にする。これは何往復しないといけないんだろうか。まあ、これが全部無くなる頃には店じまいしないといけないわけだから、上手く行けば私が主役をする必要はないかもしれない。ちら、と時計を見た私は往復する頻度に冷や汗を浮かべつつ、階段をかけあがったのだった。何回も往復するうちに数える余裕すらなくなってくる。そのうち私は考えるのをやめた。

 

「おつかれさま~」

 

「翔さん、お疲れ様でした。お茶いります?」

 

「ああうん、ありがとう。更衣室にいってるね」

 

体育館でステージ発表がはじまったからか、明らかに人手が減った。ようやく客足が落ち着いてきたので、そろそろ名探偵皆守が始まるころらしい。

 

「茶くみを七瀬殿にさせる訳にはいかん。拙者がやろう!」

 

「またきやがったな、エロ侍」

 

「えっ......えろだと!?ふざけるな、皆守甲太郎ッ!今ここで叩ききってくれる!」

 

「あ、真里野じゃん。《生徒会》の許可は取れたの?」

 

「むっ、江見殿であったか。かたじけない、神鳳殿がどこを探しても見つからなんだのだ」

 

「そっか」

 

「うむ」

 

「お茶ありがとう」

 

私はお盆ごと受け取り、湯呑みをその場で飲み干して真里野ではなく七瀬に返す。

 

「ああ、七瀬殿はしなくてもよい!拙者が」

 

「あの、真里野さん。私は3のcの手伝いに来ているので......」

 

七瀬も名探偵皆守の登場人物にあてられているのだ。更衣室に向かう理由が取り上げられてしまいこまっている。

 

「許可とってないなら不法侵入だね。うちのウエイトレスはお触り禁止でーす。出禁」

 

「なんだとッ?!ご、誤解だ、江見殿!拙者は!」

 

「はーい、叩き出して」

 

ノリがいい男子生徒たちが真里野を羽交い締めにする。七瀬殿~っと声が遠くなっていく。お客さんの笑いが聞こえてくるのか月魅は恥ずかしそうだ。不本意な注目を浴びるのは好きじゃないんだからとんだ災難である。

 

「じゃあ、オレ更衣室に待機してるね。なんかあったらまた呼んで」

 

「はーい」

 

「おつかれ」

 

私はカーテンをしめた。さてさて、そろそろ死体役の準備をしなくては。予定時間よりだいぶ遅くなってるから大変だ。急がなくてはならない。

 

學園祭の寸劇なんだから倒れているだけでいいのが楽でいい。皆守と葉佩の組み合わせだと互いに牽制しあって話が破綻しないように脚本はなれてどんどん話が展開していくから、刺殺も絞殺もろくに決められないから返ってよかった。

 

いっかいリカかすどりんあたりに死体役のメイクアップをお願いしようかって意見もあったんだ。でもすどりんは朝から行方不明、リカはネイルの依頼が殺到して時間がとれないということでなくなってしまってよかった。

 

死体役って動いちゃいけない、死んでるように見えなきゃいけない意外と大変な役だ。

 

「みんな適当に荷物置きすぎだろ......」

 

殺人事件の現場にするからわざわざ広めにとってあることをいいことに、3のcのみんなの荷物がとっちらかっている。これじゃ私が寝っ転がってるとき潰れちゃうじゃないか。しかたない。私は自分が寝っ転がれるスペースを確保するためにカバンを横においていく。

 

「おっと」

 

足元に携帯が転がった。誰だよカバン閉めてないやつ。......皆守じゃん。うわっ、なんかなり始めた。

 

「甲ちゃん甲ちゃん、メール、メール。めっちゃ来てるよ着信」

 

私がカーテンあけて携帯をさしだすと皆守があわてて走ってくる。

 

「悪い悪い、ポケットに入れ忘れてたみたいだな」

 

携帯の画面をみた皆守はホッとした顔をした。心配しなくてもメール開いたりしないっての、葉佩がここでアイス作ってんだから《生徒会》くらいしかないじゃん。あ、そのうち一通はすどりんのポエムの可能性もあるのかな?

 

「ちょっと呼び出しだ。いってくる」

 

あ、これは《生徒会》ですねわかります。

 

「え~ッ、皆守クン、今行くの?!」

 

「わりいわりい、すぐ戻る」

 

「早く帰って来いよ、甲太郎!じゃないと主役はもらうからな~!」

 

「あァ、わかってるさ」

 

じゃあな、と皆守は出ていってしまう。私は更衣室に戻った。倒れてその場にあわせて白いテープをはっていく。これだけ空いてるタイミングなら調理場との往復はいらないかもしれないけどねんのため。

 

「よし、できたっと」

 

ハサミと白いテープをダンボールにしまう。ちょうど月魅が入ってきた。

 

「すいません、椎名さんにヒエログリフのネイル依頼があったようで、H.A.N.T.を借りたいんですが」

 

「あー、荷物動かしちゃったんだよな。九龍のカバンどれ?」

 

「H.A.N.T.鳴らしてみましょうか」

 

月魅はメールを送る。メールがとどきましたという電子音声が流れた。月魅はH.A.N.T.をひっぱりだし、メモしていく。そして去っていった。

 

「失礼」

 

「また来たのかよ、真里野」

 

「あー、ごほん。今回は違うぞ、江見殿。拙者はお使いに参ったのだ」

 

「お使い?」

 

「うむ、朱堂殿の頼みでな、H.A.N.T.の写真がとりたいのだ」

 

「九龍に許可とった?」

 

「無論とったとも」

 

「ならいいけどさ。そこのカバンにあるよ」

 

「かたじけない」

 

真里野はH.A.N.T.を手にする。

 

「ところで江見殿、写メとやらはどうすればよいのだ?拙者、借りてきてはいるのだが使い方がわからぬ」

 

「あー、はいはい。わかったよ。貸して?」

 

「ありがとう」

 

私はすどりんの携帯を借りて、H.A.N.T.をあらゆる方向から撮ってやった。

 

「はいどうぞ」

 

「すまぬ、恩に着る。ではこれにて」

 

カーテンがしまる。しばらくして。

 

「入っていいかしら?」

 

「どうぞ、白岐さん」

 

「そろそろ劇が始まるから、ここで何分か過ごさなくてはいけないらしいの」

 

「ああ、アリバイ作りだね、おつかれ」

 

「いえ、私より皆守さんや葉佩さんの方が大変ではないかしら。もちろん、あなたも」

 

「あはは、私は寝てるだけだけどね」

 

「でも息を止めていなくてはいけないんでしょう?」

 

「まあね。動いちゃいけないのはきついかも。でも死体役をずっと見てることはないよ。劇やるって告知はしてあるんだからさ」

 

「ふふ、それもそうね」

 

ちらちら時計を見ながら確認していた白岐はきっちり10分後に出ていった。

 

「さて、そろそろかな」

 

カーテンごしに様子をうかがっていた私はふと窓から音がして振り返ろうとした。

 

「───────え?」

 

脳天に強烈な痛みが走る。私は一瞬にして意識を失った。

 



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ウィークエンド・シャッフル5

世界のあらゆる輪郭がぼんやりとした薄暗い空間で私は目を覚ました。なにもかもが曖昧になっている。何度もあぶり出しのように浮かんでくる複数の影、白衣のような色合いから初めは病院にでも担ぎ込まれてCTスキャンでもかけられたのかと思ったが、どうもちがう。体がいうことを聞かないのだ。足の指から頭のてっぺんまでなにひとつ動かせず、意識だけがそこにある。

 

もどかしさが、奇妙な襟巻のように喉に絡み付く。私の意志とは無関係に唾を飲み込む音だけがやけに大きく響いた。

 

夢?明晰夢ってやつ?それとも金縛り?

 

現実か夢かすら曖昧なまま、私はどうすることもできない。この空間は広がっているのがグラデーションの変化でわかる。ただ私自身のいる場所はかなり歪められているようなのだ。とても細長いのだ。細長くて狭くて苦しくてろくに身動きがとれないところに閉じ込められている。まるで棺桶の中に幽閉されているような気分になる。閉塞感をはっきり感じることができるから、まさか誰かに拉致されたんだろうか?

 

意識だけもがいているうちに手脚が自由を取り戻したようなので、ゆっくりと伸ばしてみる。感触がある。硬い金属のようななにかに私は押し込められているらしい。

 

ここから出ようと手を伸ばそうとすれば、それに呼応して全体像が動く。よかった、体自体も自由を取り戻したらしい。水を利用した細かい仕掛けのからくりのように、ひとつひとつ注意深く、ほんの微かな音を立てながら、それは順番に反応していく。耳を澄ませば、それが進行していく方向を聞き取ることができる。

 

あいかわらず、あらゆる世界はぼんやりとしている。まさかこれがJADEさんがいってた男が如来眼に覚醒するデメリットだろうか?白岐みたいにまともな世界じゃなく魂がみえる世界が見えるようになるんだろうか?それとも目に負担がかかりすぎて視力が下がるとか?近視になったことがないからわからないが、ド近眼になったらこんな感じ、という浮遊感の中に私はいた。

 

「素晴らしい」

 

私は凍りついた。真横から声がしたからだ。横をむくとそこには黒い影だけがあった。

 

「実験は成功だ」

 

「まさか成功するとは」

 

「適合する個体が現れたのだ」

 

「素晴らしい、実に素晴らしい」

 

次は反対側から複数の拍手がする。やはり影だけがある。私の中にあるのは恐怖だった。

 

「私の言ったとおりでしょう?」

 

女の声がした。影が一様に沈黙する。私は戦慄した。禍々しい光を放つ、金の目の女がいたからだ。

 

「DNAは人間の地図であり、4種類の文字で書かれた長い文書なのよ。文字はACGTの4種類しかない。細胞の中のタンパク質たちが、読み解いて、その指示通りに儀式を進める。理論上は可能だったじゃないの。なにも不思議なことではないわ」

 

「だが今まで上手くいかなかったではないか」

 

「それはDNAという魔道書には、偽文書がたくさん紛れ込んでいるからよ。正確には、ノンコーディングDNAと呼ばれるものなんだけど。その偽情報に騙されることなく、適切に人間を生み出すにはそれなりの技術が必要というだけ」

 

「なんだそれは」

 

「DNAはノンコーディングDNAと遺伝子でできているわ。本物の情報のことを遺伝子、ノイズのことをノンコーディングDNAと呼ぶというわけ。この遺伝子という魔道書を読み解くことに慣れた、狂信的なタンパク質さんたちに比べれば、私たちはその読み取りに慣れていないわ。だからこそ、いろんな機械を使って、この魔道書の解読を試みてきたんじゃないの。我々の悲願のために」

 

女は笑う。

 

「その結果、遺伝子解析機を作り、解析したい遺伝子全体にわたって、一気に情報処理させた。長いものを一つ一つ正確に読むよりも、エラーが少なく、そして早く、遺伝子を読み取ることができるようになった」

 

「たしかに。たくさんの種類の生物の遺伝子を、一斉に読み解くことができるようになった」

 

「だからこそグールや深きものの血を受け継いでいる者の遺伝子を手に入れられた」

 

「ハスターリクを制御できるようになった」

 

「遺伝子を改変する研究所ができた」

 

「それを私は待っていたの。この子はまさに私の悲願よ。龍脈の活性化により生み出されたこの魔眼のためにどれだけ一族の女たちが子を産むために死に絶えたと思っているの。私は嫌よ、死ぬなんて嫌」

 

「だがその個体もまた女ではないか」

 

「馬鹿ね、私がこの子を生み出してなお生きているという事実が重要なのよ。愛する男の子供を育てるという当たり前の暮らしを私たちは許されなかったのよ」

 

高笑いする女に抱きしめられる。影達はあいかわらず私の頭の上でくっちゃべっているが専門用語だらけでわからない。

 

ハスターリク......また随分とマイナーながらド直球な邪神が出てきたものだ。

 

ハスターリクは「微生物の集合体」の姿をした、グレート・オールド・ワンの1体である。 通常は病原菌に寄生し、寄生したそれを爆発的に増殖させる能力があり、一説には14世紀の腺ペスト、他にはエボラ出血熱と言ったパンデミックの大半は、この存在が原因とされている。

 

〈感染するもの〉と知られ、疫病の原因となる微生物のような旧支配者である。遺伝子そのものを改変してしまうため、どうなってしまうか……お察しの通りである。

 

ちなみに名前は似ているがハスターとは関係ない神性である。

 

ハスターリクは宇宙や異次元に存在する微生物の集合体であり、病原体とくっつくことで混沌と影響を広げる。遺伝子情報を組み換えることが簡単にできるためにあらゆる怪物を作り出すことが可能になる。遺伝子の研究者たちにとっては喉から手が出るほどに求め、崇拝していてもおかしくはないだろう。あるときはゲリラ化した勢力を鎮圧するためにハスターリクを召喚しようと試みた集団がいるそうである。

 

しかしハスターリクは完全に制御することはできないため、召喚者にも感染することもあるという。それを完全に制御しただと?ちょっと待てや。

 

つっこもうとしたが声が出ない。

 

ハスターリクはたしかに細菌の邪神である。創作された時代には、まだ、ウイルスという存在が明らかにされておらず細菌扱いだったためだ。ただ、今の時代にこいつらの話をまとめて落とし込むなら、遺伝子操作ができるDNAの集合体ってことになる。

 

なにそれやばくない?

 

細菌は生物で細胞膜によって外界と隔てられたものだ。病原菌と言われるものは、これに属する。体内の種々の物質を栄養源にしつつ増殖し、血中などにも侵入する場合があり、感染症の多くが、細菌によるものだ。

 

一方のウイルスは、生物かどうか、意見が分かれている。大変小さいため、人間の細胞の中にまで押し入ることができる。細胞のシステムを「間借り」して、自分の遺伝子を増殖するのが、ウイルスという存在なのだ。逆に言えば、細胞に侵入しなければ、ウイルスは増殖できない。不完全なDNA運搬体なのだ。

 

細菌の集合と考えられていたハスターリクだが、それらの細胞に変異を促すウイルスの集合だと考えたほうがいい。

 

ハスターリクと思われる病原菌の集合を遺伝子解析すると、特定のウイルス由来のDNAが共通して検知される、という結果が生じる。このウイルス由来DNAこそ、ハスターリクの本体ということになるだろう。

 

《黒い砂》、江見睡院の中にいる正体不明の生命体と何らかの関わりがある気がする。

 

......ハスターリクの駆除が不可能だよな、こいつらの話が正しいなら。

 

中枢となるサーバーをダウンさせれば勝利するパターンと違って、ハスターリクの実態はソフトウェアだったということになる。つまり、それ(ウイルス由来DNA)がインストールされたマシン(細胞)を全て排除するまで、そこでウイルスが増え続けるわけだ。

 

......どうせよと?

 

「今一度確認するが、我々に牙を向いた場合、どうするのだ」

 

「そんなもの、自爆装置を埋め込めばいいに決まってるじゃないの。なんのためのショゴスよ。なんのためのアブホースよ」

 

その言葉に私は戦慄するのだ。こいつら白岐さんの中に鍵を仕込むだけじゃ足りないっていうのか。

「私たち人類のDNAのうち、34%までは、ウイルス由来のDNAで構成されているわ。生物は、常に、ウイルスを媒介としながら、体内のDNAを更新している。性交渉によって、女が男のDNAを取り込んでいるようにね。もちろん、それが致命的なエラーを生じる場合には、直ちに発熱などが生じ、正常な機能を取り戻すべく、異常をきたした細胞を排除するという現象が発生するわ」

 

さも当然とばかりに女はいう。

 

「しかし、すべてのウイルスが、私たちに直ちにそれとわかるエラーを吐くわけではない。私たちは知らぬ間に、特定のウイルスと共存し、ウイルス由来のDNAを増殖している。その場合、そのDNAは有害ではないので、排除する必要はないわ、ら他の生物だって、そうやって、環境内の生物と、複雑にDNAの受け渡しを行っているの。細菌は他の微生物との間でDNAを受け渡ししながら、環境との適応・進化を図っているのだから」

 

女は影にかたる。

 

「人間や細胞の「個体」という境界は、曖昧なのよ。その壁を破るのが、「ウイルス」という存在、その「ウイルス」が、他の生物たちに、秘密の暗号を書き残していく。まるで、正常な文書を、たった一カ所書き換えるだけで、魔道書に変えてしまうみたいに。いや、むしろ、他の遺伝子は、そのポイントが書き換えられる「その日」を待ち望んでいたのよ。それを記すわ、ここにね」

 

刻まれた銘板。それだけが妙な現実感を伴って私の前に現れた。

 

「そして、巫女にも墓守にも逃げられないように楔をうちこむの。どこにいても逃げられないような座標をね」

 

......天香學園の《遺跡》に眠る《九龍の秘宝》じゃないの、これ。じゃあ、この女がいってるのってまさか......。

 

「もちろん、アンタにも植わってるのよ。大事な私の───────」

 

 

 

身体のくたびれ方で見当をつけるしかない。身体はひどく消耗していた。こんなに疲れたのは初めてだ。まぶたを開くことができるようになるまでに時間がかかった。意識は一刻も早い覚醒を求めていたが、筋肉や内臓のシステムがそれに抵抗していた。

 

季節を間違えて、予定より早く目を覚ましてしまった冬眠動物のように。私はようやく目を開け、焦点をあわせ、シーツの縁を握っている自分の右手を眺めた。

 

世界が分解されることなく存在し、自分がまだ自分としてそこにあることを確認した。しびれは少し残っているが、そこにあるのはたしかに自分の右手だった。

 

まわりの話し声も普通の話し声として聞こえるようになった。声はまだ自分の声のようには聞こえない。心配しているのはわかる。

 

頭に風が吹き込むような感触があり、上半身が震えた。寒気が走った。目をぎゅっと閉じ、数秒してから、開く。 女の姿は消え、周囲の世界が復元している。

 

 

 

 

真っ先に目に飛び込んできたのは白い天井だった。

 

「翔クン!」

 

「よかった、翔さん目を覚ましたんですね。瑞麗先生、瑞麗先生、翔さんが!」

 

「......あれ、月魅?やっちー?ここは?」

 

「よかったよ~、翔クンが目を覚ましてくれて~ッ!瑞麗先生は大丈夫だっていうけどすっごい心配したんだからっ」

 

「え?」

 

「あれ、覚えてないの?」

 

「こらこら、江見は今起きたばかりなんだぞ。無理をさせるものじゃない」

 

間仕切りのカーテンをあけて瑞麗先生が入ってきた。

 

「調子はどうだい、江見。気分は悪くないか?」

 

「あ、はい。大丈夫です」

 

どうやら私は今保健室にいるようだ。

 

「吐き気は?」

 

ミネラルウォーターを渡される。口に含んでみるが違和感はない。ありがとうございますと返そうとしたが、持っていた方がいいと言われてしまった。

 

「みたところ顔色もいいようだし、体調は良くなったようだ。よかった」

 

「よかった~」

 

やっちーは嬉しそうに笑う。

 

なにがあったのだろうか。無意識のうちに手は頭に向かう。痛みが走る。どうやらたんこぶができているようだ。

 

「君は更衣室で何者かに殴られ、意識を失っていたようだ。死体役だったせいで誰も気づいていなかったようだな」

 

「えっ」

 

「なにか心当たりはないか?」

 

「えーっと......窓」

 

「窓?」

 

「窓から音がしたんです。振り返ろうとしたら後ろからこう......」

 

「打ちどころが悪かったらまずかったな。体調が悪くなったらすぐに来なさい。いいね?」

 

「わかりました」

 

「一体誰が......」

 

私は首を傾げるしかないのだった。



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ウィークエンド·シャッフル6

もう2時半だった。

 

私が気絶して保健室に運ばれたことで一時は騒然としたものの、探偵喫茶はちゃんと行なわれたらしい。葉佩が死体役、皆守が2回目の探偵役で行われ、たまたま指名した共犯者の男子生徒がファントムの狂信者で爆弾持ち込まれててんやわんやだったそうだ。

 

やっちーと月魅に付き添われる形で3のcに帰ってくると、すでにメニューのほとんどが売り切れ状態となり、残りのメニューもあとわずかという感じだった。参加できなかったのは残念だが、みんな楽しんでたみたいでよかったよかった。

 

「翔ちゃ~んッ!」

 

ふいに引っ張られる。引き寄せられて、6センチ差の身長差により葉佩の首のあたりに頰があたった。腕が背中に回り、強く抱きしめてくる。葉佩が正面から抱きついてきて、あんまり一生懸命なものだから、脇腹に指頭が食い込んでいる。

 

「無事でよかった~!」

 

私はされるがままだ。

 

「九龍、いや九ちゃん。心配かけてごめん。今んとこ大丈夫みたいだから帰ってきたよ」

 

「......!!!」

 

ぱあっと葉佩の顔が明るくなる。

 

「マジでよかった~ッ!迫真の演技だな~なんて悠長なこと考えてたせいで気づくの遅れてマジでごめんッ!」

 

「あはは、でも最初に気づいてくれたんだろ?ならチャラだよ。やっちーがいってたよ。おかげでたんこぶだけで済んだしさ」

 

「いや~よかったよ~ッ!気づいたときマジで生きた心地しなくてさ~!」

 

葉佩は名残惜しそうに離れはしたが距離が近い。愛の伝道師の距離なしの奇行も3ヶ月もたてば誰もつっこまなくなる。気にしなくなる。ああまた葉佩がやってるなーというただの日常だからですませてしまう。

 

葉佩は誰かを守れないことに恐怖を感じていることは、バディへの対応でよくわかっているから私の方が申し訳なくなってしまった。

 

「こら、九龍。翔ちゃんの具合悪くなったらどうすんだ、ほどほどにしとけ。で、犯人は誰か覚えてないのか、翔ちゃん」

 

「あーうん、それがさ。死体のテープ貼ってるときに窓の方から物音がして、振り返ろうとしたらこう後ろからやられたんだよね。だからわかんないな」

 

「窓から?ここ3階だぞ?」

 

「今日は《生徒会》も《執行委員》も休業だからな、あるとすればファントムか?」

 

「まさかあの爆弾魔みたいに入り込んだのでしょうか?」

 

「うーん、今の時間帯考えたら、もう一人の可能性は捨てていいよなきっと」

 

「......あれきり会えてないから、侵食されてたらわからないけどね」

 

私の言葉に葉佩は肩をすくめる。

 

「《遺跡》に来るなってあいかわらずメッセージ来てるしさ、きっと大丈夫だよ」

 

「......そう思うしかない、か」

 

「だね。だから、今んとこ怪しいのはファントムだ。そうなんだよな~、わかんないのはそこなんだよ。ファントムなら入れるだろうけど、ベランダあるとはいえ、鍵はかかってたわけじゃん?誰か内側から開けないと入れないと思うんだけど、俺そこまで覚えてないんだよな~。開いてた?」

 

ファントムから校舎に侵入する鍵をもらった葉佩だが、窓は内側から開けてもらわないと入れないことをよくわかっている発言である。試したんだろうなあ。

 

葉佩の発言に教室が一瞬にして静まり返る。誰もが顔を見合わせた。わからないという雰囲気である。ファントムで確定だという流れにちょっと戸惑う私である。どうやら葉佩の中では墨木の事件の時にライフルで狙撃する劇場型自作自演をやってのけたイメージから、陽動に特化してるイメージが固定かしているらしい。

 

うーんどうだろう?たしかにラスボスに意識を乗っ取られて9月から頻繁に記憶喪失になる二重人格状態みたいだが、今日は彼も忙しいはずだから意識を乗っとられるような描写はなかったはずだが。

 

............ただなー、ただなー。保健室でみた夢を考えるに《遺跡》の最深部に封印されている神にとって、どうやら正体不明の生命体は楔らしい。そして、墓守も巫女も私の先祖も神にとって長きに渡る封印を実現するためのシステムみたいだから、ものすごく嫌われているようだ。あながち襲撃犯も間違ってないんだろうか?

 

少なくても私は巫女や墓守より嫌われているだろうことは想像に固くない。《如来眼》の源流が妙見菩薩の力にあるならば、1700年前から呪いというべき宿命から逃れるために生み出されたクローンか、実験体か、そのあたりの遺伝子が江見翔の体にあるようだから。おそらくは私という精神性の遺伝子も。くわえてこの《遺跡》自体がクトゥルフ勢力の支配下だった過去があるのだ、ハスター側の私はまちがいなく排除対象である。

 

冷や汗が流れてしまう。気をつけよう。ファントムの支配下におかれている彼を犯罪者にしないためにも。

 

「そりゃそうだよな~。みんな接客と料理で忙しかったもんな~。翔チャンがわかんなかったら誰もわかんないよな~。ああくそ、誰だよ鍵あけたやつ!絶対に許さねえ!」

 

「翔チャンも覚えてないとなると......たしかその前に更衣室に入ったやついるよな?誰か覚えてないのか?ちなみに俺は役に入り込んでたから更衣室まで気が回らなかった」

 

「俺も同じく~」

 

皆守の言葉にやっちーがいう。

 

「ごめん、あたし劇のスタートに頭がいっぱいで翔チャンが倒れてるのみただけなんだよね」

 

「私はH.A.N.T.をお借りするために入りましたが......翔さんとお話してたので窓には気づきませんでした」

 

「拙者もだ。写メをとってもらうのを見ていたゆえな」

 

「私も更衣室に10分いないといけないから時計ばかりみていたわ。あとは江見さんと話していたから」

 

「下手したら最初から開いてた可能性あるよね......夕薙どう?覚えてる?」

 

「うーむ、どうだったかな。窓はしまっていたけど、鍵までかかっていたかと言われるとな......」

 

「だよね、オレも台詞の暗記に必死でそこまで覚えてなかったというか......」

 

「しかし勿体ないことをしたな、翔。せっかく犯行動機の物証まで用意していたのに無駄になるとは」

 

「!」

 

夕薙はにやにやしている。

 

「......そうなんだよ......大和のいう通りだよ。オレの番無くなったのは正直ラッキーだけど、これだけはもったいなかったな......。九ちゃんに渡しとけばよかった」

 

「えっ、物証まで準備してたのかよ、翔チャン!一番嫌がってたのに!あーまじで残念すぎる......!なになに、なんの証拠?もったいないから見せてくれよ」

 

「そんなにいうならお披露目しようかな、ちょっと待ってて」

 

私は更衣室に入った。葉佩も後ろからついてくる。ちら、と窓を見ると鍵はかかっていないようだ。やはり初めから空いていた可能性が高いな。つまり、ずっと窓の向こうに私を襲撃した誰かが潜んでいたということになる。ちょっと怖くなった。私はいったい何で殴られたんだろうか?

 

カバンだらけの中からいつものカバンを引っ張りだそうとした私は手を止めた。

 

「どったの、翔チャン」

 

「チャックが違うとこに止まってる」

 

「なっ?!」

 

「待って待って待って、ちょっとまじで怖いんだけど!マジでヤバいって九ちゃん」

 

「カバンかして、翔チャン。一応、教室で開けよう」

 

「そーだな、うん。やっば、鳥肌たった」

 

私と葉佩はあわてて更衣室をでた。事情を説明する葉佩にみんなの表情が強ばるのがわかる。葉佩は一応H.A.N.T.を起動してスキャンしてくれたが不審なものは入っていないようだ。

 

「じゃ、あけてみる」

 

「気をつけろよ」

 

「俺やろうか?」

 

「いや、大丈夫」

 

私はカバンをあけた。やっぱり中身はぐちゃぐちゃになっている。なにか探していたのだろうと伺わせる。私はひとつひとつ出していった。そのうち。あるものがなくなっていることに気付いて、だんだん恐怖心が薄れてくる。

 

「ない......証拠がない......瑞麗先生から借りてた犯行動機」

 

その言葉に察したらしい夕薙があー......と言葉を濁す。

 

「えっ、なにがないの?」

 

「マジでやばいやつ証拠にしてたんじゃないだろうな?」

 

「まあ本人からしたら、死活問題じゃないかなあ」

 

「え、なんで翔チャン笑ってるの?」

 

「いや、うん、このカバンの犯人だけはわかったからね。ついでに窓は最初からあいてたんだろうなって」

 

「えっ、なんでわかっちゃうの!?」

 

「いやー、だってさ」

 

私は携帯の画像をみせた。

 

「一応私も瑞麗先生に証拠として出したやつ残ってるんだけど。これだよ」

 

携帯を覗き込んだ男性陣が固まる。そこには私しか居ないはずの男湯の窓の向こう側に映り込むすどりん。あるいは宇宙刑事の姿があった。どちらもやたら高そうなカメラを構えている。

 

「オレが持ってたのは、それだけじゃないよ。被害者の写真もだ。名誉のためにいうけど、封筒からは1回も出してないからね」

 

「俺が取りに行ったのはそういうことだ」

 

それは男子の隠し撮りだった。撮影は鴉室洋介、提供はすどりん。可哀想だから買ってる子達に言及する気はないけど、きっと文学部あたりに需要があるやつ。

 

「俺が確認した限り、毎日ポエムが届いてるやつらは大体被害者だと思っていいぞ」

 

「すどりんメモっていうイケメンメモ書いてるっていってたけど、もしかして......」

 

「あーうん、あの時から女子の盗撮はやめたけど男子は言われてないしってやつだね」

 

「許せない......初めから翔チャンが告発するの知ってて止めるために窓開けてたんだ!!」

 

「えっ、すどりん来てたの?」

 

「うん。ほら、B組がお化け屋敷で鏡使うからって借りていったでしょ?」

 

「あー、そういえば」

 

「翔チャン、台詞覚えるのに必死だったもんね」

 

「やられた......まさかそこまでやるとは思わなかったよ。やっちーにお仕置きされてたから無駄な抵抗はしないかとばかり」

 

はあ、とため息をついた私の肩を叩く手がある。

 

「安心しろ、翔ちゃんの仇はとってやる」

 

「さあて、すどりんはどこかな~?」

 

「まてまてお前ら、窓を開けたか聞きに行くだけだろ?ちゃんと証拠手にしてからにしろよ?録音とか」

 

「わかってるって、安心してよ!」

 

「ならいいが」

 

すどりん、逃げてー!超逃げてー!といいたいところだが、瑞麗先生通して再三やめろと宇宙刑事たちに警告はしたのにガン無視されたから今回告発しようと思ってたわけでして。私は止める気など微塵もなかったのだった。

 

なお、1時間後に窓をあけたことを自供する録音を聞いた私は、《墓地》の方で聞こえた断末魔の正体を知ることになるのだった。



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ウィークエンドシャッフル7

早いもので、もう3時を回っている。全てのメニューが売り切れたために3のcの探偵喫茶は早めの閉店となったのだった。

 

「翔さんて、卒業式のあとはどこに行くのかわからないのですよね?」

 

「うん、そうだね」

 

「つまり、この連絡先が唯一の繋がりというわけですね」

 

「それは月魅たちも同じじゃない?」

 

「そうですね......でも、九龍さんもそうですが日本ですらないところにいるとなると距離を感じてしまいますね。心理的な問題でしょうか」

 

月魅はいう。

 

「この學園に来てよかったと思っています。あなたや八千穂さん、九龍さんに会えましたから。ただ、もっと早く会えていたらとも思います。もうイベントらしいイベントはなにもないですしね」

 

「思い出か......」

 

「はい」

 

月魅はうなずいた。

 

小学校、中学校と誰かと親しい関係になるたび、自分が少しずつ取り替えられていくような気分を味わってきたと月魅はいう。相手の思考や、相手の趣味、相手の言動がいつのまにか自分のそれに取って代わり、もともとそういう自分であったかのように振る舞っていることに気付くたび、いつも、ぞっとした。

 

やめようとしても、やめられなかった。おそらく、振る舞っている、というような生易しいものではなかったのだろう。 皆、土に染み込んだ養分のように、月魅の根を通して、深いところに入り込んできた。

 

新しい誰かと付き合うたび、月魅は植え替えられ、以前の土の養分はすっかり消えた。

 

それを証明するかのように、月魅は過去に付き合ってきた友達と過ごした日々を、ほとんど思い出せないのである。

 

また不思議なことに、月魅と付き合う友達は皆、進んで月魅の土になりたがった。

 

そして最後は必ず、その土のせいで根腐れを起こしかけていると感じた月魅が慌てて鉢を割り、根っこを無理やり引き抜いてきたのだった。 土が悪いのか、そもそも根に問題があるのか。 わからなかったから、この學園にやってきた。

 

八千穂たちと知り合ったとき、いよいよ自分がすべて取り替えられ、あとかたもなくなるのだ、ということを考えなかったわけではない。でも、そうはならなかった。

 

「なんとなくなのですが、中学生くらいまでは毎日仲良くしてるのが友達だと思いがちでした。だから、私には重荷だったのかもしれません。こちらに来てから1年以上連絡を取ってなくても気軽に声をかけられるのが友達だという事に気付きました。だからほっとしたのかもしれません」

 

「あー、みんな話が合う人を重視するけど、実は大事なのは沈黙が合う人ってやつだね」

 

「沈黙ですか」

 

「特に長く付き合うとこの沈黙っていう間(ま)が心地よい相手っていうのが大事ってことだよ」

 

「黙っていても、通じ合える人?」

 

「うん、だいたいそんな感じ」

 

「私はなんとなくですが、八千穂さんやあなたとは1年以上会えなくても、会ったらすぐに今みたいに話すことができる予感があります」

 

「奇遇だね、月魅。オレもだよ」

 

「でも、寂しいものは寂しいです」

 

「あはは」

 

「だから思い出づくりに回りましょう、翔さん」

 

真里野と一緒に行きなよ、と発破をかけようとした私だったが逆効果だったようだ。ごめん真里野と心の中で謝りつつ、私は月魅と一緒に最初で最後の學園祭に繰り出したのだった。

 

中庭で行われている露店を回ったり、天香學園の歴史が書かれたパネル展示をみて、人気がないことをいいことにあーだこーだ言い合ってるうちに白熱したり。1年生2年生のクラスは輪投げや射的、そういったものが多く、2時をまわっていたこともあり人もまばらで満遍なく回ることが出来た。

 

「ネイルやりませんか、翔さん」

 

「え、ネイル?」

 

「はい。椎名さんにヒエログリフの写しを渡してあるので、お願いすれば書いてもらえると思います。無理やり50音に当てはめたのですが」

 

看板を見るとつや出しで100円、カラーで200円、シールやイラストで500円とある。ずいぶんとリーズナブルで良心的な価格設定だ。

 

「あら~、七瀬さんに江見さんではありませんかァ。ネイルサロンに御用ですの?」

 

「まだやってますか?」

 

「はい~、大丈夫です~」

 

「あれ、双樹さんいないんだ?」

 

「咲重お姉様なら《生徒会》の呼び出しで行ってしまわれましたわ~。お客様もないですし~、取手クンとお話しておりましたの~」

 

「やあ......」

 

「なんだかお疲れだね、取手」

 

「ううん、いいんだ。僕が接客をやりたいって手を挙げたからね......。まさか双樹さんがいなくなった途端に、男子がいなくなるとは思わなかったけど」

 

「そうなんですの~。お客様はまだいらっしゃるのに、みなさん咲重お姉様のところに行ってしまわれて~。取手クンがいなかったら、男手がなくて大変になるところでしたの~」

 

「そっか、よかったじゃん取手。男見せられたね」

 

「......そうかな?」

 

「はいですの~。取手クン、とても頼りになりましたわァ」

 

くすくす笑うリカに取手は照れたように笑った。

 

「七瀬さんから先になさいますゥ?」

 

「あ、はい。お願いします」

 

「なにになさいますの?」

 

「えーっと」

 

月魅が悩み始めたのを後ろで見ながら私はクリアファイルに挟まれた見本に目を通す。

 

「取手、ネイルって校則違反だっけ?」

 

「え?うーん、椎名さんたちがしてるし、今日やってもらった子達みんな取る気ないみたいだから、大丈夫じゃないかな」

 

「だよね......ならいっかな。私もやってもらおう」

 

「えっ、君がかい?」

 

「さすがに全部は勇気ないから1本だけね」

 

「でしたらそこの看板を見てください~。ネイルをする指によって~、意味がかわるんですゥ」

 

私は言われるがままに教卓にのっている看板をみた。

 

心を安定させたい時は右手の薬指。インスピレーションが欲しい。金運アップや邪気から守って欲しいときは、右手の中指。自分に自信を持ちたい時は、右手の小指。リーダーシップをとりたいときは右手の親指。

 

目標を実現させたいときは左手の親指。積極的になりたいときは、左手の人差し指。人間関係を改善させたい。家内安全、商売繁盛は左手の中指。願いをかなえたい。新しい恋愛、子宝祈願は、左手の小指。

 

「右手の薬指か、中指か、左手の小指......どれにしよう。うーんやっぱ心の安定かな。右手の薬指で」

 

「ヒエログリフも選んでくださいね~」

 

リカに言われて私はなんのマークにするか考え始めたのだった。

 

「......あれ?」

 

貴重な平和の終わりを噛み締めながら男子寮に帰った。私の部屋の前に化人避けの香りにつられて群がる虫たちがいる。いつものようにポストをあけた。いつもの白い封筒がない。代わりにあったのは、見たことがないデザインのブローチだった。

 

「......なにこれ」

 

そこには見た事もない紋章が刻まれている。私でも知っているような旧神のマークとしてお馴染みのエルダーサインではない。ハスターの紋章としてお馴染みの黄色の刻印でもない。なんだこれ。おそるおそる触って見るが特に違和感はない。

 

「......」

 

私は扉を閉めて鍵とチェーンをかける。そしておしいれに隠しているH.A.N.T.を起動した。

 

「......解析不能って、なにそれ。怖いんですけど」

 

ノーデータと出てしまった画面に沈黙するしかない。これってどういう意味なんだろうか、江見睡院の意識があるときに私に送られたなら何らかの意味があると思うのだが。

 

「......とりあえず専門家に送ってみよう」

 

写メをとって五十鈴さんに送る。こうして私の夜は更けていったのだった。

 



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月光のさす場所1

日が落ちるにつれてどんどん下り坂になっていった空は、今や雨を含んだ薄墨色となっていた。そこにどんどん黒い雲が増えていく。私がBARに辿り着くころには、雲が湿気の重みに耐え切れなくなって雨を落とし始めた。追い立てられるように、私は営業中の看板がかかったドアをあける。

 

照明が控えめなため、BAR九龍(カオルーン)の店内は基本的に適度に暗い。揺らめくアンティークの明かりがよりいっそうムードを引き立てる。

 

全寮制の高校敷地内にあるため、生徒や教師といった學園関係者しか利用しないためか、ここはバーテンダーにしてマスターの千貫さんがひとりで経営していた。

 

バックバーのウィスキーなどのボトルの前に、1つ1つのボトルの名前と価格を自然に表示してある。必要のないものだと異論を唱える人もいるだろうが、ウィスキー初心者にとっては非常にありがたいし、第一、お客さんのすべてがウィスキー飲みやマニアというわけではない。

 

私はいいなあという顔をして見ていることしか出来ないのだが。江見翔の体が20歳だと判明したところで、偽造された戸籍からなにからすべて18となっているのだ。私が酒が許されることは無い。

 

薄暗がりのなか緊密で濃い夜の空気に満ちて、少ない客は緊密にはりめぐらされた雰囲気をほどかないように、そっと小声で話し合っていた。しかし、次第に雨足が強くなってきたからか、帰り支度をし始めている。

 

扉についている呼び鈴が私の来訪を知らせる。

 

「こんばんは」

 

「いらっしゃいませ」

 

すっかりここの常連となってしまっている私だが、生徒にはミルクかミネラルウォーターしか出してもらえないので、目的はマスターの話だ。カウンターに座ると一番隅っこの席で手を振る人がいる。私はそっちに向かい、すぐ横に座った。

 

「こんばんは、江見君」

 

「こんばんは、雛川先生」

 

「先生、今夜は忙しくなりそうなの。江見君もかしら?」

 

「オレは逆ですね。この2週間ずっと忙しかったからやっと休めます。たぶん、こー......皆守も」

 

「あらあら、そうだったの。なら、かわりに先生頑張っちゃおうかしら」

 

「頑張ってください。あいつも先生いたらすごいやる気になると思うし」

 

雛川先生はうれしそうに笑っている。どうやら私と皆守で蝶の迷宮を行けるところまで行った今、この2週間を取り戻すかのようにあらゆるバディに葉佩は声を掛けているようだった。やっちーが雛川先生と夜遊びしたいって希望出してたからだろう。H.A.N.T.の履歴をみたらクエストガチャをしまくっているようだから、依頼人からの好感度をはやく最高値にしたいのかもしれない。彼らなくしてハンターランキングの上位はありえないからである。

 

千貫さんは種々な酒を一つの器へ入れて蓋をして振っている。はじめは振っているがしまいには器に振られているような恰好をする。そのうち私たちとは違う席に向かった。あー、あれはプリンカレーをマミーズにいつも出前している先生じゃないか。

 

「それにしても雨が強くなってきたわね。風邪ひかないように気をつけてね、江見君」

 

「あいつに言ってあげてください。オレがいうより喜びますよ」

 

「まあ......江見君たら悪い子ね。そんなことまで気を回さなくてもいいのよ」

 

雛川先生は笑う。

 

ラウンジの大きな窓からは初秋の雨が見えた。雨はあいかわらず音もなく降りつづき、その奥の方に森の不穏な軋みが様々なメッセージをにじませているのが見えた。ラウンジには客の姿は殆んどなく、湿っぽい沈黙があたりを支配していた。

 

気づけば私達以外に店内には客の姿は殆んどなく、しんとした空気が長い時を経た木材や漆喰によくなじんでいた。何十年か前に流行ったようなジャズ・ピアノ・トリオの音楽が天井のスピーカーから小さく流れ、グラスの触れあう音や氷を割る音がときおりそれに混じった。

 

照明が暗いのでとても落ち着いた。手元が見えないくらいだった。店中がいつも、もう夕方なのにわざと明かりをつけずに待っているような様子だった。

 

「お水をどうぞ。ご注文は?」

 

千貫さんがさしだしたグラスの中では澄んだ水が氷の冷たい色に透けて、ゆっくりと溶けていた。私はそれを受け取り、口をつける。うす暗い店内と、靴音のように遠くから規則正しく寄せてくるピアノのメロディーが集中に拍車をかけた。

 

「マスターのお話が聞きたいです」

 

「いつもいつもありがとうございます。老いぼれの話でよろしければ......」

 

千貫さんは目を細めて笑った。

 

天井の低い店の造りも、ヴォリュームをしぼったジャズピアノも、水底に沈んでいるような心地よい倦怠を誘う。私は耳を傾けた。

 

「今夜はは11月21日、鎮魂祭の前の日ですから、今夜は趣向を変えて、このような話はいかがでしょうか」

 

「ちんこんさい......みたましずめのたむり、だったかしら」

 

「さすがは雛川先生、ご存知でしたか。鎮魂祭とは、宮中で新嘗祭の前日に天皇の鎮魂を行う儀式で、宮中三殿に近い綾綺殿にて行われています。一般的ではないものの、宮中と同日に行われている石上神宮や、彌彦神社や物部神社など、各地の神社でも行われる例もあるとか」

 

私は注意深く千貫さんを見てみるが、いつものおぼっちゃまの話と何ら変わらないテンションである。さすがだ。

 

「天皇に対して行う場合には《みたましずめ》あるいは《みたまふり》と言います。鎮魂祭はかつては旧暦11月の2度目の寅の日に行われていました。太陽暦導入後は11月22日、明日ですね」

 

「まあ、そうなんですか」

 

「この學園では、この敷地を提供している阿門一族の館に生徒の皆さんをお招きして、交流をはかる《夜会》が行われる日でもあります」

 

「聞いたことがあります。教師は参加出来ないそうだけど、メールが届くんですよね?」

 

「はい、そのように生徒の皆様からはお伺いしています。明日の登校時に同時にメールが送られてくるとか」

 

「楽しそうね。江見君もメールがきたら、先生の分まで楽しんできてね」

 

「来たらいいんですけどね......。オレ、《生徒会長》と一度ゆっくり話してみたいんです。一回だけ、廊下でちょっと話したんだけど、今思えばちょっといいすぎたなって」

 

「阿門帝等君と?喧嘩をしてしまったの?」

 

「ちょっとイライラしてて......阿門は心配してくれたんですけど、あの時のオレは素直に受け止められるほど余裕がなかったんですよ。悪いことしちゃったな」

 

「まあ......それは謝らなくてはいけないわね」

 

「そうはいっても、今の《生徒会》、學園祭のことで忙しそうだから近づけないんですよね。頻繁に役員会議してるみたいだし。だから阿門の実家だって聞いてるから、もしメール来たら謝りに行きたいんですけど......」

 

私は水を飲んだ。喉が渇いていけない。

 

「ふふ、さようでございますか。メールが届くといいですね」

 

「来なかったら来なかったで待ちますよ。また会おうっていってたし、落ち着いたらまた会えるだろうし」

 

「謝るという行為は大人になっても難しいものです。必ず機会は訪れますよ」

 

「あはは、ありがとうございます」

 

「さて、それでは話を戻しましょうか。ところで、11月22日になぜ鎮魂祭が行なわれるか、お2人はご存知ですかな?」

 

「え?えーっと、そうだわ。......新嘗祭と関係があるとか?」

 

「冬至だからですか?」

 

「どちらも正解です。さすがですね。この日は太陽の活力が最も弱くなる冬至の時期であり、太陽神アマテラスの子孫であるとされる天皇の魂の活力を高めるために行われた儀式と考えられています。また、新嘗祭という重大な祭事に臨む天皇の霊を強化する祭でもあるわけですね」

 

千貫さんは具体的に鎮魂の儀についての説明を始めた。

 

まずは、宇気槽(うきふね)と呼ばれる箱を伏せ、その上に女官が乗って桙で宇気槽の底を10回突く「宇気槽の儀」が行われる。これは日本神話の岩戸隠れの場面において天鈿女命が槽に乗って踊ったという伝承に基づくとされている。かつてこの儀は、天鈿女命の後裔である猿女君の女性が行っており、「猿女の鎮魂」とも呼ばれていた。

 

つぎに、天皇の衣を左右に10回振る魂振の儀が行われる。これは饒速日命が天津神より下された十種の神宝を用いた呪法に由来するとされる。『先代旧事本紀』には、饒速日命の子の宇摩志麻治命が十種の神宝を使って神武天皇の心身の安鎮を祈ったとの記述があり、「所謂(いはゆる)御鎮魂祭は此よりして始(おこ)れり」としている。

 

「神武天皇が始まりなんですね......」

 

しみじみと呟く雛川先生に私はうなずく。それは歴史のロマンに思いを耽けるわけではなく、この世界における神武天皇の治世はいわゆる《天御子》の連中の統治の全盛期なのだと知るがゆえの沈黙だった。

 

「この學園の《夜会》も鎮魂祭が始まりだとするなら、なかなかロマンチックですね。そうは思わない?江見君」

 

「そうですね」

 

龍脈的に見ても今の時期に鎮魂祭をするのは合理的だろう。そもそも龍脈とは地中を流れる気のルートのことだ。大地の気は山の尾根伝いに流れると考えられており、その流れが龍のように見えることから「龍脈」と呼ばれる。風水では、この「龍脈」の気が噴き出すポイントである「龍穴」に住むと、一族は永きに渡って繁栄できると考えられている。風水では、「龍穴」に良い気が多く集まるため、ここに住むと一族は永きに渡って繁栄できると考えられている。

 

龍脈は自然の河川同様、何かしらの地理的な要因でその位置を変えることがあるため、たとえ一度正確に把握できたとしても、歳月が過ぎると同じ場所にあるとは限らないとされる。

 

この龍脈の活性化は18年周期でやってくる。1980年から1981年にかけて、次は1998年から1999年にかけて。だが双龍の関係で2004年、つまり今だ。このたびに《遺跡》の封印が弱まり、ファントムが出現するのだとしたら、江見睡院はなんなのだろう。

 

あーやだやだ思考が飛躍しすぎている。私は考えを一旦冷やすために水を飲み干したのだった。

 

「ところでそのブローチ素敵ね、どうしたの?」

 

「これですか?もらったんです。大切な人から」

 

「まあ」

 

葉佩からもらった髪留めをしている雛川先生はニコニコと笑う。五十鈴さんによる鑑定だとものすごく古いアンティークを後世でブローチにしたものらしい。これ自体に邪神の気配は感じないが、ものすごく魔力のつまったものだという。

 

世界のどこにもない鉱物出できているというブローチ、持っている分には無害でむしろ私には恩恵があるらしい。

イスの偉大なる種族から借りている銃にセットすると破邪属性がつくから、ご利益があるのは間違いない。具体的には装備して《遺跡》に潜らないとわからないらしいが。

 

なので安全は保証されたからつけてるわけである。なにも起こらないといいなあ。

 



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月光のさす場所2

受信日:2004年11月22日

送信者:転送メール

件名:FW:夜会への御招待

天香サーバに届いた阿門執事さんからのメールを転送します。

 

本日午後8時より、阿門邸にて恒例の夜会を開催致します。この招待状を受け取った生徒諸君の参加を心よりお待ちしております。

 

阿門執事という名前に私は目が点になった。

 

(......やっば、メルマガみたいに定例文を一斉送信してるんだと思ってたよ。これ......本人に直談判するみたいな形になっちゃった)

 

変な笑いが込み上げてきた私は携帯を握りしめた。

 

「どったの、翔チャン」

 

覗き込んでくる葉佩に私はメールをみせた。

 

「あ、俺んとこに来てるのと同じだな」

 

「..................?」

 

皆守は自分のところにきたメールと私の携帯画面を見比べている。そして眉を寄せた。うん、おかしいよね、1時間早いもんね。

 

「わッ、翔クンにも九チャンにも来たの~?すごいよッ!!2人は知らないかもしれないけど、夜会って毎年この日に《生徒会長》主催で行なわれるパーティなんだよ!その招待状には選ばれた人にしかこないっていうし、夜会は日付が変わるまで行なわれるから、参加者だけは大手を降って夜更かしできるんだよッ!」

 

やっちーは嬉しそうだ。1年生の頃から憧れていたという。みんなで参加できるかもしれないとわかって喜んでいる。

 

「あれれ~?おっかしいな~?夜会って9時からだけど1時間早いんじゃね?翔チャンだけ」

 

「えっ、あ、ほんとだ~。なんでだろう?」

 

「............なんか心当たりあるのか?」

 

「うん、たぶんだけどね。昨日もカオルーンにマスターの話聞きにいったんだけどさ、そのせいかも。《生徒会長》と一回話がしたいって雛川先生と世間話をね」

 

皆守は私を睨んだ。

 

「翔チャン、お前な。わざと話しただろ」

 

「もしかしたら、とは思ってたよ。オレのこと《生徒会長》はよく知ってるみたいだし。マミーズの手伝いもしてるマスターなら半年以上通いつめてるからそれなりに親しくはなってるしね。まさかここまで直球でお膳立てされるとは思わなかったけどさ」

 

「えーっとどういうこと?」

 

「たぶん、甲太郎はこういいたいんだよ、やっちー。翔チャンのやつ、このメールの差出人が千貫さんだって知ってるのにわざと《生徒会長》と話をしてみたいっていったんだな。なんて迂闊なんだ。學園祭の襲撃犯だってわかってないのに、ひとりでのこのこ行くなんて馬鹿なんじゃないかこいつ」

 

「......うるせえよ、阿呆」

 

「素直じゃないんだからも~ッ!心配だからついて行ってやろうか?っていえばいいだろ~、いつもみたいに」

 

「いつもってなんだよ、いつもって」

 

「図星だからってす~ぐ暴力振るうんだからも~ッ!いいかげん慣れてきたぞ!甲太郎っていつもそうだけどさ~、アグレッシブな好意をかえすほど、むきになって否定してくれるよな。ついでにいうなら翔チャンみたいにおざなりに返すとそれもムカつくのかアピールしてくるんだ。つまりそういうことだよ」

 

「なるほど~、九チャン皆守クンのことよく見てるね~」

 

「それだけ一緒にいるからな~ッ」

 

「へぇ?ならこいつはどうだ?」

 

「───────ッ!!!」

 

葉佩はぶわっと汗が吹き出した。

 

「ちょっ、やりすぎだって!急所はやめてくれよ、甲太郎ッ!ひくわ............さすがにひくわ......」

 

さすがに葉佩も避けるのに集中したためかおちゃらけた顔が真顔になる。ふん、と不機嫌そうに皆守は鼻を鳴らした。

 

「ありえないんだよ......俺が機嫌悪いのはそもそも、お前のせいなんだよ、九龍」

 

皆守は恨みつらみを吐き出すようにいうのだ。

 

「朝っぱらからどんどんドンドン叩きやがって、うるせえなァ。そもそもだ。なんだって俺はこんな時間にお前らと並んで登校してると思ってんだよ。いつもだったらまだまだ余裕で寝てる時間だってのに!俺の必要な睡眠時間返せよ」

 

「仕方ないだろ~!雛ちゃん先生から甲太郎の遅刻をとめないと単位が上げられないって言われたんだから~!」

 

「お前には関係ないだろうが......なんでお前の方が張り切ってんだよ」

 

「雛ちゃん先生に言われちゃ断れないって。馬鹿なの?」

 

「おい」

 

「それに~、みんなで卒業したいんだよ、俺はッ!そこに誰一人かけることは許されないッ!一人だけ在校生とか嫌だろ、甲太郎!」

 

「......はぁ?まったく、くだらないこというんじゃない。お前が来てから俺の生活は乱されすぎなんだよ......。やたら出欠にうるさい担任とか、夜中に妙な格好してウキウキ気分でぼちに出かけていく不審者とか......」

 

「えー、俺は関係なくない?最近呼んでないだろ?」

 

「大ありだ、馬鹿野郎。前まで翔チャンと連日駆り出してたのはどこのどいつだ。その前は真里野とだ。なんで俺ばっか固定なんだよ。おかげで目をつけられない程度にやってた勉強すらできなかった余波を今もろに食らってんだぞ」

 

「あっ......皆守クン......まさか......」

 

「中間テストのとき、点数見せてくれなかったのってまさか......」

 

「最近、どーもH.A.N.T.の能力補正に誤作動多くて、翔チャンとじゃないと探索上手くいかないのそのせい?」

 

「雛川先生が哀れみの目で甲ちゃん見てたのもしかしてそのせいなのか?」

 

「..................」

 

皆守は無言で葉佩を蹴飛ばそうとした。

 

「避けるなよ」

 

「避けるに決まってんだろ、甲太郎の蹴りいてーんだもん!だいたいさ、それって俺だけじゃないだろ?最近呼び出し多いのはどこのどいつだよ」

 

「ちッ」

 

このタイミングでまた着信が来たので、みんな一瞬固まった。必ず出席するように、とある。

 

「あれ?強制参加だっけ?」

 

「......泊まれ、か」

 

呟くなり皆守は携帯を閉じてしまった。

 

「......ホントに行くのか?お前ら」

 

意外だな、皆守のことだからここまで怪しかったらさすがについてくるもんだと思ったのに。最近、《生徒会役員》の呼び出しが頻繁にあるからなにかあるんだろうと思ってたんだけど。葉佩や私の監視より大事なことがあるんだろうか。《墓場》の監視か待機か指示されてるんだろうな。いつもなら嫌そうな顔をしてメールすらみないのに、今回はメールだけは確認してるし。千貫さんから直々にメールがきているのかもしれない。

 

「翔チャン、俺もついていってやろうか?1人じゃさすがにまずくない?」

 

「大丈夫だとは思うんだけどなァ。《生徒会》だって私にこのタイミングで危害は加えないでしょ。學園祭の襲撃は自分たちだって誤解されかねないよ?でもなー......どうしよう、ものすごく不安になってきたよ、オレ」

 

「でも行かないとお迎えがくるんだろ?なんだこれ。なあなあ、甲太郎行く?」

 

「関係ないね。そもそも選ばれる基準てなんだって話だ。どうして《生徒会長》の家に泊まりに行かなきゃならない?」

 

「それはわかんないけどさ~」

 

學園祭が終わってから、皆守はなんだかんだと不機嫌なことが多い。九龍たちと話す分にはいつもの皆守に戻るんだけど、メールで呼び出しが来る度にいなくなり、そのたびに苛立っている。そこを葉佩にちゃかされて喧嘩になって悪ふざけの応酬になっていつの間にか笑っているのだ。

 

まあ、これだけクトゥルフ神話に侵食された《遺跡》の墓守だ、私達の知らない気苦労があるのかもしれない。お疲れ様である。

 

「あっ、そろそろ急ごうよ、みんなッ!遅刻しちゃうよ!」

 

そう私たちにいったやっちーがトトにぶつかった。

 

「ごッ、ごめんなさい、大丈夫?」

 

「イエ......」

 

「馬鹿、道の真ん中ではしゃいでるからだ」

 

「だって......、あの、ホントにごめんね、大丈夫?怪我してない?」

 

「ハイ......。ボク、大丈夫、デス。ソレデハ、オ先二......」

 

「あー、待って待って、カード落としてる落としてる」

 

「ェ?」

 

葉佩はなにやらかき集め始めた。

 

「ァッ......アリガト、ゴザマス......」

 

それはタロットのカードだった。私たちはあわてて集めてやる。

 

「とりあえず拾ったけど......」

 

「これで全部か?」

 

「揃ってる?」

 

「わーわー、ほんとごめんね!無くしてたらどうしよう!?」

 

「エエト......大丈夫デス......ホントにアリガト、デス」

 

「えっと、確か君はトトクンだっけ?

3年A組の、エジプトの留学生の......」

 

「ハ、ハイ......ソデス」

 

「エジプト?」

 

あ、葉佩が反応した。

 

「へー、奇遇だなァ」

 

「?」

 

「俺、この學園に来るまでエジプトにいたんだよ」

 

「......ホントデスカ?」

 

「そうそう、君くらいの息子が日本に留学してる人にお世話になってさ~。すごい偶然だなァ」

 

「............ソウデスカ」

 

トトはどこか嬉しそうだ。

 

「ボク、トト、イイマス。タロット研究会所属ヤッテマス。××デヤテマス。デキタラキヤガッテクダサイ」

 

「おっけー、昼休みにでも行かせてもらうよ。俺、葉佩九龍っていうんだ、よろしくな」

 

「......葉佩サン......」

 

トトは一瞬呆気にとられた顔をした。僅かに表情が曇る。しかし、すぐに首をふって笑顔になった。

 

「ココデアッタガ百年目デス。楽シミニシテマス」

 

トトはぺこりとお辞儀をして去っていった。

 

トトは最後の《生徒会執行委員》である。異国ゆえの孤独に苦しむエジプトからの留学生で、微妙におかしな日本語を使う。さっきの会話のとおり、葉佩が前の任務で同行していたサラーという老人はトトの父親だ。磁力を使い砂鉄を操る能力を持つ。

 

両手を何時も合掌している為か生粋のエジプト人であるにも関わらず学生服の上から着た羽織がエジプトの民族衣装と思われる物であろうと、どうしても「アジア系の外国人で更に仏教徒?」と誤解されそうな容姿をしている。

 

ちなみにトトの信仰している宗教に関しては細かく語られていないため、どこの信者かは不明だ。

 

本来は「明るい性格」だがスッカリ陰鬱になっているから、葉佩の会話は嬉しかったに違いない。《転校生》だと気づいて絶望した顔をしていたけど無理もないと思う。これから敵対関係になるのだから。

 

「あっ、やばいよみんな!もうこんな時間ッ!急がなきゃ遅刻しちゃう!」

 

やっちーの声に我に返った私達はあわてて校舎に向かったのだった。

 



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月光のさす場所3

皆守はアロマパイプに煙草のような物を挿して火を付け、超至近距離で嗅いでいる。たまに吸っているから煙草みたいに見えるが、いわば咥えるタイプのお香だ。

 

皆守の愛用しているアロマパイプはショットガンという煙草のヤニ除去装置に似ていた。ショットガンと比べて皆守のやつはデザインがかなり凝っていて、シルバーアクセみたいに大きい。専門職の人間が作らないといけないレベルだろうから、買うとしたらいうまでもなく高いやつだ。意外と金持ちだな、あるいは自作したならかなり手先が器用だ。カレーにあれだけ凝るんだからありえない話ではない。市販しているショットガンを使ってもいいわけだが、デザインがかなりダサい。だからアロマパイプを持ってるんだろう。

 

ちなみにショットガンの役目はフィルターだ。ニコチンとタールを濾過して肺に吸い込む量を軽減し、葉が口の中に入ってしまうのを防ぐ。中が開けられ、フィルターのカートリッジが入っていて、何本か吸うたび中のカートリッジを差し替える。

 

皆守が煙草ではないと主張しているから、あのパイプ煙草にはタールでもニコチンでもないアロマの煙がかなり吸着しているんだろう。

 

皆守が吸っているアロマはいうまでもなくラベンダーだ。シソ科の植物で学名はlavo(洗う)やliveo(青みがかった鉛色)が由来だと言われている。

 

アロマテラピーでのラベンダーは葉と花から抽出した香りの成分(これを精油という)を使用する。青い小瓶がラベンダーの「精油」が5ミリ900円前後。一回に使う精油の量はそんなに多くないのでこの価格と量でも結構長持ちする。天然のもので1年ほどで使い切り。

 

効果は優れた心身共の鎮静作用、安眠の為に使われ、体には皮膚の炎症やかゆみに効果あり。自律神経のバランスを取り、体全体の免疫作用を上げるといわれている。消毒殺菌、抗ウィルス作用、火傷、不快なにおいを取り去る。

 

基本の使い方はオイルを水に希釈して風呂にいれたり、嗅いだりするんだが、合成香料だから直接吸うとまずい。

 

だから皆守曰く、アロマスティックは特別な燃焼財にスティックのオイルを染込ませてシガーもどきを精製している製品なのだという。意外と手間がかかる。

 

しかも皆守はかなり高い濃度でラベンダーを摂取していることになる。濃度が高ければその分強い効果が在るというわけでもなく自分が「心地いい」と思うくらいが一番効果を発揮する。男性は女性と比べて嗅覚が鈍いので、それも要因かとも思うが、皆守の場合は心理的な要因が大きいからなんともいえない。

 

1回試してみるかと言われて渡されたことがあったのだが、皆守は慣れてるからこそ美味いというのだろう。私は煙草の要領で吸ってしまったせいでラベンダーが利きすぎた。少々舌がピリピリした。メントールとは違うスースー感がかなり残ってしまい、笑われた。

 

だから、それだけ大事なはずの皆守のアロマパイプが教室の机においてあるのをみたとき、忘れたかポケットから落ちたのを誰かが拾ったのだろうと思ったのだ。

 

「甲ちゃん、アロマ忘れてるよ」

 

「......あァ、わるい」

 

精神安定剤を忘れるなんて、相当《生徒会》のことで頭がいっぱいなんだなと思ったのだが、皆守はポケットに入れてしまった。あれ、吸わないんだろうか?と不思議に思ってみていたら、ばつ悪そうに目をそらされた。

 

「最近、そういう気分じゃないんだよ」

 

葉佩たちの存在がそれだけでかいのか?いいことだけど。

 

1回スルーしたはいいのだが、次の休み時間わざわざカバンにアロマパイプをケースに入れてしまっていたのをみた私は、わざと置いてきていた事実に驚いた。たしかに學園祭が終わってから、吸ってるところ見ないなあと思っていたが平気になっできているんだろうか。

 

最近イライラしていることが増えているのだから、アロマを手放せるような状況じゃないのになんで私は能天気に構えていたのだろうか。忘れたら授業サボってでも取りに帰るくらい依存しているというのに。

 

「なーなー、翔ちゃん。甲太郎知らない?」

 

「甲ちゃん?先行ったみたいだよ」

 

「まじか、もー。いちいちトイレ行くのに2階まで降りなくてもいいだろ」

 

「......?」

 

「なんかさ~、甲太郎、最近変じゃないか?イライラしてるわりに、頑なにアロマ吸わないし、ラベンダー自体避けてるような気がするんだよ」

 

「えっ、そんなに?たしかにイライラしてるとは思ってたけどさ」

 

「だろ?実はここだけの話、アロマ吸おうとしてむせたり、気分悪くなってきたのかこっちが心配になるくらい咳き込んだりしてるんだよ。俺が背中さすってるうちに気にしたのか吸わなくなってきてさ」

 

「えーっ!?」

 

「あんま心配かけたくないから黙ってろって言われてたんだけど、さすがにさ~......?」

 

「不味くないかな、それ。甲ちゃん、かなりアロマを精神安定剤代わりにしてる印象あったんだけど」

 

「精神安定剤に吐き気がするって相当まずいよな......でも話してくれないんだよ」

 

はあ、と葉佩は心配そうな顔をしたまま、ため息をついた。

 

「ラベンダーに思い入れがあるみたいなのに、なにがあったんだろうな~?」

 

「ほんとにね......なんで気づかなかったかな、私。うかつだった」

 

今の皆守はかなりまずい状況にいる気がしてならない。彼の精神安定剤たるラベンダーは、起源となる記憶がない状態だからこそ有効だ。もともと《黒い砂》は揺さぶりをかけるだけで暴れだすレベルで危ういものであり、万能薬ではない。それを思い出すような強烈ななにかがあれば、中途半端な形ではあるが思い出してしまう可能性があった。

 

目の前でラベンダーの香水を愛用していた女教師、おそらく皆守が母を殺したヒノカグツチ並の罪悪感を抱くにいたるくらい大切な存在だった人、がハサミで自殺したというトラウマをだ。

 

もともと、香りと記憶は強烈に結びついているものなのだ。鼻に入ってきた香りは、鼻の内部から脳の下部に沿ってある嗅球で最初に処理される。嗅球は、感情と記憶に強く関与している脳の2つの領域、「へんとう体」と「海馬」と直接つながっている。

 

奇妙なことに、視覚、聴覚(音)、触覚の情報は、脳のこの領域を通っていない。だから、おそらく嗅覚は他の感覚よりも、感情と記憶を呼び起こしやすくなっている。

 

実は嗅覚は視覚や聴覚とは違い、扁桃体と海馬という記憶と感情を処理する部位に接続されているため、記憶を呼び起こすトリガーになっている。

 

匂いから思い出される記憶は、概念的というよりも、より知覚的なもの。たくさんのことよりも特定の感覚を思い出すことが多い。

 

ゆえに、ある特定の匂いがそれにまつわる記憶を誘発する現象は、フランスの文豪マルセル・プルーストの名にちなみ「プルースト効果(プルースト現象)」として知られている。

 

この現象はもともとプルーストの代表作「失われた時を求めて」の文中において、主人公がマドレーヌを紅茶に浸し、その香りをきっかけとして幼年時代を思い出す、という描写を元にしているが、かつて文豪が描いた謎の現象は現在、徐々に科学的に解明されつつあるのだ。

 

例えばある神経科学者は脳の中において、視覚や嗅覚、味覚や聴覚といった情報がいかなる形で格納されているかを調査し、またある心理学者は嗅覚によって想起される記憶がより情動的であり、また他の感覚器によって想起されるいかなる記憶よりも正確であるという結果を明らかにしている。

 

嗅覚、そして脳の情動を操る部位には、特殊な関係があるのだ。嗅覚による脳の刺激は決してそれだけに留まるものではない。一度脳に入り込んだ嗅覚の刺激は、まるで触手のように脳の様々な部位へと刺激を送る。

 

つまり、たとえ直接的な記憶は《黒い砂》によりもやがかかっていたとしても、脳の構造上の関係でその時の感情までは完全には消せないのである。そこに揺さぶりをかけるような何かが學園祭のあと、あったのだとしたら。

 

「今日さ、夜会の前に探索行こうと思うよ、俺。甲太郎が心配だ。《遺跡》に潜らなくなってからおかしくなったし」

 

「そっか......わかった。気をつけてね」

 

「一緒に行けなくてごめん、翔ちゃん」

 

「なんか話聞けるといいね」

 

「うん」

 

「甲ちゃん、《夜会》には行かないっていってたけどさ、連れてきてくれよ」

 

「よっしゃ、任しといて」

 

葉佩はそういって更衣室に向かっていった。次の時間は体育なのだ。グラウンドで再開した皆守はいつもより機嫌がよかったので、私は少し安心したのだった。

 

 



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月光のさす場所4

昼休みになり、私は気になることがあって保健室に向かった。

 

「瑞麗先生なら、薬の在庫を取りにでかけたわ」

 

「あ、白岐さん。ごめん、起こした?」

 

「いいえ......目は覚めていたから」

 

「そっか、ならいいんだけどさ。白岐さん、体調悪いんだろ?寝てなくて大丈夫?」

 

「......どうして......いえ、なんでもないわ、ありがとう。八千穂さんがお見舞いにきてくれたから、おしゃべりしたら気分が紛れたわ」

 

「そっか、ならいいんだけど。今日は冬至だからね、無理しちゃダメだよ。人間太陽の光を浴びないと気分が塞ぎがちになるものだからね」

 

「......そう、ね......。ここのところ、曇りか雨だから、そのせいかしら......」

 

「一気に寒くなったからね」

 

「ええ......」

 

「それで、さっきはなんて?」

 

「......今日は体調が悪い人が多いみたいだわ。私のほかにも何人か......そう、あなたのお友達も休みに来たり、薬を貰いにきていたわ」

 

「えっ、誰?」

 

私は聞いて驚いた。《生徒会執行委員》だった生徒たちが体調不良を訴えているそうである。白岐さんは今日が《遺跡》の封印がもっとも薄くなる日だから、その要たる白岐さんが体調不良になるのもうなずけるが、《生徒会執行委員》までもが体調不良となると《黒い砂》にも関係があるのだろうか。

 

「みな、夢見が悪いのだといっていたわ。私も、夢を見たの」

 

「夢?」

 

「誰かが、私を呼んでいるの。暖かい光と深い深い闇、どちらからも聞こえてくる。私自身もまだよくわかっていないことを、あなたの方が知っている気がする。......あたっているのかしら?」

 

「その闇の声は私に似た声?」

 

「......ええ」

 

「金色の目をしている?」

 

「......いいえ、そこまではわからないわ」

 

「そっか......。それはたぶん、白岐さんが肉体じゃなく魂でその人を見るからそう見えるんだね。私の体、魂の遺伝子にはその闇が起源のなにかが刻まれているからね。私が1番近いから、そいつは私の形を借りて呼びかけてるんだ。悪いことは言わないから、光の方に耳を傾けるんだよ」

 

「......ふふ」

 

「どうしたの?」

 

「いえ......同じことをいうから」

 

「同じこと?」

 

「なんでもない。ただ、あなたが羨ましく思うわ。あなたは自分で自分のことがよくわかっている。私は不安で怯えていることしかできなかったのに、あなたはずっと足掻いている」

 

「それしかできないからね」

 

「そう......なの?」

 

「そう、止まったら死ぬの」

 

「......なら、皆守さんもそうなのかもしれないわ」

 

「え?」

 

「あなたと初めて話したあの温室、実はあまりしられていない場所なのよ。皆守さんは温室を知っているわ。年に1度、綺麗に花が咲いている場所を訪れるの。そこでラベンダーの花束を供えていくわ。ただ.....私が前に世話をするために見に行ったら、怖い顔をした皆守さんとすれ違ったの」

 

「それほんと?」

 

白岐さんはうなずいた。

 

「荒らされていたわ......見舞う人はいないけれど、ちゃんと世話されていた誰かのお墓......。ひどい有様だったわ」

 

私は血の気がひいた。

 

「どんな、ふうに?」

 

「掘り返されていたわ......スコップと、バケツが転がっていて......四角い穴があって......たくさんの破片が......包帯が......あと黒い砂......全部ずたずたで......。行方不明になった誰かのお墓だと思うのだけれど、ひどいことをする人がいると思ったわ......。次の日には元に戻っていたけれど。温室の植物も......たくさん無惨に手折られていたの........皆、精一杯生きているのに.......ひどいことを......」

 

「......ありがとう、白岐さん、話してくれて。たぶん、そのせいだと思う」

 

「そう......力になれたなら、よかった。皆守さん、あの日から機嫌が悪いようだから、心配していたの。葉佩さんやあなたともうまくいっていないようだし.........。余計なことだったらごめんなさい。気になってしまって..........」

 

「九ちゃんが仲直りするっていってたから大丈夫だよ、きっと」

 

「そう......よかった......」

 

私は言葉を切った。瑞麗先生が帰ってきたからだ。

 

「おや、いいのかい?大事な話だったようだが」

 

「もう、大丈夫です」

 

「......私も......はい」

 

「そうか、ならいいんだが。で、君はなんの用事だい?体調不良じゃなさそうだが」

 

後ろの棚の鍵を開けて、ビタミン剤やらなんやらを入れていく瑞麗先生を見ながら私はいった。

 

「過呼吸って、長い間放置したらどうなるか教えてもらえませんか?」

 

「過呼吸?また随分といきなりだが......君じゃなさそうだな......」

 

どうやら瑞麗先生は私と白岐さんの込み入った話に配慮して待っていたらしい。皆守の名前は出てこないようだ。

 

「まあいい、それは肉体的要因かい?それとも精神的?」

 

「精神的な方だと思います」

 

「そうか、なら過呼吸じゃなくて、換気症候群の方だな」

 

瑞麗先生は教えてくれた。

 

換気症候群とは、精神的不安や極度の緊張などにより過呼吸の状態となり、血液が正常よりもアルカリ性となることで様々な症状を出す状態のことである。

 

神経質な人、不安症な傾向のある人、緊張しやすい人などで起きやすいとされる。

 

何らかの原因、たとえばパニック障害や極度の不安、緊張などで息を何回も激しく吸ったり吐いたりする状態(過呼吸状態)になる。すると、血液中の炭酸ガス濃度が低くなり、呼吸をつかさどる神経(呼吸中枢)により呼吸が抑制され、呼吸ができない、息苦しさ(呼吸困難)を感じる。このために余計何度も呼吸しようとする。

 

血液がアルカリ性に傾くことで血管の収縮が起き、手足のしびれや筋肉のけいれんや収縮も起きる。このような症状のためにさらに不安を感じて過呼吸状態が悪くなり、その結果症状が悪化する一種の悪循環状態になる。

 

自覚症状には息をしにくい、息苦しい(呼吸困難)、呼吸がはやい、胸が痛い、めまいや動悸などがある。手足のしびれや筋肉がけいれんしたり、収縮して固まる(硬直)症状がでる。

 

意識的に呼吸を遅くするあるいは呼吸を止めることで症状は改善する。本人は不安が強くなかなか呼吸を遅くすることができない。できるだけ安心させゆっくり呼吸するようにいう。

 

一般に予後は良好で、数時間で症状は改善する。

 

「過換気症候群には2つの病型がある。さっきいったのは急性の病型だ。慢性のものに比べて認識しやすい。慢性の過換気症候群は急性のものより一般的だ。呼吸困難は、窒息にたとえるほど、ときに非常に重度で、随伴症状としては、興奮および恐怖感、または胸痛、腕より先の硬直、失神前状態または失神などがあり、ときにこれら全ての所見を併せもつことがある。これを初めて感じた場合、かなりの精神的負担となる」

 

「そんなにですか」

 

「ああ。慢性の過換気症候群は症状がはるかに軽度で、しばしば見逃される。深いため息を頻繁につき、気分障害、不安症、および精神的ストレスに関連した非特異的な身体症状を呈することが多い。ただ、最初の発症が急性の場合は、パニック障害あたりに派生することがよくある」

 

「気分障害......いわゆるうつ状態ですか」

 

「ああ。病は氣から、というだろう?それだけ精神と肉体は密接に絡みついている。だからストレスが原因で体調不良が起こるのさ。君が心配しているその人には、是非とも専門的な精神科や診療科を受診するよう進めたまえ」

 

「......出来たらすぐにでもそうしたいんですけどね」

 

「まあ、なにかあったら、また来なさい」

 

「ありがとうございます」

 

私は白岐さんのほうをむいた。

 

「そうだ、白岐さんには《夜会》の招待状は届いてる?」

 

「え?ええ......私は行くつもりはないのだけれど......」

 

「もう誰かに言われたのかもしれないけど、一応いっとくね。今日は冬至、鎮魂祭の日だ。天照大御神の力が最も弱まる日でもあるし、龍脈が活性化している今、《遺跡》の闇がもっとも強まる日だから、悪いことは言わないから、行った方がいいよ。君なら悪いようにはされないと思う」

 

「............不思議ね、ほんとうに同じ事をいうなんて」

 

白岐さんは少し考える素振りをみせると、私のブローチを見ていった。

 

「それ、あなたにはとても必要なものだと思うわ。學園の闇から隠してくれる」

 

「やっぱり?あれきり謎の襲撃がやんだんだよね」

 

「ただ......」

 

「ただ?」

 

「必ずしもいいものとは限らないわ。あなたがあなたであるためには。だから、気をつけて。私は今のあなたがいいと思うの。夢の中で私を呼ぶあなたにはなって欲しくはないわ」

 

「あー......影響はうけてるわけだね、自覚はないんだけど。そうか......わかった、気をつけるよ」

 

「ふむ、ちなみにそれは誰からの贈り物だい?」

 

「父さんからです」

 

「..................そう、か」

 

「一応、九チャンたちには問題ないって言われてるんですけどね」

 

「......ただちには、の可能性がある。なにかあっては遅いから、無茶だけはするんじゃないぞ」

 

瑞麗先生はためいきをついた。

 

「夜会か......今年は泊まりのようだが、どうやら1999年、1980年にも泊まりだったようだね、マスターがいっていたよ。今年は一体何人ここに運び込まれることやら」

 

「......どっちも龍脈が活性化した年じゃないですか」

 

「そうだな。ちなみに去年は会場ではしゃぎすぎたり、倒れたりする者が何人もいてな。今年は違う意味で倒れる者が現れそうだから、気をつけたまえ」

 

「わかりました。ありがとうございます」

 

「ま、君なら心配ないとは思うが、くれぐれも気をつけるようにな」

 



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月光のさす場所5

他を圧するような豪勢なお屋敷が私の前にでんと建っている。高い塀のある大きな屋敷である。

 

インターホンの音色までどことなく気品がある。蔦の絡まるレンガ造りの西洋建築は、よくいえば文化財的な価値を持った豪邸。悪くいえば朽ち果てつつある過去の遺物のようだ。

 

「ようこそ、いらっしゃいました」

 

千貫さんに案内される。西洋式の調度品がならべられ、住人の趣味を控えめながら誇示している。かつての当主の趣味の良さがうかがえた。

 

幾つとなく続いている部屋だの、遠くまでまっすぐに見える廊下だのを、天井の付いた町のように思えてくるほどに広い。豪華な部屋は、まるで宮殿みたいだ。

 

応接間に阿門がいた。《生徒会長》としてなのか、《墓守》としてなのか、阿門一族の当主としてなのかはわからない。私に用があるのは個人的な要件らしいから、阿門帝等としてが妥当だろうか。促されてソファに座る。ものすごくふかふかだ。こんな場面でもなければ思いっきりくつろぐところなんだけど、さすがにはしゃぐ気にはなれなかった。

 

「遅くなったけどさ、あの時はごめんね。心配してくれてるのに不誠実な態度とったりして。今思うと穿った見方してたと思う」

 

「......いや」

 

「あれ、どうしたんだよ」

 

あっさり流されると思ったのに、思いのほか反応がある。私とのやり取りがそれなりにダメージでも与えていたのだろうか?凹んでたとか?そんな馬鹿な。どちらかというと、え、今?という反応のように思う。阿門自身想定していなかったようで、この展開自体に困っているようだ。

 

「あれ、千貫さんから聞いてないの?謝りたいっていったのに」

 

「......それは、どういう意味だ。おい、厳十郎」

 

「江見翔様がカオルーンに来られて一度お会いしたいと私を通してアポイントメントをとってきたとお伝えしただけですが」

 

「あのー。オレがカオルーンの常連で、雛川先生との世間話でそういう話になったことまで話さないと誤解を産むと思いますそれ。喧嘩売りに来たわけじゃないんだから」

 

「......厳十郎」

 

「おや、そうですかな?」

 

阿門はためいきをついた。

 

「......まあ、いいだろう」

 

「なんかごめんね。個人的なモヤモヤ無くしてから話そうと思って謝ったんだよ、オレ。これから大事な話するわけだし」

 

「そういうことか......やれやれ。だがこれでお前とゆっくり話ができるというわけだ」

 

阿門は肩を竦めた。気を取り直して私達は本題に入る。

 

「龍脈について、お前はしっているか」

 

「もちろん」

 

「ならば話がはやいな」

 

阿門は語り始めた。

 

「本来龍脈が活性化するのは18年周期の1980年と1998年、次は2016年のはずだった。だが俺の父の代から例外が起こり始めた。1986年、前から6年しかたっていないにもかかわらず《遺跡》の封印がとけかけた。そして2004年、今こうしてまた6年しかたっていないにもかかわらず《遺跡》は非常に不安定になっている上に龍脈が活性化しつつある。この6年のズレの原因は不明だが、結果として《遺跡》は近年稀に見るほど封印が弱まっている」

 

阿門の話は私の想像をはるかに超えていた。《遺跡》の封印はもはや風前の灯火なのだと墓守として阿門は発言しているのだ。そこに終止符をうつようなタイミングであらわれたのが葉佩の名を持つ《宝探し屋》なのだ。阿門も運命のようなものを感じているようだった。

 

もうこの時点で阿門の目には《遺跡》の行く末が見えているのかもしれない。生半可な言葉では通じそうにない気迫のようなものがそこにはあった。ダメだ、中途半端な今の私の理論だと阿門を説得しきれない。私は現時点での交渉を先送りすることにした。

 

「《遺跡》の封印が弱まる時、かならずファントムを名乗る敵対勢力が現れる。龍脈の活性化を利用して封印をとき、この世に再臨しようとする闇が。

そしてそのたびに《遺跡》は贄を欲する」

 

「贄?」

 

「やつは新たな肉体を欲している。そのために目標の近親者などに擬態する」

 

「まさか、父さんだっていいたいのか?」

 

「そのまさかだ。18年前の今日、贄に選ばれたのは江見睡院だった」

 

「どうして......」

 

「かつて、《生徒会》に下部組織はなかった。18年前の今日が江見睡院と《生徒会》の初めての邂逅であり敵対宣言もかねた《夜会》が行われた。本来教師は立ち入りが禁止だが、父は個人的な客人として江見睡院を招待したのだ。教師として潜入していた江見睡院は、図書委員の生徒をはじめ何人か同行者がいた。《遺跡》の標的は図書委員の生徒だったが、《夜会》のあとの《生徒会》との戦いのさなか、贄を求めるやつらの暴走の餌食になりそうになり、江見睡院が庇って消息不明となったようだ。発狂状態の生徒が《生徒会》に保護された」

 

「贄に選ばれる条件はあるのか?具体的にはどんな?」

 

一瞬の沈黙だった。おそらく阿門は今までこのことを誰にも話したことがないのだろう。私の質問にどう答えたらいいものか本気で悩んでいる。

 

「......《黒い砂》の影響下にある、あるいはあった人間だ」

 

「えっ、じゃあまさか白岐さんや《生徒会執行委員》だったみんながみてる悪夢や体調不良はそのせいなのか?それは《黒い砂》の影響がなくても同じ?」

 

「そうだ。そして贄は前の人間の近親者や親しかった者から選ばれる傾向にある。1998年の贄はその女だった」

 

「えっ」

 

「教師としてこの学園に戻ってきていた」

 

「阿門はそれ知ってたのか?」

 

阿門は首を振る。

 

「そりゃそうか、まだ12歳だもんな。産まれる前の人の顔なんてわからないか」

 

「苗字や人相まで変えられていましたから、私も気づくことができませんでした。阿門一族にも《生徒会》にも、当時潜入していた《宝探し屋》にも接触することはありませんでしたから」

 

「元《生徒会》の人間なら担当する区画はかなり深いもんな。そこまでなら行けるのか」

 

「《贄》には私がなるから《夜会》に全員集めて1歩も出すなと」

 

「それは遺言?」

 

「天香サーバをハッキングされ、《生徒会》の招待状に偽造したメールが送られていました」

 

「ああ、なるほど。だから千貫さんが今回は直々にメールを」

 

「あの《遺跡》に封印されている闇はいつでも俺達墓守を憎悪している。龍脈が活性化するたびに《黒い砂》の影響にある人間を食いつくそうとするのだ。だから俺の父は《生徒会》も《黒い砂》で掌握し、背後から操る体制をとり決して表にはたとうとしなかった」

 

「でも君は傀儡も立てずに今こうして《生徒会長》してるじゃないか。正気なのか?」

 

「もとより覚悟は出来ている」

 

「......そっか。今のオレはまだそのことについて阿門と対等に話せる段階じゃないってことだね。その様子だとこのこと知ってるのは君だけだよな?どうして話したんだよ」

 

「お前は江見睡院の息子であり、《遺跡》の真実に限りなく近いところにいる。それに敬意を評してだ。そしてお前はおそらく今回の贄になる可能性が高い。......今夜の《夜会》に白岐幽花を呼んでくれただろう。お前がいうならばと八千穂明日香と参加するつもりのようだ。だから、借りを返す」

 

「なるほどね、わかった。白岐さんまで標的になりかねないなんて、今夜は特別危ない夜なんだね」

 

「そういうことだ、わかったか。今夜は《遺跡》にはいくな。いいな」

 

「いけば父さんに擬態した餌にかかったオレが次の新たな贄になるっていいたいわけだ。気持ちはうれしいんだけどさ、それはちょっとできないかな」

 

「なに?」

 

「九ちゃんが甲ちゃんと潜ってるんだよ、《遺跡》。そんなにやばいなら私が行った方がいいに決まってる。ありがとう、阿門」

 

阿門は驚いたような顔をする。やっぱり皆守の《遺跡》探索は想定外なのだとしたらすれ違いなどがあったのかもしれない。なるほど、皆守が追い詰めるわけだ。誰も悪くない。状況が悪すぎた。

 

「......だが俺の忠告は聞かないのだな」

 

「私は九ちゃん支援するためにいるからね」

 

「......厳十郎」

 

「はい」

 

「江見にあれを渡しておけ。あれは本来江見がもつべきものだろう」

 

「......?」

 

しばらくして千貫さんがやってきた。そこにはダンボールがあった。

 

「18年前、江見睡院の同行者だった者達がかき集めたものだ」

 

「......なんで君が持っているの」

 

「いつか返して欲しいと《生徒会》と図書委員長を兼ねていた女子生徒がおいていったものだ」

 

「......図書室にある父さんの寄付した古書をちゃんと管理してくれていた人だね」

 

「ああ」

 

「......父さんはその人を庇って......でもその人も夢で呼ばれて、父さんの幻覚に惑わされ......いや、父さんみたいに後輩たちをかばおうとして......。1998年、に......。ねえ、その人の遺体は?」

 

阿門は首を振った。

 

「じゃあ、その人もまた現れるかもしれないんだね」

 

私はダンボールを受け取る。

 

「いったん男子寮に戻るよ」

 

「......」

 

「ありがとう」

 

私はダンボールをかかえて男子寮にむかった。

 



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月光のさす場所6

先程までむせ返るようなラベンダーの香りが立ちこめる温室だったというのに、幻覚から目覚めてみれば世界は腐敗に満ちていた。

 

足の踏み場もないほどのスライムたちであふれている。どのスライムも葉佩めがけて行進し続けている。巨大な水たまりのような、泥のような、強烈な刺激臭がする黒いものが蠢いていた。

 

蠢くのは死体の塊。不気味なうめき声が語りかけてきていた。

 

誘い込まれた場所が場所である。想定外の事態に動揺が隠しきれないが、最悪なことに正体不明の敵にとっては最高の戦場らしい。初戦から難敵をぶつけてくれる。

 

ため息を飲み込んだ瞬間、鼓膜を震わせる轟音が響いた。即座に距離を詰めると、なにかが破裂する音がした。一種の安堵と危機感がよぎる。膨大なエネルギー体はいかようにも姿を変える。体の自由を拘束する特性ばかりが目立つ。不快な匂いがただよっている。背後にあった気配が消えた。異変を悟った葉佩は視線を走らせる。どこにいった。

 

ぞわりと悪寒が走る。勢いよく振り返ると、そこには女がいた。一瞬腐敗した死体という本来の姿をさらしていたというのに、幻覚でみた名前も知らない誰かがいた。かなり距離をとっていたはずだが、女が葉佩の場所を看破するのははやかった。葉佩は銃弾を連射させるが、奇妙な文様が浮かび上がり強固にされた黄金色の輝きに防がれてしまう。被弾した形跡もない。

 

葉佩は追尾してくる雷撃をよける。ド派手な音を立てて砕け散る壁。貫通した衝撃は想像に難くない。期待はしていなかったが、生かして帰す気はないらしい。撤退が叶うなら今すぐにでもここから撤退したかったが、女は許してくれないだろう。

 

 

それでも葉佩は走るしかない。

 

 

進行方向に現れたのは謎の障壁だ。衝突する寸前で方向転換し、体を翻す。斬撃が炸裂したが、障壁の向こうの女を傷つけるには至らない。純粋なダメージしか与えられない。予想をはるかに超える速さで接近し、葉佩の武装の合間を縫って、切断しようとする。葉佩は伝家の宝刀を抜いた。

 

どうにかかわすことができた。倦怠感に襲われながら嫌な汗が伝っていく。連発は出来ない。他の仲間に連絡を取りたいが、その猶予すら女は与える気はないのだろう。連絡で来たところで無意味だ。展開する結界が重厚になっている。

 

 

 

葉佩は全速力で駆けた。大量の黄金色の閃光が舞う。それに追従する形で女は追いかけてきた。それを確認した葉佩は辺りに特別性の爆弾をばら撒いた。爆発音がして、閃光が走り、辺り一面が焦土と化す。

 

すぐに身を隠し、直下から太刀を振り下ろした。鈍い音が響く。葉佩に迫る女に一撃を叩き込む。産み落とされた風は障壁を前に散開した。着地し、体制を整えた葉佩は呪詛をばらまく女に向かい合う。そして抗うために引き金をひく。

 

爆発的に四散した光。障壁が解けた。不愉快で耳障りな音が舞い、鮮血が辺りに散る。できるならそのまま絶命させたかったが、そこまでぜいたくは言えない。これで葉佩の攻撃に全力で防衛してくれるはずだ、ここから距離をとって、形勢を立て直せばあるいは。

 

 

 

微かに聞こえた声は、何かを発動させる。生存本能が悲鳴をあげている。葉佩が避けられたのは、ほぼ反射的だった。周囲にあるものが粉みじんになる。

 

葉佩の考える以上に女は強大だった。殺意を滾らせた一撃が過ぎ去った周囲が瓦礫と化す。冷静さを失いながらも、精細さを欠きながらも、葉佩は太刀を振るう。物言わぬ骸になるのは、まだだ。許されざる蛮行だけは阻止しなければならない。ここで終わるわけにはいかない。

 

 

女は防御などしなかった。躊躇せず葉佩の目前まで踏み込み、その剣を受け止めた。じわりと血がにじむ。目が細められる。積み重なった瓦礫から現れた黄金色の閃光が葉佩を貫いた。葉佩は吹き飛ばされて滑落する。

 

 

 

女は愉快に口元を釣り上げる。

 

 

焦点が合わない。完全に感覚がやられている。嬉々としてこちらを見下ろす黄色は、葉佩が今まで一度も見たことがない狂気に満ちている。

 

身を焦がすほどの激情を滾らせながら女は葉佩に笑いかけた。四散したはずの部位が回復していくのを目撃する。そこまでの絶望をみせられて、葉佩は眉をよせた。

 

  

知らない区画だった。見上げるほどの岩が鎮座している。その上には影がおちて表情が見えない女の姿がある。荒れ狂っていた殺気など、想像すらできない穏やかさを纏っていた。

 

葉佩は剣を手にする。汗がつたう。震える手が太刀をにぎる。

 

 

あたりを静寂が支配した。葉佩は動揺のあまり顔がひきつる。恐怖が先立つ。あってはならない事態だった。手に力が入らない。女の高笑いが聞こえる。

 

それは久しぶりに感じる恐怖だった。

 

刹那の後悔は幾度もあったが、それ以上に覚悟は決めていたし、殉じる決意はたしかに本物だったはずだ。でも圧倒的な暴力に体が屈している事実が葉佩の心を侵食する。脳天からの雷撃が辺りを焼きそうになり、すんでのところでかわす。

 

「もうちょっと動けよ。思考停止は罪だ、誰も守れないまま死ぬ気か、お前は」

 

それは自分への叱責だ。少し感覚が戻ってきたことに安堵しながら注意をうながしつつも敵の軍勢との間合いを測る。その度に白羽が稲妻のように閃く。刃物が陽炎のようにきらめく。

 

「ぐっ......!」

 

あまりの数に近づかせないのが精一杯で女が嬉々とした様子で迫り来る。しまっ、と口にしかけた言葉は飲み込まれた。

 

親の仇のように女を江見が突き刺したからだ。総毛立つような白刃の光がみえた。氷刃のような白い裸の刀がぎらぎら光る。会心の一撃だったのか緑色の煌めきを残して女の右腕は切り捨てられてしまった。月光の中に氷のようにきらめきつつ振り回される刀の光が、言いようもないほどおそろしい。葉佩は目を見開いた。

 

「翔チャン!」

 

「間に合ってよかったよ、九ちゃん。無事でよかった」

 

「あっははー、実はまじで焦ったよ」

 

「これ、使って」

 

江見が葉佩に渡したのは、先程女の腕を両断した刀だ。

 

「父さんの遺品らしいんだ。さっき、阿門から返してもらった」

 

「えっ、じゃあ、あの墓掘り返したのは阿門?」

 

「いや、たぶん遺品を取り返したかった昼間の父さんか、私達に渡ると困る夜の江見睡院のどちらかだよ。そもそもあの墓には誰も埋められてないと言質とったからな」

 

「じゃあ内側から出ようとしてたのは一体......」

 

「それは聞いた方が早いと思う」

 

「話してくれると思うか?」

 

「......無理そうだね」

 

葉佩の白刃が虹を曳いて陽光を切る。十文字に交錯する剣と剣にたがわぬ様子で、金属音が響き渡り、剣と剣が闇の中で火花を散らして交錯する。稲妻のような剣さばきだ。魂を吸い込むかのように研ぎ澄まされた剣が掛け声とともに打ち下ろされるたびに女の体は毬のように飛ぶ。

 

「そういえば、甲ちゃんは?」

 

「こいつ見るなり過呼吸に陥ってパニックになったからさ、《魂の井戸》に閉じ込めたよ、悪いけど。なんか、思い出せそうなのに、思い出せないんだってさ」

 

「思い出せない......」

 

「墓が荒らされて、遺体が行方不明で、《生徒会》に直訴するくらい取り乱すのに思い出せないんだってさ。そんくらい大事な人だったんだろっていったら、死に物狂いで否定するんだ。もう無茶苦茶で見てらんないよ」

 

葉佩は苦々しい顔をする。

 

「《生徒会執行委員》の騒動も数日たてば誰もが忘れたように過ごしてるけどさ、もしかして一般生徒にはそういう《黒い砂》がばらまかれてんのかな?俺の前の先輩たちについて聞こうとしてもろくな情報入ってこないんだよね」

 

「人間慣れたらどこでも都だからね」

 

「うーんどうしよう、否定できない」

 

「でも甲ちゃんが《遺跡》に潜りたいっていったんだろ?」

 

「うーん、どっちかっつーと、《生徒会》への不満が大爆発って感じだな~。いや、わかるんだけどね、気持ちはさ。積み重なってきた不満がって感じだし。ただ、學園祭が終わってからバディ外したじゃん?まさかそのタイミングで墓荒らしが出るとはな~......タイミング最悪だよ。甲太郎可哀想すぎる。俺に頼ってくれなかったのがショックすぎてさ~、つい手荒に扱っちゃった」

 

「謝ったら許してくれるさ」

 

「今回ばかりは謝る気はないけどね~」

 

江見は葉佩が今までみたこともない銃を手にしている。

 

「それも江見睡院さんの遺品?」

 

「うん、そう」

 

二人はそのびりびりとした濃厚な殺意を嫌というほど感じる。女の四肢からはスライムの軍勢が溢れ出てきている。やはり、遺体はスライムで満たされているようだ。

 

「スライム焼いた方が早いかな、もしかして」

 

「もしかしなくてもそうだね」

 

「なあなあ、翔チャン、目があの女と同じだけど大丈夫?」

 

「大丈夫だよ、今のところはね。この区画の情報と敵の解析してるだけ」

 

「ちょっち遅い気がするけどありがとう」

 

「間に合わなかったら死んでるからね」

 

「わかってるよ」

 

「で、どうする?」

 

「あいつは俺の敵だからさ、翔チャンはスライム焼いてくれる?仕切り直しといきましょう」

 

「わかった」

 

江見は小さく笑うと葉佩に背中を預ける。葉佩は女の方を見た。

 

「甲太郎とお前に何があったのか、なんてさ。俺は微塵も興味無いんだよね、正直なところさ。ただ気に入らないんだ。だから邪魔させてもらうよ、悪いけど」

 

いつものように葉佩は巫山戯た調子で笑っていた。ただ、目が微塵も笑ってはいなかった。

 

「何事も最後まで諦めるな。決して諦めなければ、いつか希望が見える。そして、希望は決して人を見捨てない。これが俺の座右の銘なんだ。甲太郎は俺の同行者(バディ)だ、《遺跡》に1歩でも入った段階で俺は無傷で返す義務が生じる。よって、ここで死ねって言葉は却下だ、受け付けられない」

 

1歩でも近づこうとした女に葉佩はなんの躊躇もなく剣を向けた。

 

「オレは諦めが悪いんだよ、そして物分りもよくない。少なくても、お前の手を取った奴よりはずっとな」

 

ちら、と遠くなってしまった扉を見る。重厚な扉の向こうでは、さっきまで開けろと散々喚いていた皆守が聞いているだろうかと葉佩はふと思う。

 

過呼吸の治療に必要なのは誰も視界に入らない安全な空間だから、1歩も動くなと《魂の井戸》に突き飛ばして扉を閉めた。深呼吸をひたすらしていろと言い残し、無理やり扉をしめて開けられないように爆弾をふっ飛ばして柱で重しやつっかえ棒を作ったから出してやるのが大変だろうなとぼんやり思う。

 

「だからここで死ね」

 

まあ言い訳なんていくらでも用意できるのだ、生きてさえいれば。



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月光がさす場所7

「甲ちゃん、甲ちゃん、大 大丈夫か~?」

 

「............その、こえは、......くろ、うか......?」

 

「深呼吸できてるか~?」

 

「......できっ......るかっ......」

 

「ならさ、大きく息を吸う深呼吸じゃなくて、吸った息を10秒程度かけてゆっくり吐き出してみようか。はい、せーの。息吸って」

 

「......かひゅっ......」

 

「いち、に、さん、し、ごー、ろく、なな、はち、きゅう、じゅー。はい、息吸って」

 

扉の向こうからとぎれとぎれの呼吸音が聞こえてくる。葉佩は根気強くカウントをつづける。1時間くらいたったころ、ようやく皆守はまともに会話できるようになった。

 

皆守に症状を聞いたところ、息苦しさ、胸部の不快感、動悸、めまい、手足の痺れなどが突発的に起こり、不安や恐怖から自分をコントロールできなくなるものだった。

 

「過呼吸だよ、過呼吸。発作は非常に苦しく、とても強い恐怖感に襲われるけど、もう楽になってきただろ?」

 

「......はあ、は......」

 

「過呼吸だってわかったら、安心して発作を起こりにくくなるんだ。瑞麗先生にあとで聞いとけ」

 

「......ひゅっ......」

 

皆守の苦しげな息遣いが聞こえなくなるまで扉越しの会話は続いた。

 

「......九ちゃん、よく知ってるね。過呼吸の対処法」

 

「まあ覚えがあるからな~」

 

「そっか」

 

「うん」

 

「甲ちゃん、開けていいか?」

 

「......翔ちゃん、か?」

 

「うん、そうだよ」

 

「俺としたことが窮地に陥っちゃってさ~、翔ちゃんに助けられちゃったよ。一生の不覚だわ~」

 

「..................」

 

沈黙がおりた。

 

「なーなー、甲ちゃん。しんどいみたいだからこのまま聞いてくれるか?今からすんごいしんどい話をしなきゃいけないんだけどさ」

 

「......ああ」

 

「察しがいい甲ちゃんならもう気づいてると思うけど、あの温室とラベンダーは幻覚だった。そこにいたのはスライムに無理やり動かされてる死体だけ。腕1本でも殺しにくるからもう原型すら保ってない」

 

「......だろうな。銃声がずっとしてた」

 

「瑞麗先生呼ぼうと思うんだけど、たぶん病院に運ばれてそれきりになる。見るのは今しかないけど、見るか?」

 

「..................」

 

皆守は沈黙している。

 

「甲ちゃんもわかってるように、宇宙探偵が見過ごすはずない。瑞麗先生の病院なら警察に届はされないかわりに、調べ尽くされたあと、遺族に帰される。今会わないと甲ちゃんが会えるのはずっと後になるけど......」

 

死後数年たてば白骨化するはずの遺体が原型を保ち、まるでついさっきまで生きていたかのような姿を保っているということはだ。ほかの行方不明者のように肉体を永遠に保存する特殊な処理が施され、正真正銘のミイラだったことを示している。それがやけに物分りがいい病院(またの名をエムツー機関のフロント企業)に運び込まれたらどうなるかくらい皆守もわかるはずだ。

 

「俺は《宝探し屋》であって警察じゃないから、あれが誰なのか聞くつもりはないよ。頸動脈あれだけバッサリやってるんだ、角度的に考えて甲ちゃんがやったとは思ってない。甲ちゃんがどう思ってるのかは別にしてだ」

 

「......」

 

扉の向こうで嗚咽が聞こえる。この場に及んでも思い出せないのは、皆守が女教師の死と向き合うことが出来る精神状態じゃないからなのだろうか。《黒い砂》の忘却効果はもともと完全ではなく、なおかつ《遺跡》の封印がかつてないくらいに弱まっているのだから、ここから先は皆守の問題となる。

 

気にかけてくれた女教師が《生徒会》の実態を知り、私で最後にしてねといいながら目の前で自殺する。皆守の手を汚したくないからと命を絶つ。皆守の化人が母親に大火傷を負わせて殺し、父親に首を切り落とされたヒノカグツチなあたり、女教師に対して母親と重ねみるほどの感情があったとうかがわせる。目の前で死んだ女教師の遺体を前に呆然としていた皆守が過呼吸に陥るところしか見たことがない私だったが今の皆守を見ていると複雑な気分になる。

 

行方不明になった人間は魂を《遺跡》の封印の糧にされ、その魂を地上にとどめるために肉体は特殊な処理が施されて不死状態となる。魂が解放されれば肉体に帰還し、蘇生される。《生徒会》も《執行委員》も実は《宝探し屋》や侵入者を殺すことは想定していない。《遺跡》で死んだ人間は目の前でみたわけではないから実感がわかない。殺してない、眠らせてやるだけだ。無意識のうちに使ってきた言い訳を真正面から封じられ、皆守のことを慮っていながらとてつもなく残酷な遺言を残して死ぬ。

 

皆守は耐えられず女教師の写真を差し出して、《黒い砂》の影響下に入ったわけだから、この3年間女教師のいうとおり最後のままだ。その遺言だっていつまで守れるかわからない。葉佩はもう最後の《生徒会執行委員》と知り合ってしまっている。次は《生徒会》だ。終わりが近づいている。

 

今の皆守ではとてもでは無いが向き合える精神状態ではない気がした。

 

「俺は今の甲ちゃんしか知らないからさ、甲ちゃんを優先するよ。会いたい?会いたくない?」

 

長い長い沈黙がおりた。

 

「......わるい、くろ......いや、九ちゃん。翔ちゃん。あけてくれるか、力が入らないんでな」

 

私は葉佩と顔を見合わせた。さすがに無理だろうという雰囲気が私と葉佩の間にはあったからだ。おそるおそる開けてみると、無理やり顔を擦ったせいか酷い顔をしている皆守がそこに立っていた。ふらついている。肩を貸してやると、皆守は顔をゆがめた。

 

「......なんつー匂いだ......」

 

「そんなにひどい?」

 

「鼻が麻痺してわかんないなあ」

 

「......けほ」

 

「無理すんなよ、甲ちゃん」

 

葉佩の言葉に皆守は無理やり笑顔を作った。

 

「......は、考え無しは罪だっていったのはお前だぜ、九ちゃん」

 

「責めてるつもりはないっていったよね、俺」

 

「こういう時だけ優しい言葉かけやがって......俺がこうしたいって思ったんだよ、わるいか」

 

「甲ちゃん......ったくもー、だからほっとけないんだよ、お前さあ」

 

「素直じゃないんだから」

 

「......うるさい」

 

そうはいうものの、陰惨な状態となった遺体を目にする精神的ダメージは計り知れないものだった。実際は私たちがかき集めた破片がかつての女教師だと気づいてしまった時点で、皆守は人のやける匂いを感じとってしまいそれどころではなくなってしまう。吐き気、目眩、立ちくらみ、呼吸が荒くなる。最後には近づけなくなってしまい、その場に座り込んでしまった。

 

「......こんなになるまで、動いてたのか......」

 

想像を絶する戦いを制したのだと把握したらしい皆守は葉佩を見上げる。

 

「時間がたつとスライムが繋ぎになって蘇生するんだ」

 

「私が焼いたから、だんだんツギハギになっていったよ」

 

「..................悪かった」

 

皆守は小さく呟いた。

 

「九ちゃんに声をかけられてなきゃ、俺は一人で《遺跡》に潜ってた。......どうなってたか、考えたくもねえな」

 

「誰かに呼び出されたのか?」

 

皆守は首を振る。

 

「最近、夢見が悪いんだよ......」

 

「あれ、甲ちゃんもだったのか」

 

「......ああ」

 

「そこに墓荒らしと盗掘と悪夢か......《遺跡》に呼ばれたんだね。来てよかった」

 

「......?」

 

「阿門からの呼び出しで聞いたんだ。この《遺跡》、定期的に封印が弱まると贄を欲するんだって。親しい人間に擬態するらしいんだ」

 

「......ッ」

 

私が意図的に伏せた《黒い砂》の下りに皆守は勘づいたようで青ざめていく。

 

「私が今回の候補らしい。父さんが18年前に犠牲になったし、6年前は父さんのバディだった人だし。ただ、封印が今までになく弱まっているから、贄の数も足りないのかもしれない」

 

「それで甲ちゃんを?ひっでえ話だな。というか翔ちゃん、それなのに来てくれたのかよ!大丈夫なのか!?」

 

「......わるい、翔ちゃん。イマイチよく飲み込めないんだが......あぶない状況だった、のか?」

 

私は頷いた。

 

「《夜会》が泊まりになるのは、封印が弱まる年らしい。今年がそうなように。阿門にそれ以外の意図はないらしいよ」

 

「───────ッ」

 

息を飲む音がした。どうやら皆守の中で凝り固まっていたものが瞬く間に氷塊したらしい。よかった、すれ違いによる仲違いは悲しいもんな。

 

「そっか~、そういうことなら《夜会》いかなきゃな、甲ちゃん」

 

「あ、ああ......そうだな。また亡霊が現れちゃたまったもんじゃない」

 

「よかったよかった、疲れたから寮で休むとか言われたら引きずってでも連れていかなきゃいけないとこだったよ」

 

「おい......さすがにそこまで馬鹿じゃないぞ、俺は」

 

「でもそっか~、ならファントム注意しないとな~。あいつ、《生徒会》陽動するつもりなら何仕出かしてもおかしくないぞ」

 

瑞麗先生に連絡を入れながら葉佩がいう。私たちは息を飲んだのだった。



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月光のさす場所8

 

 

「さあて、困ったな。お風呂どうしよう」

 

「俺達入るからお前くるなよ?」

 

「え~ッ!?夜会まで時間ないのに理不尽すぎない?」

 

「やめて翔ちゃん俺達お婿に行けなくなるぅ!」

 

「どうしようかな。阿門とこに借りに行くか、瑞麗先生んとこに借りに行くか」

 

「まてまてまて正気かお前。なんでその二択なんだ」

 

「門前払いされない?」

 

「腐乱死体始末したままで夜会にでろと?贄にされる可能性があるから今夜だけは《遺跡》に行くなって忠告されたのにガン無視して助太刀した私に何か言うことはないのか、君たち」

 

「それはそれ、これはこれ、だ」

 

「それに関しては嬉しいよ、すっごく。でもさあ......さすがに翔チャンが大人のお姉さんだってわかってると、お風呂とトイレだけは勘弁してってなるんだよ。わかってくれよ、翔チャン。俺達男の子なんだから!」

 

「なんだよ、甲ちゃんも九ちゃんも。いつもなら私を優先していれてくれるのに」

 

「今夜は《夜会》だから9時前に風呂はいって行きたいやつが多いんだよ、わかれ」

 

「混んでるんだよ~ッ!」

 

「誰のせいでこんなことになったか、わかってるのか甲ちゃん」

 

「それについては謝る、すまん。悪かった。だがまだ人間の尊厳までは捨てたくないんだよ。男の矜持ってやつだ。そもそも今入ってるやつらは、お前の事情知ってるやつらばかりだろうが。多数決とっても却下されるんだが?」

 

「はあ......わかったよ、あきらめる。ダメもとで瑞麗先生と阿門に聞いてみるとするよ」

 

「いやだからなんでその2択なんだよ」

 

「私から男子寮の大衆浴場という選択肢を奪っておきながら、まだ潰そうとするとか血も涙もないね、甲ちゃん」

 

「もっとなんかこう、あるだろ?部活練のシャワーとか」

 

「今の時間帯の校舎にファントムが常駐してるの九ちゃんから聞いててそれいうのか、甲ちゃん。正気?學園祭の襲撃忘れたのか?」

 

「いや......だから、俺は思いつかないだけであるはずだろ......なあ九ちゃん」

 

「ううーん、正直なところ全く思いつかない」

 

「おい」

 

「だってさー、女子寮の大衆浴場は男子寮と同じくやっちーたちが使ってるだろ、今。事情はわかってても俺と入れ替わった時の月魅みたいに、白岐さんくらいしか許してくれないと思う」

 

「それはカウンセラーも同じだろうが......。だからって《生徒会長》んとこにシャワー浴びに行くってどんだけ図太いんだよ、アホか」

 

「今夜は危ないから《遺跡》が近い生徒寮ではなく《生徒会長》邸宅で泊まってねって、実質お泊まり会なのでは?」

 

「やめろ、大体あってるが言い方が悪意あるぞ」

 

「他に言い様がない気がするけど」

 

「だいたいファントムが怪しいって九ちゃんに忠告されたばかりだろうが。真っ先にねらわれかねないのはお前だぞ、翔ちゃん」

 

「その私を真っ先に排除しにかかったやつがなんかいってる」

 

「いやだから、それはな......」

 

「みんなが風呂出るまで待っててよ、翔ちゃん。俺たちも待ってるからさ」

 

「嘘つけ。お前ら揃って湯冷めするからってすぐ阿門邸いく未来しか見えない」

 

「大丈夫大丈夫、置いて行かないよ、安心して」

 

「そこまで薄情じゃねえさ」

 

「マラソンで一緒に走ろうねとか、テスト勉強しないよね、って約束並みに信用できないんだけど、君達。1回私の目を見ていってみろ」

 

あからさまに目を逸らされて、私はため息をついた。そして携帯のバイブレーションが鳴ったので、そのまま携帯をひらく。

 

「あ、よかった」

 

「ん?」

 

「え?」

 

「瑞麗先生いいって」

 

「はッ!?」

 

「はいぃッ!?!」

 

「まてまてまて何だと!?何考えてんだ、カウンセラーッ!今の翔ちゃんは体と精神が融合して、男になっていくんだから気をつけろって忠告した張本人じゃねーかッ!」

 

「る、る、瑞麗先生の部屋にお呼ばれされるとか羨ましすぎるぞ、翔ちゃん!ずるいッ!!」

 

「おいこらどさくさに紛れて何言ってんだ、阿呆!」

 

「痛いッ!常識的に考えろよ、普通に考えて青少年の夢じゃないかッ、美人すぎる保健医の部屋にお呼ばれしてシャワー借りるとかッ!」

 

「うるせえよ、唾飛ばすな汚ねえな」

 

「なに騒いでるのか知らないけどさ、《遺跡》の件について対応に追われてるはずの瑞麗先生とそんな雰囲気になるわけないじゃん。あと30分もないんだよ?」

 

「ダウトーッ!そのにやにやはなんだよ、翔ちゃんッ!!」

 

「......そういや、雛川とカウンセラーとどっちが好みか八千穂が聞いたとき、カウンセラーって即答してたな、翔ちゃん。弟みたいに思われてるやつから噛み付かれると可愛い反応するもんだって」

 

「えええええッ!?なんだよそれ、聞いてないッ!えっ、マジでもう女の人好きになっちゃうレベルなのかよ、翔ちゃんッ!この裏切り者ォッ!!」

 

「いや、わかんねーぞ九ちゃん。やけに生々しいくらい具体的だったからまさか女も男もいけるとかいうオチじゃないだろうな」

 

「えええッ」

 

「君ら、いつから成績表に《想像力豊かです》って書かれるようになったんだよ。童貞もここまでくると妄想たくましいな」

 

「誰が童貞だよ、失礼なっ!」

 

「翔ちゃん、いくらなんでも言っていいことと悪いことがあるんだが?」

 

「いやだって......ほら、ねえ?」

 

「翔ちゃん、翔ちゃん、女性から男性にだってセクハラは当てはまるんだぜ?」

 

「その生暖かい視線はなんだよ、やめろ。不愉快だ」

 

「あはは、冗談だよ、冗談。この体の持ち主が童貞じゃないんだから、そこそこモテてる君らが童貞なわけないよね、わかってるって、心配しなくてもさ」

 

「はあ......デリカシーってもんがねーのか、お前は」

 

「大人のお姉さんにそう言われると新しいトビラ開きそうになるけど、翔ちゃん男の子だしなあ」

 

「いっぺん黙れ」

 

「いたっ」

 

私が吹き出しているとメールが来たのか、またバイブレーションがきた。

 

「あ、阿門とこも大丈夫みたい」

 

「......まじかよ」

 

「さすがに俺も鍵貰ってないのに入る勇気はないな~......セキュリティすげーんだもん」

 

「なんで知ってんだ、そんなこと」

 

「《ロゼッタ協会》による内部資料です」

 

「おい」

 

「まさかどっちも大丈夫だとは思わなかったな~......さあてどうするか」

 

私はメールを見比べながらひとりごちた。

 

 

 

 

 

 

阿門邸に向かう途中、私は見回りをしている双樹とばったりあった。

 

「こんばんは、5月の《転校生》さん。誰かと思ったら......たしか、江見翔、だったかしら?あたしはA組の双樹咲重。こうして直にお話するのははじめてね」

 

「そうだね、はじめまして。ややオレは江見翔。18年前行方不明になった江見睡院を探しに来た《転校生》だよ」

 

「ええ、貴方の素性については神鳳からよく聞いているわ。でも感心しないわね、《夜会》の招待客でもある貴方がそんな匂いではドレスコードにひっかかるのではなくて?」

 

「あはは......ほんとは男子寮の風呂に入りたかったんだけど、甲ちゃんたちに断固拒否されちゃってね。混んでるんだってさ」

 

「まあ......事情もわからなくはないけど苦労してるのね。特別にいつでもお風呂に入れるよう寮長に伝えておいてあげたのに、こういうときはどうしようもないってことかしら。でもだからといって、そのまま阿門様の家に行くのはどうかと思うわよ?」

 

「千貫さんがお風呂貸してくれるっていうから行く途中なんだけどね」

 

「あら......あの人が生徒を邸宅に阿門様の許可なく立ち入らせるなんてめずらしいわね......」

 

「いや、許可はとってるんじゃないかな、さすがにね?話が聞きたいんじゃない?《遺跡》の事変について」

 

「あら、そうなの。男子寮や教師の家が騒がしいと思ったら、やっぱりなにかあったのね」

 

「あれ、阿門から聞いてないの?」

 

「《夜会》の準備で忙しい主催者側の手を煩わせるわけにはいかないでしょう?それに私は阿門様がすべてなの。だから《遺跡》に興味はないわ。今夜はなんびとたりとも《墓地》に立ち入らせるなという阿門様のお達しなのよね。ふふ、お泊まり会だなんて幸運だと思いなさいな」

 

「ってことは見回り?お疲れ様」

 

「あら、ありがとう。......でも、そうねえ」

 

「なに?」

 

「どんな夜遊びをしたのかは知らないけれど、阿門様のおうちにあるもの、そして貴方の今もっているもの、全部使い切ったとしてもこの匂いは取れないんじゃないかしら」

 

「えっ、そんなに?おかしいな、今まで特に何も言われなかったのに」

 

「私は神鳳じゃないから断言はできないけれど、それが影響してるんじゃないかしらね。男と女のフェロモンは違うものよ」

 

「フェロモンにまで影響出るのか......」

 

「ふふ、そうよ。よかったら、今から水泳部の部室に来なさいな。私が《夜会》にふさわしい香りを調合してあげるわ。ついでにシャワーを貸してあげる。ずっと気になっていたのよ、もうすぐ12月に入るというのに、お風呂すら何時間も待たなきゃいけないなんて身体的にも精神的にもよろしくないわ」

 

双樹は私に水泳部の部室の鍵を渡してきた。

 

「あ、ありがとう......でもどうして?」

 

「実はね、同じ女として同情していたのよ。見ず知らずの男の体になった上にその体と同化していくだなんて。そのうち、なにもかもが男になるなんて、恐怖でしかないもの。シャワーくらい自由に使えないとやってられないわよね」

 

「うん、たしかに。その点についてはまったくもってその通りなんだけど」

 

双樹は笑った。

 

「あなた、今の体になる前、人を好きになったことがあるでしょう?ならわかるんじゃないかしら。誰かを好きになったとき、清潔にできないなんて発狂したくなるわよ。男だろうと、女だろうとそれは変わらないんじゃなくて?」

 

「あはは......今の体で誰かとどうこうとは考えられないかな......いつかは返さなければならない借り物だ。自分のものには出来ないよ」

 

「あら、理性なんて愛の衝動の前には無力よ?」

 

「知ってはいるけどね......そういう気分になるかどうか想像力が働かないのは事実だから」

 

「あら......可哀想に、まさかあなた皆守みたいに枯れてるの?」

 

「枯れてない枯れてない。というかよりによってなんで甲ちゃん?」

 

「よく一緒にいるじゃないの、葉佩と3人で。だから類は友を呼ぶのかと」

 

「じゃあ行きましょう。阿門様には私が付き添いをすると伝えておくから」

 

私はプールに連れていかれたのだった。

 

プールサイドには白く塗られた監視台があり、体格の良い指導員がプールの眺めるための台がいくつもある。プールが満月の光をちりばめたように光っている。半透明のゼリーのように見えるプールは、なにかかき混ぜてあるのかもしれない。

 

年中温水プールがあるだけあり、施設は全体的に新しい印象だ。双樹が鍵を開けて電気をつけてくれた。

 

「私、女子更衣室で香りの調合してくるから、終わったら連絡ちょうだい」

 

「え?あ、うん、わかったよ」

 

渡された連絡先の紙を受けとり、プールの施設並に広いスペースに戸惑いながら私は男子用更衣室に向かった。

 

洗濯乾燥機などがある。私が持ち込んだのは《ロゼッタ協会》から支給されている特殊な洗剤や柔軟剤である。あと匂いに特化した薬品。洗濯物をネットに入れて、洗濯乾燥機を回す。これがなかったら私は《宝探し屋》だと速攻でバレていたに違いない。

 

これで落とせないものは無いはずなんだけどなあ。やっぱり体臭に染み付いたんだろうか?念入りに洗わなくては。

 

着替えを済ませて、ロッカーの鍵をしめる。ロッカーキーは手首につけ、シャワー室に向かった。

 

さっさと入ろう、気持ち悪い。間仕切りのカーテンをひいて、私は入った。汗みどろになったあとのシャワーの気持ちよさは格別だ。水を全身がむさぼり食うような感じになる。

 

思い存分髪や体、顔を洗った。洗っても洗ってもねちねちと取り切れなかったものが、さわれば手が切れるほどさばさばと油が抜けて、頭の中まで軽くなる。

 

肌が痛むのは知っていたが、悠長なことはいっていられない。タオルを手に取って顔をごしごしと拭くと、パイル地が皮膚にこすれて心地良い痛みが伝わった。

 

全身を洗うのにすごく長い時間がかかる。歯を一本一本取り外して洗っているんじゃないかという気がするくらいだ。シャワーに入って石鹼で嫌な匂いのする汗を洗い流していく。

 

あとはもう匂いが落ちるように祈りながらひたすら頭や顔や体を洗っては流す作業をくりかえす。タオルを嗅いでみて、ダメそうならまた一からだ。

 

