ただ『流刃若火』がしたかった。 (神の筍)
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一
──唐突だが、『転生』という言葉を知っているだろうか?
いや、この際言葉の意味などではなく、それが表している本質。転生がどんなことをして、どんな結果を生むのか。曰く、仏教では魂が輪廻において巡ることを言う。人死ねば魂は輪を回り、再び現世でなんらかの形で命が与えられる。それが人か、虫か、鳥などかはわからない。意味としては概ねあっている。
自分が言いたいことも大体そういうことだ。
はて、お気付きの方もいるであろう。
お気付きの方がいるのかもわからないが、いわゆる転生を経験した手前、自分の人生をまるで本を読むように眺めている人物がいないことを否定はできない。
ともかく、だ。
自分は転生をした。
それも、
──特大級の特典を貰って。
一、
のべつ幕なく日々開進せよ。ただ凡庸に時の流れを見るなかれ。
己の行動を真実に翳し、高潔さを持って世に奉ぜ。
一、
人は生れながら、何ら命題を背負っている。
たとえばサッカー選手が「あなたは何故サッカーを始めたのか」と聞かれたとき、大体はテレビで見た先輩選手に憧れたからと答えるだろう。──それもまた運命。或いは、たまたま齧ったサッカーが思ったよりもできて、なんとなく続けていたらプロという地位に立っていた。──それもまた宿命。
なにはともあれこの世にはなにか、出会うものすべてに繋がりがあり、自身の行動等には流れがあるのだ。そして、今日という雲が微かに浮かび真っ赤な太陽が燦々とした晴れの下、自分が校舎の裏庭の花壇で花たちの世話をしているのもまた、なにかしら意味があるのだ。
「──ありがとう、葉桜。去年までは自分だけが管理していたから、手伝ってくれて助かる」
「うん。別に大丈夫だよ?私もこうやって花を見るのは好きだし、人もあまりいないんだから落ち着いた時間を過ごせるもん」
川神学園、裏庭。
彩豊かな花と樹々、その先には小さな池が学園長の趣味で添えられている。一応、月二回で園芸店が出張で最低限の装いを整えるのだが、いかんせん夏が近付いてきているせいか雑草が伸び放題となっている。
「それにしても驚いたよ。この学園に園芸部があったなんて」
「まあ、それも自分しかいないから自分の卒業と共に廃部になりそうだ。今年も新入生確保に勤しんだが、やはりこの学園では運動部の方が人気らしくてな……」
「それは……残念だね」
「毎年勧誘ポスターは下駄箱の掲示板に貼らせてもらっているが、ここがどうなるか心配だ」
そして、ここに花の世話と共に世間話に興じる生徒が二名いた。
一人は男子生徒で、身長は一八〇を少し過ぎたほど、髪は僅かに伸ばし眉間にかかっている。学園の白い制服の上からはなにかスポーツや武術を嗜んでいると思わせる程度には筋肉質な様子が窺える。名を──
二人目の生徒は女生徒であった。腰までに伸びるは艶やかな黒髪と、色白だが血色の良い肌。左に流れた髪には花型の髪飾りが咲いている。名を──葉桜清楚、先月から学園にやってきた転校生で、灯火と同じ3-S所属である。
「でも、灯火くんがここの管理をしていたなんて意外だな」
「む、そうか?」
「うん。教室の灯火くんはいつも大人しいから……なんとなく?」
「よく見てるんだな」
「だって、義経ちゃんと同じ刀をぶら下げてるから、嫌でも目に入っちゃうよ。それに、この学園の強い人ってみんなキャラが濃いから灯火くんもそうなのかなって」
倉庫から一輪台車を取り出した灯火は「たしかに」と呟いた。
「モモちゃんに燕ちゃん。二年生だと大和君たちもそうなのかな……?」
モモちゃん、川神百代は世界的にも有名な武神とも称されるほどの最強である。対し、清楚より前に転校してきた松永燕も模擬戦で百代と渡り合った猛者であり、三年の代表といえば今やこの二人である。
「風間ファミリーか。彼らの活躍は度々自分の耳にも入ってくるな」
二年生の風間翔一を中心に集まった風間ファミリー。百代もファミリーの一員で、登校などはよく並んで歩いている姿が見られる。
「私もたまに登下校中に会ったりするんだけど、すごく面白い子たちばかりだよ?前も義経ちゃんの鞄が引ったくりにあったんだけど、取り返すのを手伝ってくれたりして」
「引ったくり……随分と物騒だな」
風間ファミリーの話題なのだが、灯火はそれよりも引ったくりの方に反応を示した。川神では川神院と呼ばれる武術院が治安維持や生活の助けを担っているが、それでもチンピラや不良が存在する。さすがに暴力団などはいないのだが、最低限の悪はどうしても生まれてきてしまう。ともかく、川神院の直接的な管轄ともいえる川神学園生に手を出すなど明らかにきな臭さが匂ってくる。
「葉桜も、行きはともかく帰りは気を付けるんだぞ。その見た目では、遅くなって暴漢などに襲われては事だ」
「心配してくれてありがとう。自分でも気を付けるけど、一応九鬼の護衛は付いてるみたいなんだよね……」
「当然だろうな。血は繋がっていないが、その身は九鬼の子と同等。それだけ大切にされているということさ」
「そうなのかなぁ」
どこか浮いた反応を見せた清楚は、灯火が一輪台車に乗せるはずだった新しい土15kgを軽々と持ち上げた。その姿に一瞬目を細めた灯火だったがすぐに表情を戻し、悟られないように再び無表情へ戻った。
「よいしょ──はい、これは向こうに運ぶんだよね?」
「ああ。運ぶのは俺がやっておくから、葉桜は用具の片付けを頼む。ちなみに、ジョウロだけは倉庫ではなく水道の側に頼む」
「了解。じゃあ灯火くんはそっちをお任せしました」
花壇から校舎裏を抜け、校門付近にあるもう一つの倉庫へと向かう。新しい土の保管場所は他の園芸用具とは違い、出入り口に近い倉庫に保管されるためだ。花壇は校舎裏だけではなく、グラウンドや学園の周囲にもあり、そこは頻繁に手入れされている。そのため細かな土の入れ替えが必要なときが割とあって、校舎裏とはまた違う場所に置いているのだ。
それにしても、と灯火は考える。
「なぜ清楚と作業をすることになったのか」についてだ。花壇の場所は転校してすぐに見つけたようで、よく訪れていたことは知っていた。あいにく先週までは手前の花壇ではなく池のある奥の方で作業をしていたので、灯火の姿に清楚が気付くことはなかった。数度の清楚が知らない回数を経てようやく二人は邂逅したわけだが──。
「あの表情はなにか悩んでいるな」
美人の憂鬱気な表情は絵になる。しかし、それをそのままにしておけるほど灯火の器も変に大きいわけではない。かと言って正面から聴いてみるわけにもいかないので、今日はなにも言わず作業を手伝ってもらっていたのだ。
「これは、なにか起きそうだ」
義経、弁慶、与一、清楚のクローン組の転校。最近の九鬼による川神の急速な清浄化……世界の中心ともいわれる川神では日夜なにかしらの話題が起こっている。まったく戦ってこなかった灯火だがそろそろ自身も巻き込まれるのではないかと大きく溜息を吐きながら、土を下ろしたのであった。
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二
川神学園の昼休みは、時間にして五十分と割と長い時間がとられている。この間、生徒たちはグラウンドに出て身体を動かしたり、部活動がある者は短時間トレーニングをこなし、大会へ向けた練習をすることもある。そんな風に少しずつ暖かくなり人気がなくなってきた屋上では、日を避けるようにベンチに座る二人の男女生徒がいた。
「──へぇ、灯火君と清楚の組み合わせなんて珍しいわね」
「ああ。自分もまさか、話題の転校生と作業をすることになるとは思わなかった。それに、どうやらこちらに来る前にも花の世話には慣れていたのかやけに手付きが良かったな」
「清楚は暮らしていた島でも花を育てていたみたいだから、それが理由ね」
「なるほどな……」
──一際、強い風が吹いた。
黒より黒い絹髪を持つ女生徒──最上旭は反射的に靡く髪を抑えた。そのおかげか、隣に畳んで置いてあった風呂敷包みが飛んでいく。
「あ──……」
と声を漏らすが、それに気付いた灯火が、ベンチに立てかけていた刀を宙に伸ばすことによって事なきを得た。
「風呂敷は弁当の下に敷いた方が良いと言っているだろ」
「ありがとう……だって、食べる時に一緒に持ち上げなきゃならないから食べにくいじゃないの」
「そういうものか。次からは尻にでも敷いて食べるんだな」
「あら、お尻なんてえっちね」
「はぁ……」
二人の出会いを思い返せば、二年前になる。
元々帯刀許可者であった灯火は学園長に誘われ、推薦を経て川神学園へ入学することになる。推薦といっても学術試験は存在し、普段から勉学を怠ることなく納めていた灯火は無事Sクラスへ三年生まで所属することになるのだが、灯火と旭の出会いはそこが始まりである。
───入学を経て、ある日を境に最上旭という女生徒の存在が
その不気味ともいえるクラスと旭の様子を蚊帳の外から眺めていた灯火は自分には関係ないと思っていたのだが、やがて完全にクラスメイトが旭のことを認識せず、話題にすら出さない状況にもなるとどうしたものかと考えた。教師はそのことを知っていたのだろう。席替えは旭のぶんの席は予め一番右の後ろへ固定しており、評議会に入ってからは度々授業中に姿を消すこともあった。
そんな折、二学期が始まる直前の夏休み。ようやく二人の声が交わされた。灯火が道端で困っていたお婆さんに話しかけ、建物の場所を尋ねられるのだが高校生になって川神に来た手前その場所がわからなかったのだ。そこへ偶然にも通りかかったのが最上旭という女生徒で、気配を消して生活する彼女に話かけるのもどうかと逡巡したのだが人助けの前には止むを得ず声をかけたのであった。
『最上旭、と言ったか。少し道を尋ねたいのだが大丈夫か?』
『──え、私、かしら?』
『ああ。最上以外に誰がいる。お婆さんが困っている、もしメモの場所を知っているならば教えてほしい』
お婆さんは誰に話しかけているのか首を捻っていたが、取り急ぎ解決が先だと促した灯火によって旭の疑問は後回しにされた。お婆さんと別れたあと、適当に入った喫茶店にて彼女と初めてまともに会話する灯火であったが、ある程度実力があるものならば対象者の存在が薄くとも感知くらいはできると説明した。武神でも違和感を持つ程度であったのになぜ完全に目を合わせて捉えられたのか聞かれたが、元々気配察知などは得意分野であると説明した。
「それにしても、灯火君の柄の京紫は相変わらず綺麗な色をしているわね」
「ありがとう。最上のほうはまだ皮衣のままなんだな。鮫か?」
「
「本当か?」
「あら……嘘に決まってるでしょ、おもしろいんだから」
くすくすと面白げに笑う旭に、灯火は肩を竦めた。
「でも、那須与一の弓や武蔵坊弁慶の錫杖は九鬼の技術開発部によって配合された武器だと聞いたことがあるわ。先日与一が決闘で使っていた弓なんて見るからにカーボン製だったもの」
「先日……三年のボクシング部主将との決闘か」
「ええ。まあ、結果はわかっていた通り与一の勝ちだけど」
「それでも、今まで
「壁は越えてないけど、スポーツの中ならば良い線を行っているわね。卒業後も活躍が出来そうだから、今のうちに唾をつけておこうかしら?」
男女の意味、ではなく卒業後に活躍をした生徒は学園に呼ばれて講演会などを開くことがある。総合体育大会前や、在学生が全国大会に出場した際など激励に招待するのだ。評議会議長である旭は生徒会と協議してそういった人材を確保する必要があるので、唾をつけるとはそう意味である。
「灯火君ももう少し有名になったら呼ばれるかもしれないわよ?」
「さぁ、どうさな」
「動画サイトに上がっていた
「む、あれを見たのか」
「ええ。すごいかっこよかったわよ」
「そうか……知り合いに見られるのは恥ずかしいものだな。松永にも知られていたようだが」
元流──とは、梧前灯火が受け継ぐ流派である。
剣術から体術まで、様々な範囲を取り扱うオールマイティな流派だが、その在り方は力の強さを高めるものではなく精神を成長させることに依る。川神院ほど名を馳せている流派ではないが、度々舞踊による行事が公式で動画サイトに上がっているため日本より海外のファンが多数存在する。どうやら旭もそれを見たようで、少し揶揄うように感想を述べた。
「燕は情報通だもの。私もインターネットの使い方がわかっていればもっと早く見れただろうけど、ああいうマシンは苦手だから……」
