ポケットモンスター虹 ~Lightning Yellow~ (裏腹)
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ポケットモンスター虹 ~Lightning Yellow~

『みて、ブロンソ。とうさまがくれたクレヨンでかいたの』

『おお……お上手ですな。これは空を飛んでいる……飛行機ですかな?』

『ううん。せんすいかん。おそらをおよぐ、せんすいかんよ』

『ふぅむ……お嬢様、潜水艦とは海の中にあるものでございまして……』

『いいじゃない、空を泳ぐ潜水艦!』

 

『――ママは、大好きだなあ』

 

 

     ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

『ヒメヨ・エイレム』という人がいる。

 ポケモンリーグ創設以来、代々最後のジムを守ってきた『門番の一族』の、二四代目当主。

 つい数年前まで“ルシエの白雷(びゃくらい)”として、数多のトレーナーを震え上がらせてきた、妙齢に少しの数を足した女性。

 良く言えば若々しい、悪く言えば年甲斐がない、自由奔放にして天真爛漫な性質を持つ。

 基本的に家を空けており、平素はセシアタウンのバトルキングダムにて、レギオンが一人“テンプルエンプレス”として、強者とのバトルに勤しんでいる。

 

「コスモスちゃあーーーーーーーーーーーーんっ!!」

 

 そして彼女――二五代目当主『コスモス・エイレム』にとっては、母という続柄にあたる。

 出し抜けかつ、否応なしに抱擁された。帰って一発目の挨拶は毎度これなので、娘としても、もはや慣れを通り越し『そういう生態なんだ』という認識でいる。

 よって驚かないし、戸惑わない。

 髪が乱れるほどに撫で回されようが、胸に顔が埋まってしまおうが、関係ない。ひたすらに無抵抗。

 

「また背が伸びたわね!? 0.3ミリ伸びたわね!!? よしよし偉い子、偉い子! んもう、かわいいんだからあ~~~~~~っ!!!!」

「母様、くるしいです」

「そうよね、ママは娘の尊さに胸がとっても苦しいの……はぁあうぅん……!」

「母様、私は胸でとっても苦しいです」

 

 月一の恒例行事――ルシエ港での出迎えは、恙なく。

 ぴーひょろろ。船が汽笛を鳴らす青の上で、キャモメは面白おかしく鳴いていた。

 

 

     ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

「どう? 最近は」

「相変わらずです。変化らしい変化もありません」

「面白い挑戦者が来たりとかは、ない?」

「ええ、残念ながら。そもそも他七つのジムバッジを集める段階で折れてしまい、こちらに訪れることなく終わってしまう人の方が大多数のようで」

「あらあら、閑古鳥が鳴いちゃうわ。やっぱりここは変わらないのね」

 

 ヒメヨは毎月一度、帰省する。

 偏に愛する家族との時間を過ごすためだ。

 滞在は数日だったり、数週間だったり、本当にばらばらであり、一概に言い切れない。合わせるエイレム家の使用人たちも、この時ばかりは大忙し。こういうところでも気まぐれな性分が出ているのだと思う。

「此度は、どれくらいですか」長大なダイニングテーブルを挟んで、進む食事。

 コスモスが合間に訊ねると、

 

「うーん、四日ぐらいかしらね。挑戦者を待たせちゃっててね」

 

 頬に指を当て暫く上向いてから、ヒメヨは返した。

 

「寂しいわよねぇ……今回は何をしようかしら? 一緒にショッピングでもする? 絵を描くのもいいわね。でも、食べ歩きも捨てがたいわ……太っちゃうけれど」

 

 あーでもないこーでもない、と次々独り言を溢す真剣な母を、咀嚼しながら見つめる。

 今回はどのような誘いが来るのだろう。いつも見当がつかない。

 というか根本的に、言動を予測できるほど、コスモスは彼女に詳しくない。

 家を頻繁に空けるからとか、ジムリーダーとしての忙しさで、子供の頃でも一緒にいられる機会が多くなかったからとか、そういった時間の問題ではない。

 理由らしい理由などなく、本当に、単純に『掴みかねている』という表現が、一番正しい。

 当然素敵な母だし、魅力だって解る。愛しているし、尊敬もしてる。

 ただ、ある程度大人になって、彼女と『親と子』のみならず『人と人』としての向き合い方も出来るようになった今、とてもとても痛感するのだ。

 私は彼女を知らない、と。

 真意が、芯が――――母の“色”がわからない、と。

 

「……よし、決ーめた!」

 

 だから、

 

「バトルしましょう、コスモスちゃん!」

「…………は?」

 

 こんな素っ頓狂な声だって出てくる。

 恐らくこの世でコスモスを翻弄できるのは、彼女ただ一人であろう。

 食堂で鳴り響くフィンガースナップが、二人を外へと連れていく。

 

 

 

「コスモスちゃんだけじゃなく、ポケモンちゃんたちの成長も見たいのよね~! だから挑戦と思って、受けてくれない?」――――ヒメヨ、曰く。

 バトルが使命だ、何も苦ではないので、断る理由もない……が。

 

