陽だまりに抱かれて (苺ノ恵)
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1.朝日

氷の結晶が降り注ぐ。

空も森も山も田んぼも、そして村も。

全ての景色が冬の息吹に中てられて、大地は春まで深い眠りにつく。

春から秋にかけて精を出してきた農夫たちは、嫌が応にも束の間の休息を強いられる。

カーン、カーンと鉄が木を叩く音が山の斜面を撫でる。

倒された樹木は、その逞しい幹を雪原に打ちつけて、キラキラと幻想的な光霞を映し出す。

「___よし、このくらいでいいかな?」

額に浮かんだ汗は、冬の冷気にさらされスゥと引いていく。

木炭の材料となる木を伐採していた、額に火傷痕のある少年の名は竈門炭治郎。

竈門家の長男にして、一家の資金源を支える若干12歳の少年である。

彼の家では木炭作りを代々営んでおり、早くに父親を亡くした人一倍家族思いの炭治郎は、家族を少しでも楽させようと、こうして厳しい季節にも関わらず日々の仕事に生真面目に取り組んでいた。

「…いや、去年よりも炭の消費量が増えてる。もう少しだけ頑張らないと」

血豆のできた手のひらに、フゥと息を吹きかける。

かじかんだ指先に僅かばかりの熱を送り、斧の柄を握り直す。

そして今日も少年は斧を振るい、御山にその綺麗な音を響かせ続ける___はずだった。

 

◇◇◇

 

「___炭治郎。ちょっと、足見せて」

ギクッ!?

薪を家の前に降ろし、道具の後片付けをしようと歩いていると、突然姉さんに呼び止められた。

「な、何?姉さん?俺これから炭を売ってこないといけないから…話なら帰ってからで…」

ジリジリと後ずさり、踵を返す。

「グエッ!?」

「こら、逃げないの」

襟を掴まれ首元が締まる。

そのまま成す術もなく、家の中に引きずり込まれる。

「っつ…!?」

上がり框に座らされ姉さんに足首を掴まれた時、鋭い痛みが右足を突き抜け思わず声を漏らす。

足袋を外して見ると、俺の右足首は腫れあがり皮膚は青く変色していた。

「やっぱり、怪我してるじゃないの。いつもより戻るのが遅いから可笑しいと思ったら…」

観念した俺は、俯いて姉さんの小言をひたすら浴び続ける。

でも、俺が痛がらないよう優しく布を巻いてくれる姉さんは、そんな俺に諭すような声音で問い掛ける。

「炭治郎?私たち家族のために頑張ってくれるのは嬉しい。でも、それで炭治郎が痛い思いをすると、姉さんも痛いんだよ?」

「?姉さんはどこも怪我してないじゃないか」

俺の返しが予想外だったのか。

姉さんはため息を吐きながら患部を固定するため、布を少し強めに結ぶ。

ちょっと凄く痛いからやめて欲しい。

「…あんた、そんなこと言ってると将来付き合う女の子に愛想つかされるよ?」

どうしてそんな話になるのか皆目見当もつかないが、とりあえずこれでは山を下りるのに支障がでるため心ばかりの反論を返す。

姉さんが怖いから目線は外して。

「ええ…。…というか姉さん?こんなに固く結ばれると歩きづらいんだけど…」

「あんたは今日はお留守番。炭は私が売ってくるから」

既に防寒具を着込んだ姉さんが玄関を出ようとしている。

それに気づいた俺は必死で止める。

「ええっ!?ダメだって姉さん!今から行ったら帰りが夜になるしなにより危ないよ!それに、あんなに重たいもの姉さんに持たせるなんて___」

「ん?なんか言った?」

そこには、俺以上に大量の炭を入れた籠を背負う姉の姿があった。

【挿絵表示】

 

「ええ…」

俺の自尊心はいつも姉さんの何気ない行動によってズタズタにされる。

「大丈夫。何かあってもお父さんがきっと守ってくれるから」

姉さんは両耳にある日輪の描かれた花札風の耳飾りに触れながら微笑む。

「それより、あんたは六太の面倒を見ててあげて。あの子、そろそろ起きる頃だと思うから」

そう言うと居間のほうから元気な泣き声が聞こえてくる。

「おー六太~、兄ちゃんだぞー?ほーらよしよし」

俺が四つ這いで移動し、ぐずる六太をあやし始めると安心したのか、また目がうつらうつらとしている。

「それじゃ、後はよろしくね?炭治郎」

「あ、姉さん!ちょっと待って…。あーもー!気を付けて!絶対に暗くなるまでに帰るんだぞ!」

「はーい」

間延びした姉さんの返事。

何故かこの時、不思議と安堵した。

何に対してかは分からない。

そんなことを思った時にはもう姉さんの姿はそこになかった。

 

◇◇◇

 

母さんに炭治郎の容態を伝え、自分が炭を売りに山の麓まで出向く旨を送ると、心配しながらも送り出してくれた。

帰りにお土産買って帰らないとね。

炭の売れ行きは上々で、家族に美味しいものをお腹いっぱい食べさせてあげられると喜んでいると旅館の女将さんから声を掛けられた。

なんでも、従業員の一人が体調不良で厨房がてんてこ舞いとのことだ。

炭治郎に早く帰るよう言われてるけど、人助けのためならきっとあの心優しい弟は許してくれると、女将さんからの要望に少し迷いながらも首肯する。

戦場のような厨房の喧騒を潜り抜け、大きなお風呂で疲労を癒す。

女将さんが今日のお礼にお給金と、椿油を渡してくれた。

一応手入れはしているつもりだったが、お洒落のために使うお金もない私の髪は少しばかり傷んでいるようで、女将さんのご厚意を嬉しく思いつつも、ちょっと悲しいような気分になった。

御夕飯も久しぶりにお腹いっぱいになるまで頂いた。

私は、私だけが贅沢していることに罪悪感を感じ、家族の皆に心の中で謝りながら眠りについた。

日は昇って朝になり、身支度を整えて旅館を後にする。

「女将さん、この度はありがとうございました。色々とご馳走になってしまってすみません」

「いいのいいの。本当に助かったわ。お給金も少ししかあげられなくてごめんなさいね。___あとこれ、炭治郎君に」

女将さんは懐から貼り薬を取り出し、私に差し出す。

「あんたがいないとウチの調理場の火が絶えることになるから、早く治しなさいって伝えといてね?」

「分かりました。きちんと言い聞かせておきます。___本当にいろいろとありがとうございます。では、私はこれで」

「今度は炭治郎君と二人でいらっしゃいな」

「はーい!」

「またね!____」

 

 

 

 

「___禰豆子ちゃん!」

私は女将さんに手を振り、お土産を入れた籠の重さに心躍らせつつ我が家へ歩き出す。

早くみんなにお土産あげないとね。

炭治郎が約束を破ったことに対して可愛らしい小言を言ってくる様子を思い浮かべつつ私は駆けだした。

 

 

 



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2.血臭

第六感という言葉がある。

視覚、嗅覚、聴覚、触覚、味覚。

いずれの感覚器官にも該当しない私のこの感覚は一体なんと表現すればよいのだろうか。

私の右手の親指は幼いころから不吉の前触れには必ず強い疼きのような反応を見せる。

そのような時は決まって心臓がキュウっと小さくなるような感覚に襲われる。

お父さんが息を引き取る前にも親指がジクジクと鈍い疼きを訴えていた。

「…どうして今なの?」

まるで、生爪を剥がされたかのような強い痛みが指先から右手を駆け抜ける。

逸る鼓動に比例して、進める歩の数も徐々に増え、積雪に浮かぶ足跡の間隔が広がる。

「大丈夫…大丈夫だから」

どうしようもない不安感が胸中に渦巻き、吐き出す白い呼吸に独り言染みた焦燥感が滲む。

駆ける、駆ける、駆ける。

私はお父さんの形見である短刀を懐越しに握りしめ、家族が待つ家を目指し、雪原を強く踏みしめた。

 

 

◇◇◇

 

 

そこは地獄だった。

返り血の飛び散った室内に横たわる、私の大切な家族。

噎せ返るような血臭の中、私はフラフラと歩を進め、壁際に身を預けて眠っているお母さんに抱き着いた。

「ただいま…お母さん。もう、お昼だよ?早く起きてご飯作らないと皆が怒っちゃうよ?」

お母さんは、何も言ってくれなかった。

「あ、そうだ。お土産たくさん買ってきたんだ。佐倉印の最中だよ?みんな食べたいって言ってたもんね?ほら、早く起きないと私が全部食べちゃうよ?」

弟妹は何も言ってくれなかった。

「あれ?これじゃなかった?ごめん。お姉ちゃんちょっと疲れてたみたい。また買い直してくるからさ……」

何も、言ってはくれない。

ピクリとも、動かない。

「……六助?炭治郎?そんなところで寝てたら風邪ひくよ?今、囲炉裏の火を起こすから………」

冷たい。

皆の身体、すごく冷たい。

早く温めなきゃ…。

「…ん……可笑しいな…上手く持てないよ…」

血まみれの手で必死に火打石を持とうとするけど、手は小刻みに震えるばかりで力が入らない。

全身の力が抜け、私は魂が抜かれたように天井を見上げた。

そして、目を逸らし続けていた現実を受け止めた。

「………そっか…」

みんな、死んじゃったんだ。

涙は出なかった。

変わりに確かな意思が私に芽生えた。

震えが止まる。

「お父さん…ごめんなさい…いっぱい、いっぱい謝るから…」

私は懐から短刀を取り出した。

「私もすぐそっちに行くから…みんな待ってて」

短刀の柄を握り絞める。

そして、鞘から刀を引き抜こうとした時___

「ゥゥゥ……」

「?炭治郎…?炭治郎ッ!?」

炭治郎が起き上がった瞬間、私は弟に駆け寄った。

「ゥゥゥゥ…!」

「駄目!炭治郎!!動かないで!今、治療箱持ってくるからジッとしてて___」

「ガアアアアッッッ!!」

「え、きゃあああ!?」

突然襲い掛かってきた弟に驚いた私は、地面に組み敷かれるように倒れ込む。

首筋に噛みつこうとした炭治郎の口に、咄嗟に短刀を横にして差し込む。

「やめて!炭治郎!どうしたの…っ!?」

縦長の虹彩に鋭い牙。

肩口に食い込む鋭い爪。

そして、私のことを喰おうとする明確な殺意。

そこから導き出される事柄に私は気付いて、そして絶望した。

弟は、人を喰らう鬼になっていた。




早く来て!!KYな水柱さん!!禰豆子ちゃんが危ない!!


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3.刹那

『鬼はね…とても悲しい生き物なんだ』

布団から身体を起こし、庭で遊ぶ炭治郎達を愛おしそうに眺めながら、お父さんは不意にそんな話を始めた。

『鬼は日の光を浴びることはできない。ずっと暗闇の中を彷徨い続ける。そして、彼らは人の生を二度と全うすることはできなくなる…。人としての生涯を送れなくなる。不幸になるんだ』

お父さんはどこか憂いを帯びた瞳で太陽を見上げ独り言ちる。

違う。

おかしいよ。

おばあちゃんも言ってた。

鬼は悪い奴らなんだって。

アレは人の敵なんだって。

私は感情に任せて父に反論した。

『どうして?鬼は人を食べちゃうんだよ?人から大切なものを奪ってくんだよ?私、そんなの許せない!』

『…禰豆子は優しいね』

お父さんが頭を撫でてくれる。

大きくて、ゴツゴツしてて。

何度も斧を振るったせいで、厚く、そして固くなった掌の豆。

病気のせいでちょっと病的に細々としてるけど。

それでも、私に伝わる感触はどこまでも優しくて。

あまりの心地良さに目を細めてしまう。

お父さんはスッと表情を無くすと、真剣な雰囲気で私の瞳を見つめる。

『禰豆子…もしもの時は迷ってはダメだよ?』

『ん…迷う?何を?』

お父さんは撫でるのをやめ、傍らに置いていた短刀を私に手渡してこう言った。

『人を守るために。鬼を、滅することを』

誰もが正しいと感じるであろうその言葉を紡いだお父さんが、私にはどうしようもなく辛そうに感じた。

 

 

◇◇◇

 

 

「ウウウウウウ!!」

「………炭治郎…!」

生きてた。

生きていてくれた。

私の大切な家族。

でも___

「どうして…どうしてよ!炭治郎!!」

目の前にいるのは鬼。

鬼なんだ。

人を本能のままに食い殺す。

(私はずっと気付けなかったの?炭治郎が鬼だったって…。ずっとお腹を空かせてたって…。私たちを…食べようとしてたって…)

鬼は人を喰らうことで飢えを満たす。

それが家族で在ろうと、鬼にとっては有用な餌、貴重な養分だ。

村の寺子屋にあった書物を読んで、ある程度鬼についての知識があった私は、炭治郎がお母さんたちを喰ったのだと思い、どうしようもない哀しみが喉を震わせた。

「ウウウウウ!!!」

「!?」

炭次郎の身体が大きくなっている。

圧し掛かってくる強烈な力に、短刀を握った掌の肉が裂け、私の腕を濡らす。

血の匂いを嗅いで飢餓感が強まったのか。

炭治郎は涎を垂らしながら、私の首筋に牙を寄せてくる。

「ッ…!…涎?」

頬に掛かった生暖かい唾液に嫌悪感を示したのではない。

私は炭治郎が現在、極度の飢餓状態にあることに気がついた。

(口元に血の跡はない…手も…。それに、お母さんやみんなも喰われたって様子じゃなかった…!)

つまり、炭治郎はまだ人を喰っていない。

まだ、人を殺していない。

誰かに鬼にされただけなんだ。

まだ、人なんだ!

私の家族なんだ!!

「頑張って…!炭治郎!…がんばれっ!!がんばれっっっ!!!」

私は涙で滲んだ視界で必死に炭治郎を目を見つめ、何度も、何度も呼び続ける。

しかし、女の私では力も体力も遠く及ばず、もう炭治郎を押し返す力も残っていなかった。

遂に炭治郎の歯が、私の首筋に当たる。

私は死を覚悟した。

でも、自分が死ぬことに関してはそれほど恐怖を感じなかった。

なによりも怖い事。

それは弟が本当の意味で鬼になってしまうこと。

もう、人としての生涯を送れなくなってしまうこと。

人から大切なものを奪い取っていく存在になってしまうこと。

そして最期は、鬼として滅せられること。

弟が、悲しい生き物になってしまうこと。

(嫌だ!そんなの嫌だ!私はどうなっても構わない!だからお願い!神様!仏様!悪魔だって構わない!お願い!どうか、どうか炭治郎を!!)

私は最後の力を振り絞って、力いっぱい叫んだ。

「貴方は鬼なんかじゃない!私の!世界一カッコよくて優しくて大好きな弟!竈門炭治郎だーーーーーっっっ!!」

「ウウウ……ネ……ェ………サ…」

「!?炭治郎!?」

奇跡だ。

炭治郎の意識が戻ったのだ。

私は驚きのあまり彼の名前を呼ぶことしかできない。

「………ニゲ……」

逃げて。

そう懇願してくる彼の底なしの優しさと強さに涙の溢れた私は、絶対に嫌だと反論するため、彼の頭を両腕で包み込む。

そして、視線を上げた時、何かが途轍もない速さで近づいてくるのが見えた。

雪の結晶が視界に入り、反射的に瞬きをしたその刹那。

蒼き斬撃がすぐ目の前に迫っていた。



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4.光銘

 

 

 

 鬼の身体能力は人のそれとは大きく異なる。

 

 そのため、鬼が人を喰らった痕にはそれらしい痕跡が残る。

 

(しかし、これではな…)

 

 雪上に突き刺さる木々の隙間を走り抜ける。

 

 それは、鬼と大差ない動きで、彼の残す足跡は人間を辞めた距離で等間隔に並んでいた。

 

(あれは…小屋?…いや、製炭所か?)

 

 伐採された木々の方向に従って駆けてきたがどうやら正解だったようだ。

 

 左右で異なる柄の羽織を纏った青年、冨岡義勇は、その奥にある母屋の惨状に思わず目を細めた。

 

「…すまない」

 

 俺が、あと半日早くここに来ていれば…。

 

 そんな、後悔に似た懺悔を胸の内に溢し、富岡は辺りを散策する。

 

(雪で隠れかけてはいるが、まだ新しい足跡が一つ…稀血の子か?それとも何か別の目的で死体を運んでいるのか?)

 

 ほんの僅かな手がかりを見逃すことなく、富岡は雪面を滑空するように駆け抜けていく。

 

『____きゃああああ!!_』

 

「…!!」

 

 富岡は叫び声のした方角を目で捉え、いつでも抜刀できるよう臨戦態勢を取る。

 

 そして、富岡の眼に一人の少女が鬼と思われる風貌の男に襲われている光景が映る。

 

 血まみれの衣類を纏い、人間に喰らいつくその醜い姿を幾度となく目にしてきた富岡は、確固たる意志を持って鬼を屠ろうと、全集中の呼吸のまま袈裟切りに刀を振り抜いた。

 

 しかし___

 

「…うっ!!」

 

「………なぜ庇う?」

 

 鬼と身を入れ替えた少女の長い髪が半ばから断ち切られ、剣風によって吹き飛ばされた鬼と少女は近くにあった木にぶつかり小さく呻き声をあげる。

 

 そんな少女に富岡は理解できないといった様子で疑問をぶつけた。

 

「おとうと…です、私の、弟なんです…!」

 

「それが?」

 

 切れ長の虹彩も。

 

 人の血に濡れた肌も。

 

 その、人を喰いたいという飢餓感も。

 

 全てが鬼の証明に違わない。

 

 富岡は一足で鬼との距離を潰し、鬼を捉える。

 

 筈だった____

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

(身体中が痛い…!肺が凍りそう…!…でも、私が倒れたら…炭治郎が殺されちゃう…)

 

 私は意識を取り戻しつつある炭治郎を背に隠すように、刀を持った青年に相対する。

 

 日輪刀を携え、漆黒の隊服に身を包んだ鬼を殺す組織【鬼殺隊】。

 

 知識としては知っていたが初めて見るその姿に、私は恐れを成していた。

 

(親指が痺れてる…。この人、その気になったら私も炭治郎もすぐに殺せるんだ…!)

 

 私は疲労と死への恐怖から震え出す両の手を、短刀を握り絞めることで打ち消す。

 

「………なぜ庇う?」

 

 それは鬼だぞ?

 

 不意の強襲。

 

 言外にぶつけられた現実に心が折れそうになるが、私は傷みを訴える肺と心臓の拍動を無視して応える。

 

「おとうと…です、私の、弟なんです…!」

 

 青年は感情を消した瞳で私に再び問うた。

 

「それが?」

 

(っ!!?来る!!)

 

 親指の疼きが最大限まで高まる。

 

(どうするの?どうしたらいいの?私じゃあの人に敵わない…勝てない…)

 

 刹那の呼吸。

 

 青年の呼吸が変わったものであることに気がついた私は、その息使いに父に似たものを感じた。

 

(息…?呼吸…。あれって…!)

 

 青年が距離を詰めてくる。

 

 人間とは思えない速さで私の横を通り過ぎる青年に、私は遂に短刀を引き抜く。

 

(お父さん…お願い!炭治郎を、守って!)

 

 その一瞬、私は確かに見た。

 

 私の背中に寄り添って、一緒に刀を振ってくれる、お父さんの姿が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 _【(から)の呼吸 無の型 光銘(こうめい)】_

 

 

 

 

 

 

 

 

 朱き一線が宙に走る。

 

 その一撃は______

 

 

 

 



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5.口枷

 

 

 

 

 

 

 暗い。

 

 どちらが上で、どちらが下なのか。

 

 方向感覚を狂わせる漆黒が、私の周りに広がっていた。

 

 眼を凝らすと、お母さんや弟妹の皆が私の方を見ながら何かを言っていた。

 

 でも、耳は水の中にいるようにくぐもった音しか捉えられない。

 

【ごめんなさい。炭治郎をお願い】

 

 聞こえない。

 

 でも、お母さんがそう言っているのが分かった。

 

「お母さん!!」

 

 皆、私に背を向けて行ってしまう。

 

「行かないで!!」

 

 私の叫びは響くことなく、静寂に黙殺された。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「____夢?」

 

 見慣れた天井。

 

 両目を伝う暖かな感触に手を当てると、自分が泣いていたことに気がつく。

 

「………」

 

 頭がボーとする。

 

 心なしか首が寝違えたように痛む。

 

「起きたか?」

 

「!?」

 

 いきなり知らない男性の声が聞こえて驚く。

 

 声の方向に目を向けると、刀を肩に立てかけ、柱の前に腰を下ろし背中を後ろに預けている青年がいた。

 

 よく見ると右肩の辺りに血の跡がある。

 

 血を見た私は、一気に覚醒した頭でその青年に殺されかけたことを思い出した。

 

 パニックになりかける心臓を丹田に力を入れることで堪えつつ、私の最優先事項を確認するためその青年に問う。

 

「…炭治郎は?炭治郎をどうしたの?」

 

 青年は私から視線を外し、少し間を置いてから口を開いた。

 

「埋葬した」

 

 その言葉を聞いて、私の頭は真っ白になった。

 

「そう…」

 

「お前の弟と共にな」

 

「………え?」

 

 この人は一体何を言ってるんだ?