途方に暮れた様子を見せる旭に、灯火は以前スマートホンに
尚、宛先やタイトルを付けるような作業があるメールは出来ない。
「意外と抜けているところがあるからな、最上は」
「う、そういう灯火君はいつも一人ぼっちじゃない」
「それは最上も同じだろう?」
「私は修行の一環で気配を消してるだけよ?あら、灯火君も気付かないうちに気配を消していたのかしら」
「まったく。ああ言えばそう言うな」
「別に、事実を言っているだけだもの──」
恰も本気でそう思ってますといった表情を浮かべて灯火のほうを向く旭。こうなった旭は面倒臭いと知っていた灯火は無理やり話題を変えた。
「来週末には学年対抗の川神大戦があるみたいだな」
あからさまな話題変換に突っ込んでも良かったが、辟易とされるのも嫌なので旭はそのまま同調した。
「二年生には義経たち新戦力、一年生には大将の素質と頭も切れる紋白がやって来た。私たち三年生には燕や清楚もいるけど、今回の勝敗は百代だけでは簡単に決着出来ないでしょうね」
一年生には九鬼紋白の他に、彼女の護衛であるヒューム・ヘルシングもいる、彼がいるならば一年生が単独優勝しても何らおかしくはない。
「さすがに九鬼の従者は出ないと思うわよ?助っ人枠には参加する人もいるかもしれないけど」
「最上はどうなんだ」
「──義経と戦えるなら、私も出るわ」
「そうか……本当に義経が好きだな」
「可愛いもの。それに──いえ」
「…………」
義経といえば二人の会話にはよく上がる後輩だ。内容から旭は義経を気に入っている節があり、そういったところからの言葉だったが旭自身にはなにか思うところがあったらしい。
僅かに沈黙が続き、どちらか声を発しようとしたときタイミングよく五分前の予鈴が鳴った。
「行きましょうか」
「ああ、そうだな」
灯火にとって、最上旭という彼女の本質は知らない。なにかを隠しているのだろうという漠然とした感覚はあるが、それを追及するのも無粋だろうと放ったらかしにしている。別に薄情ではなく、彼女ならば、話すべきときが来たのならば話してくれるだろうと信用しているからだ。
二人が知り合いになって二年。灯火が知る彼女は──よく自分を揶揄い、少し下ネタ好きな愉快な女生徒である。
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三
川神百代にとって、梧前灯火という同級生は一時期気になっていた生徒だ。無論、男としてではなく武人の一人として。
いつからか自身の振るう拳が軽く感じ、挑んでくる者たちを心何処か適当にあしらっていた。その中で学園へ入って見つけたのは帯刀許可を持つ灯火という武人。早速決闘をこじつけようとした彼女だが、彼は飛んできた百代を言葉で以てあしらってしまう。
『自分は、自分が実力を証明したいがために帯刀許可を得たわけではない。
元流という流派を残すために、一定の実力があると示す必要があった。あくまでもそれだけで、川神が期待するほどの戦いは出来ないぞ』
その言葉を聞いた百代は肩を落とした。
帯刀許可というものは一定以上の実力は必要で、強さのわかりやすい証明になる。しかし、その揺れ幅は大きく、いわゆる流派や舞踊、芸術的な意味合いが評価され帯刀許可を所持する者もいる。なればこそ、この梧前灯火という男も東北の剣聖とは違いそういった手合いの者なのだろう。
強さこそが武術。それを己の拳に見出した百代とはある意味相容れぬ存在だ。かと言って、仲が悪いのかと言われればそんなことはない。
「──おはよ、灯火」
「川神か、おはよう」
朝、下駄箱付近で靴を履き替えていた灯火に声をかけたのは川神百代であった。どうやら風間ファミリーと一緒だったようで、それぞれ自身の階下に行くメンバーを見送っている。
「今日も仲が良いな」
「当たり前だ。もう何年も一緒にいるからな。私にとってのあいつらは川神院より大事な仲間だ」
「次期総師範とは思えない言葉だな。学園長にお目玉を食らうんじゃないか?」
「ジジイもそれくらいわかってくれるさ。むしろ、仲間の危機より川神院を優先することがあればそっちの方が怒られるさ」
「そういうものか。先に行ってるぞ」
「あぁ──ちょっと待て」
そう言って百代は上履きを取ると、立っていた灯火の肩を掴んで履き替えた。いきなりのことだったが、微動だにすることなく灯火は溜息を吐いた。
「一言くらい声をかけろ」
「良いじゃないか、別に。それに『ちょっと待て』と言っただろ」
クラス的にはFだが、地頭が良い百代と口論して意味はない。そう思った灯火は大人しく並んで歩くことにした。
「川神は源たちの決闘の選別をしているようだが、調子はどうなんだ?」
「お、よく知ってるな。まあ、たまに良い線行ってる奴もいるけど基本は記念で挑みに来た奴が多いかなぁ」
「クローンとはいえ現代に蘇った名高い英雄。戦ってみたい者は多いか……」
「なあ灯火。歴史や伝統を重視するお前なら、多少なりとも義経ちゃんたちと戦いたいと思うんじゃないか?」
百代にそう聞かれ、鞄を持ち直すと灯火は答える。
「別に歴史や伝統を重視しているわけではない。歴史や伝統を重視するという行為は即ち、そういった力とは関係がない部分にも注目が出来るほど余裕がある、追い詰められていないということだ」
「どういう意味だよ」
「精神的余力がある、という意味だ」
「うげ、お前もジジイみたいなことを言うな……」
「また何か言われたのか?」
見透かされたような、自ら墓穴を掘ったことを気付かないままに百代は「うっ……」と声を漏らした。
二人の関係は不思議なもので、清楚が園芸仲間、旭が友人とすれば、灯火は百代にとっての愚痴を吐きにくる駆け込み寺のような人間だ。風間ファミリーに愚痴は零すのはあれど、さすがに歳下に何でもかんでも言うのは思うところがあるのかこうして世間話風に百代の愚痴を聞いている。
「だって聞いてくれよぉ。いくら了承したこととはいえ、中途半端な奴と戦っても発散出来ないんだよ。ここは一発、私と正面から殴り合えるような奴が来れば良いんだが、そういう奴も現れないしさ」
「川神と殴り合えるような者?居ると思ってるのか?」
「なっ、馬鹿にしたような目をしやがってこの!」
何度も小突いてくるのを肩で受け止める。鉄を軽く捻る腕力を持つ百代だが、さすがに加減をしている。
もし百代と殴り合える人物を挙げるならば、川神学園の学園長、川神鉄心や世界最強のヒューム・ヘルシング。転校初日に百代と善戦を繰り広げた燕、力では弁慶だろうか。最初の二人は既に自由に戦える地位ではなく、弁慶も九鬼の一員なので本気の戦いは許可されていない。燕は比較的自由な立場なのだが、彼女自身無敗に拘りを持っているので百代と戦うとすれば確実に勝利を確信したときのみだろう。朝稽古は参加しているらしいが。
「痛いぞ……ほら、川神の教室だ。自分はSだからもう行くぞ、Sだからな」
「何度も言うな。昼休み行くからな!」
「はいはい──」
一、
「──そういうことで、朝から川神に絡まれていた」
「だからモモちゃんの声がしたんだね」
「ああ。あいつは絡んでくると厄介だからな」
灯火は先ほどの顛末を前の座席の清楚に話していた。さすがに百代の悩みといえる部分は伏せたが、清楚は苦笑いを浮かべている。
「でもそれに付き合える灯火くんもすごいよ。私もたまにモモちゃんと駅前に遊びにいったりするけど、この前なんてモモちゃん、ブラックホールを三つ作ってお手玉とかしてたもん」
「いやそれそういうレベルじゃないと思うんだが……むしろそれをいつもの日常のように話す葉桜の方が強いんだが」
当たり前のようにそう言った清楚に灯火は引き気味に返した。
たまに出る清楚の強かさに驚く。
「──お二人さんや、何の話をしてるのかな?」
と、背後から声がした。百代ではない。
「あ、おはよう──燕ちゃん」
「おはよ、清楚ちゃん。それと灯火クン」
「おはよう、松永」
くるりと横回転するように入ってきたのは、このクラスで清楚に並ぶ人気を持つ納豆小町こと松永燕である。どうやら丁度来たようで、手には鞄が下げられている。自身の座席である灯火の隣の机にかけると、凭れるように座った。
「なに、川神の話をしていてな。今日も自分が絡まれた、そんな話だ」
「お二人さんは仲が良いねぇ──ま、後ろからチラッと見てたんだけど」
「そうだったのか。助けてくれれば良かったじゃないか」
「いやいや、私は獅子の餌を啄むほど愚かな燕じゃないよ」
「誰が餌だ、誰が」
「私は食堂でお昼ごはんを啄むのが精一杯だから……」
胸ポケットから取り出した『唐揚げ定食』と書かれた食券を見せながら態とらしく首を振った。お昼時に向かえば混んでいるのは確実なので、今のうちに買ったのだろう。
「灯火クンは今日もお弁当?」
「そうだ」
「偉いね、ちゃんと作ってくるなんて。お母さん?」
「いや、自分で作っているぞ。言ってなかったかもしれないが、自分は一人暮らしだ。実家は京都の方にあるからな」
「おお。ここで明かされる同郷のよしみ」
「北のほうだがな」
「意外と広いもんね、京都」
「京都駅と北山で天気が違うなんてこともざらにあるし」
「松永は京都市の方か?」
「活動拠点は」
「プライドは捨てろ」
「くっそぅ……」
二、
授業はすべて終わり、時刻は十分に放課後といえる。グラウンドでは野球部が練習をしているのか打音が心地良く響き、青春を夢想させる。かく言う灯火も放課後は清楚と花壇の見廻りだったのだが、残念ながら清楚は用事があるとのことで来れないようだった。元々一人で行なっていたぶん支障はなかったが、それでも暇なのでどうしようかと唸っていると見知った顔に誘われたので其方に赴くことにした。
「──それにしても、こうした時間を過ごすのは入学して以来ですね。川神院総師範代川神鉄心殿」
学園長室にて、灯火は鉄心と向き合って茶を飲んでいた。
「そう畏まらんで良い。今のワシとお主の付き合いはただの学園長と生徒、元流と川神流の交流会でないでの」
「むしろそちらのほうが畏まらなければなりません。あの川神鉄心殿の学び舎で過ごせる毎日、充実しております」
「おお、それは良かった。お主ほどの精神を持つ武人が普通の学校に行くのは見過ごせんかったからのぅ」
「いえ──自分など、やはり鉄心殿や、遠目から拝見しましたがヒューム卿に比べたるや未だ未熟。直接教えは受けずとも、その感じ取れる静の気力からは学べるところが多々あります」
「なに、ヒュームはともかく、ワシなどはただ歳を重ねただけじゃ。
とはいえ、百代も少しはお主の考えを学んでくれると嬉しいのじゃが……」
畏まった口調は当然ながら灯火であり、百代を憂うのは彼女の祖父鉄心である。百代の武術の師であるため、当然最近の雰囲気を感じとっていたようで鉄心は何とかしなければならないと危惧している。このまま行けば百代は己の強さによって押し潰され、ただ孤独を感じるのではないかと。故に、度々精神の修行を命じるのだが活発的な百代はそれを嫌い今に至る。
「たしかに、最近の彼女はどこか上の空が続いているようです。松永燕が現れ、源義経の決闘者選別を経て少しはマシになっていますが時間の問題でしょう」
「次の川神大戦で、義経ちゃんたちの活躍に期待じゃの……むろん、お主も出るんじゃろ?」
「はい──一応は戦場に立ちますが、自分が役に立つことなどは無いでしょう。百代は当然として、松永燕もいます。二大巨頭ともいえる二人がいれば、おそらく」
「じゃのう……だが、わからんぞ。今年の二年や、一年の紋ちゃんなどは百代を本気で倒そうといつもより気合いが入っておる。来週の頭からは助っ人枠の募集が始まる。そこでなにやらとんでもない人材を確保してくるやもしれんな」
伸びた髭を撫でながら鉄心は愉快そうに笑った。
「ワシは一度、お主が刀を抜いたところを見てみたいのぅ……」
表情は好々爺であるが、細めた瞳からは全盛期と変わらないであろう威を感じる。
「
「ほほっ、来れば良いがの」
二人は少し緩くなった茶を飲んだ。
春は過ぎ、夏へと一歩踏み入れた。ただ落ち着いた空気が流れるばかりであるが、二人の知らないところで喧騒の狼煙が上がっていることは──誰も知らない。
ハーメルンの二次創作で主人公最強ものだと、わりと百代をアンチ的に書いてる人が多いですが日常生活の百代はさばさばしてて付き合い良さそうですよね。
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四
多摩大橋──通称、変態橋。
