ワンサイド・ゲーム 戦車道プロリーグ奮闘記 (ヤン・ヒューリック)
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第一章 プロローグ
「どうしても反対するというのかね?」
常陸スチール専務取締役にして、営業本部長を勤める米山郁夫は確認するかのようにそう言った。
「お言葉ですが米山専務、この業務提携に意味があるのでしょうか?」
毅然とした態度で語るのは、四十代で業界二位の常陸スチール本社執行役員となり、時期社長候補が歴任した経営戦略室室長を務める小林勇人である。
「弊社の強みは、特殊鋼メーカーに負けない技術力です。軸受鋼や条鋼、電磁鋼板など、その技術は世界屈指のシェアを誇ります。東亜製鉄の強みは中国やインドの製鉄会社に負けない粗鋼生産量。ですが、この業務提携では我々常陸スチールに何の恩恵があるのですか?」
日本の製鉄会社の中で、堂々のナンバーワン企業である東亜製鉄は近年、生産拡張が進む中国やインドの製鉄会社にも負けない粗鋼生産量を唱えて増産に励んでいる。
一方で、常陸スチールの強みは、ベアリングに使われる軸受鋼、線路にも使われる条鋼、変圧器やモーターに欠かせない電磁鋼板といった、特殊な鉄を作る技術である。
現在東亜製鉄と常陸スチールは、長年のライバル関係を改め、業界の融和を唱え、中国やインドにも負けない製鉄業を唱えて業務提携を行おうとしていた。
「中国やインドの粗鋼生産量は確かに脅威ですが、普通鋼は今過剰供給されています。中国やインドなどの製鉄会社も、今は生産調整をしているほどです。そんな中で、業務提携と言われても、弊社に何のメリットもありません」
米山は押し黙っているが、米山の側近である取締役は「君は専務のご意見に意を唱えるのか?」と言ってきた。
「弊社がやっているのは慈善事業ではありません。業界融和は結構ですが、我々常陸スチールの大事な技術を供給して、東亜製鉄は何も差しだしてはいない。これは融和ではなく、東亜製鉄に我が社の技術をタダで渡すのと何が変わらないんですか?」
そのとき、小林と米山、互いに対峙する中で中央のテーブルにて両目を伏せながら、両者の意見に耳を傾けていた常陸スチール社長、池田義隆の目が開いた。
「小林君の指摘は正しい。我が社の技術は我が社の誇りだ。技術者、作業員達が製造し、営業マン達が売ってきたのが我が社の鉄鋼だ」
池田社長の指摘に、米山が巨体をがっくりとさせる。一社員から頂点へと登り詰め、常陸スチールを現在の路線へと作り替えた功労者の意見はほぼ絶対のものであった。
「米山専務、確かに業界融和は大事だ。だが、我が社の技術をただ売り渡すようなことは出来ない。再考したまえ」
「畏まりました」
こうして米山が掲げた東亜製鉄との業務提携は一端白紙に戻った。そして、この戦いに勝利した小林は時期常務へと就任する、はずであった。
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第一話 どん底のチームでの戦い 前編
自宅がある柏市から、東京丸の内に出社していたはずの小林勇人は、常磐線の外に映る景色を眺めていた。
「島流しか」
いつもならば、本社の快適なオフィスで、コーヒーを飲みながら、スタッフ達と適度な雑談をしながら重要な仕事の話を行う。
経営の根幹に関わる調査や企画を立ち上げ、吟味する。経営戦略室は現在社長を務める池田の肝いりで出来た部署であり、業界二位へと躍進した常陸スチールを支えてきた。
各部署から様々なスペシャリストが集められ、精鋭ばかりで構成されたスタッフ達の意見は、的確であり、冷静ではあるが時にはとんでもないほどの熱量を持った企画を持ってくることもあった。
そんな溌剌と仕事に邁進出来た日々から、小林が現在常磐線から大洗まで向かっているのは、池田と専務の米山から直々に、大洗アングラーズというチームを立て直すことを求められたからであった。
「戦車道のチームなんて、どうやって面倒見ればいいんだ」
戦車を駆使して戦う華道や茶道に匹敵する格式を有した武道、それが戦車道である。
「しかも、毎年五十億も金を使っているのか」
大洗アングラーズ、正式には「株式会社大洗アングラーズ」は常陸スチールを親会社とした戦車道プロリーグのチームだ。
茨城県鹿嶋市に日本最大級の製鉄所を有し、事実上の企業城下町を形成している常陸スチールは茨城県では盟主と言ってもいい立場にある。
先々代の社長が、戦車道好きでそのための社会人チームを作り、先代の社長が夏の全国大会、冬の無限軌道杯を二年連続連覇した県立大洗女子学園に感動し、彼女達が卒業した時に発足した戦車道プロリーグに参入した。
「ウチのスポーツへの出資は多いと聞いていたけど、硬式野球部やラグビーにサッカーチームよりも金を使ってるのか」
高校、大学とアルバイトに夢中で、勉強以外は金を稼いでいた小林にとって、部活動、特に武道やスポーツの世界はヘタなSFよりも未知の世界だった。
接待の関係で付き合うゴルフと釣り意外、スポーツらしいスポーツをやった事の無い小林には戦車を使って戦う戦車道の世界がまるで想像出来ない。
「素人の俺に何が出来るっていうんだよ」
東亜製鉄の無茶苦茶な業務提携という名の強制的な技術提供を、白紙に戻し、時期社長候補とまで言われた米山専務と戦い勝利した結果が、赤字まみれのチーム、それを立て直すこと。
「肩書きに社長がついたって、ちっとも嬉しくねえよ」
池田から手渡せた名刺にはこう書かれていた。
「株式会社大洗アングラーズ 代表取締役社長 小林勇人」
そして、もう一枚の名刺にはこう書かれていた。
「株式会社常陸スチール 執行役員 小林勇人」
優秀なスタッフ達で構成された経営戦略室室長から、赤字まみれの戦車道チームの代表取締役社長。
転籍ではなく出向として役員の肩書きだけが残っていても、むなしさしか沸いてこなかった。
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第一話 どん底のチームでの戦い 中編
合計三十台の戦車がぶつかり合い、大隊長と三人の中隊長で成り立っています。
リーグはプレミアリーグ、プラチナリーグの二つのリーグに別れています。
プラチナリーグは
横浜アヴァロンズ
宇都宮チェンタウロス
八戸スヴァローグス
倉敷デュランダルズ
習志野ウラヌス
大洗アングラーズ
戦車道プロリーグが発足し、現在プロリーグは十二チームがプレミアリーグとプラチナリーグの二リーグ制に別れて成立している。
これは、参考にした日本野球連盟がセントラル・リーグとパシフィック・リーグに別れ、ペナントを勝ち抜いているという図式にあやかったからである。
JリーグやBリーグ、ラグビープロリーグやVリーグなどとは違い、戦車道の知名度は野球並みに高く、発足当初は宣伝効果があるということで、親会社となってくれる企業が続出し、戦車道プロリーグが発足する。
高校、そして大学と戦車道の人気は今も高く、単なる乙女のたしなみとしてではなく、日本全国で高い知名度を持っている。
プラチナリーグ初のリーグ優勝を果たした大洗アングラーズが、プレミアリーグ初優勝をした、八幡ヴァルキリーズと鎬を削ってジャパンシリーズを制して日本一となった時は、未だに伝説の試合と言われているほどだ。
だが、それはもはや過去の話である。
当時ライバルだった八幡ヴァルキリーズは、三年連続リーグ優勝、そしてジャパンシリーズ三連覇を果たしているが、現在の大洗アングラーズは成績が低迷、今年は最下位、それも五位のチームにすら大差を付けられて敗北していた。
そのことに対して、一番重く受けていたのはアングラーズのあんこう中隊長である西住みほであった。
みほは今、今年の試合を振り返る為にデータルームの一室にいた。
「あれだけやって最下位か」
今年最下位へと転落した時、みほが落ち込んだのは最下位が決まったからではない。ファンからは「ふざけるな」と罵声を浴びせられ「こんなのアングラーズじゃない」だの、親会社である常陸スチールでも「これでは話にならない」などという辛辣なコメントがチームに浴びせられていたからだ。
チームが拠点を置く大洗町や、茨城県では高い人気を誇るアングラーズではともかく、Web上では中傷まがいなことまで書かれている。
遠征先でも「アングラーズなんて鍋になるだけ」だの、あんこうを揶揄するような侮蔑が飛んできたほどだ。
それにみほは心を痛めていた。
「私達だって、頑張っているのに」
戦車道をやっている時はともかく、戦車から降りたみほは決してメンタルが強いとは言えない。
心ない中傷には正直参っていた。
「あ、みほりんここにいたんだ」
明るい声に振り返ると、そこにはチームの通信手を勤める武部沙織と、射手を勤める五十鈴華、操縦手を勤める冷泉麻子の三人の姿があった。
「みんな、どうしたの?」
「聞いてよみほりん。新しい社長が来たんだよ」
それまで大洗アングラーズの社長は、鹿嶋市にある常陸スチール鹿島製鉄所所長が兼任していた。
ところが、最下位へと転落したことから本社でも問題となった為、兼任ではなく、専属の社長を就任させ、チームを立て直すことに常陸スチール社長である池田義隆が打ち出したのである。
そして、今度親会社である常陸スチールから、社長が就任したことをみほは思い出した。
「何でも、最年少で執行役員になった人だって」
選手兼アングラーズの広報を担当している沙織は事情通だ。
「そんな凄い人が来るのですか?」
おっとりとした口調で華がそう言った。射手としては凄腕で華道の腕も一流の華だが、こういうところは高校時代から変わっていない。
「親会社の専務とやり合って、東亜製鉄との業務提携辞めさせたって聞いた」
いつも冷静な麻子は感情の起伏が無い口調でそう言った。
「それでどうしてウチのチームの社長に?」
「専務とやったからだってさ。しかも最年少で執行役員、経営戦略室室長とかエリートじゃん。だからそれで他の役員からも嫌われていたから左遷させられたって聞いたよ」
アングラーズの広報は、常陸スチール本社の広報部と共に広報活動を行っている。それだけに広報として本社の人間とやり合う沙織は本社広報部と、本社の人間とも付き合いを持っている。
「戦車道はやっていたことあるんですか?」
みほの問いに沙織は「広報部から聞いたけど素人さんだって」と両手を上に向けてそう言うと、みほは少しがっくりした。
「じゃ、戦車道のこともあんまり詳しくないんだ」
「詳しくないどころか、興味無いって聞いたよ。広報部の友達から聞いたけど、仕事は凄い出来て、部下の面倒見もよくて、経営戦略室だけじゃなくて人事部や広報部でも尊敬されているみたい」
「でも、戦車道には興味ないんですか?」
華の疑問は当然だった。大洗アングラーズを初め、八幡ヴァルキリーズも全てのチームの関係者は男女を問わず戦車道経験者ばかりである。
戦車道に興味が無いどころか、やったことすら無い人物がチームの社長になるのは前代未聞であった。
「でも仕事は出来るから、もしかしたらウチのチームを強化してくれるかもしれないよ」
沙織が明るく振る舞うが、本当は全員が分かっている。今年最下位へと転落したアングラーズは全員が気落ちしている。
華は、華道の家元をしている母から家に戻ってこいと言われたほどだし、麻子は祖母から知り合いの会社で仕事を進められた。
沙織も広報部から引き抜きを受けたほどだ。みほに至っては他のチームからこっそりと引き抜きが来たほどである。
初めての最下位への転落はアングラーズのメンバー達に、精神的なダメージを与えていた。
「ところで優花里さんは?」
あんこうチームの装填手兼アナリストを務める、秋山優花里だけが今ここにいないことをみほは尋ねた。
「実は、今その本社からきた社長さんに戦車道について教えているの」
戦車好きで、各チームの情報を収集するアナリストの優花里は、戦車道とはどのような競技なのかを教えるのが誰よりも上手だ。
それで、急遽訪れた新社長へとレクチャーをしている。
「でも社長が来るのは一週間後じゃ?」
新社長就任のお祝いをする為の準備を考えていたみほは、いきなり新社長がやってきたことに疑問を抱く。
「抜き打ちで来たみたい。だから、事情知らない面子はみんなビクビクしているよ」
大洗アングラーズは最下位へと転落し、そして年間五十億もの予算に対して売り上げはわずか五千万円しかないという赤字を抱えている。
プロリーグのチームで一番予算が少ないアングラーズは、本社でもその存在が疑問視されていたが、広告宣伝に使えるということで存続し、優勝したことでそれも存続してきた。
だが、日本一になってから五年後、リーグ優勝すら出来ず、Cクラスにまで落ちて、今では最下位。
名門とは言えないほどに落ちぶれ、宇都宮チェンタウロス、横浜アヴァロンズなどの後発のチームにフルボッコにされている。
「もしかしたら、誰かがクビになるかもしれないな」
麻子がボソッとつぶやいたが、本人の抑揚の無い口調に全員が突っ込めず、沙織までもが下を向いてしまった。
「というわけで、戦車道は成り立っているんです」
新社長に就任した、小林勇人に全く臆せず、楽しそうに戦車道について秋山優花里は語った。
小林は今、大洗アングラーズの社長室で戦車道について優花里にレクチャーを受けていた。
「大体のことは分かった。プロリーグは相手を全滅させるまで戦う殲滅戦で、三十両の戦車で戦い合うということか」
事前に勉強してきた戦車道の話と、優花里の説明で戦車道が単に戦車を使って戦うのではなく、非常に戦略性の高いゲームであることを小林は理解した。
「そして、高校や大学では第二次世界大戦までの戦車が使えて、プロリーグでは戦後の第二世代の主力戦車という、現代戦車を使うことが許されているのか」
主力戦車という言葉はそれまで聞いたことも無かったが、今後チームの運営を行う上で小林はそれなりに勉強してきた。第二世代主力戦車、又の名をMBTの運用はプロリーグ発足からより多くの戦車を使ったエキサイティングな試合を目的に導入された。
先進国ではすでに第二世代主力戦車はお蔵入りしていることも多いことから、在庫処分も兼ねて、欧米のチームでは率先的に第二世代MBTをプロリーグに導入している。
それを真似た日本の戦車道プロリーグも同じく、第二世代MBTを使っている。
「ちなみに、ウチにはその第二世代MBTはあるのか?」
小林の指摘に、先ほどまで懇切丁寧、明るく教えていた優花里の顔が急激に曇っていった。
「実は一台も……」
それまで冷静にレクチャーを受けていた小林は信じられないような顔になった。
「どういうことだ? 横浜アヴァロンズや宇都宮チェンタウロスは第二世代MBTをガンガン使ってるそうじゃないか。それで、なんでウチのチームだけが使っていないんだ?」
五菱インダストリーを親会社にした横浜アヴァロンズはチーフテン、富国モータースが親会社の宇都宮チェンタウロスはM60という第二世代MBTを使っている。
「今年のプラチナリーグは、アヴァロンズとチェンタウロスが接戦の末にアヴァロンズが優勝し、ジャパンシリーズで八幡ヴァルキリーズと戦った。そのヴァルキリーズにしても、レオパルト1と74式戦車を使って、アヴァロンズを撃破したんだぞ」
一応今年の試合も、広報部に異動していたかつての部下に調べさせ、大洗アングラーズが最下位へと転落し、今年プラチナリーグで優勝したアヴァロンズとチェンタウロスについて小林はある程度確認していた。
「三位だった八戸スヴォーログズや四位の倉敷デュランダルズも第二世代MBTを使っている。五位だった習志野ウラヌスにもウチは負けた。なんでだ?」
つい口調が荒くなるのは、問題点を見つけて対策を取っていないことに小林は疑問を抱いたからである。
「それが……あの……」
しどろもどろになる優花里だが、急に社長室のドアがノックされた。
「どうぞ」
誰だと思いながらとりあえず、中に入れると、そこには妙齢の、黒髪のロングヘアの女性が立っていた。
「小林社長ですね。このチームの隊長を務めています、富永恭子と申します」
美人だが高飛車に見える富永の姿に、小林はあまり好印象が持てなかった。
「大洗アングラーズを見ることになった小林勇人だ。よろしく頼む」
握手ではなく、軽く一礼する小林ではあったが、対する恭子は堂々としていた。
「ところで、今秋山君から聞いたが、ウチのチームは第二世代MBTを有していないと聞いたが本当かね?」
「事実です。戦車道はやはり、第二次世界大戦で活躍した戦車が一番美しいですから」
恭子が高らかに言うが、その言葉に小林は思わず絶句する。
「美しいから?」
「戦車道は元々、乙女のたしなみですから。それにふさわしい女性の戦車は、実戦を勝ち抜いてきた戦車です。特にセンチュリオンは美しい」
「一応、第一世代MBTです」
優花里が小林にアドバイスすると、恭子は軽く咳払いをする。
「戦車道は、優雅で気品ある競技です。我々プロリーグは、大学生や高校生の模範にならなくてはならないと思っています」
ご高説を賜る気分に小林は何も言えなかった。蹴落とされたと思ったのか、富永恭子の顔はどこか誇らしげである。
「正式な就任式を開かせて頂きます。こちらこそ、よろしくお願い致します」
言いたいことだけ言って、そのまま恭子は出て行った。その姿に慌てて優花里は「すいませんでした社長」と頭を下げる。
「おかげで、なんでウチのチームが第二世代MBTを使っていないのか分かったよ。そして、何故このチームが最下位になったのかが分かった」
先ほど恭子に対して何も言えなかったのは、蹴落とされたからではない。その逆だ。
「秋山君、今年、ウチのチームは何位だった」
「最下位です。精一杯頑張ったんですけど、すいません」
最下位であることを恥じると共に、素直に申し訳ないと言った、一メンバーの優花里
に対して、このチームを率いて最下位へと転落したことに何も責任を持っていない隊長の恭子。
そもそも、今年の成績に対してぬけぬけとチームの社長である自分に姿を見せられるものだと小林は内心激怒していた。
「君が謝ることじゃない。我々本社側も、大洗アングラーズのことに対してあまりにも無関心すぎた」
他のチームが当たり前のように使っている戦車を使わず、そして、無責任で勝ち負けに無関心な隊長に全てを任せていたこと。
アングラーズが最下位へと転落した原因に、やっと小林は理解することが出来た。
「秋山君、君は勝ちたいか?」
「勝ちたいです!」
「そのためには、第二世代MBTは使いたいと言ったらどうする?」
小林の言葉に、優花里は困惑するが「隊長の富永さんは、ああ言っていましたけど、私は第二世代MBTも好きです。そして、他のチームと渡り合って、勝ちたいです!」と小林の前で熱い言葉を放った。