「(疲れを癒すために来ているのに、余計に疲れるというのはどういうことなのかしら……)」

 

 コスモスは平素のジム戦のフィールド、ルシエスタジアムの競技スペースに入り、内心でぼやく。

 町のイメージカラーであるブルーが存分にあしらわれた内装は、柔和な見かけによらず頑強で、堅牢だ。エキシビションのため、観衆は無し。よって客席も空っぽで、放置された静寂だけが広がっていく。

「では両者、前へ」審判を務める執事ブロンソに促されると、親子はそれぞれ定位置たるバトルサークルの外周に立ち、向き合った。

 

「きゃー! 様になってるわよ、コスモスちゃん! ブロンソ、カメラはないかしら!? この立派な愛娘の姿を収めたいわ! ブロンソ、ねえブロンソ!」

「母様、言ったそばから定位置を離れないで下さい」

 

「っとっと、そうだったわね……」平静を取り戻す。

 

「にしても懐かしいな~、この景色、この相手! 昔はよく一緒にお稽古してたっけ」

 

 続けて周囲を見渡した後、白のドレスの肩先で留められたマントを大きくするように、ぐい、と伸びをする。

 そうしてほぐれた体は軽やかな挙動を見せながら、モンスターボールを投げ放った。

 中から現れたのは、顎斧(あごおの)ポケモンの“オノノクス”。

 

『グルルァァアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァ!!』

「よしよし、今日はいっぱい運動しましょうね」

 

 やんちゃな性格に従うまま、ほどよく白が浮かぶ昼下がりの青空に向かって、元気に吼えた。

 

「お願い、パシバル」

 

 聴覚越しのびりびりとした気迫に動じず、コスモスもサークル内にボールを投げ入れる。

 対峙するは力と技、二体いるジャラランガの内の技の方。名を“パシバル”。物理偏重に育成した闘竜だ。

 相手の威勢に反して、静かなるファイティングポーズ。闘志は拳で表すものだと言っているのかもしれない。

 

「改めて、ルールを確認します。3vs3のシングルバトル、道具の使用はなし。先に相手のポケモン全てを戦闘不能にした方が勝利です」

「オッケー、楽しみましょうね♪」

 

 陽気な返事でも、調子は狂わない。

 思えば母との試合など、修行や練習以外でしたことはないが……それでも、コスモスは肩肘張る事なく、悠然と構える。

 余裕というよりも、脱力。今回も“それぐらいのもの”としか考えていない、という部分があるのだろう。

 

「もしコスモスちゃんが勝ったら、ママが何でもお願いを一つ聞いてあげる」

「……なるほど」

「賭け事は多少不健全だけれど……そっちの方が、燃えるじゃない?」

「仰る通りです」

 

 そんな娘の内心を知ってか知らずか、言外に「本気で来い」とのお達しを示すヒメヨ。

 別段、日頃から娘の頼みを聞いてくれない人ではない。というか寧ろ、願えばおいそれと豪邸すら建ててしまうくらいには、甘い母なのであるが……真剣勝負を望むのなら、応えねばなるまい。

 何よりコスモスとしても、それはそれでやぶさかでなかった。

 ひょっとしたら、母の色を知る機会を得られるかもしれない。もしかすると、訊きたかったことが訊けるかもしれない。

 

「では――――、試合開始!」

 

 紫水晶(アメジスト)はいつも通りしめやかに、知的好奇心で輝いていた。

「パシバル」「オノのすけ!」

 ブロンソが手刀で空を切ると二体の拘束は消失、交錯するゴーサインが、竜たちの背中を一息に押す。

 

「ド派手にいっちゃえ、“げきりん”!」

「“ドラゴンクロー”」

 

 開幕から大技。雄叫びを上げ、一.八メートルにも及ぶ巨体は蒼黒のオーラを纏って突っ込んでいく。

 対するパシバルは同じ色のオーラで爪を研ぎ澄まし、おもむろに身構えた。

 

「……そこ」

 

 静かに瞳が開く。どしんどしんと大地を怯えさせながら行う突撃を、最小限の身の捻りで回避。

 角度も加減も、計算されつくした紙一重。

 すれ違う腹に、鋭角をズバンと滑らせた。

 痛みでたまらずバランスを崩し、足元に転げるオノノクスだが……致命傷ではない、まだ立てる。

 

「すごいすごい! やるじゃない!」

「オノノクスはドラゴンに限らず、ポケモンの中でも群を抜いて攻撃力が高い……力比べという一点に於いては、敵う者の方が少ないでしょう。こちらも小ずるく立ち回らせてもらいます」

「ちゃんと育っているようで、嬉しいわ。昔よりもずっと芸達者」

 