多摩川の上に掛かるその橋は駅や金柳街、繁華街と川神学園を繋げる付近の唯一繋がる橋であり、そのおかげか様々な人間が集うことになる。人力車で爆走する学園生や喋る自転車に乗る美少女含め、百代の一癖ある挑戦者や、変な空気に誘われたのか当たり前のように猥褻罪に引っかかる犯罪者も現れる。そういった手合いは川神院の門下生か、九鬼によって衆目に晒される直前に処理され、大の大人が見目麗しいメイドに伸されていることは多々ある光景だ。
そんな多摩川の、夕陽に照らされた河川敷にて歩いていた灯火の耳には現代では珍しい雅な笛の音が聞こえていた。
「────珍しいな」
思わず足を止めた灯火の視線の先には三人の生徒がいた。
一人は篠笛を吹く、群青色のポニーテールをしている源義経。川岸で吹く義経を石階段で三角座りの要領で聞いている武蔵弁慶。手には川神水の入った杯がある。最後に銀髪色が特徴的な那須与一、彼は斜めになった草絨毯の上で腰に手を当て風を浴びている。未だ噂冷めやらぬ英雄の蘇り、その三人の──古の風景がそこにはあった。
「なるほど。やけに人がいないと思えば、辺りは人払いをしていたか。違和感を無視して歩いたのは無粋だったな」
灯火が視線を上げると、およそ三〇〇メートル先付近のビルの屋上には九鬼の従者が見える。多摩大橋の欄干の一番上にもメイド二名が目を光らしており、どうやら警備は万全なようだ。
それならば、一々立ち止まり水を差すのは野暮である。そう思った灯火は先ほどよりも三人に気取られないように歩き始めた。
「…………」
しかし、やはり気になるのかその歩みはいつもより遅い。現存するどんな創造物よりも価値があるであろう光景をもう一度だけ目にしようと小さく振り返ると、こちらを見ていた武蔵坊弁慶としっかり目が合った。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「………………」
「………………ん」
ひょい、と弁慶が手招きをした。
義経は笛を吹き、与一は気にした様子もなく夕陽を眺めている。
「しまった──」
今日は、見たい番組があった。
一、
「──あなたの名前を当てて見せようか、先輩」
隣に同じように座った灯火へ、弁慶はそう言った。
「先輩であることがわかっているのならば、自分の名前は知っているだろうな」
「うん。清楚から聞いてるからね──梧前灯火先輩」
弁慶は当然かのようにその名を呼んだ。
「自分は川神などとは違い、そこまで目立つことはしていないが一体なにを話していたんだ?」
「それは言えないよ。一応プライベートの話だし。それとも先輩は自分の評価が気になるタイプ?」
「いや、そんなことはない。自分が嫌われていようと、その逆であろうと態度は変えないように心掛けているからな」
「自己評価が低い人だね。大丈夫、別に清楚は変なことは言ってなかったよ。園芸や花の話で気の合う、喋ってて心地良い人だって」
「そうか……全部話しているんじゃないか?」
「清楚に言わなければ問題無し」
「とんだ後輩だな、これは」
ニヤニヤとする後輩にクラスメイトの心配をする。これは常日頃から揶揄われているか、意外に芯の強い清楚は弁慶の冗談にも笑って対応していそうでもある。
「招かれて早々に悪いが、源の演奏が終わりそうだから帰らせてもらうぞ。彼女も二人に聞かせていた音を部外者が聞いていたと知れば気分が悪いだろう」
「いや、別に構わないよ。義経も先輩には気付いているだろうし。それにほら──」
いつの間にか笛の音は止まっていた。辺りは静寂に包まれ、停滞的な冷たさが広がっていく。恐怖などとは違う、音色が無くなったことによる寂しさから来る感覚だ。
「──こんにちは、梧前灯火先輩。
義経の名前は、源義経と言う」
「こんにちは、源義経。梧前灯火だ。一応、源たちの一年先輩になる」
源義経に先輩だの言っても意味は無いか、と自身の下手な自己紹介に灯火は自嘲した。
「ああ、もちろん知っているぞ!三年生にして
「あの
「え、そうなのか?」
「誰が、とは言わないが」
灯火は義経の様子から、どうやら旭はまだ義経に会っていないと判断した。恐らく姿を見せていないのは旭の意思なので、ここで伝えるのもおかしなことだろうと真意は濁した。
「まだ義経が知らない猛者が川神にはいるのか……」
「いつか会えるだろう。本人は源義経のファンであると言っていたぞ」
「おお、そうか!……あ──そうですか!」
別に気にしていなかったが、自分で気付いたのか義経は急に敬語へと口調を変えた。
「普段の口調でも、どちらでも構わないぞ。自分は源義経に敬語を使われるほど出来た人間じゃあないからな」
仰ぐようにして手のひらを振った灯火に、義経は頭を下げた。
「んん、では、その……このままで行きたいと思う」
普段の様子へ戻った義経に「そっちのほうが良い」と灯火は言った。
「それで、自分の名前を知っていたということは何か用事でもあったのか?」
「大した用事ではないのだが、やはり同じ帯刀許可者とは一度お話をしてみたくて。黛さんとは機会があったのだが、梧前先輩とは中々会えなかったから」
「と言っても、先輩が来たのはまったくの偶然なんだけどね」
弁慶が付け足すと、義経は腕を組みながら二度頷いた。
「ふむ、そうか──」
灯火は立ち上がり、襟を正した。あの源義経が態々挨拶に来てもらったのだ。それならば、灯火もある程度立場ある人間として挨拶を返さなければならない。
「──元流、継承者兼総師範。梧前灯火だ。源義経と武蔵坊弁慶、そしてあそこで黄昏ている三名、会えて嬉しい」
灯火と義経は固く握手を交わした。
二、
とある場所に存在するビル。見た目は廃ビルのようだが、入り口と内部は綺麗に清掃されており、人の気配が窺える窓からは明かりが漏れていた。
「では、清楚先輩の依頼は『自身の正体』ってことで良いんですか?」
そのビルの正体は川神を拠点とするグループ、風間ファミリーの基地であった。
「うん。私も自分なりに考えて、探してみるのでお願いします」
この場には一人を除いて全員が揃っており、今日は依頼という形でやって来た清楚の話を聞いていた。
「清楚ちゃんの正体、か。確かに気になるといえば気になる」
「でも大丈夫なんすか?清楚先輩の正体は九鬼も隠してるわけで、それを知ろうとしたらオレたちも──」
「たぶん大丈夫じゃないかな……九鬼には『まだ教えることはできない』と言われてるだけで、『自身について調べるな』とは言われてないの。もし本当に危ない誰かが私の正体なら、きっと九鬼は私を隔離してでも正体を知られないように動くはずだから」
「清楚先輩の言う通り九鬼が危険視するほどの英雄が眠っていたとして、仮にそれが民間人に危害を加えたとき清楚先輩だけじゃなく義経たちにも風当たりは強くなる。もしそうなら、九鬼は厳重に護衛をしているはずだ」
「今も外に二人いるだけだしなー」
「さすがお姉様。私じゃまだ遠い気配を読むことは難しいわ!」
「ワンコは気力操作のタイプじゃないからな。戦ってる最中に相手の気配を読むことができれば上出来だ。ほーらよしよし」
「きゃうんきゃうん」
いつものように戯れ合っている川神姉妹を尻目に、ファミリー内で軍師に位置する直江大和は思案する。
彼の考えの根幹はまず、ファミリーの安全と存続。事に及ぶ、関わってファミリーに危険が及ばないかである。力や武力の部分では百代を筆頭に、剣聖黛大成の娘由紀江や天下五弓の一人椎名京など癖はあるが頼もしいメンバーがいる。しかし、単純な武力ではなく権力が関わってくるとき、無闇に関わるのは避けなければならない。特に今回は九鬼の内部機密レベルの依頼である。いつもより慎重に重ねた思考を繰り返さなければ取り返しのつかない事になりそうだ。
「キャップ、どう思う?」
結論話す前に、大和は珍しくリーダーである風間翔一に意見を求めた。
「うーん……別に良いんじゃねえかとオレは思うぜ。大和みたいに色んなことを考えられる頭じゃねえけど、オレの勘が『大丈夫』だと囁いてる!」
「キャップの勘がそう言ってるなら大丈夫かなぁ」
念の為、風間ファミリーが清楚の正体を調査していると風の噂程度に伝わるように行動をする。本当に駄目ならばその時点で九鬼が接触してくるであろう。もし何もなければ第三者である風間ファミリーが調査していても構わないということだ。
「みんな、多数決を取ろう。今回の清楚先輩の依頼、受けても良い人は手を挙げてくれ」
九人中、賛成に挙げたのは六人。百代、一子、京、クリス、翔一、岳人だ。大和も賛成寄りの考えであるため、実質七人か。
「まゆっちとモロは?」
「えっと、その……私は賛成寄りの中立ということで……」
「僕もまゆっちと同じかな。一応九鬼に関連したことだし、慎重に決めた方が良いと思う」
「わかった。じゃあある程度線引きを考えて、何かあったら手を引くということにしよう。
この依頼、受けるということで良い?」
大和が最後に聞くと、一様に肯定の意を示した。
「よっしゃ!久しぶりに骨のある依頼だぜ!」
「清楚ちゃんの依頼なら受けないとな♪」
「義経たちと同じ英雄……私気になるわ!」
「ワンコ、それ違うやつ。
清楚先輩には面白い本を教えてもらったから、そのお返しに」
「くぅー、オレ様の筋肉が活躍できれば良いんだがな!」
「自分も頑張るぞ!清楚先輩は大舟に乗ったつもりで待っていてくれ!」
「あ、あはは……みんな元気だね」
「ということで清楚先輩」
ファミリーの面々に待ったをかけて、大和は向き直った。
「俺たちは清楚先輩からの依頼を受けます」
「本当にありがとう」
「でも、九鬼から待ったをかけられればそこまでですが良いですか?」
「そのときは私自身も潔く身を引くよ」
「わかりました。じゃあ清楚先輩ももし九鬼から何か言われた場合は俺たちに連絡するようにお願いします。この中の何人かは既に連絡先を持っていると思うので」
「……オレ様は持ってないぞ」
「……ガクトが必要になることはないから」
「……うぉ、酷ぇな京」
「とにかく姉さんでも誰でも良いのでお願いします」
「了解。できるだけみんなに連絡するね」
清楚がもう一度お礼を言うとともに、大和が携帯で時間を確認すると既に午後七時を回ったところだった。
「今日はもう遅いから、本格的に動くのは明日からにしよう。
清楚先輩は大丈夫ですか?」
「うん」
「よし、じゃあ今日は解散ということで」
葉桜清楚の正体──。
それを暴くことが一体どんなことに繋がるのかはわからない。しかし、確実にそれはまた一つ、川神の地に大きな波紋を齎してくれることは明白であった。
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五
坐禅、という言葉がある。
坐禅は字の通り、座って禅と向き合うことを表す。禅とは心の別名であり、つまり坐禅とは座りながら自身の心と向き合うことをいう。
灯火が継承する元流にはその坐禅を終えた者に、更なる禅の方法が授けられる。
名を、
──刃禅
己が生涯をかけて振るい、付き合っていく刀の真心と向き合い、対話するという修行方法だ。第三者から見ればただの精神修行の一環なのだが、元流を収める者の中には極稀に本当に刀の心と触れ合える者が現れるという。
曰く──刀の心に触れた者は、強大な力が与えられる、と。
一、
「────」
静謐な雰囲気がその場を支配していた。
池を泳いでいた鯉は水音を立てずに泳ぎ、花の蜜を吸っていた蝶は花弁に止まり翅を動かすばかりである。先程まで唄っていた鳥は口を開かずに首を動かしながら様子を窺っている。やがて滑空するように彼の上に降り立つと、まるで巣穴にいるかのようにグルーミングを始めた。
「──────」
彼──灯火の姿は見る者が見れば首を捻るであろう。
従来の禅は足を組み、その上に手を乗せるのだが手があるべき場所には普段腰に差している刀が置かれている。彼は自身が刀掛台になったかのように微動だにせず、肩に止まった鳥を煩わしく思うことなく黙し続けた。
何度か強く風が吹いたが、鳥ばかりが体勢を崩すだけで灯火自身は眉間を歪める動作すら許すことはない。
その様子を見ていた者がいた。
最近、園芸部の活動を通じてよく一緒にいる葉桜清楚である。彼女は時間通りこの場所に来たのだが、目にしたのは既に一通り作業が終わった跡で、灯火がどこに行ったのか探しに来たためにこの光景を目にしたのだ。
彼女はいつの日かの会話を思い出した。
『灯火くんって、他の皆みたいに決闘とかはしないの?』
『さぁ、どうだろうな。自分はあまり、戦いを好んでするタイプではない。武術を嗜んでいるのも戦うためではなく、どうしても戦う必要があるときの手段の一つにしか過ぎない』