そのうちだいぶ薄まってきて、さらに続けたらようやく気にならなくなった。カーテンや壁や床をを念入りに綺麗にする。よかった、水泳部が入る時に不快になったら困るし。匂いは残らなかった。

 

念入りにをふいて体をふいて、洗濯乾燥機から制服を回収する。ロッカー前で着替えを完了した。

 

「えーっと、これでよし」

 

メールを送ると玄関前の広間にいると返ってきた。

 

「お待たせ」

 

「あら、ずいぶんと手荒く肌を擦ったのね......保湿はしてるみたいだけど、将来シミになるわよ」

 

「わかる?なかなか匂いがとれなくてね」

 

「気持ちはわかるけど、無理をしてはダメよ。お肌の大敵なんだから。よかったらこれも使ってみたらどう?」

 

渡されたのは高そうな容器に入った保湿ジェルだ。

 

「なにからなにまでありがとう」

 

「いいのよ。私がやりたいだけだから。うーん......私の見立てどおり、やっぱり匂いが消しきれていないわ。これ、使ってみて」

 

渡されたのは香水だ。双樹はこの香りで特定の記憶を消したり、特定の状態異常にすることができる力がある芳香師、もとい調香師だ。

 

数千種類におよぶ香料の中から組み合わせて、新しい香りを作りだす専門職、香りを作り出すスペシャリストである。

 

約6000種類以上もある香料の中から組み合わせをするため、香りの知識だけでなく、その基本となる化学的な知識や、芸術的なセンスや感覚、時代のニーズや流行りを読む力も求められる。

 

學園祭でネイルサロンをしているから、こちらで卒業したら働くつもりなのかもしれない。ついでに別作品では皆守がアロマショップのアルバイトをしているから、そこの店員である可能性も無きにしも非ずである。

 

「なんの香り?フレグランス系だね」

 

双樹は笑う。

 

「なんだと思う?」

 

「ラベンダーじゃないのはたしかだね。なんだろ、メンソールみたいな、柑橘系みたいな......」

 

「そうね。シトラスやローズマリー、あたりが入っているわ。精神をおちつけて、記憶や判断力に関して効果が得られる」

 

「そっか、ありがとう。いっかい男子寮に帰って試してみるよ」

 

「ええ、ためしてみて。それじゃあね」

 

双樹と学生寮前で私は別れたのだった。一応自室でH.A.N.T.の解析にかけてみたが問題なかったので、試してみよう。



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月光のさす場所9

《夜会》の会場は、《墓地》から遠くにあるという事実からか、あたりの空気が静かで明るいように錯覚しそうになる。外の暗闇が《遺跡》のあたりをただよう怨霊すら生贄にして、ある種の踏み絵として機能しながらも。次の一年の封印にそなえて力を蓄えるために捉えている数多の魂からエネルギーを奪い取る鎮魂の儀式から遠ざけてくれている。空気がいちばん親しく私達を包んでくれる。

 

大部屋の空気の変化に私は気づいていた。熱気が色濃くなっているのに、奇妙なほど落ちつき払っている。喧騒は相変わらずだが、殺気立ったところがない。さっきまで部屋中を包んでいた、ヒリヒリとするような乾いた空気が、微かだが湿りけを含んでいるようにも感じられる。  

 

《生徒会》や《転校生》がしきりに外を気にしながら、パーティを盛り上げようとしているからだろうか。《執行委員》や同行者(バディ)のみんなは気づいていながら、交流を楽しんでいた。

 

こんな伸々と自然のままな姿で生きていられる世界もあるのは、學園祭だけだと思ってた。

 

お城のように暖かく安心で、満たされていて、タオルから食器から室内ばきまでみんな趣味がいいインテリア、何も私をかき乱すものはなく、会社の何もかもがざわめく風景のように遠くにある。

 

明かりのこうこうとついた室内の暖かい空気の中、現実の位相から微妙にずれている花園にいるようなものだった。そのことに、誰もがはっきりと気づいている楽しい時間だ。そして限りがある。いつまでも続くわけがない。

 

何でもない夜中の会話のすばらしさは、それにぴったりと寄り添っている空間の匂いだ。人と同じ部屋にいて、でもじぶん一人でいるよりも自由で、心強い。言葉以外の多くに何もかもが香り立つようにふくよかだ。

 

手擲弾でも投げつけたような音だった。クラッカーを誰かが鳴らしたのだ。うねって来る色テープの浪。ぶわっと散る雪紙の中で、《夜会》が始まる。

 

グラスのぶつかる音、たべる音、足音、マッチをする音、ライターの音、客たちのおしゃべり、笑い声、挨拶、ムード・ミュージックのすかした響き、などがまじりあって作るざわめき。

 

会場は広く、大きなテーブルのうえの銀の食器には色とりどりの料理が並び、カトレアをかたどったいくつもの小さなシャンデリアが照らす下で、たくさんの仮面をつけた生徒たちが談笑していた。今夜だけは無礼講だ。画面の向こうが誰かは秘密なのだ。制服姿で特徴的な生徒が多すぎるために仮面が意味をなしていないのだとしても。

 

やがてBGMがかわる。取手のピアノだ。私は拍手した。つられでまばらな拍手が広がる。取手は照れたようにわらった。ダンスがはじまったのだ。

 

少し大きく動くと他にぶつかってしまうほどたくさんの男女が踊っている。光と音楽とざわめきの洪水を掻き分けて表へ出る勇気はなく、私は窓際で食事を優先していた。

 

「なにがっついてんだよ、お前」

 

呆れ顔の皆守に声をかけられた。

 

「お前は肥後か」

 

「甲ちゃんのせいで夕食まだだったからね」

 

「はあ?阿門からの呼び出しは8時からだろ?」

 

「食欲わくと思う?気分ばかりがせいて7時半頃からウロウロしてたよ」

 

「......だから来てくれるのが早かったのか」

 

「まあね。そういう甲ちゃんはどうしたんだよ、九ちゃんは?」

 

「八千穂に捕まってどっかいった」

 

「あはは。踊らないの?」

 

「はあ?誰がだよ、誰が」

 

「あ、ちょっと勝手に食べるなよ、まだ試してないのに」

 

「少なくても俺はお前よりは楽しもうとはしてるぜ。しゃべろうとはしてるわけだからな」

 

「数合わせの婚活パーティーや合コンでがっつり食べて帰る私に羞恥心などない」

 

「やめろ。なんかやめろ。んな生々しい話聞きたくねえよ」

 

小突かれた。皆守は機嫌がいいから、《生徒会》と和解したんだと思われる。よかったよかった。

 

床と天井をのぞけば、テーブルも壁も装飾品もぜんぶが一級品で、ガ至るところに巨大な観葉植物が配されている。 生徒たちは思い思いにダンスしている。この体の記憶に頼れば私も踊れるがそんな勇気はなかった。

 

「ところで、なんだその変なにお......」

 

「か、彼氏だなんてそんな」

 

照れまくりのやっちーの声がした。ダンスホールの中心がさっとひいていく。どうやら双樹と葉佩のダンスが始まったようだ。左手を腹に、右手を背中へ回し、ダンスパーティーで見せるかのように丁寧にお辞儀をする。

 

古ぼけたビクターの蓄音器が据えてあって、磨り滅ったダンスレコードが暑苦しく鳴っていた。それでも二人の足取りはダンスのように軽かった。

 

やっちーはあわあわしている。双樹が葉佩に超至近距離で話しかけているからだろう。葉佩もなにか受け答えしている。やっちーが阿門に話しかけられて顔を上げた。どうやらあのダンスはそういう体勢で行うものだから心配するなとでも言われたようだ。耳まで真っ赤になったやっちーがぶんぶん首をふっている。

 

「違いますううう───────!」

 

しん、となってしまった会場の中心で我に返ってしまったやっちーは悲鳴をあげた。双樹は葉佩から離れ、やっちーのところに向かう。そしてやっちーの手をとると葉佩の近くまで連れていき、そのままダンスをはじめてしまった。

 

「無理無理むりです、やったことないよ~ッ!」

 

双樹に先導されてなんとかぎこちないながらも、なんとか必死についていく。真っ赤で高そうなドレスを踏んづけてこけるという大惨事から免れたやっちーは解放された。すでにぐったりしていたのだが、今度はめっちゃ笑顔の葉佩に手をとられてしまう。

 

「きゅ、きゅ、九チャンッ!?待って待ってまってええー!」

 

私は携帯でずっと撮影していた。記念だ記念。きっといい思い出になる。なにも起こらないうちに写真をとらなければ。2人を眩しそうに見ている皆守もとる。なにしてんだという顔の皆守の後ろに回り、ぐいぐいおしてやる。

 

「おい、なにしてんだ、翔ちゃん!?」

 

「九ちゃん、九ちゃん。親友おいてきぼりにしたらダメだろ、可哀想だよ」

 

「はあっ!?おいこら、翔ッ!」

 

「甲ちゃん!」

 

「皆守くん!」

 

私に押されているせいで避けられなかった皆守は、葉佩に抱きつかれてさらに上からやっちーに乗っかられて潰れた。

 

「あとはごゆっくり~」

 

私はぎゃいぎゃい吠えている皆守とは目を合わせることなく食事スペースに戻ることにする。なにが変な匂いだ、失礼なやつめ。ラベンダーとカレーしかわからないお前にだけは言われたくないぞ、皆守。

 

食事はビュフェスタイルで、数えきれないほどたくさんの前菜、カレー味や麦入りのスープ、それに羊肉のローストや煮こみ、ビーフシチュー、魚のフライ、エビや肉だんご入りのカレー料理が、ところせましと並んでいた。

 

ちょいちょい気になるものをつまみながら、私は窓の近くで外を眺める。仮面をつけているせいで眼鏡がかけられなくなった私の視界には、大気の流れが奇妙な色を伴っているのが明確に見えるようになっていた。

 

ダンスホールの会場の隅から隅まで歩いた歩数や叩いた柱や壁、床の響きから察するに広さはだいたい把握した。阿門邸に案内されたときに間取りはだいたいみたから、《ロゼッタ協会》の内部資料となんらかわらないことが判明したのでやることは簡単だ。

 

私は目を閉じた。JADEさんに教えてもらった方法で頭の中に具体的な映像を描き出し、大気の流れを観測する。ふたたび目を開く。目が異様に熱くなる。おそらく今の私の目は黄色だ。

 

「......異常なし、か」

 

恐らく一番封印が弱まるであろう真夜中にむけて、私は眠くならないように話し相手を探しに行くことにした。

 

真里野になぜ七瀬がいないのか泣かれたり。墨木がぼっちで食事をしているから声をかけたり。タイゾーちゃんと食べたい料理がかちあって盛り上がったり。菜々子ちゃんに連絡先を教えてもらったり。取手を労いにいったり。リカちゃんに料理をとってあげたり。

 

お怒りの皆守から逃げ回るべく仲間たちのところをぐるっと回っていた私は、声をかけられた。

 

「......あの、少しいいですか?」

 

知らない女子生徒だった。仮面をつけているからわからないが、華奢だが色つやが良く、はじけそうな肌をしていた。きゅっと締まったふくらはぎに黒い革靴、制服にあどけない顔。不思議に明るい色気があった。

 

「江見翔先輩......ですよね?」

 

どうやら下級生である。

 

「そうだよ、はじめまして」

 

「はじめまして」

 

ぺこりと頭を下げた。

 

「実は先輩に聞きたいことがあるんです」

 

「聞きたいこと?」

 

「はい。友達に頼まれたんです」

 

「友達に」

 

「《夜会》に選ばれなかったから」

 

「ああ、なるほど。それで、なにかな」

 

「先輩には好きな人っているんでしょうか。七瀬先輩ですか?それとも葉佩先輩?」

 

「......まって、なんでその2択なんだよ」

 

「え、だって噂が......」

 

「あはは......月魅は大事な友達だし、九ちゃんは恩人だよ」

 

「恩人?」

 

「オレがこの學園に来たのは行方不明になった父さんを探すためだ。九ちゃんのおかげで失踪の理由がわかりそうでね。だから恩人」

 

「そうなんですか」

 

「そうだよ」

 

「どれくらい大切な恩人なんですか?」

 

「うーん、そうだな......。いちばん怖いのは、九ちゃんが死ぬことってくらいには、大事かな。九ちゃんがオレの希望なんだ」

 

するりと言葉にでるくらい、私の中で決まっていた。

 

「九ちゃんがいなかったら、たぶんオレはなにもできないまま卒業してたからね。もし九ちゃんになにかあったら、なんて考えたくもないよ」

 

「葉佩先輩、《生徒会》と対立してる《転校生》ですもんね、なるほど。わかりました、ありがとうございます。友達につたえておきます」

 

「うん、友達によろしくね」

 

女子生徒は去っていった。

 

「......今どんなことになってるんだろうなあ、噂......」

 

ちょっと不安になった私だった。気づけばもう1時を過ぎようとしている。そろそろ牛の刻だからまた阿門邸を調べてみよう。私はまた意識を集中させようとした、その時だ。

 

携帯電話が鳴った。私だけではない、この場にいる全員の携帯電話が鳴りだしたのだ。一瞬にしてあたりは静まりかえる。......来てしまったようだ。私はメールをみた。

 

「きゃああああ!」

 

耳をつんざく悲鳴があたりに木霊する。あわててそちらをみた私は、さっき話しかけてきた女子生徒が空中に浮き上がっているのを見た。じたばたしているのに、勝手につりさげられていく。それを見た一般生徒が騒ぎ出す。私はあわててそちらに向かって駆け出したのだった。

 



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月光のさす場所10

突然、何かが静電気を発したかのような、怪しい音が響き渡る。女子生徒が重力を失ったかのように宙を舞い、シャンデリアに磔になった。

 

「うわあああッ!?な、なんだ、アレ!!」

 

「お、女がッ、浮いてる───────!!」

 

「見てッ!!か、髪が......シャンデリアにくっついてる......?」

 

「何なのあれッ......ねぇ、何がどうなってるのよッ!!」

 

私はシャンデリアの真下にかけつけた。

 

「甲ちゃん、瑞麗先生に連絡頼むよ」

 

「おい、どうするんだ!?」

 

「いいから早くッ!」

 

「ちッ」

 

やっちーがカーテンの向こう側に人影をみたと葉佩に叫んでいる。葉佩はすかさず窓を開けた。

 

「誰だッ!」

 

トトらしき人影が去っていく。やっちーはトトの周りの物体が浮遊しているのを目撃したようだ。トトが力をといたせいかシャンデリアから落ちてきた女子生徒を私は受け止めた。さすがに高さがあったから尻もちをつく。やっちーと葉佩が後を追う。葉佩たちが心配になったのか、墨木たちがあとから追いかけていくのがみえた。あたりは異様な雰囲気に包まれていく。

 

「犯人が逃げたッ!みんな外に出ないで、何されるかわからないよッ!!」

 

パニック状態になり屋敷の外に出るなんてとんでもない死亡フラグをぶったてようとする一般生徒を牽制する。大声で叫んだ私に誰もが息を飲んだ。

 

また携帯電話が鳴り響く。

 

受信日:2004年11月22日

送信者:(空欄)

件名:(空欄)

ころろ ころろ

天神様のこの坂は

五人で通らにゃ抜けられぬ

 

ひとりは、髪を縛って置いてきた

ふたりは、歯を折って置いてきた

さんにんは、剣を刺して置いてきた

よにんは、桃を投げて置いてきた

 

ころろ ころろ

誰が抜けたかこの坂は

ひとりが、石で塞いでぬけたとさ

 

また来た。

 

受信日:2004年11月22日

送信者:(空欄)

件名:2人目はお前だ

 

「───────ッ!?」

 

「どうした?」

 

「このメールって......まさか5番目の童謡の......」

 

「1人目の女の子はシャンデリアに髪の毛が絡まってて......次はってまさか」

 

「作り話じゃなかったのかよッ!お......俺、帰るわッ!」

 

「おい、どうしたんだよ、おいってば!」

 

私はすかさず叫んだ。女子生徒を受け止めて尻餅ついたせいで動けないのだ。

 

「落ち着け、周りをよく見ろよッ!みんなおなじメールが来てるだろッ!外に犯人が逃げたっていってんのに、わざわざ襲われに行くやつがあるかッ!!」

 

「でも送信者がッ!!」

 

「返信か転送のボタン押してみろッ!非表示になってるだけで送信者がわかるからッ!」

 

「───────......学校のパソコンから来てるッ!!今の時間帯に誰がパソコン室にいるっていうんだよ!」

 

「誰がいようが問題じゃない。心霊現象じゃなくて人間がやったのが問題なんだよ。誰かが《夜会》を台無しにしようとしてるってわかっただけで十分だろうが。時間差なんて初めから設定しとけば送れるよ。パソコン使ったやつとさっきの犯人と2人もいることがわかったじゃないか。お前、二人がかりで外に出て襲われたいのか?馬鹿なのか?」

 

こういう時にはでかい声でそれっぽいことを叫んだ方が勝ちとなる。女子生徒が超常現象で襲われたとしても、犯人が外に逃げていて、葉佩たちが追いかけていった今となってはここにいた方が安全だ。そう力説する私にだんだん周りが落ち着いていく。外に出ようとしていた男子生徒はおちつかないのか、携帯電話を握ったまま不満げな顔をしてちらちら窓の外を見ていた。

 

「何をさっきからうっておるのだ?」

 

真里野だった。男子生徒が携帯電話でなにかしているのが気になったらしい。

 

「な、なんだよ、いきなり!」

 

「ふうむ?なぜさっき来たメイルに返事をしようとしておるのだ?」

 

「なんだと?」

 

皆守がよってくる。

 

「もしパソコン室にまだ犯人の仲間がいたら危ないじゃないか。戻ってくるかもしれないぞ」

 

「そっ......それは......その......」

 

「......よく見りゃお前、うちの探偵喫茶で食い逃げした野球部だったな?あんときの腹いせか?」

 

「それは誠か?」

 

「あァ、九ちゃんときっちり回収したから覚えてるぜ」

 

瑞麗先生に連絡が終わったらしい皆守が男子生徒の腕を締め上げる。

 

「いたいいたいいたいっ!」

 

「なるほど、爆弾魔騒ぎの首謀者と同じ野球部か」

 

「あいつと仲がよさそうだったが、まさかお前もファントムの信奉者か?」

 

その言葉に男子生徒の態度が豹変した。

 

「なにもかも《生徒会》が悪いんだッ!ならファントム様に學園を変えてもらってなにがわるいッ!!」

 

「なるほど、じゃあ共犯者だと認めるんだな?陽動するつもりで騒ぎを起こして」

 

「まさか歯を折る2人目になるつもりだったのかよ......どこまで阿呆なんだ......」

 

「なにをいうんだッ!そのためなら全部の歯を折ったとしても構わないッ!当然の犠牲だッ!」

 

ファントムの信奉者。皆守の発言で一瞬にしてダンスフロアにおける男子生徒に向けられる視線が冷たくなった。皆守と真里野に捕獲され、さらに元《執行委員》たちに囲まれ、往生際悪く男子生徒はあがいている。興奮しているせいか、さっきからいってることが支離滅裂だ。

 

あいかわらず《生徒会》に対する風当たりは強いままなのだが、一般生徒に深く浸透してしまい潜伏しているファントムの信奉者による騒動はつづいている。元《生徒会執行委員》が解決する小競り合いが続いているせいか、ファントムに対する一般生徒の風当たりも悪くなってきているのである。

 

武装闘争みたいな合法的手段によらず、暴力で敵を打倒するなんて平成の世になってからはあまりにも時代錯誤な方法である。生徒たちを味方に付けたいならもっとうまくたちまわればいいものを。やいつの時代も末端の教育がなってないのは世の常なのかもしれない。

 

「厳十郎」

 

阿門の言葉に誰もが静まりかえった。

 

「はい」

 

真後ろにたっていた千貫さんが返事をする。

 

「つれていけ」

 

「了解いたしました」

 

「ひっ......」

 

男子生徒は硬直したまま動かなくなる。あーあ、知らないぞ。イギリス空挺部隊にいた境のじいさんと因縁があるあたり千貫さんもただものじゃない雰囲気がびしばしするから、どんなイギリス仕込みの拷問をされるのか想像するだけで怖すぎる。男子生徒は無抵抗なまま千貫さんに連れていかれてしまった。戦々恐々とした様子で生徒たちは様子を見守っている。

 

すると空気を読まない携帯電話がありとあらゆる方向から鳴り響く。

 

受信日:2004年11月22日

送信者:(空欄)

件名:3人目はお前だ

 

メールの着信だけでなにも起こらない。

 

受信日:2004年11月22日

送信者:(空欄)

件名:4人目はお前だ

 

やはり、なにも起こらない。安堵の雰囲気が広がり始める。

 

「やはり時間で設定しているようだな」

 

「すごいでちゅね~、江見クンッ。僕とっさに思いつかなかったでちゅよ~」

 

「デ部部長が思いつかないなら、誰も思いつかねえな」

 

「昔取った杵柄だよ。人間の恐怖を換気させるには、得体の知れないものや静かに忍び寄ってくる方が怖いだろ?テレビや映画であるじゃないか」

 

「貞子とか?」

 

「そうそう」

 

しばらくして、千貫さんが戻ってきた。瑞麗先生を呼んできてくれたようだ。

 

「シャンデリアに磔にされたっていう生徒はこの子かい、江見」

 

「はい、そうです。気絶してるだけみたいなんですが、一応動かないようにはしてました」

 

「ああ、見ればわかるよ。受け止めるのに精一杯だったようだね。じゃあ、適当な部屋に運ぼうか」

 

「ではこちらに」

 

千貫さんが女子生徒を抱き起こす。瑞麗先生は未だに目を覚まさない女子生徒をつれて、ダンスフロアから去っていった。

 

ようやくダンスフロアが落ち着きを取り戻したころ、阿門が《夜会》の終了を宣言した。そして、千貫さんが客人たちを来客用の部屋に案内していく。さてどうしようか考えていた私の携帯電話がなる。

 

受信日:2004年11月22日

送信者:(空欄)

件名:5人目は私だ

 

嫌な予感がしてメールを読み返す。

 

「どうした、翔」

 

 

受信日:2004年11月22日

送信者:(空欄)

件名:(空欄)

ころろ ころろ

天神様のこの坂は

五人で通らにゃ抜けられぬ

 

ひとりは、髪を縛って置いてきた

ふたりは、歯を折って置いてきた

さんにんは、剣を刺して置いてきた

よにんは、桃を投げて置いてきた

 

ころろ ころろ

誰が抜けたかこの坂は

ひとりが、石で塞いでぬけたとさ

 

私はいてもたってもいられず阿門邸を飛び出したのだった。



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月光のさす場所11

黒い空に銀紙でも張ったような明るい月が冴えた光を放っている。暗くにごった墓石に青みがかった光を浴びせている。様々な事物の影を長くのばし、まるで薄めた墨でも塗ったようにほんのりと淡く、墓地の一画をえんえんと横ぎっていく。

 

無数の死を築く墓地の方からは、私の毛髪の一本一本を根元から根こそぎ奪っていきそうなくらい冷めたい風が吹いて来て、私の気分を澄んだ秋の空気の底に沈めていく。

 

そのとき私を襲った感情は、怒りでも無く、嫌悪でも無く、また、悲しみでも無く、ただ穏やかさだけがあった。

 

もとはといえば、《宝探し屋》が行方不明になるたびに墓守に埋めなおされていたはずの《遺跡》の入り口が、次の《宝探し屋》が来るたびに掘り返されるのは、境の爺さんが犯人だ。彼はイギリスの空挺部隊にいたこともあるし、横から戦果をかすめとるから同業者からは嫌われているが《ロゼッタ協会》からの評価は高い困った人間である。なんでも宝に続く回廊を探り当てる力があるらしく、入り口だけはあけておいて葉佩たちにやらせるだけやらせてから横取りする算段なのだ。

 

その入り口を塞ぐとしたら誰か。

 

《夜会》の開催理由からするに《生徒会》はない。ファントムは陽動目的かつ葉佩に《遺跡》を一刻も早く暴いて欲しいからありえない。夕薙は《夜会》にはこれないが、《墓地》から腐乱死体を回収する私達を小屋から見ているはずだから深入りはしないだろう。

 

ならば、可能性があるのは一人だけだ。

 

「───────父さん......」

 

あの日以来だった。江見睡院は明らかに老けていた。ひと目見た瞬間に、突然、ものすごい懐かしさと親しみを感じた。生き別れた父親が私に本当にいるとするなら、実際に会ったとき、こういう気持ちになるのかな、とさえ思った。

 

会っていなかった時間をずっしり感じた。 これが魅入られているというのだとしたら、案外悪くはないのかもしれない。

 

「......また、来てしまったんだな、翔」

 

親としての愛情恋愛関係に発展しない、好きを感じる。声は低く、力強く、とても耳に心地いい響きを伴っている。威厳のある中にどことなく優しい所のある江見睡院がそこにいる。

 

「何度だって来るさ、父さんを助けるためなら何度だって」

 

「来ないでくれと願いながら、会えて嬉しい私がいる。許してくれ」

 

今の江見睡院の中にはいったいどんな姿かたちをした意識が身を潜めているのだろう。それともそこにはもう何ひとつ残されていないのだろうか。気配も残さず消え失せてしまったのだろうか。

 

葉佩と私の前に現れた昼間の江見睡院となにひとつわからない存在がそこにはある。長い時間によって培われたものは、それほどあっけなく無の中に吸い込まれたりはしないと信じたいが、私はいまいち自信がもてないでいた。

 

それなのに私の胸の中に、次第にお父さんと会えたという、本来ならありもしない喜びが、水のようにわいてきている。

 

江見睡院は眼を細めて私を眺めていた。まるで自分の子供の成長を見にこっそり見にきた父親のような顔をしている。

 

それから江見睡院はなにも言わない。喜びもしない代わりに嫌がることもない。私もほとんど会話をしなかった。なんといっていいか、わからなかった。

 

一言の苦痛も私には訴えず、耐えようとしている。父親の情愛から生じたその忍耐はかえって私の魂を圧しつけた。

 

「一つだけ教えてくれよ。なんで、オレが翔だってわかったの?」

 

江見睡院の瞳が揺れた。

 

「母さんに聞く機会はなかったよね?」

 

江見睡院は長い長い沈黙のあと、口を開いた。

 

「あるさ」

 

「え」

 

「あったさ、一度だけ」

 

「いつだよ」

 

「私が───────殺すときだ」

 

「母さんは生きてるよ、父さん」

 

「本当にそれは母さんなのか?私が愛したのは、彼女だけだった。最初で最後だった。他には誰もいないんだが」

 

「......翔っていったの?その人は」

 

「ああ」

 

「......」

 

私は鳥肌がたってしまった。江見睡院は本気で信じ込んでいた。

 

突然、津波のように淋しさが襲ってきた。 もう会えない、一緒に暮らせない。 言葉ではさっきからわかっていた、何でそんな簡単なことが実感できなかったんだろう、と自問してみたら、ひとりきりになってなかったからだ、と気づいた。  

 

今はじめてこの夜の中、江見睡院と向き合った。荒れて、ひんやりした、父親不在のこころもとない感じ。 別れの、絶対的な孤独の感じ。  この空間の不自然な沈黙の意味に気づく。空気が、別れの気配を吸い取って静かによどんでいる。

 

どんなに言葉で言おうとしても、その圧倒的によせてくる淋しさの力にはかなわなかった。  

 

「江見翔と名乗るのは、それしか考えられない。だから私はわかったんだ。だから《遺跡》に来て欲しくはなかった。彼女のように手にかけてしまう日が来るからだ。私はもう手遅れなんだよ、翔」

 

「その日が来るのを恐れて、埋めようとしてるの?」

 

「......そうだな」

 

「父さんがきっかけで《宝探し屋》になった九ちゃん達を?」

 

「......ああ」

 

「もろとも生き埋めにするために?」

 

「......葉佩九龍、だったかな。彼は優秀だ。今までこの《遺跡》に潜入を試みた者は誰一人として私のメモの存在にすら気づかなかった。だが彼はたしかに私の痕跡を辿り、最深部に近づこうとしている。かつてのロックフォードを彷彿とさせる、勇猛果敢な青年だ。だからこそ、私は恐ろしくなった。もはや私だけの意識ではその衝動を止められない」

 

江見睡院は私の目を真っ直ぐに見ながらいった。

 

「私はもう手遅れだ、翔。私の意識は数多の犠牲者達の魂と混ぜ合わされ、もはや残っているのはこの体だけだ。今こうして意識が浮上していられるのも利用価値があるからにすぎない。これ以上近づかれたら私は......」

 

「近づかれたら、なに?」

 

「..................みなまで言わせないでくれ」

 

悲痛な言葉が墓地に響いた。私は息を吐いた。

 

「父さん......その言葉だけは聞きたくなかったよ」

 

自分でも驚くくらいに底冷えする声が響いた。私の本能が根拠不明の感情など毅然とした態度で切り捨てろと叫び始め、こころがみるみるうちに凍りついていく。

 

江見翔という存在そのものにモデルがいたとは思わなかったが、私が演じている江見翔という存在は虚構そのものだ。この學園に転校してくるより前のことはすべて惨めな夢のようなものに過ぎない。卒業したらどこかに捨て去ってもなんら問題はない。いくら私が江見翔であろうとどれだけ努力しても、ことあるごとにその惨めな夢の世界から引き離される運命にあるのだ。

 

自分が手にしているもののほとんどは、その暗い土壌に根を下ろし、そこから養分を得ている。諜報員はそういう存在だ。

 

哀れな勘違いをしている江見睡院の望むような存在を最後まで演じるということは、葉佩を見殺しにすることになる。そんなことできるわけがないだろう。

 

眼底の奥が焼けるように熱くなる。私は無意識のうちに忍ばせていた銃を構えていた。破邪効果の見込めるブローチは江見睡院から送られてきたものだ、通用するとは思えない。正体不明の生命体とはいえ、中身はショゴスやアブホース、ハスターリク、さまざまな邪神の遺伝子が混ぜ合わされた粘着質の生命体なのだから、魔法攻撃かつ貫通効果が見込める方がいいだろう。なら、冷凍か電気か、私は冷静に電気の力を宿した宝石をセットした。

 

「九ちゃんに危害を加えるなら、オレは父さんを排除しなくちゃいけない。どんな手段を使おうとも」

 

目が焼けるように熱い。おそらく今私の目は黄色に染まっているに違いない。真っ直ぐに銃口を向ける私の向こう側には悲しそうな顔をした江見睡院がいた。そこに殺意はない。私は引き金をひいた。

 

「アラーヨ……オ救イ下サイ」

 

「───────ッ!?」

 

電気銃がはじき飛ばされた。それだけではない。ありとあらゆる物質が空を舞う。私はもちろん江見睡院も攻撃手段を一瞬ではあるが喪失する。私は後ろに飛びのいた。

 

「翔、聞こえるかばかやろぉッ!!早まっちゃダメだって!諦めちゃダメだって約束したじゃんかッ!!肉体も精神もまだ残ってるって言質取れたんだぞ、なんの問題があるんだよ、しっかりしろよッ!!」

 

埋められかけていた入り口から声がする。私は灼熱の熱さから解放されてしばしばする視界の中で、江見睡院の口元がにやりと弧を描くのがみえた。

 

「昼ならまだしも今は夜だぞ、夜ッ!しかも丑の刻ッ!江見睡院さんの意識乗っ取られてるに決まってんだろーが、肉体破壊したら手遅れなんだぞ、忘れてないだろうなッ!?」

 

「......ごめん、九ちゃん。頭に血が上ってそれどころじゃなかったよ」

 

「ほらみろやっぱりぃいいいッ!そこでじっとしてろ、馬鹿翔ッ!!」

 

私は完全に我にかえってしまい、笑うしかなくなる。なんて滑稽なんだろう、あれだけ忠告されていたのに一人でまた《遺跡》にいこうとするなんて。

 

舌打ちが聞こえた。

 

「あと少しだったのに」

 

江見睡院の中にいるなにかが嘲笑したのを聞いた。顔を上げると一陣の風が吹き抜けるだけで何も残されてはいないのだった。私はその場に崩れ落ちてしまう。溢れてくる涙は誰のために誰が流しているものなのか、全くわからないのだった。

 



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俺の血は他人の血

おれの血は他人の血

 

2004年12月1日水曜日昼休み

 

瑞麗先生の診断により過換気症候群(かかんきしょうこうぐん)と病名がついてしまった皆守は、不本意ながら保健室に定期的に通い始めて2週間になる。

 

病気の成り立ちについて詳しく説明をうけ、対処法を指導されることで、発作に対する不安を軽減すると発作が抑制されるためだ。皆守の場合、《生徒会》と《墓守の責務》、《代償の記憶》という三重苦があるために、全てから解放されないと完治は臨めないだろう。瑞麗先生は発作を繰り返したり、頻発したりする場合は、抗不安薬の処方も考えているようだが今は現状維持のようだ。カウンセリングを継続して行うことしかできないという。

 

皆守自身は堂々と保健室に入り浸る理由が出来て喜んでいるようだった。さすがに12月に入ってから屋上で昼寝ってのもきつくなってきたらしい。

 

「だからって保健室でカレーパンは怒られるだろ、甲ちゃん。献上する九ちゃんも大概だけどさ」

 

「だって~、クエスト形式でメール送られると体が疼いちゃうんだよ~ッ!そこそこな報酬もらえるからつい」

 

「クエストやりすぎだよ、九ちゃん」

 

「いーや、ここまできたら行ける所まで潜るんだ蝶の迷宮!」

 

「どうやら今夜も強制連行らしいぞ、翔ちゃん」

 

「あっはは~......たまには休ませてくれよ......」

 

「やだ。翔ちゃん、目の色が変わり始めてからH.A.N.T.の補正半端ないんだもん。精神値マイナスがさらにでかくなってるけど潜る分には問題ないしなッ!」

 

「どんだけマイナス補正あるんだよ、おい」

 

「戦う分には精神異常に掛かりやすくなる程度で気にならないし~。殺られる前に殺れば問題ないだろ?甲ちゃん最近よく回避してくれるし!」

 

「お前が射程距離間違えてるだけだろうが。翔ちゃんのサポートあるくせにぐいぐいつっこみやがって。危なっかしいんだよ、阿呆。ウトウトする暇もねえ」

 

いやそれ、ウトウトしないならただの見切りでは?最近の皆守取り繕うのさえ億劫になってきたのか、回避するとき葉佩蹴飛ばしてるけどさ。そんなことを思いつつ、売店前でばったりあった私は焼きそばパンを袋に入れた。

 

「あれ、翔ちゃん。もしかして、今から調べ物?」

 

「そのつもりだけど、よくわかったね」

 

「最近の翔ちゃん、特に予定がない時は香水してるだろ?今日はしてないみたいだし、わかりやすいな~って思ってさ」

 

「何度もいってるが、翔ちゃん。《生徒会》からもらったアロマ使うとか何考えてんだ。カモミールだろ、あれ。翔ちゃんにはあってないからやめた方がいいぜ」

 

「甲ちゃんはあれだろ?雛川先生と間違えるから嫌なだけだろ?」

 

「......ややこしいんだよ」

 

「甲ちゃんてカレーとラベンダーだけしかわからないんじゃなかったんだ!?」

 

「違うよ、九ちゃん。甲ちゃん、今まで超至近距離でラベンダー嗅いでたから鼻が今正常化してるんだ」

 

「あ、そっかそっか、なるほど~。今はたまに吸うだけだもんな。吐き気治まったみたいでよかったよ、ほんとさ。どうしても吸いたいのに吐き気してたら見てるこっちがつらいし」

 

「あァ......そうだな。まじで2人には世話になった」

 

「いいってそんなの。親友だろ、俺ら」

 

「気にしないでよ、友達だろ?」

 

「......」

 

「そーいやさ、翔ちゃん、調べ物ってことは図書室に用があるってわけだ?なら俺もいこっかな~、ちょっち調べたいことあるんだよね。いいだろ、甲ちゃん」

 

「何を調べるんだ?」

 

「えーっとたしか、なんだっけ、キキシンワ」

 

「ききしんわ?なんだそりゃ」

 

「もしかして、記紀神話(ききしんわ)?記録の記に、自然紀行の紀?記紀神話って日本神話のことだよ」

 

「あ、そうなのか~。知らない神話があるのかと思って焦った」

 

「あはは、あんまり聞きなれないもんな。古事記、日本書紀、風土記をまとめて言うんだよ」

 

私は漢字を書いてやる。あー、と葉佩はようやく気づいたらしかった。

 

「《遺跡》で再現されてるやつ?」

 

「そうそう。紅海さんに聞いたらデータがあがってくるの時間かかるみたいだし、それなら調べてみようと思ってさ」

 

「(そりゃそうだろメルマガに書くために調べに行くとこなんだから)奇遇だね、九ちゃん。俺も萌生先生からも宇宙人からも《レリックドーン》の喪部銛矢に注意しろって警告きたよ」

 

「えっ、翔ちゃんにも?どっちからも来るってどんだけヤバいんだよ、そいつ」

 

「さあ?その様子だと父さんの遺品はまだ解析出来てないみたいだね」

 

「うん、ごめんな。時間かかるみたい。あと一週間はほしいってさ」

 

江見睡院の残した物品の中には《ロゼッタ協会》に回した方がいいものが何点かあったため、葉佩に渡した私である。やはり私だけでは江見睡院は救えない。葉佩の協力がなくては無理だと痛感したのである。

 

そのうち、私が一番気にかかっているのが4つ折版で手書きのラテン語による写本だった。H.A.N.T.による解析だと15世紀後期のイギリスあたりで製本されたものが後世に伝わる前に散見してしまったらしい。状態が極めて悪く私では解読不能だったので九龍を通じて《ロゼッタ協会》情報局に提出した形だ。イスの偉大なる種族も紛れ込んでいる《ロゼッタ協会》である。《遺跡》を探索しているうちに入手することはよくあることらしく、解読したデータを後日メールで送ってくれるそうだ。解析班のSAN値は大丈夫なのだろうか。

 

なんでそんな心配するのかといえば、クトゥルフ神話TRPGでラテン語に技能をふるといえば魔導書を読むことが大前提となること請け合いだからである。この學園の《遺跡》を巣食っている邪神の気配からして、いつかは出てくるだろうと思っていたらようやくのご登場である。

 

あのあと気になって18年前に図書委員だった女子生徒の閲覧記録や教師になってから持ち込んだ寄贈本の記録を漁ってみたら。出るわ出るわ今まで存在をあえて見なかったことにしてきたこの図書室にある魔導書の写本の山。だいたいこの人が原因だった。どうみても道を踏み外した魔術師ルートである。

 

それだけ江見睡院を救いたかったんだろう。大好きだったんだろう。18年前に《遺跡》の最深部で江見睡院が庇って《遺跡》に巣食うなにかに飲み込まれ、彼女自身も発狂するようななにかがあった。彼女自身は《生徒会》の人間だったようだから、もしかしたら江見睡院に正体を明かしての戦いの最中に悲劇が起こったのかもしれない。江見睡院の中にいる何かの口から語られたことのどこまで本当かはわからないが、狂気に駆り立てられるようなことがあったのは事実である。

 

阿門曰く、彼女は贄となる覚悟を決めて天香學園に舞い戻ってきたようで、遺品となりそうなものはすべて実家に引き上げたあと。実家にも失踪を仄めかし続けていたようで、行方不明という結末にも半ば諦めたように受け入れたという。阿門になにひとつ遺してはくれなかったらしい。

 

ゆえに墓はあるのに中身がない、奇しくも江見睡院と同じパターンである。《遺跡》から江見睡院を救い出すには彼女を掘りさげる必要はない。もはや彼女は江見睡院の中にしかいないのだ。

 

「そうそれ!それに出てくる神様の末裔とかいう物部氏について調べてみようと思ってさ。どうも《レリックドーン》の喪部銛矢(ものべもりや)ってやつがその子孫らしいんだよ」

 

「さっきからいってる《レリックドーン》てのはなんだ、九ちゃん」

 

「あれ、いってなかったっけ?俺がここ来る前に砂漠横断する羽目になって死にかけた原因だよ。秘宝横取りしようとして襲ってきたやつら」

 

「あー、あの出口で待ち伏せてたとかいうやつらか」

 

「そうそう」

 

「なんつー時期に来るんだよ......」

 

皆守は面倒くさそうに呟いた。今だからだと思うよ。

 

「《レリックドーン》も注目しちゃうのか、この學園の秘宝。そんなにやばいんだ」

 

葉佩はひとりごちる。

 

白いスーツをまとった車椅子の男シュミットと銃器で武装したものものしい軍団、《秘宝の夜明け》。シュミットは100歳をゆうに越えている《秘宝》の力で延命している老人である。《P·I·B(ピース・イン・ブラック)》黒の1片という組織が前身であり、チェスをモチーフにした組織で役職や階級もビショップやクイーンなどのコードネームで呼ばれていた。なお組織はやがて壊滅し、レリックドーンが立ち上げられることになる。《秘宝》の力を使って世界を牛耳ろうと本気で考えているカルト宗教じみた集団である。

 

「《レリックドーン》自体は100年以内に立ち上げられた組織なんだ。《ロゼッタ協会》はロゼッタストーンを解き明かした学者の子孫が立ち上げた《宝探し屋》ギルドだからさ、こっちは200年くらいの歴史があるんだ。ぽっと出のやつが何してんだか」

 

葉佩は辛酸を舐めさせられた記憶が新しいため、めずらしいくらいに言葉に刺がある。皆守はどっちも同じじゃねえかとボヤいた。

 

「全然違うよ、俺はテロなんか起こさないだろ?」

 

「ハア?テロだ?」

 

「そうだよ。《秘宝》使ってテロ起こそうとしてるんだよ、あいつらは。一緒にすんなっての」

 

心底不快だといいたげな葉佩に皆守は悪いと謝った。たしかに葉佩は全く宝探し屋だということを隠してはいないが、いきなり學園にトラックで突っ込んだり特殊部隊で制圧したりはしないと皆守はよくわかっている。

 

「じゃあいこっか、2人とも。オレ、1回日本神話調べまくったことあるから、本探してあげるよ」

 

「ありがとう、翔ちゃん。さすがは図書委員」

 

「いっとくが俺は手伝わないからな」

 

「じゃあその代わりに辞典ゲットレしようとする九ちゃん見張ってて」

 

「わかった」

 

「わかられたっ?!」

 

皆守は笑って葉佩の背中を押した。

 

今日の図書当番の後輩に挨拶して、奥の本棚から何冊か本を抜き出し、すでに座っている2人のところに向かった。さっそく調べ物を開始する。

 

「やけに早いな」

 

「オレのルーツを知るためだったからね、必死にもなるさ」

 

「翔ちゃんのルーツ?」

 

「聞きたい?聞きたいなら後で話してあげるよ、いくらでも。まずは調べ物から片付けよう」

 

私は葉佩に本を差し出した。しばらくして、該当箇所を見つけた私は葉佩と皆守を呼んだ。

 

 

蝦夷という言葉は、弓と大という字が組み合わされた文字で《ゆみし》と読んだ言葉が変じて《えみし》と呼ぶようになった。これは本来、《東の国の勇者》や《武に秀でたモノ》という意味があったのだが、やがて《東の国の乱暴者》、つまり《大和朝廷に従わない民》という意味に変じたといわれている。

 

その蝦夷を率いていたのが長髄彦(ながすねひこ)と安日彦(あびひこ)という兄弟であり、饒速日(ニギハヤヒ)という大和朝廷とは違う系統の天照系の別の神に仕えていた。

 

ニギハヤヒは大和朝廷に負けて傘下に下る時、ナガスネヒコの説得に失敗して殺してしまう。仕えてきた主に殺されたことになる。

 

天照より授かった《十種の神宝(とくさのかむだから)》とそれを用いた鎮魂法を天皇家に献上し、それが今の鎮魂祭の始まりだと言われている。

 

このニギハヤヒが物部氏の祖神とされている。物部氏は石上神宮を祀る古い豪族で、大和朝廷の祖神たるニニギより先に古代日本に降り立ったため大和朝廷より古い歴史があるとされる。天皇家に恭順したあとは、軍事や警察、祭事、武器の管理などを任され、武士の語源ともなった。

 

ナガスネヒコを殺害したニギハヤヒの子孫たる物部氏の末裔が今度転校してくる喪部銛矢(ものべもりや)その人である。

 

つまり、11月22日に行われた《夜会》の秘技を墓守たる阿門一族にもたらしたのが喪部の遠祖なのだ。天香學園の《遺跡》と喪部銛矢とは深い因縁があるのだ。

 

ちなみに物部氏は名家として隆盛を誇ったが、仏教を巡る政争で蘇我氏と激しく対立し、歴史の表舞台からは姿を消している。のちに石上と改名して一族は存続する、あるいは長髄彦の末裔とされる安東氏を頼って東北に落ち延びたとされているが定かではない。

 

もっとも長髄彦はこの《遺跡》の最深部で自身を荒覇吐だと思い込むほど錯乱し手に負えない化人とかしていることを考えれば、落ち延びたのはまずありえないだろう。私は石上からの下りはこの世界では誤りだなと思った。

 

「............なんだよ、これは」

 

「......そっかあ......だから今なんだ」

 

「《夜会》で犠牲者は出なかったけど、《鎮魂の儀》は失敗したんだろうね。ただでさえ解けかけていた封印がさらに弱まっている」

 

「翔ちゃんのせいじゃないよ」

 

「わかってるさ、オレがあの時犠牲者になったところで《遺跡》を巣食う正体不明の生命体は満足しない。力をつけて次の贄を求めるだけだ。ファントムとは別の存在だろ。父さんがくれたブローチつけたとたんにファントムには襲撃されなくなったけど、あいつに魅力状態にされたんだから」

 

「そんで、《鎮魂の儀》をもたらしたのが喪部だから、わかるんだな、きっと。封印がとけかかってること。儀式が失敗したこと。そりゃ来るよね」

 

「...........とんでもなく不安定になっている《遺跡》にかつて《鎮魂の儀》を授けた一族の末裔がやってくる。この時点で《生徒会》が警戒するのも無理はないわけか」

 

皆守はなにやら深刻そうな顔をしている。意図的に情報流してるんだからこれで少しでも悩みが解消されたらいいんだが。12月に入っても皆守への呼び出しはあいかわらず定期的にあるわけだから。

 

「う~ん、やりにくいなあ......」

 

葉佩はがしがし頭をかいている。

 

「なにがだよ、九ちゃん」

 

「なにがって《レリックドーン》の連中は特殊部隊であって普通の人間なんだよ、甲ちゃん。この意味がわかるか?」

 

「───────......」

 

「化人でもない、《黒い砂》で強化された超人でもない、ただの人間が本気出して殺しにくるんだぜ?こんなに怖いことはないって。まいったなァ......」

 

私もため息をつくしかない。

 

この世界だと歴史から抹殺された物部氏は、ニギハヤヒという天照から連なる神の子孫でありながら、政争に破れて滅亡、鬼となった。どれほどの屈辱があったのだろうか、いわばキリスト教に取り込まれた土着宗教の神が貶められて悪魔になるようなものである。本来の姿を取り戻すのに野心に燃えて《レリックドーン》に入るのもわかる気がしたが真意は喪部にしかわからないだろう。

 

困ったことに龍脈が活性化している今、私たちは生まれて初めて《魔人》という人でありながら魔である超常的な存在を前にしなければならないのだ。嫌すぎる。

 

「喪部銛矢って名前で転校してくる時点で喧嘩売るき満々だな」

 

「だよね。さすがは《レリックドーン》」

 

「へー、そんな意味があったのかあ」

 

「おい、九ちゃん」

 

「九ちゃん、九ちゃん。《遺跡》にある碑文にはずっと日本神話が書いてあって、それに由来するギミックやトラップがあっただろ。忘れちゃった?」

 

「いやあ、ギミックの解き方はわかっても、意味はわかってないからね、俺」

 

「九ちゃん......なんのための葉佩だよ」

 

「これじゃあ《生徒会》も呆れるわけだ」

 

「え、なんか意味あるのか?俺本名なんだけど」

 

「えっ」

 

「えっ」

 

「............そうなのか」

 



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俺の血は他人の血2

「翔クン、翔クン、呼んでるよッ」

 

振り向くと手を振るやっちーと挙動不審気味な下級生の女の子と目が合った。どうやらやっちーがクラスメイト全員が振り返るような大きな声で呼んだものだから、びっくりして固まってしまったようだ。みるからに想定外という顔をしている。やがて私が近づいてくるものだから、あわあわどうしようどうしよう、と可哀想なくらいパニックになる。そしてみるみるうちに可哀想なくらい縮こまっていく。こういうとき、大抵やっちーは子犬のように無邪気に首を突っ込む。

 

「ほらほら早く早くッ!待たせちゃダメだよ~、ほら~!ごめんね~、直ぐに来るからねッ!」

 

隙あらば好奇心でいっぱいになった表情で質問する気満々だが、驚いてやっちーに圧倒されている下級生をみて、ぐぐぐっと我慢しているのがまるわかりである。何があったのかなと顔に書いてある。今、やっちーは葉佩に恋をしているから、もしかしたらで頭がいっぱいなのだろう。どんな小さな動作にもなにかを発見しようとして眺めている気配がしていた。

 

「あのッ......あのッ......江見先輩ッ!」

 

意を決して話しかけてきた後輩の声に聞き覚えがあった。

 

「あ、もしかして、《夜会》の時の?」

 

「はいッ!あの時は本当にありがとうございましたッ!」

 

やっぱりあの時友達に頼まれたと質問してきた後輩の女の子だった。シャンデリアに磔にされたのを受け止めたはいいが、千貫さんに運ばれてからそれきりだったので心配していたのだ。

 

仮面がないだけでこれだけ雰囲気が変わるのかと不思議になるくらい、あの時の彼女とはなにかが違っていた。仮面効果というやつだろうか。今目の前にいるのは、やっちーのような可愛さをもつ女の子だ。健全な精神は健全な体に宿るを体現しているような、健康的な色気がある。

 

「元気そうでよかったよ。シャンデリアから落ちてから目を覚まさなかったから心配してたんだ」

 

「ほんとにご迷惑おかけしました。目を覚まして、病院にいったり、カウンセリングにいったり。色々してたらこんなに遅くなっちゃって......」

 

「カウンセリング?どこか悪いのか?大丈夫?」

 

「ああいえ、はい、大丈夫ですッ!ほんとに大したことないんですッ!ちょっと頭がぼーっとしちゃって覚えてなかったりするだけなんで!」

 

「......それっていつから?」

 

「え?えーっとたしか學園祭が終わった13日よりあとだから......」

 

「《夜会》より前?」

 

「前です、たぶん」

 

「そっか......最近増えてるみたいだね。気をつけて」

 

「は、はい......ありがとうございます」

 

「それと、友達によろしく伝えてね」

 

私の一言にキョトンとした様子で彼女は固まる。

 

「あ、あれ......もしかして、私、江見先輩となにかお話してましたか?」

 

「え?うん、《夜会》に参加できなかった友達に頼まれたから教えてくれって色々聞かれたよ?」

 

彼女は固まったまま冷や汗がダラダラ流れていく。

 

「..................ごめんなさい、覚えてないです......」

 

辛うじて聞こえるほどのか細い声だった。

 

「......《夜会》に行こうとした時からぼーっとしてたみたいで......緊張しすぎてなにも覚えてないです......テンションに浮かれすぎて、はっちゃけちゃったみたいですね......私、そんな友達いないのに......」

 

「そっか......。あんなことがあったから、記憶が混乱してるのかもしれないね。無理して思い出さなくてもいいよ、大したことじゃないしね」

 

「ほんとにッ、ほんとにッ、ご迷惑おかけしましたッ!」

 

「いいよ、いいよ。はやく調子が戻るといいね、お大事に」

 

「はい、ありがとうござます。失礼しました」

 

こっちが恐縮するくらいぺこぺこしていた彼女は、私が気にしてないと笑うと心底安心した様子で笑って去っていった。

 

「ありゃ......いっちゃったね、翔クン」

 

ちょっと残念そうにやっちーはいう。

 

「でも、わざわざ謝りに来てくれるなんていい子だねッ」

 

「そうだね、元気そうでなによりだよ。ぼーっとしちゃうとか、覚えてないとか、夢遊病みたいな症状の子が最近増えてるみたいだから、ちょっと心配だけど」

 

「えへへ、気になる?1のBの子みたいだよ?」

 

「いつの間に聞いたの、やっちー」

 

「え?ついさっきだよ?」

 

「あいかわらず他の子の恋路には一生懸命なのに、自分のことになると奥手になっちゃうんだね」

 

「え、あ、や、やだ何言ってるのよ、翔クンッ!からかわないでよ、も~ッ!」

 

「からかおうとするからだよ、やっちー。《夜会》の写メ、待ち受けにしてるの九ちゃんにバラすよ?」

 

「やめてッ!ほんとゴメンなさい、勘弁して~ッ!」

 

「どうしよっかな~」

 

あはは、と笑いながらやっちーを弄りまわしてやる。ほんとにやっちーはこの手の話題になると油断も隙もない。牽制してやらないと次の日からまた噂話が増えてしまう。恋する乙女は無敵かもしれないが、《遺跡》の最深部に眠る闇に魅入られてしまっていたと思われるさっきの女子生徒を色恋沙汰に巻き込むのは可哀想だ。

 

正直、今の私は別の意味でどきどきしているのである。あの女子生徒は明らかにファントムに意識を乗っ取られることになる月魅を始めとした生徒たちの症状と酷似している。今までブローチのおかげで認識阻害効果でもあったのか、學園祭から一切接触がなかったファントムとあんな近くで喋っていたのだ、私は。仮面をつけていたから眼鏡は外していたのに、あの女子生徒の中にある氣の違和感に全く気づくことが出来なかったのだ。もしもを考えると冷や汗しか浮かばない。

 

あの時私はなんて答えただろうか、葉佩と月魅と噂になっているなんて両極端な話題を出されて苦笑いしたことしか思い出せない。どっちも大事な友達?いや、葉佩は恩人だとかなんとか話したような気がする。ああそうだ、死ぬなんて考えたくもないって言ったような気がする。

 

「あれ、翔クン?どしたの、大丈夫?」

 

「うーん、どうしようかな、やっちー」

 

「え?」

 

「オレ、やらかしたかもしれない」

 

「え?」

 

キョトンとするやっちーは心配そうに見つめてくる。

 

「もしかして、一目惚れ?」

 

「うーん、違うんだよなー、そうじゃないんだよなー......でもありがとう。元気でたよ」

 

「どういたしまして?」

 

やっちーは不思議そうに首を傾げたのだった。

 

「ねえねえ、翔クン。なにかあったの?相談乗るよ?マミーズいこっか?」

 

「相談というかさ、オレ今無性におしゃべりしたい気分なんだよね。でもやっちー、部活だろ?今から」

 

「うーうん、今日はね、顧問の先生が出張でいないから自主練なの」

 

「でも部長なんだから出なきゃ示しつかないんじゃ?」

 

「うーん、それはそうなんだけど~......じゃあ終わるの七時だから待っててくれる?」

 

「了解。7時にマミーズな」

 

「うんッ」

 

「オレ、今日散歩したい気分なんだ。あちこち回って時間潰すよ。早く終わったらメールよろしく」

 

「散歩?」

 

「うん、散歩」

 

私は眼鏡をはずしてケースにしまう。

 

「わ、久しぶりに見た~、翔クンの眼鏡なしバージョン」

 

「無性に今のオレならどんな景色が見えるか気になってきちゃってさ」

 

「そっかァ、今の翔クンて、眼鏡なしだと綺麗な黄色になるんだっけ?違う景色が見えるなんて不思議だね。どんな感じなの?幽霊とか見えるの?」

 

「う~ん、見えるかもしれないけど、この辺にはいないみたいだな」

 

「そっか、よかった!」

 

「あはは。それじゃ、オレ、1回屋上いってから帰るよ。またあとで」

 

「うん、またねッ!」

 

私は屋上に向かった。

 

 

 

 

 

 

屋上に出るとすでに日は落ちて、薄暗くなり始めている。秋が終わり、夜に向かう空気が肌を突き刺す。身を切るような冷たさだ。天候の急変が告げているらしい霧の中に冬のにおいが混じる。冬がひたすら躊躇しつつも地上に沈もうとするのを私は眺めていた。

 

肌の筋肉が寒さに抵抗して一時に緊縮する。反射的にコートにポケットを入れる。吐く息が白い。學園内にいた先程まで快かった風が冷たい冬の棘に変わる。十二月に入ると気候は急に冬めいてきたことを嫌でも実感させられる。

 

男子寮を出て校舎に向かう途中、セーターを取りに戻ろうかと何度も足をとめたぐらいだ。結局そうしなかったのは、面倒くさかったせいもあるが、歩いているうちに身体が暖まってきたからに過ぎない。

 

好天に恵まれた暖かな午後だったが、日が落ちると気温は急速に下がり、冷たい風も吹き始めていた。数日続いた穏やかな小春日和は立ち去り、厳しい本物の冬が再び腰を据えようとしている。

 

かろうじて輪郭がわかる学生寮裏の森は秋が凋落し、冬の景色が進行していた。

 

「......ここまで景色が違って見えるんだ......」

 

私の世界には今や風や空気の流れとは全く無関係の光の流れがみえていた。西洋ではレイライン、東洋では龍脈と呼ばれる地中を流れる氣の大きな流れの中にこの學園はあるのがわかる。いや、逆だ。この學園自体が龍脈の中に作られたのである、あの《遺跡》のあとに。

 

龍脈は山から流れる気を指すのに対し

レイラインは直線的な流れを指したりするが、基本的には、同じ大地の気の流れを表したものだ。龍脈(レイライン)から気がでる場所を龍穴、もしくは、パワースポットと呼んでいる。

 

龍脈自体、地殻の変動や時間の周期、水脈の加減・移動などにより、常に変動している。それでも変動しない不動の場所が例外的に地球に2ヶ所ある。それは北極と南極だ。これは人体で言うと尾骨付近と頭頂部に相当するからだ。いうまでもなく、NとSの関係でもあり、極の極まった地点だ。

 

それ以外にあるとすれば、人工的につくられた霊地にほかならない。それがこの學園の《遺跡》である。龍穴の真下にあるのだとこれ程わかりやすい光景もないのではないだろうか。《墓地》の敷地からふつふつと湧き上がる光は、温泉の湧いているところ、もしくは沸騰寸前の鍋を思わせる。

 

この気道から得られる効果を古くから得ようと思った人が多かった事実を物語っている。

 

「......やっぱ、一番の霊地は《遺跡》になるんだよね......」

 

氣の流れをみても、やはり人工的に龍脈が利用され、効率的に氣が集められているのは《遺跡》となる。この學園の立地や施設の配置ひとつとっても全て計算されていることになる。エムツー機関がS級の危険地帯だと認定する理由がここにあるのだろう。

 

「......今夜の探索で試してみようかなあ......一番簡単なのは、周りの氣と同調することなんだよね」

 

周りの氣と同調するというのは、周りの氣を体内に取り入れるイメージをしながら、深呼吸すると同調しやすくなる。私は入門編ということでJADEさんからそう教わっている。そうする事により、体内の振動と周りの振動の波長が合ってくるのでその場所特有の氣を体内に取り込みやすくなる。そうすればより《如来眼》の力が活性化する。龍穴に《遺跡》があるのだから、《如来眼》を使えば使うほど覚醒することになるのだ。精度をあげるにはそれしかない。

 

私が悩んでいるのは、江見睡院の救出方法である。《ロゼッタ協会》からの情報まちとはいえ魔導書の写本ならいくつも図書室にあるわけで、試した方がいい気もするのだ。それなら霊地たる《遺跡》でやった方がいい。ただ、闇雲に無駄打ちはできない。慎重にする必要がある。写本を用意した本人が失敗しているのだ。6年越しに江見睡院を助けるために単身乗り込んできたはずの女性がだ。

 

《夜会》を経験した今となっては一人だったから失敗したんだろうなと私は思うのだ。

 

「やっぱ《遺跡》で氣が一番溜まってそうなところ探すのが一番かなァ」

 

実は予測はついているのだ。ただ、そこに到達するには色々と制約があるし、行けるかもわからない。今夜も探索に誘われているし、頑張ろう。気合いを入れ直し、私は伸びをした。

 

「何を見ている?」

 

そしてそのまま固まった。おそるおそる振り向いてみると阿門がそこにいた。浮かんでいるのは呆れ顔だ。

 

「《墓地》を見て何を考えていた?」

 

「どこまで聞いてた?」

 

「お前が眼鏡もせずに屋上に上がって行くところを見た」

 

「あァ、じゃあ聞いてないね、よかったよ」

 

「......あの女もここからよく《墓地》を見ていた」

 

「母さんも?」

 

「..................やはりそうなのか?」

 

私は首を振るしかない。

 

「わからない。わからないよ。オレが母さんと呼んでる人は生きてるし、あの時の父さんは意識を乗っ取られている状況だからどこまで本当なのかわからない。でも父さんがオレのこと知ってた理由を考えたらそうじゃないと説明がつかない」

 

「......そうか」

 

「そうだよ」

 

「何を考えていた?」

 

「やけに食い下がるね」

 

「.................今のお前は、母親と同じ目をしている。狂気に充ちた目だ」

 

「否定はしないよ」

 

「江見」

 

「阿門、気づいてただろ。母さんが図書室に膨大な数の魔導書の写本持ち込んでたの。私が気づくまで待っててくれたんだろうけどさ、もう、大丈夫。あれ、どうにかした方がいいよ。《レリックドーン》あたりに利用されたら主に私が死ぬ。喪部銛矢からしたら、私はどう見えるかわかったもんじゃない」

 

「......利用するかと思ったが、いいのか」

 

「そのままじゃダメだ、母さんの二の舞になる。解決法が見つかるまでは手が出せない」

 

「......使いはするんだな」

 

「私のために使わせてもらうだけだよ。でも今はまだその時じゃない。まずは瑞麗先生あたりに私が使ったとして無事でいられるかどうか判断を仰がなきゃならない」

 

私はいきをはいた。そして笑う。

 

「もう警告しないんだね、阿門」

 

「言うだけ無駄だとわかったからな」

 

「母さんによく似てるって?」

 

「茶化すな。見極めねばならないと思っただけだ。お前が《遺跡》でなにをしようとしているのか」

 

「なるほど」

 

「これをやる」

 

「え、なに?」

 

私が渡されたのは心臓の護符だった。

 

「お前にだけは借りを作りたくないのでな」

 

思わず笑ってしまう。

 

「ありがとう、大事に使わせてもらうよ」

 



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俺の血は他人の血3

マミーズに向かう途中、強烈な違和感がそこにはあった。

 

「あれ、どうしたの翔クン。目の色が......」

 

メガネをしていても、《如来眼》を発動するのは放課後からずっと気になっていることがあるせいだろうか。思考と力が連動している。私は眼鏡をはずした。

 

「もしかして、何か変なものが見えてる......とか?」

 

「そのまさかかもしれないよ、やっちー」

 

「な~んちゃっ......て、えええっ!?嘘っ、ほんとになんかいるのッ!?」

 

「なにかいるかもしれない。やばいやつが」

 

《遺跡》に向かって流れていくよう構築されているこの學園敷地内で、どいいうわけか一部の流れが逆流する形で他のところに向かっているのだ。それは校舎に向かって流れている。その光を追いかけていってみると、そこにいたのはなんと月魅だった。

 

私達は手足の関節の接合が悪いようにふらふら歩く月魅を見つけた。ばね仕掛けの人形のようなギクシャクした足取りでただ歩みを進める。いったいどこへ向かっているのだろう。雲の上を歩くみたいに足元が定まらない。

 

あっちへよろよろ、こっちへよろよろ体が先に出て足がそれについていけてないような歩き方だ。夢遊病者のようである。

 

声をかけようとして近づいてみると、そこにあるのは薬物の作用で精神が後退したような、虚脱した顔。生きるための重要な何かが、抜け落ちた表情。目を見開いているのに何も見えていない。その眼はある一点を凝視めていて、すぐ前の道を通る私を空気のように無視する。

 

手や足や胴体がそれぞれ勝手に歩行の真似事をしてはいるが、身体の主は不在だとでもいうような頼りなさだ。空っぽだ。歩いてくるもののなかに何も入っていない。突き動かす情動のすべてが、すっぽり抜け落ちてしまっていた。

 

「月魅ッ!」

 

私は駆けだす。

 

「お~い、月魅ッ!どうしたの~?部屋着のまんまじゃ風邪ひいちゃうよッ!?」

 

やっちーがかけてくる。

 

「校舎はもうしまってるよ、月魅ッ!入れないよ!」

 

「そうだよ!ねえ、月魅ったら!」

 

「月魅ッ!」

 

私はようやく月魅を捕まえる。そしていつもつけているブローチをはぎ取り、月魅に押し付けた。手を広げて握らせる。上から手を重ねて強く握らせる。月魅の本来持っているはずの氣を不安定にしかねないくらい《遺跡》から流れ込んできていた氣がブワッと一瞬で散見する。さっきまで月魅が見えなかった私の視界がはれていく。龍脈の流れが正常化したのだ。

 

「月魅ッ!しっかりしろよ、月魅ッ!目を覚ませ!」

 

「月魅ッ、月魅ッ、大丈夫ッ!?」

 

私達が必死でよびかけていると、いきなり月魅の体がぐらついた。まるで糸を切られたマリオネット人形のように受身をとるまもなく倒れこんでしまう。

 

「月魅ッ!」

 

私はとっさに月魅を庇った。

 

「あいたたた......」

 

「し、翔クン、大丈夫ッ!?」

 

やっちーの声でうっすらと目を開けた。どうなったのだろうか?月魅は無事か?あまりの痛みに間抜けな声が出てしまう。どうやら月魅を庇ってそのまま私が下敷きになってしまったようだ。はっと我にかえったように月魅は辺りを見渡している。

 

「月魅ッ、大丈夫?」

 

「え、あ、あれッ......どうして私」

 

「月魅、とりあえず退いてくれないかな。ずっとこの体勢はキツイかな」

 

「えっ、あ、ごごご、ごめんなさい、翔さんっ!大丈夫ですかっ!?」

 

月魅があわてて飛び退いてくれる。私は苦笑いして立ち上がった。

 

「あら......どうして私、こんなところに?誰かに呼ばれたような......」

 

「よかったァ、元に戻って。様子がおかしかったんだよ、月魅」

 

「八千穂さん......ありがとうございます。なんだか私、大切なものを探している気がしていたんです......夢だったのかしら......あれだけ一生懸命探していたのに」

 

月魅は不思議そうである。私達は月魅の話を聞くために、長いあいだそこにじっとしていた。

 

ようやく聞き出したところによると、宅配便で届いたばかりの楽しみにしていたシリーズ本を読んでいたら、ぼーっとし始めたという。どれくらいの時間机にもたれかかっていたのかはわからない。ひどく眠くて頭がぼんやりとしていたし、殆んど何も考えずにじっと眺めていたからだ。

 

「たぶん、そのままうたた寝したはずなんです」

 

「そこから記憶がないんだね」

 

「はい」

 

うたた寝したはずの月魅を見計らったように、何かが月魅をここまで連れてきたのだ。その作業は月魅の意識の領域から外れた場所で行われた。

 

月魅は明晰夢を見ているつもりだったらしい。ただ、自分というものは何もなくなっていたという。自分という意識がただ宙に浮いている。目の前にある風景や自分の行動をたんたんと受け入れるだけ。

 

明晰夢だと理屈ではわかっているし、そういうつもりだった。感情も感覚もない。ただ空虚な空間で何かを探す月魅が目の前にいた。頭の中は冴えわたっているのに、ただ静かで、むき出しで、白紙だった。ひたすらに何かを探していた。

 

「知らないうちにこんな所まで来るなんて......」

 

月魅は夢遊病にでもかかったのかと脅えている。

 

「男の人の声がしたんです。鍵を探せ、優れた叡智を持つ者よって」

 

「話はあとにしよう、月魅。とりあえず自分の部屋調べておいで。鍵かかってなかったら大変だよ」

 

「───────ッ!!ほんとですね、私ったら!」

 

「あたしもついて行ってあげるよ、月魅ッ!またなんかあったら心配だもん」

 

「オレも学生寮の前まで一緒に行くよ。夕ご飯まだならマミーズ行こうか、そこで話聞くからさ」

 

「翔さん......八千穂さん......ありがとうございます......」

 

「風邪ひかないように上着もってきてな」

 

「あ、そ、そうだこれッ!翔さんの大切なブローチじゃないですか。どうして私......しかも留金壊れてるし......」

 

「それ、月魅がもってた方がいいよ」

 

「えっ、そんなうけとれないですよ!」

 

「それ持った瞬間に月魅に憑依してた何かがいなくなったんだ。夢遊病の自覚があるなら予防に持っといた方がいいよ」

 

「でも......」

 

「翔クンのいう通りだよ、月魅。あたし達がいくら呼んでも返事しないで校舎に向かって歩いてたんだよ?すっごく怖かったんだから。まるで死んでるみたいに変な動きしてたし、ほんとやばいよ」

 

「......」

 

月魅は迷ったすえ、無意識のうちに女子寮の自室からここまで移動しているという事実が怖くなってきたらしい。

 

「......これ、お借りしますね、翔くん......。ありがとう、ございます......」

 

そういってブローチを大事そうに握りしめた。

 

一応女子寮の自室を調べた結果、鍵がかかっていたため、無意識でも月魅は月魅。防犯意識はちゃんとしていることが判明した。やっちーと調べた限り、盗まれたものはなさそうなのでひとまず3人でマミーズに向かったのだった。

 

「いらっしゃいませ~、マミーズにようこそ~」

 

このざわめきは、いかにみんながしゃべっているか、いかにみんながくつろいでいるかの証だ。やっぱり人の声は落ち着く。七時をすぎているためか広々と感じたマミーズは満員となり、なごやかな、明るい雰囲気になった。お店にしても劇場にしても、お客が雰囲気を作るのだ。月魅たちは明らかに安心した顔をしている。

 

「何名様ですか~?」

 

「3人でよろしく、奈々子ちゃん」」

 

「はぁい、かしこまりました~。こちらへどうぞ~」

 

幸いまだ空いていた。

 

「ご注文は何になさいますか~?」

 

「私は明太子スパゲティでお願いします」

 

「あたしハンバーガーね」

 

「オレ、五目ラーメンで」

 

「かしこまりました~」

 

奈々子が厨房に向かうのをみとどけてから、私達は小声で話し始めた。

 

「いつからあんな感じなの、月魅」

 

「実は......《夜会》のあとからなんです......」

 

「あれ、月魅は《夜会》のあとなんだ?」

 

「はい、そうですけど......八千穂さん?」

 

「あのね、放課後に翔クンにお礼いいにきてた子は《夜会》の前だったよね?」

 

「そうだね。普通は《夜会》の後に体調不良になるはずだ」

 

「そうだね。みんなは月魅みたいに《夜会》のあとらしいよ」

 

「えっ......そんなにいるんですか、夢遊病の人」

 

「実はそうらしいよ。瑞麗先生がいってたらしい。甲ちゃんがベッドに寝てたら聞こえたって。明日、月魅も瑞麗先生に相談してみたらどうかな?」

 

「そうですね......私だけじゃないのなら、信じてもらえるかも......」

 

「あたしと翔クンがほんとだっていってあげるから大丈夫だよ、月魅」

 

「オレのブローチで月魅が元に戻ったことも併せて伝えた方がよさそうだね」

 

月魅はほっとしたように笑った。

 

「明日、付き添いをお願いします」



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俺の血は他人の血4

「七瀬、君もなにか悪い霊に接触したようだな」

 

私とやっちーの付き添いで保健室を訪れていた月魅の問診を終えた瑞麗先生は開口一番にそういい放った。

 

「《夜会》から七瀬のように霊障を訴える生徒が後を絶たないんだ」

 

「霊障、ですか」

 

「そうだ」

 

瑞麗先生によると、霊障とは読んで字の如く、霊の障り、つまり俗に言う「祟り」の現象を指す。こうした霊障現象は霊の祟りや憑依、または特殊な因縁によって生じる。霊障が起きる原因として挙げられるのは、浮遊霊、地縛霊、動物霊などの下級霊の憑依。自然霊、精霊、神仏(正確には神社や仏閣に住まう眷属霊)の祟り。先祖などに関わるマイナスの因縁。生き霊の憑依、干渉などがあげられる。

 

霊障は誰にでも起こりえるものだが、特に霊感体質の人や精神的に弱い部分を持っている人などが被害者となりやすい傾向がある。逆に霊や霊界の存在などを全く信じず、万事において唯物論的な考えをする人、あるいは強い信念を持って力強く生きている人には起こりにくいとも言われている。

 

「そういう意味では、七瀬、君はこういった現象には巻き込まれにくい体質のはずなんだ。なにせあの葉佩と精神交換の事故が起きてしまうほど氣の性質が似ている上に、強い氣の持ち主だからね。にも関わらずこうして巻き込まれているということはだ。特別強い霊体から干渉を受けている可能性が高いな。心当たりはあるかい?」

 

「心当たりと言われても.......」

 

「月魅、《夜会》に出なかったね」

 

「え?ああ、はい。たしかに招待状は来ていましたが行きませんでした。《黒い砂》と関係がある人は《遺跡》の封印が弱まるからファントムかスライムに襲撃される可能性が高い。だから《夜会》に出るべきだと九龍さんから聞いていたので。私は《生徒会》でも《執行委員》でもありませんし。双樹さんが寮に来ましたが、強制的に参加しろとは言われませんでしたよ?」

 

「あ、そういえばそうだったね、月魅。出たらよかったのに」

 

「ごめんなさい。時間指定で新しい本の配達を頼んでいたので......。どうしても早く読みたかったんです」

 

瑞麗先生はその話を聞いて考え込んでしまう。月魅たちはちょっと不安になったようだ。

 

「これは......やらかしたかもしれんな、七瀬」

 

「え?」

 

「いや、な?あの招待状を送ったのは、カオルーンのマスターだが、なかなか侮れん人だよ。葉佩がいっていた。君と精神交換していたとき、カオルーンにいったら、私のようにすぐ気づいて葉佩に対する対応をしたらしいからな」

 

「えっ、マスターそんなことも出来るんだ~ッ!すごい!」

 

「九龍さん、カオルーンに何しにいったんですか......?」

 

「そういやそうだね」

 

「それは葉佩に聞きたまえ。とにかくだ。そんな人物がメールを送るんだ。なんらかの基準があったのはたしかだろう。なにせ、《生徒会》でも《執行委員》でも《転校生》でもない、一般生徒にもメールを送っていたんだからな。《夜会》に参加した方が安全だと判断されたんだろう。なにせ、体調不良や夢遊病をうったえている生徒ばかりだからな。《夜会》に参加しなかったら、今頃もっとひどい霊障に襲われていたはずだ」

 

瑞麗先生の言葉にやっちーは息を飲み、月魅は顔色が悪い。霊が人を祟るのには理由があると続ける瑞麗先生である。

 

「いつの間にか《マスターキー》を手に入れていたわけだろう?しかも《鍵》とやらを探して深夜の學園敷地内を徘徊し、気づけば部屋着や寝巻きで外を歩いている。しかも幻聴まで聞こえるとなれば、かなりの干渉をうけているようだ」

 

一旦瑞麗先生は言葉をきり、七瀬の方を見る。

 

「しかし、君は運がよかったな」

 

「え?」

 

「夢遊病の生徒の中には、暴行してでも《墓地》につれていかれかけた生徒もいるんだ」

 

「えええっ!?」

 

「明らかに挙動がおかしい上、パターンは同じだからなんともいえないな。連れていこうとするのは決まってあのスライムと1度でも接触したことがある生徒だ。自分も《遺跡》に呼ばれるが、道連れにしようとするようだ。あの時完全に除去したはずなんだがな......」

 

私の脳裏を女の嘲笑が横切っていく。ハスターリクのせいか?遺伝子を人間の中に紛れ込ませるのがそもそもの目的だったのか?人間に入り込み、ファントムへの牽制か抑止力か贄を集めるためか?わからない。

 

「ファントムが毎回出現しても自然消滅していたのはこのせいかもしれんな。《遺跡》の封印がとけそうになる度にファントムが出現し、あのスライムが溶けだして近づいた人間に憑依する。そしてファントムの傀儡を《墓地》に連れていき、贄にする」

 

「《夜会》は今まで贄を集める儀式も兼ねていたらしいです」

 

「なんだと?」

 

「《黒い砂》の影響下にあった人間が対象で、一夜にして貪り食うから行方不明者が多発したって。阿門がいってました。父さんが贄になった年から色々あって失敗続きみたいです。阿門の代になってからやり方変えたからかもしれない」

 

「......どうやらそうとう飢えているようだな」

 

瑞麗先生はため息だ。

 

「翔クン......その話、ほんとなの?」

 

「翔くん......」

 

「阿門から聞いたからほんとだよ。1986年に江見睡院が、1998年に母さんが贄になってる間に《鎮魂祭》が行われたから封印状態にできた。《鎮魂の儀》が完遂できた。でも今年は失敗した」

 

「君のせいではないさ。葉佩たちが《遺跡》で《生徒会執行委員》と対峙していたんだから。みんな生きて帰れただけ幸運と思わなければ。たとえばそうだな、贄を求める傀儡がずいぶんと理性的で強固な精神性をもっているために制御しきれなかった、とかね」

 

「そうであることを祈っています、心の底から」

 

天香學園の《遺跡》に遺された改造遺伝子という螺旋の理によって、生きながらにして奴隷種族に転生させられてもなお自我を保っていられるのだから江見睡院はほんとうにすごい《宝探し屋》である。

 

瑞麗先生は警告する。このスライム自体が《遺跡》に予め仕込んでおいた改造遺伝子なのだとしたら恐ろしいことだ。無症候期(潜伏期)があり、特定の条件が満たされない限り、感染者の症状は進行しないんだ。「《遺跡》の封印がとけるという水準を一定分超過」という条件を満たすことで覚醒すると推測される。

 

暴行を奮った生徒を調べたら、この状態へ移行すると脳が異常活性化することが分かったらしい。それに伴うドーパミンの過剰分泌によって発生者は興奮状態となり、接触中枢が刺激される

ことで人間同士の抗争になる引き金となるようだ。

 

症状が更に進行すると異常活性化が全身及び人間の形態を維持できなくなる。これは新島で立証されている。

それにともない共に人間の形態では考えられない能力向上が認められるが、その変化に対し発症者の肉体が耐えられる保証はない。

 

まさにショゴス爆弾である。エムツー機関に疑いのある生徒を送りまくったおかげで症状の進行は抑えられ、化け物で溢れかえることは未然に防げてるようだからよかったものの。放置していたら今頃阿鼻叫喚だったに違いない。

 

「さいわい、生徒たちは夢遊病程度の干渉ですんでいる。だがな、七瀬、君は特に注意するんだ。おそらく君はスライムに干渉されている生徒の標的になりやすいファントムの干渉を受けている人間だ。特に強い干渉を受けている。邪気に晒されたせいで隙が出来ている。だから乗っ取られる」

 

月魅は青ざめた。

 

「そんな、私、そんな覚えは......」

 

「あるじゃないか」

 

「へ?」

 

「君がじゃなくて葉佩がだが」

 

瑞麗先生はいうのだ。葉佩と月魅が入れ替わったとき、雛川先生がファントムに誘拐されていた。そして接触を果たしている。七瀬月魅の体はファントムとがっつり接触しているのだ。おそらくそこで葉佩以外のなにかをされた。

 

「まだ完全に復活していないからブローチの効果がきく。だが時間の問題だな」

 

そういうことか。

 

「そういえば、九龍さん、いってました。ファントムの過去をみせられたって。仲間にしたいんだろうって。詳しくは教えてくれなかったけど......」

 

「なんだと?それは霊体としても接触したということか。それはまずいな......」

 

そういうことか。たしかに葉佩は長髄彦の霊から過去の記憶をみせられている。遺跡の太古の思念の記憶に触れている。

 

「記憶にふれるということは脳に強烈に植え付けられたマーキングだ。霊体はそれを頼りに媒介にすることはよくある。葉佩は七瀬の体で接触したため、その霊体を七瀬の脳はイメージとして覚えてしまったんだ。干渉を受けるにはこの上ない状態じゃないか」

 

葉佩、悪運が強い男である。葉佩自身はまだ干渉を受けていないのだ。七瀬は言葉も出ないようである。

 

「じゃあ、じゃあ、ファントムが《遺跡》の封印と関係あるってことですか?」

 

「ああ、おそらくな。封印がとけはじめている今、《遺跡》に封印されている者が地上にある程度干渉ができるようになってしまっている。七瀬も影響を受けているんだろう。《夜会》のあとから七瀬のような症状をもつ生徒が続出している。後を絶たない」

 

「九ちゃんに知らせなきゃ」

 

「そうですね、急ぎましょう」

 

「ありがとうございました」

 

「あ、2人とも。オレ、父さんについて聞きたいことがあるから、先にいってて」

 

「え?あ、うんわかったよ」

 

さっきわざと話したからか、2人は先に行ってくれた。月魅とやっちーは保健室を出ていく。ちょっと気になった私は瑞麗先生に聞いてみた。

 

「瑞麗先生、オレはどうなんでしょう?過去をみせられたことはあるし、かなり接触してるんですが、干渉を受けてる自覚はないです」

 

「そうだな......君の場合はルーツを考えるにファントムではなくスライムの方だろう?きっと《改造遺伝子》に反することをまだしていないんだろうさ。君がなにを見せられたのかはしらないがね。警告の意味合いが強いんじゃないか?」

 

「つまり、いつ暴発するかわからない」

 

「そう、たとえば葉佩が死にかけたときのような事態になったら、君は君の狂気から逃れる術はない」

 

「《墓守》が深く《遺跡》の呪いに囚われているように?」

 

「そうだ。警告がなにをいみするのか、考えた方がいいかもしれないね」

 

私は考える。

 

子どもをなすときに死にたくないと私と同じ金の目をした女はいっていた。そのために《遺伝子操作》で《如来眼》《菩薩眼》などの女を生み出した。さらに交配を繰り返し、一族が死なない素体をつくりたがっていたとする。でも今なおこの世界の子孫たちは囚われたままだ。

 

江見翔、私はまさに理想なのではないだろうか?男なのに《如来眼》に目覚めた。私はその体にいれられ、肉体と融合したことであの女の精神の《遺伝子》は1700年ぶりに帰還した。

 

「......もともと死ぬ気はないんだけどなあ......ますます死ねなくなりました。あのタイミングであの過去夢を見せた理由がわかった気がします。見誤るなよって警告なんだな、きっと。失敗したら私の魂なんて簡単に弾け飛ぶ」

 

江見睡院を救うときに私の死を前提にした場合、間違いなく邪魔されるだろうな、という強烈な予感がある。おそらくそれは当たっているだろう。

 

「なんてプレッシャーかけてくるんだろう......」

 

私はため息をつくのだ。

 

「私としてはいいタイミングだったと思うがね?」

 

「え?」

 

「やけに緊張しているようだから、変な企みを企てていたんだろう?」

 

「ものは相談のつもりだったんですが」

 

「ほう?」

 

「たとえば悪魔退散の対象に私はなるのか、とか」

 

「なにを読んだらそんな発想になるんだ?」

 

「母さんが残した魔導書の写本です。犠牲者に取り付いている異生物を取り払うことができる呪文です。魔力をコストとして支払い、異性物と精神力抵抗を行い、成功すれば取り付いている異生物を追い出すことができるんです」

 

「あのな......私は道教に通じる人間だぞ。なぜ聞いた?論外に決まってるだろうが。君は肉体と精神が融合しているとはいえ、完全に江見翔となったわけではない。その過程にある。そんな人間が精神力をコストにするだと?また死にかけるぞ?悪いことは言わないから他の方法を考えることだ」



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俺の血は他人の血5

 

「先生、今日の保健室も大繁盛みたいだな」

 

私は思わずその場に固まってしまう。瑞麗先生はさして驚いた様子もなく私の向こうに視線をなげて、なにごともなかったかのように話し始めてしまった。なんてことだ、よりによって1番聞かれたくないやつに聞かれてしまうなんて。私は頭をかかえたくなった。

 

「ああ、そうだとも。だから寝たいだけなら別の場所をあたってくれるかい、夕薙」

 

「大和いつの間に......瑞麗先生、わかってて話しましたね?」

 

「さて、なんのことかな」

 

「俺は深刻そうな話をしてそうだから待ってた訳だが」

 

「あーもー......」

 

ボヤく私に夕薙は笑う。そして、ぽんぽんと肩に手を載せる。諦めろといいたげた。

 

「さて、翔。行くか。瑞麗先生はお呼びじゃないそうだ」

 

「わかったよ......」

 

私たちはとりあえず踊り場に移動した。

 

「さて、あれはどういう意図があって話をしていたんだ、翔」

 

「やっぱ聞いてたんじゃないか。可能性があるならなんでも模索すべきだと思っただけだよ。いっただろ?死ぬつもりではないよ、断じて」

 

「どうだかな。前から思っていたんだが、君はいつも自分を除外した世界の話ばかりしている。なにかにつけて葉佩だ。そんなに大事か?」

 

「宇宙人はそういう世界しか教えてくれないからね。観測できるのはそういう世界ばかりらしいんだ。オレがここにいるのも九ちゃんの可能性に希望を見いだしたからなわけだから、当然じゃない?」

 

「ふむ......これが瑞麗先生のいう君の抱える狂気というやつか」

 

「らしいね。常態化しているせいでオレにはこれが正常なんだ」

 

「異常な世界で正常でいるための精神状態は異常だとは言わないが、寂しくはあるな。君はいったいなにをみているのかよくわからない時がある」

 

「大和に言われるのは心外だなあ」

 

「お互い様とはいえだ。友達として心配してるやつが目の前にいるってことくらいは忘れないでくれよ」

 

「うん、ごめんね。ありがとう」

 

「やれやれ......。保健室の話だが、どうも本当らしいぞ。墓守の爺さんから聞いたんだが、《夜会》から《墓地》が荒らされたらしい。氣の感じが変わったといっていたよ。あるべくしてあるものがない。わだかまっていたはずの重苦しい空気が今はほとんど感じられない。誰かがそれを解放したような、なにかが」

 

「霊体が?」

 

「なんらかの大きな変化を感じとってしまったのは確からしいからな。一応、君にも伝えておいた方がいいと思って探していたわけだが」

 

「ありがとう。超常現象嫌いなのにごめんな」

 

「あのな、翔。確かに俺は祟りだの呪いだのを信じるわけにはいかない立場ではある。だからこそ、正体を見極めるには情報が必要不可欠というスタンスだ、勘違いしてくれるなよ。俺からすれば真実から遠ざけられる方が嫌いだ」

 

「友達として?」

 

「そう、友達としてだ」

 

「ありがとう」

 

目には友達としての好意が、かげろうのように燃えたっているのがみえた。

 

「父さんを救える方法、もっといい方法がないか探してみるよ」

 

「ああ、ぜひそうしてくれ。なにか進展があればぜひ教えてくれないか?」

 

「そうだね、毎回こんなことされたら心臓に悪いからね。次からそうするよ」

 

「これに懲りたらあきらめるんだな」

 

私は苦笑いしたのだった。

 

「よくわかっ」

 

「あ、翔チャンと大和じゃーん。なにしてんだよ、こんなとこで」

 

「八千穂たちが探してたぞ、はやく教室に来い」

 

振り返ると階段をあがった先にぶんぶん手を振る葉佩と不機嫌そうな皆守がいた。

 

「あっ、そうだそうだ、忘れてた。やっちー達待たせてるんだった。ごめん、大和。そういうことだからまた今度ね」

 

「ははッ、わかったよ。ただし忘れてくれるなよ?何度も同じ真似はしたくないからな、俺も」

 

「了解。九ちゃん九ちゃん、今行くよごめん。やっちーから聞いた?」

 

私は階段をかけあがり葉佩のところに向かう。ちら、と皆守を見ると早く行けと促されてしまう。そして皆守は階段をおりていくのが見えた。その先にはいつもの胡散臭い笑顔を浮かべている夕薙がいる。なにを話すつもりなのやら。

 

そして、私はやっちーたちと合流して、図書室で情報共有をすることになる。しばらくしたら、ものすごく不機嫌な皆守が帰ってきたので、たぶん思わせぶりな態度でけむに巻かれたんだろうと思う。私が《ロゼッタ協会》の諜報員であり、江見翔という存在は虚構であり、宇宙人に精神交換された女だという情報過多な存在だと正確に把握しているのは夕薙だけだ。皆守の詰問を堂々とかわせるのは夕薙だけだから是非ともこのまま誤魔化されて欲しいものである。

 

「俺が見たのはどっかの研究所みたいな場所だったなァ。今思えばトトのいた区画が一番近いかも?機械だらけでさ、なんか白衣のおっさんたちが......」

 

葉佩からファントムのどんな過去を見せられたのか聞いていた私たちは、図書室のドアが開く音でいっせいに振り返った。

 

「お前は......」

 

「《生徒会会計》の神鳳クンッ!どうしたの?」

 

「本借りに来た?ならごめん、静かにするよ」

 

「日本食絶賛してくれた神鳳じゃん、久しぶり」

 

「ええ、あの時はご馳走様でした。皆さんお揃いのところすみません。《転校生》である君に聞きたいことがあってきたのですが」

 

「え、俺?」

 

「フフッ、自分のしていることを自覚していて、生徒会室や弓道場に現れるとは。君はなかなかにキモの座った人ですね」

 

「え、なんのことだよ、神鳳」

 

「誤魔化そうとしてもそうはいきませんよ。校舎や部活練など。何者かによって荒らされているのです」

 

「おいおい、どういうことだ。まだやめてなかったのかよ。だから言ったじゃねえか、九ちゃん。やめろって」

 

「信じてください皆守刑事!俺は荒らしてなんかない!」

 

「そ、そうだよ、神鳳クンッ!最近、夢遊病になってる子が多いって瑞麗先生いってたよ?だから、きっと誰かが荒らしたんだよ」

 

「そうそう、なんでもかんでも俺のせいだと思ったら大間違いだ」

 

「おや、そうなのですか。確かに鍵をかけて出たはずなのに、朝来てみたら矢や的、巻藁までひどい有様でしてね。さらに備品が盗まれているので、てっきり物取りの犯行なのかと思いましたが......」

 

「やっぱりお前のせいじゃないか、九ちゃん」

 

「九ちゃ~んッ」

 

「九龍さん......」

 

「ちがあうッ!俺が来た時には初めからそうだったって!あそこまで荒らさないっての!」

 

神鳳は笑うのだ。

 

「語るに落ちましたね」

 

「盗んだのは事実じゃねえか」

 

「盗んでないっていってるじゃんッ!!そりゃ、ちょっと気になって覗きはしたぜ?鍵開けっ放しにして扉全開だし?調べたくなるじゃん?《宝探し屋》の本能が俺に囁きかけるんだよッ!」

 

「ふむ......。たしかに朝来た時は君の言う通りな有様でしたが......。ちなみに何時頃です?」

 

「えーっとたしか9時くらい?」

 

「そうですか、では容疑者にとどめておきましょう。証拠がありませんからね」

 

「だろ~?」

 

「堂々としゃべる九ちゃんがわからん......相手は《生徒会》の会計だぞ?」

 

「それが九チャンだよ、皆守クン」

 

「しかし、僕が弓道部の部長だと知っているだろうに侵入したとはいい度胸ですね」

 

「冤罪で突き上げくらうよりはマシだしな~。無罪を主張するッ!」

 

「ふふ、君はどうやら恐れないタチのようですね」

 

「俺、《敵地》にいた方が本気出せるタチだからな」

 

「ふふッ、面白い人ですね、君は。《敵陣》に身を置くことで気分を高揚させると?普通はそんな顔できる人間そうそういませんよ。僕を前にしてなおその態度ですか。正直驚きました。君は我々が考えていた以上に度胸がある人のようだ。では、今日のところはこれで失礼しましょう」

 

神鳳はたちさる直前に葉佩をちらと見て、意味深に笑った。

 

「ただ、ひとつ忠告しておくなら、今回盗まれたうちの弓なんですがね。少々いわく付きなので取り扱いに注意が必要ですよ。あらぬところを怪我しますからね、たとえば......利き手とか」

 

去っていったあと、皆守は無言で葉佩の肩に手をおいた。

 

「昨日の探索でのヤラカシはそのせいか、九ちゃん?」

 

「どうだろ~?」

 

「九ちゃん」

 

「いたたたた」

 

「悪いこと言わないから今すぐ返してこい」

 

「いだだだだ」

 

「九ちゃん。な?」

 

「わかったわかったからやめてくれ縮むぅ!」

 

「お前はなんだっていつも騒動の中心にいるんだ!巻き込まれる俺の身にもなれッ!」



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俺の血は他人の血6

「誰だッ!」

 

私は電気銃を構えたまま、勢いよくドアをあける。鍵はかかっておらず、チェーンもなく、全開になってしまう自室。探索から帰ってきたらまさかの空き巣である。扉をそのまま近くのゴミ箱で閉まらないようにして入ってみる。部屋の明かりはついている。

 

「............」

 

簡易キッチンは見たところ変化はない。トイレを開けてみるが誰もいない。狭い廊下を進み、部屋に続く扉を開いた。

 

「───────ッ!?」

 

窓が全開でカーテンがなびいている。私は鳥肌がたった。特に荒らされた形跡はないかわりに、夜食ようにとっておいたパンが食われている。押し入れやクローゼットを探してみたが、誰もいなかった。

 

「おい、どうした翔ちゃん」

 

「うっわ、どうしたの?なんかあった?」

 

探索帰りでまだ起きていたらしい葉佩と皆守が飛んでくる。私はとりあえず窓を見る。人影はない。すでに立ち去った後のようだ。

 

「空き巣に入られたみたいだ」

 

「えええっ!?」

 

「それは本当か?大丈夫ないのか、翔ちゃん」

 

「泥棒はもういないみたいだ。ありがとう。一応調べてみるよ」

 

「誰か呼ぶ?」

 

「いや、被害が把握したいから待ってくれ」

 

「なら玄関見張っといてやる。犯人は現場にかえってくるっていうからな」

 

「俺、男子寮の周り見てくるよ」

 

「ありがとう」

 

私はもういちど、慎重にあたりを調べて回った。

 

「心当たりはないのか?」

 

「ないね」

 

満足な家具も揃っていないがらんとした余計なものの何も無いさっぱりとした部屋がそこにはあった。まるで病室のように清潔で、殺風景な、窓のあるコンクリートの棺桶のような部屋だ。

 

余計なものが何もない殺風景な室内は、恐ろしいほどに人の気配がない。生活臭がしない。塵ひとつない完璧なシャープに四角い部屋だ。広い部屋はがらんとしていて空気が静止している。おそろしく飾り気のない部屋を前に皆守は立ち尽くしていた。今すぐにでもいなくなると言われたら納得してしまいそうになるに違いない。

 

「ずいぶんと物が少ないが、なにか盗まれてないか?」

 

「もともと実務的でござっぱりした部屋を心がけていたからね、これが普通だよ」

 

「まるでモデルルームだな」

 

「そう?」

 

「あァ」

 

清潔で統一感があって、必要なものはすべて揃っている。しかし無個性でよそよそしい、ただのはりぼてだ。全ての荷物を出し終えた、がらんどうの部屋のようだ。簡素だった。まるで誰も住んでなかったように、人間の気配がない。家具達が、人間との関わりを拒絶し、冷えて沈黙してるみたいに。

 

キッチンはさっぱりと片付いていた。調理道具は決まった場所に全部収まっていたし、ステンレスの調理台は乾ききっていたし、食器洗浄器の中は空だった。システムキッチンのショールームのように、よそよそしく味気なかった。

 

私の匂いのするものは何ひとつ残されてはいない。指紋さえ拭き取っていったんじゃないかという気がする。予想をはるかに上回って何もない部屋じゃなかろうか、私を反映した物品が何もないのだから。

 

「実はさ、撤退命令が出てるんだよね」

 

「......なんだと?」

 

「想定以上に危ないから即刻退避しろってさ。父さんを助けるまでは待ってくれっていってるんだけど、準備はどんどん進んじゃってこの有様だよ」

 

「......宇宙人すら逃げ出すほどってか」

 

皆守は笑うしかないようだ。私だってそうである。萌生先生みたいに後方支援に充実しているイメージだったけど、《ロゼッタ協会》は私が考えている以上に《宝探し屋》を大事にしているようだ。エムツー機関が撤退命令を出していて瑞麗先生を鴉室さんが説得しようとするシーンなら見たことあるが、まさか《ロゼッタ協会》もだとは思わなかった。

 

とりあえず窓の施錠は行う。

 

「うーん、特にはない、かな」

 

「物取りじゃなさそうか?」

 

「いや、まだわかんないよ。押し入れに父さんの荷物保管してるから」

 

「......そうか」

 

「うん」

 

私は誰もいないか確認したばかりの押し入れを開いた。なにがなくなっているのかわからない。とりあえず全部出してみることにした。

 

「......閉めるぞ」

 

押し入れを空っぽにしようとする私を直視できないのか、皆守は静かにドアを閉めた。私はたんたんと確認していく。

 

「......H.A.N.T.が不正にアクセスされた形跡あり、か」

 

《ロゼッタ協会》情報局には私のパスコードで江見睡院のH.A.N.T.を起動できるようにしてもらっているのだが、無理やり中のデータを漁ろうとした形跡がある。嫌な予感がした私は銃火器なんかをチェックしていく。H.A.N.T.の解析にかけてみたが異常はなかった。パーツのひとつひとつを確認してみるが違和感はない。

 

「こっちが本命か」

 

私のH.A.N.T.も無理やりセキュリティを突破しようとした形跡が見つかった。パソコンもだ。どうやら私から何かの情報を得たかったらしい。残念ながら相手はそれほどパソコン技術に精通しているわけではなさそうだった。

 

「こっちは壊されてない」

 

一見アンティークにしか見えない通信装置で助かった。目もくれていない。私は片付けをしてドアを開けた。

 

「お待たせ。誰かが父さんのH.A.N.T.をハッキングしようとした形跡があるよ、甲ちゃん」

 

「なっ!?」

 

「もしかしたら、學園で騒ぎになってる窃盗や荒らしは《レリックドーン》の仕業かもしれないね。工作員が紛れ込んでいるのかも」

 

「ただいま~。特に怪しいヤツは見つからなかったぜ。どうだった?」

 

「盗まれたものは特にないけど、父さんのH.A.N.T.に不正アクセスした形跡があったよ」

 

「えっ、ほんとに!?」

 

「なにか調べたかったんだと思う」

 

「ぬぬぬ......俺だってまだ翔チャンの部屋見てないのに......」

 

「おいこら、こそ泥。そんなんだから神鳳に疑われるんだろうが」

 

「だって~」

 

「九ちゃんも調べて見たほうがよくない?」

 

私の一言に皆守と葉佩は顔を見合わせたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

きちんと片付いているというわけでもなく、乱雑に汚れているというほどでもなかった。人がここで暮らしているという跡が、さり気なく残っている。ベッドのシーツには皺があり、椅子の背にはセーターが脱ぎ捨ててあり、机の上には数字や記号が並んだノートが開いて置いてあった。

 

「さあて、確認してみるか」

 

葉佩は押し入れをあけた。

 

足の踏み場もないとはこのことだろうか、おもちゃ箱をひっくり返したように雑然としている。高く低く積まれた亀急便マークのダンボールの島の間を泳ぐ。足の踏み場もないほど床に細々したものが散らばり、食い散らかしたフライドチキンのカスのようになっている。脱ぎ捨てた服を、紙くずのように足で皺くちゃに蹴飛ばしながら、葉佩は入っていく。

 

小物が散乱している。

 

キッチン下の扉が小さく開いている。積み重ねられた新聞紙の山が崩れている。壁に掛かっていたと思われるカレンダーが絨毯に落ちて、折れ曲がっていた。

 

何だかごちゃごちゃしていて何がなんだかわからない。

 

「ここまでくると天才だね、九ちゃん」

 

「......帰っていいか?」

 

「まってまってまって!翔チャン、甲ちゃん、帰らないでくれッ!翔ちゃんはH.A.N.T.のハッキング調べてくれよ。甲ちゃんは見張っててくれ、玄関」

 

「片付けは手伝わないからな」

 

「わかってるって!」

 

「ほんとにわかってんのかよ......」

 

私はH.A.N.T.を受け取る。江見睡院と私のH.A.N.T.を調べたように同じことをしながら調べていく。

 

「九ちゃん、パスワードくらいはかけようね」

 

「もう今更じゃねえか?」

 

「あはは」

 

どうやら葉佩のH.A.N.T.も不正アクセスされた形跡があり、がっつり調べられていた。主に《遺跡》に関するデータが外部に流出したようだ。

 

「ほら、言わんこっちゃない」

 

「うっわ、マジですか......俺のプライバシー筒抜けじゃんッ!はっずかしー!」

 

私は頭が痛くなった。葉佩はこれでいいかもしれないが、《ロゼッタ協会》情報局の情報統括支部は今頃修羅場と化しているに違いない。この世界に来る前まで働いていた職場のことを考えると殺意のあまり葉佩を殴り殺してしまいそうだ。

 

個人情報の漏洩は、どのような個人・組織でも起こる可能性があるが、組織が引き起こす情報の漏洩は、その組織自体に非常に大きなダメージを与える。今すぐに対策すべき問題であり、担当者はその意識を持っていないといけないというのにこの有様である。

 

「九ちゃん、悪いこと言わないから《ロゼッタ協会》に今すぐ連絡しなよ」

 

「あれ、翔チャン怒ってる?」

 

「言ってなかったっけ?私、前の職場はIT関連企業だったんだよ。《ロゼッタ協会》ものすごく迷惑被ると思うから早くしなよ」

 

「りょうか~い。あ、翔ちゃん代わりに送っといて?」

 

「はあ?」

 

「同行者(バディ)は《ロゼッタ協会》に申請してるからさ、翔ちゃんが送っても大丈夫大丈夫」

 

「あのさあ、九ちゃん。さすがにそれはどうかと思うよ?」

 

「意外と荷物が溜まっててさ、数把握するの時間かかりそうなんだ~」

 

私は脱力した。

 

「わかったわかった、やってあげるから被害状況わかったら教えてね」

 

「は~い」

 

私はH.A.N.T.のメール機能を起動した。

 

「......なあ、九ちゃん」

 

「なに~?」

 

「..................九ちゃんにも撤退命令が出てるんだな」

 

「ああ、それ?そうなんだよ~。なに考えてるんだって話だよな~。《宝探し屋》がお宝前にしてスタコラサッサと逃げるわけないじゃん。だいたいあと少しで最深部なんだからさ~」

 

「......學園にはいるのか?」

 

「そりゃいるさ、俺はそのためにいるんだから」

 

「......そう、か」

 

「にしてはオレと九ちゃんの部屋はえらい違いだね」

 

「えっ、翔ちゃんにも撤退命令出てんの?宇宙人から?」

 

「まあね。どんだけやばいんだよって話だけど、オレも逃げる気は無いよ。父さんを救うのがオレの目的なんだから」

 

「まじか~、よかった。翔ちゃんいなくなったら寂しいもんな」

 

「オレもよかったよ。最後まで頑張ろうな」

 

「お~」

 

「......くだらないこと言ってないで早く調べろよ、九ちゃん。俺は早く寝たいんだが?」

 

皆守は久しぶりにアロマに手を伸ばしていた。



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忘れのメメタント

2004年12月5日日曜日夜

 

今日は葉佩から夜遊びのメールがこなかったので、いつもより早く水泳部のシャワールームを借りることにした。部活が終わる時間帯までマミーズで時間をつぶし、双樹にシャワーを借りるとメールを送る。快諾の返事が来たので、誰もいないのを見計らって鍵を開け、洗濯乾燥機と同時進行で要領よくすませてしまう。着替えを突っ込んだビニール袋をかかえて外に出ようとすると、玄関近くで双樹がいた。私を待っていたようで、すぐに立ち上がって近づいてくる。

 

「こんばんは、江見。待っていたわ」

 

「こんばんは、双樹さん。驚いたな、どうしたの?」

 

「どうしたもこうしたもないわ。あなた、最近、なにかあったでしょう?勝手に部屋の中に入られたりしなかった?」

 

「え?ああ、うん、たしかに入られたけど。情報はやいね。まだ捕まってないけど、空き巣がね」

 

「やっぱり......」

 

「双樹さん?」

 

「あなた、《夜会》からずっと、あたしがあげたアロマを使ってくれてるじゃない?」

 

「うん、気に入ったし」

 

「昨日から香りが変だわ。あたしが調香したアロマじゃない。成分が変わってしまっているのよ、なにかいれられたんじゃなくて?」

 

「えっ、それほんと?九ちゃんに頼んで解析してもらったら問題なかったんだけどなあ」

 

「精密機械は誤魔化せても、私を誤魔化すことは出来ないわ。ねえ、よかったら、そのビン貸してもらえないかしら?」

 

「ああ、うん、わかった。双樹さんがいうならやばいんだろうね。返すよ」

 

私はアロマのビンをさしだした。

 

「......やっぱりそうだわ。精油は非常に高度に濃縮された液体だから、間違った使い方をすると危険な場合があるのよ。あたしは100%天然純粋の精油しか作らないけど、多量の別の安価な精油や、合成物質を混ぜ物として加えても見た目や匂いで判断するのは困難だわ」

 

「......もし、使い続けたらどうなるの?」

 

「神経毒を定期的に摂取するようなものよ。肝心な時に体が動かなくなったり、痺れや痙攣が止まらなくなるかもしれないわ」

 

「......怖いな」

 

「怖いでしょう?悪いことは言わないから、私に預けてちょうだい。また今度新しいの調香してあげるから」

 

「わざわざありがとう」

 

「いいのよ。冤罪になるのは嫌だもの」

 

「たしかに......このタイミングでなにかあったら双樹さん疑うかもしれないね」

 

「でしょう?というわけで預かるわね」

 

「わかった」

 

「あ、そうそう、男子寮の前にトラックがとまっているわ。誰か引っ越してくるみたいね」

 

「引っ越してくる?」

 

「ええ、嫌な香りを學園に連れてくる男だわ。危ない香りがする男は好きだけど包容力はなさそうだからあたしの好みからはハズレるわね。あなたも注意したらどうかしら」

 

「そうだね、ありがとう、双樹さん。注意するよ」

 

「素直な子は大好きよ。《生徒会》は《遺跡》の見回りを強化しているから、あなたもそうだけど夜遊びはほどほどにしなさいね」

 

そういって双樹は去っていった。

 

 

 

 

 

 

12月13日に転校してくるはずの喪部銛矢が一週間もはやく来てしまった。それだけで緊張感が違う。双樹が監視する日のようだから、このまま大人しくしてくれよと願いながら私は男子寮に向かった。

 

何かを見下している人間は、特に目の形が面白くなる。そこに、反論に対する怯えや警戒。もしくは、反発してくるなら受けてたってやるぞという好戦的な光が宿っている。あるいは優越感の混ざった恍惚とした快楽でできた液体に目玉が浸り、膜が張っている場合もある。喪部銛矢の場合は明らかに後者だった。

 

気がつくと私の五感が警戒する距離に迫ってきている。それが大胆なだけに、五感の警戒が一歩遅れてしまうのだ。気配がなくて気づけなかった。そして慌てて警戒信号を発することになる。本能が警鐘を鳴らす中、喪部が近づいてきた。そんな感覚が付きまとう。

 

「やあ、夜遊びかい?時諏佐慎也君......いや、今は江見翔君だったかな?」

 

なんで知ってるんだこいつ。鳥肌がたつのがわかった。警戒は緩まない。内面まで視線を突き刺し、その心理に触れようとする鋭い眼差しに臆するわけにはいかない。

 

「なにを驚いているんだよ、皆神山以来だろ?」

 

「あの時君はいなかっただろ」

 

「何を言っているんだ、我々のじゃまをしておいて。ああ、そうか。あれから精神的におかしくなったんだって?つまり、僕とは初対面なわけだ。それにしてはずいぶんと警戒されているようだけど」

 

「カマ掛けするやつなら警戒もするさ」

 

「クククッ......奇妙なものだね。もしかしたら、と思ってはいたんだ。君とはこれで2回目だけど、やっぱり君からはあいつと同じ水を感じる」

 

「2回目?」

 

「そうさ。もっとも人間には知ることのできない領域の話だ。人には見えないが、時や場所を越え、つながるもののことだ。かつて僕がしるあいつと君は同じなんだ」

 

「過去でも見たのか?でも、今とは関係ないだろ」

 

「それもそうだね。過去は過去、現在は現在、君は君であり、彼でも彼女でもない。どのみち遠き時の果てのことだ、曖昧なのは事実。実際はどうだったかなんてわからない。友達かもしれないし、敵かも知れないし、戦いの中では思い出せるかも知れないが、僕はね、面倒事があまり好きじゃないんだ」

 

「......友達だけはないと思うよ。接点がなさすぎる」

 

「たしかに、邪神を信奉して精神に異常をきたし、親族諸共岩になって砕かれた《魂》の持ち主とお近付きにはなりたくないね」

 

「神の末裔から落された君にだけは言われたくない」

 

初めから風前の灯火だった喪部に対する遠慮や最後の敬意をたった今私は失った。喪部は肩を揺らして笑い始める。

 

「私達に危害を加えるようならタダじゃおかないからな、喪部」

 

「できるものならやってみろよ、最後は次元を超えてまで逃走した臆病者が」

 

「今と過去が分離できずに同一視してる君にだけは負ける気はしないね」

 

「クククッ......黙れよ。ついつい熱くなってしまうじゃないか。今はまだ動く時じゃないんでね、僕はこれで失礼させてもらうよ」

 

喪部は去っていく。私は大きく息をはいた。汗がどっとふきだすのがわかる。異様な緊張感から開放された私は、急いで自室に戻ったのだった。

 

嫌な予感がして部屋をまた確認してみる。

 

「......やられた。喪部の野郎......自室で大人しくしとけよ、あの野郎......」

 

鍵はかかっていたし、一見するとなにも取られていないし、空き巣にはいられたようでもない。でも押し入れにしまってあるH.A.N.T.を確認してみると、今回の不正アクセスは成功してしまっている。私はあわてて《ロゼッタ協会》に連絡を入れた。どうやら情報統括部が直ぐに気づいて私のアカウントを停止させてくれたらしい。肝心の情報流出は防がれたが、ハッキングする手段となった葉佩のH.A.N.T.からのメールのやり取りは見られたようだ。

 

「九ちゃん......ほらやっぱり!」

 

私は頭を抱える羽目になるのだった。情報抜かれたあとだからもう対策しても無駄だとは思うんだけど、セキュリティ云々についてもっと口煩くすべきだったんだ。このあたりはあまやかしすぎた私の自業自得な所もあるとはいえ、あんまりじゃないだろうか?いや、私が1番被害を被ること伝えるべきだったのか?もうやだあのノーガード戦法......こっちの迷惑も少しは考えろよな......!