「分かった。来週の就任式でまた会おうじゃないか」
小林の中で、このチームを赤字から黒字へ変える為の道が見えてきた気がした。
まずは勝つ事。強いチームにしなければ意味が無いということだ。
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第一話 どん底のチームでの戦い 後編
大洗にてじっくりと選手達の練習を見た後、引き継ぎを兼ねて本社に戻った小林は、広報部のエースである谷口稔と久しぶりに食事をした。
「驚きましたよ、小林さんがアングラーズの社長とか」
外見も言動もチャラい男ではあるが、妙に人なつっこく、常陸スチールの広報部では広告代理店やマスコミとも幅広い人脈を築いて、広告活動を行っている谷口は、アングラーズのことも理解している。
「俺が一番驚いている。なんで俺が、大洗で戦車道をやるのかをな」
「奥さん大丈夫ですか?」
「単身赴任で納得してくれた」
家が柏市にあることから、妻は単身赴任になることに反対したが、ヘタな取締役よりも怖い小林家の主を説得することは骨が折れた。
「それよりも、問題はアングラーズをどうするかだ」
「まさか潰すってことはないですよね?」
谷口の冗談に、小林は笑わずお茶を飲んだ。
「それも考えている」
「やっぱり、問題はこれですか?」
「年間五十億円使って、売り上げは立ったの五千万だからな。一割どころか1%だ。大洗アングラーズは常陸スチールの支援で全て成り立っている」
一応、他のチームも調べてみたが、黒字になっているチームが無いことに驚いた。
「今年プラチナリーグで優勝したアヴァロンズも赤字、チェンタウロスも赤字、だが、それでもそれなりの活動をやっているから、終始の面で見ればなんとかまだマシに見えるな」
アヴァロンズもチェンタウロスも、親会社以外のスポンサーを見つける、あるいは出店の経営などをやったり、ファンを増やすことに専念している。
実際、アヴァロンズもチェンタウロスも、本拠地がある横浜市や宇都宮市では抜群の知名度をファンを抱えている。
プラチナリーグではこの二チームが、君臨しているのが現状だ。
「八幡ヴァルキリーズも同じだな。予算はウチの倍かけているが、それなりの広告宣伝費やらスポンサーやらが付いている。ところが、ウチは全くそんなことをしていない。まあ、原因は隊長の富永だろうがな」
「ああ、会ったんですか富永に?」
「正直、社会人になってからあれほど酷い奴に会ったのは初めてだよ」
最下位へと転落したチームを指揮していて、それに対する反省も詫びも無く、チームが最下位へと転落した原因を改善するどころか、ご大層な寝言をほざいた時点で、富永恭子に対する評価はゼロを通り越してマイナスになった。
「そもそも、なんであんな奴が隊長をやっているんだ?」
「プロリーグ発足からの選手で、日本一に輝いたからですよ」
「あいつがか?」
「厳密に言えば、その頃は戦車一台を任せれていただけの選手だったんですけど、チームの隊長になったことで、アングラーズはあんな感じになっちゃいましてね」
経歴を確認すると、飛び級で海外の大学を18歳で卒業した富永は、十年前に発足した大洗アングラーズが初めて日本一となったあの伝説の時代からの選手だ。
「だが、彼女の手腕で優勝したのか?」
「あれは当時の隊長のおかげですからね。たまたまアングラーズにいただけですよ富永はね」
「そもそもだ、なんであんな奴が隊長をして、それもあそこまで偉そうなんだ?」
最下位になった上に、その三年前は五位から四位を行ったり来たりで、アングラーズの成績は低迷していた。
それは、丁度彼女が隊長になった時期と被る。
「ここだけの話ですよ。実は富永の母親は日本戦車道連盟の理事やってるんです」
「なんだ、親の七光りか」
縁故採用を死ぬほど嫌っている小林はその理由に納得した。日本戦車道連盟は日本の戦車道を全て牛耳っている。
「後、富永の父親が与党の富永京介議員なんです」
「保守派の大物じゃないか」
政治家との付き合いもある常陸スチールにとって、富永京介は与党の大物政治家であり、富永派を率いている派閥の主でもあり、いくつかの大臣も歴任している。
「あいつが大洗アングラーズに入ったのは、先代の社長と富永議員が懇意で、その縁でねじ込んだそうなんですよ」
「それで、あんな甘ったれなクソ野郎が、プロチームを指揮しているということか。笑い話にもならんな」
親の七光り、縁故で採用され、大洗アングラーズというチームの主として君臨しているが、それは結局のところ裸の王様ならぬ、全裸の女王だ。
「正直、お前にだけは言っておくが俺はアングラーズの選手をリストラしようと思っている」
「マジすか。実は俺、アングラーズに彼女が……」
「お前、いつの間にそんなことをやっている?」
「いやね、広報部ってアングラーズの面倒見るじゃないですか。それで向こうの広報やってる子とちょっと仲良くなって……」
相変わらず手が早いことに小林は呆れてしまう。
「まあいい。だが、それはあくまでチームを強化する為だ。アングラーズがここまで落ちぶれた原因があり、それが明確な形になっているならば、それを改善すれば良い」
経営戦略室室長として辣腕を振い、様々な大型事業を成功させてきた小林の意見はいつも明確であった。
「まずは強いチームにする。年間五十億の赤字を改善するには、チームを強くするしかない。またリーグ優勝、そして、ジャパンシリーズを勝ち抜いて日本一になる。それが出来るチームにしなければスポンサーも集まらない」
赤字まみれのアングラーズではあるが、それを改善しないままにで放置するのは、小林の気質に合わなかった。
収益の見込みが無いわけではなく、それを改善する為の方策があるならばまだなんとか出来る。
「とりあえず、縁故野郎はさっさとご自宅にお戻りしてもらわないとな」
「恥をかかせてくれたわね秋山さん」
隊長である富永恭子に呼び出された秋山優花里は、恭子の取り巻き達に囲まれていた。
「すいません」
「だいたい、隊長である私がいるのに勝手にあんな男とおしゃべりしているなんてどういうつもりなの?」
盛大な就任式をしようと思っていた中で、アポも無く、唐突にやってきては聞きたいことだけ聞いて、見るだけ見てさっさと帰った小林に対して富永恭子もあまり良い印象は持っていなかった。
「でも、社長が聞きたいっていうから」
「このチームの隊長は誰?」
「それは富永隊長です」
「では、私が命令していないことを勝手にやるのはどういうことかしら?」
口調は穏やかではあるが、内容は明らかに気に入らない優花里を糾弾しているだけでしかない。
「そうやって勝手なことをするから、今年は最下位になったのよ」
富永の取り巻きである服部章子が優花里にそう言った。
「だいたい、あんこう中隊は勝手すぎるわ。この前のウラヌス戦でも、やられてしまったのはあなた方のせいよ」
61式戦車で構成された習志野ウラヌスは決して強いチームではないが、猪突猛進ぶりに腰が退けたアングラーズ、特に服部率いる中隊から切り崩されて敗北した。
実際は西住みほ率いるあんこう中隊がいなければ、一方的なワンサイド・ゲームになっていただろう。
「まあいいわ、とにかく秋山さん、勝手なことをしないでね。でないと、私もついお父様やお母様に話したくなりますから」
戦車道連盟の理事を務める母と、与党の大物政治家である父、その両親の絶大なコネを持つ富永恭子はアングラーズの独裁者として君臨している。
それに逆らうことは、事実上戦車道から追放されることを意味している。
「……わかりました」
アングラーズが勝てない原因である富永恭子と服部ら取り巻きには、流石の優花里も忸怩たる思いがある。だが、戦友である西住まほや、華、麻子、沙織達のことを考えると我慢することが出来る。
だが、このまま行けばきっとアングラーズは来年も最下位への道を突き進むことになるだろう。それだけは絶対に受け入れたくは無かった。
それからしばらくして、大洗アングラーズの社長となった小林は、親会社である常陸スチール社長である池田や前任のアングラーズ社長を兼任していた福原と共に、都内のホテルにて開催された正式な社長就任式に出席した。
「なんだ、小林さん緊張してるのかな?」
アングラーズの広報担当となった谷口は揶揄しながら、ビールを飲んでいる。常陸スチールを立て直した池田を前に、流石の小林も大人しくしているのは実力を認めているからだろう。
「何一人で飲んでるの?」
アングラーズの制服姿ので現れた武部沙織に突っ込まれると、慌てて谷口はビールを置いた。
「なんださおりんか、びっくりさせんなよ」
「グッチーおひさ、私がいるのに一人でポツンと飲んでるのって、ひどくな~い?」
「しょうが無いでしょ、これも仕事なんだから」
広報部に配属され、いくつかの大口案件を成功させた後、谷口が担当したのは常陸スチールが抱えている二つのプロチームの広報であった。
一つが、プロラグビーチームであり、通算十二回もの日本一優勝を果たした鹿島ハーキュリーズ。そして、戦車道の大洗アングラーズだ。
学生時代、モテるという理由だけでラグビーをやっていた経験から任された仕事だが、チームの広告という形で貢献し、ハーキュリーズの面々とも親しい谷口だが、同時に戦車道プロリーグで活躍する大洗アングラーズの広報となったのは一重に、女子チームで目の保養をしたかったという身も蓋もない理由である。
そこで広報担当を兼任していた沙織と出会い、あれこれ企画や打ち合わせをしているウチに気づいたら男女の仲になった。
何気に女子力が高い沙織との付き合いは、気づけば合コンをセッティングしていた合コン魔王のあだ名を返上するほど一途な物になってしまった。
「あれが噂の新社長か。割と良い男」
「凄い人だよ小林さんは」
「でも、飛ばされてウチに来たんでしょ」
「どうなんだろうな。この前会ったけど本人それなりにやる気持ってたぜ」
先日都内で食事をした時、小林は意外にやる気を出していたように見えた。
「気を付けろよさおりん。あの人怒らせるととんでもないことになるぞ」
「それって忠告?」
「半分はな。だが、あの人は筋を通す人だぜ。根はいい人だ。でなきゃ俺、クビになって広報部に行かなくて、さおりんに会っていないかも」
入社した当初、営業を志望していたが総務部に配属されて、めんどくさい仕事をやらされて不満たらたらの新入社員だった谷口は、その後に営業部に呼び出され、当時課長だった小林の下に配属された。
持ち前の人なつっこさがあり、商談をする上での駆け引きを小林に教えて貰った谷口は営業でそれなりの成績を収めた後、広報部へと異動してそこではさらに活躍した。
「マジで?」
「若手社員で出来る奴はみんな、あの人に大なり小なり面倒見て貰ってるよ。営業部や海外事業部とか、広報部とかもまさにそんな感じだ」
上層部への受けはともかくとして、配属された社員の面倒を誰よりも見て、誰よりも彼らを守り、同時に育てていったのは小林である。
初めはダメ社員の烙印を押された新入社員でも、小林の下に付いた瞬間、驚くような仕事ぶりをしたことで一時期小林に着いたあだ名は「再生工場」であった。
「それだけに、あの人の為ならと動いてくれるのが俺含めて本社や製鉄所にもそれなりにいるしな」
小林がアングラーズの社長に就任したことで、一番びっくりしたのが谷口を含めた小林を慕う若手社員達である。出来る奴には大任を任せ、他の部署で評価が低い、あるいはまだ実力が付いていない社員達の面倒を見て、第一線で活躍できるようにした恩義は今でも忘れていない。
本人はそれで取り巻きを作ったりするのが大嫌いなので、決してそれで派閥を作ったりするようなことはしないが、横のつながりはしっかりと維持されている。
「案外、池田社長も小林さんにアングラーズを任せたのも小林さんに本気で立て直して欲しいからかもしれないな」
「なら、良い戦車買ってくれるかな?」
「多分ね。ところで、チームのみんなと一緒に飲まなくていいの?」
谷口の指摘に沙織は、ハモン・セラーノを口にしながら「だって、グッチーに会いたかったから~」と返答する。
「俺は嬉しいからいいけどさ、それでも今年最下位じゃん。みんな落ち込んでるだろ」
「あーそれグッチーから聞きたくなかった」
一気に赤ワインを飲み干す沙織は、無理矢理現実にへとたたき込まれたような気分になった。
「だってさ、あれじゃ勝てないよ。他のチームは第二世代MBT使ってるのにさ」
高校から戦車道をやり、そのまま城南大学でかつてのチームメイト達と大学でも四年間戦車道をやり、その後にプロ入りした沙織は現状に憤りを感じている。
「アヴァロンズもチェンタウロスも滅茶苦茶強くなってるしな」
「ダージリンもアンチョビも、プロ入りしてから神がかって強くなってるんだもん。反則だよあんなの」
アヴァロンズの隊長を務めるダージリン、そしてチェンタウロスの隊長を務めているアンチョビ、それぞれ弱小だったチームを持ち前の統率力で鍛え上げ、今ではリーグ優勝を争い、ここ五年ではどちらかが優勝しては、盟主である八幡ヴァルキリーズと戦っている。
「でも、八幡ヴァルキリーズにはかなわなかった」
八幡ヴァルキリーズは三年連続リーグ優勝し、ジャパンシリーズも三連覇した戦車道プロリーグの盟主といってもいいチームだ。その実力にはプラチナリーグの覇者であるアヴァロンズもチェンタウロスも霞んでしまうほどである。
「あ~それも聞きたくない。今日のグッチー全然私に優しくない」
甘ったるい言葉でそういう沙織ではあったが、いつもならばそのまま二人でいちゃついて朝帰りするパターンではあるが、今日の谷口は珍しく仕事モードに入っている。
「いやね。恩人の就任式だからさ、俺も本当はもっと優しくしたいのよ」
「恋人の私と社長どっちが大事なのよ!」
凄い究極の選択を持ってくる沙織に、谷口は困惑するが、相手が小林でなかったら速攻でこの目の前にいる彼女を選択する。
それに、もし小林がアングラーズを変えてくれるのであれば、それを第一線で見てみたかった。
「おめでとう小林君」
「ありがとうございます。池田社長」
正直、本当に喜んでいるのか、喜ぶべきことなのか小林は分からないが、とりあえずは池田の顔を立てるつもりでそう言った。
「君は若手社員達から相当な人気があるそうだな」
「噂ですよ」
若手社員、特に現場の第一線で働く社員達の中には、自分を慕ってくれている社員がそれなりにいることは小林も知っていた。
「君はその噂じゃ、再生工場というあだ名があるそうだな」
「何故それを?」
「君が思っている以上に、君は現場のエース達からは非常に人気が高い。君の部下となり、その後活躍した社員達は皆、各部署の中核を担っている。その話は各部署の上長を通じて私の元に入ってきているよ」
学生時代、ラグビーをやっていたという池田は今でも六十代には見えないほどガッチリとした体をしている。その池田に褒められることに、小林は少しだけ恐縮した。
「私をアングラーズの社長にしたのはその噂が理由ですか?」
「それもあるがそれだけではないな」
ウイスキーを飲みながら池田はそうつぶやいた。
「アングラーズは我が社の聖域になっている。これは決して好ましくは無いことだ」
かつてアングラーズ並みに低迷していた常陸スチールを立て直し「技術の常陸」を復活させた池田の言葉には、小林も理解しているアングラーズの癌が思い浮かんだ。
「会社に聖域など存在しない。そして、それで特権があると思い込んでいる者がいれば、それは会社にとって非常に好ましくは無い」
常陸スチール初のリストラをも敢行させ、同時にそれまで削られていた研究開発費を上げて改革を断行した池田の言葉にはかなりの重みがある。
「早速お出ましだ」
そういう池田の前には、このチームを最下位へと転落させた戦犯とその一家がいた。
「池田社長、お久しぶりです。そして、小林社長、就任おめでとうございます」
綺麗な花にはトゲがあるとは言うが、トゲならぬ癌と言ってもいい富永恭子の姿に、小林は先ほどまで飲んでいた酒を全部吐き捨てたくなる。
「池田さんも思い切ったことをされたものですなあ」
引き締まった池田と違い、無駄に恰幅がいい富永議員の姿はなんというか滑稽に見えた。
「素人さんで大丈夫でしょうか?」
和服姿の中年女が呆れてそう言った。日本戦車道連盟の理事を務めている富永都は理事長を務めている東条有希江の側近とまで言われている。
「富永先生、都理事、確かにこの小林君は戦車道の素人です。ですが、彼は我が社最年少で執行役員となり、経営戦略室室長として辣腕を振ってくれました。私が信頼する、役員の一人です」
池田はクレーバーな経営者であるだけに、その池田にそこまで言ってもらえることは、常陸スチールの役員冥利に尽きる。
「低迷しているアングラーズを、変えることが出来るとすれば、彼のような改革者の存在が必要不可欠です」
「ほう、池田社長がそこまでおっしゃるとは出来る方なんでしょうなあ」
「池田さんは本当に面白いお方ですわ」
富永夫妻がそろって笑いながらそう言うと、それに池田も追従したが、それがポーズであることは小林には分かっていた。
池田の目は少しも笑っていないからである。
「とにかく、アングラーズは小林に一任致します。小林君、アングラーズを立て直してくれ」
そういう池田は小林に向かって頭を下げる。聖域と言った富永夫妻と、富永恭子の前で「立て直してくれ」という言葉は単なるポーズでは口に出来ない。
その勢いに、小林は完全に燃えていた。
「お任せください」
池田から言わされたような言葉かもしれない。だが、変えて行かなくてはならないと、任せるという言葉の意味。
そして、小林自身のあだ名である再生工場に恥じないようにしたい。自分の課せられた使命の重さを実感しながら、小林はアングラーズを立て直す決意をした。
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第二話 小林再生工場始動 前編
正式に株式会社大洗アングラーズ社長として、アングラーズの社長として就任した小林勇人は、大洗での就任式もほどほどに切り上げ、真っ先にやろうとしたのはアングラーズの決算報告書を読むことであった。
「細かい項目が仔細に載っているが、やはり、赤字は変わらないのか」
わかりきった答えに小林は先日、池田社長の前で言った「任せてください」という言葉の重さを今更ながらに痛感させられた。
「まずはこれをなんとか変えていくことが、俺の仕事だな」
予算五十億円に対して、チームとしての収入はどうやって読んでも、五千万しかない。
全ての子会社と比較しても、やはりアングラーズだけが圧倒的に収支が悪いのだ。
