扶桑姉妹初夜譚 (春休戦)
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山城編

「……提督、ご用意させていただきましたが、これで良いのでしょうか……?」

「……」

 

 提督の眼の前で、私は裸同然の格好をして、姉様と並んで立っている。いえ、並んでいるんじゃない。姉様と私は犬にするような首輪を着け、お互いの首を細い鎖で繋げ、身を寄せ合うようにしてできるだけ恥部を隠そうとしている。でも本当に隠せているのは、黒の革手袋の内側に感じる、姉様と……それに提督とお揃いで薬指に着けた指輪だけ。

 本当、不幸だわ……私たちの提督がこれほどの変態だったなんて。

 

 

 

 布団が一式だけ敷かれた鎮守府内のとある一室。皆が寝静まった頃姉様と私は呼び出され、ここへ来た。仕事の用ではないということはなんとなく察しがついたけれど、ここまで露骨とは。我らが提督はつくづく情緒のない人ね。

 

 寝間着姿のまま何か書き仕事をしている提督に、奥の浴室で身体を洗ってこいと指示された。まあ、もう少し柔らかな言い方だったと思うけれど、つまりは準備をしてこいということだ。いくら私でもその程度の知識はある。でも、扶桑姉様は……? 今まで男性に対する興味など示したことのない姉様はこれから何をされるのか、わかっているのかしら……?

 

「ついにこの時がきたわね、山城」

 

 わかっているようだ。脱衣所で衣服を脱ぎつつ、会話を続ける。

 

「でも意外ね……今日こうして素直に一緒についてきてくれるなんて。山城は提督のお申し出、私を口実に一度断ったそうじゃない」

「姉様、どうしてそれを……」

「くすっ。提督がひどく落ち込んでる時があったもの」

 

 そうだった。私は提督のプロポーズを一度断っている。その時提督は慌てて指輪を置いていった。そしてすぐ顔を真っ赤にして戻ってきた。私は、ああこの人は指輪を取り返しにきたのだろうと思って差し出したのだけど、提督は受け取らなかった。もう渡してしまったのだからあとは山城の好きにすればいいと言って。帰ってきたのは大事なことを言い忘れた、いやあえて言わなかったからだという。君が嫌がるのを恐れて、君のお姉さんにも求婚したことを伝えなかった。すまなかった、と。自分は二人とも大事だし、君たちもとても仲良しだからそうするべきだと思った。悪かった、と提督は何度も頭を下げた。

 

「それで……扶桑姉様は、なんて……?」

 

 姉様へは私より先に伝えに行き、すべて了承されたらしかった。提督の求婚も、私との重婚も。でも、山城に振られてしまったのだしお姉さんとの結婚もやめようと思う。君たち姉妹の仲を壊すなんて権利は自分に無い。提督が本気でそう言ったとき、私は彼の頬を思い切り叩いた。

 

「貴方は姉様のことを本当に愛しているの!? 姉様は誰がどう見たって提督のことを好きなのに……わざわざその気持ちを実らせた後に、壊すなんて、あまりにも身勝手で酷すぎます」

 

 提督は目を見開いた後、そうだな、と小さく呟いて制帽を目深に被り直した。この人が自分を恥じている時によくする仕草だ。私も冷静になって今してしまったことを謝ると提督は、いいんだ、当然だ、とまた呟いた。

 

「……どうか、姉様との婚約は破らないでください。そういうことなら私も提督のお申し出、お受けしますから」

 

 提督は濡れて赤くなった目で私を見ると、嫌ならいいんだぞ、とまた叩かれたがった。手を出す代わりに睨みつけて答えると、提督は制帽を脱ぎ、私の薬指に指輪をはめた。悔しいけれど綺麗だった。思えば提督とはいえ士官学校を出てさほど経っていない新米の身で、私たち二人ぶんの指輪を用意するのには相当な覚悟が必要だっただろう。情けない提督相手だけれど姉様と共に選ばれるのは内心、嬉しく思った。

 

「でも、初めからそのつもりなら二人同時に求婚してください。それなら私も……断らなかったかもしれません」

 

 

 

「そういえば、山城は提督のどこが好きなのかしら」と、姉様が私の髪を乾かしながら突飛なことを聞く。

 