 

 

 

 

 



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忘れのメメタント2

2004年12月6日月曜日早朝

 

「おいっ、大丈夫か、翔ッ!」

 

ガチャガチャ音がする。声が遠ざかったかと思うと、またガチャガチャ、ドンドンという音がした。

 

「寮長、おい、寮長ッ!こっちだ、早くッ!」

 

誰かが鍵をあける音がした。

 

「チェーンが......クソっ」

 

物凄い衝撃波がきて、遅れてチェーンが弾け飛び、ドアが破壊される音がした。

 

目が覚めた瞬間に私は強烈な痛みに悶絶し、ベッドから起き上がれなくなった。頭の片側がズキンズキンと鈍く疼く。たまらずこめかみを押さえるが、動悸を打って痛んできた。

 

頭に鉄の輪をはめられたような痛さがずっと続く。稲光が走るように意識の深部がチカチカとする。やがてズキンズキンと音を立てて鳴り、突き刺すような痛みが走るようになる。その緊めつけが強くなると、眼球を動かすのさえ辛くなった。眼球が硬くなって動かそうとすると痛い。

 

異常に頭が痛かった。何かで刺されたかと本気で思うくらいだった。とがった痛みが私を打ちのめした。口がからからに乾いていた。

 

頭を少しでも動かすと痛みが走り、体中がひきつれるようだった。

 

しばらく意識の外側に遠のいていた飢餓感がまた戻ってきた。その飢餓は以前にも増して強烈なもので、そのせいで頭の芯がひどく痛んだ。胃の底がひきつると、その震えがクラッチ・ワイヤで頭の中心に伝導されるのだ。私の体内には様々な複雑な機能が組みこまれているようだった。

 

くもの巣がまぶたの上を重く貼り付けられているように心にわだかまっている。魂が血管を下り、足の裏を突き抜けて地面にめり込むように落ち込む。

 

「これは......やばい......しねる......」

 

ブローチの加護がなくなった途端にこれである。

 

「大丈夫か、翔ッ!おい、翔、しっかりしろっ!」

 

「......やまと、?」

 

「立てるか!?」

 

「むり......」

 

「わかった、ほら」

 

どうやら背負ってくれるようだ。足取りはまるで鎖にでも繋がれているのを引きずって行くように重かった。肩に緩やかな重みがのっかかってる感じがする。まぶたの裏に涙が詰まった重い袋ができたようだ。

 

崩れ落ちるように体を預ける。

 

頭の中に、鉛のように重く、苦しく、ドロドロしたものがある感じ。馴染みのない人の前で畏まり続けることは、何か目に見えない縄で縛り付けられているようで辛い。体がなんとなく重くなり、筋肉の切れが悪くなる。食欲が減退してくる。肌が荒れてくる。髪がぺしゃっとしてくる。汗の臭いが変わってくる。

 

何だか身体中が溶けるように倦だるくって、骨がみんな抜け落ちそうで段々を一つ降りる毎ごとに眼の前が真暗になって、頭の中が水か何ぞのようにユラユラして痛む。おでこが急に重くなり拒否してるのに規格外の大きな塊がこめかみを通ろうとする。私は意識を飛ばした。

 

「大丈夫かい、江見」

 

「るいりー......せんせ......ここは?」

 

「保健室だ、夕薙に感謝するんだな。また死にかけていたぞ」

 

「......?」

 

「よかった、目を覚ましたか」

 

どうやら私はベッドに寝かされているようだった。

 

「君の部屋の扉にこれが張り付けられていたそうだが、覚えはあるかい?」

 

「たまたま通りかかったら異様なマークがたくさん張りつけられていてな、愛用していた香水に毒が混ぜられていたと聞いて嫌な予感がしたんだ」

 

「......あれ、大和にはなしたっけ......?」

 

「......墓守の爺さんがいってたんだがな」

 

「そっかあ、双樹さんから聞いたのかな......」

 

「ずいぶんと殺意に溢れた嫌がらせが続いているじゃないか、江見。心当たりは?」

 

「あはは......心当たりしかないです」

 

私は夕薙から携帯をうけとる。いくつか画像がある。

 

私は笑うしかない。そこにあるのはクトゥルフ神話におけるキーアイテムのひとつだったからだ。形状は不安定に歪んだ五芒星形の内側に、炎の目、若しくは塔が描かれたもの。通称《旧き印》。

 

神話上の位置づけとしては、地球外からやってきた宇宙人たる旧支配者の敵対者たる地球に初めからいる旧神の印であるとされ、旧支配者の配下を退けるとされる。但し、旧支配者そのものには効果がなく、その配下にも絶対的に有効というわけではない。たとえば、深きものには有効だがクトゥルーの落とし子には効果が見られない。しかし旧支配者でありながらハスターに対しては抜群の効果がある。

 

そう、ハスターの眷属や狂信者に効果があるのだ。

 

護符としての種別は、タリスマン(招福)ではなくアミュレット(退魔)。

 

通常、目が中央に置かれた星として描かれる。目の瞳があるべき場所に炎の柱が描かれる。 ほかにも五角形の中に目のようなものが描かれたもの、葉のついた枝のようなもの、手でつくられるサインなど、伝統的な意匠に沿っているかどうかにかかわらず、知られざる変形も何種類かある。 神話的存在の手先になった人間からも保護してくれるという者もいるし、人間以外の従者にしか効果がないとする者もいる。 今回は人間にも効果が抜群らしい。

 

「あの野郎......」

 

「これは?」

 

「宇宙人の手先になった人間にも効果がある退散の刻印だよ。アミュレットだ」

 

「精神交換されたのは翔が望んだことじゃないのにな、なんてことだ」

 

「ああ......なるほど。今の君にはこれ以上ないくらいの嫌がらせだな」

 

「ほんとだよ......」

 

私はぼやく。

 

「ちょっと迂闊でした。売り言葉に買い言葉だった。まさかそっちの知識まで精通してるとは思わなかった......ああくそ、《鎮魂の儀》伝えた家系なんだから《遺跡》の成り立ちまで把握してるに決まってるじゃないか、馬鹿じゃないのか私......」

 

「そっちの知識?ああ、甲太郎が白岐と話してた呪われたうんぬんか?」

 

「そうだよ。ここの《遺跡》を作った時点では、私の先祖は指揮をとる側だった。喪部の家系は《遺跡》の封印を施す《鎮魂の儀》を墓守である阿門の家系に伝えたんだ。私の先祖が邪神に狂ってるのがバレて追放されたことまで知ってるなら、狂信者の血が流れている私への対応策なんて練ってあるに決まってるよな」

 

「本当に馬鹿だな、翔は。底抜けのバカだ。これで少しは自分の身を案じることを覚えるんだな」

 

「本当に申し訳ない、大和。まじでありがとう」

 

夕薙は壁にどっと身体をあずけて、口を開け天井を振り仰ぐ。やれやれという感じだ。それまで張りつめていた緊張のなかに、ちょうど風穴のように不意にゆるみが入った。

 

私はまるで張っていた糸の一本が切れたように、心の重心の置き場をまだ見つけ得ない状態だ。ずっとはりつめつづけて来た心に、ほっと帯をゆるめるような安らかさを覚えたのである。保健室は安全地帯だと本能がわかったからだろうか。

 

「体をあたためてゆっくりするといい」

 

瑞麗先生が戸棚から業務用のレモネードの缶を出してくる。紙コップにポットでお湯を注ぎ、私に差し出してきた。

 

「ありがとうございます」

 

レモネードはさらりとして熱かった。

初めて飲んだレモネードはしっかり酸味があり、甘さもほど良くてすっかりする。炭酸水で割ってレモンスカッシュ風にしたら美味しそうだ。

 

「しばらく処方を取りやめていた魂を肉体に安定させる漢方、また出しておくから飲むように。いいね」

 

「はい......わかりました」

 

「とりあえず、半日保健室にいなさい。様子を見ようじゃないか。調子がいいなら午後から授業に出るといい」

 

「そうですね」

 

「よし、それなら雛川先生に伝えておいてやるよ。嫌がらせを受けたせいで翔が体調不良になったってな」

 

「んな直球な......」

 

「そうでもしないと、翔の部屋のドアを壊した理由に説明が出来ないんでな。諦めてくれ」

 

「えっ、壊したの?」

 

「緊急事態だ、仕方ないだろ?」

 

「いや、そうじゃなくて......空き巣が入ったから寮長に許可とって錠を追加してたんだけど......マジで?」

 

「..................えーっとだな」

 

「............大和、お前さあ。どこが病弱なんだよ」

 

「ははッ、じゃあな」

 

「待って、マジで待って。ドア壊れてんのにどこで寝ろっていうんだよ!」



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忘れのメメタント3

何度目かのチャイムがなっている。私はベッドに横になったまま、漢方の効果が出るのを待っていた。昼休みならマミーズや売店に生徒が殺到するため廊下が騒がしくなるが、そこまで人の気配はしない。たぶん何限目かの休み時間なんだろう。昼休みになったら九ちゃんになにか持ってきてもらおうかなとぼんやり思った私は体を起こしてメガネに手を伸ばした。

 

スピーカーから校内放送のチャイムが聞こえてきた。

 

「3年C組の皆守甲太郎くん。瑞麗先生がお呼びです。すぐに保健室へ行ってください。3のCの皆守甲太郎くん。保健室までお願いします」

 

まさかの出頭命令である。なにをやらかしたんだろう、皆守と思いながら私は携帯に手を伸ばした。

 

「おいカウンセラー、なんだよいきなり」

 

がら、と乱暴にあけられた扉が跳ね返って微妙にあいてしまったらしく、瑞麗先生がちゃんと閉めろと注意している。しかし早いな、随分と早いご到着である。

 

「君あてに預かっているものがあるんだ。受け取りたまえ」

 

「は?なんだよ、なんであんたが......」

 

「みればわかるさ」

 

カーテンの向こう側で皆守が瑞麗先生からなにかをうけとったようだ。気になるが出ていく雰囲気でもないので、私は携帯でメールをうっていた。

 

ずいぶんと長い間、静寂が流れていた。しばらくして。

 

「そういや、翔ちゃんはまだいるのか?」

 

「ああ、見舞いかい?いい心がけだね」

 

「うるせえよ」

 

「江見なら奥のベッドだ」

 

「起きてるか、翔ちゃん」

 

寝たフリでもしようかと思ったが、つかつかと近づいてきた皆守は、しゃ、とカーテンをあけて入ってきた。そして近くの丸椅子に座った。

 

「聞いてたか?」

 

やっぱりそうだ。必死だなあ。

 

「聞こえてたけど出ていく雰囲気じゃなかったから、メールみてたよ。みんなに心配かけちゃってるからね、メールだよメール。ついでに九ちゃんにお昼頼もうかと思って」

 

言及する気配のない私に安心したのか、皆守は安堵のため息をついている。

 

「ならこれでも食っとけ」

 

ほらよ、とシーツの上に乗っけられたのは売店の袋だ。中身はカレーパンと缶コーヒーである。買ったばかりなようでまだ缶コーヒーがあたたかい。なるほど、売店にいたから保健室に来るのがやけに早かったのか。

 

「え、いいのかよ、甲ちゃん。これ甲ちゃんの昼ごはんじゃ?」

 

「気が変わったからいいんだよ。昼はマミーズで食うから。今の學園内じゃ食う気がしねえ」

 

「そうなんだ?ありがとう」

 

「最初は屋上ですませようかと思ったんだがな」

 

「さすがに12月に屋上で昼寝はきついよね。寒いだろ?九ちゃんとか雛川先生とか来るし」

 

「それもある。それだけ喋れるならど調子は良さそうだな、翔ちゃん」

 

「うん?まあね。瑞麗先生のおかげでだいぶん楽になったよ。この調子なら午後から出られるかもしれない」

 

「いや......今日はやめとけ」

 

「え?」

 

「悪いことは言わねえから、今日は早く帰って休んどけ」

 

「どうしたんだよ、甲ちゃん」

 

「やっぱり気づいてなかったか。夕薙が午後から復帰するとかいってたから来たんだよ。朝から甘ったるい匂いが學園内に充満してやがる。病み上がりの体にはきついだろ」

 

「甘い匂い?」

 

「あァ。あの香りのせいで思考回路がぼやけた奴らばっかりだ。あの香りにつつまれてしまうと大切なことを忘れちまう。おかげで誰もが白岐のことを忘れてやがる。お前は忘れてないんだろ?なら保健室で大人しくしとけ」

 

私がなぜ白岐のことを忘れてないと思ったのか聞こうとした矢先、後ろから瑞麗先生が口を挟んだ。

 

「白岐......ああ、白岐か、白岐幽花。なるほど。そういうことか」

 

「あ?なんだよ、カウンセラー」

 

奥の鍵がかかっている棚からカルテがはいっているファイルを見ながら、瑞麗先生はいうのだ。

 

「実は君をここに運び込んでから、処方箋を探していたら生徒のカルテを何者かが触った痕があってな。犯人は巧妙に隠しているつもりだろうが、私の目はごまかせない。だが、肝心の誰のカルテを紛失したのか思い出せなかったんだが、そうか。彼女か」

 

瑞麗先生の言葉に皆守は唖然としている。たしかに双樹の力がここまで強力だとは初見プレイしたときは思ったものだ。

 

「カウンセラーまで?」

 

「私に喧嘩を売るとはいい度胸だ」

 

瑞麗先生はなにやら準備をはじめた。私物がおいてある棚からなにか中国の古い陶器を並べ、色々とビンをだして調合しはじめた。そして、なにやら物々しい装飾が施された数珠をだす。中国語でなにか唱え始めた。やがてその数珠をしまい、火をつけた。どうやらなにかのお香のようだ。そして保健室にまきはじめる。なんだか空気が軽くなったような気がする。

 

「これは塗香(ずこう)といってな、清め香とも呼ばれる粉末状のお香なんだ。身体に直接塗ったり、祭壇に巻いたりすることで邪気を近づけないようにする。ようやく認識阻害の効果が薄れたようだな、これで保健室は安全地帯になったというわけだ。さて、どいつが犯人か調べなくては」

 

「まじか」

 

「なにが?」

 

「翔ちゃんが忘れないのは保健室にいるからだと思ってたんだが」

 

「違うみたいだね。保健室にいても効果があるなんて。まあ完全な閉鎖空間てわけじゃないけどさ」

 

私にメールがきた。

 

「誰からだ?」

 

「千貫さんだよ」

 

「なんでまた」

 

「そりゃ、阿門に喪部について警告したいからね。あいつ、先祖と自分をひとつづきだと考えてるみたいだからね、完全に同一視してる。危険思想にほかならない」

 

「......念の為聞くが、いつメールした?」

 

「いつって定期的にしてるよ。喪部銛矢はやばいやつだし。報連相はすべきだろ、情報を独占したところで抱え落ちしたら世話ないもの。まあ、阿門は私にだけは借りを作りたくないらしいからね、それなりの見返りをくれるみたいだ」

 

「?」

 

「くれたんだ、情報。《レリックドーン》の工作員らしき人間のね。さてどうしようかな、って考えてたとこ」

 

「......翔ちゃんはいつもそうだよな」

 

「なにが?」

 

「いつも1歩も2歩も先をいってる」

 

「まえいっただろ、動かなきゃ動けなくなるのがわかってるから必死なだけだよ。考えたくないだけなんだ」

 

「そのわりには助けを求めないよな」

 

「今の状況を打開して欲しいわけじゃないからね。九ちゃんにはこの《遺跡》を解放してほしいんだ。それが私の悲願に繋がってる」

 

「よくわからん」

 

「九龍伝説ってしってるか、甲ちゃん」

 

「九龍伝説?」

 

「日本に文明が起こったとされる縄文時代よりはるか以前に高度な《叡智》を有した文明が存在していたっていう伝説だよ。その民は大いなる9匹の龍の神を崇め、9匹の龍は9つの宝を守っていた。その秘宝を手に入れたものは《永遠の富と栄華》を手に入れることができるらしい。この《遺跡》にある《秘宝》は《九龍の秘宝》って呼ばれてる。私が皆神山で宇宙人にあったときも言われたよ。我が九龍の秘宝をいつの日か、お前が《秘宝》を探し出し、それを手にする時を待つとしようってね」

 

「!」

 

「仲間が欲しいんだよ、私は」

 

「仲間、か」

 

「うん。もちろん、甲ちゃんもだよ。母さんはひとりで父さんを救おうとして失敗したんだから、オレは二の舞にならないようにすべきだ。ひとりでも多く欲しいんだ」

 

「......おまえな、なんでそんなこというんだ。おれは......」

 

ちょっと泣きそうな顔で皆守はいう。

 

「私は歩みを止めることは許されない。利用価値がなくなった瞬間に私は元の体に戻ることができなくなる。それだけは避けなくちゃならない。なにせ命を救うなんて先払いされちゃってるもんだからね」

 

「ちッ......」

 

「なんだよ」

 

「アロマに毒混ぜられたり、手紙みたいな精神を蝕む札貼られたりした程度じゃ、翔ちゃんは止まらないよな。そうだ、お前はそういうやつだ。忘れてたぜ、俺としたことが」

 

「心配してくれたんだ?ありがとう」

 

「うるせえよ。撤退命令が出てるっていうし、部屋があんだけ片付いてるから、もしかしたらと思っただけだ」

 

「まあ、たしかに今すぐにでも出発しろとは言われてるんだけどね」

 

「───────ッじゃあ、」

 

「それだけは出来ないって突っぱねたよ。今私がいなくなったら、宇宙人に関する知識を提供する人間がいなくなる。喪部銛矢がかなりの識者みたいだからね。後手にまわったら大惨事になる。それに父さんを救える人間もいなくなるじゃないか」

 

「九ちゃんに頼めばいいんじゃないのかよ」

 

皆守がいつになく真剣な眼差しで私の顔を覗き込んでくる。私は首をふった。

 

「九ちゃんは《宝探し屋》であって《救世主》じゃない。九ちゃんには《遺跡》に専念してもらいたいんだ。江見睡院を救うのは、父さんを救うのは、オレの役目だからね」

 

言い切る私に皆守はしばらく言葉を探していたようだったが、肩をおとした。

 

チャイムがなる。走り去る足音がするから授業がはじまったようだ。

 

「あれ、授業には出ないの?」

 

「んな気分になれるとでも思ってんのかよ」

 

皆守はぽつりと呟いた。

 

「隣、借りるぞカウンセラー」

 

「ああ、ゆっくりしていきたまえ。ただ昼ごはんはここ以外で頼むぞ、江見。塗香が薄れてしまうからな」

 

「わかってますよ」

 

私は夕薙が持ってきてくれたカバンに袋をいれた。皆守はカーテンの向こうに消える。

 

「......」

 

「......」

 

カーテンの向こう側で紙を破く音がした。がさごそなにか聞こえてくる。

 

「......なァ」

 

「なに?」

 

「翔ちゃんは、卒業したら何するか考えてんのか?」

 

「卒業したら?」

 

「あァ」

 

「そうだな......とりあえず岡山に帰るよ、父さんと。母さんじゃないかもしれないけど、父さんを待ってる人はいるからさ、会わせてあげたいんだ」

 

「そうか......そうだよな。翔ちゃんならそうなるよな」

 

「で、父さんのコネで《ロゼッタ協会》に入る」

 

「......は?」

 

「オレは父さんが会いたい江見翔じゃないからな、会わせてあげるためにも《九龍の秘宝》を探さなきゃならない。私が帰るためにも」

 

「......ああ、なるほど」

 

「九ちゃんみてたらやりたくなって来ちゃったのもある」

 

「は?」

 

「だって楽しそうだろ?九ちゃんの探索にオレがどれだけ貢献してると思ってるんだよ。あれで九ちゃん《宝探し屋》つとまるんだから、オレでも出来そうだし」

 

「おいおい正気かよ」

 

皆守の声が笑っている。

 

「悪いことは言わないから九ちゃんにはいうなよ、そのくだり。というか、新人の九ちゃんの推薦じゃなくて父親の推薦てのがお前、あはは」

 

ひとしきり笑ってから皆守がいう。

 

「卒業したら、なんて考えたの久しぶりな気がするな......。九ちゃんやお前と話してると案外悪くないかもしれないな......」

 

しばらくして、また紙を手にする音がする。手紙かなんかだろうか?

 

さて、私も《レリックドーン》の工作員どうやってとっちめるか考えなくちゃならないな。葉佩が《生徒会》と対決する以上、不測の事態があってはならない。



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忘れのメメタント4

「あ───────、こんにちは、翔くん。もうお体は大丈夫なんですか?」

 

新聞部に向かおうとしていた私は月魅とばったりあった。

 

「こんにちは、月魅。オレはもう大丈夫だよ」

 

「よかった。ちょうどあなたにお話したいことがあったんです」

 

「そうなんだ?なんだろ、メールでもよかったのに」

 

「いえ......そこまで緊急を要することではなかったですし、八千穂さんから保健室に運ばれたと聞いていたので」

 

「ああ、そっか。ごめんね、なんだろう?」

 

「この學園に語り継がれる怪談の6番目にあたる時計台の幽霊に、六番目の少女というものがあるんです。書庫に残っていた文献を見る限りでは、この學園の創立当時から、少しずつその姿を変えながらも繰り返し目撃されてきたようです。それで、その幽霊なのですか、今朝早く、朝露の時計台にぼんやりと浮かぶ、長い髪の人影をみた人がいるそうです。過去の目撃証言同様、その幽霊は、何か悪さをする訳ではなく、ただ無言で悲しそうにこちらを見ているだけなのだそうですが......。その姿が誰かにとても似ているらしいのです。長い髪とどこか寂しげに外をみつめているという姿に、私も心当たりがある気がするのですが......」

 

廊下には香りが漂ってくる。月魅は霞がかったようにはっきりしないようだ。

 

「翔さんは誰か思いあたる人物がいませんか?」

 

白岐のことなんだけど、私は言わなかった。今の月魅は《長髄彦》の支配下にある。だからいつ意識を乗っ取られてしまうかわかったものじゃない。《生徒会》が白岐を隠しているのも《長髄彦》の意識が強くなり、贄を求めるやつらも活性化していり今、あぶないと踏んだからだ。私が定期的に警告したこともあるらしいが。

 

「その女の子って、まさか《夜会》が宿泊にかわった時に現れてなかった?具体的には1980年と1986年と1998年とに」

 

「あっ......そうか、そうですね!私も知っているはずなのに、なぜだかもやもやとして思い出せなかったんです。この、朝から漂っているこの香りに包まれていると大切なことを忘れてしまう気がしていたんです。やっぱり気のせいじゃなかったんだわ」

 

「その女の子、《遺跡》の封印がとけそうになるたびに現れてるらしいから、警告なのかもしれないよ」

 

「なるほど......たしかに。古人曰く、《智恵のある者が情熱を示さない事もまた、恥ずべきことだ》《慎重でなければならないが、消極的であってはならない》。この不可思議な現象もあの《遺跡》と関わりがあるのだとしたら───────」

 

「だからオレ、今から新聞部に行くつもりだったんだよ」

 

「え、新聞部ですか?」

 

「うん。歴代の卒業生の一覧と新聞部の記事を比べたらなにかわかるかもしれないと思ってね。オカルト満載な學園だから記事には事欠かないでしょ?」

 

「ふふふ、さすがは翔くん。頼もしいですね。ですがあなたは一人じゃない。翔くんは幾度も狙われているのは

事実です。私もできるだけ力になるつもりです。だから、あなたの真実に向かうそのお手伝いをさせてもらえませんか?」

 

「え、いいのか?」

 

「はい」

 

「ありがとう」

 

 

 

 

 

 

「あれっ、七瀬に江見じゃん。どうしたんだよ、お揃いで。あ、まさかうちの部員の誰かがまーた図書室に本の返却忘れてたとかいうパターンか?」

 

新聞部の部長が声をかけてきた。

 

「いえ、今回はそうではなくてですね」

 

「そうそう、違うんだ。《六番目の少女》について調べようと思って」

 

「あっはっは、なるほど。江見も大変だな」

 

「皇七(すめらぎ)さん、それはどういう......」

 

「まあまあ。皇七、ここ10年ほどの天香學園新聞部読ませてもらってもいいかな」

 

「奇遇だな、江見。次の記事になりそうだから用意しといたぜ。広げてあるのは全部そうだから読んでいけよ」

 

「ありがとうございます」

 

「《夜会》が終わったらぱたりと目撃証言がなくなるってのに、今回はその逆だ。なんかあるかもな」

 

「2手にわかれれば早そうですね」

 

「そうだな、よしやろっか」

 

「なんか手伝おうか?」

 

「なら今年の天香學園新聞も見せてもらっていいか?9月からの」

 

「いーぜそれくらい」

 

私達は手分けして読み始めた。

 

結論からいえば、《夜会》が宿泊イベントに変更された年は、かならず《六番目の少女》は現れているようだ。ついでに卒業生に配布される冊子にはかならず《白岐》という苗字の少女が確認できた。《六番目の少女》が出現してから失踪していることもわかった。

 

そして、私の本命たる今年の9月以降の天香學園新聞の内容はこうだ。9月中に主に3年生のあいだで学生証の紛失が多発。すぐに出てくるものの、明らかに盗まれていることから《生徒会》から注意喚起があった。

 

10月頃に新聞部を名乗る不審者が学生証を無くした生徒を中心に取材と称して個人情報を聞き出そうとしていることが発覚。同時期に起こった不審者騒動により、犯人は同一人物と考えられたがつかまらず。新聞部は学生証を提示してから取材しているから、提示しないやつには個人情報を渡さないようにと注意喚起している。

 

11月に入ってからぱたりと目撃証言が途絶えている。新聞部は盗撮さわぎがチラホラあることから関連を疑っているが手がかりなし。

 

なるほど、鴉室洋介さんがみごとにスケープゴートになったせいで、うやむやになっているようだ。

 

「ありがとう、皇七。参考になったよ」

 

「そーか?そりゃよかったよ。あ、そうだそうだ、江見って皆守と仲良いよな?カレーコラムの原稿はやくあげてくれって伝えといてくれるか?」

 

「カレーコラム......ああこれ?」

 

「そうそう、意外と好評なんだよそれ」

 

私は思わず笑ってしまった。なにやってんだよ、皆守のやつ。

 

 

 

 

月魅と別れた私は扉を直してもらう立ち会いのために男子寮にいた。業者は黙々と作業をこなし、新たな扉が設置された。作業員に不審な点はない。ありがとうございました、とお礼をいい、私は扉を閉めた。

 

扉が壊れてからは私物を夕薙が預かっていてくれているためにますますすっからかんな室内である。放課後がまだのため、なにもできない。

 

私はベッドに沈んだ。メールを読むためだ。

 

「文章制限がきついなこれ......」

 

《ロゼッタ協会》からの調査報告書が何通にもわたって送られてくる。

 

私を初めとするような諜報員もしくはスパイと呼ばれるのはジェームズ・ボンドのような派手な活躍をする者たちではない。007のような古典的工作員との共通点はハイテク技術と装備を持っている一点のみである。敵の中に潜入し、溶け込んで共同生活を送り、彼らを欺くのだ。

 

武器・兵器の使用法、護身術、その他自分が捉えられた時の尋問耐久訓練などの教育をうけ、監視術も学ぶ。最も危険なのは工作担当者、つまるところ私である。

 

如何なる場所、時間、出来事、人物について観察し、記憶し、思い出すことが出来ることが重要である。また、論理的思考をすることを求められる。常識や既成概念を排除し、水平思考を求められ、柔軟的思考力も求められ、激変する環境や過酷な現場に、その状況に応じた対応力も求められる。

 

常に相応しい行動をとる。そして人々に関心を持つことで自分への注意を逸らせる。愚か者は隙さえあられば自分の管理下に置き利用する。人々の自慢する物を褒め称えることなどで有益な情報を引出し、また、感情につけ込む。リスクを予測することで問題点を洗い出し、計画を練り、自らと相手の行動を分析し、確実な情報に基いて行動する。

 

危険な状況、場所では常に攻撃的に行動する。敵も攻撃的だから屈しないことを示す。自らの強み・弱みを知り、失敗しそうなら行動しない。自分の担当区域とそこの住民たちと仲良くなり知り抜く。ニセ経歴を持ち、住民や敵を信用させる。脱出、脱走の機会、潮時を知り、常に逃走経路を確保する。

捕獲されても逃走をあきらめない。

 

工作員に向いているのは、印象に残りにくい地味な人間だ。背が高くもなく低くもなく年齢がよくわからない人相だとなおいい。

 

メールに届いた疋田(ひきた)という男はまさにそのイメージに一致する人間だった。その写真をみた私は驚くのだ。

 

「......こいつ......」

 

たしか攻略本に出ていた、3週間くらいで《生徒会》に粛清されて行方不明になるはずの《レリックドーン》の工作員じゃなかっただろうか。新聞部を装って主要キャラたちの個人情報を抜き取り、本部に送っていたはずである。

 

「......警備員......か」

 

この世界だと疋田はなかなか優秀な諜報員のようだ。両生類のような顔と年齢がわかりにくい外見により学生服を着ても違和感がない。なにせ年齢詐称の人間がこの學園には多すぎるのである。

 

しかも警備員なら見回りをしていても問題はなく、部外者をいれる意味でも仲介役となれる。新聞部の振りをして學園をウロウロして、怪しくなったら學園とは接点がない警備員になる。よくできている。

 

「やっぱり《レリックドーン》か......」

 

私は息を吐いた。

 

古の《秘宝》を狙う組織は、世界中に数多く存在している。その中でも二大勢力といえるのが《ロゼッタ協会》と《レリックドーン》である。《エムツー機関》は両者と対立関係にある組織である。

 

《レリックドーン》は、古に失われた《叡智》がもたらす《秘宝》をこの世に解き放つという高尚な使命を負って地上に遣わされた者が集う組織である。真に優れたものが支配する《秘宝》の力をもって、この世界を変革するのが究極的な目的である。

 

《ロゼッタ協会》の報告書によると、世界各地の遺跡に眠る《秘宝》の力を使ってこの世を変革せんとする《秘宝の夜明け》こと《レリックドーン》は、エジプトのアラブ共和国で《ロゼッタ協会》の新米《宝探し屋》に《王座の碑文》を奪われた。そこで、日本の天香學園にある《遺跡》にもその《宝探し屋》が絡んでいることを知った《レリックドーン》は、日本に重宝部員を送り込み、《宝探し屋》の周辺を徹底的に調査させているらしい。

 

ターゲットは《ロゼッタ協会》所属の宝探し屋《レリックドーンの管理番号R0906》、《ロゼッタ協会》IDNo.0999、葉佩九龍その人である。目的は葉佩が潜入した天香學園に紛れ込み、《宝探し屋》の動向調査および《秘宝》を確保すること。構成員はIDNo.07842、コードネーム《フロッシュ》。

 

氏名 疋田 久倶実(ひきた くぐみ)

コードネーム フロッシュ

国籍 日本

性別 男

生年月日 1981年10月9日

血液型 A型

身長 173センチ

体重 60キロ

健康状態 良好

特記事項 潔癖症です

 

「24歳じゃん......お前はどこのひーちゃんだよ......」

 

2週目特典でH.A.N.T.を拾ったばかりに葉佩と間違われて《宝探し屋》をするはめになった別シリーズ主人公と同い年という事実に愕然とする。

 

「つうか九ちゃんがターゲットならなんで私に嫌がらせしてやがるんだこいつ......」

 

そして怒りが湧いてくる。このやろう、どうしてくれようか。

 



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忘れのメメタント5

「ほんとに来てくれるとは思わなかったな、大和」

 

「心外だな。さすがに何かあったら頼れといっておきながら反故にするほど薄情じゃないぞ」

 

「大和なら温室にいくかと思ってたんだよ」

 

「温室か......たしかに行ってみたが、なにも思い出せなかった。歯がゆさがますだけでな、その時に君からメールがきたのさ。君にも思い当たる節があったのか?」

 

「まあね。新聞部で調べたら白岐って子が《6番目の少女》が現れたら決まって失踪するってことがわかったよ」

 

「はは、君の瞳にはまったく迷いがないな。ここに来てよかったよ。正直いうと俺も少し不安だったんだ。俺の記憶は本当に正しいのかどうか。頼もしいな。そうか、白岐か......」

 

夕薙は言葉をかみしめる。

 

「ダメだな、思い出せない。何かがおかしくなったのは、この匂いを感じるようになってからだ。調べてみたんだが、君は《生徒会》の双樹からアロマをもらったことがあるらしいな。関係あると思うか?」

 

「毒については違うと思うよ、教えてくれたのは双樹さんだ。ただ、すごい調香師だとは思ったよ」

 

「そうか......なら、俺が何をいいたいのかはもうわかっただろう?これは意図的に撒かれたものだ。これほどまでに完璧な情報操作を行うのは容易くはないはずだ」

 

「そうだね、恐るべき《力》だよ。才能を極限まで高めてしまうんだ。ご先祖さまはいったい何者だったのか、ほんとに怖くなる」

 

「そうだな......所詮は忌まわしい《力》だ。だが、その《力》がここで生み出された以上、ここにはそれを解く鍵があるはずだ。そう気をおとすなよ」

 

「ありがとう」

 

「人に超常的な《力》をあたえ、時にはその姿さえ変貌させるような《力》か......。子孫たる君が恐怖するような《力》が本当にあるのだとしてだ。人間がそれを克服できないとは俺は思わない。思ってはいけない。それは超常現象だの神の怒りだの呪いだの、人間の覆しようがない神や悪魔や人外共のなせる技だと認めることになるからだ。しっかり気をもてよ、翔。結局のところ、最後は自分だけが頼りだからな。君もわかっているだろう?乗り越えなければ先に進めないこともあるんだ」

 

「......ありがとう」

 

「おいおい、なんで泣くんだ」

 

「そこまで励まされたの初めてだからかもしれない」

 

「君もなかなかめんどくさいやつだな」

 

「君にだけは言われたくないよ」

 

「冗談だから、銃をこちらに向けないでくれ」

 

夕薙は笑っていた。

 

 

 

 

 

 

私たちが警備員室に近づいたとき、爆発音がした。あわてて扉を開けてみると、ダイナミックな音が粉々になって全身にぶつかってくる。爆音が、頭の真上すれすれをかすめていった。予想外の大音響が空気をかき混ぜる。

 

監視カメラの集合体目掛けて頭部やら胴体やらが乱れ飛び、《レリックドーン》の工作員たちがあっけなく息を引き取ったのがみえた。ひどくあっけない、朽ち木の折れるような死が転がっている。理不尽を前にしたとき、人間は誰しもが虫のように、なんの造作もなく死んでしまう。

 

「......なにが起こっているんだ?」

 

かろうじて吐けた強気の言葉。だが夕薙の瞳の奥に怯えが見える。警備員の断末魔が、走馬灯のように頭を駆け巡る。いくつもの情景が頭の中に現れては消える。これまでの出来事が突風のように頭の中に吹き荒れる。私たちは死にたくなかった。

 

 

黒い息吹が立ちのぼってくるのだ。

 

 

けたたましい破裂音がして、私は目眩がした。頭が割れるような音だ。大風の海のような凄まじい物音が、警備員室にある精密機器にヒビを走らせる。後ろにひっぱられる。私たちはそのまま近くの宿直室に逃げ込んだ。

 

「や、大和、ありがとう」

 

気にするなとぽんぽん頭を撫でられる。夕薙はその向こう側を見つめている。恐る恐る覗き込むとすでに警備員と何者かが交戦状態だった。

 

 

ふたたび音が爆発したように一瞬だけ広がる。枕元で雷が落ちたくらいの爆音だ。猛烈な爆発音が耳の穴になだれこんで来る。電光のようなすさまじい色彩を放った。

 

大きな音によろけるくらいに圧され暗闇を破くみたいに、なにかが切断される音が大きく響く。耳に余る大きな音を立てて、男の苦悶の声がこだました。

 

耳をもつんざく程、大きな雷鳴が轟き、どおんと地を震わせて爆音がとどろいた。あたりの賑わしさを頭から叩き伏せるように力ずくの音楽が破裂している。

 

こちらに気づいたのか爆音が近づいてくる。私は引き金をひいた。銃声が響き、弾丸は金属音を伴って乱れ飛ぶ。構わず鋭い発砲を浴びせる。重い金属的な衝撃音が二度響いた。

 

さらに銃が火を噴く。撃った反動で肩に衝撃が走ると同時に、乾いた音が響く。どん、と破裂するような音がしたのはその時だ。勢い良く、鉄の杭を壁に打ち込むような、瞬間的ながら激しい響きが聞こえた。

 

絶叫が聞こえる。そして静かになった。

 

「こいつはまた......ひどいな」

 

あたりに漂うのは腐臭だった。腐った人間の匂いがする。どうやら警備員室は女教師のように遺体に満たされたスライムに襲撃されたらしい。対処法を知らなければどうしようもない。どこから湧いてきたのか知らないが、遺体がまだあったらしい。贄を求めてこんなところに入り込んだんだろうか?

 

四肢がすさまじい損傷を受けても平然としている2人の警備員を殺戮した犯人がこちらを向いた。

 

「死後3ヶ月ってところか。爪のあたりがすごいことになってるな、引っ掻いたのか?」

 

「......まさか、ほんとの警備員?」

 

「なんだって?」

 

「《レリックドーン》の諜報員が入り込んでるのはわかってるけど、本来の警備員がどうなったのかまでは考えてなかった。まさか物理的に交代したのか?」

 

「なんで警備員だとわかるんだ?」

 

「実は、父さんの墓を掘り返したんだ。空っぽだったんだけど、内側から外に出ようと必死で引っ掻いたあとがあったんだよ」

 

「それは本当か、翔」

 

夕薙が驚くのも無理はない。《生徒会》に言われてミイラを埋葬するのは墓守の仕事、つまり夕薙の仕事なのだ。一定期間が過ぎたら遺留品とミイラを入れ替えるのは夕薙の仕事だから、それ以外なんて考えたことすらなかったんだろう。江見睡院の墓自体は18年前にできていたはずだから中身なんて知る機会はないはずである。

 

「ずっと疑問だったんだよ。遺留品を阿門から返してもらった時点で、墓には何もいれていないって言質はとってる。なのになんだって棺桶の内側から傷だからけなのかわからなかった。でも謎が解けた」

 

私は爆弾を手にする。

 

「おいおい、警備員室吹き飛ばす気か?」

 

「吹き飛ばす気でかからないとオレたちがああなるよ、大和。腕1本でも残したら這ってでも襲ってくる」

 

夕薙はいきをのんだ。

 

「初めてじゃないって顔だな」

 

「最初は甲ちゃんが大好きだった先生だよ。《遺跡》に甲ちゃんと九ちゃんさそいこんだからね」

 

「なるほど、よくわかった。でもな、翔」

 

「なに?」

 

「死ぬなよ?」

 

「そっちこそ」

 

この死んだような音色を私は忘れることはないだろう。迫り来るゾンビの呻きには陰気さの底には永劫消えることのない怨みの響きが残っている。人間の力では打ち消す事の出来ない悲しい執念の情調がこもっている。無間地獄の底に堕ちながら死のうとして死に得ぬ魂魄のなげき。八万奈落の涯をさまよいつつ浮ぼうとして浮び得ぬ幽鬼の声。それは呪いの言葉だった。

 

それを背負ってもなお、私たちは前に進まなければならないのだ。それぞれの真実に到達するために。




私がただちに千貫さんに連絡したからだろうか、それとも瑞麗先生にお願いしたからだろうか。物々しい武装をした《エムツー機関》のフロント企業スタッフが警備員室を封鎖してしまった。

「はは......ひどい有様だな、翔」

「大和もね」

「あれは任せていいのか?」

「いいよ。隅々まで司法解剖されて火葬されて遺族に送られるかわりに警察は介入できないからね」

「こういうところを見ると、君もあちら側なんだと実感するな」

「あはは、ほんとに今更だね」

「九龍みたいに公言してるわけじゃないからな」

「ほんとはそういう仕事なんだけどね......。《ロゼッタ協会》規則は3か条があるんだ。まず正体を明かさないこと。次に

「九龍はよく怒られないな」

「それだけ《ロゼッタ協会》が本気でこの《遺跡》を本腰すえて攻略しようとしてるってことだよ。それだけ江見睡院は《ロゼッタ協会》の精神的支柱だったんだ」

「君にとってもか?」

「江見翔について提案したのはそもそも私だからね」

校舎からチャイムが鳴り響く。

「ある意味今日でよかったのかもしれないな、誰もがボーッとしている一日だった」

「そうだね。さて、お風呂に行かなきゃな」

「そうか、なら俺は......」

「水泳部のシャワー借りるから大丈夫だよ。まだ放課後まで時間あるしね」

「そうか?悪いな」

「青少年に悪影響及ぼすといけないからね」

「ははっ」

「大和はそういうの気にしない?」

「いや、遠慮しておくよ」

「ですよね」

私は肩を落としたのだった。残念だ。

そして、男子寮に一度帰ってから着替えようとした時だ。

「......」

ポストの前に化人よけの香料に反応する虫が群がっているのがみえた。

「......父さん......」

今、いれたところだったようだ。

「翔、か?」

「最近、手紙くれなくなってたよね。寂しかったよ」

「すまないな、手持ちのパビルスがきれてしまったんだ」

「だからブローチくれたんだ?」

「ああ。......つけてはくれていないのか」

「ごめん、ファントムに操られそうになってる友達助けるために使ってるんだ」

「そうか。役に立ってるようで良かった。翔は私に似たのか諦めが悪いみたいだから、これを渡そうと思ったんだ。少しでも危険から逃れられるように」

渡されたのはなにかが刻まれた札だった。

「最近、命の危険にさらされたようだからな、使ってくれ」

「心配かけてごめんね」

「度重なる警告もものともしないで私のために進み続けようとしているからな、困った息子だ」

江見睡院はどこか悲しげな目をして笑った。呆れたような雰囲気すらある。これはいい変化ではないだろうか。今までは来るなの一辺倒だったのにここにきて変化が現れたのだ。

「......翔」

「なに?」

「あまり、無理はするなよ」

「え?それってどういう?」

江見睡院は苦笑いしたまま頭を撫でてくる。私はされるがままだった。


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忘れのメメタント6

図書室、昼休みにて。

 

葉佩による白岐の救出劇が過剰な演出により上演されている。瑞麗先生からの激励、仲間たちからの期待、阿門からの最終警告と《阿門邸の鍵》、そして時計塔での双樹との対峙。さらになにかの香りがあたりに充満し、双樹を中心に広がるその香りはほかの場所で感じたものより濃厚かつ強力で、葉佩はたちまち意識が朦朧としてきた。双樹はいうのだ。

 

すべて忘れる。白岐幽花のことも、《遺跡》のことも、双樹咲重の《力》による忘却だということも。

 

そのときだ。

 

強烈なバラの香りが双樹の香りをかき消し、飛んできた一輪のバラが床に突き刺さった。

 

「どこのタキシード仮面様かな?」

 

「月影のナイト様かもしれないよ、翔クン」

 

「ちっちっち、それは違うぜ2人とも!それはすどりん!俺を救うためだけにやってきた愛の使者なのさ~ッ!あの時ばかりはまじで運命感じちゃったよ、俺!双樹にも随分愛されちゃってるのねって言われちゃうしな、九ちゃん感激っ!」

 

「......よかったな、九ちゃん。キャラが崩壊してるぞ、戻ってこい」

 

「嬉しくてたまんないんだよ、俺はさっ!すどりんがなんで俺のことがお気に入りだと思う?俺からは自由の匂いがするんだってさ!!」

 

キラキラした目で葉佩がいう。よっぽど嬉しかったんだろう。そのままのノリで皆守とすどりんと《遺跡》に挑み、双樹を倒して仲間にしたというのだから。おかげで色々と大変だったようで、皆守はただいまぐったりとしている。

 

いつになく疲れた様子なのは、ずっと気を張っていたからだろう。皆守は《墓守》として《遺跡》の闇に深くかかわっているせいで、白岐のことを忘れることはもちろん《遺跡》から逃れることが出来ないのだ。1年生の時には《生徒会》しか居場所がなかった訳だから、その時の恩義は計り知れないものである。だが、それ故に出会った瞬間から葉佩を裏切りつづけているのだ。

 

今回、双樹が白岐を《レリックドーン》や《長髄彦》、《正体不明のスライム》から守るために忘却の香りを學園に放ったが、皆守は忘れなかった。葉佩はあきらかに目撃している。

 

もし、すどりんが来てくれなかったら、忘却の香りから葉佩を守るのは皆守しかいない。皆守の立場からすればする必要もないのだが、皆守は自分の意思で無理やり葉佩に目を覚まさせてしまう。それだけ葉佩の隣で親友をすることに新たな居場所を感じ始めている。葉佩と一緒に白岐を助けにきた皆守を見て双樹や阿門が驚いて意味深な言葉ばかり投げつけてくるから、気が気じゃなかったはずだ。ちなみに延髄を蹴るという治療(物理)だが皆守の蹴りは頭痛を起こすレベルの強力なものだから、脳天を揺さぶられたら葉佩も一瞬で目が覚めてしまうだろう。

 

双樹の忘却の香りは皆守には効かない。ラベンダーとカレーしかわからないから、なんて双樹は茶化す優しさをみせてくれるが、さすがに葉佩にとってはトドメだろう。

 

すどりんには感謝しかないくせに扱いがひどい皆守である。

 

「違うだろ、九ちゃん。大事なのはその先だろ、その先。本題は白岐助けた時だ」

 

埒が明かないとばかりに皆守は先を促す。観客と化していたやっちー、七瀬、私は葉佩をみた。

 

「そうそう、そうだった。俺たち、マジモンの《6番目の少女》たちにあったんだよ!」

 

そこで私たちは小夜子(さよこ)、真夕子(まゆこ)と名乗る正体不明の少女たちの話を聞くのだ。私は今まで一度もあったことがないが、彼女たちは白岐の中に眠る大和朝廷の巫女の力を解放するための勾玉が正体だから、あってくれないのはあたりまえだろうなと思う。それはともかく、折りに触れて葉佩の前に幻のように現れ、「遺跡」に関し囁きかける謎めいた二人の少女について、物凄い勢いで食いついたのは月魅だった。そのせいで大幅な脱線があったがそれはさておき。

 

「翔くん、白岐さんにあのブローチ、貸してあげた方がよくはないでしょうか」

 

「えっ、でも月魅が危なくないか?」

 

「そうだよ、月魅。今やっと夢遊病治ってるのに......」

 

「心配してくださってありがとうございます、ふたりとも。瑞麗先生に相談したら塗香を処方してくださるそうなんです。私より白岐さんの方が必要としているのではないでしょうか。《6番目の少女》たちが警告する、《生徒会》に隠せと告げるなら、白岐さんの方がもつに相応しいはずです」

 

「......いいのかしら」

 

不安げに白岐は私を見上げる。

 

「オレはいいけどさ、このブローチはファントムたちから隠してはくれるけどスライムと同調しやすくなる。だからそれが心配かな。強力な魅了にかかるよ。それに彼女たちにはブローチ自体が脅威にならない?ただでさえ、《夜会》からずっと変な夢ね中で謎の呼び声がしてるんだろ?かえって危なくないか?」

 

「......それは聞いてみなければわからないけれど......」

 

ブローチに恐る恐る触れた白岐は息を吐いた。

 

「嫌な感じはしないわ」

 

「ほんとに?意外だな」

 

「おそらく、ブローチそのものが原因ではないわ。ブローチに誰かの途方もない思いが詰まっているのよ」

 

「......誰の思いなんだろうね」

 

「みたところ、このブローチ、男性がつけるものではないわ」

 

「..................」

 

「翔くん......」

 

「白岐さんが大丈夫だっていうなら持ってていいよ。ただ、ブローチだけってのは怖い。塗香を瑞麗先生から処方してもらうか、双樹さんにアロマもらうかしなよ。そっちの方が安心出来るからね」

 

「そうだねッ!それにそれに、あたしたちが白岐さんと一緒にいればいいと思うッ!」

 

やっちーは意気揚々と宣言した。

 

「だって双樹さん言ってたんでしょう、九ちゃん。白岐さんを守ってあげてって。それってそういう意味じゃないの?」

 

「え?」

 

当の本人たる白岐は完全に置いてきぼりをくらってしまったようで目を丸くする。

 

「おい、八千穂」

 

「八千穂さん、それはさすがにいきなりすぎでは?」

 

「白岐が困ってるじゃねえか。だいたい《墓地》を怖がってるやつを無理やり連れていくってどんな嫌がらせだよ。いじめか」

 

皆守と月魅は窘めるようにいうが、葉佩はあっけらかんとしたものだ。

 

「そうだよ?俺はそう受け取ったけどな。なんか違う?」

 

「だよねッ!だよねッ!それしかないよねッ!さっすが九ちゃん!あたし、今度の探索白岐さんとがいい!」

 

「おい九ちゃん」

 

「だってさ、白岐さんは《墓地》に近づいたことは無いんだろ?」

 

「え、ええ」

 

「なら《墓地》の地下に《遺跡》があって、なんのためにあるのか知らないわけだ」

 

「《遺跡》......あの子たちがいっていた《王の墓》のことなのかしら......」

 

「さあ?でもさ、何もわからないままだから怖いってのもあると思うんだよ、俺。何を怖がればいいのかわからないと、闇雲に怖がるしかない。だからずっと不安だったわけだろ?なら遠ざかるより近づいた方が見えることもあると思うね」

 

「九龍さん......」

 

「白岐はよく呪われてるっていうけどさ、何に何が呪われているのかわからないんだろ?わかった方がいいに決まってるよ。そうじゃなきゃ説得力がないんだ。自分に対するね」

 

「説得力......」

 

「怖がるしかない自分も嫌なんだろ?なら、何を恐れているのか自分に説明できればだいぶ違ってくると思うんだよ。苦痛に限度はあるけど、恐怖や不安に限度はないからな」

 

「白岐さんは1人じゃないよ、みんないるんだから!ね、白岐さん」

 

ニコニコしながら笑うやっちーに戸惑いながら白岐は笑った。

 

「白岐、八千穂に押し切られることないんだぞ。嫌なら嫌という勇気を持つべきだ」

 

「いえ......そういう訳では無いから大丈夫。ありがとう」

 

白岐はわらう。

 

「......そうかよ」

 

「やったー!」

 

「白岐さん、そういうことならば私も協力させてください。よろしくお願いします」

 

「......ええ、足でまといになるかもしれないけれど。よろしく」

 

皆守は肩を竦めた。たぶん白岐が皆守と同じクラスなのは白岐がどんな人間かはわからないものの《生徒会》から気にかけるように言われていたからなのだろう。3年間なにも変わらなかった、変わるはずがないと思っていたものが目に見える範囲で変わり始めていることをまざまざと見せつけられ、複雑な心境に違いない。

 

「うんうん、いいね~、いい感じじゃん。やっぱ女の子は笑ってる顔が1番だよ。な、翔ちゃん」

 

「そうだね」

 

うなずく私と葉佩をみて、白岐が目を細めてわらう。

 

「あれ、どったの白岐」

 

「いえ......江見さんにも似たようなことを言われたことを思い出しただけ」

 

「なんですとッ!?なんだよ、翔チャンッ!俺渾身の決めゼリフだったのにまさかの二番煎じだとッ!?裏切り者ッ~!!」

 

「待ってくれ、白岐さん。誤解産むような発言よしてくれ。九ちゃん落ち着け」

 

「どうして?あなたと九龍さんは不思議とよく似ているわ。そう思っただけなのだけれど」

 

「まさか翔チャン、俺の脳内から台詞ぱくったんじゃないだろうなッ!?」

 

「さっきからいってることめちゃくちゃなんだけどッ!?落ち着けっていってるだろ、九ちゃん!九ちゃんてば!」

 

「問答無用~ッ!俺たちが双樹と戦ってる間にスライム爆弾になった警備員と戦ったり、江見睡院先生と会ったとか世間話みたいに話しやがって~ッ!!」

 

「ちょっ、九ちゃん!その話今するなよ!」

 

私は慌てるがなにやら葉佩の地雷を踏み抜いてしまったようで、葉佩の暴露はとまらない。みんなの視線が痛い。特に皆守あたりの視線が殺意じみている。私は冷や汗がとまらない。

 

「なんでよりによって大和頼るんですかねえッ!?メールしろよ、メール!時間帯的にまだ余裕あったんですけど、俺ら!翔チャンはただでさえ、へんなスイッチ入る時あるからこっちはハラハラしてんのにさ~、人の気もしらねーでコノヤロウふざけんじゃねえっての!こっちがどんだけ生きた心地しなかったと思ってんだよ、こいつは~ッ!!翔チャンはいつもそうだ!肝心なときばっか俺頼らないで全部片付けようとしやがって!俺に希望見出してたわりに頼りにしなさすぎるんだよ、ばっかやろ~ッ!!!」

 

感情が昂りすぎて泣きそうになっている葉佩に私はどうしていいかわからなくなる。

 

「ごめん、そこまで頭が回ってなかったよ」

 

「またそれかよ~。もっといい言い訳考えてくれよな!」

 

「そこまで言うなら言わせてもらうけどな、九ちゃん。もとはといえばH.A.N.T.のセキュリティがガバガバな九ちゃんのせいだからな今回の件はッ!」

 

「へ?」

 

「人が気を使って黙っててあげたら調子に乗ってまあ好き勝手いってくれたな、おい。そもそも九ちゃんのH.A.N.T.のセキュリティ突破されて乗っ取りにあったのが原因じゃないかッ!九ちゃんとみんなのメールからなにから喪部銛矢に全部バレてんだぞ、わかってんのかこのバカッ!バディを危機に晒してんのは他ならぬお前だ、九ちゃん!おかげで私の特殊な状況まで筒抜けだから危うく呪殺されそうになったんだぞこっちはァッ!」

 

「ま、まじですか」

 

「大マジだッ!ごめんですんだら《生徒会》はいらないッ!連絡入れられるわけないだろ、今の九ちゃんのH.A.N.T.が遠隔操作されてない保証がどこにあるッ!なりすましでメールされたらどうなるかわかってんのか?!だから最悪の事態になる前に喪部銛矢の手足を潰そうとしたら先にゾンビにお株を奪われたって話なんだよ、わかった?」

 

「わ、わかりました......えーっと、もしかして担当者の紅海さんのアカウントが停止しちゃって連絡取れないのもそのせい?」

 

「もしかしなくてもそうだと思うよ、バカ九ちゃん」

 

「ごめん!まじでごめんッ!ロックフォードアドベンチャーではそこまで教わらなかったんだよ~ッ!」

 

「嘘つけ、オレがH.A.N.T.借りたとき説明書アプリに全部乗ってたわッ!newがついたままだったけどな!新米の癖に説明書も読まないで何年もH.A.N.T.使ってんじゃねーよ、バカ死ねッ!」

 

お前が一番うるさいんだが、と皆守に羽交い締めにされるまで私は葉佩の首根っこを掴んで詰問し続けたのだった。

 



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オディプスの恋人

オディプスの恋人

 

2004年12月13日朝、私は図書当番のため朝イチで図書室にいた。生徒は誰一人いないため、カウンターで携帯をみている。

 

昨日、《ロゼッタ協会》からようやく魔導書の翻訳データが送られてきたと葉佩から報告があったのだ。江見睡院の遺留品にあった15世紀にイギリスで書かれたと思われる英語の散逸した本のページの束のデータである。メールで転送してもらった。

 

ちなみにH.A.N.T.が遠隔操作されている可能性があるとして、葉佩は新しいH.A.N.T.を使い始めた。これでひとまず安心だが私は担当者のアカウントは停止させたままだ。いつまたハッキングされるかわかったもんじゃない。

 

そして、私の携帯にはまさに画像が表示されている。冒頭と思われるページにはこう書かれていた。

 

この本はハイパーボリア文明が生み出した最も偉大な魔導師エイボンが執筆し、直弟子のサイロンが編纂したものである。エイボンが異端審問官にかけられる前に逃走する際、敵の手に渡ってはならないと考え、論文や手稿などをサイロンに預けた。サイロンはこれらを読み取って書き上げた。その後はエイボンの弟子たちによって後世まで保存された。後にハイパーボリアが滅亡した後も、エイボンの書は書写され、そのひとつが写本たるこの本である。

 

《ロゼッタ協会》の注釈で、翻訳される際に内容の挿入と削除を繰り返してきたため、完全なる写本ではないとある。その名は象牙の書。

 

「来ちゃった......とうとう出たな、マジモンの魔導書......。しかも、よりによってエイボンの書......。阿門、18年も預かってたけどまさか読んでないだろうな......?」

 

一抹の不安がよぎったが、千貫さんが不用意に近づけるとも思えないから大丈夫だろう。メールに添付されたデータは、必要な箇所だけピンポイントで抜き出されている。なんでも江見睡院が解読した形跡があるページだけ送ってきたらしい。SAN値チェック乱舞を回避するついでにノイズを排除するためとか。ありがたいことである。

 

それはウボ=サスラに関する秘密や儀式、呪文、伝承などだ。

 

「また大御所が出てきたわね......」

 

私は頭をかかえた。

 

ウボ=サスラは、クトゥルフ神話の神の一柱だ。粘液と蒸気のなかに横たわっている手足のない不定形の存在であり、アメーバのようなものを吐き出しているという。冷たくじめじめした洞窟の中に潜んでおり、その洞窟の入り口は南極大陸の氷の割れ目かドリームランドの凍てつく荒野の秘密の入口など探検隊くらいしか行き着かないような場所であるという。

 

また、古のものはウボ=サスラの体組織からショゴスを作り出したといわれている。

 

別名:頭手足なき塊、始まりにして終わり、無形の白痴なる造物主、自存する源。

 

「まさか古のものが天御子とかいう......?うっそでしょ......。いや、違うか、ハスターやらクトゥルフやらと共同研究してたんだからもっとやばい奴らよね、きっと」

 

この地球の全生命は一つの巨大な原形質ウボ=サスラから誕生したという記述はこの魔導書からは見当たらない。よかった、無駄に壮大にならずにすみそうだ。あっちの神様まで出てくるとニャルなんとかまで出てきかねない。

 

原初のまだ熱かった地球に、神々の秘密が記された超星石の銘板(別名『旧き鍵』)に囲まれるようにして原始生命を生み出し続けているというウボ=サスラの記述があるのみだ。

 

アザトースと共に旧神に創られたが、叛旗を翻した為、知性を剥奪されたとしており、ウボ=サスラの周囲の銘板こそが奪われた知性の一部である、とあった。

 

「............まさか」

 

脳裏をよぎる嫌な予感に私は口の中の水分がなくなるのを感じた。

 

「......あのスライム、《秘宝》をウボ=サスラみたいに守ってるとか言わないわよね......?」

 

私は携帯を握りしめた。

 

「調べなきゃ......あの《遺跡》のどこかにウボ=サスラを模したやつがいるのだとしたら、日本神話に似たような神がいるはずだから......なぞらえてるかもしれない......。江見睡院、気づいてるならメモをもう一回調べなきゃ」

 

もはや勝手知ったるなんとやら、で私は愛読してきた日本神話の本を棚から抜き出した。そしてカウンターに戻り読み始める。ウボ=サスラに模したやつを天御子がこの《遺跡》につくり、根幹たる《黒い砂》の主成分としているのだから天地創造あたりから見てみた方が良さそうだ。

 

《天地開闢の時、高天原に出現した神は造化の三神とされ》

 

ここまで読んだ私はふとある神に目が止まる。

 

いずれも性別のない神、かつ人間界から姿を隠している「独神(ひとりがみ)」のなかに高御産巣日神(タカミムスビ)がいる。

 

「タカミムスビ......」

 

その字をなぞる。

 

タカミムスビは別名の通り、本来は高木が神格化されたものを指したと考えられている。「産霊(むすひ)」は生産・生成を意味する言葉で、神皇産霊神(カミムスビ)とともに「創造」を神格化した神である。ちなみにカミムスビは取手の姉の思い出である楽譜から生成された化人だ。なら、タカミムスビは?

 

無性に気になって仕方なくなり、調べまくったところ、タカミムスヒはアマテラスが天岩戸に隠れた時に諸神に命じてアマテラスを帰還させたという記述を見つけた。このことから、タカミムスビには衰えようとする魂を奮い立たせる働き(すなわち生命力の象徴)があるとされたという記述を見つけた。

 

タカミムスビは男寄りで動物系の生命、カミムスビは女寄りで植物系の生命のようだ。生命を生み出した神様という話なので、ウボ=サスラとの共通点もある。ウボ=サスラは生命の他にも物質やら何やらも生み出しているのでそっちの方が近いっぽい。

 

「取手がいた区画、もう1回調べてみた方がよさそうだなあ......」

 

私は頭をかいた。問題は山積である。

 

天香學園の《遺跡》は、記紀神話になぞらえて作られている。神代七代の像から始まり、イザナミの死、三貴士の誕生、スサノオとヤマタノオロチ、イナバの白兎とオオクニヌシ、アメノワカヒコの造反、タケミカズチの侵攻、そしてニニギノミコトとコノハナサクヤ、イワナガヒメの婚礼。葉佩が攻略してきた《遺跡》はいよいよ神武東征の区画に入る。この《遺跡》の確信に迫ることになる。おそらく私の先祖が《遺跡》にかかわっていたならば、なんらかの意匠が残されている可能性もある。これも気になるところだ。

 

神の威光の下に地中深く封じられた哀れな王の正体、そして《遺跡》の存在意義。そこまで考えてふと思うのだ。

 

「鍵ってまさか、白岐さんだけじゃないとか言わないよな?」

 

ウボ=サスラの周りに浮遊する銘板も《鍵》じゃなかったか?地球創造の遥かに前より存在する神々の、究極の知識が記された銘板だったはずだ。この銘版は『旧き神の鍵』あるいは『星より切り出された石の大いなる銘版』と呼ばれるもので、かつて旧支配者と旧き神が争った時、旧支配者が旧き神より奪い取ったものだとされているが真実は定かではない。それを模した区画がどこかにあるとするなら、きっと江見睡院が待っているのはそこなのだという意味のない確信が私にはあった。

 

「つうか全ての生物は、大いなる輪廻の果てにウボ=サスラの元に帰するとか言われてんのに、それを模したやつを作った......?どう考えても嫌な予感しかしないんだけど」

 

九ちゃんに江見睡院が天地創造のエリアと次の舞台となるであろう神武東征のエリアはかなり入念に調べていた形跡があるから、次の探索の時はつれていってくれとメールをおくる。

 

「あっ、やっば。もうこんな時間。教室行かなきゃ」

 

私はあわてて貸し出しカード手続きをすませ、カバンに放り込む。図書室の鍵を閉めていると後ろから声をかけられた。

 

「あら、江見じゃない。今日は江見が図書当番なの?」

 

「びっくりした、誰かと思ったら双樹さんか」

 

「フフッ、おはよう。あなたを探していたんだけど、葉佩からもう学校に行ったと聞いてここまで来たのよ」

 

「えっ、オレになんのよう?」

 

「ちょうどよかったわ、新しいアロマが調香できたの。持っていって」

 

「ありがとう」

 

「ところで気づいているかしら?學園中に嫌な気配が満ちていることを。これは間違いなくあいつの仕業よ。まさかここまで大掛かりな手に出るとは思わなかったけど......。それだけ葉佩の存在が《生徒会》にとって危険だということなのね。だからこれはあなたを守る意味でも必要なものよ」

 

「やっぱり気づいてたんだ?」

 

「ええ、わかるわよ。《生徒会》にも警備員室の事件は報告があがっているもの。大変な目にあったわね。そのせいでせっかく融合していた魂と肉体がまた乖離しているんでしょう?前とはフェロモンの性質が違っているもの、そこも吟味してあげたから感謝してちょうだいね。弱った精神を少しでも和らげるように配合を変えてあげたから」

 

「ほんとにありがとう、双樹さん」

 

「いいのよ。あたしはまだ阿門様のおそばを離れるわけにはいかない。あの方を學園に縛り付ける重い鎖があたしには見えているわ。嫉妬しちゃうけど、あなたにはもっと明確に見えているのよね?」

 

「まあ否定はしないよ。阿門の名誉のために言わないけどさ」

 

「フフッ、あなたは優しい人ね。だからこそ余計に阿門様と不用意に近寄らせたくはないのよ、わかってくれるわよね」

 

「あはは......やっぱりそういう?」

 

「だってあなた、9ヶ月の融合の流れがすべてリセットされてしまったじゃないの。体の操作方法は馴染んでいたころの名残があるからか違和感はないけれど、女を思わせる所作や雰囲気がまたぶり返しているわ」

 

「そんなにか......双樹さんがいうなら間違いないね。気をつけるよ」

 

「ええ、ぜひそうして。あたしもわりと気が気じゃなかったのだから」

 

「考えすぎじゃないかな、阿門は間違いなんて起こさないだろ」

 

「いやね、そういう問題じゃないわよ。そういう状況になること自体があたしには耐えられないといってるの」

 

「なるほど」



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食は心

「はい?」

 

「いやだから、新聞部部長の皇七(すめらぎ)が空いてる日を早いとこ教えてくれって。マミーズでまた取材したいからってさ」

 

「いや、聞いてないぞ。三回にわたる連載だからって話じゃなかったのか?俺はてっきり終わったもんだとばかり」

 

「あれ、そうなの?」

 

「つうか、こういうのは取材にくるやつがお伺いたてにくるべきだろ......それが筋ってもんじゃないのか」

 

「う~ん、なんか行き違いの気配がするな、甲ちゃん。メールしてやろうか?」

 

「いらねえよ」

 

「え、今更無理だって。もう返事来たよ~」

 

「はえーな?!」

 

「甲ちゃんのコラム、内容が濃すぎて3分割しただけなんだってさ。つまりあと2回残ってるんだよ」

 

「は?たったあれだけでか?」

 

「紙面いっぱいにカレーコラム書くわけにはいかないけど削るところがなかったんだってさ」

 

「そりゃそうだろ、カレー1回奢るだけなんて安すぎる報酬でだぞ。軽いジャブなのになんだそりゃ」

 

「あれ、甲ちゃん新聞見てないのか?」

 

「見てねえよ」

 

「四コマに甲ちゃん出てたよ?」

 

「は?」

 

「見るか?」

 

私はこないだ月魅と新聞部を尋ねた時に、《六番目の少女》が現れるときいつも《夜会》が宿泊イベントとなる。白岐という名前の少女が失踪しているという事実を名前は伏せるが使わせてくれと言われて快諾したのだ。《生徒会》に検閲されなかったため無事発行されて9月から始まった怪談に搦めた号はいつになく売り上げがいいらしい。

 

お礼としてもらったのだ、皆守がカレーコラムを担当した回。どうもボイスレコーダーをそのまま書き起こしたかのような無駄な台詞が目立つがかえって皆守らしくて笑ってしまう。

 

「九ちゃんもみる?」

 

「えっ、なにを?なにを?」

 

「食いつくな、食いつくな。つーかなんで持ってんだよ、翔ちゃん」

 

「え?もらったんだよ」

 

「なんだと?ふざけんなよ、皇七め......」

 

天香新聞は天香學園高等学校新聞委員会(通称新聞部)が毎週金曜日発行している。そこのコラムに《食は心!》という生徒のこだわりを聞いて回る名物コーナーがある。皆守はそこでカレーライスのおごりと引き換えにカレーについて語ったのだ。

 

「はいこれ」

 

「えーっと......わ、なんだよ甲ちゃん新聞に出てるじゃん!なんでよんでくれなかったんだよ~ッ!」

 

「あたりまえだろうが。これは俺に来た取材であって九ちゃんに来た取材じゃないからな。もし九ちゃんがいたら、横からいらんこと言いまくって取材どころじゃなくなるだろ」

 

皆守はカレーに関する事柄にはどこまでも誠実でいたいらしく至極真っ当なことをいいだした。

 

「新聞部のことだ、九ちゃんが話し出したらどっちがメインだかわからないなるだろうが」

 

「學園祭、3のCが売り上げ1位だったの俺のおかげだもんな~ッ!例年以上に盛り上がったのも俺がみんなに最高級の食材提供したからだしッ!」

 

「そうだ。それをうっかり《遺跡》にいる化人から捌いただの、世界中のVIPから報酬でもらっただの口走ってみろ。その瞬間に俺はお前をこの世から抹殺しないといけなくなるからな」

 

「甲ちゃん甲ちゃん目が笑ってない」

 

「あたりまえだろ、お前とカレーの間には超えられない壁があるんだ」

 

「ひっでえなッ!?」

 

「そっか、甲ちゃんは取材自体は満更でもない、つまりは乗り気なんだね。皇七喜ぶと思うよ」

 

「俺がいつそんな話をした、翔ちゃん」

 

「嫌なんだ?なら九ちゃん、新聞部の取材受けてみたら?寿司握れる腕前なのは事実なんだし。學園祭で好評だったアイス振る舞いなよ」

 

「おっ、いいね、いいね~ッ!俺はいつでも大歓迎だよッ!」

 

「おいこらまて、翔ちゃん。皇七にメールを送るな。それは俺に来た取材だろ」

 

「え、さっき嫌だって」

 

「..................嫌だとはいってない」

 

「そう?ならはやく取材の日、メールしてあげてね。原稿提出するの面倒くさくて放置してるのはよくないと思うよ」

 

「いや、だからな......今はそれどころじゃないんだが......。白岐のこともそうだが、翔ちゃんだって、九ちゃんだって、なんかしら忙しいだろ。巻き込まれる俺も忙しいとは思わないのか」

 

「それどころで24時間も動いてるわけじゃないでしょ?メリハリが大事だよ、そういうのは」

 

「そーそー、初恋の人に送るラブレターじゃあるまいし、それだけで頭いっぱいになるなんて普通ないって甲ちゃん」

 

「......わかったよ、メールすりゃいいんだろ、メールすれば」

 

「俺も取材受けたいって伝えてくれよ、甲ちゃんッ!」

 

「俺が取材受けてるあいだは九ちゃんのこと頼んだぞ翔ちゃん」

 

「託児かあ、お金とるよ?」

 

「もちろん奢るさ、カレーライスをな」

 

「2人ともさっきから扱い酷くないッ!?」

 

「酷くないさ、いつも通りだ」

 

「いつも通りだよ、九ちゃん」

 

「え~ッ、甲ちゃんだけずりいッ!あと2ヶ月も新聞にコラムがのるとか~ッ」

 

「......2ヶ月?」

 

「だってそうだろ?3分割して連載があと2回分残ってんだから6週はコラムがのるんだよ。取材あと2回あるんだろ?」

 

「このままのペースでいったら三学期に取材がズレるやつだね」

 

「..................そうか、そうなるか」

 

ちょっと動揺している皆守に、葉佩が嫌なら俺がやると茶々をいれる。それは嫌なようで条件反射でやるといってしまった皆守はどうしたもんかちょっと困っているようだった。

 

「忘れるとこだった、翔ちゃん新聞見せてくれ!」

 

「いいよ」

 

私は新聞を渡した。葉佩は食い入るように読み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

新聞部が俺になんの用かと思ったらこういうことかよ......。まあいい、カレーといえばカツカレーなんて言ってる連中に、カレーの奥深さを教えるにはいい機会だろうからな。この皆守甲太郎が、心ゆくまでカレーについて語ってやるとするか。

 

そもそもカレーってのは日本人の三大好物のひとつと言われるだけあって、全日本カレー工業協同組合が公表している統計から計算すると日本人は一年に約73回カレーを食べている。つまり、週に1回以上は何らかの形で食べていることになるって話だ。総人口から計算した結果だから生まれたばかりの赤ん坊からお年寄りまでの平均の結果になる。カレーが好きなやつはもっと高い頻度で食ってるだろうな。

 

日本に初めてカレーが入ってきたのは明治初期らしい。日本で初めて「カレー」という料理の名を紹介したのは福沢諭吉だ。カレーの調理方法に関する最古の文献と言われる『西洋料理指南』では、カレーの作り方が紹介されているんだが、こいつはカキやタイ、アカガエルなんていう今じゃ考えられない具を使った代物だ。

 

まァ、ジャガイモやタマネギなんてのは、同時期に入ってきた外来野菜だからな。最初こそ違ったがうまかったから代用されてくうちに定着されたんだろうよ。

 

そしてレシピにはカレー粉が使われているんだが、インドからイギリスを経由してはるばる日本に輸入されたんだとさ。日本にカレーが浸透したきっかけは、大正時代に軍隊食として採用されたことだ。今でも海上自衛隊は毎週金曜日がカレーの日なのは有名な話だよな?

 

今じゃ、世界中どこを探しても、日本ほどカレー商品が溢れてる国はないらしい。俺に言わせれば、カレーとは呼べないモンも多すぎるがな。納豆カレーとかカレーラーメンとかな。

 

ついでにカレーの語源でも教えてやるか。実はインドにはカレーを指す言葉はない。1番有力なのは飯にかける汁状のものを指すタミール語のカリがなまってカレーになった説。ほかにはヒンズー語で美味しいものを意味するターカリーが転訛(てんか)したとか、インド人がクーリー(うまいって意味だ)といってるのをイギリス人の役人が聞き間違えたなんて説もある。

 

カレー通を自負するなら、これくらい

常識だと思うぜ。

 

ふあ~っ......(大あくび)、そろそろかったるくなってきたな......。ま、マミーズで昼飯奢ってくれるっていうんなら付き合ってやるか。安すぎるギャラだけどな。

 

お前はカレーライスの語源を知ってるか?今じゃポピュラーな呼び方だが、輸入された当時にはカレーに正式な名前はなかった。料理本や店によって違っていたが、一般的にはカリードウィズライスと呼ばれてたみたいだな。英語まんまって感じだが............。

 

で、その後に生まれたのがライスカレーっていう呼び名だ。名付け親ははっきりしないが、最有力だと言われてるのがクラーク博士なんだな。そう、少年よ大志を抱けで有名なおっさんだ。

 

博士が札幌農学校の寮に住む学生の食事をみて、米ばっか食っててバランスが悪いと感じたのか、寮の規則に生徒は米飯を食うべからず。ただしらいすかれいはこの限りにあらずと付け加えたんだとさ。これが日本最古のライスカレーの記述だと言われてる。

 

俺たちが使うカレーライスって呼び名が普及したのは太平洋戦争のあとだ。ライスカレーじゃダサいから、ひっくり返して洒落た感じにしてみましたってとこだな。俺としちゃ、カリードウィズライスの方が趣があって好きだがな。

 

......今思ったんだが、小難しい話ばっかりじゃ、味気ないかもしれないな。じゃあ具について語るとするか。いっとくが読んで腹が減ったとかいう苦情は一切受け付けないぞ。

 

インド人は約6割がベジタリアンでカリーを作る時は肉、魚はおろか卵も使わない。入れる具は野菜だけだ。逆に日本では、牛肉や豚肉を入れたカレーがポピュラーだな。

 

最近はヘルシー志向もあって、豆を使ったカレーが人気らしい。俺も豆は嫌いじゃない。ほくほくした食感のひよこ豆に、薄くて丸い茶レンズ豆、皮を向いた赤レンズ豆......。なんでも、赤レンズ豆は食物繊維を多く含んでいるらしい。おまけに汁気が多いインドカリーにぴったり合って、美味い。豆嫌いの奴も、一度食ってみる価値はあると思うぜ。

 

 

「甲ちゃんってばー、照れ屋さんだなあッ!これで乗り気じゃないは無理あるぜ」

 

「うるせえよ」

 

「みなさ~ん、そろそろご注文はお決まりですか~?」

 

「は~いッ!カリードウィズライス3つ!」

 

「おい」

 

「えっ、かりーど......あ、カレーライスのことですね!一瞬頭が混乱しちゃいましたよ、もー!」

 

「いやーかっこいいじゃん、カリードウィズライス」

 

「九ちゃん」

 

「わかりました~、カレーライス、もといカリードウィズライス3つですね!」

 

「お前も繰り返すなよ」

 

「いやーめっちゃ流行らせようぜ、カリードウィズライス」

 

「翔ちゃんも笑ってないでとめろよッ!」

 



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オディプスの恋人2

生徒達は思い思いの場所で噂話に興じている。

 

「先生なかなか来ないと思ったらやっぱり自習になっちゃったね、翔クン」

 

「そうだね。石川先生、具合悪かったのか?」

 

「どうだろ~?でもこのまま行くと休校とかになっちゃいそうだね」

 

「保健室満員みたいだしな.....。月魅大丈夫かな。昼休みは大丈夫そうだったんだけど」

 

「あたしも気になって今メールしたら大丈夫だっていってたよ?今、図書室なんだって~。A組も自主になっちゃったから本の整理したいみたい」

 

「そうなんだ?よかった」

 

「このまま次の授業も休みにならないかな~。でも夕薙クンも皆守クンも白岐さんまでいないなんてつまんない...... 翔クン以外誰も構ってくれない......寂しい」

 

「あはは......よしよし、可愛そうに。愛しの九ちゃんは夕薙と白岐さんが気になるっていっちゃうし、月魅は本の整理にいっちゃってるもんな」

 

「ううっ......言わないでよ~......余計凹んじゃうよ......」

 

「でも白岐さんと友達になれてうれしいから、複雑な乙女ごころなわけだ」

 

「......うん」

 

「恋ってそういうもんだよ、やっちー」

 

「そうなの?」

 

「今までとは違うっていったのはやっちーじゃないか」

 

「はああ......そうなんだよね~。あーもう、今日はこれからどうなっちゃうんだろ?誰もいないこのクラスの心の友は翔クンだけだよ~ッ!」

 

「オレもやっちーがいてくれてうれしいよ」

 

「えへへッ、やっぱりこういう時、翔クンとはなんか気が合うんだよねッ!ん~、これからどうしよっかな~。月魅にはお喋りしちゃうから整理に集中できない。終わるまで来ないでくれって言われてるんだよね......。うーん、チャイムなるまで結構時間あるね、翔クンはこの後どうする?月魅の手伝い?温室いく?マミーズ?」

 

「いやいや、それだとやっちーひとりになっちゃうだろ。寂しい寂しいいってるやっちーおいてくほど、オレって友達がいないやつに見える?」

 

「ほんとにいいの?あたしは寂しくないから嬉しいけどさ」

 

「じゃあ決まり」

 

「う~んと......じゃあ......せっかくだから思い切って聞いちゃおっかな~、いっつも翔クンにからかわれちゃうし。今の翔クンは女の子と男の子とどっちが好きなの?」

 

「やっちー、前話したよね、オレ」

 

「うん。あの時は女の子が好きで、瑞麗先生みたいな人がタイプって話は聞いたけど。それって今もなの?だいぶ男の子になってきてたのに、このまえの御札のせいで元に戻っちゃったんだよね?どんな感じなのかな~と思って」

 

「うーん......ぶっちゃけいうなら、今のオレは女の子より男の子の方を好きになる可能性はあると思うよ。ただ問題があってさ」

 

「え、なになに?」

 

「オレは18歳だとしても、私ほんとは30代なんだよね。やっちー、よく考えてくれ。6歳の子は恋愛対象に入るか?」

 

「えっ、そうなのっ!?」

 

「そうなんだよ。瑞麗先生や雛川先生の方が歳が近いんだ。それでも10近く下ではあるんだけど。その場合、オレはよくても相手が未成年に手を出すことになるだろ?オレ、九ちゃんほど常識捨てきれないからさ、どうしてもね」

 

「そっかあ......わかってても意識しちゃうようになったらつらいね」

 

「そうなんだよな......まあ、そんときはそんときだよ。なんとかするさ。双樹さんがいってたけど理性なんて脆いもんだからね、あてになった試しがない」

 

「翔クンが時々すっごい大人なのってそういうことだったんだね~、なんか 納得しちゃった。さ~ってと、お礼になにか奢ってあげるからマミーズ行こうよ、翔クン」

 

「ほんとに?ありがとう」

 

「あ、そーだッ!やっぱり月魅も誘おうよ。頭ばっかり使ってたら疲れちゃうし、甘いものが一番だしねッ!」

 

「月魅に怒られそうだけど、様子を見に行くくらいなら大丈夫かな。よし、いこうか」

 

私達は図書室に向かった。

 

この時期、本来なら月魅は《長髄彦》の干渉が強くなり毎晩のように誰かに呼ばれる夢をみる。初めはどこか遠くから聞こえてきていたのに、やがて耳元でささやくように聞こえてくる。それは自分の口から出ていたという具合にだ。取り憑かれている状況となる。一心不乱になにかを探している何かの霊だとしかわからないため、協力することで學園の謎にまた1歩近づき、葉佩に協力できるのではないかと考えてしまうのだ。自分にしかできないことなのだと。人知を超えた大いなる力が何かを伝えようとしているとロマンすら感じていた。

 

だが、現時点で月魅は瑞麗先生からファントムに干渉を受けている。しかも悪霊であり、《遺跡》に封じられた悪しきものだと名言されている。そいつは私を襲撃したことがある存在だと知っている月魅はそこまで無謀なことはせず自衛してくれていた。

 

ブローチこそ手放してしまったが今は瑞麗先生の塗香がお守り代わりだ。一応、気にするに越したことはない。

 

「八千穂さん、翔くん。どうされましたか?」

 

月魅がそこにいた。

 

「それはこっちのセリフだよ、月魅」

 

「どうしたの!?」

 

「嫌な予感がしたんです。来てみたらこの有様で......」

 

月魅はため息だ。誰かがおそらく無意識に本を散らかしていったらしく、月魅は片付けが大変そうだ。修復が大変そうである。

 

「誰かがまた《鍵》を探しているのかしら」

 

「わかるの、月魅?」

 

「はい、そんな感じがします。声は聞こえないんですが、なにかしなければならない焦燥感はあいかわらずで」

 

「手伝うよ、月魅」

 

「ありがとうございます」

 

「あっ、見てみて、月魅。書庫があいてるよ。月魅があけたわけじゃなさそうだけど大丈夫?」

 

「───────ッ!?本当だわ!」

 

「まずいな......。月魅の時みたいにマスターキーを手にしたやつがいるのかもしれないね」

 

「私以外の誰かが......」

 

「なにかとられてたら大変だねッ、調べてみようよ!」

 

私達は書庫に入ってみた。とたんにぴしゃんと音をたてて扉がしまってしまう。

 

「!?」

 

やっちーがあわてて力を込めてみるが微塵も動かない。

 

「ま、まさか霊障ッ!?」

 

私は足元が揺れていることに気づいて叫んだ。

 

「やっちー、月魅、あぶないっ!」

 

「えっ!?」

 

「きゃああっ!」

 

ブック・エンドを不意にはずした書籍のように、本棚が次々と倒れてくる。2人を庇って倒れ込む。背中に激痛が走る。どうやら本棚の角が直撃したらしい。

 

「こんのっ!」

 

渾身の力を込めて横に押して起動をずらす。横に棚が逃れた瞬間に、下から突き上げるような衝撃が私達を襲った。本気で校舎が倒壊するんじゃないかと錯覚しそうになるレベルの揺れだ。書庫にあるありとあらゆるものが揺れて、壊れ、散乱し、壁や床や天井全体がガタガタと揺れる。やっちー達の顔が三つか四つにダブって見える。

 

床がやわらかくなり、ゆっくり溶けてくずれていく感覚に陥る。

 

「なにっ!?え、なんなの!」

 

「2人ともその場にうずくまって頭抑えてっ!じっとして!」

 

「ポルターガイストです、八千穂さんっ!」

 

「えええっ!?」

 

次第に揺れは収まっていく。だが私はかすかな揺れであっても、じつは大地震が来るまえの予震で、いまこの瞬間にも地響きが聞こえて大揺れが起こり、部屋の隅までふっとばされるんじゃないかと身がまえる。

 

「また来たっ!」

 

みしみしと細かく家のきしむ音がしたかと思うと、部屋が揺れ始めた。揺れは最高潮に達した。ドーンと重く部屋全体が揺れた。

 

音が消えた。黄金色に輝く小さな粒が、視界を舞って床に降り積む。それがホコリだと気づいたときには霊障はおさまっていた。

 

「2人とも大丈夫?」

 

「こ、こわかったあ~......」

 

「ほ、ほんとに死んじゃうかと思いました......。まさか、図書室があんなに散乱しているのはこのせいなんでしょうか......」

 

「たぶんね」

 

私はドアをあけた。あっさり開き、外は全く揺れていないことを確認する。

 

「随分とアグレッシブな悪霊だな......」

 

「翔くん、大丈夫?」

 

「さっき棚が......」

 

「ああうん、わりと激痛が......。あれ?」

 

体がなんともない。私はまさかと思って内ポケットを探った。

 

「なになに?あ、それ九ちゃんが持ってるの見たことある!」

 

「真っ二つに割れていますね......」

 

「《心臓の護符》が割れてる......」

 

私は冷や汗がつたった。

 

「それ、どんな《秘宝》なの?」

 

「瀕死時に自動回復だったかな」

 

私の言葉にやっちー達はひきつった。

 

「ひ、瀕死ってそんな軽くいわないでよ翔くんッ!背中大丈夫!?痛くない?」

 

「もしかして、このお守りがなかったら翔くん、私達のかわりに大怪我を!?」

 

「大怪我どころじゃないよ、月魅ッ!」

 

「まあまあまあ、落ち着いて、落ち着いて、ふたりとも。オレ、なんともないだろ?ほら」

 

「でも心配だよ~っ!瑞麗先生のところいこうよ、翔くん!」

 

「そうですよ!」

 

「ああうん、そうだね......。2人は大丈夫?」

 

「あたしは大丈夫だよ!月魅は?」

 

「はい、私も大丈夫です。翔くんが庇ってくれたので」

 

「よかった。それじゃ、保健室に行くとしてだ、一応図書室には鍵をかけていこう。なんの意味もないんだろうけど」

 

「あたし、九ちゃんにメールしとくね。次化学だから気をつけてねって言わなくちゃ」

 

「私は......」

 

「そーだ、月魅。月魅も一緒に翔くんの付き添いに保健室行こうよ、もしかしたら瑞麗先生がなにかわかるかも」

 

「そうだな。ポルターガイストがもし月魅に取り付きたいのに塗香のせいで近づけない悪霊の仕業なら対処法がわかるかもしれない」

 

「や、やっぱりそうですよね......おかしいとは思っていたんです。翔くんが当番の昼休みの時には何も無かったのに、嫌な予感がして私ひとりで来てみた途端にこれなんて......」

 

「朝から体調不良の人が多かったり、重苦しい雰囲気だったりするのってやっぱりこのせいなのかなあ?」

 

「勘違いじゃないと思うよ。本来《遺跡》に集約されるはずの氣の流れの一部が逆らう形で校舎に流れ込んでる。月魅が夢遊病で校舎に行こうとした時と同じだ。あの時とは比べ物にならないくらいの規模だけど。誰かが意図的に氣の流れをおかしくしてる。こういうとき、浮遊霊なんかの下級霊は集まりやすいんだ」

 

「え、えーっと、つまり、今の學園には幽霊がいっぱいってこと?」

 

「お化け屋敷状態ですね」

 

「や、やだ、學園祭のお化け屋敷思い出しちゃったよ~ッ。昼間なのになんで幽霊でるのッ!?」

 

「えっ、やっちーB組のお化け屋敷いったの?」

 

「うん、いったよ?すっごくこわかったけど、1番怖かったのは神鳳クンが井戸からちん・とん・しゃんっていいながら出てくるところでね~」

 

「さすが八千穂さんです」

 

「さすがやっちー。月魅、これからはやっちーと一緒にいるといいんじゃないかな」

 

「はい、そんな気がしてきました。白岐さんも八千穂さんといたらいいのではないでしょうか」

 

「女の子だし、3人で一緒にってのもありだね」

 

「え、あの、なんで?うれしいけど」

 

「あはは、お化けが一番苦手なのはやっちーみたいに元気いっぱいで明るい女の子なんだよ」

 

「???」



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オディプスの恋人3

保健室に移動中、やっちーの携帯に温室から帰る途中で遭遇した神鳳から警告があったと葉佩からメールが来た。

 

真実が見えないならば辿り着くことなどできない。できなければ葉佩はそこまでの人間にすぎない。この學園の眠りを脅かした罪は重い。相応の罰を受けてもらう。

 

希望という《光》に満ちた人間である葉佩は、この學園に似つかわしくない人間である。だからこそ、葉佩の近くにいる人間ほど干渉を受けにくい。これで終わるとは思うな。後ほど迎えに行くから學園に今なにがおきているのかその目で確かめろ。

 

そう言われたそうだ。

 

「黄泉より返りし呪われた魂ってやっぱりお化け!?幽霊?悪霊ってやつだよねッ!?まさか學園祭のお化け屋敷ってほんとの幽霊がたくさんいたってこと!?」

 

うすうす嫌な予感はしていたものの、とうとう気づいてはいけないことに気づいてしまったやっちーの悲鳴があがる。行かなくてよかったですね、と月魅は私にこっそり耳打ちしてきた。私は大きくうなずくしかないのだ。

 

「そういえば神鳳さんは青森県出身でしたね。もしや恐山のイタコとなにか関係が?」

 

「イタコってあの幽霊を憑依させるっていう?」

 

「そうです、口寄せで有名なあのイタコですね」

 

月魅は詳しく教えてくれた。1200年ほど前に慈覚大師円仁によって開かれた日本三大霊場のひとつであり、人が死ねば恐山に行くと信じられた死者の魂が集まる場所だ。そしてそこには、口寄せを生業とするイタコがいる。イタコは、日本の北東北で口寄せを行う巫女のことであり、巫の一種。シャーマニズムに基づく信仰習俗上の職である。

 

イタコには霊的な力を持つとされる人もいるが、実際の口寄せは心理カウンセラー的な面も大きい。その際クライアントの心情を読み取る力は必須であるが、本来は死者あるいは祖霊と生きている者の交感の際の仲介者として、氏子の寄り合い、祭りなどに呼ばれて死者や祖霊の言葉を伝える者だったらしい。

 

イタコは占いの際数珠やイラタカを用いるが、一部のイタコは、交霊の際に楽器を用いることがあり、その際の楽器は梓弓と呼ばれる弓状の楽器が多い。他に倭琴や太鼓なども用いられる。これらは農村信仰などで用いられた日本の古代音楽の名残とされ、日本の伝統音楽史において現存するうちの最も古いものの一つとされる。

 

「弓......あっ、神鳳クン、弓道部部長だったねッ!」

 

「はい、それはきっと無関係ではないのでしょう」

 

「その弓道部から弓盗むとか九ちゃん何考えてんだろ......。命知らずすぎるだろ......」

 

「ということは、もしや夢遊病や乱闘事件の原因は神鳳さんなのでしょうか?」

 

「そうなのかな~?あっ、ちょっと待って!弓道部も荒らされたっていってたから違うんじゃないかな?盗んだのは九ちゃんだけど、荒らしたのは別の人みたいで犯人捕まってないみたいだよ?」

 

「そうなのですか?」

 

「うん、そうだね。神鳳は九ちゃんが犯人だと思ったみたいで直談判に来てわかったことだから」

 

「なるほど......。よく考えたら《生徒会》は《遺跡》や夜間の校舎に立ち入ることを規則で禁じているわけですから、夢遊病や乱闘事件は《生徒会》にとっては困るはずですよね」

 

「そうだな、ファントムとスライムに感染してる連中とは神鳳は無関係で間違いないと思うよ」

 

「よし、これも九ちゃんにメールしとこう」

 

私は校舎に流れ込んできている氣の流れがすくない階段を通っていこうと提案した。大気の流れを調べるから待ってほしいと。ならばとやっちーがメールを打ち始めた。

 

しばらくして私たちはなるべくものが無い場所を探して階段の踊り場に出た。

 

ぴしり、と鏡にヒビが入ったり、下級生の教室から夢遊病患者みたいな足取りでこちらに来ようとする生徒や教師が見えたりした。

 

学校にあるありとあらゆる鏡が一度學園祭のお化け屋敷で使われたことを思い出したから、鏡には絶対に近づかないことにする。

 

「そうそう、八千穂さん。九龍さんには口寄せについてもお伝えしてください。招霊の秘法は目連の救母伝説にその由来があるといいます。口寄せは、霊的感作によりあらゆる人種、動物でも呼び出せるとされていると」

 

「でもイタコって女の人がなるんだよね?」

 

「そうですね。イタコは、先天的もしくは後天的に目が見えないか、弱視の女性の職業だったと言われています。

かつては生活の糧を得るためという事情もあったのでしょう」

 

「そっかあ......でも神鳳クンは男の子だし、目は悪くないよね?」

 

「男なのに才能に恵まれちゃうパターンもあるみたいだよ、意外と」

 

「そうなの?」

 

「なるほど......ありそうですね」

 

月魅は考え込む。

 

「初めは口寄せなのかと思っていたのですが、霊を自分に憑依させて、霊の代わりにその意志などを語ることができるとされる術です。複数の霊を呼び寄せるのはまた違う降霊術です。ああいうものは遺伝であるといいますし、超能力を含まない口寄せはテレパシーと同じです。あれだけ強力なポルターガイストが起こせるなら、相当な才能の持ち主ですし、《黒い砂》で才能を引き上げられているのならば、いくらでも呼び寄せることはできそうですね」

 

「他の人に幽霊を取り付かせちゃうとか?」

 

「《墓地》にはたくさんの悪霊が蠢いていると墓守のお爺さんがいっていましたしね、氣の流れがこちらに来ているなら何が流れてきているのかわかったものではありません」

 

「あ、翔クンがいってることってやっぱりそういうことなんだね?ううう、ホラー映画の展開だよ、これ......」

 

メールを打ち終えたやっちーは早く保健室に行こうと私たちを急かす。階段をおりていると葉佩から返信が来た。

 

「うわあっ、やっぱり化学室大変なことになってるみたいだよ、2人とも~ッ。はやく保健室に逃げよッ!」

 

「どうしたんですか?九龍さんたちに何が?」

 

「いきなり誰かが笑いだして、みんな頭痛がするようになって、皆守クンと九ちゃんにみんなが襲い掛かってきたんだって!夕薙クンが庇ってくれた隙に逃げ出したみたい。神鳳クンの仕業だって」

 

「この重苦しい雰囲気は《生徒会》の仕業だったんですね」

 

「神鳳クン、なにか勘違いしてるんじゃないかな?《墓地》の魂が九ちゃんを恨んでるとかいってるけど、閉じ込めてるのは墓守の方だよね?」

 

「《生徒会》は墓守ですからね、封印をといてきた九龍さんが許せないのかも知れません」

 

「でも九龍チャンのおかげで救われた人いっぱいいるよね?それに、封印だって《鎮魂の儀》が失敗したのは、九ちゃんのせいだけじゃないよ?」

 

「ファントムもそうだし、スライムもそうだけど、九ちゃんは一助にすぎないね。誰のせいとはいえないよ。ただ、《宝探し屋》として《秘宝》を狙ってきた侵入者の中では始めてのパターンなのかもしれない」

 

「誤解してるってこと?」

 

「あとは墓守としての責務か、阿門にそれだけ忠誠を誓ってるかだよね。《生徒会》って《生徒会執行委員》と違って阿門に忠誠を誓うために自ら記憶を差し出して《黒い砂》の支配下にはいってるみたいだし」

 

「そっかあ......なんだか難しいね」

 

「それでも九龍さんならきっと成し遂げてくれると思いませんか?」

 

「うんッ、そうだよね!九ちゃんならきっとできるよ!」

 

「ならオレたちが出来るのは人質にならないようにすることだね、2人とも」

 

2人はうなずいた。

 

ようやく1階に到着する。私たちは保健室に急いだのだった。



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オディプスの恋人4

「なあ、江見。自分の意思でしていたはずの行動が実は全く別の意思をもつ《何者か》に操られてのことだとしたら、どうだ?他者に操られる。それは恐ろしいことだとは思わないか?」

 

「そうですね......私みたいに精神しかない状態だと、私が私であることが唯一の頼りだからなあ。自分の根幹が揺らぐわけですから怖いです」

 

「ああ、そうだな。自分の意思が何者かに操作されるなんて考えただけでゾッとする。《真の恐怖》を知る者は、おそれ故に日頃から慎重な行動をとるためか、他者に影響されにくいという傾向にあるようだ。君なら大丈夫だとは思うが、用心するに越したことはないぞ。悪いことは言わないから無防備な今、外に出るべきじゃない」

 

瑞麗先生からまさかのストップがかかってしまった。

 

「ここに連れてきて正解だ、2人とも。江見は今の學園をうろつくのは非常に危険だ。學園のどこかに強い氣がある。悪霊程度では近づけない何かが。月魅に取り憑けない今、ファントムはどこにいくのかわかったものじゃないからな」

 

「それは......」

 

「先に案じていたからブローチの加護だけに甘んじることなく、私に相談するようすすめたんじゃないのか?」

 

「そうですけど......」

 

「あ、よかった~ッ!白岐さん、無事だって!今、こっちに向かってるところみたいだよ!」

 

私の手元の携帯が鳴り響く。見てみると葉佩たちは無事だった。夕薙とも合流し、神鳳の行方を探しているところだそうだ。

 

「自らの意思で足手まといにならないよう此処に来たんじゃないのか、江見。君ならサポートできるだろう、わざわさ保健室からでなくても」

 

瑞麗先生はわりと本気のようで私を真剣な眼差しで見つめてくる。

 

「これだけの死霊達の渦巻く中では、江見翔という器にしがみついているだけの君の不安定な精神が無事でいられる保証はない。時間の問題だ。意志の強さが要とはいえだ」

 

「どうしてもですか」

 

「どうしてもだ。君がいっていたんじゃないか、今ここで離脱したら情報を抱え落ちする。正確に情報提供できるのは自分だけだと。なぜ葉佩が危機に陥ったとたんに周りが見えなくなる。いつもの君であるだけでいいんだ、少しはおちつきたまえ」

 

そういって瑞麗先生は頭を撫でてきた。

 

「霊的障害は、死霊や生霊に関わらず、強い念が起こす物だ。故に不安や不満、絶望といった闇を心に抱えれば抱えるほど干渉を受けやすくなる。感情を抱く人間に寄ってきやすい。君の意思がどれほど力が強かろうとも、次々と霊障が起こっているのはつよい氣にあてられているからだ。それによりつよい恨みつらみにあてられる。肉体が先に耐えきれなくなるだろう。そうなったら最期だ。やがて迎えがくるだろう。黄泉へと連れていくために」

 

「───────............分かりました」

 

私は眼鏡を外した。やれやれといった様子で瑞麗先生は笑う。校舎の位置関係はだいたい把握している。私が調べるべきなのは、神鳳が炙りだそうとしている強い氣の持ち主だ。葉佩を襲うよう命じているはずなのに、いう事を聞かない悪霊たちがひかれている氣の持ち主。月魅がここにいる今、ファントムはどこにいるのかわからなくなってしまっている。その原因を突き止めようとするはずだ。

 

私は《如来眼》を起動させた。

 

「..................」

 

「どうだい?」

 

「..............................わかりました、屋上。いや、違う。これはただの人間の氣じゃない、まさかこの氣の流れは......」

 

私はあわてて電話をかけた。

 

「九ちゃん、その階段上に上がって!神鳳は屋上に向かってるッ!」

 

そのときだ。老朽化により故障したためだろうか、長い間動いていないはずの時計塔の鐘の音が響き渡る。私たちはびくっと肩を揺らした。ひび割れた和音で、カアーン、カアーン、と灰色の冬の寒空に、異様な長さでなっているのだ。

 

「時計塔の......だよね......?」

 

「おかしいですね、白岐さんはもう保護されたはずなのに」

 

「だよね?」

 

私は携帯を握りしめながら葉佩の誘導を続ける。私の目には、屋上に物凄い勢いで氣が集められている異様な光景がうつっていた。これから生け贄としてなにかを供えるような血なまぐさい儀式がはじまる予感しかしない。

 

「気をつけて、九ちゃん。屋上に氣が大量に流れ込んでる。神鳳はその犯人と対峙するつもりみたいだ」

 

途中から葉佩の声が聞こえなくなった。どうやら通話状態のまま私に聞かせてくれるつもりらしい。皆守と葉佩が誰かを詰問するのが聞こえる。《宝探し屋》との対決を邪魔された神鳳は本気で怒っているようだ。氣が強くなる。

 

「クククッ......案外因襲が深く根を張る旧家の言い伝えもバカにできないものでね。古い因襲に身動きできないほど縛られ、頑なに昔からのしきたりを守る能無しでも、失伝せずにいたことだけは褒めてやるとしよう」

 

それは喪部銛矢の声だった。

 

「ひとふたみよいむななやここのつとたり。ふるべゆらゆらとふるべ」

 

狂ったようになり続ける時計塔の鐘にもかかわらず、はっきりと喪部の声が聞こえる。

 

「あ、あれ?」

 

「雰囲気が明るくなりました?」

 

「......悪霊が静まったようだ」

 

「まさか、《鎮魂の儀》の呪文?」

 

同じことを思ったようで、葉佩が電話の向こうで聞いている。

 

喪部はこたえる。

 

外からやってくる魂が毎年冬になると人につき、魂の入れ替えをするという古代日本の信仰形態がある。新嘗祭も、魂の蘇生を目的とした行事だ。肉体は「魂の容れ物」である。その肉体に霊は宿る。その霊は、祖神から引き継がれたものらしい。

 

さらに「魂の入れ物」に入るのは、「祖神」だけではない。根本的な力の泉もだ。魂を扱う方法を、物部の石上(いそのかみ)の鎮魂術という。

 

身体と魂魄を結ぶいのちの糸を古来より受け継がれる秘事を以て結ぶことにより身も心も健全で健康な状態にし、さらには強運・勝運を与える神事だ。

 

古代より伝わる魂を直接揺り動かして本人の元の気・運気の巡りを円滑にし病や邪気を祓い、健全な魂に戻す物部氏の秘事を行いたのだと喪部はいった。

 

「今年は失敗したみたいだからね、わざわざ秘中の秘を教えてやったにもかかわらず」

 

喪部は続ける。鎮魂というと一般的に霊を弔うための言葉と解釈されるがら本来はその逆で活力を与える・復活を促す・甦る・悪影響をもたらすものを払拭するなど総ての好転的な意味を持つものだ。それが神道行事の根幹を為す"祓いの本義"である。

 

元来存在するもの総てに生命が存在すると考え、存在そのものが生命といって過言ではないとする。そのものが存在し続ける上で最も必要なものが魂魄だ。この魂魄を振り動かし、結びつけ、鎮め置く、そのものの存在を本来の姿に立ち戻らせる祈祷法こそ、「鎮魂」本来のあり方なのだ。その狭義の一部分に霊を弔うことも含まれてはいるが大儀はあくまでも存在を存在たらしめることであり、より大きな存在へ導くものだ。

 

「つまり、悪霊たちはファントムの方に流れちまったってことか?」

 

「完全に復活していない悪霊より《祖神》を降ろしているボクの方が強い氣を持つに決まっているじゃないか」

 

当然だろうとばかりに喪部はいう。

 

「まともにしてやったのさ、ろくな意思もない下級霊はすぐに流されるからね。どこにいるべきなのかわかればいなくなる」

 

神鳳は喪部になにやら話しかけている。喪部は嘲笑まじりだ。葉佩たちは立ち去ることにしたようで、声が遠ざかっていく。

 

「このボクに喧嘩を売る方が悪いんだ」

 

やけにこの言葉だけが響いた。電話を切ろうかとした矢先、喪部と思われる不思議な旋律が聞こえたのか葉佩の動きがとまった。扉をふたたび開いた葉佩たちが走り出す。

 

「いあ、いあ」

 

全身の毛が逆立つのがわかった。それは邪神を賛美する言葉だ。先程の呪文が鎮魂かつ魔力を高める呪文なら、次の呪文が本命ということらしい。

 

私が試そうとして瑞麗先生にとめられていた悪魔祓いの呪文じゃないか。

 

「なんて冒涜的な......」

 

神鳳の言葉だけがやけに大きく聞こえた。



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オディプスの恋人5

九ちゃんから今日は放課後に《遺跡》を探索しようとメールが来た。いつもは9時を回ってからだというのに驚いていると、いつか話していた私のルーツに関する話が聞きたいとのことである。江見睡院が入念に調べていた区画である神武東征エリアに足を踏み入れるにはお誂え向きだと踏んだらしかった。

 

午後四時を過ぎると空は慌ただしく寒々しい夜の準備に入っていく。夕方暗くなった頃に南西の空を見ると、宵の明星となった金星が見やすくなっているのに気がついた。

 

晴れ切った夜空に、冬の名残に響くばかり冴えた星斗が落ちて散らばる。金星は日に日に高度を上げている。土星は、金星とは反対に徐々に高度を下げていき、月末には地平線に近くなって見づらくなるだろう。

 

今夜が金星と土星がすれ違うように接近する最終日なためか、満月4個分よりも近くみえた。とても明るい金星に控えめな明るさの土星が寄り添う様子が目を引いた。

 

「こんばんは、翔チャン。何見てんの?」

 

「なにって金星だよ、金星。ほら、あそこに見えるやたら明るい星」

 

「あ~、あれ金星なんだ?寒くなってきてから見やすくなったよな~」

 

「そうだね。あれがオレの......」

 

「よォ、今日はずいぶんと早い招集じゃないか。ゆっくり休む暇もねえとか」

 

私は思わず笑ってしまった。誰が見ているかわからないのに軽率なことをするなとばかりに、その誰かのくせに皆守はわざと遮るように現れた。葉佩が来る前から見てたくせにあいかわらず皆守は皆守である。意図が透けて見えるなら余計な手間をかけさせるなと皆守は肩を竦めた。葉佩は私と皆守の不自然な無言のやりとりを気にする様子は一切ない。

 

「うっそだあ、呼び出しなかったらずーっと男子寮と《遺跡》とウロウロしてるくせにぃ。楽しみなら楽しみって素直にいいなよ~」

 

「そういや寮の部屋に鍵かけたか?ちょっと俺だけ戻ってくるかな」

 

「待って待って待って甲ちゃん待ってッ!冗談だってばも~ッ!ホントの事言ったらすーぐ怒るんだから」

 

「おい、あんまりくっつくなよ。つーか八千穂みたいなしゃべり方やめろ」

 

「甲ちゃんが帰ろうとするからだろ、このイケズッ!」

 

「ふざけてる暇があったらさっさと準備しろよ、九ちゃん」

 

「わかってるよ。翔チャン、甲ちゃんが逃げないように見張っといてッ!」

 

「あはは、わかったよ」

 

「おいおい、翔ちゃん。なんだそのマシンガン?いつもの変な銃はどうした」

 

「あるけど?」

 

「ずいぶんな武装だな......九ちゃんの真似か?」

 

「父さんの真似が正解だね。《宝探し屋》の正装だっていうし、形から入ろうと思って」

 

「気合いのはいり方が違うな」

 

「昼間はほんとに生きた心地がしなかったんだ、やっぱり攻撃手段があるのとないのとじゃ安心感が違うよ」

 

「幽霊に銃火器効くのかよ」

 

「術者には効くさ。それに破邪効果が見込めるなら銃火器も悪くないよ」

 

「へぇ」

 

雑談をしているうちに、葉佩が準備を終えたようで来るように促してくる。私は8ヵ月ぶりに同じ装備で《遺跡》に潜入したのだった。

 

「翔チャンの目、校舎全体が射程圏内とか見える範囲広くなってるよな~。昼間びっくりしたよ、助かったけど。今はどんくらい見えるんだ?」

 

「大気の流れがある区画なら、だいたいいけるみたいだね」

 

「そっかァ~、ならまだ行けない場所は無理ってことだな」

 

「そうだね、試してみたけどダメみたいだ」

 

「今の翔ちゃん、また不安定なころに戻ってんだろ。あんま無理すんなよ、カウンセラーに怒られたくないならな」

 

「うん、わかってるよ。ありがとう」

 

「わかってるだけじゃ意味が無いだろ。強迫観念が止められないなら、止められないで対策しろって言ってんだ」

 

「あはは......ホントそうだよね。どうやったら平常心でいられるんだろうなあ」

 

「大丈夫、大丈夫。翔チャンがまたおかしくなったら、あん時みたいに叫べば元に戻るもんな。いざというときは撃ってでも止めるからさ」

 

「撃たれるのは勘弁だから気をつけるよ。オレは撃たれたら死ぬからね」

 

「翔チャンの気をつけるは信用出来ないからな~。そーだ、これあげるよ。お守り代わりにつけといて」

 

葉佩はそういって私に《ウジャトの護符》を渡してきた。

 

「えっ、ちょっ、九ちゃんこれは......」

 

「阿門に《心臓の護符》もらってたおかげで死なずに済んだとかいわれちゃさ~、さすがにオレだって気にするじゃん?というわけで持っててくれた方がオレが安心するからもっといて」

 

「九ちゃん、その言い方ずるいと思う......」

 

葉佩は笑って先にいってしまった。

 

やはり、新たな区画に繋がる扉が出現していた。黄金色に輝く目を奪うほどきらびやかなエリアである。仕掛けられているギミックは複雑さを増しており、葉佩も苦戦気味である。さいわい、射撃を弱点とする化人が多いため、葉佩の取りこぼした化人を排除することに専念すれば弾薬の消費は最低限ですんでいた。

 

「江見睡院先生のメモ、これで全部かな」

 

葉佩がH.A.N.T.に解析させている横で、渡されたパピルスに目を通す。

 

《記紀神話においてもっとも重要な神はアマテラスである。この神こそが男系での皇祖神であって、その系譜は今においても一貫して続いているとされているからだ。祖霊信仰の観点からしても基本になっている》

 

《この天孫降臨と神武東征こそがこの世での日本の歴史の始まりだ。物語る上では、その前にどんな話があろうと、それは全てここに収束しなければならない。この神話は実質的には天孫降臨と神武東征が起点になっており、それより前の神話はそこからさかのぼって設定されている》

 

《見渡す限り黄金が目の前に広がっている。壁や天井も黄金で作られており、大和朝廷が非常に豊かだったと憶測される。儀礼や祭事のために蓄えられたものやこの墓の王のために納られた物であろうか?細工を見ると、古代エジプト文明にも似ている物や、中には縄文の特徴である渦巻き模様の描かれた物もある。もしかすると大和朝廷が侵略の際に集めた財宝なのかもしれない》

 

《ここは、やはり《儀礼の間》として用いられていたのだろう。天井には星を散りばめた装飾と壁には神代文字が刻まれた通布墓室のような部屋が多くあり、副室=セルタブと思われる供物室も見受けられる。遺されたものを調べるとここで行われていた儀式は《永遠の命》に対する儀式だったと推測される》

 

《だが、地下奥深くに伸びる回廊とその先にあるであろう玄室を考えると《埋葬されている者》と《永遠の命への祈り》が結びつかない。この遺跡自体が埋葬されている者を忌み嫌い、恐怖しているように見えるからだろうか?》

 

ここにきてやたら長い文章である。

 

「江見睡院先生が特に調べてるだけあってすごいメモだなあ。よし、碑文調べてみようぜ。神武東征をさ」

 

丹念に調べて回っているときだ。私はアマツミカボシの記述を見つけた。

 

《ある書によれば、天津神はフツヌシとタケミカヅチを派遣し、葦原中国を平定させようとした。その時、二神は「天に悪い神がいます。名をアマツミカボシ、またの名をアメノカガセオといいます。どうか、まずこの神を誅伐し、その後に降って葦原中国を治めさせていただきたい。」と言った》

 

「えっ、これだけ?」

 

「どったの、翔チャン」

 

「アマツミカボシの碑文これだけしかないなんてと思って」

 

「?」

 

「オレのルーツの話なんだけどさ、アマツミカボシじゃないかって話なんだ」

 

「えっ、ここに出てくるのが翔チャンの御先祖さま?!」

 

「たぶんね。星神を信仰してる上に北辰、北極星を特に崇拝していた民族、しかも妙見菩薩と同一視されることもある。それがアマツミカボシなんだ。話せば長くなるんだけど、妙見菩薩ってのは優れた視力で善悪や真理をよく見通す者のこと。九ちゃんが見せられた研究所で御先祖さまは研究していたらしい。どうも御先祖さまはオレの目みたいな力がある代わりに、子供を生む時必ず死ぬ呪いにかかっていたみたいだ。それを克服するために協力していたんだけど、勢力争いに負けて追放されたあげくに石化の呪いで殺されたらしい。ところで、オレの家はスサノオを祖神とする家系らしいんだよね。アマツミカボシの血が混じったのはどうも落ち延びる時にスサノオの系譜に匿われていくうちに混血が進んだ結果らしいんだ。オレの御先祖が呪われてるってんなら、アマツミカボシの方だと思うんだけど、なにか記述がないか調べたかったのに」

 

「えーっと、それってたぶんお母さんの方だよな?江見睡院さんそんな力があったとは聞かないし」

 

「あーうん、そうだと思う。母さんの方だよな、そうじゃないとおかしいよな。代々女が継ぐはずの力だから、ミトコンドリア由来の力だよ。なんだってオレが使えるんだって話だが......まあ、私のせいだろうね」

 

「そっか......それならこの碑文だけってのはおかしいよな」

 

「あの夢が正しいなら、アマツミカボシが平定されたのは神武東征の最後だ。これだけじゃ、神武東征の前に平定されたことになる。いや、調べたらどっちかわかんないらしいんだけど」

 

なにかギミックはないかと探してみるが、なにもないあたり、この碑文だけ浮いている。

 

「そういえば江見睡院先生が調べてたのは?」

 

「古代エジプト末期と同じ副葬品があったらしい。だからバアとカアをわけて埋葬するはずだからどこかに回廊があるはずだって考えてたみたいなんだ。ほら、オレたちがスライムとあったのはどれも隠し区画で全部繋がってただろ?」

 

「あれ、精神を埋葬する場所だったんだ」

 

「そうそう。だからみんなの思い出に準拠した化人が生成されたんだと思うよ。スライムによって」

 

「墓守には魂がないってのはそのせいかな」

 

「なにそれ」

 

「神鳳に喪部がいってたんだよ」

 

「喪部が?それは気になるね。《祖神》降ろしてるアイツなら、《遺跡》について誰よりも詳しいだろうし」

 

《如来眼》による探知を試みてみたが、大気が動かないためこれ以上隠し部屋は見つけることができなかった。

 

「ダメだね、次の階層から入れるのかもしれない」

 

「神鳳が待ってるエリアか。了解」

 

「いくか」

 



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オディプスの恋人6

地下遺跡をおり、西北西の扉から9つ目のエリアに入る。黄金に輝く区画を抜けると、最深部には神鳳が待ち受けていた。

 

「やはり来ましたね、葉佩君......。あなたにひとつ訊きたい。あなたは一体なんのために、この最奥を目指すのかを」

 

「んなの決まってるだろ。そこに《遺跡》があるからだッ。理由なんかそれで充分だろ」

 

「ふふ......正直な人だ。そうですね、僕も自分のためにここにいる。ならば、これ以上の言葉は不要ですね。たとえあなたの理由がなんであれ僕は僕の役目を果たすだけです」

 

神鳳充と対峙した葉佩は、武器を抜いた。

 

「あれ......」

 

「どうした、翔ちゃん」

 

「いや、あのね、神鳳の気が......」

 

出現した敵は加賀智6体、いわゆる蛇である。打撃攻撃、射撃か鞭撃が有効、背中の刺青が弱点。主なアイテムは蛇の皮・卵・血清。

 

神鳳充の解析を試みようとした私は固まる。屋上で喪部銛矢に祓われたはずの《長髄彦》の氣が神鳳充を巣食っている。

 

「ファントムの氣がなんで神鳳に?まさか───────」

 

私が口走りかけたその時だ。神鳳の口元が歪に歪んだ。

 

「この身の毛がよだつ気配…......この地獄に好んで足を踏み入れる者…......どこの物好きかと見に来てみれば…......これは懐かしい。死の星と呼ばれる惑星の輝きを背負う者ではないか」

 

それは濃厚な殺意だった。

 

どかんという音がして、目の前の葉佩が消える。いや、私と葉佩と皆守を隔てる罠が発動したのだ。区間全体を震わせる衝撃があたりに広がる。

 

「翔チャンッ!」

 

「おい、翔ちゃん、大丈夫かッ!?」

 

私の前に現れたのは回廊だ。すべすべに磨きをかけてある御影石の回廊は、閃光に当たった面だけざらざらに焼け爛れ、光の当たらなかった方は元のまま滑らかになっている。上から焼夷弾が雨のように火の尾をひいて降りそそいだ。私はあわてて回廊を走り抜ける。後退は許さないとばかりに砲声と銃声とが、怒涛のような響きとなって聞こえてくる。

 

「また我が輝きの逆光となるつもりか、禁忌を犯した咎人の分際で」

 

重い地響きが伝わり、高射砲の炸裂する音がパアン、パアンと聞こえてきた。遠雷のような唸りを伴った音だ。

 

「ぐっ......」

 

「この地獄に立ち入った己の行動を悔い嘆け。そして我に狩られる鼠となれッ!」

 

心臓を激しく刺されても死ねない拷問ような痛みが走る。強烈な電気に触れたように、からだが縮まる。

 

「知ってたけど容赦ないなッ!?」

 

少し開けた場所に出た。洞窟内のしんと沈んだ湿気のある空気が一気に流れ込んできて、入り口が墨を塗ったように漆黒なまま前に鎮座していた。獣道かと見まごうような小道だ。細い道は、奥へ奥へとつづいているようだった。それでも私は進むしかない。

 

「これが《魂》の霊安室......」

 

私は先に行くのを躊躇した。濃淡の巨大な網のような汚水が満ちていたからだ。漆のような黒いネットリした汚水が流れている大きな泥溝である。それでも進むしかない。後ろからは正体不明の砲撃が飛んでくる。

 

「大気の流れがある......閉鎖空間じゃなさそうね......」

 

私は《如来眼》で空間全体の位置関係を把握しようとした。

 

「......なにこの迷路」

 

それはひたすらに続いていく回廊だった。やがて下層域にも到達するのだが、そこに至るまでが長い。長すぎる。様々な部屋が安置されていることから、世話役たちの魂がここに閉じ込められていたのだろうか。全ては《長髄彦》を封じるためのエネルギーになっているため魍魎だらけというわけではなさそうだが。小部屋のひとつに逃げ込んだ私は、碑文を見つけた。

 

《汝の生命は再び始まった、汝の魂は汝の神聖な体から隔離されることなく、汝の精神は魂と共にあり……汝は日毎に立ち上がり、夜毎に戻るであろう。夜には汝のために明かりが灯されるであろう、陽光が汝の胸に射す時まで。汝は告げられるであろう───────ようこそ、ようこそこの汝の生の家へ!」

 

雄弁に語られているものの、それは死してなお《長髄彦》の世話をせねばならない人間たちにとっては死刑宣告だったに違いない。

 

「............まってよ、もしかしてここ、世話役の巫女たちの区画?」

 

足元で蠢く粘着質のスライムのせいか、ファントムの攻撃はここまで届かない。近づいたら自分が喰われることを学んでいるからか、近づけないのかもしれない。

 

「......もしかしたら」

 

私は暗視ゴーグルで光源を確保してからあたりを見渡す。

 

「やっぱりそうだ。ここ、古代エジプト末期のピラミッドとそっくりだわ」

 

壁一面が碑文だった。

 

どうやら《遺跡》のミイラは、物部氏の《鎮魂の儀》と古代エジプトから流入したミイラの概念により、かなり似ていながら独自の解釈で死後の世界をここに描いたらしい。あの時代のエジプトは王家だけでなく民衆もあの世で同じ生活を送れると信じていたため、王は王家だけでなく自分たちの納めたエジプトという国そのものを共に埋葬した。だから使用人やペットを模したものまで埋葬された。

 

だがこの《遺跡》は違う。《永遠の命》の実験体にされた人間たちを未来永劫封印するための楔として巫女たちまでミイラが使用された。どこにも行けないようにするためだ。この過程が機能するためには、身体にある種の保存を行うことが必要とされ、このため遺体はミイラとされたらしい。

 

もう一度死なないようにし、またその人のことを常に記憶しておくための呪文を含み、来世がこないよう存在し続ける呪詛が書かれている。

 

デメリットはもちろんあるようで、この姿での復活は、適切な葬送儀礼が執り行われ、継続的な捧げ物がなされる場合にのみ可能とされている。

 

このためもし墓が管理されなくなってしまうと《神》が怒り狂って全てを貪り食うと書いてある。食われた人間は一種の幽霊もしくは彷徨うゾンビにされる。そうなれば生者たちに害も益も及ぼすことがあり状況によっては、例えば悪夢、罪悪感、病気などを引き起こし、あるいは罰を下すとある。

 

「吐き気がするわね......」

 

私はこのエリアの一番奥にある祭壇に向かった。

 

「..................」

 

さいわい棺のところまでスライムが這い上がってきた形跡はない。盗掘の気配もない。

 

「......私で悪いけど我慢してくれる?」

 

私は石室をあけた。

 

「..................」

 

やはり中には《墓地》と同じミイラが埋葬されていた。ほかのミイラと違うのは埋葬品が現代人のものではないからだろう。

 

「......彼に渡してあげたいからさ、借りていいかな」

 

祈るように捧げられているミサンガみたいなアクセサリーを手にする。あっさりと外れた。

 

「あれ?」

 

ほかの埋葬品に触れるつもりはなかったのだが、ひっかかったのか綺麗な石がついてきた。どうやら数珠のような細い紐に通されていたのがひっかかってしまったらしい。

 

「......」

 

なんとなく気になって電気銃にセットしてみたら、ぴったりはまってしまう。こういうのなんていうんだっけ、シンデレラフィット?なんか違うな。とりあえず、これで何とかなるかもしれない。私はミサンガもどきをポケットにいれ、電気銃を構えたまま、元きた道を戻ることにしたのだった。

 

「かつて、我が逆光とならんとした魂は、我が一族もろとも焼き払った。同じ末路を迎えさせてやろう!」

 

「悪いけどそれは出来ないね。オレはまだ死ぬわけにはいかないんだ」

 

「待て......貴様、それをどこで......」

 

「君が入れない魂の霊安室に安置されてたよ。勝手にもってきて悪いけどないと信じてくれなかったでしょ?」

 

《長髄彦》が動揺したせいか、一時的に攻撃がやんだ。その隙を狙って電撃銃を発射した私は《長髄彦》が氣でこの区画のギミックを遠隔操作していたことを知る。ギミックと思われる場所を感電させてコントロールを失った途端、いきなり爆発したからだ。よし、これならいける。この電気銃に実弾制限はない。私ははやく葉佩たちと合流すべく先を急いだのだった。




窮屈な回廊からようやく生還した私の目に飛び込んできたのは、本来なら神鳳充の《黒い砂》が本人から這い出て、新たな核として《思い出》を取り込んで生成される化人ではなかった。神鳳充自身がヤマタノオロチになる瞬間だった。

「おかしいんだ、《黒い砂》がいきなり神鳳をッ!」

「まさかファントムがなにかしやがったのかッ!?」

「いや、ファントムも驚いてるみたいだったぜ、甲ちゃんッ!明らかに動揺してたし!様子がおかしかった!」

まさかの異常事態に葉佩も皆守も混乱している。

「様子がおかしい?どんなふうに?」

「待て貴様、それをどこでって」

「えっ、それここから喋ってたの!?テレパシーかなんか?たぶんこれのことだと思う」

「なんだそれ」

「ミサンガかなんか?」

「オレが閉じ込められた回廊の先にあったよ。死後の王の世話をする世話役の巫女たちの部屋があったんだ。破邪の効果が見込めそうだから借りてきた」

「───────ッ!?」

「巫女?ああ、《鎮魂祭》だって元々は巫女さんが儀式に関わってるんだっけ?いいの見つけたな翔チャン」

「あの回廊、かなりスライムに侵食されてるからファントム入れないんだと思う。知らなかったみたいでさ、明らかに動揺し始めたんだ」

「それであれかあ......もしかして知り合いだったパターンかな」

「......どうだろうな」

「もしかして、ファントムの動揺を異常と勘違いして《黒い砂》が暴走してるんじゃない?」

「そういや《黒い砂》はファントム封印してる墓守の力だっけか?そりゃまずいな」

「多分そうだと思うッ!はやく倒そう、九ちゃんッ!このままだと神鳳の魂が完全にファントムもろとも《黒い砂》に食い潰されてしまう!神鳳、今ファントムに憑依されているから《黒い砂》がやつを過剰に抑え込もうとしてるんだ!」

「神鳳もろともかよッ!融通効かないなあッ!」

神鳳の広範囲の呪詛攻撃から音波攻撃に形態がかわったためか、葉佩は作戦を変更するつもりのようだ。それなら今のうちに。

「ここから先はいかせないよ」

私は破邪に効果が変更されたオーパーツ銃を放った。やはりヤマタノオロチでありながら微妙に違いがあるようだ。

「解析完了。九ちゃん、こいつは八俣遠呂智、獣人だ」

「じゃあ射撃か鞭が有効?」

「鞭じゃなくて破邪効果に置き換わってるから銃の方がいいよ」

「そっか、わかった。まあた破邪が弱点か~、そんな気はしてたんだよ。白岐連れてくればよかったな!」

「あはは、次からはそうしたら?」

「そうだな、次はない方がいいけど!うーん、加賀知みたいに背中に刺青があるっぽいな。狙ってみるか!」

「やれやれ、一難去ってまた一難か。さっさと片付けてやろうぜ」

葉佩が銃を装填し、構えたときだった。奥の方から畏怖の咆哮がした。私がいた回廊を突き破り、巨大な化人が現れた。

「こいつが神鳳の記憶から生まれた化人かな?」

私は息を飲む。私が知らない化人がそこにいた。魂の霊安室からしみ出したスライムが神鳳充がさしだした記憶を糧に新たな力を獲得するはずだが、妹らしい面影もイタコらしき格好でもない。それは巫女によく似た化人だった。鳥肌がたつのがわかる。今の神鳳充の中には《長髄彦》がいる。そこから発生した化人だとしたらとんでもない強さを獲得した化人だ。

私はオーパーツ銃を電気の石にきりかえる。

「気をつけて、九ちゃん。こいつは破邪攻撃してくるよ」


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オディプスの恋人7

新たに出現した回廊も気になるところではあったが、葉佩の判断により私達は一時撤退した。なんとか複数の大型化人を斥け、媒介になっていた神鳳の解放に成功したはいいものの、神鳳が目を覚まさなかったからである。

 

《黒い砂》から解放された墓守は、通常《黒い砂》で生成された化人を倒せばすぐに目を覚ました。だが、《遺跡》から脱出して阿門に連絡しても。保健室を校舎閉鎖後も使わせてくれるよう頼んでも。保健室に担ぎこんでも。数時間が経過するというのに、神鳳はいっこうに目を覚まさなかった。

 

瑞麗先生はあとは任せて帰りなさいと促したため一度はマミーズに夕食をとりにかえったのだが。皆守は帰ったが、葉佩と私は引き返した。葉佩は渡したいものがあるから。私は聞きたいことがあるから。

 

葉佩が校舎内をゲットトレジャーしにいくのを見届けてからはや30分が経過したころだった。

 

「う......?」

 

神鳳が目を覚ました時には、すでに20時を回っていた。私は葉佩にメールを送った。

 

「ここは......?」

 

「やあ、気分はどうだい神鳳」

 

「大丈夫?」

 

「瑞麗先生......江見君......」

 

「葉佩たちに感謝するんだな、ここまで背負ってきてくれたのは彼らだ」

 

「......そうですか。僕は、負けたのか」

 

どこか晴れ晴れとした様子で神鳳はいう。

 

「神鳳、どこか違和感ないか?ファントムに意識乗っ取られてたけど」

 

「いえ......今のところは問題ないようです」

 

「そっか、よかった。氣の方も正常化してファントムの干渉もなくなったみたいですね、瑞麗先生」

 

「そうだな。まあ、復活がまだ完全じゃないから祓えたんだろう。神鳳、顔色はよくなってきたようだが、さすがにまだ動けないようだね」

 

「そうですね......全身が鉛のように重い」

 

「だろうね。君はファントムに意識を乗っ取られたせいで、君の中にあった《黒い砂》が過剰反応して君自身を攻撃したために、変生したのだから。人間に戻れただけマシだと思わなければ」

 

「変生ですか」

 

「おや、やはり憑依されていたから記憶がないようだね。どうしたものかな......簡単に言うと龍脈の力により陰陽のバランスを著しく喪失したとき、人間は超常的な力を得る代わりに肉体が大きく変質してしまうのさ。君はいわば一時的に化人になっていたも同然。葉佩が手遅れになる前に《黒い砂》を排除しなければ神鳳充という存在はこの世から消え失せていただろうね」

 

瑞麗先生の言葉に神鳳は冷や汗をかいていた。

 

「無事でよかったよ、神鳳」

 

「君は口寄せ師の家系のようだが、当然自分より格上の霊体に対する対抗処置は講じていたんだよな?」

 

「はい、それはもちろん。イタコにとって体に霊体を憑依させていながら主導権を握る技術も、乗っ取りを防ぐ対策も死活問題ですから」

 

「そうか......つまり、ファントムはそれらをすべて超えてきたわけだ」

 

「......そうなりますね」

 

「ふむ......いよいよ本格的に封印はとける寸前といったところか」

 

考え込み始めた瑞麗先生の横から、ガラガラガラ、と乱暴に扉が開く。

 

「やっほー、神鳳。翔チャンから連絡もらったけど調子どうだ?」

 

「葉佩君......」

 

「噂をすればなんとやらだな。こら、葉佩。保健室はマミーズじゃないんだが?なんだその塩焼きは」

 

「あっはは~、やだなあ、先生。お見舞いですよ、お見舞い。神鳳たぶん夕食食ってないだろうな~って」

 

「葉佩、これ以上悪ふざけが過ぎるならさっさと帰りたまえ。神鳳は本調子ではないのだから無理をさせるな」

 

「わあい、瑞麗先生てきっびしーッ!まあ冗談はおいといて、これ返しに来たんだ、神鳳。大事なものだろ?ほら」

 

「その、かんざしは───────」

 

受けとった神鳳はかんざしをにぎりしめる。

 

「そうか......。僕の手に戻ってしまったのか......。そのかんざしは、僕があの場所に来て、そしてあの日、阿門様の意思に殉ずることを決めた日に、彼に預けたものです」

 

「だろ~なあ、そんな気はしてたよ」

 

「葉佩君、これからこのかんざしについて話をしたいんですが、聞いてくれませんか?」

 

「いいよ、いいよ、ぶっちゃけちゃって」

 

「ありがとうございます。実はこのかんざしは僕の妹が御守りにとくれたものなんです」

 

「へえ~神鳳、妹いるんだ」

 