 錫のように鱗を鳴らして振り向く闘竜の視線は、ひたすら冷徹だった。

 火力に抗う大技は要らない。パワーはいずれ、より大きなパワーに屈するから。

 だがテクニックはそうではない。

 止めきれない力なら受け流す。少ない手数なら弱点を攻め立てる。選択肢が、際限なく存在する。

 規則も体系もあったものではない、無秩序な獣同士の戦いだからこそ、彼――パシバルが持つ“格闘技の心得”は、大いに猛威を振るっている。

 技巧派は拳をぐっと握って、再び低く構えた。

 

「その器用さで、この暴れん坊とどこまで遊べるか――見せて頂戴な。“りゅうのまい”!」

 

 青紫のオーラがオノノクスの全身から吹き出す。体内で抑えきれなくなった強化エネルギーが、漏れ出したものだ。

 それはやがて視界を遮る塵煙を振り払い、双方の姿を改めて明確にする。

『こうげき』と『すばやさ』を上昇させるこの技こそ、ヒメヨの本気を表すもの。差し詰め「エンジンがかかった」という事実を伝えるもの。

 

「恙なく準備運動は完了……さて、ここからが本番よ」

「来ます……一瞬たりとも目を逸らさないで」

 

 煌びやかな眼光で、さすがのコスモスも警戒を見せる。

 

「――いくわよ!」

「構えて!」

 

 大地を蹴る音と、乾いた音とが、一緒に鳴った。

 ビリリ、と震え上がる空気。衝撃波が、一瞬のうちにぶつかり合った二頭の真下を叩き割る。

 でんきタイプの稲妻さえ凌駕する速度が、そこにはあった。

 超反応からなる、矛と盾――片や上顎から突き出た斧状の牙で、片や耐久性に秀でた腕の鱗で、激しくせめぎ合う。

 力だけで押し切れるほど、甘くはない。

 

「ドラゴン――!」

「させるものですか!」

「!」

 

 その見立てを、さらに「甘い」と吐き捨てる母の力。

 長い尻尾が、空いた手で放つ二度目の竜爪を妨害する。意趣返しのように転がされたパシバルは、怒涛の猛攻に晒された。

 体勢を立て直すより先に、八方から当たっては過ってを繰り返す。

 釘付けされたように、動けない。腕越しからでしか敵を視認できない。鱗が少しずつひび割れていく。

 間にもオノノクスは駆け巡り、うねり続けて――。

 

「(まるで、地を這う蛇ね)」

 

 “りゅうのまい”からなる息もつかせぬ一撃離脱の反復は、パシバルを無容赦に固めた。

 されど竜の姫君はうろたえない。

「パシバル」暫し閉ざした目を開き直すと、簡潔に戦友の名を呼ぶ。

 反応してガードの姿勢を解除、打って変わるファイティングポーズ。あまりに信じがたい話だが、たった数秒の沈黙と四文字から、主の思考全てを把握したのだ。

 

「正面衝突よ! さあ、どうするのかしら!」

 

 このままでは盾の鱗が割れること。攻め手で圧倒的に負けていること。これらの状況から、娘が一瞬のチャンスに賭けてくることなど、容易に想像できた。

 故にこそヒメヨは、オノノクスに今一度“りゅうのまい”を重ねさせる。さらなる強化で、皮膚から青の煙が滲む。

「いっけー!」手で空を切るのが、突撃の合図。全身をダークブルーに発光させながら、渾身の“げきりん”を放った。

 互いの姿が、互いの瞳の中で大きくなっていく。呼吸の音を感じる。叫びのディテールがより緻密になる。

 そうして至る最後の最後に、激突する。

 

「――――“カウンター”」

 

 その瞬間、コスモスは微かに語気を強めた。

 初めに、腕で受けた。

 (うろこ)が完全に砕け散った。

 牙が剥き出しの肌に食い込む。

 しかし、突き破るまではいかなかった。

 腕部の角度を絶妙な塩梅で変え、受け流したのだ。

 

「あら、まあ……!」

 

 やはり、柔の技――止まる時の中、屈んだ先で望めたオノノクスの腹を、鋭く睨む。

 そこからは簡単だ。

 裏返しの握り拳を、腰のスイングに乗せて叩き込むだけ。

 ズドン。鉛玉じみた空気が耳朶を打った。同時にヒメヨを驚かせて、オノノクスの意識を奪い取って。

 狙いすました槍が如き一撃を以て勝負を制したパシバルは、傍らでゆっくりと沈んでいく竜を、静かに眺めていた。

 

「オノノクス戦闘不能、ジャラランガの勝利。敗者側、次のポケモンを前へ」

「よく頑張ったわね……、偉い子よ」

 

 先鋒が労われながら戻っていく。

 続けて両手に握ったモンスターボールへ、交互に視線を送るヒメヨ。細やかに動く唇に目を凝らしてみれば「どちらにしようかしら」なんて迷いが、視覚から聞こえてきた。

 まるで気まぐれでポケモンを選んでいるように捉えられる光景だが――というか実際にそうなのだが、“何事も楽しむ”という性分に従った行為であるからして、決していい加減な訳ではない。寧ろ当人にしてみれば、これ以上真面目な態度はないぐらいだ。