「……別に、好きってわけじゃないです」

「私の妹は、嫌なことは嫌って言う子のはずよ」

「……別に、嫌いではないし。姉様が選んだ人だから、それなら私もってだけです」

「じゃあ、山城は一人でお嫁へ行くつもりはなかったの……?」

「当然です。私の心は扶桑姉様と共にありますから。そう……あの人は私をおまけ程度に思ってるんですよ!」

「おまけ程度なのに、一度振られたくらいであんなに落ち込むかしら?」

「……そんなに落ち込んでいたの?」

「自分は山城に嫌われているのに一方的に婚約してしまった。扶桑をダシにしたようなものだ、って……随分悩んでいたわよ。今からでも重婚はやめにしようかって」

「そ、そんなの駄目っ!」

「ふふ。でしょう。だから、提督も山城のこと、よく見てるんだと思うわ」

 

 

 湯上りに提督から渡された夜伽の衣装にはさすがに閉口した。姉様も「殿方の趣味にしては大人しい方よ」と強がってはいたけれど、やっぱり抵抗があったようだ。この首輪は姉様と身体を密着出来て役得かもしれないものの、いい趣味とはとても言えない。私も女ですもの。無闇に自分の肌を晒したくはないわ。

 

 姉様の肌は滑らかで、柔らかくて、白くて、同じ石鹸を使ったはずなのにいい匂いがした。それは私と違ってよく手入れされた、綺麗な長い髪から香っているのかもしれない。私は面倒くさがりで、邪魔に思ったらすぐ切ってしまうけど、姉様は大事そうにずっと伸ばしている。その差が、女性たる努力の差が、芳しい空気としてこんなところにも現れている。

 

 姉様が夜伽の準備が整ったことを告げると、提督は綺麗だ、と一言発して帽子をちゃぶ台の上に置き、立ち上がってこちらへ歩み寄った。思わず姉様に抱きついて、できる限り肌を隠そうとする。無駄な抵抗よね。こんな逃げ腰の姿勢を見せたら、私たちに娼婦のような格好をさせて喜ぶ提督をむしろもっと興奮させてしまうかもしれない。首の鎖を荒っぽく掴まれて、二人まとめて眼下の布団に組み伏せられ、力ずくで今まで保ってきた貞操を奪われてしまうんだわ……そう思うと恐怖で顔が歪んだ。こういう時は綺麗な顔をするべきでしょうに、私ったら……。

 

 提督がさらに一歩近づく。扶桑姉様と一緒くたに震える私の肩を抱いて、この人は子犬をあやすように頭を撫でてくれた。何も言わずに。姉様は彼の腰に手を回して、愛撫を全て受け入れている。私は何もできていない。

 

 提督の手が扶桑姉様の頬に伸びる。そう、やっぱり一口目は姉様を選ぶのね。わかってた。だって、姉様の方が当然綺麗だし、色も白くて、髪も長くて、気立てが良くて……そして何より私と違って、根暗じゃない。提督だってこう見えても相当な職に就いているということは、きっと真っ当な人生を送ってきた真っ当な方だもの。私たちを並べて、見比べて……吟味せずとも普通どちらを選ぶかなんてわかりきっている。

 

 そんな、とうの昔から何度も味わってきた感情を私はこんな時にも思い出しながら、姉様の方から目をそらし、目を閉じ、嫌でも想像せざるを得ない二人の接吻をまぶたの裏に描写した。結婚を私とは違いあからさまに喜んでいた姉様。きっと今この瞬間契りを済ませている間も、幸せな表情をしているんでしょう。姉様の幸せは私の幸せのはずなのに、心の奥がもやもやした何かで疼く。

 

 予期したはずの音がしない。小さく軽い、上ずった破裂音。その後に続くはずの湿っぽい水音と、二人の満足げな一息。それがしない。その代わりに私の頬に、優しく何かが触れた。思わず目を開ける。提督の手だ。

 

「えっ……? 提督? ……姉様?」

「提督。山城も私も……いえ、山城は私より可愛いのだし、もう済ませてるのかしらね」

「なっ、そっ……! そんなことありません、姉様! 扶桑姉様の手前で、他の誰かとなんて!」

「ふふっ、そう。……じゃあ、私と同じ、生娘なのね」

 

