うわっ…茅場の告知、遅すぎ…? (〆鯖缶太郎)
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はじまりの物語

【注意】
 私の原作知識は1~10数巻とプログレッシブの3巻辺りまでで内容もおぼろげです。
 本来原作にないオリジナル設定を使って原作と差異があると思いますが、そこも含め楽しんでいただけると幸いです。


 βテスト最後の祭り。

 その日起きた出来事は、ネット掲示板でそう書かれた。

 

 過去に類を見ない大規模攻略。適正レベルに全員届いておらず、新種のモンスターに攻略組はかき乱された。

 道中で何人ものプレイヤーがポリゴンと化し、やっとの思いで辿り着いた第十層迷宮区。

 けれども、一息ついている暇はない。βテスト終了というタイムリミットが迫っていた。

 疲労が蓄積し、回復薬もプレイヤーの人数も足りない、マッピングが一切されていない手探りの攻略。

 一段と強くなったモンスターに足は度々止まり、少しの油断で退場していく仲間達。

 それでも階段を早期に見つけられるという少なからずの幸運もあり、最後は一人のプレイヤーに託され――そのプレイヤーが蘇生の間で復活することはなかった。

 

 果たしてそのプレイヤーが最後に見たものは何だったのか。

 道中で終わったのか。ボス部屋まで辿り着いたのか。ボスの姿を見たのか。

 SAOの正式サービスを控え、そんな話題で盛り上がっている掲示板を見ながら彼女(アルゴ)は思い出す。

 あの日見た最後の光景を――。

 

 ―――

 ――

 ―

 

「なぁ、アルゴ」

 

 自分よりも遥かに屈強な男に名を呼ばれ、顔を上げる。

 第一層のボス攻略から攻略組を立ち上げ、リーダーを務めていた彼と話す機会は何度かあった。

 アルゴが今この場にいられるのも、荷物持ちと斥候として彼に誘われたところが大きい。でなければ、戦闘力のない足手まといとして、参加は許されなかっただろう。

 

「すまねぇが、散っていった奴の分まで……お前に託していいか?」

 

 忌々し気に言う彼の視線の先には上階へ続く階段と、手前の通路で群れるモンスターの姿があった。

 

「具体的には、どうするんダ?」

 

 語尾が特徴的な甲高い声で、アルゴは問う。

 

「俺を含め、残ったメンバーで敵の注意を引き付け、階段への道を開ける。アルゴはそこを突っ走って、何処かにあるボス部屋まで駆け抜けてくれ」

「……せっかくここまで来たのに、最後がオレっちでいいのカ?」

「こう言っちゃなんだが、今回のボス攻略は最初から不可能だと思っていたんだ。でもどうせなら最後に、ボスの情報を少しでも知りたいだろ? 元よりお前を強引に誘ったのはそれが理由さ。攻略を前提としなければ、一番生き残る可能性が高い。そうだろ?」

 

 確かに、今この中で一番生き残る可能性が高いのはアルゴだ。

 戦闘能力こそ大幅に劣るが、隠密や索敵、看破といった戦闘回避と索敵能力は誰よりも高い。ステータスも敏捷値に特化しているので、仮にモンスターに補足されたとしても逃げることならできる。

 

「それに、お前なら信用できるしな――鼠さんよ?」

「ニャハハ」

 

 誰が呼んだか《鼠のアルゴ》。両頬に描かれた髭のような三本線のペイントから、その名が付いたのだろう。手広く交流していたことに加え印象に残るのか、今ではマスコット的存在になっていた。

 

「そりゃ、責任重大ダナ」

 

 全てはアルゴに託された。

 彼を含めた数人はモンスターの群れに突貫し、遅れてアルゴが開いたスペースを駆け抜ける。

 

「頼んだぜ!」

「結末を知りたいなら、それなりの額は要求するヨ!」

「そりゃ勘弁してくれよ!!」

 

 去り際、そんな二人のやり取りに笑い声が上がり。ポリゴンと化し離脱していく仲間たちを背に、アルゴは脚により一層力を込めた。

 自身が今まで培ってきた知識と経験、そして勘を頼りに。極力敵に感知されないよう、隠密行動を心掛け。

 ただ闇雲に、一秒でも早く――先へと突き進む。

 ゲーム故に、無尽蔵にある体力に身を任せ。閉鎖的な迷宮区内で、アルゴは一陣の風となる。

 それでいて足音を最小限に留める技量は、VR空間に於いて一朝一夕で身に付くものではなかった。

 

 ……どれほどの時間が経っただろうか。

 気付けばβテスト終了まで一分を切ろうかというところで、遂にその時は訪れた。

 今までとは明らかに違う迷宮の構造。そして見上げるほどに積み重なった横に広い階段を捉え、ボス部屋が目前まで迫っていることを確信する。

 階段を一段飛ばしで駆け上がり、最上段まで到達したアルゴが見たものは――。

 

「嘘……ダロ?」

 

 震える声音で、信じられないと、その光景に目を見開くアルゴ。

 彼女の視線の先には、確かにボス部屋が存在した。存在したのだが……。

 そこにあったのは、開け放たれた巨大なボス部屋の扉。

 部屋の中は、左右に立てられた松明が爛々と燃え上がり。ただただ、四角く刳り貫かれたような空間があるだけだった。

 

 ――まさか、まだ実装されていない?

 足を踏み入れ、一瞬そんな思考が脳裏を過るが、ボス部屋の奥にある次層へと続く階段が開かれている事にアルゴは気付いた。

 

 ――何者かが、現段階で最高峰とも言える攻略組を差し置いて、ボスを倒した?

 一体誰が、何人で、どうやって、どんなボスを攻略したのか。

 

 アルゴの情報を以ってして、可能とするプレイヤーは……一人だけいた。

 いつフレンド欄を見てもログインしており、今回の攻略にも不参加を表明していたプレイヤー。

 彼ならば、それこそ単独で攻略可能かもしれない。そう思えるほどに、アルゴはそのプレイヤーとの関わりが深く、強さを知っていた。

 

 階層間を移動する転移門は、ボス撃破から二時間後に自動で開くか、次層にある転移門に触れて有効化(アクティベート)しなければ連結されない。

 だが、アルゴは思う。第十一層の転移門は恐らく、有効化されていないだろうと。時間経過による自動連結もだ。

 全ては自分だけで、情報を独占するために。

 次層への階段を上ろうにも……もう、時間はない。

 

 ――今この瞬間。誰も到達できていない階層でただ一人、その景色を眺めているプレイヤーが存在する。

 

 己の眼で見なければ間違いなく信用しなかった事実に、アルゴはゲームで流れるはずのない冷や汗が伝った気がした。

 そして、ボスを倒したであろう彼を呼ぶ時に使っていた愛称を、薄れゆく世界の中で呟く。

 

「キー坊……」

 

 視界がブラックアウトし、二ヶ月間に及んだβテストの幕が閉じられた。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 βテスト終了から更に時は流れ。テスター千人と限定販売されたソフトを手に入れた九千人を含めた、計一万人でSAOの正式サービスが始まろうとしていた。

 

 ――いよいよだ。いよいよ、待ち望んでいたゲームが開始する。

 ナーヴギアを装着し、直ぐ様ログインできるように楽な態勢で待つ者達の中に、桐ヶ谷和人の姿もあった。

 

「リンクスタート」

 

 開始時刻になった瞬間、一万人のプレイヤーが同タイミングでそう言った事だろう。

 ナーヴギアが音声認識をするや否や、意識と感覚はゲームの中へと誘われる。

 そして次に分かるのが、ベッドで寝ていたはずの自分が両足でしっかりと立っている、という事実。

 ゆっくりと目を開ければ、まず視界に入るのは規則正しく敷き詰められた石畳。顔を上げれば、そこには懐かしい《はじまりの街》の風景があった。

 

 一万人が続々とログインし、様々な気持ちが織り交ぜられた歓声が広場に木霊する。

 そんな人混みの中を掻き分け、キリトは迷う事なく裏道へと入って行く。途中、赤い髪のバンダナ男に声を掛けられた気がするが相手にはしない。

 今この瞬間からゲームは……競争は始まっているのだ。

 

 βテスト中に目を付けていたこの街で最も物価が安い武器屋に入り、まずは初期防具を売り払い、続いて初期武器と同じ《スモールソード》を数本購入。残ったコルで念のための体力回復のポーションを買った。

 その一切無駄のない動きは、キリトがβテスト時代に予習した賜物だろう。

 店を出た後はそのまま裏道を使って北西ゲートへと歩を進め、その間にこのゲームの要とも言えるスキルスロットを埋める。

 レベル1の時にある枠は二つ。その一つをβテストでも愛用した『片手用直剣(ワンハンドソード)』にし、もう一つは敵を効率良く見つけられるよう『索敵(サーチング)』にする。

 表通りに出れば既に他のプレイヤーで溢れかえっており、北西ゲートを出れば草原エリアで早速イノシシモンスターと戦っている姿がちらほら見えた。

 あと一時間もしない内に、ここもプレイヤーで溢れかえってしまうだろう。

 そんな事を思いながら、キリトは目的の村がある深い森が広がる方面へと駆けだした。

 

 途中、何体かのイノシシやイモムシとすれ違い、動きの鈍いイモムシを手っ取り早く倒して一つレベルを上げる。それと同時に入ったステータスポイントは全て筋力値に振り分け、そのまま森へと入った。

 中は迷路のように入り組んでいるが、キリトにとってはさしたる問題ではない。βテストから変更されていないだろうかという一抹の不安を胸に突き進み、無事目的地である《ホルンカの村》に辿り着く。

 

 ここに来た理由は二つ。

 一つ目はこの村の外れにある民家に『森の秘薬』というクエストがあるからだ。

 それは片手剣使いの必須クエストであり、成功報酬の《アニールブレード》は武器強化も含めれば第三層までメインウェポンとして充分使える。

 そして二つ目の理由が、序盤で最も経験値効率の良い狩場だからだ。

 まず先に説明すると、森の秘薬クエストを達成する為には狩場に出る《リトルネペント》という植物系モンスターを倒す必要があり、しかもこの敵は細かく言えば三種類に分けられる。

 

 『ノーマル・実つき・花つき』

 ノーマルは通常種で、最も出現しやすい普通の個体。

 実つきと花つきは少し特殊で、ノーマルに実か花が付いているネペントのことだ。

 ただ、この二種類は出現確率が異常に低い。クエストを達成するには花つきを倒すと確定ドロップする『胚珠(はいしゅ)』が必要であり、今からキリトが狙うのがそれだ。

 ならば実つきは何なのかと言えば、その実が傷つくと臭気を噴出し、周辺にいる仲間達を引き寄せる厄介な存在だ。

 

 故に実つきは初見殺しに近いが、立ち回りさえ覚えてしまえば狩り効率を上げるありがたい存在と捉えることもできる。

 以上のことを踏まえ、クエスト討伐対象の花つきの出現確率が低いことや、実つきの特性故か、この森のモンスターの湧きは他と比べても圧倒的に早いのだ。

 

 よってキリトは、早速クエストの受注に行く――かと思いきや、そのままネペントを倒しに森へと向かう。

 クエストの受注と達成は同時に行った方が短く済むことに加え、この森に湧くモンスターは確かにネペントだけであるが、本当の敵は別にいるからだ。

 

 森に入れば早速索敵スキルで周辺を警戒するキリト。

 ここで死んでしまえば蘇生ポイントの《始まりの街》に逆戻りであり、時間を大幅にロスしてしまう。

 小走りに木々の隙間を抜けて進んでいると、敵が索敵範囲内に入った事を知らせるカラーカーソルが表示される。

 孤立している敵であることを確認し、キリトは迷うことなく歩を進め、視界に捉えた。

 

 それは正に、βテストの頃と何ら変わりのない動く食虫植物そのもの。

 無数の露出した根を足として移動し、ウツボカズラを思わせる胴体。攻撃手段である二本のツルは現れたキリトを真正面に捉え、捕食用の大きな口をパクパクとする度、粘液が滴り落ちる。

 頭の頂点には大きな芽が咲いており、ノーマルの個体であると一目で認識できた。

 

「ハズレか……」

 

 本命は花つきであるが、どうせレベルを上げる為にこれから何百体と狩るのだ。今は一秒でも早く強くなる事を重点に置き、花つきはついでだとキリトは思考を切り替え、剣を抜く。

 眼を持たないネペントではあるが、キリトが臨戦態勢に入った事を感じ取ったように「シュウウウウ!」と咆哮を上げた。

 

 リーチは自在に伸縮するツルを持つネペントが有利。加えて遠距離攻撃の口から吐かれる腐食液を浴びてしまえば、HPと武器防具の耐久度が大きく減り、粘着力で動きが阻害されるおまけつきだ。

 幸い腐食液の攻撃範囲は狭く、予備動作もあるので注意していれば喰らう事はない。

 警戒しつつ歩を進め、丁度ネペントの攻撃が届くギリギリの範囲でキリトは敢えて立ち止まった。

 

 今が好機と見たのか、ネペントは二本のツルを自在に使って攻撃せんと鋭い突きを放つ。だがそれを見切ったキリトは危なげなく躱し、やがてネペントがしびれを切らした様に大きく開いていた口を閉じかけた瞬間――キリトは駆け、対象へと肉薄する。

 今のネペントは言わば、攻撃モーションの最中。プレイヤーで例えるなら、ソードスキルを構えたタイミングだ。

 