『そうなんだ。てっきりモモちゃんみたいに、道場を継いでいくのかなって』
『ああ、それもある。だが、道場や流派もまた正しいことを行える人間を作る、手段の一つでしかない。流派と名乗り、その心が、精神を一人でも多く受け取ってくれるならば自分は全力で守り続けるさ』
浮世離れした空間にもう一歩踏み出そうとしたが、いつもとは違う清楚の知らない誰かが無意識にその足を止めた。変な違和感を覚えた彼女だが、灯火の気配に圧されたのかなと考えてその場に立ち尽くす。
芸術のような空気に目を奪われたのもあるが、何分経ったのか。自身が深く呼吸をしていることに気付いたとき、丁度灯火の瞼が開かれた。
「──葉桜か」
「あ、うん……ごめんなさい、じろじろと見ちゃって」
「気にするな。そんなことを一々気にしていたらここでは出来んからな」
それは暗に、清楚以外にも見られていると言っていることに彼女自身は気付かない。
「あの──」
「刃禅と言って、自身が持つ刀の心と向き合う修行だ」
清楚が最後まで聞くよりも先に、灯火がそう答えた。どうやら聞きたいことの内容はあっていたようで、清楚はただ「すごいね」と返した。
続けて、
「刀の心っていうことは、灯火くんの教えでは刀は生きているって考えるの?」
「いや違う。似たような意味ではあるが、自分の場合は刀に宿る何者かの心と触れ合う」
武器とは、持ち主気色で性質を変えるものである。
暴力的な者が持てば暴力的な色になり、落ち着いた者が持てば落ち着いた色になる。すべては持ち主次第なのだが、一度持てば永続的にその色が続くのかといえばそうではない。あくまで持ち主が持っているときにその色が浮かび上がる。わかりやすく言えば、同じナイフを持っていても「他者を傷つけることに使うか」「誰かを守るために使うか」の違いである。
「灯火くんは──どういうときに刀を抜くの」
「──目の前の誰かが真実と高潔さを穢されたとき。また、それらが蔑ろに扱われれば自分は容易く刀を抜く」
「優しいね」
「そうか?」
「うん。誰かのために強くなって行動出来る人間なんてそうはいないよ?それを誰かに伝えることも、普通なら恥ずかしくて出来ないもん」
「馬鹿にされてるのか」
「あっ、違う違う!私はまだ自分の心が
「そうか」
自分の心がわからない。
葉桜清楚という人間は、人格は本当に自分なのだろうか。源義経、武蔵坊弁慶、那須与一のような英雄が本当の自分ならば、英雄ではない、何の力も持たない清楚は仮初めの人格で、本当の自分を知ってしまえば消えてしまうのではないかと何度も考えた。
小さい頃は何も考えず。小学の頃は不安になった。中学の頃は周りに悟られないように過ごした。そして、高校になって向き合う決心をした。
それでもやはり、自分が消えてしまうかもしれないと考えれば──恐い。
「葉桜は今、悩んでいるのだろう?」
「うん」
「そして、それを解消すべく行動も起こした」
「うん」
「自分が知っている葉桜清楚は、そういう恐くても行動ができる勇気を持った葉桜清楚だ。
自分が知る葉桜清楚はそれしか知らない。ならば、その葉桜清楚が失われそうになったとき──自分が全力で取り戻す」
人は生まれながらにして、何ら命題を背負っている。
これは灯火自身の考えで、物事全てには流れがあるという意味である。そうであるならば、清楚という人間が生まれてきたのは必然であり、そこに意味が無いなんてことが無いはずなのだ。
「ありがとう、灯火くん」
「なに、気にするな。自分も残りすくない期間とはいえ園芸部の仲間がいなくなるのは悲しい」
「私、入部届け出してないけど……」
「なんだと──」
何はともあれ、真実を目にする時は近い。
二、
──川神大戦。
文武両道を志ざす者たちが通う川神学園にて創建以来から続く、かつての合戦をモデルに生徒たちが兵となり軍師となり、果ては大将となり切磋琢磨する競技である。どういった具合で軍分けされるのかは毎年時期によって異なるのだが、今年の夏休み前にある川神大戦は例年通り学年毎に分けられた。一年に於いて目玉選手と言えるのはやはり、
黛由紀江、九鬼紋白
この二人だろうか。
前者は百代にも一目置かれる武を、後者は九鬼に恥じぬ判断力と見た目にそぐわぬ知恵、なにより少女には圧倒的数を率いるカリスマがあった。追随する今年の一年生は高水準な生徒が多く、ただの兵を数えるならば一番質が高いと言える。
しかし、兵で勝つことができないのが合戦の常。その兵を率いる将が如何に力を引き出せるか──。
将の数に於いて、一番優っているのが二年である。風間ファミリーを中心に、
川神一子、クリスティアーネ・フリードリヒ、椎名京、マルギッテ・エーベルバッハ、不死川心
さらに今年は源氏組も入り、
源義経、武蔵弁慶、那須与一
と少数で敵軍を壊滅させることができる実力を持つ者もいる。現に、三人が入ったことにより今年の川神大戦の軍配は二年に上がるのではないかと世間では広く噂されている。
ただ、その強者たちを悉く正面から粉砕してきた最強が三年にはいる。
''武神''川神百代
である。
かつて最強と謳われた川神鉄心の孫娘であり、血の系譜は途絶えることはなく彼女自身も今では最強と並んでいる。時に百代と鉄心のどちらが強いのかと話題が上がるが、どうせ孫娘可愛さに鉄心が負けると言われるのが鉄板である。とりあえず、どう転んでも川神大戦で勝つにはまず百代の攻略から始めなければならないのが一年、二年と共通した議題である。だが、彼女だけを警戒していても足下が掬われる。今年はその百代に匹敵する、
松永燕
が源氏組より前に入ってきたのだ。
彼女の実力は転校初日に行った百代との模擬戦で判明しており、単純な力では劣るものの素早さや手数の多さでは百代を上回る部分もある。百代ばかりに気を取られれば、頭も回る燕にいつの間にか大将の首を掻かれることになるだろう。その他にも、
京極彦一、矢場弓子
など、百代や燕には及ばぬものの技術の高い生徒が何人かいる。百代や燕という超級戦力に加え、部活動の主将や部長が集う三年こそが一番強力なのだろうか──?
たとえ地力が強かろうとも、助っ人枠という外部協力者によって下馬評はひっくり返される可能性もある。
安易に勝敗を予測するのは愚かと言えるだろう。
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六
空を眺めていると、昔の空を思い出す。
こうなる前だった自分。この世界に来る前の自分。
視界の景色は違えど、
──空の色は同じだった。
一、
視界に広がる青空に影が差した。
学園の屋上、ベンチにて首を上げていた灯火の前には川神百代が覗き込むようにして立っていた。
「近いぞ」
「良いじゃないか、こんな美少女だぞ」
「大前提として、美少女は自分で美少女とは言わない」
あっけらかんと言い放った灯火に、そんな冗談も言えるのかと感じた百代は喉を鳴らして笑った。
「冗談じゃないからな」
「美少女パーンチ☆」
「──痛い」
殴打を喰らった灯火は思わず左腕を摩る。普段の巫山戯た小突きならまだしも、今の攻撃はそこそこの威力が込められていた。彼を押すようにしてベンチを開けた百代はそのまま横へ座ってにんまりとしていた。
「私も私が美少女であると言っていることは、冗談じゃないぞ」
「わかった。美少女であることを認めるから、その上げた腕を下ろせ」
「っち、仕方ないにゃ。久々に本気で殴れると思ったのに」
彼が密かに呟いた「危ない」という言葉が百代には聞こえたのかは不明だが、それ以上の応酬が無かったがために恐らく聞こえていないのだろう。それはともかく、なぜ百代がここに来たのかわからないので適当に話題を振ろうとすると、それよりも先に百代が口を開いた。
「今、ファミリーのみんなで清楚ちゃんの正体を探してるんだ」
「そうか」
「素っ気ない返事だな。興味はないのか?」
「興味があるかと問われればあるさ。ただ、積極的に知りたいわけではない。川神たちも葉桜から頼まれて探しているんだろう?」
「当たり前だろ。私が清楚ちゃんが知りたくもないことを調べるわけがない。むしろそういう奴がいたら粛清するぞ」
「自分も葉桜から頼まれれば調べくらいはするが、生憎と頼まれていないからな」
「おやおや、親密度では私の方が上みたいだなぁ」
「わからんぞ。あまり仲が良くない人物に頼んだ方が気が楽だったのかもしれん」
「なわけないだろ。きっと清楚ちゃんの私に対するハートゲージはマックスを超えて燃えてるぞ!」
相変わらず楽しそうな百代の様子に灯火はくつくつと笑った。同時に清楚の正体、即ち九鬼が蘇らそうとしていたクローンについても考える。
義経、弁慶、与一といえば織豊徳に並ぶ英傑だ。三人の共通点を挙げれば源氏、細かく見れば与一のみが頼朝側の人物なのだがその辺の事情は九鬼側の考慮があったのだろう。例えば、戦いにおける距離感──義経は刀による近距離、弁慶は格闘から錫杖における中距離、与一は言わずもがな弓による遠距離である。清楚自身は紫式部が良いなどと言っていたが、その可能性は低い。単純な話だが三人目まで武芸に長ける英雄であり、なにより軍師や策謀家のような英雄であれば清楚にその正体を隠す必要がないからである。もしそうであれば、幼少の頃より正体を明かして勉学に努めさせるだろう。
「……なるほど」
「何がだよ」
「葉桜の正体について考察していてな」
「お、あんなこと言いながらやっぱり気になるんだな」
注視すべきは勉学だ。もしくは時間、これは成長とも取れる。義経は個人の武が優れていたと共に、兵法家としても名を馳せている。その従者として弁慶や与一はたしかに正当性が取れた組み合わせではないだろうか。つまり、理性的な人物だと分かっていたからこそ三人の正体は生まれたときから本人たちに教えていた。それとは逆に、清楚は史実や伝聞など理性的ではない、破天荒な伝承が残っていた。故に、九鬼はクローンという国際的タブーに挑戦することへ一抹の不安すら摘むために正体を隠蔽した。
すべては、葉桜清楚という人格が本来の葉桜何某の枷や理性的な部分となるように。
「お前は誰だと思う?」
「まったく。どういう気風の人物かは想像出来るが、正体まではわからんな。川神は?」
「私はやっぱり織田信長か宮本武蔵だな。もし織田信長が正体なら、九鬼が隠す理由も何となくわかるし、宮本武蔵は何より私が戦いたい」
「川神のことだから呂布とでも言うと思ったが……」
「……あっ、そうか。別に日本だけじゃなくても良いのか……くそぅ、義経ちゃんたちが日本の英雄だから清楚ちゃんもそうだと思い込んでた」
「その考えは別に間違ってないと思うぞ?源らが日本だから、葉桜も日本というのはおかしくない」
「でもやっぱ宮本武蔵とも戦いたいしなぁ……」
「別に川神が考えた者が正体になるわけでも無し。そこで悩んでいても仕方ないだろう」
「瓢箪から何とやら。私は口に出す言葉は選んでるんだ──」
二、
百代によれば今日が清楚にまつわる答え合わせらしく、集会に行かなければならないと灯火の下を去った。その際「当日はお前も来るか」と誘われたが「頼まれたのは風間ファミリーであって自分ではない」と断りを入れた。
一応、灯火は三年であり、半年と少しで進学か就職をするわけだが、卒業後は本格的に元流道場の指導に従事するため暇な時間が受験生とは違いいくつか出来る。S組なので教室の夏休み前の受験ムードは妙に心地悪く、こうして放課後は他のクラスメイトとは違い自由に過ごしている。
校舎を抜け、金柳街で肉饅でも食べようかと足を進めたとき、グラウンドの隅で何やら疑問符を浮かべている旭を見かけたのでそちらへ向かった。
「何を困っているんだ、最上」
「──あ、灯火君」
灯火に気付いた旭が手に持っていたスマートホンと共に寄ってきた。
「む、それは……」
「この『新しいスマートフォンが入手できる応募に当たりました』と通知が来たから押してみたんだけど、それから動かなくなったのよ」
「いや、それは、完全にアレじゃないか」
「最近は私もこのマシンを使いこなしてきたから、最新機種を持っても大丈夫だと思うわ」
「大丈夫ばないぞ、それは」
とりあえず渡されたスマートフォンを受け取る。特別機械に強いわけでもないが、これ以上変なところを押して被害が増えても困る。何度か画面をタッチしてみるがうんともすんとも言わず、立ち往生してしまった。
「これは携帯会社に行くしかないな」
スマートフォンを旭に返す。