 提督がそっと、私たちの頬を寄せ合わせる。伸びきっていた首の鎖がじゃら、と緩む。姉様の頬は赤く染まり、熱くなっていた。姉様が喋るたび、唇にその言葉がかかってくすぐったい。

 

「提督……不束者ですが、妹の山城ともども、よろしくお願い致します……」

「姉様、何を言って……提督、こんなのっ普通じゃ……!」

 

 私の抗議の言葉は塞がれた。姉様の唇と同時に。提督に似つかわしくない優しい手が私たちの頭を抱き、三人が一点で一つになった。一瞬だったのに、離れる頃には抗議の文句を忘れていた。姉様が隣で満足そうに息を吐き、微笑む。私は素直に笑えなかった。

 

 そう、素直には笑えない。悔しいけれど嬉しいのは否めなかった。初めて二番手にならなかったのだから。妹ということもあって、今まで何でも姉様に先を越されてきた。指輪を預かる順番でさえ。

 

「……ありがとうございます。ふふ、ちょっとびっくりしましたけど。山城と一緒に女にしていただけて、嬉しいです」

「……」

「山城……? 大丈夫?」

 

 姉様は私と同時にファーストキスを奪われたことを喜んでいる。そうよ。そう。それが正しい反応のはず。姉様と同じ時を過ごせて幸せを感じるのが本来の私のはず。

 でも違った。私が嬉しかったのは、姉様に遅れをとらなかったからだ。この人の……提督にとっての二番手にならなかったことが何よりも嬉しかった。姉様の幸せを差し置いて。

 

「不幸だわ……」

「ちょっと……! 山城!」

 

 私の悪い癖ね。考えるよりも前に口に出して、もはやこれが深呼吸の代わりになっている。提督が申し訳なさそうに、真剣な眼差しで、私の肩を抱く。嫌なら断ってくれてよかったのに、その機会はいくらでもあったのに、と。違う。提督は馬鹿なの? 本当に嫌なら指輪を受け取るわけないじゃない。不自然に召集されて素直に応じるわけないじゃない。こうして接吻を受けるわけないじゃない。違う。不幸なのは私が、あなたたち二人を本当に大好きなのに、愛し合っているあなたたちを想像すると、本当に嫌になるということ。

 

「……ごめんなさい。嫌じゃないの。ただ、一瞬すぎて私の理解が追いつかなかったのが不幸なの。大事な時なのに」

「山城、泣いてるの……?」

「だから、もっとキス、しましょ」

 

 すぐに言葉を付け足した。

 

「……三人で」

[newpage]

 私はわがままにはなりたくない。姉様の幸せを妨げたくはない。姉様と離れるなんて嫌。提督と離れるのも嫌。でも、二人が幸せそうにしてるところを見てしまうのはもっと嫌。

 

「んっ……ちゅ……はぁっ、提督……っ、んふぅっ、んぁ、ぁ、はむっ」

「っ……ん、はぁ、っ……うぅっ……ちゅぷっ……はぁぅ……」

 

 三人には狭すぎる布団に横たわってもまだ、誰が求めているのかもわからない接吻を続けた。最初は幼少時代に姉様としたような、ただ唇を触れ合わせるだけのキスだったのに、今では舌まで総動員して互いの吐息を求め合っている。姉様の唇。提督の唇。姉様の舌。提督の舌。姉様の喘ぎ。提督の溜め息……。

 

 ああ、今理解が追いついた。相変わらず欠陥品の頭ね。私、好きな人とキスしてるのね。私の好きな人も、私の好きな人とキスしてる。同じ場所、同じ時間に、同じ回数だけ。

 

 唇を離して新しい空気を求める頃には、私の内側はすっかり出来上がっていた。姉様も悩ましい声を上げて、甘い吐息を私の耳に充てている。それだけで達してしまいそうだった。姉様のこんな声、聞いたことない。

 

「山城……っ、はぁ……はぁ……綺麗よ……」

「ね、姉様も……」

 

 熱く湿っぽい吐息で濡れた頬に貼りついた姉様の黒髪を、指で掬ってあげる。姉様はご褒美に軽い接吻を一つくれた。嬉しい。すると、上から嫉妬の視線が降ってくる。

 