 

 私が混乱していると、玄関から物音が聞こえた。

 

 頸が傷むのも無視して、音のした方向に顔を向けると、炭の入った籠を地面に置いた炭治郎の姿があった。

 

「炭次郎!!」

 

 私は足がもつれそうになりながらも炭治郎に駆け寄り、目一杯抱きしめた。

 

「良かった…良かったよ…炭次郎…!」

 

「ムー!ムー!」

 

 炭治郎から可愛らしい抗議の声が聞こえる。

 

 胸元から炭次郎の顔を離すと口元に竹を咥えさせられた炭治郎の姿があった。

 

「これは…?」

 

「口枷だ。気休めかもしれんがな」

 

 青年が私の疑問に答える。

 

「………どうしてなんですか?」

 

「そいつは鬼だ。野放しにはできん」

 

「そうじゃなくて…、どうして炭治郎を殺さないでいてくれたんですか?貴方、鬼殺隊の人ですよね?」

 

「…そいつは意識を失ったお前を喰うのではなく庇った。そのような鬼を俺は聞いたことがない」

 

 そこまで聞いて、その青年は思ったよりも冷酷な人間ではないのではないかと思った。

 

 そして、心に余裕のできた私は屋内を見渡すと家族の遺体がないことに気がついた。

 

 先ほど彼が埋葬したと言ったのは、炭治郎ではなく亡くなったお母さんや弟妹達だったのだ。

 

 もしかしたら彼は誤解されやすい人なのかもしれない。

 

 そんなことに思い至っていると。

 

「俺からも一つ問う。意識を失う寸前に放った剣技。どこで身に着けた?」

 

 ある程度、彼に対する警戒を解いた私は正直に答える。

 

「お父さんから教わりました。…と言っても、お父さんは病弱だったので型を見せてくれたのは一度だけですけど」

 

「お前の父君は、それを何の呼吸と言っていた?」

 

「呼吸?私が教わったのは神楽だけです」

 

 火の神様に祈りを捧げる舞い。

 

 美しい舞いを踊り続けるお父さんに憧れて私は毎日欠かさず練習していただけだ。

 

「でも、正しい呼吸をすればずっと踊り続けていられる__お父さんはそう言っていました」

 

「そうか」

 

「はい」

 

「……」

 

「………」

 

「…………」

 

「……………あの?」

 

「なんだ?」

 

「お名前を聞いてもいいですか?私は竈門禰豆子といいます。こっちは弟の炭治郎です」

 

「…冨岡義勇だ」

 

「冨岡さん…弟はこれからどうなるんでしょうか?」

 

「知らん。だが、人を喰おうとした瞬間、俺は容赦なくその頸を刎ねる。そのことだけは忘れるな」

 

 殺気の込められた瞳に親指が傷みを訴える。

 

 私はもう一度、炭次郎を抱き寄せる。

 

 私を見上げる、少し幼い顔になった炭治郎を見て私は決めた。

 

「冨岡さん、お願いがあります。私に戦い方を教えて下さい。鬼を滅する力を下さい。

人を、家族を、大切なものを守るための力を、私に下さい」

 

「そしてお前は、弟を、炭治郎を斬るのか?」

 

「私は炭治郎を人間に戻します」

 

「具体的な案はあるのか?」

 

「人が鬼になるのは、傷口に鬼の血を浴びたからですよね?」

 

「そうだ」

 

「なら、鬼の血を集めて調べます。そのためなら、どんなに強い鬼とでも戦って、そして勝ちます」

 

「…そうか」

 

「お願いします、冨岡さん。私はもう誰にも家族を失う哀しみなんて知って欲しくないんです」

 

 私の言葉を聞いて、少し頬の緩んだ冨岡さんは私にこう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「断る」

 

 

 

 

 




富岡さん…だからみんなに嫌われ(re


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6.キス

 

 

 彼女の攻撃は歪だった。

 

 居合切りの要領で、鞘から加速させた刀身を放つ一撃。

 

 その一撃はあまりにもその少女に不釣り合いなものだった。

 

 華奢な手足に心もとない足腰。

 

 刀など振ることは疎か、抜いたことすらないような手付き。

 

 どこまでも拙いその予備動作からは考えられないほどの一撃が俺の肩口を切り裂いた。

 

(…斬られたのか?)

 

 答えは右肩に滲む血の跡と肌の裂けた痛みが教えてくれた。

 

(今の一撃…確実に俺の動きを読んでいた。速さで敵わないと知っていて。だからこそ、斬撃をここに置いた。俺の意識が鬼に向かっている、その一瞬の意識の死角をついて…)

 

 間違いなく、この少女は俺を殺す気だった。

 

 刃は頸動脈の位置に置かれていた。

 

 並の隊士なら、今の一撃で確実にお陀仏だ。

 

 俺は追撃を往なすため、刀を少女の方に向ける。

 

 しかし____

 

「__ゲホッ!!」

 

 吐血し、前方に倒れ込む少女。

 

(!?無理やり全集中の呼吸を使ったのか?)

 

 全集中の呼吸は血の滲むような鍛錬を行って漸く身に付くかどうかといった代物だ。

 

 それを剣士でもない。

 

 ましてや、まだ身体の出来ていない少女が使用したのなら、その負荷に身体が耐え切れなくとも不思議はない。

 

 俺は少女を抱きかかえようと近づく。

 

 だが___

 

「ガアアア!!」

 

「くっ!?しまった…!」

 

 少女の状態に気をとられて、鬼の蹴りに弾き飛ばされてしまった。

 

 受け身を取り、視界に移った鬼の目的を察知して、俺は回避ではなく防御を選んだことを後悔する。

 

 この距離では間に合わない。

 

 少女が喰われると思った時、俺は驚きの光景を目にする。

 

「ネエサンニ…サワルナ!!」

 

 鬼が人間を庇う。

 

 そのようなことがあって良いのだろうか?

 

 鬼は腹が減っているのだろう。

 

 大量の涎を垂らしながら、掌から血が噴き出すほど拳を握りしめ、それでも必死に俺から少女を守ろうとしている。

 

「…鬼よ。何故人を庇う?それはお前たちにとって餌だろ?」

 

「ネエサンヲ、モノミタイ二イウナ!!」

 

「それで人間の仲間だとでも思っているのか?笑わせるな。今は辛うじて理性が保てているようだが、そう長くは持たないだろう」

 

 俺は少女の落とした短刀を指さし、鬼に提案する。

 

「それでも、お前に少しでも人としての心が残っているのだというのなら。今ここで自分の頸を落とせ。人で在るというのなら、鬼を殺せ。人の命を奪ってしまう前に」

 

「………ソレデ、ネエサンハドウナル?」

 

「お前の姉には才能がある。鍛錬を積めば鬼殺隊上位の役職に就くことも可能だろう」

 

「ソレハ、ネエサンガ、オニトタタカウッテコトカ?」

 

「弟のお前が鬼にされて死んだとする。その時、お前の姉はどう思う?必ずお前を鬼にした者を見つけ出して復讐を果たそうとするだろう。もしくは、お前を殺した。お前の家族を助けられなかった。間に合わなかった俺に対しての憎悪でも構わない。怒りや憎しみは闘うための大きな原動力となる。家族を失ったその子には生きるための目的が、心を持たせるための強い感情が必要だ。___さあ、早く頸を落とせ。できないなら俺が頸を落としてやる」

 

「………オレガシネバ、ネエサンハ、キットシヌ」

 

 その鬼は涙を流しながら、短刀を手にする。

 

「カアサンヤ、ミンナノナキガラヲミテ…ネエサン…シノウトシテタ…」

 

 短刀を首にあてがい、尚も涙を流しながら鬼は言い続ける。

 

「デモ…コノママジャオレガ…ネエサンヲ…シナセテシマウ…!」

 

 短刀に刻まれた滅の文字に血の朱い雫が零れ込む。

 

「ネエサンヲ…オネガイシマス。…オレノ、オレタチノブンマデ、セイイッパイ、イキテ、シアワセ二、ナッテッテ…」

 

「…伝えておこう」

 

「アリガトウ」

 

 鬼の腕に血管が浮き出る。

 

 そして、血を噴き出しながら、鬼は自分の頸に短刀を斬り込んでいく。

 

 そして_____

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなの、許さないから」

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 これは私の記憶。

 

 温かい家族との記憶。

 

 炭治郎が庭を駆けまわっている。

 

 蝶々を追いかけて楽しそうにはしゃいでる。

 

 でも、そんなに上ばかり見上げてると、足元の石に気がつけないんじゃ…あ、転んじゃった。

 

 擦りむいた膝から血が滲み、徐々に痛みを感じてきた炭治郎は泣き出してしまう。

 

「うわーーん!おねえちゃん!痛いよー…!」

 

 炭治郎は泣きながら私の懐に飛び込んでくる。

 

「ほら、泣かないの。炭治郎、もうお兄ちゃんでしょ?」

 

「でも、おれ、おねえちゃんのおとうとだもん」

 

「それはそうだけど…あ、そうだ」

 

 至極当然なことをいう弟に呆れながらも、私は寺子屋で借りた本で読んだ、ある一説の物語を思いだした。

 

「炭治郎、しゃがんで」

 

「んー?こう?」

 

「ん」

 

「………え?」

 

 炭治郎の額に唇を、チュっと触れさせる。

 

 顔を離してみてみると、炭治郎は口を半開きのまま呆けていた。

 

「おまじない。こうすると、痛いこととか苦しいこととかが和らぐんだって。どう?まだ痛い?」

 

「う、ううん。痛くない」

 

「じゃあ、おまじない成功ね!良かった~」

 

「うん…」

 

「なーに?炭治郎?ひょっとして照れてる?」

 

「だって!おねえちゃんが変なことするから!」

 

「嫌だった?」

 

「………おねえちゃんはいじわるだ」

 

「しょうがないよ。だって___」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女の子だって、好きな子には意地悪したくなるんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 腹が空いた。

 

 喉が渇いた。

 

 食べたい。

 

 喰いたい。

 

 飲みたい。

 

 血を。

 

 肉を。

 

 人を。

 

(黙れ!!違う!!俺は!!鬼なんかじゃない!!)

 

 何も違わない。

 

 お前は鬼だ。

 

 私の仲間だよ。

 

(出ていけ!俺の中から!!出ていけ!!)

 

 たくさん人を喰って、強くなれ。

 

 そいていつか___

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 頭がボーとする。

 

 何も分からない。

 

 でも、自然と身体が動いた。

 

 そっと、短刀を握った炭治郎の手の甲に手を置いて。

 

 彼の髪を梳くように、優しく抱き寄せて。

 

 啄むような、キスを落とす。

 

 コクン、コクンと私の血を飲む炭治郎の瞳が、真っ赤な色からいつもの優しい色に

戻っていく。

 

 そうして私は、暗い意識の中へ落ちていく。

 

 愛しい家族をこの胸に抱きながら___

 

 

【挿絵表示】

 

 




時系列前後。

気の向いたままに書くので脳内修正はセルフサービスでよろしくです。

感想欄のレベルが高すぎて玉露吹きました。

みんな冨岡さん好きすぎる…!


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7.育手

 

 

 

 

 産屋敷家の庭に黒い羽根が落ちる。

 

 翼が空気を揺らす音を感じた男性は床の間から身体を起こし、鎹鴉の報告を聴く。

 

「___そうか。ここまでよく頑張ったね」

 

 震える指で鴉の首元を撫でると、気持ち良さそうな鳴き声をあげる。

 

 その声が少し老いたものであるのは、紛れもなく冨岡義勇の鎹鴉であることの

証明に他ならない。

 

 男性は病に侵され痛みを訴える右目に手を当て、傍に控える妻に言伝を頼む。

 

「彼女に伝えてもらえるかな?これはきっと、彼女にしか任せられないことだ」

 

 妻は夫の意思を汲んだかのように、伝聞を書にしたためる。

 

 物語は大きな分岐点を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 水の呼吸

 

 壱ノ型 水面斬り

 

 弐ノ型 水車

 

 参ノ型 流流舞い

 

 肆ノ型 打ち潮

 

 伍ノ型 干天の慈雨

 

 陸ノ型 ねじれ渦

 

 漆ノ型 雫波紋突き

 

 捌ノ型 滝壺

 

 玖ノ型 水流飛沫

 

 拾ノ型 生生流転

 

 

 

 

 

「覚えたか?」

 

「えっと…あの…」

 

「…俺がお前に与えられる力など、この程度のものでしかない」

 

 力が欲しい。

 

 そう目の前の少女に乞われた時、真っ先に思い至ったのは自身の力不足だった。

 

 最終選別で運良く生き残れただけの落ちこぼれが、偶々空席だった水柱の任を負わされているだけに過ぎない。

 

 そんな、偽りの柱である自分が少女を導いて良いはずがない。

 

 この娘…禰豆子には剣の才能がある。

 

 特に、鋭敏な危機察知能力からくる独特な戦闘勘は、闘いに生き残るための大きな武器になるだろう。

 

 しかし、俺では彼女の育手は務まらない。

 

 彼女を育てる資格があるのは、本物の柱である彼らか…、もしくは鱗滝先生くらいのものだろう。

 

 だから、俺は断った。

 

 自分にその資格は無いと。

 

 お前の育手に俺など相応しくないと。

 

 だが、彼女は想像以上に頑固だった。

 

 何度も何度も頭を下げて、教えを乞うてきた。

 

 こちらが折れるまで、純粋な心持と瞳で想いをぶつけてくるのは、一種の暴力に他ならない。

 

 鬼を殺す術しか知らない俺にとって、それは闘いにすらなっていない、一方的な蹂躙だった。

 

 技を見せた。

 

 水の呼吸を。

 

 十ある全ての型を。

 

 鱗滝先生に教わったことの全てを。

 

 禰豆子に伝えた。

 

 しかし____

 

「えーと…もう一回だけお願いします!」

 

「話にならんな」

 

 まさか自分に、これほどまでに人に教える才能が無かったとは…。

 

 禰豆子は俺の不甲斐ない姿を気遣ってか、妙に腰を低くして応対してくる。

 

「ごめんなさい!物覚えが悪くて、ホントにごめんなさい!」

 

 そういう庇い方はやめろ。

 

 庇われたほうは堪ったものじゃない。

 

「…もういいだろう?」

 

 俺はお前に何も残してやれない。

 

 もっと、お前に相応しい育手がいる。

 

 禰豆子は泣き出しそうな顔をしながら俺の手を握ってくる。

 

「嫌です!!私は、義勇さんに教わりたいんです!!私と炭治郎を救ってくださった貴方に!」

 

 …だから、その目はやめろ。

 

 どうしていいか、分からなくなるだろ…。

 

「………もう一度だけだぞ?」

 

 俺は彼女に背を向け、日輪刀を抜刀しながら伝える。

 

「はい!今度はちゃんと_____名前を覚えます!」

 

 刀身が鞘の半ばまで顔を覗かせて、そしてピタリと止まる。

 

「   」

 

 こいつは、今何と言った?

 

 名前…?

 

 型の動きではなく?

 

 俺は何か、重大な見落としをしている?

 

 そんなことを考えていると、視界の端に見知った顔を見つけた。

 

 俺は再び納刀すると、禰豆子ではない、彼女のほうに向きなおる。

 

 

「随分早かったな?____胡蝶」

 

 

 

 

 

 



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8.誓刃

 

 

 

 

「___みつけた!」

 

 親方様から預かった指示書にある義勇君からの報告によると、母親を含めた5人の家族が鬼の襲撃により殺害されていたらしい。

 

 遺体はどれも裂傷や刺突の跡だけで、肉を食い破ったような痕跡がない。

 

 長女と長男が生き残り、長男が鬼となってしまう。

 

 しかし、その鬼は飢餓状態であるにも関わらず、倒れた姉を庇い、鬼を殺すため自らの頸を日輪刀で断とうとした。

 

 意識を失っていた姉が突然起き上がり、鬼になった弟に自身の血を飲ませることで、弟は完全に理性を取り戻した。

 

 その現場検証と、姉弟の状態確認が今回の私の任務である。

 

「やっぱり!人と鬼は仲良くできる…できるのよ!」

 

 左右の髪に蝶の髪飾りを付けた、見目麗しい女性。

 

 花柱・胡蝶カナエは頬を赤らめ、心の底から湧き上がる喜びを噛み締めながら、大切な友人と自らが探し求めていた件の姉弟に逢うため、地面を蹴り駆けだした。

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 綺麗な人…。

 

 私が最初に抱いた感想はそれだった。

 

 艶のある手入れの行き届いた絹のような黒髪。

 

 男の人の視線を絡めとるようなしなやかな肢体。

 

 そしてなにより、その女性から溢れ出る母性のような、優しい香り。

 

 私は目の前に立つそんな女神様のような人から目が離せずにいた。

 

 その人は私の視線に気がつくと、ニコっと優しい笑みを浮かべ、冨岡さんに話しかけた。

 

「久しぶり、義勇君。また逢えて嬉しいわ。その子が貴方の継子ちゃん?」

 

「違う」

 

「義勇君が私以外の人とちゃんとお話できてて嬉しいわ」

 

「俺は嫌われてない」

 

 取り敢えず冨岡さんがちょっとズレてることは置いといて、視線を向けられた私は失礼のないように居住いを正す。

 

「誰もそんなこと言ってないんだけど…。それより、自己紹介が先ね?初めまして、私は胡蝶カナエ。義勇くんと同じ鬼殺隊の一員です。貴女が竈門禰豆子さんね?」

 

「は、はい!私が竈門禰豆子です。冨岡さんには本当にお世話になって__」

 

「義勇君は口下手だから勘違いされることも多いけど、ホントは凄く優しくて強い素敵な男性なのよ?ねー?義勇君」

 

「………うるさい」

 

 それだけ言うと、義勇さんは一瞬で姿を消す。

 

 そして、遠くを見ると、既に豆粒台の大きさになった冨岡さんの背中が見えた。

 

「えっ!?ちょっと!?冨岡さーん!?私の訓練はっ!?」

 

「あらら、ごめんなさい。拗ねちゃったみたいね?大丈夫。本部に報告するために一旦山を降りただけだから。多分、明日の朝までには戻ってくるわよ」

 

「そうなんですか?良かった…まだ、技の名前覚えきれてなくて____」

 

 私が安心していると、急にカナエさんが私をギュッと抱きしめてきた。

 

「え!?胡、胡蝶さん?」

 

 私にはない胸の弾力に女として嫉妬してると、胡蝶さんは更に私の頭を撫でてくる。

 

「あの?胡蝶さん?」

 

 胡蝶さんは何も言わずに、ただ優しい笑みを浮かべながら、私を抱きしめ続ける。

 

「や、やめて下さい。大丈夫ですから、私、大丈夫ですから」

 

「何が大丈夫なの?」

 

 胡蝶さんの言葉に抵抗していた身体がピタリと治まる。

 

「怪我もそんなに深くないし、ちゃんとお布団で身体を休めましたし…」

 

「その隈で?」

 

「………」

 

「泣いていいのよ?禰豆子ちゃん」

 

「…………」

 

「哀しさを誤魔化さないで。泣くことを我慢しないで。自分に、嘘を憑いちゃダメ」

 

「……………ぅぅ」

 

「炭治郎君なら今は眠ってる。だから心配しないで。誰にも言わないから」

 

「…………ぁぁあ」

 

「頑張った。禰豆子ちゃん。頑張ったわね」

 

「ぅぅぅぁぁぁあああああああああ!!」

 

「ごめんね。みんなを助けられなくてごめんね。そして…生きていてくれて、ありがとう」

 

 もう、ダメだった。

 

 堪えきれなかった。

 

 悲しい。

 

 苦しい。

 

 辛い。

 

 逢いたい。

 

 触れたい。

 

 もう一度、名前を呼んで欲しい。

 

 過ぎ去った時の歯車を巻いて戻す術はない。

 

 失ったものの大きさに押し潰されそうになる心を守るには頑張るしかなくって。

 

 泣いたら、私はもうダメになっちゃうって思って。

 

 本当は怖かった。

 

 夜は一睡もできなかった。

 

 起きたら、炭治郎がいなくなってるって思うと。

 

 食べた物もすぐに吐き出してしまった。

 

 私だけが生き残ってしまったことにどうしようもない罪悪感を感じて。

 

 本当は鬼となんて戦いたくなかった。

 

 死にたくない。

 

 痛いのなんて嫌だ。

 

 苦しみたくない。

 

 苦しませたくない。

 

 もう、辛いんだよ…。

 

 …でも、炭治郎を守れるのはもう私だけなんだと。

 

 私がやるんだと。

 

 そのためには、泣いてる暇なんてない。

 

 泣いちゃいけないと思った。

 

 なのに。

 

 なのに、この人は____

 

 

 

 

 

 私は泣いた。

 

 家族の死を悼んで。

 

 私は泣いた。

 

 自らの弱さを恨んで。

 

 私は泣いた。

 

 また、必ず、前を向くために。

 

 私は泣き続けた。

 

 もう二度と、誰にも哀しみの涙を流さなせないと、この刃に誓って。

 

 

 

 




本日の投稿は終了。

カナエさん…貴女は凄い人だよ…。

そして冨岡さん…そういうとこだぞ?


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9.胡蝶

 

 

「___落ち着いたかしら?」

 

「はい…、ありがとうございます」

 

 私は禰豆子ちゃんの眦に指を這わせると、そっと涙を拭きとる。

 

 泣いて赤くなった目が、彼女の哀しみの深さを物語っていたが、先ほどの表情よりも柔らかくなった彼女の顔を診て、私もホッと胸を撫でおろす。

 

「うん、顔色が良くなったわ。悲しいことはその時に吐き出しちゃわないと、心の病気になる人もいるから。…ごめんなさいね?辛かったでしょ?」

 

 禰豆子ちゃんは鼻を啜ると、少し恥ずかしそうに笑う。

 

「ええ。でも…ちょっとだけスッキリしました」

 

「辛かったらいつでも言ってね?すぐに抱きしめてあげるから」

 

「えっと、それはちょっと…」

 

 何故か私から離れようとする禰豆子ちゃん。

 

 反抗期かしら?

 

「?貴女もそんな反応するのね?しのぶも嫌がるし…何故かしら?」

 

「しのぶさん?胡蝶さんの妹さんですか?」

 

「ええ、背も低くて女の子らしくてとっても可愛いの!でも最近怒りっぽくなってて、眉間に皺が残らないか心配なんだけど…」

 

 私が妹のことで惚気ようとしてると、禰豆子さんが真剣な顔で訊ねてくる。

 

「妹さんも鬼殺隊なんですか?」

 

「…ええ、そうね。そろそろ行きましょうか?ここは冷えるでしょ?」

 

 私は彼女を離すと手を引いて彼女の母屋の方に歩き出す。

 

 その道すがら、私たちのことについて簡単に話すことにした。

 

「私たち姉妹は両親を鬼に殺された。目の前でね」

 

「……っ!?」

 

「生きながらに喰われる両親の叫び声を、私は今でも夢に見るわ」

 

 禰豆子さんは聞いてはならないことを聞いたという表情で、私の話を遮ろうとしたが、その前に私が話す。

 

「私には何の力も無かった。それでも、せめて妹だけは、しのぶだけは助けなきゃって思って…。その時、鬼殺隊の…現在の岩柱様に命を救われたの。親類からの皆から言われたわ。そんなに恐ろしい目にあって自ら鬼と闘おうなんて、どうかしてるって」

 

「………」

 

「でも、私たちは知ってしまったから。鬼の存在を」

 

「…………」

 

 徐々に暗くなっていく彼女の雰囲気に気付いた私は、少し話過ぎたと反省する。

 

 少なくとも、家族を失った今の彼女に話すべきことではない。

 

「それでも、私は鬼を恨みたくない。だって、鬼だって元は人なんだから」

 

「え…?」

 

「私はね?鬼だから人を殺すんじゃないと思うの。人を殺すから、人は鬼になる…私はそう思ってる」

 

 玄関をくぐると、障子の隙間から此方を窺う、小さな男の子がいた。

 

「だから、私は貴方と人としてお話したいと思ってる。そのために来たの。私と仲良くしてくれたら嬉しいな?ね?竈門炭治郎くん?」

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「____以上がお館様からの指令になります。鱗滝様へのお申し出も伝達済みです」

 

「そうか」

 

 麓の村に降り、胡蝶の部下である隠の女性から報告を受ける。

 

「それでは、私はこれで」

 

「さて…」

 

 女性が去り、俺は懐に手を入れる。

 

 胡蝶とすれ違い際、渡された小さな紙には日用品の調達と明日の夜明けまで帰って来るなという旨の文を書き連ねたものがあった。

 

「…どうしたものか」

 

 今回の任務は、鬼殺ではなく調査の名目が大きい。

 

 そうなれば、俺にできることなど精々雑用程度のことになるだろう。

 

 目下の案件は、一晩夜を明かすための宿探しと女性ものの日用品をどう調達するかだ。

 

「しまった…」

 

 先ほどの隠の女性に物品の調達を頼めば良かったのでは?