「ええ。僕と同じ、霊と語る術を持った、今となってはたった一人の肉親───────。霊を通じて、冥界の《氣》と触れ合うその力のせいか、僕の親族は病弱であったり、若くして命を落とす者が多いんです......。僕の両親も既に他界し、ただ1人、僕の元に残った妹も、幼い頃から病弱でした」

 

神鳳はたんたんと続けた。

 

「初めは、そんな妹のためにこの學園の呪いと《力》のは秘密を得ようと、《生徒会》に近づきました。ですが僕の小さな野望は瞬く間にこの學園にひしめく嘆きの声にかき消されてしまった。それは死んだ霊に限らず人の内に秘められた生霊になりかねないくらい強い想い。何よりあの方の───────阿門様の切実な願いが僕を捕らえて離さなかった。だから僕はあの方の《力》になるために自分の弱い部分を差し出したのです。それでも───────僕はあの方のために何も出来なかった......」

 

神鳳はため息をついた。

 

「それに引きかえ、江見君、君の方が阿門様と近い位置にいるのではないですか?しかもなにかと通じているものがある。それが僕にはもどかしくてならない」

 

「あはは、そりゃ検討ハズレの嫉妬だね、神鳳。だってオレは九ちゃんみたいに《宝探し屋》でも神鳳みたいに《生徒会》でもない。でも江見睡院の息子だから完全なる部外者でもない。責任を伴わない絶妙な位置にいるんだと思うよ」

 

「ほんとうにそれだけでしょうか?」

 

「阿門はオレにだけは借りを作りたくないらしいからね」

 

「......僕にはどうにもそれだけには思えないのですがね。まあ、今の僕にはもはやできることなど何も無い」

 

自嘲気味に笑った神鳳は葉佩をみた。

 

「この僕が戦慄を覚えるほどに《遺跡》から強く凶悪な意志を感じます。封じられていた何かが目覚めようとしている......。僕にはこの事態を未然に防ぐことが出来なかった。そして、この事態を引き起こすきっかけとなったのは他ならぬ君です、葉佩君───────」

 

「え~、まだいっちゃうのかよ、それ」

 

「けれどこの學園に必要なようにも思うのです。自分で言っていてよくわからないけれど、そう考えたい僕がいるのも事実で」

 

「なるほど。わざわざ話してくれたってことは認めてくれたんだ?なら良かったじゃん。お互い自分のために戦って、俺が勝って神鳳が負けた。それだけだろ」

 

「まさか、そんなことを言ってもらえるとは、夢にも思いませんでしたよ。ありがとうございます、葉佩君......。あなたにはこれを渡しておきましょう」

 

神鳳は生徒手帳からプリクラを葉佩に渡した。

 

「ずいぶん大きくかわれたな!」

 

「《生徒会》としての僕を退けるだけでなく、あの《遺跡》に眠る悪意に取り憑かれた僕を敵なのに助けてくれたじゃありませんか。君は想像以上のふところの深い男でした。あなたなら......この學園を真の解放へと導く事ができるかもしれない」

 

「そういわれると照れるなあ。ありがとう」

 

神鳳はうなずいた。

 

「なあ神鳳。ファントムに憑依されてたときのことでなにか覚えてることはないのか?」

 

「これから思い出すかもしれませんが......お役にたてそうな事はなにも......」

 

「そっか。九ちゃんどうする?」

 

「う~ん、まだいつもの時間まで一時間くらいあるし。ゆっくり考えるよ」

 



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神への長い道

 

神鳳の見舞いが終わってから、私はすぐに白岐にメールをうった。さいわいまだ寝ていなかった彼女はすぐ私の提案にのってくれて、温室に来てくれた。

 

「江見さん───────あなたは、この花を知っている?」

 

「もちろん知ってるよ。彼岸花だよな?」

 

「ええ、少し遅いけれど、綺麗に咲いたの。この花の花言葉は、《悲しい思い出》......。まるで燃える炎のように鮮やかなこの花が、なぜそんなに悲しい意味を持つのか......。その本当の理由をあなたは知っている?」

 

「なんだろ。彼岸花といえば、毒があるけど飢饉の時には最終手段として解毒してから食用にしたとか。昔は土葬だったから遺体をモグラや野犬に食われないようにするためとか聞いたことがあるけど。それなのに死を連想させちゃう名前や不吉な話が多いとか?」

 

私の言葉に白岐は少し驚いたような顔をする。

 

「あはは、実はね。いつだったか、私の地元が茨城県なのは話したことあったよね」

 

「ええ」

 

「弘経寺っていう彼岸花の名所として有名なお寺があるんだ。カメラとるのが好きな友達といったことあるから思い出してね」

 

「そうだったの......。もちろん、それもあるわ。私が知っているのは、また別の話なの」

 

白岐は話し始めた。

 

「彼岸花が咲く時期はお彼岸。亡くなった方を想い、偲ぶことからきた......墓場に生えていることから生まれた花言葉とも言われているわ......。墓前に咲いた彼岸花を眺めながら、亡き人を偲んで悲しみがよみがえる......。悲しい思い出をこの花に語りかけると不思議と心がやすらぎ、癒されるという......。それ自体が呪縛となっている程の悲しい思い出......。けれど......」

 

白岐は私を見上げた。

 

「江見さんのいうように、彼岸花はそんな人々を見守っていてくれる守り神のような花でもあるわ......。でも、いつしか彼岸花そのものが悲しい思い出の象徴であるかのようになってしまっている......。この學園には至る所にそんな場所が溢れているわ......」

 

白岐は他にも彼岸花の伝承を教えてくれた。

 

赤く咲いている時の彼岸花には、まっすぐにスッと伸びた茎に鮮やかな花だけがついていて、葉っぱが全く見あたらない。

 

実は彼岸花は花が終わってから、葉が出てくるという独自の成長サイクルを持っている。だから花のある時期には葉がなく、葉のある時期には花がないという特徴がある。

 

このことから、想いを思う花という意味の別名がある。花と葉が同時に存在することはない。それでも、花は葉を想い、葉は花を想っているという意味のようだ。

 

同じ理由で「捨て子花」という別名がある。葉を親に見立て、葉(親)に捨てられた花=捨て子花という解釈だという。

 

「それでも、江見さんの言うようにこの花は忌み嫌われる名前を与えられながら、毒という特性を生かして人々は墓を守り、水路を管理してきた......。もう忘れさられてしまったとしても、彼岸花はちゃんと咲いてくれる......。その誠実さがすきなの......」

 

「なるほど」

 

「それに、この花ははるか昔から日本にあった訳では無いわ」

 

「え、そうなのか?」

 

「ええ」

 

白岐はうなずいた。

 

日本で見られる彼岸花は北海道から琉球列島と幅広く見られるのだが、実は自生したものではなく中国のものだったことが言い伝えられている。これは、中国から稲作を取り入れたときに広まったと考えられている。

 

ただし、彼岸花は人里にしか生育しない。だから墓地や田畑の周辺で見られることが多い。

 

湿った場所が好きで、夏の終わりから秋の始めにかけて咲く花は、球根の植物。昔中国から来た一株が株分けされて全国へと広まったと考えられており、実は日本にある彼岸花は全部同じ遺伝子であるということが分かっている。

 

「彼岸花は凛としていて......それこそ赤い炎のようにキレイでしょう......?そんなに昔から人々に寄り添ってきた花でもある......。それも、人の営みと共にたった一株からここまで広がってきた......。だから私の好きな花でもあり、憧れでもある」

 

「たしかに、不吉な花言葉は日本だけだけど、それも人の暮らしに寄り添ってきた歴史によるのかもしれないね」

 

「そうなの......。別名が日本で一番多い花でもあるのだから......」

 

自分の好きな花について、たくさん話すことが出来たからか、白岐はどこか嬉しそうだ。

 

「こんばんは、白岐さん」

 

「ええ......こんにちは、江見さん。こんな格好でごめんなさい。お風呂から上がったあとだったから」

 

「オレが呼び出したんだから、謝るのはオレの方だよ。ただ、白岐さんに早く渡した方がいいと思ったんだ。九ちゃんにも許可はもらってる。これがメールでいってたやつ」

 

「......これが?」

 

「そう」

 

「......ありがとう」

 

白岐はおそるおそるミサンガもどきとそれに連なるネックレスに触れる。あのときひっかかった石はネックレスとミサンガもどきが絡まり、ネックレスの装飾だった石がひとつミサンガもどきについてしまっていたのだ。ポケットに適当に入れていて助かった。どうやらネックレスの本体まで絡まっている状態で《遺跡》から脱出していたのである。

 

それは碧玉(へきぎょく)、水晶、めのう、翡翠、ガラス、滑石(かっせき )というあらゆる石を素材とした勾玉が連なるネックレスだった。国際色豊かな大和朝廷に相応しく、アジア各地の多様な素材が用いられている。

 

そして、その間にはシルクロードの薫りを漂わせる花形デザインと金粒の細工。中央には輪っかがある。全面に施された精緻な装飾から、往時の最高級品が奉納されていることが分かる。青いガラス珠がはめ込まれたかなり特殊な技巧が凝らされたものだ。

 

青いガラスの間には一対をなす龍の装飾。力を込めるように歯を食いしばった表情と、反り返り流れる髭の造形が、首をもたげて動き出す一瞬の静寂を切り取っている。

 

そしていくつもの生糸を縫い上げて造られた極彩色のミサンガもどきも負けずおとらずな手間のかかったものだ。

 

「......これが、あの《遺跡》に......」

 

「神鳳の担当エリアから王の世話役たちの部屋に続く回廊があったんだ。9時からの探索で重点的に探すみたいだね。連絡まだ来てないから、オレに声かかるかはわからないけど」

 

白岐は首を振る。

 

「あなたのルーツに繋がる大切な探索だもの......葉佩さんが誘わないわけがないわ......」

 

そして、ふたつのアクセサリーを手にしてくれた。

 

「触れてみるかぎり、なんの邪気も感じない......むしろ心が安らぐような......」

 

「それは良かった。ブローチより馴染むと思うよ」

 

「不思議......初めからあったみたい」

 

「そんなに?」

 

「ええ」

 

白岐は笑った。

 

「それ、ファントムを退けたから破邪効果があるんだ。ブローチみたいな魅了なんてデメリットないみたいだし、白岐さんに向いてると思う」

 

「ありがとう、江見さん」

 

白岐は私にブローチを返してくれた。これでようやく男子寮に戻ることが出来る。

 

「帰ろっか、寮の前まで送るよ」

 

「ええ」

 

私たちは温室を出た。その道中で着信がくる。

 

「......大和?」

 

夕薙からのメールだった。

 

私が《レリックドーン》により呪殺されそうになり、私物を夕薙に預けていたとき、どうやら色々と見られてしまったようだ。なにかしら探られても構わないと思っていたから気にしないが、夕薙は友達といいながら自分の目的を優先させた自分の良心の呵責に耐えきれなかったようで土壇場ながらメールに暴露されていた。

 

今夜、葉佩と戦うとある。場所は今日探索予定の場所。私は青ざめた。あそこはウボ=サスラの落とし子たちがひしめいているのだ。

 

 



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神への長い道2

「《タカミムスビ》......《タカミムスビ》で間違いないよ、九ちゃん」

 

「こいつが江見睡院先生の中にいるやつの正体か......」

 

「おい、2人とも。講釈たれるのは歩きながらでも出来るんじゃないのか?大和があの先にいるってんなら、早く行かないと神鳳の二の舞になりかねないぞ」

 

皆守が苛立っている。大和から果たし状が来たのに悠長に今まで踏破してきたエリアに寄り道しているからだろう。天孫降臨を再現した碑文や発動したあとのトラップ、壁画、床。紅海のアカウントが停止している今、現地で確認しなければならないから仕方ない。

 

「気持ちはわかるけど、落ち着いて、甲ちゃん。ここを見てからじゃないとあの先は危険だ」

 

「なんの関係があるんだよ」

 

「大ありだよ。オレの御先祖様の記述が魂の霊安室へ繋がってたんだから、この《遺跡》に関係あるやつが登場する場面はなんらかのギミックがあるはずなんだ」

 

「だから天津神と国津神でどう描かれてるか調べ直したいっていったんだ?」

 

「そうだよ。あの先には間違いなく父さんか、母さんがいるはずなんだ。母さんは父さんを助けようとして失敗したんだから、大和を助けるためにも二の舞になる訳にはいかない」

 

「......わかったよ。で、なんで《タカミムスビ》なんだ?」

 

「アマテラスの側近中の側近だからだよ」

 

「やっぱそうなるよな~......喪部銛矢の祖神は天津神側だもんな~、しかもアマテラスの系譜」

 

「オレの御先祖様はスサノオとアマツミカボシの混血で、かつては天津神側だったから《遺跡》に忌み嫌われてる。その上、スサノオの系譜だから喪部銛矢に嫌われてる。この《遺跡》は天津神によってつくられたとみて間違いないね」

 

「アマテラスの系譜が中心でね」

 

「......わかりやすいように説明してくれ」

 

「早い話が大和朝廷は宇宙人に支配されていたからこの《遺跡》がつくられたんだよ」

 

「普通は日本神話だとアマテラスが主人公だけど、実は魔王が憑依していました的な超展開なわけだな」

 

「もっとそれらしい例えないのかよ、九ちゃん」

 

「わかりやすいようにっていったの甲ちゃんだろ!?」

 

「あはは。ともかく、この《遺跡》においては国津神と天津神の関係は逆転することになるんだ」

 

私は口を開いた。大国主など、天孫降臨以前からこの国土を治めていたとされる土着の神(地神)を「国津神」、天照大神などがいる高天原の神を「天津神」という。

 

天津神は高天原にいる神々、または高天原から天降った神々の総称、それに対して国津神は地に現れた神々の総称とされている。ただし、高天原から天降ったスサノオや、その子孫である大国主などは国津神とされている。

 

日本神話において、国津神がニニギを筆頭とする天津神に対して国土(葦原中国)の移譲を受け入れたことを国譲りとして描かれている。ヤマト王権によって平定された地域の人々が信仰していた神が国津神に、ヤマト王権の皇族や有力な氏族が信仰していた神が天津神になったものと考えられる。

 

だから、天御子という超古代文明に支配された大和朝廷に侵略された人々が国津神、天御子側の勢力がアマテラスということになる。これを前提に読みとかなければならないというわけだ。

 

「白岐が《六番目の少女》たちから守るよう言われる上に青森出身だろ?白岐は国津神の系譜なんだよ、きっと」

 

「そうなってくるとアマテラスの側近たる最高司令官が怪しくなってくるわけだ」

 

「卑弥呼とその弟の関係とよく似てるって説もあるらしいから、なおさらね」

 

「えっ、まじで?王手じゃん」

 

「......青森県か」

 

「喪部がきたとなると、ニギハヤヒの神話をまた洗い直さなきゃなあ......この先になにがいるのかわかるかもしれない」

 

「それはまた今度だね」

 

「で、なんでタカミムスビになるんだ?対になるカムムスビは?」

 

私はタカミムスビについて説明する。

 

タカミムスビは一番最初の「天地開闢」から「オオクニヌシの国譲り」くらいまでは影が薄い神だ。一方、カムムスビは、出雲神話の時に大活躍しているコトから、元々は別の地方の神様だったんじゃないかと言われている。

 

タカミムスビが活躍し出すのは、国譲りでアマテラスがワガママを言い出すあたりから。タカミムスビは常にアマテラスの近くにいて、アマテラスの指示は一度タカミムスビに通してから、他の天つ神に伝えられている。

 

実は、この2柱のカンケイが卑弥呼とその弟のカンケイに似ている。という事で、アマテラスは卑弥呼、タカミムスビは卑弥呼の弟が元ネタ説。なんてのもある。

 

「《タカミムスビ》は本来は高木が神格化されたものを指したと考えられているんだ。ムスビは生産・生成を意味する言葉で、創造を神格化した神でもある。そいつに符合する宇宙人が父さんが残した古文書にあったんだ。おそらくその宇宙人を模してつくられたやつを《タカミムスビ》と呼んでるはずだ」

 

ウボ=サスラについて、詳細は伏せながら説明する。本来のウボ=サスラはは粘液と蒸気のなかに横たわっている手足のない不定形の存在であり、アメーバのようなものを吐き出している。冷たくじめじめした洞窟の中に潜んでおり、その洞窟の入り口は南極大陸の氷の割れ目かドリームランドの凍てつく荒野の秘密の入口など探検隊くらいしか行き着かないような場所にいる。

 

また、古のものはウボ=サスラの体組織からショゴスを作り出したといわれている。

 

「スライム生み出したのがそいつなら、まんまじゃん......」

 

葉佩は嫌な顔をした。

 

「あの古文書には空間と空間を繋げる門の呪文についても書かれていて、父さんはかなり調べた形跡があるから、そいつは《遺跡》のどこかにいるわけじゃない。どこかに門があるんだよ」

 

「なんでそう言いきれるんだ?スライムはかなり侵食してきてるじゃないか」

 

「それは封印がとけて活性化してるのもあるとは思うんだけど、そいつが《遺跡》のどこかにいる場合、オレたちはただじゃ済まないんだ。そいつに近づくだけであらゆる物質が溶解するんだよ」

 

「とける?」

 

「アメーバ以下の存在に成り下がるんだ。本家はオレたちの先祖だから近づいたら本来の姿に戻ると言われてる。真意はわからないけどね、会ったやつはみんな失踪してるから謎の中だ。ただ、《タカミムスビ》は模造品だから《黒い砂》を取り込んだことがある人間はとける可能性がある。阿門がいってた一夜にして《黒い砂》の影響を一度でも受けた人間がいなくなるのはそのためだと思うよ」

 

皆守は塩でもなめたような苦いジリジリした狼狽の色を隠せない。言葉が見つからないのか胃が焼けるような焦燥が透けて見える。じっとしていられないほどの焦燥を感じる。何もできないもどかしさに苛立ちだけが募り、無意味な視線で、落着きなく四囲あたりを見廻わしてから、壁画に身体を向けてしまった。

 

「甲ちゃん、気持ちはわかるけど落ち着こうぜ」

 

「......あァ、わかってるよ」

 

久しぶりに皆守がアロマを吸った。そりゃそうだ、こんなこと言われてまともでいられるわけがない。ただ言わなくてはならないのだ、特に皆守には。これからのことを考えてもらう上で。私は続ける。

 

「《タカミムスビ》の門をここに作ったのは《龍穴》の真上に《研究所》をつくるためだ。《タカミムスビ》の落とし子や他の邪神の遺伝子、古代の人間を遺伝子操作して《永遠の命》について研究したんだと思うよ。本来制御出来ないはずの遺伝子操作ができる邪神まで操作できたみたいだから、出来ないことはなにもなかったはずだ。監視カメラですら影響がでるはずの《タカミムスビ》をどうやって操作出来たのかわからないけど」

 

「なんか、実験動物みたいだな」

 

「だから、邪神の名前を出した時に違うと笑ったのかもしれない。それは《タカミムスビ》にしかわからないよ。本来白痴とされてる邪神を模倣したくせに自我がある理由も。ただ素材になった宇宙人の中には学習能力があるやつもいるから1700年の歳月は短くないのかもしれない」

 

私はため息をついた。

 

「ここで九ちゃんに残念なお知らせがある」

 

「今までのくだりでこれから相手しなきゃならないやつについて戦慄してんだけどまだあんの?!」

 

「むしろここからが本命なんだ。私はがみた過去夢が正しいなら、私の先祖が《タカミムスビ》の門の作成に大きく貢献してた。彼女は《タカミムスビ》に《遺伝子操作の研究のすべて》を《九龍の秘宝》として守らせてる」

 

「はい?え、ちょっとまってくれよ、はいっ!?」

 

「そうとしか考えられないんだよッ!モデルの邪神は知性を敵に奪われて、まわりを浮遊する碑文に封じられてるから白痴だって言われてるんだからッ!」

 

「えええええッ!?勘弁してくれよ、俺の目的その《九龍の秘宝》なんですけどッ!?やだっ、帰りたい!」

 

「逃げるのはなしだよ、九ちゃん。《遺跡》の封印が風前の灯火の今、門だけが無事な理由がどこにある。門が開いたが最後、元《生徒会執行委員》

も《生徒会》も、一度でもファントムやスライムに接触した人間は例外なく消滅することになる。こんな東京のど真ん中で《タカミムスビ》がもれ出してみろ、どうなるかくらいわかるだろ」

 

「まじか......まじですか......いや封印といた責任はとろうとは思ってたけどさァ......責任が想像の100万倍重いんですけどォ......」

 

「ここまで封印といたのは九ちゃんの一助もあったわけだから、最後まで責任とろう。大丈夫、私も一緒だ。父さんや母さんみたいに土壇場で危機的状況に気づいて門を閉じるしかなかったなんて結末だけにはさせないから」

 

死刑宣告をした自覚はある。皆守も葉佩とは違う意味で顔色が悪かった。

 

 



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神への長い道3

《遺跡》の壁の松明が途切れた。ここからは先は江見睡院以外は辿り着けなかった未踏の地だ。真の闇が広がっているが、暗視ゴーグルが視覚・聴覚・触覚を補ってくれる。皆守は夜目が利くだろうが、さすがに明かりが全くない状況では、さすが満足に歩くことさえできないだろう。

 

葉佩は皆守に明かりになるようなライトを持たせた。だが細かい状況判断はできそうにない。

 

「まどろっこしいな......」

 

私たちのやり取りを眺めていた皆守が、イラついた声を上げた。

 

「なにかいるよ」

 

回廊の前方、床面中央。大き目の岩かとも思ったが、明らかに人工物だ。中には何も見えない。いや、どろりと溢れる闇よりも濃い黒の粘性、これが本体か。視覚だけに頼っていたら、闇に同化し何も見えなかっただろう。

 

私の射撃は正確にそれを捉えるも、ダメージを与えた様子はない。ならこちらか。私は宝石を切り替えて、焼いてやる。

 

「おい、翔ちゃんッ!」

 

首根っこを掴んで後ろにひきずられる。無理やり闇の中に引き摺り込もうとした黒い液体がさっきまでいた場所に水たまりとなって四散した。奇妙な浮遊感に包まれたあと、私は皆守の腕の中にいた。

 

「どこ見てんだ」

 

「ありがとう、甲ちゃん」

 

「俺のバディはお触り禁止なんですけどー?マナーがなってない野郎は消毒だ!」

 

葉佩が爆弾をなげる。あたりは一瞬にして腐敗臭が焼ける匂いが充満していった。

 

 

 

そこから先はただひたすらに長い長い回廊だった。《タカミムスビ》の落とし子たちが蠢いている不気味な空間で満たされ、いくつもの石室では世話役の巫女たちがいた。その先で巨大な門の前にはファントムと夕薙が対峙していた。

 

「......まんまとここまで誘導された気がするが......まあいい。今夜の墓地はいつもより異様な雰囲気に包まれている。やはりきて正解だったな」

 

「我は、この《遺跡》の奥底───────深い闇の彼方からこの念を送っている者。我が名はアラハバキなり......。お前は我を目覚めさせた者ではないな......貴様は何者だ?我にその氣を感じさせぬとは......。《魂》なき《墓守》とも違う......。お前は死人(しびと)か?」

 

「死人(しにん)は墓で眠るものだ。俺はただの───────人間だ。お前のもつ《宝》の力を授かりにきた。神の叡智を集積した偉大なる《秘宝》の力を......」

 

「クックック......、それほどまでに我が《宝》を望むか。お前が口にしたのであろうに、何を憤る必要がある?何を嘆く必要がある?お前もまた大いなる《力》へと一歩近づいたのだ。人の子とはいつの世も変わらず愚かな者よ。大いなる《力》を巡り血で血を洗うか。いいだろう。《秘宝》が欲しければ我が元まで辿り着け。そして我に《秘宝》を得るにふさわしいかどうか我に示してみせよ。成し遂げた暁にはお前に《宝》の力を授けよう」

 

「やれやれ、やはりその《秘宝》の力っで奴はそう簡単には手に入らないらしいな。しかし、だ。ファントム、アンタはこの門に何の用だ?深淵の奥底から開放されたいならここは無関係だろ」

 

「......お前にいう言葉はない」

 

「お前は何者だ?さっきアラハバキと名乗っていたがまさかお前は......アラハバキ神だとでもいうつもりか?」

 

ファントムは笑うだけだ。

 

「アラハバキ神は縄文時代末期から弥生時代初期に、東北地方で信仰された異形の神だ。宇宙人、あるいは宇宙服を模して作られたとも言われる遮光器土偶は、アラハバキ神を崇めた民であるアラハバキ族によって作られた神の像だという。この名には諸説ある。元々はアラビア語のアラー(神)とバーキィ(永遠)から成ったもので、永遠の神を意味するとも言われている。宗教改革によってエジプトを追われた太陽神がインドから中国に伝わり、そこで龍神としての性質を得て、日本にもたらされたという。永遠の名を持つ龍神───────広東語では、永遠を意味する数字が九であることから、九龍───────と。そう呼ばれることもある......」

 

夕薙はアラハバキと名乗ったファントムを問いただす。

 

「まさかお前は、九龍の氏神なのか?だから九龍を仲間にしようとしているのか?お前が九龍をこの學園に呼んだのか?」

 

「そんな訳あるかッ!!」

 

叫んだのは葉佩だった。

 

「九ちゃん?」

 

「おい、どうしたんだよ......九ちゃ」

 

「夕薙、今すぐその質問を取り消せ。いくらお前でも許せない。こんなやつが俺の氏神なわけあるかッ!!」

 

「九龍......いや、だから俺は関連性を聞こうと......」

 

「んなもんあるわけないだろ、俺はそもそも日本人じゃない。俺の名前は九龍城から取ったって聞いてる。俺たちがこの世界に存在する証としてようやく香港籍を取得できた悲願の場所だって聞いてる。九龍城がアラハバキ神と関係あるなら話は別だが、俺に氏神なんてものはないッ!守護神なんて俺の人生において存在を感じたことは1度たりともないッ!」

 

激高した葉佩は吠えた。

 

「九龍......」

 

「クックック、お前が我を目覚めさせた者のようだな、人の子よ......」

 

アラハバキ神は高笑いした。

 

「ちょうどいい、貴様らのどちらが《秘宝》に相応しいか早々に決着をつけてはどうだ?」

 

「それもそうだな」

 

「なっ!?」

 

やはりこうなってしまうのか、という気分になるが、夕薙は己にかけられた呪いを解くためにそれだけ必死なのだ。方法を模索する中でこの學園の呪いについて噂を耳にして、縋るような思いで今ここにいる。ならば生半可な気持ちで同情することも感傷に浸ることも失礼だろう。私にできるのはただひとつしかない。

 

「大和......メールであった通りなんだね......。君がそのつもりならオレは全力で止めるよ、友達として」

 

私の言葉に夕薙は顔をゆがめた。

 

「君を利用するために近づいたっていうのに優しいな、君は。軽蔑すらしてくれないのか」

 

「全部、知ってたからね。初めから」

 

「............さすがだ、翔」

 

夕薙は葉佩を前にたちふさがる。

 

「九龍───────悪いが今ここで、俺と戦ってもらうぞ」

 

「いいぜ、大和ッ!その代わりどうしてなのか、あとからたっぷり教えてもらうからなッ!」

 

「......いいだろう。お前のその想いが本物なら......お前の持てる力の全てで俺を倒してみろ。お前のその手で《しんじつ》を手に入れて見せろ。俺も俺の信念にかけて手加減はしない」

 

「は、言ってくれるじゃないかッ!手加減なんて生ぬるい気持ちな時点でお前は負けてることおしえてやるよッ!」

 

「ならばその力、見せてもらうぞッ」

 

夕薙は全力でかかってくるつもりのようだ。私は《如来眼》により空間を把握する。門は大気の流動がないから現時点では開くことはできないようだから、その先に逃げる事は考えなくていいだろう。

 

夕薙は広範囲におよぶ月のエネルギーを集めた衝撃波の《力》がつかえるから、距離を取りながら確実なダメージを狙っていく方がいい。一度《遺跡》を離脱したことで葉佩の武器の消費はなく、準備は万端だ。なら、私が雑魚を一掃してから弱点をさぐる過程で伝えていったらいけるだろうか。

 

「九ちゃん、カガチが6体いるから注意して」

 

「了解ッ!大和は俺に任せてあとはよろしくっ!」

 

「わかった」

 

皆守は葉佩についていき、私は雑魚の殲滅にかかる。私はまずは挨拶がわりに背中の刺青に弾丸をぶちかました。

 

 



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神への長い道4

《黒い砂》の影響を受けていないにもかかわらず、化人が夕薙の味方をしたのは死人という種族と氣がよく似ているからだった。あるいはアラハバキが支援したからかもしれない。

 

弾がきれた葉佩は、途中で剣による大ダメージ狙いに切り替えたのだが、衝撃波をもろに食らってしまい状態異常に苦しむ羽目になった。皆守による攻撃回避や私がマシンガンで弱点の狙撃をしながら牽制しなかったら死んでいたかもしれない。

 

さいわい踏みとどまった葉佩は、確実に攻撃を積み重ねて勝利をもぎ取ったのだった。

 

「大和、立てる?」

 

「ああ......」

 

「九龍......俺を倒してくれたんだな?お前のような超常的な《力》を持たぬ者が、人ならざる者にさえ近い《力》を持ったこの俺を......。いや───────だからこそ、俺を倒すことが出来たという事か。何の奇跡や《力》にも頼らず、己が身体と知恵だけを武器に戦ってきたお前だから」

 

「クックック......人の子の《力》確かに見せてもらったぞ。......《鍵》だ......。《鍵》を探せ───────。我が元にたどり着き《秘宝》を手にせんと欲するならばな......待っているぞ、人の子よ───────」

 

アラハバキは忽然と姿を消してしまった。

 

「大和......お前一体......何者なんだ」

 

「話してくれるよな?俺勝ったんだから」

 

「ああ......話すよ。話すとも。そういう 約束だったからな」

 

夕薙はそういって口を開いた。

 

「俺は超常的な《力》など信じていない。必ず人為的なからくりがあるはずだ。だが、この体のおかげでここまで《生徒会》を欺き、誰にも気づかれることなくこの學園の謎を探ることが出来た。夜の墓地を《生徒会》公認で自在に動き回ることが出来たのは俺くらいなものだろう」

 

「......おい、待て、大和。まさか、お前......」

 

「......ああ、そのまさかだ、甲太郎。地上までの長い道のりを歩くついでに昔話でもしようじゃないか」

 

《遺跡》の出口に向かう最中、夕薙は静かに口を開いた。

 

今から5年前の話である。中学を卒業してすぐ国境なき医師団に参加している父親の手伝いをするために海外に渡った夕薙は、ハイチにいた。当時のハイチは軍事政権の混乱や国連による経済制裁による難民の急増で、都市部を離れて山奥に逃れる住民が後を立たなかった。満足な医療設備のない環境で疫病が蔓延しているということで、夕薙親子はある村に医療援助に向かった。

 

そこはブードゥー教信者の村であり、司祭が全てをとりしきる閉鎖的な村だった。

 

ブードゥー教は植民地時代の奴隷貿易でカリブ海地域へ強制連行された黒人たちによって成立した信仰だ。教義や教典がなく、また宗教法人として認可された教団が皆無で、布教活動もしないため、民間信仰である。その儀式は太鼓を使ったダンスや歌、動物の生贄、神が乗り移る「神懸かり」などからなる。

 

黒人たちは逃亡して山間に潜み、逃亡奴隷たちの指導者が発展させたものだ。白人たちは邪教として徹底弾圧し続け、伝道者を火焙りにした。20世紀に入っても非合法化されたままで、信者たちは逮捕・投獄された。20世紀初頭にハイチを占領したアメリカは、ハリウッド映画などでゾンビを面白おかしく題材にし、ブードゥーのイメージダウンを行った。1987年、憲法により初めて国に認められ合法化されている。

 

ブードゥー教といえばゾンビが有名だが、あれは本来犯罪者に対する古式刑法であって魔術や呪法ではない。毒により前頭葉を破壊して廃人にし、解毒剤によって蘇生させることで死ぬまで意志のないゾンビとして使役するというものだ。困ったことにブードゥー教の司祭はブードゥーの呪術を背景にした秘密警察で恐怖政治をしくことで平和を保っていた。

 

それは現代医学で治療可能な病まで祈祷や呪術で治そうとするほどであり、村の死亡率は桁違いに高かった。夕薙親子は現代医学を受け入れてもらおうとしたが、司祭との関係が上手く作れず医療援助は難航した。

 

それを助けてくれたのが司祭の娘だった。

 

「とても......いい子だった。まるで太陽のように笑う少女だったよ」

 

過去形かつ夕薙が懐かしそうにいうものだから、その先に待ち受ける悲劇を予感して皆守も葉佩もうかない顔だ。

 

夕薙の話は続く。 

 

司祭の娘の手引きで村人に治療を少しずつではあるが施すことができた矢先、その診察室の存在がバレてしまった。秘密警察に誰かが密告したのだ。激高した司祭と秘密警察により夕薙の父親は殺され、すべての厄災は夕薙親子の仕業だとでっちあげられた。娘は生贄にして異教徒を排除しなければさらなる厄災が襲いかかるといわれてしまった。

 

夕薙は彼女と日本に逃げようとしたが、拒否されてしまった。夕薙親子に協力しながらも彼女自身も信仰を捨てられる覚悟がなかったのだ。

 

結局夕薙も彼女も捕まり、薬を飲まされて朦朧としている間に隣で彼女を殺され、小屋から連れ出された先で夕薙はみたのだ。広場の燃え盛る祭壇、血飛沫をあびた神の像、横たわる彼女。発狂した夕薙は神の像を破壊した。

 

その先を夕薙はよく覚えていない。暴風が吹き荒れて祭壇の炎が村全体に燃え広がり、神の祟りに怯える信者たちが夕薙を呪う声が響き渡る。

 

「俺が覚えているのは、真っ直ぐに俺を見て言い放った言葉だけだ。《お前が全ての元凶だ、その身には恐るべき呪いが降りかかるだろう》」

 

気づけば《遺跡》の出口近くの大広間にたどり着いていた。夕薙は一度話をきり、葉佩に話を振る。

 

「父と彼女の命を奪ったのは人間の無知と悪意だ。今でも俺はそう思っている。九龍、君はどうだ?大いなる意思とやらが二人、いや村の死を必然だと決めたんだと思うか?」

 

「そんなの因果関係はあるだろうけど、偶然だろ」

 

「九龍......君ならばわかってくれる......そんな気がしていたんだ。自らの力だけを信じてここまで辿り着いた君ならば。ありがとう」

 

「大和こそ話してくれてありがとうな」

 

「......翔」

 

「なに?」

 

「友達として信用してくれといいながら、君が一番望まないことを今回してしまったな。だが謝るわけにはいかない。すまない」

 

「あはは、大和らしいね。わかってる、わかってるから安心してよ。私だって大和が譲れないものを抱えてることくらいわかってたからさ。いつかはぶつかると思ってたよ」

 

「ありがとう。君が理不尽な目にあいながら、必死であがき、考え抜いた結果が今の状況なんだとわかってるつもりだ。君が必死で前に進もうとしていることも。だから尚更、敵に回したくはなかったんだが......」

 

「警告はしたよね、私」

 

「何度もされたな」

 

「私は九ちゃんみたいに優しくないからさ、感謝するんだね」

 

「ああ、痛感してる。まだ死にたくはないんでな」

 

私は笑った。

 

「今夜もいい月が出ているな......。さあ外へ出よう。そうすればすべてがわかるさ、ブードゥーの呪いも村人の怨嗟も俺の背負った業も、なにもかもが」

 

ロープはしごを登り、私たちは外に出た。

 

「3人とも、よく見ておくがいい。これが俺の正体だ」

 

月光にさらされた途端、夕薙の姿が干からびていく。

 

「───────ッ!?」

 

「その、すがたは......」

「月の光をあびると急激な老化が始まる。これを利用して、俺は墓守になったというわけだ」

 

私達はあわてて夕薙を男子寮に担ぎこみ、瑞麗先生を呼ぶことにしたのだった。



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神への長い道5

2004年12月14日火曜日早朝

 

「ふむ......これでいいだろう。激しい脱水症状を起こしているようだが、このまま大人しく休んでいればいずれは目を覚ますはずだ。しかし、そうか......夕薙があの墓守の......」

 

私達から一部始終を聞いた瑞麗先生は考え込んでしまう。

 

「月の光が精氣を吸い取る呪いか......なるほど、興味深い話だな。確かに月には魔力があると伝えられている。人狼伝説もあながち御伽噺という訳では無いのさ。なあ、江見?」

 

「なんでオレに振るのかはわからないけど、そうですね。聞いたことがあります」

 

世界観を共有している別シリーズの主人公の通う学園の先生に人狼がいたからそのことがいいたいんだろうなと私は思った。《如来眼》の女性がその学園を創立し、その後をその人狼に託したから、きっと今でも先生は学園にいるはずだ。

 

「今度はバイオタイドかァ~......ほんとになんでもありだな、この學園」

 

「ほう、バイオタイドまでしってるとは中々に博識だな、葉佩。そうだな、

夕薙を見ていると月の魔力が体内水分に何らかの異常をもたらしているとしか思えない......」

 

「人間だって所詮は動物ですからね~、影響だってうけるかな~って」

 

「ほんと九ちゃんて知識が偏ってるよな」

 

「仕方ないだろ~、この国の文化の中で育ってきて、12年間歴史を学んできた甲ちゃんたちと一緒にしないでくれよ」

 

「それがモノになってるかはまた別の話しだがな。で、その、なんだ。バイオ......なんとかってやつは」

 

葉佩は得意げに話し始めた。

 

バイオタイドは体内潮汐とかく。月の満ち欠けのサイクルと人間の感情や行動に深い関係があるという理論だ。月の引力が人間の体内水分に影響をあたえ、あるいは月の運行により発生した電磁波が神経組織を通じて身体に変化をもたらすのは有名な話である。

 

特に新月や満月には産婦人科における出産率が高かったり、体調不良をうったえる人間が多かったりする。それと関連して犯罪が増え、その月光が生物を凶行に走らせることもある。切り裂きジャックやボストンの絞殺魔などの猟奇的事件もかならず新月と満月の夜に起こっていたというのだから無関係ではないはずだ。

 

今でもイギリスでは《月光病》という病の原因は月光だと信じられているし、アイスランドでも妊婦が月に向けて座ると精神異常者となるといわれている。日本でも幻覚や幻聴に悩まされる話があるくらいだ、世界各地に残る伝承を見る限り、月の魔力も迷信だけではないのだ。

 

「ブードゥーの司祭か、神の像がなにかやらかしたのかなァ。老人にする魔術に心当たりはあるけど、月光に晒された時なんて条件はなかったはずだし......」

 

「あるのかよ、翔ちゃん......。しかし、そうか壊したんだもんな......。つまり、今の大和は引き潮と同じってことか、カウンセラー?」

 

「そうだな。人は体の65パーセントが水分で、その10パーセントが失われると不快感をえる。20パーセントを失うと死に至るとされている。しかし、調べたところ、夕薙の身体からは月光下で約40パーセントの水分が失われていることがわかった。普通なら死んでもおかしくは無い状態だが......皮膚の乾燥以外、呼吸器や内臓系になんら障害が出ていない。大学病院にでも見せようものなら、研究材料にされて学会で発表されかねないだろうさ」

 

「大和......」

 

「くッ......」

 

「おや、気がついたか?まだ応急処置をしたばかりだから休みなさい」

 

「瑞麗先生......ここは......俺の部屋か......?すまない、みんなには手間をかけた」

 

「よかった~、大和目を覚ましたみたいだし、俺たちはここらへんで退散するか?もう学校開いてる時間だよな?翔チャン、図書室開けてくれよ、日本神話について調べ直さねーと」

 

「ああ、そういやそうだったな。《ニギハヤヒ》について調べ直すんだったか」

 

「そうだね、もうこんな時間か......」

 

私達が話していると夕薙が瑞麗先生の静止をふりきって起き上がった。

 

「《ニギハヤヒ》について調べるということは、《アラハバキ》について調べるつもりなんだろう?俺が知っていることを話しておきたい......少しだけ時間をくれないか?」

 

《ニギハヤヒ》や《大和朝廷》、《物部守也》、《蝦夷》まで調べあげていた葉佩に夕薙は心底関心したようだった。

 

「そりゃ、翔チャン呪殺されかけたんだから警戒するに決まってるだろ?」

 

「たしかにそうだな......無粋なことを聞いた。君は同行者が誰であれ犠牲になることをよしとしない優秀な《宝探し屋》だ」

 

「褒めてもなんにも出ないけどなッ!」

 

「なんにせよ、君がそう思ってくれて安心したよ。やつが君と同じように學園に隠された《秘宝》を探しているのは事実だからな。君が探索の邪魔になるならば翔のように始末しようとするだろう」

 

「あいつら、ほんと手段は選ばないからなァ~......よーく知ってるよ。気をつける」

 

「そう、その意気だ。この學園は戦場だからな。生き延びるためにはいつでも戦える準備をしておけ」

 

葉佩は力強くうなずいている。夕薙の話は瑞麗先生に支えられながら、はじまった。

 

夕薙はこの体の謎をとくために神道とゆかりが深い出雲を訪れたことがあるらしい。出雲は神道だけでなく記紀神話にも深い関わりを持つ場所であり、現世と常世を繋ぐ黄泉比良坂があるとされる常世に近い場所なら、死人たる体の秘密も解けるかと思ったそうなのだが、何も見つからなかった。

 

「あの《遺跡》の神武東征の区画にもかかわらず、記述が見つからなかった勢力があった。だから調べたかったんだろう?」

 

「すっごいな、そこまで察したんだ」

 

「まあ、な。この体のおかげで化人は俺を侵入者とは見なさない。君が踏破したあとはゆっくりと調べさせてもらったよ」

 

「まっじか~、なんでいってくれなかったんだよ、こっちはすんごい苦労して調べてたのにさ~ッ!大和のいう通り、《荒覇吐族》の記述がどこにもなかったんだよ。ファントムがいってたアラハバキ」

 

「アラハバキを信仰する《まつろわぬ民》だったよね、九ちゃん」

 

「《蝦夷》か」

 

「《蝦夷》、か。その言葉は中国でも馴染みがあるよ。それだけ大陸にまで名がとどろいていた勢力のようだな」

 

「その通り───────。そして《蝦夷》と呼ばれていたアラハバキ族を率いていたのが《長髄彦》という男だ。もともとは邪馬台国の王であった兄の《安日彦》と共に《ニギハヤヒ》に仕えていた。しかし、大和朝廷に逆らい、津軽に落ち延びたと言われている。当時、津軽地方には中国から流れてきたアソベ族という民族が住んでいて、同じように中国から渡ってきたツボケ族と混血を繰り返してきた。そこに《長髄彦》と《安日彦》がやってきて、津軽を統一し、アラハバキ族を立ち上げたというわけだ」

 

蝦夷という呼び方は大和朝廷からの蔑称であり、自称は「荒羽吐族」。このため、神の名ではなく民族の名としてのアラハバキも一部に知られることになった。

 

いずれにしろアラハバキというのは元は民族の名であって神の名ではなく、「アラハバキ族が信奉する神」という意味で後に神の名に転じたという認識になっている。

 

「これが俺の知っている事の全てだ。九龍、俺は......君の役にたてたか?」

 

「もっちろんだぜ!ありがとう大和!」

 

「そうか......それならばよかった。これが仲間である君への償いだ......。君は俺を信じているといってくれた......だが、俺は君の信頼を裏切ってしまった......すまない。ほんとうに......すま......ない......」

 

「大和の気持ちはわかったからさ、安心してくれよ。大丈夫、俺は今の大和だって信用してんだから」

 

「......ありがとう」

 

夕薙は私を見た。

 

「......翔、君に対してもそうだ。俺は......取り返しがつかないことをした。君は許してくれたが、ほんとうにすまない」

 

「大丈夫だよ、大和。九ちゃんと戦うつもりだってメールくれる誠実さは見せてくれたじゃないか」

 

「......あれは、遅すぎたんだ......」

 

「いきなり襲撃だって出来たのにしなかったんだから遅くはないよ。良心の呵責に耐えきれなくなったんだろ?なら私はその大和の良心を信じるよ」

 

「......いや、償いきれるものじゃない......俺は、おれは......エゴのために君と江見睡院の邂逅の機会を潰してしまった......」

 

「えっ......」

 

私は凍りついた。夕薙はそんな私の様子を見て懺悔し始める。

 

私たちが神鳳と戦っていた時から《遺跡》に潜んでいたらしい夕薙は、いつものように私たちが立ち去ったあと《遺跡》を探索していた。そこで夕薙はあの門が内側から僅かに開き、江見睡院が出てくる所を見てしまったらしい。

 

「実は気になっていたんだ。偶然にしては出来すぎていると。警備員室の襲撃は君が呪殺されかけ、その犯人を突き止めようとした矢先に行われただろう。《遺跡》の《封印》が弱まったあとならいつでも出来たというのに、あまりにもタイムリーすぎた。だから、俺は江見睡院に聞いてしまったんだ」

 

「......なにを?」

 

「《タカミムスビ》の落とし子の司令権は一体誰が握っているのか。翔からの話だとあの男と江見睡院の自我は同時に存在出来ないようだから、俺の前に現れた江見睡院は《宝探し屋》だった。だから、昼間の時間帯の落とし子の最高司令官は江見睡院なんじゃないかと」

 

「..................父さんはなんて?」

 

「翔はいい友達を持ったな、と嬉しそうに笑っていた。いつか話さなければならないのに、どうしても明かせなかった。後戻り出来なくなるのが怖くて言えなかった。自分から話さなければならないのに、俺に聞かれるまでずるずると引き伸ばしてしまったと」

 

「........................父さん、何やってんだよ......。オレにはそんなこと、一言も......」

 

「......すまない、俺が彼の決意を削いでしまったんだろう。俺に託すつもりだったようだ」

 

「託すってなにをだよ......。《レリックドーン》は敵対組織だから排除は当然だろうけどさァ......。基本静観決め込んでるのは自発的に動くと魂がすり減っていざという時の主導権が取れなくなるからじゃないのかよ......」

 

「......さすがだな、そこまでわかってたのか」

 

「あはは、なにいってんだよ、大和。わかるさ、わかるに決まってるだろ。オレを誰だと思ってんだよ。この名前を名乗ろうと決めた時点で覚悟はしてたけどさァ......こんなんまでは想定してないよ......」

 

私は目を瞑る。

 

「《タカミムスビ》の材料には《ショゴス》っていう奴隷種族の遺伝子も使われてる。あの御札は《タカミムスビ》の落とし子にも効果が抜群なんだ。かつて使役してきた不倶戴天の敵がつかった刻印に反骨心を煽られたのかと思ったのに」

 

「それだけ江見睡院にとって君が大事ということだ。理性が吹き飛ぶほどに激怒したんだ。愛されてるじゃないか」

 

「......父さん......」

 

「......ほんとうにすまない......俺が聞くべきじゃなかった......ほんとうにすまない......」

 

「大和?」

 

「安心しろ、眠っただけだ。あれだけ衰弱していたのに、大した精神力だな。君たちの力になりたいという気持ちだけが夕薙を支えていたのだろう。いい仲間をもったな、葉佩」

 

「はいッ!俺も大和の期待に答えなくちゃなんないな~ッ!よーし、がんばろう!」

 

「そうだな、ここまで自分のことを思ってくれる仲間をもてたことは、何にも勝る喜びだろう。そうだ、君にいいものをやろう」

 

「江見もそうだ。夕薙がどれだけ君に友情を感じているのか、わかったのではないかな。友は得がたいのに失いやすい。大切にするんだよ」

 

「..................そうですね、はは......。ほんとにそうだ。毎回びっくりしますよ、ほんと」

 

「夕薙が忠告した通り、これからは今まで以上に用心した方がいいだろう。君たちの敵となる者がどこに潜んでいるのかわからない。それに、君たちが死んだら悲しむ者がいることを忘れないことだ」

 

鳥のさえずりが聞こえ始める。朝日が差し込み、夕薙の部屋を明るくし始めた。

 

「おや、もうこんな時間か。夕薙のことは私に任せておけ。目が覚めるまで傍に付き添っておいてやろう。だから君たちは登校するといい。何かあったら、真っ先に知らせるから安心したまえ」

 

私たちは夕薙の部屋を出て、いったん自室に戻ることにしたのだった。



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幻影の構成

幻影の構成

 

 

早朝に時計塔の鐘がなる。玄関につくなり重苦しい雰囲気なのはクトゥルフ神話に由来する呪文を喪部銛矢が行使したせいだろうか。不倶戴天の敵があらわれたことにより、ファントムの矛先は《生徒会》ではなく喪部銛矢に向いているようだった。私はブローチの加護により近づけないらしい。

 

そのため《遺跡》の封印を完全に解くための《鍵》を探すために喪部銛矢がファントムをつかうことはできないようだ。そのため校舎ごと結界をはって妨害を防いでいるようだ。

 

おかげで日増しに不安定な生徒がふえてきているのに、表面上は平穏無事な生活が続いていた。

 

一歩校舎から出れば突発的な理不尽極まりない衝動による暴力が隣を歩いている友達、教師、たまたますれ違う生徒から降り注ぐ。自分の中にそんな暴力衝動があるなんて思いもしなかった生徒がある日を境に豹変するものだから、みんな怯えているのか、キョロキョロ辺りを見渡している。

 

私は瞳には涙を浮かべ、小刻みに震えている女子生徒をみかけた。唇にはうっすらと血がにじんでいた。 繊細なガラス細工を壊してしまったような後悔と罪悪感が沸いてきたのか、男子生徒は謝り倒している。

 

遠巻きに人だかりができている。ヒソヒソ声がする。冗談抜きでみんな恐いのだ。理性で隠しているはずの本性をいきなりむき出しにしてくるのだから。そんな修羅場を登校時に見せつけられたら嫌な気分にもなる。

 

女子生徒になにか言われたらしい男子生徒は、クールな顔立ちが劇的なまでに一変した。顔の筋肉が思い思いの方向に力強くひきつり、造作の左右のいびつさが極端なまでに強調され、あちこちに深いしわが寄り、目が素早く奥にひっこみ、鼻と口が暴力的に歪み、顎がよじれ、唇がまくれあがって白い大きな歯がむき出しになった。

 

そしてまるでとめていた紐が切れて仮面がはがれ落ちたみたいに、彼はあっという間にまったくの別人になった。それを目にした女子生徒は、そのすさまじい変容ぶりに肝を潰した。それは大いなる無名性から息を呑む深淵への、驚くべき跳躍だった。

 

手を掴んだ男子生徒がいきなり走り出す。女子生徒は悲鳴をあげるが人間とは到底思えない怪力により拉致されていく。

 

暴力的な思念が強烈な電流のように男子生徒の頭を巣食っているのだ。何かはわからないが、ひどく不適切な彼の本能は「この女を捕らえなくてはならない」と告げている。確証はない。ただ闇雲に走り出す。

 

「なにしてるんだよ、やめなって。痛がってるだろ?」

 

その女子生徒が《夜会》でファントムに憑依されていた下級生だったものだから、私は動いた。一気に人混みを駆け抜け、男子生徒に体当たりする。そして羽交い締めにして落とした。

 

「早く先生呼んできて!」

 

「は、はいっ!」

 

適当に声をかけたのだが、男子が走っていった。女子生徒はその場に座り込んでしまった。立てないようだ。じりじりと私から距離を取ろうとしているのがわかる。彼女の中にいるファントムの残滓が《タカミムスビ》の気配を感じ取って本能的に逃げようとしているようだ。

 

私は気絶した男子生徒を近くにいたクラスメイトらしき集団にまかせることにした。おそらく女子生徒は夢遊病状態で今の状況について何一つ覚えていないはずだ。

 

「クククッ」

 

当たりを見渡すが喪部銛矢はいない。

 

「まあ、いい。最下層までいけば《鍵》の女なんて何処にいるかすぐに分かるだろう。物部に遺された伝承と同じ《封印》を解くための《鍵》がね......、待っているがいいさアラハバキ。《秘宝》はボクのような優れた遺伝子の持ち主にこそ相応しい......」

 

私は屋上を見上げた。誰かいる。鳥肌がたった私はたまらず教室に急いだのだった。

 

「おっはよ~、翔チャン。九チャンたちから話は聞いたよ~?大変だったね」

 

「おはよう、やっちー。うん、大変だったよ。完徹しちゃったもんだから少しでも寝ようとしたらこんな時間に」

 

「お疲れ様~。神鳳クンもなかなか意地悪だよね~、今日から期末テストなのに前の日に騒動起こすなんて。学年一位の実力あるとはいえさ~」

 

「そうそう、そうなん......えっ」

 

「あれ?ど~したの、翔チャン。ヒナ先生いってたじゃない。今日から来週の月曜日までは期末テストだよ?翔チャン?」

 

私は思わず葉佩をみた。葉佩も固まっている。隣で大あくびしている皆守がなぜ朝からいるのかようやく理解した。

 

「テスト?」

 

「テストだよ?」

 

「今日、なんだっけ」

 

「えーっとたしか、ほら、あそこに書いてあるよ~」

 

黒板には堂々と4限目で放課後になることが書いてあった。

 

「えーっとつまり、あれかな九ちゃん。學園祭や中間テストと同じパターン?」

 

「そうみたいだな、翔チャン。ついつい忘れちゃうけど高校なんだよここ」

 

「そっかあ、《生徒会》もファントムも動けないやつだあ」

 

「中間テストと同じやり取り繰り返すなよ、おめでてーヤツらだな。テストすら忘れてたのかよ、九ちゃんも翔ちゃんも」

 

皆守はため息をついた。

 

「いいよな、授業受けるだけでそこそこの成績とれる奴らは。俺まで一緒だとばかりに巻き込みやがる......おかげでどんだけ勉強時間確保すんの大変だったと思ってんだよ。貴重な睡眠時間削りやがって......特に翔チャンはこのタイミングであんな大事な話しやがるから全然最後の追い込みが頭に入らなかったんだが?」

 

恨めしげに見てくる皆守である。あ、もしかして最近真面目に授業出てたのはテスト勉強するためだったのか?今の時期補習になると割とシャレにならないもんな。私は冷や汗だらだらである。あわててノートを広げて暗記を始めた。

 

なんとか眠気と戦いながらやり遂げたが、期末試験初日の結果はあんまり考えたくない私だった。

 

 

放課後のチャイムがなり、ホームルームが終わりを告げる。

 

「終わった......やっと終わったァ......死ねるぅ......。数学なんて死ねばいいのに」

 

屍寸前の葉佩がぐったりとしながら私に話しかけてきた。

 

「翔チャン、翔チャン。あのさァ、《ロゼッタ協会》から今緊急メールが来たんだけどさ......」

 

「緊急メール?」

 

「バディが襲撃されないように注意喚起を今すぐしろ、《レリックドーン》が近々行動を起こすぞってぇ......やっぱH.A.N.T.をハッキングされた俺のせいだよな......?」

 

「そうだな、紛うことなき九ちゃんのせいだ。いっただろ、九ちゃんが一番嫌ってるバディが犠牲になる可能性が段違いになるって」

 

「どうしよう......?」

 

「どうしようってどうにかするしかないだろ?みんなに注意喚起するとか、學園内に不審物はないか巡回するとか」

 

「うん......」

 

「自分の撒いた種なんだからちゃんと自分で刈り取るしかないよ。オレも手伝うから頑張ろう。な?」

 

「ほんとーに面目無いッ!ありがとう、翔チャンッ!」

 

ガタガタ騒がしくなり始めた教室にて、真っ先に帰り支度を始めたのは皆守だった。

 

「あれ、今日は一緒にマミーズじゃないの?」

 

不思議そうにいう八千穂に皆守は葉佩を睨んだ。

 

「九ちゃんたちのせいで俺は今尋常じゃないレベルで眠いんだ。今日は寝る。今すぐ帰って寝る。やることあんのに眠過ぎてダメだ。死ぬ」

 

「文句は昨日騒動起こした神鳳にいってくれよ~。それか大和~」

 

「うるせえ、他の奴ら連れていけばよかっただろうがッ!」

 

「あの流れでそれはないだろ、甲ちゃんのいけずぅ~」

 

「つうかなんでお前ら平気なんだよ......俺と同じで寝てないだろ......?」

 

「なんかテストしてるうちに眠気吹き飛んじゃった」

 

「今それどころじゃない精神状態だからオレ」

 

「はあ......なんかもう疲れた......じゃあな」

 

眠くてたまらないのは事実のようで、皆守はそのまま帰ってしまった。ばいばーい、と八千穂と葉佩が手を振って送り出す。《生徒会》の会議も真夜中だろうし、《墓地》や學園敷地内の巡回も強化されるだろうから今のうちに寝たいのかもしれない。お疲れ様である。

 

「九ちゃん、メール送った?」

 

「うん、今送ったぜ翔チャン」

 

「あ、届いた~。わかったよ、九チャン。見慣れないものがあったら直ぐに知らせるし、一人にならないようにするねッ!」

 

私にも似たような文面のメールが届いた。一括送信したようだ。よっぽど凹んでいるようで葉佩の長文メールがさらに長文になっているために何通も来る。メール爆撃である。

 

「あとは、みんなに護符を配らなくちゃ......」

 

「それは後でいいから今のうちに校舎内回ろうか九ちゃん。そんで危ないヤツは回収しないと」

 

「え、あの、翔チャン。明日もテストなんですがそれは」

 

「勉強は夜帰ってからでもできるだろ?」

 

「ひい......翔チャンの目が笑ってないよ......」

 

「そっかあ。じゃああたしテニス部のみんなとテスト勉強する予定だから帰るねッ。ばいばい、2人とも」

 

「うん、また明日ねやっちー」

 

「ばいばーい」

 

私たちはさっそくパソコン室に向かった。

 

「やっぱりアウトじゃん......どんだけセキュリティガバガバなのよ......いや2004年じゃこんなもんか?」

 

「どったの翔チャン」

 

「残念なお知らせがあります、九ちゃん。天香サーバー自体にハッキングの形跡がある。全校生徒のメールや教師が保管しているデータが外部から閲覧できる状態だったよ」

 

「えっ、それやばくないか?」

 

「今すぐにでもテロ起こせるね」

 

葉佩は戦慄している。

 

本来なら機密情報・個人情報の厳重な保護を必要とする場合、外部との通信を遮断し、情報漏洩を防止することが必要だ。ネットをする画面と通常画面は切替えるシステムにすべきだったが、この學園にパソコンがもちこまれたのは2000年、たった4年前である。さすがに無理をいってはいけないかもしれない。

 

あとはH.A.N.T.を持ちながらくまなく不審な点を探した。

 

「境さん、最近なんか変わったことない?」

 

盗聴器や監視カメラを調べて回っていると境さんにあった。

 

「ファントムシンパが減ったかと思ったら今度はガチでやばいのう」

 

やはりなにもする気はないようだ。そして。

 

「 はい、アウト」

 

「なんか俺でも見たことあるやつ来ちゃった」

 

「講堂まるごとぶっ飛ばす気かな?」

 

《レリックドーン》の連中が警備員をやっていただけあり、校舎内だけでも不審な機材や機械、パソコンがたくさんでてきた。

 

「......うっげ、通信機能抑止装置まで持ち込んでる......。H.A.N.T.も携帯も一発アウトじゃん......」

 

講堂の右階段から登ることができる制御室内にて、私は頭をかかえたくなった。

 

それは無線通信を通信妨害するための無線設備である。通信抑止装置、電波抑止装置などとも呼ばれる。特に携帯電話やPHSの通信をジャミングするための無線設備だ。

 

これだけ大規模ならば學園施設内ならばどこでも携帯電話やH.A.N.T.、パソコンの使用する周波数の妨害電波を発射できれば、全ての通信手段を妨害することができるに違いない。

 

「これであらかた調べ終わったかな。次行こうか、次」

 

「了解」



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幻影の構成2

襲撃されたカオルーンを訪問した。

 

「申し訳ございません、ただいま片付けの最中でございまして。本日はこちらの営業が出来ないかと思います」

 

「うわ、これは......。誰か暴れたんですか?」

 

「ひどいなあ......」

 

「はい、《夜会》のあとからあとを経ちません......。今夜はいつも以上に派手にやられまして」

 

「お疲れ様です。そっか......やっぱりあのせいかな......」

 

「あれ?」

 

「ほら、昨日の世話役の巫女さんのお守り」

 

「白岐に渡したっていうあれ?」

 

「うん、天敵の私が見せちゃったのが不味かったかなってちょっと思ったりして」

 

「でもさァ、あれ見つけたの翔チャンだろ?まさかあんだけアラハバキが反応するとは思わなかったんだから仕方ないって。誰が想像できるよ。破邪の効果がありそうなお守りもってきたら、アラハバキの知り合いのだったとか」

 

「それはそうなんだけどさ......昨日よりアラハバキの《遺跡》の《鍵》を探す活動が過激化してるみたいだし、下手に刺激し過ぎたかなと思って」

 

「おや、なにやら穏やかでは無い様子ですね。差し支えなければ教えていただけませんかな?」

 

私たちは千貫さんに昨日の一部始終について説明することにした。

 

「なるほど......無関係ではなさそうですね」

 

「あはは......なんかすいません」

 

「いえいえ、侵入者に幾度も隙を与えた私の不手際ですのでお気になさらず。ところでなにかご用ですかな?」

 

「あ、そうそう、そうだったそうだった忘れるとこだった。マスター、さっき翔チャンが送ったメールの件で阿門に話があるんだけどさ~。どこにいるかわかる?家?」

 

「いえ、まだこちらにお戻りにはなっておりませんので、おそらくは生徒会室かと」

 

「そっか、そっちか~。俺たちの用事はさっきメールで送った通りなんだけどさ。ファントムや親衛隊の襲撃だけじゃなくて《レリックドーン》も近々行動を起こすらしいんで気をつけてって阿門に伝えたいんだ」

 

「承知致しました。生徒会室にいってみてください、こちらから連絡は入れておきますので。情報提供ありがとうございます」

 

私たちはその場をあとにした。生徒会室の鍵は葉佩がトトからもらっていたそうなので、いくら施錠されていても無意味である。

 

生徒会室には千貫さんの言う通り、阿門ひとりだった。

 

「こんにちは、阿門。ちょっといいかな」

 

「お邪魔しマース」

 

「......誰かと思えば葉佩と江見か......。お前達の目的がなにかは知らないが、俺の周りを彷徨くのは止めた方がいい。前にもいたはずだがな、葉佩。俺の気が変わらないうちにさっさと失せろ。ここで全てを終わりにしたくなければな」

 

「あれっ、マスターから聞いてないのかよ、阿門。俺も行くって伝えてもらったはずなのになァ」

 

「......本当か?お前もこの學園の一員ならば己の言葉には責任を持つべきだと思うが」

 

「この言われようだよッ!ひっどいなあ!ほんとだって!なあ、翔チャン」

 

「うん、千貫さんからは生徒会室にいるから行ってみてくれって言われたよ?」

 

「江見には知らないようだが、葉佩。生徒会室の備品がなくなっていることについて何か申し開きはあるか?」

 

「えっ、ちょっと九ちゃん」

 

「あっはは~、なんのことかなあ?あ~、マスター、BARの片付け大変そうだったから後からするつもりだったのか?なんか悪いことしちゃったな」

 

私達の会話を聞いて、だんだん気まずそうな顔をし始めた阿門はちょっと待ってろといいながら携帯を開いた。葉佩は不安そうだ。ついつい口が滑る。

 

「早く来すぎちゃった俺らが悪いからそこんとこよろしくな、阿門」

 

「......ああ、わかっている」

 

頭が痛いのか困り顔の阿門である。また千貫さんが色々と気を回したせいでドッキリ状態だとみた。ため息が深い。私は苦笑いするしかない。葉佩は阿門と私の様子を見比べて、何となく察したのか口元がつり上がる。阿門の視線が痛いが私は目を逸らした。

 

なんとか聞く耳をもってくれた阿門に、私達は携帯の画像を見せながら盗聴器などの位置取り、撤去するには大量の爆発物が連動していることを知らせる。あとは《レリックドーン》が近々動き出すから、その時に備えて隠してあるたくさんの物騒なものを撤去した方がいいという忠告だ。

 

「さすがに数が多すぎて敷地内の把握で手一杯だったんだ。警備員はもういないからこれ以上増えることはなさそうだけどね」

 

「喪部ひとりで準備はさすがに無理だと思うしさ」

 

思案顔だった阿門は少しだけ態度を和らげた。

 

「葉佩、わざわざ伝えにきたことについては礼を言う。江見を連れてきたのは話を聞いてもらうためだろう」

 

「まあね、俺だけじゃ門前払いがいいとこだし。それに今回の件については事の発端がH.A.N.T.をハッキングされちゃった俺だからさ。責任は取らなきゃいけないだろ?これはその一環だよ」

 

「天香學園のネットワークシステム自体に欠陥があるから遅かれ早かれ似たような事態にはなったと思うけどね」

 

「ふむ......」

 

「あ、メール送れない......。えーっと、あ、メンテナンス名目で管理会社がサーバ停止させたみたいだね。これから数時間で対応してもらえると思うよ。流出した情報についてはどうしようもないけど」

 

「そうか......」

 

阿門は顔を上げた。

 

「《生徒会長》として礼をいう」

 

「どういたしましてッ!」

 

「仮にも自分の敵であるこの俺に対してそんな顔が出来るとは。俺はお前のことを少々過小に評価していたようだな。いいか、葉佩。我ら《生徒会》とお前は本来相容れぬ存在だという事は忘れないことだ」

 

「阿門にまで心配されちゃったんだけど俺ってそんなに忘れちゃってるように見えるのかな、翔チャン」

 

「凹んでるから視野が狭まってるみたいだけど大丈夫だよ、九チャン。そういう意味じゃないのは確かだから」

 

「フッ......」

 

「ほんとに?!めっちゃ笑われてるんだけどッ!?」

 

「さっきニヤニヤしたせいだと思うよ、意匠返しって言葉知ってる?」

 

「ひでえや!」

 

「葉佩......まったく、お前はいつも誰にでもそうなのか?ふざけるのもたいがいに......まァ、いい。江見、すまないが気が散るから外へ出てもらえるか、葉佩をつれてな」

 

「うん、わかった」

 

「みんな俺の扱いひどすぎると思う」

 

「そのバレバレな盗癖治してから言おうか、九ちゃん」

 

私は笑って葉佩の肩をおす。見送る阿門に私は声をかけた。

 

「そうそう、ひとつだけ。喪部は《遺跡》の《鍵》がなんなのかわかってる口ぶりだった。きっと《祖神》を降ろしてるから生半可な罠なんて通用しない。父さん、母さんがいずれも最深部手前で門があいたから閉じるために贄になったことまで掴んでるはずだ。あそこが一番氣が集まるところだってことは阿門もわかってるだろ?気をつけて」

 

「───────江見、お前は......」

 

「オレ?そうだね、オレもそろそろ準備を始めるよ。父さんを救う準備には1日2日じゃできそうにないからね。1998年の龍脈が一番活性化したのが25日のクリスマスだったんだ。今年もきっとそうだよね?」

 

「......」

 

「沈黙は肯定ととるよ。オレは江見睡院を救うためにここまでやってきたんだ。絶対にやりとげる。九ちゃんや《生徒会》の邪魔にならないようにはしたいんだけど、もしもが起こってしまったらまた頼らせてね」

 

扉がしまった。

 

「───────翔チャン、それってどういう......」

 

「そのままの意味だよ、九ちゃん。父さんも母さんも最深部の手前のエリアで門が開いたから悲劇に見舞われたんだ。きっと連動しているギミックがそこにはある。オレはそこに用がある。連れて行ってくれないか?」

 

なにをいわんとしているのかがわかってしまった葉佩は私をみる。

 

「なんでそのエリアだって断定できるのか聞いてもいいか?ずっと疑問だったんだけど、翔チャン両親が失踪した場所わかってるみたいだよな。なんで?」

 

「わかるさ、18年前の母さんは《生徒会》の副会長だったんだから」

 

「───────ッ!?」

 

「ごめんね、黙ってて。父さんのH.A.N.T.のバディ情報だけしか証拠がなくてさ。確証が得られるまで誰にもいいたくなかったんだ」

 

「......わかったんだ、いまは?」

 

「わかるよ。龍脈の位置的に次の区画が最適なのはたしかなんだ。父さんを救うには絶対に必要な場所で、母さんも同じことを思ったはずで。ギミックが母さんの担当エリアにあるとしたらあの門と同じエリアにあるはずだ。あの門は今まで踏破してきたエリアからだいたい2階層分の深さはあった。《遺跡》全体が逆さピラミッドなんだから、高さは同じで広さが狭まっていくわけだ。私の目的地は2つ先だ」

 

「そっか......。翔チャンはなにする気なんだよ?」

 

「母さんが失敗した、父さんの古文書にあった儀式を完遂させる。準備にかなりかかるから、2つ先のエリアまではバディとして手伝えそうにないけどごめん」

 

「俺が手伝えることってある?」

 

「出来たら精神力分けて欲しいんだけどさ、《生徒会》や《レリックドーン》が見過ごすとは思えないから九ちゃんは戦いに集中して欲しい。母さんが失敗したのは一人で全部やろうとしたからだし」

 

「でもそれって危なくないのかよ?翔チャン、精神力奪われる度に死をかけてるじゃん」

 

「そのためにこのブローチを使うんだ」

 

「ブローチを?」

 

「どうやらこれ、精神力を貯蓄できる特性があるみたいでね、母さんの想いが詰め込んであるんだ。だから父さんに対する魅了状態になる。儀式には不可欠だ」

 

「そっか......。わかった」

 

「ありがとう、九ちゃん。なるべく邪魔はしないように約束する」

 

「そこは頼ろう、翔チャン」

 

「そうだね、もしもの時はよろしく」



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幻影の構成3

彼岸花が咲き誇る温室の一角にて、無名の墓を前に皆守は立っていた。9月の命日以外でここに来るのは初めてだった。

 

「あんたの遺族から手紙が来た」

 

瑞麗先生から保健室で渡されたのは遺族からの手紙だったのだと皆守は報告に来たのだ。墓の下には空っぽな棺桶しかないとわかっていたが皆守は語りかける。

 

「あんたに関する記憶をなにひとつ思い出せないのにだ。手紙には俺のしらない俺とあんたの思い出ばかりが書いてある。俺について、あんなに話してたんだな......。なんで忘れてたんだろうな、あんたにも家族はいるんだ。帰りを待ってる家族が......。翔ちゃんと会った時に思い出したはずだったのにな......」

 

皆守は目を閉じる。目じりが熱くなってきたからだ。

 

「おれは......おれは......わかってはいるんだ。このままだとダメだってことくらいは」

 

無意識のうちに爪がしらむくらい力が入っていた。あの時の感情だけが新鮮味をおびてぶり返すのに、肝心の記憶がモヤがかかったように思い出せないという地獄のような状況は今なお続いていたが、ずっとこのままではいられないことくらい皆守だってわかっていた。

 

だから今皆守はここにいるのだ。

 

このままだと間違いなく葉佩は次の階層も踏破するだろう。次は《生徒会》副会長である皆守の役割となる。《墓守》として葉佩と戦わなければならなくなる。

 

「俺は......」

 

そのとき葉佩と向き合いたいと皆守は決意表明をした。出会ったころから裏切っていたこと、監視していたこと、《生徒会》に入るまでの経緯。おそらく葉佩はこれまでの断片から皆守がどうして葉佩に近づいたのか勘づいているはずだ。

 

なんの態度もかわらず皆守の傍で騒いでいるし、当然のように引っ張り回してくるし、バディとして頼ってくれるが、それが末恐ろしい。そして甘んじている自分が情けなかった。

 

その時が近づいてきているのに、居心地がよすぎて距離を取れないでいる。ずるずると来ていた皆守を突き動かしたのは夕薙だった。

 

夕薙が先に《遺跡》を攻略する可能性が浮上したとき、初めて皆守は嫌だと思った。《レリックドーン》にしろ江見にしろ先を越された瞬間に皆守の願いは未来永劫叶わなくなることに気づいた瞬間に湧いてきたのは焦りだった。

 

 

女教師の遺族からの手紙、細切れになった女教師を見ることができなかったこと、そして《遺跡》と運命を共にすることは邪神を解き放つことにつながる無責任な職務放棄であること。あらゆる出来事が事象が皆守に運命を感じさせるには充分だった。無意識のうちにわかっていたのかもしれない。

 

皆守が進むためには葉佩と戦わなければならない。そう思い至ったのだ。

 

「あんたとの約束は守れない。九ちゃんが最期だ」

 

なんの約束か覚えていないくせに、なにか守れない切なさだけを覚えている。矛盾をかかえながら皆守はいきをはいた。

 

少しだけ呼吸が楽になった気がする。

一度口に出してしまうと心の中に大胆な決心が稲妻のように閃き渡る。あやふやな気持ちを虫けらのように押しつぶす。皆守の中でどんな厄介ごとも全部受けて立つ覚悟が出来上がっていく気がした。

 

確かに皆守のなかで何かが動き、かちっと音がしてレールの進路が変更されたのだ。

 

「もし、もしもだ......俺が生き残れたら、手紙の返事を書こうと思う。あんたの遺族に逢いに行く。そして、話をする。どれだけ時間がかかるかわからないが......それくらいしないと、九ちゃんの隣に立つ資格はない......」

 

将来について口にすることが増えてきたことは、決して皆守の中で気のせいではなかった。それは自主的に《生徒会》の集まりに参加するようになったことと無関係では決してないのだ。

 

長い長い沈黙の末、皆守は歩き出す。《生徒会》の緊急招集があったためだ。すでに外は薄暗い。そのときだ、校舎に向かう人影をみた。

 

「......?」

 

またアラハバキか《タカミムスビ》の支配下にある人間がふらふらと歩いているのかと思ったが、どうやら違う。

 

「こんな時間になにしてやがる、七瀬」

 

「......!?あ、あ、誰かと思ったら皆守さんでしたか、びっくりした......」

 

「驚いたのはこっちなんだがな......今はテスト期間中だ。そうでなくても校舎への立ち入りは禁止されているんだが?」

 

「そういう皆守さんはなぜこんな時間に歩いているのですか?」

 

「神鳳の騒動のせいで完徹しちまってな。寝てたんだが変な時間に目が覚めちまった。テスト勉強も一息ついたから散歩だ、散歩」

 

「なるほど。八千穂さんからお話は聞いています。お疲れ様でした。それと規則についてですが、たしかに禁じられていますが、《生徒会》に許可をえている場合は大丈夫ですよね?」

 

「ん......ああ、たしかにそうだが......」

 

「許可証です」

 

そこにはたしかに《生徒会》しか発行できない許可証があった。

 

「......誰が許可しやがったんだ?お前、ファントムの影響強く受けてるんだから無防備にしてると《遺跡》に拉致されちまうから気をつけろとカウンセラーに言われてただろ。忘れたのかよ」

 

「大丈夫ですよ。瑞麗先生の塗香も効果がありますし、九龍さんからお守りもいただきましたし」

 

「あのな......なんのために行くんだ」

 

「神鳳さんの騒動で図書室と資料室がポルターガイストに襲われたんです。おかげで貴重な資料が酷い有様で......このままだと本が可哀想で可哀想で」

 

「気持ちはわかるが今はテスト期間中だぞ。大丈夫なのか」

 

「大丈夫です。私、今夜から泊まり込んでテスト勉強と本の修繕に勤しもうと思っていまして」

 

「はあ?」

 

「図書委員長としてテストの終わりなんて待っていられません。それにテストが終わればファントムや《生徒会》がまた動き出すでしょう?そうなったらゆっくり時間なんて取れないと思うんです」

 

「..................まあ、たしかにな」

 

「でしょう?いつかとは違って《生徒会》の許可証はもらっていますので処罰されることは無いはずです」

 

「......そうだな。そういうことなら引き止めて悪かった。ところでその許可証は誰からもらったんだ?」

 

「《生徒会》の夷澤凍也君です」

 

「夷澤......あいつか......何考えてんだ......?」

 

「それでは失礼しますね」

 

「あァ」

 

七瀬は去っていった。ガシガシ頭をかいた皆守は生徒会室に向かう。また報告することが増えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日、昨日よりは期末テストの手応えを感じた私は図書室に向かった。皆守から月魅が図書室に寝泊まりしてあるなんてとんでもない情報をもらったからである。

 

「翔君、こちらにいたんですか」

 

「やあ、月魅。あれ、もしかしてオレのこと探してた?」

 

「はい」

 

「ちょうどよかった。オレも月魅に用があったんだよ。甲ちゃんから聞いたんだけどさ、昨日から泊まり込みしてるんだって?ファントム親衛隊が蔓延ってたり、《レリックドーン》がいつ襲ってくるかわからないのに?」

 

「うっ......情報がはやいですね......」

 

「あのさあ、月魅。前も言ったけど、テストが終わったら図書委員のみんなで片付けたらいいじゃないか」

 

「でも、はやくこの子達を修繕してあげないと可哀想で......」

 

「それでもだよ。棚とか元には戻したけど業者入れないと危ないから立ち入り禁止になってるの忘れたのか?」

 

「でも......《生徒会》に許可はとっていますし......」

 

「ええ......?それほんと?誰だよ、許可出したの......」

 

「夷澤君ですが」

 

「夷澤かあ......。たしかに《生徒会》だけど......うーん。わかったよ、せめて図書室でやろう。危ない」

 

「翔君、ありがとうございます」

 

「泊まり込むつもりならオレも泊まるよ。月魅ひとりじゃ危ないよ」

 

「えっ、でも......たしかに図書委員である貴方が手伝ってくださるなら、修繕作業もスムーズに行くとは思います。でも翔君はもっとしなければならないことがあるのでは?」

 

「探索のことならテスト期間中はパスしたよ。これから父さん助けなきゃいけないのに補習になったらわりと洒落にならないからね」

 

「なるほど......わかりました。ありがとうございます」

 

月魅はようやく折れてくれた。私はほっとする。ゲームでもあった行動とはいえ、今のこの状況を考えると生きた心地がしないから助かった。私は月魅と共に本の修繕作業を始めることにした。テスト勉強は作業が止まったときに気分転換にやるとなかなか捗る。

 

「今日の歴史のテストはどうでしたか?」

 

「夜遊びのおかげで手応え半端ないよ」

 

「ふふ…......それでなくても翔君は歴史がお好きですもんね」

 

「そういう月魅はいうまでもなさそうだね」

 

「はい、得意科目ですから。古人曰く『我々は歴史の観察者たる以前に、まず歴史的存在である。』私達も歴史の一部ということです。歴史を科目として捉えずに、自身を振り返るように捉えたら楽しくて楽しくて仕方なくて。図書館で歴史の書物を色々と読んでいたら、授業で習う範囲を超えてしまって。正直、ちょっと物足りなく感じています」

 

「さすが図書委員長」

 

「そうだ、明日のテストの勉強一緒にしませんか? ここなら興味深い本がたくさんありますよ」

 

「そうだね、そうしよっか」

 

「はい」

 

私たちは勉強をはじめた。

 

「あの、翔君。翔君は明太子はお好きですか?」

 

「明太子?」

 

「はい。以前調理実習で明太子を作ったので、また食べたくなって作ってみたんです。ご飯のお供にいかがですか?」

 

「明太子か、ありがとう。おにぎりにしても美味しいよね。月魅って島根出身だよね、やっぱり博多明太子みたいなのが好き?」

 

「はい、そうなんです。調理実習とは少々レシピを変えましたけど、あッ、もちろん清潔な状態で調理しましたから、食中毒の心配はないかと思います。安心して召し上がってください」

 

「心配はしてないよ、おいしそうだし」

 

「そんなに喜んでいただけるなんて…。作った甲斐がありました。お口に合うといいのですが…......実は自信作だったので食べていただければと思って」

 

「ありがとう」

 

生活スキルにマイナスがない。これだけで安心感が段違いだから困る。私は有難くもらうことにした。

 



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幻影の構成4

「なにをしているんですか、翔君」

 

「月が綺麗だなと思って」

 

魔力をためる儀式がおわったところだったので安心した私は月魅に笑いかけた。

 

「25日くらいには満月になりそうだね」

 

「そうですね」

 

「月魅、起こしちゃった?」

 

「いえ、大丈夫です。私は夢見が悪くて......」

 

「また?」

 

「はい......」

 

「ファントムの力が強くなってるんだな......無理しちゃダメだよ」

 

月魅はうなずいた。

 

「頭が冴えてしまったので......」

 

「何か調べ物?」

 

「はい......。夢について調べたくて」

 

「なんでまた?」

 

「最近、変な夢ばかり見るんです......」

 

「どんな夢?」

 

「どこかの研究施設にいるんです。怖いというか気持ちの悪い夢を見ました。場所は病院で、病院は普通ではなく、人体実験をしていたり、臓器工場みたいな所だということを、植物状態にされた患者に教えられました。幽体離脱した状態でした。なぜか看護士達も人体実験の材料にされており、夜になると看護士達が少ない食料を奪い合い、空腹になると感染させられたウイルスが暴走を始め、化け物のようになって暴れ出してしまいます。誰かが仲間を助けようと食料を探したり、患者を助けようと逃がそうとしたりしてました。1人の女の子を逃がし、病院の関係者にそれが見つかった所で目が覚めました」

 

「......なんか、すごい夢だね」

 

「私が私ではなくなるような気がして怖くなるんです。だから眠りたくなくて......。おそらくファントムと同調しているせいだと思うのですが、夢の暗示が意味することが分かれば怖くなくなると思ったんです」

 

「なるほど」

 

月魅は傍らのたくさんの本を見せてくれた。

 

実験台にされる夢は心の奥に潜む後悔や懺悔、過去を意味している。消し去りたい、忘れてしまいたいという感情があり、思い出したくない嫌な記憶が、まだ鮮明に残されている。

 

普段は意識していなくても、その傷はかなり深く根強い。このままではいつまでたっても癒えることがないばかりか、すでに忘れ去られていたささいなことまで思い起こされ、苦しめている。

 

「助けられたことが唯一の支えだったようなんです。でも......どういうわけか、数日前から深い絶望感に苛まれて目を覚ますんです」

 

「絶望感か......」

 

「九龍さんから聞きました。《遺跡》で世話役の巫女が埋葬された区画を見つけたと。そのときファントムとも遭遇したんですよね?なにか関係があるのかしら......」

 

「あるんじゃないかな」

 

「やっぱり。そうじゃないかと思っていたんです」

 

月魅はためいきをついた。

 

「私ではないのに、死にたくなるような絶望感でした。ひとりで部屋にいるとおかしくなってしまいそうになるくらい......」

 

そして本を握り締める。

 

「この學園の図書室には歴史や古代史に関する大変価値のある書物が揃っています。私は純文学も好きですが、最も興味を惹かれるのは日本の古代史の本です。ですから、この學園の本にはすべて目を通していますし、図書委員という仕事を続けられることをとても感謝しています。ここだけの話ですが、実は図書室の本の豊富さが天香學園の入学動機のひとつでした。私にとって本とは偉大なる遺産であり、知識の宝庫なのです。私の學園生活というものは本と共にあり、今は失われているこじんさの知恵に触れることができる幸せな時間ですね。でも、今はそれが途方もなく苦痛な時間になりつつある......ここまで意味がわからないのは初めてです。これがファントムの記憶なのだとしたら、おかしくはありませんか?だってアラハバキだと名乗ったのでしょう、ファントムは?これではまるで......」

 

いいかけた言葉を月魅は飲み込んだ。そこに空気の読めない着信がある。どうやら葉佩からのメールだ。

 

「《レリックドーン》についてみんなに知らせたいみたいだね」

 

「ほんとですね」

 

私達はメールに目を通すことにした。

 

《レリックドーン》は《ロゼッタ協会》と同様に《秘宝》の探索を行う組織だが、依頼をうけて《秘宝》を探したり、《秘宝》の持つ力を管理したりする《ロゼッタ協会》とは対立関係にある。設立年月日や本部所在地は不明だが、《秘宝》のもつ力を利用して、世界に新たなる秩序、力による支配をもたらすことを目的としているテロ組織だ。いわば《宝探し屋》の闇の部分にあたる組織といえる。

 

歴史は以下の通りだ。

 

前身はピースインブラックというナチスが創設した《秘宝》を探すための組織。ヒットラーのオカルト品収集癖により世界に散らばる《秘宝》を探索。ナチスが滅んだあとは衰退したが、シュミットという男の手により《レリックドーン》として新たに再編された。そのメンバーは《ロゼッタ協会》を脱会した《宝探し屋》やフリーの《宝探し屋》、犯罪者、ナチス戦犯、《オデッサ機関》の殺し屋など様々である。シュミット(150近くだが《秘宝》の力により長らえている)に忠誠を誓える有能な者ならば誰でも入ることができる。

 

《オデッサ機関》とは、第二次世界大戦でナチス・ドイツの敗戦が明白となったとき、ナチ党幹部たちは大量の金塊や宝石などを持って世界各地に逃亡を図った。彼らの逃亡のためのルートはナチ親衛隊の隊員によって戦争中から用意されていた。その準備を行ったのが《元親衛隊隊員組織》、通称《オデッサ》だ。

 

「なるほど......。どうやらピースインブラックの一員だったシュミットが《オデッサ》なんかを利用しながら、各地に散らばったナチの《秘宝》を収集していく過程で組織したのが《レリックドーン》みたいだよ」

 

「《秘宝》に対する並々ならぬ執念を感じますね......」

 

「なんか考えた以上にやばい組織なんだな......」

 

《オデッサ》の構成組織には、公的団体も非公的組織もあり、バチカンを筆頭とするカトリック教会やアメリカのCIA、チリやアルゼンチンなどの南アメリカ政府の機関、ロッジP2のような秘密組織が含まれていた他、旧ドイツ軍人およびナチス戦犯者の支援のために創設した組織もあると言われている。

 

《オデッサ》は多数の仲間を国外へ脱出させた。イタリアやオーストリアを通って南米に向かう秘密ルートは「ラットライン」と呼ばれていて、南米に逃れた者は約9000人に上ると伝えられている。

 

その中には、幾多のユダヤ人を強制収容所や絶滅収容所へと送り込んだアイヒマンや、アウシュビッツの収容所で人体実験を行っていた医師メンガレのような大物人物も含まれていた。

 

そんなオデッサのリーダーは、親衛隊の幹部だったオットー・スコルツェニーではないかと見られている。彼自身もスペインに脱出しており、そこを拠点にして後々まで仲間の逃亡生活を支援していた。

 

更に、意外な所にもナチス残党の支援者がいた。関与が疑われているのはバチカンである。アロイス・フーダルと云う司教が東欧から逃れて来た難民にナチスを紛れ込ませ、南米に渡るビザを渡していたと云う説が有力だ。

 

その後、オデッサはSS同志会と云う組織に姿を変えたという。しかも、世界中にネットワークを持つこの組織には、武器や麻薬の密輸などに関わっていると云う黒い噂も絶えないのである。

 

今なおナチの残党狩りは終わらない一方で、まさかのエムツー機関の後ろ盾が《レリックドーン》と繋がっている可能性に私は私は冷や汗が止まらない。

 

「バチカン関わったことあんの......?嘘だろ......」

 

乾いた笑いしかでてこない。《ロゼッタ協会》だってまともな組織だとはいわないが、エムツー機関はなんとなく比較的マシなイメージがあっただけに衝撃は大きい。まあ、瑞麗先生たちはまともなエージェントなんだろうけど。かなしいかな、オカルトで溢れているこの世界においてはよくある話なのかもしれない。

 

それにしても江見翔は《レリックドーン》と墓守相手によくひとりで《皆神山の秘宝》を持ってかえってこれたなと感心してしまう。あの大地震は間違いなく《遺跡》が崩壊したために起きたものだろう、生き残りが江見翔だけな辺りに闇を感じる。

 

「なんだか、歴史の裏側を目の当たりにしている気分です......」

 

月魅は安定の月魅でなによりである。目がキラキラしている。そうだよな、オカルト少女にはご褒美みたいな話だよな。

 

「喪部君......どれだけ危険人物なんですか......?」

 

「ほんとだよ。あいつが来てからファントムが校舎内に現れなくなったし......やっぱりあれだな。神道に通じてるからやばい。今、龍脈が活性化してることをよくわかってる。ファントムに襲撃されても平然と登校してるし......なんだよあいつ」



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幻影の構成5

「あ~、ダルい。よォ、翔チャン。寮から出てきたとき、部屋の前で大和と会ってな。だいぶ具合いが悪そうだったが、お前を探してたぜ。なんでか俺までお前の力になってやってくれと頼まれたよ......。なんだって九ちゃんや翔ちゃんの力になれってなるのか意味がわからねえんだが......。力になれっていっても俺が出来ることなんてないだろ、特に翔ちゃんの場合」

 

「あはは」

 

「んだよ」

 

「いや、いつもの甲ちゃんだったら《力》がないから見守るだけだっていうだろうなって」

 

「......」

 

「自分の意見いうとき、他の人引き合いに出す癖治せるといいね」

 

「......うるさい」

 

「でもうれしいよ、ありがとう」

 

「......なんだよ、九ちゃんや大和ばっか頼るくせに」

 

皆守がなんかいった気がしたが、私は聞こえない振りをした。

 

「来てくれたか、翔」

 

「瑞麗先生からも大和からもメールあったからね」

 

「それはよかった。実は九龍とは朝のうちに話したんだ。君もと思ったんだが部屋から出てこなくて驚いたよ。どこにいたんだ?」

 

「あ~......図書室に泊まり込みしてたんだよ」

 

「泊まり込み?なにか調べ物か?」

 

「いんや違うよ。月魅がひとりで本の修繕するって聞かないから付き合いでね」

 

「おいおい......それは......。仲がいいとは思っていたがそれ以上の関係だったのか?」

 

「何を想像してるのか知らないけど、ちがうよ。困ったことに《生徒会》が許可出しちゃってるから聞いてくれないんだ。女の子ひとり校舎に残すわけにはいかないだろ?ただでさえファントムの干渉が強くなってるのに」

 

「だから君が囮になろうってか?あんまりおすすめしないな......」

 

「あはは」

 

「九龍にも話したんだが、俺が墓守として《墓地》を巡回していた時に、喪部銛矢やファントムが出入りしているのを見かけたんだ。学園敷地内を満遍なく調べ回っていたようだから気をつけろよ」

 

「わかった。ありがとう」

 

「まあ、君なら大丈夫だとは思うがな......くれぐれもミイラ取りがミイラになるなよ?邪な儀式に手を出しているみたいだが」

 

「やっぱわかる?」

 

「あたりまえだろう。俺がなんの呪いにかかっているのか思い出してからいうんだな。月の魔力が込められたブローチなんかつけられたら嫌でも気づくさ」

 

「うーん、大和には叶わないなあ」

 

「それに俺は手伝わせてはもらえないのか?」

 

「えっ」

 

「前も言ったがな、翔。俺は友達として君を心配しているんだ。君はほっといたら何度でも死にかけるじゃないか、なのに一直線だからほっとけないんだよ。俺の身にもなってくれ」

 

「あはは......そっか......うん、わかった」

 

「で、何を目論んでいるんだ、君は?」

 

私は諦めて正直に白状することにした。

 

「───────本気か?」

 

「本気じゃなかったら話さないよ。このことはもう忘れてくれていい」

 

「いや、そういう意味じゃないんだ。俺がいいたいのは、江見睡院にどうしてそこまで入れ込むことができるのか正直理解に苦しむんだ。君は江見翔じゃないだろう?ブローチに江見睡院を愛した女の思念が詰まっているというのなら、洗脳されているんじゃないか?大丈夫か?」

 

「大丈夫だけど大丈夫じゃないね。他に被害が最小限になる方法が見つからないから仕方ないとも言える。宇宙人にも《ロゼッタ協会》にも掛け合ってみたけど、それ以外には別の問題が発生したり、甚大な被害が出たり、時間が絶望的に足りなかったりで選択肢がないんだ」

 

「そうか......。瑞麗先生あたりは?」

 

「相談した瞬間に止められるからダメ。代替案が欲しいんだ、私は」

 

「思ったより事態は深刻なんだな。やれやれ......九龍の仲間になれてよかったというべきか......あやうく爪弾きにされるところだったな」

 

「九ちゃん、大和のこと気に入ってたから遅かれ早かれ仲間にはなってたと思うよ」

 

「はははッ、確かにそうだな。あいつは面白い男だよ、ほんとうに。君が頼りたくなる理由もわかる気がする」

 

「でしょ?」

 

「でも、九龍が仲間を誰よりも死なせたくない人間なのは、翔だって知ってるだろう?神なんぞに頼るくらいなら自分の守れるやつはなにがなんでも守るってやつだ。アラハバキが守護神じゃないかって聞いた時の怒りは尋常じゃなかったからな、きっとなにか深いわけがあるはずだ。九龍があそこまで怒ったのは見たことがない。あれは大切なものを守ることができなかったやつがする目だったからな。悪いことは言わないからやばくなったら頼れ。俺や九龍、ほかのやつらにも。いいな?」

 

「......そうだね。九ちゃんいつもいってるんだ。《宝探し屋》はバディを必ず生きて帰す義務がある。ほかには、考えることをやめた瞬間に人間は終わりだって。なにがあったのかはわからないけど、察してはいるつもりだよ。H.A.N.T.のハッキングの件だって怒った俺がいうのもなんだけどものすごい凹んでるし......」

 

「ああ、なるほど......だから仲間になった瞬間にメールボックスがいっぱいになるほどのメールが来たのか。気を遣われているのかと心配になってたんだが、責任感じてるんだな......。まあ、翔の呪殺未遂だってあったんだ、九龍ならあれくらいするか」

 

「《レリックドーン》がやばすぎる組織で、喪部銛矢が危険人物だからってのもあるよ。九ちゃん、前の任務で《遺跡》の出口で待ち伏せされて、人質とられたらしいから。人質をなんとか救い出して逃げるために砂漠を突っ切る羽目になって死にかけたらしい」

 

「そうなのか......あの九龍がそんな危険をおかすってことは、相当追い詰められていたんだな。わかった。メール、また読んでみるよ」

 

「是非そうしてくれ。私、喪部銛矢に目をつけられてるからなァ......」

 

「挨拶がわりの呪殺だもんな......君がこの《遺跡》と深い関わりがあることを除いてもなにかあるのか?」

 

「喪部はないと思うけど......《レリックドーン》はあるね」

 

「ほんとうか?」

 

「うん。皆神山の《遺跡》の《九龍の碑文》を巡って《レリックドーン》や《墓守》とやりあったらしいんだよ、江見翔は。もろとも全滅して生き残ってるんだ。因縁つけられてもおかしくは無い」

 

「いわゆる弔い合戦か......。九龍も前の任務で《秘宝》を守りきったわけだから、君と似たような感情を抱いていてもおかしくはないな」

 

「でしょ?だから困るんだよ......。《九龍の秘宝》を狙ってるのは九ちゃんも同じだけど、あいつらなら絶対に《タカミムスビ》の解放に全力でくると思う......。すでに下準備は終わってたし。九ちゃんと《生徒会》に連絡したから最悪の事態は防げたけど」

 

「なるほど、そういうことか」

 

「なにが?」

 

「いやな?《生徒会役員》や元《執行委員》の連中が生徒会室に呼び出されてるから、なにかあらたな動きでもあるのかと思って警戒していたんだ。そういうことなら安心した」

 

「うん、安心してテスト受けにおいでよ」

 

「......ああ、そうだな。思い出したくなかったが、九龍の力になるのは受けそこねたテストを受けたあとだな......はは」

 

「こればっかは同情しないからね。大和と神鳳のせいで1日目は地獄を見たんだから」

 

「ああ、本当にすまなかった。そこまで頭が回っていなくてな」

 

「気持ちはわかるんだけどね、完徹で挑んだからね私達」

 

「九龍にも甲太郎にも散々怒られたよ。君が一番優しい」

 

「ほんとに?」

 

「ああ、特に甲太郎にはめちゃくちゃ怒られてしまってな......」

 

「私も九ちゃんも巻き添えくったからね、探索に連れていくせいだって。よくいうよ、成績悪いのは授業まともに受けないから当然なのにさ。授業受けないでテストの成績良くなるほど高校は甘くないでしょ」

 

「はは......頭が痛いな......」

 

「大和はホントの体調不良だから仕方ないよ。今の時期夜の方が長いし、月がどんどん満月に近づいていくんだから」

 

「そういってもらえると助かる......。年中寝不足でな」

 

「いえるわけないもんね」

 

「まあな......だが結果的にはよかったかもしれない。瑞麗先生が雛川先生に話してしまったらしくてな......卒業できるようサポートするからがんばろうと励まされてしまったよ」

 

「あはは、よかったじゃん。大和、ほんとは雛川先生みたいな人が好みなんでしょ?」

 

「んんっ......ちょっと待ってくれ、何故そうなるんだ?」

 

「わかるよ、白岐さんと噂になってるけどそんなんじゃないだろ?それに大和のタイプとは明らかに真逆だし、白岐さんと大和、好きな食べ物かすりもしてないのに食事にさそうとは思えないし」

 

「結構ズケズケとものを言うんだな......はは」

 

「で、ホントのところはどうなの?」

 

「現在進行形で七瀬と無断外泊してる君がいうのか、それを。俺としてはそっちの方が気になるんだがな?」

 

「あはは」

 

「翔、正直に話した方が気が楽になるぞ?」

 

「あはははは、やだなあ、大和。オレと月魅はそんなんじゃないよ」

 

「はたしてそうかな?」

 

「えー?」

 

「君が鈍感なのは抜き差しならない事情があるからだし、七瀬もわかってるから言わないだけだろう。今に始まったことじゃないが、程々にしないといつか刺されるぞ」

 

「月魅はそんなんじゃないよ、きっと」

 

「悪いが俺は男女の友情には否定派なんでな。この件に関しては生暖かい目で見守らせてもらうよ」

 

まあ頑張れと肩を叩かれてしまった。

 



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幻影の構成6

早朝、無人の校舎に時計塔の鐘が鳴り響くたび、就寝中の月魅の体に異変は起こっていた。首を絞められたのではないかと思いそうになるほど、喉がとても苦しいのだとばかりにのたうち始める。熱い塊にふさがれて息を吸うことも吐くこともできないとじたばたする。

 

その原因はもうそこに、すぐそばに来ている。耐えきれなくなって口を開いた途端、じぃっと待ち構えていたものが逆流する叫びのように肺になだれ込んでくると泣き叫ぶ。

 

すると新たに生み出された獰猛なにかが月魅の身体を吹き抜けていくらしい。力任せに締めつけられ、破裂しそうに膨らんでいく殺意に月魅は悲鳴をあげる。だが呼吸はか細いものになっていく。

 

声帯を震わせるだけの空気がそこにはもうなかったし、舌も喉の奥で石のように固まったままだ。気管は今では隙間なく塞がれていた。空気は一切入ってこない。肺は新鮮な酸素を死にものぐるいで求めていたが、そんなものはどこにも見当たらない。

 

身体と意識が分割されていく感覚がある。

 

一方、月魅の意識はどろりとした重い空気の層に引きずり込まれていく。両手と両足が急速に感覚を失っていき、薄れていく意識の中で何度も知らない誰かが問いかけてくるらしい。

 

なぜこんなところで死んでいかなくてはならないんだと。もちろん答えはない。やがて辺縁を持たぬ暗闇が天井から降りて、すべてを包んだ。

 

「───────ッ!!ゆめ、ですよね?」

 

「月魅、よかった......。大丈夫、大丈夫だよ、月魅。時計塔の鐘、やんだから」

 

「よかったです......」

 

月魅は今にも泣きそうな顔でつぶやくのだ。

 

「ひとりだったら、どうしようもなくなっていたかもしれません。翔君が居てくれてほんとうに嬉しいです。ありがとうございます」

 

私は頭をぽんぽんした。月魅はされるがままだ。

 

「月魅、あまりに辛いんなら瑞麗先生にいってずっと女子寮にいた方がよくない?」

 

月魅は首を振る。

 

「......嫌です。それだけはできません」

 

「月魅......」

 

「私が苦しんでいるとき、おそらくアラハバキも苦しんでいるはずです。時計塔の鐘さえ乗り越えれば平気なんです。その先は校舎ほど安全地帯はありません」

 

「それはそうだけどさ......」

 

「私は翔君たちのように戦う手段がありません。《遺跡》に拉致されたら終わりなんです。なら、少しでも足を引っ張りたくない」

 

月魅は無理やり笑ってみせる。

 

「逆をいえば、私が操られても大した被害はでませんし......。女子寮にいてもし白岐さんや八千穂さんになにかあったら、私はそちらの方が耐えきれません。翔君は自分でなんとかしてくださりますし、そちらの方が安心できるんです」

 

「そんなにいうなら付き合うけどさァ......」

 

私はためいきをついた。

 

「とりあえず、なにか食べようか。売店のパンまだあるし」

 

「ありがとうございます」

 

月魅は申し訳なさそうに笑った。

 

「月魅~ッ!聞いたよ、聞いたよッ!翔チャンと図書室に入り浸ってなにしてるの?」

 

「八千穂さん......」

 

「まさかずっとお泊まり!?」

 

「はい、そうですが......」

 

「えええっ!?」

 

「違います。古書の修繕ですよ」

 

函や背のゆるんだ本に糊を入れる程度の修理をしていると月魅は説明した。安い本ならともかく、高く仕入れた本が下手になおすとゴミになってしまうこともある。なおさない方が良かった、なんて修理はしたくない。

 

本をなおすにも、少しの修行と大きな愛情が必要だ。それに、高価な本の修理を緊張しないでやり通せる精神力、修理の結果を自慢しない忍耐力も必要とされる。そこまでしても本の修理は必要だ。本へのささやかないたわりだ。

 

古書を愛する人は修理屋ではないので、基本的にはキレイな本を手に入れたい。だが、そううまくはゆかないものだ。今現在高値の美本は、高値ゆえに大切にされ、これからも美本のままでいる可能性が高い。しかし、ともするとこの世から抹殺されていたかもしれない痛んだ本を、少しでもいたわってやり、評価して、大切に本棚に入れてあげたい。

 

決して新本のようにするのではなく、その本が歩んできた歳月を大事に残しつつ、自然のままに感じてもらえるように修理する。修理がうまければうまい程、その本は人がなおしたなどとは思いもしないはずだ。

                              「だから一刻も早く直してあげたいんです。ただでさえ貴重な古書が多いんですから!」

 

力説する月魅に聞きたいことはそれじゃないんだけどなあといいたげな顔をしてやっちーは聞いている。月魅はやっちーの意図がわかっていてわざと話しているのだろう。難しい話をすればやっちーはやがて諦めてしまうからだ。

 

 

 

 

 

 

称えよファントム!倒せ《生徒会》!ファントム同盟会報。

 

これは怪人ファントムを學園の救世主に祭り上げ、《生徒会》の支配に抵抗しようとしたグループの作ったアジテーションビラだ、これでvol.20とは恐れ入る。

 

ビラにはファントム同盟を設立したとき、墨木に襲撃されたことを糾弾する内容や《夜会》で存在感を示すことができたと露骨に誇張した記事が目立つ。

 

ファントム同盟によれば、《生徒会》の圧政、弾圧、暴力に耐えてきた生徒のためにファントムが立ち上がった。4番目の幻影、學園の救世主に、天香學園の怪人、多くの異名を持つもつ怪人を讃えよとある。流した涙を力に変えて學園の自由を守るために立ち上がるのだと煽っている。無駄な血を流さず、非暴力非服従の精神をもって《生徒会》に立ち向かおうとしめくくっていた。

 

ファントム同盟はどうやら非公式のようで神出鬼没なファントムをなんとかカメラにおさめようと会報誌スタッフは日夜學園を走り回っているらしい。そのかいあってか校舎の屋上に佇むファントムの姿が写真におさめられている。

 

望遠鏡レンズで捕らえた夕暮れをバックに佇むファントム。幻想的で美しいとある。ファントムはある生徒と会話をしていたところのようで、会話していた生徒を探し出して話を聞こうと探し回っているらしい。

 

「あーあ。俺に取材だったらいくらでも応じるのにな~、よりによってファントム同盟かよ~。バレたら俺リンチ確定じゃん」

 

私にビラを見せてくれた葉佩はため息だ。男子寮中のポストに入っていたらしい。

 

「《生徒会》ともファントムとも対立してるのはみんな見てるもんな、お疲れ様」

 

「翔チャンもだよ、學園祭の時にファントムに襲撃されたのは噂になってるからさ。ファントムと1回もあったことないだろ?だから俺よりやべーやつ扱いされてるよ」

 

「好きに言わせとけばいいよ、特になにもしない奴らばっかりなんだからさ」

 

「そーなんだけどね~、この學園マンモス校だからむやみやたらに敵にまわすのも面倒だからこうやって取材から逃げてんの」

 

「あはは、お疲れ様」

 

有志協力者撮影によるファントムのブロマイド販売中の記事を読みながら私は苦笑いした。活動支援のためにもぜひ購入してくれとあるが1枚500円は高い。

 

ついでにファントム同盟会員も会報誌スタッフも募集しているようだ。《生徒会》に立ち向かう勇気のある生徒は是非入会してくれとあるが、夢遊病になったり、《墓地》に拉致されそうになったりするため思うように増えないようだ。いくら秘密厳守で匿名性を強調したところで《タカミムスビ》は神話生物である。無駄な抵抗にも程があった。会費は月500円、高い。連絡先は携帯電話とメールアドレスがあった。もしかしたら中の人が今すぐ特定できるのでは?と思ったのだが、管理会社に《生徒会》が問い合わせても個人情報をたてに教えてくれなかったらしい。そりゃそうだが残念だ。

 

ファントム同盟会則は10もある。

ファントムを學園の救世主としんじること。行動を常にサポートすること。《生徒会》の支配に抵抗すること。《生徒会》にいつの日か制裁を与えること。《生徒会》に表向きは従順を装おうこと。心の中で闘志を燃やすこと。無血主義を貫くこと。私的な闘争を固く禁ずること。会則に背く者は許さないこと。同盟の脱会を許さないこと。

 

すでに《生徒会》への抵抗と称して暴力事件や爆破騒ぎ、不法占拠、生徒や教師の拉致など好き放題している時点で微塵も守れていない会則だ。どんどん精鋭化しているのがわかる。

 

「怖いな......」

 

「テスト期間中くらい大人しくしろって話だよ、ほんと」

 

葉佩はためいきである。

 

「な~んかさ、いつだったか翔チャンがいってた会いたくない後輩君に絡まれまくってんだよね、俺」

 

「誰?」

 

「えーっとたしか、夷澤凍也?」

 

「えっ、なんで?」

 

「さァ?初めは同じクラスの響五葉(ひびき いつは)って子が絡まれてるから助けたんだよ。そしたら懐かれてさ、そしたら夷澤とあって」

 

「なんで夷澤と?」

 

「なんかいつもは響を助けるのは夷澤の役目みたいな?いや~、でもあれは響を口実に暴れたいだけっぽいな~。そんで、よくわかんね~んだけど俺が気に入らないっぽくてさ、喧嘩売られて買ってたらつっかかられるようになって」

 

「九ちゃん、今は平成だぞ。なに昭和のノリみたいな不良マンガやってんだ」

 

「しらね~よ、そんなの。俺風呂の温度なんてこだわりないし。夷澤にいっつも温度調節文句言って使いっ走りにしてるの甲ちゃんだろ。なんで俺まで巻き添えくってんですかね~?」

 

「あー......あれ夷澤だったのか。眼鏡外して髪下ろされたら誰かわかるわけないだろ」

 

「ほかにも、9月ぐらいに温室の花をごっそり勝手に摘んでくやつがいるとか、どーとかぶつくさ言ってたけど。俺は花はゲットレしないのに冤罪かけられて散々だぜ。夷澤って《生徒会》だよな?雑用かなんか?」

 

「............副会長補佐なんてふざけた役職だしな」

 

「補佐?副会長じゃねーんだ?そーいや學園祭の見回りじゃいなかったもんな」

 

「あァ、雑用なんだろ」

 

「う~ん」

 

「まだなにか気になることあるの?九ちゃん」

 

「うん、響のことなんだけどさ。《執行委員》はもう解散したはずだよな、うーん。実は俺と夷澤の喧嘩止めようとして叫んだ瞬間に廊下のガラスとか蛍光灯とか一気に割れちゃってさ。境のじいちゃんに見付かっちゃって、夷澤と片付けになる羽目になったんだよ」

 

「はァ?ガラスが?」

 

「ものすごい衝撃波だったな~」

 

「その響って子、心配だね。不思議な力が使えるのにコントロールできないのか」

 

「そうそう、そんな感じなんだよ。また会ったら声掛けてみようかなって。ファントム同盟とか《タカミムスビ》に操られてるやつに目をつけられたら大変そうだし」

 

「響か......どんな子?見かけたらメール送るよ」

 

「えーっとたしかマスクしてて、おどおどしてて、身長はこれくらいで......」

 

私は頭の中にインプットする作業に入ったのだった。



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幻影の構成7

期末テスト最終日を控えた日曜日の夜のことだ。私が儀式をおえて片付けていると月魅がやってきた。なんだか様子がおかしい。焦点があわずにふらふらとしている。

 

「月魅......いや、ちがうね。君はファントムか?いや、アラハバキっていった方がいい?」

 

ぴたり、と歩みが止まった。距離がかなりある。ブローチの加護のせいでこれ以上は途方もない苦痛を伴うようだ。おぼつかない足取りのままその場に静止している。

 

「いかにも我が名はファントム、この學園の影に潜み、いつでもお前たちを見ていた者だ」

 

「こうして会うのは2度目だな。みたところ、ここ1週間はずっと月魅に思念飛ばして監視してたんだ?過去夢みせたり同調させたりなにがしたいんだ?《鍵》を探せってわけじゃなさそうだけど」

 

「お前の中にどれほどの《アマツミカボシ》の思念があるか揺さぶりをかけるためだ」

 

「えっ、月魅がターゲットじゃなくて、私?」

 

「我は冗談が嫌いだ......。お前が《アマツミカボシ》の子孫であり、邪法に手を染めているだけで虫酸が走る。今すぐにでも抹殺してやりたい。だが、お前はあの《護符》を我に見せてくれた......。我はわからなくなった」

 

月魅はいいよどむ。私は驚くしかない。1700年にも及ぶ幽閉生活により気が触れた《長髄彦》は自分が誰なのか、なぜここにいるのかすらわからなくなっていたというのに、この時点で記憶の1部を思い出すまでにいたるとは。

 

「女は嫌いだ......いつしか裏切る......。だが、あれは......我の記憶と矛盾する......我はいったい......俺は、誰だ、今までなにを───────」

 

しかもアラハバキだと信じ込んでいたはずの自分が何者なのかにすら疑問を抱くまでにいたるとは。喪部銛矢が祖神を降ろしていることがそれだけ強烈に《長髄彦》を揺さぶるのだろうか。あるいは私の《アマツミカボシ》の《遺伝子》が思いおこさせるのがあるのだろうか。

 

私ができることはあんまりない。

 

「《真実》がどうあれ《アマツミカボシ》や《ニギハヤヒ》が君の仇なのは変わらないけど、君が苦しんでるのは月魅みてきたからわかるよ。1700年は長すぎたね」

 

月魅は沈黙してしまった。知ってることを伝えるだけだ。

 

「灯台もと暗しって言葉があるように、探しているものや大切なものは、自分のすぐ近くにありながら見えにくいものだ。《遺跡》にいってみたらいいんじゃないかな。君が間借りしてる体の持ち主を考えたら、担当してる区画までは行けるはずだ」

 

夷澤凍也の担当は、《長髄彦》の討伐などを含む神武東征の続きであり、日本平定にいたるまでのエリアなのだ。あのギミックや碑文、銅像などを見ればなにかしら思い出すものがあるはずである。

 

いいきる私をじっと見つめていた月魅だったが、視線をそらした。

 

「江見翔、お前はこの呪われし學園に何しにきたのだ......今更......。あれは悪魔の技法だ......あんなもののせいで、俺は......我は......私は......」

 

自我すらあやふやになりつつある、極めて不安定な状態なようだ。毎日《タカミムスビ》の抑止力と喪部銛矢の悪魔祓いをうけて、思念体の状態ではなかなか思うように動けないのかもしれない。

 

 

「江見睡院を救うためだよ」

 

「赤の他人のために命をかけるだと?」

 

「君にも覚えがあるんじゃないのか?」

 

「───────」

 

「月魅通じて教えてくれたくせに黙りか......どうしたいのさ」

 

「わからない......お前と話をしているとなおのことわからなくなった......」

 

「そっか......そりゃ困ったね」

 

「ただひとつ言えることは、お前の《遺伝子》の記憶に覚醒された瞬間に、我はお前を殺さねばならなくなる」

 

「たしかに私が阿門たちと同じなら体の主導権はその瞬間にあっちにうつるね。《タカミムスビ》のギミックを作り上げた張本人が」

 

「......借りはいつか返す」

 

「借り?」

 

言葉は返ってこなかった。力が抜けたように月魅がズルズルとその場に座り込んでしまう。私はあわてて駆け寄った。

 

「......あれ、翔君......?私は、いったい何を......?」

 

「いつかみたいに夢遊病状態だったよ、月魅。大丈夫?どっか痛くない?」

 

「やだ、私ったらまた......?あ、ああでも、はい、大丈夫です......なんだか体がものすごく軽いような気が......」

 

「え、ほんとに?ファントムの干渉から解放された時みたいにか?」

 

「はい......こんな気分は本当に久しぶりです......。あの、もしかして、翔君がなにかしてくれたんでしょうか?」

 

「なんでそう思うの?」

 

「だって、翔君、私よりずっと落ち着いていますから......いつもだったらその、私を落ち着かせるために色々してくださっ......な、なんでもないですッ!なんでもないです、忘れてくださいッ!やだ、私ったら何言っ───────」

 

月魅はあわてて起き上がると、真っ赤な顔をしたまま、顔を洗ってくると叫んで出ていってしまった。なんとなく、夕薙のいったことを思い出してしまった私は苦笑いしか浮かばないのだった。

 

 

 

テストからようやく解放された昼休みのことだ。

 

「翔チャン、翔チャン。翔チャンの下駄箱にさ、こんなん入ってたんだけど、心当たりある?」

 

葉佩が見せてくれたのは、見たことも無い石だった。

 

「なんかオーパーツっぽいんだよね。H.A.N.T.で調べてみたら《天神石》だって。荒吐族が信仰したといわれる神の石らしい。天よりもたらされたものって記述があるから、隕石かもしれない」

 

「あー......なんか知らないけど、月魅と図書室に寝泊まりするのはファントムの誘導があったみたいだよ。それでお眼鏡にかなったみたいでさ、もらえたんじゃないかな」

 

「えっ、まじで!?2人とも大丈夫だったのかよ」

 

「月魅は体が軽くなったみたいで、瑞麗先生に見てもらったら文字通り憑き物が落ちたらしい。たぶん大丈夫じゃないかな」

 

「そっか、ならいいんだけどさ」

 

私は《天神石》をうけとった。

 

「儀式に使えってことかな?アラハバキからしたら、《タカミムスビ》は天敵なわけだしね。私がなんとかすれば好都合なのか?」

 

「あ~、それはあるかもしれない。H.A.N.T.で解析かけた限りだと、特に問題はなさそうだなら翔チャンに渡すよ」

 

「ありがとう」

 

私が《天神石》をうけとったときだ。葉佩のH.A.N.T.にメールがきた。

 

「なんだろ、このタイミングで......」

 

葉佩の表情が固まる。

 

「九ちゃん、どうしたの?」

 

「ちょっとヤバいかもしれない」

 

「え?」

 

「ファントムからメールが来た。果し状ってやつだな、これ。テストが終わったとたんにこれだよ~ッ。空気読んでくれてありがたいけどさァッ!」

 

「果し状ってまさか誰か人質でも?」

 

「いや、違うね、一人でこいってわけでもなさそうだ。一騎打ちがしたいわけじゃないのか?うーん、わかんないな」

 

「そっか、気をつけて」

 

「任しといて。翔チャンには月魅を守りきってもらったんだ。今度は俺がファントムと直接対決ってことだよな、よーし気合いいれていくとするか」

 

葉佩は笑う。

 

「終わったらまた報告するよ」

 

「待ってるから気をつけて」

 

「りょーかい」

 

いつもとは違う早すぎる《遺跡》探索に向かう葉佩を見届けて、私は男子寮に帰ることにしたのだった。今夜もまた儀式を行わなければならない。




ちょっとした問題が発生した。

「あれ、俺が1番じゃ無いんすね。アンタ、見かけない顔だけど誰っすか」

「オレは3年の江見翔だよ」

「ああ......アンタが噂の?」

「あはは、なんの噂なのやらだね」

「聞いた事ないんスか?《生徒会》に喧嘩売っておきながら堂々としてるのは、《生徒会》が手をつけられないくらいやべーやつだからとか。図書室やプールに女子生徒連れ込んだかと思いきや、《転校生》や柔道部主将や前担任とできてるとか」

「なんか想像以上にカオスなことになってるなァ。ここまでくると否定する気にもならないよ」

「ほんとっすか?葉佩センパイだって大したことなさそうな顔してるくせに、1発2発食わされたし。火種のないところに煙はたたないっていいますよ」

「少なくても雑食ではないよ」

「ふ~ん?まあ、どっちでもいいっすよ。それなりに優秀なのはたしかみたいだし。そうじゃなきゃ葉佩センパイがH.A.N.T.とかいうパソコンでアンタに報告書なんてうたないだろうし。よっぽど頼りにされてるんすね。皆守センパイが来てないことに驚かないわけないし」

「あはは、2人ともそんなことしてたんだ?そう思ってくれたならこれ以上に嬉しいことはないけどね」

「いつもはレギュラーらしいっすね、まずはアンタの立ち位置を狙うことにするっすよ。しばらくは《遺跡》探索、これないんすよね?」

「そうだね、やりたいことが沢山あるんだ」

「じゃ、チャンスってことで。スタメン落ちしても悪く思わないでくださいよ」

「もちろん思わないよ。九ちゃんの味方は一人でも多い方がいいからね」

「ほんとにイメージとはかけ離れてますよね、アンタ。張り合いないというか、肩透かしというか。なんというかいい人だ」

「あはは」

「というわけで、これから俺もバディになるんでよろしくお願いします」

「うん、よろしく。それじゃあオレはお先に上がらせてもらおうかな。またね」

私は風呂場を出て、脱衣場に出た。そして身支度を整えて廊下にでると皆守たちと遭遇した。

「先にいっとくが翔ちゃん。俺達は止めたからな?話の途中で勘違いして先にいっちまったのはアイツだ」

「うんうん、夷澤が先にいっちゃっただけだからッ!俺達無罪だからッ!けしかけた訳じゃ断じてないからッ!」

「そうだぞ、江見殿。我らは断じて不埒な真似をするためにここにいる訳ではない!」

「あーはいはい、だいたいそんな気はしてたから大丈夫だよ。心配しなくてもやっちーにチクッたりはしないから」

私の言葉に3人はホッとしたようだ。

「私もう上がったから入りなよ。お疲れ様」

「よかった~、翔チャンならわかってくれると思ってたんだ~。メールあとでよんどいてくれ、あとで江見睡院先生のメモと今回の探索について話したいことがあるからさ」

「わかった。自室にいるからまた声掛けてね」

「了解!」

「しかしあれだよね、夷澤って《生徒会》なのにオレについて何も詳しいこと聞いてなさそうだったのが驚いたな。あそこまで関わりないとは思わなかったよ」

「あ~、それは思った」

「所詮は生徒会副会長補佐とかいうよくわからん役職だからな。そんなもんなんだろ」

「左様。さらに夷澤はどうやら9月あたりからアラハバキの思念に操られておったようでな、ファントムの時の記憶はほとんど残っておらんようなのだ」

「そうなんだ?薄々そうじゃないかとは思ってたけどさ。アラハバキはオレの体と精神が矛盾してることに気づいてたみたいだから、記憶が残ってたならなんかしら反応しそうだけど特になかったし」

「特にって......」

「オレの事情なんて知らなかったら、普通の男子生徒にすぎないだろ?そりゃ気づくのは無理だよ。すどりんみたいにアピールしてるわけじゃないし」

「すどりんとはちがうんじゃないかな~?」

「どこが?経緯が経緯なだけで体と心が一致しないのは同じだろ?」

「状況はそうかもしれないけど、抱えてるものが違すぎるね」

「そうかなあ?」

私が首を傾げたとき、真後ろから不満そうな声がした。

「なにみんなして喋ってるんスか」

「ちょうどいいところに来た、夷澤。混浴の感想はどうだった?」

「......はい?」

固まる夷澤に私はあわてて訂正を入れた。だんだん視線を合わせてくれなくなっていく。

「すいませんした」

「気にしないでいいよ、知らなかったんだから」

「葉佩センパイ、どうしてもっと強く止めてくれなかったんすか?!」

「ごちゃごちゃうるせえな。人の話聞かずに行ったのはお前だろ」

「うっ......」

「翔ちゃんも翔ちゃんだ。いつものプールはどうした」

「あのさあ、まさかこんな時間に混むとは思わなかったんだよ。まだ5時なんですけど。水泳部でもないのに行けるわけないだろ、まだ部活中だよ?」

「それでもだ。メールはしただろ、九ちゃんが」

「だから~......。《遺跡》にいかないときはだいたいこの時間に入ってるんだよ、オレは。しばらくは《遺跡》いかないんだから覚えといてね」

「......そんなに忙しいのか」

「そうだよ?色々とね」

「......」

「それじゃあ後でね」

私はその場を後にした。皆守が面白くなさそうに舌打ちをした。


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空から落ちてきた歴史

2004年12月22日火曜日早朝、時計塔にて。

 