「んふっ、提督も……仲間に入れて欲しいのかしら」

「……ダメです。扶桑姉様は渡しませんからね」

 

 姉様は優しく微笑んで頷くと、提督は私の隣に覆いかぶさった。そこから小さな水音と、二人分の鼓動が聞こえる。姉様の幸せそうな笑い声も。結局こうなるんだ。ここから逃げようにも、首輪をされては目を瞑るしかない。

 

「ぷは……ぁ……提督、私の妹が妬いてしまって……」

「……妬いてなんかいません」

 

 今度は私の番らしい。思っていたよりもずいぶん細い指が私の頬と顎をなぞり、私の顔色をうかがっている。こんなのは慣れっこだから、気にされる方が嫌なのに。

 

「私は……別に提督のキスなんて欲しくないわ。でも、姉様の間接キスなら、ちょっと欲しい、かも……」

 

 精一杯の抵抗と誘惑だった。こんな不貞腐れた女に求婚したこの人はやっぱり変だ。変だから、きっとこんなのでも興奮させてしまったんだろう。

 

「んむっ?! ん……ぁ、はうっ、んっ、ん……ぷはっ、あ……ふむっ、んぅぅ……」

 

 いつの間にか私は、この人の背中に腕を回していた。爪痕でもつけてやろうかと思ったけれど、手袋のせいでそれは叶わない。

 

 

 提督と目が合う。こんな時何を言えばいいのだろう。扶桑姉様なら何て言うだろう。この人を喜ばすような言葉を選ぶのだろうか。私にはできそうにない。男性が何を言えば喜ぶのかなんて私にはわからない。何を言えば……何を頼めば……

 

「提督」

 

 一つだけ思いついた。

 

「……扶桑姉様の方からしてあげて」

 

 唇は同時に奪えたかもしれない。でもそこから先は同時になんて無理だ。絶対にどちらかが選ばれる。どちらかが先に提督を迎え入れ、どちらかがそれを隣で虚しく見届ける。その役割に当てはまるのはどう考えても私の方だ。提督もこの件で悩んでいたことだろう。

 

 ……いや、馬鹿ね。悩むわけないじゃない。先に求婚されたのは扶桑姉様よ。先に顔に触れられたのも姉様。常識的なキスを最初にしたのも姉様。この人の中では私は二番手なの。でも、無駄に人を思いやって優しい人ぶるところがあるから私にしれっと断る文句は考えていたかもしれないわね。じゃあ私はその手間を省いてあげたことになるのかしら。これで少しは私も足手まといにならないってわかってくれるといいのだけど。

 

 提督は一瞬怖い顔をして、私の視界から姿を消した。何が起こったのかわからなかった。怒らせてしまったのかと思った。でも、そうではない。私の胸を潰して、私の癖っ毛をくしゃくしゃにして、私を強く抱きしめてくれたのだった。

 

 好きだ、山城、と、提督は耳元でそう言った。信じられなかった。こんな単純な言葉で、今までに味わったことのない幸福を感じている自分が信じられなかった。姉様の手前でこんなことになるなんて信じられなかった。自分もそうだと答えたかった。私も提督が好き。ずっと前から好き。姉様も私も大事にしてくれる貴方が大好き。私の不幸話に付き合ってくれる貴方が大好き。でも、姉様も貴方を愛しているから。姉様とお似合いなのは貴方だから。姉様をあんな笑顔にできるのは貴方だけだから。だから、あの時求婚をお断りしたの。本当は死ぬほど嬉しかったの……!

 

 提督は私を先に選んでくれた。姉様は微笑んで許してくれた。こんな時でも私は可愛くないことしか言えず、「私を練習台にする気なのね」とつぶやいてしまう。物事を悪い方に捉えてしまうのが私の癖だ。でも、自分でも気持ち悪く感じるほど口元の笑みを隠せないままだったから、きっと冗談だとわかってくれただろう。

 

「提督、一つだけわがままを聞いていただけますか」

 

 提督を受け入れる前に切り出した。私を抱く時は姉様を放っておかないでください。姉様を抱く時はその分、私にキスをください。そうすればきっと、二人の愛し合う姿を目の当たりにしなくて済むから。

 

