IS‐護るべきモノ- (たつな)
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第一章‐First Contact‐
一つの物語のはじまり


 

 

 

"女性を守るのは男性の役目である。女性は家事と子育てに専念していればいい。"

 

 

 

そんな風潮がほぼ無くなったのはつい最近の出来事だ。

 

 

 

――――事の発端は数年前に起きた。

 

日本を射程圏内とする軍事基地のコンピュータがハッキングされ、日本に向けて二千発以上のミサイルが発射された。

 

日本が絶望に包まれる中、突如現れた謎の機体がこのミサイルの半数を迎撃、そしてその機体を確保しようと送り込んだ軍事兵器の大半を無効化させるという事件が起きた。

 

その機体の名は『白騎士』と呼ばれ、そこから名を取って、白騎士事件と呼ばれた。

 

この事件こそ事の発端であり、世界を大きく震撼させる兵器の誕生だった。

 

 

 

 

『インフィニット・ストラトス』

 

 

通称ISと呼ばれ、現存する兵器をもってしても太刀打ちできないほどのスペックを誇る究極兵器だ。

 

このISには大きな特徴が存在する。

 

それは"女性にしか反応しない"というもの。これにより男女の社会的パワーバランスが崩壊、女尊男卑の風習が当たり前になってしまった。

 

女尊男卑の風習はかなり厳しいものがあり、各国でも冤罪や奴隷化などの非人道的な行為が日常茶飯事に行われるようになった。

 

 

そんな風習が当たり前になってしまった頃、一つの大きな変化が現れる。

 

その変化とは、一人の男性がIS起動させたというもの。このニュースは瞬く間に全世界に広がり、もしかしたら他の男性もISを動かすことが出来るかもしれないという仮説がたてられ、各国でも男性対象に適性検査というものが一斉に行われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい次、さっさとしなさい」

 

「………」

 

 

 ここはとある検査会場、一人の青年が個室に呼ばれる。数人の試験官とISしかない殺風景な部屋、その中にただ一人男性が呼び出される。

 

試験官は全員女性、試験だというのに誰一人その青年と顔を合わせようとはしない。それどころか試験管達は自分勝手に個人のことに夢中で、次のステップに進めようとしない。

 

 

興味がない、面倒くさい。言い方はそれぞれ出来るが、なぜ自分達女性が下等な男のためにここまでしなければならないのかというのが彼女たちの本音だ。青年は明らかな『侮蔑』としか取れない感情を向けられるも、口を一切開かないままだ。

 

 

「ちっ、何で私達が……」

 

「ふん……男の分際で……」

 

「黙っちゃって。……これだから男は」

 

 

――――陰口。いや、この場合はもう聞こえているから陰口とは言えないだろう。そんな女性陣達の心もとない中傷言葉にも顔色一つ変えず、その男性はISの目の前に立つ。

 

 

「早くしてよ。私らだって暇じゃないのよ」

 

(……自分が操縦者じゃないにも関わらずこの言いぐさか。はぁ)

 

 

暇ではないという割には、自分勝手なことを続ける始末。言っていることとやっていることがまるで違う。

 

高圧的で、男を人と見なさない思考。青年にとってはそれがたまらなく不愉快なものだった。

 

声に出すことはなく、心の中で彼女達に哀れみのまなざしを向ける。だがそれも一瞬、彼女達がこの視線に気がつけば女性を侮辱したとして、一生世間に顔向けできない可能性まで出てきてしまう。

 

先ほども言ったように、女性の権力というものは絶大である。例えば、男性が右と言っても、女性一人でも左と言えばそれに従うしかないほどに。

 

だからこそ男性がやっていないと言っても、女性がやったと言えば女性が正当化される。だから冤罪というものが絶えない。

 

 

青年は視線を再び前にもどし、ISと向き直る。今はこの女性達のことを気にしている暇はない。彼にとって、今は目の前の女性のことなどどうでもよかった。

 

 

「……」

 

 

外野の声などすでに聞こえない、そして無意識にISに手を触れる。

 

 

「「!!?」」

 

 

触れた途端、眩い光が一気に部屋の中に立ち込める。何もしないところで、光が発生することはあり得ない。その発光が意味するのは、ISがその青年に反応しているということだった。

 

 

「……これも人生ってやつか、面白いもんだ」

 

 

 彼にはISが起動することなんて全くの予想外だったはずだ。にも関わらず、驚きという表情の変化を起こすことはなかった。

 

まるでISが起動したのが必然だったとでも言わんばかりに。しかし実際にこのISを動かせるなどと思ってもみなかったというのは事実。

 

起動したISは彼の体に装着され、一人の男性IS操縦者を生み出したのだ。

 

 

「う、うそ。どうして男がISを!」

 

「そんなこと今はどうでもいいわ! すぐに上に連絡を取って!」

 

「二人目の操縦者……このままでは……」

 

 

 全くの想定外のことが起き、部屋中が混乱状態に陥る。先ほどまで見下していた女性達も今となっては慌てふためくばかり。女性が優位に立っているとしても女性全員がISを操縦できるわけではない。

 

ISを動かすためのコアは全部で四百六十七個、つまりISの数も四百六十七機しかない。

 

にもかかわらず、自分はISを動かせる選ばれた人間であるというようなくだらない風潮により、女性優位の世の中に変わってしまった。しかしそれは目の前で男がISを動かしたなどということが起これば話は別である。

 

さっきまで見下していた青年は自分達と同じ土台に立ったということにもなり、優越感になど浸れるわけもない。

 

あくまでISがあるから女性優位なだけであり、ISを抜いた各々の身体能力においては女性よりも男性の方が高いのは今でも変わらない。

 

 

 

『二人目の男性IS起動者見つかる』

 

 

 

このニュースは瞬く間に全世界へと広がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すまないな、呼び出したりして」

 

「いえ、こちらもわざわざ呼んでいただいて光栄です。まさかあのブリュンヒルデとこうして話が出来るなんて」

 

「……その呼び方はあまり好きではないんだがな」

 

「これは失礼。しかし姉弟そろってIS操縦者なんて、珍しいこともあるもんですね」

 

「そうだな。……お陰様で、家周りが賑やかで敵わん」

 

 

呼び出された喫茶店にて会話を交わす一人の女性と一人の男性。

 

マスコミやら政府の人間やら研究者やら……一目見て、自分を売っておこうなんて魂胆がある人間もいるようだ。どちらにせよ、あまり良い気分ではないはず。

 

女性の方はそんな実家のあり様に、やれやれとばかりに目の前にあるコーヒーに手をかけながら口へ運んで行く。

 

女性としてはかなり高い身長。女性の誰もがうらやむスラリとしたモデル体形に、大人の女性を思わせるピッチリとフィットした黒のスーツに美脚をさらに際立てるストッキング。

 

キリッとした鋭い目つきはすべてを見抜く洞察力を兼ね備え、凛としたその雰囲気は年齢不相応のカリスマ性を感じさせるこの女性。

 

 

 

 

―――――第一回モンド・グロッソ総合優勝及び格闘部門優勝者、織斑千冬。

 

 

 

 

世界中でその名を知らない人間はいないと言われるほどの有名人で、現役を退いた今でも彼女を尊敬する人間は多い。そんな人間がなぜこんなところにいるのか。

 

 

「ま、雑談はこの辺りにしときましょう。それで俺に用っていうのは?」

 

「ああ、そうだったな。……結論から言わせてもらう。政府からの通達で、お前をIS学園に入学させろとのことだ。いくら探してもお前の身元が掴めなくてな。多少強引ではあるが無理やり呼び出させてもらった」

 

「まさか家に直接来るとは思いませんでしたよ。一体どんな情報網をしているんですか?」

 

「何、ちょっと知り合いに……な」

 

 

 ISを起動後、多くのメディアが彼のことを取材しようと彼のことを捜索。そして各国の研究者たちも彼を我が国所属にせんと血眼になって捜したものの、居場所を特定することは出来ず。

 

戸籍情報も名前や生年月日などの最低限の情報しか得ることが出来ずに、どこに彼が住んでいるのかは全く不明。千冬が見つけるまで彼の姿が表立って出ることはなかった。

 

もちろん千冬もやみくもに探していたわけではない。とある友人に頼み、全世界にハッキングを張り巡らせてようやく彼の居場所を特定した。

 

 

 

「……こりゃまた、すごい知り合いをお持ちで。入学するのは構いませんが、いくつか条件が」

 

「む、なんだ?」

 

「俺も一応こんなナリなので、もしかしたらたまに学園を空けることもあると思います。だからその時は……」

 

「安心しろ、そのあたりは問題ない。私もお前の身分は十分理解しているつもりだ。現霧夜家当主、霧夜大和(きりややまと)

 

 

―――――霧夜家。

 

 表向きは苗字が珍しいと思われるくらいの普通の家系。しかし裏向きは要人などを守る護衛役、霧夜家は代々護衛家業を営んでいる。

 

表向きは全くと言っていいほど知られていない組織だが、裏世界では知らない者などいないほどの有名な組織。その任務成功率は驚きの百パーセント、承った仕事は確実にこなすエキスパートの集団だ。

 

彼、霧夜大和はその霧夜家を束ねるトップに君臨する。

 

齢十五歳の青年がトップに君臨するということは言わずもがな、彼自身の実力が高水準にあるということを証明している。

 

 

「ありがとうございます。なるべく別の人間に仕事は任せるつもりですが、どうしようもない時は休ませてもらいます」

 

 

 目の前のアイスコーヒーの氷が解け、カランとコップと擦れ合う音が鳴り響く。コップに手をかけて注がれているコーヒーを少量口に含み、そして再びコップをテーブルの上に置いた。足を組み直し、再び千冬と視線を合わせる。

 

まだ話は終わっていないと言わんばかりの大和の視線に、千冬も気がつく。

 

 

「……」

 

「なんだ?」

 

「わざわざ個別で呼び出したってことは、入学手続き以外でもお話があったのでは?」

 

「そう見えるか?」

 

 

 内心を読まれたことに少し不信感を持ったのか、千冬は表情を崩さないまま大和に向かって語りかける。こういう反応を見せるということは少なからず別にも話があることを肯定しているようにも見える。

 

 

「人心把握には自信があるんです。仕事上どうしてもそういう場面が多いですから」

 

 

 要人護衛という仕事をしている以上、クライアントを守る上で他の人間とも接することがある。守る以上は自分とクライアント以外は全員敵という認識をすることが多い。

 

だからクライアントの親しい関係者であったとしても、相手の口調や表情を見ながら本当に敵意や殺意がないのかを見極める場面も多々出てくる。ただでさえ裏の世界というものは汚いものが色濃く出やすい場所だ。

 

たった一つの判断ミスというものが仕事の失敗につながることは多い。特に相手が敵意や殺意を持っているのなら、クライアントに危害及ぶ前に相手を始末するケースも少なくはない。

 

千冬は一つ大きな溜息をつきながら組んでいる腕を組み直した。事前に何となく大和の人物像を想像していたが、まさか自分の内心をここまで見透かされるとは思ってもみなかったのだろう、普段はほとんど崩さない表情がやや苦笑いを浮かべる。

 

 

「はぁ。お前は本当に十五歳なのか? とてもそうは見えないが」

 

「十五歳ですよ。何なら母子手帳持ってきましょうか?」

 

「いや、いい。……さて、話の続きだったな」

 

 

 再びキリッとした真剣な眼差しで、大和の眼を射ぬく千冬。IS学園の教師としての顔ではなく、そこには一個人、織斑千冬としての顔があった。

 

二人の間には普段は会話が弾むような喫茶店はない。世間話に笑い合うような雰囲気も、恋人と大切な時間を過ごすような甘い空間も生まれるなんてことはなかった。

 

周辺の席の客は二人の間に生まれる独特の雰囲気というものに気がついてはいない。拡散していないから他の客は気が付きようもない、二人の間にしか生まれていない空間なのだから。

 

千冬の視線にこれからされるであろう話が今日呼び出した最大の理由であるということを悟り、一個人としてではなく、霧夜家当主としての表情で千冬のことを見据える。

 

 

「………」

 

「実はな……」

 

 

千冬は呼び出した最大の理由である話を切り出した。



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○天災とたった一人の姉

 

 

 

 

ISを動かせる男性。この世でたった二人しか動かすことは出来ない。その二人のうちの一人が俺だ。人目につかないよう、なるべく人通りの少ない場所を通って家に戻った。

 

 

 

「ただいま……」

 

「あら、お帰り大和。どうしたの浮かない顔して?」

 

 

 喫茶店から帰宅した俺を待っていたのは、姉の出迎えだった。

 

 

 

―――俺の名前は霧夜大和。まだ中学を卒業したばかりだが、霧夜家の当主を務めさせてもらっている。早速だがやることが山積みだ。まずは進学が決まっていた高校に入学辞退の申し入れをしなくてはならない。

 

受けた高校は、学費が安くて就職率が高いことで有名な藍越学園。就職先も今話題になっているようなブラック企業ではなく、学校側が企業に直接赴いて判断した優良企業ばかりで、理不尽な労働条件や簡単に首を切られることもない安定したものばかりだ。

 

もちろん安定志向ではなく、「俺は一発起業して成功するぜ!」という人間にはお勧めできないかもしれない。

 

 さて、何となく受けた藍越学園ではあったが、IS学園への入学が余儀なくされてしまったために、断らざるを得なくなってしまった。あの後理由の詳細を聞いてみたが、俺がISを動かしたことは世界中の人間が知っていることであり、当然我が物にせんと外部からの介入がないとも限らない。

 

実際にひどいものになれば俺を解剖して、と考える研究者もいる。俺を解剖してどうしてISを起動が出来たのか、それがわかればこの世の中のパワーバランスを変えることが出来るかもしれないからだ。

 

俺からすれば迷惑以外の何物でもなく、だったらIS学園で三年間は保護しようという話になった。

 

もちろん、その上層部も何を考えているのかわかったものじゃないけど、IS学園にいるうちはいかなる国家や組織であろうと学園の関係者に対して、一切の干渉が許されないという規約がアラスカ条約にて制定されているらしい。

 

 

「大和。本当にどうしたの?」

 

「え? あぁ、いや。少し考え事してた」

 

 

 俺の姉、霧夜千尋(きりやちひろ)。女手一つで約十年に渡って俺を世話してくれている肉親である。十年に渡ってというのはその言葉通りで、俺がここに来たのは十年前のこと。

 

身内のない自分をここの家が引き取ってくれた。本当の姉ではないが、俺にとってはかけがえのない大切な人だ。そして俺が就任する前の先代の霧夜家の当主に君臨していた人物。

 

全盛期を過ぎて動きに陰りがさし、当主の座を俺に譲ったっていうのが理由らしいけど。ただ引退した今でも強さは顕在、むしろどこが体が動かないのかと突っ込みたくなるくらいだ。

 

 

「考え事? ……まぁいいわ、それで結局話ってのは何だったのかしら? わざわざIS学園の教員が来たってことはそれ相応の話だったんでしょ?」

 

「あぁ、IS学園の入学とその他諸々を」

 

「そう。じゃあ藍越学園の方にも連絡入れなきゃね」

 

「全く、めんどくさいことになっちまったよ。でもまぁ、千冬さんの言ってることも分からなくはないし、仕方ないって割り切るしかないと思う」

 

 

 入学しなかったとしたら、研究者達は恰好のいいモルモットとして俺のことを探すだろう。そうなると周りにも迷惑をかけてしまう。藍越を蹴る時点でもうすでにいい迷惑になってはいるが、ISの件に関してはそれ以上だ。ISを動かしてしまった手前、俺に残されている選択肢というのも一つしかなかったわけだ。

 

ただ、めんどくさいと言っている割にはどことなく楽しみにしてしまっている自分があるというのも否めない。

 

後ろ頭をかきながら微笑む顔を隠すために、千尋姉から視線をそらす。どうもこの微笑みの顔を見られるのは苦手だ。霧夜家の当主として、男性のIS操縦者として、決して楽な状況に置かれているわけではない。なのにこの現状を楽しんでいる自分がいる、何故だろう?

 

――――と

 

 

「あら、千冬に会ったの?」

 

 

 千尋姉は顎下に手を置き、首をかしげて意外そうな顔で俺に返してくる。突然返された言葉に慌てて表情を素に戻し、顔をあげた。表情が元に戻っていたかどうかは分らないけど、そこは気にしないことにする。

 

 

「会うも何も、今日俺に会った人物が織斑千冬さん……って千尋姉もしかして知ってるのか?」

 

 

 千冬? 何かすごく親しみこもった呼び方なんだけど……

 

 知っているっていう尋ね方はおかしかったかもしれない。正確には会ったことがあるのかって言い方が適切か。確かにこの世界で織斑千冬という名を知っている人間は多い。だがあくまで知っているというだけで、実際に会ったことがあるだとか話したことがあるって人間は少ない。だが千尋姉の口ぶりを見る限り面識があるみたいだ。

 

 

「ええ、互いに仕事をした仲よ。ふふ♪ しばらく音沙汰がないって思ったらそっか、IS学園の教師やってたのね♪」

 

 

 さらっとトンデモ発言をかましてくれる。俺が知らないところでまたとんでもないことをやっていたのか。

 

 

「その表情だと、あの子は大和に私のことを話さなかったのかしら?」

 

「一言も話されてないな。まぁ色々気遣ったのかもしれないけど」

 

「へぇ~……まぁ良いわ。その事も入学についての話は後で詳しく教えて頂戴。晩御飯出来ているから、さっさと手を洗って来なさい」

 

「はいはい、分かってるよ。ったく、俺は小学生の子供かって」

 

「当主でも、年齢的にはまだまだ青いわよ?」

 

「むっ……」

 

 

 年上のことは大人しく聞いておきなさいな、と付け加えられる。

 

はぁ、年齢の話を出されるとこっちとしては何かが言い返せる訳もなく。大人しく聞いておこうと無意識に頷いてしまう訳だ。

 

俺を大切に育ててくれたたった一人の姉だが、いつまでも姉に頼ってはならないと思うのは必然だと思う。それに今はこうして霧夜家の当主にいるわけだから。

 

 当主っていっても自然に成り上がれる訳じゃないし、ましてやコネなど通じるものでもない。何十人もいる精鋭の中から、たった一人選ばれた者が当主として君臨出来る。俺はその当主に最年少で選ばれた。

 

当然反論もあった、というよりも反論しかなかった。弟だからという理由ではなく、あまりにも若すぎるという理由から。特にそれが酷かったのは長年勤めてきた連中だ。霧夜家の護衛としての仕事は江戸時代から続いている長いものであり、俺の当主になった年齢は歴代を見ても異例の中の異例だ。

 

 

『世間も知らない若僧に何が出来る』

 

『こんな若者が当主になるとは霧夜家も落ちたものだ』

 

 

 それが俺に対する意見だった。そしてその意見の矛先は、少なからず俺を次代当主に選んだ千尋姉にも向いた。そんな人間達に千尋姉は言った。

 

"大和と戦えばいい、そうすれば全て明らかになる"と。

 

結果は俺が当主だってことで察してくれ。……しかしまぁ、今思うとかなりの難題だったと思う。自分の弟に戦えって言ったわけだし、負けたらどうするつもりだったのだろうか。

 

今になっては過ぎた祭りなわけで、理由なんていくらでもつけれるだろうから、あえて聞かないけど。

 

 

「……やっぱり常識的に考えてかなり思いきったことだよな」

 

 

 洗面台で手を洗いながら何気なくぼそりと呟く。俺の思考は間違っちゃいないはず、特にこれに関しては。

 

口に水を含んで数回うがいを繰返し、最後に両手で水を掬って顔に当てる。今は三月、季節的にはまだ肌寒い季節だが、冷たい水が心地よく感じれる。

 

特に今日は外にも出たし、何より風も強かった。砂ぼこりもかなり立っていたし、顔についた汚れを取ることを考えれば別に不思議なことじゃない。

 

温度を感じることが出来ない非人間的生物でもないから安心してくれ。

 

さて、やることもやったしさっさと台所に戻るとするか。

 

タオルで顔と手についた水分をぬぐい取り、使い終わったタオルを洗濯かごの中にぶち込んで洗面台を後にする。今日の献立は何だろうかと、プライベート丸出しなことを考えながら向かっている途中のことだった。

 

 

「……あ?」

 

 

 何だろうか、どこにぶつけたら分らないほどの怒りがメラメラと込み上げてきた。ポケットに入れていた携帯電話が鳴り始める。それだけなら別に何の問題もなかった、大事なことだからもう一度言っておこう。それだけなら別に全く問題はなかった。

 

携帯の着信音っていうのは自分好みにつけるのは当たり前。皆が皆そうとは断言できないが、よくからかいの一つとして、人の携帯の着信音を勝手に女性がずんぐりむっくりしている状態の声に変えて、それを授業中に電話で鳴らし、相手に大恥と携帯没収という、もはやいじめ同然の屈辱を受けさせるものがあるのは知っているだろう。

 

まさか実際にやられると思ってもみなかったが……ふふ。さて、こんなくだらない悪戯を仕掛けたやつをあぶり出すのが楽しみになってきたなぁ?

 

見たところ電話番号も非通知だし、大方俺が登録してある人間の着信音はそのままにして俺が登録していない番号に例のこの着信音を設定したってところか。ふふ、霧夜家の当主に喧嘩を売るなんていい度胸しているじゃないか。ふふ……ふふふふふ。

 

 

「……はい、もしもし」

 

 

 せり上がってくる怒りを抑え、ともかく発信者が誰なのかを確認する。もしかしたらこの着信音を設定した人間が、非通知設定でかけてきたかもしれない。ここで怒りをぶつけるよりも、後でまとめて倍返しで仕返しするのも面白い。さて、発信者の声を聞こうとしよう。

 

 

「やぁ、私のことを覚えているかな?」

 

 

 電話先から聞こえたのは何とも間延びした感じの声だった。残念だがあまり聞きなれた声じゃないために、正体を断定することは出来なかった。ただどこかで覚えのある声だというのは分かる。少なくともかなり昔のことではなく、割と最近で。

 

というより、何となくこの電話先の人物像が浮かび上がってきた。まだ断定は出来ないため、更なる情報を聞き出すために俺はそのまま電話を切らずに会話を続ける。

 

 

「……どちらさまでしょうか? 少なくとも非通知の時点で誰か分かりませんし、電話するならまず名前を名乗ってもらいたいですね」

 

「つれないなぁ。キミのことはそれなりに認めているんだよ? 私、篠ノ之束は」

 

「……」

 

「あ! もしかして着信音をハッキングで勝手に変えたことを怒ってる? ふふふ、束さんに不可能はないんだよ?」

 

 

 正直、俺のプライベートを侵害された時点で怒るべきなんだろうけど怒る気力も失せた。ここまで反省の色がないと怒るを通り越してあきれる。一体どんなハッキング能力をしているんでしょうか、この研究者さんは。

 

とにかくこのままでは何も始まらない上に事態も発展しない。どっちかが折れるしかないのだが、生憎電話先の人物は折れる気などさらさらないだろうから、俺が折れるしかない。やれやれだ。一回深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 

少し冷静さを欠いていたようだ、体中の熱がとれていくのがわかる。気持ちが落ち着いたところで、再び話を切り出した。

 

 

「この際、どうして俺の電話番号を知っているのかはどうでもいいです。要件はなんでしょうか、また護衛の仕事ですか?」

 

 

 

――――篠ノ之束。

 

 

 俺はこの人が苦手だ。別に容姿が悪いだとかいうことを言っている訳じゃない、むしろ容姿など二の次だ。問題は彼女、篠ノ之束の対人コミュニケーションが著しく低いということにある。

 

以前、護衛を頼まれて彼女に付き添いの護衛を担当したことがあった。そこからはもう酷いのなんの、何か聞こうとすれば完全無視を決め込み、さらに追及しようものなら「うるさいなぁ、お前になんか興味無いんだから黙って護衛してれば良いんだよ」とひどい言われよう。

 

取り付く島もなく、今まで自分のしてきた仕事の中で最悪のクライアントという位置づけをしていた。

 

その護衛中に色々悶着があり、最終的には俺の話を聞いてくれるようにはなったものの、それでも俺の中での評価が低いというのは変えることが出来ない事実であった。仕事だけの付き合いとばかり思っていた人間からの着信、何か思惑があるのではないかと身構えてしまう。

 

 

「うーんとね。私のことを守ってくれたわけだし、人間として最低限のお礼はしておこうと思ってねー」

 

「お礼?」

 

「そ、お礼。いっくんの後だから少し時間がかかっちゃうけど、気長に待っててねー。じゃ!」

 

「は? ちょっ、あの!?」

 

 

 慌てて声をかけ直すが電話先から聞こえてくるのは電話が切れたことを証明する効果音だけ。だが、切られたならかけ直せばいい。

 

霧夜家を甘く見ないでもらいたい、この携帯はあらゆる対策を施された霧夜家だけの特注品だから非通知の相手でもこちらからかけ直すことが出来る。どんな仕組みになっているのかは不明だが、意味の分らないところで役に立つことになった。

 

俺は改めて非通知の電話番号、つまり篠ノ之束の携帯に電話をかけ直す。

 

 

「ブツッ……おかけになった電話番号は現在使われておりません」

 

「………」

 

 

 淡い期待は一瞬のうちに消え去った。この電話番号が通じない以上、これ以上コールしたところでオペレーターのアナウンスを聞いて通話代がとられるだけ。気になる言葉ばかりしかなかったけど、今は深く詮索しないようにしておこう。どうせしても無駄なだけだ、ならしない方がいい。

 

 

「やまとー! 何してるの、早く来なさい!」

 

「すぐ行く!」

 

 

 洗面所にいる時間があまりにも長すぎると感じたのか、廊下をはさんで向かい側にある台所から千尋姉の声が聞こえる。手洗いに行っただけの人間が十分近く戻ってこないともなれば不審に思うのも無理はないか。この件についてはまた後で考えるとしよう。

 

数分もかからない動作だったはずなのに、無駄に疲れた。あ、ちなみに携帯の着信音はちゃんと元に戻しておきました。またハッキングされたら勝手に着信音を変えられるだろうけど、直さないでそのままの着信音は拷問のようなものだ。

 

知らない人間からの連絡が入るたびに、意味の分らない着信音が鳴っていたらこちらとしてはたまったものではない。

 

これがもし女性の前だったとしたらどんなに評価が高い女性の前でも、俺の評価は一気に変態クズ野郎にまで下がることは間違いない。

 

だったらマナーモードにすればいいじゃないかとか電源を切ればいいじゃないかっていう結論にはなるけど、それをしたところであの篠ノ之博士の前には何をしても無駄な気がする。実際に俺の携帯をハッキングするっていう意味の分らないことをしてるし。

 

そもそも携帯ってそう簡単にハッキング出来るものなのか、だとしたら携帯のハッキング犯罪がもっと頻繁に多発しているはずなんですがどういうことなんでしょうか。

対人コミュニケーションしかり、今回のことしかり、全く一般常識が通用しないというのはよく分かった。

 

 

……なんてことを考えながら台所へと向かった。

 

 

 

 

 

 

「もう何してたの……って何かあった? いつも以上に疲れた表情しているけど」

 

「それじゃ俺がいつも疲れているみたいじゃん……まぁ否定はしないけど。一言でいうなら嵐が通り去った」

 

「嵐って何?」

 

「天災のこと。もう話すのもめんどいから話したくないかな」

 

「そこまでいうなら無理に話さなくても良いわ。さ、さっさと食べなさい。これからやること山積みなんでしょ?」

 

「まぁね」

 

 

心中を察してくれた千尋姉はそれ以上言及してくることは無かった。テーブルの上には数品のおかずにご飯とみそ汁が並べられている。自分の分が並べられている椅子に座り、手を合わせる。

 

 

「いただきます」

 

 

 

 

 箸を手に取り、おかずとご飯を口の中へ含んでいく。ちなみに今日の献立は茄子の揚げ浸しと里芋の煮物、さんまの塩焼きというもの。いかにも日本人らしい食卓だと思う。俺に少し遅れて千尋姉も食べ始めた。うちは俺と千尋姉が交互に晩飯を作るというローテーションをくんでおり、仕事が絡んでくるとそのローテーションを崩したり、外食で済ましたりしている。

 

 

今この家に住んでいるのは俺と千尋姉の二人だけで、他に霧夜家の護衛として働いている人間は各自別々の家に暮らしている。急な召集をかけない限り、全員が一か所に集まるということはほとんどない。

 

 それに俺は当主という肩書こそあるが、それはあくまで表向きの霧夜家の当主。霧夜家の全権を握っているのは千尋姉の前の当主だった女性、霧夜神流(きりやかんな)

 

神流さんは千尋姉の実の母親であり、そして俺達のいい理解者でもある。今は完全に護衛業から手を引いて隠居の立場にあるが、その発言力は絶大であり、俺がこうして当主になれたのも、神流さんの進言がなければありえなかった話だ。

 

今は霧夜家の総本山で旦那さんと仲睦まじく暮らしているらしく、たまに俺達のところに顔を見せることがある。

 

それと千尋姉は前線を退いたとは言っても別に護衛業から完全に手を引いたわけではなく、今でも家を空けることはある。他にも副業として何かやっているらしいけど、詳しいことはよく分らない。

 

 

 

 

俺と千尋姉の夕飯はいつも静かだ。そんな特にいつもと変わらない静かな感じで、夕食の時間は過ぎ去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、IS学園の入学に関しての話だけど。あんたとしてはどうなの?」

 

 

 夕食後、居間の机の前でテレビを見ながら話を始めた。千尋姉はビールを片手に、飲みながら俺に語りかけてくる。

 

 

「実感がわかないってのが本音、話がトントン拍子で進みすぎてついて行けない。ただ政府としては、俺をどうしてもIS学園に入れたいらしくてね」

 

「ふーん。でも表情だけ見ると満更でもないって顔してるわ。案外楽しみなんじゃない?」

 

 

持っているビールをゴクゴクと一気に飲み干して、次の缶を開ける。今日はいつにもまして飲むペースが速い、顔はもうすでにほのかに赤くなっていた。

 

 

「かな。まぁいずれにせよ、当分こっちの仕事も手は付けれないだろうから」

 

「安心しなさい。その件に関してはカバーするって母さんが言ってたわ」

 

「そう、ありがとう」

 

「……」

 

「……」

 

 

 会話が完全に止まってしまい、互いの間に気まずい沈黙が流れる。俺は平静を装いながらテレビの画面見ているが、千尋姉は飲み干した缶を机の端に置き、新しいビール缶のタブを空ける。お酒に強い訳じゃないのに、かなりハイペースで缶を開けていっているが本当に大丈夫なのか心配になってきた。

 

暴走気味の千尋姉を一度止めようかと口を開こうとするが―――。

 

 

「大和と暮らして十年になるのかな?」

 

「え?」

 

 

 その動作は千尋姉の一言によって中断された。とはいっても、千尋姉の口調は別に厳しいものではなく、むしろ穏やかなものだ。俯き気味だった顔を俺の方に向けると、照れているのか酔っぱらっているのかよく分らない表情を浮かべながら今までのことを振り返るように語り始める。

 

俺と千尋姉しか知らない、二人だけの思い出を。

 

 

「引き取った時は私も大和と同い年だったのに、今では大和が当時の私と同い年か。時の流れって本当に早いわね」

 

「そうだね」

 

「来たばかりは本当に無愛想で……口なんかも聞いてくれないし。そんな子がこんなに大きく育つなんてね。心も身体も、本当に大きくなってくれた」

 

 

 引き取られたとき、千尋姉はまだ十五歳。まだ中学を卒業するかしないかという年齢だ。そんな千尋姉は身内がいない俺のことを、大切な家族として接してくれた。

 

今でもこの十年間のことをはっきりと覚えている。俺が小学校に入学する時も、中学に入学するときもずっと俺のそばにいてくれた。部屋にあるアルバムには友達と遊んでいる写真よりも、千尋姉と写っている写真の方が多い。

 

今でこそ仲が良い兄弟に見られるが、俺が霧夜姓を名乗るようになってしばらくは千尋姉はおろか誰とも口を利かなかった。自分に存在意義などないのだと、仲間なんて俺にはいないと思っていたから……。

 

一方的に突き放す俺にも、毎日変わらずに接してくれた。当時のことを思うと、自分は完全な黒歴史で思い出したくないようなことばかりだ。

 

人間なんか人を利用して、自分さえよければそれでよく。いらなくなったら捨てる。所詮そんなものだと、ずっとずっと……思っていた。

 

 

 

―――でも違った。時間が経つにつれて人と接することの大切さ、人間の優しさというものを知れたおかげで、俺はこうして心を開くことが出来た、そして変われた。

 

 

「俺がこうしていられるのも千尋姉のおかげだよ。もし引き取ったのが別の人間だったら、ここまで心を開くこともなかったし、ずっと当時のままだったと思う」

 

「そう、ありがと。でも大和が変われたのはあなた自身の努力よ。私はあなたのそばにいてあげることしか出来なかったわけだし」

 

 

 でも、一緒にいてくれた。いくら俺が無視しようとも、千尋姉はずっと俺のそばにいてくれた。だからこうして変われた、本当に感謝しても感謝しきれない。

 

 

「そう考えると寂しいわね。弟が自分の下からいなくなるなんて」

 

「千尋姉……」

 

「ううん、ごめん。お姉ちゃんがこんなんじゃ駄目だよね」

 

 

 

―――ポロリとでた、自分の姉の本音。

 

 IS学園は全寮制だ。入学するとなれば、ここを離れて一人暮らしをすることになる。たった一人の弟が手元から離れるというのは、今までに経験したことがないこと。どうしても傍にいてもらいたいという保護欲がわくのかもしれない。

 

たった十年、さえど十年。その期間は俺にとっても千尋姉にとっても長いようで短い期間だった。ただ会えなくなるわけではない。休みになればまたこうして会うこともできるわけだ。二人しかいないIS操縦者の内の一人、ISを動かしてしまった時点でどうなるかなんて分かっていたこと。

 

 

「俺は大丈夫だから、千尋姉も心配しないで。別にこの世から居なくなるわけじゃない」

 

「大和……」

 

「寂しいのは千尋姉だけじゃない。……それは俺も同じだから」

 

 

 

 

 頬をポリポリとかきながら、照れ隠しするように顔を少し背けた。顔の表面が熱くなっていくのがよくわかる。横目に千尋姉を見ると、俺の言ったことにキョトンとしながら見つめてくる。どうやら俺の言ったことが理解しきれていないみたいだ。

 

……物珍しいセリフを聞いたからびっくりしているみたいだけど、普段から姉がいないから寂しいなんて言うわけないだろう。普段から言ってたらそれじゃただのシスコンじゃないか、勘弁してくれ。

 

 

「本当に……物言いまでいい大人になっちゃって」

 

「俺も成長しているってことで。いつまでも昔のままじゃないよ、流石に」

 

「そう……」

 

 

 

 

 

 

 

飲みかけの缶を机の上に置くと、千尋姉はおもむろに立ち上がった。どこに行くのかと目配りでその様子を見守る……ってあれ何かこっちに近づいてきているような気が……。

 

 

 

 

「えいっ!」

 

「ちょ、千尋姉!?」

 

 

俺の後ろに回り込んだと思えば、急に後ろから抱きついてきた。両腕に力をこめて絶対に離さないと言わんばかりに俺に密着してくる。

 

ちょっとまて! 背中に何か当たってる! 部屋着とはいっても千尋姉はいつもワイシャツ一枚の上に下着を外して過ごしているため、薄い服越しに強烈な存在感を発する何かが押しつけられていた。

 

普段から一緒にいると忘れてしまいがちだが、千尋姉のスタイルはかなり良い。街中で歩いていてモデルやっていますと言えば、ほとんどの人間が納得するほどだ。

 

話はそれたけど、こんなことをやり始めるってことはもしかして酔っぱらっているのか。ふと開けたビール缶の数を確認する。

 

ひーふーみー……

 

……えっとその……あの。十数本転がっているんですが、一体これどういうこと?

 

ハイペースで何本飲んでんだあんた!?

 

自分をもはや潰してくださいと言ってるような本数が目の前には広がっている。とにかくこの状況を何とか変えないと……

 

何て考えているうちにどんどん束縛する力が強まっていく。

 

 

「弟のくせに生意気ね! こんにゃろ!」

 

「ちょっ! やめ!? ―――っ!? み、耳に息を吹きかけるなぁ!」

 

 

弟ってのはどこの誰もが一度は生意気になるものです、だって逆らってみたいじゃない。

 

抜け出そうとする俺に追い打ちとばかりに、耳に息を吹きかけ来た。

 

おかげさまで身体の力が抜けて、抵抗する力が徐々に弱まっていく。くっ、これではこっちがされるがままだ。何とか形勢を逆転できればと身体に力を込めるが、どうやらそんな力ももう残っていないみたいだ。身体自体がうまく動いてくれない。

 

ちょっと今日の千尋姉はおかしい。いつもだったら酔いが回ればすぐに潰れて寝てしまうのに、今日は完全な絡み酒になっている。

 

酔っているのは仕方ないけど、ここまで男性の理性というものを刺激されるのは非常にまずい。本当にこのままじゃ……

 

 

 

……?

 

 

 

もう諦めようかと思った刹那、急に千尋姉の束縛が弱まっていく。

 

自身も騒ぎ疲れたのかどうなのかはわからないが、どんどんその力は弱まっていった。そしてある程度まで力が弱まると肩越しに顔をこちらに覗かせてきた。そして……

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

「―――頑張りなさい、大和」

 

 

涙ながらに一言、そう伝えた。

 

何とか笑顔を作ろうと努力しているものの、溢れてくる涙を止めることは出来なかった。溢れ出た涙が頬を伝い、ポタポタと首筋に垂れてくる。

 

 

「……千尋姉」

 

「―――っ!! ばか! あんまり女の子の泣き顔を見るんじゃないの!」

 

 

ギュウウウ!!

 

 

「ちょっ、流石にこれ以上はやばいって!」

 

 

ちょっと振り向いたらまた思いっきり抱きつかれました。背中でつぶれる二つの双丘が気持ちいいです。

 

……じゃなくて。

 

 

「……あなたは私の家族、私はずっと味方だから。しっかりと、ね?」

 

「……あぁ!」

 

 

 

 

 

その後は千尋姉が泣きやむまでの数十分、ずっとそのままの状態で頭を撫でつづけていた。

 

―――この十年間お世話になった"我が家"に別れをつげ、俺はIS学園へと歩を進める。



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クラスに男子は二人だけ

―――IS学園入学当日。

 

 まさか今まで自分達がこの場所に足を踏み入れる何て予想もしなかった。電車に乗ってしばらく。乗っている間、電車から見ることが出来る海の景色を観覧しながら時間を潰していたわけだが……IS学園って陸の孤島だったのな。

 

自分にとって全く無関係なものだとばかり思っていたために、どこにIS学園があるなんてのは興味がなかった。ISに関してはそれ専用のゲームも出来ているわけだし、俺も若干の認知はある。

 

とはいえIS学園に入ると決まってからそれからが大変だった。中でも電話帳かと思うような馬鹿みたいに分厚い参考書を読んでおけって言われたのには骨が折れた。日数をかけてそれなりのことは分かったが、IS学園じゃこの程度の知識は覚えて当たり前。むしろ何で覚えられないのかって感じかもしれない。

 

覚えられたって言ってもほとんどうろ覚え状態だし、こりゃ授業が始まってからの苦労が目に浮かぶ。自分で選んだ手前、責任はすべて自分にある。自分で何とかするしかない。

 

 

 

で、今俺はどこにいるのかというと教室の中にいる。

 

クラス分けは幸いなことに、もう一人の男性操縦者と同じになれたわけだが、そんな喜び以上に周りからの視線というものはきついものがあった。極めつけは時間帯が時間帯のためだけに誰も話そうとはしない。

 

 

「………」

 

 

 俺の席は前から二番目、詳しく言うと教室のど真ん中の列の二番目。んでこの列の一番前、つまり俺の前に座っているのが一番最初に現れた男性操縦者、織斑一夏。かの有名な織斑千冬さんの弟。

 

こんな場所に男性が放り込まれたら誰だって落ち着かないのは同じ、周囲を見渡しても目に入るのは女性だけだから。あくまで平静こそ装っているが、俺も俺で緊張はしている。だって周囲を見渡しても目に入るのは女性だけだから……大事なことなので二回言わせてもらった。

 

そんな落ち着かない理由を挙げてみたものの、織斑一夏の場合は如実だった。さっきから左手を閉じたり開いたり、顔だけキョロキョロ動かすなど、全くと言っていいほど落ち着かないらしい。

 

普段だったら自分の行為が如何に恥ずかしいかすぐに分かるものだけど、どうやら織斑はそんなことを判断している余裕もゆとりもないようだ。さっきから同じような動作を機械のように繰り返し行っている。

 

慣れればどうか分らないけど、今の状況は天国のような地獄。そう捉えられないこともない。

 

俺から見た考察をしていると、教室の扉が開かれて一人の女性が入ってきた。

 

 

 

「皆さん入学おめでとう! 私は副担任の山田真耶です」

 

 

 先に入ってきたのはこのクラスの副担任の方だった。見た感じだと先生っていうよりも生徒って感じがする。年齢なんかも俺達なんかよりは上なはずなのに、年相応の雰囲気ってのは無い。IS学園の制服を着て入ってきたら誰もが遅れてきた生徒だと疑わないだろう。

ただ、何だろう。この先生色々な意味で苦労してそう。……いや教師っていう職業柄苦労するものではあるんだけど、その……主に外部的な意味で。

 

居酒屋に入ろうものなら未成年と間違われて身分証確認する前に追い出されそうだ、ここは高校生お断りしてますみたいな感じで。後は名前、もう完全にからかってくださいって言っているような名前だ。

 

でも顔立ちは幼く見えるという以外は、すごく可愛らしいと思う。後特に胸回りが。後IS学園の教師をしているんだからISの操縦技術なんかもそれ相応に高いんじゃないんだろうか。

 

 

山田先生は簡単な自己紹介を済ませたものの、周りの反応は実に冷やかなものだった。というよりクラスの過半数の視線が山田先生ではなくて織斑にいっていることが主な原因かなこれは。しらけさせたわけではないんだろうけど、完全にしらけムード満載で自己紹介した山田先生が悪いみたいな感じになっている。

 

このクラスの様子を目の当たりにした山田先生もどうしていいか分らずにただおろおろするばかりだ。

 

……仕方ないな。

 

 

「……よろしくお願いします」

 

 

助け舟ってわけじゃないけど、相手に伝わるくらいの声で返事を返す。するとそんな俺を確認した山田先生の表情はパァッっと明るくなり。

 

 

「あ、ありがとうございます! 霧夜くん!」

 

 

眩しいくらいの笑顔を見せてくれた。よほど嬉しかったんだろうけど、もう少しみんなは反応してあげてもいいんじゃないかななんて思う。

 

俺に笑顔で返してくれた山田先生は、さらに話を進めていく。

 

 

「さて、今日から皆さんはこのIS学園の生徒です。この学園は全寮制、学校でも放課後でも一緒です。仲良く助け合って、楽しい三年間にしましょうね」

 

 

「ういっす」

 

 

またも山田先生に反応を返すのは俺ただ一人。みんな聞いてない訳じゃないんだろうけど……何だろう、少し山田先生がかわいそうになってきた。

 

 

「じゃ、じゃあ自己紹介をお願いします。えっと……出席番号順で……」

 

 

 一応山田先生の自己紹介も終わり、今度は俺達生徒の自己紹介が始まった。一番の相川さんから自己紹介が始まったのはいいけど、一番前の織斑の挙動不審な行動は相変わらず。すると不意に織斑の視線が一ヶ所に固定されていたことに気付く。

 

誰かに助けを求めているのか、視線が左側に向く。その視線は窓際に座る一人のポニーテールの女性を捉えていた。

 

その視線に気がついたのか、ポニーテールの女性は容赦なしに窓の方を向いてしまう。それと同時にぐったりと首を垂れる織斑。この状況を打開する最後の希望だったのか、希望をぶち壊されてどんな表情を浮かべているのかも気になるけど、生憎ここからじゃその表情を確認することは出来なかった。

 

自己紹介は滞りなく進み、いよいよ一人目の男性操縦者、織斑一夏の自己紹介の番だ。

 

……というのにも関わらず、一向に立ち上がる気配を見せない。そんな様子に山田先生も、二度三度声をかける。

 

 

「織斑くん、織斑一夏くん!」

 

「は、はい!」

 

 

その瞬間にクラス中からクスクスと笑い声が上がる。何に対して笑っているのかよく分らないけど俺の時はこんな笑い声が起こらないように注意して自己紹介を行いたい。

 

 

「あの、大声出しちゃってごめんなさい。でも、『あ』から始まって今『お』なんだよね。自己紹介してくれるかなぁ? ダメかなぁ?」

 

 

 何だろう、この二次元のアニメにでも出てきそうな優しい人は。普通だったら教師の方から話を聞け的な感じで怒ってくることが多いのに。

 

 

「いや、あの……そんなに謝らなくても。えー……えっと、織斑一夏です。よろしくお願いします……いっ!?」

 

 

 まぁとにかく自分の順番が回ってきた以上、腹をくくるしかない。何かを決心したかのように、織斑は勢いよく立ち上がって自己紹介を行った。

 

その自己紹介と同時に、ただ見られていた視線が一層強い明確な『興味』を持った視線へと変わる。ところがどうやら本人は話すことが無くなったらしい。これで終わりでいいと思っていた織斑も視線に気がついたのか再びきょろきょろし始める。そして今度また手を震わせながら、あーでもないこーでもないと考え始めた。織斑の反応を見ようと女子は興味津々だ。

 

 

「――――はぁ、すぅ……」

 

 

再び息を吸い込む。雰囲気が変わったことを周りは察したのか、織斑に対する視線は今日一番のものになっていた。

 

腹を括ったのか、力強く手を握りしめながら口を開いた。

 

 

「以上です!」

 

「……は?」

 

 

 まさかの一言で、何年も漫才をしているかのような年期の入ったズッコケを見せてくれる。ここはISだけじゃなくて芸人を養成する機関でもあるのか……と頭の片隅に思いつつも、再び我に返る。

 

期待を見事に裏切るボケを見せてくれた訳だが、本人はこれでよかったと思い込んでいたんだろう。クラスメイト達の予想外の反応にあわて始める。そんな近くに一つの黒い影があるとも知らずに。

 

 

「え、あれ? ダメでした……うぐぅ!?」

 

 

 後ろにいる俺からははっきりと見えた動きが、周りの反応が気になっていた織斑には気付かなかったらしい。表現としては拳骨の音というよりも、バットが頭を殴打したんじゃないかと思うくらいの鈍い音だった気もした。

 

織斑は殴られた個所を押さえて、自分を殴ったであろう相手を確認する。

 

 

「うぐぐっ、いっつー……げぇっ、関羽!?」

 

 

 素直に名前を答えておけばいいものを、三国志の武将の名を口走ったせいで今度は出席簿ではたかれる。見ているだけならタダだけど……すっげぇ痛そう。今ので織斑の脳細胞の大部分が潰れたんじゃないかって思うくらいに。

 

さて、そんなわけで俺と織斑の前では仁王立ちした千冬さんが立っていた。しかしこうして改めてみるとオーラが違う。初めて会った時もオーラは凄かったけど、改めて教師としての千冬さんを見るとよりはっきりとそのオーラを感じることは出来た。

 

 

「誰が三国志の英雄か、馬鹿者」

 

「あ、織斑先生。もう会議は終わられたんですか?」

 

「ああ、山田君。クラスへの挨拶を押し付けてすまなかったな」

 

 

 織斑も実の姉である千冬さんだと気がつくと、驚きの表情を隠すことなくポカーンとしていた。当然と言えば当然か。喫茶店で聞いた話じゃ、織斑は千冬さんがどこで働いているのかを聞かされてなかったわけだし。

 

織斑が聞いても「お前はそんなことを気にするな」って一蹴してたみたいだから、その反応はよく分かる。あ、俺はあの時に聞かされていたからもちろん知っているぞ。

 

山田先生も千冬さんが来てホッとしたのか、さっきの慌てるような表情が消える。そんな山田先生に優しく微笑むと、コツコツと音を立てながら教壇の上に立ち、そして勢いよくこちら側に振り返った。

 

 

「諸君、私が担任の織斑千冬だ。君たち新人を一年で使い物になる為のIS操縦者に育てるのが仕事だ」

 

 

 醸し出す雰囲気は教師っていより軍人って感じだ……一言一句に迫力があり過ぎて、嫌ですなんて逆らう気なんて無くなる。いや、別に俺にそんな気があるわけじゃないよ? あくまでそういう反抗的な態度をとるような人間がいたらそうなるわけで……。

 

……何だろう、この嵐の前の静かさは。何か猛烈な何かが起きそうな気がする、手が勝手に両耳をふさぐように動いた。人間危ないときっていうのは本能で行動するっていうし、これには逆らわない方がいいかもしれない、いや良いに違いない。

 

 

 

 

 

「キャ―――!!!!!」

 

 

 

 

 

 案の定、予想通りというか。猛烈なまでの黄色い歓声がクラス中に響き渡った。あらかじめ耳をふさいでなかったらやばかったかもしれない。両耳ともふさいでるのに、一字一句はっきりと聞き取れるあたり、その黄色い歓声とやらの威力が如何にすごいものなのかよく分かった。

 

 

「千冬様! 本物の千冬様よ!」

 

「私、お姉様に憧れてこの学園に来たんです! 北九州から!」

 

 

ブリュンヒルデともなれば少女の憧れの的になるわけだ。憧れてここに来るなんて夢があるじゃないか。

 

 

「私、お姉様のためなら死ねます!」

 

 

おいおい、何か発言が過激すぎやしないか? 千冬さんのために命を投げ出す覚悟なのはいいとしても、千冬さんはそんなこと望んではいないと思うぞ。もちろん訓練なんかは死ぬ気でやれっていうだろうけど。

 

 

「毎年、よくもこれだけ馬鹿者が集まるものだ。私のところにだけ馬鹿者を集中させてるのか?」

 

 

やれやれといった感じで頭を押さえる千冬さん、どうやら本気でうっとおしいと思っているみたいだ。毎年ってことは今年に限ったことじゃないのか。毎年っていうか多分これからも毎回こんな感じじゃないかな、千冬さん言わば時の人なわけだし、どの生徒が来ていたとしてもこれは恒例行事になりそうだ。

 

そんな千冬さんを尻目に、クラスの女子たちのテンションはますますヒートアップしていく。

 

 

 

「お姉様! もっと叱って!もっと罵って!」

 

 

公然でマゾ宣言とか凄いな、俺見たことないぞ。

 

 

「でも時には優しくして!」

 

 

うん。正直話した感じだと、ザ・スパルタ教育って人だからそれは無理じゃないかな?

 

 

「そしてつけあがらないように躾をして~!」

 

 

ハイ二人目の宣言者発見、今日もIS学園は平和です。

 

なんて馬鹿なことをやっている場合じゃなかった。こんなことやっててよく苦情が出ないなこれ。もう学園公認とか暗黙の了解って域にまで達してしまっているのか。

 

騒ぎ立てている彼女たちを尻目に、千冬さんは握り拳を作りながら織斑を睨みつける。

 

 

「で? 挨拶も満足に出来んのか、お前は?」

 

「い、いや、千冬姉。俺は……」

 

 

最後まで言い切る前に織斑の顔が出席簿で叩かれる。もはや出席簿の出す音ではない。複数回殴られているせいで、いつか織斑の脳細胞がなくなるんじゃないかと心配になってくる。

 

いくら身内だからって、ちょいと厳しくし過ぎな感じも……ま、そこは大丈夫か。

 

 

「織斑先生と呼べ」

 

「……はい、織斑先生」

 

 

俺も呼び方には気をつけるとしよう。まかり間違って学校内で名前なんて呼ぼうものなら出席簿で殴られること間違いない。

 

 

「え? 織斑くんって、あの千冬様の弟?」

 

「じゃあ、ISを使えるって言うのも、それが関係してるのかな?」

 

 

 ようやく気が付き始めたか、まぁ気がつくのがちょい遅い気がするけど、それだけ千冬さんに夢中だったってことでいいか。

それよりもこのままだと自己紹介が終わりそうな雰囲気なんですが……。

 

 

「静かに! まだ自己紹介は終わってないぞ!」

 

 

あぁ、よかった。このまま忘れられたらどうしようかと思った。まさか一年間名無しくんとして生活を送るはめになるんじゃないかと思ったけど、最悪の事態は防げたみたいだ。

 

 

 

 

「霧夜、お前もまだ自己紹介が済んでいないだろう? お前は一度もメディアに顔を晒したことが無かったわけだし、ここが初顔合わせになるわけだ。そこの織斑よりもまともな自己紹介を期待しているぞ。もし織斑と同じようなら……」

 

 

分かっているなと、無言の威圧で納得させられる。一応考えてはあるが、もしお気に召さなかった時のことを考えると気が気じゃない。

 

 

「はい、分かりました」

 

 

 あくまで落ち着いて、前を見据える。先ほどまでは織斑に向いていた視線が、今度は一斉に俺の方へと向く。今度はそれに千冬さんの視線がプラスされたわけだが、言う事は変わらない。そして軽く深呼吸をして、閉じている口を開いた。

 

 

「……霧夜大和です。適性検査で偶々ISを動かし、ここに入学することになりました。趣味は料理と読書。特技も一応料理かな。話しかけにくい子も居るかもしれないけど、俺としては気軽に接してきてほしい。以上です、これから一年よろしくお願いします」

 

 

……やけに静かだけど、ヘマはしてないよな?

 

とりあえず言うことはきっちり言ったし、慣れないしゃべり方にはなったけど特に問題はないはずだ。俺の自己紹介を聞いていた千冬さんの表情も「まぁ良いだろう」って感じのものだし、出席簿を食らうことはなさそうだ。

 

それをみてホッと胸をなでおろし、俺は自分の席に座った。

 

 

「よし。では、諸君らには半月でISの基礎知識を学んでもらう。その後の実習だが、基本動作は半月で身体に染み込ませろ。いいか? 良いなら返事をしろ。良くなくても返事をしろ」

 

「「はい!!」」

 

 

見事に統率されたクラスメイト達はバラバラな返事になるわけでもなく、揃った返事を返した。滞りなく自己紹介は進み、とりあえず一行事を終わらせたわけだが、俺の身体にはやり遂げた達成感よりも疲労感ばかりが漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――一限の授業は自己紹介とこれからの授業のオリエンテーションってことで無事に終わり、休み時間となったわけだが、せっかくの休み時間だというのに休まる暇というものがない。

 

と、いうのもだ。

 

 

「あの子達よ。世界でISを使える男性って!」

 

「織斑くんって優しそうでいいなぁ~」

 

「霧夜くんも守ってくれそうな雰囲気がたまらないわぁ……」

 

「ダメ! 私にどっちか選べなんて出来ないわ!」

 

 

外に出て空気を入れ替えようと思っていたものの、流石にこの廊下を突っ切る勇気はない。それどころか顔を廊下に向けようとする勇気すらない。

 

授業が終わってすぐだというのに、すでに廊下には通行できないほどの人だかりが出来ていた。一年から三年と学年は様々、一目男子を見ようと押しかけて来ているのが現状だ。

 

タチが悪いのは別に誰かが進んで話しかけてくるってことじゃなく、ひたすらに全員が牽制し合って結局何もしないし起きないってところにある。少しながらも話しかけてくれればこちらも対応するのに、まるで物珍しい世界的遺物を見るような目で誰も行動してくれないからこちらとしてもどうしようもない。

 

先にも言ったけど、この中で自分から話しかけに行くってのは完全に自殺行為だ。本能が語っているから間違いない。

 

もう何か溜息しか出てこない。流石にこれは生殺しだ。女性の中にいるのがこんなに大変なことだとは。

 

郷に入れば郷に従え、慣れるしかない。

 

 

「えっと……霧夜でいいか? 俺は織斑一夏。大変だと思うけど、これからよろしくな!」

 

 

 俺が疲労困憊の状態でボーっと呆けていると、前方から声が掛けられた。すると自己紹介の時とは打って変わって、ハキハキと喋りかけてくる織斑がいた。……なに、織斑も今の俺と心境は同じなんだ。正直、今の味方は織斑しかいない。

 

 

「あぁ、よろしく。それと俺のことは名前で呼んでくれ、俺も織斑のことを一夏って名前で呼ぶからさ」

 

「おう、よろしくな!」

 

 

 ガッチリと握手を交わす。俺と一夏としては男の友情を深めるための行為に過ぎなかったのに、一部からは「今年の夏は織斑×霧夜で決まりね!」だとか「何言っているの! 霧夜×織斑よ!」って声が聞こえてきたのは別の話。勘弁してくれ、俺のライフはもうゼロだ。

 

貴重な男性と互いに自己紹介を交わしていると―――。

 

 

 

「ちょっといいか?」

 

「ん?」

 

「え?」

 

 

 クラスメイトから突然話しかけられた。凛とした武士のような雰囲気をまといながら、髪の毛を後ろで結ったロングポニーテールの女性。さっき自己紹介の時に一夏がヘルプを送ってた子だよな、この子。確か名前は篠ノ之箒……ん? 篠ノ之? もしかして篠ノ之博士の妹?

 

 

「箒?」

 

「あぁ、久しぶりだな」

 

「六年ぶりか? すぐ箒だって分かったぞ!」

 

「そ、そうか」

 

 

 一夏の言葉に照れくさそうにしながらも、嬉しさを表す篠ノ之さん。どうやら二人で積もる話もあるみたいだし、ここは二人にしてやったほうが良いだろう。それに多分だけど……惚れてるのかな、一夏に。

 

 

「あー篠ノ之さん。久しぶりの再会なんだから、二人で話してきたらどうだ?」

 

「そうだな。すまない、一夏を借りる」

 

「二人とも、授業までには帰ってこいよ」

 

 

 それだけ言ってやると篠ノ之は顔を赤くしながら一夏の手を引いて教室の外へと出て行った。久しぶりの再会らしい、少しくらい二人っきりにさせてやるのもいいだろう。あのままごたごたやるより、二人きりの方が話しやすいのは明らかだ。

 

篠ノ之は一夏に好意を持っているみたいだし、ほんのちょっとだけ俺が気を利かせてやっただけ。

 

 

そんな二人の後を何人かの生徒が追いかけてはいったけど、何かしようとは思っていないはずだ。それよりも問題なのは、いまだに廊下に残っている生徒の方なわけで。

 

一夏がいなくなったおかげで、残った生徒たちの視線はすべて俺に集中した。

 

……これはむしろ墓穴を掘ったか? IS学園に入って初めて女性の知り合いが出来たとはいえ、それとこれとは話は別。二人を教室の外に出してしまったために、被害を俺がもろに受けてしまう状態に。仕方がない、戻ってくるまで耐えるしかないか。

 

今日何度目のため息だこれ? 何? ため息は幸せが逃げていくって? 知らんわそんなの。

 

普通ここまで興味を持たれるなんて思ってもみなかった。せいぜい物珍しいなくらいで終わると思っていたんだよ、チクショウ。

 

 

 

 

――――その後、俺は視線という名の攻撃を二人が帰ってくるまでの間受け続けた。授業の予令が鳴ってすぐに二人は戻ってきたのだが、篠ノ之はどこか上の空だった。原因は十中八九、一夏のせいなんだろうけど言うのは野暮だと思ったので言わないでおく。



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イギリス代表候補生登場!

「では、ここまでで質問がある人はいますか?」

 

 

―――休み時間をはさんで二時限目、IS基礎の勉強の時間だ。休み時間の拷問に近い視線の数々に比べれば、難しい授業など楽園のようなもの。教壇には山田先生だけではなく、千冬さんも仁王立ちして授業の状況を見つめ、時折山田先生の代わりに解説する時がある。だから全員の視線はおのずと前の黒板にいっているため、俺と一夏に視線が集中することはない。

 

 楽園のようなものだとは言ったけど、この授業自体が難しいことには変わりない。何とか言われることを聞き逃さないようにノートに書きとめながら、教科書にも重要な箇所にマーカーを引く。そんでもって視線は黒板に。

 

特にIS関連の授業は覚えることが非常に多いため、少しでも気を抜いているとすぐに分からなくなる。今何とかついて行けているのも、事前に渡された参考書を読んでいたからだ。やれやれ、先に渡してくれたことに感謝だな、あれがなかったら魂が抜けた人形のようになってただろう。

 

と、まぁ俺自身は何とかついていけているものの、問題は俺の前に座っている人間か。さっきから顔を真っ青にしながら体を小刻みに震わせ、全然分かりませんアピールをしている。助けたいのは山々だが授業中に声を上げるほど、俺も肝が据わっているわけではない。

 

というか今やっている内容って、確か入学前に渡された参考書の最初の方に書かれている部分だよな。……一夏。お前入学前に渡された参考書、読んだのか?

 

 

そんな一夏の表情が青ざめていることに気が付き、山田先生が優しく歩み寄ってくる。

 

 

「織斑くん、何かありますか?」

 

「うわっ! えーっと……」

 

「質問があったら聞いてくださいね? 何せ私は先生ですから!」

 

「うぅ……あの……先生……」

 

 

ガタガタと壊れた機械のように右手をあげる一夏。いや、もう何て言うかよっぽどテンぱってたのな。体中汗だくじゃないか。

 

 

「はい、織斑くん♪」

 

 

そんな一夏に、天使のようなほほ笑みで質問を待つ山田先生。

 

何だろう、この後発せられる一夏の言葉が何となく想像できるぞ俺。頼むから火に油を注ぐことを言うのはやめてくれよ。

 

 

「殆ど全部分かりません……」

 

 

あぁ、やっぱりか。予想通り過ぎて何か気分は複雑だ。折角だから裏切ってくれてもよかったのに。ほら、山田先生の天使のようなほほ笑みが、信じられないって表情に変わっちゃったじゃないか!

 

 

「え……全部ですか? 今の段階で分からないっていう人はどの位いますか?」

 

 

 もしかして自分の教え方が悪かったのではないかと、山田先生はクラス中に今の段階で詰まってしまった生徒がいないかどうかを確認する。

 

俺? 俺は大丈夫だよ?

 

山田先生の教え方は凄く分かりやすい。例えるなら英文の和訳解説が隣に置いてある状態で、英文を和訳してくださいと言われているようなもの。それくらい内容が自然と頭に入ってきた。

 

 

数秒ほどあたりを見渡すが山田先生の表情に変化はない、ってことは現段階で授業の内容が分からない生徒がいないわけだ。

 

そしてクラスを一周眺めるとその視線は一夏ではなく、俺に止まる。一夏が分からないってことはもしかしたら俺も理解できていないのではないか。

 

そんな不安が山田先生をこのような行動に駆り立てるんだろう。もう何か山田先生も泣きそうな顔してるし……ここで俺が分かりませんって言ったら俺は一生後悔する気がする。

 

 

「き、霧夜くんは大丈夫ですか? 分からないところないですか!?」

 

 

もう顔が必死だ。例え分かっていなかったとしても分かりませんなんて言えない。

 

 

「俺は何とか、ついて行けてます」

 

「そ、そうですか。よかったです!」

 

 

授業について行けていることを伝えると、少し山田先生の表情に明るみが戻る。安心してください、すごく分かりやすいので。

 

すると俺がついて行けていることがよほど意外だったのか、一夏が俺の方へ振り向いてきた。

 

 

「え、大和お前分かるのか!?」

 

「まぁ、そこそこに……というかお前は俺より先にISを動かしたんだから、俺なんかより早く参考書が届いただろう? まさか読んでいないのか?」

 

「え、参考書?」

 

 

おい、まさかその反応……。もしかして読んでないどころか、存在自体知りませんでしたとかいうオチじゃないだろうな。

 

 

「霧夜の言う通りだ。織斑、入学前の参考書は読んだか?」

 

 

今起きている光景を見かねた千冬さんが教壇から降りて一夏の前に立つ。当然その手には出席簿が握られている。一夏、下手するなよ。

 

 

「えーっと……あ、あの分厚いやつですか?」

 

「そうだ。必読と書いてあっただろう?」

 

「いや……古い電話帳と間違えて捨てました……うわぁ!?」

 

 

 ものの見事に火に油を注いでくれた、御馳走さまです。光速、いや神速にまで加速した出席簿の一撃は一夏の左側頭部をピンポイントで捉えた。あの出席簿って何で出来ているだろうな、もしかして人を引っ叩くように特注で作られているとか……

 

古い電話帳って言われても、真ん中にでかでかと必読って書いてあったわけだし、捨てるってのはどうなんだろうか。捨てたものはもう戻ってこないし、どうしようもないけど。

 

 

「後で再発行してやるから、一週間以内に覚えろ。いいな……」

 

「い、いや! 一週間であの厚さはちょっと……」

 

 

あ、バカ! このタイミングで何ダイナマイトに火をつけるようなことしてるんだこのアホは!

 

んなことしたら……

 

 

「やれと言っている……」

 

「うぐ……はい、やります」

 

 

蛇に睨まれた蛙みたいだな、この光景。……仕方ない、同じ男性操縦者としての仲だ。少し助けてやろう。

 

 

「一夏。参考書が届くまでは俺のを代わりに見せてやるから、これ使えよ。線とか引いてあって見にくいかもしれないけどな」

 

 

 前の一夏に、俺が使い込んだ参考書を手渡ししてやる。それを受け取った一夏は、何か感極まった表情で俺の手を握ってきた。……ってちょっと待て、俺にその気はないぞ! 夏休みに薄い本として出版されるなんてごめんだからな!

 

 

「うぅ……助かるよ、大和」

 

「ってなわけで織斑先生。代わりに俺の参考書を見せますので……もちろん、一週間以内に覚えれなかった場合は、俺の恩を蔑ろにしたってことで俺も教育に参加してもいいですよね?」

 

「ああ、好きにしろ。ただ私がいる前でなら、だがな」

 

「え、ちょっ! それは無いっ……あっだああぁ!?」

 

「授業中に大きな声を出すな、馬鹿者」

 

 

もはや一夏が殴られることが定番化して、それに慣れつつあるこのクラスが怖くなってきた。そんな俺たちに向けて、千冬さんは真剣な眼差しで語りかけてきた。

 

 

「ISはその機動性、攻撃力、制圧力と過去の兵器を遥かに凌ぐ。そういった”兵器”を深く知らずに扱えば必ず事故が起こる。そうしたいための基礎知識と訓練だ。理解が出来なくても答えろ。そして守れ。規則とはそういうものだ」

 

 

 ごもっともで言い返す言葉もない。ISは表向きこそ正しく使いましょうなんて習わしがあるが、それを悪用しようと企てる人間もいる。

 

その時ISは人の命を一瞬にして奪い取る兵器となる。悪用すれば、自分達が日常生活で使っている物も凶器にだってなる。料理用の包丁や、交通手段の車、これは正しい使用法を守っているからこそ便利な生活ツールとして役立っているだけで、一歩間違えればそれだけで大惨事を引き起こすものに変わる。

 

ISはさらにその上を行くわけだ。これは千冬さんが自分が乗って経験してきたからこそ言える言葉、だからこそ普通の人間が言うよりもはるかに重く感じる。

 

 

「……山田君。続きを」

 

「あ、はい。ではテキストの十二ページを開いてください」

 

 

その後の授業は何事もなかったように進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、大和も姉がいるのか!?」

 

「ああ。んで、織斑先生と名前がよく似てるからな、たまに混同しそうになる」

 

「へー、なるほど……何となく大和は一人っ子って感じがしたんだけどな。立ち振る舞いとか見てると俺たちと同い年には見えないし」

 

「まだ知り合って数時間しか経ってないだろ、俺がどういう人間かなんてのはもう少し後に決めてもいいんじゃないか?」

 

 

 時間が経つにつれて友情というものは深まっていくもの、授業を終えた俺と一夏は互いのプライベートのことについて談笑していた。立ち位置的には俺の席に一夏が来ている形で、俺は座っていて一夏は立っている。

 

廊下にはまだ数多くの生徒が見物に来ているが、さっきその視線を浴び続けたために多少耐性が出来た。だから、割と今は気も落ち着いている。

 

休み時間まで参考書持ち出してアクティブなんちゃらだの、こうえきうんたらだの勉強会を開く気は毛頭ない、せめて休ませてくれ。学生なんだから。

 

学校にいる最中の醍醐味ってあれだろ? 休み時間と昼休みと授業中寝の『三種の神器』

 

正直勉強なんか二の次、やってられん。テストなんかは一週間くらい詰め込めば何とかなる。せめて休み時間くらい友達と有効活用したい。

 

 

「そういや、ここまでどうやって来てるんだ? 俺は一週間自宅から通学してくれって言われてるんだけど……」

 

 

どうも伝わっていることが食い違ってるな、伝達ミスか何かか?

 

 

「今日は実家から直接来た。でも次からは寮からってことで、荷物はまとめて寮の方に送ってもらったぞ」

 

「あれ、もしかして俺も聞き違いでもしたか……? とりあえず、今日は家に「ちょっとよろしくて?」ふぁ?」

 

「え?」

 

「まぁ! 何ですのそのお返事? わたくしに話しかけられるだけでも光栄なのですから、それ相応の態度というものがあるのではないかしら?」

 

 

 二人で話している最中に横から唐突に声をかけられる。一夏は気の抜けた返事で、俺も急に話しかけられるとは思ってなかったために中途半端な返し方になってしまう。確かイギリス代表候補生のセシリア・オルコットだっけか?

 

いかにもプライドの高そうなお嬢様って感じだ、いや実際プライド高いんだろうけど。それにそれ相応の態度とは言われてもな、ごきげんようオルコット様って返せばいいのか?

 

この見下すような高圧的な態度見る限り、どうも女尊男卑の傾向が強そうだ。俺としてはあんまり得意じゃないタイプ。穏便に済ませることが出来るなら、穏便に済ませたい。

 

どうしようか考えていると一夏が

 

 

「悪いな。俺、君が誰だか知らないし、大和は?」

 

 

先に返答し、さらに俺に話題を振ってくる。

 

 

「え? いや俺もまぁ……」

 

 

何故こんな返し方をしたんだ俺……。曖昧な返した俺を全力で殴りたい、適当に返してしまった結果がこれだ。やってしまった感が尋常じゃない。

 

そんな俺たち二人の反応が気に食わなかったのか、机を叩いて身を乗り出して抗議してくる。

 

 

「わたくしを知らない!? セシリア・オルコットを!? イギリスの代表候補生にして、入試主席のこのわたくしを!?」

 

 

いや、俺は知ってるけどね。捲くし立てながら迫ってくるオルコットに一夏はちょっと待ったとばかりに手を広げて差し出した。

 

 

「あっ、質問いいか?」

 

 

 質問、質問ねぇ。確かに興味はあるわな、まがいなりにも代表候補生なわけだし。どんなISを使ってるのかだとか、イギリスの代表候補生ってどれくらいいるのかとか。ぶっちゃけ俺もそれに関しては知りたい。

 

 

「ふん! 下々の者の要求に応えるのも貴族の務めですわ。よろしくてよ」

 

 

何かいちいち言動が癪に触るな、もう少し普通の立ち振る舞い出来ないものか。

 

無理しているっていうか、子供が背伸びしているっていうか。表面上だけ取り繕っている感じがどうも強くてたまらない。こういう人間もいるのかって考えればいずれは慣れるか……

 

オルコットに対して真剣なまなざしを向ける一夏。なるほど、今度は期待していいんだな?

 

 

「代表候補生って……何?」

 

 

 

 

ドガシャァアア!!

 

 

 

そこ!? そこなのか!? 期待した俺がバカだったよ!

 

今の音はクラスの聞き耳を立てていた生徒たちが盛大にずっこけた音だった。窓際の子なんて机盛大に押し倒しているし。しかしこのクラスほんとすっ転ぶのがうまいな、マジで芸人として食っていけるんじゃないだろうか?

 

IS学園……いや、下手すりゃ一般人でも知っているようなことを聞かれて、オルコットも茫然と立ち尽くしていた。

 

 

「あ……あ、ああ……」

 

「あ?」

 

「信じられませんわ! 日本の男性というのは、皆これほどにも知識に乏しいものなのかしら!? 常識ですわよ! 常識!!」

 

「おい待て、勝手に俺までひとくくりにしないでくれ」

 

 

キーキー発狂しながら食ってかかってくるオルコットだが、とりあえず無視だ。これ以上何か言ったら藪蛇になりそうだし。

 

 

「大和、代表候補生って何だ?」

 

「代表候補生ってのは、代表になるかもしれないって人間のことだよ。言葉の通りに解釈してくれればいい」

 

「なるほど、つまりエリートってことか」

 

「そう、わたくしはそのエリートなのですわ!! 本来なら、わたくしのような選ばれた人間とクラスを同じくするだけでも奇跡! 幸運なのよ! その現実を少しは理解していただけるかしら?」

 

 

 クネクネしたかと思ったら急にどや顔で俺たちの方へ振り向く。確かにラッキーかもな、俺と一夏はISを操縦することに関しては完全に素人なわけだし、そっちからすれば色々教えられることもあるだろう。……っというわけで。

 

 

「「そうか、それはラッキーだ」」

 

 

偶然にも一夏と考えていた言葉がハモった。いや、別に世辞じゃなくてラッキーなことだとは思っているぞ、ただ急に出てきた言い方がこれしかなかったっていうか。

 

 

「……馬鹿にしてますの?」

 

「お前が自分で幸運だって言ったんじゃないか」

 

「大体、何も知らないくせによくこの学園に入れましたわね。どんな殿方かと思いましたが、とんだ期待外れですわ」

 

「俺に何かを期待されても……」

 

「……」

 

 

 もう面倒だ。遠まわしに嫌味を言われているのがたまらなく疲れる。これがもし男とかだったら容赦なく出来るかもしれないけど相手は女性、一つの発言が大惨事に繋がらないこともない。

 

別にこういう手合いはISが発明されてから何人も見てきたから、慣れているっちゃ慣れている。怒るっていうよりかは、呆れるって方が正しいか。だが女性にこき使われるだけなんてまっぴら御免だ。

 

 

「まぁわたくしは優秀ですから。貴方達のような人間にも優しくしてあげますわよ? 分からないことがあれば……泣いて頼まれたら教えて差し上げてもよくってよ? 何せ入試で唯一、教官を倒したエリート中のエリートですから!」

 

「あれ? 俺も倒したぞ、教官」

 

 

オルコットの自信を打ち砕くべく……一夏自身は全くそんなつもりはないんだろうけど、ぼそっと自分が教官に勝ったことを伝える。

 

へぇ、一夏は倒したのか。入試っていっても勝ち負けではなく、生徒がどのくらいの力を持っているのか判断するための適性検査だ。基準がどうなっているのかはわからないが、とにかく教師と一対一のIS勝負をする試験のこと。

 

俺はちなみに負けた。IS戦で千冬さんに勝てるはずもなく、近接ブレードを破壊するのが精いっぱいだった。最後の方は割とまともに戦えて、シールドエネルギーも削るだけ削ったけど、所詮は後の祭り。世界最強のIS乗りに勝てるわけがなく、シールドエネルギーが切れて負けた。

 

初めて動かしたにしては、十分健闘したんじゃないかって個人としては思っているわけだが、もう少し出来たかもと思う部分もある。思った以上に操縦に慣れるのに時間がかかった上に、慣れたのはエネルギーが切れる直前。

 

それまではまともに戦えたものじゃなかった。身体に変なおもりが巻きつけられているみたいで違和感が強すぎるわ、自分の動きにISがついて行ってくれないわ……。

 

だからこそ、国家代表とか代表候補生なんかは流石だななんて思うわけだけども。どうもオルコットは俺が思っていた代表候補生とは違う感じだ。

 

 

「はぁ!?」

 

 

一夏の教官を倒した発言がよほど驚きだったのか、信じられないといった表情でズカズカと歩み寄ってくる。

 

 

「倒したっていうか、いきなり突っ込んで来たのをかわしたら、壁にぶつかって動かなくなったんだけど」

 

「わ、わたくしだけと聞きましたが……?」

 

「女子の中ではってことじゃないか? 俺たちは数少ない男性なわけだし、試験日程なんかも違ったはずだから」

 

 

 別に勝とうが負けようがそんなに関係ないって思うけどな、ここにいる以上は全員がその試験に合格したってことだし。実際結果がすべてを言うのなら、一夏とオルコット以外は負けたから全員不合格ってことで、今年の一年生入学者は二名しかいません。ってことになっているわけだ。

 

確かに教官を倒したっていうのは力を持っていることにはなるけど、この三年間でどうなるかなんて誰も予想できない。もしかしたらこのクラスの中から日本の国家代表が出るかもしれない。勝利したことは確かにすごいけど、それをだしにお高くとまっていたらそれ以上上には行けないだろう。

 

だがどうやら、どう言いくるめようとしてもオルコットは納得したくないらしい。さらに捲くし立てながら、身を乗り出して顔を近づけてきた。

 

 

「あなた! あなたも教官を倒したっていうの!?」

 

「えーっと……落ちつけよ。な?」

 

「こ、これが落ち着いていられ……」

 

 

 ますかと言い切る前に、休み時間終了の鐘が鳴り響く。流石にこれ以上話しているとまずいとオルコットも察したのだろう、渋々俺たちから離れて、自分の席に戻っていく。

 

 

「話の続きはまた改めて! よろしいですわね!?」

 

 

 後姿からすでに怒りの感情がメラメラと伝わってくる。やれやれ、せっかく視線に慣れたかと思えば休む暇なんてあったもんじゃないな。あれか、俺たちにここにいる以上は休むなっていう暗黙の了解でもあるのか。

 

……いやぁ、お気遣い感謝します。

 

 

「何だったんだ、あれ?」

 

「さあな。別に目に見えて危害を加えようとしている訳じゃなさそうだから、ほっといてもいいんじゃないか?」

 

 

キンキンと響く高音の声は正直うるさかったけど、闇討ちしようだとか、一キロ離れたビルからスナイプするとか考えている訳じゃなさそうだし、放っておこう。

 

 

「そうだな。大和、俺正直今日一日体力が持つか不安になってきたよ……」

 

「ああ、俺もだ……」

 

「………」

 

「………」

 

「「……はぁ」」

 

 

一夏とため息がはもる。

 

本当に今日一日、体力がもつのか不安になってきたな。あとで胃薬でも買っておこう、大変だとは思っていたけど、これは想像していたものよりきつそうだ。



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本当の目的と一騒動

「よし、これで終わりだ。どうだ、一夏?」

 

「な、何とか……」

 

 

四苦八苦しながらも一日の予定を終えて、時間は放課後に移る。夕焼けが教室内を照らす中、俺と一夏は今日の授業の復習をしていた。

初日ということもあり授業内容に関しての復習はそこまで大したことは無かったものの、一夏が常識として知らなければならない知識まで復習をしていたため、かなりの時間を要した。

 

そして、ようやく終わった。終わると同時に、一夏は頭から煙をあげてぐったりと机の上に倒れこんだ。一気に膨大な量の情報量を叩き込まれたせいだろう、これを一週間続けて覚えさせるとなると勉強がトラウマになるんじゃないかと心配になる。

 

そもそも参考書を古い電話帳と間違えて捨てた一夏が悪いのだが、見放すなんてことは出来るはずもなく。こうして放課後まで復習に付き合っている次第。

 

それにこれは一夏だけじゃなくて、俺にとっても学習した内容を復習し直すいい機会になる。居残りしてても損はない。放課後とはいえ、既に一時間以上経っているため、教室に残っているのは俺と一夏だけだった。他のクラスメイトはすでに帰ったらしい。

 

……本当に帰ったのかどうかは知らないけど、今教室にいるのは二人だけ。外からは部活動に勤しむ声が聞こえてくるだけで、教室内は午前中の賑やかなものとは違って静かなもの。

 

俺は今日授業でやった一通りの内容を復習するだけでよかったが、一夏は今日の内容にプラスして遅れている参考書分の勉強をしている。そりゃ疲れるわけだ。

 

 

「これだけやったのに参考書が全然進んでねぇ……先が思いやられるな、これ」

 

「捨てちまったもんは仕方ないだろ。一応重要そうなところには印しつけてあるから、それを頼りにやるしかない。後、参考書届いても俺のを使えばいい。なんも書かれてない参考書なんて見てもなんのこっちゃってなるだろ?」

 

 

「うう、大和……お前本当にいいやつだな!」

 

「面倒見るって言っちまったからな……期待を裏切るなよ、一夏」

 

「あぁ、任せておけ!」

 

「ああ、良かった。お二人ともまだここにいたんですね」

 

 

 勉強も一段落し、そろそろ帰ろうかどうかと悩んでいるのを見計らったように山田先生が駆け込んできた。

 

自分が担当しているクラスなので来ても別段不思議ではないけど、俺たちに用があるっていうのがどうも気になる。一体どうしたというのか。

 

 

「山田先生……どうしたんですか?」

 

「いえ、お二人のお部屋のことなんですが……」

 

「部屋……ですか?」

 

 

一夏が意味深な顔をしながら首をかしげる。困惑する俺と一夏の前に山田先生は二つの鍵を差し出した。

 

あれ、やっぱ入寮って今日からだったのか? さっき一夏の話だと一週間は自宅通学だって言ってたみたいだけど。

 

 

「あれ? 確か最初の一週間は自宅通学のはずですよね?」

 

「はじめはそうだったんですけど……普通の生徒と勝手が違うので、ここに住んでもらうことになって無理矢理部屋割りを変更したらしいんですが……聞いてませんか?」

 

「いや、俺は聞いてないです。大和は?」

 

「俺は詳しくは聞いてないけど、一応荷物とかはまとめて寮に送ってもらったはずだから……」

 

 

 間違えさえなければ届いているはずだ。ただ確実かといわれるとはっきりと断言は出来ない。そんな俺たちに苦笑いを浮かべる山田先生。

 

俺はともかく、一夏の話を聞く限りだと全く引越しの準備をしていないみたいだ。

 

 

「一夏はなんも用意してないなら一度家に帰った方がいいんじゃないのか? 流石にそのままの格好でここに住むわけにはいかないだろ?」

 

「そ、そうだな。じゃあ今すぐ……」

 

「あ、織斑くんの日用品なら「もうすでに手配はしておいた、ありがたく思え」あ、織斑先生」

 

 

山田先生の後ろから現れたのは千冬さんだった。片手には男物のボストンバッグが握られている。

 

 

「ちふ……織斑先生。どういうことですか?」

 

「私がお前の部屋から必要品を持って来てある。着替えと携帯の充電器があれば問題ないだろう」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 

 そう言いながら千冬さんは一夏にボストンバッグを手渡した。その手渡す時の音が軽いこと軽いこと、本っ当に最低限しかないのな。

これで一夏が今すぐ実家に戻る必要はなくなったわけだけども。んで、後問題なのは、俺の荷物がちゃんと届いているのかだけど……。

 

 

「あぁ、霧夜の荷物は午前中に届いたから、こちらで部屋まで運ばせてもらった」

 

「あ、どうもっす」

 

「今日はもう部屋に帰ってゆっくり休め。山田先生、キーを二人に」

 

「あ、はい。こちらになります」

 

 

 山田先生から俺達に部屋の番号が書かれた鍵が渡される。俺が手渡された鍵の番号は一〇ニ七と刻まれていて、一夏の部屋の番号は一〇ニ五と刻まれていた。

……ん、ちょっと待て。この学校って確か二人一組で部屋が割り当てられていたよな、何で俺と一夏の番号が違っているんだ?

 

普通男子が二人いるならこんな別の番号にはならないはず……

 

 

「あの、山田先生。俺と大和の部屋は一緒じゃないんですか?」

 

「確かに。何でです?」

 

「それが急遽部屋を用意したために、そうなってしまったんです。なので霧夜くんは一人部屋ですが、織斑くんは相部屋となっています。また部屋割りを調整するので、少し我慢してくださいね」

 

「はい、分かりました」

 

「えぇ!? 相部屋ですか!?」

 

「そうだ。ルームメイトにはくれぐれも迷惑をかけるなよ、織斑」

 

「は、はい……」

 

 

 千冬さんに釘を刺されて、シュンと小さくなる一夏。一夏が相部屋じゃなかったとしたら、俺が相部屋だった可能性もあったってことか。犠牲になった一夏の前であれだが、不幸中の幸いってやつだ。許せ。

 

 

「それと大浴場は使えないので、しばらくは部屋に備え付けのシャワーで我慢してくださいね」

 

 

 当然か、もともとIS学園は女性しか来ない場所なんだから大浴場も女性専用。つまり野郎である俺たちが入るスペースはない。

 

仮に入ったとして、そんな光景を生徒に見つかった時点で退学。最悪牢屋行きが確定する。この分だと、男性用のトイレっていうのもないんだろう。しばらくは生活しにくそうだ。

 

 

「え? 何でですか?」

 

 

一夏……さすがにそれはジョークだよな?

 

まさか進んで犯罪行為に走ろうとしているんじゃないだろう?

 

 

「お前は女子と一緒に入る気か? まぁ行くんなら俺は止めないぞ、ただ俺は無関係だからな」

 

「お、織斑くん!? だっ、ダダダダダメですよ!?」

 

「あっ、いや違うって! 流石に女子とは一緒に入りたくないから!」

 

「おい、その言い方は誤解されるぞ一夏」

 

「えぇ!? 織斑くんって女の子に興味がないんですか!? そ、それじゃそれで問題が……」

 

「あっ!? いやいやいやいや違います! 決してそんな訳じゃ!」

 

 

 山田先生……ずいぶんと話が飛んじゃったけど、一夏も一応男なわけだしそれ相応の性に関する興味はあると思います。

 

一夏の一言でもうめちゃくちゃだ。山田先生は別世界にトリップしちまってるし、一夏は一夏でそんな山田先生を必死に説得している。千冬さんは止めるのもめんどくさくなったのか、やれやれといった鬱陶しそうな表情を浮かべるだけだ。

 

そんでもって極めつけは……

 

 

 

「お、織斑くん。もしかしてそっちの気が……」

 

「ちょっと待って! そういえばさっき織斑くん、霧夜くんと握手してなかった!? あれって別の意味があったんじゃ……」

 

「大至急二人の中学時代の友人関係を洗って! すぐに! 情報ソースは徹底的に活用して!」

 

「ふふっ……優しそうな織斑くんと、霧夜くん……ぶはっ!」

 

「ちょっ! 何を想像したのこの子!?」

 

 

 どうやら俺が生徒は全員居なくなったというのは盛大な勘違いだったみたいだ。聞き耳を立てられていたせいで、当事者は一夏のはずなのに何故か俺にまで飛び火してる。

 

――――何これ? 入学初日から○○疑惑をかけられるわ、午前中はイギリスの代表候補生に絡まれるわ、一夏は参考書を捨てるわ。もう散々だ。ってか問題の半分以上が一夏が絡んでいるじゃねえかこれ。

 

……いいや、もう帰ろう。このままいたら被害がさらに拡大するだけだ。

 

 

「織斑先生、俺は先に帰ります。荷物が届いているなら、それを整理したいですし……」

 

「ん、そうか。さっきも言ったと思うが今日はゆっくり休め、初日で疲れているだろうからな」

 

「ありがとうございます……一夏、帰るぞ」

 

「え、あ、ちょっと待て! すぐに準備するから」

 

 

 

慌てて帰り支度を始める一夏、今日という日はまだ終わりそうにない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一〇ニ七号室……ここか」

 

 

無事何事もなく寮につき、鍵番号と部屋番号が一致しているかを確認。どうやらここが俺の部屋らしい。

 

部屋を一つ挟んで一夏の部屋がある。一夏も自分の部屋だと確認したようで、俺の方を眺めていた。

 

 

「よう一夏、じゃあまた後でな」

 

「ああ! 夕飯の時にまた呼びに行くからな!」

 

 

一夏の言葉を確認すると、俺は自分の部屋の鍵を回して部屋の中に入った。

 

 

「……なかなかいいところだな」

 

 

 部屋に入った第一印象がそれだった。素直にいい部屋、というか学生には本当にもったいないくらいだと思う。入口すぐ右側にはキッチンがあった、しかもIHの最新型。

 

部屋の先に進んで行き大きく開けた場所には大きなベッドが一つ、机にはディスプレイ付きときたもんだ。ベランダ手前には花が飾ってあっておしゃれな感じを醸し出している。

 

そして部屋の隅々まで掃除が行きわたっており、部屋はほぼ新築同然。……正直ここで一生生活できるんじゃねって思うのは俺だけじゃないはず。

 

とにかくそんな充実した設備の中でも俺の目にすぐに止まったのはベッドだった。綺麗に敷かれた敷き布団とフカフカの掛け布団。座ってみると分かるが、弾力はばっちり。

 

すぐにでも横になりたいし、なれる条件はそろっている。ただこの状態で寝ると、朝までコースまっしぐらなのは間違いないため、再びベッドから起き上がる。

 

とりあえず俺が送った荷物の確認だ。

 

 

屋隅にある四つの段ボールから衣類関係の段ボールを探し出し、その箱を開ける。仮にも本来は女性が住む寮なわけで、当然だが自分の身だしなみっていうのはいやでも周りに見られる。

だから部屋着も当たり障りのないようなものを選んできたつもりだけどどうなんだろうか、まだ誰にも見られてないから何とも言えない。

 

自分で言うのもなんだけど悪くないと思う。つってもジャージのような服装だけど。

 

部屋着と外出着を複数持ってきたが、季節的に春物が多い。だからどっかで夏物を買いにいかないといけないわけだが……正直俺から見た似合う服っていうとやっぱ選ぶのが難しい。こういうのは誰かに見てもらった方が選びやすいし、特に女性なら的確なアドバイスを送ってくれる。

 

……早めに女性の友達、作らないとな。

 

 

とりあえず着替えよう。いつまでも制服を着ていると学校気分が抜けない、さっきも言ったと思うけどONとOFFの切り替えはしっかりしたいんだ。

 

上着を脱いで黒のタンクトップを着て、上下を白い線の入った黒のジャージに変える。寮の中はそこまで寒くないため、ジャージの上着は脱いでもいいのだが、男のタンクトップ姿ってそうそうみたいモノでもないと判断して脱ぐのはやめた。よし、これで問題はないはずだ。

 

荷物の整理は夕食後にしようか、今はとてもする気にはならない。

 

俺は大の字になってベッドの上に倒れこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベッドの上に寝転びながら、今日一日の学生生活を振り返ってみる。ホームルームの時間の視線攻撃をはじめ、イギリスの代表候補生にも絡まれたっけ。その後の授業は一応無事に終えることが出来たものの、今残っているのは充実感ではなく疲労感だった。

 

 

 

「………織斑一夏」

 

 

対象の名前を呟きながら、俺はまぶたを閉じて喫茶店での出来事を思い返す。

 

―――――俺がここに来た目的。それはISを操縦できる男性だから。

 

確かに一つはそれだ。だがもう一つ、別の目的がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……もう一つの目的、それは『織斑一夏を護衛すること』。あの後、喫茶店では千冬さんに一夏の護衛を依頼された。もちろん千冬さんは有償で提案した。

 

護衛の重要度によって受けるか受けないかを決めるのが霧夜家のしきたりだ。当然いくら資金を積まれても重要度が低ければ断るし、資金が仮に少なかったとしても重要度が高ければ受ける。それは代々続いている決まりだ。決して俺個人の独断と偏見によるものではないことだと先に言っておく。

 

ただもう一つ、俺が当主になってから依頼を受けるか受けないか決めるための物差しを決めている。それはクライアントが如何に護衛対象を大切に思っているか。そして逆にその護衛対象が周りにどう思われているか、だ。

 

 

 

 

 

 

 

「かけがえのないたった一人の大切な家族だから、か」

 

 

 

 

 

 

 

引き受ける理由など、それで十分だった。

 

千冬さんは今では第一回モンド・グロッソの総合優勝を果たし、ブリュンヒルデの称号を手にした。だが突然、国家代表を引退して表舞台から去った。その理由はなぜか。

 

事は第二回のモンド・グロッソ決勝戦の日にまでさかのぼる。

 

決勝戦までの予選を圧倒的な強さで勝ち進みんだ織斑千冬。世界中の誰もが織斑千冬の大会二連覇を信じて疑わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――しかし決勝戦当日、彼女が会場に現れることはなかった。

 

決勝戦を棄権し不戦敗となり、第二回モンド・グロッソの連覇を逃したことは大きな話題となった。だが、それは表向きの理由だ。

 

何故誰も棄権した理由を突き詰めなかったのか、棄権するならそれ相応の理由があったはずなのにだ。

 

 

 

 

 

 

 

――――そう、棄権した本当の理由。

 

当日に弟である織斑一夏が、正体不明の謎の組織に誘拐されていたからだ。

 

一夏を助けるために決勝戦を棄権し、ドイツ軍独自の情報網から一夏の居場所を特定、そして無傷で救出した。

 

仮にも無傷で救出できたから良かったものの、もし少しでも遅れていたら一夏はどうなっていたか分らない。

 

千冬さん本人も今でこそ気にしてはいないものの、心に大きな傷をおっていた。

 

だからこそ俺に依頼した。

 

自分の今の立場では一夏を守り切ることは出来ない、だから力を貸してほしいと。たった一人の弟を、絶対に失いたくないと。

 

頼む千冬さんにIS学園の教師としての顔は無かった。そこにあったのは一人の弟の身を案ずる姉の顔だった。

 

 

 

 

――――凄く似ていた。

 

千冬さんと千尋姉の姿がだぶって見えた。何でか分からないけど、何故かダブって見えた。

 

一夏の護衛を俺は無償で受けることにした。今まで仕事を受けてきた中で、何人もの人間を護衛してきたが、護衛の目的がほとんど金ぐるみのため。

 

人間を対する大切に思う気持ちなんてものはなかった。人を思う気持ちも、金さえあればどうでもいい。そんな考え方しかしない人間ばかりだった。

 

心の底では仕事だと割り切っていたものの、受けたいと思う仕事内容ではない。断れるのなら断りたいほどにだ。

 

肉親を大切に思ってくれる気持ち、それがどれだけ温かいものかはよく分かる。それがたった一人の肉親だとしたらなおさら。

 

 

 

 

一夏がさらわれた事実、それを知っているのは千冬さんと当事者の一夏だけ。誰にも知られたくない事実を俺にわざわざ話したということは、千冬さんにもそれだけの覚悟があったということ。

 

事件が起きたのが決して昔じゃないことを考えると、このIS学園にいる最中も一夏が狙われない保証はない。

 

 

「弟思いの姉か……一夏も幸せ者だな」

 

 

 家族が大切と言われると当たり前のようにも聞こえるけど、実際に心配しているところを見ると本当の意味で家族は良いものだと思える。

 

俺にとっても家族は大切だし、数は多くないけど友達もいる。心の底から大切だと思える人間がいる。それだけで理由なんか十分だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふわぁ~……」

 

 欠伸がだらしなく漏れないように、口元を手で押さえる。それにしても一夏のやつは、何をやっているのか。荷物置いたらすぐに呼びに行くみたいなこと言ってたくせに、ちっとも来る気配がない。

 

寝転がっているから徐々に睡魔というものが押し寄せてくる。人間は人生の大半を睡眠で過ごすし、人間で一番強い欲は睡眠とも言われる。だから俺の優先順位が食欲よりも睡眠欲に傾きかけている。

 

すぐに寝るかと言われればそういうわけでもないし、廊下の外のにぎわいが止まないことには。

 

ってそういえば……。

 

 

「さっきから、やけに廊下が騒がしいな」

 

 

 先ほどまでは静寂に包まれた廊下だったのに、今では扉を閉めているにもかかわらず、人だかりが出来る音が聞こえてくる。物思いに更けていて何も気がつかなかったけど、いざ無心になると周囲の音がはっきりと聞こえてくる。音からして、結構な人数がいるはずだ。

 

時間的には夕食の時間だし、うるさいのは移動している音が聞こえるからか。なるほど、それなら納得。

 

聞こえてもおかしくない音だと判断し、特に気にすることなく再び目を瞑った。

 

 

ダンダンダンダン!!!

 

 

「うわっ!?」

 

 

……騒音に変わらなければだけどな。

 

賑やかだなと思えば、今度は俺の部屋のドアをぶち破ろうかというほどの凄い勢いでノックされる。音からしてノックした人物は相当慌てているのか、ノックは優しく二、三回という常識を忘れていた。まるで敵にでも追われているかのように。

 

ダイナミックお邪魔しますってか。やめろ、人の部屋のドアを勝手に壊さないでくれ。

 

 

無視しようかと思ったがドアが壊れて、千冬さんの出席簿アタックを食らうのは勘弁なので、ドアを開けようと入口に近寄る。

 

 

「誰だ?」

 

「大和! 俺だ、一夏だ!」

 

「一夏?」

 

 

 盛大にドアノックをかましてくれたのは一夏だった。慌てている理由がどんな理由にせよ、この状態では何も把握することは出来ないため、ドアを開けてみる。

 

 

「や、大和! 助けてくれ! 箒が!!」

 

「あ、そう。じゃっ」

 

「ちょっと待てえ!!」

 

 

篠ノ之の名前が聞こえた瞬間に女性がらみのトラブルだと判断した俺は、身を翻して部屋の中に戻ろうとする。しかし逃げようとした俺を、自分の身体をドアの隙間に挟んで、何とか俺を止めようとする一夏。

 

 出会いがしらの表情で何となくやらかしてしまったってのが分かったから、逃げようと思ったんだけど……うまくドアに自分の身体をはさんで閉じれないようにしてしまったために、俺は部屋に入ることが出来ない。

 

それほどマジで慌てているってことか、一体何をやらかしたんだ。

 

まぁあれだ、話くらいは聞いてやってもいいか。でも今日これで何回目だろうか、一夏関連のトラブルは。こんなん毎日起こってたら正直たまらん。

 

 

このまま閉める動作を続けていたら一夏の胴体に青あざがつくのは避けれないため、力を込めるのをやめて詳しい話を聞くために外に出る。

 

 

「あ、霧夜くんだ!」

 

「えーここが霧夜くんの部屋なんだー!」

 

「今度遊びに行っていいかなー?」

 

 

 部屋着に着替えた女性陣が一夏を取り囲むように包囲していた。しかもみんなずいぶんきわどい服装のために、目線を別の場所にそらす。

 

周りにいる女性陣のほとんどがどこか体の一部を露出しているという、極めてラフな服装で、目のやり場に困る。

 

女性しかいないというのはあくまで去年までの話で、今年からは男性が二人いるんだからもう少し普段着を選んでほしい。着ちゃいけないとは言わないけど、やっぱりなぁ。

 

……とりあえず今はそっちのことを気にしている暇はない、一夏の話を聞くのが先決だ。

 

 

 

 

「んで、篠ノ之がどうしたって?」

 

「と、とにかく来てくれ!」

 

「……マジで何やらかしたんだ」

 

 

一夏に言われるがまま後をついて行く。そして一夏の部屋の前に立つと、思わずその表情が引き攣った。

 

 

「うわぁ……何だこれ」

 

 

そう声を上げるしかなかった。俺の目の前には刀のようなものでメッタ刺しにされ、無残な姿に変わり果てたドアがあったからだ。

何をどうすればこんな穴が出来るのか、不思議でならない。穴の個所は六ヶ所、周りにひびが入ることなく綺麗に開けられている。

 

穴の大きさからして刀状の何かでぶち破られていることが分かった。……刀状、ねぇ。木刀か竹刀あたりだろうけど、ここまでやるものか。

 

逆によく一夏も無事だったなと、感心してしまう。一夏に問題を聞くのも野暮だし、部屋に押し込んで二人で解決させればいいか。

 

俺は穴あきだらけのドアの前に立つと、そのままノックした。

 

 

「―――誰だ?」

 

「俺だ、大和だ」

 

「何故お前がいる。一夏はどうした?」

 

「ここにいるぞ。このままだとこっちも迷惑だから、さっさと二人で解決しな」

 

「分かった。入れ」

 

 

返ってきたのは怒りがこもった声だった。

 

ガチャリ、とドアが重い音を立てて開かれる。ドアの先には袴を纏った篠ノ之がいた。ものの見事に目を吊り上げて、苛立ちを隠そうともしない篠ノ之だが、話があるというと素直にドアを開けて、俺と一夏を招き入れようとする。

 

そして篠ノ之の右手には木刀が。いや何処の武人ですか、人を招き入れるのに右手に木刀持ったままで迎えるなんて聞いたことないぞ。

 

とりあえず部屋には入れてくれることになったわけだし、一夏の後ろに回り込んでその背中をグイグイと押してやる。

 

 

「ほら、一夏。さっさと入れよ」

 

「あ、あぁ……大和は?」

 

「だーかーら、俺は今回のことに関しては無関係。当事者間で解決しな。俺がここにいても何も出来ん。それに……」

 

 

実際に俺が立ち会っても意味がない。しかも俺がいては二人は遠慮してしまい、腹を割って話すことなんて出来ないはずだ。

 

……それに、邪魔者はサッサと撤収ってな。

 

 

「……?」

 

 

篠ノ之の顔をちらりと見つめる。

 

 

「二人っきりの方が、篠ノ之もいいだろ?」

 

「なっ!?」

 

 

図星なのか、顔を真っ赤にする篠ノ之。きっかけは作ってやったんだ、後は二人で解決してくれ。それ以外俺には何も出来ない。

 

 

「じゃあな。俺は先に食堂に行ってる」

 

「え? わ、分かった」

 

 

ポカンと口をあける一夏に一言先に行くことを伝え、部屋のドアを閉めた。後は二人が何とかするのを祈るばかり、俺はサッサとここからお暇するとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

「ねーねー霧夜くん、ここって織斑くんの部屋なの?」

 

「何で一緒の部屋じゃないのー?」

 

「一緒にお話ししようよー!」

 

「写真撮らせて―!」

 

 

 

……後はこの女の子たちをどうするかだよな。後最後の子、無断で撮影したらだめな。盗撮、ダメ。絶対

 

 

 

さて、篠ノ之と一夏の問題は一段落ついたけど、こちらの問題は全くついていないわけで。かといって一人一人の質問に丁寧に答えていたらどれだけ時間をとられるか分らない。ちょっとやそっとのことじゃ道を開けてくれなさそうだし、この子たちが一瞬でも目をさらせる言葉があれば良いんだけど。

 

普段あまり使うことがない脳をフル回転させ、何をすればここから無事に、そして完全にまくことが出来るのかを考えていた。別に話すのが嫌じゃないけど、時と場合と人数による。時間的には問題ないけど、人数が問題あり、幾らなんでも多すぎ。

 

何でもいい、とりあえず一瞬でも気が引けるモノや事、そして言葉……言葉!?

 

言葉という言葉で名案を思いついた俺は、早速その作戦を実行した。

 

 

 

「あっ、あそこに織斑先生が!!」

 

 

 この学園では最も有名な人間の一人である千冬さんの名前を叫びながら、反対方向の通路を指差す。もちろん千冬さんがいるはずがなく、あくまで振り切るためのフェイクだ。嘘をついたことに対し申し訳ない気分になったが、その効果は抜群だった。

 

 

「えっ、嘘!?」

 

「どこどこ!?」

 

 

予想通り、女の子たちは指さされた方向に俺以外の全員が一斉に振り向く。振り向いたことで視線が俺から外れた。この場を去るのなら今しかない。

 

そう認識した俺は、一気にその場を離れる。俺が指差した先に千冬さんがいないことが分かると、女の子たちは俺がいたところに視線を戻す。しかしそこにはすでに俺の姿はない。そこで初めて気がつく、一杯喰わされたと。

 

誤魔化されたことに気がつき、俺の方に向けてやや不貞腐れた声が飛んできた。

 

 

「ちょっ! 霧夜くん!?」

 

「ぶー! 逃げないでよー!」

 

「折角お近づきになるチャンスだったのにぃ!」

 

 

 顔だけ後ろを振り向きながら女の子たちの様子を確認する。案の定、頬を膨らめて拗ねる子や、両手を握って万歳するように上に伸ばす子など、三者三様の表情をしていた。そんな表情を浮かべる子たちに申し訳ないと思いつつ、俺は声を発する。

 

 

「ごめん、また今度! ちょっと急いでいるんだ!」

 

 

 

声をかけた後、納得してくれたかどうかは分らないが、俺の後を追いかけてくる子はいなかった。追ってこないことが分りつつもしばらくは小走りを続け、先ほどの現場から距離をとった。

 

最初の曲がり角を曲がったところで、その足を止める。少し悪いことをしちゃったかな……でもさすがにあそこで全員を相手する自信はない、そこだけははっきりと言える。無理。

 

また今度時間がある時に話は受け付けよう、もちろんさっきよりも少ない人数だけど。

 

 

 

ひとまずその場で一息つき、自分の目的が何だったのかを思い出す。バタバタし過ぎたせいで何しに行くのかを忘れかけていた。

 

完全に忘れた訳ではなかったため、数秒も経たずに食堂へ行くことだったと思い出す。というか食堂に行くだけだったのに何この疲労感?

女の子に話したり、対応したりするのってこんなに大変なことだったっけか。

 

学校で山場を越えると思ったのに、休める場所であるはずの寮までこうだとどこで一息つけばいいんだろうか。本気の本気でこれからが心配になってきた。

 

 

色々心配だけど、いつまでもウダウダ考えても仕方ない。結局慣れろってことだ、腹を括ろう。

 

 

 

 

 

 

「ちょっと道草食っちまったけど、食堂に行くか……」

 

 

今一度気分を入れ替え、目的地である食堂に向けて歩を進めた。

 



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○夕飯時の出会い

「えっと……こっちでよかったよな?」

 

 

 

二人と別れ、一夏の部屋の前に陣取っていた子たちを置き去りに、俺はただ一人で食堂へ歩を進めていた。

 

ひとまず、一夏と篠ノ之を和解させるべく少しだけ当人同士の間に介入したものの、本来なら当人たちだけで解決してほしいというのが本音だったりする。

 

あくまでやらかしたのは一夏であり、俺自身は一夏と篠ノ之が何をやらかしたのか分からないわけだ。

 

一夏は助けてくれと言ったものの、当人同士の問題は当人同士で解決し無ければ意味はない、むしろ第三者の加入が事態をより複雑にする可能性もある。

 

 

 

……とはいえ、解決するのは二人の仲であって、別の問題は全く解決してはいなかったりする。

 

篠ノ之によって見るも無残な姿に変貌してしまったドア。穴は開き放題で、プライベートを守るという一番大切な役割を失ってしまった。

 

中で何かを話そうものなら、穴から会話が廊下まで完全筒抜けで、外からは部屋の中を観察し放題。覗いているのがバレればそれはそれで問題になるだろうけど、結論から言えばドアを壊すやつが悪い。

 

あぁ、そういえば一年生の寮長って千冬さんだったっけ。そして部屋割り担当が山田先生。こりゃ大変だ……。

 

 

 

そんな訳で、俺は二人のことを置き去りにして、一足先に食堂に足を運んだ……わけだが俺はここで自分から墓穴を掘ってしまったことに気がついた。

 

今は一夏がいない、つまりさっきまで俺と一夏に分散していた視線は俺ただ一人に集中する。これは積んだんじゃ無かろうか。

今さら後悔しても遅い、すでに足は食堂の敷居を踏み入れていた。

 

 

「え、霧夜くん!?」

 

「うそっ!? ほんとだ!」

 

「制服姿もいいけど、部屋着姿もいいなぁ……」

 

「ちょ、携帯貸して! これは貴重な一枚よ! 間違いなく高く売れるわ!」

 

 

勝手に人の写真を撮ったり売ったりするのは、プライバシーもへったくれもあったもんじゃない。だから勘弁してください。

 

予想していた通り、多方面から好奇の目やら会話が聞こえてくる。……中には俺や一夏といった男性をよく思わない人間もいるみたいだが、こっちから何か言わなければ明確に来られることはなさそうだ。

 

声に出ないように心中で溜息を吐きつつ、食券の販売機の前に並ぶ。食券の販売機もかなりの人が並んでいて、なかなか進まない様子。夕飯のピークの時間帯のようで、あいている席も少なかった。

ま、時間に切羽詰っているわけではないし、ゆっくり待つとしよう。

 

 

「あ、あの……霧夜くん。よかったら、先どうぞ」

 

「ん? あぁ、別に急いでいる訳じゃないから気を使わないでいいぞ。それにせっかく並んでるのに、後から来た俺が割り込んじゃ、並んでいる意味がないんだからさ。気持ちだけ、受け取らせてもらうよ」

 

「う、うん。分かった。ありがとう」

 

 

 俺の前に並んでいた子が、先にどうぞと言いながら列を譲ってきたが、これは丁重にお断りさせてもらった。この混んだ状況じゃ、いつどこに座れるかなんて分かったものじゃない。せっかく並んでいたのに、俺に先を譲ってしまったことで席に座れなくなったら、こっちが申し訳ない気持ちになってしまう。

 

俺が断ると、その子は顔を赤らめながら納得してくれた。後ろでいいなぁなんて聞こえるけど、まさか全員同じパターンをやり出すとかならないよな?

頼むから勘弁してくれよ。ただでさえ今日一日女の子の中に叩き込まれていろいろ疲れているんだから。

 

別に俺自身が女の子が嫌いってわけじゃないぞ、別にそういう妄想もあるわけだし、可愛いなとかきれいだなとか思うことだってある。

 

IS学園にも可愛い子やきれいな子は沢山いるけど、全学年女の子しかいない中に男性が叩き込まれたら精神的にくるものがあるってだけだ。

 

 

時間が経つにつれて徐々に並んでいる人数は減っていき、券売機の前にたどり着いた。

 

 

「グランドとモーニング限定メニューがある上に、それに和洋中と全部行けるときたか。相変わらず凄いなIS学園」

 

 

 券売機に書かれているメニューの豊富さに驚かされた。一か月の学費が十数万するようなどこぞの有名私立校をはるかに凌ぐメニューの数、和洋中といってもそのバリエーションだけで百はある。メジャーなものから、あまり聞かないようなものまで、挙句の果てにはデザート系まで充実してるときたものだ。

 

券売機の数は複数あるものの、これだけの大量のメニューがあるのなら選ぶのに時間がかかって長蛇の列が出来るのもうなずける。

 

正直俺もどうするか迷う。あまりここでごたごたしていても時間の無駄な上に周りの迷惑になるため、まっ先に目に入った唐揚げ定食にした。

 

券売機から、唐揚げ定食と書かれた紙が出てくる。それを調理場の窓口に渡した。

 

 

「これからお世話になる霧夜大和です。よろしくお願いします!」

 

「あら、アンタが男性操縦者の方かい? いい男じゃないのさ!」

 

「アハハ、ありがとうございます。あ、ご飯の方は大盛りでお願いします」

 

「大盛りだね? ちょっと待ってな!」

 

 

 これから三年間世話になるであろう学食の調理スタッフさん達に挨拶を交わす。俺としては割と自然にやったつもりだったんだけど、どうやらお気に召してくれたみたいだ。女性向けの量を基準に考えているのか、この食堂には大盛りっていうものが存在しないらしい。

 

女性からしてみればどうだか知らないけど、俺達男性にとっては物足りない。俺の前にいる女の子の茶碗を見るとかなり小さい上に入っているご飯の量も少量。だから確信できた、絶対に足りないと。

 

大盛りでやってくれても、追加料金をとられるとばかり思っていたため、無料でしてくれるのはうれしい誤算。

 

トレーを台の上に置き、料理が出てくるまでその場で待機する。学食っていうシステムを利用するのも初めてだし、実は滅茶苦茶楽しみだったりする。中学までは弁当だったし、学食とは無縁の生活を送っていた。

 

だから何もかもが新鮮で、楽しみだ。

 

 

 

――――待つことしばし、料理が出来上がってトレーの上に乗せられる。ご飯は丼用の入れ物に入っていた。さっきの小さな茶碗と比べるとその差は一目瞭然、サービスしてくれたことに感謝しよう。その他に豆腐の味噌汁、そしてメインディッシュの唐揚げとサラダのついた皿。そしてフルーツヨーグルトが乗っかっていた。

 

ってあれ?

 

 

 

「あの、俺ってヨーグルト頼みましたっけ?」

 

 

フルーツヨーグルトを頼んだ覚えはない、でも現実に俺のトレーには乗せられている。少し疑問を持ちながらもスタッフに聞いてみると、二カッっと笑顔を見せながら答えてくれた。

 

 

 

「なーに、こっちのサービスだよ! 持ってってくんな!」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 

……嬉しい誤算だ、まさかデザートまでタダで付けてくれるとは。これからも気に入ってもらえるように、色々と頑張るとしますかね。

 

こうして料理は完成して、後は座るだけなのだが、空いているところが見当たらない。どうしようか、とは言っても立ち食いをするわけにはいかないから、場所を探すしかないんだけど……

 

ちょっと来る時間が遅かったかな。もう少し早く来ていれば、若干すいていたかもしれない。

 

 

キョロキョロとあたりを見渡して空席を探していると、一か所でピタリと視線が止まる。窓際にある四人席の内の一つが開いていたからだ。ただもちろん、四人用の席の一つなので他の三席は別の子たちが座っている。

 

本来なら、女の子が会話している中にぬけぬけと入り込もうとは思わない。ただこのまま探していてもどんどん席が埋まっていくだけで、待っている時間が無駄だ。せっかく作ってもらった料理も冷めるし、ここは腹を据えていくしかない。

 

……よし、行くか!

 

 

 

一歩足を踏み出して、空いている席がある場所へと近づいていく。

 

当然俺の行動は、周りの子たちにもろ観察されている。どこに座るのか、誰の隣に行くのか。俺としてはむしろこの際誰でもいい、差別をしない子だったら。

 

楽しそうに話している三人組は、俺が近寄っていることにまだ気が付いていない。勘弁してくれよ、これで近寄ったら『何お前?』的な視線で睨まれるのは。

 

少なくとも、そういう子もいるとは思う。全員が全員男性という存在を受け入れられるかと言われたらそれは正直厳しい。出来れば『あ、いいですよ』くらいにさらっと流してくれる方がこっちとしては気が楽だ。

 

女の子三人組の背後に近付き、意を決して声をかけた。

 

 

 

 

「その空いている席、座ってもいいかな?」

 

「んえ?」

 

「あ……きっ、霧夜くん!?」

 

「ど、どうぞ!」

 

 

俺の考えていたことは杞憂で終わった。三人は少し驚きながらも、快く俺が座ることに賛同してくれた。二人掛けの相席の片方が開いていたために、俺はそこにトレーを置いて腰かける。

 

いや、本当に親切な子で良かった。

 

 

「ごめんな。女の子だけで話したかっただろ?」

 

「う、ううん! 全然平気だから!」

 

「そ、そうか? ……ってあれ、よく見たらうちのクラスの……?」

 

 

 途中まで言いかけて気がつく。さっきからどこかで見たことがある顔だなと思ったら、うちのクラスにいた子ではないかと。少なくとも三人のうちの二人はそうだった。

 

確か一夏の右隣に居た子と、俺の左隣に居た子だったはず。

 

で、もう一人の子は……

 

 

「……」

 

 

「ん~? 私の顔に何かついてる?」

 

 

間延びした話し方をする女の子だった。……色々突っ込みたいところがあるけど、一個突っ込むとしたら着ている部屋着ってところか。

 

まずは身の丈に合っていないのか、サイズがダボダボだ。上着の袖は手のひら一個分以上余っている。後その部屋着の見た目が、二次元の世界にでもいそうなキャラクターにも見えた。さらにその間延びした話し方が、より一層不思議な感じを醸し出している。

 

 

「いや、何もついていないぞ」

 

「ほんと? えへへ~、きりやんと初めてお話しちゃった~♪」

 

 

 間延びした話し方が何とも癒される。こういうのを天然っていうのだろうか、まるでマイナスイオンを浴びているように身体が休まる感じがする。話し方は良いとして、そのきりやんって俺のことか?

 

あだ名のつもりなんだろうけど、妙なニックネームだ。初対面だから、霧夜君とかを予想していたんだけど、そんな予想の斜め上を行ってくれた。

 

 

「嬉しそうで何よりだ。えっと……悪いんだけど、まだクラスメイト達の名前を全員覚えきれていないんだ。だから教えてくれると嬉しい」

 

「そうだよねー。霧夜くんも織斑くんも今日はガチガチだったもんね! あ、私は谷本癒子(たにもとゆこ)だよ! よろしくね霧夜くん!」

 

 

 初めに自己紹介してくれたのは俺の対面に座っている子。髪を後ろ二か所で結び、長いおさげにするという古典的な髪の結び方が特徴で、言葉をハキハキと喋るいかにも元気っ子って感じの子だ。

 

 

「あぁ、こちらこそよろしくな」

 

 

「私は布仏本音(のほとけほんね)だよ~。よろしくね~きりやん~」

 

 

「ん、よろしく」

 

 

 俺とは対角線上に座っている電気ネズミ……んんっ、キツネのような部屋着を着た子は布仏本音というらしい。やっぱこの喋り方は癒されるな、この癒しが商品化したら間違いなく売れる。後、俺にあだ名をつけてくれたお礼として、俺も布仏のニックネームを考えておこう。

 

 

「わ、私は(かがみ)ナギっていいます。よろしくね、霧夜くん」

 

「ああ、よろしく頼む」

 

 

 最後に自己紹介をしてくれたのは俺の隣に座っている子。日本美人の象徴するかのような黒髪で、顔の左側では赤いヘアピン二つで髪の毛を留めている。少し恥ずかしがりやなのかなという印象を受ける女の子だ。

 

ってかよくよく考えたら、ここの三人もすごく美少女だよな。IS学園は魅力的な女性が多いから目立つかどうか分からないけど、三人のレベルが高いことは間違いない。

 

さて、ラストは俺だな。

 

 

「俺は霧夜大和だ。男性ってことで話しかけにくいかもしれないけど、気軽に話しかけてくれるとありがたい。これからよろしくな」

 

 

 印象を悪くしないように、なるべく笑顔を作ってる。三人とも少し恥ずかしがりながらも、こちらこそって頭を下げてくれたし、クラスで気軽に話せる仲間が出来たことはうれしい。今後評価が下がらないように気をつけたい。

 

 

「んじゃ、俺は飯食うか。いただきます!」

 

 

 出来たての唐揚げを口に運び、その勢いでご飯を一口、二口と運んで行く。外はサクッと中はジューシーでご飯が進む、一回軽く揚げた後に余熱で中に火を通して二度揚げしてるのかな。学生食堂とはいえ、メニューのレベルはかなり高いみたいだ。それこそ民間で経営している食堂みたいに。

 

味噌汁を啜っている時に三人が興味深げに俺の方を眺めてくる。……もしかして食べ方が汚かったか?

 

 

「きりやんってすっごい食べるんだ~」

 

「男の子だね」

 

 

あぁ、俺じゃなくて俺が食べてる量を見ていたのか。確かに少し多いって思う人もいるけど、割と俺自身が食べる方だからな。凄く多いとは思わない。

 

 

「まぁ女の子って多く食べる印象はないかな。でもやけに三人とも少なくないか?」

 

 

そもそも夕飯を食べすぎるとよくないっていうのは、有名な話だ。ただそれを差し引いても谷本、鏡、そして布仏の食べる量は少ない。

まず、ごはんかパンか、或いは麺かといった炭水化物がない。ダイエットで炭水化物ダイエットなんてものもあるけど、俺の目には三人とも太っているようには見えない。

 

女の子だから気になるところがあるのかもしれないけど、どうなんだろうか?

 

……てかこの味噌汁も中々上手いな。

 

 

「わ、私達は。……ねえ?」

 

「う、うん……平気かな」

 

「お菓子よく食べるし♪」

 

 

 苦笑いを浮かべる谷本と鏡とは対照的に、布仏は耳をピクつかせながら嬉々とした表情で答える。お菓子の誘惑は確かに強く、テレビを見ながらつまんでたらいつの間にか一袋開けてしまったなんてのはザラにある。

 

男としては多少カロリーオーバーしても身体動かせばいいだろって結論にもなるけど、女の子はそうはいかない。体重は秘密っていうくらい体型維持に敏感だし、一日のカロリーがオーバーした時は次の日から前借りなんてことをする子もいる。

 

あ、ちなみに後者は一時期のうちの姉の千尋姉のことです。食べる度にこれは何キロカロリーだから後一口だの、この鍋物を味無しで食べればカロリーが浮くだの散々だったのを覚えている。

 

三人の話し方と雰囲気からして、今日は間食が少し多かったのかもしれない。だから夕食はちょっと遠慮しているのかな。いずれにしても偏食をし過ぎると身体に良くないのは当たり前だから、お菓子もほどほどに、食事もほどほどにってこと。特にカロリーが気になるならな。

 

 

「ま、ほどほどにね。何だかんだで一日三食ってのが一番いいわけだしさ」

 

 

話し終えた後に茶碗を手に取って、二口、三口とご飯を口に運んで行く。ま、別にお菓子を食べることは駄目なことじゃないし、自分で考えて自分で行動すればいい。身体の管理は自己責任なわけで、周りが全部管理してくれるわけじゃない。

 

と、言ってみたわけだが……

 

 

「霧夜くんって奥さんみたいだね」

 

「うんうん、すごく料理とか作っていそう!」

 

 

鏡と谷本に奥さんみたいだと言われました。奥さんみたいかどうかは分からないけど、家事はそこそこやっているな。

 

 

「んー確かに料理はしてるな。毎日ではないけど」

 

「あ、やっぱり料理しているんだ。……その、よかったら霧夜くんの料理今度食べてみたいな」

 

「あ、ナギずるい! 私も食べてみたい!」

 

「私も~♪」

 

 

何気なく料理を作ることを言ってみたら、何故か俺が手料理を振舞う話に飛んでしまった。三人とも目をキラキラさせながら期待してくるが、そこまで期待されると口に合わなかった時の反動が怖い。

 

『何? あれだけ料理作れるって言ってたのにそのザマ?』などと言われた日には、全身が灰のようにもろくなって、風と共に塵と消えていきそうだ。ただ期待してくれることに関しては、俺としても嬉しいところだ。

 

 

「そんな期待されても、凝ったものは作れないぞ。それでもいいのか?」

 

「「うん!」」

 

 

俺のネガティブな思考を打ち砕く位に三人とも乗り気だった。そこまで期待されたら男としてはぜひ応えてやりたいもの、少しでも良いものを提供できるようにいっちょやるか。

 

 

「分かった。招待する機会があったら作らせてもらうよ」

 

 

 メインを食べ切り、晩飯は終了。残っているのはおばちゃんがサービスで付けてくれたフルーツヨーグルトだけ。せっかくサービスしてくれたんだから、デザートはゆっくりと味わうことにしよう。

 

 

「あ、そうだ霧夜くん! 朝質問出来なかったから、質問してもいいかな?」

 

「ん……質問って俺自身のことについてのか?」

 

「うん! ね? 二人とも」

 

 

 谷本が残っている二人に同調を求めるかのように提案をしてきた。残りの二人も賛同するように首を縦に振った。それどころか質問という単語に反応し、周りの食事中の女の子たちもこちらを興味津々に見つめている。興味津々に見つめてくるだけならまだしも、遠くからじゃ聞こえないからと知らないフリをしながら近づいてくる子。

見つめたままでは俺に気付かれるのではないかと、視線だけチラチラ送ってくる子。いや、もうすでに気付いています、はい。

 

挙句の果てには柱の陰に隠れてレコーダーのスイッチを入れる子……ってちょっと待て、俺の質問を一体何に使う気だ? 

 

悪意は感じられないからいいけど、悪意があったら盗聴ですよ、お嬢さん? あ、悪意があっても無くても盗聴か。ま、とにかく三人とも人の核心に突っ込んでくることは聞かないだろう。聞いてきたら答えられないって言えば良いし、それか初めに答えられる範囲でって念を押しておこう。

 

よし、これで決まりだな。

 

 

「こうして知り合えたのも何かの縁だしな。答えられる範囲なら質問は受け付けるぞ」

 

「ホント~? じゃあじゃあ手始めに、得意な料理はなに~?」

 

 

というわけで質問タイム開始。一番最初に質問してきたのは布仏だった。質問内容は俺が最も得意とする料理について。

ジャンルで言ったら和食、特に煮物系が得意だな。その煮物の中でも俺が一番得意としている料理は……

 

 

「一番得意なのは肉じゃがかな。元々煮物系が得意なんだけど、一番作っているからさ」

 

「へぇ~、きりやんは煮物王子だ♪」

 

 

 煮物王子、何か地味にかっこいいけど絶対に一般世間では呼ばれたくない呼び方だな。例えば人通りの多い街中で布仏とであったとしよう。……出会い頭に煮物王子と呼ばれることを想像しただけで、背筋がぞくぞくしてきた。呼ばれた瞬間に近くにいた人間は大爆笑必須の上に、その様子を聞こえていない人間にも好奇の目で見つめられるってどんな拷問だよ。

 

あだ名はあだ名でも限度があり、名前の面影すら残っていないのはNG。最悪呼ばれても無視を決め込むこと確定だ。

 

話題が逸れたが肉じゃがのことだったな。肉じゃがが一番得意っていうのは、最初に俺が作った料理で最も練習した料理だからかな。裏技で、梅干し入れると煮崩れしない肉じゃがを作ることも出来るけど、何回も繰り返し練習しているうちに煮崩れしない肉じゃがを作ることが出来るようになった。

 

はじめは炭くずを作った記憶しかないけど、今思えばいい思い出でもある。後、その炭くずは千尋姉が全部食べてくれたことも。だからこそいつか美味しいものをと努力することが出来た。

 

さて、肉じゃがの話はこの位でいいだろう。次の質問は……

 

 

「はいはーい! えっと、今彼女はいる!?」

 

「いないかな」

 

 

いないっていうより出来たことがない。告られた事は何回かあるけど、全部断った。理由はその告白のほとんどが、俺が全く知らない子からの告白だったからだ。つまり相手方が一方的に、告白をしてきたということ。

 

俺としては付き合うなら、本気で付き合いたい。だからこそ相手の一目ぼれだとか、大切にしてくれそうという理由だけで告白を受け入れるわけにはいかなかった。初めはよくても、後々になって結局合いませんでしたじゃあまりにも悲し過ぎるし、その度に相手を傷つけるようなことはしたくない。

 

相手のことを知りたいし、相手にももっと自分のことを内面から知ってほしいという気持ちが俺の中にもある。だからといって、結局今まで彼女が出来なかったことには変わりないけどな。

 

それに俺の考え方がただの綺麗ごとだよって言われたら、綺麗ごとなわけだし。

 

だがこれは俺の信念でもある、物心つき始めたころからずっと思っていたことだ。今さら変える気なんてさらさらない。

 

 

彼女がいないと言った瞬間、この席じゃなくて周りから『よし!!』って声が聞こえたのは、この際全力で無視させてもらう。

 

さて、次はどんな質問だ?

 

 

「わ、私いいかな? 霧夜くん?」

 

「ん、鏡か。いいぞ」

 

「す、好きなタイプってどんな子かな?」

 

「好きなタイプ?」

 

「う、うん……」

 

 

好きなタイプ……好きなタイプか。結局自分が好きになった相手が自分にとってタイプなわけだから、一概にこれだってのはいえないけど。

 

そうだな……

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「優しくて……家庭的な子かな。ま、結局は好きになった人がタイプなんだけどね」

 

 

嘘は言っていないからな?

 

優しくて家庭的な女の子は俺にとっては理想だし、後は互いの気持ちが惹かれあえば付き合いたいって思うし。

 

選ぶんだったらやっぱりこの二つは欠かせない条件だと思う。あ、もちろん優しいっていうのは誰に対しても優しいっていう意味合いだけじゃなくて、自分のことをよく理解してくれるって意味合いも含まれている。

 

家庭的って意味もただ料理が得意とか、掃除とか洗濯がうまいって意味ではない。そこだけは勘違いしないでほしいかな。

 

 

「そ、そうなんだ。ありがとう」

 

 

とりあえずこれで一周回ったわけだが、他にも聞きたいことがあるかもしれない。

 

 

「さて、他には?」

 

「は~い! 質問というかね、きりやんとも仲良くなったんだし、皆でアドレス交換しよ~」

 

「あぁ。いいぞ」

 

 

 ポケットから自分の携帯を取り出し、メニュー画面から赤外線通信をセレクトして机の上に置いた。三人ともキャイキャイとはしゃぎながら次々とアドレスを交換していく。こういう光景って見るのは初めてだ。

 

小学校も中学校も俺は共学校だったが、そこまで女子の人数が多いわけではない。さらにISの誕生で女尊男卑の風潮が広がってしまったために、男子と女子の仲は最悪と言っていいほど悪く、女子とアドレスを交換する機会もあまりなかった。

 

また先ほど言ったように告白はすべて断っている。断られた女子の一部がグループを作って、俺のことを影で誹謗中傷や嫌がらせをした。俺にかかわるとそのグループに何をされるか分らないということもあり、学園内及び通信機器を使った連絡を取ることはなかった。

 

だからこういう光景は新鮮っていうか、物珍しいっていうか。不思議な感覚だ。

 

 

「きりやん、交換終わったよ~!」

 

 

どうやら全員分のアドレス交換が終わったみたいだ。布仏は俺の方に携帯電話を手渡そうと手を伸ばしていたため、こちらからも手を伸ばして、布仏から自分の携帯を受け取った。

 

電話帳には新しく、鏡ナギ、谷本癒子、布仏本音の名前が追加されている。それを確認すると俺はポケットに携帯電話をしまった。

 

 

「ん、ありがと。気軽に連絡してくれ。ただ、深夜遅くは勘弁ね」

 

「アハハ♪ 流石に深夜遅くは私達も寝ているよ」

 

 

 深夜遅くでも連絡されれば返すけど、常識を考えて丑三つ時にメールや電話はタブー。こういう仕事柄、深い眠りについていたとしても着信音やバイブには敏感に反応してしまう。滅多に連絡がくることはないけど、来た時は来た。一例として挙げるのなら、篠ノ之博士の護衛依頼が来た時。

 

深夜三時くらいにふと電話がかかってきたのだが、電話してきたのは篠ノ之博士ではなく、落ち着いた口調の別の人間だった。おかげ様で五時から指定場所に向かうことになったのは悪い思い出。

 

良い思い出? ……そんなわけあるか。

 

とりあえずこの話題も一旦隅に置いといて、これからどうするか考えよう。まだ聞きたいことがあるのなら答えるし、お開きにするのならお開きにしてもいい。

 

 

「さて、これからどうしようか? まだ聞きたいことってある?」

 

「あ、うん。本当はあるけど……霧夜くんも今日は疲れていると思うから……」

 

「うんうん。今日は今日で色々知れたから、また今度で!」

 

「きりやん、また後でメールするね~」

 

 

どうやら三人とも、皆が知らない情報を知ることが出来てそこそこには満足だったらしい。ならもうここら辺でお開きにしよう。何だかんだでかなり有意義な時間を過ごすことが出来た、偶然を用意してくれた神様とやらに感謝したい。

 

一つ心配といえば、結局一夏が食堂に来なかった。晩飯を食わないつもりなのか、材料があるから部屋で料理を作って済ませたのか、それとも食堂に来れない理由が出来たのか、そこら辺は明日の朝に聞くとしよう。

 

 

「ん、そうか。じゃ、戻ろうぜ?」

 

 

――――IS学園。

 

気疲れしないかと心配ばかりしていたけど、そんなことはないかもしれない。

 

明日が楽しみになってきた。

 



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朝の一時

「はっ、はっ、はっ……」

 

 

―――現在時刻、朝の六時になったところだ。寝る前には筋力トレーニング、そして朝早くにランニング。いつもと変わらない身体作りをしている。IS学園に来たからと言っても毎日やっていることを変えるつもりはない。

 

季節はもう四月だが、まだ朝は肌寒く、立ち止まっているとあっという間に身体は冷えてくる。さっき外に出た時も、とても春のような暖かさを感じることはできず、冬の名残である寒さがまだ身体に伝わってきただけだった。

 

 とはいえ小一時間以上走って身体を動かしているわけだから、発汗によってもう来ている上着はびしょ濡れになっている。

 

絞れば雑巾のように汗が滴ってくるだろう。走るとは言ってもジョギングとか、軽いランニングとかのそんな生ぬるいものではない。ほぼ全力に近いスピードで走っているからその分、汗の量も尋常ではない量が出ている。

 

はっきり言えることは霧夜家の護衛は、肉弾戦でも格闘家程度には負けることはない。そんな甘っちょろい鍛え方はしていないからだ。

 

俺も俺で小さい頃から様々な格闘技を習って身体を鍛えていた。ただ学校を疎かにしていたわけでもなく、日常生活がかろうじて行えるレベルで加減はしてくれた。

 

そんな無茶なことばかりやっていたため、一人前になるまでは千尋姉に心配をかけっぱなしだった。

 

 千尋姉は、俺に護衛を引き継がせる気は毛頭なく、一人の男の子として育ってほしかったらしい。ただ当主としての千尋姉は厳しく、一切妥協を許さなかった人だった。今は当主を俺に譲ったからそんなことはなく、普通の優しい姉だ。

 

ただ一線を引いてからはやたら甘えるようになった気はする。……何故だろうか。

 

 

学校前の並木道を抜け、寮の前に差し掛かった時に、前方を走る人影が見えた。長い黒髪を後ろで束ね、白のジャージを着てかなりのハイペースでランニングしている。

 

こんな朝から物好きな人もいるんだなと思いつつも、後ろから近づき横を向いてその人物が誰なのかを確認。するとその人物は自分達がよく知る人物だったと気がつく。

 

 

「あれ……織斑先生?」

 

「ん、誰かと思ったら霧夜か。こんな朝にどうした?」

 

「俺は日課のランニングですよ。織斑先生も学校関係で忙しいのに、こんな朝早くからランニングですか?」

 

「私の場合はこの時間しか身体を動かせる時間がないからな。にしてもお前もお前で凄い汗だ、一体どれだけの時間走っているんだ?」

 

「小一時間は走ってますかね。もう上がりますけど」

 

 

千冬さんに並走しながら、互いに会話を交わし合うが、千冬さんは涼しい顔で息を全く切らすことなく走っている。

 

速さ的には俺とほぼ同じくらい。多少スピードは落としているものの、女性だと考えればその身体能力は相当なものだ。

 

というか、達人クラスだ。一体どんな修行を積んだのか、是非聞かせてもらいたい。

 

 

「小一時間か、その割には全然息が上がっていないようだが?」

 

「普段から鍛えていますから。生半可な体力じゃ護衛なんか務めれないですし」

 

「ふん、言うじゃないか……」

 

 

 実際、ケースによっては生身で戦うこともある。連戦にも耐えれるような強靭な体力と肉体が必要だった。それから臆することのない精神力、相手の動きを見切れるくらいの動体視力、周囲を見渡す危険察知能力。あげていけばキリがないが、どれか一つかけても護衛としては務まらないし、信用もされない。

 

他の人間が思っている以上に、護衛業を営んでいる人間はタフだってわけだ。もちろん千冬さんもそれを承知の上なんだろうけど、自分の手一つで弟である一夏を守れないのをふがいなく思っているんだろう。

 

IS学園教師という肩書がなければ、間違いなく自分で一夏を守っていたはず。だからこそ渋々、別の人間に依頼するしかなかった。

 

 

「受けた仕事は最後までやり遂げます。ただ、俺は一夏を仕事をする上で守り切らなければならない人間とは思ってないです」

 

「………」

 

「一友人として、あいつを見守ってやれればいいなって思ってます。もちろん、あいつが裏切ってくれたら、話は別ですけどね」

 

「食えないやつだ……」

 

「よく言われます」

 

 

 一夏の事を一人の友人として助けてやりたいっていうのはお世辞じゃない。そもそも、世辞はうまくないし、無理に言おうとも思わない。しかも俺の目の前にいるのが千冬さんだというのに、嘘をつくなんて出来たものじゃない。

 

一夏の話を切り出した途端に、千冬さんが少し顔を赤らめたのは俺の中で思い出として保存しておこう。いつもは一夏に対しても厳しい凛とした表情でも、弟のことはやっぱり心配なわけだ。

 

全く、心配なら心配って素直になれば……

 

 

 

「うわっ!?」

 

 

 横からくる危険を察知して、その場に素早くしゃがみこんだ。頭上を凄まじいスピードの何かが通り抜けていく。

 

言い回し的には空気を切り裂くとでも言えばいいのか、それほどにまで鋭い一撃で、まともに食らっていたらただでは済まなかった。

 

達人クラスの一撃を避けた俺は、しゃがんで下に向いた視線を上に向ける。そこにあったのは白いジャージを纏った足だった。

 

こんな朝っぱらから、そして俺の近くにいて、これほどの一撃を繰り出せる人間は一人しか思いつかない。

 

――――人物を断定、一撃は千冬さんのものだった。

 

そしてその振り切った足を、今度はそのまま垂直に落下させてきた。俗にいう踵落とし、この体勢では避けることは難しい。思った時には既に身体は反応してくれていた。

 

素早く両腕をクロスさせると踵の落下地点に腕を合わせる。

 

 

刹那、ズシンという重みが身体を襲った。ミシミシとガードした腕が軋みを上げながら、千冬さんの踵落としを防いでいる。少しでも力を抜けば、腕ごと持って行かれそうだ。

あと一歩遅かったら俺は地面と熱烈なキスすることになっていたに違いない。

 

何でこんなことに、と一瞬考えたが、思い当たる原因はある。俺が心の中で思っていたことが顔に出て、それに千冬さんが気がついたってことだ。

 

 

「霧夜、貴様今失礼なことを考えていただろう?」

 

「ナチュラルに人の心を読まないでください! 一般人なら病院送りですよ!?」

 

「ふん。これ位の攻撃を防げんようでは、お前に護衛は任せてない。素直にお褒めの言葉だと思って受け止めろ」

 

「そ、そりゃどうも……」

 

 

 ギギギ、と腕は軋みをあげながらも、十分だと判断したのか、千冬さんは足をどけてくれた。踵落としを受けた腕が地味にしびれている。動かす分には全く支障は出ないものの、鍛えていない人間が食らったら間違いなく病院送りものだ。

 

 この人の実力はIS戦闘のみに発揮されているものではなく、生身の戦闘であっても十分に力を発揮できるものだということが、疑問から確信に変わった。世界レベルで見てもかなり高い実力も持ち主って言っても過言ではないはず。

 

 

「……一夏を大切に思う気持ちは誰にも負けん。だがここがIS学園である以上、あいつだけを贔屓するわけにも行かん」

 

 

姉としての千冬さんと、教師としての千冬さん。正直複雑な心境だと思う。ところどころではあるが、千冬さんの姉としての気持ちを見れる俺はラッキーなのかもしれない。

 

次に走り出す瞬間には表情は元の表情に戻っていた。これ以上下手に突っ込んだり、考えたりすると、また同じような攻撃を食らいそうだからもうやめておこう。

 

少しの時間、千冬さんと並走しながらランニングをしていたが、頃合いを見計らって俺は先に寮へと引き返した。これ以上走っていると生徒が起き始める時間に差し掛かってしまう。

 

 

今の姿を生徒達に見られるのはまずいからだ。何より、少し部屋でゆっくりもしたいしシャワーも浴びたい。

 

とりあえず、一回シャワーでも浴びて頭の中もリセットして授業に備えるとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

「お願いしまーす」

 

 

――――食堂の開放時間。朝食をとるために食堂へやってきた俺は券売機で食券を購入してスタッフの人達に渡す。

 

ランニングを終えて寮に戻った後、汗のしみついた身体を洗い流すためにシャワーを浴び、食堂開放時間まで、部屋に備え付けられたテレビでニュースを見ていた。

 

しかしまぁ、犯罪っていうものは一向に減らないものだ。自分がこうして生活を送っている中、犠牲になっている人間がいる。そう考えると自分が幸せな生活を送れているということを改めて認識する。

 

 ニュースで取り上げられる事件も多種多様で、痴漢に恐喝に殺人。女性優位のこの世の中じゃ、冤罪なんて日常茶飯事だが、そんな女性を逆恨みした犯罪なんかも増えている。俺一人が行動を起こしたところで減るわけでもなく、誰かが何かしたところで何とかなる問題でもない。

 

この世の中っていうのが大きく世間体ってものを変えてしまったというのは事実。ISが開発されたことを恨むわけじゃないが、どうにもそれ以来、人間の心が寂しくなった感じはある。

 

 

待つことしばし、トレーには頼んだ朝食が乗せられていた。ちなみに今日はアジの開き朝食。朝食の時間限定のメニューで、新鮮なアジの開きの塩焼きにおしんこ、味噌汁とご飯が付いている。

 

ご飯は当然大盛り、だって普通じゃ物足りないし。

 

 

 

アジ朝食が乗ったトレーを持ちながら、どの席にしようかとあたりを見渡しつつ、座る場所を探す。あたりを見渡していると、どこかで見たことのある組み合わせを発見した。

 

 

「なぁ……なあって! いつまで怒っているんだよ?」

 

「……怒ってなどいない」

 

「顔が不機嫌そうじゃん……」

 

「生まれつきだ」

 

 

……聞こえてくる会話の内容がよろしくない。

 

どうにも壁というものを感じてしまう。二人は隣同士で座ってはいるものの、二人の間には見えない壁らしきものが存在しているみたいだ。まだ昨日のわだかまりを解決できていないのかもしれない。

 

昨日は二人を食堂で見ることはなかったし、結局部屋で二人で夕飯は済ませたのか。

 

部屋にはキッチンが備え付けられているし、考えられないこともない。だとしたら篠ノ之の性格を考えたとしても、少しくらいは二人のわだかまりはある程度解消されていると考えても良いはずなんだけど……

 

とりあえず、ここまで来ちまったんだから、椅子に座るとしよう。

 

 

 

「よう、お二人さん。おはよう」

 

「あっ、おう! 大和」

 

「………おはよう」

 

「さて、いただきます」

 

 

とりあえず机にトレーを置いて、挨拶を交わしながら座ったまでは良かったが、返ってきた返事はそれぞれちょっとばかし違っていた。

 

一夏はいつも通りというか、自然な感じで返してくれたものの、篠ノ之は挨拶こそ返したものの、その言葉には明確なまでの不機嫌オーラが含まれていた。

 

やっぱり何かやらかしたのか。別に聞きたいと思うほどのものではないだろうし、ここはスルーしておこう。ただ、話の内容以前にこの空気感は何とかならないものか。

 

朝食を口の中に運びながら、二人の会話に耳を傾ける。

 

 

 

「箒! これ美味いな!」

 

「……」

 

 

篠ノ之、一夏の振った話にも完全にスルー。……もう少し、二人の様子を観察してみよう。

 

 

「あの子達が例の?」

 

「織斑くんって、あの千冬様の弟さんらしいけど、強いのかな?」

 

「霧夜くんの情報って全然分かってないらしいけど、どうなのかしら?」

 

「うーん……見た目は強そうだけど、断定は出来ないかなー」

 

 

 俺達の後ろでは女生徒達が口々に俺や一夏の事について話している。一夏の事については特に、千冬さんとの関係についてだ。二人が同じ苗字であり、兄弟だというのは昨日のうちに知れ渡っている。血がつながっているってことは、千冬さんのように強い人間だという認識が生まれる。

 

俺は、一夏が実際にISを動かしているところも、身体を動かしているところも見たことはないから強いかどうかなんてのは分からない。

 

噂をしていると、その様子に気づいた一夏が篠ノ之の方を向く。

 

 

「なあ、箒―――」

 

 

ダンッ!

 

 

「名前で呼ぶな!」

 

 

 机を叩きつけ、篠ノ之は厳しい眼差しで一夏を睨みつける。トレーがガタンと揺れたために、俺のトレーの味噌汁が零れかけるが、お椀自体を上げることで回避。

 

 

「え……篠ノ之さん」

 

 

 眉間にしわをよせ、明らかに怒っていますオーラを醸し出す篠ノ之。どうすればいいのか全く分からない一夏は渋々折れ、ガックリと首を垂れながら篠ノ之のことを名字で呼ぶ。

 

 

……取りつく島もないなこれ。一体昨日何があったんだ一夏。アジ朝食は朝食メニューの中でも自慢の一品らしいが、普通だったらおいしいはずのものも、この雰囲気では味わっている余裕もなかった。

 

とにかく、この空気は俺には合わないってことははっきりとした。状況を打開するべく、俺は一夏にそっと耳打ちして情報を聞き出す。

 

 

「昨日解決しなかったのか?」

 

「それについては解決したんだけど……」

 

 

したんだけどってどういうことだ?

 

謝ったのに篠ノ之には許してもらえなかったのか。部屋にも入らなかったし、こっちがとやかく言うことじゃないんだろうけど、キチンと話しあえば大丈夫だと思ったんだけどな。

 

俺が単に勘違いしていたのか、それとももしかして昨日俺のところに駆け込んできた原因となった騒動は解決したものの、また別のことで一夏がやらかしたのか。

 

何だろう、会って間もないっていうのにこいつやらかしてもあすオーラが尋常じゃなく漂ってくる。……とにかく聞いてみれば分かることだ。

 

続けて俺は一夏に聞く。

 

 

「まさかまだ何かあるんじゃ……」

 

「え? いや……その、まぁ……」

 

 

 どうにも一夏の話す言葉も歯切れが悪い。あろうことか、どんどん気分が落ち込んで頭が垂れていく。つまりやらかしたっていうのを肯定していた。もし何かをやらかして自覚していなかったらドラゴンスープレックスものだが、自分がやってしまったことに罪悪感を感じて、反省自体はしているみたいだ。

 

やらかし体質の持ち主なのかどうかは不明だけど、常にハプニングが絶えない人間らしい。

 

ただ反省はしてもちゃんと謝ったかどうかが問題。それを含めてさらに一夏に聞いてみる。

 

 

「謝ったん……だよな?」

 

「謝ったさ! デリカシーのないこと言って悪かったって!」

 

 

 デリカシーってことはよほど失礼なことをいったんだな。特に意中の男性からは言われてほしくないことを。

 

判決から言い渡すのなら、全面的に一夏が悪いで終わるけど流石にそれだけじゃ可哀想か。

 

 

「原因が分かっているなら謝るしか無いな、やっぱり」

 

「う……やっぱそうだよなぁ」

 

 

 何となく一夏も察してはいたみたいで、改めてそれしか方法がないと言われると、強制的に納得せざるおえない。自分がどう思ったのか、どうしたいのかを判断するのは一夏自身であって、俺ではない。

一夏がしなきゃならないと思ったならすればいいし、する必要がないと思ったのなら、しなくてもいい。

 

結局何が言いたいのかっていうとだな……

 

 

「でもそこを判断するのは一夏だ。……ごちそうさん」

 

「あ、あぁ……って食うの早くないか!?」

 

「そうか? むしろ一夏が遅いんじゃないのか」

 

「いや、それを差し引いてもはえーよ。ちゃんと三十回噛んでるのか?」

 

「俺は小学生か!」

 

 

 今さら小学生でも言わないぞ、その言い回し。別にかきこんでいる訳じゃないし、常に手を動かしていれば食べるのが遅くなるなんてことはないはず。後は慣れだ。

 

 

「……」

 

 

 食べ方について語ることで気を紛らわそうと考えていたら、さっきから篠ノ之が俺の方をジッと睨んでいることに気がついた。

 

あれ? 俺は別に何も聞いていないし、言ってもいないんだけど。もしかして今一夏と話していたことが気に障ったのか?

 

とりあえず、食後のコーヒーを取りに行くために一回席を開けよう。

 

 

「俺は食器片づけてくる。また戻ってくるから」

 

「あ、あぁ」

 

 

 

 

 

トレーを持ち上げ、そそくさと逃げるように席を離れる。実際、篠ノ之が本当に昨日一夏がやらかしたことについて怒っているのかどうかも謎だし、これ以上のことを言えないっていうのが本音だ。

 

しかもやった後で気がついたけど、これってとんだお節介じゃないか。またキングオブお節介って称号がつくのは勘弁願いたい。長所でもあって短所でもあるってよく言われることだし、突き放す時は突き放せっていうけど、俺には出来ない。出来るのなら当の昔にやっている。

 

特にわけ隔てのない女性だったら絶対に無理だ。

 

 

 

 

洗い場の前に立って食器を分別し、トレーを重ねたのちに今度はそのまま調理場に向かってコーヒーを頼む。

 

 

「ブラックコーヒーホットで一つ」

 

「あいよー!」

 

 

 普段時は有料なコーヒーも、朝限定で一杯はタダで飲める。俺にとってはかなり嬉しい特典だ。そのままコーヒーを受け取ってきた道を戻る。

 

コーヒーをブラックで飲むようになったのは結構前から。そもそもコーヒーを初めて飲んだ時からブラックで、ミルクやシロップを入れることを知らなかった。そんな訳があるかって言われるかもしれないが、事実でブラック以外はココアという認識をしていた。

 

今でこそ分別はつくものの、昔の常識のなさは相当やばかったなと思うと、今でも苦笑いが出てきてしまう。

 

周りにはブラックコーヒーを飲む人間がいないから、喫茶店で一人だけコーヒーをブラックを飲んで周りに少し妙な目で見られていたのは今ではいい思い出、一緒にいたのは男子だけだけどな。

 

そういえば先ほどと比べると食堂にいる人間が増えている。もうそんなにゆっくりしている時間もないし、さっさとコーヒーを飲んで教室に向かうとしよう。出席簿の餌食になるのだけは勘弁だ。

 

 

 

 

「ん……あれって」

 

 

 自分達の座っていた席を見ると、座っている人間が増えていることに気がつく。一夏の隣は開いている、俺がすぐにまた戻ってくるっていったから確保してくれたんだろう。その空いている場所の隣に三人、見知った人物が座っていた。

 

見知ったというより、昨日知り合って仲良くなったって言った方が適切かもしれない。その三人が誰なのかを確認したのち、俺は席に戻って声をかけた。

 

 

「おはよう、三人とも」

 

 

 後ろから手が伸びてきたことと、急に声を掛けられたことに、少し驚きを感じながら三人は俺の方を振り向く。でもその人物が自分の知っている人物だと気がつくと、三者三様の笑顔を見せてくれた。

 

 

「あ~。おはよーきりやん」

 

「おはよう! 霧夜くん!」

 

「お、おはよう! 霧夜くん」

 

 

 三人の挨拶を見届けると、俺はゆっくりと椅子に腰をおろす。三人っていうのは布仏本音、谷本癒子、鏡ナギの三人のことで、昨日アドレスを交換し合った仲だ。仲と呼ぶには程遠いかもしれないけど、自分の携帯に女の子の連絡先が追加されるのは嬉しいものがある。

 

気になっていたことだからあえて言わせてもらうけど、鏡と谷本の二人は学園指定の制服だというのに、布仏は例のパジャマのままだった。学校来るまでには着替えるんだろうけど、すげー目立っている。ただでさえ制服の生徒が多くて、パジャマの時点で目立つというのに、個性的なパジャマだから更に目立つ。

 

パジャマの話はさておき、三人の朝食を見ているとやはり量は少なめだった。鏡はトーストに目玉焼き、そしてミルク。

 

……おい、今変な想像したやつ。後で米俵抱えて全力ダッシュのフルマラソンしてこい。

 

 

話を戻そう。谷本はクロワッサン二つにサラダ、後はホットココア。布仏はトーストにサラダ、そしてオレンジジュース。

 

朝は食欲もないだろうし少食になるのは仕方ない。本当は朝食って一番とるべき食事なんだぜ? みんな知ってたか?

 

三人の朝食に目を向けていると、隣から一夏が口を挟んできた。

 

 

「大和は三人と知り合いだったのか?」

 

「昨日食堂でたまたまな。どっかの誰かさんは、後で来るとか言っといて来なかったけど」

 

「う……そこを突っ込まれると耳が痛い」

 

 

 からかいの意味をこめて、笑いながら一夏に話してやる。耳を押さえながらその話はやめてくれと言わんばかりに、俯く一夏。よし、これで一夏は当分からかってやろう。

 

 

一夏のからかいについて考えていると、ガタリと席を立つ音が聞こえる。一夏の左隣に座っている篠ノ之が立ち上がった音だった、どうやら自分の朝食を終えたらしい。

 

 

「私は先に行くぞ」

 

「え? あぁ、また後でな」

 

 

 

 一言残すと、篠ノ之は我関せずとばかりにスタスタと先に行ってしまった。一夏と俺以外にも三人いるんだから、もう少し愛想が良くてもいいんじゃないかとは思う。

 

別に誰かに危害を加えようとしたわけじゃないから、特にとやかく言う必要もない。これで誰かに強烈な不快感を当てたら話は別だけど、その辺りは篠ノ之もちゃんと分かっている。

 

篠ノ之の後ろ姿を見守った後、再び視線を机に戻した。

 

 

 

 

さっき貰ってきたコーヒーカップの取っ手に手をかけ、口の中に運んで行く。程よい熱さとブラック独特の苦みと香りがたまらない。コーヒーを飲みたいって思ったらやっぱりブラックコーヒーに限る。

 

味も有名なコーヒーショップ顔負けの味で、癖になりそうだ。二度三度口に運び、皿の上に戻す。

 

 

「上手いな、ここのコーヒー」

 

「へぇ~そうなのか。あれ、大和ってブラック派なのか」

 

「ああ、むしろそれ以外は飲まないな」

 

「でも周りに飲む人間て少なくないか? 俺の周りもいなかったし」

 

「まぁ確かに、周りには誰もブラック派がいないんだよな」

 

 

知り合いにもブラック派はいなかったし、もちろん千尋姉も飲まない。というより飲めない。千尋姉の近くで、ブラックがうまいと言った時に、ブラックなんて人間が飲むもんじゃないって言われた時は素でショックだった。

 

あれは間違いなく全世界のブラック好きを敵に回したな。

 

 

「でもよく飲めるよねー。私コーヒーってすごく甘くしないと飲めなくて……」

 

「わ、私もちょっと厳しいかな……?」

 

「私も無理~。甘いのしか飲めないもん~」

 

「……俺も好んでは飲まないかな。アハハ」

 

 

結論、ここにも俺の味方はいませんでした。チクショウ……

 

ブラックコーヒー自体、好きな人間が少ないのはよく分かる。でもブラックっていうのはコーヒーの素材そのものを味わうことができる。人として素材の味をそのまま楽しめるなんて幸せじゃないか?

 

っていう自論を中学のクラスメイトの前でも言ってみたけど、その理屈はよく分らんって形で一蹴された。良く考えてみれば人間は十人十色、誰もが自分と同じ思考を持っているわけではない。

 

人に好き嫌いってものはあるもの。食べ物然り、行事然り、人間関係然り。そもそも人に物を勧めるような性格ではないものの、人に物事を勧める時には極力注意したい。

 

とはいえ同士を見つけられなかったって考えると、少しへこむなぁ。

 

 

「ま、まぁ元気出せよ! いずれ仲間は見つかるさ」

 

「そうだよ~、だから大丈夫だよ」

 

「頑張ってね、霧夜くん!」

 

「わ、私も応援するね!」

 

 

一体何が大丈夫で、何を頑張ればいいのか。どこに向かえばいいのかもうなんか良く分からなくなってきたな。決勝試合の前に応援をされているみたいだ。まさかコーヒーの話題一つでここまで話がこじれるとは。

 

 

「って、もうあまり時間ないな。少し急ぐか」

 

「ん? あっ、確かに」

 

 

コーヒーのことばかり考えていたから時間を忘れていたことに気がつく。もう結構時間を潰してしまったわけだし、もうそんなにゆっくりしている時間がないのは確か。俺は残っているコーヒーを飲みほし、席を立ちあがった。

 

―――と

 

 

パンパンッ!