《人の手には過ぎた力。神にすら届く刃》

 

《飢えたか。欲したか。訴えたか》

私の口を借りて紡がれる異国の言葉、いや常人では理解不能な言葉の羅列。それでも私には意味が理解出来ている。それだけ深淵に私はいる。私は呪文を唱える。

 

「何をしている?」

 

後ろから重厚な声がした。私はやめた。

 

「誰かと思ったら、阿門じゃん」

 

「江見か。こうして二人きりで話をするのも久しぶりだな」

 

「そうだね、もうそんなに経つんだ」

 

「ちょうどお前に会いたかったところだ、阿門帝等としてな」

 

「私に?お互い立場が違うからかな。規則を犯す者でもないし、規則を守る者でもない。相容れなくはないけど、見過ごすことは出来ないって感じ?」

 

「ああ、そんなところだ。お前はここのところ表立った活動は控え、時計塔に入り浸っているようだから不審に思ったまでだ」

 

「なるほど......誰情報かな......。まあ隠す気はないんだけどね」

 

「それほどまでに喪部銛矢は警戒すべき相手か」

 

「《魔人》だからね」

 

「《魔人》」

 

「やつは人間でありながら人間じゃない。本気で殺しにかからないといけない」

 

魔人は神話や伝説に登場する通常の人間を超越した力(魔力や妖術・神通力など)を持った存在だ。転じて、人間離れした能力を持った人のことをいう。

 

魔人という呼称は、姿や性格が人間に近い。魔の力を持つがゆえに、人々を苦しめる存在として登場することもあるが、必ずしも邪悪一辺倒な存在ではなく、ランプの魔人や、ヨーロッパの昔話などに登場する悪魔たちのように人の役に立つ者もいる。日本の感覚にあてはめれば鬼や天狗、式神などが魔人と呼称されるような役割をもった存在だ。

 

「お前の背景にいるような者たちか」

 

「そうだね。言葉に流されず、冷静に物事を見るというのは悪い事ではないよ」

 

「だが、その者たちもまた生命体だろう。ならばこの世に存在する全ての生物の行動は遺伝子が起因している。それは生命としての本能だ。遺伝子に組み込まれた脈々と受け継がれし意思が人を駆り立てている。つまり、お前の行動もまた遺伝子が引き起こしている結果にすぎない。身体を構成するにすぎない遺伝子が自分に命令しているように感じることはないか」

 

阿門は私を見つめる。

 

「阿門とオレの先祖は似たような存在だったみたいだからね、否定はしないよ。遺伝子とオレは一心同体だ。でも私は違う」

 

「なるほど、お前は、自分の行動は自分の意思で決めているというつもりか?運命が遺伝子と関係がないとなぜいいきれる?」

 

どこかに砂がうごく気配がする。

 

「それならばこうは思わないか?もしお前の遺伝子情報に、《タカミムスビ》に敗北する未来が書き込まれていたとしたら、自分は絶対に勝つことは出来ないのではないか、と」

 

「それはオレにいえることだね、私ではない」

 

「ふッ......自分は自分だとでもいうのか?自分の行先は自分の意思が決めると?運命さえも遺伝子に関係しているとしたら。そう考えればわかるだろう?」

 

「運命は変えられるよ」

 

「なんだと?」

 

「運命は努力次第で変えることができるけど、宿命は生きているものが必ず死ぬように変えることのできない絶対的なものだと私は思ってる。ただね、オレは宿命にすら足掻こうと懸命だったんだ。オレが帰ってくるまでは、私もそうありたい」

 

阿門は眉を寄せた。

 

「理解できなくてもいいよ、これは私の主義主張だ。たしかなのは、《タカミムスビ》の護る《九龍の秘宝》は人工的に造られた神をさらに模倣した番人が守ってるに過ぎないってことだよ」

 

「......《タカミムスビ》ですら、劣化した模造にすぎないといいたいのか」

 

「そうだよ。泥濘で倒れたり傾いだりしているのは、星より切り出された石の大いなる銘板であり、そこに刻まれているのは天地開闢前の神々の不可解なる智慧だ。それは《旧神の鍵》と言われてる、最古にして最強の魔道書だ。そもそも地球はこの宇宙ではなく、旧神という連中が治める高次の世界に属する天体だったが、旧支配者と呼ばれる連中が『旧神の鍵』を用いて現在の場所に引きずり降ろしたのだと言われている。その真偽の程は定かでないけれど、いずれにせよ宇宙の構造をも容易に変えてしまえるほどの力が『旧神の鍵』にあることは間違いないね。《九龍の秘宝》は世界を革新する可能性は秘めているけれど、そこまでの力はないように思う。どのみち過ぎた《力》だろうけど」

 

私は焼けるような朝焼けを見ながら話すのだ。

 

「それは巨大にして慄然たる、そして途方もなく不条理な戯れの本質であり、その戯れは嘲弄する神々の戯れにすぎない。死すべき定めのものたちが、「現実」という無意味な言辞の裏に隠し込んでいるものの本質を知ったとき、魔術により延命しひたすら知識を探求してきたキチガイ共ですら逃げ帰ったレベルの劇薬だ。それを模倣して人間の《遺伝子》に組み込んだんだ、ただですむとは少しも思ってないよ、初めからね」

 

阿門が口を開いた。その時だ。

 

「なにをしているんだい?」

 

小癪な声がした。

 

「くくくッ......そんな顔をしないでくれ、つれないじゃないか。ボクはきみたちのことを捜していたっていうのに」

 

「喪部銛矢」

 

「何の用だよ、喪部」

 

「どうだい?《九龍の秘宝》はもう手に入れたかい?」

 

「九ちゃんに聞いたらいいんじゃないかな」

 

「ウソついちゃいけないなァ。《秘宝》を手に入れたことがある君がいうことじゃないだろう?」

 

「なんのことやら」

 

「葉佩九龍やボク、そしてキミが探している《九龍の秘宝》はこの學園の地下に眠る《遺跡》の最下層にある門の先にあるようだね。しかも、キミたちが先回りして巧妙に隠したようだ。まったく、忌々しいやつだな、江見翔。ここに眠る《九龍の秘宝》をあんな下等な連中が独占しているだけでなく、キミがそれに加担するようなマネを......。優れた《秘宝》は優れた者だけが所持するに相応しいっていうのに。優秀なボクが直々に殺してやりたいくらい優秀なキミはどこまでもボクの邪魔をしたいらしいね」

 

喪部は髪をかきあげた。

 

「人間とチンパンジーの遺伝子の差はわずか1.23パーセントだと言われてきたが実際は違う。二十二番染色体を比べただけでも塩基配列に6万8000箇所も違いがある。つまり、優れた遺伝子の差がそのまま生物としての優劣の差に繋がっているというわけさ。でも、遺伝子情報は不変ではない。親から子へ受け継がれる過程で120個ずつ塩基配列が変わるんだ。つまり、遺伝子には変異が前提として組み込まれたシステムがあるのさ。古今東西の超人や天才と呼ばれる者たちはみな、変異によって誕生した」

 

喪部は私を見る。

 

「ボクが何を言いたいのかわかるかい?生態系の頂点に経つのは優れた遺伝子を持つ生物でなければならない。安寧のなかで徒に殺戮と侵略を繰り返して領土だけ広げてきた人間にその資格はないのさ。いずれ近い将来、世界は優れた王によって統べられるだろう」

 

「全く理解できないね」

 

「この世には優れた一握りの人間と平凡な有象無象で成り立っているのさ。キミもこちらがわの癖に随分と無能なやつらの肩をもつんだね」

 

「そりゃそうだろ、私が望んでないもの」

 

「なるほど───────やはり、キミという人格は邪魔でしかないな。《アマツミカボシ》の覚醒を促すには。あのとき、《天御子》連中に大人しく拉致されておけばよかったものを」

 

「嫌に決まってんでしょ、化人になるのが目に見えてる」

 

「化人?違うさ、より相応しい姿としてこの世界に帰還するんだ。《アマツミカボシ》が、1700年の時を経て。これほど素晴らしいことは無いと思うけどね」

 

「《アマツミカボシ》は愛した人の子供を産んでも死なない体が欲しかっただけだ。覚醒したところで世界を牛耳ろうとはしないさ」

 

「あいかわらず矮小な目的に固執して......哀れだな。くくくッ、見たまえ。この鮮血のように美しい朝焼けを───────。神は優れた人間に素晴らしい資質をさずけた。美しいものを美しいと感じる感情と審美眼をね。キミは1700年のうちに濁ってしまったようだ。どちらが《九龍の秘宝》に辿り着けるのか、答えを出そうじゃないか。クククッ、キミが生きていたらまた会おうじゃないか」

 

「このまま帰すとでも思っているのか?」

 

砂が蠢く気配がしたが、喪部は微動打にしないままニヤリと笑った。

 

「ところで、志怪小説(しかいしょうせつ)って知ってるかい?」

 

「しかい......?」

 

「なんだそれは」

 

「主に六朝時代の中国で書かれた奇怪な話のことさ。作風は唐代の伝奇小説に引き継がれたと言われている。志怪は「怪を記す」の意味があるんだ。小説の一ジャンルとして、六朝から清にいたるまで、おびただしい数の奇談怪談が書かれた」

 

聞いてもいないのに喪部は詳細を語り出す。

 

中国において古代から歴史書の編纂は重要な仕事とされて盛んに行われたが、市井の噂話や無名人の出来事、不思議な話などはそこには記載されることは稀で、それらは口伝えに伝えられるものとなっていた。

 

宮廷では、娯楽のための職業人がおり、芸能とともに民間の話題をすることもあった。これらは志怪小説と呼ばれ、民間説話が数多く含まれている。

 

この発生の背景には「竹林の七賢」に象徴される知識階級の人々が集まって談論する清談の風潮があり、その哲学的議論の中での、宇宙の神秘や人間存在の根源といった話題に、奇怪な出来事は例証として提供された。

 

またこの時代当時の政治的動乱を、流行していた五行説に基づいて解釈したり、仏教や道教の思想の浸透に伴って、輪廻転生の物語や、仙人や道士の術の話題が広められており、仏教、道教の信者は志怪小説の形式で書物を作り出した。

 

「そこにこんな話がある。その昔、丹陽(ダンヤン)に徐子寧(シュイツーニン)という官史(かんし)がいた。ある雪の降る夜の事。徐子寧は、長年の責務が終わり、久しぶりに故郷へと帰って来た。あと半里程で、村の入り口と家々の屋根が見えようという頃、月明かりに照らされた庚申塔(こうしんとう)の下に徐子寧は、輝く物を見つけた」

 

喪部は朝焼けを背にたつ。

 

「近づき、手に持った行灯(あんどん)の明かりをかざすとそれは琥珀(こはく)の数珠(じゅず)だった。おそらくは、信心深(しんじんぶか)い誰かがその場所に供(そな)えた物だ。その時……ふと徐子寧の心によからぬ考えが浮かんだ。辺りに人影はなく、目の前には美しい琥珀。この数珠が失せた所で、誰がここに数珠があった事を知るのは自分だけ。徐子寧は、琥珀の輝きに魅入られたかのように数珠を拾い上げた」

 

そして空を見上げる。雪だ、雪が降り始めた。

 

「懐に数珠を隠すと、徐子寧は急いで

家に帰り、戸を閉め、鍵を掛けた。こいつを売りに行けば、結構な金になるに違いない。早速、明日の朝にでも。そう考えていたところに戸を叩く音がする。若い女の声だった」

 

朝焼けがしだいに雲に覆われていき、雪がちらつき始めていく。

 

「琥珀の数珠を雪の中で落としてしまい、探している、というではないか。聞けば夜になり、降り積もった雪の中、明かりもなく難儀していたらしい。もし、見た事があるなら教えてくれという。徐子寧は何で私の家にそんな事を言いに来るんだ?と尋ねた。女はいう。貴方様が先程、庚申塔の前で立ち止まっている姿を見たので、こちらに伺った次第で御座います」

 

雪はだんだん降り積もり、辺り一面真っ白になっていく。

 

「徐子寧は残念ながら知らないと嘘をついた。女は本当かと聞いた。徐子寧は家どころかこの村にも、そのような数珠はないといった。早々に立ち去り、夜明けを待って、他の場所を探すが良い。暗くては、物を探すのもままならないだろうとね。ところが、女はいうのさ。この村に数珠がないとわかればそれで良い」

 

「まさか......」

 

「そう、そのまさかさ。何故なら、あの琥珀の数珠は、仏の力の宿った村の宝。鬼を塔に封じていた忌々しき物。あれがなければ、私たちは自由に喰らい、破壊する事ができる。まずは、この村の人間を喰らい、滅ぼしてやるとね」

 

「貴様......」

 

「そして、悲劇は始まった。前夜まで家や畑があった場所にはその痕跡や残骸もなく、まるで最初からそこには何もなかったかのようにただ一面の雪景色が広がっているだけだった。琥珀の数珠を持っていた徐子寧だけが鬼に喰われる事なく助かったのさ。それ以来、雪の日になると真っ白い雪の中から、鬼に喰われた人々の声が聴こえるのさ。吹雪く音に混じって、聴こえて来ないかい?怨嗟の声が……。死者を悼(いた)んでも、その怨みが雪のように消える事はない。鬼に喰われた人間は、永遠に成仏する事なく、この世を彷徨うのさ」

 

喪部の言わんとしていることを察した私は空を見上げる。

 

「クククッ、アハハハハハハッ!」

 

いつしか喪部の姿が消えていた。

 

「工作員の仕事を無に返されたんだ、それなりの報復は覚悟しているんだろう?さあ、殺し合いの始まりだ」

 

高笑いは雪の中に消えていった。

 

「今まで學園に悪魔祓いをしていたのはそのためか」

 

阿門の言葉に私は青ざめた。

 

「學園の生徒をみんな変生させる気ッ!?陰陽の氣のバランスが崩れたら、みんな化人みたいになって死ぬことになる。元に戻ったところで自我を保っていられる保証はないじゃないか。ふざけやがって。どおりで陰の氣ばかりが集まってるわけだよッ!」

 

阿門は息を吐いた。

 

「いい度胸だ。學園の秩序と平穏を乱すだけでなく、危機に陥れるとは───────。見せてやろう、俺の《力》を」

 

途方もない砂が黄砂のように空を覆い、雪が黒く変色していく。

 

「それだけじゃダメだ、陰陽はバランスがとれないといけない」

 

「何をする気だ」

 

「《如来眼》の私が邪法に手をつけた理由を見せてあげるよ」

 

私は中断していた呪文を再開した。

 

《人の手には過ぎた力。神にすら届く刃》

 

《飢えたか。欲したか。訴えたか》

 

《ならば、くれてやろう。受けとれ》

 

《そして、ようこそ》

 

 



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空から落ちてきた歴史2

「たしかにこの《學園》はS級の霊的発現地点に認定されている。だが一夜にしてここまで陰の氣が溢れるとはな。これからも無事に行けるといいが......」

 

「九龍君のことか?それとも江見君?」

 

「どちらもさ」

 

「随分と肩入れするんだな、お前にしては珍しい」

 

「......ふと思うことがあるのだ。運命とは時として無慈悲な結末を私達人間に見せる。あの子たちも私達も所詮はその運命の輪の中で踊っているに過ぎないのではないか......そう思うのだ」

 

「......」

 

「この《遺跡》の底に眠るものが運命そのものだとしたら、私達は死を免れない。それでも傷つき、前に進んでいく意味がはたしてあるのだろうか......とな」

 

「たとえ、運命が俺たちの上に広がる天だったとしてもだ───────その天の上でなくてはなしえないと思うことを人間だけの力でやってのける時もある。運命が司る空の下にも、まだ俺たち人間が介入できる自由な場所があるはずさ。ただ人間が至らないせいでその場所がどこにあるのか見いだせないでいるだけの話だ。きっと、探し出せるさ、あいつらなら───────」

 

「......そうだと信じたいものだな......おや?」

 

瑞麗は保健室の窓を見て立ち止まる。

 

「どうした?お、雪じゃん。クリスマスにはまだ早いけど、こりゃホワイトクリスマス期待しちゃっ......んん?」

 

雪は次第に吹雪いてくる。雪は止む気配すらみせず、純白の光彩が學園全体に敷き詰められた。さらに鈍いいぶし銀の光にくるまれて暗く煙っている。雪雲がどんよりと低くたれこめ、雪におおわれた大地と空のあいだにはほんの少しの空間しかあいていなかった。白さと冷たさのせいで、目頭が痛いくらいまぶしい。夢の中にでもいるように、雪明かりが物の形を朧げに浮かび上がらせる。雪に吸いとられた音という音が、そこらに潜んででもいるかのような静けさに包まれていた。

 

景色は雪のために美しくはなく陰惨にみえた。學園の風景の傷口をかくしている薄汚れた包帯のようにみえる。

 

「なんだこりゃ......雪がどんどん黒くなっていくな?」

 

雪が次第に真っ黒に変わっていく。大量の神秘の黒い雪が降りはじめた。雪のようにはらはらと空を舞う黒い物質。瑞麗は窓を開けた。

 

「いつだったか、中国で雑草を燃やした灰が付着して騒ぎになったことがある。だが強烈な焦げたにおいはしないな」

 

「公害って訳でもなさそうだな」

 

「喪部銛矢が動いたか?」

 

「おいおいおい、まじかよ。龍穴が活性化するにゃあまだ早いんじゃねーの?」

 

「......この黒い雪より白い雪の方が陰の氣を濃くしていたようだな。ふむ?雰囲気がかわったな。陰陽のバランスが正常化した?いや、まてこれは......砂鉄か?」

 

「ただの雪じゃなさそうだな。今日の天気予報は小春日和の快晴、降水確率ゼロパーセントだぜ」

 

鴉室が携帯をとじた。

 

「......黒い砂鉄......阿門がなにかしているのか?それにこの氣の流れは......。なにかを鎮めているような......いや、すべて祓えたわけではなさそうだ」

 

「え、マジで?」

 

「黒い雪のおかげでだいぶん弱体化しているようだが......。準備をしたまえ、少し準備運動をしなければならないようだ」

 

瑞麗は携帯をみて、鴉室によこしてきた。そこにはエムツー機関のエージェントの顔をした相方しかいない。

 

「え~っとなになに?男子寮、女子寮、あと校舎......ゲッ、教師の家にもバケモンがでたのかよッ!?」

 

「1番新しいメールをみたまえ」

 

「夷澤凍也......えっ、あの《生徒会》の?なんで連絡先知ってんの?」

 

「9月から解離性障害を患っていたようだから相談にのっていたのさ。あの《遺跡》に封じられた何者かの思念に操られていたようだから、今は正常化したようだがね」

 

「あ~、ファントムの正体こいつだったんだっけ?で、え、クラスメイトがバケモンに......えええッ!?」

 

「今からいうことを一斉送信してくれ。こういうのは私より早いだろう?」

 

「えっ、メールだけでわかるのか?」

 

「わかるさ、見てみろ。前を」

 

「前ってなん───────ひっ」

 

「まさか......日本でお目にかかる日が来るとは思わなかったな......」

 

「な、な、なんだよあれッ!」

 

保健室の窓から見える黒い雪景色の横を巨大な怪物が横切っていく。

 

「あれは九嬰(きゅえい)。古代中国神話に出てくる怪物だ」

 

淮南子(えなんじ)という書物がある。前漢の武帝の頃、集められた学者により編纂された書物だ。思想書道家思想を中心に儒家・法家・陰陽家の思想を交えて書かれており、九嬰はその古代中国神話に登場する蛇の怪物だという。

 

凶水という北方にある川に棲んでいて、頭が9つある怪物であると考えられている。鳴く声は赤ん坊のような声をしており、水と火の両方を噴き出し、人々を苦しめていたが、堯の命を受けた羿(げい)によって退治された。

邪悪で残酷な人の例えとして用いられる。

 

九嬰は天地が分かれたときに生まれた。その当時の天地の霊気は厚く実際の物質のようであったので、横暴な霊獣怪物がどれだけ生まれたのかわからない。この九つの命のある妖怪は深山大澤の中で陰陽の濃い気が交錯して変化して九頭蛇身となり生まれ、自分を九嬰と号したという。九嬰の各頭にはそれぞれ命が宿っている。天地が直接生み出したので、無魂無魄で身体は異常なほど強靭で不死身となり、頭が一つでも生きていれば死なず、天地の霊気を集めることで復活する。

 

伝説によるとこの恐ろしい怪物に后羿は勇敢に立ち向かった。后羿が九嬰と対峙した時には、九つの口を大きく開けて、毒の火焔を吐き出した。さらには、水も織り交ぜて凶悪な水と火の網を作り出した。この攻撃にはさすがの羿もたじろいだが、素早く弓を取り出して冷静に矢をつがえ、頭の一つに狙いを定めた。放たれた矢は頭の一つに命中したが、頭の一つを射ても死なずしかも瞬く間に治癒した。

 

九つの矢は吸い込まれるようにそれぞれの頭部へと飛んでいき、九つとも命中した。この同時に頭部を破壊するという離れ業により、九嬰は遂に力尽きた。

 

九つの頭を持つ妖怪や神獣は相柳など中国神話中ではよく出てきており、九と言う数字自体に特別な意味があったことを伺わせる。日本神話ではヤマタノオロチが有名だが、九嬰はこのヤマタノオロチに似ている。ギリシャ神話ではヘラクレスによって倒された九つの頭を持つヒュドラとも共通点が多い。

 

世界の多くの神話で見られる怪物の典型みたいな妖怪だが、火と水を同時に攻撃に使用できる点が他と大きく異なる。普通に考えると、火と水は互いに相反する存在だが、九嬰はそのどちらも同時に使用できる点が他にはない特徴だ。

 

「うっそだろ~ッ!?つまり、あれか?生徒だか教師だかが変生しちまったのか?1998年のときみたいに?」

 

「極めて局所的な現象だな。阿門のような《力》の持ち主がいなければ......いや、意図的に歪められた氣の流れを正常化して悪魔祓いできるような人間が同時にいなければ倒すしか方法がなくなっていただろうな」

 

盛大にため息をついた鴉室は肩を落とした。

 

「あああ~ッ、やっぱりこうなるのかよ~ッ!《エムツー機関》から撤退命令でてるのに、あーだこーだいいながら残るから~ッ!《ロゼッタ協会》といい《レリックドーン》といい、なんで毎回毎回問題を混ぜっ返してややこしくするくせに肝心なとこを俺らに丸投げすんだっつ~の~ッ!!」

 

「ごちゃごちゃ言う暇があったら戦う準備をしたまえ。どうせ騒ぎに乗じて君の出番はすぐに来るのだから」

 

「言われなくてもわかってるよッ!お約束すぎて慣れちまったよ、ちくしょうッ!報酬上乗せ直談判しなきゃやってられるかってんだ~ッ!」

 

「いくらでも手当はでるさ、生きていたらな」

 

「もうヤダこんな職場......」

 

「わかってて入ったんだ、諦めたまえ。なにを今更」

 

「はああ~、ハイハイやりますよ。やらせていただきますよちくしょう......!はい、メール完了ッ!」

 

「さあ、行こうか」

 



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空から落ちてきた歴史3

「よォ、九ちゃん。その......ちょっと付き合ってほしいとこがあるんだが。一緒に来てくれるか?」

 

「甲ちゃんがわざわざそんなこというなんて珍しいな。ど~した?またなんかあったのか?頼ってくれるなんて嬉しいなァ~!」

 

「まったく、お前って奴は......。行先ぐらい聞くだろ、普通。まァ、そこがお前らしいっていえばお前らしいが......」

 

「んん?だって甲ちゃんがそんなこというなんて、ただごとじゃないだろ?」

 

「まァ、即答するとは思ってたが。そんなにお前が心配するような場所じゃないから安心しろよ」

 

「そうか?ならいいんだけど」

 

「悪いな。実は、職員室なんだ」

 

「へ?」

 

葉佩は目が丸くなった。

 

「まったく......高校三年生にもなって、職員室に呼び出しとは格好悪くて、人に言えたもんじゃないからな。今までの教師の時は無視していたんだが......今回のテストで国語が赤点とっちまってな......」

 

「あ~......初日の三限目だったもんな~......眠気が最高潮なやつ......!俺も久しぶりに平均点とっちまったわ」

 

「九ちゃんはいいよな、テスト悪くても温情があるんだから」

 

「そりゃ授業サボろうとしたり、宿題テキトーにやったりしてる訳じゃねーもん」

 

「ぐっ......」

 

「蓄積が違うよ、蓄積が」

 

「はあ......」

 

「もしかして補習?」

 

「単位やらねえと言われちまってな......。だが俺はどうも職員室ってのが苦手でな......。1人だとどうも億劫になっちまいそうだから見守ってて欲しいんだよ」

 

「りょーかいッ!そういうことなら任せとけッ!逃げようとしたら全力で止めてやるよ!」

 

「全力じゃなくてもいいが人の目があった方がいいと思っ......いや、そこまで全力じゃなくていいからな。銃火器しまえ。はあ......九ちゃんに殺されないうちに行くとするか」

 

葉佩と皆守は連れ立って職員室に向かったのだが、皆守は職員室の手前で皆守の足が止まる。

 

「う~ん......」

 

ガシガシ頭をかいている。

 

「開けてやろ~か?」

 

葉佩がドアをあけようとしたとき、あわてて皆守がドアをあけた。

 

「おおう、甲ちゃんがんばったな」

 

「......あのなァ、少しは心の準備をさせてくれよ」

 

「え~?甲ちゃんのいう見守るってただ見てることじゃないだろ?だからそうして欲しいのかと思って」

 

「......はあ」

 

皆守はため息をついた。そして職員室に足を踏み入れる。葉佩に付き合ってもらっといて悪いが、やっぱり行くのはやめようかと考え始めていたところを見抜かれてしまった。皆守自身わかってはいるのだ、今更律儀に出向く必要は無いだろう、適当に誤魔化せばいいと思考が誘導してくる一方で。

 

いつ《レリックドーン》が強襲しにくるのかわからないし、葉佩が《遺跡》の新しい区画に潜ろうとするのかわからない。今の状況を考えたら葉佩と共にいた方がいい。補習なんて悠長なことをしている暇はないと冷徹な理性が両断してくる。怠惰な本能を少しだけ皆守の意思が上回った。

 

「失礼しま~す」

 

「......」

 

「ヒナちゃんセンセ~ッ!甲ちゃんときたよ~」

 

「おい、九ちゃん」

 

「皆守くん、来てくれたのね。ありがとう。葉佩くんが連れてきてくれたのかしら?」

 

席を立って近づいてきた担任に皆守はがしがし頭をかいた。

 

「違うよ、甲ちゃんが自分で行こうとしてたとこに俺がくっついてきただけッ。な~?」

 

「九ちゃん......。まあ、そんなところだ」

 

「あらあら、そうなの?本当に2人は仲がいいのね。じゃあ、皆守くん、奥の応接室に行きましょうか」

 

「あれ、補習がどうのじゃなくて?」

 

「それもあるんだけど......」

 

「俺は別にどこでもいい」

 

「そう?なら......」

 

雛川はこのままだと卒業に必要な単位が本当にギリギリになるため、救済措置を講じたいといってきた。葉佩の影響で全ての科目の授業の出席率が上がっていたことから、更生の余地ありと教師間では評価がかわってきたらしい。

 

皆守は単位をとるのに必要な授業時間数が少し不足の程度にまでなっているため補習。成績不良のため追試や課題提出が課されることになるという。

 

ただ、瑞麗先生の診断で病名がついている上に診断書が出ている。その分を欠席にカウントしない。そうでなければ、出席日数は補うことはできなかっただろうとのこと。

 

「補習、追試......いつだ?受けることは受けるが放課後はよして欲しいんだが」

 

「え?でも......」

 

「雛川もわかってんだろ、九ちゃんの《遺跡》探索、だいぶ佳境なんだよ」

 

「甲ちゃん......ッ!」

 

「ふふっ、そうね。この課題、来週までに提出してもらってもいい?そうすれば冬休みと三学期の放課後でどうにかできるかもしれないわ」

 

「......こんなにか」

 

「ええ、こんなに。皆守くん、いつも来てくれないから増えに増えてこの量なの」

 

ほかの科目の課題まで預かっているとは準備がいい雛川である。

 

「......わかった、やる......」

 

皆守はげんなりとした様子でため息をついた。

 

「ところで2人とも、ちょっとしたアンケートに協力してもらえないかしら。あなたたちにとって、一番興味があるのはどれかしら。古典?言語学?受験?それ以外?」

 

「俺は古典かな~。この国の歴史あんま知らないから新鮮なんだ。すっごい楽しいよ」

 

「まあ、そうなの?古文って文法が難しいから敬遠されがちなんだけれど。そういってもらえるなら、カリキュラムにもっと取り込んでもいいかもしれないわね。ありがとう、葉佩君。参考になったわ」

 

「こんな話した後でアンケートとか言われてもな......」

 

「うふふ、皆守くんって正直な子ね。先生の前でそんなことをいうなんて。でも、勉強は学生の本分よ。先生も楽しく学んでもらえるように努力するから、一緒にがんばりましょうね」

 

「......あァ」

 

「それじゃあ俺たち失礼しま~す」

 

「はい、来てくれてありがとう。皆守くん、課題はそれぞれの先生に渡してね」

 

「......わかった」

 

葉佩と皆守は職員室を出た。

 

「まったく、今日は朝から散々な一日の始まりだ......これ以上サボれないとは思わなかった......」

 

「手遅れじゃなくてよかったじゃん。寝坊しないよう起こしに来てやるから安心しろよ!」

 

「叩くな叩くな、お前は手加減てものを覚えろ」

 

「え~、いいじゃん。甲ちゃん本気で嫌なら避けられるだろ~」

 

「あのなァ.....。ああくそ、今から保健室って気分にもならないな......よかったらちょっと屋上に寄っていかないか?」

 

「え、屋上?あ~、そうだなッ!太陽の光浴びたらちょっとはやる気出るかもしれないし?」

 

「ああ、たまにはまともに朝日を拝んでみたくなったんだ。行こうぜ、九ちゃん」

 

皆守に誘われて葉佩は屋上に移動した。

 

「日が昇るのもずいぶんと遅くなってきたが、この時間になるとさすがに明るいな。お前が転校してきてもう3ヶ月か、もう12月だもんな」

 

「あっという間だよな~。甲ちゃんたちと初めてあった時のことほとんど記憶の彼方だわ」

 

「それはどうなんだよ、少しは覚えてろ」

 

「え?だって毎日が楽しすぎてさ~、あっという間にすぎちゃうから」

 

「お前はまァ、そうだろうな。毎日楽しそうだ。お前が来てからというもの、俺のペースは乱されっぱなしだ。妙な事件に巻き込まれるわ、授業への出る率は上がるわ、八千穂はよりうるさくなるわ。なあ、お前、多少は責任感じてるんだろうな?」

 

「え~ッ、じゃあ責任とって結婚する?」

 

「そんな顔して誤魔化すな。お前、この状況楽しんでるだろ......。ったく、お前とクラスメイトになった自分の運命を恨むぜ」

 

「でも悪いことばっかりじゃなかっただろ?甲ちゃんからすれば、過呼吸になっちゃったりして散々かもしれないけどさ」

 

「そうか......それなりに気にしてはいたんだな。まあ、あれに関しては感謝してるんだ。別枠だろ。まあ、なんだかんだで俺自身楽しんできたようはフシはあるしな。......ちッ。去年までの俺なら間違ってもこんな台詞吐かなかったはずなんだがな......。その......悪かったよ。いきなりこんなこといって。少し気がたってたみたいだ」

 

「やっぱり俺の影響大きいだろ~、責任とろうか?」

 

「調子に乗るな、阿呆」

 

「痛い!」

 

「やれやれ......人が真面目に話してる時には茶々をいれるんじゃない。ところで九ちゃんは卒業することが目的でこの學園にいるんじゃないことはわかってるんだが......その先は何か考えてるのか?」

 

「え?《宝探し屋》するぜ?これからも。これは俺の全てだし」

 

「やっぱりそうか。お前はすでに天職ってのを見つけてるのかもしれないな。世界を股にかけてお宝探し、か......。なんていうか......楽しそうだよな、そういうのも」

 

「そういう甲ちゃんはどうなんだよ」

 

「ここを出て、どうするのか、か?したいことなら漠然とだがあるぜ」

 

「やっぱあの人のお墓参り?」

 

「───────......そうだな。あの時、俺は九ちゃんたちに全部任せて何一つできなかった。最期を見ることができなかった。今度は......」

 

「大丈夫だよ、甲ちゃん。さっきみたいに自分から行動すればだいたいのことはなんとかなるんだからさ」

 

「はははッ。お前のいいたいことはお前の顔見れば一発でわかるな。そうか......」

 

「そうそう、人間ってのはさ、何を考えるかで出来てるんだよ。俺たちはだいたいそっから始まってるし、世界は作られてるんだ」

 

「九ちゃんがいうとそんな気がしてくるから困るぜ」

 

皆守がアロマを吸おうとした時だ。

 

「ん、雪か?」

 

「うわ、やばいやばい。逃げようぜ、甲ちゃん。風邪ひく」

 

「そうだな、今の時期わりと洒落にならないからな」

 

そして、3階の教室に移動した葉佩たちは、チャイムがなるのを待っていたのだが。

 

「黒い雪......?」

 

ベランダに出た葉佩は手を伸ばす。

 

「違うな、鉄みたいなものが混じって......砂鉄かな?」

 

「..................」

 

あっという間に校庭が黒く染めあげられていく。登校している生徒たちの傘がよく目立つ。それを見ていた葉佩は目を丸くした。

 

「九ちゃん、あれはッ!」

 

「瑞麗先生に連絡しなきゃ、なんだよあれッ!?」

 

「化人か?」

 

「神鳳とか夷澤んときみたいな《黒い砂》の暴走......?んなわけ......まさか、喪部がなんかやったのか!?」

 

葉佩がメールを送信後、すぐに返信がくる。

 

「翔チャンと阿門が......」

 

「時計塔だと......?またいってたのか」

 

「みたいだね」

 

「なあ、九ちゃん。あいつの江見睡院を救うための儀式ってのは、そんなに時間がかかるのか」

 

「そりゃそうだよ。《如来眼》なら龍脈の恩恵が受けられるはずなのに、精神力をつかう術式しか使い物にならないみたいだしね」

 

「今、こんだけ大規模な悪魔祓い発動して、それは足りるのか?」

 

「どうだろうね」

 

「だよな」

 

「これ以上翔チャンたちに負担かける訳にもいかないし、行こうか」

 

「そうだな」

 

 



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空から落ちてきた歴史4

ベランダから一望のもとに見渡した。もうもうと黒煙が上がり、微風にのって校舎の方へ流れていた。きな臭い匂いが漂ってきている。煙は勢いよくなったかと思うと少し収まりというのをくりかえしていた。生徒たちは大声で何かを叫んだり逃げ惑ったりしている。

 

凄まじい唸りを立てて、校舎前の敷地全体が燃えている。雪のおかげであたりが一面火の海と化してこそいないが、視界不良なのは違いない。だが、その煙の先にはなにかが焼け落ちる轟きと、物のはぜ飛ぶつんざくような響きが、怒涛のように繰り返していた。

 

闇の底を焦がして燃え盛る火の帯がじりじりと迫りつつある。葉佩は空を見た。赤い炎が天を焦がし渦を巻くのがみえた。一瞬にしてあたりが炎の津波に呑まれた。火事の炎が暗い朝焼けの空を一様の血の色に焦がし、煙と火の粉が渦を巻きながら奔騰する。

 

炎が、生きているように黄金色に光りながらあたりを飲み込んでいくのが見えた。焼け跡から吹きつけてくるザラザラした異様な風は、まるで不快な固物の撫で回すような感触を持っていた。

 

「ヤマタノオロチとは全然違うんだなあ.....誰だよ似てるとかいったの」

 

葉佩はひとりごちる。炎だけならまだ鎮火すれば弱体化しそうだと目星がつくが、突発的に発生する濁流に潜む人やものをみていると顔が引きつる。

 

勢い良く水が通っていく。川の堰が切れて濁流が流れていくような、騒々しさだった。激流が、目前を通過していく。濁流は、葉佩をせせら笑うかのよう激しく躍り狂っていた。

 

「やるしかないよな」

 

「届くか?」

 

「届かせるしかないだろー!」

 

葉佩は銃を手にする。目の前にいる見上げるような巨体はその9つの首を同時に切り落とせばいい。伝承が残っているだけマシである。どれだけ実現可能かどうかは別の話としてもだ。

 

とりあえずダメージが見込めるかだけでも調べてみようと引き金をひいた。

 

悲鳴が上がった。

 

「効いてはいるみたいだな~」

 

どれくらいかは未知数だが。

 

「おっと気づかれたっ」

 

「九ちゃん、こっちだ!」

 

皆守に襟首つかまれて無理やり回避させられた。先程までいた場所は一瞬で丸焦げになり、ガラスが吹き飛ぶ。

 

「さんきゅー、甲ちゃん」

 

「また来たぞ」

 

「うげっ、あんな巨体のくせにもう動けるのかよ、はやっ!?」

 

炎があたりの樹木や障害物を飲み込みながら迫ってくる。なんとか回避するが、じりじりと肌をあぶられるような熱気を感じる。立ち込めた黒煙がまとわりついてきて、煙が目にしみて痛みが走る。炎がベランダを舐め始めた。

 

熱を帯びた黒い煙がどんどん近づいてくる。葉佩たちはとっさに姿勢を低くした。そうすることで煙が弱まってくる。目線を床に近づければ近づけるほど炎が灯りとなってほんのりと視界が利いてくるようになった。そして目の痛みも和らぎ、少しだけ呼吸も楽になった。

 

黒煙の隙間からオレンジ色の炎が見えかくれする。炎が出口を求めて上へ下へ渦巻いている。もうそこまで、炎の舌が這ってきていた。

 

そのときだ。

 

1本の矢が蛇神の両目を同時に貫き、あまりの痛みに1つの首が大きくゆらめく。矢がささったままで取れないために、ほかの首や胴体に激突しながらのたうち回るのが見えた。

 

「───────助かった、かな?」

 

「あれは神鳳か?」

 

「そ~いや、毎朝4時から弓道部で自主練してるっていってたっけ?さっすが~っ!連続攻撃さえできなきゃただの木偶の坊だ」

 

葉佩はふたたび狙いを定める。目は回復する兆しをみせないため、どうやらキュエイの完全再現とまではいかないようだ。ダメージがとおるならいつかは倒せるだろう、それまで弾薬がもてばいいのだが。

 

「弱体化ってのは、このことか?」

 

「だろうね。瑞麗先生、本物はすぐに回復するから同時に首を潰さなきゃダメだっていってたし。翔チャンたちに感謝だなッ!」

 

葉佩は的確に目を射抜いていく。視界不良に陥ったキュエイは単調な動きに陥り、大袈裟な予備動作がなければ水も炎も吐き出すことができなくなっていく。盲目となったキュエイ目掛けて、葉佩は新たな標準を探す。

 

「ん~......ありゃ?」

 

「どうした、九ちゃん」

 

「いや、下の方に人影が......」

 

「なにっ!?まだ逃げてなかったのか?」

 

「いや違うあれは......瑞麗先生と鴉室さんだ」

 

「あの二人、ただもんじゃないとは思ってたが、戦えるのか」

 

「みたいだね」

 

H.A.N.T.が高濃度の氣を検知して警告してくる。瑞麗先生が体内で螺旋状に練った気に、手の捻りを加えて放つ掌法の奥義を放つのがみえた。キュエイが雄叫びをあげて首がぐわんぐわんとふれはじめる。

 

「すっごいなァッ!?さすがは本職ッ!よ~し負けてらんないぞ」

 

「本職ってなんだよ、本職って」

 

「え?あんだけ散々お世話になっといてそれ?」

 

「いや......本気に取るなよ。言葉の綾だ、綾」

 

「びっくりした~」

 

「《宝探し屋》なら、こんなのはピンチでも何でもないだろうが集中しろ集中」

 

「大丈夫、大丈夫。また甲ちゃん助けてくれるだろ?」

 

「おまえな......」

 

そんなことを言いながら今度は水や炎を生成するであろう場所を的確に撃ち抜き始めた葉佩をみて、皆守は苦笑いするしかないのだった。

 

「よ~し、やるか。破邪が弱点とわかればこっちのもんだ」

 

葉佩が銃を持ちかえる。双樹の担当エリアについて入手した錆び付いた銃の表面に付着していた鉄錆を取り除いた事により、黄金色を取り戻した古代銃だ。1700年前にあった時点でどうあがいてもオーパーツである。蝶の迷宮に潜りまくり、交換を駆使して専用の弾丸を入手しまくっていたことを皆守は思い出す。

 

「お前、どっから出してんだよ」

 

「えっへへ~、企業秘密~」

 

笑いながらキュエイと相対する葉佩はいつものようにものともしない。一般生徒が変生し、この化け物になっているのだと知らされてもなんの躊躇もない。倒せば元に戻せる、死ななければどうにでもなると瑞麗先生から予めメールされているとしてもだ。やはり《宝探し屋》はこの程度では止まらないのだ。

 

「ぎゃあああああ!」

 

赤子が癇癪を起こして泣きわめくような絶叫が響きわたる。目の前にいる化け物がいなければ守ってやらなければならないと保護欲をかきたてるだろう。だが目の前にいるのは化け物だ。ただただ不気味であり、この世のものでは無いことを思い知り冷や汗が浮かぶのだ。

 

耳がいかれるのではないか、と本気で心配になった。

 

そして、断末魔をのこし、キュエイは砕け散る。内側から破壊され、核になっていた生徒が崩れ落ちるのを瑞麗先生が受け止めるのが見えた。

 

「あ~よかった......無事みたいだな。よし、ほかの奴らを倒しに行こう、甲ちゃん」

 

「ああ」

 

皆守は携帯を見る。

 

「あとは教師の家、男子寮、女子寮か」

 

「───────やっぱ、時間帯的にバディのみんながいるところを襲撃してるみたいだね」

 

「そうだな」

 

「はあ~......翔チャンに警告されてたとはいえ、ここまでくるとガチで凹む......」

 

「H.A.N.T.をハッキングされたのは失態だろうが、挽回するために頑張ってるだろ、九ちゃんは。そこまで落ち込む暇があったらいこうぜ」

 

「そうだよな......うん、そうだよな。まだ誰も失った訳じゃないんだ。まだ大丈夫、瀬戸際なのは変わらないけど。よーし、俺頑張る!」

 

「ああ、がんばれ」

 

「おう!」

 

ちょっとだけ元気になった葉佩と共に皆守は寮に戻ることにした。

 

「あ、神鳳も来てくれるってさ!よし、他のみんなにも知らせよう」

 

「ああ」



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空から落ちてきた歴史5

学生寮に向かう途中、地面を揺らすような衝撃が葉佩と皆守を襲った。それは教師の家からだった。瑞麗先生も雛川先生も校舎にいるため仲間は無事だが一般人は被害を受けている可能性が高い。そう考えた葉佩たちは教師の家に向かった。

 

H.A.N.T.がキュエイではない生体反応を検知し、超特大の化人がいると騒ぎ出したものだから葉佩は青ざめた。まさかキュエイが2体?それとも突然変異の新手の敵が出現したのか?こんなことなら男子寮に寄ってから、武器の補充をすればよかった。そんなことを思いながら敷地内に入ったのだが。

 

「これは......」

 

「すごいな、なんだこれ」

 

そこはキュエイが大暴れした痕跡こそ残っていたが、肝心のキュエイの姿がどこにもない。あるのは踏み荒らされた花壇や家屋。ド派手な破壊行動を思わせる残骸だけが残されていた。不思議なのはあれだけ巨大な炎と水の化身の独り舞台だったはずなのに、濡れた場所はあれども延焼している場所が皆無なのわだ。すべて鎮火されていた。

 

「《エムツー機関》の病院の車両だ、もう誰か来たのかな」

 

「瑞麗達以外にいたのかよ?」

 

「う~ん?」

 

負傷者は運び込まれ、重傷者は搬送、軽傷者は治療をうけているのがみえた。すでに教師の家前のキュエイは倒されていたのだ。

 

「おっかしいなァ~、この辺に生体反応があったはずなのに。キュエイの敵影反応は消滅したけど、もう一体はすんごい微弱な反応になってる」

 

「さすがは《如来眼》の能力によるデータがアップデートされているだけはある。君のH.A.N.T.は中々、良い仕事をしているな。とはいえ、闇には妖や魔が住み着くものだ。機械にばかり頼って油断するなよ」

 

「......お前は、たしか九ちゃんがよく利用してる......」

 

「ジェイドさん!」

 

「やあ。こうして私的に会うのは初めてだな、葉佩九龍君。《ロゼッタ協会》の優秀な《宝探し屋》であり、大切な顧客でもある君に、頼みたいことがあってね。こうしてここまでやってきたんだ」

 

「いつもお世話になってます!」

 

「おいおい......今はキュエイ倒すので忙しいんだぞ。んなことしてる場合かよ」

 

「心配する必要はないさ、僕は仕事に私情は挟まない主義だ。君の注文は《店》で待ってるよ。今回、こうして来たのは僕個人の事情からさ」

 

「ジェイドさんの?」

 

「ああ、まさか妖魔が現れるとは思わなかった。なぜこんな事態になっているのか教えてくれないか?」

 

葉佩は一部始終を説明した。

 

「そうか、江見君が......」

 

「なあ、ジェイドさん」

 

「なんだい?」

 

「ジェイドさん、俺が宅配頼んでない時も男子寮にいる時あるけど、もしかして翔チャンに用があるのか?」

 

「なに?」

 

「どうしてそう思うんだい?」

 

「《如来眼》について翔チャンは瑞麗先生に教わってるところ見たことないんだよね。にしては随分と使いこなしてるからさ」

 

「それで、なぜ僕だと?」

 

「そりゃ~、あの水使う《力》みちゃったらそうも思うって。翔チャンが《如来眼》使う時とか、喪部銛矢が《力》使う時とH.A.N.T.の反応が同じだし。これが魔人ってやつなのかな~って。それなら教えられそうなのジェイドさんしかいないじゃん?」

 

「なッ!?あの化け物の正体がこいつだっていいたいのかよ、九ちゃん!?わかってるならなんでそんな悠長にしゃべってるんだ!」

 

「なるほど、それから判断したのか。先程の戦い見られていたようだな」

 

「なんちゃって」

 

「む......?」

 

「見てないよ、憶測しただけ」

 

にたりと笑う葉佩に、ジェイドは罠だったか、とひとりごちて口元をつりあげた。

 

「なるほどな、さすがは期待の新人だ。《ロゼッタ協会》とは先代からの付き合いでね、そこから江見家とは繋がりがあるのさ」

 

「へえ~、そうなんだ。なるほど」

 

「なら、翔ちゃんが精神交換されたこと知ってるんじゃないか。なんだってこの學園に来ることを止めなかったんだよ、翔ちゃんは誰かに助けて欲しくて必死だったんだぞ」

 

「彼女が望んだからそうしたまでだ。助けて欲しいと意思表示をしていたら、すぐに手を回していたさ。《天御子》や外なる神についてはよく知っているからね。彼女が翔のために動いてくれるといってくれたんだ、協力しないわけがないだろう?」

 

「それだけ?ジェイドさん、それだけで動くとは思えないんだけど」

 

「なかなか鋭いところをつくね。まあ、それだけじゃないさ。翔は行方不明になった幼馴染に似ていてね」

 

「幼馴染?」

 

「まずは《如来眼》という《力》について説明しなくてはならないな。1998年のことなんだが」

 

「それって阿門がいってたあれかな。この《遺跡》の封印がとけかけたっていう龍脈が活性化した年だよな?」

 

「1998年か......やたら事件や事故や災害が多い年だったな」

 

「へ~、そうなんだ」

 

「おや、君は東京育ちかい?」

 

「ああ」

 

「1998年、龍脈が活性化したのは、まさに東京だったのさ。龍脈が活性化すると《力》に目覚める者たちが続出した。適応出来なければ、キュエイのように死ぬような《力》にだ。僕を含め、多くの仲間が悩みながらも《力》と向き合い、龍脈の力を利用して魔人として再降臨しようとした宿敵を倒した。その宿敵は18年周期で復活しようとしていたんだ。《力》は隔世遺伝、もしくは先祖返りすることで目覚めるんだが、僕の幼馴染は《如来眼》に目覚めた。まだ中学生だったんだが」

 

「そんなにちっさいのに?」

 

「10歳にも満たない子供もいたんだ、おかしくは無いさ。問題はその《力》が本来は女性にしか継承されない《力》であり、本来姉に受け継がれるべき《力》が男である幼馴染に受け継がれてしまったことだ。跡取りであるはずの姉ではなく弟に。幼馴染は必死で姉を支えた。僕以外誰にも言わず。《如来眼》の役目である《力》に目覚める人間の探知や龍脈の監視、宿敵の察知。全てが成し遂げられたとき、行方不明になった」

 

「えっ」

 

「みんなで探したが見つからなかった。そのあとだ、翔と出会ったのは」

 

「《如来眼》てのは何人でも現れる《力》なのか?」

 

「いや、僕の幼馴染の家系は代々隔世遺伝でね、世界にひとりしか存在しないはずなんだ」

 

「じゃあ、その人は......」

 

「《力》から解放されてよかったと思っているよ」

 

「......」

 

「行方不明になったのはどうしてだと思う?」

 

「《力》に振り回され、たくさんの命が失われ、戦い、傷つき、その果てに僕らは勝ったけれど誰しもが救われたわけではない。出会った時点で手遅れの人間も数えきれないくらいいた。特に彼は血や姉の不遇や慕っていた少女の死により《力》に不信感を抱くようになっていた。宿敵を倒したところで《力》は脈々として受け継がれていく。本当に必要なのか、もう戦いは終わったのに。そういっていたよ」

 

「そうなんだ......」

 

「僕は人知れずこの国を守ってきたある一族の末裔として、この《力》と向き合ってきた。学生のころから家業の宿命として受け入れてきた。だが、幼馴染はそうじゃなかった。僕にできることはそう多くはなかったんだ。だから翔が《如来眼》に目覚めたと聞いて、いてもたってもいられなかったのさ」

 

「もしかして頼みっていうのは......」

 

「今の翔は幼馴染くらい、いや下手をしたらそれ以上に《如来眼》と親和性がある。全盛期の彼を彷彿とさせるほどにね。それゆえに危険性もあることを僕はよくわかっている。だから僕も力を貸そう」

 

「《如来眼》の使い方は教えてたのに、翔ちゃんがこれから何をしようとしているのか知らないのかよ」

 

「僕はこの學園においては、部外者にすぎないからね。彼女のそばにずっといる訳にはいかない。だからこそだ」

 

「......理解できないな」

 

「そっか、わかったよ」

 

「九ちゃん、本気か?」

 

「ジェイドさんが強いのはよくわかったし、《力》が欲しいのは事実だしさ。俺たちの方が知らないこともあるようにジェイドさんが知らないこともあるんだ、きっと。なら手を組むのは悪いことじゃない。《エムツー機関》と手を組んでるから今更だよ、今更」

 

「瑞麗たちのことか」

 

「うん、そうだよ。この話の流れからして、翔チャンに《如来眼》についてジェイドさんに師事するよういったの瑞麗先生っぽいし。弟さん、ジェイドさんくらいらしいし」

 

「..................まあ、そうだね」

 

「なんだよ、その不自然な間は」

 

「彼女はまだいいが、僕は弟の関西弁が嫌いなんだ」

 

「は?関西弁?」

 

「瑞麗先生は中国人だろ?」

 

「そうだ、意味がわからないと思わないか?」

 

皆守と葉佩は顔を見合わせた。



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空から落ちてきた歴史6

葉佩たちが女子寮に到着したとき、阪神・淡路大震災を受けて建て替えられたばかりの建物は耐火構造の耐震性優れた鉄筋・鉄骨コンクリート造りで、目立った被害はなさそうだった。

 

男子寮と同じく全館、全室に火災報知器(熱+煙感知)を完備し、特別防火自動閉鎖扉や避難器具など、万が一の災害に備えた万全の設備を整えているためか、その避難経路を通って逃げ延びたようだ。早朝にもかかわらず目立った混乱はなく、怪我人などは見つけられない。人だかりができている中、ここより校舎の方が安全だと刷り込まれている生徒たちの思考回路により次第に野次馬は減ってきていた。

 

学生寮にしては特定防火設備という、火災の火炎を受けても1時間以上火炎が貫通しない構造のものが採用されているのだ。キュエイの破壊にも逃げられるくらいの時間稼ぎはできたらしい。

 

「九チャンッ!」

 

まだパジャマ姿のやっちーが葉佩に抱きついた。泣きたくても涙が出てこないようなもどかしさがじれったい。もどかしい。苛立つ。様々な感情が爆発してしまったらしい。鼻の奥がツーンと痛み、目の縁から涙が染み出てくる。胸を突き上げてくる気持ちで闇雲に涙が溢れてくる。己の心をコントロールできずに泣き続けた。恐ろしい絶望的な寂しさに打たれて、激しく泣き出す。

 

「怖かったよ~ッ!」

 

「俺が来たからもう大丈夫だぜ、やっちー!」

 

「ありがとう、九チャンッ!」

 

よしよししながら葉佩はやっちーから話を聞いた。

 

「火災報知器が鳴ったの。びっくりしちゃって、起きたら下の階から騒ぎがして......逃げろって寮長さんに言われて」

 

葉佩たちが駆けつけたことに気づいたらしい月魅がやってくる。彼女もまた寝巻き姿のままだ。着の身着のまま自室から飛び出して来たことがうかがえる。

 

「私、見たんです。朝練のために出かけようとしていた女子生徒がいきなり苦しみ始めて、化け物に変わる様子を!火災報知器はその前になりはじめていました。もしなっていなかったらどうなっていたか」

 

「そうなんだ」

 

「葉佩さん、皆守さん、来てくれたのね。私は今朝は朝から重苦しい空気で満ちていたから、息苦しくて、温室に行こうとしていたの。そしたら、雪が降り始めて......上になにか羽織るものをと思っていたら、雪が黒くなりはじめて......警報機がなったわ」

 

唯一、制服にコートをきている白岐が補足してくる。

 

「鈴の音がして、あの子たちが現れたの」

 

「《6番目の少女》の?」

 

「荒ぶる魂を鎮めるから、ここはまかせてじっとしていろと言われたわ」

 

「なるほど......だからみんなここにいるんだ」

 

白岐たちはうなずいた。

 

「優しい人の子よ、私たちは大丈夫だからって言われちゃったけど......あの子たち大丈夫かなあ?」

 

「大丈夫よ、きっと」

 

「そうですよ、あの子たちが現れるたびに響く鈴の音にあの化け物は明らかに反応していたようですし」

 

葉佩たちは《6番目の少女》たちがいるというキュエイのところに向かった。

 

「うっわ、なんだこれ」

 

「キュエイが水道管破裂させやがったのか?」

 

「あはは、ここのキュエイは間抜けだなあ。自爆じゃん」

 

辺り一面水浸しである。炎をはいたところで燃やす余地のあるものはすでになく、水流による攻撃しか受け付けなくなっていた。

 

「なんだこれ?」

 

足元に織部神社と書かれた熨斗が流れ着いた。

 

「んん?」

 

「なんか、神社でみたことある奴があるな」

 

皆守は拾い上げた。施餓鬼米、破魔矢、御神酒、そういったものが転がっている。中身は空っぽだったり、ぐしゃぐしゃになったりしている。

 

「あ、あそこじゃない?女子寮破壊した時にたまたま飾ってあったのが流れ着いたとか」

 

葉佩の指さす先には3階あたりの部屋が吹きさらしになっていた。

 

「あそこは......」

 

「やっちー、あそこ誰の部屋?」

 

「え?あ、八坂さんの部屋だよ?!」

 

「皇七さん......たしか黒い雪が降ってるからってカメラを持って出かけたのをみたわ」

 

「連絡してみよっか」

 

やっちーが電話をかけている。

 

「よ、よかった通じた~ッ!八坂さん今どこにいるの?部屋がすごいことになっ......え、今校舎?ダメダメ帰ってきちゃだめッ!そのままいて!」

 

「よかった~」

 

「いらん世話かけやがって」

 

「あ、なるほど~。なんかね、心霊写真とか特集するときご利益あるようにってたくさん集めてるんだって!」

 

「なるほど......キュエイ、破邪が弱点だから過剰に反応したんだな」

 

「だから弱ってるってことか!よ~し、この瞬間を逃す手はないよな!」

 

葉佩はキュエイの雄叫びがする場所に飛び出していく。視界に獲物を捉えるやいなや、黄金銃を構えた。そして両目を射抜く。あまりの威力に顔面が破壊され、呼吸すらままならなくなった1首が絶叫しながら地面に首をうちつける。絡み合う首たちめがけてまた眩い弾丸をうちこみ、吹き飛ばしていく。破邪効果のある弾丸を体内にぶち込まれ、その破片が体内にくい込んでキュエイの体はどんどん蝕まれていく。

 

葉佩に強烈な弾丸をあびせられ、キュエイはその存在に気づいてしまったようだ。視界を完全に失ったとしてもだいたいの方向性は弾丸のむきからわかる。いっせいに首が葉佩を向いた。

 

「やっば、倒しきれなかった」

 

「何やってんだよ、九ちゃん!後ろだっ!」

 

黄金銃に弾薬を装填しながら、葉佩は後ろにさがっていく。牽制に首の根元を吹き飛ばしてやれば、いよいよ怒りに我を忘れたキュエイが自暴自棄になったのか巨体を揺らしながら襲い掛かってくる。

 

どこからか、澄んだ鈴の音がした。ぴたり、とキュエイの体が固まる。オーロラのように眩い光が目まぐるしく変化しながらキュエイを拘束しているのがわかった。

 

「人の子にこれ以上危害は加えさせない」

 

「静まりなさい、変質させられし魂よ」

 

幼い少女たちの声がする。

 

「君たちは......」

 

「また、会うことができましたね、葉佩九龍」

 

「お願いします......」

 

「あの男にこれ以上、《鍵》を探させてはいけない......」

 

「気をつけて......」

 

《6番目の少女》たちが手を組んで現れた。

 

「ここは私たちに任せて」

「これ以上あの子を悲しませる訳にはいかない」

 

鏡写しのように両手を組み、目を閉じる。宙に浮き上がった《6番目の少女》たちと同じように浮き上がったキュエイは鳴くことすらできないようだった。

 

「今です」

 

「葉佩九龍、お願いします」

 

「長くはもちません」

 

「こんだけ助けてくれたら頑張らない訳にはいかないよなァッ!俺に任せてくれ!」

 

葉佩は笑って宣言する。

 

「さっきの戦いでキュエイの弱点は解析出来てるからな。攻撃封じてくれるんならこっちのもんだ!」

 

黄金銃がキュエイの炎や水を生成する器官目掛けてむけられ、トリガーがひかれる。小さな弾丸とは思えないような威力がキュエイを襲い、行き場を失ったエネルギーが内側から大爆発を起こす。とうとう首と頭部がわかれて弾け飛んだ。ひとつ、ふたつ、みっつ、とキュエイの首が乱舞する。やがて最後の首が粉微塵になったころ、ようやく見上げるような巨体がズズンと地面に沈んだ。

 

「静まりなさい、荒ぶる魂よ」

 

「鎮まりなさい、悲しき魂よ」

 

《6番目の少女》たちの《力》によりキュエイの姿がみるみるうちにかわっていく。そこに倒れていたのは女子生徒だった。葉佩はあわてて被害者を抱き上げる。

 

「甲ちゃん、瑞麗先生に連絡して!」

 

「ああ、わかった。八千穂たちのところに運ぶぞ」

 

「おう!」

 

葉佩たちがやっちーたちのところに女子生徒を連れていった矢先、葉佩のH.A.N.T.にメールがきた。

 

「今度はなんだよ、次から次と」

 

「大変だ、甲ちゃん。こないだいってた《力》がコントロール出来てない響って子がキュエイになっちゃったらしい。男子寮だって!急ごう!」



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空から落ちてきた歴史7

男子寮にようやくたどり着いた葉佩は、黄金銃の弾薬や銃火器を補填する。そしてすぐに自室を飛び出した。焦げ臭いにおいがあたりに充満し、男子寮全体が揺れるほどなにかが迫ってきていたからだ。早く来いと皆守にいわれて葉佩は男子寮から脱出した。

 

響の様子が前からおかしいことは夷澤から聞いていた葉佩である。時々様子を見にいってはいたが、まさかファントムの親衛隊に入っていたとは思わなかった。にわかに過ぎなかったはずなのに、どうやら《力》に振り回されて悲惨な人生を歩んできた最中、初めて必要とされたことが余程嬉しかったらしい。

 

ファントムが消滅したことは、夷澤が葉佩に倒された日から全く姿を表さなくなったことでまことしやかに囁かれるようになった。そんな噂話を耳にした響が激高したことがきっかけらしい。

 

生まれ変わったんだ、と響はいっていた。

 

「赤ちゃんの頃から響が大きな声を出すたびにガラスが割れたり、蛍光灯が破裂したりしたらしい。そのせいで近所の人や友達がみんな化け物、呪いだって騒いだみたいだ」

 

「そうなのか」

 

「うん。成長するにつれて、原因が感情が昂ると《声》が高周波を帯びるってわかったみたいだ」

 

「なるほど......」

 

「2年生ということは1987年か。龍脈とは関係がなさそうだな。ごく稀に先天的に《力》を持つものが現れるが、その子はたまたま生まれついた力が発現するのが早かったんだろうね」

 

「ジェイドさんみたいに家系的にそうだってわかってるなら事情が違うだろうけど......」

 

「話を聞くかぎり、突然変異か先祖返りのようだ。歌を歌うことで効果を発揮する《力》なら見たことがあるが、声を発するだけの《力》は初めて聞いた。日常生活にすら支障をきたすレベルだな」

 

「毎回いじめられて、家族がとうとうかばいきれなくなったからこの学園に来たっていってたからなあ......」

 

葉佩はためいきだ。

 

「逃げてきたのか......」

 

「それでも何にも変わらなかったらしい。周りを傷つけないように慎重になったらいじめられるし、感情こめたら騒ぎになるしで相当ストレスかかる生活してたみたいでさ。どうにかしてやりたかったんだけど、こればっかりはどうも」

 

葉佩は頬をかいた。

 

「《力》をみられても逃げなかったのは葉佩センパイが初めてです、なんでもっと早くに転校してきてくれなかったんですかって泣かれるレベルでさ。ファントムに縋るしかなかったんだろうなァ......。ファントムはもういないけど俺はいるっていったんだけど、僕はなんの力にもなれませんって逃げられたきり、避けられてたんだよ。こんなことならバディに誘っときゃよかった......」

 

「九ちゃんは悪くないさ、それってファントムと《タカミムスビ》の影響受けた生徒同士が喧嘩したり拉致したりえぐい状況だったじゃないか。一般生徒引き入れるには慎重になる」

 

「いや、いつもの俺だったらさっさと仲間にしてたんだ。H.A.N.T.のハッキングでまた危険に晒すと思ったら怖くなってさ......ああくそ、響をここまで追い込んだのは半端に手を出したくせに直前でひっこめた俺が悪いんだ。響のことは任せてくれ、絶対助ける!」

 

葉佩たちの前には女子寮とは比べ物にならないほど悲惨な状態になった男子寮の姿があった。窓ガラスという窓ガラスが弾け飛び、鉄筋ではない素材や建付けはすべて破壊され、見るも無残な形である。どうやらキュエイは響の力が残っているようで、炎や水を吐き出すたびにソニックムーブがはしる個体になってしまったらしい。

 

「ファントムがいなくなったら、地獄に逆戻りって怯えきってたもんなあ......響......」

 

「もともと《力》に目覚めていたんだ、精神的に極めて不安定だとしたら変生手前だったんだろう。絶望してるときに喪部の呪詛にひっかかったのか。魔人に変わるとしてもまだ遺伝子ごと変質していないらしい。葉佩君、まだ間に合うぞ」

 

「そういってもらえて安心しました。響......また受け止めてやるからなッ!」

 

葉佩がキュエイに宣言した。

 

 

響が変生した姿であり、放置すれば殺すしかないところまで体が変化してしまうと知らされても葉佩は冷静だった。

 

黄金銃が衝撃波を切り裂き、確実に炎や水、音波を発生させている機関を破壊する。激痛に伴う怒りからソニックブームが発生するような衝撃波があたりに拡散しても距離をとりながら攻撃の手を緩めようとはしなかった。

 

葉佩が戦っている場所を皆守がメールしたからだろうか、続々と仲間たちが集まってきた。神鳳や墨木といった遠距離支援ができる仲間はキュエイに攻撃し、それ以外の仲間は男子寮の怪我人や恐怖で動けない生徒たちを校舎に誘導していく。

 

「葉佩君、来るぞ!」

 

ジェイドの警告の意味をその場にいた誰もがすぐに思い知ることになった。

 

最初の変化は、キュエイの雄叫びにより爆風が爆発したとき、外側に向かって球状に空気が押され、圧縮するところが目視できたこと。

 

その次に、空気が押されたあと、元の空気が存在していた空間に新しい空気が入り込めず、部分的な真空状態ができた。圧力が非常に高くなったのだ。

 

H.A.N.T.が警告してくる。一般人ならば人体がばらばらになって、肉や骨に与える損傷が凄まじいものになったにちがいない。

 

ここにいるのは、《黒い砂》により超人となった仲間と特殊な訓練を積んだ《宝探し屋》だけだ。だが、それでも体内に損傷を及ぼしたことを誰もが悟った。

 

耳がいかれた。耳が気圧の微妙な変化を音としてすぐに感じとれるようにできているためで、破裂こそしないがダメージは確実にあった。

 

次に、過剰な圧力が急激にかけられて肺や腸が圧迫された。H.A.N.T.が体力の著しい消費をつたえてくる。もっと距離をとれとアラームがなる。

 

「無茶言わないでくれよ、これ以上下がったら射程届かなくなるっつーの!」

 

「葉佩君、またくるぞ!」

 

容赦ない連続攻撃がせまりくる。その時だ。

 

《黒い砂》が葉佩とキュエイの間に出現する。

 

「これは───────」

 

皆守は弾かれたように振り返った。

 

「阿門!」

 

「阿門じゃん、遅いご登場だな~。どういう風の吹き回しだよ?」

 

「借りを返すだけだ」

 

《黒い砂》がキュエイに襲いかかる。そして衝撃波が封じられた。葉佩はにやっと笑う。

 

「響五葉の悲劇は、その《力》を自分で制御出来なかったところにある。他人が否定しようと《力》がやつを裏切らなければ人生は違ったはずだ。葉佩、お前に見せてやろう。人の運命は、遺伝子に支配されている。その言葉の意味を。これで目覚めた時には生まれ変わっているはずだ。もう《力》に振り回されることはない」

 

「ありがとう、阿門。助かるぜ」

 

「お前に礼をいわれるようなことはしていない」

 

「響の《力》は《声》から発生してるから、《黒い砂》で遺伝子操作したんだろ?自分でコントロールできるように。響の代わりに感謝するよ」

 

「......フン」

 

「あれ、どこ行くんだよ~?」

 

「俺はやらなければならないことがある」

 

「もう行っちゃうのかァ~。じゃあ、響がお礼いいにきても邪険に扱わないでくれよ?きっとありがとうございましたっていいにくるからな、俺の可愛い後輩は」

 

「......好きにしろ」

 

阿門は去ってしまった。肩を竦めた葉佩は前を向く。

 

「衝撃波さえおさまればこっちのもんだ。さあ、かかってこいよ、キュエイッ!響は返してもらうぜッ!」



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空から落ちてきた歴史8

「......あ、あれ......葉佩先輩......みなさん......?僕、いったいどうしちゃったんでしょう?ファントムさんはもういない、お前を助けてくれるやつはもう居ないって先輩たちに詰め寄られて......。うう、頭がいたい......。気がついたら、ここで......あの、葉佩先輩は、何が起こったのかご存知ないですか?」

 

「よかった~ッ!間に合ってよかったよ、響ッ!無事でよかった!!」

 

「えっ、あの、葉佩先輩ッ!?」

 

いきなり抱きつかれて響は混乱している。

 

「ひッ!!」

 

「なにびびってんだ、九ちゃんのメールだろ」

 

「は、葉佩先輩のですか?す......すいません、驚いたりして......。僕、音とか振動が苦手で......」

 

「九龍、そろそろ離してやってくれないか?手当が出来ないだろ」

 

呆れ顔の夕薙に促され、葉佩はしぶしぶ響から離れて、H.A.N.T.をみる。

 

「え......えと......その、ありがとうございます......」

 

「響、なんでセンパイたちに心配されてんのかわかってるか?」

 

「あ、い、夷澤君......ええと、なんで?」

 

「はァ?あんだけ迷惑かけといて何にも覚えてないのかよ、お前」

 

「人の事いえないじゃねえか」

 

「う、うっさいですね。あれはあれ、これはこれっすよ。響は男子寮を......」

 

「夷澤、その先いったらしばくからな~?」

 

「......すんません。そもそもだ。前も言ったけどああいうアホそうな連中いたぶるなんて楽しそうなことするなら呼べって」

 

「そ、そんな、僕はそんなつもりじゃ......」

 

「楽しむも楽しまないも自分次第だろ。だいたい、報復しないからあんな連中にいつまでも付きまとわれるんだぜ?」

 

「......やめてって」

 

「あ?」

 

「やめっていったよ......何度もいったよ......。でも夷澤くんはいくら言っても止めてくれないじゃないか。病院送りにしたり、血だらけになっても殴りつづけたり、蹴り続けたり......そんなの助けてっていえるわけ......」

 

「......?」

 

「夷澤くん?」

 

「いや、たしかにお前を出汁にして憂さ晴らしはしてたけど、やりすぎたらプロ試験に響くからそこまでやった覚えは......」

 

「えっ?」

 

「あるんだよな~」

 

「えっ、マジっすか」

 

「大マジだよ、何回理不尽な因縁つけて俺とやり合ったと思ってんだよ夷澤」

 

「ええッ!?覚えてな......まさか」

 

「そのまさかだな。そっか、俺と戦う時はもうほとんど意識なかったんだ?そこまで記憶飛んでるとかやべーな」

 

「まじかよ......葉佩センパイとやりあえたのに覚えてないとかどんだけ......」

 

「ところで響、どこまでおぼえてる?」

 

響は力なく首をふった。

 

「あの人たちに絡まれて......カッとなって......叫んじゃったせいで窓ガラスが割れて、雪が......。そうだ、真っ白な雪がたくさん......それから......ううッ、ごめんなさい。ぜんぜん思い出せないです......」

 

「そっか、白い雪か......」

 

「いったいどうしてこんなことに......?」

 

葉佩は響に説明を始めた。

 

「えッ!?《生徒会長》さんが僕を......?それに葉佩先輩が......みなさんが......僕のことを......?」

 

混乱している。感情の昂りによる声の大きさに反射的に頭を覆った響は、いつものようにガラスが飛んでこないことに気づいておそるおそる顔を上げた。

 

「あれ......」

 

キョロキョロ辺りを見渡す。

 

「ほんとだ......《声》で物が壊れない......なにも起こってない......」

 

喉をさするがなんともない。

 

「ほんとう、なんですか......」

 

響は涙目になる。

 

「あの、葉佩先輩......あの時いっていたように、本当の本当にファントムさんは死んでしまったんですか?そんなの嘘ですよね!?嘘だと言ってください......。ファントムさんはぼくを必要だといってくれました......だから僕は戦おうと......もう嫌なんですッ!あの地獄の日々に戻るのはッ!」

 

「何度もいうけど、嘘じゃない。あの日、ファントムは死んだんだ」

 

「ど、どうしてそんなこと言うんですかッ!?だって、あの人が死ぬはずないんですッ!あの人が死んだりしたら、僕は......僕はッ......!」

 

「それでも死んだんだ」

 

響は泣き出してしまった。

 

《力》を隠して生きてきた響にとって、なにをされても感情を殺してじっと耐えてやり過ごしてきた日々から解放されたのは本当に嬉しかったらしい。あらゆる人間から化け物と呼ばれたあの時の地獄と比べたら、いじめなんてマシだといいきかせてきたからだ。それでもどうして自分ばかりがこんな目に会うのかと思っていたときに、ファントムと出会った。

 

忌み嫌われてきた《力》が学園を変える《力》になる、必要だといってくれた。生まれて初めて誰かに必要だといってもらえた。

 

「ごめんな、響。俺が殺したんだ」

 

「───────え?」

 

葉佩は自分の素性を明かした。そしてファントムについて語り出す。

 

「《遺跡》に封印された何か......思念......悪霊......あッ、あんまり急すぎて頭が追いつかないんですけど、その......ファントムさんは死んだけど、その悪霊はまだ《遺跡》にいるんですよね?僕を必要だといってくれたのは、外に出たかったから......?」

 

「それはまだわかんないんだ。最深部にいって正体を拝まないと」

 

「そっか......」

 

「おい、響。そいつの力になりたいとかいったら、殴り飛ばすからな」

 

「い、いわないッ!いわないよ、だからやめてッ!ただ誰だったのか知りたいだけだよッ!葉佩先輩は何度も僕に声をかけてくれて、助けてくれたのに、僕が都合が悪いことがあると直ぐに逃げちゃったから、こんなことになっちゃったんだ。それくらいわかってるよ!僕はなにもしなくても助けてくれる都合がいいヒーローが欲しかっただけだからッ!」

 

「響......そんなことないぜ?俺がさっさと仲間に誘えばよかったんだ。そしたら響は余計に苦しまなくてすんだのにな、ごめん」

 

「えッ......僕が《宝探し屋》のお手伝いをですかッ!?僕が......?この學園に眠る《秘宝》の......?いいんですか?」

 

「もちろん」

 

「葉佩先輩......、見捨てないでくれてありがとうございます。僕、弱い自分を変えたいです。あなたみたいに強くなりたいんです。だから、一緒に戦わせてもらえることがすごく嬉しいです。ありがとうございます」

 

響は深深と頭を下げた。

 

「《生徒会長》さんが僕の《力》を制御出来るようにしてくれたんですよね......もう暴走しないように。お礼、言わなくちゃ......」

 

「それならカオルーンのマスターが阿門の執事だから連絡してみろよ。きっと都合がいい日を教えてくれると思うぜ。ほら、連絡先」

 

「あ、ありがとうございますッ!そうだ、僕の連絡先も教えますから呼んでください。お待ちしてます!」

 

「わかった。楽しみにしてるよ」

 

「はい!」

 

プリクラを出そうとしている響の横で面白くなさそうに舌打ちしたのは夷澤だった。

 

「阿門さんはどこ行きやがったんだ......あんな化け物のさばらせて......《生徒会》ともあろうもんが、ホントに情けないっすよ。ん?」

 

《生徒会》および元《生徒会執行委員》の携帯の着信がなる。

 

「なッ!?」

 

「あれ、どーしたんだよ、夷澤?」

 

「大変っすよ、葉佩センパイ。テロ組織が......」

 

「《レリックドーン》だろ?さっきH.A.N.T.に《ロゼッタ協会》からも連絡きたよ」

 

「まさか、阿門さんは......」

 

「やらなきゃいけないことってのは、校舎だな。たぶんキュエイから逃げてきた生徒や教師を守るために」

 

「ったく、どんだけ抱え込んでんすか、あの人はッ!?連絡がいちいち遅いんスよッ!」

 

「どうする、九ちゃん」

 

「俺は今から《遺跡》にいくよ、喪部銛矢が動いたみたいだ」

 

皆守の瞳が揺れた。



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虚人たち

軍用トラック1台に乗った30人ほどの黒ずくめの集団が學園を襲撃した。新しく配属された警備員が静止にやってきた。

 

「なッ、なんだ君たちはッ!?」

 

「黙らせろ」

 

「はッ!」

 

兵士が銃をかまえる。マシンガンの音が響いた。

 

「うぎゃァァァッ!」

 

警備員たちは次々と倒れてしまう。黒ずくめの兵士たちは警備員室は占領し、監視室におしかけ、管理している監視カメラを陣取ってしまった。そしてマイクやトランシーバーを駆使して先行した兵士たちと連絡をとりはじめた。

 

學園の門の前にトラックが横付けされ、誰も近づけなくなってしまう。そして、警備員室に数人を残して黒ずくめの集団が隊列を組んで學園敷地内に侵入し、初めから想定されていた経路を通って各施設に入っていった。

 

そして30分後。外が騒がしくなる。空から大きな音がする。なんだなんだと教室にいた生徒たちがみたのは、巨大なヘリコプターだった。ヘリコプターが校庭に着陸し、アーマーを来た兵隊が複数散会する。

 

「この學園は我ら《レリックドーン》が占拠したァァァッ!ゲハハハハッ!総員、配置につけェ!」

 

「ハッ!」

 

武装集団は學園を占拠すべく校舎をはじめ、あらゆる施設に大挙して押し寄せてくる。それを見てしまった生徒たちはパニック状態になった。

 

ヘリコプターから巨大な体躯の男が降りてきた。

 

「うへへへへッ、この俺様が支援部隊を指揮することになるとはな。モノべのやつは来ていないのか、ペルーの遺跡以来だってのに薄情なやつだ。まあいい」

 

「マッケンゼン様、モノべ様からあまり手荒な真似はするなよと」

 

「いいだろ、別に。《遺跡》はモノべに任せるっていってるんだからよォ。《鍵》は手に入ったって聞いてるぜ?」

 

「ですが、《秘宝》を手に入れるまで騒がれると面倒だと......。我々の任務は《遺跡》にいって」

 

「ぐへへへへッ、ならさっさと制圧しちまえば文句はねえはずだ。辺境の島国の猿が恐怖に慄いてる姿がみてーんだよ、俺はァッ!いいじゃねえかよ、少しくらい。略奪や殺戮を楽しまねーとな」

 

「......」

 

「俺様はガキの泣き叫ぶ声を聞かねーと盛り上がらないのはお前らもよく知ってるはずだ。俺様が《オデッサ機関》にいた頃から今日まで......なんで挽肉製造機と呼ばれているか知らないとは言わせないぜ」

 

「............」

 

「まったく、モノべはもう《遺跡》かァ?日本人てのは真面目すぎていけないぜ。さあて、ここにいる連中をどこか一箇所に集めろッ!」

 

「はっ!」

 

先に潜入していた兵士たちが校内放送を流し始めた。

 

「全校生徒及び教職員に告ぐ。この學園は、我ら《レリックドーン》が占拠した。今から30分の猶予を与える。全校生徒及び教職員はすみやかに体育館に集まり、我らの指揮下に入ること。抵抗する者は、容赦なく射殺する。繰り返す。全校生徒及び教職員に告ぐ。この學園は我ら《レリックドーン》が───────」

 

校庭で血を流して倒れている警備員たちを見てしまった生徒、教職員たちは、体育館にいく。《レリックドーン》たちはそのまま立てこもった。襲撃者達は事前に武器弾薬を隠し、準備を行っていた計画が狂ったため、初めからものものしい雰囲気だ。数をさらに増強したらしい。

 

「お、おい、まじでテロ組織なのか、こいつら?」

 

「正門突き破ってトラック、校庭にヘリコプター、ガチじゃない?」

 

「あの銃本物か?」

 

「警備員のおじさんたち撃たれてたし......」

 

「まじかよ......」

 

「警察や自衛隊は何やってんだ?」

 

「外部の通信手段奪われてんのに誰が連絡するって?トラックきた瞬間から携帯つかえないし、取り上げられてんのに」

 

コソコソ喋っていた男子生徒に《レリックドーン》の兵士が静かにしろと怒鳴りながら銃で脳天を殴りつけた。女子生徒の悲鳴があがる。

 

「......ど、どうしてこんなことに......」

 

響は隅の方で縮こまっていた。

 

「......う~ん、石たちがザワザワしていると思ったら、この人たちのせいかあ」

 

黒塚は水晶が入ったケースを抱えながら1人つぶやく。

 

「そこっ、静かにしろッ!」

 

「どんな石が好きだい?」

 

「石だあ?石っていやあ、宝石が好きだな。ダイヤモンド......これが終わったらプロポーズするつもりなんだよって死亡フラグを立てるとでも思ったかァッ!静かにしろといっているのが聞こえんのかッ!」

 

「なるほど......《レリックドーン》は宝石が好き......」

 

「変なメモをとるなッ!」

 

「ふふふッ......」

 

見回りの兵士たちに銃をむけられているにもかかわらず、黒塚は眼鏡を逆光でさえぎりながら意味深に笑う。

 

「石たちの声が聞こえるかい?」

 

「は?なにいっ───────」

 

「ひっ───────」

 

「何だこの音はッ!?」

 

「耳元で囁くな気持ち悪いッ!」

 

「な、なにいってんだ、お前ら?」

 

数人の兵士たちが突然銃を落としたかと思うと耳のあたりをがんがん叩き始める。やがて壁に頭をうちつけはじめ、兵士たちが羽交い締めにしてもとまらず、床で自分を痛めつけ始める。それはまるで感染するように広がっていき、次々と兵士たちがおかしくなっていく。

 

ある者はパニック状態で逃げ出し、ある者は肉体的なヒステリーあるいは感情の噴出で周りを恐怖に陥れ、またある者は早口でぶつぶつと意味不明の会話をしはじめた。

 

「ふふふッ......石はなんでも知っている~。やっと脳幹が手に入るね、よかったよ。そういえば博士がいないなあ。どこに行ったんだろう?まあいいか、あとで《遺跡》に連れて行ってくれるだろうし、僕はこの辺で失礼するよ~」

 

《レリックドーン》の兵士たちが次々と狂気に侵されていくのをまじかに見ていた生徒たちはそちらに意識をとられて一人いなくなったことには誰も気づかないのだった。

 

複数の銃声が響き渡り、我に返って逃げ出そうとした人質たちを牽制する。

 

「げははははッ!!ようこそ、我らが《レリックドーン》主催のパーティへ!猿ども、余計な気を起こすんじゃないぞ。中に狂信者が混じってるみてーだが、能無しどもと俺様はちがうからなァッ!」

 

マッケンゼンと呼ばれた男は天井にかかげた銃の引き金をひいた。蛍光灯が破裂してガラスが飛び散る。生徒たちは縮こまって体育館の隅の方によっていった。

 

「さあて、まずは男と女にわかれて1列に並べ。そして女共は講堂に連れていけッ!」

 

「はッ!」

 

人質が体育館に「すし詰め」状態のためだろうか、暑いのか狭くて暴れられないのか、マッケンゼンはそう指示を出した。

 

「白岐さん......月魅.....翔チャンたちが見当たらないの......大丈夫だよね?」

 

「大丈夫、大丈夫ですよ、きっと。《生徒会》関係者のみなさんもいないようなので、まだ掴まってはいないはずです」

 

「そうね......キュエイを倒していたはずだから、きっとまだ自由の身のはずだわ」

 

「九チャン......」

 

「なにをぐちゃぐちゃ喋っているッ!はやくこい!」

 

「きゃあっ!」

 

「八千穂さん!」

 

「何をしている」

 

「し、しかし、この者達が我らにごちゃごちゃと話していました。もしやなにか反抗を」

 

「モノべ様からの指示だ、《鍵》の女を探す。もし殺した女が《遺跡》のキーパーソンだった場合、どうなるかわかっているのか?」

 

「な、なんですとッ!?人間が《鍵》?そうとは知らず申し訳ありませんッ!」

 

「こいつらは俺が連れていく。お前は血の気が多すぎるからな、男子生徒どもをみはれ」

 

「はッ!」

 

どうやら同じ黒ずくめの男たちでも序列があるようだ。

 

「立て」

 

先程と止めに入った男が八千穂たちを促す。マシンガンがチラついている。白岐は《力》を使おうか迷っていたが、数十人も一度に相手をできるかと言われたら自信がなかった。相手を見誤ったら最後、体育館の人質が全滅することになるのは明らかだ。八千穂に手を貸し、七瀬と共に歩き出す。男を見たとき、なにかに気づいたのだ。

 

「生意気そうなガキ共だ。我ら《レリックドーン》に逆らうとろくな事は無いぞ」

 

歩きながら男がいう。銃が皇七に向いた。

 

「───────ッ!?」

 

「や、やめてッ!八坂さんは関係ないでしょッ!」

 

「関係無くはない。お前たちが余計なことをすればこの女は死ぬ」

 

「わかった......わかったから......なにもしないから......」

 

「そうだぞォ?貴様らを殺るのは簡単だが、それだとガキ共、お前らの泣き叫ぶ顔が見れないしな。これまた面白くない。どうだ?俺様のこの知能的駆け引きはよォオオ」

 

「......」

 

マッケンゼンはニタニタしながら八千穂たちの顔をのぞきこんでいた。

 

「わかったから銃をおろしてよぅ」

 

「ゲハハハハッ、ガキ共はやっぱり素直が1番だぜ。さっさと連れていけ!」

 

「はッ!」

 

背後に銃の気配を感じながら、八千穂たちは体育館をあとにした。

 

「───────......ん?どうした、応答せよ!」

 

「何事だ?」

 

「突然、アルファ班からの通信が途絶えましたッ!」

 

「なんだとッ!?」

 

「報告しますッ!!ブラヴォ班やチャーリィ班の通信も途切れましたッ!」

 

「馬鹿どもめッ!モノべからの調査報告書を読んでなかったのかッ!?《生徒会》関係者共の仕業に決まっているだろうがッ!殺せ、視界に入り次第射殺しろッ!ただちに救援に迎えッ!」

 

マッケンゼンの苛立ったような叫び声が体育館に木霊する。生徒たちはヒソヒソと《生徒会》の関係者たちがここにいないことに気づいて、目の色に光が戻り始める。訳の分からないバケモノを倒していたという目撃情報が広がっていく。舌打ちをしたマッケンゼンはあたりに銃を乱射した。生徒たちの悲鳴があがる。

 

「いいことを思いついたぜ、おいテメーら、校内放送の設備はどこだ!これ以上好き勝手するようなら体育館ごと吹き飛ばすと警告してやれッ!!武装集団が立てこもる体育館で爆発が起きたらどうなるか、奴らもわかるはずだからなァッ!銃撃戦になるか、屋根が崩落して完全に崩壊するか。楽しみだぜえッ!」

 



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虚人たち2

「......?」

 

八千穂は校舎からも体育館からも講堂からも離れていく自分たちに、次第に怖くなってきたのか沈黙したまま七瀬や白岐をみる。七瀬は八千穂と同じ気持ちのようで視線がかち合うたびに互いに張り詰めた緊張感の中にいることを自覚してしまい、息を飲む。

 

「なにをキョロキョロしている。さっさと歩け」

 

背後からマシンガンの気配がする。葉佩と《遺跡》探索にいったことがあれば、マシンガンがどれだけの威力があるあぶない武器なのか、なんてすぐにわかる。おもちゃじゃないことくらいわかっている。だから冷や汗が止まらないのだ。

 

この《レリックドーン》の兵士は明らかにマッケンゼンや喪部銛矢の指示をガン無視して八千穂たちを体育館から連れ出しているのだ。なんのためになんて嫌でも想像してしまう。

 

銃を前にしたら、キュエイの騒ぎの時にパジャマのまま飛び出してきた格好のままの八千穂も七瀬もなにもできない。白岐が唯一打開できるような特殊な《力》がつかえるが、白岐はマシンガンより先に攻撃はできないと考えたのか一切抵抗しない。淡々とした表情のまま歩いている。

 

白岐を守るよう阿門に言われたことを思い出した八千穂は、なにもできない自分が心底嫌になる。ラケットとテニスボールさえあればなんとかなるのにと思うがなにもない今は歩くしかないのだ。

 

相変わらず黒い雪は降り続いている。

 

八千穂はふと白岐をみた。そしてとっさに白岐のてをとる。

 

「?」

 

白岐は冷静なのではなかった。八千穂や七瀬と同じで不安で怖くて泣きたくてたまらないのに我慢しているだけだった。手が、指先がふるえていた。八千穂が手を握ったことでバレてしまったと悟った白岐は目を伏せた。

 

「入れ」

 

《レリックドーン》の工作員が促したのは何故か温室だった。白岐が鍵をあける。震える手で七瀬と八千穂は扉をあけるのを手伝った。

 

冬の雪の日、しかも黒い雪が積もる温室はいつも以上に薄暗かったが、誰もいないことくらいすぐにわかった。

 

「きゃっ」

 

「早く入れ」

 

後ろから無理やり押し込まれる。そして乱暴に扉は閉められてしまった。扉の前に《レリックドーン》の黒い武装が透けて見える。殺されたり、乱暴にされたり、酷い目にあわなくて済んだのは奇跡だと七瀬はその場に座り込む。本当によかった、と泣きそうな顔でいう。どうやら立てなくなってしまったようだ。

 

「月魅~!」

 

「八千穂さん......」

 

2人は抱き合って互いの無事を喜んだ。

 

「白岐さんッ!」

 

「八千穂さん......」

 

「閉じ込められちゃったけど、なにもなくてよかったよ~ッ!」

 

今度は白岐に抱きつく八千穂である。白岐は驚いていたが抱きしめ返した。

 

「でも......どうして私たちだけ隔離されてしまったんでしょうか?やはり《レリックドーン》側に私たちも九龍さんのバディだとバレているからでしょうか?」

 

「う~ん......どうなんだろう?でも、今の私たちだったら講堂でもおなじじゃないかなあ?」

 

「そうですよね......椎名さんや双樹さんのように《力》がある訳ではないですし」

 

「うん、《レリックドーン》には全部バレてるはずだもん。九チャンいってたし」

 

「......それは」

 

「え?」

 

「白岐さん、なにか知っているんですか?阿門さんが九龍さんにあなたを守るよういったのと何か関係が?」

 

「......おそらく、私が目的なのだと思うわ。《鍵》の女を探すといっていたでしょう?私にはなんのことだかわからないけれど、あの子たちがきっと関係があるんだわ」

 

「《6番目の少女》の......」

 

白岐はうなずいた。

 

「ごめん」

 

「え?」

 

「ごめんね、白岐さん。あたし達が守ってあげるっていったのに、全然守れてないよ......」

 

「そんなことないわ、八千穂さん」

 

「でも......」

 

「謝るのは私の方。あちらも私が八千穂さんや七瀬さんと仲良くしていることがわかっているから2人まで無理やり連れてきたんだわ。今までの私だったら1人だったはずだもの」

 

「白岐さん、それは謝るべきことではありません」

 

「でも、2人まで巻き込んでしまったわ」

 

「それでもです」

 

「そっ、そうだよッ!あたしも月魅も白岐さんの友達なんだからッ!そんな事言わないでよッ!ね?」

 

「............ありがとう、ごめんなさい」

 

「ごめんなさいはなしだよ」

 

「......ありがとう」

 

「うんッ!」

 

八千穂がうなずいたあたりで七瀬が入口を見た。

 

「どうしたの、月魅」

 

「いえ......私たちの会話は聞こえているはずなのに、いくら話しても無視を貫くのは違和感が......」

 

「た、たしかに......《鍵》のこととか、色々いっちゃってるのに、何もいってこない......ね......」

 

おそるおそるその背中を見つめていた八千穂たちは、その背中が動いて敬礼したことに気づいて悲鳴があがる。とっさに後ろに下がった。

 

「し、白岐さんッ、あぶないよ!」

 

微動打にしない白岐に八千穂は叫ぶが白岐は笑う。

 

「大丈夫よ、八千穂さん、七瀬さん。ようやく確信がもてたわ。彼は......味方............いえ、ここは安全地帯のようよ。ねえ、九龍さん」

 

敬礼した《レリックドーン》が横にどく。その先には葉佩たちがいた。

 

「き、九チャンッ!?」

 

「やっちー!月魅!白岐!よかった、無事で!」

 

「えっ、えっ、どういうこと!?なんで《レリックドーン》が?」

 

葉佩と皆守が温室に入ると見張りをしてくれるようで《レリックドーン》がまた扉の前にたち始めた。

 

「驚いたのは俺もだよ。男子寮で一旦立て直そうと思ってたら、手紙が入っててさ。今、學園全体が妨害装置のせいでメール使えないからって伝言が入ってたんだ」

 

「誰から?」

 

「阿門だよ」

 

「えっ、阿門クン?」

 

「《遺跡》に行く前に《温室》に来いってあってさ~、来てみたら《レリックドーン》いるしみんな中にいるし、捕まったのかと思ったら外のアイツ様子がおかしいし」

 

「まさか《レリックドーン》に敬礼されて通してもらえるとは思わなかったぜ」

 

「たぶん、阿門がキュエイ無視してまでやろうとしてたことの1つはこれだったんだろうな~」

 

「どういうこと?」

 

「男子寮前のキュエイを倒す時に、阿門のやつ途中で離脱しやがったんだ」

 

「たぶん、《黒い砂》で《記憶》を操作したんじゃないかな~?《生徒会》のみんなと違って今回はガチの敵だからさ、阿門も容赦ないんだと思うよ」

 

「阿門さんが......」

 

「《黒い砂》ってそんなことまでできるんですね。さすがは1700年も守り続けてきた《墓守》の一族です」

 

「そっかあ......阿門クン、九ちゃんが白岐さん守ってくれるって信じてるから助けてくれたんだね!」

 

「そうなんだよ~。貸しを返す時だとかなんとか書いてあるんだけどさ~、こんだけドデカい貸しだったっけ?」

 

「......阿門にとってはそうなんだろうよ」

 

「そっかあ~」

 

「肝心の阿門はどこにいるんだか定かじゃないがな」

 

「そうなんだよな~、後でまた貸付けしなくちゃな」

 

葉佩は阿門からの手紙を大事そうにしまった。

 

「なんにせよ、やっちーたちが無事でよかったよ。阿門がここまでするってことはさ、白岐が《遺跡》の《鍵》なのは間違いないみたいだし」

 

「そうだ、そうなんだよっ!体育館に集められたみんな、男女にわかれて女の子は講堂に移動させられてるのッ!」

 

「校内放送でいってたやつだよな......《生徒会》、《生徒会執行委員》のみんなが人質解放するために頑張るから《遺跡》にいってくれって言われちゃってるんだ、俺。喪部銛矢が《遺跡》にいったらしいからさ、頑張るよ」

 

「そっか......じゃあ、あたし達ここで待ってる。白岐さんのことは月魅と一緒になにがあっても守るからねッ!九ちゃん、安心して!」

 

「ありがとう、やっちーッ!俺頑張るから、もうちょっとだけ我慢してくれ!」

 

「うん、がんばるッ!えへへ......九ちゃんがいなかったら、みんなで泣いちゃってたかもしれない。来てくれてありがとう」

 

葉佩に頭を撫でられて、へにゃっと笑った八千穂に七瀬は笑った。白岐も笑っていたのだが、いざ出ていこうとした葉佩をみて、あわてて口を開く。

 

「待って、九龍さん」

 

「うん?どうしたんだよ、白岐」

 

「私ではないんだけれど......私の中にいる誰かが、あなたと話をしたいと思っているようなの。少しだけ時間をくれないかしら?」

 

「白岐じゃない誰か......翔チャンの中の《アマツミカボシ》みたいなもんかな?白岐ならアラハバキ族の誰か、とか?」

 

「いえ......私はアラハバキ族ではありません。私もまた《遺伝子操作》を受けた世話役の巫女の一人にすぎませんでした。かつては大和朝廷の巫女を務めていたこともありますが、その体は《遺跡》に囚われ、《遺伝子情報》として人体実験のひとりに移植され、今にいたります」

 

「......驚いた。そのお守りの張本人じゃん」

 

「そうですね.....」

 

白岐の体をした誰かがお守りにふれる。

 

「取り戻してくれて、ありがとうございます。これはなによりも変えがたい、大切な宝物でした」

 

そして葉佩を見上げる。

 

「こうして会うのは初めてですね、葉佩九龍。私は《大和の巫女》と呼ばれていた者。あるいは白岐幽花、彼女の《遺伝子》に眠る太古の記憶。あなたに大切なお話があります」



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虚人たち3

「待っていたわ......。あなたに逢いたかったわ。この子も......あなたに逢いたがっていた。きっと、その瞳ね。あなたの瞳に映る自分の姿を見て、この子は感じたのでしょう。あなたなら、自分を救い出してくれるだろうと」

 

ふいに気配がしたかと思うと、そこには双子の少女が立っていた。

 

「この《墓》を目覚めさせようとしている者たちの意思によって、眠りは妨げられてしまった」

 

白岐はつづける。

 

「この子たちもまた、かつて《封印の巫女》として、この少女の祖先の一部だった存在。この子が《巫女》としての血をうけ継いできたように彼女たちもまたはるか昔より《墓》と共にこの学園を見守ってきたのです」

 

「お見せしましょう」

 

「本来の私たちの姿を」

 

2人の姿がみるみるうちに姿を変わっていく。双子の姿が2つの勾玉に変わり、白岐に寄り添っていく。白岐の姿が白い装束に身を包んだ巫女の姿となった。

 

「同じ、だな」

 

「埋葬されてたミイラが着てた衣装とまるでおなじだ」

 

「葉佩九龍───────。私は今まで、あなたの活躍を、この子や双子の瞳を通してずっと見てきました。あなたには、強い運と運命を切り開く才能があるのですね。それこそが、あなたが、ここまで進んでくることが出来た理由───────。恐るべき《力》

を持った存在がこの《墓》に封印されている存在を無理やり目覚めさせようとしている今、一刻の猶予もありません。少女の血と共に受け継がれた記憶と双子が見てきた光景が交わった時に示される真実......この国の血塗られた歴史をあなたに託したいと思います」

 

「俺達が調べてきたことがあたってるかどうか、答え合わせができるってわけだ。聞かせてくれ」

 

「やはり、私が───────、そして、この子が見込んだだけのことがある人ですね。あなたなら、そういってくれると思っていました。誰でも本当のことを知るのは怖いもの。真実を知るということは、隠されていたものが見えるという事です。それは空に浮かぶ雲の向こうに輝く太陽の眩しさであったり、濁った湖の底に蠢く不気味な目であったり。知らなければ平穏に過ごせるかもしれないという恐怖が人を真実から遠ざけてしまう。けれども、あなたには無駄な質問だったようです。それがなによりも嬉しく思います。それでは、話を始めましょう」

 

《封印の巫女》から語られる真実は、葉佩が今まで仲間たちと調べてきたものと何ら変わらないものだった。

 

しかしながら、当事者から直接語られるというこれ以上ないほどの衝撃をもって、改めて葉佩の前に突きつけられることとなる。

 

《天御子》と呼ばれる類まれなるテクノロジーを持った高度な文明を持った正体不明の集団により支配された《大和朝廷》。その《大和朝廷》が版図(はんと)を広げるたびに、収容施設に強制連行される人々。天香學園の《遺跡》はその主要施設であり、かつてアラハバキという自然神を信仰し、自らもアラハバキ族と名乗っていた蝦夷もまた実験体となった。

 

地中に埋め込まれた巨大な石の研究施設で古代日本文明の遺伝子工学と古代エジプト文明の死者蘇生のテクノロジーの粋を集めて作られたおぞましい《遺伝子操作》の実験場。

 

「暗く、血と狂気が充満した異様な石の空間でした。今でも克明に思い出す事が出来ます。昼夜問わずあの忌まわしい場所で実験は続けられ、その過程で様々な生命が生み出されました。そう、あなたが《墓》でみた化人と呼ばれる生き物たちです。植物の細胞と生きたまま掛け合わされた者。機械に麻酔もなく臓器と繋がれた者。人間が考えうるあらゆる冒涜的な実験が行われたのです。そして、この《墓》が様々な環境の階層があるのは、その実験体をあらゆる環境下で実験するためでした」

 

誰もが息を飲んで《封印の巫女》の話を聞いていた。

 

 

 

「私は実験体の彼らの世話役をしていた巫女のひとりでした。様々な実験に晒されながら人とは違うものに成り果てていく彼らに何も出来なかった。研究者たちが人知を超えた力を開拓するのと引き換えに、彼らは理不尽な運命をたどりました。そしてここから違うどこかに運ばれ、二度と会うことはありませんでした。そして度重なる苦悩と激痛の果てに発狂する者たちだけが残されたのです」

 

《封印の巫女》は悲しげに目をふせた。

 

「そこに彼が連れてこられたのは、彼岸花が咲き誇る季節でした。兄の子供たちを《天御子》の力が及ばないはるか遠くに逃がしたことを誇らしげに語る彼こそ、《長髄彦》、この《遺跡》に封印されている者の正体です」

 

《封印の巫女》の声が震え出す。

 

「彼もまた、狂気に晒された結果、己こそが《神》だと思い込むようになりました。かつて信仰していた荒神、アラハバキなのだと。迷走する技術が生み出し、創り上げてしまった異形の《神》は、もはや研究者たちの制御の叶わぬ脅威と成り果てたれたのです。研究者たちはただちに研究施設を放棄し、全てを狂える《神》を根底に封じ込めると厳重に《鍵》をかけました。そして、かつて彼が反乱を起こしてまで逃がそうとした巫女たちの中に《鍵》を隠しました」

 

「それが君なんだ」

 

「適応できたのは私だけでした」

 

「───────......だから、絶望した?」

 

「......?」

 

「狂気から醒めてしまうほどの絶望にうちひしがれて......」

 

それは七瀬だった。

 

《封印の巫女》は反乱の詳細について話そうとはしなかったが、《長髄彦》に長期間にわたって憑依されてきた七瀬が夢として見てしまったあらゆる出来事を思い出してしまったのだ。七瀬が《長髄彦》の変化について口にすると、《封印の巫女》に動揺がはしる。

 

「どうか、お願いです。彼を救ってください......。もはや殺すことでしか、彼を救う手立てはありません......。《墓守》も《巫女》も逆らうことが許されない呪いにかけられているのです。あなたのような人に託すしか、方法がないのです。どうか......どうか......彼が人としての正気を取り戻しつつあるというのなら、どうかそのまま人としての死を───────」

 

《封印の巫女》が手をかざす。勾玉が輝きだし、首飾りが呼応するように宙に浮く。足元に見た事がないような魔法陣が出現し、彼女はそこに手を伸ばした。そこにあったのは、巨大な剣だった。

 

「私は《封印の巫女》、《遺跡》の《封印》が解けてしまえば実体化することすら叶わなくなってしまうのです。だから、葉佩九龍、あなたにこれを託します。まだ私の《力》が及ぶ今のうちに───────」

 

葉佩は剣を受け取った。

 

「あなたに加護を授けます。この勾玉をどうか持っていってください。付喪神である彼女たちが《遺跡》の行先であなたを困難から守ってくれるでしょう。この子はこのお守りを媒介にして私が力の及ぶ限り守ります。この子も、この子のお友達である、少女たちも......」

 

《封印の巫女》が《6番目の少女》たちの正体である勾玉を差し出した。葉佩はそれを受け取る。

 

「どんなつらさや悲しみにも耐え、耐え抜いて、それに打ち勝ち、一身の利害を度外視して行動する勇ましさがある。あなたを見ていると、在りし日の《長髄彦》様を思い出してしまう」

 

《封印の巫女》は悲しげに目をふせた。

 

「本当に勇気のある人は温和です。平静さは静止の状態での勇気です。真に果敢な人間は常に穏やかで、決して驚かされず、何物にもその精神の均衡を乱されない。そのような者はどこであっても冷静です。破壊的な大惨事の中でも落ち着きを保ち、地震にも動揺せず、嵐を笑うことができる。死の危険や恐怖にも冷静さを失わず、たとえば迫り来る危機を前にしても笑うことが出来る。そういう人こそ偉大なる人と賞賛されるのだと私は思います。私はそれを「余裕」と呼んでいます。そうした人は慌てることも混乱することもなく、さらに多くのものを受け入れる余地を残している。あなたはその全てを備えていると思えてならない。そんなあなたに託そうとする私の身勝手さをどうか......」

 

葉佩は笑った。

 

「そこまで言わなくても大丈夫だって、俺がなんとかしてやるよ。俺がどうにか出来なかったら、どのみち東京は終わるわけだからな。今更逃げたりしないって。安心してよ」

 

「ありがとう......ほんとうに、ありがとう」

 

《封印の巫女》から一筋の涙が伝う。そして彼女は光に包まれていく。崩れ落ちる白岐を葉佩はあわてて受け止める。

 

「白岐さんッ!大丈夫?」

 

「......大丈夫みたいですね、寝息が聞こえます。どうやら一種のトランス状態だったようです。きっと大人しくしていれば目を覚ましますよ」

 

七瀬の言葉に誰もが安堵の息をはくのだった。

 

「考えていた以上に壮大なもの託されちゃったみたいだけど、大丈夫?九チャン」

 

「へへッ、男冥利につきるってね!ここまで期待されたらやるしかないだろ。ここで逃げたら男が廃る!」

 

「あははッ!いつもの九チャンだ~。なんか安心しちゃったよ。この調子でいつもみたいに帰ってきてねッ!」

 

「おう!」

 

「......九ちゃん、そういうことならバディに誰か声掛けていけよ」

 

「そうだな!こんな剣託されちゃったし、真里野に声かけなきゃ」

 

「真里野さんですか?真里野さんでしたら、もしかしたら図書室にいるかもしれません。メールがまだ使えたとき、校舎のキュエイの騒ぎで図書室に被害が出てないか心配だから見てきてくれるとあったんです」

 

「了解ッ!よ~し、真里野と合流して《遺跡》にいくか、甲ちゃん」

 

「......あァ、そうだな」

 

 

 



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虚人たち4

 

「Sniam set ertne tse nitsed not,Sniam set ertne tse nitsed not......」

 

一分間の呪文が終わる。私の中の大切ななにかが失われる気配がしたが、さいわいまだ私の正気度は保たれたままである。要求される魔力は霊地であるこの《遺跡》の恩恵をうけることで常人では成し得ない量を確保することに成功した。H.A.N.T.を起動してみる。

 

「7時間か......それだけあれば充分だよね」

 

いくら長期戦でも膠着状態でもそこまで時間がかかるとは思えない。私は深呼吸した。

 

「待たせたな、翔」

 

「来てくれてありがとう、大和」

 

「む......?またなにかしたのか?」

 

「まあね。これから喪部銛矢がいるであろう階層まで降りるわけだから。お守りだよ、お守り」

 

「そうか......ならいいんだが......。やはり慣れないな、その邪教由来の《力》は」

 

「《如来眼》は見ることに特化した《力》だからね。私が私を守るためにはこれに頼る他ないんだ。銃火器だけじゃ心もとない」

 

「龍脈の恩恵を受けているのは君だけではないんだ。喪部銛矢もそうだろう。過信は禁物だ」

 

「わかってるよ。さあ、いこうか」

 

私は夕薙に《遺跡》に続く縄ばしごを指さした。

 

「大和にはお世話になろうとは思ってたんだ。《生徒会》関係者じゃないし、精神的な耐性もあるしね。なにより友達だ」

 

「そう思ってもらえて光栄だ。それにしても、九龍はいいのか?次の区画には一緒に潜る約束をしてたんだろう?」

 

「そのつもりだったんだけど、こんなことになっちゃったからね......。阿門には私がどうするか伝えてあるから、きっと伝えてくれるはず。合流出来たらいいけど、できなかったら仕方ないよ」

 

「そうならないことを祈るばかりだな。それにしてもその姿の君を見るのは5ヶ月ぶりだな」

 

「そうだね、私もここまでフル装備になるのは久しぶりだよ」

 

「まさか九龍より先に《遺跡》を攻略するつもりなのか?」

 

「違うよ。別の経路から最深部までなら踏破したことがあるから、その先を目指すだけ。どうやら私は無自覚のうちに《如来眼》の力を使っていたみたいなんだ。歴代の《宝探し屋》が開拓しては《生徒会》が潰してきた経路を辿ってきた。それが魂の安置所だったとは知らなかったけどね」

 

夕薙と巡る《遺跡》の回廊は、いずれも《生徒会執行委員》の思い出から派生した化人が出現した場所と繋がっており、今はかつて担当していた区画と繋がっているのがわかる。

 

「なるほど、大気の流動を感知できるというわけだ」

 

「今の私に隠し通路は通用しないからね」

 

眼鏡を外し、《如来眼》を発動させた。

 

「本当にそれだけか?」

 

私は足を止めた。

 

「誰だ」

 

「ジェイドさん......」

 

「なぜ彼がここに?たしか、《ロゼッタ協会》の関係者だと九龍から聞いていたが......。翔、君がよんだのか?」

 

私は首を降った。

 

「《如来眼》を始めとした数多の魔眼の源流がこの《遺跡》にあるとは僕も知らなかった。だから興味深くてね、連れて行ってはもらえないか?《アマツミカボシ》というこの《遺跡》を作り上げた研究者のパスコードは今なお健在なようだからね」

 

「えっ、そうなんですか」

 

「ああ、やはり無自覚だったようだな。来てみて正解だったよ。君は今から江見睡院を救いにいくんだろう?だがあれだけ大規模な悪魔祓いに氣のバランスを正常化させる術式を長時間発動しておいて、精神力や魔力は足りるのか?」

 

私は顔をひきつらせた。

 

「やはりな」

 

「翔、お前......」

 

「仕方ないでしょ......まさか喪部銛矢がここまで本気で潰しにかかるとは思わなかったんだよ......」

 

「という訳だ」

 

夕薙の視線が痛い。

 

「《長髄彦》が託してくれたオーパーツ駆使すればギリギリ足りたからさ......」

 

「ギリギリで足りた試しがないがね。《タカミムスビ》を解放しようとしている喪部銛矢が妨害しないわけがないだろう」

 

「あはは......」

 

私は肩を落とした。

 

「なんで今更でしゃばってくるんですか......今までなんにもしてくれなかったのに」

 

「バレたら無理やりにでも撤退させようとするだろうと僕達になにひとつ教えてくれなかったのはどこのどいつだ」

 

「うっ......」

 

「たしかに僕は君に彼の体を託したが、体さえ無事ならそれでいいと言った覚えはないぞ。イスの力を借りれば死に戻りができると皮算用しているようだが、君の精神がまともでいられると思ったら大間違いだからな」

 

「おい、翔。それはいったいどういう......」

 

「やはりな、夕薙君に詳細を伝えていなかったのか......君ってやつは......」

 

ジェイドさんが夕薙に私がわざと伏せていた精神交換の意味とバックアップの意味を発狂しない程度のニュアンスでばらしてしまった。

 

「すでに後戻りできない状況なのはなにも変わらないじゃない。私はすでに時間旅行したあと、イスの力を借りないと猟犬に追っかけられることになるの。イスには逆らえないし、逆らう気もない。今の状況から隠れても《天御子》に見つからないか一生怯えてくらさなきゃいけなくなる。そっちの方が私は嫌なの。私の世界にはなにひとつ、私を守ってくれるものはない。私がみんなを守らなきゃならなくなる。それくらいなら帰るのは、全部終わってからだって決めたんだ。私は私がすべきことをするだけなんだから」

 

「強烈な強迫観念の正体はこれか......ようやくわかった。君はどこまでも死にたくないだけなんだな」

 

「最初からそういってるでしょ。助けてもらいたいけど、助けてっていってる場合じゃないんだから」

 

「......できるなら、もう少し僕に話してほしかったんだがな......」

 

「ジェイドさんは忙しいじゃないですか。私だけに構ってる暇はないはずです」

 

「否定できないが、これだからな......。《如来眼》について教えているのに師匠の話は聞きやしない」

 

ジェイドさんはため息をついた。

 

「こうしてみると、本当にこの《遺跡》は逆さピラミッドなんだと実感するな」

 

「そうだね」

 

「ところで、翔。よかったのか、阿門に《ロゼッタ協会》からの情報を直接流してしまって。九龍を経由した方がよかったんじゃないか?」

 

「君らしくないな」

 

「あいつらが来たら通信手段が絶たれるから仕方ないよ。時間がなかったんだ。江見睡院のH.A.N.T.に連絡がきたといえばどうにでもなるよ」

 

「君にしては随分と思慮が浅いな。さすがに九龍君より先に情報が来るのはおかしいと気づく人間は気づくんじゃないか?」

 

「それでも構わないですよ。今から問いただせるような時間は残されていないのだから。情報漏洩やらかした奴に直接渡すより保護者経由で渡せって指示がきたからとでもいいます」

 

「九龍は誤魔化せるかもしれないが察しの良い人間には通用しないんじゃないか?」

 

「どうだろうね。よりによって《レリックドーン》に最前線のサイバー装置たるH.A.N.T.の情報を抜かれたうえに、ネットワークを掌握されかけたんだ。未遂に終わったとはいえ、クラッキングまで仕込まれましたとなれば、最悪どれだけ甚大な被害がでたと予想できる?《ロゼッタ協会》は今、必死でリカバリーに追われていて、こちらへの支援もままならない。だから強制的に撤退にならずにすんでるわけだけどさ」

 

「詳しいんだな......」

 

「九龍の通販サイトをやってるのになぜそんなことを?」

 

「ああ、大和。それはね、ジェイドさんは共同経営者にネット関係は委託してるんだよ」

 

「そうなのか、適材適所だな」

 

「......イスはそんなことまで情報を渡していたのか、侮れないな。たしかに事実だが」

 

「精神交換前の私がそういう業界に身を置く人間だったのもありますけどね。《ロゼッタ協会》情報局には心底同情しますよ。H.A.N.T.のネットワークは基本的に同じサーバやサービスを利用している以上、一から全部新しく構築しようと思ったら技術班は地獄を見る?だから喪部銛矢には全部バレてると思って行動してきたんだ、私は」

 

「まったく......なぜそういうところばかり慎也と似ているんだろうな、君は」

 

「精神交換自体は魂の性質がよく似た人間同士じゃなければ上手くいかないからじゃないですか?」

 

私の言葉にジェイドさんは苦笑いした。

 

「そんなに似ているのか?翔と時諏佐慎也は」

 

「ああ。いつだったか、運命というものは本当にあるのだろうかという話をした時のことを思い出すよ」

 

目的の区画までまだまだ先だが、《タカミムスビ》の堕慧児は最深部付近から動こうとしないのが観測できた。喪部銛矢がそこにいるのはわかっている。そのことを伝えると2人は雑談に戻った。

 

時諏佐慎也は、当然あると答えた。《宿星》に抗おうとしていながらそんなことをいうものだから、ジェイドさんは聞いたらしい。

 

「運命っていったいどういうことだ?もし運命がその人の全てを決めるなら、≪努力すること≫になんの意義がある?」

 

「手相には運命線、愛情線、事業線なんかがあるだろ?この手をまっすぐ伸ばしてオレの真似をしてみてよ」

 

「?」

 

「こぶしを握った?」

 

「握ったが......」

 

「翡翠の運命線はどこにある?」

 

「僕の手の中だな」

 

「運命はどこにある?」

 

「......僕の手の中にあるといいたいのか?」

 

「そうだよ。他の人が翡翠に何と言おうと、それがたとえよく当たる占い師の先生だったとしても。翡翠の運命は翡翠の手の中にあるのであって、他人の口から出てくる言葉じゃないんだ。そしてそれが運命というものなんだよ。握りこぶしを見てみて。翡翠の運命線は握りこぶしの中からほんの少しだけはみ出してるだろ?握りきれていない部分があるだろ?それが何を意味数かわかる?運命の大部分は自分の手の中にあるけど、ほんの一部のみが天が把握している部分なんだ。だからオレは《宿星》もそうであってほしいだけなんだよ」

 

そういって彼は笑ったそうだ。

 

「なるほどな」

 

「えっ、今の話のどこに私と似てる要素があったの?中学生とは思えないくらいしっかりした子じゃない」

 

私の言葉にジェイドさんだけじゃなく夕薙まで苦笑いしはじめた。なんでだよ。



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虚人たち5

葉佩たちは図書室に籠城している真里野と会うことができた。

 

「《生徒会》に加勢しなくてもよいのか?」

 

葉佩に《遺跡》にきてくれるよう要請された真里野は少し戸惑いがちにいう。

 

「それは心配してないよ、阿門たちに任せる」

 

真里野のいる図書室に向かう道中で、潜伏して状況を把握するための情報収集に徹していた葉佩は、総合的に判断して決断を下したのだと説明する。《ロゼッタ協会》でサバイバルや対人の訓練をうけている《宝探し屋》は、極めて冷静にどこを狙って攻めれば統率が崩れるか知っているのだ。

 

「《レリックドーン》の一般兵士は特殊な《力》を持たない普通の人間みたいだ。マッケンゼンみたいな幹部ならそれなりの《力》があるんだよ。つまり、幹部連中を落とせばいけるって阿門は考えたんだと思う」

 

「ふむ......」

 

「阿門は墓守の一族として《遺跡》を守る使命を遂行しているだけで、無差別に人を傷つけるような人間じゃないのはよくわかってる。強い自制心をもってるから任せていいと思うぜ。強大な《力》をもつってことは、相応の自制心がなければ破滅するしな」

 

「なるほど......九龍がそこまでいうのなら、もう一人の幹部である喪部銛矢の討伐にいくとするか」

 

こうして葉佩は皆守と真里野をつれて《遺跡》に潜入した。大広間にはすでに11番目の東南東の扉があいていた。

 

「おっかしいなァ......。新しい区画の扉があいてるけど、ギミック突破された形跡がないなんて」

 

「......なら別のエリアにいるんじゃないか?」

 

「いんや、そうはいかないみたいだよ、甲ちゃん。《魔人》の反応があるのは、この区画の最深部だ。しかもギミックを解放して、魂の霊安室の隠し扉を見つけないといけない場所みたいだ」

 

「......つまり、このエリアを踏破しないと先に進めないってことか」

 

「そういうこと」

 

「もし阿門が管轄しているエリアだとするならば、九龍......これは謀られたのではないか?倒すべき敵がいなければその回廊にはいけないのだろう?」

 

「詰んだ状態ではないと思う。現に喪部銛矢はその先に行けずに留まっているわけだし。このエリアを踏破しなきゃ進めないみたいだ。ま、あそこまで行けたのは《ニギハヤヒ》のパスコードが有効だったからかもしれない。俺たちはいつもみたいに進むしかないな」

 

「なるほど、あいわかった。用心して進むとしよう」

 

「......ああ、わかった」

 

《遺跡》の中は異様なほど静かだった。化人はいるし、ギミックやトラップもあるのだが《レリックドーン》の兵士がひとりもいない。まさか喪部銛矢ひとりなのだろうか。そんなことを思いながら葉佩たちは化人の猛攻を斥けながらエリアの最深部を目指す。

 

このエリアは常世の国がモチーフのようだ。それは海の彼方にあるといわれた桃源郷だ。古代人は不老長寿とあらゆる富にあふれた理想木だと信じ、アテン神官の末裔たちは海の彼方にある祖国のエジプトを夢見たのかもしれない。

 

だが、常世の国とのイメージとは程遠く、《長髄彦》を呪われし存在として地の底に葬るという目的のためか、桃源郷よりも黄泉国や根の国、またの名を地獄というイメージなのかもしれない。

 

常世の国は海のはるか向こうにある未知の国である。そこに《長髄彦》を流してしまえという呪詛を葉佩たちは感じ取ることが出来た。

 

「あーやだやだ、《長髄彦》の墓室があったのは呪術をかけるためかよ~ッ!そこに巫女たちのミイラを生贄にして?どんだけ残虐非道なんだよ、《天御子》!そんで弱体化させた《長髄彦》を常世の国にってか?」

 

「ふむ......このエリアだけ他の神話と繋がらないエピソードなのはそのためか?」

 

「記紀神話に散らばってる常世の国のイメージをかき集めて作ってあるんだよ、きっとな」

 

そこは終始、常世の国にまつわるエピソードをモチーフにしたギミックだらけの溶岩のたぎるエリアだった。

 

「今までと雰囲気が違うなあ。ここも《封印の巫女》がいってたあらゆる環境での実験場だったのか?もしかして」

 

「ふむ......たしかに極寒の地や砂漠の地など様々なエリアがあったな。ここは灼熱の大地といったところか」

 

「モチーフは常世の国かァ」

 

「死者の国だな」

 

「いよいよって感じだ。よしいこう」

 