 

 そもそも、男の俺にこんな買い物をさせるとは、胡蝶は何を考えているんだ?

 

 女ものの髪留めなぞ知らんぞ?

 

 そこらにある紐ではダメなのか?

 

「………よし」

 

 取り敢えず、鮭大根を食べにいこう。

 

 

 

 

 



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10.質問

 

 

 

 

夜の巡回を終え、宿の戸をくぐって数刻。

雪山の山頂から青白い光と共に朝陽が昇る。

胡蝶が引きつれた隠の隊員による周辺情報の収集結果をまとめつつ、今回のことについて少しばかり頭を回す。

竈門一家は鬼に襲撃され、山の麓に降りていた長女は無事。

長男である竈門炭治郎なる少年は鬼となる。

残された遺体の損傷具合。

そこから見える鬼の痕跡の無さ。

鬼になった人間がいるのにも関わらず鬼の痕跡がないという矛盾。

何よりも引っかかるのは、人を喰わない鬼の存在という事実。

禰豆子は鬼の襲撃を受ける前日の正午より麓に降り、翌日の明け方に家路に着いたと言っている。

鬼の襲撃であるからには、家族の死亡推定時刻は日没から夜明けまでの間。

いや、布団などの寝具が準備されておらず、遺体が寝間着のような身なりであったことから察するに、夕食後から身を清めるまでのおよそ三の刻。

その時間帯に家族は息を引き取った。

しかし、遺体に裂傷等の傷はあるが欠損はなく、なにより歯形がどこにもなかった。

食事が目的でないのだとしたら、鬼が竈門家を襲撃する理由は何だ?

禰豆子の持つ、特殊な呼吸が関係している?

そもそも、襲撃者は鬼なのか?

いや、それを肯定すると炭治郎が鬼になった説明がつかない。

ならば考えられることは二つ。

一つ、鬼に与する人間が鬼を増やすために何らかの方法で人の傷口に鬼の血をかけた。

二つ、十二鬼月である上弦の月、または鬼の祖である鬼舞辻無惨の襲撃を受けた。

一つ目は考えたくもない事態だ。

もし、鬼に与する人間がいるのであれば、俺は人の頸まで斬らなくてはならなくなる。

二つ目だった場合は好都合だ。

数少ない十二鬼月と鬼舞辻無惨の情報。

奴らの息の根を止めるための手がかりが、僅かばかりでもみつかったことになるのだから。

「さて…」

そろそろ、胡蝶があの姉弟の情報を聴取し終えている頃だろう。

俺は羽織を纏うと山頂を目指し歩き始めた。

 

◇◇◇

 

事は半日ばかり巻き戻る。

鬼となった禰豆子ちゃんの弟、炭治郎くんに襲撃した鬼の情報について聴取しようと試みたのだが、思わぬ事態に陥っていた。

「ムームー!」

「えっと…ごめんなさいね?ちょっと分からないかなぁ?」

「ムー!!」

細心の注意を払いつつ、炭治郎くんの口枷を外し、いくつか質問してみたが先ほどからこの調子である。

ただ、こちらの言っていることは理解できているようで、禰豆子ちゃんの指示に従ってお茶の用意なども行っていた。

そのため、少し質問の仕方を変えて訊ねることにする。

「じゃあ、炭治郎くん。私の言ってることが合ってる・肯定できることなら一回ムー。間違ってる・否定することならムームーでお願いできる?」

「ムー!」

「うん、いい子ね。じゃあ、第一問は…禰豆子ちゃん、お姉ちゃんのことは好き?」

「ム………」

どうしよう。

場を和ましたくて少し揶揄っただけなのに、炭治郎くん凄く照れてる。

顔を真っ赤にしてて可愛い。

思わず抱きしめそうになった。

私の弟にならないかしら?

「ふふふ…ごめんなさい?お姉ちゃんの前じゃ恥ずかしいわよね?」

「ムー…」

ジト―っとした目を向けられて謎の悦びが胸を打つ。

私が新たな世界に目覚めかけていると、座敷に現れた禰豆子ちゃんがお茶の入った湯飲みを私の前に置く。

「?どうかしたんですか、胡蝶さん?炭治郎も何かあった?」

「ムームー!!」

「ム?」

「禰豆子ちゃん、炭治郎くんはね?」

「ムームームームー!!!」

「…ホントにどうしたの炭治郎?」

必死に私の羽織の裾を掴んで、先ほどのことを話さないよう懇願してくる炭治郎くん。

この時、鼻血を出さなかった私を褒めて欲しい。

「___では、改めて。炭治郎くん、正直に答えてね?貴方は今、自分が鬼になっているという自覚はある?」

「ムー」

「私や禰豆子ちゃんのことを美味しそうって思う?」

「………ムー…」

「食べたいって思う?」

「ムームー!!」

「禰豆子ちゃんの血を舐めて、人を食べたいという気持ちは落ち着いた?」

「ムー!」

「今はどうかしら?また人を食べたいって気持ちが強くなってる?」

「ムー…ムー…」

「少しずつお腹が空いてる感じかな?」

「ムー」

「あと、どれくらい持ちそうかな?例えば明日までは?」

「ムー!」

「もっと長くても大丈夫?」

「ムー」

「じゃあ、二日は?」

「ムー!」

炭治郎くんが指を折って私に示してくる。

「五日?そんなに?」

私が少し判断に困っていると、禰豆子ちゃんが少し強い口調で炭治郎くんを窘める。

「嘘。炭治郎、正直にって言われたでしょ?本当は何日?」

「………」

炭治郎くんは少し目を逸らしながら恐る恐る禰豆子ちゃんの顔をみて諦めたように目を瞑った。

そして、指を一本戻して四にした。

しかし、禰豆子ちゃんの追及はこれで終わらなかった。

「それってまだ相当無理してだよね?炭治郎、これが最後だよ?何日?」

「………ムー」

三日。

「すみません、胡蝶さん。見ての通りです。炭治郎は昔から人のためだったら自分が損をすると分かっていても、平気で自分の気持ちに嘘を吐く子なので。細かいところは私に任せて下さい」

「………」

炭治郎くん…。

禰豆子ちゃんの圧に押されて縮こまっちゃった…。

何なの?この可愛い生き物。

それと、禰豆子ちゃんって凄くしっかりしてるのね。

私とは大違い…。

姉としての気構えで完敗して、多少落ち込む。

「そ、そう。じゃあ、お願いするわね?」

やめて炭治郎くん。

そんな捨てられた子犬のような眼で私を見ないで。

今夜も、いつもとは違う意味で長い夜になりそうね…。

私は炭治郎くんの救済の眼差しを有耶無耶にするかのように、湯飲みのお茶を傾けた。




中々鱗滝さんが登場しない…。

おじいちゃん、もうちょっとだけ待っててね?


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11.旅立

 

胡蝶さんとの話し合いを終え、仮眠をとった私たちは合流した冨岡さんの先導のもと、狭霧山なる場所を目指していた。

当然のことだが炭治郎は日の光を浴びることはできない。

出発前にどうしようか悩んでいると、冨岡さんが竹を編んで陽の光が入らないよう籠を加工してくれた。

その次いでなのかは分からないが髪飾りをくれた。

なんでも、私の髪を切ってしまったお詫びらしい。

気にしないで欲しいと言ったら冨岡さんが困ってしまったので、ありがたくいただくことにした。

無表情で私の髪に飾りを付ける冨岡さんの手付きがあまりにもたどたどしくて、申し訳ないけどちょっとおかしかった。

でも、そんな私たちの様子を見ていた胡蝶さんの笑顔は、笑っているようで笑ってなくてちょっと怖かった…。

そんなこんなあって残るは一山超える距離まで近づいた時、お二人の鴉…鎹鴉が訪れ、至急の柱合会議?なるもののために召集される旨が伝えられた。

「あらあら…。ごめんなさいね、禰豆子ちゃん。最後までお見送りできなくて…」

胡蝶さんが本当に申し訳なさそうに謝ってくる。

「いえ、お二人ともお忙しい身なのに、こんなに良くしてもらって、私の方こそお二人の時間を拘束してしまってごめんなさい。私、必ず強くなって鬼殺隊に入ります。そして、鬼の脅威から人を守れるようになります。…炭治郎のこと、どうかよろしくお願いします」

「期待するな」

冨岡さんが突き放すような一言を言ってくる。

それを諫めようとする胡蝶さんの言葉を私は遮る。

「ちょっと義勇くん?他に言い方が__」

「大丈夫です。分かってますから___期待せずに信じてます。ね?冨岡さん?」

「………いつの間に胡蝶に毒された?」

途轍もなく嫌そうな雰囲気を醸し出しながら眉間に皺が寄る。

今の一言が虎の尾を踏んだことは、私でも分かった。

この場合の虎は胡蝶さんで異論なしだ。

「ちょっと義勇くん?それどういう意味かなぁ?お姉さんとお話しましょう?__ね?」

「ではな。励めよ」

危機察知能力の高い冨岡さん。

一瞬で姿を消してしまった。

お願いだから冨岡さん、その能力をもう少し別の方向に向けて欲しい。

主に女の子の機微とか。

逃げた冨岡さんに頬を膨らませ不満を募らせる胡蝶さんは、深呼吸をするといつもの落ち着いた笑みを浮かべて私に向き直る。

「もう!…ごめんなさい、禰豆子ちゃん。それじゃあ、私も行くわね」

「はい。胡蝶さんもお元気で!」

「ええ、また逢いましょう」

「…行っちゃったね」

眠っているのか。

炭治郎からは何も返事がない。

籠の重さに反比例して私の足取りは軽い。

弟と一緒にいるのだ。

何も寂しくなんてない。

「私たちも行こうか」

強くなろう。

また、あの人たちに会って、私たちはここまで強くなれましたって。

笑顔で報告できるように。

 

 

◇◇◇

 

「…いいの?義勇くん。あの子の血は…」

「…ああ、構わない」

禰豆子は稀血の人間だ。

当然、鬼に狙われる頻度は格段に跳ね上がる。

藤兼山で行われる最終選別。

女性である禰豆子にとって、七日間の死闘は想像を絶する地獄のはずだ。

だが、それさえ乗り越えられない者が鬼の頸を断つことなど到底できる筈も無い。

本来であれば、俺は即座に炭治郎の頸を落とし、禰豆子を胡蝶に預けて次の任務に赴くべきなのだろう。

しかし、俺はそうしなかった。

俺はあの二人に、自分の理想を重ねているのかもしれない。

大切なものは全て己の両手から零れ落ちてしまった。

俺はその運命に抗うこともせず、ただただ傍観していた。

だが、あの二人なら。

必然なる運命にも抗い、大切なものを全て守り通してしまうかもしれない。

俺の願いを、託しても良いのかもしれない。

「珍しいね?義勇くんがそんなにも誰かに興味を示すなんて」

俺の心情を察したのか、胡蝶が楽しそうな声音で初めて会った時のような、子供のような口調で話し出す。

別に、特別な理由なんてない。

…まあ、禰豆子は俺の妹弟子になるわけだ。

少し気にかけても咎められる理由はない。

だから俺が胡蝶の質問に応える義務はない。

というより、胡蝶とどう話していいか、未だによく分からない。

今度、禰豆子に会った時、それとなく聞いてみるか。

ああ、そうしよう。

土産は鮭大根がいいな。

俺は後ろから掛かる謎の重圧を気のせいだと思いながら、お館様の元へはせ参じるため、改めて呼吸を深めた。

 




~おまけ~
「___義勇くん?私、無視は良くないって思うんだけど義勇くんはどう思う?」
「………」
「無視してない。何故なら、何を言おうか考えてたら俺よりも早く胡蝶が話始めるからだ__なんて理由は無しね?」
「!?」
「…予想通り過ぎてお姉さん心配になるわ…」
「…俺は嫌われてない」
「だから誰もそんなこと言ってないわよ?」
「…俺は嫌われたくない」
「ちょっと願望が入ったわね?」
「…でも好かれるのも面倒だ」
「どうしよう…しのぶが義勇くんを嫌う理由が垣間見え過ぎてる…」
「だが__禰豆子に頼られるのは、不思議と悪い気はしない」
「   」
「……どうした胡蝶?鬼もいないのに移動中に抜刀するな…は?鬼がいる?どこに___」




冨岡さん…恋愛小説読んで出直してきてお願い。

待たせたなおじいちゃん!

禰豆子ちゃんのレベルアップは貴方に任せました!

次回から修行編に入ります。


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12.初陣

 

 

 

 

 

 

「____遅い」

 

 義勇の鎹鴉から、鬼を連れた娘、竈門禰豆子を儂に預けたいという旨の手紙が届いて数日。

 

 女子の身体能力からして、もうそろそろこの狭霧山に到着してもおかしくない頃合いだ。

 

 真菰の時もそうだったが、女子に対して儂は少しばかり過剰な心配性を持つようだ。

 

 こればかりは、墓に入るまで治ることはないと思っている。

 

 本来、ここにたどり着くことすらできないような者に指導をするつもりなど毛頭ないのだが、他ならぬ義勇からの頼みだ。

 

 聞き入れぬわけにはゆくまい。

 

 儂は重い腰を上げ、様子見がてら山の麓を散策することにした。

 

 空には夕陽が、山の陰に飲み込まれようとしていた。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「あぁ…?なんだ、テメェらは?」

 

 噎せ返るような血臭。

 

 神社の床に飛び散る肉片。

 

 肉を削ぎ落とされ、白い骨が覗く、人であったものの残骸。

 

 鬼だ。

 

 人を喰う鬼だ。

 

 私はすぐさま短刀の柄に右手を掛けて、大きく呼吸をする。

 

 そんな私を頭のてっぺんから爪先まで、舐めまわすような視線を向けた鬼は、口元に付いた血を舌で舐め取ると嬉しそうに頬を横に引く。

 

「妙な匂いだ…。おい、小僧?お前鬼だろ?」

 

 目の前の鬼は、今しがた喰らっていた女性の腕を、無造作に放り捨てると私を指さして言った。

 

「一口目はくれてやるから、俺にも少し分けろよ。ソレ、こんなのよりよっぽど美味そうだっ…!」

 

 気持ち悪かった。

 

 女性として生理的になんて話じゃない。

 

 人としてこの鬼に対して嫌悪感以外の感情が湧かなかった。

 

 呼吸が浅くなる。

 

 私は気がつかない内に、鬼の言に惑わされて呼吸を乱してしまっていた。

 

「何だ?喰わねえのか?なら俺が貰うぜ____」

 

 鬼が私に近づくため、一歩目を踏み出した瞬間。

 

 グシャリッ…。

 

 鬼の頭部が弾け飛んだ。

 

「え?」

 

 突然の現象に混乱していると、数瞬後に突風が起こる。

 

 その風を受け市松模様の羽織が棚引く。

 

 鬼の頭部を消し飛ばしたのは、炭治郎の容赦ない頭突きだった。

 

 板間を粉砕するほどの途轍もない瞬発力で加速した炭治郎が、勢いそのまま頭突きを喰らわせたらしい。

 

 元々石頭だった炭治郎のおでこが、鬼の身体能力が加わって最早凶器と化していた。

 

「うそぉ…?」

 

 炭治郎はこちらを振り向き謎のドヤ顔をしている。

 

 自分はくらっていないのに思わずおでこに手を置いてしまった。

 

 私が今後、炭治郎のおでこには注意しようと考えていると、頭部を失った鬼の身体が急に動き出し、炭次郎の頸を後ろから締め上げる。

 

「ゥゥゥウ!!」

 

「炭治郎!?」

 

 鬼って頭が無くても動けるんだった。

 

 胡蝶さんの話を今しがた思い出し猛省した私は炭治郎を助けるため、すぐさま行動に移す。

 

 私は腰を落とし大きく息を吸い込んで、短刀を引き抜く。

 

「【水の呼吸 壱ノ型 水面ぎ___」

 

 しかし、私はそこで型を放つことを躊躇ってしまった。

 

 あの鬼、見た目よりも頭が回るようで(今は頭がないけど)、私との間に炭治郎の身体が入るような位置取りをやり続けている。

 

 鬼にしてみれば、炭治郎は自分を守るための肉壁、盾のような役割でしかない。

 

 しかし、私にしてみればそれは私の命より大切なもの。

 

 皮肉にも鬼を殺しうる力を自分が持っていると知ってしまったが故に、鬼である炭治

郎を盾にされては万が一を考えて思い切った踏み込みこみができない。

 

 今のまま踏み込んで技を放っても、炭治郎の胴を真っ二つにしてようやく鬼に届くかどうかといったところだ。

 

 勿論、私は炭治郎を傷つけることなんてできない。

 

 だが、このままでは鬼が頭部を再生する時間を与えてしまうばかりか、炭治郎が苦しい思いをし続けることになる。

 

 胡蝶さんが言うには、鍛錬の出来ていない現在私の身体で可能な型の行使は二回が限度らしい。

 

 確かに、冨岡さんに無我夢中で放った一撃だって、それだけで吐血して倒れるくらい身体は摩耗していた。

 

 時間が経てば経つほど、体力の無い私は不利になる。

 

 だからと言って、焦って不用意に飛び込み技を外せば私は動けなくなり、それこそ死は免れない。

 

 どうする…!

 

 私が決断できずに迷っていると、炭治郎が必死に下を指さしていることに気がつく。

 

 そして、中に浮いている足を見て私は炭治郎の意図を理解した。

 

 もう鬼の顎が再生しかかっている。

 

 攻撃の機会はここしかない。

 

 両足に力を込めて一気に距離を潰す。

 

 私は盾にされた炭治郎の目の前まで接近すると、左膝が床に付くほど姿勢を低くし、その勢いを刃に乗せて振り抜いた。

 

「【水の呼吸 壱ノ型 水面斬り】!!」

 

 鬼の両膝の位置に、一筋の斬撃が迸る。

 

 両足を断たれた鬼は膝をつくようにして平衡を崩す。

 

「ムン!!」

 

 それによって、両足を床に付けて踏ん張ることが可能になった炭治郎が、自身の頸を締め付けている両手を掴み、拘束から逃れると腕を捻って逆に鬼の動きを封じる。

 

「ムー!!」

 

 炭治郎が作ってくれた隙を無駄にしないため私は再び全集中の呼吸を行う。

 

 しかし___

 

「___ゲホッ…!」

 

 初めての鬼との戦闘に私の身体は想像以上に疲弊していたようで、両足に力が入らず全集中の呼吸を行う余裕すらなくなっていた。

 

 しかし、相手は両膝から下を無くし、炭治郎の拘束によって頸の位置が下がっている。

 

 これなら、片膝立ちしている今の私の体勢でも、刃は届く。

 

「【水の…呼吸 壱ノ…型 水面…斬り】!!」

 

 私は力を振り絞って刀を振り抜く。

 

 鬼の固い皮膚を破って骨に刃が食い込む感触が両手に伝わる。

 

 しかし、その感触が手に残るということは、鬼の首を断てていない証明に他ならない。

 

 諦めるな。

 

 力を込めて!

 

 最後の最後まで!

 

「ぁぁぁあああ!!!」

 

 でも、いくら大きな声を出して自らを鼓舞しようと、力を籠める刃はピクリとも動かない。

 

 もう、両手から短刀が離れそうになった時___

 

「ムーン!!」

 

 炭治郎が驚きの行動に出た。

 

 炭治郎の拘束に拮抗していた鬼の力を、腕を捻った拘束をワザと緩めることでその勢いを利用し、空中で回転しながら鬼の頸に回し蹴りを叩きこんだのだ。

 

 その狙いは、鬼の背後から切り込んだ私の短刀の切っ先。

 

 私の握った短刀の柄を支点に高速で加速した切っ先は、何不自由なく鬼の首を刎ねた。

 

 ついでに私もそのあまりの加速に負けて吹っ飛ばされた。

 

「ムー―――!!!?」

 

 やってしまった。

 

 そんな表情を浮かべながら、焦ったような、心配したような声をあげながら倒れた私にしがみついてくる炭治郎。

 

「だい…じょうぶ。大丈夫だよ、炭治郎。私と炭治郎の勝ち。悪い鬼はやっつけた」

 

 日輪刀で頸を断たれた鬼は灰になって消える。

 

 冨岡さんに聞いた通り、もう目の前の鬼の身体は殆ど崩れていた。

 

 鬼の消滅を確認していると急激に瞼が重くなる。

 

 私は奥底に沈んでいく意識の中、寝言のように呟く。

 

「あー、でも、失敗したなぁ…。炭治郎を人間に戻す方法…聞きそびれちゃった…」

 

「ムー!ムー!!」

 

「ごめん…たんじろう…ちょっとだけ…ねかせて…」

 

「ムー―!!!」

 

 そしてまた、私は眠った。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「鬼を人に戻す…か」

 

 そのような夢を抱く者など、儂は聞いたことすらない。

 

 鬼とは殺すか殺されるか。

 

 その二択を迫る生き物でしかない。

 

 共存など夢のまた夢。

 

 だが、儂は見てしまった。

 

 鬼と共に悪しき鬼を討ち滅する。

 

 気高き少女の姿を。

 

 それでも儂は、問わずにはいられない。

 

「禰豆子…お前は___」

 

 

 

 

 

 

 

 

___弟が人を喰った時、果たしてお前はどうするのだ?と___

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




おじいちゃん登場だけど全然禰豆子と絡まなかった…。

やはり水の呼吸の一門はちょっとアレなの…?