 私は姉様が大好き。提督のことも大好き。でも、大好きな二人の幸せに嫉妬してしまう自分のことは、大嫌い。



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扶桑編

「……提督、ご用意させていただきましたが、これで良いのでしょうか……?」

 

 妹の山城とふたり、読書灯だけが点いた部屋で、私は提督の面前に立っています。これから山城と一緒に、女にしていただくためです。この衣装には少し驚きましたけれど……でも、殿方には趣味というものがありますから、その範疇かしらね……。男女の営みに関して右も左もわからない私にとっては、むしろこれくらいでありがたいのかも。初めから裸同然で服を脱がなくていいんですものね。山城と私を首輪で繋げたがる提督の気持ちも、少しわかる気がします。重婚を受け入れた私たちはもう、ふたりでひとつなのよ、山城。

 黒い革の手袋も趣味なのかしら。それとも、指輪を傷つけないようにするため?

 

 私たち姉妹が呼び出されたのは夜も更けきった頃のこと。時間が時間だったこともあって、何か緊急のご用だと思ったのですが他に召集された子はいません。そこでようやく、思いが至りました。

 提督は寝るときのような格好で薄明かりの中、書き仕事をされています。私たちにお気づきになるとこちらを見て、身体を洗うようにご命令されました。部屋の奥には小さいながらも綺麗な浴室があるので、そこを使えということでしょう。山城の手を引いて、そそくさとそちらへ入りました。この子を提督とふたりきりにするとしばしば喧嘩になって、普段はそれが可笑しいのですが今夜はお預けね。なにしろこれが初めての夜になるんでしょうから。

 

「ついにこの時がきたわね、山城」

 

 私の妹は着物に手をかけながら、驚いたような顔を一瞬しました。意外な反応でしたけど、でもね、山城。そんな顔をしたいのは私も同じかもしれないわよ。何も文句を言わずに、ここまでついてきてくれたんですもの。

 姉妹ふたりだけで内緒話ができるのは今しかないと、私は思い切って今まで気になっていたことをこの子に聞いてみました。ちょっといじわるに。

 

「……山城は提督のお申し出、私を口実に一度断ったそうじゃない」

「姉様、どうしてそれを……」

「くすっ。提督がひどく落ち込んでる時があったもの」

 

 私が提督から結婚のお申し出をいただいたのは、山城よりも先でした。不器用な私を気にかけてくれるこの方に私は好意を抱いていましたし、内向きになりがちな妹とも仲良くしていただけて、お慕いしておりましたから、二つ返事で承りました。私にはもったいないくらい素敵なお方ですので、もう少し逡巡するふりをすれば卑しくなかったのにと、後になって反省したのは秘密です。

 山城に後ろめたい気持ちが湧きあがったのはお返事を口にした次の瞬間のことでした。あの子も提督に好意を寄せているだろうということは、日頃の言葉の端々から分かっていたのです。楽しそうに提督の悪口を私に話す山城は以前よりも生き生きとして見えました。

 

 山城のことを聞きかけると提督が先に重婚について切り出しました。君の妹さんにも求婚しようと思う。自分にはふたりともとても大事だし、同じように愛している。仲良し姉妹の関係を自分のせいで壊したくはない。重婚自体は上からも認められているが、自分は君たちふたりしか選ばないつもりだ。それは必ず約束するからどうか自分のわがままを許してほしい……そんなことを淡々と告げられました。

 

「わがままなんて、そんな」

 

 そのご依頼は私たちにとって願ってもない内容です。私たち……特に山城にとっては喜ぶべきことでしょう。あの子は身体が大きくなった今でも私と離れれば寂しい顔をしますし、前述の通りあの子も提督を好きなはずですから。そんな山城の心中をよく知っている中で、山城の目を盗んで私だけがいい思いをするなんてことは、できそうにありませんでした。

 そうお伝えすると、提督はありがとう、と言い、私の左手を手に取りました。それから跪いて、真剣な顔でおっしゃったことを覚えています。これは命令ではなく、僕から扶桑へのお願いなのだから、従う義務はないんだよ、と。私はそれを聞いて思わず笑ってしまいました。提督の口から「僕」なんて一人称を聞いたのはその時が初めてで、あまりにも可愛らしかったものですから。

 

「いいえ、提督……私の意志でお受けしたのですよ。私を提督のものにしてください」

 