 ヒメヨは僅かばかりの逡巡の後、

 

「それじゃあ、こっち!」

 

 二個目のボールを空へと投げ上げた。

 快晴をバックに綿菓子そっくりな翼を広げるのは『ハミングポケモン』のチルタリス。首に飾られた銀製のポケモン用アクセは、高級感を演出するためだけのものではない。

 埋められた虹色の宝玉に、意味がある――。

 

「その飛翼で、さらなる高みへ駆け上がれ――“メガシンカ”!」

 

 ヒメヨの耳に着けられたピアスの中の石が、チルタリスのアクセサリから眩い輝きを引きずり出した。

 コスモスは初見であるのを理由に刹那で目を丸くしたが、この母ならば何も不自然はないな、と、眼前で発生する現象『メガシンカ』に納得する。

 耳のキーストーンと、首のメガストーン。これら二つが織り成す光の卵は、あっという間に弾け、チルタリスを覚醒させた。

 

「メガシンカ……、いつの間に」

「うふふ、格好いいでしょ? 変身ヒロインみたいでずっと憧れてたの」

 

 翼を形成する羽毛一枚一枚に、パールじみた光沢が宿る。体色のスカイブルーは、より淡いパステルブルーへ。

 見る者を圧倒するほどの気品は、数ある竜の中でも恐らくこの存在だけが携えるもの。

 メガチルタリスは、ハープの音色のように鮮やかな鳴き声を上げ、顕現した。

 

「ドラゴンでありながらも、弱点のドラゴンを無効化できて、かつ自分は安全にドラゴンを狩り取ることが出来る……最適解ですね」

「言えてるかも。けれど、理屈じゃないのよ」

「……と、いうと?」

「ただ、なんとなく――『この子の方が、コスモスちゃんの言葉をいっぱい引き出してくれるんじゃないか』って、思っただけ」

 

 傾げる小首の角度が、さらに激しいものになってしまった。折角の問い直しだったのに。

 

「……私から、何かを聞かんとしている。そういう認識でよろしいですか?」

 

 いくら『鈍い』だ『天然』だ、と他人への察しの悪さについて酷評されるコスモスであっても、こればかりはさすがに理解出来た。

 自分が母から何かを知りたがっているように、彼女も娘から何かを知りたがっているのだ……と。

 正解だ、と言わんばかりに頷くヒメヨが、言葉を紡ぐ。

 

「ええ。此度の試合、決して戯れだけではなくてよ」

「そうですか」

 

 だったら、遠慮は要らないだろう。

 

「私も、母様に訊ねたいことがありました」

 

 それは、ずっと引っかかっていたこと。

 三年前、自分の世界に変革が起きたあの日から、片時も忘れられず疑問になっていたこと。

 

「母様はどうして、私を純黒の彼――シンジョウさんと、引き会わせたの?」

 

 パシバルは発話と共に、前へ出た。対応するチルタリスが空から“だいもんじ”で迎撃すると、指示を介さない第二ラウンドが始まる。

 

「あら、不満だった?」

「私の感想は、今は関係ありません。単なる興味から問うています」

「そう」

 

 特性『フェアリースキン』で属性が変質した“ハイパーボイス”を、“りゅうのまい”のオーラで防ぐ。

 

「竜姫として、私に至らないところがあったからでしょうか。母様にとっての不足が私に見受けられたから、あのような機会を設けたのでしょうか」

 

 だったらば、問いたい。それが何だったのかを。自分の何がいけなかったのかを。

「いいえ、違うわ」否定に連なる、チルタリスの回避。地に落とさんと仕掛けた“スカイアッパー”を華麗に避け、高くへと逃げていく。

 

「むしろ、コスモスちゃんは足り過ぎていたわよ。百年に一人の素養を持ち、先人が掲げた『勝利あれ』という願いを忠実に守り、真にリーグへ挑むべき強者をふるいにかけ選別していた……歴代で見ても、ここまで素晴らしい当主は稀でしょう」

「だったら、どうして」

「寧ろ、私にはそれが問題だった」

 

 地上を走り回り、射程外からのハイパーボイスを避けるので手一杯なパシバル。

 

「過去のしきたりに何の躊躇もなく頷いて、ルールを疑うことなく聞き入れて――ただ従順に、積まれた軌跡をなぞるだけ」

「それの何がいけないのか、私には解りません」

「とってもいけないことよ。だってそれは、あなたでなくても出来るもの」

 

 コスモスは出まかせではない整然とした返答に、面食らう。

 

「コスモスちゃんの人生はコスモスちゃんのものであって、エイレムとして果たす役目が全てじゃない。そうは思わない?」

 

 一流のポケモンは、トレーナーの情動を敏感に察するものだ。

 だからこそコスモスが覗かせた一瞬の揺らぎは、明確な仇となった。

「パシバル……!」ハイパーボイスの余波に、被弾する。

 