「それに比べて、鹿島ハーキュリーズはトントンで成り立っているわけか」
予算三十億に対して、ラグビープロチームである鹿島ハーキュリーズの売り上げは三十二億だ。
チケット収入とスポンサー収入、放映権の還元などもあるが、それでも自分達の利益をしっかりと賄えているのは賞賛するしかない。
「社内の知名度も、圧倒的にハーキュリーズが上だ」
アングラーズとハーキュリーズ、異なる二つのプロチームを抱える常陸スチールだが、会社の知名度と人気もハーキュリーズの方が高い。
歴史的に見てもハーキュリーズは常陸スチールの象徴して活躍してきた。日本代表メンバーも多数選抜され、ラグビー界では盟主といってもいい。
過去の優勝経験という意味でも、決してBクラスに陥ることなく、プロリーグとなったラグビー界の中では、どのチームよりも勝つ事に貪欲なチーム。
谷口から聞いた話とはいえ、同じ会社が支えているハーキュリーズとも格差がある。
広報部でもハーキュリーズをほぼ一方的に取り上げている。谷口がアングラーズをやっているのは殆ど谷口の趣味だ。
常陸スチールという大企業に支援をして貰っているチームと、常陸スチールを支えてそれに答えるチーム。どちらを応援したくなるのか、子供でも分かることだ。
小林自身も、ハーキュリーズの話は興味が無くても目に触れていたが、アングラーズの話は、戦車道をやっているのかぐらいの認識しかなかった。
「とすると、ハーキュリーズに学ぶ必要性があるな」
だがそれは簡単な話ではない。ハーキュリーズは、専務取締役の米山の管轄下にある。
先日、派手にやり合っただけにそれをお願いしに行くのはかなり難しい。
それ以上に、このチームがハーキュリーズを真似ようとしても、それを行かせるような環境は何一つとして整っていないのが現状だ。
そこまで考える中で、社長室のドアが再びノックされる。どうぞと告げるとやってきたのは、隊長の富永と、中隊長を務める服部と西住まほの三人であった。
「失礼致します、小林社長」
「富永君か、どうしたのかね?」
「実は、社長に確かめたいことがあってきました」
「何だ?」
「我々アングラーズで金儲けを考えられているとか」
けんのんな言い口に、小林は冷静なまま、三人をソファへと座らせた。
「金儲けか。確かに私は売り上げをどうにか改善しようと考えている。それを金儲けというならばその通りだ」
「お言葉ですが、戦車道は乙女のたしなみです。金儲けを前提にされるのはどうかと思います」
富永の口調に、小林は思わず異次元人と話しているような気分になる。
「なるほど、乙女のたしなみか。それで、年間五十億もの金を、親会社である常陸スチールに支援をしてもらっていると?」
「その通りです」
当然という顔に富永と取り巻きである服部がそう言うが、一方であんこう中隊を率いる西住まほだけはどこか様子が違っていた。
「昨年の予算は五十億、一方で、売り上げ、これはプロリーグの放映権からの還元だが五千万だ。このチームは今、一体いくらの赤字を出していると思う?」
「ですから、そういう話ではありません。我々の華麗な戦いを一般市民に公開しているのですから、それはそれとして貰っているだけのお金です」
あまりにもふざけた口調に小林は富永をにらみつけた。
「ふざけるな」
唐突な言葉に、恭子と服部の表情が変わる。
「華麗な戦い? プラチナリーグでフルボッコにされて、最下位へと転落した戦いのどこが華麗だ?」
辛辣な口ぶりに寝ぼけている大隊長と、中隊長に小林は辛辣な評価を下した。
「そもそもだ。我々アングラーズは最下位へと転落した。それに対して、よく、君は私に対して臆面も無く会えるものだな」
「あれは私の責任ではありません」
「では誰の責任だ? 服部君か、それとも西住君か? このチームの隊長は一体誰だ?」
「社長は健忘症ですか? それは私です」
「ならそのままその言葉を返してやる。富永君、君は健忘症なのか?」
役員や取締役達相手に、様々な戦いをしてきた小林は堰を切ったかのように反撃を行う。
「最下位へと転落したこのチームで、真っ先に私に言うべきことは、来年どうやってプラチナリーグで優勝し、そして日本一になるかということのはずだ。それが、戦車道についてのご高説と、赤字のチームを立て直そうとする私に、金儲けをするなというのは、どういう思考でいるつもりだ?」
最下位へと転落したことは仕方が無い。だが、それに対する改善策すら出さず、安穏としている時点で小林に対する富永恭子への扱いはすでに決まっていた。
「君たちは一体何者だ?」
「私達はアングラーズです」
「アングラーズはいつから、お遊戯をするチームになった? このチームは、戦車道プロリーグに所属するプロチームだ。富永君、君の言うプロとは一体どういう意味だ?」
小林はプロの意味を富永恭子に問いただす。
「それは圧倒的な技術を持った集団として……」
「どこに圧倒的な技術があるというんだ? チェンタウロスとアヴァロンズには一方的なワンサイド・ゲームでやられ、格下のウラヌスにも敗北した君たちの言う圧倒的な技術とは何だ?」
小林は一切の遠慮をするつもりは無かった。
「それが分かっていないならば、教えてやる。富永君、今すぐチーム全員をグラウンドに集合させろ」
「何故ですか?」
「これは、社長命令だ。やれ!」
困惑する富永と服部、そしてどことなくそわそわしている西住まほは、小林の剣幕に押されて渋々と社長命令を聞いた。
「全員集まったか?」
選手全員と、スタッフ。総勢三百名が集まった姿が圧巻だったが、株主総会に比べれば何と言うことは無い。
その勢いで手渡されたマイクのスイッチを押すと、小林は選手とスタッフ達に語りかけた。
「君たちは今年一年、戦い抜いてくれた。それにはまず感謝しよう」
就任してから、マトモに選手達とも接していなかった小林ではあるが、今見ると、どことなく選手もスタッフ達も幼く見える。
「だが、今年ウチは最下位へと転落した」
その一言で、全員の顔が暗くなり、落ち込んでいるのが見える。
「そして、このチームは現在、年間五十億もの予算を使っているが、大幅な赤字を出している」
金の話になった途端、今度は不機嫌になるが、小林は気にしていなかった。
「君たち選手は、戦車道のプロだ。ここで質問だが、君たち選手は何故プロなんだ?」
小林の問いかけに全員が今度はざわついている。
「君たちは戦車道をやっている。戦車道をやって、金を貰っている。違うか?」
プロという言葉があまりにも彼女達に漠然とし過ぎている。それを小林は改めて教えるつもりだった。
「仕事をして金を貰う。それを行っている時点で皆プロだ。これは正社員も契約社員もアルバイトも関係ない。お客様から見れば、それで収入を得ている、それで金をもらって仕事をやっている人間は皆プロなんだ。この際赤字はともかくとして、ファンの人達は君たちが戦車道で負ける姿を見るのが楽しいと思うか?」
アングラーズのことが書かれたインターネット掲示板では、かなり辛辣な言葉が連なっていたのを小林は知っていた。
「君たちは戦車道のプロだ。戦車道で収入を得ている。そして、親会社である常陸スチールは君たちにただ戦車道をやって貰う為だけに金を払ってなどいない。そして、君たちのファンもまた、君たちにただ戦車道をやっているから応援しているわけではないはずだ」
正直な話、富永恭子とその取り巻き達を小林は初めから相手になどしていない。小林が相手にしているのは、実際に戦っている選手達だ。
「君たちに聞きたい。この中でプラチナリーグで優勝したいと思っている者は全員手を上げろ」
すると、全員が手を上げた。
「次に、ジャパンシリーズに勝って日本一になりたいと思っている者は全員手を上げろ」
同じく全員が手を上げる。富永恭子らも渋々といった顔で手を上げていた。
「そうか、なら次の質問だ! 今年最下位へと転落して悔しいと思っている奴は全員手を上げろ!」
本題である最下位へと転落という現実を突きつけた小林の言葉に、何人かの選手達が勢いよく手をあげた。周囲を気にしながら上げている者もいたが、最前列にいる富永恭子と服部らを除いた全員が手を上げていた。
「負けて悔しいか、最下位へと転落して悔しいか? ならまずは勝つ事だ。勝って勝って、プラチナリーグで優勝してジャパンシリーズを制する。そうすれば悔しさなど無くなる。君たちへの中傷は、殆どが賞賛へと変わるだろう」
大半の選手達は、最下位へと転落したことを悔しいと思っている。ならば、それを改善するには勝つしかない。
「我々は勝つ為のチーム作りをする。貪欲に勝つことを考え、貪欲にチームを強くすることを考える。来年度以降は、そのためのチーム作りをする。もし負けそうになったら今の気持ちを思い出せ! 君たちは今どん底にいる。だが、どん底にいるからこそ後は這い上がることを考えろ! 以上だ」
小林の演説に対して、一部の選手達から拍手する。それはやがて、一人が二人、二人が三人と次々に続いていく。
そして気づけば大勢の選手達が拍手していた。引き受けたからには、このチームを立て直す。その声に答えてくれるのであれば、それをやり続けるだけのことだ。
戦車道という新しい戦いに小林は挑もうとしていた。
*
「何なんですかあの社長は!」
一方的にやり込められた服部は、クラブハウスの一室にて、小林への不満を口にした。
「何かにつけて金、金、金、金と、戦車道をなんだと思っているのですか!」
「そう大声を立てなくてもいいわよ服部さん」
優雅にコーヒーを飲む富永恭子は、あくまで冷静であった。
「お父様とお母様に言っておくわ。あの方は戦車道にふさわしくないとね」
大物政治家の父と、戦車道連盟の理事を務める母、圧倒的な権力を持つ両親がいる富永恭子にとって、チームの社長など端から眼中に無かった。
気に入らない相手は、どんな手を使っても叩きつぶす。このチームは自分のチームであることを、あの身の程知らずな社長に教えてやろうと恭子は思っていた。
*
今年もジャパンシリーズを制して三連覇を成し遂げた八幡ヴァルキリーズは、戦車道プロリーグにおける盟主として君臨していた。
隊長である西住まほは、黒森峰女学院を優勝に導き、大学選手権でも優勝へと導き、中隊長である逸見エリカもまた、無限軌道杯で優勝し、大学選手権でも西住まほとコンビを組んで、優勝へと貢献した逸材だ。
海外でも通用する二人のエースと、その他多くの優秀な選手達で構成されたヴァルキリーズは圧倒的な統率力と攻撃力で勝ち抜き、守勢に回れば一個中隊で大隊規模のチームを押さえ込むほどの強さを持ち、勝機を掴む。
親会社である東亜製鉄では、圧倒的な知名度を持つヴァルキリーズには惜しみない金を注ぎ込み、勝利への投資を行ってきた。
だが、ヴァルキリーズを勝利の女神ならぬ、常勝の戦乙女達に変えたのは彼女達だけの力ではない。
「来期の契約はしない?」
八幡ヴァルキリーズ監督を務める宮崎任三郎は、耳を疑いたくなるような言葉に衝撃を受けた。
「あなたとの契約期間は何年かしら?」
八幡ヴァルキリーズ社長を務める佐藤涼子は冷たい口ぶりでそう言った。
「二年契約です」
「そう、契約期間は二年、それが切れた事に何か問題でも?」
宮崎は八幡ヴァルキリーズを二年契約で、一度更新して四年間ヴァルキリーズの監督を務めた。
一年目でリーグ優勝、二年目からは現在のジャパンシリーズ三連覇を果たした戦車道プロリーグの盟主を作り上げ、しかも収益も大幅に改善してチームを強くした手腕は高く評価されている。
「理由をお聞かせください」
「契約期間が切れたから、それだけよ。それに、あなたがいなくてもこのチームは優勝するわ」
元々、戦車道プロリーグで監督を採用しているチームは決して多くない。チームの隊長が実質的な監督を務めている。
「ですが、私はヴァルキリーズを鍛え上げ、三年連続ジャパンシリーズで優勝して日本一にしました」
プロリーグ発足からプレミアリーグで優勝したヴァルキリーズはその後、第二世代MBTの波に乗り遅れ、成績が低迷する。
だが、それを立て直して今に至る盟主の地位へと追い上げたのは間違いなく、改革を実行してチームを強化した宮崎の手腕によることが大きい。
「それは、西住まほや逸見エリカの二人のエースがいるからでしょう」
「ですが、収益を上げる為のスポンサーを集め、地域のへの社会貢献やボランティア活動は私のアイディアです!」
宮崎がやったのはチームを強くすることと共に、事実上ゼネラルマネージャーとして、スポンサーを集め、そして八幡製鉄所がある北九州市、そして福岡市に拠点を持つプロ野球チームである福岡ホークスとの交流や、病院や介護施設などでのボランティア活動やエキシビションマッチであった。
「チームを強くすればいいというものではないわ。それに、戦車道の選手はアイドルでも何でも無い。戦車道は乙女のたしなみよ」
ガチガチの戦車道信者と言ってもいい佐藤は、宮崎の改革案には消極的であった。だが、チームの低迷には親会社である東亜製鉄も問題視し、改革の為に海外のプロチームで監督として活躍していた宮崎をスカウトし、改革案を実行した。
「それに、あなたのやり方は正直、連盟の東条理事長も喜ばれていないわ。戦い方が下品であるとね」
日本戦車道連盟の理事長を勤める、東条有希江は戦車道を高校、大学において女子スポーツの振興に勤め、プロリーグを発足させたその手腕から日本戦車道連盟においては絶対君主と言ってもいい。
だが具体的な理論ではなく、口では美辞麗句、精神論をつぶやき、実際はえげつないまでの政治力、というよりも策謀を巡らしてきた東条有希江は「魔女」というあだ名を持っている。
宮崎も東条が好きではなかった。
「ですが、東亜製鉄側からは何も……」
「親会社は関係無いわ。これは、チーム社長である私の判断よ」
こんなふざけた話があるか。確かに自分一人でジャパンシリーズ三連覇が成し遂げられた訳では無い。だがその骨子を作り上げたのは自分である。
だがそれ以上に、自分の考える戦車道を理解してくれるまほや、ボランティア活動を通じて、中隊長としてチームメイト達を率いる統率力を身につけたエリカ、そのほかの多くの選手達と共に、今年もまた戦車道をして優勝してジャパンシリーズを制覇したいという気持ちがあった。
だが、絶対君主であり魔女の名前まで出した佐藤に何を言っても無駄だろう。
八幡ヴァルキリーズと共に戦う。その宮崎の夢は無残な形で打ち砕かれた。
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第二話 小林再生工場始動 後編
「どうして監督が辞めなきゃいけないんですか!」
八幡ヴァルキリーズのクラブハウスで、そう問いかけたのは、八幡ヴァルキリーズの精鋭シュナップス中隊を率いる逸見エリカだった。
「来期の契約はしない。社長からはそう言われたよ」
激怒しているエリカとは対照的に、宮崎は冷静であった。
「監督は私達を三連覇させてくれたじゃないですか! こんなのおかしいです!」
「それは俺の力じゃない。磨けば光るお前達という選手がいたからだ」
ジャパンシリーズ三連覇は決して容易いものではなかった。プレミアリーグには、十二チーム最大の戦車を保有する呉アイアンサイズや、T-72を装備した苫小牧ヴォーロスといった、強豪がひしめいている。
彼らに勝ち、宇都宮チェンタウロスや横浜アヴァロンズら精鋭と戦いジャパンシリーズ優勝、それも三連覇したことは偉業といってもいいほどだ。
「監督はどうされるのですか?」
八幡ヴァルキリーズの大隊長であり、チームの主柱である西住まほの指摘に、宮崎は「どうしようか悩んでいる」とつぶやいた。
「いっそのこと、海外で戦車道を勉強するというのも悪くないな。それで、向こうのチームで勉強して、今度は新しいチームでお前達とジャパンシリーズを戦うというのもありだ」
「冗談はやめてください!」
宮崎が座るデスクに向けて、エリカは右拳を振り落とした。
「監督がいなかったら、私は永遠に二流の選手で終わっていました。ボランティア活動で、私達の試合を見て、応援してくれるファンの人達と出会えたから、私は変われたんです」
地域密着型のチームを作るべく、宮崎がやったことは八幡ヴァルキリーズがある北九州市を中心に積極的なボランティア活動を行った。
特に、病院や介護施設を率先的に回ったことは、子供達に戦車道への憧れを与え、介護施設では家族そろって戦車道を応援してくれるファンを獲得することが出来た。
それ以上に選手達には、自分達を知って貰い、多くのファンとふれあうことで、戦う為のモチベーションを与え、どれほど劣勢な状況におかれても、そして苦戦しても諦めない、粘り強さと高い士気をもたらすことができた。
「私みたいに戦いたいって、それで手術を受けて戦車道をやりたいっていう子供達がいるんです。そんな子供達や応援してくれるファンがいなかったら、私はずっと自分のことしか考えない、一人よがりな選手で終わっていました」
この三年で大きく変わったのは逸見エリカだ。病院、特に難病や何かしらの疾患を抱える子供達を慰問し、戦車道をやりたくてもやれないという子供達を支えると同時に、自分のプレーで勇気を持てたと、手術や治療に挑むと言ってくれたファンの声援を受けて、彼らに恥じない戦いとチームを作ることに腐心した。
学生時代は、能力はともかく、短気で怒鳴りやすいことで人望という面では乏しい選手であり隊長であったが、ファンとの交流の中で、チーム全体のことを考えて戦い、チームメイト達の面倒を見るようになり、一個中隊で一個大隊に匹敵すると喧伝されたシュナップス中隊を作り上げた。
「それも俺の力じゃないな。お前は自分で考えて答えを見つけた。そして、自分で成長した。俺がやったのはヒントを与えただけだ」
当初ボランティア活動にエリカは「そんな暇があれば練習したい」と言い出すほどだった。だが、やりたくても戦車道をやれない子供達の存在が彼女を変えた。
自分がやりたいと思っていても、病気や疾患で出来ない。そんな重篤な病を抱える子供達に勇気を与える為、苦しい治療や手術を行える為にエリカは懸命に戦い抜いた。
仕舞いには子供達の為に、基金活動を行い、今では率先的にボランティア活動を行っているほどだ。
「俺にとって、この四年間はとても楽しい時間だったよ。まほ、お前は誰よりも俺の戦車道の理論を理解し、それを実行してくれた。エリカ、お前は戦車道のプロ選手が、誰の為に戦わなきゃいけないのかを誰よりも理解してくれた。本当に感謝している」
気づけばエリカの両目からは大粒の涙が流れていた、そして、普段は冷静なまほも、涙を流している。
「俺の戦いはとりあえずここでは終わったんだ。だが、お前達は違う。チームを応援してくれるファンの為、そして、何よりも自分自身の為に戦え。お前達の戦いはまだ終わっちゃいないんだ」