 

 

「いつまで食べている。食事は迅速に効率よく取れ」

 

 

手を叩く乾いた音が食堂に鳴り響き、その音源に生徒たちが一斉に注目する。そこにいたのは朝と同じ白ジャージに身を包んだ千冬さんだった。

 

会話に夢中で騒がしかった食堂は一瞬の静寂の後、早く朝食を取れという千冬さんの催促に、残っている学生はカチャカチャと音を立てながら慌てて口に食べ物を詰め込み始める。

 

隣にいる鏡、谷本、布仏の三人もそれは同様で、ワタワタと慌てながら食事に取り掛かり始めた。幸い量があるものではないため、そこまで食事に時間がかかることはないと思う。

 

って一夏は篠ノ之と一緒に食べ始めたはずなのに、まだ食っていたのか。早くしないと千冬さん直伝の出席簿の嵐が降り注ぐぞ。

 

 

「私は一年の寮長だ。遅刻したらグラウンド十周させるぞ」

 

 

 あれだ。千冬さんの担当である俺達の場合、遅刻したら出席簿だけじゃなくて、グラウンド十周という地獄の愛のムチまで待っているわけだ。

ただの十周だったら、なんのそので終わるかもしれないが、IS学園のグラウンドは一周約五キロ。つまり十周したら約五十キロでフルマラソン以上の距離を走らされることになる。

 

一体どこの軍隊だろうか。肉体改造するなら持ってこいかもしれないが、進んでやりたいものではない。だから素直に遅刻せずに教室に向かうとしよう。

 

右隣に目を向けると、三人とも何とか食事を終えたみたいだ。時間的にはまだ普通に間に合うし、走って行く必要はなくなった。むしろ千冬さんが来なかったらここにいる全員走って学校に行くことになっていただろう。

 

で、三人に少し遅れて一夏も食事を終えた。さっさと部屋に戻って身支度を整えて、学校に繰り出すとするか。

 

 

「じゃ、また後でな」

 

「ああ、俺もすぐ行く」

 

「了解」

 

 

 

 

 

 一足先に俺は食堂を後にし、自室へと戻って身支度を整えた。部屋に戻る途中でも何人かの学生に出会い、挨拶を交わしながら戻ってきたため、少しばかり時間がかかってしまったが、時間的にはまだ余裕があった。

 

今一度鏡の前に立ち、自分の姿におかしな部分がないかを確認する。服に汚れもシワもないし、授業に関する忘れ物もない。

 

ああ、後参考書が必要だったな。

 

机の上に置いてあった参考書を鞄につめて、俺は部屋を出る。すると、ほぼ一緒のタイミングで身支度を整えた一夏が部屋から出てきた。

 

 

「お、大和! 一緒に行こうぜ!」

 

「あぁ、いいぜ。後これ参考書な」

 

「サンキュー!」

 

 

一夏が古い電話帳と間違えて参考書を捨ててしまったため、新しい参考書を発注したのだがまだ届いておらず、俺と一夏で共有するように使いまわしている。とはいえ、前半部分は大体理解をしたため、学校にいる間は前半部分をまだ理解しきっていない一夏に渡している。

 

もちろん後半部分は俺も理解し切っていないが、それまでには一夏の参考書も届くことだろう。届けば参考書を一夏に貸す必要もなくなるわけだから、問題は万事解決。

 

一夏が俺の参考書をなくしたり、破ったりしたら話は別だが、そんなことをする奴じゃないのはよく分かっている。

 

じゃ、改めて学校に向かうとしよう。

 

 

「そういえば、今日って何かあったっけか?」

 

「いや、放課後に復習をやる以外は何も無い筈だぞ?」

 

「うぐ……き、今日もやるのか?」

 

「昨日ほどじゃないけど、進んだ分は埋め合わせしないと不味いだろう」

 

「た、確かに」

 

「俺もまだちゃんとISについて理解しているわけじゃないし、こうでもしないと置いてけぼりにされるしな」

 

 

昨日やった長時間に及ぶ復習。俺もかなり疲れたが、一夏はそれ以上に疲れたようで、今日もそれをやることが分かると、顔を引きつらせながら嫌そうな表情を浮かべる。

 

ここに入った宿命といえばそれまでだが、正直逃げ出したいのは俺とて同じ、一夏の気持はよく分かる。

 

 

「ま、今から放課後のことを気にしても仕方ない。さっさと行こうぜ」

 

「そうだな」

 

 

―――いったん放課後のことは忘れ、俺達は学校に向かうことにした。

 

 

 

この後に、些細な一言が俺の逆鱗に触れるとも知らずに。



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一人の男の激昂

「さて、本来ならこのまま授業に入るところだが、今日は先に再来週行われるクラス対抗戦に出る代表者を決める」

 

 

一時間目が始まり、普段通りの授業が始まるかと思いきや、始まったのはクラス対抗戦に出る人物の選定だった。

 

 

「クラス代表者とは、対抗戦だけでなく、生徒会の会議や委員会への出席など……まぁクラス長と考えてもらっていい」

 

 

一般的にクラス委員長を決めるってことみたいだ。

自分で立候補するならまだしも、あんまりやりたいとは思わないよなこういうの。自分の時間が削られるし、責任は全部委員長がみたいな雰囲気になるし。

 

小学校や中学校だと、大体手を上げる奴は決まっていて、みんながそいつに押し付けるようにしたことで解決していた。だからどこのクラスにもそういう人間は一人ないし二人はいたために、クラス委員長は数年間ずっと同じで、選挙なんかも出来レースみたいになっていた。

 

IS学園がどうなのかは知らないけど、よっぽど自分に自信がある人間じゃない限り、立候補なんてものはないはず。ってことは残るは推薦だけど……

 

さて、誰が選ばれることやら。

 

 

「自薦他薦は問わない。誰かいないか?」

 

 

千冬さんはぐるっと教室全体を見回しながら、誰か挙手をしないかどうかを確認する。すると早速、俺の右隣の子が手をサッとあげた。

 

 

「はい! 織斑くんを推薦します!」

 

「え?」

 

「私もそれが良いと思います!」

 

「うあっ!? お、俺!?」

 

 

哀れ一夏、はじめに発言した子を皮切りに、次々と推薦されていく。自分が選ばれるなんて思ってもみなかったのか、助けを求めるように辺りをキョロキョロ見回す。

 

当然、一夏と俺以外のクラスメイトは女の子しかいないから、誰に助けを求めても同じだ。たぶん実力云々に、うちには世界で唯一ISを動かすことが出来る男子いるっていうのを他クラスに宣伝したいんだろうけど……選ぶ理由としては不純かもしれない。

 

消去法でいくのなら代表候補生やら、ISの稼働時間が長い人間をチョイスするのがベター。

 

推薦されたことに納得がいかないのか、一夏は立ち上がって千冬さんに抗議する。

 

 

「ちょっと待て! 俺はクラス代表なんかやらないぞ! 拒否します!」

 

「推薦されたものに拒否権はない。他には誰かいないのか?」

 

 

悪魔の判決っちゃそうかもしれないけど、言うことは理にかなっている。そもそも推薦された人間には拒否権はない、決めるのはあくまで周りの人間なわけだから。

 

 

「なっ!? じゃあ、俺は大和を推薦します!」

 

 

げ、こいつ!?

 

 

「あ、私も霧夜くんを推薦しまーす!」

 

「私もー!」

 

 

 一夏の一言を皮切りに、対象が一夏から俺に移ってしまう。正直このまま黙っていればうまくごまかせると考えていたのだが、とんだ計算違いだ。

 

 

「テメッ、一夏! 俺まで巻き込んでんじゃねえ!?」

 

「俺だけになってたまるか!」

 

「別の人間推薦すりゃいいだろう!? 何で俺にしやがった!!」

 

 

 俺もその場に立ち上がって、一夏に対して視線をぶつける。一夏の事だし、自分が推薦された動揺でこのまま俺の存在を忘れていてくれないかなと思っていたが、どうやら天はそこまで優しくなかったみたいだ。

 

くそう……今までクラスの代表なんてやったことないぞ。クラス代表になるメンツも決まってたし、そいつら以外の人間は我関せずって状態だったんだから。

 

まさかのとばっちりだ。このままだと、俺か一夏のどちらかがクラス代表に決まってしまう。何か手はないのか!?

 

 

 

 

 

 

「二人とも静かにしろ。候補は二人か? これ以上手が上がらないなら、クラス代表はこの二人の――――」

 

「待ってください! 納得がいきませんわ!」

 

 

二人の内のどちらかが投票でクラス代表に決まりかけた瞬間、後ろの方の席からバンッ! と机を叩いて立ち上がったクラスメイトがいた。

 

口調や態度でその人物が誰なのか、すぐに理解することが出来た。やれやれ、またあんたかオルコット。

 

不機嫌さを隠そうともせず、オルコットは啖呵を切って強い口調で話を進めていく。

 

 

「そのような選出は認められません!! 男がクラス代表だなんて、いい恥さらしですわ!」

 

 

選出も何も、俺達は別に自分からやりますと立候補したわけじゃない。他者の推薦なんだからその選出が認められないっていうのはおかしくないかい? しかもその言い方は完全に差別意識を含んだもので、こちらの頭にはカチンとくるものがあった。

 

一夏も同様に思ったのか、まだ爆発はしないもののムッとした表情で、オルコットのことをにらみ返す。

 

俺もイラッときたけど、相手にするだけ面倒だと思ったからスルーを決め込むことに、相手していたらこの身がいくつあっても足りない。

 

 

「このセシリア・オルコットに、そのような屈辱を一年間味わえと仰るのですか!?」

 

 

屈辱が嫌なら、そもそもこのクラスに居なければ……って無理か、後になってのクラス変更は原則認められていない。それはIS学園に限らず、どの学校でもそうなっているはずだ。

 

オルコットはまだ言い足りないのか、思いつく罵声の数々を口々に言っていく。

 

 

「実力から行けばわたくしがクラス代表になるのは当然、それを物珍しいからと言う理由で極東の猿にされては困ります!」

 

 

 もともと人間は猿なんだけど、その辺りはどう考えているんだろうか。それでは自分は猿とは全く違った別の生き物ベースで生まれてきたとでも言わんばかりの口調にも捉えられる。

 

投げかけられる侮蔑を含んだ言葉の数々にそろそろ我慢の限界なのか、一夏は拳を強く握り締める。そんな一夏の様子にも気付かず、さらにオルコットは言葉を続けた。

 

 

「大体、文化としても後進的な国で暮らさなくてはいけないこと自体、わたくしにとっては耐え難い苦痛で――――」

 

 

 

 

ブチッ!

 

切れてはいけない音が切れてしまった。まぁ、オルコットも散々言ってたから仕方ないなこればかりは。俺が一夏を止める道理も見当たらない。

 

 

「イギリスだって大したお国自慢無いだろ。世界一不味い料理で、何年覇者だよ」

 

 

的を得過ぎた正論過ぎて何も言葉は浮かんでこなかった。一夏の切り返しに気がついたオルコットは、顔を真っ赤にしながら怒りをぶつけてくる。

 

 

「あ、ああ貴方! わたくしの祖国を侮辱しますの!?」

 

「先に日本のことを侮辱したのはそっちだろ」

 

 

一夏の言う通り、先に侮辱したのはオルコットだ。小学生の時よくあったよな、先にやった奴が悪いみたいな風習。……悪いことやったんなら、先だろうが後だろうが関係ないって話。

 

話を戻すと、島国って言ったらイギリスも島国だし、そもそもISを開発したのはその極東の島国の人間であることを彼女はすっかり忘れているみたいだ。

 

じっと互いに睨みあいながらこう着状態が続く。そんな一触即発の状態にも関わらず、千冬さんはニヤリと微笑みを浮かべて、どこかこの状況を楽しんでいる素振りを見せる。一方の山田先生は教室の端で、どうすればいいのかオロオロするばかり。つまりはいつも通りってことだ。

 

その数秒続く静寂を切り裂いたのは、オルコットだった。

 

 

「決闘ですわ!」

 

「ああ、いいぜ。四の五の言うより分かりやすい」

 

 

オルコットと一夏は二人で勝手に盛り上がってしまっている。っていうか千冬さん、この状況止めないんですか?

 

 

「ワザと負けたりしたらわたくしの小間使い、いえ奴隷にしますわよ!」

 

 

ああ、そういえばイギリスってイギリス帝国時代に奴隷貿易を行っていたっけな。今となってはかなり昔のことだけど。

 

 

「ハンデはどの位つける?」

 

「は? あら、早速お願いかしら?」

 

「いや、俺がどの位ハンデをつけたらいいのかなーと」

 

 

一夏が発言をした途端、千冬さん、山田先生、篠ノ之、俺を除いたクラスの全員の笑い声が響き渡った。そんな状況を一夏は全く呑み込めていないのか、何でとばかりに周りを見渡す。

 

 

「アハハ、織斑くん、本気で言ってるの?」

 

「男が女より強かったのってISが出来る前の話だよ?」

 

「もし男と女が戦争したら三日持たないって言われてるんだよ?」

 

 

 

 口々に言われる発言に、一夏はしまったとばかりに首をかしげる。苦笑か嘲笑か、どれなのかはわからないが少なくとも、一夏が馬鹿にされているっていうのは分かる。

 

……確かにその通りだけどな、今の現状は。ISを動かせるのは女性だけだし、ましてや男性は動かすことすらままならない。物理兵器を持ち出したとしてもシールドや絶対防御を持つISの前には太刀打ちなど出来るはずもない。

 

IS専用の武器を使えば、ISにダメージを与えることは出来る。……かもしれないが、生憎男性はISを纏うことはできないため、防御は完全に生身。一撃を当てたとしても、精々それが精一杯ってところだ。常識的に考えて、ISに生身で勝つことは出来ない。

 

……常識的に考えれば、の話だけどな。

 

 

 

 

 

「むしろわたくしがハンデをつければいいのか、迷うくらいですわ。日本人の男性はジョークがお上手ですのね」

 

「……ならハンデはいい」

 

「お、織斑くん。今からでも遅くないよ、ハンデをつけてもらったら?」

 

 

俺の後ろに座っている眼鏡の子……確か岸原理子(きしはらりこ)って言ったっけか。一夏の身を案じて、提案するが、それを頑として断る。

 

 

「男が一度言ったことを覆せるか。だから無くていい」

 

「ええー、それは舐めすぎだよぉ……」

 

 

喫茶店で千冬さんが言っていた、女性に媚びることを嫌うっていうのは本当だったみたいだな。よく言ったと褒めてやりたいところだが、代表候補を争う決闘っていうのは、俺自身も含まれていることになる。

 

話題にこそ出てこないが、三人での戦いをするっていうのは間違いないだろう。そう考えると骨が折れる。

 

 

「それから黙っている貴方も、参加していただきますわよ!!」

 

「俺も?」

 

「当たり前ですわ!」

 

 

やっぱりこうなるのな、何となく分かっていたけど。

こっちが断れば、これだから男は軟弱だの、やっぱり口だけですわねなどと言われるのは目に見えている。

俺自身が言われるのはいいけど、一夏や他の子達に迷惑をかけたくはない。

 

軽くあしらう感じでこの場はやり過ごそう。

 

 

「分かった分かった。もうそれでいいから」

 

「なっ!? 何ですのその態度は!? これだから男というものは……」

 

 

 

一夏から俺に標的を変えてまくしたてる、応えたかと思えばこれだ。言い方がお座なりだったかもしれないけど、俺一人の行動で男性というものを卑下するのはどうなんだって話になる。

 

彼女のこの態度ばかりは気に入らない。高貴な家系に生まれた人間の言葉遣いに関しては気にならないけど、男に対する高圧的な態度と男に対するその偏見的な考え方、それに関しては話は別。

 

女尊男卑の風潮にただ染まっているだけなのか、それとも過去に男性がらみで何かあったのか。そんなことは分からないけど、俺のストレスをためていくには十分だった。

 

女がいなきゃ男は生きていけないなんて言われるけどな……

 

 

「男のことをどう思おうが構わない。ただオルコット、アンタはその男がいなけりゃこの世に生まれることすら叶わなかったんだぜ?」

 

「う……そんなこと分かっていますわ! あなた! あなたもどうやら、わたくしに小間使いにしてほしいんですわね!?」

 

 

俺の態度がお気に召さなかったらしい。少し気に入らないからって、小間使いとか奴隷とか言うのはやめようぜ。そもそも小間使いになる気も奴隷になる気もない。

 

 

「勝手に決めるなって。代表決めの決闘ですべてを決めればいい」

 

「まるでわたくしに勝てるかの様な口ぶりですわね!?」

 

「負けること前提で戦いに行く人間はいないだろ?」

 

「くっ、ああ言えばこういう……」

 

 

 ある程度言ったところで、俺も完全に興が覚めた。たまっていたものをかなり穏やかではあるが吐き出したし、もうこれ以上何か言うこともない。

顔を真っ赤にさせながら、俯いて怒りを堪えるオルコット。どうやら今の言い方が相当気に入らなかったみたいだ。

 

少しやり過ぎたかもしれないと思いつつ、俺は黒板の方へ向き直った。

 

俺的にはこのクラスの異様な雰囲気の方を早く変えてほしいし、これ以上いがみ合って居ても、状況が変わるわけではない。

 

未だ一夏はポカンとしながら立っている。とりあえず、一夏も座って千冬さんの指示を仰ごう。この場を終結させることが出来るのは、千冬さんしかいない。

 

 

「一夏も座れよ。もう言うことは言ったし良いだろ?」

 

「あ、あぁ……」

 

 

 俺に促され、どこか納得の行かない表情を浮かべながらも、渋々席に着いてくれる。その様子を見届けた千冬さんも、次へ進もうと何かを口にしようとした。

 

だがその言葉が発せられることはなかった。

 

 

「全く、とんだ礼儀知らずな男でしたわ……」

 

 

 まだ言い足りないのか、俺たちに向かって聞こえるような声で囁く。当然その声は千冬さんにも聞こえているわけだが、千冬さんは表情一つ変えることはなかった。ただ話そうとするのをやめると同時に、醸し出す雰囲気には明らかな怒りというものが目に見えた。

 

千冬さんも強い男性は何人も見て来ている。

 

このような世界にはなってしまたものの、決して男性を見下そうとせず、相手に関係なく接する心を持っている人間としても優れた人だ。だからこそ、いつまでも男性に対して執拗なまでの軽蔑をするオルコットのことが気に障ったのだろう。

 

オルコットの言葉も、ここまでだったら何か喚いている。

 

そんなやれやれとした感じで済ませることが出来た。クラス代表を選出するための方法が決まり、普段通り授業が始まって、あーでもないこーでもないと頭を悩ますんだと。

 

そう、思っていた。

 

 

 

……だが

 

 

 

「高貴なわたくしが、こんな男と一緒のクラスとは」

 

 

 

世の中にはその人にとって絶対に許せない言葉ってものがある。高校生にもなれば、言ってはいけないことくらい想像はつく。

 

なのに……

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く……」

 

 

 

 

 

あろうことに

 

 

 

 

 

「その程度の男ってことは、世話した人間も余程常識知らずの、ロクデナシみたいですわね」

 

 

 

 

 

 

 

 

俺にとって最も言ってはいけない単語を言いやがった。

 

 

 

 

 

「おい! お前いい加減に――――「……良い、一夏。後は俺がやる」――――ッ!?」

 

 

オルコットの言った発言にまっ先に反応したのは一夏だった。立ちあがって詰め寄ろうとする一夏を威圧を込めて止め、言葉を残した時には既に床を蹴っていた。

 

距離自体もさほど離れていないから、誰も気付かないうちに、オルコットの机に接近することは難しいことではなかった。接近後、そのまま机の上に勢いよく乗る。

 

 

「……え?」

 

 

―――家族を馬鹿にされたこと、一夏はそれを俺がバカにされたと理解した上で怒ってくれたんだと思う。

 

知り合ってまだ一日しか経っていないのに、俺のことをマジで友達だと思ってくれて、本当に感謝してもし切れない。

 

一夏も肉親は千冬さんだけだ。たった一人の家族を馬鹿にしたらどうなるかは誰でもわかる。だが、この時に理解できたのは一夏だけだった。それはオルコットから敵意を受けていた人間の一人だったから。

 

だからこそ分かった、千冬さんがいるこの状況でオルコットが自分を馬鹿にするはずがない。自分じゃないとすれば今の家族に対する侮蔑は俺に対してのものだと。

 

 

ダンッ! という衝撃音とともにオルコットの顔が、一気に恐怖に染まって真っ青になるのがよく分かった。

 

反応すら出来なかったことだろう。あくまで気がついたのは俺が机の上に乗ったから。高々これしきの接近に反応一つできないとは。この程度で代表候補生を名乗っているなんて笑わせてくれる。

 

ISに乗ればどうだか知らないが、ISに乗らなければただの女性だ。武道をかじっていたとしても、実戦でいくつもの修羅場をくぐりぬけてきた人間からすれば大したことはない。俺からすれば今の丸腰のオルコットなど、赤ん坊の手を折るほどに容易い。

 

おびえるオルコットをよそに、静かな口調で、ただ怒りというものを隠そうともせずに威圧する。

 

 

「あ、あなた!! こんなこと「黙れ」ひっ!!?」

 

 

完全に黙ったオルコットに、俺はなおも続けていく。

 

 

「お前今なんつった。あ?」

 

「あ、何を――――」

 

「何の権限があって……人の両親を馬鹿にしたって聞いてんだッ!!!!!」

 

「ひぅ!!?」

 

 

顔を青ざめさせながら、カタカタと身体を震わせ、涙ながらに声にならない悲鳴を上げるオルコット。周りのクラスメイト達もあまりの豹変ぶりに恐怖し、身体を震わせて泣きそうになっている者もいた。

 

俺としてもこんなつまらない争いに巻き込んでしまって申し訳ないと思う。だがこれだけは俺にとっては絶対に許すことは出来なかった。

 

俺のことを家族だと言ってくれた千尋姉を、身寄りのない俺を今まで我が子同然に面倒をみてくれた俺の大切な人を……ロクデナシだと?

 

 

……ふざけるなよ。

 

 

怒りがとめどなくあふれ出し、右腕が今にも奴の顔面を打ち抜こうとばかりにガタガタと震えるが、全身の力を込めてそれを抑えようとする。

 

怒りを必死に抑えようと握りこんだせいで爪が掌に食い込み、そこからポタポタと血があふれて机の上に落ちていく。本当にやっていいのならこんな我慢なんかしたくない、我慢なんて物を紐解いてすぐにでもぶん殴ってやりたい。でもその衝動を無意識にストッパーを利かせて止めていた。

 

殴ったところで俺に何が残るのか、果たして殴って誰かが喜んでくれるのか。何かが残るわけでも、誰かが喜ぶわけでもない。

殴った後、俺とオルコットの間には因縁が残るだけだ。殴る行為についてもただの憂さ晴らしにしかならない。だから何があっても、こいつを殴りたくないし殴れなかった。

 

俺の拳から滴り落ちる血を見て、オルコットの表情は一層険しく、そして真っ青になっていく。

クラスメイトの何人かは俺が激昂した理由を理解したかもしれない。自分が何をしたのか、何を言ったのか。もし自分が俺の立場だったら、同じように怒っているかもしれないのだから。

どんな人間にも馬鹿にされたくない人、傷つけられたくない人は必ずいる。

 

オルコットが今、自分がしたことに気がついたとしても、謝罪を述べることは出来ない、というよりも言わせる気はない、お前が言った落とし前はきっちりとつけさせてもらうぞ。

 

 

「……良いか、男をいくら馬鹿にしようが俺は構わない。だがな、家族を……肉親を馬鹿にすることは誰であっても許さない。お前が今何をしたのか、自分の胸に手を当ててよく考えろ……」

 

「あ、あああ……」

 

「俺はお前を許さない。この借りは必ず倍返しで返す。……覚えておけ」

 

 

最後に一睨みすると俺は机から降り、涙で顔をビショビショに濡らしたオルコットを尻目に、自分の席へと戻っていった。

操っていた糸が切れたマリオネットのように、オルコットは膝からその場にへたり込んだ。先ほどまでの高圧的な態度は鳴りを潜め、口から漏れるのは僅かながらの吐息だけだった。

 

突然の俺の激昂に、クラスは相変わらず静寂に包まれている。誰一人として話そうとする人間はいない、それは千冬さんもだった。

 

先ほどまでは力を込めないと抑えきれないほどの怒りが体中を駆け回っていたが、自分を強引に抑え込むように気持ちを落ち着かせていく。そのおかげで、幾分冷静さを取り戻してきた。

 

キチンとした状況判断も今なら出来る、だからこそこのクラスの現状を理解できた。

 

 

「……」

 

 

水を打ったように静まり返るクラス、周りの視線は以前の興味を持った視線ではなく、俺に対して恐怖を覚える視線だった。こうなってしまったのも、完全に俺がブチ切れてしまったせいだ。俺が我慢出来なかった。

 

俺もきちっとケリをつけなければいけない。自分が原因でクラスをこんな状態にしてしまったことを、嫌われてしまうことを承知でやったのだから。

 

情けない。自分を抑えきれなかったことに対して、尋常なまでの倦怠感が襲ってくる。とにかく今やるべきことは、自棄になることでも落ち込むことでもない。

 

このクラスにいる全員に対し、自分なりに誠意を持って謝罪することだった。

 

 

意を決して、教壇にいる千冬さんの前に立つ。ここに来た時点で出席簿の一発や二発を覚悟していたが、出席簿が俺に振るわれることはなかった。

 

そんな俺のことを見つめて、沈黙を貫いていた千冬さんがようやく口を開く。

 

 

「……どうするんだ?」

 

「……皆に謝ります。それが今自分がすべきことだと思ったので」

 

「……好きにしろ。手早くな」

 

「すいません。ありがとうございます」

 

 

気にするなとアイコンタクトを送ると、教壇から降りて場所を俺に譲ってくれる。本当に人間として尊敬できる人だと、改めて感謝の念を抱きつつ、俺は教卓の前に立った。

相変わらず、静まり返ったままだ。俺はクラスを一回り見渡すと、意を決して口を開いた。

 

 

「……皆、怖がらせて悪かった。例えどんな理由があったとしても、皆に恐怖を与えてしまったことには変わりない。この場を借りて謝らせていただきたい。本当にすまなかった……」

 

 

 ほぼ九十度のお辞儀で頭を下げる。決してこれで許してもらおうなんて思わない。少なくとも、自分のせいでこんな雰囲気にしてしまったことは事実であり、何も言わずにこのまま放置するなんて出来るはずがなかった。

 

だからあくまでこれは俺のケジメのつもりだ。

 

頭をあげてもう一回一礼すると、そのまま千冬さんの横を通り過ぎて、自分の席に着席した。

 

俺と入れ違いに再び千冬さんが前に立ち、静かなままの教室に声を響かせる。

 

 

「とにかく、話はまとまったな? それでは勝負は次の月曜、第三アリーナで行う。候補者の三人は、それぞれ準備をしておくように。それでは授業を始める」

 

「そ、それでは今日の授業は昨日の復習からです」

 

 

千冬さんの声で今まで黙りだった山田先生が覚醒、何事もなく……とはいかないものの、何事もなかったかのように授業を開始させた。

 

授業につられてクラスメイトたちも一斉に我にかえり、慌ただしく教科書やノートを広げ始める。ガタガタと授業中には響かない方がいい音が教室中に響き渡る。

いつもなら準備が遅いと、千冬さんから叱責が飛ぶものだが、今日は全くそのような反応は見受けられない。

 

本来なら、教科書もノートも筆記用具も全て授業前に、準備されていなければならない。しかしいつもとはまるで違った重苦しい雰囲気が、全員から授業という概念を消し去っていた。ましてやこのような異様な雰囲気の中、授業をしたいとも受けたいとも思えないだろう。

 

オルコットが千尋姉を馬鹿にするところを思い返すと、今は無償に腹が立つ。たった一人の肉親をロクデナシと罵られれば、我慢する方が難しいことだと思う。でも我慢出来ないにせよ、その行動で周りに迷惑をかけるのはやってはならないことだ。憤りと共に押し寄せてくるのは、クラスメイトに対する申し訳なさだった。

 

 

波乱の一日が始まった、今日これからどうやって過ごそうか。

 

そればかりが頭から離れなかった。



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分かり合いと昼休み

「―――よし。これで授業を終わる」

 

「「ありがとうございました!!」」

 

 

 

 授業終了の挨拶を済ませ、何事もなく無事に本日一発目の授業を終える。もう一回言おう、本当の意味で何事もなく終わった。

 

これから学生の三種の神器の一つである休み時間だってのに、お先は真っ暗。俺のテンションは全く上がらない。さっきのあれが原因で、授業中は異様な雰囲気だったし、クラスメイトはもちろんのこと、俺の目の前に座っている一夏ですら凄くまじめに授業を受けていた。

 

というよりも、常に手を動かしていた。

 

分かり切ったこととはいえ、実際にその現実を思い知るときついものがある。俺も俺で休み時間になった途端に、完全に魂が抜けた抜け殻のように、机の上で屈伏していた。発生した倦怠感というものには勝てず、ただただズーンと落ち込むだけ。

 

これでは話しかけようとしてくれた子も、話しかけることなんて出来やしない。取りつく島もないというのはまさにこのこと。今朝篠ノ之に食堂で思い描いていた記憶が、懐かしいもののようにも思える。

 

一回啖呵を切ってしまったらもう後戻りはできない。分かってやったことだし、悔いがあるかないかという問題ではない。ただもう何かやる気が起きなかった。

 

入学二日目にして廃人化ってか。勘弁してくれ。

 

 

皆が次の授業の準備に取り掛かる中、俺はそのまま再び顔をうつ伏せにしながら倒れこむ。横を顔を真っ赤にしたオルコットが通り抜けていった。

 

本人じゃないから気持ちを察することは出来ないが、少なくとも今この空間にいたいとは思わない。逆に行動しただけ、マシなのかもしれない。他の子たちに至っては、余所余所しい雰囲気を出しながら自分の席で固まっている。

 

倦怠状態にある俺に、前方から声が掛けられた。

 

 

「いつまでぐったりしてんだよ大和。らしくもないぜ」

 

「……んあ?」

 

 

上半身を寝かせたまま、顔だけ起こして声の主を見つめる。声をかけてくれたのは一夏だった。仕方ねぇなぁとばかりに苦笑いを浮かべながら、強引に俺の腕を引っ張り上げて、俺を立たせようとする。

 

さっきまで話しかけようともしてこなかったために、内心驚きが隠せないままだ。正直、入学初日から盛大にやらかしてしまったと思っていたから。

 

 

「ほら、さっさと気分戻せよ。そのままじゃ、席と同化しちまうぜ?」

 

「ん……あぁ、そうだな」

 

 

 促されるまま俺は立ち上がり、うつ伏せになったことでよれた制服を手で軽く直す。騒動の後にもかかわらず、変わらず接してくれる一夏に感謝の言葉を述べる。

 

 

「ありがとな一夏。あの時もお前、俺の代わりに怒ってくれようとしたんだろ?」

 

「気にすんなって。俺もあんなこと言われたら絶対に許せないし、お前も家族を思ってのことなんだろ? だったらそれを責めるなんてことは出来ないし、皆だって分かっているさ」

 

「……みんな?」

 

 

みんなという一夏が発した言葉に疑問が浮かぶ。この場合みんなっていう言葉が意味するのは……

 

 

 

「「き、霧夜くん!」」

 

 

 

 声がする方に振り向くと、怖がりながらも勇気を振り絞って話しかけてくれるクラスメイト達がいた。皆の表情は嫌悪感にあふれた侮蔑の表情ではなく、悪いことに謝罪をしたいといった申し訳なさそうな表情だった。

 

……どうやら、俺は思っていた以上にクラスのことを分かっていなかったみたいだ。皆が皆同じような人間ではない。でも全員が全員、男性を卑下するような人間ではなかったということを。

 

先ほど一夏を含めて"男性"というものを心の中でどこか馬鹿にしていた子たちも、むしろ俺に向かって頭を下げていた。

 

 

「その、ごめんね。私達、自分たちが選ばれた人間だからって、天狗になっていたみたい」

 

「大切な人を守るって言える強い男性もいるんだって、さっき分かったの!」

 

「ちょっと怖かったけど。あれはオルコットさんも言いすぎだと思うし……」

 

 

 俺に話しかけるまでは、俺が今どんな感情を持っていたのか。彼女たちも分からずに、恐怖を抱かせてしまっていたに違いない。なのにこうして、勇気を出して、俺に何を言われるかも分からないのに、彼女達は俺に謝罪の言葉を述べて来てくれる。

 

その言葉は、俺を男性操縦者としてではなく、純粋な友達としてみてくれる。差別や侮蔑、高圧的な態度は全くなかった。

 

だというのに、俺はいつまで過去をクヨクヨと振り返っているのか。そう考えると、急に騒動の後から今までの自分が恥ずかしく思えてきた。ただ同時に、彼女たちに対する感謝の気持ちと嬉しさが膨れ上がってくる。

 

 

「みんな……」

 

「家族を馬鹿にされても、こんな世の中であそこまで啖呵を切れる男の子って、あんまり居ないよね」

 

「何て言うかその……一人の男性として、カッコいいと思ったかな♪」

 

「うんうん。ホントに俺が守ってやるっていう感じがして……」

 

「あんな感じで言われたら、私何も言えないよ。逆にそこまで思われている家族の人たちが羨ましいわ♪」

 

 

あぁ、本当に俺ってどうしようも無いな……

 

俺の女性に対する意識っていうのも、少し改める必要があるみたいだ。もう金輪際、教室で怒りを周りにぶちまけるのはやめよう。

 

改めてこうして俺に話しかけてくれた子たちにはちゃんと感謝しなければならない。

 

 

「な? みんなちゃんと分かってくれているだろ?」

 

「ああ、本当に良いクラスメイトを持ったよ。俺は」

 

 

 

一夏の言う通りだ。全く、こういう友人関係に関しては鋭いんだからな……

 

 

「まぁ、とにかく、だ。皆……その……ありがとな?」

 

 

 かなり照れているのが自分でもよく分かった。さっきは自分が本気で悪いことをした謝罪の意味合いが強かったために、照れくさくなることはなかったが、今回は感謝という形だ。

しかもこれだけの女の子たちに対して真正面からお礼を述べるとなると、どうしても恥ずかしくなってしまう。例えるなら告白しているみたいだ。

 

とにかく、これでこの話題に関しては一区切りしよう。せっかくこうして皆が許してくれたわけだし、俺自身がいつまで引きずってもただ見苦しい。

 

オルコットに対する借りはキチンと、代表候補決定戦でやり返せばいい。それまではこの話題に触れるのはやめる。

 

俺の謝罪を受け入れてくれたクラスメイトの子たちはそれを皮切りに自分の席へと戻っていく。それと同時に、クラスに失われつつあった活気というものが、再び戻ってきた。ガヤガヤと世間話に花を咲かせるその様子は、さっきまでの沈んだ雰囲気が無かったかのように思える。

 

 

「……サンキュな、一夏」

 

「気にするなよ。俺とお前の仲だろ?」

 

 

俺が思っている以上に、一夏とは仲良くできそうだ。

 

互いにニヤリと笑い合うと、そのまま席に着く。モヤモヤが取れたのか、俺にもいつものテンションというものが戻ってきた。先ほどとは打って変わって、固まっていた身体がスムーズに動いてくれる。次の時間の準備のために前の授業で使った教科書をしまい、次の授業の教科書を取り出す。

 

 

――――と、教科書を変えている時に、隣の席から視線が充てられていることに気がついた。一体何だろうと、隣に恐る恐る目を配ると、少し顔を赤らめさせた鏡がいた。

 

 

「……? どうした?」

 

「え!? う、うん……な、何でもないよ」

 

 

声をかけたがすぐにプイと横を向かれてしまう。顔こそ完全に前を向いているものの、たまに俺の方へチラチラと目配りをしてくる。

 

その視線に気がついて俺が横を向くと、またプイとそらしてしまう。

 

もしかしたら何か俺の顔についていてそれが気になるのか、ひとまず顔に手をやって何か変なものが付いていないか確認する。上から徐々に手を下していき、そして鼻に手をやる。

 

まさか鼻から毛が出ているとかだったら本気で泣きたい、いやホントに。異性に外面的なところで引かれたら、この先やっていける自信がない。

 

と、とりあえず一通り確認はしたが顔のどこかに異常というものは見受けられなかった。むしろ寮を出る前に部屋の鏡で散々身だしなみを確認したんだから、問題があった方が困る。

 

もはや身だしなみを確認した意味がない。

 

 

「あの……鏡? 俺の顔なんかついてたりするか?」

 

「う、ううん。別に、そういう訳じゃないんだけど……」

 

 

どうにも歯切れが悪く、たどたどしく話す鏡。もともと引っ込み思案なところがある子とは思っていたけど、今回のは少しばかり勝手が違うみたいだ。

 

とにかく顔に問題があるわけではなさそうだ。

 

あまり詮索するのも、問い詰めるのもやらかしてしまう可能性があるからこれ以上聞くのはやめておこう。下手に外して、ドン引きされたらたまったもんじゃない。せっかく皆に謝ったばかりだというのに、再びジェットコースターの急降下のように評価が下がるのだけは避けたい。

 

 

「大和、ちょっと前の授業のことで聞きたいとこがあるんだけど……」

 

「ん……ああ、どこだ?」

 

「ここのPICの項目についてなんだけど……」

 

「あぁ、基本システムのことな。これがあるから―――」

 

 

 一夏の声に振り向き、先ほどの授業でやった項目についての質問を受ける。とりあえず見た目に問題ないことは分かったし、一夏の質問に集中することにする。

 

二人で授業に関する復習をしていると、授業のチャイムが鳴り響き、すぐに一般教養科目の担当講師が来て次の授業が開始された。

 

IS学園とはいえ高校生であることに変わりはない。赤点は取らないようにしないとな。残っている午前中の授業は一般科目のみ、とにかく集中して受けることにしよう。

 

来る昼休みに向けて、俺は午前中の授業を受けていくのだった。

 

 

 

 

 

 

「これで一般教養の授業を終わります」

 

 

 

二時間目以降の時間の過ぎるの早いこと早いこと、ずっと寝てたんじゃないかと思うくらいの早さだった。

 

そういう経験ってないか? 何気なく授業受けていたらあっという間に昼休みになっていたみたいなことが。

 

球技大会みたいな楽しい行事とか、楽な科目とかが続くと時間の経過って早い気がする。逆に語学だとか、歴史関係とか計算だとか、そういう類の科目はやったら長く感じる。

俺的には国語なんかは時間が長く感じたな。日常生活じゃ使わなさそうな漢文だとか古典だとかを読まされても、よく分らないし。読んでも時間が過ぎるのが遅い。

 

挙句の果てに辞書を引っ張り出して単語の意味を調べろだの、助動詞の意味がどうたらだの、反語だの……

 

学習内容自体が分からない訳じゃないけど、いちいち手間がかかる作業ばかり。もう正直一日体育でいいんじゃないかなって思う、授業時間ごとにやるスポーツ変えれば飽きないだろうし。

 

 

 

 

午前中の授業は無事に全部終えたわけだし、学生の諸君お待ちかねの昼休みだ。普通に腹を満たすだけでもよし、食事しながらコミュニケーションを図るもよし。

 

……いないと思うけど体力作りのために、走ったり筋トレするのもいいんじゃないか。毎日やればそこそこ体力もつくだろうし、健康にはいいと思うぞ。

 

俺はやらないけどな。わざわざ昼休みじゃなくても放課後にやればいいし。皆との会話は肉体作りの極意について……あるとしたら悲しいな。

 

このまま教室に残っても特にやることはないし、食堂に行くとしよう。

 

 

「大和! 食堂行こうぜ!」

 

「ん、了解」

 

「じゃ、箒も誘うから少し待っててくれ」

 

「あいあい」

 

 

……勘違いするなよ、猿じゃないからな。

 

一夏は俺を昼飯に誘うと、篠ノ之を誘うために自分の席に座ったままの篠ノ之に声をかける。相変わらずぶっきらぼうというか不機嫌な表情を隠そうともせずに、窓の外を見つめたままだ。

 

まだ昨日のことを引きずっているのか、それでも誘おうとするところ流石一夏といったところか。

 

 

「箒」

 

「……」

 

 

一夏の声かけにも完全無視だ。流石にそれはひどいんじゃないですか、篠ノ之さん。

 

 

「篠ノ之さん、飯食いに行こうぜ」

 

 

呼び方を変えて篠ノ之を一緒の飯に誘おうとする一夏。そこでようやく、だんまりを決め込んでいた篠ノ之が口を開いた。

 

 

「……私は良い」

 

 

 だが返ってくる言葉は拒絶だった。はっきりと言い切っているわけではないが、今は行く気分にはなれないのか。一夏と顔を合わせようとすらしない。

 

 

「良いから。ほら、立て立て」

 

 

そんな篠ノ之の態度など気にせず、一夏は彼女の手を掴んで、俺にやった時のように半分強引に立たせる。

一夏がイケメンじゃなかったら強○とかで無条件逮捕されそうだけど、まぁ突っ込むのはやめにしよう。強引に立たされたことでようやく一夏の方を振り向く篠ノ之だが、その顔はいたって不機嫌なままだ。

 

 

「あ、おい! 私は行かないと……!」

 

「何だよ、歩きたくないのか? おんぶしてやろうか?」

 

 

一夏は冗談半分、からかうつもりで言ったものの、それを篠ノ之は良しと思わなかったみたいだ。顔をやや赤らめながら、強引に自分の元へと一夏の手を手繰り寄せる。

 

 

「なっ!? 放せっ!!」

 

 

手繰り寄せたまま、今度は逆に一夏の方に自分の肩を当てて、勢いよく体当たりをする。女性とは言え、引きつける力と自分の向かっていく力を合わせれば、相手を転ばせることは容易になる。

 

予想外の反撃で反応できなかった一夏は、ぐらついた身体を支えきれずにそのまま床に倒れ伏した。

 

 

「うわぁ!?」

 

 

 ドシンっという地面と身体が接触し合う派手な衝撃音とともに、一夏が床に倒れこむ。倒れこんでもきっちりと受け身を取っているのは、少なからず武道の心得があると判断してもいいのかもしれない。

 

そんな音にびっくりしたのか、教室で談笑していたクラスメイト達もその異変に気が付き、こちら側に視線を向ける。何が起こったのか理解していないもの、一夏が倒れたことを心配するものと様々だが、二人がクラスメイト達の注目の的になっているのは間違いない。

 

 

「あぁ!!」

 

 

一夏の派手な転び方が予想外だったのか、それともやり過ぎてしまったと思っているのか、篠ノ之も驚きの表情を浮かべる。

 

 

 

「うぐ、いてて……」

 

「大丈夫か一夏?」

 

「な、何とかな」

 

 

手を差し出して床に倒れている一夏を立たせた。ズボンについた汚れを振り払いながら、再び篠ノ之に向かって口を開く。

 

 

「腕をあげたな……」

 

「ふ、ふん! お前が弱くなったのではないか? こんなものは剣術のおまけだ」

 

「おいおい篠ノ之、少しは心配してやれよ。急にあんなことされたら簡単に反応は出来ないし、机に頭ぶつけたらそれこそ危ないだろ」

 

「う……その、すまん。一夏」

 

「え? ああ、気にすんな! それより、飯食いに行くぞ!」

 

「わ、ちょっと待て!」

 

「いいから! 黙ってついてこい」

 

「………」

 

 

 食堂にはいかないといつまでもごねる篠ノ之に対し、今度は篠ノ之の手を強引に引っ張って連れていく。ったく、素直じゃないっていうかなんというか……許してるならもう少し一夏に優しくしてやってもいいのに。

 

こういうのをツンデレっていうのか。生で見るのは初めてだな。

 

……んで、俺はどうしようか。二人で先に行っちゃったし、あの雰囲気の中に俺がただ一人ぶち込まれるっていうのは色んな意味で拷問でしかないんだが。

 

とりあえず後を追えばいいか、気まずいと思ったら昨日のように別の席に行けばいいことだし。

 

一夏と篠ノ之の後を追うように、教室を出ようとするのだが……

 

 

「ねーきりやん。私達も一緒に行っていいかな?」

 

 

つまりは呼び止められたってことで。俺のことを呼び止めたのは布仏、その後ろには昨日知り合った二人がいた。

 

どちらにせよ俺に断る義理はないし、人数が多い方がこちらとしては安心する。

 

 

「あぁ。一夏と篠ノ之と一緒だけど、それでもいいか?」

 

「いいよー♪」

 

「私お弁当だけど、行きます!」

 

「よし、なら行くか」

 

 

 少しばかり賑やかな御一行を連れて食堂へ向かう。あれだ、これが世に言うイツメンってやつか。周りからは相変わらず好奇の目が集中するが、一日居れば慣れたもの。気にはなるが、精神的ダメージが蓄積するだとかそんなことはなかった。

 

食堂へつくと、弁当持ちの鏡が席を取るために先に座席の方へと向かっていった。朝ゆっくりだったのに弁当を持っているってことは、前もって作っていたってことか。中々家庭的な女の子みたいだ。

 

たぶん俺が一夏と篠ノ之の名前を出したから、席は二人の近くを取ってくれるだろう。

 

食券を券売機で買い、そのまま調理台の上に置いた。ちなみに今日の昼は日替わり定食。毎日ランダムでメインのおかずが変わるらしく、規則的ではないために人気もかなり高いらしい。

 

ってなわけで、いつものように……

 

 

「大盛りでおねがいしまーす」

 

「あいよー!」

 

 

 社交辞令のように挨拶をとばす。昨日のおかげで食堂のおばちゃんには俺の顔が知り渡っているみたいで、気前よく返事を返してくれる。会って三秒で第一印象が決まるっていうけど、まさにその通りだな。

 

三年間世話になるわけだし、印象ってものはよくしたい。クラスメイトや他クラスの人間からも一か月放置した生ごみを見るかのような目で見られるのだけは勘弁願う。

 

物思いに耽っているうちに、日替わり定食がお盆の上に乗せられる。メインの魚はサバか? 出汁が出てて、思わず食欲がそそられる。学生用の食堂だから低コストで、栄養満点の食べ物が用意されている。これは嬉しい恩恵だ。

 

 

トレーを持ち、先に席を陣取っているであろう鏡の姿を探す。昼時ということもあり、夜と違った別の雰囲気が食堂を賑わせている。夜はどっちかっていうと完全にオフモードなわけだし、女性陣の服装も軽装な部屋着になっている。

 

夜の雰囲気はアダルトっていうか、様々な意味を込めて色気が強いっていうか……

 

だからただ飯を食べたりコミュニケーションを図るとしたら、この昼の時間帯の方が気楽だ。

 

 

「ああ、いたいた」

 

 

周りを軽く見回して散策すると、すぐにその姿を確認することが出来た。

 

窓口を出て目の前の席に、すでに三人が陣取っている。なぜかご丁寧にど真ん中を開けてだ。いやいや、そこは普通詰めて座りませんかね?

女の子にとってはそれが一般常識なの! って言われたらそれまでだけど、そんなことはないはず。

いや、別に真ん中に座ることが嫌なわけじゃないよ?

 

でもわざわざ座っている女の子をどかして、座るのは間違いなく手間が掛かる上に、男が女性達の真ん中に座るっていうのが、女性を取り囲んでいるホストみたいな感じがしてな。

 

 

「お待たせ、席取っててくれてありがとな」

 

「ううん。私だけお弁当だったし、たまたま近くが空いていたから」

 

「ささ、霧夜くん。真ん中に!」

 

「おお~、きりやん上座だぁ」

 

 

いや、君らが空けてたんでしょうが。それにやけに楽しそうだな。俺を真ん中に座らせるために、左端に座っていた鏡がわざわざ外に出てくる。席を取っててくれた鏡にここまでされたら、こっちとしても座らないわけにはいかなくなる。ただ男性としては女性に周りを囲まれることに慣れてしまった方が異常なわけで。苦笑いを浮かべながらも、空けてくれた席……つまりは真ん中の上座ポジションとやらに俺は腰をおろした。

 

俺が腰を下ろすのを確認すると、それに合わせて座席に栓をするように鏡も座る。これで完全に退路は断たれたわけだ。断たれたわけじゃないけど、外に出るとなると座っている人数が少ない方から出ることになる。だから必然的に左隣から出るわけで、そうするとその度に鏡は席を立たなければならない。

 

多分食べ終わるまで立つことはないと思うが、万が一ってこともある。その度に手間をかけさせるわけにはいかなかった。

 

ま、さっさと昼飯を済ませることにしよう。

 

 

「じゃ、いただきます」

 

「「いただきまーす」」

 

 

俺の掛け声でその場にいる三人全員が揃って挨拶をする。俺も自分の昼食に手をかけるが、少しだけ周りの献立を見てみる。鏡はお手製のお弁当で、谷本はBLTサンドイッチ。

 

で、布仏はというとサンドイッチの一種ではあるが……何だろう、何と言えばいいのか俺も分らない。物凄く甘ったるい匂いがするけど、中に何が入っているのか。分かっているのはサンドイッチだということ。

 

パンから溢れている薄茶色の液体は蜂蜜で、白いのはホイップクリームだよな? で、見慣れたことのある柑橘系のオレンジ色の物体とか、黄色のアレとか名前で言うならフルーツサンドイッチってのは分るんだけど……

 

問題なのはかかっているシロップの量だ。明らかに見ているこっちまで胸焼けする量が詰め込まれている。

 

さすがにあれを食べる勇気はない。むしろ良く食えるな、布仏。とにかく胸焼けしないうちに、食事を済ませるとしよう。

 

 

「なぁ、箒……」

 

「何だ?」

 

「ISのことを、教えてくれないか? このままじゃ何も出来ずに、セシリアに負けそうだ」

 

「下らない挑発に乗るからだ」

 

「そこを何とか! 頼む!!」

 

 

俺達の隣の席、厳密にはガーデニングを挟んで隣の席から、篠ノ之と一夏が会話する声が聞こえる。

 

威勢良く啖呵を切ったはいいものを、いざ現実をみるとどう考えても勝てる見込みが少ないことに気がついたようだ。

篠ノ之に何とかISのことを教えて貰えないだろうかと懇願する一夏だが、篠ノ之は自業自得だと言って一蹴する。そこを何とか! とばかりに手を前で合わせながら懇願するも返答は戻ってこないまま。

 

確かにこのままだったら勝つ見込みは少ないだろうな。

 

相手がどれだけの時間ISを起動させているのかは知らないが、代表候補生ということを踏まえると、実力は間違いなく高い。ぶっつけ本番というのは一夏や俺にとっては自殺行為にも等しいこと。せめて何らかの知識を持っていれば、多少はましにはなるはずと一夏は考えているみたいだ。

 

当然、二人の会話はこちら側にも聞こえており、話は一週間後に行われるクラス代表決定戦のことになる。

 

 

「きりやんは大丈夫なのー? 一週間後に、決定戦だけど……」

 

「IS動かしたのも、適性検査の時と実技試験の時だけだし、正直厳しいかもしれないな」

 

 

負ける気はないとは言ったものの、ISを起動している時間というのは大きな経験値の差にはなる。ましてや代表候補生、少なくても俺達なんかよりもはるかに長い時間、ISを起動しているはず。

 

 

「でも霧夜くんも、何らかの対策はするつもりなんだよね?」

 

 

BLTサンドと一緒に頼んだ紅茶を啜りながら、谷本が俺に語りかける。

 

 

「あぁ。とはいっても、ISを動かす時間なんてほとんどないだろうし、地道に身体を動かせるように準備するしかないかな」

 

 

もちろん戦う前は相手の機体のことも調べるつもりだ。自分にとって相性がいい相手なのか、そうではないのか。

 

これを知るだけでも幾分違うだろうし、攻撃方法なんかの動きなんかも含めて変わってくる。後は身体を動かして本番に備えること、自分の動きとISが連動してくれれば、戦いやすくはなるはず。

 

 

「一夏も勝つつもりで戦うだろうし。あれだけ言ったんだから、勝たないとな」

 

 

サバを切り分けて口の中へ運ぶ。IS素人は素人らしく足掻いてみせるさ。ISに関しての知識を詰め込もうにも一週間しかないんだから、勉強なんてものはたかが知れている。

 

 

「ほ、本当に勝つ気でいるんだね」

 

「試合に負ける気で挑む人間なんていないだろうしな。とにかく、やれるだけのことはやるさ」

 

「そうだよね。……私、応援しているから」

 

「ん、ありがとな鏡」

 

「はぅ……う、うん」

 

「「……(ニヤニヤ)」」

 

 

 味噌汁をずずっと啜り、鏡に感謝の気持ちを述べる。応援してくれることに関して、素直にうれしいい。

……感謝する中、谷本と布仏がニヤニヤ笑みをうかべていることに関して少し引っかかりを覚えたが、今はいいとしよう。

 

鏡にも言ったように、負ける気で行くやつなんざ最初から戦う資格はない。スポーツの試合で初めから負けるつもりで戦う人間がいないように、ISだからっていうのは関係ない。

 

やるからには絶対勝つつもりでいかないと。

 

 

 

「ねぇ、君って噂の子でしょ?」

 

 

(ん、何だ?)

 

 

食事を取っていると、どこからか誰かに対して声を投げかけるのが聞こえた。

 

その声の発信源は隣から、つまり一夏と篠ノ之がいる席からだ。食事を続けながら視線を向けると、そこには茶髪のショートヘアの女性が立っている。

 

他の子たちに比べると、幾分大人っぽく見える。よく見ると周りの子とリボンの色が違う。一年生のつけるリボンやネクタイの色が青に対して、その女性がつけているリボンの色は赤色。二年生のつけるものは黄色らしいから、この女性は三年生ってことか?

 

その女性に対し、篠ノ之は観察するかのような視線を送る。つまり何のためにこちら側に近付いてきたのかというのを確認したいみたいだ。

 

 

「代表候補生の子と勝負するって聞いたけど、でも君。素人だよね? 私が教えてあげよっか? ISについて」

 

「え?」

 

 

一夏が反応した途端、篠ノ之の視線はより厳しいものへと変化する。元々日本人らしい凛々しく武士娘のような顔立ちをしているため、眼光というものは鋭い。不機嫌さを滲み出しながらも、篠ノ之は口を開いた。

 

 

「結構です。私が教えることになっていますので」

 

「え?」

 

 

篠ノ之の口からその言葉が発せられた途端、ハトが豆鉄砲食らったような顔になる一夏。当然と言えば当然の反応、先ほどまで頑なに断っていた相手が、突然手のひら返しをしたのだから。

 

さっきのあれは何だったんだとばかりに篠ノ之を見つめる一夏だが、それをよそに篠ノ之と三年生で軽い言い合いになる。展開に全くついていけずにオロオロする一夏。

 

……しかし今の一夏の顔面白いな。よし、これは写メってネタとして永久保存しておこう。

 

 

「あなたも一年でしょう? 私三年生。私の方が上手く教えられると思うな」

 

 

一年生と三年生、二年という時間は傍から見ればかなり長い時間だ。ISの知識、ISの稼働状況を比較しても、代表候補生でもなければ何十時間もの差が付いている。教えるのに適任かどうかといわれると何とも言えないが、少なくとも教えられる引き出しは三年生の方が多く持っているのは間違いない。

 

自信満々に言い切る三年生だが、それに対して篠ノ之も反論する。

 

 

「私は、篠ノ之束の妹ですから」

 

「え!?」

 

 

 その発言にたじろぐ三年生。綺麗な大人びた雰囲気はどこへやら、余裕の表情は焦りの表情へと変化する。分かりましたと了承されるかと思えば、IS創造者の妹であるという事実が発覚したのだから無理もない。

 

苦し紛れの反論が返ってくると思ったら、返ってきたのは核弾頭並みの防御不可能な反論だった。

ISに関しては篠ノ之束……あの天災博士の右に出るものはおらず、ISのコアを製造できるのも、彼女だけ。その妹が「私が教えます」と言ってきたら、いくら三年生といえども引き下がる他ない。

 

 

「ですので、結構です」

 

「そ、そう。それなら仕方ないわね!」

 

 

三年生は渋々その場を去って行った。俺に興味がないのか、俺には目もくれずにズカズカと俺達の席の横を通り過ぎていく。そのこめかみには血管が浮き出ている。女性が何かを取り合うのって怖いな、おい。

 

しかしまぁ、ネームバリューを使って追い返すとは、篠ノ之もなかなか大胆な行動に出たものだ。

 

 

「えっと……教えて、くれるのか?」

 

「……」

 

 

 動機はどうであれ、篠ノ之が一夏を教えることが決定した。一夏は一夏でやや困惑しているものの、教えてくれることに関しては、ある意味三年の人には感謝するべきなのかもしれない。

 

ただ……

 

 

「一夏にとって放課後は地獄になるかもなぁ……」

 

「え? それってどういうこと?」

 

「いや、まぁ色々とあってな。これから一週間、一夏にとってきつい毎日になるかもしれないっていう俺の想像」

 

 

皆に追いつくための勉強に加えて、篠ノ之による特訓がこれから一週間は最低続く。頭は痛いし、身体も痛いってこれはどんな拷問だろうか。もちろん、一夏も自分から頼んでいるわけだし、これからどんな特訓だろうと根はあげられないはず。

 

戦う覚悟ってやつを決めないと。

 

 

「あ、そうだ箒。俺放課後大和と復習もあるんだけど……」

 

「……なら呼べばいい。特訓が終わってすぐに取り掛かれば問題はないだろう」

 

 

ってあれ、いつの間に俺まで巻き込まれてんの?

 

呼べってことは最悪、俺も一夏の特訓に付き合わされるってことだよな。おい、これじゃ最初の意図と全然変わってくるじゃないか。俺は俺で何とかするから別に良いんだが……

 

断ったとしてもごり押されるのがオチか、ハァ。

 

やや意気消沈気味の俺の机に、昼食を食べ終わった一夏と篠ノ之がトレーを持ってやってくる。篠ノ之はいつも通り、厳しい表情は変わらず。そして一夏は申し訳なさそうな表情を浮かべている。

 

 

「さっき聞こえたとおりだ、霧夜。放課後私と一夏の特訓をするからお前も来い。ついでに鍛えてやろう」

 

「……分かった」

 

「あれだ、その、何だ。……すまん、大和」

 

 

挙句の果てに俺までついでで篠ノ之に鍛えてもらう始末に。どうすんだこれ、もう収拾つかないじゃねーか。というかやっぱりさっきの会話は俺に聞こえる前提でしていたのか。

 

だったら軽く挨拶の一つもしてほしいものだ。

 

一夏に夢中だったってのはよく分かるし、俺まで気に留めている余裕がないのはよく分かるけどな。

 

 

「まぁ、とにかく放課後な。どこに行けばいいんだ?」

 

「剣道場だ。私達は先に始めているから、何か用事があるのなら遅れても構わない」

 

「了解」

 

「行くぞ、一夏」

 

「あ、あぁ……」

 

 

歩き去っていく二人の後ろ姿を見つめながら、ただただ、溜息をつくしかなかった。はぁ、不幸だ。

ISを教えるのに剣道場に行く必要があるか、いや無い。間違いなくないと思う。完全に肉体運動する気満々だ、何がどうしてこんなことになったのか。

残っているご飯をかきこみ、昼食を済ませる。俺の表情がさっきと違って明らかな落胆の表情に変わっているのは、この場の三人もすでに分かっていること。聞きづらそうに、俺の左隣にいる鏡が口を開く。

 

 

「その、えっと……が、頑張ってね? 私今日日直だから、残らないといけなくて……」

 

「ああ、頑張るよ」

 

「私達も応援してるからさ!」

 

「頑張ってね~きりやん!」

 

 

もはやカラ元気しか出てこない。肉体的に疲れたわけでもないのに、この疲労感は何なんだろうか。

ただよく似た疲労感を、俺は覚えている。初日……あの女性の視線の中にいた疲労感とよく似ている。つまりはそういうことで……

 

 

「……っとに、振り回されてばかりだな」

 

 

悪態をつくものの、数々起こるドタバタに振り回されることをどこか楽しんでいる自分がいる。

 

そんな自分が不思議に思えて仕方なかった。

 



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放課後はフラグの宝庫?

「織斑。お前のISだが、準備まで時間がかかるぞ」

 

「へ?」

 

 

 只今六時間目が行われている最中。授業が中盤に差し掛かったころ、ふと千冬さんが授業内容と全く関係のないことで口を開いた。

 

言っている意味がよく分かっていないのか、一夏は何のこっちゃとばかりに首をかしげる。

 

 

「予備の機体が無い。だから、学園で専用機を用意するそうだ」

 

「専用機? 一年のこの時期に?」

 

「つまりそれって、政府からの支援が出るってこと?」

 

「凄いなー私も早く専用機欲しいなぁ!」

 

 

どうやら、一夏には政府からの支援で専用機が用意されるらしい。よくよく考えてみれば、考えられなかったことじゃないと思える。

 

 一番はじめに男性としてISを動かしたのは一夏、世間にその姿形が広まったのも一夏だ。そして姉にモンド・グロッソ総合優勝者である千冬さんを持つ。大々的な宣伝もあるのか、誰かの差し金か、その辺りはよく分らないが、専用機が用意される可能性は誰よりも高い。

 

逆に俺はISこそ動かしたものの、ネームバリューというものは一夏に比べて低い。IS動かしてから雲隠れしていたことを考えると必然だし、そもそも俺の身分を明かすこともなかった。

 

だから俺が何をしているのか知っているのは、千冬さんだけ。その千冬さんにも、俺の詳しいプロフィールを教えてはいない。

 

 

「専用機があるってそんなに凄いことなのか? 大和」

 

 

振り向きざまに一夏が、俺に聞いてくる。

 

 

「あぁ、ISは世界で四百六十七機しかない。つまり与えられる人間も限られる」

 

「四百六十七機!? たった?」

 

 

 ISというものが動くのも、ISを動かすためのコアというものがあるから。そのコアを作れるのは世界でたった一人、篠ノ之束だ。それ以上はどうやら、篠ノ之博士が作ることを拒んでいるらしく、各国に割り当てられたコアを研究して開発に励んでいる。

 

俺の二つ後ろに座っている子、鷹月静寐(たかつきしずね)が俺に代わって、補足を行ってくれる。

 

 

「ISの中心に使われているコアって技術は一切開示されていないの、現在世界中にあるISは四百六十七機で――――」

 

 

 自分の持っている知識を分かりやすい説明で一夏に行う。ま、いずれにせよ一夏は良い意味でも悪い意味でも選ばれた人間になったってこと。

 

専用機を持つことで、それを研究対象に見る人間も多く現れるわけだし、一夏をさらって解剖して研究しようとする馬鹿な研究者共も現れる可能性もより高くなる。

 

そう考えると、正直あまりメリットというものを感じることは出来ない、むしろほとんどないと考えた方が良い。

 

 

一通り鷹月は説明を終えると、自分の席へと戻っていく。そしてその説明を聞いて理解したのか、顎に手を当てて頷く一夏。今の説明は誰が見ても分かりやすい説明だった、鷹月は将来先生とか向いているかもしれないな。

 

そんな一夏の目の前に、入れ替わりでオルコットが優雅な雰囲気を醸し出しながら現れた。ビシッと人さし指を一夏の方へと向けて、自信満々に語り始める。

 

 

「それを聞いて安心しましたわ! クラス代表の決定戦、わたくしと貴方では勝負は見えていますけど。流石にわたくしが専用機、貴方は訓練機ではフェアではありませんものね?」

 

 

 自信満々な、高圧的な態度は相変わらず。その発言はまた俺に喧嘩を売っていると捉えてもいいのか。代表候補決定戦の対戦相手は一夏だけじゃなくて、俺も含まれているってことを忘れてもらっては困る。

 

おそらく一夏と違って、俺は専用機ではなく学園の訓練機で戦うことになるだろうから、その発言からすると俺はアンフェアってことになる。よし、これで負けた時の言い訳が出来る……なんて考えることはしないが、その言葉を忘れて貰わないで欲しい。

 

 

さっきこそ、オルコットに対してキレはしたが、今はもうどうでもいい。好き勝手にしてくれっていう諦めが強くなっている。

 

あれだけ脅されて、まだ人の肉親を馬鹿にしようものなら、もうそこまでの人間。同じ人間として見ることが出来ないだけで、何も変わらない。

 

 

「お前も、専用機ってのを持っているのか?」

 

 

 持っているんじゃないか、国家代表候補生なわけだし。持っていない人間もいるみたいだけど、今の発言で堂々と専用機を持っていると言っている。これで実は嘘で、持っていませんでしたなんてオチがないことを祈るのみだ。

 

 

「ご存じないの? なら庶民の貴方に教えてあげますわ」

 

 

わざわざ嫌味を言わなくても、普通に言えば良いのに。垢が取れれば、そんなに悪い人間とは思えないんだよな。

 

 

「このわたくし、セシリア・オルコットはイギリス代表候補生。つまり、現時点で専用機を持っていますの。世界にISは僅か四百六十七機、その中でも専用機を持つ者は、全人類六十億の中でもエリート中のエリートなのですわ!」

 

「そ、そうだったのか……」

 

 

 確かに自分の専用機を持っているということに関しては素直に尊敬出来る。IS適正が高いだけでは専用機は貰えないわけだし、ましてや国家代表になるために皆必死に努力をしている。

 

その中でも特に努力し、将来性を見込まれた人間だけが手にすることが出来る専用機。専用機を持っているということは、オルコットもそれ相応の努力をしたことになるからだ。

 

だからそこに関しては、差別とか関係なしに尊敬出来るのは間違いない。

 

 

「ふん、わたくしの凄さが分かりまして?」

 

「世界の人口って六十億超えてたのか……」

 

「そこですの!? わたくしの話を聞いてまして!?」

 

「あぁ、だからこそ……」

 

 

……何故、そこに行きつくのか。

 

マジで俺も一夏を解剖して、脳みその中を調べてみたくなった。

 

オルコットはオルコットでようやく自分の凄さを自慢出来たと、勝気な笑みを浮かべていたのに、全く関係のない話題に話をへし折られてしまったために、顔を真っ赤にして怒りくる拳を震わせている。

 

もし俺がオルコットの立場だったら、怒りはしないでも呆れて物が言えないに違いない。

 

それでも怒りが収まらず、机から身を乗り出して一夏に怒りをぶつける始末。昨日の再現を見ているみたいだ。

 

――――ただ、二人とも話に夢中になるあまり、完全に忘れていることがあった。

 

 

「オルコット。貴様私の授業の時間に前に出て来て教師面とは……いい度胸だな」

 

 

 

今の時間は誰が管轄している時間なのかということを。

 

 

「え……?」

 

 

 ギギギと壊れたロボットが必死に動こうとするように、オルコットは顔を後ろに振り向かせる。さっきまでの真っ赤な顔つきはどこへやら、打って変わって顔を真っ青にし、冷汗を垂れながら、声の発信源に向けて顔をあげていく。

 

顔をあげた先にはいつもと表情こそ変わらないものの、少し怒りの感情がこもった千冬さんの顔があった。

 

 

「へみゅっ!?」

 

 

無情にもオルコットの頭上に振り下ろされる出席簿。ゴチンという出席簿らしからぬ衝撃音とともに、オルコットは頭を押さえてその場にうずくまる。

 

余程痛かったのか、半分涙目になっている。

 

 

「今は私の管轄時間だ。さっさと席に着け」

 

「は、はい……」

 

 

 頭を押さえながらトボトボと席に戻っていくオルコット、一言で片づけるなら自業自得と言ったところか。

 

千冬さんの出席簿アタックは軽くトラウマになりそうなレベルだ。痛めつけられることに快感を覚える人間ならまだしも、普通の人間が何回も食らっていたら身が持たない。

 

一回蹴りと踵落としを食らいかけたことはあった。それに比べてかなりマシな部類にはなるが、それでも食らいたくないものは食らいたくない。

 

オルコットが席に戻り、教室が静寂に包まれたことを確認すると千冬さんは改めて口を開いた。

 

 

 

 

「ゴホンッ……本来ならIS専用機は国家、或いは企業に所属する人間しか与えられない。が、お前の場合状況が状況なので、データ収集を目的として専用機が用意される。……理解できたか?」

 

「な、何となく……」

 

 

何となくとは言ったものの、一夏はまだ実感が湧かないらしい。千冬さんと一夏の二人だけの会話を遮るように、再び鷹月が手を挙げた。

 

 

「あの、先生。篠ノ之さんって、もしかして篠ノ之博士の関係者なんでしょうか?」

 

「そうだ。篠ノ之はあいつの妹だ」

 

「「ええぇぇぇぇ―――!!?」」

 

 

『アイツ』と呼び捨てにする時点で、千冬さんと篠ノ之博士の関係がよく分かる。そんな千冬さんの返答に、クラスは再び喧騒に包まれた。先日、俺と一夏にクラスの視線のすべてが集中したように、今度はその視線が篠ノ之に向かう。

 

 

「うそ! お姉さんなの!?」

 

「篠ノ之博士って、今行方不明で、世界中の国家や企業が探しているんでしょ?」

 

「どこにいるか分らないの~?」

 

 

ガヤガヤと騒ぎ立てるクラスの面々。彼女達には悪気がなくても、それを受けている本人はよく思わないこともある。

 

 

 

「あの人は関係ない!! ……私はあの人じゃない。教えられることは何もない」

 

 

 

 クラスの反応に、篠ノ之は語気を強くして、不機嫌さを隠そうともせずに言い放つ。言い終えた後は視線を外に向け、我関せずといった態度を取ってしまう。

 

そんな篠ノ之の反応が予想外だったのか、気まずそうな雰囲気がクラス中に充満した。自分の姉に関することをよほど聞かれたくなかったのか、だとしたらこういう反応になっても不思議ではない。

 

ただ少しばかりきつく言い過ぎたか、クラスメイトはおろか、副担任である山田先生までその雰囲気にのまれてしまっていた。

 

 

「山田先生……授業を」

 

「は、はい!」

 

 

呆けている山田先生に、千冬さんは横目で一言忠告し、我に帰った山田先生は慌ただしく授業を再開させる。

 

 

「それでは授業を再開します。テキストの――――」

 

 

再び授業が再開される。本日最後の授業ということもあり、気分的にはかなり楽なはずなのに、どこかそんな気分ではいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで、今日の授業は終わりです。皆さん気をつけて帰ってくださいね」

 

 

山田先生の一声で、本日の授業がすべて終了したことが告げられる。今日一日を総括するのなら、長かった、ひたすらに長かった。

一日の統括とはいえ、俺にとってはここからが長いかもしれない。

 

ひとまず剣道場に呼ばれていることだし、なるべく早めに向かうことにしよう。

 

 

「行くぞ、一夏」

 

「うわっ! ちょっと待て箒!」

 

 

終わるとほぼ同時に篠ノ之に腕を掴まれて教室からログアウトする一夏。先ほどの授業での一件をまだ引きずっているのか、篠ノ之の顔つきは険しいままだ。

 

それに続いてクラスメイト達も荷物をまとめて教室の外へと出ていく。

 

俺もそれにならい、必要な教科書類を鞄の中に詰めた後、鞄を持って教室を出ようとする。

 

 

 

「待て霧夜」

 

「はい?」

 

 

教室を出ようとした途端に引きとめられる。引き止めたのは千冬さんだった。

 

 

「後で少し話がある。ただ私はこれから会議でな、一時後くらいに職員室に来て欲しい」

 

「話……ですか?」

 

 

 誰かに聞かれてもいい話ならこの場で言うだろうし、依頼した仕事内容のことについてか、それともはたまた別の話か。いずれにせよ職員室に呼び出すってことは、ここで話をしたらマズイことなのは分かる。

 

 

「何、そう構えなくてもいい。気楽に来い」

 

「二日目から職員室に呼び出されたら、構えても仕方ないですよ」

 

「まぁいい。ではな」

 

 

 さっそうと教室を去っていく千冬さんの後ろ姿を見送りながら、俺も少し遅れて教室を出た。向かうは一夏と篠ノ之が向かった先、剣道場だ。

 

一夏と篠ノ之の後を何人かクラスメイトがついて行ったみたいだけど、ISのことを教えるのにワザワザ剣道場に行く必要があるのか。

 

 ISは個々の身体能力に連動するとは言うけど、まさか一夏を剣道で鍛えるって魂胆なのか。

篠ノ之が何を考えているのか分かりかねる。一週間身体を鍛えたところで、その成果ってのはたかが知れてる。千冬さんに聞いた話じゃ一夏は昔剣道をやってたみたいで、一夏自身の身体能力は成人男性と比べても比較的高い水準にあるようだ。

 

 

 

「どっちかっていうと一夏のやつも、俺と同じ近接型か……」

 

 

俺はやっている鍛錬も肉弾戦の戦闘スタイルも完全近接のため、ISを用いた戦闘スタイルも近接になるとは思う。

 

近接っていうのは逆に常に相手の攻撃が当たる位置にいるわけだから、回避と攻撃を常に考えて行動しなければならない。遠距離も遠距離で相応の難しさがあるし、結局どちらも難しいことには変わりないということ。

 

 いくら自分のタイプが近接だからといってもISに乗って同じ動きがいきなり出来るかと言われれば無理だ。訓練機を借りようかとも考えたものの、学園の規則には個別の貸し出しは完全に予約制となっている。

 

完全予約制ってことは、空きがあればすぐ借りることは出来るものの、無ければ借りられない。つまり後一週間以内に借りれるかどうかはわからないわけで。しかもすぐに借りられるならわざわざ予約制にする必要もなくなる。

 

完全予約制ってことは、すぐ借りることが難しいことを意味している。

 

例外として授業ないし教師立ち会いでの模擬戦をする場合のみ使用することが出来るらしいが、それ以外の無断使用は禁止。

 

この時点でISを用いての特訓が難しくなってしまった。

 

 

 

身体を動かすことくらいしか本番に向けて出来ることはない。後は知識を出来るだけ詰め込むことか。シールドエネルギーが切れたら負けなわけだし、その辺りをうまく立ち回らないといけない。

 

いきなり壁にぶち当たるのも慣れたものだが、一回くらいはISを動かしておきたかったっていうのが俺の本音だったりする。やれやれだ。

 

 

「……あれ? 何か忘れているような」

 

 

玄関につながる階段を降りきったところで、ふと頭に疑問がよぎる。

 

 

……いや、間違いない。二人が出ていった時のことを思い返しても、一夏は間違いなく持っていなかった。

 

持っていないっていうのは学校指定の鞄のことだ。授業が終わると同時に篠ノ之に連れ去られたために、一夏は荷物を纏める時間もなかった。だから教室には一夏の鞄が置きっぱなしになっている。

 

 

 確か教室って特に理由がなければ、全員が退出した後で日直が施錠するようになっていたはず。つまり一夏の鞄だけではなく、俺の貸した参考書まで道ずれにされることを意味する。流石に参考書がないと、こっちとしては何も出来ない。

 

一夏も自分の鞄がないと困るだろうし、一夏の鞄も参考書のついでに取りに行くか。

 

 

折角下まで降りてきたっていうのに、無駄足をふんじまった。また教室に戻ることを考えると、もう少し早く気が付いていればと思ってしまう。

 

その場で回れ右をして、再び来た道を戻る。

 

 

万が一教室が閉まっていた時は、職員室にいる山田先生に頼んで教室の鍵を開けてもらうことにしよう。千冬さんは職員会議で会議室にいるだろうし、職員室に担任である千冬さんがいないと考えると、鍵を預かっているのは山田先生だ。

 

教室が閉まっていたら二度手間になってしまうが、それは逆も同じ。まだ鍵が返却されていないのに職員室に行ったら鍵は貰えずに二度手間になるし。

 

だったら初めから教室に忘れ物をするなよって話になる。はい、すいませんでした、全部こちら側の責任です。

 

……なんて馬鹿なことをやっている場合じゃない。今はとりあえず急ごう。

 

鞄を取りに行ったら今度はそのままの流れで、一夏と篠ノ之のいる剣道場に顔を出さないといけないし、その後は会議を終えた千冬さんの元へと向かわなければならない。

 

今はダラダラしている時間が惜しい。

 

 

階段に足をかけ、降りてきた段差を今度は上っていく。さっき降りたばかりの階段をすぐに上り直すって考えると、少しばかり複雑な気分になる。

 

階段を降りるのは昼休みだとか下校のイメージだが、階段を上るっていうのは登校だとか移動教室とかのイメージだ。

 

だから今階段を上るのは、登校するっていうイメージで……いや、考えるのはやめよう。

 

 

 

階段を一段ずつ上がっていき、折り返して次の階段に足を掛けようとした時、階段の上から大きな段ボールを二つ抱えた女生徒が降りて来ていた。

 

二つの段ボールを抱えているために、前方の視界は完全に遮られており、その生徒の階段を降りる足取りもおぼつかない。下を向けば足元こそかろうじて確認できるものの、それでも前方が全く見えない状態での歩行が明らかに危険な行為であるのは、変わらない事実だった。

 

 

(おいおい大丈夫か。わざわざ二つまとめて持ってくるなんて無茶をしなくても……)

 

 

 その女生徒は前に誰もいないと思って歩いている。少なくとも自分がこれだけの荷物を持っていれば、避けてくれるだろうとは思っているだろう。そんな彼女に手伝おうと急に声をかければ、驚いてバランスを崩し、転落するかもしれない。

 

今俺に出来るのは、彼女が転落しないように見守ることだけ。一度階段を降り切ってから、声をかけることにしよう。

 

まだ階段は続くし、これ以上視界が遮られた状態での歩行を続けるのはあまりにも危険すぎる。

 

 

考えているうちにも、女生徒は残り数段で降り切るところまで来ていた。このままいけば何事もなく終わる。

 

 

 

しかし世の中、そんな考え方が通用するほど甘いものではなかった。

 

階段を降りようと一歩足を踏み出した時だった。

 

 

「え?」

 

 

今まで安定していた二段目の段ボールが不意に傾く。中には色々なものが入っているんだろう。ダンボールを落として中身を溢さないように、バランスを整えようとする。

 

だがそれがいけなかった。

 

足もとに集中していた神経が一瞬足もとから離れて、ダンボールのバランスを立て直す方にむく。そのせいで踏み出した足がわずかに、段差の前の方に着地してしまう。

 

 

「あっ!?」

 

「くっ!」

 

 

 下に着地地点がある。そう信じて疑わなかった女生徒は、自分の体重を着地させた足にかけてしまう。不安定な足場でバランスをとることは至難の業、今の状態で一度崩したバランスを立て直すことは不可能に近い。

 

後ろに倒れると、そのまま後頭部を強打する可能性が高い。何とか頭を守ろうと、前にバランスを向けるが、不安定な足場で前に傾ければそのまま前方へと投げ出されてしまう。

 

前方に投げ出される荷物とともに、女生徒の身体も倒れてきた。

 

 

「間に合え!」

 

 

中身が詰まった段ボールを避けながら、階段のすぐ下まで接近し、ふらつかない様に足に力を込め、俺は倒れてくる女生徒の身体を自分の身体で受け止めた。

 

この際、恥ずかしさだとか言うのを気にしている場合じゃない。しっかりと受け止めて動きが止まったことを確認すると、その女生徒が怪我をしていないか確認する。

 

 

「ふぅ……大丈夫か?」

 

 

正面からそのまま抱きつかれる形になったため、女生徒の顔は俺の身体に触れたままで、顔を確認することが出来ない。

 

俺が安否を確認すると、ようやく、その女生徒は顔を上げた。……ってあれ?

 

 

「は、はい。……あっ」

 

「か、鏡? 何やってたんだ?」

 

 

女生徒が顔を上げると、そこには見覚えのある顔があった。女生徒の正体はクラスメイトである鏡ナギだった。

 

顔を赤らめて、俺のことをぽーっと見つめるその姿は色々ヤバい。ここに別の生徒が来たら完全に誤解されることは間違いなかった。まかり間違って男の存在をよく思わない人間に見つかれば、間違いなくあらぬ噂を立てられるだろう。

 

とにかく、無事であることは確認できたんだし、ひとまず鏡を離すとしよう。

 

 

「っと……咄嗟のことで直接受け止めるしかなかった。気に障ったら悪い」

 

「う、ううん。そんなことないよ。霧夜くんが支えてくれなかったら、床に身体をぶつけていたかもしれないし……その、あ、ありがとね?」

 

「あ、ああ。どういたしまして……」

 

 

顔を赤くさせながら、上目遣いでお礼を言ってくる鏡の姿が正直ヤバい、可愛すぎる。

 

照れた表情でお礼をされたら、こっちとしては顔を直視することが出来なくなる。押し上げてくる妙な感情をぐっと押し殺し、気分を落ち着けてから再び鏡の姿を見る。

 

先ほどに比べると顔の赤らみは薄くなっているものの、手をもじもじさせながらチラチラと俺のことを見てくる。

 

このままでは話が一向に進まない、割り切ろう。

 

 

「……でも何してたんだ? こんな荷物二つも持って」

 

「私、今日日直だったから。……織斑先生に放課後資料を運んでくれって言われてたの」

 

 

あぁ、昼休みに日直がどうとかって言ってたっけ。仕事っていうのはクラスが全員居なくなった後の鍵の施錠と、この資料運びのことか。

 

床に落ちた二つの段ボールを見る。中身こそこぼれていないものの、落下した時の衝撃音からして、それなりの質量があるんだろう。わざわざ二つまとめて運ぶことも無かっただろうに、手早く仕事を終わらせようとして無茶したのか。

 

だが、明らかにこれは無茶すぎる。同じ無茶でもリスクの少ない無茶とリスクが高い無茶がある。これは明らかに後者だ。怪我をするリスクを背負ってまで、やるものじゃない。

 

 

「あまり無茶するなよ。無理なら一つずつ運べば安全なんだから」

 

「うん……ごめんなさい」

 

 

シュンと落ち込んでしまう鏡。無茶をして怪我をしそうになった挙句、俺にまで迷惑をかけてしまったと思って、負い目を感じているのかもしれない。

 

……ただ、何より鏡には怪我一つない。それが不幸中の幸いだった。怪我をしなくて良かった、その現実にホッと胸をなでおろす。

 

 

「怪我したら悲しむ子もいるんだし、身体はたった一つしかないんだ」

 

「は、はい……」

 

 

 何か説教じみちまったけど、とにかくこの荷物を一人で運ばせるわけにはいかない。その場に落ちているダンボールを二つ抱えて持ち上げる。体格差ってのもあるだろうけど、抱えた段ボールを差し引いても、まだ前を見る余裕があった。

 

鞄を取りに行こうとしたけど、どうやらこのダンボールを運ぶのが先みたいだ。鞄を取りに行くのは、この仕事が終わってからでも遅くはない。幸い教室の鍵は鏡が持っている。この荷物を届けた後で教室に戻ればいい。

 

 

「さて、と。じゃあ行くか。職員室に届けるんだろ?」

 

「そうだけど……霧夜くんも何か用があったんじゃ……」

 

「教室に少し用があるだけだし、これ届けてからでもいけるさ。流石に女の子一人にこれを持たせるわけにはいかないって」

 

「でも……」

 

 

自分の仕事を他の人に押し付けることに納得がいかないのか、しばし抗議してくる。抗議してきたとしても、一回階段を踏み外す現場を見ているわけだから、一人で運ばせる訳にはいかない。

鏡にも少なからず転んだ動揺も残っているはず、動揺が残った状態で運ばせればまた転ぶ可能性だって高くなる。

 

今さっきはたまたま俺がいたから事なきを得たものの、もし次転んだ時に誰もいなかったらどうなるか。多少身体を痛めるくらいで済めば良いが、打ち所が悪ければ大ケガにつながる。

 

鏡にとっては迷惑をかけてしまうと思っているみたいだが、これくらいの荷物を運ぶことくらい迷惑でもなんでもない。

 

 

「別に迷惑なんて思わないし、むしろ可愛い子の役に立ててこっちは男冥利に尽きるってもんだよ」

 

「か、かわ!? ……はぅ」

 

「あ……」

 

 

納得させるつもりが、とんでもない爆弾発言をしてしまったみたいだ。鏡は顔をトマトのように耳まで赤くさせて、俯いてしまう。

 

いや。確かに爆弾発言だけど、俺は別に嘘を言ったつもりはないぞ?

 

どれだけ控え目な評価をしても、鏡が美少女であることには変わらない。日本美人を思わせる黒髪に、整った輪郭。ミニスカートの下から見える足はスラッとしていて、普通の女性なら誰もがうらやむ美脚そのもの。

 

ただ言い方が悪かったかもしれない、少なくとも今言うべき言葉ではなかったか。

 

 

「……とにかく行くか。さっさと仕事を終わらそう」

 

「う、うん。そうだね」

 

 

私用を後回しにし、俺は荷物を届けるために照れる鏡と職員室へと向かった。



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実力の披露

「はぁ!!」

 

「ちょっ、待った箒!」

 

「せぇい!!」

 

「だぁあ!!」

 

 

IS学園剣道場。作りそのものはどこにでもあるような剣道場と変わらないものの、道場内の広さは他の学校とは比べ物にならないほどに広い。その広い剣道場の一部分で互いに打ち合う男性と女性。織斑一夏と篠ノ之箒だった。

 

乾いた竹刀のぶつかり合う音が幾度となく響き合い、白熱した打ち合いが行われている。

 

しかしながらその打ち合いは完全に一方的なワンサイドゲームになっており、打ち込んでいる音のほとんどは一夏ではなく箒のものだった。

 

鬼気迫る真剣な眼差しで打ち込む箒に対し、何とか有効打を打ちこまれないようにガードするしかない一夏。縦横無尽に襲いかかるその斬撃の数々はいずれも重く、受け止める度に一夏の手には痺れが走る。

 

同じことを十数分を続けているが、二人の表情は完全に対称的なものに変わっていた。

 

数多くの手数を打ち込む箒だが、その表情というものには疲れがさほど感じられない。とはいってもそれは長い年月をかけて鍛練を繰り返してきているからであり、全く疲れていないというわけではない。

 

多少なりとも疲れというものもあるが、表情に出ないだけだ。

 

 

「どうした一夏ッ!!」

 

「くっ、強……」

 

 

踏み込んで、今度は素早い動きから胴を打ち込んでいく箒、これをかろうじて竹刀を出して防ぐ一夏。 

 

一方、一夏の方は全身汗だくになっていて、呼吸もかなり荒い。スタミナが切れかかっており、始めた当初はまだキレのある動きを見せていたものの、今は防戦一方な上に、剣道の型も滅茶苦茶になっている。傍から見れば、初心者がみっともなく致命傷を負わないように、防いでいるようにしか見えない。

 

折り返しざまに、再び箒は面を打ち込んできた。

 

 

「はぁっ!!!」

 

「うわあっ!!」

 

 

 攻撃の重みを緩和できず、身体の疲れがピークに達した一夏はその場に倒れこみ、竹刀を手から離してしまう。完全なスタミナ切れと、幾度の打ち込みを堪えてきたことにより、手の握力というものがなくなったのだ。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

息も絶え絶えに、空気中の酸素を取り込もうと何度も呼吸を繰り返す。ボロボロな一夏の姿に、箒は語気を強めながら反論する。

 

 

「どういうことだ!」

 

「いや、どうって言われても……」

 

「どうしてそこまで弱くなっている! 中学では何部に所属していた!?」

 

 

 一夏と箒はかつて、篠ノ之道場という道場にて共に鍛練した仲だ。箒としてはその時の一夏のイメージが強く、それから数年経った今ではその時以上に強くなっているだろう。そんな期待を抱いていた。

 

だが結果はご覧のあり様。

 

多少抵抗をするわけでもなく今の自分に成すすべなく敗れ、反撃はおろか防御すらやっとの状態になってしまったことに落胆を隠せず、一夏に対して強く言及してしまう。

 

だが決して一夏は進んでこうなってしまったわけではない。

 

千冬に養ってもらっていることを引け目に感じ、中学校に入ると自分の生活費くらいはと部活に入ることをやめて、アルバイト三味の生活を送っていたために剣の腕が鈍ってしまっていた。

 

ただそんな理由を箒は知る由もないし、一夏も話そうとは思わない。

 

 

「帰宅部! 三年連続皆勤賞だ!」

 

「鍛え直す」

 

「げっ……」

 

「IS以前の問題だ! これから毎日放課後三時間、私が稽古をつけてやる!」

 

「ちょっと待て! 俺はISのことを……」

 

 

初めに言っていたことと違うと、一夏は抗議するものの箒の意見は覆らず。

 

 

「だから、それ以前の問題だと言っている!!」

 

 

 納得出来ないと反論する一夏だが、これはごもっともだ。ISのことを教えてくれるはずだった約束が、いつの間にか自分の剣道の腕を鍛えるという約束に変わってしまったのだから。

 

しかしいくら一夏の言い分が正しいとしても、箒にここまで強く押し黙らされてしまうと、何も言い返すことが出来ず従うしかない。

 

IS以前の問題だと言われれば、確かにそうかもしれない。剣道をやめてから三年間、まともに運動というものをせずに過ごしてきたため、自分の身体が鈍ってしまっていることは一夏自身がよく分かっていたことだ。

 

とはいっても、こうも直接的に言われると心境は微妙なもので、腑に落ちないといった表情を箒に向ける一夏。

 

 

(昔は……私なんかよりも強かったというのに!!)

 

 

箒は一夏に厳しい表情を浮かべる反面、心は悲しかった。一緒にやってた頃は一夏の方が圧倒的に強く、箒はいつか一夏に勝つという目標を持っていた。年月が経ち、剣道を辞めてしまった一夏は力を落としてしまい、結果は箒の圧勝。

 

竹刀を持つ左手を力強く握り締める。ただただ悲しい、それ以外に表現方法は思い付かなかった。

 

二人の組み手の一部始終はクラスメイトや、剣道部員たちに目視されており、剣道場の隅からは口々に一夏に対する評価が聞こえてきた。

 

 

「織斑くんってさ……」

 

「もしかして、結構……弱い?」

 

「IS本当に動かせるのかなぁ?」

 

 

 と散々な言われようである。ISが動かせる動かせないについては、肉弾戦の強さというものは比例しない。しかし、少なくとも一方的に箒に打ちのめされたことに関しては、一夏の肉弾戦の弱さというものを見せてしまったことにはなる。

 

ただ箒は中学の剣道の全国大会で優勝しているほどの腕前であり、そこら辺の一般人と比べることはおかしいというのが事実。

 

箒の実力が高かったとはいえ、一方的に負けたという事実は変わらない。彼女たちが意外そうな顔で見つめているのは、まだ一夏の事を『特別な力』を持っていると認識している人間がいるからだ。

 

一夏はちらりとその声の発信源に振り向くが、苦笑いを浮かべるだけ。

 

 

「おー、やってるやってる」

 

 

ふと、いつもとは違う雰囲気の剣道場に一人の来訪者が現れた。

 

 

「ボロボロだな、一夏」

 

「大和!」

 

 

 もう一人のIS操縦者である、霧夜大和だった。軽く笑みを浮かべ、鞄を両手に持ちながら二人の元へと歩み寄ってくる。今までは一夏の打ち合いに釘付けだった女生徒達が、今度は大和が歩く道を綺麗に作り上げる。

 

真ん中を開け、大和を両サイドから囲むような感じで道を作り上げた。自分が通る場所を開けてくれたことに大和は軽く感謝し、二人の前に立った。

 

 

「悪い、お待たせ」

 

「どこに行ってたんだ? やけに時間がかかったみたいだが……」

 

「ちょいと人助けしててな。で、ホラ。お前の鞄」

 

 

 箒が遅れてきた理由を聞くと、大和は箒の方に顔を向けて、人助けをしたという理由を話す。誰を助けたとは具体的には言っていないが、実際に人助けをしたというのは事実。階段から落ちた鏡ナギを、身を挺して助けたわけだから。

 

理由に答えた大和は、再び一夏の方に振り向くと、教室から回収した一夏の鞄を放り投げる。放り投げられた鞄は綺麗な放物線を描き、そのまま一夏の胸元へダイレクトで収まった。

 

 

「あ、悪いな。わざわざ持って来てくれて」

 

「大体教室に鞄を忘れていくやつが……あぁ、ここにいたか」

 

「現れていきなりからかい!?」

 

「冗談だ。……二割くらいな」

 

「残りの八割は本気かよ!?」

 

 

さっきまで息も絶え絶えだったというのに、一夏はこれでもかという大きな声でツッコミを続ける。もちろん大和としてはからかう気満々だったわけだが、予想以上にいい反応をしてくれたことに満足そうな笑みを浮かべていた。

 

少し一夏をからかったところで、本題に入る。

 

 

「二人で剣道の試合なんかやっててどうしたんだ? 何となくは察しがつくけど」

 

「ああ、はじめは一夏の基本的な戦闘力を知っておこうと思ったんだが……」

 

「あまりの体たらくに篠ノ之もつい熱が入ってしまったと?」

 

「……」

 

 

 何とも言いにくそうな表情を、箒は浮かべる。そして無言を貫いたってことは、大和の問いに対して肯定をしているということになる。

 

大和自身も場所が剣道場という時点で、何をするかは想像できたものの、まさか本気で打ち合っているとは思わなかったみたいだ。苦笑いを浮かべながら二人の顔を交互に見る。

 

 

「てかISを使った練習は出来ないのか? このままじゃ全く実戦を積めないまま俺達戦うことになるぞ」

 

「使えるなら使いたいけど、さっき職員室に顔を出した時に改めて確認してきた。後一週間じゃISを貸し出すのは無理だとさ」

 

「何でだ? 学園に訓練機って何台かあるんじゃないのか?」

 

「予約制なんだよ。さっきも言ったけどISは世界に四百六十七機しかない。IS学園といえどそう何台も完備している訳じゃないし、俺達以外の生徒だって借りる」

 

「た、確かに」

 

「腹くくるしかないってことだ、ここまで来たら」

 

 

 ISを使った特訓をすることが出来ないと分かると、一夏の顔色が目に見えて青ざめていく。心のどこかでは何回かISを動かせれば、何とかなるかもしれないという慢心があったのか。

 

だが大和の本番までISは使えないという言葉により、その何とかなるという考え方は全面否定された。

 

 

「何か俺、とんでもないことに巻き込まれちまったな」

 

「巻き込まれたのは俺もだけどな。とにかくお前は篠ノ之に剣道を見てもらうのが良いと思う。何もしないよりは多少実戦感覚を掴んだ方がいいだろ?」

 

「そ、そうだな。じゃあ箒、改めて頼む」

 

「ああ。ところで、お前は何もしなくていいのか、霧夜?」

 

「俺?」

 

「そうだ」

 

 

 箒の何もしなくてもいいのかという言葉に、少し顎に手をかけて考える。ここで自分の本当の正体をばらせば論破できるかもしれないが、なるべく隠密に仕事をするように言われている身だ。

 

そもそも自分は護衛をやっていますなんて暴露する護衛はいない。いたとしたら相当なマヌケだ。

 

当然本当の理由は言えない。仮に「自分は何もやってないけど多分大丈夫だ」などとつぶやいても、だったら私が鍛えてやると言われるのがオチだ。

 

しばし考え込んだ後、何かを思いついたのか、大和は箒の方へと向き直る。名案なのか、その表情は少し勝ち気な表情だった。

 

 

「一応剣術を嗜んでいるから大丈夫だとは思う。今さら無茶苦茶にあがいても、すぐに実戦に反映するものでもないし、俺なりにやるさ」

 

 

―――自分は鍛えて貰わなくても、自分独自の剣術があるから大丈夫だ。

 

大和が即席で考えた理由としては、割とまともな部類には入るかもしれない。自分独自の流派を極めているのならば、外部からの介入されにくい。そもそも流派というものがそれぞれ型が違う。

 

仮にここで剣道の型というものを教えてしまえば、自分の修めてきた流派とは全く別物で、訓練自体が合わずに無意味になる。

 

同じく剣を使う者としては、自分の言った意図をきっと理解してくれる。大和の考えは比較的安易なものだった。

 

 

だがそんな幻想は一瞬にしてぶち壊された。

 

 

「なら是非、私と手合わせしてもらいたい」

 

「へ?」

 

 

 大和の何気ない剣術嗜んでます発言が、箒の何かに火をつけてしまったようだ。大和は、ハトが豆鉄砲を食らった表情で、何とも気の抜けた返事をしながら箒を見つめる。

 

すると二人の会話が周りにも聞こえていたようで、再び周囲は騒がしくなる。

 

 

「え? 今度は霧夜くんと篠ノ之さんが手合わせするの?」

 

「今霧夜くん、剣術やってるって言ってたよね? もしかして強いのかな?」

 

「でも篠ノ之さんって、確か全国大会優勝者だよね? いくら何でも少しかじった位じゃ相手にならないんじゃ……」

 

 

やり取りの一部始終を聞いている剣道部員が、口々に話を立てる。箒は中学時代、剣道の全国大会で優勝している。決勝も圧倒的な試合運びで相手を寄せ付けず、剣道において敵はほとんどいなかった。

 

箒が多少剣術を嗜んでいる程度の相手に戦ったらどうなるか、彼女達から見れば箒の圧勝という結論にしか至らなかった。

 

箒が勝つであろうという予想、それは一夏もすぐに推測できた。箒とまともにやったら、大和は勝つことが出来ないと。

 

ただ勝ち負け云々に、大和が剣術を嗜んでいると知れば、同じように剣を修める者として血が騒ぐというもの。大和のミスは、強者特有の闘争心というものを計算していなかったことだった。

 

 

「マジ?」

 

「マジだ」

 

「マジのマジで?」

 

「マジのマジだ」

 

「……」

 

 

言いくるめることが出来たと思っていた発言が、逆に相手に火をつけることとなってしまい、うなだれる大和。

大和としては全くと言っていいほど乗り気ではない。しかし何となく逃げれないということは悟ったのか、観念して荷物を置く。

 

(これは完全に俺のミスだな……はぁ)

 

今の発言が失言だとようやく気が付き、しょんぼりと肩を落とす。ある意味手合わせをするというのは必然だったのかもしれない。

 

観念したかのように、一夏の傍に落ちている竹刀に手を伸ばす。

 

 

「一夏、その竹刀借りていいか?」

 

「ああ。防具はどうする? 俺の使うか?」

 

「いや、いい」

 

「そうか、流石に人が使ったのを使いたくはないよな」

 

「というより、あれだ。防具自体必要ない」

 

「……え?」

 

「何?」

 

 

大和の一言に一夏は驚き、箒は表情を強張らせている。

 

一夏の場合は信じられないという感情によるもの。全国大会優勝者である箒に対し、大和は防具なしで戦おうと言っているのだから。

 

ある程度の熟練者になれば、あてる時に衝撃を和らげることは出来るかもしれない、だが和らいだとはいっても当たり何処が悪ければ怪我をする。

 

そして箒の場合は、自分が舐められていると感じたから。自分の実力を過大評価しているわけではないが、ただの一般人や武道をかじった程度の人間には負けない自信を持っている。

 

しかも相手は自分が最も得意とする分野に、生身で挑もうと言っているわけだ。当然、舐められていると感じてもおかしくはない。

 

 

「私を馬鹿にしているのか?」

 

「違う。俺の型は防具がないから、無い方が動きやすいだけさ。別に舐めている訳じゃない」

 

「……」

 

 

 大和の一言に箒の表情がより一層厳しいものになる。型が防具を使わないとはいえ、こっちは竹刀を手に持っている。本気で振り下ろせば、相手を気絶させることも出来る。竹刀とて、生身で受ければ危険な凶器には変わりなかった。

 

毅然とした目付きで、大和を見つめる箒の表情を横目で確認しつつ、一夏から竹刀を受け取る。

 

大和自身も当然、箒のことを舐めているつもりはない。確かに行動だけを見てしまえば、相手から舐められていると思われても仕方ないだろう。

 

大和は剣を振るう時には防具なんてものをつけない、剣で攻撃そのものを完全にいなすか、相手の動きを見切って回避するか、それが大和のスタイルだ。だから大和にとって、防具というものは動きを阻害してしまうおもりになる。

 

何もつけていない身軽な状態、それが大和の一番動ける状態だった。

 

 

「……分かった。お前がそこまで言うなら何も言わない。だが怪我をしても私のせいにするなよ」

 

「了解」

 

 

後ろを振り返り、箒は自分の準備を始める。その表情には闘志というものが漲っていた。戦場に立つ戦士、そう評するには十分なまでの迫力がある。

 

小手をはめ直し、面をつけて準備が完了した。再びゆっくりと立ち上がり、両手で持つ竹刀を大和の顔へ向ける。

 

箒の臨戦態勢を確認したのか、大和も一夏から受け取った竹刀を利き手である右手に持ち直し、腕を上にあげて上段の構えを取る。

 

上段に構えたところで一度深呼吸をし、再び目を見開いてその視線が箒を射ぬく。

 

 

「じゃあ……始めようか」

 

 

 大和の一声、たかが一声だが周囲の雰囲気を一変させるには十分なものだった。先ほどまで見学に来たクラスメイトや部員達で騒がしかった剣道場が、まるで水を打ったようにシーンと静まり返る。

 

誰かに静かにするように促されたわけでもなく、何か得体のしれない恐怖を見たわけでもない。

 

大和と箒、二人の間を……いや、この剣道場全体がまるで別次元にいるような異様な雰囲気が包み込む。誰も話すことなく、二人の対峙し合う姿を刮目して見ていた。

 

対峙している二人、特に箒は大和を目の当たりにして、いつもとはまるで雰囲気の違う大和に驚きを隠せないでいる。

 

威圧されているわけでもないのに、一歩が踏み出せない。大和は只者ではないと自分の本能が無意識に悟っていた。

 

 

(何だこの感じは……? いや、大丈夫だ。いつも通りやれば)

 

 

 自分に強く言い聞かせ、竹刀を握る力を強める。ジリジリと大和との間合いを詰め、そして一気に床を蹴って接近していく。

 

ダンッという床を蹴る音と共に、素早い動きで一足一刀の間合いに入った。勢いそのままに上段に振り上げた竹刀を一気に振り下ろす。全国大会優勝者の太刀筋はだてではなく、無駄な動きが一切ない素早く鋭い一撃。

 

空気を切り裂く一撃が、大和の頭付近を捉えようとする。

 

大和は箒の動きに対して、全く反応出来ていない。やはり自分が過大評価しすぎだった、そう思いながら無情にも竹刀は振り下ろされた。

 

 

(取った!!)

 

 

自分の振り下ろした竹刀が当たることを確信した箒。いや、この状況では箒以外の誰でも大和に勝ち目はないと判断することが出来る。

 

所詮大口をたたいてこの程度か、箒がそう思った時だった。

 

 

剣道場にパシィンという竹刀が打ち込まれる音が鳴り響く。

 

面を打ち込んだ箒と、そして上段の構えを解いて外に竹刀を振り下ろしている大和がいた。乾いた音がしたことから攻撃が当たったことを意味している。その音が直に当たった音なのか、それとも竹刀と竹刀がぶつかり合った音なのか。

 

この場合、二人の状況を見る限り竹刀と竹刀がぶつかり合ったと考えるのは、不自然だ。だからあるとしたら前者なのだが……。

 

 

「……」

 

「……!!!」

 

 

 対峙した二人の表情は全く異なるものだった。大和はさほど変わらず、竹刀を振りおろしている他は特に何かが変わっている節は見当たらない。

 

箒の竹刀が当たっているとするなら、どこかしらを痛めていても不思議ではない。しかし痛がる仕草もしなければ、表情一つ変わらない。

 

対称的なのは箒だった。面に隠れて周りの人間にその表情は見ることは出来ないものの、明らかに動揺していた。今度は正真正銘、自分が何をされたのか分かっているのに何も出来なかったからだ。

 

 

(あの間合いから、面と胴に当てるだと!? そんなバカな!?)

 

 

本当に一瞬の出来事だった。完全に取ったと思ったのに、その一撃をかわされ、その上に剣道では有効打となる箇所に二発。

 

信じたくなくなるのは無理もなかった、普通に考えてありえなかった。あの回避は自分の太刀筋を完全に見切れなければ出来ない。

 

振り下ろされることで加速した竹刀をギリギリまで引きつけてかわし、そして自分に攻撃を加える。その動きが出来るということは大和にそれだけの余裕があるということ。

 

なおかつ、面と胴に当てられたと分かったのは竹刀による衝撃があったからだ。自分が攻撃した後の大和の行動の何一つに反応することが出来ていない。太刀筋に至っては目で追うことすらままならなかった。

 

ありえない、今まで相手にしたことのない別次元の光景にただ驚くしかない。

 

 

「な、何があったんだ……?」

 

 

何が起こったのか理解が出来ずに、一夏はただオロオロし、周りのギャラリーも「何があったの?」と口々に言い合う。箒以外は誰も何が起こったのか分らずに呆然とするだけ。

 

驚愕していた箒も一度気持ちを落ち着かせ、大和の方へと向き直る。

 

 

「も、もう一回だ!」

 

「……」

 

 

箒の再戦要求に大和は何も答えず、顔を縦に振り頷くだけ。

 

 

「はぁ!!」

 

 

再び突進、そして今度はフェイント気味に面狙いから胴へ打ち込もうと踏み込む。先ほどと同じように、またしても大和は動かない。今度はあろうことか目を瞑り、竹刀を振り下ろした状態のままだ。

 

目を瞑っているのだから、相手との距離感も振り下ろされる竹刀も確認出来るはずがない。どこまで自分をコケにすれば

気がすむのか、ギリッと歯ぎしりをたて竹刀を振りかぶる。初めはきっと自分が油断しすぎただけだ、そう自分に自己暗示をかけて胴へと打ち込んでいった。

 

 

(今度こそ!!)

 

 

目を瞑っていては反応なんか出来るはずがない。今度こそ捉えたと信じて、竹刀を振り切った。

 

 

「え……?」

 

 

 文字通り振り切っただけだった。何かに当たったという感触はなく、ただ空気を切り裂いただけ。

箒には捉えたという手応えが来るはずだった。大会で何度も強者と対戦してきた箒は、自分の一撃が決まったという瞬間を多々味わっている。野球で言うなら、打った瞬間にホームランを確信するようなものだ。

 

今の一撃は確実に相手を捉えたはず、なのに感触がない。それどころか目の前にいた大和の姿が消えている。自分は目をそらしたつもりはなかった、しかし目の前から大和が姿を消したというのは事実。

 

もう何が何だか分からない。頭の中がぐちゃぐちゃになりつつある箒に、今度は下から声がかけられた。

 

 

「視点をもう少し下に向けろ。消えたわけじゃないぞ?」

 

「なっ!?」

 

 

慌てて視線を下に向けると、低空姿勢をとって竹刀を振りかぶる大和だった。実際に消えたわけではなく、消えたように見せかけたのだ。

床スレスレに素早くしゃがみこむことで相手の視点の最も遠いところに入り込む。ゆっくりであるなら相手は目で追うことが出来るが、動きが素早ければ素早いほど、相手に消えたと思い込ませることが出来る。現に箒は動きを追いきれずに、消えたと錯覚してしまった。

 

 

「ハァッ!!」

 

 

振り切った竹刀が箒の胴に当たる。これで大和の二連勝。表情一つ崩さない大和だが、箒はただ呆然と立ち尽くす。これのどこがかじった程度なのかと。

 

剣術を嗜んでいると聞いた時、是非どんなものか見てみたいというのが箒の率直な感想だった。誇っているわけではないが、一応自分も剣道の全国大会で優勝している。だから剣術を多少嗜んでいる程度の人間には負けないだろうと。ただ素直に見てみたい、初めは本当にそれだけだった。

 

大和から発せられた、防具はいらないという一言。大和としては本来の型が何も装着しないものだから、悪気があって言ったものではないということも分かる。

しかしその一言は、箒にとって自分を侮っていると取れてしまった。私は防具すら必要のないほどに見下されているのかと。

 

見下されているのなら、私の力を見せてやろうと持てるもの全てを出して戦った。でも結果はご覧の有り様、たった二回手合わせしただけなのに、はっきりと分かってしまった実力差。一回目は相手の太刀筋に反応することが出来ず、二回目には目を瞑ってこちらの攻撃が見えない大和に一撃をかわされ、挙句の果てには箒自身が大和の姿を見失った。そしてまたもや胴に有効打を浴びる。

 

本気で立ち向かったにも関わらず、まるで大和の相手になっていなかったのだ。

 

人生の半分以上を費やしてきた剣道だというのに、目の前の相手には全く通用しない。二回手合わせをした時点で、篠ノ之にも大和の持っている実力がとれほどの物かは理解できた。

 

少なくとも、自分とは違った別次元にいる存在だと。

 

 

勝てる勝てないの問題ではなく、何も出来ないという結果が悔しい、ただひたすらに悔しい。その思いがずっと脳裏をめぐっていた。

 

 

「どうした、まだやるか?」

 

「……ああ!」

 

 

竹刀を握りしめて立ち上がる。悔しいならどうすればいいのか、その答えを見つけるために再び、箒は大和に打ち込んでいった。

 

 

 

―――…

 

 

その後、十数分にわたって二人の打ち合いが続いた。だがそれだけ長い間打ち合っていても、箒は一撃を当てることも出来ないでいる。

 

まるで自分の動きが読まれているかのごとく全てかわされ、かわすごとにカウンターをもらってしまう。

今まで自分をこれほどまでに苦しめた人間、いや自分をここまで圧倒出来た人間はほぼいないに等しかった。だからこそ、簡単に自分が負けを認めるわけにはいかなかった。

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

「す、すげえ!」

 

 

 ふたを開けてみれば、勝負自体は大和の圧勝。先ほど一夏が汗だくになったように、今度は箒が汗だくになって立つのもやっとの状態になっていた。立っているのも竹刀を杖代わりにしているからで、竹刀がなかったら床にへたり込んでしまうような状況。

 

自分が全く手も足も出なかった箒を圧倒した大和に対し、一夏はただ驚くしかない。

 

疲労困憊の箒とは逆に、ほとんど汗をかかずに涼しい顔で立ち尽くす大和。箒が限界で後ろに座り込んでしまい、立てないことを認識すると、竹刀を下して箒の方へと近づいてくる。

 

 

「篠ノ之、大丈夫か?」

 

「……あ、あぁ」

 

「そうか、あまり無理するなよ」

 

「無理はしていない……お前は強いんだな」

 

「俺にも色々とな。ま、少しはやれるってことで」

 

 

一方的に完膚なきまでにやられたというのに、箒の顔はどこか清々しかった。

 

今まで箒は剣道において敗北というものをほぼ知らない。敗北をするとしても接戦による敗北がほとんどであり、一方的にやられるということはまず無かった。

 

そして力をつけた先に待っていたのは全国大会優勝。相手を圧倒し、ほぼ無傷で頂点に立った。しかし箒からしてみれば、相手は格下になる。歯ごたえのない試合はただの憂さ晴らしにしかならず、彼女にとってはひどく苦痛だったのかもしれない。

 

自分を圧倒出来る相手が出来たことで、箒自身はまた目標が出来た。まだ自分は上に行ける、この一戦でそう感じたのだろうか。

 

 

「一個アドバイスをするとしたら、もう少し精神的な強さを持つことだな。最初に二回当てられて動揺しただろ?」

 

「う、それは……」

 

「実際、あれから動きも悪くなったしな。最初の続けられていたら、俺もどこかで集中力が切れていたかもしれないし」

 

「そう……だな」

 

 

 図星を指摘されて、箒は顔を背けてしまう。ただ、大和が言っていることは初めのことを繰り返されれば不味かったかもしれないということで、箒を責めているわけではないということ。むしろ箒の強さを十分に理解しているからこそ、この言葉が出てきた。

 

 

「さて。俺はそろそろ行くから……」

 

「ん、この後何かあるのか?」

 

「織斑先生からちょっと呼ばれてて……ってこら待て、別に何かやらかしたわけじゃないぞ」

 

 

 織斑先生から呼び出されているという言葉を吐いた瞬間に、一夏も箒もご愁傷さまと言わんばかりの表情を浮かべる。

こんな早々に呼び出されるとなると、何かしら問題を起こしたのではないかと考えるのが妥当であり、二人がこの表情を浮かべてしまうのも、別段おかしなことではなかった。

 

先ほどまでのピリピリとした雰囲気はどこへやら、今では和やかな雰囲気が三人を包んでいる。一方で見に来た女生徒達は取り残されるだけでどこか空気な存在になってしまった。

 

 

「ただ単に話がしたいって言われただけさ。一夏、俺の鞄取ってくれ」

 

「ああ、ほらよ」

 

 

 大和は一夏から自分の鞄を受け取り、軽く制服を整える。手合わせのおかげで時間をいい感じにつぶすことが出来、ちょうど小一時間が経ったところだった。

千冬に呼び出されている理由が話がしたいというものでも、個人的なものであれば緊張はする。

先ほどから何度も時計を見て、時間を確認している。どうにも落ち着かないようだ。

 

 

「さっきから時間ばっかり気にしてるけど、緊張でもしているのか?」

 

「緊張っていうより、落ち着かないほうだな。さすがに直々の呼び出しは想定外だ」

 

「まぁ確かに。とりあえず大和の健闘を祈る」

 

 

 一夏の言い方が、戦場に行く兵士を見送るような言い方でどうにもしっくりこないと苦笑いを浮かべる。

今一度時間を確認すると、背を向けて剣道場の入口に向かって歩き出した。

 

 

「ま、夕飯までには終わると思う。時間が合えば飯行くか」

 

「お、いいぜ。なら時間が見計らって呼びにいくわ!」

 

「了解。じゃあ俺は先に行くから、また後でな」

 

 

二人に別れを告げて、職員室に向かうべく、大和は一足先に剣道場を後にした。



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天才の感謝、そして水色との出会い

「……少し熱くなり過ぎたな」

 

 

 篠ノ之と一夏を残して、俺は一足先に剣道場を後にした。今は千冬さんに呼ばれたため、一人校内の職員室へと向かっている。

剣道場での出来事を振り返るとするなら、篠ノ之に目をつけられてしまい、一対一のタイマンを申し込まれたわけだが、ものの見事に圧倒してしまった。

 

あれでは少し剣術を嗜んでいますと言ったところで、信じて貰えないだろう。篠ノ之は全国大会優勝者なわけだし、その人間をあそこまで一方的にやってしまうと後戻りはできない。ただ自分の仕事を口には出していないため、護衛業をやっているのはバレていないと信じたい。

 

剣道に関しては素人だが、戦闘手段として総合格闘と総合剣術を習ってきている。型がはっきりしている剣道と、実際の戦闘を想定した総合剣術では相性の差は歴然。型もへったくれもない俺の方が自由が利くっていうのは当然だった。

 

だとしても、俺としては何事もなく穏便に済ませたかったわけで。残っていた女の子達の何人かにも見られたのは反省ものだ。

 

能ある鷹は爪を隠すなんて言葉があるけど、熱くなると隠すことなんて出来ません、はい。

 

 

過ぎたことをいつまでも引きずってても仕方ない、一度切り替えるとしよう。頬を軽く叩き、気分を入れ換えると同時に職員室の入口に辿り着いた。

 

 

「さて、と。そろそろ会議は終わったか?」

 

 

職員室の扉の前に立ち、携帯電話の時間を確認する。あれからもう一時間以上経っているから、もう会議は終わっててもいい時間か。

 

しかし話ねぇ……どんな話なのか全く聞かされていないから少しばかり不安だ。堅苦しい話はしないってことだし、変に身構える必要はないんだろうけど。

 

もしこれが堅苦しい話だと言われたら思い当たる節があり過ぎて困る所。特にオルコットに切れたことが、イギリス政府に伝わったとかな。

 

流石に国全部を相手に喧嘩を売ろうとは思わない。

 

一体どんな話をされるのだろうかと、思考を張り巡らせながら入口のドアをノックする。

 

 

「失礼します」

 

 

ドアを開けて、一礼をするとそのまま職員室中を見回す。先ほど荷物を届けに来た時より、職員室にいる人数が増えていた。

 

ついさっきは職員室からつながっている資料室に足を運び、戻る時に職員の数を数えたが、すぐに数えきれるほど人数は少なかった。今ではその倍ほどに増えている。職員会議を終えて戻ってきたからだろう。

 

 職員室に入ってきたのが数少ない男子の生徒だったために、教員から好奇の視線を寄せられる。おい、またかこのパターンは。一日目は生徒で、二日目は教員。そして三日目はIS委員会とかいうオチじゃないよな。

 

 中にはどうやら男性とほとんど接したことのない教員もいるみたいだ。俺が視線を向けると、そっぽを向いてしまう。敵意はないからいいんだけど、正直この反応は気になる。寧ろ敵意ならば無視すればいいし、明確に向けて来たら軽くあしらって逃げればいい。

 

 

……ここにも少ないけど何人かいるな、敵意を向けてくる人間が。相手にしても仕方ないし、今は無視しとくとしよう。今用があるのは千冬さんだ。

 

えーっと千冬さんの机は……

 

 

「霧夜、こっちだ」

 

 

ふと、後ろから聞きなれた声を掛けられた。声に釣られるように後ろを振り向く。

 

 

「あ、織斑先生。お待たせしました」

 

「いや、丁度いい時間だ。ここで話するのもなんだ、場所を変えよう」

 

「了解っす」

 

 

後ろから声をかけてきたのは千冬さんだった。空のマグカップを持って、そっと俺の横を通り過ぎる。

 

会議が終わって一息ついて戻ってきたところだったのか。一日ISに関する授業をしてればそりゃ疲れるよな。

 

毎時間教えてよく一日身体が持つと思う。中学時代に教師って実はブラックじゃないかなんて談義を交わしていたりもしたが、実際人によっては相当ブラックなのかもしれない。

 

マグカップを給湯室の洗面台の上に置き、再び俺の方へと戻ってくる。前もって二人で話す準備をしていたのか、既にその手には鍵が握られていた。さらに目を凝らして見ると、生徒指導室って書かれているタグが見える。

 

なるほど、問題を起こさない限りはここに呼び出されることもないし、そうそう人も寄ってこないから二人で話すには丁度いい場所と言えるってことか。

……ちょっと待て、もしかしてさっきから寄せられる好奇の目って俺が問題行動を起こしたって思われているからなのか!?

 

 

「安心しろ。さっき言ったように、重い話をするわけではない」

 

 

ナチュラルに人の心を読まないでください。これで教員の何人かは、俺が入学二日目にして問題を起こし、千冬さんに生徒指導室に呼ばれた生徒という認識をするわけだ。……嬉しくて涙が出そうだぜ。

 

 

 

―――生徒指導室。中学時代から一度も入ったことのない場所に、こんな意味の分らない形で入れるのはある意味幸運なのかもしれない。

 

 部屋の真ん中に机があり、机が対面に置いてあるだけの殺風景な部屋だった。警察ドラマに出てくる取調室をイメージしてくれると分かりやすいだろう。

さて、そんな殺風景な部屋に俺と千冬さんの一対一でいるわけだが、色々とヤバい。怒っている訳じゃないのに他の人間とはオーラが違った。

 

 

「それで、俺を呼んだ理由っていうのは……?」

 

「大きく分けて話したいことが二つある。一つ目はお前の専用機についてだ」

 

「専用機……ISのことですか?」

 

「そうだ。お前のISも学園で用意することになった」

 

 

生徒指導室に入って最初に切り出された話は、俺に専用機が用意されるという話だった。何故俺に専用機が与えられるのか、その理由を聞くために今度は俺から千冬さんに質問していく。

 

 

「一夏は分かりますけど、どうして俺まで?」

 

「一夏にも言ったように状況が状況だ。IS学園に入った以上、例え姿が分からなくとも、データ収集を目的として専用機が用意される」

 

「……」

 

 

 あくまでデータ収集が目的。どこの差し金かは知らないが、間接的に俺はモルモットってことになる。どうして男性がISを動かせるのか、何で俺と一夏だけがISを動かせたのか。

 

本当に俺と一夏をただのモルモットとしてしか見ていないのなら、専用機などこっちから狙い下げだ。実験ごときに付き合う義理もないし、付き合おうとも思わない。

 

 

「……というのは、表向きの理由だ」

 

「え……表向き?」

 

「ああ」

 

 

表向きということは、本当の理由がまだ存在することになる。実験目的ではないというのなら一体……。

 

理由を言おうとする千冬さんの顔がどうも言いにくそうな顔をしている。実験のためではないっていうんだから、それ相応の理由があるんだろうけど、他に専用機を与えるための理由なんてほとんどないんじゃ……

 

 

「束が、お前のISを作ってやってもいいと言っているんだ」

 

「………はい?」

 

 

 自分でも思わず間抜けだと思うような声を出してしまう。あの篠ノ之博士が俺の専用機を作りたいだって? そんなバカな話があるのかと、思わず耳を疑ってしまう。

 

そう思えるのは、俺が一度護衛として篠ノ之束に付き添った時の経験があるからだ。あくまで自分が認めた人間でなければ興味がなく、明確な拒絶の意思を示すような人間が言ったことを、急に信じられるかと言われたら、信じられない。

 

赴任中も完全に無視を決め込むわ、話したら話したで鬱になるような罵倒の数々。天才的な頭脳を持っていても、人に対する頭の働きというものは著しく低下していた。

 

IS学園に来る前の通話では、幾分ましにはなっていたけど、俺の中での篠ノ之束の評価というものは限りなく低い所にあった。例え過去にどんなことがあろうとも、他の人間に対するあの態度を正当化していいものではない。

 

他人を酷く嫌う人がどうして、急に専用機を用意するなんて言い出したのか。千冬さんはさらに話を続けていく。

 

 

「お前は以前、束の護衛をしたことがあったな?」

 

「え? えぇ、まぁ……」

 

 

 何故俺が篠ノ之博士の護衛をしたことを知っているのか。一瞬頭に疑問がよぎるものの、すぐにその理由は判明した。千冬さんは篠ノ之博士のことをアイツと呼べるくらいの間柄だ。だから、篠ノ之博士から俺のことを聞いていたのかもしれない。

 

そう考えると、疑問だったことが徐々に明確になってくる。IS学園に入る前に呼び出された喫茶店で、俺の家をある人物に探してもらったと言っていた。まさか特定した人物って……。

 

 

「まずその事に感謝したい。……束を守ってくれてありがとう」

 

「あ……い、いえ。護衛として当たり前のことをしただけです」

 

 

さらに千冬さんの口から出てきたのは、護衛をしたことに対する感謝の言葉だった。しかし何だろうか、その言葉を出来ることなら篠ノ之博士の口から聞きたかったと思うのは。

 

篠ノ之博士にとって千冬さんは数少ない親友なんだと思う。それを否定する気もないし邪魔する気もない。でもなぜあの人は他人を認めれないのか。少なくとも全員が全員、ロクでもない人間じゃないはずなのに。

そう考えると、千冬さんからの感謝の言葉がどこか寂しく感じた。そのせいで視線が勝手に下を向いてしまう、それも千冬さんの目の前で。

俺の変化には気付いているのだろう、ただ千冬さんはそのままの口調で話を続ける。

 

するとその口からは思いがけないような言葉が聞こえてきた。

 

 

「それからアイツも少なからず、その事に感謝していてな」

 

「え?」

 

 

にわかには信じられないような単語、"感謝"という二文字が確かに聞こえた。その単語が聞こえてくると同時に、再び視線を上げる。

 

 

「お前にかなり迷惑をかけたかもしれない。だが、あいつなりにお前に礼がしたいそうだ」

 

「それが……専用機ですか?」

 

「そうだ」

 

 

 専用機が俺に与えられる本当の理由、それは篠ノ之束なりのお礼だった。

……本当に喜んでいいのか分らない。お金で支払われるよりも、たった一つのお礼が自分としては一番うれしいもの。確かに感謝の気持ちとして、ものでお礼してくれるのもありがたいが、それよりもあの電話の時にきちっと言って欲しかった。

 

でも今だったら分かる。あの時に篠ノ之博士が言っていた最低限のお礼とはこのことだったのだと。彼女なりに俺のことは感謝してくれているのかもしれない。

 

ただまだあの人が感謝したことが信じられず、驚きは隠せない。

 

 

「……私だって驚いているんだ、アイツがまさか他人に感謝するなんてな」

 

「……」

 

意外だし、驚いているといいつつも千冬さんはどこか嬉しそうだった。篠ノ之博士が認めた人間以外に感謝をするという変化に、一番喜んでいるのは千冬さんみたいだ。

 

 

「どうだ、霧夜?」

 

「……分かりました。受け取らせていただきます」

 

「そうか。その専用機も作るのに時間がかかるらしくてな。一夏の後に作り始めるとのことだから、しばらく待ってほしい」

 

「了解っす」

 

 

 下手に突っぱねる理由もない。裏があるかもしれないが、与えられていない現時点で考えたところで意味もない。

あの人なりの感謝の気持ちを受け取っておこう。一夏の後ってことだったし、クラス代表決定戦は学園の訓練機を使うことは確定。どのみち本番までISを動かす機会すらないんだし、結局は変わらない。

 

ひとまず千冬さんが言っていた一つ目の話ってのが、俺の専用機についてのことだということが分かった。最初に言ったように話したい内容は二つ、まだもう一つの話というのは聞けていない。

 

もう一つの内容が何なのか、気になるところだ。姿勢を正すために一度立ち上がり、再び背筋を伸ばして座り直す。千冬さんも俺の様子を察知していたのか、俺が座り直したところで止めていた話を再度切り出し始めた。

 

 

「それでだ。もう一つの話っていうのは、個人的な話だ」

 

「なるほど。それでその話っていうのは……」

 

「何、ちょっとしたことだ。千尋さんは元気か?」

 

「千尋姉ですか? 元気ですよ、風邪を引いたところも見たこと無いですし」

 

 

 二つ目の話は本当の意味でプライベートな話だった。二つの話の中では一番切り出しにくかった話だったのか、千冬さんの顔がほのかに赤い。

 

その表情を見て、あぁそう言えばと、一か月ほど前に話されたことが蘇ってくる。

 

今の今まですっかり忘れていたが、千尋姉と千冬さんは昔一緒に仕事をした仲だそうで。確かドイツ軍の総合格闘を鍛えてほしいだとかいう仕事依頼が来た時に、一年ほど家を留守にしていたのを覚えている。

 

そこでISの指導に千冬さんが来てて、色々話して仲良くなったそうな。家業のことまでは話さなかったらしいけど、互いに何か引かれ合うものがあったのかもしれない。

千尋姉に話を聞くまでは、二人に名前が似ている以外に共通点なんか無いものだと思っていたから、正直意外だ。

 

後今の千冬さんの話し方ではっきりしたことは、千冬さんの方が年下だってこと。千冬さんが誰かに、さん付けするのを見るのは初めてだ。俺が引き取られた時の千尋姉は数えで十五歳、俺は数えで六歳。それから十年が経つから……。

 

 

「!!?」

 

「……どうした?」

 

「い、いえ。何でも……」

 

 

 年齢の話を考え始めたとたんに、それ以上言ったらわかるわねとでも言わんばかりの悪寒が背筋に走る。これってもしかして俺が内心で思っていたことがばれてるのか。

 

ちょっと待て、千尋姉の威圧がここまで来てるってどんだけだよ!?

 

これ以上考えるのは危険と判断し、俺は考えるのをやめた。だってまだ死にたくはないし、我が身が可愛い。

 

千冬さんは何を考えているのやらと、観察するかのような顔で眺めてくる。だがすぐにニヤリと薄笑いを返して、やれやれという表情に変わった。

 

 

「あまり女性にとって失礼なことは考えるなよ? 霧夜」

 

「あ、ハイ……」

 

 

言えるはずがない。遠く離れた場所にいる人間の年齢を心で唱えようとしたら寒気が走っただなんて。

 

 

「私もこういう仕事上、中々連絡が取れなくてな」

 

「千尋姉もIS学園の教師していることを話したら、結構びっくりしてましたよ」

 

「そうか。また近いうちにあの人とも会いたいものだ」

 

 

 知り合ってからそれなりに年月も経っているし、何年もあっていなければ人間、一度は会いたいと思うもの。もちろん二人が親しい間柄だからこそだろうけど。

 

千尋姉の話を聞く千冬さんはどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。教師としての千冬さんでは滅多に見ることのできない、偽りのない素の喜び。嬉しいってことはそれだけ親交が深いってこと。今度休みに実家に帰った時には千冬さんの話をしよう、千尋姉も喜ぶはずだ。

 

 

「暇が出来たら会ってやってください。きっと喜ぶと思うので」

 

「……そうさせてもらおう」

 

 

実際に知り合っているのなら、いつかは直接会って欲しい。教師っていう忙しい仕事だろうけど、必ず会ってくれるだろうと俺は信じている。

 

 

「私からの話は以上だ。……何か聞きたいことはあるか?」

 

「えーっと……特には」

 

「なら良い。では戻れ、私はこの後も仕事があるのでな」

 

「了解っす。じゃあお疲れ様です」

 

 

 席を立ちあがって千冬さんに軽く礼をすると、俺はそのまま生徒指導室の外へと出た。最初の俺の杞憂はどこへやら、話されたのは本当に普通の話で、身構えていた自分が馬鹿らしく思える。

 

外へ出ると俺はポケットに突っ込んでいた携帯を取り出して時間を確認する。まだ時間は五時を少し過ぎたあたりで、夕食までは一時間近く時間がある。

 

 

「ん……?」

 

 

何気なく辺りを見回す。気のせいか……?

 

とりあえず一時間近く残った時間を、この後どうしようかと歩きながら思考を巡らせる。一時間じゃやれることはたかが知れているし、いい時間つぶしになるものといえば何だろう。……そう言えば昨日の荷物の整理をまだやりきって無かった気がする。

 

初日だから早めに休んでおこうと思って、夕食後は軽く体動かして寝ちまったんだったっけ。なら残りの時間は部屋の軽いリフォームでもするとしますか。

 

 

「そういや寮の購買って、軽い日用雑貨品って売ってたよな」

 

 

残りの時間をどう使うか決まったところで、ふと購買の存在を思い出す。

 

入寮二日目だし一度行っておくとしよう。足りない日用品なんかも置いてくれているみたいだし、俺自身も最低限のものしか持ってきていない。早めに揃えられるものは揃えておいた方が、後々手間にならなくて済む。

 

そうと決まれば善は急げだ。さっさと寮に戻って購買に顔を出すことにしよう。

 

 

 

 

―――寮につくとすぐ、購買へと向かう。

 

誰かと一緒に帰るわけでもないので、学校からダッシュで戻ってきた。あまり深く考えずに品物を適当に観察して、買うものは買って部屋に戻ろう。

 

ちなみに今の俺の服装は、制服の上着だけを脱いだ状態。学校では制服の着用が義務付けされているが、寮内だったら別に法律が許す範囲なら何をしても言われない。全裸で移動するとかな。

 

その制服も、着用こそ義務付けされているものの、その制服は自由に改造して良いという何ともよく分らない校則がある。

 

風紀の乱れは服装からってよく言うけど、IS学園は割と寛容なところもあるらしい。

 

 

さて、改めて購買の品ぞろえを確認したものの、これを購買といってもいいのかというほどの品ぞろえだった。

 

言うなら小さめのスーパーって感じだ。食料品、日用雑貨品も充実していて生活必需品を揃えるには何も困らないレベル。洋服までは置いてないものの、寮に設置されていることを考えればどこのお嬢様学校だと言われてもおかしくはない。

 

やることなすこと全てが規格外、流石IS学園。他の私立校に出来ないことを平然とやってのける。

 

 

「……いや、言わないぞ?」

 

 

どこかの凄い効果音が鳴り響くマンガのセリフを、言わないといけないような気がしたが、拒否させてもらう。

 

今は買い物だ。数は少ないと思うけど、誰かが部屋に来た時の飲み物とお菓子、お菓子に関しては女の子受けがいいものを買っておこう。飲み物に関しては当たり障りのないもの。部屋にはコーヒーしか置いてないから、どうしても飲めない人もいるだろう。

 

 

「飲み物はオレンジとか林檎あたりでいいよな?」

 

 

 この二種類なら多分大丈夫なはず。オレンジジュースと林檎ジュースをそれぞれ二つずつ購入する。値段はどれも手軽に買える値段だから、深く気にすることはない。

 

後はお菓子だけど、これもあからさまなハズレじゃなければ大丈夫なはずだ。クッキーとかケーキ系でいいと思う。ただ柿ピーとかするめとかは完全にはずれだな、酒のつまみじゃないんだから。パッと目についた当たり障りの無いクッキーや、ケーキ類の箱を数個籠の中に適当に入れていく。

 

お菓子とジュースで買い物かごの半分が埋まる。後は料理用の食材……は作る時に買いに行くればいいか。下手に買い込んで余らせたら勿体ないしな。

 

 

ってことは残るは雑貨品か。歯磨き粉、ボディーソープにシャンプーやコンディショナーあたりは予備を買っておこう。

 

 

「んー……もういいかな? って結構一杯になったな」

 

 

 買ったものを確認しようと買い物かごに目を向けると、いつの間にか買い物かごは雑貨で一杯になっていた。意識しないうちに相当な量を買い込んでいたらしい。一杯になった買い物かごをレジに持っていき、会計を済ませる。

 

会計を済ませて買い物袋の中に商品を詰め込み、素早い行動で自室へと戻った。行動は無駄なく効率よく、だらだら歩いていても時間がなくなるだけ。残っている時間は有効活用しよう。

 

買うものは買ったし、後は部屋を適当に整理して夕飯まで時間を潰すとするか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋に戻り、ひとまずは買ってきた飲み物を冷蔵庫の中へ入れ、お菓子をあらかじめ用意しておいた籠の中に湿気無いように袋に入れたまま入れておく。

 

続いてボディーソープなどの風呂用のものは洗面台の上にある棚の上に収納、綺麗に並べると案外見栄えがいいものだ。ずっとこの状態が維持できるよう心掛けたいところ。買ったものの整理が終わったところで、残っている未開封の段ボールの整理と移る。

 

送られて来た段ボールの内の一つは、昨日部屋着兼寝巻きを出す時に整理したから、残っている段ボールは三つ。三つの内の一箱は衣類が入っているから、それをさっさと引き出しの中にしまうか。

 

 

 

 未開封の段ボールのうち、衣類と書かれている段ボールの口を開き、一つ一つ取り出してしわを伸ばすように丁寧にたたみ直していく。私服のTシャツとズボンで分け、学校に着ていくワイシャツや上着なんかはたたまずに、そのままハンガーにかけてクローゼットの中に収納した。

 

幸い一人部屋だから、クローゼットの引き出しも広々と使えるため、収納に困ることはなさそうだ。洗濯なんかも学園側で全部やってくれるみたいだし、下手に自分でやって、買ったばかりの服がしわまみれになるよりはいい。

 

衣類の整理はこんなところか。時間確認のために部屋の時計を見ると、まだ時間は十七時半を過ぎたばかりだった。素早く行動したために、思った以上に時間が経っていない。お陰様で、残りの作業にもゆとりが出てきた。

 

 

「で、三つ目が……これはコンポやら本の嗜好品関係のものか」

 

 

学生たるもの、毎日を充実させるために趣味は大切に。

 

なんて綺麗ごとを言ったところで、二つ目の箱の整理に取り掛かるとしよう。箱の中に入っているのは、コンポやら読書用の本やら様々。後は料理用のフライパンとか鍋が入っている。しかし随分強引に詰め込んだなこれ、普通コンポと調理器具って一緒にはしないだろ……。

 

 

まぁ、無事ならいいか。

 

段ボールを持ったまま立ち上がり、コンポを机の上に見栄えが良くなるように設置する。その流れで入り口付近のキッチンに足を運び、調理器具を開きの中にしまう。どうやらIS学園側も簡単な調理器具は用意してくれているみたいで、開きの中にはフライパンと鍋が一つずつ用意されていた。

 

包丁や菜箸とかももちろん、盛り付け用の皿や茶碗などの食器類までも完備。

 

俺将来就職したらここに住みたいな。ダメ? あぁ、さいですか。

 

これだけの充実ぶりを見る限り、本当に私生活で困ることはなさそうだ。これからの生活が楽しみになってきた。

 

 

 

「さて、残るは……これか」

 

 

今まで整理してきた段ボールとは少し違い、縦長の薄めの段ボールを見た。ここに来てもかとため息をつくも、ついたところで状況が一変するわけでもなく、渋々中身を確認する。

 

開けなくても何が入っているのかは知っている。箱を開けて中から出てきたのは、黒光りする鞘に収まっている五本の日本刀。……模造刀ではなく、振り下ろせば人肉など簡単に切れてしまう代物、いわば凶器として十分な威力を発揮するものだ。

 

普通の日本刀とは違い、柄のところには護拳と呼ばれる半円の大きな(つば)がついているサーベルのような造りになっている。そして何より機動性重視で重量が普通のものよりも軽い特注品だ。

 

他にも特徴があるけど、これに関してはまた今度話すことにしよう。こっちにも都合が色々とあるんでね。

 

中身が無事であることを確認し、その段ボールはベッドの下に収納した。ものがものだけに外に出していくわけにはいかないし、下手すりゃ一発で警察に連行されかねない代物。本当だったら、もっと別の手の届かないところに仕舞っておきたいが、今はそんな場所や物もない。

 

普段から使う訳じゃないし、緊急事態の時以外は用がない。任務中は常備しているが、生憎今は任務中でも何でもないから持ち歩く意味もない。出来ることなら、IS学園にいる最中にこの刀を引き抜くことがないように願うばかりだ。

 

 

 

部屋にある荷物をすべて片付け終えたところで整理は終了、ばたりとベッドの上に倒れこんだ。折角だし音楽でも流しながら、夕食までの時間を潰すことにしよう。

 

手元にあるコンポ用のリモコンを操作し、コンポの電源を入れる。起動したことを確認し、プレイリストをランダム再生にして準備は完了。コンポのスピーカーから音楽が流れ出し、部屋中を音が包み込む。

 

時間つぶしには音楽聴きながらボーっとするのが一番いいなんてよく言うけど、時間を忘れてリラックスできるというのがいいところだと思う。聞く音楽の種類も多種多様、安心感あるバラードから激しいハードロック、メタルコアから様々。

 

 

 

―――目を閉じながら流れてくる音楽を堪能し十数分、布団の心地よさにうつらうつらとし始めた頃、部屋のドアが誰かの手によってノックされた。突然の訪問者に応答するため、微妙に靄がかかっている頭を起こし、入口へと向かう。

 

出る前に、軽く顔洗って目をさましておこう。流石に出た相手がもの凄く眠そうな顔をしているのは相手も嫌なはず。というかそんな顔を俺自身も見せたくはない。親交が深い相手なら良いけど、まだ言って二日目だし、ちゃんとした身なりで訪問者を迎えるとしますか。

 

 

「悪い! ちょっと待っててな!」

 

 

入口に向かって声をかけ、すぐ横にある洗面所に入り蛇口を捻る。管から水が流れだし、それを両手ですくって顔全体にまぶしていく。

ひんやりとした感触が顔から脳に伝わっていき、寝起きの目付きが一気に元に戻っていくのが分かった。

 

タオルで顔を拭き、かけた水で少しよれた髪の毛を直して今一度鏡を見直す。特に何か変なところは見当たらない。これなら世間様に顔出しできる顔つきだ。

 

使ったタオルを籠の中に投げ入れ、そのままドアの外で待っているであろう人物の元へ向かった。

 

 

「はい、お待たせ。どちらさんかな?」

 

「よう、大和。夕飯行こうぜ!」

 

「おう、一夏。ん……今日は沢山いるな。みんな一夏が誘ったのか?」

 

「いや、たまたまお前の部屋の前にいたから誘ったんだ。何か不味かったか?」

 

「そんなことないぞ。準備するから、少し待っててくれ」

 

「了解」

 

 

 訪問者たちの先頭に立っていたのは一夏だが、今日は一夏の他にも何人かクラスメイトが付いてきていた。中には凄く見知った顔、クラスメイトだけど話したことがない顔など様々だが、俺の部屋の前にいたってことは、俺のことを夕飯に誘おうとでもしてたのか。

 

ここまで気にかけてくれるなんて嬉しいもんだ。今朝は完全にやらかしたわけだし、それでも変わらず俺に歩み寄って来てくれる。

あまり待たせるのも申し訳ないし、早く用意して食堂に向かおう。たたんである部屋着に着替え、財布と携帯を手に廊下で待っている一夏達の元へ向かった。

 

廊下には一夏の他に篠ノ之といつもの三人組。布仏、鏡、谷本の三人のことな。そのいつものメンバーの他に二人。

 

一人は俺の二つ後ろの子で、さっきわざわざISのコアについて一夏に説明してくれた。出会ってまだ全然経っていないけど、しっかり者ってイメージがある。

 

で、もう一人の子。えーっと……誰だっけか?

 

何で覚えられないんだよって言うかもしれないけど、二日間でクラスメイトの顔と名前を一致させるのは無理だって。毎日クラスメイトの顔と名前を頭の中で考えている人間なら分からんけど、残念ながら俺はしない。

 

もう一つ言いたいこと、相変わらず篠ノ之を除いた女性陣の服装が危ないです。何その見えそうで見えませんみたいな格好は、一人二人ならまだしも、三人四人と増えてくると直視出来なくなる。

 

直視出来ないのは置いといて、改めて二人には自己紹介しないとな。

 

 

「お待たせ。……二人とはこうして話すの初めてかな、よろしく」

 

「あ、そうだったね。私は鷹月静寐。よろしくね、霧夜くん♪」

 

「私は相川清香でーす!! 部活はハンドボール部で、趣味はスポーツ観戦とジョギング! よろしくね! 霧夜くん♪」

 

 

自己紹介を交わすと相川はスッと右手を差し出してくる。これってつまり握手ってことだよな?

 

 

「あぁ、よろしく」

 

 

差し出された右手に俺も自分の手を差し出して握り合う。普段そういう機会があまりないからだけど、女の子の手って柔らかいよな。

 

握ったはいいが思った以上に柔らかい手触りでびっくりだ。スポーツ……特にハンドボールなんかやるんだから、利き手は結構硬くなるもんだと思ったけど、女の子はそんな常識がないのか。

俺としては何気なく、友好の意味を込めて握っているものの、この光景を少し拗ねた顔つきで眺める子が一人。

 

 

「むぅ……」

 

 

鏡だった。あれ、何か俺まずったか?

 

いつもよりちょっとばかし目を吊り上げて、面白くなさそうな顔でじっと俺のことを見つめてくる。そんな光景に握手をした相川と隣にいる鷹月はただ苦笑いを浮かべ、布仏と谷本は相変わらずニヤニヤしているだけ。

 

一夏は何が起こっているのか分からず、篠ノ之は意外そうな表情を浮かべる。おい何だこの微妙な空気感、すごく気まずいんですけど。

 

やっべ、何かすげえ恥ずかしくなってきた。顔の表面温度がみるみる上がっていくのが分かる。うぐぐ、これは非常にまずい……。

 

と、とにかく!!

 

 

「じ、時間も押しているし、食堂行こうぜ!」

 

「別に時間は押してない……え、ちょっ! どうしたんだよ大和!?」

 

 

 恥ずかしさを何とか隠そうと、一人先にズカズカと皆を置いてきぼりに先に進んでいってしまう。後ろからバタバタと付いてくる足音が聞こえる。

俺の後を慌てて追いかけて来ているんだと思うけど、それを待っているほど今の俺は精神状態が安定しているわけではない。

 

俺ってこんなに恥ずかしがり屋だっけか、それともただ自分が自分のことを一番理解していなかったのか?