「あなたに、自分の道を見つけてほしかった。過去の竜姫が呪いのように唱え続けた『勝たねばならない』という、ある種の強迫観念に囚われたあなたを、彼に救ってほしかった。負けを教えてほしかった」

「……私に、竜姫の座を降りることを求めていたのですか」

「楽しみを覚えなさい、ということ。生まれは使命であっても、宿命ではないはずよ」

 

 手持ちポケモン達に、厳しさしか見せられない時期があった。

 

「血に取り決められた在り方なんてつまらなくて、型にはまった生き方なんて馬鹿らしい。“出来ること”だけで構成された一生は味気ないし、“やりたいこと”がない命は死んでしまうほどに窮屈で、いつかぱさぱさに乾いて朽ち果てる」

 

 限界を超えて戦わせることが、あった。

 

「エゴと怒ってくれてもいい……それでもママはコスモスちゃんに、そんな風になってほしくはなかった」

 

 門番として、勝ち続けなければいけない。だから仕方がない。

 ――そんな風に考えていた瞬間が、確かにあった。

 

「私がしたかったのはね、言ってしまえば経過観察なのよ」

 

 コスモスは、己のそれがいかに危険だったかを、彼と出会って思い知った。

 

「どう? 今でも縛られず、楽しくやれてる?」

 

 だが、この母親は。ヒメヨという人物は。

 最強の名乗りの陰にひっそりとたたずみ、彼女の奥底で渦巻いていた“邪竜”を、早期から看破していた。

 

「ちゃんと“かたやぶり”出来てる?」

 

 何でもない、と涼しい顔をしながら。娘に全部を、託したふりをしながら。

 

「もし、未だに従うだけならば……あなたは私に勝つことはできない」

 

 ずっと娘の先行きを、見守っていたのだ。

 

「――ただ、傅くのなら。母はあなたを否定します」

 

 期は熟した。

 娘も今年で一八になる。

 どういうものを掲げ、どんな当主で在るのか。導き無くして、道行きは大丈夫なのか。竜姫としての完成形を見極めるには、頃合いであろう。

 パシバルが、とうとうハイパーボイスで力尽きた。最後は音波に当てられ、全身の鱗に裂傷を作り、コスモスの真横にて無残に倒れ込む。

 

「私も全てを出し切るから。コスモスちゃんもお遊びだなんて考えず、倒すつもりでかかってらっしゃい」

 

 そんな戦友を一瞥した後に向き直ったヒメヨの瞳には、これまでにないほど鋭利な光が灯っていた。

 内心が波打つほどに、確かな畏怖。ここまで凄まじいプレッシャーを覚えるのは、生まれて初めてのことで。

 手は思考より何倍も早くに動いていた。

 脅かされた防衛本能が、彼女の意識を無視して最強の手持ちを送り出す。

 山吹色の飛竜(カイリュー)は翼をはためかせ、降臨ついでに総てを風で煽って見せた。

 

「……ようやくスイッチ入った、ってとこかしら」

 

 ゆっくりと俯く。きっと今のコスモスは、追い詰められている。

 されど脳裏に焦りというワードは欠片もなく、寧ろシナプスがしんと冷却され、冴え渡っているほどだ。

 遠距離攻撃が豊富なエストルでも、最大威力の技“スケイルノイズ”は通らない。

 サザンドラはフェアリータイプの耐性が皆無ゆえに一撃で致命傷だろうし、ガブリアスはそもそも陸地で強さを発揮する竜である以上、空の敵へは触れられないだろう。

 よって飛行が可能で、ある程度技の通りを見込めるカイリューしかいない。

 極めて合理的にジョーカーが切られる。

 それこそ、彼女が極限下での果たし合いを良しとした、何よりの証明。

 

「“しんそく”」

「……!!」

 

 次に面を上げた時、娘は母と同じ目をしていた。

 ドン、と生体が墜落する鈍い音。一度たりとも視認出来ないまま、チルタリスは叩き落されていた。

 

「速――……!?」

「“じしん”」

 

 追いかけてきた上空からのストンピングが、無機質な声を肯う。

 地を突いたのは、最早爆発のような衝撃であった。

 ぎりぎりで飛翔し直して事なきを得たチルタリス。一秒でも反応が遅れていたらと思うと、背筋が凍る。

 

「離れて!」

「投げて」

 

 塵煙の渋い味を噛み締めながら、飛散する瓦礫をキャッチ、そのまま投擲した。

 旋回を以て、矢継ぎ早に襲い来る弾丸を抜けていく。だが神速の飛竜は、そんな悠長を許すはずもなくて。

「“しんそく”」再び空間が切り裂かれる。カイリューが一瞬にして眼前へ現れた。

 

「“コットンガード”!」

「(壁……!?)」

 

 一度見た技は、二度もくらわない。

 パージして散らした羽毛を、前面へと集める。そうして形成したシールドはクッションの要領で打撃を吸収し、チルタリスへのダメージを帳消しにする。

 

「吹き飛ばしなさい“ハイパーボイス”!」

「っ、“ぼうふう”!」

 