 AIシステムによって動くネペントはモーションをキャンセルできず、そのまま腐食液を溜める予備動作へと入る。

 しかしその間に距離を詰め切ったキリトは、腐食液の当たらないネペントの側面へと回り込み、剣をウツボ部分と太い茎の接合部である弱点に叩き込んだ。

 背面攻撃のように、相手が隙だらけの状態の際に入るダメージボーナスも加わり、ネペントの赤いHPバーが筋力値に極振りしたステータスもあってガクリと四割近く削れる。

 そして、腐食液を吐ききる前に攻撃を喰らった事によりできた隙にもう一撃叩き込み。最後はネペントが態勢を立て直す前に単発水平斬撃技《ホリゾンタル》を放つ。

 

 息をする間もなく、流れる様なキリトの三連撃を弱点に食らったネペントのHPは全損し、青い硝子の欠片となって爆散した。

 ステータス上は間違いなく相手が格上であったが、防御面が低いことや弱点が露出している点など。立ち回り次第で狩りやすいのもネペントの魅力だ。

 βテストから修正されているかもしれないと、少々オーバーキル気味に攻撃を加えてしまった事を反省しつつ、キリトは次なる獲物を求めて駆けだした。

 

 ――そして、レベルが3に上がった頃。キリトが最も恐れていた敵が現れた。

 しかし、すぐに襲うような真似はしない。剣を収め、なるべく自然体で近付くキリト。

 すると、相手もこちらに気付いたのか。振り向いて、口を開いた。

 

「驚いた。まさか、もう先客がいるとはな」

 

 その相手とは、植物系モンスターではない。

 そもそもこの森には《リトルネペント》しか湧かず、加えて会話が成立するようなモンスターは存在しない。

 相手の頭上に浮かぶ、緑色のカーソル。村で買える革鎧を身に纏い、腰には吊り下げられた《スモールソード》。それらは間違いなくプレイヤーである証拠であり、同業者であると確定した瞬間だった。

 

「お前も秘薬クエ、受けてるんだろ? よければ俺とパーティーを組まないか?」

 

 友好的に近付いてくる相手を、キリトは油断なく観察する。

 一見友好的に見えるかもしれないが、それが演技の可能性もあると考慮して。一歩、また一歩。射程内に入っても、相変わらず隙だらけの相手に。

 

 ――どうやらコイツは、本当にパーティーを組もうとしているらしい。

 そう理解した時には、体が動いていた。

 

「……は?」

 

 一体何が起きたのかと、思考が追い付くまもなく。そのプレイヤーは素っ頓狂な声を残し、顔と胴体を分離させながら爆散した。

 何てことはない。キリトが己の剣でプレイヤーを殺した……つまりはPK(プレイヤー・キル)だ。

 キリトの頭上に浮かぶカーソルが緑色からオレンジ色へと変わる。

 

「これでもう、同じ手は使えないな……」

 

 キリトにとって一番の敵。それは狩場を荒らす同業者……つまりは他のプレイヤーだ。

 折角低確率で湧く『花つき』が出たとしても、奪われるかもしれない。そうでなくとも、狩りの効率が落ちるのは免れないだろう。

 ゲームに於いて、狩場とは奪い合いだ。仲良く分け合いましょうという思考など、生粋のソロプレイヤーであるキリトは持ち合わせていなかった。

 仮に彼とパーティーが組める者がいたとしたら。それはキリトをも唸らせる実力の持ち主だけであろう。

 

 そしてPKなどの違法行為をした場合、プレイヤーのカーソルはオレンジ色になる。

 そうなった場合に最も困るのが、本人が村や街の中といった安全な圏内に入れなくなるということだ。

 ならばもう《ホルンカの村》に入れず、クエスト達成もできないではないか……と、思うかもしれない。

 だが、それに関しては問題がなかった。何故なら、森の秘薬クエストを受注する民家は村の外れにある。つまりそこは安全圏ではないため、実質的にオレンジプレイヤーも入ることができるのだ。

 それでもNPCによってはオレンジプレイヤーを毛嫌いする者も多いが、その民家に限っては少なくとも大丈夫である。クエスト内容を見れば分かるが、その民家の娘が重病にかかっており、それを治す為に胚珠がいち早く必要なのだ。

 つまり、胚珠を持ってきてくれるならば……娘の命を救う為ならば、例えオレンジプレイヤーでも頼る。それがこのクエストの隠れた特徴でもあった。

 

 故に、キリトにとってこれから一番面倒なのは圏外での安全確保だ。

 圏内以外でログアウトすると体は残り、モンスターやプレイヤーに倒される恐れがある。一応βテストの内にいくつかポイントはピックアップしてあり、PK行為が可能なだけあって少なからずの救済措置も存在する。

 いざとなれば、数少ないβテスト時代のフレンドを頼ればいいだろう。

 だから何の心配もいらないと、キリトは再びネペントを狩りに駆けだした。

 

 

 

 SAOのサービス開始から、五時間あまりの時が流れた。

 ――成果としては上々だろう。

 レベルが上がる毎に狩り効率も上がり、今現在で手に入れた胚珠の数は四個。一個は既にクエスト報酬である《アニールブレード》に替えてしまったので、残り三個は顔が広いとあるフレンドに仲介して売ってもらおうと考えていた。

 多少の仲介料は取られるだろうが、今のキリトはオレンジプレイヤー。しかもあれから両手の指の数ほど倒したので、もうPKプレイヤーがいるという情報は拡散されている頃合いだろう。自分で売るのはそれなりのリスクが伴うし、何より胚珠を売る時間があるならばレベリングを優先させたいのが正直な気持ちだった。

 

 途中、どこからともなく鐘の音が鳴り響き。すわ何事かと警戒を強めたキリトであったが、結局は何も起こらず杞憂に終わり。

 そろそろ次なる狩場を求めて移動するかと考えた時、メッセージ音が響く。GMから送られてきたそれに、まさかメンテナンスのお知らせだろうかと思いながら開けば――。

 

「……は?」

 

 最初にキリトがPKしたプレイヤーのような、何とも間抜けな顔ずらでそんな言葉を漏らした。

 だがそれも、仕方がないことだろう。

 何故なら最初に目に入る件名が『デスゲーム開始のお知らせ』なのだから……。

 

「どういうことだ……?」

 

 読み進めていけば、どうやら数十分前に鳴った鐘の音は始まりの街へとプレイヤーを強制転移させるものであったらしい。

 しかしキリトは現在オレンジプレイヤー。街に入ることはできず、強制転移はシステム的に自動で拒否されてしまった。

 本来であれば一万人近くのプレイヤーが一堂に会し、GMである茅場晶彦のお言葉を頂戴する……という流れだったらしい。らしい、つまりは過去形。これらは既に終わった事である。

 

 端的に言えば、そのメッセージの内容は茅場晶彦直々の謝罪であった。

 何故ならキリトはゲームだと思って十人近くを既にPKし、そのプレイヤーが本当に現実で死んでいる……つまりは意図せず殺人と同じことをしたのだから。

 送付されたアイテムを見れば、手鏡とカルマ値を元に戻すポーションが添えられていた。

 

 試しに手鏡を見てみれば、突然白い光が身を包み……。次に鏡を見た時には、現実の桐ヶ谷和人の姿になっていた。

 最初はメッセージの内容を疑っていたキリトも、現実世界の自身の姿や実際にログアウトボタンがないことを確認し、恐らく本当のことだろうと取り敢えずは受け入れる。

 そして実際に人を殺した件に関しては、そこまで何も感じていなかった。

 

 既に終わったことであり、今更何か後悔したところで変わることはないのだから。

 ただ、これからは無闇にPKをしないと心に誓った。

 今まではゲームだと思っていたからこそのPKであり、現実世界に帰還できた際に説明すればまだ取り返しが付く範囲だ。

 けれど、ゲームの死が現実の死に繋がると理解した今、PKをすれば紛れもない殺人である。

 それが露呈すれば家族に迷惑を掛け、自身の人生も終了してしまう。

 

 最後にカルマ値を戻すポーションだが、はっきり言えばこれはかなりのレアアイテムだ。売ればそれなりの価値になるのは間違いないが、このデスゲームの世界でオレンジプレイヤーとして見つかった場合はどうなるかと考える。

 恐らく、多くのプレイヤーから拒絶される存在となってしまうだろう。

 

 暫しの葛藤の末、キリトはポーションを余すことなく飲み干した。

 オレンジのカーソルが緑に変わり、少し気分が軽くなったと感じるのは気のせいではないだろう。

 

「さて……どうするかな……」

 

 強さに関しては、今現在プレイヤーの中でもトップだろう。

 問題なのは、これから冒険をするのか。それともしないのか。

 果たして、このデスゲームに於いての安全とは何か。

 街に籠るのも一つの手だ。勇気ある者が立ち上がり、いつか攻略されるまで待ち続ける。……だが、安全圏がいつまでも安全である保障はなく。ゲームである以上、何か抜け道がないとも言い切れない。

 

 それにデスゲームと言えど、この世界の本質はゲームである。

 ならば、答えは一つしかない。

 

 ――この世界で、攻略するか死ぬその時まで遊び尽くす。

 

 それがキリトにとっての、最もな選択肢だった。

 せめてもの、名も知れぬPKをしてしまったプレイヤーの分まで恥じぬ生き方をこの世界でしよう。

 そう心に決めて、キリトは次なる目的地へと走り出した。

 



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情報

 《はじまりの街》の北西ゲート。その門柱に背を預け、人通りのあまりの少なさに眉をひそめるアルゴの姿があった。

 ゲートを抜けた先――モンスターがPOPするフィールドへと視線を巡らせれば、最弱の一角と名高い青いイノシシである《フレンジー・ボア》が。それを自らの精一杯のコルをはたいて買ったであろう、ちぐはぐな装備を身に着けた四人組のパーティーが取り囲んでいる。

 その戦闘はお世辞にも上手いとは言えない。敵の逃げ道を塞いだはいい。四人で囲んでいるのだから、一人がターゲットを取って他三人が殴れば直ぐにでも片付くだろう。

 しかし、誰も攻撃を加えようとはしない。遠目で見ても分かるほど全員が例外なく腰が引けており、イノシシが突進してくれば狙われた者が情けなく回避。敵の攻撃が己に当たれば悲鳴を上げ、命からがらといった様子で安全圏である街の中へと駆け込む。

 それによりパーティーは崩壊。全員が敵前逃亡だ。たかだかゲーム序盤の草原に出る、レベル1のソロでも倒せる敵を相手に。

 

「これは思った以上に……深刻ダナ」

 

 つい一時間ほど前。このSAOはデスゲームと化した。いや、デスゲームと告げられたと言った方が正しいだろう。

 強制転移によって《はじまりの街》の中央広場に集められたプレイヤー。そして姿を現した茅場晶彦を名乗る存在。解放される条件はたった一つ。このゲームをクリアすること。当然、一度でもゲーム内で死ねば現実の死と結びつき、二度と目覚めることはない。

 半信半疑の者も多くいるだろう。それはアルゴとて例外ではない。だが未だ、何の助けも来ない事実。そしてゲーム内の仮想アバターが現実の姿に切り変わった事で、次第に本当であると思わされる。

 先の四人組のパーティーだってそうだ。彼らとて死にたくはない。HPを削られたくはない。そんな気持ちが勝り、故にあんな戦い方をしていたのだ。

 寧ろ、戦闘エリアである圏外に出ていただけマシだろう。今でも数多くのプレイヤーが街に留まり、何もできずにいる。判断できずにいる。そして中にはデスゲームを信じられず、開放を求めて自殺した者もいる。

 とてもではないが、現状を見てアルゴにはこのゲームが攻略できるとは思えなかった。

 

 茅場のほんの少しの良心か、その後に追加されていた本来引き継がれるはずのなかったβテストのフレンドからは、これは本当にデスゲームなのだろうかというメッセージが何件も寄せられた。いくらアルゴが情報通だったとはいえ、GMでもないのだから分かるはずも無いのに。

 フレンド欄の下部には、既にこのゲームをログアウトしている者もいた。果たしてそれが、最初からいなかったのか。それとも、ゲーム内で死んだのか。

 早急にでも――手を打つ必要があった。

 

「アルゴ……で、合ってるよな?」

 

 フレンドのメッセージを整理していた時、不意に声を掛けられたアルゴはメニューを閉じ、顔を上げた。

 自信なさげに問いかけてきたのは恐らく、アルゴの見た目が変わってしまい、判断基準が両頬の髭のペイントしかないからだろう。そしてここが、彼との待ち合わせ場所であったから。

 ゲームが開始した直後の初期装備に身を包んだ男は、虚空を縦に切ってメニューを呼び出し操作。淀みなく動かされた手が画面をタップすると、同時にアルゴの視界にパーティーの申請画面が表示された。

 それに了承し、視界左上に表示された【Kirito】の名前を確認すれば、互いに一つ頷いてパーティーを抜ける。

 そしてまず思ったのが、これが現実世界の彼の姿か……という感想だ。

 

「久し振りだナ、キー坊」

「初めましてって感じもするが。久し振りだな、アルゴ」

 

 アルゴには、彼に聞きたいことが山ほどある。βテスト最終日、第十層を突破したのは果たしてキリトなのか。もしそうであるならば、その先にあった景色は何なのか。

 だが今は、そんな先に待ち受ける階層の情報よりも、彼の持ち掛けてきた取引が優先だった。

 

「それで、こんな時に一体何の取引ダ?」

「このアイテムを仲介して売って欲しい。取り敢えず確認してくれ」

「……ナッ!」

 

 早々に寄越してきたトレード画面とキリトの顔を、アルゴの視線が行き来する。

 画面に映っていたのは第一層に於いて片手剣使い必須クエにして、このデスゲームと化した世界で現状、最も価値あるクエストアイテムの一つ《リトルネペントの胚珠》。それが三個も。