 

いずれにせよ、こういった甘い雰囲気に自分が弱いということははっきりした。何とか耐性をつけないと……何をすれば耐性がつくか? 知らん、気合いで何とかするしかない。

 

 

 

ズカズカと歩いたまま曲がり角に差し掛かろうとしたとき、ふと足が止まった。

 

 

「………」

 

「ったく急にどうしたんだよ? 何かあったのか?」

 

「………」

 

「大和?」

 

 

 追いかけてきた一夏をよそ目に、俺は来た道を振り返る。後ろから俺に遅れて、追いつこうと駆けてくる女性陣の姿があった。思った以上に俺が進むスピードあったのか、結構本格的に走ってきたみたいで、篠ノ之と相川以外の女性陣は少し息を切らせ気味だった。

 

その表情を見てようやく俺の中の熱が冷めたのか、皆の顔を直視出来るような状態に戻った。皆には悪いことをしちまった。恥ずかしかったけど、あそこで置いてけぼりに必要はなかったはず。

 

 

「あー……悪い。こういうのに耐性無くてな、ちょっと取り乱しちまった」

 

「あ、ううん。平気だよ」

 

「きりやんが思った以上に、初心だって分かったから満足だよ♪」

 

 

知られたくないことを知られてしまったらしい。だが今回のことも自業自得だった手前、何も言い返せない。

 

過ぎたことは忘れよう。

 

 

「しかし急に止まってどうしたんだ? 何か忘れでもしたのか?」

 

 

急に止まった理由を篠ノ之がたずねてくる。いや、そんな大した理由ではないんだけど。

 

 

「ああ、財布忘れたみたいでな。先に行っててくれるか?」

 

「まじかよ、なら先に席取っておくぜ」

 

「悪い、そうしてもらうと助かる。すぐに行くから……」

 

「おう!」

 

 

 普通に考えたらあり得ないと思うかもしれないけど、ものの見事に財布を忘れた。

流石に俺自身のミスなのに、ここで待たせるわけにもいかないので、先に行ってもらうことにした。何やってるんだよ的な顔をされたが、人間にもミスってのはある。鏡達にも事情を話し、また食堂で会うということで、この場から離れてもらうことに成功した。

 

食堂に向かう後姿を見送りつつ、その姿が完全に見えなくなったところで俺は再び来た道を振り向く。

 

 

 

 

 

 

 

―――生徒指導室から出た時からどうにも気になっていたんだよな、監視されていることに。

どうせ寮に帰れば無くなるだろうと思ったけど、相変わらず誰かからの視線が背後から突き刺さる。コソコソ後をつけられるのは気分がいいものじゃない。

 

財布を部屋に忘れたっていうのも当然嘘。単に後をつけて監視を続けている人間の正体を知りたかっただけだ。

 

ちなみにさっきの照れは本当だ。逆にあの照れがあったおかげで、相手にも警戒されずに済んだようだし、そろそろその正体をさらしてもらうとしますか。

 

とはいえ、正攻法で行ったところで逃げられるのがオチだろう。気配と視線こそ感じるものの、姿というものは完全に隠れていて、確認することが出来ない。こっちが出向いたところで、気付かれて終わる。失敗したら、せっかく先に行ってもらったことが無駄になるから慎重に事を運ぶとしよう。

 

 

 ふと、一夏達が曲がった廊下に目が行く。今は一夏達が通り去った後のため誰もいないが、他の廊下と違ってここだけ幅が狭い。

人が通れない狭さではないが、他の廊下と比べるとその差は歴然で俺の身長よりも幅は狭い。なら、これをうまく使わない手はない。

 

どうやら向こうも俺の姿が完全に見えなくなったところで、監視場所をころころと変えているみたいだ。この曲がり角は今いる廊下から覗くことは出来ない。

 

そう考えるとここの曲がり角を覗くには、曲がり角付近にまで接近しなければならない。

導き出される結論として、監視している人間がとる行動は一つ。引き続き俺のことを監視する気なら、間違いなく、曲がり角付近にまでその姿を近付けるはずだ。

 

方針が決まったところで作戦を実行する。霧夜家の当主を舐めないでいただこう。

 

 

 

 今一度後ろを振り返り、後ろに誰も居ないことを確認すると、俺は何事も無かったようにそのまま曲がり角を曲がる。曲がって少ししたところで跳躍し、左右の壁に向かって手足を伸ばす。そのまま音をたてないように大の字になって、天井へと忍者のように張りついた。

 

天井の高さも決して低くないから、相手も天井に張り付いたとは思わないはずだ。相手がそのまま俺を監視しに来れば俺の勝ち、逆に来なければ俺の負け。相手も俺が曲がり角を曲がったことで、待ち伏せしているんじゃないかと警戒しているだろうから、数分間はこの体勢かもしれない。そこは腹をくくろう。

 

 

最低数分間は待たなければならないと思っていた。しかしどうやら神様は今回俺にほほ笑んでくれたらしい。

 

コツッと僅かではあるが、廊下を踏みしめた音が聞こえた。つまり誰かが近づいてきている証拠。息を殺して影が近づくまで静止状態を続ける。もしここで俺が音を鳴らしてしまえば、気付かれるのは間違いない。相手が最接近する瞬間をじっと待ち続ける。

 

相手の影が見えた瞬間に飛び出せば、相手も逃げることは出来ない。目を凝らしてじっと廊下を見続ける。

 

 

―――数秒後、僅かではあるが廊下の色が変わった。

 

 

「!!」

 

 

今だとばかりに天井から飛び降り、相手が逃げないうちに廊下の曲がり角を覗く。

 

 

「え!?」

 

 

相手は完全に不意を突かれたのか、ただ驚くばかり。まさか息を殺して、天井に張り付いているとは思わなかったみたいだ。

 

 

「……俺に一体何の用でしょう? 眺めるのは勝手ですけど、後をつけるのは感心しませんね」

 

「へぇ……」

 

 

 ずっと俺のことを監視し続けていた人間がそこにはいた。ネクタイの色が黄色、どうやら二年生の人らしい。見付かったというのに、その人の余裕そうな表情は一切崩れることは無かった。

 

透き通った水色の外にはねたくせ毛が特徴のショートヘア。その瞳は宝石のルビーを思わせるような綺麗な深紅に染まり、顔のパーツ全てが整っている。

顔だけにあらずプロポーションも抜群で、出るところは出て、締まっているところは締まっている。その立ち振る舞いは、私服を着ていたら二年生には見えないほどに大人びていた。こんな時に言うのも何だが、すごく大人の女性を思わせる感じだ。

 

 

「要件は何でしょう? まさか何も無い訳じゃないですよね?」

 

 

なんやかんや言いつつも、俺からすれば彼女は得体のしれない存在だ。警戒心をやや強めながら、彼女の目を射ぬく。

 

 

「ふふっ、そんなに怖い顔しないの。ただ一回見ておきたかったのよ、どんな子なのかね」

 

「……だったら監視する必要はないんじゃないですか?」

 

「あら、そっちの方がスリルがあって楽しいじゃない?」

 

 

この人はリスクよりスリルを楽しむ人らしい。もはや後をつけていたことに対して反省の色も伺えない。まともに相手をするとこっちがペースを握られそうだ。

 

 

「……しかしまさか尾行がバレるどころか、姿まで見られるなんてねー」

 

 

 手に持っていた扇子をパッと俺の前で開く。扇子には達筆で『驚愕』と書かれていた。文字通りに驚いてくれればいいけど、正直全く驚いている様子はない。

これで全然関係ない文字が書いてあったら大恥なんだろうなと思いつつ、二年生の人に対する警戒を一時的に解除する。現時点で彼女に敵意がないのは分かった。

 

 

「驚いているようには見えませんけど……結局要件は何です?」

 

「本当に何もないわよ。今日はただ挨拶に来ただけ♪」

 

「はあ、そうですか……」

 

 

再び開かれる扇子には『挨拶大事』と書かれている。いや、確かに挨拶大事ですけど、その前に自分の監視って行動を何とかしてくださいよ先輩。そもそも挨拶するだけなら、俺の前に直接来れば、なお良かったんじゃないでしょうかねえ。

 

後その扇子のカラクリどうなっているのか是非教えて頂きたいものですね。

 

挨拶を済ませたことで一通り満足したのか、二年生の先輩はクルリと身を翻して戻っていく。が、思い付いたように途中で戻るのをやめて、再びこちらに振り向いてくる。

 

 

「後来週の代表決定戦、凄く楽しみにしてるわ。頑張ってね?」

 

「は、はい? なんでその事を……」

 

 

何故来週行われる代表決定戦に、俺が参加することを知っているのか。俺がその理由を聞こうにも、二年生の先輩は笑顔を浮かべながら誤魔化してしまう。

 

 

「秘密よ、秘密♪ あ、私の名前は更識楯無。またお話しましょう、霧夜大和くん?」

 

「……」

 

 

言いたいことを全て言ったのか、今度こそ去っていく更識先輩。その颯爽と過ぎ去るその姿は猫みたいだった。更識先輩とやらに何故か目をつけられたわけだけども、結局何が目的だったのか。彼女も親しみやすい雰囲気は出していたけど、一切隙という隙は見せなかったし、色々と分からないことばかりだ。

 

特に危害を加えるわけでもないし、今はそこまで気にしなくても良いか。

 

 

「食堂行くか。みんな待たせてるし」

 

 

監視をしていた人間が更識先輩っていう二年生だと分かったところで、俺は改めて食堂へと向かうのだった。

 



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クラス代表決定戦開始! 一夏対セシリア

 時の流れというものは早いもので、一週間という時間は瞬く間に去っていった。一生の中で一週間という時間は凄く短い時間で、その短い時間がさらに短く感じた。

 

クラス代表決定戦を行うと決めてから早一週間、一夏と俺はそれぞれに出来る限りの対策を行ってきたわけだが、幾分ISを使った練習が出来なかったために、ぶっつけ本番という形になったわけだが、ここ第三アリーナには一組のクラスメイトが観客席に押し寄せて来ている。

 

いつ始まるのかと心待ちにしているのは分かるが、自分がほとんど動かしたことのないISでの戦いを見られることは些か緊張する。とはいえ、当たって砕ける……わけではないが、やるだけやろうというのが本音だ。

 

 

―――今日は代表決定戦当日。参加する一夏と俺は第三アリーナのピットで待機していた。緊張気味の俺と一夏の後ろには、篠ノ之が腕組をしながら一夏の事をジッと見つめる。本日の天候に関して言うなら雲もほとんど見えない快晴、雨が降ることはないであろう絶好の決戦日和だ。

 

本番が近づいているとあって緊張感が増しているのか、ぎこちない表情を浮かべながら、一夏は篠ノ之と話し始める。

 

 

「……結局、ISは一度も動かせなかったな」

 

 

 一度もISに乗った練習が出来なかったことに、ガックリと首を垂れる。ISを使った訓練が出来ないことを認知していたとはいえ、いざ何も練習しないまま本番を迎えたことに大きな不安を感じているのかもしれない。

 

 

「ところで……なぁ、箒」

 

「何だ?」

 

「ISのことを教えてくれるって話だったよな?」

 

「……」

 

「えっ、目をそらすな!」

 

 

 結局、一夏はこの一週間は篠ノ之とマンツーマンで剣道漬けの毎日を送っていたらしい。二人とも同じ部屋だし、ISの実戦は出来なくとも、ISの知識や操縦の特性なんかは教えてられているものだと思っていたんだけど……。

 

一夏の素朴な疑問に、無言のまま篠ノ之は顔をそらす。顔をそらした篠ノ之に対し、腰に手を当てて納得がいかないとばかりに強めの抗議に出る。一週間前の今日は剣道場の時か、確かに鍛えてもらった方がいいといったけど、本気で剣道しか教えないとは。

 

一夏の衰退ぶりに納得が行かなかったのも分かるけど、少しくらいIS知識を教えてやっても良かったんじゃないかなと思う。

 

 

「し、仕方ないだろう! お前のISはまだ届いていないのだから……」

 

「大和の言うように訓練機も使えないし、専用機も持ってないけど、知識とか基本的なこととかあるだろ!?」

 

「……」

 

「だから、目をそらすなったら!」

 

 

仲良いな二人とも、近くから見てて少し羨ましいぜ。

 

さて、見たように篠ノ之は更なる一夏の言及に完全に背を向けてしまったわけだが、今さら足掻いたところで失った時間を取り戻すことは出来ない。

 

一夏がいくら騒いだところで何かが変わるわけでもない、もうそろそろ始まるだろうし準備を始めても良いかもしれない。

 

軽く身体を動かそうと思った瞬間、壁にモニターが表示されて外の様子が映し出された。

 

広がる大空に一機のIS、セシリア・オルコットの乗った機体が浮いている。俺達のどちらかが出てくるかと思えば、まだこちら側のピットからは誰も出てきていない。その光景に苛立ちを感じているのか、厳しい目つきでピットを見つめていた。

 

正直、どっちが先に出るのかを決めて無かったせいもあり、俺が使うはずの打鉄もまだピットに来ていない状況。今職員が運んで来ているらしいが、果たして打鉄と専用機のどちらが先にくることやら。先に来た方から試合開始となるわけだが、まだそのどちらも来ていない。

 

俺としてはそんなに問題には思わないが、勝負する相手が全く出てないオルコットからしてみれば、相当な苛立ちを覚えるだろう。

 

 

「まあ一夏もそれくらいにしとけ。もうそろそろ始まるだろうし、ワタワタしても仕方ないだろ?」

 

「確かにそうだけど……あ、あれがアイツの専用機か」

 

「ああ。どんなISかは分からないけど、手ごわい相手に変わらないさ」

 

 

相手は代表候補生。代表候補生であっても全員が専用機を持っているわけじゃない、持っているのは代表候補生の中でも実力が高い人間たちだけだ。オルコットが間違いなく強いっていうのは当たり前、だからこそ絶対負けるわけにはいかない。

 

ここで負けたら啖呵を切った意味がなくなる。何がなんでも絶対に勝つ、そう意気込みながらモニターを眺める。

 

もうすでにISに乗る準備は出来ている。ISスーツに着替えたから、後は機体に乗るだけ。ISは女性にしか動かせないものだったため、俺達のISスーツはわざわざ作ってくれた特注品になっている。

 

女性のISスーツのカタログを見たけど、もはやスーツっていうより水着だ。もしかして男のレオタードみたいな感じになることも想定していたが、最悪の事態は回避できた。もし女性用のスーツをそのまま着ろって言われたら、学園をやめていたかもしれない。いや、冗談抜きで。

 

一夏もすでにISスーツに着替え終わっている。上は半袖のピッチリしたインナーに、下はスパッツを少し長くしたようなズボン。何故かはわからないが、俺も一夏も同じようにへその辺りはさらけ出すはめに。中途半端に素肌を晒しているせいで、恥ずかしいったりゃありゃしない。

 

しかしISスーツは体の線がはっきり出るってのが怖いな、もし太ってたりしたら公開処刑にもほどがある。

 

太っているって言えば、その反対で一夏はかなり細身だ。ただ細身ながら、体つきはちゃんとしていて一般世間では細マッチョと呼ばれる部類。部活には入って無いのにこの体つきはずるいな。顔も整っているし、女性が寄ってくるわけだ。

 

 

「そういえば、初めて見るけど……」

 

「ん?」

 

「大和ってすげぇ体つき良いよな。剣術以外にも何かやっているのか?」

 

 

モニターを見ながら考え事をしている俺に、一夏の視線が釘付けになっていた。

 

俺の体つき? あぁ、仕事が仕事だし身体は鍛えているさ、常人の何倍も。骨格的の違いもあってマッチョな体つきにはならないけど、筋肉質な体つきにはなっているはず。でも着痩せするから薄着の服一枚にならない限りは、そうそう目立つことはない。

 

ただISスーツはまさに薄着の服なため、身体の線がはっきりと浮き出てしまう。

 

 

「そこそこ鍛えているし、骨格的にもつきやすい体質なんじゃないかな。一夏も毎日トレーニングしていれば、いずれはなるんじゃないか?」

 

「なるほど、道理で強いわけだ」

 

「強いって何がだ?」

 

「剣術だよ剣術、お前箒を圧倒しただろ?」

 

「あー……」

 

 

 そういえばと思い出す。一週間前に剣道場で篠ノ之と手合わせした時に、一回も掠らせずに完勝したことを一夏は言っているみたいだ。

 

剣類は振り回す力も必要だけど、体つきで強い弱いが変わるわけじゃないと思うな。篠ノ之の剣道なんかは相手の太刀筋を見切るための動体視力ってのも必要になるわけだし、機敏さなんかも重要。

 

 

「力があるからって強い訳じゃないと思うぞ、使いこなせなきゃ、宝の持ち腐れだしな」

 

「でもどちらにせよ、お前に追い付くのもまだまだ遠いな……」

 

 

先の見えない道のりに、一夏はげんなりとした表情を浮かべた。

 

一夏は篠ノ之に完敗した。その完敗した篠ノ之を俺が圧倒した。もしかして俺に勝つことを目標にしてくれているのか……だとしたらこれからの特訓メニューを増やさないとな。俺もそう易々と一夏に負けるつもりはない。

 

少なくとも霧夜家の当主であるうちは負けるわけにはいかない。霧夜家の当主も実力至上主義、弱ければ退く。俺もウカウカしている場合じゃないな。

 

 

「お、織斑くん。織斑くん! 織斑くん!!」

 

 

 一夏と話していると突如、ピットのスピーカーから山田先生の張り上げた声が響き渡った。大事すぎることなので二回じゃなくて三回言ったのか、この状況だったら一回でも十分に伝わると思うけど、しっかりと伝わるようにと三回言ったんだろう。

 

今伝えなければならない重要なこと、その重要なことが何なのかすぐに推測することが出来た。

 

 

「来ました! 織斑くんの専用IS!」

 

 

放送の内容は一夏の専用機が到着した主旨を伝えるものだった。山田先生の声に続いて千冬さんの声がスピーカーから聞こえてくる。

 

 

「織斑、すぐに準備をしろ。アリーナを使用出来る時間は限られているからな。ぶっつけ本番でものにしろ」

 

 

放送が終わると同時に、俺達の隣にあった搬入口がガシャンと音を立てて上下に開き始める。ピットの地鳴りと共に現れたのは、白を基調にしたISだった。その白はかつてISを世界に知らしめた時の白騎士を表すのように。

 

 

「……」

 

「これが、織斑くんの専用IS……白式です!」

 

 

 一夏は自分の専用機を目の当たりにし、圧倒されてただ呆然と立ち尽くす。無理もない、自分に専用機が与えられるということは、つまりそれだけの期待があるということ。この世界のパワーバランスを均等に戻す期待を一身に背負っている。

 

 

「時間がないからフォーマットとフィッティングは実戦でやれ」

 

 

続いて流れてくる千冬さんの放送に耳を傾けながら、一夏は白式に手を触れた。

 

 

「あれ?」

 

「どうした?」

 

「初めてISに触った時と、感じが違う……」

 

 

 何がどう違うのか、見ているこっちからすれば全く分からないが、シンクロ的な意味合いで違うってことか? 確か以前の授業で、ISはパートナーみたいなもので操縦者に呼応するように動くと学んだ。俺も一夏も動かしたことがあるISは量産機のものだけ、もしかしたら専用機とでは明確な違いがあるのかもしれない。

 

一夏の表情が不安そうだった先ほどまでの表情と違って、自信に満ちた表情へと変わる。

 

 

「大丈夫ですか? 織斑くん」

 

「ええ、何とか」

 

「背中を預けるように。後はシステムが最適化する」

 

 

一夏は白式の座席部分に座り、機体に身をゆだねる。すると操縦者である一夏に呼応するように、装備を整えていく。

 

数秒後、システムの最適化が無事に終了し、白式から音声が流れ始めた。

 

 

『アクセス……』

 

 

 音声が流れたかと思うと、今度は一夏の目の前に小型のモニターが現れ、そこに白式の機体情報が表示された。白式のデータが表示されてから数秒後、入れ替わるように対戦相手……セシリア・オルコットの専用機、ブルー・ティアーズの情報が映し出された。

 

ブルー・ティアーズ……蒼い雫か、中々お洒落な名前しているんだなISって。一夏は表示されたオルコットの機体情報を興味深そうに眺める。その視線は真剣そのもの、もう戦闘モードに入ってるみたいだ。

 

 

「セシリアさんの機体は、ブルー・ティアーズ。遠距離射撃型のISです」

 

「ブルー・ティアーズ……」

 

「ISには絶対防御という機能があって、どんな攻撃を受けても最低限、操縦者の命は守られるようになっています」

 

 

 遠距離射撃型か、一夏の白式の性能は分からないが、場合によってはかなり苦労することになるかもしれない。遠距離対遠距離の勝負になったら、間違いなくオルコットの方に軍配が上がる。

 

回避に関しては何とも言えないけど、射撃戦になったら圧倒的に稼働時間が長いオルコットが優位に立つのは当たり前のこと。その反面、遠距離射撃型のブルー・ティアーズに対して、近接戦に持ち込めば勝機はある。

 

当然、オルコットもそう簡単に接近を許さないだろうけど、接近できれば一夏にもチャンスがあるはず。

 

後は一夏の健闘を祈るだけ、一夏が終わった後は俺だ。今はもう他の人間にかまけている時間は少ない。

 

 

再び気合いを入れ直す俺の後ろで、山田先生の放送は続く。

 

 

 

「ただその場合、シールドエネルギーを極端に消費します。分かってますよね」

 

「はい!」

 

 

 山田先生のアドバイスに気合いを込めた表情で一夏は答える。決心がついたのか、吹っ切れたのか。どうとも捉えられる表情を浮かべ、ピットから見えるアリーナをジッと見つめる。

 

 

「……織斑、気分は悪くないか?」

 

「おう、いけるさ」

 

 

 千冬さんの言葉にも自信満々に答えた。一夏の口調が教師としての千冬さんではなく、一人の姉としての千冬さんに向けた言葉だとすぐに感じ取ることが出来た。

 

普段だったら「ここでは敬語を使え」なんて返事がきそうだけど、今回は叱責の言葉がくることはなかった。

 

 

「そうか……」

 

 

返ってきたのは満足そうな返事。ピットの俺の居る位置からではその顔を確認することは出来ないが、監視室にいる千冬さんの顔はどこか笑っているのかもしれない。

 

 

 

「いよいよだな、一夏」

 

 

これから飛び立つであろう親友に後押しするつもりで、俺は声をかける。

 

 

「ああ、ぜってぇ勝つ! だから大和も勝てよ!!」

 

「そういう台詞は勝ってから言うんだな。まぁ、行ってこいよ」

 

「任せろ!」

 

 

どうやら皮肉を込めた俺なりのエールが通じたらしい。、白式を纏った一夏の拳と、俺が差し出した拳がコツンと音を立ててぶつかり合う。健闘を祈る、そんな意味合いを込めてニヤリと笑いながら、一夏を送り出す。

 

 

「な、何だ?」

 

「行ってくる」

 

「あ、ああ。勝ってこい!」

 

 

 それだけ言い残すと、一夏はこくりと首だけ動かして頷いた。再びピットの外を向きながら、一歩二歩と前進していく。身体を屈めて前傾姿勢を取ると、一気に加速してレールの上を滑走していく。そしてピットから外に出た瞬間に、勢いよく大空へと羽ばたいていった。

 

一夏のISデビュー戦か。その戦いざま、きっちり見せてもらうとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようやく来ましたのね」

 

「あぁ、待たせたな」

 

 

 快晴の空から降り注ぐ光が照らすアリーナには、二体のISが相見えていた。セシリア・オルコット、織斑一夏、そして霧夜大和の三人によるクラス代表決定戦が開幕しようとしていた。初めの組み合わせは一夏対セシリア、ともに専用機を持つ者同士の戦いだ。

 

セシリアの専用機、その名をブルー・ティアーズ。イギリスが開発した第三世代型の遠距離射撃型IS。セシリアの右手には巨大な特殊レーザーライフル、スターライトmkⅢが握られている。

 

セシリアに遅れること数分、ようやくピットから出てきた一夏に対するセシリアの口調は、明らかに見下すかのような口調だった。セシリアは一夏になお、言葉を続ける。

 

 

「……最後のチャンスをあげますわ」

 

「チャンスって?」

 

「わたくしが一方的な勝利を得るのは自明の理。今ここで謝るというのなら、許してあげないこともなくってよ?」

 

 

その言葉に再びイラッときたのか、一夏は目の前に電子モニターを展開しながらセシリアに反論する。

 

 

「そういうのはチャンスとは言わないな!」

 

 

 つまり一夏にはセシリアに降参する意志など微塵も無いということ。強く訴えた一夏に、セシリアは再び怪しげな笑みを浮かべる。

 

 

「そう? 残念ですわ。それなら……」

 

 

セシリアが喋り出した途端に、一夏のモニターには警告と書かれた二文字が現れる。警告の内容は、セシリアのISが射撃体勢に移行したというもの。

 

 

「お別れですわね!!」

 

 

 セシリアは手に持つスターライトmkⅢを構え、一夏に向けてレーザーを発射した。空気を切り裂きながら一直線に飛んでくるレーザーに対し、モニターの警告表示に夢中になっていた一夏は反応が遅れる。反応が遅れたことで、攻撃を回避することが出来ずに正面から攻撃が当たってしまった。

 

 

「うわぁ!?」

 

 

 手をクロスさせたものの、衝撃を緩和しきれずにそのまま一夏は真っ逆さまに地面に墜落して行く。ジリジリと迫りくる地表ぶつかるまでに、何とか体勢を立て直そうと身体を捻って上下を入れ替えると、足から地面に降り立つ。

 

 

「だぁ!!」

 

 

 足から着地したは良いものの、地面に落ちた衝撃を緩和することが出来ずにバランスを崩し、後ろに二度三度バウンドしながらようやく元の体勢に持ち直した。シールドエネルギーが削られ、左肩付近にダメージを受けたことがモニターに表示される。

 

開始早々手痛い一撃を食らってしまった。とにかく、一回気持ちを落ち着かせたいというのが一夏の本音だが、そんなに悠長な時間をセシリアが与えるはずがない。再び発射されたレーザーが一夏を襲う。

 

 

「くそ! 俺が白式の反応に追い付けていない!!」

 

 

 フォーマットとフィッティングが終わったわけではなく、白式自体が一夏の反応とは違うために思うような行動が出来ず、忌々しげに吐き捨てる。襲い来るレーザーをかわすために、再び空中へと飛び立ち、右往左往にレーザーをかわしながらセシリアのところへ近づいていこうとする。

 

 

「さあ、踊りなさい! わたくし、セシリア・オルコットとブルーティアーズの奏でる円舞曲(ワルツ)で!」

 

「何か使える装備は……!」

 

 

 スコープを覗きながら、レーザーライフルを何度も連射する。発射されるレーザーを腕をクロスさせながらガードし、セシリアへ向かっていく。ただレーザーを避けているうちにも、シールドエネルギーの残量は刻々と減らされていく。このままでは打開策も見当たらないままに、圧倒されてしまうだけだ。何とか現状を打開しようと、白式に常備されている展開可能な装備を探す。

 

展開されているモニターの一つに展開可能装備一覧が表示された。しかしそこに表示された装備はたった一つ、日本の量産機にも常備されているような、近接用のブレードだけだった。

 

 

「げっ、これだけか!? ……まぁ、素手でやるよりはいいか!」

 

 

近接用ブレードを展開して右手に持つと、再びセシリアの間合いに近づいていく。 

 

 

「遠距離射撃型のわたくしに、近距離格闘装備で挑もうだなんて、笑止ですわ!」

 

 

一夏に向けて何発ものレーザーを打ち込むセシリアと、それをかわす一夏。攻防は単純で長く、時間だけが刻々と過ぎ去っていった。

 

 

 

 

 

 

「近接ブレードだけだと!? あれではただの生殺しではないか!!」

 

「落ちつけ篠ノ之、お前が慌てたところで戦況が変わるわけじゃない」

 

「だが!」

 

 

―――ところ変わってピット内。そこにはモニターにかじりつく箒と大和の姿があった。

 

 意気揚々と出撃していく幼馴染の後ろ姿を見守ったはいいが、いざ始まれば一夏は防戦一方。何とか攻撃手段を見つけようと一夏が展開した武器は、何の変哲もない近接ブレードだけだった。

初めのうちはブレード以外の装備も積まれているだろうと信じていた箒だったが、一夏がブレード以外の装備に変えない状態が続き、装備がそれしかないことを理解した。

 

その状態に声を荒らげ、ひたすらにかわすことしかできないでいる一夏に不安が募っていた。今は自分達では何も出来ないことを大和に認識させられると、握り拳を作り、恨めしそうにモニターを睨みつけた。

 

 

「しかしきついな。何とか打開策見つけないと、このまま終わるぞ……」

 

 

 大和は腕を組みながらじっとモニターを見つめる。箒に対しては平静を装っているものの、一夏の勝負の行方には不安を募らせていた。防戦一方な上に、これといったダメージもセシリアに負わせていない状況だ。

ISの試合のルールはシールドエネルギーが尽きるまで、尽きた時点でいかなる場合においても試合終了となる。

 

防戦一方の一夏はシールドエネルギーをみるみる減らしていく。かたやセシリアはほとんど消耗していない。どちらが試合を有利に進めているのか一目瞭然だった。

 

二人がこぞってピットに表示される眺めている中、ピットの入り口が開く。

 

 

「……この程度の状況が打破できないようでは、あいつは一生経っても強くならん」

 

「あ、織斑先生に山田先生……」

 

 

ピットに入ってきたのは、千冬と真耶の二人だった。モニターを見ている二人は一旦モニターから視線を外し、千冬の方へと振り返る。

 

 

「そうかもしれないですね。……でもこのまま一夏が終わるとは思わないですよ」

 

「な、何を言っている!? このままでは!」

 

 

 冷静な口調で話す大和に対して、まるで自分のことのように慌てる箒。現在一夏が置かれている状況を危惧して慌てているのだろうが、大和は一夏に期待めいた視線を送りながらモニターを眺める。

 

 

「霧夜、なぜそう思う?」

 

 

一夏はこのままでは終わらないと断言した理由、その理由が何なのか千冬は大和に尋ねる。経験やISに関する技量は間違いなくセシリアの方が上で、戦況もセシリアの方が押している。

 

 

「何となくですかね? 知り合って間もないですけど、ただでは転ばないって感じがします。何より……」

 

 

大和は一夏があくまでこのままでは終わらないと言っているだけで、必ず勝つとは言っていない。つまり勝ち負けについては分からないと遠まわしに言っている。

 

三人は言いかけた後に続く言葉を待つ。

 

 

「……絶対に諦めないって目をしてるんで。このまま終わらないって期待できるんですかね?」

 

「ふっ、そうか」

 

 

 千冬にとって大和から返ってきた答えが納得するものだったのか、満足そうな表情を浮かべる。満足な顔もほんの一瞬、すぐにいつもの教師としての顔に変わると、箒と大和の隣に並んで同じようにモニターを眺める。

 

状況は先ほどとあまり変わらず、セシリアが打つレーザーを大きく左右に移動し、様々な方向に体を反転させながら避け続けている。

 

 

 

「……二十七分。持った方ですわね」

 

「そりゃどうも」

 

 

 ひたすら回避を続けてすでに三十分近い時間が過ぎていた。イギリスの代表候補生相手に稼働した時間がごく僅かながら、ここまで耐え続けてきた一夏はブレードを横に振り、褒めてくれたことに対し感謝で返す。

 

残っているシールドエネルギーも、もうそんなに多い訳ではない。何回も攻撃を食らい続けていたら、それこそ何も出来ずに終わってしまう。

 

一言、一夏に伝えるとセシリアは再びライフルを構える。

 

 

 

しかしライフルを構える様子が、その場で戦っている一夏はもちろんのこと、ピットのモニターで状況を観戦している大和も、先ほどまでと違うことに気がついた。

 

セシリアがライフルを構える時、今まではスコープをしっかりと覗き込むように構えていた。だが今のセシリアの構えは、スコープを覗く行為どころか、ライフルを脇の方に避けて全くライフルを撃つ様子を見せない。

 

構えていてもそれが撃つ気がある構え方なのか、撃つ気がない構え方なのかでこちら側の認識は変わってくる。今のセシリアの行為は明らかに後者の構えだった。

 

 

戦いを放棄したのか。いや、ここまで展開を有利に進めておいて今更降参なんてのはあり得ない話だ。つまりまだ彼女が見せていない手の内が存在するということが容易に想像出来る。

 

……別の何かがくる。不意に感じたその違和感に、一夏は攻撃中でないにもかかわらず臨戦体勢を取り直した。

 

 

「でも、そろそろフィナーレとまいりましょう!」

 

 

セシリアの機体の非固定ユニットから、四つの部品が外れてレーザーを放ちながら攻撃を加えてくる。

ブルー・ティアーズの奏でるワルツとはよく言ったもの。彼女にとって主力武装のレーザーライフルはおまけで、本来のブルー・ティアーズのあるべき姿はこのビット型の武器のことを指している。

 

ライフルと違って発射点が一か所ではなく四か所に変わり、四方八方からの攻撃が一夏目掛けて飛んでくる。当然四か所から飛んでくるということは、一夏の資格からの攻撃も容易になったということで、回避することが非常に困難な状況になっていた。

 

 

「ちっ、面倒だ。なら一か八か!!」

 

 

ライフルに加えてビットまで攻撃に参加するとなると、一夏のシールドエネルギーが無くなるのも時間の問題。セシリアが放ったレーザーをブレードで薙ぎ払うと、一夏はそのまま大きく右に旋回した。

 

地面に着地し、そのまま左右に移動しながらビットの攻撃をかわす。地面についたことで、すべての攻撃は上からに限定した。地面にレーザーが突き刺さり、地面が掘れて多くの砂埃が上がる。

その砂埃に自分の機体をうまく隠しながら、セシリアの下方に接近していく。そしてある程度にまで接近するとそのまま飛来し、空中でセシリアとの距離を詰めていった。

 

 

「なっ!?」

 

 

ただ自分の攻撃を避けるばかりだった一夏が、初めて攻めに転じた。その光景に驚いていたのは対戦者のセシリアだけではなく、ビットで見ている大和達、アリーナの観客席で見ているクラスメイトも同じだった。

 

 

「織斑くん!」

 

「一夏!」

 

「……」

 

「うおおおおおぉぉ!!」

 

 

 数々の攻撃をかわし、自分の届く間合いにまで近づくと一気に加速して、唯一の手持ち武器であるブレードを振りかぶり、セシリアに向かって振り下ろす。

 

セシリアが寸でのところで一夏の攻撃を感知し、その場を離れたために攻撃は当たることなく、無情にも空を切ってしまった。しかし一夏の一撃を避けたセシリアの顔には、明らかな動揺を見ることが出来る。

 

 

「むちゃくちゃしますわね! けれど、無駄な足掻きですわ! ティアーズ!!」

 

 

避けたセシリアはすぐさまビットを一夏のもとへと解き放つ。いくつものレーザーが再び一夏のことを襲うが、先ほどまでと明らかに状況は違っていた。相変わらず一直線にセシリアに向かっていくものの、回避に関しては今までのような大きく旋回するといった無駄がなくなっている。

 

最低限の動作で効率よく攻撃をかわし、一夏の目の前に現れたビットの一つをブレードで叩き切った。

 

 

「はぁぁああ!!!」

 

 

ガシャンという金属と金属のぶつかり合う音が鳴り響き、一夏は力任せにビットを両断した。真っ二つになったビットは制御を失い、ふらふらと落下し始め、一夏の後方で大きな爆発を起こす。

 

まぎれもなく、一夏は完全にビットの動きを見切っていた。展開したビットの一つを破壊され、想定外な出来事にセシリアは大きく驚く。

 

 

「分かったぜ! この兵器は毎回お前が命令を送らないと動かない!!」

 

 

再びセシリアに接近し、ブレードを振り下ろた。しかしこの攻撃もセシリアに届くことはなかった。攻撃をかわしたセシリアは、ビットに命令を送り、一夏に攻撃を仕掛ける。

 

距離があまりにも短すぎたため、ビットの行動範囲は限定され、ビットの一つがレーザーをかわした一夏の前に現れた。その機会を逃さずブレードを振り下ろし、また一つビットを破壊する。

 

破壊した際の爆発に巻き込まれないように、爆心地から遠ざかり、セシリアに対する言及を続ける。

 

 

「しかもその時、お前はそれ以外の攻撃が出来ない! 制御に意識を集中させているからだ。そうだろ!!」

 

 

一夏にとってブルー・ティアーズの特性を完全に理解したこと、それは自分が勝てる見込みが立ったことと同じだった。左手を閉じたり開いたりしながら、セシリアのことを勝ち気がこもった眼差しで見つめる。

 

 

 

同じくその様子と会話は大和達のいるピット内でも映し出されていた。

 

 

「はぁー……凄いですね、織斑くん。ISの起動が二回目とは思えません」

 

 

 一夏が初めの劣勢状況を跳ね返したことに、素直に真耶は感心する。ISを起動して二回目の人間がどうなるかは、自分が元国家代表候補だったこともあり、よく知っていた。自分の考えをひっくり返した一夏がどれだけ凄いか、ただただ感心するばかり。

 

一方、箒も最悪の状況を脱したことに安心したのか、ホッと胸をなでおろした。しかし大和と千冬、特に千冬は厳しい表情を崩さないままでいる。大和は厳しい表情というより、どちらかといえば苦笑いに近い何とも言えない複雑な表情を浮かべていた。

 

 

「あの馬鹿者、浮かれているな……」

 

「え?」

 

「……やっぱり織斑先生もそう思いますか」

 

「ほう? お前も気付いていたのか?」

 

「機体の特性が分かって、活路が見出せると思えば、誰でも浮かれるとは思いますよ。もちろん自分もです」

 

「あ、あの。どうして分かるんですか?」

 

 

 一夏が浮かれていることに気がついた二人とは逆に、取り残される箒と真耶。何となくの予想だった大和はまだしも、なぜ千冬は一夏が浮かれていると分かったのか、疑問に思った真耶が先に口を開く。

 

 

 

「さっきから、左手を閉じたり開いたりしているだろう? あの癖が出る時は大抵簡単なミスをする」

 

 

つまりは慢心。この場合、一夏がセシリアの専用機の特性を見抜いたことによる油断、そして自分にも勝機が出てきたという安心感を指す。

 

人間は一番安心しきっている時が最も無防備な状態になる時であり、不意に起きた些細な出来事にも対処が出来なくなるもの。このまま何事もなく終わればいいものの、何も起こらないという確信はない。

 

 

「さすがはご姉弟ですね……」

 

 

一夏と千冬は姉弟ということもあり、互いのことをよく知っている。だからこそ些細なことを見逃さないし、仕草も理解していた。千冬の姉としての眼力に、真耶は思わず感心する。

 

真耶が感心している間にも、一夏は攻撃を恐れずにセシリアとの間合いを詰めていく。セシリアが稼働させていたビットは四機。そのうち二機は一夏に破壊されたため、残されたビットは二機。これを破壊してしまえば、セシリアの攻撃は再びレーザーライフルによるものになる。

 

ビットに四方から攻撃されるより、ライフルによる一直線上の攻撃の方がかわしやすいのは明らかだ。その状態に持ち込めれば、自分にも勝機はある。

 

自信を持ってセシリアに突進していった。

 

 

「残り二機!」

 

 

セシリアから展開されたビットが一夏の周りを囲い込む。しかし一夏はこれを待っていましたとばかりに、笑みを浮かべた。

 

 

(必ず俺の反応が一番遠い角度を狙ってくる! なら……)

 

 

自分から展開されたビットに寄って行き、一つを叩き落とす。そしてもう一つのビットにも素早く接近して、これも落とす。もうセシリアにビットによる攻撃をする手段は残されていない。残っているのはレーザーライフルによる攻撃だけ、しかし構えている間にも、一夏はセシリアとの一足一刀の間合いに入り込める。

 

よって今からライフルを構えていては間に合わず、一夏の斬撃をモロに受けることは必至。一気に形勢が逆転してしまう。かといってスコープを覗かないノンスコで、一夏を狙うにはリスクがあまりにも大きすぎた。外れてしまえばそれでおしまい。一夏に向かっていったとしてもビットの動きに慣れた一夏は、かわすことにそう難しさを感じない。

 

自分の一撃が当たることを確信した一夏は、何の迷いもなく一気にセシリアとの距離を詰めていった。

 

 

「距離を詰めれば、こっちが優位だ!!」

 

 

ブレード大きく振りかぶる一夏、その時にセシリアの顔が目に入る。一夏の瞳に映ったのはビットを全て破壊されて焦る表情ではなく、してやったりの表情を浮かべ、勝ちを確信した表情だった。

 

 

「……かかりましたわね?」

 

「え!?」

 

「あいにくブルー・ティアーズは、六機ありましてよ!!」

 

 

ビットを動かしている間、セシリアは他の攻撃をすることが出来ず、無防備になる。ブルー・ティアーズにとって一番の弱点だった。しかし白式でも無防備になる瞬間は存在する。

 

攻撃の瞬間……特に成す術の無い相手に決めようとする瞬間は完全な無防備状態に陥る。まさに今は完全な無防備な状態であり、攻撃が飛んできたらかわせない状態にあった。セシリアは一夏がビットは四機しかないと思い込んでいることを知り、わざと全てを落とさせた。

 

ビットを全て落とせば、近接武器しかない一夏なら近寄ってくることが分かったからだ。そこがセシリアの狙いだった。確実に当てるのなら相手を油断させ、回避出来ない位置まで接近させ、確実に当てればいいと。

 

セシリアの腰の左右に取り付けられた筒状のものが、一夏の姿に照準を合わせる。それが何なのか、一夏はすぐに理解することが出来た。

 

 

「しまった……!?」

 

 

一夏が声を上げた瞬間、発射口から二つのミサイルが発射された。寸前で攻撃を中止し、身を翻してミサイルの追撃を振り切ろうと大空高く旋回する。しかしその努力空しく、二つのミサイルは一夏の機体を捉え、大爆発を起こした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一夏ッ!!」

 

「っ!?」

 

 

セシリアの発射したミサイルが一夏に着弾したのは、アリーナにいる人間、そしてビットでモニターを眺めている人間にもはっきりと映し出されていた。シールドエネルギーが少ない状態で、二発のミサイルが直撃したらどうなるか。

今の一撃で、誰もが一夏の敗北を疑わなかった。クラスメイトだけではなく箒、真耶、そして大和も。

 

箒は爆煙に包まれる一夏に悲痛な表情を浮かべ、真耶もミサイルが当たってしまったことにハッとした表情を浮かべる。大和は表情こそ大きく崩さなかったものの、目を閉じてここまでかという仕草を見せる。

 

数多くの人間の中で、千冬だけはニヤリと笑いながら、その様子を眺めていた。まるでまだ戦いは終わっていないかのように。

 

 

 

 

 

「ふん、機体に救われたな馬鹿者めが」

 

「え?」

 

「まさか……!!」

 

「……!」

 

 

千冬の言葉に釣られて、三人ともモニターを見直す。相変わらず煙が辺りには立ち込めていて、姿一つ確認することが出来なかった。

 

見えないのも一瞬、徐々に一夏の周りから煙が晴れて少しずつ、その姿が明らかになっていく。

 

 

「……一夏!」

 

「これは……一次移行(ファースト・シフト)?」

 

 

煙が完全に消え去った後に残ったのは、閉じていた白銀の翼を左右に大きく広げ、無傷な状態で立つ一夏の姿だった。大きく翼を広げるその姿はまるで天使にも見える。

フォーマットとフィッティングが完全に終わり、初期状態から一次移行(ファースト・シフト)した白式本来の姿がそこにはあった。

 

完全に勝負はついたと思っていたセシリアは、口を大きく開きながら信じられないといった表情で、その姿を見つめる。

 

一夏の画面にも、フォーマットとフィッティングが終了したことを知らせる画面が映し出される。一夏本人はどうして自分が無事だったのか、何が起こっているのか全く分かっていなかった。

当然と言えば当然。ミサイルが当たる瞬間に思わず目を閉じ、再び目を見開けば変化を遂げた白式の姿がそこにはあったのだから。呆気にとられている一夏よりも早く、白式に何があったのか理解したのはセシリアだった。

 

 

「まさか……ファースト・シフト!? あ、あなた! 今まで初期設定だけの機体で戦っていたというの!?」

 

「よく分からないが、これでやっとこの機体は俺専用になったらしいな」

 

 

近接ブレードに目を見やると同時に、一夏の目の前に新しいモニターが展開され、近接特化ブレード『雪片弐型』の使用が可能となることが知らされた。

 

 

「雪片弐型? ……雪片って、確か千冬姉が使っていた武器だよな?」

 

 

使用可能になった武器が、現役時代に千冬が使っていた雪片と同じものだと気がつく。気がついた一夏はどこか嬉しそうに微笑み。

 

 

「俺は世界で、最高の姉さんを持ったよ」

 

 

そう呟いた。雪片弐型の刀身が二つに割れ、中からビームサーベルのようなものが出てくる。

 

 

「でもそろそろ、守られるだけの関係は終わりにしなくちゃな。これからは俺も、俺の家族を守る!!」

 

 

決意を新たにし、セシリアを見つめ返す。一方セシリアは先ほどから何かを呟いている一夏に、何を言っているのかと言い返す。

 

 

「はぁ? あなた、さっきから何を言って……」

 

「とりあえず千冬姉の名前は守るさ。弟が不出来じゃ、恰好がつかないからな!」

 

「あぁ、もう! 面倒ですわ!!」

 

 

 

 

一夏の様子に痺れを切らしたセシリアが、四発のミサイルを一斉に打ち出してくる。

 

 

「……見える!!」

 

 

襲い来るミサイルを飛翔しながらかわし、一つ一つ的確に撃ち落としていく。その姿は数分前の一夏とは比べ物にならないほど。スピードも初期設定の時とは圧倒的に違い、四発のミサイルをもってしても、一夏を捉える事が出来なかった。

 

一発も機体に掠ることなく真っ二つに切り裂かれたミサイルは、後方で爆発。

 

 

「行ける!」

 

「ああ!?」

 

 

ビット制御に集中していたセシリアは行動が出来ない。完全な立ち往生の状態になってしまった。立ち尽くすセシリアに向かって、勢いそのままに接近して、雪片弐型を振り下ろした。

 

 

(勝った!!)

 

 

今回こそ完全に仕留めたと、一夏は思っていた。

 

しかしその瞬間。

 

 

「試合終了。勝者セシリア・オルコット―」

 

「えぇ!?」

 

「はっ……?」

 

 

 

 

 

 

大きなアラーム音と共に、試合終了を告げる放送が流れた。

 



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ぶつかり合うプライド!! 大和対セシリア

 

 

 

「俺、何で負けちゃったんだ?」

 

 

 一夏とオルコットのIS戦が終わり、俺達が待機するピットに一夏が戻ってきた。一夏はどうして自分が負けたのか未だに分からないまま首をかしげている。負けたってことは一夏のシールドエネルギーが切れたってことだよな。でも別にオルコットの攻撃を受けたわけじゃないし、どこかに機体をぶつけたわけでもない。

 

だから俺にも一夏がどうして負けたのか分からなかった。負けた原因が分からずにいる一夏、及び俺と篠ノ之に、その場に居合わせている千冬さんがその原因を伝える。

 

 

「バリア無効化攻撃を使ったからだ。武器の特性を考えずに戦うからこんなことになる」

 

「バリア無効化?」

 

「相手のシールドバリアを切り裂いて、本体に直接ダメージを与える。雪片の特殊能力だ」

 

 

特殊能力ってことは一夏の機体のみの能力ってことか?

 

その名を単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)、機体との相性が最高になったときに発動する期待独自の特殊能力。確かそれって第二形態からしか発現しないんじゃ……。

 

一次移行しかしていない白式がなぜ、単一仕様能力を使えるのか分からずにいる俺をよそに、千冬さんは一夏に説明を続ける。

 

 

「これは、自分のシールドエネルギーを攻撃力に変える機能だ。私が第一回モンド・グロッソで優勝できたのも、この能力によるところが大きい」

 

「そうか。だからあの時、攻撃を受けたわけでもないのに、白式のエネルギー残量がゼロに……」

 

 

結論から言えば、一夏の能力は諸刃の剣ってことだ。当たったら一撃で相手を倒せる代わりに、シールドエネルギーを削るというデメリットがある。外したらおしまい、当たってこそ本来の凄さを発揮する能力らしい。

 

しかしよく考えてみるとえげつない能力だ、当たったら一撃で終わりってどんな能力だよ。

これでこの能力を一夏が使いこなせるようになった時のことを考えると、正直身震いがとまらない。順調にいけば、本当に千冬さんのようなIS操縦者になるかもしれない。

 

 

「ISはシールドエネルギーがゼロになった時点で負けになります。バリア無効化攻撃は、自分のシールドエネルギーを引き換えに相手にダメージを負わせる……いわば、諸刃の剣ですね」

 

 

やっぱりそういうことか。結局のところ強力な能力であることに変わりはないけど、使いこなせないままでは……

 

 

「つまり、お前の機体は欠陥機だ」

 

「欠陥機!?」

 

 

 欠陥機だと迷いも無くストレートに言われたことに、戸惑いの表情を浮かべる一夏。自分に与えられた専用機が欠陥機呼ばわりされたら誰でもこうなる。与えられた方の身としては、普通に考えたらたまったもんじゃない。

 

欠陥機かどうかは分からないけど、大幅にシールドエネルギーを使う攻撃って考えれば当たらなければ意味がない。かといって攻撃を外してエネルギーが戻るかと言われれば戻るわけでもない。欠陥機……と認識されてもおかしくはないか。

 

 

「言い方が悪かったな。ISはそもそも完成していないのだから、欠陥も何も無い。お前の機体は、他の機体よりもちょっと攻撃特化になっているということだ」

 

「……はぁ」

 

 

 一夏は話の全貌を理解し、大きくため息をはきながら落ち込んだ表情を浮かべる。もう少し考えて闘っていればだとか、絶対勝つって言ったのに負けただとか、色々な思想がごちゃ混ぜになって、落胆の色を隠せない。

 

 

「元気出せよ、一夏。絶対勝つって言って負け方があれだったのはまぁ……」

 

「元気付かせるつもり無いだろお前!?」

 

「無いな」

 

「ヒデぇ!?」

 

「冗談だ。そんなこの世の終わりみたいな顔するなよ。代表候補生を後一歩まで追いつめたんだ、大金星だろ?」

 

 

落ち込む一夏を元気付かせることに、多少からかいの意味を込めて励ます。

俺の励ましに、一夏は絶望したとでもいうかのように、その場で立膝をつく。千冬さんに山田先生、それに篠ノ之もいる前でよくそんな恥ずかしいポーズ取れるな……って言っても仕方ないか。ただ代表候補生を追い詰めたのは素直に褒めれるところだ。負けたとはいえ、大方の見解を覆したことに変わりない。

 

『男は決して弱い生き物ではない』

 

間違いなくそれを証明出来たはずだ。

 

一夏がこうして健闘したわけだし、トリを飾る俺も無様な姿を見せるわけにはいかない。一夏の闘っている間に、俺が使う訓練機の打鉄も届いたことだし、残されているのは俺だけ。

 

やってやろうじゃないか。

 

 

「大金星か……?」

 

「俺から見れば……な。でも正直悔しいだろ?」

 

「ああ、勝たなきゃ意味がない。どんなに善戦しても負けは負けだ」

 

 

一夏の表情は、善戦したことに喜ぶものではなく、今回の結果には納得がいかない不満げなものだった。モニター越しに聞こえてきた一夏の「千冬姉の名前は守ってみせる」という一言。あれは自分の姉の名に泥を塗らないという意味だけではなく、自分も織斑千冬という存在を守るっていう決心の現れだったと思う。

 

そこまで言ったのに結果は負け。いくら雪片の特性を知らなかったとはいえ、それは一夏自身にとって言い訳に過ぎないと思ったようだ。

悔しい……その思いが拳の震えとして現れている。悔しかったら強くなればいい、次は絶対に勝つと一生懸命になればいい。

 

 

「なら、その敗戦を糧にすればいいさ」

 

「おう! 絶対次は負けねぇ! 箒もありがとうな!」

 

「は……こ、こんなところで何を言ってるんだお前は!?」

 

「え? いや。剣道を押していくれた事に、ただ感謝しただけだぞ」

 

「なっ!? う、うむ……そうか。感謝しているのか……」

 

 

 一夏のいきなりの感謝の言葉に、篠ノ之はみるみる顔を赤らめていく。一夏がこうして善戦出来たのも篠ノ之が一週間、みっちりと稽古をつけてくれたこともある。

 

しかしこの場でラブコメとは良い度胸してるな二人とも。二人が眩し過ぎて、俺には何も見えない。

 

場違いすぎるラブコメに怒っているわけじゃないぞ? あぁ、そうですとも。怒っているわけじゃないから安心してくれ。ふふふふふ……

 

握りこぶしをゴキゴキとならしながら、オルコットとどう戦おうか考えている。一夏と篠ノ之の顔がひきつっているが気にしない。

 

 

「えーっと……大和さん?」

 

「どうしたんだ一夏?」

 

「いや、それはこっちのセリフでだな。何を怒って……?」

 

「ははっ♪ 気のせいじゃないかな、面白いこと言うね一夏は?」

 

「お前そんなキャラだったっけか!?」

 

 

モテる男は馬に蹴られればいい。モテるって羨ましいな一夏。俺今猛烈にスイカ割りがしたいんだけどやらないか、釘バットで。もちろんスイカ役が一夏で、俺が振り下ろす役だけど。

 

などといくら願望を唱えたところで、そんなに世の中うまくいくようには出来ていない。泣けるぜ……。

 

一夏に対する愚痴はこの位にして、俺は俺で次の戦いに備えることにしよう。山田先生が一夏に白式のISの教則本を渡し、そのあまりの厚さに顔を真っ青にするのを無視しながら、腕を組みながらその様子を見つめている千冬さんに声をかけた。

 

 

「織斑先生。俺とオルコットの開始時間はいつですか?」

 

「今オルコットがエネルギー充電を含めたメンテナンスをしている。それが終わり次第、すぐに行ってもらう。予定では十五分後だ」

 

「了解です」

 

「打鉄に乗って雰囲気に慣れておくのもいいだろう。どうする?」

 

「じゃあお言葉に甘えてそうさせてもらいます」

 

 

 残っている時間を有効に使わない手はない。搭乗許可も下りたことだし、打鉄の乗り心地を再確認しておくとしよう。千冬さんに促されるままに到着した打鉄の前に立つ。

 

俺の専用機は、残念ながらしばらく時間がかかるとの事でまだ届いていない。いつ届くのかはまだ未定のため、気長に待つことにする。元々訓練機で戦う気だったから、届いていないのも想定内だ。

 

 この打鉄に触れるのも、二週間ぶりぐらいか。代表戦が決まってから一週間、ずっとISに乗るどころか触ることすらなかった。条件は一夏と同じくぶっつけ本番、一夏と違うところは専用機か訓練機かの違いだ。

一夏も一度も乗ったことのない専用機で戦ったわけだし、俺も一回乗ったことのある訓練機で根を上げるわけにはいかない。

 

オルコットの機体が遠距離射撃型に対し、打鉄の性能は一夏の白式と同じように近距離格闘型。

遠距離からではこちらの攻撃は当たらない上に、向こうからは攻撃され放題。さっきの戦いで一夏が接近戦で活路を見出したように、勝つ糸口は接近戦にある。後はあのややこしいビットの攻撃をどうするかだけど……これも深く考えたところでどうしようもない。

 

来たらかわす、それに尽きる。攻撃を完全に把握するなら死角をなくせばいいけど、複数の目がない限り死角をなくすことなんて出来ない。ようは不可能、対処法はハイパーセンサーを活用することぐらいだ。

 

つっても確実性があるとは言えないんだよなこれも。いくらセンサーがあるのはいえ、時間が長引けばこちらの集中力も散漫になるわけだし、すべての状況に置いて正しい判断が出来るとは限らない。

 

あまり考えずに行くこと、やっぱこれが俺に一番合うみたいだ。

 

 

「……まっ、やるとしますか!」

 

 

 意を決し、待機状態にある打鉄に手をかざす。初めに起動したときと同じように、ピットがまばゆい光に包まれた。あの時と決定的に違うのは、これが何なのか分かるということ。武器の出し方も、何もかも。触れた途端に頭に入り込んでくる機体データ、膨大な情報も苦しいことも無くすんなりと受け入れることが出来る。

 

一通り確認すると一夏と同じように座席に座りこむ。ISが起動し、フォーマットとフィッティングを身体に施していく。

 

――PIC正常動作確認――

 

――ハイパーセンサー正常動作確認――

 

――シールドバリアーエネルギー充填完了――

 

機体に異常がないことを示すモニターが次々と表示され、最後に追加装備の画面が映し出されるが、追加装備は打鉄に存在しない。使えるのは基本装備である近接用の刀一本のみ。すべての行程が終わり、俺は一旦自身を無にし、居合の構えを取りながら武器のイメージを思い浮かべる。量子変換されているブレードを取り出すためだ。

 

初めて千冬さんと実戦をやった時には、武器を取り出すことに苦労した。そこで教えてもらったのが、武器をどうイメージするかだった。俺たちにとって刀は必ず鞘から取り出すもの。だったらそれを応用し、刀を鞘から取り出すイメージで具現化してやればいい。

 

卓越したIS乗り……代表候補生や国家代表レベルになると武器を展開するのに時間が一秒とかからないという。

 

ともかくそのイメージが染みついているか、反復練習のために一度武器を取り出してみる。剣を鞘で走らせるように出す動作をすると、量子変換されていたブレードが展開された。

 

 

「よし……」

 

 

一回取り出したブレードを消失させ、今度はノーモーションでの展開が出来るように、一度軽く息を吐いて目をつむる。

 

大切なのはイメージだ。あくまでモーションがないというだけで、考えることは変わらない。刀を居合のように引き抜くイメージを忘れないように。

 

……行ける!!

 

 

「―――っ!!」

 

 

 自然体を取っていた俺の右手には再び具現化されたブレードが握られていた。ノンモーションで展開をすることは出来るようになっている。千冬さんに教えられたことは無駄じゃなかったようだ。確実に俺の力になっている。

 

一連の行動を見ていた千冬さんが、俺の近くへと寄ってくる。表情は変わらないまま、下から上へ視線を移動させると、少し満足したかのような表情を浮かべながら話しかけてきた。

 

 

「……久しぶりのIS稼働にも関わらず、前回より武器の展開が進歩している。そこはいいだろう」

 

「ありがとうございます」

 

「だが、まだ遅いな。もっと早く出せるようになれ」

 

 

 ノンモーションからの展開が出来るようになったのは良かった。ただイメージしてから展開までにかかった時間は、一秒弱。これではまだまだ遅すぎるし、本当の実戦では使い物にならない。コンマ何秒の差が勝敗を分ける世界だ、まだまだ精進する必要がある。ノンモーション展開が出来るようになったのは収穫、ただまだ早さが足りない。これからは展開までの早さを意識して行こう。

 

 

「複数対人でも無類の強さを誇るお前も、ISとなるとまだやりにくいか」

 

「ですね……正直まだ分からないことだらけですし、何よりもISに関する知識がまだまだ足りないです」

 

「しかし戦闘で負けるつもりはないのだろう?」

 

「はい。これでも一応プライドはあるんで」

 

「ふっ、そうか」

 

 

 千冬さんは口元をニヤリとさせて、笑みを浮かべる。その視線は「ISでも私を凌駕することを期待している」とでも言いた気だ。世界最強の名、ブリュンヒルデ……絶対に近い将来超えてみせる、必ず。

 

 

「おーい大和!」

 

 

 ラブコメが終わったのか、一夏と篠ノ之が俺の元へと近づいてくる。こっちはすでに準備は万端、いつでも戦える状態にあった。近寄ってきた一夏の手には分厚いISの教則本が握られている。専用機を与えられた人間は皆これを読んでいるのかと思うと、正直もらいたくなくなってくる。

 

具現化していた近接ブレードをしまい、改めて一夏の方へと向き直る。

 

 

「おう、大変そうだな一夏」

 

「ああ。見ろよこれ……授業も全く分からないのに、マジで頭パンクするかも」

 

「安心しろ、そう簡単に人間の頭はパンクしないから」

 

「だといいんだけどな……」

 

 

 専用機を受け取ったことでさらに覚えることが山積みとなり、これから先の苦労を想像して肩を落とす。IS教則本って英語辞書か何かかこれ、これを毎回持ち歩くと考えると鞄の中が恐ろしいことになりそうだ。よく見ると右端の方に『Vol.1』って書いてあるし、もしかしなくても一冊じゃないってことだよな教則本って。

 

多分一夏も一冊じゃないことをを想像したんだろう。果たしてこれから授業と並行してついて行けるのか、心配だな。

 

一夏の落ち込む表情に苦笑いを浮かべていると、その隣にいた篠ノ之が一歩前に出てきた。

 

 

「ところで霧夜。お前の方はどうなんだ?」

 

「ん、何がだ?」

 

「コンディション的なところを聞きたくてな、オルコットに勝つ見込みがあるのかどうか……」

 

 

 ここまで黙っていた篠ノ之が口を開いた。見込みか……普段俺が生身でやっていることをISでも再現出来れば行けるはずだ。

 

慢心というものはないし、戦いにおいて手加減する気も全くない。やるなら全力で完膚なきまでに叩き潰す、オルコットのプライドをへし折るくらいに。

 

プライドをへし折ることが、あの時の恨みかと言われればそうかもしれない。確かにあの時は腹が立ったさ、大切な家族をロクデナシとバカにされ、お前に何が分かるのかと。

今でも思い返せば苛立ちはあるが、別に何かをしてやろうという気は毛頭ない。仕返しをしたところで、単なる俺のうっ憤を晴らす以外何にもならないからだ。

 

オルコットがたとえ一週間前のような行動を起こさなかったとしても、戦闘においての考え方は変わらない。今の状況はオルコットが相手、倒すべき敵であり、情けをかける必要はない。

 

篠ノ之の勝つ見込みがあるかとの問いに、俺は自信を持って答える。

 

 

「……あるさ。絶対に勝ってみせる」

 

「そうか。……お前は私を剣道で圧倒してみせたんだ、その戦いぶりしっかりと見させてもらうぞ」

 

「ああ、見ておけ。本当の戦いってやつをな」

 

 

見せてやるさ、俺の戦い方ってやつを。

 

今一度目を閉じ再度全神経を集中させる、自分のスイッチを切り替えるためだ。もう十分以上経っているし、そろそろオルコットの準備も整うことだろう。

 

頭の中から多くの思考が消え、戦う姿勢のみが残る。まっすぐ見つめるはピットの先、アリーナの空中だ。まだオルコットも現れていない、だからガラス張りの透明天井からのぞく青空が見えるだけだ。

 

 

―――自分の世界に入り浸っていると、千冬さん宛てに通信が届いた。

 

 

「……分かった。霧夜、オルコットの準備がもう終わる。お前も準備を整えろ」

 

「はい」

 

 

 通信でオルコットのメンテナンスが終わったことを確認した千冬さんは、打鉄を身にまとい、準備が完了している俺に声をかけてきた。

 

覚悟は出来た。視覚補助のハイパーセンサーが起動し、遠く離れた粒子レベルのホコリまでも正確にとらえることが出来る。

 

 

「大和!」

 

「何だ?」

 

 

出撃しようとした矢先、一夏から声が掛けられる。

 

 

「……絶対勝ってこい!」

 

 

 かけられた言葉は激励だった。俺が一夏を見送った時に拳と拳をつき合わせたように、今度は一夏が俺に向かって素手を突き出してくる。一瞬どうすればいいか分らなかったものの、一夏の意図をすぐに理解すると笑みを浮かべながら、一夏の拳に打鉄装着状態の拳をつき合わせた。

 

勝利の儀式も終えたことだし、本気で勝ってくるとしよう。

 

 

「ああ! 行ってくる」

 

 

一気に打鉄を加速させ、勢いそのままに空中に飛び立った。

 

 

 

スピードをつけたまま、アリーナの中心付近に移動し静止する。アリーナの中心に立つのは二度目、でもこうして空中に待機するのは初めてだった。リラックスした自然体で、反対側のピットからオルコットが出てくるのを待つ。さっきの一夏との戦いで六つのビットは全て破壊されているわけだし、予備の部品を装着するのにも相応の時間がかかっているんだろう。

 

こうして一人先に来て空中待機するのも、なかなかシュールで気分のいいものだ。まだオルコットも来ていないことだし、空中からみたアリーナを見てみるとしよう。

 

 

「ほぼ全方位見渡せるなんて便利だよな、ハイパーセンサーって」

 

 

 ISに乗る乗れない以前に、こういう全方位を見渡せる装置を是非一家に一台欲しい。車とかに装着されるようになったら結構便利ではないかと思う。人間の目が付いている位置が前だから、どんなに目が良くても後方を見ることは出来ないし。

……まぁISを一機製作するのに、国家予算レベルの資金が必要になるから実装するのは無理だろうけど。

 

さて、そんな便利なハイパーセンサーを使ってアリーナを見渡す。観客席にはクラスメイト達が押し寄せて、俺の方へと視線を送っているのが良く分かる。あそこの袖がダボダボな制服を着ているのは……あぁ、布仏か。

 

 

俺の方に向けて手をヒラヒラと振っていることに気が付き、こちらからも布仏側に向けて手を振り返してやる。すると自分の行動に気が付いてくれたことがうれしいのか、満面の笑みを浮かべながら両手で手を振ってくる。袖に隠れているせいで、手自体を見ることは出来ないけど。

 

で、その布仏の両隣にいるのは……谷本と相川だな。こちらも布仏と同じように手を振ってくれている。いや、嬉しいことで。

 

あれ? 布仏は何やっているんだろう。急に手を振るのをやめたかと思えば、今度は屋根の陰に隠れて見えない位置に移動してしまった。同じように谷本と相川も布仏につられるように、陰に隠れてしまう。

 

良く分らないけど、騒ぎすぎだと注意でもされたのか。でも手を振っていたくらいだろ?

それくらいじゃ注意されないよな普通。そんなんで注意されるんじゃ、カラオケ行ってうるさいって注意されるのと同じこと。

騒いでいい場所で騒いで注意を受ける、ようは理不尽だ。

 

まぁでも、注意されたのなら仕方ないか。ってこれじゃ俺が女の子に鼻の下伸ばしている奴みたいだ、いかんいかん。

 

 

「……お?」

 

 

 三人が引っ込んだ後代わりに出てきたのは、相川と同じように夕食の時に知り合った鷹月だった。三人と同じようにこちらに笑顔で手を振ってくる。手を振り終えると後ろ側を振り向き、何やら手招きしているようにも見えた。

 

その手招きをしてすぐ、先ほど居なくなった谷本と相川の姿が映る。あれ、やっぱり注意されたわけじゃなかったのか。そして二人の顔の向きも鷹月と同じように、後ろを向いている。それどころか意地悪そうな笑みを浮かべて、両手で何かを掴んでいるように見えた。というよりあれは絶対何か掴んでいるよな?

 

二人に引っ張られるように、引っ張られている人物が露わになってくる。引っ張られている中心を目を凝らし、ジッと見つめているとやがてその姿が完全にガラス越しに出てきた。ワタワタと慌てながら、戸惑い気味な表情を浮かべる女の子。何をしたのか、顔が若干赤らんでいた。赤らんだ顔に見覚えがあった、あっけにとられながら本人の名を呟く。

 

 

「……鏡か?」

 

 

間違いなく二人が引っ張ってきた人物は鏡ナギだった。鏡の後ろには布仏がいて、鏡の背中を笑顔で押している。もしかして三人が一回下がったのは、鏡を連れてくるため……?

理由が分からないでいる俺に、ガラス越しに手を振ってきた。控え目に恥ずかしがりながらおずおずと手を振る光景に、思わずこっちも顔を赤らめてしまう。

 

ピットから飛び立つ際の気合はどこへやら、オルコットを待っている間にその気合もどこかに消え去ってしまった。

 

 

「……」

 

 

 相変わらず恥ずかしがりながら手を振ってくる鏡に、四人にしたのと同様に手を振り返す。気合こそ薄れてしまったものの、女の子にここまで応援されたら絶対に負けられないという気持ちが身体の底からわき上がってきた。勝利の女神が見守ってくれているんだ、絶対に負けるわけにはいかない。

 

さて、そろそろオルコットも来る頃だろう。今一度気分を戦闘モードへと切り替え、オルコットのピットを見つめる。すると見つめてから数秒もたたないうちに、ピットから青基調の機体が現れた。その機体は間違いなくオルコットのもので、アリーナに飛び出てから一直線に移動し、俺の目の前に立つ。

 

 

「……お待たせしました」

 

「あぁ、待ちくたびれたぜ。専用機って整備にも時間がかかるんだな?」

 

「……」

 

「ん?」

 

 

 ようやく出てきたかと思えば、先ほどまでの元気は今のオルコットにはなかった。オルコットの状態を見てそういえばと気がつく、一週間前に俺はオルコットに対してブチ切れたということを。

オルコットからすれば、いけしゃあしゃあと会話を交わすことなんて出来るはずもない。こっちはこっちで倍返しで返すなんて言っちまったし、どうしたもんか。

 

ただ無言で俯かれたままっていうのも気まずいな。せめてさっきの一夏に対しての態度だったら、気まずさなんてものも無いし、すんなりと戦闘に入れただろう。今俺の目の前にいるオルコットは、少なくとも俺の想像と一致する人物ではなかった。

 

 

『―――両者、戦闘準備をしてください』

 

 

スピーカーから戦闘準備を促す放送が入る。アナウンスを確認すると、俺は先ほどのイメージ通りにノーモーションで近接ブレードを展開した。

 

特に問題もなく展開出来たことに胸をなでおろし、ブレードに向けていた視線をこんどはオルコットの方へと向ける。

 

 

「……?」

 

 

こちらはもうすでに準備は万端だというのに、アナウンスが入ってもなおオルコットは武装を展開していなかった。放送が聞こえなかったなんてことはないだろうし、本当にさっきからどうしたのか。少し不安になった俺は、オルコットに対して声をかける。

 

 

「おい、オルコット。アナウンスが入ったぜ?」

 

「わ、分かってますわ」

 

 

 返す言葉もどこかぎこちない。これって怯えているたけではなく、惚けている感じがするんだが……。俺の言葉でようやく、先ほどの一夏戦で使っていたレーザーライフルを展開する。

しかしライフルを展開した後もオルコットの表情は晴れないままだった。とりあえずオルコットの心配は後でも出来るし、今は俺も自分の方に集中することにしよう。

 

俺が今持っているのはIS専用のブレードということもあり、少々普段のものよりも使いずらい。いつものような戦い方が出来ないのにはやりずらさも感じるかもしれないが、同じ長い獲物を使っていると考えれば大丈夫。

あくまでこれはISを用いた戦闘であり、命をかけた仕事ではない。そう考えるだけで幾らか気分が楽になっていった。

 

ISブレードを片手に持ち直し、剣先を地面の方へと向ける。体を前傾姿勢に倒して、臨戦態勢をとった。

 

 

「じゃあ、始めようか」

 

「っ!! 行きますわ!」

 

 

俺の一言が戦闘開始の合図となった。

 

俺の声に真っ先に反応して、先に動いたのはオルコットだった。

声と同時にライフルを構え、そして俺に向けて撃つ。発射音とともにレーザーが俺に向かって飛んできた。

メイン武器ということもあり、一発一発の攻撃力は高く、クリーンヒットすれば大きなダメージを負う。しかし当たればってだけで、当たらなければどうということはない。

 

飛んでくるレーザーの軌道を変えることは出来ない。直線に飛んでくるレーザーから身体の軸をずらし、初撃をかわした。かわした俺の右側をレーザーが通過していく。

 

 

「!!」

 

 

 レーザーをかわされたことに多少驚いたオルコットだったが、その表情には慢心というものが一切なかった。相手を舐めていたら自分もやられる、一夏との戦闘で学んだのだろう。

すぐにスコープを覗きながら二発、三発と撃ち込んでくる。エネルギーが許す限り、オルコットの様子を観察してみよう。もしかしたら一夏の時には使わなかった技を持っているかもしれない。

 

今度は軸をずらさないように後ろに後退し、大きく旋回しながらレーザーが被弾しないようにかわしていく。

ある程度距離をとることで、レーザー兵器は当たるまでの射程は長くなる。よってこちら側から目視できる時間が長くなり、回避することは容易になる。

 

となると、間違いなくビット兵器を使ってくるはずだ。オルコットの真骨頂はビット兵器を使って相手を撹乱し、相手がかわせない状態にまで追い込んでライフルを撃ち込むというもの。

ビットを操作中は他の行動が一切とれなくなるが、相手を追い込んでしまえばビットを制御する必要もなくなる。逆にこちらとしては、その状態にいかに追い込まれないように行動するかがミソになってくる。

 

 

「相変わらず狙いは正確……やっぱりブレねぇな」

 

 

 たとえ俺に攻撃をかわされたとしても、その射撃能力に狂いが生じることはなかった。追い込まれないように行動するのは、実際にやってみるとかなり難しい。今の状態では接近すること自体が困難な上に、少しでもこっちの回避が遅れればたちまち餌食になる。

 

何度も攻撃をかわしていくことで、徐々にではあるが、オルコットとの間合いが離れていった。

 

 

「お行きなさい! ティアーズ!」

 

 

 俺との距離が一定以上離れ、ライフルを連射しても確実に当てることが難しくなったオルコットは、非固定ユニットからブルー・ティアーズ本体を展開させて攻撃を仕掛けてきた。

オルコットの声と共に四基のビットが俺の四方を囲い、それぞれに攻撃を撃ってくる。

オルコットの意思で思いのままに攻撃が出来るこの兵器は、近付かなければ攻撃が出来ない身からすれば天敵そのもの。照準を合わされないように、目を凝らして攻撃を避けていく。

 

 

「……こりゃやっかいだな」

 

 

モニターから見ていた時点でかわすことが困難な兵器だとは思ってはいたけど、実際に攻撃を目の当たりにすると想像以上だった。

 

ハイパーセンサー越しでも相手が把握しにくい、一番遠い場所から正確な射撃が飛んでくる。

いくら遠距離射撃型のISとはいえ、相手の把握しにくい場所から確実に相手を狙えるようになるのは、誰もが出来ることではない。オルコット自身、血の滲むような努力をしたんだと思う。

 

 

「くっ……」

 

「そこですわ!」

 

 

 少しでも体勢を崩そうものなら、容赦なくビットからの攻撃が飛んでくる。しかし気のせいか、先ほどまではきっちりと判断していればかわせていた攻撃が、徐々にではあるがギリギリになっている気が……。

 

 

「右ががら空きですわ!」

 

「げっ!?」

 

 

 攻撃を大きく回避しすぎたため、次の行動への第一歩が僅かばかり遅れてしまった。一瞬の判断ミスが命取りとなる、オルコットはその隙をついてライフルを構え、俺に向かって打ち出してきた。

 

 

「くそっ!!」

 

 

 声に出るよりも先に、身体が動いてくれたことが功を奏した。身体を左側にずらし、辛うじて直撃を免れる。

とはいえ今の攻撃で右腕に攻撃が当たったため、シールドエネルギーを少しばかり持っていかれてしまった。直撃させれなかったことが悔しいのか、オルコットの表情が歪んだいく。

 

だがそれ以上に俺の表情は歪んでいた。

 

 

「……気のせいなんかじゃないってことかい」

 

 

無意識に舌打ちが出てしまうような出来事が起こっている。

 

さっきから感じていた違和感は、俺の間違いでは無かった。モニターで見た時なんかよりも、ビットの射撃精度が確実に上がっている。

漠然と撃ち込んでいた一夏との戦いから一転し、相手のかわす方向を予測し、避けにくい位置に撃ち込んできていた。

 

試合を重ねることに成長するか……大したものだ。でも俺も啖呵を切った手前、負けるわけにはいかない。だからこそ、もう少しこの回避行動を続けさせてもらう。俺の策が上回るか、オルコットの技術が上回るか、賭けに出るとしよう。

 

 

 空中で四方から襲いくるビットの攻撃をかわしつつ、アリーナの天井高くまで飛んで行く。ある程度の高さまで上昇すると、今度は機体を反転させて地面に向かって急降下した。

 

急降下していく俺の後をビットが追ってくる。ビット兵器も射程距離が無限というわけではなく、必ず射程圏に相手がいなければ攻撃を当てることは出来ない。

現にオルコットは追跡の命令は送っているものの攻撃の命令は送っていないようで、ビットが攻撃してくることはなかった。

 

俺を射程圏に捉えきれていないということになる。それを確認すると、ある程度余裕を持たせてその機体を上昇させていく。ブルー・ティアーズの特性はもう大体理解した、後はこっちが攻撃に移るだけだ。

 

 

「逃げてばかりでは勝てませんわよ!」

 

「分かっているさ」

 

 

 いつまでも逃げているつもりはない。上昇させたまま、俺はそのままオルコットに向かって突進していく。ビットから撃ち出されるレーザーが俺の行く手を阻むかのように、前後左右から襲いかかってきた。

左右上下と攻撃を最低限の動きでかわすことで、相手に決定的な隙を与えない。少しでも無駄な動きをすれば、オルコットはそこを狙ってくる。

 

神経を研ぎ澄まし、集中力のすべてを視覚と聴覚に注ぐ。真横から襲ってくるビットに一気に接近し、ブレードを薙ぎ払う。ビットは真っ二つになり、本来の動きを失った。

 

が……。

 

 

「かかりましたわね! 後ろががら空きですわ!」

 

「しまった!?」

 

 

ビットの数を減らす方に意識を集中させすぎたか、残っている三基のうち一基が俺の後方に位置づけた。

このままでは例え避けれたとしても、その後の行動は後手に回ってしまう。オルコットは僅かな隙を見つけて仕留めるタイプ、俺はまさに今その術中にハマろうとしていた。

 

 

「……なんてな」

 

 

この切羽詰まった状況にも関わらず、出てきたのはニヤリとした薄笑いだった。

 

 

俺の後ろにビットを位置付けさせたのも、はめられたと思って焦る表情をしたのも全て予想通り。今の状況でオルコットに背を見せれば、背後にビットを配置すると。

 

仕留められるのなら複数のビットを無理に全部使う必要などないし、攻撃力が高いとはいえ、わざわざスコープを覗くモーションが入るライフルを使う可能性も低い。

その間に俺が気付けば避けられる可能性も高くなるからだ。

 

さっきもビット攻撃で作った隙に、ライフルによる攻撃を撃ち込んできている。オルコットからすれば僅かな隙でも、十分に仕留められると判断したのだろう。だがその予想を俺が覆し、直撃を回避した。

 

これによってオルコットの中では、多少の隙ではかわされてしまうのではないかという思考が生まれる。当然オルコットも、俺が高威力のライフル攻撃を警戒しているのは知っているはず、よって使いづらくなる。

 

今の俺の行動は確かに隙にはなっているが、ライフル攻撃のことは常に頭に残っていた。多少のダメージは免れなくとも、大ダメージを被る直撃を回避することは出来る。

 

 

オルコットの元に一基を残した他のビットは戻り、主力のライフルの構えも解いていた。

 

俺が攻撃をせずに回避に専念し、アリーナをフルに使い続けた理由。

それはオルコットを油断させ、俺とビットとオルコットが対角線上に来るように仕向けた俺の罠だった。

俺がわざわざレーザービットの一つを破壊しに行ったのには、位置を調整させるためで元々想定内の行動だったわけだ。

 

そしてその時はやってきた。ビットを戻し、攻撃が手薄になった今がチャンス。振り向きざま、命令が下される前にオルコットめがけて近接用ブレードを投げつける。

 

 

「なっ!?」

 

 

捉えたと思い油断していたオルコットは、予想外の攻撃に驚きの声を上げた。

 

投げたブレードがビットを破壊し、回転しながら勢いそのままにオルコットへ向かっていく。俺の背後を取ったことで少し油断したのだろう。このまま避けなければ俺の攻撃が当たり、追撃を食らう可能性もある。

近接武器の特性は無防備の相手に近付けば、いくらでも攻撃を加えることが出来る。ましてやオルコットの機体は遠距離射撃型、近接戦闘では圧倒的に不利だ。

 

慌てて避けようとするが、遅い。IS本体の動きを眼で追って回避位置を予測することなど、俺にとって難しいことではない。近接ブレードを追うようにオルコットの目前へと接近した。

 

 

「捕まえたぜ!」

 

 

回避地点のオルコットへの接近に成功した俺は、そのまま右腕部分をつかみ、背負い投げの要領で地面に向かって投げ飛ばした。

 

 

「キャッ!?」

 

 

投げ飛ばされたオルコットは悲鳴をあげ、そのまま地面に向かって落ちていく。すぐさま旋回して自分の投げたブレードを手に取り、急降下でオルコットを追っていく。

 

 

「近接ブレードを投げるだなんて、むちゃくちゃしますわね!」

 

「生憎、予想外なことをしないと勝てないと思ったんでね!!」

 

 

とはいえ、今回の作戦はギャンブル要素が非常に強いものだ。次戦う時にオルコットが今回のような油断をするかと言われればノーだし、たまたまうまく行ったに過ぎない。あくまで勝負は駆け引きであり、どっちに転ぶかは最後まで分からない。

 

相手を撹乱して自分のペースに引き込み、どれだけ相手のリズムに乗せられないか。オルコットの戦闘スタイルは確立されていて、相手をビットで攻撃するときには必ず一番遠いギリギリの場所から攻撃してくる。

相手の盲点を突いてくる戦法だが、逆を言えばそこからしか攻撃を加えてこない。だからパターンが違えど、相手の盲点から攻撃するという、基本的な鉄則を守っているために読みやすい。

 

ただあくまでオルコットも成長途上の身、操縦技術が上がっていくにつれていずれ克服してくることだろう。

 

 

「くっ、ティアーズ!!」

 

 

 オルコット自身ももうなりふり構っていられない。ビットから残っているミサイルとビットの四基が展開され、それが俺目掛けて襲ってくる。今のオルコットには、最初の集中力は残されていない。連戦に加えて数々の予想外。インターバルを挟んだとはいえ蓄積した疲れはある。

 

目に見えて分かったのは動揺だった。受けた動揺と疲労が、展開されたミサイルやビットの動きは単調にさせる。特にオルコットの動揺を誘ったのは、先ほどの行動だった。

何度も言うように自分のペースに乗せ、確実に相手を仕留めるのがオルコットの戦闘パターンだ。あの時、彼女は自分の策に完全に相手が引っ掛かった思い込んでいる。しかし蓋を開けてみれば自分が俺の策に乗せられてしまっていた。

 

―――策士策に溺れる。それに気付かされた時の動揺は計り知れない。

現に先の戦いで見せたようなキレも、序盤に見せた正確さも既に無くなった。この動揺を誘い出すことが今回の目的、そして相手を仕留めるための数少ないチャンスだ。このままおいそれと逃すわけにはいかない。

 

……なら!

 

 

「はああぁぁぁ!!!」

 

 

 前進して向かってくる二発のミサイルを両断。そして俺の目の前に現れたビットの一つをブレードの突きで破壊した。

残されたビットが俺の背後をとり、レーザーを発してくる。ハイパーセンサー越しに動きを確認し、すぐに振り向いてこれを左右にかわしながら接近し、最後のビットも叩き伏せた。

 

単調な動きのものほど、攻撃しやすく避けやすいものはない。自分の攻撃が単調になったことに気付いておらず、目の前で起きた事象に驚きの声をあげる。

 

 

「そんな!?」

 

「驚いている時間はないぞ!」

 

 

ビットを全機破壊した勢いそのままに突っ込んでいく。

 

これ以上長々とやるつもりはない、ここで一気に決める。強い思いを胸に突入する俺に、オルコットはライフルを向けた。

 

 

「まだですわ!」

 

 

まだ諦めない、強い意志を見せながらレーザーを放ってくる。直線上にしか撃てず、軌道を変えられないことが最大の弱点のライフルだが、一度スピードに乗った機体が、高速で向かってくるレーザーをかわすのは難しい。

 

おそらく今からかわしたとしても、身体のどこかに直撃するだろう。俺はかわすことなくそのまま突っ込んでいく。

 

 

「わざわざ自分から突っ込んでくるなんて、笑止ですわ!!」

 

「あぁ、普通だったらな」

 

 

一か八か、出来るかどうかは微妙だったが、この際何でも試してみる価値はある。レーザーに向かってまっすぐ直進していき、手にしたブレードを真上に振りかぶると、そのレーザーを強引に切り裂いた。

 

 

「なっ!! レーザーを!?」

 

「甘いぜ、これくらいじゃ俺は止められねぇよ!」

 

 

一足一刀の間合いに飛び込むことに成功し、踏み込んでブレードを横に振りかぶる。この距離だったらミサイルもライフルも撃つことは出来ない。

ミサイルを撃とうものなら、自分まで爆風によるダメージを受けることになる。確実な試合運びをするオルコットが、わざわざ自滅するような行動を取るわけがない。

 

 

「い、インターセプター!!」

 

 

オルコットが叫ぶと右手には接近戦用のショートブレードが展開される。そのブレードで辛うじて、俺の薙ぎ払いを防ぐ。やっぱりまだ隠していたか……でも接近戦じゃ負けない。

 

―――この距離は俺の間合い(テリトリー)だ。

 

 

「はぁっ!!」

 

 

素早い動きで縦一閃、その返し刀で一閃。ひるんだところにノンモーションで突きを何度も入れる。相手に攻撃を避けられるのなら、相手が反応できないスピードで攻撃を加えればいい。

縦横斜めと縦横無尽に斬撃を繰り返すと、オルコットのガードが崩れる。

 

ガードが崩れた所に再び、斬撃を加えていった。

 

 

「うおぉぉぉおおおおおおおっ!!」

 

「ああっ!?」

 

 

 ハイパーセンサーによる視覚補助が入っているとはいえ、目の前で素早く展開される攻撃をかわしきることは困難だ。攻撃を目視してかわすには、動体視力が必要になってくるからだ。ハイパーセンサーは視覚を広げることが出来ても、動体視力を飛躍的に高めることは出来ない。

オルコットは決定打を与えられないようになんとか距離を取ろうと離れたり、ショートブレードを使って防ごうとするが、一回踏み込んだ間合いをそう易々と離れさせるわけがない。

 

斬撃の途中で、オルコットの手にしていたショートブレードを弾き飛ばす。これでオルコットは自分の視力に頼るほか回避の手段はなくなった。

 

 

「はぁっ!!」

 

「きゃああああああ!?」

 

 

左足でオルコットの機体を思い切り蹴り飛ばした。蹴り飛ばされた機体は蹴られた勢いそのままに、アリーナの壁に激突し、ガラガラと大きな音をたてて壁が崩れ落ちる。

 

砂埃が一面に舞い上がり、着弾地点一帯を包み込む。上空から見下ろした感じでは姿を確認することは出来ず、オルコットが今どのような状況になっているのか判断することは出来なかった。

 

ハイパーセンサー越しにアリーナ全体の状態が映し出される。いくらなんでも代表候補生に勝つのは無理なんじゃないか、そう思っていた子ばかりだったと思う。アリーナを眺めるクラスメイト達の表情は驚きに包まれていた。

 

ISに数回しか乗ったことのない男性。ましてやISに関する知識も入学してから学んでいるというのに、結果は皆が想像していたものとは違った。敗戦ながらも代表候補生をあと一歩のところまで追いつめた一夏、そして俺は代表候補生を終盤で完全に圧倒した。

 

今回は前もってオルコットの試合を見ていたから対策を練ることが出来ただけで、それがなかったらこうなっていたかも分からない。

オルコットの慢心、疲労、動揺。これらがなければ、ISを稼働して数十分の一夏や俺がここまで出来ていたか、断言することは出来ない。

 

先ほどの作戦も、オルコットが油断をしていなければ通用しない作戦だった。あそこで冷静に物事を考えられて、残ったビットによる集中放火を浴びていればひとたまりもない。俺を仕留めきれなかった理由、それはほんの僅かながらでも彼女が油断をしてしまったから。

 

しかしすでに結果論で、あの時間はもう戻ってこない。オルコットにも、慢心して勝てる相手じゃないと分からせることは出来たと思う。彼女が本当に学習する人間なら、次からは二度と同じ作戦は通用しないだろうから。

 

もちろん二度と使うつもりもないし、次に戦う機会があるのなら小細工なしの戦いで勝ってみせる。

 

 

俺たち男性二人の戦いは、皆の考え方を大きく覆すものだったのかもしれない。よく見れば騒ぎを聞きつけた他のクラス、学年の生徒たちも見に来ている。

 

時間帯は放課後だ。授業も全日程が終了しているし、別に来ることは不思議なことではない。生徒が数多くいる状況だからこそ、この戦いを見た人間には感じてほしい。

 

これだけ女尊男卑の世の中だ。男性を卑下したい人間がいるのも仕方ないと、割り切るしかないのかもしれない。でも男性は皆弱い、その根底だけは覆させて貰う。

 

 

―――確かに男性はISに乗れないかもしれない。

 

 

だが……

 

 

世の中には

 

 

絶対に信念を曲げない強い男もいるってことをな!!

 

 

―――舞いあがった砂埃が晴れて行く。

 

そこにはアリーナの壁に佇む青い機体を確認することが出来た。猛攻と壁への激突によりかなりのシールドエネルギーを消費したんだろう。

 

 

「く……」

 

 

衝撃を全て緩和しきれなかったのか、苦悶の表情を浮かべるオルコット。決めるなら立ち上がることが出来ない今だと判断し、俺は一気に近づいていく。

 

 

「これで……」

 

 

自分が出せる全速力で壁に埋め込まれたオルコットに接近、そして……

 

 

「終わりだああああぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

絶叫にも似た咆哮と共に、俺は振りかぶったブレードを振り下ろす。アリーナ中を切り裂く俺の絶叫と共に、オルコットのシールドエネルギーがゼロになった。つまりそれは……

 

 

「試合終了。勝者、霧夜大和!」

 

 

俺が試合に勝ったことを意味していた。

 



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終戦、そして帰路へ

 

「ふぅ……」

 

 

 ブルー・ティアーズのシールドエネルギーが切れたことで俺の勝ちが確定したわけだが、戦いがすでに終わったというのに、アリーナ内は異様なまでの静けさに包まれている。大半はオルコットの勝ちを信じて疑わなかっただろう、だが俺がその思想を覆した。

 

オルコットは攻撃を受けて気を失い、救護班の手によって保健室へ運ばれていった。シールドバリアを貫いて本体に攻撃が当たってしまったのかどうかは分からないが、少なくとも俺の攻撃で、オルコットが気を失ったのは事実。許してくれるかどうかは別として、謝っておかないとな。

 

俺はその様子を見届けた後、ピット内へと戻ってきた。帰ってきた俺を一番最初に出迎えてくれたのは千冬さんだった。

 

 

「……代表候補生に勝ったことは褒めてやろう」

 

「ありがとうございます」

 

「だが、相手を仕留めるのに時間がかかり過ぎだ。無駄が多すぎる」

 

「うぐっ……その通りです」

 

「初めに食らった一撃も、防げた一撃だったろう?」

 

「はい。言い返す言葉もありません」

 

 

 開口一番に、滅多に相手を褒めることのない千冬さんが初めて褒めてくれたと思ったら、世の中そんな上手く行くわけがなく、きっちりとムチも飛んできた。ピット内で打鉄を展開したまま批評を受けている。分かっていたことだけど、いざ面と向かって言われると凹む。

 

オルコットを仕留めるのにいつまでお遊びをしているのかということ、一夏の時に散々オルコットの戦い方を見ていたのに決着をつけるのが遅いと。

正直、慎重になり過ぎていた感はある。でもオルコットに油断をさせるには戦いを長引かせるしかなかったわけで、まだ何か隠し玉を持っているかもしれない相手においそれと突っ込むわけにもいかなかった。

 

オルコットはオルコットでイギリスの代表候補生なわけだし、相応の実力は持ち合わせている。千冬さんからすれば迅速に相手を無力化するのが理想なんだろうけど、ISに乗ってまだ時間も経っていない自分からすれば相手がどういうタイプかを把握しなければ不安になる。

 

勝てば官軍なんて言葉があるけど、ISに関してはそれでいい訳ではないらしい。

 

指導を受けている俺を尻目に一夏も篠ノ之も我関せずといった感じだ。まぁ、今この状態で千冬さんに声をかける勇気はないだろうな。かけたらかけたで無言の威圧をされておしまいだろうし。

 

 

「まぁいい。これからの成長に期待させてもらおう」

 

「はい、頑張ります」

 

 

 批評が終わったところでようやく打鉄を解除する。上から見下されるのも威圧感あるけど、下から見上げられるのもそれはそれで怖いな、だって千冬さんだし。批評を終えて戻っていく千冬さんの後を俺も付いて行く。

話しかけやすい雰囲気が戻り、先ほどまでだんまりだった一夏が俺に声をかけてきた。

 

 

「やっぱすごいな! オルコットに勝っちまうなんて!」

 

「おう、一夏。約束はきっちりと守ったぜ」

 

 

 一夏の口から出てきたのは勝ったことに対する賞賛だった。形はどうであれ、とりあえず勝ったことには俺も素直に喜びたい。接近戦に持ち込んでからは、相手に攻撃する隙を与えずに、一気にたたみ込んで決着をつけるという、自分の思い描いた戦い方が出来たと思う。

オルコット自身も近接装備を持ち合わせてはいたが、普段は全く練習していないんだろう。はじめの攻撃こそ防いだものの、残りの攻撃を防ぐことは出来ていなかった。倍返しというわけではないが、きっちりとやり返すことは出来たんじゃないだろうか。

 

絶対に勝つという口約束を守ることも出来たし、次にISを動かす時までには今回以上にレベルアップできるように精進したい。

 

 

「まさに有言実行。さすがだな」

 

「あそこまで啖呵切ったら負けるわけにもいかないしな。勝ててよかったよ」

 

 

篠ノ之からもお褒めの言葉をもらったが、実際は結構手一杯だった。ISを何度も動かしているわけじゃないから、攻撃を組み立てるのにも苦労したし。

 

 

「でも本当にお前二回目かよ? とても二回目の動きには見えなかったぜ?」

 

「そこは火事場の馬鹿力ってやつさ。俺も無我夢中だったしな」

 

「凄かったよなぁ! レーザーを叩ききったところとか」

 

「あぁ。普通だったらかわすところをあえて踏み込んでいくとは……霧夜の戦い方は私たちにとっても勉強になる」

 

 

 一夏と篠ノ之は、あれやこれやと俺に対する賞賛の言葉ばかりを口々に言い合う。褒めてくれるのはうれしいがそこまで褒められると、何かムズムズとした複雑な感じだ。ついさっき千冬さんにまだまだ未熟者だと言われたばかりだから余計に。

 

俺も褒められるために戦ったわけじゃない。今自分がISを動かしてどこまでいけるのかということを知りたかった。

何回も言うようだけど、あくまで勝ったというのはおまけに過ぎない。最後は半分ごり押しだ、もちろんレーザーを切ったのも切れるかもと思って飛び込んだだけで、確証があったわけではない。接近出来たから良かったものの、接近出来なければ何も出来ずに終わっていた可能性もあった。

 

ひとまず俺とオルコットの対戦も終わり、戦いの反省も終わったことだし、もう今日は寮に帰って休みたい。少し調べることもあるが、とりあえずゆっくりと椅子に腰かけたい、ベッドに横たわりたいというのが本音だった。

 

一応終わりだろうけど、万が一違っていたら恥ずかしいため、俺は千冬さんに次の指示を仰ぐことにした。

 

 

「織斑先生。今日はもう終わりでいいんですよね?」

 

「ああ、今日はもう終わりだ。お前も織斑もゆっくり休めばいい」

 

「了解っす」

 

 

終わりという一言を聞いて一安心、このまま寮に帰って身体を休めることにしよう。とはいえ通常メニューは一通りこなすつもりだし、あくまでゆっくり休むのは夕食の時間まで、まだまだ俺の一日は終わらない。

 

今日はもう終わりだと宣言されたことで一気に気が晴れたのか、一夏はやっと終わったと手をぐっと上に伸ばしながら歩きだし、そんな一夏に篠ノ之はだらしないと言いつつもその後をついていく。

 

こちらはもう完全なオフモードだ、一夏に至ってはもらった教本のことなど天の彼方にまで飛んでいる。

 

そんな二人の後姿を見ながら、山田先生はくすくすと笑みを浮かべ、千冬さんはいつも通り凛とした、でもどこか満足げな表情を浮かべて見送っていた。二人にならって俺もピットを去ろうと一歩踏み出すのだが、ちょうど千冬さんの隣に差し掛かったあたりで不意に声をかけられる。

 

 

「あぁ、いや。ちょっと待て霧夜」

 

「はい?」

 

 

急に呼び止めて一体何だろうか。そのまま歩き去るわけにもいかず、俺はそのまま千冬さんのほうへと向き直る。

千冬さんが俺を呼び止めたことに先を歩いていた一夏がこっちを振り返るが、先に戻っていてくれと言葉で促し、一夏と篠ノ之はピットを去って行った。二人が完全に見えなくなったことを確認し、改めて目を見据える。

 

 

「あの……?」

 

「さっきのオルコットの戦いで、一つ気になったことがあってな……」

 

「はい?」

 

 

気になったこと? 一体何のことだろうか。全く身に覚えがないため、疑問に思いながらも続く言葉を待つ。

 

 

「お前……見えていただろう?」

 

「?」

 

 

言葉の意味が分からず、千冬さんの隣にいる山田先生はただ首をかしげるだけ。この言葉が何を意味するのか、分かるのは俺と質問者の千冬さんだけだろう。

 

『見えていた』

 

その意味深な言葉には様々な意味が込められている。解釈は人それぞれ、十人十色。だから千冬さんの解釈も俺の解釈も、異なっているかもしれない。山田先生に至っては言葉の意味を理解しきれていない、主語が完全に抜けているのだから。

 

一夏と篠ノ之が去ったピットには、俺と千冬さんの言葉が響き渡るだけ。千冬さんが俺に対して質問しているのだから、答えるのは俺だけ。つまり会話しているのはたった二人だけだ。

 

……見えていた、か。

 

その質問に答えるべく俺は少し笑みを浮かべながら口を開いた。

 

 

「さぁ、織斑先生のご想像にお任せしますよ」

 

「……そうか」

 

 

俺の曖昧な答えに対し、千冬さんはただ頷くだけ。ふざけてないで真面目に答えろと怒られるとばかり思っていたが、思わぬ返しに拍子抜けをくらってしまった。俺の答えを千冬さんはどうとらえたのか、それは俺には分からないが、表面上は納得してくれたのかもしれない。

とはいえ、俺から教えられるのはここまで。後は自分で考え、自分で結論を導き出せとしか言えない。その答えが違っていたとしても、俺は答える気はない。

 

 

「引き留めて悪かったな。お前も上がっていいぞ」

 

「はい、失礼します」

 

「あの……お二人とも何を?」

 

「すまないな、山田君。ちょっとした世間話だ」

 

「???」

 

「特に意味はないですよ、山田先生。少し打鉄のことで気になっていたもので」

 

「あ、ISのことでしたか」

 

 

 話に入れず置いてきぼりを食らっていた山田先生だが、ISのことで話をしていたというと、すんなりと納得してくれた。見え見えの嘘で申し訳ないが、あまり人においそれと話せるような内容でもない。

 

話が終わり、改めて二人に頭を下げると、そのままピットを去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピットを後にした俺は、更衣室で着替えを済ませて寮への道を歩いている最中だった。長時間ISを動かしたことに疲れ、しばらく更衣室の椅子に腰かけて休んでいた。

 

休息を挟んでから更衣室から出たわけだが、外に出た時すでに日は落ち始めており、きれいな夕焼けがIS学園全土を照らしている。足元に目を向けると、自分の身体の影が出来ている。一人で歩いているのだから出来ている影は当然一つ、しかしふと気が付くと、俺の影にかなさるようにもう一つの影が出来ていた。

 

俺とて人間だ。分身なんか出来るわけもないし、影だけ二つあるなんていう前代未聞の珍生物ではない。影が二つある人間ってどんな人間だそれ、何があろうとも人間の影は一つしかないっての。

 

くだらないことばかり言っているが、結局のところ行き着くのは誰かが隣にいるってこと。影の正体を確かめるべく、俺は横に振り向いた。

 

 

「お疲れ様、霧夜くん」

 

「ああ、鏡か」

 

 

控え目に声をかけてきたのは鏡だった。

 

アリーナを後にしたのは、終わってから約一時間後。それだけの時間が経っているのだから、クラスメイトをはじめとした観客たちはすでにアリーナを後にしている。というのは事実ではあっても真実ではなかった。

中には帰っていない人間もいるということ、現に俺の隣にいる鏡は帰っていないのだから。左手にスポーツドリンクを持ちながら、それを俺に差し出してくる。わざわざ用意してくれたんだろう、ささやかな気遣いが身に染みる。

 

 

「これ、スポーツドリンク。よかったら……」

 

「おっ、ありがとう! 助かるよ」

 

 

 数時間ほど何も口にしていないから、腹は空き放題だし、喉はからからに渇いていた。スポーツドリンクを手にすると、キャップを開けてほぼ逆さ状態のままで口の中に流し込んでいく。

女の子の前ということで少し自重しようかと思ったが、渇いた喉を潤すという欲望には打ち勝つことができず、ペットボトルの半分くらいを一気に飲み干した。

……当然だけど、全部を一気に飲み干す勇気はない。半分を一気に飲み干す時点でどうかと思うが、全部飲み干すのはさすがにやばい、主に世間体的な意味で。

 

半分飲み干したところでペットボトルの口にキャップを付け直し、持った手を下におろす。体を動かした後のスポーツドリンクってどうしてこうも美味いんだろうな。カサカサしていた口の中が一気に潤って、身体を一気にクールダウンしてくれる。一息ついたところでようやく口を開いた。

 

 

「はー生き返るなぁ。やっぱ身体動かした後は、飲み物がないとな」

 

「良かった、喜んでくれて!」

 

「ああ、マジで助かったよ。気が利くんだな鏡は」

 

「へ? そ、そんなことないよ? 偶々だよ偶々!」

 

「そうなのか? まぁどちらにせよ助かったよ。ありがとう」

 

「う、うん……」

 

 

理由がどうであれ、こちらが助かったことには変わりない。これだけ気が利くんなら将来良い大人の女性になるだろうな。

で、鏡がここにいるってことは、もしかしなくても俺が出てくるまで待っていてくれたことになる。小一時間ずっと待っててくれたとするとそれはそれでちょっと、こちらとしても思うところがあった。

 

何といえばいいのか、うれしいと思う反面恥ずかしいとも思うわけで。オルコットと戦う前にもガラス越しにではあるけど応援をしてもらったし、ここまで尽くしてくれたのを考えると……うん。

 

なんつーか……意識しちまうよな

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 この間は気まず過ぎる……話す話題もない上に、互いがガツガツと行くタイプではないため、下手に沈黙してしまうと会話自体が途切れてしまう。相手を変に意識してしまうと、平凡なことでも聞きづらい。

表面上は平静を取り繕うが、鞄を握る手は冷や汗べたべたで、心拍数も平常時よりも多くなっていた。一方の鏡も手をもじもじさせながら俯いてしまい、時折顔を上に向けてくるが、身長差から生まれる上目遣いという女性専用の兵器が襲ってくる。

 

顔は前を向いたまま、夕焼けに照らされる通学路を二人で並んで、寮に向かって歩いていく。コツコツと地面と靴が擦れ合う音が鳴り響くだけで、俺と鏡の間に会話がないまま時間だけが過ぎ去っていく。

気まずい雰囲気が包む中、この雰囲気を打開しようと先に口を開いて声を出そうとする。

 

 

「「あの……!!」」

 

 

そういう時にかぎってうまくタイミングが折り合わないというもの、この状況打開をしようとしたら互いに同時のタイミングで声を掛け合ってしまう。普通だったらこの行為こそ気まずさを増幅させるというもの、ただこの際気まずさもへったくれもない。だが言葉を続けようとする俺よりも先に、鏡が言葉をつづけた。

 

 

「き、霧夜くん!」

 

「お、おう! 何だ?」

 

「その……お、おめでとう!」

 

「へ?」

 

 

想定外の言葉に思わず間抜けな返事をしてしまった。おめでとう……おめでとうって祝ってくれているってことだよな。俺何か祝われるようなことやったっけか、自分が何かをしたという感覚がないため、どうして言われているのか俺には見当がつかなかった。

 

 

「えっと、おめでとうって?」

 

「オルコットさんに勝ったから、凄いなって思って」

 

「ああ、なるほど。でも大げさだなぁ、そんなに祝われるようなことじゃないだろう?」

 

「ううん、やっぱり候補生に勝つのは凄いことだと思う。霧夜くんは絶対に負けないっていう強い意志をもって戦った。それだけでも十分評価されるけど、実際に戦って勝ったことはそれ以上に誇れることだよ」

 

「うーん……そう、なのか?」

 

「はい♪」

 

「そっか……」

 

 

俺はこの戦いで、少しでも男性に対する考え方が変わる子がいればという思いを込めて戦った。果たして戦った結果がどうなったのか、今すぐに結論を出すことは出来ない。でもこうして鏡のように、戦った姿勢を認めてくれる人もいる。たった一人でもそう思ってくれることが、俺にとっては何よりも嬉しいことだった。

 

後嬉しいことといえば、オルコットと戦う前のあの応援、あれがなかったら勝てていたかどうか分からない。人間は単純なもので、些細な一言が大きく結果を変えることもある。何よりガラス越しの応援というのが、俺にとっては大きな力となってくれた。だから俺も感謝しなければならない。

 

 

「応援もありがとな、あれも間違いなくオルコットに勝てた要因だよ」

 

「え? そ、そんなことないよ。霧夜くんがそれは頑張ったからで……」

 

「頑張るきっかけを与えてくれたのは、紛れもなくあの応援だよ。だから俺にも感謝させて欲しい、本当にありがとう」

 

「あ……はい。どう、いたしまして」

 

 

なるべく笑顔を作りながら、鏡に向かって感謝の言葉を並べる。鏡は少し照れながらもコクッと頷く仕草を見せながら、優しく微笑みかけてくれた。本当にその微笑みは反則だ、こっちまで自然に笑顔になってくる。

 

 

「あと、その……一つだけ気になってたんだけど……」

 

「ん? 何だ?」

 

 

そんな場を和ませる雰囲気とは一転、今度は少し緊張気味な表情を浮かべながら恐る恐る俺の顔を覗き込んできた。

あれ、何か間違ったことしてしまったのか、言葉は選んだつもりだったんだけど。逆に言葉を選びすぎて、変な印象を与えたのか。

深く俺から問い詰めていくわけにはいかないため、続いてくるであろう鏡の言葉を待つ。

 

すると……

 

 

 

 

「……かなぁって」

 

「え?」

 

 

何やら細々とした声で最後の方しか聞き取ることが出来なかった。これだけでは何を言いたいのか分からない。何を言ったのか、もう一回行ってもらえるように促す。

 

 

「あの、鏡? 聞こえないんだけど……」

 

「よ、呼ばないのかなぁって」

 

 

今度返ってきたのは呼ばないのかという言葉、でもこれだけでも何のことなのか分からない。ここに他に誰かを呼ばないのかってことなのか、俺が更衣室を出るまでの時間がかかっているし、俺と帰りたいだとか話したいことがあるのなら待っていると思うんだけど……。

よってこの意味は違うことになる。呼ばないってマジで何のことだ、一夏のことか?

って今さっき人を呼ぶ意味ではないって結論になったんだから、一夏の線はないか……思い出して早々否定して悪い一夏、どこかでくしゃみでもしているとしたら、ほんの出来心なんだ。

 

……なんてバカなことをやっている場合じゃなくてだな、何を呼ばないのかって話だ。

 

 

「ん、何を呼ばないんだ?」

 

「だから、その……霧夜くんって女の子のこと名前で呼ばないのかなぁって」

 

 

名前。英語で言うとネイム、今言っている名前っていうのは自分の名前のことだと思う。

何か話が完全に逸れたけど、急にこの話題に変えたってことは理由があるはず。言われてみれば俺がこの学園に名前で呼ぶ女性はいない、呼ぶとするならプライベート中の千冬さんくらいだ。

 

ただ職務中は間違っても呼べないので、織斑先生と呼んでいる。そう考えると表向きに名前で呼んでいる子は一人もいないことになる。

話を戻すと鏡は女性を名前で呼ばないことが気になった。俺からすれば急に名前で呼んだら失礼じゃないかと思い、皆のことは名字で呼んでいる。

 

―――つまり。

 

 

「えっと……名前、で呼べばいいのか?」

 

 

ということで良いのか。自分では判断がつかないため、この答えに対する解答を待つことに。

 

 

「う、うん。ダメ、かな?」

 

 

正解だったみたいだ。

 

名前で呼ぶのは構わないんだけど、なんでそこで急に顔を赤らめるんですかねぇ。

手をもじもじさせながら、オドオドと不安そうに聞いてくる姿が非常に可愛らしい。それに加えて上目遣いと来たもんだ、女の子のこういう仕草をするところってずるいな。

女の子の不安そうな表情を浮かべるところを見てしまうと、そんな顔をさせたくないと思ってしまうのが男の本能だ。でも相手が女の子だから効果が抜群なだけで、これが男だったらこっちはげんなりして終わる。

 

良く分からないなら想像してみるといい、男が不安そうな顔をしながら低い声で「だめかなぁ?」って言ってくるところを。想像したら後は自己責任だから、俺のせいにするなよ。

 

さっきも言ったように、今まで女の子を名前で呼ぼうとしなかったのは、別に女の子に苦手意識があるわけではなく、気を許した相手でもないのに名前を呼ばれるのは嫌なのではないかと思ったからだ。

そう考えると男との付き合いは楽だと思ってしまう。すぐに名前を呼び合う仲になることも出来るし、同じような馬鹿も出来るし、腹を割った話も出来る。一方で女の子だと気を使う部分もあるし、下手なことを迂闊に言えないから疲れてしまう。

 

自分の名前を大切な人や親友にしか呼ばれたくないって子は、女の子の中にも結構いる。それに恋人でもないのに名前で呼んでもいいかって聞くのもあれだから、ずっと苗字で呼んでいたんだけど……そっか。

 

本人にそう言われたら、苗字で呼ぶのは失礼か。逆に仲良くなればなるほど苗字で呼ばれることを他人行儀って思う子もいるのかもしれないし。

 

でも俺IS学園で女の子を名前で呼ぶって初めてなんだよな……別に名前で呼んでも周りには変な風に思われないよな、これで周りに冷やかされたりしたら泣くぞ俺。

 

意を決するわけではないが、少し咳払いをして声の調子を整えた。告白するわけでもないのに何でここまで緊張しているのか、女の子の名前呼ぶのってこんなに勇気いるものだっけ。ここまで来たら後には引き返せない、腹をくくるとしよう。あくまで名前を呼ぶ、それだけだ。

 

 

 

 

「分かった……ナギ」

 

 

 

普段の自分とはかけ離れた小さな声で、その名前を呟いた。

 

 

「……はぅ」

 

 

ここにBGM流すとしたらあれだ、史上最高の国歌斉唱をした某外国人歌手のヒット曲のサビの部分なんかいいんじゃないか……って馬鹿野郎そんなことするか!

周りに誰もいない中、女の子を名前で呼ぶなんてどんなシチュエーションなんだろうか。満場一致で彼氏彼女の恋人関係と言われること間違いない。

 

ちょっと待て、そう考えると何か急に恥ずかしくなってきた。しかも俺だけ名前で呼ぶなんて明らかに不公平じゃないかこれ。ナギはナギで顔を赤くして俯いているし、どうすればいいのか。名前で呼んだせいで会話が無くなって、寮につくまでこのままじゃさすがに冗談きついぞ。

 

 

「だぁああああ!!!」

 

「え!? き、急にどうしたの?」

 

「俺だけ名前で呼ぶなんて不公平じゃないか? 俺が名前で呼んでもナギが俺の事を苗字で呼んだら意味無いだろう!?」

 

「あの、その……えっと……」

 

「とりあえず、俺のことも名前で呼んでくれると嬉しい。嫌ならまぁ……」

 

「え、えぇ!?」

 

 

せめて恥ずかしいからって断られるならまだしも、嫌だと言われたら本気で凹む自信がある。

 

こんな切り返しをされると思っていなかったのか、ナギは恥ずかしさで顔を赤らめたまま慌てふためく。よく考えなくても別に不公平でも理不尽でも何でもないよな、でも俺だけ恥ずかしい思いをするのは何か許せん。心の奥底でざわめく何かがあるとでも言えばいいのか、言葉にうまく表せない。

 

ナギ自身も自分が言った手前、後には引けない状態にあるみたいだ。両手を両頬に添えながら、どうしようか唸りながら考えている。時折俺の顔を見たかと思えば、すぐに横にそらして考え込むパターンの繰り返しで、一向に進展がない。まさか本当に自分だけ言わせといて、自分が言うのは嫌だっていうオチじゃないよなこれ。

 

あーでもないこーでもないと悩んで数分、ようやく俺の方をナギは見上げた。

 

 

「あ……う、あう……」

 

 

 壊れた機械が何とか動こうとするようなガチガチの動きのまま、声を出そうとするがまるで言葉になっていない。『あ』と『う』の母音の繰り返しで意味が通じず、会話と呼ぶには程遠いものだった。両手を握ったり開いたりしているところを見ると、よほど緊張しているらしい。

元々大人しい女の子みたいだけど、何もそこまで緊張しないでもと思いつつ、その様子をじっと見つめる。

 

そのような繰り返しが続き、数分後。

 

 

「や、大和くん」

 

「な、何か恥ずかしいなこれ。……もし良ければこれからもな?」

 

「う、うん。分かりました」

 

 

何か告白しているみたいな妙な雰囲気になってしまい、互いにぎこちない返し方のなってしまう。

ようやく俺のことを名前で呼んでくれた。ただ肯定はするものの、未だにナギの顔は赤く、話し方もどこかつっかえたままだ。もしかして男性に耐性がないのか。

 

 

「ひょっとして、男性に名前を呼ばれたことがなかったりするのか?」

 

「うん……私ずっと女子校だったから、男の子と関わる機会ってほとんどなかったの」

 

「……」

 

 

 そう言われてしまうと少し強引すぎたかもしれない。男性とあまり関わらない子が、共学とかに通い始めると驚くことは多い。特に男女とのギャップ、今までずっと女性としか関わってこなかったのだから、男性とどうやって関わればいいのか分からない部分もある。

逆に男性もそうだ。今までずっと男子校で生活していて、急に共学に放り込まれれば女性にどう接すればいいのか分からないなんてことはざらにある。IS学園は全学年女性しかいない中、男がただ二人突っ込まれている。女性からしても珍しい光景だし、男の俺や一夏からしても珍しい光景だ。

 

慣れていないことをさせれば、当然抵抗感はある。ナギが男性と関わることがほとんど無かったって言っているわけだし、男性を名前で呼ぶ機会がなかったことぐらい、よく考えてみれば俺にも簡単に分かることだった。

 

やり過ぎたかなと思った複雑な心境が表情に出ていたのか、さっきとは一転してナギは手を広げて、横に振る否定のジェスチャーを取る。

 

 

「や、大和くんが変に気に病む必要はないんだよ? 私は大和くんの名前を呼びたくなかったわけじゃないの」

 

「え?」

 

「苗字で呼んでると何か壁を感じちゃって。だからその……本当は名前で呼べて嬉しいっていうか……」

 

最後の方が声が小さすぎて聞こえなかったけど、ひとまず気にしてないってことでいいのか。壁を感じるって言ってたけど、確かに女の子同士は名前で呼び合う子が多いっていう印象はある。

その印象に当てはめると、関わりが無かった男性でも名字で呼ぶのには少し抵抗があったってことかもしれない。

 

 

「そっか、なら良かったよ」

 

「うん。じゃあこれからも、よろしくお願いします」

 

「あぁ、こちらこそ!」

 

照れくさそうな笑みを浮かべるナギに微笑み返し、俺たちは残された僅かばかりの帰路を戻っていった。



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○当主の協定とイギリス淑女の謝罪

 

「ようやく帰宅っと……」

 

長かった一日を終えて、無事に寮へと戻ってきた。しかし今日も今日で色々あったよなぁ、おかげさまで身体はクタクタに疲れている。体力が尽きたとかそういう意味ではなく、何か気だるいって感じ。皆もそんな経験が少なからずあると思う。

疲れた身体を癒すためのベッドに飛び込むべく、ポケットから自室の鍵を取り出した。

 

鍵穴にはめて、時計回りに回すとガチャリという鍵が開く音が……

 

 

「あれ?」

 

 

しなかった。それどころか、シリンダーが空回りしているだけで、鍵が開いたという手応えが全くない。

 

手応えがないってことは鍵が壊れているか、元々鍵が開いていたか。前者だったらまだしも、後者だったら笑いにならないレベル。俺は丸一日、無防備にも自分の部屋を自由解放していたことになる。つまり好きに侵入されてもおかしくないということ。侵入した人間も人間たが、鍵をかけなかったのは自己責任だ。

 

不思議な感覚に包まれながらも、ひとまずドアノブに手をかけた。ドアノブを捻ると案の定、抵抗が無いままに回る。

 

明らかにおかしい……それが第一印象に感じたことだった。朝部屋を出る時に、鍵をかけたことは確認したはず。なのにかけたはずの鍵が外れている、どこの学校の七不思議だっての。

 

壊された形跡も無いし、普通に考えて何者かに開けられたと考えて間違いないだろう。部屋の鍵を開けられるのは寮長くらいだけど、いくら寮長とはいえ人の部屋に入るのなら、俺に確認を取らなきゃおかしい。

一年の寮長は千冬さんだっけっか、でもあの人が許可を取らないのはあり得ない、そういったマナーを破る人じゃないことは分かっている。

 

無断で他人の部屋鍵は借りれないし……じゃあこのドアを開けたのは一体誰なのか、ますます謎は深まるばかりだ。

とにかく一回部屋の中を除いてみよう、そうすれば全てが明らかになる。

 

俺の部屋に不法侵入した命知らずは誰か……この後どうしてくれようか。

 

不届き者への処断をどうしようか考えつつ、俺は部屋のドアを開いた。

 

 

「あら、お帰りなさい。お邪魔しているわよ?」

 

「失礼しました!」

 

 

開けてすぐに力の限りドアを引いた。ドアが壊れるほどのあり得ない音を立てて閉まるが、知ったことではない。

……俺疲れてんのかな、ベッドに寝転がっている制服姿の女の子が見えた気がするんだけど。部屋を勝手に開けた犯人が実は生徒の一人でしたってどんなオチだよ。それか俺が間違って別の部屋に来たとか?

実際戦った後だからそこそこに疲れているし、十分にあり得ること。期待を込めて鍵に書かれた部屋番号とドアに書かれた部屋番号を交互に見比べた。

 

 

"一〇ニ七"

 

鍵に書かれた部屋番号を見る、続いてドアに書かれた部屋番号を見た。

 

"一〇ニ七"

 

 

「ですよねー……」

 

 

 あわよくば自分が部屋を間違えたかもしれないという、淡い期待は一瞬で砕かれた。そもそも部屋を認識する能力が失われてるほど疲れた時点で、身体がまともに動くはずがない。だから間違えるはずがなく、勝手に鍵を開けられたという結論に行きつく。

一瞬ベッドに寝転がっている制服姿の女の子が見えたと言ったけど実は嘘で、顔や髪形も完全に確認できました。一度会ったことがある女性です、現実逃避したかっただけです、はい。

 

このまま外に立ち尽くしていても仕方ないため、意を決して再びドアを開けた。本当に行動が読めない人だ、大体何で俺の部屋の鍵を借りられたのか気になる。……まさかピッキングしたとかじゃないだろうな、鍵を借りる以外に最も可能性が高いけど。

 

とにかく詳しい話は本人の口から直接聞かせてもらうとしよう。

 

 

「とりあえずどうやってここに入ったんですか、更識先輩?」

 

「もう、つれないなぁ。楯無って呼んでいいわよ? もしくは楯無おねーさん」

 

「……」

 

「冗談だってば。私がここにいる理由はね」

 

 

 このまま答えてしまうと完全にペースをつかまれてしまうと思い、少し不機嫌さを出しながら沈黙を通す。人心把握にたけているのか、俺の反応を見るや否や、そのからかう態度をやめて苦笑いを浮かべながら話しを続ける。

 

ベッドの上に寝転がりながら雑誌を読んでいたのは、いつぞや俺のことを尾行していた更識先輩だった。

パタパタと足をバタ足の要領で振っているせいで、スカートの布地の隙間からその下に隠れているであろう下着が、かなりきわどいレベルで見えそうで見えない。先日会った時は素足ではなく、ストッキングを纏っていたため、下着を覆う鎧が完全に引き剥がされている状態だ。俺の立ち方次第ではモロに中が見えても不思議ではない。

 

絶対ワザとだと思いつつも、表情には見せないままジッと更識先輩の方を見つめる。敵意がないのはもう知っているから、何でここにいるかを俺は知りたい。

 

 

「生徒会長権限で―――「あ、織斑先生ですか? 実は俺の部屋に」ちょっと待って! それはダメ!」

 

「……冗談です、話を続けてください」

 

「お、おねーさんをからかうんじゃないの!」

 

「すいません。まぁ立ち話もなんでしょうし、何か飲みますか?」

 

 

 生徒会長権限で開けたという職権乱用をしたために、冗談半分本気半分で携帯電話を千冬さんあてにかけようとする。その行動を見た更識先輩は慌ててそれを止めようと立ち上がろうとした。やっぱり生徒会長といえど、千冬さんが怖いことには変わらないらしい。余裕を崩さなかった表情が、一気に焦りの表情へと早変わりした。

慌てた表情を見れたということで、冗談だと携帯を耳から離すと、一安心したのか再びそのままベッドに倒れこむ。

 

寝ころぶと顔を俺の方に向け、頬を少し膨らめながら抗議してくる。拗ねる仕草も可愛らしいなと思いつつ、折角来たのだからと飲み物を出そうと提案した。

 

先に来ることを知らせてくれれば、もっと色々用意できたんだけどな。逆に更識先輩はアポなしで来るのが流儀なのか、でもこっちからすればアポくらいは取ってほしいものだ。せめて俺が部屋にいる時に来るとか。

最低限のおもてなしとして飲み物と茶菓子くらいなら用意出来る。コーヒーは自分で持ち込んだ高値のコーヒーだから結構お勧めだ、もちろんブラックコーヒー。砂糖をまだ用意していないから、砂糖なきゃ飲めない人にはきついだろう。

 

クッキーを嫌いなんて言わないだろうし、茶菓子はあの時買ったクッキーを出せばいいか。段取りが決まったところで、後は更識先輩が何を飲むかだ。

 

 

「そうね、いただこうかしら。何があるの?」

 

「オレンジと林檎、それにブラックコーヒーが」

 

「……砂糖入りコーヒーは無いのかしら?」

 

「俺がブラックしか飲まないんで、まだ砂糖を用意してないんです」

 

「じゃ、オレンジジュースでお願い」

 

「了解っす」

 

 

苦い食べ物が苦手な人が、苦い食べ物を食べた時のような表情を浮かべる楯無先輩。やっぱりブラックだと女性にはきついか、近いうちに用意しておこう。

鞄を机の横のフックににかけて、上着をハンガーに掛ける。その流れで冷蔵庫からオレンジジュースを取り出し、食器棚からグラスコップを出した。

 

パックの口を開けて、中身をグラスの中に注ぐ。氷はどうしようかとも考えたが、別にここは喫茶店じゃないため飲み物をケチケチする必要もない。夏じゃないからジュース自体も冷えているし、氷入れると水っぽくなるから用意しなくても良いだろう。

 

飲み物を用意し終えたところで、買ってきたクッキーを戸棚から出し、丸いバスケットに並べる。片手にオレンジジュース、もう片方にバスケットを持って更識先輩のいる寝室に戻り、常設されている机の上に置いた。

 

 

「どうぞ」

 

「ありがとう。いただくわ」

 

 

 雑誌を置き、寝転がっていたベッドから起き上がった更識先輩は俺と対面するように、もう片方の椅子へと座る。ちなみに更識先輩が読んでいた雑誌は、女性向けのファッション雑誌だった。

ミステリアスな雰囲気を纏いながらも年頃の女性みたいだ、でもこの人なら何着ても似合う感じはする。

まぁあり得ない訳ではないけど、これで読んでいたのが週刊マンガ雑誌とかだったら面白かった。あの扇子の文字が変わるトリックはこの漫画を参考にしました、とかな。

 

 

「あら、このクッキー……」

 

「あれ、お気に召しませんでした?」

 

「ううん、良く買ったなって思ったの。これ結構高かったでしょ? だからあまり買う学生もいないのよね、女の子は他にも出費が嵩むから」

 

「そうだったんですか? 値段はあまり見ていなかったんで」

 

 

 出したクッキーがお気に召さなかったのかと少し慌てたが、そういう訳ではなかったため一安心。言われてみれば普通のクッキーなんかより全然高かった気がする、人に出すものだからなるべく良いものを買おうと思っていたから。

 

確かに普通に考えて女の子は高いお菓子よりも、服とかアクセサリーとかのファッションにお金を使うよな。お菓子も好きだと思うけど、ファッションに使ったらおいそれと高いものを変えないだろうし。これから季節も変わるし出費が大変だな、それは男にも言えることだけど。

 

更識先輩がその高いクッキーに手を伸ばし、それを口元へ運んで一口かじる。サクッという音と共に口を左手で押さえる姿が優雅で、礼節を重んじる厳格な家に育ってきたイメージが強く伝わってきた。俺の部屋の鍵を生徒会長権限とやらで開けたこと以外は。

 

本当のところ、生徒会長権限で部屋の鍵を借りられるのか分からないが、今はそういうことにしておこう。

 

 

「今日のIS戦は見させてもらったわ。見事ね、セシリアちゃん相手に圧倒するなんて」

 

「ありがとうございます。更識先輩みたいな人に褒めてもらえて光栄です」

 

 

グラスを傾けて、オレンジジュースを啜りながら更識先輩は今日のことについて切り出しはじめる。アリーナのどこで見ていたのかは分からないが、俺の戦いはしっかりと観戦されていたようだ。

てことは俺の大声まで聞かれていたことに。女性にまじまじと聞かれると抵抗があるな。

 

 

「最初は様子見で、決めるときは一気に行ったって感じね?」

 

「相手の手の内を探るのは基本と言えば基本なんで。もう少し早く仕留めれるなら仕留めたかったですけど、ISにおいてはあれが限界でした」

 

「だとしても十分過ぎるわ。はじめから見ていたけど、攻撃がまともに直撃することは一回も無かったじゃない?」

 

「……そうでしたかね」

 

 

俺も戦った内容を詳しくは覚えていない。試合が止められるまではシールドエネルギーが残っている訳だし、いちいち残りを気にする暇は無かった。ただ現場を見ていた更識先輩が言うのならそうなのかもしれない。

 

千冬さんの時と違って褒められてばかりなため、何か裏があるのではないかと心配になる。

 

 

そしてその杞憂は見事に当たってしまった。

 

 

「―――さすがは、霧夜家の当主ってところかしら」

 

「……」

 

「安心して、私は貴方の敵ではないから」

 

「……何もかもお見通しってことですか」

 

 

口ぶりからしてまさかとは思っていたけど、思った通り更識先輩は俺の正体に気付いていた。どこまで知っているのかは分からないが、少なくとも自分が霧夜家の当主であることは完全に知っているみたいだ。

 

この学園で俺の正体を知る人間は少ない。思い付く限りでは千冬さんと、そして今目の前にいる更識先輩の二人だけのはず。初めに言ったように、俺のことをネットや役所の戸籍を調べても分からないようになっている。

 

言うなら、存在はするけど存在しない人間とでも言えば良いか。俺だけではなく、霧夜家に仕える人間の情報は全て匿名にされている。仕事中も身元を特定されないように、仮面を被って仕事を行う。素性を明かしてはならないのが、霧夜家(うち)の鉄則であり、絶対的な規範(ルール)だからだ。

 

護衛業というものはほとんど表世界には知られていない。精々聞いたとしてもボディーガードやガードマンといった単語くらいだ。

 

俺を霧夜家の当主だと特定出来るほどの組織は、裏の世界でも限られてくる。つまり更識先輩も俺と同じ世界に首を突っ込んでいる人間、そしてそれだけの情報網をもつ組織の一員だいうことになる。

 

……ちょっと待て、更識?

 

 

「貴方が当主をやっているってことはね。でも私が知っているのはそこまで、後はどう調べても分からなかったわ」

 

「普通だったらそこまで行きつくのも困難なはずなんですけどね……表の人間なら、ですけど」

 

 

よくよく考えれば、更識という苗字を聞いたところで疑問を持つべきだった。

 

―――更識家、裏工作を実行する暗部に対する対暗部用暗部で、裏工作による被害を未然に防ぐために暗躍している。つまり護衛と似たような組織だ。実際に更識家の人間と会ったことはないが、目の前にいる更識先輩は更識家の関係者だと見て間違いなさそうだ。

 

 

「あら、私の正体に気がついたのかしら?」

 

「今の会話で何となくは。そう考えると俺の後をつけていたのも分かる気がします」

 

「尾行術には結構自信あったんだけどね、気付いたのはあなたがはじめてよ」

 

 

 残念とばかりに苦笑いを浮かべる更識先輩だが、全然残念そうに見えず、まだ余裕さえ持ち合わせているようにも見えた。

モノに関しては生気というものを感じることが出来ないため、目で見える範囲内しか認識することが出来ない。しかし人間や生き物であれば、視線を向けられることでその人間の生気というものが伝わってくる。つまり誰かに見られている感じがするという気配のことだ。

 

誰かから視線を向けられるのは、普段の生活でもよくあること。だが監視ともなれば常に視線を相手に向けて行動を読まなければならない。普段の何気ない視線ではなく、食い入るように監察する視線だったから監視されていると気付くことが出来た。

 

 

「ま、これくらいのことに気が付けないと仕事は務まらないので」

 

「言うわね~。でも貴方が敵ではないってことと、貴方自身の護衛としての腕も何となく分かったからいいわ」

 

 

 更識先輩はオレンジジュースが注がれたグラスを傾けて、中身をちょうど飲み干し終える。監視していたのも俺がこの学園にとって不利益を被る人間ではないか、生徒たちに危害を加えないかを見極めるためだったようだ。

 

 

「それで、いつまで他人行儀なの?」

 

「はい?」

 

「名前よ、なーまーえ。楯無って呼んでみて? もしくは楯無おねーさんって」

 

「……いきなりぶっこんで来ましたね。男性に名前呼ばれるって抵抗ないんですか?」

 

「全員が全員名前で呼ばせる訳じゃないわ。貴方だからよ、大和くん」

 

 

俺だからって言う理由が色々な意味に受け止められて困るんですが。まぁ他意はないんだろう、あくまで親しみを込めてだとは思う。

これで二人目だな、名前で呼んで欲しいって言われるのは。どうやら楯無さんは名字で呼ばれることを、他人行儀ととらえる人らしい。ぶっちゃけた話、こう呼んで欲しいと言われるとこっちとしても助かるところはある。中には名字で呼ばれるのが嫌だって子もいれば、名前で呼ばれるのが嫌だと様々だし。

 

貴方だからよと告げた楯無さんの表情が微かに微笑みに変わる。どこに隠していたのか、例の扇子を取りだし目の前にパッと開いて口元を隠す。扇子には『興味津々』と書かれていた。

口に出さないってことは、心で思っている事が扇子に表れるってことなのか。……ってそれじゃ心の中で思う意味が無いじゃん。

 

扇子の仕組みはますます分からなくなるばかりだが、とにかく興味を抱いてくれたことに対して、素直に感謝したい。

 

 

「分かりました。じゃあ、楯無さんで」

 

「呼び捨てでも良いのよ?」

 

「勘弁してください、楯無さんは先輩なんですから」

 

「それは残念ね」

 

 

さすがに自分より上の人に呼び捨ては出来ない。付き合うようになったら話は別だけど、今はまだ知り合いだ。

 

 

「ちょっと話それちゃったけど、私のことはどこまで知ってるのかしら?」

 

「対暗部用暗部の更識家の一員、ってところまでですかね」

 

 

あっけらかんと自分の名前の話をしていた楯無さんだが、再び更識家の話に戻した。どこまで知っているのかって話だったけど、俺が分かるのは楯無さんが更識家の人間だということくらいだ。

 

 

「そう、なら教えてあげる。更識家は大和くんの言うように、対暗部用暗部。裏工作を未然に阻止したり、それから守るのが仕事よ」

 

「……」

 

「そして更識家の当主は代々『楯無』の名を襲名するわ」

 

「楯無っていうのは楯無さんの本当の名前ではないと?」

 

「そうよ」

 

 

本当の名前を俺に教えなかったってことは、何か教えるには条件があるのかもしれない。すぐに思い付くのはその人が自分にとって大切な人間となった時だとか、好意を抱いた時だとか。

 

結局どうなのかは分からないが、今そこを追求する必要もないだろう。とにかく楯無さんは、現更識家の当主だというところまでは分かった。

 

 

「それで大和くん、貴方がここにいる理由は……」

 

「想像通り、ISを動かした以外にも本職での目的があります」

 

 

 一夏の護衛、それがここに来たもう一つの理由だ。依頼主は千冬さんで、一夏に気付かれないように行動してほしいと言われている。一夏が護衛されていることを知ってしまえば、絶対に負い目を感じるはずだ。だったら知らせない方がいいし、知らない方がいい。

だから周りにも話さないのが鉄則だが、ここまで知られてしまっていると、こちらとしても話せる範囲で話すしかない。予想は容易に立てられるだろうけど、一応名前は伏せて楯無さんに仕事目的でもここにいると伝える。

 

俺の返しに楯無さんはなるほどと頷き、どこか満足そうな笑みを浮かべる。

 

 

「護衛の対象が誰なのかは聞かないわ、でもその事について一つ提案があります」

 

「提案ですか?」

 

「ええ。私たちも今色々と動いているんだけど、学園を脅威から守るのには限界があるわ。だから是非大和くんにも手を貸してほしいのよ。その代わり大和くんの仕事に対しても、私は全力でサポートさせてもらうわ」

 

 

俺が学園側に手を貸す代わりに、一夏の護衛に関するサポートしてもらう。つまりは取引であり、等価交換。

確かに学園を脅威から守るのは大変だろう、何せ生徒だけでも百人単位でいるのだから。例え情報が入ったとしても、脅威の解決に当てる人数が足りないというのは致命的になる。少しでも多くの人員が必要とされているようだ。逆に一夏の護衛は、守る対象は一夏一人だが如何せん入ってくる情報は少ない上に、俺が一人で集める情報には限りがある。

 

そう考えると、同業者として楯無さんと手を組むのも悪くはないか。

 

 

「分かりました。俺でよければ協力します!」

 

 

「ありがとう! 心強いし助かるわ♪」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

出会ってから見たことのない、眩しい笑顔を見せてくれた。偽りのない本心からの笑顔に思わずドキッとしてしまう。初めて出会った時の笑顔も、時折見せる笑顔もどことなく愛想笑いが含まれていた。俺が今見た笑顔は、そんな笑顔とは比べられないほどに綺麗だった。

 

 

「大和くん、固まっちゃってどうしたの?」

 

「え? あぁ、いや。ちょっと考え事をしてまして」

 

「ふうん?」

 

 

女性の本心からの笑顔が男性を如何にときめかせるものか、それは周りの男性が証言してくれるだろう。俺の表情が一瞬固まったことを見逃さなかった楯無さんは、悪戯っぽい表情を浮かべながら俺の顔を覗き込んでくる。

何故このタイミングでと思った時には既に遅し、もう完全にからかう気満々だ。

 

 

「……俺も喉渇いたんで飲み物入れてきますね」

 

「ふふっ♪」

 

 

笑っているけど何かが怖い。

 

良くある笑っているけど怒っているという状況ではないが、それとは違った何をしてくるか分らないという不気味な意味での怖さがある。

得体の知れない恐怖からそそくさと逃げるように、椅子から立ち上がってキッチンへと向かう。

 

―――その時だった。

 

 

コンコンッ

 

 

「ん?」

 

 

部屋のドアをノックする音が聞こえた。一瞬隣の部屋かとも思ったが、音の大きさと聞こえてきた方向で、俺の部屋のドアがノックされたことが分かる。

いつも通り一夏が夕飯の誘いに来たのかと思ったけど、まだ食堂の開く時間ではない。呼びに来るにはちょっと早すぎる。

 

ってことは何か別のことで用があるとか、もしくは別の人間が来たか。

いずれにしても来た人間を待たせる訳にもいかないし、とりあえず応対しよう。部屋に楯無さんがいるけど、きちんと理由を話せば誤解を招くことはないはずだ。

 

 

「はいはい、今開けますよ」

 

 

 ドアの前で待っている人物を確認するため、素早い行動で玄関まで向かう。そして部屋鍵を外し、部屋のドアを開けた。開いたドアの先にいた人物は……

 

 

「どちら様で……ほう?」

 

「その、こんばんわ……霧夜さん」

 

 

 オルコットだった。戦い終了後は気を失っていて、大丈夫なのかどうなのか心配になったが、見た感じ特に外傷はない。

ここに来る前に一度シャワーでも浴びてきたのか。身体から僅かな蒸気が上がると共に、ほのかな女性物のシャンプーの香りがした。

 

予想外だよな。自分を恨んでいる人間の前にわざわざ現れるなんて、何かされるとでも思わなかったのか。まぁ俺はもう何もする気はないけど。

俺はこの部屋をオルコットに教えていないから、部屋の場所を知っている誰かに聞いたんだろう。

 

 

「……」

 

「どうした、なんか用があったんじゃないのか?」

 

 

俺の部屋に来たかと思えば、今度は何も喋らずにただ下を俯くばかり。用があったんだろうけど、いざ俺と対面すると怖くて何も言えないのか。

髪に隠れて表情を見ることは出来ないが、ギュッと拳を握りしめて震えていた。

怖くなるのは仕方ないにしても、目の前でただ俯かれるのもこっちとしては反応に困る。

 

 

「……」

 

「おい、オルコット。別に何もしないから……」

 

「霧夜さん!」

 

「へ?」

 

「申し訳ありませんでした!」

 

 

 急に大きな声で俺の名を呼んだかと思えば、その場に勢いよく正座すると、おでこを地面につけて土下座してきたではないか。オルコットとしたは謝罪したいんだろうけど、突然の土下座に思わず間抜けな声を出してしまう。以前のオルコットの立ち振舞いを見ていれば、このような反応をするのも仕方ない。

プライドの高いオルコットが土下座をするなど、考えたこともなかった。

 

おでこをつけた床が水気で湿っていく、髪が濡れているからじゃなく、オルコットが涙を流しているからだ。再び顔を上げると、その顔は涙でくしゃくしゃになっていた。

 

 

「霧夜さんの身内を軽蔑したことと、今までの非礼の数々を謝罪させてください!!」

 

「……」

 

「今になってようやく、自分の愚かな行動から目を冷ますことが出来ました! わたくしが謝罪したところで許されないことは分かってます!!」

 

 

 そこにはイギリス貴族としてのプライドも何も無かった。あるのはただひたすらに、俺に対して謝罪したいという懺悔の心。

生まれて十六年、随分と時間がかかったけど気がつけたんだな。自分の今回起こした行動を、そして今までの自分の考え方が人としてあるまじき行為だということが。

 

一度犯したミスをいつまでも振り返らずに堕落していく人間もいれば、時間をかけてでも気がつき、振り返ることが出来る人間もいる。

 

 

「わたくしにも蔑ろにされたくない大切な人間は居ます! なのにそれをそっちのけで霧夜さんのことを―――「はい、ストップ」……え?」

 

 

オルコットは言葉が思い付く限り謝罪を続けようとするが、俺は尚も謝り続けようとするオルコットを一旦止める。恨んでいるであろう人間がどうして自分の謝罪を止めたのか、その意図が分からずに、オルコットはただ呆然と俺の顔を眺めていた。

 

呆然とするオルコットを刺激しないように、なるべく優しく話を切り出す。

 

 

「もう別に怒ってねーよ。言ったことが言ったことなだけに、お前はかなり引け目を感じていたみたいだけどな」

 

「そんな!? でも!」

 

「確かにあの時は怒っていたさ、今でも思い返せば気分は良くない」

 

「だったら!」

 

 

 簡単に許されたことに納得がいかないと抗議してくる。俺に殴られることでも覚悟してきたんだろう、涙を溜めるオルコットの瞳からは決意というものを感じ取れた。当然だけど女性に手をあげることなんてしたくないし、あげるつもりもない。自分に本気で危害を加えようとしないのならだけど。

 

もしかしたら男性に対する妙な固定概念が、オルコットにはあるのかもしれない。

例えば、夕方にやっているようなテレビドラマの警察署を思い浮かべてみてほしい。ドラマの警察署はどちらかというと薄暗く、タバコが立ち込める部屋に鋭い目付きの警官がいるというイメージがある。でも実際の警察署はそうではない。

 

同じようにあまり男性と接したことがない女性の男性のイメージはどうだろうか。相手が知らない男性だとしたら、少なからず恐怖心というものは持つだろう。つまりオルコットは男性を怒らせてしまったら、そう簡単に許してくれないという認識を持っていたとしても不思議ではないが、あくまで推測な為、本当かどうかは分からない。

 

とにかく、オルコットがどれだけあの一言を後悔して、反省しているのかくらい今の泣き顔を見れば分かる。

 

 

「お前は俺にきっちり本心で謝罪してきた。だったら俺はこれ以上、お前を責めることなんて出来ないよ」

 

「形だけの謝罪だと疑わないのですか!? もしかしたら……」

 

「……じゃあ聞こうオルコット。お前のその謝罪は形だけなのか?」

 

「いいえ! 霧夜さんに殴られようとも、わたくしは謝罪しようとここに来ました!」

 

 

申し訳ないと思ってした謝罪ではなく、ただ許してもらおうと思ってした謝罪なのかという問いに対し、オルコットは即答でこれを否定した。

……ったくこのお嬢様は、どこまでも頭が堅くて真っ直ぐなんだな。

 

俺と一夏にとっていたあの態度も、自分が代表候補生として取り繕っていた態度だった。その証拠に高圧的な態度も、見下す姿勢も影を潜めている。

 

こういう仕事柄、人が今どんな感情なのか、それは本心から思っていることなのかを判断するのはそう難しいことではない。ましてやオルコットのように喜怒哀楽がはっきりしている人間なら尚更。嘘をつこうとしたり、本心からの謝罪ではない時の目線は、絶対に相手の目を見ようとしない。

 

少なくとも俺にはオルコットが反省していないようには見えなかった。

 

 

「ならいいじゃねーか。俺はもう気にしてもいないし、オルコットのことを殴ろうとも思わないよ」

 

「どうして許せるのですか? わたくしは貴方の家族を……」

 

「ああ来ればこう来るなぁ」

 

 

どうしてオルコットのことを許せるのか、正直俺にも分からない。家族をバカにしたことは、俺にとって許しがたいことにかわりない。

でも誠心誠意謝ったことに対して、突っぱねることも出来ない。人間誰でも失敗する、その失敗は小さいものから大きなものまで様々だ。

 

大切なのは、その失敗をそのままにせずに次に生かすこと。オルコットは今回、人の家族をバカにするという失敗を犯した。でも、それを悔い改めて次に繋げようとしている。オルコットは謝罪という形でキチッとけじめをつけたのだから、それを俺がいつまでもネチネチと引きずっているのは馬鹿らしい。

 

 

「あのなオルコット、人として一番あるまじき行為ってのは反省をしないことだ。でもお前はこうして俺に謝罪しに来ただろう?

誠心誠意謝ってきたことを突っぱねたら、今度は俺が俺自身を許せなくなる。俺の姉さんならこういうだろうな、男ならそれくらい笑って済ませれないでどうするってな」

 

「霧夜さん……」

 

 

まさか千尋姉の名前まで出すことになるとは思わなかったが、その効果は大きなものだった。オルコットの表情を見て納得したことが分かると、ホッと胸を撫で下ろす。

 

一年間、共に学生生活を送ることになるのだから、わだかまりというのは無くしておきたい。このいざこざも神様が与えた悪戯だと思って全て水に流そう。

 

 

「これから最低でも一年、一緒に生活していくことになるんだ。最初に少し躓いてしまったってことで、水に流そう」

 

「ありがとう……ございます」

 

「この件は俺以外の子にも……特に一夏にはきっちり話をつけるんだぞ?」

 

「は、はい! 霧夜さんの寛容な心に感謝いたしますわ」

 

 

 ごしごしと目を擦って涙を拭き取る。この様子ならもう大丈夫だろう、これから突っかかってくることも無さそうだ。ただ、いくら千尋姉のことを馬鹿にしたとはいえ、オルコットにはかなり怖い思いをさせちまったのは事実だよな。

 

 

「後悪かったな、あの時怒ったこと。俺としても少し言い過ぎたって思ってる」

 

 

 恨んだ相手は一生忘れないなんていうけど、きちっと謝罪をしてきた相手に対しては、自分がした非礼を詫びることにしている。

この場合、必要以上に相手を怖がらせてしまったことについて。現にオルコットがここに来た時、ガタガタと身体を震わせていた。人心把握が得意じゃない人間でも分かるくらいに、俺に対して怯えていたのだ。

オルコットの中ではあの出来事が少なからず、トラウマになっている。だから少しでもそのトラウマを消してやりたい。これから学生生活を送る仲間として、いつまでも怯えられたままでいてほしくないからだ。

 

軽くその場で頭を下げるが、オルコットはその意図が分からずにキョトンとするだけ。数秒経ってようやくその意図に気が付いたのか、慌てながら手を横に振ってきた。

 

 

「あ、謝らないでください! 今回非があるのはわたくしの方で、霧夜さんは何も悪くないですわ!」

 

「俺が怒ったことで、オルコットに少なからず恐怖感を与えちまったのは事実だ」

 

「う……い、いえ! そんなことありませんわ!」

 

「ったく、強がるなっての。本当に怖がってなかったら、今みたいにつっかえることもないだろ。オルコットの性格なら」

 

「……」

 

 

軽く笑いながら返すと、言い返す言葉が見当たらないのか黙ってしまう。ちょっと言い過ぎたかもと思いつつも、俺はさらに言葉を続けた。

 

 

「とにかく俺はもう本当に怒っていないからさ、あまり気にしないでほしい。自己紹介でも言ったけど、俺としては気楽に話し掛けてくれればありがたい」

 

「あ……」

 

「ま、とりあえずさ。これから一年よろしくな、オルコット!」

 

「はい! こちらこそよろしくお願いしますわ!」

 

 

オルコットの俺に関するトラウマも少しは取れたのかもしれない。今までどことなく引きつった表情でつっかえてた言葉が、微笑みを浮かべながらすんなりと出てきていた。

 

 

「また戦おう。今度はもっと強くなって、オルコットを倒してみせる」

 

「ふふっ♪ 今度はわたくしも負けませんわ! 後これからわたくしのことは、セシリアとお呼び下さい」

 

「ああ、分かったよ」

 

「それでは一夏さんにもお話があるので、これで失礼させてもらいます。本当に色々ありがとうございました」

 

「ああ」

 

 

本当の意味での仲直りをした後、ぺこりと綺麗なお辞儀をして、そのまま二つ隣の部屋へと向かったセシリアを見送りつつ、ドアを閉めた。

明らかに呼び方が変わっている人物がいることに気付くのは、そう時間がかからないことだった。

 

……一夏さん、ねぇ。

 

俺にも自分のことを名前で呼んで欲しいって言ってたから、偶々かもしれないけど、一夏の場合は偶々な感じがしないんだよな。

一夏の名前を呼んだ時に、セシリアの顔がほのかに赤くなるのを見逃さなかった。結論から言ってしまえば、また女性を落としたのかと言いたいわけで。

当の本人は全く気がついていないんだろうから、ある意味天才的な才能だよな。

 

入学する前にも、千冬さんから一夏の無意識に女性を落とすスキルは聞かされていたが、まさかここまで凄いものとは。これで篠ノ之もライバルが増えて、さらに大変になることだろう。俺にはもう頑張れと言うことしか出来ない、頑張ってくれ。

 

 

セシリアとも和解し、部屋の中で待っているであろう楯無さんの元へと戻る。

 

 

「すいません、お待たせしました」

 

「いいのよ。話はもう終わったのかしら?」

 

「はい、何とか一段落しました」

 

 

今度は椅子に座らず、近くにあったベッドに腰掛けて、俯き加減で楯無さんの声に返答する。喉の渇きも忘れるくらいの話だったため、座って気が抜けた途端に急激な喉の渇きと身体の疲れが押し寄せてきた。

 

とはいえ、一度座ったのに立ち上がるのもいささか面倒くさい。飲み物を取りに行こうかどうしようか悩んで いる最中、ふと異変に気が付いて顔を上げる。

 

見上げた先には二つの椅子が見えた。一つは俺がさっき座っていた椅子。俺自身はベッドに腰掛けているから、空席なのは不自然ではない。むしろ誰か別の人間が座っている方が不自然だ。

 

問題なのは俺の座っていた椅子ではなく、もう片方の椅子だ。その椅子とは楯無さんが座っている椅子のことを指す。俺が寝ぼけて見間違えているのか、その椅子に楯無さんの姿が見えない。

あれれ~おかしいぞー? とかいう台詞が聞こえてきそうだが、そういう問題ではない。俺が俯いた僅か数秒の間にどこに消えたというのか。

 

少なくとも部屋の外に出ていないことは分かる。いくら俯いているとはいえ、目の前を通ればさすがに気がつく。よって部屋からは出ていない。

 

 

―――ギシギシッ

 

 

ふと部屋内に何か弾力があるものを踏んだような音が鳴り響く。

 

弾力があるものってこの部屋に何かあったっけ。床は違うよな、音が鳴ったとしてもこんなにハッキリとした音にはならないだろうし。

じゃあ上の部屋の音がこの部屋に伝わってきたとか。足音とから上から下に伝わりやすく、上の部屋の住人には些細な音だと感じても、下の部屋の住人にとってはかなり大きな音となることもある。逆に声なんかは下から上に伝わりやすい。だからアパートなんかに一人暮らしで住んでいる人間は、間違っても歌を歌ったりしたらだめだぜ、丸聞こえだからな。

 

つまり上の部屋の住人の足音が伝わってきているのか。それなら納得………ってちょっと待て。何か音が後ろから近付いてきていないかこれ?

 

 

「えい♪」

 

「どわぁっ!?」

 

 

 刹那、後ろから伸びてきた手が俺の上半身をとらえる。さっきから鳴り響いていたギシギシという音は足音ではなく、ベッドが踏まれて軋む音だった。

などと冷静に考えている暇ではなく、慌ててその手の正体を確認するために後ろを振り向く。

 

 

「た、楯無さん!?」

 

 

 俺のことを後ろから抱きしめたのは楯無さんだった。表情はからかう獲物を見つけてたことで、嬉々としている。途中から姿が見えなかったのはこの為かと思いつつも、楯無さんを引き剥がそうと試みる。が、なかなか離れてくれない。

 

何だろう、こんな経験つい最近あったような気がする……。

 

 

「ちょっ、何してるんですか!?」

 

「何って……ジェットコースターごっこ?」

 

「何で疑問形なんですか!? は、離れてくださいよ!」

 

「あら、いいじゃない。減るものでもないし♪」

 

 

あーもうこの人は! 何をどうしてでも俺のことをからかいたいらしい。

ジェットコースターごっこって……俺が搭乗者で楯無さんが椅子役か、こんな椅子があったら皆乗りそうだな、特に男子。

制服の上からでも伝わってくる柔らかな二つの丘が、形を変えて押し付けられる。千尋姉ほどではないが、これもなかなか……などと思いながらも、少し力を込めて強引に引き剥がしにかかる。

 

正直耐性が無かったら危なかった、この時ばかりは千尋姉の抱きつき攻撃に感謝したい。

 

 

「はい! ジェットコースターごっこは終わりです!」

 

「あん……もう。強引にはがさなくても良いのに。ちょっとした冗談じゃない?」

 

「冗談にしては大分過激だったと思うんですけど! まさか皆にこんなことしてるんですか?」

 

「さぁ、どうでしょう?」

 

 

い、意味深すぎる。やっているようにも思えるし、やっていないようにも思える。本当に読めない人だ。これだけを見ると本当に更識家の当主なのか疑問にも思えるが、ようは掴み所が無い人ってことなんだろう。後、結構場を掻き回したりするのも好きそうだ。

 

 

「そろそろ私は行くけどその前に……」

 

「……今度はどんな悪戯をするんでしょうか?」

 

「悪戯じゃないわ、ただの連絡先の交換よ」

 

 

帰る前にどんな悪戯をしてくるのかと身構えるが、今度は悪戯ではなかった。差し出してくるのは携帯電話で、画面には赤外線通信準備中の表示が見える。いつから用意していたんだろうか。

 

どうでもいいが、楯無さんの携帯についているストラップは、可愛らしい猫のストラップだったりする。ちなみに俺は小さな銀色の指輪がついたストラップだ。本当にどうでもいい情報だなこれ、特に俺の情報。

 

差し出した楯無さんに俺も合わせるようにポケットから携帯電話を取り出し、赤外線ポートを楯無さんのポートに合わせて、俺の電話番号とアドレスを楯無さんの携帯に転送した。

 

続いてそのまま俺は受信画面に切り替え、同じようにポートを合わせる。今度は楯無さんの連絡先が送られてきた。連絡先をクリックし、登録を完了させる。

 

 

「暇な時にまた連絡するわね♪」

 

 

帰り際にどこから出したのか、扇子をパッと開く。いつものように文字が刻まれている。

 

……『また明日』って明日も来る気満々じゃないっすか楯無さん。生徒会長ってそんなに暇なんですか?

てっきり仕事が多くて大変だというイメージを持っていたんですけど。楯無さんを見ていると生徒会の人間が全員同じタイプではないかと思ってしまう。

 

 

 

「はい、また今度」

 

 

俺の返事を満足そうに頷くと、楯無さんは俺の部屋を後にした。楯無さんが去った後数分はその場に立ち尽くし、そのままベッドに倒れ込む。

 

まるで嵐のような人だったな。でも折角知り合ったわけだし、あの人とも仲良くやりたい。

 

とりあえず楯無さんのことはひとまず置いておこう。それよりもどうしても言いたい一言がある。

 

 

「……疲れた」

 

 

―――人間疲れには勝てない。

 

夕食にいくまでの小一時間、俺は部屋で少しばかり仮眠をとるのだった。



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第二章‐Chinese transfer student‐
IS訓練で一波乱


「一年一組のクラス代表は織斑一夏くんに決定です。あ、一繋がりでいい感じですね♪」

 

「「はーーーーい!!!」」

 

 

さわやかな快晴が広がるIS学園、一年一組の教室では朝のショートホームルームが行われている。朝一番だから皆のテンションが低いと思えば、むしろその逆。お酒でも入っているのではないかと疑うほどの活気に包まれていた。

 

クラス代表決定戦の翌日、山田先生の言葉通りクラス代表が一夏に決定した。一夏になった理由は俺とセシリアが辞退したから。セシリアが何思って辞退したのかは知らないけど、俺の場合はクラス代表を務める時間がない。本職と楯無さんとの共同に、クラス代表なんて引き受けてしまったら身体がいくつあっても足りない。

 

俺からすれば予定調和だが、一夏からすれば完全に予想外のこと。目を見開いたままあんぐりと口を開け、鳩が豆鉄砲食らったような表情を浮かべながら、呆然としている。

本当なら戦った三人のうち、勝った俺とセシリアのどちらかがなるのが道理なんだけど……まぁそこは一夏に期待を込めてということで。

 

べ、別に面倒くさいって理由が全割合を占めているわけじゃないぞ? ほんの九割くらいだから。

 

自分がクラス代表になったことに納得が行かないのか、一夏はふるふると身体を震わせ、壊れたロボットが動くように右手をガタガタと上げていく。

 

 

「あの、山田先生……質問いいですか?」

 

「はい♪ 織斑くん。どうしたんですか?」

 

 

一夏の質問を満面の笑みで了承する山田先生。山田先生の笑顔はいつ見ても癒されます。

 

 

「何で俺がクラス代表なんでしょう。結果から行けば俺じゃなくて、大和かオルコットですよね?」

 

「あ、それはですね……「それは私が辞退したからですわ!」」

 

 

予想通り、一夏の質問は自分がクラス代表になったことに、納得がいかないというものだった。普通に考えたらそうだよな、まさか勝っていないのにクラス代表になるだなんて。一夏の質問に山田先生が答えようとした刹那、今度はセシリア自身が立ち上がってその経緯を説明し始めた。

 

ここだけの話、セシリアは俺のところに謝罪しにきた後、全員のクラスメイトの部屋を謝罪しに回ったらしい。もちろん今日の朝学校にきた俺はその事実を聞かされておらず、教室に来た時に逆に質問された。俺も昨日、話を皆につけとけよとは言ったものの、まさか昨日のうちに全員のところに回っていたとは驚きだ。

 

謝罪を受けた子は皆、俺の話をセシリアが切り出した途端に、あの時の一件を思い出してしまったらしい。何だかんだで軽くトラウマになっている子もいるということ、これに関しては俺も反省しなければならない。

ただ俺とセシリアが和解したということを知ると、安堵の表情を浮かべたという。

 

先週、垢が抜ければそんな悪い人間には見えないと言ったけど、実際その通りだった。俺も色々セシリアのことを調べたけど、彼女にも過去に色々なことがあったらしく、必死だったことが分かると、それ以上言及する気は完全に無くなった。

 

絶対に甘いよって言われるかもしれないけど、これが俺だからその辺は理解してくれ。

 

セシリアは自分が辞退したということを伝えると、周りからは歓声が上がる。

 

 

「セシリア分かってる~♪」

 

「だよね~! 折角、男子がいるんだもん。持ち上げないとね!」

 

「私たちは貴重な経験を積める!他のクラスの子に情報が売れる!」

 

「一粒で二度美味しいっていうのは、まさにこの事だよね~!」

 

 

こらこら、言っている先から人の情報を勝手に売らない。まぁセシリアが辞退したからとはいえ、一夏はまだ、納得していないだろうな。俺は俺で一夏に勝ったセシリアに勝ってしまったわけだし。

 

 

「なっ……なら大和の方が適任じゃないのか!?」

 

 

セシリアが辞退したからという理由を聞いたものの、何で大和じゃないんだと一夏は、後ろを振り向いて抗議してくる。

 

 

「それは俺も辞退したからだ。一夏にクラス代表を頑張ってもらおうと思ってな」

 

「り、理不尽だぁ!!」

 

 

神は死んだとばかりに頭を抱える一夏だが、俺としても本当の理由を話すわけにはいかない。敗者に言葉はないなんて言うけど、それを一夏に言ってしまうと俺が完全な押し付けをしているみたいだし。

けど一夏が引き続き抗議をしてこないところを見ると、どことなく感付いている気はず。とりあえず、一言だけ付け加えておくとしよう。

 

 

「お前は守るんだろ、織斑先生を?」

 

「なっ、き、聞いてたのか!?」

 

「聞いているも何も、ピット内のモニターで筒抜けだったって。厳しいことを言うようだけど、今の力のままじゃ守るなんてのは無理だ」

 

「うぐっ……」

 

 

一夏は図星をつれたことに意気消沈して、がっくりと頭を垂れる。絶対に勝つと言ったのに、つまらないミスで負けてしまった手前言い返すことが出来ないのだろう。それに家族を守ると一夏は言ったが、千冬さんは現役を引退して教師をしている今でも力は顕在。学園中の代表候補生が束になっても返り討ちにされるレベルだ。

 

千冬さんにとって一夏は守る対象に入っている。その立場が逆転するのはまだまだ遠く、下手をすれば一生追い付けないかもしれない。

 

俺は、落ち込む一夏にさらに話を続けていった。

 

 

「少し言い方が悪かったな。遠かろうが近かろうが、お前には明確な目標と目的がある。だからお前の方が、クラス代表に的確だと思ったんだよ。家族を守るのならそれ相応の力と経験を積まなきゃいけない、それにはクラス代表がうってつけだろ?」

 

「や、大和……」

 

 

何その、俺は今猛烈に感動していますとでも言わんばかりの顔は。いきなり感動されても俺としては反応に困る。

俺が一夏にクラス代表を任せるための説得は、現在進行形でクラスに伝わっていて、聞いているクラスメイトの数人かが男の友情だとか、やっぱり二人って出来ているんだなどと口々に言う。

最初のは良いけど、最後のは完全にアウトだ。

よし、後で俺とゆっくり『OHANASHI』しようか、場所はそうだな……屋上なんかどうだろう。

 

さて、話を戻そう。つまり色々な理由があって、クラス代表を辞退させてもらったということを一夏に伝えた。

 

 

「まぁそういうわけだ。任せたぜ、新クラス長!」

 

「ああ!! 俺も大和や皆の期待に応えられるように頑張るよ!」

 

 

どうやら一夏も納得したみたいだ。こうしてクラス代表が一夏に決まったわけだが、俺と一夏の会話が終わるのを待っていたセシリアが、話に区切りがついたと同時に口を開く。

 

 

「そ、それでですわね一夏さん。私も今回のことを深く反省いたしまして……」

 

「へ……って一夏さん!?」

 

 

 今まではセシリアにあなたと呼ばれていた一夏だが、呼び方が完全に変わったことに気付き、驚きの声をあげる。

もはや今のセシリアに以前の面影はなく、意中の男性にアピールする恋する乙女に早変わりしていた。人って昨日の今日でこうも変わるもんなんだな、恋ってやっぱりすげぇ。

 

本来なら何だ急に!? と深く言及するものだが、そこはさすがの一夏、全く気にしていない。はじめの行いが祟って、自分の印象はかなり悪いと思っているらしい。

正直俺も、特に一夏はあまり深く根に持つような人間ではないため、以前した行いについてはもうあまり気にしてはいない。覚えてはいるけどな、当然だけど。

 

そのマイナスを何とか埋めていこうと、自分の席を立ち、わざわざ一夏の席の横に来て積極的にアプローチをかけていく。一応まだショートホームルームの時間なんだけどな。

 

 

「ご迷惑でなければ、一夏さんの操縦をコーチしようと思いまして……」

 

「えっ、本当かオルコット!?」

 

「ええ! 勿論ですわ! それから私のことはセシリアとお呼びください。これからは色々一夏さんとも親睦を深めていきたいですので」

 

「おお、そうか! 操縦のことはあんまり分からないから助かるよセシリア!」

 

「い、いえ! これくらい造作もないですわ!」

 

 

操縦を教えるという提案を快く承諾した一夏に、セシリアは顔を赤らめて喜んでいる。手をもじもじさせながら、チラチラと一夏の顔を見上げるところなんか初々しいよな。何か続けて言おうとするのだが上手くまとまらないのか、モゴモゴと唇を動かしながら会話を考えている。

そんな二人をよそに、俺は視線を窓際の方へと向けた。

 

 

「……(ミシミシミシッ!!)」

 

 

……見なかったことにしよう。うん、俺は何も見ていない。窓際でシャーペンを潰さんばかりに握りしめている篠ノ之なんて俺は見ていない。

 

その握力は如何に。両手で折ろうとしているのではなく、片手で握りしめている音だからなお恐ろしい。音的にもうそろそろ限界か、ミシミシという音が止まりはじめて、悲鳴すら響かない状況に。シャーペンの心の内を代弁するとするなら『もう限界です!』だろう。八つ当たりされているシャーペンが実に気の毒だ。女の子の恋って怖いな。

 

篠ノ之の目はいつも以上につり上がり、ジッと一夏の方を見つめている。篠ノ之の異変には、篠ノ之の隣の子も後ろの子も気付いていない。何で俺だけ気付いてしまったのかと、今現在かなり後悔している。

 

頼むから何も起こらないで欲しいと願うわけだが、そういう時こそ何かが起こってしまうもの。そしてそれは現実になってしまった。

 

 

「で、ですからこれから放課後は毎日私がーーー」

 

 

面倒を見る、とでも言おうとしたんだろう。

 

しかしその言葉が発せられることはなかった。バンッという机を叩く音と共に立ち上がるは篠ノ之、不機嫌な表情を隠そうともせずにセシリアのことを睨み付ける。まるでお前に一夏は渡さんと言わんばかりに。

 

 

「生憎だが、一夏の指導は私がすることになっている。お前が面倒を見る必要はない!」

 

 

感情に身を任せて激昂している訳ではないものの、明らかにその言葉には怒気が込められている。何故今更になって面倒を見るなどと言い出したのかと。

ただ篠ノ之の場合は怒っているというよりも、一夏を取られるかもしれないという危機感と焦りの方が強いようにも見受けられる。

出会ってから一週間ちょっとしか経っていないものの、何となくではあるが篠ノ之の性格というものを理解してきつつある。普段は真っ直ぐなのに、一夏に対しては頑固すぎて素直になれないんだろうな。一般世間ではこういうのをツンデレともいう。

 

篠ノ之から睨みを当てられるセシリアだが、何のそのとばかりにいつもの気品あふれる姿勢を崩さず、勝ち気な口調のまま篠ノ之に向けて言い放つ。

 

 

「あら。あなたはCランクの篠ノ之さん、Aランクの私に何かご用かしら?」

 

 

ったく、その意味の分からん喧嘩口調は止めろっての。口は災いの元って言うし、また喧嘩の要因になりかねないぞ。セシリアからすれば、何気ないIS適正の話を持ち出したに過ぎないのだが……

 

 

「なっ!? 人を教えるのにランクは関係無いだろう!!」

 

 

 自分のIS適正が低いことを指摘され、思った以上に篠ノ之は動揺していた。IS適性は操縦者がISをより上手く操縦するために必要な肉体的素質のことで、値が高ければ高いほどISをうまく使いこなせる可能性は高い。とはいうもののそれは絶対値ではなく、訓練や経験を積むことで変化することもある。とはいえ、現時点でセシリアよりもIS適性が低いことは事実、篠ノ之は図星をつかれて言葉を詰まらせる。たった一人の男をめぐる戦争がこんな些細なことで勃発するとは、一夏も隅におけないな。

 

と、このままさらに二人のにらみ合いが続くと思われたが。

 

 

「くだらん争いをするな、馬鹿共が。さっさと席に座れ!」

 

 

どこぞの処刑用BGMと共に千冬さんが現れた。今は誰が管轄している時間か、忘れていたとは言わせない。先ほどまで教室の隅で腕を組みながら様子を見守っていた千冬さんだが、このままでは一向に話がつかないと思ったのか、すたすたとセシリアと篠ノ之に近づき……

 

 

「いっ!?」

 

「へうっ!?」

 

 

強烈なまでの一撃を篠ノ之とセシリアの両者に食らわせる。出席簿による一撃は脳細胞を何個破壊したのか、思わず数えたくなるほどに爽快な音だった。あまりの痛みに、二人は涙ながらに頭を押さえてその場にうずくまる。

 

 

「お前たちのランクなどゴミだ。私からしたらどれもひよっ子だ。まだ殻も破れていない段階で優劣を付けようとするな」

 

 

 振り下ろした出席簿を片手に容赦のない言葉を飛ばす。千冬さんのISランクはSで、世界にも僅か数人しかいないと呼ばれている。モンド・グロッソ第一回格闘部門と総合部門での優勝者の千冬さんなら、その気になれば二人を瞬殺することも出来る。

セシリアは頭を押さえながら千冬さんに抗議の目を向けて、何か言いたそうにするが、その言葉が事実であるために何も言えずに自分の席へと戻っていく。

 

 

「代表候補生でも一から勉強してもらうと前に言っただろう。くだらん揉め事は十代の特権だが、あいにく今は私の管轄時間だ」

 

 

千冬さんの管轄時間にふざけたことをやろうものなら、もれなく出席簿のプレゼントが付いてくる。そういう手の人だったら喜ぶかもしれないけど、俺としてはそんな特典は欲しくないない。大人しくしているとしよう。

 

 

「クラス代表は織斑一夏、異論はないな?」

 

 

バタバタとしたショートホームルームを終え、各自授業の準備へと取りかかり始めた。

 

 

 

 

 

 

 時間は流れて本日最後の授業。準備を終えた一組のクラスメイトは、全員グラウンドに来ている。というのも、これから一組はISの実習に入るからだ。まだ千冬さんも山田先生もグラウンドには来ておらず、俺たちの前には待機状態の打鉄が置かれていた。

 

IS実習に取り掛かる前に何だが、現在の状況は思春期の男子にとって非常にまずい状況とだけ伝えておきたい。

先日のセシリアの戦いで、女性のISスーツがどんなものなのかは把握していた。だがいざ現実を目の当たりにすると、その威力は相当なものだということに気付く。ISスーツとは名ばかりで、もはやスクール水着にしか見えない。露出が多く、一人一人のボディラインがくっきりと浮かび上がってしまうスーツは、育ち盛りの女の子のそれを隠せるものではなかった。

 

水着と違う部分といえば足を覆い隠す膝上サポーターが付いていることぐらい。しかし逆にそれが男にとっては目の毒にしかならない。直視することなんて出来るわけないし、最悪面と向かって話すのも恥ずかしいレベル。くっきりとボディラインが浮かんでしまうせいで、サイズが大きい子なんかと話す時は苦労しそうだ。

 

俺と一夏は身長的に一番後ろに立っているため、必然的に周りの状況が見えてしまう。一夏も一夏で出来る限り視線を上向かせているものの、あまり効果はない模様。恥ずかしさによって顔が紅潮していくのが分かる。早く授業を始めてくれと思いつつ、背筋を伸ばして教師人がくるのを待つ。

 

五列に整列し、千冬さんと山田先生が出てくるのを待っていると、ほどなくして二人がグラウンドに出てきた。

 

山田先生は青色基調のジャージで、胸元までチャックを開けている。……たぶん最後まで閉めてしまうと苦しいんだろう。そして千冬さんは見慣れた白基調のジャージを纏い、腰に手を当てて俺たちの前に立った。

 

 

「ではこれより、ISの基本的な飛行操縦を実践してもらう。織斑、オルコット、霧夜の三名はIS展開後、試しに飛んでみろ。霧夜は前に出て来て打鉄を使って実戦しろ」

 

 

「「はいっ!」」

 

 

 元気よく返事をしたのは俺を含めた三人。列の一番前に場所を移し、俺は千冬さんの指示通りに打鉄の前に立ち、ISを装着した時のイメージをしながら手で触れる。すると明るい光と共に俺の身体に装甲が装着されていった。時間に換算すると一秒ちょっと……まだまだ遅いか。

俺が展開を終えると今度はセシリアが目を閉じる。閉じると同時にイヤーカフスが光り、一瞬のうちに青基調のIS、ブルー・ティアーズが展開された。時間は一秒とかかっておらず、さすが代表候補生だと納得してしまう。

 

さて、後残っているのは一夏だ。

 

 

「よし、俺も!!」

 

 

一夏も同じように目を閉じ、ガンレットのついた右腕を胸元にまで上げてISを展開しようとする。頭の中でイメージはしていけどイメージがまとまり切らないのか、いつまで経っても展開する気配がない。

 

 

「えーっと……あ、あれ?」

 

 

白式が展開しないことに焦り出す一夏だが、千冬さんは容赦しない。

 

 

「早くしろ。熟練したIS操縦者は展開まで一秒とかからないぞ」

 

「うっ……」

 

 

この程度でもたついているようでは話しにならないという檄が効いたのか、再び目をつむってガンレットに左手を添えて集中し始める。

 

 

「こい! 白式!!」

 

 

すると今度は難なく白式の展開に成功し、白の鎧が一夏の身体周りを纏っていく。千冬さんは一夏が白式を展開したことを見届けると、続けて飛ぶように命令をした。凛とした声がグラウンドに響き渡る。

 

 

「よし、飛べ!」

 

「「はいっ!」」

 

 

最初に飛び立ったのはセシリアだった。モーションが少ない洗練された動きから、バランスを崩さないで飛翔していく。そんな後ろ姿を見送りつつも、足を屈伸の要領で少し屈めて、続くようにその後を追うように俺も飛び立つ。体の軸がぶれないように気をつけ、真っ直ぐ大空向けて飛んで行く。俺の前に行くセシリアに追いつこうとスピードを上げて横に並ぶと、並走する俺に話しかけてきた。

 

 

「お上手ですのね、大和さんは」

 

「一応昨日のIS戦で飛んだばかりだしな。まだセシリアみたいにバランスよく飛べないけど」

 

「そんなことありませんわ。まだまだ私も修行中の身ですから」

 

 

と―――

 

 

「どわぁぁあああああああ!!?」

 

 

 たわいのない話をしていると後方から一夏の悲鳴が聞こえてきた。何事かと思い、ISについているハイパーセンサーを使って後ろの様子を確認する。そこに映っていたのは進行方向とは全く違う方向に飛び上がり、フラフラとした今にも墜落しそうな飛び方で俺たちのかなり後を着いてくる一夏の姿だった。悲鳴が聞こえた瞬間、何かトラブルでも起きたのかとひやっとしたが、ただ単に一夏がうまく飛べていなかったものだと分かると、溜息を吐きつつ再び前に視線を戻す。

 

俺の気のせいだったらいいんだが、今日の一夏の飛行技術より昨日の飛行技術の方が上だと思うのは気のせいなんだろうか。

スペック的には俺の機体なんかよりもはるかに高いはずなのだが、飛び立ってからしばらく経ったにもかかわらずフラフラと危なっかしい飛行を続けていた。

 

 

『遅い! 何をやっている! スペック上の出力では白式が上だぞ』

 

 

そんな一夏を見かねたのか、オープンチャンネルから千冬さんの檄がとんでくる。少しスピードを落として、俺は一夏の横につける。遅いとは言われるものの、一夏はどうすればスピードが上がるのか分らず首をひねるだけだ。

 

 

「よう一夏、大丈夫か?」

 

「いや、全然だ。……自分の前方に角錐を展開するイメージだっけか。何だよ角錐って」

 

 

うなだれている一夏に声をかけると、どうやってスピードを出せばいいのか分かっていないみたいだ。下手なイメージをするとスペック的に高い白式だろうから、猛スピードでどこかにぶつかるまで止まらないことだろう。一夏も俺もISに乗って時間も経っていないことだし、互いにアドバイスし合えることは少ない。

 

どうしようか考えていると、一夏の右隣にセシリアがスピードを落として近寄ってきた。

 

 

「イメージは所詮イメージ、自分のやりやすい方法を模索する方が建設的でしてよ?」

 

 

仕組みが分からず悩む一夏と俺に、セシリアが頬笑みながらアドバイスを送ってくる。確かにその通りだと納得する。教科書や参考書はあくまでイメージであり、それが必ずしも自分に合うとは限らない。だから自分が『自分の前方に角錐を展開するイメージ』を、別のものに思い浮かべればいいわけだ。

言われてみれば俺はこうやって飛ぶ時、鷲や鷹が空を飛ぶイメージしている。俺はその助言に納得できたが、一夏は逆に自分のやりやすい方法が定まっていないために顔をしかめたままだった。

 

 

「って言ってもなぁ。そもそもどうやって浮いているんだこれ?」

 

「説明しても構いませんが長いですわよ? 反重力力翼と流動波干渉の話になりますので」

 

 

うん、まずはその反重力何たらだの流動うんたらの説明からしてくれませんかねぇセシリアさん。普通の人間が言われれば、十人中十人が何それおいしいのというレベルの単語が発せられた。

セシリア・オルコットのアラビア語講座ってか、どっかの動画サイトとかにありそうだなそんなタグ。

 

 

「だ、大丈夫だ、問題ない。大和は今の分かったか?」

 

 

単語の意味が分からず、ギギギと俺に同意を求めてくる。今回ばかりは俺も同意させて貰おう、はっきり言って意味が分らん。

 

 

「お前と同じだよ一夏。さすがに専門用語出されても分からない」

 

「だよなぁ……でも大和も飛ぶの上手いよな。どんなイメージしてるんだ?」

 

「空飛ぶ鳥をイメージしているな。身近で良く見る飛んでいるものだから、俺としてはかなりイメージしやすかったし」

 

 

ハイパーセンサーで視覚補助が入っているわけだし、鳥っていうのは実態的な意味でもかなりイメージがしやすいものだ。

鷲や鷹の視力は人間の約十倍にもなる。両手を羽に置き換えればイメージはしやすい。

これで一夏に伝わったかどうかは分からないが、訳が分からないと言わんばかりの硬い表情はとれた。

 

 

「な、なるほど……自分がイメージしやすいものか」

 

「そ、その一夏さん。よろしければ……」

 

 

まだイメージが纏まらない一夏に、セシリアが再びアプローチを仕掛けていく。これを口実に放課後の特訓を約束しようとでもいった魂胆なんだろうけど、果たしてそう上手くいくか。

またもや何気なく、地上の様子をハイパーセンサー越しに確認する。するとクラスメイトの面々が心配そうに、上空の様子を眺めているのが見えた。そして視線を横にずらしていくといつも仲良くしている三人の姿が見える。布仏は相変わらずのほほんとしてるな……あれ、確か布仏の名前って本音だったっけ。苗字と名前を略すとのほほんになるな。

以前あだ名を付けようと考えていたけど、こりゃとんだ偶然にひらめいたものだ。よし、これから布仏のあだ名はのほほんさんにしよう。

 

……って言っても良く考えてみれば、俺ってあだ名でひとを呼ぶタイプじゃないよな。今まで通りで行くか。

 

さらに視線をずらしていくと今度は篠ノ之の……不機嫌そうな表情が映った。どこまで見えているのか分からないが、セシリアと一夏の横の距離が近いことが気に食わないのだろう。

 

 

『オルコット、霧夜、織斑。急降下と完全停止をやってみせろ』

 

 

不意にオープンチャンネルより指示が飛んでくる。もうちょっとのところでお誘いを止められてしまい、少し名残惜しそうな顔をするが、すぐに切り替えて返事をした。

 

 

「では一夏さん、大和さん。お先に」

 

 

俺たちに軽くほほ笑むとスピードを上げて、真っ逆さまに急降下していく。スピードに乗った新幹線が横切るような音をたてて地表へと迫り、地面まで十数メートル程の距離に近づくと、体勢を立て直して足から綺麗に着地していった。

 

 

「へぇー、上手いもんだなぁ」

 

 

一夏の口から感心する言葉が漏れる。もしセシリアにこの言葉が聞こえていたとしたら、凄く喜んでいたに違いない。喜んでいる風景が容易に想像できた。

セシリアが地上に降りたところで、残っているのは俺と一夏の二人だけだ。ここで思うのはトリにだけはなりたくない思い。

 

一夏がどう思ったのか知らないが、俺は最後一人になるのは絶対に嫌だ。よって先手必勝、先に行動させてもらう。

 

一夏と並走していた打鉄のスピードを上げて、白式二機分の距離をとった。

 

 

「じゃあ一夏、お先に」

「げっ! マジかよ!?」

 

 

先をとられたと慌てる一夏をよそに、機体を反転させて真っ逆さまに急降下していく。重力に逆らわない動きであるため、そのスピードは凄まじいものとなっていた。それこそグラウンドの地面に大穴を空けるくらいには。

 

高度を下げていき、徐々にグラウンドにいるクラスメイトたちの顔がはっきりと見えてきた。問題はどこで上体を起こすか、早すぎれば情けない完全停止になり、遅すぎれはそのまま地面に墜落する。前者はまだしも、後者は恥ずかしすぎる。絶対にタイミングを見あやまる訳にはいかない。

 

いよいよ地面との距離が近付いてくる。そして地面との距離が十数メートルを切るか切らないかの時に、一気に上体を起こす。スラスターを逆噴射してスピードを一気に減速させ、地面に着陸した。

 

地表から何センチ離れているか分からないが、とりあえず地面にぶつかること無く、着陸することに成功、機体を完全停止させた。

 

 

「十八センチか。少し遠いがまぁいいだろう。たがいずれは十センチを切ってもらうぞ?」

 

「了解です」

 

 

降り立った俺に千冬は声をかけてくる。目標の十センチを達成することは出来なかったが、特に何かを言われることもなく無事に終わった。

まずは地面に激突しなかったことに満足したい。声に出したら何ふざけたことを言っているんだと言われるだろうから、声に出さずに心にとどめておく。とはいえ思った以上に距離を取るのが難しかった、後は経験を積み重ねて慣れていくしかない。要は練習あるのみだ。

 

俺まで何事も無く無事に終わり、残っているのは一夏だけだ。

いつまでも空中には居ないだろうし、俺のあとを追ってすぐに降下してくるだろう。セシリアと戦っている時は動きも悪くなかったし、目標に多少のズレがあれど無事に着陸することは出来る。

 

期待を込めながら上空を見上げた。すると案の定、急降下しながら降りてくる一夏の姿を確認することが出来る。何だろう、どこか慌てているような気が……。

スピードに乗った白式は勢いそのままに、地表にぐんぐんと迫ってくる。

 

 

「うわああぁああああああ!!? 止まんねええぇえ!!」

 

「はい?」

 

 

 絶叫とともに、目線の先を物体が高速で通り過ぎた。刹那、耳をつんざくような衝撃音とともに、辺り一面を地鳴りが襲う。目を瞑った人間がいたとしたら、何人かは地震が起きたのではないかと思うことだろう。

物体の着弾点からはもくもくと砂ぼこりが立ち上り、辺り一面の視界を遮る。そのせいで着弾点の様子をはっきりと確認することは出来なかった。

ISには絶対防御がついているため、シールドエネルギーが尽きない限りは搭乗者の生命が脅かされることはない。そこに関しては大きく心配することは無いが、大空から超高速で真っ逆さまに落ちたら心配にもなる。

 

……要は一夏がスラスターを逆噴射させて勢いを止めることはおろか、上体を起こすことも出来なかったために、頭から盛大に墜落したってこと。まさか墜落は無いだろうと思っていた手前、期待を裏切られた感覚に陥ってしまう。

 

 

「一夏ッ!」

 

「織斑くん!!」

 

 

篠ノ之と山田先生が先陣を切って落下地点へと駆け寄っていく。少し遅れて千冬さんも落下地点に向かった。

一応クラスメイトの方を確認する。万が一のこともあるかもしれないと思ったが、今の墜落に巻き込まれた子も、特に怪我をした子もいないみたいだ。

今の墜落に一言物申すとするなら、墜落に美学を求めてどうすると言ったところか。操縦がままならず墜落したと思うけど、はたから見ればわざとやったんじゃないかというくらい、迷いのない急降下だった。

 

クラスの子たちも想定外の事態に、どうすればいいのか分からずあっけにとられている。ひとまず打鉄を解除して、俺も一夏の所へ向かおう。

自分の纏った打鉄を解除し、駆け足で一夏のもとへと向かう。

 

落下地点には十数メートルほどの巨大な穴が開いている。その穴の大きさがどれだけのスピードで突っ込んだのかを証明していた。風になびいて砂ぼこりが晴れていき、徐々に視界がはっきりとしていく。

 

すると落下地点の中心に頭を地面にめり込ませ、四つん這い状態で倒れている一夏の姿を確認することが出来た。墜落した衝撃のせいか、一夏の白式は解除されている。頭を地面から出そうと両腕に力を込め、二、三回同じ動作を繰り返した後、ようやく脱出に成功した。

 

 

「いってぇー! 死ぬかと思った」

 

 

頭を押さえながらむくりと立ち上がる。痛がった素振りを見せるものの、特に目立った外傷はない。

 

 

「馬鹿者が、グラウンドに穴をあけてどうする。誰も墜落しろとは言ってないぞ」

 

「うっ……すいません」

 

 

千冬さんから投げ掛けられるのは自分の身を案ずる言葉ではなく、何をしているといった呆れの言葉だった。自分のミスだからなおショックなのか、その言葉にしょんぼりと顔を俯かせていく。

 

 

「情けないぞ一夏! 私が散々教えただろう!」

 

「って言ってもなぁ……」

 

 

教えたことがちっとも生かされてないと、篠ノ之は一夏に対して厳しい口調で言及する。言葉から察するに剣道以外も教えていたってことになるけど、口頭でいくら言っても覚えれないときは覚えれないよなぁ。

実際その教え方がどんな教え方をしたのか分からないし。

 

 

「大体お前はいつも「一夏さんっ!!」わぁっ!?」

 

 

篠ノ之の言及を遮り、セシリアが篠ノ之をどけて穴を滑り降りていく。一目散に一夏のもとへ駆け寄ると膝にてを当てて中腰姿勢をとり、一夏の顔を覗き込んだ。

 

 

「大丈夫ですか!? お怪我は無くって?」

 

「ああ、何とか。ISに乗っていたからな」

 

「そうですか! あ、でも万が一ということもありますし、保健室へ行った方が……」

 

「その必要はない! ISに乗ってて怪我をする訳がないだろう……この猫かぶりめ」

 

「あら、篠ノ之さん。他人を気遣うのは当然のこと、それに鬼の皮を被っているよりマシですわ」

 

 

篠ノ之とセシリアの眉間にシワがより、火花がバチバチと散って一触即発の状況になっている。三角関係の修羅場ってか、女の子って怖いよなぁ。

そんなやり取りを俺の横に並んで見ているのは千冬さん、このままでは収拾がつかないと思ったか、やれやれと鬱陶しそうにしながら穴を滑っていき、未だに口論をしている二人の脳天に出席簿を振り下ろした。

見えるところからの一撃よりも、死角から不意に飛んでくる一撃の方が痛いに決まっている。殴られた二人は目尻に涙を浮かべながらうずくまっていた。

 

 

「授業の邪魔だ馬鹿共、後ろでやってろ!」

 

 

千冬さんの言うこともごもっとも。互いに少しでもアプローチしようと必死なのは分かるけど、(一夏)を取り合うのなら授業以外の時間にやって欲しいもの。

 

 

「うう、心配しただけなのに理不尽ですわ……」

 

「ふんっ……抜け駆けは許さんぞオルコット」

 

「くぅ……」

 

 

どんな好き勝手なことをしようとも千冬さんに逆らえず、二人は渋々戻ってくる。

二人が火花を散らす中、一夏だけは意図が分からず首を傾げながら穴から出てくる。何でこの二人はこんなに仲が悪いのかと考えているんだろうけど、本音を言ってしまえば今日あった二人の言い合いの全てに、一夏が間接的に絡んでます、はい。

俺が言ったところでどうにかなる問題でもないし、一歩後ろから見守らせてもらうとしよう。

 

 

「よし、では授業を再開する。まずは霧夜、打鉄を装着後に武装を展開してみろ」

 

「はい」

 

 

 全員が戻ってきたところで授業が再開される、再び打鉄を身に纏わせて目を閉じ、俺にとって最もイメージしやすい刀状のものをイメージする。すると俺の右手が発光し、光が近接ブレードを形成していった。

セシリアと戦った時から、日本刀を鞘から引き抜く動作からの展開をやめ、完全なノーモーションで展開に切り替えている。

 

以前やった時は展開こそ出来たものの、イメージが固まりきらなかったこともあり、少々時間がかかっていた。

無事に展開を終えて右手にブレードが握られていることを確認すると、改めて千冬さんの方へと向き直る。

 

 

「まだまだだな。0.5秒で出せるようになれ」

 

「はい」

 

 

いい感じだと思ったんだけどな、まだまだ実力が足りないってことか。

 

 

「次は織斑、お前も展開してみろ」

 

「あ、はい!」

 

 

 続いて千冬さんに指示されたのは一夏、先ほどは墜落するという致命的なミスを犯しているだけに、ここで取り返そうと思う気持ちは人一倍大きいだろう。

現に一夏の顔は、白式を展開する時よりも真剣な顔つきをしている。

白式を纏ったまま右手を顔の前に突き出し、左手を添えると俺と同じように光が溢れだし、光が収まった時には一夏の両手には雪片弐型が握られていた。白式の展開よりも圧倒的に早く、これなら千冬さんも及第点だと認めてくれるだろう。

 

 

 

「お前もまだ遅い。0.5秒で出せ」

 

 

ただそこはさすが千冬さんということで、実の弟だからと一切の容赦はしない。かなりの辛口評価だが、千冬さんからすれば、俺と一夏はまだスタートラインにも立っていないということなのだろう。

戦えれば武器展開は遅くてもいい、急降下からの完全停止が出来なくてもいいわけでは無いってことだ。認めてもらえるように精進しよう。

 

 

「最後にオルコット、武装を展開してみろ」

 

「はい!」

 

 

千冬さんから声がかけられるとすぐに、左手を肩の高さまで上げて真横に突き出した。するとほんの一瞬、爆発的な発光を起こす。気付いた時にはセシリアの手にはメイン武器のスターライトmkⅢが握られていた。

光が武器の形を作ってから具現化した俺たちとは違い、一瞬でスターライトmkⅢを具現化したことになる。

すでにマガジンも接続されており、セシリアが目を向けるとライフルのセーフティが外れて、いつでも射撃可能の状態を作り上げた。

 

と、ここまでだったら誰もが口をそろえて、さすが代表候補生と賞賛するところなのだが、問題はそれ以降だ。

 

どういうわけかその銃口は真横を向いている。真横に敵がいるのなら仕方ないけど、普通は目標が自分のセンターに入るように立ち回るはず。不意打ちを食らったとしても身体を敵の方向に向けるはずだから、銃口だけが真横を向いているのどうなのか。

 

それがスタイルなら、俺は何も言わないけど、千冬さん辺りは許さないんじゃ……

 

 

「さすがだな、代表候補生。と言いたいところだが、真横に向けて誰に撃つ気だ? 正面に展開出来るようにしろ」

 

 

だよな、そうなるよな。今はセシリアの隣に誰も居ないから良いけど、誰かが居るときに誤って誤射した時のことを考えると背筋が凍る。展開の向きを指摘されたことに、これが自分の型だから、簡単に崩したくないと食ってかかる。

 

 

「で、ですが、これは私のイメージを固める為に必要な……」

 

「直せ、いいな?」

 

「はい……」

 

 

セシリアの言い分が通るはずもなく、言いくるめられて渋々正面に展開し直す。何か言いたそうだったが、千冬さんの一睨みすると何も言い返せなくなった。下手に逆らったら逆らったでどうなるか分かったからだろう。

 

もう下手すると、教頭とか校長よりも権力を持っているのではないか。校長をラスボスとするなら千冬さんは裏ボ……。

 

 

「……霧夜」

 

「何でもないです! すいません!」

 

 

表情に出ていたのか、心で考えていたことがバレて千冬さんから睨まれる。一夏とかセシリアを睨んだ時より威圧感が凄いんだけど、これはどういうことなのか。

前回は蹴りと踵落としを食らいそうになり、今回はド迫力の威圧感、しかも俺だけにピンポイントで飛ばしてくると来たもんだ。

千冬さんのいる前では、もう下らないことを考えるのはやめよう。顔に出なくても、何を考えているのか見透かされそうだ。

 

 

「さて、オルコット。近接用の武装を展開しろ」

 

「えっ。あ、は、はいっ」

 

 

 自分のスタイルの改変を強制されたことに、心の中で愚痴の一つでも言ってる最中だったのか、いきなり近接用武装の展開を振られたことに驚いている。

セシリアはライフルを光の粒子に変換する。確かこの事を収納(クローズ)っていったっけか 。 ライフルを仕舞った後、新たに近接用の武装を展開しようとする。

 

しかし先ほどとは違って、手の中に近接武装が現れる気配がない、そもそも展開される時に現れる光すら出てきていなかった。上手くイメージしきれないのか、徐々に表情に焦りの色が見えてくる。

 

 

「くっ……」

 

「まだか?」

 

「す、すぐです。ああ、もうっ! インターセプター!」

 

 

武器名をほぼヤケクソ気味に叫ぶセシリア。武器名を叫んだことでイメージがまとまり、現れた光が武器として構成される。構成された武器は俺との戦いで、攻撃を防ぐために出したショートブレードだった。

 

武器名を呼ぶという行動は、代表候補生であるセシリアにとってあまり良い行動では無い。今セシリアがやった行動は、教科書の一番最初に書かれている初心者用の呼び方だからだ。

名前を呼ぶというのは、IS展開や武器展開においてあまり良い方法ではない。ISを展開する際、一夏は白式の名を呼んで展開した。それはまだ経験不足で、イメージが纏まりきっていないためだ。

 

ただセシリアの場合は、何百時間とISを動かしてきている。イメージが染み付いているからIS展開もメイン武器のスターライトmkⅢを展開する時も、名前を呼んでいない。

戦っていた時にも思ったけど、近接武装をほとんど使ったことがないみたいだ。

 

武装を一つ展開するだけでかなりの時間を費やしてしまい、いつもより少しだけ厳しい表情を浮かべる千冬さんから声をかけられる。

 

 

「何秒かかっている。お前は実戦でも相手に待ってもらうのか?」

 

「じ、実戦では近接の間合いに入らせません! ですから問題ありませんわ!!」

 

「ほう。織斑との対戦で初心者に簡単に懐を許していたように見えたが?」

 

「あ、あれは、その……」

 

「霧夜の時に至っては、一方的に攻撃されて負けたが、あれはどう説明するんだ。ん?」

 

「……」

 

 

一夏の名前を出した後俺の名前を出すと、完全に自分の弱点をつかれてしまい何も言い返せなくなってしまった。悪く言うつもりは無いけど、接近した後は思った以上に呆気なかったというのが感想だ。

 

近距離しか攻撃手段がない相手は、間違いなく飛び込んでくるだろうし、そう考えると飛び込まれたときの対策も立てといた方が良いよなって思う。

 

ぐぅの音も出なくなったセシリアを何気なく俺と一夏は眺めていると、突然こちらを振り向いて睨んできた。睨むと同時に、俺と一夏に向けて個人間秘匿通信(プライベート・チャネル)が送られてくる。これはオープンチャンネルとは逆で、送信した相手以外は見ることが出来ない。急に何だろうかと思いつつ、プライベート・チャンネルを開いた。

 

 

『あなたたちのせいですわよ!』

 

 

どういうわけか俺たちのせいにされる始末、何この理不尽?