 羽根の盾ごと敵を吹き飛ばす音波は、差し詰め妖精のファンファーレ。

 されど負けじと立ち向かうのは、翼が吹かせるトルネード。

 ハイパワーの大技はやがて相殺され、生まれた余波が二体の竜を磁石よろしく引き離した。

 

「二度と間合いに入れないで!」

 

 こうなって好都合なのは、間違いなくヒメヨだ。

 十分な距離があるなら、飛び道具を主体とした立ち回りの方がうんと有利なのは当然のこと。

 ハイパーボイスの連打と、徹底した近接の拒否。

 追えば迎え撃たれ、止まれば延々と遠くからの砲撃を受け続ける。

 だから、回避行動しか出来ることがない。

 縛りのない空中を逃げ回るチルタリスを前に、自慢の“しんそく”も持ち腐れ。

 万事休すか。

 

「まだ――――!」

 

 だがコスモスは、腐らない。重力の網をぶち破り、カイリューが一気に詰めにかかる。

 チルタリスのハイパーボイスは、口から放たれる。即ち撃つ際は、決まって相手の方を向かねばならない。

 つまり、必ず足が止まる(・・・・・)タイミングが存在するということ。

 

「最善よね、私もそうする!」

「今しかない……!」

 

 それをみすみす逃すほど、コスモスとて未熟にはなれない。

 振り返って発射体勢に入った一瞬で、音を引き連れ突っ込んでいく。

 

「やるかやられるかの二つに一つ、伸るか反るかのスピード勝負!」

 

 拳を握った。視線が合った。もう逃げられない。後はどちらが先かだけ。

 貫け、奴よりも速く。

 

「“しんそく”!」

「“ハイパーボイス”!」

 

 カイリューの腕はチルタリスに届くより先に、畳まれてしまった。

 広がるのは、強烈な音の奔流がカイリューを押し止める光景。

 しんそくの間合いまで、拳半分足りなかった。

 腕部でのガードも虚しく、全身の鱗を巻き上げられ、弱点属性の一発をもろに貰ってしまう。

 

『――リューーーーーーーーーーーーーッ!!!!』

 

「ただでは転ばない」――しかして最後に届いたパンチは、言っていた。

 波に晒され続けながらも行った瀕死も厭わぬ前進は、チルタリスの急所を確実に打ち抜く。

 渾身の正拳突きは見事に有効。たまらず悲鳴を上げ、ノックアウト。

 カイリューもそれを確認し安心したか、瀬戸際の意識を手放し、チルタリスともつれ合うように落下する。ズドンという音を伴って、足場を盛大にへこませた。

 

「カイリュー、チルタリス、共に戦闘不能」

 

 ブロンソの審判で一呼吸置いてから、ポケモンを戻す両者。

 

「ふう……ちょっとびっくりしちゃった。カイリューちゃんのしんそく、あんなに加速力が磨かれていたなんて思わなくって」

「母様の“チルえ”のメガシンカに比べれば、驚くほどのことでもありません」

「初見であれだけ対応出来れば、大したものよ。でも、切り札は失ったわね」

 

 ヒメヨがそう言って召喚する最後の一匹は、コスモスにもブロンソにも容易に想像がついた。

 沼地に生息する、水を司りし薄紫のドラゴン。一般に“ヌメルゴン”と呼ばれるそれは、竜が持つ厳かさが希薄で、寧ろマスコット的なかわいらしさが先行するポケモンなのだが――強さは折り紙付き。

 

「一方の私は、これがとっておき」

 

 いわば彼女のエース枠なので、本当ならばカイリューはこのポケモンとの戦いに備え、無傷のまま温存しておきたかった。

 メガチルタリスが齎した損害は、甚大だ。決してフェアリー対策を怠っていたわけではない。が、ヒメヨの『対策の対策』が、上回ったのだと思う。

「正念場ね、コスモスちゃん」否定はしない。だが、妥協案しか選べない。

 いや、そうなるように仕向けたのだろう。やはり抜け目がなく、強い。

 転げたボールから飛び出す“ガブリアス”。これがコスモスのラストワン。

 

「開始!」

 

 再開の合図で、最終決戦が始まる。

 

「“がんせきふうじ”!」

「“ヘドロウェーブ”!」

 

 母が「超えろ」と言っている。

 秘めたことを、思いの丈を、全て娘にさらけ出している。

 

「“ドラゴンダイブ”で地中へ逃げて!」

「“りゅうせいぐん”、足場をめちゃくちゃにしなさい! 私が許す!」

 

 沢山向き合ってくれるくせに、背中でしか語らなかった母が。

 娘に似つかないほどお喋りなくせに、大事なことはいつでもだんまりだった母が。

 この激闘の中で、ありったけを話している。

 

「潜れる場所がないのなら――“じしん”!」

「“ヘドロウェーブ”を地面に噴射、揚力にして飛び上がって!」

「な……――!」

 