本音を言えば、ふざけるなと言ってやりたい気持ちで胸がいっぱいな宮崎ではあるが、それはまほやエリカには関係の無い話だ。
彼女達には自分と違い、未来がある。その可能性を潰すようなことは宮崎には出来なかった。だが、出来ればもう一度プロチームの監督を務めてみたい。
そして、戦車道プロリーグをもっと活発にしていきたい。それが宮崎の本音であった。
*
大洗アングラーズをプラチナリーグで優勝し、ジャパンシリーズを制覇して日本一にする。
それを達成させない限り、アングラーズを立て直すことは困難であることを小林勇人は何よりも実感していた。問題は山積みであるが、選手の強化よりもまずやるべきことはチーム職員を揃えることだ。
大洗アングラーズは常陸スチール鹿島製鉄所の管轄でもあり、それまでは鹿島製鉄所の社員達が実質的なチーム職員として運営を行っていた。
「その結果がこの有様か」
社長室のデスクに座りながら、小林は頭を抱えていた。鹿島製鉄所の社員達にアングラーズを押しつけていたこと、そして、その結果が現状を招いていることもまた、チームの弱体化を招いている。
広報はともかくとして、営業や財務も全て鹿島製鉄所任せではなかなかチームを監督することは出来ない。
選手を集めることよりも、今集めるべきは自分と共にチームを運営してくれるスタッフだ。スタッフの管理運営が出来る総務担当者、スポンサーを集める営業、株式会社大洗アングラーズという会社の財務を任せられるだけの人間。
最低でも、総務、営業、財務の責任者は急務だ。出なければ強化も減ったクソもない。
「失礼します!」
勢いよく社長室のドアが開かれると、そこにはかつて見知った顔がいた。
「なんだ、お前達何しに来た?」
そこには営業部のエースである五島圭祐、経営戦略室の切れ者、根津喜一郎、そして財務のスペシャリストである堤清子の三人がいた。
「水くさいですよ小林さん!」
いきなり言葉を切り出したのは、営業をやっている五島だ。ただノルマをこなすのではなく、相手の潜在ニーズを広い集め、抜群のルート営業で成果を出している営業部のエースである。
「こんな僻地に飛ばされるとか酷いじゃないですか!」
多彩なアイディアで様々な企画を立案している切れ者の根津は、小林の腹心中の部下であった。
「なんで小林さんが左遷されなきゃいけないんですか?」
財務のスペシャリストであり、本社でも数少ない簿記一級と中小企業診断士の資格を持った堤清子が血相を変えてそう言った。
「とりあえず落ち着け、そしてそこに座れ」
ソファを指さし、このトリオを座らせる。この三人は、かつて小林が面倒を見て、小林が抜擢し、ある意味小林が救った部下達であった。
五島は新入社員であるが、一番アグレッシブで仕事もバリバリこなすが、粗も多かった。それで大型案件を落とすというとんでもない失態を侵したことがある。
それを小林が尻ぬぐいさせ、改めて教育を施し、今ではアグレッシブさに堅実さが加わったことで営業部のエースとなった。
根津は見た目が暗く、理屈っぽいオタク野郎という評判で周囲の評判は芳しくなかったが、試しに任せた企画を大幅に改善し、そこから自分なりに企画を生み出して見せた。
不具合を見つけ、それを改善し、そして独自に新しいモノを作れる。そのロジックを持っていることから経営戦略室へと引き抜いた。
堤は配属された部署で営業事務をやらされていたが、学生時代の恋人と結婚する際に子供が出来、仕事を辞めざるを得ない状況に陥った時に、小林が財務部へと転属させた。
そこで産休を使わせ、同時に子供の育児をしながら簿記一級と中小企業診断士の資格を取り、今では財務のスペシャリストとして活躍している。
言ってしまえば、小林に恩義を持つ若手社員、それも極めて有能な社員達だ。
「谷口のアホから聞きました。小林さんが、大洗アングラーズの社長になったって」
「あのバカはそんなことを言いふらしていたのか?」
五島からの指摘に、小林は深くため息をつく。
「そもそも、小林室長が何で本社から大洗に飛ばされなきゃいけないんですか?」
腹心の部下で、経営戦略室にいた根津は信じられないという顔をしている。だが、一番信じられないという顔をしたいのは、本社から大洗までやってきたことに驚く小林の方だ。
「本社では若手が一番びっくりしてます。小林さんのような凄い人が、本社から飛ばされて大洗アングラーズを押しつけられたと」
「押しつけられたか」
本社財務部で、辣腕を振っている堤は大洗アングラーズのチーム事情や赤字を抱えた現状も知っているのだろう。そんな彼女から見れば、自分が大洗アングラーズを押しつけられたと思っても仕方ない。
自分も初めは「素人に何が出来る」という気持ちで胸がいっぱいだった。
「まあ聞け。確かに俺は、戦車道の事なんて何も知らないのに大洗アングラーズを任された。初めは何で俺がという気持ちだったし、ふざけるなと思った。それは事実だ」
この三人には、あえて小林はあえて心境を隠さずにそう言った。
「だが、大洗アングラーズは赤字を抱えている。常陸スチールから見れば、決して大きな数字ではない。だが、決して小さな数字でもない」
グループ企業全体を含めて売り上げ六兆円、単体でも四兆円の売り上げと、二兆円もの時価総額を持つ大企業である常陸スチールから見れば、大洗アングラーズの赤字は決して多くはない。
だが、売り上げから見れば、圧倒的に収益率が悪い。親会社である常陸スチールが無ければ速攻で倒産しているだろう。
「ですが、なんで小林さんがやらなきゃいけないんですか? 米山専務とやり合ったからですか?」
五島の指摘に、小林も一時期それを考えた。だが、社長である池田は大洗アングラーズを「常陸スチールの聖域」と言った。そして同時に「会社の聖域があるのは好ましくない」という言葉を述べている。
「この際それはどうでもいい。確かに俺は米山専務の提案する東亜製鉄との業務提携を白紙に戻した。弊社に何のメリットもないし、ハッキリ言えば技術を東亜製鉄にタダで渡しかねないような案件だったからだ」
あの業務提携には常陸スチールの事を何一つ考慮していない、何のシナジーも無い話だった。それ故に小林は業務提携を撤回させた。会社を守る為にやったと今でも思っている。
「そして、大洗アングラーズはプラチナリーグで最下位に転落し、大幅な赤字に陥っている。誰かがこれを改善しなくちゃいけない。違うか?」
大洗アングラーズに来る前までは、柏から常磐線、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線で二時間半かかったが、その間に小林は自分が今まで手がけた案件のことを思い出した。
採算が取れる部門、不採算部門や事業、どちらに関わったことが多かったのかということだ。
「思えば、俺は決して黒字の部署ばかりにいて、黒字の事業をやったわけじゃない。むしろその逆の方が多かった。採算が取れるか怪しいような事業も多かった」
むしろ、手がけた案件の六割は先行き不透明なものばかりだ。それを改善し、黒字にしたことから小林は最年少で執行役員となったのだ。
「正直な話、大洗アングラーズをどうすればいいのか、俺にはプラチナリーグで優勝して日本一にすることしか考えられない。問題は山積みだし、何より選手だけではなくチームを運営する人材がいない。この改善が急務だ」
プロチームを専属のスタッフではなく、鹿島製鉄所の人間に押しつけていたのを知った時、小林は自分の不見識を恥じたほどだ。
「結局のところ、俺は本社での仕事しか見ていなかった。鹿島製鉄所に全てを押しつけていたチーム運営。そしてその結果が赤字の垂れ流しと、仕舞いには最下位だ。この結果は、結局のところ俺達役員の責任でもある」
無責任という言葉を死ぬほど嫌っている小林にとって、知ってしまった不条理と理不尽は看過することは出来ない。
それに、選手達は小林の「最下位へと転落して悔しいか」という言葉に対して、勢いとはいえ手を上げてくれた。
自分達が置かれている環境に危機感や恥じ入る気持ちがあるならば、改善出来ない組織は存在しない。
「選手達だって、最下位であることを悔しいと思っている。本来ならば、親会社である常陸スチールがもっと率先的に改善策を打ち出して、きちんとしたチーム運営を行わなきゃいけなかったはずだ。それが、たまたま俺に回ってきた」
無責任な富永恭子、その腰巾着の服部、それに対して物言えない選手達。その不条理を強いてきたのは全て、自分を含めた経営陣の責任だ。
「俺は、経営戦略室室長の任を解かれた。だが、まだ常陸スチールの執行役員だ。俺はまだ、下っ端ではあるが経営陣の中にいる役員だ。誰かの責任の取り合いをしていたら、出来ることも出来なくなる」
思えば、不条理と理不尽に対して、自分はいつでも戦ってきたはずだった。初めは潰すことも視野に入れていたアングラーズのことも、こうなった責任は単に富永恭子とその両親だけではない。
「なら、俺がやるしかないんだ。他の役員の誰にこんなことが出来る? そもそもだ、元々アングラーズの社長は福原常務だった。あのオジイにこの状況を改善出来るのか?」
前任のアングラーズ社長である福原は、上層部の受けは良かったが、逆に部下達からの評判と評価は芳しくない。元ラガーマンであることを唱え、同じくラガーマンであった専務の米山や、社長の池田に取り入ってきただけの小物だ。
その小物ぶりに、小林は影で「オジイ」と呼んで小馬鹿にしていた。
「誰が責任を取るのかはこの際問題外だ。今やるべきことは、誰かが現状を改善して最終的には黒字にしていくこと。ただそれだけだ。それが出来るのは、結局のところ俺しかない」
池田は小林を改革者であると富永夫妻に話した。それが今のところ、リップサービスなのか、本心なのか、真意はまだ分からないが、このチームを無茶苦茶にしている張本人に対して改革者の自分を送り込んだことを宣言するのは、決して軽い言葉ではない。
「やっぱり、小林さんは凄いです」
目を輝かせているのは清子だ。本社では「鬼」のあだ名が付いている割に、自分に対しては甘い。
「だったら俺達にも手伝わせてくださいよ!」
「何?」
五島から思わぬ言葉が飛んできた。
「谷口のアホが言ってましたよ。アングラーズは製鉄所マターで、ろくなスタッフもいないって。実際、選手が広報もやってるぐらいじゃないですか。人は足りていないんですよね」
「まあ、人は足りないが……」
こういう五島のアグレッシブなところは、流石はエースだと言いたくなる。
「それにスポンサーを集めるにしても、チームを運営するにしても、人は必要ですよね」
「私達決めたんです。小林さんが窮地に立ったら絶対に手助けしようって」
自分には甘い清子、そして普段は大人しい根津すらも気づいたら五島と共に前に出ていた。
「だがお前らのキャリアはどうする?」
本音で言えば、五島の営業力と交渉力、根津の企画力と分析力、清子の財務力はアングラーズを運営していく上では喉から手が出るほど欲しい。
だが、大見得を切ったが本当にアングラーズが上手くいくは分からないのだ。それに、あの池田が自ら「常陸スチールの聖域」と言って、改革することが出来なかったアングラーズを、うかつに手出しすれば自分のクビが飛ぶだけではすまない。
そんな爆弾のような組織に、今後の常陸スチールを担える人材を任せることは、泥船に乗せて航海に出るようなものだ。
「我々にそんなものがあると思いますか?」
根津が真面目な顔でそう言った。
「私達、人事評価上じゃ一回ペケが付いているんですよ」
「小林さんがいなかったら、俺は今頃その辺でホームレスか、よくわかんない会社の社畜になってましたよ。それに、谷口のアホだけに小林のことを任せられるわけないでしょ!」
清子も五島も、そして根津も一度は上にペケが付いている。だが、それを覆して会社に不可欠な人間であることは彼らの上長から聞いている。
とりあえず、谷口のアホは今度あったら小林はどつくことを考えた。
「本当にいいのか?」
「上には異動願い出しました。転籍になるけどいいのかって脅されましたが、後悔はしないです」
小林は今、常陸スチールから出向、会社の所属は常陸スチールある。だが、この三人は転籍することを覚悟でここに来たという。
転籍になれば、常陸スチールという鉄鋼業界二位の、日本でも屈指の大企業の社員ではなく、赤字まみれの、親会社が無ければ三分で倒産する会社の社員となってしまう。
「バカ言うな。転籍など論外だ。お前らは今、ちゃんとした肩書きが付いているはずだ。五島と根津は課長補佐、堤は係長だ。お前達は常陸スチールの中核を担える将来の幹部候補生だ。その将来をこんな一時的な気分で決めるな!」
「それを言うなら、小林さんは時期社長候補じゃないですか!」
清子のトンデモ理論が飛んでくると、小林は頭を抱えたくなった。
「若手社員はみんな、小林さんのような人が社長になるべきだと思っていますよ!」
「小林さんのように、社員を活用して、事業を切り盛りして収益を上げられるロジックを持った社長候補が、アングラーズの社長であるのはどういうことなんです?」
五島の熱が入った言葉と、根津の、冷静だが過剰評価が入っている言葉に流石の小林も押し切られそうになった。
「……出向だ」
「はい?」
三人同時に返ってきた言葉に、小林は仕方ないという心境になった。
「だから出向だ。まだ俺は本社の執行役員、お前達の人事もそれなりにいじれる。どうせ帰れと言っても、お前達はそんなタマじゃないことをすっかり忘れていた」
どのみち、スタッフを揃えるのであれば、有能な、ライトスタッフとも言うべき存在を集めなければ改革も減ったクソもない。
それに、このチームの癌を切り取るには少しでも味方が必要だ。
「だから出向扱いにするように、俺から取りはからう。その代わり、馬車馬のようにこき使ってやるからな」
他の社員に使ったら、速攻でパワハラとして懲罰されるような言葉だが、この三人にとっては褒め言葉にしかならない。
「ありがとうございます!」
「早速、企画を立ち上げます!」
「財務も見直しますよ。黒字にします」
意気揚々とする三人組の熱意に押し切られた小林は、複雑な顔をした。そして、胸ポケットに入れていたスマホには、このバカ三人をここに来させたアホの名前が映っていた。
「こちらアングラーズ代表取締役社長」
「お疲れさまです小林さん」
アホの谷口の声を聞くと、とたんに小林はひっぱたきたくなった。
「お前な、このバカ共を焚きつけるようなことは……」
『それどころじゃないですよ小林さん、いえ、社長、今すぐテレビ付けてください!』
社長室にあるテレビを付けると、そこにはとんでもないニュースが流れていた。
「何だこれは?」
『大ニュースですよ大ニュース! まさか、八幡ヴァルキリーズがこうなるなんて……」
お調子者の谷口も興奮していた。無理も無い。
「八幡ヴァルキリーズ監督、宮崎任三郎氏が退任?」
ジャパンシリーズ三連覇成し遂げた功労者、八幡ヴァルキリーズの宮崎任三郎監督が今季限りで退任するというとんでもないニュースがテレビで取り上げていた。
これは、八幡ヴァルキリーズだけではなく、戦車道プロリーグを大きく変えることになる大ニュースであり、同時に戦車道プロリーグを揺るがす大事件でもあった。
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第三話 戦車道を誰よりも理解している男 前編
「池田社長も酔狂なことをするものですな」
そうつぶやいたのは、常陸スチール鹿島製鉄所所長にして、常務取締役を勤める福原孝であった。
「社長はいつも、思い切ったことをされる」
好物のジン・トニックを片手に、専務取締役である米山郁夫はそう言った。
二人は今、銀座の隠れ家というべきバーにいた。密談をする時、米山は常にバーを好んでいた。
「しかし、専務の提案をたたき壊したあの男にアングラーズを任せるとは……」
アングラーズは元々、福原が統括する鹿島製鉄所の管轄にあった。それを今回の人事で池田は小林を社長に就任させ、福原からアングラーズを取り上げた。
「君があのチームに思い入れを持っていたのか?」
ジン・トニックを飲みながら、米山は意外そうな口ぶりでそう言った。
「まさか。あんな戦車で遊んでいるような連中など、潰れてしまえばいいのです」
大洗アングラーズは、常陸スチールのお荷物集団であることは、末端の社員ですら知っていることだ。
「ハーキュリーズのように、我が社を支えるプロチームとは雲泥の差です。ガラクタも同然ですよ」
常陸スチールの象徴と言ってもいい、鹿島ハーキュリーズの名前を出したことに、米山は手を止める。
「ハーキュリーズは、我が社の誇りだ」
ラガーマンであった米山は、社会人チーム以前はハーキュリーズの部長を務め、プロリーグ発足後はハーキュリーズの社長を今でも兼任している。
そして、ハーキュリーズは収益をしっかりと上げ、今も右肩上がりだ。
「だからこそ、常陸スチールの象徴として存在している」
常陸スチールといえばハーキュリーズ、ハーキュリーズと言えば常陸スチール。その象徴としてハーキュリーズを運営したことは、米山にとっては誇りであった。
「池田社長も意外に見る目がありませんよ。あんなガラクタな女共の戦車ごっこを潰さず、かつてはハーキュリーズを潰そうとしたのですから」
福原がオンザロックにしたスコッチを呷った。ハーキュリーズはかつて、赤字の原因ということで、池田による不採算事業の整理リスト入りしそうになったことがある。
八年前、常陸スチールは深刻な経営危機に陥っていた。無謀な海外事業進出で、出資した合弁会社の製鉄所が大事故を起こし、製鉄所ごと合弁会社は倒産。
五千億もの大赤字を出したことを皮切りに、その他不採算事業でも赤字を垂れ流していたことから、急遽社長に就任した池田は、不採算事業の撤退を行い、同時に常陸スチール初のリストラまで実行した。
その時にハーキュリーズも整理リスト入りしていたのだが、それを撤回させたのが米山である。
「ハーキュリーズは潰すには惜しかったからな」
「今やハーキュリーズはラグビーの覇王です。圧倒的な技術と戦術で、他のチームを切り崩していきますからなあ」
「だが、そこまでするには並大抵のことではなかった」
「私としては、池田社長を疑問視するようになったのはその頃ですよ。こんな、金の卵を潰そうとしていたのですからな」
池田が断行した不採算事業の撤退はともかくとして、リストラは内外に大きな反響をもたらした。
創業以来、人を大切にすることをモットーとしていた常陸スチールにおいて、リストラは単なる人員整理では語りきれない代物であった。
