超人秘密結社元構成員『緑谷出久(21)』の活動記録 (ああああ)
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第1話 Hello,world




宵闇に―――怨嗟の叫びが木霊する。

 

ここは魔界都市ヘルサレムズ・ロット。かつてニューヨークと呼ばれた大都市。そして異界と人界が交差し、超常犯罪が飛び交う現在『地球上で最も剣呑な緊張地帯』だ。

 

街には数多の異形生物が闊歩し、魔法に肉体改造、霊的現象などは当たり前。『異常』事態、『怪奇』現象なんて言葉は死語になって久しい。

まさに『異常が日常』となったこの街ではあるが、しかして今宵の『日常』は些か以上に飛び抜けていた。

 

かの災厄が現れてから僅か十数分、無数の建造物が塵と消え、数多の命が路傍の染みと化した。

事の下手人は『血界の眷属(ブラッド・ブリード)』。

太古の異界存在が、人間のDNAに術式を書き込み、改造する事で作り上げられたとされる怪物であり、人界においては『吸血鬼』と伝承される人外の徒だ。

その腕の一薙ぎはビルをジェンガの如く崩落させ、悠久の時の中で培われた叡智は人類の遥か先を往く。さらには焼き尽くされ灰にされようが即座に再生してしまうほどの絶対的な不死性を宿している。

 

そして人類にとって災厄なことに、個の戦力で軍を凌駕する究極生物であるところの彼らの食物は、人間の血液だ。

つまりは食物連鎖のピラミッドにおいて人類を見下ろす捕食者。人間が動物にそうしてきたように、人の命を摘み取り糧とする上位存在である。

 

しかし、その絶対的上位存在が今―――断末魔を上げていた。

 

「ザリド・ファズルルス・ギル・バ・アギラメニカ。貴公を密封する―――!」

 

 決死の殺気を放つ上位存在に臆する事無く、静かに、されど猛々しく拳を引き絞るのは獣の如き巨躯の紳士。

 彼こそは血界の眷属に対抗するべく結成された『牙狩(きばが)り』の一組織、超人秘密結社『ライブラ』のリーダー、クラウス・(フォン)・ラインヘルツである。

 彼は文字通り血で血を洗う決死の時間稼ぎの末に、遂に仲間が()()()吸血鬼の真名―――諱名(いみな)を握ることで、あらゆる機器、センサーを透過するB・B(ブラッド・ブリード)、その不定形な実体を、自らの『奥義』に捕捉した。

 

「憎み(たま)え、(ゆる)し給え、諦め給え、人界(じんかい)を護る為に行う我が蛮行を―――」

 

 口を突くのは、これから永劫の拘束を受ける上位存在への敬意、そしてせめてもの慈悲。

 それらを握り、クラウスは拳を固める。

 呼応して、左手に装着した十字架を象ったナックルガード、その内側にある鋭利なエッジがクラウスの皮膚を食い破り、『滅獄』の属性を宿した血液を内部に装填した。

 

 

 

      ブ

      レ

      ン

      グ

      リ

      |

      ド

      流

      血

      闘

      術 

 

      9

      9

      9

      式

 

 

 

 その拳は血界の眷属の不死性を打倒し得る人類唯一の牙。

 不死者の完全な無力化という、クラウス・V・ラインヘルツが仲間の力を借りてのみ為せる血法の絶技。

 

久遠棺封縛獄(エーヴィヒカイトゲフェングニス)!!」

 

 剛拳が不死者の胸を穿ち、ナックルガードから『滅獄』の血液が打ち込まれた。

 不死者の天敵たる『牙狩り』の血液は、B・B(ブラッド・ブリード)の体内を駆け巡り、皮膚を裂き、肉を溶かし、破壊の限りを尽くす。

 やがて血液は爆裂するようにB・Bの身体から噴出し、不死の肉体が再生するよりも疾く、逃れ得ぬ血の牢獄を形成する。

 

「ぐぅうッ!牙狩りッ・・・・・・風情がああああああああああ!」

 

 街を壊し、人を殺し、人外の力を以って暴威を振るった血界の眷属が今、叫喚とともに()()()()()()()()()

 B・Bは転移術式で逃走を図るも、最早何もかもが手遅れだ。

 苦しみもがく上位存在の最期に、クラウスは、胸に拳を当て、悼むように瞑目する。

 

「どうか安らかに―――」

 

 やがて断末魔が止むと、地面に一つ、不死者の末路である醜悪な意匠の十字架が転がった。

 ここに不死者の『密封』は成された。

 血界と対する人類の最前線、H・L(ヘルサレムズ・ロット)にて、今日もすんでのところで人界の平和は保たれたのであった。

 

「クラウスさん!大丈夫ですか!」

 

 終戦の静寂の中、クラウスに駆け寄ったのは一人の少年だ。

 名を、レオナルド・ウォッチ。

 万物を見通すと云われる『神々の義眼』をその身に宿す、ライブラの構成員だ。

 此度(こたび)の戦いで血界の眷属の諱名(いみな)を見抜いたのは彼の『義眼』の力に()るものであり、血界の眷属の密封に諱名の特定が不可欠であることから、勝利に最も貢献した人物の一人と言えるだろう。

 

 そんなレオナルドの問いかけに、クラウスは獰猛に尖った犬歯を光らせながら、紳士的な笑みとともに答えた。

 

「少々血を流しすぎたが……私の方は問題無い。それよりも『彼』だ。私が来るまで持ちこたえた『彼』の奮闘が無ければ、被害はこの程度では済まなかっただろう。レオナルド、頼む」

 

無言の首肯の後、レオは『神々の義眼』を起動する。

遠視、透視、眼球の乗っ取りから、幻術の打破までなんでもござれの神造物にかかれば、(くだん)の『彼』を見つける事は容易い事だ。

 

「あの瓦礫の下です!」

 

レオが指差したのは、無数にできた瓦礫の山の一つ。

クラウスは満身創痍の身体をおして駆け寄ると、並々ならぬ怪力で瓦礫を(まく)りあげていく。

程なくして、一人の『青年』が掘り起こされた。息を乱しながら地面に背を預けた『彼』。

やや緑がかった黒い短髪、成人してなお、僅かな幼さを残した顔は疲労と苦痛に歪んでいたが、クラウスの顔を見ると安心したのか、柔和な笑みを浮かべた。

クラウスは『彼』に手を差し伸べ、抱き起こす。

 

「生きている様で何よりだ。そしてよくやった。『デク』くん」

 