修行になってなくてごめんなさい。

実践は修行の10倍の経験値が得られるって某恋する柱が言ってたので


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13.報告

 

 

 

 

 

「___以上で柱合会議を閉会とさせて頂きます。皆様、ありがとうございました。水柱様、花柱様の二名はこの後、別任務のお話がございますので、もう暫くお時間を頂戴致します」

 

 あまね様の言葉で会議を終えた柱の面々が退席する。

 

 私と義勇君は普段から任務を共にすることはあったため、何も訝しまれることは無かった。

 

「時間をとらせて申し訳ないね。義勇。カナエ。分かっているとは思うけれど、例の件の報告をお願いできるかな?」

 

「勿論です。お館様」

 

 珍しく義勇君が率先して口を開く。

 

 良く勘違いされるが、義勇君は無口なだけで事務的な会話なら誰よりも論理的で、且つ簡潔だ。

 

 だからこそ、日常生活で一言どころか二言以上足りないことが殆どなのだから救われない。

 

 彼に悪気が一切ないのが余計に憐れまれる。

 

 そういう意味で、私が彼の保護者的立場に置かれるのは自明の理とされている。

 

 私としては嬉しいような悲しいような、複雑な心境である。

 

 私が明後日の思考に陥っている隙に、義勇君の報告は既に禰豆子ちゃんの呼吸についての話題に入っていた。

 

「それは驚きだ。過去にも独力で呼吸法を生み出した剣士は確かにいる。でも、彼らのそれは何れも厳しい剣の鍛錬を乗り越えた先に習得したものだ。となると、考えられるのは、その竈門家に代々伝わるという神楽が、全集中の呼吸に精通しているということかな?」

 

「あくまで推測ですが。それに、竈門禰豆子の身に着けていたあの耳飾り…偶然とは思えません」

 

「始まりの呼吸…日の呼吸の系譜か。いずれにしろ、彼女が力を付けて私たちの悲願の手助けをしてくれるというなら心強い。___それで、竈門炭治郎くんという鬼になった少年について、君はどう思うのかな?義勇?」

 

「…分からない、というのが正直なところです。ですが、俺は、あの少年は、他の鬼とは何かが違う…。そのように思っています」

 

「うん。カナエはどうかな?君の率直な意見を聞きたい」

 

 私は少しだけ深呼吸をして胸を落ち着かせる。

 

 緊張して強張っていた私の口は思いのほか滑らかに動いてくれた。

 

「人を襲わない鬼。意思を介し、人と共存できる…いえ、人の心を持った鬼。それが私の思った竈門くんの印象です」

 

 人の心を持った鬼。

 

 その言葉を聞いたお館様は、どこか懐かしむような表情を浮かべては微笑んだ。

 

「なるほど。そして、その前提にあるのが禰豆子の血ということかな」

 

「稀血である不死川の血が鬼を酩酊させるものだとすれば、彼女の血は鬼を鎮静化させる血。鬼を弱体化させることのできる血ではないかと」

 

「効果を立証できるだけの証拠はあるのかな?」

 

「現在、胡蝶しのぶに竈門禰豆子の血液の解析を依頼しております。医学に精通している彼女であれば何か分かるのではないかと考えます」

 

「身贔屓に聞こえるかもしれませんが、しのぶは既に鬼の頸を斬る以外の手段で鬼を倒せるだけの方法を生み出そうとしています。彼女の才はこの先、鬼殺隊に大きな財産をもたらすと私は確信しています」

 

「しのぶには、今回の件をどう伝えるつもりかな?」

 

「炭治郎くんに関する情報だけ伏せて伝えるつもりです。私も全て隠し通せるわけではありませんが、そこに何か理由があると、しのぶなら分かってくれますから」

 

「そうだね。もし、しのぶと話が拗れた時は私からも説明するから気兼ねなく相談して欲しい」

 

「お心遣い痛み入ります」

 

 私が感謝の礼をしたところで、義勇君が切り出した。

 

 ここからは報告書に挙げていない内容だ。

 

「竈門禰豆子、炭治郎の両名は今後、狭霧山にて鬼殺隊入隊のための鍛錬を実施させます。育手には我が師、鱗滝左近寺殿を推薦させて頂きます」

 

「先代の水柱。彼であれば心配はいらないね。でも、義勇。私の聞き間違いかな?君の口振りだと炭治郎も鬼殺の術を…つまりは呼吸を習得すると言っているように聞こえたんだけど?」

 

「はい。そのように申し上げました」

 

「鬼が、鬼を倒すための呼吸法を使用する。その危険性を分かっていての言葉だよね?」

 

「無論です」

 

「君がそこまでする理由を聞いてもいいかな?」

 

 義勇君はそこで初めて伏せていた顔を上げ、お館様に真っすぐな目で応えた。

 

「今は亡き友のため。俺では果たせない約束のため。俺は竈門禰豆子に___次代の水柱となって欲しい」

 

 

 

 

 

 

 

 




クリスマスBOXイベ到来…!

落ちない概念礼装、カクつく宝具、見向きもしない剣トルフォ。

襲い掛かる師走の残業地獄。

…止まるんじゃねえぞ、私。


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14.日常

BOXイベお疲れさまです。




 

 

 

 

 

 水滴が落下するような静けさで木刀の切っ先が肩口を抉る。

 

 仰け反った勢いを利用され、宙を一回転させられては地面に転がされる。

 

 此方の攻撃は一切当たらず、相手の攻撃のみが一方的に通る。

 

 何の妖術だと私は嘆いた。

 

「禰豆子。お前には確かに才がある」

 

 鼻先から落ちた汗が地面に落ち、そこに人影が滲む。

 

「剣道としてなら、お前の才は遺憾なくその本領を発揮できるだろう」

 

 私は急いでその場から退く。

 

 しかし、私の浅はかな考えなどお見通しだったのだろう。

 

 地面に着いた手の甲を、木刀の柄で抑えられて動きを封じられる。

 

「だが、お前の求める…鬼殺の技術とは、こういうことを言うんだぞ?」

 

「っっ!?」

 

 ミシミシと手の甲が嫌な音を立てる。

 

「敵から目を逸らすな。痛みに気を取られるな。すぐさま決断しろ。このまま腕を潰されたいのか?」

 

 私は利き腕ではない左手を引き、相手の木刀を握る指を目がけて木刀を振る。

 

「いい判断だ」

 

 しかし、初動の段階で木刀の持ち手近くを足で押さえ込まれてしまう。

 

「故に惜しいな」

 

 そこまで言うと、私の相手をしていた天狗のお面を付けたご老人。

 

 鱗滝左近寺先生は私の拘束を解くと、私が起き上がりやすいよう手を差し伸べて下さる。

 

「…ありがとうございます」

 

 存外、私は負けず嫌いだったらしい。

 

 子供が大人に敵う筈も無いのだが、それでも一太刀も届かなかったことはすごく悔しい。

 

 そんな、子供っぽい態度でお礼の言葉を返す私を見て微笑むような雰囲気を出した鱗滝先生は先ほど言いかけた続きの言葉を溢す。

 

「やはり、お前は女子なのだな」

 

「先生には私が男子に見えるんですか?確かに女の子にしては、ちょっとばかり髪が短いかもしれませんけど…。それでも私ちょっと傷つきました」

 

 遠回しに心の中で義勇さんに舌を出す。

 

 今度会う時までに髪を伸ばして、お洒落な簪を強請るとしよう、そうしよう。

 

 私が本当は気にしてないことを先生は匂いで理解してる。

 

 そのくらいのことが分かるくらいには、私は先生を信頼できていた。

 

「いや、容姿のことを言っているのではない。お前の戦い方のことだ」

 

「私の水の呼吸の型、何処かおかしいですか?」

 

「型自体は実に綺麗なものだ。___不自然なほどに」

 

「…私には過ぎた技術だということは重々承知してます。でも、私は__」

 

 私を助けてくれたこの呼吸で、今度は私が誰かを助けたい。

 

 そんな思いが喉元までせりあがるが、先生の言葉に私は詰まる。

 

「そもそもお前の水の呼吸はあの子の模倣だ」

 

「………やっぱり、分かるものなんですね」

 

「柱を手本とすることは間違っていない。だが、それはあの子が…義勇が弛まぬ修練と研

鑽の先に磨き上げたものだ。当然、今のお前には手に余るものであることは自覚できているだろう」

 

「…はい」

 

「水は定まった形を持たない。どんな形にでもなれる。禰豆子、お前はお前だけの、自分の呼吸を見つけろ。結果、それが水の呼吸以外でも儂は一向に構わん。呼吸に操られるのではなく、お前が呼吸を操るんだ。いいな?」

 

「はい!」

 

 そして先生は言った。

 

「よし、では今日の素振りは1000回追加だ」

 

「えッ…?」

 

 私が何かを言う前に先生の姿が消える。

 

 私は稽古の鬱憤も相まって、遂に感情を抑えきることができなかった。

 

「先生の鬼~っ!!?」

 

 私の声が狭霧山に木霊する。

 

 ここに来て既にひと月の時間が流れようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「今戻った」

 

「ムー!」

 

 母屋に着くと炭治郎が茶の入った湯飲みを渡してくる。

 

「おお、すまない」

 

「ムー」

 

 すぐさま窯の様子を見に戻る。

 

 どうやら夕餉の支度をしているらしい。

 

 どういうわけか炭治郎は人と同じ食事をする。

 

 太陽には当たれず、3日に一度、禰豆子の血を摂取する必要があるが、それ以外は至って普通の子供だ。

 

 一度試しに儂の血を与えてみたが炭治郎は口にしようとすらしなかった。

 

 昼は母屋で睡眠をとり、夜はひたすらに鍛錬をしている。

 

 ここを訊ねて一週間の間は、隠の協力を得て炭治郎が人里に降り、人を襲わないか監視していたが、全くそのような素振りもなく、逆に炭治郎は禰豆子から離れようとはしなかった。

 

 不思議なものだ。

 

 何百体と鬼の頸を落としてきたが、その鬼とこのように生活を共に送ることになるなど考えもしなかった。

 

「ムムー?」

 

 いつの間にか湯飲みは空になっていた。

 

 炭治郎は急須を持って追加の茶を注ぎにきている。

 

「いただこう」

 

 人の厚意…いや、この場合は鬼の厚意か?

 

 ともかく厚意を無駄にするものではない。

 

 儂は注がれた湯飲みの中に茶柱が立つのを見つつ、何とも言えない穏やかな時間を過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

 




二週間ぶりの投稿です。

今回はまったりとした気分で書きました。

おじいちゃんとの団欒は書いててすごく心が和みます。

次回は細かい修行の様子やおじいちゃんの指導を受けられるようになるまでの流れを書けたらなと思ってます。

できる限り早く投稿したい。



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15.試験

 

お父さんは言っていた。

正しい呼吸をし続ければいつまで動いても疲れないんだって。

いつもは床に伏せて咳をしているお父さんは、その時だけはカッコいい火の神様になる。

私はあの綺麗な舞いが好き。

火の神様へのお祈りという名目があっても、それは私にとって芸術作品のようなものだった。

終ぞ、お父さんに綺麗な舞いを見せることは叶わなかった。

それでも、この舞いは私の大切な生きた証だ。

だから、違和感があった。

水の呼吸___

花の呼吸___

冨岡さんと胡蝶さんの見せてくれた型はどれも本当に綺麗だった。

でも、心の底から感動はしなかった。

寧ろ、疑問に思った。

どうして、そんな余分なことをするの?と。

私は身の程をわきまえない、浅ましい思考を咄嗟に感激の声で塗りつぶす。

私を救って下さったこの呼吸で?

誰かを救えるように?

そんなものはただの方便だ。

薄汚い詭弁だ。

私は慢心としか言えない確信を抱いては刃を振る。

透き通る…いや、透明な世界で。

 

 

◇◇◇

 

「夜が明けるまでに、先ほどの小屋まで戻って来い。その結果を持って入門を認める」

このおじいちゃんは何を言ってるの?

脳が鱗滝先生の言葉を理解しようとするのを否定していた。

神社で炭治郎と一緒に鬼を討った。

そこで、冨岡さんに稽古をつけるよう頼まれたと、呼吸を使った反動で気を失い今しがた目を覚ました私の前に現れた天狗のお面を付けた奇妙なおじいちゃん。

そのおじいちゃんは多くは語らず稽古をつけて欲しかったら着いて来いと言った。

私は言われた通りついていった。

日光を浴びることのできない炭治郎を籠に納め、それを背負いながら走った。

日中ずっと。

途中、ここ通ったよね?って思うことが何度かあったが、最早反論する気力などなく、呼吸を必死で整えながら走ることで精一杯だった。

夕暮れ時。

小屋に到着しこれで稽古をつけていただけますか?と問うた私に返ってきたのは

「入門の試験はこれからだ。籠を置いて付いてこい」

という言葉。

一瞬、私は騙されているんじゃないかと思ったが、全く呼吸も乱れず足音を立てることなく走行することのできるこのおじいちゃんが、私のような小娘にそのような企みなど抱くはずも無いと、勝手に鱗滝先生を美化しながら沸々と湧き出す苛々を押さえ込んだ。

それからは山を登った。

膝が嗤った。

汗を拭い取った肌からは、もう何も滲んでこなかった。

そして、頂上に着いた途端告げられた下山の指示。

ここで私の不満も頂点に達した。

「………上等よ…やってやる…絶対に帰ってやる…!夜明けまでなんて悠長なこと言わない…!月が昇ってる間に戻ってやろうじゃない!!」

疲れ果てた身体に怒りの力が染みわたる。

そして私は全力で山の斜面を駆け抜けて___

 

「落とし穴とか……あの陰険爺ーーー!!」

流れるように罠にはまっていた。

夜空に浮かぶ満月が私の滑稽な姿を嘲笑っているように感じた。

 

◇◇◇

 

 

「___ムー!!ムー、ムー!ムー――!!!」

炭次郎は困惑していた。

姉と共にお面の老人の住居に招待され(姉が走っては引きずりまわされ)漸く姉は身体を休めることができるのかと安堵していたところに、老人はお前はここで待っていろと言い、姉を連れて行ってしまった。

小屋に入り籠から出ることはできたが、未だ陽は沈んでおらず、姉を守りたい気持ちはあっても体が陽の光を浴びることを本能的に拒否していた。

炭治郎が動けずにいる間に老人は姉を連れて行ってしまう。

炭治郎は何もできない己の無力さを痛感しながら、早く陽よ落ちてくれと天に祈った。

陽の光が差し込まなくなったと同時に炭治郎は小屋を飛び出した。

姉の匂いは覚えている。

見失うはずがない。

しかし、狭霧山に佇む高濃度の霧に含まれる森林の香りが炭治郎の探知を邪魔をする。

「ムー――!!!」

返事はない。

ここで立っていても事態は好転しないと思った炭治郎は二人が小屋から遠ざかっていった方向に向かって駆けだす。

しかし____

「小屋で待っていろと言った筈だが?」

「グッ!?」

突然、進行方向に天狗のお面が肉迫し、掌底によって顎がかちあげられる。

すぐさま体勢を立て直した炭治郎は、老人の抜き放った刀に乗せられた殺気に全身の肌が泡立った。

「殺す気で来い。さもなくば___その頸、泣き別れることになるぞ?」

無慈悲な斬撃は炭治郎の左手を斬り飛ばした



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16.思い

 

 

 

 

ボタボタと血が落ちる。

手首の関節部で一文字に八部程分かたれた左手は、力尽きたかのように動かない。

激痛と同時に細胞が蠢きだし、止血を始める自身の腕にどうしようもない嫌悪感を抱きつつ、左手を手首に押し当て鱗滝から距離をとる。

一足で人間の十歩以上の距離を生み出す圧倒的な脚力はやはり鬼のそれだ。

後方に下り混乱する頭を落ち着かせようと大きく呼吸する炭次郎。

しかし、元水柱である鱗滝の狡猾さがそれを許さない。

「斬り落としたつもりだったが…儂も年だな」

炭治郎が必死で作った距離を、人の身にも関わらず三歩で埋める鱗滝。

およそ老人のできる動きではないが、何よりその速度が異常である。

まるで水中を移動する魚のような流麗さで歩を進めるその歩法は、自然の理を完全に無視している。

剣風さえ静まり返るような恐ろしい滑らかさで蒼い刃が半円を描き出す。

お面から覗く眼光は炭治郎の頸を捉えていた。

「っっ!!?」

これに対し炭治郎は反射的に仰け反ろうとしたが、嘘の匂いを感じ取り体勢を崩しながらも無理やり側方へ身体を投げだした。

「ほう?」

刀が通過したのは炭治郎の膝の位置であった。

もし、あの場で頸を守ろうとその場で仰け反っていれば、間違いなく炭治郎は無様な達磨と成り果て、反す太刀で頸を断たれていたことだろう。

噴き出す冷や汗すらも感じる余裕もなく、全神経を嗅覚と視覚に集中させる。

繋がりはじめた左手の小指を動かそうとすると、鋭い痺れが腕を伝い、指先が痙攣したような気味の悪い不随意運動をする。

炭次郎は腰に差していた斧を手にとると、柄を握り込んで中段に構える。

「存外に鼻が利くようだな。なら、これはどう受ける?」

懐から取り出された短刀をユラユラと揺らした後、虚を突くかのように投げつけてくる。

斧を盾のように構え投げられた短刀を弾く。

左の視界に移った鱗滝の姿を無意識に目が追っていく。

しかし、それは罠だった。

「ムッ…ウウウッ!!」

突如、左側の視界が真っ黒に染まる。

そして、脳髄を焼くような痛みが左目を襲う。

炭治郎の右目が自身の左目から生える短刀の柄を捉える。

死角を突いた二本目の短刀が炭治郎の左目を抉ったのだ。

鱗滝が最初、懐から取り出した短刀を見せつけたのは視線誘導の一種。

ワザと飛び道具を相手に認識させ、注意を二分させる。

斧で一本目の短刀を弾いたことで、注意の方向性は完全に鱗滝の太刀にだけに向く。

その一瞬の隙、生み出された死角を穿たれた。

鱗滝の姿が盲目の闇に紛れる。

炭治郎は肩を竦め、頸を守るように斧を掲げる。

「甘い」

「グっ!!」

鱗滝の刀の切っ先が、炭治郎の右目を裂く。

完全に視力を奪われた炭治郎は、丹田に掌底を撃ち込まれて後方に弾き飛ばされる。

その際に、斧を落としてしまい最早鱗滝の攻撃を防ぐ手段はなくなってしまった。

全身を襲う激痛に蹲ったままでいると、足音と共に鱗滝の匂いが近づく。

「何をしている。立て」

炭治郎は吐き出された肺の空気を求めるかのように荒い呼吸を繰り返す。

「介錯が許されるのは人の咎人だけだ。立て」

炭治郎は恐怖していた。

閉ざされた視界に呼吸もままならないほどの痛み。

容赦なく襲い掛かる殺気と重圧。

限りのない体力を誇る鬼の身体を持つ炭治郎の精神を蝕む、圧倒的戦場の支配力。

「立て」

立ったとして、それからどうする?

闘う?

一方的に切り刻まれる?

逃げる?

駄目だ。

何かを選択した瞬間、自分の頸は断たれる。

なら、どうする?

諦めるしかないのか?

それは駄目だ。

自分は死ねない。

姉と約束した。

必ず人間に戻ると。

必ず___姉さんを守ると。

そう、誓ったんだ。

 

◇◇◇

 

真菰。

錆兎。

みんな…。

儂はお前たちを死なせてしまった愚かな老害だ。

罪深き死神だ。

お前たちの気が済むのなら、儂は地獄にだって喜んでこの身を投げ出そう。

魂を売り払っても構わない。

救済はいらない。

これは儂だけの贖罪だ。

儂の背負わなければならない業だ。

だというのに…。

なあ?義勇?

何故、お前はこの子達を儂に託した?

お前は誰よりも知っているはずだ。

鬼の恐ろしさを。

大切なものを失う哀しみを。

痛みを。

慟哭を。

後悔を。

お前は忘れてしまったのか?

それとも、それがお前の選択なのか?

ならば儂も決めねばなるまいな。

儂はもう二度と。

子供達を死なせない。

例え育手として誤ったことをしても。

彼らの生き方を否定してでも。

儂はこの子たちに、生きて欲しい。

 




インフルエンザ…しんどい…しんどいんよ…。

失礼しました。

皆様も体調にはくれぐれもお気をつけて下さい。



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17.悪戯

 

 

 

 

仮定の話をしてみよう。

もし、炭治郎ではなく、禰豆子が鬼になっていたとしたら。

もし、炭治郎が妹の禰豆子を人間に戻すと誓い鬼殺の門を叩いたとして。

炭治郎は夜の狭霧山を夜明けまでに走破できるのか?

答えは是である。

その答えは、誰よりも狂信的なこの物語の傍観者たちが理解していることだろう。

ならば、もう一つ問いたい。

その逆はどうなるのか、と。

 

 

 

 

人とは往々にして神様の悪戯に付き合わされている節がある。

漠然と、或いは明確にそのような感覚を覚えたことがある人間はきっと少なくないと思う。

急いでいる時に限って道が混んで入る。

普段はしないような失敗を大事な時にしてしまう。

一番大切にしていたものだけが壊れてしまう。

振り返ってみれば、まるで何者かに仕組まれたかのようで。

腹の立つくらい作り組まれた台本を演じさせられているかのように。

そんな、どうしようもなく出来た悪い夢を現世でみせられているような。

実に不愉快極まりない。

そのような気分になる経験が一度はおありではなかろうか?

もしも、心当たりがあればきっと現在の禰豆子の心情に共感せざるを得ないことだろう。

禰豆子の優れている感覚は第六感。

野生の勘と呼ばれることもあるだろうが、それは総じて『直感』という呼称に帰着する。

問題は能力の大きさではなく中身だ。

きっと炭治郎であれば嗅覚によって、罠の匂いを嗅ぎ分け、狭霧山を攻略できていた。

何故なら、普段から嗅覚を用いてより良い食材を選んだり、物に付着した匂いから犯人を特定するなど日常的な嗅ぎ分けを行っていた。

それを戦闘用に適応させたのなら、あの暗闇の中、急勾配の斜面を駆け降りることができるのも頷ける。

しかし、直感とは全く根拠の無い予測でしかない。

『嘘の匂い』『悲しい匂い』など具体的な観測結果を得てから判断するものではなく、言ってしまえば、『何となくこうした方がいい』『何だか嫌な予感がするからこうする』といった極めてあやふやで即時的な決断を迫るものである。

つまり、収集される情報の信頼性が違い過ぎる、ということだ。

10人の患者が薬を飲んで、2人の症状が緩和し、8人が完治した。

調子の悪い人たちが白い粉状の物体を口にして何人かが急激に元気になった。

間違いなく前者の薬の方が信頼できる。

情報の信頼性とはそういうことだ。

話を戻そう。

端的に言って禰豆子の直感は今回においては___全く役に立っていなかった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

山下りを始めて数刻。

私は本日三度目の落とし穴の底で頭を抱えていた。

(気付かなかった…私の勘ってこんなにあやふやだったの…?)

