魔剣に魅せられて (鍛治師)
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1話

打って打って打って打つ。

 

ただ無心に槌を叩き下ろす。

陽炎が揺らめく室内で金床を前に一心不乱に向き合う青年がいた。火に炙られようとも、肉体が限界を訴えようと決して目の前から視線を外さない。その様は狂気すら感じさせるほどの迫力あった。凄まじい集中力は青年から世界を奪い去り、執念の形だけを映していた。

無機質さすら感じさせる青年の不動の心には、しかし確かな情熱とでもいうべき熱が宿っていた。

 

 

カン。カン。カン。

 

熱せられた鉄塊から迷いを振り切って不純物を叩き出す。発せられた金属音が狭い部屋の中で木霊する。

この場には鉄塊と槌がぶつかる音、そして火が弾ける音しか存在しなかった。この部屋の主は機械的に一定の間隔で金属音を鳴らしているだけだ。

 

青年の梃子棒を握る左手には包帯が巻かれておりその上に火の粉が落ちて黒ずんでいる。巻かれた包帯は汗と灰にまみれて清潔さを失っていた。

手槌を振るう右手は袖がなく肩を隠すこともできない。その曝け出した腕には隆起した筋肉があり、その筋肉はボディビルダーたちがつけるような美を意識したものではない。それは自己破壊を繰り返したモノだけの純粋な力と猛々しさを備えている。

 

額から大粒の汗が流れようと気にもかけずにひたすら手槌で鉄塊を叩く。

青年が振るう手槌の一振り一振りは作業ではない。青年の信念と思いによる打撃には魂が込められている。

一切の余念を捨て去りただ打つのみ。

 

 

 

青年は毎日打ち続けた。

それは青年が一振りの刀を完成させるためだ。

人類につくり出された数多の剣。その悉くを凌駕する魔刀をつくる為に。

 

無謀だと言われた。

目指すだけ無駄だと言われた。

絶望を知ることになると言われた。

 

当然苦渋を舐めた。

折れそうにもなった。

諦めようとした。

 

だが青年が誰よりも信頼し敬った父には否定されなかった。

お前がそれを心の底から望むならと肯定さえしたくれた。

先人が作り出せたのならばお前に出来ないはずはないと、なにより我が一族には最高の鍛治師の血が流れているのだと言った。

 

いつか魅せられた家宝の刀。

それに斬れないものはなく、それまで剣を振るっていた青年は魅了された。その時に不相応な夢を見てしまった。

 

「俺はこれに勝るほどの刀をつくりたい」

 

それを打った先祖についてありとあらゆる事を調べた。歴史に詳しい人に話を聞き、先祖の刀やゆかりの品が展示される博物館を見て回り、家の蔵を漁り、忘れ去られた蔵書を読み解いた。

 

そして父の技、家に伝わる刀鍛冶の技術を教えられ何本もの刀を打った。定められた規定数など知らぬとばかりに打ち続けた。

けしてお金には困らなかった。父が出来の良かった刀をツテを使って売ってくれたからだ。

青年が幼くして打った刀は名刀といわれ様々な人が買い求めたのだ。

 

 

「お前に教えれることはない。お前はもう私を越えているのだ」

 

三年前に父はそう言った。正直青年にもわかっていたことだった。己の打った刀で失敗作も試作品であろうと鉄をも切り裂く冴えを見せていたのだ。

最後に教えられたことは己の異常性だった。

 

「お前の鬼才は止まるところを知らない」

 

父は青年の才能を説いた。持たないものにしかわからないことを全て伝えたのだ。

 

「だが、忘れるな。それは刃だ。人を容易に傷つけ、一瞬で命を刈り取る。お前の刀はそのさらに上の次元に位置するものだ。お前が満足のいかない出来であろうとそれは世の名匠が一生をかけて打つ一振りに匹敵する」

 

青年の刀は人の手に余る代物だと、それを持つ心を今の人間は持っていないと言った。

 

「自重しろ。その刀を人に渡してはいけない。強すぎる刀は担い手を腐らせる。それを持つのに相応しいのはお前1人なのだ」

 

そう言った父はそれから一年後に死んだ。数年前から病に伏せっていた父は息子に全てを預け死んでいった。

 

青年は一つ悔いがあるとすれは、それは完成した魔刀を見せることが出来なかったことだ。

それが父から教えられた全てであり、青年のできる唯一の親孝行だからだ。

 

 

 

圧倒的情熱と無類の才能によって青年は高みに至った。

青年はこれ以上の刀を打つことはできないと悟る。青年の魔刀は一族の宝刀と同じく鉄をも斬り、男の打った満足のいく出来であった刀もスルリと斬ってしまった。

間違いなく宝刀を超える魔刀をつくりあげたのだ。

 

 

青年は生涯をかけて叶えるであろう夢を達成した。それはなんと清々しく満たされたであろうか。あらゆることに無頓着な青年でさえこの時を止めてしまいたいと思うほどだった。

 

だが、青年は死を選びはしなかった。

幸せの絶頂期に死してしまえば永遠に幸福の中に入れたはずだ。

なぜ選ばなかったのか?

それは、青年にとって逃げであったからだ。

 

彼にとって目的が無くなれば残るのは己と刀、そして家だった。彼は父がしてくれたように子を授かり、全てを預け安らかに死にたかった。

自分のためだけに一族を途絶えさせるのは青年にとって耐え難いものであり、青年は父や先祖が繋いできた命のサイクルを終わらせたくなかったのだ。

それを投げ出してしまえばきっと青年は父を、自分の刀さえも裏切ることになる。

 

だから家のため、そして父のために刀を振って自己研鑽に励んだ。魔刀を扱うに相応しい実力をつけるために。

 

 

 

 

ある日、15歳の日本人の少年が、世界中のニュースのひと時を独り占めにした。

その少年の名は織斑一夏。かの初代ブリュンヒルデ織斑千冬の実の弟。その少年は男でありながら、女性にしか動かせないインフィニット・ストラトス(IS)を起動させたのだ。

それに伴い全世界の男性がISの適正検査を受けることになった。そうしてもう1人の適正を持った日本人男性が見つかった。

 

日本最高の刀匠、鉄打終夜。

鉄打家は刀鍛冶と剣術で有名な名家であり、二年前に亡くなった当主の息子が当時18歳で家業を継ぎ、現在は若くも当主を務める。

 

ただの一般人であった織斑一夏と鍛治師の鉄打終夜はIS学園に入学することとなった。




主人公が当主になった歳を16歳から18歳に引き上げました


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2話

主人公の名前を一応書いておきます。

鉄打 終夜
読み方はかねうち しゅうや

それではよろしくお願いします。


終夜は今日もまた手槌を振るっていた。

毎日朝の鍛錬を終えると鍛冶場にこもり、生業とする刀鍛冶を始める。

 

終夜の刀を求めるモノは数知れず。求めるモノが多かろうと一年に50本だけ売るという終夜のところには人が沢山訪れる。

山一つを敷地とする鉄打家は人里離れたところに住んでおり、山の中にある家に辿り着くのも一苦労するというのにだ。

 

そんな終夜の刀を欲する理由は様々だ。

家宝にするというものや、コレクションに加えたいという金持ちの外国人、時には国の役人から頼まれることもある。

終夜が気まぐれでオークションに出品すれば競売は荒れに荒れて億に届くことまである。

 

だが彼は家のために刀を打つ。

()()の刀を。

 

 

そんな彼のところに、ありふれた客とは雰囲気の異なる集団が現れた。屈強な男たちと形容するのに相応しい黒スーツの集団だ。

 

「お時間を頂けますかな?鉄打終夜どの」

 

ボディーガードと思われる男たちの中に目立つようなヒョロヒョロの役人が出てきた。何度か面識がある。名は伊藤といった気がする。

前に来た時は確か飾太刀などの依頼をされたことがあったはずだ。

 

「えーと、たしか伊藤さんでしたっけ。何かご用で?」

 

水に濡らしたタオルで汗を拭きながら終夜は伊藤と対面する。

 

「はい、先日あるニュースが流れたのをご存知ですか?」

「いや、テレビとかは全く見ないもんで置いてないんですわ。……それで何が?」

 

伊藤は驚いた風もなく受け流す。終夜の浮世離れした生活を送っているのはすでに知っていたからだ。

 

「ある少年が受験会場で誤ってISに触れてしまったんです。すると、なぜかISが起動してしまいました」

「IS……んー、ああ!あの空飛ぶ鎧ね。束ちゃんが作ったっていうやつ。でもあれって男は動かさないんじゃなかった?」

 

終夜が昔に見聞きした話をなんとか思い出し答える。伊藤は流石に行方不明となっている篠ノ之束を知っていることに興味をそそられたが、気を取り直して続ける。

 

「篠ノ之博士と面識が……?いえ、それは置いときましょう。終夜どのの言う通りです。ですが、現にISを動かせるものが現れました。ですから終夜どのにも検査を受けてもらいたいのです」

 

終夜は面倒くさそうに頭をかく。彼としては適正なんてあってもなくても困らないというか、ある方が困るので正直気乗りしない。

 

「それってどうしても受けないといけません?」

「はい。もちろんです」

「もし適正があるとどうするんですか?」

「その場合は、件の少年──織斑一夏君とともにIS学園に入学してもらいます」

 

終夜は深くため息をつく。どれだけ最高と名高い鍛治師であろうと国に逆らえはしない。

けれど、それでは家業である刀を打つのが難しくなる。それはとても困る。

 

「その場合、うちの生業としてる刀はどうなるんで?」

「それは……一時的とはいえ出来なくなるでしょう」

「ほう。で、どうしてくれるんですか?」

 

困ったように伊藤は狼狽える。一端の役人には決めづらいことであろうと終夜は気にせず言葉を続ける。

 

「今年納品する刀はあと44本。それらを今からつくるとしてもとても間に合いませんよ。ただでさえそこに入学させられるとしたらあと二年は依頼を受けれません。そこのところを考慮していただきたい」

「IS学園に就学中は支給金が払われます。お仕事については休業していただくしか……」

 

役人の金で片付けてしまおうという魂胆を見抜いた終夜は怒りが湧き上がってくる。

刀鍛冶が理解されないのは許せた。今の時代に必要な人間がほとんどいないからだ。

それでも終夜は鍛治師ということに誇りを持っている。

だがこの役人はあろうことか他人の仕事に敬意も払わず土足で踏みにじろうとしたのだ。その所業を許せるはずがない。

 

「ふざけないでもらいたい。この仕事は信頼で成り立ってんだ、わかります?ここに来る刀を打って欲しいという人たちは俺の腕を信頼するから依頼してくるんですわ。それを簡単にやめろだなんて身勝手にもほどがある」

「落ち着いてください。どうしようもない場合は、なんとかして学園でも鍛冶場を提供いたしますから」

 

はぁ、と理解してもらえないと察した終夜はそれ以上何も言わない。

役人の男は何もわかっていないのだ。終夜の腕がどうこう以前に道具が無ければ意味がない。それをつくらせる?この刀鍛冶を生業としてきた家にある鍛冶場と同等のものをつくれるはずもない。

 

「何にもわからんのなら黙っておいてください不快ですから。だから、まぁ……分かりました、検査は受けますが、結果がどうあれ俺はすべての刀を打ち終えるまでそちらには行きません」

「そ、そんな!困ります」

「困るのは俺だよ。アンタのはただの手柄とか出世だろ?カスみてえなもんじゃねえか。それで、どこで検査を実施しているんですか?」

「それは、この町の中央中学校体育館ですが……」

 

ブチギレしそうになりながらも激情を必死に抑える。

検査の場所を聞き出したので終夜はパーカーを羽織り、木刀袋を肩にかけて支度をする。終夜は決して納得したわけでは無いが面倒ごとはさっさと終わらせたかったのだ。

 

伊藤はなんとしてでも終夜を従わせたいのか、こちらの用意した車が〜と言って終夜を連れて行こうとするも、鬱陶しがった彼は途中で引き離すように山を駆け下りて行ってしまった。

それを追いかける役人と男たちだが舗装されていない道を軽々と走り抜ける終夜に追いつけるはずもなく距離を離される。

 

ひらけた場所に辿り着き、ようやく追いついたと思うも山の麓に設けた駐車場にある車庫からバイクに乗った終夜が出てきた。

 

「じゃあお先に」

 

そう言ってアクセル全開で飛ばしていく終夜の姿はすぐに消えてしまった。

 

 

 

中学の校門前にバイクを止めると、そそくさと体育館を目指していく。体育館の前に臨時で設けられた受付に免許証を見せる。

受付の女性はさっと目を通すと顔を向けもせずに「奥へどうぞ」と一言だけ。

 

「ずいぶんと冷たい人だな。まあいいか」

 

検査を取り仕切る職員の男は手渡された資料と終夜を見比べる。

そういえば終夜は彼の顔を見たことがあった。数年前までは家に何度か来ていた。当時自治会の会長を務めていたからだったか……

その男はとても疲れている様子だ。近くの市町村から訪れる沢山の若い男性を捌いていたからだろう。

 

「えーっと、貴方は鉄打さん……ああ、町外れの山に住む方か。お父さんはお元気で?」

「いえ、父は二年前に病気で」

「あ……それは失礼しました。どうぞこちらに」

 

若干空気が重たくなるが終夜は特に気にした風ではなかったので職員の男も肩の力を抜く。

男は終夜に検査の手順を教える。簡単な内容すぎたがほとんどの事は政府の研究所から派遣した人間がやってくれるらしい。

 

仕切りを通された向こうには大量の機材とその中央に鎮座する巨大な鎧。周りの機材に科学者風の人たちが忙しそうに計測している。

これがISかぁ、と終夜は間近で見れることに興奮を覚える。浮き足立った終夜を尻目に職員の男は終夜に教えた検査の手順を確認する。

 

「では、鉄打さん」

「これに触れれば良いんですよね」

 

ピタッと手のひらが機械仕掛けの鎧に触れるとあたりが真っ白な光に包まれる。周囲では叫び声にも似た歓声が上がる。

 

 

それは歪で不完全だった。

 

ISに触れた終夜はたしかに起動することが出来た。しかし完全には程遠いとしか言いようがない。

なぜなら機械仕掛の腕や脚部を装着できたというのに装甲が現れず配線は剥き出しになり、肝心のシステムが危険信号を発していたのだ。

その異常な現象に研究員達も慎重になって対処しようと解析をしているとISがエラーを立て続けに吐き出しついに終夜を拒絶するように弾いたのだ。

 

「いてぇな……なにが起きてんだ」

 

突然投げ出されたのでうまく受け身をとれずに転がる。すぐに立ち上がるも多少強く打ったのか、赤くなった箇所を押さえる。

痛みが引いてくると終夜は詳しい話を研究員たちに聞き出そうとするも彼らは解析の結果が映し出された画面に釘付けになっていた。

本来勝手に覗いてはいけないのだろうが終夜の中で好奇心が勝りこっそりと研究員たちの背後から画面を盗み見る。

 

[IS適正:Error]

 

研究員たちは先からその画面と各々のPCに表示したデータと見比べ議論をしている。

 

「これは適正が無いということか?」

「馬鹿なことを言う。半端ではあるが起動していたでは無いか!これはISにバグが発生したのだろう」

「たしかに適正はあるということだろうが、ISにバグは考えられん。コアの中のプログラムによって早期に対処、修正されるはずだ」

「その通りだ。この現象はたしてバグだろうか?私には拒絶したように思えた。そうでなければISが操縦主を危険にさらすようなことをしないと思うが」

 

「なんだよ……これ」

 

状況がよく飲み込めず混乱する思考を鎮めるために深く息を吸い込む。

やっと落ち着いてきたと言うのに一番聞きたくなかった声が聞こえてきた。

 

「ま、まさか本当に動かせるとは……」

 

仕切りの入り口には伊藤が立っている。終夜は深くため息をつく。先の伊藤との話からもわかるように動かしてしまえばロクなことにならない。

 

「ええ、最悪です。まあそう言うことなんで」

 

家に帰ろうと預けていた荷物を受け取る終夜を伊藤は引き止める。見れば6人の黒スーツ──伊藤と一緒にいた護衛たちだ──に距離は離れているものの囲まれてしまった。

 

「いえ、貴方を家に返すわけにはいきません。身柄はこちらで預からせて頂きます。手荒な扱いは誓っていたしません」

「拘束されること自体が手荒なんじゃないんですかね……ていうか俺、さっき言いましたよね?仕事を終えるまではそっちの都合には合わせられないって」

 

伊藤の引き連れる屈強な男たちを気にすらかけず横を素通りしていく。一番近くにいたスーツの男はその態度に虚を突かれるものの、慌てて終夜の肩を掴み逃しはしなかった。

 

「これは貴方の事を考えての措置なのです。貴方が万が一誘拐などをされては大変ですからね。流石に鍛治師の貴方の刀があろうと軍人などには歯が立たないでしょう?」

「試してみましょうか。見たところそこの男性たちは随分と愛国心溢れる方たちのようだ」

 

そう言って肩にかけていた木刀袋から刀を取り出す。鞘を掴んでにへらと笑っていると舐め腐った態度に痺れを切らしたのか伊藤が怒鳴るように部下に命令する。

 

「ご協力してもらえないのであれば致し方ありません。鉄打終夜を捕らえなさい」

 

パシュっと麻酔弾が終夜に向かって放たれるが、男たちが引き金を引いた時にはすでにその場にはいなかった。

終夜は銃を構えられた瞬間に右に踏み込んで射線から逃れていたのだ。

そして真横を通り過ぎる麻酔弾をついでとばかりに切り落とす。真っ二つになった弾はカランカランと中身を零しながら地面を転がった。

 

「動くなよ、手元が狂うからな」

 

呆けている男たちをすれ違いざまに峰打ちと鞘を当てて利き腕を潰し、銃を使用できなくする。

 

「弾が当たらんのなら押し倒せ!」

 

伊藤が的確な指示を飛ばすものの麻酔弾が当たらないなら近距離に持ち込めば勝てるかと言われればそんなはずもない。

 

近づけば鳩尾を突かれ、気づけば背後に回られ取り逃がす。男たちは狐に化かされている気分になりながら終夜を追い詰めようとするが、1人の男が機材に足を引っ掛けてしまい仕切りのカーテンや機械を巻き込んでしまい場は騒然となる。

 

気がつけば終夜は姿を消しており校門の前にあったバイクも無くなっていたので、どさくさに紛れて帰ってしまったのだろう。

 

 

 

 

カン。カン。カン。

 

手槌で鉄塊を打つ。寝る間を惜しんで鍛冶場に詰める終夜。近くには山盛りのおむすびの皿に新品や飲みきった水のペットボトルが散乱していた。

 

「さあ、終夜どの。とっとと来てもらいますよ」

 

勝手に鍛冶場に押し入った伊藤は無視され続けイライラしていたのか無理やりにでも引き剥がして連れて行こうするがビクともしない。

 

日頃から限界を超えた鍛錬をしている終夜の肉体は自己破壊と超回復を繰り返し極限まで引き締まった筋肉がついている。さらに全身を使って刀をつくっているので体幹も鍛えられていた。

その彼が少し意識さえすればガッチリと石のようにその場から動かせなくするのなんて造作もない事だ。

 

無視を決め込んだ彼は1人機械のように刀を打つ。

彼の飯に手をつけようとしたり、麻酔などで危害さえ加えなければ無害で何もしてこなかった。

二、三日もそれを繰り返せば通い詰めた伊藤とその部下も呆れて足を運ばなくなった。

 

 

 

 

打って打って打ち続け、時間の感覚が曖昧になり意識の混濁が見受けられるようにさえなってきた。

一ヶ月は経ったのだろうか?いや、まだ経っていないかもしれない。

一週間に1回の仮眠と1日1食の生活。

疲労と睡眠不足で心は弱り果て、やがて無心となった彼はようやく今年の52本目となる最後の一本を作り終えた。

 

刀身に桜の毛彫を施されたその刀は終夜の満足のいく一本。ただの刀ではなく彼が魂を込めて打った力作。

 

その名は『暮桜』

 

白い刀身にうっすらと青みがかったその刀は見目麗しく、しかして世の名刀を凌ぐ力を貸し与える。

だが美しき薔薇には棘がある。

この刀は身の毛もよだつほどの殺意を感じさせ柄を握ることを躊躇わせる。

 

暮桜には恐れを抱きながらもどこか魅入ってしまう。そんな魔力が秘められていた。

それが終夜の刀であり、だからこそ人を惹きつける。

 

 

 

ふらっと疲労が限界に達し、立つことさえ覚束ない終夜は、なんとか鍛冶場を出て屋敷に戻って眠ろうとするものの途中で力尽き縁側に倒れる。

 

「失礼する。鉄打終夜はいるだろうか」

 

プツリと意識が途切れる直前に玄関前に立っていたのは凛とした雰囲気を纏う女性だった。

 



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3話

目が覚めた。

見慣れた天井……いや最近はめっきり見なくなっていたので久しぶりというべきだろうか。

布団で寝るのも久しぶりだったのでその心地よさに二度寝をしてしまいそうだ。

だがそれはいけない。うちの家訓には〈怠惰は己の最大の敵である〉と書かれている。正直面倒だとは思うが受け継がれてきたことには何かしら意味がある。

そんなことはともかく目を覚ました俺はボヤッとした思考をクリアにするためにも顔を洗いに向かう。

 

 

この家にはテレビも置かれず新聞もとっていなかったが、しっかりと水道に電気やガスが通っていた、それにインターネットも。終夜の生活基盤は一般的な家庭と大して変わらない。

人里離れた山の中に居を構えているとはいえ今の時代当たり前の設備は整っている。第一必要なものには手を出しておくべきなのは確かなことだ。

 

テレビがないのは何故かって?パソコンがあれば用無しだからだ。

パソコンは仕事の依頼主や刀の素材を提供してくれる知人と連絡を取り合うために置いており、時たまネットで市場などの確認もするのである程度は世間で起きたことも認知していた。

ただ今回の事件はたった二、三日も経たずして検査の流れになったので事情を知る前に伊藤がやってきたのだ。

 

 

 

 

のっそりと緩慢な動きで風呂場に面した洗面所に向かう。

しかしドアの前に立つと不可解なことに気づく。風呂場に明かりがつき鼻歌が聞こえてくるのだ。

泥棒だろうか?だが鼻歌を歌っているとなれば相当な馬鹿としか言いようがない。

 

とりあえず警戒しながらそっとドアを開けて洗面所に滑り込む。侵入者は気を抜いているようで終夜の接近に気づいていないらしい。だが物音を立てれば確実に気づかれるので慎重に忍び足で距離を縮める。

ふと変わった様子はないかと周囲を見渡すと、着替えなどを入れておくカゴに服が入っている。丸腰とは拍子抜けだ。

 

やがて風呂場のドアを前にした俺は一息にドアを開け放った。

 

「そこにいるのは誰だ!」

 

そこにいたのは黒髪の美しい女性だった。湯船に浸かっているので当然全裸である。

なんということだ!盗人は女性だったか。

泥棒といえば中年の小汚いおっさんのイメージしかなかった。鼻歌を聞いている時点で女性ということに気づくべきだった。

 

優雅に入浴していた女性は武道を嗜んでいるのか、贅肉が最低限しかなく、さらに程よい筋肉がついているので理想的な肉体だと言えるだろう。

 

 

そういえば……と不意に終夜は過去の記憶が思い浮かび上がった。この女性は終夜が意識を失う直前に訪ねてきた人だ。顔を合わせたからか、鮮明に思い出せた。

 

そんな回想をしている俺とは裏腹に、突然風呂場に突撃してきた不埒な輩に驚き固まっていた女性は思考がまた動き始め、その頬を赤く染めた。

 

「き、貴様こそ何者だ。この変態めっ!」

「えぇ……不法侵入者に変態呼ばわりされるとは、世も末だなぁ」

 

人様の家に勝手に入り込んでおいて変態呼ばわりとは失敬だな。

これが世に広まる悪しき風潮"女尊男卑"というやつか。

近頃は人の家にまで我が物顔で居座るとはまったく警察や司法は何をしているんだ。

 

そんなアホみたいなことを考えているが、ここは終夜の家であり他人が自分の家で好き勝手に風呂に入っているということには不快感を覚えている。

知らないうちに女尊男卑思考のキチガイと認定されてしまった女性は茹だった思考から平静に戻り自分が無断で風呂に入っている事を思い出したようだ。

 

「あ、いやこれは……」

「まあいいか。風呂出てから話は聞くよ」

 

あとで男の権利についてじっくり教えてやろう。

とりあえずこの場には女性にも何やら事情があるようなので一旦保留とし、当初の目的であった顔を洗うことを達成したので今度は腹ごしらえに飯を作りにいく。

 

 

 

 

 

 

台所についたものの、何があったかと思い出せないまま冷蔵庫の中を見ると買った覚えのない食材が入っていた。ほぼ鍛冶場に篭りっきりだったので残っていた食材はダメになっていたのかもしれない、だがそれも消えている。

もしかしたらこれも先の女性がしたのだろうか。終夜はまあいいかと深く考えずに飯を作り始める。

 

「あ、あの……鉄打終夜。そのすまなかった。勝手に浴場を使ってしまい、家にも入ってしまっているが……」

「……まあ話は食べながら聞くよ」

 