 

 

『あ、あなたたちが、わたくしに飛び込んでくるから……』

 

 

 俺と一夏のISは、接近戦用の武装しか無いんだから仕方ないだろうよ。それに近付かなかったらこっちは攻撃できないんだし、そんなことしたら文字通りただの公開処刑になって終わる。するとセシリアの嘆きに、一夏が反応した。

 

 

『いや……俺には雪片しか武器が無いしなぁ。大和も近接ブレードしか使えなかっただろ?』

 

『ああ。それに近付かなかったら俺たちは何も出来ないしな』

 

『てか思い出したけど、よくレーザーに真正面から飛び込む気になったよな。あれ当たってたらどうするつもりだったんだよ?』

 

一夏がいうレーザーに飛び込んだというのは試合終盤に、セシリアが発したレーザーを、俺が持っている近接ブレードで真っ二つに切り裂いた時のことを指している。

 

『たられば』はあまり考えないようにしているけど、はっきり言うならそうだな。

 

 

『……当たったら当たった時に考える。一夏だってミサイルが自分に当たった後、どう行動するかなんて考えて無かっただろ?』

 

『あー……それもそうだな』

 

『一夏さん! 大和さん! わたくしのお話を聞いてくださいまし!』

 

 

自分の話が完全に無視されていると思ったのか、キーキーと騒ぎ立てる。話は聞いているけど、その話を全く違う方向に広げたのは一夏だから、文句は一夏に言ってくれ。

三人でプライベート・チャンネルでやり取りをしていると、授業終了のチャイムが鳴る。どうやら思った以上に時間が経っていたらしい。

千冬さんはチャイムの音を確認すると、校舎の時計を確認する。そして全員に向かって指示を出した。

 

 

「時間か、今日の授業はこれで終わりだ。織斑は自分で開けた穴をきっちりと塞いでおけよ?」

 

 

ここでいう穴というのは、一夏が頭から墜落した時にあいた穴のことだ。

一夏は顔を青ざめさせながら、穴のあいている箇所を見る。穴の大きさは約直径十数メートル、深さは一夏の身長よりも少し高いくらい。一人で穴を埋めるには時間と労力を大量に使うこと間違い無しだ。

一人では絶対に終わらないと悟った一夏は、クラスメイトたちの方を見る。ところが授業が終わると同時に回れ右で、皆校舎に向かって歩き始めていた。その中でも唯一残っていた篠ノ之に救いを求めるものの、プイとそっぽを向いて校舎に戻っていってしまう。

そしてついさっきまで俺たちとプライベート・チャンネルで会話していたセシリアは、一夏と目が合うと同時に苦笑いを浮かべながら立ち去ってしまった。

 

 

周囲の反応に落ち込む一夏だが、今回は自分のミスであけた穴のため、皆の反応は至極当然のこと。これがクラスメイトの誰かのせいであけてしまったのならまだしも、彼女たちには何の非もない。ぶっちゃけ俺もこれを手伝う気にはならない、捕まらないうちに俺もさっさととんずらさせてもらう。

 

 

「……」

 

 

何か燃え尽きたようにその場で立ち尽くす一夏、風が吹いただけでも崩れそうだ。するとフラフラとしながら、泣きそうな目で俺の方を見つめてくる。まるで、捨てられた子犬のように。

 

……何この空気、俺にも手伝えと?

 

 

「や、大和ぉ~………」

 

 

神様よぉ……アンタ、最高にKYだぜ。

 

 

「分かった分かった、手伝うから! さっさと道具持ってこい!!」

 

 

神に対して愚痴をこぼしつつも、泣きそうな一夏にさっさと道具を調達してくるように伝えると、一夏は即座に用具室に向かって走っていった。

 

今日はもう授業も無いことだし、鞄だけ教室の外に出しといて貰うように連絡しておこう。鍵を閉められたら取りに行くのが面倒だし。そもそも一夏に捕まらなければこんなことにはなっていないわけだが、捕まったもんは仕方ない。

 

ヤレヤレ系? 何とでも言え!

 

これからの長い戦い(穴埋め)に備えるべく、俺は一度更衣室に向かうのだった。



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動き出す脅威

「疲れた……」

 

「わ、悪い大和」

 

 

 グラウンドの穴埋めを始めて二時間くらいが経っただろうか、ようやく穴を埋め終えて更衣室に戻ってきた。すでに日は暮れて空は夕焼け空、その中をISスーツで穴を埋める男二人の姿は何とも異様なものだったに違いない。願うのならば二度と同じことがあってほしくないものだ。

 

更衣室のロッカーを開き、中からハンドタオルを取り出して顔についた汗と土埃を拭う。部屋に戻ったら一度シャワーを浴びて身体中の汗を流したいところ。ハンドタオルを鞄の中へと仕舞い、黒い半袖のインナーを取り出す。ISスーツの上着だけを脱いでインナーに着替えた後、下も学校の制服に素早く着替えた。

もう授業は終わっているし、まだ暑いから上着は羽織らないでおこう。下手に羽織って汗だくになったら嫌だし。とりあえず俺の着替えはこれで終わり、後は一夏が着替え終わるのを待つだけだった。

 

 

「うっし! 着替え終了。まだか一夏?」

 

「ああ、もう少しで終わるから……よし、俺も終わった」

 

「んじゃ、帰るか」

 

「おう!」

 

 

 一夏が着替え終わったことを確認して、共に更衣室を出る。この更衣室を使っているのは男性である俺と一夏だけのため、それ以外の女性が近付くことはほぼ無い。

と思っていた矢先、更衣室を出た先に待っていたのは一組のクラスメイトたちの姿だった。

 

 

「織斑くん、霧夜くん!」

 

「あのさぁ、ちょ~っと聞きたいんだけど」

 

「この後暇? 放課後暇? 今日暇?」

 

 

凄いな、暇の三段活用だ。

 

ボケたところで本題に入ろうか、質問内容は俺たちの放課後のスケジュールを聞くものだった。はて、何か企画してくれているのか。

 

 

「俺は大丈夫だよ。一夏は?」

 

「俺も問題ないぞ。何かあるのか?」

 

「ん~と、まだ秘密♪」

 

 

笑いながら人差し指を自分の口元に添える姿が、何とも小悪魔らしい。

引き続いて夕食の後の時間を開けてほしいとのこと。何を企画してくれているのか何となく想像はつくものの、ここで口に出すのは野暮というもの。

 

 

「じゃあ、そういうことだからよろしくねー!」

 

「あっ、ちょっと!」

 

 

バタバタとその場から去っていく女の子たちに手を伸ばして、立ち尽くす一夏。結局彼女たちが何を聞きたいのか分からなかったらしい。一夏からすれば勿体振らずに教えてほしいみたいだが、彼女たちからすれば少しでも驚かせたいのが本音だ。

 

というより今の一夏の姿、端から見たらフラれた男が 女の子を未練がましく追う姿にも見える。そんな姿のまま顔だけを動かし、俺の方を向く。

 

 

「一体あれ、何だったんだ?」

 

「さぁな。まぁ夕食後に分かるみたいだから、いいんじゃないか?」

 

「うーん……そうだな、まぁいいか」

 

 

一夏があまり深く勘ぐらない性格で助かった。とにかく、どんなことをしてくれるのかマジで楽しみだ。期待に胸を膨らませつつ、帰路へつこうとするのだが、ふと一夏が何かに気になったのか、俺の手元を見ながら話しかけてきた。

 

 

「そういえば大和、お前鞄はどうするんだ? 俺は今から取りに行こうと思うんだけど……」

 

「俺はさっき連絡いれて回収してもらったから、このまま帰って大丈夫なんだなこれが」

 

「うげっ、マジかよ!?」

 

 

 どうやら一夏は鞄の回収を誰にも頼んでなかったらしい。てっきり俺も一緒に取りにいくものだと思っていたのか、一夏の表情が落胆の色に染まる。俺は一夏が用具を取りに行っている間に、鞄を回収してほしいという文面の連絡をしていたから、取りにいく必要はない。

知り合いの中でも、特にしっかりしてそうなナギと鷹月に連絡したら、ものの数分で後で届けるとメールが返信されてきた。

 

実際文面には、後で回収するから外に出しといて欲しいと打っただけだった。ただそれじゃ誰かに持っていかれるかもしれないとのことで、二人が善意で持ち帰ってくれたわけだ。後でちゃんとお礼を言っておかないとな。

 

 

「それじゃあ、一旦別行動だな。夕食の時に落ち合うってことで」

 

「分かった、後手伝ってくれてありがとな!」

 

 

 穴埋めを手伝ったことを感謝すると、そのまま学校の方へと一夏は走っていった。走り去る一夏の後ろ姿を見送りながら、俺も寮に向かって歩き出す。

と同時に、ポケットに仕舞ってある携帯電話が振動し始めた。振動するのはマナーモードにしているからだが、学校にいる時以外でも俺はマナーモードのままにしている。

 

肌身離さず持っているため、振動だけで反応が出来るからだ。逆に着信音ありにしていると、突然鳴られた時にビックリする。その時に身体がビクつくのを、他の人間には見られたくはない。

 

 後もう一つ個人的な理由で、どっかの誰かさんからのイタズラを防ぐためだ。以前やられたときは周りに誰もいなかったから良かったものの、誰かのいる前でやられたら大恥どころでは済まない。

特にここは周りに女の子しかいないから、やられた瞬間に俺の学生生活が終わりを告げる。

 

ただハッキングで遠隔操作するって言ってたから、このマナーモードも気休めにしかならないだろう。マナーモードに設定する理由を話したところで、誰から連絡が来たのかを確認しようか。

 

携帯画面を開くと、ディスプレイの真ん中にメールが届きましたという文字が表示されている。メールアイコンをクリックし、フォルダに飛ぶとそこには布仏本音という名前が表示された。

名前の下には『今どこにいるの~?』というタイトルが書かれている。連絡が来たってことは、もしかして長時間俺のことを探しているのかもしれない。

これだけでは判断しようが無いため、俺はより深く内容を知るために、そのメール自体をクリックした。

 

 

「えーっと、何々?」

 

 

"夕食前に皆できりやんの部屋に遊びに行こうと思うんだけどいいかな?

 

きりやんが部屋に戻り次第行くから、折り返しよろしくね~♪"

 

 

俺のことを現在進行形で探している訳ではなく、遊びに行きたいけど部屋に戻っているか分からないから、メールを送ったってところか。

 

むしろメールで先に確認してくれて助かった。もし部屋に行ったけど居なくて探し回られてたら、俺としても申し訳ない気持ちになってしまう。

とりあえず折り返し連絡してくれとの事だし、早く返信するとしよう。

 

メールの編集画面を開き、今帰ってるところだから後二十分後くらいに来て欲しいと打ち込み、超スピードで返信した。返信すると同時に地面を蹴り、ほぼ全力に近い状態で走り出す。

ここから寮まで歩いて十分ちょっと。帰ってからシャワーを浴びて、身だしなみを整えるには何分かかるかをその場で計算していく。

 

……計算完了、単純計算で十分以内に寮に帰らないと厳しいということが発覚した。

 

 

「あんま待たせるわけにもいかないしな。仕方ない、ちょっと急ぐか!」

 

 

ちょっとしたトレーニングだと思えば何てことはない。そう思いつつ、走るスピードそのままに、俺は寮に向かって猛然と駆けていった。

 

 

 

 

 

寮に戻ってからのことを簡単に振り返っておこうと思う。

 

素早く行動したことが功を奏し、無事予定の時間内にやることを終えた。本当に気持ちのいいくらいのダッシュだったからな、学校から帰宅するためだけに全力ダッシュする奴は俺くらいなものだろう。

 

自分が思い描いたスケジュールで、事が進んだときほどの快感はない。最後に転けなければだが。

……シャワーを浴びるまでは良かったものの、何がどうしたのか替えの服が無い。どこに仕舞ったのかと探したものの、いつも置いてある引き出しの中にも無かった。

 

渋々ワイシャツだけ変えて、ズボンも制服のものを履いている。俺の服は本当にどこへ行ったのか、いつも同じところに置くはずなのに、引き出しを開けると完全にもぬけの殻だった。その周辺や他の場所も探したけど無いものはない。

 

結局俺の服は見つからないまま、布仏達が部屋に来てしまったために、探す作業を中断した。そもそも何で部屋着が一式無くなるのかという話だが、それに関しては俺も聞きたい。マジでどこに行ったんだ……。

 

 

布仏達が来たのに、いつまでもうだうだやってても仕方ないので、気分を切り替えて夕食までの時間を有意義に過ごさせてもらった。

 

トランプやったりだとか、くだらない世間話に花を咲かせたりだとか、いかにも学生らしい過ごし方をしているうちに、あっという間に夕食の時間となる。

 

そして……。

 

 

「織斑くん、クラス代表就任おめでとうー!!」

 

「「おめでとうー!!!」」

 

「へ?」

 

 

数回に渡って鳴り響くクラッカーの音と共に、それは開始された。クラッカーの中からまったカラフルな紐状の紙が俺や一夏の頭に乗っかる。

夕食のピークを過ぎているとはいえ、それでもまだまだ多くの人間がいる中、食堂の一角を陣取る一年一組の団体。その一角にはでかでかと『織斑一夏、クラス代表就任パーティ』と書かれた、横断幕まで設置されている。この短期間でよく用意できたなと、思わず女の子の行動力に圧倒されてしまう。

 

席のど真ん中に座っている一夏は、状況が未だに飲み込めずに呆気にとられている。おいおい、折角皆が開いてくれたのにその反応は無いんじゃないか一夏。まぁ目隠しされて連れてこられて、いきなりパーティっていってもしっくり来ないだろうけど。

 

机の上には数々の飲み物と料理が並べられている。それを取り囲むかのように一組のメンバーが勢揃いしている。上座ポジションに一夏が座っていて、一夏の右隣にセシリア、左隣に篠ノ之が座っている。ニコニコと隣に座れて感無量と言わんばかりのセシリアとは対称的に、篠ノ之は仏頂面をしながらストローを使ってオレンジジュースを飲んでいる。

 

俺はというと篠ノ之の左隣に座っている。就任パーティが始まってからずっと篠ノ之が不機嫌な状態のため、隣にいる俺もどこか気まずい。

 

 

「織斑くんおめでとう! クラス代表として、これから頑張ってね♪」

 

「織斑くんと霧夜くんの戦っているところ、凄くかっこよかったよ!」

 

「クラス対抗戦も頑張って!」

 

「霧夜くんに至っては勝っちゃうなんてね~、代表候補生相手に凄いよ!」

 

 

 席に座っているのだから当然周りは女の子に囲まれている。右隣は篠ノ之だが、俺の左隣はナギと布仏。セシリアの隣は谷本と相川、両手に華とはまさにこの事だ。

立っている子からも口々に賞賛を受け、苦笑いを浮かべながら受け答える俺と一夏。

 

 

「人気者だな、一夏」

 

「いや、これがそう見えるか?」

 

「ふんっ!」

 

 

一夏の返答に目もくれずに、篠ノ之はプイと横を……つまり俺の方を向く。嫉妬というのは怖いもの、これが大事にならないように祈るばかりだ。

 

 

「あ、居た居た! 織斑くーん!」

 

「ん?」

 

 

 パーティが始まるや否や、カメラを持って、眼鏡をかけた一人の女性が輪の中へ入ってきた。他クラスから何かを聞きに来たのかと思ったがどうやら違うみたいだ。一年生が付けているリボン及びネクタイの色が青色なのに対し、その女性が付けているリボンの色は黄色だ。つまり楯無さんと同じ二年生ってことになる。

一夏の前に立つと右手に持っていた名刺を差出して、自己紹介を始めた。

 

 

「こんばんは、新聞部です! 織斑一夏くんでいいかな? 私は副部長の黛薫子です! あっ、これ名刺ね!」

 

「は、はぁ。どうも」

 

 

にこにこと笑顔を崩さないまま、一夏に名刺を手渡した。状況がまだイマイチ飲み込めていないのか、一夏の返事はどこかおぼつかない。

相手が体育会の先輩だったら一夏の態度は大目玉もの、はっきりしない一夏の返事にも、嫌なそぶり一つ見せない黛先輩。

 

新聞という単語を聞けば誰もがいい思いを持たない。俺たちが抱く新聞のイメージは新聞勧誘が大半だろうし、一度染み付いたイメージはなかなか払拭出来るものじゃない。

 

二人のやり取りを見ていると、振り向いた黛先輩と目があう。すると一夏にしたのと同じように、自分の名刺を差し出してきた。

 

 

「君が霧夜大和くんだよね? はじめまして、新聞部の黛薫子です! はい、これ名刺ね♪」

 

「あっ。ありがとうございます」

 

「霧夜くんが代表候補生に勝ったって噂は、特に有名だから今日は色々お願いね?」

 

「そうなんですか? まぁ答えれる範囲なら良いですよ」

 

 

 先日セシリアに勝ったという噂はあらゆる学年の間で広まっているらしい。実際にあの時はアリーナに大勢の人が集まっているから、他学年の人間がいてもおかしくはない。昨日今日でここまで広まっている現実を知ると、改めて女の子の噂の凄さを見せつけられた気がする。

 

噂の凄さは良いとして、代表候補生に勝ったという単語が飛び出した瞬間に、俺の右側から物凄く不機嫌な視線が当てられる。

視線は言わずもがな、セシリアだ。何だかんだ言ってもあの時負けたことは、本人にとっては相当悔しかったらしい。ムッと口を結んで頬を膨らませて抗議してくるが、俺にはどうしようもない。あそこまで上手く行くなんて俺も思わなかったんだから。

 

というわけで気にしない気にしない。

 

 

「じゃっ、早速織斑くんからインタビューってことで! ズバリクラス代表になった感想をどうぞ!」

 

「え、えぇ!?」

 

 

 テープレコーダー片手に早速一夏に質問を飛ばしていく。一方の一夏は質問をされることなど微塵も考えていなかったのか、ただただ慌てふためいている。

正直なところ、アポなしで来られて質問されても答えられないよねって話だ。黛先輩も一刻も早くインタビューしてみたいという、新聞部の血が騒いだんだろう。

冷静に考えれば、世界でたった二人しかISを動かせない男性が、二人ともこの場に居合わせているわけだし無理もない。

 

IS学園に入る前には、当然マスコミや新聞社が一夏の家に行ったんだろうけど、完全にシャットアウトしていたみたいだし、俺は俺で自分の住所自体を特定させなかった。

 

ガードが固かった操縦男性二人がすぐ近くにいて、その日常生活を追うことができる。新聞部からすれば食い付かない手はなく、むしろ全国のメディアが欲しがる情報でもある。

 

急な質問で悩んでいた一夏だが、途切れ途切れおぼつかない口ぶりながらも、質問に答え始めた。

 

 

「えと……まぁ、頑張ります」

 

「えぇ~、なにそれ!? もうちょっと良いコメントないの? 俺に触ると火傷するぜ的な!」

 

「自分、不器用ですから」

 

「うわっ、前時代的!」

 

 

 最初の返答に納得がいかず、もう一捻りと質問して、再び返ってきた返答もテンプレ過ぎで、黛先輩からすると面白くないみたいだ。急に聞かれたことに対する回答としては及第点だけど、相手は新聞部の副部長。面白味のない回答に納得するはずがない。

一夏の解答に不満げな表情を浮かべながら、メモ帳にものすごいスピード何かを書き込んでいく。

 

 

「じゃあ良いや、そこについては適当に捏造しておくから」

 

 

 新聞って真実を伝えるために発行するのに、そんな適当でいいのかと思ったのは俺だけじゃないはず。一夏の表情も、だったら聞かなくても良かったんじゃみたいな顔になっている。

もちろんジョークをきかせた新聞を好む人もいるけど、折角聞きに来たのにわざわざ捏造するのはどうなんだろう。でも新聞を書く方としては、面白味のある新聞を書きたいみたいだな。

一ページにびっちりとメモを書き込んだ黛先輩は、ページをめくって新しいページを開き、今度はセシリアの方へと向いた。

 

 

「じゃあ、次は現役代表候補生のセシリアちゃんにも何か一言お願いしようかな!!」

 

「こういったコメントはわたくしあまり得意じゃありませんが……」

 

 

 得意じゃないと言いつつも、何故かわざわざ腰に手を当てて優雅に立ち上がった。真面目に答える気満々だろと突っ込みたいところだが、ここはあえて見守っておく。……後、ずっと気になっているんだけどそのポーズは日常の一環になっているんだろうか?

イギリス貴族としての上品さを出したいんだろうけど、そんなことをしなくても十分に気品の高さは分かるっての。

 

 

「まずは何故、わたくしたちがクラス代表を争ったかですが……」

 

 

そこからか。セシリアのインタビューだけ何だか長くなりそうだ。

……などと思っていると。

 

 

「あ、やっぱ長くなりそうだからいいや。適当に捏造しておくから」

 

「ちょっ、質問したのにそれは無いでしょう!? 最後までお聞きなさい!」

 

 

 黛先輩も同じことを察したのか、セシリアがクラス代表決定戦について語り始める前に、強引に話をぶった切った。無論オルコットが納得するするわけもなく、キーキーと捲し立てて、机に手を置きながら黛先輩に迫っていく。

 

一夏と比べると扱いが真逆なのは、代表候補生は毎年入ってくるけど男性は毎年入らないからだろう。何回もインタビューをしている経験からか、セシリアを扱う手つきも慣れたもの。

目の前で騒がれているのに、ペンを走らせる手が止まることは無かった。

 

 

「まぁまぁ。じゃあ、織斑くんに惚れたってことにしておくから」

 

「な!? な、ななな……」

 

 

 捏造する気で言った何気ないジョークだったんだろうけど、その理由は完全に正解だと気付くのにそう時間はかからなかった。

先ほどまで騒ぎ立てていたセシリアも、言葉にならない言葉を発しながら顔を真っ赤にしていく。

何故自分が一夏に惚れたことを知っているのかと、疑問と混乱が混ざりあって黙ってしまった。当然、黛先輩はセシリアが一夏に本気で惚れていることなど知る由もない。

 

 

「何をバカなこと言っているんですか、そんな訳無いですよ」

 

「えー? そうかなぁ?」

 

「そ、そうですわ! 一夏さんに代表を譲った理由は、経験を積んでほしかったからですわ!」

 

 

さすが朴念神一夏、さらっと自分に惚れていることを否定した。

セシリアの態度の変わり様を見れば、分かりそうなものだけど……一夏だから仕方ないか 。本人に聞いても、俺なんかを好きになる子なんていないだろとか言いそうだし。でもセシリアにとっては、折角アピールするチャンスだったというのにもったいないな、肯定しとけとば一夏も気付いたかもしれないのに。

 

 

一夏とセシリアの顔を交互に見ながら、ペンを走らせる黛先輩だが、メモの書き取りが終わるとやがてターゲットを俺に定めた。

 

 

「まぁそこはいいとして……じゃあ霧夜くん! 準備は出来てるかな?」

 

「あ、はい」

 

 

 物凄く期待を込めた黛先輩の眼差しが見つめてくる。このトリをつとめる人間が、最も期待される風潮は何なんだろうか。

一夏とセシリアにインタビューしている間に、気持ちの整理こそついたものの、何を聞かれるか分からないために何をどう答えるのかまでは考えていない。

 

とりあえず黛先輩に、当たり障りのないように答えることにしよう。

 

 

「まずはセシリアちゃんに勝ったのに、クラス代表を織斑くんに譲った理由について!」

 

「そうですね……一夏の強い意志と目標を叶えてやりたいってのが一つの理由ですかね」

 

「なるほど、ちなみにその織斑くんの強い意志と目標って何かな?」

 

「んーちょっと言いにくいですけど、男の生きざまってやつです」

 

「くぅ~! 男の友情っていいねぇ! 記事にする価値があるよ!」

 

 

 俺の回答がお気に召したようで、笑顔を浮かべながらペンを走らせていく。

男の友情ってほどでもないけど、本人が強くなりたいって言うならその機会を譲ろうというのは確かにあった。後は自分がこれ以上任せられたら、一番大事なことが疎かになるっていうのも理由の半分以上を占めるけど。

俺のインタビューメモを書き終えた黛先輩は、再び俺の方を見てインタビューを続ける。

 

 

「それじゃあ一言、これからの意気込みとかお願いします!」

 

 

テープレコーダーを手に持ち、それをより俺の近くへと寄せてくる。

 

 

「意気込みですか?」

 

「うん! たくさん喋ってくれた方が私としては嬉しいかな!」

 

「そうですね……」

 

 

相変わらず黛先輩の目はキラキラしたままだった。そこまで期待されると、ハードルが上がるなぁ。

さっきまでさほど意識していなかったが、期待しているのは黛先輩だけではないことに気が付く。このパーティに参加しているクラスメイトや他の席で食事をしている子たちまで揃って耳を立てているではないか。

 

おいおい、マジでそこまで期待されても俺は困るんだが……。なんて言ったところで後戻りが出来ないのは事実、考え付いた文字の羅列を頭の中で並べ替えていく。

 

 

「一年一組、霧夜大和です。この学園に入った以上、学園最強を目指してやっていくつもりです。学園の皆はライバルであり友! そう思っているんでこれからよろしく頼みます」

 

 

 普段のテンションから、二段階くらいぶっ飛んだテンションになったけど、これはこれで良いか。

周りが期待しているなかで当たり障りのない、平凡すぎることを言ったら、何それ的な視線を向けられるのは必須。なら勢いに任せて一気に言った方が良い。

全員が全員、俺たち男のことをよく思うのは無理かもしれないけど、言うだけならタダだ。

 

と、言い切ったところで改めて、黛先輩の方へ向き直る。するとテンションに身を任せて言ったのが功を奏したのか、満足そうな笑みを浮かべる黛先輩の姿があった。

 

 

「ん~もうちょっとインパクト欲しかったけど、これはこれでいっか♪ ありがとね! 早速新聞作成に取り掛からなくちゃ!」

 

 

喜んでもらえて何よりです。さて、インタビューは一通り終わったものの今度は黛先輩が持っていたカメラをこちらに向ける。

 

 

「それから最後に、三人の写真を撮らせて貰っても良いかな?」

 

「え、俺たちのですか?」

 

「うん! やっぱり写真がなきゃ記事も映えないしね~!」

 

「あ、あの! その写真はもちろん頂けるんですわよね!?」

 

「もっちろーん♪」

 

 

 言われてみればカメラを持っているのに、まだ一枚も撮っていなかったな。セシリアは写真を貰えると知り、嬉々としてその場に立ち上がる。

どのような形で撮るのかを伝えられていないのに、セシリアの立ち上がるのが早いこと。嬉々としているセシリアとは違い、篠ノ之は相変わらずの面白くなさそうな表情だ。俺たちがインタビューを受けている最中も、ムスッとした表情が変わることは無かった。

 

 

「じゃ、三人とも並んで立ってもらって良いかなー? あっ、手なんか合わせてくれるとなお良いね!」

 

 

 黛先輩がそう指示すると俺と一夏も立ち上がり、真ん中に向かって手を差し出す。

一番下に俺が手を置き、その上に一夏とセシリアの順に乗せていった。

俺が手を一番下にしたのは、俺なりに空気を読ませてもらったと言っておく。

 

準備が整ったことを確認し、再び黛先輩からの声がかかる。

 

 

「織斑くんはもっと笑って! じゃ、撮るよー! はーい!」

 

 

 カメラのシャッター音と共に、俺たちの回りには多数の人だかりが現れた。それも写真を撮るほんの一瞬の隙にだ。

その人だかりとは、一組のクラスメイトたち。それぞれが笑顔やポーズを決めて写ろうとしているところを見ると、完全な確信犯だったことが伺える。

その中には篠ノ之の姿もあった、しかも覆い被さった三人の手を隠すかのように俺たちの真っ正面に。

 

 

「何故全員入ってますのー!?」

 

 

 セシリアは折角のチャンスを逃したことに、邪魔されたと両手を突き上げて抗議する。セシリアからすると邪魔されたと思うかもしれないけど、俺としては記念撮影みたいで良いと思う。

 

 

「まぁまぁ、セシリアだけ抜け駆けはないでしょ♪」

 

「クラスの思い出になっていいじゃん♪」

 

「うぅ~……」

 

 

 納得がいかないと抗議をするものの、まさか自分が一夏のことを好きだと言える訳もなく、結局クラスメイトたちに言いくるめられてしまう。

写真を撮り終えた黛先輩は、またよろしくねと満足げに早足で食堂を去っていった。その後は無事にパーティが進み、普段あまり話さないクラスメイトと会話をしたり、写真を撮ったりして過ごした。

 

一夏のクラス代表就任おめでとうパーティという名目ではあったが、こうしてクラスメイトとの仲を深める機会を作ってくれたことに感謝したい。

 

 

 

 

 

楽しい時間は、思っている以上に早く過ぎ去ってしまうもの。

現在の時刻は二十一時、パーティが一段落し、寮の廊下を自室に向かって歩いていた。いくらどんちゃん騒ぎだったとはいえ、寮の規律は守らなくてはならない。

もし規律を破れば、寮長からキツイ説教が待っているからだ。さらにその寮長が千冬さんともあれば、誰も規律を破ろうなんて思わないだろう。消灯の時間は二十二時と決められており、それを守らなければ地獄を見ることになる。もちろん部屋にさえ入っていれば良いわけではなく、部屋に入っても騒いでいれば処罰の対象になる。

 

ようは消灯時間以降は、部屋で大人しくしていろということだ。一時間前にパーティが終わったのも、女の子は女の子で色々と忙しいから。風呂に入って髪の毛を乾かすだけでも、かなりの時間を費やす。

 

パーティが終わると、名残惜しそうな表情を浮かべる子も多かったが、楽しい時間は短いからこそ楽しめるもの。また今度何かあったときに盛大に楽しめば良い、その繰り返しだ。

 

 

 

さて、パーティが楽しかったことは良いとして、まだ一つ俺の中では解決していない案件がある。

 

 

「俺の服……マジでどこに行ったんだ?」

 

 

 楽しさのあまりすっかり忘れるところだったが、冷静に考えてかなり重要な問題だったりする。

何故そもそも服がなくなるかという話だが、いくら考えたところで分かるものでもない。分かるのはこのままではワイシャツで一夜を過ごすことになるということだ。

仕事に疲れて布団に倒れ込むサラリーマンじゃないんだから。と突っ込みたいものの、自分がその状態になる危機に直面しているから言いたくない。

 

 

「とりあえず部屋に入ったら、もう一回確認してみるか」

 

 

 気がつけば自分の部屋の前まで来ていた。考え事をしていると周りが見えなくなる上に、目的地までの距離が異様に近く感じる。

 

鍵を取り出して惰性のままに鍵穴に鍵を差し込み、鍵を回すのだが……。

 

 

「……って、おい。またかこれ!」

 

 

 鍵を開けるつもりでシリンダーを回したのに、鍵が開く音もせずに空回りするだけだった。

つい先日同じようなことがあったために、中に溜まっている何かを我慢すること無く、思わず大声をあげてしまう。

 

ちょうど昨日のクラス代表決定戦が終わった後、同じように鍵を開けようとしたのにものの見事に空回り、ドアを開けると水色ヘアーの美少女がベッドに寝転がっていたわけだが。

 

せめて昨日と違っていてくれと願いつつ、恐る恐る自室のドアを開いていく。

違っていてくれと願った時ほど、大体はこの期待は裏切られる訳で……。

 

 

「あら、お帰りなさい」

 

「楯無さん……」

 

 

 案の定期待を裏切られ、痛くなった頭を右手で押さえる。昨日帰る時にまた明日と書かれた扇子を見せていたし、もしかしたらと思っていたら、やっぱり俺の部屋へ来ていた。

いくら生徒会長権限だからと言って、ここまであからさまな職権乱用をされると本当にここの生徒会は大丈夫なのかと思ってしまう。

呆れ返る俺をよそに、ベッドに寝転びながらこっちを眺める楯無さん。そのマイペースな感じは変わらず、自分で持ってきたであろう雑誌を読んでいる。

 

鍵も開いていることだし、以前と同じようにピッキングでも使って部屋の鍵を強引にこじ開けたのだろう。あれこれ言ったところで聞いてくれなさそうだし、下手に何かをいじらない限りは見逃しておく。

 

寝転ぶ楯無さんを軽く無視しながら、制服の上着を備え付けのハンガーに掛け、シワを軽くのばす。

 

本来ならこのまま全部部屋着に着替えたいものだが、部屋着が無くなってしまったために着替えることが出来ない。ここで服を脱いだら、ただの露出狂に思われるだけだ。

 

 

上着をハンガーに掛けたところで、何気なくクローゼットに目配りをする。もしかしたら見落としただけで、実はちゃんと中に畳んでしまってあるのではないかと。淡い期待を抱きながらクローゼットを開いてみる。

 

 

「……ですよねー」

 

 

クローゼットを開き、引き出しの中を見てみるものの中身は空。同じところを何度も探しているのだから、急に収納されているわけがない。

 

ただ何て言うか、現実って理不尽だ。

 

 

「あら、どうしたの?」

 

「いや、俺の部屋着が一式無くな……」

 

 

 無くなっていてと言い切ろうとしたところで、それ以上話すのを止めた。

この部屋は俺一人しかいない状態だが、元々二人部屋だったため、ベッドは二つ設置されている。楯無さんが寝転がっているのは入り口側のベッドであり、窓際のベッドは空きになっていた。

 

……俺の気のせいだろうか、窓際のベッドに、良く見慣れたものが綺麗に畳まれて置いてあるように見える。

目が疲れて見間違えているのかもしれないと、軽く袖の部分で目を擦り、改めてベッドを見つめ直す。

 

 

「……」

 

 

目を擦ったところで、目に見える事実が変わることは無い。ベッドの上に置いてあるのは、間違いなく俺の部屋着だった。

 

ベッドに近付いて一つ一つ手に取り、畳んである服が自分のものかを確認していく。外出用の服、そして部屋着、何から何まで無くなったものが全て戻ってきている。置いてある服は全て、俺の服で間違いなかった。

 

何故無くなった服が急に戻ってきているのか、まずはそこから考えてみる。そもそも無くなったのに気付いたのは今日の放課後、俺が家に戻ってからだ。

朝に出るときには入っていたのに、帰ってきた時にはない、つまり学校に行っている間に無くなったのは事実。

 

ここで忘れてはならないのは、この部屋の鍵を管理できるのが寮長と部屋主だけだということ。よって俺と千冬さんだけになる。

 

まさか千冬さんが部屋に忍び込んで、人の服を隠すなんて小癪な真似をするわけがない。そもそも本職の教員としての仕事が残っているのだから、人の部屋に来て服を持ち去るだけの時間はない。

以上のことから千冬さんがやっていないのは明らか、そう考えると残るは俺だけだから、俺が単純に見落としていただけなのか。

 

 

……いや、待て。一人だけこの部屋の鍵を開けれる人間がいるな、しかもすぐ側に。

 

こういう時は本人から事実確認をした方が手っ取り早い。楯無さんから事実確認をするべく、俺はその場を振り返った。

 

 

「あの、楯無さん? 俺の部屋着を隠したのってもしかして……」

 

「もう、気付くのが遅いぞ♪」

 

「……」

 

 

 部屋着を盗んだ犯人断定、思った通り楯無さんだった。いたずらっ子みたいに、ペロリと舌をだして謝ってくる姿を見てしまうと、俺としても何も言えなくなってしまう。今回は部屋着こそ隠されたけど、こうして無事に戻ってきたわけだ。

それに俺が畳んだ時よりも、綺麗に畳まれて戻ってきたのだから、無料のクリーニングに出したと思えば良い。

むしろ綺麗な人に、イタズラされるほど構って貰えていると考えれば……うん、それは程度にもよるな。

いつまでもベッドの上に置いておくわけにもいかないので、綺麗に畳まれている服を分けながら、クローゼットへと持っていく。

 

 

「ずいぶんマニアックな悪戯するんですね。まぁでも、畳み直してくれてありがとうございました」

 

「え?」

 

「はい?」

 

 

 持っていくついでに、折角畳んでくれたのだから、その事については感謝しておこうと、移動するために楯無さんの横を通りすぎる時に、軽く感謝の言葉を投げかける。

するとどうして感謝されたのか分からず、ベッドに寝転がった状態のまま、上半身だけを起こして見つめてきた。

その体勢が何とも際どいというか危なっかしい。楯無さんはワイシャツのネクタイを外し、胸元を大きく開けている。よって完全に見えるわけではないが、豊満な双丘の谷間がチラチラと見えてしまう。

 

思春期真っ盛りの男子としては、興味を持たないはずがなく、俺も例外ではない。

視線が胸元に行かないように、必死に視線を楯無さんの目線に合わせる。

 

 

「な、何で感謝したの?」

 

「いや、綺麗に畳んでくれたことに感謝しただけですけど……もしかして畳んだの楯無さんじゃ無いんですか?」

 

「ううん、畳んだのは私だけど……」

 

「は、はぁ」

 

 

 何でこんなに落ち着かないのか分からない、ここまで落ち着かない楯無さんを見るのもレアかもしれない。仄かに顔を赤らめながら、手をもじもじとさせて上目遣いで見つめてくる。もしかして楯無さんって、相手をからかうのは好きだけど、自分がからかわれたり褒められたりするのは弱いのか?

 

楯無さんがもじもじと照れている間に、様々な憶測をしながら、手早く服を仕舞い終える。すっからかんになっていた引出しが満たされ、ようやく服が戻ってきたという安心感があった。

服を仕舞い終えて、俺も隣のベッドに腰かける。

 

 

「まぁそれは良いとして、今日はどんなご用件で?」

 

「あ、そ、そうね。まずそっちから話しましょうか」

 

 

まだ照れていたのか……人に後ろから抱きついても顔一つ赤らめなかったのに。

 

 

「本家が掴んだ情報なんだけどね。どうも最近、女性権利団体の動向が怪しいらしいわ」

 

「動向……その話が今出るってことは、矛先が学園の生徒にでも向いているんですか?」

 

「ええ」

 

 

 一旦話し始めると、楯無さんの顔から一気に照れというものが無くなっていった。本家が掴んだ情報、つまり普通の世間話ではなく、互いの本業が絡んだ話に切り替わったことが、すぐに理解できた。俺も変な感情を無くし、真摯に楯無さんの話を聞き始める。

 

ここで楯無さんが、女性権利団体の動向が怪しいと言う理由は、学園側にターゲットが向いているから。誰が狙われているのかは分からないにせよ、それだけ大きな団体が狙う人物は、かなり少数に絞れる。

 

特に女性権利団体が存在を恐れ、出来ることなら消し去りたいとターゲットにしようとする人間と言えば……。

 

 

「結論から言うと大和くんと一夏くん。貴方たち二人に矛先が向いているわ」

 

「……」

 

「あくまで私の考えだけど、ISを使える男性が現れたせいで、自分たちの立場が脅かされるって思っているんじゃ無いかしら?」

 

「ってことはそうなる前に、大きく出れないように圧力を…… 」

 

「そういうことになるわね」

 

 

 女性権利団体とは読んで字の如く、女性が社会の優位に立てるように行動する団体だ。社会が女尊男卑になってしまった半分以上の原因は、この団体のせいだと言われている。

 

端的に言えば、男を見下して人として扱わない。奴隷のようにこき使って、死んだら死んだ時というようなかなり危ない思想を持つ人間が集まっている。私たち女性を中心に、この世界が回っていると思っているのかもしれない。

 

最も、俺自身は女性権利団体への関わりもないから、実際内部がどのようになっているのかは分からない。とはいえ、その日に警察に捕まった女性が、女性権利団体の主張によって、何のお咎め無しに釈放なんて事実を日常茶飯事に目の当たりにすれば、おのずとイメージは湧く。

 

女性権利団体がどこまでやっているのかは知らないが、楯無さんの口から出てきた以上、俺たちの身に何かが起こるかもしれないと腹を括った方が良いかもしれない。特に全世界に顔が割れてしまっている一夏は、相手からすると格好の餌食となる可能性も高いはすだ。

 

 

「IS学園とはいえ、何をしてくるか分からない。最近特にってことだから、もしかしてってことがあるかもしれないわ」

 

「なるほど」

 

 

いつどこで誰が聞き耳をたてているかなんて分からない。一瞬の油断が命取りになることを、今一度肝に命じておこう。

 

 

「何かあったらすぐに連絡するからよろしくね?」

 

「了解です」

 

 

最後の最後で、またいつもの楯無さんのテンションへと戻った。

 

連絡するとはいっても楯無さんのことだから、携帯じゃなくて直接部屋に来そうな気もする。何度もやられて学んだことだが、楯無さんに常識は通用しない。もちろん常識知らずという悪い意味ではなく、常識にとらわれない人という意味で。

今さらピッキングやら生徒会長権限で部屋に勝手に入る事を注意しても、普通に部屋に入ってくるだろう。変なことをするわけでもないし、あまり気にしないようにしよう。

 

 

「じゃっ、もう遅いし部屋に戻るわね。おやすみなさい♪」

 

「あ、はい。おやすみなさい!」

 

 

 ひらひらと手を降りながら、楯無さんは部屋から出ていく。後ろ姿を見送った後、寝転がっていたベッドを見ると、楯無さんが読んでいた雑誌を忘れたことに気付く。

今から追いかけても迷惑だろうと思いつつ、雑誌を手に取ってペラペラとめくり、ページを確認していく。そこに書いてあるのは多種多様なイタズラの仕方だった。

 

イタズラによって得られる快感なんて分かりたくないな。自分がやっている時は楽しいかもしれないけど、自分がやられた時は屈辱だろうし。楯無さんも、これを参考に今回のイタズラを思い付いたってことか。

タイトルが正直微妙な線を行っているのが、何ともコメントしにくいところだ。

 

 

「……皆がハマるイタズラ百選って、どんな雑誌だよ」

 

 

 一通りページをめくり終えて、雑誌を机の上に置く。本来ならこのままシャワーを浴び直して寝るところだが、楯無さんの言っていた女性権利団体について調べておく必要が出てきた。

持っている携帯にケーブルを繋ぎ、反対をパソコンのUSBハブに繋げる。この携帯は普段皆が使っているような回線ではなく、霧夜家が独自で使っている回線だから、外部から侵入されるのはよほどのことがない限り無い。

分かることなんてたかが知れているかもしれないが、やらないよりはマシだ。

 

パソコンを起動させてパスワードを打ち込み、ネットから女性権利団体の情報を集め始める。

 

 

「……女性権利団体の誰が何をやろうとしているのかは知らないけど、歯向かってくるのなら容赦はしない。霧夜家の名に懸けて、必ず未然に食い止めてみせる」

 

 

俺はそのまま日付が跨ぐまで、情報収集を続けていった。

 

 

 



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中国の代表候補生、顕る

「おはよーっす」

 

「あ、霧夜くんおはよー!」

 

「おはよー!」

 

 

教室に入って、クラスメイトと挨拶を交わす。穴埋めやらパーティやら権利団体やら、色々とバタバタした次の日は幾分疲れが出るため、いつもより少しだけ遅い登校になった。俺が教室に来た時、クラスにはもう大体の生徒が登校してきており、友達との会話に花を咲かせていた。

 

だらしなく欠伸が出ないように口元を押さえながら、自分の席に向かう。一夏の席の周りには数人のクラスメイトが囲んでいて、何やら楽しそうな会話を繰り広げていた。

 

 

「おはよう、皆」

 

「おー、大和! 今日はいつもよりゆっくりなんだな」

 

「ああ、昨日少し遅くまで起きていたからな」

 

 

 いつもより遅い登校に、席に座っている一夏が真っ先に気付く。日付が変わるくらいまで起きていただろうか。お陰さまで朝起きるのが地味に辛く、ランニングも初めの内は眠気と戦いながらやっていた。

もう眠気こそ無いものの、短時間睡眠の時は少しでもゆっくりとしたくなるもの。だから寮を出るのも皆より後だった。

 

 

「おはよう霧夜くん♪」

 

「きりやんおはよー!」

 

「おはようございます、大和さん」

 

「おう、おはよう!」

 

 

一夏を取り囲むように談笑していたクラスメイトたちに挨拶を交わして、自分の席へとつく。すると隣の席にいるナギも俺が登校してきたことに気が付いたようで、笑顔で挨拶をしてきた。

 

 

「おはよう大和くん♪」

 

「おう、おはよう。ナギ」

 

 

初めこそ戸惑いや恥ずかしさはあったものの、今は普通な感じで挨拶を交わすことができる。俺たちとしては本当に何気なく、普通に挨拶を交わしたつもりだったのだが……。

 

 

「「大和くん!!?」」

 

 

 俺たちが互いに名前で呼び合うという些細な変化に、一部始終を聞いていたクラスメイトたちが反応して、ナギの元へと詰め寄っていく。俺とセシリアが名前で呼び合ったことには何も触れなかったのに、俺とナギで呼び合うことには何故そこまで反応するのか。

ここまでのリアクションをとられるとは思っていなかったから正直意外だ。……とはいってもこのクラスの反応っぷりは目を見張るところもある。ズッコケっぷりなんか○本○○劇並みだったし。

 

何で今さら食い付いてきたと言いたかったが、よくよく考えるとパーティの時に俺はナギの名前を呼ぶことが無かった。同時にナギも俺を名前で呼ぶことが無かった。つまり名前で呼び合っている事実を知っている人間はこのクラスにはいない。

 

視線を一夏たちの方へ向けてみても、一夏をはじめとしめ、身の回りにいる全員が何があったのかと言わんばかりの表情をしていた。

その中で一夏の表情は、名前で呼んだことに対する驚きではなく、何故皆が反応したのかということに対しての驚きだったと補足しておきたい。

 

 

「ちょ、何があったのナギ!?」

 

「ま、まさかもう色々されちゃったりとか!?」

 

「ねーねー! どうなのナギ?」

 

「え? えっと、その。あの……」

 

 

物凄い勢いで質問攻めをされ、どう答えたら良いのか分からずオロオロとするナギ。本人も何気なく言ったことが、ここまでの反応を引き起こすとは知らなかったみたいだ。俺と目が合うと、どことなく助けてオーラを出してくる。慌てる仕草も可愛らしいなと思いつつ、助け船を出すことに。

 

 

「はいはい、そこまで! 特に何かあったわけじゃないよ。名前で呼ぶのも本人の自由だし、ナギも困っているからさ」

 

「えー! ホントに?」

 

「本当だよ。俺を名前で呼ぶ子は、他にもいるしな」

 

「うーん、それなら……」

 

「というわけで、さぁ散った散った!」

 

「「はーい……」」

 

 

 俺の一声によって拡散していくクラスメイトたち。名前で呼びあっているのだから、何か関係が出来ているのではないかと考える子もチラチラ居たものの、俺がそれとなく否定したことに残念そうに散らばっていった。

 

完全に何もありませんと真っ向に否定すると、それはそれでナギも傷つくし、下手に誤魔化すと今度は有らぬ噂をたてられてしまう可能性もある。

 

あくまで、名前で呼び合う友人だということを伝えることで、穏便に事を済ますことが出来た。でも何人かはまだ納得出来ない子もいるみたいだし、そこら辺は追々ってところだ。

 

 

「あ、ありがとう。大和くん」

 

「ん。気にするな」

 

 

ちょっとした事だけど、感謝されるっていうのは悪くない気分だ。周りが静かになったところで鞄を机のフックに掛け、持ち物類を机の中に仕舞い込む。

荷物を仕舞っていると、先ほどまでの会話が再開された。それにあわせて俺も顔をあげる。

 

 

「そういえば、もうすぐクラス対抗戦だね!」

 

「クラス対抗戦?」

 

 

聞きなれない単語だったのか、一夏がクラス対抗戦という言葉に食いつく。

 

 

「クラスの対抗のIS戦だな。出場するのはクラス長、つまりお前だ一夏」

 

「お、俺ぇ!?」

 

「ああ、頑張れよ一夏。骨は拾ってやるさ」

 

「勝手に殺すな!」

 

 

 ケラケラと笑いながら一夏をからかいつつも、もうそんな時期かとしみじみ思ってしまう。

諸行無常なんてよく言うけど、時が経つのは早いもの。初めは女子の視線に四苦八苦していたのに、今では当たり前のようになってしまった。耐性……というよりこの環境に慣れてしまった自分が怖い。

 

他にあげるとするなら本職の事についてだ。入学してから今まで特に一夏の身に降りかかる脅威ってのもないし、学園が何かの危機にさらされているってこともない。比較的平和な日常生活を送れていた。

 

 

「あっ話は変わるんだけど、新しく転校生が来るみたいだよ?」

 

「へぇ~この時期にか。珍しいな」

 

「うん。隣のクラスなんだけど、中国からの転校生みたい、それに代表候補生だとか!」

 

「あら、わたくしの噂を聞き付けての転入かしら?」

 

 

いつも通り、セシリアは腰に手を当てて優雅なお決まりのポーズをとる。何回も見ていると慣れてくるな、本人も癖だから今さら直す気も更々ないだろう。

にしてもこの時期に中国から転入か、一夏のいう通り珍しいな。理由がどうなのかは知らないけど、少しだけ警戒しておくか。

 

 

「どんな奴か気になるなぁ、大和はどうだ?」

 

「確かにこの時期にっていうのも気になるし、どれ程の実力なのかも気になるな」

 

「だよな~!」

 

 

 一夏の返答に不満があるのか、その場で会話に加わっているセシリアと、自分の席から会話の一部始終を聞いている篠ノ之の眉間にシワが寄る。一夏に好意を寄せる女性からしてみれば、今の態度はちょっと面白くないのかもしれない。特に他の女性のことに興味を示すなんてことは、二人からしてみれば由々しき事態なんだと思う。

 

それに今代表候補生って言ったよな。セシリアと同じく代表候補生ってことは、間違いなく実力自体はかなり高いはずだ。機会があるのなら、一度接触してみたいところ。

 

 

「とにかく織斑くんには頑張って貰わないとね!」

 

「そうそう! 学食デザートフリーパス券のために!」

 

 

 今回のクラス対抗戦で優勝したクラスには、学食のデザートを無料で食べられるフリーパス券が半年分与えられる。一夏よりも他の子が張り切っているのには、デザートという理由があった。

当然、このフリーパス券を手に入れられるかどうかは、一夏が勝つか負けるかにかかってくる。もちろんクラスメイトたちは、優勝にしか目がいっていない。

 

 

「転校生は来たけど、二組のクラス代表は専用機持ちじゃないしね」

 

「うんうん、一年で専用機を持っているのは一組と四組だけだから、余裕だよ!」

 

 

余裕かどうかは分からないが、比較的ウチはいい条件が揃っているってのは間違いない。

専用機を持つ四組に当たらなければ、それまでは余裕で勝ち進める。何とかなるといった考え方が周囲にも伝わり始めようとした時だった。

 

 

「―――その情報、古いよ!」

 

 

クラスの入り口の方から、自信と勝ち気に満ちた声が聞こえてくる。その場で話していた……いや、クラス中の視線が一斉に入り口の方へと向く。そこに立っていたのは女性、それも制服を身にまとったIS学園の生徒だった。

黄色いリボンをつけた茶髪に、篠ノ之とは違ったきりっとした目つき。同世代と比べると小柄だが、容姿も整っていて綺麗というより、可愛いと表現した方がいいか。制服の肩の部分を切り離して、おしゃれ感覚で肩を露出させている。

 

 

「二組も専用機持ちがクラス代表になったの! そう簡単には優勝なんかさせないから!!」

 

「……鈴? お前鈴か!?」

 

「そうよ。中国代表候補生、凰鈴音! 今日は宣戦布告に来たってわけ!」

 

 

ビシッと人差し指をこちら側に向け、宣戦布告とばかりに強く言い放つ転校生。一夏は彼女のことを知っているのか、名前を呼びながらその場に立ち上がる。すると、一夏と転校生が知り合いだと気付いたセシリアと篠ノ之の二人が妙にあわて始めた。

 

 

「だ、誰ですの? 一夏さんと親しそうに……」

 

 

一夏の後方で二人の恋する乙女が慌て始める中、その様子など微塵にも気にせずに話を進めていく。

 

 

「鈴……何かっこつけているんだ? すっげー似合わないぞ!」

 

「な!? 何てこというのよアンタはぁ!!」

 

 

 小さい子供が大人っぽく振舞おうと背伸びする。同じように小さい身ちょ……失礼、小柄な体格の転校生も私は強い存在だとイメージさせるために、猫かぶりをしていたみたいだ。しかし知り合いである一夏は彼女の本当の性格や仕草を知っているために、やっていることがダサいとストレートに馬鹿にする。その一言で化けの皮がはがれたのか、小馬鹿にされたことに目を吊り上げフシャーと猫が威嚇するかのように捲くし立てる。

本人がどう思っているのか分からないが、少なくとも強キャラとしてこのクラスに定着させたかったのに、一夏のせいで台無しになったと。

 

……あれだな、せめて強キャラとして名を馳せたいのなら、今君の後ろにいるお方くらいの威圧感と存在感がないとな。

 

 

「あっ!?」

 

 

 刹那、石で殴ったのではないかと思えるほどの、拳で殴るにはおかしい音が鳴り響く。おかしい音とはいっても、実際に拳骨を作って殴っているのだから間違いはない。

うわー痛そうとか思いながらも、頭を押さえてその場でうずくまる転校生の様子を見守る。彼女自身は今誰に殴られたのか分かっていない状態だ。普通に考えていたらいきなり後ろから殴られるなんてことはない。

 

ただ良く考えてみれば、その人物が来てもおかしくない時間だと気づく。もうすでに登校時刻は過ぎている、だからいつ担任が来ても不思議ではない。そして問題なのはその担任が誰なのかだ。二組の担任が誰だか知らないけど、うちのクラスの担任は千冬さんで、SHRの時間に他のクラスの人間がこのクラスにいるのを許すはずがない。

 

先ほどまで雑談を楽しんでいた生徒があっという間に着席していくのを見れば、後ろに誰が来たのか、もう分かるはずだ。

 

 

「痛ったぁ~。急に何すんの……うっ!!」

 

 

頭を押さえながら、殴った人物に向かって強気な態度で向かっていく。しかしその殴った相手が誰なのか気付くと、その顔には明確な焦りの表情が浮かび上がってくる。

 

 

「もうSHRは始まっているぞ、いつまで油を売っている」

 

「ち、千冬さん……」

 

「織斑先生と呼べ。さっさとクラスに戻れ、邪魔だ」

 

「す、すいません……」

 

 

どうやら転校生も千冬さんの知り合いだったらしい。おぼつかない口調で千冬さんの名前を呼ぶと、その場から一歩離れて道を譲る。その様子はまるで蛇に睨まれた蛙のようだ。少しの間千冬さんの動向をオドオドしながら見守り、やがて我に返ると一夏に向かってさっきと同じように強い口調で伝言を告げた。

 

 

「また後で来るからね! 逃げないでよ一夏!」

 

 

無様なやられ役のようなセリフを吐き、その場を去っていった。

 

 

 

 

 

時は流れて昼休み。

 

勉学に励む中での数少ない小休止として訪れるこの場所は、多くの学生によって活気に満ちていた。昼までの長い時間を勉学に励めば、朝満たしたはずの胃袋もスカスカになる。特に男性という生き物は顕著で、朝腹一杯食べたとしても昼を迎える前には空腹感に襲われてしまう。早弁をすると一日四食、または五食という人間も多いのではないだろうか。

 

大きな空腹感に苛まれるが、いつも通り券売機の前に出来ている行列に並ぼうとする。程なくして列は進んでいき、いよいよ券売機の近くに来るのだが……。

 

 

「やっと来たわね! 遅いわよ一夏!!」

 

 

どこかで聞いたことのある声。視点をやや下にずらすとその声の正体が判明した。二組にやって来た転校生、凰鈴音。

食券を買っている子が買いにくそうにしていたのは、どうやら彼女のせいらしい。

よく見ると券売機の列付近に仁王立ちし、ものの見事に食券を買う人間の邪魔をしている。

 

 

「あー……一夏を待っていたのは良いけど、そこにいると買いにくいから横に避けていてくれると助かるんだが」

 

「あ、ご、ごめんなさい」

 

「大和の言う通りだぞ鈴、それなら普通に呼びに来てくれれば良かったのに」

 

「う、うるさいわね! アンタが来るのが遅いのが悪いんでしょーが!」

 

 

 券売機に並ぶ列から少し横にずれて、来るのが遅いと騒ぎ立てる凰。すでにその手には先に買ったであろう、ラーメンどんぶりが乗ったトレーを持っている。中身は言わずもがな、中華そばだ。

食べ物を買って待っているのはよく聞くけど、ラーメンを買って待っているのはあまり聞かない。そもそも持っているラーメンは麺が伸びているんじゃないかと心配になってくる。といっても、間違いなく少なからず伸びていると思うけど。

 

 

「私は先に席を取ってるから! 一夏もさっさと来なさいよ!」

 

「お、おう」

 

 

そう言うと、ラーメンを持ちながらズカズカと、食堂の奥へと歩いて行ってしまう。

何をあんなに慌てているのかと、俺の後ろにいる一夏は首をかしげて考えている。

 

 

「……何をあんなに慌てているんだ鈴は?」

 

「さぁな。まぁ、行ってやれよ。つもる話もあるだろう?」

 

「そうだな、会うのは中学生の時以来だし…… 」

 

 

 彼女との交友はどうやら中学以前からってとこか、なのに久しぶりに会うってことは転校したからだろう。初めのうちは何かしらあるのではないかと警戒こそしたものの、どうやら俺の思い過ごしらしい。

そんなことはさておき、これで三人目かと思うとため息を吐きたくなる。さっきの態度をみる感じだと、あの子も一夏に惚れているみたいだ。

マジでどこまで女性をときめかせる術を持っているのか、底が知れないモテっぷりに終始驚くしかない。

 

とりあえず、一夏にはカマをかけてみるとしよう。

 

 

「なぁ一夏。お前中学の時とかに告白されたこととかあるか?」

 

「え? 俺なんかがあるわけないだろ。精々買い物に付き合ってくれって言われるくらいだぞ。それもかなりの回数を」

 

「……」

 

 

 買い物に付き合ってくれってところには、もう突っ込まない。間違いなくそのうちの九割以上が、女の子の方が勇気を出した告白なんだと思う。それもかなりの人数が。

付き合ってくれの意味こそ合っているものの、解釈を完全に一夏は間違っている。そもそも女の子に、一対一の状況で付き合ってくれと言われて、何故買い物に付き合ってくれという解釈になるのか。

ある意味、常識はずれといっても過言ではないかもしれない。

 

その答えに唖然とする俺だが、一夏の後ろにいるセシリアと篠ノ之は複雑そうな表情を浮かべ、さらに後ろにいるナギや谷本は苦笑いを浮かべるだけ。

二人の表情が複雑なのは、簡単に一夏が告白を了承しないと分かった反面、自分のした告白を、全く別の意味でとらえられる可能性が高いと判断したからだ。ゴールの見えないマラソンをやらされているかのように、二人の表情は浮かないまま。

それに加えて、一夏と親しい関係を持つ女性の出現。恋する乙女の悩みは深い。

 

 

「……ってそれがどうかしたのか?」

 

「いや、何でもない。お前は強く生きればいいさ」

 

「はあ?」

 

 

絶対こいつはどこかで何かをやらかす気がする。一夏の将来が少し怖くなりつつも、無事に食券を購入して窓口に渡した。

 

 

 

無事に自分の昼食を購入し、凰の元へと向かう。かと言って、さすがに二人の邪魔をするわけにもいかないため、俺たちは二人が座る横の席で様子を伺うことにした。

篠ノ之とセシリアはすぐに行動できるように、一番右端と一番左端に陣取っている。

 

俺とナギ、谷本に布仏は真ん中付近に座って、二人と会話に聞き耳をたてている。俺たちは会話こそ聞くものの、あくまで食事を中心に考えているが、篠ノ之とセシリアは二人が変な気を起こさないように鷹の目を光らせている。

二人の食べ物は、様子が監察しやすいパンと飲み物という極めて質素な組み合わせだ。

 

周りからの監視が行われる中、一夏と凰の会話が始まった。

 

 

「しかしいつ日本に戻ってきたんだ? おばさんは元気か?」

 

「質問ばっかしないでよ。アンタこそ何IS動かしてんのよ。急にテレビに出てて驚いたわよ」

 

「ま、まぁ成り行きでな……」

 

「ふーん?」

 

「そ、それよりも、鈴が元気そうで何よりだぜ」

 

「あ、当たり前でしょ! アンタもたまには怪我か病気でもしなさいよ!」

 

 

 突っ込みがかなり過激な子だ。たまには怪我か病気でもしなさいって、どんな照れ隠しだ。ただ一夏と久しぶりに交わす会話がよほど楽しいのか、その表情には嬉しさが混じっている。久しぶりの再開に会話が弾む、彼女にとってこれほど嬉しいことはないだろう。

 

一方その頃、隣に陣取っている俺たちはというと、会話に耳を傾けながらも黙々と食事を取っていた。俺と篠ノ之、そしてセシリアを除いた三人も、一夏と凰の関係に少なからず興味があるものの、二人の会話を聞くだけに留まっている。

 

今問題なのは残った二人組だ。篠ノ之に至ってはつり目のまま眉間にシワをよせ、食い入るかのようにジッと二人の様子を監察している。同じようにセシリアもムッとした目付きのまま、マグカップに入っている紅茶を一気に飲み干していく。

紅茶のお湯はかなり熱いはずなのに、よく火傷しないなと感心するが、単に今のセシリアには多少の事を気にする暇は無いのだ。

 

 

どこまで会話が続いただろうか、ついに我慢の限界が来た篠ノ之とセシリアはバンッと机を叩きながら、ズカズカと二人の机に歩み寄っていく。

 

当然、篠ノ之とセシリアが何を思っているのか分からない二人は、ひたすら顔を見つめるのみ。

 

 

「一夏さん! そろそろ二人がどのような関係か、説明してくださいな!」

 

「そ、そうだぞ一夏! ま、まさかつ、付き合ってある訳ではあるまいな!!?」

 

「べ、べ別に私は……」

 

「そうだぞ、ただの幼馴染だ」

 

「……」

 

 

一夏の返答に、あからさまな不貞腐れた表情を浮かべる凰に対し、安堵の表情を浮かべるのは篠ノ之とセシリアペア。

まさか自分たちの知らないところで、一夏にも彼女がいたのではないかと内心ヒヤヒヤしていた二人だが、一夏の発言と凰の反応で、二人が想像していたものとは違うのが分かったようだ。

一夏がいくら鈍感だとしても、年相応の反応は見せるし、思わず見とれることもある。もしかして私たちに言わないだけで、実は彼女がいたと思ってもおかしくはない。

 

とはいえ、そこまでどストレートに言わなくてもと思ったのは、俺だけじゃないはずだ。

 

 

「な、何だ。ただの幼馴染みか……って幼馴染み!?」

 

「おう。そういえば箒はちょうど入れ違いだったな」

 

「入れ違い? まさか一夏が言ってた子って……」

 

「ああ。篠ノ之箒、俺のファースト幼馴染みだ」

 

「ふーん?」

 

 

 じっくりと観察するかのような目付きで、篠ノ之のことを見つめる。視線は上から下へ、そして一度胸の辺りでその視線が止まる。その視線がどこか羨ましげに変化したが、それもほんの一瞬で、再び表情を元に戻し、篠ノ之の顔に向き直る。

何気なく、転校生の上半身に目をやるが、篠ノ之と比べると確かにアレな気はした。そもそも篠ノ之と比べるのが間違いだったか、一組……下手をすれば全学年合わせてもトップレベルに出ているところが出ている。

篠ノ之本人がどう思っているのかは知らないが、少なくとも普通の女性からすれば、羨望の的になってもおかしくはなかった。

 

出ているところの話っていえば、千尋姉もそうだったっけ。いつもサラシを巻くときに苦しそうにしていたのを覚えている。曰く、下着をつけていても揺れると肩が凝り、うつ伏せになると苦しく、挙げ句の果てには着る服が無くなるらしい。

身長的な意味でのサイズは問題ないのだが、出ている部分のサイズに合わず、服選びに毎回苦労させられているとのこと。

 

 

「……これからよろしくね、篠ノ之さん?」

 

「ああ、こちらこそよろしくな」

 

 

 何気ない言葉でも、見ているこちらからすればトゲがある。これからよろしくというような友好的なものではなく、一夏は渡さないぞという警戒心丸出しのものだった。

互いを見つめ合う視線の間に、どこか火花が散っているのを確認できる。

ファースト幼馴染みとセカンド幼馴染みによる一夏の取り合いが、昼真っ盛りの食堂にて行われている一方で、二人の間に居合わせたセシリアは置いてきぼりを食らっていた。

 

二人のように、古くから一夏と知り合いというアドバンテージがないため、会話に混ざるタイミングを完全に失っている状態だ。ぐぬぬとでも言いたげな表情を浮かべ、会話が止まったところに切り込んで行く。

 

 

「んんっ! それとわたくしのことを忘れてもらっては困りますわ。中国代表候補生、凰鈴音さん」

 

「……誰?」

 

「なぁっ!? 何故イギリス代表のわたくしをご存じありませんの!?」

 

「だって、他の国のことなんて興味ないし」

 

 

 哀れセシリア、せっかく話しかけたのに冷たくあしらわれてしまう。セシリアとしては、「アンタがあのイギリスの……」的な切り返しを期待していたんだろうけど、思いの外返ってくる言葉が違い、目尻をつり上げて反論する。

何だろうか此のやりとり、入学初日辺りにほとんど似たやり取りを見た気がするんだが……。

 

一夏の周りを取り巻く三人が騒ぎ立てているせいで、他の席に座っている子たちも、何事かとこちらの様子を伺っている。ただあまり騒ぎ立てられるのも、食事に集中出来ないからつらい。かといって、この状況を一夏に止めろと言っても無理だろうし、下手に発言すれば火に油を注いだように、取り返しがつかなくなるかもしれない。

 

一夏も何とかして止めようと考えている顔つきをしているが、何をどう止めてやったら良いのか、分からずに切り出せない。

 

 

「織斑くん、倍率高いよねー」

 

「ねー! それに取り巻きが全員幼馴染みか専用機持ちでしょ? 話しかけずらいよー」

 

 

隣の席で口々に言い合う谷本と相川。俺も谷本や相川の立場だったら、同じことを言っているだろう。一夏に異性的な興味を持っていたとしても、この状況下では話しかけられない。

俺も俺で今は別に放っておこうと思いつつ、自分の食事を黙々と続けていた。ちなみに今日の昼食はとろろ丼と蕎麦のセットだ。セットだから少し値が張るのではないか、と思う人もいるかもしれないが、価格に関してもかなりリーズナブル。どちらとも大盛りにしてもワンコイン以内でおさまるたま、お腹も財布も非常に満足できるメニューだ。

 

ご飯にかかっているとろろは、山芋ではなくて大和芋……俺じゃなくて、芋の名前な。

しかも冬と違って、大和芋の値段も安い訳でもないのに大量にかけられている。これは嬉しいサービスだ。

 

セットメニューに舌鼓をうちつつ、昼食を進めているが、あまり食べることに夢中になりすぎるのもあれか。

 

 

「んぐっ……アレだな、あそこまでモテると天才的な才能だと思うわ」

 

「だよねー、織斑くんって家事も出来るんだよね? それに顔も性格も良いんだもん。非の打ち所がないよ……」

 

「むしろ婿じゃなくても、嫁に貰いたいくらいだもん!」

 

 

実際千冬さんがほとんど家に戻らないから、すべての家事を一夏がしていたらしいし、織斑家での一夏のポジションは主婦と言っても良いだろう。

一夏から聞いた話だが、千冬さんの家事スキルは悪い意味で凄まじいものらしい。というのも、若くから一夏を養うために働いていたため、必然的に家事をする機会が無かったそうだ。

 

そりゃ家事も上手くなる。天は二物を与えずなんて言うけど、どう考えても二物以上与えている。

 

 

「あ、でも大和くんも料理作るって言ってたよね?」

 

「おう。こっち来てからはまだ作ってないけど、家じゃ結構作ってたかな」

 

「え、何それ初耳!!」

 

「いやいや、相川! 自己紹介の時に言ったから、趣味と特技は料理だって」

 

「あれ? そうだっけ?」

 

 

 自己紹介の時に自分の趣味も特技も言ったはずなのに、完全に忘れられていたことに少々ショックを受ける。ただあの時はあの時で、色々あったしな。その色々の大半がセシリア関係のことだったのはあれだけど。そう考えると忘れてしまっても仕方ないのかもしれない。

覚えていない子もいる中で、覚えていてくれたナギはさすがと言ったところ。嬉しくて涙が出そうになる。

 

 

「きりやんの料理も食べてみたいな~。ねーねー、いつ作ってくれるの?」

 

「そうだな、とりあえずいつでも良いぞ。ならクラス対抗戦の打ち上げみたいな感じでどうだ?」

 

「おぉ、それいいねぇ! じゃあそうしよう!」

 

「「おおー!」」

 

 

 こっちはこっちで、クラス対抗戦の打ち上げのことで盛り上がりを見せている。以前食堂で特に仲の良い三人と知り合った時に、機会があったら手料理を作るという約束をした。

具体的なプランを立てることが無かったため、結構な期間が空いてしまったが、約束自体はきっちりと覚えている。

このままずるずる行くと一度も作らずに終わりそうだし、期間を決めて作るのが、最も効率的かもしれない。自分の作ったものに喜んでくれるのなら、俺としてもこれほど嬉しいことはない。

 

賑やかに予定をたてている女子陣から目を離し、再び一夏たちの方に状況を確認するために視線を向ける。

 

 

「くうぅ! あなたなんかには絶対に負けませんわ!!」

 

「あっそ、でも戦ったらあたしが勝つわよ? だってアンタなんかより強いし」

 

「きいぃぃ!! つくづく堪に障る言い方をしますわねっ!!」

 

 

視線を戻して状況確認は終了、少なくとも先ほどよりは間違いなく、状況が悪化していた。あーいえばこーいうといった、互いに一歩も譲りませんといった状態で、むしろ取っ組み合いの喧嘩になっていないだけマシだというものか。

 

セシリアと凰はどちらもプライドが高くストレートな物言いをするが、その後の行動は対称的だ。セシリアはストレートに物言いをするが、どちらかというと言いくるめられやすいタイプ。逆に凰の方はストレートな物言いをする上に、言葉の一つ一つにトゲがあり、更に物怖じしないタイプ。相性で言ったら、間違いなくセシリアの方が分は悪い。

 

しかし凰も随分とはっきり物言いをするのな。裏表が無い分仲良くなれば長続きしそうだけど、敵を作りやすいっていうのも大方間違い。

 

いつも通りキーキーた騒ぎ立てるオルコットを無視し、凰は一夏へと話しかけていく。

 

 

「そんなことより、ねえ一夏?」

 

「ん、何だ?」

 

「アンタクラス代表なんだってね。良かったらあたしがISの操縦見てあげよっか? も、もちろん一夏が良ければだけど」

 

「え?」

 

 

 一夏に恥ずかしがりながらもISの指導役を買ってでる凰、本人からしたら少しでも一夏と二人っきりになれる時間が欲しいのか。篠ノ之とセシリアの反応を見れば、二人が一夏に好意を寄せているのは一目瞭然。

いくら誤魔化そうとも態度でバレバレだったりする。凰もその事に気付いているはず。

無論、篠ノ之とセシリアは、皆にはバレていないと思っているみたいだが、こっちからすればそんなんで隠してると思っているのかと突っ込みたくなるほど。

 

何気なく約束を取り付けようとするが、篠ノ之とセシリアが許すはずが無い。

 

 

「一夏に教えるのは私の役目だ! 一夏ともそう約束をした!」

 

「それに、あなたは二組でしょう!? 敵の施しは無用ですわ!!」

 

「あたしは一夏に言ってんの。関係ない人たちは引っ込んでてよ?」

 

 

 虎と竜、風神と雷神、表現をあげるのならキリがないが、どちらも引かない混沌とした状態が展開されている。

 

本人たちからすればかなり重要なことかもしれないが、他の食事と会話を楽しみに来ている学生からすれば、迷惑きわまりないことこの上ない。三人が騒ぎ立てているせいで、周りの学生たちは会話が聞き取りにくいし、逆に静かに食べたい子からすればただの騒音にしか聞こえない。

 

食事は楽しく喋りながらとったりするけど、周囲に迷惑をかけながらするものでもない。事態の沈静化をするべく、俺は自分の席を立ち上がる。

 

 

「え、どうしたの大和くん?」

 

「ちょっと止めとこうと思って。さすがにここまで来ると周りが……な?」

 

「あ、アハハ……確かに三人ともやりすぎかもしれないね」

 

「頑張ってね霧夜くん!」

 

 

すぐ戻ると相槌をうった後、自分の席を離れて隣の席までやってくる。本来なら席に近付く人間がいれば気付きそうなものだが、三人は全く気付かないままいがみ合っている。如何に周りが見えていない状態にあるのかがよく分かった。

 

 

「はい、そこまで! あんまりうるさくすると周りの人にも迷惑がかかるだろ?」

 

「う……き、霧夜」

 

「大和さん、確かにそうですが……」

 

「何よ! 今アンタに気にかけている暇はないの! 下がってて!!」

 

「おいおい、酷い言われようだな……」

 

 

 俺の介入によって納得がいかないながらも、押し黙った篠ノ之とセシリアだが、凰はまだ周りが見えていないのか、今度は標的を俺に変えて一気に捲し立てる。

ここで強引に黙らせるのも一つの手段と言えば手段だが、それをやってしまうと完全な威圧になるため、あまりやりたくはない。本気で敵意を向けてくる人間ならまだしも、周りが見えていない人間に対してやることでもない。

 

ここは外的に無理やり黙らせるより、穏やかに黙らせる方が相手を下手に刺激することもなく、互いに嫌な思いをしなくても済むし良いだろう。

 

 

「なぁ、一夏。一個聞きたいんだけど良いか?」

 

「お、おう。何だ?」

 

「……一夏ってやっぱ、おしとやかで落ち着いた女性の方が良いよな?」

 

「「!!?」」

 

 

 案の定、その一言で敵意むき出しだった凰は黙りこんだ。それどころか篠ノ之やセシリア、周囲の騒動に全く関係ない人たちまでこちらを向いている。一夏の好みの話だ、この学園で少しでも一夏に興味がある子なら、間違いなく食いついてくる。

それは凰も同じで、威嚇している猫のような表情は消え、今では俺の問いに対する、一夏の回答を大人しく待っている状態。

 

しかし問題はここからだ。

 

一夏が肯定をしてくれたなら、このまま穏便に事を済ますことが出来る。逆に否定をしたら凰に睨まれるのは必然的。それどころか騒動が酷くなる可能性だってある。

 

さぁ……どっちだ?

 

 

「確かにそうだな。落ち着いている女性って何もしなくてもひかれるし」

 

「おっ、一夏もそう思うよな! ……だってよ?」

 

「う……わ、分かったわよ!」

 

 

一夏の答えに付け足すように、凰へ軽くウインクを飛ばす。すると完全に興が覚めたのか、ぶー垂れながらも席に着席した。あまりこのような手を使いたくは無かったのだが、これ以外に良い案を思い付くことが出来なかった。

 

しかし想い人の効力は絶大。先ほどの雰囲気は鳴りを潜め、少しだがおしとやかにしようとしているのが分かる。でも凰がおしとやかにしているのを見ると、どうにもキャラが違う感じがする。

篠ノ之やセシリアは容姿や元の雰囲気が伴って、凄くマッチングするのがイメージ出来るのだが、どっちかと言うと天真爛漫な元気っ子タイプの凰だと、おしとやかなイメージが出来ない。

 

何気ない想像をしていると、ふと凰と目線が合う。

 

 

「な、何よ?」

 

「いや、何でもないぞ」

 

「に、似合わなくて悪かったわね!」

 

「そこまで言ってないって!」

 

 

 女の子の勘ってどうしてこうも鋭いのか、たまに怖い時がある。顔に出ていたのかもしれないが、思っていたことよりも事実を大きくされると俺としても納得はいかない。俺は凰にはおしとやかにしているイメージが湧かないと思っただけで、似合わないとは思っていない。些細なことで下らぬ問答をしていると……。

 

 

「げっ、チャイム鳴っちまった……」

 

 

 そうこうしている内に、いつの間にか昼休み終了のチャイムが鳴ってしまった。

 

 

「じゃあ一夏! 放課後空けといてよ?」

 

まるで何事も無かったかのように、凰もその場を去っていってしまう。食事をしていた生徒たちも、次々に自分の食べ終えた空の食器を片付けて、食堂から去っていく。

それは俺と共に昼食をとっていたクラスメイトたちも同じであり、すでに席に残っているのはナギだけだった。

 

すぐに戻ると言っといて、なかなか戻れなかったのに、わざわざ待っててくれたことに感謝しつつ、俺も自分の座っていた席に戻って片付けを始める。

昼食こそとれたが、いざこざに巻き込まれたせいで、休んだ感じがしない。

 

 

「ごめんな、待たせちゃって」

 

「ううん、平気だよ♪ 早く教室に戻ろう?」

 

「ん、了解」

 

 

昼休みだというのに、身体が疲れるといった貴重な体験をしつつ、俺は教室へと戻った。

 



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約束の真意

 

―――時間はすでに夜。太陽も完全に沈み、明かりがなければ周囲一帯をまるで確認出来ない真っ暗な状態になっている。もう冬ほどの寒さはないとはいえ、まだ日が暮れるのは早く、日が昇るのは遅い。

毎朝起きるのが早いため、眠くなるのも早いのだが、春眠暁を覚えずなんて言葉があるように、早く寝たとしても朝起きたくないという気持ちは強い。布団が恋しくなる事も、対して珍しいことではなかった。

 

さて、今日の事を振り返るとするのなら、午後の授業をそつなくこなし、チャイムがなると同時に俺は寮へと戻った。一夏はというと、篠ノ之とセシリアに問答無用でアリーナへ連行され、特訓を受けたんだと思う。

何故篠ノ之までアリーナに向かったのかというと、今日は篠ノ之も打鉄を借りる事が出来、一夏と共に特訓をするからだ。

 

まぁ、半分くらいは二人きりにさせたくない願望が入っているんじゃないだろうか。

 

とはいえ、現場を見た訳じゃないので俺も詳しいことは分からない。分かっているのは、さっき寮に帰ってきた一夏が、息も絶え絶えで魂を引っこ抜かれたような顔をしていたことくらいだ。

立てなくなるレベルまでしごいたようで、夕食の時も机に屈伏したまま十数分くらい動かず、そんな一夏の状態に苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

 

「ストーカーに強盗に殺人か……この世の中も物騒だな」

 

 

 自室の机に向かいながら、ディスプレイモニターに映る記事を一つ一つ確認していく。インターネットの記事は時間が経てばすぐに更新され、次々に新しい記事に差し替えられる。学校にいる間は全てを確認することは無理なため、帰宅後に見る必要があった。

一日も経てばかなりの件数が更新されていて、全ての内容を把握するには二、三時間かかる。

 

記事の内容も経済やエンタメ、スポーツに事件など様々。その中でも俺は特に事件関連のものをよく見ている。どうしてこんなことが起こってしまったのか、つまり原因を探るためだ。

 

楯無さんの言っていた女性権利団体の動向には、細心の注意を払う必要がある。

昨日のうちにある程度は調べてみたが、あまり表立った記録は残っていなかった。おそらく自分たちにとって、不利益になる情報は全て隠蔽しているんだと思う。

都合の良い連中だ、奴らがやっていることを考えるとヘドが出る。

 

これで二日間女性権利団体について調べているが、これといった情報を手に入れられないままでいる。

ここはIS学園、そう簡単に襲撃することは出来ないが、遠くから監視や偵察をすることくらいは出来る。もしタイムスケジュールを把握され、一人の時に襲撃されたらたまったものではない。

 

今はまだ、本家と楯無さんからの情報を頼りにするしかない。頭に浮かぶ最悪の状況を想定しながら、ディスプレイモニターを眺め続ける。

 

 

「あー!! もう、やめやめ! 一息ついてから考えよう!」

 

 

 パソコンをスリープモードにして、キッチンにコーヒーを取りに行く。お湯は前もってポットを使って沸かしてあるから、後はコーヒー豆を入れてお湯を注ぐだけ。

コップに豆を入れ、ポットからお湯を注ぎ入れる。コーヒー独自の香りと風味が嗅覚を刺激し、思わず顔がにやけそうになる。その感情をグッと押し殺し、スプーンを使って軽く混ぜ、混ざりあったものを持って再び机に戻った。

 

椅子に座って淹れたばかりのコーヒーを口に運び、自分にとっての優雅な一時というものを過ごす。身体をリラックスさせ、何も考えずに無心で飲むコーヒーが俺は大好きだ。この時ばかりは、誰のも邪魔されたくないという変なこだわりがある。

 

 

「というわけで、私も―――」

 

「ふざけるな! 大体誰が許可を―――」

 

 

誰にも邪魔されたくないと強く思う時こそ、逆に邪魔が入るものだ。

聞き慣れた二つの声が廊下を通じて聞こえてくる。部屋を一つ挟んで隣の俺のところまで聞こえてくるということは、入り口を開けたまま、かなり大きな声で言い合っていることになる。

俺が言いたいのは、一夏の部屋でこの論争が起こっているということについてだ。声の質からして、言い争っているのは篠ノ之と凰だろう。

 

 

「寮長が千冬さんなのによくあれだけ騒げるな。つっても、まだ消灯時刻にはなっていないか」

 

 

 部屋の時計を確認すると四十分を少し過ぎた辺り。まだ特に咎められることは無いが、それが許されるのも後十数分。消灯時間を過ぎてまで騒いでいたら、もれなく千冬さんの『OHANASHI』がプレゼントされる。

 

なぜ二人が騒いでいるのか知らないが、食堂での一件があるためにあまり口出ししたくないというのが本音だったりする。

 

聞かなかったことにしようと、俺は再びコーヒーを傾けながら、机のフックにかけた鞄を机の上に乗せ、明日の準備に取りかかる。明日何があったっけとスケジュールを確認しつつ、教科書や参考書類を入れ替えていく。

 

机の中に教科書全部置いてくるのも考えたけど、よくよく考えたらそれでは机の中が魔窟になって、授業始まる前に取り出すのが非常に面倒になる。授業の準備はスムーズに終わらせたいし、自分の座っている場所くらいは綺麗に整頓しておきたいもの。

 

教科書を明日のものへと入れ替え終わり、鞄を再び机のフックに掛けて、飲み終えたコップを片付けるためにキッチンへと向かう。

 

その時だった。

 

 

 

「最っ低ッ!!!」

 

 

 

 何かを叩く衝撃音と共に、怒気が含まれた甲高い声が聞こえてくる。その何かを叩く音とは、紛れもなく人間の肉体を叩く音、そして甲高い声とは凰の声。

誰に対して怒っているのか、それはすぐに検討がついた。一体一夏の部屋で何が起こっているのか、それを確認するために、部屋の外に出る。

 

そのまま部屋を一つ跨ぎ、一夏と篠ノ之の部屋の入り口の前に立った。ドアを見てみると想像した通り、少し開いている。次にドアに穴が開いていないか。以前、一夏が篠ノ之といざこざを起こした時には、木刀の一撃によって複数の穴が開けられ、無惨な姿に変えられていたからだ。

 

穴も特に見当たらないし、とりあえず何をやらかしたのだけ聞いて、すぐに部屋に戻ろう。

 

 

 

部屋に入るためにノックをしようと、ドアに手を伸ばしていくのだが、ドアに接触する前にドアが開いた。まだノックもしていないし、どうして勝手にドアが開くのか。……答えは簡単で、中からドアが開けられたから。

俺としてはノック後に、入室をしてもいいという返事が返ってくるとばかり思っていたため、完全な不意打ちになってしまった。

何とか避けようと後ろに下がるものの、気付いた時には、時すでに遅し。俺が後ろに下がるよりも早く、ドアの方が早く開かれた。

 

当然ドアの前に人がいるのに、勢いよく開けたらどうなるか、誰しもが分かること。

 

 

刹那、ゴツッ! という鈍い音が鳴り響くと共に、おでこに言葉に言い表せないほどの強烈なまでの痛みが走る。

 

 

「―――ッッ!!?」

 

 

来ることが分かっていれば避けたものの、今回は完全な想定外。すぐ目前に迫った物体を完全に避けろなんてのは、無茶な話だ。

相手の繰り出すパンチやキック、そして斬撃は、来ると分かっているから反応出来る。まさかいきなりドアが、それも勢いよく開けられるなんてのは普通なら想定しない。入口から出る時は目の前に人がいないことを確認し、ゆっくりと開けるのが常識、とんだ常識外れもいいところだ。

 

不意に物体が飛んでくると、痛くないのに痛いと言ってしまった経験はないだろうか。

 

それと同じように、今回は不意にドアの開け閉めによって殴打されたわけだから、普通よりもおでこに走る痛みは大きい。

 

 

「いってえぇ!!」

 

 

痛みのあまり、俺はおでこを押さえてその場にうずくまる。するとうずくまった俺の視線の先に、誰かの足が見える。ドアを開けた張本人が出てきたみたいだ。目の前に人がいることくらい確認しろと、文句の一つでも言ってやろうと、俺は痛みを我慢しながら顔を上げた。

 

 

「あっ!?」

 

「えっ?」

 

「―――ッ!!」

 

 

 ドアを開けたのは凰だった。右手にはピンク色のボストンバッグが握られている。しかし、俺が言葉を続けようとする前に、顔を隠すようにそのまま走り去ってしまう。ツインテールが揺れるその後ろ姿を、追うこともなく、ただ見つめることしか出来ない。

 

顔が一瞬あった時、凰の目尻には微かに光る水滴のようなものが見えた。何があったのかはまだ分からないけど、あれは間違いなく。

 

 

「泣いて……いたよな?」

 

 

今一度、凰が走り去った廊下を眺める。もうそこにはすでに凰の姿は見えず、何もない殺風景な空間が広がるだけ。ひとまず何があったのかを一夏に聞いてみよう。涙を流すほどのことなんだから、それ相応に何かがあったはずだ。まだ少し痛むおでこを押さえながら、改めてドアをノックする。

 

 

「だ、誰だ?」

 

「俺だ、大和だ」

 

「あ、開いてるから入っていいぞ」

 

「ああ、お邪魔します」

 

 

 応対した一夏の声に促されるべく、俺はドアをあけて部屋の中に入る。こうして一夏の部屋に入るのは初めてだったりする。部屋の中には着物に着替えた篠ノ之もいた。右手には竹刀を持っているが、その竹刀は真ん中から無残にぽっきりと折れている。

剣道をやる人間が自分の手で大事な竹刀を折るわけがない。そもそも折れること自体そうそうお目にかかれるものではないし、よほど強い衝撃が加わったのか。

 

あえて多くを語ろうとしないが、この場には一夏もいる。特に何か変わった服装をしているわけでもないし、素っ裸で行為の最中というわけでもない。問題なのはその左頬に綺麗に付けられた、紅葉型の赤い痕。先ほど鳴り響いた何かを叩く音っていうのは、凰が一夏にビンタした音のことだった。

 

いくらドアが少し開いていたとはいえ、音が部屋をはさんだこっちまで聞こえてくる時点でどれだけ強く叩かれたのかよく分かる。手加減なしで叩かれたのだろう、綺麗な位に真っ赤に腫れ上がっている。

 

 

「とりあえず何個か聞きたいんだけど……その痕は?」

 

「鈴に殴られた」

 

「ビンタされた心当たりはあるのか?」

 

「いや、分からない。約束したことを言っただけだったんだけど……」

 

 

どうやら凰がどうして泣いてしまったのか、いや怒ってしまったのか一夏は分かっていないようだ。各言う俺もどうしてあんなことになったのか、分かった訳ではない。その場に居合わせた篠ノ之なら、何があったのか分かるかもしれない。若干の期待を込めつつ、俺は篠ノ之に問いただした。

 

 

「篠ノ之は一部始終を見ていたみたいだけど、どんな感じだった?」

 

「……」

 

「おい、篠ノ之?」

 

「あ、いや。何でもない。一部始終といってもどこまで話せばいい?」

 

「んー……確かに漠然とし過ぎていたな。篠ノ之にとって目のついたところを教えてくれるとありがたい」

 

「あぁ、分かった。詳しくは私も分からないんだが……昔凰がした約束を一夏が間違えていたみたいでな」

 

「約束ねぇ……」

 

 

 一夏と篠ノ之の口から出てきた『約束』という単語。小さい頃の約束なんてそれこそ些細なものばかりだし、下手をすれば三日も経たずに忘れることだってある。

明日のテストで点数がよかった方がジュース一本奢りだとか、天気が当たっていたら帰る時の鞄持ちだとか。これらの約束はあくまで些細な口約束であり、その人の人生そのものを左右するようなものではない。いわばその集団でのノリ、友達付き合いのようなものばかりだったりする。

 

確かに凰は強気でストレートな物言いをするが、些細な約束を忘れていたことに怒る人間だとは思わない。彼女が怒るってことは、その約束がいかに自身にとって重要だったのか分かる。

 

 絶対に忘れられたくない約束、学生時代で大きな約束といったらあまり言い方は良くないが、多額の金を貸してもらったとかもそれに入るのか。ただ凰が金を貸すような人間には見えないし、一夏がカネを借りるような人間にも見えない。特に一夏は家族が千冬さんだけだ。女手一つで働いている千冬さんの負担になるようなことを、一夏が平気にするようには思えない。

 

男女で交わすような約束で凰が怒り、直勝涙を流すほどの悲しさを覚える約束って言ったら……。

 

 

「なぁ一夏。もしかして約束が間違っていたってことはないか?」

 

「いや、多分あっているはずだと思うんだけどな……タダ飯を食わせてくれるって約束で」

 

「タダ飯?」

 

 

一夏が何気なく発した単語に疑問を持ち、俺は聞き返した。

 

 

「あぁ、鈴が転校する前にした約束だと思うんだけど。料理の腕が上がったら毎日酢豚を食べてくれるかって」

 

「……」

 

 

 開いた口が塞がらないって言うのはこの事か。約束を一字一句間違えずに覚えているにも関わらず、その解釈があまりにもお粗末過ぎた。

よく日本の古くから伝わる言い回しで、もし料理が上達したら、私の味噌汁を毎日食べてほしいという言い回しがある。ようは遠回しなプロポーズのことで、多少古い言い回しだが、何となく理解できる。

 

しかし一夏は何を思ったのか、それを奢ってくれる……毎日タダ飯を食わせてくれるという間違えた解釈をしてしまっている。女性の好意に鈍感な一夏にわざわざ遠回しの言い方、それも味噌汁を酢豚に置き換えて言えば勘違いされても仕方ないと思うのだが、そこは凰も中国人ならではのアレンジを入れたかったんだと思う。

 

約束を勘違いした一夏も一夏だが、直接的に言えなかったのもあれな気がした。

 

 

「まぁ色々と分かった。とりあえず今はそっとしておけ」

 

「うっ……やっぱりそうだよな」

 

「当たり前だ。何がダメだったのか自分で考えてみればいい。謝るのはそれからだ」

 

 

何も理解していないうちに一夏が凰に謝ったところで、また言い争いになって終わるだけだ。なら多少なりとも自分の行いは行いで悔い改めた方が良い、自分で考えて答えを見つけ出すこと、それが次への一歩につながる。

 

 

「とりあえず俺は部屋に戻る。夜遅くに悪かったな」

 

「いや、こっちこそ関係ないことに巻き込んじまってワリィな」

 

「全くだ。お陰さまで盛大にドアの開閉攻撃を食らうわ、散々だったぜ」

 

「うぐぐっ……」

 

 

 痛いところをつかれてぐうの音も出なくなる一夏だが、俺としては別に特に怒っているわけではない、ただ単にからかいたいだけだ。楯無さんの性格が移ったのか、それとも千尋姉の性格が移ったのか分からないけど、どうも一夏は弄りたくなる。逆にちょっとしたことでも手を差し伸ばしたくなるんだけどな。

 

それとおでこをぶつけたのは、一概に凰のせいだと言えないのが事実。外にいる人間も、いつドアが開くのかを気を付けて通りすぎなければならない。

なのに俺は不覚にもドア近くの真っ正面に立っていた。これではどうぞ好きにぶち当てて下さいと言っているようなもの。

言い争っている時点で、怒りながら部屋を出てくるケースも十分に考えられたことだ。

 

 

「あ、そうだ。篠ノ之」

 

「ん? 何だ?」

 

「カッとなっても暴力に出るのはやめろよ。その折れた竹刀、凰に折られたんだろ?」

 

「そ、そうだ……。その事については、私も反省している……」

 

「そっか、なら良い」

 

 

 カマを掛けたつもりだったが、図星だったために篠ノ之はバツの悪そうな顔を浮かべながら、やや視線を俺から背ける。竹刀とはいえ、熟練者が生身の人間を本気で殴ったりしたら、相当痛いだろうし、大怪我をするかもしれない。

カッとなると暴力的になるのは本人も気にしているのか、篠ノ之が浮かべる表情は複雑なものだった。

凰も幸いなことに怪我をすることも無かったし、俺が篠ノ之に対して何かを言うこともない。

一応事態は一端区切りになったわけだし、俺はさっさとお暇するとしよう。

 

 

「んじゃ、そういう訳だ。おやすみ二人とも」

 

「ああ、また明日な」

 

 

寝る前の挨拶を二人と交わし、俺は部屋から出た。

 

 

 

 

話している間にも、消灯時間は刻々と近付いている。部屋から出ると俺は凰が向かった方へと駆け出した。言い方が悪いが、凰の性格からして泣いたまま部屋に帰る可能性は低い。それも今日が転校初日だ、同居人がいきなり泣きながら部屋に戻ってきたら何事かと言うことになる。

 

さすがに目の前で泣かれてしまうと、一応様子を見ないと心配にはなる。部屋から出てきた時には涙を流していたわけだし。

 

決して可能性が高いわけではないが、少し気持ちが落ち着くまでどこかで待機するはず。先ほど凰が向かった方向にはロビーがある。時間によっては人で溢れ返っているロビーだが、消灯時間の手前になればそこに立ち寄る人間は居なくなる。そもそもこの時間にそこに立ち寄る意味もない、だからそこに行く必要も無くなる。

 

 

「居たら儲けってやつだなこりゃ」

 

 

居なくて当然、むしろ居たらラッキーだと思うくらいでいい。走っていると大きく開けた場所が見えてきた。ど真ん中にある大黒柱を中心にソファーが並べられている。

その一ヶ所に膝を抱えて、俯き加減で座る影を確認することが出来た。

座っている人間が凰だということが分かると、スピードを緩めて座っている凰の側に近寄る。向こうも音で気付いたのか、俯いていた顔をゆっくりと上げた。

 

長いこと泣いていたのか目元は赤くなっており、勝ち気な性格の凰からは想像できないほど、弱々しい眼差しをしている。近寄ってきた人物が俺だと分かると、再びその視線を下に戻す。

泣き顔を見られたくないのか、俯いた状態のまま話し始めた。

 

 

「何でわざわざ追ってきたのよ? 別に誰かに心配されるほどあたしは弱くないわよ」

 

「あ、そうなの。ただもう消灯時間だから、そろそろ部屋に戻った方が良いんじゃないかって思ってな」

 

「知っているわよそれくらい。もうちょっとしたら戻るつもりだったから……」

 

「そうかい」

 

 

 凰の座っているソファーの隣にあるソファーに座って返事をする。相変わらず声にいつもの覇気がないものの、平静を取り戻すことは出来ているようだ。

それだけ言い残すと、また話すのを止めてしまう。一夏に約束を覚えて貰ってなかったことを思い出したのか、俺には黙って凰が喋りだすのを待つしかない。目の前にいる凰の姿が儚く、そして今にも消えてしまいそうにも見えた。

 

 

「とりあえず自己紹介ってことで、俺は霧夜大和。一夏と同じ、男性操縦者だ」

 

「じゃあアンタがイギリスの候補生を倒したっていう……」

 

「そうなるな。一夏にでも聞いたのか?」

 

「……うん。アイツ、アンタのことばかり誉めてたから。すごい奴だって」

 

「あー、そうなのか」

 

「……」

 

 

 俺がセシリアに勝ったということに多少の食い付きは見せたものの、すぐに会話は終わってしまい、俯いて暗い表情を浮かべてしまう。同じことの繰り返しで、どうにも上手く話の展開を切り出すことが出来ない。少しの間沈黙は続き、どうしようかと悩んでいると、今度は凰の方から小さな声で、しかしはっきりと話し掛けてきた。

 

 

「……一夏はあたしのことなんて、どうでも良かったのかなぁ?」

 

「何でそう思う?」

 

「ちょっとね。あたしの行動は何だったんだろうって思っちゃって」

 

 

ほとんど自虐気味に話してくる凰。先ほど受けたショックを拭えないままに、ネガティブな方面に物事を考えてしまっているみたいだ。自分なりに想いを伝えたのに、相手は何かを思うどころか気付いてすらいない。その出来事が凰を落ち込ませるには十分なものだった。

 

今まで好きな人に対して想いを寄せ、自分なりのアプローチをしてきたつもりだった。それがたった一言、それも解釈の違いで、脆くも崩れ去ってしまう。

 

 

「……約束の話か?」

 

「うん。一夏から聞いたの?」

 

「ざらっとな。詳しい話は聞いてない」

 

「そうなんだ……」

 

 

 捲し立てられるとばかり思っていたが、返ってきた反応はその反対。昼におしとやかな女性が一夏は好みだなんてことを言ったが、いくら何でもおしとやかになりすぎじゃないだろうか。今の凰と昼休みの凰を比べたら、本気で別人と間違えるレベルだ。

 

 

「アレンジして、酢豚に置き換えて言ったのがまずかったかなぁ?」

 

「あながち違うと言えないな。日本の言い回しは、あくまで味噌汁だし。一夏が敏感な男ならどうか分からないけど、あの一夏だからな……」

 

「や、やっぱり直接言えば……」

 

「何かそれもそれで、地味に結末が見えそうな気がするな」

 

「うっ……確かに」

 

 

 あまり認めたくはないけど、付き合ってくれって言っても、それだけだと買い物に付き合ってくれと解釈しそうだしな。昼に食堂で何気なくした質問の答えを聞く限りだと、完全に買い物に付き合うということと勘違いしていたみたいだし。

誰かがいる教室で、ちょっと付き合ってくれと言われたら買い物なり、遊びなりの意味はあるけど、一対一の状況で言われたら普通は気付きそうなものだ。

 

 あの一夏でも、自分はお前に好意を抱いていますと認識させる方法が無いわけではない。女の子からするとどうなのかは分からないけど、男の間でよく言われるのが、女に告白するのなら変化球ではなくて直球で攻めろという言い回し。

メールや電話で好きだと言うのではなく、堂々と面と向かって好きだと言うことだ。

 

メールや電話を使うなとは言わないが、あくまでその二つは対象の人物を呼び出すための手段にしか過ぎない。そもそもメールや電話で告白だなんて、そんなちっぽけなことをするくらいなら告白なんてするななんて人間もいるらしい。

 

俺はそれを肯定する気は無いが、紛いなりにも間違いではないと思う。話を戻すが、一夏を振り向かせるのなら『付き合ってください』のような別の意味にも捉えられる言葉を使うのではなく『大好き』と言うしかない。

 

それを伝えるべく、俺は凰に向かって話しかける。

 

 

「マジで好きなら、面と向かって『好きです』だとか『大好き』くらいに言ったら問題無かったと思うぞ」

 

「そ、そうだけど……そんなの恥ずかしくて言えるわけないじゃない!」

 

 

さっき好きだって言ったのに、いざ言うとなると恥ずかしいってどんな小心者なんだろうか。一夏の場合は遠回しに言っても気付かないのだから、直球で言うしかないと言っているのに、目の前の凰は手をあたふたさせながら、顔を真っ赤にして抗議してくる。

 

こういうのって確か。

 

 

「それって、ただのヘタレじゃないか?」

 

「ヘタレ言うな! 励ますのかからかうのかどっちかハッキリしなさいよアンタはぁ!!?」

 

 

猫が牙を立てて威嚇するように、目を見開いて口を大きく開きながら俺に詰め寄ろうとしてくる。ちょっと意地悪なことを言ってしまったが、話しているうちに、凰の中でつっかえていた何かが取れたのか。先ほどまでの弱々しい口調はすでに消えて無くなっていた。

 

 

「ははっ♪ 少しは溜まっていたもんが出てきたか?」

 

「へっ……あ!」

 

 

 食堂で凰に抱いた俺の印象、あの時はおしとやかなイメージではないと俺は思った。あくまでおしとやかなイメージではないだけで、天真爛漫な元気っ子というイメージがある。もちろん子供っぽいとバカにしているわけではなく、きちんと誉め言葉としてだ。

喜怒哀楽がハッキリしていることが凰にとっての長所なんだから、今のような生気が抜けたような暗い雰囲気は似合わない。

 

話していくうちに少しずつだが、元の表情に戻りつつあり、最後の一押しでようやく元に戻すことに成功した。

 

 

「あ、アンタ……」

 

「ま、それはいいとしてだ。今回一夏は解釈を間違えたけど、約束自体はきっちり覚えていただろ?」

 

「え?」

 

「一夏が本当に凰のことをどうでも良いって思っていたら、約束を覚えているどころか、お前の転校してきたをあそこまで喜んだりはしないさ」

 

「……」

 

「少なくともアイツはアイツで、お前のことを大切に思ってくれてるんだよ。一人の親友としてな」

 

「うん……」

 

「そこから先はもうお前の努力次第だ。本気で一夏を振り向かせたいなら、より一層自分を磨いていけば良い。唐変木なんて関係ないくらいにな」

 

 

ソファーから立ち上がって、凰の顔を見つめながら真摯に伝える。

 

色々考えたところで、結局はそこに行き着く。どれだけスタイルが良くても、どれだけ性格が良くても、どんなに美人だとしても、一夏が本気でその人間にときめかなければただの宝の持ち腐れだ。

スタイルの良し悪しも好みであり、多少のアドバンテージにはなるものの、持ち合わせているからといって必ず惚れるわけではない。

 

一夏を振り向かせるためにどれだけ自分を磨けるか。磨いたからといって一夏が振り向くとは限らないが、それでも少しでも振り向かせたいと思うのなら努力しなければならない。ましてや一夏の近くにはすでに篠ノ之やセシリアもいる。ライバルは多い。

 

 

俺の言うことが余程意外だったのか、まるで物珍しい生き物でも見たかのように、目をパチパチとさせながら俺のことを見上げてくる。

 

 

「どうした、そんなに化け物にでも出会ったような顔をして?」

 

「いや、この場合化け物よりも質が悪いかも……」

 

「よし、じゃあ凰が一夏のことが大好きだって言ってたと伝えておこう」

 

「はぁっ!? ちょ、ちょっとやめなさいよ!!」

 

 

化け物よりも質が悪いかもとか言ったお前が悪い、ちょっとくらいは意趣返しさせてくれ。

俺が来た道を戻ろうとすると、慌てて立ち上がって俺の動きを止めようとしてきた。バタバタと駆け寄ってくる凰を、ひょいと横にステップしてかわす。

 

 

「おいおい、そこまでムキになるなって!」

 

「あ、アンタが変なこと言ったからでしょ!?」

 

「いや、化け物呼ばわりした奴がそれを言ってもなぁ……」

 

「うぅ、それはそうだけど……」

 

 

何か凰を見ていると反応が面白いから、無性にからかいたくなってくるんだよな。これ以上からかいすぎて引っかかれるのも嫌だから、このくらいにしておく。でも流石に化け物よりも質が悪いは言い過ぎじゃないかと思うのは俺だけではないはずだ。

 

ひとまずは凰も元に戻ったことだし、もう俺がとやかく言う必要も無い。後は凰が一夏のことをどうするかだけど……。

 

 

「んで、一夏のことはどうするんだ?」

 

「そこは一夏が謝ってくるまで待つだけよ! あたしからは絶対に謝らない!」

 

「なるほどな」

 

 

 予想通り、今回は一夏からの謝罪を待つということで、凰も結論を出したみたいだ。そこにはもう先ほどの暗くどんよりとした表情はなく、いつもの勝ち気な天真爛漫な笑顔が広がっていた。

 

後は一夏がこれからどうするかだけど、これに関しては本人に任せるとしよう。真意を知らなかったとはいえ、凰が一夏の言葉で凹んでしまったのは事実だから。

 

そもそも一夏が俺に言った言葉を、そのまま凰に言っていればこんなことにならなかったんじゃと思える。意図が分からなくても、そこでどういう意味だったんだ的な会話になっていればもう少し違う展開にはなっていたはず。

 

もしかしたら一夏も、凰が自分に対して好意を向けてくれていることに気付いていたかもしれない。

 

 

「っと、やべ。もうそろそろ消灯時間だな、早く戻らないとな」

 

 

 会話に夢中になって気付かなかったが、冷静になって時計を見つめるとすでに時計の数字は九時五七分だった。このまま話していたら後三分で、カップラーメンが出来るだけではなく、十時の消灯時間になってしまう。

見つからなければ何もないが、寮長が千冬さんだということを考えると時間を破ろうとは思わない。何故だろう、凄く不思議だ。これがネームバリューの圧力ってやつか、おぉ、怖い怖い。

 

何にせよ、このまま千冬さんに見付かってどやされるのは勘弁だ。さっさと部屋に戻るとしよう。

 

 

「凰、早く戻るぞ。このまま織斑先生に吊し上げにされるのは勘弁だろ?」

 

「そ、そうね。後私のことは鈴で良いわよ? 苗字で呼ばれると何か慣れなくてさ」

 

「ん、そうか。なら俺のことは大和でいい」

 

「あ、後ね!」

 

 

走り出そうとした俺の動きを、再び鈴の言葉が制止させる。今度は一体何だろうかとその場を振り向くと、手をモジモジさせながら何かを言いにくそうにしている鈴がいた。何を言おうとしているのか、中々切り出してこない。十数秒同じような動作を繰り返し、ようやく決心がついたのか口を開いた。

 

 

「そ、その……相談に乗ってくれたこと……感謝、してるわ」

 

 

鈴の口から出てきたのは、相談に乗ったことに対する感謝の言葉だった。人に感謝することに慣れていないのだろう、その言葉はどこかぎこちない。でもぎこちないとはいえ、こうして感謝の言葉を述べてくれたわけだ。だったら俺が今すべき行動は一つしかない。

 

 

「どういたしまして。あぁ、そうだ!」

 

「?」

 

 

 ふと思い出したように、俺はロビーに設置されている自動販売機の前に立つ。その行動の意味が分からず、鈴はその場で立ち尽くすだけだ。財布から小銭を取りだし、コイン投入口に入れてスポーツドリンクのボタンを押す。ガコンッという音と共に、商品が取り出し口に落ちてくる。取り出し口に手を入れてスポーツドリンクを取り出すと、俺はそれを持って鈴の手に握らせた。

俺のお金で買ったのに、自分に渡された意味が分からず、はぁ? とでも言いたげな視線を俺に向けてくる。鈴からすれば意味が分からないんだろうけど、俺からすればちゃんとした意味があるんだなこれが。

 

 

「何よこれ?」

 

「スポーツドリンク、いらなかったか?」

 

「くれるなら貰うけど……何かあるんじゃないの?」

 

「今そこの自販機で買ったやつだぞ。別に何にも入っていないから安心してくれ」

 

「ならいいけど……」

 

 

疑心暗鬼な顔を浮かべながらも、何だかんだできっちりとスポーツドリンクを貰ってくれた。

 

 

「じゃああたしはこっちだから……」

 

「おう。それと、寝る前の水分補給はしっかりしとけよ?」

 

「分かってるわよ!」

 

 

ウガーッと両手を上に突き上げながら俺に噛みついてくる。その後はプイッと顔を反らして、ズカズカと反対方向に歩いていってしまう。女性らしからぬ歩き方をする後ろ姿を見つめながら、鈴に聞こえるようにポツリと呟いた。

 

 

「ちなみにそのスポーツドリンクは、涙の量分だけだから気を付けろよー!」

 

「やっぱりアンタはからかいたいだけじゃないの!!」

 

 

鈴が叫ぶ時にはすでに走り出していた。後方から聞こえてくる声から、どんな表情をしているのか想像して楽しみつつ、自室へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――俺の夜は、まだ明けない。



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○狙うもの

「ただいまっと」

 

 

 ロビーで鈴をからかい終えたところで、俺は素早く自室まで戻ってきた。ちょっとだけ消灯時刻を過ぎてしまったが、別に見つかった訳でもないし問題ないだろう。俺以外誰もいない部屋に向かって挨拶を飛ばすが、俺以外この部屋にいないので返事は返ってこなかった。

 

しかしどこか返事が来るのではないかと、期待をしている自分がいる。自分が帰ってきて楯無さんが勝手に部屋に入り込んでいるのは、完全に自然の流れになっている。慣れとは怖いもので、入ってこられても動じずにやり過ごせるようになった自分が恐い。

 

彼氏彼女の関係でもないのに、勝手に部屋へ上がられたら、別の誰かが来た時に要らぬ誤解を招きそうだ。俺の部屋に、楯無さんが上がり込むのを知っている人間は俺だけ。一夏や篠ノ之はおろか、寮長の千冬さんでさえ、その事実を知らない。完全に俺と楯無さんの間だけでの関係となっている。

 

……言い方がやらしいな。俺と楯無さんしか知らないことに訂正しよう。

 

 

部屋は出ていく時に必ず電気を落としていくため、部屋の中は真っ暗だ。電気をつけようとスイッチに手をかけた瞬間、ふと机の上が白く発光しているのに気が付いた。

 

日中は小さな光が目立つことはないものの、真っ暗な中だったら小さな光でもハッキリと確認することが出来る。密林の中で迷彩柄を着ていると姿は確認できないが、町中で迷彩柄を着ていたら目立つようなものだ。

 

初めはメールだと思い、特に急ぐこともなかったが、発光が収まることなく続いているのが分かると、慌てて部屋の中に入る。参ったな、もう完全に寝るつもりでいたから、もう身体は寝る気満々だ。頭も何だかボーッとして、目にはもやのようなものがかかり始めている。

 

相手が誰だか分からないけど、なるべく早く電話を済ませて寝たい。淡い期待を抱きつつも、机の上に置きっぱなしの携帯を手に取り、発信者の名前を確認する前に出た。

 

 

「はい、もしも「おっそーい!! 何していたのよ!?」おうふ……すんません、ちょっと出歩いていました」

 

 

電話に出ると早々に耳を(つんざ)かんばかりの超音波が俺のことを襲う。インカムでも使ったのかのようなその音量は破壊力抜群、音の振動が三半規管を通じて一気に脳まで届き、俺の眠気というものを完全に取り去ることに成功した。

 

眠気が覚めたところで全く嬉しくは無いが、改めて電話を掛けてきた発信者の名前を呼ぶ。

 

 

「どーしたんすか、楯無さん?」

 

「どーしたもこーしたもないわよ! メールしても反応しないし、電話掛けても出てくれないし!」

 

「メール? 電話?」

 

 

楯無さんの口から飛び出た二つの単語に心当たりがなく、俺は携帯のマルチ機能を使って着信履歴とメールボックスを確認した。

メールが三件に着信が五件、たかだか十数分部屋を留守にしていただけだというのに、凄まじい量の件数が届いている。世の中のストーカーもびっくりするだろう。

 

まさか十数分の、消灯時刻間近にこれだけの連絡をしてくるなんて思わなかった。ただこの時間にこれだけの連絡を寄越すということは、単なる世間話だとは思えない。

楯無さんも人をからかうことは好きだが、一線を越えたことはしない。それこそ学生が寝静まる可能性のある時間に、大量の電話やメールをするなんてことは。

 

メールや電話がどちらか一回来るくらいだったら何とも思わないが、流石に同時に複数来ているとなると何かあったのかとは思う。仮にも楯無さんは更識家当主、俺は霧夜家当主に当たる存在だから。

 

 

「あー、すんません。まさかこの時間に連絡来るとは思ってませんでした」

 

「もう……まぁいいわ。大和くんも個人的な用があったみたいだし、私も直接行けば良かったわけだしね」

 

「……それで何かあったんですか? もしかして急ぎの用があったとか」

 

「ええ。ちょっと色々話さないと行けないから、少し時間良いかしら?」

 

 

楯無さんからは色々と話すことがあるようで、少し時間がかかることのこと。十分か二十分か、はたまた一時間か。

 

 

「了解です。何なら朝まで付き合いますよ」

 

 

 どれだけの時間がかかるのか、冗談半分で朝まででも付き合いますと返す。この時まだ俺にはどこか慢心があったらしい。何とかなる、すぐに対処できるといったような。だがそんな慢心も次に発せられる楯無さんの一言で、がらりと覆された。

 

 

「そうね。もしかしたら朝までかかるかもしれないわ」

 

 

"朝までかかるかもしれない"

 

いつになく真剣で、異常なまでに冷静な口調。楯無さんのこの一言が、話そうとしていたことが、どれだけ重要な話なのかすぐに理解することが出来た。少なくともいつもの世間話ではない、電話先で表情こそ見えないものの、聞こえてくる声だけでも判断することは出来る。

 

十数分携帯から離れている間に、事態が深刻なものにならなかったことにまずは感謝しなければならない。ある意味ラッキーだっただけだろう。もしも事が起きてしまえばそれこそ取り返しのつかないことになっていたかもしれないのだから。ホッと胸を撫で下ろすが、次からは絶対にこのような失態は許されない。

 

裏の世界は嘗めていたら本気で命を落とす危険がある。特にそれに密接に関係する護衛の仕事とはそういうものだ。襲い来る敵から我が身一つで、クライアントを守りきり、時には複数の相手から守らなければならない。当然クライアントには怪我をさせないようにだ。

 

襲い来る相手もプロだ、普通に戦ってもそこら辺にいるような格闘家では、相手にならないほどの戦闘力を持っている。一度ふざけた気持ちを入れ換えるために、大きく深呼吸をしてから目をとじる。そして再び目をカッと見開いた。

 

 

「……分かりました。では話の続きを」

 

 

話の続きを聞くために。

 

 

 

 

 

「目標はどうだ?」

 

「まだ起きているな……部屋の明かりがついている」

 

「女と同室とは、良いご身分だな奴も」

 

 

 周りに照明の一つもないIS学園の敷地内の一角にそれらはいた。顔を認識出来ないほどの真っ黒なマスクで覆い、全身も暗闇に溶け込むように黒基調の服装だ。建物の上から双眼鏡を使って、寮の一室を監視している人間がいる。そして双眼鏡をのぞく人物のすぐ横には、映像として記録を残すためにビデオカメラが設置されていた。

寮全体を監視するのではなく、あくまでその向く視線は一ヶ所のみ、まるでスナイパーが獲物を仕留めようとするかのように監視していた。

 

彼らが何を目的として監視をしているのかは分からないが、すでにIS学園の消灯時刻は過ぎている。部屋の中では自由行動が許されているものの、部屋から外に無許可で出ることは許されない。彼らは学園の生徒ではなく、全くの別の場所から来た人間だという仮説を容易に立てられる。

 

所々に街灯こそ立っているものの、広大な面積を誇る敷地内に転々としているだけでは、もはや不気味さを取り去ることは出来ない。時々吹く夜風によって揺らめく木々の数々は異形そのもの。全てが重なりあって、IS学園はよりいっそうの不気味さを醸し出していた。

 

 

「しかし今回は楽な任務だな。まさかただ部屋の一つを見張れば良いだなんて。世界唯一の男性操縦者だったっけか?」

 

「あぁ、ターゲットは織斑一夏。今回は奴の生活サイクルを把握することが目的だ」

 

「権利団体から依頼されるとは……ま、確かにうちら女性にとって奴は障害にしかならないな」

 

「男がISを動かしたなど、認めるものか。男なんて女性の下僕として生きていれば良い」

 

 

声質からして監視をしている三人は、三人とも女性であることが分かる。その思想は歪みそのもの、男性という存在を完全に否定するものだった。男性を人として扱わない思想、ISが出てくる以前ではとても考えられなかったことだ。

マスクの穴が開いている部分から見える目は血走っており、男性というものに対して明確な殺意、敵意というものを感じることが出来る。

 

 

「ただわざわざ、こんな遠回りな行動をする必要なんかあったのかねぇ? たかだかガキを一人仕留めるためだけにさ」

 

 

先ほどから双眼鏡を持ち、部屋を覗く女性が疑問を投げ掛ける。一般論から言えばそうかもしれない、ここにはさんにんの人間がいるのだから、数にものを言わせて奇襲をかければ問題はずだと。

 

「確かにそうかもしれないが、ここはIS学園だ。セキュリティも万全だろうし、奇襲では止められてしまう可能性が高い。奴の周りにも必ず誰かが見守っているはずだ」

 

「お前は堅いんだよ考え方が、たかだか男のガキ一人だ。男をどうしようが、うちらの知ったことではない。何かあっても今は権利団体が守ってくれる」

 

「その考えに賛同する。男一人殺したところで何だ? ちょっと上から出てやれば、捕まったとしても すぐに釈放されるさ」

 

 

さらりという言葉の一つ一つに、狂気というものが含まれている。たかだか男を一人殺したところで何てことはない、男性の命をそこら辺に落ちているようなゴミとして見ているのか。殺そうとする態度に、戸惑いというものは無かった。

 

彼女たちのような、女性を中心に社会が成り立つと考える人間にとって、男性という生き物はただの小間使いにしかならない。ISの開発によって、男性というものの価値は著しく低下している。

居てもただ食料や金銭を無駄遣いする機械、つまりは金銭や食料を使わないままゴミとして捨てるようなもの。価値がないのなら男など居なくても良い。

 

確立しつつある女性優位の社会に陰りが見え始めたのは、織斑一夏が男性としてISを動かしたから。たった一人、さえど一人、もしここから男性でもISを動かせることが解明されれば、この世の中のパワーバランスは再び逆転する。

 

単純な力では女性が男性に勝つことは出来ない。同じように、少なからず身体能力が影響するIS操縦でも、男性の方に軍配が上がる。そうなったとしたら女尊男卑の世の中が、男尊女卑に変わるのは時間の問題だろう。

 

彼女たちからすれば忌々しい男性操縦者を今にでも始末したい。双眼鏡を握る手に力が入り、双眼鏡がミシミシと音を立てて軋み始める。今にも飛びかかろうとする二人に対し、リーダーっぽい女性がそれを止める。

 

 

「落ち着け二人とも。確かにそうだが、ここにはあのブリュンヒルデもいる。奴を今この場で始末をしたら、私たちの身分は保証出来ない」

 

「チッ!! くそが! わざわざ面倒なことをしてくれる」

 

「まぁそう言うな。あくまで今回の仕事は織斑一夏の生活サイクルを把握することだけだが、報酬はいい。権利団体も奮発してくれたさ」

 

 

ブリュンヒルデという称号を知らない人間はこの世にはいない。かつて織斑千冬が世界一に輝いたことは誰もが知っていることであり、この三人も同様に知っていた。織斑一夏を始末すれば彼女が黙っていない。その気になれば三人のことなど一瞬で組伏せることが出来るだろう。

リーダーの忠告が興奮状態にあった二人の頭を徐々に冷やしていく。忌々しげに舌打ちをしながらも再び、双眼鏡を覗きこみ、一夏の部屋の観察を再開した。

 

すると覗きこむと同時に、部屋の明かりが完全に消えて真っ暗になる。睡眠をとるために電気を消したのだろう。それを確認すると双眼鏡から目をはずし、監視を一時中断した。

 

 

「部屋の明かりが消えた。どうやら奴は寝たらしいな」

 

「そうか。よし、レポートをまとめて権利団体に送ろう。とりあえず私たちはこれでお役御免だ」

 

「楽な任務だ。誰も侵入に気が付かないとは……IS学園のセキュリティなどたかが知れてる」

 

 

 誰一人とて自分達の侵入に気が付くものはおらず、なおかつ織斑一夏の情報収集も何事もなく終了し、何もかもがうまくいったと、鼻高々に身支度を整え始める。

撮影機器のビデオカメラの電源を落とし、中からビデオテープを取り出した。中には自分たちの記した大切なデータが入っている。彼女たちはその道のエキスパートだが、ビデオカメラ本体を紛失することもあるかもしれない。万が一に備えて、本体からテープだけを抜き取り、厳重に管理された小型の箱の中に入れた。

 

テープを入れた後蓋を閉め、鍵を三重に掛けて手持ちの鞄の中にしまう。作業行程が一通り終わろうとした矢先に、ふと先ほどまで双眼鏡を覗いていた女性が口を開いた。

 

 

「そういえば知っているか? もう一人の男性操縦者の話」

 

「ああ、確か顔も公開されて無いんだってな。特に際立った噂も無いし、別にそこまでの脅威は無いんだろう?」

 

「さぁな、何もかもが不明だからよく分からん。とはいっても、そこら辺にいるような男が偶々動かしただけだろうな」

 

「だろうな。ニュースにならないのも、所詮価値がないと思われたからだろう。同じ男にまで見捨てられるとは、可哀想な奴だ」

 

 

 一夏以外の男のことなど興味はない、それが彼女たちの、いや大多数の人間の総意だった。ニュースになったのは一夏の他にももう一人、男性操縦者が見つかったということだけだった。

大和の容姿や経歴をはじめとした情報は全てが闇に包まれており、中には女性の権力を落とそうとするホラ吹きではないか、といった噂までたっていたらしい。

 

しかし実際に入学をしたことが証明されたため、その噂も消えつつある。姉に千冬がいることもあり、世界中の人間、特に男性は一夏に注目していた。

ISを動かせるという根底こそ事実ではあるが、一夏の影響の大きさから、大和に対する興味というのは薄れてた。

 

 

「どちらにしても、今回の仕事はこれで終わりだ。もう一人の操縦者のことなど、どうでもいい」

 

 

引き上げるために、荷物を整理する二人に声をかける。作業が完全に終わったようで、二人はそれぞれの荷物を持つ。

 

 

 

「さて、じゃあ早いとここれを「それを誰にどうするんだ?」誰だッ!!?」

 

 

早いとこ立ち去ろうとした矢先、急に後ろから声がかけられる。三人は自分たちのしていたことがバレたのかと慌てて後ろを振り向く。すると暗闇の中に月の光が差し込んで、入り口付近を明かりが照らす。

 

するとそこには一つの影が出来ていた、まるでその影は自分たちを飲み込まんとばかりにゆっくりと近付いてくる。そして一定の距離まで近付くとその顔を上げた。

 

黒の半袖インナーに、IS学園指定の制服ズボン。インナーからのぞく二の腕は鍛えられているために非常に引き締まっており、胸筋や腹筋もそのインナーの上からでも、はっきりと割れている線を確認することが出来た。

何を考えているのか分からない薄笑いを浮かべながらも、油断一つ見せない眼差しが全員の姿をとらえる。

 

その正体はもう一人のIS操縦者にして、護衛業を営む霧夜家当主の霧夜大和。格闘におけるエキスパートたちすべてを管轄するリーダーだ。

 

しかし三人組の女性は、彼がこの学園の関係者、そしてもう一人の操縦者だと気付かずに話を切り出し始めた。

 

 

「て、てめぇ! どうやってここに!?」

 

「入り口からさ。どっかの馬鹿共が誰かさんのストーキングに夢中になっている間にな」

 

「ちっ……」

 

 

 まさか自分たちの会話が全部聞かれていたのかと、三人の表情にも焦りというものが如実に浮き出てくる。

もし聞かれていたとするのなら、非常に不味いことになるからだ。

希少価値の高い男性操縦者の暗殺の手助けをしたとなれば、女性権利団体が何を主張したところで根底は覆せない。このままでは自分たちの身は保証できないと。

 

ただあくまで自分たちがしたと証拠を提示できればの話だ。あらかじめ音声を抜いて、録画されるように設定していたため、とられた映像には自分たちの会話は入っていない。撮影は事実としても、音声が無くては証拠としては不十分。

 

仮に話を聞いていたとして、大和がこの三人のやっていたことを話したとしても、今の時代は男性の言うことなど一々相手にしていられないと突っぱねられてしまう。

証拠がない分、今優位に立っているのは三人の方だった。リーダーもそれを感付いているのか、余裕を崩さないままに強い口調で啖呵を切っていく。

 

 

「それで私たちをどうするつもりだ? まさかIS委員会にでも突き出そうって算段か」

 

「素直にそうしてくれると、俺としては嬉しいんだけどな。……でも素直にするつもりは無いんだろ」

 

「素直も何も、私たちが何をしたって言う? 確かにここには不法侵入したが、外観を撮影していただけで何もしていない」

 

「お前らの言うこともごもっともだ。でも外観をこの時間に録る必要も無いだろ。わざわざシルエットがハッキリしない、こんな真っ暗な時間を狙ってさ」

 

 

苦し紛れの言い訳を吹っ掛けるが、誰でも嘘だと気付くような言葉の羅列をしたところで出し抜けるはずがない。余裕の表情で三人を追い詰める大和に対して、三人は冷や汗ものだ。

いくら言い訳をしたところで、大和はすでに確信に近い疑いをかけている。どこから会話を聞いていたかは分からないが、その疑いを晴らすのはほぼ無理に近い。

 

 

「ふんっ! それが嘘だからって何だ。私らを突き出せるほどの証拠がどこにある? 貴様の証言ごときでは確固たる証拠にはならない!」

 

「そうだ! どーしてもっていうのなら証拠を見せてみろッ!! 確固たる証拠を!」

 

「それが出来ないのなら、さっさとここから去れ! この屑がっ!!」

 

 

強気の姿勢を崩さず口々に大和に対して、侮蔑や嘲笑とも取れる発言を投げ掛ける。強気の姿勢ではあるが、小さい子供が悪態をついているようにしか見えない。ジリジリと追い詰められていることに彼女たち自身が気付いていない。

 

その発言から暫し目を閉じて考え込む大和、彼女たちにとってその時間は一時間にも二時間にも感じられた。何も言わずに沈黙を続けられて焦らさせることは最も苦痛であり、今すぐにでもこの場から逃げ出したいというのが本音だった。

 

そして再び目を見開き、大和の口から発せられる言葉が、彼女たちを絶望の縁に叩き落とすこととなる。

 

 

「……確かに今の時代、俺がいくら証言したところで取り合ってはくれないだろう」

 

「はっ! 分かったのならさっさとそこを退きな! ガキと違って大人は暇じゃないんだよ!!」

 

 

三人のうちの一人が大和の元へ歩み寄ろうと近付いていく。強引にでも突破すれば後は手の届かないところまで逃げれば良いと思っているのだろう。

 

―――しかしその動作は途中で止められた。大和が取り出したある物に目がいったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

「でもな……俺の言葉じゃなくて『アンタらの言葉』だったら、どうだろうな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 大和がポケットから取りだして、目の前に突きだしたのは小型の機器。そして『アンタらの言葉』という単語によって、その機器が何なのか理解するのにそう時間はかからなかった。

 

ICレコーダー、またの名をボイスレコーダー。周囲の音を録音し、記録する機器のことを指す。大和が再生ボタンを押したことで、周囲に先ほどまでしていた会話の全てが流れ出す。

 

女性権利団体の差し金で、自分たちが一夏のことを偵察に来ていたことも。その偵察が一夏を暗殺するために行っていたことも、何もかもが三人の実声として記録されていた。

 

いよいよ三人に逃げ場はなくなった。例えこのレコーダーに録音されていた声が意図的に作られたものだと証言しても、声紋鑑定ですぐに本人のものだと証言される。

 

 

「最近の偵察には馬鹿な奴もいるもんだ。どこの誰が聞いているかも分からない状態で、自分たちの情報をべらべらと喋るだなんて」

 

「……」

 

「楽な任務とか言ってたっけか? その楽な任務で失態とは笑わせてくれる」

 

「くっ……」

 

一転して今度は大和から数々の口撃、その中の多くは自分たちのミスを罵るものだった。眉間にシワが寄り、傷が付かんばかりに拳を強く握る。いくつもの仕事をこなしてきた彼女たちにとって、大和の言葉は屈辱以外の何物でもなかった。

 

何も答えないでいるが、プライド全てをズタズタに引き裂かれ、今にも飛びかからん剣幕で大和のことを見つめる。

 

 

「さぁ、洗いざらい知っていること全て吐いてもらおうか? アンタらのしたことは決して許される行為じゃ無いんでね」

 

「ふっ……」

 

「ん?」

 

「ふふっ、ふははっ! ふはははははははははっ!!」

 

 

突然、何かが壊れたかのように大声で笑い始めるリーダーの女性。先ほどまで一番冷静だった人間の急変に、大和はおろか他の二人も呆気にとられていた。

しかしすぐに大和は気持ちを切り替えて、顔をしかめながらも見つめ返す。

 

 

「何がおかしい?」

 

「そうだよ。私たちは命令でここに来た。織斑一夏の暗殺をよりスムーズに遂行させるためにな!! で、それがどうした?」

 

 

ついに開き直った、それが化けの皮がはがれた本性かと、忌々しげに舌打ちをする大和。今自分たちがしていた行動に悪びれるわけでもなく、まるで正当化するような態度に少しばかりの苛立ちを覚えていた。

 

素直に投降するのではなく、開き直るということはまだ相手には逃げる算段があるということ。つまり彼女は、ここを力ずくでも突破しようと考えている。

明確な殺意の込められた威圧を飛ばしてくるが、大和はそれに怖がるどころか表情一つ変えずに、興味なさそうな返事をした。

 

 

「善悪の区別もつけれないか……可哀想な奴だ」

 

「ふん、男など奴隷同然に働いていれば良い。今の世界に男など不要だ」

 

「その男がいなけりゃ産まれてくることすら出来なかったっていうのに、随分な物言いをするのな」

 

「下らん。所詮生殖のための道具よ。それに男の一人、二人居なくなろうと、何かが変わる訳じゃない」

 

 

黒いマスクに隠れて表情こそ確認しずらいが、マスクの中で女の顔がニヤリと不気味な笑みを浮かべたのが見える。その笑みはとても女性が浮かべるものとは思えないほど冷たく、そして狂喜に満ちた笑みだった。

 

微笑むと同時にどこから取り出したのか、真っ黒な物体が大和の顔めがけて向けられている。トリガーを引けば中から驚弾飛び出し、標的を一撃で始末できるほどの代物、拳銃だ。

 

偵察ということで元から使うつもりは無かったのだろうが、銃口には発砲音を防ぐための消音器、サイレンサーがつけられている。

もしもという時の準備がされているところを見ると、彼女たちはそれなりに腕の立つ偵察員のようだ。

 

拳銃を取り出したリーダーの女に習い、残りの二人は大型のナイフを取り出す。

 

 

「それに馬鹿なのはお前の方だ。ノコノコと殺されにくるとは」

 

「こりゃまた、物騒なものを持っているもんだ」

 

「何だ、今更怖じ気づいたのか?」

 

「……まさか、そんなわけないだろう?」

 

 

拳銃を向けられているというのに、顔色一つ変えない大和に彼女たちは少々疑問を感じていた。すぐにでも殺せる状況下におかれているのに、何故そこまで冷静に物事を判断出来るのかと。

 

 

「……これ以上言っても素直に聞いてくれなさそうだし、こっちも多少強引にやらせてもらう」

 

「丸腰で私たちを捕らえようと? ふんっ! 寝言は寝てから言え!」

 

「……」

 

 

ポケットに突っ込んだままの両手を表に出し、左手を伸ばして顎の高さまで上げた。相手は拳銃が一丁に、ナイフが二本、普通に考えれば大和が圧倒的に分が悪いはずなのだが、相手を見据える大和の表情は笑っていた。

 

相手は気付いていないものの、その表情は物語っている。武器を持っているだけで自分たちが優位に立っていると思うなと。

 

 

「一つだけ教えといてやるよ」

 

「何?」

 

「……武器があるから勝てるなんて思うなよ?」

 

「な……くっ!?」

 

 

大和の言葉を言い終えると共に、拳銃を構えている右手に強烈な衝撃が走った。襲い来る痛みに我慢しようと思っても、身体は耐えきれずに、握っていた拳銃をその場に落としてしまう。

 

拳銃がその地面に落ちると共に、お金を落とした時の音が同時に鳴り響く。何故お金の落ちた音が聞こえてくるのか、その理由を導き出すのにさほど時間はかからなかった。

 

 

「テメッ、まさか!!?」

 

「ご想像の通りだ!」

 

 

すでに前を向いた時には大和は地面を蹴ってこちらに接近して来ていた。

 

大和は接近する隙を作るために、両ポケットの中に十円玉をそれぞれ一枚ずつ偲ばせていた。この三人の中で最も厄介なのが拳銃を持つリーダーの女だ。最初のうちに彼女を無力化しなければ、残りの二人を相手にしている時に横から攻撃されてしまう。

 

完全な無力化をするのは難しいが、一瞬でも無力化出来れば接近することは出来る。彼女が拳銃を拾い上げる前に、二人のうちのどちらか一人倒すことが出来れば、その後の行動が楽になる。

 

そして会話を返した僅かな隙を狙って、右手の親指に乗せた十円玉を親指で思い切り弾き飛ばした。速いスピードで相手の右手目掛けて飛んでいき、威力そのままに相手の右手に命中、目論見通り相手は拳銃を落とした。

 

 

「くっ、この!!」

 

 

向かって左側にいた女性が持っているナイフを、大和の顔めがけて突きだしてくる。ナイフから重心を横にずらすようにかわし、一気に相手の懐へと飛び込んだ。

しまったと慌ててナイフを引き戻そうとするが、時すでに遅し。懐に飛び込んだ大和に右腕を捕まれたため、腕自体を動かすことが出来ない。

少なくともそこら辺の男には体術で負けない自信はあった。だが目の前の男は違う、いくら力を込めようともびくとも動かない。

 

 

「はなせっ!!」

 

「しばらく休んでろ!」

 

 

相手の襟元と右腕を掴み、身体を反転して自分の背中を相手に密着させ、遠心力を使いながら相手の身体を宙に浮かせた。

そしてそのまま腕を自分側に引くことで、相手の身体は前方へと投げ出される。鈍い音と共に身体を受け身もとれないまま高速で地面に打ち付けられ、肺の中の酸素が一斉に吐き出された。

 

 

「ぐっ!?」

 

 

身体中を襲う激しい痛みに、何が起こったのか分からないままに気を失う。投げ飛ばした相手が完全に動かなくなったことを確認すると、投げた相手が持っているナイフを手に取り、残っている二人の方へと視線を向ける。

 

一人を完全に無力化したところで残るは後二人、拳銃を落としたリーダーも右手にまだ痺れが残っているのか、今度は左手で拳銃を握っている。

もう一人はそのすぐ隣に立ちながら、ジリジリと大和の様子を伺っていた。

 

 

「あんまりナイフは使わないんだけどな。この際贅沢言ってられないか」

 

「お前……一体何者だ!?」

 

「教える義理は無い。まぁ捕まった後に聞けば良いだろう。……ただ、教えてくれるかどうかは分からないけどな」

 

「この……馬鹿にしやがってぇぇええええええ!!!!」

 

 

左手で拳銃を構えて大和目掛けて発砲してくるが、利き腕ではないためか、銃弾はその周りを通り抜けていく。

 

 

「そんなんじゃ当たらないぞ?」

 

「ぐぅ……このぉ!!」

 

 

当たらないことを指摘され頭に血がのぼったのか、自棄になりながら銃を無差別に乱射してくる。

 

こうなってしまえば当たるリスクは低くなる。だが逆に適当に撃った弾が当たってしまうこともある。それに注意しつつ、大和は二人に向かって突進していく。

 

数々の仕事をこなしているというのに、精神的にもろい。この手の人間は一度、その状態になってしまえば元に戻るのは困難だ。

 

弾丸がいつ当たるかも分からない中、ただひたすらに目標に向かっていくその様はまるで獲物を狩るチーターのようだ。弾丸を恐れずに迫り来る恐怖を隠しきれないのか、いくら発砲しても大和に掠りすらしない。

 

 

「何をしてる!? 私に貸せ!!」

 

 

するともう一人の女性がこれを見かねたのか、リーダーから拳銃を強引に奪い、銃口を大和に向けた。

 

 

「死ねっ!」

 

 

肘を軽く曲げて突きだした拳銃の銃口から凶弾が打ち出される。発射された弾丸はドリル回転により、風の抵抗を掻い潜るかのように大和へ向かっていく。今度こそ仕留めたと思ったのか、ニヤリとした自信に満ちた表情を浮かべる。

 

―――ハズだった。

 

 

 

 

 

 

「そ、そんな……馬鹿な……」

 

 

金属バットで石を打ったかのような音と共に、自信で満ち溢れた表情が一気に絶望の色へと変わる。大和に真っ直ぐ飛んでいった弾丸は直撃する前にナイフで弾かれた。

常人では拳銃の弾丸など、目で追えるはずがない。ましてや撃った瞬間に反応して、ナイフで弾くなんてことはあり得ない。

 

まぐれで辛うじて避ける、それならあり得なくは無いかもしれない。しかしそれも、優れた反射神経がなければ出来る芸当ではない。それをせずに飛んでくる弾丸とナイフの軌道をジャストで合わせることが、いかに人間離れした反射神経と動体視力を持っているのか。

 

 

あり得ない、信じられない。二人にとって目の前にいる人物は人間として見ることは出来なかった。二人にとって大和は得体の知れない化け物、そう捉えるに相応しい存在だった。

 

 

「どこを見ているんだ?」

 

「しまっ……」

 

 

ふと我に返った時にはもう遅い。目の前に接近した大和はナイフを横になぎ払い、持っていた拳銃を真っ二つに切り裂く。そして切り裂くと同時に、右膝を勢いよく相手の無防備な腹に叩き込んだ。

 

 

「ぐっ……うげぇ!?」

 

 

悲痛な表情と共にヨダレを撒き散らしながら、白目を向いてその場に倒れ込む。

 

これで二人目も無力化に成功し、残っているのは戦意を喪失しかけたリーダーのみ。恐怖に腰を抜かし、後ずさっていく姿を尻目に大和はナイフを片手に詰め寄っていく。

 

 

「残るはアンタだけだな……」

 

「ひっ!! く、来るな!」

 

「人に散々武器を振るってそれは無いんじゃないか?」

 

「で、データなら全て渡す!! も、もう織斑一夏にも近付いたりしないから!!」

 

 

自分だけでも同じ目に合うのは回避しようと、鞄に仕舞ったデータを鞄ごと大和に差し出してくる。顔は涙でくしゃくしゃになっており、被っていたマスクはその水でぐっしょりと濡れていた。

 

別に殺気を当てられている訳でもなく、威圧をされているわけでもない。それなのに、ここに居てはならないという恐怖が彼女を襲う。

 

身体は動いてくれず、出来ることと言えば何とか動く手で後ろに下がることだけ。

 

仲間は全員大和に鎮圧され、残っているのは自分一人。せめてものあがきで特攻したところで、何も出来ずに返り討ちにあって終わりという結末が容易に想像できた。

 

 

「そこに全て入っているから、すぐに確認してくれ!」

 

 

「……分かった。とりあえず動くなよ」

 

 

 渡された鞄とリーダーの方を交互に視線移動させながら、彼女にすでに戦意はないと判断したのか、その場に立ち止まる。ただ止まったからと言って鞄の中身を探るわけでもなく、今度は相手に背を向けながら何かを考え込む。一体何を考えているのか、それは大和本人にしか分からない。

 

その後ろ姿をただ呆然と見つめるが、ふと彼女には背を向けたことがチャンスだという思想が生まれる。

 

一度はすくんでしまった足だが、時間が経ったことで徐々に動くようになってきた。幸いにも相手はこっちの戦意が喪失したと思って油断している。逃げるチャンスは今しかない。

 

鞘からサバイバルナイフを抜き、音をたてぬように静かに立ち上がり、ゆっくりと近付いていく。大和はまだ背を向けたまま、背後に忍び寄る影に気が付いていない。

 

仕留めるなら今と思い、サバイバルナイフを振り上げて、大和の心臓付近に向かって振り下ろした。彼女にとって視界に入っていないのだから、今度こそ殺ったと思ったことだろう。

 

 

「えっ……?」

 

 

だが殺ったと思った現実とは裏腹に、倒れているのは大和ではなく、彼女の方だった。何をされたのか全く分からないまま、目を見開いたまま倒されている。

分かっているのは背中に何かが当たったという衝撃と、自分の首元にはナイフが突きつけられているということだけだった。

 

 

「な、何で……」

 

「愚問だな。例え見えなくても、相手の気配が察知出来ないほど、俺は弱くはない」

 

「くっ……くそっ!」

 

「……どうも聞き分けがないみたいだから、もう一度言っておく」

 

 

折角の仕留めるを逃し、忌々しげに舌打ちをする女性リーダーだが、不意に先ほどまでとは違う妙な雰囲気が大和から溢れ出ていることに気が付いた。

一方で、その雰囲気を醸し出している大和の表情は、髪の毛に隠れて見えない。相手が完全に黙り込むと首元に突き付けたナイフを退かし、その場に立ち上がる。

 

 

そして―――

 

 

 

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「三度目はないぞ……()()()

 

 

 言葉と同時に浴びせられる、来るもの全てを震え上がらせるほどの殺気。今だかつて感じたことのない殺気に抗うことすら出来ず、ただガタガタと震えることしか出来なかった。その殺気を当てられて初めて気が付く、最初にこの男に目をつけられた時点で、私たちが何をしようとも決してこの男には勝つことは出来ないと。



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○二人の邂逅

「お疲れ様、大和くん。まさか本当に一人で片付けるなんて、おねーさんびっくりだわ」

 

「ありがとうございます。事を無事に片付けることが出来て何よりです」

 

「うん、こちらこそ。今回は大和くんのお陰よ」

 

「あはは……そうですかね」

 

 

 何はともあれ無事に敵勢力の鎮圧を終えて、俺たちは寮に戻ってきていた。日付はすでに変わっていて、ほとんどの学生は寝静まっていることだろう。

 

事後処理は全て更識家がやってくれるらしく、楯無さんの指示通りに更識家に仕える人間が、三人組を連行していった。

また押収したテープはその場で俺が壊した。更識家に処分してもらうのも手だけど、その場で破壊する事が手っ取り早く、処分したことを目視で確認出来るからだ。

 

 

そして連行した三人のうち二人は気絶しているため、目が覚めてから詳しい話を聞くらしい。

 

今回彼女たちが一夏の命を狙ったのは紛れもない事実であり、言い逃れ出来ない証拠も取り揃えてある。だが彼女たちに偵察を指示した女性権利団体についてはどうなるか分からないままだ。

彼女たちは頼まれたことを実行しただけで、その時の会話を録音していたわけではない。だから女性権利団体がそんなことは指示していないと言えば、その意見が正当化され、彼女たちが自分たちの判断で行動したという濡れ衣を着せられることになる。

 

ただどんな理由があっても一夏のことを狙った事実には変わりない。それ相応の刑罰が三人には与えられることだろう。

大元は何も解決していないが、被害を未然に防ぐことが出来たのは良かった。

 

 

話は変わるけど、消灯時間などとっくに過ぎているというのに、楯無さんがいるのは俺の部屋だ。ベッドに腰掛けて、我が家にいるかの如くくつろいでいる。

部屋で静かにしていれば何も言われないとはいえ、遅い時間帯に男の部屋に女性がいるのはどうなんだろう。色んな意味で不味い気がする。

 

 

「あの、楯無さん。自分の部屋に戻らないんですか?」

 

「流石にもう夜遅いからね。今から帰ると他の子を起こしちゃうかもしれないから、今日はここに泊めてもらうわ」

 

「あぁ、なるほど。他の子がいる……はい?」

 

「うん? 何か変なこと言ったかしら?」

 

 

楯無さんの浮かべたキョトンとした表情は、何でそんな顔をするのかしらとでも言いたげだった。

はじめのうちは確かになるほどと、頷ける理由を述べていたのは間違いない。日付が変わっているわけだから、寝ている子も多く、そらは楯無さんのルームメートとて例外ではない。

問題はその後、静かに部屋に戻るではなく、『このままここに泊めてもらうわ』って聞こえたような。

 

 

「えっと……楯無さん? い、今なんて……」

 

「もう夜も遅いし、ルームメートを起こすのも悪いから、ここに泊まろうかなって。聞き逃しはダメだぞ♪」

 

 

メッとばかりに、人差し指を立てて向けてくる楯無さんがイタズラな小悪魔っぽく見えて凄く可愛かった。

……じゃなくてだな。今俺の部屋に泊まるって言ったよな。わざわざ二回も聞き直したんだし、間違いは無いはずだ。

 

間違いは無くても問題はありすぎる。楯無さんが言っているのはつまりそう言うこと、恋人関係でも無いのに男女ともに同じ部屋で寝屋を共にするということで……。

 

 

「えっ!! あの、ちょっ……えぇ!?」

 

「もしかして……嫌、かな?」

 

「うっ!」

 

 

目をうるうるとさせながら、上目遣いで俺のことを見つめてくる楯無さん。例えこれがわざとだったとしても、俺にこの不安そうな表情に抗うことは出来なかった。顔を逸らそうとするのだが、何故か身体が動いてくれず、楯無さんの目から視線を逸らすことが出来ない。

 

 

「わ、分かりました。じゃあ今日だけですよ?」

 

「よろしい。素直な子はおねーさん好きよ?」

 

「……図りましたね」

 

「さぁ、何のことかしら♪」

 

 

 こっちは否が応でも縦に首を振るしかなかったというのに、楯無さんはケラケラと楽しそうに笑った。まるでイタズラが成功した子供のように。してやられたとは思いつつも、逆らえないところが上目遣いの怖いところだ。

 

上目遣いっていえば以前、ナギの上目遣いも食らったことがあったけど、あれもあれでかなりの威力があった。表すとしたら、肯定以外の言葉を言わせないってところか。

それに不安そうな表情や仕草が加わっただけで、もはや抵抗は出来なくなる。女の子ってズルいな。

 

楯無さんが泊まるのは決定したところで、さっさとシャワーを浴びて布団に潜るとしよう。明日も学校があることだし、あまりとろとろと行動している時間はない。

 

 

「じゃあ楯無さん。レディーファーストってことで、先にシャワーどうぞ」

 

「あら、いいの?」

 

「ええ、楯無さんの入った後に俺は入るんで」

 

「そう、それじゃお言葉に甘えさせてもらうわね」

 

 

楯無さんがシャワーに向かう前に椅子から立ち上がり、以前部屋着がごっそり盗まれた引き出しから、自分の着るジャージの上下を取り出したところでふと気が付く。楯無さんの寝間着をどうしようかと。

 

振り向き様に楯無さんのことを見るが、どこかに自分の服を持っている様子はない。このままでは制服で一夜を明かすことになる。

制服と部屋着、及び寝間着の寝心地の良さは全く違う。制服だと素材自体が硬いために、寝苦しくなることも多い。どうしようかと思考を張り巡らすが、すぐに答えは出てきた。

 

ただこれを男性が女性に言うのは、かなり抵抗がある。

 

 

「どうしたの大和くん? 私の顔を見つめて……」

 

「え? あぁ、いや。楯無さんの寝間着をどうしようかと」

 

「あぁ、そういうこと。大丈夫よ、私なら裸で「俺のジャージを貸すのでこれを着てください!!」……冗談だってば、ありがとう大和くん♪」

 

 

 どこまで人をからかえばいいのか、みるみるうちに赤くなる顔を隠しながら、上下セットのジャージを楯無さんに手渡した。サイズが楯無さんには大きいと思うが、あいにくここには女性ものの服は置いていないし、俺にそんな変わった趣味も無い。

にこやかな笑顔を浮かべながらジャージを受け取ると、そのまま洗面所に入っていく。タオルは入ってすぐの位置に置いてあるから、見付けるのは簡単なはず。

 

 

「あ、覗かないでね?」

 

「覗きませんよ!」

 

 

洗面所から顔だけを覗かせて、ニヤニヤと笑いながら俺のことをからかってくる。半場捲し立てる格好となってしまったものの、すぐに楯無さんは顔を引っ込めた。すっかりとペースを握られてしまうのが、異様に悔しく思えてくる。

 

楯無さんが入ってまもなく、シャワーが流れる音が聞こえてきた。

 

たった数分のやり取りなのに、どっと疲れが出てしまい、俺はそのままベッドに向かって倒れこんだ。

 

 

「……あれ、メール来てら」

 

 

 寝転びながら何気なく開いた携帯だが、モニターの右上にメールの受信を表す手紙のマークが出ている。

受信ボックスを開いて時間を確認すると、届いてから大体二時間くらいは経っていた。

悪いことをしてしまったと送信者の名前を確認すると、そこには見知った名前が記されている。

 

 

「ナギからだ。えっと……」

 

 

メールの文章を上から順番に目を通していく。そこに綴られていたのは、昼に約束した食事会についてのことだった。更に詳しく把握するべく、ボタンを押して画面を下に下ろしていく。

 

 

「……つまり一緒に作ろうってことだよなこれ?」

 

 

メールを最後まで読んだところで内容を把握し終える。内容はこうだ、その場のノリで企画した食事会だが、俺一人で全員分の料理を用意するのは大変だろうから、私でよければ手伝わせてもらいたいとのこと。

 

むしろ俺としても是非力を貸してほしいくらいだ。ナギは非常に家庭的な女の子だと思っている。お昼は大体自分の手作り弁当を持ってきているし、中に入っている料理もレトルトではなく、手作りのおかずがほとんど。

 

本人は凝ったものを作っている訳じゃないと謙遜するものの、誰がどう考えても弁当の中身が言っていることと比例しない。

 

他にも料理を作れる女の子は大勢いるとは思うが、もしこのIS学園で思い浮かべる家庭的な女の子と言ったら、俺は真っ先にナギのことを思い浮かべる。それほどに料理が得意な印象が強く残っていた。

 

 

「まずったな……すぐに返信するべきだったなこれ」

 

 

メールが届いたのは約二時間前。俺がちょうど楯無さんに呼ばれた時くらいだ。あの時は学園に誰かが侵入した話を聞かされたため、その事にしか頭が回らず、メールを受信したことに気付かなかった。

 

届いてから随分と時間が経っている上に、既に時刻は十二時過ぎ。もうナギも眠ているだろうし、今からメールするのは迷惑にしかならない。

 

明日の朝会った時に直接話しておこう。

 

 

「後は……あ、もう一通来てる」

 

 

ナギのメールの他にも一件メールが来ていた。こちらの差出人も凄く見知った……いや、大切な人からのものだった。

 

 

「千尋姉……」

 

 

ポツリとその人の名前を呼ぶ。霧夜千尋、俺をここまで面倒見てくれた、たった一人の義姉。

ここまで何気なく過ごしてきてはいるものの、いざ自分の姉のことを思い浮かべると寂しくなる。何やかんやで人生の半分以上を共に過ごしているのだから。

 

少しの間過去のことを振り返りながら、届いたメールを開く。

 

 

「もうすぐゴールデンウィークか。早いな一ヶ月って」

 

 

 クラス対抗戦が終わればすぐにそこにゴールデンウィークという、学生にとっては天国のような休暇が待っている。メール内容は休みの時にこっちに戻ってくるのかを聞くものだった。

特に決めてないが、一度は実家に帰るつもりでいる。メールの送信者が実家にいる人間からだと、どうしても実家が恋しくなる。特に予定も入っている訳じゃないし、休みの半分くらいは向こうで過ごしてみても良いかもしれない。

 

 

「これも明日だな。もう千尋姉も寝てるよな、多分」

 

 

色々ツイてないな、本当に。タイミングが悪いっていうか何て言うか。

 

サイレントモードやマナーモードにしても、着信や受信した時の光で目が覚めるって子は結構いる。どんなことが起きても確実に寝ていますと言い切れるのならまだしも、その人の睡眠サイクルを知っているわけが無いので、夜遅くには極力送らないようにはしている。

特にメールの受信や電話の着信に気が付かなかった時だ。こっちの自己責任だし、相手に迷惑をかけるわけにも行かない。

 

携帯電話を閉じ、手を上に伸ばしながら腹筋を使って起き上がり、寝転がったことで少し癖付いた髪の毛を軽く直す。いつもなら直さないけど、今日は楯無さんもいる。女性のいる前でみっともない姿を見せたくはない。

 

楯無さんがシャワーを浴び始めてから、結構時間も経っている。そろそろ出てきてもいい頃だ。

 

と、同時にさっきまで聞こえていたシャワー音が止まった。

 

 

「大和くーん。ここのタオル使ってもいいわよねー?」

 

「あ、はーい! 好きな分だけ使って下さい!」

 

 

予想通り、風呂場から楯無さんの声が聞こえてくる。あがったばかりだから、今の楯無さんの身の回りを覆い隠すものは何もない状態。年相応とでもいうのか、どうしても変なことばかり頭に思い描いてしまう。

 

あまりにも想像しすぎると、生理現象的な何かでバレそうなため、頭の中の煩悩を強引に掻き消す。

 

心身的にも平常心を取り戻した頃、洗面所の扉が開いた。

 

 

「お待たせ! 次どうぞ♪」

 

「あ、分かり……まし……た」

 

 

シャワーから出てきた楯無さんの姿を見て、思わずその場に硬直する。寝間着用に俺のジャージを貸したが、それを着ていない訳でもない、むしろちゃんと上下を揃えて着ている。

 

問題はそこではない。逆に変に似合いすぎているから問題なのだ。

 

男性用のジャージということで、女性からすればかなりサイズは大きい。現に俺と楯無さんの身長差も二十センチくらいはあるし、肩幅も俺の方が全然広い。体格的に大きく違う俺のジャージを、楯無さんが着たらどうなるのか、もう想像はつくだろう。

 

 

 

 

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「えへへ、大和くんってやっぱり大きいんだね♪」

 

 

別の意味に捉えられないこともない台詞を言いながら、ニコニコと話しかけてくる。思った通り、服は身の丈に合っていなかった。袖口だけではなく足や身体中の全てに関してダボダボだ。

 

ズボンに関しては、ヒップの大きさのお陰で、きっちりと止まっている。つまりはそう言うことだ。そして上着に関してもダボダボという事実は変わらないが、一ヶ所だけ適応外というか、ダボダボなのに存在感がハッキリと分かる場所も存在する。

 

つまり楯無さんのくびれよりも上……女性の象徴とも言える二つの双丘だ。

 

風呂上がりということもあって下着をつけていないのか、ジャージ越しの二つの存在感というのも、男の自分からそればかなり危ないものだったりする。

 

楯無さんのスタイルは制服越しでもハッキリと分かるほどに良い。それこそ胸元は普段着ている制服のサイズにあっていないのか、少し窮屈そうによじれている部分もある。

 

 

それと何か意図があるのか、ジャージのチャックを上まであげずに胸元ギリギリで止めている。

 

一番上まであげると色々と苦しいんだろう、まぁ何がとは言わないけど。

 

 

「大和くん、何か目付きがえっちぃわね?」

 

「そんなものは気のせいです、まやかしです、俺の目には何も見えません」

 

 

まともに相手をしてしまうとからかわれて終わりなため、必死に楯無さん、特に上半身から目をそらしつつ、自分の着替えを持って洗面所に入る。着替えをかごの中に入れようとしたところで、ぴたりと動きを止めた。

 

着替え用のかごの中に誰かの制服が綺麗に畳んで置いてあった。

 

……ってこれ―――

 

 

「それ、着てもいいわよ?」

 

「何言ってるんですか!? 俺が変態みたいな言い方しないでください!」

 

 

入り口から顔だけを覗かせて、してやったりと言わんばかりの表情を浮かべてくる。何をどうしてでも、この人は俺のことをからかいたいみたいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……真っ暗だった世界に一筋の光が現れる。徐々に意識がハッキリと覚醒し始め、暗闇だった周りが徐々に明るくなっていく。その暗闇が完全に晴れた時、俺の目に映ったのは白い天井だった。

 

今日はいつも以上に身体が重い、特に左手付近には何かで包み込むような圧迫感がある。鍛え方がまだ足りないのか、それとも単純に睡眠時間が足りてないだけなのか。いずれにしても起きなければならない。顔を右に向けて、現在時刻を確認する。

 

……あれ、俺の目に狂いがなければ既に時計の数字が七時を指しているような気がするんだけど。

 

まだ頭が覚醒しきって居ないのか、体勢そのままにぼんやりと視線の先に映る数字を見つめ続ける。

 

 

「七時二十分…………ってげっ!?」

 

 

 数字を声に出して読んだところで、初めて現在時刻を把握する。いつも起きるのは大体六時前、そこからランニングを始めて、戻ってくるのが大体七時。そこからシャワーや身支度を整えて食堂に向かうのが七時半、現在時刻は既に俺が普段身支度を整えている時間帯に差し掛かっていた。

 

何を思っている盛大な爆睡をしてしまったのか、慌てて枕の横にある携帯電話を手に取り、アラームが鳴ったかどうかを確認する。

 

 

「うわぁ、セットされてない……完全にやらかしたなこれ……」

 

 

 アラームが鳴って無意識に止めたのではなく、元々アラームが鳴っていなかった。毎週同じ時間になるようにセットはしているのに、その設定が解除されている。

もしかして何かの弾みで解除してしまったのか。一回でもアラームが鳴れば起きるため、セットしているアラームの数も一つだ。それが何かの拍子に解除されると、アラームが鳴ることはない。

 

とにかくこれで今日の朝のランニングは出来ない。時間も早いわけではないので、手早く身支度を済ますとしよう。

 

というわけで早速身体を起こそうとするのだが……。

 

 

「あ、あれ?」

 

 

身体が思うように動いてくれない、それどころか左腕が何かにロックされてるのか上がらないままだった。身体が疲れるっとことはあるものの、左腕が上がらないというのは初めてのこと。

 

何度か上げようとするものの、腕の周りを何かが包み込むような重みがあって結果は相変わらず。

 

 

フニフニッ

 

 

「んっ……」

 

「え?」

 

 

 絶対に有り得ない感触が左手に伝わってきたことで、初めて何かがおかしいと気付いた。左腕に何かがあると。それと同時に足元にも何か柔らかいものが絡まっている。無機質な何かではなく、まるで温かい人肌のような感触が。

 

俺はまだ夢の中にいるんじゃ無いだろうか、そんな下らない想像すら浮かんでくる始末。夢なら頬をつねれば目が覚めるはず、そう信じて俺は空いている右手で頬をやや強めにつねる。

 

ギュウウウ! と、漫画の効果音にでも使われそうな音がするほどの力でつねるが、現状は全く変わらない。つまり目覚めたまま、よってこれは現実だと分かる。

 

それと同時に顔色が青ざめていく様子が自分でも分かった。自分が寝ぼけている間に何かをしたんじゃないかと。

 

一つ気持ちを落ち着け、俺は自分のベッドなのかを確認する。昨日寝た時は俺が内側で、楯無さんが窓際だった。俺が寝ぼけて窓際のベッドに入り込んでいたとしたら色々な意味で不味い。主に俺の世間体的な意味合いで。

 

もし本当にそうだとしたら、楯無さんから一ヶ月放置した生ゴミを見るかのような目で眺められても文句は言えない。顔だけを動かし、左側にあるベッドを見る。

 

 

「居ない……」

 

 

布団には誰かが潜り込んでいる形跡は無く、完全なもぬけの殻状態にあった。よって俺が寝ぼけて布団へ入り込んだ線は無くなった。そして可能性として残るのは……。

 

 

「……」

 

 

恐る恐る身体の上に掛かっている布団に手をかけ、それを勢いよく取り払った。

 

―――すると

 

 

「ん……あら、もう朝?」

 

 

予想通り過ぎる展開がそこには待っていた。

 

 

「楯無さん! 何で俺の布団に潜り込んでるんですか!?」

 

「うーん……朝早くに目が覚めて、一回新しい制服だけ取りに戻ったのよ」

 

「寝ぼけたまま、俺の布団に入り込んだと?」

 

「かも……ね♪」

 

 

布団を引き剥がした先には、既に制服に着替えた楯無さんがいた。

確信犯だと分かったけど、もう敢えて突っ込まないでおく。制服を取りに戻ったのなら、そのまま自室の布団に潜り込めば事足りるのに、わざわざ俺の布団に戻ってきたのはそういうことだ。

 

事態が解決したところで現実に引き戻される。寝坊をしたお陰で、そこそこ良い時間にはなっていた。

 

 

「じゃあ身支度整えるので、楯無さんは洗面所に入っててもらっていいですか?」

 

「私は別に目の前で着替えられても構わないわよ?」

 

「楯無さんが良くても、俺が困るんです」

 

「はいはい、分かりましたよーだ」

 

 

残念そうに立ち上がり、楯無さんは洗面所の中に入っていく。残念なのは着替えを見れなかったからだろうが、男がパンツ一丁の姿を見られたいと思うか?