「やっぱりそうなるわよね。どうしようかしら。お父様は最近、会社での仕事が忙しくて帰ってこられないし……」
「今から時間はあるか?一人で行くよりは、二人で行った方が心強いと思うが」
「本当?……でも悪いわ、私の用事に付き合わせるなんて」
「そんなこと今更だ。最上さえ良ければ、付き添いくらいはできる」
「ありがとう。じゃあお願いするわ」
旭は教室に鞄を取りに行くとのことで、灯火はその場で待つことにした。三年の教室は最上階にあるので、五分ほどはかかるだろう。
ぼんやりと青々とした広葉樹を見ていると、最近見知った顔に話しかけられた。
「何してんの、先輩?」
振り返ると、そこには気怠そうな瞳を携えた武蔵坊弁慶が立っていた。
「久しぶりだな、武蔵坊」
「ん、で。こんなところで立って何してるの?」
「クラスメイトを待っている。一緒に出かける予定でな」
「さっきの女の人?」
「む、見えたのか?」
「……?うん」
どうやら灯火と話していたせいで、旭の気配が少し漏れていた。弁慶が視認できたのもそのおかげだろう。
「気にするな。武蔵坊も用向きか、主君がいないようだが」
「別に
「そうなのか。噂に聞く三人は、那須はともかく二人は一緒にいると聞いていたからな」
「一応クラスも一緒だからね」
灯火にとって弁慶と与一は義経に付き従う者と考えていたが、どうやら良い意味で違うのだと認識を改めた。河川敷で会った凛々しくも初々しい感想を抱いた義経にこの従者あり。察するに弁慶は史実通り智謀に長け、義経の忠臣たらしめんとする関係にあるようだ。
「あ。そういえば先輩って園芸部なんだよね。校舎裏の木犀ってどこにあるか知ってる?」
「木犀──?」
金木犀、銀木犀。季節を表す植物として小説の情景描写にはよく使われ、実物はともかく名前を聞いたことがある人は多いだろう。両方とも十月頃に鮮やかな花を咲かせるのだが、季節外れなこの時期に一体何のようだと言うのか。
「いやぁ、たぶんなんだけど今から告白されるんだよね」
まるで他人事のように告げた弁慶に灯火は目を丸くした。
「用件は書いてなかったけど、校舎裏に呼び出しなんてそれしかないじゃん。字も男っぽいし。
本当なら行くつもりなんて無いんだけど、偶然下駄箱に入ってる手紙を主人に見られてね。『断るにしろちゃんと伝えに行くべきだ』って言われたから今回だけ」
「告白に木犀か。ならば、校舎裏の花壇奥の池の淵にある枯れた木犀のことだろう」
「枯れてるの?」
「微妙なところだな。学園長からの又聞きだが、枯れた様子を見せてから既に数十年は経っているらしい。この学園ができるまでは大変綺麗な花を咲かせていたようだが、周りの植物たちとの生存競争に負けたようだ。だが、いつ朽ちてもおかしくないのにも関わらず残っていることから、いつの日からその木の下で告白すれば……そうだな、簡単に言えば永遠の愛を誓える、なんて噂があるみたいだぞ」
「聞かなきゃ良かった」
「……何はともあれ、池までの道は舗装しているが滑らないように気をつけると良い」
「そこまで柔じゃないから大丈夫だよ」
「そうか──なら、早く行った方が良い」
「ん、そうするよ。
…………ああ、あと私のことは武蔵坊なんて他人行儀じゃなくて弁慶で良いよ。もしくは弁慶ちゃんも可」
「ふむ。なら、弁慶ちゃんと呼ばせてもらおう」
「うお……冗談が通じるタイプ」
「老成しているとは言われるが、弁慶とは一つしか変わらんぞ」
「みたいだね──結構楽しかったから、また先輩のところに行くよ。ばいばい」
「ああ、わかった」
弁慶を見送ってすぐ、旭が鞄を持ってやって来た。
その後携帯会社へと赴くことになるのだが、旭のスマートフォンが踏んだURLはそこまで悪質なウイルスではなくただ悪戯にアイコンが強制変更になるなど稚拙なものだった。今回は小さな問題で済んだが「次はないぞ」と注意し、二人は駅前で軽食をとって別れたのであった。
百代ちゃんのヒロイン力が止まらない。
主人公は、ネコが気にいる日向やストーブ・暖房みたいなイメージなので百代や弁慶が無意識によってくのも仕方ないね。
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七
その日はやけに粘ついた情調を感じた。
天気は晴れているが、肌に触れる空気は訴えるように擦りついてくる。
「これは──」
男の腰に下がった刀は、いつもより紐が硬く結ばれていた。
一、
「──で、あるから。平安京はヘブライ語でイールシャロームと言い、現地では聖地エルサレムを表すことからユダヤの関係が──」
四時限目、三年Sクラスでは歴史の授業を受けていた。
ここ、川神学園では個性的な生徒に対し当然教師も色濃い人物が在職し、歴史教科担当の綾小路麻呂は中でも一、二を争うほどである。授業は三年間通し平安時代を抜けることなく永遠と続き、一応他の時代も扱うのだが授業開始の五分ほどで終わり残りすべては平安時代に費やされる。好きな人は好きかもしれないが、受験生である三年では度々小さなボイコットが起こっていた。しかし、Sクラスではさすがと言うべきか、殆どの生徒が真面目にノートを取っていた。
その殆どに入っていない生徒である灯火は、同じく殆どに入っていない生徒である、隣で何やら内職を続ける燕をぼんやりと眺めながら今朝の感覚について考えていた。
「…………」
武人、武道家、格闘家、スポーツ選手も含むだろうか。何か一芸に秀でる者は、その道に関連することで時折虫の知らせのようなものを受けるという。灯火が家を出る瞬間に感じた重たい圧のようなものは恐らく──危険信号の類。
「……本日の授業は終わり。復習はきちんとしておくように、の」
綾小路が最後にそう言い残すと教室から立ち去った。
「あのですね。あんまり見つめられると恥ずかしいというか何と言いますか……」
普段は付けていない眼鏡を外しながら弁当箱を出した燕が言った。
灯火は一度瞬きをして背筋を正すと、一言謝って自身も弁当箱を取り出した。
「すまんな。考え事をしていた」
「へぇ、灯火クンがぼーっとしてるなんて珍しいよん」
「そうでもないさ。最近は皆、受験勉強やらで忙しそうだからな。特に進学を考えていない自分は暇で、日頃他愛無いことを考えるばかりだ」
「わお。難関大学を目指す人が聞けば怒りそうなセリフ」
「松永も進学を目指しているのか?」
「んー、どうだろう。夏休みに考えてることが上手くいったら行くかも」
「そうか。なら、勉強しておいて損はないな」
「だね……灯火クンは?」
「自分は──」
灯火の目の端で、教室から出て行く清楚を捉えた。百代と待ち合わせをしていたようで二人は会話を交わしながら歩いて行く。視線を向けたのは一瞬で、燕に悟られることなく言葉を続けた。
「道場に従事する予定だ」
「元流だよね。機会があれば私もお邪魔して良いかな?」
「是非、と言わせてくれ。燕ほどの実力者が来てくれれば道場の活性が上がる。大々的に歓迎するぞ」
「お、良いねぇ。そのときは灯火クンが相手してくれると嬉しいな」
「そうだな。道場主として、客人の相手はしっかりさせてもらおう」
「モモちゃんが聞いたらついてくるから、内緒だね」
「ああ、違いない」
二人で笑いながら話していると、話題は進学から一週間先にある川神大戦の話へと移った。
「場所は川神山だな。あそこは景勝も良いが、合戦に向いた地形が並んでいる。拓けた川辺を中心にどの方角を取るかは両陣営で話し合う。決まらなければ賽を振り、運が良ければ望んでいた陣を張れる」
「テレビ中継で何度か見たことあったんだけど、やっぱり参加するとなると楽しそうだね」
「好きな者は好きだろうな。この合戦はただ戦えばいいわけじゃない。身体を動かすのが苦手な者でも、軍師となって知恵を絞り出すこともできる」
「軍師か……やっぱり策では二年生が優位なのかな?」
「自分たち三年は川神という武力があるから策に頼ることは少ない。逆に、一年と二年は突出した戦力の差があるために策を張って彼女に対抗しようとする。たしかに策、軍師の活用では二年生は一歩前進しているだろう」
「やっぱモモちゃんの攻略から始まるんだね。今までモモちゃんを止めたこととかあるの?」
「二年のSクラスとFクラスの川神大戦ではあったようだぞ。そのときはたしか、Fクラスの直江が九鬼揚羽を連れてきた。川神に勝つことはなかったが、川神も決定打を入れきれず引き分けになっていたな」
「揚羽さんか……たしかに出来そう」
「む、知り合いか?」
「ちょっとね。偶然おとんの仕事先で」
「ほう。奇妙な縁もあるものだな」
九鬼揚羽といえば、現在世界で一番多忙な女性と言ってもおかしくはない。軍需産業から農林水、様々な分野に手を出す九鬼財閥の長女だ。九鬼帝によって指示されている九鬼財閥だが揚羽が成人して以降は一部権限を譲渡され、軍需生産に関しては彼女が全てを任されている。
揚羽に出会う職場なら、燕の父はかなりの高給取りではないのかと灯火は思った。
「今回のは灯火クンも出るんだよね」
「原則全生徒参加の行事だからな。まあ、いつものように後方支援に集中するが」
「帯刀許可者なんだから戦え、なんて言われない?」
「川神がいるのに言われるわけないだろう」
「あ、そっか」
「うむ」
そこで話を区切ると、二人は昼休みが終わってもいけないので弁当箱の蓋を開けた。
燕による納豆空襲があったのだが、何とか切り抜けた灯火が手を合わせたとき────。
「──む」
「うわぁ、これは──」
「弁慶、与一──!」
「わかってる」
「っち、刺客が解き放たれたか……」
「あらあら、これは荒れそうね」
「ぬ。どうやら元気な子が目覚めたようじゃのう」
「──紋様、失礼」
「ヒューム……?」
確かな実力者たちは、封印を解かれた英雄の気配を全身で感じ取った。
川神百代に勝らずとも劣らぬ、中心から吹き荒ぶ暴風のような気。禁忌に触れたかのような怒りは学園生へ振動となって知らされる。
かつての
──覇王・項羽だけが超越者の眼差しで見下ろしていた。
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八
「最高だなぁ清楚ちゃん──!」
弾かれるように武神──川神百代は屋上からグラウンドへと降り立った。
彼女の恵まれた容姿は口角を上げた戦闘狂の一面すら一つの絵へと変えてしまう。表情こそ嬉々とした笑みを浮かべているが、腰を下げ、脇を締めるように拳を握った姿は久しく見ない程
「──んはっ!オレの一撃を受けて倒れんか、百代!」
「普段モモちゃんって呼ばれてる分、清楚ちゃんの声で呼び捨てされるのは良いな」
「はっ、何を言っている。清楚の声はオレの声だ。本来の人格がオレ、項羽であるからにはこっちが正しい!」
瞳が赤くなった項羽の姿に清楚を重ねるのは難しいだろう。それほどまでに項羽が醸し出す圧は周囲を侵し、歩みを妨げるものを強制的に傅かせる重さがあった。
「ははっ、項羽か……良いな、それ。じゃあちょっと──相手をしてもらうぞ!」
土を踏む音と、項羽の目の前に百代が現れるのはほぼ同時であった。
卓越した百代の感覚は周囲の時間が遅くなるよう戦いに合わせて鋭敏化し、項羽に向かって正拳突きを放つ。──しかし、本来であれば脇腹に入ったその一撃は百代の才能と強さを上塗りする形で容易く受け止められ、次の瞬間異変に気付いた生徒たち観客が見たのはあの百代が吹き飛ばされる瞬間だった。常人であれば布地のように風で飛ばされるはずだった身体を止められたのは彼女が武神であったからこそ。
百代は空中で身を翻し、再び同じ場所へと着地した。
「やるな、清楚ちゃん」
「戯け。初めから己の拳に力を乗せられぬ未熟者を何度吹き飛ばそうとオレには価値が感じられん。
このオレを相手に手加減とは、舐められたものだな」
「そう言われると申し訳ないな。でも私はスロースターターだから、これからもっと速くなるぞ」
「んはっ。勝負に遅いも速いもあるか。真の武人ならば、戦いの勝敗は戦う前から見えている────スイッ!」
「──うぉっ」
背後に気配を感じた百代が横に逸れてみれば、煩いほどのエンジン音を立てたバイクが通った。紫色の重厚感溢れるボディは刺々しく、機体の尻には何かを収納できるように荷物入れが搭載されている。
威嚇をするように煙を吹くと、項羽の隣に止まった。
「おぉ。お前も姿を変えたのか、スイ!」
『はい。あなたの覚醒に合わせ、項羽様愛用となるために設計されております』
「なるほど、九鬼も良い仕事をする。オレを封印したことを少し許してやろう。まあ、許さないがな!