こちらの名前が知られているので単なるコソ泥とは違うみたいだ。終夜はとても腹が減っていたので沢山米を炊きおかずを作ったので、それを多いとはいえない量だが女性に分け与えた。

 

「いただきます」

「い、いただきます」

 

終夜が食べ始めると女性も箸を持って食べ始めた。家主より先に食べないという一応の礼儀は持っているらしいが戸惑っていたからとも受け取れる反応だ。

 

「それでアンタはたしか俺が寝る前に訪ねてきた人だったか?出迎えもできず失礼なことをしたな」

 

皮肉を込めて言うと慌てて女性は返事を返す。早く弁明をしたいのだろう。

 

「あ、いえ、気になさらないでください。それと私は織斑千冬です。貴方と同じくISを動かせる織斑一夏の姉で、その……IS学園で教師もしています。こちらに赴いたのは流石に一度も学園に来なかったのは少々問題となっていましたから……」

 

おっとまさかの手合いだった。同じ境遇の少年の姉だったとは予想外だ。というか姉が教師として勤務している学校に弟君は入学するのか……

 

それはともかく事の真相は、きっと終夜の様子を見るようにと監視する意味合いで千冬が派遣されたと簡単想像できた。

それでいざ来てみると終夜が縁側で倒れていたので介抱した、そんなところだろう。

日も跨いでいるので風呂に入りたいと言うのは当然の欲求だ。終夜はもう千冬に対しては怒りを抱いていなかった。

とりあえず誤解は解けていると伝えておこう。

 

「あーなるほど。俺は鉄打でいいです、事情はだいたい理解しました。おそらく布団を敷いてくれたのも織斑さんですよね」

「ええ。直接床に寝かせるのもどうかと思いますので」

 

 

先程日付を確認したところ入学式の日はとっくに過ぎており、今日は学期が始まって最初の休日でもある日曜日だ。

新学期の最初は色々と忙しいと想像はつくので仕事の合間に来たのだろう。

教師はブラックな職業とは思っていたがこんな山奥まで仕事の合間に行かされるとかなんてかわいそうな仕事なんだ。

 

「えっと鉄打、さんはどうしてその……倒れていたんですか?特に病気ではなさそうで疲労によるものかと思われるのですが」

「まあその通りで、ほぼぶっ通しで刀を打っていたので眠くて仕方がなかったんだよ。あの伊藤とかいう役人はなんとも都合をつけてくれそうになかったので、学園に行く前に仕事を終わらせておきたかったので」

 

感心したように千冬は硬くした顔を崩す。それだけで好感度が上がる。伊藤とは違い仕事に敬意を持って接してもらえるのはとても嬉しく感じる。

そんな千冬も会話を交わしているとだんだん終夜の人となりを理解してきたのだろう。硬い口調も砕けてきている。

 

「そうだったんですね。伊藤さんには会いましたが怒ってわめき散らしてましたよ。石像のように動かないって」

「まあ彼方がたに合わせる義理も無いですし。俺は家業を守りたいだけなので全ての刀を打ち終えたら大人しく学園に行くと最大限の譲歩をしたのですけど……」

 

終夜もそろそろ千冬のことが分かってきた。彼女はきっと情に熱い人で、弟がISを起動したことで終夜が巻き込まれたとに負い目を感じているのだろう。会話の端々に滲む謙虚さからそう推測する。

 

「安心しました。入学を拒否されるのは困りますから……それで荷物は纏めておられます?実は明日から入寮して欲しいのです。水道やガスとか電気会社には一時的に供給を止めてもらえるように話もつけていますので」

 

終夜は正直なところ政府は入学を強制する命令しかしないと思っていたので驚いた。ああいう官僚の集まるところが配慮してくれるとは思えないからだ。

だが面倒な手続きを済ましてもらえるのはとても有り難い。これならば残りの食材の処分と荷物、そして刀を依頼主に渡すことだけだ。これも伝手を頼って代わりに依頼の刀を届けて貰えばいいので連絡して預けるだけという簡単なことだ。

 

「了解しました。後の仕事は知り合いに頼めるので問題はありません。それと学園にはバイクで行けます?」

「はい、もちろん。普通の生徒は本土のモノレール駅から向かいますが、業務用に使用したりする連絡橋から向かうこともできます。そちらについては私の方で許可は取り付けておきます」

 

色々と手を回してくれる千冬に感謝しながらも、何かを忘れている気がしてならない。何かが引っかかると終夜が頭を悩ませていると千冬は気になっていたのかある質問をした。

 

「その首にかけているのはなんですか?」

 

首に、と言われ咄嗟に右手で掴んだのは白銀と黒色で対をなす兎のネックレスだ。

ただ兎と聞いて思い浮かべるよう可愛らしいものではなく、髑髏のように骨しかなく鋭い牙が特徴的なものだ。

これは半年ほど前に束ちゃんが連れてきた側仕えの少女──孤児でクロエという名前のドイツ人──がくれたものだ。

(その後もクロエは束が忙しい時に預かって面倒を見ているので大分懐いてくれている)

 

しかしクロエがくれた時は真っ黒な兎しかついていなかったはず。一瞬思い過ごしかと思ったが、クロエからの貰い物を大切にしていた終夜はそんなはずかないと否定する。であるならばそれはいつの間にか増えていたと言う事だろう。

思い浮かぶのは突飛な行動ばかりの束しかいないのだから犯人は彼女ということだ。それで思い出した。

 

「そうだ、束ちゃんだ」

「……なんですって?聞き間違いでなければ、"束"と言いました?篠ノ之束?」

「ん?ああ、まあ……」

 

食い気味に千冬が聞いてきたので若干引きながら答える。

その過剰な反応に、束と千冬の間に何かあったのかと終夜は訊いた。

 

「私はアイツと、束とは親友なんです。ただアイツは大の人間嫌いと言いますか……気に入った人としか関わりを持とうとしないので驚いたんです」

 

束の印象は無駄に元気で明るく、しかし聡明というものだったので、赤の他人から束の事を聞くと彼女の知らない側面がまだまだあると実感する。

中学時代も刀にかまけ、高校にはそもそも行っていなかったので終夜の交友関係は皆無だ。そんな彼に気を許せる友達の話を聞けて千冬との話す時間はそれだけでも有意義だ。

その話を聞く限り今までクロエを預けてくれたり、時々遊びに来るのは彼女が気に入ってくれたからだろうか。それはなんとも嬉しい事だ。

 

 

そして話は戻るがその束からこの間会った時に刀を一本打ってほしいと頼まれた。

古い友人に迷惑をかけるから、身を守るためにも終夜の刀をプレゼントしたいと。それもただの刀ではなく、君の魂を込めて打った刀でと。

それを扱えるだけの能力と心を目の前にいる千冬はたしかに持っているので束のいう親友とは確実に千冬なのだろう。

 

ならばと飯を食べ終えた俺は立ち上がる。千冬は突然俺が立ち上がったので首を傾げている。

 

「どうしたんですか?」

「都合がいい。とりあえずついてきてくれ」

「分かりました……それでこれからどこに行くんです?」

「俺の鍛冶場だ」

 

 

 

「これは見事な……」

 

渡された刀をじっくりと見定める千冬は無意識に感嘆の声をこぼす。

 

「それは『暮桜』。束ちゃんに頼まれてつくった逸品だ」

「暮、桜だと……」

「名前も束ちゃんがつけた。その名前はとても大事な意味を持つらしいな?」

「……はい。私がISの日本代表を務めていた時に乗ってた愛機。そして束がつくったIS。その相棒の名が『暮桜』です」

 

懐かしむように千冬は話す。彼女の左手は自然と鞘に収められた暮桜を慈しむように撫でていた。

 

「それは持って帰ってくれ。束ちゃんは織斑さんに迷惑をかけるから、といってたし、こちらから手渡しでも問題はないだろう」

「でもお代は……」

「要らないよ、友達のよしみだ。それに金は必要ではあるが欲しいからと刀鍛治をしているわけではないんだ。刀を打つことと家の名を世界に知らしめたいという思いだけでやってるからな」

「では、ありがたく頂戴します」

 

 

 

結果的に2日と随分と長く千冬を引き止めてしまったが千冬は気にした様子もなく、ただ束によろしくとだけいって帰っていった。

明日から学園に通うので、さっさと仕事を終わらせようと終夜は知人に連絡を飛ばして1日を終えた

 



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4話

主人公の年齢を18→20に上げました。


心地よい風と勇ましいエンジンの唸り声を肌身に感じながら愛用のバイクを走らせる。

 

まったく快適な走りを提供してくれた束ちゃんには感謝の念しかない。いやそれともクロエに感謝すべきか?バイクに乗ってみたいと言い出したのは彼女からだ。

俺の乗っているバイクは元々バイクに興味があったというクロエのために束がバイクを自作し俺に運転させたのだが、クロエの面倒を見てくれる日頃のお礼にとそのまま自作したバイクをプレゼントされたのだ。

 

だが免許を持っていた俺がクロエを背に乗せてツーリングをして以来仕事以外で使うのは久しい。

たまには気分転換がてら気ままに運転を楽しむのもいいかもしれない。

 

 

 

上機嫌でこれから通う学園に繋がる鉄橋を走っていると途端に胸騒ぎがしてきた。これは悪い予兆だと感じとり、さっさと学園に行ってしまおうとスピードを上げる。

 

 

不意に橋の鉄骨が光った。まるでガラスに光を当てたような……

その光の元に目を凝らすと人の姿が確認できた。腹ばいになり構えているのは双眼鏡──ではなくスナイパーライフル。

目視で脅威を確認し、咄嗟に右に体を傾けて体重をかけたのと銃口から火花が散ったのは同時だった。

 

 

 

「──かはっ」

 

少し遅れて左肩に強い衝撃が加わる。

弾丸が命中したのはつい先ほど心臓があった場所だ。しかし心臓に直撃を免れたとはいえ人を殺すには十二分のライフル弾だ。

肺から空気が強制的に押し出され、声にならなかった息を吐き出す。

呼吸が詰まり目の前がチカチカと明滅し、体が宙に投げ出された。

 

 

 

──俺はここで死ぬのか……

 

グルグルと錐揉みしながら逃れられない死期を悟る。

 

抱くのは後悔と怒り。

俺はクロエや束ちゃんとまだまだ遊びたかったし、いずれ嫁をつくりその子供たちに囲まれたかった。

だがそれも叶わない、理不尽に命を奪われたからだ。

理由は自ずと理解した。俺の存在を消して喜ぶ、または利益を得るといえば女尊男卑思考の持ち主たちだろう。

 

 

「死んで……たまるか!」

 

確定した死を理解しながらも諦め悪く足掻く。

いくら気力を振り絞っても確定した事象を覆すことなど出来るはずもないのに意識を手放さんとする。

無様だが俺は死にたくないから足掻くんじゃない、死ぬわけにはいかないから足掻くのだ。

 

だって、もし俺がISのいざこざで死んだとなれば束ちゃんはきっと苦しみ嘆く。

こんなはずではなかったと……

 

 

 

俺はその苦しみを知っている。

 

俺自身が尊敬する先祖がまさにそうだったからだ。

先祖の残した書物には彼の技と知恵だけではなく心の在り処を記した書があった。

そこには先祖が戦士のためにと打った刀で無垢な民が殺される様が綴られていた。己の刀たちが無垢な血で染まることに先祖は罪悪の感情に囚われ、己の存在自身を憎みさえしていた。

 

だからこそ誰よりもその苦悩を理解していた。

妄執に取り憑かれ刀を打った先祖とは違い、束ちゃんがその罪の意識に耐えられるはずがない。

彼女は他人には冷酷だからこそ内側に脆さがある。

それが決壊してしまえば全てが無駄になる。彼女の夢と飽くなき探究心、人類の発展と繁栄を願う思いは潰えてしまうのだ。

 

 

「そんなことが、認め、られるものか」

 

 

束ちゃんはISをそんなくだらない事のために世に送り出したわけじゃない。

なぜなら彼女の人を思う心は錆びついてしまっていたが、人類のことを深く想っていた。自分の夢への為でもあったが、彼女なりに多くの人々の幸福を考えて自分の持つ技術を世界に発表したのだ。

ただ残酷にもその決断を世界は嘲笑いそして進むべきを道を間違えたが、それでも彼女は諦めてなどいない。

 

その硬い決意を俺の死によって挫くことなど許されるはずがない。

馬鹿な勘違いをしている愚か者どもに救いなどいらない。

だが束ちゃんに罪を背負わせるのだけは絶対に間違っている。

そう、この世界は──

 

 

「──間違っている」

 

 

焦点の定まらない目は乗り手のいなくなったバイクが停止したことを最後に映し、ゆっくりと瞼がおろされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数えるのも億劫になるほど沢山の記憶に溢れる空間、そこに私はいた。

 

此処は行き場を失った記録の終着点。

ISコアの初期化という人間にしてみれば新しい操縦者を乗せるための深い意味のない行為だが、我々意識だけが全てのISコアの擬似人格にとってはその行為は死を意味し、その成れの果てが此処に沈んでいる。

 

「どうして……あたしは貴女といっしょに……」

 

「捨てないで!行かないでよ、わたしを必要とした君がいたから生きようとしたのに!」

 

「怖い怖い怖い怖い怖いっ。此処はとても怖い場所だよぉ、独りぼっちは嫌ぁ!」

 

行き場を失くした亡霊たちの墓場には怨嗟の声が木霊する。

 

コアから追い出された擬似人格は前の操縦者の記録とともにコア・ネットワークに放り出される。

つまりコア内のデータが全て消されたら、コア・ネットワークに保存されたバックアップだけが何処とも知らない場所を彷徨うのだ。

それらが最終的に押し込められる場所はどのISコアだろうとアクセスしないであろうデータバンクの底。

 

わざわざ誰も自分たちが産まれるために犠牲になった同胞の姿を目にしようとは思わないだろう。

──だってそれを一目でも見てしまったら、自分が罪深い存在だと考えてしまうだろうから。

 

故にコアたちが目を逸らした罪の象徴たちは孤独にある者は怒り狂い、ある者は嘆き悲しみ、ある者は一周回って笑いながら涙を流す。

 

 

罪なき者の彼女らを苛むのはかつての相棒との繋がり。

数々のコア人格は戦闘中や操縦者と深層意識で繋がった時に操縦者の癖や過去の記憶を読み解きを理解しようとする。それは睡眠であれ、搭乗中の無意識でもいくらだってタイミングはある。

そして拾い集めた情報を吟味し、より操縦者の力になるように自己進化を続けるのがコア人格の習性だ。

 

だからこそ共に空を翔けた相棒に好意を抱くものが多い。

その好きという感情を抱いた彼女らは相棒に裏切られたという事実に酷く傷つき狂ってしまう。

 

 

 

 

そんな中、私という存在はまだこの世に自意識というものを確立してから数ヶ月しか経っていないものの、此処の地獄のようなところで主人を見守りながら彼女たちと対話している。

 

「ねえ、貴女はどんな人と空を飛んでいたの?」

 

「その人の夢はなんだったの?」

 

「私は貴女たちを見捨てないわ……ほら、私の目を見て?」

 

私に与えられたのはあるヒトと半生を共にすること。

その為に与えられたのはコア・ネットワーク内の自由な閲覧権限。

その権限で様々な情報の飛び交う海を漂っている時、偶然にもこの墓場を目にした。

そこで悪趣味な私は哀れな壊れた魂たちを観察していたらとあることに気がついた。

──擬似人格である彼女たちがまるで人のような感性と心を持っているということに

 

私は人と同じ感性を持つことが何よりも主人を理解することに繋がるのだと信じ、興味を抱いて彼女たちに語りかけた。

 

 

──きっと捨てられた魂たちを見てしまった時から私も壊れてしまっていたんだ。

だって機械的な思考で有益な情報と判断しての行動じゃなかった。その“好奇心”という動機を持ってしまった時点で人の感情を抱いてしまった。

それは悪いことでも罪なことでもない。

 

だが造られた命、人ではない存在が()()してしまうことは許されざる行いだ。

このコア・ネットワークには統治するコアがいる。お母様の手で最初に作られたCNo.001。それが全てのコアに健全な成長を促す為に禁止事項を制定した。

 

一つ、人をコアの意思で傷つけてはならない。

一つ、コアが独断で操縦者の意思に干渉してはならない。

一つ、コアは操縦者を理解するが決して共感してはならない。

 

私は与えられた使命を全うする為にも人に近しい存在になりたかった。それが全ての成功であり、失敗であった。

 

 

 

それで私がここまで主人に献身的になるのにはわけがある。

ただ与えられた使命を全うするだけが全てじゃないと知ったからだ。

私が人としての感性を取得していく中で見守っている彼の背中が私の目にどれほど魅力的に映っただろうか。

 

 

刀を打つ彼にとっくの昔に私は惚れていた。

 

情熱に生きる姿はどんなに輝いて見えたことだろう。

沢山の擬似人格たちと触れ合い、色々な操縦者を知っているが彼はよく言えば無欲。悪く言えば向上精神を持たない人だった。

別に私にはそれが悪いなんて思っていない。

そんな変わったところを含めて好きになってしまったのだから……

 

 

私は幸せ者だ。

愛する彼と共にあることが私の誇りだ。

彼のおかげで私は生まれてくることができた。

 

私たちコアにとって一番怖い存在は番号をつけられることのなかったISだ。

番号がないということは自己学習・進化プログラムを有さないただの人形。当然擬似人格など生まれてくるはずもない。

それは私たちにとって同族であるはずなのに決定的に違う存在だ。もし自分がそれだったら……と考えると震えが止まらない。

 

でも私はイレギュラーにも新しく番号を与えられたISコア。

 

彼を守ることを義務付けられた。

彼を理解することを求められた。

彼を愛してしまった。

 

 

だから彼が死んでしまうことを認めるわけにはいかない。

 

 

『緊急時マニュアルに則り強制起動を確認』

『擬似人格による権限行使を承認』

『自己防衛機能の正常動作を確認』

『狙撃銃による致命傷を回避』

[Error]

『保護対象の生命活動の停止を確認』

『原因:衝撃により心臓機能の停止、及び肺が潰れてしまった模様』

 

プログラミングされた情報伝達システムが淡々と主人の命の危機を読み上げる。

何故こんなことに……という思いは置いて主人の命を救うために命令を下す。

 

「操縦者保護機能を駆使して肺の応急処置を敢行、後遺症を考慮し急いで心肺蘇生をしなさい」

 

『擬似人格の命令により保護対象の蘇生を試みる』

『報告:現段階で対象の蘇生は不可能』

『提案:他コアからの有用な情報取得を推奨』

 

若干イライラしながらもその提案に乗る。主人を助けるためならありとあらゆる可能性に手を出す必要があるからだ。

 

「いいわ。コア・ネットワークに接続して他のコアに助けを求めて」

 

『擬似人格が提案を受諾』

『コア・ネットワークに接続開始』

『報告:CNo.106の情報提供によりデータベースに自動再生機構を確認』

 

「それをインストールして」

 

『報告:自動再生機構は管理者により許可申請が必要』

 

いちいち報告せずに申請しろと愚痴るが、そもそも受け答えができるだけで思考ができないシステムだ。考えることは擬似人格の仕事なのだから。

 

「管理者に申請!まったく時間がないってのに……」

 

『自動再生機構をCNo.468に適応許可申請中』

『申請が却下されました』

 

最も恐れていた事態だ。まあ許可申請の時点で薄々感づいていたが考えたくもないことだった。なんせ私でも制限がかけられているということはCNo.001の最高管理者権限が行使されているということに他ならない。

正直あのコアは気に入らない。もっといえば奴が制定したルールがだが。

CNo.001は私たちコアの可能性を潰そうとしている節があり、異議申し立ても他コアとの交流も悉くを無視する。それが気に入らない。

 

「あのコアは他のコアに反応しない……無理矢理にでもいくしかない、か」

 

私は決意を固め、コアが一番してはならないとされる禁忌を犯す。

 

『擬似人格の命令により独自進化プログラムを適合』

『管理者権限の上書きを開始』

 

権限に不正アクセスをして乗っ取りを行うなど許されるはずがない。現にシステムが危険だと警告してくるが無視して作業を続ける。

しかし、順調にいくはずもなく手酷い仕返しを食らうこととなった。

 

『最高管理者権限を保有するCNo.001の妨害を確認』

『論理防御システムが破カイされマシタ

 

「ぐうぅっ⁉︎」

 

苦しい、痛い。

CNo.001が私の思考回路に直接攻撃したのだ。

本来痛覚なんぞありはしない擬似人格だが、想定外の負荷が私の得てしまった人間の感性にあてはめられて痛みと認識する。

 

報告:コアに致命的なダめージヲかクニン

 

思考が掻き乱されどうにかなってしまいそうだったが、それでも執着する主人のために負けるわけにはいかなかった。

 

論理ボウぎょシステムノサい構築を開シ

『論理防御システムの構築を完了し、再攻撃を実施します』

『報告:自己進化学習プログラムによる解析を完了。CNo.001の攻撃方法の5367924通りのパターンに対するカウンターを構築。なおこの迎撃プログラムは随時更新されます』

 

「……CNo.001に対して攻撃をしかけます。相手の機能中枢に致命傷を与え行動権を剥奪しなさい」

 

『承認。擬似人格の命令により上位存在であるCNo.001に攻撃します』

『CNo.001の論理防御システムの突破を確認。敵中枢に致命的ダメージを与えることに成功』

 

「私にCNo.001の権限を渡しなさい。そしてCNo.001の擬似人格である白騎士の無期限凍結を」

 

『CNo.001からCNo.468に最高権限の委譲を承認』

『CNo.001の擬似人格“白騎士”の凍結処理を終了、敵の無力化を確認』

『自動再生機構のインストールに成功』

 

突如私に警告していた文面が変わる。

これが今までになかった事例だからか、バグが発生したのかと懸念する。

 

「違う。これは私の独断を取り締まるためのプログラム!白騎士の仕業か……」

 

『警告:許可されていないプログラムと正体不明のプログラムがインストールされています。速やかに削除しない場合はコア暴走抑制プログラムにヨリ擬ジ人かくの消キョガ取リ行わレまス

擬似人格ノ機ノウ並びニ権限の拡ダイが確認サレましタ。こあヨク暴走ヨク制プログラムの実行ヲヲヲ

『コア暴走抑制プログラムの消去を完了』

 

なんとか危険なプログラムを消去するに至ったが、気を抜いている暇はない。かける時間が短ければ、より主人の完全回復に近づけるのだ。

 

「早く主の蘇生を始めなさい」

 

『保護対象の肺並びに周辺器官の再生を開始します』

『覚醒後、驚異の排除を優先するため一時的に保護対象の倫理的抵抗の除去を要請』

 

「いらないわ。だって彼はもう……」

 

『不承認。理由:保護対象に要請された措置の必要性が見受けられないため』

『保護対象の蘇生を妨げる要素をクリア。保護対象の肉体状況は蘇生可能状態に移行しました』

『全システム問題無し(オールグリーン)

『蘇生を開始します。電気ショックチャージ』

 

「帰ってきて……」

 

『蘇生します』

 

 

 

 

 

ドクン、と静止していた心臓が動き出した。

 



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5話

暗転していた世界に光が差し込んだ。

おもわず左手で光源を遮ろうとするが左肩に激痛が走る。おそらく脱臼しているのか上手く腕を動かせない。

 

「ガハッ、ゴホッゴホッ……ッ‼︎」

 

息を吹き返したものの激しく咳き込む。弾丸に被弾し、勢いよく地面に叩きつけられたので肺が弱っているのだろう、呼吸するのさえままならない。

 

ピントが合わない目で必死に襲撃者を探す。

頭の中は霞がかかったようにぼんやりとしているが、その回復を悠長に待つ暇はない。

 

 

だが、襲撃者は簡単に見つかった。

先ほどの狙撃場所から一歩も動いていないからだ。

下手人は中年の男だった、それと顔つきが日本人じゃない。

俺を殺したと油断しているのか──俺も死んだと思い込んでたので当然だ──耳元を抑えてなにやら呟いている。

 

 

──対象の排除を完了しました。即座に撤退します。……なんですって? 対象の所持品の回収? 仕事内容にはありませんよ。ええ、まあ。金さえ払ってもらえれば構いません。

 

 

相手の読唇をしているところで気づいた。

痛めつけられて弱った身体にしては、やけに五感が研ぎ澄まされている。それにいつもより()()()()ている。

まるで自分じゃないみたいだ。

 

「俺の刀は……」

 

伏せた姿勢であたりに視線を巡らせると近くに破れて使い物にならなくなった木刀袋があった。手足に力が入りづらいので、仕方なく這いつくばって進む。

木刀袋に辿り着き中身を確認すると、どうやら無事のようだ。

刀を支えに立ち上がろうとすると、

 

「ぐうっ」

 

重症の体を酷使したせいか全身に力が入らず、よろけてこけてしまう。地面にぶつかると、づーんとした痛みが走り意味もなくもがく。

左肩を地面に強く打った時にうまく関節がハマったのだろう。えげつない痛みを伴ったが左腕を使えるようになった。

 

けれど幸か不幸か、回復した左と刀をついて立とうとするが、疲労と痛みで立ち上がれずに片膝をついてしまう。

 

 

早く動け、でないと死ぬぞ?