葉佩はいつもの調子で2人を先にうながした。だんだん口数が少なくなってきていた皆守だったが、最終エリアに到達したとき、意を決したように口を開いた。がらんどうな区画で葉佩はいつものように笑っている。

 

「......なあ、九ちゃん。九ちゃんには家族はいるのか?」

 

「家族?いるよ?香港の刑務所にいる兄ちゃんがひとりね」

 

「刑務所?」

 

「知ってる?香港てさ1993年に死刑が廃止されて以来、中国に返還後も死刑制度復活してないんだ。まあ、いつまでかはわからないけどね、中国の影響も強まっていくだろうし」

 

「......それだけ重罪をおかしたのか」

 

「そうだな~......弟を救うためとはいえ、ちょっとやりすぎたってよく言われるよ」

 

「?!」

 

「中国なら死刑だっていわれた」

 

「......そうか」

 

「でもさ~、九龍城って麻薬の温床だったんだ。一度どっぷり溺れて二度と浮き上がる気すらないような人間がまともになることなんて絶対にないんだよ。そこから俺を救い上げてくれたから、俺は誰がなんといおうと兄ちゃんは兄ちゃんだと思ってるよ」

 

「......九ちゃん、もしかして、學園祭のあれは実体験なのか?」

 

「あ~、そんなこともあったっけ?懐かしいなァ。しかし、なんでまた突然?」

 

「いや......どんなやつにも家族はいるんだなと思ったんだ」

 

「そりゃそうだろ、親がいなきゃ子供は生まれないよ。どんなに屑な親でもね」

 

「......」

 

「甲ちゃん?」

 

「手紙が来たんだ」

 

「誰から?」

 

「......あの教師の遺族から」

 

「......そうなんだ」

 

「あァ......俺はなにひとつ覚えちゃいないが、たくさん思い出が書いてあった。聞いてくれるか」

 

皆守は感情を押し殺しながら話し始めた。

 

かつて皆守はいつも周りでトラブルを起こしてばかりの生徒だった。それはこの學園に入学してからもかわらず、なにを考えているかよくわからないと教師や生徒から怖がられていた。その目が不気味だといわれたこともある。乾いた、底が見えない目をしていると。

 

《生徒会》と無関係なため教師たちが目をつけやすい問題児だったこともあるのだろう。1年生の二学期にはとうとう退学処分が下りそうになったこともある。

 

「よく言うキレやすい若者、無軌道な若者、そんないい方をしやがる連中だった。そういう奴に限って学生時代に俺と似たような問題起こしてる癖にやんちゃだとかなんとか言いやがる。下手したら他の生徒の一生狂わせたくせに変に記憶を美化して、いい時代だったのにお前はってな。俺からすりゃ本当にそうだったのか?っていいたかった。だってそうだろ?何をしたいのか、何になるべきなのか、自分はいったいなんなのか、漠然とした不安をかかえながら焦燥感だけがあるんだ。なのに俺の周りには話を聞いてくれそうな大人はいなかった」

 

「未来の可能性への不安てやつだね。選択肢の多さはいつだって人を迷わせる。進むべき方向性もわからないのに、ただ時間は流れていく。そりゃ、誰だって不安だよ。濃霧の中を携帯やライトもなしに歩くようなもんなんだから」

 

「あァ......九ちゃん......あのとき、お前がいてくれたら俺は......おれは......」

 

皆守は言葉に詰まりながらも必死で言葉を紡いでいく。

 

「普通は大人になるにつれて、進むべき道や目標が定まってきたら、だんだん落ち着いてくるんだろう。でも、俺はそうじゃなかった。いつまでたっても満たされることがない不安や焦燥感を抱えたままだった。未来なんて見えるはずがなかったんだ、居場所がなかったから」

 

「居場所かァ......」

 

「ああ......見て見ぬふりをして生きていければ楽だったんだろうが、俺はそれが出来なかった。我慢出来なかったんだ」

 

「そこに、あの人が現れたわけだ。甲ちゃんのことを何かにつけて気にかけて、庇ってくれたらしいラベンダーの香りを漂わせるあの人が」

 

「......俺は未だにその存在を実感できないでいるけどな」

 

「甲ちゃんがラベンダーないと落ち着かないのも、きっと居場所になってくれたことがあるからなんじゃないかなァ」

 

「......そうだな」

 

「甲ちゃん?」

 

「......それが、俺にとっては我慢が出来なかった。怖くなったんだ。だから、俺は......」

 

「頭痛そうだけど大丈夫か?温室でなにがあったのか、思い出した?」

 

「いや、思い出せない。なにひとつ。でもわかるさ......あのときの俺が何をしようとしたのかくらいは」

 

「......」

 

「何度も話しかけてくれたり、一緒にいてくれたり、笑いかけてくれたりしたんだろう。九ちゃんみたいにな。だが、あのときの俺は居場所を奪われるわけにはいかなかった。俺を薄皮一枚で支えてくれた居場所を。その結果があの温室の最期だったんだろう。それだけはわかる」

 

「皆守......お主、まさか」

 

「真里野」

 

「九龍......しかしだな」

 

「言わせてやって。甲ちゃん、それだけ必死なんだから」

 

「......わるい」

 

皆守は葉佩をみた。

 

「その居場所ってのは、今でもかわらない。今の俺にとっては九ちゃんの隣が居場所だとしても、あのとき俺を生かしてくれた場所だっていう事実は変わりない。俺は阿門に借りがある。それを今ここで返さなくちゃならない」

 

「皆守ッ、今このタイミングでそれを言うのかッ!?なにを考えているッ!」

 

「今だからだ、真里野。九ちゃんは俺を倒さなくちゃ先に進めない。なら戦うしかないだろ。いつか来るとわかっていたことだ。俺だってこんな形で戦いたくはなかったが、これも運命ってやつだ、諦めろ」

 

「甲ちゃん」

 

「ここの相手はこの俺だ」

 

「それが甲ちゃんの出した結論なんだな?」

 

「あァ、そうでなけりゃ俺も九ちゃんも先に進めないだろ、色んな意味でな」

 

「そうだな」

 

「九龍......」

 

「そういうことなら全力で行かせてもらうぜ、甲ちゃん。隣でずっと見てきたくせに勝てると思われてたなら心底心外だけど、自分から向かってきてくれたことに敬意を表して」

 

「奇遇だな、九ちゃん。俺も今同じ気持ちだ」

 

「じゃあ、始めようか」



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虚人たち6

壁の向こう側で銃声が聞こえてくる。複数人の声らしき反響音もする。H.A.N.T.による《遺跡》の解析の結果、《魔人》以外の反応として葉佩たちの反応もある。始まったのだろう、皆守と葉佩の戦いが。それに呼応するような形で、あれだけ固く閉ざされていた扉がゆっくりと開いたのだ。

 

今までの回廊とはうってかわり、まるでじめじめした洞窟を思わせる手彫りのトンネルが出現したではないか。そして先には、均一の間隔で何かの石で造られた石板めいた物体が並べられている。光源不明のあかりが揺らめいている。

 

H.A.N.T.を起動してみる。

 

《地球上の全生命が大いなる時の輪廻のに果てに、ウボ=サスラが元に帰する》

 

そう碑文には書いてあった。これはダメだ、碑文を解析するつどにこちらの精神力が削られてしまう。私はH.A.N.T.に読み込みはするが読むのはやめた。

 

「ここは......。この虫がいるってことは、この散乱する紙くずは江見睡院のメモか?」

 

「パピルスは同じだけど違うね......母さんが残したメモってところかな」

 

H.A.N.T.の解析をつげながら、私は慎重に広げてみる。足元にはおびただしい数の紙くずがあるのだ。さびた薬きょうや赤黒く汚れたなにかがあちこちにある。

 

「根源」「あの本はどこから来た?」「許されない」「会いたい」「できるはずがない」「先生」「利用できるかもしれない」「江見睡院」「許されない」「だめだ」「だめだ」「会いたい」「希望にすがってはいけないのか」「石版」「《タカミムスビ》」「思い出したくない」「私は嘘をついた」「まだ戻れる」「言えない」「許されない」「後戻りは出来ない」「空洞が埋まらない」「会いたい」「会いたい」「ごめんなさい」「許されない」「戻れない」 「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」

 

奥の方に行くにつれて字体はめちゃくちゃになり、変色して読めなくなっていくのがわかる。

 

「......母さん」

 

「翔、これ使ったらどうだい」

 

ハンカチを夕薙から渡された。どうやら私は泣いていたようだ。ブローチに残された女の思念が私にそうさせたのかもしれない。

 

階段を下りると、そこは地下とは思えない開けた空間となっており、十数mほどの空間がそこには広がっている。

地面には奇妙な紋様が描かれ、その模様は部屋の隅に置かれた灯りの光を反射している。仄かに光を発している。

その魔術めいた魔方陣の中心には、祭壇があった。なにかが置かれている。写真だ。色あせた写真だ。

 

ガラスの巨大な容器の中に、岩礁で見た不定形の生き物らしきものが入ってゆらゆらとたゆたっている。灰色の混沌の中、無形の塊が粘液と蒸気の中で横たわっていた。内側から割たそれが祭壇に注がれた。頭も無く、器官や手足も無いその塊は、その側面からゆっくりとした波状運動によってアメーバのようなものを吐きだしていた。

 

やがて祭壇から満ち満ちた《タカミムスビ》の落とし子は、怪物へとその姿を変える。

 

遠くから見れば人間に見える。だが私たちの目にはそれが人間の稚拙な模倣をした化人にしか見えない。体のバランスはめちゃくちゃで、肩などの関節部は所々骨と筋肉が突き出て隆起している。また、顔の配置や関節の位置もでたらめで、そのピカソめいた人間有り得ざる姿に見る者は険悪感を押さえることは出来ない。

 

腹部にはいくつもの亀裂が走り、そこからはぐねぐねと蠢く臓器が曝け出されている。にも関わらず、その亀裂から何の液体も出ていない。まるで粘土細工のように《タカミムスビ》の落とし子を捏ね回して作り上げられた化人なのだと気付いてしまう。

 

「甲ちゃん、記憶が戻ってないからこの有様なのか......」

 

「これが九龍のいってた魂の霊安室か......《墓守》として差し出した魂(思い出)を《タカミムスビ》の落とし子が模倣して作ったっていう」

 

「そうだよ」

 

「なんとも趣味が悪いことだ」

 

「まったくだな」

 

「《タカミムスビ》の落とし子は、物理攻撃が一切効かないけどそれ以外ならだいたい効果がみこめるよ。なるべく近づかないように気をつけて」

 

私の言葉にジェイドと夕薙がうなずいた。その時だ。《タカミムスビ》の姿がみるみるうちに変わっていくではないか。

 

美しい女性だ。黒くつややかな髪が胸に垂らされている。少し垂れ目がちな瞳ははにかみと微かな色香を漂わせている。ほのかに開かれた赤い唇からは真珠のような歯が覗いている。その唇からは今にも言葉が溢れてきそうだ。そんな存在感を持って彼女はたっていた。

 

「僕たちはこの姿ができる過程を見せつけられたから騙されることはない。だが、戦った直後の疲弊した状態だとしたらどうだろうね」

 

「母さんもこの擬態にやられたのかな。だとしたら、父さんが庇ったとき、一体なんの擬態を......?」

 

「真実は闇の中だな、彼女がなにをもって《生徒会》に入っていたのかわからなかったんだろう?」

 

「そうだね......なにひとつ學園には残っていなかったし、実家を尋ねるわけにはいかないからね」

 

「どのみち倒さなければならないことは変わらないさ」

 

「甲ちゃんたちの決着が着く前に倒そう。その先にすすまないと、母さんたちの二の舞になってしまう」

 

私たちは戦闘態勢に入った。

 

 

 

 

 

 

内側から中身が弾け飛ぶ音がした。床や天井や壁に《タカミムスビ》の落し子がぶちまけられる。皮膚が、認識と記憶で編み込まれた籠が崩れる。その悍ましい中身があふれだす。白い肌がズルリと剥がれ落ちる。そこからこぼれ落ちたのはジクジクと震える触肢だった。女の姿は崩れ、手も足もないゼラチン質の忌まわしい塊、《タカミムスビ》の落し子がそこにいた。 落し子は身を大きく震わせると動きを止め、黒い塊となる。それもすぐにさらさらと崩れ、祭壇の中へと吸い込まれていった。

 

「なかなかの強敵だったな」

 

「やっぱり最深部に近づくにつれて擬態の精度が増してる。倒せてよかった」

 

「そうか。なら言わせてもらうがな、翔」

 

「え、なに?」

 

「俺の過去全部を知ってるっといってたにもかかわらず、あんなことを考えていた上に、黙っていたことについてだ。なんてこと考えるんだ君は?」

 

「まだそういう事態になるとは決まってないよ」

 

「そういう問題じゃない。断じてない。知ってた上でその可能性があるにも関わらず俺を連れてきたことが問題なんだ。止めてほしかったなら初めからいうべきだし、頼りたい相手にあまりにも不誠実だとは思わないのか?」

 

「私は全然考えたこと無かったからね」

 

「いつもの君が考えないとしても、狂気に侵された途端に死への恐怖なんて簡単に消し飛ぶじゃないか。自覚してないとはいわせないぞ。あまりにも分からずやだから、ジェイドはばらしたんじゃないのか?」

 

「まったくもってその通りだ。僕より聞く耳をもってくれるかと思ってね」

 

「ほらみろ」

 

「それはそうかもしれない。でも、そういった事態に陥らないよう、考えうる準備はしてきたよ。それに大和から精神力借りたいことは話してたじゃないか。騙し討ちしようと思ったわけじゃないよ」

 

「どうだかな......」

 

「大和......」

 

夕薙は煽るようにまくし立ててくる。一気に詰め寄るような勢いで言葉が飛び出してくる。そこには有無を言わさぬ勢いがある。私は重箱の隅をつつくような言い方しかできないから、息継ぎをすることもなくまくし立てる夕薙を相手にしていると、こちらが窒息するような迫力に気圧される。

 

最初は理詰めで始めていたのに、そのスタンスを保ったまま私がいざと言う時は生贄になろうとしたことに内容が移行していく。段々と生贄の彼女や父親のこと思い出してきたのか、次第に怒りがそちらにシフトしてきた。感情的になってきたのに言い返せない。

 

「君が友達でいてくれる事実がどれだけ俺に安心感をもたらしていたと思う?父をなくした俺は天涯孤独の身だ、頼れる人間がいないんだ。君は俺の事情を把握しながら友達になってくれたし、手酷い裏切りをしたにもかかわらず許してくれただろう。九龍にも感謝はしているが、君は俺と似たような理不尽な目にあっている。だから力になろうとしてきた。それを無下にされて怒らないと思われていたとしたら心外なんだが」

 

肩を掴まれて揺さぶられた。夕薙は本気で怒っている。身長や体格差のために私はちょっと恐怖を覚えるくらいには暴力的だが夕薙の気持ちを考えるとしばかれても仕方ないかなと思う。

 

「何度も俺はいったはずなんだがな......欠片も伝わってはいなかったようで残念だよ。これからはもっとわかりやすい形で君に伝えた方がいいらしいな」

 

そしてため息をつかれた。

 

「そこまでさせてごめん」

 

「本当にだ。以前の君だったら今回ひとりで潜っていただろうことは容易に想像出来るから、君なりに誠実であろうとしたことは事実なのがまた腹立つ話だよ。今回のことは九龍たちに伝えておくからな、覚悟しておけよ」

 

「うん、わかってる。それだけの事を私はしようとしたからね」

 

「ならいい。いいたいことはまだ山程あるが、喪部銛矢の件があるからな。後にしよう。怒鳴って悪かったな」

 

「ううん、そんなことないよ。ごめん」

 

「これで少しは懲りてくれるといいんだが」

 

「あはは......」

 

はあ、とため息をついた私は、目の前の壁が崩れるのをみた。どうやら皆守の《黒い砂》からでてきた化人を葉佩は倒し終えたことで回廊が繋がったらしい。

 

「ちょうどいい、九龍たちに聞いてもらおうじゃないか。なあ?」



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虚人たち7

葉佩との戦いに敗れた皆守は、その直後に《黒い砂》に飲まれて意識を刈り取られた。夷澤や神鳳のように墓守を変生させようと暴走を始めた《黒い砂》に生成された化人はヒノカグツチだった。意識を取り戻したときには全てが終わっていて、あとから聞かされるしかない事実にかわいた笑いしか出なかった。

 

ヒノカグツチは、神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた神である。火の神であったために、出産時にイザナミの産道に大火傷を負わせ、これがもとでイザナミは病気になってしまう。

 

病床ではさらに多くの神々が生まれるが、イザナミは結局この火傷がもとで亡くなってしまう。そして出雲国と伯耆国(ほうきのくに)との境にある比婆山(ひばやま)に葬られる。

 

妻であるイザナミの死を嘆いたイザナギは、腰にさしていた剣を抜きはなち、ヒノカグツチの首を斬り落としてしまう。

 

ヒノカグツチは古代の人々が最も恐れた「火事」に繋がる事から、産まれながらにして親殺しを為すという暴力的な面を有する。母の創世神を焼き殺し、父の創世神が黄泉の国に渡る遠因となるなど、『この世に完全なものは存在しない』という、日本神話の基本特性を色濃く表す神でもある。

 

ヒノカグツチはイザナミという『母』を死に追いやるだけでなく、これを起点としてイザナギに子殺しをさせ、黄泉の国に渡って現世(うつしよ)に穢れを持ち込む結果になるなど完全全能の存在を全否定する特性を有している。

 

これは、他の神話体系に見られる『主神殺し』や『神の子殺し』とは一線を画す特性であり、唯一神教は言うまでもなく、『造物主はいつの間にか居なくなった』と曖昧にされる多神教においても類を見ない。 ヒノカグツチの前では、万物の祖でさえも死から逃れる事は出来ないのだ。

 

「強かったよ、ヒノカグツチ。甲ちゃんが差し出した思い出ってのは、それだけ大切で、強烈な出来事だったってことだよな」

 

ほら、と化人の核となっていたセピア色の写真を差し出しされた皆守は、無言のまま受け取った。

 

「これってあれだろ?甲ちゃんが撮ったんだろ?この人笑ってるし、撮った人も笑ってなきゃ、ここまでいい写真は撮れないよ。いい写真だな」

 

「......あァ、そうだな。やっと思い出せた......」

 

皆守は憑き物がおちたように力なく笑う。

 

「吸っていいか?」

 

「どうぞ」

 

「......なにがあったのかは九龍から聞いたぞ、皆守」

 

「そうかい。じゃあ真里野も聞いてくれ。何を思い出したのか整理するためにも誰かに喋りたい気分なんだ」

 

皆守はアロマを吸ってから、ラベンダーの息を吐き出した。そして、話し出す。

 

2年前のあの日、あの場所でなにが起こったのか、まるでついさっき体験してきたばかりのような状況だと皆守はいう。当時の皆守が過呼吸になり、このままでは死ぬと本気で恐怖して忘れることを選択した出来事だ。それを新鮮な気持ちでまた追体験するのだ。地獄には違いなかった。

 

だが、1ヶ月間にも渡って女教師を思い出せないジレンマを抱えながら、感情だけは克明に思い出していた皆守にとってはまだマシだった。待ちわびた衝撃だといっていい。だからかわからないが、過呼吸は起こらなかった。

 

「あの頃の《生徒会》は《執行委員》がなかった。俺は阿門にスカウトされてからずっと一人で実働を担当していたんだ。双樹や神鳳の《力》は粛清には向かないからな」

 

「たしかに......二学期までの《生徒会》はファントムの陽動があったころのように強権を振るっていた記憶がある」

 

「そうなんだ?じゃあ、甲ちゃんが離脱してから、阿門が色々思うことがあって今の《生徒会》に体制を変えたわけだ。なるほど」

 

「あの女(ひと)は、俺に近づきすぎた。俺も近づかせすぎた。俺をまともに見てくれた初めての先生だったから、うっかり気を許して、居場所を感じるようになってしまったんだ。そして俺は粛清している所をあの人に見られた。忘れもしない9月21日だ。何度も説得されたが、あの時の俺は《生徒会》で居場所を失うことに対する恐怖が上回った。そして、温室で......」

 

「自分で自分の喉をかき切って自殺したわけだ」

 

「なんと......」

 

「私で最期にしてねと、そう、言って笑っていた......。訳が分からなかった......今でも微塵も理解できないが......あの女(ひと)は、俺が心を開かないことに絶望したのかもしれないな、と今なら思う。だから、あんな方法しか取れなかったんだろうな、と」

 

皆守はいうのだ。

 

女教師が思い詰めた顔でなにをいったのか、皆守がなんと返したのか鮮明に思い出せる。なのに刃物を突き立てる瞬間と前後の会話に脈略がなさすぎてやっぱり理解ができないのだと。

 

追体験にもかかわらず、脳の処理能力が追い付かず、目の前で起きていることを把握するのにひどく時間がかかった。血にまみれて酷い惨状の中心にいるのに、場違いなほど穏やかで真摯な表情。それが緩やかにほどけて微笑んだように見えた。このセピア色の写真のような、皆守が一番大好きだった笑顔だからなおさら。

 

「あの日から俺は少しずつ病んでいったんだろうな。過呼吸の治療をするには全てを打ち明けないといけなくなる。そんなこと出来るわけがない。でも次第に症状が酷くなる。あの時、初めて発症した過呼吸は本気で死ぬんじゃないかと思い込むくらい怖かった。このままだと壊れてしまうと本気で思った俺は、この写真とあの女(ひと)の記憶を全部阿門に差し出したんだ」

 

「あれ、《生徒会》だったのに?そんときはまだなにも差し出してなかったのかよ、甲ちゃん」

 

「あァ......阿門が俺は《墓守》に向いてるからと《力》だけくれたんだ」

 

「ふむふむ、なるほど~。1年の甲ちゃんは今とだいぶ性格が違うみたいだし、阿門は《墓守》に向いてる人材スカウトする才能あったんだ?そうじゃなきゃ副生徒会長なんてしないもんな」

 

「そうだな......。話を聞いてくれてありがとう、九ちゃん。ほんとにお前は大したやつだよ」

 

「へへッ、だからいっただろ?勝てると思われてるなら心外だって」

 

「あァ......俺は敵に回す相手を初めから見誤っていたんだろうな。《ロゼッタ協会》が本気でこの《遺跡》を攻略しようとしたとき、九ちゃんみたいなやつが適任だと知ってて送り込んだんだろう。間違いなくあたってる」

 

葉佩は嬉しそうに笑う。

 

「立てる?」

 

「悪い、手を貸してくれ」

 

「はいよ」

 

土埃を払った皆守はようやく立ち上がった。

 

「皆守。今は緊急の用があるから九龍の隣にたつことを許すが、次からは覚悟することだ」

 

「あァ、わかってるさ。それなりの報いは受ける。俺は監視役として近づいた。出会ったときから裏切りつづけていたんだからな」

 

「ミイラ取りがミイラになっちゃったけどな!俺、わりと定評があるんだよ」

 

あはは、と笑う葉佩に皆守はかわいた笑いをもらす。

 

「俺はまんまと引っかかったってわけか」

 

「勝手にひっかかる甲ちゃんが悪いよ。俺はそんなつもり微塵も無いのにさ」

 

「まあ、悪い気はしないさ。前を見据えて進む九ちゃんはひたすら眩しいんだ。憧憬と羨望に包まれ、その隣にいることが誇らしく思える。生徒会の人間であることを忘れるほどにな。思えばこれが敗因だったんだろう。こうして俺は負けた。なあ、九ちゃん。これからは俺の《墓守》の力を九ちゃんのために使わせてくれ」

 

「もちろん、使ってもらうぜ~。本命はまだ先にいるんだからさ。さあて、気を取り直して、喪部銛矢んとこに行こうか。魂の霊安室への回廊、見つけたし」

 

隠し部屋を開拓するために葉佩は爆弾を投げる。そして、その先でえらくご立腹な夕薙とジェイド、しょんぼりしている江見と合流したのだった。

 

「俺はまた翔ちゃんたちに守られてたってわけか......」

 

葉佩と江見が初めからこの場所で合流する気だったと聞いて、皆守は目にする前に倒されてしまった女教師の姿をした化人を思う。もし、葉佩と戦っているさなかに女教師によく似た化人が襲ってきたら、皆守はまともでいられた自信は微塵もなかった。

 

「騙し討ちするみたいになってごめんね、甲ちゃん。この常世の国エリアこそが父さんや母さんの失踪した現場なんだ」

 

「なっ......」

 

「18年前の《生徒会》の副生徒会長は母さんだったんだ。だから母さんはひとりでここまで潜ることが出来たし、ここが龍穴から氣が一番吹き出してることを知ってた。そして父さんを救い出そうとして失敗した」

 

「翔チャンから、このエリアの踏破が《タカミムスビ》の落とし子が産み落とされる門の開閉と連動してると聞かされたらさ、こうするしかなかったんだよ」

 

「《タカミムスビ》の落とし子は《墓守》という名前の従属の証、《生贄》を欲してる。《黒い砂》から解放されようがされまいが標的が甲ちゃんになるのは目に見えてたからね」

 

「真里野だってただじゃ済まなかったし。だから翔チャンにお願いしたんだ」

 

「上手くいってよかったよ」

 

「ほんとにな」

 

笑う江見の肩を掴む影がある。

 

「初耳なんだが?これで隠し事は全部か?」

 

「そうだな、翔には1人で潜ることを責めたのは謝るとしてだ。当事者ではない僕たちにまでなにも言わないのはどうかと思うぞ」

 

「..................ごめんなさい」

 

「九龍、拙者にも明かして欲しかったのだが......」

 

「だって真里野、隠し事苦手じゃん!恋心隠せるようになってからそれ言えよ?」

 

「うっ......」

 

「それはともかく。翔チャン、さっきの死に戻りの件はさすがに俺もいただけないかな~?俺がバディは生きて帰すを信条にしてるの知ってるだろ?それを破らせるの前提とか何考えてんの?馬鹿なのか?いや馬鹿だったな、この手の話になった翔チャンが反省した試しがないし。すっごくバカになっちゃうんだよ」

 

「ああ、翔はこの世界で生きていくには未練がなさすぎるんだ。だから狂気に侵された瞬間に本能を簡単に飛び越えてなんの躊躇もなくなる。もっとわかりやすくいかないとわからないらしい」

 

「大和......さすがにそこまで馬鹿じゃないよ、私......」

 

「なんだよも~、翔チャンたら!愛してほしかったらいってくれよな!」

 

「そういう意味じゃないと思うぞ、九ちゃん」



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虚人たち8

手掘りの洞窟を抜けると、突如として広い空間に出た。巨大な門である。その奥には奇妙な装置が設置されていた。その先こそが《タカミムスビ》の落とし子が産み落とされ続ける場所であり、直接被害を受けないように空間と空間を繋げる不思議な術式が施されている。この門の先は《タカミムスビ》がいるどこかに通じているのだ。まさに神話的な魔道と超古代テクノロジー、古代の超科学技術が見事に融合した産物と言えた。

 

そして、その横に伸びる通路の先に場違いなほどの光源が漏れていた。

 

その先を行くと《遺跡》の中とは到底思えないような近代的な設備が姿を表した。この広い空洞はどうやら《遺伝子研究》の中核を担っていた実験室のようだ。

 

大きな装置が所狭しと並べられ、動力源不明の原理で今なお稼働を続けている。溶液に満たされた無数のポッドの中には目を背けたくなるような陰惨な実験内容を垣間見ることができる。

 

巨大なテーブルに直接置かれたガラスケースの中には無数のシャーレがある。中には《タカミムスビ》の落とし子の細胞が培養されているようだ。幾重にも積み重ねられており、大小さまざまなビンがある。いずれも《タカミムスビ》の落とし子のサンプルがホルマリン漬けになっている。保温器、冷蔵庫、発電器などが整然と並べられている。

 

驚くべきことにこれは最先端の理化学研究所の一室ではなく、1700年前の大和朝廷の時代に作り上げられた《遺跡》にあるのだ。

 

「なんだ、もう終わりかい?ボクは変生すらしてないんだが」

 

そこに喪部銛矢の姿があった。

 

変生は、他の物に成り変わること。特に、仏の功徳によって女子が男子に、男子が女子に生まれ変わることをいう。氣を陰気と陽気のバランスが外的要因によってくずれ、陰気が過剰になることで姿が変わる。本来自分で操作することは難しいのだが、喪部銛矢は生まれながらにして氣を操作して自ら変生できる魔人だった。広範囲に及ぶ操作が可能なのは、神道に通じているためだ。

 

「つまり、《魔人》にならなくても《宝探し屋》の成れの果てである君がボクに太刀打ちできるわけがないってことさ。君をより相応しい姿に変えてやろうじゃないか、なあ江見睡院」

 

喪部銛矢は不敵に笑う。

 

「ぐッ───────」

 

「《タカミムスビ》の落とし子にすぎない君は逆らえないはずだ。本能により絶対に。この僕に。創造主に」

 

「グアッ」

 

「哀れなものだね、いもしない息子を盲信して」

 

「何を言って......」

 

「泣かせるじゃないか。《タカミムスビ》に取り込まれた君ならわかっていたんじゃないのか?庇えたのは命だけだ。《遺跡》の最深部から地上までどれだけ距離があると思ってる」

 

「やめろ......」

 

「身ごもった女が子供ともども無事なわけがないと」

 

「やめろ」

 

「あのとき、生贄になったのは我が子だと。愛した女を頭から食らっておきながら、それを信じきれずここまでくるなんて滑稽だ」

 

「なにを......嘘だ......嘘に決まってる!そうじゃなければ、なぜ翔はッ!」

 

「嘘じゃないさ。《ロゼッタ協会》がどんな組織なのか知らないわけじゃないだろう?」

 

「くっ......」

 

「ボクに言わせれば赤の他人だというのに、君を救おうと懸命なあの女の方が不気味だがね。まあ、君の愛した女の残した魅了にかかっているようだから、ある種の自己暗示かもしれないね」

 

「..................」

 

「ああ、中途半端に正気なのはいっその事哀れだね。理性はひび割れているのに強靭な精神が狂うことすら許さない」

 

江見睡院を足蹴にしていた喪部はふと辺りを見渡した。

 

「氣の流れが......。ボクを祓うつもりか?」

 

「......?」

 

《いあ、いあ》

 

「まさか......翔なのか?」

 

喪部の揺さぶりにより精神が不安定になりつつあった江見睡院は少しだけ目の光がやどった。なにをしてでも助けると言い続けてきた少年の声なのは事実だった。安心している自分とは裏腹に《遺跡》に響き渡る不気味な賛美歌に体の震えが止まらなくなる。自分ではない。自分の中にある何かが悲鳴をあげているのがわかる。

 

《時空を越えし彼方なるものよ》

 

「......ボクじゃないのか。ではいったい......」

 

《自存する源たる全なる神よ》

 

「《遺跡》の龍穴から吹き出す氣を全て使い切るつもりなのか?それだけ大規模な呪文?射程は......」

 

《門を開き、頭手足なき塊を連なる時空へ廻帰したまえ》

 

喪部はなにかに気づいたのか目を丸くした。

 

「正気なのか?江見睡院の人格と切り離すということは、ストッパーを無くすも同然なんだぞ!」

 

《大いなる時の輪廻の果てに、帰するために》

 

「日が上っても安息の時間がなくなる。それがなにを意味するのかわかっ......」

 

《ふんぐるい なるふたあぐん》

 

「クククッ、なるほど。それほどこのボクの邪魔がしたいらしいね」

 

《んぐあ・があ ふたぐん いあ! いあ!うぼさすら!》

 

「いい度胸だ」

 

江見睡院に変化が訪れた。吐き気がするのだ。体のありとあらゆるところから異物を吐き出したくてたまらなくなる。耐えきれなくなった江見睡院は崩れ落ちた。

 

糸の切れた人形のように崩れ落ち、あらゆる所から白っぽいものがゆっくりと這い出してくる。その姿はウナギやミミズに似ていた。鱗の無いぬめりとした表皮は、まるで皮を剥かれたかのように血管の浮いた薄ピンク色をしており、巨大な身体を軟体動物のようにぶよぶよと動かしながら、怪物は水面に鎌首を持ち上げる。それは擬態を失った出来損ないだった。

 

「なるほど。これが《タカミムスビ》の落とし子の本来の姿か。ずいぶんと軽率なことを......」

 

喪部銛矢は冷笑する。怪物の牙は喪部の肩をかすめ、危機一髪のところで逃れる。肩に深い傷を負う。服の袖口は裂け、血が流れる。怪物の口にくわえられ、地面に一度叩きつけると、次は川の中へと放りこんだ。その怪物の行動は、まるで鳥などが捕らえた魚に止めを刺す仕草そのものだ。だが、そうはならなかった。

 

「学習能力がない虫けらが。ボクが誰かわからないようだな」

 

喪部は冒涜的な響きをもつ呪文を唱えはじめた。

 

すると、《タカミムスビ》の落とし子が苦しみのたうちまわりはじめた。柔らかい皮膚を破って、血管や内蔵が痙攣しながら飛びだしてくる。内臓が激しく痙攣して激痛を身体が襲い、筋肉や血管が膨張、破裂しはじめる。《タカミムスビ》の落とし子は逃げ出そうとする。完全に能動的な行動をとることができなくなっている。

 

「さあ、逃げろ。そして門をあけて助けをこえ」

 

呪文の影響を受けずに喪部に近づくことが出来なくなった《タカミムスビ》の落とし子はひたすら門を目指した。喪部はその先を歩いていく。

 

その呪文は喪部にも深刻なダメージを与えるはずなのだが、そんな恐るべき呪文の範囲内を平然と歩いていく。一歩歩くごとに、その肌が裂け、肉片が飛び散り、血が噴き出すが、その傷は見る見るうちに再生していく。

 

「───────?」

 

喪部は眉を寄せて辺りを見渡した。門に《タカミムスビ》の落とし子がすがりついているというのに、門が微動だにしないのだ。

 

「氣が......。ああくそ、またあの女ッ......」

 

忌々しそうに喪部がつぶやく。《魔人》へ変生するためには、どうしても《氣》のバランスを意図的にくずして《陽氣》より《陰氣》を過剰にしなければならないのだ。それを正常化されてしまうと自分で自分の氣をコントロールできる喪部はともかく、呪詛によりその性質を無理やりねじ曲げるやり方は通じなくなる。

 

「なるほど......だからあれだけ桁外れな氣を奪いとったわけか、いい度胸だ」

 

喪部は足元に群がる《タカミムスビ》の落とし子たちを踏み潰す。どれもこれも、ひとつとして同じ姿のものはない。節足動物、軟体動物、魚類、両生類、比較的下等な生物の形に似たものが多く、共通して体色は半透明のピ ンク色をしている。

 

おぞましいことに、どの落とし子たちも江見睡院の体の一部を持っている。江見睡院の遺伝子情報を組み込んだ新たな生命体を《天御子》なきあとも作り続けていたのだ。

 

そいつらを蹂躙しながら喪部は門に向かう。

 

「やはり来たようだね、葉佩九龍。いいだろう、君がその気なら殺してやろう。このボクが直々にね!」

 



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虚人たち9

「君に聞く耳があるのなら、この死の恐怖から逃れることは出来ない」

 

喪部銛矢が詠唱をしながら、指で空中に正しく形を描いた瞬間に、くすんだ赤い色をしたその印が空中で輝く。印の邪悪な効果が表れるには時間がかかるのか、不気味な発光を繰り返している。喪部は不気味な呪詛を垂れ流し始めた。

 

「なんか知らないけど、発動前に倒せば問題ないからな!」

 

「できるものならやってみたらどうだい?」

 

葉佩は黄金銃を構える。そしてトリガーをひいた。

 

「クククッ」

 

「んなッ!?」

 

弾丸が空中で止まった。なにかが喪部と葉佩の間に存在している。ぶあつい何かがあるのは、その光源不明のあかりが煌めいたからわかったことだ。

 

「なんの装甲かは知らないけど、壊れないなら壊すまでだッ!」

 

葉佩は黄金銃を連射する。透き通ったような、ガラスの砕け散る音によく似た響きがあたりにこだまする。空中で静止する弾丸だが、少しずつ前に進んでいるようだった。楔がいくつも打ち込まれ、やがてヒビは大きくなっていく。そして。乾いた銃声が響き、その黄金色の弾丸は喪部の片目を撃ち抜いた。人間の姿であるとはいえ、祖神をおろしているからか、破邪の効果は少なからずあるようで内側から顔が溶解していくのがみえた。血が流れ、目を背けたくなるような有様になっていく。

 

「クククッ、ずいぶんと強引な突破方法だね」

 

「うるさいなあ、届けば同じだろッ!破邪が弱点ならこっちのもんだ!」

 

葉佩は黄金銃から白岐に託された大剣に武器を持ち替えると一気に喪部に詰め寄る。そして切りかかった。

 

「───────ッ!?」

 

「ずいぶんと舐められたものだね、常人が《魔人》に、しかも鬼の祖神を降ろしている《魔人》に勝てるとでも思っているのかい?」

 

葉佩は目を見開いた。その大剣は片手で受け止められてしまったのだ。もちろん体重がかかる分、生身で受け止めた喪部の腕には切り傷ができるのだが、じわじわと再生していくのがわかる。

 

「龍脈が活性化している今、君が勝てる確率なんてないのさ」

 

どろりと溶けていたはずの片目が再生していく。引き抜く指も溶けてしまうのだが、気にすることなく喪部は弾丸を床に放った。カランカランという音がする。ニヤリと笑った喪部は、手を伸ばした。

 

「九ちゃんッ!」

 

皆守があわてて葉佩を喪部から引き離す。大剣を蹴飛ばし、葉佩があわてて受け取った。先程までいた場所に転がっていた《タカミムスビ》の落とし子が一瞬にして粉微塵になってしまった。あたりに水風船が破裂したような飛沫が飛ぶ。

 

「どんだけ怪力なんだよッ!」

 

たまらず葉佩は叫ぶ。喪部は笑った。

 

「これが《魔人》を相手にするということさ。後天的に超人的な能力を獲得した君の仲間とは一緒にしないでくれるかい?この上ないくらいに不快だ」

 

「いつまでそのような世迷言を吐けるか、試してやろう」

 

「さっきの攻防が見えてなかったのかい?眼帯をしている目が悪いと世話ないね」

 

「勝手にほざいていろ。いざ参るッ!」

 

真里野は原子刀を抜いた。掛け声とともに打ち下ろすと、喪部が受け止めようとした腕は鞠のように飛んだ。

 

「なるほど、なかなか威力があるようだ」

 

真里野は一気に間合いに入ると喪部の体を貫こうとした。ただ、一突き。この小癪な笑みを浮かべているこの男のうなじをただ一突き突きさえすれば終わる。突き通した原子刀たちのきっさきがはいる手答えと、その柄から感じる身もだえ。そして太刀を押しもどす勢いで、あふれて来る血のにおいを真里野は覚悟した。そんなもの永遠にこなかったが。

 

「このッ」

 

真里野はまた攻撃をしようとした。喪部は避けない。超至近距離にもかかわらず原子刀が届かない。届いた時は掴まれた時だ。ダラダラと血を流し平然と掴みながら、挑発めいた顔で笑う。あしらわれていると悟った真里野は深追いせずに距離をとる。つまらなさそうに喪部はあくびした。真里野は切り落としたはずの腕が再生するのをみていることしかできなかった。

 

「君はもっと早く攻撃すべきだったな」

 

「なんだと?」

 

「集中力をあやうく途切れそうになったからね。そうすれば時間稼ぎができたものを」

 

「......?」

 

「邪神の洗礼をうけるがいい」

 

喪部が宣言したその瞬間に宙を浮いていた赤い刻印がこれ以上ないほど強く輝いた。

 

「───────ッ!?」

 

真里野たちは何が起こったのか全く理解できなかった。体の内側から凄まじい激痛が走るのだ。体の臓器という臓器が痙攣しているような錯覚を覚える。あまりの痛みに真里野たちは死を覚悟した。そのときだ。

 

どこからともなく鈴の音がした。

 

「そうはいきません」

 

「彼らは私たちが守ります」

 

葉佩たちの前に《6番目の少女》たちが現れたではないか。そして彼女たちは顔を見合わせて頷くなり、青い光で葉佩たちをつつみこむ。

 

「たとえこれが恐るべき邪神の力だとしても」

 

「肉体をもたない私たちには効果はないから」

 

「引き受けます、その痛みを」

 

「苦しみを」

 

「どうか......」

 

「どうか......」

 

「この呪詛はあまりにも危険すぎます」

 

「それでも......どうか......」

 

葉佩たちは体の異変が消えたことを悟った。喪部はその様子を見て感心したように笑った。

 

「準備のいいことだね、シュド·メルの洗礼を受けて生き残った人間を見たのはこれが初めてだよ」

 

喪部はいうのだ。

 

「この呪文は印から10m以内に居るものは、例外なく惨たらしい死を迎えるのさ。体が揺れ痙攣し、内臓や血管が引き攣り、激痛のままに死んでいく。30m以内にいる者は、即死攻撃を免れるが、それでもなお赤い刻印が輝く度に体のどこかが死んでいく。30mより遠くへ離れていれば、何もダメージを受けない。 壁など不透明な障壁の後ろへ移動すれば、印の効果から逃れることができる。まあ、こんなに狭い区画じゃこの場にいる人間は全て死に至りかねなかったんだが」

 

「喪部......お前もただじゃすまないじゃないか」

 

「フフフッ、再生能力の秀でた《魔人》にはデメリットにすらならないよ。面白くなってきたじゃないか。江見睡院みたいに死にはしないけど、抵抗もろくに出来ないなんてやはりつまらないからね。少しくらいは楽しめそうじゃないか。期待どおりだ」

 

喪部は先程の呪文により内側から弾け飛び、なおも苦しみ続けている《タカミムスビ》の落とし子をみていうのだ。

 

「哀れだとは思わないかい?いくら助けを乞うても門は開かれない。門が開かれたとしても、自分を貪り食われる運命しか待ち受けてなどいない。生まれた時には死にたくない一心で逃げていたというのに、今はこうして必死で逃げるしかないのさ。奴隷種族を模倣して作られた哀れな生命体が身の程知らずにも自我なんか持つからだ。それも所詮はとりこんだ人間の模倣に過ぎないというのに」

 

《6番目の少女》たちの加護により、恐るべき呪文を無効化することに成功した葉佩たちは講釈垂れている喪部にふたたび戦いを挑む。

 

だが、《魔人》たる余裕からか、その全てをいなしながら喪部は笑い続けている。一撃一撃が重すぎて回復がおいつかない。こちら側の攻撃は龍脈の加護を受けた《魔人》ゆえの驚異的な回復能力ゆえに一定時間すぎるとすべて無効化されてしまう。やはり、過剰なまでの攻撃しか効果がないと判明したため、葉佩は遠距離攻撃を諦めた。

 

「ようやく来るかい、葉佩九龍。さあ、おいで。遊んであげようじゃないか」

 

「言わせておけば勝手なことばっかいいやがって!いいぜ、その挑発受けてたってやるよ!」

 

 



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虚人たち10

夕薙とジェイドは研究所で倒れている江見睡院を発見した。

 

「よかった、息があるぞ」

 

「氣も正常だ。気を失っているだけのようだな。喪部銛矢......ここまで強い《魔人》だとは思わなかったな......。正直実力を見誤っていたのかもしれない。さすがは魔眼をつくりあげた《天御子》側の人間だったというべきか」

 

「俺たちの行動に気づかないわけがない。見逃されている時点で手を抜かれているのは事実だからな......。どうして《レリックドーン》の部下を連れてこなかったのかわからないが」

 

「おそらく、阿門帝等の《力》や《タカミムスビ》の落とし子の存在を考えるに、下手に人間を連れてきても足元を掬われると思ったのかもしれないね。実に合理的な判断だ。現に変生する気配がない時点で実力の半分も出していないのではないかな」

 

「......そんなにか......。ここまでくると、警察や自衛隊に頼りたくなってくるな」

 

「そうだね......《ロゼッタ協会》のスポンサーに内閣府がある以上、僕たちの存在はどうとでもできるから大歓迎なんだがな......《レリックドーン》だから怪しいものだ」

 

「?」

 

「《レリックドーン》はナチ関係者が設立に深く関わっているのは葉佩君から聞いているとは思うんだが、6年前にもナチ関係者がローゼンクロイツ学院日本校という隠れミノを用意して好き勝手していた時期があるんだ。仲間が誘拐されたことで初めての発覚した事件だったよ。《魔人》は格好の実験材料だからね。僕たちで壊滅させたが、薬物投与のために成長が止まり、外見が幼いままになってしまっている仲間がいるんだ」

 

「ひどい話だな。まさか、あいまいなままで終わったのか」

 

「未成年の被害者が大半で表沙汰に出来ないとはいえ、逮捕すらされなかったからな。注視していたんだが、警察はおろか政府も静観を決め込んでしまった。ローゼンクロイツ学院の日本校も表向きは経営悪化による閉校だ。今回も初動が鈍くなるのは予測の範囲だよ」

 

「......嫌な話だ」

 

「組織は大きくなりすぎると末端から腐って行くのは世の摂理だからね。それに加えて喪部銛矢は物部氏の末裔だろう?ますますこの国の中枢は動きにくいはずさ」

 

「?」

 

ジェイドは話し始めた。

 

6世紀、日本古来の神道と新来の仏教をめぐる争いは、物部守屋と蘇我馬個の権力闘争となり、ついには武力衝突へと発展した。結果は教科書で習った通り、仏教推進派である蘇我馬子の勝利となるが、ここで奇妙なことがおこる。

 

宗教戦争に勝ちぬいたはずの蘇我氏が、神道に対する弾圧を行った記録がまったく残らず、以後二つの宗教は日本のあらゆる地で共存し、共に融合してゆくこととなるのだ。

 

なぜ仏教は神道を駆逐せず、まるで同化するかのように土着化していったのか。

 

一神教の世界から見れば、教義も教典もないこのような信仰は、原始的な宗教ということになる。多くの渡来人が流入した日本にとって、このような信仰形態をくずさなかったことが、逆に幸いしたのだ。

 

「日本書紀」が認めるように、物部氏は天皇家が登場する以前の大和の大王家であった。

 

そして大和朝廷成立後8世紀にいたるまでは、物部氏が重大な発言権を持ち続けたように、天皇家と物部氏という二つの王族は曖昧な形で共存の道を選んでいたのである。

 

ところが物部氏の衰弱後、物部氏は鬼のレッテルを張られ、歴史の敗者として神・天皇の対極に朽ち果てた。

 

問題は物部氏を追い落とした大和朝廷が、これを完璧に滅ぼしたわけではなかったことにある。

 

それどころか、鬼となった物部氏はここからもう一つの日本=裏社会を形作ることで大和朝廷と対等に渡り合おうとしてゆく。

 

なぜ鬼と化した物部氏は神の子天皇を選び、逆に天皇は鬼の接近を許したのか。それはあいまいな日本の行動原理が作用したのだ。

 

天皇家最大の祭りとされる大嘗祭や伊勢神宮祭祀は、物部氏の祖神を祀る天皇家の秘儀である。

 

即位後最初の新嘗祭を大嘗祭といい、天皇家は8世紀以来この伝統行事を続けてきたが、この祭りの中では唯一物部氏のみが他の豪族には見られない形で祭りの中心に位置して来た。

 

最大の問題はどちらの祭りもその中心部分が秘中の秘とされ、厚いベールで包まれている点にある。

 

天皇家はなぜ最も大事な祭りの神を秘密にするのか?そして天照大神よりも格上の神とはいったいなにものなのか。

 

 

伊勢神宮の秘中の秘は、「心の御柱」と呼ばれる奇妙な柱のことである。

 

20年に一度の遷宮に際し、この柱は祭りの最も重要な地位を占める。ではなぜ「心の御柱」が神聖視されるのか?そしてその理由が秘密にされているのか?何もかも謎のままである。

 

物部氏の祖神ニギハヤヒが大和の三輪山の大物主神と同一であり、スサノオの第5子であったことが、いくつもの神社伝承によって証明され、そればかりか日本の本来の太陽神は、皇祖神・天照大神ではなく、この大物主神であったという。

 

つまり物部氏の祖神・ニギハヤヒと出雲神・大物主神を同一なのだ。

 

天皇家と出雲・物部氏との闘争と共存がすでに大和朝廷成立時からはじまっていたことを、「日本書紀」を記した8世紀の大和朝廷は抹殺した。

 

そのようなことが行われた原因は、8世紀初頭の物部氏の没落であろうが、なんといっても、物部氏の古代社会に占める大きさが、記録にとどめることができないほど巨大であったためであろう。

 

「古事記」に注目すると、崇神天皇が国の定まらないことを憂いて占ったところ、大物主神が夢に現れて神托を下したとある。

 

その結果、大和の三輪山の神大物主神を祀ることで治世を安定させたといい、大和を建国したのは大物主神であったという、天皇家にとって屈辱ともとれる歌を自ら詠っていることは興味深い。

 

崇神天皇から始まった出雲神重視が天皇家の伝統となっていったように、物部氏は古代社会のもっとも重要な神道の中心に位置しているのである。

 

「もののべ」の「もの」は古代、神と鬼双方を表わしていた。これは多神教・アニミズムからの流れであり、神は宇宙そのものという発想から導きだされた宗教観でもあった。

 

神は人に恵みをもたらす一方で、時に怒り、災害をもたらす。このような神の両面性を、神道では「和魂」と「荒霊」とも表現するが、物部氏はその両方をあわせもった一族であり、神道の中心に位置していた。

 

神武天皇の即位に際し、ニギハヤヒの子ウマシマジはニギハヤヒから伝わる神宝を献上し、神楯を立てて祝い、新木も立て、「大神」を宮中に崇め祀った。そして即位、賀正、建都、皇位継承といった宮中の重要な儀式はこの時に定まった。

 

神道と切っても切れない関係にあった天皇家の多くの儀式が、ウマシマジを中心に定められた。そしてウマシマジが神武天皇の即位に際し、宮中に祀ったという「大神」の正体が注目される。大和の地で「大神」といえば、三輪山に祀られる大物主神をおいて他には考えられない。

 

大嘗祭で祀られる正体不明の神に視点を移せば、ここにも大物主神の亡霊が現れてくることに気づかされる。

 

天皇家の祖神に屈服し国を譲り渡した出雲神、かたや神武天皇の威に圧倒され国を禅譲した物部氏、このような「日本書紀」の示した明確な図式でさえ疑わざるをえない。

 

天皇家が鬼を実際には重視し祀っていたことと明らかに矛盾するからである。

 

大和朝廷成立=神武の東征は天皇家の一方的な侵略ではなく、この時点で鬼(大物主神)と神(天皇家)の間には「日本書紀」や通説では語られてこなかった、もっと違うかたちの関係が結ばれていたと考えられるのである。

 

「......なるほど、この国の成り立ちの根幹を揺るがしかねないなにかを暴露されたら困るのはあちら側か」

 

「そういうことだね。だから僕たちは僕たちができることをすべきだ」

 

2人は手際よく手当していく。そして夕薙が江見睡院を背負った。これはこの回廊に至るまでに相談していたことだった。夕薙は月の呪いにより化人から同族扱いされており、攻撃対象にはされない性質がある。そのため虫の息の江見睡院を連れていたとしても、問題はないと夕薙は経験上知っていた。化人たちは同族がひとりで獲物を貪り食う場所を探しているのだと勘違いして寄ってすらこないのだ。

 

「一応聞くが俺に手伝えることは......?」

 

「君は翔にありったけの精神力を明け渡したからな、地上に出ないとこちらまで疲弊するぞ。悪いことは言わないから先を急ぎたまえ」

 

「......」

 

「翔をあそこに残すのはボクも不本意だが、氣のバランスが崩れたら《遺跡》に妖魔が大量に発生することになる。この術をかけ続けることで氣を最小限にして門の開閉を封じているんだ、できることはなにもない」

 

「わかった」

 

夕薙は息を吐く。

 

「君にできるのは、人質になりうる江見睡院の保護だ。これは回り回って葉佩君たちを助けることに繋がる」

 

ジェイドにそう言われてしまうと夕薙はなにも言えない。《魔人》と戦うこと自体初めての経験なのだ。江見翔に月の力を明け渡してしまった夕薙は喪部銛矢の戦いに参戦することは出来ない。

 

「僕はこれから葉佩君に加勢するよ。できることなら変生を伴う戦いは翔に氣の調整を強いるからやりたくはなかったんだが、そうもいってられなくなったようだ」

 

「あとのことは頼んだ」

 

「ああ、わかっているよ」

 

ジェイドはそういうなりなにやら印を切る。ジェイドの中の氣のバランスが不安定になり、《陽氣》と《陰氣》がすさまじい勢いでかわっていくのをみた夕薙はいきをのむ。葉佩にジェイドは喪部銛矢のように自分で氣をコントロールして妖魔に似た姿になることができる。玄武という強力な力がある《魔人》だと聞かされていなければ敵と間違えていたに違いない。

 

「僕の《力》は龍脈の恩恵を受けられるからね、喪部銛矢と同じ土俵に立てるはずだ。安心してくれ。では」

 

ジェイドは消え去った。そして向こう側でものすごい氣の爆発と聞いたこともないような化け物の咆哮がする。夕薙は味方でよかったと思いながら研究所エリアをあとにする。

 

洞窟を戻っていくと祭壇の前でひたすら意味を汲み取ることを脳が拒否する邪教の賛美歌を歌う江見と会うことができた。ようやく儀式の呪文を唱えおわったようだ。

 

「大和!父さんは?!」

 

「大丈夫だ、気を失っているだけらしい。ただ詳しいことは瑞麗先生に見てもらわないとわからないが」

 

「そっか......。父さん......よかった......よかったよ、ほんとにありがとう」

 

「礼を言うのは全部が終わってからだな。喪部銛矢がかなりの強敵だからとジェイドが変生して助太刀に入ったぞ。氣の調整を頼むだと」

 

「ええええッ!?」

 

「君しかできないことをするんだろう?」

 

「ぐっ......先手打たれた......」

 

「間違ってもこの先に行くんじゃないぞ」

 

「わかったよ......」

 

江見は肩を落として《如来眼》を発動させた。

 

 

 



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虚人たち11

夕薙は黒い雪が降り積る中、男子寮の自室に江見睡院を運び込んだ。

 

「おかしい......なぜこうも静かなんだ?《レリックドーン》の兵士の姿がどこにもない......」

 

自室に鍵をかけ、校舎に向かうと運良く篭城していた瑞麗先生たちと合流できた。男子寮に来てもらい、みてもらう。

 

「君もそう思うかい?私も疑問に思っていたところだ」

 

瑞麗先生はためいきをついた。

 

「通信機器が使い物にならないのはキツいな、まったく......。一応、ここにくることはメモを残しておいたが......」

 

「いつから兵士がいないんですか?」

 

「かれこれ数時間はみてないな」

 

「《生徒会》連中に講堂に来ないと生徒共々爆破するって校内放送してたあれですか」

 

「ああ」

 

「ふむ......」

 

「喪部銛矢の方はどんな感じだい?」

 

夕薙は一部始終を説明した。瑞麗先生は苦い顔をする。

 

「そんなに実力がある《魔人》なのか......まずいな......」

 

「まさか、マッケンゼンてやつもですか」

 

「ああ、幹部連中は人体改造を厭わないと聞いたことがある」

 

「......」

 

「まあ、君は休みたまえ」

 

「......はい」

 

「しかしだ、18年も《タカミムスビ》の落とし子の傀儡になっていながらよく無事だったな、さすがというか哀れというか」

 

瑞麗先生は江見睡院をみる。

 

「翔の楔がなくなりました」

 

「......まあ、そうだね。さスガにすぐ居なくなりはしないだろう」

 

「死ぬことに躊躇がなくなる」

 

「今回で準備してきた精神力が尽きてしまったからね、どうするのか注視しないとまずいのはたしかだな」

 

「有言実行以上のことをしようとするから困りますよ」

 

「いかんせん優秀すぎるからいけない」

 

その時だ。講堂の方から爆発音がした。弾かれたように顔を上げた2人は保健室の窓をあけて外を見る。

 

「......あれは」

 

もうもうと立ち上る黒煙。黒い雪をものともせず出現する新たなる妖魔の影。

 

「バカな、喪部銛矢は今ここにいないはず......」

 

「それをいうなら、氣のバランスを保つ役割をもつ人間が今なら誰もいませんよ」

 

「───────ッ!」

 

瑞麗先生の携帯電話に着信があった。

 

「通信妨害装置......体育館の方で爆発があったのか!?」

 

「それよりメールは誰からです?」

 

「まずい、温室からだ。いきなり《レリックドーン》の兵士が化け物に変わって奇声をあげてどこかにいってしまったらしい。《遺伝子操作》による洗脳で温室には近づけなかったようだから、自我はまだあるらしいな」

 

「まさか、喪部銛矢のやつ、仲間を初めから化け物にするつもりで!?」

 

《レリックドーン》のヘリコプターに兵士たちが隊列すら組まないまま殺到するのがみえた。まるでアリが獲物に群がるように我先にと入り込んでいく。あるいは校庭をつっきり、封鎖していたトラックの荷台を全開にして、我先にと入っていくではないか。

 

「......これは兵士たちは知らされていなかったらしいな」

 

「まるで軍隊として機能していないとなると......まさか」

 

「そのまさかかもしれんな」

 

「九龍に連絡してみます」

 

「ああ、そうしてくれ。私は江見睡院の容態が安定するよう準備しよう」

 

夕薙はメールを送る。

 

「待ってくれ、夕薙。今、夷澤からメールが来た。体育館にいた《レリックドーン》の兵士だけが化け物になったらしい。講堂はマッケンゼンがだそうだ。体育館の化け物はすぐに沈静化したそうだが、講堂はそうもいかないらしい」

 

「はやり......」

 

「ああ、喪部銛矢は、撤退する気だ」

 

「マッケンゼンを化け物に変えて......」

 

「このタイミングだ、初めから元に戻す気など微塵もないんだろうさ」

 

夕薙はメールを打ち終えると送信ボタンを押した。

 

「頼んだぞ、九龍......」

 

黒い雪は先程よりも勢いをまして降り続いている。

 

 

 

 

 

 

 

「かハッ」

 

「これで、終わりだ!」

 

葉佩の強烈な一撃が喪部の体を貫いた。血しぶきが舞う。引き抜かれかけた大剣は、スンデのところで止まった。みしみしみし、とヒビが入る。葉佩は舌打ちをした。喪部がその刃を掴んだのだ。

 

「まだ力が残っていたのか」

 

大剣の破邪の力に《6番目の少女》たちが付与した《力》が拡散する波動を伴って喪部に幾度も襲いかかったのだ。そこに玄武の水の《力》が加わり、さらに力較べに負けた喪部は途中から壁に磔状態で葉佩たちの猛攻を受けていた。再成速度を上回る破壊力にたしかにダメージは入っていた。そのはずなのだが喪部はまだ笑うのだ。

 

みしみしみし、と悲鳴をあげる大剣。おびただしい血が流れるのも構わず喪部はさらに力を込める。葉佩は本能的にやばいと思ったのかぬこうとした。

 

鉄が砕ける音がした。

 

「剣が......砕けやがった......」

 

「なんて力だ」

 

喪部は傷が広がるのも気にした様子はなく、じわじわと再生している残った指で剣の刃の残骸をひとつひとつ取り出していく。

 

「やれやれ......もう時間切れか......。残念だよ、もう少し遊んでいたかったんだが。ボクは少し勘違いをしていたようだな......。ここまで膠着状態が続いても門が開かないとは」

 

門に取り付けられている特殊な機械を見上げて喪部はそうボヤいた。

 

「なんだよ、もうお開きか?俺はまだやる気なんだけど?」

 

「ボクは《九龍の秘宝》を盗りに来たわけだけど、門のセキュリティについては《アマツミカボシ》の管轄でね。まさかここまで強固だとは思わなかったな......《鎮魂の儀》の封印を担当した物部よりセキュリティのクリアランスが上だとは......。てっきりあの女は《アマツミカボシ》の魂に1番近いから《天御子》が拉致したんだと思っていたんだが、魂そのものを《鍵》にしているとは思わなかった」

 

「なにがいいたいんだよ」

 

「つまりだ、ボクは間違えていたんだ。君たちより先にあの女を、いやあの人格をさっさと殺すべきだった。そうすれば《アマツミカボシ》の人格は覚醒したところで、体に馴染むにはタイムラグがあるからその前に殺しきれる。氣のバランスは崩れて変生しやすくなるし、クリアランスはあの女からボクに移行する。やられたよ、どうせ君のことだから直感でわかっていたんだろうがね、葉佩九龍」

 

「まさか翔チャンのことかよ!」

 

「まさかマッケンゼンがここまで弱いやつだとは思わなかった。もう変生するまでに追い詰められてしまうとはね......もう少しやるやつだと思っていたんだが買いかぶりすぎたか。所詮は現代科学の限界だね」

 

喪部の発言に水を差すようにH.A.N.T.がメールを受信する。

 

「ちょうどいい、見てみなよ、いいことが書いてあるはずだ。ついでだからここまで持ちこたえた君たちに特別に教えてあげるよ。今ここで江見翔が氣を正常化しているようだが、地上はどうかな?ボクは氣のバランスをおかしくする天候を操作する呪文をつかっている。それは術者の不在は関係なく発動し続ける。それがなにを意味するのか。なあ、葉佩?」

 

「.....喪部、お前ッ!」

 

「僕は一向に構わないんだよ?今ここで変生して、無防備な術者を殺して門を開いても。東京を《タカミムスビ》

で溢れ返しても」

 

「今更そんな挑発に乗るとでも思っているのか?」

 

「そうか、なら遠慮なく殺しにいくとしようか。忠告はしたよ」

 

喪部は高笑いする。葉佩は息を飲んだ。H.A.N.T.にきたメールを読む。そして口を開いたのだった。



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虚人たち12

喪部銛矢は冷笑をうかべたまま、葉佩たちを見回す。

 

「で、キミの結論はなんだい?今ここで撤退を宣言してボクに見逃してもらう?それとも戦いの果てに仲間を失い、東京を邪神の海に沈めるかい?」

 

「........................クソッタレッ!」

 

「よりによってそれが答えかい?さて、そろそろ江見翔には死んでもらうとしようか。あの女には散々邪魔だてされたからね。すごく痛く殺してあげよう。泣き叫ぶ相手の顔を見ながら、殺す瞬間が、ボクは一番好きでね。誰だって殺されるのは嫌かもしれないけど、相手がボクで良かったじゃないか」

 

「喪部銛矢ッ!」

 

「そんな顔をしても無駄だよ。自分の肉が引き裂かれる音を聞きながらあの女は死ぬんだ。君たちがこの場から引き下がらない限り。さてどうするんだ?地上には君の助けを待つ仲間がいるんだろう?なあ、葉佩九龍」

 

「───────ッ」

 

「クククッ、聴こえるかい?まるで地の底から響くような音が───────。この音はこの《遺跡》に流れ込む氣がこのエリアに特別滞留している証さ。この部屋に入る前からこの辺りには巨大な氣が渦巻いているからね。この《遺跡》には所々龍穴から吹き出した氣を集める霊的磁場が特に強い所があるが、ここは最大規模だ。江見翔がいくら龍脈の恩恵をうけたところで、大量の魔力を使ったところで、プロであるボクには勝てない。だいぶ無理して精神力を使ったようだね。これ以上邪教の呪文が使えないようだ。これがどういう意味かわかるかい?これ以上戦いが長引けば術者たる江見翔は気絶する。そんな無防備なところに変生した化人が無数に襲い掛かったらどうなるか、賢い君ならわかるだろう?」

 

「それは......」

 

「それじゃああの女にお別れの言葉でも言うとしようか。ここがキミの《墓場》だよとでも。そろそろ葉佩九龍、キミの絶望する顔が見たくなってきたんだ。始めるとしようか」

 

喪部が瀕死寸前の《タカミムスビ》の落とし子を蹴り飛ばす。壁に叩きつけられた幼体は水風船のように割れてしまい、中に入っていたスライムが地面に吸い込まれてしまったのだった。

 

「彷徨う魂よ───────。さァ、ボクの呼びかけに答えて形を成せ。そして、あの女を食い殺───────」

 

「わかった」

 

「おい、九ちゃん!」

 

「九龍、本気かッ!?こやつがいうことが本当だとは思えんぞ!」

 

「......それが君の決断か、葉佩君」

 

「ここは引き下がろう、みんな。大和からメールが来てさ、マッケンゼンたちが変生して《魔人》になって地上は大騒ぎになってるらしいんだ。一般の兵士から変生したやつはともかく、マッケンゼンはやばいらしい。翔チャンに行ってもらわないとまずいんだ」

 

葉佩の言葉にキュエイの前哨戦を思い出した誰もが苦い顔をした。

 

「クククッ、いい判断だよ、葉佩九龍。引き際を弁えてこそ一流の《宝探し屋》だ」

 

「俺はあとから行くよ。先にいって」

 

「しかし」

 

「いいから早く」

 

「九ちゃ」

 

「早くっ!喪部の気が変わらないうちに、早くしろってば!翔チャン連れてはやく《遺跡》脱出しろ!」

 

葉佩の激が飛ぶ。納得いかない様子ではあったが、疲弊が蓄積していて明らかに精彩をかいていた仲間たちは強く言われると言い返せない。離脱し始めた仲間たちを見送りながら、葉佩は後ろに下がっていく。

 

「やはりこのボクが見込んだだけはあるね、ボクから生き残れたのはこれで2人目だよ。いずれも撤退の難しさをわかっていた」

 

「次はねーからなッ!」

 

「クククッ、しかも全く同じことをいうとはやはり似たもの同士だね、《宝探し屋》というのは。時諏佐慎也といいキミといい、《ロゼッタ協会》にはもったいない人材がまだまだいるとわかったのも大きいな」

 

「そうやっていっつもウチから引き抜きやがるよな、お前らは!」

 

葉佩は苦虫を噛み潰したような顔をしたまま洞窟まで後退する。

 

「《九龍の秘宝》は諦めるが、《碑文》はなくてもサンプルさえ持ち帰ることが出来ればある程度の実績は見込めるんでね。《遺伝子研究》が《九龍の秘宝》だと古代人は理解出来なくても我々は理解出来る。江見翔がいなければどのみち門は閉じられたままだ。ボクはここでサンプルを吟味してから撤退することにするよ」

 

葉佩の視界から喪部が消えた。研究所エリアに向かったことから発言は事実らしい。葉佩はいそいで仲間を追いかけることにした。

 

《遺跡》が揺れる。

 

「喪部の野郎、これ以上なんかするつもりかよッ!」

 

叫ぶ葉佩に返事はない。これが葉佩にとって生まれて初めての敗走だった。

 

 

 

 

「というわけだからさ。翔チャンには無理させて悪いけど、地上に出たら、また氣のバランスを正常化する術式頼みたいんだ」

 

葉佩と合流しながら地上を目指す道中で、江見は浮かない顔をしている。

 

「ごめん、九ちゃん......足でまといばっかで」

 

「そんなことないよ~、翔チャンッ!そんな顔すんなってば。だいたい翔チャンがいなかったら喪部は交渉すら持ちかけてこなかったんだからさ~。《遺跡》の化人はもとは人間なんだぜ?あいつらみんな《魔人》に変えられてみろよ、俺たち命いくつあっても足りないっての!」

 

「そうだ、翔。君は君にしか出来ないことをやり遂げた。それだけは自分を褒めてやらないと気力が続かないぞ」

 

「ジェイドさん......」

 

「精神力足りるのかよ、そもそも」

 

「うっ......そういわれると実は......かなりキツいかな......。最初みたいな大規模なのはもう無理そう。講堂まで連れて行ってもらわないと......」

 

「短期決戦だってよ、九ちゃん」

 

「了解ッ!」

 

笑った葉佩は殿をジェイドに任せて、化人の掃討をこなしながら先を急ぐ。

 

「みんなには悪いけどさァ、今回はど~しても譲れなかったんだよ、俺ん中ではさ。ごめんな」

 

「そういう態度なら初めから謝るなよ」

 

「そうだぞ、九龍。怒りの持っていき方がわからなくなるではないか」

 

「あ~、そっかァ。へへッ、なら今のなしッ。......う~ん、頼れるやつらがいるって俺めぐまれてるなァ」

 

しみじみと葉佩は呟く。

 

「生きられればそれでいいやと思ってたこともあるんだよ。ごうごうともえている廃屋とか、言葉も通じない大人とか、曲がり角の奥たちこめる匂いとか。今でも夢に見る。子供が子供を育てて、子供が子供を殺して、子供が子供と子供をつくるんだ。今思い出すと不思議とどうしようもないほど怖くなる。やっぱり今の俺は恵まれてるよ」

 

その瞳の向こうにどんな風景が見えているのか、誰もわからない。それでも葉佩の背中をおいかける誰もがその背中を誰よりも頼もしく感じているのは事実だった。

 

そのまま誰もが無言で葉佩の後ろを追いかけた。記紀神話の常世の国の伝承のエリアを遡り、大広間にでる。《魂の井戸》に入り、自室と繋がっている亜空間から武器を補充して準備万端となったところで地上に出た。

 

黒い雪が吹きすさぶ中、講堂方面から《魔人》になりきれなかった鬼、あるいは妖魔の咆哮が鳴り響く。また爆発音がした。天井が吹き飛んだのか、空高くなにかが飛び出してくる。それが天井のパイプだと気づいた葉佩たちは顔をひきつらせるのだ。そして視線ははるか上を見る。葉佩たちのはるか頭上で巨大なヘリコプターが遠ざかっていくのが見えた。

 

「大和のいうとおり、無事な奴らはみんな逃げちゃったみたいだな。狙いはマッケンゼンだけか。よ~し、気合いいれていこう」

 



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虚人たち13

黒い雪が降りしきる中、私たちは講堂に向かった。まずは状況把握をしなければならない。私は《如来眼》を発動した。

 

《私の身体に宿る星よ。どうかこの場の氣をこの瞳に映らせたまえ》

 

無意識のうちに紡がれた言葉は、この体の記憶に頼っているからである。私の瞳はおそらく黄金に輝き、人外じみた輝きを放っている。H.A.N.T.で解析したら《魔人》と同じ氣が私の体内を巡っているはずだ。

 

「どう?翔チャン」

 

私は解析結果を葉佩に伝える。

 

目に見えないエネルギーを氣と呼んでいる。氣は、大きく分けて、《天の氣》《地の氣》《人の氣》の3種類に分類される。中国には、《天地人三才》という風水の原理があり、《天の時、地の利、人の和》をとても大切にする。

 

それは天の陽氣と地の陰氣とが調和することによって、人の氣が生成されるとする思想だ。

 

天は理であり、氣である。遠くから視れば蒼蒼としているので、蒼天という。天を主宰するものを帝という。天が実際に活動する姿を鬼神(目に見えない、人間離れした優れた能力をもつ神霊・この世界を創造したとされる神)という。

 

天の本元の性精(氣)を乾という。宇宙の根源の一太極が分離して、清く軽いものはのぼって天となった。これが陽である。濁って重いものはくだって地となった。これが陰である。中ほどの調和した氣は人となった。これを天地人の三才というのだ。

 

つまり、関係は以下のようになる。

 

天:上部、浅い位置・・・天の陽氣と感応

 

人:中部、中位の深さ・・・天地陰陽の中和の氣と感応

 

地:下部、深い位置・・・地の陰氣と感応

 

具体的には《天の氣》は、太陽・月・惑星などの宇宙の天体が発する氣のこと。《地の氣》は、人間が暮らすこの大地が発する氣のこと 。《人の氣》は、人間が発する氣のこと。

 

これら3つの氣のどれかひとつでも不足したり、良い氣でなかったりすれば、人間のどこかに影響が現れると言われ、無意識のうちに3つの氣のバランスを保つことで人間は生きている。

 

《人の氣》は主に3つのエネルギーからなる。

 

まずは生まれもって備わるエネルギーたる《先天的なエネルギー》、無限ではない。生まれてから、死ぬまでの決まり決まったエネルギーであり、日々の生活で失っていく。

 

つぎに、生まれてから、自身の行動により備わる《後天的なエネルギー》。生活環境、対人関係、学びなど、行動力により変化しながら養い、消耗し、また補いながら、先天的エネルギーをサポートしている。

 

そして、個々の思考より生まれる意志と、調和のバランスによる《中心エネルギー》にわかれている。

 

今、この學園は龍脈が活性化しているためにバランスが非常に不安定な中、《地の氣》が著しく濃くなっている。そこに喪部銛矢が天候を操作して《天の氣》が少なくなるように操作されている。だから《地の氣》が過剰にこちらの空間に流れ込んでいるのだ。私はさすがに《天の氣》を操作できないため、近くにある《陽氣》そのものをこちらに流そうとしているのだ。

 

「どうにかなりそうだよ。あんまり長くは期待できそうにないけどね」

 

「出来るのと出来ないのとじゃ大違いだから。ありがとう、翔チャン」

 

葉佩は笑った。

 

《人の手には過ぎた力。神にすら届く刃》

 

《飢えたか。欲したか。訴えたか》

 

《ならば、くれてやろう。受けとれ》

 

《そして、ようこそ》

 

《いあ いあ はすたあ はすたあ》

 

《あい あい はすたあ》

 

風の属性があるというハスターの力も借りながら、私は邪神を讃える魔導書からえた呪文を唱える。

 

《如来眼》の世界には緩やかに《陰氣》ばかりが流れ込んできた空間に《陽氣》が注がれ、やがて中和されていく。これで妖魔がさらに連鎖して湧いてくることはないはずだ。あとは強化されてばかりだったステータス上昇が抑えられるはずである。

 

私は物陰にかくれで講堂内を解析する。

 

「《魔人》じゃない......これは《力》に飲まれてなり損なった《鬼》だよ」

 

「えっ、喪部みたいな!?」

 

「喪部も《鬼》だったけど、あいつは《鬼》のニギハヤヒを降ろしてる上に《魔人》でもあったから、あれよりは弱いはず。でもダメだ......もうマッケンゼンは人間に戻せそうにない......」

 

私の眼はマッケンゼンの氣がキュエイとよく似た氣になっていることを知らせてきた。あわよくば人間に戻すことが出来れば弱体化が狙えるんじゃないかと思っていたが、この姿になってからだいぶん時間がたっていたために後戻り出来ない所まで来ているらしい。舌打ちした。

 

私は氣の特徴と瑞麗先生から転送されてきた夷澤のメールから外見を伝えた。すると反応したのはジェイドだった。

 

「まさか......喪部銛矢の奴、今度は有名どころの鬼に変生させたのか?」

 

「有名どころって?俺、鬼全然知らないんだけど」

 

「酒呑童子とか?」

 

「鬼って言われても桃太郎しかでてこないんだが」

 

「すまん、拙者も不勉強ゆえわからぬ......神鳳殿ならわかるのではないか?」

 

「よし、聞いてみる」

葉佩はメールを打ち始めた。ほどなくして神鳳から返信がきた。硬い体で矢をはじき返してしまう鬼、大風で講堂の天井を吹き飛ばす鬼。洪水で敵を溺れさせる鬼、姿を隠しながら、とつぜん敵に襲いかかる鬼。今のところ4体確認できるのだという。

 

「なるほど......やはり太平記に出てくる鬼だな。天智天皇の時代に藤原千方という男が反乱を起こし、金鬼、風鬼、水鬼、隠形鬼という四匹の鬼を使役したと伝えている。人智を超えた力を持つ四匹の鬼によって、千方を討伐しようとやって来た朝廷軍は、苦戦をしいられた。その鬼たちによく似ているな」

「どうやって倒したかわかる?」

 

「紀朝雄(きのともお)という男が反乱の地にやって来て、一首の歌を詠んだんだ」

 

「歌?」

 

「歌ってあの和歌か?」

 

「そう。草も木も我が大君の国なればいづくか鬼の棲(すみか)なるべき。この国はすべて天皇が支配しているのだから、鬼の居場所はどこにも無いぞ、といった意味だ。朝雄の歌を読んだ四匹の鬼は「わたしたちは悪逆非道な臣下に従って、善政有徳の君主に逆らってしまったから、天罰から逃れることはできない」と悟って、その場から立ち去ってしまった。千方が四匹の鬼を失ったことで形勢は逆転し、やがて千方は朝雄に討たれたという」

 

「本家はわりと話がわかるやつなんだな~。でもマッケンゼンが変生してる上に、まだ自我が残ってるっぽいし、その和歌って効果ある?あいつ外国人だぜ?」

 

「術者が喪部銛矢だからな、キュエイの時より容易いんじゃないか?」

 

「そっか......」

 

「その和歌をしたためるには時間が無いが、鬼に属性があるなら、破邪だけでなく属性攻撃もダメージが見込めるはずだ」

 

ジェイドのアドバイスに葉佩は力強くうなずいた。

 

「九ちゃん、頑張って」

 

「おうッ!」

 

講堂に突入した葉佩たちを見送って、私は祈るように黒い雪が降り続く空を見上げた。心から祈った。正確な祈りの言葉こそ持たなかったけれど、私の心はかたちのない祈りを宙に紡ぎ出していた。祈ったところでろくなことをしてくれない神しか私は知らないわけだが。

 

私はまた詠唱を開始する。これが今の私にできることであり、私にしかできないことである。するべきことを遂行してからこれからのことについて考えるべきだ。感情や思考は極力排除して私はエイボンの写本で学んだ呪文をひたすら口にし続けていた。

 

講堂からはずっと雄叫びが聞こえている。

 




断末魔の絶叫が鳴り渡った。それは長く長く尾を引きながら消えていく。聞いている者の心臓を虚空に吊るし上げる程の叫びだった。臓腑をドン底まで凍らせずにはおかないくらいタマラナイ絶体絶命の声。これから先、何千年、何万年、呼び続けるかわからない真剣な、深い怨みの声。おそらく、ずっと頭のどこかに巣食うに違いない。仲間に裏切られ、自我を保ったまま、変生させられた男の末路は、《鬼》になった人間となんら変わらない。

《陰氣》に肉体が耐えきれなくなり、自壊していくのだ。そして肉体は一瞬にして土に還り、講堂には男4人分の砂が残された。あるいは《レリックドーン》の兵士の武装が転がった。《如来眼》は、天に昇るはずだった魂たちが何故か龍脈の流れに乗って漂い始めたのを捉えていた。その先に待ち受けるのは膨大な氣の渦。あの《遺跡》を通過したその瞬間にその渦に飲まれて消滅した。魂の悲鳴すら聞こえてきそうだった。その氣の持ち主は喪部銛矢以外私は観測していなかった。

その氣の持ち主が學園敷地内から脱出し、堂々と表通りの道から去っていくのを私は見ていることしかできなかった。なにかあったらすぐにでも葉佩に連絡を入れるつもりで、片時も離さず指が白むくらい強く強く携帯を握りしめていた。初めから待機していたらしい車両に乗り込み、喪部銛矢は去っていった。

「......雪が、やんだ。おわった......やっとおわったぁ......やばい、しねるぅ.....」

呪文の詠唱から解放された私は、ようやく安心することができた。息を吐き、葉佩にメールをうつことができる。みんなより後から喜びを分かち合えるのは仕方が無いとはいえ、ちょっと残念だった。

私は一部始終を《如来眼》による解析で目撃することになった。4匹の鬼たちにそれぞれ相性がいい属性、あるいは攻撃方法で戦う葉佩たち。まさに総力戦だった。《生徒会》関係者たちの《力》がなければ、キュエイによる連戦、喪部銛矢との戦いを駆け抜けてきた葉佩もさすがに限界だったかもしれない。葉佩が来てくれると信じて生徒や教職員を守り続けてきた仲間がいたからこその勝利だといってよかった。

喪部銛矢の横槍が入らなくて本当によかった。私は腰が抜けてしまって、講堂前の階段に座り込んでしまう。

講堂はひどい有様だった。全てのガラスを失った窓枠の外装も爆発で吹き飛ばされて見る影もないし、壁は各所でぐずぐずに崩れ落ち、鉄扉はガタガタだ。

のっぺりとしたコンクリートの壁には配線や鉛管がずたずたなまま、ところどころにぶら下がっていた。様々な機械やメーターやスイッチのあとには、それらがまるで巨大な力でむりやりむしりとられたかのように、ぽっかりと穴があいていた。

壁や扉や天井の鉄板があちこちはずれていたので、まっすぐに通り抜けてゆく風の動きを感じることができるだろう。

一晩かけて氣は正常化するはずだ。

「よかった......ありがとう......まじでありがとう、九ちゃん......。これ以上長引いたら......さいあく、意識不明だったよもー......」

もしH.A.N.T.で私を解析したら、きっと死にかかっているに違いない。まさに命をけずってまでやってるわけだから笑えない話だ。

「......えーと......今日は22日でぇ......精神力は......24時間あれば......全快す......よかった......25までには、間に合う......」

緊張の糸が切れて一気に眠気が襲ってくる。大欠伸をしたり、体をバタバタ動かしたりしてみたが体の疲労は半端ないようで、無駄な抵抗はするなとばかりに体が重くなってきた。ぐらりと視界が回転する。あ、やばいと思った時には遅かった。

「───────ッ!?」

頭をぶつけた私は悶絶する。一気に眠気が吹き飛んでしまった。ガヤガヤガヤという騒がしい音がどんどん近づいてくる。

「おい、翔ちゃん大丈夫......って、なにしてんだ、お前」

「やあ、甲ちゃん。精神力枯渇しちゃって動けないんだ。運んでくれない?」

逆さまの世界で呆れ顔の皆守に私は笑いかけた。

「今から体育館で待機らしい。死人が出たからな、暫くは学校閉鎖だろうさ」

「あー......警備員の人たちか......」

「気に病むなよ、呪文を唱える口はひとつしかないんだから」

「そうなんだけどねー......なんか一気に現実が......」

「体調不良なら男子寮のがいいな、瑞麗に連絡しとけ。今、大和んとこにいるんだろ?」

「ああ、うん、そうだった......そうだったよね、会いに行かなくちゃ......」








「さすがは《宝探し屋》といった所か」

「どこがだよ、まんまとしてやられたってのにさ」

「喪部銛矢を逃がしたことを後悔しているのか?だが、悲嘆する事は無い。お前は《宝探し屋》という立場にもかかわらず《生徒会》に情報を寄越してきた。この《墓》を狙う者を排除するために罠をしかける猶予が出来たのだから」

「俺は俺のすべきことをやっただけだ、それだけは自信を持っていえるよ。だから悔しいんだ。今度あったらタダじゃ置かない。それに俺だけじゃないよ。《黒い砂》でずっと手伝ってくれていたのは阿門だろ?」

「......誉めているつもりか?貸しを作る気か?」

「ありがとうっていいたいだけだよ」

「......。よもや《レリックドーン》や《タカミムスビ》の落とし子まで倒してくれるとは思わなかったが」

「まあね」

「よく聞くがいい。この《墓》の《封印》を解くことは───────」

「喪部銛矢から聞いたよ。江見睡院先生助けたからね、《タカミムスビ》の司令塔はあの男だけになっちゃったし。クリスマスあたりには覚悟決めなきゃいけないんだろ?最後まで責任取るよ」

「..................」

阿門はコートを翻して去ってしまった。葉佩は肩を竦めた。


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見知らぬ明日

見知らぬ明日

 

私が男子寮の自室にいるのだと理解出来たのは、生活感がまるで無い殺風景な部屋の机に座り、明かりをつけて本を読んでいる男の後ろ姿があったからだ。体を起こそうとすると毛布が落ちてきた。どうやら彼が掛けてくれたらしい。目の前にあるベッドの毛布はないし無人だし、瑞麗先生がおいていった簡易スリッパがない。たぶんこの床におちたのがそうなのだろう。掛布団や枕が丁寧に畳まれた上に置かれている。几帳面さがうかがえる。

 

「やあ、おはよう。待っていてくれたのに、なかなか目を覚まさなくてすまない。体は大丈夫かい?」

 

男と目があった。子煩悩な父親のように目を細くして眺めている。

 

「え、あ、その......大丈夫です」

 

とっさに敬語になる私に江見睡院は少しだけ寂しそうな顔をした。だが、その顔に気づくやいなや、なんとか取り繕おうとして、やがて諦めたのか苦笑いした。

 

「やはりそうなのか......いや、そうだよな。江見睡院が先祖が由来のハンターネームである以上、その息子が現れたとするのならその正体は《ロゼッタ協会》の関係者だ。誰だってわかる。私だってわかる。こんなにわかりやすいアピールはないというのに、気づかなくてすまなかったよ。《タカミムスビ》と同化している時、いつも世界は琥珀色の心地よい感覚に満たされていた。麻酔なのか洗脳なのかわからないが、正しく物事が認識できなくなっていた」

 

「江見睡院さん......記憶が戻ったんですか?」

 

「.....ああ、そうなんだが......」

 

江見睡院は申し訳なさそうに首をふった。

 

「君が目を覚ますまでと思って、《ロゼッタ協会》からパスワードを教えてもらってH.A.N.T.や資料を見せてもらっていたんだ。たった8ヶ月でよくぞここまで調べあげたな。そして、助けてくれてありがとう」

 

アタマを下げられてしまう。私は首を降った。

 

「にもかかわらず、だ。ほんとうにすまない。君が江見翔ではないと目の前の資料の山から事実ではあると把握はできたんだが、まだ理解も納得も正確にできないようだ。どうしても江見翔といういもしない我が子に対する感情で動いてしまう」

 

「自分の今の状況について、客観的に理解できる上に冷静でいられるだけすごいですよ。18年間もあなたは《タカミムスビ》の傀儡として《遺跡》に囚われてきたんだ。精神に何らかの異常がでるのは当たり前です。再起不能になることだって覚悟してたのに、こうしてまた話が出来てうれしいです」

 

「そんなんじゃない......。ただ現象として私が置かれた現実を、いま私が認識したに過ぎないだけだ」

 

「《宝探し屋》として?」

 

「ああ......そうだね。《宝探し屋》としての本能からは逃れられない」

 

「でも、だからこそ、あなたは助かった」

 

「ありがとう。本当にありがとう。ただ......その、やはりダメだな......君が私に敬語を使うのは当たり前の行動だとは思うんだが、ダメだ。心が追いつかない」

 

私は笑ってしまった。

 

「あはは......そっか。なら、いつもみたいに話すよ、父さん。父さんが《ロゼッタ協会》のスポンサーが運営する病院で入院して治療が終わるまでは付き合ってあげる」

 

「......ッ!」

 

わかりやすいくらい嬉しそうな江見睡院に私は笑うしかない。

 

「本当にありがとう......翔は親孝行な息子だな。父さんの自慢だ。こんなおっさんを父さん呼ばわりする羽目になったというのに、終わりにできなくてごめんな」

 

「オジサンて。18年前と全く姿が変わってないんだから、見た目は20代後半のままじゃないか。鏡見た?」

 

「それでもだよ。翔はなかなか複雑な経歴の持ち主だと五十鈴からデータをもらった。下手したら同年代じゃないか。しかも女性だとは......」

 

「あはは......よく言われるよ」

 

「私を頼りにしたいからこその任務達成なんだろう?リハビリは長い戦いになりそうだが、かならず復帰して力になる。それまで待っていてくれるかい?」

 

「もちろん、期待してるよ父さん。オレが江見の2代目だって噂、さっさと帳消しにできることを祈ってる」

 

「ありがとう。翔に助けられたことは二度と忘れない。もちろん共に任務を達成してくれた葉佩君のこともだ。H.A.N.T.のセキュリティに関しては、私の件について吟味するよう伝えておいたよ」

 

「えっ、そんなあからさまに圧力かけるの?」

 

「何を言っているんだ、あたりまえだろう?天香學園の《九龍の秘宝》自体は私自身に施された《遺伝子操作》や《タカミムスビ》の落とし子と融合していたときの残滓がある。私自身が秘宝の状態だ。撤退命令が出ているのはその証だ。にも関わらず翔も葉佩君も《九龍の秘宝》を持ち帰るつもりなんだろう?ならばそれなりの評価をすべきだ。違うかい?聞いたぞ?最後まで責任を取ろうって決めたそうじゃないか」

 

「ああ、うん、それはそうだけどさ......《タカミムスビ》放置したら《遺跡》の封印がとけて東京が壊滅的な被害をうけかねないから」

 

「そうだろう?」

 

江見睡院は目を細めて笑った。

 

「うわ、もうこんな時間......」

 

「こんなでは無い。翔は今日無理をしすぎたね。瑞麗先生から話は聞いた。精神力は24時間経過しないと回復しきらないし、決戦の日まで時間が無いじゃないか。休みなさい」

 

「うっ......」

 

「今日はこれだけ騒ぎになったんだ、学校は明日から休みだそうだ。ゆっくり休むといい。それまで私がやってあげよう。精神力の儀式は覚えがあるからね」

 

そういいながら睡院は机の上にあるかつて愛した女のブローチをみた。

 

「《タカミムスビ》の落とし子だった時に取得した呪文は健在なようだから」

 

「ありがとう......」

 

睡院は私のアタマを撫でた。私は好意に甘えてベッドで休むことにしたのだった。

 

「父さん、迎えはいつくるの?」

 

「今、警察が頻繁に出入りしているから《ロゼッタ協会》としては落ち着いてから寄越したいらしいんだ」

 

「そっか......じゃあクリスマス以降だね」

 

「そうだな......」

 

「きっとたくさん救急車を呼ぶ羽目になるから、その時に便乗すればいいよ」

 

「五十鈴もそういっていたよ。それまでは世話になる」

 

「うん」

 

江見睡院の中で、親子の関係が、いつも緊張を孕んだ情愛のなかの秤のように懸かっている。暗くて辛い夜に無条件で抱きしめてあげる存在でありたいと本気で願っているらしかった。

 

これが江見睡院に残された《タカミムスビ》の落とし子による後遺症なのだとしたら、なかなかに深刻だ。一種の狂気状態の中に彼はいるわけだから。さいわいなのは、その治療に前向きであるということだ。

 

私が演じるだけでこれだ。江見翔というわが子が、一人立派に成長した男の子が、目の前にいるという完全な幸福感の中に身を置いている。

 

江見睡院という人となりが見える気がした。少しでも親の責務の一端を担いたいと思っているのだ。

 

《宝探し屋》として潜入したこの学園で愛する女と出会い、身ごもり、悲劇に見舞われて女は死んだ。子供は生きていた。18年間も放置したも同然の息子が助けてくれた。その感動が江見睡院の自我を保ってくれたのだとしたら、もう少し付き合う義務が私にはあるのだろう。

 

江見睡院は明瞭な親としての責任観念から、子供の運命の最大責務者とならなければならない。幾多の親の責任感と切実な愛情を送りたい、報いたいと本気で思っているようだから。すべて虚構だと突きつけられても体が拒否反応を起こしているのかもしれない。だがそれが狂言かどうかまでは私はわからない。

 

それによって江見睡院が少しでも前向きに生きてくれるならそれでもいい気がした。なにせ18年である。いくら強靭な精神力をもつ《宝探し屋》でも妄執を手放せないくらい理性がどこかひび割れていてもおかしくはないだろう。まともでもまともでいない振りをしたくなるくらいには、江見睡院に横たわる現実は辛辣極まりないのだから。

 



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見知らぬ明日2

2004年12月24日朝

 

一日静養したおかげで精神力が完全に回復した私は、ようやく外に出ることを江見睡院に許してもらえた。なにせ今日の深夜、いよいよ最終決戦が始まるのである。

 

尊敬する先輩の判断だからと葉佩に私の意見を却下されて23日は一日自室から出してもらえなかった。

 

私が体調不良だったのは周知してもらえたようで、葉佩たちがマミーズの差し入れをしてくれたため、他に訪問者はいなかった。今日一日くらいは友達と話すこともあるだろう、と留守番してくれている彼には感謝してもしきれない。

 

マミーズでお持ち帰り用の注文も済ませてテーブルに座っていると、月魅がやってきた。

 

「おはようございます、翔君。相席してもいいですか?」

 

「うん、いいよ」

 

「もう身体の調子はいいんですか?昨日一日寝込んでると聞いていたので心配していたんです」

 

「九ちゃんたら、そんなこと言ってたのかあ......大袈裟だなあ。今はもうこのとおり大丈夫だよ、ありがとう」

 

「そうですか、それならよかったです。九龍さんから詳しいことはだいたいお聞きしました。お疲れ様でした。江見睡院さんが助けられてよかったですね」

 

「ほんとにね......。そのためだけに突っ走っできたわけだけど、実際に達成出来たら出来たで実感はわかなかったよ。ただ部屋に帰ったら父さんはいるからね、ようやくって感じだ」

 

「そうだと思います。18年ですし。その、江見睡院さんはどこまでご存知なんですか?」

 

「私が目を覚ました頃には、すでに九ちゃんや《ロゼッタ協会》の説明はあらかた終わっていたよ。でも後遺症は深刻みたいでね。私が息子じゃないことはわかるけどわからないみたいな......

そんな感じなんだ」

 

「えっ、精神交換まで話してしまったんですか!?せっかく翔君が今まで頑張ってきたのに......それだけは翔君が時期を見て話すべきことだったのに、待ってすらくれないなんて、さすがに薄情では?」

 

「う~ん......こればかりはどうもね。父さんが色々知りたがったのは事実だから」

 

「翔君......」

 

腑に落ちない顔をしながら、月魅はため息だ。自分のことのように怒ってくれる月魅には感謝である。これが正常な反応なんだと私がいかに狂気に侵されているか教えてくれる。

 

朝食がやってきたので、私たちは重苦しい話はやめにした。

 

「ところで翔君、江見睡院さんカッコイイですよね」

 

「そうだね、女子高生に人気が出るのもわかる気がするよ。閉鎖的な全寮制の学園にあんなにイケメンの教師が赴任してきたら、そりゃ、ね」

 

「しかも《宝探し屋》です。《遺跡》なんて非日常の塊みたいなものを探しに来たアウトローな一面もある」

 

「月魅、ああいう人好みなの?」

 

「インディ・ジョーンズは名作だと思います」

 

「古代遺跡の補正が大きそうだね」

 

「そうともいいます。翔君はどうですか?しばらく同棲するわけですが」

 

「同棲って......言い方に語弊があるよ、月魅。父さんは父さんだ」

 

「それは江見翔君にとってであって、あなたにとっては違いますよね?下手をすれば私たちより歳が近いのでは?それに今のあなたは性的嗜好は女性よりなはずですよね?」

 

「まあ、毎回死にかけるものだから、なかなか肉体と融合しきれないでいるけど......月魅」

 

「どうですか?」

 

「どうって......どうもしないよ」

 

「やはり、翔君のかかえる強迫観念の治療をしなければ進展は見込めないということですか?」

 

「いや、それもあるけど......いやだから月魅」

 

「萌生先生とどちらが好みですか?」

 

「楽しそうだね、月魅。さてはネタに行き詰まってるな?」

 

「私はスケジュール管理を徹底しているので違うんです。サークルの友人が筆の進みが遅いと嘆いているので」

 

「......冬の祭典だね?原稿は手伝わないよ。私はこの世界では関わらないって決めたんだ」

 

「冗談ですよ、冗談」

 

「真顔やめて、逆に怖いよ」

 

顔を見合わせた私たちは吹き出してしまった。

 

しばらく雑談をしながら朝食を食べた。

 

「ついに、ついにここまで来ましたね。どうです?心の準備の方は、もうできましたか?」

 

「もちろん。ここまできたらやるべきことをやるだけだよ」

 

「───────古人曰く。《未来を予測する最善の方法は自らそれを創り出すことである》。あなたなら、きっと《成功の未来》を作れると思いますよ」

 

七瀬はいう。

 

「翔君、私はあなたの役に立てていたでしょうか」

 

「うん、月魅にはたくさん助けてもらったよ。ありがとう」

 

「ふふッ、あなたにそういっていただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます」

 

「こちらこそ」

 

「それでですね、ものは相談なのですが......」

 

「うん」

 

「翔君、この學園を卒業してからも、私はあなたのお役に立ちたいんです。あの、あなたさえよければ、なんですけど。《天御子》と戦うために《九龍の秘宝》を集めるといううあなたの仲間にしてはもらえませんか?」

 

「えっ、いいの?大歓迎なんだけど」

 

「よかった......本当ですか......?!ありがとうございます、翔君。私、嬉しいです。翔君のことですから、ちゃんと伝えないといけないと思っていたんです。あなたはいつも大変なことは後から教えてくれますから」

 

「あはは......とうとう月魅にも言われちゃった......」

 

「私、信じています。あなたや九龍さんならきっと勝てるって......。だから、今から約束しましょう、翔君」

 

「え、なにを?」

 

「八千穂さんが教えてもらったというフリーのメールアドレス、教えてもらえませんか?」

 

「えっ、いいけど。やっちーから教えてもらっても全然よかったのに」

 

「八千穂さんはよくても私がよくありません。私が翔君から聞きたかったんです」

 

「そっか」

 

「はい」

 

私は生徒手帳の白紙欄に書いたメールアドレスを破って月魅に渡した。

 

「今からメールを送ります。これが私の個人のメールアドレスなので登録お願いします」

 

「わかった、ありがとう。私のやつも登録よろしくね」

 

「わかりました。それでですね、約束というのは......今は江見翔君と登録しておきますので、帰ってきたらあなたの名前を教えてほしいんです。改めて登録し直したいので。と、いうわけで、あの......翔君。よかったら、あなたのお名前を次に会ったら教えていただけませんか?」

 

「え、名前?」

 

「はい、江見翔君ではなく、あなたの」

 

「......私の?」

 

「はい。いつかあなたが元の姿に戻ったとしてですよ、江見翔さんと呼ぶわけにはいかないわけじゃないですか。友達なのに名前を知らないのは嫌ですよ、私」

 

月魅は笑う。

 

「最初は自分の知的好奇心を抑えきれなくて、學園の謎を追っていました。けれど......いつのまにか、追いかける謎がどんどん増えていって、追いかけてくれる仲間も増えていきました。気づいたら、一緒に調べてくれる人がいてくれる喜びを教えてくれました。その始まりは、翔君、あなたです。今年の5月、あなたが江見睡院さんを助けたいとこの學園に転校してきた時から、全ては始まったんです。自分の持っている知識をみんなのために使えることはもちろん、あなたの江見睡院さんを助けたいという願いを叶えるために使えることが本当に嬉しかった......。私、もっと頑張りますから、またいつか、《九龍の秘宝》を巡る時には、絶対に一緒に連れて行ってくださいね?約束ですよ?」

 

「わかった。必ず約束するよ、月魅」

 

私はうなずいた。

 

信じ合った心と心は、鋼よりも固い。肉親のように断ち切りがたい絆だ。家族のような絆、いうなれば擬似的な血で結ばれている。長く続いた苦難の日々こそ、私たちに固い団結をもたらしてくれたのだ。

 

同じ価値観を持った者同士、それが仲間なのだとしたら、私が月魅を思う心に寸分の変りない様に月魅にも決して変りない様に思われてる。その観念は殆ど大石の上に坐して居る様で毛の先ほどの危惧心もない。友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なのだから。

 

月魅が傍にいると、拠りどころのあるような居心地よさ、落着き、悪い意味の女らしさから来る窮屈を脱した気楽さがある。

 

何かがちょっとずつ、深くなっている気がする。何がって聞かれたら困るけど、言葉にしたら浅くなってしまうようなものが、二人の間で深くなっていた。



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見知らぬ明日3

 

私が朝食のお持ち帰りを持って帰ってくると、葉佩が江見睡院と話しているところだった。

 

「おかえり、翔チャン」

 

「おかえり、翔。今、葉佩君に新たな剣について話していたところなんだ」

 

「そうそう、直ったんだよ翔チャンッ!喪部銛矢に砕かれちった黄金の剣!まさか完全体じゃなかったなんて驚いた!」

 

「私はそうじゃないかと思っただけだし、砕けた状態から復元させたのは葉佩君の技術だ。誇っていいよ」

 

「やった!」

 

「ほんとに?すごいじゃないか、九ちゃん。さっすがあ」

 

「へへへッ、もっと褒めてもいいんだぜ?でもよかったよ、ほんと。せっかくもらったばっかなのに、これからどうしようかと思ってたんだ。睡院先生のおかげだよ。俺だけじゃ絶対わかんなかったし」

 

「そうなんだ?すごいなあ」

 

「疑問に思ってはいたんだ。《封印の巫女》の出現条件から察するに、授けられたということは、《遺跡》の《封印》が解かれる前提がまずあったからだろうとね。《長髄彦》を討つことを考えるなら、記紀神話に縁が深いものを伝承するはずだ。だが、葉佩君が見せてくれた黄金剣は該当するものが無い。しかも《遺跡》に深く関わりのあったニギハヤヒを降ろしていた喪部に砕かれてしまうほど脆いはずがない。当時、ニギハヤヒは神にして指導者だ。《魔人》ではなかった。アラハバキ族の実働部隊の司令官だった《長髄彦》の方が《魔人》ではないニギハヤヒよりはるかに実力は上のはず。こんなにヤワな作りでは、かつてあったという反乱時に鎮圧出来るわけがないんだよ。鎮圧出来たから伝承したと考えるのが自然だ。この剣を作ったのはニギハヤヒなのだから。《長髄彦》のことをよく知るからこそ、伝承するに値する剣をつくるはずだ」

 

江見睡院はそういって、葉佩が見せてきていたらしい剣を葉佩に返した。私はせっかくなので見せてもらうことにする。

 

「葉佩君は初めての《遺跡》探索で習ったのではないかな?貴金属の筆頭である金は、イオン化傾向が非常に小さく安定した金属だ。塩酸はもとより濃硫酸、濃硝酸にも侵されない。しかし、王水に溶けることはよく知られている」

 

「習いました、習いました。あんだけでかい金の錠が溶けちゃうんだもんな~、化学ってすごい」

 

王水は錬金術師が発見したとされる濃塩酸と濃硝酸を3:1の体積比で混合してできる橙赤色の液体だ。

 

酸化力が非常に強く、王水との反応で生じた金属化合物はその金属の最高酸化数を示す。ただし酸に対しての耐性が極めて高いため、溶解できない。また、銀もほとんど溶けない。

 

腐食性が非常に強いため、人体にとっては極めて有害である。地下であることが多い《遺跡》においては、特に取り扱い注意のアイテムだ。

 

「まさか貰った剣を溶かすとは思わなかったな~。さすがは江見睡院先生。頼りになります。ありがとうございます!」

 

葉佩は嬉しそうに笑った。

 

「いやいや、どういたしまして。それにしてもだ、当たっていてよかったよ。やはり記紀神話に由来する剣が正体を表したのだから。物部氏縁の剣となるとそう多くはないからね」

 

そういって江見睡院は、新たな剣について話し始めた。

 

この剣はおそらく十種神宝のレプリカだろうとのこと。十種神宝とは神武天皇と皇后の心身安鎮を行うために、物部氏が宮中における鎮魂祭を行った時に使用した宝物のことである。もともとは祖神たるニギハヤヒが古代日本に降り立つときにもっていた秘宝だといい、大和朝廷の傘下に入る時に献上したらしい。

 

文字通り10つの秘宝だ。

 

沖津鏡(おきつかがみ)は高い所に置く鏡。太陽の分霊とも言われる。裏面には掟が彫られている、いわば道しるべ。

 

辺津鏡(へつかがみ)はいつも周辺に置く鏡。顔を映して生気・邪気の判断を行う。フツと息を吹きかけて磨くことが、自己の研鑽につながる。

 

生玉(いくたま)願いを神に託したり、神の言葉を受け取ったりするとき、この玉を持つ。神の言葉が心で聞ける。神と人をつなぐ神人合一のための光の玉。

 

足玉(たるたま)は全ての願いをかなえる玉。この玉を左手に載せ、右手に八握剣を持ち、国家の繁栄を願う。

 

死返玉(まかるかへしのたま)は死者を蘇らせることができる玉。左胸の上に置き、手をかざして呪文を唱え由良由良と回す。

 

道返玉(ちかへしのたま)はヘソ上一寸のところに置き、手をかざしながら呪文を唱える。悪霊封じ・悪霊退散。

 

蛇比礼(へびのひれ)は魔除けの布。もともとは、古代鑪製鉄の神事で、溶鋼から下半身を守るための前掛け。のちに、地から這い出して来る邪霊から身を守るための神器となった。毒蛇に遭遇したときにも使用する。

 

蜂比礼(はちのひれ)は魔除けの布。振ったり身を隠したりして、天空からの邪霊から身を守る。または、邪霊や不浄なものの上にかぶせて魔を封じ込める。

 

品々物之比礼(くさぐさのもののひれ)は物部の比礼。ここに物を置くと品々が清められる。死人や病人をこの比礼を敷いて寝かせて、死返玉により蘇生術を施す。また魔物から、大切な品々を隠すときにも使う。

 

そして、八握剣(やつかのつるぎ)は国家の安泰を願うための神剣。悪霊を祓うことができる。邪悪を罰し、平らげると言われている。7つの柄があるという、とても奇妙な形をしている。

 

「やつかのつるぎ......八握剣......これが。たしかに普通の剣じゃないとは思ってたけど、これが......」

 

「H.A.N.T.で解析してみてくれ。そこに祝詞......いわゆる呪文があるはずだ。《長髄彦》との戦いできっと力になるはずだよ」

 

葉佩のH.A.N.T.はただちに解析を開始した。さすがは歴史の教師として潜入しただけはある、江見睡院の知識は半端ない。

 

「睡院先生のバディ補正半端ないよ、翔チャン......ッ!」

 

「私達頑張ったもん、ご褒美だよご褒美」

 

「そうだよなッ!」

 

最近凹んでばっかりだった葉佩のここまでの笑顔は久しぶりに見たかもしれない。だから、単純によかったなあと思うのだ。

 

《ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり、ふるべ ゆらゆらと ふるべ

ひふみよ いむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおゑに さりへて のます あせえほれけ》

 

「む、むずかしくない......?」

 

ちょっと葉佩は固まっている。

 

「緊張しなくてもいい、H.A.N.T.の後から唱えたらいいよ。これを唱えることで、神霊を鎮め、すべての災いを払い、幸福に変えることができるという祝詞だ。本来は刀剣は日神を招祷する呪具で、大陸シャーマニズム系の流れを汲んでいる。だが、物部氏ゆかりの神霊の憑依する依代そのものだからね、《鎮魂の儀》と同じ類の呪法だ。本来は死者蘇生の秘技でもあるんだが、さすがにそう都合がいい訳では無いだろう。魂を強化して、氣を高め、神薙の力を付与しながら、相手に呪詛を与える歪なものだ」

 

「俺は大丈夫ですよね?」

 

ちょっと不安そうな葉佩に睡院は肩を叩いた。

 

「すまない、ちょっと脅しすぎたな。あくまで模造品だ。古来より神の持ち物とされる、拳八つ程の長さの剣でしかない。《封印の巫女》が君に託したんだから、呪われるわけがないだろう?これが本来の姿なんだから。一度白岐という子に見せてみてはどうかな?たしか、喪部銛矢に砕かれるような代物を渡してしまったと気に病んでいたはずだろう?」

 

「あ、そっか。そーですよね!」

 

葉佩はさっそくメールを打ち始めた。

 

「父さん、そろそろ朝食にしたら?」

 

「ああ、そうだね。ありがとう」

 

私は葉佩の分もコーヒーを入れてやることにした。きっと葉佩も睡院と話したいことがまだまだ山ほどあるはずだから。

 

 

 

 

 

「ちょうどいい、2人が揃っている今、話しておこう」

 

「え?」

 

「なんですか?」

 

「私を失った今、《タカミムスビ》の落とし子がなんの姿で現れるかについてだ」

 

「あっ......それは......」

 

「たぶんだけど、女の人ですよね?助けられないんですか?睡院先生みたいに」

 

睡院は首をふった。

 

「彼女ではないよ。彼女がもしいたら、《タカミムスビ》はもっとうまく私を利用できたはずだ。彼女を人質にされたら私はなにもできなかっただろう」

 

「あれ?」

 

「彼女は自身の全てをこれに託したんだ。だから遺体もなにも出なかった。葉佩君が話してくれたマッケンゼンのような結末だな」

 

私達は息を飲んだ。

 

「じゃあ、一体、なにに?」

 

「彼女の最期は他ならぬ私がやらかしたことだ。今でも夢にみるよ。あそこまで準備してきた彼女が失敗したのは、《タカミムスビ》の落とし子が私と蛭子(えびす)を戦わせたからだ。ただでさえ疲弊していた彼女の精神力はそこで完全に壊れてしまったんだ」

 

江見睡院の言葉に私は顔がひきつるのがわかった。

 

「えびす?」

 

聞きなれない響きに不思議そうに葉佩は首を傾げる。

 

「漢字では蛙の子と書くんだ。国産みのエリアに《碑文》がなかったかい?《水蛭子(ひるこ)》のことだよ」

 

「ヒルコ......ヒルコ......えーっとたしか、あの全身緑色のカエルみたいな化人だっけ......?」

 

「獣人で打撃に強く、さらに頭痛持ちのあいつだね」

 

「待って待って、えーっと」

 

葉佩はH.A.N.T.の敵情報を検索し始めた。

 

「......えっ」

 

葉佩はH.A.N.T.を見たまま固まっている。

 

ヒルコはイザナギとイザナミとの間に生まれた最初の神だ。子作りの際に女神であるイザナミから先に男神のイザナギに声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオ島から流されてしまう。次に生まれたアハシマと共に、二神の子の数には入れないと記されている。

 

棄てられた理由について『古事記』ではイザナギ・イザナミの二神の言葉として「わが生める子良くあらず」とあるのみで、どういった子であったかは不明。

 

後世の解釈では、水蛭子とあることから水蛭のように手足が異形であったのではないかという推測を生んだ。あるいは、胞状奇胎と呼ばれる形を成さない胎児のことではないかとする医学者もある。

 

『日本書紀』では三貴子(みはしらのうずのみこ)の前に生まれ、必ずしも最初に生まれる神ではない。書紀では、イザナミがイザナギに声をかけ、最初に淡路洲、次に蛭児を生んだが、蛭児が三歳になっても脚が立たなかったため、天磐櫲樟船(アメノイワクスフネ。堅固な楠で作った船)に乗せて流した、とする。

 

中世以降に起こる蛭子伝説は主にこの日本書紀の説をもとにしている。

 

始祖となった男女二柱の神の最初の子が生み損ないになるという神話は世界各地に見られる。特に東南アジアを中心とする洪水型兄妹始祖神話との関連が考えられている。

 

「なぜヒルコではなく、エビスなのか。似て非なるほど強い化人だったからだ、ほぼ別物だったよ」

 

私は黙ったまま聞いていた。葉佩は私と睡院を見比べたまま固まっている。

 

江見睡院の話は続く。

 

蛭子神が流れ着いたという日本各地に残っている伝説があるらしい。

 

平安期の歌人大江朝綱は、「伊井諾尊」という題で、「たらちねはいかにあはれと思ふらん三年に成りぬ足たたずして」と詠んだ。神話では触れていない不具の子に対する親神の感情を付加し、この憐憫の情は、王権を脅かす穢れとして流された不具の子を憐れみ、異形が神の子の印とするのちの伝説や伝承に引き継がれた。

 

海のかなたから流れ着いた子が神であり、いずれ福をもたらすという蛭子の福神伝承が異相の釣魚翁であるエビスと結びつき、ヒルコとエビスの混同につながったとされる。

 

また、ヒルコは日る子(太陽の子)であり、尊い「日の御子」であるがゆえに流された、とする貴種流離譚に基づく解釈もあり、こちらでは日の御子を守り仕えたのがエビスであるとする。

 

『源平盛衰記』では、摂津国に流れ着いて海を領する神となって西宮に現れたとある。

 

日本沿岸の地域では、漂着物をえびす神として信仰するところが多い。ヒルコとえびすを同一視する説は室町時代からおこった新しい説であり、それ以前に遡るような古伝承ではない。ただ、古今集注解や芸能などを通じ広く浸透しており、蛭子と書いて「えびす」と読むこともある。

 

現在、ヒルコを祭神とする神社は恵比寿を祭神とすることも多い。

 

不具の子にまつわる類似の神話は世界各地に見られるとされるが、神話において一度葬った死神を後世に蘇生させて伝説や信仰の対象になった例は珍しいという。

 

 

「父さん、大丈夫?」

 

「いや、大丈夫だ。これだけは話しておかなければならないと思っていたんだ。おそらく君たちにこれから立ちはだかる化人の情報が一番の助けになるはずだろう」

 

「でも、その化人について思い出すとき、いちばん辛いのは父さんじゃないか」

 

「それでもだ。この《遺跡》に挑んでたくさんの《宝探し屋》が行方不明になってきた。なら、話すべきだ。君たちは私の命の恩人なのだから」

 

そういって、江見睡院はおそらく戦うことになるであろう私に情報を開示してくる。私は頭に叩き込んだ。

 

「..................翔チャン、えーっと......??ごめん、待って、それってどういう......えっ?ちょ、あれ?」

 

一方、葉佩は完全に混乱していた。そりゃそうだ、私は江見睡院の息子としてこの学園に乗り込んできたのだ。その江見睡院本人から、息子の肉体を取り込んだ蛭子(えびす)が敵として出てくるから気をつけろと言われてしまったのである。なのに私は父さんと呼んでいる。意味がわからないに違いない。

 

「あ、もしかして、翔チャン大和みたいに18じゃないとか?」

 

「そうだね、オレは本当は20だよ」

 

「やっぱり!」

 

「残念ながら私が彼女とあったのは18年前だよ」

 

「あれっ......え、えー??」

 

「まさかここまでバレないとは思わなかったよ、九ちゃん。父さんに話を合わせたせいで、助けるまでは言えなくなっちゃった私も悪いとは思うんだけどさ」

 

「え、まってまってまって、ヤダなんか怖いよ、そのくだり!え、翔チャン、まさか翔チャンじゃないのか!?」

 

「そのまさかです」

 

「えっ、えっ」

 

「九ちゃんはここにくる前から私の事知ってるはずなんですけどね......。敬語じゃないだけでなんでここまでわかんないんですかね......。ちょっと意味わかんないです......」

 

「あああああッ!!まさか、まさか、紅海さんッ!?」

 

「そうですよ~」

 

「そんなのわかるわけないじゃんか、紅海さんのバカやろ~ッ!メールとキャラ違いすぎるだろっ!?」

 

「普通ならH.A.N.T.を勝手にバディにアップデートさせまくったら、さすがに九ちゃん怒られますからね?ちゃんと説明書よんでくださいね?いやマジで」

 

「まだ見落としあったんだ、俺!?もうやだ......」

 

「もうやだはこっちの台詞なんですがね~......」

 

「ほんとごめん、紅海さん!あれからアカウント停止って聞いて、ほんと心配してたんだ!」

 

「九ちゃんがまたやらかしたら怖いから停止させてるだけですがなにか」

 

「うぐっ......どうしようなにもいい返せない......」

 

「言い返さなくていいです」

 

「いつもは全肯定してくれる、あれだけ優しい紅海さんが辛辣だあ......」

 

「さすがにあれだけされたら擁護できないです......」

 

「ほんとごめん、紅海さん!ほんとに後方支援の体制万全だったんだな!?」

 

葉佩が抱きついてくるのでひきはがす。

 

「ごめんてー!」

 

「ゴメンで済んだら墓守はいらないんだよなあ......」

 

「おっしゃる通りです、はい。というか紅海さん、諜報員として潜伏しすぎだろ!?待って待って待って、どっからがほんとでどっからが嘘!?」

 

「簡単に言うなら、身体の方の情報はまるごと嘘で、精神と魂の方の情報はホントだね」

 

「あ、そっか、そうだよな。次戦うのは翔チャンにあたる子なんだもんな?えっ、じゃあ、ほんとは《ロゼッタ協会》の諜報員で、俺の新しい担当の紅海さんが江見翔ってキャラクターで潜入してたってこと?」

 

「そういうこと。ちなみに皆神山については本当だけど、《九龍の秘宝》に繋がる《碑文》を持ち帰る途中の紅海と私が精神交換されたのが正確な情報。私は知らなかったけど、喪部銛矢はあったことがあるらしいね」

 

「もしかして、時諏佐慎也って子だったりする?」

 

「なんで知ってんの、九ちゃん」

 

「喪部銛矢がいってたんだよ、ボクと会って生き残れたのはこれが2人目だって」

 

「まじかよ......喪部銛矢怖すぎるだろ......」

 

「もしかして、ジェイドさんがいってた幼馴染って時諏佐慎也君だったりする?」

 

「そうだよ?てかなに話してんの、あの忍者」

 

「まじか......まじかあ......俺全然気づかなかったよ......」

 

「九ちゃんらしいよ」

 

「どうしよう、全然嬉しくない」

 

「九ちゃんらしいですよ」

 

「なんで言い直したんだよ、やめて」

 

私と葉佩のやり取りをみながら、江見睡院は穏やかに笑っていた。

 

 



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見知らぬ明日4

私は校舎の屋上にやってきた。そこにお目当ての人間がいるからである。

 

「よう、翔。俺に会いにきてくれたのか?」

 

「そうだよ。男子寮にも墓守小屋にもいないから探したじゃないか」

 

「ここから君が校舎に入ってくるのを見ていたが、まさかここまで上がってくるとは思わなかったよ」

 

「よくいう。なら教えてよ。メールにも返信がないからどうしたのかと思った」

 

「はは、これで少しは心配させる側の気持ちがわかったんじゃないか?」

 

「いってくれるね......」

 

夕薙は悪びれる様子もなく笑っている。私は肩を竦めた。フェンスの方に近づいてみると、校門付近にパトカーがずらりと並んでいるのかわかる。夕薙の視線は《墓地》の方にあった。私も釣られてそちらに視線をなげる。

 

「昨日の夜、《遺跡》の方から気配を感じたよ。ついに《遺跡》の封印が解かれる時が近づいているようだな。今夜にもいくんだろう?命を落とすかもしれない、あの場所へ」

 

「最後まで責任を取ろうって九ちゃんと決めたからね」

 

「君の任務は江見睡院の救出であり、すでに達成されている。九龍の後方支援はH.A.N.T.越しにでもできるはずで、ここに留まる理由は君の意思ひとつであるにもかかわらずか?いくら君が《アマツミカボシ》の先祖返りだとしても、《遺跡》の封印が解かれれば君がいてもいなくても同じだろう?」

 

「《タカミムスビ》がいなければ、ね」

 

「やはり懸念材料はそれか......」

 

「《黒い砂》に一度でも関わりを持った人間は《タカミムスビ》の捕食対象になるし、墓守と巫女は本能的に逆らえない。なら私が行くしかないでしょ?」

 

「君も墓守と似たようなものだろう?」

 

「オレはそうだけど、私は違う」

 

夕薙は苦い顔をした。

 

「そうだとは思っていたが......やはりそうか。いくら止めても君は行くんだろうな。その手で全てを終わらせるために。ただその方法が信用ならない。俺に会いに来たということは、同行していいんだな?」

 

「うん、よろしく頼むよ、大和」

 

「やれやれ......君は本当に筋金入りのどうしようもないやつだな......そのブレなさについてはもはや疑うのも馬鹿らしくなってくるが。しっかりやれよ、翔」

 

「うん」

 

「まさか、君がここまで信頼してくれるようになるとは思わなかったが。俺はずっと身勝手な理由で君の動向を観察していたというのに」

 

「それについてはお互い様だって前もいったよ」

 

「それでも俺が俺の目的のために君を利用しようとしていたことは変えようのない事実だ。運良く江見睡院を助けられたから良かったものの、もしあの時の会話がきっかけでなにかあったら俺は一生償いきれないトラウマを君に植え付けるところだったのは事実だ。済まなかったな、翔」

 

「私もそうだね。大和に現在進行形でトラウマになりかねない場所に連れて行こうとしてるわけだから」

 

「一緒にしないでくれ。それは君が生贄になろうという選択肢を止めればいいだけの話だからな?」

 

「え、そう?」

 

「そうだ。まあ、次もやらかそうとしたら、半殺しにしてでも止めてやるから安心してくれ。それが友達としてできる俺の役目らしいからな」

 

「あはは......あんまり痛くしないでね」

 

「保証はできかねるな......足の一本や二本、歩いたらすぐ治るんだから大丈夫だろう?君は《宝探し屋》なんだから」

 

「まさかのフレンドリーファイア予告」

 

「それくらい覚悟しないといけないほど君の狂気は強烈ってことだ。君を見ていて気づいたのは、結局のところ人間を縛り付けているのは自分自身にすぎないということだな。外的要因からは逃げられはしても、内的要因による問題からは自分が救いあげてやらないといけない。どうしようもなくなったら頼らないと君みたいになるわけだ」

 

「散々な言われようなんだけど」

 

「事実だから仕方ないな、諦めてくれ」

 

「あはは......大和って友達になった方がオブラートがなくなるんだね」

 