何か武器はあるか?」
『後部に武器が数種類組み立てられるように機能が搭載されております。有名なものならばどれでも』
「方天画戟だ。呂布の武器を使うぞ!」
『了解しました』
スイから機械音がし、数秒としないうちに後部座席が開く。少し距離をとった項羽へと彼女の身長より長い方天画戟が射出された。
「重さも長さもちょうど良いぞ!」
まるで自身の体躯であるかのように振り回した項羽は称賛の声を漏らした。
「──じゃあ、続きだな!」
未だ猛る武人が一人。
百代は方天画戟を振り回し、子供のように目を輝かせていた項羽に向かって直進した。
そして、
「──ああ、まだ立っていたか。百代」
肉薄し、初撃のように振り被った一撃は項羽へと届かなかった。それどころか、項羽は方天画戟を力任せに振り上げ百代を彼方へと吹き飛ばした。
「んはっ!武神といえどオレには勝てん。なぜならオレは
──覇王だからな!」
その日、世界は覇王を知った。
一、
「……頃合いか」
校舎から二人の戦いを見ていた生徒たちは最初こそ百代と互角に渡り合った項羽に歓声を上げていたが、百代が彼方へと飛ばされた今、呆然とグラウンドの中心に仁王立ちする項羽を見やるばかりであった。
彼らの心中は単純であり──川神百代が負けた、それだけである。
そして、驚異的な項羽の戦闘力を見ていたのは百代には勝らずとも決して弱者といえぬ者たちも同じ。
ある猟犬は自身が持つ戦闘狂の一面は抑え、あの武力が敬愛するお嬢様に向けられるか否か。
忍はすぐに主人の下に駆け寄り、九鬼へと鎮圧部隊を要請した。
学園長は校舎の端から姿を隠し、現在の様子を冷静に見つめていた。
「ちょ、灯火クンどこ行くの!」
静まり返った3年Sクラスに響いたのは燕の声だった。普段は虎視眈々と周囲の人間を観察していた彼女であるが、さすがにあの状況に仮面が崩れたのか思っていたより大きな声であったらしい。
「約束を果たしに行く」
「約束って何の!?」
灯火は制止する燕の声に耳は傾けども、視線は一切向けず廊下へと出る。
「葉桜と約束した。もし、葉桜の中にいる何某が、葉桜清楚の高潔さを傷付けるならば自分は剣を抜くと」
「いや、だからってモモちゃんを倒した相手と……」
そこまで口にして燕は止めた。
彼女の本来の目的は打倒川神百代。そのためならば何でもするし、どんな情報でも手に入れると画策してきた。川神院の朝練に付き合ったのも、わざわざ京都から川神学園に転校してきたのも己の人生をかけて百代を倒すために。まさかそれを清楚の正体が容易く為すとは思っていなかったが、目の前で歩く男子生徒もまた、実力が未知数なのである。
正直、強いとは思えない。それが燕が抱いた灯火に対する感想だ。
理由は明白で、戦いの勝敗を左右する気の大きさがまったく常人と変わらないのである。気を隠すことに長けた達人はいる。百代や燕も普段は周囲への圧をかけないように意図的に蓋をし、気を隠している。しかし、それでもマスタークラスである彼女たちは一般の武道家を優位に超す気を放つ。
──灯火クンの実力を見たいのも事実。
最悪やられそうになったら私が颯爽と駆けつけて助けるのも良いかな?たぶん動画を撮ってる子もいるだろうし、モモちゃん倒した項羽なら平蜘蛛を使って戦っても問題はないはず
燕は腰に付けた、完全形体ではないもののガントレットとなる装備を撫でた。
「もう、わかったよん。でも危なくなったら私も出るからね?」
「ありがとう。できれば校舎に破片が飛ばないように見ていてくれると助かる」
「何という下っ端業務」
欲しかった情報がいっぺんに入ってくるという棚ぼたに燕は灯火から見えない位置でガッツポーズした。
「さて、待っていろ葉桜何某」
二人は校舎から出ると、ようやく項羽と向き合った。
二、
「────む、お前たちは」
グラウンドに踏み入った者はすべて蹴散らす。そのような気配を滲み出していた項羽は眉根を上げて降りてきた二人を見る。
「なるほど、オレの次の相手は松永燕か!良いぞ、百代と渡り合ったと聞いたお前なら相手になろう!」
一直線に立つ灯火を完全に無視した項羽は嬉々として穂先を向けた。それに対して燕は何も言わずに手を振った。
「葉桜何某、自分が相手だ」
一歩、踏み出して灯火が言った。
「誰だお前は」
不満気な表情をあからさまに漏らしながら項羽が反応すると、何かを思い出すように唸る。すぐに元の様子へと戻ると声を発した。
「……梧前灯火か。今の時代で剣を持つ資格があるようだが、オレの前に立つ資格があるのは確かな戦歴を持つ者のみ。お前では相手にならん。
オレと松永燕の戦いの邪魔にならぬよう、控えていろ」
「それは無理だな」
「オレは仏のように三度許す顔は持っていないぞ。二度言わすか」
「もう一度言おうか、葉桜何某。
──お前の相手は自分だ」
「……貴様ッ!」
その気の奔流はまさに封印を解かれたときの勢いと同じであった。
項羽の前には思わず身構えた燕と、何も反応せず涼しい顔で立つ灯火の二人があった。
「オレと戦う資格がある松永燕は構え、お前は何も感じずに立つ。これを資格を持たず、何という!」
「自分は
「は、ははは──ッ!なるほど、お前は余程死にたいらしいな!良いぞ、ならば松永燕の前に先に相手をしてやる!」
「ちょ、灯火クン!」
「下がっておけ、松永。来るぞ」
「うぇ──っ」
燕が後ろへと跳ぶのと同時、身体がぶれた項羽は灯火との彼我を刹那に詰める。
──鼻先三寸
灯火は岩を砕く踵落としを瞬きしながら躱した。
「一つ言っておこう、葉桜何某──」
「躱した、だとッ!?」
項羽にとって当たり前だった光景が起こらなかったことに、目を見開いて身体を硬直させる。突き刺さった踵を返す間もなく、項羽の腹には静かに灯火の拳が触れていた。
「──スカートを穿いて踵落としをするんじゃない…………
──『
ちなみに、さすがにまんまBLEACH力だとぬっころしちゃうんでまじ恋ラインまで下がっております。
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九
グラウンドを見ていた生徒たちは本日三度目の驚きを露わにしていた。
一つ目は、葉桜清楚の変化。
二つ目は、川神百代の敗北。
三つ目は──
「くっ───はっあ〝ぁぁ!」
百代と同じように吹き飛ばされる項羽の姿であった。
「デリカシーに欠けているが、頑丈さについては欠けていないらしい」
その状況を作った本人は、平然と地面と平行に校門へ沿って並ぶ塀にぶつかった項羽を眺めていた。
「さて、葉桜何某。これで倒れてくれると嬉しいんだが、やはりそうはいかんな」
頭から食い込んだ項羽は無理やり塀を叩き割って立ち上がる。
「…………ハァ。そうか、日本でいう『能ある鷹は爪を隠す』というやつだな」
「別に隠していたつもりはない。戦う機会が無かった、それだけだ」
「理解した、戦歴は無くともお前のようなやつがいることを。
次は油断はしない」
傲岸不遜な態度が目立つ項羽だが、その実力は確か。センスとポテンシャルに至っては武神に勝る。瞬時に自身の驕りと慢心を理解すると漸く灯火を戦うに値する人物と判断した。
「それは何よりだ」
制服に付いたコンクリート片を払い、項羽は同じく転がった方天画戟を拾い上げた。持ち上げ、手首を摩ると後遺症の有無を確認する。
時折武人の中には気に属性を持たせて攻撃する者がいるが、灯火はそうではないらしい。
「オレは今からこの方天画戟を使う。だから、腰の剣を抜け、梧前灯火」
「──否。
葉桜清楚の為ならば抜くが、何某のためには抜かないぞ。武器と体躯、間合いの差はあるが恐れるに値しない」
脇を緩く開け、身体に沿って構えた様子は素人が見れば棒立ちと思うが、意識して後手を取る構えとしては一級。それを見た項羽はもはや言葉は不要、舐められたのならば叩き割れば良いという感情の下方天画戟を構え上げた。
「──後悔するなよッ!」
項羽が目覚めて三十分は経とうとしているか。腹に入った一撃と、清楚の身体に馴染み始めた項羽は先ほどよりも圧倒的な速度で灯火へ迫った。
「まだ速度は上がるか……」
灯火は項羽のポテンシャルに能面の下で僅かに驚いた。
数瞬、心臓を穿つように放たれた強烈な突きを左半身をずらし避けた。
「なっ、離せ!」
「離すわけないだろう!」
脇に挟んで方天画戟を動かぬように固定する。
「っ、小癪な!」
灯火の左脚を軸に放った蹴りは項羽の膝に拒まれる。
「はァ──!」
頰を狙った項羽の一撃は空気を叩くように轟音を立てる。それは一撃で終わらず裏拳へと続くことで何度も拳を振るった。
「——––!」
頭、胸、水月、股間、脛、足先。
急所を狙って的確に攻撃を繰り出すが、灯火は慎重に捌いていく。何とか捌いてはいるが、その方法は当たる瞬間に項羽の腕を横合いから叩くことで殴られることを避けるもの。
「……くっ」
寸鉄で頭を叩こうとしたとき、項羽の身体が大きく崩れた。
「──弁償は勘弁してくれると嬉しい」
灯火はバランスの崩れた項羽を尻目に方天画戟を挟んだ脇に力を入れ、熊手を長い柄に添える。
項羽の力と、梃子の原理が加えられた方天画戟は中間で折れてしまった。
「お、オレの方天画戟が!」
「狼狽えてる暇はないぞ──」
宙で舞う真っ二つの方天画戟。与えられた玩具を壊してしまったような瞳をする項羽の身体には再び灯火の拳が触れる。しかし、それは決して攻撃を放ったわけではなく──攻撃を放つための動作に過ぎない。
己の肉体に触れた暖かい感触に気付いた項羽が息を呑んだ。
そして、
「──『
致命的な一撃が襲う。
「がッッ────っ!!」
痛み──を超え、声が出ない。
身体に走ったのは痺れ。
「…………」
車輪のように地面を転がっていく項羽。それを見る灯火は残心を解き、再び構え直した。
確実に入った一撃。
それにも関わらず、頭は未だ終わっていないと警鐘を鳴らすばかり。
「手加減したつもりはなかったが……」
そう呟いた灯火の先には膝をつきながら立ち上がる項羽の姿があった。偶然か鈍痛ばかりで外傷はなく、視界を揺らす目眩は
「──んはッ!ああ、良いぞ梧前灯火!まさか、お前がここまでやるとはなッッ!」
覇王の気は衰えず、むしろ増したような感覚さえ覚える。
「抜山蓋世。身に余ることなく例えられたその言葉に嘘はないか」
力は山を抜き、気は世を覆う。
戦乱の時代、西楚の覇王項羽に謳われた言葉である。握った拳は山を穿ち抜き、身に宿る気は世界を覆うほどに大きい。二千年以上前に讃えられたそれは蘇った現代でも健在であった。
「……時間か」
好戦的な項羽の表情と、いつの間にか二人を囲うように張られた結界を見て灯火は呟いた。
周囲を窺えば九鬼の従者部隊と鉄心が結界に気を加えており、落ち着けば折を見て項羽の鎮静に入るのだろう。九鬼が戦力を揃えているならば、部外者である灯火が交代をすべきなのだろうがそれをしてしまえば項羽の気が済まない。ヒューム・ヘルシングの姿が見える以上、多少手荒な真似をしても項羽を連れて行く。
大きく息を吐き、左腰に下げた刀の柄に掌を乗せた。
「約束を果たす。葉桜何某、葉桜清楚を返してもらうぞ」
「んはっ!来るが良いッ!」
────一際、空気が重くなる
渦のように巻く気配の中心は項羽……ではなく梧前灯火。
固唾を飲んで見ていた生徒たちは黙し、結界の外に立つ松永燕は凝視するほどに灯火を見る。
それは非常に遅く、
「──万象一切」