 

「キー坊。デスゲームとなった今、このアイテムの価値がどれ程のものか、分かってるヨナ?」

 

 アルゴの問いに、キリトは当然だと頷いた。

 

 アイテム価値は需要と供給、そしてプレイヤー毎の総資産で変動する。それはゲームの序盤から、この世界の貨幣であるコルを大量に持っているプレイヤーが存在しないからだ。終盤の千コルが端た金であろうと、序盤であれば大金。モンスターがドロップした素材だって 現状はNPCの店売りに限られ、売値は当然安い。

 そして何より重要なのは、茅場の言葉通りであればこの世界がデスゲームとなったこと。

 コルを稼ぐために手っ取り早いモンスターを狩ろうとするならば、死のリスクが常に付きまとう。ただ一度の死も許されないこの世界では、回復系のアイテムが……。そして何よりも、装備が重要視される。

 この胚珠を渡すクエストを達成し、得られる《アニールブレード》は、第一層にしては限りなくオーバースペックだ。

 だがその入手方法は困難を極め、いつ出現するかも分からない《リトルネペント》の『花つき』を倒さなければならない。

 皆が求めれば競争率は上がり、誰かが何かの間違いで『実つき』の対処を誤れば、途端に森の中が死地と化すのはβテスト経験者ならば容易に想像がつく。

 

 ――時間を掛ければいい。死んでもいい。

 ただのゲームであれば、そんな気楽な考え方も出来ただろうが……今は別だ。

 いつ身の危険が迫るか分からない。

 このゲームの世界ではステータスという数値こそが絶対であり、裏切らない。クリアをするために、生き残るために、優位に立つために。その数値を底上げする装備はプレイヤーにとって何よりも優先される。

 

 もう一度、アルゴは眼前に表示されたトレード画面を見た。

 《リトルネペントの胚珠》が三個。クエストを受注し、その場で報告するだけで、序盤の片手剣使い必須装備と言える《アニールブレ―ド》が三本手に入る。貨幣であるコルさえ払えば、死のリスクを冒さずとも――生を保証される。

 新規勢にはどれ程の価値か分からないだろう。関係も現状築けてはいない。実力だって未知数だ。故にもし売るとするならば、アルゴも知るβ勢であるが……誰もが欲しがるのは間違いない。

 場合によってはこの話を聞いて、片手剣使いに移行する考えを持つ者も現れるだろう。

 序盤の千コルは大金だと言ったが、それすら安い。今この瞬間であれば――どんなに安くても一万。下手すれば三万でも買う者はいるはずだ。

 たったの三万で命が保証され、ステータスを買える。狩りの効率が上がり、前線に立てる。

 資金調達の時間を考えたとしても、それはあまりに破格だ。

 だが、取引するうえで懸念すべきことはいくつかある。

 

「キー坊の事だから、どうせ持ってるんダロ? 現物」

 

 キリトの見た目は今、如何にもゲームを始めたてといった初期装備。だがアルゴからしてみれば、それはあまりにも不自然だ。

 少なくとも、自分用の《アニールブレード》は持っていなければおかしい。それを装備していないのは恐らく、βテスターに目を付けられない為などの彼なりの対策なのだろう。

 

 アルゴの問いに、キリトは再びメニューを操作すると《アニールブレード》の持つ性能を開示してくる。それがβテストの頃と変わらず、弱体化もしていない事を確認し。更に問いを重ねていく。

 ネペントのHPや弱点はどうか。胚珠は確定ドロップか。『実つき・花つき』の出現頻度どうか。全体のPOP速度は?

 アルゴにとって、そしてデスゲームとなったこの世界で正確な情報は必要不可欠だ。βテストはあくまでも過去の記録。今と差異がある可能性も否定できない。キリトを信用していない訳ではないが、胚珠を仲介するうえでもある程度の正式版の情報は必要だ。

 

「それを全部――タダで聴く気か?」

 

 そしてある意味で情報は、最も価値があるモノ。

 

「それジャ、仲介手数料の割合を……」

 

 情報の価値。それはアルゴ自身が一番分かっている。だから譲渡の姿勢を見せようとするも、他ならぬキリトによって遮られた。

 

「そうだな。取り分は50%ずつ。ネペントの情報も渡す。代わりに今後一切、俺個人に関する情報を口外しないと約束してくれ。例えば、この胚珠を誰が確保して、誰がアルゴに持ち込んだか――とかな」

 

 それを聞いて、内心で舌打ちする。相変わらず、抜け目ない奴だと。

 

 考えてみよう。

 これからアルゴと胚珠を取引する者は、キリトが言ったようにまず思うだろう。これだけの胚珠を一体誰が確保し、アルゴに持ち込んだのかと。

 現段階でアルゴを知る者となれば、それは自ずとβテスターに限られると誰でも予想できる。デスゲームとなった今、安全な狩りを……。そうでなくとも、強いパーティーやギルドを形成するために勧誘したいと思うはずだ。

 当然、キリトの情報を欲しがる者は多い。故に、アルゴにとって金になる。それこそ将来的に見れば、一方的に得をするのはアルゴ側で、損をするのはキリト側だ。

 相手がキリトの情報を買うためにアルゴに金を積み、それを売られないためにキリトがまた金を積む。その取り分は全てアルゴ。あまりにもボロい商売だ。

 

 そして、もしこの取引をアルゴが受けたならば、キリトがβテスト中に果たして第十層を攻略したのか問う理由がほぼなくなる。情報を買った所でキリトに関することは誰にも言えず、アルゴが買うだけでもそれなりの額を要求してくるだろう。

 ならば、この取引を断るべきか? ……それこそありえない。

 自身の利益を考えればそれもいいだろう。けれど、このデスゲームでいくら利益を追求しようが、結局はゲームの貨幣。現実世界に帰還できなければ無意味だし、それほど稼いだところでアルゴは一介のプレイヤーに過ぎない。

 

「キー坊はこれから、この世界でどうしてくつもりダ?」

「デスゲームになろうと、ゲームには変わりない。だからただ、本気で遊ぶだけだよ」

 

 取引を断ればキリトは恐らく、この胚珠を躊躇いなく捨てるであろう。他者が自分に追いすがる可能性を少しでも減らすために。何故なら彼にとって、これは単なるゲームなのだから。コルを短期間で稼ぐことはできなくなるだろうが、キリトならば容易にモンスターを狩れる。

 そしてキリトの情報を売る為だけに取引を断って、結局彼が死んでしまっては本末転倒だ。胚珠三個で救える命があったかもしれないのにそれを捨て、キリトをも失う。

 アルゴに取引を断る選択肢はなかった。

 

「……分かったヨ」

「交渉成立だな」

 

 斯くして、商談は成立した。

 『実つき・花つき』の出現率。胚珠のドロップ率など、キリトの情報によれば結局はβテストとほぼ変わりなかった。出現するかどうかは運なので、正確なデータを取るならばまだ時間はかかるだろう。

 ネペントの攻撃パターンやHPといったステータスにも特に変化は無し。POP速度も変わりはなさそうだ。腐食液を喰らった際の装備耐久度がどれ程減るかといった事は分からなかったが、喰らわないに越したことはない。

 できれば何かプレイヤーに有益な修正があれば……とも思ったが、それは無いらしい。キリトが虚偽の情報を語っているならばあるかもしれないが、そんな事を気にしていては全ての事柄に対してアルゴ自らが出向かなければならなくなってしまう。

 元々アルゴはβテストの情報から攻略本を作製しようと考えていたので、結局のところ 多くは古いデータに頼るのだ。正確な情報は少しずつ更新していけばいい。

 

「それにしても、胚珠が三……イヤ、四個モ。一体どれだけの時間狩ってたんダ?」

 

 その問いに、特に深い意味はなかった。アルゴもキリトの事はよく知っているので、どうせ正式版がスタートした直後に狩りに行ったのだろうと予想はできている。

 だからただ、会話の一環として言ったに過ぎなかった。

 

「確か……五時間ぐらいだったかな」

 

 取引が完了し、ストレージに胚珠があることを確認したところで、不意にその言葉が引っ掛かる。

 このSAOがサービス開始したのは13時。そしてデスゲームを告げる強制転移があったのは17時半だ。そこから18時頃に解放され、キリトと待ち合わせていたのは19時。

 仮にサービス開始直後からネペントを狩るために《ホルンカの村》へ行くなら、早くとも片道二十分程度は掛かる。そこからネペントを相手にすれば、強制転移まで狩れるのは約四時間。デスゲームが告げられ解放された時間と村まで往復する時間的に、その後に狩りに行くのは考えにくい。

 つまり、キリトはどんなに頑張っても約四時間しかネペントを狩れないはずなのだ。

 

「――じゃあ、またメッセージで連絡してくれ」

「キー坊、ちょっと待ってくれないカ?」

 

 早々に圏外へと駆けだそうとしたキリトをアルゴは呼び止める。

 先ほど感じた違和感については、特に考えずに発したのだろうと早々に結論付けた。

 強制転移は絶対だ。プレイヤーに抗う術はなく、キリトだって広場に来ていただろう。

 

「実はオイラからも、一つ頼みたい……協力してほしいことがあるんダ」

 

 その言葉を皮切りに、アルゴは今思っている考えについて話し出した。

 

 

 

 

 

 ――もしアルゴが、キリトの待ち合わせ場所に来る瞬間を見ていれば、より強く違和感を持っていたのかもしれない。《ホルンカの村》の方面からやって来たキリトの姿を見ていれば。

 そもそも何故、北西ゲートが待ち合わせ場所として指定されたのか。何故、取引が終わって直ぐに圏外へ駆け出そうとする生粋のゲーマーが、時間を置いて19時にアルゴとの取引を設定したのか。

 仮にそれらに気付いたとしても、キリトが転移していなかった事実までは気付くまい。さしずめ「クエスト達成前に強制転移させられたから報告しに行った」と、キリトが言えば筋は通るからだ。

 それに彼のカーソルはグリーンで、他のプレイヤーと何ら変わりなかったのだから――。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 ――これは、ゲームであっても遊びではない。

 

『……以上で、《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の――健闘を祈る』

 

 悲鳴。怒号。絶叫。罵声。懇願。咆哮。

 一万人近くがそんなものを発して、一体何になるというのか。何が変わるというのか。

 周囲に混乱を招き、そして招かれた者達から距離を置くように。その日――アスナは誰よりも早く《はじまりの街》を飛び出した。

 

 強くなるため。ゲームをクリアするため。そして――現実世界に帰るために。

 



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閃光

 期待などしていなかった。

 それは期待するまでもなく誰もが考え、行動して、出来て当たり前だとアスナが思い込んでいたからだ。

 故にその知らせは、彼女を失望させるには充分であった。

 

 ――デスゲームが開始して一週間で、五百人が死亡。

 

 それだけならまだ、気にはしなかった。誰だって死ぬことはある。五百人は判断を誤ったのだ。残りの九千五百人が、その間に強くなっていればいい。そして最後にはゲームをクリアして、現実世界に帰るのだ。

 そう。現実世界に帰る。その為に第百層を目指す。それがアスナの目標だった。

 

 βテストでは二ヵ月という期間で第十層までプレイヤーは辿り着いたとされている。しかも総勢は千人。事前知識だってない、初見プレイでそこまでいったのだ。

 ならば正式サービスが開始し、一万人が事前知識を備えた状態で挑んだならば。一週間もあれば、既に第二層まで到達していても何らおかしくはない。

 だが、現実はどうだ? 多くの者は未だに《はじまりの街》に留まり、数少ない立ち上がった者から死んでいき、それを見聞きした者が歩みを止める負のスパイラル。

 

 ゲームの死が現実の死になる? 一度の死で全てが終わる?

 そんなもの――当たり前ではないか。寧ろこの世界は、現実世界よりもよっぽど単純明快だ。

 

 生き抜くにはどうするべきか。

 ――強くなればいい。

 安全を確保するにはどうするべきか。

 ――強くなればいい。

 第百層まで辿り着くにはどうするべきか。

 ――強くなればいい。

 最終ボスを倒し、ゲームをクリアし、現実世界に帰るにはどうするべきか。

 ――強くなればいい。

 

 たった……それだけの事なのに……。

 

 

 

「…………」

 

 アスナは今日も、固く冷たい石畳の上で目を覚ます。

 数多のモンスターが我が物顔で闊歩するダンジョンの中。内部の各所に点在する安全地帯こそ、デスゲームが始まって以来、彼女の寝床だった。

 寝心地は当然最悪だ。四隅の松明が燃える部屋を一歩出れば、ダンジョン内であるが故に、モンスターの足音や唸り声が絶える事はない。

 こんな場所で眠るメリットとしてあるのは、宿泊費が掛からず、直ぐにモンスターと戦えることぐらいだろう。

 

 固くボソボソとした黒パンを貪り食べ終えると、ゆらりと立ち上がる。

 睡眠も食事も必要最低限。HPこそ満タンであるが、とても万全の状態とは言えない。加えて仲間もいないソロプレイ。

 きっとこんな姿を他のプレイヤーに見られたら、死にたがりだと思われるかなと、アスナ自嘲気味に笑う。

 別に好んでソロプレイをしているわけではない。アスナの予定ではとっくに第一層は攻略されており、道中で仲間ができているはずだったのだ。

 けれども迷宮区から最寄りの町である《トールバーナー》に初めて辿り着いた時、他のプレイヤーは見つけられなかった。そこで悟った。自分のペースが明らかに早く、期待しすぎていたのだと。

 だから今、できる最大限の事をやる。そのために今日もモンスターと戦う。

 

 ――でも、誰もいないし……ちょっとくらい発散しても、いいよね。

 

「――――ッ!!」

 

 アスナの悲鳴が、叫びが、声にならない声が、ダンジョン内に響き渡った。それが彼女の腕を振るう原動力となり、また一体、モンスターの命を刈り取る。

 

 身を削って、耐えてきた。何百体というモンスターを切り伏せて、力を付けてきた。全ては自分のために。そして、志を共にする仲間のために。

 

 背後から敵が迫ってくるのを感知。振り向きざまに頭上へと迫っていた攻撃を受け流す。

 食らえば重傷は免れなかった大振りな一撃は、細剣の腹を滑って石畳を力強く叩き。次の瞬間には壁を蹴って身を翻したアスナが敵の背後へと回り込み、勢いそのままに反撃する。よろめいたモンスターは体勢を立て直すため、一足飛びで距離を置こうと画策するが――。

 

「遅い!」

 

 つま先で着地して二歩。細剣を所定の位置で構え、踏み込んで三歩目。ソードスキル特有のライトエフェクトが刀身を包み、単発刺突技《リニアー》が放たれた。

 ――光芒一閃。

 アシストに全く振り回されていない、全体重が乗った重く 速く 鋭い一撃が一直線に軌跡を描く。一瞬にして懐に潜りこまれ、胴体を貫かれた敵の残りHPが消滅するのに、時間は掛からなかった。

 

 ――こんなにも、私はクリアに向けて努力しているのに!