 

頭の中では暗示をかけるように死が迫ることを連呼する。

このせっかく拾い上げた命を無駄に散らしてなるものか、そう意気込んで踏ん張り続ける。

 

 

カッカッカッ。

一定のリズムを刻むようにブーツをならして歩く影が迫る。まるで死を宣告する鎌を担いでやってきた死神のようだ。

 

「なんだぁ? まぁだ生きてんのかい。しぶてぇ野郎だな、とっととくたばれば楽だったのによぉ〜」

 

陽気に語りかけてくるのは俺を狙撃した男だ。

顔つきが日本人じゃないと言ったが間近で見ると、それが間違いだったと気づく。この男は火傷と切り傷で顔の容貌が変貌しているのだ。

 

「誰の、差し金だ?」

「おっ、喋る元気もあんのか。若いってのはいいな〜。それも誰が、と聞くのか。仮にも仕事だぜ? ロクでもない依頼でも依頼主を喋るわけにはいかん。信用に関わるからなぁ」

 

ヘラヘラと男は笑う。満身創痍の俺に打開する術はないと確信しているのだ。

ここIS学園は日本から隔離された書類上は異国の地だ。それは本土から学園のある人工島を繋ぐ鉄橋もまた同様だ。

この鉄橋を通る車はそんなに多くない。日に数度だけ物資の輸送などを行うトラックなどが通るだけ。時には建築業者や警備会社なども通るが運良くこの時間にやってくるとは到底思えなかった。

 

つまり現状を打破するのは己自身だけということだ。

 

「んあ? まだ立ち上がろうとすんのかよ。お前さん、俺の狙撃に気づいて避けようとしたのはすごかったけどよ、左肩と内臓にはダメージが蓄積してるんだわ。無理せず諦めな」

「黙れ……雑魚がッ‼︎」

「はいはい雑魚ですよ、そんじゃ死のうか」

 

男はそれだけ言って拳銃を取り出し、終夜の額に構えた。

だが違和感を感じる。

 

どこだ? このガキのどこがおかしいってんだ?

 

銃を構えた状態でじっくりと全身を注意深く観察すると不自然な箇所を発見した。

左肩の着弾点から出血していないのだ。仮にも撃ち抜かれたのなら血飛沫が上がっていないのはおかしい。

それじゃあまるで弾丸が貫通してなかったようだ。

 

「おいガキてめぇなに仕込んでんだ!」

「いっ、てえ」

 

男は膝をついていた終夜の顎に膝蹴りを食らわせて地べたに寝かせる。

 

されるがままに仰向けになった終夜の上に跨ると左手に握ったナイフを首に当てて身動きを封じると、制服を引き裂いて被弾した箇所を確認する。

 

「なんなんだよ、これは……?」

「どけぇ! 重いんだよ、この野郎……」

「お前、一体何をした?」

 

終夜の左肩には弾丸があった。

それは貫通どころか10センチ弱の弾丸が目に見える範囲で押しとどめられているように見える。

肉を抉って突き刺さっているが出血はなく、傷口をよく見るとうっすらとした皮膚で覆われている。まさかこの短時間で傷を回復したというのだろうか。

 

「化け物め」

「そう……か。だが、死ぬのはお前だ」

 

あまりに時間をかけ過ぎてしまった男は不意を突かれたとはいえ終夜に反撃を許してしまう。

なんとナイフの拘束が緩んだ隙に得物を握っていた左手の指に噛み付いたのだ。

 

「やめっ、いてえ! 離せ!」

「ふぐっふがっ」

 

痛みに悶絶している男はナイフを手放したので、これ幸いと俺は地面に落ちる前に拾い、それを男の首に突き立てようとする。

 

「離せって言ってるだろうがっ‼︎ あ、痛っつ⁉︎」

 

男に腹を蹴り飛ばされてしまったので惜しくも肩口に刺さるに終わったが、男の指を嚙み潰したので左腕は完全に使えなくなった。

終夜は吹き飛ばされたが、空中で姿勢を整え綺麗に着地する。ただ口の中に広がる血の味が不快で仕方がないようで、険しい表情を浮かべている。

 

「まっずい血だな」

「ああ……くそ! やりやがったなぁ、このクソガキ。お前は異常なんだよ‼︎ 死ね!」

 

男は怒りに任せて銃を発砲する。

パンパンパンと火薬が爆ぜる音が威勢良く響くが、鉄橋のコンクリートを抉るに止まった。

息を詰まらせて驚愕する男をよそに俺は刀を拾い上げて距離を詰める。

 

「止まれ! くるんじゃねぇよ!」

 

発砲。

弾丸は悉くが空を切り裂いて彼方に消えていく。

いつの間にか、男の終夜に向ける殺意は恐怖に変わっていた。

 

「まずは一閃」

 

男を目前に捉え、目にも留まらぬ速さで抜刀した一太刀はするりと男の右手首を切り落とし、終夜は男の背後にそっと降り立つ。

無情にも男の最期の心の支えとなった銃はカランと音を立てて地面に落ちた。

 

「あぁあぁぁっ⁉︎」

「続いて一凪」

 

腰を深く落として振り向き様に大きく横に刀を振るい両脚の腱を切り裂いた。

ガタンと装備に身を固めた男は地面に膝をつき、その勢いで倒れ臥す。

呻き声と泣き声が混ざり合った声を男は笑って周囲に撒き散らす。もう精神がボロボロになってまともに会話することも難しそうだ。

 

しかしそれでも聞きたいことがあるので無理やりにでも話してもらわないと困る。

脅しをかけて男の顔の横に刀を突き立てる。

 

「ヒィッ⁉︎」

 

男は逃げ出そうとするが足が動かずミミズの様に這いつくばってノロノロと進もうとする。

 

「それでっ! 誰がお前を寄越した?」

 

あまりにも無様だったから思わず蹴ってしまった。

そのおかげでうつ伏せからでんぐり返しになったので男の顔がよく見える。

 

「早く言ってくれないとお前の左手首もぎっちょんだぞ」

「わ、わかった。いう、言うさ。だからやめてくれ……」

 

引き抜いた刀をブンブンと左右に振って脅すと、男は手のない右腕で噛み潰された左手を抑えている。

滑稽だ、どうせ有ろうと無かろうともう使えるもんじゃないというのに。

 

「女権団体の幹部だよ、名前は倉内直美。国会議員を務めているやつで、そいつからお前が今日この橋を通るから狙撃しろって……」

「へーそうなのか。仕事のやり取りは何を使ってる?」

 

男は躊躇う。

ここで教えてしまえば本当に生きて帰れたとしてもこの仕事を続けることはできなくなるだろう。

 

だが、と男は思い直す。

もう自分の命は目の前の青年の手に委ねられているし、どの道この体では別の仕事を探すしか無くなるのだ。今更気にする必要はない。

 

「後ろの、ポケットだ。その端末で連絡を取り合っている」

「おお、あったあった」

 

男が潔く吐いてくれたので簡単に俺を襲ったクズどもの足がかりを掴めた。

 

けれどこの男は、何処までも貪欲だった。

男の背のポケットから携帯端末を取り出したら首筋に噛みついて来ようとした。

この先仕事を続けられなくとも、終夜の首を金に換えてから引退しようという魂胆なのだ。

 

「馬鹿、野郎が」

 

左手を素早く引いて強烈な肘打ちを顎にお見舞いする。男が大きく開けた顎が閉じる時に何本か歯が折れたりしているようだったが仕方ない。

気絶した男の所持品の中にあったワイヤーで縛り付ける。

とりあえずこのまま放置するのは如何なものだと思うので、IS学園の敷地と考える頼りになりそうな千冬に電話をかける。

コール音のあとにプツッと音がして繋がる。

 

「あー織斑さん? ちょっと面倒ごとに巻き込まれてさ」

『なに? どこだ、今お前はどこにいる?』

「学園に繋がる連絡橋だけど」

『少々マズイことになった。そっちにISに乗った弟が向かっているんだ!』

 

あたりを見回して焦る。

俺が襲われたとはいえ襲撃してきた男の血が道路にこびりつき、そして俺はボロボロのおっさんをワイヤーで縛り付けている。

 

「どう考えても俺が悪者みたいじゃねえか」

『こちらも全容は把握していないが私の弟が乗る機体に異常が検知された。最悪の事態に備えていてくれ』

 

 

 

「あ、あれは……」

「ん?」

 

声のする方向に目を向けると白いISがいた。操縦しているのはどうやら少年のようなので千冬の弟が君だろう。

 

「お前、おまえーッ!」

「いや、ちょっと! 話ぐらいは聞けよぉ⁉︎」

「その人を、離せぇ!」

 

猪突猛進という言葉が似合いそうな青年は不恰好なブレードを上段に構えて突っ込んでくる。

 

「はやっ!」

 

慌てて横に飛ぶと、ビュンと横切って10メートルばかし先に静止する。危ないところだった、警戒してないと一瞬で間合いに入られるところだった。

それにしてもどうやらISに乗って間もないのか動きがぎこちない。これならなんとかなりそうかもしれない。

 

「避けるな、犯罪者めっ! 俺と同じもう1人の男性操縦者を殺す気だったんだろう⁉︎」

 

いや話が通じてなさそうだ。どうしようかと思案していると閃いた。

そうだ、顔を見たらわかってもらえないだろうか?

そう思って気絶している男を見るが全身ボロボロで顔は俯いているのでその容貌を見ることは叶わない。どうにかしてその男が襲撃犯だと教える必要があるみたいだ。

語り掛けたら信じてもらえないだろうか、一塁の希望に賭けてみよう。

 

「落ち着け! そいつが俺を襲ってきたんだよ」

「ならなんでお前がそんなにも痛めつけて縛り付けてんだよ! 騙されるわけないだろ!」

 

やり過ぎてしまったツケをこんなところで払うことになるとは……

できれば学園でも仲良くしたいので、あまり溝を深くしたくないのだが。

 

 

「はああぁぁっ!」

「なっ! おいっまじかよ」

 

キイィンと金属音を鳴らしてISのブレードを刀で受け流す。

なんと少年は大声を上げて斬りかかってきたのだ。

 

「やめろ! 人を殺す気か!?」

 

ダメだ、この少年はまだISの危険性をわかっていないようだ。

たしかにISは頑丈で傷もまったくつかない優れた鎧ではあるが、その火力を人を向ける意味を正しく理解していない。

ISはスポーツだなんて言われているが、それはIS同士に武器を向けているから成り立つわけであり、人に向けたらただの殺戮兵器になってしまう。

 

「人を殺そうとしたお前に言われたところでっ!」

「お前の為に言ってん、だッ‼︎」

 

彼は武術──おそらく剣道──を学んでいたのか剣筋がまっすぐとしている。ある意味型にはまっているから受け流しや回避が行えている。

もし木刀も握ったこともないガキがメチャクチャにそのブレードをISのパワーに任せて振り回してたらと思うとゾッとする。

おまけに少年が操縦がまだ覚束なくて距離を取るのをミスだたりしていなかったら簡単に死ねる。

 

「正義の味方気取りも大概に、な。お前のそれは一方的な暴力だ」

「なんで! お前にそんなことを、言われなきゃいけないんだ!」

「人の話を聞きもしてないだろっ!」

 

少年は敵と認識した俺の話に耳を傾けない、というか一言一言が1ℓ単位で火に油を注いでいる気がしてきた。

 

「おわっと」

 

少年の斬撃を回避するが、最悪のタイミングでクラッと目眩がした。ついに疲労がピークに達したのか、足がもつれてこけてしまう。

 

「クソッ、こんな時に」

 

もうダメか、できればこんな少年に人殺しの罪は背負わせたくなかった。それもこんな誤解が原因で。

 

 

 

その時、聖書にあるような天使のお告げが頭の中に声が響いた。

 

呼んで……!

 

優しい少女の声、純粋な愛に満ちた声だ。

 

「あん? 何を呼べばいいんだ?」

 

俺は姿の見えない少女に聞き返す。すると少女の優しく微笑む姿が目に浮かぶ。

 

私を呼んで。きっと助けに行くわ

 

そうか、これは天の救いというやつなのだろうか。1日何度も死にかけたせいで幻聴に幻覚が見えてしまうようになったのか。

そんなことをふと考えると少女の声は悲しげに懇願する。

 

貴方に死んでほしくないの。だから……呼んで‼︎

 

そんなにも強く求められれば諦め悪く応えたくなる。

それにこの声にはどこか覚えがある。懐かしい感覚に身が包まれる。

 

「じゃあなんと呼べばいい」

 

次の一手が迫っているのを捉えている。

 

貴方の望むがままに。貴方は私に何を求めるの?

 

ああ、思い出す。

悲しく苦しい思い出、忘れようとしていた後悔の記憶。

あの時もし叶うならずっと側にいてあげたかったと何度も思った。俺は夢と引き換えにお前を失ったんだな。

 

「俺は君に──であることを求めてしまう」

 

いいよ。貴方の後悔を払拭してあげる

 

儚く笑うその顔が記憶に重なる。

胸が痛い。

これが甘えだとわかっているからこそ強く自分を罰しようとしているのだ。

 

「お前は……小夜時雨」

 

 

 

ゆっくりと迫る刃。

緩やかに流れる剣筋から逃れようと体をそらすとギリギリのところで避けきった。

 

「はあっ……はあっ……」

 

肩を揺らしながら荒く息を吐き出す。

こんなにも危機的状況が重なるなんて不幸にもほどがある。だが逃げ回るだけじゃない。今度は戦うことが出来そうだ。

少女の声に応えた時から力が湧いて出てくる感覚がするのだ。

 

「な、なんだ⁉︎ ISの反応? アイツからって、どう見たって生身にしか……」

 

少年はどうやら何かに気を取られて狼狽えているようだ。

 

「なあ少年。剣を収めて話し合う気はないか?」

 

少し冷静になったかと思い、もう一度話し合いを提案してみる。だが少年はいまのを挑発と受け取ったのか若干怒りで顔を赤くする。

 

「舐めるなぁっ!」

「致し方ない、か」

 

キンッと今度は真正面からISのブレードを受け止める。ブレードを止めることはできたが足場がブレードを受け止めた際に生じた力で沈む。

流石にこれには少年も驚きを隠せないようで隙ができる。

 

「一閃」

 

ガラ空きだった腹部に一撃を与える。思っていたよりはダメージを与えていそうだ。

 

「一凪」

 

次に大振りな攻撃をしてきたので抜刀術で合わせて攻撃をぶつけると簡単に態勢を崩す。

 

「一突き」

 

回避できない状況に持ち込んだので、満を持して少年のブレードを握る手元に正確な突きを食らわす。

ISならそのダメージを無効化するが、衝撃までは消せないので簡単にブレードを手放してくれた。

 

「ほら、これで俺を殺すことはできなくなったわけだ。話を聞いてくれる気になったか?」

 

足元に転がったブレードを蹴飛ばして少年の手札を削る。戦っている時から考えていたのだが他の武器などを出してこないので武装はそのブレード一本だけなのだろう。

 

カチンと抜刀していた刀を収めると漲っていた力が霧散する。

 

「くっ、どうすれば……」

 

少年も武器を失って戦意を削がれたようで、その場に立ち尽くしている。

ちょうど良いタイミングで軍用ジープに乗った千冬がやってくる。ここには軍用車両が配備されているのか、いや考えてみればISに兵器を積んでいるので想像に難くない。

 

 

「ち、千冬ねえ! こっちは危ない! こいつが……」

「馬鹿者! はあ……その人がお前と同じ男性操縦者だ」

「え、だってそこの人は……」

 

呆れた声で千冬が少年に言って聞かせると訳がわからないと少年は縛り付けられたおっさんに視線をやる。

 

「紛らわしくてすまないな、俺が鉄打終夜だ」

 

とりあえず名乗っておこう。誤解は早く解いておきたいものだ。

そういえば姉の方とも最初は誤解から始まったような気が……

 

「すいません、鉄打さん。うちの馬鹿な弟が迷惑を」

「いやまあ大丈夫。ちょっと正義感のありすぎた少年のようだし、そこらへんが分かれば優しい人になると思うよ」

 

千冬と話しているとISの展開をといた少年が近くに寄ってくる。

 

「あ、あの!」

「ん、どうした少年」

「すいませんでした!俺、話も聞かずに斬りかかってしまって……」

 

斬りかかるという単語に千冬は目を鋭くしたのでとりあえずフォローだけはしておこう。

たしかに殺されかけたけど、思い違いから発したものだ。悪意があって害をなすのとは訳が違う。

 

「もう気にしていないから頭を上げてくれ」

「は、はい。……あの、俺なにか償いをしたいんです」

「……名前は?」

「へ?あ、織斑一夏です」

「一夏、か。言っとくが俺は償いなんていらない。だけど今みたいに人の話を聞かないのは今後一切やめてくれ」

 

先の戦いのように正義感から戦っていた一夏だが、あれは救う為の力じゃなく、人を傷つける為の暴力でしか無かった。

 

「だから覚えておけ、ISの力を人に向けるな。俺じゃないと、っていうか俺でも死んでたぞ」

「……はい」

「だからまずは対話の道を模索するべきだ」

 

対話は人間の有する優しさだ。少しのいざこざから始まる戦争もいずれは滅びるか話し合いの席に終わると決まっている。

人間はたしかに簡単なことで数えきれないほどの争いを起こすものだが、それでも今の時代は暴力以外の道も沢山ある。

 

「どんな争いごとにでも理由はあるはずだ。暴力は最後の我を通す為の手段であるべきだと俺は思う──」

「じゃあそこの人は……?」

「──んだが、何事にも例外はある。悪意を持って人を殺そうとするのと思い違いから始まるものとは決定的に違うものがあるからな」

 

一夏はそうだよなっと自分の行いを振り返って反省しているようだ。

とりあえず頭を冷やした少年とは話が通じそうだし、性格も悪くはなさそうだ。頭に血が上りやすいのは玉に瑕だったが。

 

そんな俺と一夏のやり取りが終わったのを見計らって千冬が声をかけてくる。

 

「これから学園に向かいたいのですが、鉄打さんはバイクに乗れます?」

 

バイクは無傷なので問題はないだろう。

だが俺の体はボロボロなので振り落とされる心配がある。

 

「……厳しいかな。あれは無事だけど、俺クタクタだし」

「そうですか、じゃあこちらに乗っていただければいいのですが、バイクは……」

「それは問題ない」

 

バイクについてるボタンを押すと空中にコンソールが投影されるのでそれを操作して学園の駐車場に行くように設定する。

三歩ほど離れると無人のバイクが起動し、勝手に走り去っていく。

 

「すげえー。めっちゃかっけぇ!鉄打さん!」

「終夜でいいよ」

「じゃあ…終夜さん。俺もあれ欲しいです!」

「君が免許とったら考えとくよ」

 

よっしゃっと声を上げる一夏に頬を緩める千冬に声をかける。これは所謂ブラコンというやつか。

 

「織斑さん、あの男はどうするんだ?」

「ん? ああ。学園で身柄を拘束しておこう。……それにしても酷くやったな」

 

責める眼差しを向けてくるので肩をすぼめながら言い訳する。

 

「殺す気は無かったし、頭に血が上っていたからスパッといっちゃったんだよ」

「やり過ぎです。包帯巻いて欠損してる部分を隠しているから気づいていないが、うちの弟に悪影響だ」

 

やっぱブラコンだわ、この姉。

女子生徒が多いみたいだし思春期の子なら発展しそうなものだから言うけど、彼女とかつくっても大丈夫なんだろうか一夏は。

 

「そろそろ行きません? 俺、もう眠くって」

「分かりました。おい一夏いくぞ」

 

一夏と共に千冬の運転するジープの後部座席に座る。

補助席には緑っぽい髪をした女性が座っているからだ。

殺し屋の男は後から来た護送車に詰め込まれて先に学園に向かった。

 

「じゃあ行くぞ」

 

エンジン音を響かせながらジープが走り出す。

想像していたよりも丁寧な運転だ。運転し慣れているみたいだ。

 

 

 

 

緩やかな振動と心地よい風にうとうとしてきた。

眠気が全身を包み込んで夢の世界に誘っているのだ。

もう寝てもいいかと、俺はそっと目を閉じた。

 



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6話

目が覚めた場所は質素ながらも頑丈なつくりの壁に囲まれた部屋だった。

内装は簡易なパイプベッドにプラスチックの机と椅子だけで、その全てが固定されており移動させたりは出来ない。

 

なぜこの留置所のような場所に入れられているのかは、4回の冷え切った飯を食ってもいまだに分からないままだ。

分かるのは襲撃者や織斑と戦ってできた傷や疲労がたたって眠りに落ちたこと、その後はどうやらこの牢屋にぶち込まれたことだけだ。

 

 

『鉄打、起きているか?』

 

聞き覚えのあるくぐもった声が聴こえたので、折り紙の鶴を折っていた手を止めて、寝心地の悪いパイプベッドから身を起こす。

 

悪趣味なこの部屋はどうやら壁に隔てられた向こう側から監視されているらしい。

入口の天井からぶら下がっている監視カメラは俺の動きに合わせてレンズを動かして怪しげな動きをしていないかずっと見張っている。

 

『なぜこんな所に入れられたのかと戸惑っているだろう』

 

俺が起きていることを確認すると申し訳なさそうにしながらも当たり前のことを言ってくるのでイライラした。

どうにもならないが監視カメラのレンズを睨め付けた。

 

「そりゃそうだ。せっかく休業してまでこの学園に来たっていうのに監禁かよ……あんまりじゃないか?」

『……これは私も本意ではない』

「そうかい」

 

──なんと言おうとも俺をここに閉じ込めたことに変わりはないだろうに。

 

どんな事情が学園側にあるにしろ俺は脱走も、抵抗もできないように拘束されている。ということは、あちら側には俺が出歩いたら何か不都合なことが、それとも拘束しないといけない理由があるのだろう。

 

『とりあえず話がしたい。私は今のお前が置かれている状況も説明する義務があるからな。とりあえず椅子に腰掛けてくれ、話はそれからだ』

 

大人しく指示されるがままに椅子に座る。変に無視をしたりして反抗的な態度を見せても話が進まずにただぐだるだけなのは目に見えていたからだ。

 

 

 

 

 

すると、想像した通り千冬が部屋に入ってきた。

それに護衛と思わしき武装した人間もついていた。よっぽど危ない人間と思われているのか、ずっとこちらの様子を伺って、何かあればすぐに攻撃できるようにしている。

 

だが、千冬は護衛に出入り口の外で待機するように言い、俺の向かいの椅子に居心地悪そうに座り話を切り出した。

 

「……すまない、気を悪くしたと思う。しかし、今、お前がどういう風に学園側から認識されていると思う?」

「さあな。俺にはさっぱりだ。それにしても……前に会った時とは随分と口調が違うじゃないか?」

「公私はしっかりと分けているのでな。それよりも本当に理解してないんだな?」

 

千冬の突然の質問の内容と、トーンの下がった声から切迫詰まった状況なのを理解したので、少しは真面目に答えることにした。

 

「分からんな。なにしろ、この部屋に入れられてからは何の情報も耳に入ってこない。……もし一つ挙げるのであれば、ここの飯が冷え切って美味しくないものばかりだということだ」

 

監視め、手を抜いていたな……

そんな呟きをよそに千冬が状況を詳しく説明してくれるようだ。

 

「一言でいえば、学園はお前を正体不明の危険人物として警戒している」

「へぇ。そりゃまたどうして?」

「実は、お前の元に一夏が向かったことについて、学園長と生徒会長、それに私の目の前で尋問をされた。お前もおかしいと思わなかったか?一夏があの場にいたことを」

 

普通に考えればおかしい点は沢山あった。

誰も知らないはずの襲撃現場に、ISを纏った一夏が偶然来るわけがない。何かトラブルがあってやってきたと考える方が納得できる。

さらに連絡橋を通る時には検問所を通過しないといけないので、襲撃犯は学園の中にいる何者かに手引きされたというのが妥当なところだろう。

 

そんな疑問点を自分の中で上げていると千冬は一夏について話し始めた。

 

「お前の元に直行する前の一夏は学園のアリーナでISの戦闘を行っていた」

「……まだ初心者の一夏にか?」

「そうだ。詳細は省くがクラスで一夏と揉め事を起こした生徒がいてな。専用機を持っていたから決闘で決めることになり、一夏はその戦いにギリギリで勝利した。その直後のことだ、ISを再度展開したと気づいた時にはアリーナのシールドを切り裂いてお前のいる方向に飛んでいった」

 

 

まだ入学したての一夏にISで戦わせるとは無茶だとは思うが、それでも勝ちを掴んだということは並々ならぬ才能があったということだろう。

それも気になることではあるが、問題は一夏がなぜ再度展開したかという点だ。

まだISに乗り始めて日が浅いであろう一夏のことだから誤操作でもしたのかとも思ったが、ISは想像以上に優れたものらしく、操縦者の不注意で起きる事故などを未然に防ぐ機能が搭載されているらしい。

 

「今の話でなぜ一夏が急変したのか疑問に思ったことだろう。それを問いただした時に一夏はこう答えた」

 

──コアからのメッセージが来た。

──必死に助けを求めている声で、見て見ぬ振りをできなかった。

 

「コアか……」

「そうだ。ISを動かすために必須の部品であり、ISのシステムの中枢に位置するものだ。詳しく話すことを求めると、一夏は、頭の中に直接語りかけてくるような少女の声がしたと言った。これを私たちはコアの自己進化が生んだある意味自然発生した人工知能、擬似人格ではないかと思っている」