*

 

『デク』と呼ばれた青年――緑谷出久はこの世界の人間ではない。

青年がこの世界に迷い込んだのは、まだ青年が少年だった頃、もう七年も前のことだ。

そう、全ての始まりは出久がヘドロの『個性』を持つヴィランに襲われ、憧れのNO1ヒーロー、オールマイトに助け出されたあの日―――。

 

*

 

出久の生まれた世界は、総人口の八割が『個性』と呼ばれる先天的な超常能力を持つ超人社会である。

『個性』とは文字通り人によって千差万別、手汗がたくさん出るなどという宴会芸の様な『個性』から、森一つ焼き尽くせる炎を出す戦術兵器に匹敵する強力な『個性』、更にはファンタジーのドラゴンの様に翼が生える異形の『個性』までと枚挙に暇が無い。

 

話だけ聞けばまるでテーマパークのように刺激的な世界になったのだと感じるかもしれない。

しかし『人間を規格化出来なくなった』ことは、世界に未曾有の混乱をもたらした。

 

『個性』の暴走による傷害事件が多発、手口不明の窃盗事件の乱発。

『個性』を神の贈り物だという宗教、『個性』持ちを集めて徒党を組む反社会勢力の乱立。

 

『個性』に関連した犯罪件数は爆発的に増加し、警察等の治安維持機関は対応に追われた。しかし『個性』はあくまで身体機能。拳銃などと違い探知機にかかる訳も無い。少々大げさに言えば、人類の8割が不可視の凶器を持った社会となったわけだ。

鎮圧の為の武装も、犯罪に対する法も既存の物は『平均的な人間』を想定しての物だ。

当然の結果として、警察は後手に回り続け世界各地が無法地帯への一途を辿った。

 

そんな中、脚光を浴びたのが『ヒーロー』という職業だった。

始まりは単純。『個性』を使い悪行を為すものもいれば、『個性』を使い善行を為す者も居たのだ。

『個性』を以って『個性』を取り締まる。そんな有志の自警団から始まった『ヒーロー』は、対『個性』への各種整備が終わるまで多大な貢献をしたとして、その功績と有用性を認められ、今では国家資格職となった。

 

超常能力を駆使して悪を討つ。まるでコミックの中から飛び出したような職業だ。更には人気を得ればCM、TVにグッズ展開、富に名声が思いのままとくれば、小中高生が将来なりたい職業ランキングで数十年不動の一位を獲得するのも当然のことと言えるだろう。

 

そして『彼』、緑谷出久も、例に漏れずヒーローに憧れる少年の一人だった。

物心ついて間もないころ、TVのニュース映像で目撃したNo1ヒーロー『オールマイト』に憧憬を抱き、『個性』使って多くの人々を救う自分を幾度も夢想した。

 

しかし―――出久に『個性』は発現しなかった。

ヒーローに憧れる少年は『無個性』と称される総人口2割の側だったのだ。

 

*

 

社会で少数派(マイノリティ)に属するというのは、それだけで苦難を強いられる。

学校でも当然のように『個性』に関するカリキュラムが存在し、その度に『無個性の子はこっちで』とより分けられる。学友からの奇異の目、嘲りや侮蔑は止むことは無く、他の事で見返そうと勉学に打ち込んだが、いくら結果を出しても『当たり前』を持っていないという劣等感は決して拭うことができなかった。

 

しかし、それでも『2割』。1万人いれば2千人は『無個性』だ。

法整備によって公共の場での『個性』使用が禁じられた。『個性』を必要としない仕事だってある。

凡庸な道を選べば、思い詰めるほどに苦悩することは無かった筈だ。

しかし出久は、凡庸を選べなかった。『無個性』でありながら、ヒーローになるという夢をどうしても諦めることが出来なかったのだ。

 

幼馴染には馬鹿にされ、教師には呆れられ、母は『個性』を持たせて産んでやれなかった事を悔いて泣き崩れた。

 

それでも諦められなかった。窮地においても決して笑みを絶やさず、人々を救い続ける憧憬の存在の姿が、出久の胸の一番深いところにこびり付いて消えなかった。

だから進路には一貫してヒーロー養成の名門『雄英高校』を掲げ続けた。

しかし雄英は偏差値70以上受検倍率300倍の超名門校。筆記試験の判定を維持するだけでも並々ならぬ努力が必要だった。

 

当然、何度も挫けそうになった。

周囲の忠告にはすべて耳を塞いで歩いてきたが、自らの道程に最も不信を抱いているは出久自身だ。

自分の努力に意味はあるのか。この道の先に憧れたものはあるのか。常にそんな不安が胸中で燻っていた。

 

だから―――偶然にも憧れのNo.1ヒーローに出会えた『あの日』廃ビルの屋上で出久は尋ねたのだ。

 

『個性が無くてもヒーローになれますか』と。

 

その言葉の根底にあったのは、自分の努力が無駄ではないことを肯定して欲しいという願い。

リップサービスでもなんでも良かった。たとえ嘘だったとしても、憧れのオールマイトが肯定してくれたという事実があれば、それを拠り所に明日からも『無個性』な自分に絶望する事無く足掻(あが)いていくことが出来るから。

 

けれど、平和の象徴とまで呼ばれた稀代のヒーローは、何処までも真摯で、現実的であった。

 

『ヒーローはいつだって命懸けだ。『個性』が無くてもやっていけるなどとは、口が裂けても言えない』

 

―――それは、知っている答えだった。

 

消沈する出久に、オールマイトは他の道を歩むことを(うなが)した。

しかし、あの時の出久は憧れのヒーローの言葉だろうと、聞き取れるような精神状態ではなかった。

自らの人生の根幹を、他でもないオールマイト(憧れの存在)に否定されたのだから。

 

やがて飛び立ったオールマイトが巻き起こした風圧で、彼からサインを貰ったノートが手からすり抜け、フェンスのほうへ転がった。

そのノートはいつかの為にと、ヒーローの個性や戦い方を研究した出久の努力の結晶でもある。

出久は呆然としながらも、覚束ない足取りでそれを追いかけた。しかし、風に踊らされたノートは無情にもフェンスの隙間をすり抜けた。間一髪で手は届かない。ページを羽ばたかせ、重力に引きずられて落ちていく様は飛べない鳥のようだった。

その光景を、出久は唇を噛み、熱を湛えた瞳で見つめた。

 

ふと、その日の学校で浴びせられた幼馴染の罵声が過ぎった。

『そんなに個性が欲しいなら来世にかけて屋上からワンチャンダイブ』

 