 

女性にも一糸纏わぬ姿を男に見られたくないように、男にも女性に一糸纏わぬ姿を見られたくないという思いがある。

……とはいっても、正直あの人はいつか俺の着替え中に入ってきそうだ。上半身ならまだ良いものの、下は色々と不味い。

 

洗面所入ったことを確認すると手早くジャージの上下を脱ぎ、インナーとワイシャツ着て、ズボンを履いた。着替え自体には時間はかからないものの、その僅かな間でも何が起こるか分からない。

 

そもそも、着替えごときに何でここまで警戒しないといけないのかと思いつつ、ワイシャツにシワが入っていないか確認する。

 

制服を羽織るだけの状態にまで持っていったところで、洗顔や歯磨きをするために洗面所に入る。

 

 

「楯無さん、着替え終わったんで大丈夫ですよ」

 

「え? あら、早いわね」

 

「そこまで手間も掛からないですしね。楯無さんは……」

 

 

着替えが終わり、洗面所のドアを開けると鏡を見ながら髪の毛を整えている楯無さんの姿があった。何やら外に跳ねる髪を気にしているみたいだが……。

 

 

「あれ、髪の毛気にしてるんですか?」

 

「うーん……ちょっとね。癖が強いと伸ばしたいと思ってもなかなか伸ばせないじゃない?」

 

「あーそうかもしれませんね」

 

 

 思った通り、楯無さんが気にしていたのは自分の外に跳ねる癖毛だった。癖毛は癖毛でお洒落の一つとして捉える人もいるが、中にはコンプレックスになる場合も多い。特に天パレベルになると髪型はほとんど変わらず、中にはだらしない髪型になってしまう人もいる。

 

癖の強い人が髪の毛を伸ばすと当然、外跳ねがかなり目立つようになり、真っ直ぐ伸ばしたいと思うなら縮毛矯正やストレートパーマを掛ける必要がある。とはいっても、それは髪の毛の繊維を強引に引き伸ばす行為のため、髪の毛自体が痛んでしまう。

 

楯無さんが気にしているのに、それをやらないってことは痛むことを分かっているからだろう。

 

まぁ正直なことを言うと、楯無さんは別に普通にしてても全然綺麗な人だと思うし、特に気にする必要はないと思う。

 

 

「え……ち、ちょっと大和くん?」

 

「あ、あれ? もしかして今の口に出てました!?」

 

「う、うん……」

 

 

これは恥ずかしい、穴があるのなら入りたい気分だ。褒め言葉にしても、面と向かって普通にしてても綺麗な人だなんて、普通だったら言わない。

 

普段は余裕の表情を崩さない楯無さんも、今回ばかりは顔を赤らめたまま俯いてしまった。

 

何か最近こんなことばかりな気がする。うっかり口に出さないように気を付けよう。

 

 

「じゃ、じゃあ私は外に出ているから」

 

「あ、はい!」

 

 

洗面台にかけてある歯ブラシを手に取り、照れ隠しをするかのように歯を磨いていった。

 

 

 

 

 

 

「うーん……やっぱりメール送るの遅かったよね」

 

 

 手早く身支度を整え、黒髪ロングの美少女の鏡ナギはどこかへと急いでいた。事の発端は昨日のメール、大和に食事会の用意を手伝うとの連絡を送ったものの、如何せん夜遅い時間だったために返信が来ることはなかった。

 

心配だから……というわけではないが、興味を持っている男性のことが気になるのは女性として当たり前。メールで聞くよりも、本人の口から直接聞きたいのが彼女の本音だったりする。

 

 興味を持ち始めたのは、自分が階段から落ちそうになった時、大和が身を呈して守ってくれたからだ。些細なことだが、彼女にとって大和を意識するきっかけには十分すぎる。

 

中学校は女子校に通っていたため、男性と関わることは少なかった。彼女が男性に抱くイメージは、ちょっと怖くて話し掛けにくいというもの。

 

あまり良いイメージを持っていなかった中、このIS学園に入学してきた一夏と大和。特に大和に関しては、たまたま夕食時に知り合っただけに過ぎない。

 

しかしそんな僅かな時間でも彼と接し、彼女の中で男性のイメージが少しずつ変わってきていた。

 

 

(別に変なことはしてないよね? うん、メールの返事を聞くだけだし……。それに、よ、良かったら朝ごはんも誘ったりして……)

 

 

と本来の目的にプラスして、少しでも大和のことを知ろうと考えたりもしている。まだ明確な好意ではないが、このままいけば、恋する乙女になる可能性も十分にある。

 

その兆候があらわになったのが、初めて話した相川清香と大和が握手をした時。清香としては何気ない友好の意味を込めての握手だったが、ナギはその光景に面白くないと、ヤキモチを妬いていた。

今は彼女も大和のことを名前で呼ぶ。贔屓目に見ても、大和との距離は近いところにある。

一方で大和も、彼女のことを友人としてだけではなく、一人の女性として意識している節があった。

 

大和のことを知りたいと逸る気持ちを抑え、大和の部屋へと向かっていく。

 

 

(あ、服装大丈夫かな……うぅ、もう少しちゃんと確認すれば良かったかも……)

 

 

部屋を出てくる前に鏡の前に立ち、何度も自分の身なりを確認したものの、いざ部屋に向かい出すと、やはりどこか変なところがあるのではないかという不安に駆られる。

 

制服が汚れている訳でもなければ、髪の毛に寝癖がついているわけでもなく、彼女の身だしなみにはこれといった問題はない。

 

部屋を出てくる前にはルームメートの夜竹さゆかにも、身なりを確認する時間の長さに、まだやっているのかと苦笑いをされている。ただ本人からすれば異性の前に顔を見せるのだから、変なところは見せられないと思うのは仕方のないこと。

 

 

慌ただしく身なりを整えているうちに、大和の自室の前までやって来た。扉の前に立ち、右手を伸ばしてノックしようとするが、なかなか勇気が出ずに手を伸ばしたり引っ込めたりを繰り返す。

 

こんな朝早くからわざわざ来られても迷惑なんじゃないか、もう部屋には居ないんじゃないか。不安要素は様々だが、いくつもの可能性が彼女の心境を不安にさせていく。

 

 

(き、来ちゃったけど……どうしよう? ここに立っているだけじゃ、邪魔になるだけだよね)

 

 

彼女の場合、自分の気持ちを全面に押し出しながらガツガツといくタイプではない。更に年相応の女性が、男性の部屋に入るのは非常に勇気がいるもの。小学生低学年のような、気軽に部屋に足を運べるような関係ではない。

 

 

(でも折角来たんだから、うだうだ考えても仕方ないよね……よし!)

 

 

 今一度軽く深呼吸をして自分に気合いを入れ直し、意を決して扉をノックする。中からバタバタと近寄ってくる足音が聞こえてくる。まだ大和は部屋にいるということが分かり、ホッと胸を撫で下ろす。

その足音が止まり、鍵を解錠した音がしたと思えば、部屋のドアが徐々に開かれていく。

 

挨拶をした後、どのような敬意で話をしようと考えながら、中から出てくるであろう大和の姿を……。

 

 

「あ、おはよう、大和く……え?」

 

「あら?」

 

 

中から出てきたのは大和とはまるで似つかない、水色髪の美少女だった。ナギからすれば、何故大和の部屋に女の子がいるのかと疑問を持つ。加えてかなりの美少女で、プロポーションも抜群なレベル。女性のナギからしても、惹かれるオーラが醸し出されていた。

 

大和の部屋から女性が出たことに戸惑いつつも、ひとまず大和がどこにいるのかを自己紹介を含めて聞こうとしていく。

 

 

「あ、あの、私鏡ナギっていいます。大和くんっていますか?」

 

「大和くんなら、今洗面所で身支度を整えているわ。良かったら部屋の中で待っている?」

 

「え、あ、はい……」

 

 

よく考えなくともおかしな会話だ。身知らずの人間が部屋にいたかと思えば、自分の部屋のように案内を始める。急な出来事のために、首を立てに振ることしか出来ず、促されるままに大和の部屋へと入っていった。

 

 

(だ、誰? もしかして大和くんの彼女? う、うぅ……気になるよー!)

 

 

男性の部屋に見知らぬ女性がいる。もしこの光景を第三者が見たとしたら、ほとんどの人間は何らかの関係を持っているのではないかと疑問を抱くだろう。

 

訳もわからぬまま部屋に通され、椅子に座って向き合うナギと楯無。

 

 

「自己紹介が遅れたわね。私の名前は更識楯無、よろしくね♪」

 

「よ、よろしくお願いします」

 

「そんなに緊張しなくて良いわよ。別に何かをしようとか思ってないから」

 

「は、はい……」

 

 

 楯無に言われるナギだが、彼女からすればそうも言ってられない。目の前にいる女性が何者なのか、分かっていないのだから。

分かっているといえば、目の前の人が自分より年上であるということくらい。後は大和が部屋に招き入れるくらいには親しい人物だということ。

 

 

(でも凄く綺麗な人……羨ましいなぁ)

 

 

楯無のスタイルは贔屓目無しに誰もが羨むレベル。自分のスタイルを見直すも、楯無のスタイルと比べるとため息が出てきてしまう。どこが大きい、小さいレベルではなく、全体を見た時にバランスが完璧なのだ。

 

 

「あれ、楯無さん。誰か来たんですか?」

 

 

不意に洗面所の扉が開く。洗顔したばかりなのか、前髪をカチューシャで止め、顔をタオルでぬぐいながら大和が出てきた。洗顔するために水を流していたこともあって、部屋外の音はほとんど聞こえない状況。

 

顔を洗い終えた後で、ようやく楯無以外の誰かが部屋に来ている事実を知った。

 

 

「ごめんなー、こんな私生活丸出しで。ちなみにどな………」

 

「お、おはよう。大和くん」

 

 

来る人物が意外だったのか、それともはたまた別の理由か。取り払ったタオルを床に落としてしまう。一瞬時が止まったような感覚に襲われる大和だが、すぐに我に返ると落としたタオルを拾い、カチューシャをとって髪の毛を整える。

 

慌てて身なりを整える大和を、意味深な笑みを浮かべながら見つめる楯無。

 

 

「お、おう。おはよう、こんな時間にどうしたんだ?」

 

「あ、えーっと……昨日のメールの事なんだけど……」

 

「ああ! そういえば返信してなかったっけ。気付いたのが日付が変わってからでさ、あまり遅くに返すのもあれだと思って」

 

「そ、そうなんだ?」

 

 

メールの返信が遅れたのはナギの思った通りだった。しかし彼女が気になっているのはそこではなく、メールの内容に対する大和の返答だ。どこかソワソワして落ち着かないが、仕草に出るのをグッとこらえてそれを待つ。

 

 

「それで、ナギがよければ俺としても是非手伝ってもらいたい。料理を作るのは良くても、他の作業がちょっとね……」

 

「ほ、ホントに?」

 

「あぁ、手伝ってもらっていいか?」

 

「う、うん! よろこんで!」

 

 

パァッと明るい表情を浮かべながら、大和を手伝えることに喜びを見せる。一方で喜ぶナギを見つめた楯無は、一つため息をついて、その場に立ち上がった。

 

 

(……この子、大和くんに惚れかけているわね。一夏くんに隠れているけど、大和くんも格好いいし)

 

「ん、あれ楯無さん、戻るんですか?」

 

「ええ、私も色々準備しないと。じゃあまた今度、ジャージありがとね♪」

 

「あ、はい。お疲れ様です」

 

 

 洗ってから返すつもりなのか、部屋にも洗濯かごにも楯無の着たジャージは置いていない。楯無の後ろ姿を二人で見守るが、二人の表情は全く異なるものだった。

騒がしい人だと、苦笑いを浮かべる大和とは逆に、どことなく面白くなさそうな表情を浮かべるナギ。

 

何故ジャージを楯無が借りたのか、彼女にとってそこが一番の問題だった。彼女も鈍い訳ではないので、何となく想像はついているのだろう。

 

 

(あ、あれ……何でこんなにイライラするんだろう。大和くんが更識さんと仲良くするなんて自由なのに……)

 

「さてと……じゃあ朝食にでも行くか?」

 

(で、でもジャージ借りたってことは泊まったってことだよね。や、やっぱり楯無さんって大和くんの彼女……?)

 

「……あれ、ナギ? どうした?」

 

「ふぁい!? な、何でもないよ?」

 

「え……そ、そうか。ならいいんだけど」

 

 

今の反応で何でもないと言い切るには無理がある。何を考えていたのか分からないにせよ、少なからず大和も、ナギか何かを考えていたのではないかといった想像をすることは出来る。

 

 

(うーん……やっぱり気にしてるのかな、楯無さんとのこと)

 

 

 そして今思い当たる節とすれば、楯無と大和の関係についてだ。特に今回は、大和の部屋に楯無が来ている状況を、たまたまではあるが見られている。

深い関係ではないと否定したとしても、ある程度心を許せる人物といった認識は変わらない。

 

 

「そ、それで、良かったらなんだけど……」

 

「うん?」

 

「あ、朝ごはん食べに行かない?」

 

「朝ごはん? あぁ、いいぞ。ちょうど今行こうとしていたところでさ」

 

 

すぐに気持ちを切り替え、大和は約束に応じる。

 

 

「じゃ、じゃあ行こ!」

 

「えっ!? ちょっ、待った!」

 

 

いつもの性格は鳴りを潜め、ズカズカと先に進んでいってしまう。

 

 

(うぅ……もう、何なのこれ?)

 

 

彼女も自分のことには鈍いのかもしれない。

 

 

大和のことが気になる異性から意中の男性に変わるのは、もう少し先のことである。

 

 



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プライベートな彼女

 

 

 

「……」

 

「……」

 

「えっ、えーと……」

 

「ふ、二人ともどうしたの?」

 

 

一日の活力となる大切な食事、朝食。食堂には多くの学生が押し掛け、それぞれに談笑しながら食事をしており、食堂は賑やかな雰囲気で満ち溢れている。

 

一番大事な食事とはいえ、朝はなかなか食欲が湧かないもの。加えて低血圧の人間なんかはテンションが低く、ほとんど喋らないまま、惰性で目の前にある料理を口に運んでいく。そんな学生もちらほら見られる。

 

俺たちが今座っているこのテーブルでも、いつもの雰囲気とは似ても似つかない状況になっていた。

 

目の前にある白米を口に運んだ後、焼き鮭を交互に口へ運ぶ作業をひたすら繰り返す簡単なもの。会話という会話もなく、ひたすらに沈黙が続いている。

 

 

たまたま同席した鷹月と相川は、この状況にどうしたら良いのか分からず、交互に俺とナギの顔を見つめるだけだ。何とか場を盛り上げようとするも、雰囲気に飲まれたのか、今一歩踏み出せないでいた。

 

 

さて、この気まずい雰囲気は言わずもがな、先ほどの楯無さんとの一件があったからだ。

 

それから一度も会話を交わしてはいない。どう会話を交わせば良いのか分からず、例のごとく気まずくなっている。

 

 

「まぁ、その……色々あってな?」

 

「うん、色々あったのは分かるけど……」

 

 

その色々の内容が言えずに言葉を濁す。まさか楯無さんと一緒に夜を過ごしたなんて言えるわけがない。名前を言ったところで『誰それ?』状態にはなるものの、この学園は女性しか居ない。よってすぐにことの次第がバレる。実際ナギにはバレている。

 

怒ってはいないようだが、どうも頭の中で整理がいっていない部分があるのか。先ほどあらかたのことはちゃんと話したが、それをナギがどう捉えたのか……。

 

 

「ねぇ、ナギ。一体どーしたの?」

 

「え? あ、ううん。何でもないよ? ちょっとボーッとしてただけ。ね、大和くん?」

 

「あ、あぁ」

 

「二人がそう言うのなら……」

 

「うーん……」

 

 

鷹月も相川も何もないのならと、そのまま引き下がるがふと見せたナギの微笑みに、やや顔がひきつる。

 

……正直に言おう、黒い。

 

そして怖い、なにこれ?

 

笑顔の裏に隠された黒い何かが全面に伝わってくる。さっき怒ってはいないと言ったが、俺の目は節穴か、普通に不機嫌だった。

 

いつもより少し黒いナギに怯えつつ、俺は朝食を終えた。この後、ナギの誤解を解くのに少し時間がかかるのは別の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――刺客が現れてから数日が経ったものの、これといって何かが変わったわけではない。更識家の調査によって彼女たちは何者かに依頼されて今回の事を起こしたとのこと。

当然だが、依頼されたからといって人の命を狙うことが許される訳ではないし、ましてや彼女たちはそれを実行してしまった。この時点で後戻りすることは出来ない。

 

刺客たちの件について、女性権利団体にも問い詰めたものの、依頼した覚えはないとの一点張りだった。予想通りと言えば予想通りの解答だが、ここまで開き直られると怒るを通り越して呆れる。

 

とはいえ、今回のことは間違いなく牽制にはなったはずだ。これでおいそれと手を出して来ないと願いたい。

 

 

 

 そして二つ目、一夏と鈴の関係についても進展しないままに、時間だけが過ぎ去っていた。鈴は鈴で、一夏が謝るまで何も口を利かないと言い切っているし、一夏も一夏で怒った理由が分からないのなら謝りたくないと、どちらも譲らない状況だ。

 

互いに変に頑固な部分があるようで、上手く歯車が噛み合わない状態になっている。こんな時一夏が、無神経なこと言ってゴメンくらいに言えば、丸く収まる気がしないでもないが、何もしていないのだから何も起こるはずがない。

 

その影響からか、鈴は俺にこそ挨拶をかわす一方で、一夏に対しては完全な黙りを決め込んでいる。今日も一夏と昼飯を食べに食堂に行った時も、話し掛けたら噛みつくとばかりの表情で一夏を威圧していた。

 

ただこの状況下でも、一夏だから最終的に何とかしてしまうのではないか。そう思ってしまう自分が不思議でならなかった。

 

 

最後にもう一つ、今日学校に来た時に玄関前に貼り出されていた大きな紙。そこにはでかでかとクラス対抗戦日程表と書かれており、当日の日程が事細かに書き記されていた。

 

一通り目を通していくと既に抽選で決めたのか、誰と誰が戦うのかをトーナメント形式で記してあり、左下には一組のクラス代表である一夏の名前も刻まれている。

 

そしてその一夏の隣に刻まれている名前。

 

 

対戦者は凰鈴音。

 

 

……因縁とでもいうのか、偶然にしては出来すぎな感も否めない。ご存じの通り、この二人は現在進行形で気まずい関係だ。正直何が起こるのかも分からないし、想像もつかない。

 

俺が一夏に言えるのも『頑張れ』の一言だけで、それ以上は何も言えない。とにかく対戦相手がこうして決まったわけだし、一夏には腹をくくって頑張ってもらいたいところだ。

 

 

 

さて、本題に戻ろう。俺は今どこにいるかというと、資料室にいる。たまたま授業で使った参考資料を返しに来ただけで、特に勉強がしたいわけではない。

 

全ての内容を各自に配布したテキストや参考資料で補うことが出来ないため、時々資料室の資料を使って授業を進めることもある。一部だけならさほど気にはならないものの、クラス全員が使うともなれば重量は増えていく。そして授業が終わった後で資料を返すのは、その日の日直だ。

 

いつぞやの階段での一件以来、荷物の片付けはなるべく引き受けるようにはしている。段ボールを二段重ねると小柄な子なら視界は完全に塞がれてしまい、目の前を見ることが出来ない。

 

足元の視界も大半が段ボールの影に隠れてしまい、少し軸をずらさないと確認することが出来ない。

 

その結果が転倒や転落に繋がる。階段での一件を千冬さんにも進言したところ、申し訳なさそうな表情をしていた。やはり、自分の生徒を危険な目に遭わせてしまったことに、引け目を感じているのだろう。

 

千冬さんも自分のことで忙しく、なかなか他の事に時間を割くことが出来ないため、重い荷物がある時は俺が責任をもって片付けるということを千冬さんに申告した。

 

この時ばかりは、いつも冷静な千冬さんの表情が大きく崩れた。一夏の事に学園の事、さらに些細なことから何から何まで俺に押し付けてしまった罪悪感、後は千冬さん自身が持ち合わせている正義感がそれを許さなかったのかもしれない。

 

俺からすれば荷物を片付けることくらい、別に取って付けたようなもので、特に気にするようなものではなかった。むしろそれだけ千冬さんにも心配してもらえているということで、それこそ男冥利に尽きるというもの。

 

 

「これをここにおいて……よし、終わりだな」

 

 

 自分が抱えている資料を、資料室に置いてある机に置いて片付けを終えた。片付け終えたところで、資料室内のどこに何があるのかを確認しながら見回る。

 

授業の資料が収納されているだけあってかなり広い。小さな子供がいたならかくれんぼにも使えそうな場所でもある。図書室とは違い、一般的に生徒が趣味で読むような小説とかは置いてないものの、授業で使う参考書や資料などで部屋中が溢れ返っていた。

 

そんなこんなで見回ってはいるが、資料室に長く居たいとは思わない。一通り見終わると、そのまま入口に向けて歩き始めた。

 

 

「みんなもう帰ったし、俺もさっさと帰るか」

 

 

今日は学校内での部活動も全面的に行われていない。つまり用のない生徒はさっさと帰ってしまい、学校に残っている生徒はほんのわずか。教室も施錠されているため、教室に残ることも出来ないから大半の生徒は皆寮に戻っている。

 

俺が思い付く範囲で残っている人間がいるとするなら、楯無さんくらいか。一応生徒会長としての仕事もあるらしいし、生徒会室で書類とにらめっこしているはずだ。もうお役御免なわけだし、俺は俺で今日は自分の趣味にでも時間を当てるとしよう。

 

入口に置いた鞄を手に取り、そのまま資料室を出る。

 

 

クラス対抗戦までもう時間はなく、一夏の訓練は激しさを増すばかり。今日もアリーナを借りて箒とセシリアによる特訓が行われている。

 

二人に教えて貰う以外には、千冬さんからも教えて貰っているらしい。仮にも世界の頂点に立った人からの教授だし、一夏のためになるだろう。ただ俺は特訓を見に行っている訳ではないので、何を教えられているのかは分からない。

 

特訓を見に行かないのは、公の場で一夏の成長を見たときに成長している姿を見るのが楽しいから。ISに関しては俺も言えたものじゃないけど、少なくとも人間の成長というのは見ていて楽しいものだ。

 

そしてその成長を見ることで、自分もやる気になる。つまり自分としては一石二鳥だったりする。

 

 

これからどうなるのかと想像を膨らませながら、調理室の前を通る。

そういえばここって料理部の活動場所だったなと思いつつ、本当に何気なく窓越しに部屋の中を覗いた。

 

 

「……ん?」

 

 

……気のせいだろうか、今絶対にお目にかかれないような人物を見た気がする。

 

そもそも今日は学校全体で部活動を行ってはおらず、ほとんどの生徒は寮に戻っている。残っていたとしても図書室に篭って勉強するくらいか。

部活動以外で調理室を利用するといったら家庭科の授業くらいだし、部活動でもないのに何故人がいるのかということになる。

 

とはいうものの、そこまでだったら俺もそこまで気にすることはない。何度も言うように、そこにいた人物が普段なら絶対にお目にかかれないような人物だったからだ。

 

 

「……」

 

「ここはどうしたら……いや、まずどれがどの調味料なんだ……?」

 

 

 調味料は砂糖と塩のように、見た目だけでは判断が難しいものもある。二つの見分け方は自分で味見をすること、砂糖は甘くて塩はしょっぱい。内申焦っているのだろう、単純な見分け方にも関わらず気付いてない。

 

塩と砂糖を交互に見比べた後、諦めたかのように入れ物を置き、今度は胡椒を挽くためのミルを手に取った。使ったことがないのは、上下に振っている時点で分かる。ミルは振るものではなく、回して中の胡椒を擂り潰して使うもの。

 

いかにその人物が家事をしたことが無いか、その僅かな行動を見るだけでも理解できた。

 

 

何気なくその様子を窓越しに見ていた俺だが、その様子に中にいるその人物がふと顔を上げる。

 

 

「!?」

 

 

驚きと焦り、様々な感情が混ざりあった何とも言えない表情を見せるその人物。凛々しいという雰囲気が非常によく似合うはずなのに、今目の前にいる人物にはその欠片も見当たらない。

 

黒いビジネススーツとストッキングに身をつつむその姿は大人の女性を連想させるが、それを打ち消すかのように可愛らしいピンク色のひよこのマークがついたエプロンをつけている。

 

 

「なっ……いつからそこにいた!!?」

 

「えっと……ついさっきからです。織斑先生」

 

 

 調理室に居たのは千冬さんだった。容姿的には全く変わらないというのに、目の前にいる人物がまるで別人のようにも見える。千冬さんに家庭的というイメージは合わない、そんな千冬さんがエプロンをつけて悩んでいる姿など、一度たりとも想像したことは無かった。

 

千冬さんは千冬さんで、見られたことにこの場をどう乗りきろうかと考えているのか、目が右に左に泳いでいる。

 

意外だったけど、エプロン姿も似合うと思う。ギャップ萌えとでも言えば良いのか。俺のついさっきからいた発言により、一部始終を見られたことに気付き、顔を赤らめてプイと横に反らす。

 

 

「わ、悪かったな。似合わなくて。どーせ私は戦っている方が似合うような女さ」

 

「そんなことないです。凄く似合ってますよ」

 

「……」

 

 

褒めたつもりが何故か睨まれた。似たようなやり取りを鈴の時にもやったな、おしとやかさが似合う似合わないとかって。

千冬さんにとって、今回の場合はどうしても知られたく無いことだったらしい。しかも学校全体で部活動は行われていないとくれば、誰も来ないだろうと油断する。

 

自分のことを初めからつけていたのかと探るように、千冬さんの視線が俺を射抜く。

何を思っているのかは分からないけど、ハッキリ言って偶々だ。むしろこっちがまさかの展開に俺が驚くくらいだったりする。

 

 

「大体何でお前がここにいる? 答え方次第では……」

 

「ちょっと資料を片付けていたんですよ。その帰り際に偶々調理室を見たら、織斑先生がいたって話です。別に初めからつけていた訳じゃ無いですよ」

 

「その話は本当だな?」

 

「本当です」

 

「……」

 

「……」

 

 

暫し沈黙が流れ、警戒心を緩めないままじっと見つめられる。

別に何か悪いことをした訳でもないのに、容疑者として警官に問い詰められているような気分だ。俺が嘘を言っているなら自分としても思うところはあるものの、今回は本当のことを言っている。

そもそも嘘をついたところで、千冬さんには直ぐに見破られるし、嘘をつくメリットがない。

 

 

「……まぁお前のことだ。私に嘘をつくような人間では無いことくらい分かるさ」

 

 

どうやら嘘ではないのを信じてもらえたらしい。

 

一つ落ち着いたところで問題なのは、何で千冬さんがここにいるのか。調理室に来ている時点で、料理を作るって根本的な理由があることくらいは分かるが、それを何のために作るのか。

 

 

「ところで、何を作ろうとしてたんですか?」

 

「料理を作る前に、ここに書いてある材料があるかどうかを調べていたんだが……」

 

 

手に持っていたレシピ本を反転させて、俺の方へと向けてくる。

文字を見なくても、そこに描かれているイラストを見るだけでどの料理を作るのか、すぐに判断することが出来た。

 

 

『料理の腕が上がったら、毎日私の作った味噌汁を食べてほしい』

 

 

日本古来……とはいってもどれくらい前からある言い回しなのかは分からないが、千冬さんが作る予定の料理は味噌汁だった。

 

難易度的にはさほど難しくないものの、日本の食卓にほぼ毎日のようについてくる料理だ。だから味も分かりやすいし、間違った調理法をすればすぐに味が変わる。

 

ただ長年飲んでいるうちに、最も愛着が湧きやすい料理にもなりうる。俗にいうお袋の味がそれに当たる。

 

 

「私とて一人の女だ。簡単な料理くらいは作れるようになりたい」

 

「あれ、織斑先生って家では料理を作らないんですか?」

 

「家計を支えるために働いていたからな、家事の大半は一夏に任せていた。それでもほんの偶に作ろうとすることはあったんだが……」

 

「じゃあ作れないわけでは無いんですね?」

 

「……炭くずを作って以来、一度も台所には立たせてもらってない」

 

「……」

 

 

弱々しい口調でシュンと落ち込んでしまう。確かに料理を作れないのは、女性にとってかなりの痛手だ。

 

アニメや漫画の表現でよく料理を炭くずにする表現があるが、あれはあくまで料理が出来ないことをハッキリさせるための例だ。火にかけたままそのまま放置しない限り、炭くずが出来上がることはない。

 

千冬さんのことだから、料理中に目を離すことはないはず。よって何かしらの方法で炭くずを生産してしまったことになる。

 

俺も肉じゃがを作るはずが、炭くずになったことはある。あれは単純に、火を弱めることもせずに強火で作っていたからだ。火さえかけとけばとりあえず食材に火は通るんじゃね? 的な考え方だった過去が、今では懐かしい。

 

まぁ今更炭くずを作ってしまった過去は変えられないし、立たせてもらってないってことは一夏が止めているんだろう。

 

 

……それはいいとして、さっきから俺の中で千冬さんのイメージの崩壊が凄まじい。クールで美人な凛々しい出来るキャリアウーマンといった文字が当てはまる面影はどこへやら。イメージに当てはめるのなら、今の千冬さんは綺麗ではなく、可愛いといった方がしっくりときた。

 

 

「……んんっ。とにかく、家事に関して一夏におんぶにだっこでは、女としてのプライドが許さん」

 

「だから簡単なものくらいは、作れるようになりたいってことですか」

 

「あぁ、これからどうなるかも分からないからな。いずれにしても、作れて損なことはない」

 

 

ようは将来どうなるか分からない。千冬さんもいずれ相手を見つけて結婚をすることもあるだろう。選ばなければ相手くらいはすぐ見つかる、ただせっかく女性として生まれて来たのだから女性らしいことをしてみたい。それが千冬さんの思いなのかもしれない。

 

身近な目標は一夏に自分の手料理を食べさせたいことなんだろうけど、今は言わないでおこう。

 

 

「だがいざ立つと、何をどう使えば良いのかさっぱり分からん」

 

「……なら、俺でよければ教えましょうか?」

 

「お前がか?」

 

「はい。一応家でも結構作っていましたし、味噌汁の作り方なら教えれますよ」

 

「……」

 

 

 腕を胸下で組み、何かを考え始める千冬さん。その思考は何を考えているのか、身の回りの男性が料理が出来るのに自分は出来ないことに対して、劣等感のようなものを感じているのかもしれない。

 

それはいいとして、改めて見ると千冬さんのスタイルは凄まじく良い。組んだ腕の上には双丘が窮屈そうに乗っかっている。

 

着ているビジネススーツの胸元もやや捩れており、自身のスタイルを抑えきれないのがよく分かる。誰もが振り向くかのような美人でプロポーションも完璧、仕事も出来て強い女性とか漫画の世界みたいだ。

 

料理を作るのが苦手というチャームポイントは、俺としては地味に惹かれる要素の一つだったりもする。当たり前のことだけど、面と向かって言えるわけがない。言ったら絶対に埋められるだろうし。

 

 

「……改めて、私の周りの男は、嫁に出しても大丈夫な者ばかりだな」

 

「いや、織斑先生。それ洒落になってないです」

 

 

感心したかのように、満足そうな笑みを浮かべて俺に語りかけてくるが、その言葉の意味を直球で捉えると背筋が凍る思いがする。

千冬さんが言っているのは多分そういうこと。あまり深く想像すると今夜寝られなくなるのは間違いないので、想像しないようにこらえて言葉を続けた。

 

 

「ふん、まぁいい。それと今はもうプライベートな時間だ。その言い方は慣れていないのだろう、大和」

 

「……そうですね。じゃあ普通に呼ばせていただきます」

 

 

公私はきっちり分ける、何とも千冬さんらしい考え方だ。公の場で名前を呼ぼうものなら、出席簿のプレゼントが与えられる。特に一夏に対して限定で。

指導の方法が過激だとは思うが、照れ隠しの一つなのかもしれない。

 

 

「しかし年下に指導されるのは不思議なものだ。それも料理の作り方を」

 

「あー……確かに年下に指導されるって実感は無いですね」

 

「私は女だ。料理が出来ない女なんてそういないだろう」

 

「どうでしょう、人はそれぞれ十人十色ですから」

 

「相変わらず、言葉の選び方がうまい奴だ」

 

「恐縮です」

 

 

 実際全てが完璧な人間はいないし、全てが駄目な人間もいない。必ず良いところ、悪いところを持ち合わせている。料理を作ることが苦手だというのも、人間らしい証拠だと思う。本当の意味で全てに対して完璧な人間がいるとしたら、あの篠ノ之博士を越えるレベルでの大ニュースになる。

 

俺だって苦手なことはあるし、少しでも解消しようと努力する。結局、何かが出来る、出来ないだけで優劣を比べるものではない。

 

 

「じゃ、早速始めましょうか。俺は最低限しか言わないので、どんどん進めていって下さい」

 

 

制服の上着を脱ぎ、ワイシャツの袖を捲って千冬さんの隣に立ち、料理の指導を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「―――味を付けてから煮立たせるものだとばかり思っていたが、違うのか?」

 

「味噌汁は先に味噌を溶かしたら、沸騰したときに吹き零れるんですよ。そうすると具材によっては火も通りにくいですし、味もしょっぱくなるんです」

 

「そうか」

 

「今回は出汁に味の素を使ってますけど、昆布とか別のものを使ってみるのもいいですね」

 

「なるほど。場合によって使い分けるか」

 

「はい。ただ慣れるまでは、無難に味の素を使った方が良いと思います。土台を作ってそこから幅を広げていく感じで」

 

「詳しいな、それは全部我流で身に付けたのか?」

 

「いえ、千尋姉からです。今は俺が作ることが多いですけど、昔は毎日作って貰ってましたから」

 

「ほう。何でも出来るんだな、千尋さんは」

 

「千尋姉も昔は下手くそだったみたいなので、努力したんだと思います。俺もはじめて作った料理は炭くずでしたし」

 

 

 一通り具材を切り終えて、今は鍋に火をかけて具材から出てくる灰汁を取りつつ、沸騰するのを待っている状態だ。とはいっても、今回はそこまで灰汁が出るような食材を使っている訳ではないので、灰汁はあまり出てこない。

 

豆腐とワカメの味噌汁ということで、沸騰する前にワカメを投入し、沸騰したら豆腐を切りながら入れて、最後に味噌で味を整えて完成といった具合になる。

 

口頭での指示のみだったので、ここまで作業を行っているのは千冬さんだけ、俺は一切手を出してはいない。もちろん妙なことをしないように、常に千冬さんの行動を見守っていた。

 

 

「努力、か。それは料理だけに限らず、全てに言えることだな」

 

 

IS乗りとして世界一になった千冬さんが言うから、より言葉に重みがある。周りからは天才だの、才能だの好き放題言われていたものの、影では血の滲むような努力をしたに違いない。

 

料理が上手くなるかどうかもその人次第、スタートラインはみな一緒なのだから。

 

鍋を見つめてしばらく待っていると、鍋底から泡が浮かび上がってくる。やがて大きな泡へと変わり、ボコボコと音をたてながら沸騰したことを知らせてくる。

 

 

「じゃあ千冬さん、火を弱めて豆腐を切って入れてください」

 

「分かった」

 

 

覚束ない手つきで豆腐のふたを半分まで開けて、豆腐も包丁で半分に切る。多分今回の行程の中で最も難しいものになる。

 

先に教えたように恐る恐る手のひらの上に豆腐を乗せ、横に包丁で切れ目をいれていく。豆腐を切ることに集中してはいるものの、その手つきは見ていて危なっかしい。でもここで俺が変わってやったとしたも、それは千冬さんの作った料理にはならない。

 

折角だからどんなにぎこちなくても、一人で作ってもらいたいという見守る父親のような感情が沸き上がってくる。

 

……見守る父親がどんな感情なのかは分からないけど。

 

ガタガタと手が震えているせいか、包丁の向きが斜めにずれて豆腐の形が不格好なものとなる。

 

形がずれても千冬さんの集中力は切れず、次々に包丁を入れていく。その表情はいつもと変わらないようにも見えたが、間違いなく真剣そのものだった。

 

 

「……」

 

 

 横に包丁を入れ終え、次はいよいよ縦に包丁を入れて、豆腐をお湯の中に落としていく。初めのうちは熱いお湯に手を近づけることを嫌がり、その過程で豆腐の原型を崩してしまうことも多々ある。

 

しかし千冬さんは教えた通り、ギリギリの位置まで手を近づけ、一つ一つ確実にやっていく。

 

そしてついに手の上の豆腐は無くなり、それと同時に肩の荷が下りたように、千冬さんは一つ大きくため息をついた。よほど緊張していたのか、その額にはうっすらだが汗をかいた跡がある。

 

 

「じゃあ後は味噌を溶かすだけですね。それで完成です」

 

「そうか。しかし何から何まで見てもらって悪いな」

 

「いえ、大丈夫ですよ。千冬さんも料理が出来ないって言ってた割に、全然しっかりしていたので、何かを言う必要も無かったです」

 

「……年下に褒められると変な感じがするな。特にお前みたいな読めないやつに褒められると」

 

 

 薄笑いを浮かべながら俺の方を見つめてくる千冬さん。面と向かって褒められることに耐性がないのか、その頬はほんのりと明るみがあった。

 

俺としては千冬さんみたいな綺麗な人に喜んでもらえる方が光栄だ。それだけでも教えてよかったって感じになる。

 

 

「何もないですよ。ただ千冬さんのいつもと違った一面が見れただけで……うわぁ!!?」

 

 

 ヤバイと思った時にはすでに遅く、千冬さんはすでにお玉を投げていた。ノンモーションから飛んできたお玉を、顔を横にずらしてかわす。本音を言ったのが間違いだったか、飛んできたお玉に手加減は微塵も見受けられない。

 

千冬さんの表情こそ変わっていないものの、目は笑っていない。完全に獲物を狩る目付きだ。千冬さんを蛇と例えるのなら、俺は蛙とでもいうのか。

 

もう蛇は蛇でもアナコンダとかキングコブラじゃ……

 

 

「でぇ!?」

 

 

有無を言わさず今度はしゃもじが飛んでくる。何で人の心の内を読めるのか、不思議でならない。

 

 

「ちょっ……何するんですか!?」

 

「私はからかわれるのが嫌いだ」

 

「別にからかった訳じゃないですよ! 珍しいなと思っただけです!」

 

「ほう? この期に及んでまだしらを切るか」

 

「誤解があらぬ方向に!?」

 

 

千冬さんの背後に凄まじいまでのオーラが見える。見えないものなのに、何故か見える。

 

ふざけたことを考える人間には物理的な指導をってことか、嬉しい人間には嬉しいかもしれないが、生憎俺にはそんな趣味はない。

 

 

「ほ、ほら千冬さん! まだ料理中ですよ、さすがに火元から目を離すのは不味いんじゃないですか!?」

 

「……後で覚えておけ」

 

 

背後から伝わる殺気に恐怖を覚えつつ、俺は引き続き味噌汁が完成するまでの行程を見守っていった。

 

 

 

 

 

 

 

(やれやれ、本当に不思議な奴だ)

 

 

 誰もいなくなった調理室の中で一人、織斑千冬は椅子に腰掛けながら自分が作った味噌汁を眺めていた。自分で切った豆腐は不格好でサイズはバラバラ、中には完全に崩れてしまっているものもある。

 

しかし一つの料理として最後まできっちりと作ることが出来たのは、今回が初めてだった。最後に作ったのはいつだったかと、何気なく脳内に眠る記憶の中から思い出そうとするが、なかなか出てこない。

 

唯一覚えているのは、カレーを作ろうとして炭くずを作ったこと。何をどうしてこうなったのかは分からないが、我に返ったときに目の前にあったのは、カレーとは似ても似つかない炭くずだった。

 

中学生の頃、周りが好きな男子のために手料理を学び始める中、千冬はただひたすらに剣を振っていた。料理に興味が無かったわけではなく、自分には剣の道しかないと思っていたからだ。

 

そして一夏を養うために、バイトをしながら家計を支えていたため、家事は全て一夏に任せていた。

 

炭くずを作ってしまったのは自分に才能が無いわけではなく、単に作り慣れていないことを今日、ある男から教えてもらった。

 

 

「初めて会った時はどんな奴かと思っていたが……こうして見ると中々男らしい男だ」

 

 

その名を霧夜大和。もう一人の男性操縦者で、護衛のエキスパート集団、霧夜家の当主だ。

 

これほどにまで若く当主の座に上り詰めたのだから、どんな癖のある人間なのかと思っていたが、実際に会って話してみると人当たりのいい青年だったことが分かった。

 

何よりも人心把握に人一倍優れ、今までどれだけの経験を積めばこうなるのかと、疑問に思うほどだった。

 

 

さすがに大和の過去に探りを入れるほど、千冬は人間として出来ていない訳ではない。ただやはり気にはなる、今までどのように生きてきたのかと。

 

千冬が知っているのは、大和が霧夜家と一切血が繋がっていないことだけで、それ以外のことは全く知らない。というよりも大和からも聞かされていない。大和が千冬に話したのは、幼い頃に霧夜家に拾われて、千尋に面倒を見てもらったことだけだ。

 

だからそれ以前の経歴は一切話されていない。大和の過去を詳しく知っている人間は、共に生活をしてきた千尋くらいなのかもしれない。

 

 

"男らしい男"

 

今現時点での千冬の大和に対する評価だ。女尊男卑の時代でも自分の信念を曲げることなく突き通す姿、そして入学前の実技訓練では終盤にかけて力を発揮し、自分の武器を破壊。そして、クラス代表決定戦ではセシリアをダメージらしいダメージも受けずに圧倒。

 

千冬自身が思い描く、理想の男性のイメージに多くの部分が当てはまっていた。

 

 

「……霧夜大和、か」

 

 

ポツリとその名を呟く。会ってわずか一ヶ月足らずだが、初めて年下の男性に対して男らしいという感情を抱いた。

 

 

「もう少し、個人として気にかけても良いかもしれんな」

 

 

満足そうな笑みを浮かべながら、味噌汁が入っているお椀に手をかけた。

結構な時間が経っているため、味噌汁自体も冷えてきている。その冷えた味噌汁をそのまま口へと運んだ。

 

そして―――

 

 

「……温かいな」

 

 

そう、呟くのだった。



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禁じられた言葉、即ち禁句






「あ、そういえば食事会に一夏たちが来るのか聞いてなかったな……」

 

 

 千冬さんのための料理教室を開いた後、特にすることも無くなり、帰ろうと荷物をまとめたところでふと思い出す。以前食堂でその場のノリと勢いで食事会の企画をしたものの、参加者は他にどうなっているのかと。

一夏たちには一切食事会の話は通していないし、呼べば参加をするかもしれない。一夏を呼んだら更に残りの三人もついてくることだろう。

 

昼休みの時は一夏の取り合いで一夏本人も、残りの三人も食事会のことなんて知らないだろうし、参加不参加の前に一応話は通しておきたい。

 

多分参加してくれるはず……うん、きっと。

 

 

そうと決まれば善は急げ。回れ右をして、いつも通りアリーナで特訓中の一夏の元へ向かう。

 

急ぎ足で校舎から出ると、目の前でツインテールが揺れるのが見えた。すると足音が聞こえたのか、目の前のツインテールがこっちを振り向く。

 

 

「あれ、大和じゃん。こんなとこで何してんの?」

 

「お前こそ。俺はちょっと野暮用で第三アリーナにな」

 

「じゃ、あたしと一緒ね」

 

「一緒って……一夏にでも会いに行くのか?」

 

「そうよ! そろそろアイツも反省したでしょ!」

 

 

 振り向いたツインテールは鈴だった。相変わらず小さ……元気な奴だと思いながらも、返ってきた言葉に一抹の不安を覚える。

一夏と鈴の今の関係はご存じの通り、ギスギスとした関係だ。時間も経っているし、互いに素直な人間なら丸く収まるかもしれないが、どうにも一波乱があるようにしか思えない。

 

二人揃って変なところで頑固な性格なため、自分の信念に反することであれば譲歩する選択肢はない。鈴を悲しませてしまったことに少なからず一夏も反省はしているが、何故鈴が怒ったのか一夏は分かっていない。

 

理由に心当たりが無いかと俺にも聞いてきたが、返す言葉は決まって『自分で考えろ』の一言だけ。これに関しては人に聞いても解決にはならないからだ。

 

 

「……反省はしてるんじゃないかな。あれだけ強くひっ叩かれた上に、毎日怒ってますオーラ出してるんだから」

 

「でもこの数日間一度も謝罪に来なかったのよ? いくらなんでも遅すぎるわよ!」

 

 

そりゃ近寄っただけで威圧されれば、一夏も謝ろうと思っても謝れない。鈴の対応も、もう少し柔和な対応でも良かったんじゃないかと思う。

今となっては絶対に自分からは歩み寄らないと言った鈴の発言が懐かしい。

 

さすがに我慢ができなくなったのだろう、自分から出向いてでも一夏に謝罪させようとする魂胆なのか。

 

……当初の目的から外れていることには、敢えて突っ込まないでおく。

 

 

「そういえば、代表戦の相手って一夏だったよな。対策とかはしてるのか?」

 

「対策なんて特に必要ないわよ。普通にやれば勝てるし」

 

「……左様ですか」

 

 

 また随分と思いきったことを言ってくれる。普通にやれば勝てるって言っても、その普通をパフォーマンスとして出すことがどれだけ大変なことか。

セシリアしかり鈴しかり、代表候補生は自信家な人間が多いみたいだ。その代わり、言うだけの実力を持ち合わせているってことなんだろうけど。

 

勝ち気な表情なまま、ツインテールを揺らせてズカズカと先を歩いていく。そんな鈴の内心はどうなのかは分からないが、少なくとも平常心でないのは分かった。

自分が一夏と距離を置いている間にも、篠ノ之とセシリアが一夏と仲を深めているのではないかと。なら素直になればといった結論には至るものの、そう簡単にいかないのが性格というもの。

 

すぐに素直になれるならとっくになっている。

 

鈴の後ろ姿を見つめながら、俺たちは第三アリーナへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

「やっと戻ってきたわね! 一夏!」

 

「貴様、どうやってここに!」

 

「ここは関係者以外立ち入り禁止ですわよ!」

 

 

 第三アリーナのAピットで待つこと十数分。特訓中だった一夏たちが戻ってきたわけだが、案の定一夏を除いた二人が強烈な反応を見せる。

何故関係者ではないお前がここに居るのかと、強く言い放つ篠ノ之とセシリアたが、そんなことはお構いなしとばかりに鈴も啖呵を切っていく。ちなみに今の二人の服装はISスーツだ。

だから色々と危ない、意識するなと言われても意識してしまう。視線を外して、何事もないように振る舞う。

 

すぐに慣れるかと思ったものの、実際に直視すると全く慣れる気配がない。どうしたものか。

 

 

「あたしは関係者よ。一夏関係者。だから問題なしね」

 

 

一夏関係者って言い方がどうにも様々な意味で捉えられる。大体一夏関係者って何だ、どこかのネットニュースじゃあるまいし。

 

ただ単に関係者以外入ってくるなと言われたことに対して、そのまま関係者という言葉をつけて返しただけのつもりなんだろうが、二人にはどう婉曲して伝わったのか。口元をヒクつかせながら、一夏の元へと迫っていく。

 

 

「一夏、どういう関係かじっくり教えて欲しいものだな……」

 

「一夏さん、どういうことですの?」

 

 

鬼気迫る表情で近寄ってくる二人に、気圧されながら後ずさる一夏。拳銃を向けられて両手をあげ、降参しているようにも見える。

話がまるで進まず、手のつけようがない混沌が目の前に広がっていた。

 

 

「それより、何で大和さんがそちらにいるんですの!?」

 

「いや、たまたま途中で会っただけだって……」

 

 

一夏との問題なのに、何故か俺に飛び火してくる。俺の当初の目的って何だったっけか……あぁ、食事会に参加するかどうかだったっけ。正直この状況になってしまったら、もう切り出す気にもなれない。

何か俺が敵みたいな言い様だけど、別に敵でも何でもないからな。しかし一夏のことになると本当に周りが見えなくなるのは、ちょっとやめてほしいと思うところもある。

 

個人間だけでの問題ならいいけど、さすがに毎回毎回巻き込まれたらこっちもたまったもんじゃない。

 

 

「……一夏、何か失礼なことを考えているだろう?」

 

「い、いや。隣にいる幼馴染みの威圧が半端ないなんて、考えていないぞ」

 

 

一夏、本音がだだ漏れだ。

 

隠そうとしているかもしれないけど、全く隠せていない。最早火に油を注いで事態をよりひどい方向に誘導している。静かな口調で一夏を問い詰めた篠ノ之だが、本音を言われるとその表情は一変し、眉間にシワが寄った。

 

そのまま一夏に詰め寄り、肩を掴みかかる。

 

 

「お、お前というやつは! もう少し女性のことを―――」

 

「ちょっと勝手に盛り上がらないでよね。今はあたしが一夏と話しているんだから、脇役はすっこんでてよ」

 

「なっ!?」

 

 

 哀れ篠ノ之。鈴に脇役扱いされて顔を真っ赤にさせながら、行き場のない怒りを、言葉にならない怒りで表現している。ただ言い返す言葉が見当たらないのか、その場で睨み付けることしか出来ない。

数日前にはカッとした拍子に、竹刀で鈴に殴りかかっている。今まではずっと暴力に出てしまっていたため、言い返せないときにどう対応したら良いのか分からないんだろう。

 

そもそもすぐに暴力に走ること自体が大きな問題なのだが、彼女をそうさせてしまった原因が他にもあるようにも思える。元々暴力的だったとは思えないんだよな。

 

そしてセシリアに至っては完全な空気化してしまっている。幼馴染み同士の戦いに壁でも感じてるのか、本人は後ろでぐぬぬとでも言わんばかりの表情を浮かべて眺めることしか出来ないでいた。

 

 

「それで、一夏。反省した?」

 

「へ? えーっと……何をだ?」

 

「だから! あたしを怒らせて悪かったなーとか、仲直りしたいなーとかあるでしょうが!!」

 

「いや、そう言われても……」

 

「何よ?」

 

 

言葉の歯切れが悪い上に、何故か俺の方へと視線を向けてくる。

おいちょっと待て、それじゃ俺が全ての元凶ですみたいな感じになるだろ。

 

その視線に鈴も気がついたようで、俺の方をじろりと見つめてくる。まるで『あんたが何か言ったの?』とでも言わんばかりに。

 

 

「……俺は何もしてないからな」

 

「じゃあ何で一夏がアンタの方を見るのよ。何か変なことでも言ったんじゃないの?」

 

「俺は一夏に自分で考えるように促しただけで、他には言ってない」

 

「それなら……」

 

 

納得したのか、鈴は再び一夏の方へと向き直る。とりあえず一夏、この借りは高くつくからな。

 

 

「で、どうなのよ一夏!」

 

「どうもこうも、お前が勝手に避けていたんじゃないか」

 

「アンタねぇ……女の子が放っておいてって言ったら放っておくわけ!?」

 

「おう。何か変か?」

 

「変かって……あぁ、もう!」

 

 

 何やら凄まじく雲行きが怪しくなっている。ここまで来ると最早確信犯なんじゃないかとしか思えない。鈴からすれば放っておいてと言われても、着いてくるのが普通で、一夏からすれば放っておいてと言われたら、放っておくのが普通。

互いの認識がまるで違う上に、どっちも頑固なために事態の収拾がつかない。

もし何らかの形でコンビを組んだとしたら、間違いなく相性は最悪だ。

自分の言うことが伝わっておらず、頭を抱えながらも強気のままに一夏に言葉を投げ掛けていく。

 

同じことの繰り返しを何回も見ているから、いずれ飽きそうだなこのやり取り。

 

 

「謝りなさいよ!」

 

 

もはや鈴もヤケクソだ。ヤケクソ気味に捲し立てる鈴だが、意図が分からない要求を……それも謝罪を承るほど一夏もヤワではない。

 

 

「だからなんでだよ! 約束覚えてただろ!?」

 

「意味が違うのよ意味が! ほんっとどうしようも無いわね、アンタは!」

 

「何だよそれ! 説明してくれたら謝るっつーの!」

 

「せ、説明したくないからこうして来たんでしょうが!」

 

 

 さて目の前の状況が更に混沌としてきたわけだが、もはや俺たちにはどうすることも出来ない。落ち着くのを待つだけだが、落ち着くのがいつになるのかと、先の見えないゴールにため息一つ出てこない。

どうしたものかと何か打開策を考えるものの、何一つ思い付かず、静観するといった結論にたどり着く。そうこうしている内にも、二人の言い合いは続いていく。

 

 

「じゃあこうしましょう! 来週のクラス対抗戦、そこで勝った方が負けた方に何でも一つ言うことを聞かせられるってことでいいわね!?」

 

「おう、いいぜ! 俺が勝ったら説明してもらうからな!」

 

「せ、説明はその……」

 

 

そこで何故赤くなるのかと不思議に思っているのが、一夏の表情から読み取れた。一夏の言っているのは『毎日酢豚を~』の意味を説明してくれということで、ようは鈴がその意味は告白だったと伝えなければならないからだ。

 

当然顔を赤らめても不思議ではない。もちろん一夏はそんな意味があるとは思ってもみないことだろう。

 

赤らめる意味を履き違えているみたいだ。

 

 

「どうした? やめるならやめてもいいぞ!」

 

「誰がやめるのよ! アンタこそ土下座の練習一つでもしときなさいよ!」

 

「何でだよ、馬鹿」

 

「馬鹿とは何よ馬鹿とは! この朴念仁! 間抜け! アホ! 馬鹿はアンタよ!」

 

 

 目の前で行われているやり取りが、小学校低学年くらいの子たちが言い争っているようにも見える。

小学校の時良く合ったよな? 馬鹿って言ったら自分が馬鹿みたいな感じの言い争い。幼い子が言い争うのは可愛らしいと思えるが、高校生にもなって馬鹿だのアホだの言い合っていると、ちょっとどうなのかと思ってしまう。

 

たかが言い合い、さえど言い合い。時にはその何気無い一言で、相手を本気で傷付けてしまうこともあれば、怒らせてしまうこともある。

 

ふと頭の中によぎってくるが、こんな時は大体嫌な予感というのは当たるもので……。

 

 

 

 

 

「うるさい、貧乳」

 

 

 

 

 

 

 

 

鈴にとって最も禁句な言葉を呟いてしまった。

 

 

何かが物凄いスピードで振り払われたかと思うと、ダイナマイトでも爆発したのかと思うほどの衝撃音と共に、ピット内がぐらぐらと揺れる。

 

その発信源を見ると、衝撃音の原因となった物体は壁近くにあった。正体は装甲化した鈴の右腕、だが壁に鈴の拳は触れていない。なのに壁には小さなクレーターが出来ていた。ピットというのは強度のある金属を使って構成されている。その壁が風圧だけでこれだ、直に殴っていたらどうなっていたのか、その破壊力が分かる。

 

言ってから気づいたのか、やってしまったと言わんばかりの表情を浮かべて、一夏の顔から冷や汗が出てくる。

 

 

「い、言ったわね……言ってはならないことを、言ったわね!」

 

 

目が完全に怒ってる。目が笑っていないではない、烈火のごとく怒っている。

 

 

「い、いや、悪い。今のは完全に俺が悪かった」

 

 

ほう? 今のは、ねぇ。結構な回数やらかしてる気がしないでもないが、そういうことにしておこう。

鈴に至っては完全にブチキレで、聞く耳をもたない。俗に言う激オコスティックファイナリティ……いや、何でもない。ここでふざけるのはやめよう。

 

 

「今のは!? 今のもよ! いつだってアンタが悪いのよ!!」

 

 

さすがに身体的特徴を言うのはいただけない、よって一夏に弁護の余地はない。

 

 

「いいわ……そこまで言うのならもう関係ない。今度のクラス対抗戦、徹底的に叩きのめしてあげる」

 

 

怒りは収まらず、去っていく後ろ姿からも怒気が伝わってくる。ピットから出ていく前に一度一夏の方を睨み付け、何も言わずにピットから出ていった。

 

鬼が過ぎ去ったとでも言えば良いのか、鈴一人が去ったピット内は異常なまでの静けさが包まれている。とりあえず一夏がこの後何をするかがはっきりしたわけだが。

 

 

「一夏」

 

「な、何だ?」

 

「とりあえず一発殴って良いか?」

 

 

何故か無性に殴りたくなった。鈍感につける薬は無いと言うけど、一発くらい殴っておけば脳内変換で多少女心に敏感になるかもしれない。

 

 

「へ? って、何でお前が怒ってんの!!?」

 

「いやぁ、折角のフォローを色々とぶち壊してくれたからさ。意趣返ししてもいいだろ♪」

 

「ま、待て霧夜! 確かに一夏はどうしようもないことをしたが、何もそこまで……」

 

「面と胴着けずに俺と剣道やるか?」

 

「け、結構です! 私が悪かったですごめんなさいでしたぁ!!」

 

 

一夏を庇おうとする篠ノ之だが、防具なしの打ち合いを申し込むとすんなりと退いてくれた。以前剣道で圧倒した時の記憶が、はっきりとよみがえってきたらしい。それと同時にいつもよりちょっとだけ怒気を強めて言ったら、素直に聞いてくれた。

 

 

「ちょ、ちょっと大和さん! さすがにそれは……」

 

「ISの近接戦……本気で打ち合える練習相手いないか?」

 

「な、何でもありませんわ! 大和さんのご自由にしてくださいませ!」

 

 

その場で軍隊顔負けの敬礼をとるセシリアだが、どことなく体が震えていた。

代表候補生たるものが、IS戦を拒否しても良いのかと甚だ疑問に思ったが、今は特に気にしている暇はない。

とりあえずこの目の前のキングオブ唐変木には、肉体言語での『OSHIOKI』が必要なのは間違いない。指を軽く鳴らしながら、ジリジリと一夏に詰め寄っていく。

 

 

「さぁ、準備は良いか? ICHIKAくん?」

 

「ちょっと待った! し、執行猶予は無いのか!?」

 

「面白いことを言うな。そんなものがあるとでも?」

 

「え……ちょっ、待っ……ぎゃああああああ!!?」

 

 

静かなピット内に一夏の悲鳴が虚しく木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぐぐぐ。頭がまだいてぇ……」

 

「自業自得だ」

 

「な、何も言い返せないのが悔しい……」

 

 

 一夏への制裁(アイアンクロー)が一段落した後、腹ごしらえということもあって俺と一夏は食堂に来ていた。ダメージを拭い切れずに痛む頭を押さえながらも、食事を続ける一夏から絞り出すかのような声が聞こえてくる。

 

折角仲直りするチャンスだったのに、それを自ら棒に振った挙げ句、鈴の身体的特徴を乏したことで、更に鈴を怒らせてしまったわけだ。

あの夜に鈴のことを慰めて、何とか一夏との仲を取り保とうとした努力は何だったのかと、俺に対するダメージも大きい。

 

約束を勘違いしていたけど、些細な約束を覚えている時点で一夏は鈴のことを大切な仲間だと思っているんだと力説したのは、もはや遥か昔のことのようにも思える。

 

それもあって一夏に制裁(アイアンクロー)を下したわけだが、果たして一夏は内心でどう思っているのか。さすがに今回ばかりは懲りただろう。

 

とはいえ、鈴が前回以上に怒り心頭なのは間違いないため、クラス対抗戦までの間に接触するのは極めて難しいこととなった。近寄ったら睨まれるどころか、ISを展開されて殴られるのではないかといった憶測まで浮かんでくる。

 

 

「おりむー、頭押さえてどうしたのー?」

 

「いや、まぁ色々あって……」

 

 

俺と一夏で食堂には来たが、別に二人だけで席に座っているわけではない。一夏の目の前には布仏が、俺の前にはナギが座っている。一夏の身を案ずる布仏だが、今の一夏が正直に言えるわけがなく、うやむやな感じで誤魔化そうとする。

 

相手が布仏だから一夏も誤魔化せば何とかなると思ったんだろう、だが現実はそこまで甘くない。

 

 

「女心はちゃんと理解しなきゃダメだよー?」

 

「ぐはっ!?」

 

「布仏、それトドメだから。フォローになってない」

 

「ふぇ?」

 

「あはは……で、でも織斑くんだし……ね?」

 

 

布仏の洞察力は思った以上に鋭かった。それもかなり的確なところを射ている。故に一夏のダメージも大きく、致命傷を負った主人公のようにその場で崩れ落ちる。

ナギもナギで本人の優しさから直接は言わないものの、一夏が鈍感であることを否定しなかった。

 

いくら後悔をしているとはいえ、やってしまったことは取り戻せない。とにかく今一夏がやることは、クラス対抗戦に向けて準備を進めることしかない。幸い一回戦の相手は鈴だ、勝とうが負けようがどちらにしても謝るチャンスでもある。

 

謝ったところでどうなるかは分からないけど、何も言わないよりはマシなんじゃないか。

 

ちなみに今日の夕食はきつねそばとミニ親子丼のセット。きつねそばの汁を啜りながら、話を展開していく。これがまたダシがきいてて上手い。本当に店を構えても良いレベルだ。

クオリティの高いものを、学生に優しい低価格で買えるため更に嬉しいところ。その為あまり財布の中身を気にする必要もない。

 

これから出前はIS学園から取ろうか、なんて冗談すら思い付く。絶対に言わないけど。

 

 

一夏は豚のしょうが焼き定食で、ナギはホワイトソーススパゲッティと、どれも美味しそうだ。

 

そして……

 

 

「んん~? どうしたのきりやん。物珍しそうな顔して?」

 

「いや、人それぞれなのかなって思っただけだ」

 

「へ?」

 

 

布仏についてどうしようかと思ったけど、もう何も言うまい。相変わらずの布仏クオリティ、夕飯にハチミツたっぷりのホットケーキときた。前も言った気がするけど、見ているだけで胃もたれしそうだ。

 

たとえどれだけお腹が空いていようとも、食べ切れそうにない。甘党な女の子の胃袋は恐ろしいと改めて認識させられる。まぁ布仏は幸せそうな顔をして食べてるし、本人が良いなら良いんだろう。

 

 

「……とにかく、後はお前が頑張るしかないんだよ。謝罪もだけど試合の方もな」

 

 

話を戻そう。

 

クラス対抗戦についてだが、どこのクラスもフリーパス獲得を目標に向けて全力で挑んで来るに違いない。……二組の場合は私情が大きく絡んできそうだけど、そこを気にしたら負けだ。

 

些細なことなら引きずることは無いとは思うが、今回の場合は鈴が最も気にしている部分を、包み隠さずストレートに言ってるので、鈴自身もかなり引きずっているとは思う。前回は回りくどい言い方したせいで、一夏が勘違いをしたと弁護できたものの、今回に関しては執行猶予無しで、誰がどう見ても一夏が悪い。

 

つい言い返してしまったのは仕方ないにしても、身体的特徴を言うのはアウトだ。

 

 

「試合かぁ……そういえば鈴のISってパワータイプだったっけ」

 

「ああ。お前と同じ近接格闘型だ。そうはいっても、手の内が完全に明かされた訳じゃないから、油断は禁物だな」

 

 

 先ほどの八つ当たり気味の一撃を見る限り、技術で攻めるのではなく、パワーで攻めていくタイプに見えた。果たして本当に完全な近接タイプなのか、実際にISを全身展開したところを見たわけではないため、まだ何とも言えない。

 

いずれにしても近接格闘型のパワータイプと決めつけるには早い。戦いながら相手の特性を見分けるのが重要になる。闇雲に突っ込んでも、返り討ちにされて終わる。代表候補生が相手ともなると、ほぼ間違いなくやられるはずだ。

 

しかし一夏の場合、自分の型が決まっているわけではないので、動きが読みにくいといったアドバンテージもある。セシリアの時と同様、うまく試合運びをすればもしかしたらがあるかもしれない。

 

それに最近は千冬さんに指導してもらうこともあるらしい。どんなことを教えてもらっているのかは不明だが、少なくとも実戦で使えることを教えているに違いない。

 

本番でどうなるか、実際かなり楽しみだったりする。

 

 

「だよなぁ……やべぇ、鈴に潰されるイメージしかわかねぇ……」

 

「折角の機会だし一回潰して貰ったらどうだ? 潰されたら色々直るかもしれないぞ」

 

「んなわけあるか!! 普通に死ねるわ!」

 

 

潰されることで色々(鈍感なところ)が直ると冗談を言うと、予想通り良い反応を見せてくれる。ガバッと立ち上がったかと思えば、息切れするんじゃないかと思うくらいの迫力で声をあげる。あれだ、反応が面白いとからかう気がなくても、どうしてもからかいたくなる。一夏の場合は反応がいいから、特にからかいたくなる。

 

 

「ま、冗談はさておき……実際はどうだ、勝てそうか?」

 

「急に話を変えるなよ! ……試合に関しては正直分からないけど、負ける気はねぇ!」

 

「お、言ったな? ならセシリアの時みたいになったら今度飯おごって貰うからな」

 

「げっ!? そういうことかよ!? ぜってぇ負けれねぇ!」

 

 

 俺としては冗談半分で言ったものの、一夏はその一言でさっきよりもやる気になってくれたみたいだった。俺としても一夏にはクラス代表として頑張ってもらいたいし、いざこざがあったとはいえ、勝負の時にまで引きずって貰いたくはない。気持ちを切り替えれたのなら、それはそれで万々歳だったりはする。狙ってやったわけじゃないけど。

 

 

「ん、頑張れよ。クラス長!」

 

「じゃあ勝ったときは大和に飯おごって貰うからな!」

 

「あぁ、勝ったら好きなもの奢ってやるよ! 常識の範囲内だけどな」

 

「っしゃ! 決まりだな!」

 

 

 持ちつ持たれつの関係ではないものの、一夏が鈴に勝ったら俺が何かを奢ることに。賭けのために勝負するというのも、言い回し的によろしくはないが、一夏にとって一種のモチベーションを保つための手段と考えてくれれば良い。

 

クラス対抗戦まで残りわずかだが、短期間でもやれることはいくらでもある。少しでも勝率をあげるために、一夏は今以上に熱心に訓練へ打ち込むことだろう。

 

残ったそばの汁を飲み干し、夕食を済ませると先に夕食を終えていたナギが口を開いた。

 

 

「そういえば大和くんって、対抗戦の時はどこで観戦するの? 私たちはアリーナの観客席で見る予定なんだけど……」

 

「ん? あぁ、そっか。関係者以外は全員観客席で観戦か……」

 

「あれ~? きりやんあんまり乗り気じゃないの?」

 

「いや、そういう訳じゃないんだ。ちょっと別に理由があってな」

 

「ふ~ん?」

 

 

 きょとんと純粋な目で見つめてくる布仏に若干の罪悪感を覚えなからも、言葉を濁す感じで誤魔化した。とはいっても何だかんだで布仏の勘も鋭い。人の心情の変化にかなり敏感なんだろう、もしかしたら気付かれているかもしれない。

 

つまりは観戦ってことなんだけど、普通だったら複数の男女が混同するような場になる。でもここはIS学園で、俺と一夏以外男はいない。

 

それでも一夏がいれば特に問題は無かったが、今回は一夏はクラス代表として対抗戦に参加することが決まっている。よって俺は満員語例の観客席で一人ぼっちになるわけだ。

 

もちろん知り合いがいるから寂しさ的には問題ないものの、問題はそこではない。

 

例えば何かライブに行ったとしよう、そのライブの観客が自分以外全員女性だった時のことを考えてほしい。

かなり大袈裟な例えにはなっているが、ようはそういうことになる。

 

女性が苦手ではないが、全学年が集まるともなるとさすがに落ち着かない。元々このアリーナも大人数を収容出来るほどの規模を誇っている。

 

見渡す限り女性しかいない状態で、ただ一人放り込まれた時のことを考えるとなかなか来るものがある。初日に味わった大人数の視線を更なる大人数から受けるのだから、落ち着くわけがない。

 

むしろ落ち着くって男がいたら連れてきて欲しい。

 

 

「んー……まぁ一夏の見送りは二人いるから、そのまま観客席に行っても問題ないか」

 

「その……よ、良かったら私たちと一緒に座らない?」

 

「え?」

 

 

急激に声が小さくなったことに疑問を覚えてナギの方へと振り向くと、顔を赤らめたままうつむき気味にぼそぼそと話していた。

 

えーっと……つまりこれって俺に断るなって言ってるのも同然だよな?

無論ナギにそんな思惑があるとは思わないけど、女性の何気ない仕草は破壊力が大きすぎる。余程のことがない限り断る気は無いけど、こんな不安そうな仕草を見せられると、逆に意識しすぎて何も言えなくなる。

 

そもそも俺の周りには美少女と呼べる人間が多い。篠ノ之やセシリアだってレベルは高いし、よく部屋に侵入してくる楯無さんもかなりのレベル。ここには居ないけど鈴だってそうだ。

 

目の前にいる布仏もナギも間違いなく美少女で、布仏は天然系、ナギは清楚系だろう。

断れない上に、意識せざるを得ない状況。今まであまり感じることのなかった不思議な感覚に戸惑いながらも返答する。

 

 

「あ、あぁ、いいぞ。席は取っといて貰っていいか?」

 

「う、うん。任せて!」

 

 

駄目だ、変に意識して俺まで恥ずかしい。とにかく当日は観客席で大人しく試合の様子を見守るとしよう。

 

 

「そういや、大和って放課後何してるんだ?」

 

「また急にどうした?」

 

「なんつーか、基本俺は箒たちとアリーナとか剣道場にいるから。その間何してるのかなーって思ってさ」

 

「言われてみればそうだな……」

 

 

いきなり俺の放課後のことを聞いてきたことにいささかびっくりしたが、よくよく考えてみると放課後は基本的に俺と一夏は別行動。一夏は篠ノ之とセシリアに連行され、俺は俺で自由のひとときを過ごしている。

 

自由といっても完全な自由かと言われればそうじゃないし、暇ばかりではない。皆が寝るような時間でも、先日のように起きる必要がある時だってある。やることがなく遊び呆けている訳ではないというのを忘れてほしくはない。

 

……おい、今いつも遊んでばかりいるじゃないかとか言ったやつは後で来い。じっくりと話し合おうじゃないか。

 

 

「軽く運動したり、読書したりだな。そこまで変わったことはしていないと思うぞ」

 

「確かに結構普通だな……てか身体動かすなら、どこか部活にでも入れば良いのに。大和って運動神経いいだろ?」

 

「そりゃ何もしていない奴らよりは……」

 

 

自分で自分は運動神経良いですって言ったら、ただの自信過剰の残念な子だ。素直な肯定をせずに、やんわりと濁す形で答える。

 

……そりゃやっている仕事上、普通の人間よりは遥かに動ける身体だ。確かにスペックだけで言うのなら高いのかもしれないが、嬉しい気分にはなれない。他の人間がどうなのかは知らないが、少なくとも俺は違う。

 

人より動けるからといって自慢する気も無いし、誇ろうとも思わない。努力して身に付けたものだったとしても、とてもそんな気にはなれない。

 

 

「剣道とか似合いそうな気がするけどな」

 

「確かに身体は動かしたいって思うけど、そこまで練習してって感じじゃないな。俺としては遊び感覚でやりたいし」

 

「あーなるほど。それ中学時代の連れも言ってたなぁ……部活は遊び感覚にはなれないから、遊びは遊びで分けた方がいいって」

 

「それに近いな。俺みたいな人間だと剣道みたいな型にハマった動きはどうも苦手でな」

 

 

剣道も闇雲に打ち込めば良いってものではなく、きちっとした型で残心を残さなければ一本にならないからだ。

それによく考えたらここは女性しかいない、そもそも部活に入って良いのか。

 

 

「でも見学くらいしてもいいんじゃないか? どんな部活があるのか気になるし」

 

「それはそうかもな」

 

 

入学してから幾分経つが、IS学園にはどんな部活動があるのか認識していないのは紛れもない事実。今度一回見回ってみるのも良いだろう。

 

 

 

話が一区切りついたところで、ふと周りを見渡すとすでに全員食べ終わっている。そろそろ話の内容も尽きてきたことだし、食事会の話を切り出すとしよう。ピットでは色々あって結局話すことが出来なかったし、篠ノ之やセシリアには後々一夏に伝えてもらえばいいか。

 

 

「話は変わるんだけど、対抗戦が終わった日の放課後、時間空いているか?」

 

「放課後? 今のところ予定は特に無いな。何かあるのか?」

 

「ちょっとした食事会を開こうと思っていてな。良かったらお前も参加するか?」

 

「お! マジか! そういうことなら喜んで参加するぜ。箒たちにも声かけて良いよな?」

 

「ああ。元からそのつもりだったから頼むわ」

 

「おう、分かった! ちなみに他に誰が参加するんだ?」

 

「布仏とナギを含めて五人くらいだな。結構な人数にはなるけど、多分俺の部屋に収まるはず」

 

 

合計したら大体十人くらいだから、ベッドやらなんやらを色々退ければそれなりのスペースを確保することは出来る。それでも少し狭いかもしれないが、こればかりは仕方がない。文句があるのなら、俺の部屋の設計をした建築士に言ってくれ。

 

後問題と言えば料理の量か、女性陣は男性に比べると少食が多いとはいえ、人数が集まればそれ相応の量が必要になってくる。そこに育ち盛りの男二人が加わる訳だし、俺一人だとなかなか辛いものがある。

 

先日、ナギも手伝ってくれるとは言ってくれたものの、それでもなかなかに手間のかかる作業にはなる。

 

どうしようかと頭の中で打開策を考え始めると。

 

 

「なら俺も少し手伝わせてくれ、働かざる者食うべからずってな」

 

 

完全に忘れていたが、一夏も料理を作れる人間だった。これで量を作るときも良い感じで回すことが出来る。あくまでメインは俺が調理するが、そのサポートを一夏とナギにして貰えばかなり助かる。

 

二人の料理の腕はすでに把握済みだし、何ら問題はない。

 

 

「おお! 助かる一夏。とりあえず詳しいことはまた後でメールで連絡するから頼む!」

 

「了解!」

 

「わ、私も頑張るね!」

 

「私も~!」

 

 

 食事会の詳細も決定したことで、後は実行するだけとなった。一夏も先程の出来事を完全に忘れ、いつものような笑顔が戻っている。

 

ナギも両手を胸元にあげてガッツポーズを作って、サポートに意気込み、布仏は袖に隠れた両手を高々と突き上げて、本番が待ち遠しいと言わんばかりの表情だ。

 

対抗戦の後が楽しみになってきた。

 

 

 

 

 

―――そしていよいよ、クラス対抗戦当日を迎える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、霧夜大和くん。キミはどんな戦い方を見せてくれるのかな?」



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始まる対抗戦、現れるモノ

「おー、こりゃすごい人数だな」

 

 

 クラス対抗戦当日、天候に恵まれ空は爽やかな春空が広がっていた。雲一つない快晴に思わず頬も綻ぶというもの。第三アリーナには開幕を今か今かと待つ人間で溢れ返っていて、プロ野球の開幕戦のような活気を思わせる。一つだけ違うところは男女が入り交じっている野球場とは違い、ここにいるのは女生徒だけ。

 

この日を楽しみにしていたのは、女生徒たちだけではなく大和もだった。トーナメント方式で行われるクラス対抗戦は、自分のクラスだけではなく他のクラスの様子も伺える数少ない機会にもなる。

 

先日は周りに女性しかいない場所に放り込まれたら、周りを意識しすぎて観戦に集中できないとぼやいていた大和だが、今はそんなことどこ吹く風。はっきりと表情には出ないが、どこか嬉しそうな顔をしている。

 

果たしてそれが何を意味するのか、それは本人しか分からない。

 

 

(しっかし本当に多いな。席は何とかとるって言ってたけど大丈夫か?)

 

 

 通路にまで溢れ返る人波に驚きながらも、心の中でポツリと呟く。設計上の常識を覆すわけではないが、全員が椅子に座ることが出来ていない。

観客に対して座席数が追い付いてないのだ。つまり全員が全員座れる保証はない。現に溢れて通路にまではみ出している。

 

大和よりも先にアリーナへ向かった布仏たちは、席は自分たちが取っておくと言ってはいたものの、会場の様子を見れば席を取るのが困難だと言うことがよく分かる。自分の席を取っていることで、他の子達が座れなくなっているのは紛れもない事実。

 

それよりもどこにいるのかがまず分からない。これだけの人数が集まっているのだから、確認しにくいのは当然だ。また座席に番号や目印があるわけでもないため、結局は自力で探すしかなくなる。

携帯電話で聞こうにも大体の位置しか特定出来ないため、そこにいくまでは結局人を押し分けていかなければならない。

 

そもそも会場に入れていることが幸運で、生徒の中には会場に入れずリアルタイムモニターで見ている者もいるとのこと。

 

一夏を見送りにピットにいたため来るのが遅れ、アリーナの混み合っている時間にぶち当たることになってしまった。

ただ、今回は例年より多くの生徒が足を運んでいる。その目的は第一試合の一夏と鈴の試合を見るためだ。数少ない男性操縦者の戦いぶりを少しでも見ようと、我先にと行動した結果がこのようなことになっている。

 

去年は今年ほどの人数では無かったらしく、学園側も驚いている。あまり興味のない学生はモニターで済ましてしまうため、アリーナに足を運ぶことがないからだ。

 

 

「ん、あれか?」

 

 

何気なく辺りを見回していると、ふと視線が一ヶ所に止まった。位置的にはアリーナのガラス張りの最前列になる。言い方を変えるとしたらVIP席とも言える場所でもある。

 

同じく、その最前列で席を立ちながら辺りをキョロキョロと見回す人物に大和は見覚えがあった。人混みで溢れる通路を隙間を上手く抜けて目的地へと向かおうとする。

 

しかしよく考えてみれば大和もISを動かせる男性として有名な上に、代表候補生のセシリアを倒したという噂も出回っている。

故に大和もこの学園における有名人には間違いない。そんな人間が人混みで溢れる通路を通ろうとしたらどうなるか、誰もが分かることだ。

 

 

「あ、霧夜くんだ!」

 

「嘘! どこどこ!?」

 

「あー! 本当だ! 本物の霧夜くんだ!」

 

「写真で見るよりも全然格好いいかも!」

 

「ねーねー! 私たちと一緒に観戦しましょう?」

 

「へ? ああ、いや…」

 

 

当然このような事態になる。案の定、大和に興味を持つ女性陣に見つかり、自分の周りを囲まれてしまった。すると芋づる式のように大和の周りには人が群がり始め、大和はその場から身動きがとれなくなってしまう。

 

そうこうしているうちにも刻々と開始時刻は近づいて来る。何とかこの場をやり過ごそうと言い訳を考え、少しすると何かを思い付いたように口を開いた。

 

 

「もう対抗戦も始まるし、さすがに始まってからガヤガヤしていたら戦っている子達に迷惑だろ? だから話はまた今度で!」

 

 

言うことは至極まともなことだが、年頃の女の子がそれを聞くのか。普通の人間ならどうなのか分からないが、彼女たちの脳裏にはある可能性が思い浮かぶ。対抗戦が始まっているというのに、騒いでいたらどうなるのかと。

 

何も言われないのなら特に問題はないが、生憎アリーナの様子は全てカメラで監視されていて、その映像は監視室のモニタールームの教師陣に筒抜けだ。極めつけはその監視室にいる教師……今回の対抗戦、及びIS関連の行事の責任者は全て織斑千冬が行っている。

 

ここまで言えばもう答えは分かるはずだ。

 

 

「えー!?」

 

「うーん……でも確かに言う通りかも」

 

「そうだよね。ここで騒いでたら霧夜くんにも迷惑かかっちゃうし……」

 

「じゃあ霧夜くん、また今度ゆっくりお話ししましょ?」

 

 

そう言うと女性陣はわらわらと自分の席へと戻っていく。思いの外聞き分けが良かったため、大和自身も多少驚いたのかもしれない。数秒ほどその場にポカンと静止した後、再び歩を進め始めた。

 

もう試合が始まるということで、先ほどまでの目印になる人物は立ってはいなかったが、大体の場所は既に覚えたため、一直線に目的地へと向かっていく。

 

最前列に出ると、大和より先に座っていた人物が真っ先に反応した。満面の笑みで袖ダボダボの手を振りかざし、こっちだよと手招きをする。

 

 

「悪い! お待たせ!」

 

「きりやん、寝坊はダメだよ~?」

 

「いや、寝坊じゃないから。さっき一夏のとこに寄っていくって言ったし」

 

「じょーだんだよ~♪」

 

「しかしまぁいつも通り元気だな布仏は……っと、もうそろそろ始まるか」

 

 

 ニコニコといつも通り笑顔を絶やさない本音に、微笑みを浮かべながら辺りの状況を確認する。

ふとガヤガヤしていた周囲の雰囲気が徐々に落ち着いていく。ふと競技場内を見ると、そこには既にISを見に纏った一夏と鈴が向かい合っていた。それはもうすぐ試合が始まると言うことを意味している。

 

始まる時にはアナウンスが入るが、アナウンスが入る前に座るのが礼儀というもの。始まってからバタバタ座ってはだらしないこと極まりない。

 

 

「あ、霧夜くんの席はバッチリとっといたから!」

 

「そうそう! ささっ、こっちに!」

 

「ん、あぁ! サンキュな二人とも」

 

 

再び視線を戻し、そのまま横にずらすと布仏の隣には清香と癒子が座っており、二人とも意味深な笑みを浮かべながら大和を椅子に座らせようとする。

 

特に変なことを考えているわけではないが、二人が指差す先には確かに二人分ほどの空席があった。

 

……二人分?

 

 

「あれ、二人分?」

 

「うん。まぁそんなことは良いから良いから!」

 

「ちょ、引っ張るなって! そんなことしなくても座るから!」

 

 

 抵抗する間もなく、半ば強引にその場に座らせられる大和だが、座らせられたのは癒子の隣ではなく、列の一番端。つまり癒子と大和の間には不自然に一人分の席が空いている。

 

誰かがいるとしてもわざわざ入りにくい間を開ける意味が分からない。仮に癒子が大和のことを避けているのなら話は別だが、その可能性は限りなく低い。

 

大和のクラス内の評価は高く、頼れるお兄さんみたいないイメージが強いとのこと。学年で見ても、男性に対して偏見を持っている女性陣以外からの評価は悪くない。加えて大和のビジュアルも悪くはなく、同姓と比べても良い方だ。

 

評価が低かったら、先ほどのように絡まれることもないのだから、その時点で比較的多くの女生徒に興味を持たれているのがよく分かる。

 

では何故わざわざ人一人分空けて座らせたのか、その意味が分かるのにそう時間は掛からなかった。

 

 

「ごめん癒子、お待たせ。ちょっと混んで……て……や、大和くん?」

 

「あ、お帰りナギ。ナギの席はちゃんと空けてあるから」

 

「そうか、やっぱりナギの席だったのか。……でも待てよ、だったら何でわざわざ……」

 

 

 空いているもう一つの席はナギの席だった。手にハンカチが握られているところを見ると、花摘に行っていたことが分かる。

ところで、ここで分からないのは一人分の間隔を空けていた理由だ。これだけの大人数なのだから、わざわざ座りにくい真ん中を空ける必要があったのか。

楽に座りたいのなら大和が癒子の隣に移動し、端を空けた方が戻ってきたナギは座りやすい。誰かが来たとしても、他に人がいるのでと断れば済む話だ。

 

では何故真ん中が空いているのか?

 

さすがに大和でもこれは気付かないのか、ただ首をかしげるだけだ。一夏に比べると女性の気持ちには敏感な大和だが、こればかりは何を意味するのか分かっていない。

 

分かっているのはその場にいる女性陣だけだった。

 

 

(霧夜くんを私の隣に座らせたら、ナギがヤキモチ焼いちゃうから……。やっぱり友人として応援するところは応援しないとね!)

 

(ナギ良いなぁ……応援したい気持ちも強いけど、でもやっぱり少し複雑かな~?)

 

(かがみん頑張れ~♪)

 

 

三人の共通認識として、ナギを少しでも応援したい思いがある。しかし、その中にも大和のことを異性として気にする女性が二人いた。

 

……清香と癒子、大和のことを友達としてだけではなく、男性として見ている節も見受けられる。

 

まだ明確な好意こそ持っていないようだが、お近づきになりたいという気持ちがあるのも事実。それは友達としてか、はたまた……。

 

 

(うう……確かに嬉しいけど……ど、どうしよう?)

 

 

 隣に座れることは嬉しいものの、どこか複雑な気分でもある。教室でも自分の席は大和の隣ではあるものの、決して密着している状態ではない。ところが今回は密着度も上がることで、二人の距離は以前にもましてより近くなる。それこそ体と体が接するくらいに。

 

更に大和の席は観客席の一番端にあたるため、他の生徒も居ない。つまり大和の隣の席に座れるのはナギだけということになる。

 

 

(も、もしかして顔赤くなってるかな?)

 

 

自分の顔に変化がないか手を頬に当てて確認する。本人は大和のことを好きになる一歩手前、かなり気になる異性と認識しているものの、他の人間からしてみたらどの口がそれをいうのかと言いたくなるレベルだ。

 

むしろここまで如実な反応で気付かない方がおかしい。他のクラスならまだしも、一組の何人かは既に明確な好意だと気付いている。

 

 

これからどうしようかと考えるナギだが、その姿は端から見たら呆然と立ち尽くしているようにも見える。いつまで経っても立ちっぱなしで座ろうとしないナギを不思議に思ったのか、大和が声を掛ける。

 

 

「おーい、どうしたナギ?」

 

「ふぇ!? な、何でもないよ?」

 

「お、おう? そ、そうか」

 

「う、うん」

 

 

 照れを隠すかのようにすぐさま席に座る。本人としては普段通りを装ったつもりだが、大和には完全にバレている。もちろん大和自身も深くは言及しようとせずに、そのまま競技場の中へと視線を向けた。

 

 

 

 

 

―――大和たちが今か今かと開戦を待ち望む中、競技場内では一夏と鈴が退治していた。部分展開で何となくISの特徴は掴むことが出来たのかもしれないが、いざ全身展開を目の当たりにするとその迫力に圧倒される。

 

肩の横に浮いている棘付き装甲がいかにもパワータイプという雰囲気を醸し出している。それにプラスして棘付きときた、人体に置き換えて考えてみれば顔を歪めたくなる。殴られたら間違いなく痛いでは済まないだろうから。

 

嫌なイメージは実際に人体にも現れてくるもの。鈴のIS、甲龍を眺める一夏の額からは冷や汗が流れ出してくる。その汗はまるで炎天下に放り出されているかの如く、溢れだしてきて止まる気配がない。

 

ゴクリと唾を飲み込み、それでも視線を背けないように力を込めて鈴のことを見つめる一夏。結局何一つ鈴と話せないまま当日を迎えてしまったことにやや不安を覚えているのかもしれない。

 

微妙な雰囲気に包まれる中、設置されたスピーカーからアナウンスが流れてくる。

 

 

『それでは両者、規定の位置まで移動して下さい』

 

 

アナウンスと共に二人は飛翔し、空中で向かい合う。試合開始のアナウンスが入れば、二人はクラスの命運(フリーパス)を掛けてぶつかり合う。最も、二人の頭の中にはその考えなど微塵もない。

 

 

「……一夏、今謝るなら少しくらい痛め付けるレベルを下げてあげるわよ」

 

「どちらにせよ痛いことに変わりないだろ。そんなのはいらないから、全力で来い」

 

 

オープンチャンネルから聞こえてくる鈴の言葉に対して、言葉を返す。一夏の言葉は助けを乞うものでも、強がるものでもなく、ただ手を抜かれたくないという一心から来ている。先ほどまでどうしようかと考えていた姿は既にそこにはなかった。

 

一夏自身が手抜きを嫌うのもあるかもしれない。セシリア戦でも決して手を抜かずに立ち向かった姿を見れば誰でも分かる。

 

その言葉を聞き何かを察したのか。鈴は一つため息をつくと、キッと一夏を睨み返した。

 

 

「言っとくけど、絶対防御も完璧じゃないのよ。シールドエネルギーを突破する攻撃力があれば、本体にダメージを与えられる」

 

 

 ISには操縦者を守るためのシールドが存在する。しかしそのシールドも完璧という訳ではなく、シールドエネルギーを突破する攻撃力があれば、操縦者自身に直接ダメージが伝わってしまう。

 

ましてやシールドエネルギーも無限に存在するわけではない。エネルギーが尽きればシールドを張ることも出来ずに、一方的にタコ殴りにされる状況に陥る。操縦者に直接ダメージを与えるためだけに作られた装備も存在するが、もちろんそれは競技違反だ。

とはいえ、装備に関係なく、攻撃によっては操縦者に対してダメージが直接行くことがあるのもまた事実だ。

 

鈴もそこまでするつもりはないはず。しかし殺さない程度にいたぶることが出来るという事実が、覆ることはない。

 

代表候補生ならギリギリの力加減など朝飯前。本来ならISを扱いはじめて一ヶ月たたない一夏が、まともに戦えるかと言えば出来ない。

セシリアを追い詰めることが出来たのも、あくまでセシリアに慢心があったからで、初めから手を抜かずに相手をしていれば、セシリアが勝つことはそう難しく無かった。

 

更にいうなら、セシリアをあそこまで追い詰めたのは奇跡と言える。

 

 

『それでは両者、試合を開始してください』

 

 

アナウンスと共に競技場内にブザーが鳴り響く。その音と共に地面を蹴り、両者が正面からぶつかった。

 

ガキンッという金属がぶつかり合う音がしたかと思えば、一夏が瞬時に装備した雪片弐型が衝撃に寄って弾かれる。ここ数週間でイメージがまとまって来ているのか、武器の展開も以前と比べて速くなっている。それところか武器名を呼ばずに、展開できている。明らかに進歩していた。

 

ただ、相手は何百時間もISを稼働している代表候補生だ。武器の展開が速かったとしても、顔色一つ変えることなく装備を素早く展開し、力任せに一夏を押し切った。

 

 

「ふぅん、やるじゃない。でもね―――」

 

 

―――鈴が言葉を言い終えようとした時、一夏の背筋にぞくりと悪寒がはしる。このまま力勝負をしていては自分がやられると。

 

しかし離れたくても離れられないのが現状。縦横斜めと素早い斬撃が飛んでくるため、雪片でいなすだけでも一杯一杯だった。

それでも何とか距離を取ろうと、一足一刀の間合いから抜け出して、一度体勢を建て直そうとする。

 

……だが。

 

 

「甘い!!」

 

 

鈴からすれば全てがお見通しの行動だった。一夏が距離を取ったかと思えば、甲龍の肩アーマーがスライドし、中心にある球体のようなものが光る。

 

それとほぼ同時だった。

 

 

「うわっ!?」

 

 

鈴は何もしていない、何もしていないのに一夏の白式がぐらりと傾く。おおかた、搭乗者の一夏の意識も軽くブラックアウトしかけたことだろう。

 

何とか次の攻撃を食らわないようにと目を見開くが。

 

 

「今のは、ジャブだからね」

 

 

ニヤリと不気味な笑みを浮かべる鈴。容赦なく叩き潰すつもりでいるんだろう。再び球体が光り始める。

 

一夏に立て直す隙すら与えないつもりだ。そして先ほどと同じように……いや、先ほどよりも威力の高い見えない何かが、一夏を機体ごと地面に打ち付ける。

 

 

「ぐぁっ!?」

 

 

シールドバリアーで守られているとはいえ、重たい攻撃を二回連続で食らえば身体にもダメージは蓄積していく。

 

 

(くそ……攻撃がまるで見えない。軸をずらして避けようにもいつ発射されるのか分からないからかわせない。……どうする? このままじゃ手詰まりになるだけだ……)

 

 

 

 

 

 

 

 

空中を縦横無尽に旋回し、甲龍の肩から飛んでくる目に見えない攻撃、衝撃砲をかわし続けている。鈴の機体を龍とするなら、この衝撃砲は龍の咆哮とでもいうのか。

 

かろうじてかわしていく一夏だが、それ以上に鈴の洞察力、観察力が優れており、かわす位置を予測してピンポイントで衝撃砲を放ってくる。

 

発射した後は方向転換が利かず、真っ直ぐにしか飛ばないものの、それ以上に常人には目視

することが出来ないアドバンテージが働き、試合展開を有利に進めていた。

 

更に衝撃砲には死角がなく、砲身斜角がほぼ制限がなしで打つことが出来る。上下左右、鈴の真後ろに移動しても展開して撃たれてしまう。

 

―――一方でアリーナ観客席、終始押され続ける一夏を、観戦するクラスメイトたちは声を上げて応援を続けていた。しかし、早くも防戦一方になりつつある一夏の戦況に、クラスメイトたちは不安を募らせていく。

 

 

「織斑くん頑張ってー!!」

 

「負けるな~!」

 

「フリーパスのために頑張れおりむー!」

 

 

最後の声援に関しては完全に私情丸出しだが、それでも一夏を応援するものには変わりない。クラスの雰囲気がやや落ち込みかけている中でも、大和の周辺に座る女性陣は大きな声で声援を送っていた。

 

そんな中戦況をじっと見つめながらいつもよりも少しばかり厳しい顔を浮かべる大和。

 

 

「あの攻撃は厄介だな……普通にバカスカ撃つならまだしも、一夏の回避地点を読んで撃ってる」

 

「え、そうなの?」

 

「ああ」

 

 

後ろの席で観戦している子がふと、大和の言葉に食い付く。

 

 

「あれは攻撃力こそ高いけど、直線上にしか飛んで行かない。それでも一夏が避けるのは全てギリギリ……確かに攻撃が見えないってのもあるけど、それ以上に砲弾のコントロールがいい」

 

「お、織斑くん勝てるかな……?」

 

 

 今度は隣に座っているナギが勝てるかどうかを不安そうに訪ねてくる。フリーパスのため、という目的もあるかもしれないが、やはり同じクラスメートな訳だ。心配にもなる。

 

大和は今一度、競技場内の様子を観察する。戦況は変わらず、一夏が鈴の肩から飛んでくる衝撃砲をかろうじて避けている光景が飛び込んでくる。

近付いても甲龍にも近接装備は存在する。正直に真正面から近付いたとしても、返り討ちに会うのが目に見えてる。そして鈴から大きく距離を取ればどうかと言われれば、甲龍の衝撃砲から逃れることは出来る。

 

しかし、一夏の白式には遠距離武装は搭載されておらず、あろうことか拡張領域もほとんど埋まっているため、後付けで装備を積むことが出来ない。その為、大きく距離を取ったとしても、一夏に攻撃手段はない。

 

結局一夏に残されている攻撃方法は、雪片による近接攻撃だけ。鈴を倒すのなら、どんな形でも一度接近しなければならない。

 

 

「はっきり言うなら厳しいな。相手は代表候補生だし、実力的にも一年の中じゃトップクラスだ。普通に戦ったらまず勝てないだろう」

 

「そうなんだ……」

 

「確かにこのままじゃ厳しいよね」

 

「織斑くんも頑張ってたけど、やっぱり代表候補生にもなると相手が悪かったのかなー……」

 

 

 はっきりとした大和の言葉に、それを聞いていたクラスメートの何人かの表情が若干沈む。ただ大和の言うことは間違っているわけではなく、今の戦況を見れば誰もが一夏が劣勢だと分かるものだった。

 

成長速度だけを見るなら、一夏は間違いなく成長が早い。飲み込みも早く、このままいけばセシリアや鈴とも肩を並べる日もそう遠くないのかもしれない。とはいえ、今だけの話で言うのなら、代表候補生とまともに戦い合うだけのレベルにはまだ達してはいない。

 

圧倒的に足りないのは時間だ。一夏もこの一週間は放課後常にISを使った訓練をしてきたが、それ以上に鈴はISを動かしている。つまりまだ経験値の差で届ききっていないのだ。

 

 

 今のままではいずれ捉えられ、敗北するのは時間の問題。しかし先ほどまで辛口の評価だった大和だが、一転して今度は微笑みながら口を開く。

 

 

「あー……俺が言ったのは普通に戦った場合だから、あまり気にしなくてもいいぞ」

 

「え? 普通に戦った場合って?」

 

「ど、どういうことなの?」

 

 

大和の言っている意味が分からないと、首を傾げるばかりのクラスメートたち。それは隣に座っているナギも、癒子も、清香も、本音も、その場で話を聞いている全員がそう思ったことだろう。

 

まだ短い期間ではあるが、一夏と過ごしてみて大和なりに一夏に対して思っていること、それは……。

 

 

 

 

 

「一夏は、常識じゃ図れない。セシリアの時もそうだったけど、アイツは予想の斜め上をいく。いい意味でも、悪い意味でも。……ただ間違いなく、一夏は窮地に追い込まれれば追い込まれるほど、持っている力以上のものを発揮できる奴だと思う」

 

 

このまま何も出来ずに終わる人間ではないということ。

 

言い換えるのなら、火事場の馬鹿力とでも言うのか。一夏は恐ろしいほどのクラッチタイプな人間だ。

どんな劣勢に追い込まれても決して諦めず、常に予想を上回る何かを見せてくれると。

 

それは大和自身が一夏のことを認めている証拠だった。言葉の真意に気付いた子たちは、感心したかのような表情で大和のことを見つめる。

 

 

「ま、勝負はこれからってやつだ。見守ろうぜ!」

 

「そ、そうだね!」

 

「勝負に勝つためにも、私たちが応援しなきゃ!」

 

「頑張れー!! 織斑くーん!!!」

 

 

 やや諦めが入っていた一組陣営が再び盛り上がっていく。まだ一夏も諦めていないことに気付いたからだろう。少なくとも戦う一夏の目が死んでいるようには見えない。むしろどこかでやり返すと機会を伺っている鷹のようにも見える。

 

大和は再び喧騒に包まれ始めた周囲にふと微笑みながら、この後はどんな展開を見せてくれるのかと、期待を抱いて競技場内に視線をむけた。

 

 

 

 

 

 

 

―――ようやく盛り上がる。

 

 

そう思った刹那、不意に大和のポケットに閉まっていた携帯電話のバイブが震え始めた。こんな時に誰かと、携帯電話を取り出して相手が誰なのかを確認する。

 

バイブが震えていたのは、電話ではなくてメール。これがただのメルマガやインフォメーションだったとしたら、何事もなく大和は携帯を閉まったことだろう。しかし画面の上にスクロールされて流れていく文字の羅列を、決して見逃さなかった。

 

 

 

 

 

"緊急連絡 更識楯無"

 

 

 

 

 

 

文字の羅列で事態を把握した大和は、そのまま届いたメールの内容を素早く把握しにかかる。メールフォルダを開き、タイトルの下に書かれている本文に目を通し始める。

 

 

「……」

 

 

十数秒かけてメールに書かれている文面をくまなく読み、内容を頭に入れて内容を整理する。その目付きは真剣そのもの、普段の学校生活では決して見せることのない、一人の仕事人としての表情だった。

 

幸い、周囲は観戦に夢中で大和の表情の変化に気付く者は居ない。目線だけを泳がし、周りの気が自分から逸れたことを確認すると、音を立てないように素早く席から立ち上がるが、やはり気付いてしまう人間はいる。

 

 

「あれ、大和くん。どこいくの?」

 

 

大和の隣に座っていたナギは気付いてしまった。しかしここで本当の理由を話すわけにもいかず、大和はとっさに思い付いた嘘をナギに話す。

 

 

「ん? あぁ、悪い。ちょっとトイレに行ってくる。すぐに戻ってくるから!」

 

「え、あっ!!」

 

 

 ナギが返事をする前にはすでに大和は階段を上り始め、アリーナの出口に向かって走り始めていた。アリーナ内には常設トイレが無く、一旦外に出なければならない。だから大和が出口に向かうのは何らおかしなことでは無かった。

 

ナギはその小さくなっていく後ろ姿を見送る。

 

何でトイレに行くことくらいで心配しなければならないのか、それは彼女自身が一番よくわかっていたことだった。他の人間だったとしても、相手が病気にかかっているなどのよほどの理由がない限り、そこまで心配することはない。

 

……なのに何故かこの時ばかりは違った。

 

 

「……」

 

 

走り去った大和が、そのまま二度と会えなくなるのではないだろうか。ふとマイナス思考の考え方が、ナギの頭をよぎる。元々プラス思考に考える子ではないし、かといって何もかもマイナス思考で考える子でもない。

 

勘と言えばいいのか、走り去る大和を見て直感でそう思ってしまった。

 

 

すでに大和の姿は視線の先にはない。多くの人間が試合の応援をしているために、周囲の音はほとんど聞こえず、誰か一人が移動したところで気にもならない。

 

現に大和の走り去るスピードも速かったものの、普段なら出歩くだけで格好の的になるくらいだ。つまり大和が席を立ったことに気付いた人間は、大和の隣に座って、なおかつ大和と会話を交わしたナギくらいしかいないことになる。

 

 

しかしそこまで心配したところで、この学園内で危険にさらされることなんて殆ど無い。自分の杞憂だと言い聞かせ、再び視線を競技場内へと戻す。試合を観戦しながら、先ほど大和が残した言葉を何気なく思い返す。

 

 

(……あれ?)

 

 

やはり、どうしても杞憂を払拭することが出来ずに考え込んでしまう。

 

大和が残した言葉は、確かに意味合い的にも合っている。言葉の並びがバラバラなわけでも、意味が通じないわけでもない。しかし問題なのはそこではなく、今ここでは何が行われているのかという所にある。

 

今このアリーナで行われているのはクラス対抗戦の一回戦、組み合わせは一夏と鈴だ。大和は何よりも一夏の試合を見ることを楽しみにしていた。

結果云々ではなく、一夏が前にセシリアと戦った時よりも、どれだけ強くなっているのかと。一夏がいる前では本音を言わないが、普段の一夏に対する態度を見ていれば、大和がどれだけ一夏に信頼を寄せ、期待しているのか分かる。

 

 

 

 

 

―――そんな人間が試合中にトイレなんかに行くものだろうか。それも一夏が戦っている時に。

 

結局は生理現象のため、あり得ないことではない。しかし大和の性格を考えればその可能性は消える。

 

 

杞憂がぼんやりとしたものから、徐々に確信めいたものへと変わっていく。何かがあったのではないかと。

 

 

(ちょっとだけ外に出て、もし何もなかったらすぐに戻ってくればいいよね)

 

 

何もなければすぐに戻ってくればいいと、自分に言い聞かせて席を立ち、大和の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

「やるじゃない。龍咆は砲身も砲弾も目に見えないのに」

 

 

鈴の攻撃をかわす動きは、乗ってから一ヶ月に満たない素人の動きではなかった。わすかの短期間で大きく成長した一夏に感心しつつも、その表情は余裕に満ち溢れている。

 

先ほど言ったように、この衝撃砲は砲身斜角がほぼ制限なしで撃つことが可能な上、真っ直ぐにしか飛ばない砲弾を、相手の動きを予測して鈴は撃ってくるため、かわすことが非常に難しい。

 

鈴の能力の高さもプラスされてより強敵なものとなっていた。

 

今はハイパーセンサーで空間の歪み値と大気の流れを探らせることで、回避方向を予測することが出来ているが、結局は撃たれなければ分からない。回避行動がワンテンポ遅れているため、次の反撃にも移れないでいた。

 

 

(……千冬姉)

 

 

このような状況に置かれているにも関わらず、ふと千冬の名前を口に出す。一夏はシスコンかと言われればそうなのかもしれない。

 

……失礼、話を戻そう。

 

先週付きっきりで行われた千冬との特訓のことを思い出す。思い出したところで、ただひたすらに怒られ続けた記憶しか出てこないのは必然なのかもしれない。そうは言っても、怒られる中にも学んだことは多い。

 

拡張領域が満タンで、雪片以外の装備が使えないのなら、雪片一つを徹底的に極めれば良いと。かつて、第一回モンド・グロッソを制覇した千冬は、雪片だけで総合優勝している。

 

状況に応じて近距離や遠距離を使い分ける戦い方が多い中、近接武器の雪片だけで、それもダメージらしいダメージも殆んど受けずに優勝。最強の地位を築き上げた。

 

正直この時点で大分人間離れしているが、決してその領域に立つのは不可能ではないということだ。

 

 

 

 

『―――一つのことを極める方が、お前には向いているさ。なにせ私の弟だからな』

 

 

 

その一言が一夏にどう影響を与えたのか、少なくとも時間は無限ではない。

 

一夏よりも遥かに長い時間、ISを稼働している鈴に追いつくのは現段階ではかなり厳しい。しかし技術で上回ることが出来なくとも、その実力差を別の何かで埋めることが出来るとするのならそれは一つしかない。

 

 

(技術で勝る鈴に勝つなら、絶対に負けない気持ちを持たないとな)

 

 

心の強さ、どんな窮地に立たされたとしても決して気持ちで負けない。その強い意志が奇跡を呼び起こす。

 

自分の力を信じ、雪片を構え直すと視線の中央に鈴の姿を捉える。その視線に少し変化を感じたのか、鈴は顔を赤らめながら口を開く。

 

 

「急にかしこまった顔して……勝算でもあるの?」

 

「鈴」

 

「何よ?」

 

「本気でいくからな」

 

「あ、当たり前でしょ……と、とにかくっ、格の違いってのを見せてあげるわよ!」

 

 

両刃青竜刀を一回転させて構え直すと同時に、一夏は地面を蹴る。それに応戦するかのように鈴も素早く空中へと展開し、一夏の一撃をかわす。

 

かわしながら地面を見ると、同じように空中展開して鈴へと接近してくる一夏の姿があった。

 

 

「ワンパターンよ一夏!!」

 

「分かってるさ!」

 

 

 馬鹿正直な突入は格好の的。肩のアーマーが開き、発射口が発光を始める。いつ放出されるか分からない衝撃砲の発射合図だ。しかし同じ手に何度も引っ掛かる一夏ではない。白式の出力を上げてスピードを出すと、そのまま横へ旋回。

不規則な動きを繰り返して鈴の動揺を誘おうとする。

 

 

「忘れたの? 龍咆は死角が無いって!」

 

 

 不規則な動きを繰り返すとはいえ、衝撃砲の射程に死角と呼べる死角はない。距離をとりすぎてしまえば今度はこちらの攻撃が当たらない。

 

発射先を一夏がかわす先に撃ち込んで牽制しつつ、一夏の攻撃が自分に当たらないように微妙な距離調節を行う。鈴の周りをぐるぐると、台風が渦を巻くように移動する。

 

たが人間の性なのか、目の前に蚊などが飛び回っていると集中力が乱れるもの。自分の視覚とハイパーセンサーを駆使して一夏の行動を追うものの、この行為は単純に見えて多大な集中力を要する。

 

 

「くっ……ちょこまかと!」

 

 

衝撃砲が一夏の機体をかすることはあるものの、決定打にはならず徐々にイライラを積み重ねていく。

今まで正確にコントロールされていた衝撃砲も、少しではあるがズレが生じてきている。ひたすら避けながら、一夏は鈴の動向を観察する。その行動は何かを企んでいるようにも見えた。

 

 

―――そして次の瞬間。

 

 

「あっ!?」

 

 

一夏の行動に合わせて自分の立ち位置を調節していた鈴が、ほんの一瞬、一夏から目を切ってしまった。

 

勝負中に一瞬でも相手から目を切れば、例え自分が優位に立っていたとしても一気に劣勢に立たされることもある。その僅かな隙を見逃すほど、一夏はお人好しではない。

 

 

(今だ!)

 

 

雪片弐型の刀身が二つに割れ、中からビーム状の刀が出てくる。一撃必殺のバリアー無効化攻撃の準備が整う。

そしてスラスターを吹かして一気に加速し、風を一筋の矢が切り裂くように突き進む。

 

特訓で身に付けた技能―――その名も瞬時加速(イグニッション・ブースト)。一直線にしか行動出来なくなるものの、スピードだけで言うのなら代表候補生といえども、初見では対応出来ないほど。

 

 

「うおおおおおおっ!!!!」

 

 

この奇襲を使えるのは一回だけ、鈴も一夏が瞬時加速出来るとは思っていないからこそ使えるもの。もし使えることが分かっていれば、簡単に対応されてしまう。まだ使えるようになって日も浅いため、熟練者であればわざと瞬時加速を誘発させ、かわした隙に攻撃を加えることも出来る。

 

だからこの一回でダメージを大幅に削れなければ一夏に勝機は無くなる。

 

バリアー無効化攻撃は自身のシールドエネルギーを消費し、攻撃転化するいわば諸刃の剣。代償は自分のシールドエネルギーのため、外してしまえば後は衝撃砲でじわじわと削られて終わる未来が、一夏にも容易に想像することが出来た。

 

 

外せば負け……何とも分かりやすい勝負事か。

 

 

(絶対に一矢報いる!)

 

 

雪片弐型を振りかぶり、一足一刀の間合いに入ると同時に降り下ろす。この距離では衝撃砲は使えない、さらに近接用の両刃青竜刀の展開も遅れている。

 

 

「しまっ!?」

 

 

確実に取った、誰もがそう思った時だった。

 

 

 

 

 

 

ズドオオオオオオオオン!!!!

 

 

 

大きな衝撃音がアリーナ全体を震撼させた。



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○対峙

 

 

 

 

「な、なんだ? 何が起こって……」

 

 

 突如鳴り響いた衝撃音に何が起こったのか分からず、鈴に向けた刃を直前で止めた。少なくとも鈴の反撃ではないことくらいは分かる。そもそも今の衝撃音は鈴の衝撃砲を遥かに凌ぐ勢いを持ち合わせていた。

 

アリーナの中央からはもくもくと砂ぼこりが立ち込め、空からは透明の雨が降り注いでいる。しかしそれは雨ではなく、ガラスの破片。それもアリーナに簡単に侵入できないように、並みの攻撃では決して破壊することの出来ない強度を誇る、ISに使われるシールドと同じものが使用されている。

 

にもかかわらず、そのシールドは難なく破壊されている。空を見てみると、見るも無惨にぶち破られた穴が残っている。どれだけの威力があればこのようなことになるのか、一夏は不思議でならなかった。

 

今起きている事態を飲み込めず、混乱する一夏に鈴が語気を強めてプライベート・チャネルを飛ばしてきた。

 

 

『一夏、試合は中止よ! すぐにピットに戻って!』

 

 

鈴の叫びと共に、一夏の画面に真っ赤な画面が現れ、緊急通告が伝えられる。アリーナの中央に熱源反応あり、所属不明のISと断定したと。

あろうことかその所属不明のISにロックされている。

 

先ほど言ったように、アリーナの遮断シールドはISのシールドと全く同じ素材で作られている。競技時にISシールドが破壊される事件など聞いたこともない。あるとするならシールドエネルギーを貫通して、操縦者自身に直接ダメージを与えることくらいだ。

 

その常識を覆し、現れたISは遮断シールドを見るも無惨に破壊した。馬鹿げたような攻撃力を持つ機体がアリーナに乱入してきた上、そのISは一夏の白式をロックしている。

 

 

『一夏、早く!』

 

『お前はどうするんだよ!?』

 

 

プライベート・チャネルの使い方が分からず、オープン・チャネルを使って鈴に聞き返す。

 

遮断シールドをたった一撃で破壊するような攻撃力を持つ相手だ、もし仮に攻撃を食らうようなことがあればひとたまりもない。鈴の口ぶりから自分一人であのISと対峙をすることは、一夏にも容易に想像することが出来た。

 

 

「あたしが時間を稼ぐから、その間に逃げなさいよ!」

 

「何言ってんだよ! 女を置いておめおめと逃げることなんて出来るか!」

 

「何言ってるって、こっちの台詞よ馬鹿! アンタの方が弱いんだからしょうがないでしょうが!」

 

 

もはやプライベート・チャネル越しに喋る必要もないと鈴も判断したのか、オープン・チャネル越しにストレートな物言いで一夏に伝える。さすがに弱いと面と向かって言われたことに少々カチンと来たのか、その表情が歪んでいく。

 

 

「別に最後までやり合おうなんて思って無いわよ。どうせしばらく時間稼ぎすれば教師たちが―――」

 

「鈴! あぶねぇっ!!」

 

「え?」

 

 

駆けつけると言い切る前に、鈴の身体が宙に浮いた。元々宙には浮いているため、この場合は抱えられたと言った方が正しいか。

 

鈴の身体を抱きかかえてその場から離れると同時に、その場に一筋の光が通過する。光の正体は中央に立ち込める砂ぼこりの中から発せられたものだった。もしあのまま攻撃に気付かず、鈴がその場に立っていたとしたら、一瞬でも反応が遅れていたとしたら……そう考えると背筋がゾッとする。

 

発せられた光はそのまま空中を切り裂き、天井に開けられた穴から外に飛び出して消滅した。

 

 

「ちょっ、ちょっと馬鹿! どこ触ってんのよ! さっさと離しなさいよ!」

 

「おい、暴れ……ってちょっと待て! 殴るな馬鹿!」

 

「う、うるさいうるさいうるさいっ! 馬鹿はアンタよ!」

 

 

シールドの上からとはいえ、ISを展開した状態で殴られるのはあまり気分が良いものではない。それもこんな馬鹿げたじゃれあいをしている間にも、ほんの少しではあるが、一夏のシールドエネルギーは減っている。

 

ここで突っ込むとするのなら、そんなことをしている余裕があるのかってところか。少なくとも余裕があるとは思えない。

 

 

「良いからさっさと離しなさ―――」

 

「っ! 来るぞ鈴!」

 

 

一夏の合図と共に、煙を掻き分けるように二人めがけて熱線が飛んでくる。互いに離れあうとその間をビームが通過していく。

まさに間一髪、あと一歩反応が遅ければ二人揃ってビームの餌食になっていたことだろう。

 

そして攻撃が止んだかと思うと、煙の中から攻撃を発した張本人が浮かび上がってきた。

 

 

「……」

 

 

 

―――表すのなら異様、異形。

 

あまりにと不釣り合いすぎる両手だ。人間は両手を広げた長さが身長に比例するが、目の前にいるそれは明らかに手の方が長い。

 

IS……と呼ぶには程遠く、その様相はとても人間が乗るようなものには見えない。少なくとも一夏や鈴が乗るようなISではなく、完全な全身武装で、中に乗っているであろう人間の姿さえ確認が出来ないほどだった。

 

そもそもISのほとんどが部分的な装甲で、人間が乗っている姿が露出されている。にもかかわらず二人の目の前に立つISは人が乗っているようなものには見えなかった。

 

頭部装着されている複数のセンサーレンズがより不気味さをかもし出し、腕には先ほどのビームを放ったであろうビーム発射口が四ヶ所設置されていた。

 

 

「何なんだ……お前は」

 

 

一夏の問いかけにも侵入者は答えようとしない。逆に声を発して答えたら、自分が誰なのかを暴露しているようなものだ。当然と言えば当然かもしれない。

 

 

 

―――ふと、侵入者と睨み合う一夏と鈴のもとにプライベート・チャネルが飛んでくる。

 

 

『織斑くん! 凰さん! 今すぐアリーナから脱出してください!!』

 

 

その正体は一組の副担任、山田真耶だった。いつもはおどおどとしたどことなく頼りなく見えてしまう人物が、いつもよりもずっと頼もしく感じた。

 

ハキハキとした物言いで、二人に指示を飛ばす。その内容はあくまでも無茶な交戦はせずに、その場から退避するようにとのことだった。実力はおろか、得体も全く知れない相手と戦うのはかなりリスクが高い。

 

それも今回の相手はシールドを一瞬で破壊するほどの攻撃力を持ち合わせている。下手にやり合えば、こちらが大きな打撃を受けるのは必須。ならここは一旦退避して、後から来る教師陣に任せるのが得策。

 

 

……というのが、あくまで一般論だ。

 

普通ならこの判断で間違いない。ただ相手の特性をよく考えると、この選択はかなり危険な事態を招く可能性がある。侵入してきたISはシールドを一撃で破壊できる攻撃力を持っている。

 

 今このまま一夏と鈴が避難してしまえば、侵入者を止める人間は居なくなる。よって、教師陣が準備をして駆けつけるまでの数分間は侵入者を野放しにすることとイコールになる。

ビームの威力を持ってすれば、アリーナの観客席を覆うシャッターとシールドを破壊することくらい、決して難しいことではない。

 

つまりここで退いたら、観客席の生徒たちに被害が及ばないとも限らない。

 

 

 

その可能性を一夏も鈴も十分に分かっていることだろう。

 

真耶が指示をしようとも、決して侵入者に背を向けることはせず、そして避難しようと行動を起こすこともなかった。

 

 

プライベート・チャネル越しに一夏は真耶に対して返答する。

 

 

「―――山田先生。ここは俺たちが食い止めます。鈴、準備はいいか?」

 

「だ、誰に向かって言ってるのよ。準備ぐらい、とうの昔から出来てるわよ! てか、離しなさいよ! 動けないじゃない!」

 

「そうか、ならいい」

 

 

 勝手に一夏と鈴で侵入者を迎え撃つ計画を立てているが、教師からすれば自分の生徒を危険に晒すわけにはいかない。一夏の返答に一瞬時間が止まったかと思えば、すぐさま返答内容を理解する。厳しい言い方をするのなら、何を考えているのかと。

 

 

『お、織斑くん!? ダメですよ! もしものことがあったら―――』

 

 

真耶が何かを呟くものの、そこから先は既に一夏の耳には届いていなかった。会話が一区切りついたと相手は判断したのか、その巨大な体を傾けて一夏に向けて突進してくる。それをしっかりと目で追い、ギリギリまで引き付けてからかわす。

 

 

「向こうもやる気は満々みたいだな」

 

「そうね……一夏、一旦休戦よ。アタシが衝撃砲で援護するから、アンタは突っ込みなさい。どうせ武器はそれしかないんでしょ?」

 

「まぁな。とにかく教師陣が来るまでの間、ここはなんとしても食い止めないとな」

 

 

負けた方が勝った方の願いを聞くことが二人の今回の目的だった。しかしこのような事態が起きてしまった以上、今は自分たちの賭けを優先している場合ではない。

 

二人の中に共通認識としてあるものは、目の前にいる敵ISを無力化するという目的。

 

 

「ええ。なら行くわよ、一夏!」

 

「おう!」

 

 

一夏と鈴、それぞれに武器を構え、ISに向かって突撃していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁて、いっくんはどんな戦いを見せてくれるのかな~?」

 

 

 IS学園から遠く離れた場所のとある一室。目の前のディスプレイを見ながら、満足そうに子供のような笑顔を浮かべる女性がいた。

 

女性の周りには多くのディスプレイが展開され、キーボードを手が見えないほどのスピードで叩いている。キーボードを叩く一方で、目の前のディスプレイには、IS学園で行われているクラス対抗戦、厳密には侵入者に一夏と鈴が立ち向かう様子が映し出されていた。

 

 

頭についたウサミミカチューシャが小刻みに揺れ、着ている服はまるで不思議の国のアリスを連想させる。そして女性の象徴とも言える上半身の膨らみが、窮屈そうに服のラインをかたどっていた。

 

 そして正面から見て分かるのは、その女性の健康状態はあまりよろしくないこと。睡眠自体まともに取れていない……いや、正確には取っていない。

天才というのは様々な問題を解決する一方で、常に頭を働かせていないと気がすまないらしく、普通の人間なら脳が休まる睡眠中でさえその脳は活発に動いている。

 

どんな難しい問題にぶち当たったとしても、直ぐに解決してしまう脳を持ち合わせているため、満足感を得られない。満足感が得られないから、絶えず脳を動かし、満足感を得ようとする。故に最も大切な睡眠を取ることが出来ない。

 

整った顔立ちだというのに、目の下にはもう何日も寝ていないほどの大きなクマが出来ていた。

 

 

「今の実力だと、ちょーっときついと思うけど……勝てない相手じゃないからね~」

 

 

ケラケラと笑い飛ばす女性の正体。

 

ISを発明してこの世に広げた稀代の天才―――篠ノ之束。

 

その笑顔は年齢不相応に幼いものだった。まるで子供が我慢していた玩具をやっと与えられたかのように。いっくんというのは一夏の呼び方だろうか、言葉には親しみの気持ちが込められている。

 

無邪気な話し方で隠れてはいるが、よく考えると彼女が凄まじいことをしているのが分かる。一夏が相対しているのは深い灰色をした巨大なIS、束の口ぶりは明らかにそのISの正体を知っているような口ぶりだった。

 

 

「でも一緒にいる奴は別にどうでもいいかなー、他人なんて居なくてもいいし」

 

 

さらりと恐ろしいことを言う。彼女にとって親しい人間以外はどうでもいいのか。その冷酷な眼差しと無関心な表情、明確な拒絶に恐怖感を覚える。

 

 

「さてっと! 後はあの子かな!」

 

 

モニターを眺める束の笑みに黒みが増す。一夏の時とは少し違い、あくまで興味があるだけ……例えるなら研究対象のモルモットを見付けた研究者のような。

 

少なくともそこに一夏に向けたような感情は一切無かった。

 

 

「見せてもらうよ? キミの―――」

 

 

そこから先のボソボソとした声は機械の音にかき消されて聞こえなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「織斑くん!? 凰さん!? 無茶はダメですよ! 聞いてくださいー!」

 

 

ところ変わって管制室、プライベート・チャネルだということを忘れて必死に叫ぶ真耶。しかしその叫びが戦っている二人に届くはずもなく、マイクからは何の反応もない。

 

それもそのはず。既に二人は応答する暇もなく、侵入者から放たれるビームをかわすことに専念しているからだ。悪く言えば、この状況で応答しているほどの時間はないと、無言で訴えているのかもしれない。

 

ただ仮にも、真耶は生徒たちを守る身分であり、一夏の副担任でもある。一人の人間として、本気で二人のことを心配しているんだろう。

 

自分の声が二人に伝わっておらず、今まで無いほどに焦りを覚えていた。いくら教師陣が飛び込もうとしても、このセキュリティを破るにはかなりの時間がかかる。侵入者の出現に伴い、アリーナの全ての扉にロックがかかってしまい、内側からはどう足掻こうとも開けることが出来ない状態にあった。

 

 

そのため、アリーナ内には全校生徒の殆どが閉じ込められている。モニターから観客席の様子を映し出すと、自動ドアの前には我先に逃げようと生徒たちが押し寄せている。当然扉はロックが掛かっているため、扉の前で扉が開くのを待つしかなかった。

 

不安や恐怖感が積み重なり、その場にすくんでしまう者、涙を流しながら必死に助けを乞う者など様々だが、このロックも管制室が施したものではない。

 

何者かによってアリーナのセキュリティがハッキングされ、意図的にロックを掛けられてしまっていた。よって何人かの教師陣がその解除に当たっているものの、パスワードを含めて多くのデータを改竄されてしまっているらしく、解除するまで時間が掛かるとのこと。

 

 

あらゆる問題が浮き彫りになっているため、真耶が焦るのも無理はなかった。そんな真耶の他に、管制室にはセシリアと箒、そして総責任者の千冬がいる。

 

 

「織斑くん! 織斑くーーん!!」

 

 

真耶の悲痛な叫びも管制室に響き渡るだけだった。端から見ればモニターに向かって大声を上げている危ない人に見られかねないが、ここにいる人間は現状を知っているため、特に問題はない。むしろ静かすぎるくらいだ。

 

すると慌てる真耶を落ち着かせるように、今の今まで黙りを決め込んでいた千冬が口を開く。

 

 

「山田先生、本人たちで何とかすると言っているんだから、任せてみたらどうだ?」

 

「お、織斑先生!? 何を呑気なことを言っているんですか!?」

 

 

とはいえ状況が状況だ、動じない方がおかしい。それでも動じること無く、焦りの表情一つ見せない千冬は流石だと言ったところか。

 

 

「落ち着け。コーヒーでも飲め。糖分が足りないからイライラするんだ」

 

 

何故この場でコーヒーが出てくるのか不思議でならないが、確かに机の上にはいついれたのか分からないコーヒーが置かれていた。試合が始まる前に誰かが入れたものだろうが、糖分が足りないといってコーヒーを勧めるのが甚だ疑問だったりする。

 

コーヒーの横にある砂糖が入っている箱を開け、スプーンで砂糖をすくい、そのままコーヒーの中に入れた。

 

 

「あの……織斑先生? それ『塩』ですけど……」

 

「―――」

 

 

真耶の一言に管制室の時間が止まる。よく見ると箱には大きく『塩』と書かれていた。箱になにもかも書かれていない状態であれば、間違って入れてしまうことも考えられるが、今回はしっかりと誰もが見える大きさで塩と書かれている。

 

もう一度言おう、誰もが見える大きさで塩と書かれている。

 

千冬にはどんな状況においても冷静さを欠かないイメージがある。それは普段の業務を見ていれば誰もが気付く。その千冬が起こした小さなミス。

 

 

「何故ここに塩があるんだ?」

 

「さ、さあ? で、でも箱には大きく塩って書かれていますけど……」

 

「……」

 

「あ! やっぱり弟さんのことが心配なんですね!? だからそんなミスを―――」

 

「……」

 

 

そこまで言って真耶はようやく気付く。言い過ぎたと。

 

真耶の視線の先には、目を閉じながら顔を赤らめる千冬の姿があった。

クールな彼女が顔を紅潮させるのは確かに珍しいこと、今の彼女の姿を見れば何人かの男性は落とされていたに違いない。

 

問題なのは千冬が顔こそ赤らめているものの、見開いた目が全く笑っていなかったからだ。同時に嫌な沈黙に、真耶は話を逸らそうとする。

 

 

「あ、あの……」

 

「……さて、さっきの話の続きだったな。山田先生、コーヒーをどうぞ」

 

「へ? で、でもそれ塩―――」

 

「……どうぞ」

 

「うぅ……はい。いただきます……」

 

 

有無を言わさぬ千冬の威圧感に、渋々手渡されたコーヒーを受けとる。見た目は普通のコーヒーだが、中にはスプーン一杯分の塩が入っている。

 

スプーン一杯とはいえ、コーヒーの量もそこまで多いわけではない。当たり前だがコーヒーはひどくしょっぱいものになっている。

 

 

「熱いので一気に飲むといい」

 

 

半分涙目のままそのコーヒーを口元へ運んでいく。そして飲み口に唇が触れるか否かという時、不意に室内に携帯のバイブの音が鳴り響いた。

 

 

「……すまない、私だ。すぐ切―――」

 

 

背広の内ポケットに入っている携帯電話を取り出して、すぐさま電話を切ろうとする。

 

だが切ろうとして携帯電話に設置されている画面を見た途端、千冬の表情が目に見えて強張った。表情の変化に、その場にいた全員が思わず千冬の方へと視線を向ける。

 

何度も言うように、千冬は人前であまり表情を変えることはない。その彼女の表情が掛かってきた電話で、誰もが分かるレベルで強張ったのだから皆が気になるのも頷ける。

 

携帯電話を開き、通話ボタンを押してスピーカー部分を耳に当てる。

 

 

「………」

 

 

沈黙。

 

電話に出たら『もしもし』または『どうした?』などの何か声をかけるのが普通だ。だが、千冬は一言も声を発することなく、相手が話すのを一方的に聞くだけだった。相手はかなり大きな声で喋っているのか、僅かながらではあるものの、スピーカーから声が漏れている。

 

とはいえ、離れている人間からすれば何を喋っているのか全く分からない。分かるのは千冬が何一つ話さず、黙って電話相手の話を聞いていることだけだった。

 

 

電話に出て数十秒が経とうとした時だった。

 

 

「何だと!? おい、ちょっと待て! ……くそっ!」

 

 

急に声を荒げる千冬に、思わず一番近くにいた真耶がビクつく。携帯電話を握る手が強まり、ミシミシと軋む音が鳴り響いた。

携帯電話に当たったところで何かが変わるわけではないと悟った千冬は、忌々しげな表情を浮かべながら携帯電話を内ポケットにしまった。

 

電話先の相手が何を言ったのか分からないが、千冬が言及しようとした途端に、その通話は切れたらしい。再びかけ直そうとしないところを見ると、かけ直しても無駄だと悟ったか。

 

話の内容が何だったのか、それを知るのは千冬ただ一人だ。

 

 

「どうしたんですか、織斑先生?」

 

「すまない、少し熱くなってしまったみたいだ」

 

「先生! すぐにわたくしにIS使用許可を!」

 

 

今までモニター越しに様子をうかがっていたセシリアが、ここではじめて口を開いた。千冬ももし可能ならすぐにでもセシリアを出撃させている。

 

 

「そうしたいところだが、これを見てみろ」

 

 

しかし先ほど言ったように、このアリーナの扉には全てロックが掛かっている。セシリアを納得させるために、端末の画面を数回叩き、今アリーナがどのような事態に陥っているのかを見せていく。画面を見せられたところで、セシリアは今このアリーナが外部から遮断された陸の孤島状態にあることを知った。

 

 

「っ!? 遮断シールドレベルが……あのISの仕業ですの?」

 

「そのようだな。これでは避難はおろか、救助することも出来ん」

 

 

緊急事態だというのに、千冬の口調はいつも通り冷静なまま。実の弟が危険にさらされているというのに、表情一つ変えない様子にセシリアもムッとした表情を浮かべる。

 

 

 

―――それもほんの一瞬。視線を下に向けると文句の一つも出てこなくなった。

 

千冬とて、生徒が一夏が危険にさらされているのを見て冷静でいられるはずがない。ギュッと拳を握りしめ、現状では何一つ出来ない自分に苛立ちを隠せないでいた。悔しいのは皆同じ、セシリアだけではない。

 

肝心な時に何も出来ない、歯痒い思いで無事に済んでくれと祈ることしか出来なかった。

 

 

「はぁぁ……結局待つことしか出来ないのですね……」

 

 

 結局自分が今何を言おうと、どう足掻こうとも出来ることは何もない。出来るとするなら、一夏たちが何とか侵入者を食い止めるのを祈ることくらい。モニター越しに二人の様子を見つめるものの、状況はよろしくない。

 

何とか接近して決定打を叩き込もうと試みるも、試みすべてを難なくかわす侵入者。機動力だけで見れば間違いなくISの中でもトップクラスだ。二人がかりで隙を作ったとしても、ひらりひらりと赤子をあやすかのようにかわされていく。

 

その間にも二人のシールドエネルギーの残量は刻々と減っていく。あと一人居れば何とかなるかもしれないのに、そんな思いがセシリアの中にはあった。

 

完全遠距離射撃型の自分が加われば、多少なりとも戦況が変わるのではないかと。今は加わろうにも加わることが出来ない、何か出来ないことは無いかと、キョロキョロと辺りを見回す。

 

 

「あら……篠ノ之さん?」

 

 

今までとなりにいたはずの箒の姿が無くなっていた。先ほどまで一緒にモニターを通じて試合を観戦していたのは間違いない。

いつ居なくなったのか、何処へ行ったのか、セシリア自身も知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ……」

 

「すばしっこいわね……でもこれで四回目。一夏っ、ちゃんと狙いなさいよ!」

 

「狙ってるっつーの!」

 

 

戦況は先ほどとあまり変わらない。侵入者に対してダメージらしいダメージを与えられないまま、シールドエネルギーだけが減っていた。

大きな図体をしながらも、動きだけは非常に機敏で、普通ならかわせないはずの角度と速度から攻撃をしてるものの、全ての攻撃が空を切った。至近距離に近付いたとしても、圧倒的なスラスターの出力により、逃げられてしまう。

 

鈴が遠距離から注意を逸らそうと威嚇射撃をしてくれるものの、肝心の一夏の攻撃が決まらない。どれだけ追い込んだとしても一夏の攻撃だけには機敏に反応してくるのだ。

 

まるで一夏の攻撃がバリアー無効化攻撃だと知っているように。

 

 

 

―――白式の単一仕様能力、バリアー無効化攻撃『零落白夜』

 

 

この攻撃も無限に撃てるわけではない。他の機体より攻撃特化になっている分、バリアー無効化攻撃の発動にはシールドエネルギーを消費しなければならない。

 

数えるだけで四回失敗している。その間にも攻撃が外れたことで、行き場を失ったシールドエネルギーが放出されている。

 

既に白式のエネルギー残高は三桁を切っていた。零落白夜は使えたとして一回、攻撃を受けることはおろか、おいそれと攻撃することすら出来ない。

 

使いどころが勝負の明暗を分けることになる。

 

 

「一夏っ! 退避して!」

 

「わ、分かった!!」

 

 

攻撃したら直ぐ様離れる、つまりはヒット&アウェイ。戦いをする上での基本的な動き方だ。侵入者の攻撃パターンは非常に分かりやすく、一夏や鈴の攻撃をかわした後に反撃をしてくる。

 

長い手足を振り回しながらコマのように接近し、そこからビーム射撃を行ってくる。もちろん攻撃の後はすぐにこちらも離れるため、手痛いダメージを受けることはない。

 

 

「いい加減食らっときなさいよ!」

 

 

一夏の後退をサポートするように、鈴はヤケクソ気味に衝撃砲を放つ。一夏に対しては効果的だった衝撃砲も侵入者に対してはかなり効果が薄いものだった。

 

見えないのが最大の武器の衝撃砲だが、相手は高速回転しながら突っ込んでくるため、その際に叩き落とされてしまう。何回も同じように衝撃砲を放つものの、これといったダメージを与えられないまま、鈴も一夏と同じようにシールドエネルギーをジリジリと消費することになった。

 

逆に鈴の攻撃のお陰で、一夏は敵の射程から安全に抜け出すことが出来る。もし鈴のエネルギーが尽きたら同じ戦法は完全に使うことが出来なくなる。

 

 

「一夏っ! 早くっ!!」

 

 

刹那、鈴の甲高い声が響き渡ったかと思うと、不意にハイパーセンサーが後方に熱源を感知する。後ろを見てからでは遅い、一夏は無我夢中で軸を左側にずらした。

 

ずらすと同時にすぐ横を熱源が通りすぎていく。その熱源は一直線に飛んでいき、そのままアリーナの壁に直撃する。

 

直撃と同時に大きな衝撃音が鳴り響き、ガラガラとアリーナの外壁が崩れ落ちてくる。あらゆる衝撃に耐える構造に作ってある壁が、たった一撃で大穴が空く。その威力は今までとは違い、桁外れの威力を誇っていた。今の攻撃が自分に直撃していたらと思うと、背筋が凍りつく。

 

かろうじてかわした一夏は鈴の横へと戻り、アリーナの外壁に大きく空いた穴を見つめる。もし鈴の声かけに後ろを振り向いていたとしたら、一歩でも反応が遅れていたとしたら……。

 

 

「くそっ、洒落になんねーぞ。何だよあの威力」

 

「こっちが二人がかりでやっとなのに、アイツはたった一人で……」

 

「……鈴、エネルギーはどれくらい残ってる?」

 

「百八十ってところね、これじゃ迂闊に衝撃砲も撃てないわ」

 

 

一夏に比べればまだ幾分ましなものの、それでも二人合わせても二百ちょっと。白式の零落白夜を後一発しか撃てない以上、今の火力だけで侵入者を相手をするのには分の悪い賭けだった。

 

当たれば強力な攻撃も当たらなければ全く怖くない。さらに一夏の攻撃手段は近接攻撃だけで、侵入者との相性はまさに最悪だ。セシリアのように追尾機能のあるミサイルを積んでいるわけでも、大和のように接近戦での圧倒的な手数の多さを持っている訳でもない。

 

現段階で侵入者に勝てる可能性は低い。

 

 

「ちょっと分が悪いわね……今のままじゃ、勝てる可能性は低いかも」

 

「ま、無い訳じゃないからいいさ。まだ何とか出来る」

 

「アンタって本当に超ポジティブ思考よね。こういう時に限っては確率が低くても無茶する……もしかして馬鹿?」

 

「うるせー! 超ネガティブ思考よりましだっつーの」

 

 

劣勢に立たされている事実は変わらないものの、少なくとも何一つ諦めていない。

 

 

「まぁ良いわ。で、どうすんの?」

 

「どうするもこうするも、アレを倒すだけだ。別に無理だと思うなら、逃げても良いぞ?」

 

「なっ!! 馬鹿にしないでくれる!? アタシだって代表候補生なんだから! 敗走しましたなんて、笑えないわよ!」

 

「そっか、ならお前の背中くらいは俺が守ってみせるさ」

 

「は、はぁ!? こんな時に何言ってるのよ! は、恥ずかしいじゃない……馬鹿……」

 

「ん、何だって?」

 

「な、何でもない!!」

 

 

顔を赤くしながら捲し立てる鈴だが、何故顔を赤らめているのか、一夏は知る由もない。方向性も決まったところで、再び侵入者の方を見つめる。

 

さっきから何度か接近することに成功しているものの、結局決定打を与えることが出来ていない。何とかならないかと考えるものの、結局自分の攻撃方法では接近するしかなかった。

 

 

「とにかく、もう一度攻めてみるか!」

 

「ちょっ、一夏! ああ、もうっ!」

 

 

大きく翼を広げ、スラスターを吹かせて一気に地上の敵ISに向けて接近していく。手のひらをこちらに向けて放ってくるビームを、軸をずらして避ける。

 

雪片を振りかぶり一閃、馬鹿正直な一撃に敵ISはこれを後ろに後退してかわす。かわし際に手をつきだし、目の前にいる一夏ではなく、全然検討外れの方向にビームを放った。

 

 

「どこに撃っ―――」

 

「え!?」

 

「なっ!? 鈴!!」

 

 

初めから標的は一夏ではなく、鈴に絞られていた。距離的には全く問題なくかわせる距離にもかかわらず、反射的に一夏は目線を逸らしてしまう。

 

敵の目の前に迫った状態で目線を切る。それがどれだけ危ないことか、誰でも分かる。ただ一夏は自分よりも仲間を大切にする男で、仲間が危険にさらされてしまうとどうしてもそちらを気にしてしまう。それは悪いことではない、しかし時と場合によってはその行動が自らを窮地に追い込んでしまうこともある。

 

一回した反応は大きな隙となる。目線を敵ISに向けたときには既に、自分に向かって手をつき出していた。

 

手に備え付けられたビーム口が既に光り始めている。今からかわそうにも距離的に近すぎる。鈴も攻撃をかわしたばかりで衝撃砲を撃つ体勢が整えられていない。攻撃をキャンセルさせることも出来なければ、かわすこともままならない。

 

一言で表すのなら、絶体絶命……だ。

 

 

「一夏ぁっ!」

 

「しまっ……!!」

 

 

そして無情にも、敵ISの手からビームが放たれ――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――無かった。

 

 

敵ISの顔に付けられているレンズが僅かに横を向いたかと思えば、ビームキャンセルしてその場から立ち退く。立ち退くと同時に上空から風を切り裂く音が鳴り響いた。

 

一瞬、何が起こったのか。その場いる一夏も鈴も、管制室で見ていた千冬も真耶も、セシリアも分からなかった。

 

いち早く目の前で起きた出来事に気付いたのは一夏だ。視線をそのまま下に向けると、黒光りする鉄製の棒のようなものを確認することが出来た。

 

よく見てみるとそれは棒ではなく、鋭く研がれた刃を持つ物体だということが分かる。つまりは刀だ。

 

もちろん刀が単体で動くわけがない。視線を左にずらしていくとそこには人のような……。

 

 

「だ、誰だ……?」

 

「………」

 

 

 

一夏の問い掛けにも、その人物は答えない。

 

人のようなものではなく、人がいた。身体の筋肉にピッチリとフィットした黒の半袖アンダーシャツに、ボンタンのようにだぼついたズボン。その肉付きから相当身体を鍛えているのが伺える。両手にはそれぞれ刀が握られていて、鋭く研ぎ澄まされた刀身が切れ味をより強調していた。

 

そして一番の特徴なのは、正体を隠すかのようにつけている仮面だ。仮面によって素性が分からないため、より一層不気味さを醸し出していた。

 

アンダーシャツにはベルトのようなものが巻かれ、ズボンに備え付けられたベルトにフックで固定されている。

 

背後に目をやると、三本の刀の柄を確認出来る。その柄には鍔がついており、刀というよりはサーベルの形状に似ていた。両手に握られているものも、元来の日本刀よりも長さが少し短い。

 

合わせて五本の日本刀サーベルを持つ人物、その正体が誰なのか一夏にも鈴にも分からなかった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「誰なの……?」

 

 

口から無意識に出てくるのはその人物が誰なのかと疑問に思う声だけだった。

 

 



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出陣

―――事の発端は敵ISが侵入する前にまで遡る。

 

クラス対抗戦の最中、大和は楯無に呼ばれて客席から離れ、一人校舎付近にまで戻ってきていた。一夏と鈴の戦いの続きを見れなかったのは残念だと思いつつも、仕方ないと腹をくくり、急ぎ足で楯無の元へと向かう。

 

流れるようなスピードのまま、IS学園校舎付近にまでに近寄ると、玄関口の近くに見覚えのある姿を捉えた。向こうもこちらの存在に気付き、手を高く掲げてこっちだと手を振って合図を送る。

 

 

「来てくれてありがと。せっかくの試合観戦だったのにごめんね」

 

「いえ、楯無さんが謝ることは無いです。事情が事情なんで。……まぁ侵入者とやらのせいで、せっかくの観戦がパァになったのは事実ですけど」

 

「そうね。本当に想定外だったわ、まさか一週間経たない間に侵入者に入られるなんて」

 

 

少なくとも学園の防犯システムはしっかりしているなどと、口が避けても言えなかった。普段は笑顔が素敵な楯無も、さすがにこうも連続で侵入を許したとなると、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるしかない。IS学園のセキュリティは他の学校と比べても高いのは事実だが、防犯カメラは全て肉眼で監視されている。

 

前回深夜に侵入者に入られた時にも防犯カメラこそ稼働していたものの、夜は防犯カメラを監視する職員はいない。もちろんセンサーによる感知はあらゆる場所に施されているが、すべての場所に施されているわけではない。

 

故に侵入者自身もそれなりに腕が立つ者なら、IS学園のセキュリティが固いのは知っている。ただ侵入を許してしまえば全く意味はない。

 

前回は侵入に楯無が気付いたから良かったものの、もし気付かなかったとしたらどうなったのか、想像もしたくない。下手をすれば取り返しのつかないことになっていた可能性も十分にあり得た。

 

 

「懲りないものですね。一回やられたんだから二回目はそうそう無いとは思ってたんですけど……」

 

「うーん、そこがよく分からないのよ。今日ってほら、クラス対抗戦じゃない? IS学園の大きな行事の一つとして、結構お偉いさんとかが来てるのよ」

 

「お偉いさんってことは、もしかしてその中に……」

 

「ええ、女性権利団体の幹部も来ているわ」

 

「わざわざ疑いを掛けられるようなことをする可能性は低いってことか……」

 

「そうね。でも、どちらにしても何とかしないとね」

 

 

今やるべきなのは、この学園に不法侵入した人物を見つけ出して取り締まること。もしかしたら既に逃げ出している可能性もあるが、わざわざ侵入してきた人間がそう簡単に逃げるとは思えない。

 

多少なりとも目的があって来ているのは間違いないだろう。

 

 

 顎に手を当ててどう捕まえようかと考え込む大和、そんな大和を見つめる楯無の視線は優れない。不法侵入を許しただけではなく、大和の手を煩わせてしまったことを申し訳なく思っていた。

 

こうしてIS学園で生徒として学業に励む一方で、当主として護衛業も行っているため、彼にかかる負担は少なくない。更に学園を守るために手を貸してくれている。文句の一つもないのかと不安にかられてしまっていた。

 

いつか自分が呆れられるのではないかと。

 

 

すると、何気なく視線を楯無に向けた大和も、彼女が不安そうな表情をしていることに気がつく。はじめはどうしたのかと疑問に思う表情だったものの、すぐにその顔色が何を表しているのか察する。

 

 

「……楯無さん、何て顔してるんですか」

 

「え?」

 

「別に迷惑だなんて思ってないですよ。楯無さんが何かを気にする必要なんてないです」

 

「でも……」

 

「人一人の力なんてたかが知れてます。当然自分で解決するのが一番いいんでしょうけど、困った時は頼ったって良いんですよ?」

 

「……」

 

「なーんてかっこつけてますけど、俺もあまり人を頼れない性分なんですよ。お互い様ですね」

 

「―――ッ!?」

 

 

 ニコッとはにかみながら語りかける大和の姿に一瞬、楯無の心臓の音が高鳴る。家系柄、人をあまり頼らずに物事を解決してきた楯無にとって、大和の一言がどう映ったのか。頼って来なかったとは言っても、今まで一度たりとも人を頼ってこなかったのかというと、そうではない。自分の専用機、霧纏の淑女(ミステリアス・レイディ)を作り上げた時も、自分の力だけでは無理だと悟り、整備課のサポートを受けた。

 

ただそのサポートも女性から受けたものであって、男性ではない。今まで男性のサポートを受けたのは、自分の父親くらいだった。

 

 

人を手玉に取るのが得意で、人たらしとも噂されている彼女だが、男性と身近で接する経験が多い訳ではない。こうして異性から真顔で言われると、込み上げてくるものがある。

 

慣れていないだけかもしれないが、異性から頼ってくださいと言われれば素直に嬉しい。

 

 

「じゃあ行きましょう。ある程度の場所も検討ついている……楯無さん?」

 

「え? あぁ、ううん。大丈夫、行きましょう」

 

 

反応をせずにボーッと立つ楯無に一声かける。すぐさま切り替え、二人は別の場所へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしよう、見失っちゃった」

 

 

 熱戦繰り広げるアリーナとは違い、屋外は別空間にいるかのように静かだった。アリーナの入り口に立ち、身の回りをキョロキョロと見回す少女、名を鏡ナギ。

 

試合中に席を離れた大和の後を追ったは良いものの、あっという間に見失ってしまい、立ち止まって周りを見回すことしか出来ないでいた。

 

陸上部に所属しているため、足にはそこそこ自信はある。もしかしたら追い付けるかもしれないと淡い期待を抱いたものの、現実はそう甘くない。追い付くどころか完全に姿を見失ってしまった。

 

 

「……私の考えすぎだよね?」

 

 

ポツリと呟くその台詞には、大和に対する様々な感情が込められている。

本当に些細ではあるものの、大和が席を立つ瞬間に感じた不安……このまま二度と会えないのではないかという不安が彼女を駆り立てた。

 

考えすぎだと自分に言い聞かせても、そう簡単に染み付いた不安を払拭できるものではない。

 

 

何故ここまで、大和のことを考えてしまうのか。それは彼女が大和のことを意識しているからだ。もう既に意識する異性ではなく、意中の男性になりかけていた。ただ自信を持って好きですと言えるかといえば微妙で、それが異性としての感情なのか、一人の友達としての感情なのか、ナギ自身も揺れている。

 

 

これ以上検討もついてないのに、探すのは無謀だと思ったか。今一度左右を見回すと、そのまま身を翻して再びアリーナの中へと戻ろうとする。

 

 

―――が。

 

 

「あ、あれ? ドアが開かない……」

 

 

 普段だったら扉の前に立てばセンサーが反応して、開くはずのドアが開かない。つい先ほどまでは問題なく開閉したドアが全く反応しなかった。故障かと言われればそうかもしれないが、何の前触れもなく急に壊れるものなのかと、首をかしげるばかり。

 

何気なくドアの上につけられているセンサーに視線を向けるも、現状が変わるわけなく、ドアは全く反応しないままだ。自力で開けようにも、おいそれと女性の力で簡単に開けれるようなものでもない。

 

試しにドアに手をかけて、引いてみるもビクともしなかった。

 

 

「はぁぁ……ついてないなぁ」

 

 

ドアにもたれ掛かるようにその場に座り込み、大きなため息をつく。大和を探すために外に出てきたは良いものの、肝心の大和を見失っただけではなく、ドアの故障で外に閉め出されてしまった。

 

ついていないとため息をつくのも無理はない。

 

 

 

 

その場に座りながら、IS学園に入ってからのことを振り返る。

 

―――意識するようになったのはつい最近のことのはずなのに、何年も意識していたような感覚だった。席がとなりで、他のクラスメートと比べると距離感が近かったのは事実。

しかしあくまで近いというだけで、他に何かがあったのかと言われればない。

 

偶々クラスが同じになって、偶々席がとなりだっただけ。とはいえその偶々も、奇跡的な確率であったことには変わりない。他クラスの生徒からすれば何と羨ましいと、歯ぎしりする者も多い。それだけこのIS学園では男性の存在が大きいものだった。

 

 

『その空いている席、座ってもいいかな?』

 

 

入学初日の夜、初めて大和と喋ったのは食堂でのことだ。その日は仲良くなった布仏本音と谷本癒子と夕食を取っている時にその声は掛けられた。

 

 

「大和くん……かぁ」

 

 

本人の名前をポツリと呟く。思えば名前で呼ぶようになったのも、つい最近の出来事だったりする。ネームバリューだけでは一夏の影に若干隠れているものの、それでも大和の人気は高い。

 

セシリアとの一件を経て、男は決して弱い生き物ではないと認識させる以上に、大和の強さというものをまざまざと見せつけられた。それ以来、生徒たちの中で大和の株は上がってきている。

 

元々のルックスをとっても大和は悪くなく、見た目だけでも興味を持たれる風貌をしている。後はマークが一夏と比べると緩いこと。一夏の周りには各国の代表候補生のセシリアと鈴に、IS開発者を妹である箒、更には自分の姉がISで世界を制した千冬ともなれば、やはり近寄りにくいもの。

 

そう考える、特に周りに有名人関係がいない大和は近寄りやすいのではないかと、考えてしまうのが人間のサガだ。

 

 

「……優しいよね、やっぱり」

 

 

そう思うようになった一番の切っ掛けは、日直の時に階段から落ちた自分を、身を呈して守ってくれたこと。些細なことではあるが、あの一件はナギにとって忘れられないものだった。

 

女性にとって、自分のことを守ってくれる男性は憧れそのもの。ISの登場によって立場は逆転したものの、守ってくれることに憧れを抱く女性は多い。

 

 

 

大和が最近、他の人と話しているのを見ると面白くない。別に嫌うとかではなく、単純に面白くない。今までの自分からすればあり得ない感情に、自分自身が一番驚いている。

 

小学校からずっと女子校に通い、高校でも女性しかいないIS学園に入学した。男性のことを意識してこなかったのかと問われれば、決してそのような訳ではない。男性との出会いが少ない中、多少なりとも仲良くなりたいと思ったことはある。

 

 

その中で出会ったのが、男性操縦者として入学してきた大和だった。そして自分と大和の距離を急接近させてくれたのが、階段での一件だ。あれがなければナギも大和をここまで意識することも無かった上に、仲良くなることも無かったかもしれない。

 

結果論にせよ、大和のことを強く意識していることには変わらなかった。

 

 

(……好きに、なっちゃったのかなぁ?)