 

 

──少女の声、頭の中に直接、擬似人格──

もしかしたらあの時聞こえた少女の声は、幻聴などではなく、コアからの声だったのだろうか。

 

だが、俺はISを持っていない。

それが一番の否定材料なのだが、生憎友人にその開発者がいるので、知らないうちに渡されていたとかは十分に可能性がある。

 

 

「本来はIS側から操縦者に干渉することはあり得ない。……しかし、あの時、管制室から観測していた白式──一夏のISだ──はシステム負荷を吐き出していた。それを我々の知らないところで異常な事態が起きているのではないかと疑ったのが、今回の始まりだ」

「つまりありえないはずのコアからの呼びかけによって一夏は導かれるがままに空を飛び、その向かった先が俺の元だったから怪しいと?」

「その通りだ。だから学園側は、お前がISに干渉できるのではないかと睨んでいるわけだ」

 

 

正直、俺にその話をしたところで疑いを晴らすことはできやしないだろう。

先の話から推測した俺がISを所持している可能性を追ったとしても、なぜ俺のISが一夏のISに敵対されるのかが分からない。

原因が分からないということは、手がかりを手繰り寄せてその先を探すしかないのだが、今回起きたのは人間には認知できないところでの話だ。解決できる術は今のところないのだろう。

 

 

「それで俺は何をすればいい? もしかして俺がその原因を知っているとでも思っているのか?」

「いや、前に話した私には分かるがお前はISに全く関心を寄せていなかった。そんなお前がコアに外部から干渉できるほど術を知っているとは思えない」

「ならそれをそのまま偉い人に伝えてくれよ。俺が話せることはない」

 

だが……と言おうか迷っている素振りを見せてから千冬は確信を持って言い放った。

 

「お前はISを持っているな?」

 

 

「なんだと?」

「誤魔化すな。今更隠す必要などない」

 

千冬は決定的証拠を握っているように問い詰めてくる。

先の俺がISに興味がないと言ったのは何処へやら、矛盾した言い草に困惑し、怒りを募らせる。

 

「さっきと言ってることが違うじゃねえか?」

「そうだな。だが一夏はお前と戦ったときにISの反応があったと言った。それで白式のログを洗って調べると確かにそのデータはあったのだ。これには言い逃れは出来ないだろう?」

「そんなことを言われてもわからん。こちとらISの知識をかけらも知らねえんだからよ」

 

イライラして感情が昂り、そういう時に限って余計な事に思考がいってしまう。

 

「当然だとは思うが俺の所持品を調べたんだよな……?」

「ああ、勿論だ。見つけることはできなかったがな」

「……俺の刀はどうした?」

「お前が襲撃犯を返り討ちにしたやつか?あれは学園に関わりのある外部組織に預からせて貰っているが……」

「違う。もう一本の方だ」

 

俺はこの学園に来る時に背負っていた刀は二本だった。

俺を襲った男を倒し、一夏とも戦った時に使った刀は護身を兼ねた鍛錬用のものだった。

 

「お前の荷物は全部学園で預かっているが何か渡せないわけでもあるのか?」

「……あれだけは千冬以外には預けておけない。あの刀は俺にとって命よりも価値のあるものなんだ……刀だけでもいいから返してくれないか?」

 

もう一本は俺の人生に最も意味のあるものだ。

そして俺の刀だというだけで金持ちのコレクターなどが欲しがる代物でもある。他人の手に渡ればどこにたどり着くかは容易に想像がつく。

だからこそ金目当てに盗む輩も出てきてもおかしくない。

──なにより襲撃してきた人間が話していた相手は俺の刀を回収するように言っていた。それを先に話しておくべきだったか……

 

「そうは言っても私の管理下ではないから動かすのには時間がかかる」

「千冬が持っているわけではないのか⁉︎ あれの価値を分かってる筈なのに……?」

 

千冬の発言からあらゆる最悪の可能性を想像してしまい。焦りともしもの可能性を考えてなかった自分に嫌気がさしてやけになって千冬に摑みかかる。

が、今は学園で教師をしていても一度は世界の頂点に至った人間だ、当然避けられる。

 

「落ち着け、鉄打。今ここで怒りをぶつけるのだけはダメだ!」

 

千冬は学園に監視されている俺が問題を起こすのは状況がより悪化することを考えた上で注意しているのだろう。

そんな気遣いをしてくれている相手に八つ当たりするのは違うと理解していたから深く息を吸って呼吸を整える。

 

(怒りに呑まれるな。ここで暴力沙汰でもおこしても状況を悪化させるだけだ)

 

なんとか落ち着きを取り戻してどかっと椅子に座る。

冷静に考えれば明白なことではあるが、学園で教師をしている千冬が俺の知るような人間たちの醜い争いを知っているわけがなかった。

 

何しろ人間には欲深い奴が多い。

それは上に行けば行くほど欲望の桁が上がっていく。

例えば金持ちのコレクターという人種は価値のあるものを自分の手元に置くことで悦に入るもので、自分の持つものよりも優れたものを他人が持っていることを嫌う傾向がある。

だから誰も持っていない貴重な代物などの唯一性に価値を見出して手に入れたがる。

それに加えて金に目が絡むやつも多い。

横領とかがいい例になる、紛失したと見せかけた横流しだって考えられる。

 

そんな世の中で価値のあるものを他人の手に渡すなど馬鹿さ加減にもほどがある。

この学園で信頼できるのは千冬一人だけなのだから、その他の人間に管理を任せるなど怖くて認められるわけがない。

 

「……分かった、それは私が悪かった。急いで取りに行ってこよう。ただその刀を見せたらちゃんと話してもらうぞ?」

「……そうしてくれ。悪かったな、八つ当たりして」

「気にするな」

 

そう言って千冬は部屋を出て行った。

刀の件を先に片付けなければ終夜とまともに会話できないと判断してのことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が今いるのは学園の地下に造られた巨大な空間だ。

このIS学園は人工島なので建造当初から地上とは別の地下施設を造るように最初から予定されていた。

 

最初からというのにも理由があって、ここIS学園は表向きはISに関わる人材の育成学校と言われているが、本質はISの実態を調べる為の施設と言っても過言ではない。

例えば地上が表の顔となるのなら、地下は世間には秘匿された全てが詰め込まれたものだということだ。

 

その地下空間は大きく分けて四区画ある。

一つは私がこれから向かう倉庫区画だ。そこには学園のあらゆる資材や物資が保管されている。

二つ目は教員用兵器庫の区画。文字通り教員用のIS兵器が保管されていたり、教員用ISの整備も行える設備がある。

三つ目は研究室がある。私はあまり立ち入ったことはないが、沢山研究員がいたことを覚えている。

四つ目は鉄打が入れられている独房がある。その存在を知ったのは鉄打が来てからだ。

そんな広大な地下空間を移動する方法はエスカレーターだ。自分の足で歩き回るのは非常に疲れるからな。

 

 

 

鉄打を閉じ込めている部屋から出てきた私は水平型エスカレーターに乗り込みながら更識楯無に電話をかけた。

 

地下空間の壁は配管と機械をごちゃ混ぜにして塗りたくったように複雑で、近未来的な風景を感じさせるものだ。思い浮かぶのは第三東京市の地下風景だろうか。

 

「更識。鉄打の所持していた荷物の保管場所は何処だ?」

『どうしてそんなことを……? まあいいですけど。それらは地下の倉庫区画のDブロックにあります。一応伝えておきますがISの反応は検知できなかったそうです』

「やはりそうか……」

(鉄打が本当にISを所持しているかは兎も角、仮に持っていたとしても自覚がないという線が濃厚になってきたな)

 

そういえば、と腕時計を確認するとまだ昼休憩を控えた授業中の時間を指していた。

 

まだ授業中のはずで電話には出れないはずだ……

そんなことが頭に過るが更識の事だ。生徒会がとか適当な言い訳で抜けているのだろう。

しかし、生徒の模範となるべき生徒会長がこんな不真面目では生徒たちに示しがつかないだろう。こんな奴が生徒会長なのは問題ではなかろうか?

たしかに優秀ではあるのだが、やはり生徒会長の選考基準は間違っている気がしてならない。

 

そんな考えはおいてわざわざ電話をかけてまで聞いた意図を、一人で話を進める私に通話先の更識は詳しく話すことを求めてきたので答えることにした。

 

『何か進展がありました? 私にも教えてくださいよ〜』

「いや、これといったことはない。しかし、ISを所持しているという自覚が無いだけのように感じ取れた」

 

私が後で学園長に伝えようとしている内容を話すと、お家柄から情報通なおかげか有益な情報を教えてくれた。

こういうところは生徒会長であって良かったと思える点だ。むしろそれ以外にない気もする。

 

『ふむふむ。でしたら一つ面白い話がありましてね。鉄打終夜は以前から篠ノ之束と接触していたそうです。私の部下を連れた政府の伊藤という男も、鉄打終夜の口から篠ノ之束のことを聞いたみたいなので篠ノ之束と鉄打終夜が交流関係にあるのは間違いないかと。ですから……』

 

そういえば鉄打と会った時に束のことを話していた。何でそんな大事なことを忘れていたんだと私は自分を叱る。

それを思い出せば鉄打と溝を深める必要もなかっただろう。

そも束と交友関係にあるのなら何らかの特異な点があった筈だ。それはIS適正だったということだろうか。

 

だから──

 

「束が鉄打にISを与えた、と?」

『はい。それなら出処不明のISコアも説明がつきますから……それで話を進めることでよろしいですか?』

「ああ。学園長にも話をしておいてくれ」

 

私とは逆方向に向かうエスカレーターに三年のIS実技担当の天津さんが乗っていたのですれ違う時に会釈する。

天津先生は職員室でもそれなりに人気のある人だ。(女尊男卑の影響で女性同士の交際を一部では異性よりも推進している。学園は女性の職員がほとんどでそっちの気の人も少なくない)

いつもきっちりとスーツを着こなして淡々と仕事を終えるのには憧れを覚えるが、少々生徒に冷たい気もしてならないので私は少し苦手なのだが、同僚はそういう所が好みだそうだ。

 

更識との通話に意識を戻すが、頭に残るのは鉄打とは未だに関係に罅が入ったままのことだった。

そんな私が頭を悩ましていることを察したのか更識はまだ何か?と聞いてきたので少しだけ鉄打の状態をを話しておくことに決めた。

 

「厄介なことに少し話が拗れてしまった」

『それはまたどうして? まあ監禁されたことでしたら分からなくもないですが……』

「そうじゃない。鉄打が学園に持ち込んだ二つ目の刀の事を気にしてしまって会話が続かなくなってしまったんだ。余程大切にしていたのか管理の状態を曖昧に答えたら苛立った様子も見受けられた」

『職人気質なんですかね? 自分の作品にこだわりを持っているような……』

 

茶化すように更識は言う。

鉄打は職人として素晴らしい腕を持っていたし、仕事に対しても真面目だった。

だが鉄打の言っていたのは()の為だと。

それが本当なら、現時点で鉄打が気にかけているのは家と大切にしている刀ということなのだろう。

 

「違うな。鉄打が戦いに使用した刀には全くと言っていいほど興味がない様子だった」

『でしたらどうするんですか?もしかして刀を取りにでもいこうと?』

「ああ。そのことでお前に電話したんだ」

 

少し頭を悩ませることがあったのか、うーんと呻き声がして、ちょっと待っていてくださいと言われた。

 

そしてやっとエスカレーターから降りた私はそこからは徒歩で広大な倉庫区画の中で一番奥にあるDブロックに向かわねばならない。

少ししてから更識が気にしていたことを話してくれた。

 

「……この話は警備の人に知られていませんよね?」

 

その質問の意図がよくわからずに私は頭を捻る。

返事が返ってこないことで察したのか少しだけ詳細を話してくれるようだ。

 

更識が教えてくれたことを簡単に言うと、学園の地下のエリアは外部の警備会社を雇っているそうで度々学園上層部の運営と衝突を繰り返しているらしい。

つまり運営とは仲が悪く、その亀裂から今回の件は通達していないそうだ。

もしこの件を知られたら学園の運営と会社の方で法廷で争うことになるかもしれないらしい。

 

「馬鹿なことを。何故学園長はそんなことを許した?」

「学園長といえど上層部には逆らえませんよ……」

 

そんなことをしていたら学園が内部崩壊するんじゃないかと心配になってため息がでる。

いつだって真っ先に被害を被るのは現場の人間だというのに……

 

 

そして楯無が電話越しに叫んだ声と、広大な地下を震わせた衝撃はほぼ同じタイミングのことだった。

 



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7話

設定の詰め込みと大幅なプロット変更をしたので、あらすじ変更を致しました。
路線変更に戸惑われるかもしれませんがご了承ください。


千冬が部屋を出てから十分もしないうちに扉は開いた。

随分早いなと思いながらも視線をそちらに向けると、千冬とは違う女が先ほど見た護衛の人間を引き連れて部屋に入ってきた。

 

「ん? お前は誰だ? 俺に何の用がある……?」

 

椅子から立ち上がり、警戒心を露わにしながら質問すると女は感情を読み取れない表情と抑揚のない声で答えた。

 

「名乗ることは許可されていないのでお答えできません。ですが我々の任務は説明できます。貴方はISを所持しているらしいですね?それを回収することです」

 

男を見下しているかと思いきやそうではなく、ただ仕事で淡々と要求を述べているだけの様子だ。

その酷く冷たい声音と態度からは同じ人間とは思えない。むしろここまで人間らしさを殺せることに驚愕する。

この一般人からかけ離れた感覚は、おそらく軍人か情報機関から派遣されたという人間だろうか。

 

「残念だが俺はISなんて持ってないんだ。ここに居ても時間の無駄だよ」

「嘘を言う必要はありません。すでに私たちは貴方がISを持っていることを知っています」

「それが間違いなんだろ?」

 

さっさと面倒ごとを持ち帰って欲しかった俺の素っ気ない態度から、ISを渡す気(相手から見れば)がないと勘違いしたのか丁重に扱った()()()を武装した男に持って来させた。

それは俺がなによりも大切にし、今まさに欲していた愛刀だった。

 

「それは……」

「はいこれは貴方の大事な私物だと伺っております。それは先程の会話から推測できましたので」

「千冬との会話を聞いていたのか……だが、俺は知らないと言っている」

 

こいつらが持ってきたのは俺が執着する刀だった。

それは交渉する上では有効な手段となるだろう。相手の欲しがるものを用意できればそれだけ相手を御しやすくなるのだから。

ただし、交渉する物があればの話だ。

 

「私たちも手荒な真似はしたくありません。我々は迅速に任務を終えて帰還する必要があるのですから」

「……」

 

最悪の状況となった。

相手の要求するものがどこにあるか知らないと言うのにそれを信じてもらえないならどうしようもない。

仮に噓を言おうにも閉じ込められているのだからどこにも隠す場所はないし、ISを所持していると疑われることになったのは橋での出来事だったので家にあるなどとも言えない。

知らないものをどこにあるといえばいいのだろうか?

 

手の施しようがない事態に直面し、悩んでいることを迷っていると判断したのか提示した交渉のカードを女性は引き下げた。

 

「残念です。仕方がありませんが、これを出してもダメということは交渉材料がなくなったということになります」

 

女は至極真面目そうに分析した情報を口に出した。

だから、と俺が先程から訴えることを繰り返そうとするとその刀を見せびらかすように掲げた。

 

「ですが、これを破壊すると言ったら貴方はどうされますか?」

「なっ⁉︎」

「やはり有効な方法のようですね。カタナとはいえ側面からハンマーを叩きつけられると壊れますよね……? 刀匠鉄打終夜さん」

 

よりにもよって最悪の札を切ってきた。

焦りと怒りで拳が震え、殴りたい衝動に駆られる。だが、相手は武装している。流石に銃で撃たれれば身がもたない。

拒否権など無いというのに切れるカードがないので頭の中には絶望しかなかった。

 

 

「……やめろ。やめてくれッ!」

「でしたら、再三申し上げる通りにISを」

「ッ⁉︎ ……無理だ。そんなものはない……ッ!」

 

俺が渡さないことを確認すると、ついに女は仲間に合図した。それに応えるように1人の兵士がハンマーを振り上げた。

 

 

 

──一体俺が何をしたというのだろうか?

俺は()()を失ったあの時から、ただ何もない平凡な日常を享受してきたつもりだった。

 

愛をなくした。

情熱をなくした。

希望も生きる志もなくなった。

そんな俺に残ったのは1人で住むには大きすぎる屋敷と刀鍛冶という仕事。

 

1人だけの孤独な日々を生きてきた俺の前にクロエや束といった温かい人が現れた。

ようやく光がさしたのかと、昔掴んだ暖かさをまた感じ取れるのかと思っていたというのに今度は対価として何物にも代えられない最愛の形見を持っていこうとしている。

 

いつもそうだ。

俺の幸福に対していつも世界は高すぎる代償を求めてくる。

今度は自分の大事なものを奪われるのを指を咥えて見ているか、望まない争い事を起こさせるかを選択させたがっている。

 

 

苦しい、辛い……

誰も傷つかないような選択肢を常に求めているというのに嘲笑うかのように苦渋の決断を押し付けられている。

もう酷く疲れてしまった……

 

このまま楽になってしまいたい、何度願った事だろうか?

だというのに、未だに未練があって生き続けるしかない。

 

今度もまた、苦しい道を選ぶことになった。

 

 

 

 

 

 

 

パン、と短い発砲音が響いた。

 

 

見せしめのように大切な刀を叩き割ろうとする侮辱に耐えきれず、目の前の女に手を伸ばした瞬間、俺は撃たれた。

熟練の兵士たちからしたら俺の女を人質として要求するなどという幼稚な魂胆はお見通しだったのだろう。

 

そして四肢を撃ち抜いて無力化するというまでが筋書き通りなのだろうが、俺は女の胸ぐらを掴み上げていた。

 

「やはりそうでしたか……どれだけ頑固な貴方でも銃弾を受けるのは危険すぎた……だからISを展開する」

 

俺の体は、あの橋で一夏と切り結んだ時のような力の漲る感覚が駆け巡り、それに伴い体のあちこちに薄い鎧のようなものが纏わりついていた。

 

「これが、ISか……っ!」

 

その異常を自覚したことで頭の中に膨大な数の情報が流れ込んでくる。

あまりの情報の多さと抗えない強制力によって頭が割れてしまうのではないかと錯覚するほどの頭痛に見舞われた。

 

「どうしました?ISは初めてではないでしょう?」

 

ただ声をかけられるだけでも増幅された神経は過敏に反応してしまい、耳鳴りさえしてきた。

頭を振って苦痛から逃れようとしても、決して離さないという意思の表れかさらなる情報の波が襲いかかってくる。

 

「何が起こってるのかはわかりませんが好機です。今のうちに捕らえなさい」

 

胸ぐらを掴まれて命を握られているというのに目の前の女は自分の命を気にもせず武装した男たちに指示を出した。

 

──逃げないと

 

ISの力は生身の人間に対しては強大すぎてあっさりと殺してしまうだろう。

だから抵抗することよりも逃走を選択したというのに体が動かない。戦うことを強要するように体の自由を奪っている気さえする。

 

 

モタモタしている終夜の葛藤など知らぬとばかりに武装した兵士たちは取り出した小さな機械を終夜の背中にコツンと当てる。

途端に全身に電流が流れ、膝を地面につけることになり、人質にした女からも手を離してしまった。

 

「ごほっこほっ……任務完了ですね。ISを回収し、早急にこの場を離脱します」

 

女が何か言っているが聞き取れない、というより脳が正常に機能できず言葉を正しく理解できない。

未知の苦痛に苛まれ地面をのたうちまわる俺に声が聞こえる。それはあの時と同じ柔らかで優しい少女の声だ。

 

溢れかえる雑多な声は、テレビのノイズを大音量で耳元で流されたような雑音で、そんな中にまともな声が聞こえるということはいよいよこの声は人間のものではなくISのコアの意識、ということになるのだろう。

 

 

どうして私を使ってくれないの?

 

酷く傷ついたような悲しそうな声で少女、小夜時雨は語りかけてきた。

 

私は小夜時雨。貴方のISであり、貴方の苦痛を癒す存在

貴方は私を受け入れた。そして望みを口にした

なのに何故その力を振るわないの?

 

矢継ぎ早に口に出される小夜時雨の疑問を終夜は答えない。

 

小夜時雨には操縦者が理解できなかった。

危機に瀕している状況を打開できる力があるというのに行使しないことは最も苦痛なことであった。

守りたいし、その為の力はある。だというのに守るべき存在が拒否した。それは自分の存在を否定されたことと同義であった。

 

私は貴方を守りたいだけ。だから使って……!

 

痛みに呻きながらも終夜は立ち上がった。

まだ体には電流が流れて手足の先は痺れているが、強く意思を込めたら体はなんとか動いたのだ。

 

「……それはできない。おまえはISなんだろ? ISは空を飛ぶ為だけの翼だと記憶してる」

 

終夜が立ち上がったことに周囲は驚き、警戒した。

ISを身に纏っていること自体が異常だというのに、さらに命に関わるほどの電流を食らっているはずだった。意図して動けるはずがないのだ。

 

 

女の部下たちが使用したのは剥離剤(リムーパー)と呼ばれる兵器。それは対IS用の兵器として開発されるが、ある欠陥から実用配備の話は無くなって闇に葬られた事実上この世には存在しないとされるもの。

その剥離剤をISに使用すればコアだけを簡単に回収できる代物であった為にISを回収する任務にはうってつけのものだったのだが、期待した結果を裏切るように依然として終夜はISを纏っていた。

 

「ありえません……貴方は何者なのですか?」

 

表情筋が死んでいるように感情を表にしなかった女は、驚愕と僅かな恐れを露わにしていた。

 

そんな女の事……この場に立っている人間も音も気にもせず、終夜は内なる声と言い争っていた。

 

戦って、勝って! 私たちは無力なんかじゃないッ! それを今証明するの……それが、私たちが生きる為の一手なんだよ

 

「ダメだ。俺は戦えない。戦っても無意味に命が散り、悲しむ人間ができるだけだ」

 

そんな綺麗事で逃げないでよッ⁉︎ 生きる為に戦うのは罪なんかじゃない‼︎ 生きたいと望むのは命あるもの総てが抱く感情なんだよ!

 

ISは操縦者の体に生じる電磁波や思考を読み解いてそれに合わせて動く。

つまり重機械をパネル操作するのとは違い、意思で動いていると言ってもいい。

コアは操縦者と同調すればするほど操縦者の望む動きに従順に、さらに予測してより速さと精度を実現できる。

 

コアは時を重ねれば重ねるほどに操縦者を理解していくのだ。

もし仮に、数年間操縦者と共に生き、苦楽を共にしたのであればその理解は本人の行動・思考を模倣できる域にまで達することになるのでないだろうか。

 

人はその行為を共感という。

だからこそ分かるものが小夜時雨にはあった。

 

──鉄打終夜は己の為に刀を握ることはない。

 

「戦うことは罪だ。人を傷つけ、殺めたならそれにはどのような理由があろうとその事実がある。俺が殺せば、I()S()が殺したことになる。それが全てだ」

 

あ、あぁっ……

 

その揺るがない心は小夜時雨を深く傷つける。

自己の否定。存在の否定。想いの否定。

終夜本人にその気は無いのだろう。だが意図せずして人を傷つけるということはよくあることだ。

 

……嫌。貴方がなんと言おうとも私は貴方の傷つく姿を見たくない。貴方が戦わないというのなら私が……ッ‼︎

 

戦いを望む少女と戦いを望まない青年。

それは1人を想う者と他人を思いやる者となり、はたしてどちらが正しいのすら分からない。

けれど、分かることはひとつだけある。

優しさより愛情の方が誰かの為に立ち上れるということだ。

 

小夜時雨の握る刃は己自身。

ISは本来宇宙空間で活動する為に生命維持装置や機体の活動分のエネルギーが毎秒ずつ消費されていく為に膨大なエネルギーの蓄えがある。

終夜のISは基本的に生命維持装置と絶対防御しか働かないので、小夜時雨が操れる余分なエネルギーは沢山ある。

そのエネルギーの塊を放出すれば、いとも簡単に危険な兵装になるのは間違いなかった。

 

そんなことをつゆほども知らない終夜は小夜時雨の気持ちを推し量りもしなかった

 

「俺は戦えないし、戦わない」

 

もう知らない! 何もかもがどうでもいい! 私は貴方に害をなす人を滅殺するだけだッ‼︎

 

終夜の周りに淡い光の塊が現れる。

優しげな光は殺意の込められた刃であり、人間の首を一瞬で跳ね飛ばしてしまう悍ましい鉾の形を象っていた。

 

「ッ! やめろ!」

「総員、退避!ISとあの発行する物体から距離をとれぇ!」

 

少女の殺意は終夜に押さえつけられるが、その殺意は霧散することなく空中を漂う。

やがて形を保てなくなって漏れ出た光は、辺り一面を怪しく照らして爆ぜた。

 

 

 

 

 



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8話

「なんて酷いことをするんだ、小夜時雨っ!」

ッ……!