 

 モンスターが四散すると同時に、アスナの持っていたレイピアもまた、その役目を終えて砕け散る。彼女は何かを追い求める様に、右手を消えゆくポリゴンの欠片へと伸ばした。

 耐久値が無くなってこうして見送るのも、これで何度目だろうか。

 市販の剣一本を使い潰すまでに、徐々に倒すモンスターの数が増えていることが彼女の成長度合いを物語っている。

 ダメージだって久しく喰らっていない。ゲームに触れる機会が少なく、更には初めての完全(フル)ダイブを経験した数日はものにするまで苦労した。死にかけた事も、一度や二度ではなかった。

 

「ふぅ……」

 

 戦闘がひと段落し、慣れた手つきで予備の剣を装備したアスナは息を吐く。

 食料も回復薬も削り、重量制限ギリギリまで買い込んでいたレイピアが、残り二本となった。

 レベリングついでのマッピングも順調に進み、一度町に戻ってアイテムを買い足すのも悪くない。

 それに、思っていた以上に疲労がたまっていた。精神的なものもあるだろうが、デスゲームが始まって以来、ろくな睡眠を取っていなかったからだろう。

 ゲームの世界だからある程度は大丈夫だろうと、高を括っていた。

 宿にふかふかなベッドはあるのだろうか。ぽかぽかなお風呂はあるのだろうか。

 

「でも、まだ誰もいなかったらどうしようかな……」

 

 そして何よりも、町に自分以外のプレイヤーは辿り着いているのだろうか。

 ……期待はしないでおこう。宿も、プレイヤーに関しても。心のどこかで期待した結果が今の自分なのだから。

 それでもし、期待しなかった通りであったならば――。

 

「……誰?」

 

 重い足取りで地上を目指そうとしたその時、索敵(サーチング)スキルに反応した存在へと問いかける。

 重要なのは、その存在がアスナの索敵範囲内に突如として出現したことだ。

 この迷宮区のモンスターであれば、範囲内に入った時点でアスナは気付ける。丁度リポップした可能性もあるが、足音がどの対象にも当てはまらない。

 何よりも、わざとらしかった。今まで隠れていたのに敢えてこちらに気付かせるような、モンスターではないとアピールするような、そんな足音。

 アスナの索敵ですら感知できなかった存在。

 

 薄々気付いてはいる。勘付いてはいる。

 けれども今まで裏切られてきたからこそ、実際にこの目で見るまでは信じなかった。

 

「悪いな、隠れるような真似をして」

 

 ――あぁ。

 

「危害を加えるつもりはないから安心してほしい」

 

 ――随分と久しぶりに話しかけられた気がする。

 

「もしよければなんだが……」

「ねぇ」

 

 (キリト)の話を遮って、アスナは言った。

 

「私とパーティーを組みましょう」

 

 レイピアを抜き放ち、その切っ先をキリトに向けて――。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

~another story~

 

 ギルド《血盟騎士団》副団長であるアスナの朝は早い。《強制起床アラーム》が鳴った直後にはパッチリと目覚め、ベッドの上で大きく伸びを一つすると、肩の調子を確かめるようにその華奢な腕を回す。

 

「よしっ!」

 

 両手を胸元で握り、今日も一日頑張ろうと己に喝を入れ。まず取り掛かるのは、すっかりと板についた朝食作り。

 板についたと言っても、ここはゲームの世界。当然料理をするにしても料理スキルが必要となり、仮に現実世界の一流シェフが料理を作ろうが、その味は結局スキルの熟練度に左右されてしまう。調理法だって簡略化されており、アスナが食材に軽く包丁を当てるだけでバラバラと適当な大きさに崩れ、後は手順通りに鍋に入れるなどして調理開始ボタンを押せば、数分の待ち時間で完成。

 ゲーム内の暮らしに慣れ過ぎて、現実世界で支障をきたさないだろうかというのが最近の彼女の悩みだ。

 

 テーブルに並べた朝食を食べ終え食器を片付けると。ゆったりとした薄い生地の寝間着から、上は白と赤を基調としたギルド内で統一された騎士服へ。下はアスナの要望によって特注された膝上丈の赤いミニスカートへと着替える。

 姿見の前で軽く身だしなみを整え、髪の乱れもない事を確認すると、腕を広げてくるりと一回転。改めて鏡に映った自身の顔と睨めっこして頷き、軽い足取りで鼻歌と共にプレイヤーホームを後にした。

 

 ――閃光のアスナ。

 このデスゲームが開始して一年で、その名は一躍有名となった。

 それは彼女がこのデスゲームでも数少ない女性プレイヤーで、中でも飛び抜けて容姿端麗で、尚且つ最前線に立つ攻略組の代表的な存在だからだ。

 アスナのプレイヤーホームが存在する第六十一層の城塞都市《セルムブルグ》。彼女が買い出しや転移門へ向かうため、一度外へと出歩けば歓声が上がり。中には態々その姿を拝むためだけに訪れるファンも多く、人気の高さが窺える。加えて声援に嫌な顔一つせず笑顔で応える姿もまた、人々を魅了する要因なのだろう。

 

 ――恐ろしいお方だ。

 

 アスナの後方に付き従う一人。同じく《血盟騎士団》に所属し、彼女の護衛を務めるクラディールは、その姿を見て思った。

 かつて日、我らが副団長の本性を初めて垣間見た瞬間は、今も彼の脳裏に焼き付いている。

 

 ――MPK(モンスター・プレイヤー・キル)。通称『トレイン』と呼ばれる行為によって、未踏破エリアの遠征中に殺人ギルドである《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》に嵌められた事があった。

 その際、隊のリーダーを務めていたアスナがいなければ、クラディール含む一行は間違いなく死んでいただろう。

 

 あの時ほど、クラディールが己の無力さを痛感したことはない。

 言い訳ならいくらでもできる。メンバーに内通者がいたこと。未踏破エリアであったが故に、モンスターの特性や攻撃パターンが未知数だったこと。敵の数があまりにも多かったこと。

 あの場にいた全員が自分の身を守ろうと抵抗するのが精一杯で、刻一刻と迫る死を待つのみだった。

 だが、アスナだけは違ったのだ。何故なら彼女にはあの時、演技をする余裕すらあったのだから。モンスターのヘイトを率先して買い、囲まれながらも攻撃を捌き、だが時にダメージを受け。残りHPを瀕死にまで調整して、劣勢に追い込まれたように振る舞う余裕が。

 そして最後には、閃光を殺す又とない機会だと刃向かってきた《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》もろとも当然のように無傷で撃退(ころ)し、言ったのだ。

 

『大丈夫よ、クラディール。ただのかすり傷だから』

 

 何事もなかったように、勝利の美酒に酔いしれるように。クラディールが慌てて差し出した即時回復する回復結晶ではなく、取り出したポーションを呷るアスナ。残り一割にも満たないHPがじわりじわりと進みだした光景は、今でも忘れることはない。

 

 もしも己が《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》の一員であれば、今は殺す絶好の機会だと捉えるだろうか。あれ以来、そんなもしもの夢を何度も見てきた。

 最強の一角である《血盟騎士団》の副団長が射程内に。それも、今であれば一撃で屠る事も可能。その姿は隙だらけのようにも見えて……。

 だが、身近に仕えてきたからこそ分かる、確信があった。

 彼女であれば――閃光のアスナであれば、当然のように反応し、何の躊躇いもなく剣を振るうだろうと。或いは何故そんな事をしたのかと、攻撃を受け止めて笑って問うて来るかもしれない。

 何れにせよ、何百、何千、何万通りの可能性を考えようと、己の剣が彼女の身に届くことはなかった。

 

『さて、ちょっと想定外の事もありましたが、遠征を再開しましょう』

 

 ふわりと、朗らかに、先ほどは何も特別な事はなかったと。花の咲くような笑顔で言う副団長の姿に、その場にいた全員は畏怖の念を抱いた。

 一体、どの様な生き方をされてきたのか。

 

 ――閃光のアスナ。

 明日には閃光のようにこの世界から消えているとも揶揄される彼女は、今日も生き続けている。

 




 ども、かなりお久しぶりです。

 削除しちゃいましたが前回の後書きで一年以内に次話を投稿したいと言って、かなり経ってしまいましたね。
 作者の現実世界で色々あって、現在進行形でピンチなので申し訳ないです。
 取り合えず最終回(第一層攻略)までは書こうとは思っているので、気長にお待ちください~。

 なるべく早く投稿できるように頑張ります。


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相棒

 この世界がデスゲームとなってから、キリトは将来的にソロプレイをやめようと決意していた。

 何故なら今のキリトは、運営からしてみれば面白くない――邪魔な存在だろうと判断したからだ。

 

 βテスト最終日、キリトは確かに単身で階層ボスを攻略した。

 その時はそれでいいと思ったし、他のプレイヤーを出し抜いたと満足している自分もいた。同時に、正式版では何らかの修正が施されるだろうとも考えた。

 SAOの舞台は、全百層からなる巨大浮遊城《アインクラッド》。MMORPGというジャンルのゲームで、例えばその百層全てをソロで攻略されたとしたらどうだろうか。

 そんなもの、他のプレイヤーにとって……何よりも、GMにとって面白いはずがない。

 故に遅かれ早かれ、システム的にもソロプレイの限界はくるだろうと考えていた。

 そして正式版の蓋を開けてみれば、予想だにしないデスゲームの開幕。

 怖いと、恐ろしいとさえ思った。たった一度の死で、もう二度とこの最高峰のゲームで遊べなくなってしまうのだから。

 βテストの知識はある。けれどそれがいつまでも通用するとは思っていない。初見殺しであっさりと死んでしまう可能性だってある。

 そんなくだらない死で終わってしまうリスクを減らすためにも、やはり共に戦う仲間を作るべきだろう。

 だからといって、仲間になるなら誰でもいい訳ではない。足手まといは逆に死のリスクを増やす。

 数が多くとも邪魔になるだけだ。考えは人それぞれで、方針や判断でいちいち揉めては面倒くさい。

 自分と思想の近しい、背を任せられる少数の仲間。それが今この瞬間はベストだ。

 

 では、その仲間を見つけるためにはどうするべきか。

 《はじまりの街》で募集する? アルゴに依頼してβテスターを紹介してもらう?