意気込んで飛び出したものの、私の直感が出した答えは___

『止まって!危ない!』

だった。

そんなこと百も承知だと、一人漫才する自分を滑稽に思いつつ状況を打開するために頭をひねる。

(散々引っかかったし、この先も罠があるのはもう分かってる。行くべき方向もある程度分かる。でも、予測の優先順位が付けられない!)

現在確認した罠の種類は、落とし穴、ししおどし(人間おどし)、石礫、進撃の丸太、の四つだ。

最も脅威と成り得るのは丸太である。

幾ら冬の乾燥した時期で水分の抜けた丸太でも、あれだけの高さから遠心力を纏われたら私には回避する以外の選択肢がなくなる。

設置された罠は実に巧妙に計算されている。

速度を落とさないよう落とし穴を避ければ、石礫が行く手を阻み。

石礫を避ければ反応が遅れてししおどしに捕まって宙に吊るされる。

ししおどしを避けようと足を止めれば丸太が襲い掛かり。

丸太を避けるには落とし穴に入るしかなくなる。

まさに、鬼畜の所業。

人体の構造を知り尽くした、人の行く手を阻むのに最適な防衛陣地だと思った。

(走ってたら罠に対応できない。でも、歩いて夜明けまでに間に合うわけがない。被弾覚悟で落とし穴だけ避けていく?それこそ丸太が頭部に当たればその時点で私は動けなくなる。…何より、もう体力が残ってない…)

幾ら呼吸の使い方を工夫しても基の身体機能の低い私はどうしても限界が早く来る。

おまけに酸素の薄い山の空気が、私の思考までも霞ませにきている。

私は大きく息を吸い込んでゆっくり吐き出すのを数回繰り返す。

(考えて。力も体力も強い心も無い。こんな私にできるのは考えることくらい…!)

眼を瞑り、耳を塞いで全ての余力を思考に注ぎ込む。

(四つの罠…人の動きを予測した陣地…時間…残った体力…肌を刺す冷たい結晶…雪………雪?)

行く手を阻んできた雪。

足を絡めとり、私の体力と速度を削ぎ落してきた雪。

雪、斜面、罠…。

「!?」

私はたった一つの、確信に等しいこの状況を打破するための術を思いつく。

 

 

 

 

 

 

 

 

「神様が私を困らせて遊ぶなら___私は遊びながら神様を嗤い返す」

 

 

 



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18.応え

五ヶ月振りの投稿。

鬼滅ロスからようやく立ち直れてきた。

劇場版公開までに無限列車編まで進めたい(絶望的観測)


 炭治郎は思考する。

 

 鬼とは本来、本能に従う生き物だ。

 

 腹が空けば人を襲い、その血肉を喰らって腹を満たす。

 

 血の呪いには滅法従順であり、鬼としての生き方に何処までも伏する。時としてそれは思考の放棄という、人として与えられた特権の忘却さえ些末なこととして捉えてしまう。人を辞めるとはそういうことだ。

 

 炭治郎は思考し続ける。

 

 鬼を滅する。

 

 それは当然のことだ。

 

 鬼は人を喰らう。

 

 人を殺す。

 

 大切なものを奪っていく。

 

 だから人は奪われる前に、大切なものを守るために鬼を討つ。

 

 きっと、自分が今ここで目の前の老人に首を撥ねられたとしても、世間一般から見れば至極当然のことで、情状酌量の余地なんて皆無で、何故と問うても返答は皆同じ。

 

 お前は鬼だから。

 

 憎い。

 

 俺は、鬼が憎い。

 

 母さんを、家族を奪った奴らが、どうしようもないほど憎い。

 

 何より、自分もその同族だという事実が耐えられない。

 

 俺はあの時、姉さんの静止を振り切ってでも、己の頸を落とすべきだったのではないか?そうすれば、姉さんが俺を人間に戻そうと考えることも、鬼と闘う道を選ぶこともなかったんじゃないのか?

 

 怖い。

 

 姉さんが傷つくのも、命を危険に晒すのも。

 

 でも、一番怖いのは、姉さんの側にいられなくなること。

 

 俺は最低だ。

 

 姉さんを守ると言っておきながら、本当は自分が姉さんと離れることが怖いから、だから俺は自分の頸を切れなかった。

 

 俺にはきっと、鬼は殺せない。

 

 (自分)さえ殺せない自分()に、姉さんを守ることなんて出来ない。

 

 だから、俺は強さが欲しい。

 

 だから、俺は死ねない。

 

 姉さんを守れないのなら、せめて、隣で一緒に闘うために。

 

 俺は今を生き抜かなくてはいけない。

 

 炭治郎は思考した。

 

 そして、応えを得た。

 

 

「俺は俺【鬼】を___」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 風に乗って届いた、血の臭いとともに、炭治郎の纏う空気が変わったことを察知した鱗滝は日輪刀を構える手を下ろし、炭治郎の行った行為をただただ見つめる。

 

 炭治郎はまず、蹲ったままの姿勢をやめ、地面の上に正座をした。そして、顔に突き刺さったままの小刀を引き抜くと、着ていた服の袖口を引きちぎり、小刀の刀身に着いた血を綺麗に拭き取っていく。柄を一切握ることなく、炭治郎は広げた掌の上に乗せた小刀をゆっくりと地面に置く。そのまま数秒、何かに謝罪するかのように頭を下げる。

 

 鱗滝は困惑していた。目の前の鬼は一体、何をしているのだと。

 

 左腕を切られ、両目を潰され、命の危機に瀕しているこの状況で、どうして闘わないのだと。自分の身を守るために儂を殺さないのだと。何故、そんな反省する子供の匂いを纏っているのだと。

 

 炭治郎が頭を上げる。

 

 両目は既に再生し、その目には光が戻っていた。

 

 それでも鱗滝は刀を構えなかった。

 

 否。

 

 構える必要がなかった。

 

 炭治郎はゆっくりと立ち上がると、再度、頭を下げて納屋の方向にトボトボと歩みを進めた。血が足りないのか若干ふらつきながら、それでも方角は違えず、一歩一歩確実に。

 

 炭治郎は納屋に入ると、再び地面の上で正座の形を取った。そして、目を瞑って微動だにしなくなった。

 

 鱗滝は頬が緩むのを。笑いがこみ上げるのを抑え切れなかった。

 

 そう、炭治郎はただ、素直に鱗滝の言いつけを守ったのだと。

 

 鱗滝は自分が戻るまでここ(納屋)にいろ、と炭治郎に伝えた。

 

 だから、言いつけを破って外に出たことを謝罪し、言いつけ通りに納屋に戻ったのだと。

 

 義勇が言っていたのはこういうことだったのかと、弟子の言葉を信じきれなかった鱗滝は自身の度量の浅はかさを恥じる。

 

(さて、お前の弟は予想以上の生き甲斐を見せたが…果してお前はどうする?禰豆子?)

 

 吹き荒ぶ雪の結晶が月を覆う。

 

 今夜は荒れそうだ。

 

 

 

 

 



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19.滑走

雪は滑る。

これは雪山で育った者ならば誰もが持っている共通認識のはず。

氷の結晶が集合して象られたその冷たい雲のような物体は、蹴り出す足の力を逃がし、同時に熱を奪う。

摩擦係数という現代では証明された公式に当て嵌めても、雪の有無によって地面からの抵抗は大きく異なる。

禰豆子は考えた。

足が雪に取られるのであれば、取られない足にするのはどうかと。

それにはお誂え向きな素材がそこら中にあった。

鹿威しの竹を刀を振るって倒し、破竹の勢いそのままに竹を縦に割っていく。

割った竹を横一列に並べ、罠用に縛ってあった縄を拝借し、結びつなげていく。

禰豆子は図らずして現代のスノーボードを作成していた。

見た目も形もイカダそのものだが、表面の滑らかな竹は雪を押し固めつつ進むのに最適な形状をしている。

「これなら…お願い!進んで!」

藁にもすがる思いで禰豆子は竹の上に飛び乗る。

「っとと…!わっ、速い!!」

加速し続ける自身の身体に比例して、高速で過ぎ去っていく木々の風景。

細かな体重移動によって木々の間をすり抜けるように移動していく。

先ほどまで嵌りまくっていた罠の数々も発動前に移動してしまえば怖くはない。

この調子で行けば、夜明けを待たずして、出発位置の母屋にたどり着ける。

しかし、一つだけ問題があった。

「待って…ちょっと待って……これ、どうやって止まるのーーー!???」

結果だけ言えば禰豆子は定刻までに母屋へ戻ることができた。

決死の滑走を終えた禰豆子を見た鱗滝は、一言だけ言った。

「お前は竹を担いできたのか?」

と______

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

時は現在に戻る。

追加の素振りを千回終えた私は母屋に戻り、湯あみをしてから炭治郎お手製の夕飯を摂りながら、鱗滝先生と試験のことについて話していた。

「まさか、あのような手段で試験を合格してくるなど思いもせんかった」

「先生がおっしゃっていたのは制限時間内にここまで戻ってくることであって、手段までは制限されていなかったので」

「二日目から同じことを毎朝、自分の足で降りてこいと言った時には死にそうな顔をしていたがな」

「あの時ばかりは先生のお顔が鬼に見えて仕方ありませんでした」

「ほう?まだ修行の量が足らんと見えるな?」

「先生は素敵な方です!そのお面も大変かっこいいです!」

「お前は儂を何だと思っている?」

「とっても厳しいけど、とっても優しい。本当のおじいちゃんような人だと思ってます」

「………素振り千回で許してやる」

「譲歩して千回!?しなかったらいくらだったんですか?」

「一万は軽いな」

「やっぱり先生は鬼です!!」

「さらに千追加!!」

「や〜〜〜!!!」

 

 

 

 

「____そう言えば禰豆子。お前宛に文が届いていたぞ」

「手紙?どなたからですか?」

「現・柱の一角。花柱・胡蝶カナエ嬢からだ」

 

 

 



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20.夜風

最終選別前にオリジナル展開挟みます。




「___では、私は姉と、その件の稀血の少女に接触すれば良いと?」

 

 産屋敷家は鬼殺隊の核となる場所。その正確な所在はお館様のご家族と一部の使用人、隠、そして柱の方々にのみ知らされている。

 

 柱の家族。それも、鬼殺隊員の一員である私ですら、その正確な場所までは知らない。

 

 情報の隠蔽としては完璧。しかし、私は今まで鬼殺隊を統括しているお館様にお会いしたことはなく。また、その御心も存じ上げないままだ。

 

 疑問はいつしか不信に変わる。鬼殺隊が組織である以上、上司の命令には従わなければならない。疑念があろうと、その命令に納得していようといなかろうと。私たちはただ、鬼殺に殉ずるのみ。

 

 しかして、私のような一般隊士にくる指令は鎹鴉か隠の持ってくるお館様からの指示書のみ。

 

 故に、今回のような一見鬼殺と何ら関係ないような指令にも慣れていた。

 

 私は鬼の首を切れない。

 

 精神的な理由ではなく、身体的な問題。

 

 単純に力がない。

 

 呼吸を修めた。

 

 鍛錬だって欠かしていない。

 

 それでも、生まれ持ったこの身体が急に大きくなるわけでもなく。

 

 鬼を殺せない私に来るのは、精々現地の調査や資金援助して下さる財閥令嬢護衛の依頼のみ。

 

 身軽さだけが取り柄なのに、身体を纏う剣呑としたこの不快さは、私の剣線をより鈍らせてくる。

 

 私の質問に、隠の女性は既に現地へ向かっている姉に詳細を聞くよう応え、蝶屋敷を後にする。

 

 刀を振る。

 

 重い。

 

 柄を握る手も、思考する頭も。

 

 言い現し様のない倦怠感が私を覆う。

 

「明日は、私が殺せる鬼に、会えるかな?」

 

 刀を振る。

 

 袈裟斬りにされた丸太が地面に転がる。

 

 その木材に鬼の首を幻視して。

 

 私は出立の準備に取り掛かった。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

「カナエさん。もう着いてるかな?…炭治郎がいないとやっぱり落ち着かないや…」

 

 身体が軽い。その軽さに、意味もなく寂しさを感じてしまう。

 

 冨岡さんに編んでもらった籠は、炭治郎と一緒に鱗滝先生に預かってもらっている。私はてっきり、炭治郎も一緒に行くものだとばかり思っていたから。

 

 でも、鬼を一緒に連れて、鬼殺隊の人に会いにいくのは、対外的にもよろしくない。

 

 手紙にあったのはカナエさんから、私の血に関することで話があるということ。今回は任務で近くの町まで訪れるため、専門の方と同伴するという。この場所に一人で来ることを指定されたのはその専門の人に配慮した結果だろう。

 

 私は手紙を貰った日の翌朝には、狭霧山を発った。

 

 鱗滝先生が言うには、現在の私が一日走って丁度到着する程度の距離だということ。炭治郎を置いていく以上、私は三日以内に狭霧山に戻らなければならない。炭治郎が人を襲わないのは私の血を摂取しているからだとカナエさんが言っていた。

 

 修行を中断することになるのは忍びないが、鱗滝先生は移動の鍛錬になるとして嬉々として見送ってくれた。

 

 私には力があっても、その力を扱えるだけの身体も体力もない。

 

 鬼殺隊とは一年のほとんどを、全国を渡り歩くことに費やす。鬼の出没範囲は広い。一か所に隊士を常駐させて置くことは、被害拡大に追い風を送ることに他ならない。

 

 ある意味、鬼殺隊士に必要な能力とは一刻も早く現地に辿り着くための移動能力なのかもしれない。

 

 私は走った。

 

 そして、私は驚いた。

 

 半日走り続けて、ほとんど息が上がらないことに。身体が異様なほど疲れていないことに。

 

 私はこの半年間の鍛錬が間違っていなかったと実感した。

 

 毎日、山下りをして、素振りをして、先生にボコボコにされて。

 

 何度も心をへし折られては、歯を食いしばって、刀を振った。

 

 まだまだ、私は弱い。それでも、半年前の私に比べれば、確実に強くなれているはずだ。慢心せずに、これからもっと頑張らないといけない。

 

 夕日が町の外観を彩る。

 

 伍ノ刻には到着できた。約束の時間まではしばらくある。宿を見つけて、日課の素振りをしなければならない。

 

 私は、久しぶりの人々の往来を噛みしめながら、町を歩く。

 

 この景色を炭治郎と見られなかったことが唯一の不満だった。

 

 炭治郎を人間に戻して、今度は一緒に来よう。

 

 夕日が引き伸ばす私の影が夜の訪れを報せる。

 

 今日もまた、夜が来る____

 

  

   

    

     

      

       

        

         

 ◆◆◆         

 

 

 

「あああああぁぁぁぁ………!!!」

 

 取り込まれていく。

 

 飲まれていく。

 

 女性の身体が侵食されていく。

 

 もはや、頭蓋の半分まで飲まれた女性の身体だったそれは、嬌声を奏でるだけの肉塊と化していた。

 

「はいはい。静かにしようね?噛んでるわけじゃないんだから痛くないでしょ?」

 

 女性はもう応えない。

 

 既に死んでる。

 

 女性の身体が完全に取り込まれる。 

 

「ん〜…ちょっと脂が乗り過ぎてて味がくどかったかな?まあこれも、この娘の味ということで♪御馳走様でした」

 

 夜が来た。

 

 そして______

 

 

 

 鬼が来る。

 

 夜の風が肌を撫でる。

 

 風に乗ってやってきた、美味しいものの香りに、鬼は喜色の良い貌を浮かべる。

 

「いい匂い♪それも三人か…。ありがとう。それじゃあ、いただきます♪」

 

 

 

 

 

 鬼が、来る______ 

 

 

 

 

 




デジタルイラスト難しい…。

でも、消しゴム掛けなくていいのは画期的。

挿絵描けたら楽しいだろうなぁ…(絶望的画力)


【挿絵表示】
←一話の前書きにも貼ってます。

今後も気が向いたら挿絵も描きます。


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21.解析

 

 

 

 

 夜の町を彩るのはランプの柔らかい燈色の光。時代は明治。人々の生活様式が少しずつ洋風のものに変わって行く中。日本古来の変わらないものだってある。

 

 囲炉裏。

 

 炭を継ぎ足し、燃え切った灰の積み重ねが生み出す独特の香りは、今しがた仕上がった味噌田楽の旨味をより一層引き立てる。

 

 未だ寒さの残る夜風も、囲炉裏の奏でる暖かさには敵わないのか。外の戸口を撫でるだけに、息を潜めている。

 

「美味しい〜!」

 

 一日走り続けた体に、味噌の辛味と旨味が染み渡る。食事の用意をして下さった初老の女性の仲居さんは、私の反応に気を良くしたのか。おかわりのご飯を大盛りにして渡してくる。

 

「嬉しいねぇ。ほら。たんとお食べなさい」

 

「ありがとうございます。…あの、大丈夫でしょうか?」

 

「?何か気になったかい?」

 

「いえ。こんなに豪勢なお食事。お支払いした料金に釣り合わないんじゃ?」

 

「鬼狩り様には礼を尽くせっていうのが、死んだ爺様の願いだからね。あんたが気にすることじゃないさね。あんな糞爺でも、私の旦那だ。無碍にはできないよ」

 

「…素敵な方だったんですね」

 

 仲居さんは照れた表情を隠すかの様に顔を背け腰を浮かせると、お茶を入れるためと言って退室する。

 

「老いぼれのしょうもない話さね。忘れてくれまい」

 

 私は仲居さんが去った後に目についた、藤の花の紋に注視する。

 

(…私、まだ鬼殺隊に入隊できてないんだけど…今更言えないね)

 

 いつかは気遅れすることなく、心からこの場で寛げるよう、全力で鍛錬を頑張ろうと思った。

 

 その後も美味しいご飯に舌鼓を打ち、食後のお茶を嗜む。しばらくして、仲居さんから連れの方が私を呼んでいると連絡が来た。

 

 私は羽織りを着直し身支度を整える。

 

 不思議な痒さを訴える親指に首を傾げる。

 

 しかし、先方を待たせてはいけないと、その違和感を私は無視する。

 

 時刻は玖ノ刻を廻っていた。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

「夜分遅くに申し訳ありません。鬼殺隊の者です。竈門禰豆子さんでお間違いありませんでしょうか?」

 

「はい。私が竈門です。…貴女が胡蝶さんのお連れの方ですか?」

 

「申し遅れました。私は胡蝶しのぶ。姉のカナエがご迷惑をお掛けしております」

 

「あ、貴女がしのぶさんだったんですね」

 

「…失礼ですが、以前、姉は妙なことを言ってませんでしたか?」

 

「?いえ、そんなことは…。あ、最近、しのぶさんが怒りっぽくなってて心配とは言われていましたね」

 

「……忘れていただけると幸いです。それと、姉の話はどうか真に受けないように」

 

「あはは…善処します…」

 

「姉は別任務が終わり次第合流するとのことです。それまで、貴女の血の解析結果をお伝えできたらと思ったのですが…。場所を変えた方がよろしいでしょうか?」

 

「いえ。仲居さんに三人部屋のお部屋を用意していただいているので、こちらにどうぞ」

 

「お気遣い下さりありがとうございます。…それでは、お言葉に甘えさせて頂きます」

 

「はい。どうぞどうぞ。って、私の家じゃないんですけどね?」

 

「…禰豆子さんも、何れは鬼殺隊に?」

 

「ええ…。と言ってもまだ呼吸に振り回されっ放しで、まともに戦えないんですけど」

 

「そのお年で呼吸が使えるのは素晴らしいことです」

 

「しのぶさんはいつから鬼殺隊に?」

 

「申し訳ありません。隊則に触れるので、お応えしかねます」

 

「あ、すみません…。あの、しのぶさん?私は貴女より年下なので敬語は必要ありませんよ?」

 

「気にしないでください。家族以外に敬語を使うのは癖のようなものなので」

 

「は、はあ…分かりました」

 

「___さて、単刀直入に。禰豆子さん。貴女の血は稀血と呼ばれるものです」

 

「稀血?」

 

「稀血とは読んで字の如く、非常に稀な血を持つ人間のことを指します。鬼にとって栄養価が高く、稀血の人間一人で百人分の人を食らったのと同じ効果があります」

 

「えっ…それって…私って鬼に狙われ易いってことじゃ…?」

 

「身も蓋もない言い方をするとそうなりますね」

 

「うーん…まあ、どうせ鬼は倒さなきゃいけないから、向こうから寄ってきてくれるなら好都合?」

 

「随分と楽観的ですね?怖いとは思わないんですか?」

 

「もちろん、鬼たちが複数で襲って来たらって考えるとゾッとしますけど…。それでも、私の中に流れている血は亡くなった両親にもらったものですし。嫌だといって血を変えられるわけでもありません。なら、有効活用した方が効果的じゃないですか?」

 

「………」

 

「しのぶさん?」

 

「…そうですね。では、話の続きを。稀血が珍しいものであるということは先ほど申し上げた通りですが、その稀血の中にも様々な種類が存在します」

 

「え?栄養がたくさんあるだけじゃないんですか?」

 

「何分、確認されている稀血の方の絶対数が少ないもので把握できているものは限られているのですが一例として。現役の鬼殺隊士の中で有名なのは『鬼を酩酊させる』稀血です」

 

「めい…?酔っぱらうってことですか?」

 

「その認識で相違ありません。ですが、効果が出るのは出血があった時。つまりは傷を負った時ということなので、それを当てにするのは自殺行為だとは思いますけど」

 

「えっと…その話をするってことは、私の血にも何か特別な効果が?」 

 

「禰豆子さんの血は『鬼を鎮静化させる』稀血。もしかしたら、鬼を弱体化させる。または、『鬼を人間に近づける』効果があるのかもしれません」

 

  

 

   



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22.優嘘

カナエさんとの回想→しのぶさんとの話し合い続き の構成になっています。


 

『いい?禰豆子ちゃん。今後は無闇に炭治郎君のことを人に話しては駄目よ?』

 

 カナエさんに剣の稽古をつけてもらっていた時のこと。彼女はそれまで浮かべていた微笑みを消して、真剣な表情で私に語りかけた。

 

『…それは、鬼殺隊以外の人にもということですか?』

 

 私の確認するかのような疑問に、カナエさんも答えになっていないような。敢えて遠回りになるような物言いをする。

 