 提督は私の薬指に白銀の綺麗なものをそっと、はめてくれました。今まで生きてきた中で最高の瞬間です。喜びのあまり提督にはしたなく抱きつく始末でした。こんなところをもし山城に見られては、卒倒してしまうかしら。提督の暖かさを感じる中でそう思い、早く山城にも指輪を渡しにいくよう、そのままお伝えしました。提督は私から離れ、またお礼を言った後、山城のいる私たちの部屋へ向かいました。

 

 

 

 顛末を提督に聞いたのはその翌日のことです。でも結果はわかりきっていました。山城の左薬指にも光るものがはまっているのを前の晩に見つけて、久しぶりに同じベッドにふたり並んで夜通し話し合いましたから。山城は放心状態のようで、しゃべるのは主に私の方でしたけれど、その間にも何度も指を見つめては、嬉しそうな顔をしていました。

 だから、提督が浮かない顔をしているのは意外でした。理由を尋ねると、ゆっくり話してくれました。山城に一度振られたこと。その後私との重婚を伝えると求婚を受け入れたこと。それでは私をダシに結婚を迫ったようで、私たちふたりに申し訳ないこと。

 そのお話は私にはさらに意外なものでした。山城が提督の求婚を断るようには思えなかったからです。重婚を提案したら了承したということは、まさか一度目は私に遠慮してお断りしたの? そんな……。

 提督は帽子を被りなおして、今からでも山城との婚約はやめにしようか、と言うので、私は全力で止めました。

 

「提督も山城のことがお好きなら、わかるでしょう? あの子は嫌なことは嫌って、はっきり言うはずよ」

 

 山城はひとり抜け駆けするのが嫌でお断りしたの。あの子は私が提督を好きなのを知っていたから、きっと私に悪いと思ったんですよ。昨夜はふたりで色々話したけれど、嫌がるそぶりなんて全く見せませんでしたから……あの子は素直になれないだけなのよ。

 提督は私の話をお聞きになっても、そうだろうか、と頭を抱えていました。後ろ向きなその姿勢は私の妹を見ているようで、私はその時少しだけ、山城が羨ましくなりました。なぜかしら……。

 

 

 

 お風呂から上がっても、山城は自分から話そうとはしませんでした。ただ不安なのか、髪を乾かしてほしいと私に甘えてきます。それなら髪を梳き合いましょうかと、まずは山城の髪からお手入れすることになりました。鏡に向かっておしゃべりしながら。

 

「そういえば、山城は提督のどこが好きなのかしら」

「……別に、好きってわけじゃないです」

「私の妹は、嫌なことは嫌って言う子のはずよ」

「……別に、嫌いではないし。姉様が選んだ人だから、それなら私もってだけです」

 

 これは照れ隠しね。さらに揺すってみると期待通り動揺してくれたから、姉として安心したわ。やっぱり山城にとってもこれは、自分で望んでの結婚だったのね……。

 

「……あの人は私なんかのどこが良かったのかしら……」

「えっ……?」

「いえ、なんでもありません、姉様。髪、ありがとうございます。交代しましょう」

 

 

 

 提督から渡された夜伽の衣装は肌を隠せるところがほとんどなくて、山城が私に抱きつき極力肌を晒すまいとしています。この首輪をされては身を寄せざるを得ないのかもしれませんけれど。

 お風呂上りの山城の肌はすべすべしていて、私と違い特に念を入れてお手入れをしているわけでもないのに綺麗で……こんなところで歳の差を感じました。若さに嫉妬するとは、私ももう歳かしら……それもそうよね。人の妻になったのだもの。

 ふたり首輪を繋がれているだけでこんなにも歩きにくいものかと思いながら提督へ用意ができたことをお伝えしに行き、私は抱かれる覚悟を決めました。

 

 提督は帽子を脱いで、あとは寝るだけという格好でこちらに迫ってきます。ただそれだけなのに山城は柔らかい髪を私に押し付けて、伏し目がちになってしまいました。私たちにこのような格好をさせるのだから、巷でよく噂されるように普段は優しく見えても夜の殿方というものは……そう思うと、震える山城の気持ちもわかる気がします。