 募集は論外だろう。有象無象から選別するのは時間がかかるし、一から育成するとなれば面倒で確実性がない。

 アルゴの紹介は最終手段だ。どうしようもなくなった時に頼ればいい。

 

 今のキリトが考える、自分に見合った仲間を見つける方法。

 それはこのデスゲームが開始してなお、攻略に乗り出し生き残った者が辿り着く最前線――第一層迷宮区。そこへ向かうことだ。

 

 

 

「ねぇ」

 

 それはまさに、一瞬の出来事だった。

 

「私とパーティーを組みましょう」

 

 眼前に突き付けられたレイピアの切っ先が嫌でも目に入る。まるで握手を求めるかのような自然な動作で行われた行為に、警戒はしていたつもりだったが反応することができなかった。

 例えキリトが身構えていたとしても、完璧に対応できていたかは怪しかった抜剣の速さ。先の戦闘を見る限り、レベルも練度も申し分ないだろう。

 はったりか否か。あるいは上下関係を学ばせるためか。少なくとも、ここで怖気付けばなめられるだけだ。

 

「もし俺が断ったら殺すのか?」

「……え?」

「パーティーの加入を断ったら、俺を殺すのかと聞いているんだ」

「そ……れは……」

 

 彼女の剣が、瞳がブレた。

 その明らかに同様した姿を見て、殺す覚悟まではないのだろうと判断する。

 であれば、こんな脅しなどあってないようなものだ。

 

 見つめ合うこと数秒。

 場が膠着し、中々答えようとしない細剣使いにどうしようかとキリトが考え始めた時だった。

 

「私と……パーティー、組んで、くれないの?」

 

 泣き出した。それも、結構ガチなやつだ。

 SAOは限りなく現実に近いが、感情表現に関して言えば極端だ。具体的に言えば、噓泣きができない。泣いているような演技こそできるだろうが、悲しいという感情なくして涙は流れない。

 

「あーっと……」

「うぅ……」

 

 正直、これは予想外だ。先程まで漂っていた緊張感も、もうどこにもない。

 ガシガシと頭を掻きながら、キリトは大きくため息を吐いてから改めて細剣使いに向き直った。

 

「取り敢えず、パーティーは組むから安心しろ」

「……本当?」

「あぁ。というか、あんたに言われなくとも俺から頼もうとしていたんだ。嘘はない」

 

 本心を伝えるも、未だ懐疑的に見てくる彼女にパーティー参加申請を飛ばす。

 

「ほら、組むんだろ?」

 

 恐る恐る彼女がOKを押すと、視界左上に新たなゲージが追加された。

 【Asuna】。それがこれからを共にする、相棒の名前。

 

「よろしくな、アスナ」

「よろしくね、キリト!」

 

 

 

 二人は一度《トールバーナー》の町に戻り、キリトの拠点である農家 兼 宿屋に訪れていた。

 そこに至るまでの道中でアスナがダンジョン内で寝泊まりしていたことを知り、話したことが切っ掛けだ。

 どうりでやけに消耗している訳だと思うキリトに対し、アスナは久しぶりのお風呂とベッドで休めることでテンションは最高潮。ご機嫌で長風呂を楽しんだかと思えば、そのままベッドに倒れこんで今はもう夢の中だ。

 あまりにも無防備なその姿に、キリトは苦笑いを浮かべる。

 

「それにしても、βテスターじゃない……か」

 

 ソロプレイで誰よりも早く最前線まで辿り着いていることから、てっきりβテスターだと思い込んでいた。

 しかしあまりにもゲーム用語を知らず、SAOに関しても無知なアスナに違和感を持ち、色々と話すうちにその事実を知った。

 いつ死んでもおかしくなかった。そんな体験談を「それでね、それでね!」と、嬉しそうに笑顔で話す彼女を見て、どうでもよくなったが。

 

「用語とかは後で教えるとして、まずするべきは対人戦の強化だな」

 

 モンスターとの戦闘に関しては、ほぼ心配しなくてもいいだろう。

 だが、対人戦の経験値が圧倒的にアスナは足りない。特に、相手が自分を殺すつもりで襲ってきた時に、殺せるかどうか。中身が人間だからと躊躇わないか。

 その確認はしなければならない。

 

「――っと、メッセージか」

 

 響いた電子音に反応し、メニューを操作するとメッセージBOXを開く。

 差出人のアルゴの名を確認して内容を読み、一言「了解」と返信を送った。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 予め取り決めていたノックの合図に、ディアベルは席を立つと簡素な木の扉を開ける。

 そこに立っていたのは、今やこのデスゲームの生命線とも言える取引相手――情報屋(・・・)の《鼠のアルゴ》だった。

 

「入ってくれ」

「お邪魔するヨ」

 

 安宿の一室。

 現実世界であれば音漏れの心配もあるだろうが、このSAOではドア一枚あれば会話をするぶんには声が外に漏れ出ることはない。

 特に警戒することもなくアルゴは中に入ると、中央にポツンとおかれたテーブルに腰掛ける。ディアベルはその対面に座ると、早速とばかりにメニュー画面を操作した。

 

「三万だ」

「……ン。これで商談成立ダナ」

 

 三万コル。その金額は決して安くはない。

 この世界がデスゲームと発覚してから、ディアベルは生きることを……何よりも、強くなることを望んだ。

 攻略されるまでずっと引きこもるのは性に合わない。

 前線で皆を引っ張る存在になる――そう、あの人のように。

 そのためにもβテスターという優位性を活かし、過去の仲間と連絡を取り合った。

 だがそのほとんどは、戦意喪失してしまっている。

 プレイヤーの死を間近で見て、βテスターだろうと次々に死んでいっている事実を知って。中には自ら死を選んだ者さえいた。

 

 それでも立ち上がってくれた者たちと共に研鑽する日々を送り始めた最中、アルゴから商談を持ち掛けられたのだ。《リトルネペントの胚珠》を買わないかと。

 初めは耳を疑った。

 片手剣使いなら最初に必ず手に入れておきたい武器《アニールブレード》。そのクエストアイテムと交換するための素材。

 もちろんディアベルは、将来的には手に入れる予定ではあった。

 しかし胚珠をドロップするリトルネペントというモンスターの特性上、安全性を考慮して暫くは手を出せないと判断していたのだ。

 それなのにそのアイテムが、デスゲームが始まった僅かな期間で既に出回っている。

 あり得ない。仮にドロップしたとしても、自分で使うに決まっている。

 

 だが、話は本当だった。

 三万コルと引き換えに手に入れた《リトルネペントの胚珠》を見て改めて思う。

 仲間達に説明をし、頭を下げ協力してもらい、数日掛けてかき集めた三万コル。だが、それでも破格であったとディアベルは考える。

 リスクを最小限に抑えて安全を確保できた。少し足踏みしてしまったが、ここから攻略のスピードは格段に上がる。

 

「一体誰なんだい? 君に胚珠を持ち込んだのは」

「……前も言ったと思うけど、その情報は売れないヨ。いくら積まれたとしてもネ」

 

 この胚珠を持ち込んだ人物の情報を手に入れたい。そして仲間に加えたい。

 そう思ってアルゴに聞くも、相変わらず情報は売れないの一点張りだ。

 想像が付く範囲で考えられるのは、元βテスターであるということぐらいか。現段階でアルゴと交流しているのだから、それは間違いないだろう。

 

「用がないなら切り上げるケド?」

「そうだな……。あぁ、もう一つ聞きたいことがあったんだ」

 

 謎の人物は一旦置いておこう。攻略を進めていけば必ずどこかで出会うはずだ。

 そう気持ちを切り替えて、直近の攻略には関係のないことをアルゴに問いかける。

 

「結局あの後、どうなったのかな?」

「あの後?」

「ほら、βテスト最後の迷宮区のあれさ」

「…………」

 

 まだSAOがデスゲームとなる前。βテスト最終日に挑んだ迷宮区で、ディアベル含む攻略組は最後をアルゴに託した。

 その結末を聞こうにも最後まで黒鉄宮にある蘇生の間に復活しなかったことから、結局分からず終いだったのだ。

 ボス部屋に辿り着いたのか、それとも道中で終わってしまったのか。

 だがアルゴからの返答は、予想だにしないものだった。

 

「……答えられなイ」

「……えっと?」

 

 答えられない。それは一体どういうことだろうか。

 

「あれかな? 君が髭のペイントをしている理由みたいな感じで、コルを出さないと売ってくれないとか?」

「言い方が悪かったナ。正しくは売ることができないだヨ」

「それは……どうしてだい?」

 

 その問いにアルゴは逡巡し、渋々といった様子で口を開いた。

 

「不確かな情報だからネ。オレっちの情報屋としての信用問題になってくル。だから答えられないし、売ることもできなイ」

「見たことをそのまま話すだけじゃないのか? 別に俺は構わないし、アルゴを信用するといってもダメなのか?」

「返答は変わらないヨ」

 

 商談は終わりだと、アルゴは席を立って部屋を出ていった。

 その後ろ姿を見送って、ディアベルは考える。

 一体あの時、アルゴに何があったのだろうかと。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

「まったク。何でこんなにも大仕事を終えたみたいに疲れないといけないのカナー」

 

 ――不確かな情報だからネ。

 アルゴにとっては半ば確信めいたものはある。だが実際にキリトから話を聞いていない以上、本当に彼がボスを倒したのかは知り得ない。

 何ならキリト以外が倒した可能性もあるし、元々ボスが用意されていなかった可能性すらある。

 

 ――オレっちの情報屋としての信用問題になってくル。

 そして一体誰が、ボス部屋はもぬけの殻だったという事実を信じるのか。加えてこの件にアルゴの予想通り、キリト個人が関わっていれば当然話すことはできない。

 話した時点で情報屋としての信憑性を落とすし、彼に対しての信用を無くすことにも繋がりかねない。

 いずれにせよ、アルゴがこの件を話す価値は1コルも存在しないのだ。

 

 もしそれでも信用するという人物がいたら。それは最早、アルゴを信用しているのではなく崇拝しているだろう。

 

「残りも慎重に進めないとナ」

 

 フードを目深に被ると、アルゴの姿は入り組んだ路地裏へと消えていった。

 




 どもども。
 前回投稿した後に知ったんですが、SAOの劇場版が今日から公開なんですね。しかも私が今書いているようなプログレッシブの序盤が舞台。
 興味はあるけど私は多分観ないかな……。

 その代わりという訳でもないですが、今回はいつもより早めの投稿。キリトとアスナのやり取りをもう少し詳しく描こうと思ったけど、グダグダになりそうだったので簡潔にしたらアッサリになっちゃいました。

 原作や劇場版とも全く違う展開になる予定ですので、気長にお待ちください。


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平穏

 《索敵(サーチング)》スキルを使ったのに敵の反応がない。

 そんな違和感に目を開けたアスナがまず視界に捉えたのは、見慣れない天井だった。

 温かい。そして柔らかい。視界は明るく、耳障りの悪い音が響いてくることもない。

 ふと意識を左上へと向ければ、見慣れないHPゲージと【Kirito】というアルファベットが表示されている。

 その事実が、昨日の出来事が夢ではなかったと証明していた。

 

 毛布に(くる)まりながら、部屋全体を見渡すように体を傾ける。

 キリトの姿は見えない。隣の部屋からも物音一つしないため、どこかに出掛けているのだろうか。

 そんな事を考えながら、久しぶりに感じる心地良いまどろみを堪能した後、アスナは立ち上がり風呂場へと向かう。

 部屋着などこの世界で買っていないため、普段通り身に着けていた戦闘服を解除し、簡素な衣服と下着も解除。脱衣所を抜ければ吐湯口からお湯がなみなみと注がれる白いバスタブが目に入り、そこへ全身を勢いよく沈めた。

 

「……ふぅあうああぁ…………」

 

 思わず声が漏れ出る。

 今までの生死を賭けたダンジョン生活は何だったのか。前までの自分に教えてあげたいぐらいだ。

 こんな身近なことにすら気付かないあたり、本当に現実世界にいち早く帰る事しか考えていなかったのだと改めて感じる。

 

「冷静になれ……か」

 

 迷宮区からここに至るまでの道中、キリトから言われた言葉を反復する。

 冷静でいるつもりだった。少なくともデスゲームを告げられた際、あの場にいた誰よりも冷静に物事を見て、現状を考えて行動していたつもりだ。

 自分の中ではそれが正しいと、間違いではないと思っていた。

 けれどもキリトと会話をして、他人の意見を聞いて、改めて色々考えさせられることもあった。

 

 自分だけであったなら、きっとこんな上等な寝床を見つけることはできなかっただろう。もし彼と出会っていなければ、結局いつも通りダンジョン内で寝泊まりし、戦闘に明け暮れていただろう。

 自分は何も間違っていない、正しいんだと信じ込んで……。

 

「まっ、そんなのどうでもいっか」

 

 そんなあったかもしれない自身の姿を、アスナは切り捨てる。

 大事なのは今、湯船に浸かっているという事実。もしもの世界線を考えたところで、そんなものは自分の生み出せる想像の限界にすぎない。

 であれば、どんな結末だろうと関係ない。今この時を楽しもう。そして喜ぼう。

 

「――ふん、ふふんふん」

 

 機嫌良く鼻歌を歌っていたアスナはふと、風呂場と部屋を繋ぐドアを見る。

 気配は何も感じない。キリトが間違えて入らないようにドアプレートは使用中にし、鍵も掛けてある。

 だが、彼と出会った時のことがアスナの脳裏をよぎる。

 

 正直アスナは現時点でトップクラスの実力を有していると自負している。

 《トールバーナー》の町に誰よりも早く着いたし、ダンジョンで何本も剣を使い潰すほどにはモンスターも狩ってきたのだ。

 そんなアスナがキリトと出会う直前まで、彼の気配に全く気付くことができなかった。

 そこまではいい。強いプレイヤーは大歓迎だ。

 

 けれどもし、キリトが既に帰ってきて、隣の部屋にいたとしたら?

 風呂場の使用中のドアプレートを見て、こっそり聞き耳を立てていたら?

 昨日、キリトはβテスターと名乗っていた。知識は当然アスナよりもある。もしもアスナが知らない……そういった覗きのスキル的な何かが存在していたら?