取締役の大半も反対し、労働組合も当然ながら戦ったが、池田はメインバンクと株主の力を背景にリストラを実行させた。
その後、技術開発と研究に資金を投資し、積極的な営業攻勢をかけたことで、常陸スチールはたった四年で業績を回復させ、今では業界一位の東亜製鉄よりも、収益率が高い企業として評価されている。
「福原、もう酔ったのかね?」
「これぐらいの酒で酔うわけがないですよ。専務とは良く酒を飲んだ仲ではないですか?」
二杯目のオンザロックを注文し、ほろ酔い気味の福原を尻目に、チェイサーを飲みながら今度はギムレットを注文した米山はあくまで冷静でいた。
「何にせよ、アングラーズはどうにかしなくてはならんな。このまま行けば、あのチームは我が社の爆弾となりかねない」
「心得ております。あの生意気な喧嘩屋の泣きっ面を見せてやりますよ。私にお任せください」
態度を崩さない米山はギムレットを口にする。錐を意味するギムレットらしく、鋭くシャープに仕上げ、甘ったるさが一切無い。
どんなカクテルも旨いが、このバーで一番旨いのはこのギムレットだ。甘さを切り捨てた味は、何度飲んでも飲み飽きない。
このギムレットのように、常陸スチールもまた、甘さを捨てて行かなくては生き残れない。
それを心に刻むかのように、米山は二杯目のギムレットを注文した。
*
大洗アングラーズの社長室に集まった、西住みほ、五十鈴華、秋山ゆかり、武部沙織、冷泉麻子の五人は、目の前にいる中年の男を前に少し緊張気味であった。
「楽にしたまえ」
大洗アングラーズ社長、小林勇人は愛用しているタブレットを片手に、彼女達と対峙する。大洗アングラーズの精鋭と言ってもいいあんこう中隊、そしてその中枢であるあんこうチームを率いる彼女達が、このアングラーズ唯一の救いだ。
「何故、私達が呼ばれたのでしょうか?」
不思議そうにしている、西住みほとは対照的に、小林はあくまで落ち着いたままであった。
「実はここだけの話だが、私はこのチームを変えようと思っている。そして、新しいチームを作るには、君たちを中心に置くべきだと思っている」
「ですが、隊長は富永さんですよ」
先日、小林に戦車道を解説した優花里は不安げな顔をしていた。無理も無い。富永恭子はこのアングラーズの独裁者だ。それに逆らうようなことは気が引けるだろう。
「彼女には宿題を出した。一週間以内に、具体的な来年の戦略と戦術を書いてもってこいとな」
本当は三日前に命じたのだが、そのときはA4用紙一枚、それも中身は「あたしがかいたさいきょうのちーむでゆうしょうする」という寝言だ。
鯛焼き食って寝たと書いた日記の方が、遙かにマシに見える内容の無さに、再度小林は彼女に一週間という期限を付けた。
「それが出来れば、彼女との契約を維持するが、それが出来なかった場合は彼女との来期の契約はない」
四年連続Cクラス、挙げ句の果てには最下位転落。その改善を提案として出せないのであれば、もはや彼女の存在価値など無い。
その決断に、五人とも驚いた顔をしていた。
「そんなことをやって大丈夫なんですか?」
代表して尋ねた沙織に小林は「私は本気だ」と告げた。
「でも、富永さんはお父様が国会議員、お母様は連盟の理事では?」
「社長がクビにされるかも」
驚く華と、返す刀で小林がやられる可能性を告げた麻子に小林は不適に笑った。
「あいにくだが、私は戦車道の素人だ。仮に戦車道で食えなくなったからといって、私のキャリアには関係無い。それに彼女が縁故を使って私をクビにするというならば、常陸スチールも、そして大洗アングラーズもその程度の会社でありチームということだ。それに私はこう見えても、今の仕事でいくつか引き抜きも受けている」
外資系の企業、あるいは上場したてのベンチャー企業から、小林の元には幾度となく彼らからのエージェントが来ている。
流石の富永恭子も、外資系企業に圧力をかけることは出来ないだろう。それに、それでクビになるならば、今言ったとおり、常陸スチールも大洗アングラーズも、その程度の会社、ろくでもないクソ会社でしかない。
「だが、私は理不尽と不条理、そして何より無責任という言葉が大嫌いだ。下らない派閥争いも嫌いだ。自分の仕事を果たし、それで成果を上げるのは戦車道もビジネスも変わらない。目標の為に、何をすればいいのかを考えて実行するのは、戦車道も同じだろう?」
小林は彼女達に偽りの無い言葉で本音を語った。
「西住君、君はかつてあの黒森峰女学園にいたそうだな?」
「どうしてそれを?」
戦車道の名門である黒森峰女学園は、幾度となく戦車道全国大会で優勝した名門校だ。プロリーグへの選手も多数選出し、卒業して大学でも活躍してそこからプロになった選手も多い。
「君は一年生の頃、黒森峰女学園で苦境に立たされたチームメイトを助けた。その結果優勝を逃したが、そのことに君は後悔しているか?」
盟主八幡ヴァルキリーズを率いる戦車道プロリーグ最高の隊長と言ってもいいのが西住まほだ。
そして、妹である西住みほもかつては姉が率いる黒森峰女学園を破り、無限軌道杯でも優勝した実績を持つ。このチームでは低迷しているが、小林が気になったのは彼女がどういう人間であるかということだ。
「私は後悔なんかしていません。あのとき、もしかしたら他の方法があったかもしれません」
あの一件で、母親であるしほからは優勝を逃したことで責められ、逃げるように県立大洗女子学園へと転校した。そして、このあんこうチームを含めた戦車道の仲間達と出会い、みほは変わったのだ。
「ですが後悔していません。窮地に立たされたチームメイトを助けることが出来ないなら、それで勝利しても意味が無いことが分かったからです」
「そうか、ならそれを忘れないでほしい」
小林がみほを再評価したのは、この一件と、同じく黒森峰女学園との戦いでエンストしたウサギさんチームを助けたことだ。
「誰かを切り捨てることで、組織は絶対に成り立たない。そして、その結果利益が出たとして何の意味もない。それはビジネスでも同じ事だ。誰かをただ切り捨てるだけでは会社は成り立たない。君は、水没した戦車の乗員を助けだし、エンストした戦車を自ら助けようとした。それは実に賞賛されるべきことだ」
再生工場の異名を持ち、落ちこぼれと言われた社員達を救い、不採算事業を立て直してきた小林から見ても、チームメイトを見捨てずに戦うことが出来る西住みほは、素晴らしい人材であった。
「昨年我々は最下位へと転落した。だがこれはアングラーズだけの責任ではない。親会社である常陸スチールの責任でもあり、それは役員として経営陣にいる私の責任でもある」
アングラーズは理不尽と不条理の魔窟と化したのは、結局のところ経営陣の責任だ。その一員であった自分も、知ってしまった以上は看過することは出来ない。
「先日も言ったが、君たちは戦車道のプロだ。戦車道をして、それで給料を貰っている」
トップクラスの選手揃いの八幡ヴァルキリーズは一千万円プレイヤーだらけだが、一部の選手を除いたアングラーズはその半分も貰っていればマシなレベルだ。
だが、額の差はあれども、同じプロであることは変わらない。
「金を貰うということは否が応でも責任がつきまとう。金を貰うということはそれだけで責任が生まれる。貰う側だけではなく、払っている側にもだ。当然ながら、その額にふさわしくない人間は悪いが容赦はしない」
その言葉に少し身構えるあんこうチームの面々だが、最初の緊張ぶりからすればまだ和らいでいた。
「そして、私も同じだ。私もこの大洗アングラーズの社長として、チームを運営する立場にある。払う側にいる私にも当然ながら責任がある」
「社長の責任ですか?」
不思議そうな顔をしている西住みほに、小林は深く頷いた。
「先日も言ったが、私はこのチームをプラチナリーグで優勝させる。そして、ジャパンシリーズを制して日本一を目指す。負けたままでは終わらない。違うか?」
先日、最下位へと転落したことに対して悔しいと思い、勢いよく手を上げたのはこの五人だ。負けたままで終われない気持ちなのはこの五人も同じである。
「私は戦車道の素人だ。戦車道の事はまだまだ勉強中で正直分からないことだらけだ。だが、経営に関しては違う。私はいくつかの不採算事業を立て直してきた実績がある。その為に必要なのは、このチームで勝てる人材を集めることと、勝てる為の戦車を集めることだ」
アヴァロンズやチェンタウロス、そしてジャパンシリーズを三連覇したヴァルキリーズは第二世代MBTで武装している。
それを一両も持たない状況を変えなければ、勝てるものも勝てない。
「それから、コレは私からの提案だが、君たちの意見を聞きたい」
富永恭子らを追い出しても、それは最悪のチームが普通になるだけだ。西住みほを隊長にしたところで、せいぜいプラチナリーグの強豪になるかどうかだろう。
アングラーズに必要なのは、戦車道プロリーグを知り、戦車道プロリーグで勝つことを知っている人物だ。その人物を招聘する上での土壌造りを、小林は実行しようとしていた。
*
「今回の解任劇、本当に申し訳なかった」
福岡市内の居酒屋にて、東亜製鉄常務取締役である永田哲也は八幡ヴァルキリーズ元監督、宮崎任三郎監督に頭を下げた。
「永田さんの責任ではありませんよ。東条に目をつけられた時点で私はやり過ぎたんです」
永田は宮崎をヴァルキリーズの監督に推薦した恩人だ。当時、低迷する八幡ヴァルキリーズを立て直す為にあえて宮崎を監督として招聘した。
生まれ育った北九州市のプロチームの危機に対して、永田は本社の役員達を説得し、反対する佐藤を無視して宮崎を招聘し、八幡ヴァルキリーズをプロリーグの盟主にした。
「だが、それは君のせいではない。本来ならば、こんな横暴は我々がどうにかしなければいけないことだ」
「ですがそれで永田さんは子会社に出向させてしまった」
八幡ヴァルキリーズを盟主にしたことは、宮崎は無論のこと、永田も「やりすぎた」と見なされた。低迷するチームの強化と立て直しには成功したが、同時にそれは保守的な東亜製鉄の役員達にとっては決して喜ばしいものではなかった。
「所詮、ウチの会社はその程度の会社だったということだ」
東亜製鉄の体質は非常に官僚的であると同時に、政治の力に簡単に左右されてしまう。政治家とも太いパイプを持つ東条有希江は、富永京介の力を使い、東亜製鉄に圧力を掛けた。
経済産業省出身で、財界に強い力を持つ富永京介は東亜製鉄にも強い影響力を持つ。その圧力に対して東亜製鉄経営陣が下した答えは、出た杭である永田を失脚させ、宮崎を追い出した。
「私のキャリアなどどうでもいい。だが、君まで巻き込んでしまったことは本当に申し訳ない」
宮崎の出すアイディアを認め、事実上八幡ヴァルキリーズを運営してきたのは永田だ。佐藤はただのお飾り社長であったが、その結果が政治的圧力という結果をもたらした。
「戦車道プロリーグはどうなるのでしょうか?」
自負するわけではないが、三連覇を成し遂げた自分が切り捨てられるような状況では、戦車道プロリーグの未来は無いのではないかと宮崎は思うようになった。
戦車道は未だに高校生や大学生など、学生の武道でありスポーツとして見なされている。そして、その為に補助金、というよりも税金が露骨なまでに投入されている。
戦車道がもたらす補助金を取り仕切る東条有希江に逆らえる者など存在しない。
「西住理事も、事実上失脚し、島田理事に至っては完全に失脚してしまった。連盟は東条の独裁体制のままだ」
プロリーグ発足に奔走した西住しほは、当初の構想から大きく外れた収益の責任を取り、専務理事を辞任し、島田千代に至っては、東条有希江に逆らい、理事を辞任させられた。
まだ健全であった戦車道は、かなり先行きが不透明なものになりつつある。それには永田も懸念していた。
「だが、まだ全てがあのバカ共に牛耳られているわけではない。ところで宮崎君、君は次の職場は見つけたのか?」
失脚したとはいえ、子会社に出向してなんとか食い扶持がある永田と違い、宮崎にはまだ、再就職先が決まっていなかった。
「いえ、まだです」
先日解任のニュースが流れた時、それを知った他のチームからの引き抜きがあったが、自分が「魔女」に嫌われているということで立ち消えになった。
結局のところ、戦車道は縦社会だ。連盟のトップににらまれている男を活用すれば自分達のチームがにらまれる。そんな危険を冒せるような勇者はどこにもいない。
「私は君という人物を招聘しておきながら、君を守れなかった。最大の功労者である君には、相応の待遇を与えなければならないはずだった。だからこれは、君に対する償いでもある。君の再就職先を紹介したい」
「私の再就職先ですか?」
「君は戦車道プロリーグのスペシャリストだ。待遇はヴァルキリーズに劣るかもしれんが、プロリーグを誰よりも知り尽くしている君にはやはり、プロリーグのチームの監督がふさわしい」
確かにプロリーグにはまだ未練がある。だが、どのチームも断り続けた自分に、いったいどのチームが引き受けるというのだろうか?
「お気持ちは嬉しいですが、いったいどのチームですか?」
「私の後輩が社長をやっているチームだ。大洗アングラーズだよ」
予想もしなかった、意外なチームからのオファーに宮崎は飲みかけたビールを吹き出しそうになった。
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第三話 戦車道を誰よりも理解している男 後編
東京丸の内にある常陸スチール本社ビルにて、宮崎任三郎は初めて小林勇人と対面した。
「大洗アングラーズ社長、小林勇人です。よろしくお願いします」
「宮崎任三郎です。今回は、お話を頂きありがとうございます」
戦車道プロリーグを、誰よりも理解し、戦車道プロリーグでの勝ち方を知っている宮崎任三郎を監督として招聘する。
戦車道プロリーグを勝ち抜き優勝して日本一になる為には、日本一になる方法を知っている人物を招くことが最良にして最速の選択であった。
「こちらこそ、遠い九州から足を運んで頂きありがとうございます」
本当ならば、小林は自分で九州まで向かうつもりでいた。だが、本社での対面は宮崎からの提案であった。見た目は優男に見える宮崎だが、以外に体は引き締まっており、顔つきもよく見ると非常に精悍だ。
「それで、私に大洗アングラーズの監督をお願いしたいというのは本当でしょうか?」
「永田常務からお話は伝わっているかもしれませんが、昨年我々は最下位へと転落しました。我々に必要なのは、戦車道プロリーグを誰よりも理解し、勝つ為の方法を知っている監督が必要です」
宮崎を紹介した、東亜製鉄常務取締役の永田哲也は、小林の大学時代の先輩であった。向こうの方が年上であり、ゼミの教授の縁から出会った二人は経営について意気投合した。
今では東亜製鉄、常陸スチールにそれぞれ入社し、会社間ではライバル関係にあるが、同じ業界に所属し、常に先の話を見据えた経営についての話は、会社の所属に関係無く忌憚ない意見を同じくぶつけ合っている仲である。
それだけに、今回のアポもすんなりと取れたのは永田のおかげだ。
「永田さんからもお話は聞きました。そして、大洗アングラーズのことも同じプロリーグに所属するチームとしてそれなりに理解しています。正直、強いチームではない」
第二世代MBTを一台も持たず、形だけのきれい事をほざいて他のチームからワンサイド・ゲームを受ける。
ある意味その負けっぷりは芸術的というしかない。
「第二世代MBTが無いことがアングラーズの欠点ですが、私はこの欠点を改善するつもりでいます」
「なるほど、思い切った増強を図るつもりですか?」
「まあ、予算がすんなりと取れるという保証は無いのですが、まずは必要な戦力を整えなければ」
「選手はどうされるおつもりですか?」
戦車を整えるだけでは、当然ながら勝てるわけではない。戦車に乗り、実際にそれを動かす選手がいなければ、仏作って魂入れずになる。
だが、宮崎が言っていることはそんなレベルの話ではないだろう。
「一部の選手との、契約は見直すつもりでいます。それが隊長であっても」
富永恭子を筆頭に、服部らその取り巻き達との契約に関しては改善策を出せない限りはしっかりと切るつもりでいる。このチームをここまで滅茶苦茶にした責任は、きちんと取って貰うつもりだ。
「本気ですか? それが富永恭子であっても?」
「私は正直、人をただ切り捨てるのは嫌いです。ですが、他人に理不尽を与え、不条理を行い、挙げ句の果てには派閥を作って組織をないがしろにするような人間を許すつもりはありません。そういう人間には申し訳ないが、出て行って貰うつもりです」
再生工場の異名を持つ小林だが、全ての社員に対して寛容であったわけではない。明らかに能力が無い人間、改善をしない人間、そして、自分の縁故を使って問題を解決させようとするような人間に対しては容赦が無かった。
愚直に人と向き合い、彼らを育てることと、甘やかすことは雲泥の差がある。最低限度、やってもらわなくてはならないことも出来ないような人間には、存在価値を見いだせなかった。
「小林社長のことは、永田さんから聞かせてもらいました。筋を通し、高いプロ意識を持って経営を行うことが出来る人だと」
永田ほどの人物にそこまで高く評価されることは光栄というしかない。だが、今欲しいのは宮崎自身の意見だ。
「私は正直な話、日本の戦車道プロリーグに対して危機感を抱いています。海外に比べ、まだまだ日本のプロリーグには多くの欠陥がある。伝統と体面ばかりを重んじて、本当に大切にするべき存在をないがしろにしている」
「本当に大切にするべき存在ですか?」
小林の質問返しに、宮崎は深く頷いた。
「我々、戦車道プロリーグに所属する人間は、絶対に忘れてはいけない存在がいます。ところで小林さん、あなたにとって、戦車道プロリーグで一番大切にしなければならない存在とは誰だと思いますか?」
宮崎の質問に、小林は深く思考を巡らす。戦車道プロリーグで一番大切にしなければならない存在とは何か。選手、戦車、親会社、あるいは所属チーム、戦車道連盟、いったい誰なのか。
一瞬巡らせた思考は、即座に小林に答えをはじき出させた。
*
「本当に来てくれるんでしょうか?」
61式戦車の整備を行う秋山優花里は、久々に嬉しそうな顔をしていた。
「そんな凄い監督なら、ウチのチームよりももっといいチームに行くと思う」
整備を手伝う冷泉麻子の言葉に、優花里はがっくりした。
「確かにそれはそうですけど……」
「でも、イケメンだよね宮崎監督ってさ!」
通信機の整備を行っている武部沙織は、愛用しているスマホに映っている宮崎任三郎の写真を見せた。
痩身ではあるが、贅肉がない引き締まった体と、甘いマスクをしていながら鋼鉄のように浅黒い精悍さが宮崎にはある。