デクは何かを振り払うように首を振る。

まさか、そんな馬鹿げた事を実行するつもりは無い。

少し、弱気になっただけ。高所からの景色に魔が差しただけ。

なにより、こんな自分でも死ねば母が悲しむだろう。それだけは嫌だ。

 

―――しかし、その思いとは裏腹に、出久の天地は逆転した。

 

『へ?』

 

遊園地のアトラクションでしか味わったことの無いような、圧倒的なまでの反重力。

命綱など無い自由落下。速度はどんどん増していく。

 

あまりに現実味に無い事態に、反対に出久は冷静になった。

そして、さらなる異常に気づく。

落ちているのは自分だけではない。自分が立っていたビルもまた、遥か上空から落下している。

そして景色までもが一変していた。昼が夜に、近代日本的なビル街は、写真でしか見たことのないニューヨークに近いものへと、瞬き一つの合間に変貌していた。

 

―――何の因果かこの時、出久はH・L(ヘルサレムズ・ロット)の再構築に巻き込まれ、別の世界に迷い込んでしまったのであった。

 

*

 

そして転移から七年。

出久は様々な出会い、挫折、運命の悪戯の果てにH・Lで秘密結社『ライブラ』の構成員としての日々を送っていた。

始めは行く当てが無く、クラウスに拾われ、元の世界に戻るために。

やがて、自分を受け入れてくれたこの世界に住まう人々の安寧を守るために。

 

 

だが、唐突に始まったこの運命は、終わりもまた唐突なのであった。

 

「あれ、なんスかねコレ」

 

声を上げたレオナルドの視線の先にあったのは『孔』だ。

空間に黒のペンキを塗りたくったかのような光沢の無い黒い真円。

クラウスは先んじて二人を手で制した。

 

「―――不用意に近づかない方がいい。B・Bが密封される直前に編んだ転移術式のようだ」

 

B・Bが用いる人類では解明不能の空間移動の秘術。クラウスの『密封』に瀕して逃走の為に使用したのならば、行き先は自らの隠れ家か、それとも血界の眷属達の本拠地か。

何れにせよ、この穴の向こう側に値千金の情報があるのは間違いない。無論、相応の危険も伴うだろうが。

 

「レオナルド。少し、覗いて見てはくれないか。以前のように眼を眩ませられないように、ピントを絞って一瞬で良い」

「分かりました」

 

頷いたレオは『神々の義眼』を起動する。

両眼に幾何学模様が浮き上がり、青白い光を淡く放つ。

そしてそれは一瞬で消えた。クラウスに言われた通り、一瞬で眼を逸らしたのだろう。

しかし、レオは小さく首を傾げると、もう一度『義眼』を起動した。

 

「どうしたレオナルド。向こう側には何があった」

「えっと……これ……気の所為じゃなければ……前に見せてもらったデクさんの世界っぽいような……。なんか、ちょっと未来的なジャパンって感じで……あと、デクさんの記憶にやたらと出てきた『ALLMIGHT(オールマイト)』って人の広告が街中に溢れてるんで多分間違いないと思います。ちょっと待ってください、今見せます」

 

 一拍おいて、出久とクラウスの眼前にもレオと同じく、青光の幾何学模様が浮かぶ。

 『神々の義眼』の能力の一つ、『視覚共有』だ。

 そうして与えられた光景に、出久は目を剥いた。

 

「本当に・・・・・僕の世界だ・・・・・・」

 

 上空から俯瞰するような視点で広がる、自らが生まれ育った世界。

 しかも覚えのある街並み、自宅から中学校までを繋ぐ出久の通学路だ。

 建物に風景、七年どころか一ヶ月も経っていないように思える。

 あまりの懐かしさに、瞳が熱を帯びるのを感じた。

 しかし、郷愁に耽る間もなく、立ち上った爆炎が異常を知らせた。

 

「うおっ、あっちでもなんか事件っスかね」

「レオナルド」

「分かりました」

 

電子マップを拡大するように、爆炎の傍へと視点が移動する。

そして明らかになった事態に、出久は声を上げた。

 

「かっちゃん!?」

「知り合いかね」

「幼馴染です!仲が良かったかは、分からないけれど……。あれは?!」

 

幼馴染を襲っているのは、あの日オールマイトと出会う切っ掛けとなったヘドロのヴィラン。

よくよく見れば幼馴染の容貌は、遠い記憶と差異が無いように思える。

―――もしも、これが自分が転移したあの日だと言うならば。

 

(まさか、あの時僕がオールマイトを引き留めたから!?)

 

視線の先で、幼馴染は今もヴィランのヘドロ状の身体に飲み込まれるまいと必死でもがいている。

個性である『爆破』を駆使して、かつて出久が羨んだ狂気的なまでのタフネスと反骨心をもって懸命に。

周囲にはヒーロー達の姿も見えるが、敵の流体による物理無効と、爆豪の抵抗による絶え間ない爆発に二の足を踏んでいる。

 

(僕が……僕が行ければ……!)

 

この穴を通れば、向こう側に行けるのだろうか。

出久に一瞬過ったのはそんな考え。しかし―――可能だとしてもそれは出来ない。

ライブラは近々、血戦とも言える大きな戦いを控えている。

七年で培った出久の力は、微力ながらも戦力の足しになる筈だ。

 

(僕はまだ恩を返せていない。クラウスさんに、この世界に……!)

 

幼馴染を助けたい。けれどこの世界も護りたい。

今いるこの世界は出久の中で、前の世界と比べることが出来ない程に大切なものになっていた。

 

 強く握られた拳。指先が掌に食い込み、血が滴る。

 それでもどうにか、出久は深く、深く、呼吸を落ち着けることで、昂った衝動を押さえつけた。そして……この世界で何度も見てきた非情な決断を下そうとした。

 しかし、その瞬間、ヘドロに呑まれていた幼馴染が辛うじて顔を出した。

 喘ぐように空気を吸い込み、再び飲み込まれるまいとしてあがく彼の瞳は色濃い恐怖に染まっている。

 そんなハズがないのに、一瞬目が合った気がした。

 保育園から中学校まで共に過ごした中で、一度も見たことがない、勝気な彼の怯えた表情。

 歯の根を震わせ、涙を湛えた瞳で何かを訴えかける弱々しい表情。

 

それは―――『助けを求める顔』だった。

 

「あぁ……!」

 

「……」

「……」

 