 

 

何を今さらとツッコミが飛んできそうだが、初めてのことなら戸惑うのも無理はない。体育座りをしながら両手を膝小僧付近に置き、空を見上げる。相変わらず空は雲一つない快晴、クラスの皆は一夏を応援しようと観客席にいるというのに、自分は何をやっているのかと再び大きなため息をつく。

 

複雑な思いの交差に戸惑いつつ物思いにふけていると。

 

 

「!? な、なに? 何の音?」

 

 

ガラスが割れたようなガラガラとした嫌な音とともに、何か砲弾のようなものが地面に叩きつけられたかのような音が鳴り響き、アリーナ近辺が地震でも起きたかのようにグラグラと揺れる。慌ててその場から立ち上がると、身の回りで何が起こっているのかを確認しにかかる。

 

辺りを見回すものの、特に何か変わったことは起きていない。となると残る可能性は一つ、現在進行形で入れないこのアリーナ内で何かが起こったことが容易に想像できる。アリーナが強固な造りになっているのは学園中の生徒が知っていることで、そのアリーナからガラスが砕け散った音が聞こえたということは、何かが破壊されたことを示していた。

 

ここに居ては危険かもしれない。本能が悟った、離れなければならないと。

 

 

 

 

建物から離れようと踏み出した時だった。

 

 

 

 

 

「だ、誰?」

 

 

アリーナの前には木々が生い茂り、いかにも通学路と言わんばかりの並木道がある。多くの生徒が行き来する場所には変わりないのだが、わざわざ森林の中まで眺める者はいない。

 

木々の合間を人型のような何かが通り過ぎた。僅か一瞬の出来事だが、見間違えではない。確かに何かが目の前を過ぎ去っていった。もうその影は居ないため、確認のしようはない。

 

しかし目の前には誰も居ないというのに、何故か体は動いてしまう。影が過ぎ去った方向に、その人物の素性も知れないのにだ。

 

普通だったら絶対に後を追おうなどと思わない。だというのに体が無意識な反応を起こしている。素性の知れない相手をいつの間にか追っていた。

 

 

(本当に今日、どうしたんだろ……?)

 

 

見に覚えのない感覚に、そう呟くことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……楯無さん、ちょっとこれは聞いてなかったんですけど」

 

「私もよ。何でこんなことに手間ヒマをかけたんだろうって」

 

 

アリーナではクラス対抗戦が行われている中、俺は楯無さんのメールで呼び出された。タイトルは緊急連絡……文面を読まなくとも何となく想像は出来る。学園のどこかで何かが起こったと。

 

観客席から立ち上がる時、隣に座ったナギに気付かれたものの、何とか誤魔化すことに成功して外で待つ楯無さんと合流した。

 

詳しい話を聞くとやはり学園に侵入者がいるとのこと。学園の防犯システムをうまく掻い潜って侵入したらしい。立て続けに侵入を許し、俺の手を煩わせてしまったことを、楯無さんはかなり引け目に感じていた。

 

いくら対暗部用暗部の更識家の現当主とはいえ、たった一人で未知数の相手をするのは中々難しい。またこのIS学園に一人でノコノコと侵入してくるような侵入者はまず居ない。少なくとも二人以上の複数で忍び込むだろう。

 

 

そして学園に設置された防犯カメラの一つが侵入者の姿を捉えていた。その現場に急行し、対峙した訳だが……。

 

 

「……弱くないですか?」

 

「弱いわね」

 

 

 結論から言えばそういうことだ。俺と楯無さんの周りには気を失った侵入者たちが寝そべっている。全員合わせて四人、前回よりも大人数にはなってるが、その格闘技術というものは大きく劣っていた。

 

はっきり言って役者不足。楯無さんだけでも十分に対応出来ただろう。隣では楯無さんが、これくらいなら一人でも問題無かったと凹んでいる。実際に一度でも手合わせしたなら分かるが、会ったことすらない人間の実力を判断するのは無理だ。

 

ただ今回は相手にしてみれば、攻撃が非常に単調で分かりやすかった。ひたすらごり押ししようとするため、こっちは相手が疲れるのを待てば良い。最終的には相手が疲れる前にこちら側から攻め込み、完全鎮圧に成功した。

 

今まで楯無さんのIS戦闘はおろか、肉弾戦も見たことがないから不安な部分もあったものの、いざ戦闘が始まればその不安は一掃された。

 

 

 

 

―――強い。

 

俺が一言述べるとしたらその一言しか浮かんでこなかった。強い女性は探せばいくらでもいるかもしれないが、それを差し引いたとしても圧倒的で、まるで相手を寄せ付けなかった。

 

と、それは良いとして……あれだ。戦い方が見事だったのは良いとして、動いたときに楯無さんのスカートがふわふわと浮くのはちょっと危なかった。

ストッキングを履いているせいで、逆に際どすぎてこっちが赤面してしまう。その場は忘れていても後々思い出してしまうため、あまり意味がない。

 

 

話は逸れたが、ひとまず今回の件については無事解決した。特にこれ以上何かをやることもない。後はここで伸びている連中を、更識家に引き渡せば良いだけだ。

 

 

「何かもう本当にごめんね? こんなことに付き合わせちゃって……」

 

「気にしないで下さい。そんな顔したらせっかくの綺麗な顔が台無しですよ?」

 

「や、大和くん? 急に何を」

 

「何をって……あっ!」

 

 

そこまで言われて初めて気付く、ナチュラルに何口説いているのかと。目の前にはどう反応をして良いのか分からず、顔を赤らめる楯無さんが。何度もいうように周りの侵入者は気絶しているから良いものの、もし起きていたら穴を掘って入りたい気分だ。もちろん、聞いた人間の記憶を無くして。

 

言った俺の自業自得だが、どうしても聞かれたくないことだってある。思い返せば今のって完全に口説き文句だよな……それも自然に出た時点でかなりヤバイ。

 

何か言い訳を……。

 

 

「あー、えーっと。今のはあれです、うっかり本音が出たって言うか……」

 

「ほ、本音?」

 

「あっ……」

 

 

もはや完全なる自爆、言い訳が火に油を注ぐ形に。もうどうにでもなれ。恥じらいで更に顔を赤らめる楯無さんが、今は『女性』ではなく『女の子』にしか見えなかった。普段からはかけ離れた仕草に思わず変に意識してしまう。

 

……とりあえず、一旦落ち着こう。

 

 

つまり何が言いたいのかといえば、楯無さんに悲しげな顔は似合わないってこと。そもそも人間は喜怒哀楽があるから、当然悲しい時や怒る時もある。ただ悲しい顔は進んで見たいものではない。やっぱり笑顔が似合う人には、常に笑っていてほしいとは思う。

 

どこかでこんなシチュエーションがあったような気がしないでもないが、恐らくは気のせいだろう。

 

 

「大和くんって無意識に口説くのね。おねーさんちょっとびっくり」

 

「うっ……そんなこと無いです。偶々偶然です」

 

「言葉の組み合わせがおかしいわよ?」

 

「……」

 

 

 相変わらず痛いところをついてくる。あまり触れられたくないところをついてくるのは流石楯無さんと言ったところ。でも結局俺の自爆が原因のため、何も言い返せない。俺自身が今楯無さんにどんな顔をさらしているのか、見当もつかないが、恐らくは話のネタになるような顔の気はする。

 

さて、そんな中俺の間の抜けた顔を見ているはずの楯無さんはというと……。

 

 

「あはっ♪」

 

 

ものすごく笑顔だった。

 

とにかく後は引き渡しだけで、もう俺がやるべきことは全部終えた。アリーナで行われているクラス対抗戦はどうなっているのか、それだけが気になる。もうアリーナを去ってからそれなりに時間が経っている、もしあのまま一夏が押し切られていたとしたら試合は終わっているはずだ。

 

……などと御託は並べたが、俺は試合が終わってない方に一票入れたい。

 

実力差があるからって諦めるような奴でもなければ、おめおめと一方的になぶられて負けるような奴でもない。少なくとも絶対に負けまいと奮闘していることだろう。

 

 

 

色々あったが、一区切りついたことだしすぐに戻りたいところだ。流石にあまり長い時間観客席を空けるのはまずい。もし俺が居ないことが周りにバレたら探しにこられるかもしれない。ただでさえ、席を立つときにナギに不審に思われているのに、ここで全てがバレたら何もかも意味がなくなる。

 

 

「とりあえず終わりですね。そろそろ皆が心配するかもしれないんで、アリーナに戻っても良いですか?」

 

「ええ、もう大丈夫よ。本当に手伝ってくれてありがとう!」

 

 

最後に楯無さんにお礼をされたのを見届けると、俺はそのままアリーナに向かって走り出そうとする。今はどこまで進んでいるのか、出来ることなら鈴と一夏がまだ戦っていてほしいと願いながら。

 

そしてクラス対抗戦が終わった後は、皆で集まって夕食会をする。出鼻をくじかれたものの、今日一日の予定を容易に想像することが出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし―――

 

 

 

 

その想像は……

 

 

 

 

「どういうこと!? 学園内の全てのISの起動が出来ないって!!」

 

 

 

 

一瞬にして崩された。

 

 

つい先ほどまでいたその場所から、焦りに包まれた甲高い声が響き渡る。声のトーンや大きさを見ても、ただ事ではないのはすぐに理解できた。急いで後ろを振り返ると、携帯電話を握りしめ焦りの色を隠せずに、呆然と立ち尽くす楯無さんの姿だった。

 

何を見たのか小走りで楯無さんの側に近寄り、携帯電話のディスプレイ画面に表示されている画面を見る。

 

 

「な、何ですか。これ……」

 

 

添付されていた画像を見てそう呟くしかなかった。画面に映されていつのは普段決して目の当たりにすることのないようなもので、どう言い表せばいいのか分からない。そもそも"それ"が何なのか見た瞬間は理解できなかった。

 

漆黒の貴金属に包まれたボディと、不釣り合いな長い腕。本来なら身長と腕の長さは比例するなんて言われるが、その常識は当てはまらなかった。全身フル装甲のその中には本当に人が乗っているのかと疑いたくなる。

 

頭部に装着されているいくつものセンサーレンズが、ゲームに出てくるような化け物のようで気味が悪い。見ていてあまり気分が良いものではなかった。

 

これが同じISと言われればにわかには信じにくい。一体これは何なのかと疑問に思ったところで、楯無さんに声を掛けようとする。

 

と、その前に楯無さんが口を開いた。

 

 

「大和くん、落ち着いて聞いてちょうだい。今正体不明のISが、アリーナに侵入したみたいなの!」

 

 

"正体不明のISがアリーナに侵入した"

 

楯無さんの一言が俺の背筋を氷付かせた。今アリーナではクラス対抗戦が行われているはずだ、そのアリーナに侵入したってことは今このISと戦っているのは……。

 

 

「まさか……一夏と鈴が?」

 

「……今戦っているのは一夏くんと鈴ちゃんね」

 

「なっ!? ならすぐに助けに行かないと!!」

 

 

 楯無さんにそこまで言ったところで、俺は忘れていたことを思い出す。今楯無さんは何て言ったのかと。楯無さんの表情を見ると、言いたいことは分かるけど、それが出来ないと物語っていた。

 

楯無さんは確かに言った、学園内の全てのISが起動出来ないと。

 

つまりそれは救助に行けない、ISに対して生身で立ち向かうのは完全な自殺行為だ。今の状態で助けに行っても戦う手段を持たない自分達ではISの相手にすらならない。赤子の手をへし折るようなものだ。

 

どうしても埋められない絶対的な実力差がある。何をどうあがこうとも今は二人を信じるしかない。楯無さんは俺にそう伝えたいんだと思う。

 

 

「……悔しいけど、今私たちが出来ることは何も無いわ。さっきからずっとイメージしてるのに、私のISも起動してくれないの。アリーナで戦っている二人以外のISがね」

 

「……」

 

「セキュリティシステムもハッキングを受けたみたいで、アリーナ中の自動ドアもロックされているわ。観戦に来た生徒たちも取り残されているみたい。教師陣がドアロックの解除に向かっているけど、いつになるか分からないわ……」

 

「……」

 

「今私たちが出来るのは二人を信じるしかないのよ」

 

 

扇子を見せて、お手上げ状態だと俯く楯無さん。楯無さんの持つ扇子がISの待機状態らしい。何度かイメージを固めているんだろうが、そのイメージが固まってもISが展開されることはない。

 

通達が本当のことなのか試したのだろう、しかし結果は変わらず何も起きないままだった。事実が真実だと知り、今自分が出ていっても何かが出来るわけじゃない。

 

 

「こんな時に……こんな時に何も出来ないなんてっ!!」

 

 

 今まで一度も大声を出すことのなかった楯無さんが、始めて感情を爆発させる。本来学園を、生徒を、守るはずの生徒会長が何も出来ずにただ見守るしか出来ないことに、ギリッと歯を食いしばりながら悔しさを露にする。

 

自分がこうしている間にも、アリーナに取り残されている生徒たちが危険にさらされている。今は何とか食い止めているものの、それがいつ崩れるかは想像もつかない。仮に一夏と鈴が負けるようなことがあれば、二人ともただでは済まされない上に、取り残されている生徒たちにも危害が及ぶ。

 

決して楯無さんのせいではないのに、彼女は肝心な時に無力な自分を責めていた。

 

 

「ごめんなさい。声を荒げたところでどうにかなる問題じゃ無いわね。とにかく何か打開策を探しましょう、じっとしていても時間の無駄だわ」

 

 

悔しさを押し殺して再び前を向く。ISに乗れなかったとしても、自分に出来ることが何かあるのではないかと。

 

 

 

……楯無さんと同じように、俺にもすべきことがある。

 

ここに来た目的、それは一夏を守り抜くこと。例えどんな状況におかれても、ターゲットの命は絶対に守り抜く、それが喫茶店で千冬さんと交わした誓いだった。任された以上、命をかけてでも守り抜くと。

 

本当は使いたくない。己の体一つだけで守り抜けたとしたらどれだけ楽なことだろう。

 

護衛に楽なことはない、常に危険と隣り合わせで地獄のような辛い状況に置かれることだって多々ある。場合によっては生命に関わることも。

 

人を殺めるために使うのではない、人を脅威から守るためにこれを使うのだと。何度も何度も自分に言い聞かせるようにして使ってきた。

 

 

 

今はその大切なモノを守る時。

 

単純に護衛対象としてではなく、一人の親友として一夏と鈴を守らなければならない時。

 

二人の親友を守るために、俺は―――

 

 

 

 

 

 

気付いた時にはすでに体が動いていた。吸い寄せられるようにアリーナへと向かう足が止まることは無かった。

 

 

「大和くん? どうしたの急に?」

 

「……アリーナへ行きます。楯無さんはコイツらの引き渡しを」

 

「アリーナって……まさか!?」

 

「……」

 

 

楯無さんも俺の思惑に気がついたのか、声のトーンが一段階高くなる。

 

 

「ダメよ! 大和くんまで危険な目に合わせることなんて出来ないわ!」

 

「俺にもやらなければならないことがあります。行かせてください!」

 

「これ以上大和くんの手を借りるわけにはいかないわ! それに……相手はISなのよ? いくら大和くんが強いって言っても、どうにか出来る相手じゃないわ! 無茶はやめて!」

 

 

俺の行動を止めようと、楯無さんが右手を掴んで半場強引に止めにかかる。いくら強いとはいってもあくまで人間としてだ。相手は軍隊や戦艦すら無力化出来るような究極兵器だ。俺が行ったところで何か事態が好転するわけではない、むしろ俺の命が危険にさらされるだけだと、そう言いたいのかもしれない。

 

必死に静止しようと強めに手を握りしめる。か細いその腕のどこにそんな力があるのかと、緊急事態なのに思わず感心してしまう。

 

俺の身を本気で心配してくれるのは凄く嬉しいし、男冥利にも尽きる。本気で俺のことを心配してくれているのだろう、瞳の奥が揺れる。ぐっと感情を押し殺しているのか。

 

本当なら楯無さんにこれ以上の心配をかけさせたくないし、行かなくていいものだとしたら、俺も立ち止まっていた。

 

 

「すいません楯無さん……そのお願いは聞けません」

 

「―――っ!? 何で!!」

 

「楯無さんが俺のことを本気で思ってくれるのは凄く嬉しいし、出来ることなら行きたくない。でも、一夏たちが戦っているのをただ眺めているなんて、俺には出来ないです」

 

 

どうしてなのか、俺にもその理由は分からない。ただ一つだけはっきり言えることがある。

 

危険にさらされている友達(一夏)を放っておくなんてことは俺には出来ない。まだ出会って一ヶ月、高々一ヶ月の付き合いでと笑われるかもしれない。

 

 

でも何故だか知らないけど、コイツのためには命を張れる、そう思えた。

 

 

「……大丈夫ですから」

 

「大和くん……」

 

 

そこから先の言葉はもう聞こえなかった。呆然と立ち尽くす楯無さんをよそに、俺は一人アリーナへと向かった。

 



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危機を救う剣士

 

 

 

「敵、なのか……?」

 

「……」

 

 

ようやく反応らしい反応を見せた謎の剣士。一夏の敵なのかという問い掛けに、首を真横に振りながら否定する。結局誰なのかは検討がつかないものの、少なくとも自分たちと相対するようなものではないみたいだ。

 

ほっと胸を撫で下ろす一夏だが、正直今は安心しているような状況ではない。目の前に敵がいるというのに安心できる方がおかしい。幸い、敵ISは二人のやり取りを遠くからじっと見つめるだけで、特に何か横やりを入れてくることはなかった。

 

 

「それよりもアンタ、何者なの? IS相手に生身で挑もうなんて」

 

「……」

 

「……あくまで答える気はないのね?」

 

「……」

 

 

空に展開していた鈴も、二人の様子が気になったのか地上付近にまで降下してくる。一夏と同じように誰なのかと正体を尋ねるものの、答える気が無いと分かるとやれやれとため息を一つついた。

 

これ以上聞いても時間の無駄だと察したのだろう。自分の目の前の人物がそう簡単に喋るとは思えなかったのか。一夏と鈴が揃って分かっているのは、彼が自分たちの敵ではなく味方であるということ。

 

正体が気になるが、今はそれよりも優先すべきことがある。今いちいち正体を探っても結局話さないのなら、聞いても意味はない。別に敵ではないのだから、必要以上に警戒することもない。

 

 

「まぁ良いわ。結局アンタに一夏は救われた訳だし」

 

「うっ、結構痛いところをついてくるな」

 

「当たり前よ。あの程度の攻撃でやられるとでも思ったの? なら見くびりすぎよ。アタシはそんな弱くないわ」

 

 

つい先ほど、一夏が何事もなく無事だったのは、彼が敵ISとの間に割って入ったからだ。あれがなければ間違いなく、一夏のシールドエネルギーはゼロになり、戦闘不能に陥っていただろう。

 

それもよく生身でISの間に割り込もうとしたものだ。普通の人間だったら恐怖のあまり逃げ出している 。

 

見たところ身体を覆う防具らしき防具もない。あるのは本当に必要最低限の衣服だけで、直でビームを食らったら命の危機にさらされてもおかしくはない。

 

ビームの威力はアリーナの壁を簡単に破壊するほどだ。それほどの威力のある一撃を食らったら、生身の人間はただでは済まない。

 

 

「……改めて聞くけど、アンタ本当にその状態で戦うつもり? もしあのISの攻撃が当たったら、大ケガどころじゃ済まないわよ?」

 

「……」

 

 

鈴からの忠告に小さく頷く剣士だが、正直なところ納得されても困るのが鈴や一夏の本音だろう。今現状だけで言うなら二人とも自分のことで手一杯であり、検視のことまで気に掛けることは出来ないからだ。

 

 

「アタシたちも確実に守れる訳じゃないのよ。それも分かってる?」

 

「……」

 

 

再三の忠告にもあくまで肯定の意志を見せて頷くばかり、さすがにこれ以上言っても無駄だと判断した鈴は、大きなため息をつきながら一夏の方へと振り向く。

 

 

「……はぁ、もう分かったわ。完全な無力化は正直厳しいだろうし、教師陣が来るまで持ちこたえるわよ一夏」

 

「……」

 

「一夏っ!」

 

「あ、あぁ!」

 

 

 何かを考えていたのか鈴の言葉に反応せず、二度目の声かけで一夏は慌てて反応する。別に一夏もボーッとしていたわけではない。仮面剣士と鈴が話をしている間、一夏は敵ISが攻撃してこないことに違和感を覚えていた。

 

相手からすればこれ以上無いほどの絶好の攻撃チャンスだ。なのにそのチャンスを逃すようなことがあるのか、それとも相手にはまた別の思惑があるのか。いずれにせよあくまで可能性であって断定することは出来ない。

 

とはいえ不自然な点が多いのも明らかだ。

 

 

(変だな。戦闘中は容赦なく攻撃してくるくせに、会話をしている間はほとんど攻撃してこない……まるで俺たちのことを観察しているみたいだ)

 

「こんな時に何ボーッとしてるのよ?」

 

「いや、そういうわけじゃねーよ。ところで、鈴。アイツの動きってどこか変じゃないか?」

 

「動きどころか見てくれも全部変ね」

 

「いや、まぁなんつーか。動きが機械じみている気がするんだよな」

 

「機械……って、ISは機械よ」

 

「いや、そうじゃなくて。本当にあれって人間が乗っているのか?」

 

「はぁ? 何言っているのよ一夏。そもそもISは人間が乗らなきゃ動かな―――」

 

 

そこまで言ってようやく一夏の違和感が鈴へと伝わる。同時に近くで聞いている剣士にも。ISは人が乗らないと動かない、モノがあっても動かす人間がいなければ機能しない。人が乗っているとするのなら、明らかに挙動不審な動きばかりを敵ISは繰り返している。

 

今もそうだ。絶好の攻撃チャンスなのに攻撃はおろか、その場から一歩たりとも動こうとしない。襲撃しに来たのなら、何故わざわざチャンスを手放すようなことをするのか。本当に命令されなければ動くことすら出来ないような機械みたいだ。

 

 

「そういえばあのIS、アタシたちが話している時は攻撃せずにじっとこっちを見ているわね。まるで話している内容を興味深げに聞いているような……」

 

 

鈴から見ても、敵ISの行動には不可解な点が多い。ISは人が乗らなければ動かない。IS学園の授業を受けなくても、世界中の誰もが知っているような一般常識だ。

 

 

「でも無人機だなんて絶対にあり得ない。だってISってそういうものだもの……」

 

 

確かに今までどの国が研究や開発を繰り返そうとも、ISを無人で動かした成功事例は上がっていない。ただISが発明されて数年経っている。表向きに出さないだけで、ISを無人で動かすことに成功した事例があっても別に何ら不思議ではない。

 

ISのコアはブラックボックス包まれているからこそ、いつどこで何が起こるのかなんて想定出来るものではない。実験結果をどこにも報告しなければ隠蔽することはそう難しいことではない。むしろ十分にあり得ることだと言い切れる。自分に言い聞かせるように呟く鈴だが、いつものような自信に満ち溢れたら言い方ではなかった。

 

ISは人が乗らないと動かないのは誰でも知っているようなことだ。

 

しかし鈴の返答がどことなく断定しきれない、はっきりとしない返答がその可能性が十分にあり得ると証明していた。

 

 

「仮にあれが無人機だったとしても、どうだっていうのよ?」

 

「もしあれが無人機だとしたら、全力で攻撃できる。遠慮なく雪片を振るえる」

 

 

白式の単一仕様能力、零落白夜は攻撃力が高すぎる故に、全力で振ることが出来ない。あくまでそれは相手が人間が乗っている機体に対してだ。仮に目の前のISが無人機だったとしたら手加減する必要は無ない。

 

ただ現時点で、全力で振るえるだとか人が乗っているかどうかが問題ではない。

 

 

「そんなこと言ったって、攻撃が当たんないんじゃ意味ないじゃない。接近してもことごとくかわされてるし」

 

「そこなんだよな……」

 

 

うーんと考え込む一夏。全力で振るったところで零落白夜を発動できる回数は限られている。次外したら今度こそ手詰まりになり、敵ISを追い払うことが出来なくなる。攻撃するのなら確実に当てるような大きな隙を作らなければならない。その隙も今まで戦っていて、一度たりとも作れていない。

 

小さな隙は何回か作るものの、時間が短すぎるために攻撃しても避けられてしまう。陸戦、空中戦いずれにせよ、決定打という決定打がない。

 

どうしようかと考える一夏の腕に、ふと何かがコツコツと触れた。音からして何らかの貴金属だろう。考えるのをやめて視線を下方にずらす。

 

 

「うわぁ!? き、急に何だよ!!?」

 

 

自分に触れていたのはサーベルの矛先だった。ISに乗っているため物理的なダメージはないものの、いきなり刃物の矛先を自分に向けられれば誰だってびっくりする。

 

その矛先を向けてきたのは他でもない、先ほど現れた仮面剣士だった。一言も喋らないせいで、何を考えているのかも分らず、挙句の果てに矛先を向けてきたのだから一夏が驚くのも無理はない。

 

慌ててその場から立ち退いて気持ちを落ち着かせると、仮面の剣士が地面をコツコツとサーベルで叩いているのが分かる。数回ほど同じ動作を繰り返し、今度は親指を立てて自身のことを指さした。

 

 

「地面が……?」

 

 

ジェスチャーで何かを伝えようとしているものの、いまいち何を伝えようとしているのか分からない。ひょっとしたらまだ動作の途中なのかもしれないと、もう一度よくジェスチャーを観察する。自身を指すのをやめ、右手に握ったサーベルを一夏の方へ先ほどと同じように、矛先を向けて一直線に向ける。

 

 

「……俺?」

 

 

一夏が声を上げるのを黙って見届けると、今度は一夏の隣にいる鈴の方へ矛先を向ける。

 

 

「あたし?」

 

「……」

 

 

どうやら自分たちの認識は当たっているらしく、仮面剣士の向けた矛先は自分自身を指していた。さて、問題がそれが分かったところでだから何なんだというところにある。あくまで自分のことを指しているのは分かったが、肝心の意味が全く分からないままだ。

 

そして今度は一夏と鈴に向けた矛先を空高く突き上げた。上に何かがあるのかと見上げる一夏だが、視線の先には無残に割られた天井ガラスと、割れ目から少しばかりの雲と、現状とは似ても似つかない澄んだ青空だけ。

 

 

「俺と鈴が上? どういうことだよ?」

 

「……」

 

 

結局何を言いたいのか分からないと、再度一夏は聞き返す。理解し切れずにいる一夏と対称的に、隣にいる鈴は一夏と剣士、そして自分のことを交互に見ると、何かを察したかの様に口を開いた。

 

 

「もしかしてアンタ……自分が地上を担当するから、あたしと一夏に空中を担当しろって言いたいの?」

 

「……」

 

「おい! それじゃお前まさか一人で!!」

 

 

鈴が初めに仮面剣士の意図に気がついた。地上フィールドに来たときは敵ISを自分が相手にする、その間上空からの援護をお願いしたいと。逆に足をつけて移動できる地上は戦えるものの、空を飛べないから空中戦は一夏と鈴にお願いしたい。

 

二人がかりでもやっとだったというのに、地上戦は一人で承ると言っている。はっきり言って生身で挑むなど、無謀もいいところだ。短い時間だが敵ISの強さは十分に把握している。

 

 

「一夏! 今はコイツの言うことを信じるしかないわ! だからなるべくアイツを地上にいかせないようにしないと」

 

「とにかく……何とかしねーと。でも次は当てる!」

 

「そうね。で、どうしたらいい?」

 

「ん?」

 

「当てるって言いきったってことは何か策があるんじゃないの?」

 

 

長く付き合ってきている所以なのか、一夏の発言から策が思い浮かんだのではないかと聞き返す鈴。その問いかけに一夏はどこか自信気に口を開く。

 

 

「とりあえず、俺が合図したら最大出力でアイツに向かって衝撃砲を撃ってくれ」

 

「え? いいけど……当たらないわよ?」

 

「いや、それでいいんだ」

 

 

何を考えているのか、何度も衝撃砲撃っても当たらないのに、わざわざエネルギーを捨てることをして何になるのか。一夏の思惑が分からず、鈴はただ首をかしげるだけだ。とにかく現状を打開するためのいい策がない以上、今は一夏の策を実行するしかない。腹をくくったか、鈴が一つ大きく頷く。

 

 

「……!!」

 

 

―――嫌な空気だ。

 

 

そんな雰囲気をいち早く感じ取ったのは仮面の剣士だった。元々このアリーナの空気はいいものではない。ただここで意味するのは、気分が悪くなる意味での空気が悪いではなく、何か嫌な予感がする意味でだ。

 

一夏も鈴もその雰囲気を感じ取れないまま、そののまま攻撃に移行しようとする。

 

 

 

その時だった―――

 

 

 

 

 

「一夏ぁ!!」

 

 

 アリーナのスピーカーから強烈なまでのハウリングと共に二人が聞きなれた声が響き渡る。声のする方へ三人は視線を向けると、丁度中継室から流れてきたものだった。そして中継室の真ん中に長い髪を後ろで結わえ、息も絶え絶えになりながら声を張り上げるその姿……一夏のクラスメートでファースト幼馴染、篠ノ之箒。

 

その声に反応したのは三人だけではなく、もう一機。

 

このアリーナに堂々と侵入し、クラス対抗戦を滅茶苦茶にした張本人の侵入者だ。頭部についたセンサーレンズを箒の方へと向け、興味深げにその様子を見ている。目標が完全に一夏たちから箒の方へ向いている。

 

いつ敵ISが攻撃態勢に移行するか分かったものじゃない。

 

 

「男なら……男ならそれくらいの敵に勝てないで何とする!!」

 

 

言い終わるとほぼ同時に、ギロリと敵ISの目が光った。

 

 

「あ、あの子何をやって!」

 

「まずい! 箒! 逃げろっ!!」

 

 

一夏と鈴の大きな声がアリーナ中に響き渡る。一夏が敵ISの方へ視線を向けると、すでに両手を広げ、備え付けられたビームの発射口がビーム発射のために、エネルギーを充電し始める。このままでは箒はおろか、中継室の人間ごと吹き飛ばされてしまう。ビームの威力は間近で見た二人が一番よく知っている。ビームが発射されれば止める手段はない。

 

もし直撃すれば大けがはおろか、下手をすれば命を落とすことだって考えられる。真っ先に動いたのは仮面の剣士だった。

 

地面を蹴り、素早い動きで敵ISへと接近していく。そのスピードはとても並の人間が出来るような動きではないほど素早いもので、数十メートル離れている敵ISとの間合いをあっという間に詰めていく。

 

その動きに気づいたか、箒に向かって差し出した両手のうち、左手を振り下ろして剣士の方へと向ける。このまま直撃すれば生身で受ける分、命は失わなくとも日常生活を送れるかどうか、保障は全くない。

 

 

一秒を争う緊急事態に、一夏は鈴に大声で衝撃砲を放つように指示する。

 

 

「鈴!! やれえ!!!」

 

「分かったっ!!」

 

 

鈴の甲龍の発射口が充電のために、光りはじめる。しかし何を思ったのか、その対角線上に一夏が躍り出た。このままでは最大出力の衝撃砲は敵ISではなく、対角線上に立つ一夏に直撃するだけで敵に届かない。

 

その予測不能の一夏の行動に、当の鈴は一瞬衝撃砲の発射を躊躇してしまう。

 

 

「ちょ、ちょっと何してんのよ!? どきなさいよ!」

 

「いいから早く撃て! 箒もあの剣士も危ない!!」

 

「あぁ! もう! どうなっても知らないからね!!」

 

 

フル充電が完了し、鈴の両肩から最大出力での衝撃砲が発射される。風を切り裂くオレンジ色の高エネルギー体は、威力そのままに一夏の背中に直撃する。

 

ズシンと背中に襲いかかる計り知れない衝撃を受け、一夏の表情が一瞬歪む。当然だ、最大出力の衝撃砲をまともに受けて、ダメージがない筈がない。鈴は戦う前にこのように言っている。『シールドエネルギーを突破する攻撃力があれば、人体に直接ダメージを与えることも出来る』と。

 

 

―――逆に一夏は背中に受けた高エネルギー体を内部に取り込んでいく。取り込んだエネルギーが白式のシールドエネルギーを回復させて、一夏の前に展開されたディスプレイモニターに零落白夜使用可能の文字が現れた。

 

一発くらいは零落白夜を発動できると、嘘をついていた。本当は零落白夜はおろか、瞬時加速さえも使えるか使えないかぐらいのエネルギーしか残ってなかったのだ。

 

瞬時加速は発動の度に使うエネルギーの総量に比例する。瞬時加速を使うには、後部にある翼のスラスターからエネルギーを放出し、再びそれを内部に取り込んで、圧縮して放出する必要がある。

 

今回の場合、一夏は瞬時加速と零落白夜の両方を使うだけのエネルギーは残っていなかった。ただ使うエネルギーは自分のISに搭載されているエネルギーではなく、外部から受けたエネルギーでも問題ない。だから一夏はわざと甲龍の衝撃砲を受けて、それを瞬時加速に使うエネルギーへまわした。

 

 

オレンジ色のエネルギーが白式のまわりを纏うと、背中の翼が大きく左右に広げられ。雪片の刀身から青く細長い、エネルギーの凝縮された刀が展開される。

 

展開されると同時に瞬時加速を発動、凄まじいスピードで敵ISに接近していく。

 

 

 

先に敵ISに接近したのは、一夏ではなく剣士の方だった。ビームが発射される前に接近を許したため、敵ISはビーム発射をキャンセルし、剣士の身体を潰そうと大きな左腕を鞭のように振り下ろす。

 

 

「!!」

 

 

 攻撃の転換に気づき、ダッシュの勢いそのままにギリギリまで腕を引きつけると、自分に当たるか当たらないかのギリギリのタイミングで地面を蹴ってサイドに避ける。

 

ドゴンという地面を破壊する音とともに、叩きつけられた場所からモクモクと砂埃が舞う。間一髪攻撃をかわし、一旦ISからわざと距離を取る。攻撃を避けた時に、一夏が突入してくる姿が確認できたからだ。

 

一夏の突入に同じようにビーム発射が間に合わないと察し、今度は空いている右腕を一夏に向かって振りかぶった。

 

 

「ウオオオオオオオ!!!!!」

 

 

雄たけびと共に一瞬早く一夏が一足一刀の間合いに飛び込んだ。

 

 

(俺が皆を……千冬姉を、箒を、鈴を……守る!!!)

 

 

心の中でそう叫びながら雪片を振り下ろした。

 

相手のシールドを破壊し、突き出された右手を叩き切った。切り離された手からはオイルが滝のようにあふれ出し、それがまるで血のように地面を赤く染めていく。

 

相手の右腕はもう使えない、だが潰したのは右腕だけでまだ左腕は残っている。一度加速した機体を止めることが出来ずに、そのまま敵ISの左腕で殴り飛ばされてしまう。

 

 

「うわぁっ!!?」

 

 

殴り飛ばされた勢いで地面に盛大に叩きつけられる。

 

 

「「一夏っ!!」」

 

 

攻撃を食らった一夏に、鈴と箒から声が飛んでくる。止めを刺そうと、一歩二歩と一夏に歩み寄ってくる。一夏の目の前に立つと左手を突き出し、備え付けられているビーム発射口が光りはじめる。

 

一夏はそのままじっと見つめているだけで、避ける素振りを見せない。そして発射寸前、ニヤリと笑う一夏をよそに、発射口を反転して別方向へと向けた。笑みを浮かべた一夏の表情が一転、焦りの表情へと変わる。

 

何を相手はしようとしているのか、その発射口の先に視線を向けると。

 

 

 

「なっ―――!!?」

 

 

 

 最初の攻撃の時にアリーナにあけられた大穴に人影が見えた。そしてその穴に向かって、仮面の剣士が走り出している。ビームの発射口は大穴に立ちすくんでいる人影に、ピタリと標準が合わせられている。

 

ハイパーセンサーでその人影を確認すると、人影の顔に見覚えがあった。

 

 

 

―――いや、見覚えがあるどころではない。人影の正体は……

 

 

「鏡さん!?」

 

 

クラスメートの鏡ナギだった。何故こんなところにいるのか、本当だったら聞きたいところだが、今は悠長なことをしている場合では無い。

 

最悪の事態に、至急プライベートチャネルをある人物へと飛ばす。

 

 

「セシリア!! 急げ! 鏡さんが危ないっ!!!」

 

「わかりましたわっ!」

 

 

 一夏の本当の策はこうだ。まず何らかの形で相手のシールドエネルギーを減らす必要があった。しかし普通に攻撃をしたところでかわされるか、当たったとしてもシールドに阻まれて決定打にはならない。

 

最も有効的な手段としては、零落白夜で相手のシールドバリアーを破壊して、相手の認識外から攻撃を叩き込む。

 

今回の場合、範囲外からの攻撃を行うのがセシリアだった。敵ISが認識しているのは、一夏、鈴、そして途中から表れた仮面の剣士に、箒の四人だ。それ以外の人物は居ないのだから認識のしようがない。

 

予想外のところからの攻撃なら、いくら高い機動力を持っているといえどもかわすことは難しい。更にセシリアのブルー・ティアーズは近距離型ではなく、完全な遠距離射撃型の機体だ。

 

遠距離の立ち回りに関して圧倒的に長けているセシリアにとって、射程ギリギリの距離で、相手が認識しにくい場所を陣取ることなど造作もないこと。

 

先のクラス代表決定戦で、セシリアの実力は十分に証明されている。それを見込んでの今回の策だが、途中までは順調そのもの。一夏もまさか予想外のイレギュラーが起こるなどと、想定していなかっただろう。

 

 

一夏の指示に即座に反応したセシリアは素早くスコープを覗き込み、一秒と掛からずトリガーを引いた。

 

 

 

 

 

―――だがそれよりも早く、敵ISの左手からビームが発せられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、嘘っ。足が……」

 

 

 立ちすくむしか無かった、何も出来なかった。目の前にいるソレの恐怖感に、足が笑って動かすことが出来なかった。大和を追いかけて来たは良いものの、見失ってしまい、更には自動ドアの故障によって外に閉め出される始末。

 

そして自分の前を横切った人影を追いかけてみれば、アリーナの外に大きくあいた穴にたどり着く。穴の前に立つと本能が自分に言い聞かせた、ここから先に足を踏み入れたらもう取り返しはつかないぞと。

 

その本能の制止を振り切り、足を踏み入れた。真っ先に飛び込んで来たのは黒い何かが、地面に打ち付けられた何かに近寄っていくシーンだ。

 

地面に打ち付けられたものに見覚えがあった。クラス代表をかけたクラス代表決定戦の時、そして今回のクラス対抗戦。

 

 

そう。一夏の専用機、白式だと理解するのにそう時間はかからなかった。

 

白式に向かって突き出される左手が光始める。その光景は遠くから見たら縛り付けられた人間を処刑しているようにも見える。

 

 

 

気が付いた時にはすでに足は動かなかった。漆黒のISの醸し出す存在感が、普通の生身の人間には恐怖感になってしまうからだ。

 

すると相手も自分の姿に気付いたのか、一夏に向かって突き出していた左手を、今度は自分に向かって突き出してきたではないか。

 

この時点でナギは察してしまった、自分が標的になっていると。

 

 

(あぁ、何であの時引き返さなかったのかなぁ……)

 

 

動かそうにも全く動かない足、涙目になりながらも必死に動こうとするが、体が硬直してしまって、足どころか全身がまともに動いてくれない。迫り来る恐怖に、後悔の念しか無かった。何故あの時引き返さなかったのかと、更に言うなら何故アリーナで嫌な予感がした時にアリーナに残らなかったのかと。

 

あの嫌な予感は大和のことではなく、自分のことだったのかもしれない。

 

 

敵ISの左手が光始める。もう今仮に足が動いたとしても逃げおおすことは出来ない。何をしても自分は助からない、身体も動いてくれない。自分が処刑台に立たされて、残り僅かの時間を過ごしている心境とでもいうのか。

 

 

思い残すことがあるとすれば何だろうか。

 

 

 

一つに絞りきれるわけがない、あまりにも多すぎるのだから。齢十五歳、数えでも十六歳だ。まだ人生は始ったばかり、本当に楽しいことはこれから始まっていくというのに。

 

 

(もう本当に終わりなのかなぁ……)

 

 

 友と共に勉強をして、他愛のない話に花を咲かせる……普通の楽しい学生生活を歩んで行きたかった。

その場でへたり込みながら、一つ一つの願望を思い描いていく。様々な願望の一番最後に頭に浮かんできた願望、それが今、ナギにとって最も叶えたい願望だった。決して難しいことじゃない、むしろ思い描いた中ではかなり簡単に叶いそうなものだ。だがその願望が彼女にとって……一番、大切なこと。

 

 

「大和くん……」

 

 

初めて意識するようになった男の名前をポツリと呟く。決して現れるはずのない、意中の男性の名前。さらに欲を言うのなら、もっと彼のことを知りたかった、もっと一緒に話をしたかった。霧夜大和という男性の近くに居たかった。

 

そして今日大和が企画してくれた食事会に参加したかった、料理作りを……手伝いたかった。

 

 

 

発射される狂気。大気をかき分け、凄まじい破壊力を持ったそれが着々と自分に近づいてくる。

 

 

 

 

 

「―――さようなら」

 

 

別れの言葉を告げ、迫りくるそれに観念して目をつぶる。つぶった瞳から、一筋の滴が頬を伝う。目前に迫った熱線をが隙間からチラリと映ると同時に……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フワリと自分の身体が浮くのを感じた。ビームに当たって身体が吹き飛ばされたとでもいうのか、それなら自分の身体が宙に浮いているのも合点がいく。一つおかしなことと言えば、攻撃を直で受けたというのに、痛みという痛みは感じなかった。逆に痛みすら感じさせないほどに、強力なものだったのかもしれない。

 

 

「……ふぇ?」

 

 

身体が浮いたかと思えば、今度は自分の身体を何かが包み込む。まるで人肌に包まれているように暖かく、そしてどこか逞しさすら覚えた。そこで初めて気がつく、自分にはまだ感覚が残っていると。

 

刹那ドシンという衝撃と共に、ナギの身体がその人肌のようなものに密着する。衝撃こそ感じたものの、やはり痛みはなかった。閉じた目の間からは僅かばかりの光が差し込んでくる。周りの光景はどうなっているのかと、恐る恐る重い瞼を開いていく。ぼやける視界に飛び込んできたのは、黒い何かだった。

 

ドクンドクンと胸が高鳴る音がよく聞こえる。意識はしていなかったが、自分はどれだけの恐怖感に包まれていたのかと、ふと考えてしまう。

 

 

「……あれ?」

 

 

 そこで先ほどから自分の発言がおかしいことに気がつく。そもそも心臓の音はこんなにはっきりと耳から伝わってくるものなのかと。

攻撃が当たったというのに、痛みは全くない。それどころか音も聞こえるし、何よりも自分が何を考えて、何を言おうとしているのか判断できる。

 

―――自分はまだ生きている。じゃあこの接している黒いものと、ずっと聞こえてくる心臓の音は一体……。正体を確かめるために、顔をゆっくり上げていく。

 

 

「……え?」

 

「……」

 

 

 自分の目の前にいたのは仮面をつけた謎の人物。仮面を被っていることで表情が分からず、得体の知れない恐怖心に駆り立てられる。一旦冷静になって自分はどこにいるのかと考えてみると、すぐに判断がつく。自分はこの人物の胸元に抱きよせられていると。つまり自分は間一髪のところで、助けられたことを悟る。

 

先ほどの衝撃は、宙から落ちた時に自分に衝撃が来ないように仮面の剣士が庇って背中から落ちたからだった。現状、ナギは胸に抱き寄せられている状態だ。年頃の女性が見ず知らずの人物に抱きつかれるともなれば、当然嫌悪感を抱いたり、拒否反応を起こしたりする。

 

しかしどうしてか、嫌な感じはしなかった。自分を助けてくれたのもあるかもしれない。それ以上に今目の前にいる人物が、自分が知っている人物ではないかという気がしてならなかった。

 

 

 

いや、きっと自分は知っているのだと。

 

 

恐怖感は徐々に治まり、改めて自分の助けてくれた人物の顔を見つめる。仮面をしているため、素顔が見えるわけではない。

 

ただ命の危機に瀕した自分を助けてくれたことに、彼女の胸の中で心臓の高鳴りが治まることはなかった。それどころか、高鳴りはどんどん大きくなって行き、彼女の心を満たしていく。

 

まるでおとぎ話に出てくるような騎士そのものだった。そういえば、大和も自分が階段から落ちた時に身を挺して怪我から守ってくれたのを思い出す。もし大和がこの場に居合わせたとしたら、助けに来てくれただろうか。

 

もちろん現実に大和はこの場所にいない。いるのは素性が全く分からない人物だというのに、どうしてここまで心が温かくなるのか分からず戸惑うばかり。

 

 

ひとまず、いつまでも自分の下敷きにさせているわけにはいかないと、何か行動を起こそうと身体を起こして足に力を込めるものの、やはり一度すくんでしまった足はそう簡単に戻ることはなかった。

 

いくら力を入れても立ち上がることが出来ない。立ち上がることの出来ないナギの肩にポンポンと右手が触れられる。

 

 

「あ、あの……あなたは?」

 

「……」

 

 

 感情など一切分からないというのに、なぜか仮面の下で笑っているようにも見えた。声をかけて仮面を外さないのは、自分の正体を知られたくないからだと分かったため、それ以上ナギも詮索することは無かった。体勢を一度立て直すと、座り込むナギの膝裏と背中裏に両手を回して抱きかかえる。

 

 

「え……キャッ!?」

 

 

フワリと宙に体が浮く。女性なら意中の男性に一度はやってほしいと思うシチュエーション、お姫様だっこだ。両手を胸の上に乗せて大人しくしてはいるものの、やはり持ち上げられていることに、自分の体重は重くないかなどと全く別のことを考えている。

 

助けてくれたその姿が、完全にあの時の大和の姿と被ってしまい、顔は紅潮したまま、胸の高まりも治まることをしらない。

 

されるがまま……そんな表現がこの場では正しいだろう。

 

 

ナギを持ち上げたまま、大穴からアリーナの外へと出る。出ると同時に歩みを早めながら、キョロキョロと周りを見渡し始めた。そしてその視線が一点に止まると、今度は目的地に向かって走りはじめる。

 

向かった先はベンチだった。アリーナからほんの少し離れた場所には並木道がある。道も整備されているだけでなく、昼食や友人との会話を楽しむように等間隔でベンチが置かれている。一番近くのベンチにナギを優しく座らせる。座らせたのは、ナギが今の状態ではまともに歩くことすら覚束無いと察していたからだ。座らせた後、どこかに異常が起きてないかを上から確認していった。

 

もしかしたら見えないだけで、どこか怪我をしているかもしれない。そして一通り確認すると、何かを納得したかのように大きく頷き、背を向けてその場を立ち去ろうとする。

 

 

「あっ……ま、待ってください!!」

 

「?」

 

 背を向けた時、左腕の肘部分に深紅の赤い筋が垂れているのに気付く。出血の量からしてそこまで大きな傷ではなく、何かで止血すれば止まるようなものだった。その怪我が庇った際に出来たものだと気付くのに時間は掛からなかった。

いくら衝撃を緩和するように受け身を取ったとしても、地面に落ちた時に摩擦により傷の一つや二つ出来ていたとしても何ら不思議ではない。

 

むしろ怪我をして無い方が不思議だろう。伝う血液が地面にポタポタと垂れているのを見ると、どうしても自分のせいで怪我を負わせてしまったと、自責の念にかられる。

 

 

せめて何か出来ないかと、ナギは救ってくれた恩人に声をかける。声をかけた後に、おもむろにポケットから何かを取り出した。取り出したのは可愛らしいピンク基調のハンカチと、動物の絵が掛かれている絆創膏だった。

 

声をかけられて何事かと剣士は振り向いて、ナギの元へと近寄ってくる。まさか身体の一部を怪我していたのかと。

 

 

人一人分の距離にまで近寄ると、そっとその場に腰を下ろし、上から威圧しないように下からナギの顔をジッと眺める。立ちながらでは元々の身長差がさらに広がってしまい、相手のことを威圧してしまうのではないかと、考えての行動なのかもしれない。

 

剣士とナギでは身長差がある。立った状態では必然的にナギが上目遣いで、上から見下ろされる立場にあった。

 

後ろに備え付けられているのは、日本刀をモチーフに作られたサーベル。そしてラフな服装から分かる体つきのよさ。

 

理想的な体つきは、よくテレビなどのイケメンモデルなどが肉体美などと言って披露していることもある。ナギ自身も陸上部に所属しているため、運動するための筋肉がどのようなものなのか知っている。目の前の剣士の体つきは運動用の筋肉ではなく、明らかに戦うために鍛え上げられたものだと理解した。

 

少し緊張しながらも勇気を振り絞って、言葉を続ける。

 

 

「その……助けてくれてありがとうございます。わ、私にはこれくらいしか出来ないですけど……」

 

 

顔を赤らめながら、いそいそと剣士の左手を手に取る。そして、怪我をしている部分に優しくハンカチを当てて、止血を始める。傷の治りが早いのか、出血自体もそこまで酷いものでは無くなっていた。

 

肘付近に付いた血液を拭いさると、絆創膏を痛みが出ないように丁寧に被せた。

 

せっかくのハンカチが血液で真っ赤に染まっている。本来なら女性としても由々しき事態ではあるが、今はもう関係なかった。

 

とにかく、何でも良いからこの人に恩返しをしたい。それがナギの思いだったのだから。

 

 

傷の手当てを受けた剣士は不思議そうに、手当てされた箇所を眺める。

 

 

「……」

 

「とりあえず、血は止まったと思うから……ふわぁ?」

 

 

右手を伸ばし、頭の上を優しく撫でられる。言葉を喋らないなりの、感謝の気持ちなんだろう。顔を赤らめながらも、気持ち良さそうに目を細める。

 

やはり不思議と嫌な感じはしなかった。

 

 

そしてある程度頭を撫でたところで、手を離してナギに背を向け、アリーナの方へと歩き出す。後ろ姿をぼんやりと見つめながら、何気なく思ってしまう。

 

―――助けてくれた仮面の剣士は実は大和ではないかと。

 

 

しかし声をかけようとした時には既に、剣士の姿はなかった。本気であのISと生身で戦い合うのかと、心配の念がより一層強くなる。いくら心配しても、今の自分には"彼"の手助けをするための手段は何一つない。今歩けるようになってアリーナに向かったとしても、また迷惑をかけることになる。

 

下手をすれば今度こそ、命を落とすかもしれない。今は無事を願って待つしかない、彼女にとってその時間が果てしなく長い時間にも感じられた。

 

 

「―――……」

 

 

剣士が走り去った方角に、何かを一言二言呟く。呟いた声は偶々吹いた風の音によってかき消された。



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圧倒

―――セシリアの発した一筋のレーザーが、無人機ボディ中心部に直撃する。

 

攻撃は早かった。一夏の指示に即座に反応し、スコープを一瞬覗いただけで敵の急所にピンポイントで当てる。これがどれだけ難しいことか、想像もつかない。少なくとも、以前のセシリアには出来なかったこと。

 

クラス対抗戦での敗北を糧に、一夏に指導をする一方で自身でも今まで以上に努力を積み重ねたのだろう。ビットはセシリアの指示通りに動くが、一直線に飛んでいくレーザーはいくら指示を送ったところで真っ直ぐにしか飛んでいかない。いかないわけではなく、現段階ではセシリアには出来ないのだ。

 

 

偏向射撃(フレキシブル)

 

真っ直ぐにしか飛ばないレーザーを自らの意思で自由自在に操る超高難易度の射撃のことで、出来るとしたら国家代表クラスにも匹敵する。

 

現段階では真っ直ぐにしか飛ばせないレーザーを、どうすればより正確に、素早く当てれるのか。そこで思い付いたのが、スコープを覗く時間を短縮し、自らの射撃能力に更なる磨きをかけること。

 

もちろん並大抵のことで取得出来るものではない。ただ一夏と大和との戦いで気付いたこと、それは接近されると全く歯が立たないことだ。

 

一夏の場合、接近されて零落白夜を叩き込まれれば終わりだが、若干大振りになる分、まだかわせる可能性はある。大和の場合、打鉄のため単発の攻撃力はそこまで高いわけではなく、一発食らったとしても決定的なダメージにはならない。

 

しかし、それを補うように大和には圧倒的なスピードと手数の多さがある。塵も積もれば山となるの言葉のように、何回も攻撃を受けていれば大ダメージを被ることになる。

 

たちが悪いことに、逃げようとしても自身の反応が全く追い付かず、離れようともその分近付かれて、何も出来なくなる。以前戦った時には、接近を許した後は何もできずに敗北。いくら接近戦には向かない機体とはいえ、代表候補生としてのプライドが許さなかった。

 

これがもし本当の戦いだったとしたら、自分はどうなっていただろうか。ましてや相手はISに数時間程度しか乗っていない素人同然の相手。だが素人同然相手に接近戦では全く相手にならなかった。

 

大和が刀の扱いに慣れている人物なのは明らかだが、それでも負けたのは自分が力不足だったから。だからセシリアは今まで以上に努力した。

 

 

 

 

 

―――しかし射撃速度を上げようにも限界はある。セシリアの射撃よりも僅かに先に、無人機のビームが伸ばした手から発射された。

 

先に走り出していた剣士の方が速いのか、それとも後に発射されたビームの方が速いのか。二つの弾丸が、一つの標的に向かっていくようにも見える。

 

そして、二つの弾丸はほぼ当時に大穴に飲み込まれた。

 

 

「くっ、アイツは!? 鏡さんは!?」

 

「分かんない……けど。多分何とかかわせたと思う」

 

 

 叩き付けられたクレーターから慌てて一夏が飛び出てくる。無人機がビームを発すのと入れ違いにセシリアのレーザーが直撃。

 

零落白夜によりシールドバリアーが破壊されているため、最大出力で放たれた一撃は難なく胸部を貫いた。貫かれた反動で宙に舞い、そのまま数メートル先の地面にまで吹き飛ばされて完全に機能停止する。

 

ただ一夏にとって問題なのは無人機が無力化されたことではない。あの二人の安否がどうなったかだった。一夏の視線からは角度的なものもあって見えない。しかし宙に浮いている鈴からすれば二人がどうなったか確認することが出来た。

 

ビームが直撃する僅か手前に身体を抱えあげて、かわすことに成功したのを鈴の両目ははっきりととらえていた。多分と言ったのは、あくまで何事もなく完全に無事かと言われればそういうわけではないからだ。

 

飛び込んだのだから、どちらかが怪我をしていたとしても不思議ではない。あくまで生命の危機に瀕しているわけではないとの意味合いを込めて、濁して一夏に伝える。

 

鈴の一言が事実だと察したのか、一夏はホッと胸をなで下ろして雪片を収納する。

 

 

「そうか。ギリギリだったけど、何とかなったな」

 

「申し訳ありません一夏さん。わたくしがもう少し早く駆けつけられたら、こんなことにはならずに済んだかもしれませんわ」

 

「いや、セシリアのせいじゃないよ。むしろセシリアなら必ずやれると思っていたさ」

 

「そ、そうですの? ま、まぁ当然ですわね!」

 

「ちょ、ちょっと一夏! 何でセシリアだけ褒めてんのよ!」

 

 

一夏の横に小さく出たモニターでセシリアが顔を赤らめながらも、嬉しそうな表情で照れ隠しをするかのように横を向く。するとなぜセシリアだけなのかとプライベートチャネル越しに、鈴がキンキンと抗議をしてくる。本当に命をかけた戦いの後なのか分からなくなる雰囲気に、少し苦笑いを浮かべながらも、一夏は自分の周りを見回す。

 

土だというのに、いくつもの炎があちこちから湧き上がり、さらには地上には無残にあけられたクレーターがいくつもある。頑丈な構造で造られているはずのアリーナの壁には、爆弾で吹き飛ばしたかのような大穴があいている。如何に今回のことが激戦だったかを容易に想像することが出来る。

 

一区切りついたとはいえ、今回の戦いで一夏や鈴。そして管制室で見ている千冬や真耶も今回のことは深く考えさせられることが多い筈だ。

 

偶然に偶然が重なったのもあるが、実際に鏡ナギは命の危機にさらされた。何とか助かったからいいものの、もし剣士が異変に気付いて走りださなかったとしたら、最悪の事態も十分に想定できた。

 

ISは人命救助や宇宙進出に貢献できる便利な機械ではなく、時には人命を脅かす存在になりうる兵器だと再認識したに違いない。

 

後一つ気になるのはアリーナで戦っている一夏、鈴、セシリア以外の学園中のISが稼働しなかったこと。どうして動かなかったのか、逆に何故三人のISだけが動いたのか。解明できるものなのかも全く不明で、首をかしげるしかない。

 

 

何はともあれようやく一区切りついた。後は外にいるであろう二人に会いに行こうと、一夏は背を後ろに向けて、鈴とセシリアに会話を切りだそうとした。

 

 

 

 

―――その時だった。

 

 

「よし、じゃあ……!!?」

 

 

一夏の目に真っ先に飛び込んできたのは警告と書かれたモニター、同時に無人機の再起動を確認、ロックされているとの文字が。一度完全停止したはずのISが何故、再起動したのか。何が何だか分からず、無人機が倒れこんでいる地点に視線を向ける。

 

 

「一夏っ! まだアイツ動いてる!!」

 

 

立ち込める煙の中から機械音とともに、残った左腕が姿を現す。チャージ音が辺り一面に鳴り響き、発射口が自分に向けられているのを悟る。高エネルギー体が小さなものから、徐々に大きなものへと変わっていく。エネルギー量はおそらく、今まで発したものの中では最大級のもの。

 

仮に食らったとしたら、ISに絶対防御があったとしてもひとたまりもない。

 

 

「くそっ!!」

 

「あっ!? 一夏!!」

 

「一夏さん!」

 

「一夏ぁっ!!」

 

 

三人の悲痛な叫びと共に一夏は無人機に飛び込んでいく、ギリギリ間に合うかどうかの距離。雪片を展開して地上を駆け抜けながら、刀身を振り上げる。

 

そして二つの間合いが数メートルに縮まろうかという時。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――それは起こった。

 

 

 

 

「えっ?」

 

 

一瞬、何が起こったのか。全く分からずに一夏はただ呆然と立ちつくだけ。目の前に突き出されていた腕が()()()

 

何を馬鹿な、そんなことがあり得るものか。事実を知らない人間であればそう言うだろう。だが現に、目の前にあった腕が消えた。次の瞬間、地上を照らす太陽が、地面に一つの影を映し出す。

 

影に気づいた一夏は真っ先に空を見上げると、何かが浮いていることに気づいた。一体何が浮いているのか、一度浮いた何かは浮遊力を失い、重力に引っ張られながら地面へと落ちてくる。

 

地面に近付くにつれ、徐々にその物体が大きく映る。落下速度が増した何かは、一夏の横に大きな音を立てて落下した。

 

 

「……」

 

 

声で表現が出来なかった。落ちてきたのは他でもない、先ほどまで自分に向けられていた無人機の腕なのだから。

 

腕が落ちると同時に、腕のあった場所から大量のオイルが噴き出してくる。オイルの噴き出してきた場所を見ると、明らかに鋭利な何かで切り飛ばされたような形をしている。一体だれが腕を切り飛ばしたのか……少なくとも自分ではない。

 

鈴も自分より後ろの空中で待機している。残るのはセシリアとピットにいる箒の二人だが、この短時間で相手との距離を詰めれるわけがない。

 

セシリアに至っては、今さっきまで自分とプライベートチャネル越しに会話をしていた。それにセシリアのブルー・ティアーズは遠距離射撃型のISで、遠くから狙撃した方が正確で、何よりリスクが少ない。

 

わざわざ苦手な近接に飛び込んでくる意味がない。

 

 

なら、箒か。それはセシリア以上にあり得ないこと。ピットと地上の高さは十数メートル。生身の人間が飛び降りれるような高さではない。

 

 

では、一体誰なのか。

 

 

 

何気なく、視線を下にずらすと……

 

 

「お、お前は!?」

 

 

右手が空高く突き上げられている。手の先には鋭く磨かれたサーベル。噴き出したオイルが被っている仮面に付着する様子が、まるで人肉を切って鮮血が付着しているようにも見える。

 

仮面を装着した人物、真っ先に尾も浮かんでくる人物が、目の前の人物と一致する。ナギを助けにいって外に出たはずの剣士だった。

 

 

 

 

 

振り上げたサーベルを再び構えなおし、後ろに退散しようとする無人機に一気に詰め寄り無防備な左足を右手に握ったサーベルを振り払い切断する。そして、さらに左手に握ったサーベルも右手の後を追うように振り払い、残った右足も切断する。

 

 

「……」

 

 

振り切った左手を返し、返し刃で今度は胴体に向けて薙ぎ払う。

 

 

もう無人機には飛行能力はおろか、稼働能力さえ残っていない。それでも決して剣士は手を緩めることはなかった。抱えた恨みを晴らしていくかのように、残酷な殺人鬼のように握っているサーベルを、相手の速度が追い付かないほどの手数で追い詰めていく。

 

 

「……!!」

 

 

右足、左足、胴体がそれぞれ切り裂かれ、バランスを崩した無人機はそのまま地面に向かって倒れこんでいく。

 

倒れこむ前に一気に剣士は飛び上り、左手に握ったサーベルを頭部目掛けて一閃。

 

 

 

 

 

 

サーベルがどんな造りになっているのかなど、誰も知る由はない。ただこの様子を観戦している人間が分かること。

 

 

それは生身の人間が、ISを圧倒したということだけだ。

 

 

切り裂かれた部品が無残に地面に散りばめられる。至る所からオイルがあふれ出し、それが嫌な現場感を演出していく。最後に宙に舞った頭部が落ちてくる。いくら手負いのISだからといって、ここまで圧倒できる生身の人間を誰が知っているだろうか。

 

シールドは確かに自分が破壊し、相手に直接攻撃は通るようにはなっているが、そうだとしても異常だ。

 

あまりの光景に一夏たちは完全に声を失い、ただ呆然と立ち尽くすだけ。

 

 

(強すぎる……何なんだよコイツは……)

 

(今までISの試合は何度も見て来たけど、こんなことって……)

 

(あ、あの御方は、一体何者ですの?)

 

(信じられん、生身でISを倒すだと。そんなことがあり得るのか!?)

 

 

それぞれに鬼神染みた戦いについて感情を抱きつつも、ふと一夏が何かを感じ取る。誰かが怪我をしただとか、何かあったとかではない。目の前でサーベルを構え、無残なモノに変わり果てた無人機を見下ろす剣士の姿が。

 

 

(何だ? どこかすごく悲しそうな感じが……)

 

 

一言で言うのなら悲壮感、目の前に立つ人物が何故か悲しんでいるように思えた。

 

 

「―――っ!!」

 

「あ! お、おい!! 待てよ!」

 

 

声をかけた時には既に、大穴に向かって走り出していた。素早い身のこなしで、グングンと大穴に近付き、そして一夏の視線から消える。

 

一体何者だったのか、何が目的だったのか全く分からないまま姿を消した。そこから先を考えようとするも、一夏の思考に徐々に靄が掛かりはじめる。

 

 

(あ、あれ?)

 

 

靄が掛かると同時に飛び込んできたのは空だった。何故視線を上に向けてないのに空の風景が入ってくるのか。

 

鈴の高出力の衝撃砲を直で受けているのに、ダメージが全くないわけではない。事態が事態だったため、身体がダメージを忘れているだけで、ダメージ自体は確実に身体に蓄積されている。

 

戦いに区切りがついたことを身体が察し、休息を急激に欲していた。

 

周りからいくつかの声が飛んでくるものの、倒れる身体を起き上がらせることが出来ぬまま、一夏の意識はブラックアウトした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 大穴を抜けて、そのまま雑木林の中へと逃げ込んで行く。やがて一本の木の前に立つと、片手を木に押し当てて被っている仮面を取り去る。

 

仮面を取り去った表情は疲労困憊で、汗だくになった大和の顔が表れた。表情こそ疲労困憊だが、身体的にはまだ余裕があるのか、押し当てた手をどけて、両足で立っている。

 

両手に持ったサーベルを地面に突き刺し、両手で額の汗を拭う。

 

 

「くそっ!」

 

 

苛立ちを隠せずに思わず大声を上げる。普段は決して見せることの無い、怒りに満ちた表情に、知っている人間が見たら驚くことだろう。

 

どこかに怒りを晴らすかのように、力を込めた握りこぶしを木にぶつける。ミシミシと音を立てて、殴られた木が今にも折れんばかりに軋む。

 

 

「許せるかよ……あんなことされて。知り合いを……友達をっ!!」

 

 

 一人の人間として、友達として、あの無人機のナギに対する攻撃はあってはならないものだった。相手が無人機だったからといえば、それもあるかもしれない。

 

だが何の罪もない一人の生徒を、狙ったことを許せるはずがなかった。仮に今回は助けることが出来たからこそ事なきを得たが、万が一助けることが出来なかったとしたら、大和だけではなく、クラスメートや両親も心に深い傷を負うことになる。

 

何より大和は自分自身が許せなくなる。

 

しかし結局今回は相手が無人機だったからこその部分もある。ナギが襲われたと時、大和の心中は穏やかなものではなかった。ナギの前でこそ平静を装ったものの、無差別な攻撃を行った無人機を許せるわけがない。

 

 

心の中に宿るは、無人機に対する憤怒、憎悪。アリーナに戻った時、それは一気に爆発するように無人機に向けられる。

 

全てが混ざりあって、『殺意』へと変化した。

 

 

仮に今回の機体が有人機だったらどうするつもりだったのか。私情を挟むのは護衛業を行う上で、決して許されないこと。それは大和が一番分かっていた。

 

 

「大和くん……」

 

「楯無さん……」

 

 

後ろから不意に声を掛けられる。普段だったら人の気配を敏感な大和だが、今回は近付いてくる楯無の気配に全く気付いていなかった。

 

更に声を掛けられたというのに、振り向く素振りを一切見せない。自分の今の表情はどんなものなのか、きっと酷いものに違いない。自分の表情がどうなってるかは自分が一番良く分かっている。

 

楯無の前で情けない顔を晒すことだけは、大和自身が許さなかった。そんな大和の様子がおかしいと感付いたのか、楯無も心配そうな眼差しで大和のことを見つめる。

 

 

「あ、あのね、大和く―――「すいませんでした」……え!?」

 

 

思いもよらぬ回答が大和の口から返ってきた。大和の思わぬ謝罪に驚きの表情を浮かべる。

 

 

「謝って許されることじゃないのは、分かっています。相手がいくら無人機とはいえ、やり過ぎました。もし人が乗っていたら、本当に取り返しがつかないことを……」

 

「……」

 

 

 大和の謝罪に楯無は庇うことが出来ず、ただ聞き入れるしかない。庇おうにも大和の言っていることが正論だからだ。

 

今回の場合は無人機かもしれないと、一夏が仮説を立てたものの、それはあくまで仮説であって事実ではなかった。

 

もしかしたら中に人が乗っているかもしれない。それは十分にあり得たこと。

 

もちろん、確率的には人が乗っていない可能性の方が圧倒的に高かったのは間違いない。しかし、根拠が完全にあるならまだしも、完全に根拠が無い状態で無人機を無力化するだけでなく、全身バラバラにしたことに関しては、やり過ぎだと思われても仕方がない。

 

大和もその場の感情で動いてしまったことを深く反省し、楯無も大和の思いを汲み取ったからこそ何も言えなかった。

 

 

「でも―――」

 

 

更に大和は言葉を続ける。

 

 

 

 

 

「……何の罪もない人間(ナギ)に攻撃したのは、どうしても許せなかったっ!!」

 

 

 歯を食い縛りながら、心の底から沸き上がってくる怒りを必死に堪える大和。噛んだ口からは血が滴り落ち、口の中が切れるほどに強く噛んでいるのが分かる。こめかみには血管が浮き出ていて、眉間には多くのシワがよっていた。

 

逆に言えば当たり前の感情だったのかもしれない。自分の友達が目の前で命の危機にさらされて、一体どれだけの人数が堪えれるだろうか。自分の友達が、家族が、恋人が目の前で命を失う光景など想像したくもない。

 

本音を言い過ぎたと気付き、ハッとした表情を浮かべながらも徐々にいつもの冷静さを取り戻そうとする。

 

 

「俺もあのISと変わらないですね。自身の感情をコントロール出来なきゃ、護衛だけじゃなくて、人としても……」

 

 

自虐気味にも聞こえる大和の後悔の言葉の数々。

 

 

いつもより少しばかりテンションの下がった大和の反応に、楯無はそっと口を開く。

 

 

「そんなこと無いわ。確かに今回のことはやり過ぎたかもしれない。でも幸いにも人は乗っていなかった。……言い方が汚くなるけど、何事もなく済んだの」

 

「……」

 

「それにね? 大和くんが飛び込んでなかったら、ナギちゃんの命はどうなっていたか分からないわ。あの時、貴方が飛び込んだからナギちゃんは助かったの」

 

「……」

 

「もう! 男の子なんだから! しゃんとしなさいっ!!」

 

「いっつ!!?」

 

 

 近付かれて思いっきり背中を叩かれ、大和は二、三歩前によろける。叩かれた部分が衝撃で痺れだし、徐々にそれがヒリヒリとした痛みに変わっていく。

 

痛みのお陰で大和の目が覚めていく。眠い眠くないと言う意味合いではなく、やさぐれた自分から目覚めることが出来たという意味合いだ。

 

 

「楯無さん……」

 

「だからね。大和くんのお陰で助かっている人はたくさんいるってこと。今回だってナギちゃんだけじゃなくて、観戦に来た生徒もそう。それに……私も、ね?」

 

 

 もっとポジティブに考えなさいと笑顔で伝えられる。やり過ぎたのは事実、しかしそのお陰で多くの生徒のことを守れたのもまた事実。常識で考えればISに人が乗っていないのはあり得ないことだが、実際に乗っていない。無人機だと認めざるを得ない。

 

人を傷付けることなく、生徒の多くを守ったこと……それは十分に評価出来ることだった。

 

「……はい!」

 

 

楯無を見据えてはっきりと返事をする大和、瞳には先ほどまでの弱々しい感情は全くない。楯無に関する感謝の念と、二度と同じ過ちは繰り返さないという決意の籠った強い眼差しが、楯無に向けられていた。

 

 

「ん♪ 頑張れ、男の子」

 

 

ニコッとした笑顔は暗い気分を一新してくれるようなものだった。

 

 

 

雨降って地固まる。

 

そんな言い回しがこの場では適切なのかもしれない。一つの過ちを犯した人間が、同じように多くの人間を救った。そろそろアリーナの方も落ち着いて来た頃だろう。入り口前に大量に溢れ返っていた生徒たちも徐々に落ち着きを取り戻し、事態も終息に向かっているはずだ。

 

となれば、楯無はまだしも大和自身がここに留まるのは非常に不味いことでもある。

 

よく思い返してほしい、大和は周りに内緒で観客席を抜け出してきている。大和がいなくなっていることに気が付かないのは、あくまで皆が動揺状態にあったからで、平常心に戻ればいないことくらいすぐに気付く。

 

もしいないことがバレれば、どこに行っていたのかということになり、下手をすれば一夏や鈴にアリーナに現れた仮面の剣士が自分だとバレる可能性もある。むしろ今自分が居ないことに気付いている人間がいれば、可能性どころではない。

 

正直にいえば、誰も気付いていないことを祈るばかりだ。

 

 

「じゃあ大和くんも早く着替えて戻らないとね。このままここにいるのは不味いでしょ?」

 

「そうですね……これじゃ自分が敵ISを倒しました! って言ってるようなものですから。さっさと着替えてアリーナに戻ります。それに、一夏たちのことも心配ですし」

 

「そうね。本当は私からもいくつか聞きたいことはあるけど……ま、それはまた今度にするわ♪」

 

「からかう気満々じゃありません?」

 

「細かいこと気にしていたら、身が持たないぞ♪」

 

「……」

 

 

つくづくこの人には勝てないなと思いつつも、何かされても抵抗が出来ない自分に複雑な感情が湧きあがってくる。

 

何も言い返せないことに頬を掻きながら誤魔化そうとするも、この先の展開が読めてしまいどうしようかと思考を張り巡らせる。

 

 

結論、何を言っても同じ結末にしかならない。

 

 

「と、とにかく俺は先に戻ります! この恰好じゃ皆の前に出れないですし、長々とここに居てアリーナから出てきたら、俺自身がここから出られなくなるんで!!」

 

 

 

地面に突き刺したサーベルを引き抜き、立ち去る大和の後姿を楯無はじっと見つめる。徐々に小さくなっていく後ろ姿に何を思うか。

 

学園に入学して約一ヶ月、大和と楯無が知り合ったのは入学して一週間も経っていない時のことだ。初めは楯無が何のために大和がIS学園に入学してきたのかを知るために、尾行して彼の目的を探ろうとしていた。

 

大和が入学してきた理由は、世界でISを動かせる二人目の男性だから。男性が動かせると知れば、政府や研究機関が黙っていない。彼を周りの障害から守るために、IS学園に半ば強制的に入学させたのもある。

 

 

しかし裏世界に携わる仕事をしている身として、護衛業・霧夜家の当主が入学してきたことには、他の理由があるのではないかと勘付く。もしあるのなら生徒会長として、彼のことを知っておく必要があった。

 

 

ただ尾行も、始めてからわずか数日で大和に気付かれてしまった。今まで自分の尾行は一度も気付かれることは無かったにもかかわらず、いざ蓋を開けてみれば完全に大和の術中にハマり、挙句の果てには姿まで見られることに。

 

 

顔を見られてから数日のうちは楯無も警戒心を強めて大和のことを監視していたものの、時間が経つうちに警戒心は薄くなり、そして完全に無くなった。

 

 

思い切ってクラス代表決定戦の日、マスターキーをこっそりと借りて大和の部屋に忍び込んだ。当然大和には一切連絡していない。忍び込んで程無くして大和は部屋に戻ってきた、初めてのIS実戦で疲れているのは想像がつく。

 

いきなり自分を尾行していた人物が目の前に現れたのだから、大和自身も警戒心はマックスだった。

 

 

「思えば、ずーっと追ってたのよね……」

 

 

疲れているというのに、大和は決して疲れているそぶりなど見せず、自分のことをもてなしてくれた。そして一番の問題だった学園の警護も了承してくれた。大和自身も決して暇な人間ではない、むしろ今はかなり忙しい時のはず。

 

……だというのに嫌な顔一つせず、快く引き受けてくれたことに対し、大和の優しさを一身に感じた。その時からだろうか、気がつけば彼のことを無意識に眼で追うようになったのは。

 

 

生徒会室で仕事をしている時も、彼は何をやっているんだろうかと。

 

からかえば時々で、多種多様な反応を見せて年下っぽい一面を見せることもあれば、逆に年上の自分に、いつでも自分を頼ってくださいと言い切れるような一面も持ち合わせている。今まで男性と話したことも何度かあるが、自分を頼ってくださいと言えるような男性には会わなかった。

 

場面によってコロコロと切り替わるギャップに、楯無は大和に興味を持つようになった。

 

ほとんどのことは自分で行動し、解決できた。頼ったことに対して応えてくれたのは大和が初めてだった。女尊男卑の世の中で、楯無は決して男性を卑下してきたわけではない。それでも本気で頼れる男性と認識出来たのは、大和が初めてだった。

 

 

―――無意識に早まっていく心音。

 

男性と話すだけで緊張したことは今まで一度もない。大和と話すと何故か緊張してしまう、そしてもっと彼自身のことを知りたいと思ってしまう。だからさっきも一瞬聞きたいことがあると言葉を濁した。

 

 

 

"大和くんは本当に何者なのか?"

 

 

聞きたいけど聞けるはずもない。間違いなく大和は嫌がるだろう。自分が何者かなんて言われれば、大和じゃなくてもいい気はしない。

 

とはいえ、()()現場を見てしまえば誰だって気になる。それが自分が興味を抱いている人間なら尚更。

 

でも楯無自身もすぐに分かった。この質問は決して開けることは許されない、パンドラの箱だと。

 

 

「―――ッ!」

 

 

まただ、また心臓辺りがキュゥっと締め付けられる。今までこんなことなかったのに、大和のことを深く考えるとどうしても同じ症状に見舞われる。

 

 

「意識……しているのよね」

 

 

苦笑いを浮かべながら大和が走り去った方向を見つめる。今やすでに後姿さえ見えなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

「大和くん、私―――」

 

 

 

言葉はもう、聞こえなかった。

 



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○事態の収束

「くそ! 思った以上に時間かかっちまった!」

 

 

寮で服を着替えること十数分。俺はアリーナに向けて全力疾走していた。何故全力疾走しているのかといえば、理由は二つ。

 

まず一つ目は先生、大和くんがいません状態を回避するためだ。観戦中にいなくなったのは事実で、いつまでも戻ってこないと何かあったのかと思われても不思議ではない。そもそもだったら何で黙って抜けたのかと突っ込まれそうだが、ケースがケースだ、今回ばかりは許してほしい。

 

二つ目、これは完全に個人的なことで、外のベンチにナギを一人放置したままだからだ。もう脅威事態は去ったため、特にナギ自身に危害が加わることはない。ただ無人機の攻撃に恐怖心を植えつけられてしまったせいで、足がすくんでしまい自力で立ち上がることが出来ないままだった。

 

あれから多少の時間は経つものの、まだ立つことが出来ないまま座っているかもしれない。本当ならすぐにでも現場に駆け付けたいところだが、それをしてしまうと俺が生身で戦っていた張本人だとバレかねない。バレても口外されない保証がない、それが一夏の耳に届いてしまえば今以上に護衛をしにくくなってしまう。

 

特に千冬さんにも隠密に頼むと言われていることだし、それは何としても防ぎたい。

 

 

今は急ぎたい、その一心でアリーナへと向かっていく。

 

 

「……」

 

 

―――アリーナの入口がはっきりと見えてくる。一筋の風が吹き、汗に濡れた前髪がフサフサと揺れるとともに、前方に今までなかった何かが目に入った。

 

前髪が目にかかるまではそこには何も無かった。たった一瞬目を閉じかけた時に急に現れたとでもいうのか。俺の目が節穴というわけではない、間違いなく目の前に誰かがいる。そしてその人物は俺のよく知っている人物であり……。

 

 

「待っていたぞ。霧夜」

 

「千冬さん、どうしてここに?」

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

俺の担任でもあり、俺に一夏の護衛を依頼してきた張本人……千冬さんだった。

 

何でここにいるのか、目的は何なのか、千冬さんのいつもより厳しい眼差しを見れば、おおよその想像くらいはつく。急ぐ足を止め、ゆっくりと近づいていく。千冬さんのことだ、別に取って食おうなんて考えてはいないだろう。

 

とはいえ、この場をハイそうですかと見逃してくれる気がないのも事実。話せることはすべて話せ、そう言わんばかりの雰囲気を醸し出していた。

 

 

「私がここに来た理由くらい、お前なら分かるだろう?」

 

「さっきのことについて、ですか」

 

「そうだ。先に聞いておこう、お前はあの無人機が侵入してくることを知っていたか?」

 

「いえ、知らないです。そもそも俺が外に出ていたのは別件で用があっただけなので」

 

「別件? ……あぁ、更識か」

 

 

 初めに聞かれたのは今回、アリーナに侵入してきた無人機に知っているかどうか。信じたくはないが念には念を、一個人としてではなく、生徒たちを守る学園の教師としての尋問だった。千冬さんが本心でどう思っているのかは知らないが、自分の生徒をおいそれと疑いたい訳がない。

 

当然だが、俺があの無人機について知っていることは何一つない。そもそも俺が外出した理由は、別の侵入者が学園に侵入したからで、無人機が現れるなど想像すらしていなかった。別にノストラダムスの大予言が出来るわけでもなければ、先を見通せる頭脳を持っているわけでもない。

 

別件で外に出ていたことを伝えると、少し考え込み、数秒も経たずして楯無さんの名前が出てくる。俺から千冬さんに手を組んでいることを話したわけではないが、何らかの情報が千冬さんの耳に入っているんだろう。

 

俺の言っていることが嘘偽りがないと判断し、千冬さんの警戒が幾分弱まる。表情も初めのものと比べれば、大分柔らかな表情へと戻る。

 

 

「つまり別件で外に出ただけで、無人機のことについては一切知らないということだな?」

 

「はい。俺はあの無人機について心当たりも無いですし、何一つ知りません」

 

「ふむ……まぁ安心しろ。更識と侵入者を撃退したことについては更識家の者から聞いている。そもそも私の質問はお前が嘘をつく人間でないかを試しただけだ、特に気にする必要はない」

 

「……随分と回りくどいことをするんですね、織斑先生って」

 

「何、お前だからだ。他の人間には試す真似などしないさ」

 

 

千冬さんのドSの雰囲気が混じった笑みが、いつぞやの意趣返しのような気がしてならない。心当たりがあるとすれば例の調理室での一件か。俺をいじめて楽しんでいるような感じもするが、今はそこを気にしている暇はない。

 

 

「あの、織斑先生。俺は……」

 

「ああ、すまんな。何、鏡なら私たちが保健室まで運んでおいたから、心配はいらん。心配なのだろう? 鏡のことが」

 

 

まだやり残したことがあると言い切る前に、半ば強引に言葉を遮断された。未来予知とはこのようなことを言うのか、正直もう慣れてきた。俺の周りの女性は皆、俺の考えている思考などお見通しのようです。

 

しかしまぁ、ここまで機転を利かしてくれたのはありがたいもの。どうナギの前に姿を現そうかと考える必要はなくなった。保健室にいるみたいだし、後で顔を見せるとしよう。今回は危険に巻き込んじまったわけだし、本当になんともないのか一回会って確認したい。

 

 

「ええ、まぁ。さすがに今回ばかりは俺も肝が冷えました。でも何とか助けれて良かったです。後お気遣い、感謝します」

 

「……私たちもすぐに動いていれば危険な目に合わせることはなかった。お前たちに任せてしまった自分が情けない」

 

「気にしないでください。大事にならずに済んで良かったです」

 

 

 表情が暗くなる千冬さんを見て、思わず先ほどの自分と照らし合わせてしまう。千冬さんも普段は凛とした出来る大人の女性のイメージだが、全てのことを完璧にこなせるわけではない。ミスもするし、出来ないことや苦手なことだってある。

 

普段から表情に表さない人だからこそ、人一倍責任感が強い。千冬さんに多くの人が抱くイメージは、何でも出来る人、天才、努力などしなくても生まれもった才能があるといったもの。

 

でもその期待に応えようと、千冬さんは努力を続けている。モンド・グロッソでの輝かしい実績をはじめ、現役を引退した今でも全世界の憧れの的としてあり続けようとしている。

 

 

深く背負いすぎるな、それは今回俺が学んだこと。俺と千冬さんはどこか似ているかもしれない。失礼かもしれないけど、千冬さんの反応を見て何となくそう思った。

 

 

「んんっ! ……話が逸れたな。ひとまず、私からもお前に感謝したい。お前のお陰で最小の損害で食い止めることが出来た。それから一夏のことも、危険を省みずに守ってくれた。……ありがとう」

 

「織斑先生……」

 

「ただもう無茶をしてくれるな。生身で無人機に飛び込まれるのは、心臓に悪い。お前も私の大切な生徒だ、さすがに死なれては気分も悪い」

 

「あはは……分かりました」

 

 

最後は半分ジョークのつもりで言ったのか。はじめのうちは心の籠った感謝だったが、最後はうまく言葉を濁された気がした。

 

それよりも自分の担任に、大切な生徒と言って貰えることが俺にとって何よりも嬉しい。

 

無茶をしてくれるなとはいえ、どうしようも無いときだってある。出来ることなら俺もISに乗ってアリーナに乗り込みたかった。しかし、学園中のISが全て起動しなかったのだから、とれる行動としたら一つしかない。

 

……大半の人間には黙って見守れよとか言われそうだけど。

 

とにかく、大事にならなくて良かった。

 

 

一つどうしても許せないとするなら、何にも関係ないナギを狙ったこと。無人機だから判断する能力が乏しく、ナギのことを敵だと認識してしまったのだと思ったが、本当にそうなのかと。

 

そもそもどこが無人機を送り込んできたのかも気になる。ISが勝手に起動して、偶々IS学園に侵入したと考えれば納得できるかと言われても、納得出来るはずがない。偶然にしては出来すぎている。

 

無人機だった事実は変えられないものの、それがどのような過程で送り込まれたのか。調べていけばどこの誰が送り込んだのか分かるかもしれない。

 

ま、無人機自体は学園に回収されるだろうし、調べることはほぼ無理、素直に諦めるしかなさそうだ。

 

どうすれば良いか考えていると、再び千冬さんが口を開く。

 

 

「で、だ。今ISの回収をしている。その後すぐに解析を始めるが、結果は変わらんだろう。今回のことについては現場にいた全員、口外することを禁止する」

 

「分かりました」

 

「お前は口が固いだろうからこれ以上は言わん。とにかく、今回の件についてはこれで終わりだ。それと……」

 

「はい?」

 

「……」

 

「……織斑先生?」

 

「いや、何でもない。これを聞くのは無粋だったな」

 

「?」

 

 

千冬さんにしては珍しい行動だった。途中まで何かを言いかけて、思いとどまるように口をふさぐ。そして俺から視線を逸らして、やや俯き気味に下へと向けた。

 

何を言おうとしていたのか、寸でのところで止められると地味に気になるのが人間の性というもの。

 

無粋ってことは聞こうとしていた内容が野暮なものだったってことなのか、俺は千冬さんじゃないし何を考えているのかまでは分からない。

 

それともわざわざ俺に言うようなことでもなかったと気づいたのか。

 

……結局何か分からず、頭の中にモヤモヤが広がるか否かといったところで考えるのをやめた。深く気にしたところで何かが変わるわけでもない。その一言で俺が地獄の底へ叩き落とされるのなら話は別だが、常識的に考えてあり得ない。

 

 

「話を戻そう。とりあえず他の生徒はアリーナで待機してもらっている。今なら戻ってもさほど怪しまれんだろう。あれだけの騒ぎだ、隣に誰が居たかなんて覚えていないさ」

 

「そうかもしれませんね……たった一人を除いて、ですけど」

 

「そこに関しては私たちはどうにも出来ん。お前の方でうまくやってくれ」

 

「ですよね。うーん」

 

 

隣に誰が居たかなんて覚えてないと言われても、席を立つ時に完全に顔を見られていたら話は別。顔を見られるだけじゃなくて、声までかけられているのだからバレていてもおかしくはない。

 

ナギには申し訳ないけど、本当だったら声を掛けてあげたかった。それだけ心配だったから。でも出来なかった、ここで正体をバラす訳にはいかなかったからだ。

 

左肘についた擦り傷がほんの少しだけ痛む。

 

走った勢いそのままに飛び込んだため、出血自体は普通の擦り傷よりも多かった。傷自体はそこまで深くはなく、絆創膏さえ貼っておけば十分に止血は出来る。

 

ただあの状況でそんなものを持っているわけもなく、止血をしている場合でもない。そのままアローナへ戻ろうとした矢先に、呼び止められた。

 

左肘に貼られた絆創膏が血が外に流れ出すのを塞き止めてくれている。丁寧に貼られたそれは、そう簡単に剥がれることはないだろう。その時の光景ははっきりと脳裏に焼き付いている。

 

 

治療をするナギの表情からは申し訳無さしか伝わって来なかった。

 

何を反省することがあるのか、むしろ巻き込んでしまった俺が謝るべきだというのに。

 

……これ以上考えても埒があかない。一旦別のことに頭を切り替えよう。

 

 

 

「……とりあえず、何とかします。さすがにバレるわけにはいかないんで。千冬さんもこの事は内密にお願いします」

 

「分かった」

 

 

 

 

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 

 

 

切り替えようと思った途端、嫌な静寂が俺と千冬さんの周りを包み込む。千冬さんの視線が、何かを探ろうとする視線へと変わり、俺の両目を射抜く。

 

何を探ろうとしているか分からないものの、あまり気持ちのいいものではない。周りの空気も決して悪いものではないのに、今の空気はすこぶる悪い……いや、厳密には悪くなったと言えばいいか。

 

 

「やはり駄目だな。私は隠し事が苦手だ。霧夜……いや、大和。お前にはどうしても聞きたいことがある」

 

「はい」

 

「いいか、正直に答えろよ?」

 

「……はい」

 

 

脅しにも捉えられないこともない言葉の連続に、思わず一瞬怯んでしまう。どうしても聞きたいことは、多分ついさっき言いかけて、思い止まった内容のことだろう。

 

千冬さんは絶対に内緒にしてくれと言われたことに関しては、絶対に口を滑らせることはない。

 

ただその反面、言うことが嘘偽り無いストレートな物言いだ。自分の欲求に素直な人、気になることはどうしても解消しておきたい人らしい。

 

欲求に素直とはいえ、ワガママな訳ではない。自分のどうしても知りたいことについては、回りくどい言い方をせずに、ストレートに聞いてくるタイプ。

 

人によっては嫌がるかもしれないが、俺はむしろ遠回しに言われるより、ストレートに聞いてくれた方が嬉しい。それなら俺も答えやすいからだ。

 

 

―――次に続く千冬さんの言葉を、固唾を飲んで待つ。飲み込んだ唾が、渇いた喉に引っ掛かりうまく飲み込めない。僅かな時間しか経っていないというのに、俺の喉はどれだけ渇いているのかと、思わず苦笑いが出てくる。

 

額から溢れ出した冷や汗が頬を伝って地面に落ちる。端から見たら涙を流しているようにも見える。割と焦っているらしく、気付いたら右手を強く握りしめていた。

 

そして、千冬さんの口からその言葉が伝えられる。

 

 

「霧夜大和。お前は……」

 

「……」

 

 

伝えられたことは想定外でもあり、想定内でもあった。やはり聞いてくるのかと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――お前は一体、何者なんだ?」

 

 

 

 

 

千冬さんの発した言葉が、一字一句正確に俺の頭の中に刻まれていく。その言葉は思った以上に重たいもので、一瞬時が止まったような不思議な感覚に襲われる。

 

お前は何者なのか、生まれてからほとんど言われたことがない台詞だ。そもそも普通に考えて聞くようなことかどうかと言われれば、聞くようなことではないのは明らか。

 

千冬さんにとって俺がどのような人間に映ったのかは知らないが、聞かれたなら俺も返すしかない。

 

 

「……千冬さんがどう捉えるかは分からないですけど、俺は普通の人間ですよ」

 

「……無人機との戦闘中に見せた身のこなしと、スピードは普通の人間であれば出来ないような動きなのだがな。それをお前は鍛練で身に付けたと?」

 

「そう捉えて頂いて結構です。俺としても他に言い様がないので」

 

「ほう?」

 

 

諦めたような口調で一度言葉を遮るが、目は笑っていない。まだ俺のことについて、少しでも情報を聞き出そうと何かを考えているのか。

 

数秒ほど間をおいて再び口を開く。

 

 

「……どうしても言えないんだな?」

 

「言えないも何も、今言ったことが事実です。それ以外に説明のしようが無いですから。まぁ、敢えて言うなら……」

 

 

どうしても聞かれたくないこと、知られたくないこと、それは誰しもが持っているもの。少なくとも今は、どうしても話さないといけない状況ではない。

 

千冬さんのことを軽蔑している訳でもなければ、信用していない訳でもない。そもそも信用しているから話すものではない。

 

繰り返しになるが、人にはどうしても知られたくないことや聞かれたくないことある。『お前は何者だ』と聞かれれば、いい気分はしない。

 

答えられないものは答えられない。あくまで俺は人間だからだ。

 

ただ一つ、言い方を濁すとするのなら……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ここから先は俺の管轄なので。……いくら千冬さんといえど、踏み込ませるつもりは無いです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

語気は決して強めず、静かに、ただやや強めの威圧感を込めて、千冬さんに言葉を続ける。ここから先はもう完全なプライベートの管轄になる。プライベートに踏み込ませるつもりはない。余程のことがない限り、これからも話すつもりは微塵もない。

 

千冬さんがこんな質問を投げ掛けて来たのも、俺が無人機に対して互角以上の戦いを見せたから。一夏の零落白夜が、相手のシールドバリアーを破壊してくれたため、こちら側の斬撃が通ってくれた。

 

千冬さんとしてはいくらバリアーが破壊されている状態とはいえ、生身の人間が平然とISに立ち向かえるのはおかしいと思ったんだろう。

 

……確かに一般常識で考えてみれば、おかしいかもしれないな。

 

 

「……すいません。ちょっと強い言い方になっちゃいましたけど。俺はあくまで普通の人間です」

 

「……そうか。私の方こそ、失礼な質問をして悪かったな」

 

 

 俺の言ったことに何かを感じ取ってくれたらしく、軽く頭を下げて謝罪をしてくれた。物言いはストレートだが、この人の言うことは信用出来る。あまり表情には出さないが、言葉の節々に謝罪の念を感じることが出来た。

 

ならもう俺も堅苦しくする必要はない。硬くなっていた表情と、張りつめていた気が和らいでいく。

 

 

「まっ、そう思うのは無理もないです。俺だって目の前で鬼神染みた戦い方されれば、思わず言いそうですから」

 

「ふっ、やはりお前は食えないやつだ。……とにかく、今回聞いたことは忘れてくれ」

 

「分かりました。……ところで話は変わるんですけど、アリーナで戦っていた三人はどうなりました?」

 

「ん? あぁ、一夏を除いた凰とオルコットには事後処理を手伝って貰っている。一夏はお前が去った後すぐに気絶してな、今は保健室で寝てる。……全く、どいつもこいつも心配させてくれる」

 

 

話を切り替えて、アリーナであの後どうなったのかを千冬さんに問いただす。アリーナにいた人間は一夏、鈴、セシリアの三人。

 

甲龍の最大出力の衝撃砲を受けて、あれだけ戦えること自体が凄いこと。火事場の馬鹿力なんてよく言うけど、今回のことはまさにそれ。

 

白式は外からのエネルギーを吸収することが出来るようで、吸収するエネルギーは攻撃に使われるようなものでも構わないらしい。ただ攻撃のエネルギーを直で身体に受けるため、一夏の身体に掛かるダメージは大きい。

 

俺の言葉に悪態をつくように答える千冬さんだが、言葉の一つ一つから棘は感じられない。そして最後には心配させてくれると、はっきりと言いきった。

 

その言葉こそ、心の底では一夏をはじめとした、自分の受け持つ生徒のことを大切に思っている証拠。

 

照れ隠しのようなもので、素直に褒めたり心配したりすることに関して不器用らしい。

 

 

「……何だその顔は?」

 

 

何てちょっと千冬さんの性格について考えていたら、案の定睨まれた。もはや何も言うまい。

 

 

「え? あぁ、いや。特に何でもないですよ?」

 

 

 本当は思いっきり不器用だの、ツンデレだの想像していたけど、内容こそバレないものの、このやりとりはもはや完全なデフォになっている感じがする。

 

あまりやり過ぎると物が飛んできそうだし、このくらいにしておく。相変わらず千冬さんの疑ったような眼差しは変わらないが、特にこれ以上何かを考えない限りは何かをされることはなさそうだ。

 

 

「……とにかくお前はアリーナに戻れ。落ち着くまで少しの間、待機していろ」

 

「了解です」

 

「ふん。ではな」

 

 

それだけ言い残すと、千冬さんは俺が進む方向とは反対に向かって歩き出す。何を考えているのか、何を探ろうとしているのか、話した限りではわからない。

 

 

「……ま、いいか!」

 

 

今深く気にしたところで何かが変わるわけでも無いし、何かをされるわけでもない。気にするだけ野暮だ。

 

アリーナに向かう前に、顔を上げて何気なく近くの時計を見る。時間を気にすることもなかったから、どれだけ時間が経っているのかと、時計の短針を眺めると、もうクラス対抗戦が始まってから二時間近く経っている。

 

よく考えれば一試合に二時間は長い。しかもこの現状を考えればクラス対抗戦は中止決定は必須……学校の恒例行事らしいけど、大丈夫なのかと心配になる。

 

とにかく、今は一旦アリーナに戻るとしよう。

 

俺は止まった足を再び動かし始め、アリーナに向けて走り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり中止だよなぁー……」

 

 

 太陽は沈む準備を始め、建物の窓枠からは茜色の夕日か差し込み、黒い影を廊下に映す。かれこれ数時間、アリーナではあーでもないこーでもないと生徒たちの安全確認が行われ、生徒たちは真実を全く知らされないまま教室へと帰された。

 

事情が事情だ、千冬さんも言っていたように今回のことは外部に漏らすのは禁止。アリーナに残っていた生徒の中では俺しか事情を知っている人間はおらず、他の生徒には緊急で行われた訓練だと説明があった。

 

中にはそれが嘘だと意見する生徒も何人かいたが、教師の実際のケースを想定したものだと言われると、何も言い返せず、真実は闇に葬り去られた。

 

 

で、俺はというと、特にアリーナに戻っても何かを言及されることもなく、そのまま教室へと帰された。隣に座っていた谷本や相川も、騒ぎのことで頭が一杯で、俺がどこにいたのかなど完全に忘れていたらしい。

 

再会した時に『結局さっきのは何だったのかな?』という言葉を投げ掛けられて、俺が居なかったことは完全に忘れていると確信した。

 

ただ、俺が居なくなっていたのに気付いた生徒が一人だけいた。

 

布仏本音、正直のほほんとした動作からは想像出来ないような、洞察力を持ち合わせている。俺が戻ってきた時に『きりやんどこいってたのー?』と聞かれた時には目を疑った。あの状況下で居なくなった人間のことを覚えているのかと。

 

布仏の座っていた場所は、俺から右に三人分の席がある。それも俺が席を立った時に気付いたのは隣にいたナギだけで、ナギの隣に座っている相川と谷本は全く気付いてない。

 

なのに更に二人の右隣に座っていた布仏が知っていたとなると、どれだけ周りの空気が読める子なんだろうと、感心してしまう。

 

 

もしばれていたらどうしようかとも思ったものの、布仏ならまぁみたいな考えで片付いてしまい、それ以上気にすることもなかった。

 

 

「でもあの状況下じゃ出来ないよな。アリーナに無茶苦茶になってるし」

 

 

地面は穴まみれ、天井のガラスは無惨にも粉々に破壊されて、壁には核兵器でも撃ち込んだような大穴が空いてしまえばもうどうしようもない。

 

などと、くだらないことを考えながら一人、校舎の廊下を歩く。

周りに誰かがいる登校中とは違い、皆が帰って静まり返った放課後の廊下は、一つ一つの足音が壁に反響し、コツコツと小刻みなリズムで跳ね返ってくる。

 

あまり放課後に一人で誰もいない場所を歩くことはない。今日は部活自体も中止になり、残っている生徒は完全にゼロ。残っているとすれば教師たちくらいだが、今日侵入した無人機の解析のために別室に籠って会議中。更に一部の教師たちは詳しい解析を行うために、地下に眠る秘密の空間に行っているそうだ。

 

つまり学校に俺だけか……と言われれば違う。

 

俺が向かっているのは保健室で、そこにはまだ残っている生徒が数人。本当なら二人と言い切りたいが、十中八九それ以上いる。

 

 

歩を進めること数分、ようやく目的である保健室とかかれた表札が十数メートル先に見えた。さっきよりも少しだけ歩く速度を上げて、保健室の前に着く。

 

と―――

 

 

「だから! それが抜け駆けだと言うのだ!」

 

「二人とも下がっててよ! 今はアタシと一夏が話してるんだから!」

 

「幼馴染みなんて関係ありませんわ! そもそも、貴方は今何をしようとしてましたの!?」

 

 

本当なら外れてほしかった予想。でもやっぱり嫌な予感は当たるもの、ここにもし千冬さんが居たとしたら、今聞こえた声の主全員が出席簿の餌食になっていたに違いない。

 

そもそも保健室ってこんなに騒がし居場所だったっけと、教育委員会辺りに尋ねそうになる。聞いたら聞いたところで、何言ってるのこの子? 的な反応をされるのがオチだろうしこの際考えるのはやめにする。

 

千冬さんが居ないのならラッキーくらいに思おう。

 

 

「……」

 

 

戦地に赴く戦士のように何故か意を決して、扉の取っ手に手を掛ける。

 

そして勢いよく引いた。

 

 

「あ、大和!」

 

「よっ、大丈夫か一夏? ……で、お前らは何やってんの?」

 

真っ先に俺の入室に気付いたのは一夏だった。上半身だけを起こし、ベッドの柵部分に身体を預け、顔だけをこちらに向けている。特に見た感じでは目立った外傷もなく、大怪我はしているわけでは無さそうだ。

 

そして一夏のベッドの横では案の定、三人組が火花を散らせながら言い争っていた。

 

……が、俺の入室に気付き、とっさの判断で大声を出すのだけはやめたらしく、一夏と同じように顔だけを俺の方へと向けていた。

 

数秒ほど一言も発さずに一夏を除いた三人のことを眺めていると、徐々に三人の顔が青ざめていく。自分たちのしていた会話を全部聞かれたとでも思ったのか。

 

少なくとも後半部分は完全に聞こえていたよねって話、それだけでもどれだけ一夏と二人っきりになりたかったのか、させたくなかったのかは分かった。

 

俺の視線を受けて、真っ先に口を開いたのは篠ノ之だった。

 

 

「き、霧夜! いつから居たんだ!?」

 

「え? いや。今来たばかりだぞ」

 

「あ、あああアンタいつから聞いてたのよ!!?」

 

「いつからって言われても、マジでついさっき来たばかりだしな」

 

「く、来るなら連絡してくださいませ!」

 

「え、何その理不尽」

 

 

篠ノ之に続いて、鈴、セシリアと慌てて俺の元へと詰め寄ってくる。余程話していた内容を聞かれたくないのか、だったらあんな大きな声で言うこともないだろうにと突っ込みたいところ。

 

そしてセシリア、面会謝絶レベルの重症ならまだしも、千冬さんから大した怪我ではないと伝えられて、来たのにワザワザ連絡する必要も無いんじゃないか?

 

とりあえず今の三人の反応を見て確信に変わったものがあるとすれば……。

 

 

「一夏のことが気になるのはよーく分かったから、頑張ってくれ!」

 

「「なっ!!?」」

 

 

一夏にホの字だということを、敢えて遠回しに伝えると、三人は一瞬のうちに顔を赤らめる。そして次に出てくるのは、事実を仄めかすような言い訳の数々だった。

 

 

「ふ、ふん! 何を言っているのか分からないな!?」

 

「な、何のことか全然分からないわね!!」

 

「い、言い掛かりもほどほどにしてほしいですわ!」

 

 

と、三人とも語呂は違えども、意味合い的にはほとんど同じような返し方をしてくる。本人の前だから素直になりきれないのもあるだろう。しかしそれ以上に本人たちはそれ以上に隠し通せていると思っているらしい。

 

予想通りの反応、期待通りのツンデレ、ご馳走さまです。

 

三人を軽くからかったところで、俺は一夏のベッドに歩み寄る。

 

 

「怪我は大丈夫なのか?」

 

「ああ! 身体の節々は痛いけど、特に問題はないみたいだ」

 

「全く、何をやればそんなことになる。正直こっちは何も見えていないし、何も聞けないから分からないけど、今のお前の状況を見れば大概無茶したことくらいは分かるぞ」

 

「ははっ、まぁあの時はあれしか策が思い付かなくてよ。今思えば結構ギャンブルだったよな、あれ」

 

「問題がなくて当たり前よ! 全く、あんな馬鹿な真似なんて二度と御免だわ! ほんと、馬鹿もここまで来るともう呆れるしかないわね」

 

「お前馬鹿馬鹿言い過ぎじゃねーか!?」

 

「何よ! 事実じゃない!」

 

「あー、ハイハイ。保健室だから、あんま騒がないようにな」

 

 

特に怪我は大きなものじゃなくて安心した。一夏が背中で鈴の衝撃砲を受けたのは俺も見ている。ホンライは見えてはいけないものだが、現場にいたから嫌でも目に飛び込んできた。

 

受けたエネルギーを取り込み、それを瞬時加速を使うためのエネルギーに転換した。そんなこともISは出来るのかと感心すると共に、なんて無茶するんだと心配の念も沸き上がってくる。

 

ただ何度も言うように、惨事に至らなかっただけ何より。スルーしているが、鈴と一夏の仲が良いのはご愛敬だ。

 

さて、俺がここに来たのは一夏の見舞いと、もう二つほどやることがあるから。まず二つのうちの一つを一夏に問い掛けていく。

 

 

「そう言えば、ナギも巻き込まれたって本当か?」

 

「……ああ。ついさっきまで隣のベッドで寝てたんだけど、気付いたら居なくなっててさ。そう言えば、大和は観客席に取り残されてたから知らないよな……」

 

「アリーナの中はシャッター越しに見えないしな。怪我とかしてなかったか?」

 

「特に見た限りはなかったな。怪我がないのも、多分乗り込んできたアイツのお陰だと思うけど」

 

「そうね。急に飛び込んできたと思えば人を助けるだけじゃなくて、ISまで倒しちゃうし。お礼を言おうと思ったら既に居なくなってるし。……何かよく分からない奴だったわ」

 

 

口外するなと千冬さんに言われているはずなのだが、俺の質問に対してボンヤリと濁しつつも、ハッキリと二人は答えてくれた。

 

帰れたってことは足のすくみが治ったのか。あの時は自力で立ち上がることすら出来なかったし、そう考えると幾分症状は回復したみたいだ。

 

本当ならこの場で会って、一度話したかった。それが出来なかったのが残念だが、ここで悔やんでも仕方ない。寮に戻り次第会って聞こう。

 

 

「そっか……良かった」

 

「……あの時決まったと思って油断しなければ、鏡さんを危険にさらさずに済んだかもしれないな」

 

「自分を責めるなよ一夏。結果論になるけど、最悪の事態にならなくて良かった。お前は十分やってくれたと思う」

 

 

一夏が言うのは、無人機の腕が一夏の雪片で切り落とされた直後のこと。あの時ISは殴り飛ばした一夏に止めを刺そうと、ゆっくりと一夏へ近寄っていった。むしろ殴られたのは想定内で、相手が油断して自分の元へ近付いてきてくれさえすれば良かった。

 

相手のビームはチャージするのに時間が掛かる。エネルギーをチャージしている時に、完全な視覚外から想定していない相手に攻撃をされれば、いくら素早い動きが出来たとしても、かわすことは不可能に近いと。

 

その為に最後の切り札としてセシリアを使った。

 

この策は一部を除いて成功している。ナギがアリーナに顔を見せるイレギュラーがなければ。

 

 

そして無人機はその存在に気付いてしまい、一夏に向けて撃つつもりだったビームをナギに向けて撃った。

 

確かに一夏の不注意と油断があったかと言われれば、俺としても否定しきれない部分もある。だが、無防備な相手を何の躊躇いもなく、攻撃出来る腐ったプログラムに俺は無性に腹が立った。

 

一夏は学園の生徒を守るため、よくやってくれたと俺は素直に評価してやりたい。一夏がいなかったら間違いなく大惨事になっていただろうから。

 

 

「誰かを守るためにも、もっと強くならないとな」

 

「その意気込みは大切だが、力に溺れるなよ一夏。力を過信した奴は、結局肝心な時に身を滅ぼす」

 

「あぁ、そうだな。気を付ける」

 

「よし。とにかく、怪我無く済んで良かったよ。知り合いに死なれたら、後味悪いからな」

 

「そういやその台詞、さっき同じように千冬姉にも言われたな」

 

「あ、そうなの? ま、生きている以上、同じ言葉を聞くこともあるさ。……で、だ。急に話は飛ぶんだけどな」

 

「ん、何だ?」

 

 

話の転換に何の話かと目を見開いて、興味深げに見詰めてくる一夏。他の三人も何のことかと揃って耳を傾けてくる。一つ目の話が一段落したところで、二つ目の話。

 

二つ目の話は以前食堂で、ここにいる三人がいがみ合っている間に、俺と何人かで決めたイベントだ。話を切り出す前に一区切り置き、時計を今一度確認する。

 

時計の短針は四と五の間を指している。時間的にもそろそろ買い出しに向かった方が良い。

 

勘の良い人間ならもう気付いているだろう。俺が食堂中に企画したことといったら一つしかない。

 

 

「こんなことになったけど、この後食事会やろうと思ってな。お前らも来るよな? あくまで強制ではないから、任意になるけど」

 

「おっ! そういえばそんなこと言ってたよな! 行く行く!」

 

「お、おい一夏! 身体の方は大丈夫なのか!?」

 

「大丈夫だって箒、さすがにそこまで俺も弱くはねーよ。自分の身体くらい自分で管理するさ!」

 

「相変わらず、回復だけは早いのよね」

 

「わたくしでしたら、到底考えられませんわ」

 

 

地味に一命褒めているようで、全然褒めていないのがいるけど、特に一夏も気にしてないようだし、まぁ良いだろう。

 

 

「で、後ろの三人はどうする? もう人数に入っているから、元々その分の食材は買うつもりだったけど」

 

 

後はここの三人が来るかどうか。一夏が来るのは分かっていたため、後決まってないのは篠ノ之、セシリア、鈴の三人。多分三人のことだ、一夏が行くって言ってるから、間違いなく……。

 

 

「私は行かせて貰おう。一度霧夜の料理を食べてみたいものだ」

 

「あ、アタシも行くわ。お腹も空いたしね」

 

「それならわたくしも。男性の料理は一度食べてみたかったんです」

 

「ん、ならここの全員は参加で決定だな。食材費は全部俺が持つから、安心してくれ」

 

 

予想通りの全員参加。まぁ最初から分かっていたけど。そうと決まれば後は食材をするだけ。これはメニューを考える俺がしてくれば良い。なるべく全員の口に合うようなものを考えるとしよう。

 

 

「あ、大和。俺も手伝うから早めに部屋に行くわ」

 

「そうしてくれると助かる。じゃ、俺は先に戻っているから、また後でな!」

 

「おう!」

 

 

 

 

 

 

全員に言伝てをすると、俺は一人保健室を出た。

 

やることはまだ沢山あるが、とりあえず買い物に行く前に寄る場所がある。

 

その目的の場所へと急ぐのだった。



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近付く距離

夕暮れに照らされる中、通学路を寮に向かって戻る少女が一人。先ほどまで続いていた足のしびれも治まり、歩くことに関しては全く支障はない。

 

鞄を両手で握り、若干視線を俯き気味に下げながら歩く。明るい夕日だというのに、その少女の心は晴れない。気分は夕日ではなく、地面に映し出される影のよう。

 

何気なく先ほどのことを思い出そうとするも、自分に向かってビームが放たれた時のシーンになると、脳が思い返そうとするのを拒否する。それと同時に現れるのは身体の震え。

 

彼女にとってあの時の出来事がトラウマとなり、大きな心の傷になってしまっていた。

 

無論思い返さなければフラッシュバックとして現れることはないものの、実際にあの時走馬灯を見たのも確か。まさに生と死の境をさまよったといえる。

 

誰も助けてくれず、もしあの時そのままだったら。

 

 

「……」

 

 

そこで出てくるのは、危険に晒されていた自分を助けてくれたあの仮面の剣士。どこの誰なのか全く見当はつかないものの、もう一回会って面と向かってお礼を言いたい。

 

自分を助けてくれた恩人に、何かが出来るわけでもないけど、お礼の一つもきっちり言わないと彼女の気が済まなかった。

 

 

「こらこら、俯いて歩いていると危ないわよ?」

 

「え? あっ!」

 

 

ふと前方から快活な声が聞こえてくる。一瞬誰だろうかと驚くも、その声に聞き覚えがあった。どこで声を聞いたのかもしっかりと覚えている。視線の先に映るのは声の人物の足、スニーカーと黒のストッキングがしなやかな足を象徴していた。

 

徐々に視線を上げていくと、飛び込んでくるのは女性の誰もが羨むようなプロポーション。出るところは出て、引っ込む所は引っ込んでいる。更に視線を上げると、端正な顔立ちが不敵な笑みを浮かべていた。

 

水色の外にはねた癖毛が風に揺れ、右手に握られた扇子で口を覆うように隠している姿がからは、圧倒的なカリスマ性を感じさせる。扇子には『前方注意』と書かれているところを見ると、今来たばかりではなく、自分が歩いているのをずっと眺めていたかのような口ぶりだった。

 

見覚えのある容姿と聞き覚えのある声が、脳が覚えている名前と合致し、無意識にその名前を呟いた。

 

 

「更識……先輩」

 

「あん、水臭いなぁ。楯無で良いってば」

 

「ど、どうしたんですか、こんなところで?」

 

「うーん、世間話? ……ま、ちょっとナギちゃんとお話したいのよ」

 

 

学園最強、生徒たちを束ねる長、生徒会長更識楯無。

 

ふふっと笑みを浮かべながらナギの前に近寄ってくる。シリアスな笑みからは、何を考えているのか判断することは出来ない。ナギは無意識のうちに彼女の雰囲気に飲まれてしまっていた。

 

初めて会ったのは大和の部屋、その時は大和の彼女と勘違いしてしまった苦い思い出がある。大和の部屋のドアを開けたと思えば、出てきたのは見知らぬ女性、誰がどう見ても勘違いするのも無理はない。

 

年頃の女の子にとって、楯無は憧れそのもの。学園の生徒が憧れる女性、身近には織斑千冬という人間がいる。しかし楯無のことを知っている人間からすれば、千冬ほどではなくとも楯無は出来る大人の女性の風格を持っている。

 

 

容姿だけではなく、知能も身体能力も、誰もが羨むようなものを持ち合わせた人間が同世代にいるとすれば、それは格好の的となる。

 

―――憧れの的として。

 

 

「は、話ですか?」

 

「うん、そう。とはいってもちょっと真剣な話もあるけどね」

 

「は、はい」

 

「もう! そこまで緊張しないの! 別に取って食おうなんて思ってないから」

 

 

自分に話があると言われ、思わず顔が強張る。変化に気付いた楯無が苦笑いを浮かべながら、緊張をほぐしにかかる。実はナギは楯無が生徒会長という事実には気付いていない。というのも、部屋で少し話した時に教えられたのは名前だけで、他にはつけているネクタイの色で年上だと分かったくらい。

 

そこまで深く話し合ったわけでもなければ、何かを一緒に行ったわけでもない。あくまで二人の関係は顔見知り程度のものだった。

 

 

「ちょっと歩きながら話しましょう。立ち話もなんだしね」

 

「あ、はい!」

 

 

返答をすると楯無と共に寮へと続く通学路を再び歩きはじめる。楯無が自分に話したいこととは何なのか。それが頭の中を埋め尽くして、他のことを考えられなくなる。

 

 

「急に変なこと聞いちゃうけど……身体の方は大丈夫?」

 

「はい……何とか。あの、楯無さんはもしかして……」

 

「ええ、何があったのかは知っているわ。あれだけの騒ぎだもの、私の耳にもある程度の情報は入ってくるのよ」

 

「た、楯無さんって何者なんですか?」

 

 

確か今回起きたことは完全に他言無用と口止めされているはず。保健室に運び込まれた時に、千冬から謝罪と共に言われたことだ。あの出来事を知っているのは自分を含めて数えきれるほどの人数しかいないはず、なのになぜ知っているのか。目の前にいる楯無が何者なのかと気になるのも無理はなかった。

 

思いもよらないナギの質問に目を思わず丸くする楯無だが、何を思ってそんな質問をしたのかを悟るといつも通りの笑みを浮かべながら優しく答える。

 

 

「予想の斜め上の質問ね。何者かって言われたら、一応この学園の生徒会長よ♪」

 

「生徒会長……」

 

 

ポツリと単語を呟く。この学園で生徒会長を名乗れるのがどんな人間か、ナギも十分に承知している。学園の中で常に最強たれ、生徒の中で頂点を極めたものでなければ生徒会長を務めることは出来ない。

 

それだけの人物であれば、知っていたとしてもおかしくはない。素性が完全に明らかになり、引っかかっていた靄が取れて幾分緊張感が和らいだ。

 

 

「ま、生徒会長って言っても結局は貴方達と同じ、このIS学園の生徒よ。だからあまり壁を感じないでほしいな」

 

「わ、分かりました」

 

 

壁を感じるなと言われても、どうしても目に見えない壁を感じてしまうのは事実。自分と比較してしまうと劣等感しか湧いてこない。ナギ自身もここの試験に合格するために一生懸命勉強し、入学という狭き門を勝ち取った。

 

ただここに入学してくる生徒は全員、同じようにその狭き門をくぐり抜けてきた努力家もいれば、セシリアや鈴のような国家に認められ、特待生として入学してきた代表候補生もいる。

 

いわゆるエリートと呼ばれる生徒たちの中で、最も強い生徒。それが今目の前にいる更識楯無という人物だった。何でも出来る完璧超人で、さらに容姿も完璧ともなればどこに自分が勝てる要素があるのかと凹んでも無理はない。

 

逆に楯無としては、壁を感じて高根の花だと線引きをして欲しくないのが本音で、あくまで一生徒として、一友人として接してほしいのが願望だった。

 

 

「さてと。見た感じ大きな怪我も無いけど……どう? 何処か痛むとか無い?」

 

「だ、大丈夫です。さっきまでは足がすくんで歩けなかったんですけど、今は特に何も」

 

「そう、良かった。もし何かあったらすぐに言ってね? 出来る限りのサポートはするわ」

 

「ありがとうございます……」

 

 

特に何も無いと言っても、時間が経ってどうなるかは分からない。もし出来ることならこちらでもサポートをして上げたい。無関係な生徒を今回巻き込んでしまったことに、楯無も申し訳なさを感じていた。

 

上から下へ視線を移動させ、本当に何もないかを確認する。身体の内部のことは分からないものの、仮に外傷があればすぐに分かる。

 

確認を終えたところで、ホッと胸を撫で下ろすと、今度はナギから楯無に向かって質問をする。

 

 

「た、楯無さん!」

 

「どうしたの?」

 

「あ、あの……分かる範囲で良いんです。さっきISと戦っていた人のことで何か知っていることってありませんか?」

 

「!」

 

 

それはナギにとって今もっとも知りたいことだった。無人機の侵入のことを知っているのなら、もしかして一緒に戦っていたあの剣士のことも知っているのではないかと。

 

質問に対して一瞬驚いた顔を浮かべる。楯無自身はあの剣士の正体が誰なのか知っており、正体のことは一般生徒はおろか、下手をすれば権限を持つ教員にすら教えてはならないこと。

 

教えられないのは大和があくまで内密に頼まれていることで、第三者に知れ渡ってしまえば、それが芋づる式に伝わって、一夏や大和を狙う組織に情報が漏れてしまう危険があるから。

 

また護衛という仕事は、あくまで依頼人と護衛の間で成り立っているもので、本来であるなら第三者の加入は決して許されない。

 

楯無も大和の正体が何なのかを問いただすとき、依頼人が誰で、護衛対象が誰なのかは聞いていない。大和の行動で護衛対象が誰なのかを知ったに過ぎなかった。

 

 

ナギの質問に対して楯無はしばらくの間考え込む。この時点で何かを知っているのではないかと疑われても無理はない。そもそも質問を投げ掛けられた時に、表情に出てしまった時点で、知らないと返すことは出来なくなっていた。

 

どう説明しようかを考え、ようやく答えが出たのか楯無は顔を上げて説明を始める。

 

 

「……私にも詳しくは分からないわ。でも一つだけ言えるのはあの人は私たちの敵ではないということ。仮面の下の素性が分かれば良いんだけど、私もそこまであの人物について詳しく聞かされてないのよ」

 

「そうですか……やっぱり分からないですよね」

 

「ごめんなさい、お役に立てなくて」

 

「あ、いえ! 答えてくれてありがとうございました」

 

 

嘘をついたことにズキンと心が痛む。ナギを救った剣士は、身近にいる人間だというのに。知っているのに教えられないことが、楯無にとって辛いことだった。

 

ただどうしてこんな質問を投げ掛けてきたのか、それが楯無は無性に気になった。もしこれが大和ではないかと気付いているとしたら、楯無が誤魔化したことも全てお見通しということになる。

 

勇気を振り絞って、今度は楯無からナギへと質問を返した。

 

 

「でもどうしてあの人のことを? 何かあったの?」

 

「そうですね。助けてくれたお礼をもう一度言いたいのと……」

 

 

 一つ目は自分の命を救ってくれた恩人に、改めて感謝をしたいとのこと。これだけであれば特に何も問題はなかった。しかしナギの口振りからして、まだ何か言うことがあると、容易に連想出来た。

 

次に発せられる言葉を、固唾を飲んで楯無は見守る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――私、あの人と何処かで会ったことがあるような気がして……」

 

 

その言葉を聞き思わず絶句する。

 

まだ正体こそ気付いていないものの、言い方からして明らかに疑問に思っている。思えば十分に考えられることだった。まだ出会って一ヶ月と経っていないが、それでも学園で常に一緒に行動していれば、大和の雰囲気は常に感じている。

 

会ったことがある気がするといったのも、仮面の剣士の雰囲気が、大和の持つ雰囲気と同じだったから。そもそも仮面の剣士と大和は完全な同一人物。

 

ナギが会ったことがあると言っても何ら不思議ではない。

 

 

「そうなんだ。会えると良いわね」

 

「はい……」

 

 

楯無には大和だとバレないように、誤魔化すことしか出来ない。真実を伝えたくても、大和から自分のやっていることに関しては、一切口外しないでくれとも頼まれる。ナギの意思を汲み取るのか、大和の意思を尊重するのか。

 

どちらも裏切ることは出来ないが、やっている仕事上、大和のことを裏切るわけには行かなかった。

 

 

 

複雑な感情が行き交うなか、ふと後ろに誰かの気配があることに気付く。

 

誰かにつけられているとかではなく、純粋にたまたま現れたもの。何気なく顔を後ろに向けて、誰の気配なのかを確認しに掛かった。

 

 

「あ、楯無さん!」

 

 

先に声を上げたのは楯無ではなく、他でもない後ろにいた人物からだった。よく見ると汗だくで、ここに来るまで相当なスピードで走ってきたことが伺える。

 

声をあげたことで、楯無の隣にいたナギも同じように後ろを振り返る。

 

するとそこには、はぁはぁと小刻みに息を整える大和の姿があった。

 

 

「良かった。間に合ったか……」

 

「や、大和くん? どうしたのこんなところで」

 

「いや、アリーナにも居なかったし、クラスにも戻ってこなかったからどうしたんだろうと思って……保健室にいるって織斑先生から聞き出したんだけど、保健室に行ったらちょうど帰ったって言われたから、追いかけてきた」

 

「え?」

 

「つまり、大和くんはナギちゃんのことが心配で堪らなかったんじゃない?」

 

「ちょっ……楯無さんそれストレート過ぎ。でもトイレから戻ったら居ないし、マジで心配したんだよ。どこに行ったんだろうって」

 

「―――ッ!!?」

 

 

大和の言葉に無意識に心音が高鳴っていく。ドキドキと大きく波打つ鼓動は、大和の顔を直視できなくなるほどの緊張感を与える。

 

大和の一言は直訳すると自分を本気で心配してくれていたことを意味する。あの時大和が席を立った後、それを追いかけるように自分も席を立った。しかし自分は大和を追いかけたはいいものの、結局行方を見失うはめに。

 

大和は席を立った時自分になんて言っただろうか、ふと思い返してみるとすぐに思い出すことが出来た。

 

 

"すぐに戻ってくるから"

 

と。

 

 

 

本気で心配してくれたことに嬉しく思う反面、同時に裏切ってしまった罪悪感がナギの心を支配する。あの時、大和の言うことを信じてあの場で待っていたとしたら……

 

アリーナで身動きを取れない自分を救ってくれた剣士に会うことはなかった、しかし剣士に迷惑をかけることも怪我を負わせることもなかった。何より誰にも心配をかけることはなかった。

 

何をしているのか自分はと。

 

 

感じる罪悪感と共に、胸の奥底から何かがこみ上げてくる。

 

我慢しようと思ってもそれは我慢できるものではなかった。こみ上げて来たものはそのまま出口に辿り着き、とめどなく溢れてくる。

 

白銀の筋が自分の頬を伝ったかと思えば、一滴の滴がポタリと地面に落ちていく。一滴落ちた後はリミッターが外れたかのように大粒の滴が地面を濡らしていく。

 

自分の感情ではどうすることも出来なかった。

 

 

「あ、あれ? 何で……」

 

 

涙と共に溢れてくるのは、生きていて良かったという安堵と、無人機に対する恐怖心。

 

 

「ナギ……」

 

「う、ううん。な、何でもないの。本当に何でも……」

 

「……じゃあ、何で泣いてるんだよ」

 

「えっ……」

 

 

涙は全てを物語っていた、どれだけ怖い思いをしたのかと。大和も楯無もどうして泣いているのか知っている、特に大和はその現場を一番間近で見ているのだから。

 

自分が何もしていない一般人だったとしたら、同じように計り知れない恐怖感を覚えるだろう。涙の一つを流したとしても何ら不思議ではない。

 

 

「……」

 

 

 気付けば大和の身体は動いていた。一歩一歩、立ち止まって俯くナギへと歩み寄っていく。自分が彼女に何をしてやれるのかは分からない。しかし目の前で涙を流す友達がいるのに、じっとしていることなど出来るはずがなかった。

 

少なくとも大和にも罪悪感はある。あの時ナギに気付かれずに出ていれば、彼女を巻き込むことはなかった。間一髪助けることが出来たとはいえ、危険な目にあわせたことに変わりない。

 

真実を打ち明けられない、全てを話してやりたいと強く思うも、"護衛"としての自分がそれを決して許さなかった。

 

自分の護衛の仕事に私情は挟んではならない、一般人に自分たちのことを話すことは出来ない。本音を言うならこちらの世界に巻き込んではならないと。

 

ナギの前に立つと身長差があるため、少しだけ視線を下げる。地面に映し出された影に気付いたのか、ゆっくりと顔をあげてくる。

 

 

「……?」

 

「保健室で一夏から聞いたよ、ISに襲われたって。……本当は完全に秘密のことだったらしいけど、保健室に入ろうとした時に偶々中の会話が聞こえてな」

 

「え?」

 

「……俺があんな時にトイレに行かなければ、ナギが危険にさらされることもなかったな」

 

「そ、そんなこと」

 

「さすがに無いとは言い切れないよ。でも、俺が一つだけ言えるとするなら―――」

 

 

眼差しが一段と強くなる。何かを決心したかのような眼差しがナギのことを射ぬく。その視線に何かを感じたのか、思わずビクりと身体を震わせながら大和のことを見つめ返した。

 

『一つだけ言えることがある』

 

それが彼女にどう伝わったのか。反応を見る限りでは、少し怯えているようにも見える。何を言われるのか分からずに、身体を震わせながら、続く言葉を待つ。

 

そして―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ナギが無事で良かった。それだけだよ」

 

 

一瞬頭の中が真っ白になった。大和の言った言葉が頭の中で何度も何度も再生を繰り返していく。

 

身体の震えが徐々に治まっていくと共に、また何かが心の奥底から込み上げてくる。どうしてこんな言葉を投げ掛けてくれるのだろうか、何で自分にここまで優しくしてくれるのか。

 

勝手に自分が追いかけて、それで命の危険にさらされて、挙げ句の果てには周りにも多大な迷惑を掛けてしまったというのに。

 

完全に自業自得なのに、どうしてなのかと。

 

表面上だけ心配しているように装っているとは考えられなかった。それはナギ自身が大和はそんな人間ではないと分かっていたからだ。

 

ナギだけではなく、クラスの大和と親しい人間に聞けばほとんどが、薄情な人間ではないと断言するだろう。

 

 

「大和、くん……っ!」

 

 

気付けば本人の名前を呼んでいた。自分のことをこれだけ気にかけてくれた嬉しさで、先ほど以上の涙が瞳から溢れてくる。

 

彼女の中で何かが変わった瞬間だった。気になる異性から、明確な好意へ。

 

溢れだした想いを止められず、自分の身体を預けるように大和へともたれ掛かる。顔を大和の胸元に埋めて、泣き顔を見せまいと隠した。ナギ自身もいつも以上に感覚が麻痺しているのか、普段は恥ずかしがりな彼女も自分のしている行動に一切の羞恥を見せない。

 

隣で様子を見ていた楯無も思いもしない大胆な行動に、目を何度も瞬かせながら二人の様子を見つめるばかり。

 

 

「お、おい! き、急にどうし……」

 

「怖かったっ! 怖かったよぉ!!」

 

「っ!! ……もう大丈夫だから、本当に何事もなく済んで良かった」

 

「ぐすっ……ふえぇぇえ!」

 

 

 改めて怖い思いをさせてしまったことを認識し、目の前で泣きじゃくる姿を落ち着かせようと頭を撫でていく。ただ大和も女の子に泣きじゃくられる姿に耐性はないようで、頭を撫でる以外どうすれば良いのか分からずに、顔をキョロキョロとさせるばかり。

 

自分の前で泣かれる経験がなく、この時ばかりは流石に焦っていた。相手は女の子で自分は男性、そもそも経験が無いのだから、焦っても無理はない。むしろ一部の人間からすれば貴重な一面かもしれない。

 

助けを求めようにも、目の前にいる楯無に頼んだところで解決するものでもない。

 

 

(うーん。これはしばらくこのままでいるしかないか……)

 

 

泣いている相手を無理矢理引き剥がすわけにもいかず、胸元で泣き続ける様子を黙って見つめる。

 

怪我をしなくて良かったと。

 

 

大和が解放されたのは、それから十数分後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良かった……誰にも見られてなくて」

 

 

寮の購買で食材を選びながら、先ほどのことを思い返す。まさか目の前でマジ泣きされるとは思わなかった。無人機に対する恐怖心をずっと堪えていたらしく、しばらくナギは泣き続けていた。

 

事情が事情だけに出来ることは何もなく、出来ることとすれば泣き止むのを待つことだけ。泣き止んだら泣き止んだで、顔を赤くして離れてチラチラと俺のことを見つめ、楯無さんは楯無さんで意味深な笑みを浮かべるだけだし、それからの帰宅もどこかギクシャクしたものだった。

 

比較的話す人の楯無さんが、あそこまで黙るのは初めて見た。

 

 

寮に着き、一時解散した時にようやく話してくれたんだが、開口と同時に言われた言葉が、『モテモテだね?』だ。話してくれたと思えば、第一声がからかいの言葉で、俺の心臓にグサグサと言葉の矢が突き刺さる。

 

帰っている時は、もしかして機嫌が悪いんじゃないかとドキドキものだったが、楯無さんの機嫌は悪くはなく、寧ろ良かった。

 

 

 

……モテモテねぇ。

 

 

 

確かに二人を意識してしまう節はある。二人というのはナギと楯無さんの二人のことだ。もうどれくらいの期間が経つのか、一年くらい一緒にいるような気もするが、まだ一ヶ月も経っていない。

 

それだけの期間しか経っていないというのに、俺自身の中で変わっていく感情は多かった。

 

実際一緒にいて、何気ない仕草にドキッとする場面も最近は増える一方。果たしてこの感情が"友達として"のものなのか"一人の女性として"のものなのか、今は正直分からない。

 

 

「ん、一品スープ系入れたいな。コンソメも買っとくか」

 

 

商品棚に手を伸ばして複数あるコンソメの中から顔なじみのものを手に取り、それを買い物かごの中に入れる。自分で言うのもなんだけど、正直恋愛事に関しては自分は疎いと認識している。

 

鈍感……というより、いざその場に直面するとどうすればいいか分からない。泣きつかれた時もそうで、俺にはただ頭を撫でてやることくらいしか出来なかった。

 

 

自問自答を繰り返しながら紛らわそうとするも、やっぱりどう頑張っても紛らわせることは出来ない。俺も男だからいくら鈍感だの唐変朴だの言われても意識する部分は意識するし、気になる部分は気になる。

 

 

 

 

気になる部分とすれば一つ、抱きつかれた時に当然俺の身体とナギの身体は密着するわけで……その、女性としての柔らかさというのはどうしても忘れることが出来なかった。泣きつかれた瞬間は全く気にはしていなかったものの、徐々に自分が落ち着いてくるにつれて二つの存在感はよりはっきりと出てきた。

 

俺の周りには篠ノ之やセシリアや楯無さんに、大人の女性陣を入れれば千冬さんに山田先生、そして俺の姉の千尋姉と揃いも揃ってナイスバディの持ち主が多い。男としてどうしても反応するものは反応する。

 

ナギの身体つきも篠ノ之や楯無さんには及ばないものの、それでも女性の平均と比べればかなり良い方だ。そんなスタイルのいい上半身の双丘が身体に押し当てられるとなれば、嬉しい反面複雑な思いだってある。慰めている中俺は何を考えているのかと。

 

表情に出さないようにと気をつけはしたが、今はナギが気付いていたのではないかと冷や冷やしている。

 

 

っていうか……。

 

 

「さっきから何考えてんだ俺」

 

 

一旦思考を切り替えよう。

 

今俺が何をしているのかというと、食事会の準備ということで購買に来ている。時間がちょうど放課後のため、買い物に来ている生徒も多い。

 

かごには大量の食材の数々、それもとても一人で食べるような量じゃないのだから、何事かとこちらを眺めてくる子もいる。好奇の視線に関してはもう完全に慣れた。生きて行けないんじゃないかとぼやいていたあの頃が懐かしい。

 

 

さて、料理に使う食材だけではなく、軽くつまめるようなスナック菓子やクッキー、それからフルーツも少しばかり用意している。

 

 

「バタバタしたけど、やっぱ計画したことはやりたいしな。折角楽しみにしてるものを中止にはしたくないし」

 

 

場のノリと勢いだけで決めた食事会、でも折角の企画を中止したくはない。一夏の状態次第では中止もやむ終えないと考えていたが、思った以上に身体のダメージは少なく特に問題はないとのこと。

 

とはいえ、身体にダメージが残っているのも事実、無茶をさせないように気を配るとしよう。

 

 

「よし、こんなもんだな! さっさと戻って準備するか」

 

 

必要なものを全て買い揃えて、俺はレジに向かう。そして、そのまま急ぎ足で自室へと戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よっしゃ、鳥の照り焼き完成!」

 

「大和! こっちもサラダパスタ完成だぜ。悪くない出来だ!」

 

 

 自室に戻った大和はすぐさま食事会の準備に取り掛かっていた。大和が準備を始めるとほぼ時を同じくして、一夏が大和の部屋へと現れる。二人がキッチンに立ってからというもの、行動は早かった。

 

調理を始め、約束の時間が近づくにつれて部屋の人口は増えていく中、キッチンから離れた場所に広めの組立式机を展開して、食器類を並べていく。こちらを用意するのは女性陣で、ナギや静寐といったしっかり者と呼ばれる二人が、率先して動いていた。

 

 

「わーい! ここのベッドふかふか~♪」

 

「ちょっ、本音! 飛び跳ねないでよ!」

 

「アンタ元気ね……アタシなんかもう色々あってクタクタだってのに……」

 

「うん? りんりん何かあったの~?」

 

「いや、特に……ってりんりん言わないでよ!」

 

「えー! りんりんはりんりんだよ~♪」

 

「うがーっ!! トラウマなのよそれは!!」

 

 

その一方で、一部は完全に遊びに走っている。ベッドを使って飛び跳ねているのは本音、その横に座っている癒子があまりのはしゃぎっぷりに思わず制止をかけようとするが、ニコニコと上機嫌な本音は聞くそぶりを見せない。

 

はしゃぐ様子にげんなりとしながら、鈴はその元気はどこからわいてくるのかと投げ掛ける。鈴の場合は今日の無人機との一戦が身体に来ているのか、それとも単に保健室のやり取りで疲れているだけなのか。

 

いずれにしてもどちらかの理由であることは間違いない。

 

そして本音から付けられた『りんりん』というあだ名。どこぞの三國志をモチーフにしたゲームで出てきそうなキャラの名前だが、鈴にとってはあまり言われたくないものらしい。

 

うがーっ! とばかりに本音に詰めよっていくも、全然迫力がない。

 

というのも、りんりんと自分の名前を二つ繋げると、パンダに付けたような名前になってしまい、過去にそれが原因でいじめられていたこともあったからだ。

 

無論、本音自身には悪気は全く無く、あくまで仲良くなった証として付けた一つのあだ名に過ぎない。

 

しかし本人に悪気は無いとしても、トラウマになっているあだ名を呼ばれれば、鈴としてはあまり気分の良いものではない。いずれは慣れそうだが、慣れるまでにどれだけの時間がかかることやら。

 

 

一方で箒とセシリアは思いの外、静かに待機していた。静かに待機している理由が、料理をしている一夏を眺めているからだ。セカンド幼馴染みの鈴は中学の途中までは一夏と一緒に居たため、一夏の料理の腕は知っている。

 

逆に箒は幼馴染みではあるものの、一夏が料理をしている姿を見たことは殆ど無い。あったとしても今からかなり前の出来事であり、当時の料理の腕と今の料理の腕では、余程のことがない限り、今の方が段違いで上がっているだろう。

 

 

「一夏の料理か。霧夜の料理も楽しみだが、一夏の料理もお目にかかりたいものだな……」

 

「一夏さんの手料理……わたくし実家ではシェフの作ったものを食べていましたけど、こうして改めて普通の男性が作った料理を食べるのは初めてですので、興味深いですわ」

 

 

と、一夏はもちろん、二人の料理に関して興味津々のようだ。

 

楽しみにしている様子は、キッチンに立つ二人にも伝わっており、それがやる気を更に増大させていく。

 

 

「ははっ、楽しそうだな女性陣は」

 

「だな! お、大和。そろそろコンソメスープいい感じじゃないか?」

 

「そうだな。丁度味も染み渡っただろうし消すか」

 

 

大きなスープ鍋から、コンソメスープ独特のいい香りがキッチンを充満していく。コトコトと音をたてて煮立ったのを見計らい、IHのスイッチを切る。完全な電磁調理機のため、火災に繋がることも少なければ、下手に焦がしてしまうことも少ない代物。

 

仮に目の前から離れたとしてもセンサーが感知し、勝手にスイッチが切れるような仕組みになっている。

 

一般の学生寮にここまで配備が出来る、まさにIS学園だからこそ出来ること。

 

流石IS学園、他の学校では真似出来ないことを平然とやってのける。そこに痺れる―――。

 

 

「言わせねぇよ!!?」

 

「おう!? どうした大和?」

 

「いや、何か言わないといけない気がして……」

 

「? とりあえず色々出来てきたから、ある程度運んじまおうぜ。このままだと調理場が一杯になっちまう」

 

「あぁ、そうだな。じゃあ早速……」

 

「あ、霧夜くん。料理だったら私たちで運ぶから、二人は料理に集中して大丈夫だよ♪」

 

「お、マジか。じゃあ、悪いけど頼んでいいか?」

 

「うん、任せて!」

 

 

 料理の置き場所が無くなり、一旦作った料理を部屋の方へ運ぼうとすると、キッチンの入口には静寐とナギが来てくれていた。静寐がニコッと微笑みを浮かべる一方で、先ほどの出来事をまだ思い返してしまうのか、やや控えめにおずおずと照れ臭そうに大和から顔を背けてしまうナギの姿が。

 

あくまで表情には出さないものの、大和としては割と動揺もしている。これでは完全に気まずい状態だ、原因は分かっていてもどう解決すれば分からない今、解決策は特に見当たらない。

 

元に戻るのを待つしかないのか、心の中では少し凹んでいた。

 

 

「あ、そうだ大和。これ照り焼きの焦げ取り用の水。必要だろ?」

 

「ん、あぁ。悪い、気が利くな」

 

 

置いてある料理を運ぶ二人を眺めていると、一夏が水の入った計量カップを渡してくる。鳥の照り焼きは使ったタレが完全に焦げ付かないように、水をいれてふやかす必要がある。中にはやらない人もいるが、洗い物の手間を省きたい人はこの方法を取ることも多い。

 

一夏の機転に感謝しつつ、その計量カップを受け取ろうと手を伸ばすが……

 

 

「お、おい大和! その持ち方は!」

 

「え、うわぁっ!?」

 

 

手を伸ばしたは良いが、あくまで視線は一夏の手渡す計量カップではなく、料理を運ぶナギのことを見ていたせいで、計量カップを斜めに傾いたまま受け取ってしまった。

 

そもそも一夏が渡した時には真っ直ぐのまま渡したのに、それをキチンと見ずに手に取るから口が傾いてしまっただけのこと。

 

仮に傾いてしまったとしても、その後に気付いて持ち直せば特に問題はない、だが今の大和には計量カップよりもナギの方に気が集中してしまい、そのまま自分のもとへ引き寄せようとする。

 

口が自分の方に傾いた状態で引き寄せたら、中に入っている水がどうなるかなど、誰でも想像できる。

 

慣性の法則で計量カップの中にある水が飛び出し、その水が大和の着ているワイシャツの左肘の部分にモロに掛かってしまい、いかにもポカをやらかしましたと言わんばかりに、中途半端に濡れた跡が広がっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――と、本来だったら何やってんだよくらいのノリで済むようなことだ。

 

だが、一人の少女はそれを見てしまった。

 

 

 

 

 

 

 

(嘘……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

濡れたワイシャツからはっきりと浮き出てくる、動物の絵柄が描かれた絆創膏を。



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全ての真実は闇へ

「バイバイきりやん~!」

 

「今日は楽しかったよー! また今度やろうね!」

 

「おう、そうだな! 今度やるときはもっと料理の腕を上げておくから、期待していてくれよ!」

 

 

とても騒動の後とは思えないほどの盛り上がりを見せた食事会は、無事に終わった。部屋から立ち去るクラスメートたちを部屋の入口で見送り、その姿が見えなくなると部屋の中へと戻り、残っている片付けをし始める。

 

ある程度の食器洗いは料理を作ってくれたお礼として、皆が手伝ってくれたため、実際は殆ど残っておらず、乾燥機に洗った食器を並べるだけで良い。

 

食器を片付けながら、今日の食事会について振り返ってみる。

 

 

 

料理をなるべく早く作るように急いだものの、食事会が始まったのは七時手前だった。

 

作った料理はなかなかに好評で、俺としても作り甲斐があったというもの。お陰さまで今日の疲れを忘れると同時に、時間も忘れて消灯時間近くまで遊んでいた。

 

遊び道具といえば、わざわざ女性陣がトランプやらボードゲームやらを持ってきてくれたお陰で、暇を感じること無く時間だけが過ぎていく。

 

ゲーム時は一夏の隣は誰が座るのか、篠ノ之とセシリアと鈴の取り合いが始まり、それを周りが茶化したりからかったりと、如何にも高校生らしいことをした数時間だった。

 

 

 

 

 

……途中から気になったとすれば一つ。

 

 

元々気まずくなっていたのは分かるが、それ以上に何かナギの反応が変わっていたことについて。

 

俺以外との話はしっかり出来るものの、俺との会話は『あ、う……』と壊れたロボットみたいだった。変化が起こる前までは特に会話することに関して、問題はなかったのに急に起こった変化に驚くばかり。

 

視線が俺と合うことも一度もなく、まるでナギ自身が意識的に顔を背けているみたいで、何があったのか探ることは出来なかった。

 

 

 

反応が変わったのはどの辺りからだったかと、食事会のことを思い返してみる。

 

部屋に来た時点ではまだ特に変わったことは無かったはず。人前で抱きついてしまった恥ずかしさから、チラチラと何度も人の顔を繰り返し見ることはあったが、あくまでそれだけ。

 

その後の手伝いもきっちりとやってくれたし、特に俺が何かをやらかした訳でもない。

 

 

 

 

 

 

 

……? ちょっと待てよ、何か重要なことを忘れている気がする。他に何かあったはずだ、ナギの反応が変わる何かが。

 

今一度当時の記憶を遡っていく。確かあの後、やけに部屋の方がうるさいなと思いつつも、気にせず普段通りに料理を続けた。

 

 

「……」

 

 

それから作った料理が一杯になったから、一度部屋の方に全て運び出そうということで、鷹月とナギに手伝ってもらったことも、そこでのナギの反応に少し凹んだこともハッキリと覚えている。

 

 

で、その後にフライパンに焦げ付いたタレを取ろうとして、一夏からもらった水を……。

 

 

「―――ッ!! 馬鹿か俺はっ!!」

 

 

思いきり溢した。それも怪我をしている方の左腕に、ワイシャツに水がかかれば、ワイシャツが透けて肘に貼ってある絆創膏がモロに見える。もしその絆創膏をナギが見てしまったとしたら……全て合点がいく。

 

仮面の剣士は俺だという真実に辿り着く。

 

あの後水に濡れた絆創膏を急いで外して、上着をジャージに着替えたが、一瞬でも見られていることに俺自身が早く気付くべきだった。更にいうなら、バレる可能性を危惧して先に貼った絆創膏を、すぐに外すべきだった。

 

……でも、どうしても外せなかった。

 

 

「……」

 

 

 これからどうするか、正直俺が護衛をしてることを知られるのは最小限に留めたい。今回、まだ完全にバレたかどうかは確認できないものの、恐らくはバレているだろう。

 

偶々絆創膏を同じ場所に貼っていたと嘘を付いたとしても、そんな偶然があるかと思われるのがオチだ。ナギの性格からして、そう簡単に外部に情報を漏らすようなことはしないと思うけど、それでも注意する必要はある。

 

 

……本当はあまりバラしたくは無かったんだけどな。バレてしまった以上、もうどうしようもない。俺がいくら弁明したところで、ナギの中にはあの剣士の正体は俺だと残るわけだから。

 

 

「仕方ない……聞かれたらその時に答えれば良いか。そうすぐに話すようなことでもないし」

 

 

バレたからといってこちらから真実を話すものでもなければ、話して良い内容でもない。あくまで深く聞かれたときに、答えられる範囲であれば答える。答えられないことに関しては、一切答えない。

 

ナギが分かっているのは、あの時助けたのが俺だということだけで、他のことに関しては一切知らない。つまり俺が一夏の護衛をやっていることも全く知らないはずだ。

 

 

ただナギの中では、俺が何者なのか、何をしているのかという疑問が強くなっているのも事実。これからの行動には気を付けなければならない。

 

 

「あぁ……何か無駄に疲れたな今日は」

 

 

洗い終わった食器を乾燥機にバランスよく並べ、乾燥機の蓋をしてタイマーをオンにする。やるべきことを全て終えたところで、全身を襲ってくるのは今日一日分の疲れによる眠気だった。

 

人間、欲には勝てない。特に今日はいつも以上に身体を動かしすぎた。対人戦闘一回と、対無人機戦闘一回。対人戦だけでも十分だというのに、更に無人機と闘った俺の身体は既にくたくたに疲れている。

 

重い足取りでフラフラとベッドへ向かっていく。もうなんかベッド無くても、このまま床で寝て良いんじゃないかと思うくらいだ。

 

朝起きた時に後悔しなければ、俺としても是非そうしたいところ。

 

 

 

うつ伏せのまま大の字でベッドに倒れ込む。ボフッという柔らかなクッション独特の音と共に、俺の身体をベッドが包み込む。

 

この感触のために生きているのかと言われれば、断定は出来ないが、否定も出来ないところが悩ましい。

 

こんな時のためにと、シャワーは食事会が始まる前にさっさと済ませておいた。つまり後はもう寝るだけ……じゃなかった、洗顔と歯磨きが残っていたか。

 

 

「んー……」

 

 

もはや寝る一歩手前。眠りに落ちようとする身体を無理矢理起こして、再度洗面台へと向かう。いくら眠いとはいえ、歯磨きをしないで寝てしまうのはどうなのかと身体が洗面台へ向かって歩き出していた。

 

時間的にはまだ消灯時刻にはなっていないが、眠いものは眠い。いつもより寝るのが早い分、明日早く起きればいい。

 

さて、じゃあ歯を磨いた後に……。

 

 

 

コンコンッ

 

 

 

「へ? 誰だこんな時間に」

 

 

洗面台の入口の取っ手に手をかけると同時に、部屋の扉がノックされる。夜も遅いのに何の用だというのか、この時間に部屋に来そうな人物といえば誰だろう。一夏は今帰ったばかりだし、他の女性陣が戻って来たとも考えにくい。

 

消灯時間も近いし、寮長の千冬さんに歯向かってまで来る生徒はいないはず。となると残るのは千冬さんを筆頭とした教師陣か、大穴いって生徒……の中でも来るとしたら楯無さんくらいだろうか。

 

先に洗面台へと向かおうとした身体を、部屋の入口に方向転換する。あまり人を待たせるのも良くないので、先に訪問者に対応することにした。

 

ドアノブに手をかけてドアを開く。

 

 

「はい、どちらさん?」

 

「あ、あの。ごめんね? 折り返しになっちゃって」

 

「あ、あれ。どうした? 何か忘れ物でもしたか?」

 

「ううん。そういう訳じゃなくて……」

 

 

訪問者は千冬さんなどの教師でもなければ、楯無さんでもなかった。完全に予想外の訪問者に、思わず半噛みになりながらも対応する。

 

忘れ物では無いってことは、恐らくは今日の件についての話か。

 

 

「えーっと、ちょっとお願いがあるんだけど」

 

「お願い?」

 

「う、うん」

 

 

どこかソワソワして落ち着かない。何とか目を見て話そうとするも、すぐに目を逸らしてしまう。明らかに質問して良い内容なのか悩んでいるみたいだった。

 

そのお願いが簡単なものだったら良いなと思いつつも、絶対にそんな事は無いだろうなという結論に辿り着く。

 

つまり俺が言いたいのは、どうあがいても絶望……俺に逃げ場は無いらしい。

 

ここまで来たら俺も腹を括ろう。

 

 

「その……えーっと」

 

 

やはり言いずらいのか、中々話が出てこない。聞きたくても、俺が話したくないことなのかもしれないと悟っているようにも見える。

 

正直、俺も自ら進んで話したいとは思わない。ただ、この状況下に置かれたらもはや逃げる場所もない。言わせる雰囲気にさせられているみたいだ。

 

 

「実はね―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり無人機でした」

 

「そうか」

 

 

一夏や大和の手により沈静化させられた無人機が、地下数十メートルに造られた空間に運び込まれていた。運び込まれた無人機はISと呼べないほどに、バラバラに分解されている。

 

決して解析のために分解されたのではなく、元々バラバラにされていたものをここに運び込んだ。バラバラにした張本人は仮面の剣士こと、霧夜大和。

 

正体を知っているのはごくわずかで、この空間では千冬のみ。

 

 

空間に設置されたモニターには、先程のクラス対抗戦の一回戦の映像が繰り返し流されている。千冬はその中の特に大和が戦っているシーンを何度も何度も見返していた。

 

事態が収束した後、彼女はすぐさま大和の元へ会いに行った。一体何をしたのかを彼の口から聞き出すために。

 

だが、返ってきた反応は完全な拒絶。自分が無人機を倒したことこそ否定しなかったものの、大和自身のことに関しては一切答えることはなかった。

 

千冬とて、大和が霧夜家の当主をしていることは入学前から知っている。だから間違いなく、そこら辺の一般人はもちろん、熟練した格闘家でも生身では敵わないことくらいは分かっていた。

 

ただ、いくら強くてもISを生身で倒すことは無理だろうと、そう思っていた。

 

 

 

しかし、実際に目の当たりにしたのは大和の鬼神染みた強さだった。

 

初めこそ何を生身で飛び込んできたと心配したが、後半は完全にその気持ちなど無い。何をどうすればそこまで強くなるのか、何とかして聞き出そうとするも大和の口は固かった。

 

 

「本当に不思議です。ISが勝手に動くなんて、今までそんな事例はありませんでしたし。実証しようにもあの剣士の斬撃で中枢機能の殆どがやられていて……」

 

「実証は無理か……それで、コアの方はどうだ?」

 

「……それが、登録されていないコアでした」

 

「そうか」

 

真耶の返答にやはりかと目を細めながら、無惨な姿に変わり果てた無人機を眺める。何故このISは勝手に動いたのか、そもそもの問題はそこにある。ISは人が乗らなければ動かない。各国の研究者たちがこぞって研究を続けているも、まだどの国もその技術は完成していない。

 

遠隔操作なのか、それとも独立機動なのか。どちらにせよ、今回見たことは完全に口外することを禁止する箝口令を敷いた。

 

どこかの国が成功したのか、それともはたまた別の何かがあるのかは現段階では分からない。ただ千冬の口振りはどこか確信染みたものがある。口振りに違和感を感じたらしく、真耶が怪訝な表情を浮かべながら尋ねてきた。

 

 

「あの、織斑先生。何か知ってるんですか?」

 

「……いや、今はまだ何も分からない。今は、な」

 

 

 再びモニターの方へと視線を移し、先の戦闘を見始める。同じように真耶もモニターへ視線を向けて、対抗戦の一部始終を観察する。

 

何度見ようとも、大和の戦い方は凄まじいものがあった。大和の攻撃が無人機に届いたのは、白式の零落白夜でシールドバリアーを破壊したからとはいえ、剣捌きに関しては熟練の剣豪でも真っ青なほど素早くて正確なものだ。

 

腕を切り落としたら流れるような動きで両足を切断、そのまま頭部までも切り飛ばした。この間わずか数秒と掛かっていない。使っているのが日本刀ではなく、軽量化されたサーベルだから、素早く振り回せる反面、強度は純粋な日本刀に比べて圧倒的に脆い。

 

少しでも切り方を間違えれば、すぐに刀身が折れて使い物にならなくなる。故に扱い易い分、正確な剣捌きが必要となるため、日本刀に比べると攻撃力も低く、扱いにくい部分も多い。

 

今回、サーベルで切り落としたのは鉄製の装備のため、よほど抵抗なく斬り込まなければすぐに折れていただろう。

 

 

しかし現実にサーベルは一本たりとも折れていない、それどころかまるで斬れぬものの無い名刀のような切れ味を誇っている。

 

刀身が丈夫とも考えられるが、刀身を強固なものにすると質量が重くなって振り回しにくくなってしまう。と、考えると極めて高いのが剣捌きがかなり高いレベルにあるということ。

 

 

そして、ISが反応出来ないほどのスピードで、針の穴を通すような精密さを兼ね備えた斬撃と、人間離れした身のこなしを見れば、何者なのかと気になるのも無理はなかった。

 

特に千冬は大和の本職を知っている。知っている上で、あれだけの戦闘力を見せられれば、かつて世界の頂点を取った者とはいえ、気になるのは必然。

 

同時に何者なのかと聞いてしまうのも、無理はなかった。

 

 

「本当にあの人、何者なんでしょうね? 生身でISと渡り合えるなんて、熟練したIS操縦者でも厳しいのに……」

 

「さぁな。世の中には私たちが知らないだけで、強い人間はいくらでもいる。その一人があの剣士だったというだけだろう」

 

「なるほど。……って織斑先生、どこか嬉しそうじゃないですか?」

 

「そう見えるか?」

 

「はい♪ 強い男性って織斑先生の好みでしたよね。あの人が男性かは断定出来ないですけど」

 

「……ふん、勝手に言ってろ」

 

 

真耶の一言に対してぶっきらぼうに返す千冬。どうやら図星らしい。

 

 

「……後は誰があの無人機を送り込んできたか、だな。少なくとも、ISは勝手に造れるものではない」

 

「そうですね、本当に誰なんでしょう?」

 

「ふん。どこの天才がやったのかは知らんがいずれは明らかになるだろう。……山田くん、引き続き解析を」

 

「はい、分かりました」

 

 

モニターを見つめる千冬の表情は、無人機を送り出してきたのが誰で、何が目的だったのかを悟ったような表情だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっす大和」

 

「おお、一夏。おはよう」

 

「なぁ大和ってゴールデンウィークどうするんだ?」

 

「ん、俺?」

 

「おう、もう今週終わったら休みに入るだろ? 俺は学園にいようとは思っているんだけど……」

 

 

クラス代表戦が終わった次の日、多少の無茶をしたせいでいつもより身体が重い。体中が筋肉痛……と言われればそこまでひどくはないものの、とにかく疲れが身体にまだ残っているのは事実だった。そのため、若干朝食もいつもより控えめだったりする。

 

学食のおばちゃんにはいつもより少なめだったことに驚かれ、『どこか体調でも悪いのかい?』とまで言われる始末、そこまで心配されるとどう返していいのか分からなかったため、こんな日もありますよくらいに濁して誤魔化しておいた。

 

 

さて、そんな疲れと戦いながら朝食を取っていたわけだが、いつもよりゆっくりの目覚めの一夏が俺の席の隣にトレーを置いた。

 

開口一番に飛び込んできたのは、今週末に迫った黄金の曜日……ゴールデンウィークについてのことだ。

 

 

「あー俺も残ろうと思ったんだけどな。家のこととか色々あるからほとんど寮にはいないんだよな……」

 

「そうか……ん? 家のことは実家に帰るってことだとしても、色々って何をやるんだ?」

 

「……色々は色々だ」

 

「おい何だ今の沈黙!? 絶対何かあるんだろ!?」

 

「ちょっ!? マジで何もねぇって!」

 

 

ちょっ、いつもは鈍感なのに何でこういう時だけこんなに鋭いんだよ!?