知性と共に、勇猛さを兼ね揃えているのはジャパンシリーズ三連覇を果たした名将にふさわしい。
「谷口さんとどちらがイケメンですか?」
砲身の掃除を行っている五十鈴華の指摘に、沙織は首をかしげた。
「華酷いよ! それはそれ、コレはコレでしょう!」
常陸スチール広報部のエースである谷口と沙織が付き合っていることは、すでにあんこうチームのみんなが知っている。
「みほりんはどう思う?」
「え? 私ですか?」
優花里の手伝いをしていた西住みほは、姉である西住まほが尊敬しているという宮崎任三郎について、ある程度の話を聞いていた。
「お姉ちゃんから聞いたけど、宮崎監督は凄い人だって聞いたよ」
「そうだよね、監督になって一年でプレミアリーグ優勝して、そこからはジャパンシリーズ三連覇だよ! 海外のプロリーグでも活躍して、東洋の魔術師ってあだ名が付いてるし」
欧州の戦車道プロリーグに参加し、そこで日本人初の中隊長、そして最終的に隊長となって活躍して優勝経験もある宮崎任三郎は、その手腕から「東洋の魔術師」というあだ名を付けられた。
臨機応変に戦局に合わせて戦い、守勢に回れば崩れずに起死回生のチャンスを逃さず、攻めに回れば相手に防御する隙を与えずに圧倒する。
その後、選手を引退した後も欧州のチームからは残って欲しいと言われたが、東亜製鉄に引き抜かれて日本の戦車道プロリーグを活発にしたいという理想の為に、宮崎は当時低迷していた八幡ヴァルキリーズの監督となった。
「小林社長、本気で私達に優勝して欲しいんですよきっと。宮崎監督が来てくれれば、それだけで戦力アップですよ」
小林が先日、優花里達に尋ねたのは宮崎任三郎を正式にアングラーズの監督として向かい入れるべきかということであった。
小林は、アングラーズを本当に優勝させるには、戦車道プロリーグを理解し、そして、戦車道プロリーグで勝つことを誰よりも理解している人物に任せるべきだと言った。そして、その条件を誰よりも満たしているのは宮崎任三郎以外には存在しない。
「でも、大丈夫かな……宮崎監督、東条理事長に嫌われているって聞いたよ」
みほは、先日姉から宮崎がなぜ退任することになったのかを聞いていた。
「スポンサーを集めたり、ボランティア活動やってることが気に入らないって言ってたよ。もしかしたら私達も同じ目に遭うかも」
姉であるまほは、本気で戦おうとしていたが、宮崎に説得されて断念したという。あの八幡ヴァルキリーズですらあの有様なら、それ以上に脆弱なこのチームは消えて無くなる可能性すらある。
この仲間たちと戦車道が出来なくなることをみほは恐れていた。
「でも、私は最下位は嫌です。出来れば優勝したいです」
高校時代は、戦車道に参加出来ただけで嬉しいと言っていた優花里だが、この一年で最下位にいることを無念に思っていた。
「それに小林社長は言ってましたよ。私達を優勝させる、そのためにチームを作るって。それに私達が最下位へと転落して悔しいかって言われて手を上げたの、小林社長はちゃんと見ていてくれたじゃないですか」
小林はあのとき、最下位へと転落した時悔しいと思ったあんこうチームのことをしっかりと覚えてくれていた。そして、そんな彼女達だからこそこのチームを任せたいと言ってくれたのだ。
「小林社長は、みほさんが黒森峰女学園にいたときに仲間を助けたことと、ウサギさんチームを助けた時のことも知っていましたよ」
華が指摘したように、あのときみほが取った行動を、小林は誰よりも賞賛した。誰かを切り捨てるだけでは組織は成り立たない。そして、その時のことを忘れないでほしいとも言った。
「あの人ならちょっとだけ信用出来る」
仮にクビにされたのであれば、小林は常陸スチールもアングラーズもその程度の会社であり、その程度のチームと言った。
その程度という言葉が「最低」という意味であることは全員が理解していた。
最下位へと転落し、このどん底から、這い上がろうともがく人間を追い出すような会社とチームはそれ以外の何者でもない。
「麻子の言う通りだよ! 小林さんは、本当に私達を、アングラーズを優勝させたいんだよ。自分のクビだって危ないのに、それでも私達の為に、あそこまで言ってくれたんだよ。これに答えなきゃ女じゃないよ!」
沙織が意外な言葉をつぶやくと、他のメンバーが一斉に視線を向けた。
恋人の谷口から、小林が誰よりも理不尽と不条理が嫌いで、無責任とは対極の人物であることは沙織があんこうチームの中で一番理解していた。
「それに言ってたじゃん。最下位へと転落したのは自分達経営陣の責任だって。それを変えたいって言ってくれたの小林社長だけなんだよ!」
富永恭子や服部章子らの横暴に、あんこうチームの面々は無論のこと、彼女達の派閥に入っていないあんこう中隊全員が被害を受けていた。
そして、その理不尽と不条理が横行し、チームを最下位へと転落させてしまった責任が自分にあると言ったのは小林だけだ。
「本当なら、あの人もっと出世して、ウチみたいなチームじゃなくて親会社でもっと凄い仕事も出来た人なんだよ。そんな人がウチのチームが最下位になったことは自分の責任だって、言ってくれたんだよ。私達のことを、見捨てないでいてくれる人がいるのに、頑張らなかったら私達も富永さん達と同じじゃない!」
富永恭子は未だに、この結果に対して責任も反省もしていない。未だに来年も華麗に戦うかをつぶやいている。だが、彼女の専横を許してしまっているのは自分達の責任もあるはずだと沙織は思っていた。
「でも、みんなと戦車道が出来なくなるのは……」
「それで本当にダメになるなら別の形で戦車道やればいいじゃん。みんなでお金出し合って、Ⅳ号でもⅢ号でも、最悪CV33でもなんでもいいよ。みんなでまた、戦車道を楽しめばいいんだよ」
沙織の言葉にみほ以外の全員の目の色が変わった。
「そうですね。それで頑張ってダメだったら、その方が楽しいですね。実家に戻ればいいんですし」
「もうあんな奴の命令聞くよりはずっとマシ。チーム辞めて、おばあの知り合いの会社で働いてみんなと戦車道したい」
華と麻子が吹っ切れた顔でそう言った。
「私も、実は根津さんに本社で働けないかと誘いを受けました。このチームが本当にダメになったら、そのときはみんなと一緒に戦車道したいです」
アナリストを兼任している優花里は意外にも、常陸スチールの経営戦略室にからこちらに来た根津と意気投合していた。
データオタクで調べモノが得意な根津は、それまで戦車道を知らなかったはずが、今では戦車道のレクチャーをしながら、常陸スチールを含めた業界や異業種の話を教えて貰っている。そこには戦車道とはまた別の面白さがあった。
「私だって、これでダメならグッチーと一緒に常陸スチールで働くよ。でも、まだそうなったわけじゃないんだよ! 宮崎監督が来てくれても、それで本当に優勝できるかなんて分からないし、もしかしたら来てくれないかもしれないよ。でも、私達が諦めたらそこで終わりでしょ。みほりんだって言ってたじゃない! 諦めたらそこで終わりだって!」
今でも思い出す高校二年の時の戦車道全国大会一回戦。優勝候補である強豪サンダース大付属と戦った時、苦戦して誰もが諦めかけていた。
だが、そこで沙織が言った言葉で、みほがチームメイト達を叱咤激励し、見事に逆転した。
あそこで諦めていれば、あの時優勝することは出来なかっただろう。
「……分かった。私も頑張る。みんなと一緒に戦車道で優勝する!」
富永恭子らに妥協していた気弱な中隊長の印象はすっかり消えていた。
かつて、廃校まで追い詰められていた県立大洗女子学園を優勝させ、無限軌道杯で優勝させた最大の功労者、名指揮官である西住みほは再び、この大洗アングラーズで優勝する決意と共に、闘志が宿っていた。
「あら、ここにいたの西住さん?」
どこか嫌みったらしい口調が聞こえてきたと思ったら、そこには富永恭子の姿があった。
「富永さん、どうしたんですか?」
「社長が呼んでるわ。今すぐ来てほしいそうよ」
取り巻きの服部の姿がいなかったのは不思議だったが、すでにある決断をしていたみほはそれを気にしなかった。
「わかりました。今すぐ向かいます」
*
社長室に入った恭子とみほは、改めて社長である小林と対峙していた。
「富永君、君の宿題を見せてもらおうか?」
「どうぞ、ご覧あそばせ」
若干の嫌味が入った口調とともに手渡された書類は、来年のプラチナリーグで勝利する為の戦略と戦術を纏めたものである。
先日はA4用紙一枚だけであったが、今度は二十ページほどになっていた。手渡された書類を受け取った小林はそれをしばし眺めた後に、それをデスクに置いた。
「先日よりは中身がそろっているな」
「当然ですわ。素人である小林社長にも、懇切丁寧わかりやすく纏めましたから」
素人という部分が強調された口調は、明確な敵意があったが、それでも多少はマシになったことには少しだけ見直した。ほんの1mm程度ではあるが。
「まあ、これは戦車道を知っている人間ではないと分からないかもしれませんけどね」
「確かに、私は戦車道の素人だからな。なら、ちゃんとした専門家に吟味してもらうとしよう」
その一言と共に、社長室の扉が開く。自動扉のギミックが付いているのかと思いたくなるほどの勢いに、小林は思わず笑いそうになったが、そこには、戦車道プロリーグを誰よりも理解し、勝利するための方法を知っている人物の姿があった。
「改めて紹介しよう、元八幡ヴァルキリーズの監督を務めていた宮崎任三郎君だ。そして今年度から、この大洗アングラーズの監督に就任した」
「宮崎任三郎だ。小林社長からもあった通り、大洗アングラーズの監督を任せされることになった。よろしく頼む」
宮崎は恭子とみほに一礼した宮崎任三郎の表情は、常勝の戦乙女達である八幡ヴァルキリーズを率いていた頃と同じ、いや、それ以上に溌剌とした顔をしていた。
「小林社長は、本気でアングラーズを優勝させ、本気でジャパンシリーズを制覇して日本一になろうとしている。俺の仕事はその期待に応えるチームを作ることだ。そのために尽力させてもらう」
「これはどういう茶番ですか?」
あまりにも意外な男の登場に、恭子は血相を変えてそう言った。
「このチームは、私のチームです。私が率いて、優勝、そして日本一を……」
「君にそれが出来るとは思えないな」
チームの独裁者であった富永恭子に対して、小林は冷徹な口調でバッサリと切り捨てた。
「出来たとしても、せいぜい最弱のチームから普通のチームになるのが限界というところだろう。昨年最下位へと転落したが、それ以前は四位にしかなれなかった」
「それは……」
「それに、君は今言ったな。このチームは自分のモノであると。なら、君には当然ながら今年度のチームに対する責任というものがあるんじゃないのか?」
このアングラーズを自分のチームであると宣言したことに、小林は激怒したくなったが、逆にその言葉を利用して彼女を追い込む。
このチームが彼女のものであるならば、この無残な結果に対する責任を冷徹に小林は突きつけた。
「責任?」
「当然だろう。君はどうも自分の発言をすぐ忘れるようだからもう一度教えてやる。このチームを自分のモノと言い切ったのであれば、最下位への転落は君が責任を果たすべきだ」
「私が責任を果たす?」
誰にモノを言っているのかという表情の恭子に、小林は一切の容赦をするつもりはなかった。
「ハッキリ言うが、このチームは常陸スチールが百パーセント出資している子会社だ。その運営は、常陸スチールが行う。君はその中でチームの隊長を任命されているに過ぎない。君はチームのメンバーにあれこれ指示を出せるが、このアングラーズという会社の経営は私の職分だ。このチームの経営と運営は、私の仕事だ。その面から見れば、君は二つ勘違いをしている」
「勘違いですって?」
「このチームは私が運営する。無論、君たちの意見も考慮し善処する。だが、それは相応の責任と役割を果たせる人間であればの話だ」
責任と役割、その二つを果たせない人間に小林は一切の容赦をしない。
「君は、どちらも果たしていない。挙げ句の果てにはこのチームを私物化している。そして、この内容だが……宮崎監督、是非吟味してくれないか?」
「分かりました」
富永恭子に命じた宿題を、早速小林は宮崎に吟味する。ざっと目を通した宮崎は即座に「これではダメだ」と富永恭子に突っ返した。
「きれい事ばかり書かれて、美辞麗句を載せた程度の低い内容だ。これでは、プロリーグは無論のこと、高校生戦車道すら勝てない」
戦車道プロリーグで勝つ為の方法を、誰よりも知っている男の指摘も小林に決して劣らなかった。
「こんなことが、許されると思っているのですか? お父様とお母様に言いつけますわよ!」
「いい加減にしてください!」
富永恭子の態度に、耐えかねた西住みほが遂に激怒した。
「富永隊長、いえ、富永さん、あなたは責任を果たすべきです。このチームはあなたのモノなんかじゃない!」
弱小だった県立大洗女子学園を優勝へと導いた西住みほの剣幕に、富永は押されていた。
「仲間を駒にして、平気で切り捨てて、しかも負けたことに対する反省も責任も取らない。あなたのような卑劣な人間に従うのはうんざりです!」
あんこうチームの仲間たちとの決意から、みほはもはや一切の遠慮をするつもりはなかった。
小林は最下位へと転落したアングラーズを本気で立て直し、このチームを本気で優勝させる為に、戦車道プロリーグ最高の名将をスカウトしてくれた。
その宮崎も、本気でこのチームを変えようとしている。その気持ちに応えなくてならない。
「小林社長! 宮崎監督! 私達は優勝したいです! そのために全力を尽くします」
みほが頭を下げようとすると、小林は右腕を差しだした。
「ありがとう。県立大洗女子学園を率いた手腕を、是非発揮してくれ」
その言葉と共にみほは差し出された小林の右腕を強く握った。
「一年、よろしく頼む」
宮崎任三郎も、同じくみほに右手を差し出す。小林と同じくみほは宮崎が差しだした右腕を強く握った。この二人と共に、アングラーズを率いて戦うことをみほは決意していた。
*
茨城県鹿嶋市。鹿嶋製鉄所を初めとする臨海工業地帯を有したこの地は、常陸スチールの企業城下町として有名だった。
そんな常陸スチール鹿嶋製鉄所の一室に、大洗アングラーズ副隊長の服部章子の姿があった。
「以上が、私が知るアングラーズ内部の状況です」
服部の前にいるのは、常陸スチール常務取締役にして、この鹿嶋製鉄所所長を務める福原孝であった。
「なかなかの爆弾だな」
「さぞかし派手に吹っ飛ぶでしょうね」
服部がもたらした情報は、とてつもなく大きな爆弾である。アングラーズを吹き飛ばし、綺麗さっぱり残らないほどの威力を持つ爆弾だ。
「しかし、君もあのクズには閉口していたのかね?」
「もちろんです。あのクズの顔が嫌いでした。反吐が出るほどに」
福原の言葉に、服部は本当に反吐を出す勢いでそう言った。
「それより、謝礼ですが……」
「安心したまえ。それはすでに用意してある」
福原が服部に手渡したのは、一枚の小切手であった。そこには額面で五千万円と書かれている。
「現金を持ち歩くと面倒なことになるからな。こういう時、小切手は便利だよ」
「ありがとうございます。これで、あの富永恭子の泣きっ面が見れると思うと笑いたくなりそうです」
「その時、君はすでに日本にはいないからな。リアルタイムで見れないだろう」
すでに手はずは整えていた。後は、この爆弾であのにっくきアングラーズ、そして、クソ生意気な小林をも吹き飛ばしてやればいい。
そして、その小林を推挙した池田も追い落とし、米山を社長することを福原は考えていた。
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第四話 仕掛けられた爆弾 前編
「思い切ったことをしたな」
常陸スチール本社会議室の中心に座る、代表取締役社長池田義隆がそう言った。
「事後承諾になってしまいましたが、今期大洗アングラーズは最下位へと転落致しました。それを改善するには、やはりチームを抜本的に変えられる人物が必要です」
多くの取締役や役員達の前で、大洗アングラーズ社長小林勇人は自信を持ってそう言った。
「宮崎任三郎監督の招聘か」
池田達には小林から提出された、アングラーズ再建計画書には、宮崎監督を中心としたチーム作りが記載されていた。
「宮崎監督は、かつて、低迷する八幡ヴァルキリーズを見事に立て直し、リーグ優勝、そして、ジャパンシリーズを三連覇するという偉業を成し遂げました。彼ほど、監督にふさわしい人物はいません」
「実績という意味ではこれほど優れた人物はいないな」
池田は小林の提案を正当に評価した。
「だが、富永君の解任は本気でやるつもりかね?」
宮崎を招聘するだけではなく、小林はチームをここまで弱体化させた張本人である富永恭子の契約を更新しないことも記載していた。
「彼女達は戦車道のプロです。結果を出さず、改善案も出さず、挙げ句の果てには下らない派閥を作ってチームを私物化しています。これは看過出来ません」
「富永君は、あの富永議員や富永都理事の娘だぞ!」
別の役員から反発の声が飛んでくる。旧通産族で、財界に強い影響力を持つ富永議員と、日本戦車道連盟の専務理事となった富永都は、理事長である東条有希江の子飼いだ。
彼女に手出しをするのは、両名から忌避を買うだけではすまない。
「ごもっともですが、彼女は大洗アングラーズの隊長を務めていました。Cクラス入りし続けた原因を作り、最下位へと転落させましたが、それ以上に彼女はチームを私物化し、選手達を抑圧していました。そんな人物に好き勝手させていたことは決して許されるべきことではありません」
小林は決してなあなあにするつもりは一切無い。
「大洗アングラーズは、我が社常陸スチールの完全子会社です。ですが、運営は鹿嶋製鉄所の職員任せで、気づけばこのような魔窟と化していました。その責任は、我々役員を含めた経営陣にあります」
小林の熱弁に、池田は一切の表情を崩さす泰然としていたが、真剣な眼差しを向けていた。専務の米山は苦い顔をし、常務の福原に至っては忌々しい顔をしていた。
「選手達からも、私は直々に内情を調査致しました。その結果、アングラーズは富永恭子による私物化が進んでおります。ここで皆様に質問ですが、これは富永議員や富永理事にとってプラスとなり得る話でしょうか?」
池田と米山以外の役員達の表情が変わった。
「確かに、富永議員と富永理事の力は絶大です。ですが富永恭子がやっていることは、言ってしまえば親の七光りを使い、親の七光りで他人を抑圧し、異論をねじ伏せるという、人間の行為として極めて悪辣なことです。これが仮に、ネットニュースや週刊誌に載った場合、困るのは我が社やアングラーズだけではないということです」