 よくよく考えてみれば、昨日だってそうではないか。

 

 索敵スキルを発動させるが、気配を感じることはできない。

 まだ帰ってきていないのか。あるいは――。

 

 平静を装いながら、鼻歌を続けながら、アスナは装備を着用する。

 そして瞬時に気配を消し、足音を殺し、ドアとの距離を一瞬にして詰め切り。そのまま勢いよくドアを開け放ち――ソファでくつろぐキリトと目が合った。

 

「キリトのエッチ!」

「えぇ……」

 

 理不尽だ。キリトはこの時ほどそう思ったことはない。

 

 

 

 

 

 

「取り合えず、これを読め」

 

 そう言ってキリトから差し出された本をアスナは手に取る。

 表紙には《アルゴの攻略本》と書かれており、第一層ボス編・SAO入門編のようだ。その下には鼠のイラストと共に『大丈夫。アルゴの攻略本だよ』とあり、何とも胡散臭い。

 

「何これ?」

「俺のフレンドが作った攻略本さ。まだ全体には行き渡ってないが、少なくとも《はじまりの街》では無料で配られてる。制作には俺や他のβテスターが関わっているから、間違いはほぼないはずだ。まぁ、あくまでも大部分はβテストの情報であって、正式版との差異はあるかもしれないがな」

 

 中を見れば、第一層の全体マップや出現するモンスター、装備や各種クエスト、ゲームについての仕様などがまとめられている。

 攻略を進めていくうえでのポイントやオススメ、Q&Aまであって、作る労力を考えても無料では到底割に合わないだろう。

 

「聞いたらがっかりするかもしれないが、一週間以上が経った今も、大部分のプレイヤーは《はじまりの街》にいる。その現状を重く見たアルゴが、少しでも安全かつ確実に攻略が進むように作ったんだ」

「そっか……。でも着実に、前を向いて進むプレイヤーは増えているのね」

「まぁな。と言っても、ボス攻略が確実にできる人数が揃うまではまだ時間はかかるだろうけど」

 

 ひょいとキリトはアスナから攻略本を奪うと、パラパラとページをめくって改めて差し出す。

 

「でだ、アスナに見てほしいのは、ここのゲームの仕様についてなんだが……」

 

 そこにあったのは、簡潔に言えばドアと音の関係について。

 閉じられたドアを透過する音は、基本的に三種類。叫び声、ノック、戦闘音。

 平常な話し声や風呂の水音などは、例えドアに耳を押し当てていても聞こえないとあった。

 よくよく考えてみれば、吐湯口からバスタブにお湯が迸るほど供給され続けているのに、部屋から聞こえないのだから実際そうなのだろう。

 

「これで分かっただろ。断じて俺は聞き耳なんか立ててない。そもそもこの部屋は俺が借りていて、アスナも了承したうえで昨日来たんだろ」

「それは……そうだけど。昨日はちょっと、テンションが舞い上がっちゃっていたのよ」

 

 キリトが仲間になり、自分の想像を超えるお風呂とベッドとの対面。今食べている朝食だって、黒パンを貪っていたあの頃に比べれば感動ものだ。

 そのぐらい、アスナは様々なことに飢えていた。

 

「その攻略本は渡しておくから、暇な時にでも読んでおいてくれ」

「暇な時にでもって……人数が揃わないとボス攻略はできないんでしょ? これからどうするのよ」

 

 ボス攻略の情報が書かれたページを見ながら言うアスナに「少数での攻略は現実的じゃないってだけなんだけど」と、キリトは呟いてから。

 

「取り合えず、事前にやれることをやっていこう。ボス部屋までマッピングしておけばスムーズに後発組が入れるし、俺たちの強化もできる。後はアスナの武器の新調とかな。ずっと《スモールレイピア》を使ってるんだろ?」

「そうね。安いし丈夫だし、初期装備の頃からずっとそのまま」

「それならまずは《アニールレイピア》の確保からだな。レベルも充分足りてるだろうし、クエストは二人でも問題ないはずだ。……因みにアスナは何レベルなんだ?」

「ん……? 10レベルだけど?」

 

 頬張っていたサラダをミルクで流し込んだ後、アスナは特に躊躇うことなくそう告げる。

 SAOの適正レベルは、基本的に階層順守となっている。中でも安全マージンと呼ばれるまず死なないとされるラインは階層プラス10レベル以上。彼女の実力を考慮すれば、まず大丈夫であろう。

 

「一応忠告しておくと、レベルやステータスは他人に言いふらすなよ。その情報を手に入れた奴が、もしかしたら襲ってくるかもしれないからな」

「襲ってくるって……何で?」

「何でって……。本人に聞かなきゃ理由は分からないけど、例えば持ってるアイテムを奪いたかったとか、純粋に殺したかったとか、そんな感じじゃないか?」

「ふーん」

「警戒しておいて損はないからな。俺の予想だと、そういう輩は今後必ず出てくる。だからアスナには、対人戦の練習もしてもらおうと思ってる」

「……分かった」

 

 その後口数の減ったアスナを見て、食事中にする話題じゃなかったなとキリトは思った。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 キリトのソードスキルがモンスターの攻撃を弾くとほぼ同時に、アスナの声が響いた。

 

「スイッチ!」

 

 パーティーを組むメリットはやはり、回転率の速さと安全性の向上だろう。

 ソロであれば一つのミスで命取りになるが、信頼できる仲間がいれば多少の無茶が利く。今みたいにソードスキルを使ってモンスターの隙を作りだし、他の仲間が攻撃すれば短時間で処理することができる。

 警戒する範囲も狭まるし、麻痺や毒といった状態異常を受けても立て直しやすいのも魅力だ。

 

 対してデメリットとしてあるのは、モンスターのアイテムや経験値が分配されてしまう点と、常に仲間の事を意識しなければならない点だろう。

 ソロ同様の成果を得るには、単純計算で今までの倍のモンスターを狩らなければならない。

 加えてこれまでは自分一人で物事を選択できたが、仲間がいれば戦闘面も生活面も常に気を使う必要が出てくるため、そこがネックとなってくる。

 しかし、それらは杞憂(きゆう)だったとキリトは思う。

 アスナとパーティーを組み始めて数日。異性ということもあって、相性が悪ければ解散も視野に入れていたが、今のところ何か不自由に感じたことはない。

 最初こそSAOの事前知識がなかったため手こずっている部分も見受けられたが、逆に言えば何の知識も持たないソロの状態で迷宮区に辿り着いた実力は本物だ。

 戦闘センスは抜群で、私生活でも問題は起きていない。デュエルで対人戦の練習もしているが、(むし)ろアスナが本気(ガチ)すぎて、一瞬も気を抜けないのが正直なところだ。

 

 モンスターがアスナの攻撃によってポリゴンの欠片となったのを見送った後、声を掛ける。

 

「強化素材も集まったし、そろそろ帰ろうか」

「もう? 私はまだ、大丈夫だけど」

 

 物足りなさそうに言うアスナの手には、先日手に入れたばかりの《アニールレイピア》が握られていた。

 感触は良好なようで、暇さえあればずっと素振りをしている始末だ。

 

「休めるときはしっかり休むって決めただろ? それに明日は迷宮区のマッピングを進めるんだから、準備もあるし早めに帰るぞ」

「は~い」

 

 しょうがないなぁとアスナは剣をしまうと、軽いステップを踏みながら近づき、キリトの隣に並ぶ。

 その夕焼けに照らされた表情は明るく、笑みがこぼれていた。

 

「ねぇ、キリト。今日は誰かいるかな?」

「……どうだろうな」

 

 《トールバーナー》には、まだ他のプレイヤーは辿り着いていない。

 しかし攻略本の効果もあってか、アルゴからのメッセージで順調に攻略が進められているとキリトは知っている。

 キリトの見立てでは、後一週間もあれば迷宮区に辿り着く者が現れ始めるだろう。

 それでもまだ、大多数のプレイヤーが《はじまりの街》に(とど)まっているのもまた事実なのだが。

 

「――それで私の武器強化なんだけど、個人的にはやっぱりクリティカル補正のかかる《正確さ(アキュラシー)》をメインにしようと思うんだけど……」

「いいんじゃないか? 《鋭さ(シャープネス)》も《速さ(クイックネス)》も現状PS(プレイヤースキル)でカバーできてるし、《丈夫さ(デュラビリティ)》には少し振った方がいいかもな」

「キリトのはどうなんだっけ?」

「俺のは3S1H2Dで《鋭さ(シャープネス)》に重点を置いて――」

 

 願わくは、順調に攻略が進みますように。

 そう思うキリトだった。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 アルゴが《アルゴの攻略本》を無料で配布した理由は大きく分けて三つある。

 

 まず一つ目の理由は、攻略が停滞している現状の改善だ。

 MMORPGで手っ取り早く強くなり攻略を進めるためにはやはり、モンスターを狩る必要がある。

 しかしこのゲームは世界初の完全(フル)ダイブ技術を組み込んだMMO。VR機器自体SAOをやるために購入した者も多く、ハッキリ言って動くのに不慣れな者が多い。

 そうした者が戦闘に出ても必然的にダメージは喰らいやすく、死のリスクが高まる。

 そんなリスクを減らすために、まずはモンスターの特性と、防御と回避の大切さを知ってもらうことが必要だった。

 モンスターの種類。攻撃パターン。攻撃モーション。弱点など。知っているだけで冷静に戦闘を行い、処理できることは多い。

 何よりも、無理に倒すことだけを考える必要はないのだ。

 《はじまりの街》周辺にいるモンスターは弱い。基本的にノンアクティブなので向こうから攻撃してこないし、仮にターゲットを取られても容易に逃げることができる。

 そこに先ほどのモンスターに対する知識があれば、無理な戦闘を行うことは格段に減らせるだろう。プレイヤーのHPだってゼロになるまでは死なないのだ。一発二発かすったところで何の痛手にはならない。

 そうやって少しずつでもモンスターを倒せばレベルが上がり、その頃には自然と知識と経験、自信もついてきて攻略にも前向きになってくるだろう。

 もしそれでも心配だというのであれば、街にあるお使いクエストを地道にこなせばいい。

 作業的で面倒ではあるが、生活に必要なコルや経験値を最低限確保することができる。

 

 二つ目の理由は、βテスターの安全性の確保だ。

 進まない攻略、増えていく死者、そして溜まっていくストレスのヘイトがβテスターに向いていると日に日にアルゴは感じていた。

 まるで誰かが、悪いのは全てβテスターだと誘導しているかのように。

 では悪いのは本当にβテスターかと言えば、そんな訳がないとアルゴは思う。

 デスゲームが告げられた後、新たに追加されていた《生命の碑》。そこにはこのSAOに存在する全プレイヤーの名が刻まれている。

 そして対象のプレイヤーが死ぬ度にその名に横線が引かれ、死亡した事実を確認することができる。

 アルゴとて全てのβテスターの名を覚えているわけではない。

 けれどもフレンド欄の名と照らし合わせても、明らかにβテスターの死亡者数は多い。

 それもそうだろう。現状は腕に自信がある者から攻略に向かう。βテスターの死亡者が多くなるのは必至だ。

 それなのにヘイトがβテスターに向かう現状を打破するには、目に見えて協力していると形にする必要があった。

 そこから生まれたのが《アルゴの攻略本》だ。βテスターの有志で完成したこの本を無料で配布することで、ヘイトを少しでも下げる。

 攻略が進み、徐々にその有用性を示すことができれば、βテスターが悪であるという考え方は減ってくるだろう。

 現状は第一層攻略と基本的な事しかまとめられていないが、今も第二層以降の情報などをまとめつつある。

 

 そして三つ目の理由は、情報屋(・・・)のアルゴとして名を売ることだ。

 表紙に《アルゴの攻略本》と書き、下部に『大丈夫。アルゴの攻略本だよ』と書いたことで、アルゴの名を広めることに成功した。

 攻略本は街の道具屋に委託してあり、無料ではあるがNPCから購入する際に「情報屋の本だね」と、復唱するように設定してある。

 そうすることで自然と、アルゴは情報屋と紐付けされる魂胆だ。

 実際βテスターに協力してもらい情報を集まるようにしているし、この攻略本を作った責任者でもあるのであながち間違いではない。

 

 そんな情報屋であるアルゴは、次なる攻略本の作成に奔走していた。

 日が経つにつれて記憶というのは薄れ、正確な情報ではなくなっていく。そして重要な情報を伝えるのが遅れれば、それだけ救える命が減ることを意味する。

 本を作成する際にかかるコルに関しては、キリトからの依頼である《リトルネペントの胚珠》を仲介して取引したことで問題はない。中には資金提供に前向きな者もいるので、心配の必要はほぼないと言っていいだろう。

 

「各層のまとめがこれデ――今必要な情報ガ――アッ」

 

 あーでもない。こーでもない。アルゴが頭を悩ませていると、階層の情報がまとめられた紙を床にばら撒いてしまう。

 それを面倒だなと思いつつ、階層順にまとめていると一枚の紙が目に留まった。

 

 ――第十一層攻略情報。題名にそう書かれただけの、白紙の紙。

 

「……次は何をするんだったカナ」

 

 その紙を何事もなかったようにまとめると、アルゴはまた作業に戻った。

 




 ども、遅れたメリークリスマス。そして早めのあけおめことよろ。

 書いていると徐々に本編完結が近づいてるな~としみじみ感じます。
 サイレント修正ではありますが、整合性を取るためや読みやすくするためにちょくちょく以前の話を手直ししているので、改めて読み直すと変化が感じられるかも?
 恐らく後、文章の量にもよりますが二~三話で完結かなって思ってます。その後に番外編を書くかは不明。この世界線のキャラ達がどうなるかも書いてみたい気はありますけどね。

 ではまた、いつの日か会いましょう。
 お楽しみに~。


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始動

 キリトと初めて出会った時、当然のように自分が彼をリードするものだと思っていた。

 何故なら自分の方が強いに決まっているから。

 誰よりも早く第一層迷宮区に辿り着いて、誰よりも多くモンスターを狩って、誰よりも長くこのデスゲームと向き合ってきたという自信があったから。

 だからだろうか。彼が対人戦(PvP)の強化と称してデュエルを提案した時、ハッキリ言って余裕だと思った。なめるなと思った。

 それは今までつけてきた自信に裏打ちされたものもあったし、キリトと初めて出会った時、自分の剣に彼が全く反応できていなかったのも理由だ。

 βテスターかどうかなど関係ない。情報面に関して圧倒的に劣っているのは事実なので従うが、ここらで実力の差を分からせよう。

 

 ――そう意気込んだ初戦、無様にも負けたのは自分だった。

 