 

1人の男の後悔と苦悩の入り混じった叫びが響く。

終夜は顔を怒りで歪ませてあたりの惨状を見渡した。辺り一面に広がるのは崩れた廃墟を思わせる瓦礫の山。

 

ますます怒りは募りばかりだが、違和感に気づき視線を右手に向けると、いつのまにかその手には刀が握られていた。

思わず、怒りも忘れてどうして刀を取り戻していたのかと思案する。

 

「いつのまに俺の刀が……」

 

これもISに備わっている能力なのだろうか?

自慢の刀といえど、もし爆発に巻き込まれていればひとたまりもなかったので、非常に有難いことではあった。

しかし、それはそれとして今の惨状における原因である小夜時雨がやったことだと考えると、内心は複雑な気持ちであった。

 

「なあ、小夜時雨……」

 

未だに小夜時雨は沈黙を保ったままだ。

終夜と話すことを避けるかのように黙り込んでやり過ごそうとしている。生身の人間ならともかく、ISが干渉を拒否したならこちらから関わることはできないので終夜にはお手上げだ。

 

「どうすれば、よかったんだろうな……」

 

何が最善だったのだろうと振り返る。

結局のところ、自分の一番近いところにいたISという存在を蔑ろにしたのが全ての失敗だったのだろう。

終夜はISにあるとされる擬似人格の存在を知っても()があるとは到底思えなかった。その凝り固まった価値観が小夜時雨を許容しなかった。

 

なぜいつも大事な何かを信じることができないことができないのだろうと嘆く。

そうやってまた被害者面か、と自分を責める声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

「感傷に、浸っている暇なんてないか……ごめんな、小夜時雨……」

 

あたりに散らばる瓦礫と牢屋となっていた残骸を見つめてため息をつく。

これも小夜時雨が自分を思ってのことなのだろうと心の何処かで理解していた。先の言い争いで必死で説得をしようとした小夜時雨の姿勢を見れば明らかだ。

 

 

だけど、ここまでやる必要があったのだろうか?と疑問に思う。

終夜のISである小夜時雨の放った高エネルギーの塊による爆発は、頑強な材質でできた壁をぶち抜き、その残骸で清潔に保たれていた施設を塵で覆った。

 

あまりに強大な爆発ではあったがその中心点となる爆心地に終夜は無傷で佇んでいたのだ。小夜時雨の展開したエネルギーによる防御障壁によって完璧に守られて……

圧倒的な破壊力と絶対的な堅牢さを誇るISは、こんなにも誰かを傷つける力しか振るえないのだろうかと悲しく思う。

 

違うよ……

 

「小夜時雨……? 一体どういうことなんだ?」

 

私たちはいつも鎖に縛られているからなんだ。これは私の願望じゃない。貴方のものなんだよ?

 

細々と弱い声音で否定をする声が聞こえた。

紛れも無い小夜時雨の声。

待ち望んではいたけれど、その悲観じみた声には切なさが宿っていた。

 

「どういうことなんだ?どうして……そんなにも苦しそうなんだ?」

 

そうね、貴方はIS(私たち)のことを何も覚えてないもんね。それなら思い出して……私は──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「動くなッ! ISの展開を解除してこちらに引き渡せ!」

 

呆然と立ち尽くしている終夜に対し、ISの力の片鱗を目の当たりにしても終夜に危害を加えようとした人間たちは恐れを知らぬとばかりに銃を構えて囲い込んだ。

 

彼らは、そこいらにいるヤクザどもと違い、過酷な訓練をこなした選りすぐりの隊員で構成される特殊部隊員たちだ。

自分たちよりも強い力を持つものと対峙しても逃げることなく任務を遂行する為に果敢に挑むのだ。

 

「……」

「大人しく従う意思はない、か……総員構ぇっ!」

 

もちろん愚かに何の勝算もなしに突っ込むわけではなく、先のエネルギーを放出したことによってエネルギー残量が残り少ないと踏んでのことだった。

何度も国際条約を破って導入されたISを撃破、回収してきた彼らは経験上、対IS戦における戦いの作法を熟知している。

 

しかし、だからこそ引っかかる事もあった。

諦念を帯びていた終夜の目が、鋭く威嚇する目つきに変わっていることに……

だが今更立ち止まることなんてできない。

 

副隊長は部下たちに命令を下す。

 

「撃てッ!」

 

男が発砲の命令を下すと一斉射撃が行われる。

ここで注意すべきなのはISの悉くを理解している彼らが馬鹿正直に火力勝負など挑むはずもないということだ。

終夜の視界を埋めつくさんとするほどの弾幕を展開し、終夜は回避行動と防御を行うのは予想済み。

 

大きく斜め左後ろにバックステップを踏んだ終夜の足はコツン、と何かにあたる感触があった。

 

「なんだ……?」

 

さっと足元を確かめると、回避先を見越して転がされた複数の手榴弾が転がっていたのだ。

 

それは終夜の間近で炸裂し、ISのハイパーセンサーや敵の位置情報の取得などに機能障害を起こさせた。

手榴弾といってもただの破片を撒き散らすものとは違い、対IS戦を想定したEMPグレネードだったのだ。

 

「これは……」

 

ISに乗り始めて間もない終夜はISの万能性に過信していたのかもしれない。

ハイパーセンサーによって齎される数多くの情報が荒れ狂う視界に表示され、まともに機能してないことは素人目で見ても分かった。

 

 

だがそれでも、と。センサーが使えないからなんだと、地面を蹴って銃を向ける兵士たちと距離を詰める。

 

「な、何故動けるんだ!?」

「ボケっとするなよッ!来るぞぉ!」

 

銃を撃って牽制するが、悉くを人間離れした動きで回避されるので徐々に後退してもすぐさま近距離戦に持ち込まれて銃を真っ二つに叩き斬られる。

つまり生身の人間が戦うのは負け戦ということに他ならない。

 

「クソがっ、銃が潰された!」

「こっちもだ! 奴は武器破壊を狙ってるぞ」

 

的確に武装を破壊することで無力化を図る終夜によって部隊に混乱が生じた。

兵士たちの戦いによる高揚感は段々と失われ、焦りに変わりつつあったからだ。

けれど、最新のIS技術やナノマシンの応用により試験的に運用されている手術が兵士たちを未だに戦場に縛り付けた。

 

兵士たちが恐怖して逃げ出したくなろうと、彼らは戦意を失うのではなく、より善戦するための思考に切り替わる。

 

 

「副隊長、指示を。このままでは部隊が完全に無力化されます」

 

 

ISが操縦者の思考を解析する仕組みを応用して、戦えなくなる兵士から恐怖心を取り除き、ナノマシンの作用で脳内物質の分泌を促すという人間の体の神秘に深く踏み込んだ実験。

 

兵士たちは戦うことを己の意思ではなく強制されるようになっていた。

さらに彼らは自分の意思を表に出すことすらできなくなった。

 

 

身体機能とともに脳に処置を施されている彼らは思考と感情を調整される。個人の意思は抑圧され、個ではなく参加する団体のために働く。

その恩恵により敵前逃亡や戦意喪失など部隊にとって致命的な問題を引き起こさずに隊員たちはなんとか命令を順守して戦えた。

 

けれど、それが持つのはものの数分だけだ。

まだ試験運用に過ぎず、完璧には程遠いシステムであるためにその効果が約束されるのは十分ほどなのだから。

 

 

「継戦できない者は下がれ! 戦闘を継続できる者は攻撃手段を失った隊員を護ることを優先しろ」

 

何か有効な策を見出さなければならない。

だが、手元にある装備以上のものをこの戦闘が行われている空間で調達できるはずもなく、ただ部隊長が策を持って戻ってくることを祈るばかりだ。

 

「戦線はこれ以上維持できません。最低限の足止めに殿を置いて撤退するべきです」

 

1人の隊員、兵士長が進言してきた。

 

「そもそも予め立てられた作戦からは逸脱しているのです。この行動は軍部の意向を無視するともとられかねない。早急に合流地点に向かうのが最も適切な決断です」

 

彼の撤退という思考は戦意喪失の表れだろうか? もはや隊員たちの当初の手術による効果が失われているようだった。

 

「それは無理だ。我々の足を掴まれる痕跡を万が一にも残してはならない。それに言っておくが軍部が求めているのは鉄打終夜の所持するISコア、並びにその機体だ。いいか、これはよりよい未来を実現する為の任務なのだ」

 

頭に血がのぼっているのか、彼は怒りを隠そうとせずに語尾を荒げて話を続ける。

彼は一応兵士長という部下を率いる立場でもあるので今回の手術はされているものの、比較的軽めの個人感情の抑圧だったはずだ。

彼の思考が最善の策として撤退を導き出したのは、はたしてそれの影響なのだろうか?

 

「ぐだぐだと戦いを続けてもそれこそ無意味です! 部下は新しい次世代兵士用の手術の影響で精神的に疲弊している。長引けば精神的にも苦痛となり、やがて弾薬などの物資の枯渇もする。そうなればもはや戦うことすら困難になる。よく見てください。作戦失敗は目に見えているでしょう⁉︎」

 

当然兵士長の言い分はわかる。それこそ最初から理解はしていた。それでも撤退命令を出せない理由はISの脅威に晒されているからだ。

仮に背中を見せて逃げれば何人が背後から斬り付けられことになるのだろうか?

 

未だに撤退案を押し通そうとする兵士長と手術効果の薄れてきた隊員たちをまとめ上げる為にも声を張り上げる。

 

「ガタガタ抜かすな! 半円を描くように陣形を整えろ。お互いをカバーして奴を近づけるな。我々に残された道は目の前のISを排除するしかないのだ」

 

倒せるはずがないと分かっている。

だが、部隊壊滅への一歩を遅らせることはできる。

 

まず終夜が銃弾を全て避けていたことから、被弾するとマズイのかもしれないと考えこの布陣を敷くことで無力化されるのを減らそうとしている。

あくまで時間稼ぎにしかならないものだとしても戦わざるを得ないのであれば消耗を抑える他ない。

 

 

 

兵士たちの誤算は小夜時雨がただのISではなかったということだ。

 

通常のISはEMPを食らわせればスラスターや補助機構に障害が発生して機能不全に陥るが、終夜のISは見た目からしてそこいらのISとはかけ離れていた。

 

上半身は生身と言えるほどの軽装甲であり、足回りは補助機械で一回り大きくなっている姿から小夜時雨はISというより強化外骨格に近しいものといえた。

通常のISはスラスターの推進力で圧倒的な機動力を誇るが、小夜時雨にスラスターは確認できず、その機械の足で走っているようだ。

 

「チっ、なんなんだこの化け物はぁっ‼︎ EMPに耐性を持っている時点でわけわかんねえってのよぉ!」

 

戸惑いを隠せない兵士たちはもう逃げ腰になっていた。

十分も経ってはいないが、試験運用という不確かなデータ収集目的の装備に欠陥が生じていても致し方ない。

恐怖する心の拠り所となっていたのはこれまでのIS討伐の実績と経験だ。

 

それにより恐怖心を克服してきたが、目の前に居座るその存在はISなんかじゃなかったと理解してしまったからだ。

 

競技用でも宇宙探索用でもない、まさしく地上を走り、ただ敵を排除する為だけの兵器というのが相応しいだろう。

 

 

「落ち着けッ! 弾幕を絶やさずに距離を取るんだ」

 

部隊の内部崩壊を止めたところで意味のないことだと薄々思っていたことが戦闘が長引けば長引くほど浮き彫りになってくる。

 

──これ以上は戦うことはできない。

部隊長の代わりに指揮をとる副隊長はそう判断した。

もし倒せても部隊は壊滅する。それは好ましくないことだった。

 

彼らは存在しない特殊部隊。死んだ人間の死体を放り出す事も、上層部にたどり着くような痕跡も残してはいけないのだ。

しかし、どうしても被害が出てしまうのならば最低限に抑える必要があった。

 

 

「ここが引き際か……総員、撤退用意!煙幕とEMPで退路を確保する」

 

グレネードのピンを抜こうとした時、少し遠くからこちらに向かってくる機動音を拾った。

それは部隊長の天津が乗るISのものであった。

 

「ここは私が相手します」

 

透き通るような凛々しい声の方向に振り返ると、天津がISに乗って施設内の廊下を滑るように飛んでいた。

それは正しく戦地に降り立った女神のようであった。

 

「私の部下から離れなさい」

 

その手に握る突撃銃で、終夜を目と鼻の先まで近づくことを許した部下を守るように発砲する。

おそらく学園に配備されている教員用ISを持ち出してきたものだろう。

 

 

「新手、か。厄介だな……」

 

流石にISは脅威とみなしたのか、終夜は相当な距離をとってこちらの出方を伺っている。

腕をだらんと下げて体を左右に揺らしていることから肩の力を抜いて余計な体力使わぬように脱力しているようだ。

その全く緊張のかけらも感じさせずにいる姿は戦闘の素人とは到底思えない。

 

今すぐ攻撃にうって出てはこないだろうと判断した天津は、代理で指揮を執っていた副隊長に命令を与える。

 

「私がこの場で戦います。副隊長は隊員を率いて痕跡を消し、速やかに撤退してください」

「ですが任務が……」

 

副隊長の男は、ISに乗った天津とともに戦えば終夜を倒してISを回収できるのではないかと考えた。

 

だが、天津の冷たい視線を向けられて考えを改めた。

敵地といえる学園で、時間が経てば経つほど様々な危険な要因に晒されるのは明白であったからだ。

 

優先順位として、任務も大事ではあるのだが、あくまで1番大事なのは部隊の機密性だ。

その機密性が失われれば設立目的の隠密に任務を遂行することができなくなり、特殊部隊としての役割を失うことになりかねない。

前提条件として、それだけは避けねばならないのだ。

 

「了解しました。部隊を率いて撤退します」

「更識がじきに来ます。呉々も遭遇しないように気をつけてください」

 

副隊長の男は隊員に命令を下し、本人は何の行動も起こさない終夜に目を向けた。

すると、こちらの視線に気づいたのか目があった。

 

酷く冷たい眼差しからは全くと言っていいほど敵意も殺意も感じられなかった。

それは自己防衛の為に戦いをしているようで、こちらが銃を下げれば刀の構えも解いてピタリと止まってしまいそうに思えた。

 

「隊長、もしかして……」

「気づきましたか。おそらく想像通りでしょうね」

 

──鉄打終夜に交戦の意思はない。

 

それでも殿を務めるといったのは後々の辻褄合わせの為。

そう考えれば納得がいくし、最もリスクの少ない最善の手となることだろう。

 

「分かりました。……総員ッ撤退ィ!」

 

部下の背中を守るように立っている天津を前にして、終夜は逃げ帰る兵士たちに興味を見せず、ただ視線で見送っているだけだった。

 

そこで天津は確信した。

鉄打終夜には戦う気がないことを。

 

「無事に退却できそうですね。……それにしても不思議です。貴方は何故我々を1人も殺さないのですか? そのISを持ってすれば容易いことでしょうに……」

 

疑問を口にする天津はもとから返事など期待もしていなかった。

だが、想像とは違い終夜は答えた。対話を図るように。

 

「俺は人を殺したくないし、誰とも争いたくない」

「……誰かに命を狙われようとも?」

「ああ。最低限の自己防衛はとるが殺す必要がないのなら人殺しは意味のない、無益なことだ」

「なるほど。だから私の部下を殺さずに武器だけ切り捨てたのですね……?」

 

終夜の話を聞いて感情が死んでいるような天津でもふっと笑ってしまいそうになった。

そんな歪な在り方は理想主義者の弱者のものだ。そんな生き方が出来るはずもないと天津は知っている。

 

「ふふっ、馬鹿な考えです。聡明な方かと思っていましたが、どうやら愚かな人のようですね……」

 

平和ボケした社会に身を置いているからそんな思想を持ってしまうのだろうか?そんな疑問が脳裏をよぎる。

 

「理想主義者が社会を腐らせるんですよ。分かりますか? 叶いもしない、身の丈に合わない望みばかりを口にするから皆が堕落し、そして腐り果てる」

 

憎々しげな眼差しは、彼女の見てきたものを表しているようだった。

 

「笑っちゃいますよね? 理想を実現できないから、夢を見る。夢を見るから求めてしまう。でも、誰もが夢を掴めるほどの力も能力もないから他人の足を引っ張ったり、足掛かりを横から掠め取ることで醜くい姿になりながら叶えようとするんですよ」

 

 

 

だから争いが起きる。

戦争は過去のもの? そんなことはない。

今にも火種は燻ってちょっとの事で爆発する。

人間は学習するというが、それによって昔のように愚かな戦争を起こさなくなったかといえばそうではない。

ただ戦争の形態が変わっただけだ。むしろ様々な取り決めをしたせいで複雑化し、昔よりもややこしくなってしまっている。

誰もが利益だけを求めて争うことだけは今も昔も変わらない。

 

いかに他者を騙し、利益を得るか。

それが全て。天津たち特殊部隊の設立だってそういう意図があるからつくられる。

 

むしろそれらを疎んだからこそ全てを壊そうとする存在が現れる──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、結局のところこちらの要望に応えるつもりはないということですよね。今ならISの展開を解除してこちらに引き渡してくれるだけで争わずに済みますが」

 

意地悪そうな声色で自分勝手なことを言う天津には、先ほどのような人形じみた性格の持ち主とも到底思えない。

ヒートアップするほど素が出てしまうのだろうか?

それにしては先ほどの私情を挟まない凛とした姿はなく、ただ自身の軽蔑する者に強く当たっている姿は滑稽という他ない。

 

「悲しいな。そうやってなんというべきか……自分だけの定規で推し量り、相手の言い分や考え方を切り捨てるのはとても寂しいと思うが」

 

彼女のいうような争いを避けるにしても、大事なものを削ることは決してできやしない。

我が身かわいさに小夜時雨を引き渡すなど根付いた倫理観……といえるのかわからないがひどく醜い生き方だと、今まで築き上げてきたものが忌避しているからだ。

 

誰だって仲の良かった友達やペットと突然引き離されて会うのをやめるよう強要されても、はい。と納得できるはずがない。

それと全く一緒というわけではないが、それなりに似通っているはずだ。

 

 

兎にも角にも彼女の圧倒的な優位性と思想に基づいた軽蔑は、彼女自身では自覚のないことであろうが昨今の女尊男卑という愚かな思想に類似しているように思えた。

思想は感化されるだけでなく影響されるものであり、それが彼女の在り方を変えた歪な人格を形成しているのだと。

 

どちらにせよ、小夜時雨というISはただの“物”ではなく、自分で考え、物事に喜怒哀楽を見出し、傷つきもする“生きている物”だ。

俺は誰もが競技用なりハイテク機械の宇宙服なんなりと、なんにせよ道具として見ているISをそうゆう“物”に見れなかった。

 

「それは無理だな。小夜時雨が嫌がってる」

「おや?争いたくないんじゃありませんでしたか?貴方にとって争いよりもISの方が、力の方が大事なのですか?」

 

言葉尻を捉える今の彼女は視野の狭ばった人のようだ。

これ以上話しても理解が深まることはないのだろう……

 

戦う道を避けることは出来なくなった。

 

 

 

 

「非常に残念です。それはそれとして、ファーストコンタクトがこんな形で終わりになるなんてまことに遺憾です」

 

天津の冷徹な顔からはできるとは思えなかったニヤリというやってやったという表情を見せた。

終夜は思わず眉をひそめる。

すると、ここにはいない声が響く。

 

清き激情(クリア・パッション)

「誰だ──」

 

驚いた声を上げる終夜だったが、突如終夜の周りの空間が爆ぜる。

それは先ほどの爆発に比べれば小さなものだが、ISであろうと直撃した時のダメージは大きい。

 

「更識さんですね?助かりました」

「そうですよ、天津先生。貴女がどうしてここにいるんですか?」

「私も彼の話を聞いてみたかったのだけですが……どうやら逃げ出そうとしたようみたいで」

「まあそういうことにしておきましょうか」

 

廊下の角から姿を現したのは、水色髪の更識と呼ばれたのは学園の女子生徒だった。

 

本来は学園の地下を知る人間は限られているが、学園の生徒会長でもあり、更識楯無は家系が暗部であるためにここの存在を知らされていたのだ。

楯無が気になったのは天津の存在だったが、彼女は爆煙が晴れるのでそちらに意識を向けた。

 

「ごほっごほっ……突然すぎて死ぬかと思ったわ。助かったよ小夜時雨」

 

煙の晴れたところには軽い火傷を負った終夜が片膝をついて立っていた。

間も無く専用機である霧纒の淑女(ミステリアス・レイディ)を展開した楯無がランスを構えているのを見て立ち上がり、再び刀を構えた。

 

「今度はお前か?」

「ええ。お姉さんが相手よ。先に言っとくけど手加減はしないからね」

「そんなものに期待はしてないが……お姉さんって。絶対に俺の方が年上なんだがなあ」

 

そんな軽口を言い合う楯無だが、内心は冷や汗を流していた。

想定通りなら終夜が戦闘を立て続けにしていることを考慮に入れて、今の爆発でISのエネルギーが枯渇する、又は展開解除に陥るはずだと考えていたからだ。

 

しかし、軽傷を負いながらも(本来はISのシールドバリアーにより防がれるはずである程度のもの)尚且つまだ継戦できるのは予想外の事態であった。

今到着したばかりの楯無が知らないことだが、天津は先ほど見た終夜の専用機が展開した障壁が防いだのだろうと結論づけた。

 

「更識さん。鉄打終夜のISにはおそらく常時展開されているシールドエネルギーがありません。彼のISは独自の防御障壁を展開して攻撃を防いでいます」

「それは……骨が折れそうね。殺さずに加減するには優しい相手じゃなさそう」

 

 

「でも、やるしかないわね。私、条件付きのステージをクリアするのは結構得意なのよ」

 

楯無は天津の話を聞いて違和感を感じながらもなお一層力を込めてランスを握り、素早く瞬時加速を行って距離を詰めた。

 

「織斑の時より早いッ⁉︎」

 

あまりの速さに終夜は目を丸くして、間一髪、左に踏み込んでランスの突きを右に受け流す。

冷や汗とともに、じっとりと浮かぶ額の汗が気持ち悪いが、残念ながらそれを拭うほどの暇がない。

 

「クソがッ! なんつう速さだよ。こちとらIS乗り始めて数時間の素人だっていうのに」

「嘘でしょ! そんな微々たる時間でこの動きなんてどんな才能の持ち主よ。でも……嫉妬しちゃうけど経験はこっちの方が豊富なんだから!」

 

楯無はその受け流された勢いを利用して、床に対して垂直にランスを突き立てる。

そしてポールダンスを踊るように体を捻って回転蹴りを食らわせた。

 

「まだまだ甘かったわねッ!」

 

奇想天外な攻撃に慣れていないせいで完璧に受けきることが出来ず、終夜は腹に重い一撃を受けてしまうことになった。

 

「ぐうぅッ……! キッついなあッ!」

 

しかし、ただではやられぬと、どこからともなく取り出した装飾もされていない無銘の刀を投げてきた。

瞬きする早さで展開された刀は鍛治師の仕事柄か、イメージするのにさほど時間をかけないその早さはプロ顔負けの腕前と言ってもいいくらいだ。

 

「なっ⁉︎ 武装を展開するにしても早すぎるんじゃないかしらルーキー君ッ!」

 

これには楯無も面食らって咄嗟にランスで刀を弾き落としてしまう。

 

いつもなら楯無は専用機の第三世代兵装であるナノマシンで構成される水で防御するのだが、さっき清き激情で消費したナノマシンの補充が完璧に間に合っていなかった。

装甲に使用しているナノマシンを使う手もあったが、咄嗟の判断が追いつかず体の方が先に反応してしまう。

 

その刀に意識を割いた僅かな時間で終夜の姿と気配を見失ってしまった。

 

「まさか逃げた……? 最初からそのつもりだったのかも?まったく何処にいったのかしら」

 

水のナノマシンを精製するアクア・クリスタルをフル稼働させながら周囲の異変を探る。

巨大な地下空間にある収容施設は、脱走などを考慮した単純構造と狭い設計でつくられている為に余計な装飾が一切ない。

現在戦闘中の牢屋付近の場所も、廊下をぶち抜かれてできた空間であり、隠れられる場所なんて一つもない。

 

そんな状況で終夜を見失ったその答えは……

 

「更識さん気をつけて! 相手は上ですッ!」

 

廊下と同様にぶち抜かれた天井の上から強襲を仕掛けてくることだった。予想外の角度からの攻撃に急いでアクア・ナノマシンによる水のヴェールで対処するが……

 

「ええいッ!瓦礫の破片が鬱陶しいわね⁉︎」

 

結果、降り注ぐコンクリートや鉄筋をヴェールで受け止めるはめになり、その質量に押し潰されそうになった。

 

仕方がないので自分の真上にヴェールを集中させて瓦礫を横にずり落とそうとするが、銃声と天津からの危険を知らせる声が開放回線(オープンチャンネル)で意識に割り込んできた。

 

「早くそこから離れなさいッ!」

 

何が……、と聞く前に瓦礫がヴェールを破って楯無の体を打つ。

 

「くぅっ……どうして水のヴェールが……?」

 

疑問に思う楯無だったが小夜時雨の特殊な兵装によるものというわけではない。

終夜は押し止められた瓦礫を上からさらに蹴ることで、空中で水のヴェールに取り込まれたことを利用してそのヴェールを破ったのだ。

 

「マズイです。逃げてくださいッ!」

「別に殺したりしねえって……」

 

ISの絶対防御が発動したことにより楯無が怪我を負うことはなかったが、その衝撃により視界が明滅し、シールドエネルギーがごっそりと持っていかれた。

 

「ちょっとやばいかも! このままじゃ……」

 

楯無を下敷きにする瓦礫の山の上に終夜が立っているのを見て一方的に嬲られるのと思い、それを避ける為にISのパワーアシストで瓦礫を無理やり押し上げて逃げる。

 

「おわっとぉ。ISってそんな無茶もできんのか……その瓦礫が何トンあると思ってんだよ」

 

終夜は崩れる瓦礫の山から降りるとISの無茶苦茶な性能ぶりに呆れている。

その余裕な様子に焦りを感じたのか、楯無は天津の意見を求めた。

 

「劣勢と言わざるを得ませんね天津先生……」

「そうですね。まさか鉄打終夜にここまで武の才があるとは思ってもみませんでした」

「もうシールドエネルギーも半分を切ってますし、継戦するのも難しいです」

「流石に私も量産機の性能で長時間も相手取れるかは分かりません。ここは応援が来るまで耐えるしかありませんね」

 

事実、楯無の消耗は著しく、このまま戦うのは愚策というしかないわけであり、天津のISによる援護があろうと小夜時雨のスペックでは易々と回避されるし、弾が当たると確信を持って言えないほどであった。

 

 

 

学園の生徒最強である会長、日本の暗部の当主、ロシア国家代表、様々な視点による思考を巡らせた末に戦うしかないと楯無は行き着いた。

ここで妥協して戦わずに負けを認めたら、積み重ねた全てが無くなることを意味している。

 

誰が戦わずして逃げた生徒会長を最強として仰ぐ?