 ―――葛藤する出久の後ろで、レオとクラウスの二人は顔を見合わせると、まるで悪童のような笑みを浮かべた。

 

*

 

 商店街に、悲鳴と怒号が飛び交っている。

 その中心で暴れ狂うヴィランは、自身の『個性』であるヘドロ状の身体に一人の中学生―――出久の幼馴染である爆豪勝己(ばくごうかつき)を取り込み、ヒーローを牽制している。

 抵抗する勝己の個性『爆破』によって周囲は火の海となり、更にはヘドロ男の物理無効とも言える流体の身体に対抗できるヒーローが現場に居らず、膠着していた。

 

 その渦中に一人の男が文字通り空から(・・・)降り立った。

 ネイビースーツに、グリーンのカラーシャツ。まるでイタリアの伊達男のような装いを血塗れにして、この場の誰よりも重傷を負いながらも、彼は不敵に口端を釣り上げた。

 

「まったく……乱暴だな。あの人たちは!」

 

*

 

「行ってしまったな」

「いや、行ってしまったってか、僕らが孔の中に蹴り飛ばしたんですけどね」

 

 もう、ゴルフのホール程度まで狭まった異世界への孔を見つめながら、二人は笑う。

 

「でも、心残りだろうなデクさん。クラウスさんに恩返しするっていうのが口癖だったじゃないですか」

 

「その事なら心配ないさ。デクくんが私に返すべき恩など初めから無いのだから」

 

「……それスティーブンさんも言ってましたけど、どういう意味なんですか?」

 

「私とスティーブンが彼と出会った時の話さ」

 

「異界と人界が交わった『あの日』、一人の子供が顕現した血界の眷属にペットとして捕らえられた」

 

「その場に居た私達は手をこまねいたものさ。何せあの時はまだ密封する手段も無かった。勝ち筋は皆無だったと言っていい」

 

「それでも飛び掛ろうとする私をスティーブンは必死で止めた。周囲には他にも大勢の民間人が居た。下手に刺激してB・Bが暴れ出すよりも、子供一人で満足して帰ってくれるのを待つのが賢い選択だった。私は葛藤し……結局は最善かつ最悪のその策に甘んじようとした。」

 

「そんな私達の前で彼は飛び出した。B・Bの強大さが分からなかったワケではないだろう。『行けば死ぬ』そう理解していながらも彼は子供を救うべくB・Bに立ち向かったのだ」

 

「結果、奇跡的な援軍があって、どうにかB・Bを退けることは出来たのだが、事が終わった後に私は堪らず彼に聞いたよ『何故』と」

 

「彼はこう答えた。『あの子が助けを求める顔をしていた』と」

 

「私は強敵に立ち向かう時、いつもあの時の彼の姿と言葉を思い出す。彼は私に決して折れない勇気をくれたのだ」

 

「私が彼の世話をしたのは掛け替えのないものを貰った対価だ。つまりは彼が私への恩と感じていたものは、私が彼に返した恩に他ならない」

 

「はは、昔から変わらなかったんスね。デクさん」

 

レオとクラウスはもう会うことの無いであろう友に思いを馳せ、笑う。そしてクラウスは、今にも消えそうな孔に向けて激励を送った。

 

「―――征け、緑谷出久。この世界は我々が責任を持って救ってみせる。だから君は君の世界を救ってみせろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、そういやアノ人まだチェインさんに告白してなかったですよね。それも心残りなんじゃ……」

「…………そちらの心残りの責任は負いかねる」

 

 

*

 

 着地した出久は顔を上げる。

 今度こそ、確かに爆豪と目が合った。

 身体が動く。駆け出していた。

 クラウスと出会った、あの日のように。

 爆豪がかつて自らを虐げていた相手だと言う事は関係ない。

 血界の眷属との戦闘によって失血死寸前なんて事は承知の上。

 

 「なんだぁ!テメェ、ヒーローか?!!」

 

 向かい来る出久に、ヘドロ男が叫びかける。

 ヘドロ男は迫りくる青年が、数時間前に襲った少年と同一人物だという事になど気付く由もないだろう。

 

 出久から自然と、笑みがこぼれる。

 あらゆる意味で七年前と同じ状況。

 しかし、あの日とは決定的に違うことがある。

 

 (救う力が僕に在る!)

 

 出久の革靴に内蔵された機構が起動し、鋭利なエッジが足裏を突き刺した。流出した血液は靴底へと装填される。

 

 かつて出久は、無個性である自分に絶望していた。

 しかし、迷い込んだ世界で、出久は自らに秘されていた『個性』を発現させた。

 きっと世界を渡らなければ気付く事はなかっただろう、向こうでの出会いが無ければ人を護る力に変わる事はなかったであろう。

 

その『個性(ちから)』の名は―――。

 

全能血液(オールマイティ・ブラッド)

 

出久の血液型であるO型は、あらゆる血液型の人間に輸血することが出来る『万能の血液』などと呼称される事がある。しかしそれはO型血液には血液型抗原がなく他の血液型の抗体と凝集反応を起し辛いというだけで『万能』と表現されるのは、あくまで比喩に過ぎない。

 

しかし、出久の『個性』である血液は真の意味で万能だ。

 

出久の血液を輸血すれば、相手が何型であろうと、血液自体が対応した型に変質する。

何型の血液を、どんな病にかかった血液を輸血されようと、出久の意志ひとつで無害なものへと自在に変質させることができる。

 

この『個性』そのものは一切の戦闘力を持たない。

だが、向こうの世界で血界の眷属(ブラッド・ブリード)と戦う者達―――『牙狩り』に伝わる、『属性』を付与した自らの血液を操り闘う『血法(けっぽう)』と呼称される戦闘術を修めるにあたり、出久の個性は天賦の才能だった。

 

 

 

      エ

      ス

      メ

      ラ

      ル

      ダ

      式

      血

      凍

      道

 

 

 

 迫りくる汚濁の鞭打を掻い潜り、放たれるのは高速の蹴撃。血液に付与された属性は『凍結』。

 靴裏の機構から霧状に散布された血液を、蹴りに乗せて(ヴィラン)に叩き込む。

 一発、二発、三発、四五六七八九十―――。蹴脚閃く毎に、爆豪に纏わりついていたヘドロは剥がれ飛び、同時に周囲の気温は急激に低下する。そして―――。

 

絶対零度の地平(アヴィオン・デルセロ・アブソルート)!!」

 