 きっとそれは、最初で最後のことだと思うから。なんとなく、この先はもうないと思うから。

 

「取った! “りゅうせいぐん”と、落下ついでの“ヘドロウェーブ”!」

 

 私は、ここで母に勝たないといけない。

 彼女の色を、見つけないといけない。

 当主としての在り様を、示さないといけない。

 だから――――。

 

「ガブリアス、戦闘不能」

 

 ガブリアスが星のシャワーに侵され地に伏すと、ブロンソの声が無情に響く。

 彼の言葉通り、その地竜が再び起き上がることはなかった。

 空っぽの手を、ぷらんと下ろすコスモス。

 

「……終わり、ね」

 

 目の前が真っ白になるというのは、こういうことなのだろうか。

 たぶん、違う。銀の前髪が視界を遮っているだけ。

 

「ポケモンの育ち具合は、悪くなかった。でもやっぱり、理屈じゃない」

 

 決して、負けたからこうなっているのではない。

 

「心一つ及ばず、なのよ。まだ決意が固まっていない……ポケモンにも如実に出ている」

 

 手が尽きて、打ちのめされたからこうなっているのではない。

 

「……本当に、そうでしたか」

「? ……少なくとも、私にはそう見えた」

「困りました。だって、こんなにも表現が豊かな娘といいますのに」

 

 だって、彼女はまだ終わっていない。

 

「まだ、伝わりませんか」

 

 だって、彼女はまだ戦意がある。

 

「……コスモスちゃん? 何を言って……」

 

 だって彼女には。彼女には。

 

「――カイリュー」

「……!!?」

 

 まだ、戦えるポケモンが残っている。

 一陣の風が、目にも止まらぬ速さでヌメルゴンに組み付いて、遥か上空へと浚っていった。

 ヒメヨはその正体を見上げ、驚愕する。

 

「カイリューちゃん……!? そんな、あの子はチルえのハイパーボイスで……!」

「この子の特性を、お忘れですか」

「……!」

 

 “マルチスケイル”。初撃で受けるダメージを半減させる、カイリューのみが持つ特殊な鱗。

 

「まさか、これで耐えることを考慮して、あの行動を取ったというの……!?」

「『苦肉の策で強引な手を使い、倒れた』……そう思って頂くために、この子には狸寝入りをしてもらいました。最後の局面で、貴女から油断を引き出すために」

 

 紛うことなき妥協案だ。

『無傷のまま』温存できなかったのだから。

 不意を突く形でしか、勝ちを見込めない状況に運ばれたのだから。

 最初から、負けなんて考慮していない。全てはこの瞬間の、この一手のために。

 

「そんなの、滅茶苦茶よ……!」

「フィールド外でも、戦える。これが私の“かたやぶり”です」

「――!」

 

 泥臭さ。意地汚さ。品のなさ。

 貪欲で、餓えていて、渇いていて、想像が付かないほどにダーティーで。

 

「母様、私は貴女を超えたいです。いいえ、超えなければならないと思っています。竜姫としてではなく、ただ一人の貴女の娘として」

 

 高貴なイメージをぶち壊す、かたやぶり。想定外の心理戦。

 それほどまでに勝ちたい。持てる全てを使って、応えたい。

 

「私がずっと小さな頃から『囚われないこと』を願い続けてくれた、貴女の子供として」

 

 物心がついたばかりの頃。

 なんとなく、クレヨンで空を泳ぐ潜水艦を描いた。とっても上手と頭を撫でてくれた。

 土の中を飛ぶ飛行機を描いたら、額縁に入れて飾ってくれた。

 海底を走る車は一緒に色を考えてくれたし、虹色の宇宙は「いつか連れてってあげる」と約束してくれた。

 

「そんな子供の身勝手過ぎるイメージを『好きだ』と言い続けてくれた、貴女のために」

 

 縛られないことなど、とうの昔に教わっていた。

 大好きな絵を通して。大好きという言葉を通して。

 何も要らない。それだけで十分だった。

 

「私は、貴女に勝利します」

「……結構よ。でも、どうするの? いくらハイパーボイスを凌いだと言っても効果は抜群。残された体力が少なければ、げきりんという決定打を与えるにも心許ないんじゃない?」

「かも、しれないです」

 

 最もな指摘だった。消耗状態では、攻撃も頼りないだろう。

 だからこそ、空に上がった。この高い場所から、位置エネルギーを借り受けるために。

 

「なので、“ぱくり”というものをさせて頂きます。……構いませんね、シンジョウさん」

「……まさか!」

 

 カイリューはヌメルゴンを捕えたまま、上空で円を描くように飛び始める。

 ヒメヨの見立ては的中していた。リザードンが得意とする近接技“ちきゅうなげ”だ。

 

「本来は覚えない技なので、以前くらったものを見様見真似で再現するだけですが……今、一番使える手札に変わりはないでしょう」

 