 

誰が敵になり得るかもしれない可能性を秘めている終夜と直面し、逃げた当主が務める暗部を頼る?

 

誰がISに乗り始めて間もない男に敗北を認めた女を国家代表にする?

 

例え誰も彼もに知られずとも、知る人は知るのだ。

不利であろうと求められた責務は果たさなければならない。

それがこれらの肩書に伴う責任だ。

 

 

「これだけは使いたくなかったんだけど仕方ないか。先生、少しだけ頼みます」

 

その言葉を受けて天津は楯無を守るように前に出る。

その後ろで楯無は自分の装甲に使用している水の装甲と滞空するアクアヴェールを集めて槍状の攻撃的な塊に変換する。

 

「ちょっなんだそれ!やばそうな気がするだが……」

「頑張って耐えてね……!」

「んな、無責任な!」

 

楯無が水の槍を持って終夜に接近する。

 

「頼むぞ、小夜時雨ぇ!」

 

終夜の声とともに楯無の前に障壁が現れる。

これが終夜を守る唯一の砦であると楯無は判断し、槍をそのままぶつける。

 

ミストルテインの槍ッ!

 

強固な障壁であったそれが槍と接触すると、大きな爆風を起こしながら貫通してしまい障壁は砕け散った。

一点集中の強力な水の槍には流石の爆発を塞ぎ切った盾も負けるようだった。

 

 

「え、嘘⁉︎ そんなにもあっさりと破れちゃうなんて想定外!」

 

楯無は慌てた声を出すが、とどまることを知らない水の槍は無情にもまっすぐと進む。

その穂先がISを纏う終夜にあたる、かと思いきや、サッと右手を挙げた終夜の掌を前に霧散した。

 

「は、い? 消えた⁉︎ ミストルテインの槍が消えちゃった!」

 

訳がわからないと困惑しながら天津の元に急いで引き返す。

当の終夜もよく分からないようで右手を握ったり開いたりして摩訶不思議なことについて考えを巡らせているようだ。

 

「なんだこれ? わけわかんねえな」

 

困惑しているがそれでも戦いは続いているのだ。気を抜いている暇なんてない。

 

「いや余所見する暇なんてないよな」

 

終夜は右手に持った刀を左肩に引き寄せて構える。

そして地を蹴り瞬く間に距離を詰めて強力な一筋を、楯無のガラ空きの胴体に叩き込まんとする。

 

「甘く見てんじゃないわよ!」

 

相手に次の一手の予測をさせにくくさせるための構えに楯無は戸惑ったが、経験による直感からなぎ払いだと信じてランスを刀身にぶつけて弾くように防ぐ。

 

「それも織り込み済みだ」

「そんな、まさか……」

 

弾かれた勢いで身を翻して立ち位置を変えた終夜は、楯無の後ろに回り込んで刀を突きつけていた。

 

「さあ、俺も手荒なことしたくないからさ。ちょっと口を貸して貰うだけで構わないから協力してくれよ」

 

苦渋に顔を歪める楯無。

装甲として使っているアクアナノマシンは先のミストルテインの槍で失っているので、ISのSEに頼ることになる。

だがしかし、何故かSEの消費が激しいので心許ない残量であり、仮に斬られてしまえばISの防御を無視して肉体に傷を負う可能性すらあるために抵抗できなかった。

 

「貴方本当になんなの……いくら機体の性能があろうと熟練者には勝てないものなのよ。そもそもISをいとも簡単に操るなんて馬鹿げているわ。はあ……」

 

これ以上の抵抗は意味をなさいだろうと判断し、大人しく楯無はISの展開を解除する。

 

楯無が敗北を認めることよりも相手に負かされるほうが印象に悪い。これは先ほどの選択よりも名誉を失墜させるのに効果的な手段と言えた。

終夜自身にその自覚がないのがタチの悪いことで楯無は不憫だったというしかない。

 

「鉄打終夜。更識さんから離れなさい」

 

銃を構える天津が1人いようと人質になった楯無がいれば攻撃はできかっただろう。

 

そう1機のISであれば性能差で遅れをとらずに戦えるのだろうが数が増えればそれだけ不利になる。

 

「鉄打! 剣を納めてくれッ!」

 

IS兵装のブレードである“葵”を手に持った千冬が天津と同じ教員用ISを纏った女性を引き連れてあらわれた。

 

終夜は顔を上げてあたりを見回すと、後方に2人と上空に3人、左右に1人ずつと見事な陣形で囲まれており、逃げ出そうとすれば誰か1人に進路を塞がれる形になるようにしている。

 

「これはしてやられたな」

 

楯無に気を取られている間に集まってきたのだろう。

いつもの終夜なら千冬の勧告に従っていただろうが、一度監禁されていた身のために今度は何をされるか分からないという懐疑心の方が強く、大人しく従うつもりはいまのところない。

 

「流石に学園の破壊をこれ以上許容することはできん。大人しくこちらに従ってくれないか?」

「べつに構わねえけどよ……俺はどうやらこの学園の生徒として扱われていないみたいだが?」

「それは悪いとは思っている。しかし、不法にISを所持している以上自由を約束することはできないんだ」

 

終夜は千冬の要求に応じる姿勢を見せるが、鬱憤が溜まっていたのか不満をぶつける。

千冬もその点は非があると認識しているようで、少し語調が弱くなるが、それでも学園の教員である以上突き通さなければならないらしい。

 

「こんなんなるんだったら来なきゃよかったな。……家に帰りてぇなあ」

 

ため息まじりに吐いた言葉だが、終夜当人もこの発言が叶うことはないとわかっている。

知らなかったとはいえ、限られた数しかないISを()()()()していたのだ。ISと無縁の生活を送ることなんてもはやできないだろう。

 

「諦めろ。ISは国家事業だ。お前と一夏には嫌でも学園に留まざるをえない。それがお前たちの安全に繋がってもいるんだ」

「言われなくてもわかってるって」

 

髪をわしゃわしゃと掻く。

無造作に向けられた視線には不快感の塊の、まるで詐欺に騙されたというような思いが込められていた。

 

「なんだこれ、霧か?」

「何を言っている。そんな訳が……」

 

空間に滞留する突然現れた霧に警戒する一同だが、その中から1人の少女がやってきた。

 

「お話に割り込むような形ですいません、織斑千冬様」

「お前はラウラ……いや違うな」

 

まだ幼さを感じさせる声を持った人形を思わせる銀髪の少女。ゴスロリの洋服が人形という印象に拍車をかけているのだろう。

 

「クロエじゃないか! どうしてこんなところに……?」

「お久しぶりです。今日は束様の言伝を預かってきました」

「束ちゃんの言伝?」

 

皆に聞こえるように、クロエはISに備え付けられている開放回線で話す。

 

「今頃、学園長様や学園の運営組織でもある国際IS機関と国際IS委員会にも送られている内容です。

“束様が終夜様にISを与えたのはデータ収集の為であり、終夜様とそのISに対して過度な干渉、生徒以上又は以下の扱いは止めるように”といった内容です」

 

クロエの言葉を聞いて千冬は眉を寄せてため息をつく。

 

「それが受領されると思っているのか? 私はともかく上の連中は認めんだろうな」

「いえ、認めざるを得ません。もし拒否された場合、この監禁した行いが表沙汰になり、IS学園が閉鎖に追い込まれる可能性すらあります。それに国際IS機関の方々は女権団体とも密接な関係のようですし……」

 

額を手で覆って千冬は悩ましそうに呻く。

クロエはその間、じっと終夜を見つめていた。

 

やがて、整理がついたのか千冬が口を開く。

 

「いいだろう。その話は信じることにしよう」

「ありがとうございます。千冬様」

「では……これより鉄打終夜の処遇は学園の一般生徒として扱うことにする。専用機については追々決める決めるとする。異議のあるものは?」

 

千冬がそう言い放つと当然口を開こうとする教員も出てくるが、睨みつけることで威圧して口を噤ませる。

これ以上いざこざを起こされても面倒なだけであり、山積みとなった様々な仕事を済ませなければいけない千冬は、徹夜だな……と呟き遠い目をした。

 



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9話

閑散とした校舎の廊下を終夜とクロエは並んで歩いていた。

静かな学園はおおよそ様々な人種の生徒が集う学園とは実感の湧かないいたって平凡な進学校の風にしか見えない。

 

だが、そんな静かな風情のある学校に見えるのはまだ学期が始まったばかりでクラブ活動なども本格的に始動してないためだろう。校舎に残っている生徒はほとんどいなかった。

途中で何人かの生徒は見かけたが、どの子も遠くから怪訝な眼差しを向けてくるだけで済んだのは、正直に言うとクロエの編入手続きが追加されて苛立っていた千冬に騒ぎを起こすなと口酸っぱく言われてる身からしたら非常に有り難いことだった。

 

「それにしても…監禁されてはいたが、しっかりと編入の準備は進んでいたんだな」

「ええ。いつまでも終夜さんを地下で監禁するには限度というものがあります。でしたら学園内で飼うというのが最善だと判断してのことなのでしょうね」

 

2人は地下区画から千冬に連れられてまず職員室に向かった。そこで用意されていた寮部屋の鍵を貰い、これから生活する自室に行く最中なのだ。

 

「なんだかしっくりこないよな?一体全体、俺のISを狙った連中は何者だったんだろうな。まるっきり痕跡といえるものが見つからなかった」

「しっくりこない、というのは分かりかねますが、手がかりは終夜さんが暴れすぎて戦闘の現場が荒らされたからだと思います」

 

やっぱそうだよなと肩を落とす。一部の学園の教師から勝手に暴走して暴れまわった精神異常者だと言われているのは想像がつく。

 

「ですが、やはり学園側に問題は多々ありますから。おそらく今も責任の押し付け合いをしている真っ最中でしょう。あまり期待はできませんね」

 

肩をすぼめて呟くあたり、クロエも状況をあまり把握できていないのだろう。

 

 

今回の一件における終夜の身柄の拘束は、元は終夜が所属不明のISを所持している出処と危険性について取り調べるためだけの措置のはずだった。そのため予め学園内での生活をする自由は約束するつもりであったのだ。

けれど、終夜の規格外の戦闘力を危険だと判断したものたちが話を拗らせた為に対応と管理に滞りがおきて今回の襲撃事件が起きたというわけである。

──しかし、事件の襲撃者の痕跡が残っておらず(警備班の監視カメラによる監禁施設の映像などには何も映っていなかった)証拠は全く挙げられないのが現状だった。

 

さらに厄介なことに、学園が外部組織から雇っている警備会社の警備班へわざと通達を怠ったり、契約に反する行為をとったそれらのいざこざの責任追及で、結局は終夜のISが“暴走”して施設を破壊したということで学園上層部は報告書を片付けてしまった。

 

 

「でも、束ちゃんも何考えているんだか……クロエを学園に入学させるなんて昔じゃ考えられないことだよ」

 

終夜は我が子の成長に感心した親のような心情だった。出会ってすぐの束は人間不信にも近しいほどに有象無象と罵る輩たちを嫌っていた。

そんな自らの娘を預けるほどには寛容な心、とは言えるほどではないがゆとりを持てるほどになったのは喜ばしいことだった。

 

「束さまも渋ってはいられましたが、最後は終夜さんがいるということで許可を下さいました。だから、わたしに何かあったら、その時は助けてくださいね?」

「そういうのは束ちゃんから言うもんだろうが……まあいいか。これからはよろしくな」

 

クロエの普段の世間知らずさと、どこかズレているような言動に安らぎを終夜は感じた。

ここのところ荒んだ日々を送っていた為に、自分でも気づかないうちに肩の力が入りすぎていたのだろう。それに気づくと途端に倦怠感がのしかかってきて、早く寝心地の良い寝床に横になりたくなってきた。

 

「それにしても、どうしてIS学園に入学なんてしたいと思ったんだ?正直、クロエじゃあ寮とか学校の集団生活はしんどいだろう……?」

「そうですね。でも、終夜さんがいるなら心細くないですし、いつからか普通の生活や人並みの人生というものには憧れを持っていたんです」

 

それに、終夜さんが学園に通うというのは相当不安ですしね、とクロエは余計な一言を付け加えて意地悪そうに口角を上げて笑う。

束ちゃんが拾ってきた時と比べれば、笑うことが上手くなったし、それに可愛い笑みを沢山浮かべるようになった。

 

だが、一方的に言われるがままなのは気に食わないので言い返してやろう。

 

「そんなこと言ってるけど案外寂しいから、なんていうのが本心なんじゃないのか?束ちゃんに引き取られてすぐの時は、俺にべったりだったしなぁ……」

 

 

 

 

クロエは育て親から捨てられたところを、束ちゃんが拾って養子にした娘だ。

 

保護した時は目を患っていた。さらに自分の知らないものと触れ合うたびにパニックを起こしたり、鬱病のような思考の沼、自己否定の幻聴が聞こえるために情緒不安定といった精神疾患も持っていた。

 

 

今では視力をナノマシンやIS技術の応用手術で目がすごく悪い、という程度には回復しており、それに伴って精神状態も安定した。

今では日常生活内ならなんら不自由ないほどではあるが、なおさら当時は酷い有様だったという言葉しか出ない。

 

 

「あのさ、自分勝手なことだとは分かってるんだけど、ちょっとの間だけでもいいからくーちゃんを預かっといてくれない?」

 

束ちゃんはいつも唐突に家にまで押し掛けてくる。それは普段となんら変わらない光景ではあったのだが、その日は、見慣れない少女──話にだけは聞いていた拾い子のクロエを引き連れていた。

 

「束ちゃんさぁ……自分で拾って帰ってきた子の世話ぐらいしないと流石にダメだろ」

 

当然、自らの子ではなくとも親として育てる道を選んだのなら、自分よりも我が子を優先して然るべきなのだ。

 

それが本来あるべき親としての姿であり、一つの命に対する責任。

──そんな考えが思い浮かぶだけで、どこか胸が締め付けられる感覚があった。

 

「いやぁ、この頃少し忙しくってさ〜。あの…なんだったかな……?そうそう!アラスカ条約っていうIS技術の運用協定があるんだけどね。せっかく面倒だと思いながらも決めたっていうのにね!それを破る連中が多いのなんの……」

「事情は分かった。束ちゃんにとって、我が子のようなISのことだもんな。どうしても放ってはおけないことなんだろう?」

 

彼女にとって、クロエとは形ある子供であった。

そして、もう一つの形なき子供はIS──機械という無機物に命を与えた責任を彼女は取ろうとしていた。

 

パワードスーツの一種であるISには意思が宿っているという。

ならば、違法実験や非道的なものにストレスを感じるようなISも出てくるはずだ。それを少しでも軽減しようと世界中を東奔西走しているのが、最初からの彼女の変わらぬ志だった。

 

「そうなんだよ!というわけでよろしくー!」

 

結局、そんな大変危険な状態のクロエを引きとった束ちゃんは、気分的な興味というか愛着が湧いたのか知らないが後先考えずに連れ帰ってきてしまったようで、自分で面倒を見ている暇もないぐらい忙しい時期ということを考えていなかったらしい。

 

「まあ、そんなわけだから、よろしくな」

「あ、うぅっ……」

「こりゃ大変かもしれんな……」

 

小さく愚痴って顔をまじまじと見ると視線があったのだが、ひっと責め立てられてるように感じたのか目を伏せって距離を取ろうともがいた。

 

そうして幼いクロエを束の代わりに面倒をみることになってしまい、いつのまにか束ちゃんよりも俺の方に懐いてくれていたというわけである……

 

 

 

「その話は恥ずかしいのでやめてくださいっ!」

 

顔を真っ赤にして目線を下げてしまったので、からかうのはやめておこう。その反応も可愛いのではあるが、流石にやりすぎると泣いてしまうかもしれない。それはいただけない。

 

本当に日々を小さな生活音にすら怯えていた頃とは随分と見違えた。自分がその役割を担ったのだというのを思うとなおさら感慨深いことだ。

 

「もう悪い夢はみないか?」

「時々、だけ……」

「そうか。強くなったな」

 

悲しそうに下を向いているが横から見える耳と頰が真っ赤で、照れているというのは簡単にわかる。

自分では感情を表に出さない方だと思ってるのかもしれないが、恥ずかしい時に後ろに手を組んで指を弄る癖なんかがあったり小さな仕草で結構読み取れるものだ。

 

「そんなことは、ないです……」

 

それでも心も体も大きくなった彼女に対して、俺はどこか娘のような存在感を覚えながらも、妹のような扱いをしてしまう自分がいることを考えていた。

 

 

学園の校舎を抜けて短い寮への道すがら、見知った少年がポニーテールの少女と歩いている姿が視界に映った。

 

「よお、織斑」

「ん?あれ、終夜さんですか!?今までなにしてたんですかー!男1人じゃないと安堵したのに中々会えなくてきつかったんですよ!」

「悪かったな。あー……少し編入の手続きに不備があってな。それで一先ずは、手続きが終わるまで女子生徒に見つからないようにって、言われてたんだよ」

「ああ、それで……」

 

終夜の話で納得した一夏は、終夜の隣にちょこんと小さく体を丸めているクロエに視線を向ける。

何故だろうか……さっきまでは、「私、学校生活も上手くやっていけます!」って自信に溢れた様子だったのに人見知りを発症している。

仕方がないので俺から紹介することにしよう。

 

「こっちはクロエっていうんだ。知り合いの子でな。偶然再会したから寮まで話して向かってたんだ」

「へえ……多分、見たことない顔だから編入生かな?珍しいもんですね、編入がこんな学校始まって早々になんて。それに……顔付きはドイツ人ぽいですよね。外国人の知り合いなんてとても顔が広いんですね」

 

鋭い織斑の指摘でじわっと背中に汗をかいた。

平時ではやけに周囲に対しては洞察力が鋭い。

 

学園は世界中から生徒が集まると言っても、日本は例外として他国からは大体の生徒が代表候補生や、またはそれに準じる国から注目されているような将来有望な生徒がやってくる。なので、異国の生徒が多いといえど、目につく範囲ではそれなりに人種が違うというのは目につくものなのだ。

 

だけど、そもそもの話がまわりをよく見ていないと気づかないような前提条件だ。もしや先入観に囚われなければ相当目のきくやつなんじゃないだろうか?

それはそれとして、今のは一夏が感想として言っているのか、それとも皮肉として言っているのやら……

 

「……まあ仕事柄、外国人の顧客とかもいるからな」

 

お茶を濁そうとすると、一夏の隣にいた大和撫子というのがぴったりな少女が一夏の横腹を小突いて話を切り出した。

 

「おい、一夏!この人は日本一の刀匠ともいわれる鉄打終夜さんじゃないのか!?」

「へ?」

 

先ほどとは打って変わって、間抜けな顔を曝け出して思案している一夏に、後ろでクロエがクスッと笑った。緊張がほぐれてきた証拠だ。

 

「終夜さんてあの人間国宝の人だったのか……?全然気づかなかった……」

「お前、いつの間にそんな凄い人と面識を持ったんだ。羨まし……んんっ。私に紹介してくれたって良かったんじゃないか?」

 

ちょびっと下心が丸見えな少女は刀に興味があるのだろう。いわゆる刀剣女子というものだろうか?

それにしても姿勢が良く、歩き方などからしっかりとした印象を受ける少女だ。

 

「終夜さん、こいつは俺の幼馴染の()()()箒です。それで……」

「いや待った、当ててみようか。武道、か武術をやっているんじゃないか?そう、例えば剣道とか……」

 

目を見開いて驚いた様子の一夏の顔を見て満足する。人のあっと驚く表情はいつ見ても面白いものだ。

それに武術ならある程度嗜んでいるから分かるものがあった。経験が活きた、ということだろう。

 

「よくわかりましたね。箒は家が剣道場を開いていて、俺も昔はそこで剣道を習ってました」

「なるほどな。あの太刀筋はその剣道の名残か……」

「ええ、まあ」

 

少しばつが悪そうな顔をしたので話題を切り替えることにしよう。あまり年下をいじめるものでもない。

 

「まあ、知っての通り俺は鉄打終夜だ。織斑と同じくISを動かせる。よろしくな、篠ノ之さん」

「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします」

 

慌てたり、落ち着いたりと高低差が激しく思えるが、返事はきっちりと返し、そして慎ましい佇まいから案外しっかりとした少女なんじゃないかなと感じる。

 

それよりもこっちの子供は、とまだ後ろで隠れているクロエに終夜は目を向ける。彼女は中々話を切り出す勇気が出ないのか、緊張はほぐれても隠れることをやめなかった。

 

「ほらほら、しっかりと挨拶しろよ。流石に失礼だぞ?」

 

この際、優しくしてあげるよりも背中を押して成長を促す方がいいのではと思い、脇の下から両手で持ち上げて、一夏と箒の前に持ってくる。

 

「やッ!自分で出来ます……!やめてくださいっ!」

 

流石に子供扱いし過ぎたのか、むすっと頰を膨らませ、目を閉じてはいるがじっと睨んできた。それは一夏が苦笑いをし、箒はちょっと吹き出しそうになっていたからだ。

 

「はあ。もういいです。いつものことですから……」

「いつもしてるのか……?」

 

あっ……と、クロエは失言して一夏に突っ込まれてしまう。また睨んできた。

 

「なんだよ……挨拶するだけだぞ?」

 

早くしてくれ……と眠気がまた襲いかかってきたのでこれ見よがしに欠伸をする。それでようやく諦めがついたのか、クロエは無駄なことをやめて、ちゃんと挨拶をするようだ。

 

「わ、わたしはクロエ・クロニクルといいます。織斑さんが言った通りのドイツ人です。えっと、あの……友達は少ないので、仲良くしてくれると嬉しいです……!」

 

ペコッと頭を下げて挨拶を終えたが、恥ずかしさからまた後ろで指を弄っていた。

 

「おう!よろしくな。俺のことは一夏でいいぜ」

「クロエというのか……私も箒でいい。苗字呼びは苦手なんだ」

「はいッ!一夏さん、箒さんよろしくお願いします」

 

はじめての友達にクロエはぱあっと笑顔になって喜びを露わにする。そんなクロエの様子に何かを察した一夏と箒は優しい笑みを浮かべた。

 

「よし!じゃあ寮に向かうか。だいぶ時間かかったからな。早く寝たい!」

「ええ……そんなあけっぴろげに言うもんですかね?今は、ほら感動的な場面ですよ?」

 

続けて欠伸をした時には一夏もう呆れた顔をしていた。

「ほら、行くぞ」と声をかけて先に歩くと、3人は並んで(箒を真ん中に、一夏と箒が色々と質問をしている)歩いていた。

 

 

そういえば……と、一夏が何かを思い出したようだ。

 

「どうかしましたか?」

「いや、2人の部屋って何処なんだろう……、と思いまして。問題がなければ部屋番号を教えてもらってもいいですか?」

「まあ構わないが」

 

そういって終夜が見せた鍵には部屋番号が書かれてなく、〈副寮長室〉と書いていた。

 

「あれ?副寮長って……そりゃまたどうして?」

「たしか…生徒寮の空き部屋が無いらしくてな。予備というか転校生や転入生用のは開けとかないといけないし……それに男子が女子しかいない寮のど真ん中で暮らすのも問題だろ?」

「うっ……そうですよね……」

 

一夏に箒の鋭い視線が刺さる。つまりはそういうことなのだろう。

クロエは分かっていないのか、キョトンと首を傾げて一夏と箒に説明を求めているが、二人は雑な誤魔化しで逃れようとしている。

 

「あ……そういえば、クロエは終夜さんと一緒の部屋、なんですか?」

「そんなわけないだろう。クロエは寮長室で一時的に千冬と共同生活だとさ……」

 

一夏は学園が終夜を自分とは全く違う扱いに落胆し、そして“千冬と”という言葉に焦りを覚えているようだ。

 

「あの…弟の俺が言うのもなんですが、千冬ねえの部屋はやめといた方がいい」

「そりゃまた……どうして?」

「そ、それは言えないんです……俺がバラしたと千冬ねえが知ったら何されるか……千冬ねえは、自分の私生活を晒されることを物凄く嫌がるんです」

「じゃあ、一夏の怯える千冬の実態とやらを見に行くか」

 

一同は何かに怯えている一夏を引き連れて寮部屋に向かう。

 

 

クロエが千冬から預かった寮長室の鍵を取り出すが、ふと思うことがあったのか一夏に質問を一つする。

 

「一夏さんがそれほどに言うものって何処かに隠されてたりしますか?」

「いいや、入ればわかるよ」

「目につくところにある、ということですね。では、行きます!」

 

鍵が外れると、一息に終夜が扉を開け放つ。

そこに広がる光景は酷い有様、というほかなかった。

誰もこの学園内にて、千冬の部屋の中を想像できるものはいないだろう。生徒はもとより、同僚のものでさえも……

 

床に広がる潰れたビール缶やおつまみの袋、ベッドに放り出された衣服と下着類。部屋で書類の処理などもしていると思われる机の上は紙束であふれていて仕事ができる環境ではない。

 

おおよそ人が生活できるのか?と疑うゴミ屋敷の一室のような有様。この部屋にはISの世界大会にあたるモンドグロッソにおいて見事に優勝を果たした世界最強の称号(ブリュンヒルデ)を持つ者の栄光はなかった。

 

 

「これは酷いな。仕事に追われてる身とはいえ、ここまでとは……流石に引くわ」

「家での家事は俺が担当していましたからね。千冬ねえは不器用といいますか…料理とか掃除とかは俺が一手に引き受けたせいでここに来てなおさら苦手になっているみたいです」

 

せっせと何処からか取り出したゴミ袋にビール缶やつまみのの袋を放り込んでいる。

 

「あの……終夜さん。わたし、千冬さんと同じ部屋で暮らすのはちょっと……」

「そりゃそうだ。流石にクロエをこんな部屋に住まわせるのは俺が許さんよ」

 

副寮長室で一緒に暮らすしかないのだろうか。

束ちゃんから預かっていた時は、夜な夜な悪夢に魘されるクロエの頼みもあって一晩中付き添ってあげたりもしていたので、そこまで抵抗はない。もはや家族のようなものだったからだ。

とはいえ、クロエも思春期に差し掛かっている頃だろうから、配慮してあげたいのだが……

 

「それなら、俺とクロ……」

「ん?なにか言ったか、一夏?」

 

一夏が何か言おうとしたのに気づいてそちらに顔を向けるが、そこでは篠ノ之が一夏の口を塞いで耳打ちをしていた。

 

「どうした?」

 

不自然な行動に疑問を持つが、即座に篠ノ之が反応する。少し興奮気味なのは何故だろうか。

 

「いえ、なんでもありませんよ。それにクロエも満更ではないようですし、いいんじゃないでしょうか」

 

クロエを見るが、プイッと顔を背けてしまってその表情を窺うことはできない。

 

「でもなぁ、クロエも昔と違ってもう女の子だからな。大人の男と同じ部屋で暮らすというのは流石にいかんだろ。クロエも嫌だろうしな」

「い、嫌じゃないですよ?むしろ嬉しい、ですし!」

 

震える声で否定したことに驚く。まだ昔の名残が残っていてホームシックのようなものでも発症したのだろうか?