裂帛の咆哮と共に現れたのは空を覆うような大氷壁。

あんぐりと口を開けた野次馬たちが天を仰ぐ。

ヘドロ男の個性で最も厄介な性質は、流体である事による物理無効。しかし『絶対零度』を前にしてそれは意味を為さない。ヘドロ男は為す術無く氷の(オブジェ)と成り果てた。

 

事件解決(ケース・クローズド)

 

 その場に居た誰もが息を呑み、吐く事さえままならない。

 あまりに電撃的な解決に、心はまだ事件の中に取り残されているのだ。

 しかし、数秒の沈黙の後、理解が追い付くと、パラパラと拍手が起こり、感嘆の声が沸き上がり、やがてそれは大気を震わす程の喝采へと変わった。

 

一方、一瞬の攻防の中で引き摺りだされ、今も出久に抱えられている爆豪は、苦痛が突如として終わったことに呆然としながらも、自らを助け出した人物を見た。

 

爆豪勝己は傲慢不遜を擬人化したような人物であり、命の危機から救われたとしても素直に感謝できるような性格ではない。

それどころか、常ならば敵に敗北し、助けられ、あまつさえ横抱き―――つまりは『お姫様抱っこ』されたとなれば、その屈辱に怒鳴り散らし、暴れ出していたことだろう。

 

けれど、そうしなかった。

そんな屈辱(こと)を気にしていられない程に、理解出来ない事態が目の前に在ったからだ。

見上げて、目が合った自らを助け出した人物。その面影に唇を噛む。

 

背が伸びている。特徴的だったソバカスも消え、顔つきは別人のよう。

そもそも思い浮かべた相手は『無個性』のはず。あの氷壁の説明がつかない。

否定する要素は数あれど、肯定する要素はまるで見当たらない。

しかし、曲がりなりにも幼馴染である爆豪は、直感で真実に辿り着いた。

 

「テメェ・・・・・・デクか・・・・・・?」

「うん。僕が来たよ」

 

物語は動き出す。本来とは違った形で。

ここから語られるのは、超人秘密結社「ライブラ」元構成員。緑谷出久が最高のヒーローになるまでの、活動の記録である。




《Profile》

name:緑谷出久(21)

birthday:7/15

height:182cm

like:カツ丼

love:チェイン・(スメラギ)

quirk:全能血液(オールマイティ・ブラッド)

◯誰にでも輸血できるぞ!

◯誰からでも輸血できるぞ!

◯超性能の輸血パック人間だ!

◯本人は実は元からあった個性だと認識しているぞ!

〇でも本当は異界H・Lに適応するために少しずつ体が変質していった結果の突然変異だぞ!




【追記】
はたけやま様よりイラストをいただきました!
ありがてぇ……ありがてぇ……!

【挿絵表示】


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第2話 誤算




「というワケでデクさんは元の世界に帰りました」

 

レオナルドは、結社のミーティングに控えてやって来た銀髪褐色のチンピラ然とした男―――ザップ・レンフロに向かってそう告げた。

 

「―――あぁ?」

 

静謐としたミーティングルームに、呆けた声が溶ける。

ザップは顔面に『何言ってんだコノ陰毛は』とありありと書き記して、古いテレビの調子でも見るように、ぺしぺしとレオの頭を叩く。

 

「……」

 

考えていることは明らかだが、口に出していないものを咎めるわけにもいかない。レオはこめかみに血管を浮かばせながらも心を落ち着けると、ザップでも理解が及ぶよう猿に言葉を教える心持ちで懇切丁寧に経緯を説明した。

ザップはレオが言葉を継ぐたびに瞳を見開き、蒼褪めていく。そして遂に帰還が真実だと理解すると、力なく膝から崩れ落ちるのであった。

 

「ウソ、だろ……」

 

両の手を床につき、吐き零したのは憔悴(しょうすい)しきった呟き。

大袈裟―――とは言えないだろう。

なにせ、別れを告げることも出来ずに訪れた永遠の離別だ。

生きているとはいえ、それは世界の壁を隔てた向こうの話。ある意味で、それは死にも等しい。

ましてやザップにとって出久はただの同僚ではない。経緯はどうあれ同じ師に師事した弟弟子でもある。

きっと―――レオとはまた違った大きな感傷があるのだろう。

 

「ザップさん……」

 

滅多に見ることのない、ザップの弱々しい姿にレオナルドの涙腺が刺激される。

しかし―――。

 

「今度鍛え直すつって師匠(ジジイ)の本拠のド秘境に呼ばれてんだぞ!?あンの陰毛頭ァ!それでケツ(まく)ったんじゃねェだろうな!?生贄(いけにえ)カムバァァァァック!」

「知ってましたアンタそういう人ですよ!」

 

よくよく考えれば―――否、考えるまでもなかった。

この極めて自己中心的な女(たら)しが、男との別れなんぞでイチイチ悲嘆に暮れる筈もなかった。

深く溜息をついたレオは、行き場を無くした涙を拭い、ザップの代わりとばかりに自らが感傷に耽る。帰還の一因を作ったのはレオナルドとはいえ、彼もまた、突然の別れを消化しきれたわけではないのだ。

 

視界を閉ざせば思い起こされる出久との記憶。

思えば変人奇人狂人の見本市であるライブラにおいて、彼は貴重な常識人だった。レオが新人として結社に入った時、世話を焼いてくれたのも出久だ。

 

説明はちゃんとしてくれるし。

理由のない暴力を振るわないし。

危機に陥った時には、ヒーローのように助けてくれた。

 

「……」

 

―――レオナルドはふと、今後のヘルサレムズ・ロットでの生活を想像した。

 

「デクさんカムバァァァァァック!」

「うるっせぇ!テメェが蹴り落としたんだろうがMrk2(マークツー)!今スグもっぺん孔ブチ開けて釣り上げてこいよマジで!」

 

レオとザップは共に己の今後を考え、頭を抱えて絶叫するも、その声が出久に届くわけもない。

 

「はぁぁ……。でもやっぱ一番大変なのはデクさんっすよねー。見た感じアッチの世界も結構物騒な感じだったし。この前の事件も無事解決してればいいけど……」

 

叫び疲れてソファに体を預けたレオは、そう溢した。

出久の故郷は『個性』と呼ばれる超常能力がひしめく異世界だという。もちろん、危険度はH・L(ヘルサレムズ・ロット)とは比べるべくも無いのだろう。それは出久自身が言っていた事でもある。だが、それでも心配なものは心配だ。

 

「ま、そこんとこぁ問題ねぇだろ。アイツは」

 