 シンジョウとの初めての対戦で、二人の勝敗を分けた技。

 虫の息だったリザードンがこれを用いて、最後の最後でカイリューを降し、覆した。苦くも懐かしい記憶を、忘れてはいない。

 自分で殴っても効かないのなら、地球に殴ってもらえばいい。成功率も低いので、一度限りの力業。

 ヒメヨは指示を送らない。そも離れすぎていて、とっくに声など届かない。よしんば届いたところで、自己判断からなる抵抗がまるで通っていないのを見るに、無意味なのかもしれない。

 至近から炎を浴び、雷に蝕まれ、ヘドロにまみれながらも、カイリューは最後の力を振り絞って逆さまになる。

 そして重力の後押しを受けながら、睨んだ地面へと迷わず突っ込んだ。

 

「あらあら…………いつの間に、こんなに立派に……」

 

 雄叫びが上がる。虚すら穿って、落ちていく。

 

「母様、私はいつでも楽しいです」

 

 悟って仰ぐ母へ、かける言葉。

 

「だって、貴女の傍で育つことが出来たから」

 

 それはきっと、寡黙な娘が残す――――最初で最後の本音だろう。

 大事に受け取って、一生忘れず抱えていくのだろう。

 思い出すたびに、笑ってしまうのだろう。

 

「私を生んでくれて、ありがとう」

 

 この日のように。

 この時のように。

 

 

「――――ヌメルゴン、戦闘不能」

 

 

 脳裏に焼き付いた娘の成長を、見返しながら。

 

「奥様に戦闘続行可能なポケモンがいなくなったため、決着となります。よって勝者、コスモスお嬢様」

 

 ブロンソが、短いようで長かった時間の終わりを告げる。

 するとコスモスは空気が抜けた風船のようにくたびれて、その場に座り込んだ。

 尋常ならざる集中力を発揮していたのだろう、無理もない。共に戦ったカイリューも今度という今度は限界なようで、珍しく主の前で崩れ落ちる。

 

「……ありがとう。ゆっくり休んでね」

 

 ボールに戻し、なんとなしに向き直る母の方。彼女は口元に手を当て、頬を綻ばせていた。

 

「……ぷっ」

「……?」

「ふふ……あはは! あははははははは!」

 

「負けちゃったか~! ふふ」訝るコスモスをよそに、涙を流して大笑い。

 なんとなく愉快な心境でいるというのは、わかる。

 

「本当に大きくなったわね、コスモスちゃん。生んでくれてありがとうなんて、生意気言っちゃって!」

「わ」

 

 続けて歩み寄ったかと思えば、彼女と目線を合わせ、思いきり抱き締めた。

 

「こちらこそ、生まれてきてくれてありがとうね。あなたは、母の誇りですっ」

 

 何にでも喜びを以て望み、娘の成長すら楽しんで。

 融け合いそうなほど温もりに近付いた時。ヒメヨは弾けるような黄色をしているのだと、ようやっと知った。

 晴れていても、曇っていても、雨があっても。どんな時でも眩しく輝ける。場を選ばない奔放さで、忙しなく駆け巡る。一瞬一瞬を全力で。まるで雷みたいに鮮烈に。

 ヒメヨのイエローは、そういうイエロー。

 

「……どう、いたしまして」

 

 コスモスはばれないように微笑んで、眼差しから滲む満足を目蓋に閉じ込めた。

 

「約束通りママに勝ったけれど、お願いは何かしら? ふふん、何でも聞いちゃうわよ」

「………………」

「……あら、コスモスちゃん? もしもーし? コスモスちゃーん?」

「奥様、眠っておられるようです」

「ええ~!?」

 

 よほどの疲労が、そうさせたのか。或いは母の腕の中特有の、安心感のせいか。それとも、そのどちらもか。

 

「……しょうがない子ね。いくつになっても、かわいいんだから」

 

 わからないが、とりあえず娘が気持ちよさそうに寝ているので、母はそれだけで良しとした。

 この時頬をつついたのも、それから娘が『久方ぶりの母の手料理』を所望したのも、誰にも言えない親子だけの秘密。

 凄まじい親子のコミュニケーションは、かくして終わりを迎える。

 

 

     ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 嵐のように現れ、嵐のように去っていく。

 本当にヒメヨは忙しい。

 

「それじゃあ、また来月ね」

「はい。御達者で」

「ブロンソ、コスモスちゃんとあの人をよろしく……って言うのも、もう野暮かもね」

 

 両手を腰に当て、一人前になった家主と見合い、

 

「コスモスちゃん、おうちをよろしく」

 

 ウインクと共に言い直す。そうして船に乗り込んで、再び別れるルシエ港。

 汽笛とキャモメが、また鳴いた。

 

「シンちゃんにもよろしく伝えといてねー! 今度はキングダムにいらっしゃい、こっちのルールでバトルしましょー!」

「……話題に、統一性がない」

 

 デッキから元気に手を振る母を眺めながら、誰にも聞こえぬ独り言。

 ライトニングイエローはやっぱり落ち着かず、慌ただしい。

 

 けれどもその分だけ眩しく、輝かしい。



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