 デュエルのルールは《半減決着モード》。

 どちらかのプレイヤーのHPが半分以下となった際、勝敗が決まるというものだ。

 加えてキリトは、あくまでも対人戦の練習であるからと、愛用する強化済み《アニールブレード》ではなく、初期武器の《ショートソード》を使っていたのだ。

 そんな試合で負けた。

 今思えば言い訳のしようもない、完全なる敗北だ。

 けれども、その時の自分は認めなかった。認められなかった。

 初めての対人戦だったからだとか、キリトの事を侮って油断していただとか。そんな戯言(たわごと)を吐いていた気がする。

 その姿は彼からすれば、あまりにも滑稽(こっけい)に見えただろう。

 

 ――初戦で負けたのは油断していたからだ。次は絶対に負けない。

 そう意気込んだものの、それからも負けて、負けて、負け続けて――キリトに言われた。

 

「アスナ。今日はもうやめよう」

 

 きっと自分は、酷い顔をしていたと思う。

 言われる前も、言われた後も。

 

「もう一度言うけど、冷静になれ。俺がそのつもりなら、アスナはもう死んでいるんだ。だから今から生きている時間は、どれだけ無駄にしたって構わない。急ぐ必要はない。焦る必要もないんだ」

 

 この時《アスナ》という存在は、一度死んだのだ。

 

「キリト……私って、弱いのかな?」

 

 そんな弱音が漏れてしまうほどに、ズタズタに引き裂かれて。

 

「アスナは強いよ、間違いなく。今この世界で、トップクラスに」

 

 そう、自分は強いのだ。

 でも、それでも勝てなかったのは――。

 

「ただ、自分で言うのも何だけど、俺がアスナより強かった。それだけのことだ」

 

 

 

 キリトとのデュエルを終えた後、アスナは決まって圏外で独り、モンスターを狩るようにしている。

 それはキリトとのデュエルに初めて負けたあの時から、ずっと続けている習慣のようなものだ。

 

「あの頃の私はまだ、青かったな……」

 

 キリトとパーティーを組み始めてから、一週間が経つ。

 その間でアスナの考え方は大きく変わった。

 生活リズム、戦闘スタイル、攻略への向き合い方、そして何よりも――キリトとの関係性。

 今のアスナはキリトの事を侮ってなどいない。あるのは尊敬に近しいものと、信頼だ。

 

 キリトならば、自分をリードしてくれる。

 キリトならば、自分のミスをカバーしてくれる。

 キリトならば、自分が敵わないモンスターを倒してくれる。

 キリトならば――。

 

 

 

 

 

 ……くそ。

 

 

 

 

 

「くそっ、くそっ、本当にクソ!!」

 

 その思い描く全てがキリトに助けられる自分の姿で、あまりにも情けなく。彼の前で抑えていた分、感情が爆発する。

 

 負けた負けた負けた負けた負けた。なすすべなく、たった一撃すらまともに入れることなく、完膚(かんぷ)なきまでに負けた。

 この世界がデスゲームと告げられた日。誰よりも早く《はじまりの街》を飛び出したあの日から。何度も何度も死にかけ、挑み続け、生き抜いて。

 それらの経験はアスナの糧となった。キリトとのデュエルだって乗り越えてみせる自信があった。今日こそは絶対に負けないという確信があった。

 

「なのに、それなのに!!」

 

 何度挑んだ? 何度やられた? 何度死んでいた?

 モンスターを相手取っている時とは訳が違う。

 一体キリトとの差はどこで生まれているのか。毎日そればかりを考えている。

 ステータスは恐らく同等か自分の方が上なのに、何故勝つことができないのか。何が足りないのか。何が間違っているのか。

 

「本当に、本当に――キリトといると飽きないなぁ……」

 

 その顔に笑みを浮かべ。また一体、モンスターを切り伏せた。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 第一層迷宮区のマッピングは順調に進んでいた。

 それは今、キリトとアスナの目の前にあるボス部屋へ繋がる巨大な二枚扉を見れば明らかだ。

 

「ついにここまで辿り着いたわね」

「と言っても、ボス攻略自体はまだ先になるだろうけどな」

 

 《トールバーナー》には未だ、他プレイヤーは辿り着いていない。

 けれども、もうしばらくすれば前線に追いつくプレイヤーも現れるはずだ。

 それらのプレイヤーと迷宮区のマップデータを共有し、ある程度の人数が揃えばすぐにでもボス攻略は開始できるだろう。

 

 キリトが軽く手を押し当てると、大扉は何の抵抗もなく重低音を立てて開かれる。

 ボス部屋の中を覗き込むが薄暗く、モンスターのいる気配はない。

 

「本当にいくの?」

「ああ。βテストとの違いがあるかもしれないし、軽く偵察はしておきたいからな。ボスはこの部屋から外に出ることはないから、何かあればすぐに撤退しよう。ボスと取り巻きの情報は大丈夫だな?」

「ええ。ちゃんと読んであるわよ」

 

 アルゴの攻略本に書かれていた内容をアスナは思い出す。

 第一層迷宮区のボスである《イルファング・ザ・コボルドロード》。その取り巻きである《ルインコボルド・センチネル》。

 凡その姿や使用武器、特性など。βテストの情報ではあるが、頭の中に叩き込んである。

 

 そして今回はあくまでもボスの偵察。

 キリトがボスであるコボルドロードの相手をし、アスナがその間、取り巻きであるセンチネルの相手をする。

 取り巻きと言っても、その数は従来通りなら一度に三体。安全マージンこそ充分足りてはいるが、油断はしないようにする。

 

 第一層とはいえボス戦。本来であればフルレイドパーティーで挑むことが推奨されているのだ。それを偵察であったとしてもたった二人で行うのだから、警戒するに越したことはない。

 そもそも二人で偵察を行うこと自体が危険で異常なのだが、今この場に指摘するものは誰もいなかった。

 

「それじゃあ、行くぞ」

 

 キリトに次いでアスナも、ボス部屋の中へと足を踏み入れる。

 ボスが現れる気配はまだない。

 一歩、また一歩と部屋の中心に向かって進むが、想像以上に広い。扉が近ければ撤退も容易だろうが、この様子だとそうはいかなさそうだ。

 

 ――丁度部屋の半分、五十メートルほど進んだところで、それは起こった。

 先ほど聞いた重低音と共に、暗いボス部屋に差していた一筋の光が消える。振り返れば、ボス部屋に入る際に通った大扉が轟音を立てて閉ざされた瞬間だった。

 まるで侵入者を、この部屋から絶対に逃がさないと言わんばかりに。

 

「ねえキリト……。これって……」

「――なるほど。そうきたか」

 

 ボッと音を立てて、左右の壁に固定された松明が燃え上がる。

 一定の速度で順繰りに。手前から奥へと向かってゆっくり照らされるその光景は、挑戦者に考える余地を与える慈悲か。はたまた、絶望を味わわせるカウントダウンか。

 

「アスナ、作戦変更だ」

 

 この迷宮区には他のプレイヤーは辿り着いていない。仮に今この瞬間到達した者が現れたとしても、ボス部屋まで一直線に進める者はいないだろう。

 故に、誰かにボス部屋の扉を開けてもらうという希望は捨てる。そもそも、外側から開く保障だってないのだから。

 

「第二層に二人で行こう」

「……りょーかいっ」

 

 最後の松明が灯り、部屋全体が不思議と明るくなる。

 それと同時に、部屋の最奥に巨大なシルエットが浮かび上がった。

 人間が座るにはあまりにも大きな玉座に深々と腰掛けるコボルドロード。そしてその隣に付き従う、全身を鎧で身にまとった三体のセンチネルの姿。

 

 コボルドロードは玉座から立ち上がると、その逞しい体格とは裏腹に軽々と跳躍。空中で一回転して着地すれば、部屋全体が地響きをたてた。

 

「グゥルゥアアアァァッ!!」

 

 そして、二人だけのボス攻略は始まる。

 




 どもども、今回は本編短め。
 本当はキリトとアスナのデュエルとか書こうかなって思ったけど、上手いこと本文に組み込めなかったので省略。
 次回に軽く回想的な感じで書くかも? そこはまだ不明。或いはサイレント加筆するかもです。

 そしていよいよ、次回が本編最終回になりそう。
 その後に番外編で各ヒロインとかの話をのんびり書けたらな~っと考えてますが、特にネタとかは今のところないです。

 ではまた、いつの日かお会いしましょ~。


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攻略

 本編完結です。


 この場にいたのがキリトと自分の二人でよかったとアスナは思う。

 もしも初見のフルレイドパーティーで同じ状況に陥っていたのなら、間違いなく混乱が混乱を招いていたに違いない。

 それはデスゲームが始まったあの日――《はじまりの街》であの光景を見たアスナには容易に想像が付いた。

 誰かが騒ぎ、伝染し、突如始まったボス戦に隊の意味は失せ、逆にプレイヤーの多さが仇となる。

 仮にボスを撃破し攻略に至ったとしても、間違いなく被害は大きかったはずだ。死んだ者も多く現れただろう。そうなれば、ただでさえ遅れている攻略が更に停滞する事態にまで発展していたかもしれない。

 だからだろうか。アスナには信頼できるキリトと二人きりというこの状況が、寧ろ好ましくすら思えていた。

 

「……途切れない、か」

 

 その手に握るのはNPC鍛冶屋で強化した《アニールレイピア》。相対するは今しがた壁に開いた穴から再度湧いて出てきた三体の《ルインコボルド・センチネル》。

 センチネルが五周期目……つまりはβテスト通りであれば既に湧かないはずの十三体目以降が出てきた事に、アスナは呟いた。

 横目でキリトの姿を確認するが、変わらずボスである《イルファング・ザ・コボルドロード》と戦闘を繰り広げている。

 コボルドロードの頭上に浮かぶ四本のHPゲージは、三本目に差し掛かろうとしていた。

 対してキリトは無傷なので、今のところ心配はないだろう。

 本当であればセンチネルを倒し切って加勢しようとも考えていたが、現状ではそれもできそうにない。

 キリトにターゲットが向かないように誘導しつつ、一先ずは現状維持に徹する。

 

 センチネルがいつまで湧くかは分からないが、何もデメリットばかりではない。

 ボスの取り巻き。そしてこの場所でしか湧かないその性質上、レアモンスターに分類されるセンチネルはそこら辺のモンスターに比べて馬鹿にならない量の経験値とコル、アイテムを落とす。

 それらがボスを倒した暁には、キリトとアスナの二人だけに分配されるのだ。

 もしもフルレイドパーティーであれば、その恩恵も微々たるものであっただろう。だがボス撃破の報酬も含め、それら全てが二人だけに集約されるとなれば話は別だ。

 第一層では頭打ちになりつつあったレベルも容易く上げることができる。それはつまり、このSAOで二人に太刀打ちできるプレイヤーが実質的にいなくなることを意味していた。

 だからこそβテストでは湧きの制限があったのだろうと予想は付くが、今回その上限が引き上げられた。

 何故なのだろうか。純粋にアスナは疑問に思う。

 そこには運営(GM)の何らかの意図があるはずだ。

 ボス部屋から途中離脱できなくなった事も気にかかる。冷静になればなるほど、今回のイレギュラーは不可解だ。

 そしてもし、このボス部屋にまだβテストと違う点が存在しているのだとしたら――。

 

「――っと、危ない危ない」

 

 そんなアスナの思考を断ち切るように、肉薄してきたセンチネルの攻撃をアスナは捌く。

 集中力に問題はない。安全マージンも充分足りている。だからセンチネル三体のHPを満遍なく削りつつ、キリトの様子も見ながら余裕を持って戦闘を行っていたのだが――。

 

「行動パターンが、変わってきている?」

 

 今までちぐはぐで、時にお互いが攻撃の邪魔をしあっていたセンチネルの動きが、修正されてきている。

 徐々に、だが確実に、アスナという標的を倒そうと連携してきているように見えた。

 

「――シッ!!」

 

 センチネルが身にまとう、鎧の隙間から覗く喉元の弱点。そこへ的確にレイピアを撃ち込み、三体まとめてポリゴンへと変える。

 しばしの間を置いて、壁から再び三体のセンチネルが湧いて出てきた。

 けれどもそれらのセンチネルは、先程の連携は忘れたようにちぐはぐな攻撃を仕掛けてくる。

 まるで今まで覚えていたことを、全て忘れたかのように。

 

「学習しているってこと?」

 

 確かにモンスターは生きている……正確には人工知能(AI)で動いているのだから、学習していてもおかしくはないだろう。

 今まで出会った敵も学習していたのかもしれないが、それは戦闘を長引かせることなく終わっていたので、気付かなかっただけなのかもしれない。

 であれば、キリトが相手をしているコボルドロードは? そしてもし、ボスにも何らかのβテストとは異なるイレギュラーがあったとしたら?