小林はもし富永恭子がコネを使って圧力をかけてくるならば、そのときは徹底的に戦うつもりでいた。仮にこの実情が公表された場合、彼女の両親にとっても、不肖の娘を甘やかし、チームを私物化させていたというスキャンダルを抱えることになるだろう。
「君は自分が何を言っているのか分かっているつもりかね?」
米山がそう言うが、すでに腹が決まっている小林は平然としていた。
「分かっております。もし、彼女がコネを使い、それで我が社に圧力をかけ、我が社が屈服してしまった場合、我が社は腐敗の元凶を正すことも出来ず、その元凶の両親からの圧力に屈服する最低の会社であることを世間に喧伝してしまうということです」
その程度の会社と言った小林だが、常陸スチールに対する愛着はある。この会社であるからこそ、自分はそれなりの活躍が出来ている。それは、常陸スチールにある自由と社員を尊重する気風が存在するからに他ならない。
その常陸スチールが、その程度の会社、政治家やある組織の幹部からの圧力に屈服してしまえば、常陸スチールの評判は文字通り地に落ちるだろう。
「アングラーズの腐敗は、我が社の恥ではありますが、それは改革することが出来ます。ですが、その腐敗を正せず、改革も改善も出来ないようであれば、そのときこそ我が社の評判は地に落ちるでしょう。そして、その腐敗の改革や改善が、親の七光りに屈服してしまえば、我が社の評判どころか、これまで築き上げてきた信頼が失われます」
組織がダメになるのが問題なのではない。ダメになっていることを、改善出来ない事が問題であることを小林は理解していた。それが、理不尽と不条理と無責任という、組織を腐敗させる根源となる。
「確かに、その通りだな」
役員達の中で、池田は表情を変えず、真っ直ぐな視線を小林に向けてそう言った。
「コネを使い、その圧力に屈服してしまう組織が健全とは言えない。そして、それを行う人間を許してしまうことも、健全な組織とは言えないだろう」
常陸スチールの改革を断行した池田の発言に、小林と米山以外の全役員が押し黙った。
「ですが社長、富永先生の影響力は考慮しなければなりません」
「その通りではあるが、小林君が言うように、我々がそのコネに屈服した場合、我が社はコネに屈服したダメ会社であると多くの人々に認知されるだろう。そうなれば、我が社の信頼は地に落ちる」
政治家の圧力に屈服する。それ以上に、親のコネを使う腐敗の元凶の言いなりになれば、それこそ会社としての健全性を問われることの意味を池田は理解しているようだ。
「それに、この宮崎という男は東亜製鉄から追い出された人物です。噂によれば、戦車道連盟の理事長からも忌避を買ってるとか」
「米山君の危惧は分かる。だが、宮崎監督は監督になってからわずか一年でリーグ優勝し、その後は破竹の勢いで、八幡ヴァルキリーズをジャパンシリーズ三連覇させ、プロリーグの盟主にした。
しかも彼はチームの収益を上げる為のアイディアを出し、さらには地域のボランティア活動を行い、北九州市の人々に愛されるチームを作り上げた。極めて有能な人物であり好人物だ。東亜製鉄が何故彼のような人材を追い出したのかは興味はないが、こうした得がたい人物を招聘出来ることは、我が社が健全な企業であると言えるだろう」
米山の危惧に対しても、池田は冷静なままに宮崎任三郎を評価し、得がたい人物であると言ってくれた。思わず小林は両腕の拳を強く握った。
「アングラーズは長年、我が社の聖域と化してきた。赤字まみれで、何のシナジーも生み出していない」
常陸スチール初のリストラを行い、常陸スチールをV字回復させた改革者がいう聖域は神聖な場所という意味ではない。
常陸スチールに巣くう癌のようなものだ。
「だが、それ以上にチームの隊長が、チームを私物化し、多くの選手達を抑圧していたこと。その悪行は許されるべきことではない。君たちはそう思わないのかね?」
意外な発言に役員達が騒然となった。アングラーズの現状を「悪行」と断言した池田の言葉は、小林の主張を認めるに等しい言葉だからだ。
「小林君、アングラーズの社長は君だ。存分にやりたまえ。我が社は、不当な圧力に屈服するつもりも、不当なやり方に屈するつもりも一切無い」
「ありがとうございます社長!」
宮崎任三郎の監督就任、そして、富永恭子の今季限りの契約はこれで終了することが正式に決定した。
*
「承認して頂き、ありがとうございました」
取締役会が終了した後、小林は池田から社長室に招かれた。そこで早速、自分の決断を後押ししてくれたことに小林は感謝した。
「礼を言われることではない。それに、宮崎任三郎監督は戦車道プロリーグの名将だ。東亜製鉄は政治の圧力に屈服したが、あれだけの人物を招聘することを躊躇うのは、企業の存在価値を問われる」
東亜製鉄に対して、池田は決していい感情を抱いていない。東亜製鉄の官僚的で尊大な態度は、業界の一部からは嫌われている。
「しかし、本気でアングラーズを立て直すつもりかね?」
「私のあだ名は「再生工場」です。それに、役員としてアングラーズをここまで滅茶苦茶にしてしまったことは、それを理解しなかった責任があります。知ってしまった以上、このような理不尽を許容することは私にはできません」
知ってしまった以上、アングラーズの不条理を小林は一切看過することは出来なかった。
「それに、責任の押しつけをするよりも、誰かが率先して現状を改革しなければ、改善できたことが出来なくなり、企業は倒産してしまうでしょう。これが、医療の現場であれば、救えるはずの患者を死なせてしまうことになります」
小林の言葉に、池田は深く頷いた。
「その通りだな。経営にはスピードが必要だ。多様化する現代において、重要なのは判断と決断を行うスピードが不可欠だ。そうでなければ、一億の損害ですんだ赤字が、気づけば十億となり、最悪百億、一千億という損害を生み出しかねない」
常陸スチールを今日に至る企業へと発展させた経営者の言葉は、どんなビジネス本よりも含蓄と重さがある。
「君はそうした最悪の事態を切り抜けるだけの器量がある。これは、今の役員達の中でダントツだ。君は会社を建て直し、真っ当な経営を行うことが出来る素質がある」
「社長にそう言ってもらえるとは恐縮です」
「だが、まだアングラーズには大きな問題がある」
アングラーズが抱える、もう一つの問題。それは放映権の五千万以外の収益が無い、巨額の赤字経営だ。
「予算五十億に対して、売り上げは五千万。改善する上での策はあるかね?」
「広告宣伝費を集める上で、スポンサーを集めています。それから、関連グッズの販売、ファンクラブの設立なども随時実行中です」
「上手くいっているのか?」
池田の指摘に、小林は押し黙った。結論から言えば、関連グッズやファンクラブはともかくとして、スポンサーとなってくれる企業や広告宣伝費の営業活動は決して芳しくは無い。
「実は、かなり苦戦しています。特に鹿嶋市を初めとする工業地帯は、ハーキュリーズの知名度が圧倒的に高く、同時に多くの会社がハーキュリーズのスポンサーとなっています」
常陸スチールが抱えるもう一つのプロチーム、ラグビーの常勝軍団である鹿嶋ハーキュリーズは、小林の想像以上にしっかりとした営業力を有していた。
常陸スチール鹿嶋製鉄所があることから、五島らが現在スポンサー集めに奔走しているが、すでにハーキュリーズの圧倒的な知名度と地域に密着した経営により、基盤を築き上げていることから芳しくなかった。
「それに比べ、どうしてもアングラーズは知名度が弱く、それがスポンサーを集める上では武器になり得ません。そこで、まずはこのリーグ優勝し、そしてジャパンシリーズを制覇することが重要であると思っています」
「それでは五十点だな」
池田の評価は辛辣であった。
「確かにアングラーズの知名度は低い。そして、リーグ優勝と日本一となることは当然だ。そのために、君が奔走して宮崎監督を招聘し、富永君との契約更新をしないことは実に正しい戦略だ」
そこで区切ると、改めて池田は小林の瞳を覗くように視線を向けた。
「だが、それで今年一年は赤字でいいという道理はどこにもない。小林君、君が経営戦略室室長であれば、そんなことを平然と言ってのける部署があったらどういう評価を下す?」
「……申し訳ありません」
逆の立場であれば、ふざけるなと自分も言うだろう。来年黒字にするからと今年の赤字を容認することは無理だ。ましてや、おそらくアングラーズを立て直す上で、現状以上の予算がかかる可能性がある。
「予算に見合う売り上げは早急に見直すことだ。アングラーズの運営は君に全て一任する。だが、今後アングラーズの予算面に関しては、米山君と協議したまえ」
「米山専務とですか?」
先日といい、今回も正直、米山にはあまりいい感情を抱かれてはいない。
「彼は、低迷するチームの収益改善を行えるノウハウを持っている。ハーキュリーズを今のようなチームに作り替えたのは彼だ。米山君と協力して、アングラーズを立て直すんだ」
池田の一言で、これ以後予算案について小林は池田と話す機会は永遠に無かった。
*
大洗町の近くにある居酒屋で、五島、根津、堤の三人は軽く一杯やっていた。
「スポンサー集めが、ここまで上手くいかねえとは思ってなかったよ」
早々にビールを一気飲みした五島は、芳しくないスポンサー集めに愚痴をこぼした。
「五島が愚痴こぼすなんて珍しいな」
焼酎のロックを飲んでいる根津が、同僚の珍しい愚痴を意外な顔をした。
「ハーキュリーズの壁が予想以上に分厚いんだよ。茨城県の大半は、ハーキュリーズファンだらけだぞ」
大洗アングラーズの営業部長として、茨城県内でスポンサー集めに奔走していた五島は、鹿嶋ハーキュリーズの営業力の強さを思い知らされた。
「鹿嶋市は無論、隣の神栖市も、茨城県の工業地帯はみんなハーキュリーズのスポンサーだよ。しかも、ガチのハーキュリーズファンばかりだぜ」
ハーキュリーズは昨年もラグビープロリーグで優勝した。今年で五連覇を達成している最強のチームだ。ただ勝つだけではなく、ハカを初めとするパフォーマンスを行うなど、観客を魅了するユニークなチームでもある。
「しかも、連中相撲部屋やレスリング関係者とも仲がいいと来てる。相撲部屋やレスリングの練習もしてるだろ。その縁でそっちのファンまで取り込んでるんだよ」
相撲の押しの姿勢は、ラグビーのスクラムやモール、タックルなどの姿勢を養う上で一番の特訓となる。そして、レスリング式の低く這うタックルは、ラグビーのタックルに磨きをかけることが出来る。
そうしたメリットがあることからハーキュリーズは、この特訓を実践しているが、一方で力士達やレスラー達との交流を行い、チームの宣伝も兼ね、ファンの獲得まで行っている。
「米山専務の管轄だからと思っていたが、営業力の面で見ればスゲえチームだよ」
小林と対立関係にあった米山には、あまりいい感情を持っていない五島ではあるが、この徹底した営業には舌を巻くほどだ。
「しかも、五連覇だもんね」
堤の言葉に、最下位へと転落している大洗アングラーズとの格差を思い知らされた。
「正直な話、ラグビーに興味がない俺でも凄いと思えるよ。しかも、JAまでハーキュリーズを応援しているんだぜ。農家の人まで味方にしているから、茨城県は捨てるしかないのかもな」
地域に密着したチーム運営で、農業県でもある茨城県の農家もファンとして取り込んでいる。茨城県は、ハーキュリーズのファンだらけだ。
「じゃ、栃木とか?」
「そっちはもっと無理だ。栃木にはチェンタウロスがいる。千葉はJリーグとプロ野球のチームあるし、神奈川も同じだ。地域に密着といっても、大洗だけじゃ限界が来るよ」
栃木県宇都宮市を本拠にしている宇都宮チェンタウロスも、八幡ヴァルキリーズほどではないが、プロリーグの中では懸命にファン確保に尽力しているチームだ。栃木県や他県に進出するだけでは、無理がある。
「そうかな?」
焼酎を飲み干した根津は意外な口調でそう言った。
「だって、茨城県はやっぱりハーキュリーズのファンだらけだぜ」
「僕が調べた限りじゃ、ここはまだ及んでいないんじゃないか?」
タブレットの地図アプリを起動させ、根津は茨城県のある地域を指さした。
「お前、それは無理があるだろ」
「うわ、根津君無理言いすぎ」
五島も堤も、そこは大洗アングラーズどころか、親会社である常陸スチールにとっても禁足の場所であることを知っていた。
「そもそも、大洗町と鹿嶋市は距離的に離れてる。それに、ハーキュリーズは鹿嶋市だけじゃなくて、ウチの会社の象徴じゃないか、そこに無理して割って入るのはレッドオーシャンにもほどがあるよ」
レッドオーシャン、競争が厳しい場所で戦うのではなく、根津は常にブルーオーシャン戦略、競争の無い未開拓領域を攻めることを得意としていた。
「だからこそ、やる価値があると思う」
「そりゃそうだけど根津ちゃんよ、ここは常陸重工のテリトリーだぜ」
茨城県北部、水戸市や日立市、ひたちなか市など大洗に近いエリアは、常陸スチールに匹敵する大企業であり、日本を代表するコングロマリットである常陸重工が本社を置き、その他関連企業を従えているいわば、常陸重工の本拠地である。
「それに、ウチの会社と重工って仲悪いんでしょ」
堤が言うように、常陸スチールと常陸重工は仲が悪い。元々、常陸スチールは常陸重工から独立して生まれた企業だ。
戦後の高度経済成長期を見越して、それまであった常陸重工の製鉄部門が独立し、現在では千葉市や鹿嶋市、そして北海道の室蘭市や岡山県倉敷市、大分県大分市に銑鋼一貫製鉄所を築き上げ、東亜製鉄と肩を並べるほどの大企業となった。
同じ企業を源流して、社名に常陸の名が入っているのはそうした経緯があった。
「だけど、南の鹿嶋市じゃハーキュリーズが先手を打っているんだろ。そこで頑張るよりも、手が出せていない地域に目を向けた方が意味があると思うんだ」
経営戦略室にいた頃から、根津の戦略的な視点は常に正確であった。それまでやらなかったこと、やっていないこと、アプローチをかけてもダメだった場所の改善や、そもそもアプローチをかけていない場所を見つけ出し、戦うことで根津は実績を出してきた。
「でも重工は流石に厳しいんじゃない?」
「僕はそう思わない。実は、ここだけの話だけど、僕は経営戦略室にいた時から常陸重工との業務提携を考えるべきだと思っていたんだ」
その発言に、五島は思わずビールを吹き出しそうになり、堤はつまみのこんにゃくの炒り煮を落としそうになった。
「業務提携? ウチと重工の?」
「それスポンサー集めるよりも難しいと思うよ」
常陸スチールと常陸重工は、互いに「スチールさん」「重工さん」と呼ぶほど、反目し合ってきた歴史がある。後発であるはずの常陸スチールは、常陸重工にも匹敵するほどの大企業になったことで、同じ茨城県内にある企業でも、北と南で分断されているほどだ。
だが、根津はこれが荒唐無稽な話だとは思っていない。彼なりの勝算があったからだ。そして、その勝算を聞いた時には五島も堤も、納得してしまった。
そしてこれは、大洗アングラーズのスポンサーを得ることだけではなく、大きなビックビジネスを生み出せるほどの代物であったからだ。
*
常陸スチール本社広報部の仕事は、常陸スチールの宣伝であり、もう一つが常陸スチールの象徴とも言うべき鹿嶋ハーキュリーズの宣伝である。
会社全体でも、ハーキュリーズのファンは多いが、広報部はハーキュリーズファンでなければ広報部員ではないというほど、熱狂的なファンが多い。
「どいつもこいつも、ハーキュリーズハーキュリーズかよ」
一人寂しく、許可を取って面倒な残業を行いながら、谷口稔はハーキュリーズに負けない形でアングラーズを盛り上げるかを考えていた。
本社広報部で、ハーキュリーズの担当を任されながら、同時に大洗アングラーズの広報も仕事としてやっている谷口はかなり異色だ。
学生時代にラグビーをやっていたことから、ラグビーにはそれなりに愛着がある。ハーキュリーズのことは嫌いではないが、全員が持て囃しているものを見ると、谷口は一歩引いて見る癖が付いていた。
そして、あまり注目されていないが、凄いことや面白いことを取り上げることが本人の気質にある。
小林の下にいた頃は、そうした社員特集や技術の紹介、あるいは宣伝などで成績を上げてきたが、アングラーズは社内でもかなり冷たい扱いをされている。
「俺もあいつらと一緒に行くべきだったかな?」
五島や根津、堤達を焚きつけて大洗へと行かせようとした時、谷口も行こうと思ったが、思いとどまったのは社内におけるアングラーズのファンが少ないということだ。
アングラーズは低迷する成績は無論のこと、ハーキュリーズがやっているようなボランティア活動や広報活動などは殆どやっていない。
原因は隊長の富永恭子が、そうした要請などを全て無視していたからに他ならない。アングラーズに関連づけて、ハーキュリーズの事実上の統括責任者である米山などは、積極的にアングラーズとハーキュリーズの相乗効果を狙って活動を考えていたほどだ。
だが、それも「戦車道は乙女のたしなみ」「野蛮な商業主義にはついていけない」などという戯言を述べた結果、激怒した米山はアングラーズとの関係を自ら断った。
小林は富永恭子を切るつもりだが、彼女を切ったとして、果たしてアングラーズとハーキュリーズは交流が出来るのかは厳しいだろう。
小林と米山は幾度か対立していた。その因縁がある限り、正直な話、状況が好転するのは難しい。であれば、せめて本社にいる自分がそれを手助けしなければならないだろう。
大洗アングラーズを固めることも大事だが、本社の支援を受けている以上、常陸スチール本社とそのほかの製鉄所や工場との人気も上げて行かなくては収益化は無理だ。
「とはいえ、遠距離恋愛は試練だぜ……」
冷えた弁当を食べながら、谷口は沙織の家で食べた手作りの料理の味を思い出していた。大洗に行けば、もっとマシな食い物が食えたかもしれないという気持ちになりながら、アングラーズの企画を進めようとした。
すると、スマホのニュースアプリに新着ニュースが入っていた。広報部の人間として、常に情報を察知することを習慣づけている谷口は、ネットニュースや新聞などを常に把握している。
だが、今回のニュースは決してそんな類いの代物ではなかった。
「冗談だろ!」
誰もいない社内ではあったが、そこにはとんでもない内容の記事が書かれていた。
大洗アングラーズの一部選手が金銭を渡されて八百長を行っていたという、衝撃的なスキャンダルが記載されていた。
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第四話 仕掛けられた爆弾 中編