 

女性関係にはとんと疎いのは事実だが、他人のことについては凄まじいくらい敏感だってことをすっかり忘れていた。ガタリと席を立ちあがり、俺のもとへと近寄ってくる。

 

その掛け合いが周りにいる女性陣、特にそっち系の思考がある人間に見られたらあらぬ誤解を受けるのは必然。

 

 

「や、やっぱりあの二人って出来ているのかしら?」

 

「でもいつも一緒にいるイメージがあるのは確かだよね!」

 

「今年の夏は大和×一夏だと思ったけど、一夏×大和もありね!」

 

「ぐへへへ……今年の夏もネタに困りませんなぁ」

 

「ちょ、アンタ! 涎垂れてるって!」

 

 

―――あぁ、やっぱりな。

 

予想通りの反応に、俺は考えるのをやめた。特に最後から二番目、それ公の場でやったら完全に怪しい人物だからな、なるべく自重するように。うん、さすがに俺も声だけだったらまだ良いけど、目の前でリアル涎を流されてぐへへへなんてされたら引く。

 

みんなもよく考えてほしい、目の前にそんな人物がいたらと。しかも無機質な目で自分のことを見つめていたとしたら……。

 

だめだ、考えただけで背筋が凍る。

 

 

「だぁあああ! もう離れろって!」

 

「そ、そこまで嫌がるなら……」

 

 

特にべったりくっついているわけではないが、少しでも近い距離にいるとどうしてもさっきの女子みたいに反応してしまう子もいるので、少々乱暴に離れてもらった。

 

 

「そうしてくれると助かる。ちょっと周りの状況が状況でな」

 

「周り? ……あぁ、確かにそうだわ」

 

 

俺の一言に疑問を抱き、改めて一夏は周囲の様子を一度見回す。すると俺の言ったことが理解できたのか、納得した表情で席に座りなおしてくれた。

 

 

「ま、とにかく割と予定が多いんだわ。一応夜は寮にいることも多いけど、昼はちょっと空けることが多くなる」

 

「そうなのか……ま、そうだよな。せっかくの長期休暇だし、家族に会いたいよな」

 

「んーそうだな。とはいってもみんなで遊びたいのも事実だし、予定ってうまくいかないよな」

 

 

 朝食で頼んだ卵焼きを口の中へ運びながら、予定の組み合わせの悪さにため息が出てくる。さて、実際のところを言うと一度実家に帰るのは事実だ。たかだか一ヶ月ちょっと離れただけでも、何回か不安だったこともある。

 

姉離れ出来ていないとでもいうのか、あまり周りのことをとやかく言えないのが現状だったりする。シスコンとか言われてもぐうの音も出ないあたり、やっぱりどこか千尋姉に依存している部分があるんだろう。

 

姉弟の絆なんてよく言われるが、最近それ以上の関係なんじゃないかと思ってしまうこともしばしば……って何言ってんだ俺。

 

 

と、とにかくゴールデンウィークの半分は実家に帰り、残りは寮へと戻ってくる予定になっている。何度も言うように他の予定に関しては完全に秘密ということで、よろしく頼む。

 

 

 

「あ、一夏と大和じゃない。隣いい?」

 

「鈴か、一夏の隣空いているからさっさと座んな。篠ノ之たちに取られるかもしれないぞ?」

 

「あ、アンタは顔合わせるたびにからかってるわね!」

 

「まぁまぁ、いいから座れって。それとも座りたくないとか?」

 

「うぐぐ……わ、分かったわよ!」

 

 

一夏と話しているとトレーを持った鈴が立っていた。

 

 

一夏のことが気になっているのは完全に周知済み、手玉に取る気はないが、どうしても鈴のことはからかいたくなってしまう。もちろん悪気は全くない、一切ない。そこは断言できる。そもそも悪気があったらもっとひどいことを言っているし、そもそも悪口は俺の性に合わない。

 

渋々納得しながら一夏の隣の席をガラガラと引いて座る。鈴の持っているトレーには朝っぱらだというのに麻婆豆腐が乗っかっている。朝から濃い物を食べれるなと感心しながらも俺は自分の朝食を進める。

 

何だかんだ言っても朝食に味噌汁があると、日本人としての心がそう思うのかすごく落ち着く。作っているおばちゃんの腕もいいんだろうけど、家庭の味が強く出ている。

 

味噌汁を啜りながら、結局二人は仲直り出来たのか。そのことについて俺は話しはじめる。

 

 

「んで、お前ら結局仲直りしたのか?」

 

「一応な。何で怒っていたのか未だによく分かんないけど。俺が考えたことも違っていたし」

 

「ちょっ、一夏!」

 

「考えていたこと?」

 

 

とりあえず二人が仲直り出来たことはよく分かった。というより、ここに来た時点での鈴の雰囲気が以前のものとは違っているし、何となくもう大丈夫だろうとは思っていたけど、心配する必要は完全に無くなった。

 

そこはいいものの、最後に一夏が言った一言。

 

俺が考えていたことも違っていたとはどういうことなのか。俺が知っている情報は鈴と交わした約束を一夏が勘違いして覚えていたところまで。そこから先のことに関しては一切触れていない。

 

故に一夏が保健室に運ばれた後鈴と何があったのかは知らないし、分からない。どういうことなのか、続く一夏の言葉を待つ。

 

 

「ああ、言葉の意味についてなんだけど。毎日酢豚を食べてくれるって意味が、俺の解釈だと毎日味噌汁をって意味だと思ったんだけど、どうにも違ったみたいで」

 

「……」

 

 

朝っぱらから何を言っているのか。

 

何を盛大に告発しているのかと突っ込みたいところだ。つまり女性の告白台詞の意味を折角一夏が理解したというのに、今のことから想像するとそれを鈴は否定してしまったことになる。

 

ここで言うのもどうなのかって話だが、それ以上に周りを出し抜くチャンスだったのに、何故否定してしまったのか。おそらく昨日の保健室で起こったことなんだろうけど……。

 

 

「鈴」

 

「な、何よ?」

 

「……これでも飲めよ」

 

 

何故か今日の朝に限って買ったスポーツドリンクのペットボトルを鈴に差し出す。

 

 

「余計なお世話よぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」

 

 

結果的に火に油を注ぐ形になってしまい、食堂に鈴の心の叫びが響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「むー、結構自信作だったのにぃ! あそこまでする必要も無いじゃんかぁ!」

 

 

 とあるモニタールームにて、目の前に展開されるディスプレイをぷくりと頬を膨らませて眺める女性が一人。ディスプレイに映し出されているのは他でもない、無人機と戦う一夏や鈴、そして大和の姿だった。

 

大和が両手にサーベルを握りながら、無人機に詰め寄っていく場面が映し出されると、束の視線が変わる。滅多に見せない真剣な表情で、無人機を圧倒する様子をじっと見つめたまま、一言も喋らない。

 

やがて完全に無人機が動かなくなると、無人機をまるでゴミのように見つめ、そして足早にアリーナを過ぎ去っていく。そこで、モニターの映像が途切れた。

 

 

映像を見終わると、そのまま自分の身体を背もたれに預けて、両手をぐっと上に向かって伸ばす。

 

 

「んー、流石といったところかなぁ。でもこの束さんが目をかけたんだからそれくらいはやってくれないとねぇー!」

 

 

彼女の声から察するに、IS学園に無人機を送り込んだ張本人は束ということが分かる。何故IS学園に無人機を送り込んだのか、彼女の考え方は分からない。

 

もう何日寝ていないのか、目の下にはクマが出来ている。彼女を支配するのは興味に対する欲望。己の欲求を満たさなければ、彼女が本当に休める時は来ない。

 

そもそもどんな困難な問題も、いとも簡単に解いてきた束にとって自分が満たされることは一度たりともなかった。いつからこんなことになったのか、もうそれすらも覚えていない。

 

三食きっちりと食事を取って、夜を迎えれば布団に籠って睡眠を取る。そんな当たり前の生活をここ十年間ほど出来ていない。

 

それは実の妹、箒と別れてからずっと続いている。もう寝ることも食べることも、彼女にとってはさほど重要なものではなくなっている。

 

何度も言うように、彼女を満たせるのは彼女が興味を示した人間、またはモノだけ。

 

 

「でももうちょっといっくんの戦いも見たかったかなぁ。ま、色々面白いものを見せて貰ったし、束さんとしては満足なんだけどねー!」

 

 

今日の出来事に満足したとハッキリと言い切る。彼女は満足したとしても、今回のことに怒りを抱いている人物もいる。それが興味の対象である大和だというのは、まだ束自身も知り得ないこと。

 

全ての真実を大和が知った時、彼は何を思いどう行動するのか、それはまだ誰にも分からない。

 

 

「本当に、流石だよ。あの子は……」

 

 

新たな研究対象を見つけたかのような満足げな表情を浮かべながら、何度も何度も大和のことを賞賛する。どうしてここまで束は大和に対して興味を持つのか。

 

他人には全くといって良いほど無関心で、強く拒絶していたというのに、何故……。

 

 

「……やっぱり欲しいなぁ、あの子」

 

 

いともえげつなく発せられる欲しいの一言。どのような意味がそこに込められているのか、本当の意味は分からなくとも、何を言いたいのかよく分かる。

 

 

 

霧夜大和という人間そのものが、研究材料として欲しいと。好意でもなければ、友達としてでもなんでもなく、あくまで研究の対象として。

 

その口振りは他の誰もが知らぬ全てを知っているようなものだった。一夏や楯無などの生徒はもちろんのこと、真耶や千冬などの教師陣すら知り得ないこと。

 

大和の過去を知っている人間はほんのごく僅かしか居ない。ハッキリと言えば、IS学園で大和の過去を知っている人間は一人も居ない。

 

では誰が知っているのか。

 

 

束を除けばたった一人、大和の過去を全て知っている人物がいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――霧夜千尋。霧夜家先代の当主であり、幼い大和を拾い、十年に渡って女手一つで今まで育ててきた、大和のたった一人の肉親。恐らく、身近で大和のことを知っている人物を挙げるとするのなら彼女だけだ。そして束以上に、大和のことを知り、心の底から大切にしている。

 

大和が心を開き、自分の欲望だけでなく人のために生きることを教えた人物。

 

自分に厳しく、他人に優しい。そしてその武力のみならず、人としても強い。世界最強の座に上り詰めた千冬さえも、千尋の生き方に憧れ、尊敬の念を抱いている。

 

 

大和のことを知るのはごくわずか、それを束は知っていた。

 

 

「あの子は唯一の___だもんね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全てが明かされるのは、まだ先のことだ。









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第三章-Golden holidays-
○帰省と千尋の思い


「一ヶ月ぶりだってのに、何年も戻っていなかったような気がするな」

 

 

ゴールデンウィーク……人呼んで黄金の週。俺たちみたいな学生にとってはまさに天国。つまらない授業を受けない期間が、一週間近くもある。

 

これを天国と呼ばずに何と言うか。それぞれの趣味に没頭するのもよし、己を鍛えるために鍛練を重ねるのもよし、志望校のために勉学に励むのもよし。

 

人それぞれの過ごし方を満喫出来る数少ない長期休暇だ。

 

 

ちなみに働いている人は勘弁な、期間中休みの無い職種だってあるし、全ての休暇で会社に居ました……なんて人もいる。そう考えれば学生は楽だ。特に何かに責任も無いし、全然知らない人間から怒られることも罵倒されることもない。

 

そして休める時はきっちり休める。休みがあるというのが、一番の幸せなのかもしれない。

 

 

片手に着替えが入った小さめのボストンバックを持ち、とある門の前で仁王立ちする。

 

一ヶ月ぶりに目に入ったのは、『霧夜』と書かれた表札。洋風なシンプルな色合いの建物に、窓に備え付けられたガラスに光が反射して、何とも言えない神秘的な光景が広がっているようにも見える。

 

見慣れているはずの風景なのに、どうして神秘的などと思ってしまうのか。俺には分からなかった。

 

 

 

――― IS学園から電車に揺られること小一時間。約十年過ごした我が家にようやく戻ってきた。IS学園のような都会を思わせる場所に建っているものではないため、一瞬そのギャップに驚きつつも、懐かしさというものが徐々に込み上げてきた。

 

 

「千尋姉、元気かな? 帰ることは伝えたけど、いつ帰るかまでは言ってないから……」

 

 

正直、急に帰って驚かせるシチュエーションを見せたいのもある。何だかんだでこの家を出る時は泣きつかれた訳だし、どうしても心配にはなってしまう。

 

電話先では千尋姉の表情も見えないから、声でどんな状態なのかを判断するしかない。……が、声なんかその気になればいくらでも誤魔化せるので、全くといって良いほど参考にはならない。

 

多分千尋姉のことだから、特に心配する必要は無いとは思う。俺なんかよりも心も身体全然強い人だから。

 

 

 

実家に帰ってきただけだというのに、何故か手足が震えてくる。今まで住んでたのに何を緊張することがあるのかと、突っ込まれそうだが、現に緊張している事実は変わらないわけで。

 

楽しみ半分に、不安半分。二つの思いを乗せて、扉の取っ手に手を掛ける。

 

 

「おー……何でこんな緊張してんだろ俺」

 

 

俗に言う『俺の身体が疼きを~』とかいう病気ではない。本当に緊張しているだけだ。俺はまだそこまで末期じゃないと言い切れる。

 

……とりあえず、『自分の家に帰るくらいで何緊張してるんだよ(笑)』とか思った奴、後で覚えておけよ。

 

 

手を掛けたドアノブをゆっくりと下ろしていく。すると突っ掛かりもなくすんなりとドアノブは下がった。鍵が掛かっていたら下がらずにガタガタと音が鳴るだけ。もし鍵が掛かっていたとしたら、家には誰も居ないことになる。

 

逆に今回はすんなりとドアノブが下りたため、家の中には誰かいる。可能性だけで言えば、千尋姉以外の誰かがいるとも考えられる。

 

ま、我が家に侵入者を入れるほど、千尋姉は鈍くはない。むしろ気配の察知能力はかなり高いものがある。仮にも元霧夜家当主、一般人相手に遅れを取ることはない。まだ肉体的には全盛期さながらの動きが出来るのだから、一般人どころか熟練した手練れでも負けない。

 

 

 

 

 

とりあえず、一旦家に入ろう。まず話はそれからだ。ゆっくりと入り口のドアを手前に引いていく。ドアが擦れる音と共に、ドアが開いていく。

 

入り口にはしっかりと手入れされているであろう花瓶があった。生けられている花が四月に出てきた時とは変わっている。まだ花自体も変えられたばかりだと容易な推測が出来た。

 

 

「ただいまー!」

 

 

ドアから身を中に入れ、顔を動かしてキョロキョロと周りを見回す。結構大きな声で挨拶をしたのに返事がくる様子はない。何故だろうか、千尋姉なら余程のことが無い限りは出迎えるのに。

 

返ってくるのは自分が発した声だけで、いつものような千尋姉の返事が返ってくることはなかった。

 

まさか本当に鍵を閉め忘れたまま外出したというのか、今の今までそういった類いのポカは殆ど無かったハズ……過去のことを思い浮かべても、これといったものは無い。

 

寝ている可能性はほぼゼロに近い。一線の護衛が、誰かが入ってくる音や近づいてくる気配に気付かないハズがないからだ。

 

あまりにも不自然な反応に、思わずその場で戸惑いを隠せずに立ち尽くしてしまう。

 

 

「え、何この嫌がらせ?」

 

 

 という突っ込みすら言葉に出てきてしまう。嫌がらせでは無いと思うけど、反応が返ってこないのは寂しいものがある。にしても本当にどこにいったのか。千尋姉のことだし、誰かに絡まれたとしても、心配はしていない。むしろ絡んだ相手の方の心配はする。

 

外に出た理由として有り得るとしたら買い物か。どちらにしてもいつ帰るかの連絡はしてないため、書き置きも残っていない。

 

元々いつ帰るかをキチンと伝えていれば、万が一外出することがあっても連絡の一つも来る。だがあいにくドッキリ目当てのアポなし帰省のため、そんな連絡は来るはずがない。

 

 

 

 

この後どうしようかと考えていると、ふと後ろに何かの気配を感じた。後ろを振り向こうとするも、急に目の前が真っ暗になる。何かが覆い被さっていて、視界が完全に遮断されている形だ。これでは確認しようにも確認出来ない。

 

 

「だーれだ?」

 

 

視界が覆われた直後、俺の耳に飛び込んできたのは優しげなトーンが高めの声。一瞬呆気にとられていたものの、その声はとても聞き覚えのある声だった。

 

名前を呼ぼうと口を開こうとした瞬間、背中越しに妙な感触が伝わってくる。それも一ヶ所ではなくて二ヶ所、感触自体がゴツゴツとしたものではなく、ふんわりとした柔らかい人肌のような。

 

って、これって……。

 

 

「ち、千尋姉?」

 

 

後ろにいるであろう主の名前を呼ぶ。違う人物も想定できたが、これはもう間違えるはずが無かった。十年も共に過ごした相手の名前や仕草を忘れるはずがない。第一、声の時点ですぐに断定は出来た。逆に毎日聞いていた声を忘れる方がおかしい。

 

 

「んー正解! だけど、わざと忘れるフリとかしてくれても良かったかなー」

 

「帰ってきた弟への第一声がそれかよ。……ただいま」

 

「うん、おかえり。大和♪」

 

 

後ろの人物が千尋姉だとわかり、ようやく一安心。同時に我が家に戻ってきたという実感が湧き、同時に懐かしさもあった。

 

で、帰ってきたことに関しては良い。問題はそこでは無くて。

 

 

「でさ、凄い気になるんだけど何してんの?」

 

「ん、何って?」

 

 

もはや完全に自覚なし。俺は男性で千尋姉は女性、女性には無いものが男性にはあるし、男性には無いものが女性にはある。

 

つまり俺が言いたいのは上半身の例のアレのこと。ぺたんこなら特に意識はしないが、ある一定以上の大きさになれば意識せざるおえない。

 

まだ軽く当てられてる状況だから、特に精神的なダメージはないものの、これがちょっとでも力を入れられればそのダメージは計り知れない。男にとっては天国とはよくいったもの。

 

むしろ逆だ。理性と戦わなければならない。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「自覚が無いところがもうアレだよな。確信染みてるっていうか……」

 

「本当は嬉しいくせに♪」

 

「寝言は寝て……って急に押し付けるのはやめろぉぉおお!!」

 

「ふふん、私に勝とうと思うのが無理なのよ♪」

 

「ぐっ……何も言い返せない自分が悔しい……」

 

 

寝言は寝て言えと言おうと思った矢先にこれだ。腕に力を込められて、柔らかな二つの感触がモロに俺の背中に伝わる。正直この柔らかさには勝てる気がしない。

 

女の武器は涙なんて言うけど、これもこれで凄まじいものがある。しかもやっている本人は面白がってやっているため、千尋姉には何一つ恥じらいがない。

 

確信犯で出来るところ見ると、リアルに楯無さんが大きくなったらこうなるのかなと思う。

 

そのくせ泣き……いや、これは伏せよう。

 

 

「ま、相変わらずで安心したわ。どう? 学校には慣れた?」

 

「そこそこかな。皆も気軽に接してくれるから、居心地も良いし」

 

「そう、それなら良かった。女の子ばかりだからちょっと心配してたけど、杞憂だったみたいね」

 

「初めはキツかったかな……特に人として見られているって感じがしなかったよ」

 

 

入学して初日、どこかの大軍を思わせるほどの人数がクラスの前に押し寄せて来た時は流石に血の気が引いた。好奇の視線がいかに強烈なものなのか、まざまざと見せつけられて今の俺がいる。

 

授業が終わった後の休み時間も静かなものだ。IS学園に男性が入学したことに慣れたのだろう。ま、それでも寮とか移動中とかで一人になると大体追いかけられるのは続いているけど。

 

何回もあっていることだから、身体が慣れた。

 

 

「ふぅん。アレ? アンタ少し見ない間にちょっと身長伸びた?」

 

「え? ……実感無いけど、そうなの?」

 

「うん、何か前見たときよりも高くなっている気がする。成長期って良いわね~」

 

 

ケラケラと笑いながらその場を離れていく千尋姉。どれだけ離れていても、この余裕のある立ち振舞いは相変わらず。心配するだけ野暮だったらしい。

 

成長期……成長期か。あまり気にしてはこなかったものの、やはり男性である以上、身長は高い方が良いとは思う。最後に測ったのは、IS学園に入学するために必要な診断書を書くとき。

 

ただ、何センチだったかは忘れた。先ほど言ったように、あまり身長に関しては気にしないから。身長といえば、千尋姉も女性としてはかなり高い方だ。

 

高さ的にいえば千冬さんと同じくらいかそれ以上……そして胸の大きさに関しては千冬さんを筆頭とした、俺の知りうる女性陣の中では一番大きい。

 

鈴とかが見たら立ったまま失神しそうな気もする。あまりのボリュームに。

 

うんキモいね、俺何言っているんだろうね。

 

 

「さっ、そんなとこで固まって無いで早く上がりなさい。久し振りに『アレ』やりましょうか?」

 

「あ、うん」

 

 

靴を脱ぎ、一ヶ月ぶりの我が家へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 自宅に帰ってきた後、自分の部屋に荷物を置いて、家の裏にある小さな道場にやって来た。この家を建てたときからあるもので、主に心身を鍛えている目的で使用されているごく普通の道場。

 

普通の道場には墨で書かれた壁紙が貼り付けられているが、壁には壁紙などの類いは一切貼り付けられていない。使う人物が基本、俺と千尋姉の二人だけで、他の人物は使うことがないからだ。だから特に装飾をする必要もないし、何かの規範を誰かに示す必要もない。

 

 

ちなみにこの道場は俺が小さい時から鍛練の時に使っていたもので、よく千尋姉と手合わせをしていた思い出が深い場所でもある。

 

 

「……よし!」

 

「大和、準備は良い?」

 

「あぁ、いつでも」

 

 

互いに木刀を手に持ち、面と向かって構え合う。俺の服装はインナーにジャージと極めて私生活丸出しなもので、千尋姉も上着がタンクトップにジャージと、女性のファッションとは掛け離れたものになっている。

 

動くと邪魔になるということで、揺れないように胸回りにはサラシを巻いてある。服装としてはあくまで身軽に動けるものをチョイスしたため、特に防御特化の服も着ていない。着ていたら、重さでいつも通りの動きができずに、相手の動きにも追い付いていけない。

 

攻撃によっては防御は殆ど関係なくなる。日本刀で切られたら防具など気休めにもならない。だったら無い方がいい。ISに乗っている時と生身で戦う時は勝手が違う。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

千尋姉の目付きがいつもの優しいものから、戦闘のキリッとした厳しい目付きへと変わる。中段に構えられた木刀の先端がチリチリと動き、俺の集中力を奪おうとしてくる。

 

この空間にお喋りはいらない、向かってくる相手を倒すだけ。同じ間合いのまま畳の上を移動し、千尋姉の動向を観察していく。

 

一線を退いたとはいえ、それでもその剣捌きや相手との間合いの取り方、機敏性や洞察力は衰えていない。毎日鍛練を欠かさずに行っているために、強さをずっと維持したままだ。

 

 

「はぁっ!」

 

「っ!」

 

 

畳を蹴り、千尋姉に向かって一気に接近していく。踏み切った勢いのまま木刀を振り上げ、そのまま振り下ろす。何もこれで仕留められるとは思っていない、あくまでこれは牽制。

 

ガキッという音と共に、手に鈍痛が走る。攻撃が当たったのは千尋姉の身体ではなく、防御のために差し出した木刀の刀身。

 

いなし方によっては受けた方にも多大な痛みが伝わることもあるが、表情を見る限りだめらしいダメージは受けていない。

 

むしろ攻撃をした俺の手に、ビリビリと痺れが伝わって来ている。受け止め方が尋常じゃなく上手く、防御しつつも相手に少しでもダメージを与えることが出来るのは早々誰しもが出来るものではない。

 

 

「相変わらず速いわね。でも、正面からじゃ私にはダメージは与えられないわ」

 

「分かってるよ。今のは挨拶変わり……だっ!」

 

 

木刀を引き、今度は上から下の上下攻撃ではなく、槍を突き出すように攻撃を加えていく。上下の振り下ろしとは違って、剣では防ぎにくく、身体の軸をずらさなければかわすのは難しい。

 

また連続攻撃に特化しているのも突きの良いところで、攻撃後の隙が非常に少ない。逆に突きを繰り出すスピードが遅いと、相手にとっては格好の的。剣で己の身を守るためには、すぐに引き戻さなければならない。

 

つまり突きを繰り出したら、相手に攻撃する隙を与えてはいけない。隙を与えれば、たちまちこちらが劣勢に立たされることもあるからだ。

 

 

本来なら避けるだけでもやっとだというのに、突きを受けている千尋姉は、突きの一つ一つをハッキリと目で追ってかわしている。

 

いくら速度を上げようとも、攻撃が千尋姉姉に当たることは無かった。

 

 

「っ! 本当に何で一線を退いたのか分からないレベルだよ!」

 

「あら、女の子はいつまで経っても強くなくちゃ。アンタも、腕が鈍っていないようで安心した……わ!!」

 

「くっ!?」

 

 

俺の突きを持っている木刀のなぎ払いで、横へと軌道をずらし、その隙を狙って一足一刀の間合いへ踏み込んでくる。次は私の番だと言わんばかりに、縦横斜めの縦横無尽な攻撃が襲ってくる。

 

とても女性が振り回しているとは思えないほどに、一つ一つの動きが精錬されていて、全くといって良いほど無駄がない。少しでもかわすのが遅れれば、間違いなく一撃で仕留められる。

 

 

「ほらほら、避けてばかりじゃ何も出来ないわよ?」

 

「分かってるよ!」

 

 

千尋姉の表情には焦りが感じられない。木刀をまるで自分の身体の一部のように扱う姿はまさに圧巻。迫り来る斬撃を右に左に顔を動かしながら、上手く木刀でいなしていく。いくら威力は手加減されているとしても、当たれば痛い。

 

一旦距離を取るために後ろへ下がろうとするも、それを許すはずがなく、あっという間に接近された。

 

 

「だから、速い……って!!」

 

 

突きを左にかわすと思いきり畳を踏み、大きく後ろへ跳躍し距離を取る。風圧で髪の右側がフワリと揺れる。もはや鍛練というよりも、本気の戦いのようになっている。

 

千尋姉の信条は情け無用、どれだけ力量が低い相手でも決して手加減をしたことは無かった。

 

一旦距離を取り、体勢を立て直す。幸いにも、千尋姉も距離を詰めてくることはしなかった。無理に詰めてカウンターを食らっては意味がない。

 

 

「本当にどうして降りたんだかな……」

 

 

思わず自分の本音が声に出てくる、何で当主の座を退いたのかと。

 

とはいえ、そんなことを考えても意味はない。これからどう攻めるかを考えなければならない。考えている間にも、木刀を両手で構えながらジリジリと近付いてくる。

 

さて、ここからどう攻めていこうか。闇雲に突っ込んだところで、全く効果がないのは明白。

 

 

「はぁっ!」

 

 

とにかくウダウダと作戦を考えるのは俺らしくない。自然のままに行動して、その間に打開策を考える。これが俺には合っている。

畳を蹴り再び千尋姉の元へと接近していく。木刀を振り上げてこちらの接近を待ち構える姿が目に映った。どうやら打ち合う気満々といったところか、木刀を握る手にぐっと力が入るのが分かる。

 

勢いそのままに、踏み込んで木刀を突き出す。流れるような動きから身体を少しだけずらしてかわし、間髪入れずにもう一度避けた側に突き出すものの、完全に読んでいたかのようにひらりとかわされた。

 

 

かわした時に千尋姉と視線が合う。俺はそのまま千尋姉の元へ近寄り、木刀を握っている方の手をつかんで反転しながら背中を千尋姉の正面に押し当てると、遠心力を利用して投げ飛ばした。

 

 

「キャッ!?」

 

 

悲鳴をあげられるが、この際気にしても仕方ない。表情は全く変わらず、焦りの表情が浮かぶことはない。

 

追い込まれると思ってないのか、どこか微笑んでいるようにも見えた。

 

 

「ふっ!!」

 

 

組み手ということで、どちらかが負けを認めるまで続くものの、相手が完全に気絶するまで殴り合うこともなければ、相手を再起不能の状態に陥れることもない。

 

でも戦うのは本気と、正直色々と矛盾している部分はあるが、大ケガをすることはないと認識してもらえればいい。

 

 

そして負けを認める条件が、もし実戦だったら命は無かったという状況まで追い詰めること。今のアドバンテージは俺にある訳で、追い詰めるための条件が揃っている。油断するわけではないが、仕留めるとしたら今しかない。

 

宙に浮いた千尋姉を追いかけるように畳を蹴り、一気に千尋姉の元へ潜り込もうとする。

 

 

「ふふっ、これくらいじゃやられないわよ?」

 

 

思った通り、想像通りに行くわけが無かった。空中に浮いたまま身体を上手く反転させて、俺に向かって木刀をなぎ払ってくる。

 

こちらもスピードに乗っている手前、そうそう急に止まれるものでもない上に、もう千尋姉との距離は数メートルもない。例え強引に止まったとしても、トップスピードから完全に止まるためには身体にもかなりの負担が掛かる。

 

止まれたとしても、バランスを保つのはかなり難しい。

 

 

……なら!

 

 

「はぁっ!!」

 

 

畳に持っている木刀の切先部分を力一杯に突き立て、それを棒高跳びの棒変わりにする。柄頭に両親指のの付け根をぶれないように固定し、全体重を寮親指の付け根へとかけたまま、逆上がりをする要領で千尋姉の上へと飛び上がった。

 

薙ぎ払われた木刀が逆さまになった俺の頭部のわずか先を通り抜けていく。勢いよく飛び上がったため、遠心力で身体が千尋姉の背後に投げ出される。

 

間に合うか……。

 

 

「くっ!!」

 

「―――っ!!」

 

 

着地はほとんど同時だった。だが俺には既に木刀はなく、残された攻撃手段は己の身体による体術のみ。

 

ただ俺がさっき言ったこの組み手の勝利条件を思い出してほしい。別に相手を気絶させなくとも、反撃できない状況まで追い詰めてしまえばいい。一歩大きく踏み込み、千尋姉の首筋に当てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……俺の負けか」

 

「ん、どうして? 相打ちじゃない」

 

「いや、千尋姉の木刀の方が俺の手刀よりも速かったよ。それに手刀じゃ気絶させるのが精一杯、これが真剣だったら間違いなくやられているのは俺の方だった」

 

 

 一瞬俺も勝ちを確信したが、現実はそう甘いものではなかった。俺が千尋姉の首筋に手刀を当てると同時に、俺の首筋にもヒヤリと当たる感触があった。俺の手刀が首筋に当たるのとほぼ同時に感じた感触は、ひんやりと冷たい。目線だけを下にずらしてその感触が何によるものなのかを確認する。

 

言わずもがな、俺の目に飛び込んできたのは千尋姉が使っている褐色の木刀だった。

 

正面から突き出されたのであれば俺も反応出来たかもしれないが、反応されることを見越して、自分の脇の僅かな間から刀身を首筋に当ててきた。これは完全に俺にとっては予想外のことで、完全に千尋姉に裏の裏をかかれた形になる。

 

 

そもそも俺の棒高跳びも上手くいったらいいなと試したものだったため、裏をかくもへったくれもない。完全に俺の戦術ミスだ。ひらめきとしてはそこまで悪くはないと思ったけども、ぶっつけ実戦に使うには無理があったか。これから使う使わないにせよ、もう少し考えてみる必要がありそうだ。

 

 

「別にいいと思うけどねー相打ちで。アンタも大概に固いわよね」

 

「そこはまぁ、俺の性分ってやつだよ」

 

「とにかく! 今回は大和が本来の型じゃないし、私の中では引き分け扱いにするわ」

 

「さいですか……」

 

 

千尋姉の基本の型は一刀流の剣術で、俺の場合は二刀流剣術。根本的な型は完全に違う上に、今回の組み手は木刀一本で行った。つまりアドバンテージ的には千尋姉にある……といっても俺としてはそこを言い訳にしたくはない。でも千尋姉としては本気の相手に勝ってこそ意味がある。故に無効だと言いたいのかもしれない。

 

もちろん戦場であれが苦手だったから、これが出来ないからという言い訳は聞くはずがない。だから俺の中では俺の負けとして扱うことにする。

 

 

 

畳に突き刺さった木刀を引き抜き、二、三回軽く振りまわしながら壁に近寄り、身体を壁に預ける。

 

持ってきたタオルでこの汗をぬぐいながら、ふと一か月前のことを思い出してみる。喫茶店に呼ばれて一夏の護衛を頼まれた時のことを。あの時は俺の任務は一夏のことを周りの脅威から守ることだと思っていた。でも実際入学してみて、楯無さんをはじめとした更識家と関わるようになって、守る対象が一夏だけではなく、学園中の生徒も加わった。

 

そして先日起こった無人機襲撃事件、結果的に大けがする生徒もいなければ、命を失った生徒もいなかったから良かったものの、一歩間違えれば間違いなく大惨事になっていった。

 

特にナギに関しては一歩間違えていれば、命を落とす状況下におかれている。

 

 

周りの親しい人間に危険が及ぶのは何としても避けたい。もう二度とあんな危険な目には会わせたくない。

 

 

 

 

 

 

―――もっと周りを守れるように、強くなりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう一回本腰入れて鍛えなおさないとな。IS学園に入ってからトレーニング自体減っているし……」

 

「それは仕方ないんじゃないの? いくら当主とはいっても、学生としての生活もあるわけだし」

 

「確かに学生だけど、どうにもそんなに悠長なことを言ってられなくてね」

 

「……ちょっと、それどういうこと? 詳しく聴かせて頂戴。何かあったの?」

 

 

俺の話したことに違和感を覚えたようで、隣に座った千尋姉が俺の顔を覗き込んでくる。千尋姉も俺の任務についての内容は知っている。だが、今回起こったことや更識家に手を貸していることについては知らない。

 

知らないのも当然で、定期的に取っている連絡ではそのことについては一切触れていないからだ。ただこれから何が起こるとも限らないし、千尋姉に今どのような状況なのかを伝えておく方がいいかもしれない。

 

何より千尋姉にも変な心配をかけたくない。覗き込む千尋姉の瞳はどこか心配そうで、何があったのかをどうしても聞きたいみたいだった。

 

 

「……実はさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう。大和のクラスメートがそんなことに……」

 

「うん。正直話そうかどうしようか悩んだんだけど、念のために話しておこうと思って」

 

「本当にどこの誰かは知らないけど、酷いことするわね。人の命を何だと思っているのかしら」

 

 

一つ一つ搔い摘んで話をしていたら十数分の時間が経っていた。無人機襲撃の話を終えた後に千尋姉の口から出てきたのは、無人機を送り込んだ人間に対する明らかな侮蔑だった。

 

人の命を何だと思っているのか……俺が事態の後に湧きあがった感情と全く同じものだ。

 

表情が変わらない代わりに、その口調は冷静ながら明確な怒りが込められている。千尋姉が最も嫌うのは、命を何とも思わない行為をすることで、今回の行為が完全に当てはまっていた。

 

仮に千尋姉が現場にいたとしたら、無人機は俺がやった以上に悲惨な目に遭っていたに違いない。

 

油断は禁物、しばらく警戒を怠らないようにしないと。

 

 

「あんな光景、そう何度も見たいものじゃないし、出来ることならもう二度と見たくはないな」

 

「……」

 

「……ん、千尋姉?」

 

「あ、ごめんなさい。ちょっと考え事してた。……そうね、確かに見たくないことだけど、もしかしたらのケースは常にイメージしておきなさい」

 

 

―――もしかしたらのケース。

 

ハッキリと明言することは無いものの、人が命を落とす可能性はゼロではない。

 

あり得ないなんて事はあり得ない。どこかの人間のセリフを借りる訳じゃないが、こうして生活をしている中でも、世界中のどこかで命を落としている人間はいる。

 

その人間はIS学園から発生したとしてもおかしくはない。むしろ十分にあり得ることだ。本当に今回は運良く助けられたが、次同じような状況にあった時、助けられるかどうかの保証はない。

 

 

……させてたまるか、この学園で誰かの命が消えるなんて事は、俺が絶対にさせない。

 

この命に変えてでも。

 

 

「ま、暗い話はこのくらいにしておきましょうか。話していて楽しいものじゃないしね」

 

「ん、分かった」

 

 

あまり暗い話ばかりしても気分が落ち込むだけで、良いことはない。何だかんだで俺も千尋姉も暗い話ばかりを長々とするのは好きじゃない。

 

……無人機襲撃の後時の俺のことを突っ込むのはやめてくれ。割と今思い返すと黒歴史だから。

 

 

「……ところで大和。アンタいつまでここにいれるの?」

 

 

と、数日前の黒歴史に頭を抱える俺に、ふと千尋姉が質問を投げ掛けてきた。ゴールデンウィークということで、一人暮らしをしている学生の多くは帰省していると思う。

 

といってもいつまでも実家にいれるわけではなく、必ず寮へと戻らなければならない。ゴールデンウィークだから遊びたい気持ちは大きいが、スケジュールだけ見ると、実際中々に過密スケジュールだったりする。

 

 

「今日と明日かな。明後日はちょっと別の予定があるから、帰ってくるのは夜になると思う。で、明明後日にIS学園に戻る」

 

「あら、明後日は誰かと遊びに行くの?」

 

「まぁ、ちょっとね」

 

「ふぅん?」

 

 

あれ、何このデジャヴ。

 

同じシチュエーションはなかったのに、何かどこかで同じ反応をされた気がする。しかもつい最近、気のせいだろうか?

 

俺の前にいるのは心配そうな表情から一変、人をからかう気満々な小悪魔染みた表情を浮かべた千尋姉だった。完全にからかう気満々な当本人はニヤリと笑みを浮かべて、目を細めながらじりじりとこちらへ詰め寄ってきている。

 

今にも舌なめずりしそうな感じだ。

 

 

「ちょっと待て!! 今の会話のどこにそんなからかう要素があった!?」

 

「え? もう全部じゃないの? 私はそう受け取ったんだけど」

 

「は、はぁ!? ……ってちょっと待て! 人の足の間に膝を入れようとするな!」

 

 

そのドS交じりの表情はみるみる俺に近付いてくる。何故かからかう気満々な時の女性はやたら迫力が凄まじい。どこかで見たような気がして仕方がなかったが、冷静に考えてみれば同じようなシチュエーションをつい最近IS学園されたばかり。

 

そう言えば二人とも似ているよな、人たらしのところとか、人たらしのところとか。

 

 

「ふふふ……さぁ、全て洗いざらい吐きなさい!」

 

「アホか! こうなりゃ、逃げるが勝ちだ!」

 

「あ、こら! 待ちなさい!」

 

 

このままここに留まっていたら何をされるか分かったもんじゃない。勢いよく立ち上がり、慌てて道場から立ち去る。ボソボソと呼び止める声も聞こえたが、今はそれどころではない。

 

バタバタと道場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……本当に元気そうで何よりだわ」

 

 

大和が立ち去った後、道場の中で佇む女性が一人。

 

霧夜千尋。

 

大和を育てた母親的な存在で、大和に深い愛情で接し、人に対する認識を改めさせた大和にとって最も大切な人物。すでに視線の先には大和の姿はない。たった一ヶ月しか離れていないというのに、弟の顔つきの変化に内心ただ驚くばかりだった。

 

中学生の時はどちらかといえば、人付き合いは好んでする方ではなく、周りの人間に同調して合わせる性格。仕事以外のことで自分から前に出て、皆を率いていくようなタイプではなかった。

 

それが僅か一ヶ月の間に大きく変化し、成長を遂げている。女性しかいない環境が大和を大きく成長させたのか、大元の理由は分からないものの、決してこの一ヶ月は無駄な期間ではなかったと胸を撫でおろす千尋。

 

 

正直今まで大切に育ててきた自分のたった一人の弟が、IS学園に旅立った時、千尋はどう頑張っても涙をこらえることが出来なかった。大和を笑顔で見送った後も、人知れず涙を流していた。

 

 

「依存しているのはどっちよって話よね」

 

 

大和はこのまま放っておいても勝手に成長していくだろう。成長を嬉しく思う反面、いつか自分の手から離れていく時が来る。その時を思うと、妙に胸が苦しくなってしまう。傍から見れば姉と弟、それ以上でもそれ以下でもない。

 

家族の絆は非常に固いもので結ばれている。そう簡単にほどけるほど軟な結び方はしていない。その絆以上に、大和と千尋は固く結ばれている。決してほどけることが無いほどに固く、そして強く。

 

 

「ふふっ♪ 私らしくないけど、あの子の前だとどんな困難でも表に出すまいって思っちゃうのよね」

 

 

仕事上、感情を表に出さないように訓練は受けているが、やはり人間には弱みというものがついてくるもの。どうしても身近な人間に弱音を漏らしてしまう時だってある。しかし彼女は大和に弱みや弱音を漏らすことは一度たりともなかった。

 

大和が心を開いていない時にも決して挫けることはなかった。周りに大和を育てることは猛反対されていたにもかかわらず、それでも千尋が後ろに下がることはなかった。反対されていた理由が、当時護衛の最強エキスパートとして名をはせていたからだ。

 

子供を育てながら護衛の仕事が出来るのか、それが大半の見方だ。それは決して同族の人間でない一般人でも同じように言うだろう。齢十五歳の人間が子育てをしながら、護衛の任が務まるはずがないと。

 

中には血の繋がっていない人間を育てて何になるのかと、罵倒や侮辱をされることだってあった。

 

 

しかし大方の見解を覆し、彼女は大和の子育てと護衛業、そして学校生活までやり遂げた。

 

 

「血が繋がってないなんて言われてもね、私とアンタはずっと家族だから……」

 

 

 

 

 

 

"家族"

 

 

二つの文字が意味するのは本当に大切な人物、離れても離れられない称号。一度出来た"家族"という繋がりは決して外れることはない。

 

 

 

 

「だから……」

 

 

 

 

その絆を引き離そうとすることだけは許さない。別に大和が誰と付き合い、誰と結婚しようが構わない。ただ二人の間に生まれた"家族"という名の繋がりを外そうとすることだけは絶対に。

 

今回の無人機襲撃の一件について、千尋はどこか心当たりがあるところがあった。大和の前では決して見せることのない、その鋭い眼光は心当たりどころではなく、確信染みたものがあった。

 

まず千尋が目を付けたのは、侵入者がISというところ。実際に現場を見たわけではないが、大和の話を聞いていた時にふと違和感を覚えていた。

 

 

ISが人が乗ってもいないのに、勝手に動くことがあるのかと。もちろんどこかの国家が内密に無人機を開発していたと言ってしまえばそれまで。ただ千尋も裏の世界にも踏み込んでいる人間で、裏の情報や隠蔽されている情報の多くが耳に入ることも多い。

 

 

 

 

その中で、無人機の作成に成功したという話は一切聞いたことがない。精鋭が集まっているIS学園にわざわざ、無人機を一体だけで送り込むだろうか。いくら無人機が高性能とはいえ、破壊されてしまう可能性も十分に考えられる。

 

さらにISに使ったコアを解析されれば、どこの国家が送り込んだのかなどすぐに分かる。そもそも全世界でコアは四百六十七個しかない。コアの作成すら国が精力を上げても、作ることが出来ないというのに、数少ないコアをわざわざドブに捨てるような真似を果たしてするのか。

 

まるでIS学園を襲うだけではなく、誰かの戦闘力を試すために送り込まれたようにも思える。

 

 

 

今回の件には不自然な点があまりにも多すぎる。

 

大和自身は口外することを禁止されていたのに、千尋に話したということは、もしかしたら何か千尋が心当たりがあるかもしれないと思ったからだ。その通り、千尋には心当たりがあった。

 

 

だが、大和に話すことはなかった。

 

 

なぜなら、千尋には無人機を送り込んだ人物が分かってしまったからだ。

 

 

解析されても分からないコア……それがこの世界で登録されている四百六十七個以外のものだったら。そして誰も作れないコアをただ一人だけ作れる人物がいたとしたら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「篠ノ之束……あなたに私の弟は渡さないわ」



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昼間のデート 前編

「ここか。確か時計台の下で良かったんだよな」

 

 

待ち合わせの場所に約束の時間よりも早くついた俺は、時計台に背を預けながら相手を待っていた。

 

よく待ち合わせの時間より早くつくと、既に相手は待ってましたなんてシチュエーションも想定したが、そこまで都合のいいシチュエーションは無かった。むしろあまり早くから来られても、後から来たこちら側には罪悪感しか湧いてこない。

 

見渡す限り、まだ約束の相手は来ていない。時間もまだあることだし、ゆっくり待つことにする。

 

 

IS学園にいる時の大半が制服で、授業が終わった後は基本的にタンクトップにジャージといった、放課後の学生の代名詞みたいな服装だった。

 

だから私服を着る機会が少ない。無い訳じゃないけど、私服を着る回数が圧倒的に少ないのは事実だ。

 

何の気なしに自分が着ている服装を確認してみる。濃い青色のジーパンに、薄ピンクのインナー。サイズは小さめのものをチョイスしているため、割と胸元あたりがきつめになっている。

 

はい、そこ。筋肉バカとか言うな。

 

上着はシンプルに白い襟シャツを羽織っている。気温も一時期に比べて幾分上がっているし、そこまで厚着をしなくてももう寒くはない。厚着をしたところでかさばるだけだし、手に持つことを考えると、初めから持ってこない方がいい。

 

 

どこかおかしな部分は無いかと、隅々まで確認する。外に出る時くらいは多少のお洒落はしたい。

 

 

「お、お待たせ!」

 

 

ふと、声が掛けられたと思うと、視線の先にブーツを履いた足下が映る。

 

 

「ん、あぁいや。俺もちょうど今来たところ……」

 

 

視線を上げて姿が目に入ったところで、思わず言葉を失ったまま立ち尽くしてしまう。あくまでプライベートということで、着ている服も制服ではなく、外出用の私服だ。

 

当然私服を来てくることくらいは分かる。上手く言い表せないが、問題はそこではない。つまりあれだ、あまりにも似合いすぎていて言葉が出てこない。

 

肩まで大きく空いたラフな上着に、中にはいかにも女性らしさをかもし出すキャミソール。更に服装だけではなく、いつもと雰囲気がどことなく違って見えるのは何故か。

 

 

「ど、どうかな?」

 

「あー……うん。似合っているぞ」

 

 

返す言葉も単調、しかしそれ以上どう言い表せば良いのか分からなかった。無意識に鼓動が早まっていくのが分かる。顔を赤くさせてやや垂れ目になりながら、待ち合わせの相手であるナギは控えめに聞き返してくる。

 

 

「ほ、ホントに? 変じゃない?」

 

「あぁ。なんつーか、ナギらしさが出ていると思う」

 

「わ、私らしさ?」

 

 

 私らしさって何かと問われれば、俺としては答えようがない。とにかく言えるのは、着ている服が凄まじく似合っているといったところか。

 

IS学園の制服デザインも中々にくすぶられるものがあったが、私服は私服でこれもまた良いもの。ここで変ですと言い返す人間がいたとしたら、目が腐っているとしか思えない。

 

まぁ、本人の美に対する意識が高すぎたり、一般的な考えからズレた思考だったりしたら何も言わないけど、流石にこれを見て変ですはないだろう。

 

 

と、ここでいつまで話していても仕方がない。待ち合わせの時間よりほんの少し早いけど、歩き出すとしよう。

 

 

「じゃ、行こうか。時間がもったいないし」

 

「あ、うん。そうだね」

 

 

 そういえば、女の子と二人きりで出掛けるって初めてな気がする。家族と行ったといえば何回もあるけど、仲の良い女の子とというシチュエーションは今まで一度もない。そもそも女性と関わること自体が少ないため、経験が無いことに特におかしな点はない。

 

……悪かったな今まで女性の関わりがない、ヘタレ君で。

 

 

 

ちなみに今日こんなことになっているのには、一週間ほど前にあったクラス対抗戦の日の夜に遡る。ナギに助けたのが俺だとバレたと悟ったあの夜、不意にナギは俺の部屋へと訪問してきた。

 

当然事を悟った後だけに、俺の正体を聞きに来たのかと身構える。

 

もし聞かれたら、あの時助けたのは自分だという事実だけ伝え、護衛をやっていることと、ここに来たもう一つの目的は伏せようと思っていた。

 

 

が、ナギの口から発せられたのは俺が考えもしないような斜め上を行くものだった。

 

 

……まさかゴールデンウィークのどこかに空いている日は無いか、なんて聞かれるとはな。どう説明しようかと張りつめていた空気が一瞬にしてなくなったわけで。

 

 

「意外っちゃ、意外だったよな」

 

「え、どうしたの?」

 

「あ、いや。こっちの話だ。忘れてくれ」

 

「?」

 

 

思わず声に出してしまい、危うく心の中で思っていたことがバレかけた。ナギはナギでどうしたのだろうかと、やや控えめに俺の事を見つめてくる。最近こんなこと多いなと思いつつも、すぐに切り替えて前を見る。

 

無意識のうちに声に出てしまったって経験、皆には無いだろうか。よくあるよね、頭の中で口ずさんでいる歌が、実際に声に出てました的なこと。

 

ナチュラルに口説いた件といえ、今回の件といえ、色々とやらかし度が上がっている気がしてならない。いや、実際に上がっているんだろうけど。

 

むしろ上がっているのに、それを矯正できない俺にも問題はある。

 

 

「さて、行き先はどうする? 俺は特に決めてないし、ナギは行きたい場所とかあるか?」

 

「あ、うん。実は今日服を買おうと思ってて……」

 

「服かぁ。そういえばそろそろ夏用の服を準備してもいい時期だよな」

 

 

 目まぐるしく毎日が過ぎ去ったため、季節の移り変わりに気付かなかったが、よく考えてみればもう春が終わる。寒い冬が終わってようやく暖かくなると思っていた春先が懐かしい。もうそろそろ暖かいを飛び越えて暑いの領域に入ってくる。

 

暑くなれば当然今着ている服装は出来なくなる。出来るかもしれないが、暑苦しい服装をわざわざ暑い夏にしようとは思わない。これが俺のファッションだと言われれば止めないけど。

 

今俺が着ている服も春先から梅雨手前までの服装で、夏に着るような服ではない。そこまでまだ暑くないからこの服装でいられるものの、暑くなったらいようとは思わない。だって暑いって分かっているのに、汗だくになりながら春先の服を着るのはどうなんだろう。

 

 

とまぁ色々述べたわけだが、さしあたり俺も夏用の服が多いわけではない。一年着ると大体捨てるため、毎年毎年服を買っている。

 

というか季節ごとに服は買い替えている。学生なのにどこにそんなお金があるのかというツッコミに関してはスルーで、金銭事情にはそこまで困っていなかったりする。理由は想像に任せる。

 

 

「うっし! じゃあまず服屋でも回ろうか。結構時間もかかるだろうし、午前中はそれで行こう」

 

「うん、そうだね。でも何か私の予定に合わせちゃったみたいで……」

 

「いや、そこまでに気にしなくても大丈夫。俺もこれといった予定を立てていなかったし、むしろ助かる。折角誘ってくれたのに、いきなり何もやることがありませんじゃ、全く意味ないしな」

 

「そ、そうかな?」

 

「あぁ。俺も新しい服が欲しかったし」

 

 

実際、新しい服が欲しかったのも事実。学園外に出れるとすればゴールデンウィークや夏休みといった長期休暇の時くらい。長期休暇じゃなくても外に出れるかもしれないが、服買う時はゆっくりと時間を取りたい。

 

 

「とりあえず見に行こうか。買う買わないのどちらにしても、ここにいてプラン考えるぐらいなら、見ながら考えた方が効率も良いし。それに……」

 

「うん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――折角の機会だしな。無駄なことで時間食ってたら勿体無いだろ?」

 

 

 

 

 

 

と、俺としては割りと自然な感じに言ってみたわけだが。

 

 

 

「……はぅ」

 

 

顔を赤らめながらポーッと見つめてくる姿を見て気付く。何俺はナチュラルに口説いているのかと。どこの中二混じりのカッコつけ野郎なのか、そろそろ後ろから誰かに刺されたとしても文句が言えないレベルになってきている気がした。

 

まいったな、ナチュラルに口説き落とすスキルなんて全く関係ないと思っていたけど、最近は言うことやること全てが裏目だ。口説き落とすなんて一夏くらいだと思っていた日々が懐かしい。

 

……やめよう、深く考えると悲しくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んー……」

 

 

服を手に取りながらかれこれどれくらいの時間考えているだろうか、一分か、十分か。集中しているとあまり周りのことには気が回らなくなる。

 

割と服選びも簡単ではない。適当に買い漁っても、結局着ないで終わるのが関の山だ。ある程度厳選しながら買うのが無駄な買い物にならない近道……なんて、格好つけて言ってみたはいいものの、本当なら何も考えずに買い漁りたいのも事実。

 

と、いうわけで改めて両手にある二種類の服を見比べる。片方は黒基調の上着で、首元にはネックレスが備え付けられた服。よくバンドのライブとかで着ている人は多いが、外を出歩く人間が着るようなものではない。

 

ライブ限定と考えるならありだが、別にバンドを組んでいるわけではない。

 

 

よってこっちの服は選択肢から外すことにする。買っても着る機会がないなら、買っても仕方ない。

 

 

「さて、こっちは……」

 

 

そしてもう片方、こちらはシンプルに薄灰色基調の襟シャツ。灰色って俺的には涼しく感じるんだけどどうなんだろう。割と色の好みで自分が欲しい服とかそうじゃないかで分かれる気がする。

 

俺はどちらかといえば色合いはあまり気にしない方だ。普段、上着に限るなら白か黒かのどちらかを着ていることが多いが、気分によっては薄い青やピンクを着ることもあるし、インナーも黒以外のものを着ていることもある。

 

 

「こっちはキープするか。後はどうするか……」

 

 

服選びも簡単じゃない。種類は膨大なものがあるし、その中から好きなものを選んだところで一つ二つに絞りきれるものでもない。

 

ただ厳選しすぎてしまうと、選ぶものが無くなる。ある程度気に入ったものは、買うつもりでキープすることにする。実際そこまで高い買い物ではないし、気に入ったものは全部買うなんて真似をしなければ大丈夫なはずだ。

 

さて、そこそこ遠出をしたのだからもうちょい欲しいところ。結局数十分悩んで選んだのが一着だけとか笑えて来る。さすがに悩みすぎた。

 

つい先ほどまでそばにいたナギも、あまり長く俺の方につき合わせるわけにもいかないので、一旦離れ離れになっている。ナギ自身も自分の服を選ぶって目的があるわけだし、一日俺の傍にいたら何も出来ないで終わる。

 

……単純に俺が早く終わらせればいいんだろうけど。

 

 

 

 

「ねぇ! ちょっとアンタ!」

 

「ん? どうしました?」

 

「どうしました? じゃ、ないわよ。これ買ってきて!」

 

「はい?」

 

 

声がする方を振り向くとそこにいたのは女性。当然声色と口調で気がついたわけだが、どうにも口の利き方がうちのクラスメートと違ってなっていなかった。

 

以前のセシリアが俺と一夏に取っていた高圧的な態度なんて可愛いもの。目の前にいる女性達は俺のことを対等の人間として見ていない……つまり、完全に女尊男卑の思考に染まっている。

 

自分達が選ばれた人間とでも思っているのかどうかは知らないが、口の聞き方を間違えると大事になるのは間違いなかった。

 

相手を下手に威圧しないように、言葉を選んで返していく。

 

 

「買ってくるのはいいですけど……代金は?」

 

「はぁ? アンタ何言ってるの? 代金くらいそっちで何とかしなさいよ!」

 

「いやいや、流石にそれはないでしょう? 人に買わせといて料金踏み倒すって」

 

「何よ、私に楯突く気? 今のご時世で女性に歯向かうなんて、良い度胸してるわね!!」

 

「……」

 

 

俺としてもなるべく下手に出て穏便に済ませたいものの、ここまで理不尽の度が過ぎるともうどうすれば良いのか。相手は相手で油を注げばいつでも爆発しそうな感じだ。

 

ここまで荒立った相手を静められるのか。否、俺がどう足掻いたところで無駄な気がする。

 

もう何を言っても火に油を注ぐ行為と何ら変わりはない。どうすれば何事もなく終わるのか……この方程式が解ける人物がいたらすぐにでも教えて欲しい。

 

……教えてくれる人が居ても、今から駆けつけるんじゃ間に合わないだろうけど。

 

 

「はいはい、分かりました。素直に買ってきますよ、お待ちくださいお嬢様」

 

「アンタ私のこと舐めてるの? ふざけるのもいい加減にしなさいよ!! どうやら一回痛い目見ないと分からないらしいわね!?」

 

 

遠回しに言った皮肉で、女性の堪忍袋の緒がキレたらしい。もう何を言っても無駄だと分かった時点で、俺には選択肢は無かった。下手に大事を起こせばどんな理由があろうともこっちが悪いわけで。

 

やったやらないの話になっても尊重されるのは女性の意見で、男の俺の弁明なんて一ミリたりとも聞いてくれないだろう。こりゃ警備員呼ばれて終わりだなーなんて思いつつも内心割と落ち着いている。

 

 

「ちょっと警備員こいつ何とかしてよ!! 私のこと散々馬鹿にして!」

 

 

俺が目の前の事態から目を離している間に、見慣れた服装をした男性が立っていた。俺が無視している間にどこからか連れてきたのだろう。今の世の中、男性が右といっても女性が一人でも左といえば意見は左になる。

 

つまり俺に物事を強要したことが事実でも、女性が警備員に嘘を言えば、それが事実として認可される。呼んでくる時に何を吹き込んだのかは知らないが、事実とは反することを言ったのは間違いない。

 

いくら女性が絶対的に優位な時代だとしても、何でもかんでも男性が女性の言うことに従うかと言われればそうではない……と思う。予想できる内容とすれば、単純な脅しだろうな。

 

 

「君、暴力を振るったってことだが、何かしたのか?」

 

 

女性の隣に立つ警備員が一歩前に立ち、厳しい目つきで俺に詰め寄ってくる。暴力ねぇ、手を振るうどころか、俺は女性に触れることさえしてないんだけどな。一体何をどう説明すればそこにたどりつくのだろう。

 

あまりにも無茶苦茶な嘘吐きにげんなりとしてしまう。

 

 

 

しかし……何だろうか? 警備員の行動はどこか嫌々俺を問い詰めているようにも見える。

 

 

「……答えろ」

 

 

じっと俺も見つめ返すと、警備員の瞳にはやはり負の感情を読み取ることが出来た。目立たないようにほんの少し視線を下に向けると、警備員の両手の握りこぶしは震えている。そこで初めて疑問は確信へと変わる、決して本意で俺のことを問い詰めているわけではないのだと。

 

しかし抗えない。抗えないのは言わずもがな、当然冤罪だと分かればそもそも掛け合おうとしない。それでもこうして俺を問い詰めているのは、本当に俺が暴力を振るったのか自分の目で確かめたいからなのかもしれない。あくまで女性優位な世の中であっても、間違ったことはしたくないのだろう。

 

 

女性に媚びることを嫌っている、どこかで見たことがあるような真っすぐな強い瞳をしていた。

 

―――なら。

 

 

「俺は何もやってません。むしろ、そこの女性に無理やりこの服を買わされそうになりました」

 

「なっ!!?」

 

「……それを証明するものは?」

 

「ありません。誰も見てないですから。一つはっきりと言えることは、俺は一切嘘をついていません!」

 

 

 こちらも下手に挙動不審になる必要はない。女性がいるからって間違いを黙認するほど、俺も弱い人間でもない。間違ったことを正しいと認める意味などない、女性だから、優遇されている人間が言ったからそれに従う……そんな世の中でいいのか。

 

 

 

 

―――以前話した、中学時代にされた告白をことごとく断っていた話を覚えているだろうか。

 

俺が中学時代、クラスで浮き気味だった原因の中に、された告白を断り続けていたのも理由の一つにある。そして、その告白の殆どが互いのことをよく知らない状態だったことも話した。

 

ただその他に、女性に媚びることを嫌うといった考え方をしていたのもある。中学時代には既にISの登場で女尊男卑の風潮は出回っており、学校内でも男女の溝というものは大きかった。

 

女子生徒全員が女尊男卑の思考なわけではないものの、一人でもその思考に染まった人間がいれば、それは伝染病のように広がっていく。数多くの男性が女性に媚びる中で、俺は一度たりとも媚びなかった。

 

女性陣には煙たがられたが、特にこれといって自分のスタイルを崩すこともしない。

 

 

 

 

……話を戻そう。ある程度我慢しなければならない理不尽はあっても、自分の信念をへし曲げてまで我慢しなければならない理不尽があっていいのか。俺が暴力を振るったことを認めることで事態が収束するのであれば、認めているかもしれない。

 

でも、事態が収束するようには到底思えない。冤罪を認めるほど、俺は錆びれてはいないし、優しくもない。ましてや折角の時間を邪魔されたことに関しては許せるものでもない。

 

 

ちょうど打開策を思いついたことだし、お灸をすえる意味で少しやり返してもいいかもしれない。

 

俺の返答を警備員はどう感じ取ったのかは分からないが、顔色一つ変えずに俺の顔を見つめた後、大きくため息を一つ吐く。

 

そして。

 

 

「……毎回思うよ、俺この仕事向いてないんじゃないかってな」

 

 

とても仕事上で使うとは思えない、完全に私生活丸出しの口調でボソッと呟く。口調の変わりように、俺も警備員の後ろにいる女性も目を見開く。しかしそれもほんの一瞬、次に話しだす時には元の口調に戻っていた。

 

 

「俺も流石に冤罪で警察に突き出したくはない。お客さん、今回は諦めてください」

 

「はぁ!? アンタまで何言ってんの!!? 私が言っていることが聞けないわけ!?」

 

「そういうわけではありません。あくまでお客様はこの殿方に暴力を振るわれた。このままでは自分がやられると思った……そう仰いましたよね?」

 

「だからさっき言ったじゃない! 早くこの男を……」

 

「確かに事実確認がすぐ出来れば捕えてました。でもよく考えればあなたが暴力を振られたところを見た人はいない」

 

「そ、それがなによ……」

 

 

 警備員の嫌に落ち着いた説明に何かを感じ取ったのか、先ほどまで立場的に優位立っていた女性の表情に焦りが見て取れる。自分の嘘で丸め込めると思っていた予想が外れ、逆に自分がジワジワと追い詰められていることに気付いたらしい。

 

女性の言うように、現場を見ている人間は居ない。辺りを見回してみても、こちらの様子を伺っている人は誰一人見当たらなかった。

 

もし暴力を振るった現場を見ている人間が居れば、真っ先に伝えにくるはず。それも近くに警備員がいるのだから、伝えない意味がない。特別手間が掛かるものでもないのだから。

 

 

誰も伝えに来ないのは、通行人がよほど薄情な人間ばかりだったか、本当に偶々見なかったのか、それとも暴力を振るったこと事態が嘘だったかのどれかな訳で。

 

当たり前だが、俺は一切手を出しては居ないし、女性に触れてすら居ない。

 

警備員が冷静に物事を判断してくれる人物で良かった。もう気付いているはずだ。例え人が見ていなかったとしても、事実を映し出す目が一つ、近くに存在することを。

 

 

「まぁ幸い、近くに()()()()()もあることですし、すぐにでも事実確認は出来ますが……どうします?」

 

「えっ!!?」

 

 

防犯カメラという単語に身体をビクつかせながら、警備員が指差す天井を恐る恐る見詰める。デパートということで、比較的天井の高さは高い。その四隅の一ヶ所に黒く光る物体があった。

 

これ以上、何かを言うのは野暮かもしれない。防犯カメラの存在を知った女性の顔色がみるみる青ざめていく。そこにはもう余裕なんてものはなく、ここからどう立ち去ろうかを考えているような顔つきだった。

 

―――完全な形勢逆転。俺は何もやっていないけど、勝手に何もかも解決した。

 

 

「くっ……お、覚えてなさい!!」

 

 

ギリッと唇を噛み締めて、俺のことを睨み付けるものの、それ以上の抵抗をしてももう無駄だと悟ったのだろう。

 

怒りに満ち溢れた表情のまま、ズカズカとその場を立ち去っていった。防犯カメラの映像を見れば、俺が一切手を出していないことがハッキリと分かる。逃げ去っていく後ろ姿には、苛立っている様子がハッキリと見てとれる。

 

苛立つのは勝手だけど、他の人間に八つ当たりするのは止めてもらいたいな。よほど悔しかったのか、通行人を押し退けながら歩いている。

 

打開策は使わなかったが、何事もなく終わったわけだしこれで良しとしよう。

 

……と、結局救ってくれたのは警備員だったっけな。

 

 

「ありがとうございます、おかげで助かりました」

 

「ん? あぁ、気にすんな。あの女、今回だけに限ったことじゃねーし、要注意リストにも入ってたしな」

 

「ってことは声をかけられた時点で、ある程度は察していたと?」

 

「まぁな。やれやれ、小さい頃からの夢だった警備員になったっていうのに……やらされるのがこんなことばかりだと、よく警備員なんかになったなって思うよ」

 

 

何でこんな仕事に就いてしまったのかと、愚痴を漏らしてくる。

 

子供の時から夢に見ていた職業に就いたはいいが、理想とは全く違った現実の仕事内容に嫌気が差す人は多い。割とよく聞く話だ。

 

警察官ほどではないが、警備員も人を守るための仕事であったはずなのに、実際やっているのは無実の人間に濡れ衣を着せること。嫌気が差すのも無理はない。それが小さい頃からなりたかった職業なら、尚更だ。

 

 

「ま、愚痴を言ったところで、今のパワーバランスを均等にしようなんて無理な話だよな」

 

「……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えーっと、女性服のコーナーは……」

 

 

服の清算を済ませて、女性服のコーナーにいるはずのナギを探しに来た。普段ほとんど足を踏み入れるような場所ではないため、抵抗感はかなりある。男一人が来ただけで、何しに来たんだろうといった好奇の眼差しが向けられるのは、防ぐことが出来ない。

 

IS学園でもある程度同じ状況には置かれているので、耐性こそついているも、行く先々で好奇の眼差しを向けられては精神的に疲れる。

 

男女セットでなら特に問題はないが、今の俺は完全なボッチプレイ。『男一人で女物の服を見に来るなんて、どんな物好きかしら』くらいの想像があったとしても、何も言えない。

 

俺もすぐにこのコーナーから逃げたい。何が悲しくて女性服コーナーに一人で突入しなければならないのか。体中に肉をまいて、ハイエナの群れに飛び込んでいくようなもの……は、流石に言いすぎかもしれないが、俺の中のイメージとしてはあながち間違っていない気もする。

 

大袈裟? 何とでも言ってくれ。

 

 

そういえば、あの後は特に何事もなく、警備員とはすぐに別れた。向こうもまだ職務中だし、いつまでもプライベートモードでいるわけにはいかないらしい。

 

最後に言われたのは、変なことに巻き込んで悪かったとのことだ。むしろ巻き込んだっていうよりは、あの女性に無理やり巻き込まれたって解釈が正しい。もし助け船が出なかったら、最悪自分が所属している学園を盾にからかおうなんて思っていたのは、つい先ほどの話だ。

 

……俺って以外に腹黒いのかもな。

 

さて、そんなことよりもナギを探そう。気にしないようにしてはいるけど、そろそろ限界だ。

 

 

「あぁ、いたいた―――」

 

 

声を掛けようとしたところで、無意識に身体が止まる。女性服のコーナーとはいえ、服しか売っていない訳ではない。彼女が見ているのは服ではなく、小物……つまりはアクセサリーだった。

 

強化ガラスの中で輝くアクセサリーはネックレスやピアス、指輪にブレスレット。決して学生のお小遣いで手の届かない値段ではないが、それでもお小遣いを使ってしまえば他のものは一切買えなくなるくらいの値段はする。

 

値段をぼかすとするのなら、ちょっと高めのコースメニューくらいはある。

 

その中でも特に凝視しているのは二つのネックレスだった。どちらも買えなくはないが、それでもこの後遊ぶことを考えれば手痛い出費になることは間違いない。

 

うーっと唸りながら、どうしようか考えているナギの姿がどこか小動物っぽくて可愛らしい。

 

 

「うーん……どうしよ。ずーっと前から気になってたけど、やっぱりちょっと高いなぁ」

 

 

考えることは皆同じ、やはり即決するには値段がちょっと高かった。ただ人間の欲求は根強い、どうしても諦めきれないのか、腕を組みながらあーでもないこーでもないとブツブツと呟き始める。

 

 

「今買っちゃうと月末まで切り詰めないといけないし……でもお金がちゃんと貯まるまで残っているかなぁ?」

 

 

うぅ、どうしようとばかりに唸りながら、悩む姿はどこか微笑ましい。男がやったらただの不審者でも、女の子がやると『やれやれこの可愛いやつめ』程度で終わるのはもはやデフォ。気にしたら負けだ。

 

というくらい、欲しいもので悩む女の子は絵になるもの。すぐに声をかけようと思ったけど、もう少しこのまま観察していることにする。

 

 

「でもやっぱり欲しいなぁ。うぅ……迷うよぅ……ふぇ?」

 

「あっ……」

 

 

何気なく振り向いたであろうナギの視線と俺の視線が、バッチリのタイミングで重なる。あまりにもタイミングが合いすぎると、逆に話そうとしても中々話し出せない。特に今回は俺が隠れて一部始終を見ていたため、気まずくて切り出せないのもある。

 

微妙な空気で互いに言葉がないまま数秒、先にハッキリとした反応が表れたのは……。

 

 

「な、ななななな……や、大和くん!?」

 

「よ、よう!」

 

 

ナギの方だった。顔を赤らめながら俺の方を二度見し、その後どう切り返せば良いのか分からずにワタワタと慌て始める。

 

俺たち男にとっては可愛らしい仕草であっても、女の子にとってはあまり見られたくない場合もある。

 

 

「な、何で!? いつからいたの!?」

 

「えーっと。まぁ……」

 

 

こんな時は正直に言った方がいいのか、やんわりと嘘を言った方がいいのか困るところ。どちらの反応も見てみたい気がするが……。

 

 

「……うん。『ずっと前から~』ってところからだな」

 

「ほ、ほとんど全部……」

 

 

やはりあまり見られたく無かったのだろう。恥ずかしがるを通り越して、ずーんとその場に崩れ落ちる。一息吐けばポロポロと音を立てて崩れ落ちて、風が吹けばそのまま四散しそうな感じだ。

 

何かすごく、悪いことをした気分になる。ただよく考えてみれば確信犯だよなこれって。

 

 

「あー……悪い。すぐに声掛けるべきだったな」

 

「ううん。大和くんが謝ることないよ……」

 

 

うわぁ、こうなると気まずい。決して狙ったわけではないのに、悪い方向に意識してしまう。逆に、肯定してくれた方が笑って済ませれる……わけないか、肯定されたらそれはそれでショックだ。

 

つまりどっちに転んでも同じだったこと。

 

これは酷い。

 

 

それはさておき、改めて先程までナギが見つめていたガラスケースの中身を見つめる。アクセサリーとしては高級アクセサリーの部類には入らないものの、それなりの値打ちはする。

 

高級アクセサリーっていうと何十万から何千万、場合によっては何億単位のものまである。しかし目の前に並べられているアクセサリーはそこまではしないものばかり。一番高いものが三万ちょっとの指輪で、安いものが一万手前のネックレス。

 

ところでナギはどれを欲しがっているのか、そこがまず気になるところだ。

 

断られること覚悟で聞いてみる。

 

 

「ガラスケースの中見てたけど、何か欲しいものとかあるのか?」

 

「うん。実はこれなんだけど……」

 

「ん……ネックレス?」

 

 

断られる心配は完全な杞憂だった。思いの外あっさりと欲しがっているものを教えてくれた。

 

キラキラとした宝石が特徴の銀色のネックレスで、ネックレスについた指輪に宝石がついている。見た目がいかにも高そうなデザインではあるが、並んでいる物の中では値段が安い方ではあるが、それでも一万近くする。

 

宝石も色鮮やかではあるが、実際の値段はそこまでしない安物を使っているのだろう。俺も素人だし、どこをどう見分ければいいのかよく分からない。だとしても俺達がファッションとして身につけるものと考えれば十分すぎる。

 

 

「確かにこれはバイトしてないときついかもな。少なくともすぐにぽんと出る金額でもないし、IS学園じゃちょっときついな」

 

「そうなんだよね。バイトしたいけど部活もあるからそんなに出来ないし、仕送りにも限りがあるから……」

 

「ふむ……そうか」

 

 

学生の収入からすれば一万という金額は貰うと相当に嬉しい金額でもある。反面、使えばそれ相応に懐は寂しくなることもあり、使おう度胸があるかと言われればないだろう。さすがに仕送りを無駄に使おうとは思わないはずだ。

 

どこぞの大学生みたいに遊び呆けて、仕送りが来るまでの一週間、一日そうめん一束で過ごしてましただなんて洒落にならないからな。特に成長期の女の子なら肌荒れやらなんやらを気にするのだからなおさら。

 

 

「もう少し待った方がいいかな。まだすぐには無くならない……よね?」

 

「何故に疑問形? まぁ保証は出来るかといわれると何とも言えないな。ガラスケースに入っているから誰でも見られるわけだし、もしかしたら明日には無くなっているかも」

 

「うぅ、そう言われるとちょっと悩むかも……ど、どうしよう?」

 

「我慢してお金貯めて買うってのが一番良いんじゃないかな。買ってその場は満足するのもいいけど、後で後悔したら元も子もないしな」

 

「た、確かにそうかも。無くなってもまた別のところで探せばいいもんね。分かった、今回は見送る」

 

 

どうやら今回は見送ることに決めたようだ。

 

俺の方を振り向くとショルダーバックを掛け直し、服のヨレを直すナギの姿があった。少し照れた表情を浮かべた後、俺に話しかけてくる。

 

 

「あ、大和くんはもう買い物終わったんだ」

 

「おう、とはいっても俺は俺で結構時間かかったな。……服以外にも色々と巻き込まれたし」

 

「え? 服以外?」

 

「あぁいや、こっちの話」

 

「え? え?」

 

 

俺の言っていることが気になったものの、何が何だかよく分からずに首をかしげながら頭にはてなマークを浮かべる。これに関しては完全な俺の個人的なものなため、詳しいことを話すのはやめよう。

 

話したところで、俺もさっきのことを思い返すだけでいい気分はしないし、話された相手にとってはただの愚痴聞きにしかならないからなおいい気分はしない。

 

 

「ま、とにかくあれだ。もう時間的にはいい時間だし……昼食にするか? それとももうちょいここで時間つぶすか?」

 

「ううん、大丈夫だよ。もう買うものはある程度は買ったし、い、今のはちょっと悩んでいただけだから」

 

「……そっか」

 

 

まだ頭の中ではどうしてもネックレスのことがチラついているのか。少し返事の歯切れが悪かった。

 

 

 

……ネックレスか。

 

ちょっと考えてみるか。



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昼間のデート 中編

「大和くん、ここのファミレス知ってる?」

 

「聞いたことあるな。確かちひ……姉さんが前に行ったんだけど、味も接客もめちゃ良かったって言ってたっけ」

 

「うん、友達も凄くおススメだってって言ってたからずっと前から行きたいなーって思っていたの」

 

 

一旦レゾナンスから出て、街中へと歩を進める。さすが都会、辺りを見回せば飲食店なんてゴロゴロ転がるように建っている。ラーメン屋から牛丼屋、ファミレスに中華料理店と本当に何でもござれ。

 

この近くに家が建っていたら毎日自炊しなくても飯には困らないだろう。逆に毎日行っていたら懐が寂しくなるだろうけど。

 

その中で目をつけたのは、少しこじゃれた今風のファミレスだった。ファミレスとはいってもそこら辺に立っているようなチェーン店ではなく、完全な個人経営のお店だ。

 

しかし個人経営だからといって侮れない。窓越しに店の中を覗くと、まだピーク時ではないというのにほぼ満席近い。つまりそれだけ人気があるんだろう。

 

 

さっき言ったように、千尋姉も太鼓判を押すほどの店だから信憑性がある。料理が得意な人間の言うことだから、まず間違いないはず。それにこれしきのことで、嘘をつくような人柄でもない。

 

一瞬ナギの目の前で千尋姉と言いそうになったのをぐっと堪えて、普段呼び慣れない呼び方に置き換えたのは秘密。そこまで隠すことでもないが、俺としては自分の姉の呼び方を知られるのは地味に恥ずかしかったりする。

 

千尋お姉ちゃんから始まり、千尋姉ちゃん、そして今の千尋姉に纏まった。たまに向こうから『前みたいに千尋お姉ちゃんって呼んで良いのよ?』などと言われるが、もうこの年になってお姉ちゃんは無いだろうとは思う。

 

下手に呼ぶとシ○コンに間違えられそうだし。

 

 

「なら話は早いな。このまま他の店を探すのも手間だし、せっかくだからここにしようぜ?」

 

「うん、そうだね」

 

 

他の店を探しているうちにピーク時を迎えて満席になるよりは、まだ空いているうちに席を確保できる場所を選んだ方が良い。

 

評判も良いことだし、ここにするとしよう。ドアに手をかけてゆっくりと押していく。カランカランと鳴り響くアナログ式のインターホンがいかにも、個人経営感を漂わせる。

 

店に入ってくるとすぐにウェイトレスの女性が小走りに、ただ優雅に向かってくる。服装はどちらかと言えばメイド喫茶のメイドみたいな格好で、頭にはヘッドドレスが付いていた。

 

……ヘッドドレス?

 

 

「おかえりなさいませご主人様、お嬢様♪」

 

「へ?」

 

「え?」

 

 

 唐突に掛けられた声に、二人揃って素っ頓狂な声が出てしまう。ここは普通のファミレスだったはず、なのにどうしてこの言葉が出てくるのか。これではファミレスというより、メイド喫茶なんじゃ……。

 

内心かなり慌てながらも表情に出さないように隣に置いてある看板を見る。

 

 

『メイド喫茶風ファミレス~紅~』

 

 

「そ う い う こ と か い」

 

 

看板に書いてある文字を見て、疑問が確信へと変わる。普通の個人経営のファミレスではあるものの、女性ウェイトレスの姿が、メイド喫茶まんまだ。店の雰囲気がどんな感じなのかは特に聞いてなかったため、これはちょっと驚きだ。

 

ホールに出ているのは基本的に女性だけで、カウンターから見える厨房内には男性が一人。個人経営だから、厨房も一人で回しているのだろう。混雑時はどうやって回しているのか、生で見てみたい。

 

客席も多いわけではないが、決して少なくはない。混雑時には当然、ウェイティングが掛かってもおかしくない。現に、入口には待機用のソファーが向かい合うように置かれている。

 

それはさておき、ホールを担当しているウェイトレス……もといメイドさんのレベルがまた高いと来た。客にはにかむスマイルはもはや兵器。

 

そう言っているうちにも接客を受けた男性客の一人が、鼻の下を伸ばしながらメイドさんの後ろ姿をじっと見つめている。漫画なんかだと、目がハートマークに変わった感じだ。

 

綺麗な、もしくは可愛い女性が多いことも集客が多い理由なんだろう。男性の方が多いかと思われれば、女性客も多い。どちらかに偏ることはなかった。

 

しかしまぁ、これはこれで悪くない。どこか三次元とは違った別次元に来た感じがする。

 

無意識のうちに、視線が出迎えてくれたメイド風ウェイトレスの姿に吸い寄せられる。

 

その時だった。

 

 

「……!? 痛ででででででっ!!?」

 

「えっ……お客様?」

 

 

どうしてか唐突に左脇腹に、ビリビリとした痛みが走る。何をされたのかわからず、思わず大声をあげてしまい、目の前のメイドさんが心配そうにこちらを見つめてくる。

 

しかも口調が崩れかけている、俺のことを普通にお客様って言ってるし。もし誰かが俺に何かをしたところが見えたら、即座にリアクションを起こしていたはず。

 

彼女は俺が何をされたのか気付いていない。痛みが走ったのは左脇腹。初めは尖ったものでつつかれたのかと思ったが、この痛みはつついた痛みではなく、挟まれたような痛みだった。

 

例を上げるのなら、指と指の間で頬を抓られるような……。

 

 

「……」

 

 

ちょっと待て、痛いけど冷静に考えてみようか。痛むのは俺の左脇腹で、つまり抓る人物は俺の左側にいることになる。右側にいる可能性はこの際捨てようと思う。

 

理由は単純で俺の右側には誰もいない上に少し高めの壁で仕切ってあるから、どう頑張っても人が潜り込める訳がない。

 

某妖怪アニメに出てくるような妖怪と違って、壁が勝手に動くわけでもない。

 

そもそも右側から手をわざわざ左側に回すなんて面倒なことをしなくても、初めから左側に来てつまめばいいし、右にいるならそのまま右脇腹を抓れば全く問題はない。

 

冷静に解説している自分が馬鹿らしくなってきた、やめよう。

 

 

事実確認をするべく、ギギギと壊れたロボットが無理やり動こうとする音と共に、顔を左側に向けていく。何故だろう、別に死地に赴くわけではないのに、膝の震えが止まらないのは。

 

 

「むぅ……」

 

「Oh……」

 

 

 顔をしかめながら、リスのように頬を張り、ジーっと俺のことを睨んでくるナギの姿がそこにはあった。仕草だけなら可愛らしいものの、その背後にあるオーラが『私怒っています!』をより醸し出している。

 

千尋姉の笑顔に阿修羅オーラよりはまだ幾分マシでも、冷や汗がタラタラと流れてくるのは止まらない。背けようにも背けられず、引こうにも引けない。

 

……どうしようか。

 

 

「あの……お客様? お席の方はどちらになさいますか?」

 

「あ、すみません。二名でテーブル席でお願いします」

 

「はい、かしこまりました♪ 二名様ご案内しまーす!」

 

 

グッドタイミングの声かけに、思わず内なる自分が歓喜する。

 

にしても本気で助かった。鼻の下伸ばしてましたなんて、正直にナギに言えるわけがない。というより、女の子と遊びに来て、目の前で鼻の下伸ばしていたら、怒るまではなくても、良い気分はしない。

 

……抓られたのは面白くないと思ったからだと思う。じゃなかったらそんなことをする意味がない。もし確信犯でやったのなら、ただの理不尽な暴力だ。

 

 

 

 

 

 

つまりそれだけ俺が―――。

 

 

「ではこちらになります。ご注文が決まりましたら、いつでもお申し付けください♪」

 

「あ……はい。ありがとうこざいます」

 

 

 連れられるままに着いていくと、窓際の大きく開けた席に案内される。窓からは華やかな街並みが映し出され、普通に風景を見るのとはどこか違った、不思議な感じがした。

 

その席に向かい合うように俺たちは座る。雰囲気的には学校の食堂のような感じはするのに、周りが学園の関係者ではないため、二人で向かい合うように座っているとどうも落ち着かない。

 

場所が変わるだけで、普段は慣れた行動や仕草であっても変な感じになる。IS学園では女性と相席になることくらい当たり前でも、一旦外に出ればそれは常識として通用しない。

 

男女が相席している……友達以上の関係に見られても思われても不思議ではない。それに加えてナギは美少女だ。綺麗所が集まったIS学園では影に隠れがちだが、普通に歩いていれば振り返る人もいるだろう。

 

席に座ってから時間は経っていないというのに、いくつかの視線が座っている席へと向けられる。こういうのはどうにも得意じゃない。

 

 

……今女の園にいるのに何言ってるんだとか想像した奴、後で覚えておけよ。

 

 

そうこうしているうちに、メニュー表を置いてパタパタと去っていく。客足が増えているため迅速な行動をしているのもあるが、若干今の空気を読んだ感じもした。

 

さて。

 

 

「……ごめん。確かに鼻の下伸ばしていたかも」

 

 

何かを言われる前に先に謝っておく。相手がどう思っていようとも、鼻の下を伸ばしているのを見て、気分が良い人間は居ない。

 

 

「え? あ、うん。あれ? どうして大和くんが……?」

 

「いや、どうしてって言われてもな。あれ、今さっきの俺の行動が、気に障ったんじゃないのか?」

 

「あ……そ、そうだね!」

 

 

返ってきた反応は、予想とはまるっきり反対のものだった。一瞬、思わぬ返しに逆に俺がどう反応すれば良いのか分からずに硬直した後、すぐに切り返す。

 

てっきり怒っているものと思って謝ったは良いものの、抓った本人は一瞬自分のやったことを忘れていたみたいだった。

 

もしかして無意識のうちに行動に出ていたのかもしれない。そう考えると結構怖いけど、本人も言葉を濁しているし、これ以上の詮索は野暮というもの。

 

忘れよう。

 

 

「ま、まぁいいか。とりあえずメニューを決めようぜ? 話すためだけに入ったわけじゃないしな」

 

「う、うん」

 

 

 話を強引に転換しながら、置いていったメニュー表を手に取り、左から右へと視線を移動させる。男には時に強引にならなければならない時がある。

 

チェーン店ではないこともあり、店舗のイチオシメニュー以外は写真がなく、文字だけのお品書きになっている。そこに書いているのは、俺たちがよく見慣れたメニューばかりのため、想像が出来ないといったことは無かった。

 

海外系の高級料理店とかだと、まずメニュー表の文字が読めない、そして日本語訳がしてあったとしても、料理名自体を全く聞いたことがないといったこともザラにある。

 

一般人が知らない食べ物や、風習などがあるように、箱入りお嬢様が俺たちが日常茶飯事に使っている用語や、口にしている食べ物を知らないこともある。

 

そう考えてみると、同じ世界に住んでいるというのに、不思議だと常々思う。

 

 

さて、それは良いとしてまずはメニューを決めるとしよう。外食で目の前に女の子がいるシチュエーションで、ドカ食いは完全なNG。

 

それが素敵だという人が居たとしても、ファミレスでやるのはあまりにも場違い過ぎる。

 

 

……例えば、フランス料理店でドカ食いしている女性を想像できるかと。普通だったら出来ないはず。少なくとも、身の回りの女性陣がそんなことをするのは想像がつかない。

 

 

「へぇ、結構メニュー多いんだな。ファミレスだから和洋中全種類置いてあっても何とも思わないけど、よく考えたら個人経営だっけここ」

 

「そうだね。メニューが多いのは聞いてたんだけど、ここまで多いのは私もちょっとビックリかな」

 

「逆にここまで多いと悩むよなー、どれもこれも旨そうに見えてくる」

 

 

 うーんとメニュー表を広げながら、どれにしようかと悩む。IS学園の食堂と同じく取り扱っているメニューは多い。IS学園の券売機は俺の他にも食券を買う生徒が後ろで待機しているため、じっくりと選んでいる暇もなく、目に入ったメニューの食券ボタンを押していることがほとんどだ。

 

その反動なのか、どちらかと言えばゆっくりと選べられるファミレスだと変に悩む。あーでもないこーでもないと選んでいた俺の姿が、目の前の彼女にどう映ったのかは分からないが、突然クスクスと笑い声が聞こえてきた。

 

笑い声が聞こえると、人間は反射的に声のする方へと振り向いてしまうもの。顔を上げた先には口元を押さえて微笑む小悪魔的な姿がそこにはあった。

 

 

「ふふっ♪ 今の大和くん女の子みたい」

 

「う……うるさいな! 仕方ないだろ、どれにするか悩んでいるんだから」

 

「即決出来る人だって思っていたけど、ちょっと意外だったかも」

 

「普段はな。俺だって悩むことはあるよ、例えば今日とかな。男には悩まなきゃならない時があるんだよ」

 

「……凄く格好いいこと言ってるけど、シチュエーション的にちょっと違うかも」

 

 

あれ、何この流れ。俺もしかしてからかわれている?

 

最近妙にからかわれることが多い気がしないでもない。俺の気のせいか、必要以上に意識することもないか。とりあえず、どれにするかはさっさと選ぼう。さすがにちょっとメニューを選ぶだけに時間が掛かりすぎだ。

 

パラパラとめくりながら急いでどれにするかを決めようとするが、俺の性なのか中々決められない。適当なものにしようかと気持ちが揺らぎかけた時、ふと最後のページにファイリング形式で挟まっているメニュー表を見付けた。

 

ファミレスには一般的にどの時間にも必ず並んでいるメニューがある。これをグランドメニューと呼ぶとしよう。その中にも時間帯限定で出されているメニューがある。時間的には大体おやつのまでの時間限定メニュー。

 

俺が取ったやや硬めの紙には大きく『ランチメニュー』と書かれていた。

 

表には今日のお品書きと書かれており、視線を下に向けていくと興味深い名前が書かれている。

 

 

「日替わりランチ……か」

 

 

無意識のうちにそのメニューの名前を呟く。日替わりランチ、読んで字の如しメニューの名前は同じでも、日によって出てくる料理は変わってくる。つまりどんな料理なのかは頼んでみないと分からない。

 

最も今日の日替わりが何なのかを注文の時に聞けば済むだけで、嫌いな食べ物さえなければ大きな問題はない。この際、悩むくらいだったら何が出てくるか分からない日替わりを選んでしまえば、悩む必要もなくなる。

 

幸い嫌いな食べ物も特にないし、これ以上時間が掛かるのもあれだ。

 

 

「あれ、大和くんもそれにするの?」

 

「大和くんも……ってことはナギもこれなのか?」

 

「うん。私こういうところに来ると悩んじゃうから、悩まなくても良いようなメニューを毎回頼んでいるの。日替わりだったら、嫌いなものがなければ変に悩む必要もないしね」

 

「なるほど。好き嫌い無く食べる感じか」

 

「小さい頃から食事には気を遣ってて……。私の実家って飲食の自営業やってるから、割と食材に触れる機会は多いの」

 

「へー、そうなのか。どうりで料理が得意なわけだ」

 

最初の反応でもしやとは思っていたが、案の定頼んだものは同じだった。しかも選んだ理由まで同じと来たもの、偶然って怖い。

 

そして実家は飲食店の経営。

 

好き嫌いが無いことはもちろん、料理が得意なのもうなずける。食事会の時は調理に関わることは無かったものの、昼食時はかなりの頻度で弁当を持ってきている。

 

クオリティも高く、とても高校生に入りたての子が作るようなものとは思えないものばかり。高校生が作る弁当で、大半の人間がイメージするのは出来合いや冷凍食品、レトルト食品ばかりが詰め込まれたものだろう。

 

が、作ってくる弁当はイメージと反対に、ほとんどが手作りのものばかり。女子力の高さだけで言えば、間違いなく高いレベルにある。

 

何気なく誉めたことが照れ臭かったのか、何を急に言い出すんだとばかりに、広げているメニュー表で顔半分を隠す。

 

 

「そ、そんなことないよ。私なんかまだ全然。むしろ大和くんの料理とか見ると、負けた気分になるもん」

 

「んーそうか?」

 

 

そんなことはないと思いつつも、それ以上は言わないでおく。注文が決まったところで呼び出し用のベルを……。

 

 

「ん、ベルがない? ……あぁ、ここわざわざ呼ばないといけないのか。すみませーん!」

 

 

 

そんなこんなで、バタバタとした昼食タイムは過ぎていった。ちなみに日替わりランチの内容は鳥の照り焼きだった。いつぞやの食事会と似たようなメニューの組み合わせに、俺は苦笑いしか出てこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、ごちそーさん」

 

「はい、お粗末さまでした」

 

 

 料理が運ばれてきてから十数分後、目の前には綺麗に空になった食器が並んでいた。まさか日替わりランチで食事会とほとんど同じメニューが運ばれて来た時はびっくりしたものの、いざ食べてみると頼んでよかったと思うくらいに味は良かった。

 

いい感じに鶏肉に焦げがついてて、照り焼きのタレも甘すぎずしょっぱすぎずの絶妙な味加減に舌鼓を打ちつつ、和やかな昼食を過ごした。食事を終えたとことで、ふと腕時計の時間を気にする。

 

店に入ったのは十二時手前くらいで、そこから何やかんやで大体一時間ちょっとは時間が経っている。腕時計の針はすでに一時手前を指しており、店内も入店した時とは違って、満員状態だ。入口に設置されている椅子にも、まだ多くの客が空席が出来るのを待っている状態で、一息つく暇もない。

 

 

「そういえば、大和くんって食後必ずコーヒー飲んでるよね」

 

「ん? いや、そうでもないぞ。飲みたい時は飲むけど、飲まない時は飲まないし。……ナギもブラック飲んでみるか?」

 

「う……うーん。わ、私はいいかな?」

 

「何で疑問形? でもやっぱり俺って変わっているのかな」

 

 

相変わらず口にするコーヒーはガムシロップもミルクも一切入れない、ブラックコーヒーだけだ。よくよく考えればコーヒーが好きな人って、コーヒー独特の苦味が好きって人が多いっけか。

 

ナギなんかはコーヒーを飲むなら甘い方がいいんだろう、俺が飲む様子を苦笑いを浮かべながら眺めている。煙草を吸ったことがない人が煙を吸うとむせるように、コーヒーにも同じことが言えるのかもしれない。ある一種の中毒みたいなもんだなこれ。

 

高校に入ったばかりの十六歳の何人がブラックコーヒーを好んで飲むのか。社会人なんかはよく喫茶店とかで飲んでいるイメージがあるけど、高校生が飲んでいるイメージはない。年取ることで味覚が変わるなんてよく言うけど、十代の、それも女の子がいきなり突きつけられて飲めるようなものではない。

 

そう考えると俺は結構な変わり者だ。

 

 

「そんなことないと思うけど……でも周りの子よりも大人びているよね、大和くんって」

 

「俺が? うーん、特別変わったことをしているとは思わないんだけどな」

 

「それを無意識に言えるところが凄いよ。コーヒーだって、ブラックで飲む子なんて見たことないし、普段の言動だってとても同い年には見えないよ」

 

「ま、マジか……」

 

 

そう言われると何も言い返せなくなる。

 

初対面で会った人に大人びていると言われても、そんなことないと言い返せるが、ある程度一緒にいる人物に大人びていると言われれば、否定が出来ない。

 

褒められてるんだから喜べと言われても、素直に喜べないのが現状。むしろ面と向かって言われると照れ臭くなる。

 

 

「……とはいっても、今さらスタイルを崩すつもりもないしな。なるほど、これから俺はナギに一生おっさん扱いされるのか」

 

「え、えぇ!? べ、別にそんなつもりは!」

 

 

年上扱いされることに、ちょっとネガティブな感情を入り混ぜながらガックリと頭をたれてみる。もちろん、本意で落ち込んでいるわけではなく、あくまで面白半分に過ぎなかった。

 

ただ、思った以上に効果が高かったらしく、目の前でアワアワと慌てふためきながら、どうしようとテンパるナギの姿を見て、少しやり過ぎたと思いながら、軽く謝罪の言葉を伝える。

 

 

「ごめんごめん、冗談だよ。ちょっと言い過ぎだったな」

 

「じょ、冗談? も、もう! からかわないでよ!」

 

「ははっ♪ 悪い悪い」

 

 

……不謹慎だけど、女の子が慌てふためく姿って小動物みたいで可愛らしいな。何度か慌ててる姿を見たことはあるけど、じっくりと見てみると強くそう思える。

 

別にいじめたくてやっている訳じゃないけど、こんなところ他の知り合いとかに見られたら何を言われることやら。

 

眉をへの字に曲げながら、むーっとした表情で俺のことを睨んでくる。やっぱりこの表情も怖さというより、可愛らしさの方が強い気がする。でもあまりやりすぎると怖いことになりそうだし、このくらいにとどめておく。

 

抓られた時のブラックオーラをもう一度充てられるのは勘弁願いたい。

 

 

さて、そろそろお暇するとしよう。長く居すぎても迷惑になりそうだし。

 

 

「……っとあんまり長くここに居すぎても、あれだな。結構込んできたみたいだし」

 

「だね。えーっと……あっ!」

 

 

 伝票に手を伸ばそうとしたナギを遮り、それよりも早く俺が伝票を手に取る。いきなり取ろうとした伝票が消えて、一瞬何が起きたのか分からずに硬直する。硬直の後、すぐに俺が手に持っている伝票へと視線が移る。

 

強がりってわけではないが、男としては女の子の前では格好つけたくなるもの。たとえ手持ちが少なかったとしても、だ。外に出かけるということで手持ちは多めに持って来ているため、そこまで手痛い出費ではない。

 

何故手痛くないのか、それには当然理由がある。俺の手持ち、つまり俺の貯金のほとんどは()()の報酬からくるものだ。一つの仕事を成功させるだけで、何十万から何百万単位の報酬が舞い込んでくる。

 

そこまでお金に固執する人間でもないため、報酬はほとんど使われないまま銀行口座に貯金されていく。生活費に使ったとしてもお釣りが来る上に、働いている千尋姉の給与や護衛としての仕事を完全に辞めたわけではないため、俺のお金が全ての生活費として使われるわけではない。

 

……まぁ要は尋常じゃないくらいの貯金があると認識してほしい。

 

家に帰ってもやることがない俺を外に連れ出してくれたわけだし、このくらいはしてやりたい。

 

 

「これくらいなら俺が出すよ」

 

「で、でも……」

 

「ちょっとくらい格好いいところ見させてくれ。今日誘ってくれたお礼だと思ってくれればいいさ」

 

「え?」

 

「ま、まあいいだろ。ほら、行こうぜ!」

 

「え……あ、はい!」

 

 

 何だろう、自分で言ってて恥ずかしくて堪らない。ちょっと臭すぎただろうか、何言ってんのこいつと思われないかが一番の心配だ。伝票を持ちながらギクシャクとした動きのまま、レジへと向かう。財布を忘れたらどうしようかと思ったが、ズボンの後ろポケットに右手に入れると財布の感触があった。

 

良かったと安堵の息を吐きながら、伝票をカウンターに出す。

 

 

「ありがとうございます。お会計は一緒でよろしかったですか?」

 

「あ、はい。纏めてで」

 

「ふふっ♪ お連れの方は彼女さんですか?」

 

「へぇ!?」

 

 

いきなり何を言ってくるのかと思えば、出てきたのはからかいの言葉。さっきナギにしたことが倍返しで返ってきた。地声が完全に裏返った間抜けな声を出しながら、後ろを振り返る。

 

ナギに今の一部始終は見られて見られていない。こちらの様子を気にすること無く、自分の荷物をまとめて服のよれを直していた。

 

初めは聞こえたんじゃないかと、心臓が飛び出そうになったが、聞かれていないことが分かり、ほっと胸を撫で下ろす。

 

もうこれ以上からかうのはやめてください、気に障ったのであれば謝りますので……。

 

 

「い、いえ。違いますよ? 普通の友達です」

 

「あら、そうなの? お似合いだと思うけどね~」

 

「う……な、何でも良いじゃないですか。は、早くお会計を」

 

「はいはい。照れないでくださいご主人様?」

 

「……」

 

 

あぁ、もうあれだ。言い返すのはやめよう。

 

この人は俺が口喧嘩で勝てるような人じゃない。言い返せば言い返すほどこちらがドツボにハマっていく結末しか見えない。

 

これだから年上の女性っていうのは苦手だ。嫌い訳じゃなくて、どうやったらうまく接せれるのか分からない。個人的にからかうのは嫌いじゃないが、からかわれるのは好きではない。

 

それが色恋沙汰ともなれば、もう返せるはずがない。

 

そもそも経験が無いんだから。

 

 

 

 

―――お会計を手早く済ませて、一足先に店の外へと出る。接客も料理も良かったけど、最後の一撃がかなり余分だった。表情には出さないものの、精神的なダメージが結構デカイ。

 

それこそこれがそのまま家に直帰なら、しばらく布団から出てくることが出来なかっただろう。女性にからかわれたなら本望とかいう性癖は残念ながら、俺は持ち合わせていない。

 

外に出てから数秒後、同じようにナギが出てきた。が、何か引っかかる物事があるのか、首をかしげながら俺の顔を不思議そうに覗き込んでくる。

 

 

「どうした?」

 

「大和くんって、お会計のところにいた店員さんと何か話した?」

 

「話?」

 

「うん。何かレジ通りすぎる時に頑張ってって、囁かれたから……」

 

「……」

 

 

逃げたら良いってことでもなかった。逃げたら逃げたで盛大な置き土産を残してくれたみたいだ。引き返して一言くらい言い返そうと思ったけどやめておく。

 

言い返したところで、俺が逆に言いくるめられるのが目に見えるからだ。

 

メイド喫茶風ファミレス紅……ちょっとこれからは来る時は注意しよう。今回の件で恐らく顔を覚えられただろうし、無防備で突っ込んだらまた今回の二の舞になるかもしれない。

 

 

「まぁ、大人の事情ってのがあるんじゃないか?」

 

「?」

 

 

俺の言っていることは理解されなかったが、逆に理解されたら困ることのため、上手く誤魔化せて良かったと肩の荷がおりた感じがした。

 

疑い深く見つめてくる視線に関しては全力でスルーしつつ、この後のプランを考える。時間的にはまだ正午過ぎ、ファミレス内で話していたことだが、実はまだちょっと見て回りたい場所があるとのこと。

 

なので、一旦先ほどまで俺たちが服を選んでいたデパート、レゾナンスに戻るつもりだ。

 

 

「じゃあもう一回レゾナンスに戻るか。俺ももうちょい見たいものがあるし」

 

「あれ? 大和くんまだそんなに買うものがあるの?」

 

「ん、まぁ……な」

 

「も、もしあれだったら手伝おうか? あまり男の人の服を選んだことは無いんだけど、雑誌とかでは結構見ているから、それなりに答えられると思うけど……」

 

 

俺の言葉に対して予想通りの反応を示してくれるナギ。気遣いは凄く嬉しいけど、少しばかり見られると困るものもあるので、目的のものだけ先に入手して、後で見てもらう方向でいこう。

 

しかし逆にちょっとだけ一人にして欲しいと言ってしまうと、それはそれで疑われるかもしれないし、上手く誤魔化しながら違和感無く伝えられる方法はないか。

 

しばし考えると一つだけ方法が浮かんでくる。が、果たしてこれを言っても大丈夫なのかと、不安になってきた。逆に下手に揶揄して間違って伝わったら、それはそれで色々と不味い気がする。

 

……とはいえ、他に方法もない。

 

 

「あぁ、よろしく頼む。ただ最初だけ一人にしてもらって良いか?」

 

「うん……え、最初だけって?」

 

 

予想通り、投げ掛けた疑問に食いついてくる。さて、どうなるか。

 

ナギの性格上、この手の返しなら……。

 

 

「……さすがに男物の下着を選ぶところを女の子に見られたくない」

 

 

引き下がるはずだ。いくらなんでも男性が履く下着を選ぼうとは思わない。仮に選ぶとしたら楯無さんみたいな、人をからかって楽しむタイプの人間のはず。

 

これで私実は楯無さんタイプでしたと言われたら涙ものだが、ナギがそちらのタイプとは到底思えない。

 

たかだかこれしきのことで、心臓は地味に心拍数が上がっていく。別に胸に触れなくとも、鼓動で分かる。

 

さぁ、どっちだ?

 

 

「へ……あっ!? そ、そそそそそそそうだねっ!?」

 

「ちょっ! 慌てすぎだって! 済ませたらすぐ呼びに行くから!」

 

「う、うん……」

 

 

思わず聞きたくないことを聞いてしまったと思ったのか、今日一番の慌てぶりを見せてくれる。手を目の前で勢いよく振りながら、俺から視線を外す。

 

ただ誤魔化すにしては言い過ぎたらしく、俺まで慌てて宥める羽目に。ひとまずこれで若干の時間を作ることは出来たわけだし、何とかなりそうだ。さしあたり問題があるとすれば、物が無くなっていた場合か。時間はそこまで経っていなくても、物が無くなっている可能性も十分にあり得る。

 

朝に大量の在庫を用意していたとしても、人気があればそれはわずか一時間と経たず無くなるように、在庫が展示品のみのアクセサリーなら、下手をすると俺たちが出ていった後、すぐに売り切れたとも考えられる。

 

急ぐに越したことはない、早めに移動するとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えーっと……アクセサリーコーナーってどこだったっけか?」

 

 

 ファミレスから出た後に上手くナギを誤魔化すまでは良かった。先ほどと同じ階層に来ているはずだと言うのに、どこに何が有ったか忘れてしまい、近くに地図がないかと探し回る羽目に。

 

結局地図を見付けたのは、レゾナンスについてから数分が経ってから。最初だけだと言ったのに、何分も掛かっていたら世話ない。

 

小走りで先ほどののアクセサリーコーナーへと向かう。また女性服のコーナーへ足を踏み入れることにはなるが、この際致し方がない。

 

小走りのまま、女性コーナーへと入っていく。周りにいるのは完全に女性、もしくはカップルのみ。男一人で駆けていく俺に視線が集中する。この視線も今だけ、ずっとこの視線が続くわけではない。

 

 

「頼むから残っていてくれよー」

 

 

しばらくすると、視線の先に見慣れたガラス張りのケースが飛び込んでくる。角度的に中に何が入っているのか確認は出来ないが、数多くの物体が置いてあるのは確認出来た。

 

 

そのまま歩を進めてガラスケースの前に立つ。ネックレスがあったのはどこだったかと、上から下へ視線を移動させながら中身を確認していく。

 

ブレスレットやピアスなどのアクセサリーが規則正しく並んでいる。午前中に覗いた時と比べて商品の配置が変わっていない、おそらく一個も売れていないんだろう。それはいいとして、今回の目的はブレスレットでもピアスでもない。

 

ネックレスが残っているのかどうか、そこが一番の問題だった。

 

口の中に溜まった唾を飲み込む。ファミレスで水分を補給したばかりだというのに、既に口の中はカラッカラに渇いていた。

 

 

 

―――もし無かったらどうしよう。

 

変な杞憂が俺の頭の中をよぎる。時間が経ったといってもたった数時間程度、だがその数時間は時には取り返しのつかない時間に早変わりすることもある。だがいちいち無かった場合を想定しても仕方ない。

 

気持ちを一回切り替え、目を凝らしながらガラスケースの中を観察していく。

 

そして僅か数秒後、俺の視線は右下の一点を見つめたまま止まった。

 

 

「……あった」

 

 

目的のものを見つけた瞬間、心と頭にモヤ掛かっていたものが一気に晴れていく。まだ売れずに残っていた安心感からくるものなのか、それとも見つけることが出来た達成感から来たものなのか……どちらにしてもこの際どうでもいい。

 

数秒前の杞憂は何だったのかと、思わず足の力が抜けて中腰になりそうになる。大したことはしていないはずなのに、身体を疲労感が襲ってくる。

 

ただいつまでもここで休んでいる時間は無い。さっさと購入してナギと合流しよう、あまり長い時間がかかっても不審がられるだけだ。

 

 

欲しいからといってガラスケースを叩き割ってレジに持っていく訳にもいかない。もしやったとしたら、速攻で俺は警察のお縄につくことになる。捕まった理由が、欲しいからといって堂々とガラスケースを叩き割ったという何とも間抜けなものなのは一生の黒歴史になるだろう。

 

俺とて十六歳で不名誉な称号は授かりたくない。くだらないことを考えている暇があるなら大人しく店員を探すとしよう。

 

 

改めて近くに店員がいるかどうかを確認する。

 

 

しばらくの間、キョロキョロと辺りを見回していると、たまたま近くを店員が通りかかった。

 

 

「あの……すみません!」

 

「はい、どうなさいました?」

 

「実は―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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○昼間のデート 後編

 

 

 

「悪い、お待たせ!! 思った以上に時間掛かった!」

 

「あ、大和くん。ううん、平気だよ。用はもう済んだ?」

 

「あぁ、まぁ何とか」

 

 

 目的のものを購入した大和は、足早にナギの待っている場所へと向かった。買った商品は言わずもがな、手持ちの袋の中に大切にしまってある。

 

少しばかり時間がかかってしまったのは、プレゼント用に包んでもらったため。幸い何を買ったかは知られていないことだし、下手に口を滑らせないように気をつけるだけだ。

 

用も終わったため、後は時間が許す限りは適当にぶらつくだけなのだが、初めは服を見るとしても終わった後はどうするか。

 

これが完全な恋人同士であれば完全に夜のことも……と、なるわけだが、まだ二人の仲はそんな深く進展しているわけではない。

 

 

「よし。とりあえず男性服のコーナーにでも行くか。もう何着か欲しいし、コーディネートは任せるぜ?」

 

「は、はい。私なんかで良ければ喜んで!」

 

「頼む」

 

 

下手に悩むのも時間の無駄だと判断し、流れで男性服のコーナーへと向かう。無事にやり遂げたことで、足取りは先ほどと比べてもいくぶん軽い。

 

そもそもプレゼントを買うだけなのに、どれだけ緊張しているのかといった話だが、本人が満足しているのなら特に突っ込む必要もないだろう。

 

しかし足取りが軽くなったことが、後ろを着いてくるナギにも伝わったようで。

 

 

「大和くん、もしかして何か良いことあった?」

 

 

思わぬ反撃を受ける。一瞬心臓が口から出そうな感覚になるものの、平静を装いながらも返す。

 

 

「ん、良いこと……何か俺変か?」

 

「変って訳じゃないけど……さっきよりも足取りが軽くなっている気がして」

 

「……気のせいじゃないか。昼に多少座って休んだから、足取りが軽いだけだろう。最近はあまり外に出てなかったしな。慣れないことしてちょっと疲れてたのかも」

 

「そ、そうなの?」

 

 

 あまり触れられたくないところに触れられ、焦りながらも何とか誤魔化す。端から見れば明らかに変わりすぎだろと突っ込まれてもおかしくない。

 

物自体はしまってあるので、そこまで焦る必要はないものの、本人がそれを表に出してしまっては意味がない。

 

とはいえ誰かに何かをプレゼントするといった経験がない。あるとすれば姉である千尋に誕生日プレゼントをしたことくらいだ。

 

血が繋がっていないといっても、二人の仲は姉弟以外の何ものでもないため、千尋を一人の女性として意識しているのかどうかは不明。

 

が、照れることはあってもどちらかといえばなついているだけのようにも思える。

 

 

「ここ最近はあまり外に出ることもなかったし、体がびっくりしてるのは事実かな。ま、特に心配はしなくても大丈夫。そんなに体柔な訳でもないし」

 

「そうなんだ。結構外に出歩くのが好きなタイプだと思っていたからつい」

 

「外に出歩くのが嫌いな訳じゃないんだけどな。どうも時間が作れないっていうか……」

 

 

 そもそもIS学園に入るまでは休日も本業のことでバタバタしてることもあったため、休みらしい休みは少なかった。今は理由が理由なため、別の人間に代わりを任せている。

 

ただ以前と比べると仕事量は減っているため、若干平和ボケしている感じもある。それ自体は大和自身がよく分かっていることだろう。無人機の襲撃時に改めて気持が切り替わったはずだ。

 

護衛としての顔と一般人としての二面性を持つ大和にとって、割と毎日があっという間に過ぎていく。今日のように楽しいこともあれば、護衛の仕事で嫌な思いをすることもある。

 

そんな中でも、今この瞬間さえ楽しめれば十分に幸せ。それが率直な思いでもあった。

 

 

「でもまぁ、こうやって休みの日に女の子と出掛けられる俺は幸福者だなって思うよ」

 

「へー……ってえぇ!?」

 

「どうかしたか?」

 

「し、幸福者って……」

 

「あっ……」

 

 

 今のは完全に無意識だったようだ。最近無意識に変なことを言うと本人が自覚しているにも関わらず、これでは最早たらし認定されても何らおかしくはない。

 

一夏を『キング・オブ・唐変木』とするのなら大和は『キング・オブ・たらし』になる。発言した後に察する辺り、女心に関してはある程度敏感らしい。

 

……が、タイプは違えど無意識に口説く、またはフラグを立ててしまう辺りが一夏に似ている。どちらがタチが悪いかと言われれば、両方ともタチが悪いのは間違いない。

 

この光景を何度見ただろうか。目の前には顔を赤くしながら上目遣いで見つめてくるナギの姿。そして、その様子をしまったといわんばかりの表情で、冷や汗をたらしながら打開策を探そうとする。

 

いくら考えたところで打開策など出てくるはずもなく、あるとすれば上手く話を逸らすくらい。つまりはどうしようもない。

 

 

「えーっと、なんだ。つまり……うん。誘ってくれたことに感謝しているってことで」

 

「そ、それは分かっているけど……」

 

「……うっし! じゃあ切り替えるか」

 

 

いつまでもこんな状態だと先に進まないと思ったのか、上手く話を逸らす前に強引に軌道を変えた。ある意味ではこれが一番良い方法なのかもしれない。

 

そうこうしているうちにも男性服の売り場に到着し、ギクシャクとした雰囲気ながらも服選びに没頭していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んー。こういう服も着てみたいけど、似合う人にしか似合わなさそうな感じがするんだよな」

 

「そうかな? 大和くんにも似合いそうだと思うけど」

 

 

 服を選び始めて十数分、先ほどまであったギクシャクとした雰囲気はいつの間にか消え失せて、いかにも男女が服をコーディネートしていますといった和気あいあいといった雰囲気が辺りには漂っていた。

 

二人は完全なる無自覚ではあるものの、二人の雰囲気を直に感じている周辺の通行人や、服を選んでいる人間の一部からは嫉妬や好奇の視線が向けられる。

 

 

「こんな白昼堂々と女といちゃつきやがって!」

 

「うぐぐ、年齢イコール彼女いない歴の俺に対する当てつけかチクショーめ!!」

 

「リア充滅ぶべし! リア充滅ぶべし!!」

 

 

視線のほとんどが羨望からくるものだが、男にとって女性と一緒にいるかいないだけで大きく他とはアドバンテージを感じてしまうもの。

 

二人が付き合っていないと言っても、現状二人はカップルにしか見えない。

 

浴びせられる視線に関しては察しており。

 

 

(後ろからの視線が怖いな。敵意はないから大丈夫だとは思うけど……)

 

 

恐怖感はないが、少しばかり背後の様子を気にしていたようだった。

 

 

「大和くん、どうかした?」

 

「ん? いや、ただちょっとボーっとしていただけだ。結局見ただけじゃ断定できないし、試着してみるしかないよな、これ」

 

「だね。多分一回着てみた方が良いかも。後気になったことがあるんだけど……」

 

「気になったこと?」

 

「うん。大和くんって学校来る時と、外に出る時っていつも同じ髪型にしてるの?」

 

「同じだな。さすがにそのままだとあれだから、若干ワックスつけて立たせているけど……何かあるのか?」

 

 

自分の前髪を軽く触りながら、淡々と答える。特別髪型を気にしているわけではないが、最低限見苦しくないように整えているようだ。大和の髪型はエアリーショートヘアと呼ばれる一種で、フワリとした軽い質感が特徴の髪型だ。

 

自分の癖に合わせてワックスをつけているため、そこまでこだわりを持っているわけではない。それでも一回手癖がつけば毎回同じような髪型にするため、急に髪型を変えると周りには当然驚かれる。

 

髪型といえば己を引き立たせる一つの特徴といっても過言ではない。それだけ人をイメージするためにも重要なものになっている。

 

逆に印象を変えるためには髪型を変えるのが一番手っとり早い。

 

 

「もしかしたら着る服によって、髪型変えたら良いんじゃないかなって思ったの」

 

「……」

 

 

つまりナギが言いたいことはこうだ。

 

服が似合わないと思う原因の一つに、毎回同じ髪をしていることが挙げられると。確かに着る服は路線が変わらない限り、そこまで大きな変化はない。

 

髪型が普通で、服を派手なものにすれば目立つし、人によってはバランスが取れていないがために『似合わない』と言われることもあるかもしれない。

 

まさかの発想に驚き言葉を失う。IS学園から知り合った人間は大和の髪型は一種類しか知らないが、別にこの髪型しかセット出来ないわけではない。大和の表情も何とも言えないものだ。

 

表情から察するにあまり見せたくない髪型なのだろうか。

 

 

 

「そういえば学校とかでも同じ髪型しかしてなかったよな……」

 

「あ、でもやっぱり今の髪型でも十分に似合うと思うよ」

 

 

うーんと唸りながら考え込む。たまには気分転換に髪型を変えてみても良いんじゃないかと思う反面、もし変えて似合わないと言われたらどうしようとも思ってしまう。内心かなり複雑だ。

 

髪の色を変えるとエンディングが変わるなんてゲームはあっても、今髪型を変えたところで何かが変わるわけではない。

 

ちなみに似合う似合わないの元になっているファッションは、V系だとかホスト系方面のものになる。やり過ぎると中○病患者に間違われかねないが、物さえ選べばお洒落に見える。

 

体つきが良ければラインがはっきりとするため、引き締まった肉体であればあるほど決まって見える。

 

 

「今日くらいは試してもいいか。服を選びに来る時間も、今だとあまりないし。……分かった、ちょっと試着してくる。ナギ、少しここで待っててもらって良いか?」

 

「うん」

 

 

 服を手に取り更衣室へと入っていく。入ってからすぐ、がさがさと着替える音が聞こえてきた。中はカーテンがかかっているため、外から確認することは出来ない。むしろ確認出来たら出来たで大問題になる。

 

どんな感じに変わるのかと期待に胸を膨らませて待つ。周りの男性と比べても、端正な顔立ちをしている。

 

体つきも細身に見えて、実際脱いでみればかなり引き締まった筋肉質なため、ボディラインははっきりと浮き出てくる。

 

断定こそ出来ないものの、似合うかどうかと言われれば恐らく似合うだろう。

 

 

男性が目の前で試着した姿を見るのはナギにとって初めての経験であり、服を着替えるだけなのに妙に落ち着かない。

 

 

(うぅ、男の子と一緒にどこか出かけるなんて無かったから緊張するよ……)

 

 

そもそも中学時代は女子校に通っており、男女関係の話はしていても、あまり年頃の男性と関わることが無かった。決してこのようなケースは珍しい訳ではなく、IS学園でも今まで男子とほとんど関わりがなかった子も多い。

 

あったとしても幼稚園や小学生の頃だ。小学校の中学年から高学年にもなれば、体育の着替えが別々になるように、異性に対して意識するようにもなる年頃にもなる。

 

 

それが高校生にもなれば男性に対する意識はより高くなる。

 

 

(あの時、助けてくれたのって大和くん……なんだよね?)

 

 

クラス対抗戦での一件が、大和に対する意識をより強くさせる。対抗戦の後に開かれた食事会。助けてくれた人物のことが気になってしまい、楽しみながらもどこかボーっとしていた。

 

食事会の準備を手伝っている最中、何気なくキッチンで料理を作っている大和たちを眺めた時の出来事だった。

 

不注意で使っていた水が服にかかってしまったのか、かかった箇所の左ひじ部分にジワリと水が広がっていく。本来であればからかいで済むような出来事でも、見る人によってはそれでは済まないことだってある。

 

ナギは自分を助けてくれた人物がアリーナへ戻る際に、左ひじから出血していることに気が付き、助けてくれたせめてものお礼に傷の手当をした。その時に動物の絵柄が描かれた絆創膏を止血用に貼ったのだが、濡れた服に全く同じ絵柄の絆創膏が浮き出てきたことで確信に変わった。

 

あの時に自分を助けてくれたのは大和だったと。

 

 

思い返すだけで胸がドキドキとして幸せな気持ちになる。自分のことを身を挺して命がけで守ってくれた勇ましさ、女性優位な世の中で決してぶれない強い信念を持った姿勢、時に見せる女心を燻らせる優しさ。

 

そんな大和の姿にいつの間にか虜になっていた。

 

 

(大和くん……)

 

 

 気が付けば彼の名前を読んでいる。もしこれが声に出ていたとしたら周りに心配されてもおかしくないレベルだ。大和が助けてくれたのは事実だとしても、ナギにはいくつか気になることがある。

 

大和は一体何者なのかと。

 

年不相応に大人っぽい感じはあるものの、他は同学年と何ら変わらない好青年、それがナギのイメージだった。

 

 

 

ただ無人機襲撃事件で、大和の見せた動きの数々。少なくともちょっとやそっと身体を鍛えた位では、あの身のこなしは出来ない。そもそも何故ISに対して生身で立ち向かうことが出来るのか。

 

生身の人間がISの攻撃を受ければ、一撃で再起不能になっても不思議ではない。逆に言えばそれだけ危険な行為だ。

 

危険を省みずに立ち向かったこともそうだが、ISにあれだけ太刀打ち出来たことが気になって仕方なかった。大和は自分の知らないところで何をやっているのかと。

 

 

―――もっと彼のことを知りたい。大和に好意を持つが故の好奇心だった。

 

と。

 

 

「一応試着し終わったけど、出ても良いか?」

 

 

不意に中で着替えている大和から声が掛けられた。大和のことを考えていたため、急な不意打ちに思わずビクつきながら返事を返す。

 

 

「ひぇっ!? う、うん。どうぞ!」

 

「……? とりあえず出るけど、似合わなかったとしても笑わないでもらえると助かる」

 

 

 何をそこまで驚く必要があるのかと疑問に思いつつも、カーテンに手を掛けてゆっくりと引いていく。御披露目の時が近付くにつれて、ナギだけではなく大和まで緊張してくる。

 

大和の場合は普段は着ないような服のため、本当に似合っているのかどうなのかといったところで不安らしい。面と向かって笑われることは無くても、内心どう思われているのかは分からない。故に落ち着かない。

 

更にいつもの髪型と変えているせいで、色々な意味で違った大和の御披露目となる。整髪料を毎日持ち歩いているわけではないものの、今日に限っては何故か持ってきていた。

 

理由は言わずもがな、同世代の女の子と出掛けることが初めてで、せめて身だしなみくらいはキチンと整えようとの思いからだ。

 

 

カーテンが完全に開き、中にいた大和の姿がナギの両目に映し出された。

 

【挿絵表示】

 

 

「……おう」

 

「……」

 

「ど、どうだ?」

 

「……」

 

「さ、流石にだんまりだと俺も困るんだが……」

 

 

 V系を意識させるような黒のロンTを纏う大和の姿が。胸元は緩いドレープになっていて、そこから見えるボディラインがはっきりと浮き出るインナーが何とも男らしさを際立たせている。

 

ロンTの上にはカーディガンを羽織り、更にズボンはダボッとしたジーパンではなく、ピッチリと足にフィットした青のスキニーデニムを履いている。

 

髪に関して言うなら、いつもは頭の真ん中より少し右側で髪を分けて、そのまま軽くワックスをつけて髪を立たせてなびかせるエアリースタイルをとっている。元々髪質が軽いため、そこまでワックスを使わなくても自然と立つため、本人はこの髪型を気に入っている。

 

が、今の大和に前の面影は全く無かった。右側を後ろに向かってかきあげ、いつもはなびかせるだけの前髪に若干癖をつけて、前にたらす量を減らしたことで、ぐっと大人の色気を感じることが出来る。

 

いつもとは全く異なる雰囲気に、一言も発せずに惚けながら大和のことを見つめる。反応が無いせいで、大和は大和でどうすればいいのか分からずに、キョロキョロと周りを見回すだけ。

 

 

「……やっぱり似合ってないよな」

 

「はっ!? そ、そんなことないっ! す、凄く良いと思うよ!」

 

「本当か? 正直だらしなくなければ良いなくらいの感じでやってみたんだけど……」

 

(ぜ、全然雰囲気が違う。うぅ、ズルいよこんなの……)

 

 

普段から大人びた言動や物腰の大和だが、服装と髪型を変えただけでガラリとその雰囲気は変わる。

 

例えば中学時代に太っていた女の子が、成人式の時には引き締まった美少女に変わっていたとしよう。当時からかっていた人間からすれば声は掛けにくいし、下手をすれば顔を直視出来ない。今回それとはシチュエーションが全く違うも、いつもとはどこか別人にも見える大和の顔を直視することが出来ない。

 

いつもよりも数段大人っぽく、格好良く見えた。

 

 

「って、その割には顔を背けている気がするんだけど……俺の気のせいか?」

 

「う、うん! 気のせいだと思うよ!!」

 

 

別に大和のことが嫌で顔を背けているわけではない。しかし意識している……いや好意を抱く男性がいつもよりもずっと大人っぽくなって自分の前に出てきたとしたら、おそらくまともに顔を見ることは出来ない。

 

結婚式の時に新郎が新婦の晴れ姿を見て硬直する。まさにそんな状況だった。

 

 

「そうか。ま、とりあえず服は着替えるわ。値札つきの服をこのままレジまで着ていくわけにも行かないし。すぐ着替えるからもうちょい待っててな」

 

 

 御披露目が終わると、そのまま回れ右で再び更衣室の中へ戻る。大和も慣れない服装と髪型で恥ずかしかったのだろう、後ろ姿から見える耳たぶは仄かに赤く染まっていた。

 

もう少し見ていたかったと、若干名残惜しそうにカーテンを見つめる。欲を言えば今のままでも良かったと心の底で思う一方で、普段は見れない貴重な一面も見ることが出来た嬉しさもある。

 

学園では女の園、IS学園にいるため、多少なりとも本人の中では周りに気を遣う部分はある。大和自身、笑顔はよく見せるものの、その中にどれだけ本心から笑った笑顔があっただろうか。

 

 

 

 

―――カーテンを眺めながら、何気なく先日の無人機襲撃事件のことを思い返す。自然の足の震えはなかった。全てを吐き出したことで、トラウマが無くなりつつあるのかもしれない。

 

あの時もし助けてもらえなかったら、助けるのが一歩でも遅れていたら。

 

想像するだけでもゾッとする。

 

 

助けてもらった際に貼り付けた絆創膏が、助けてくれた張本人が大和だと物語っていた。この体験が、大和が何をしているのかを気にする要因になっている。

 

大和が何も言ってこないのは知られたくない、知らせたくないことだからだろう。

 

教えたくないことだからナギは無理に聞こうとせずに、本人が話してくれるまで待つことにした。本当なら、ゴールデンウィークに出掛ける約束を取り付ける際に聞きたかった。

 

 

「好きになっちゃったんだよね……やっぱり」

 

 

 大和のことを考えるといつもより鼓動が早まっていく。今日も平静を装いつつも、内心はずっと緊張していた。ただ不思議と嫌な感じはなく、どちらかといえば幸せなだったようにも思える。

 

好きな人と一緒にいられることがどれだけ幸せかなんて、周りの人間には分からない。分かるのは隣に居る人間だけだ。ナギは今、世界中の誰よりも大和の近くに居る……そう思うだけで、彼女の心拍数はどんどん上がっていった。

 

初恋は一生忘れられないものだと言われる。長い人生から考えればほんのごく一部に過ぎないものの、初めの一回しか味わえないからこそ思い出として残るのかもしれない。

 

 

「うぅ……何か変。顔赤くなっていないかなぁ?」

 

 

両手で頬を触りながら、顔が赤くなっていないかどうかを確認するも、表面温度が上がっていることくらいしかはっきりしない。

 

しかし自分では分からないだけで、周りからすればはっきりと顔が赤くなっているのは丸分かり。あくまで見ているのがカーテンの方のため、誰も顔を伺うことが出来ないから気付かないだけにすぎない。

 

 

「お待たせ……ってあれ? 何でそんなに顔赤くなってんだ?」

 

「えっ……!!?」

 

 

 運悪く、着替え終わった大和が試着室の中から出てくる。当然カーテンを眺めているナギとは鉢合わせる形になり、顔が赤くなっているのを一番知られたくない本人に見られてしまう。

 

大和はどうして顔を赤らめているのか気付いていない。そもそも気付いたら気付いたで、何故人の心の中が読めるのかという話になってくる。

 

着替える前は普通だったのに、着替えて出てきたら顔が赤くなっていたら、普通の人間だったら心配になる。それは大和も同じだった。

 

 

「おい、本当に大丈夫か? まさか熱でもあるんじゃ……」

 

「え? そ、そんなこと無いよ! わ、私はいつも通りだよ!?」

 

「そうはいってもな……とりあえず確認するだけだから」

 

 

 確認すると言いながらも、どうも歯切れが悪い。どこか戸惑いを見せながら、何度もナギの顔をチラチラと見ながら挙動不審に見えなくもない行動を繰り返す。何を考えているのか、改めて見つめ返すと何かを決心したかのように右手を伸ばしてくる。

 

 

「……悪い、先に謝っておく。嫌だったら殴ってもいい」

 

「へ……大和―――」

 

 

最後まで名前を呼ぶ前に、額に人肌のような温もりを感じた。大和が何をしたのか分からず、キョトンとしながら大和の方を見つめる。

 

そういえば今さっき伸ばした右手はどこにあるのか。よく見てみると自分の方に向かって伸びてきている。何度も瞬きをするも、それは変わらない。

 

では右手は一体どこに触れているのか。

 

 

「―――っ!!?」

 

 

大和の右手が触れている先、それは紛れもなくナギの額だった。

 

本人が始めに謝罪したのは、一歩間違えればセクハラにも捉えられるような行為だったから。無論、ナギが大和を殴るような子でも無ければ、男性に対して偏見を持つ子でも無いことはよく知っている。

 

ただ仮にも女性の身体の一部に触れる訳だから、初めに謝罪を述べただけ。いきなり触られたらいくら好意を相手に持っていたとしても驚くのは間違いない。

 

触られて喜ぶ女性がいたとしたら、お目にかかりたいものだ。

 

自分が大和に触れられていることを認識し、体内温度と心拍数が徐々に上がっていく。口を魚のようにパクパクさせる間もなく、ぽーっと頬を赤らめながら大和から目が話せなくなる。

 

改めて顔を見つめ直すとズルいと思ってしまう。顔立ちが誰よりも整っているかと言われればそういうわけではないが、男性の中でも整っていると言い切れる。逆に大和より顔立ちが良い人物が現れたとしても、果たして整っていると言い切れなかった。

 

 

確認を終えた大和は額に触れていた手を放し、おかしいなと腕を組みながら首をかしげる。熱でないのなら何なのか、どうにも頭の中のモヤモヤが晴れないらしい。一方でナギは突然のことで一言も発せないまま立ち尽くすしかなかった。

 

 

「んー熱はないみたいだな……ってことは単純に蒸し暑いだけか。ここあまり空気も良くないし。ちょっと別の場所に移動しようか」

 

「……」

 

「おい、大丈夫か?」

 

「……う、うん」

 

 

話しかけても反応が無いため若干心配になったのか、その場で固まったままのナギに声をかける。するとようやく我に返ったのか、歯切れの悪い返事を返してくる。

 

 

「なら良かった。じゃあさっさと会計して別の場所の行くか」

 

「そ、そうだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからの時間はあっという間に過ぎていった。気がつけば既に時刻は夜の十九時を過ぎようかとしている。大学生ならまだこれからでも、高校生……それもまだ中学から上がったばかりならそろそろいい時間だ。

 

それぞれに今日は少し遅くなることは伝えてはいるものの、大和はいいとしてもナギの方はあまりに遅くなると両親が心配するだろう。彼女もこの連休中は実家に帰省しており、遊びに出かけると伝えているだけで、男性と一緒に遊びに行くとまでは伝えてない。

 

レゾナンスから出た時には既に日はどっぷりと暮れて、空には一面の闇が広がっていた。街の街灯の全てに明かりが灯され、街歩く人はスーツを着た会社帰りの社会人が多く見られる。

 

苦しい時は時間が長く感じられ、楽しい時は時間が異常に短く感じられる。十分に楽しんだといえば楽しんだだろうが、出てきた二人の表情はまだどこか物足りないといった感情を汲み取ることが出来た。

 

 

「はー、何か本当に久しぶりに一日遊んだな」

 

「ふふっ♪ 大袈裟だよ大和くん」

 

「IS学園じゃ勉強ばかりだったからあんまり遊ぶ暇は無かったしな。あぁ、今日みたいな日が毎日あればいいのに」

 

 

 大和の口から出てくるのは、紛れもない本心からの言葉だった。年齢的にはまだ十六歳、人生八十年が本当なら五分の一しか経っていない。たった十六年しか人生が経ってないのに、彼の人生は想像を絶するものがある。

 

彼が遊べない理由は学校が忙しいからではなく、本業の方が忙しいからだ。今でこそ『世界で二人目のISを動かした男性』といった融通がきいて幾分時間は作れるにしても、落ち着いて休める時は少ない。

 

 

『霧夜家当主』

 

 

この看板の重圧が大和にどれだけの影響を与えているのかなんて誰も想像できない。元当主で一番大和の傍にいる千尋でさえも、大和が現状をどう思っているかは分からなかった。学園生活では一切仕事の顔を見せたことはない。

 

見せたとすれば、一夏のことを狙った偵察集団を捉えた時と無人機襲撃の時くらいで、それ以外の時はちょっと大人びている以外は、普通の十六歳の青年と変わらない。

 

自由な時間が少ないといっても、本人が嫌々当主をやっているようにも見えないのは事実。嫌だったら断ればいい、千尋も別に強制はしなかった。

 

それでも引き受けたのは、大和自身何か思うことがあったからだろう。

 

 

「……」

 

「大和くん?」

 

「大丈夫、ちょっと物思いにふけてただけだ。ところで時間は大丈夫か?」

 

 

少しばかり考え込んでしまい、返事を返さずにいるとナギが隣から心配そうに声を掛けてくる。特に何でもないと軽くほほ笑みながら返すと、時計を見ながら時間的に大丈夫かと尋ねる。

 

 

「うん。ここから家もそんなに離れてないし、さっきお母さんにメールしておいたから。大和くんの方こそ、ここから結構距離あるのに大丈夫?」

 

「あぁ、割とうちは放任主義だからさ。連絡さえ入れておけば特に何も言われないよ。逆に入れないと地獄を見るけどな……」

 

「そ、そうなの?」

 

 

思い出したくもないといった表情で呟く大和。彼の話し方を見る限り、過去にやらかしてひどい目に遭っているようだ。

 

 

「それより、本当に送らなくてもいいのか? いくら家が近いとは言っても、何があるかなんて……」

 

「もう、大和くん心配しすぎだよ。治安が悪いわけじゃないし、お母さんが途中まで迎えに来てくれるみたいだから」

 

「む……そこまで言うなら」

 

 

どうにも心配性な所は治せないらしい。苦笑いを浮かべながら大丈夫だというナギに対し、それならと引き下がる。

 

 

「んーどうするかな。俺は電車で一本だから余裕あるけど……」

 

「あ、最後に行きたい場所があるんだけど、付き合って貰ってもいいかな?」

 

「行きたい場所? それはいいけど、行きたい場所ってどこだ?」

 

「到着してからのお楽しみってことで♪」

 

 

 ニコッとはにかむ姿に大和は何も聞き返せなくなる。行きたい場所があるということで、今日初めてナギが先陣を切って歩いていく。

 

大和は目的地がどこか分からないため、その後を着いていくしかない。頭の中で向かいそうな場所を思い浮かべてみるが、時間的にいく場所は限られてくる。

 

真っ先に思い浮かんだのは飲食店だが、到着してからのお楽しみだと言われたのに果たしてそこに行くだろうか。他にも思いつくものはあるが、やはりどれも断定が出来るものではなかった。

 

いくら聞いても返ってくる解答は同じだと判断し、大人しくついていくことにした。

 

 

 

 

 

 

―――歩くこと数分、急に目の前を歩いていたナギが足を止める。それに合わせて大和もその場に止まった。目的の場所についたのだろうかと、顔を上にあげてここがどこなのかを確認する。

 

 

「げ、ゲームセンター?」

 

 

 反応からして完全に想定外だった場所らしい。どうして最後に行きたい場所がここなのか、大和には分からなかった。しかし、よく考えてみれば最後にゲームセンターを選ぶのも十分に分かる。

 

大和がイメージするゲームセンターは、スロットやシューティングゲームなどでひたすら時間潰しする場所であって、夜遅くに二人きりで行くような場所ではない。

 

ナギも別にゲームをやるためにゲームセンターに来たわけではない。名前はゲームセンターだとしても、ゲーム以外に出来ることだってある。

 

 

「大和くん、こっち来て」

 

「え、お、おい!」

 

 

一人つかつかと先に行ってしまうナギを放っておくわけにもいかず、そのまま後をつけていく。

 

彼女にとって今日は特別な日になっていた。学生の中の思い出の一ページとして、今日のことは忘れずに取っておきたい。

 

もちろん頭の中では忘れるわけがない。だが頭の中だけではなく、形ある物として彼女は残したいと考えていた。

 

そして。

 

 

「これなんだけど……」

 

「これって……プリクラ? じゃあまさかここに来た理由って」

 

「うん。折角だから、ね?」

 

 

最後に彼女がやりたかったこと、それは今日を画像として残すこと。そこでようやく大和も気付く、何故ゲームセンターが最後に行きたい場所だったのかを。

 

上目遣いに見つめながら懇願してくる姿に、拒否が出来るはずもなく、首を縦に振るしかない。

 

女性の場合は思い出作りでプリクラを撮ることはも多い。友達と遊びに行けば毎回撮っても撮り足りないくらいだ。ナギも年頃の女の子だから、プリクラくらい何回も撮ったことはあるだろう。

 

ただ女性同士で撮ることはあっても異性と、それも二人っきりで撮る経験は一度もない。

 

恥じらいからか、直接プリクラを撮ろうと頼むことが出来なかったため、とりあえず明確な場所は伝えずに、目的の場所まで連れてきた。

 

 

のれんをくぐると独特の音声案内が流れだし、モードの選択画面が現れる。撮影機の前に立ちながら目の前のボタンでどんな感じの写真にするのかを選択していく。

 

 

「思い出にどうしても撮りたかったから……ごめんね? どこに行くか教えなくて」

 

「謝ることねーよ。ちょっとびっくりしたけど、変なところに連れていかれた訳じゃないしな」

 

「ありがと……それにこの中なら二人きりだから」

 

「え?」

 

 

 二人きりという単語に思わずドキッとしながらナギの方を見つめる。外は相変わらずの喧騒に包まれているが、中は自分と二人だけ。つまりよほどのことがない限り、誰にも邪魔はされない空間になっている。

 

今日は一日二人きりでも、密閉空間に二人きりといったシチュエーションは一度もなかった。本当の意味で距離が一番近い状態に、少しの間沈黙が続く。

 

外ではゲームの効果音や、楽しそうな話し声が聞こえて騒がしいはずなのに全く気にならない。まるで外の声や音が完全に遮断されているような気分だった。

 

聞こえるとすれば目の前にあるプリクラの音声案内だけ。先ほどまで操作をしていたナギも手を止めているため、画面は変わらずにずっと同じ音声が流れてくる。

 

同じ動作が数回ほど繰り返された後、口を開いたのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当はあの時のことをちゃんと聞こうと思ったの」

 

「―――っ!?」

 

ナギだった。単語の一つに聞き覚えがあったのか、驚きながら横を振り向く。が、肝心のナギは大和と顔を合わせようとせずに、下を俯いたまま言葉を続ける。

 

長く伸びた髪に隠れた横顔が、どこか寂しく見えた。

 

 

「あ、勘違いしないでね。別に誰かに言いふらそうとか考えているわけじゃないの。でもどうしても確認したかったから……」

 

 

確認したいことが何のことなのかはすぐに分かった。無人機襲撃事件の真実を知りたいのだと。もうこれ以上隠すのは限界だと悟った大和は、一つ大きくため息をつき、真剣な眼差しをナギの方へと向けた。

 

いずれ聞かれるとは思っていた。聞かれる時期が早くなっただけに過ぎない。

 

 

「あの時助けてくれたのは……」

 

「あぁ、俺だ。」

 

「やっぱりそうだったんだね」

 

「……幻滅したか? よくも騙していたなって」

 

「ううん、そんなことない。だって命を張って私のことを助けてくれたんだもん。そんなことで大和くんのことを嫌いになれるわけない」

 

「そうか」

 

 

淡々と話しながらも、内心ドキドキものだ。裏の世界に携わっている楯無に知られた時は、やっぱりバレたかくらいで済んだため、特に何かを思うことは無かった。

 

今回の場合は、裏の世界とは全く関係ない生活を送っていた普通の仲の良いクラスメートに知られたのだから必然とそうなる。

 

もしかしたらこれからずっと怖がられるのではないかと。バレたとは言っても、助けたのが自分だと知られただけで、護衛の仕事をやっていることがバレた訳でも無ければ、護衛対象が一夏だと知られたわけでもない。

 

本当にごく一部のことしか知られてはいないが、それでも大和が思うところは多い。本来なら決して知られてはならないことだったのだから。

 

冷や汗がじわりと皮膚から滲み出てくる。思わず逃げ出したくなる感情を堪えて、震えそうになる拳をぐっと握りしめて話の続きを聞いていく。

 

 

「私の知らないところで何をやっているかなんて、知ろうとは思わない。だって、それは大和くんが知られたくないことだから。……例えそれが人に話せないようなことだったとしても」

 

「……」

 

「でもね……」

 

「……!」

 

 

不意に振り向いたナギの目には涙が堪っていた。大和は何が何だか分からずに目を見開く。どうして彼女が泣く必要があるのか、一体何が彼女を泣かせる原因になっているのかと。

 

涙が溢れないように堪えている様子を見てられなくなり、目を背けようとするも、大和の身体がそれをさせなかった。

 

 

「大和くんが傷付くのだけは見たくない!」

 

「ナギ……」

 

 

ナギの本心だった。

 

ずっと心の中に潜んでいた負い目、それは大和が自分のせいで怪我をしてしまったこと。怪我とはいっても掠り傷で、そこまで大きな怪我ではない。キチンとした治療を施せば、二日三日で治る程度の軽傷だ。

 

しかし、間違えば掠り傷では済まなかった。下手をすれば大和まで命の危険にさらされていたかもしれない。それも自分を助けようとしたために。

 

無人機に襲われたトラウマは薄れていくとしても、大和まで危険にさらされた事実は一生消えることはない。彼女は無意識の内にトラウマとして抱え込んでいた。

 

 

 

本心をさらけ出すと、吸い寄せられるように大和のことを見つめる。ゆっくりと大和に近付き、そのまま大和の懐に抱きついた。

 

泣き顔を見られないように胸元に埋めて、シャツに涙のシミを作っていく。

 

突然抱き付いてきたことに戸惑うも、片手をナギの頭に乗せ、もう片方を背中側に回す。そのまま子供をあやすかのように、頭を優しく撫でた。同時に大和の中に湧いてくるのは、彼女に対する罪悪感。

 

もう少し自分が気を配って上手くアリーナから出ていれば、後を追われることもく、無人機に襲われることもなかった。命の危険にさらして、自分のことでここまで心配かけることもなかった。

 

 

「……ごめんなさい。すぐに戻るから、顔を上げたときにはいつも通りの「あの時のことを忘れろとは言わない」……ふぇ?」

 

 

大和の言葉に反射的に顔をあげてしまう。視線の先に映る姿は今まで見たどの大和の顔よりも優しくて、格好よくて、たくましく見えた。

 

金縛りにでもあったみたいに、視線が大和から離せなくなる。こんなに近くで男性を見つめたことなんて、一度もないだろう。

 

 

「あの時、俺が真っ先に助けたのは何でだと思う?」

 

「な、何でって。危ないと思ったからじゃ……」

 

「それはもちろん。でもそれよりも先に身体が反応したんだ。絶対に怪我させてなるものかって」

 

 

確かに思うより先に身体が動いたのは事実、だがそれが何とどう関係しているのか。じっと見つめるナギに対して、大和はさらに続ける。

 

 

「つまり俺が言いたいのは……だよ」

 

「え?」

 

 

 途中から大和の声が小さくなり、肝心の部分が聞こえない。どう反応したら良いのか分からずに硬直するナギ。目の前の大和は何故か顔を赤らめながら、恥ずかしそうに顔を逸らす。

 

大和がここまで照れるのは珍しい。それにいつものハキハキとした物言いが、尻すぼみで全く聞こえない。普段の大和からはあまり想像できない姿だ。

 

 

「あの、大和くん。最後の方全然聞こえなかったんだけど」

 

「……あぁ、もう! ナギが俺にとって大切な人間だからだよ!」

 

「え……」

 

 

半ばヤケクソ気味に伝える大和の顔は既に真っ赤になっていた。発した言葉の数々は、雰囲気が雰囲気なだけに告白まがいにも聞こえる。

 

家族のことを大切な人間と言うくらいならまだしも、クラスメートで、なおかつ年頃の女の子に面と向かって大切な人だと言えば、このような反応になるのは当然。

 

 

仮に人が目の前で急に倒れたとしよう。普通の人ならまず駆け寄って大丈夫かどうかを確認しにかかり、重症なら救急対応を、AEDや人工呼吸など、その場で出来ることがあれば真っ先にするだろう。

 

今回のケースとは少し違うが、助けようと思うより先に行動する場合がほとんどで、助ける理由を考える人間は百人いたとしてもまずいない。なぜなら目の前のことに必死だからだ。

 

 

「今回だってそうだ。巻き込まれたのは偶然だけど、それでもナギが危ない目にあった事実は変わらない。俺が助けたことに理由付けをするとしたら……お前のことが大切だからだよ」

 

「大和くん……」

 

「ナギが気に病む必要なんてない。俺がそうしたくてこうなったんだ。むしろ、この傷は大切な人を守れたって勲章にもなるさ」

 

 

結局かさぶたになって消えちまうけどなと大和は微笑みながら付け足す。

 

どうしてここまで女心を燻るのか。そうじゃなくても彼は誰にでも優しく、分け隔てなく接する。以前セシリアが家族のことを侮蔑した時も初めこそ烈火の如く怒ったが、いつの間にか仲良くなっていた。

 

階段から落ちそうになった時も、怪我をするリスクを承知で盾になって受け止めてくれた。ピンチの時に必ず助けに来てくれている、女性の誰もが理想を抱くヒーロー像そのもの。自分に厳しく、他人に優しい。それが霧夜大和の人間像だった。

 

 

「だから、さ……」

 

「?」

 

 

 

 

 

 

 

「―――お前に泣かれると、俺が困るんだよ」

 

 

右手を伸ばして下まぶたに溜まった涙を、人差指の背で優しく取り去る。

 

照れながらはっきりと伝えてくる言葉に、体内温度が一気に上昇してくるのが分かる。言葉の節々に大和が自分のことを大切に思っているのは十分に理解できた。大和から大切な人だと直接伝えられ、それだけで心臓の音がどんどん早まっていくのが分かった。

 

自分がどれだけ大和のことを意識して、大和が自分のことを『異性』として見ているのか。二人の間には友達以上のつながりが生まれていた。

 

今まで自分の中に負い目として残っていたわだかまりが消えていく。消えるとともに現れたのは恥ずかしさ。大和の身体に抱きついている上に、二人の顔の距離はキスでもするのかというほどに近い。

 

ストレートな言い方に思わずナギはその場から少し離れて、両手で胸を押さえながら大和から視線を逸らす。ドキドキが止まってくれないのもそうだが、大和の顔を直視することが出来ない。

 

大和に抱きついていたことも普段の彼女からすればかなり大胆な行動で、いざ我に返ってみると恥ずかしすぎて言葉にならない悲鳴を上げるほどだった。

 

 

 

今のナギに果たして自分の言葉が伝わるかどうかは分からないが、ひとまずこれからどうするのかを尋ねる。

 

 

「落ち着いたか?」

 

「……うん。ごめんね、折角の休みなのにこんなことになっちゃって」

 

「気にするなって。じゃ、落ち着いたところでさっさと撮って外に出るか。いつまでもここにいたら次に撮りたいって人が撮れないだろうし」

 

「そうだね。あっ、でももう設定は色々と決めてあるから後は撮るだけだよ」

 

 

マイナスの空気が取り除かれたところで、改めて思いで作りの写真撮影に入る。大和はどこかそわそわとして落ち着かない。実はプリクラを撮ることが初めてだなんて、口が裂けても言えるはずがなく、ぎこちない動きでモニターを覗く。

 

あまりのぎこちなさにナギも大和が撮り慣れてないことを理解したが、特に何も言わなかった。

 

 

「ってよく考えたら画面小さくないか?」

 

「え? そんなことないと思うけど。逆に広いデザインにしちゃったら周りスカスカになって、逆に変になると思うよ」

 

「むぅ……この類は慣れていないからよく分からん。で、この後どうすればいいんだ?」

 

「もう後はボタンを押すだけで撮れるから、画面に向かって好きなポーズをとれば良いだけだよ」

 

「好きなポーズねぇ……」

 

 

急に言われても思いつくわけもない。更にここには二人きりしかいないから、変なポーズをとればそれはそれで目立つし、不格好なものになる。相手は女の子だ、そもそも変なポーズを取ろうとする思想がおかしい。

 

 

「でも二人きりだから、自然体でいいと思うよ。ホラ! 大和くんも笑って!」

 

 

どうしようかと悩んでいる大和を尻目に、勝手に撮影ボタンを押した。アナウンスが流れて撮影のカウントダウンが始まる。

 

 

「え……ちょっ、もうボタン押したのか!? ま、待て! 心の準備が!」

 

 

いきなりカウントダウンが始まり、どんなポーズにするか考えていた大和は当然目を見開きながら慌て始める。

 

 

「もう、何言っているの! 男の子が写真一つにビクビクしない!」

 

「ちょっと待て! 何かキャラ変わってないか!?」

 

「気にしない気にしない! さ、笑って!」

 

 

ここまで来ればもう後は撮るだけ。初めこそ慌てたものの、何か特別に緊張する必要もない。出来るだけ自然な感じで微笑みながら、カウントが無くなるのを待つ。

 

 

「さん! に! いち!」

 

 

そして。

 

 

「ぜろ!」

 

 

カシャリという音と共にシャッターが切られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪いな、最後まで送れなくて」

 

「ありがと、でも私なら大丈夫だから。大和くんも今日一日ありがとうね?」

 

「お礼を言うのはこっちの方だよ。こちらこそ」

 

 

 プリクラ撮影を終えた二人は駅の改札前に来ている。時間は既に二十時近く、会社帰りのサラリーマンや大学生の帰宅ラッシュと重なり、改札前は多くの人で溢れ返っていた。既に切符も買ったので、残るは目的の電車が来るのを待つだけ。

 

先ほど撮ったプリクラのデータはナギの携帯の中に入っており、大和には後で送ることになっている。

 

 

「しかし便利だな、携帯でプリクラが保存できるなんて」

 

「昔は写真用の用紙に印刷することしか出来なかったしね。今だと携帯に保存している人の方が多いと思うよ。もちろん普通に印刷している人もいると思うけど」

 

「なるほどな。ま、とりあえず後で送ってくれ」

 

「うん、任せて!」

 

 

ナギも普段通りの姿に戻っていた。大和のお陰で心の奥につっかえていた物が取れ、思い詰めて先程とは打って変わり、全て吹っ切れた感じの表情だ。

 

助けてくれたのは大和だと確認した以外、他のことには一切触れることはなかった。彼女自身が大和が話してくれるまで待とうと決めたのだろう。仮に話してくれなかったとしても、それ以上こちらから聞く気はないみたいだった。

 

ただ一つだけ大和が釘を刺されたことと言えば、ナギの知らないところで怪我をしないこと。

 

無茶はもう二度として欲しくないのが本心からの願いなのは言うまでもない。大和が言った『お前に泣かれると俺が困る』のオウム返しではないが、『知らないところで怪我をされると私が困る』と言いたいみたいだった。

 

見てる前で大怪我をされてもいい気分はしないし、まして見ていないところで大怪我をされれば、なおいい気分はしない。

 

 

しかし大和の仕事上、どうしても危険にさらされるケースもあり得る。今はまだ話してはいないが、これから近い将来話すことになる時が来るかもしれない。

 

大和が霧夜家の当主で、護衛の仕事上、常に生死と隣り合わせの立場にいることを。

 

あくまで仮定の話であり、実際に話さずに済むのであれば話さないに越したことはない。

 

最悪のケース……どうしても話さなければならない状況に追い詰められたときまで、この話は忘れることにしようと大和も心の内に仕舞い込んだ。

 

 

「ん……そろそろ電車の時間だな。もうホームに行かねーと」

 

「うん! じゃあまたゴールデンウィーク明けの学校で」

 

「おう、連休ボケで遅刻しないように気を付けるよ。初っぱなから織斑先生の出席簿アタックは御免だしな」

 

「あはは、そうだね。それじゃ大和くん、またね!」

 

 

くるりと背を向けて改札とは逆方向に歩き出す。その後ろ姿を何とも言えない表情で見つめている大和。

 

少しの間見つめた後、身体を反転させて改札を潜ろうとした刹那、何かを思い出したように再度ナギの方を振り返り。

 

 

「ナギ!」

 

 

彼女の名前を呼びながら、小走りで駆け寄っていく。いきなり呼ばれたことにどうしたのかと、やや驚きながらナギも振り向く。ナギ自身はもう母親に迎えを頼んでいるため、後は来てもらう場所に向かうだけだった。

 

大和の性格上、どうでもいいことで呼び止めることはまずない。それはナギもよく知っているし、彼と仲が良い一夏たちも知っている。

 

だからこそ呼び止めた理由が気になった。

 

 

「どうしたの? 忘れ物でもしたの?」

 

「いや、忘れ物じゃないんだ。ちょっと渡す物があってな」

 

「渡す物?」

 

「最後ゴタゴタしてたから、ついさっきまで完全に忘れてた。えーっと、どこに仕舞ったっけ?」

 

 

呼び止めて駆け寄ってくるや否や、持っている買い物袋をガサガサと探り始める。目の前の行動の意図が分からずに首を傾げるナギをよそに、一つ一つ袋の中を探っていく。

 

 

「あ、あの……大和くん?」

 

「悪い、もう少し……あった!」

 

 

困惑するナギの前に、ピンク色の包装紙で包まれたちょっとコジャレたプレゼント用の小さな箱が差し出される。何気なく反射的に受け取るも、一体何が入っているのか分からず混乱してしまう。

 

 

「これって?」

 

「ま、開けてからのお楽しみってやつだよ。じゃな!」

 

「あっ、ちょっと!」

 

 

ナギが受け取ったことを確認すると、大和は一言だけ残して全力で駆けていってしまった。もう追いかけようにも改札を潜ってしまっているせいで、追いかけるには入場券を買い直さないといけない。

 

それに時間的にはギリギリで、入場券を買っている間に電車が来てしまえば完全に追うのは不可能になる。大和の家を知っていれば話は別だが、もちろん大和の家が何処にあるかなんて知るはずもなく。

 

受け取った小さな箱を不思議そうに眺めるしかなかった。とりあえず母親を待たせている訳だし、まずは迎えに来ている場所まで行って、家に帰ってからゆっくり中を確認しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、どうして分かっちゃったんだろ?」

 

 

朝、家から出る時には友達と遊びに行くと伝えて出てきたのに、家に帰ってきて言われた第一声が、『相手はどんな子だったの?』だった。普段出掛ける時は特に何も言わない両親が、今日に限って何故か聞いてきた。

 

言われてみればいつもより身だしなみには気を付けたのは確か。まさかそれで出掛けた相手が男の子だとバレるとは思わなかったようだ。

 

完全に相手が男の子だと知られたのが、話している最中にうっかり自分から口を滑らせてしまったからとはいえ、両親の勘の鋭さには驚いたことだろう。

 

 

もう時刻は夜の十時過ぎ。IS学園なら消灯時間で、部屋の外には出られない時間だが、実家では規則も決まりも無い。

 

風呂から上がったばかりのため、身体からは僅かに蒸気が上がっている。火照る身体をクールダウンさせるために部屋の窓を若干開けて、あまり使わなくなった勉強机の椅子に腰掛ける。

 

机の上には、帰り際に大和から貰った綺麗な包装がされた小包が置いてある。

 

 

「本当にこれ何なんだろう?」

 

 

全く身に覚えがないため、箱を手に取りながら上下左右に反転させて周りを観察する。開けてからのお楽しみとは言われても、いざ開けるとなると気が引ける。

 

中には人から貰ったものを開けずに放置し、何年かたった頃に開けたら中身が食べ物で、開けなかったことを後悔したなんて例もあるが、大和が食べ物をわざわざ包装してまで手渡すようには見えない。

 

 

「うーん……正直悩んでても仕方ないよね。開けてみよう」

 

 

小包の紐の結び目に手をかけて解いていく。紐を解き終えると、今度は包装紙を破らないように慎重に剥がしていった。やがて出てきたのは茶色く色付いた小さな箱。蓋には何やら筆記体で文字が書いてあるが読みにくい。

 

どこかのブランドだろうか?