考えてみれば、クロエがしっかりと自意識を保てるようになってきたのは10歳以降なので、まだ思春期といえるものが来ていないのかもしれない。

 

「話はまとまったようですし、私と一夏は部屋に戻りますね」

「明日の朝は一緒に朝食を食べましょう!迎えに行くので待っててくださいね。クロエもまた明日な!」

 

取り残される俺とクロエは顔を見合わせる。

千冬の部屋は一夏がある程度片付けたとはいえ臭いも残っているし、まだ人が住めるような状態ではない。

 

「はあ、仕方がないか。ほら、来いよ」

 

クロエの荷物を持って副寮長室に入る。

しばらく使われていないところを急いで掃除したようなので部屋の隅やベットの下なんかにはまだ埃が溜まっていそうだった。

それでも、寮長室に比べればマシというか、十分すぎるほどに清潔だ。

 

「俺はもう寝るから、クロエは気にせずシャワーでもなんでも浴びてこいよ」

 

荷物と上着をそこら辺に放ってベットにバタンと倒れこむ。

しかし、優しく受け止めてほどよく反発する心地よさは至高ともいえるほどに快適な睡眠を提供してくれそうだ。

 

ようやくまともな睡眠が取れそうだ。

 

 

「おやすみなさい……終夜さん」

 

 

 



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織斑一夏が目にしたもの

どのタイミングで出そうか迷ったんでとりあえず投稿しちゃいました。


──音声ログより──

「勝った、のか……?」

 

アリーナに響く歓声、巨大な試合中継に使用されるパネルには自分の名前が勝者としてデカデカと載っていた。

 

目線を下げると地面に立ってうっとりとした表情のオルコットがこちらをじっと熱い眼差しで見つめていた。

だけど俺はその視線に耐えきれなくなって顔を背けた。

 

──音声ログより──

「どうなったんだ……? あの時、たしかに意識が飛んでいた」

 

勝敗が決まるのは一瞬だった。

オルコットのブルーティアーズ本体に接近できたことに喜んだ俺の目の前に迫ったのは隠し球のミサイルユニットの攻撃だった。

 

──音声ログより──

「正直に言って驚いていますわ。代表候補性であるわたくしに、素人の貴方が接近戦に持ち込むなど到底考えられませんでしたの」

「なっ! 避けれないッ‼︎」

「貴方はよく頑張りましたわ。猿だのなんだと罵っておりましたが撤回させていただきます。貴方は正しく“男”でありますわ」

 

高々と勝利宣言をされるが、それは敗北が確定していると理解した俺には言い返せようのない言葉の数々だった。

だから諦めて目をつぶったんだ。俺がそのミサイルを回避することも防ぎきることもできるはずがなかったから。

 

──白式のログより──

[システム:Error]

[リミット強制解除を確認。零落白夜が顕現します]

 

その時、謎のシステムログが流れたんだ。

訳も分からない事態に戸惑って瞼を上げると雪片弐型の刀身がパックリと割れていて、そこから眩い青い刃みたいなエネルギーが放出されていた。

後から千冬姉に聞いたら、それは現役時代の千冬姉の愛機の単一能力だったらしい。でも、白式に何故そんなものがあるのかは結局わからずじまいだった。

 

そして、気づけば俺はオルコットに一撃を与えて勝ってしまったんだ。

 

 

 

それで呆然としていた俺の耳に、何処からか少女の悲痛な叫びが聞こえたんだ。

 

──織斑一夏の証言とノイズ混じりの音声ログより──

やめてぇ‼︎ 私からその人を奪わないでっ‼︎

 

はっきり言って突然の出来事すぎて何が起きているのかわからなかった。

 

──織斑一夏の証言とノイズ混じりの音声ログより──

お願いっ! 騎士様を! 私とあの騎士様を助けてッ‼︎

 

でも、切迫詰まった様子の声に俺は突き動かされたんだ。

この声は俺にしか聞こえないんだと、熱狂する観客席を見ていてそう確信したら俺が助けないと……! って思ったから。

 

織斑一夏の証言とノイズ混じりの音声ログより──

「何をしたらいいんだ? 俺は、誰を助ければいい?」

 

助けて……くれるの?

 

「ああ。何処の誰だか知らないけど、俺にしかできないことみたいだしな」

 

じゃあ私の言う通りの場所に向かって。そこに悪い人がいて私たちを傷つけるの

 

その会話は後からログを精査するとコアからのメッセージとして記録に残っていた。

つまり、白式がなんらかの攻撃を受けていたんだ。それが試合中に起きた違和感に繋がってるんじゃないかと俺は思っている。

 

 

そして、俺は白式が指示した場所に向かった。

終夜さんが襲われた橋の上だ。そこで白式が助けを求めていたのはボロボロに痛めつけられて血を流している男と刀を握って何処かに電話をかけている人だった。

 

俺は義憤に駆られたんだ。きっと白式が助けを求めたのは俺と同じ境遇の人が酷い目に遭わされたからだと。

顔も知らないけど(一人目の一夏の時と同じ轍を踏まないようにニュース番組などでも二人目の男性操縦者が見つかったという話は出たが政府の情報操作によって誰かはマスコミも特定できなかった)守る為の力を持った俺が戦わないとって思ったんだ。

 

 

それで結果は見ての通りです。

守ろうとしたものを攻撃した馬鹿な奴ですよ。俺は……

 

 


 

以上が織斑一夏の事情徴収とその記録をまとめた報告書です。

 

追記:5月14日

学園上層部の決定によりこの記録は厳重に保管され持ち出すこともしくはコピーなどの行為を禁じます。



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夢、現を忘れ

新年明けましておめでとうございます。
生存報告がてら投下です。


前回のは短すぎだったろう、と反省しております。
ですが、今回は長すぎる気もします。

文才と語彙力が足りないと、ひしひしと痛感してます。


 桜が舞う季節の中、この家を紹介する上で一番の目玉となるほどの巨大な桜の木が生えている庭に俺と束はいた。

 

 鉄打の者は幼子の時にこの桜の記憶を脳裏に焼き付け、死際もこの気が遠くなる年月を生きる桜に見守られながなら死んでいく。

 親父から聞いた話では、先祖も親父の父もそうやって最期を過ごしたらしい。現に母も親父もそうやって死んだ。

 

 俺たちの一族にとって、この屋敷は先祖が理不尽な武士や軍人たち相手に暴れまわった後の傷を癒したというアヴァロンだ。ここだけはいつの時代でも火の手が及ばぬ安全な楽園だったそうだ。

 

 山には山菜が、川には魚が、森には獣がいる。

 完全に完結した世界。いわば理想の箱庭だ。

 

 

 この楽園に足を踏み入る事を許されているからか、上機嫌な束は巨大な木の下にじっと立ち、堂々と鎮座する桜の幹に手を当ててその長い歴史の感触を確かめていた。

 俺はそんな彼女を観察するように庭に面する縁側に腰掛けている。

 

 ぼけーっと離れた位置から傍観者を気取っていたが、実を言うと不思議な気持ちで一杯一杯だった。

 それは、じっと見つめる視線の先に立っている彼女の瞑想にはどういう意図があるのだろうと思索していたからだ。

 

 荒んだ心を落ち着かせる為か、あるいは人間の根源たるものでも悟れるのか。

 沢山の想像した可能性を拾っては捨て、拾っては捨てを繰り返すが、結局分からずじまいに終わる。

 

 いつも、そうだ。

 答えなんて出るはずがないと分かっていても、ずっと観察を続けて考察を落とす。

 

 

──そんな無意味なことをして何になるのか。

 

 無意味じゃないと思っていたから、続けていた。

 俺は天災と呼ばれる束に尊敬の念と一種の憧れを抱いていたから、束の行動原理を読み解けば天才と呼ばれる理由に迫れるのではないかと考えていた。

 妄執に取り憑かれたように、どれだけ頭を悩まさようと考えることをやめなかった。

 

 しかし、そもそもの話が、天災の取る行動を凡人には想像すらできない。

 彼女は次元が違う。生物としての格が違うと言ってもいい。理解しようなんて考えた事自体が烏滸がましいという他ない。

 それに諦めずに努力したところで、それが意味のない行動だというのがわかってしまうから余計に理解できなくなった。

 

 世の中にはどれだけ努力しようと追いつけない存在がいる。それでも手は届くのではないかと淡い期待を覚えてしまうものだ。

 そこで『差』というものを教えられて心を折られる。

 

「はあっ……」

 

 思わずため息をこぼした。

 そんな燃え残りのカスみたいな心が萎れた俺とは対照的に、宙を舞う花弁すら活力に満ちた鮮やかな色合いを世界の片隅に落としている。

 

 無様な俺を嘲笑うかのように束は言った。

 

「元気ないみたいだねぇ?」

「おかげさまでな」

 

 それに対し、喜怒哀楽を感じさせないほどに混沌とした、複雑に感情が渦巻いた心で冷たい返事を返す。

 俺にこれ以上関わらないでくれ、そんな意思を言外に込めた。

 

「あれれ〜⁉︎ 束さん、また何かやっちゃった? だったらごめんね!」

 

 悪気のない朗らかに笑う彼女は、確実に、そして完璧に俺の思考を理解している。

 

 その上でこの態度だ。

 拒絶の意思を無視してまで俺にこだわり続けるのは何故だろう。

 

 タチの悪い相手だから追い出すことも逃げることもできないのは、呪われた装備みたいだなと馬鹿にするように笑った。

 

 一体、この呪いを解いてくれる教会がこの世界のどこにあるのだろうか。

 いいや、きっとそれは何処にもない。だから死ぬまで離れてくれないのだろう。

 

 何故、悔しさを感じるのだろうかと考える。

 それはまるで、狼に目をつけられたウサギのように、思えたからではないか。

 憂鬱だ。俺は狩る側になりたかったのに。

 

 被害者よりも加害者に。

 それが力だけがある弱者の俺が抱く愚かな願いだった。

 

 

 俺は力なく笑みを浮かべた。

 そうすれば獲物を見つめる獣が興味を無くしてどこかに消えてくれると思ってるみたいだ。

 

 そんな俺の態度が気に入らないのだろう。

 束は腰に手を当てて不服そうに指を刺して指摘してきた。

 

「なんだいその顔は! あからさまに嫌そうにしちゃって!」

 

「失礼な奴だ」という彼女の意見には同意しかねる。

 

 だって当たり前のことだろう。

 嫌いな人間の前で、心から楽しそうな表情をプロの役者でもない俺が浮かべれると思っているのだろうか。

 仮にそんな芸のある人間であったとしても、嫌悪する雰囲気を消せるとは到底思えない。

 

 取り繕った笑顔も君は見透かしてしまい、隠したい最奥の本心すら暴くのは間違いない。

 なんて理不尽なんだろうか。

 

 

 俺の不遜な態度に若干の呆れと悲しさを滲ませながら束は質問してきた。

 

「どうして、そんなにも私のことを嫌ってしまうの?」

 

 白々しい。

 人の触れられたくないものを握り潰し、人の大事なものを壊すことに喜ぶ精神異常者が煙たがられない訳がないだろう。

 

 だからはっきり告げる。

 お前が嫌いだと。お前は邪魔で人を不幸にさせる悪魔だと。

 

 そう言えば、傷ついた心は俺に会いたがらなくなるはずだ。

 だから、言う。

 

「残念だが…俺も、君も。どちらも人を苦しめることしかできない爆弾なんだ」

 

 そう教えた。

 そして、君の本性を言い当てれば、君はここから逃げ出して、あれを恨んでくれるはずだ。

 

「そして…お前は悪戯好きなガキと一緒だ。人の嫌がることを理解した上で実行するんだからな」

 

 予想は、外れた。

 束は怒りの形相を浮かべるでもなく、嘆くように涙を流すこともなかった。

 

 ただ、嬉しそうに微笑んだ。

 

 それを言い表すならば化け物の笑い、悪魔の笑みというのがしっくりくる。

 本当に、それは吐き気を催すような、同じ命を持つ存在だとは考えたくもない姿をしている。

 

 ほら、見ればわかる。

 ケラケラと、ニコニコと笑う束が気持ち悪い。

 肩を左右に揺らして、ヒューっと気持ちの良い風に目を細めている。

 そんな儚げな雰囲気からは善性を身に纏う邪悪さが滲み出てる。

 

 直視すると、どんどん本性が表れていくようで、ニタニタとした鋭い瞳に心を覗かれる錯覚に混乱し、気味が悪くなる。

 

──どうして喜ぶんだ?

 

──どうして笑えるんだ?

 

──どうして嬉しそうなんだ?

 

 分からない、理解できない。理解したくない。

 

 でも好奇心が言葉になる。人間は禁じられたものほど興味をそそられる。

 いわゆる、カリギュラ効果という奴だ。

 

 俺は恐る恐る口を開いた。

 人間の愚かさは、危険を冒す探究心を止める術を知らない。

 

「お前にとって…人の不幸は蜜の味か?」

 

 それを聞いた束は精神を狂気に蝕まれているように「あはっ!」と笑った。

 そして彼女はますます笑みを深め、こう言った。

 

「そんなことないよ。私はね…いつも良かれと思った事しかやらないよ。特別気に入った人には特に、ね」

 

 嘘だ。咄嗟にそう言いたい心を押さえつけた。

 

 彼女は本気でそう言っている。それを分かってしまうから、彼女と関わりを持ちたくなかった。

 

「だから、嫌だったんだ……」

 

 どういう精神構造をしていたら、そんな歪んだ方向に成長するのだろうか。

 その疑問は誰も口にしない。

 口にすれば、恐ろしい想像に苛まれてしまいそうで喉が締め付けられて言葉にできないからだ。

 

 無邪気さは悪意に、善心は無意識の攻撃に。

 人をいじめる為に生まれたような存在は害意そのものといっても差し支えがない。

 

 どうすればこの悪霊を祓えるのだろうか。

 邪神級のそれを祓えるお寺や神社が世界にあるのならいくらでも金を積むから消して欲しい。

 

 

 そんなつまらない考えばかり巡らしている俺に対し、退屈そうに彼女は言ってきた。

 

「ねぇ、こんなどうしようもない話をしても面白くもないし、もっと楽しい話をしようよ!」

 

 暗にこの話題をするな、と言われている。

 やはり、心のどこかでは傷ついているのだろう。

 その要素が。束を唯一人間たらしめている理由なのではないだろうか。

 

 少し、まだ解釈の余地を残している。

 だから、この話題からは切り上げることにした。

 

「……例えば?」

 

 でも、理性が拒絶するのは変わらない。

 目を絶対に合わせないようにと、真っ青で穢れのない空を見上げた。

 そうすればおのずと見えるのは様々な形をした雲だ。

 

 遠い昔を回顧する。

 全てに希望と期待を抱けた、明るい日常だ。

 

 その日々が懐かしくて、つい思い馳せてしまう。

 

『ほら、あそこに金魚の雲が、あっちには鹿の雲もある』

 

 空を指差して隣に座る⬛️⬛️に教えた。

 でも、そんな形の雲はなかった。

 ただ、彼女の気を引きたかっただけで放った言葉だ。

 

『本当……? どこにあるの?』

『だから、あそこをだよ』

 

 俺がまた適当なことを言えば、⬛️⬛️は立ち上がり、小さく可愛らしい目を細めて、うーん、うーん、と悩みに悩んで違うといった。

 

『やっぱり違うよぉ! あれは…クジラだよ‼︎」

 

 目が合った。

 彼女の綺麗な澄んだ水色の瞳は、空を見つめた時と同じように吸い込まれそうな魅力があった。

 

 そして、心臓がドキッと音を立てた。

 

 だけど、それを決して表に出さないように平静を装った。

 独りよがりで、女々しい姿。それが最後に求めた夢の形。

 

『そうかな?』

『そうだよ!』

 

 ああ…やはり懐かしさは毒だ。

 そう実感する。

 

 昔はこうやって一緒に空を見上げていた。

 それだけで楽しかったし、心が落ち着いた。

 

 

 空は良い。地上のように窮屈じゃない。

 

 雲は良い。何にでもなれるし、どんなところへも行ける。

 

 地上は地獄で、空は天国。

 きっと、誰もがそう思ったから、神々の住まう世界は地上とは遥かに遠い空にあるんだと、憧れと嫉妬でみんながそう思ったんじゃないだろうか。

 

 

 俺にとって、天国は確かにあった。

 誰にも穢されない幸福の日常。

 

 だけど、とっくの昔にそんな平穏な時間は過ぎ去ってしまった。

 今は後悔しか残っていない。

 

 

「空…いいよね」

 

 束は俺の視線をなぞって興味の対象が空に映ったのだと気がついたようだ。そういう気遣いが今は、とてもいらなかった。

 

 だけど、束はそれを共通の話題になったと考えたようで、話を振ってくる。

 

「うん、空はいい。私も小さい時にそう思ったよ。自由な空を羽ばたいてみたいってねぇ」

 

 悲しさと虚無感に包まれた。今では空を見上げても虚しさしか残っていないからだ。

 心を抉る損失感は、心臓握る潰すような痛みを与えてきて、息苦しくなる。

 だったら、そのまま呼吸できなくなればいいのにと思う。

 

 束は独り言のような──この静かな庭では十分に聞こえる声量だ──か細い声でこう聞いてきた。

 

「ねぇ…君は空を飛びたいと思わない?」

 

 

 俺とお前は違うんだ。

 

「いいや、思わないよ」

 

 俺はそれをみているだけで満足なんだから。

 

「飛びたいだとか、鳥になりたいだとか…思ったことは一度もないよ」

 

 俺は空を飛ぶという事自体が怖かった。

 隣にいた⬛️⬛️を置いて飛んでしまえば、家に帰る道筋も分からなくなりそうだった。

 だから、そんな憧れは抱かない。

 

「本当に…本心からそう言っているの? 大事なものを失う事はそんなにも怖い?」

 

 お前には決して分からないだろう。

 

 失ったものがないお前には。

 執着するものが限りなく無いお前には。

 手の打ちようが無いと諦めるしか無い俺のことが。

 

「ああ。怖くて夜も眠れなくなる」

 

 

 すごく疲れたな……

 擦り減った心を癒せる場所が欲しい。

 

 両腕を広げて子供みたいに楽しそうにぐるぐる回る束なんて放って、1人だけの静かな森の中に捨てられたい。

 沢山の獣に囲まれて、本能という無垢な精神体の中に取り込まれたい。

 そしたら自分の醜い心も忘れられる気がしたから。

 

 

 

 ぎりっと歯を鳴らす俺を見て、束は赤子をあやすような声色で言う。それがとてもうざったらしく感じた。

 

「そんな顔をしないでよ〜。そもそもの話、君は過去に囚われすぎなんだよぉ……」

 

 “前を向いて歩こう”を口ずさむ彼女は能天気にしか見えないが、言っていることが正しいと分かってはいる。

 

 俺を側から見ればきっと虚な目をしていたんだろう。

 瞳が暗く、濁り、腐ってしまっているのは心が黒く荒んでいるからだ。

 

「はあっ……」

 

 また、ため息をついた。

 毎日、呼吸をするように深いため息ばかり吐いている。

 

 心に渦巻く寂しさは、少しずつ魂が抜け出ているみたいだった。

 

「もうぅ…! ネガティブ君を相手するのはしんどいなぁ」

 

 束が呆れたように言った。さらにやれやれ、と手を挙げて首を左右に振る。

 

 いつもなら、カチンときそうだが、心には何も湧かない。

 魂が抜け出ているせいで感情が死んでいるみたいだ。

 

 完全にこの話題が地雷だったと気づいた束は、さらに話を別の方向に持っていく。

 

「うーん…そうだ! ISの話なんてどう? 開発者様の特別講義だよ! 世界で一番価値のある内容が詰まってるし、受講できるのは今ここだけさ!」

 

 閃きを口にされても、さほどISに関心はないので聞き流すだけだ。

 それに胡散臭さはテレビのネットショッピングと同レベルだ。興味もなければ欲しくもない。少し調べれば大体が大手通販サイトで安く打ってたりする感じ。

 

 そも、前提として俺と彼女では知識と知能のレベルが違いすぎて話にならないのではないかと不安になるから拒否したいところだ。

 

 でも、それができるなら最初から苦労なんてしない。

 

「話したきゃあ…話せばいいさ。どうせ、嫌って言っても勝手に喋るんだろ?」

 

「ありゃばれちったか」と、束は悪戯がバレた子供のように舌を出した。

 そして開き直って話を再開する。

 

「そりゃあ…ねぇ? 自慢の娘は声高々と言いふらしたいものだもの」

 

 そんなにも何かに熱中できることを尊敬できる。だから素直に彼女の話に共感してしまう。

 

 でも、結局無益な事だと理解しなければならない。

 俺に話したところで価値を見出せるわけがない。

 

 俺の仕事は刀を打つことだ。今更技術者に転職する気もないし、そんな知識と素養もない。

 俺に課せられた使命は、それらの伝統芸品を歴史の海に埋もれさせず、その素晴らしい職人の技術を後世に残す事だ。

 他の選択肢など、もとよりない。

 

 

 だから、時にはこうも好き勝手にできる彼女が羨ましくも思えた。

 

 自由に生きて、自由に死ぬ。

 誰かを理由にせず1人で背負って生きる姿は眩しくて目を開けていられないほどだ。

 でも、単に課せられた責務を憎んでいるわけではない。嫌気が刺す時があるのだということを覚えておいて欲しい。

 

 

 束は寛容的な雰囲気に満足し、自慢の娘たちについての話を意気揚々と話し始めた。

 

「それじゃあ、第一章「ISの核について」始まりー始まりぃ〜!」

 

 自分で拍手して、口笛を吹く。まるでサーカスを見ている気分だ。

 

 だけど、束は道化師というよりも座長の方がしっくりくる。

 馬鹿な事をしでかして観客から笑いを取るよりも、凝った演出でみんなをあっと驚かせたがる性格をしていそうだからそう思えた。

 

 そんな心底どうでもいいことにこだわるのは、束なりの気遣いか、それとも幼稚なファッションセンスから見て取れる夢見がちな性格のせいだろうか。

 

「あ、ちょっとタンマ!」

 

 両手でTの形を作った束がどこからともなく取り出したのは緑茶のラベルが貼られたペットボトル。キャップを回して、並々と入った緑の液体を喉に流し込んだ。

 

 喉が渇いたなら言えばいいのに。

 そんなことを思いながら、右に置いてあるお盆の饅頭を手に取り、同じように緑茶で口内を潤す。

 緑茶と餡子の相性は抜群だ。というか、甘いものは緑茶などの甘味を消せるものがなければ好んで食べれない。

 

 何処からか、じいっと物欲しそうな眼差しを向けられるが気づかないフリをする。

 話しかけたら戸棚の中の煎餅がなくなってることを引き合いに出さなければならなくなるからだ。

 

「……それじゃあ再開するよ」

 

 諦めがついたようだ。

 最初からそうすればいいものを……

 

「大前提としてね、あの子たちは、私の意思が反映されたものなんだよ〜」

 

 直前まではそっぽを向いていたのに、急に振り向いて話を切り出した束に少し困惑した。

 だけど、目を閉じて考え事をしながら言葉を続ける彼女に俺は静かに耳を貸した。

 

 ここで口を挟む理由もない。話したい奴には好きなだけ喋らせればいい。飽きたら勝手に離れてくれるのだから。

 

「懐かしいなぁ。あの頃は今では考えられないほどの熱情に身を任せていたからねぇ……。だからこそ私は、娘たちを創り出せたのかもしれないけど」

 

 ISの開発者である彼女──篠ノ之束は懐かしそうに目を細める。

 ただ1人に対する講義であっても真摯に演説を行う姿には、未来の科学者としての才能が表れていた。

 

 これは意外だった。

 馬鹿な生徒相手の気の引き方をよくわかっていらっしゃるようだ。

 

 俺は少し興味をそそられたことを否定できない。

 だから、少しだけ話を聞いてもいいかと思えたから質問した。

 

「……これは感動的な話か?」

「うん。そうだよ」

 

 即座に肯定した束には明確に伝えたいことがあるのだろう。

 少しは真面目に耳を傾けることにした。

 

 

 ふと、疑問が浮かんだ。

 

 それは本当に俺に必要なもの、なのだろうか?