しかしザップは、不安を膨らませるレオの横で、極めて楽観的な口調でそう断じた。

ともすればテキトーに答えただけなのかもしれない。しかし、それでもレオは驚きのあまり普段糸目に閉じている瞳を真ん丸に見開いた。

少なくともレオが結社に入ってから、ザップが出久を認めるような言葉を吐いたのは、嘘だろうが冗談だろうが、これが初めてのことだったからだ。

 

「ぁんだ?そのツラ」

「なんでもありませ――って(いって)ぇ!なんで蹴るんすか!?」

「蹴られたそうなツラしてたからだ」

「どんなツラだよ?!」

 

ザップは微笑ましいものを見るような視線からその内心を察したのか、レオの尻を蹴り上げた。そしてソファへ乱暴に腰を下ろすと、拗ねた子供のように窓の方へそっぽを向いて話さなくなった。

 

「この人ホント素直じゃねぇな……」

 

再び溜息を吐いたレオは、ザップの視線を追うように、特に意味も無く窓の外へと目を遣った。

 

(まぁ、実際。ザップさんの言う通り、あの人なら上手い事やってるよな)

 

 

*

 

「やらかした……!」

 

―――レオ達の信頼を他所に、出久は両手で顔を覆い、消沈していた。

 

出久が七年を過ごしたH・Lは、この世の混沌を煮詰めたような場所である。

建物や人がブッ飛ぶのを見なかった日は無かったし、『あ、トンボだ』くらいの感覚で弾丸やロケットランチャーが飛び交っている。酷いときには何の前触れも無く、完遂されれば数十億人が死に絶えるような上位存在の暇潰し(ゲーム)が始まったりもする。

 

出久自身、不意にエンカウントしたゴロツキに内臓をカツアゲされそうになったこともあるし、酒場で騙されて首と胴体を切り離されて売りに出されたこともある。

そんな異常が日常となった世界で、出久は多感な少年期を過ごしたのだ。

 

人間たかだか一、二年海外に留学した程度でカブれて帰ってくることもあるというのに、よりによってあの魔境で七年だ。ならば元の世界に帰還した際に、多少意識に差異が生まれている事もあるだろう。

…………元の世界の常識を一つくらい忘れていることもあるだろう。

 

「私語を慎むように。10-9番」

「……はい」

 

―――出久は逮捕されていた。

 

『公共の場において個性の無断使用及び戦闘行為を禁ずる』。

出久が爆豪救出のために行ったことは、この世界において、れっきとしたとした犯罪だったのだ。

 

しかし、無断使用にしても爆豪を救出するためだったことは、誰の目にも明らかであり、ヒーローでも手を(こまね)いていた事態を迅速に解決に導いたのも事実だ。当初は警察としても事情聴取のうえの厳重注意で済ませようとしていたのだが……。

身分証の提示を求められたのが運の尽き、そして馬鹿正直にH・Lで使っていた免許証を提示した出久も出久だ。

 

『普通異界二輪運転免許証』。

いったい何が普通なのか。

当然、そんな珍妙な書類がコチラの世界で通用するはずもなく。

 

―――罪状上乗せ。『有印公文書偽造、同行使容疑』。

 

あまりに現実的な罪状を前に、出久は『ああ、帰ってきたんだな』と妙な実感を得たのだが、こんなことで感じたくはなかったと留置場の床に溜息を溢す。

 

治癒力が高いというのも今回ばかりは考え物だ。

本来、昨日の出久ほどの重症ならば入院は必至。逮捕されるとしても快癒後となるはずだった。

しかしH・Lの幻界病棟までとは言わずとも驚異的な、医療系個性による治療と出久の血法由来の高い治癒力が相乗してしまい、即日『帰っていいよ』との診断を受け、豚箱へと直行するハメになった。

 

しかし、不幸中の幸いか出久は微罪処分として、既に釈放が決まってる。

 

個性の無断使用については、現場にいたヒーローの一部が結託し、『人命救助を最優先と考え、(ヴィラン)に有効な個性を所持する民間人に協力を依頼した。その際にヒーロー資格者に与えられた裁量の内で戦闘許可を与えていた』と証言してくれていたことによって不問となった。

それがあの解決劇に(ほだ)されての考えなしの行動なのか、あの場に居ながら苦しむ少年を見ていることしかできなかったヒーローの覚悟ある偽証なのかは分からないが、どちらにしても出久にとってはありがたい話だった。

 

また、文書偽造についてもH・Lの免許証とコチラの世界の免許証とでは様式が大きく異なったため、『たとえ偽造だとしても何か悪質な行為に利用できたとは思えない』と判断され、厳重注意で済んだ。

 

しかし、ならば何故、出久はこうして項垂れているのか。

それは釈放の段になって、出久の事情だからこそ発生する問題があることに気が付いたからだ。

そもそも微罪処分とは、情状酌量の余地アリと判断された被疑者を、刑事手続を行わずに釈放することなのだが……。

 

当然、身元引受人が必要となる。

そして出久の場合、それは母しかいない。

 

―――さて、今の自分の姿を見て母は一体どんな反応をするだろうか。

 

良くて卒倒。

最悪、息子ではないと警察の前で訴え出られるかもしれない。

 

「……」

 

最早脱獄した方が簡単に済むのではという考えがチラつくものの、出久はそんなH・L流の思考の危うさに思い到り踏みとどまった。

早々にコチラの感覚に戻す努力をしなければ、更に取り返しのつかない失態を犯すことになりかねない。

 

そうこう気を揉んでいるうちに、看守が出久を呼びに来た。

どうやら母が迎えに来たようだ。出久は付き添いの警官に連れられて、一晩過ごした格子を後にする。

世話になった他の警官にも挨拶し、正面玄関へ向かう途中の階段を下る。

すると、最後の曲がり角の先から声が聞こえた。

 

「すみませんこの度は息子が―――」

 

それは七年ぶりに聞く母の声だった。

心臓が早鐘を打つ。出久はそれを血流操作で強引に静めた。

 

センチメンタルに浸るのは後でいい。まずはどうにかして自分だと気付いてもらわなければならない。

アイコンタクト。それでもダメなら血法か。

 

その他に、何か打つ手はあるだろうか……。

なんとか母に察してもらえるように全力を尽くさなくては……。

出久はブツブツと自問自答を繰り返しながら歩く。

そして意を決し角を曲がると、出久は祈るように母へと視線を送った。

 

(頼む!母さん気づい……て…………)

 