「君がわからず屋だから次第に言葉尻が強めになっていっただけだから安心してくれ」

「全然安心できない......」

 

夕薙は笑った。

 

「《宝探し屋》といっても色んな人間がいることがしれたのは一番の収穫かもしれないな。もし君が新たな任務に赴くその時は手伝わせて欲しいものだよ。せっかく助けてやったのに、あっさり死なれて人間性を失うのが癖にでもなられたらいたたまれないからな」

 

「そこまでポンコツじゃないよ、私。これが終わったらちゃんと治療する予定だから」

 

「ほう?それは初耳だな。ほんとにするんだな?」

 

「するよ......《ロゼッタ協会》からは撤退してさっさと病院いけって通知きてるし......」

 

「それが本当なら大丈夫そうだな。江見睡院が助けられた今、君が死んだらどうなるか分からないほど君は馬鹿じゃないはずだ」

 

「辛辣だけど事実だよね......うん、わかってる。わかってるよ」

 

「ほんとにわかってるかどうかは今夜わかるという訳だ。さて、なんの用があってここまで来たんだ、翔?」

 

「あ、そうそう、そうだった。父さんからあの門の向こう側について話を聞くことが出来たから、大和にも話しておこうと思って」

 

「なるほど。いい心がけだな、やれば出来るじゃないか。報連相は大事だとあれだけいってたんだ、いいだしっぺもちゃんとやらないとな」

 

「うん......そうだね......ほんとそうだね......あはは」

 

私は苦笑いするしかない。先を促され、夕薙に蛭子(えびす)について説明することにする。話を聞いていた夕薙は体をフェンスに預けた。

 

「話を聞いていると、あれか?九龍に正体がバレたのか?」

 

「まあ、話の流れでね。本当は気づいてほしかったんだけどなあ......」

 

「九龍にも得意不得意があるんだ、仕方ないさ」

 

「そうだけどさあ......」

 

「なあ、翔」

 

「なに?」

 

「九龍に正体を明かしたということだが、君はいつまで江見翔でいるんだ?江見睡院の治療次第だとは思うが、ずっとでは無いんだろう?」

 

「そうだね、《ロゼッタ協会》の任務次第だとは思うけど、たぶんそうだよ」

 

「なら君のハンターネームを教えてくれないか?九龍みたいに本名じゃないのは明らかなんだから」

 

「ハンターネームね、紅海だよ。紅海。紅の海。なんで紅海なのかは私も聞きたいレベルだから聞かないで」

 

「紅海?九龍がいってた過保護な担当者か?」

 

「うん、それも私だよ。あのメルマガの担当者ね」

 

「そうか......君はつくづく九龍に過保護だったんだな。いや、今の君の立場を考えたらある意味で納得だが」

 

「キャラ変わりすぎって言われたけどね。私もまさかここまで江見翔を演じ切る羽目になるとは思わなかったよ」

 

「ん?ということは、あのメルマガが君の地なのか?」

 

「さあ、どうだろう?なにも考えないままメールをうってたからね、私の地が出てるかもしれない」

 

「まあ、中身はどちらも同じなのは変わらないんだから、俺からしたらどっちでもいいんだがな。君はやるべきことを全力でやりとげようとする人間には変わりないわけだから。......そうか、紅海か。いずれその名前で君を呼ぶことが増えるんだろうな」

 

「連絡取る気満々だよね、大和。いつの間にか私のH.A.N.T.に連絡先登録されてるし」

 

「俺に荷物を預けるということはそういうことだろうと思っていたんだが違うのか?」

 

「違わないから連絡取れなくて焦ったんだよ」

 

「だよな、勘違いじゃなくてよかったよ」



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見知らぬ明日5

「どうした?江見。校舎には立ち入り禁止と言われていなかったかい?それとも散歩か?」

 

「まあ、そんなところです」

 

「どうせ今夜は誰もが夜更かしをするんだ。夜更かしは体にとって害にしかならないがそうもいかない、か」

 

「そうですね、今夜ばかりは」

 

「フフッ、ずいぶんと素直になったじゃないか。誰に教わったのかは知らないが素晴らしい美徳だ。それなら......少し保健室に寄っていくか?神経が落ち着く茶を出してやろう」

 

「いや、あの、私......」

 

「大丈夫だ、煎じたのは弟だから」

 

先生に叱られた生徒のようにそそくさと逃げようとした私は瑞麗先生に捕まった。

 

「そう逃げるんじゃない。とって食べやしないさ」

 

あまりにも自信に満ちた笑顔でいわれてしまい、私は観念するしかないのだ。双樹からカルテを返却された際のやりとりは全然寝れなかったと皆守から聞いている。その時のようなあまりにきれいな笑顔だったので、これ以上機嫌を損ねては行けないと私は悟ったのだ。

 

「なぜ私がここに呼んだかわかるかい?」

 

「心当たりがありすぎてわからないです......」

 

「正直でよろしい」

 

瑞麗先生は目を細めて笑っている。

 

「君を見ていると私の知らないところで全てを終わらせてきた弟を思い出してしまっていけないよ。あとから想像ばかりが浮かんで恐ろしくなる。怖くなる。いくら聞いても教えてくれない。こちらの身にもなって欲しいんだがな」

 

「ごめんなさい......」

 

「フフッ、謝ることはできるのに、人を心配させてばかりだな君は。君を見ていると弟を思い出していけない」

 

「それは九ちゃんじゃ?」

 

「おや、隠していたつもりだったが、バレていたかな?葉佩だけじゃないさ。君くらいの歳の子を見ているとどうしてもね。なかなか逢いにいく機会が無い状況下で、今夜には死ぬかもしれない場所に赴く君たちを見ているとつい声をかけてしまうのさ。君たちに弟の面影を見出してしまうのは、無意識のうちに超自我が攻め続けている心を防衛機制が働くことによって自我の崩壊を防いでいるんだろう。実に失礼な話だろう?すまないことをしたと思っているよ。だから君は最後まで私を頼ってはくれなかったわけだ」

 

「いきなりどうしたんですか、瑞麗先生」

 

「いやなに、江見睡院の治療をしながら君について話していたら、夕薙に怒られてしまってね。実に友達想いの熱いやつじゃないか、誰に触発されたのかは知らないがね。夕薙にいったそうだな、代案も出さないで止めるばかりの大人は信用ならないと」

 

「大和......なにいってんだよ、あいつ!私はそういう意味でいったんじゃないですよ!」

 

「いや、夕薙の指摘も一理あるのさ。私はいつのまにか《ロゼッタ協会》や《エムツー機関》のようにいつもなにかを天秤にかける癖がついてしまっていたようだ」

 

「え?」

 

「君たちにも撤退命令は出ていたはずだ。それは《ロゼッタ協会》が江見睡院の救出より君たち2人を優先させたことに他ならない。君たちはそれを無視して行動したが、江見睡院を救出できた。この事実は揺るがしようがない。まだ君の耳には入っていないかもしれないが、それなりの衝撃をもって迎えられているよ。正直、私は君が生き急いでいると勘違いしていた。それではいざと言うとき頼ってもらえなくて当然だ」

 

「瑞麗先生......」

 

「君は大人だ、私より年上の女性だ。しかも精神交換されるまでは一般人だったんだろう?にもかかわらず、江見睡院という《宝探し屋》を命をかけてでも助けたいと君はずっと行動しつづけてきた。それはたとえ狂気からくる強迫観念からだとしても、若さゆえの無謀でも自棄からくる危うさでもない。成し遂げてしまうだけの実力を伴った今、羨ましいよ、心底な。1度聞きたいと思っていたんだが、どうしてここまで走り抜けられたと思う?」

 

「そうですね......未来だけ知っていても意味がないからです。私がいない未来なんてこの世界ではなんの役にもたたない。だから少しでも似た未来を手繰り寄せるには行動を起こすしかなかった」

 

「なるほどな......やはり、初めからある程度の到達点があるわけか。人間ゴールが見えないとやる気が続かないからね」

 

「そうですね」

 

「だが......君がいない未来だと?まさか、だから生贄になる選択肢を初めから考えていたのか?」

 

「否定はしません」

 

「なるほど......イスの大いなる種族の精神交換は私の想像以上に君を苦しめていたというわけか。知りえない知識、未来、プレッシャーは途方もなかっただろう。カウンセラーとして幾度も相談に乗っておきながら、そこまで気づくことができなくてすまないな」

 

私は首を振った。

 

「君が狂気により人の機敏に極端に鈍くなっていることはわかっていた。そこで思考を停止させたからダメだったんだろう。人の狂気には種類がある。君の一時的な狂気なら時間薬もカウンセリングも有効だ。《黒い砂》と関わりがない君なら本来在学中にその強迫観念から解放されるはずだったにもかかわらず、常態化していた。その歪さをもっと早くに指摘していればよかったんだな」

 

瑞麗先生に頭を撫でられた。

 

「大地が鳴動している。いや、目覚めの咆哮を上げているといった方が正しいな。それは1998年のこの《新宿》であった《氣》の鳴動と何ら変わらない。ここは、そういう《力》が集中しやすい《地相》だからだ。この《氣の鳴動》は今の君なら見ることができるはずだろう?君はこれを利用する気なんだな?」

 

「そうですね。《タカミムスビ》が江見翔となるはずだった魂を糧に顕現しようとしている今、私は解放してやらないといけない」

 

「なるほど......。私はな、翔」

 

「瑞麗先生......」

 

「私は遠い所にいてこの《新宿》で戦えば命を落とすかもしれない強大な敵に挑んだ弟を送り出してやることが出来なかった。そんな戦いがあることすら知らなかった。だが今回は違う。送り出してやれる。それくらいはさせてくれ」

 

「はい」

 

「フフッ、いいこだ。これから君が挑む相手は《人》ならざる《氣》をもつ相手だ。その戦いは想像を絶するものになるだろう。いいか、翔。死ぬなよ?危なくなったら何よりも優先して逃げろ。死んだらおしまいだ。わかったな、翔」

 

「わかりました。必ず生きて帰ります。イスには頼りません」

 

「よくいってくれた。今はそれだけで充分だ。ありがとう」

 

私はなんだか恥ずかしくなってしまった。

 

「なあ、翔」

 

「はい?」

 

「少しだけ、考えてくれないか?《エムツー機関》は《ロゼッタ協会》より君の境遇に寄り添ってくれると思うんだが」

 

「......嬉しいです。ありがとうございます。瑞麗先生個人とは仲良くしたいんですが、やっぱりその......」

 

「そうか......やはりな。やれやれ、綺麗に振られてしまったね。たしかに君が大変だったときにいつだって私には助けなければならない生徒たちがいた。やらなければならないことがあった。信頼してくれるのは嬉しいが、それ以上に踏み込んでいけなかったのが惜しまれるな」

 

「お互いに忙しすぎましたね」

 

「そうだな......そういう巡り合わせだったのかもしれん。私としてはもう少し距離を縮めてもよかったんだがな」

 

「バックにバチカンがいるのと来栖さんのようなエージェントがいることを考えると怖すぎますね」

 

「私が守ってやる、といったところで一緒に戦う機会に恵まれなかったからな......下手をしたらあの男の方が説得力があったかもしれないな。おしい......実に惜しいな......私はわりと真面目に君を勧誘する気でいたんだが......」

 

「えっ、そうなんですか?」

 

「まあ、振られてしまった以上どうこういっても仕方ないが。まあ、お互いこういう組織に身を置く身だ。また縁があれば会うこともあるだろうさ。その時まで、くれぐれも人間として生きてくれよ、翔」

 

「はい」

 

「私個人になにか力になれるような事があれば連絡しなさい。今回手を組んだ好だ。いつでも力になってあげよう。さて、話はここらへんにしてお湯がわいたようだ。お茶にしようか」

 



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見知らぬ明日6

雪が降り始めた。つい身構えてしまうが正真正銘の雪のようだ。携帯電話の天気予報は午後から雪、降水確率は低めだったがあたってしまった。

 

「これはこれは江見さん......」

 

「こんばんは、千貫さん。さっきメールした通り、阿門に会いに来たんだけど」

 

「ようこそ、いらっしゃいました。どうぞ」

 

私は応接室に通された。しばらくするとお茶とおかしをだされた。

 

「あれ、阿門は?」

 

「失礼ですが、少々お時間はございますか?」

 

なにかあるなと私は気づいて姿勢を正した。

 

「一度お聞きしたかったのですが、あなたは───────《宝探し屋》でいらっしゃいますね?」

 

「わかってたんですね」

 

「フフッ、阿門家にお仕えして数十年以上《人》を見てきた私の目は誤魔化せません」

 

「阿門には言わなかったみたいですが」

 

「旦那様のお客様のご意向ですから......。いくら阿門様に請われましてもお伝え出来ていないことはたくさんあります」

 

「なるほど」

 

「ですが......それ故にお客様の中に確固たる真実がある場合、我々はそれを信じるしかなかった。いえ、信じたかったのかもしれません」

 

私はうなずくしかない。彼女の狂気のなかで育まれた嘘は真実への階段を一段ずつ上りつめるように、ゆっくりと昇華されていった。そのなかで人間の心理の歪んだ鏡に映った真実を千貫さんたちは目あたりにしたのだろう。

 

目の当たりに見た飾り気のない真実は案外そっけないもので、言葉に含まれている真実の量を測ることほど断片的な真実をうまく組み合わせきちっと整合させる上で難しいことはない。

 

ある程度の真実が含まれたフィクションの方が救われることもある。

 

現実から目を逸らす最上の方法は、すべてを逆さまにすることだ。「息子は生きている」と言っている限り、本人にとっては、それが真実だったのだから。

 

「つまり、6年前の《夜会》の日に、母さんは来たんですね。阿門のお父さんだけに彼女の中の真実を伝えるために尋ねてきた。江見翔と名付けた子供がいることを本気で信じ込んだまま、父親たる江見睡院を助けたいから《遺跡》に近づくなと。当時の《生徒会》や《黒い砂》、《墓守》、《巫女》の関係者を守るために」

 

「私は途中で席を外すよう言われましたので憶測にすぎない情報なのですが、おそらくは」

 

「ありがとうございます。私は江見翔になるはずだった子を解放してやらなくちゃならないというわけだ。江見睡院を失ったいま、《タカミムスビ》の落とし子の中枢にはその魂があるのだから」

 

千貫さんはため息をついた。

 

「フッ......私も老いたものだ......。耄碌してしまったようです。やはり《人》はどう足掻いても、老いには打ち勝てないのか......」

 

「何を言ってるんですか、全部わかってたくせに。断片的な情報から事実を導き出したのは他ならぬ千貫さんでしょう?悪い人。全然教えてくれなかったじゃないですか」

 

「......左様でございますな。少なくてもあなたを煙にまくことは出来ていたわけですから。それに今は己の老いを嘆いている場合ではない。私にはまだすべきことがありました。ありがとう、江見さん。───────と、そういえば。おぼっちゃまのアポイントをとられて申し訳ないのですが、どこにいるのか探していただけませんかな?朝から出られたきりで連絡もなく心配で心配で......。私は職務上この屋敷から離れる訳にはいきませんので......」

 

「わかりました」

 

「でしたら、賄い程度ですが召し上がっていってください」

 

「ありがとうございます」

 

私は賄いをご馳走になり、ケータリング状態の昼ごはんを持って屋敷を後にしたのだった。

 

「というわけだよ」

 

「............そうか。厳十郎め......夕方には帰ると伝えておいたのに」

 

生徒会室にて阿門はふかぶかとため息をついた。

 

「何をしに来たかと思えば......またか」

 

「まただね」

 

「......すまん」

 

「いいよ、阿門にも会っておこうと思っていたし」

 

「......そうか」

 

「阿門がこれからどうするのか。それは阿門だけが決めることができる。だから私からいうことはないよ。阿門の思うことをしたらいいと思う。私は私のやるべきことをやるだけだし、阿門の邪魔はしないかわりに邪魔もさせない。ただ、異常事態になったらよろしくね」

 

私はきっぱりと言った。こういうときには、何に関してでもきっぱりと言い放った方がいい。断言した事柄が真実であろうが誤りであろうが、どうでもいいこと。その場の気配がくっきりとしたものになって、相手と自分の力関係が明らかになればそれでいいのである。

 

「......江見睡院は助けられたのにか」

 

「この《遺跡》の封印をといた責任は最期までとるよ」

 

「葉佩と同じことをいうんだな」

 

「決めたからね」

 

「..................江見」

 

「なに?」

 

「お前は母親についてどう思う。自分を遺して父親を選んだ母親を」

 

「そうだなあ......18歳で時間が止まった人なんだと思うよ。母さんの前には時間なんて意味をなさない。思い出もだ。そもそも父さんに庇われた時点で当時の生徒会長に差し出した《思い出》は帰ってこなかったんだから、母さんの根幹は《墓守》だったんだと思うよ」

 

「《魂》なきまま生きていた、というわけか」

 

「そうだね、そういうことになると思う。そこらへんは私より阿門のがわかっていると思うけど」

 

もし彼女がその空虚な感覚によって時間の流れを感じているとすれば、一秒間も一億年も同じ長さに感じていたはずだ。それはきっと死後の感覚にほかならない。この流れている無限の時間の正体は、極端な錯覚だ。それが彼女を孤独にさせ、狂気を加速させた。教師として舞い戻ってきたあたり、傍目からみたらなにも違和感を抱かなかったに違いない。《夜会》まで一般の教師として教鞭をとっていたというのだから。それは彼女の外側の話であって、内側は違ったのだ。

 

「母さんは、《遺跡》に戻る予感があったんだと思うよ。《生徒会》に入る前の自分を取り戻すためなのか、父さんを助けるためなのか、後輩たちを助けたかったのかはわからないけど。たしかなのは、母さんはもうここには戻らないってことだけだ。父さんの目の前で暴走した《黒い砂》によって変生して、父さんが母さんを殺したそうだから。砂すら残らなかったらしい」

 

「..................そうか」

 

「父さんから聞いたからね、間違いないよ」

 

阿門は目を閉じた。阿門は12歳の時に彼女にあったことがあるそうだから、江見睡院が助かったと聞いて一抹の期待をしていたのだろう。リアルな真実として私から語られた現実を前に、まだ納得がいかない顔をしている。心の中にただショックな音をたてて響いてきているのか、センチメンタルになっているのか、長い長い沈黙が続いた。

 

阿門が何を考えているのか私にはわからない。

 

ただ受け入れているようにみえた。私がもたらした新しい状況にあわせて自らの意識を再編成しているようにみえた。気のせいかもしれないが、阿門が目を開けた時、雰囲気がかわった。今まで長いあいだ身にまとってきた鎧を脱ぎ捨てて、また新たな重装備を背負おうとしていた。

 

「お前と会うのがあと6年早かったら......いや、なんでもない。忘れてくれ」

 

その前に本音が漏れてしまったようだが。

 

「わかった、聞かなかったことにするよ。ただね、これで阿門のお父さんが父さんのこと最期まで気にかけてくれたって話に報いれるかなって」

 

「江見......お前というやつは......聞かなかったことにしてないんだが」

 

「あれ、そうかな?」

 

「まあいい......」

 

「早く食べなよ、さめるよ?」

 

「......そうだな」

 



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見知らぬ明日7

これから《生徒会》の会議だということで阿門から体良く追い出された私が生徒会室を出て男子寮に向かっている途中、黒塚と出会った。見るからにどこかに泊まりに行く気満々のようである。

 

「どうしたんだよ、黒塚」

 

「やァ......江見君。君にも聞こえるだろう?石たちの苦悶の叫び声が......。ああッ......この子達の苦しみを思うと僕は、僕はッ───────!」

 

「落ち着いて、黒塚。君までそんな様子だと石達まで怖がるじゃないか。こういうときはしっかりしなきゃ」

 

「ああ、江見君、我が心の友よ───────!そうだね、その通りだともッ!彼らがこんなに苦しんでいるのに、どうして僕達以外に気づいてあげられる人がいないんだろうねッ!実に嘆かわしいよ!嗚呼、可哀想な石(こども)達!必ず僕達が君たちを苦しみから救い出してあげるからねッ!おお、石よ~ッ!大地の揺りかごに寝そべる可愛い子供達よ~!」

 

目をキラキラさせた黒塚に手を掴まれてしまった。距離が近い。

 

「共に彼らの苦しみの元を取り除こうじゃないか!待ってておくれ、もうすぐ助けてあげるからね~ッ!」

 

「助けてあげる、助けてあげるから落ち着いて」

 

「そうかい?ふふふふふ」

 

すっと一瞬黒塚が真顔になる。落ち着いてと言った私がいうのもなんだけど、怪しげな笑顔をひっこめていきなり真面目モードになるのやめて欲しい。スイッチでもあるんじゃないかってレベルで冷静になるからびっくりする。

 

「おそらく石(こども)達を苦しめているのは、例の《遺跡》に眠る何者かの仕業だと思う。どうか、君たちの力で彼らの苦痛を取り除いてやってくれ」

 

「もちろん、そのつもりだから安心するよう伝えて」

 

「もちろんだとも。......おや?..................ああ、可哀想に......とうとう静かな夜になりつつある......。石(こども)達もまるで死んだように息を潜め始めたよ......。彼らは恐れているんだ。あの《遺跡》に眠っている何者かを......。江見君、君は博士たちとあの場所に行くんだろう?石(こども)達すら恐怖のあまりに沈黙するあの場所に......。大丈夫なのかい?」

 

「ありがとう、大丈夫だよ。色んな人に約束してるからね、必ず生きて帰るよ」

 

「ふふふふふッ、さすがは江見君!やっぱり君は僕の見込んだ通りの人材だ!こんな時にそんなことを言える人間はそういない」

 

黒塚は笑った。

 

「僕は今石達(こどもたち)と枕を共にするために準備しているところなのさ。今夜は一人になりたくないってお願いされちゃってね。《レリックドーン》の連中が来てから、みんな怖がってばかりなんだ。僕の目の黒いうちは、《石研》の石(うちのこ)には指一本たりとも触れさせないつもりだから、こうしていつでも討死する準備をしているのさ」

 

「討死って......大丈夫だよ、私たちがなんとかするからさ。石たちにもそう伝えてよ」

 

「ふふふふふ~、わかってるとも。君たちが頑張ってることはね!でも、江見君。僕の石達に対する愛はね、大地よりも深いのさ~。彼らと共に土に還ることは、むしろ幸せなのさ~。僕達の愛は誰にも邪魔できないからね~。ともかく、僕はこの石(こ)たちを守らなければならないのさ。君も自分にとって大切なものをちゃんと見ておくんだよ~?」

 

「そうだね、真実から目を背けないようにするよ」

 

うんうんと黒塚はうなずいている。

 

「いやあ~、それにしてもだよ?九龍博士から聞いたよ、江見君。この子がどこから来たのかわかってよかった。エジプトから来たんだね。いつか行ってみたいな。古代エジプトの神官がここまで追われて《遺跡》を作りあげたんだっていうのだから!」

 

「そうだね......古代エジプトと古代日本の技術の融合体がこの《遺跡》のはずだから」

 

「いいね、いいねえ。僕がいつか地質学者になった暁には、ぜひともこの遺跡の鉱石についても発表したいものだ。僕がこないだ見つけた回廊も、あの《墓》に使われているものと同じなのに様式が違っていたからね。奥が深いよ、全く」

 

「......え?」

 

「ふふふふふふふ、いい反応だね~」

 

ほら、と黒塚は携帯の画像を見せてくれた。

 

「ここだけ古代エジプトの様式なんだ」

 

「記紀神話に準えてきた《遺跡》なのに、いきなりエジプト?え、待って、それほんとにこの學園敷地内にあったの?」

 

「そのまさかなんだよね~。まるで記紀神話にも載せられない抹殺された歴史でもあるかのようにひっそりと眠っているよ」

 

私は息を飲んだ。

 

「まさか、石達が脅えているのはこっちの方?」

 

黒塚は意味深に笑った。

 

「この画像借りてもいい?」

 

「いいとも」

 

H.A.N.T.に転送した画像を解析してみる。

 

「ネフレン=カの《遺跡》と一致する......?」

 

知らない名前だった。H.A.N.T.によると古代エジプトにおいて「暗黒のファラオ」と呼ばれた王、ネフレン=カは邪神に捧げるあまりにも忌まわしい祭祀を行ったため、その名を歴史から抹殺されたらしい。

 

「これまた曰くありげな......」

 

なんでも、邪教に入れ込みすぎたので王位を剥奪され彼の治世は黒歴史にされたらしい。その王様が最後に逃げ込んだ地下納骨堂が今でもどこかに現存していて、そこにはネフレン=カのミイラと、最後に授けられた超常の力の証拠があるらしい。ネフレン=カがもらったのは、予知の力なのだそうだ。

 

「......待って待って待って」

 

黒塚が見せてくれた回廊には所狭しと古代文字で歴史が書かれている。まるでその王様のように見せびらかすかのように未来のヴィジョンを納骨堂の壁に描きちらしてある。3000年分か、もしかしたらそれ以上を。命が尽きるまで書いたように。

 

すべての人間の顔が写真にとったように的確だった。粗雑な描きかたではあっても、生気をおび、写実的だった。

どうみても一般的なエジプトの画風ではない。普通の神聖文字が構成する象徴的な画風ではなかった。その点が怖ろしかった。

 

ネフレン=カは写実主義者だったのだ。ネフレン=カの描く人間はまぎれもない人間、建物もまぎれもない建物だった。すべてが驚くほど写実的に描かれているばかりに、見るのがただもう怖ろしかった。

 

絵はすべて小さかったが、なまなましく明瞭だった。壁にそっていかにも自然に流れているようで、きれめのない連続性のうちに描かれたかのように、ひとつひとつの場面がほかの場面にとけこんでいた。あたかも画家が制作中に一度として手を休めたことがなかったかのように、尋常ならざる力業でもって、疲れも知らず、この広大な廊下の壁に一気に描き上げたかのようだった。まさしく、尋常ならざる力業でもって、一気に描きあげたのだ。

 

タッチはあらいけれど、生気にあふれかつ写実的。アドリブで描いたにもかかわらず構図も現実味に溢れている。

 

 

ネフレン=カは、最後の地まで従った臣下全員を生け贄にささげて最後の儀式を行い、予知能力を授けられたようだ。

 

もしかしたら、ファラオが捧げた膨大な生け贄のためではなく、彼が王位も王国も仲間も部下もなにもかも喪失したこと、それを最高の生け贄として認めて力を授けてくれたのかもしれない。

 

「どこの邪神よ.....。そういやこの《遺跡》作ったエジプトの神官って、なんで追われてここまで来たのか考えたことなかったけど......うーん。ねえ、黒塚。この回廊、どうやっていけばいい?というかいつ見つけたのさ?」

 

「《レリックドーン》が攻めてきた時にあまりにこの子が騒ぐからいってみた先にあったのさ。あの《墓》から隠されるような場所に入口があったよ」

 

私は思わず閉口した。境の爺さんの鼻が効かないということは、《秘宝》がないということになる。

 

「まさか、訓練所......?」

 

私のつぶやきに黒塚はいよいよ手を振り回してくる。

 

「やっぱり君もそう思うかい?!いやあ、君の造詣の深さには前々から一目置いていたんだよッ!そうさ、きっとあの《墓》が《遺伝子操作》の実験場なら、これはさらなる実験を行うための訓練所だ!きっと他の《遺跡》にはここ以上に規模が大きい場所があるに違いないよ!」

 

「黒塚よく見つけたね」

 

「ふふふふふ、まあね。石達のお願いをこの間叶えてあげたばかりだからさ。九龍博士にも教えてあげてよ」

 

「そうだね、ありがとう」

 

「うんうん、同胞には仲良くしなくちゃならないからね!」

 



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見知らぬ明日8

 

「最後の晩餐はやっぱりカレーなんだ?さすがは筋金入りだね」

 

「......誰かと思ったら翔ちゃんか」

 

皆守は不機嫌そうに眉を寄せた。

 

「隣いい?」

 

「カレーだろうな?」

 

「注文?まだ決めてないけど」

 

「カレー以外なら他あたってくれ」

 

「わかった、せっかくだしカレーにしようか」

 

「ならいいぜ」

 

私は向かいに座る。どうやら拒否するほどの嫌悪感ではないらしい。皆守の態度からするに、私が隠してきたことについてなにかしら気づいているようだが、食ってかかるような態度ではないのが意外だった。

 

トラウマと向き合ったことで多少なりとも前向きになって周囲を見られるような余裕ができたからなのだろうか?私が声を掛けたくなるくらいには、見るからに凹んでいた。《生徒会》の話し合いでなにかあったんだろうか。

 

「なにかあった?」

 

「まあな」

 

「なにか考え事?」

 

皆守はため息である。

 

「私が聞いてもいいやつ?なら聞こうか?口に出した方がまとまることもあると思うけど」

 

「..................阿門から頼まれたんだ、なにかあったら《墓》を全て掘り起こせと。ミイラは蘇生してそのままだと生き埋め状態になるから窒息しかねないってな」

 

「それはまたなかなかにヘビーな最後通告だね」

 

「何言っても聞きやしねえ。今まで阿門たちに丸投げしてた俺の言うことなんて聞く耳持たないのは仕方ないが、双樹や神鳳まで切り捨てるようなこというとは思わなかったぜ。しかも《執行委員》の連中にはもうメールで送ったあとだときた。何考えてんだよ、阿門のやつ」

 

なるほど、阿門の決意や覚悟を目の当たりにして動揺しているらしい。本来なら自分が戦った直後に目あたりにすることになるわけだから、考える時間があるのはいいことだろう。

 

「3年いて、あんなこと考えてるとは思わなかったってのもある。不甲斐ないやらなんやらで頭がごちゃごちゃしてるんだ」

 

「そっか......私や九ちゃんは1年にも満たない付き合いだけど、甲ちゃんはそうじゃないもんね」

 

「あァ」

 

「恩があるんだもんね。今言ってること、一言でも阿門には言った?」

 

「いや......呆然としてたら、そのまま会議が終わっちまってな。下手したら夷澤のが阿門に言いたいこと言えてたかもしれない。帰り際に葉佩からメールが来たもんだから、それ見た阿門が次会う時は敵だなと笑いやがった。なにもいえなかった」

 

「なら、次会うときにいいたいこといまのうちにあ考えたいんじゃない?上手く言葉にならないからイライラしてるんだよ」

 

「......そうだな、そうかもしれない。考えてみるか......時間はまだ無駄にあるしな」

 

「そうだね」

 

舞草が来たから、私はカレーを注文した。

 

「翔ちゃん、俺は付き合いは月日の長さだとは思ってないからな?」

 

「うん?」

 

「いや......翔ちゃんスルーするから」

 

「わかってるよ」

 

「ならなんで......」

 

「自分の言葉で自分の考えいおうと頑張ってるからさ、甲ちゃん。がんばってるなあって」

 

「.....お前な。前から思ってたが、お前のその知ったような態度はなんなんだよ。宇宙人からはそんなに詳細を知らされてたってのか?」

 

「私がいないこと前提の未来だからなあ。私が一方的に知ってただけで。今の甲ちゃんは私の知らない甲ちゃんだけどね」

 

「だから、今は珍しく話しかけてきたのか」

 

「まあね、私がいったところで何が変わるでもないでしょ?」

 

「お前、この期に及んで何いってんだ。正気か?」

 

「おっと、また私変なこと言ったみたいだね......これが狂気なんだよ、甲ちゃん」

 

地雷を踏み抜いた自覚はあった。皆守がめっちゃ不機嫌になったからだ。

 

「お前の影響がないなら、俺はなんにも変わってないことになるだろうが。俺までバカにしてることに気づけ」

 

割と本気で頭を叩かれた。痛い。

 

「大和がいってたのはこういう意味かよ......。全部終わったら覚悟しろ」

 

「お手柔らかに」

 

「できるか」

 

「ところでさ、九ちゃんとはなにか話した?」

 

「いや?」

 

「あー、なんかあっちこっち声掛けてまわってるみたいだね」

 

「もうすぐ任務が終わるんだ、挨拶回りも兼ねてるんだろ」

 

「九ちゃん、もうすぐいなくなっちゃうのか、はやいな」

 

「......そうだな」

 

「甲ちゃん、大丈夫?めっちゃ凹んでない?」

 

「......いつもはほっとくくせに、こういうときはいつも来るよな、翔ちゃんは」

 

「そりゃ心配だし」

 

「......」

 

皆守は私を見た。

 

「翔ちゃんもだろ」

 

「なにが?」

 

「あんだけ片付いてるくせになにいってんだ。翔ちゃんだって江見睡院が助けられたんだ、《遺跡》のこと片付いたら帰るんだろ?」

 

「前も言ったけど卒業まではいるよ?」

 

「そのあとはわからないだろ。そもそも連絡とれなくなるんじゃないのか?九ちゃんと同じなんだから」

 

「お、気づいた?」

 

「やっぱりそうか......。阿門の対応がここんとこ早すぎるから九ちゃんより先に情報流したやつがいるとは思ってたんだ。《ロゼッタ協会》と繋がってるんだな、翔ちゃん。つーか銃の扱いがうますぎるんだよ」

 

「さすがは人知を超えた五感を手に入れただけはあるね。本気出せばわかるんだ」

 

「わかりたくなかったけどな......」

 

「わからなかったら、連絡する手段は九ちゃんに聞くしかなくなってただろうね」

 

「......嘘は嘘でショックだが、実際に居なくなるって言われる方がダメージ大きいな」

 

「甲ちゃん、卒業したらやりたいことがあるっていったからね。それを信じようと思って」

 

「お前はいつもそうだよな......」

 

「私は九ちゃんほどやさしくはないけどね」

 

「どこがだ。九ちゃんは風穴あけて来いよっていってくれるが、待っちゃくれない。翔ちゃんは時々振り返ってくれるが手を伸ばしちゃくれないだろ」

 

「気づいちゃったことにフォローはするけど、それ以上は介護になっちゃうからね。甲ちゃんのためにはならないし、そこまで責任は持てないよ」

 

「......そうかよ」

 

「うん、そう。今の甲ちゃんは何かしないといけないのはわかってるんだ。あの時と違うのは何をするのか漠然とではあるけどわかってることだよ。違う?」

 

「......そうだ。でも、置いていかれるのは事実だ」

 

「まあそうだね、私たちは《宝探し屋》だから」

 

「......やっぱり《ロゼッタ協会》に入るのが手っ取り早いのか」

 

「九ちゃんに追いつきたいならそうだね」

 

「......そうだよな」

 

「依頼人やバディとして繋がりたいなら《ロゼッタ協会》のホームページで九ちゃんや私のハンターネームで依頼を出せばいいね。覚えてるでしょ、甲ちゃんなら」

 

「俺はそういうんじゃない」

 

「なら《ロゼッタ協会》しかないんじゃない?」

 

「そうだな......その前にしなくちゃならないこともあるが」

 

「同時並行でも怒るやつはいないよ。九ちゃんに相談してみたら?パンフレットくらいはもらえるよ」

 

「あァ、九ちゃんなら喜んで教えてくれそうだな」

 

「よかった。甲ちゃん、元気出たみたいだね」

 

「......ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

「カレーお持ち致しました~」

 

私はさっそく最後の晩餐を食べることにしたのだった。

 



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果てしなき流れの果てに

地下に降りると、大広間の中央にあった石版が輝きだし、その中心が崩れ落ちる。最後の扉が開いたのだ。

 

「これは驚いた......拙者たちが幾度となく降りてきていた大広間の下にこのような部屋が隠されていたとは。皆守は知っていたのか?」

 

「いや......俺はあの区画より先は知らなかったぜ。この先にこの《遺跡》の終着点があるんだな」

 

「よ~し、最後まで気を抜かないでいこうッ!」

 

「そうだな、大切なことだ」

 

真里野はまじまじと崩落した石版を見下ろしている。

 

「翔チャン」

 

「なに?」

 

「そっちは任せたよ」

 

「うん、任された。生きて帰ろうね」

 

「もちろんッ!」

 

私たちは葉佩たちと別れをつげて、別の回廊から降りていく。

 

「なあ、翔」

 

「なに?」

 

「嬉しそうだな。ワクワクしてるというか、寂しそうというか。終わるのが名残惜しいのか?それとも感動してる?」

 

「《宝探し屋》の本能だね。この体の記憶に引っ張られてるかもしれないし、私が魅せられてるのかもしれない」

 

「九龍とそういう所は同じなんだな。《宝探し屋》の本能というやつか」

 

「まあね」

 

「ここまで来れたんだから大したものだよ、翔。だが全てが終わったわけじゃない。むしろこれからだ。気を抜くなよ」

 

「わかってますよ、ジェイドさん」

 

私たちは回廊を降りていく。

 

「なあ、翔。どうして俺たちを選んだんだ?九龍たちを待ってもよかったんじゃないのか?」

 

「理由は色々あるけど《タカミムスビ》を相手にする以上、《黒い砂》でえた《力》は無効の可能性が高い。《タカミムスビ》の落とし子の餌食になったらまずいでしょ」

 

「たしかに」

 

振動が《遺跡》を揺らしている。

 

「───────ッ!?」

 

「禍々しい氣だな」

 

「《長髄彦》の思念は《墓》の奥底で眠りにつきながらも意識だけは身体を離れ、ずっと地上を見てきた。《墓》の封印を解き、完全に目覚める機会を伺ってきたさなか、《ニギハヤヒ》や《アマツミカボシ》という不倶戴天の敵や《タカミムスビ》の存在が《アラハバキ》と思い込んでいた狂気を醒ましてしまった。私たちが《封印の巫女》のお守りを見せたことで、自分が守ろうとした世話係の少女たちすら自分の封印に使われたことを悟ってしまっている」

 

「それは......」

 

「《九龍の秘宝》は《遺伝子操作》の全てが描かれた《碑文》なんだろう?なら、《長髄彦》は助かるんじゃないのか?」

 

「《タカミムスビ》が起動するよ、その瞬間に」

 

「......えげつないギミックだな」

 

「江見睡院を屠っただけはあるな」

 

「《墓守》は他人の遺伝子を操作する《力》で授けた人間を従え、《墓》に繋ぎ止めるために《宝物》に《魂》を閉じ込めて捧げることで、離れれば《力》が奪われて死ぬ呪いをかけた。《封印の巫女》も《墓守の長》も《タカミムスビ》には逆らえない《遺伝子操作》を受けている」

 

「───────なすすべがないのか」

 

「歴代の《生徒会》の人達が一夜にして全滅したのはそういうことだよ。《長髄彦》を傷つけることなく眠りにつかせることはもう出来ないし、人として生かすにしろ殺すにしろ《タカミムスビ》が最大の障壁なんだ。普通は《長髄彦》を倒さなきゃ先にはすすめない。ただし、《アマツミカボシ》の末裔がいるなら話は別だ」

 

私たちは最深部に辿り着いた。門の横に設置されている機械を前に私は呪詛を唱える。

 

「生も死も裏表。生きて逝きては星巡り。天あり地あり人ありて各かく交わるここが狭間。来たりて往かん運命はここに巡り来る」

 

「......翔?」

 

私の中で膨れ上がった《氣》に気づいたのか、ジェイドと夕薙が戦闘態勢に入る。

 

「......おい、その呪文はどこで?」

 

「母さんが完遂できなかった儀式の呪文だよ」

 

「......君の氣が変質していくんだが、一体なにを......」

 

「《アマツミカボシ》のパスコードが有効なんだ、活用しない手はないでしょ」

 

重々しく威厳に満ちた声が響いてくる。

 

《門の前に立つのは何者ぞ》

 

《ここは国家に仇なす者どもを封じる場》

 

《言わば、伏ろわぬ神々の牢獄なり》

 

《その牢獄から逃れ、黒き光を放ち続けている貴様は何者ぞ》

 

「かつて、我が逆光とならんとした者たちは、私の描く星の軌跡の中で、焼き払われました。また同じ末路をご案内して差し上げに来ました」

 

「おい、翔ッ!」

 

「大丈夫だよ、《アマツミカボシ》の《遺伝子》が《タカミムスビ》と共鳴を起こしているだけだ。ジェイドなら知ってるでしょ、図らずもこの体は《アマツミカボシ》の器足りえるんだ。私は《アマツミカボシ》の先祖返り、転生体、どっちでもいいけど喪部銛矢と同じだよ」

 

威厳ある声は反応する。

 

《それは我が国に反意を抱いた、伏ろわぬ神々の一柱ぞ》

 

《それは太陽に劣らぬ輝きを放つ美星》

 

《その実態は、硫酸の雨の降る死の星》

 

《その背に死の星の輝きを司る魔人》

 

《最後に相見えたのは幾星霜か、もはや覚えてもおらぬ》

 

《それ程に、遠く高きものなのだ》

 

《貴様は同じ輝きを放つようだ》

 

《ならば来るがいい》

 

重厚な扉が開いた。

 

そこには頭もなく、器官や手足もない肉塊が横たわっていた。ぐちゃぐちゃという不快感を催すゆっくりとした波状運動によってアメーバのようなものを吐き出し、またそれを捕らえては食 らっている。肉塊の中に埋もれるように、巨大な石板が見えた。

 

「あれが《九龍の秘宝》というわけか」

 

「意外と小さいな」

 

「にしては大きな番犬がいるみたいだけどね」

 

その《碑文》を守るために門番がいた。自存の源であり、神話の中で地球生命の原型を生み出した存在と記される外なる神の模倣体、《タカミムスビ》本体がそこにいた。

 

その異空間には黄色い霧が立ち込めている。《タカミムスビ》の全景は濃霧のせいで臨むことは叶わない。一歩足を踏み入れようとした矢先。

 

「あれはなんだと思う?」

 

私たちは目を丸くした。直接脳内に子供の声が響いてきたのだ。

 

「初めは感情なんて不要だとばかりに脳を弄り回しておきながら、あとから人間の《力》を研究するためにあの実験室で生み出された、奉仕するための生き物だ」

 

声のする方に目をこらすと、浮遊するなにかがいた。

 

「あれを生み出したものは何だ?神話的魔道か?それとも非人道的な化学か?違う、人間の狂気そのものだ」

 

どくどくどくと脈打つなにかがいる。

 

「俺はいま、とても嬉しい。だって、感じた苦しみをお前にも与えることができるからだ」

 

それはエコー写真でしか本来拝めない赤子だった。

 

「人間たちはおしえてくれた。感情を。どう表現するかを」

 

赤子が喋っているのだ。

 

「江見翔になるはずだった子だ、返してもらうよ」

 

「なぜだ?身ごもっていると知りながら《墓守》の本能に抗えなかった女の肩をなぜ持つ」

 

「君がその魂を核に顕現することを正当化することにはならないよ」

 

浮遊する《タカミムスビ》の落とし子に触手が巻き付いていく。脈動する。《タカミムスビ》と接続していく。まるで臍の緒のようだと私は思った。やがて《タカミムスビ》の落とし子から腹が大きく割けて、そこから無数の触手が伸びだす。

 

「……これは?」

 

「《死》というものは誰であろうと区別無く振りおろされる。そう……神に相応しい平等さで」

 

そういって赤子は高笑いする。江見翔の体内に《タカミムスビ》の触手の一部を招来させ、肉体と精神を食らって成長をしていき、すべてを喰らい尽くしたところで元の身体へと返っていくという。

 

「食われていく。退化していく。身体が。精神が。魂が」

 

「お前ッ......」

 

「さあ、帰ろうではないか、《アマツミカボシ》よ。我達のいるべき世界に」

 

子供の声が重厚な声に変質していくのがわかる。

 

《さあ、来るがよい》

 

《そして我に力を示せ》

 

《我は、逃げも隠れもせぬ》

 

《もはやその腕の程、疑う余地も無し》

 

《それ故に我も加減無く全力で戦えるというもの》

 

《生命を落す事になろうとも我が全力に身をさらす》

 

《その覚悟、キサマにあるか?》

 

「もちろんあるさ」

 

《我が威容を前に潔さよし》

 

《及びて地に星を描くか、及ばず空の星と散るか》

 

《殺されぬよう、全力で抗え!》

 

 



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果てしなき流れの果てに2

葉佩たちが新たな区画に突入した瞬間、清らかな鈴の音がした。そちらに目をやると幼い少女たちが立っていた。互いの手を合わせ、瓜二つの顔が葉佩たちをみあげている。

 

「御願い……助けてあげて……きっと、あなたなら救えるはず……行きましょう……深き地の底へ……」

 

「早く……。そのまま進んで下さい……。気をつけて……。《彼》が見ている……。忘れないで……。あなたは最後の希望なのです」

 

《6番目の少女》たちが葉佩に訴えかけている。

 

「大丈夫、《封印の巫女》さんと約束したからさ、必ず約束は守るよ」

 

「ありがとう......」

 

「ありがとうございます......」

 

「この《墓》は、大いなる叡智によって、作られています。ここに封印されているのは《狂気》そのもの……」

 

「あなたなら、辿り着けるはず。《彼》のモノの揺り籠へ……」

 

「わたしたちが守ります......」

 

その言葉通り、《封印の巫女》の加護をうけた彼女たちは強かった。化人たちをたちどころに浄化してしまう。一瞬にして静まりかえる階層を降りながら、葉佩たちは最深部に辿り着いた。

 

「運命の扉が開く……。頑張って……。

この《墓》はまだ生きているのです……」

 

「ここでは、かつて多くの血が流されました……。全ては卓越した文明の力が産み出したモノです。あなたは、この試練を超えなければなりません……」

 

「私たちも力を貸しましょう」

 

「あなたの未来には光が見えます……。その光を遮るものがあってはならないのですから......」

 

青い光が2人をつつむ。そして2つの勾玉に戻ってしまった。葉佩はそれらを拾い上げて大事そうにしまい込む。

 

「いよいよだな、行こうか」

 

皆守と真里野がうなずく。葉佩は目の前の扉に手をかけた。

 

「来たか......」

 

そこに阿門はいた。天井を見つめ、なにやら考え事をしていたようだったが、葉佩たちが扉をあけたために気づいたようだ。

 

「今回の《転校生》......いや、《宝探し屋》は我々《生徒会》の想像をはるかに超える存在だったということだな。よもや、ここまで辿りつこうとは。まさか、お前の実力がこれほどのものとは、な」

 

「江見睡院先生お墨付きだからなッ!」

 

「ふッ......。葉佩、お前は歴代の《墓守》が対峙してきた《宝探し屋》とは明らかに違う人種だ。奪い取るだけではなく、与えることもする。この學園の多くの者達がおまえに出会い、何かを与えられた。俺も───────おまえに大切なものを。最後におまえに会えてよかった」

 

「なんだよ、なんだよ、この世の終わりみたいなこと言っちゃってさ。俺はまだ諦めてないからな」

 

「そんなお前だからこそ、もっと語り合いたいと思ったのかもしれん。ふッ......お前ともっと早く会いたかったが......もう後戻りは出来ない。その言葉だけ受け取ろう」

 

「だーかーらッ!なんでどいつもこいつも諦めちゃうんだよ、ふざけんなッ!」

 

「何を嘆く必要がある?俺は......満足している」

 

「うそつけッ!今決めたぞ、阿門!俺は絶対に負けないし、お前も必ず連れて帰るッ!そんでぶん殴る!たとえそれが阿門の結論なんだとしても俺が気に入らないからな!」

 

「フッ......なにを矛盾したことをいっているのだ。両方が戻ることなどありえないというのに」

 

「勝手に決めんなっての!そんなことしたら俺が翔チャンに殺されちゃうじゃんか!」

 

「......翔はいないようだが」

 

「《タカミムスビ》のところにいってるよ」

 

「なんだと......?まさかとは思っていたが、正気なのか......?」

 

「狂気に侵されてても、翔チャンはやろうとするよ。知ってるだろ?なのに俺だけ諦めるわけにはいかないんだよね~、かっこつかないからさ!それに今のまんまじゃ、《宝探し屋》としての俺しか阿門は知らないわけだし?友達になれそうなのに、どこまでも相容れない者同士になっちゃってるのが心底残念だよ、だから帰ったら覚悟しろよな~!その認識改めてやるからさ!」

 

「本気か?お前は《宝探し屋》であり、俺は《墓守》だ。敵であるお前がなぜ俺にそんな言葉をかける。......なるほどな、その笑顔で周囲の警戒心をとかせる───────それがお前のやり方か。相対するまでそれを見抜けなかったことが我らの敗因というわけだ。しかし、ここまでだ。これ以上はお前の好きにはさせん。手加減はせんぞ、《宝探し屋》、葉佩九龍」

 

「も~、仕方ないな。ここまで来たらそれもありかもな」

 

「この状況をたのしむ余裕があるとは───────大したものだな。障害が高ければ高いほど、力が発揮できるというわけか。お前のその性格が俺の最大の失敗を招いたというわけだ。もう闘いは始まっているというわけだな」

 

「へへッ、そういうことッ!」

 

「敵ながら敬意を表すに相応しい」

 

「それはどうも!」

 

「だが......果たしておまえに俺の相手が務まるかな?《生徒会》相手によくやってきたようだが、それもここまでだ。《宝探し屋》、ここが文字通り、お前の墓となるだろう」

 

「それだけは勘弁だな~ッ、来年も兄ちゃんと春節祝う気満々だからさッ。ここで終わるつもりは微塵もないぜ」

 

「ならばこれ以上言葉は不要だな。障害となる者は、排除する───────それが《生徒会》の掟だ。これが《墓守》の長たる俺の役目だ」

 

「......ちッ、わからず屋がッ......!お前なら《長髄彦》を倒して《タカミムスビ》をどうにかしなきゃならないのはわかっているはずだろう!」

 

「《長髄彦》に滅ぼされるのを待つか、《長髄彦》を倒すか、いずれでもないというのか......」

 

「それが阿門の答えなんだな、甲ちゃんと同じだ」

 

「..................」

 

「む......」

 

「なるほど、そういうことなら勝者のいうことなら聞いてくれるみたいだな」

 

「そうだ......俺の息の根をとめなければ、どのみちお前は前に進むことなど初めから叶わない。さァ、俺を倒してみろ。お前が真に《秘宝》を手に入れるに相応しいものであるというのなら───────全力で挑んでくるがいい。葉佩」

 

それが合図だった。

 

 

 

 

動くものの影すらない荒涼たる砂の壁が葉佩の目前に迫ってきていた。吹きつける砂嵐は、あたりにもうもうと立ちこめ、目にも口にも砂が入ってくる。パウダー状で軽くて実体がなく、四方八方見渡す限りどこまでも広がっている。自分の身体なんてあっという間に砂に同化して風に飛ばされてしまいそうな気がしてしまうほどだ。誰でも死について考えてしまう。皮膚がひりひりするくらいに直接死を感じてしまう。傍らにいるはずの皆守や真里野の気配すらあいまいになってしまう絶対零度の孤独は、吐き気にちょっと似ていると葉佩は思った。

 

果てしない砂の平原にひとりで投げ出されれば、誰だって窒息しそうな閉塞感に捉えられてしまう。

 

見渡す限りの砂だ。風紋の刻まれた砂の壁は海を連想させる。けれども、遠いどこかに向かっていっせいに打ち寄せていく無数の波は、立ち上がったままの姿で死んでいる。海水のなかに夥しい奇妙な生命がうごめいているように、砂は、内部に死滅した時間を沈めて充実しているのだ。

 

 

葉佩の思考はあくまでも冷静に今の戦況を観察していた。不運な遭難者との違いは静かな一対の目を持っていることだ。孤独で、青い空を見続けるのになれている。目が空の色に染まっている。どこまでも注意深い。小さな敵影を求めている。それは最初は芥子粒のようにしか見えないが、1度でも捉えたら捕まえたも同然だった。

 

葉佩は剣を振るう。オーパーツで構成されているその剣は振動を増幅させ、対象に裂傷と吹き飛ばしの効果を付与するのだ。

 

「ぐッ───────」

 

阿門は葉佩がくる方向がわかっていたが、砂の壁すら両断する威力までは計れなかったらしい。一気に距離をつめられ、強烈な一撃を浴びた。阿門の恵まれた体格すら容易に想像吹き飛ばす威力である。体勢を立て直す暇など葉佩は与えようとしなかった。

 

「何故、生身のお前が数々の罠を乗り越えて来られるのか……」

 

「それは《遺跡》が俺を呼んでるからさッ!真里野ッ!」

 

「言われなくとも!」

 

葉佩が阿門を捕捉したことで《黒い砂》が一時的に止んだ。真里野たちは視界が開けるやいなや葉佩のところに助太刀する。真里野が木刀を抜いた。

 

「拙者の技『原子刀』で斬れぬものはない。武士なら、正々堂々とこの困難を乗り越えてみようぞ」

 

「見せてやろう。DNAを書き換える俺の《力》を」

 

ふたたび《黒い砂》が再起動する。

 

「こっちだ、九ちゃんッ!」

 

皆守の卓越した観察眼が阿門の攻撃を予測して安全圏まで葉佩を引っ張り出す。

 

「さんきゅー、甲ちゃん!」

 

体勢を持ち直した葉佩は真里野とやり合っている阿門のところに向かった。



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果てしなき流れの果てに3

《タカミムスビ》の落とし子が胎児を軸に巨大な触手をあふれさせ、こちらに向かってくる。

 

「おっと、危ない。気をつけろよ?どうやら、俺たちは歓迎されていないらしいな」

 

「そうだね」

 

「今度は俺が君を助ける番だ。というわけでここから先は通せない」

 

夕薙が自らにかけられた呪いと引き換えに得た月の波動を《タカミムスビ》の落とし子に叩き込む。

 

「ありがとう、大和」

 

「俺の助けが必要なら、いつでもいってくれ。さァ、この場をどう切り抜ける?」

 

笑う大和に私はつられて笑ってしまった。

 

《《墓守》の危機を救わんとす》

 

《その心意気は実に見事である》

 

《だがそれを為す鋭き刃を持たねば》

 

《即ち、茶番にも似たり》

 

《ならばキサマは示さねばなるまい》

 

《これが茶番に非ざる事を》

 

《前人未踏の最果てに何を見る》

 

「《墓守》だけではない。死の星と呼ばれる者として、この《遺跡》に降りかかる厄災への逆光となりましょう」

 

月の衝撃波を逃れた触手が襲いくるが弾き飛ばされた。私たちと《タカミムスビ》の落とし子の間に亀裂が入る。

 

《邪教におちた魂は今なお健在か》

 

《タカミムスビ》の落とし子は忌々しげに吐き捨てた。障壁による防御だ。

 

「いつまで持つかはわからないけどね、これに精神力をさけなかったから」

 

私は一歩後ろに下がる。

 

「翔、あまり離れない方がいい。生き延びたいと思うなら」

 

「やりたいことがあるんだ、見てて」

 

「まったく、君は毎度の事ながら後から教えてくれることが多すぎないか」

 

「仕方ないじゃないか、土壇場にならなきゃ必要かどうかなんてわからないんだから」

 

《妙見神呪眼》として完全に覚醒状態となった《宿星》により、《タカミムスビ》を解析する。夕薙とジェイドが前線をはる間に私は詠唱を開始した。棒立ち状態の私に狙いを定めたのか、《タカミムスビ》の落とし子は幾重もの攻撃をしかけてくる。

 

「玄武の宿星が騒いでいる。飛水流の技、 見せてあげよう」

 

「闇は怖るるに足らない。怖れるべきはそこに潜む人の悪意だ。こいつが人間の業だというのなら、俺の敵ではない」

 

一度でも喰らえば瀕死になるだろうが、ジェイドと夕薙が《力》により薙ぎ払ってくれる。

 

「......僕の水術が《タカミムスビ》の落とし子の装甲を突き抜けているな。こいつには威力しか見込めないと思っていたんだが......これは、状態異常になっているのか?」

 

「俺もそんな感覚があったな......翔、これが君の今の《如来眼》の効果か?」

 

ノックバック効果と状態異常が強制的に付与された自らの攻撃に2人は戸惑っている。

 

「《アマツミカボシ》の氣に無理やり変質させただけから、降ろしたわけじゃない。引き出せた《力》はこの程度だけどね」

 

私は《力》を解放する。

 

「《怪星大発光》」

 

《アマツミカボシ》の光が《タカミムスビ》の落とし子に襲いかかる。太陽光をぶつけたような灼熱と苛烈な光が襲いかかる。《タカミムスビ》の落とし子は火傷、麻痺をおい、さらにダメージが通りやすくなり、行動不能におちいる。

 

「まだだ」

 

《タカミムスビ》の落とし子の触手が迫り来る。

 

「邪魔だ」

 

ジェイドが懐から取り出した忍刀できりすてた。夕薙が断片もろとも吹き飛ばす。ノックバック効果が襲いかかる。距離をとり、さらに私は大技を叩きこむ。

 

「おい、翔。気がおかしくなり始めてるぞ。これ以上は侵食されるんじゃないのか?」

 

「そうだね」

 

ジェイドが《タカミムスビ》の落とし子を屠る。

 

「だいぶ弱体化できたみたいだし、《タカミムスビ》をあるべき世界にかえすから、それまでよろしく」

 

私は詠唱をはじめた。

 

「わかった。無茶はするなよ」

 

「任せてくれ」

 

私は《氣》を集中させる。

 

《いあ、いあ》

 

《時空を越えし彼方なるものよ》

 

《自存する源たる全なる神よ》

 

《門を開き、頭手足なき塊を連なる時空へ廻帰したまえ》

 

《大いなる時の輪廻の果てに、帰するために》

 

《ふんぐるい なるふたあぐん》

 

《んぐあ・があ ふたぐん いあ! いあ!うぼさすら!》

 

《タカミムスビ》は奉仕種族の混成体だ。ゆえにその《遺伝子》を駆逐すれば原型をたもてなくなるはず。そう判断したのだ。それが正解かどうかはすぐにわかった。

 

「ぎゃあああ」

 

しゅうしゅうと煙を上げて《タカミムスビ》の落とし子が苦しみ始める。ジェイドは容赦なく攻撃を続ける。夕薙は私に配慮しながらはじき飛ばす。やがて、《タカミムスビ》の落とし子ははじけた。内側から水風船のようにはじけた。液体がこちらに向かって襲いかかる。

 

「《怪星大発光》」

 

容赦なく焼いていく。

 

そんなさなか、私たちが入った異空間と《遺跡》を繋ぐ門に変化が現れた。

重苦しい感じのする空洞がその向こう側に出現したのだ。濃霧はそちらに吸い込まれ、異空間の寒さは一瞬にして頂点に達する。そこは真冬でも滅多に体験できないような冷気に満ちており、私たちのまつ毛や濡れた服は徐々に凍り付き始める。

 

「さっきの呪文であの門を別の空間に繋げたのか!」

 

「いろんな種族の《遺伝子》を収集するのに使ったんじゃないかと思ってたんだけど、どうやら正解みたいだね」

 

「あの門の先はどこかに通じているのか」

 

「神話的な魔道と超古代科学技術の融合した産物だな」

 

「これこそが人の生みだした悪夢というわけか」

 

《タカミムスビ》本体が私の退散の呪文により追放されてしまう。私はぽっかりあいた空間に残された石板を拾い上げる。そしてH.A.N.T.の解析にかけた。

 

「開いた門は閉じないといけないね、《遺跡》に繋ぎ直さないといけない」

 

私は記された呪文を声高に詠唱し始める。それは人間の言葉とはかけ離れた不吉な旋律の混ざった歌声だ。

 

「閉じるまでが本番というわけか」

 

「夕薙君、大丈夫かい?」

 

「時間の感覚さえ薄れてくる恐ろしい空間が向こうにあるのはわかる。だがこういう場所は嫌いじゃないよ。ここには月光も届かないからね」

 

「それだけ言えるなら上等だ」

 

いつのまにか、《タカミムスビ》が追放された門の向こう側から液体が染みだしてきている。このままにしておけば、恐るべき神が《遺跡》に降臨することとなる。その被害ははかり知れないだろう。

 

「───────《タカミムスビ》ではなさそうだな」

 

水撃を放っていたジェイドが眉を寄せる。

 

「ダメージはあるが......物質そのものは取り込んでいるのか......。あれがまさか、《タカミムスビ》の......」

 

「《力》自体は効果があるようだからまだマシだが......」

 

「翔が貫通効果をつけていなかったらどうなるか、わかったものじゃないな」

 

「まったくだ」

 

「時間稼ぎには充分なる」

 

夕薙たちの会話を耳にするほど私に余裕はなかった。石板にある詠唱をたどたどしくも口にしながら、《アマツミカボシ》の《氣》を石板に注ぎこむのだ。

 

《タカミムスビ》が鎮座していた亜空間全体が鈍く振動を始め、ひずみ始める。

 

「これは......?」

 

「あっちが門の範囲を広げて移動しようとしてるみたい。大丈夫、大丈夫、まだ間に合うッ!」

 

私は叫ぶ。

 

「翔は集中してくれ、こちらはなんとかする」

 

「絶対にこちらを見るなよ」

 

私は知らない。夕薙たちの目の前で《タカミムスビ》がこちらに戻ろうと必死で足掻いている光景が広がっていることなど知らない。

 

すでに下半身はウボ=サスラと呼ばれる無形の塊に貪り食われ、体が変質し、ゆるやかに同化しつつある。

 

それどころか、徐々に染みだしてくるウボ=サスラに捕われ、生きたまま喰われるという無残な最期を遂げようとしていた。

 

ウボ=サスラは意志を持たないゼリーのように、やや速度を増してぶるぶるとこちらにあふれだしている。

 

ジェイドたちは《力》を無我夢中でふるい、追い立てていた。

 

突然、轟音が響き、亜空間に向かって強い突風が吹いてくる。私たちは凍りつくかと思った。どうやら門によって、中の空気ごと外の空気と入れかわってしまったようだ。門にあったはずの不思議な機械はいっさいなくなってしまっており、それどころか内壁までが表面数センチほどきれいに削り取られてしまっている。

 

まずい、まずい、まずい!このままじゃまずい!みんな溶けてなくなる!あの先にいるのは《タカミムスビ》じゃない、ウボサスラそのものだ。あの先があんなに寒いのは南極の地下深くだからだ。真実をしるがゆえにそんな焦りが私の中にもたげてきた。H.A.N.T.が私の精神力の限界が近づきつつあることをエラーで教えてくれるからだ。尚更意識が焦りを産む。そんなさなか。

 

「───────」

 

呼び掛けてくる声を感じ取った私は辺りを見渡した。

 

「え、なんで?なんで」

 

目を開けてみると、あたりは見渡すかぎりの雪原だった。今まで見てきたいかなる雪景色も、この光景の前には色褪せるくらい綺麗な世界だ。だがそれは私にとっては死刑宣告だった。ここは南極だと直感が教えてくれるのだ。

まさかウボ=サスラに喰われたのか?あの一瞬で!?固まる私は後ろから誰かに抱きしめられた。

 

「───────」

 

極限の寒さの中では不思議と現実味の感じられない希薄な存在に思える。その腕は私をやさしく抱き締めると、こう囁いた。

 

「《タカミムスビ》が消えた今なら......ようやく、私の声も届いているわよね......」

 

「え、あ、かあ、さ......」

 

「ありがとう......本当にありがとう、江見睡院先生を助けてくれて......」

 

「待って、父さんが......」

 

「ありがとう......そして、ごめんなさい......私はいけない......翔をひとりにはできない......だから残るわ......私達のいるべき世界に……」

 

ゆるやかに腕が解かれていく。私は引き留めようとしたが、拒否されてしまう。

 

「そうすれば、もう、こんなに苦しくないから......」

 

「それじゃあ、父さんも、母さんも、むくわれないじゃないかッ!」

 

「ありがとう......私は、翔とも、先生ともいたい。そして、あなたとも......このままでずっと一緒にいたかった」

 

「じゃあ!」

 

「でも駄目なの……あなた達は私達には耐えられない……どんなに願ったって……どうしても……そういうものだとわかっているのに言ってくれるのね。優しいこ。翔もあなたみたいな子に育って欲しかった......」

 

「こんなのってありなの......?」

 

「誰も間違ってはいなかったのよ。生きている……ただ、それだけで……どうしようもないことなんて、沢山あるでしょう?それが......今だっただけよ......」

 

声が遠ざかっていく。

 

「絶えることなく流れる日々の中で......私たちは......出会い......別れて......新たな自分になっていくの......。たとえ形をなくしても......私はあなたの中にいて......そして明日という日を待っている......。だから生きて......?今、この瞬間まで、私といっしょに生きてくれた......天野愛さん......あなただから......あなただけには......生きてほしいの......」

 

ブローチが砕け散る音がして、私は目を覚ました。極寒の地にいたはずが亜空間で私の口は邪悪な呪文を唱え続けている。

 

石板が輝き出した瞬間、いきなり門が音を立ててしまった。ジェイドがこちら側に切断されて残された液体をひとつのこらず《力》で粉砕する。

 

私はふたたび門と《遺跡》をつなぐ呪文を唱え始めた。やがて、門が開く。また《遺跡》と繋がったようで、ようやく私は息を吐いたのだった。

 

「お疲れ様だな、翔。向こうへいってみないか?少しでもこことは違う空気を吸った方がいいだろう。少し休んでも構わないよ」

 

「うん......そうするよ......」

 

「それが《九龍の秘宝》か?」

 

「うん、たぶんね......」

 

私はすさまじい疲れに体が鉛のように重くなるのを感じながらH.A.N.T.の暗視機能で辺りを見渡した。今の私の目ではろくに見えるものも見えそうにないからだ、眠い。

 

「おい、どうした?」

 

「なにか......なにか残ってない?江見翔くんとか、母さんの痕跡とか......」

 

「いや?」

 

「H.A.N.T.は反応がないようだ。残念だが、《タカミムスビ》がすべて持っていったのではないかな」

 

「そんな......」

 

「翔、そう気に病むことは無い。《タカミムスビ》は取り込んだものを再現することが可能だったじゃないか。幻だと思うものでさえ、そこに見える理由があるものだ。あれはおそらく《タカミムスビ》がみせた幻覚の類だ」

 

「......そっか」

 

私はためいきをついた。今更門を再起動して《タカミムスビ》のところに戻るわけにはいかないからだ。

 

「遥か永劫の輪廻の果てウボ=サスラがもとに帰す」

 

「なんだい、それは?」

 

「私が読んだ魔導書の予言が正しければ、江見翔くんや母さんにまた出会えるときがくるかも知れないと思って」

 

「余計なことを考えるんじゃないぞ、翔。この《墓》を作り上げたのは人間だ。超常的な力ではないんだからな。再起動するとしたら、俺は君を半殺しにしてでも止めるぞ」

 

「わかってるよ」

 

私は笑うしかない。

 

「そういう意味じゃない。違うんだ。今の私には慰め、希望、うーん、なんていうか前に進むために必要な言葉にすぎないから」

 

「にしては随分と不吉な言葉のように思うが」

 

「瑞麗先生に見てもらった方がいい。なにはともあれ、やるべきことはやったんだ。俺たちは脱出しよう。あとは九龍たちに任せるべきだ」

 

「そうだな。翔、たてるかい?」

 

「ごめんなさい、無理......」

 

「だろうね」

 

「俺が先導しよう。化人の襲撃は俺にはなんの意味もなさないからな」

 

私はジェイドに背負われる。撤退が始まったのだ。

 

「この感じ……昔を思い出すよ。慎也と君は本当に似ている。無理をするなというのにこれだ。退くのも戦略だ、あとは九龍君に任せるべきだよ」

 

「......はい」

 

私は《九龍の秘宝》をしっかりと抱えたまま目を閉じた。夕薙やジェイドと私は今見ている世界が違うのは事実だから、なにをいってもすれ違いにしかならないだろう。

 

エイボンの書には予言されているのだ。地球上のすべての生命はウボ=サスラから発生し、何十億年もの未来には、すべての生命は退化し再びウボ=サスラに吸収されるであろうという予言が。

 

今だけは信じてもいい気がした。

 



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果てしなき流れの果てに4

皆守は目眩がした。頭が割れるような音だ。たまらず耳を塞いだが後ろからいきなり浮遊感を感じた。

 

「───────ッ!?」  

 

葉佩と阿門の戦闘は加熱する一方だった。皆守も真里野も途中から疲労困憊になりついていけなくなってしまった。あとはもう追いかけるのが精一杯だった。

 

「あの馬鹿......ここがどこか、忘れてるんじゃないだろうなッ!?」

 

「忘れてはおらんだろう、さすがに......これだけ狭い区画なのだから」

 

「まさかとは思うが、《遺跡》ごとふっとばす気じゃないだろうなッ!?」

 

「ううむ......」

 

「ちッ…… 一服する暇もありゃしない」

 

「共に修羅の道行きと参ろうか」

 

「阿呆、もう道中じゃねえか。下手したらここにいる全員生き埋めだぞ」

 

ようやく爆風による視界不良が収まって確認してみれば二人は未だに交戦状態だった。

 

「は......まじかよ。見たかよ、あの顔」

 

「2人とも笑っておるな」

 

ふたたび音が爆発したように一瞬だけ広がる。枕元で雷が落ちたくらいの爆音だ。猛烈な爆発音が耳の穴になだれこんで来る。どうやらまた葉佩が爆弾を投げ込んだらしい。どんどん阿門と葉佩の行動範囲が狭まっていく。

 

阿門は葉佩の全ての攻撃をなぎ払い、そのまま圧殺しようとしているようだ。葉佩はカウンターダメージを狙う。その報復とばかりに阿門の《墓守》としての《力》が拡散の波動となり電光のようなすさまじい色彩を放った。

 

地軸もろとも引き裂くような爆発音がして《遺跡》全体が揺れる。唸りつづける爆音に脳をやられて、地球を頭にささえたような重たい感じに苛まれ、皆守たちの顔色は悪くなっていった。

 

《黒い砂》が空間全体を覆い尽くそうとした、その刹那。ぴたり、と2人の動きが止まった。

 

《いあ、いあ》

 

脳が意味を理解するのを拒否する邪悪な呪文が始まった。

 

《時空を越えし彼方なるものよ》

 

それはここから何百メートルも離れた先にある区画で唱えられているはずの呪文のはずだった。

 

《自存する源たる全なる神よ》

 

たらり、と皆守は汗をかく。

 

《門を開き、頭手足なき塊を連なる時空へ廻帰したまえ》

 

ちら、と真里野をみる。

 

《大いなる時の輪廻の果てに、帰するために》

 

真里野はうなずいた。

 

《ふんぐるい なるふたあぐん》

 

そして確信するのだ、この呪文は《黒い砂》を一度でも受け入れた人間の脳内に直接響き渡る呪詛なのだと。

 

《んぐあ・があ ふたぐん いあ! いあ!うぼさすら!》

 

目を塞いだが無駄だった。耳を削ぎ落とそうが、きっと聞こえるに違いない。これは脳内から直接響いてくる逃れられない呪詛なのだと。

 

皆守たちを襲ったのは、恐怖心だった。食われる、と思った。生きたまま貪り食われる白昼夢を見た。それが《タカミムスビ》に起きている現実であり、《黒い砂》にふれたことがある人間の《遺伝子》情報の奥深くに入り込み、今なお息づく落とし子の悲鳴なのだと皆守たちは理解した。理解してしまった。動けなかった。

 

つまり、阿門は動けなかったのだ。葉佩はそれに気付いて攻撃をやめたのだ。それくらいには天と地ほどの差があった。

 

皆守と真里野の体の自由が効くようになったころ、ようやく阿門も動けるようになったようだ。葉佩はたんたんと移動しながら戦闘態勢に移行する。体勢を整えていく。

 

「───────......まさか、翔は成し遂げたというのか」

 

「その様子だとそうみたいだな〜?よかったじゃん、これでいつ邪魔が入るかハラハラしながら戦わなくても済むぜ、阿門。どーせ、俺を庇おうとか余計なこと考えてたんだろ〜?」

 

「終わりは俺だけのものだ、お前にどうこういわれる筋合いはない。《墓》の《狂気》は、いつでも《墓守》の長たる俺を見張ってきたのだ。あそこに描かれた二匹の蛇はDNAの螺旋構造をしている。黒い砂に見えるナノマシンもこの場所も古の遺産という訳だ。その終焉について考えなかった日など一度もない」

 

「今更思い出したようにいうあたり、そんな暇与えなかったから忘れてたみたいだな〜?終始俺のペースだったもんね」

 

「ふん......銃火器ばかりで得意の接近戦を封殺されていた癖になにをいう」

 

「はああ〜ッ!?なんだよそれ、図星だからってこのタイミングでなんつーこというんだよ、この野郎ッ!あとちょっとだ、あとちょっとでその《黒い砂》攻略できそうだったんだからなッ!?スキあらば俺の体の《遺伝子》操作しようとしやがってこんのやろッ!」

 

「《墓》とは死者を求めるものだ。さあ、葉佩九龍。まだだ......まだ終わりではない。俺と戦え」

 

「言われなくてもやってやるよ!」

 

葉佩は百年の仇敵に会えた人間のような顔をして阿門に詰め寄っていく。顔は笑っていてもいつ牙をむいてくるか分からない凄みがある。黒い迫力が内面から滲み出ているのだ。どこか人を試すような挑戦的な気配に、阿門は眉を寄せた。

 

葉佩はもともと穏やかな顔、鋭い視線はあった。江見翔のような見透かすような発言こそないが、あれとは別に特別な立場の男が持つ独特の妙な迫力があった。

 

今の葉佩は向かい合って話をしているだけで、刃先で切られる気分になる。人という存在に対する嫌悪感や、冷たい眼差しが感じられた。ただならない静かな圧迫感は、尋常ではない。葉佩の持つ違和感の説明がつかない。穏やかな物言いだったが、奇妙な威圧感が空気を震わせた。

 

「九ちゃん、スイッチ入りやがった」

 

「つい先日お主も見たばかりだものな、わかるか」

 

「そりゃわかるさ。九ちゃんに俺もあんな顔させちまったんだ。後にも先にもあの時だけにしないといけないんだ」

 

「説得力が違うな」

 

「ああ、今ならわかる。九ちゃんは理由もなく人を殺せる人間だ。なんの躊躇もなく引き金をひくことができる。俺たちとは住む世界が違う。今までそれを忘れていられたのに、俺が思い出させちまったんだ」

 

「麻薬の温床にして、法も秩序もない劣悪な環境で育った九龍にとっては日常だとしても......《宝探し屋》としての九龍は決別したかったんだろうな」

 

「勝負あったな」

 

「だが......決着までどれだけかかるかわかったもんじゃないぜ」

 

皆守はアロマを取り出した。

 

皆守が葉佩と真正面から戦ったとき、後半からはほとんどただの殺し合いと化していた。葉佩は笑ったままだった。決着がついて、その強さの理由を尋ねたとき、葉佩がいったことを思い出す。

 

空は見なかった。道も見なかった。月はなおさら目にはいらなかった。ただ見たのは、限りない夜である。そう返してきた。

 

皆守はいろんな感情が入り乱れた、かつて経験したことのない激しい情緒に振り回されていたというのに、葉佩はただひたすらに凪いでいたのだ。互いが互いにひたすら殺し合いたい執着を感じていながら。

 

ほかの人にはこんなに感じないひとつひとつの感覚が活性化されたのは、後にも先にもこれきりだろうと皆守は思っている。それは葉佩と関わってきた誰もが思うことだ。その振幅がそのままその人を思う心のベクトルの大きさだとしたら、とても苦しいものとなる。

 

葉佩はひとりでもふたりでもさんにんでも生きていける人間だ。そしてなんの躊躇もなく置いていける人間だ。何人でも思いを丸ごとを受け入れるくせに、嵐のように去っていく。それが妙に生き生きとしたあるひとつの像を結ぶ。それが葉佩という人間なのだ。たちが悪いにも程があった。

 

皆守は知っている。そんな男との殺し合いは一度しかなく、一瞬で終わる。ついさっきまで本気で死のうとしていた男が、その動機もきっかけも奪われてしまった場合、あっさりと受けいれられるようなやつが《墓守》の長なんて務まるわけがないことも。だから思うのだ。

 

「長引くだろうな」

 

熾烈を極めた激闘の果てに、雌雄を決するのはまだまだ時間がかかりそうだった。



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果てしなき流れの果てに5

立てるかと言われた阿門は、少しの迷いのあと葉佩の手を取って立ち上がった。ただでさえ狭い区画は気づけば大惨事になっていた。

 

「俺の勝ちだな、阿門」

 

「ああ......」

 

「というわけで、俺の言うこと聞いてもらうからな」

 

「仕方あるまい......」

 

葉佩はわらった。

 

「おかしい......」

 

「え、なにが?」

 

阿門がいうのだ。

 

「《長髄彦》が古の眠りから目覚めたというのに、《封印の巫女》の呪が解けない......。《遺跡》に変化がない。やつはずっとこの機会を窺っていたはずだ。《封印の巫女》を探し出し、手を伸ばすその瞬間を......。だというのに何故だ......?《封印の巫女》の呪を解かねば自由にはなれないというのに」

 

「《長髄彦》の意識自体はすでに學園を蝕んでいたじゃないか」

 

「......だが、思念をとばす程度だ」

 

「七瀬、神鳳、同調しやすい一般生徒、教職員、いずれも《長髄彦》に取り憑かれたものたちだろ?そこに物部氏の末裔、しかも直属の上司にしてこの《遺跡》にぶち込んだやつ、研究者の末裔がいるんだ。他に優先すべき連中が多すぎたんだ。《タカミムスビ》の存在も見逃せない」

 

「だが、いずれも排除されたかいなくなった」

 

「《封印の巫女》の呪はほんとに《長髄彦》の封印をするためなのか?」

 

「なんだと?《墓》の奥底に眠る邪悪なる意志が長い年月をへて封印の鎖を綻ばせていった以外になにが考えられる。遅かれ早かれ封印がとかれるのだとしても、これ以上の好機はないはずだ」

 

「じゃあ来いよ、阿門。《長髄彦》はこいっていってるんだろ」

 

「......」

 

振動が玄室を包む。

 

「───────ッ!?」

 

「この揺れは......」

 

「《長髄彦》か......」

 

「きたか、我が室を侵す者よ......」

 

不気味な顔が浮かび上がった。

 

「《封印の巫女》はいない」

 

「必要ない」

 

「!」

 

「《封印の巫女》が《鍵》の役目を果たす必要などない......《タカミムスビ》なき今、《巫女》《墓守》の宿命を背負いし者など恐るるに足らず」

 

「《九龍の秘宝》は手にしたよ。今の俺たちならアンタを戻してやれる」

 

「お前は《アラハバキ》の名を持つ《宝探し屋》だったな......思いあがるな。そのような虚言をささやく者に我を倒すことはできぬ......我が名は《長髄彦》。アラハバキ族を率いて、大和朝廷と戦いし王なり。《秘宝》など存在せぬわ」

 

「《九龍の秘宝》は《タカミムスビ》が守ってた。回収したって《アマツミカボシ》の末裔から連絡があったよ。古代人のお前にはわからないかもしれないけど1700年もあれば人類は進歩してる。お前だって元に戻してやれる」

 

「それは希望たりえぬ」

 

「なんでだよ!」

 

「教えてやろう。ここには何もない。あるのは《墓》を築き上げるために運び込まれた冷たい石と黄泉の国の如き光の届かぬ漆黒の闇だけだ」

 

「今のお前ならそこから出してやれるっていってるだろ!」

 

「本気か、葉佩」

 

「俺が勝ったんだからなにをするかは俺に決定権あるよな?」

 

「たしかに、古代の使命を受け継ぐ《巫女》や《墓守》の伝承によれば可能であろうな。かつて《天御子》たちが九匹の龍の《秘宝》を作り上げ───────我らが反乱を起こした際に自ら築いた遺跡の奥底に封印したのだから。それはあくまでも《天御子》側の伝承にすぎん。我のみた事実に勝るものはない」

 

「どういうことだ」

 

「長い年月の果てに失われたのかと思っていたが、やはり初めから伝承されてはいなかったようだな。教えてやろう、貴様らが守りしこの《遺跡》の真実を───────」

 

《長髄彦》は口を開いた。

 

「この《遺跡》は《遺伝子》を研究する実験場だった。そして失敗作たる我らは遺棄された。そう、ここにいる化人となりし我が民は科学技術による申し子ですらない......ただのゴミ屑だったのだ。《封印の巫女》がいったであろう、ここではないどこかに運ばれた者たちがいたと。それこそが本格的な実験場に運ばれ、さらに生き残った者たちだけが永遠の命を育む被験体となったのだ」

 

「なんだと......?」

 

「この《遺跡》で作られた化人を出荷したってのか?!」

 

「なんという悪逆非道な......」

 

「なぜわかる......なぜそれが事実だと断言できるッ!」

 

「《墓守》ごときが我に指図できると思っておるのか?我が《力》を思い知れ───────」 

 

「ぐッ......体が......」 

 

「お、おい阿門、大丈夫かッ!?」

 

「我はかつて信仰した神の氏をもつこの男に話しておるのだ」

 

「おいおい、《長髄彦》......」

 

「我らは遺伝子操作をされた者。同じテクノロジーで生み出された遺伝子同士が共鳴しておるのだ。《タカミムスビ》なき今、封印の《力》など無意味。《墓守》の呪いから解放された者共々余計な気は起こしてくれるなよ。その瞬間にこの男も《封印の巫女》も殺してくれよう。無駄な力を使わせるな」

 

「......くっ」

 

「しかたない......」

 

「ちっ......」

 

「アンタを助けたい一心だった《封印の巫女》まで手にかける覚悟ってどんだけ重要な話なんだよ」

 

葉佩の言葉に《長髄彦》は邪悪な氣で空間を満たすのをやめた。

 

「この神話になぞらえることすらできぬオゾマシイ場所がさらに奥に眠っているのだ」

 

「なんだと......!?」

 

動揺したのは阿門だった。《墓守》の一族たる自分が知らない場所があることが信じられないのだ。

 

「私は水の満たされた透明な筒の中からその声を聞いていた......すでに私が自由にできるのは思念以外になかったのだ」

 

無機質な複数の声だけが響いていたという。反乱が鎮圧された後、この《遺跡》が破棄されるまでの過程を《長髄彦》はつぶさに聞いていたようだ。

 

「大和朝廷と2度戦い、《ニギハヤヒ》の裏切りを知った私は、義兄弟の契りを結んでいた《アビヒコ》様の助けを借りて兄者の故郷である津軽に逃げた。その先で渡来人の一族を併合し、アラハバキ族と名乗り、兄者の三人の息子たちと新たな国を作ったのだ。《天御子》に私が生きていることがバレてしまい、みな捕らえられてしまったが......兄者の息子らは逃すことができた、はずだった」

 

「まさか......」

 

「そう、そのまさかだ。その先には逃げきれずに捕らえられた兄者の息子ふたりがいる。化人と成り果てた2人は地下深くで優れた被験体の調査をするために作られた《訓練所》にいるのだ」

 

《長髄彦》の言葉に誰もが凍りついた。

 

「その化人の名は伊波礼、そして伊邪那美」

 

「!」

 

「おい、その名前は......」

 

「《天御子》はなにを考えて......」

 

「え?」

 

「神倭伊波礼毘古命、神武天皇のことだ」

 

「私の封印はその地と連動している。あの子らを解放してやるには、扉が開くことはない。そう......戦うしかないのだ」

 

「でも、《訓練所》の入り口なら......」

 

「扉は閉ざされたままのはずだ。《アマツミカボシ》でも《ニギハヤヒ》でもない天竺の果ての者たちが管理していたのだから」

 

「それは......」 

 

とうとう葉佩は言葉に詰まってしまう。

 

「私は兄者との約束をはたすことが出来なかった。どうか息子たちを頼むと言われておきながら、救うこともできず、見ていることしかできなかった」

 

「もしかして、アンタが反乱を起こしたとき、失敗したのは......」

 

《長髄彦》は答えなかった。

 

「私は自我があるが、あの子らは壊れてしまった。もはや人として死ぬことすら許されぬ。ならばせめて、介錯してやるのが親の務めだ。それすら今の私には叶わない」

 

「なるほど......だから......」

 

「葉佩九龍───────私と戦え」



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果てしなき流れの果てに6

葉佩たちが最終決戦に臨んでいたころ、八千穂たちは白岐の部屋にいた。《封印の巫女》の術によって葉佩たちの動向を《6番目の少女》たち、もしくは本体の勾玉から見つめていた。そして、《長髄彦》に勝負を挑まれる葉佩をみて、限界が来てしまったのか《封印の巫女》はその場に崩れ落ちてしまった。《墓守》の一族と《封印の巫女》の一族が代々守り続けてきた《遺跡》のおぞましい真実。そしてこの場所以外にも《遺跡》があり、おそらく《墓守》と《封印を司る一族》がいるという新たな事実を突きつけられたのだ。1700年にも渡って伝わってきた一族の伝承がいかに《天御子》によって歪曲して伝えられてきたのか、まざまざと見せつけられた形である。

 

「だ、大丈夫ッ、巫女さん!?」

 

「無理もありませんよ、こんなに残酷な真実を突きつけられたのですから......大丈夫ですか?立てますか?」

 

「そうだよね......巫女さんは当事者なんだもんね......」

 

悲痛な面持ちの少女たちに《封印の巫女》はうなずいた。

 

「ええ......ごめんなさい......私は見なくてはならないのに。大丈夫よ......」

 

そして───────。

 

「これは......。ああッ......」

 

《封印の巫女》の鎖がはじけ飛んだ。

 

「大丈夫ッ!?」

 

「鎖が......怪我はありませんか?」

 

「私は......夢を見ていた......。悪い夢を......。還りたい......あの頃へ......。あの懐かしき日々へ......。還りたい......」

 

「......巫女さん......」

 

「そっか......」

 

「八千穂さん?」

 

「それだけ、《長髄彦》さんが大好きだったんだね......」

 

「......」

 

《封印の巫女》はなにも答えない。

 

「......」 

 

「───────ッ!」

 

「《封印の巫女》さん、体が......」

 

光の粒子となり少しずつ崩れ始めた体に八千穂は驚いたように声を上げた。《封印の巫女》は手を祈るように重ねたままだ。

 

「《長髄彦》様が目覚めてしまったのだわ......長き眠りにより、再び動き出してしまった......ついに復活した......でも私はその姿を見ることは叶わないし、きっと葉佩さんが......止めてくれる......」

 

「そうだよ!きっと九チャンが止めてくれるよ!」

 

「葉佩さんだけが......この學園に残された最後の希望だから......だから、私は......あの子たちに託さなければならない......《長髄彦》様が救いたいという願いを叶えるために───────」

 

《封印の巫女》の体がどんどん消えていく。体は再生することなく崩れ落ちていく。

 

「《長髄彦》様、古の忌まわしい呪縛からようやく解放してさしあげることができますね......もう誰もあなたを苦めはしない......」

 

「......巫女さん......」

 

「江見さんがあなたの失っていたものを見つけてくれた......。葉佩さんがあなたの願いも背負ってくれた......」

 

《封印の巫女》は泣いていた。

 

「あの時から思念として動けていたのに、私は認識することができなかったなんて......。あのときわかっていたら、《長髄彦》様ではなく、あの人たちを先に助けていたのに......反乱が失敗したのは......わたしが、私が......」  

 

「大丈夫だよ、巫女さん。きっと《長髄彦》さんもわかってたんじゃないかな」

 

「八千穂さん......」

 

「ファントムだって、このネックレスが白岐さんに渡ってから一度も白岐さんを襲いにこなかったじゃない。ね?大切なものなんでしょう?」

 

「それは......」

 

「大丈夫だよ。だって《長髄彦》さんて《封印の巫女》さんが本気で助けてあげたかった人なんでしょう?」

 

「..................ありがとう。あなたは優しい人なのね。このこと友達になってくれてありがとう。これからも仲良くしてあげてね」

 

「うん!」

 

《封印の巫女》は微笑んだ。そして、そのまま消えてしまったのだった。2人は意識を失ったままの白岐を抱きとめるとそのままベッドに寝かせた。

 

「《封印の巫女》さん、消えちゃったね......」

 

「そうですね......」

 

「それだけ《長髄彦》さんのことが好きだったんだね......」

 

「だからこそ、《6番目の少女》たちを九龍さんを託したんでしょう」

 

「だから消えちゃったってこと?」

 

「まだ救わなければならない人が2人いるわけですから」

 

「そっか......すごいなあ。あたし、そこまでできないよ......」

 

「古人曰く《愛し得るということは、すべてをなし得るということである》。愛には色々ありますが、彼女にとってはそれが愛の形だったのでしょう」

 

もはや葉佩たちがこれからどうなるのか直に見届ける術はない。できるのは祈ることくらいだ。八千穂はカーテンをあけた。

 

「ホワイトクリスマスだね〜」

 

外は一面銀世界である。絶え間なく雪が降りしきっている。窓を開けてみる。森の向こうにあるはずの墓地すら真っ白になっている気がした。

 

「あれ?」

 

「どうしたんですか、八千穂さん?」

 

「誰か森に......」

 

「《生徒会》のみなさんでしょうか?阿門さんになにか言われているのでは?」

 

「ううん、違うみたい......あれは......」

 

「皇七さん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「いっひっひ......《九龍の秘宝》は奪われてしまったが、こちらは存在そのものが《秘宝》じゃな」

 

用務員の化けの皮を剥いだ境は《訓練所》におりたち、壁をみあげる。

 

「まさに狂気じゃな......これから1300年分の予言がここにあるとは......これを綴った先で死ぬとはよくわからん世界じゃわい」

 

境はH.A.N.T.で解析していく。そのひとつひとつが予知があたっているか調べていく上で、昔あったことの痕跡かどうかわかるのだ。ひたすら写しとっていく。

 

「扉がそろそろ開くはずじゃが......」

 

《長髄彦》の封印が解放まじかなのはわかっているのだ。なにせ《生徒会》関係者たちが墓を掘り返し始めているからだ。

 

「む?」

 

気配がした。境は振り返る。なにもいない。だが見られている気がしてならない。

 

「───────なんじゃこれはッ!?」

 

壁に、床に、そして天井に光が走る。瞬く間に書き換えられていく。

 

「あの《遺跡》と同じではないか、これでは......」

 

境はH.A.N.T.の解析をかけてみるが、なんらかの認識阻害の成分を検知したのか解析不能になってしまう。

 

「むむむ......誰じゃ......誰が......」

 

がっくりと境は肩を落とした。

 

その出入り口付近にて、影が落ちる。

 

「誰を探してるんだ?」

 

どこからともなく煙が吹き出している。それは時間が生まれる以前の超太古、異常な角度をもつ空間に住む不浄な存在だ。絶えず飢え、そして非常に執念深い。

 

四つ足で、獲物の「におい」を知覚すると、その獲物を捕らえるまで、時間や次元を超えて永久に追い続ける。獲物を追う様子から「猟犬」と呼ばれるが、犬とは全く異なる存在である。

 

入り口付近の目印たる石は鋭く尖がっている。彼らが我々の住むこの世界に出現するには、120度以下の鋭い角が必要なのだ。青黒い煙のようなものが噴出し、それが凝って実体を構成する。その実体化の直前、酷い刺激を伴った悪臭が発生するので襲来を察知することができるが、その時点で既に手遅れとなっている。

 

「残念だけど、まだ誰も見てないからセーフだよ。お帰り」

 

太く曲がりくねって鋭く伸びた注射針のような舌、原形質に似ているが酵素を持たない、青みがかった脳漿のようなものを全身からしたたらせる何かが唸りをあげている。

 

「聞き分けのない子は嫌いだよ。ジレルスの結界石に閉じ込めてあげようか?それともエノイクラの万物溶解液で殺してあげようか」

 

その声にそれは唸り声をあげたあと去って行った。



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果てしなき流れの果てに7

 

 

葉佩は《長髄彦》を倒すため、ここまで培ってきた技術の全てを使い、全力で挑んだ。そして、決着は着いたのである。

 

「うおォォォ───────ッ!!我が体が崩れていくッ......」

 

振動が《遺跡》全体をつつみ始めた。

 

「な、なんだこの揺れはッ!?」

 

「ようやくか......目的を失った《墓》が崩壊しようとしているのだ」

 

「そんな......それじゃあ、早く逃げないとみんな生き埋めになるじゃねえかッ!」

 

「......」

 

「《墓守》よ」

 

「......?」

 

「この《遺跡》がなくなったところで、お前の役割は終わりではない。お前はこの《遺跡》の《墓守》として全てを見届ける義務がある......我が義息たちを解放して始めてお前はようやく忌まわしき古代の呪縛から解放されるのだ。それまでこの呪われた歴史に終止符をうつことは許さん───────」

 

「......」

 

「全ては地中に消えるだろう。忌まわしき遺産も呪われし運命も。全てを奪い取ってきたこの《遺跡》が崩れれば、棺の中にいるもの達も解放される。そこに貴様が死ねば、《天御子》の思惑通り全てがなかったことになる。それだけは許さん......。お前が犯して来た罪への償いはお前ひとりの死をもってしても償いきれるほど浅いものでは無い。生きるべきだ。償えるはずもない罪の重さを背負いながら惨たらしく生きていけ。私の預かり知らぬところで、人間らしく、後悔に喰い尽くされ惨たらしく生きていけ」

 

「───────ッ」

 

「《長髄彦》様......」

 

「お前は......」

 

「《封印の巫女》さん」

 

「なにをしにきた。崩れる《墓》を見物にでも来たか?」

 

「いいえ、私は最後の使命を果たすために来ました。あとのことは双子に全てを託します。《長髄彦》様とこの《墓》で永遠の眠りにつくために......。黄泉の国までの道のりは、ひとりでは寂しいですから。お供致します」

 

「......ありがとう」

 

葉佩のもっていた勾玉が発光しはじめ、双子が出現した。

 

「巫女様......」

 

「お別れなんですね......」

 

「───────......」

 

《封印の巫女》は阿門に笑いかけた。

 

「私たちが眠りにつこうともあなたの役目は終わった訳ではありません。この學園には、これからあなたの《力》が必要になるでしょう。《墓守》ではなく《學園の守り人》としての《力》が」

 

「......」

 

「はるかなる螺旋の果てに育まれた文明のように、銀色の夜明けの向こう側に、あなたたちを照らしてあげましょう。そして歩き出してください。ほんとうに、ありがとうございました」

 

《遺跡》を眩いばかりの光の柱が覆い尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

ロゼッタ協会遺跡統括情報局への捜査報告

 

日本国東京都新宿区に所在する全寮制天香學園高等学校の地下に眠る遺跡に関する報告。

 

我、IDNo.999、KWLOONの代役として、件の遺跡に眠る《秘宝》を入手せり。至急、本部への移送を頼む。なおKWLOONは新たなる《遺跡》の未踏区画を発見したため引き続き調査を行う。以上

 

《ロゼッタ協会》ハンター所属

IDNO.0985

コードネーム 紅海

時諏佐 慎也

 

「診察もまだだというのに捜査報告とは、ずいぶんと余裕だな、翔?」

 

「───────ッ!!」

 

脳天に痛みが炸裂する。たまらず私は悶絶する。それが瑞麗先生によるカルテの角での攻撃だと知ったのは、笑っている夕薙に教えてもらってからだった。

 

「病人は素直に寝たほうがいいぞ、翔。寝ながらH.A.N.T.は感心しないな」

 

H.A.N.T.を取り上げられて、ぱたんとしめられてしまった。

 

「なるほど、君が言ってたハンターネームはどうやら正しいらしいな」

 

「うん、そうだね......さすがに私もあのタイミングで嘘はつかないかなァ......」

 

「いや、慎也とは別のハンターネームの可能性もあるだろう?」

 

「《ロゼッタ協会》はIDのナンバーとコードネームはひとつだよ。H.A.N.T.で全部管理してるから」

 

「なるほど......」

 

「そんなに喋ることができるなら大丈夫そうだな、といいたいところだがそうはいかないからな、翔」

 

また瑞麗先生にカルテで頭を叩かれてしまう。つむじを執拗に攻撃するのはやめてほしい。

 

「夕薙、H.A.N.T.をもってるついでに翔のメディカルチェックをかけてみてくれ」

 

「操作方法わかる?」

 

「俺は説明書はきちんと読む方でね、九龍じゃないから安心してくれ」

 

「ならいいよ」

 

解析にかけられてしまった私はためいきだ。五十鈴が改竄してくれていたとはいえ、リアルタイムで私のメディカルチェックがかけられたら、それを改竄することは難しいだろう。ただでさえ今の《ロゼッタ協会》はネットワークが壊滅的な被害をうけて復旧に全力を注いでいる状態だった。そしてH.A.N.T.の情報はそのまま《ロゼッタ協会》本部情報統括部に送られるのだ。いよいよ私という異物が混入しているせいで表記される精神異常、今の私の精神異常が並列されることになる。普通に考えて二度と檻から出て来れないレベルの重症に違いない。

 

「これは......」

 

「だろう?まあ、精神交換という特殊な状況を鑑みれば、実際考慮すべきなのは後ろのふたつくらいだがね。強迫観念に幻覚、幻聴とくれば日常生活すら支障をきたすレベルじゃないか......なにか見たな?」

 

「母さんが助けてくれました。南極の地に江見翔を置いていくわけにはいかないから私は行くって。《タカミムスビ》もろとも邪神に呑まれたから、一体化した今、もう一緒にはいられないって。生きてって......」

 

どうも《遺跡》から脱出してから私の情緒はぶっ壊れてしまったようで、少しの感情の揺れ動きすら反応して涙ぐんでしまう。泣き始めた私を見てH.A.N.T.を返してきた夕薙は頭を撫でてきた。

 

「それはブローチが砕けた時か?なら今の君は思念体の魅了状態からようやく解放されたというわけだ。その残滓が君の中にあるんだろう、未練という形でな。今の君は思念体の感情と自分の感情の境界が極めてあいまいになっているんだ、無理もないさ。何度も死にかけて体と精神が融合しかれない中途半端な状態なんだからな」

 

「なるほど......彼女が精神力を肩代わりしたわけだな。だから今の君がある。常人ならば間違いなく廃人になるレベルのことを君は成し遂げたというわけだ。君が《アマツミカボシ》の転生体かつ《如来眼》の宿星をもつ人間の体にいるから出来たようなものだ......。それを元墓守とはいえ、一般人の女性が儀式を構築したとは......頭が下がるよ」

 

「あの時見たのが幻覚なのか、本当にみたのかはわからないが、今の君が見ているのは間違いなく幻覚だよ、翔。大人しくしないか」

 

医学の心得がある夕薙と精神科のエキスパートたる瑞麗先生にタッグを組まれてしまうと私は本気でどうしようもなくなってしまうのだ。

 

「ふむ......ここまで悪化されてしまうとこれ以上の治療は保健室では難しいな」

 

「やはりそうですか。《ロゼッタ協会》から再三撤退して病院にいくよう言われてるのにガン無視したツケがきたな?」

 

「ふむ......だろうね。《ロゼッタ協会》の医療班も大変だ。イスもまさか君がここまでやるとは思っていなかったらしい」

 

「待って待って待って、まだ《訓練所》が......」

 

「まだいうか」

 

「いたあ!」

 

「見ての通りの重傷だ。だから江見睡院の乗る予定の救急車に家族ということで同伴させてそのまま精神病棟にぶち込んでもらうか?おそらくウチのフロント病院は、1700年分の一般生徒や教職員、あとウチの所属の死者蘇生した患者でパンクすると思うのでね。どう思う?」

瑞麗先生の視線が奥に投げられる。

 

「《エムツー機関》の病院がダメだとなると厳しいな。なにせ《ロゼッタ協会》所属のハンターの方もなかなかの数になりそうだ。優先順位はやはり肉体も精神も瀕死の人間からになる。いくら精神が瀕死状態でも一般の病院で治療可能だと診断が下された以上、入院措置は厳しいんじゃないか?」

 

ジェイドは無慈悲に切り捨ててくる。

 

「だが、翔の状態で一般の精神病院は......」

 

「それだけはやめてください、二度と出られなくなる」

 

「それは《ロゼッタ協会》も困るだろうからな......やむを得ないか。本当は家出を手引きした手前、行方不明扱いの慎也の知り合いがいるからあまり頼りたくはなかったんだが......。よさそうな病院に心当たりがある。翔、《ロゼッタ協会》に聞いてみてくれ」

 

「え~っと......めっちゃ嫌な予感がするんですけど、どこですか?」

 

「慎也の体が拒否反応しているんだな......体の記憶がトラウマで震えているところ悪いが、もしかしなくても新宿中央病院だ」

 

「やっぱり~ッ!?」

 

たまらず私は絶叫した。

 

「ああ、あそこか。弟からは聞いているよ。まあ、翔の性的自認は女性だから大丈夫じゃないか?」

 

「そのかわり、ぞんざいに扱われるのが目に見えているが......まあ、我慢してくれ」

 

「大丈夫なのか......?」

 

「そこの院長は表向きは産婦人科医だが、現代医学では説明不可能な怪我や病気も治療する心霊治療のエキスパートで有名なのさ。当時はかなりの美少女だったが、その容姿と引き換えに驚異的な治癒力を得るためにあえて肥満体となったという噂だ。若くていい男が大好きで、大の女性嫌いで有名なんだ」

 

「......控えめにいって悪夢だな」

 

「ジェイドさん、ついてきてくださいよ......慎也君の知り合いと会ったらどうしたらいいんですか......?」

 

「一応《ロゼッタ協会》から話を通しておけば面会謝絶にはしてくれるはずだ。看護師を除けば。仕方ないだろう?他にいい病院が浮かばない」

 

「そんなあ......」

 

がっくり肩を落とした私はしぶしぶH.A.N.T.にメールをうった。

 

「まさか、そのまま二度と会えないてことはないだろうな?七瀬たちが悲しむと思うんだが......」

 

「あそこに行けば即死以外ならすぐに完治させてくれるから大丈夫だ。僕の知り合いも呪詛のこもったナイフで刺されて普通なら死ぬところを3日で治してもらったからな」

 

「心配しなくても大丈夫だよ、大和。《ロゼッタ協会》も知ってるみたいで二つ返事でOKでたよ......搬送ついでに保険証とか渡しにいくから大人しく寝てろって。退院したら卒業までいろってさ」

 

「そうか、それはよかった。いきなりいなくなったら、みんな悲しむからな」



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果てしなき流れの果てに8

「慎也クン、み~つけたッ」

 

担当者が彼女だと判明した時点で終わったなと思った。

 

「中学校の卒業式からいなくなっちゃうから、すっご~く、探したんだからねッ!」

 

いきなり手を握られたからだ。

 

「わたし、すっごく、すっご~く、心配したんだから~ッ!わたしだけじゃないよ?みんな!みーんな、心配してたんだから~ッ!なにがあったの~???」

 

天真爛漫な霊媒師はじいっと私を見つめる。

 

「え~っと......慎也クン......だよね??」

 

「たしかにこの体は時諏佐慎也クンの体なんだけど、違うんだ。はじめまして。私は天野愛。宇宙人に精神交換されちゃって、宇宙人の星に旅行にいってる慎也クンが帰ってくるまで預かってるんだ」

 

高見沢舞子(たかみざわまいこ)はエロゲみたいなナイスバディをしたピンク色のナース服をきた看護師である。

 

会話内容は子どもっぽく、一人称は「舞子」で、年上であっても男子を「クン」、女子を「ちゃん」づけで呼ぶ。天真爛漫な言動の裏に深い思いやりの心を持つ看護師だ。霊と会話する《仁星》という宿星をもつ。

 

「えええ~ッ!?それ、ほんとなんですか、センセ~ッ!」

 

「騒ぐんじゃないよ、高見沢。なんのために面会謝絶の個室にしたと思っているんだい。事実だからに決まってるじゃないか。そうじゃなかったら、誰が女の治療なんてするかい」

 

医院長は安定の投げやり具合である。

 

「愛ちゃんていうの~?こちらこそはじめまして~!わたし、高見沢舞子っていうの~ッ!舞子ってよんでね~」

 

「うん、よろしく」

 

「愛ちゃんの体はどうなってるの~?大変じゃない~?」

 

「それは大丈夫。悪い宇宙人に誘拐されかけたところを良い宇宙人に助けてもらったから。良い宇宙人が私の体を保護してくれてるんだ」

 

「そうなんだ!」

 

「ただ、悪い宇宙人がまだ私や慎也君のことを探してるらしくてね......こうやって精神を入れ替えて隠れてるんだ。慎也君が戦えるのは知ってるでしょ?」

 

「うん、知ってるよ~。如月クンがお師匠様なんだよね~」

 

「だから、私は慎也クンの体を借りてるんだ」

 

「そうなんだあ~」

 

高見沢はニコニコ笑う。そしていきなり私を抱きしめてきた。

 

「女の子なのに大変だね、愛ちゃん。がんばって......すっごくがんばったんだね......えらいえらい」

 

「あ、ありがとう......」

 

「だってえ、愛ちゃん、今にも消えそうなんだもんッ!こっちがすっごく心配になっちゃうくらい!すっごく怖い目にあったんだね?すっごく悪いやつと戦ったんだね??よくがんばったね~ッ!」

 

まるで小さい子供扱いしてくるが、ほんとにそうなので私はされるがままだ。今の私には高見沢はほんとうに癒される。

 

「高見沢、誰にもいうんじゃないよ。いいね」

 

「え~」

 

「えーじゃない。今、慎也は《ロゼッタ協会》所属の《宝探し屋》なのさ。日本政府がスポンサーをしているギルド敵に回したらうちの仕事がやりにくくなっちまうだろ。看護師資格取り消されたくなかったら余計なことするんじゃないよ、いいね」

 

「はあ~いッ」

 

《ロゼッタ協会》ってなんだろう、と至極真っ当な疑問符が乱舞している高見沢に医院長はためいきだ。

 

「まあ、イスの偉大なる種族による精神交換ならいいさ。世界を越えようが時代を越えようが、ティンダロスの猟犬に追っかけられる心配はないからね。毎回毎回いつぞやみたいに面倒事持ち込まれたらたまったもんじゃない」

 

「あはは......」

 

「二度と世話にならないようにすることだ。高見沢は口が軽いからね、6年間家出したままの少年の行方がわかったらなにがなんでも連絡をとろうとするやつらばかりだ」

 

「いい友達ばかりなんでしょうね......だからこそ困るんだけど」

 

「だからこそ慎也は相談できなかったってのもある。男の子ってのはほっといた方が大きくなる場合もあるのさ。わかったね、高見沢」

 

「はあ~い」

 

「どこまでわかってんだか......」

 

医院長は超肥満体を揺らしながら笑った。

 

「《ロゼッタ協会》からアンタのカルテを取り寄せたが、よくぞまあここまで無茶できたもんだね。廃人にならなかったのが奇跡みたいなもんだ。親の顔が見てみたいと思ったのは生まれて初めてだよ」

 

医院長はそういいながら私の近くにある椅子にすわった。おしりで見えなくなってしまう。壊れて倒れてしまわないかこっちが心配になってしまいそうだ。

 

「何者かが精神力を肩代わりしたそうだが、そのおかげで精神障害自体はウチで治療したら1ヶ月もあれば退院でいるだろうさ」

 

「えっ、1ヶ月!?」

 

「アンタは運がいい。まだその精神障害には介入や治療の余地がある。ウチは実験的・先進的な治療を施す施設だ。どの時代においても、他人が心のこもった効果的な手当てをしてくれるのが一番の治療さ。ただし、うちの治療は一般的な治療とは根本的に違うからね。覚悟するんだよ」

 

怪しげに医院長が笑うものだから、私は冷や汗が流れた。

 

医院長はいうのだ。

 

この世のものではない異常な恐怖の知識や存在と出会い、その恐ろしい意味を知るようになる。そのような経験は、正常な世界の中で待っていた信念を揺さぶり、打ち砕いてしまう。 強烈な経験をすると、情緒に傷を残す。

 

時空について不変の法則だと思っているものは、 実は局所的にしか通用しないものであり、部分的にしか真実ではない。人知の理解の及ばないところに、より大きな現実に支配されている無限の世界があるのだ。

 

そこには小さなものであれ巨大なものであれ異界の勢力や種族が存在している。 明らかに敵意を持っているものもあり、この世界に侵入してきているものもある。 真の宇宙は不合理な出来事、不浄な怒り、終わることのないあがき、冷酷な無秩序の宇宙である。

 

私はすべてのものの中心にある、 暗く血塗られた真実を垣間見た。圧倒的な宇宙ヴィジョンを目撃した。

 

「真の宇宙の知識を得たね。この上ないくらい危険なものなのは承知してるだろうが、そういう知識による自己変容の危険性は、どんな精神療法や休息を持っても取り除くことができないのさ。アンタが得た魔術は真の宇宙での物理学なのだから。魂の真髄まで染まってしまったのさ。呪文をかけるたび想像を絶するものを可視化させ、 その精神はこの世ならぬ思考過程をたどっただろう。それは精神を傷つける。心的外傷を進んで引き受けたのだろうが、 二度とまともには戻れないことは承知しておくことだよ」

 

私はうなずいた。

 

「ありもしないもしもに魘されてもかい?」

 

深く深くうなずいた。

 

「私はただ、ただ、走り抜けることに一生懸命でした。後悔はあとからにしようと決めていたので、これからは自分を甘やかそうと思います」

 

「もうちょっと早くしてやった方がよかったね」

 

「あはは......」

 

私はいうのだ。

 

種をまき、芽を出し、実がなる。きっかけがあって、結果を呼ぶ。どんなささいなことも何かを誘い、何かが起こる。ただ私の中にはそのサイクルとは全然違うものが芽生えてしまったのだとわかったのだ。もう、戻れないところまで来てしまったのだ、いつのまにか。 私は私ね辿るべき道を辿るしかない。今の私にとってのこのひと時のエピローグはごくささやかなものでしかないのだ。

 

「そこまで言い切るなら、私はもうなにも言わないよ。なんだってそこまで達観できるのかはわからんが......まあ、もう少し力を抜いて生きられるよう治療に専念するんだね」

 

「ありがとうございます」

 

私が笑ったとき、傍らにおいてあるH.A.N.T.が発光した。

 

「メールを受信しました」

 

「こんな時間に誰~?愛ちゃんのダーリン?」

 

「あはは、違うよ」

 

H.A.N.T.をひらくとメールが一通来ていた。タイトルは現状報告。本文はなく画像がある。みんなが総出で墓を掘り返しているところがうつっていた。



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訓練所編
予言者たち


予言者たち

 

2004年12月27日

 

世間は冬休みとなっているが葉佩には関係ないイベントである。《訓練所》にいってみたはいいが、化人を倒すターン数や条件が設定されているためなかなか攻略できずにいた。江見が離脱したせいで《如来眼》の恩恵を受けられず、敵勢力のステータスや配置、空間を自力で取得しなければならなくなったのが大きかった。さすがに1ヶ月もまってはいられないので、日中は図書室で調べもの、夜は探索の日々である。

 

今は《長髄彦》に兄者と慕われていた《アビヒコ》について調べていた。

 

鎌倉~室町期成立の『曽我物語』に蝦夷の祖を流罪にされた鬼王安日とする伝承が記載されていた。長髄彦の兄とされ、彼と共に津軽地方に流されたとある。

 

長髄彦一人が大和で死なずに東北に落ち延びたという伝承は塩釜神社にもある。この塩釜神社の伝承も含めて、長髄彦(またはその兄、または兄弟2人)が津軽に逃げてきたという伝承が残っている。

 

新羅の王族であるという説もあるようだ。彼らは十三湊に漂着した中国人の子孫の白蘭、秀蘭を娶っているから、外国人の血が入っていることは間違いない。

 

「奥州ってどこだよ~」

 

また知らない単語が出てきたと嘆く。だから葉佩個人だとなかなか前には進まないのだ。日本という国に関する教養がない葉佩はだいたいこういう場面でつまずく。ブレーンたる七瀬をはじめとした頼りになる仲間たちは一般生徒にとっても似たような存在だ。だいたい部活やサークルの代表を務めているために、卒業文集やオープンキャンパスに向けた冊子作りに駆り出されていないのである。

 

書物に埋もれながら没頭していると、チャイムが鳴った。どうやら昼休み時間のようだ。大きく伸びをしながら時計を見た葉佩を遮る影がある。

 

「奥州ってあれか、奥州藤原氏」

 

「補習お疲れ、甲ちゃん」

 

葉佩は笑った。力なく出した手にハイタッチがやってくる。葉佩が探索に夜しか繰り出せないのはだいたい皆守のせいだった。雛川を通して補習を先送りしていた皆守は、冬休みを返上して単位をとるための救済措置に必死で取り組んでいるのだ。今はこうして気分転換に来たのだろう。図書室の主たる七瀬がいない今、誰もここでご飯を食べようが怒る人間は誰もいやしないのだ。

 

カレーパンと缶コーヒーをもらった葉佩は本を皆守に渡す。

 

「なにそれ」

 

「俺でも知ってる昔の豪族だ」

 

「へー」

 

葉佩が手にしているのは、奥州藤原氏に関する書籍だ。

 

「《アビヒコ》の子孫だったのか」

 

「ネットや《ロゼッタ協会》のくれた情報はかなり錯綜してるけど、この學園に所蔵されてる本はだいたいそう書いてあるよ。すんごい偏ってる」

 

今、葉佩がもっている平泉雑記によれば、神武天皇に殺された畿内の王長脛彦の兄、安日彦をその始祖とし、安日彦の津軽亡命をもって阿部氏という一族が誕生している。

 

中大兄皇子・中臣鎌足が蘇我蝦夷・蘇我入鹿をクーデターで倒し中央集権体制が確立した大化の改新以降、大和朝廷は積極的に領土拡張政策を開始した時、阿部一族は中央政府の重要な位置しめていたらしい。

 

やがて政争に敗れ、一族はちりじりになり。没落寸前になった。当主の娘は離縁して東北の統治者となった新しい当主の妻となり、息子も養子となった。その統治者も政争に敗れて、養子が後を継ぎ、奥州藤原氏として再興したようだ。

 

「現代まで血筋が残ってるのか......すごいな」

 

「それでも1700年間この地には足を踏み入れられなかったんだなあ.....」

 

「翔ちゃんの話じゃ《天御子》は未だに《遺跡》に現れることもあるんだろ?うかつに近づけないんじゃないか?」

 

「そっか、そうだよな~......。それにしてもだよ、甲ちゃん。すごくない?鉱山やら大陸との繋がりで東北の権力者に取り入って、大和朝廷に財力で殴りつけて黙らせてたっぽいね。《アビヒコ》の子孫はやられっぱなしじゃなかったんだ。阿部って苗字は阿部比羅夫ってやつからもらったみたいだし」

 

「どっかで聞いた名前だな......」

 

「あー、これこれ。古代水軍の将だって。大化の改新後の朝廷の北方進出や蝦夷平定に大きな役割を果したってあるよ」

 

「そいつに苗字をもらう......相当うまく入り込んだんだな。蝦夷なのに蝦夷を討伐する側に回るんだろ?」

 

「よくある話だよ」

 

「そうか?」

 

「ウン。あーもう、やっぱ息子たちの記述は見つけらんないなァ......あの化人の弱点になりそうなヒントがあればと思ったんだけど。俺、SASUKEしに、ここにきたわけじゃないんだけどなァ」

 

ぐったりとした様子で葉佩はぼやく。

 

「思ったより騒ぎにならないし、ほんとここの人ら長いものに巻かれるの好きすぎ」

 

「..................なにを今更。おかげで《訓練所》を探索できてるんだろうが」

 

「なんだよ、その不自然な沈黙は~?まあそうだけどさ~、ここまで来ると怖くなるよ」

 

葉佩が笑っていると、H.A.N.T.がメールを受信した。

 

「あ、きたきた」

 

「誰からだ?」

 

「翔ちゃんだよ。黒塚がいけた範囲に写メで見せてもらった区画が見当たらないから、なんかないかって」

 

「さすがに写メごしじゃわからないだろ」

 

「そうでもないみたいだよ?」

 

「なんだ、今度は透視までできるようになったのか?」

 

「違う違う、一応ってことで翔チャン運んでった救急車の人がサンプルもってったみたい」

 

「しれっとなんつーことしてるんだ」

 

「それこそ今更だろ~?その人が《九龍の秘宝》受け取りに来た《ロゼッタ協会》の回収班でもあるんだからさ。ついでに翔チャンのいう宇宙人だよ」

 

「あれは何重にもついてた嘘だっただけだろ?紛らわしいことしやがって」

 

「違うよ、その人が翔チャンを精神交換した宇宙人。精神交換が常套手段なんだから、宇宙人の姿のまま日常生活にとけこめるわけないだろ?なにいってんの?」

 

「..................つまり、あの日たくさんいた救急車に宇宙人が紛れ込んでたのか?かなりの数が?」

 

「さあ、どうだろ?《ロゼッタ協会》とは協定むすんでるみたいだから、どれだけ精神交換してるかなんて知らないって」

 

「..................」

 

「ちょっと就職先考え直そっかな~って顔すんのやめろよ、甲ちゃん。地味に傷つくんですけど~?」

 

「..............................」

 

「甲ちゃ~ん?」

 

「......で、翔チャンはなんだって?」

 

「あっ、考えるの先送りにしやがったこいつ」

 

「いいからなんだって?」

 

「えーっと、認識阻害の呪文だってさ。さすがは《タカミムスビ》をつくった連中だけはあるよな~、どうやってそんな大規模な精神力調達してんだか」

 

葉佩がアップデートされたH.A.N.T.を皆守に見せる。

 

「よ~し、これで壁が解析できるなッ!ん、んんん?」

 

「どうした、九ちゃん」

 

「今日ポストに天香新聞にH.A.N.T.が反応し......んんん!?なんだこれ!」

 

葉佩はそこに見慣れない紋章が彫り込まれていることに気がついた。

 

「盲点だったな~、さすがにこんな紙切れに魔術かけられてたらわかんないよ」

 

葉佩は新聞を片手にたちあがる。

 

「どこいくんだ、九ちゃん」

 

「どこって新聞部だよ、新聞部。もとはといえば、《9番目の転校生》は九の字がつくのかって怪談について教えてくれたの皇七だし。この新聞くれたのも皇七だし。あーやられた、最初から認識阻害の呪文かけられてたんだ俺ッ!これは、ダウトだな~ッ!」

 

そしてにひっと笑うのだ。

 

「さっきから様子がおかしい甲ちゃんからさっするに《生徒会》関係者だろ、皇七もッ!この期に及んでなに隠してんだよ甲ちゃん。ちゃっちゃと吐こうか」



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予言者たち2

「ほんとに役員みんな集めてきたんだ~?本気だな、阿門」

 

「ああ」

 

「了解、了解。そこまで言うなら俺はなにもいわないよ。で、俺は何すりゃいいのさ?」

 

「新聞部部長に任命する」

 

「あーはいはい、そういうことね。《生徒会》に情報提供する立場の人間として3年間よろしくね、みなさん。といっても俺は役職もらえなかったし~、主に新聞部として会うことになると思うから最初で最後かもしれないけどね」

 

握手を求められ、皆守は拒否した。

 

「うーん、参ったな。君が実働なんだろ?俺の情報1番使うの君だからね?」

 

そういわれてしぶしぶ握手した。それが出会いだった。

 

「阿門様とどういう繋がりなの?親しそうだけれど......」

 

「ああ、幼馴染ってやつだね。皇七一族は阿門一族に代々《力》をもらう代わりに手足となる契約をしてるんだ」

 

「!」

 

「あ、余計な気を回さなくていいからな、俺女の子が好きなんだ」

 

「それはそれは......」

 

「......どうかしらね」

 

「ほんとだよ。だから皇七家は俺の代で終わりなんだ」

 

ニコニコ笑いながら言い放ったのが最初だった。

 

「それからずっと《生徒会》の監視体制は皇七が管理してるはずだ。具体的にどうやってるのかは知らなかった」

 

「ほんとに?」

 

「あァ」

 

「まあ、さっきの反応みるに甲ちゃんが知らなかったのは事実みたいだからいいけどね。でもさァ、阿門は《訓練所》のこと知らなかったわけだろ?皇七ってほんとはどんな家なんだろ~な~」

 

「さあな......」

 

「ま、聞いてみるのが1番早いか。よーし、とうちゃ......」

 

「待て、九ちゃん」

 

「ん?どったの甲ちゃん」

 

「どうやら先客がいるらしいぜ」

 

葉佩は皆守と物陰に隠れることにした。

 

「八坂さん、八坂さん。あの時、なにしてたの?」

 

「よくぞ聞いてくれました!実はさ~、血相変えた《生徒会》のみなさんが、必死でスコップもって掘り返してたからスクープの匂いがしたんだよ。だから気合い入っちゃって。だって地震のあとに謎の光の柱だぜ?宇宙人でも出たのかってテンションあがってたときにこれだからさ」

 

テーブルの上にはたくさんの写真がある。

 

「ま、《生徒会》の許可がないと発行できないけどな~」

 

「なにをしている」

 

「お、噂をすれば阿門じゃーん。なーなーこないだの墓を掘り返してたやつ、記事にしていい?」

 

「却下だ」

 

「まじかあ......仕方ねーなあ」

 

がっくり肩を落とした皇七はしぶしぶ写真を片付ける。

 