 

「ウグルゥオオオオオオォォォ――――!!」

 

 コボルドロードが、この日一番の雄叫びを放つ。

 視線を向ければ、四段あったHPゲージが残り一本となっていた。

 

 βテスト通りであれば、ここでコボルドロードは攻撃パターンを変える。

 具体的には、その手にそれぞれ持っていた骨斧(こっぷ)と革盾を投げ捨て、腰の後ろに隠すように装備していた巨体に見合った湾刀(タルワール)に手を掛けて――。

 

「キリトッ!!」

 

 嫌な予感がして、アスナは咄嗟に叫ぶ。

 だが、その声がキリトに届くことはなかった。

 視界左上に映るキリトのHPバー。そこに表示された咆哮のデバフ。

 先の雄叫びを間近で受けたキリトの耳は、一時的に聞こえなくなっていた。

 加えてその隣に表示された、もう一つのデバフ――スタン。一時的に対象の動きを最長十秒間拘束するそれは、即時発動で回復手段が存在しない。

 キリトとアスナ、二人しかおらず援護にも向かえないタイミングでのそれは、あまりにもまずかった。

 

 そしてボスが手に掛けたそれは――湾刀(タルワール)ではない。

 刀という種類こそ同じであれ、かつてキリトが攻略した第十層でよく見た、モンスター専用カテゴリ装備――野太刀(のだち)

 アスナは知らない。その装備が湾刀ではなく野太刀である事実を。

 キリトもまた知り得ない。コボルドロードの巨体に隠された、たった今引き抜かれようとしている武器が野太刀であるという事実を。

 赤いライトエフェクトが刀身を包むのと、キリトのデバフが切れたのは、ほぼ同時だった。

 

 ――カタナ専用ソードスキル《絶空(ゼックウ)》。

 抜刀と同時に発動できるそれは、単発技ではあるものの初速は他の追随を許さない。

 下段から上段へ。キリトを真正面に捉え、全てのHPを刈り取らんと放たれた死の一撃。拘束から解かれたばかりの無防備なキリトに、攻撃を防ぐ選択肢はなかった。

 

 

 

 ――キリトの左腕が宙を舞い、ポリゴンとなって消えた。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 アスナがキリトと出会って、身に染みて教えられたことが一つある。

 それこそがダメージトレードという概念だった。

 

「アスナは確かに強い。けど、無傷で戦闘に勝とうとするその立ち回りじゃ、いつまで経っても俺には勝てないよ」

 

 キリトと初めてデュエルをした日、アスナは言われた。

 初めは何を言っているのかと思ったが、キリトと共に過ごすようになって分かった。

 彼は、自身のHPが減ることに何の躊躇(ためら)いも持たない。

 このデスゲームで、HPが無くなるのは死を意味する。故にアスナも、他のプレイヤーも、無意識に自分の身を守ろうとする。

 少なくとも、自分から好んでダメージを貰うようなことはしないだろう。

 しかしキリトは、勝つための最善の行動を取る。

 

 ――例えその身にどれだけのダメージを喰らおうと、それ以上の一撃を相手にお見舞いすればいい。HPが1でも残っている限り、全快の時と何ら変わらず動けるのだから。

 

 確かにそれは間違いではない。

 このデスゲームはHPが全損したら死亡であって、軽い一撃を貰ったところで死ぬ訳ではない。それでも果たしてどれだけのプレイヤーが、HPが僅かな状態で普段通り立ち回れるというのか。

 だが、キリトは平然と実践してみせる。

 デュエルの時、アスナのレイピアを何食わぬ顔で左手で受け止めたり、少しでも甘い攻撃をすれば避けずにそれ以上の一撃をお見舞いしてくる。

 

 だからアスナはキリトとのデュエルを全力でやる。

 何故なら少しでも甘い考えをすれば勝てないから。キリトであれば、殺そうとしても死ぬことはないと信じているから。

 

 

 

 だがそれでも、キリトが死ぬかもしれないという状況で平常心を保つのは、アスナにはできなかった。

 

「キリト――ッ!!」

 

 ボスの一撃をキリトが喰らった瞬間、アスナは再度叫ぶ。

 視界に映るキリトのHPバーが全快から八割以上消し飛び、尚も部位欠損によりジワジワとHPが減っていく。

 けれども、コボルドロードが手を緩めることはない。それはアスナが相手取るセンチネルも同様だ。

 

「くっ!」

 

 一先ずキリトは生きている。

 気持ちを落ち着かせるため、多少強引にセンチネルとアスナは距離を取る。その際ダメージを貰うが、毛ほども気にはならなかった。

 遠目にキリトを確認するが、左肩から先がない。恐らく防ぐのは不可能と判断し、咄嗟に体を逸らしたのだろう。

 右手には《アニールブレード》を握り、コボルドロードと変わらず戦闘を繰り広げていた。

 だが、キリトのHPが無くなるのは時間の問題だ。

 武器が野太刀に変わった影響か手数が増え、先程よりも戦闘のテンポが速い。一時的に離脱するのも難しい状況で、左手が使えない以上、キリト一人では回復も望めない。

 

「お願い!」

 

 センチネルを倒して何とかしてキリトが回復する時間だけでも作ろうと画策するも、その湧きが止まることはない。

 一体いつになったらセンチネルが湧かなくなるのか。或いは無限に湧いてくるのか。

 キリトと役割を交代するにしても、タイミングを誤れば余計に事態が深刻になるだけだ。

 何か、何かこの状況を打破する方法はないのか。

 もう一度、アスナはキリトを見た。

 部位欠損は時間経過で治るが、未だその時が来る気配はない。キリトのHPも残り一割を切ろうとしている。

 そして忌々し気にボスを見上げ――気付いた。

 ボスの体力もまた、着実に減っているという事実に。

 

「ほんと……凄いよキリトは」

 

 片腕がないうえに死の瀬戸際という感覚を、アスナは知らない。

 しかし少なくとも、ボスの攻撃を捌きながら反撃できるほどの余裕を、同じ状況で持てる自信はなかった。

 ――第二層に二人で行こう。

 ボス戦が始まる直前、キリトから言われた言葉を思い出す。

 つまりそれは、二人でボスを倒すということ。

 キリトは諦めていない。諦めるなら、もっと早くそのタイミングがあったはずだ。それなのに自分が勝手に諦めかけてどうするのか。

 

 キリトは死なない。絶対に死なせはしない!

 

 残り一割を切ったキリトのHPが、それでも尚減り続ける。

 だが、アスナは動じない。

 来るべきその時に備えて、取り巻きである三体のセンチネルのHPを調整する。

 

 勝負は一度きり。キリトであれば、絶対に同じことを考えるはずだ。

 根拠ならある。

 キリトを信じ、キリトに勝つために、キリトが考えていることをずっと考え続けてきたから。

 

 突如、アスナを取り囲んでいた三体のセンチネルが爆散し、ポリゴンと化す。

 そう錯覚してしまうほどの見事な三連撃は、残像を残して的確に弱点である喉元を貫いていた。

 同時にアスナは、キリトに向かって駆ける。

 

 キリトのHPは残り僅かだが、何の問題もない。

 キリトが死ぬ直前――絶対に援護しないと彼が死ぬ間際。それこそが、二人の息を確実に合わせられるタイミングなのだから。

 

 その時、今日このボス部屋で初めて、キリトの《アニールブレード》の刀身が水色に光輝いた。

 コボルドロードと一対一であるが故に、今の今まで使用を控えていたソードスキル。

 キリトの全力をもってして――今解き放つ。

 

「アスナ!」

「キリト!」

 

 

 

「「スイッチ!!」」

 

 

 

 キリトの剣と、コボルドロードの刀が交差する。

 そしてコボルドロードにとってその衝撃は、先程までとは比べ物にならない力を秘めていた。

 今の今までこちらが押していたばかりに、威力が予想外で地面の踏ん張りが利かず――その巨体が僅かに、だが確かに浮かんだ。体を動かそうにも、動けない。

 一時的行動不能状態――スタン。

 

 そこへすかさず、アスナは速度を殺さず思い切り跳躍した。

 しかし、コボルドロードも諦めてはいない。目前まで迫った死に抗うように、三度(みたび)咆哮を放つ。

 並みのプレイヤーであれば怯み、(すく)んでしまっただろう。

 けれど、アスナの意思の前では、それは何の意味もなさなかった。

 

 ――キリトは、私が守る!!

 

「セアアアァァ――ッ!!」

 

 その瞳が最後に映したのは、コボルドロードの驚愕したかのような表情と、閃光の様に青白く光り輝くレイピアの切っ先だった。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

『Congratulations!!』

 

 ボスが爆散すると同時に、部屋の中央に祝福のシステムメッセージが表示される。

 そしてアスナは、目の前に表示された今回の報酬画面に見向きもせず、取り出したポーションをキリトに渡そうとして――。

 

「大丈夫だよ。ありがとな、アスナ」

 

 そこには部位欠損も治り、ポーションを飲むキリトの姿があった。

 

「よかった……本当によかったぁぁぁ……」

 

 緊張の糸が解れ、思わずその場に泣き崩れるアスナ。

 そんなアスナにどうしたものかと、キリトは妹をあやすように頭を撫でる事しかできなかった。

 

「――さて、それじゃあ報酬の確認でもするか」

 

 アスナがようやく落ち着いたところで、キリトは話を切り出す。

 今回の成果は計り知れない。センチネルもそうだが、何といってもレイドボスをたった二人で倒したのだ。

 その報酬は全て二人で山分けであり、互いに裏切りでもしない限りアイテムは独占したに等しい。

 そしてボス戦では、LA(ラストアタック)ボーナスというものが存在する。

 これはその名の通り、ボスを最後に攻撃したプレイヤー……つまりはボスを倒した者に贈られる記念品のようなものだ。

 この世界に一つしか存在しないアイテムであり、その性能も基本的にオーバースペックとなっている。

 キリトの話を聞きながら、そう言えばボスを倒したときに何か紫色のシステムメッセージが出ていたなと思い出したアスナがストレージを漁ると、それはあった。

 ボス限定ドロップのユニーク品《コート・オブ・ミッドナイト》。

 

「私はいいや。最後の最後に攻撃しただけだし、キリトが使って」

「別に気にするなよ。元はと言えば、俺の不注意が原因だ。取り合えず、試しに着てみたらどうだ?」

 

 自分が受け取るには相応しくないとアイテムを譲ろうとするが、キリトなりに譲れないものがあるのか、結局押し負けてアスナはメニューを操作する。

 

「おお。似合ってる似合ってる」

「ほっ……本当に?」

 

 そこには、艶のある漆黒のロングコートを恥ずかしそうに着るアスナの姿があった。

 ギャップ萌え……という奴だろうか。キリトがよく目にするアスナとはまた違った印象を抱かせ、彼女の可憐な容姿がより際立って見える。

 というより、正直アスナには何を着させても似合ってしまいそうだと思った。

 

「それで、次の第二層ってどんなマップなの?」

「さてな。それは見てからのお楽しみでいいんじゃないか?」

「それもそうね」

 

 第二層へと続く階段を上りながら、そんな会話を二人は交わす。

 何かが間違えば、ここを上っていたのがアスナ一人の可能性もあれば、二人ともいなかった可能性もあった。

 それが今、こうして二人並んでいるという事実に、アスナは嬉しさのあまり笑みをこぼす。

 

 そして――やがて到着した扉の前で二人は頷き合い、その先の景色を見た。

 それはかつて日、キリトが単独で見た第十一層の景色より、遥かに輝いて見えた。

 




 【後書き】

 ここまで読んで下さり、本当にありがとうございます。
 激遅更新で失踪の可能性もありましたが、無事に本編完結まで書ききることができました。
 二年以上前……私がこの作品の一話を投稿した時から追ってくれている読者様はいるのでしょうか……。もしいたらお待たせしてすみませんでした。

 さて、今回の後書きは読まなくても大丈夫です。
 作者である私がただ書きたいことを書くだけなので、特に本編と関係はないです。

 取り合えず本編の内容メインで語っていきますか~。

 キリトの登場頻度が少ないなって。具体的には、キリト視点が少ないかな?
 何かこれは書いてるうちにそうなっちゃいました。
 最初はキリト視点をメインでやってくつもりだったのですが、何か違うなって思って……。
 最終的にはアスナがメインになっちゃいました。

 そんなアスナですが、本作ではキリト同様に強化して性格も変えてみましたがいかがだったでしょうか?
 上手いこと表現できなかった部分も多々ありますが、原作との違いに新鮮さを感じていただけたなら嬉しい限りです。
 不安定な感じをもう少し出せたらな~と思いましたが、そこは私の技量不足……。精進していきます。

 取り合えず第一層を無事に攻略した訳ですが、二層以降は書くつもりは今のところないです。
 あるとすればシリカやリズベットといったヒロインが、本作のキリトとアスナをどう見ているかという感じの話かな。
 後は今回の第一層が攻略された後の周りの反応とか。
 何だかんだディアベル生存ルートですしね。この世界のディアベル……一体どうなるんだ……。キバオウは知らん。ナンデヤ!
 アルゴとかは、キリトならボス攻略をやりかねないと薄々思ってそう。

 個人的に、GGO編を書いてみたいんですけどね。SAOではシノンが一番好きです。
 ただ如何せん、銃の知識がなさすぎる。戦闘シーンを書くのも得意じゃないし、詳しい世界観も全く知らないので書く気になれない。
 ただぼんやりと、原作開始前からスタートして、主人公がRMTで生活していて、最強と恐れられているトッププレイヤーな作品を書けたらな~とか。それでシノンの性格を変えたい。あるいはその主人公がシノンで、銃を撃つことにためらいがないとか。
 本作のキリトとアスナが無双するのも書いてみたいんだけどね~。
 やっぱ最強系っていい……いいよね?
 もし案のある読者様がいれば、是非一度書いて投稿してみましょう。投稿頻度が遅くてもへーきへーき。一話から三話目に到達するまでに二年掛けている作者がここにいますから()
 ほんと、よく失踪しなかったと自分でも思います。

 まぁ取り合えず、本編は完結しましたが、恐らくやる気がでたら各ヒロイン視点やら何やらを書くと思います。

 最後の最後になりますが、まだの読者様はよければ本作を評価してくれると嬉しいです。
 特に細かい設定を練ってある訳ではないですが、ここはどうなの? とか疑問などがあれば、感想に書いていただけると答えられる範囲で答えます。

 ではまたどこかでお会いしましょ~。


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