『幸か不幸か。隊員が鬼の情報を得るのは、被害に遭った一般人の方々からのものが殆どなの。…幾ら炭治郎君が人を食べることも、人を傷つけることもない鬼だとしても、一度鬼の被害に遭った人達には、きっと分かってしまうものだから』

 

『私が炭治郎を人間に戻す方法を大手を振って聞き漁るのは、自分の首を締める。若しくは炭治郎の頸を堕とすことになりかねない訳ですね…』

 

 情報を集める手段が限られるのは正直辛い。それは、炭治郎を人間に戻すための可能性が狭まることと同義だからだ。カナエさんもそれは理解しているのか。私に共通認識を確認させるように、形の良い頤を動かす。

 

『現状を理解しているのは、私と義勇君。それにこれから紹介する育手の鱗滝左近次さん。そして、私たち鬼殺隊を纏めている、さる方のみよ。それ以外の鬼殺隊関係者からは、まず炭治郎君を攻撃することに何の躊躇もないと思っていいわ』

 

 炭治郎を殺す。そう表現しないことにカナエさんの優しさが滲み出ている。私は自嘲めいた表情を溢しつつ素振りを再開する。

 

『無理もありませんよ…。いきなり、人を食べない鬼がいる。だからその鬼は殺さなくていい。そんな幼稚じみた主張が通じるなら、私は冨岡さんに刃を向けることもなかったんですから』

 

 カナエさんが私の前に立つ。

 

 剣は抜いていない。

 

 代わりに鋭い剣士の視線が私の眼を穿った。

 

『うん。だからね。もしも、炭治郎君を人間に戻しうる可能性を見つけたとしても、それを大っぴらに喜んだり、期待したりしては駄目。絶対に疑われることになるから』

 

『…もし、私が間違えた時。その時は、カナエさんは容赦なく鬼殺隊の役目を果たして下さい。私はカナエさんや冨岡さんの立場を危うくしてまで助かりたいとは思わないので』

 

 私がそう言うと、眦を下げたカナエさんは納刀したままの刀を鞘ごと引き抜くと、中段に構える。そして、私に打ち込んでくるよう促す。私は木刀を引き絞り、カナエさんの鞘を目掛けて切り込んだ。私の剣線から何かを感じ取ったのだろうか。優しい笑みを深めたカナエさんの動きが段々と早くなっていく。

 

『それなら安心ね。禰豆子ちゃんはきっと間違えない。炭治郎君がいる限り。貴女は進むべき方向と手段を見誤ることは決してない』

 

 カナエさんの動きに呼応して。私の動きも磨かれていく。

 

『何故、そう言い切れるんですか?』

 

 花弁が舞う。

 

 そんな錯覚を覚えて。

 

 つい、足を止めてしまった私の喉元には、カナエさんが寸止めした鞘の先端が置かれていた。

 

 カナエさんは妙に様になっているハイカラな片目閉じをして言った。

 

『女の勘。とでも言えば通じるかしら?』

 

 思わず笑いそうになった。でも、下手な理由を言い連ねられるよりは、よっぽど納得できた。

 

『___ああ、なるほど。確かに。それほど信頼できるものはありませんね』

 

 私の悪い笑みに、カナエさんも笑みで応える。

 

『信頼、とも違うかもしれないけど。私は貴女と、貴女が大切にしている炭治郎くんを守りたい。この気持ちだけは、違わないから』

 

 最後は照れてしまった私の一本負け。

 

 いつか絶対に恩返ししてやる。

 

 そんな、清々しいほどに打ち負かされた。

 

 けれど、どこか温かい。

 

 嬉しさを覚えた思い出。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

「鬼を人に近づける…って、以前私が鬼に襲われて。腕を噛まれた後に鬼の様子が変わったことと、何か関係があるのでしょうか?」

 

 私は、以前カナエさんに言われていた通り、炭治郎の存在を伏せ。予め口裏を合わせていた優しい嘘を口にする。

 

 しのぶさんは、私の発言に頷くと血の検証結果を話し始める。

 

「これは、あくまでも仮説ですが。鬼は強い飢餓状態になると倫理観や体裁など。人間の頃に持ち合わせていた人らしさ。性善説の放棄。つまりは人の心を失うのではないかと考えられています。これは私たち人が食事という行為に対して、食材となった命たちに罪悪感を感じないことと同義です。逆説的には、鬼は人を喰らうことになんの抵抗感も抱くことはない。価値観が一変したことで、自己決定権に則した思考回路の機能が消失していると言えます」

 

「えっと…つまり、私の血はその鬼になった人の理性や人だった頃の価値観を思い出させるもの。っていうことですか?」 

 

「事実。今回、姉と検証した結果。以下のような報告内容となっています」

 

 

 

 




柱になっていないしのぶさんはちょっと言葉の端々に不器用さが目立つかもという作者の勝手な妄想が影響してるごめん。

次回から3、4話かけてしのぶさん、カナエさん、ちょこっとだけ参加する義勇さんの回想話を書く予定です。

みんな大好き糞教祖の登場は暫くお預けです。(誰も待っていない)

それではまた。


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23.胡胡

時系列的には義勇さんとカナエさんが柱合会議のため禰豆子と別れた後の話です。




 

 

 

 

 季節は冬。蝶屋敷の庭園にも雪化粧が施されていた。障子の格子に分たれたランプの光は、薄く敷かれた雪の上に暖かな市松模様を浮き上がらせる。

 

 光の溢れる一室には、見目麗しい一人の女性の姿が。齢は拾伍、淕(15、16)の頃だろうか。艶やかな髪を後ろに纏め、真剣な表情で文献に目を通す姿から、学者の真似事をしているようにも見える。

 

 しかして、その机の脇には、人体の解剖書に始まり薬学、植物学、流通学など、多岐にわたる書物が所狭しと並べられ。薬を調合するための機材には藍色の花が細かく轢かれている途中だった。

 

「…花本体から抽出できる液体の分量には限りがある…。かと言って、水で希釈すれば本来の効果が出るまでに時間が掛かりすぎる…。毒性を抑える上では…遅効性の毒?…気化させた方が有効?…ううん。鬼避けなら花を植えた方が効率的。結界の役目を果たすにはこれじゃ弱すぎる。…やっぱり、栽培方法の確立と植生調査の結果次第かな。和蘭や仏蘭西から取り寄せたものだと効果にムラがあって安定しないし。純国産の濃度には届かない…」

 

 独白のように呟いては、視線を忙しなく文献に走らせる。擂粉木(すりこぎ)に入れた藤の花を完全にすり潰すと、麻でできた布に包み込む。受け皿に先程の布を置き、重石を載せて花の成分を抽出する。

 

 その間に、アルコールランプの先端に燐寸の炎を移す。網の下にランプを移動させ、薄く延ばした鉄製の小皿を加熱する。小皿に水滴を垂らし、水が蒸発したのを確認してから、藤の花の抽出液を流し込む。

 

「蒸留するにはお粗末な機材だけど、試してみないと始まらない。…あとは、水銀、蝮の毒に…」

 

 おおよそ、薬を試作しているようには見えない。いや、毒薬という意味ではその通りなのか。

 

 彼女の名前は胡蝶しのぶ。

 

 最終選別を生き残り、日輪刀を腰に佩いた鬼狩りの一人。歴とした鬼殺隊員である。

 

 彼女の名前は鬼殺隊の中でもよく聞く名だった。

 

 一つはその容姿。男性が隊員の玖割を占める鬼殺隊では女性の存在というのはとても稀有なもの。しかも、その女性が見目麗しいともなれば、噂にならない方が不自然である。女性特有の華奢な体躯に、柔らかさを内包し始めた彼女の魅力の前には忘却など赦されざる蛮行だろう。

 

 二つ目は現・花柱の実妹ということ。その姉も胡蝶しのぶと同等。いや、年齢を重ねている分、より魅力的な女性だともっぱらの噂である。そのような容姿を持ちながら、十二鬼月である下弦の鬼の首を獲るほどの呼吸の使い手。その妹である胡蝶しのぶには、何かと期待と好奇の視線が向けられていた。

 

 そして、三つ目。

 

 彼女は鬼の首が斬れない。

 

 戦うことはできる。覚悟もできている。戦って生き残るだけの力は持っている。しかし、彼女の全身の力を目一杯使ったとしても、鬼の首を刎ねることは叶わなかった。

 

 

 

 

 鬼の首を切れない鬼殺隊士に日輪刀が必要なのか?

 

 隠として、鬼殺隊を支えてくれるだけで充分だ。

 

 女は女らしく、良家に嫁いで女の責務を果たせばいい。

 

 花柱様の妹君は剣士の出来損ないだ。

 

 お前は鬼と戦うべきではない、死にに行くようなものだ。

 

 お前は弱い。

 

 

 

 

 

 あらゆる提言や心無い言葉を浴びせられ。それでも彼女は、今日も鬼殺隊の一員であり続ける。例え、今は傷ついた隊員の治療をすることでしか自分の存在意義を証明できないとしても。

 

 胡蝶しのぶは努力する。

 

 胡蝶カナエの妹として、恥ずかしくない自分で在るために。

 

 今日も彼女は邁進する。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は深夜午前。患者達の寝静まった蝶屋敷に、一羽の蝶が舞い降りる。その蝶は音もなく診察室奥にある、薬剤所兼研究室に入ると。眼前の作業に集中しきっている女性に、心ばかりの悪戯を仕掛ける。

 

 右手の人差し指を立てて、女性の横腹を優しくツンツンする。

 

「蟲ノ呼吸 蝶ノ舞 戯〜♪なんちゃって?」

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!!!??」

 

 ビクンッと、背中を反らし、声にならない叫び声を上げた女性。胡蝶しのぶは、羞恥心と怒気を綯交ぜにした表情で、背後にいる狼藉者を睨んだ。

 

「姉さんっっ!!」

 

「ただいま。しのぶ、あんまり大きな声を出すとカナヲもアオイも起きちゃうわよ?」

 

「誰のせいよ!誰の!姉さんももう成人してるんだから子供みたいなことしないの!」

 

「だって…しのぶが可愛い反応してくれるからつい、ね?」

 

「ただでさえ毒性の強いものを使ってるんだから危ないのよ!?」

 

「うん。だから、しのぶの手が机の上から離れるのを待ってたの」

 

「なんでその気遣いを他に向けてくれないのよ…」

 

「うーん、お姉ちゃんだから?」

 

「全国の妹に謝りなさい。いますぐに」

 

 ため息を吐きながら席を立ったしのぶは、姉、胡蝶カナエを今しがた自分が使っていた椅子に座るよう促すと、お茶を入れるために湯を沸かす。

 

「はあ…。何はともあれお帰りなさい。姉さん。そこ座ってて。今、お茶を淹れるから」

 

「ありがとう〜」

 

「…それで?随分早かったじゃない。親方様の勅命っていうくらいだから長期の任務になると思ってたんだけど?」

 

 しのぶは急須に入れた茶葉に湯を注ぎ入れて蓋をする。内部を蒸らし、良い香りが薫ってきたところで湯呑みに茶が注がれる。赤褐色に近い色彩をしたお茶は、不思議な香りと共にカナエの手元に渡された。

 

「うん。今回は調査の名目だったから」

 

 お茶を一口。少し舌を火傷した先に残ったのは茶葉の優しい甘味。しのぶは海外から薬品を仕入れる際に、嗜好品の類も輸入することがある。珍しい味につい頬を緩ませてしまうカナエ。そんな姉の様子を見た妹もまた頬を緩ませ、患者用の椅子に座って、話を続ける。

 

「鬼の被害者を保護する任務って聞いてるけど。柱が行くくらいだから、他に何かあったんでしょ?」

 

「流石はしのぶね。でも、察しが良すぎてお姉ちゃんちょっと心配よ?余計なお仕事まで抱え込んでない?大丈夫?」

 

「急に母性を出さないでよ。…茶化すってことは、やっぱり何かあったのね」

 

「…今回は稀血の女の子を保護するのが表向きの任務ね。それ以上は言えないわ。ごめんなさい?」

 

「いいわよ。寧ろ、姉さんがちゃんと柱をやれてて安心したくらい」

 

「…じゃあ、しのぶ。そんな柱の責務を全うしてるお姉ちゃんの言う事を一つだけ聞いてくれない?」

 

「言い方に途轍もなく恩着せがましさを感じるんだけど…何?聞くだけ聞いてあげる」

 

 しのぶの言葉を聞いたカナエは、満面の笑みでお願いを口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一緒にお風呂に入りましょう♪」

 

「絶対に嫌」

 

 しのぶは満面の笑みで断った。

 

 

 

 



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24.蝶蝶

 

 

 

 

「結局入ってるし…」

 

「しのぶ?この石鹸使ってもいい?あ、この布ふわふわ!泡がいっぱいで雪みたいね」

 

「もう好きにして…」

 

 一日の疲れをとるためにお風呂に入っている筈。それなのに、逆に疲れるというのはこれ如何に。

 

 しのぶは最新の入浴用品を漁ってはしゃぐ姉を見ながら諦めのため息を溢す。もはや、一緒に入浴していることについては触れまい。姉が言い出したら聞かない性格なのは昔からのことなのだ。

 

『しのぶ様?お加減はいかがでしょうか?』

 

 戸口の向こうから声がかかる。

 

 患者の様子を看に、廊下を歩いていたアオイは不運にもこの家の当主であるカナエに捕まった。当主の我儘に付き合わされ、折角掃除した湯船に湯を張り直し。火の番を命令させられる始末。実のところ、実質的な被害者はしのぶではなくアオイではなかろうか。

 

 しかし、アオイは持ち前の生真面目さで、不満な態度を一片たりとも見せることなく、自ら風呂の用意を名乗り出た。

 

「ありがとう、アオイ。とっても気持ちいいわ。良かったら貴女も一緒にどう?」

 

 しのぶからすれば、姉からの五月蝿い・煩わしい襲撃が分散するため是が非でも浴室に引き摺り込みたい所ではある。が、アオイはそんなしのぶの心情を察して知らずか、明朗快活にはっきりと断る。

 

『いえ。姉妹水要らず。久しぶりのご歓談を存分に。私は患者の様子を見て来ます。私以外、この場には入らないよう人払いしておきますので。どうぞごゆっくり』

 

「ああ、そう…。ありがとう…」

 

 しのぶの願い、ここに散る。

 

 これほどまでに感情の篭っていないお礼の言葉はそうそう見られない。

 

 失意の淵に身を投げ出したしのぶに、カナエの楽観的な声音が浴室に反響しながら耳を撫でる。

 

「今度はみんなを誘って入りましょう。きっと楽しいわ」

 

「湯船の大きさを見てよ。三人は風邪を引く羽目になるわよ?」

 

 大人が二人。詰めれば三人入れると言ったところか…。大浴場は患者のために解放されているため、しのぶ達女性の浴場はこの場のみに限られる。

 

 しのぶは浴槽に浸かり、豊かな双丘を湯に浮かべる姉を嗜めながら後ろを向かせる。髪を纏めきれていない箇所を軽く結衣合わせ、髪が湯に浸からないようにする。

 

 しのぶの厚意にお礼を言いつつ浴槽の縁を触りながら、カナエは独り言のように呟いた。

 

「…今から大きくできないかしら?」

 

「できないことはないけど、修理の間この寒い冬の時期にお風呂に入れなくなるわよ?そんなの嫌だからやめて」

 

 呼吸が使えるようになった今。指先が冷たくなることは少なくなった。だからといって、お風呂に入れないというのは女性として耐えられないものがある。大きな浴場は魅力的だがいかんせん時期が悪い。

 

「その間は義勇くんのお屋敷のお風呂を借りればいいじゃない?彼、そんなにお風呂好きじゃないみたいだし。頼めば二つ返事で貸してくれるわよ?」

 

「死んでも嫌。それならお風呂に入れなくてもいい」

 

「相変わらずしのぶは義勇くんのこと苦手なのね」

 

「あの人を好む人の感性はどうかしてると思う」

 

「うーん。悪い人じゃないんだけどね?悪いのは間と言葉足らずなとこだけで」

 

「顔が無駄に整ってるのが余計に腹が立つのよ。それに口を開けば鮭大根鮭大根…。一回、川に鮭を取りに行って、遭遇した熊に一発殴られればいいと思う」

 

「義勇くんの大好物だものね。鮭大根。鰤大根じゃないところが義勇くんらしいけど」

 

 どうでもいいとしのぶは思った。なんとなく風呂の話題から水柱様の関することに移ったため、この機会に気になっていたことを姉にぶつけてみた。

 

「…姉さんはどうしてあの人の肩を持つの?」

 

「ん?どうしてって?」

 

 表情や呼吸、仕草に変化なし。診察の際から患者の様子を観察する術に長けているしのぶにとって、それらの情報は相手の心理状態を測るのに有益な判断材料となる。

 

 しのぶはさらに姉の心に踏み込んでみる。

 

「それって、あの人が姉さんにとって特別だから?」

 

「ん〜…。なんて言ったらいいのかなぁ?……あ」

 

「?」

 

 意外だった。姉はそういうことを今まで話す人ではなかったから。人間は好きだが、特定の人を作らない印象だった。だからこそ、しのぶは自分でも気付かないうちに前のめりになって姉の話に耳を澄ませていた。

 

 そのため、カナエが発した言葉を理解するために僅かばかりの時間を要した。

 

「義勇くんとしのぶは似てるから」

 

 ………は?

 

 しのぶは額に青筋を立て。また、腹を立てながら浴槽から身体を起こす。

 

「出る。おやすみなさい」

 

「ああ、待って!言い方を間違えただけだから!お願い!髪の手入れが一人だと大変なの。お願い、手伝って。金鍔一個あげるから」

 

 土産があるなら、なぜ先ほどお茶を出した時に言わないのだと苛々しながらも、髪の手入れが大変なのはよく分かるため。自分の気持ちを努めて落ち着かせながら、再び湯の中に身体を収める。

 

「………。はあ…。それで?百歩譲ってあの人と私が似てるとして。それがどうさっきの話と繋がるの?」

 

「私の勘なんだけど、義勇くんって絶対に弟なのよね?」

 

「   」

 

「何言ってるんだこの人、みたいな顔しないの。それでね?私って小さい子って好きじゃない?」

 

「年上の男性を弟って言う人が話すと説得力が違うわ」

 

「ありがとう」

 

「褒めてないんだけど?寧ろ貶してる」

 

 この姉はもう病気なんじゃないだろうか?そう思わずにはいられないしのぶであった。

 

「だから、なんとなく放っておけないのよ。危なっかしくて」

 

「要は姉さんは手の掛かる、こちらが面倒を見ないといけないような人が好みってこと?」

 

「可愛いと尚良しね」

 

「お風呂で向かい合って姉の性癖暴露を聴き続けるってこれ何の拷問?」

 

「お母様も長女だったからかしら?血は争えないわね」

 

「姉さんの性癖をお母様のせいにしないでよ…」

 

「それはそうとしのぶ。…育ったわね?」

 

「視線と発言が完全におじさんと変わらないの気付いてる?そういうの性的暴力って言うのよ?」

 

「お父様…血は争えないということね…」

 

「さっきから姉さん最低過ぎない?…もしかして飲んでる?」

 

 ここでようやく異変に気づいた。姉は本来こんな風に話す人じゃない。しかも、浴槽に使ってから顔が火照るのが異様に早い。お酒が多少なりとも入っているのではないかと考えるには十分な情報だった。

 

 斯くして、しのぶの予想は的中だった。

 

「ん〜。帰る前にちょっとだけね?」

 

「…誰と飲んだのかはもう聞かないけど、珍しいね?何かいいことでもあった?」

 

 姉がお酒を飲むのはお祝いの時や良いことがあったときだ。しのぶはカナエがのぼせないよう注意しつつ、お酒を飲むに至った出来事を聞いてみた。

 

 すると、少し憂いを帯びた表情になったカナエの瞳がしのぶの瞳を映し出す。

 

「しのぶは、鬼を人に戻せると思う?」

 

「…急になんなの?」

 

「お医者様であるしのぶの目から診て。鬼は人間に戻せると思う?ううん。戻してもいいと思う?」

 

 急な選択。

 

 しかし、答えは決まっている。

 

「………仮にそんな手段があるとしても、死んだ人は戻ってこない。鬼の時にしてきたことがなくなるわけじゃない。だから、私は認めない。人を殺した鬼が赦されるなんて選択肢。私は要らない」

 

 しのぶの答えに困ったような笑顔を浮かべたカナエはしのぶのことを抱き寄せると、頭を撫でながら呟く。

 

「そっか…。そうよね。鬼だものね」

 

 カナエの声音に悲壮めいたものを感じ取ったしのぶは一つの推測に思い当たる。

 

「…もしかして。あるの?そんな方法」

 

 カナエは答えない。

 

 代わりに答えを探すための手段を提示する。

 

「ごめんなさい。しのぶ。私はあなたのお姉ちゃんだけど…その気持ちを聞き入れてはあげられない…」

 

「姉さん?どういうこと?」

 

 カナエはしのぶから離れる。その顔には、鬼殺隊を治める花柱としての顔があった。

 

「花柱 胡蝶カナエがお館様からの指令を伝えます。胡蝶しのぶ。あなたにはある稀血の調査を依頼します」

 

 しのぶは昂りを覚える身体を湯にあたったせいだと言い聞かせ。片腕を抱く。

 

 湯を沸かすために使っていた木がパチパチと音を奏でる。

 

 彼女にも大きな転機が訪れようとしていた。

 

  

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜おまけ〜

 

 

 柱合会議を終え、お館様への別件の報告も事なきを得た。空は既に暗くなっている。急ぎ夕食の鮭大根のある店を探さなくてはと画策していた時、同席していた胡蝶から誘いを受けた。

 

 なんでも、この近くに新しくできた飲み屋に美味い鮭大根があるとのこと。

 

 俺はすぐさま了承した。

 

 今の俺なら上弦の鬼相手でも四半刻は持たせることができるのかもしれない。

 

 店に着いて間髪入れず、俺は鮭大根を注文する。…良い店だ。出汁の香りが食欲をそそり、仄かに香る酒気が、張り詰めていた気力の線を緩めていく。

 

 鮭大根が来た。早速いただこう。

 

 ……なんだ胡蝶?俺は鮭大根を食べるのに忙しいんだ。後にしろ。…何?酌しろだと?自分で注いで飲めば良いだろ?…仕方がない。よし、これで大人しくなるだろう。胡蝶がボソボソと何か言っているようだが俺はこの鮭大根に全集中だ。

 

 改めて、頂きま…今度はなんだ胡蝶?何?食べさせて欲しい?ふざけるな貴様。俺もまだ食べていない鮭大根に一番に箸をつけたいと?鮭大根一口目の権を誰にも握らせるな!お前はこのおでんの大根でも食っていろ。熱いから気をつけろ…そうか。美味いか。良かったな。

 

 今度こそ…いざ正味!