「あれ、その箱なあに?」

 

「ああこれか?《生徒会》ファンクラブ用のストックだよ、ネタには事欠かないからな。これでもトップだから」

 

「えっ、八坂さんって《生徒会》ファンクラブの会長だったの!?」

 

「非公式だけどな~。こういうのは要領よくやらなきゃ損だろ?なにごともさ」

 

ふっふっふ、と笑う皇七に八千穂は意外だとばかりに目を丸くした。

 

「皇七、次の記事について話がある」

 

「あ、あたしお邪魔みたいだね。じゃあそろそろいくね!」

 

「またなー」

 

「うん!ばいばい!」

 

去っていった八千穂を見送って、皇七は阿門を見上げた。

 

「で、話ってなに?」

 

「先程送ったメールの件だ。《生徒会》は今後《遺跡》付近の立ち入りを全面的に禁止する」

 

「原因はどうすんの?崩落?地盤沈下?」

 

「調査中だがだいたいその辺で落ち着くだろう」

 

「あの光はどう説明すんのさ。かなり目撃者いるんですけどー?」

 

「太陽柱(たいようちゅう)だ」

 

「朝焼けなのに?」

 

「ああ」

 

「まーた無茶苦茶なことを簡単にいってくれちゃってもー、記事書く身にもなってくれよなー」

 

「それができるのがお前の《力》だろう」

 

「まあね。ペンは剣より強し、だ。えーっと太陽柱ね」

 

皇七はポケットのメモを取り出すとかきはじめた。

 

「大気光学現象の一種で、日出または日没時に地平線に対して垂直方向へ、太陽から炎のような形の光芒が見られる現象を言う。ダイアモンドダストと同じ原理だ」

 

「えーっとちょっと待てよ......あ、ほんとだ。すごい、それっぽいじゃん。よくもまあ見つけてこれたな」

 

「葉佩からの提案だ」

 

「ほうほう!ほんといいこだよね、葉佩。感心するよ」

 

「で、なんのつもりだ」

 

「なにが?」

 

「俺は待機しろといったはずだ。なぜ勝手に森に向かった」

 

「うっわ、聞いてたのかよお前」

 

「迂闊にも程があるぞ」

 

「仕方ないだろ、境のじいさんが本性表しやがったんだからさ」

 

「なんだと?」

 

「あのおっさんも《ロゼッタ協会》の《宝探し屋》だったぜ」

 

「!」

 

「ほらよかった。たぶん、あの爺さんが探してたのが阿門が知らなかった《遺跡》の入口なんじゃねーかな。ほら見る?」

 

阿門は苦い顔をした。

 

「俺が阿門の不利になるようなことするわけないだろ、ちったー落ち着け」

 

皇七は朝焼けの中、墓石に隠してある入口に入っていく境をうつした写真をみせた。ためいきをついたあと、阿門は口を開いた。

 

「《親衛隊》の件だが......」

 

「おー、もしかしなくてもそれが本命か?」

 

「《生徒会》や執行委員の顔がわれている今、學園の平穏を取り戻すためにもお前の《力》が必要になる。引き続き頼む」

 

「了解。まあ、仕方ないとはいえ外部機関の出入りが激しくなっちまったもんな、おつかれさん」

 

「皇七」

 

「なに?」

 

「この中に入ったか?」

 

「いんや?」

 

「用務員以外に入ったやつは?」

 

「あー......《石研》の石田が見つけたみたいだな。ほら」

 

初めから準備してあったとおりに写真を渡してくる皇七に阿門は視線をおとした。

 

「それも《予知》か?」

 

「まあね。最近、電波の受信がすこぶる悪くてさ、ポンコツにも程があるんだけどやっと繋がったと思ったらこれだよ。勘弁して欲しいよな。《予知》出来なくなったらまた周りがうるさくなるってのに」

 

皇七は肩をすくめた。

 

「それほんとかよ、皇七」

 

「おっと......」

 

「葉佩に皆守か......」

 

「なんか魔術に傾倒してるみたいだけどさ、《訓練所》全体に認識阻害の魔術かけといてそれはどうなんだよ」

 

「───────!」

 

「うあ......よりによってこのタイミングで来るか......」

 

「おい、皇七」

 

「皇七、それはどういう意味だ」

 

「どうもこうも......こっちの台詞だよ、葉佩。なんで《宝探し屋》ってやつはやぶ蛇したがるんだろうな?こっちがどんだけ苦労して守ってると思ってんだ。江見の言葉を借りるなら、未来を見るって行為は万物の法則に反するんだよ。それをしたが最後永遠に宇宙人におっかけられることになる。俺の一族は代々そうやって守ってきたんだ」

 

「あれ、その様子だと《訓練所》開けたのは皇七じゃないのか?」

 

「そんなわけないだろ?誰が開けるんだ」

 

「でも《長髄彦》に頼まれちゃってるしなあ」

 

「それは百歩譲って許すよ。でもずっとは待たないし、それ以上は許さない。イスの技術があるなら考えたが江見が離脱したから交渉する気は無い。俺は誰も殺したくはない」

 

「話が見えないんだが......」

 

「皇七があの《訓練所》の管理者の末裔ってことでいいんだな?」

 

「まァ、そういうことだね。天竺の果てからこの地に追放された神官の末裔だ」

 

「!?」

 

「俺だって知ったのは3年前だよ、皇七の当主になってからだ。盟約の関係とはいえお家騒動に巻き込むわけにはいかなかったんだよ」

 

「..................」

 

「お家騒動って?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《悪魔憑き》という言葉が日本で一躍巷間に知れ渡るようになったのは、1973年に制作された映画『エクソシスト』がきっかけである。世界中にセンセーションを巻き起こし、空前の大ヒットとなったこの映画によって、多くの日本人は初めて「悪魔憑き」という現象と、それに対処する「祓魔師=エクソシスト」という存在に触れた。

 

 

『エクソシスト』は実際に起った事件をモデルにしていると噂されたものだが、もちろん娯楽の殿堂ハリウッド製のホラー映画であるから、その内容にはおどろおどろしい誇張や派手な演出がふんだんに取り入れられていた。つまり、あの映画で描かれるエクソシストと悪魔との闘いは、必ずしも現実に即したものではなかった。

 

 

少なくても皇七八坂(すめらぎやさか)にはそうではなかった。

 

 

一般的に悪魔憑きとは憑依の一種で、心身を悪魔に乗っとられたかのごとく周囲に害悪を及ぼす行動、またはそのような行動をとる人のこと。

 

 

悪魔憑きの者は、凶暴に振る舞い、邪魔な人を滅ぼしたり呪い、本来その人が決してしないような行動を取ったり、周囲の人にも同様の行動を取るよう仕向けたりし、その結果周囲の人々との良好な関係が破綻したりその人の魂が破滅に陥る(自殺など)といわれる。また、悪魔憑きの周囲では、自然・動物も異変を来たすともされる。

 

 

悪魔憑きと誤解される原因として、パニックのような極度の興奮、トランス状態、睡眠時遊行(いわゆる夢遊病)といった心理状態・現象に起因するもの、てんかんの発作のように身体的疾患に起因するもの、統合失調症、妄想性障害、解離性障害、双極性障害、虚偽性障害、ミュンヒハウゼン症候群など精神疾患に起因するもの、アルコール依存症や幻覚剤など薬物の影響によるもの、単に意図的な演技によるものなど様々なものが考えられる。

 

 

科学的見地からみた悪魔憑きへの対応としては、科学的には悪魔憑きの原因として、一時的な興奮状態のように時を経れば収まるものから、適切な医療処置が必要な深刻なものまで様々なケースが考えられる。

 

 

皇七家にとってはいずれでもなかった。皇七家はかならず女が生まれる。男は生まれない。そして長女は代々16歳になるとかならず気が触れてはるか未来から来たと主張する女の精神に乗っ取られてしまうのだ。本来の精神は食い潰され消滅してしまう。そして、皇七家はその女の知識により代々繁栄してきた。バブルも失われた10年も乗り越え、これからくる情報化社会に向けて動き出している。

 

「......お前は男だろう」

 

天香学園初代校長が勲章を授与された式典のあと、阿門邸で開かれたパーティにて阿門帝都はそういった。

 

「そうだよ、本家に男は必要ないから俺はスペアにもなれない。これから生まれてくる《悪魔憑き》になる運命の妹になにもしてやれない。俺は生まれてすぐ分家に里子に出されたからな」

 

《悪魔憑き》って知ってるか、と声をかけてきたのは、主賓たる初代校長がつれてきた孫だった。いずれ阿門家のために《力》になるからと顔合わせにきたのだ。使用人かと思っていたらまさかの同い年の少年だったから驚いたのだ。《力》になるの意味をまだ阿門は知らない。

 

「あんたの《力》でなんとか出来ないか?」

 

子供同士の交流目的のため、端の方で内緒話をしても執事はニコニコとしているくらいで誰も気にはとめない。

 

「《力》......?」

 

阿門がこの邸宅に来るのは久しぶりだった。未熟児として生まれた阿門は体が弱くいつもは天香学園の敷地外にある邸宅に母親と執事と住んでおり、今回の晩餐会のため久しぶりに父親と顔を会わせたのだ。そのためまだ阿門家の秘密について次期党首でありながら阿門はまだ知らなかった。

 

阿門の様子を見た皇七は肩を落とした。

 

「ごめん、まだ知らないみたいだな。《力》について教えてもらったら、思い出してくれ」

 

残念そうにいわれてしまい、阿門は問い返した。

 

「なぜお前が阿門家の秘密を知っているんだ?女しか受け継がない力なんだろう?《悪魔憑き》は」

 

にやっと皇七は笑った。

 

「よかった、阿門家の次期当主様はちゃんとおツムが回るらしい」

 

「なぜ試すような真似をした」

 

「当たり前だろ、俺はいずれアンタの傀儡になるんだ。それとひきかえに忌み子として抹殺されるところを保護されるとはいえさ、馬鹿だったら嫌じゃないか」

 

「傀儡......?」

 

「いずれわかるさ、いずれな」

 

「さっきの相談は嘘なのか」

 

「それは嘘じゃないよ。俺が一子相伝の《悪魔憑き》なのが認められないで追放した本家に取り残される運命の妹が可哀想なのは事実だ」

 

「お前はどうしたいんだ」

 

「俺が皇七家の当主になりたい。そりゃそうだろ、誰が好きで16になったらお前は死ぬっていわれながら、可哀想だからって蝶よ花よと育てられたいと思うんだよ。妹は16になってもまともなままなんだぜ、悲惨すぎる。それまでにはなんとかしたいんだ」

 

「まさか、それも見えているのか?16で《悪魔憑き》になるのに、もう才能に目覚めてるのは何故だ?」

 

「知らねーよ、そんなこと。男が《悪魔憑き》になるなんて前代未聞らしいからな、早熟すぎて覚醒しかかってんじゃねえの?そのうち俺の体から皇七八坂は死ぬんだ。なら残された妹のためになんとかしてやる方が優秀な兄ってやつじゃないか」

 

「..................俺になにを望んでる」

 

「俺を肉体的に女にして欲しいんだ。そしたら全部丸く収まる。《悪魔憑き》のせいで体がかわったことにすればいける。あとはこの計画に関する記憶をアンタに差し出せば完了だ」

 

「......そんなことが、できるのか?」

 

「できるさ、アンタは阿門帝等なんだから」

 

皇七の計画がいかに自己犠牲に支えられているかを阿門が思い知るのは、のちに父親から《墓守》という重大な使命を引き継ぐことになる数年後のことである。

 

「皇七......思い出したのか」

 

「《墓》の呪いが解けたから俺も解放されたんだよ」

 

「......そうか」



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預言者たち3

今から學園の教職員や生徒にまた暗示をかけなければならないから出て行ってくれ、とにべもなく追い出されてしまった葉佩と皆守は図書室に向かっていた。

 

「皇七でもないとなると、一体誰が?」

 

「まさか思念飛ばせるとか?」

 

「いや、そんなはずはないだろ。《長髄彦》がいってたんだからな」

 

「《遺伝子》のパスコードを持つものはどうだ」

 

威圧的な声に振り返ってみれば、阿門がいた。

 

「パスコード?」

 

「ああ、喪部銛矢や翔のように《遺伝子》上のパスコードが有効なのだとすれば、なんら不思議なことはないはずだ」

 

「でも《ニギハヤヒ》でも《アマツミカボシ》でもない奴らが作ったって......それが皇七の一族なんだろ?皇七って妹この学園にはいないんだろ?じゃあ違うよ」

 

「逆じゃないか、九ちゃん」

 

「逆?」

 

「誰かが開いたんじゃない、誰かが招き入れたんだ」

 

「!!」

 

「それは......」

 

「《遺跡》が崩壊したことによって封印はとかれた......。それは《墓守》や《巫女》以外もわかるだろ?」

 

「だが自我は崩壊していると......」

 

「《訓練所》に闘技場があったじゃないか。絶対何人も犠牲になってるはずだぜ?」

 

「そういや、神鳳と潜った時は幽霊がいるっていってたな」

 

「それを子孫の誰かが感知したとしたら?」

 

「あの《訓練所》で死んだやつが呼んでいるのか......」

 

「ならひとつ気になることがあるよ。図書室の蔵書だ。書籍が偏りすぎてた。もしかしたら、もしかするかもしれない。1回調べてみるよ」

 

「九ちゃん、俺も......」

 

水をさすようにチャイムが鳴り響き、皆守は舌打ちをした。どんまい、と葉佩は残念そうな顔をしている皆守の肩をたたく。

 

「あとは任せて、甲ちゃんは補習がんばれ」

 

「ああ、わるい九ちゃん......」

 

「その代わり今夜の夜遊びも付き合ってもらうからな〜ッ!」

 

苛立ち気味に教室に戻っていった皆守を見届けた葉佩は顔を上げた。

 

「あれ、そーいや阿門も用事か?」

 

「俺も手伝おう」

 

「いいんだ?ありがとう。みんな忙しそうで参っちゃうよ、ほんと」

 

手分けして調べた葉佩たちは、やはり文献はすべて阿部家の寄贈によるものだったと気づいたのである。

 

「はい、ビンゴ」

 

葉佩は貸出カードを手にする。

 

「阿部君かァ」

 

いずれも同じ名前の生徒が一番上にかかれている。

 

「《アビヒコ》の末裔か」

 

「喪部銛矢の遠戚だ。神道にも通じているし、神降ろしの一族なのかもしれない」

 

「喪部銛矢のように《魔人》の可能性があるのか......」  

 

「一応、《ロゼッタ協会》とか《レリックドーン》あたりの人間じゃないかどうかだけ《ロゼッタ協会》本部に聞いてみよっと。なーんか俺が知らない間に別の《宝探し屋》派遣してるみたいだし」  

 

葉佩はH.A.N.T.をうちはじめた。

 

「あ、そうそう、翔チャンに皇七に言われたこと報告しなきゃ。どんだけやばいのか教えてくれると思うし」 

 

「ああ」

 

「浮かない顔してるなァ、元気出せよ阿門。気持ちはわかるけどさ」

 

「......」

 

チャイムが鳴り響く。

 

「何していいかわかんない時は、あんがい目についたこと片っ端からやってみるとうまくいくぜ?俺も兄ちゃんが逮捕されてひとりになったとき、孤児院で見てたテレビのCMみて《宝探し屋》になったんだし」

 

「そうなのか」

 

「俺の親、麻薬に溺れて親として最低なこと全部やらかしてくれたからなあ。兄ちゃんが消してくれなきゃ俺が死んでた。兄ちゃんもいなくなって、ひとりぼっちになって、ずっとどうしたらいいかわからなかった時にあのCMに出逢ったんだ。本気で運命的だと思ったね」

 

「運命か......葉佩、お前は神の存在を信じていないらしいな。なのに運命は信じるのか?」

 

「まァね。俺だって神頼みしたいときだってあるよ」

 

「そうか......。そういう意味ならば、万国共通の感性だろうか。お前はそうかもしれないが、俺は神の存在を信じている」

 

「そうなんだ?あ〜、そういえばあの教会、カトリックだもんな。阿門もそっちなんだ?」

 

「それもあるが、中原中也という詩人がいる」

 

「中原中也?」

 

「父の遺した本棚に全集がある。その詩人について調べているうちに、な」

 

「詩人かァ......俺には知らない世界だ〜」

 

「フッ......だろうな......。夕陽が沈めばこの学園を夜が包み込む。夜の闇の暗さは、俺に黒々とした場所を思い出させるのだ。その暗澹たる漆黒の中で俺はもがいているのだ。《長髄彦》や《封印の巫女》の残した言葉の意味を探し求めて。常な自己の内面と神を対峙させ、答えを探しているのだ」

 

「そっかァ......阿門て真面目なんだなァ」

 

「人は将来善なりて、それゆえに迷い苦悩し、鎮魂を渇望している。そう考えているだけだ」

 

阿門は回想するように瞳を閉じた。

 

「《墓守》は代々、その《遺伝子》を受け継ぐ者がこの學園に君臨してきた。つまり、阿門家の者が遺伝子操作によって《力》を与えた者を《生徒会長》に据え、それを影から操り、《墓守》としての使命を全うしてきたのだ。前の《生徒会長》も《呪われた力》をえた人間がやっていた。操っていたのは俺の父だ」

 

「皇七がいってたのってそれなんだ?」

 

「ああ、皇七家は代々男を養子に出し、《生徒会》の役員を務めていた。俺が言わなければ皇七がなんらかの役職についていたはずだ」

 

「他にもいるのか?」

 

「ああ......だが俺が断った。皇七は同じ年だから断りきれなかった」

 

「《力》もう渡してたし?」

 

「そうだな。思えばあいつは全て見越していたのかもしれない。俺が断りきれなくなると知っていて」

 

「なるほどなァ」

 

「俺の母は早くに亡くなり、父は《墓守》としての役目に忙しかった。そう、厳十郎が俺を育てたといっでも過言ではない。7年前に皇七が俺の前に現れ、俺は初めて《力》を使った。6年前に翔の母親が現れ、5年前に父が死に、《墓守》の使命を引き継いだ。俺は、三年前に《生徒会長》としてこの學園の生徒として過ごすことを決めた」

 

「その時に覚悟を決めたんだ?」

 

「そうだ......いや、そのはずだった。だが、今思えばわからない......。わからなくなってしまった、の方が正しいかもしれないがな。......そこまで意識したものではなかったのだろう、既定路線のように思われたのだ。だからこそ、今俺は悩んでいるのだろう」

 

「え、なんでだよ?」

 

「3年前、皇七になぜ《生徒会長》をするのか問われたとき、答えることが出来なかった。阿門家の者が直接《生徒会長》として《墓》を守るのは前例がないと言われた時にだ。皇七はなにも言わなかった。今思えば俺の中に答えがないとわかっていたのだろう。皇七は12の時にはすべて背追い込む覚悟を決めていたのだからな......あいつの目には果たしてどう見えていたのか......」

 

「そっか〜......阿門がどっか翔チャンに親しみ感じてたのは皇七に似てるから?」

 

「そうだな......《悪魔憑き》になる前の皇七によく似ていた。今の皇七は人格が消滅しなかったかわりに皇七家当主におさまった時点で変わってしまった。あれほど重大な使命を背負っているのなら、無理もないが......」

 

寂しそうな色を宿したまま阿門はいうのだ。

 

「俺は今でも考えるのだ。なぜ《影》でいつづけなかったのか、なぜ《生徒会長》をすることにしたのか。《墓》を守ることに専念せず、自ら闇の中へと足を踏み入れようとしたのだろうかとな」

 

「その答えを探してるんだ?」

 

「《長髄彦》の言葉になにもいえなかったということは、俺の中に答えがなかったからにほかならないからだ。葉佩」

 

「ん〜?」

 

「俺とは全く違う価値観をもち、世界を見てきたお前ならわかるんじゃないか?お前の類稀なる才能ならば......なにかわかるのであれば、教えてくれないか?」

 

「そうだな〜......阿門はさ、《生徒会》も《執行委員》も自分で勧誘したんだろ?皇七の《力》はかりないで」

 

「ああ......皇七には下調べは命じたが、基本的な人選は俺が行なってきたつもりだ」

 

「俺が戦ってきたみんなは、たしかに《力》の代償に差し出した《宝物》の空白に苦しんでたよ。ただ、《力》を得る前は別の理由で苦しんでた。ほっといたら死にかねないくらいの苦しみだ。それからは《力》を得たことで解放されたともいえる。俺より前の《宝探し屋》はみんなと向き合ってこなかったから失敗したんだ。成功した俺がみんなが立ち直るきっかけになれたのは事実だとして、そういうシステムを自分で作り上げた阿門はきっとそういう人を見る目があるんだと思うよ、俺」

 

「人を見る目、か」

 

「寂しさを抱える人間は寂しさがわかる人間じゃないと気づけないもんだからさ、阿門は寂しかったんじゃないかな」

 

「寂しさか......たしかに俺はいろんな人間に置いていかれてきた。託されてきた。厳十郎も皇七も家族として向き合ってはくれたが、友達としては距離があった。もしかしたら、俺は学園での暮らしに温もりを求めていたのかもしれない。それまでの暮らしから抜け出すために......」

 

「それっぽい答えになったみたいでよかったよ。3年前の阿門と今の阿門は違って当たり前だろ?今は友達たくさんいるんだからさ。學園祭んとき、すっごい楽しそうだったじゃん。俺が来る前は普通の學園だったんだろ?ずっとあんなかんじだったなら、阿門は間違ってなかったと思うけどな。少なくても、今の阿門は全然寂しそうじゃないし」

 

「......楽しそうだったのか?俺が?」

 

「自覚なかったんだ?なら気づいてよかったじゃん。こういうのなんていうんだっけ、灯台下暗し?」

 

「......そうか、そうだな」

 

「今の皇七のことよく知ってるのは阿門なのは変わりないわけだからさ、また色々話したらいいと思うぜ?時間はたくさんあるわけだから」

 

「......そうだな」

 

「ついでに聞き出してほしいんだけど〜」

 

「なんだ」

 

「阿部君、どーも新聞部員みたいなんだよね。皇七ってどういう人選で部員選んでんの?」



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預言者たち4

放課後のことだ。阿門はふたたび新聞部に割り当てられている教室に訪れた。皇七は号外と称して新しい暗示の呪文が組み込まれた天香新聞の構成がだいたい出来たようで休憩していた。

 

「なんの目的って大袈裟だな~、他意はないよ、他意は。怖い顔してなんだと思ったら......。阿門が神鳳を《生徒会》に引き入れた時点でそういう方針なんだって思っただけだっつーの」

 

「方針?」

 

「學園のために《力》貸してくれそうだったら、敵対してても受け入れるってやつ。神鳳が近づいてきたとき、その目的忠告したの俺だからな?忘れてたとは言わせないぞ?」

 

「阿部を學園の監視体制に引き入れたのはそういう意図があったからだといいたいのか?」

 

「そうだよ。いつもいってるじゃんか、阿門の不利になるようなことは絶対にしないって。心外だな~も~」

 

「なら、なぜ俺に......いや、《生徒会》に言わなかった」

 

「なにを?」

 

「阿部が《アビヒコ》の末裔だということをだ」

 

「それは......」

 

「それは?」

 

「阿部が皆守みたいなやつだったからだよ」

 

「なに?」

 

「生まれながらに《墓守》に向いてる人種」

 

「それは......」

 

「生まれながらに空虚をかかえたまま生きてる人間。ただ漠然と寿命を決めてなんの躊躇もなく周りをばっさり切り捨てて死にそうな人間。皆守が離脱した直後の《生徒会》にそんな爆弾案件投げるわけにはいかなかったんだよ、体制の過渡期だったし」

 

「問題ない人間だったと?」

 

「もちろん。阿部は生まれた瞬間から先祖のために生きてる人間だったからさ、ほっとけなくて。母方の姓を名乗るとか身分を隠してるわけでもなく、堂々と入学してきて阿部家の貴重な文献を次々に學園に寄贈して。なんだと思って調べてみたら、逃げてきたっていうじゃないか」

 

「逃げてきた?誰からだ」

 

「喪部銛矢だよ」

 

「!」

 

「《アビヒコ》も《ニギハヤヒ》の部下のひとりだった訳だから、その《氣》の流れは変わらない。だから感知されたっていってたよ。一族を守るために自分が囮になってひたすら逃げ回っていた先でこの學園を進学先に選んだって話だった。代々阿部一族は《アビヒコ》を降ろす家系らしいんだよ、これが。《悪魔憑き》としては親近感湧いちゃうじゃん?」

 

「お前はその家系を自分の代で終わらせるつもりなのにか」

 

「だからだよ。俺みたいに《悪魔》を返り討ちにするために邪教に手を出したら、先祖を救うためにどうにか負の遺産を破壊しようとする先祖思いな子孫を殺しちゃった俺には眩しすぎた」

 

「八坂ッ、それはいったい......」

 

「いや、大人の話はちゃんと聞くべきだよねって話だよ。なんでみんな馬鹿正直に体を明け渡すのか不思議でならなかったんだ。簡単な話だったんだけど。いつも間に合わなかったんだよ、俺達が《悪魔》って呼んでた子孫は。《訓練所》の《墓守》って使命から解放されない限り、皇七一族は未来を知ろうとする連中が邪神に目をつけられるのを防ぐために一生を捧げようとする運命は変わらない。たったそれだけをつたえるために信頼をえるために未来予知に似たことをしてきた。ひきかえに寄ってくる宇宙人に対する排除方法を伝えてきた。子孫はいつでも先祖のことを考えてきたのに、いつしか信頼は歪な信仰をよび歪曲し、平気で自分の子供を捧げるようになった。そりゃそうだよな、女の子ひとり捧げれば皇七一族は安泰なわけだから。それを俺はこの手で終わらせたんだ」

 

皇七は自分の手をみつめる。

 

「俺は邪教の魔術に手を染めた。子孫の魂を奪い取って俺が乗っ取った。死にたくなかったんだ。死にたくなかったんだよ」

 

「いつだ......それはいつだ、八坂」

 

「16の時だよ。ほら、《悪魔憑き》になった日。当主になった日」

 

「なんで言わなかった。たしかにあの時は《生徒会》の過渡期だったかもしれない。だが、お前ひとりで抱え込める案件じゃないだろう」

 

「わかんない......わかんないよ、そんなこと。俺はずっと16の誕生日が命日だと思って生きてきたんだ。死にたくない一心で《悪魔》を殺して、その魂の記憶を奪い取ったんだ。そしたら、やっと死にたくないって抗ってくれるやつが現れたって喜ばれたんだよ!意味がわからない!初めから子孫は死ぬ気だったんだ!魂を上書きしたから、俺に時々そいつに送られるはずだった未来の子孫の家族から言葉が送られてくる。真相を知らされた時点で俺は宇宙人に追われない体になっていた。どうしろっていうんだ!今でこそ、江見のおかげで帝等はなんの疑問も抱かないまま話を聞いてくれるだろ?でも3年前のあの日、話したところでどれだけ聞いてくれたっていうんだよ!!」

 

皇七は、阿門の襟もとを、力まかせに――極度な怒りをこめた腕で――捻じ切るほど締めた。今までの積み重なってきた不平や不愉快が一時に大爆発して、洪水が決壊する勢いで阿門に喰ってかかった。

 

今にも泣きそうな顔でまくし立てる皇七に阿門は名前を呼ぶことしか出来ないのだった。

 

 

 

 

 

「───────というわけだ。皇七は阿部に許可したから《訓練所》があいた。《長髄彦》の件は知らなかったから、たまたまが真相らしい。阿部は《アビヒコ》の息子を解放してやりたいという願いを叶えるために《訓練所》に潜っているようだ」

 

阿門の話を聞いた葉佩は険しい顔である。

 

「《天御子》も喪部銛矢もそうだけど

ほんとに関わった人間を不幸にしかしない連中なんだな......。でもよかった、阿部って悪いやつじゃなさそうだな~。よし、今度会ってみることにするよ」

 

「そのことなんだが、皇七から条件があるそうだ」

 

「え、なになに?」

 

「《訓練所》の壁画に関しては、翔を通してなら交渉する気があるらしい。だから、退院したら連絡してくれと」

 

「了解、了解ッ!翔ちゃんも知らない間にまたひとり救ってたんだと知ったらすっげー喜ぶと思う!奇遇だな~、翔チャンからもメールがあってさ。翔チャンを精神交換した宇宙人の力があれば、やばい宇宙人を回避出来るから《訓練所》の攻略に集中してくれってあったんだよ~。よし、これで懸念材料は阿部だけだなッ!」

 

「......そうだな」

 

阿門はどこかほっとしたように笑った。そして皇七から聞いた阿部の進捗を聞いて驚くのだ。葉佩の先をいっている。

 

「しっかしすごいなァ、阿部のやつ。話を聞いてるかぎり素人なんだろ?なのに先行っちゃうとか才能ありすぎないか?これは《ロゼッタ協会》が欲しがりそうな人材だな~」

 

「む......そんなにか」

 

「喪部銛矢に追われてるってところも気になる。話が聞きたいな~」

 

「おい、葉佩」

 

「ん~?」

 

「一応聞くが、お前にその気がなくても、《ロゼッタ協会》が阿部を喪部銛矢探知機に使う可能性は0か?」

 

「《レリックドーン》や《エムツー機関》に拉致されて人体実験されるよりはマシだと思う。特に喪部銛矢はめっちゃその気みたいだし」

 

「おい、葉佩。場合によってはうちの生徒に危害を与える気だとしてうけてたつぞ」

 

「やだな、言葉の綾だよ言葉の綾。でもこの學園卒業してからは阿門の管轄外だよな。よし、了解」

 

「......通りで八坂が黙っていたわけだ」

 

「あっはっは、なんでかみんな忘れがちだけどさ、俺は救世主じゃなくて《宝探し屋》だからな?そこんとこ一番忘れちゃいけないと思うよ」

 

「そのとおりだ。肝に銘じておくとしよう」

 

阿門は呆れたように笑ったのだった。

 

「お前のようなやつだから、救われたんだろうな」

 



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預言者たち5

《長髄彦》が倒れたことで墓守は呪縛から解放されて學園には平和が戻ったが、《遺跡》に眠る《秘宝》を求めて葉佩は今夜も未踏破地域を目指して潜入する。

 

《遺跡》は崩落したため、黒塚に教えてもらった森の中にある入口から侵入を試みる。縄ばしごの下には半壊している大広間があり、南東の方角にある唯一の扉以外行けなくなっていた。この扉は《長髄彦》との決戦直前でも開くことはなかったが、やはり《長髄彦》を倒したあとはその扉が開いていた。ここを発見したとき、葉佩はいいようのない後味の悪さを覚えた。《長髄彦》のいうように、《遺跡》の中に設置された謎の《訓練所》エリアが広がっていたからだ。様々な仕掛け、強力な化人たちが待ち受けており、訓練というよりは試練に近かった。

 

コンクリートらしき素材でつくられた外壁を見るかぎり、《遺跡》内でも後期に造られた場所であることは明らかだ。ただこれは皇七が施した認識阻害の魔術がかけられているため、実際の姿ではない。触ってみてもコンクリートにしか思えないが。

 

このエリアは《魂の井戸》に立ち寄ることが一切許されていないため、葉佩がもちこめるアイテムはなにひとつ無駄になるものはない。

 

最難関は闘技場に待ち受けるボス2体であり、どちらも普通に戦ったのでは勝ち目がなかった。一定時間をすぎると強制的に扉の前に戻されてしまうため、葉佩は苦戦を強いられていたのだった。

 

何度も挑戦するうちにわかったのだが、このエリアでは××訓練所と名付けられた各部屋を5ターン以内に通過しないと失敗扱いで入口に戻されてしまう。前の部屋に戻るのもダメ、《魂の井戸》で回復や補充ができない。一気に踏破しなくてはならない。失敗は地震のような揺れでわかる。訓練は決まって入口北西の扉をあけると開始される。

 

戦術訓練所に突入した葉佩は、まず水路と落とし穴を飛び越えて移動しながら鞭をぬいた。弱点属性の化人を一掃し、強力な爆薬を密集している化人たち目掛けて投げつける。その先にある蛇の形をしたスイッチを起動すれば、通路を塞いでいた壁が消滅し、北西の扉があいた。

 

訓練所連絡通路は化人を倒す制限はないようなので、アイテムなどを温存しながら先に進む。

 

次は射撃訓練所とは名ばかりの暗闇空間である。中央の仕切りで攻撃は遮られるため接近戦で撃破しなければならない。葉佩は全ての攻撃に電撃が付与されるアイテムを装備するなり、大型化人に斬りかかった。そして小型のくせにやたら頑丈な化人の群れの攻撃が届かないところまで逃げる。次は北側に密集している化人の背後に飛び込み、それぞれ撃破する。

 

そして格闘訓練所だ。細い通路いっぱいに歩いている大型化人を一体ずつ確実に仕留めていく。迷路になっているため要領よく倒していかないと5ターンで全滅させられないのがいやらしい配置である。

 

やがて登坂訓練所に葉佩はたどり着く。途中にある亀裂を壊せば次のスイッチを直ぐにおせるため、また装備を変えてからワイヤーガンで登っていく。待ち受けるのは罠だが、何度も来ているため驚きはすでにない。5ターン以内に倒して壁を破壊し、スイッチを押せば成功だ。

 

お次は匍匐訓練所。部屋の中は真っ暗で、ひたすら匍匐前進するしかない。このときトラップのタイルをふむと失敗になるとかいう嫌がらせがされているが、トラップは固定なのでもはや覚えゲーである。

 

そして。

 

「この分じゃ、また今夜も寝不足だな」

 

「俺が手を貸してやるのにも限りがある。それを忘れるな」

 

「うっさいなあ、黙ってみてろ!!」

 

葉佩は叫ぶ。昨日はこの跳躍訓練所に入った瞬間に罠が発動して壁面にある2箇所の穴から矢が飛んできたのだ。それをうっかりミスでかわしきれずに大ダメージを負った葉佩はそれでお開きとしたのだ。今回はうまいことかわしてジャンプで足場を渡り、スイッチを押すことが出来たのである。こんなふうに何回も行き来する原因はヒヤリハットの方が多かった。

 

爆破訓練所はその名のとおり、最初から化人が密集していた。爆薬で一網打尽にする絶好のチャンスでスタートすることが出来る。西側にいる化人の弱点部位に爆弾をぶつければ、より効率的に殲滅することが可能とわかってからは早かった。爆破耐性がある敵は生き残るが、逃さず切り殺せば問題ない。

 

あとはひたすら走るだけの走力訓練所である。一気に駆け抜けて南と北のスイッチを押せば次の扉が開く。

 

「やっと休憩通路だよ、もー!」

 

「その割には化人がいるけどな。気をつけろよ、九ちゃん」

 

「気をつけろ。一瞬の油断が命取りになる」

 

「わかってるって」

 

葉佩は確実に化人を倒し、ようやく通路を安全地帯にかえる。南東方向に爆弾を投げた葉佩は、そこを破壊して隠し通路に入った。貴重な回復アイテムである。

 

「2人とも食べる?」

 

「......いや、俺はいい」

 

「ミネラル水よこせ、九ちゃん」

 

「納豆カレーは?」

 

「いらん。それなら九ちゃんの寿司のがマシだ」

 

「なんだよー、仕方ないなァ」

 

信じられない、という顔をしている阿門に直に慣れると皆守は遠い目をしていった。

 

そして、闘技場控え室に辿り着く。大扉の前には蝶が飛んでいた。葉佩が話しかけると妖艶かつ豊満な胸をもつ女性が現れる。葉佩はいつものようにトレードでアイテムを入手したり、彼女の力で自室にアイテムをしまったりした。

 

「フフフ...... 全ては泡沫の蝶の夢……。だからどうか気をつけて......」

 

女性は蝶に戻ってしまった。

 

「さあて、いくか」

 

葉佩は扉を開いた。

 

「あれ、先客がいるみたいだな?」

 

その先には《イワレ》という大和朝廷を築いた神の名を与えられた化人を前に話しかけている青年がいた。

 

《この地とこの地に住まう者たちを守るための最善の道として、ニギハヤヒ様は娘をイワレビコに娶らせ和合を結び、この地の統治権をイワレビコに譲るという。我が一族はこれより始まる統治権力に迎合する道を歩むことになろう。しかしそなたらはここに留まるわけにはまいらぬ。そう、いったことを覚えておるか?》

 

化人は反応がない。それでも青年は語りかけている。

 

《天御子は必ずやそなたらのいのちを奪うだろう。そなたらは一族とともに東へと落ち延びよ。東の果てには天御子の手の及ばぬ土地がある。我らと同族の国津神・アラハバキ神がその地を守護しておられる。さすればそなたら一族は受け容れられよう。そう伝えたろう?》

 

やはり化人は反応がない。だが青年は懸命に話しかけている。

 

《私とともに造りあげた国を長髄彦と共に東の果ての地に住まう者とともに

造りあげるがよかろう。その地を日上国と称するがよい。必ずやアラハバキ神はそなたらに力を与えてくださるだろう、と》

 

青年は泣いていた。

 

《東の果ては寒くつらいことも多くあろう。永きにわたる苦難を強いられることもあろう。しかし、そなたらにはわたしと同じいのちが宿っておる。忘れるでないぞ。いのちは永遠なのだ。私はいつどこにあろうともそなたとそなたの子孫とともにある。悠久の時の流れのなかで、そなたの子孫がいつしかそなたの存在を忘れようとも、いのちはすべてを記憶しておる。大地から芽吹く新芽のように必ずいのちはそなたを思い出すであろう。そして真の和合が結ばれる時を迎えるであろう。そう約束したな。すこやかであれと》

 

息を吐き、青年はためいきをついた。涙をごしごしふいている。

 

「どうですか、《アビヒコ》様」

 

葉佩たちはギョッとした。青年の口からさっきと全く違う声が聞こえてくるではないか。

 

《完全に心が壊れておる......》

 

先程の声の方が威圧的で重厚な響きがある。アビヒコを呼んだ方が青年だろうか。どうやら青年は降ろした祖神と会話ができるようである。

 

《まずは心の立て直しが必要だ......悪を無にするのだ》

 

「無くす?」

 

《無にするには善で抱き参らせることが必要だ。亡くすることでないぞ》

 

「どっちもなくすですけど、字が違うんですか?」

 

《そうさな、このところが肝腎なところだ。良く心にしめるのだ。神と人と一つになって一つの王となるように、天と地が揃って人間となるように、善も悪も融合してひとつの新しき善となる》

 

「ああ、無駄の無の方ですか?」

 

《そうさな......だがもう少し違うたとえはできんのか......》

 

「いいじゃないですか、そんなこと。どうだって」

 

《やれやれ、我が子孫は冷淡よな......。そう急かすでないわ。自身の中の陰陽和合を為すことで、反転子の錬金術で闇を光に反転させ、対極の存在と真の和合を果たすことができる。さすれば闇はその役割を終えて、光へと帰ってゆく。神々とともにあった太古の記憶を取り戻す》

 

「わかりにくいです」

 

《辛辣よな......》

 

ちょっと悲しそうな声がする。

 

《して───────そなたらは何者ぞ?》

 

ぶわっと凶悪な《陰氣》があたりにたちこめる。葉佩たちは息を飲んだ。



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預言者たち6

 

「待ってください、《アビヒコ》様」

 

《アビヒコ》の際限ない憎悪を制止したのは阿部本人だった。

 

「彼は葉佩九龍、《ロゼッタ協会》所属の《宝探し屋》です。皇七部長がいっていた《長髄彦》様の呪縛を解き放ってくれた人ですよ」

 

《む......それは真か?》

 

「はい、間違いありません。生徒会の皆守と阿門がバディとして同行しているのですから。他の宝探し屋だったなら生徒会の人間を連れてここには来ないでしょう。そうですよね?」

 

「そうそう、阿部のいうことはだいたいあってるよ。《宝探し屋》の葉佩九龍。よろしくな!」

 

《そうか......私はアビヒコ、この身体の主は阿部和彦、私の末裔だ》

 

阿部はぺこりとお辞儀をする。だが、顔を上げた瞬間、また区画内の圧迫感が増した。

 

《お前が皇七八坂のいっていた宝探し屋、葉佩九龍───────長髄彦を討し者か》

 

阿部の体を借りて話している《アビヒコ》の影響だろうか、《陰氣》が膨れ上がる。目はギラギラとしていて人外にしかありえない色を宿しており、喪部銛矢を思い出させるには充分だった。

 

殺気は感じない。《墓守》だった皆守や阿門に対する殺気とは違う気迫が《アビヒコ》にはあった。《魔人》だ。目の前の阿部和彦は紛れもない《魔人》だ。葉佩はたらりと汗がこぼれるのを感じた。殺意こそないが脅威を《宝探し屋》の本能が必死に叫んでいる。今すぐ逃げろと叫んでいる。そんな葉佩を真っ直ぐに見つめながら阿部はいうのだ。、

 

《お前には興味がある───────あの長髄彦が......私が義兄弟の契りを交わしたあの男が自らの意思でもって闘いを挑み、敗けたのだ。どれほどの猛者か》

 

「奇遇だな、俺も興味があるんだよ」

 

《そうか......ならばこそ、私と貴様は死合うが定め》

 

「おいおい、物騒なことは......」

 

《ならぬ…......ッ!死を避けるなど許さぬ......》

 

激高する《アビヒコ》を宥めるために葉佩は皆守をとめた。

 

「甲ちゃん、大丈夫だよ。戦いたいよな、何歳になっても男の子なんてそんなもんだ」

 

《ふむ......話のわかる者は嫌いではないぞ。葉佩、貴様はこの世界を巡る者。その胸には目指す理想もあろう。ならば問う、貴様が理想とする世界とはいかなるものであるものか?》

 

阿部の瞳が静かに葉佩を見つめている。葉佩は口の中がカラカラだったが無意識のうちに唾を飲もうとしていた。意味深に《アビヒコ》はわらう。

 

《なるほど、確かにお前の生き様は自由の中にあるようだな。理想と生き様に相違なし。これがお前の力の源というわけか。人の世は常に移ろう。それもまた真なり。お前が思う以上に時として真実は過酷だ。その覚悟、忘れるでないぞ》

 

阿部も笑った。

 

《私もまた、長髄彦のように、かつて悪い夢を見ていた。善意と悪意が暴れ出し、それに翻弄される夢だ。目醒めさせてくれたのは和彦だ》

 

「えっ、じゃあまさか、アンタもこの《遺跡》みたいなところに幽閉されてたのか!?」

 

《いかにも。忘れもしない6年前のことだ。代々私の思念を受けとり、世をはばかる名士の隠れ蓑として生きていた阿部一族。その跡取りであった和彦は私を降ろす贄として有象無象共に拉致され、悲惨な目にあっていた。子孫さえ安寧ならば構わないと封印に甘んじていた私は激高した。組織は壊滅し、本体たる身体ごと研究施設を屠ったために私には戻る身体がない。ゆえに和彦が器となってくれている。感謝してもしきれぬ》

 

そこには末裔というよりは子供を見る父親の目をした《アビヒコ》がいるようだった。

 

《我が子孫のうちに秘めたる希望は私の自我となりしかと刻み込まれた。お前もまたこの學園に希望を刻みし者......私はどちらが勝るか興味があるのた。さあ、死合おうぞ》

 

「闘いたいっていってくれるのは嬉しいんだけどさ~......それって後にはできない?」

 

《ぬ......なにゆえだ?》

 

「その前にアンタの息子を解放しないとダメだろ?長髄彦と約束したんだよ、早く黄泉の国であわせてやらないと。アンタも会いたいからここにいるんじゃないのかよ?」

 

《はははははッ!なにをいうかと思えば......そうか、そうか......ッ!私、そして長髄彦の願いを叶えてくれるというのだな?この先に秘宝もなにもありはしないというのに......。ならば、その好意に甘えさせてもらうとしようか。我が子孫に無理をいっているのは自覚していたのでな。ならばその強さをもって我が愚息を黄泉へ送ってやってくれ》

 

《アビヒコ》の言葉とともに化人が雄叫びをあげた。

 

この闘技場では最初に《イワレ》が出現し、スイッチを押すと《イザナミ》が出現する。《アビヒコ》の息子の身体には様々な生物のDNAが組み込まれて創られた《化人》だ。繰り出される攻撃は攻撃力、範囲ともに強力で呪い状態にされる。

 

《イワレ》は驚異的な行動力と射程をもっている。だからこそ行動力を回復しながら強引に撃破するのが最善策なのだ。葉佩はそう思っていたが、どうやら阿部はそうは思っていないらしい。

 

葉佩は戦闘がはじまった瞬間に1番北に進み、頑丈な小型化人の急所に爆弾を投げ込む。これで邪魔な化人をまとめて排除できた。今までそうしてきた。セオリーだ。阿部はというと雑魚には目もくれず《イワレ》のところに向かっていく。

 

阿部は《イワレ》を幾度も倒しているようで、迷いがない。《イワレ》と柱を挟んで対峙するような位置取りに持ち込み、柱越しに《力》を発揮する。壁ぎわにノックバックし、自分は逆の壁ぎわに逃げるという体勢に持ち込んだ。もはや《イワレ》は柱の向こうを行ったり来たりするだけになり、ノーダメージのようだ。

 

「すごいなァ......そういうやり方もあるのかァ」

 

「悠長なこと言ってる場合かよ!」

 

「《アビヒコ》も邪魔がいなくならないと入口に戻されること知ってるんだろ。今は戦いに集中しよう」

 

《今度こそ、黄泉の国に参ろうな───────×××××××よ。1700年も待たせてすまなかった》

 

懺悔とともに《イワレ》は壁に激突する。《イワレ》は断末魔をあげた。体からは《魂》が抜け出て天井を上っていくが、この《訓練所》を解放してやらなければまた蘇生してしまうことを葉佩は知っている。

 

「よし、次は俺たちの番だな」

 

葉佩は蛇の頭をかたどったスイッチを押す。H.A.N.T.が超大型の化人を感知してエラーを吐きまくる。敵影を確認したから戦闘態勢に移行しろと警告してくる。葉佩は移動しながら装備を切り替える。

 

「《アビヒコ》が《イワレ》倒してくれたんだ。いっつもジリ便になって負けてたし、汚名返上と行きたいところだぜ」

 

「あんまリソース使いすぎると《アビヒコ》と戦う時きつくないか、九ちゃん」

 

「おそらく闘技場の制限内に決着をつけなくてはまた最初からになるぞ。気をつけろ、葉佩」

 

「任せろ、任せろ。連戦が3から2になったんだ。心理的負担がだいぶ違うからさ、大丈夫だよきっと。さあて、ずっと温存してきたんだ、2人とも力貸してくれよ?」

 

「あァ、俺の《墓守》の力を見せてやろう」

 

「見せてやろう。DNAを書き換える俺の《力》を」

 

葉佩の視界の隅で、動く影がある。先程のお礼だろうか。《アビヒコ》が雑魚の化人たちをまとめて引き受けてくれるようだ。

 

「よし、いくとしますか」

 

見上げるほど巨大なピンク色の怪物を前にしても、葉佩はいつものように笑ったのだった。



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預言者たち7

蛇の頭を押して作動したトラップの先に《イザナミ》が現れる。最強の化人と呼べる能力を持っている。どんなに遠くまで逃げても《イザナミ》の攻撃は回避できないため、行動力を回復しながら一気に撃破するしか道はないのだ。

 

葉佩は背面に回り込む。そして阿門と皆守に《力》を使うよう叫んだ。

 

「この《墓》には斃す事でしか救えない奴ってのもいる。俺に任せておけ」

 

「たしかに、この《墓》は《墓守》である俺にも牙を剥く。《墓》とは死者を求めるものだ。だが、この《墓守》の《力》を甘く見ない事だ」

 

この《遺跡》を管理していた《墓守》ふたりの《力》が炸裂する。葉佩は炎属性の剣をぬき、きりかかる。

 

《イザナミ》はヒノカグツチを産んだ際に産道を焼かれて死んだとき黄泉の国に落ちた神の名を持つ。弱点は産道かと思いきや、顔の中央眉間のあたりなのだ。とんだトラップである。昨日はようやく弱点を把握したところでターンがつきてしまい、行動力を回復するアイテムもつき、仲間の《力》もつき、トドメをさすことが出来なかった。次のターンなど回ってこないことを葉佩はしっている。

 

《アビヒコ》により《イワレ》を倒すお膳立てがされた今、しかも雑魚まで倒されているとなれば、もう倒せる機会はないだろう。

 

「九ちゃん、なにぼうっとしてるんだ!」

 

真正面からの攻撃は皆守がすべて回避させてくれる。少々乱暴なのはいただけないが葉佩は皆守に背中を任せて《イザナミ》を屠ることに全力を注ぐのだ。

 

阿門たちの猛攻の果てに活路を見出した葉佩は《イザナミ》を解体していく。次に待ち受けるであろう《アビヒコ》の戦いにむけて、目指すのはひとつだけだ。

 

はげしい太刀音と怒号がひっきりなしにあがって来る。殺戮し合う葉佩と《イザナミ》は互いに叫びながら、紅となり、延び、縮み、揺れ合いつつ次第にその間隔はすり減っていく。

 

全身に血を浴びてもなお、葉佩は斬りまわった。双方からぶつかりあうたびに刃をあわせた。

 

「九ちゃんッ!」

 

皆守はまた途中からついていけなくなってしまう。目の前で胴体をピンク色の巨体が貫いた瞬間、たまらず叫ぶが飛び込もうとした皆守を引き留めたのは阿門だった。

 

「《鎮魂》の《力》をみせてやろう」

 

それは喪部銛矢の一族から阿門の一族に継承された正真正銘の秘技、そして詔だった。死者蘇生の奇跡を目の当たりにした皆守は葉佩を呼んだ。

 

「あっはっは、ごめんごめん。射程範囲間違えちった」

 

あまりにもおふざけがすぎた反応にたまらず皆守は葉佩を殴る。

 

「痛いっ!」

 

「今思い出したが九ちゃん、《心臓の護符》もあったなッ!?ああくそ、心配して損した!!」

 

「言ったそばからこれか。何度も連発はできんぞ、葉佩。いったはずだ、俺の《力》をあてにしすぎるなと」

 

「だ~か~ら、ごめんってば!くっそォ、別の《遺跡》だとこいつ倒した化人が出荷されたってまじかよ~ッ!マジで凹むんですけど!?」

 

軽口を叩きながら葉佩は回復アイテムを一気に消化して体勢を整える。そして《イザナミ》の背面から弱点をふたたび攻撃し始めたのだった。

 

そして───────。

 

「これでッ!終わりだッ!!」

 

葉佩の大剣が《イザナミ》を完全に解体してしまう。傷跡から炎が吹き出し、《イザナミ》の体がたちまち大火に包まれていく。内側から爆発を起こして《イザナミ》はたちまち粉微塵になって跡形もなく消えてしまったのだった。

 

《イザナミ》の身体に無理やり押し込められていた《アビヒコ》の息子の魂が天井の向こうに消えてしまう。

 

しばらく葉佩は静止していた。空間を揺るがす振動はこない。どうやら制限内に決着をつけることが出来たようだ。

 

「よっしゃあッ!!」

 

短いながらも確かな歓声があがる。

 

「やったな、九ちゃん」

 

「おう!」

 

「そうか……ついに、叡智と勇気でお前はここまで来たのだな」

 

阿門は感慨深げにつぶやく。葉佩がハイタッチを求めてくるものだから、戸惑いがちに応じた。皆守は嬉しそうに笑っている。

 

《許されている制限はあと10ターンといったところだろうか。さすがだ、葉佩九龍》

 

ぱちぱちぱち、と拍手をしながら阿部はやってくる。喪部銛矢とは違い、ほんとうに喜んでいる風でもあった。それだけで雰囲気は和やかなものとなる。

 

《スイッチを入れ、その先の訓練所のことも考えれば9ターン以内となろうな》

 

「そうだなァ、せっかく倒したのに初めっからになったら可哀想だし」

 

《うむ。ゆえに私との闘いはそれまで立っていられるかどうかになるだろうな》

 

「はい?なんだよ、それ。ずいぶんと足元見るんだな?大丈夫かよ、油断は命取りになるぜ?」

 

《ふふ、今の世になっても血気盛んな若人がいるのはよいものだ。そういうな、私をその気にさせてみせよと言っているのだ》

 

阿部はそういって右手を広げる。その上から螺旋をまく眩い光が現れた。どうやら周りの闇を反転させて光に変えているようだ。先程いっていた錬金術というやつだろうか。

 

《闘いは公平しなければならんな。受け取るがいい》

 

《アビヒコ》が葉佩たちに光のまばゆいオーラをむける。

 

「これは......」

 

「......!!」

 

「へえ、正々堂々か。いい趣味してんじゃん、《アビヒコ》」

 

葉佩は笑う。傷がみるみる修復していき、あっという間に葉佩たちは全快してしまったからだ。

 

《これでよいだろう》

 

「ありがとう」

 

《なに、当然のことよ。ニギハヤヒやレリックドーンの連中と一緒にしてもらっては困るのでな?あやつらとは違って、私は手負いの獣を嬲る趣味はないのだ。それに、お前の力はひとりではない、墓守たちさえも引き入れた寛容さにある。ならば全力で戦うにはそれ相応の準備が必要であろう》

 

「ズケズケと好き勝手言ってくれるじゃん。口の悪さだけは元上司に似てるよ、アビヒコ。いつまで余裕でいられるか、勝負だ」

 

《潔やよし、それでこそアラハバキの名を持つ男なり。さあ───────来いッ!!》

 

《アビヒコ》は高らかに宣言した。その直後。

 

「───────ッ!?」

 

葉佩は思わず肩を震わせた。そして笑ってしまう。感じるのだ。気配があるのだ。邪悪な、運命の力みたいなものが、目の前の《アビヒコ》からしみ出している。瞬き数回、前を見据えるとにやりと阿部は笑っていた。

 

「これはあれかな?もしかして、阿部を変生させることが出来たら、実質2連戦になるやつ?」

 

《ハッ───────》

 

《アビヒコ》は鼻で笑った。

 

《できるものならやってみるがいい。私は所詮人でありながら魔に堕ちた身だ。神でありながら魔に堕ちたあの男には到底及ばぬが......私すら倒せぬならば雪辱を果たすなど夢のまた夢よ》

 

「いってくれるじゃないか」

 

葉佩は獰猛に笑った。そして後ろを振り返る。そこには戦闘態勢に入っている阿門と皆守がいる。確かにいる、と思うと、いつだって涙が出るほど安心した。《魔人》を前にしともなお何か消えないものがあることを今の葉佩はしっている。これがある限り、葉佩は負ける気は毛頭ないのだ。

 

目の前の《魔人》にはどうすることもできない巨大な影を感じる。感じたくないのに、感じる。自分たちを非力だと、小さいと思わせる何かが。

 

だが、今の葉佩は恐るるにたらない。歪んだ《陰氣》のエネルギーに呑まれないように、気合いを入れ直すため葉佩は愛銃に力を込めた。

 

「俺は二度と負ける気はないんだよ。悪いけど、勝たせてもらうぜ」

 

《ならば見せてみるがいい───────その覚悟をッ!》



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預言者たち8

禍々しい重圧を感じる。

 

《宇宙のあらゆる現象は生まれては消え、そして循環する。宇宙の万物は全て陰と陽の二つのエネルギーで構成されている》

 

葉佩たちは体が自由に動かない。

 

《私は万里の法則に逆らい、囚われ続けたゆえに魂が変質した。陰と陽は全ての万物が持つ性質だ。二つは相対的であり、どちらか一つでは存在しない。してはいけない。だが存在する。それが私だ》

 

ゆっくりと《アビヒコ》が歩いてくる。

 

《陰氣の性質はより物質的で、固まるエネルギーであり、よりゆっくりしていて、より冷たい性質がある。陽の性質は、非物質的で、より動きのあるエネルギーで、より速く、より温かい性質がある。私は陰陽五行思想でいえば炎と相性がよかったのだが、氣は変質し、このようになった》

 

「───────ッ!」

 

なにがおきたのか、葉佩はわからなかった。気づいたら、反対側の壁まで吹き飛ばされていたのだ。しかも動けない。強烈な痛みが走る。どうやら片足を変な方向にまげてしまったために捻挫してしまったようだ。

 

「九ちゃん、大丈夫かッ!?」

 

身動きを封じられている皆守たちは見ていることしか出来ない。

 

「なんだ、これは......いきなり足元から植物が......」

 

《陰陽五行思想の特徴は、それぞれの要素同士がお互いに影響を与え合うという考え方にある。特に相手の要素を抑え、弱める影響を与えるものを「相剋」という》

 

《アビヒコ》は葉佩のすぐ近くまできて、笑うのだ。

 

《水は火に勝ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つという関係を『五行相剋』という。

水は火を消し、火は金を溶かし、金でできた刃物は木を切り倒し、木は土を押しのけて生長し、土は水の流れをせき止める、という具合にだ》

 

H.A.N.T.で数値化されている行動力が著しく減退したことを知らせてくる。葉佩は炎属性の付与された剣で拘束してきた木をぶったぎった。

 

「ご丁寧に弱点教えてくれるのは、やっぱり正々堂々と戦いたいからか?」

 

《アビヒコ》はうなずいた。

 

《私がお前と戦いたいのは、人間が魔を超える可能性を見たいからだ。だから納得させてくれ。長髄彦が負けたには相応の理由があるのだと》

 

《アビヒコ》から尋常ではない気迫を感じる。空気が張りつめ、緊張感が心臓を鷲掴みにした。

 

「くるぞ、九ちゃんッ!」

 

「アンタの戦い方、ノックバックが基本じゃないか」

 

「葉佩、こちらのことは気にするな。俺が防いでやる」

 

「ありがとう、阿門!なにもさせてくれる気ないならこっちにも考えがあるぜッ!」

 

葉佩は自身が生成できる最大火力の爆弾を《アビヒコ》目掛けて投げつけた。阿門は《黒い砂》によりその破壊力から皆守と自身を守る。そして足元を拘束してくる植物の遺伝子情報を書き換え、枯らしてしまった。助太刀しようとかけてくる。

 

《なるほど、阿門帝等にしたように行動範囲を狭めてきたか》

 

「燃やしちゃえば問題ないだろ」

 

《確かにそうだな、賢い子だ。だがお互い条件が同じだということを除けば、だが》

 

「何度も同じ手をくうかッ!」

 

皆守の強烈な蹴りが炸裂した。阿部は少々ぐらついたが平気な顔をしている。《黒い砂》が襲いかかるが、《アビヒコ》が樹木の生成から《氣》による弾丸の連射に切り替えたために一瞬にして弾け飛んでしまう。《黒い砂》はナノマシンだ。肉眼ではみえないとしても実体がある。《アビヒコ》の《力》は氣によるものだ。万物を構成する質量をもつ以前のエネルギーである。実体がないものを遺伝子操作することはできない。

 

だが、《アビヒコ》は葉佩に近づけなくなった。

 

《面白くなってきたではないか》

 

《アビヒコ》は自身の《陰氣》を反転させ、《陽氣》にすることができる。もしくは《陽氣》によく似た氣を生成することができる。その派生で先程葉佩たちを回復してくれたようだから、《陰氣》が物質的な性質があるというのなら《アビヒコ》の《氣》は固まりやすいということだ。たまたま樹木の形がとりやすいだけであり、性質がよく似ているだけで燃えたら終わりではないのだ。燃えたらまた出せばいい。いくらでも氣はあるのだ。どうやら《陰氣》を固めて打ってきているようだ。

 

「うっわ、最悪......」

 

葉佩は舌打ちをした。状態異常が貫通だなんて反則じゃなかろうか。こちらは状態異常を無効にできるアイテムを所持しているというのに。

 

H.A.N.T.がエラーを吐き出している。無理に移動して安全圏まで逃げたせいだろうか。本来の行動力が10パーセントにまで低下してしまう。葉佩はその場から爆弾をなげ、あるいは高火力の銃を打ち込んだ。爆炎があたりをつつむが、敵影は消滅する気配はない。

 

やばいな、と思い始めた頃、葉佩の目の前にかがやくふたつの勾玉がある。それが実体を取り戻したかと思うと、葉佩の目の前にはふたりの少女たちがいた。

 

「君たちは......25日以来だな」

 

《葉佩九龍......》

 

《あなたは、この試練を超えなければなりません……》

 

《どうか負けないで......》

 

鮮やかな光が葉佩を包む。

 

「これは......」

 

葉佩は状態異常が完全に回復したことを悟る。葉佩は光に包まれたままだ。どうやら加護を与えてくれたようである。

 

《アビヒコ様はかつてのあのお方......》

 

《長髄彦様を思い起こさせる......》

 

《かつて人と神がひとつとなり国を統治していたあの頃を......》

 

《大丈夫......あなたには私たちがついています......》

 

「まっじで......?《長髄彦》も全盛期はあんだけの《力》があったのかよ......あはは、まじかあ。そこまで言われちゃやるしかないよなァッ!男の子なら!」

 

葉佩は体力を少しでも回復するためアイテムを一気に消費する。

 

「仕切り直しといきますか!」

 

葉佩はわざわざ弱点の属性を教えてくれただけあり、ダメージはそれなりにあるようだと気づく。弱点はまだあたっていないのか、バカ高い数値の体力ゲージだけが減っていた。H.A.N.T.で表示されている数値化されたステータスをみるに、状態異常は一切効かない。阿門の《力》に効果がないあたり、浄化は意味が無い。皆守の打撃は効いていたから期待できる。

 

「やっぱ弱点攻めないといつまでたっても倒せないやつだな。あと6ターンしかないってのに。よし、まずは弱点を探すか」

 

いつもの調子が戻ってきたのか、葉佩は装備を切り替えて《アビヒコ》と向き直る。

 

「甲ちゃん、頼むよ」

 

「ああ、任せてくれ」

 

皆守が攻撃している隙をついて《アビヒコ》の弱点を探る。葉佩は皆守が離れた瞬間に調べきれなかった場所にどんどん弾丸を打ち込んでいく。

 

《───────グッ》

 

「よっしゃ、見つけたッ!アンタの弱点はそこかッ!」

 

《アビヒコ》の弱点は首だった。

 

「弱点がわかればこっちのもんだッ!」

 

爆弾がつきてしまった葉佩は、そのまま《アビヒコ》目掛けて切りかかる。

 

《ぐああッ!》

 

「よっしゃ、減った!」

 

初めて反対側の体力ゲージが減ったため、葉佩は歓声をあげる。あとはもう残りの回復アイテムを使い切り、行動力の暴力で一気に削っていく。そしてトドメは散々親友をなぶってくれた《アビヒコ》に対する怒りに充ちていた皆守の強烈な蹴りだった。

 

《見せてもらったぞ、お前たちの力を》

 

《アビヒコ》は歪に笑う。

 

《ならば......私も全力で答えねばなるまい》

 

「あと4ターンか」

 

阿部の周りに《陰氣》がたち込める。それは《陽氣》に変換され、阿部を巻き込み収束していく。人の形ではなくなっていく。光の輪郭はやがて巨大な人ならざるものへと変わっていく。

 

H.A.N.T.が新たなデータを表示してくる。

 

「やっぱり《魔人》かァ......よし、やるぜ」

 

《陰氣》に充ちている《アビヒコ》は破邪が新たに弱点として追加されているのがわかった葉佩は黄金銃で弱点を探そうとした。

 

《何度も同じ手は食わぬよ、人の子よ》

 

《陰氣》の弾丸が葉佩に飛んでくる。

 

「うわっ」

 

銃で自身を庇った葉佩は、植物が銃口を塞いでいることに気づいて顔をひきつらせる。あわてて放り投げた黄金銃は暴発して床に巨大な穴をあけて転がった。

 

「そっかァ......《長髄彦》と違って《アビヒコ》は6年もこっちの世界で生活してるから銃火器の構造わかっちゃってるのかァ.....。阿門、今の《アビヒコ》は破邪が弱点に追加されたから頼むよ」

 

「わかった」

 

「九ちゃん、背中は任せてくれ」

 

「うん、任せた!」

 

《さあ、あと3ターンだ。戦いに興じようではないか、人の子よ》




火傷の部分に剃刀でも走らせたような疼痛が走った。目を背けたくなる種類の傷だ。そして血しぶきが飛ぶ。

《この私に傷をつけたな、葉佩九龍ッ!》

《アビヒコ》はそれはもう嬉しそうな顔をして笑う。葉佩はふたたび大剣を勢いよく振り下ろした。それをあと少しというところで《アビヒコ》がうけとめる。じりじりと手があぶられて焼ける匂いがするが、《アビヒコ》は気にする様子もない。超至近距離から《陰氣》を収縮させ、葉佩にぶつけようとした。

───────その刹那。

「《アビヒコ》様、これ以上やると入り口に戻されますよ。せっかく解放した魂を化人に戻す気ですか」

咎めるように阿部が口を出した。

《ぬう......もう時間切れか......》

名残惜しそうに《アビヒコ》はいう。

「えー、もうそんな時間!?あと一撃いれたら形勢逆転しそうだったのに!」

《仕方あるまい......》

「引き分けかあ」

《いや、私が指定したターン数持ちこたえたのだ。さすがだ、葉佩九龍》

《アビヒコ》は笑う。そして葉佩から離れた。そして、皆守、阿門、葉佩をまた全快させてくれた。

《砕けぬ意志…......それもまた人の子の強さ、か。いいものを見せてもらったぞ、葉佩九龍。この幾星霜の中、これほどの挑戦者がどれ程いたであろうか…......もはや何も言うまい。フフ、では《長髄彦》や愚息と再会するために一足先に伝えて来るとしよう。感謝するぞ。本当にありがとう》

《アビヒコ》の《氣》が消え失せた。葉佩たちの前にいるのは阿部だけだ。

「決着がみられなかったのは残念だけど、《アビヒコ》様の息子たちを解放してくれてありがとう、葉佩。ずっと一人で潜り続けていたからすごく嬉しそうだったよ、《アビヒコ》様」

そして笑った。

「《アビヒコ》は?」

「黄泉の国に思念を飛ばすために表に出てこなくなっただけだよ、大丈夫」

「そっか」

「俺はここにいるよ。そしたら時間切れで戻れると思うし。葉佩は先に行くといいよ」

「わかった。ありがとう」

阿部と葉佩は握手を交わした。そこに何回か手を叩き、阿部は頑張って、と笑いかけた。

葉佩たちはがこんという音がして、扉があいたことをしる。手を振る阿部を残して、3人は奥に進んだ。

《長髄彦》を解放してからすでに3日が経過していた。《アビヒコ》の息子たちを倒したのは初めて、かつ《アビヒコ》に全快してもらったため満身創痍ではない。これから待ち受ける残りの試練は化人の討伐ばかりだ。初めての区画だったが、失敗するわけにはいかない。念には念をいれて、いつになく慎重に葉佩たちは進んでいった。

最深部の区画には碑文があった。

《勇気ある者よ、秘宝の加護があらんことを》

どうやら行き止まりのようだ。その近くには宝箱があった。

「これは......」

葉佩は《碑文》と円盤を取り出す。

「次の《遺跡》に繋がる地図と......なんかのオーパーツかな?見たことないやこれ。《ロゼッタ協会》に報告してみないと」

H.A.N.T.で解析してみたが、解析不能の言葉がならぶ。

「踏破したっぽい?」

瞬き数回、葉佩は嬉しそうに笑う。

「これで任務達成かァ!!やった~ッ!!」


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エピローグ
夜が明けたら1


夢の雰囲気から自分だけ追い出され、突然目が覚めることがあった。そういうときは、まるで電気をつけられたかと思うくらいぱっと目が覚める。たいていなにかある日だ。真冬の真夜中。目を閉じると、ひそやかに何かがこちらにやってくる足音が聞こえるようだった。ずっと横たわって黙ったままそれを聞いていた。

 

扉が空く気配がした。

 

冬の廊下は静かで、すみずみまで夜の匂いに満ちていた。私の部屋までの二メートル、窓ガラスは暗く、私の顔といっしょに忘れられたすべてのことを映し出すような艶を持っていた。

 

「こんばんは~。やっほー、紅海さん。元気してる?」

 

「えっ、九ちゃん!?なんで?」

 

「いやあ、《ロゼッタ協会》から次の《遺跡》にいくよう通知がきちゃってさ~」

 

「ほんとに?ってことは《訓練所》クリアしたんだッ!?おめでとう!」

 

「ありがと~ッ!」

 

「なにがあった?」

 

「オーパーツと《長髄彦》がいってた天香遺跡から出荷された化人の行先が記された《碑文》を見つけたよ」

 

「!!」

 

「どうも今の地図上だと刑務所にあるらしくてさ~......みんなには言えなかったんだけど、《ロゼッタ協会》が罪状でっちあげるから収監されろっていうんだよ~!」

 

「それはまた......」

 

「《タカミムスビ》の落とし子からできた化人が刑務所の真下の遺跡にいるんだぜ!?もうすでに今の段階で嫌な予感しかしないんですけどっ!!参っちゃうよ~、卒業式までには帰ってこいってみんなに言われちゃうし~ッ」

 

「でも、やるんでしょ?九ちゃんだし」

 

「やるけどさ~ッ!」

 

葉佩はため息をついた。

 

「なんか既に境のじいさん、一身上の都合で用務員やめちゃってるし~、タイミング的にどう考えても《九龍の秘宝》の横取り狙ってるし~......前途多難すぎないか?」

 

「あはは......」

 

「ま、奈々子ちゃんがどーも俺の次の任務先に派遣されるっぽいから、寂しくはないけど」

 

「それほんと?奈々子ちゃんも大変だね、刑務所なんて」

 

「さすがにまた会えるとはいえなかったけどさァ~、刑務所ですかぁああって店長のおっさんに叫んでる奈々子ちゃんがいってたよ」

 

「あはは」

 

「紅海さん、退院は来年の1月だろ~?支援とか期待できない?」

 

「邪神にかかわることなら支援できるとは思うけど......卒業式までは静養かねて学園にいろって言われちゃってるんだ。ごめんね。代わりに最終報告書を書くことになってるからそれで帳消しにして」

 

「マジでッ!?うわあー......《如来眼》の支援受けられないとかきっつい......《訓練所》で紅海さんがいない絶望感味わったばっかなのに~......なんだよこの仕打ち!」

 

「ほんとごめんね。でもクリアしたならそれは九ちゃんの実力なんだから自信もっていいよ」

 

「うう、ありがとう。でも學園の次は監獄とかどう考えても落差ありすぎだよな~......不安しかないぜ。《訓練所》

の《イワレ》や《イザナミ》倒した化人しかいないわけだから......あああ......」

 

「同情するよ、九ちゃん。でも大丈夫、今の九ちゃんだったらきっと大丈夫だ。卒業式には間に合うよ、きっとね。そうだ、これあげるよ、九ちゃん。私は行けないけれど、代わりにこれ持っていって」

 

「これは?」

 

「天金石の腕輪。私が依頼人からもらったアイテムなんだけど、これ付けてると敵に与えるダメージに補正がかなりかかるみたいなんだ。空海が護符としたラズライトという鉱物で構成された深い青色の石をもつ腕輪だよ」

 

「おお~、ありがとう!」

 

葉佩はさっそくつけてくれた。

 

「九ちゃん」

 

「ん~?」

 

「これで九ちゃんの天香學園での任務は終わったわけだ。次の新天地で、九ちゃんはきっと新しいバディや協力者をえて、任務に挑むことになると思う。唯一変わらないのは葉佩九龍という《宝探し屋》が挑むってことだけだ。それ以上に安心出来る要素は他にはないよ。断言してもいい。自信もっていい。今の君は私の知ってる中で一番の《宝探し屋》だからね。頑張って。《秘宝》の加護がありますように」

 

笑った私に葉佩がふいと目をそらしてしまった。

 

「ちょっと~、なんでこのタイミングで目をそらすかな。地味に傷つくんだけど」

 

「だってさあ~、紅海さんの前だけは泣かないでおこうって決めてたのに、みんなと一緒なこというんだもん、反則だろ~ッ!どんだけ涙腺ぶっ壊せば気が済むんだよ~ッ!!」

 

ちょっと葉佩は鼻声だった。

 

「初めてだらけの任務だったけどさ、初めての友達とかバディとか色々できてほんと良かったと思ってるんだよ、俺。紅海さんの支援があったから任務も横取りされないで達成できたし。感謝してもしきれない。ほんとにありがとう」

 

「こちらこそ」

 

「へへッ。だからさ、実は次の任務、俺から志願したんだ」

 

「えっ」

 

「天香遺跡みたいな場所が日本にあるとわかったんだ。《天御子》に繋がってる以上、絶対に喪部銛矢が現れるに決まってるだろ?次こそは雪辱を晴らす!」

 

「あはは、頑張って」

 

「おう!だからさ、期待して待っててくれよな。紅海さんが探してる《天御子》の《九龍の秘宝》に繋がるなにかがきっとあるはずだから。ちゃんと持って帰ってくるよ」

 

「九ちゃん......」

 

「だから~......そろそろ紅海さんのアカウント復活したりしない?」

 

「九ちゃん、言ってる傍から懲りてないね?」

 

「だってー!」

 

「だってもくそもないでしょッ!?まあた暇があればメール爆撃するつもりでしょ、九ちゃんッ!?大丈夫なの?刑務所はH.A.N.T.使えるかどうかさえ怪しいってのに!」

 

「大丈夫、大丈夫、なんとかなるよ」

 

「へんなとこで楽観主義にならないでよ、不安しかないじゃない。そんなこと言われるとますます復活させる気無くなるんですけど」

 

「そんなこといわずにさあ!」

 

「あーもーわかったわかった。わかったから近づかないでよ、近い近い近い」

 

「やった~ッ!」

 

やはり葉佩は葉佩だった。私はため息をつくしかない。

 

「退院したら父さんの看病しながら学校行かなきゃいけないんだから、あんまへんなメール送らないでよ?」

 

「わかってる、わかってる!」

 

「あっこれわかってないやつだ」

 

「担当は次から変わるかもしれないけど、これからも構ってくれよな!」

 

「公私混同はしない主義なんだよ、私」

 

「わかった、プライベートのメルアドに送ることにするよ」

 

「まるで成長していないだと......?!勘弁してよ、他のみんなに嫉妬されるじゃん!だいたい私が諜報員だってこと、一部の人間にしかばらしてないんだからね!?」

 

「大丈夫だよ、紅海さんあてのメールはH.A.N.T.しか受信しないようにしてるんだろ?」

 

「当たり前でしょ、あんだけメール爆撃されたら秒でバレるわ!」

 

「あはは~、なら大丈夫だって。あー、でもメルマガがこれから違う人になるのかー、寂しくなるなあ。次の担当へのメルマガ、読者になっ」

 

「いいわけないでしょ、検閲とか校正とか死ぬほど受けてやっと配信してるんだから!んなほいほいばらまいてる訳ないでしょうが!」

 

「残念だな~......」

 

葉佩はいつものように笑っている。しばらくの間雑談をしていたのだが、ふいに沈黙が訪れた。互いに喋ることがなくなってしまったのだ。

 

「これから《遺跡》に向かうんだ、俺」

 

「そうなんだ?」

 

「うん」

 

「頑張ってね、九ちゃん」

 

「うん、がんばる」

 

「いってらっしゃい」

 

「うん!じゃあね、紅海さん!」

 

葉佩はいきなり窓をあけたかと思うと、なんの躊躇もなく飛び降りて行ってしまった。あまり静かな別れだったので気が抜けて、思わず窓までおいかけた。茂みの向こう側で葉佩が笑っていた。そしてそのままフェンスを乗り越えていってしまう。あの車は《ロゼッタ協会》のものだろうか。私は思わず笑ってしまったのだった。

 



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夜が明けたら2

トラックが学生寮前に止まっている。

 

「翔か?やっと退院したんだな。で、なんだその荷物は?」

 

「あれ、大和」

 

「なんだ?」

 

「いや、意外だなと思って」

 

「なにがだ?」

 

「だって天香學園に大和の求めていた《月の呪い》をとく鍵はなかったわけでしょ?大和だったら九ちゃんからなにか聞いて新天地に旅立ってるかもしれないなと思ったんだ」

 

「ははッ......君には本当に頭が下がるな......今の今まで迷っていたのは事実だ。まさか見抜かれてしまうとはな......。それは狂人だったころの洞察によるものかい?それとも九龍から聞かされたのか?まさか......宇宙人が余計なことを話したか?」

 

「私の知ってる大和がそうだったから」

 

「君のしってる未来だと俺はだいたい居なくなっていたと?」

 

「まあね」

 

「そうか......それなら、君の驚く顔が見れて良かったのかもしれないな。はは......」

 

夕薙は肩を竦めた。

 

「迷いに迷ったのは事実だが、俺は今ここにいるんだから帳消しにしてもらいたいものだなな。さすがにそこまで薄情なやつになった覚えはないとね。雛川先生には頑張って卒業しようと言われてしまってな、今のタイミングで転校となると補習が嫌で逃げたと思われてしまうだろう?あの甲太郎すらやってる補習をだ。それはゆゆしき問題なんだ」

 

「あはは、なるほどね」

 

「もちろんそれもあるんだが......。一度でも君の見舞いに行けたら考えたんだがな、面会謝絶だっただろう?どのみち産婦人科にいくのはハードルが高すぎて同じだったかもしれないが......。さすがに顔を一度も合わせないまま行くのはどうかと思ってな」

 

「そうなんだ?友達がいのあるやつで嬉しいよ、大和。ありがとう」

 

「はは」

 

夕薙はまじまじと私をみながらいうのだ。

 

「やはり、こうして狂気から解放された君をみると、やはり今までの翔はどこかおかしかったんだなと実感するよ。今はいい具合に肩の力も抜けて自然体だ。《氣》も落ちついている」

 

「そうなんだ?」

 

「なにより会話ひとつひとつに含みがない。不自然なところがなにもない。今の君は普通にうれしそうだ」

 

「大和にだけは言われたくないんだけどなあ」

 

「お互い様というわけだな」

 

「え~......」

 

「で、なんでまた引越しトラックがあるんだ?」

 

「卒業式までいるには部屋が殺風景すぎるでしょ?まだあと2ヶ月はいるわけだから。だから戻すんだ。静養には普段通りの生活が1番らしいからさ」

 

「なるほど......そうか」

 

うれしそうに大和は笑った。

 

「そいつは良かった。君と巡り会う前までの俺には無縁の存在だったが、友達ってのはいいものだな。この學園て君に逢えて良かったよ」

 

「瑞麗先生のいうとおりだったね」

 

「そうだな。ああ、そうだ、翔。あれから強制入院だったんだ。ほかの連中に君の素性については話してないが、君が無茶をしすぎたことについては話しておいたからな。覚悟しておけよ」

 

「えっ、それほんとに......?うっわ、嫌すぎる......」

 

「そういうな」

 

夕薙は私の肩をたたいた。観念しろといいたげだ。

 

「とはいえ君は病み上がりだ。それに魂と身体の融合がまた再開したばかりで自由に体が動かないときもあるはずだ。もし、少しでも不調を感じるなら、早めに瑞麗先生に見てもらえよ?君はほんとうに無茶しすぎる傾向にあるんだからな、自分をいたわった方がいい。《宝探し屋》は体が資本なんだろ?怪我や病気にかかったら、それどころでは無いんだからな。体が思い通りに動かない苦悩は俺もよくわかっているつもりた。まるで泥沼の中に進んでいるかのような、体にねっとりとまとわりつく感覚......なかなか慣れるものじゃないだろう?」

 

「心配してくれてありがとう、大和。今のところは可もなく不可もなくってところだよ」

 

「そうか、ならいいんだが」

 

「大和の方はどう?」

 

「俺か?俺は瑞麗先生が特別に処方してくれた漢方薬が効いているようだ。月の下でも皮膚の表面が少しヒリヒリするぐらいで以前ほどの身体的変化はないよ」

 

「そうなんだ?!」

 

「喜んでくれてるところ悪いんだが、まァ......この状態は長くは続かないだろうな。乾燥した皮膚の下では身体中の水分が蒸発しようと虎視眈々と機会を狙っているのを俺はしっている」

 

夕薙は手のひらを握った。

 

「俺がこの學園に今も残っているのは、君にお願いしたいことがあるからだ」

 

「え、お願い?」

 

「ああ。君にはこれからもバディとして共に共闘していきたいと話しただろう?迷っていたのはそれなんだ。今の俺ではどうしても月の出る夜は行動に制限がかかる。バディとして力になるどころか足でまといになるのがオチだ。もし、そのせいで君が命を落としたら、俺は自分を許すことができなくなるだろう。目の前で大切な者を失う悲しみは1度きりで充分だ、耐えきれるわけがないとな」

 

ただ、と1度切ってから夕薙はいうのだ。

 

「もう俺は誰も失いたくないんだ。ただ、君の場合は厄介なことにその精神交換という事情のバックホーンに宇宙人がいる。しかも《ロゼッタ協会》と協定を結んでいる以上、止めるヤツは誰もいやしない。いつか君は俺の知らないところで間違いなく死者蘇生が常態化するようになる。この10ヶ月でそれがよくわかった。人間性を喪失したらそれこそ全てが解決しても元には戻れなくなるだろう。だから、俺は君との友情に背くことがないよう行動を起こすことにしたんだ」

 

「え~っと、大和待って。なんかものすごく重い事聞かされてるように思うんだけどさ、友情にしては重すぎない?大和のこれからの理由にされても私は責任とれないよ?恋愛感情からだと言われた方がまだましなんだけど......」

 

「ほんとうに今更だな、翔は。少なくても、君の知る俺は大切な友達と未来を歩むより失う方が怖いからと約束を反故していなくなるようなやつなんだろう?本質は変わっていないさ、安心してくれ。たしかに九龍ならそうしただろうな。ただ、君の場合は話が別だ。また会える日がくるまで君の無事と栄光を祈り続けることほど滑稽なことはないだろう?」

 

「いや、いやいやいや、確かにそうかもしれないけど飛躍しすぎてない?」

 

「はははッ、ほんとうに新鮮だな、今の翔は。それが君の素か?一般人の感性を取り戻してくれたところ悪いが、遅すぎたな。君の本性は嫌というほど見てきたから今更取り繕われても無意味だ」

 

「いきなりそんな事言われても困るんですがそれは......」

 

「ところで、翔」

 

「この話の流れで冷や汗が止まらなくなってきたんだけどなんでしょうか!」

 

「君のような訳アリの人間が《宝探し屋》をやっているのなら......俺みたいな人間にも《宝探し屋》はやれるんだろうか?」

 

「え?」

 

私は思わず固まった。夕薙は私の知る未来とは世界線が完全に違うのだと悟ったようでニヤニヤしている。

 

「この1ヶ月ずっと考えていたんだが、《ロゼッタ協会》は世界を飛び回って活動するだろう?なら、俺一人でやるよりは視野が広がったり、コネが出来たりするんじゃないかと思うんだが」

 

「《ロゼッタ協会》はいつでも優秀な人材募集してるから大歓迎だと思うよ!たださっきの話を聞いたあとだと嫌な予感しかしないよ?!大和はあれかな、お父さんかな?」

 

「失礼な事を言わないでくれ、同い年じゃないか。精神年齢でいえば君の方が年上なんだろう?」

 

「《ロゼッタ協会》所属になってくれるのはほんとうに嬉しいよ?嬉しいけどさ、なんか違う。大和の私に対する友情はなんか違う......気がするッ!」

 

「どう違うのか説明できるのか?」

 

「私が仲間をつくるたびに信用するに値するか忠告してくるよね?」

 

「そうだな」

 

「私がむちゃしようとしたら、半殺しにしてでも止めるよね?」

 

「そうだが?」

 

「それは友達の域を超えてると思うんだ」

 

「ほんとうに今更だな」

 

「あははは......そっかあ。だからわざわざ残ってくれたんだね、ありがとう」

 

「ああ。君のように不自由な体から解放されるために、なんて不純な動機だが......君と同じ道を歩んでみたい。そう思うのは迷惑だろうか」

 

「私も仲間ができて嬉しいよ」

 

「そうか......そういってくれるのか。ありがとう、翔。俺にもようやく人生の目標が定まったということだな。これを機に俺も過去から脱却してみせるよ。なにもかも、きっかけは君だった。ありがとう」

 

「頑張って、大和ならできるさ」

 

「はははッ、そこまでいってもらえるとはな。......ありがとう、翔。いつか《宝探し屋》としてこうして隣合うことができたら、またよろしく頼むよ」

 

「そうなったら大和もライバルだね、手強そうだなな」

 

「そういってもらえると嬉しいよ。───────俺は、今の約束を胸に過去から踏み出してみせる。そしたら今度こそ、君と共に歩いていきたい。改めてよろしく頼むよ、翔」

 

「そうだね、しばらくはバディとしてお世話になるわけだもんな。長い付き合いになりそうだし、改めてよろしくね」

 

手を差し出した私に夕薙は笑って応じてくれたのだった。

 

「《ロゼッタ協会》に大和のこと推薦してくれないか、父さんにかけあってみるよ。くわしいことはまたあとでメールするね」

 

「わかった」

 

私が今更焦っているのが楽しくて仕方ないのか、夕薙はずっと笑っていた。



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夜が明けたら3

早朝、職員室に向かった私は、雛川先生からたくさんの課題をもらった。そして補習の日程表も。二学期のテストが終わったあととはいえ、1月の大半を病欠してしまったため、中間テストを受けられなかった救済措置である。

 

まだ時間があるし、図書室に向かうとなんともう空いていた。ドアを開けてみるとカウンターのあたりで本に埋もれている七瀬がいた。どうやら卒業にむけた文集や新入生にむけた図書委員と文学部の勧誘冊子の作成に追われているようである。

 

「翔くん!」

 

七瀬が机に広げていた本から目を離し、こちらに顔を覗かせた。そして椅子から立ち上がりこちらにかけてきた。

 

「おはようございます!お久しぶりですね、翔君。元気そうでなによりです」

 

「おはよう、月魅。私もまさか1ヶ月で帰ってこれるとは思わなかったよ。下手したら卒業しても入院を覚悟してたから。戻って来れてよかったよ。おかげで取り戻すのに課題が山ほど出てるんだけどね、あはは」

 

「そうだったんですか!?そんなに大変だったんですね......」

 

「いや、身体は幸い大したことなかったんだけど、精神の方がね、だいぶやられちゃったみたいで」

 

「色々、ありましたもんね......」

 

「ほんとにね」

 

「翔君にとってはこの學園は嫌なことの方が多かったのではないかと思います。だから戻ってきてくれて、ほんとうに嬉しいです。古人曰く《真の友をもてないのはまったく惨めな孤独である。 友人が無ければ世界は荒野に過ぎない。》。あなたがいない1ヶ月はほんとうに長かったです」

 

「そっか......。待っててくれてありがとう。今まで待たせてほんとうにごめんね、月魅」

 

「いえ!翔君は今まで頑張ってきたのですから、その分自分の体をいたわるべきですよ」

 

「ありがとう。なんか忙しそうだね、手伝おうか」

 

「ありがとうございます。でも、翔君は課題をしに図書室に来たんですよね?ならやるべきことを先にすませてください。一緒に卒業できない方が私は嫌ですよ?」

 

「あはは......ほんとだよね......まさか甲ちゃんと一緒に補習する羽目になるとは思わなかったよ......」

 

「ふふ。実はですね、ほんとうに気が気じゃなかったんですよ?夕薙さんは戻ってくるだろうといってくれはしましたが、翔君の目的はもう果たされたわけですから。岡山の方に帰ってしまうのではないかって」

 

「心配かけてごめんね。父さんがしばらく近くの病院に長期入院するからその世話もあるし、卒業するまでいるつもりだよ」

 

「ほんとうですか!?」

 

「うん」

 

「そうですか......良かったです。ふふ」

 

「月魅はさ、これからどうするの?進路とか」

 

「私ですか?そうですね、九龍さんや翔君の力になれるように、もっと知識を深めるために大学に進学しようと思っています」

 

「そうなんだ?!じゃあ、センター試験はもう終わったところだよね?大丈夫?」

 

「え?あ、はい。これは息抜きでやっているだけなので。ありがとうございます。今のところは順調に二次試験を突破すれば行けそうなので勉強に集中しているところです」

 

「そっか......頑張って、月魅。私にはそれしかいえないけどさ」

 

「ありがとうございます。ところ翔君は?卒業したら進路はどうなさるんですか?」

 

「私?私はね、《ロゼッタ協会》に入ろうかと思ってるんだ。父さんが推薦してくれるっていうし、《天御子》追いかけるためにもね」

 

「そうですか......ではエジプトに?」

 

「そうだね、カイロに本部があるから。父さん通じて《ロゼッタ協会》に入るための手続きしてからになると思うから、いつになるかはわからないけどね。適性試験とかもあるだろうし」

 

「なるほど......。翔君ならきっと大丈夫ですよ、だって江見睡院さんを助けられたのは他ならぬ翔君のおかげなんですから」

 

「あはは、ありがとう。でもそうだね、たしかにその辺は考慮してもらえるみたいだし、あんまり焦りはないかな」

 

「そうですよ、自信を持ってください。翔君がこの學園にもたらした平和はなにごとにも変え難いものなのですから。夕薙さんから《遺跡》の真実を聞いた今ならわかります。下手したら東京が大変なことになっていたわけですから」

 

「あの時は余計なこと考えないようにしながら突っ走るしかなかったしね......今思えば無茶したよ、ほんと」

 

「ふふ、でもこうしてお話できてるわけですから。いいじゃないですか」

 

「ありがとう」

 

「でも、そうですか、エジプトのカイロ......。なら、岡山県に帰ってからは、《ロゼッタ協会》の都合がついたら、海の向こうなんですね......」

 

「そうだね、そうなるといいなと思ってるよ」

 

そういった私に月魅は意を決した様子で口を開いた。

 

「あの、翔君。覚えていますか?クリスマスイブにした約束」

 

「うん、覚えてるよ。私の名前を教えるって約束だよね」

 

「はい。あなたの名前で連絡先を登録したいと思ったんです。江見翔ではなく、あなたの名前で」

 

「ありがとう。ちゃんとこうして月魅のところに帰ってこれたし、教えてあげるよ」

 

「お願いします」

 

月魅は携帯を取り出した。私は笑ってしまう。

 

「私は天野愛。天地の天に野原の野、愛情の愛で、あまのあいっていうんだ」

 

「あまの......あい......天野愛さん、ですか」

 

「うん、そうだよ。天野愛」

 

「天野愛さん......か。ふふ、いいお名前ですね。愛さんと呼んでもいいですか?」

 

「いいよ、好きに呼んでくれたら。誰も呼ばないからね。あはは、名前で呼ばれるのはかれこれ10ヶ月ぶりだなあ」

 

「ずっと翔君でしたもんね」

 

「まあ、私が選んだ道だから仕方ないとはいえ、月魅に呼んでもらえるとなんかこう......来るものがあるね」

 

「愛さん......もしかして、私以外に誰もあなたの名前を知りたい人はいなかったんですか?」

 

「うん?あ~、言われてみればそうだね。宇宙人は知ってるけど名前の必要性を感じていないみたいだし、ジェイドさんからは直接名前で呼ばれたことはないし」

 

「......そう、ですか」

 

どこか嬉しそうに月魅は笑う。

 

「私が最初なんですね。なんだか意外ですけど、嬉しいです。愛さん、卒業してからも私になにか力になれそうなことがあれば必ずメールしてくださいね。私も全力でその期待に応えようと思いますから。そして、そうでなくてもメールしてくださいね、たくさん」

 

「そうだね。改めてこれからもよろしく頼むよ、月魅」

 

「はい」

 



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夜が明けたら4

保健室には相変わらず大きな窓がある。開け放すと校庭がよく見える。乾いた風がそよそよと入ってきて、安っぽいホテルの白いレースカーテンを揺らしている。やはり光にあふれている。 

 

昼間、ひとりで瑞麗先生に呼び出されると一般生徒はドキドキするんだろうなと思う。こんなところにいると、そして四角く天井に映る陽の光を見ていると、何だかずるをして保健室に来ているみたいな気がした。瑞麗先生に校内放送をかけられたわけだから強制出頭なわけだが。

 

保健室は不思議なもので、休み時間の廊下の雑然とした響きやチャイムと共にそれがぴたりとおさまってしまう。音の幻を心地よく感じていた。 

 

ここちよい沈黙が瑞麗先生と私のあいだにある。今は退院してから初めての診察がおこなわれているのだ。邪魔をしないように私はじっとしているしかない。

 

「ふむ......やはり凄腕の噂は本当だったようだね。今の君なら太鼓判を押すくらいには精神的にも肉体的にも回復しているように思うよ」

 

瑞麗先生はほっとしたようにいう。私もつられて息を吐いた。

 

「ほんとうですか」

 

「あァ、間違いない。君はあの《タカミムスビ》を見事打ち倒し、その魂を元の場所へ還すことに成功した。実に優秀な《宝探し屋》じゃないか。そんな顔をしてはいけないよ。堂々としていたまえ。君もじきにここを旅立つのだから」

 

「いえ、私は卒業式まで残るよう言われました。父さんのお見舞いに通わなくちゃいけないし」

 

「おや、そうかい?奇遇だな、私も残るよ。まあ、卒業式までの君とは違って、あの《遺跡》を真の意味で眠らせるために数年はここに残る予定なわけだが」

 

「そっか......そんなに残るんですね、瑞麗先生。でも、たしかに《タカミムスビ》の被害者はとんでもない数になってしまいましたもんね」

 

「そうだな、1700年分の呪いから開放された人々を捨ておくわけにはいかない。これは《エムツー機関》の方針というよりは私の意思によるものだ。それを汲んでくれているのさ。ここまでかかわった状態で途中で手を引くのは私の主義に反するのでね。だが、その先のことまではまだわからない。《エムツー機関》の方からはこれといった連絡もないしな......」

 

瑞麗先生はふいに沈黙してタバコを吸った。

 

「で、君は卒業したら九龍のように次の任地にいくんだろう?」

 

「そうですね。私は《宝探し屋》ですから」

 

「......そうか。やはり、な」

 

「ただ......」

 

「ただ?」

 

「やっぱり18年のブランクは大きいみたいで、父さんが復帰できるまでは江見翔の名前は使うことになるかもしれません。予想はしてたけど長丁場になりそうです。卒業式で終わりかと思ってたんだけど。まあ、どのみち初めて使った名前だからそれなりに思い入れがありますしね」

 

「..................ふむ」

 

瑞麗先生は私を見つめている。

 

「......フフッ我ながららしくない感傷に浸っているよ。《エムツー機関》から連絡がこないなどというのは、単なる言い訳に過ぎないというのにな?電話、ネット、メール、この現代社会において、連絡手段はいくらでもある。にも関わらず、私は自分から連絡をとろうとしないのさ」

 

「なぜですか?」

 

「なぜだろうな......この學園でカウンセラーとしてたくさん頼りにされ、心地よかったからかもしれない。離れ難いんだろうな、まったくもってらしくないがね。弟に聞かれたらひっくり返って驚かれそうでいけない。天変地異の前触れだとね」

 

「なるほど......」

 

「それにだ、君には幾度も助けを請われたが、肝心の君からのSOSをきちんとくんでやれなかった。その結果が1ヶ月にもおよぶ長期入院だ。カウンセラー失格だよ、まったく。それを思うとどうしても未練が残るのさ。連絡をとってこれからを話すということは、ここがいずれ過去になるということだ。そのままで終わるのはどうも嫌なのさ。なに、私自身の問題だよ」

 

「瑞麗先生......」

 

「わかっているさ。場所や立場は違えども、私たちは確かに同じ場所にいて、同じ時を過ごしていた。一度結ばれた縁は離れた程度で切れるものでは無いことくらいはね。ただ盟友がいなくなるのは、ほんとうに寂しいことだ。違うかい?」

 

「先生......」

 

「君がいなければ、なんて考えたくもないんだが......《タカミムスビ》のギミックに気づかないまま、また悲劇を繰り返していたことが容易に想像出来るよ。これは紛れもなく君だけの功績だ。誇っていい。君は江見睡院という偉大な《宝探し屋》だけでなく、東京にいる人々を救ったのだ」

 

瑞麗先生は目を細めて笑う。

 

「ところで《訓練所》の調査にはその身体を中継地にするんだろう?そのあいだ君はどこにいるんだい?」

 

「よく知ってますね、1300年後に派遣してるイスと精神交換するって」

 

「ティンダロスの猟犬の餌食にならずに未来を読もうとすれば、イスの技術に頼らざるをえないだろう。だが君も1300年後から来た訳では無いから、そうだろうと思ったのさ」

 

「さすが......。私は元の世界に数時間だけ返してもらえるらしいです」

 

「ああ......探索中だけ?」

 

「はい」

 

「なるほど」

 

「あとは時諏佐慎也君とも一回顔を合わせたらどうだろうかって」

 

「ふむ、だから君は乗り気なわけだな」

 

「そうですね」

 

「がんばったかいがあるな」

 

「はい。ありがとうございます」

 

「なあ、翔」

 

「はい?」

 

「今はいい、イスとも《ロゼッタ協会》かとも上手くいっているようだから。だが、もしもどちらとも上手くいかなくなったり、なにか危険を感じたりしたら、必ず私に連絡をくれ。いいな?」

 

「瑞麗先生......最初から最後までありがとうございます」

 

「なに、大したことができなかったからね、せめてもの......というやつだ。身構えなくていいよ」

 

「あはは。お守り代わりに登録させてもらいますね」

 

「ああ、そうしてくれたまえ。さようなら、をいうのはまだ早いからとっておくとしようか。そうだそうだ、私としたことがまだ君にいうべき言葉を忘れていたよ。今はこちらの方がいいだろうね。おかえり、翔」

 

「は......はい!」

 



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夜が明けたら5

10ヶ月ぶりに元の世界に帰ってきた私は、探索がはじまる夕方から半日という制限時間のあいだにどうしても行きたいところがあった。それはとある神社である。

 

神社の狭い石段を登って行く。振り返ると遠く、線路や家々がシルエットになって見えた。巨大な夕焼けが目前に横たわっている。

 

人のたくさん来るような観光神社ではなく、遥か昔から鎮座している荘厳な雰囲気の神社だった。山中のように静寂が深い。君の名はの小説版の聖地としてちょっと有名になったころに地元にあることを知ったものの、いったことはなかったのだ。

 

市等の文化財にもなっていないのは、明らかでないことが多く、社伝が残っている程度だからなのだろう。訪れてみて、個性のある神社で驚いた。

 

本殿は大きな岩の上にあり、参道から本殿に行くには鎖場を通らないといけない。本殿と拝殿は昭和8年に建て替えられたもので重厚感があり、周辺の自然も力強い生命力を感じる。とても印象に強く残る神社だった。

 

境内南東の鳥居をくぐると拝殿がある。拝殿の右奥にある岩山が、甕星香々背男(アマツミカボシ)の荒魂を鎮めたとされる宿魂石(しゅくこんせき)であり、その山上に建葉槌命(タケミカズチ)を祀る本殿がある。宿魂石の北西側には甕星香々背男社がある。

 

境内の北側、国道6号に面して大鳥居があるが、こちらは裏参道にあたる。境内社として稲荷神社、大杉神社、八坂神社、天満神社がある。宿根石上の本殿への参道、鎖場になっている。

 

日立市史では雷神石と宿魂石は同じものとしている。

 

そう、ここは日本書紀にでてくるアマツミカボシを封印した石があることで知られる神社なのだ。

 

伝説では、石名坂の峠の石が巨大化して天にまで届こうとしたのを、静の神が鉄の靴を履いて蹴ったところ石が砕け、かけらの一つが河原子(日立市)へ、もう一つが石神(東海村)に落ちたといわれている。

 

創建は紀元前660年。最初は大甕山山上に祀られたが、元禄8年水戸藩主徳川光圀の命により甕星香々背男の磐座、宿魂石上の現在の地に遷座され、久慈、南高野、石名坂三村の鎮守とされたらしい。

 

その名は大甕神社(おおみかじんじゃ)だ。

 

ロッククライミングに行くつもりでいけとネットにはあったので、運動靴でいったのだが、たしかに公開されていた写真にあった御神体といわれる岩は岩というよりもはや崖だった。

 

そのはずなのだが......。

 

「ない......」

 

立ち入り禁止のテープが張り巡らされていて、そこにはなにもなかった。忽然と姿を消していた。ネットで調べて見たが、原因はわからないらしい。一夜にしてなくなったという。

 

「俺も驚いたよ、話に聞いてたのが全然ないんだから」

 

「!」

 

私は弾かれたように顔を上げて振り返った。そこには江見翔、いや正真正銘、本物の時諏佐慎也がいた。

 

「驚かせたみたいでごめん、まさか天野さんがここにくるとは思わなかったんだ。はじめまして、でいいのかな?俺は時諏佐慎也。よろしく。いやあ......面と向かってドッペルゲンガーに話すのも変な感じなんだけど」

 

「君が......?そっか、はじめまして。元気そうでよかったよ。私は天野愛。よろしくね」

 

「うん、よろしく。でもいいのか?10ヶ月ぶりに元の世界に帰ってこれたのに。家族とか友達には会ったほうが......」

 

私は首をふった。

 

「今の私はただの天野愛でしかないもの。いくらアマツミカボシの《力》が使えるようになったところで、こちらの世界は《氣》や宿星の概念が存在しないのよ?ただの人間である以上、また《天御子》に襲われでもしたらイスにまた迷惑をかけちゃうし、誰も巻き込みたくはないもの」

 

「そっか......」

 

「そう。色々考えたんだけどね、どうしても気が進まなくて」

 

納得させるように私はわざと声に出すのだ。

 

五十鈴に事情を聞かされたとき、私を襲った感情は忘れようがないほど強烈なものだった。怒りでも無く、嫌悪でも無く、悲しみでも無く、もの凄まじい恐怖心だった。それも、墓地の幽霊などに対する恐怖ではなく、神社の杉木立で白衣の御神体に逢った時に感じるかも知れないような、四の五も言わさないような古代の荒々しい恐怖心だった。

 

その夜から私の狂気ははじまったといっていい。すべてに自信を失い、ひとを底知れず疑い、この世の営みに対する一さいの期待、よろこび、共鳴などから永遠に遠ざかろうとさえしていた。今でこそ回復しているが、思い出すことはすぐにできる。それだけ魂に刻まれた傷は深いのだ。

 

私の告白を聞いた慎也は苦笑いしている。

 

「どっかで聞いたことがある話だと思ったら、俺だっていうあれだよ......あはは」

 

「えっ、じゃあ、慎也君がジェイドさん以外誰にも相談しなかったのはもしかして......」

 

「似たもの同士だね、俺たち」

 

「精神交換は魂の性質が似たもの同士じゃないとできないらしいしね」

 

「なるほど......。実は俺がここにいるのも似たようなものでさ。俺の世界だとどこにいても《天御子》にバレちゃいそうで嫌だったんだ。天野さんが《宝探し屋》してる間、天野さんの体で調査してたイスから報告が入ってさ、まさかと思ったらこれだよ」

 

「まさか......私が......」

 

「いや......それは違うと思う。天野さんが《アマツミカボシ》の転生体なわけだから、ここから宿魂石を奪ったところで単なるマジックアイテムにすぎないよ」

 

「でもかなりの大きさじゃない?」

 

「そうだね......ちょっとした儀式くらいなら余裕で出来そうなくらいだ。痕跡からですら、かなり霊力を感じるから。今の天野さんなら《氣》を見ることもできるんじゃないか?」

 

「───────......これは」

 

「気づいた?」

 

私は無言のままうなずくしかない。

 

「俺のこの体はイスが用意した義体だから《如来眼》はないけれど、魂の記憶が覚えているからわかるんだ。見えないけどわかる。これは間違いなく」

 

「《天御子》が持ち去ったってこと......?」

 

「何を企んでるんだろうね、まったく......」

 

「これじゃあ、やっぱり全部終わらないと帰れないってことじゃない......」

 

「そうなるね......」

 

私たちはため息をついたのだった。神社の境内に残された宿敵による襲撃の痕跡と禍々しい氣の残滓。全てがこれからなにか不吉なことが起ころうとしているという暗示にほかならない。

 

「今更アマツミカボシを復活させて何を企んでんだか......」

 

思わず愚痴のひとつも吐きたくなる。そしてふと気づいた私は慎也をみた。

 

「ねえ、やたら詳しいけど私が《宝探し屋》をしている間、もしかして慎也君は《天御子》の動向を追いかけて、あっちこっちの次元に飛んでたの?」

 

「え?ああうん、そうだけど?」

 

「えええっ、五十鈴はそんなことなにも......」

 

「あはは、俺が止めたんだよ。天野さんには自分のことに集中してもらいたくてさ。俺の願いはこの義体をイスから提供してもらった時点で叶ってるんだ。あとは《天御子》をどうにかするだけなんだから、やるべきことはどんどんやらなくちゃいけないだろ?」

 

「慎也君......」

 

「あとは俺の身体をイスに提供して、姉ちゃんが《如来眼》を継承できるようにして、天野さんがこの世界に帰還できれば全部終わるんだ。それまではがんばろう」

 

「そうよね、うん。正直気が遠くなりそうなんだけど、やるしかないわよね。《天御子》に脅えて一生を終えるのは嫌だし、死んだところで魂捕まったらいよいよ逃げ場がなくなるし。ひとりなわけじゃないんだから、なんとかなるわ」

 

「天野さんが話のわかる人でよかったよ。これからよろしくな」

 

「うん、よろしくね」

 

私は慎也と握手を交わしたのだった。

 



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夜が明けたら6

「おはよう」

 

「............あァ」

 

「どうしたのさ、甲ちゃん」

 

「......朝は翔ちゃんなんだよな」

 

「え?」

 

「昼休みちょっといいか?」

 

「うん?うん」

 

私たちは売店でパンと飲み物を買い、屋上に向かった。

 

「なァ、翔ちゃん。聞きたいことがあるんだが」

 

「なに?」

 

「夜に《訓練所》に潜ってるが......そのとき、お前の身体を操ってるのはあれか?宇宙人か?」

 

「ありゃ、バレた?よくわかったね。皇七から近づかないように言われてるのに」

 

「《生徒会》の見回りは継続してるからな。一般生徒がこないように」

 

「なるほど~、見ちゃったんだね」

 

「そうだ。......なァ、翔ちゃん。それは調査のためだよな?」

 

「そうだね」

 

「その間はなにしてるんだ?」

 

「私?私はね、元の世界に帰ってるよ。《天御子》が怖くて家族にも友達にも会えてないけど。《天御子》がなにやら不穏な動きをしてるから気になってね」

 

「翔ちゃん......」

 

皆守は意を決したような顔をして口を開いた。

 

「皇七から聞いたぜ、翔ちゃん。未来ってのは知ると宇宙人に一生追いかけられるらしいな。翔ちゃんの仲間の宇宙人は精神交換でそれを防いでるって話だが、その人間にとっても未来の話の場合はアウトなんだろう?1300年なんて途方もない未来だからだろうが......翔ちゃんにとってはこの学園の今は未来じゃなかったんだよな?まさかとは思うが翔ちゃんは来た時代が違うのか?いや......世界自体が違うのか?」

 

「驚いた。瑞麗先生以外に気づく人がいるとは思わなかったよ」

 

「───────やっぱりか......嫌な予感はしてたんだ。出会ったころみたいだったからな。無表情の翔ちゃんが挨拶したのに反応すらしなかったからな。1度や2度じゃない。《訓練所》で会う時はいつもそうだ」

 

「あーなるほど、そりゃバレるね」

 

「いつか、《天御子》を倒したら翔ちゃんはいなくなるわけだな」

 

「そうなるねえ」

 

「翔ちゃんはそれでいいのかよ」

 

「うーん、私はずっとそのつもりだからなあ。それにそんな先のこと考えても仕方ないってのもある。終わりが見えてきたらまた考えも変わるかもしれないけど。帰るとしても縁ってのはそう簡単に切れちゃうものじゃないよ」

 

「それでもだ。俺は嫌だ。この10ヶ月、翔ちゃんにはどれだけ助けられたと思ってる。俺はなにひとつ返せていない」

 

「甲ちゃん、二兎を追う者は一兎をも得ずだよ」

 

「翔ちゃん」

 

「大袈裟なんだよ、甲ちゃんは。今すぐいなくなるってわけじゃないんだから。気づいちゃったみたいだからね、その時がきたらちゃんというよ」

 

「そういう問題じゃないんだ」

 

「どういう問題?」

 

「だから......」

 

「だから?」

 

「俺が嫌なんだ」

 

「あはは、そんなに友達だと思ってくれてうれしいよ。ありがとう、甲ちゃん」

 

笑う私に皆守はためいきをついた。

 

「わかった。翔ちゃんがそのつもりなら、そうしとけばいい」

 

「うん、そうするよ」

 

「俺は嫌だから九ちゃんにいうし、いや、《ロゼッタ協会》にいうが、それは俺がすることだから関係ないよな」

 

「待って」

 

「なんだ」

 

「待って待って待ってなんでそうなるんだよ、やめてよ。ややこしくなるじゃないか」

 

「なにあせってるんだよ、翔ちゃん」

 

「焦るに決まってんでしょうが」

 

「ああ、そうだ。もっと適役がいたな。大和と七瀬に」

 

「待って待って待ってたんまたんまたんま、マジでやめて。シャレにならないからやめて。特に大和はややこしいことになること請け合いだからそれだけは勘弁してよ!なんだよ、甲ちゃん!いきなり!」

 

たまらず叫んだ私に皆守はそれみたことかとばかりに笑うのだ。

 

「人間はその気になればなんだってできるんだと。変えることができるんだと教えてくれたのは、お前だぜ、翔ちゃん。俺を変えることは誰にも出来ないとそう思っていたが、間違ってると風穴を開けてくれたのが九ちゃんなら、あんたは俺が歩き出せるように見守ってくれた。俺を救い出せるのは俺しかいないんだと2人して教えてくれたんだ」

 

「うん......それは良かったとおもうけどさ、なんでそれがそうなるのさ......??」

 

「こないだ、ようやく手紙を書いたんだ。切手を購買で買って、封筒にいれて、ポストに投函するだけでひとつきかかった。だが、翔ちゃんが宇宙人と精神交換してると気づいたその日のうちに全部終わってた」

 

「そ、そうなんだ......?」

 

「あァ。最初に助けてくれって言ってもらえたのは俺だったのに、最後まで翔ちゃんは頼ってくれなかったよな。まあ無理もないが。今もそうだ。理由はよくわかってる。九ちゃんに追いつく意味でも俺は過去を償うために歩き出さなきゃならない。自分を救えないものに誰も救いを求めるわけがない」

 

「買い被りすぎだよ、甲ちゃん」

 

「お前の最小評価っぷりはもう筋金入りだから聞き飽きたんだよ、俺は」

 

そして笑うのだ。

 

「阿門がいってたぜ。人と人の出会いは引力のようなもんだと。巡り会うべくして生まれた者は何が起きようといずれはどこかで巡り会うってな。俺は九ちゃんや翔ちゃんと巡り会ったのは偶然だとは微塵も思ってない。それは必然だ。なら、あっさりお別れってのはどうなんだ?」

 

「いやだから、それは......」

 

「エゴっていいたいんだろ?わかってるさ。だが、自分の言葉で自分の感情を話せるといいねといったのはお前だぜ、翔ちゃん」

 

「うん、その点はよかったね、とは思うよ。ただ予想の斜め上すぎてびっくりしてる」

 

「そりゃよかった。翔ちゃんはどうも未来の知識と《如来眼》のせいで先読みする癖がついてるみたいだからな。一般人の感性が戻ってきたとはいえ、目の前の相手をナチュラルに無視して物事を進める癖がまだ抜けてないらしい。ならあーだこーだ考えるより初めからこうして話した方が早いんだな。10ヶ月もかかっちまったぜ」

 

「嫌なことに気づかれちゃった......」

 

「覚悟しろと何度も俺はいったぜ、翔ちゃん」

 

「めんどくさい事になったのは自覚してるよ!」

 

「そういうわけだから、これからもよろしくな」

 

「よろしくされたくないよー!!」

 

「こっちは何十回考えてもそこからなんの発展もしない問いを飽きずに巡ってきたんだ。色々なことを今も思うけど、そんなことしてたら翔ちゃんも九ちゃんもいっちゃうからな。お馴染みの順路での堂々巡りを辿るくらいなら、行動に起こそうと思っただけだ」

 

「そっか......うん、気持ちはよくわかるよ。理解者が現れて嬉しいんだよね。ずっといたいんだよね。ただ甲ちゃんは重いというか、極端すぎるんだよ!私はそこまで甲ちゃんに責任持てないよ!」

 

「そこを気にしてくれるだけ翔ちゃんはやさしいよな。九ちゃんは解体屋だから廃材に考慮はしてくれないぜ」

 

「ああうん、まあそうだね......甲ちゃんの光にはなってくれないだろうね......だから甲ちゃんは自分で自分を何とかしなくちゃいけないんだ」

 

「ああ、だから俺なりに前に進もうとしてる訳だが」

 

「そこになんで九ちゃんだけじゃなくて私まで入るのかっていってるんだよ!」

 

「しるか、そんなこと」

 

「いや、そこは知っておこうよ」

 

「答えだした頃には予告無く消える癖になにをいいやがる」

 

「そこまで私は薄情じゃないよ」

 

「どうせいうのは帰る段取りが出来たらだろ。現に俺が指摘するまで誰にも言わないままちょくちょく元の世界に帰ってんじゃねえか」

 

「うっ......」

 

詰め寄られて私はバツが悪くて目を逸らした。

 

「そらみろ」

 

「ああもう、なんで九ちゃん今ここにいないんだよ!!九ちゃんがいないからってなにとんでもないこと言ってんのさ、甲ちゃん!」

 

「九ちゃんは関係ないけどな」

 

「うっそだろ、お前」

 

私はたまらず聞き返す。なんという稚拙な独占欲だ、厄介な。私はため息をつくしかないのだった。



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最終話

「翔か───────。来ると思っていた」

 

威圧的な声がひびく。窓際に立ったまま、振り返ることなく、阿門は私の気配に気づいたようだ。唇は静かに合わさり、頬から力が消えた。やや吊り上がった眉は、鳥が羽根を休めるように平らになった。

 

「来るのが遅くなってごめんね。《訓練所》の探索も一区切りついたから、ようやく今の時間になっても身体を返してもらえたんだ。まあ、明日からまた似たようなルーティンになるんだけど」

 

「そうか......詳細は八坂から聞いている。そう気にすることはない。こうして来てくれたのだからな」

 

窓から見える景色を眺めながら、阿門がいう。

 

「いいものだな、こういう穏やかな放課後も。この平穏はお前と九龍がもたらしたのだ。この校庭も、校舎も、そして《生徒会》も、この學園に囚われていた数多の魂すらも」

 

ひとつひとつが、赤く照らされては満たされていく、激しい夕焼けだった。 私たちは何も言わずに見つめていた。 

 

じょじょにその夕焼けが去っていくとき、何ともいいがたい気持ちとすがすがしい感謝の気持ちが混じって、切なくなった。  

 

これからの人生に、たとえ今日のような日はあっても、この空の具合、雲の形、空気の色、風の温度、二度とはないのだ。  

 

夕闇の透明なスクリーンが浮かびあがる。 そこにあるすべてが、手を伸ばせば水のようにすくえそうだった。つやめいた滴がぽたりぽたりとしたたり落ち、コンクリートにはねかえるとき、去ってゆく陽の匂いと、濃い夜の匂いの両方をたたえていそうだった。

 

雨が降ってきたのだ。

 

「そうだね~、気兼ねなく補習ができるよ」

 

私の言葉に阿門は軽く笑った。

 

「世界を救った英雄といえども、実際は世間の栄光をえられないことの方が多いのかもしれないな」

 

「あはは。仕方ないよ、1ヶ月も入院したのは私なんだから。それに《遺跡》から帰れば私はただの生徒にすぎないからね、これが悲しいかな、現実ってやつだ」

 

「名誉の負傷だろう」

 

「ありがとう」

 

「ただ、気になることがある。八坂や皆守から話は聞いているんだが、お前は《訓練所》の探索中は身体を預けて精神だけ本来の場所に帰っているそうだな。休む間もないといった様子だが、静養するためにもどってきたのではないのか?」

 

「さすがは情報早いね......甲ちゃんめ」

 

「あの男も心配しているのだ。もちろん、俺も」

 

「あはは......阿門てさ、なんていうかこういい意味で素直だよね。正直というか」

 

「なんのことだ。八坂にもよく言われるが......」

 

「双樹さんの心労が思いやられるなァ......。とりあえずありがとう」

 

「?」

 

「まあいいや、それについてはまた次の機会に話そうよ、皇七がいる時にでも。話は変わるけどさ、そうなんだよ。実はこっちの世界でも《アマツミカボシ》に関する史跡が次々に消失する事件が相次いでるみたいでさ......不気味すぎて困るよ」

 

「それは《天御子》の仕業なのか?」

 

「氣をみれば一発でわかるよ。なにかどでかいことしようとしてるみたいでさ、なかなか休む気になれないんだよね」

 

「そうか......」

 

「一夜にしてその存在が消失ならまだいいよ。でも由来となる伝承、祀る対象が改変されるという事変が起こったら、私という存在が消失しかねないから困る。《アマツミカボシ》が次元をこえて逃げたから私がいるのに」

 

「......ほんとうなのか」

 

「うん、そうだよ。甲ちゃんから聞いてるでしょ?私は違う次元の違う時間軸からきた人間なんだ」

 

「まさか......いや、うたがう訳では無い。八坂の言動を見ていたらだいたいの想像は出来ていた。だが、まさか次元まで違うとは」

 

「阿門たちと出会えたことについては感謝するけどさ、それとこれとは話が別っていうね?なにを企んでいるのやら。まあ《天御子》たちの考えていることまでわかるわけないんだけど」

 

「そうだな」

 

「歴史が改変されてしまったらなにがこまるって、その対応策を講じられる人間がいないという状況が1番怖いんだよ。私がいないってことは、宇宙人に関する知識がない。《タカミムスビ》に関するなにもかも、《遺跡》の封印がとかれる前に解明にいたる保証はないからね。対応に右往左往するしかなくなる。歴史改変による惨禍に飲まれたら終わりだ」

 

「考えるだけでゾッとする話だ.....もしお前がいなかったら今頃この街は......」

 

「だいたい私は《和魂》と《荒魂》が乖離せずに転生してる稀有な例なんだから余計なことしてほしくないんだよ、ほんとに」

 

「肉体と精神は惹かれ合うものだ。今の翔は仮初の身体に避難しているわけだから、《アマツミカボシ》に近い器がつくられたら呼ばれるのか」

 

「あんまり想像したくないけど......たぶんね。今の私は魂と肉体が融合しきってないし、魂だけ呼ばれたらあがらえる自信が無いね」

 

「そういう懸念があるのなら......。秘中の秘について、対抗策を考える必要があるな」

 

「そうだね、そうした方がいいかもしれない......」

 

「うちの資料庫をみるか?」

 

「えっ、いいの?ありがとう!助かるよ。そういう資料はなかなかないからね」

 

「卒業したら面と向かってアドバイスできる機会がなくなるからな」

 

「そうだねえ」

 

「なにもないことを祈る」

 

「《訓練所》の探索は順調みたいだし、このままいってくれたらそれだけでいいんだけどなあ。前途多難だよ、ほんとに」

 

阿門は私の今までの話を、そうおもしろがってもいないが、そうかと言って全然興味がなくもないといった穏やかな表情で耳を傾けていた。

 

「私ね、時間と次元を跳躍してきてさ、わかったことがあるんだ」

 

「なんだ」

 

「私たちは普通、時間という概念について考える時、直線として捉えがちでしょう?長いまっすぐな棒に刻み目をつけるみたいにね。こっちが前の未来で、こっちが後ろの過去で、今はここにいるみたいに」

 

「ああ」

 

「でも実際には時間は直線じゃない。どんなかっこうもしていない。それはあらゆる意味においてかたちを持たないもの。でも私たちはかたちのないものを頭に思い浮かべられないから、便宜的にそれを直線として認識するにすぎない」

 

「そうだな」

 

「私も今まで時間を永遠に続く一直線として捉えて、その基本的認識のもとに行動をしてきた。とくに不都合や矛盾は見いだせないし、経験則としてそれは正しいはずだってね」

 

「だが、違ったと?」

 

「うん。人が変えられるのは未来だけだと思い込んでた。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんじゃないかって思うようになった。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないかなって。だから、改変しようとしたらいとも容易く行われてしまう。私が存在するだけでここまで変わったんだから、私にできることは最期まで責任をもつことだけなんだって」

 

「そうか......ならよかった。俺はお前の存在しない世界を知らない。だから比較することすらできないが、俺はお前に出会うことができてよかったと思っている」

 

「うん、ありがとう」

 

「書庫にいくか。案内しよう。こちらだ」

 

私は阿門につれられて部屋をあとにしたのだった。



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