緩やかに解き放たれた。
「灰燼と為せ」
銘を、
「────『
二、
夢を見ていた。
青く晴れた空の下、硝煙燻る空気が鼻腔を突く。自身がそれに気付いたように、逞しく本来の馬とはかけ離れた大きさを持つ愛馬も甲高く啼く。
それをひと撫ですると、手綱を強く引いた。
そこで、目が覚めた。
「……」
暗い色をした天井は記憶にだけあるもの。初めて見たそれは酷く冷たく、押し迫ってくるような感覚が襲ってきた。身体は自由に動かせないが、拘束されているわけではないようだ。先の戦いで、温い日常を送っていた身体は疲労してしまったらしい。
現実と記憶の乖離に嫌な孤独感を抱ていると額に暖かい手が当てられた。
「起きたようだな、葉桜」
「……ああ」
短い声を漏らした。
「今はどちらだ」
「どちらも何も、オレはオレだ」
「そうか」
引かれていく手に寂しさを覚えるが、プライドが邪魔をして何も言えなかった。
目だけを横にやると、寝かされた自身の隣に梧前灯火は深く腰掛けていた。
「ここはどこだ」
「川神市の端にある九鬼財閥本社の医務室だ。外傷はなく、身体は疲労から来る怠さだけで寝てれば治るとのことだ」
「オレは負けたのか」
「──いや。決着を付ける前に、前のめりになって倒れた」
「お前は立っていたんだろう?」
「さあ、覚えていないな」
「戯け。勝者が掛ける情けほど情けないものはない」
「掛けられたことがあるのか?」
「戯れにオレが掛けたとき、跪いた相手はそういう顔をしていた」
「なるほどな」
心底納得した、という表情をして灯火は返した。
「……スイはどこに行った」
「詳しくは知らないが、九鬼が回収していたぞ」
「そうか」
「解体されるかもしれない、と考えているのか?」
「今のオレの愛馬だ。形は違えどそれは変わらん。ならば、気にかけて当然だろう」
生前──だろうか。
過去、愛しい妻を乗せた愛馬、騅。山を越え岩を飛び、谷を降りる姿は覇王を乗せるに値した名馬。今生は項羽と同じようにクローン体となっているわけではないが、そうであるように願って生まれた愛馬がいるのだ。
「なあ梧前灯火」
「どうした」
「オレはどうなる」
本来目覚めてはならなかった項羽。
清楚が成長し、精神に余裕が持てるようになってから目覚めさせるのが九鬼の計画であった。露骨に項羽に関する情報統制をするのは逆に気付かれる恐れがあるため、細心の注意を払い興味を持たぬように教育をしていたのだが今回、すべてをひっくり返す形で封印を解かれたのである。
「自分も適当に聞いただけだが、別に今までの状況と変わらないようだぞ。九鬼はいつ項羽が目覚めても良いように計画を準備していたようだ。強いて言うならば……そうだな。葉桜清楚の頃は本格的な鍛錬はなかったが、葉桜何某が目覚めた今、力を扱うために鍛錬の時間が増えるのだろう」
「鍛錬か……そのくらいなら全然構わない。
──あと、オレを何某と呼ぶのはやめろ。オレは項羽という名前がある」
「葉桜項羽、で良いのか?」
「ああ、それで良い。項羽と呼べ」
「わかった」
「ふん……」
まったく意味のわからない奴だ。
いきなり察しが良くなったと思えば、わざとかと思えるほど察しが悪くなる。隣に座るこの男の詳細を探ろうと記憶を遡ると、もう一人の感情が重なるように入ってくる。
「…………」
「…………」
沈黙が続き、口を開いた。
「オレはもう寝る」
「そうした方が良い」
意識が落ちていく。比喩ではない。本当に落ちていくのだ。透明になった自分の身体は瞼が重くなり、眠気が波のようにやって来る。
──大丈夫。まだ起きたばかりだから、眠たくなっちゃったんだよ。
今は……
誰かの声がした。
それはきっと、
三、
瞳を閉じたはずの
「うわ……身体が重いな」
「あれだけ暴れたんだ。仕方ないさ」
「そうだよね。あと二、三日はまともに動けそうにないや……」
「二、三日で済むのか」という言葉は奥にしまい、灯火はとりあえず問題はないかと考える。
戦闘中、灯火は二度清楚の身体に自身の気を流した。一度目は『一骨』のとき、二度目は『双骨』のときである。清楚と項羽について情報も持っていない灯火は、項羽が目覚めたことにより清楚にどういう影響があるのか探る必要があった。そのため『一骨』で気を波状のように流し清楚の精神を確認し、『双骨』で眠った清楚を起こすように一撃を放った。項羽が倒れたのはそのためで、慣れていない二人の精神の介在に肉体が付いていけなくなったのである。
「そういうことかぁ」
「む、身体におかしなところがあるか?」
「違うよ。たぶん、灯火くんの暖かい気がまだ身体にあるの……だから……」
「葉桜も疲れているだろう?項羽と同じで葉桜の肉体だからな」
「……少し、眠ろうかな。
──それと灯火くん」
「どうした」
「私のことは清楚って呼んで?」
「ああ──おやすみ、清楚」
「おやすみ、灯火くん……」
〜〜二人は幸せな真名交換をして終了〜〜
fin.
完結するにしてもあと一話いるんじゃないかって?
わかってるさ、気が向いたら書こう。
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十
『葉桜事変』とも呼べる一件から三日が経ち、多少の被害があった学園校舎は九鬼によって補修されていた。特に被害の大きかったのは項羽が目醒めた屋上で、覚醒時に噴出した気の余波で穴が空いていたようだ。同じようにグラウンドも項羽と百代、そして灯火たちの戦いによって通常使用は不可能だったのだが、その日のうちに埋められた。てっきり作業員がやって来ると思ったのだが、メイドや従者が重機を操縦し、手作業をする姿は川神学園生といえど目が点になっていた。
「──ふむ。当然話題になっているが、特に悪評はないな」
学校への道すがら、多摩川沿のベンチに腰を下ろした灯火はスマートフォンを眺めながらそう呟いた。
葉桜清楚の正体がおよそ二千年前に覇王として名を轟かせた項羽であることは各種メディアを通じて報じられており、既に日本に留まらず海外も反応を示していた。顕著であったのはやはり中国で、九鬼に情報を求めつつ、過去の英雄をクローンといえど勝手に蘇らせたことに対する批判、また国内で育てるべきと言った様々な意見が出ているようだ。しかし世界三大企業の九鬼に強く出ることは中国といえど出来ず、表面下の経済的小競り合いが起きているだけであった。
川神学園生の誰かが百代と戦う項羽の動画を撮影していたようで、それを見た中国が百代に匹敵する戦力を求めたのだろう。現に、SNSでは何千万回、もうすぐ億に届くだろうというほどの人気があった。
そして──既に億の再生回数に到達しているのが、その項羽が気を失う原因となった項羽と灯火の動画だった。
「────発見!」
ぎゅぴーん、と効果音が鳴りそうな視線を灯火に刺しながら、文字通り空から落ちてきたのは──武神・川神百代である。
どうやら着地は気遣わなかったようで、辺りに砂埃が舞った。
「何をしているんだ、川神」
「はっはっはー! 灯火を求めて三千里、土日に探せど姿無し。しかし朝、ファミリーと歩いていれば見知った気があったからな……飛んできた! チャリはないぞ」
灯火は手を仰ぎながら砂埃を退け、咳き込まないように気を付ける。朝から制服が汚れたと呟いた。
「朝から賑やかなことだ。放課後まで保たないぞ」
「ノンノン、保つんだよなぁそれが」
「そうか……では、学校に行くぞ」
「ああ──」
二人並んで多摩大橋の方へ向かう。
「──じゃ、なーい! 違う! 戦おう!」
すぐに隣にいた百代は一息で彼我の距離を取る。闘志満々に腕を構え、シャドーボクシングのように拳を振った。
「まぁ、そう言ってくることは予想出来ていた」
「何だ、わかってるなら話は早いにゃー」
「だが、まだ朝だ。寝ている人もいるだろうし、学校もある。戦うわけにいかないだろう?」
「じゃあ放課後?」
「放課後になれば川神には源らの決闘相手を捌く用事がある。今年は勉強もしなければならないし、時間を作るのは難しい」
「なら昼休み!」
「昼食はじっくり食べたい派だ。手作りだからな」
「ぐぬぬ……」
「ということは、残念ながらこの一年は戦う機会に恵まれないだろう。あるとすれば来年以降……自分も道場経営が落ち着くまで難しいかもしれない」
「……っ」
わなわなと震える百代だが、細長い人差し指を透灯火に向ける。
「──ダウト! 私は知っているぞ、灯火が進学を考えていないことを! 燕がこの前言っていたからな!」
「む……」
「おっと、最近考え始めたなんて言い分はダメだぞ。今の会話に道場経営が落ち着くまでってあったからな。燕からは卒業後、道場経営に従事すると聞いている」
思わぬ百代からの反撃に灯火は唸る。
勉強──と、言っただけで受験勉強とは言ってないため嘘ではなく、わざと百代を勘違いさせるような言葉の綾にしたのだが、ものの見事に破られる。Fクラスと侮ることなかれ、百代自身も灯火と同じように卒業後は川神院の総師範代後継者としての道を進むことも理解の良さに繋がったのだろう。
「松永め」
灯火も何も、百代が嫌いだからこう言ったわけではない。
互いに戦う理由──即ち、百代は自分の力を試したいが為に戦い、自分は精神に依って戦うという根本的な考えの違いがあることを伝えたかった。しかし、彼女の祖父である学園長に聞いた通り百代はそう言った話を苦手としている。現状、戦いたいと思われている自分がそういった類の話を説くと余計に反発してしまうのではないかといった心配が少しあった。他流派の頭目たるや百代に変な影響を与えてしまうと、川神流に申し訳ないという気持ちもある。勝敗には拘らず、『精神修行を終えれば戦う』と言えれば良いのだが、灯火も一流派を任せられた者として慎重になっていた。
「なぁ、戦えよ戦えよ〜」
いつの間にか構えを解いた百代は、ゆっくり歩きながら思案に入った灯火に絡みに行く。
「くっ付くな、暑い。それに授業に間に合わんぞ」
「熱い、か。お前も男だな。よーし分かった、もし戦って私に勝ったら『一日百代ちゃん券』をだな……」
正面に出て語る百代をスルーして灯火は歩く。
「わかった! 二枚でどうだ? 二枚もあげちゃうぞ? 何なら戦うだけでとりあえず一枚! 勝てば三枚だぞ!」
「別に要らん」
「おおーい、そんなこと言うなよ! 未だかつて誰も使ったことのない『一日百代ちゃん券』だぞ? 私に何でも言うことを聞かせられるとんでもチケットだ」
「たしかに三枚もあれば……」
「お、どうだ……灯火もジジイみたいなタイプといえど華の男子高校生。溜まったリビドーをカタルシスしたくなるときはあるだろう? この一年で九十は超えてまだ成長を続ける私のチャームポイントに」
「──うちの道場の掃除は任せられるな」
「何でだよ! 『一日百代ちゃん券』をそんなしょうもないことに使うなよ!」
「三枚ということは三日間だろう? 三日もあれば離れも含めた敷地内全部の掃除が出来る。納屋の荷物は重くてな、百代に頼りたいと思ったときもあったんだ」
「やっぱ無し! 『一日百代ちゃん券』は白紙だ! 川神院の掃除ですら面倒臭いのに、他の家の掃除まで出来るわけないだろ」
「む、そうか。その何とか券があれば考えたんだが……」
多摩大橋を過ぎて、二人は川神学園へ一直線の道に入る。多摩川沿いよりも多くの学生が見えた。
「やはり清楚ちゃんと戦ったから随分と目立っているな」