 

 ………ここが楽園だったか。これは拾壱の型に必要な凪のような精神を持たせるのに最適な鍛錬なのかもしれない。

 

 さて、二口目を…おい胡蝶?なぜもたれかかる。邪魔だ。座って居られないならそこに寝ていろ。何?構えだと?

 

 知らん。俺は鮭大根を食すのみ。

 

 ………何故か胡蝶が俺の肩を枕にして寝始めた。真剣に邪魔だな。…よし、これでいい。

 

 鮭大根を存分に堪能し、胡蝶が残した酒を飲んでいると胡蝶が目を覚ました。

 

 良い加減足が痺れてきた。俺もまだまだ鍛錬が足りんな。

 

 胡蝶、大丈夫か?相当酔って顔が赤いようだが?…何?近寄るな…?

 

 ………俺は嫌われてない…はずだ…。 

 

 

 

 

 

 

 




おまけが書いてて一番楽しかったです まる


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25.カし

書きたかったから書きました。

後悔はありません。


 

 

 【悪鬼滅殺】

 

 日輪刀に刻まれた鬼殺隊の礎は、今日も柱の鞘から鬼の血を寄越せと静かな闘争を秘めている。

 

 鞘からその文字が覗いた時。それは鬼にとって最期を迎えるほんの僅かな時間。走馬灯を巡る旅の合図となる。

 

 首が落ちる。

 

 斬られたと理解するには、あまりにも残された時間が少ない。鬼舞辻に植え付けられた血の呪いは、遺体すらも残すことを許さない。鬼となって悠久の時を生きる彼らには、歴史の遺物となる事すら叶わない。

 

 灰となり。塵に崩れ。風へと攫われる。

 

 鞘の音が鳴る。

 

 戦闘の終わりには必ずその音がなる。

 

 それが柱。

 

 鬼を狩る。

 

 最強の剣士。

 

 水の柱は黙祷する。

 

 嘗て守れなかったものを確かめるかのように。

 

 半々羽織を身に纏い、彼は刃を振るう。

 

 その表情に、迷いなど無かった。

 

 

 

 

 

 

 今のところは____

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 俺は今、猛烈に困惑している。

 

「___ちょっと面貸せぇ。冨岡ぁ」

 

「…不死川か」

 

 俺を呼び止めた、目の前に立つ傷だらけの男の名は不死川。数ヶ月前、下弦の鬼を打ち取ったことで、空席となっていた風柱の席をお館様から賜った、未来有望な鬼殺隊士である。柱となってからも、驚異的な早さで鬼の首を狩り。その討伐数もかなりのものとなっている。そんな有能な剣士が俺のような人間になんの用なのか。俺は少しばり喉を強張らせながら言った。

 

「何か用か?」

 

 不死川は俺の目をしばらく見ると、実に嫌そうな顔をしながら舌を打つ。

 

「チッ!お前に聞いておくことがある。お前と花柱ついてだがぁ…お前ら、何を隠してやがる?」

 

(隠す?……まさか、勘づかれたのか?)

 

 脳裏に浮かぶ竈門姉弟の顔。お館様からその話については箝口令が敷かれ、俺と胡蝶しかその全容は知らない筈。ならば、不死川はどこでその話を耳にしたのだろうか。

 

 俺が内心焦っていると、不死川は畳み掛けるように口を開く。

 

「冨岡ァ。お前も漢ならなァ。いい加減、覚悟決めろやァ?」

 

 不死川からの最後通牒。俺は知っているぞと、そういうことなのだろう。鬼を匿うなど明らかな隊律違反。仕方がない。斯くなる上は、例え腹を切ることになろうと。俺は禰豆子を守らなければならない。未来の柱に俺たちの意思を繋ぐ。それが、錆兎を殺してしまった俺にできる唯一の贖罪。

 

 今回の件を告発されることはもはや明白だが、その前に確かめておかなければならない。

 

「…どこでその話を聞いた?」

 

 情報漏洩の可能性を疑っているわけではない。単に不死川という男の能力を測り切れていないが故の疑問だった。

 

「ああァ?聞かねえでも分かるだろうがァ?殺すぞぉ?」

 

 ならば…不死川は相手の心の内を読むことができるのか…!。風の呼吸の使い手は、その苛烈な剣技を使用するために視野を広く持つ者が多いと聞く。ならば、俺と胡蝶。もしくは、お館様の心中を覗くことも可能ということか。なんという男だ。

 

「お前は、それでいいのか?」

 

 敬愛するお館様の心を読む。それは歴とした背信行為だ。そこまでして鬼を滅することに心中する目の前の男に、俺は一抹の恐怖を覚えずにはいられなかった。

 

「本気でぶった斬るぞ?冨岡ァ。俺は俺のやり方で殺るだけだァ。てめえが…てめえだけは、その言葉を口にすんじゃねえよぉ」

 

 鬼舞辻を倒す。俺が鬼を匿うという行為もまた、お館様への背信行為。志向や判断基準、過程がどうであれ、俺は一匹の鬼を見逃した愚か者。…分かったよ。不死川。俺はやはり、柱として相応しくないのだな。

 

「俺は、お前とは違うからな」

 

「てめえぇぇ…!!」

 

 不死川の額に血管が浮き上がる。押し寄せる、殺意と怒気に思わず膝を屈しそうになる。何故だ?お前はすごいやつだと褒めたのに…。何がダメだったんだ?

 

 混乱に次ぐ混乱。

 

 混沌と化してきた俺たちの間に、割り込んだ陰。それは、俺に背を向けると不死川に笑いかけた。

 

「こんにちは。義勇くん。実弥くん。今日も二人は仲良しね」

 

 揺れる蝶の髪飾りと、甘く柔らかな香り。柔和な空気を纏うその女の名前は胡蝶カナエ。件の花柱だ。

 

 不死川は途端に跋の悪そうな顔をすると、身体の向きを無理やり変えて俺たちから離れていく。

 

「胡蝶…!…ちっ…。邪魔したなァ」

 

「あれ?もうお話はいいの?」

 

「あァ。いい」

 

 興が削がれた。とでも言いたそうに、気怠げな足取りでヤツは去っていく。

 

「不死川。あの件は__」

 

 我ながら女々しい縋り。内密にしておいて欲しいという俺の願いが通じたのか否か。不死川は了解とも認識できる応えを返す。

 

「今回は見逃しといてやる」

 

「!?」

 

「だがなァ…」

 

「?」

 

「てめえがいつまでも覚悟を決めねえっていうのならァ…俺はもう気を遣うつもりはねぇ。覚えておけ」

 

 その言葉を最後に、奴は去っていく。その姿が完全に見えなくなると胡蝶が口を開く。

 

「えっと…何の話?」

 

 こちらを見上げ、眉を下げる彼女の疑問に、どう答えるかと悩んだ末。俺は胡蝶の顔を真っ直ぐに見て答えた。

 

 

 

「俺は、守るよ」

 

 

 守りたいものを守れなかった、こんな俺だけど。今度は、守ってみせる。

 

 そうして、俺たちの意思は繋がっていく。きっと禰豆子たちが、繋いでくれる。

 

 そんな風に思うと少しだけ、気持ちが軽くなった。頬が緩んだのが自分でも分かるくらいに。清々しい気持ちになれた。不死川はもしかしたら、俺の迷いを断ち切るために、あのような話をしてくれたのかもしれないな。そんな今の俺にもう迷いは無かった。

 

 そして____更なる混乱が俺に訪れた。

 

「え…?……えっ!?」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 頬を染め、両手で胸を押さえ、俺から距離を取ろうとする胡蝶の姿が。ここで俺は、先日夕餉を共にした際に近寄るなと言われたことを思い出す。

 

「失礼する…」

 

 俺は会釈もそこそこに、立ち去る。

 

 傷ついた心が火傷のような熱を持つ。

 

 冷めるまではもう暫くかかりそうだ…。

 

 今日も、人知れず傷ついている俺たっだ。

 

 俺は、嫌われていない___ 

 

 

 

 




勘違い系の話ってキャラの心情を並列思考で書くことになるから、消費するチョコレートの量がエグい…。

無限列車編、二回目観に行きたいけどコロナ増えてきてるしどうしようか悩み中。

次回は胡蝶姉妹回です。

しのぶさんメインで書く予定です。

挿絵も頑張ります。

それではまた。


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26.ナの

気まぐれの投稿。

どうでもいい話だけど『千歳くんはラムネ瓶のなか』ってライトノベルが最高でした。

新しい青春ラブコメを見た気がする。

それではどうぞ。


 

 確信を得たのは雪解けの季節の頃。

 

 道端に固まった雪が緩やかに地面に吸われていくように、私の調合した藤の花の毒は着実に鬼の細胞を侵食・破壊していく。

 

 楕円形の細胞に藤の花の鮮やかな藍色が浸透した時、初めて鬼の細胞が動きを止めた。

 

 そう、死んだのだ。

 

「…できた」

 

 私は隈の浮かぶ顔に喜びの笑みを浮かべながら独り小さな歓声を上げた。

 

 高性能な顕微鏡が先日届き、夜通し調整と試行を繰り返した後。肉眼では視えないものの動きまで確認することができた。

 

「盲点ね。毒に対する抗体の作成速度を上回るように悪戯に毒性を強めていたけど…。あえて鬼の栄養素となる人間の血液を混ぜることで、細胞の活性化に伴う栄養素の分解亢進。結果、抗体の働きを抑えて毒の吸収率が上がるなんて。それにこの血…鬼の細胞がもの凄く活性化して早期に細胞が限界を迎えてる。稀血なのだから当然だけど毒の回る速さが私の血とは段違い…。でも、これがどうして鬼を人間に戻すなんて発想になるのかしら?」

 

 半年前。姉が持ち帰った稀血の少女の血液。様々な方法で有意性を証明しようとしたが、結果はあまり芳しくは無かった。人間に対する医学では限界があると感じた私は、姉に協力してもらい鬼の血と肉を採取してもらった。生き物の中身を知るのなら解剖するのが手っ取り早いのだが相手は鬼だ。黙って解体させてくれるとも思えない。まずは鬼の身体情報である血液と筋組織の解析から始めた。予想通り、その機能は人間のものとは一線を画すものだった。藤の花以外の毒には直ぐに抗体ができ、熱そうと凍らせようと血液は液体の状態を保ち。筋繊維に至っては解体用の刃が欠けるくらいの硬度だった。

 

 唯一の突破口である藤の花の毒。私は一縷の望みにかけて研究を続けた。そんな中、ふと思いついたのが食事に毒を盛るという毒殺の常套手段のような着想だった。鬼が元人間だったというのなら、食事という行為において鬼と人間に差異は殆どないと考えた。結果はご覧の通り。藤の花と人の血には鬼を滅するための大きな有意性が確認できた。

 

 だからこそ、私は疑問に思った。姉は何をもってこの血が鬼を人に戻すなどという発想に至ったのかと。私は姉に対する疑心を頭を振って追い払うと、書状を認める。それを隠の一人に渡すと、要件を伝える。

 

「こちらを至急、お館様まで」

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 お館様に研究結果を報告した数日後。

 

 私宛にお館様からの勅命である書状が送られた。

 

 内容は今回作成した毒の性能調査。所謂、実践への投入が現実的かの判断材料を集めるための体のいい実験だ。尚、私が鬼の首を斬れないことはお館様も重々承知のため、手隙の隊士が一名同行するとのことだったのだが…。

 

 

 

 

 

「………どうして貴方なんですか?」

 

「?俺は冨岡義勇だ」

 

 現地で待っていたのは水柱様でした。

 

 頭痛がしてきました。

 

 何の答えにもなっていない。

 

 お館様…なんでよりにもよってこの人なんですか?私のこと嫌いなんですか?お館様でもやってはいけないことだってあるんですよ?

 

 私はお館様へ心の中で恨言を吐きながら、無表情な顔をしてズレたことを宣う水柱様に苛立ちを抑えきれず、ついつい悪態を吐いてしまう。

 

「知ってますよ。水柱様は私の疑問をどう解釈したんですか…」

 

「…さっさと行くぞ。もうじき日が沈む。鬼は山頂の祠に住み着いていると聞く」

 

 水柱様とは姉を通して何度かお会いしている。なので改めて自己紹介などは必要もなく、彼はすぐ様任務の優先を宣言する。私としても、この人と居る時間が長引くのは勘弁してもらいたいところなのでその提案はまさに渡りに船だった。

 

「了解しました。道中はよろしくお願い致します」

 

 こんな人でも柱であることに違いはない。私は階級が下であることの義務として彼の指揮下にあることを再認識し、礼を返す。

 

 目的地を目指して駆ける。

 

 一面に広がる田園風景が後方に過ぎ去っていく中。風に乗って前方を走る彼の声が耳に届いた。

 

「…時に胡蝶妹」

 

「なんですか?」

 

「俺はお前の姉に嫌われているのだろうか?」

 

 私は胸に湧き上がった感情をそのまま口にした。

 

 

 

 

 

「__嫌われてしまえばいいのに」

 

 

 

 

「?どういう意味だ?」

 

「さあ?自分の胸に手を置いて考えてみれば如何でしょう」

 

 私はそう言い残し。

 

 走る速度を上げて彼の前に出る。

 

 耳が赤くならないよう無意識に唇を噛んだ。

 

 今の私の顔を、彼にだけは見られたくなかったから。

 

 馬鹿正直に胸に手をおいて考え始めるこの人にだけは。

 

 

 

   

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

「___居ました。どうやら女性の鬼のようです」

 

 不健康なほどに白い肌に均整の取れた豊かな身体つき。

 

 その相貌は長く伸びた髪に隠され、スラリと伸びた両腕には古びた布が巻き付けられていた。

 

 祠の前に膝を着き、祈りを捧げるように両手を組んだ女の鬼はこちらに気づいた様子もなく。只管に呪文のような言葉を呟いていた。

 

 私は持参した器材を用いてその場で毒を調合する。一応、蝶屋敷にて調合した毒も持参しているが、毒性が時間経過により劣化していることは十分に考えられる仮定だ。作業を進める私に、鬼の姿を目で追いながら水柱様が声を掛ける。

 

「分かった。俺がやろう。手足を落として動けなくしてからその針で刺せばいいのか?」

 

 お館様様から今回の任務の詳細は彼も聞いている。私が鬼を斬る力がないことも承知している。だからこそ、その提案をしてきたのだろう。しかし、私は論理的にその提案を拒否する。

 

「水柱様は私が危なくなったら助太刀をお願いします。今回は鬼に毒が効くのかという実験が主の任務です。注射器の扱いに慣れてる私の方が適任でしょう」

 

 私の提案が理に叶っていると判断したのか。

 

 案外簡単に彼は折れてくれた。

 

「…了解した。無茶はするなよ?」

 

「分かってますよ。私、無茶できるほど強くはないので」

 

「お前は___」

 

「準備ができました。行きますよ」

 

「…ああ」

 

 私は他に何か言われる前に行動を開始する。

 

 左手に日輪刀。右手に毒を入れた注射器を。

 

 いきなり、注射針を通そうとしても、鬼の表皮を貫くことは叶わない。まずは日輪刀で皮膚を裂いてから注射針を差し込み、毒を注入する。

 

 抜き足のように歩を進め、着実に鬼との距離を潰す。

 

 鬼に私の存在を気取られないよう細心の注意を払いつつ、移動速度を上げていく。

 

 地面を蹴るのではなく、体軸を前方に傾けることで重心移動を滑らかに行い、最小限の動きで最短距離を進んでいく。

 

 あと少し。

 

 私は呼吸を深め、水の呼吸 漆ノ型を選択する。

 

 花の呼吸は本来、水の呼吸の派生である。その中でも私は突き技を得意としていた。

 

 最速の突きで鬼の表皮を削る。

 

 間合いに入った瞬間、左後方に引き絞った腕を一気に解放する。

 

 私の全身の勢いをのせた刀身は鬼の肩を抉り去る。

 

 しかし___

 

「くっ!?」

 

 鬼は突然、祈りの際に組んでいた両手を解くと、こちらを振り向くことなく、刃を躱し私の腕を掴もうとする。私は咄嗟に地面を蹴り、左側方に躱す。左の手首に鬼の手が触れたが、間一髪拘束されずに済んだ。

 

 背後からの強襲になぜ対処できたのかと疑問に思ったが、その答えは目の前の情景が教えてくれた。

 

「…なんだ。後ろも見てるなら初めに言っておいて下さいよ」

 

 髪の隙間から、巨大な眼球が私を見つめている。鬼のうなじ部分に取り憑いているそれは、私を視界の中に収めて離さない。

 

 鬼は酷く苛立った声で私を威圧する。

 

『邪魔しないでよ』

 

「邪魔?ああ、お祈りの途中でしたか?それは失礼しました。でも大丈夫ですよ?もうすぐ貴女もその神様の身元とやらに連れて行ってあげますから」

 

 私は鬼の死角に移動するように地面をかける。眼球は上下左右の動きに強いが斜めの動きには弱い。今度こそ、私は鬼の懐に潜り込み、型を放つ。

 

 

 

『傷みを知りなさい』

 

 

 

 鬼がその言葉を言った瞬間、私の左手が千切れ落ちた。

 

 その証拠に日輪刀が地面に落ちる音がした。

 

「〜〜〜〜〜っっっ!!!?」

 

 私は激痛を訴える左腕を胸に引き寄せて、鬼から距離をとり止血のため包帯を取り出すがここであることに気づく。

 

「え…なんで?」

 

 私の左手は無傷だった。しかし、左手首から先の感覚はなく、今も尚激痛を訴えている。混乱する私に鬼は再びあの言葉を放つ。

 

『傷みを知りなさい』

 

「っ…ああああああぁぁぁぁぁ!!?」

 

 痛い、痛い、痛い!

 

 全身から脂汗が噴き出て、痛みに耐え切れず涙と叫び声が溢れる。

 

 今までの人生で体験したことのない、地獄のような痛みが左手を襲う。

 

「な、なにを、したの?」

 

 鬼は痛みで動けない私に近づきながら片腕の布を外す。

 

 

【挿絵表示】

 

 

『少しは分かった?私の傷みが』

 

 細く綺麗な肌の上には、墨をぶち撒けたような黒い斑模様が身体を這うように蠢いていた。

 

 私は袖がなるべく左手に当たらないよう注意しながら、肘まで服を引き上げる。すると私の手首には目の前の鬼と同じような呪印の如き黒い斑模様があった。

 

「これが、貴女の、血鬼術…!?」

 

『血鬼術 傷ノ腕(イタミノカイナ)。私の手が触れた箇所の痛覚を共感させる』

 

「共、感?」

 

『言ったでしょ?私の傷みだって』

 

「!??」

 

 私は痛みを一瞬忘れるほど驚愕した。今の話が本当なら、目の前の鬼は常に私が今左手に感じている傷みを感じ続けていることになる。果たして私はそれで正気が保てるのだろうか。答えは否だ。その前に身体が痛みに耐え切れなくなって死ぬ。

 

 鬼は驚愕の色に染まる私の表情を興味なさげに見ながら話し始める。

 

『人間は痛みを知らなさすぎる』

 

『痛みを知らないから、人は隣人を害するの』

 

『人は人に無自覚な暴力と傷を与えるの』

 

『人間は愚かな生き物なのよ』

 

『愚かな生き物には痛みを与えましょう』 

 

『痛みを知れば、もっと人に優しくなれるから』

 

『だから私は貴女にもっと、痛みを与えてあげたい』

 

『そうすれば貴女も、人の痛みが分かるようになるから』

 

 

 

 

 

 

 

 

『貴女も、優しく終われるから』

 

 

 

  




書いてて思った。

冨岡さん見てないで早く助けてよ!って。

次回で回想は一旦終了です。

そろそろ糞教祖出さないとこの物語の主人公も寝ちゃいそうなので。

それではまた。


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27.エぶ

先に謝罪します。

ごめんなさい。


 

 その女性は名家の出身だった。

 

 幼い頃から花よ花よと育てられ、少女という蕾はいつしか鮮やかな大輪の華を咲かせるに至った。16で親交の深い豪農の家に嫁いでからも、その魅力は褪せることを知らなかった。夫を支え、子を成し、御家を守ることを第一に懸命に自分の役目を果たした。

 

 ある日、女性は不運に見舞われる。

 

 本来、割れることのない石窯が割れ、その中でよく煮立っていた湯を身体に浴びてしまったのだ。焼け爛れた皮膚は際限の無い痛みと苦しみを女性に与えた。そればかりか、いつも優しかった家族全員が女性を腫れ物に触るように接してくるのだ。その時、女性は思った。かつての自分はもうあの時死んだのだと。

 

 女性は痛みを受け入れた。

 

 家を出て、信仰を始めるようになってからは自分の容姿が気にならなくなっていた。自分たちを平等に扱って下さる神様は、殊更女性の目に優しく映ったのだろう。

 

 女性は傷みを受け入れた。

 

 ある日、一通の文が届いた。家族が焼死体となって見つかったと。原因は嘗て女性が使っていた炊事場での火が家全体に燃え広がったことだと、文面には記されていた。その文を読み終えた時、女性はあまりの嬉しさに頬を赤らめた。愛しい家族が自分と同じ傷みを感じられたことが。どうしようもなく、嬉しかったのだ。

 

 女性は悼みを受け入れた。

 

 女性は同じ神様を信仰している仲間を殺した。仲間は人の痛みを知らない人だったから。女性はその仲間の家族を殺した。傷みを教えなかった家族もまた、傷みを知らなかったから。女性は周りの人間を全て殺した。誰もが悼みを知り、また誰も悼みに苦しむことが無いように。

 

 女性は鬼になった。

 

 鬼になってからも、女性は人々に痛みを分け与えた。そして傷みに苦しむ人たちをこの世の軛から解放してあげた。悼みを知った人々は、とても隣人に優しくなれた。

 

 だから今日も、女性は祈る。

 

 どうか人が人に優しく在れますようにと。 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 目の前の少女が倒れる。痛みに耐え切れなくなったのだろう。私は少しばかり術の効力を抑える。私は痛みを知っては欲しいが、悪戯に苦しめたいわけじゃない。少女が臨むのなら、その命を貰うことで苦しみから解放させてあげないといけない。

 

 私は、息も絶え絶えになっている少女に耳を寄せて、彼女の願いを聞く。

 

「____一つ、お聞きしても?」

 

『…何?』

 

 この子はとても強い子だ。きっと、たくさんの悼みを経験している子。人にずっと優しくなれる子だと思った。私はそんなこの子の願いを無碍にしたくなくて、掠れる声に耳を澄ませた。

 

「貴女は鬼となったことを後悔していますか?」

 

 意外だった。もっと、鬼に対する恨言のようなことを口にするものだと思っていたから。私は当てが外れたようになんとなく、正直に話したくなった。

 

『…分からないわね。人であった時も、鬼になってからも、痛いのは変わらなかったから』

 

「辛くないですか?この先も、ずっと同じ痛みを抱えたまま生きていくなんて…」

 

『そうね…もう痛みのない状態の方が考えられないけど。___もし、叶うのなら。また家族に会って、みんなに綺麗だねって言って欲しいわね…。もっと、優しい夢を、みることができたら、本当、幸せね…』

 

「じゃあ、私が叶えてあげますよ」

 

 少女がそう言った瞬間、私の右目に小刀が押し込まれる。前方の視界が黒に染まる。しかし、この程度の傷、どうということはない。すぐに回復する。私はそれよりも、少女が無理をして余計に苦しむことの方が気がかりだった。

 

『無理しないで。痛むでしょ?今、楽にしてあげるからじっとしてて………!?』

 

 突然、私の中で、何かが暴れた。

 

 血流に乗って流れ込んでくる冷たい感覚に、私の生存本能が危険信号を発する。

 

『_______ぁ____ぁ___』 

 

 身体が動かない。

 

 地面に伏しているはずなのに、何の感触もない。

 

 後ろにある眼も機能しない。

 

 自分という存在がゆっくりと嬲られるように消されていくような感覚に身体が恐怖を覚える。

 

 何、これ?