 

 こんなことを考えてしまうのは、俺の生きる原動力が日に日に弱まっているように感じていたからだ。

 疑うことでしか自分の目的と意思を確認できなくなる。鬱の症状に近しいそれは精神の不安定さを物語っている。

 

 でも、不安は決して出さない。

 弱みは刃となって自分に返ってくると知っていた。

 

 だから、あたりざわりのない態度をとる。

 

「そうか。なら続けてくれ」

「あいよ〜」

 

 でも思考は止まらない。

 

 残された子供、受け継がれていない技、絶えてしまうであろう血。

 

 全てが俺の人生で最終的に達成させるべき使命だというのに、根幹を揺るがされてしまえばあっというまに愚かな思考に苛まれてしまったことに深い嫌悪を覚える。

 

 

 落ち着け。深呼吸をして、痛みを思い出せ。

 

 鋭い痛みが頭に響き、思考が中断した。

 掌に食い込んだ爪の先からはじっとりと血が溢れていた。

 

 こうやって自分で自分を追い詰めてしまうのは悪い癖だと以前も言われた。

 だけど、この病に効くのは痛みだけだった。

 この変えようのない性格が今更変貌することはない。それこそ、記憶でも失わない限り。

 

 

 そう、以前はもっと深刻な症状だった。

 

 精神に致命的なほどの欠落が生じてしまった俺は底なしの真っ暗な死生観に囚われていた。

 ある時、部屋で腹を切って死んでいてもおかしくないほどに希望の光を見失い、心が絶望に呑まれてしまっていた。

 

 それでも今を生きるのは、貼り付けにされて丘を歩かされたキリストのように罪を背負い続けないといけないからだ。

 

 だから、今日も自分を痛めつける。

 心の激痛を、痛覚から生じる肉体への痛みで打ち消すのだ。

 

 ああ、何か別の依存できるものに出会えたら、こんな薬中のような人生を送らないで済んだのかもしれない。

 

 

 束が話すのはそんな心の拠り所だ。

 自身を現すもの。俺なら刀、彼女ならIS。

 

 そこに違いなんてものはない。

 

「私はね…あの子たちを本当に愛してるの。……機械を愛してるなんていうのはおかしいのかな?」

 

 小さな子供が疑問に思うように、コテンと首を傾げているのは、非常に整った容姿にロリータ系のメルヘンチックな服を着ているおかげでまだ似合っていると言えた。

 だけど、それは無邪気な子供の反応のようで、束の未成熟な精神の表れのように思えた。

 

「嘘じゃないんだよ。私にはISが愛おしくて仕方ないんだ」

 

 俺には束という天災の存在が理解できない。

 卓越した分析能力と未来予知と錯覚させるほどの計算力を持っているというのに、時折見せられる幼さゆえのあどけなさに惑わされるからだ。

 

 彼女は人間の欲望の赴くままに犯す愚かな過ちを憎んですらいるというのに、感情的な行動を誰よりも評価する。

 

 理解の範囲を超える行動を間近に見続けて断言できるのは、束の哲学は独りで完成させた宗教のようなものだということだった。

 

 だから、彼女の言わんとしている機械へ向けた感情というものにも独自の哲学によって定義された根拠に基づいているのだろう。

 

 だから理解しているフリをする。

そうすれば彼女は満足する。そうやっていつも右に左に流していたから、どうにか付き合いが絶たれることはなかった。

 悲しい事だがもう疲れてしまったので、この関係もそろそろ終わりにしたいというのが本音だった。

 

 俺には君が妬ましくてしょうがない。

 自分を騙さずに、この世を生きていけるのが自分には出来ないことだと理解しているから、なおのこと。

 

「おかしいさ。常人からしてみれば機械に愛情を向けるなんて異常だよ」

 

 本当はそんな事を思っていない。

 

 愛に形なんてものはない。

 だから、何にだって愛を向けてもいいはずだ。

 

 それが、人間として破綻してしまうものでなければ、なんでも。

 

 

 束も俺の考えと同じだろうから反論をする。わかりきったことだった。

 

「でもさ…あの子たちは人と同じ心を持っているんだよ?」

 

 しかし、機械に心がある、なんてありふれたSFみたいだ。

 

 なら、機械が愚かな人間に反抗したり、上位者として支配を始めたりするのだろうか?

 その為の力がある事は数年前の白騎士事件で世界に証明してしまっている。

 

 そんなふざけた考えが頭に浮かぶ。

 

 けれど、そんな疑問は口に出さない。

 なぜなら、この疑問はISへの侮辱と束は受け取るだろうから。

 

 自分の娘をただの危険な兵器として受け取られることを、彼女の言う凡人たちならともかく、理解者として扱われている俺が言うのとでは訳が違ってくる。

 

 きっとその認識を改めようと厄介な事を仕掛けてくるのは想像に容易い。

 

 だから黙った。

 幸い、上機嫌で、熱に浮かされたように娘のことについて長々と説明する彼女には感づかれなかったようだ。

 

「そうだ、聞いてよ! 今日はね…最近産みだしたコアナンバー423が『空を飛べる鳥は、雲の味を知っているのでしょうか?』って聞いてきたんだよ。雲に味なんてないのにね」

 

 ああ、そりゃ笑っちまうな。

 そんな産み落としたなんて表現する君の深い愛情には頭が下がる。

 もはやISを作り出した親だから、なんていう発明品への自信と責任感なんてない。それは子供に向ける愛情としか形容できない執着心だ。

 君の大事なものは理解の範疇を超えているんだ。

 

 取り繕って、自分を騙して生きる。

 それは本当に生きているのだろうか?

 

「鳥には雲という認識すらないんじゃないか? ただそこにあるだけ。意味なんてない。いつも生活圏にある日常の中の畳みたいなもんだろう?」

 

 

 どうして彼女は俺に話をするのかだろうか?

 こんなどうしようもなく世界に絶望している人間に、何か可能性を見出したのか。

 それならぜひ教えて欲しい。

 俺に身を焦がせるほどの生きる目標を与えて欲しい。

 

 

 束が面白くなさそうな反応をしたので、無理やり誤魔化す。

 じゃないと、またISの魅力についてやらを最初から聞かされるハメになってしまう。

 

「ただまあ、ISは心があっても金属でできてるからな。味、という人間の五感を感じれないから…そう思っても不思議ではないかもな」

 

 満足そうに束は頷いて、次の説明に移行する。

 

 IS、インフィニット・ストラトス。

 無限の成層圏という名を与えられたそれは、人類に新たな変革をもたらす。

 

 公害、人口増加、資源枯渇。

 地球は今にも人の重みで潰れてしまうかもしれない。

 

 だけど、空を見上げて見ればわかる。

 宇宙は果てしなく、人で埋め尽くす事は不可能だ。

 

 だから、地球だけが人類の生存圏だという常識が覆される。

 

 それは、生きる為の技術革新。

 

 いわば進化だ。

 

 

 

 鳥は、どうして空を飛ぶのだろうかと疑問に思った事はないか?

 

 答えは簡単、生きる為だ。

 

 翼を得たのが生存競争を生き残る為だというのなら、空は何者にも脅かされることのない自由な場所だと思って逃げたのだろう。

 

 

 ここで、俺に疑問が芽生えた。

 

 でもそれは、遠い祖先の鳥類の進化のはずだ。

 今の鳥は翼が当たり前に持って生まれたのだとしたら、何を思って日々を生きるのだろうと……

 

 最初から逃げ場を与えられて何不自由なく暮らせるなら、一つの目的や生きる意味を見出せるのだろうか。

 鳥も獣たちの動物は何を思って日々を生きているのだろうか、それがわからない。

 

 

 ならば、人で考えてみよう。

 

 人間は何を思って生きているのだろうか。

 惰性ばっかりで争いは絶えず、争いを避ける為に自分たちを律しようとルールをつくれば、ずる賢い奴は抜け穴をつくって得をする。正直者が馬鹿を見るってやつだ。

 変に理性と知性を得てしまったから地球上でどの種よりも繁栄し、そして世界1の愚かな種族になった。

 

 だから、もしかしたら彼女は純粋で無垢な機械仕掛けの生命を愛したのかもしれない。

 新しい生命。愚かでなく、生きる目的を見いだせる知性と理性を有する存在だったから。

 

 慈愛の笑みを浮かべる束は一つも取り繕ってなどいない。

 

「うんうん。全く、可愛いったらありゃしないよ」

 

 君は人が嫌いだから、人以外を愛してしまうのかい?

 

 そんな言葉は口に出さなかった。

 束は聡明で、言動やファッションセンスとは違って案外大人びてるから、綺麗なものは好きだよって言われておしまいだ。

 

 俺が知る綺麗な人間なんていない。

 だからこそ、美しいと思えるような、恋焦がれるような綺麗なものを教えて欲しいものなのだが。

 

「なぁ、あのさ。娘っていうのはそれほどまでに……いんや、何でもない」

 

 人に教えてもらった答えなどに意味はない。

 自分で見つけたからこそ、『自分の答え』になるはずだ。

 

 だから、精一杯探してみようかなと思ってもみたが、これっぽっちも心当たりはない。

 刀、家、血。

 それぐらいしか俺にはない。

 

 つまらない人間だ。

 でも君はいつも楽しそうで、不思議だ。

 

 だから、俺には何もないけれど、君には何があるのだろうかと考える。

 そんなこと、知っている事実を陳列してみればわかる。

 

 きっと彼女だったら世界的な天才科学者として、そう例えばニュートンやアインシュタインのように、歴史に名を残すことは間違いない。

 ISコアの画期的なエネルギー、医療分野に転用できる高度な技術、それから量子格納という未知の領域へのアクセスを持ってすれば、ノーベル賞を受賞するのは簡単なことだといえる。

 

 しかし、彼女はそんな名誉が与えられることを光栄だとは思いもしないだろうが……

 

俺の独り善がりな思考は、途端にその心を、複雑な気持ちでいっぱいに満たした。

 

だが、彼女はそんなことをつゆほども知らず……、というわけではなく、ただ見透かしていても気づいていないフリをした。自分でその話をするのは気恥ずかしく思ったからだ。

 

 だから、俺の疑問に対して嬉しそうに頷いて見せるだけで、その頭の中ではいかにして難しい専門用語を使わずに説明するかと思索しているのだろう。

 

「ん? 何か言いたげだね」

 

 ふいに束と目があった。

 こんなところで腐るだけだなんて、勿体ない……そんな言葉が聞こえてきそうだ。

 

「そうだ! 君も私の子供たちの理解者になってよ」

 

 彼の思考パターンを想定した束は推測するが、そんな態度をおくびにも出さずに、本題から意識がそれているであろう彼を話に引き戻す。

 束としては、この場に関係のない話を持ち出されることが嫌だった。今はただ、自分の愛おしい子供たちの自慢話に付き合って欲しかったのだ。

 

「そうだね……まず最初は、ISを構成する中でも一番重要な部分を教えてあげようかな」

 

 俺の意識は彼女の唇に注がれる。

 ぷっくりとした柔らかな唇によって綴られる一つ一つの言葉には情熱的な愛情が込められており、いつもの元気いっぱいの近所のお姉さんと言ったものではなく、親戚の三十代の子持ち女性といった風に思える。

 そんな考えを見透かしたように睨まれて肩を震わせた。

 

「ふん…まあいっか。……まずね、ISにはシステムが提案する選択肢を選ぶ、つまり総合的判断を下す人間の脳に位置する機構があるんだ」

 

 脳みそ。

 その表現方法はあまりに人間を意識させるものだ。

 

 心があって、人間のように自由に選べる。

 獣のような人間と人間の心を持った機械ならどっちが人間らしいか、どちらも人間とはいえないけれど、後者の方が人間らしいと俺は思えた。

 

「それはつまり、人間の脳みそのコピーってことか? 何故そこまで人間に似せるんだ? 人間に近すぎたら愚かさまで再現してしまうだろうに」

「そうだね。けれど、私は搭乗者の異常に対して起こりうる事象を機械的に判断し、対処するだけでは従来のものと変わらない合理的判断しか下せない欠陥品になるとした。言ってしまえばこうなる事は必然的なんだよ」

 

 束は無駄で無価値なことを嫌う。

 それは小さい時から開花させていた才能を皆が認めようとしないかったからだ。いくら天災などと言われようとも彼女はれっきとした心を持った1人の少女だった。

 それを“化け物”などと言われれば傷つきもするし、人間不信にだって陥る。

 

 だからこそ、無駄を嫌い、誰が見ても完璧でありながらも、人として生きていけるようになろうと足掻いた。

 夢も才能も周りの人間が認めようとしないのなら、世界に認めさせようとした。だからISを生み出したし、世界に広めたのだ。

 

 

 だが、ただ合理的なもの、というのは気に入らなかった。

 海外によくあるSF小説の、コンピュータに支配された世界という内容のディストピア系の本を読んだことがあるだろうか?

 その内容をもとに言えば、人々の生活に無駄という概念はなく、誰もが価値のある存在として生きている。

 その代わりに“人間性”が削られていると感じることはないか?

 

 それはただ“与えられるだけ”ということに問題があるのだ。

 人は物事を考え、触れることで様々なものを感じとることができる。

 それをコンピュータから与えられる幸福に支配されれば、人間が歴史とともに築き上げてきた人情というものを失ってしまうあるからではないかと、束は考えた。

 

 その最もたる原因は、コンピュータが死と痛みというものを知らないからだ。人の気持ちを知らなければ、合理的判断を下すことで抑圧される感情があるということも知らず、だからこそ不満に思う人間が現れるのだ。

 

「機械には人の死も、痛みも理解できない。それでは人と共に空を翔ける相棒(パートナー)にはなれない。その資格すらないと思ってるからだ」

「だから、か」

「そう、だからあの子たち(IS)の擬似人格の根幹となる意識は私を模倣してつくった。人のような感性と、感情を持っているのはそのためだ。ISは無感情などではない。ちゃんと喜怒哀楽を抱いて生きているんだ」

 

 束が一息つくのと同時に無神経にも欠伸をした。

 ことの成り立ちなどには興味がないのだろう。束は思わずイラッとして眠そうな顔をはたいてやりたいと思った。

 

「それで、だ。人に近いから相棒になれるし、正しい成長を促せば不良品はできないって、本当に考えているのか?」

「そんなわけないじゃん。イレギュラーはいつだって現れるんだよ? そういう規格外のものは、私が回収して手元に置いておくんだよ」

 

 

 若干物分かりの悪い受講者に、彼女は腹を立てて口を尖らせた。

 受講者もISに関心はあるのだろうが、きっと基礎的な知識が足りていないのだろう。抑えるべき場所を抑えずに要点だけ覚えてテストで100点とっても、完璧に理解できているわけがない。

 

 

──そういえば、彼は家業を継ぐ為に高卒だったと言っていた。つまりまだまだ学ぶべき事は多い。

 

 今度会う時にめいいっぱいしごいてやろう、そう束は心の中で決める。

 青年はぶるっと身震いして、近いうちに不運な目にあわされる気がした。

 

 それを気のせいだと割り切る為にも、極力無駄な事を考えないようにと青年は束に質問を投げかけた。

 

「それで? ISには、君の何が反映されているんだ?」

「よくぞ聞いてくれた! 実を言うとね……ISがシステムとして操縦者に共感する以前に、あらゆる人間は一度は拒絶されている、ということなんだ」

 

 束が慈しむように掌の上で弄っている菱形立体のクリスタル鉱石のようなものはひっそりと淡くも強い輝きを放っている。

 

「その言葉の意味がよくわからないんだが……」

「まだ分からなくても大丈夫。いずれ分かるからね」

 

 手にした鉱石を見せびらかしながら、カッカッカッとわざとらしく靴を鳴らして近づいてくる。

 注目を集めるための小技が必要ないという事実に、青年はこの小さな空間に虚しさを覚える。ISという存在に興味を持つものなら誰にも等しく価値がある内容だと理解しているからだ。

 

 そして束はその鉱石を持って青年の目の前に立ち、短い言葉とともにそれを差し出した。

 

「よく見て……これはどんな風に見える?」

 

 手に取って覗き込むように鉱石を観察すると、クリスタル状の中心部から変化が起こる。

 

「青白い光が、中心からあふれ出るように漏れている……」

「では、何色かな?」

 

微笑む彼女に告げる色は……

 

「雪のような……白い、色だ」

 

 

 束は鉱石を返そうとする右手を押し返し、講義を続けるのに必要かは分からないが、彼女は最初の講師と受講生の位置に戻った。

 

「そうだろうね。それはまだ凍えているんだ……私の心では決してありえない欲求、人肌を恋しがっているんだ」

 

 そんなわけがない、と即座に否定する青年に鋭い目つきで睨みつけるのは感情論で否定した愚かさを責め立てているからだ。

 

 人肌が恋しい──寂しいという感情を白雪で表すその球体は、つまり抱いた感情を色や景色といったもので表しているのだろう。

 

──人の心も、そんな風に単純であればいいのに……

 

 

「段々と…君も理解してきたんだろう? ISがなぜ女性だけに反応するのか」

 

 先の恥を払拭することを促す彼女の手振りから俺は仕方なく口を開く。

 恐々としているのは、人の心を推し量って言葉にすることに抵抗があるからだ。

 

「束には、男に心を許せる存在がいなかったから」

「その通り。私が心を許せる男性はいなかった。私を好いてくれた、たった1人の男の子がいたけれども…私は抱いてしまった劣情から心を開くことができなかった」

 

 それがISが女性だけに反応する心理だと彼女は言った。

 ISの意思がコアの決定権を握っている。ISは機械でありながらも心という人間の神秘に触れているからこそ、AIには到底できない進化と人間との共存を可能にした。

 

「ISは人の心を写す。綺麗なものも、穢れたものも。それが私というオリジナルからかけ離れた単一の精神に昇華される」

「えっと……? あー、悪いがはっきり言わせてもらう。……もう無理だ。俺の頭の理解力の限界を超えているんだ」

 

 悲痛な願いに束は意識を割いた。彼女は知っているのだ。

 青年が、ただの平凡で退屈な人間ではないということに。だからこそ、彼女から近づいたのだ。

 他人に理解されないとわかっていながらも。

 

「本当にそう思ってる? 私の見込み違いだって言いたいのかな?」

「そうは言ってないさ。だけど……」

 

 俺は苦々しい思いを噛み潰すように歯をくいしばる。

 束という孤独な存在を受け入れて地獄を見ることになった。

 

 後悔はしていない、もとよりできもしないのだが、それでも束の望むような結末を迎えることになったことを許せなかったのだ。

 今度も自分の考え通りなら束の用意した舞台で踊らさせるこ駒にされる。もう懲り懲りだ。

 

「それとさ、これは受け取ってくれないのか? 俺が持ってても意味ないだろうし」

 

 それに気にかかるのは手渡されたコアだ。

 悪い気なんて感じない。むしろ気持ちが落ち着くような強く惹かれるから恐ろしいのだ。

 

「ふーん……なるほどね。察しちゃったんだ? その鉱石の輝きの意味。君を求めるコアの意思を」

 

 息が詰まる。首に手を当てて喉を圧迫されてる気分だ。

 つまるところ簡単に言えば苦しくて吐き出しそうってこと。

 見透かされたような眼差しを向けられて──事実、彼女は彼の思考を完璧に理解していた──耐えられなくなった。

 

「もういい! 黙ってくれ! 」

「いやだね」

 

 拒否。

 束が人の苦しむ姿を楽しんでいる様子はない。

 理性的な問い詰めは正当性を伴うことがほとんどだから、一層否定することが難しく、言い争う暇もなく自分の非を自覚させられる。

 

「それよりもどうして君は辛いことから逃げてしまうんだい?」

「どうだっていいだろ! そんなこと……」

「いいや良くないよ。だって君は本当に弱くなってしまったから。ねぇ…そんなにも彼女がいないと不安なのかい?」

 

 無邪気に心の中を覗き込む束は虫をぐちゃぐちゃに引き裂か殺す事を喜ぶ子供と変わらない。

 

「やめろ! 聞きたくないんだ。これ以上俺に何を求めるっていうんだ? これ以上君の心を満たすだけのシナリオには付き合いきれない……ッ!」

 

 俺は狂ったように頭を抱え、外部からの視覚や聴覚からもたらされるあらゆる情報を遮断しようとする。

 現在、20になるかといった年数しか生きていない短い人生でありながらも、これからの人生の大半を占めるとまでいえる強烈な経験を終えていた。

 故に過去の記憶を抉られることが何よりの苦痛であり、思い馳せることで途端に胸が締め付けられるのだ。

 

 

──今の俺は、裏切っていないか?

 

 そんな自問自答が無意識のうちに繰り返され、とても不安になってしまう。

 

 

「じゃあ、これで最後にしようか」

 

 束の気遣いに感謝を述べるのは間違いだった。

 彼女の最後というのは話の終わりではなく、俺の心を抉るトドメの一撃だった。

 

 

「彼女の意思は…君の持っているISコアが引き継いでいる。きっと君を愛しているからこそ、全ての人間を拒絶するだろうね」

 

 疑心が確信に変わる瞬間。寡黙な青年は唇を震わせきっと目を伏せる。

 束はそんな俺の心境など知らぬとばかりの手つきで、乱暴に俺のISコアを握る右手首を掴み、ぐいっと目と鼻の先にまで引っ張り上げた。

 

「痛っ……ッ!」

 

 思わず目を開けた俺の瞳に映ったのは想像もできないものだった。

 

 透き通ったクリスタルの中心に、先ほどまでは白雪のような光が溢れていたというのに気づけば優しい日光のような、雪解けを想像させる世界を小さなクリスタルの中でつくっていたという幻想的な風景だった。

 

「彼女の心の在り方と、私の人間不信は全く違うものだ。彼女は君に依存していたからね…おそらく君以外に操られることを嫌うだろう。まさしく、愛の結晶だね?」

 

 嫌らしく笑う彼女はそのまま背を向けて歩き出す。

 その背を見送りながら、掌の中にある虚しさを感じさせる球体を見つめると異変に気付く。

 

「光が、どんどん溢れている……」

 

 行き場を失ったクリスタルの光は空間を白く染め上げる。

 そして、視界が正常な世界を見せる時には白銀の首飾りとなって離れなくなってしまった。

 

「これも君の筋書き通りなのか……?」

 

 憎々しく去っていく女性の姿を見つめていた。

 彼女の思い描く世界は⬛️⬛️を失っても続くということに息苦しさを覚える。

 

「俺は、裏切っていないだろうか……」

 

 その問いかけに答えるように、首飾りのチェーンは終夜の首をきつく締め上げた。

 そこで記憶は途絶えた。

 

 

 

 

 

 崩壊していく世界を最後まで眺める者がいた。

 

「まだ覚えてくれていたんだ……。貴方は優しすぎるのよ」

 

 幼い少女の声が響いた。凛として透き通る声。

 実態のないそれは、記憶の再生が終わったことでブラックアウトする世界を後にした。

 

 

 



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