百代だけではなく、今日は隣にいる灯火も目立っていた。
それもそのはずで、彼こそが素人でも感じられるほど暴力的な気を放っていた項羽と相対していたその人で、先週まで生徒たちの間では無名に等しかったのだ。無論、帯刀許可者ということである程度の名前は知られていたのだが、それも川神大戦で対三年用に戦略を立てるときくらいだった。しかし、誰もが百代に目を向け、今年初めには納豆小町の燕が転校してくるなど余計に存在感が無くなった。
そこで、今回の件である。
「戦ったのは項羽だぞ」
「おっと、そうだったな」
百代はニヤニヤと灯火を見るが、変わらない様子に心の中で舌打ちをした。少しでも据わりの悪い様子を見せていれば揶揄おうとしたのだが、横顔はいつものように能面で、初めて梧前灯火という男の芯の強さを感じた瞬間だった。
「……精神修行か」
珍しく、らしくもないことを考えている彼女は頭を振った。
「どうした?」
「いや──ッ」
「適当に虫でもいた」と言おうとした百代であったが、頭の先に突き刺さるような気配を感じて口を閉じる。
考えずとも、意識すらせずともその気配は知っていた。
一、
「──んはははっ! 見つけたぞ灯火!」
荒々しい笑い声とともに背後から走ってきたのは今話題の渦中である葉桜清楚改め、項羽だった。清楚と項羽の見極めは清楚を知っている者ならば簡単であろうが、肉体的には何も変化がないため初対面には難しいかもしれない。口を開けば何となく察することは可能であるものの、やはり一番の特徴は血のように赤い瞳にある。
「おはよう、項羽」
「おはよう!」
清楚らしからぬ威風は間違いなく項羽だった。
「清楚ちゃんはどうしたんだ? 項羽も良いけど、清楚ちゃんとも挨拶したいな」
「む──百代もいたのか。オレに吹き飛ばされて、もう帰ってきているとは思わなかったぞ」
「さすがに海に飛ばされてたら面倒だったが、ラッキーなことに陸だったからな。走って夜には帰って来てたぞ。本気を出せば一時間くらいで着いてたけど、ジジイがうるさいからな」
「お前も力を制限されているのか。同じだな」
少し悲しそうな様子で項羽が言った。
「どういうことだ?」
「土曜日に目を覚まして、身体が凝っていたからひと暴れしようとしたらマープルに怒られてな……無視して出て行こうとすればヒュームが飛んで来るわ、クラウディオに縛られるわでまともに動くことすら出来なかったんだ」
「何だその楽しい空間は!」
「戦えるわけではないだろう」
相変わらずの戦闘思考に灯火は思わず突っ込んだ。
「それからもう一度封印されるか大人しくしているか選ばされて、清楚の勧めもあって暫くは大人しくすることにしたんだ。まだ身体が馴染んでいない状態でヒュームと戦っても面白くない。そのうち正面から叩き潰して暴れることにした」
「ということは、いつでも清楚ちゃんと替われるのか?」
「ああ。基本的な主導権は向こうにあるからな」
項羽も合流して三人は歩き出していた。
項羽の話によると、人格の基本的な主導権は清楚にあるようだ。先の戦いでは項羽の覚醒とともに溢れた気量に清楚の精神が耐えられず昏睡状態に陥っていたらしい。項羽は久しぶりの現世に興奮して思うがままに行動しようとしたが、最終的に流された灯火の気によって清楚の意識が戻り、項羽も慣れない状態に気を失ってしまったとのこと。灯火と話した後に二人で折り合いを付け、とりあえず日毎に切り替えることにしたようだ。
ちなみに今日は清楚で、今項羽が出ているのは登校の間だけでも出ていたかったからとのこと。項羽は勉強時は清楚に任せると駄々を捏ねて──本人曰く、適材適所──、九鬼家従者第二位のマープルに叱られたようだ。
「本来ならば清楚が考え、オレが戦うから勉強は必要なかったが清楚にも最低限の学はあったほうが良いと言われた。せっかく一つの身体に両方を有するのならば、オレはそれを極めることにしたのだ」
西楚の覇王──そう号した項羽の名を籍という。項羽は中国全土を初めて統一した秦を滅ぼした圧倒的な武力を誇った猛者だった。歴史書を紐解いても個の力では間違いなく時代最強であっただろう。しかし、一時的には楚王を名乗ろうとも、それは懐王より下に位置し、一番上に立つことはなかった。のち、項羽は劉邦と対立、その首には千金が懸けられた。やがて連戦の果てに項羽は討たれ、無惨なことに肉体は兵によって五つに裂かれた。
「オレが目指すのは心身ともに最強となること、そこにかつてとの性差は存在せん──そして同じ結末も辿ろう気はない!」
肌が逆立つような感覚に襲われる。それは決して項羽が気を放ったわけではなく、単純な雰囲気から滲み出る畏怖だ。
灯火は気にする様子なく歩いているが、百代は一度相対したときより純粋な気配に口角を上げた。
「なら、決着はいつでも良いってことかな?」
「決着も何も、前回の勝負はオレの勝ちだ!」
「いーや、まだ付いてないね! 勝負はどちらかが勝つまで勝負だ!」
「はっ! 誰が見ても無様に吹き飛ばされた貴様の負けに決まっているだろう!」
「まだ本気じゃなかったし、ノーカンだ!」
オレの勝ちだ、もう一回、と言ったやり取りが続く。やがて二人の言い合いは白熱し、灯火を挟んで取っ組み合いのように発展していった。出来るだけ黙っていた灯火であるが、いよいよ額を擦り始めた二人に腕を上げた。
「──二人とも」
「言ってやってくれ灯火、オレの勝ちだと!」
「まだ決着は付いてないよな、灯火!」
「オレの勝ちだ!」
「勝負は付いてない!」
「うるさいぞ──」
跡が残らないように、二人の額にうまく薬指を弾いた。
「──あぅ」
「──くっ」
剣を持つ者の指は発達し、おそらく岩より硬い防御力を持つ二人にも鈍く響いた。
「今日は朝礼もあるんだ。二人の決着は次の勝負で付ければ良い。項羽が勝てば二勝、川神が勝てば先の勝負はノーカウント。それで良いだろう」
顔を顰める二人を尻目に、灯火は足早に歩いて行く。
「仕方ない、それで良いだろう」
「わかった。勝っても負けても後から言うのは無しだからな」
「んはっ! それはそっちだろう?」
「何だと!」
「──おい」
「……今回は清楚も早く行けと言っているので許してやろう」
「……私も遅刻してジジイのお小言を貰うのは勘弁だからな」
灯火は小さく溜息を吐きながら、肩に掛けていた鞄を持ち直す。
初夏──直ぐに蝉が鳴き出す季節だろう。
今年は西から松永燕、英雄のクローンである源義経らがやって来た。灯火は直接会ったことはないが、九鬼の末娘である紋白の転入も学園を賑やかせただろう。そして続け様に項羽の覚醒だ。
視界の端で爛々と輝く太陽を見やりながら口を開く。
「──まだ何かありそうだな」
果たしてその言葉は…………予定されていた川神大戦が項羽の出現によって自己推薦者を大将とした模擬戦へ変わったり、乗じるように最上旭が自身の正体を明かし義経と競い合ったり、さらに助っ人としてやってきた梁山泊の面々がいたりと騒がしくなるのは当たり前。
ここは武の聖地。武神が棲まい、覇王が歩み、英雄が暮らす。時折り世界最強が脚を擡げて部下を折檻していることがあるようだが、人々は日常のように行き交っていく。
幸も不幸も風のように過ぎ去っていき、刹那を謳歌するこの場所を──川神といった。
二、
「清楚、肥料を取ってくれるか?」
「うん、こっち?」
「白い方だ。たぶん、水道の下に置いていたはず」
「あったよ」
「ありがとう」
清楚は机の上にある教科書と同じように肥料の入った袋を持ち上げると、バランスを崩すことなく歩いて土をいじる灯火の横に置いた。
灯火も見慣れたようで、特に思うことはなかった。
「夏はやっぱり綺麗だね」
「見ていて楽しい花壇になったと思う。清楚が植えたジニアも本当に綺麗だ。奥のデュランタも、石畳を歩きながら眺めると涼しい気持ちになれる」
「そう? じゃあ、選んで正解だったかな。灯火くんの好みは……ちょっとだけ渋かったから」
灯火の好みは夏だと月下美人を中心に色の落ち着いたものが多かった。学園長やたまに来る旭からの評判は良かったのだが、やはり発色の良い花弁の方が見ていて楽しいものだ。清楚は大衆受けする色合いのポット苗を選んで植えたのだ。おかげさまか、今日のように天気が良い日は写真を撮りに来る生徒が増えた。
「清楚が手伝いに来てくれて、本当に良かった。去年より覗きにくる人が増え、自分もより手入れし甲斐のある花壇になった」
「ううん。私も自由研究くらいの知識しか無かったから、灯火くんに教えてもらって助かってるんだよ。最近は九鬼の中庭にある花壇をちょっとだけ触らせてもらってるし」
「そうか……清楚も項羽が覚醒して大変かもしれないが、時間さえ許せばこれからもここに来て欲しい」
「もちろん。項羽も花は嫌いじゃないみたいだから」
灯火は項羽の妻が虞美人だったことを何となく思い出した。
「それに──ほら、実はもう入部届けを書いてるんだよ」
清楚は四つ折りにして胸ポケットに入れていた入部届けの紙を灯火に見せた。
「む、そうだったのか……なら、これからもよろしくだな」
「今度は園芸部として、ね」
「ああ──」
戦う、乙女の本分〜行く手は、切り開くものー、容赦しないっよー、ぴかぴっかーにするぞ♪
以下、純粋なる後書き
あけましておめでとうございます。
と、いうことで原作の方もこんな感じの終わり方なのでこういった風にしてみました。本来であれば、「川神といった」でキリが良いのですが、どうしてもマジ恋Aのedに繋がり方にしたかったので……遊び心も大事。
1ルート終わってから、スッとキャラソンedに入るのが最高過ぎる。特に義経のが好きです。義経関連はbgmも最高で、タイトルは忘れましたが篠笛を吹いてるときのbgmは永遠に聴いてました。Sのopも最高。
無印キャラも良いですが、義経、弁慶、清楚、旭ルートは特に格別だと思います。キャラもげに可愛いし……。
さて、本来ならばもうちょっと模擬戦があったりするのですが、この物語はこれで終了。「真剣で私に恋しなさい」は初めて書いた二次小説で、無計画にバンバン書いてると完結目処が立たなくて実は非表示になったのも結構あります…w。割と赤評価をもらったりしていたので、もしかすると読者様の中にこれ消えたけどどこいった、っていう作品が私のだったりするかもしれません。申し訳ありませぬ。
エロゲーが原作の二次小説はもっとえっちっちでも良い。
R18とまでは言わないものの、人間関係も含めて原作テンポくらいの書き方が一番書いていて楽しいです。
これから書く方は、二次''小説''なのでじっくり、硬くと身構えがちですがポンポン進むのが意外と読みやすかったりします。個人的に文字数は3000〜5000ほどを目安にすると、ある程度めちゃくちゃでも読めちゃう文になります。
だからマジ恋の二次小説書いて! 最近ちょっと減少気味だから! みんな書いて! ハーメルンの原作項目欄にあるのはすごいんだよ! というか読みたいから書いて! あらかた読み尽くしてるからそろそろ新しいの読みたいよ! 君を待ってるのさ!
何はともあれ、お読みいただいて本当にありがとうございます。おそらく自分の書いた短編も含めて一、二を争う反響具合でした!
またどこかで貴方と私の作品が出会う日が来ることを願っております。
——神の筍。
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