チームの役職員または選手及び監督が試合で敗れ、または敗れることを試み、あるいは勝つための最善の努力を怠り、またかかることを通牒するものは所属する連盟理事長の要求に基づき永久にその職務を停止される。
またかかる勧誘を受けた者でこれに関する情報を連盟理事長に対し報告を怠るものは制裁を受ける
大洗アングラーズの本拠地がある大洗町には多くのマスメディアが訪れていた。
「アングラーズの一部選手が八百長をやっていたというのは本当ですか!」
「八百長は事実ですか!」
「一言お願いします!」
練習場から、事務所までジャーナリスト達が押し寄せていたが、小林は全員に無視するように要請していた。
「とんでもないことになったな」
会議室にて、五島、根津、堤、そして宮崎と、新しく隊長に就任した西住みほと共に小林は今後の対策を協議すべく会議を行っていた。
「実際のところ、西住君、これは事実なのか?」
全員の机の上に置かれていたのは、スポーツ新聞の記事である。東都スポーツの一面には、派手に「大洗アングラーズの黒い霧、八百長行為が発覚!」というセンセーショナルな記事が載せられていた。
「私達あんこう中隊はやっていません。それは断言出来ます」
「他の部隊は?」
小林の指摘に、みほは押し黙ってしまった。
「宮崎監督、君の視点からはどうだ?」
「あんこう中隊はともかく、他の部隊にはその可能性があります」
「というと?」
「いくつか、気になった試合がありまして」
そういう宮崎はいくつかの試合の動画をピックアップした。
「例えば、習志野ウラヌスとの試合。連中は思い切った突撃を敢行してきましたが、服部率いる中隊はいきなり撤退を初めています。この唐突な後退で、戦いはウラヌス有利になり、アングラーズは敗退しました」
ウラヌスの突撃に対して、左翼を固めいていたはずの服部の中隊が、いきなり撤退、そこから本隊も崩れ、最終的にあんこう中隊が踏ん張るも、結局のところ包囲殲滅されてしまった。
「この試合以外にも、倉敷デュランダルズ、八戸スヴォローグスなどの試合でも、大事な局面で服部中隊が崩れています。八百長はともかくとして、そう見られてもおかしくはない戦いぶりなのが気になります」
「つまり、八百長をしていた可能性があるということか」
宮崎の指摘に、小林は腕を組んでため息をつく。
「やっていない可能性もありますが、思えば去年のアングラーズの戦いぶりは、あんこう中隊を除けば無気力試合を疑われてもおかしくは無いですね。富永の無能ぶりでかたづけられていたと言えばそれでおしまいですが」
「逆に言えば、あの無能っぷりは全て八百長をやっていることを誤魔化す為だったという見方も出来るわけですか」
根津の指摘に宮崎が頷くが、みほは複雑な顔をしていた。仲間重いな彼女からすれば、八百長をやっていることは信じたくはないことであろう。
「でも、まだそうと決まったわけじゃありません」
「西住君の言う通りだが、すでにこのような形で記事になってしまった。我々が出来ることは、この真偽を確かめることだ。事実であれば、我々は最悪、プロリーグから除名される」
戦車道連盟の規約第335条には、敗退行為を行った選手や監督は永久追放されるという記載もある。それに例年Cクラス入りしていたアングラーズに対するイメージダウンは避けられない。
この情報が流れた後、富永恭子も服部章子も雲隠れしてしまった今、アングラーズ全体でこの事態に対処しなければならないだろう。
「まずは事実確認を行うことが先決だ。宮崎監督、西住君、君らは今すぐ選手達から状況を確認してくれ」
「分かりました」
「手分けしてやります」
新任早々の監督と隊長に、こんな仕事をやらせたくはなかったが今はアングラーズの存亡がかかっている。
「五島、お前はこの情報を徹底的に洗え。本社の谷口とも協力して出所を探し当てろ」
「了解!」
「堤は金の流れを一度あたってくれ。八百長行為において、金を貰っていたか否かが決め手になる。その真偽を追ってくれ」
「任せてください」
順当に指示を出しながら、小林は根津と共出かける準備をした。
「社長と根津さんはどちらに?」
みほの質問に、小林は「ちょっとした商談に行ってくる」と返した。
本当ならばそんな暇はないのだが、これもアングラーズを変えるための戦略であり、以前より根津が経営戦略室にいた頃から構想し、幾度かアポを取っていた中での商談だ。
八百長問題解決も大事だが、この商談には、アングラーズは無論のこと、親会社である常陸スチールをも巻き込んだ大規模なビックビジネスになるはずであった。
*
茨城県ひたちなか市。ここには日本を代表するコングロマリット、常陸重工の本社工場がそびえ立っていた。建設機械、鉄道車両、航空機、造船、火力発電や原子力発電など社会インフラ事業を手がける企業ではあるが、一番の収益源はアメリカのクローラー社に匹敵する世界シェアを持つ建設機械と、日本国内は無論のこと、世界の鉄道ビジネスにある。
発電プラントなどを初めとするエネルギー分野も得意としてはいるが、現在常陸重工は建機と鉄道の世界トップシェアを取るべく邁進していた。
「急な話になり、申し訳ないです社長」
「気にするな。そのうちここには嫌でも来ることになっただろうからな」
経営戦略室に在籍中の頃から、根津の言う常陸重工との提携は小林も何度か目にして聞いていた話であった。
常陸重工と常陸スチールは、袂を分かったことから決して仲が良くない。鹿嶋市を中心とした鹿島臨海工業地帯と、ひたちなか市から北の茨城県北部を境に、常陸スチールと常陸重工は茨城県を分断する形で経済圏を作っている。
その経緯から一番近いはずの常陸スチールではなく、常陸重工は東亜製鉄から鉄を購入しているのだから笑い話にもならない。
二人は本社工場の駐車場の一角に社有車を停め、そのまま係員に案内されながら応接室へと通された。
「お久しぶりです小林室長、いえ、小林社長」
新橋の飲み屋街にいそうな、眼鏡と風采の上がらないはげ上がった姿でやったきたのは、常陸重工の専務取締役を務め、営業本部長を兼任している久原健介であった。
「いえ、本日はお時間を作って頂きありがとうございます。久原専務」
風采が上がらない姿とは対極的に、久原は数々の海外事業を成功させてきた常陸重工の切れ者である。
外見と中身が一致していないほど、的確で隙の無いロジックの持ち主であることから、小林は営業部時代から久原とのコネを作っていた。
「これが、うちの切れ者企画部長です」
「根津喜一郎です。よろしくお願いいたします」
大洗アングラーズ企画部長として、小林は様々な経営企画を根津に任せていた。
「よろしくお願いいたします。まさか、本当に小林さんが大洗アングラーズを任されるとは、池田社長も随分と思い切ったことをされましたね」
小林が戦車道の素人であることは久原も理解している。そして、常陸重工には社会人リーグで活躍しているチームがあった。
「精一杯勤めさせて頂くだけですよ。是非、アングラーズの応援もよろしくお願いいたします」
「ええ、応援させて頂きますよ。それで、御社の根津さんからあったお話ですが、現在我が社は鉄道と建機での世界一を目指しています」
常陸重工は現在、世界の鉄道ビジネス、列車の製造からそれを走らせるシステムの販売と、新興国での建設機械の販売で世界一を目指していた。
どちらの分野も国内では一位ではあるが、世界を舞台にすると二位止まりになっている。
「技術面では我が社も世界トップシェア企業には劣らないと思っています。ですが、そうなった場合、やはり問題になってくるのがコストです。特にそれではインドネシアの高速鉄道を中国に奪われ、建機もまだまだアメリカのクローラー社に遅れを取っています」
「そのコストを、弊社の技術で抑えるということですね」
小林の言葉に、久原は深く頷いた。
「その通りです。本題に入らせて頂きますが、我が社が海外企業とのコストで差を付けるには、単なるダンピングやコスト削減だけではなく、抜本的な見直しと無駄を削減する為に必要な合理化です。そこで、やはり勝つためには常陸スチールさんの高い技術力を元にしたプラットフォームが必要です」
常陸スチールにある他社にはない強みは、供給先の企業と共に原価を抑えて品質を落とさない総合型プラットフォームを有していることだ。
例えば自動車のように、車体からベアリング、シャフト、あらゆる鉄製品や金属部品を製造結果から逆算して必要な原価をはじき出し、生産するシステムが常陸スチールにはある。
その結果、愛知自動車では従来のサプライヤーを集めてコストカットを行うのではなく、総合的にどれだけの部品がどれだけ必要になっていくのかを実現したおかげで、大幅なコスト減が可能になった。
常陸スチールが長年蓄積してきた原価計算とAIを導入したこのプラットフォームは、自動車メーカーにおける武器として活躍している。
「そこで、弊社にプラットフォームを活用した業務提携をということですね」
元々このプラットフォームの開発は、小林が経営戦略室に入った時に小林自身が打ち出したビジネスであった。
原価をはじき出せば、容赦無くメーカーに買いたたかれるということで多くの役員達に反対されたが、正確な見積もりでコストを削減できることによるコンサルティング料を得られる。
さらに、他社には無い正確な見積もりを出すことで無駄なコスト競争から抜け出せることと、どの鋼材を使えば技術力はそのままでコストが削減出来るのか、常陸スチールが有する最新鋭のAIによる査定はそのまま武器に使える。
一度ユーザーを取り込めば、長く顧客を取り込むことが出来るメリットから、池田社長の鶴の一言でこの企画は実行され、今では愛知自動車のナンバーワンサプライヤーとなっているほどだ。
「御社のプラットフォームを使えば、弊社の現在手がけている列車の製造コストや、建機の製造コストも、より具体的で正確な見積もりを手に入れることが出来ます。そして、必要な素材をベースに技術を落とすこと無く、提供された部品による製造を行えば、これはかなり大きな武器になります。技術の質を落とすことなく、コストだけが削減できるのですから」
「そう言って頂けるとありがたいです」
小林の感謝に久原は深く頭を下げた。
「同じ茨城県にあり、同じ会社から生まれた我々が対立し続ける時代は、もはや終わるべきです。海外で戦う我々が、国内でつまらない争いをし続けるのは愚行でしかありません」
国際派と言われる久原の視点は、常に国内での争いではなく世界を舞台にしたビックビジネスを見ている。
実際に、インドやベトナムでのビックビジネスを纏めている久原の言葉には、単なる勢いだけではない本音が見え隠れしていることを小林は悟った。
「その通りです。弊社としても是非、御社と共に世界を舞台にした戦いに助力させて頂きたいと思っています」
そこから根津の用意した資料を元に、商談が始まったが、具体的な部分は明確には決まらず、今日は互いの意思確認でその日は終わった。
「久原さんはあれで大丈夫でしょうか?」
社用車を運転しながらの帰り道で、根津が小林に尋ねた。
「まあ、今日は軽いジャブだな。流石は重工のぬらりひょん。簡単には決めさせてはくれないか」
はげ上がった風采の上がらない姿を思い出した根津は、思わず笑ってしまった。まさに、妖怪の王とも言えるぬらりひょんそっくりだった。
「そんなあだ名があったんですか?」
「あのオッサンの心境は、結局のところあのオッサンにしか分からんよ。だが収穫はあったな」
具体的な話が決まっていない上に、小林が根津と共に常陸重工を訪れたのは、常陸スチールとの業務提携を結ぶだけではなく、常陸重工にアングラーズのスポンサーになってもらうことであった。
だがそれも応援するという言葉だけで、スポンサー契約云々の話は出てこなかった。
「常陸重工は、本気でウチのプラットフォームを欲しがっている。でなきゃ、あのオッサンじゃなくてペーペーが出てくるはずだ」
「でも久原専務が出てきましたね」
「東亜製鉄が連中のサプライヤーになっているが、東亜のやり方じゃ世界を戦い抜くのは難しいだろうな」
東亜製鉄のやり方は、常陸スチールとは対照的に重厚、悪い言い方をすれば鈍重と言ってもいい。世界を舞台にしている大企業を相手にするには、その場その場での決断力が求められる。
ギリギリの交渉を行う中で、コストを削って別の商談で元を取るにしても、その判断と決断力が遅ければそれだけで一手打つことが出遅れる。
「久原さんは、本来東京本社にいる。それがわざわざひたちなか市の本社工場で俺達に会うことを選んだのは、それなりの理由がある」
「我々なら容易く交渉が出来ると?」
「そんな甘い玉じゃないよあのオッサンは」
久原のあだ名である「ぬらりひょん」は見た目を揶揄しているのではない。のらりくらりと自分達が有利な形で商談を纏める交渉術にある。
中東のとある王国でのプラント事業に際しても、半ば強引に決断したことでその後の建設機械の販売も取り付ける中で、採算が合わないアフリカの商談を打ち切るなど、つかみ所が無い。
「久原さんは、重工の面子というものを良い意味でも悪い意味でもこだわらない。損して元を取る事業を取ってくれば、利益が出そうな事業を打ち切って、その後別の会社が引き受けたら失敗したような話を敏感に感じ取れる。
が、あのオッサン以外は俺達と手を結ぶ意思があるかはかなり怪しい」
常陸重工が長年、建設機械の世界シェア第二位に甘んじ、鉄道ビジネスでも一手遅れを取っているのは、大企業らしい面子が邪魔をしていることだ。
それは常陸スチールも同じだが、大企業になれば無駄なプライドで商談を逃し、有効な事業ではなく、単なる額面や売り上げで判断し、実際の利益を度外視してしまう事は決して珍しくは無い。
ところが、あの久原健介という男にはそうした要素が皆無であった。
「あのオッサンが専務まで出世しているのは、重工の特技を生かした海外戦略が恐ろしいほどに成功しているからだ。イギリスやイタリア、アイルランド、欧州での鉄道ビジネスに中東諸国での建設機械のビジネスも成功している。あの実績だけで見れば、とっくの昔に社長になってるだろうよ」
「そうならないのは、やはり面子ですか」
根津の指摘に、小林は頷いた。
「まあ、他の会社に比べたらマシだがな。それに、いくら久原さんが実力者でも、スチールの俺達と会うのは相応のリスクがある。それでも会ったのは、本気でウチの技術が欲しいからだろう。そして、俺達は話が出来ると思ってくれているんだろうよ」
決して良くは無いが、ぬらりひょんと呼ばれた男が自分達と会ってあそこまで熱弁を振う時点で小林はこの商談が上手くいくことを直感で感じ取っていた。
だが、その代償は決して安くは無いことを悟っていた。
*
「まさか、あの小林がアングラーズの社長とはな」
常陸重工本社工場にある自室にて、側近である小平充を前に久原健介はそうつぶやいた。
「スチールの池田社長も思い切ったことをするが、それはこちらにとっても行幸だな。君の友人も、なかなか出来そうな男だ。与するならばああいう切れたビジネスパーソンに限る」
小平は根津と同じく帝都大出身であり、同じ研究室にいたことがある。
「いえ、根津も私も合理的な判断を選択しただけです」
同じ茨城県にありながら、一切の業務提携を行っていない。共に技術を武器に世界と戦うグローバル企業が、国内のしみったれた因習や因縁に囚われることは、笑い話にしかならない。
根津も小平も同じ茨城県だからこと手を組み合うことのメリットを理解していた。
「常陸スチールとの提携は、予定通り行うつもりでいる。我が社はこれ以上、クローラー社や、その他ライバル会社の風下に立っているわけにはいかん」
世界トップシェア企業達と渡り合うには、一社だけでは限界がある。国内有数の大企業である常陸重工も常陸スチールも、世界トップシェア企業から見れば、鼻で笑われるほどの規模だ。
「ですが、常陸スチールも簡単には動かないでしょう」
「我が社の取締役達も、説得するには時間がかかるが、まあそれは問題ではないからな」
小平の指摘に久原は懐から取り出したスマホのディスプレイを見せる。紙の手帳を使わず、スマホを活用している久原だが、そこには今後の予定では無く大洗アングラーズのニュースが出ていた。
「常陸スチールには大洗アングラーズという爆弾がある。それに、我が社にも今、お荷物になっているチームがあるだろう」
常陸重工には社会人リーグに所属する戦車道チームが存在する。だが、学生向けで補助金が使われ潤沢な予算を有した学生戦車道と違い、社会人リーグとプロリーグには企業のバックアップがあるということで殆どが企業側が持ち出しでチームと試合を運営している。
「やはり彼女達は潰すしかないんですね」
常陸重工戦車道部は現在、年間四十億もの赤字を抱えている。実質プロリーグと変わらないほどの予算が掛けられているが、プロリーグ設立時の戦車道ブームに乗っかり規模が拡大されたが今ではどれほど活躍しようとその利益も収益も見込めない状況に陥っていた。
「我々は慈善事業をやっているわけではないからな。大洗アングラーズはおそらく、事実上崩壊するだろう。八百長行為はやるやらないの問題ではなく、存在が取り上げられる時点でマイナスになるからな」
かつて、プロ野球を震撼させた黒い霧事件のように、実際に八百長を行っていた西鉄ライオンズだけではなく、所属していたパリーグそのものの人気が一気に低迷化し、西鉄はライオンズを手放すハメに陥った。
大洗アングラーズもまた、おそらくそうなる可能性が高いと久原は分析していた。
「まあ、そうなればおそらく我が社も堂々と戦車道部を廃部に出来る。そして、やり方次第ではおそらく常陸スチールとの交渉材料にもなるだろうな」
「戦車道部がですか?」
久原の側近を勤めて小平は二年になるが、未だに久原の思考には追いつけないところがある。
ぬらりひょんというあだ名にふさわしく、久原はのらりくらりと交渉を行い、誰もが手を付けない商談を有利な形、あるいはより大きな事業の布石として受注する一方で、他社がこぞって競争するような受注を蹴っ飛ばし、実際はとんでもない爆弾とも言うべき事業から上く立ち回っては撤退するという独特の嗅覚を持ち合わせていた。
「まあ見ていろ。常陸スチール、いや大洗アングラーズの小林勇人はああ見えて強かな男だ。私の予想が旨く行けば、プラットフォームも、そして戦車道部も上手く方が付くはずだ」
食えない顔で久原はにやりと笑い、好物の玉露を飲む。その姿はどう見ても人間というより妖怪ぬらりひょんにふさわしい姿であった。
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