―――きっと、一晩帰らなかった息子を案じていたのだろう。母の目にはクマが浮かび、泣き腫らした跡があった。

 

「出……久?」

 

不安げに、自らを呼ぶ声が耳朶(じだ)を打つ。

瞬間、それまで考えていた(さか)しらな企みは彼方へと消える。代わりに押し寄せて来たのは、衝動というのも生温い程の感情の波濤。律する事など……出来るはずもなかった。

 

出久は気が付けば、記憶よりもずっと小さくなった女性を、嗚咽(おえつ)を漏らして抱き締めていた。

 

 

*

 

 

昨日、息子が帰らなかった。

 

 

部活動をやっていない息子は、特に用事がなければ18時には必ず帰宅する。それが、昨日に限って21時を回っても連絡一つなかった。

担任の先生に連絡を取ったところ、下校したことは確からしい。

同級生の家に電話をかけてもみたが、一向に行方が分からない。

幼馴染の爆豪君の家にも電話をしたけれど、あちらはあちらで今ニュースで持ちきりの事件に巻き込まれたらしく、それどころではないようだった。

 

鳩尾を少しずつ押されていくような不快な圧迫感。

行動すればするほどに、何事もない可能性だけが潰れていき、自らで自らを追い詰めていくことになった。

爆豪君のニュースに紛れて流れた、通学路の側で廃ビルが消失したというニュースが、嫌に耳に残ったのは偶然だろうか。

私にはそれが、虫の知らせのようなものに思えてならなかった。

出久が廃ビルに行く理由なんてない。出久が関係している筈がない。そう思いつつも現場に向かう足は止められなかった。

廃ビルの跡地は規制線によって立ち入りが禁止されていた。私は中の様子を窺うため、その周囲を何度も歩いた。

 

―――そして、息子のノートを見つけた。

 

それは、息子が研究と称してヒーローの個性やプロフィールを記していたノートだ。

 

吐きそうだった。意味もないのに、その場にノートを投げ捨てて、見なかったことにして現場から逃げ帰った。

 

息も絶え絶えに辿り着いた玄関先の鏡で見た自分の顔は、とても見れたものでは無かった。

酷い寒気に(さいな)まれ、毛布に包まるも震えは止まらない。

夫に連絡をしなければとも思ったが、『大丈夫』と自己暗示のように自分に言い聞かせ、精神の均衡を保つので精一杯だった。

 

だから深夜、警察から息子が保護されたと連絡が入った時には、本当に、本当に、心底に安堵した。

何か良くないことをしたとかどうとか言われた気もするが、生きてさえいればそれでいい。

そうして私は一睡もしないまま、朝一番で警察署へと迎えに行ったのだが。

 

 

一日ぶりに会った息子は成人していた。

 

 

何を言っているか分からないと思うけれど、私も分からないのだから説明しようがない。

 

「……」

 

私は処理限界が近づいた脳を癒すため、ストローでアイスティを啜る。

ここは警察署から程近い喫茶店。目の前では随分と大きくなった息子を名乗る青年(21)が、困ったような表情で今もこちらを窺っている。

 

「ええと……要約すると、昨日の学校帰りに違う世界に迷い込んで、そこで七年冒険して帰ってきた……?何とかと神隠し、みたいな……?」

 

私の解釈に出久は僅かに不服そうにしたが、概ねそうだと頷いた。

 

私はジッと出久の顔を見る。

確かに、仕草や表情は記憶の息子の面影を色濃く残している。

出久か出久じゃないかと問われれば、間違いなく出久だ。

けれど私の心は未だ半信半疑でいる。

 

異世界だのなんだのと、そんな荒唐無稽な話に『なるほどお疲れ様』と納得できるほど私の肝は据わっていないのだ。

 

……もしやビルを消失させた犯人が、現場で攫った出久になりすまして、何か良からぬことを企てているのでは?そんな可能性が脳裏に過る。

何せこの『個性社会』。他者に変身する個性を持つ人は少なくない。

少し発想が飛躍した気もするが、昔テレビの特番でもそんな事件を取り上げていた。現実にありえない話ではないのだ。異世界がどうのこうのよりはよっぽど。

 

……だけど、成長した姿で現れた意味は何なのか。

あえて大きな違和感を作ることで他の違和感から目を逸らさせようとしている、とか?

 

何れにせよ、疑ってかかるべきだと思う。

もし想像が現実で、私がまんまと騙されたとあれば、本物の出久はどうなってしまうのか分からないのだから。

 

「あの、出久……好きな食べ物は?」

「カツ丼だよ?」

 

試しに質問を投げると、間を置かず答えが返ってきた。

その他にも、家族しか知らないような昔の思い出なんかを聞いてみるものの、何れも淀みなく答えられた。

 

やっぱり、本物……?

 

けれど、心を読める『個性』が世に存在する以上、過去のエピソードは根拠として少し弱いかもしれない。

そう思った私は、相手が見せている大きな隙。異世界について問い質してみることにした。

 

「この首の傷?前に二ヶ月くらい胴体を失くしてた時期があって―――」

「目が覚めたら僕の体が食材として売りに出されててね―――」

「一番の大怪我?寄生された異界生物に中から体を食べられ……違うなそれと同じくらいのは他にも二十回くらい―――」

 

胃が痛くなってきたので聞くのをやめた。

 

いや、どう考えても作り話なのは分かっている。けれど、妙に描写に実感があるというか……。おえぇ。

胃の中身が込み上げてきた。出久は席を立ち、私の背中を(さす)ってくれた。

 

「……そりゃあ、信じられないよね」

 

「出久、えっと……」

 

「ううん。簡単に信じられたら逆に心配になっちゃうって。……暫くはどこかホテルにでも泊まることにするよ」

 

そう言って、出久は立ち去ろうとした。悲しげな笑みに心が痛む。

引き留める言葉が喉元までせり上がるも、腹の底に沈殿した違和感や疑念がその足を引いてしまう。

 

「そうだ。最後に1つだけ。お母さんにどうしても言いたかったことがあるんだ。僕ね、個―――」

 

出久が最後に立ち止まり、何かを言いかけた。

 

しかし、それを遮るように―――爆音が轟いた。

 

まるで間近で大太鼓を叩かれたような、腹の底に響く重低音。

周囲の客が慌ただしく立ち上がり、窓の外を指さした。

私の視線も音源へと無意識に吸い寄せられる。

音と衝撃の発生源。それが先程までいた警察署で起きた爆発だと視認した頃には、飛来した大きなコンクリート塊が、店の窓際に面した通りを走る車の一台を圧し潰していた。

 