 さらに一歩、物言わぬ提督は近づくと私たちを両腕に収めて、不器用に頭を撫でてくれました。その手には少し躊躇が見られて、私はやっぱりこの人で良かったと安堵しました。不安がどこかへ消えてしまってからは私も提督へ身体を預けて、胸の中で寵愛を享受しています。

 このひとときがずっと続けばいいのに……でも、そういうわけにはいきません。私たちは提督を、旦那様を喜ばせなくてはならないのです。それも妻の務め。頬に触れる指に従って上を向くと、提督と目が合いました。この距離で男女が視線を交わせばもう、することはひとつね。

 

 でも、隣の山城が気になりました。自分では言いたがらないけれど、山城は一度、私のために身を引いてくれたほど優しい子よ。抜け駆けしなかったこの子を差し置いて、私が一足早く女になるなんて、そんなのは駄目。どうか山城を先にしてあげて。……そんな思いを瞳に込めているのですが、それが提督に伝わるはずは……。

 喉を一度鳴らして、静かに息を吐き、提督は山城へも手を差し伸べると、私たち姉妹の頬をぴったり寄せ合わせて、ふたりぶんの唇をひとつにまとめました。首に着けられた鎖の意味がようやくわかりました。私たちの旦那様が、私たちを等しく扱ってくださるように、です。

 

「えっ……? 提督? ……姉様?」

「提督。山城も私も……いえ、山城は私より可愛いのだし、もう済ませてるのかしらね」

「なっ、そっ……! そんなことありません、姉様! 扶桑姉様の手前で、他の誰かとなんて!」

「ふふっ、そう。……じゃあ、私と同じ、生娘なのね」

 

 それを聞いて安心するとともに、少しだけ……ほんの少しだけ残念に思う私がいました。

 

「提督……不束者ですが、妹の山城ともども、よろしくお願い致します……」

「姉様、何を言って……提督、こんなのっ普通じゃ……!」

 

 私の唇が提督と山城に塞がれ、山城の進言は私と提督に塞がれ……提督は私たちふたりぶんの初めての接吻を、いっぺんに奪いました。ちゅ、と軽く音を立てて三人が離れると、三人ぶんのため息が隙間から漏れました。鎖がぴんと張り、わずかに熱くなった、山城の体温からは逃れられません。

 一瞬でしたけれど、身体じゅうを幸せが駆け巡ります。放心しそうになりながら、まずは謝意を示さなければという気がして、山城と唇の端をくっつけたまま提督にお礼を言います。

 

「……ありがとうございます。ふふ、ちょっとびっくりしましたけど。山城と一緒に女にしていただけて、嬉しいです」

「……」

「山城……? 大丈夫?」

 

 抗議したがっていた山城が静かになっていました。私と同じで、嬉しさのあまり言葉を失っているのかしら? それとも、あまりに突然のことだったからいつものように、提督に怒ろうとしているの?

 

「不幸だわ……」

「ちょっと……! 山城!」

 

 この時抱いた恐れは山城にだってわからないでしょう。私の妹は私の知らぬ間に望まぬ結婚をしてしまったのかもしれない。提督がかつて頭を抱え悩んでいた選択肢は正しかったのかもしれない。山城は本当は提督ではなく私が目当てで、好きでもない人との結婚を受け入れたのかもしれない。私もやっぱりあなたの姉ね……悪いことばかりが一瞬のうちに頭の中へ浮かんでいくわ。

 いつの間にか私の頬が濡れています。汗ではありません。たぶん、山城の涙です。

 

「……ごめんなさい。嫌じゃないの。ただ、一瞬すぎて私の理解が追いつかなかったのが不幸なの。大事な時なのに」

「山城、泣いてるの……?」

「だから、もっとキス、しましょ」

 

 少しの沈黙のあと、山城は霞むような声で付け加えました。

 

「……三人で」

[newpage]

 接吻が再び始まりました。今度は山城が率先して唇を重ねていたように、私には思えてなりません。

 

「んっ……ちゅ……はぁっ、提督……っ、んふぅっ、んぁ、ぁ、はむっ」

「っ……ん、はぁ、っ……うぅっ……ちゅぷっ……はぁぅ……」

 