 

 そんな中、妙に冴えている意識は頭上、高いところから掛けられる少女の声に反応する。

 

「___それでは、実験開始です。大丈夫、貴女は鬼ですからすぐには死にません。痛いことよりも辛いかも知れませんが、頑張ってくださいね?」

 

 身体が震えた。

 

 そして、自分の判断を今ごろ後悔した。

 

 この少女。いや、この女は、殺さなくてはならない存在だったのだと。

 

 暗闇の中浮かぶ悪魔のような笑みに、私は唇を噛んで声を殺す。

 

 惨劇の幕は、すでに上がっていた____

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

「まさか、自分の術の内容を馬鹿正直に吹聴する鬼がいるとは思いもしませんでした」

 

 足元に伏している鬼に向かって、受けた痛みをお返しするように、皮肉たっぷりの口調で話す。

 

「そういうことは隠しておいた方がいいですよ?私みたいに薬を使う隊士だっているんですから」

 

 私は痛みの引いてきた左手を握ったり、開いたりして動きを診ることで、薬の効果を確認する。

 

「うーん…部分麻酔とはいえ、即効性のあるものはやはり運動機能の低下が目立ちますね。これだと、解剖の途中に大事な臓器を誤って切っちゃいそうです」 

 

 落ちていた日輪刀を拾い、軽く刀を振って、鬼の腕を落とす。私の力でも簡単に落とせるようになっているため、鬼の身体が相当脆くなっていると分かりました。

 

「細胞の壊死によって再生不能。もしくは再生速度の阻害ですかね?…うん。近くに寄せてもくっつかないということは成功でしょう」

 

 次は毒を注入した付近の部位と、血を全身に送る機能のある心臓。そして、太い血管周辺の状態確認ですね。

 

「あ、これも良さそうですね。今の状態なら普通の毒も効くのかな?うーん、やっぱり被験体は生きたものに限りますね。作業が捗ります!」

 

「これは…取ったら死んじゃうのでこのままで…」

 

「うん。この肺胞の機能なら気化した毒の吸収もありですね」

 

「骨もそろそろ限界ですか」

 

「最後に中枢神経の確認を____」

 

 どのくらい時間が経ったのか。

 

 私は夢中になって作業を進めた。

 

 今まで、鬼を倒したことのなかった私は完全に浮かれきっており、冷静さを明らかに欠いていた。

 

 毒の効果を確認するため、何かに取り憑かれたかのように鬼の身体をバラバラにしていく。

 

 そして、鬼にとって地獄のような時間は突然終わった。

 

 

 

 

 

 

「水の呼吸 伍ノ型 干天の慈雨」

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 鬼の身体が崩れ始めると同時に、胡蝶妹の手首から、呪印が消失する。

 

 彼女の肌を覆っていた返り血も、塵となって風に運ばれる。

 

 狂った笑みを浮かべる人形のような仕草で、胡蝶妹が俺に詰め寄る。

 

「何、してるんですか?何をしたか、分かってるんですか?鬼の構造を調べる絶好の機会だったんですよ?あれだけ従順に解剖させてくれる鬼なんてもういないかも知れないんですよ?」

 

 俺は彼女を落ち着かせるよう注意しつつ言葉を選ぶ。

 

「お前の毒は鬼に効くと証明できた。ならば、それで十分だ」

 

 俺の言葉に胡蝶は余計に頭に血が上ったように舌を回し始めた。

 

「十分?何を持って十分と言い切れるんですか?死んでなかったじゃないですか?鬼の首を切るのと同じ効果を出せなかったじゃないですか?その原因を究明できるのは毒の効果を受けたあの鬼の身体だけなんです。。千載一遇の機会だったんです。…その機会を貴方が奪った!」

 

「落ち着け、胡蝶。冷静になれ」

 

「冷静?私は冷静ですよ!何ですか?鬼を解剖するのが可愛そうだから介錯したんですか?柱である貴方が、鬼に情けをかけるんですか!?」

 

「胡蝶」

 

「そうですよね。貴方は柱ですものね。私みたいな力のない隊士のするお飯事に付き合ってられないですよね。すみません。水柱様の貴重なお時間を無駄にしました」

 

「胡蝶」

 

「次の被験体を探します。まだ、夜明けまで時間は十分あります。今から探せばもう一体くらい___」

 

「胡蝶!!」

 

「っ!!?」

 

 胡蝶は俺の一喝に、身体を一瞬強張らせると。表情を固くして、こちらを窺うようにみてきた。

 

「___命令だ。先に戻れ」 

 

 

 




回想編終わりませんでした。

もう後書きに適当な次回予告とか書かないので許して下さい。

しのぶさんは柱になるまでにたくさん苦労していて。

鬼の首が切れなくて苛立ちや焦燥感があったのかな?なんて妄想で今回の話を書いてみました。

解剖シーンは元の文章から相当削りました。あとで読んで気持ち悪かったので。

挿絵も随時あげていく予定です。

700人の方にお気に入り登録をいただきモチベーションは最高です。

今後ともよろしくお願いします。

それではまた


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28.姉妹

 

 

 

 

 

 胡蝶と夕餉を共にしたあの日、酒が入りいつもの陽気さに拍車が掛かった胡蝶は、胡乱な表情を浮かべながら徳利の淵を撫でつつ俺に尋ねた。

 

 『義勇くんは、しのぶのこと、どう思ってる?』

 

 『唐突に何だ?』

 

 『ちょっとした姉心からくる好奇心よ。二人は仲良しだから』

 

 『…お前、目は良かったはずだが?』

 

 『捉え方の問題よ。喧嘩する程なんとやらって言うじゃない?』

 

 『あれは喧嘩というのだろうか…。俺たちは致命的に反りが合わないのだと思うが』

 

 『本当に何もなかったら、しのぶも噛み付いたりしないから』

 

 『お前の妹は犬か?』

 

 『言葉の綾よ。でも、怒ってる顔も子犬みたいに可愛いのには同意ね』

 

 『…お前の考えることはよく分からん』

 

 『いいのよ。それで』

 

 『?』

 

 『無理に相手のことを解ろうとしなくたって。その人と同じ時間を過ごしていれば、いつの間にか解っちゃうものだろうから』

 

 『なら、俺はきっと、死ぬまで解らず終いだろうな』

 

 『どうして?』

 

 『鬼狩りという職務に殉ずる以上、犠牲は避けられん。もし、そのような場面が訪れるのだとすれば、俺のような者が相応しい。そんな俺が時を共有できる者などそう現れるはずもない』

 

 『…はぁ〜…』

 

 『何だ?』

 

 『義勇くんはまず、人のことより、自分のことをきちんと見れるようにならなきゃね?』

 

 『?鏡なら持ち合わせているが…』

 

 『そういう意味じゃないんだけど…義勇くんらしいね』

 

 『お前は…どう思っている?』

 

 『私?私はしのぶのこと大好きよ?』

 

 『………そうか。なら尚のこと俺はいない方が良いのでは?』

 

 『義勇くんだから。義勇くんがいつもの義勇くんでいてくれるから、私はこうして貴方の話が聞きたいってお願いしてるの』

 

 『…やはりよく分からん。お前の話は時に迂遠すぎる』

 

 『そうかもね。…人って隠したいことがあると、大切なことを誤魔化しちゃうから』

 

 『人に言えんことくらい誰にでもある』

 

 『そうね。義勇くんには特に言えないかも』

 

 『…やはり俺は人に嫌われる定めなのだろうか…』

 

 『うん。やっぱり義勇くんには言えないわ』

 

 『………』

 

 『ちゃんと気付いてくれるまで、私は言わないから』

 

 あの時、胡蝶が浮かべた悲しそうな笑みの理由が、俺にはどうしても分からない。彼女から妹のことを聞かれた時、何故か妙な胸騒ぎがした。しかし、俺はその理由を探ろうとはしない。俺は鬼殺隊の一員。鬼狩りこそが俺の責務。悪鬼を滅殺することで同胞を守る。俺には、それしかできないのだから。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 血塗れの少女がいた。

 

 鬼の術をくらい、痛みに犯される少女がいた。

 

 少女は非力ではあったが、類い稀なる才気と執念で鬼を倒した。

 

 少女は笑っていた。

 

 少女は両手を血で濡らした。

 

 皮を裂き、肉を断ち、骨を削った。

 

 鬼は願った。

 

 死なせてくれと。

 

 もう、終わらせてくれと。

 

 しかし、少女の耳には届かない。

 

 だから、俺が鬼の首を落とした。

 

 最早、死による救済しか、与えられる慈悲はなかった。

 

 少女は怒りに震えた。

 

 何をしているのだと。

 

 血化粧の施された綺麗な顔が迫る。

 

 しかし、どうしようもなく見ていられなかった。

 

 だから、俺は言った。

 

「命令だ。先に戻れ」

 

  

   

 

 

 ◇◇◇

 

      

 

 

 

 あれから、気がつけば私は宿舎にいた。どうやって戻ったのか、あまり覚えていない。水柱様が今回の調査を引き継ぎ、現在も任務を継続していると隠の方から一報をもらった。いつもの私なら、すぐさま支度を整え調査に復帰しているはずだ。でも、驚くくらい身体は重たくて、動こうとする気力すら湧いてこない。

 

「私は…功を焦ってたのかな…?」

 

 身を清めるため、宿の湯を借りる。

 

 こびり付いた血糊を布で擦って落とす。

 

「ううん。私は胡蝶カナエの妹、胡蝶しのぶ。柱である姉さんに迷惑だけは掛けたくない」

 

 麻酔の効果が抜けてきて、感覚が戻り始めてきた両手が嫌な感触を想起させる。

 

 それは人の体温だった。

 

 暑いくらいの熱が両手にこびり付いて離れない。

 

 皮を裂いた刃の鋭さも。肉を断った手応えも。骨を削った振動も。この手から離れようとはしない。

 

「大丈夫。鬼に私の毒は効く。もっと研究して、もっと色々調べて。私も姉さんと一緒に鬼を倒せるくらいに…強く…なって…」

 

 相手は鬼だ。

 

 同情なんて必要ない。

 

 殺すべき存在なんだ。

 

 だから、どうせ殺すなら実験に使ったっていいはずだ。

 

 私は間違っていない。

 

 私は正しいことをしたんだ。

 

 人のためになることをしたんだ。

 

「なら…どうして…」

 

 布を握る手が止まり、身体が震える。

 

「どうして私は…泣いてるの…?」

 

 離れない。

 

 私の痛みは消えてくれない。

 

 火傷のような痛みを感じる胸に両手が抱くのは。

 

 一抹の後悔だけだった。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 任務終了後 産屋敷邸

 

 

 

「____以上が調査結果となります」

 

「うん。予想以上の成果だね。しのぶにも私からの感謝を伝えておいて欲しい」

 

「御意」

 

「カナエから、最近しのぶの元気がないと聞いてね。これを手土産に見舞いをお願いしたい。頼めるかい?」

 

「異存ありません」

 

 お館様に稀血と胡蝶の開発した毒の調査結果を報告した俺は、その足で蝶屋敷へ向かう。しかし、見舞いの品をお館様がご用意して下さったのはありがたい。俺では気の利いたものを用意する自信もする気もないからだ。

 

 しばらく歩くと蝶屋敷の門が目に入る。

 

 庭では、胡蝶が継子の少女に稽古をつけているようだった。

 

「胡蝶」

 

「あれ?義勇くん?どうしたの?私何か今日約束でもしてたっけ?」

 

「いや。用があるのはお前の妹の方だ。胡蝶しのぶはどこだ?」

 

 お館様からの指示だ。最優先で遂行しなければならない。手土産を見せて胡蝶妹の居場所を尋ねると、何故か胡蝶が挙動不審になり始めた。どうしたんだ?

 

「エ…そ、それって…」

 

「?」

 

 胡蝶は口にしかけた言葉を飲み込むと、いつもと異なる微妙な笑顔を浮かべつつ妹の居場所を伝えてくる。

 

「い、いえ。なんでもないわよ。…しのぶなら研究室に籠ってるはずだから、調剤部屋の鐘を鳴らしてみて」

 

「了承した」

 

「…そんな…しのぶ、いつの間に義勇くんと…」

 

「師範…?」

 

 背後で何やら胡蝶とその継子が言っているが俺には関係ないことだろう。

 

 言われた通り、調剤部屋に向かう。

 

 蝶屋敷には何度も任務で大怪我した際に世話になっている。

 

 特に胡蝶には機能回復訓練を称して色々と連れ回された。

 

 ある程度、力がついてからは安静が必要なほどの傷は負っていないため、最近の蝶屋敷の内装は分からんが。増築でもしなければ早々、役割のある部屋が移動することもないだろう。      

 

 過去の記憶に従い俺は、調剤部屋前に着いた。

 

 俺は仕切りである扉の取っ手に指を掛けて、そこで思い止まった。

 

 以前、同じように薬を貰いに来た際、傷薬を塗られている胡蝶の肌を見てしまうという失態があり、あわや切腹する寸前まで行ったものだ。

 

 俺は過去の経験に学び扉を手の甲で叩くことで自身の来訪を知らせた。

 

『___誰?アオイ?』

 

 室内から聞こえて来た胡蝶しのぶの声を確認し、俺は口を開く。

 

「冨岡義勇だ。少し、話がある」

 

 

 

 

 




雪が降って寒いのか…寒いから雪が降るのか…どうでもいいからこの寒さをどうにかして…(凍)

お陰で映画観に行けないから続話投下。(宮野守さん…観たかった…)

もうサブタイトルは適当。

劇場版 鬼滅の刃 無限列車編 興行収入300億突破おめでとうございます!

それではまた


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29.上弦

回想編は一時中断。

禰豆子ちゃんとしのぶさんの話し合いに戻ります。


 

 

 

「____しのぶさん?」

 

 私を呼ぶ声に思考が引き戻される。

 

 目の前には私の話を待つ少女の顔があった。

 

 そこで私は、ハッと息を吸い、意識を自身の内ではなく外に向ける。

 

「あ…すいません。どこまでお話しました?」

 

「カナエさんとしのぶさんで私の血について調べて、その結果についての詳細のところです。私の血を取り入れた鬼に理性が戻って、お二人に介錯を願い出たと」

 

 私は目の前の少女、竈門禰豆子さんに小さな嘘をついた。今回の調査を行なったのは私と水柱様だ。しかも、血の効果というのも水柱様が確認したもので、私は自分の毒のことしか検証結果をこの目で確認できていない。別に私が誰と調査したかなど、禰豆子さんには関係のないことである。それでも私は水柱様の関与を隠した。その理由に明確な答えを見つけられないまま、私は手元の文面に視線を落とし話の続きをする。

 

「そうでしたね。まだ、謎が多く残る鬼の生態ですが、やはり鬼になる前が人であるという事実を考慮するに、人から鬼へ変化する過程は何も不可逆なわけではないと思います」

 

「私の血が、鬼となった人を、鬼から人へと近づける…。ですが、それはおかしくないですか?私の師が言っておられました。強い鬼はその強さに応じた数の人を喰らっていると。ならば、稀血という栄養価の高い血もまた、鬼を強くするための作業に加担してることにならないのでしょうか?それこそ、人の状態からより遠ざけるように」

 

「その疑問は尤もですね。ですが私はそうとも言い切れないと思います」

 

「なぜでしょうか?」

 

「あまり馴染みのない言葉でしょうが、医学用語では抗体と呼ばれる物質があります。簡単に言うと、体内に入った有害なものに対する身体の防御装置のようなものです。この抗体を持つことで病気に掛からなくなったり、或いは症状の進行を留める効果があるといわれています」

 

「じゃあ、私の血には鬼になり辛くする。鬼化の進行を遅らせる。引いては鬼の血に対する抗体があるということでしょうか?」

 

「しかも、その抗体には鬼にとってたくさんの養分も含まれているので。鬼からしたらご馳走の中に猛毒が盛られているようなものですね」

 

「…何故か褒められてる気がしません」

 

「そうですね。鬼と関わらなければ無用の長物でしょうし。ですが、あなたの血が確かに鬼に対して有効な手段の一つとなりうる可能性は認められました。このことはまだ、一部の人間にしか伝わっておりませんので、くれぐれも悪戯に他言することのないようお願いします」

 

「分かりました。危ないことに巻き込んで本当にごめんなさい。私にもできることがあれば何でもするので。これからもよろしくお願いします」

 

「ええ。こちらこそ」

 

 竈門さんは強く、そして聡明な方のようです。

 

 話がひと段落したところで、話題は姉の話に移る。

 

 何でも、一度姉に花の呼吸について師事し、今も自分にあった呼吸を探究中とのこと。

 

 まだ、全集中 常中もできていない段階なのでそうだとは思っていましたが、少なくとも姉が師事したということは花の呼吸の適正があったということ。

 

 私は好奇心から。また、自分には扱いきれなかった呼吸を納めようとしている彼女への嫉妬からか。このような、らしくない提案をしてしまった。

 

「もしよろしければ、竈門さんの呼吸法を見せて頂けないでしょうか?若輩者の私ですが姉と過ごした時間は誰よりも長いつもりなので、少しばかりの助言もできるかもしれません」

 

 私の提案に、竈門さんは目を爛々と輝かせながら首肯した。

 

「是非お願いします!実を言うと日課の鍛錬がまだなのでこれからやらなければと思っていたところです。なので、ご指導願えたら幸いです」

 

「分かりました。では、お庭を使わせていただきましょうか。確認して来ますので、準備していて下さい」

 

「すみません。よろしくお願いします」

 

 私は店主に鍛錬のため庭を借りる旨を伝え了承をもらい、準備を終えた竈門さんと庭に移動する。綺麗に整えられた草木を荒らすのは本意ではないため、砂利の置かれた場所を選んで移動する。

 

 そして、少し開けた場所で向き合う。

 

「私はしばらく観察しているので、後自由にどうぞ。気付いたことは、鍛錬の合間にお伝えしますので」

 

 抜刀し、呼吸を深めた彼女は重心を落として構える。

 

「分かりました。では_______!?」

 

「?どうされました?」

 

 竈門さんが突然構えを解き、右手を押さえて明後日の方向を向く。つられて私も視線を同じ方角へ向けますが、そこには夜を照らす月の光があるばかり。

 

「竈門さん?」

 

 反応のない彼女に再度声を掛けると、彼女は突然駆け出しました。

 

「ちょっと!?どうされたんですか?」

 

「鬼の気配がします!誰かが闘ってる!」

 

「!?」

 

 私は彼女を追う。

 

 どうして私も気付かなかった鬼の存在に気がついたのか。そんな疑問も置き去りにして、私たちは月の照らす夜道を懸命に駆けたのだった。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

「あらあら。すっかり遅くなっちゃったわね。しのぶも、もうとっくに着いているだろうし…また怒られるわね…」

 

 日輪刀の修理を依頼して、里で束の間の休息を取った後。急いでこの街まで来たのだが、方角をやや間違えており、遠回りした結果、こんな夜も深い時間帯になってしまった。最近、さらに怒りっぽくなった実妹に小言を言われる未来を想像し、若干気分が落ち掛けたが。久方ぶりに再開する禰豆子ちゃんの存在につい心を弾ませてしまう。

 

 私は逸る気持ちが身体に現れたのか。自然と進める歩速が上がって行く。

 

「今日は本当にいい夜ね」

 

 チラリと見上げた月は、薄暗い夜の空気を仄かに照らしている。

 

 だから、私は気付けた。

 

 月が映し出す影の形に違和感を覚えて。

 

 刀の鍔に指をかけた。

 

「そこのあなたは、そうでもないのかしら?」

 

 建物の屋根から、こちらを見下ろす者に向けて。

 

「うん。そうだねぇ。何せ、月よりも綺麗なものを見つけちゃったんだから、それをしっかりと瞼に焼きつけとかないと損でしょ♪」

 

 一見すると、奇抜な格好をした美丈夫。青白い肌も合間って、人間味がどうしようもなく薄い。しかして、人の良い笑みを含むその相貌には空っぽの何かが乗せられていた。

 

「あら、お上手ね。でも、ごめんなさい。私には心に決めた人がいるの。あなたのお誘いには答えられない。…それに私___人を殺める存在は好きになれないから」

 

 刹那の凍気。

 

 半歩下がり、私が先ほどまで立っていた場所を見る。

 

 地面には氷の花が咲いていた。

 

 空っぽの異形は心底残念そうな声を挙げて空々しい言葉を吐き散らす。

 

「あちゃー…先約があったのか。残念だよ。ごめんね、ジロジロと無遠慮に見つめちゃってさぁ。それはオレからほんの気持ち。でも、受け取って貰えなくてオレはさらに残念だよぉ___まあ、いいけど♪」

 

 雲の去った夜空に月明かりが冴え渡る。

 

 差し込んだ光に私の目が映し出したのは、異形の瞳に刻まれた 上弦 弐 の文字。

 

 冷や汗すら固まる凍気の中、その鬼は言った。

 

「オレは君のこと大好きだから。なら、君を食べちゃっても、何も問題ないよね♪」

 

 

 

 上弦の弍は優しく嗤っていた。

  

 

 




来てしまったクソ教祖様。

これは私も全集中で書くしかない。

それではまた


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