一拍遅れ、爆発炎上する車。

後続車はソレを避けようとして、思い切りハンドルを切ったのだろう。速度を落とさないままに車の鼻先はコチラを向き、瓦礫をジャンプ台にして飛び込んで来た。

 

突如襲い来る『非日常』。

視界を埋め尽くした黒い鉄塊。隔てるものはガラス一枚。

 

―――走馬灯が実在するのだと、そのとき初めて知った。

 

目の前で。フィルムの早回しのように私の人生が流れていく。

その大半が出久との思い出だった。

赤ん坊の出久。保育園の出久。小学生の出久。中学生の出久。

 

そして、最後。

引き延ばされた時間の中で見たのは、私を庇おうと身を乗り出した『今』の出久だった。

 

―――ああ、そうだ。こういう子だった。

小さい頃からオールマイトの真似をして。

そんな力も無いのに……そんな力をあげられなかったのに、困ってる人を助けるんだって、青タンこさえて誰かを守ろうとしていた優しい子。

 

私が、守らなきゃ。

 

違和感だとか、不信感だとか、その瞬間にはどうでも良くなって体が動く。

私もまた、出久を庇うべく飛び出した。

 

破滅的な破砕音が鳴り響き、世界が揺さ振られるような振動が全身に伝播する。

私は真っ白になった頭のまま、馬鹿みたいに早くなった呼吸を必死に整えた。

 

(呼吸、呼吸……?私、まだ、生きてる?)

 

私は恐る恐る瞳を開くと、自らの命を脅かした原因、その結末を探した。縮こまった首を伸ばし、通りの方へと目を向ける。

庇うために飛び掛かった私を受け止めた状態で、高く蹴り上げられた出久の脚。

その先では、ガラスを破り店に鼻先を突っ込んだ車が、外壁ごと氷漬けになっていた。

 

「大丈夫!?お母さん……!」

 

切迫した声につられて顔を上げる。

出久の顔は、焦燥に満ちていた。

それは昨晩、散々鏡で見た私の顔によく似ている。

 

しかし決定的に違うのは、そこに頼りなさだとか、危なっかしさだとかが一切感じられないこと。

こんな事故に遭ったばかりなのに、息子が居る今この場所が、世界で一番安全なのではないかという不可思議な確信を覚えた。

そして、私の無事を確かめ、安堵した出久の表情は酷く大人びていて。

 

それらは半信半疑だった息子の七年を私に信じさせるに足るものだった。

だが、

 

(それ、よりも)

 

「出久、これ、個性……?」

「うん」

「ホントに……?」

「向こうにいるときからね、ずっと伝えたかった」

「ありがとうお母さん。僕はヒーローになれるよ」

 

急激に、瞳が熱を持つ。

かつて私は、この子の前で無様にも泣き崩れた。

息子に夢のスタートラインに立つ資格すら与えられなかった事が悔しくて、それでも諦めないこの子が痛ましくて、泣き喚き、赦しを請うたのだ。

 

今思えば私が苦しみから解放されたかっただけだったのだろう。きっと出久には、自分のせいで母親を泣かせてしまったという傷を与えてしまっただけだ。

 

歪んでしまっても……おかしくはなかった。

だけど、それでも真っ直ぐに成長した息子が今、目の前にいる。

 

「うえええええええええええええええええん」

「お、お母さん!?」

「無事でよかったよおおおおおおおおおおお」

 

理屈なんて全て置き去りにして、感情だけで全ての疑念が氷解する。

私はようやく、一切のわだかまり無く息子の無事を喜ぶことが出来たのだった。

 

しかし――その喜びに水を差された。

警察署の方角から禍々しい緋色(・・)の輝きが立ち上ったのだ。

それを見た出久は表情を険しくして立ち上がる。

 

「ごめん。お母さん、行かなきゃ」

「出久……?」

「大丈夫!あんなもの、お母さんの所には絶対に行かせないから!」

 

安堵したのも束の間、遠ざかっていく背中。

待って。危ない事はダメだよ。一緒に逃げよう。

口を突いて出そうになる言葉は無数にある。

けれど、今かけるべき言葉はそのどれでも無い気がした。

 

「頑張って!」

 

振り返った出久は、驚きに目を瞬かせている。

 

―――もう、この子は私の許を巣立っている。私が守ってあげなきゃいけない存在じゃない。

 

その成長を傍で見守ることが出来なかったことは悔しいけれど。

もう手を引いてあげられないことは寂しいけれど。

 

帰る場所になってあげることくらいは今でも出来るだろう。

 

「カツ丼!作って待ってるから!」

「うん……!行ってきます!」

 

 

*

 

 

「Holy shit……!」

 

時を同じくして、警察署。

No.1ヒーロー、オールマイトは崩落した警察署の中で、異形のヴィランと対峙していた。

 

ヴィランの姿は『腕』としか表現しようがない。

人間の腕を肘から切断したようなソレが、五指を虫の足のように踊らせ、歩いていた。

 

肘の切断面からは無数の触手が伸び、その全てが署内に居る警官に突き刺さっている。

触手が震えると、ギュボと水音が響き、数多の悲鳴が轟いた。血液を吸い出した触手がバレーボールのように膨らみ、それは触手の中を進み、やがて『腕』の中へと取り込まれた。

 

死によって作り出された静寂の中で、異形は静かに呟いた。

 

「タri無ィ」




《Profile》

name:ザップ・レンフロ

birthday:11/25

height:178cm

like:金

love:女

ability:斗流血法(ひきつぼしりゅうけっぽう)・カグツチ

◯金と女にだらし無いぞ!

◯常に借金まみれだ!

○主な収入源は女性からのお小遣いだ!

○仲間達からは『銀の糞(シルバーシット)』『度し難いクズ』『ダメ男のロイヤルストレートフラッシュ』と呼ばれ親しまれているぞ!

○でも戦闘に関しては超天才だ!

○『火』属性の血液を自在に操る『斗流血法・カグツチ』の継承者だ!

◯エスメラルダ式血凍道を習得した出久を面白がって、斗流血法を教えようとしたぞ!(時給100ゼーロ)

○だけど天性と感覚で教えるザップの指導は、努力と理論で習得しようとする出久とクソほど相性が悪くて三日で飽きたぞ!

○最終的に自分を連れ戻しに来た師匠に、継承者候補として出久を生贄に捧げたぞ!



感想等いただけると元気が続きます。

次話進捗7割……完成度を上げていけ……!


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