 いつの間にか三人で、敷かれていた布団に窮屈に寝そべって、お互いの唇をむさぼりあっていました。唇だけではありません。だらしなく舌を出して、求めて、求められて、熱い吐息と唾液を交換しました。もうどれが自分の舌かもわからないくらいに。

 提督は私たちを力強く、でも優しく腕の中に抱いて、髪の上から耳を撫でてくれています。その快感だけで何もいらないと思うくらいです。山城は私とずっと手を繋いだままでしたから、快感の逃げ場に私を選んだようです。悩ましい嬌声が漏れるたびに、指がキュッと締まるのです。

 鼓動と呼吸が荒くなって、新しい空気を求める頃には、どことは言いませんが……すっかり用意ができていました。それが辛くて、私は山城にすがりました。はしたない女は提督も嫌がるだろうと思いましたから……。私が歳下になったみたいに腕に絡みついて、妹に甘えました。

 

「山城……っ、はぁ……はぁ……綺麗よ……」

「ね、姉様も……」

 

 山城がおそるおそるといった感じで、私の顔に貼りついてしまった髪をはらってくれました。それが可愛くて、私は思わず山城に接吻してしまいましたけど……ちょっとだけ、ですよ? でも、提督の嫉妬を煽るのには充分だったようです。

 

「んふっ、提督も……仲間に入れて欲しいのかしら」

「……ダメです。扶桑姉様は渡しませんからね」

 

 精一杯の誘惑でしたが、効果はあったようです。提督が私に覆いかぶさりました。私ひとりに。……一対一では殿方の力に敵うはずがありません。組み敷かれて、力とは裏腹に優しく、唇を奪われました。これを最初の接吻に数えるのもいいかなと、脳裏によぎったのは内緒です。

 

「ぷは……ぁ……提督、私の妹が妬いてしまって……」

「……妬いてなんかいません」

 

 明らかに拗ねていました。私は嬉しさを覚えていました。この子も提督を愛していると、この時ようやく確信できたからです。そして、私が抱いていた余裕もこの時まででした。

 そう、この時まででした。

 

「私は……別に提督のキスなんて欲しくないわ。でも、姉様の間接キスなら、ちょっと欲しい、かも……」

 

 山城がいたずらっぽく提督を誘います。あんな可愛い誘惑は私にはできません。それもこんなに嫌味なくは。

 

「んむっ?! ん……ぁ、はうっ、んっ、ん……ぷはっ、あ……ふむっ、んぅぅ……」

 

 隣から、熱い接吻の音が聞こえてきます。ふたりぶんの水音と、漏れる吐息。ひと組の男女が愛し合う音。私の妹は今、私の知らない顔をしています。

 私も混ざりたい。そう思いましたが……山城の幸せの前に、身体が言うことを聞きません。正直に言って、ふたりに見惚れてしまっていました。私もああなりたい、と……。

 

「提督っ……ていとくぅ……っ」

 

 山城が接吻の合間に提督を呼んで、懇願します。私には絶対に言えないようなことを。

 

「……扶桑姉様の方からしてあげて」

 

 山城は優しい子です。とても、とても優しくて、そのせいで人から誤解されるような子です。でも、ここまでとは思いませんでした。初めて自分の妹を不憫に思いました。お願いだからこの子を先に抱いてあげてください。そう思う一方で、山城の願いを叶えて欲しいと祈る、卑しい自分も確かにいたのです。

 

 提督は山城を抱きしめました。山城は嬉しそうに受け入れました。提督が山城に何か囁いて、山城は本当に幸せそうな顔をしました。でも、泣いていました。幸せなのに泣いていました。この子が今まで抱え、溜め込んできた気持ちが成就したと考えると、私まで涙があふれそうでした。でも、私の涙は幸せだけではできていません。ほんの少し……ほんの少しだけ違うものが混じっています。

 山城は「私を練習台にするつもりなのね」といつものように後ろ向きなことを言いました。後ろ向きな言葉にすら、私への配慮が感じられます。その優しさが今は辛いのです。この辛さはきっと、今まで山城が感じてきたものでしょうか。

 

 

 私は幸せです。愛する人と結ばれ、愛する妹も望み通りの結婚をしたのですから、世間より倍は幸せです。でも、一番の幸せものにはなれそうにありません。私のすぐ隣に、そのお手本があるのですから。



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