 

 

「……あれ」

 

 

そこでナギに思い当たる節が一つあった。

 

ちょうど昼前のレゾナンスでの出来事、大和と別行動の時に眺めていたガラスケースの中にあったネックレス。テレビで有名芸能人がつけていたとかで、クラスメートの中でも結構話題になっていた。

 

比較的安く手に入る上にデザイン的にも中々お洒落なのだが、有名芸能人が安いアクセサリーを身に纏うかと言われれば甚だ疑問だ。

 

言わずもがな、ガラスケースで売っていたのは真似て作られた類似品で、全く同じものではない。

 

 

なのに何故欲しがっていたのか。実はこのネックレスには一つの噂があった。

 

 

とはいえ、中身を確認しないことには何も始まらない。中身が何かを確認すべく、箱の縁に手をかけて一気に蓋を開いた。

 

 

「これって……!」

 

 

中に入っていたのは紛れもなく、今朝ガラスケースにあったネックレスだった。買うにはちょっと値段が高く、手出しが出来ずに見送りになったはず。なのにどうしてそれがここにあるのか。

 

そもそも大和が何で持っていたのか。大和が持っているということは、大和がお金を出して買ったことになる。ならいつ買ったのか。

 

個別で服を選んだ時にはまだネックレスのことは一言も話さなかった上に、その後は常に一緒に行動をしていた。いくらなんでも目を盗んで買うことなんて……。

 

 

『……さすがに男物の下着を選ぶところを女の子に見られたくない』

 

「あっ!」

 

 

よく考えてみれば一回だけ大和と別行動になった時があったのを思い出す。理由は買うもの自体が見られたくないものとのことだったため、特に気にすることなく別行動を取った。

 

が、その時間で買いにいくことも問題なく出来たはずだ。つまり男物の下着といった他の子に見られると恥ずかしいものをわざと提案し、別行動をとっている間に下着を買いにいく振りをしてネックレスを買うことも何ら不可能ではない。

 

要は大和がナギに嘘をついたことになる。しかし自然と不快にはならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……バカ。こんなの貰ったら、もっと大和くんのこと好きになっちゃう」

 

 

 胸の中がきゅんと締め付けられると共に、心が暖かくなっていく。純粋に、自分が大和から大切な存在として認識されていることが、たまらなく嬉しかった。

 

箱に綺麗に収納されているネックレスを大切に抱えて、両手で大切に包み込みながら胸に抱き寄せる。

 

 

「本当にありがとう……大和くん♪」

 

 

この想いがいつか大和に届きますように。

 

短いようで波乱に満ちた一日は、幸せ一杯に過ぎ去っていった。



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第四章‐Blond "boy" Silver girl‐
変化と噂


「ふわぁ……」

 

 

長期休暇が終わって改めて思う、ゴールデンウィークとは何だったのかと。休みが始まる前は信じられないくらいにテンションが高かったと言うのに、休みが終わった今となっては異常なまでにテンションが低い。ある一種の病気なんじゃないかと思うくらいだ。

 

何をするにも気力がなくて、ひたすらにだらけてしまうのを文字って五月病なんて呼ぶ。考えた人間は天才なんじゃないかと思うくらい、ちゃんとした思考が回らない。

 

ゴールデンウィークが明けたことで、昨日から俺はIS学園の寮に戻ってきている。朝から外を走ってきたのに、まだ眠気が覚めずに大きなあくびを一つ。

 

両手をぐっと天井に向かって伸ばすと、背中の付け根辺りが引っ張られる。毎日起きた後に何回か癖でやるこの行為も、些細なものなのに心地よいものだ。

 

朝シャワーを軽く浴びて心身ともに爽快……まではいかないも、また学校生活が始まると思うと、嬉しさ八割の気だるさ二割。気だるさの原因は言わずもがな、夕方まで続く授業のせいだ。

 

学生の本分は勉強なんて言われても、こっちは知ったことじゃない。最低限はやろうと思っても、勉強で高みを目指そうとは思わない。

 

 

洗面台の鏡を見ながら髪の毛をドライヤーで軽く乾かし、いつもの髪型に整えていく。もう手癖になっているから、慣れたものだと我ながら思う。斜め上からドライヤーを当てると、風の勢いで毛の一つ一つが立ち上がる。

 

ほぼ乾ききったところでドライヤーの電源を切り、水道のすぐ近くに置いてあるナチュラルワックスの少しだけ指先に取り、それを両手にまんべんなく広げると根本から髪を固定していく。

 

ハードワックスでガチガチに固めるわけではないため、そこまで量をつける必要もない。良い感じに全体を整えたところで髪全体に違和感がないかどうかを鏡を見ながら確認。

 

寝癖は無いと思うが、下手にワックスをつけて全体像が崩れていたら恥ずかしい。IS学園で指をさされながら、影で笑われるのを想像するだけで、全力で逃げたくなる。

 

ま、見た感じ違和感ないし大丈夫か。

 

 

「……いや、やめよう。流石に昨日の髪型を学園でやるのはなぁ」

 

 

いつぞや出掛けた時のことを思い出す。あの時はその場のノリとナギの要望で、無理やりいつもの髪型と別にしたが、よく考えれば割と無茶ぶりだった気がする。

 

持っていたのがナチュラルワックスで、ガッチリと固めることは出来なかったが、いつもはもっとガチガチに固まっている。

 

人前であの髪型にしない理由は、あれは霧夜家の集会の時に俺がセットする髪型だからだ。やはり仕事とプライベートは分けたいもの。

 

とはいえ、ワックスが弱いためにいつもの髪型とは程遠いものだったため、若干お洒落になっていたのはここだけの話。そこまで見せるものじゃないし、ある意味貴重な体験だったかもしれない。

 

 

「さて、さっさと制服に着替えて朝食いくか」

 

 

ワイシャツはもう着ているので、後は上から制服を羽織ればいい。今日の朝食はどうしようか、食堂を最後に利用してから一週間と経っていないのに、何故か異常なくらいに懐かしいように感じる。

 

これが一回実家に帰った反動とでもいうのか。

 

髪のセットも終わり、ひとまずやることを終えた俺は使ったタオルを洗濯かごの中へ投げ込み、洗面所から外に通じるドアを開く。

 

 

「あら、おはよう。お邪魔してるわよ?」

 

 

ドアを開けた先に飛び込んできたのは制服姿に着替えた楯無さんだった。

 

いつもと違って制服の上着を羽織っておらず、ネクタイもまだ締めていない。着ているワイシャツのボタンは中途半端に開いており、胸元が大きくクローズアップされていた。

 

元々スタイルは抜群のため、制服の上からでも身体のラインはハッキリとしているのに、制服を着ていないとなれば、そのスタイルはより際立つ。ワイシャツの隙間からは微かに胸の谷間が見え、ポーズによっては割と危ない状況になっても不思議ではない。

 

 

「ちょっと久しぶりですね、おはようございます。ってか何でまた勝手に部屋に入り込んでるんですか」

 

「何となくかしら。特に理由はないわよ」

 

 

相変わらず自由奔放な人だ。女性がいつの間にか自分の部屋に入り込んでいるって、普通に考えればかなり怖いことだよなこれ。美少女だから許されるなんて言われても、実際いたらかなり怖い。

 

楯無さんは知っているから良いとしても、これが知らない人間が潜り込んでいたらと思うと、鳥肌が立つ。

 

知り合いでも俺のプライバシーはいずこへ、などと愚痴りたくなる時があるものの、それを許しているのが現状だったりする。

 

 

 

などと思いながらも楯無さんが寝転がっているベッドとは反対側の簡易キッチンの方へと向かい、そこにある電気ケトルに水をいれてスイッチを入れる。

 

朝起きの一杯はどうしてもやめられないもの、いつもは食事中に食堂で買っているがたまには自分で入れるてもいいだろう。そもそもその為に買ってきているのに使わないのも勿体ない。

 

上の棚に収納したコーヒーカップを二人分取りだし、粉末コーヒーを均等に入れる。俺の分に関してはお湯が沸くのを待つだけで、もう一つの楯無さんの分には前もって買っておいた粉末のミルクを入れた。

 

前にコーヒーかジュースか提案した時に、ガムシロップもミルクもなくて楯無さんがオレンジジュースを選んだことがある。

 

コーヒーは飲みたくても、ブラックはちょっと苦手な人もいる。なら飲めるようにこちらで準備をすればいい。砂糖があれば苦いコーヒーも甘くなる。故に飲んでくれる人が増える。

 

小さな入れ物に入ったガムシロップを二、三個取り出し、それをマグカップの横に置く。これは俺の分ではなく、楯無さんの分だ。前回の楯無さんの反応を見る限り、コーヒーは飲めるけど苦いのは苦手なタイプらしい。

 

俺の部屋に俺以外の人間はそうそう来ないと思って、ガムシロップを買わずにいたが、結構な頻度で俺の部屋に来ている。実際、用意して正解だった。

 

これなら楯無さんも飲めるはず。

 

 

「楯無さんの分もコーヒー入れるんで、良かったら飲んでください」

 

「あら、ありがとう。でもそれってブラックじゃないの?」

 

「……そこ安心してください。ちゃんと用意しておいたんで」

 

「なら頂こうかしら。折角大和くんが淹れてくれるんだし♪」

 

 

楯無さんの一言で、一気にコーヒーのハードルが上がった気がする。とはいっても使っているのは市販のインスタントコーヒーで、誰もが簡単に手に入れることが出来るもの。

 

唯一違うところは、普通の市販に比べると圧倒的にこちらの方が高価なところだ。そのため、味の保証は出来る。逆に楯無さんが普段飲んでいるのが、これよりも高いものだとしたら、少し申し訳ない気分にもなる。

 

 

ケトル内の温度が暖まって来たのを知らせるように、音が大きくなってくる。熱々のコーヒーも悪くないが、完全沸騰のままでは熱すぎて飲めない。猫舌の人にとっては地獄そのものだ。

 

完全に沸騰する前にケトルを台から取り外し、粉末が入っているカップに丁寧に淹れていく。入れた後は粉末が玉にならないようにすばやくスプーンを使ってかき混ぜていく。ブラック特有の真っ黒の液体から、徐々にミルクの白が混ざった褐色の液体へと変わる。

 

今思えば、ミルクが入ったコーヒーを自分で作るのはいつ振りだろうか。家ではコーヒーが好きなのは俺だけで、千尋姉はコーヒーは飲もうとしない。いつも俺がコーヒーを入れる代わりに、ホットココアの砂糖増量版といった甘いものを更に、甘くするといった何とも言えない飲み物を作っている。

 

本人は美味しそうに飲んでいるとしても、俺は飲もうとは思えない。見ているだけでも胃もたれがしそうだ。

 

 

さて、コーヒーは淹れ終わった事だし、冷めないうちに持っていくとしよう。両手で取ってを持ち、ベッドルームの方へと向かう。

 

 

「楯無さん。コーヒー……ってなんつー格好してるんですか!?」

 

「何って本読んでいるだけだけど。あっ、もしかして見た?」

 

「見てません!」

 

 

ついさっき挨拶を交わした時は顔を俺の方に向けて寝転んで居たのに、コーヒーを淹れて戻ってきてみれば今度は足を俺の方へと向けて、何故かパタパタとばた足するように動かしていた。

 

足を動かすことでスカートがヒラヒラと動き、中に隠れている逆三角形の女性特有の代物まで見え掛けたところで、顔を横に逸らした。ばた足が激しくなっているような気もするが、見なければ何の問題もない。

 

この人には男性に見られるという恥ずかしさは無いのか。俺だったら自分の下着姿を見られるのを想像するだけで嫌になる。それは逆のパターンでも同じだろうし、楯無さんに恥じらいが無いとは思わない。

 

しばらく顔を逸らしていると、ベットのしなる音が消える。音が消えたと同時にコーヒーカップを机に置き、楯無さんの方へと振り向く。

 

するとそこには、つまらなそうに頬をリスのように膨らめながら、こっちを睨む楯無さんの姿があった。ムスッとした表情からは、作戦が上手くいかずに面白くないのがハッキリと伝わってくる。

 

 

「もう、俺をからかうのはやめてください。結構恥ずかしいんですから」

 

「むー……大和くんが反応しなかったら、意味ないじゃない!」

 

「反応しません! 楯無さんだって、恥ずかしくない訳じゃないんですよね?」

 

「それは……」

 

 

珍しく何も言い返せなくなる楯無さん、どうやら図星らしい。男性に自ら下着を見せようなんて女性はまず居ない。楯無さんの場合、俺も恥ずかしがって視線を逸らすため、おあいこになる。

 

あくまで俺の考えであって、楯無さんがどう思っているかどうかは分からない。

 

断定が出来るとすれば、間違いなく本人も恥ずかしがっているところか。顔を赤らめながら、うーうーとサイレンでも鳴り響くかのように唸る楯無さん。右手の人差し指でモミアゲくるくると弄りながら、左手はベッドのシーツにのの字を書いている。

 

常に真っ正面から見てくる強い深紅の眼差しは、俺がいる場所とは全然違う場所を泳いでいた。

 

 

「うー……大和くんのバカ!」

 

「すみません。でも別にからかった訳じゃないですよ?」

 

「ふーんだ。しーらない」

 

 

読んでいた本を置いて、淹れたコーヒーを飲むためにベッドから立ち上がる。少し拗ねているのか、俺と顔を会わせようとしない。

 

机の上に置いてある片方のコーヒーカップを手に取り、机の椅子に座るとそのままコップの縁に唇を当てて飲み始める。

 

俺も飲もうかと残った方を手に取ったところで違和感に気付いた。

 

 

コーヒーってこんなに茶色かったかと。

 

 

飲み慣れているからこそ、わざわざ中身を確認しようとも思わないが、普段とは違ったコーヒーの香りに、口をつける前に確認しようと一旦中身を覗き込んだ。

 

すると案の定いつも飲んでいるものとは違い、ミルクでも入ったかのように茶色に染まったコーヒーがあった。何故ここにミルク入りのコーヒーがあるのか、確か楯無さん用に作ったもののはず。何でそれがここにあるのか、そして俺のコーヒーはどこに消えたのか。

 

これが誰もいない部屋で起こっていることなら軽くホラーものだが。

 

 

「う、うううぅぅ……」

 

 

刹那、弱々しい声が聞こえてくる。俺の前にはふるふると口を震わせて、表情を苦々しいものに歪めた楯無さんが。完全な不意打ち気味な苦さに、いつものミステリアスな雰囲気はどこへやら。

 

まさか手に取ったのがブラックの方とは思わなかったんだろう。そのせいでより苦く感じたのかもしれない。

 

先の会話といい、大分楯無さんの頭のネジが外れているらしい。もしこれを楯無さんを知る生徒が見たらどうだろうと頭の片隅に想像しつつ、俺のコーヒーカップと楯無さんが持っているマグカップを交換する。

 

 

「な、何これぇ……砂糖入ってないじゃない!」

 

「それは俺の分ですよ。楯無さんの分はこっちです」

 

 

ミルクが入っているコーヒーを差し出し、楯無さんが飲んでしまったブラックの方を回収する。一緒にコーヒーを甘くするためのガムシロップもいくつかセットで渡した。次はガムシロップを入れ忘れるなんてオチがないのを祈るだけだ。

 

 

「まさか狙った?」

 

「なわけないでしょう! 楯無さんが偶々間違って飲んだだけですよ」

 

 

ほんの少し、弱った楯無さんの顔を見れただけでも良かったとしよう。

 

一緒に持ってきたガムシロップを数個手に取り、それを一つ一つ丁寧にふたを開けてコーヒーに混ぜていく。ガムシロップを何個も入れているのを見ると、やはり女性は甘党なんだと再認識させられる。

 

コーヒーを口に運びながら、いつもとは違うバタバタとしたティータイムを満喫しつつ、話を本題の方へと切り替えていく。

 

登校前に顔を出したのには何らかの理由があるはず。俺をからかいたかったのが理由の一つだとしても、わざわざ朝早くにそれだけの理由で来るとは思えない。

 

機嫌も戻ってきたことだし、こっちから話を切り出してみる。

 

 

「ちなみに、今日来た本当の理由ってなんです?」

 

「うん? あぁ、そうだったわね。実は大和くんに渡すものがあったの」

 

「渡すもの?」

 

「そ、えーっと……はい、これ!」

 

「あ、どうも。えーっと……封筒? それも結構厚いような」

 

 

どこから取り出したのか、何処にでもあるような茶色い封筒を手渡される。急に手渡されたため、思わず反射的に受け取った。光の影になっているせいで、中に何が入っているのかまでは分からない。

 

厚さ的には大体板チョコくらいの厚さだろうか、数ミリあるかないかくらいの厚さだった。手に持ってみると結構重い。もちろん片手で持てないほどの重さではないが、板チョコなんかよりは更に重く感じられた。

 

もらったはいいものの、これが何なのかも分からない上にどうすればいいのか分からずに、楯無さんと封筒を交互に見いやるしかない。

 

ただ中身が何なのかはなんとなく察しがつく。おそらくは……。

 

 

「あの、これは一体?」

 

「更識家からの報酬って言えば分かるかしら。納得はいかないかもしれないけど、私たちは大和くんに助けてもらっている身分……無償でって訳には行かないわ」

 

「……」

 

「感謝の気持ちとして受け取ってくれると嬉しいわ。これをどうするかは大和くん、貴方が決めてちょうだい。どの選択だとしても、私は何も言わないから」

 

 

楯無さんの言葉で疑問が確信へと変わる。

 

俺のことを見つめながら、隠し事一つせずに話してくる。楯無さんもお金で解決することが嫌いなんだろう。それでも更識家当主として、借りを作りっぱなしなのはプライドが許さなかい。

 

同じ境遇であれば、俺も全く同じ行動を取っていたと思う。本当なら持ちつ持たれつの関係が一番いい。でも手を貸す、貸されるとなればどこかを譲らなければならない。

 

話し終わった後に視線を下に逸らす楯無さんの姿がそれを物語っていた。本当だったらこんなことで解決したくはないと。現状負担が大きいのは事実だ。ここ最近は学園の侵入者の連続で捕らえたり、無人機の襲撃時には体を張って立ち向かったりと。

 

本当に嫌なら初めから断っている。わざわざ学園のことに手を貸して自分の負担を増やすこともない。

 

それでも手を貸したのは助けたいと思ったから。理由はそれだけで十分。

 

 

もしここで俺がこの封筒を突き返したら、楯無さんの好意を裏切ることになる。感謝の気持ちとして送られたものなら、素直に受け取るのが筋だ。

 

 

「お互いに色々と苦労する身分ですね、楯無さん」

 

「そうね。少なくとも得をするとは思えないわ」

 

 

机の上に封筒を置きながら、互いに苦笑いを浮かべる。自然と嫌な感じはしなかった。苦笑いの中にも、どこか心の底から笑えている部分があるようで。

 

口に出さないだけで、思っていることは同じなのかもしれない。

 

 

「ありがたく受け取ります」

 

「ん、ありがと♪ さっ、そろそろ私行かないと。久しぶりの学校だからやること多いし、頑張らなきゃ」

 

「ですね。俺としてはまだ覚えることばかりなんで、頑張らないといけないです」

 

「大和くんなら大丈夫よ。それとおねーさんから一つ良いことを教えてあげる」

 

「良いこと……って何です?」

 

 

すぐに内容を聞きたかったが、話を止めて残ったコーヒーを口にしていく楯無さん。ガムシロップをいれて幾分飲みやすくなっているため、飲み方がいつものように上品で優雅なものになっていた。

 

若干の焦らしプレイを経て、足を組み直しながら扇子をパッと顔の前で広げて口元を隠すと、言葉を続ける。

 

 

「大まかになるけど、まず今日から少し周りの雰囲気というか環境が変わる……かもしれないわ」

 

「妙に歯切れが悪いですけど、何かが身の周りで起こるってことですか?」

 

「大和くんの感じ方次第かしら。特に何とも思わないかもしれないし。でも悪いことじゃないから、そこは安心して♪」

 

 

ウィンクをする姿が可愛らしいと思いつつも、妙な不安感は拭えないままだ。はっきり言えば全然安心できない。こういう時の悪い予感は大体当たってしまうのが道理、時の運はつくづく理不尽だと思う。

 

結論を言うのなら、学園に着いてからのお楽しみってことだろう。楽しみじゃない楽しみってどんな楽しみだろうか。

 

 

「よく分からないですけど、行ってみてからのお楽しみってことですね」

 

「そ。じゃ、また遊びに来るから♪」

 

 

肝心なところが全く分からないまま、楯無さんは部屋を出ていってしまった。

 

環境が変わるなんて言われても、意味合いが色々ありすぎてどれが正解なのか断定が出来ない。悪いことじゃないとしても、結局は変にモヤモヤがたまるばかり。

 

 

「わっかんねえ……」

 

 

残っているコーヒーに手をかけて喉を潤していく。それからしばらく考えてみたものの、楯無さんの言った意味は分からず仕舞いで、時間だけが過ぎ去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――楯無の退室後、身支度を整えた大和は足早に一人食堂へと来ていた。時間帯的にまだ早い時間なのもあり、ピーク時の込み合いほどではなく、難なく席を確保して食事を取り始める。食堂には多くの生徒がすでに陣取っていて、それぞれに朝食を取っていた。

 

今日の朝食は大和には珍しく、トースト三枚とフレンチ野菜サラダにヨーグルトの洋風メニューに統一されている。いつもは和食で統一していた大和でも、たまには洋食を食べたくなる時があるんだろう。

 

焼きたてのトーストの一枚を手に取り、表面にバターを塗っていくのだが、その手つきはどこかぎこちなくも見える。ぎこちなく見える原因は二つあり、一つ目は単純に大和があまりトーストを食べないから。実家でも朝はほとんど和食で、パンを食べることはほぼ無いに等しい。

 

そしてもう一つの理由。

 

 

(いつも以上に視線が集中している気がするんだが……俺の気のせいか?)

 

 

女性の園にいるのだから、周りには女性しかいないのは当然。入学当初は物珍しさからくる好奇の視線に気疲れしてしまい、帰ったらそのままベッドインしてしまうことも少なくなかった、だがそれはあくまで一時的なことで、今となっては慣れたもの。

 

大和自身が環境に慣れたのもそうだが、生徒たちも一夏や大和のいる環境が珍しいと思わなくなり、好奇の視線を向けることも無くなったのもある。

 

 

それが一転、今日に限ってはいつもより遥かに多くの視線が大和の背中に突き刺さってた。視点を変えれば噂話をひそひそと立てる生徒が数人いるようだ。距離が離れているため、大和にはほとんど会話の内容は聞こえない。

 

 

「ねえねえ! あの話聞いた?」

 

「うん、聞いた聞いた!」

 

「あ、織斑くんと霧夜くんの話?」

 

「そう、それそれ!」

 

「え!? 何それ? 私知らないんだけど!!」

 

「仕方ないわね、特別に教えてあげるわ。いい、女子にしか教えちゃダメよ? 今月の学年別トーナメントで―――」

 

 

ほとんど会話が聞こえないといっても、会話の節々が大和に聞こえてしまっているのは事実。そこにIS学園唯一の男性の名前が挙がれば、嫌でも自分が何かの標的にされていることが分かる。

 

もちろん彼女たちが悪意を持ったことに二人を巻き込もうとしているわけではないのを、大和は勘付いている。しかし、噂は噂でも聞こえてしまっては大和も決していい気分にはならない。話の内容からして、大和と一夏の話なのは間違いないようだ。

 

バターを塗り終わったトーストを皿の上に置き、背もたれに体重を預けながら話が聞こえる方へと耳を傾ける。一体何を話しているのかと。

 

 

(完全に俺と一夏絡みだよなこれって。まさか楯無さん言ってた周りの雰囲気が変わるって……)

 

 

コップに注がれた野菜ジュースを飲みながら、今朝楯無が言っていたことを思い出す。今日から周りの雰囲気が変わるかもしれないと。

 

ただ雰囲気が変わったのは分かるとしても、環境まで変わるのはどういったことなのか。全く結びつかずに頭を捻るばかり。

 

刹那、考え込む大和の後ろから聞きなれた声が掛けられた。

 

 

「おっす大和!」

 

「ん? おう一夏! ……こりゃ朝にしてはまた珍しい組み合わせだな」

 

「おはよ大和。何よ? もの珍しい顔して。私だってたまには一夏と一緒になることくらいあるわよ」

 

「それもそうか。ま、とりあえず座れよ。さすがに立ちっぱじゃあれだろ?」

 

 

声を掛けてきたのは一夏と鈴だった。大和の中では、朝一夏と一緒に来るのは箒のイメージが強く根付いていたため、一緒に来たのが鈴だと知りやや驚きながらも二人を席の対面に来るように促した。もちろん一夏と鈴が隣同士の状態で。

 

ここにもし箒とセシリアがいたら、一夏の隣の席を誰が取るかで一触即発の修羅場にもなっていたかもしれない。

 

大和の合図で、それぞれ空いている席に着く二人。先に口を開いたのは一夏だった。

 

 

「そういえば今日はやけに騒がしくないか? 皆落ち着かないって言うか」

 

「それは俺も思った。俺はお前ら二人が来るまで一心にその視線を受けてたから、正直来てくれて助かったよ」

 

「占いでもやってるんじゃないの? 別にアタシとしてはいつも通りに見えるけど」

 

 

ずずっと味噌汁を啜りながら鈴は淡々と答えてくる。食堂の生徒の落ち着かなさに違和感を覚えたのは一夏もだった。どうやら噂のターゲットになっているのは一夏と大和の二人ってことで間違いないらしい。

 

噂をされる可能性があるとすれば、先日行われたクラス対抗戦での出来事か。

 

だが肝心の現場を見ていた人間はごく少数で、ほとんどの生徒はアリーナの観客席に閉じ込められて事態の全容を知らない。緘口令がしかれているため、事態を知っているとしても口外することは禁止されている。

 

仮に誰かの口から噂が出回っているようなら、厳しい処分が科されるのは免れない。わざわざ危険を冒してまで噂を広めようとは思わないだろう。

 

 

故にクラス対抗戦での線は極めて薄い。一夏が噂になるならまだしも、大和がナギを助けたことが大っぴらに出回る可能性はゼロに等しい。

 

そもそもナギを大和が助けたことを知っているのは、ナギ本人と千冬の二人だけ。噂になること事態有り得ない。

 

朝から数多くの視線を浴びている大和は、やや気疲れしながら返事を返す。

 

 

「本当に占いだったら良いんだけどな。そういえば今日はどうして二人で? 朝はいつも篠ノ之と来ているイメージだったんだけど」

 

「あぁ、そういえば大和にはまだ言ってなかったっけか。箒とはもう別部屋になったぞ」

 

「え……そうなのか?」

 

一夏の返答に一瞬目を丸くした後、あぁなるほどと目を細めて顔を縦に振る大和。鈴が一夏を単独で呼びに行けたのは、すでに箒との同棲は終わっていて、邪魔をする存在は誰もいないからだった。強いて言うのなら一夏の部屋に寄り付く人間がそれに当たる。

 

ならそれよりも先に一夏を呼びに行けばいいことになる。結果、他のライバルたちを出し抜くことに成功した鈴が一夏の隣に陣取ることが出来た。最も、今日一夏を呼びにいった人間が何人いるかの話にはなる。

 

トーストをかじりながらふと、以前の鈴が部屋割りで箒と揉めていた時のことを思い出す。一夏を取られたくないとの気持ちからの行動だったが、部屋が別々になった以上、条件は皆一緒になった。

 

それぞれ知り合ってから経つ時間に違いはあれど、差という差はほとんど無いだろう。

 

 

「なるほど、どうりで何事も無いわけだ。てことは鈴、これで皆平等になったな」

 

「ア、アンタは朝っぱらから何を言ってるのよ! べ、別に関係ないでしょそんなことは!」

 

「平等? ……大和、何の話だ?」

 

「さぁな」

 

 

 女性関係のことに関しては、あくまで自分で考えて判断し行動する。大和の言い分もごもっともなことだった。身近で一夏に好意を寄せているのは現段階で三人。大和は別に誰かを贔屓するわけでもないし、一夏に誰がどう思っているかを伝える気もない。

 

ただそれぞれを一人の友人として応援しているのは間違いない。

 

最後のトーストを口の中に放り込み、数回噛んだ後野菜ジュースで流し込む。食べ終わった後に、トーストの粉で汚れた手先を、紙ナフキンを使いながら隅々まで丁寧に拭いていく。

 

 

「とにかく、俺も負けないように頑張らないと。勉学に着いていけずに半年後にサヨウナラなんて笑えないからな」

 

「はぁ、これからも参考書の世話になることを考えると、骨が折れるな」

 

「ま、何とかなるだろう。ちょっと飲み物取ってくるけど、お茶で良いか?」

 

 

その場に立ち上がり、空になったコップを持ちながら二人に問いかける。

 

 

「あぁ、いいぜ」

 

「アタシもそれで」

 

「うい。それじゃ「あー! 織斑くんと霧夜君だ!」―――はい?」

 

「うぇ?」

 

 

二人の返答を聞いてカウンターに向かおうとした時だった。つい先程まできゃいきゃいと騒いでいた女子生徒の集団が、大和と一夏の存在に気付き、三人のいる席へと雪崩れ込んでくる。

 

最初の頃は授業が終わる度に生徒が見に来たり、帰る時は後ろをつけられたりすることが定番だったが、ここ最近はほとんどそういったことはなく、平和な毎日を過ごしていた。

 

朝っぱらから起こった突然に事態に、少し顔をひきつらせながら大和と一夏は対応する。

 

 

「ねぇねぇ! あの噂って……もががっ!」

 

 

雪崩れ込んだ女子の一人が途中まで言い掛けたところで、強引に口を押さえ込まれ、二人がかりで後ろに引きずられていく。端から見ると処刑台に引きずられていく囚人のようにも見えなくはない。

 

言われたら不味いことなのだろう、止めた二人の表情からは明らかに焦りが見てとれた。引きずられた女子はいきなり口を押さえ込まれたせいで息が出来ずに、苦しさのあまり顔が赤くなっていく。

 

空いている両手で懸命に腕を叩き、自分の口を覆う手を退かせようとしている。それに気付いた一人が口から手を離すと、やや苦しそうに呼吸を繰り返した。

 

分かっているならまだしも、不意打ちで後ろから口を覆われたら驚いて残っている酸素を吐き出してしまうことも多い。実際それで酸欠になる子もいることだし、注意しないといけない。

 

呼吸を整えた一人が、急に口を押さえられたことに抗議を始める。

 

 

「も、もう! 急にビックリするじゃない!」

 

「ごめんってば! まさか最初から聞き出すとは思わなくて!」

 

「でも、言ったじゃない! この噂は女子にしか教えちゃダメだって!」

 

 

立ち尽くす大和と、何が何なのか分からずに呆然と座っている一夏をそっちのけで、話し始める三人組。何のために二人の元を訪れたのか、当初の目的を完全に忘れている。

 

もしこれで忘れたまま立ち去られたら、二人にただ漫才を見せるために来たのだと思われても不思議ではない。本意こそ分からないものの、大和は彼女たちが何かの確認のために来たことは察していた。

 

一つだけ気になることがあるなら。

 

「あー、一個聞いて良いか。噂って何のことだ?」

 

「ふぇ!? う、噂!?」

 

「うん、噂。今噂がどうだの言ってなかったっけ」

 

「き、気のせいじゃないかな? 人の噂も七十五日って言うよね!」

 

「そりゃそうだけど……何か隠してないか?」

 

 

会話の節々に出てくる噂という単語。たかだか噂だとしても、何度も会話の中に出てくれば気になるのも無理はない。加えて朝から大和に向けられる視線の数々。

 

物珍しいからの一言で済ませばそれまでだが、ここまであからさまに視線が集中すれば、何かあったのかと不思議に思っても無理はない。

 

 

三人組も不自然な言動を繰り返すせいで、いくら否定しても隠し事があるのは丸分かりだった。手を顔の前で振りながら何でもないとアピールする姿が、如何にも隠してますと言っているようなものだ。

 

 

「そ、そんなことないよ!?」

 

「そうだよ! 霧夜くんの思い過ごしじゃないかな?」

 

「うんうん。だからそういうことで!」

 

「おいおい……って早っ!?」

 

 

脱兎の如く逃げ出してしまう三人組を引き留めようと手を伸ばすも届かず、結局いなくなってしまった。大和も相手が女の子だったため、無理に捕まえようとしたわけではないが、ムダの無い素早い身のこなしに脱帽するしかない。

 

半面、一体あれは何だったのかと疑問に思う点が多いのも事実。詳しいことは一切聞けなかったため、大和の中には妙なわだかまりが残っていた。

 

 

「何だったんだあれ?」

 

「分からん」

 

 

事態を把握しきれていない一夏に、大和もただ分からないと答えるのが精一杯。噂の中心が自分たちだと分かっても、内容に関しては何一つ分かっていない。

 

 

「またなんかやらかしたんじゃないの? アンタたちのことだから、見えないところで誰かを口説いたとか」

 

「勝手に問題児扱いするなって! 別に口説いてもいないし、噂になるようなことをした覚えもない!」

 

「噂ならもうここに入学した時点であったしな。一夏も俺も特に問題を起こしたわけでもないし、正直何で噂になってるのか分からん。……それと鈴、最後の例えはちょっと微妙だと思うぞ」

 

 

一段落ついたものの、一夏や大和に浴びせられる視線の数は減らず。いつもよりもげんなりとした表情を浮かべる大和だが、いつまでも気にしていても仕方ないと割りきり、自分の頬を軽く叩く。

 

今のところは害は全く無いし、しばらく放置で良いだろうと自分に言い聞かせながら、お茶を取りに行くためにカウンターの方へと歩き出すのだった。

 



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二人の転校生

「じゃあ大和は休みの間ずっと実家に戻ってたのか」

 

「あぁ。久しぶりに家族と会いたくなってな。でも一ヶ月家を空けるだけで、全然違うのな。実家に戻ってきたって実感が無かったよ」

 

「それは確かに分かる。実家でも長い間留守にしてると落ち着かないよな」

 

 

食堂から戻った後、そのまま部屋に鞄を取りに戻って一夏と教室へと向かう。途中までは鈴と一緒だったが、クラスが違うため、昇降口のところで別れて今は一夏と二人きりだ。

 

互いにゴールデンウィークをどんな感じで過ごしていたのかなどと、下らない会話を交わしているといつの間にか教室前の廊下に辿り着く。

 

そわそわと落ち着かなかったのは食堂内だけで、登校中に関しては特に何事もなかった。むしろ何もなかったのはそれはそれで怖いところはあるものの、悪いことが起きなかったと前向きに捉えたい。

 

 

一週間ぶりにくる教室も入学した時ほどではないが、どこか新鮮な気がする。扉に手を掛けて教室に足を踏み入れる。

 

 

「おはよーっす」

 

 

いつも通り挨拶をしながら、ガラガラと引き戸を開いて教室に入る。相変わらずの喧騒に満ちた教室で、中はクラスメートたちの談笑する姿が窺えた。

 

ゴールデンウィーク明けで、親友たちに久しぶりに会えたのもあるんだろう。多くの生徒の頬は綻んで、心の底から楽しんで見えた。

 

 

「あ、おはよー!」

 

「織斑くん、霧夜くんおはよう!」

 

「おっはよー♪」

 

 

 入り口付近で談笑していたクラスメートが数名、俺の声に気付いて挨拶を返してくる。中には手を振ってくれる子までいる。女の子が笑顔で挨拶を返してくれるって素敵だよな。その笑顔を見るだけで、一日頑張ろうと思える。不思議な効力だ。

 

ざらっとクラスを見回してみても、俺が登校したことに気付いた数人が、こちらに向かって控え目に手を振るくらいで、今朝のような雰囲気は感じられなかった。

 

本当に朝のあれは何だったのかと思う反面、もしかして嵐の前の静けさではないかと思う部分もある。

 

 

「何か……話が変にこじれて広まってる……」

 

「ん?」

 

 

俺の心配は杞憂だった思おうとした時のことだった。

 

ふと俺の左手側から声が聞こえる。視線を向けると、教室の廊下側に設置されているガラス窓の前でどこか気難しい表情を浮かべた布仏、谷本、相川の三人組が腕を組んで並んでいた。かすかに聞こえたこじれて広まった話という単語に思わず反応する。

 

 

「あんた、また適当なこと言ったんじゃないの?」

 

「ぅえ? そんなことないと思うけどな~」

 

 

右手を後頭部において苦笑いを浮かべながら弁明をする布仏。話の内容がさっぱり分からないので、こっちとしては何も言えないが、非常に興味をそそられる内容な気はする。というか、話している内容がすごく気になる。一体どの話がこじれて広まっているんだろうか。一歩踏み出して話の概要を聞こうと口を開こうとするが……。

 

 

「席に着け、ホームルームを始める」

 

 

後ろから聞こえてきた冷静である迫力声が行動を止めさせる。もしやるとしたらこの声の主に逆らうことになる。つまり世界最強の人間に喧嘩を売ることとイコールで、下手をすれば明日の朝日が見れるかどうか分からない。

 

振り返った先にはビジネススーツをビシッと着こなした千冬さんが仁王立ちで立っていた。

 

 

「霧夜、お前も早く席に着け」

 

「分かりました」

 

 

 さすがの俺も命は惜しい。三人にこれ以上深いことは聞こうとはせずに素早く自分の席へと着いた。前にはすでに俺の後ろにいたはずの一夏が座っており、最後に席に着いたのは俺。一言で周りをまとめられる千冬さんの統率力はもはやカリスマレベル。世界の頂点を取ったことを差し引いたとしても、発する言葉の一つ一つに何故か説得力がある。

 

席に着き、カバンを机の横のフックに引っ掛けて背もたれに全体重を預ける。それもほんのわずかで、すぐに背筋を伸ばして黒板の方にいる千冬さんへと視線を向けた。千冬さんが教卓に立つと同時に、入り口から山田先生も入ってくる。

 

普段話すことがあまりないせいか、山田先生に何年かぶりに会った感じがしないでもない。すると、教室内の雰囲気は一気に引き締まったものへと切り替わる。例えるなら軍隊統率みたいなものだろう。

 

すでにホームルームの始まる時間になっており、これ以上騒ぎ立てるようなら容赦なく千冬さんからの鉄拳制裁が飛んでいく。生徒に対する指導は厳しく、女性であろうが関係なく出席簿が振り下ろされる。普通の高校なら一発で大問題でも、IS学園では日常茶飯事らしい。現に一組以外に千冬さんが教えに行った時、だらけていた何人かが出席簿で頭に叩かれたと鈴から聞いた。

 

昭和的な指導方針は現代社会では受け付けにくいが、条約で決められたIS操縦者育成の国立校だし普通の高校と違ってもおかしくはない。

 

 

「今日からはより本格的な実戦訓練を行う。訓練機ではあるがISを使った授業になるので、気を引き締めて行うように」

 

 

 教壇に立った千冬さんが今日の伝達事項について話し始める。話している最中のため周囲を見渡すことは出来ないものの、背筋がピンと伸びた着席はさぞかし綺麗なはず。一度前に立って見てみたいものだ。セシリアとの一件で教壇に立って謝罪したことはあっても、あの時は絶対にきちっとした着席では無かったし、一々そんなことを気にする暇はなかったためノーカウント。

 

さらに千冬さんは続ける。

 

 

「其々のスーツが届くまでは学園指定のISスーツを使うので忘れないようにな。忘れたら……そうだな学校指定の水着を着用して受けてもらう。水着も忘れたら……まぁ、下着でも構わんだろう」

 

 

さらっととんでもない爆弾発言を残していく千冬さんに対して、思わず心の中で突っ込みそうになる。以前ならそれが許されても、男二人の前で一糸纏わぬ一歩手前の姿をさらけ出すのはまずい。下手をすれば警察にお縄にもなりかねない。

 

IS学園に入学した男子生徒が二人そろって退学なんて実に笑えない。冗談半分で言ったんだろうが、千冬さんが言うと冗談に聞こえない。

 

 

「以上だ。では山田先生、ホームルームの方を」

 

「は、はい!」

 

 

 話を終えた千冬さんが今度は山田先生へとバトンパスして、自身は教卓の右側へと下がる。今声が上ずったのは、眼鏡を外してレンズを拭いていたから。話を終えて一息つくづく千冬さんの姿を改めて見ると、いつもと雰囲気が違うような気がする。

 

長い黒髪を切ったわけでもなく、化粧が濃くなった訳でもない。そもそも千冬さんはほとんど化粧をしていない。

 

 

考えても分からず、再び山田先生へと視線を向ける。

 

 

眼鏡をかけ直して身なりを整え終わった山田先生が教壇に立ち、一つ小さく咳払いをするといつも通りの笑顔を浮かべながらホームルームを始めた。

 

 

「えーっとですね、今日は転校生を紹介します。しかも二名です!」

 

「おっ……」

 

山田先生の発言にクラス内がざわつき始める。想定内のことのようで、千冬さんはやっぱりかと目を瞑りながら頭を押さえる。無理に生徒たちを静める気は無いようだ。

 

一つ思うとすれば、二人揃ってうちのクラスに編入させた理由くらいだ。

 

悪い訳じゃないけど、普通なら分散させるはず。逆に二人とも……もしくは片方が千冬さんじゃないと手に負えない問題児なら話は別。いくつか想像はできるものの、学園側が決めたことだし俺たちが特に気にするようなこともない。

 

 

「では、入ってきてください!」

 

「はい、失礼します」

 

「……」

 

 

 扉が開いて転校生が入ってきたところで、ざわついていたクラスが水を打ったように静かになる。身なりがだらしないだとか、髪型が奇抜だとか外見的なせいではない。純粋に、本来なら絶対に有り得ないことがそこで起こっていたからだ。クラス中の視線のすべてが一点へと集まる。

 

二人いる転校生の内の一人。どこの国籍だろうか、伸ばせば腰くらいまではあるであろう黄金色の長髪を後ろで束ねている。

 

そして日本人離れした中性的で端正な顔立ちに、とても同じ性別だとは思えないほどの華奢な体つき。このクラスが一瞬にして静まり返った理由、それは……。

 

 

「シャルル・デュノアです、フランスから来ました。皆さん、よろしくお願いします」

 

 

入ってきた二人のうちの一人が男子だったからだ。

 

ニコリとほほ笑む姿は、女性を一目で落としてしまうほどの魅力があった。醸し出す雰囲気はフランス紳士そのもので、非常にまじめで礼儀正しい印象が伝わってくる。

 

制服はいつも見慣れたスカートではなく、俺や一夏が着ているような男性ものの制服。見た目があまりにも中性的で、服装が別のものなら性別を間違えていたかもしれない。しかし現実に着ている制服は男物の制服、そして彼の名前の『シャルル』はフランス語の男性名にあたる。

 

見た目で人を判断するななんて言われても、どうにもにわかには信じきれない部分があった。改めて見ても、男性というには体が華奢な気もするし、身長に関しても男性の平均身長に遠く及ばない。

 

俺が考えすぎなだけなんだろうか。ただ今は変に気にすることでもないし、くだらないことを考えていて出席簿の餌食になるのだけはごめんだ。一旦このことは忘れるとする。

 

 

「お、男?」

 

 

クラスメートの一人が控えめに質問する。目の前で起こっていることがにわかには信じられないのだろう。事実、男性のIS操縦者が発見されたなんてニュースはここ数日で、一度もなかったのだから。

 

一夏の時も俺の時も、少なからずメディアは色々な情報機関を使って大々的な宣伝を行った。が、今回に関しては一切音沙汰もなしに転校してきたわけだし、いささか裏があるんじゃないかと思ってしまう。もちろん事例としては三件目で、今までのように物珍しさは薄れていると言われればそれまで。結局のところ一つの想像にしか過ぎない。

 

質問をしたクラスメートに応えるべく、デュノアは再び口を開く。この先の展開が何となく読め、無意識に両手で耳を塞ぐ。あくまで勘のためで実際に起こるかどうかは分からないが、備えあれば憂いなしともいう。何事も準備していて損はないはずだ。

 

 

「はい。こちらに僕と同じ境遇の方たちがいると聞いて、本国より転入を……」

 

 

「キャ――― っ!!!」

 

「はい?」

 

 

まるで教室全体が揺れたのではないかと思うほどの大音量の歓声が、両手で塞いだはずの耳奥まで突き抜けてくる。もし耳を寸前で塞いでいなかったらどうなっていたかと、想像するのも嫌になる。現に耳を塞ぎ損ねた一夏が、机に屈伏したまま耳を押さえていた。

 

そしてクラスメートたちの反応に、教壇に立っているデュノアはどうしたらいいか分からず、冷や汗をかきながら苦笑いを浮かべるしかない。

 

 

「男子! 三人目の男子!」

 

「またうちのクラス! そして美形!」

 

「それも守ってあげたくなる系の!」

 

「これはまたバリエーションが増えたわ……どのシチュエーションが良いかしら?」

 

 

 新たな男子の登場に騒ぎ立てるクラスメートたち。入ってきたのが男子で美形ともなれば多少ざわつくのは分かるが、この盛り上がり方は尋常ではない。唯一慣れたとすれば、夏に出る薄い本関係の話には反応しなくなったところくらいで、あまり嬉しいものではない。

 

更にヒートアップして騒がしくなるクラス。まるで合唱団でも来て、音量最大で楽器演奏をしているようだ。流石にこればかりは鬱陶しくなったようで、今まで腕を組ながら我関せず状態だった千冬さんが重たい腰を上げる。

 

 

「静かに! いつまでも騒ぐな。先に進まん」

 

「み、皆さんお静かに! まだ自己紹介は終わって居ないんですから!」

 

 

千冬さんに続くように山田先生もこの喧騒を静めにかかる。デュノアのインパクトが強すぎて、俺も完全に忘れかけていたが、転校生はもう一人いる。クラス中がこれだけ騒がしかった中で、何一つ反応を示さずに黙りを決め込んでいた生徒が一人。

 

デュノアよりも更に小柄な体格で、長く伸びた白にも近い銀髪が特徴的だ。年頃だというのに、あまりファッションにはこだわらないらしく、髪の毛を手入れした様子は見受けられず、無造作に下ろしているだけのようにも見えた。

 

そして彼女を際立たせるのは、左目を覆う真っ黒な眼帯。それだけでも異様な雰囲気だというのに、こちらを見つめる瞳は、他人のことなど一切興味を持たない非常に冷めた眼差しをしていた。

 

信じられるのは己のみ、彼女の見つめる先には何が写っているのか。目の前にいる、あるもの全てがくだらない―――そんな風にも思えた。

 

一括りにするのなら、いくつもの戦場を生き延びてきた冷酷な軍人。イメージとしてはそれが一番近かった。

 

 

千冬さんと山田先生の声かけにより、漸く静まり返ったクラスが先程とは一転し、冷たい空気が流れ始める。眼帯の転校生が醸し出す雰囲気で、誰一人口を開こうとはしなかった。見えない呪縛にとりつかれているかのように。

 

 

「……」

 

 

引き続き、あくまでも沈黙を突き通す転校生。もはや数分前まであった賑やかさは完全に消え失せ、残っているのは気まずさのみ。しかしこのまま何も言わないのでは埒があかない。

 

徐々に気まずさが強くなっているのは誰もが分かっている。だからこそ誰も切り出せないままだった。山田先生も困った表情を浮かべながらもどうすることもできず、ただ立ち尽くすだけ。

 

……何だろうか?ふと、一瞬だけ転校生の視線が千冬さんの方へと向く。次の瞬間にはすでに視線は元に戻っていたが、間違いなく千冬さんのことを確認している。するとそれを皮切りに、沈黙に包まれるこの状況を打開するべく一言だけ声を発した。

 

 

「……ラウラ、挨拶をしろ」

 

「はい、教官」

 

 

何と素直に命令を聞いたことか。その場で千冬さんに向かって敬礼する姿は、まさに軍人そのもの。そして今の一言で確信できた、彼女がどこかで千冬さんと面識があることを。それも相当に尊敬しているように見えた。

 

教官という呼び方をするのはどこかの訓練校や、軍隊などしかない。古風な学園では呼ぶことがあるかもだが、まぁそうそうないだろう。

 

 

「私はもう教官でもないし、ここでは私もお前も教師と生徒の関係でしかない。これからは織斑先生だ」

 

「了解しました」

 

 

千冬さんの言うことを素直に聞き、そして頷くボーデヴィッヒ。二人の関係については聞いている範囲内では分からないままだ。

 

実際に正面から見てみると、女性の中でもかなり小柄な部類に入るのに、その小さな体から発せられる存在感は、とても同じ十五歳の少女には見えなかった。

 

千冬さんの命令通り、一歩今いる場所から前に出ると。

 

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」

 

 

たった一言、そう呟いて再び何も話さなくなる。

 

もはや自己紹介と呼ぶにもおこがましいレベルだ。これが企業の面接なんかだったら間違いなく落とされている。新学期最初のホームルームで行った誰の自己紹介と比べても短くておざなり。

 

しかし誰も何も言えないのは、彼女の放つ雰囲気に毒されているから。

 

本当に自己紹介はこれで終わりなのかと、少しビクつきながらも出来る限りの笑顔を浮かべ、山田先生がボーデヴィッヒに言葉を投げ掛ける。

 

 

「あ、あの……ボーデヴィッヒさん? もう終わりですか?」

 

「以上だ。他に言うことはない」

 

 

バッサリ切り捨てられたことに、山田先生が少し半泣きぎみになっている。いくら反抗期とはいえ、教師に冷たく接するのはいただけない。

 

ところで一つ気になることがある。気のせいか、銀髪の転校生……ラウラ・ボーデヴィッヒとどこかで会ったような気がする。他人の空似なんてよくあることだから、あまり深くは考えていないけど、実際どうなんだろうか。

 

 

「―――ッ! 貴様はっ!」

 

 

少し考え込んでいると怒気の強い声が聞こえてきた。何だろうと思い顔を上げると、一点を見つめて睨み付けるボーデヴィッヒの姿が。苦虫を噛み潰したような表情からは、深い憎悪や嫉妬の感情を受けとることが出来た。

 

そしてそのボーデヴィッヒの視線の先にいる人物は……。

 

 

「え?」

 

 

一夏だった。

 

いきなり睨まれたことに驚きを隠せないんだろう、ボーデヴィッヒの顔をポカンと見つめるしかない。そもそも自分が睨まれる理由を理解していない。一夏も彼女のことを知らないようだし、彼女の一方的な恨みのようにも見えた。

 

すると教壇から降りて、一夏の方へと歩み寄ってくる。眉がつり上がった怒りの表情は変わらず、一夏に対する明確な敵意、軽蔑といった感情が消えることはなかった。

 

一夏の目の前に立つと、一言も声を発さないまま右手を身体に巻き付けるように振りかぶる。もう彼女が何をしたいのかすぐに理解できた。筆箱の中から親指の爪サイズの消しゴムを取り出すと、それを親指に乗せてぐっと力を込める。

 

そして右腕が振り下ろされる瞬間、狙いを定めて強めに消しゴムを弾き飛ばした。時代劇みたいに綺麗には出来なかったが、発した消しゴムはボーデヴィッヒに一直線に飛んでいき……。

 

 

「くっ!?」

 

 

彼女が振り下ろした右手の甲に直撃した。手の甲に当たった消しゴムは、反動で座席側へと転がっていく。力加減はしているものの、叩くのを止めさせる程度には強く弾いたため、結構痛かったんだろう。ボーデヴィッヒは反射的に手首を押さえて、手の甲を見つめる。

 

起こった事態が把握出来ずにいるのは、一夏を初めとしたクラスメートたち。一夏もどうしてボーデヴィッヒが痛がっている理由が分からずに首をかしげるのみ。気付いているのはやった本人の俺と、やられた側のボーデヴィッヒ。そして教壇の隣で、こちらを腕を組ながらじっと見つめる千冬さんの三人だ。

 

一夏が影になって見えなかったか、それとも単純に見ていなかったかは分からないが、山田先生も反応からして気付いている様子は無かった。

 

手首を押さえながら顔だけこちらに向けて、俺のことを睨み付けてくる。邪魔をするなと言わんばかりに。

 

 

「何をするっ!」

 

「何をするはこっちの台詞だ。出会い頭に人を叩くなんて、普通やることじゃないよな?」

 

 

今回の場合標的は一夏のため、一夏がやり返すのならまだしも、ボーデヴィッヒを止めたのは俺で、当然正当防衛は認められない。

 

ボーデヴィッヒが俺に怒るのも何ら不自然なことではない。でも一夏を叩こうとするのとこれとは別で、暴力に踏み切ろうとした時点で間違っている。

 

 

「貴様に私のことなど何も分かるまい! 邪魔をするな!」

 

「殴られるのを黙って見ていろと? そんな虫の良い話があるかよ」

 

 

反論してくるボーデヴィッヒに、少し強めの口調で言い返す。怒りの矛先は一夏から俺へと移り、鬼のような剣幕でこちらを睨み付けられる。

 

確かに俺はボーデヴィッヒのことなど何も知らないし、暴力に踏み切ろうとした理由も分からない。ただ殴るのを黙って見過ごすほど、薄情な人間でもない。

 

 

「私は認めるものか……織斑一夏があの人の弟などと!」

 

「認めないのは勝手だ。だが、それでもお前が一夏を殴る権利なんて無い」

 

「ぐっ……その減らず口、すぐにでも!」

 

 

 すでにボーデヴィッヒの眼中には一夏の存在はなく、あるとすれば俺に対する明確な敵意のみ。つかつかと俺の元へ歩み寄ってくると、今度はほぼノーモーションに近い素早い腕の振りで俺の顔を叩こうとする。

 

迫ってくる手の甲に対して右手を差し出し、手のひらで勢いある動きを強引に止めた。手加減なしだったのだろうか、受け止めた右手がじんわりと痛んでくる。かわすのが一番ダメージとしては少ないものの、振りきった反動で他の生徒に危害が及ぶとも限らない。

 

まさか受け止められるとは思わなかったんだろう、ボーデヴィッヒの表情が怒りから驚きの表情へと変わる。

 

 

「本当に何もかもいきなりなのな。日本じゃあまり感心しないぜ?」

 

「このっ!」

 

 

からかわれたと思ったようで、今度は空いている左手を振りかぶり、そのまま俺の方へと向けようと……。

 

 

「いつまでやっている。そこまでにしておけ、時間の無駄だ」

「―――っ! ……はい」

 

 

する直前に、電源を急に切られた機械が止まったかのように、ボーデヴィッヒの動きが制止する。声をかけたのは言わずもがな、千冬さんはこちらの様子を見ながら鬱陶しそうに腕を組み替える。その言葉に渋々了承しつつ、俺に背を向けて教壇横へと戻っていく。

 

 

「ではこれでHRを終わる。それぞれ準備してグラウンドに集合。今日は二組との合同模擬戦闘を行う! 以上。解散!」

 

 

手を叩いて強引にHRを終わらせると、クラスメートは各自席を立ち始める。中には今のことが気になる子も居たんだろうが、気にしているらしく誰も俺に近寄ろうとしてこない。

 

ボーデヴィッヒはいつの間にかクラスから居なくなり、いつも通りのクラスの風景が戻ってくる。

 

 

「……なぁ、今の何だったんだ?」

 

「さぁな。ところで一夏、あの転校生と会ったことってあるか?」

 

「あの転校生って、銀髪の転校生か? いや、会ったことはないな。むしろ会ってたら話しかけてるし」

 

「ふむ、分かった。とりあえず俺らも着替えに行こうぜ」

 

 

 一夏は自分が何をされそうになったか分からずに、俺に聞いてくる。普通に考えれば初対面の相手に殴られるなんて思わないだろうし、当然の反応といえば当然の反応か。

 

消しゴムを飛ばしたことはばれていないようで、特にそこについて突っ込まれることはない。逆にどうして俺にボーデヴィッヒが怒っているのか分かっていなかった。

 

こっちとしても変に気にされるよりはいいし、さっきのことはさっきのことで片づけられる。俺も切り替えてさっさと更衣室に向かうとしよう。この後のことを考えると早くいかないとグラウンドに出る前に始業ベルが鳴りそうだ。

 

クラスにいる男子はデュノアが来なかったとしても二人だけで、他は全員女子ともなれば教室での着替えは女子に譲ることになる。だから着替える度にそれぞれの場所に設置された更衣室に行かなければならない。

 

これが中々面倒で、着替えがあるIS実習や保健体育は時間ギリギリになることも多い。移動距離が長いとどうしてもその分時間を使ってしまうから。

 

話すのは後にしようと席を立つ。

 

すると。

 

 

「ちょっと待て織斑、霧夜。お前たちがデュノアの面倒を見てやれ、同じ男子だろう」

 

 

更衣室に向かおうとした俺たちへ、千冬さんがデュノアのサポート頼んでくる。ある意味貴重な三人目の男子生徒になるわけだし、仲良くやっていきたいと思う。

 

 

「君たちが織斑くんと霧夜くん? 初めまして、僕は―――」

 

「あぁ、その前に女子が着替え始めるから早く行こうぜ」

 

 

自己紹介の挨拶を終える前に、一夏が先にデュノアの手を掴んでクラスの外へと向かう。気のせいか、手を握られたデュノアの顔が赤かったようにも見えた。いきなり手を握られれば、例え相手が男であっても顔が赤くなることくらいはあるだろう。しかも周りには年頃の女の子が満載と来ている。

 

今の光景を目の当たりにしてクラスメートの何人かがキャイキャイと騒ぎ立てている。この年になれば男同士で手を繋ぐことも殆ど無くなるわけだし、それがあまり男性と関わりがないこの学園内でやれば、反応する生徒がいるのも頷ける。

 

まさか一夏があそこまで強引に手を引いて連れていくとは思っていなかったけど、あれがもし普通の女性だったとしても同じようにやるかどうか、興味深いところではある。

 

さて、あまり長居しても仕方ないし、俺もさっさと二人の後を追うとしよう。

 

 

「あ、大和くん。おはよう」

 

「ん、あぁ、おはよう―――」

 

 

名前を言いかけるところで、言葉を失ってしまう。更衣室に向かおうと席を立ち、入り口の扉に向かって走り出そうとしたが、不意の挨拶で足を止めた。声の性質からすぐに誰かを断定することは出来たものの、この後のことを考えるとあまり長くは話せられないと判断し、挨拶だけは返そうと思って振り向いたのだが……。

 

まさかのまさかだった。IS学園では特に制服に関する規則はなく、制服の改造はある程度までは自由。そして装飾品、つまりアクセサリーの類もあまりにも派手で目立たないものであれば、原則許可されている。

 

ようは俺が言いたいのは何かというと。

 

 

「……」

 

「ど、どうしたの?」

 

「い、いや。何でもない」

 

 

本人は無意識なんだろうが、こちらとしてはいつぞやプレゼントしたものを使って貰えているとなれば気が気ではない。嬉しいと思う反面、もしこれが周りに知られたとしたらと考えると恥ずかしくてならない。使って貰う前提でプレゼントしたもののため、使ってくれたのであれば嬉しいに越したことはないが、まさか学校に着けてきてくれるとは思わなかった。

 

 

「じゃあ、俺行くから! また後で!」

 

「え? あ、うん」

 

 

 

 

誤魔化しながらも教室を出て、先に更衣室へ向かった二人の後を追いかける。そこまで時間は経っていないので、十数メートル先に二人の姿を確認することが出来た。小走りのスピードを少し速めて、二人の後を追う。本来なら見つかれば叱責を食らっても文句は言えないが、グラウンドが遠いからとうまく理由付けすれば何とかなる……はず。

 

走っているうちにみるみる二人との距離は縮まっていき、あっという間に二人の後ろに追い付いた。足音が増えたことに気付いた一夏が、後ろを振り向く。

 

 

「おう、やっと来たか大和。さっさと行こうぜ」

 

「あぁ」

 

 

上手く合流できたのはいいがあまりいい予感がしない、何故だろうか。その予感が当たるまでそう時間が掛からないことだった。

 

 

「あっ! 噂の転校生発見!」

 

「しかも織斑くんと霧夜くんも一緒だ!」

 

 

ここまで予想通りに当たってしまっては逆に怖い。俺たちの進行方向にはすでに数人の女生徒たちの群れが出来ていた。もう少し早く行動してればと思うのは結果論だが、早く行動しようが捕まっていた気がする。

 

恐らくここで来るのを待ち伏せていたんだろう。どこのクラスに誰が入学してきたことくらい、この学園の情報網ならあっという間に学園中に行き渡る。それが悪い噂なら尚更だ。

 

このまま真っ直ぐ突っ切るのがグラウンドまで一番早くつける道のりだったのに、塞がれたせいで遠回りしなければならなくなる。

 

それを皮切りに、他のクラスからもドカドカと人が雪崩れ込んできて周りを囲む人数が膨れ上がっていく。これだけを見ると、自分が有名人になった気分だ。

 

もしこれに捕まったら最後、授業が始まるまでの拘束はおろか、下手をすれば放課後まで捕まったままの可能性もある。あまり想像したくはないが、リアルにその風景を想像できてしまう辺りが怖い。

 

 

「織斑くんと霧夜くんの黒髪もいいけど、金髪ってのもいいわね!」

 

「しかも瞳はアメジスト!」

 

 

……このままだとヤバイな、どんどん人数が増えている。ついさっきは後ろに下がって反対側から更衣室まで向かおうと考えたものの、すでに後ろにも数多くの生徒が配備されていた。前進も出来なければ後退も出来ない、ここが戦場だとするのならまさに背水の陣の絶対絶命の状態。

 

 

「な、何でこんなに皆騒いでいるの?」

 

「デュノアは今日転校してきたばかりだからまだ分からないよな。まぁ、ある意味IS学園の名物だと思ってもらえれば良い」

 

「だな。俺と大和が入学した時もしばらくこんな感じだったし、慣れて貰うしかないよな」

 

「え、え?」

 

 

言っている意味が分からずに、キョロキョロと俺と一夏の顔を交互に見る。転校初日だから実感が湧かないが、男性操縦者として入学してきた以上は『これ』に慣れて貰うしかない。

 

 

「ようは物珍しいんだよ。世界中探し回っても、男性操縦者は俺たち三人だけだしな」

 

「あ、あぁ! そうだね!」

 

 

改めて自分の立場を認識し、大きく頷くデュノア。

 

俺と一夏も、一日が終わるとよくベッドの上に倒れ込んでいたし、もしかしたらデュノアも同じようになることだって考えられる。ただ同じ男子として精神的なサポートは、俺たちの方でやらないと。

 

とにかく、今はこの現状の打破を考えよう。

 

 

「よし、横道だ!」

 

 

合図で一直線に駆けていく。そして生徒たちが陣取っているほんの少し手前に右へ曲がる道がある。いつもよりもかなり遠回りになるけど、こればかりは仕方ない。三人で一気に右に曲がると、視線の先に入ったのは廊下の突き当たりにある壁だった。

 

近道さえ潰しておけば何とかなると思って、完全にノーマークにしていたんだろう。誰一人見守っている生徒はいなかった。走っていると、逃げられたとぼやく声が聞こえてくるが、今は気にしている時間が惜しい。

 

後ろから何人かの生徒が後を追いかけてくるものの、足の早さでは流石に追い付けずにぐんぐん距離は離れていく。俺たちは上手く包囲網を潜り抜けて、第二グラウンドの更衣室まで向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……どうにか撒いたか。むしろ更衣室の中まで入ってこられたらそれはそれで怖いけど」

 

「確かに。まさか第二、第三の陣を伏せているなんて思わないもんな」

 

「ご、ごめんね? 初日からこんなことに巻き込んで」

 

「あんまり気にすんな。逆に初日はもう割り切るしかないしな」

 

 

何とか更衣室に辿り着いたは良いものの、散々遠回りをさせられたためもう体はヘトヘトだ。デュノアに至っては初めから慣れないことに巻き込まれたから、想像以上に疲れたんだろう。両手を膝の上に乗せ、肩で息をしながら呼吸を整えていた。

 

その呼吸の仕方がどうにも色っぽく感じるのは、俺がおかしいだけなのか。誰かに聞こうにもここには一夏しかいないし、聞いたところで女性に関することで、まともな回答が返ってくるとは思えない。

 

女性のことに関しては鈍感なんだよな、一夏って。周りの空気を読むのはかなり敏感なのに。

 

世の中、全てが完璧な人間がいないっていうのはこういうことらしい。これで女心まで完全に把握できていたら、もはや非の打ち所のない完璧人間で、全世界の男を敵に回す存在もなれる。つくづく人間って上手く出来ていると思える。

 

 

「さて、じゃあ改めて自己紹介だな。俺は霧夜大和、気軽に大和って呼んでくれると嬉しい」

 

「そういえば中途半端に終わってたっけな。俺は織斑一夏、一夏って呼んでくれ」

 

「それかワンサマーって呼ぶと嬉しいらしいぞ」

 

「なわけあるか! ただの悪口じゃねぇか!」

 

「じょ、冗談だって! そんな真顔になるなよ」

 

 

俺としては冗談半分で言ったつもりだったことが、一夏にとっては割と本気で嫌がるものだったらしい。それかどこかで、同じような呼ばれ方でからかわれたことがあるとすれば分からなくもない。真顔で俺に顔を近づけてきた迫力に気圧されながら、両手を一夏の前に差し出して必死に冗談だとアピールする俺の姿は、何て滑稽なことだろう。

 

俺たち二人の漫才のようなコントがデュノアにどう伝わったか、初めはポカンとしながら見つめていたデュノアだが、やがてクスクスと笑い始める。両手で口元を押さえる動作が、あまりにも優雅で様になりすぎている。同じように真似をしろと言われても、到底真似できるようには思えなかった。

 

 

「ふふっ♪ 二人とも仲良いんだね、ちょっと羨ましいかも。僕はシャルル・デュノア。僕のこともシャルルでいいよ。よろしくね、一夏、大和!」

 

「あぁ、こちらこそ」

 

「何かすっきりしねぇけど……こちらこそよろしくな! シャルル!」

 

「よし。自己紹介も終わったことだし、さっさと着替えるか。結構時間も押しているし」

 

 

時間的にはまだ余裕があるが、ここにいる以上何が起こるか分からない。

 

ちなみにさっきは急がないとと再三急かしていたが、実はもう中にはスーツ自体は着ているため、それほど急ぐ必要もない。急ぐ必要はないといっても、なるべく早くグラウンドに出るに越したことはないので、さっさと着替え終えるとしよう。

 

制服の背広を脱いで、ワイシャツのボタンを一つずつ外していく。

 

 

「わぁっ!?」

 

 

どこからか驚きの声が聞こえてくる。一旦ボタンを外す手を止めて、声のする方へと振り向く。高めの声質だったため、声の主はすぐに分かった。

 

そして振り向いた先には予想通り、赤くなった顔を両手で覆い隠しながら、指の隙間からチラチラと覗くシャルルの姿が。悲鳴をあげた原因もすぐに分かった。

 

シャルルの視線の先には、一夏が上半身素っ裸になって、俺たちの方を不思議そうな眼差しで見つめている。悲鳴をあげた原因が分からないって顔だ。

 

男の裸を見たところでなんとも思わないが、人によっては恥ずかしさから目を背けてしまう男もいる。シャルルもあまり男性の裸をまじまじと見つめるタイプでもないだろうし、フランスと日本では物の感じ方も違う。

 

一つ引っ掛かるとすれば、今の驚き方がやけに大袈裟だった気がしないでもない。今まであまり男性の裸を見てこなかったような……そんな感じにも見えた。

 

 

「うん、どうしたんだ? 早く着替えないと遅刻するぞ?」

 

「一夏、さすがに着替えが大胆すぎるだろ。初対面の男子に上半身裸を見せられたら、それはそれでビックリするって」

 

「うーん……そうか? てか、大和は大和で着替えるの早いな!」

 

「そんなもんだろ。俺は先に着てきたからな。今日みたいに朝から実習が入っている日だったら、先にスーツを着てくるのをお勧めするぞ。余裕がない時なら、制服脱げばそのまま出れるし」

 

 

季節が季節だと多少暑苦しいかもだが、ISスーツはそもそも通気性に優れたもののため、あまり暑いとは思わない。着ていたからと言われても特に怒られるわけでもないし、朝一発目の授業で使うのであれば、先に着ておくのも方法の一つだ。

 

 

「それもそうか。……ってあれ? シャルルは着替えないのか?」

 

「えっ!? そ、そんなことないよ? 今から着替えようと思ってたんだ。だから、その……ちょっとあっち向いててもらって良い?」

 

「? まぁそういうなら」

 

 

シャルルに別の方向を向くように促されて、俺と一夏は二人揃って反対側を向く。

 

 

「IS動かすの久しぶりだから、ちょっと不安だな。最後に動かしたのって結構前だったし」

 

「あれ、そうだっけか。大和前実演した時は特に問題は無かったよな?」

 

「前はな。期間が空いてるし、前みたいに動かせる保証はねぇよ。ま、動かしてみれば何とかなるさ」

 

 

ここ最近あまりISを動かしてなかったのは事実。最後に動かしたのはいつだったかと思い返さないと思い出せないほどで、実際最後にキチンと動かしたのは鈴が来る前、セシリアと一夏とIS実演をした時か。

 

それからはまともに動かしたことがないような気がする。動かしていたとしても、あまり記憶に残っていない。

 

 

「発想が大和らしいな。あっ、そういえばシャルルって……」

 

「う、うん? 何かな?」

 

 

不意に一夏が振り向く。着替えるから顔を逸らしていてくれといった約束をすでに忘れているらしい。それでもシャルルの言葉からは変な動揺は感じられない。もう着替えも終わったんだろう。ちょっとつっかえたのは、急に声を掛けられて驚いたからかもしれない。一夏と同じように俺も振り向くと、すでにISの上下を着終えていた。

 

これだけ早いってことは俺と同じように元々着替えて来たか、それか純粋に着替えが早いかの二択になるが、可能性として高いのは前者になる。

 

 

「へぇ、シャルルも着替えるの早いな。ってか一夏が遅いだけか?」

 

「地味に傷つくなおい。次からは俺も着てくるよ。さすがに二人が着替え終わっているのに、俺だけ着替えているのもバカらしいし。それにこれ、着替える時に引っかかりやすいんだよな」

 

「ひ、引っかかって!?」

 

「おう」

 

「……」

 

 

引っかかるという単語に、ほんのり赤み掛かっていた頬が熱い風呂にでも浸かったように真っ赤に染まっていく。

 

ISスーツは元々身体にフィットするようにギリギリで作られているもののため、身体の凹凸に引っかかりやすいって意味なんだけど。

 

今の会話のどこにそこまで赤面する箇所があったんだろうと、思わず突っ込みたくなる。

 

ともあれ着替え終わったことだし、もうグラウンドへ出よう。時間的にも良い時間になってきている。遅くいって遅刻するくらいなら、早く行って待っていた方が利口。悪いことは何もない。

 

 

「ひとまず雑談はこれくらいにして、一旦出ようぜ」

 

「そうだな」

 

「う、うん。分かったよ」

 

 

俺たち三人は着替えを終えて、第二グラウンドへと向かうのだった。



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山田先生の実力、そして浮かぶ疑問

 

 

「あら? お早いですわね」

 

「おっす、セシリア。まぁ、俺とシャルルは初めから着替え終わっていたし、一夏を待つだけでよかったからな」

 

「そうだったんですか。わたくしがクラスを出た時には多くの他クラスの生徒が廊下に溢れていたので、てっきり捕まっていたのかと」

 

「実際、結構危なかったな。上手く一夏とシャルルが合わせてくれなかったら不味かったかも」

 

 

着替えた後すぐに更衣室からグラウンドへと向かったおかげで、時間にかなり余裕を持たせて到着することが出来た。まだ整列もまちまちな中、俺たちを出迎えてくれたのはセシリアだった。

 

流石代表候補生。皆がだらだらとしている中、一人だけキチッと整列をしていた。千冬さんも来ていないことだし、皆気持ちが引き締まっていないんだろう。逆に常に気を引き締めていたら、それはそれで疲れてしまう。

 

ま、俺も普段はかなり適当だし、別に何とも思わないから良いんだけど。

 

 

「にしても、ある程度身構えていて正解だったな。思ったよりもスケールがでかかったけど」

 

「だな。千冬姉の授業だけには死んでも遅刻は出来ない」

 

 

一夏が言葉を被せてくる。色々と阿修羅すら凌駕する存在だからな、あの人は。一般人の中ではもはや最強レベル、人外レベルと称しても何ら遜色はない。……あまり頭の中でくだらないことを考えていると、どこからか音速を超えるようなスピードで出席簿が飛んできそうだから、この辺りにしておく。

 

 

「そういえば大和さん。朝のことについて聞きたいことがありまして」

 

「朝のこと?」

 

「えぇ。わたくしにはボーデヴィッヒさんが、初め一夏さんに何かをしようとしていたようにも見えたので」

 

「あぁ、そのことか」

 

 

セシリアに聞きたいことがあると言われて、何のことかと考えていると、内容のことを言われて納得する。教室の間取りとして、席が後ろになればなるほど高くなっていくから、全体の様子を見渡しやすい。

 

セシリアの席は後ろな上に、角度的にちょうどボーデヴィッヒが腕を一夏に向かって振り下ろす様子がはっきりと見えたんだろう。俺が途中で邪魔をしたため、ビンタが一夏に当たることは無かったが、セシリアにはその時の様子が気になるようだった。

 

 

「ちょっとばかし度が過ぎたから、俺が意地悪しただけだよ。まさか俺まで殴られる羽目になるとは思わなかったけどな」

 

 

正直、殴り返されても仕方ないとは思っている。いくら一夏が殴られるのを阻止するためとはいえ、先に手を出したのは俺だったわけだし。

 

 

「大和さん、それでは答えになってない気がするのですが……」

 

「難しいな。ようは一夏にボーデヴィッヒがやろうとしていたことを、俺が止めたってことだよ」

 

 

言い回しを濁したせいで、セシリアの表情が納得行かないと言わんばかりの表情へと変わっていく。結局意地悪したといっても、やった内容が不鮮明なわけだし、納得行かないのも分からないわけではない。

 

ふと気付けば気が緩んでいた周りがぞろぞろと整列し始める。気配で何となく感じ取ったわけではなく、グラウンドから見える時計が授業開始時間の一歩手前の時間を指し示していたからだ。

 

そろそろ千冬さんが来るのではないかと思いつつ、セシリアの話に耳を傾ける。

 

 

「納得できませんわ。もっと具体的に話してください!」

 

「って言われてもな……なぁ、一夏?」

 

「え? あぁ、いや悪い! 何の話だ?」

 

 

さりげなく一夏に振り替えようとしたら、呆けてでもいたのか、完全に話を聞いていなかった。セシリアの話で自分がボーデヴィッヒに何かをされるところだったことを知り、本人の中で引っ掛かる部分があったんだと思う。

 

本人は彼女に対して、恨まれるようなことをした覚えがないのだから無理もない。それに比例するように一夏の表情は浮かない。

 

 

「なによ、アンタたちまた何かやったの?」

 

 

後ろからは勝ち気に溢れた声が聞こえてくる。特徴がある聞き慣れた声に思わず後ろを振り向くが、そこには誰の姿も見えなかった。

 

 

「下よ下! アンタ朝っぱらからバカにしてんの!!?」

 

「まだ何も言ってねーって!」

 

 

顔をそのまま真横に振り向かせたことが癪に障ったらしく、猫が威嚇するように騒ぎ立てる。言わずもがな、声の正体は鈴だった。

 

身長のことを馬鹿にされたと思っているかもしれないが、別に身長のことをとやかくいうつもりはない。そもそも身長が大きかろうが小さかろうがどっちでもいいし、そこで区別をするほど、人として寂れた覚えもない。

 

端から見れば俺が鈴のことを虐めているようにも見えるかもしれないが、決して虐めている訳ではない。俺がいつも鈴をからかってばかりと思っていたらそれは大きな間違いだ。目をつり上げながら近寄ってくる鈴を制止させつつ、改めて時計を見る。

 

案の定、すでに時間は所定の時間になっている。これ以上話していたら間違いなく怒られる上に、千冬さんによる鉄拳制裁があっても可笑しくない。

 

 

……というよりあれだ、すでにその姿は俺の視線の先に映っていた。体育教師を彷彿とさせる白いジャージを上下に纏って、片手に竹刀を持つ姿は昭和の鬼教師を彷彿とさせる。何人かは姿を確認したことで、一斉に背筋を整えてものの見事な整列を始めた。するとそれが周囲に伝染していき、次々と整列を始める生徒たちが増えていく。そしてあっという間に俺たちを除いたほぼ全員が整列を終えて、残っているのはここにいる数人だけ。

 

上から見下ろした時に集団の中で一人でも動いていると目立つなんてよく言うが、この場合はどこからどう見ても目立っていた。周りの生徒たちも視線だけをこちらに向けて、何をやっているのかと様子を伺っている子が何人か確認できる。

 

が、身体さらこちらに向けてこないのは怖いからだろう。現に一夏の隣にいる篠ノ之に関しては完全に我関せずの状態だ。今の配置は俺の前に一夏がいて、後ろにシャルル。そして一夏の左隣が篠ノ之でその後ろにセシリア、鈴の順に並んでいる。

 

どうして鈴が一組の方にいるのか最初こそ疑問に思ったものの、合同実習だからあまり場所は関係ないのかもしれない。よく見てみれば一組の方に混じっている二組の生徒も多い。

 

 

「それでセシリア、今言ってたことってどーいうことよ?」

 

「あまり断定は出来ないんですが……」

 

 

そんな中でもお構いなしに列を崩して話を続けるセシリアと鈴。

 

あーあ、俺はもう知らんぞ。怒られたところで庇いようがないし、話していたのは自業自得で情状酌量の余地はない。逆に庇おうものなら、俺にまで被害が飛び火しそうだ。

 

 

「ね、ねぇ大和。二人のこと止めなくて良いのかな?」

 

「止めたいのは山々だが……止める自信、あるか?」

 

「な、無いかも」

 

 

紳士特有の優しさか、二人の身を案じてシャルルが後ろから小さな声で耳打ちしてくる。心配するのは確かにありがたいけど、一夏に関する話を始めた二人を止める自信はない。邪魔をしようとすればそれこそ巻き込まれるだろうし、ここは逆に触れないで見守った方がいいだろう。

 

俺の言ったことを何となく察したシャルルも納得したらしく、再び整列し直す。今一度背筋を伸ばすと、前に千冬さんが立つのを確認できた。辺りを見回すと、千冬さんの視線が一ヶ所に止まる。その一ヶ所を見つめたまま、徐々に目が細まっていく。

 

そして、そのままこちらに向かって歩き始めた。

 

 

「お、おい二人とも。そろそろ―――」

 

 

確実にヤバいと思い、身の回りにしか聞こえないほどの小さな声で二人に向かって声を掛けるが、時既に遅し。俺の声はセシリアにも鈴にも届いていなかった。

 

 

「実は一夏さん、今日来た転校生に暴力を振るわれそうになりまして」

 

「はあ!? アンタはどうしてそういつもいつも変なことに巻き込まれるのよ! バカなの!?」

 

 

あ、これは終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――安心しろ。馬鹿は私の前にも二人ほどいる」

 

「え……」

 

「はい?」

 

 

聞こえてくる声には凛々しくも、得体の知れない恐怖感があった。現に二人の表情がそれを物語っている。尋常じゃないほどの冷や汗を流しながら、みるみる内に顔が青ざめていく。

 

逃げようにもすぐに捕まる。セシリアと鈴を足の速い陸上選手とするのなら、千冬さんは野性動物の中でもトップスピードを誇るチーターだろう。最大スピードは時速百キロにもなるとかならないとか。

 

そんなチート染みたスピードから逃げようと思うこと自体無茶な話だ。

 

二人はまだ千冬さんの顔を見ていない。だが、雰囲気で自分たちの側に誰がいるのかすぐに分かった。壊れかけの機械が出すような音を立ててその人物の顔を見ようとする。

 

 

次の瞬間、二つの乾いた衝撃音が第二グラウンドに木霊するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くぅ……何かと言えばすぐに人の頭を」

 

「全部、一夏のせい大和のせい一夏のせい大和のせい」

 

 

 叩かれた後は大人しく整列をしたは良いものの、二人は痛む頭を押さえながら完全に涙目になっている。千冬さんに対して言い返したいものの、今回は自分が悪いためボソボソと愚痴をぼやくしかないセシリアと、念仏でも唱えるように、繰り返し俺と一夏の名前を呟く鈴。

 

自業自得といえばそれまででも、ちょっと可哀想になってきた。

 

授業は最初に一悶着があった以外は、特に何事もなく始まり、今は千冬さんがISを操縦する上でのノウハウや、注意することを皆に説明している。そして一通り説明を終えると、今一度姿勢を正して、こちらを見つめ直す。

 

 

 

「では早速だが戦闘を実演してもらおう。活力が溢れんばかりの十代もいるわけだしな……凰! オルコット!」

 

「「は、はい!」」

 

「専用機持ちならすぐに始められるからな、すぐに用意をしろ!」

 

 

痛む頭を押さえながら、やる気無さそうに二人は前に出ていく。休み明けの登校並みに足取りが重たい二人の姿が、どれだけ実演が面倒なのかを物語っている。後は叩かれて気落ちしているせいで、気分が乗らないのも一つの理由か。

 

叩かれた後に命令ぎみに頼まれれば、誰でもいい気分はしない。二人の性格からして、相手が千冬さんじゃなければ歯向かっていたかもしれない。

 

 

「後は霧夜、お前も前に出てこい」

 

「え……あ、はい!」

 

 

二人が呼ばれた後に間髪入れず、俺の名前が呼ばれる。俺まで実戦に参加させるつもりなのか。まさか生身で二人を相手にしろとか言うんじゃないだろうなこの人は。

 

とにかく、呼ばれた俺に拒否権はないので、後に続いて前に出ていく。後ろから一夏から死ぬなよなんて声が聞こえてきた気もするが、シチュエーションによっては否定出来ないところが悲しい。

 

生徒たちの前に出ると、再び千冬さんから声をかけられる。

 

 

「今回はお前にも手本になってもらう。この中では比較的稼働が多い方だからな。実戦に参加してもらうのは凰とオルコットだけだから、安心していいぞ」

 

「はい!」

 

 

その言葉を聞いて、若干気持ちに余裕が出てきた。俺が手本になるってことは、何人かのグループに分けて、ISを動かせる人間を中心に訓練を行うのだろうか。はっきり言えるのは、俺もISを展開する必要があるということ。

 

自分で言うのも何だが、あまり自信が無いのが本音だったりする。千冬さんが来るまであまり気にしていなかったけど、よく見てみたら一番前には待機状態の打鉄が置いてある。

 

ところで、専用機と言えばいつぞやの千冬さんとの会話を思い出す。ちょうど一ヶ月くらい前か、俺にも専用機が支給されるってことだったけど、あれから特に専用機に関する話は聞かない。

 

篠ノ之博士から前みたいに直接連絡が来るのかと思いきや、それも来ないからただ待つことしか出来ない。遠隔操作で着信音のすり替えなんて大迷惑もいいとこだが、気にしても仕方ないことに気付いた。気にすれば気にするほどやられる。

 

そんな中俺と同じように前に出てきたセシリアと鈴は、それぞれに愚痴を溢し始める。千冬さんの前で愚痴を溢すなんて勇気があるなとは思いつつも、俺は俺で作業を進めさせてもらうことにする。

 

 

「どうしてわたくしがこんなことまで……理不尽ですわ」

 

「全部一夏と大和のせいなのに。なんであたしまで……」

 

 

と、愚痴の内容は散々なものだったりする。セシリアはまだしも、鈴は俺と一夏に恨みでもあるのかと思うくらいの、擦り付けっぷりだ。本人にそこまで悪気はないとしてもあまり気分は良くない。完全にやる気がゼロ状態の代表候補生の体たらくを見て、千冬さんは頭を押さえながら一つ大きくため息をはく。

 

 

「お前らもっとやる気を出せ」

 

 

そして前に出てきた二人の間にそっと顔を近付けて、何かを耳打ちする。俗に言うカンフル剤みたいなものか、言われた内容を聞き取ることまでは出来なかったものの、口が動くにつれて二人の表情が引き締まっていくようにも見えた。

 

何だろう、例えるとするなら水を得た魚みたいな。そして千冬さんが最後まで言い切ると、ハッとしたように得意気な表情を浮かべると。

 

 

「まぁ、実力の違いを見せるいい機会よね! 専用機持ちとしての!」

 

「ここはイギリス代表候補生であるわたくし、セシリア・オルコットの出番ですわね!!」

 

 

と、たった一言でさっきとは打って変わり、やる気に満ち溢れた表情に。急にやる気になったのはいいけど、千冬さんが掛けた言葉にどことなく想像がついてしまうのは悲しい。多分、ここで頑張れば一夏に良い姿を見せられる的なことを言ったんだと思う。

 

さて、二人のことは放っておいて、俺はやることをやらないと。

 

 

「フフン。それで、相手は誰? 何ならセシリアでも良いわよ」

 

「面白いですわね。どちらが強いのか、ここではっきりさせましょう!」

 

 

バチバチと火花を散らしながら挑発をするセシリアと鈴。互いに笑いあって見えるが、目は全く笑っていない。

 

 

「落ち着け。お前らの相手は―――」

 

 

睨み合う二人に火花を散らす相手は違うと、千冬さんが伝える。

 

そう言えば戦闘実演って言ってたけど、相手は誰になるんだろうか。セシリアと鈴が前に出たわけだし、普通ならこの二人がやるべきなんだろうけど、口ぶりからして違うのが分かった。

 

ISに関する訓練は千冬さんと山田先生の二人が中心になって行われている。千冬さんは良いとして、いつも一緒に来ているはずの山田先生の姿がどこにも見えない。一体何処に行ったのかと首を傾げていると。

 

 

「……ん、何だこの音?」

 

 

ホイッスルをはるかに超えたモスキート音に近い……空気を切り裂く音が耳に入る。音の発信源はどこなのかと周りを見回すが、これといって特に変化はなかった。グラウンドに整列しているクラスメートたちを見ても、反応からして音が聞こえているみたいだ。ただ音の正体が何なのか、どこから聞こえてきているのかは分からずにざわめき出す。

 

一瞬だけかと思っていた音が徐々に大きくなってくる。聞こえてくる音が新幹線が通り過ぎる音と非常に似ていることから、何かが高速移動しながらこちらに近づいてきていることは明らかだ。音が大きくなっているのに周りには何もない。左右前後、その何処にも存在が確認できないってことは。

 

 

「きゃあああああっ!!? ど、どいてくださあああい!!」

 

 

声が聞こえた瞬間に上を見つめる。真っ先に目に入ったのは、光り輝いた星のような何かだった。当然星が降ってくるわけないし、そもそも降るのであれば前もって何らかのニュースが舞い込んでくる。それに降ってくる物体から声が聞こえてくる時点で、星だという選択肢はあり得ない。

 

よく見てみると落ちてくる物体は星ではなく、光の反射で輝いた機械。それも深緑色に染まったISだった。ISと同化して見づらかったものの、登場者は紛れもなく山田先生である。単純に乗りなれていないのか、それとも動かすことが久しぶりすぎて上手く操縦が出来ないのか、いずれにしても操縦がままならない状態なのは変わらない。

 

フラフラと蛇行運転をするかのように右往左往しながら、地面に向かって真っ逆さまに落下してくる。落下地点を目で追っていくと、前に出ている俺たちの場所ではなく、後ろのほうで整列している列の方に向かって落下しているのが分かった。

 

危険を察知したクラスメートたちが次々に逃げていく中、ただ一人空を見上げたまま硬直している人物が一人。このままではそのまま正面衝突して、大ケガは免れない。慌てて声を大にして、その人物の名前を叫ぶ。

 

 

「一夏! ISを展開しろ! そのままだとぶつかるぞ!!」

 

「え……わ、分かった!」

 

 

俺の言ったことをワンテンポ遅れながらも理解し、ブレスレットに手を乗せて目をつむる。それと同時に光が一夏の周りを覆い始め、展開されたか否かというタイミングで、山田先生が乗ったISが、一夏のいた場所に墜落した。

 

大きな衝撃音と共に地面が振動し、辺り一面を砂ぼこりが覆う。落下地点付近は完全に砂ぼこりが充満しているため、中の様子の確認が出来ない。何とかISを展開出来たとは思うけど、果たしてそれが断定して言い切れるかと言われれば言い切れない。二人に怪我はないか、それだけが気掛かりだ。

 

砂ぼこりが風に揺られて晴れていき、徐々に様子が明らかになっていく。

 

墜落現場に歩みより、中がどうなっているのかを確認する。

 

 

「なっ……」

 

 

そこで起きていた事態を目の当たりにし、思わず言葉を失ったまま硬直する。一夏の体には怪我どころか傷一つ無かった。突っ込んだ山田先生にも確認できる範囲では怪我はない。

 

では何故言葉を失う必要があるのか。それは目の前で展開されている二人の状況に問題があったからだ。

 

まずは一夏の倒れている位置。真上から突っ込んでくる人間とぶつかったのであれば、一夏は下になり、山田先生は上に覆い被さるように倒れているのが普通だ。もちろん例外はあるにしても大体はこの形になる。

 

今回の場合はその逆で、山田先生が下で一夏が上に覆い被さるように倒れている。端から見れば、山田先生を一夏が襲っているように見えないわけでもない。

 

そして極めつけは。

 

 

「お、織斑くん……」

 

「ん……んん? いっ!?」

 

 

何気なく握りしめた先には、山田先生の豊満な双丘があった。無意識に複数回揉んだ後、事態を把握して顔を真っ赤にしながら手を離す。年頃の男が女性の象徴とも言える場所に手をかければ、誰だって一夏と同じ反応になる。二人のやり取りを見ながらも、悲しきことにどれくらい大きさがあるんだろうなんて考えてしまう自分がいる。俺とて年頃の男だ、仕方ない。

 

しかしまぁ、どれだけラッキースケベなのか、世の中の男性が見たら全員が卒倒するだろう。山田先生も嫌がるならまだしも、顔を赤らめながら『織斑先生がお姉さんに……』などと変な妄想を繰り広げる始末。これでは満更でもないと誤解されても仕方ない。

 

妙な雰囲気が広がっている二人の周りでは、心配そうに駆けつけてきた生徒たちの目が点になっている。

 

そりゃそうだ。心配して駆け付けてきたのに、いざ目の当たりにしたら、ラッキースケベの状態が目の前に広がっていたら目が点になるのも当然。

 

どうしようもねぇなこれ、俺も正直かける言葉も見付からない。掛けるとするならラッキーだな、くらいか。

 

 

「あわわっ、すみませ……うわぁっ!?」

 

 

立ち上がった一夏の目の前を青い帯状の光が高速で通りすぎていく。その距離僅か数センチ、神がかり的な回避に思わず感心しつつも、誰がこんな危ないことをやったのかと、光が飛んできた方向を見つめる。見つめなくても、ここにいる人間でビームを発射出来る機体を持っていて、かつ射撃が得意な人間と言えば一人しかいない。

 

「ほほっ、おほほっ……残念、外してしまいましたわ」

 

 

撃った張本人であるセシリアはイギリス淑女の眩い微笑みを向けるが、顔は全くと言っていいほど笑っていない。一夏に好意を寄せる身としては今の反応は面白くなく、嫉妬するのも分からなくもないが、まさか武力行使に出てくるとは誰も思わなかったはず。

 

というより、普通に考えてかなり危なかったよな今の。ISはすでに解除しているし、まともに当たったらどうするつもりだったのか。

 

攻撃を受けそうになった一夏も、目の前で起きた出来事に顔を青ざめさせ、セシリアの方を唖然としながら見つめ、やがて我に返ると危ないじゃないかと抗議していく。

 

 

「セシリア! おま「いちかあああぁぁぁ!!!」いっ!!?」

 

 

が、その抗議も途中で止められることとなる。今度は一夏の背後から甲龍を展開した鈴が、近接用武器の双天牙月をブーメランを投げるように勢いをつけて投げ飛ばした。素早い回転のまま一夏に向かって真っ直ぐに飛んでいく。

 

双天牙月と一夏の距離が数メートル程に縮まった時、銃を発射した乾いた音と共に金属が擦れ合う甲高い音がグラウンドに鳴り響く。カランカランと土の上に金属片が落ちる音と同時に、勢いよく飛んでいたはずの双天牙月が地面に突き刺さる。

 

鈴の一撃から一夏から守ったのは……。

 

 

「織斑くん、大丈夫ですか?」

 

「は、はい!」

 

 

山田先生だった。墜落した穴から上半身だけ出し、銃を構える姿が、熟練のスナイパーを彷彿させる。その美しいシルエットを作るために、どれだけ努力をしたのかと思うと尊敬の念すらわいてくる。

 

少なくとも俺たちが普段目にする、ドジッ子な山田先生の姿はそこにはない。高速回転で迫ってくる双天牙月を闇雲に狙撃したところで、勢いが衰えるわけではない。狙いを定めて、なおかつ力が最も弱められる部位に的確に当てなければ撃ち落とすことは出来ない。

 

ハイパーセンサー越しで視力は肉眼で見たものより向上しているものの、動きを追ったり読んだりする動体視力や察知能力と命中させる正確な狙撃技術がなければとても出来ない芸当だ。

 

現に撃ち落とされた鈴やセシリアもキョトンと惚けたまま立ち尽くしている。普段のイメージとかけ離れた山田先生の動きに驚いているに違いない。

 

 

「流石だな、元代表候補生」

 

「昔のことですよ。それに候補生止まりでしたし」

 

 

山田先生を誉めるのは千冬さん。元世界一を取った偉大な人に誉められて、照れながらほんのりと頬を赤らめる。反応からして満更でもない様子、心の底では嬉しいに違いない。

 

昔のことってことは、前線で操縦していた時に比べるとブランクがあるってこと。それでもここまでの精密射撃が出来るってことは、全盛期は相当凄かったのが容易に想像出来る。でなければ、IS学園の教師が勤まるはずがない。

 

……っとステレオタイプは良くないな。

 

 

「山田先生も来たことだ。さっさと始めるぞ、小娘共」

 

「あ、あの織斑先生? 山田先生が相手なのは分かりましたけど、流石に二対一はキツいのでは?」

 

「安心しろ、今のお前らならすぐに負ける」

 

「むっ……」

 

 

お前らが勝つことはないと淡々と答える千冬さんの言葉に、セシリアと鈴も少しカチンときたらしく、表情が微かに不機嫌になる。いくら千冬さんに認められているといっても、二人はまだ一度も戦ったことが無い。だからなおさら、負けると断定されることに納得行かない。

 

とはいっても、何人ものIS操縦者を見てきた千冬さんが言うんだから、二人と山田先生の間に力の差があるのは間違いない。

 

射撃体勢を解き、穴から控え目に山田先生が戻ってくる。二人とも俄然やる気が出たみたいだし、勝ち負けは別だとしても大丈夫だろう。

 

 

「よし。二人とも武装を展開後、すぐに定位置に移動しろ」

 

「「はいっ!」」

 

「霧夜、確認は終わったか? お前も一旦戻れ」

 

「はい」

 

 

打鉄の確認を終えた後、千冬さんから今一度列に戻るように促される。てっきり展開して待っていろと言うと思ったんだけど違ったらしい。確認とは言ってもISに触れて、いつも通りの情報が頭に流れ込んでくるか、イメージが出来るかの確認のため、そこまで本格的な確認をしたわけでもない。

 

セシリアと鈴のことを振り向き様に見つめながら、一組の陣営へと戻る。山田先生の墜落で列はすでにバラバラ、千冬さんも注意する気がないのか、クラスメートたちは仲の良い子同士纏まったままだ。

 

 

「結局大和は何で呼ばれたんだ? 千冬姉と何か話していたみたいだけど」

 

「今日のことでちょっとな。そんな大した理由じゃないよ」

 

 

今日のIS実習で手伝ってほしいと頼まれただけだし、特にこれと言って怒られたわけではない。なのに何故か出迎えた一夏の表情が心配そうだったため、何か問題を起こした訳じゃないと言い切る。

 

 

「ねぇ、大和。さっき織斑先生、二人に何て言ってたの?」

 

 

一夏の後ろからシャルルが先ほどの一件について疑問をぶつけてくる。最初は全くやる気がなかった二人が、どうして急にやる気になったのか気になったらしい。

 

 

「さぁな。女の子だけが元気になる秘密の言葉……ってところじゃないか」

 

「秘密の言葉って……?」

 

「そこはシャルルのイメージに任せる。ほら、始まるぞ」

 

 

ニュアンスを濁したため、意味がわからずに手を口元に添えながら首を捻る。うーんと考え込むシャルルをよそに、スラスターを吹かす音が後方から聞こえてくる。話を切り上げて上空を見つめると、武装を展開したIS三機が空高々と上昇していくのが見えた。

 

片方は山田先生、もう片方はセシリアと鈴だ。本当に二対一で戦うらしい。確かに山田先生の射撃技術は相当高いレベルにある。ただそれは射撃技術はってだけで、総合的なIS戦闘の技量がどれほどのものなのかは、全くの未知数。

 

どんな戦い方を見せるのか楽しみになってきた。ちなみに千冬さんに関しては一回やりあっているから、その強さは嫌というほど知っている。思い出すだけでも、寒気がする。あれを入学試験と言うにはおこがましいにもほどがある。ISを動かしたこともない人間に、情け無用の本気の試合とかもはやいじめにも近い。

 

 

「では始めろ!」

 

 

千冬さんの一声で上昇した三人がそれぞれ行動を始めた。いち早く行動したのはセシリアと鈴。遠距離射撃型のセシリアに近接中距離型の鈴だから、遠近のバランスは非常に良い。鈴が手前に、セシリアが奥へと下がろうとする。その様子を見ていた山田先生が、スコープを鈴に向けて発射する。

 

直線上の距離とはいえ、覗いてから撃つまでが尋常じゃないくらい速い。ほとんどスコープを覗いておらず、肉眼で確認した対角線上に銃口をむけて、そのまま引き金を引いている。

 

そして動作が速ければ速いほど、相手に考えさせる時間を与えない。放たれた弾丸は真っ直ぐ鈴に向けて飛んでいく。弾丸スピードが速いとはいえ、距離があってモーションが確認できればかわすことは決して難しいものではない。

 

 

「直線的すぎね。これくらいどうってこと無いわよ!」

 

 

弾丸に対して飛行軸をずらして避ける。正面からの攻撃ならかわすことなど簡単、だがそれはあくまで見えているからであり、見えていない人間にとってはギリギリの動きになってくる。

 

 

「り、鈴さん!? 考えて避けてください! もう少しで直撃ですわよ!?」

 

 

鈴の後ろにいたセシリアが飛んでくる弾丸をギリギリのところで避ける。セシリアと鈴の距離は大体数メートルで、弾丸の速さからすればあっという間に到達する距離になっている。ギリギリとはいえ、セシリアの口ぶりからしてダメージがないわけではないらしい。

 

前に出た鈴の姿で山田先生の手の動きを追うことが出来ず、ライフルを構えたところにいきなり弾丸が飛んでくれば、かわすのは至難の技。間一髪、クリーンヒットを避けられただけすごい。

 

ISに搭載されているハイパーセンサーは、遠くのものをよりはっきりと確認できる優れものだが、目の前にある物体を筒抜けてまで、物体越しの様子を見ることは出来ない。今回の場合は鈴が影になったせいで、セシリアの反応が遅れたってところか。

 

現に鈴はセシリアに注意された意味が分からずに気の抜けた声を出してしまうが、やがて山田先生の意図に気付きハッとした目付きで前を振り向く。

 

 

「へ? 何でセシリアが……ってまさか」

 

「はい♪ 初めから狙いは凰さんではありませんから」

 

 

にこりと微笑む姿からは焦りを全く感じられない。読んでいるんだ、二人の行動を。信憑性のない読みなら怖くはないが、本当に相手の動きが読めたとしたら脅威以外の何物でもない。

 

動きが止まったところに、今度はアサルトライフルを展開し、一面に弾幕を散りばめる。山田先生も別に狙っているようにも見えないし、あくまで当たれば儲けものとしか思ってないはず。一旦距離を取り直し、今度は二人ともある程度離ればなれになっていく。

 

一番遠くに陣取ったセシリアがブルー・ティアーズのレーザービットを四機展開させ、それぞれに命令を飛ばして縦横無尽にレーザーを飛ばしていく。飛んでくるレーザーを物ともせずにひらりひらりと、まるで揚羽蝶が舞うかのように避けていく。もちろん後ろを取られないように常に回避しながら周りを観察しているんだろう。セシリアだけではなく、鈴もいるというのにさすがの操縦技術。

 

 

 

そして山田先生に向かって鈴が突進していく。しかし今思うけど、結構このグラウンド声響くのな。戦っている三人の声がちゃんと聞こえてくる。

 

 

「安心しろ、あの会話が聞き取れるのはお前くらいだ」

 

「……千冬さん、人の心を勝手に読まないでください」

 

 

見ず知らずの内に人外扱いをされたような感じがして、やや反抗気味に返す。後は人の心を的確に当てる人心把握。仕事上俺も得意だが、そうそう人の心中を的確に当てられるものでもない。からかえて若干満足そうに頬を緩める千冬さんだが、すぐに表情を引き締める。

 

 

「さて、デュノア。山田先生が使っているISの説明をしてみろ」

 

「は、はい。山田先生の使用されているISはデュノア社製の―――」

 

 

後ろを向いたまま、シャルルに対して一つ問題を出す。俺や一夏と同じ男だというのに、口から出てくるのはつっかえながらの説明ではなく、すでに頭の中に知識として蓄えられた分かりやすい滑らかな説明だった。

 

 

「……」

 

 

何だろう、今すごく重要なことに触れずに聞き過ごしたような。

 

デュノア……デュノア?

 

デュノア社ってフランスにある大手のIS開発企業だっけ。世界シェアは第三位で、世界中から注目されている会社だったはずだ。第二世代型の量産機『ラファール・リヴァイヴ』で一気に経営が軌道に乗ったといわれている。

 

ただここ最近は第三世代の台頭で、型落ちとも言われる第二世代型の需要は減少。今デュノア社は経営危機に晒されている。いつぞやニュースで社長が会見を開いているのを見たこともあるし、うちにもデュノア社の情報は飛び込んでくる。

 

第三世代の開発も上手く行ってないみたいだし、飛び込んでくる情報もあまり良いものではない。表向きは大丈夫でも裏は黒くて泥々なんて良くあることだ。デュノア社としては何がなんでも、第三世代の量産の目処を立たせたいところだろう。

 

いくらなんでも今回の転校の時期といい、偶然とは思えない。

 

 

 

 

 

シャルル・デュノアか、関係者だったとしてもまさかな。とりあえず後でそれとなく調べてみるか。

 

 

「あぁ、そこまででいい。もう終わる」

 

 

考え込んでいる内にシャルルの説明が一区切りついたらしく、千冬さんがそれを制止して生徒たち全員の視線を上空に向けさせる。

 

上空にはダメージらしいダメージを与えられず、苛立つ二人の姿が見えた。苛立つだけではなく、攻撃を当てられないことからくる焦りが、正確さを奪っていく。鈴の場合、近接では素早い身のこなしからの双天牙月による鋭い攻撃、中距離では砲身斜角に制限がなく、さらに死角もない衝撃砲が持ち味。

 

が、山田先生にはほとんど通用しない。近接戦をしかけてもヒラリとかわされ、衝撃砲を撃とうにも動きを読まれて当たらない。初めこそ仕方ないと前向きに捉えていただろうが、一撃も当たらないとなると内心イライラは募っていく。

 

一方のセシリアも自分の射撃が当たらずに痺れを切らしているようにも見える。大きく避けるのではなく、ギリギリのところで避けられるので狙っている方からすればかなりのストレスになる。セシリアが忌々しげな表情を浮かべながら山田先生を狙い打つ。山田先生は小刻みな上下運動を繰り返しているため、そもそも狙いがぶれる。読みで狙い撃とうにも、外れる可能性の方が高い。

 

レーザービットを展開しようにも開始早々に見切られていることから、展開してもあまり効果がないと思っているのかもしれない。山田先生もタイミングを見計らって牽制射撃を入れてくるので、おちおち狙いを定めてもいられない。

 

最後に二人のコンビネーション。これに関して最低評価をつけられたとしても文句を言えない。そもそもセシリアと鈴の技量が高い上にプライドも高い。互いに主役を譲ろうとしないためにコンビネーションもへったくれもない。

 

阿吽の呼吸、それが二人には出来ていなかった。互いのことをよく知り、特性にあった戦い方をすればここまでひどい試合展開にはならないはずだ。

 

 

……?

 

何だろう、さっきから山田先生の攻撃がセシリアに集中している気がする。遠距離射撃型の山田先生なら、懐に飛び込まれると厄介な鈴を先に仕留めるのがセオリーだと思ったけど、どうやら山田先生の戦術ではそれが違うらしい。

 

鈴の攻撃も全く当たらないし、どちらを先に仕留めようが問題ないのかもしれない。

 

 

「……あれ?」

 

 

やはりおかしい。セシリアを徹底的に狙うのは分かる。でもそれにしてはセシリアにピンポイントで直撃していた射撃が鳴りを潜め、余裕をもってかわされるようになっていた。

 

ようやく集中力が切れたかと、ブルー・ティアーズに乗るセシリアはニヤリと笑う。いくらなんでも急に集中力が切れるとは思えない。それに何だか山田先生の攻撃パターンが、どこかへ誘導するようにも見えた。

 

俺が抱いた違和感を悟ったのか、千冬さんが感心しながら声をかけてくる。

 

 

「ほう? 霧夜は気付いたのか?」

 

「何となくですけど。山田先生の攻撃がセシリアを誘導しているみたいで……」

 

「ふむ、鋭いな。近接メインのお前にも山田先生の動きは勉強になるはずだ、しっかりと見ておけ」

 

 

ここまで千冬さんに言わせるのだから、余程の実力だったんだろう。空を見上げていると鈴が衝撃砲を撃っているのが見える。それをかわした山田先生が鈴に向かってアサルトライフルを撃つ。そして続けざまに上空を旋回するセシリアに向かって執拗なまでに連射を繰り返す。

 

鈴に向かって撃ったのはあくまで足止めであり、仕留めるつもりなど更々無い。回避を連続させられたセシリアは徐々に周りのことが見えなくなったのか、弾に誘導されるがまま鈴の方へと……。

 

 

なるほど、そういうことか。

 

 

何故セシリアばかりを狙っていたのか、それは別にセシリアを先に仕留めようと思っていた訳ではない。二人を同時に仕留めるためには片方を集中的に攻撃し、判断力を鈍らせる必要があったからだ。

 

鈴の専用機『甲龍』には遠距離における切り札的な装備はない。逆に鈴を先に仕留めようとすれば、遠距離からセシリアに狙い撃ちをされる危険がある。確かに鈴も手強いが、距離を大きくとっていれば近接武器の双天牙月や、近距離から中距離射程の衝撃砲はそこまで怖くはない。むしろセシリアや山田先生のような遠距離射撃型のISには相性が悪い。

 

しかし鈴もセシリアも代表候補生だけあって、実力は確かなものだ。油断すれば山田先生とて勝つのは難しい。だからこそ二人が最も足りないところに、今回は漬け込んだ。

 

実力が高いからこそ二人に欠けているもの……協調性だ。

 

 

「へっ? ちょっとセシリ……」

 

 

鈴がセシリアの接近に気付いたときにはもう遅い。セシリアも避けることに夢中で、完全に周りが見えずに勢いそのままに鈴と衝突。衝突を見計らい、今度はラファールに乗った山田先生が二人の上、空高くまで一気に急上昇する。そしてグレネードランチャーを展開した後に、素早くその引き金を引いた。

 

ドシュっという発射音と共に放たれたグレネード弾が一直線に二人めがけて飛んでいき。

 

 

「「きゃぁあああああ!!?」」

 

 

二人の甲高い悲鳴と共に、空一面が爆風に包まれた。爆風の中から勢いよくぐるぐると回転しながら、地面に落下してくる。二人まとめて落ちてきた衝撃で落下点には大穴が開き、そこを中心に砂埃が立ち、振動で観察していた千冬さんの長髪が靡く。

 

その顔は予想した通りだと言わんばかりに、どこか微笑んでいるようにも見えた。

 

 

「うぅ、まさかこのわたくしが……!」

 

「あ、あんたねぇ! 何面白いように誘導されてんのよ!」

 

「鈴さんこそ! あんなにバカスカと撃つからいけないんですわ!」

 

 

互いに責任転嫁をしながら睨み合う二人だが、喧嘩するほど仲が良いって言うし、どことなく良いコンビになるんじゃないかと思ったりする。この二人のやり取りを見てるとどこか羨ましいと思う自分がいる……何故なんだろうか。

 

 

「……」

 

 

―――あぁ、そうか。今まで誰かと本気で喧嘩をしたことって無かったっけ。だから二人のやり取りが羨ましいって思えるんだ。

 

昔のことを変に思い出すだけで嫌な気分になる。思い出したところで、俺にメリットなんかない。

 

 

「どうした? そんな複雑そうな顔して。らしくもないな」

 

 

どうして一夏はここまで人の気持ちに敏感に察知してくるのか。それを少しでも恋愛感情に向ければと思う反面、気遣ってくれることに対しての嬉しさもあった。

 

 

「……俺だって考え込む事くらいはあるさ。なっ、シャルル?」

 

「へ……な、何で僕に振ったの?」

 

「んー、いやな? 人間誰かに話せないような秘密や、知られたくないような事の一つはあるよなって話」

 

「え?」

 

「ん、どうした?」

 

「う、ううん。な、何でもない!」

 

 

俺の何気ない質問に表情を曇らせる。男子高校生がよくする冗談な話的なノリで振ったのに、シャルルの表情は浮かない。冗談を真に受けるようなタイプなのか、それとも単純に本気で俺たちに何かを隠しているのか。

 

暗い表情もほんの一瞬で、次に声をかけた時にはすでに元の表情に戻っていた。が、シャルルとの空気が微妙なものになってしまい、どうにも居心地が悪い。

 

続けて話し掛けようとするものの、更に授業を進めようとする千冬さんの手によって止められることになった。

 

 

 

 

 

 

 

自習中、誰かをお姫様抱っこをして大騒ぎになったり、どこかの班が一人の存在感に気圧されて全然実習が進まなかったりと、様々なことが起こったものの、浮かんだ疑問だけは頭から離れることは無かった。



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大和とラウラ

 

 

 

「……」

 

「ふ、二人とも大丈夫?」

 

 

無事にIS実習を終えて更衣室に戻ってきた大和、一夏、シャルルの三人。だがたった一人を除いて他の二人は先程までの訓練が相当応えたようで、ぐったりと疲れ切っていた。大和に至っては完全に無言のまま、もはや話す気力すら無く、肉体的に疲れたというよりは精神的に疲れたといった表情だ。一夏も一夏で、ぐったりとしたまま話す元気すら湧かないのか、シャルルの言葉に返すことが出来ずにいた。

 

二人の様子を心配そうに見つめるシャルルだが、ここでようやくある程度気力が戻った大和がシャルルの言葉に返答する。

 

 

「全然大丈夫じゃない。それよりもシャルルは全然平気なんだな」

 

「え……? う、うん」

 

「へぇ、あれだけお姫様抱っこをしてたのに、何ともないって凄いな。手つきとかも手馴れてたし、フランスではよくあることなのか?」

 

「そ、そんなことないよ。た、偶々耐性があっただけじゃないかな?」

 

 

ISの実習訓練に何をどうすればお姫様抱っこという単語が出てくるのか、そして大和と一夏が何故疲れているのか、その原因は実戦の後のISを使った歩行訓練にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――じゃあ俺たちは俺たちで始めようか、あまりゆっくりしていると織斑先生に怒られるし。ISの希望はあるか?」

 

「霧夜くんにお任せします!」

 

「そうだね、あまり選んでも私たちじゃまだ分からないし!」

 

「ん、了解。じゃ、適当に一番近くにあるやつにしようか」

 

 

時間は再びIS実習に戻る。

 

セシリアと鈴、真耶による戦闘実演を終え、今度はグループごとの実習に差し掛かっていた。

 

グループ分けは初め、男子三人組に両クラスの生徒たちが押し寄せるという極めて予想できた事態が起きた。単純にお近づきになりたい男子に集まったわけだが、あまりにも収拾がつかなかったため、千冬さんが一喝のもと出席番号順に並ばせて強制的に振り分けることで収拾を付けた。

 

運よく男子チームに振り分けられこの世に生まれてよかったと喜ぶ者がいる反面、セシリアや鈴、ラウラのチームに振り分けられた者の中には、やはりどこか納得がいかない子もいるらしく、羨ましそうに男子チームの方を見つめていた。

 

振り分けられたチームごと、用意されたISを取りに向かう。大和の班も同じグループの生徒たちとISを取りに向かう。幸い特にどのISが良いなどの希望もなかったため、一番近くにあった打鉄に決めた。一組と二組と互いに別々のクラスだというのにグループの行動は早かった。

 

千冬が大和をグループのリーダーにしたのは、その方が一人に掛ける少なく効率よく実習が行えると考えたからだろう。それと専用機を持っていなくても、いつぞやのクラス代表決定戦での身のこなしを見て、十分に出来ると判断したのも理由の一つだ。

 

 

(しかしあれだな。こうして改めて見ると、中々に男にはきつい光景だなこれ)

 

 

大和がいかに凄腕の護衛とはいえ、年齢的には思春期の男子と何ら変わらない。あくまで仕事と私生活は完全に別物だ。

 

周りは見渡す限り、スクール水着と何ら変わらない服装……むしろ変にソックスを履いているあたり、更にラフさが際立つものになっている。加えてIS学園の生徒は美少女、スタイルがいい子が多い。

 

女性特有の膨らみがスーツ越しにもはっきりと分かってしまう上に、下手に視線を下に向けようものなら露出している太ももが目に入ってしまい、返って危険にさらされるのを大和は知っている。

 

よく面と向かって女性と話すのが恥ずかしいという男子がいるが、IS実習中は逆で、面と向かって話さないと更に恥ずかしい思いをしてしまう。

 

準備が終えて、いよいよ本格的なIS実習へと入っていく。

 

 

「よし、最初は誰にする? なるべく積極的に「はいはーい!」……早いな。って相川か」

 

「ぶー! 何その興味なさそうみたいな反応は!」

 

 

大和からの返しがお気に召さなかったのか、頬をやや膨らませながらブー垂れる清香の姿が。学食でもたまに一緒に食事をする仲のため、二人の距離感は比較的近いものがある。

 

大和は仲良くなった相手には気軽に接するが、たまに返事が雑になることがある。本人としては悪気は無いが、清香の反応を見てちょっと婉曲して伝わってしまったことを悟り、微笑みを浮かべながら弁明する。

 

 

「違うっての。興味ない訳じゃなくて、気軽に話せる相手だからだよ」

 

「そ、そうなの?」

 

「あぁ。ま、俺の言い方もちょっと悪かったな、ごめん。時間も押していることだし、パパっと進めていくか。相川は今まで何度かISに乗ったことあるよな?」

 

「あ、うん。授業では何回か」

 

「だよな。じゃあとりあえず装着を終えたら起動して、歩行までやってみようか」

 

「うん、分かった!」

 

 

そこからの行動は早く、外部コンソールを開いてステータスを見て異常が無いことを確認し、素早くISの装着を終えて一歩ずつ、丁寧に歩き始める。足が動く度に一定の機械音が聞こえてきた。

 

もし上手く動かすことが出来なければ、機械音はまちまちな上に、金属同士が変に擦れ合う耳障りな音も入ってくる。それが一切無いってことは、動かし方が上達している証拠だ。

 

何度か動かしたこともあり、動きに若干のぎこちなさは残るものの、十数メートルを難なく往復し、ISから飛び降りて次の生徒にバトンタッチをした。

 

 

「ふぅ……緊張した」

 

「歩行に関してはほぼ完璧だな。後はもう少しスムーズに出来たらってところか」

 

「だね。今度はもっとちゃんと歩けるように頑張るよ!」

 

「あぁ! その意気だ!」

 

 

誉められたことに笑顔を浮かべながら戻っていく。大和としてはこれって指導になっているのかと疑問を抱きながらも、次の生徒を呼び寄せる。

 

 

「霧夜くん、よろしくお願いします!」

 

「こちらこそよろしく。早速―――」

 

 

ISを起動してみようかと声を掛けようとしたところで、大和の口が止まる。起動するためには当然、座席に座らないといけないのだが、その座席が大和の身長よりも高いところにあることに気付いたからだ。

 

本来、打鉄は屈んでから止めないといけない。なぜなら、そのままの状態では座席に届かず、乗ることが出来ないから。大和も一言添えるのを忘れていたらしく、目の前の打鉄はものの見事に立ったまま待機状態になっていた。

 

もちろん上れないこともないが、お世辞にも安全とは言えない。どうしたものかと、その場で腕を組み首をかしげる。

 

 

「あー……さすがにこれじゃ乗れないよな。うーん、どうするか」

 

「どうしたんですか霧夜くん?」

 

 

悩む大和に鶴の一声が。声のする方を振り向くと、ISスーツを身に纏った真耶の姿があった。凛としたクールな雰囲気の千冬に比べると、どちらかと言えば童顔な真耶は生徒だと勘違いされても何ら不自然はない。

 

ただ一ヶ所を除いては、だが。

 

その一ヶ所、強烈な存在感を発する一部分から目をそらしながら、今起きている現状を説明し始める。

 

 

「ちょっと操作ミスで、ISが立ったままで待機状態になったんですけど、どうすればいいですか?」

 

「うーん……でも代替え機は無いので、何とかしないといけないですね」

 

「ですよね……もし残っていればそれで代用出来たんですけど」

 

 

あわよくば替えの機体が残っていればと淡い期待をするも、それは一瞬にして砕かれることとなった。替えられないってことは、この機体を使うしかないことになる。うーんと頭を悩ませながらこの後どうしようかと考える。

 

幸い高さがそこまで高いわけではないので、大和が下で土台になれば何とか座席に着くことは出来るだろう。あくまで届くだけで結局は登らなければならないし、土台は良くないのでもし滑ったらという話になる。

 

 

「何、最悪霧夜が抱えてやれば良いだろう」

 

「はい?」

 

 

真耶の後ろから声が聞こえてくる。その内容に思わず大和は上擦った声で聞き返す。一体何を言っているのかと。

 

 

「あの、ちふ……織斑先生。抱えてって言うのは?」

 

「言葉通りの意味だ。普通だったら絶対にやらせないが……まぁ、お前なら出来るだろう」

 

「いや、あの……この際出来る出来ないの問題ではなくて―――」

 

 

からかいの意味を込めてニヤリと笑う千冬の姿が、大和には一種の悪魔のように思えた。助けを求めるように真耶に視線を向けるが、苦笑いを浮かべるだけで事態は何も変わらない。

 

いくら状況が状況とはいえ、色々な意味合いで危なすぎる。年頃の女の子を年頃の男が抱える。ようはお姫様抱っこをして、機体に乗せろという意味だ。

 

そもそもお姫様抱っこをしてISに乗せる行為自体が危険なもののため、普通はやることがないし、やらせない。

 

 

もっと他の方法があるだろうと反抗する大和だが、時間は限られている。新しい機体を用意しようにも、わざわざ取りに行っていたら時間がなくなる上に、学園にある機体は限られている。

 

他のクラスも実習で使うわけで、必ず代わりの機体を用意できる訳ではない。

 

 

「ふむ。このままでは埒があかんな。霧夜、グループの全員にどうしたいか聞いてみろ。今の話はしっかりと聞いているみたいだからな」

 

「え、話って……げっ!?」

 

 

後ろを振り向いた先には、結局この後どうすれば良いのか分からずにいた生徒たちが押し寄せていた。少し頬を赤らめる者、恥ずかしさから俯く者などなど彼女たちの表情は様々だ。しかしこの反応から、話を聞かれていたのは分かる。

 

完全に話を聞かれていた大和は思わず声を上げて、事態の収拾させようと口を開こうとする。

 

が。

 

 

「ち、ちょっと恥ずかしいけど……ねぇ?」

 

「うん。それしか方法が無いなら仕方ないよね」

 

「霧夜くんが変なことをするとは思えないし」

 

 

すでに、彼女たちはお姫様抱っこに賛成する方向で話を進めていた。どうして誰も反対派がいないのか、年頃の女の子であればと淡い期待を込めたのに、むしろグループは千冬の意見に賛成だったらしい。

 

 

 

その後、周りからの視線や抱えた時の地肌の密着度のせいで、大和一人が異常なまでに気疲れしたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「改めて思い返しても、あれは地獄だろ。公開処刑にもほどがあるわ。しかも決め手になったのがよりにもよって……」

 

「タイミングよく、一夏が篠ノ之さんをお姫様抱っこで運んでいたから、だっけ?」

 

「あ、あれはたまたまだって! あんなの狙って出来るわけないだろ?」

 

 

じろりと一夏のことを見つめる。大和のお姫様抱っこを決定してしまったのは、たまたま同じタイミングで、ISを立ったまま待機させてしまったのが引き金だったりする。当然、一夏に悪気は一切ないので、大和もそれを責めるようなことはしなかった。

 

一夏のグループの光景を目の当たりにしたことで、大和のグループの認識は織斑くんもやっていることだし的な考えになってしまい、もう後にも引けなくなってしまった。このまま実習を中断させる訳にも行かず、渋々大和は次の子を抱えてISの操縦席に座らせることにした。

 

ところが、あれほど屈んでISを待機状態にしてくれと言ったにも関わらず、乗る生徒乗る生徒全員が立たせて待機状態にする始末。途中からは大和もこれが定めだと腹を括り、一人一人を丁重に抱えながら実習を進めた。

 

女性特有の香りと十人十色の体の柔らかさと戦いながら、午前中の実習を終えたわけだが、もう二度とやるかと決心したことだろう。

 

別に一夏のせいではないと言いながらも、変に思い返すと先程の光景が鮮明に戻ってくるらしく、苦虫を噛んだような表情を浮かべる大和。

 

 

「知ってるって。でもあれはもう勘弁だな、いくらなんでも精神的にきつい……っと」

 

「……っ!」

 

 

ISスーツの上着を脱ぎ、ペーパータオルを片手に軽く身体を拭いていく。その様子を苦笑いを浮かべる一夏と、顔を赤らめながら大和の着替え風景から目をそらしているシャルル。

 

平静を装いながらも、大和の頭の中にはいくつかの疑問が浮かんできていた。横目でシャルルの様子を伺いつつ、ほんの少し目を細めながらシャルルから視線を外す。

 

明らかに反応が不自然過ぎる。それが大和の率直な意見だった。

 

 

高校生ともなれば、更衣室で上半身裸になることくらいはいくらでもある。水泳の授業なんかでは基本上半身裸のため、教室で突拍子もなく服を脱ぎ出す……なんて奇行がなければ特になんとも思わない。

 

シャルルが多少、男性の体を見ることに抵抗があるとしても、ここまで反応が如実だと大和としても疑わざるを得なくなってくる。

 

シャルル・デュノアが何者なのかと。

 

 

シャツを素早く着ると、だらんと垂れたワイシャツの端をズボンの中にしまい、首もとだけボタンをはだけさせる。

 

 

「にしてもISスーツって便利だよな。吸水性良いから汗をかいてもすぐに吸ってくれるし」

 

「あー確かに。IS実習の時は汗だくだけど、更衣室戻ってくると乾いてるしな。実習の後、ベタベタの状態で授業受けなくて済むし……ところでシャルルってどこのスーツ使っているんだ?」

 

「僕? 僕はデュノア社製のオリジナルだよ」

 

「へぇ~。……あれ、デュノアってもしかして」

 

「うん。父が社長をしてるんだ。……一応フランスでは一番大きなISの会社だと思う」

 

 

引っかかった疑問を一夏が何気なく口にすると、シャルルが思っている通りだと顔を縦に振る。大和に関しては先程のIS実習の時に気付いていたため、特に何かを聞こうともせずに淡々と二人の話を聞くだけだ。

 

話の内容を整理するとシャルルは一大企業の社長の息子にあたる。自分の会社のことを話すのは苦手なのか、話をするシャルルの表情は浮かない。浮かないというよりも暗い、苦手ではなく明らかにあまり話したくないようにも見えた。

 

しかし暗い表情もほんの一瞬で、すぐに元のにこやかな表情に戻っており、一夏は変化に気付かず話を続けていく。

 

 

「そっか。なんつーか、シャルルの立ち振舞いって気品があるっていうか、良いとこ育ちって感じがするとは思ってたけど、納得したぜ」

 

 

女性の前で自己紹介した時の落ち着きや、物腰の柔らかさはとても同年代の男子とは思えないところがあり、どんなところで育っていたのかと気になっていたようだ。腕を組みながら深く頷く。

 

 

「良いとこ育ち……か」

 

 

小さな声でぼそりと呟くその言葉は、吐き捨てるようにも見えた。二人の目に入ったのは誉められたことによる照れ臭い表情ではなく、どこが良いとこなのかと、悲しげな表情で遠くを見つめるシャルルの姿だった。

 

表情の移り変わりに、何があったのか分からずに一夏と大和は顔を見合わせる。

 

まだ知り合って間も無いため、互いに考えていることが読め合える訳ではない。妙な雰囲気が流れつつある状況を変えようと、大和が口を開く。

 

 

「……まぁそれはいいとしてだ。今日の昼なんだけど、いつも通り食堂でいいよな?」

 

 

話題を強引に逸らし、今日の昼食はどうするのかと二人に問いかける。シャルルは転校初日なわけだし、これを機会に同じ男性として仲を深めるのも良いだろう。千冬さんからも面倒は任せたと頼まれていることだし、何より数少ない男性として踏み込んだ会話もしたい。

 

プライベートな話も勿論だが、大和としてはISに関することも聞いてみたいと思っている。

 

というのも、先の実習で分かったことで、シャルルも一夏と同じ専用機持ちで、稼働時間は一夏よりもかなり長い。具体的な数字は分からないものの、それでも経験者目線の話から学べることも多いはずだ。

 

シャルルに対する疑問が解けたわけではないが、それでも一人の男性として仲良くしたい。そこにやましい気持ちや、疑いの気持ちは微塵もなかった。

 

が、一夏から返ってきたのは予想しない返答だった。

 

 

「あー、悪い大和。今日はちょっと先約があって屋上なんだよ」

 

「屋上? 何でまたそんなところで……いつも学食なのに珍しい」

 

「箒が今日は弁当を作ってくれたらしいんだよ。いつも学食の定食だったから、たまにはってなってさ」

 

「なるほど。それなら仕方ないな」

 

 

内心大和としては驚いたが、すぐにその表情は明るいものになっていた。一夏を取り巻く関係、箒、セシリア、鈴の三人は一夏に好意を持っている。大和としては、この三人が恋愛事で絡むことに関してあまり手出しをするつもりはなく、遠くから父親感覚で見守っていた。

 

この時点でシャルルを一夏と共に屋上に向かわせて一人で済ますか、シャルルと二人で昼食にするか、選択肢は二つに一つになる。自分の独断で決めるわけにも行かず、念のために隣にいるシャルルにどうしたいかを聞く。

 

 

「んー、シャルルはどうする?」

 

「僕はどっちでも。ただ僕も今日はお弁当だから……」

 

「今日に限って皆弁当かよ!? そうなると俺だけ学食で定食を頼むのもなんかなぁ……」

 

 

シャルルの返答の前半は大和の予想通りだったものの、後半に関しては完全に予想外だったらしく、目を見開いて驚きと残念さが入り交じった表情を見せる。

 

屋上についていかないのは言わずもがな、そこまで野暮なことはしない。折角の機会だし、一夏と親密になるチャンスでもある。

 

大和自身は特に一人でも全く問題ないが、逆にシャルルはどうしようかとなる。二人きりなのはちょっと寂しいだろうし、かといって別々にしたらそれもそれで可哀想だ。大和はもう慣れているので特に問題は無いだろうが、シャルルはまだ転校初日で、分からないことも多い。

 

良い案はないかと考えてみるものの、特に思い付かずにうーんと唸ることしか出来ないでいると。

 

 

「ん? 別に大和とシャルルも来ればいいだろ? 飯は皆で食った方が上手いし!」

 

 

一夏が皆で行こうと提案する。それが一番だと最初から分かっているが、どうにも邪魔をしたくない一心が一夏の誘いを断らせる。

 

 

「そうしたいのは山々だけど、そうも行かないんだって」

 

 

断りを入れた理由が分からずに、頭にハテナを思い浮かべながら大和を見つめる。しかし断られたなら仕方がないと割り切り、今度はシャルルの方を向く。

 

 

「よく分かんないけど、大和は来れないのか。それならシャルルだけでも行くか?」

 

「え、僕?」

 

「あぁ。転校初日だし、一緒に飯食おうぜ!」

 

「う、うーん」

 

「ん?」

 

 

一夏が誘ってくれてるのはありがたいが、大和の方を振り向いたシャルルの顔は複雑そうなものだった。恐らく自分が一夏についていくと、大和が一人になってしまうのを気にしているんだろう。一夏と大和を交互に見ながら、どっちに行こうかとオロオロする仕草が小動物みたいで可愛らしい。

 

しばらくの間静観していた大和だが、やがてニヤリと微笑むと。

 

 

「流石に俺と二人きりなのはあれだし、篠ノ之も分かってくれるだろうから、それが一番良いんじゃないか」

 

 

シャルルの背中を後押しするように、一言伝える。大和の言葉に若干の戸惑いを見せながらも、どこか納得したようにコクりと頷く。自分に気を遣ってくれたことに感謝しつつも、同時に込み上げてくるのは申し訳なさだった。

 

 

「分かったよ。ごめんね大和、気を遣わせちゃって」

 

「気にするなって。……正直、本音を言うと俺もたまには違う空気で食事したいってのもあるんだけどな。ま、男同士の積もる話は後でも出来るからゆっくり話そうぜ」

 

「うん、ありがとう」

 

「よし、じゃあまた午後の授業でな。俺も今度からは弁当でも作ってくるよ」

 

 

今だ着替えている一夏とシャルルを更衣室に残し、足早に食堂へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、今日は久しぶりに一人で飯か……」

 

 

 二人と別れた大和は一人で学食に来ていた。相変わらず多くの生徒でにぎわいを見せる中、たった一人で男子が現れたことで、周りの視線が一気に集中する。思えばここ最近、一人で昼食をとった覚えがない。

 

着替えを終えて教室に戻った時には、既に教室の中はもぬけの殻。大和たちはわざわざ第二グラウンドから遠く離れた更衣室を使い、女性陣は教室を着替えの場所に選んでいるのだから、どちらが早く着替え終わるかなど、用意に想像がつく。

 

誰を誘うこともなく一人で食堂へと向かったわけだが、いつもはここに一夏を筆頭に誰かしらと昼食をとっていたわけだから、変な感覚になるのも無理はない。むしろナギなどの女の子と毎回食事を一緒にとれているのだから、それだけでも普通の男子高校生と比べて羨ましい環境にある。

 

それを何とも思わなくなったのは、大和の感覚がIS学園に来たことで変わったからだろう。一通り奥のあるテーブルを確認するものの、どこも人で溢れていて、座るスペースはほとんど見当たらなかった。

 

ただ折角食堂に来たのだからと、長蛇の列を作る券売機の列に並ぶ。すると大和が並んだことに気付いた前の生徒たちが、大和の方を振り向く。

 

 

「霧夜くんが一人きりなんて珍しいね。今日は織斑くんとは別なの?」

 

「あぁ、今日は偶々別行動でさ。初めてなんだよな、ここに来てから一人で飯食うのって」

 

 

そうなんだ、と返しながら再び券売機の方へと向き直る。別の生徒に言われて改めて自分が常に一緒に誰かと食事をとっていたことを再認識させられる。同時に誰もいない物足りなさを覚えつつ、徐々に減っていく列を前へと進んでいく。

 

やがて券売機の前に来ると、素早く食券を購入し、それを隣にある受付のカウンターに渡す。すると中で働いている従業員の一人が、いつも大和の周りを取り巻く生徒がいないことに気付き、首を傾げながら大和へと視線を向ける。

 

その表情の変化に大和も気付き、苦笑いを浮かべながら返す。

 

 

「あら、珍しいわね。あんたが一人だなんて。いつもの子達はどうしたんだい?」

 

「どもっす。今日は訳あってぼっちになりました」

 

「そうかいそうかい、フラれたのかい! じゃあ、いつもより多めにサービスしとくよ!」

 

「ありがとうございます!」

 

 

日常会話のごとく出てくるジョークを、いとも容易くスルーをしながらいつもより量が多く盛られた定食をお盆の上に乗せる。

 

今日の定食は麻婆茄子定食で、挽き肉の餡が絶妙な感じでマッチングした茄子から湯気が上がり、少し辛口の香りが鼻腔を刺激する。

 

お盆を手に取り、どこかで空いている席はないかと辺りを見渡しながら空席を探す。が、時間帯的に丁度ピークの時間のせいで空席が全く見当たらない。この際とりあえず座れれば良いと思いながら探すも、席という席は全く空いてなかった。

 

 

「参ったな、流石に立ち食いするわけにもいかねーし。一ヶ所でも良いから空いてくれていると助かるんだけど……」

 

 

一人の時に限ってついてない。

 

内心そうぼやきながらも、お盆を持ったまま食堂内を歩き始める。入学者の人数に合わせて作られているはずの食堂が、どうして定員オーバーになるのか。頭の中では疑問を抱きつつも、今はそんな疑問よりどこか空席を見つける方が先決だ。

 

諦めずに空席を探していると、ふと窓際の一点に視線を止める。目の錯覚でなければ座っている生徒の対面が空席になっているように見えた。その生徒はこちらに背中を向けているため、空いているのは窓際の席。

 

大和以外にも席を探している生徒がいるのに、そこだけ何かの障壁でも守られているかのように、誰一人として近付く生徒はいなかった。生徒が座っている隣の席の生徒も、不自然に反対側に寄っていて近付こうとしない。

 

近付いていくにつれ、何気なく周りとは違う雰囲気がそこ充満しているのが分かった。それは明確なまでの拒絶、誰一人として近付けようとしない雰囲気に、どこか見覚えがある後ろ姿。

 

無造作に、なのに毎日手入れをされているかのように、真っ直ぐと下に伸びた銀髪。座っていても分かる小柄な体躯。

 

 

少しの間生徒のことを眺め、やがて意を決したようにその席へと近付く。窓際まで移動すると、机の上にお盆を乗せる。

 

 

「前、座って良いよな?」

 

 

大和の声に気付き、口に運びかけていたフォークを皿の上に置く。ゆっくりと顔をあげ、顔を確認した刹那。

 

 

「……なっ!? 貴様は!」

 

 

表情が一瞬のうちに鬼の形相に変わり、大和のことを睨み付けるラウラ・ボーデヴィッヒの姿がそこにはあった。今朝教室で自分が何をされたのか思い出したのだろう、今にでも飛び掛かりそうな鋭い剣幕だ。握り締めたフォークが力を込めたことで、小刻みに震え始める。

 

教室での出来事とは、出会い頭に私怨で一夏を叩こうとして、それを大和に止められたというもの。

 

邪魔をされた挙げ句に散々手玉に取られたのだから、ラウラの軍人としてのプライドを傷付けた形にもなる。ただどんな理由があれど、人をいきなり殴るのはとても誉められた行為ではない。実際大和も、殴られるのを黙って見過ごせというのかと反論した。

 

ギスギスとした今朝の一件もあり、二人の周りには誰が見ても分かるくらいの不穏な空気が流れている。近くに座っている生徒に関しては、一切二人の席には顔を向けようとしない。遠くに座っている生徒も、チラチラとこちらを見るだけで、近寄ってくることはなかった。

 

 

いきり立つラウラをよそに、淡々と席について何事もないかのように話を進めていく。

 

 

「そうツンケンするなよ。同じクラスなんだから、仲良くしようぜ」

 

「ふん。貴様らと仲良くする気なんて毛頭無い。これからは私の邪魔をするな」

 

「……そうかい」

 

 

なるべくフランクな感じで話し掛けたつもりだったが、今朝のことと元々のラウラの性格もあり、言葉少なに拒絶される。ラウラの反応は予想通りと、短い言葉を淡々と返しながら、食事を取り始める。

 

二人が言葉無しに黙々と食事をとる姿を、興味深げに周囲の生徒たちは見つめる。誰も近づかせないオーラを放っていたところに、この学園で二人しかいない男性のうちの一人が共に食事をしていれば、二人の関係に興味を持つのは当然。

 

実際、当人たちは別段顔見知りな訳ではない。関係値に関してはゼロに近い状態だ。現に二人と会話は大和が返事を返して以降、ピタリと止まってる。大和は箸を、ラウラはフォークを。共に音一つ立てずに口の中へと運んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと聞いて良いか?」

 

 

いつもは誰かしら会話する相手がいるため、あまり食事のスピードも速くはないのだが、今日は誰も話す相手がおらず、一足先に昼食を終えた大和がラウラに声を掛ける。誰かに声を掛けられる行為が耳障りなのか、面倒くさそうに、しかし語気を強めて大和に返す。

 

 

「……何だ? 下らない質問なら切り捨てるぞ」

 

「物騒だな、もう少し物腰柔らかくても良いだろうに……まぁ良いや」

 

 

さらりと息を吐くように物騒な言葉を吐くラウラに対し、表情がひきつりそうになるのをぐっと堪え、言葉を続けていく。

 

 

「どうして一夏にきつく当たるんだ? お前に何かをした訳じゃ無いだろう」

 

 

過去に事情があれど、出会い頭に人を叩こうとするのは度が過ぎている。普通の学校であれば謹慎処分を食らってもおかしくない。過去に自分が何かをされていたとしても、公衆の面前で一夏を叩く行為自体が間違っている。

 

少なくとも先程の一件でラウラが一夏に対し恨みを抱いているのは分かった。ただその根本的な原因は分からない、それこそ些細なものもあれば、心の底に強く根付くほどのものかもしれない。

 

一夏の友達としての感情なのか、護衛の仕事としての感情なのか。どちらにしても野放しにするわけにはいかなかった。

 

 

「……」

 

 

大和の質問に沈黙を貫くラウラだが、握るフォークが微かに揺れている。よく見ると、フォークを握る手は小刻みに震え、かなりの力を込めていることが分かった。前髪に隠れて表情は見えないが、明らかに負の感情に染まっているのが確認できる。手に持っていた箸を置き、更に言及を続けていく。

 

 

「それとも、お前がドイツにいた時に織斑先生関係で何かあったとか?」

 

 

ラウラの恨みの核心であろう単語を単刀直入にぶつけると、こちらをじろりと睨み付けるラウラの姿が。その瞳はお前に何が分かる、私の何をお前が知っているとでも訴えるかのように真っ直ぐと大和のことを見つめていた。

 

やがて暫く黙りを決め込んでいたラウラの口から、彼女がどうして一夏を敵視するのか告げられる。

 

 

「……お前には分かるまい。織斑一夏が誘拐されなければ、教官のモンド・グロッソ二連覇は確実だった! 奴は、教官の顔に泥を塗った!」

 

「……」

 

 

理由を彼女が一夏を一方的に恨み、敵視する理由。それは千冬が一夏が誘拐されたことで、モンド・グロッソの二連覇を逃したからだった。一夏が誘拐された経緯は、大和も千冬の口から少しだけ聞かされており、大まかには把握している。

 

一夏がどこの誰に誘拐されたのかは不明。ただ誘拐された情報を提供したのはドイツで、一夏が未だにその時のことを負い目に感じていることまでは知っている。

 

ラウラの言い分は一夏の誘拐で、千冬の顔に泥を塗ったことが許せないとのことらしい。だがそれは完全なる逆恨み、小さな子供のワガママに過ぎない。家族の問題であって、ラウラがそこに介入するものでもない。

 

ましてやそれを恨むのは筋違いだ。

 

あまりにも単純で幼稚すぎる理由に、大きなため息を吐きながらラウラを見返す。一方のラウラはもう話すことはないと、再びフォークを使って食事を始める。

 

 

「なぁ、ボーデヴィッヒ。お前勘違いしてないか?」

 

「何?」

 

 

改めて声をかけた大和に怒気の籠った視線を向ける。

 

私の言うことを否定するのか、ラウラの表情は無言でそう伝えていた。もし楯突くようならお前も容赦はしない、軍人特有のさっきは見るものを震え上がらせるだろう。しかし常人であれば震え上がってもおかしくないラウラの視線を物ともせずに、淡々と話し始める。

 

 

「一夏が拐われて、織斑先生が二連覇を逃したのは事実だとしても、それをお前が逆恨みするのはおかしいだろ。一夏だって拐われたくて拐われた訳じゃない。許す許さない、認める認めないはお前の一方的な感情だ」

 

「ふん! 貴様も大概甘い。弱いから拐われたのだろう? 結局は織斑一夏の弱さが、教官の顔に泥を塗ることになった事実は変わるまい」

 

「お前なぁ……」

 

 

何を言っても会話のキャッチボールが成り立たない。頭が人よりも少し固いだけならまだしも、たちの悪い依存にも近い思考がここまで酷いものだとは大和自身も思わなかったことだろう。話しているうちに一つ分かったことは、ラウラの思考は良くも悪くも千冬基準になっていること。

 

良い意味で、ラウラは千冬のことを心の底から尊敬している。逆に悪く言えば依存していて、自分が尊敬している人間が誰にも話せないような汚点を抱えていることが許せない。

 

汚点の原因が一夏にあると判断すれば当然、怒りの矛先は一夏へと向く。それは一夏が何をしていなくてもだ。

 

ここまで来ると、ラウラの歪んだ思想を矯正するのは難しい。そう判断した大和は。

 

 

「―――それで人生楽しいのか?」

 

「何だとっ!?」

 

 

一言投げ掛けると、ラウラは語気を荒げ、身を乗り出しながら、空いている左手で大和の襟元を掴もうと手を伸ばす。が、左手が大和の襟元を掴むことは無かった。鬱陶しそうな表情を浮かべながら、寸前まで迫った左手の手首を大和は掴んでいた。

 

捕まれたことに目を見開きながら、引き抜こうとするも痛みがない程度に強く握られており、中々引き抜くことができない。

 

 

「……だから落ち着けって」

 

「ッ!? チッ!」

 

 

忌々しげに舌打ちをしながら、自分の席に座り直す。それと同時に大和も掴んでいた手を離して姿勢を正す。

 

 

「確かにお前にとって、織斑先生は強くて尊敬する人物かもしれない。でもお前が思っているほど、人は強くない。織斑先生も全てが完璧じゃないんだよ」

 

「貴様は教官を侮辱しているのか! 私にとって教官はっ!」

 

「ならどうしてお前は織斑先生の気持ちを考えない? お前の一夏への行為を見て織斑先生は喜ぶのか?」

 

「……」

 

 

大和の言葉に何も言い返せずに押し黙るラウラ。大和の言っていることは誰がどう考えても正論で、一夏がラウラに危害を加えられれば千冬とて黙ってはいない。見捨てているのならまだしも、最高栄誉を捨ててまで助けた千冬が、到底一夏を見捨てているようには見えない。

 

ラウラもそんなことは重々承知しているはずだ。それでも一度染み付いてしまった負の感情は簡単に拭い去れなかった。ラウラにとって千冬は理想とする人間であり、理想とする人間に弱味があると思いたくはないから。

 

大和から視線を外すラウラを見て、間を置くと付け加えるように一言添える。

 

 

「……どう思うかはボーデヴィッヒの勝手だ。だが、どんな理由があるにせよ、一夏に手を出して良い理由にはならない。もしもこれ以上危害を加えるようなら、容赦はしない」

 

 

「……っ」

 

 

淡々と話しているだけなのに、ラウラには大和からあふれ出てくる並々ならぬ威圧感を感じることが出来た。周りの生徒が何とも思わないところから、それはラウラ個人だけに向けられているものであることが分かる。自身に敵対の意識を向けられているわけでもない、無意識のうちに身体が動かない、視線が大和から反らせなくなる。

 

 

「じゃあな」

 

 

 

 

 

 

 

 

何も言い返せず居座るラウラをよそに、大和は席を立つ。最後にラウラが何かを言いかけるものの、その言葉が大和の耳に届くことは無かった。食堂を出た大和は教室までの廊下を歩きながら物思いにふける。

 

 

(……昔の俺とどこか似てるんだよな)

 

 

ラウラと話してみて一番最初に思ったことはそれだった。誰かとつるむこともせず、ましてや誰かを信頼することもせず。ただ孤独に生きようとするラウラの生き方に昔の自分と照らし合わせる。

 

昔の大和の周りは、信頼しようとしてもすぐに裏切られ、そしていらなくなったらすぐに見捨てようとする人間ばかり。親もいない大和に与えられたのは、虐待にも取れるような生活だった。

 

人間は都合の良い生き物として認識され、大和は誰一人信用しなくなった。信じられるのは自分だけ、尊敬する人物が誰もいない意味では、ラウラよりも重症だったのかもしれない。

 

今でこそある程度のコミュニケーションを取れるようになったものの、昔の大和しか知らない人間にとっては、同姓同名の全くの別人に思われても何ら不思議ではない。

 

大和を変えたのは今から約十年前に、大和のことを引き取った千尋だった。彼女も大和に一人前の生活をさせるために、相当な苦労をしたことだろう。

 

ふとマグネット同士がくっついたように、大和は廊下に立ち止まって考え込む。

 

 

「ドイツ……ドイツだよな。もしかしたら……」

 

 

何かに気付いたらしく、歩いている途中で人目につかないように教室から完全に離れた場所に向かって歩き始める。ある程度

教室から離れると、ポケットから携帯電話を取りだしある人物へと掛ける。教室を離れた理由としては、会話の内容を誰かに聞かれたく無いからだろう。

 

耳に当てたスピーカーからコール音が流れ、それが二度、三度繰り返される。

 

 

「あっ、もしもし千尋姉? 今ちょっと時間良い?」

 

 

電話を掛けた相手は他でもない千尋だった。電話先では大和からこの時間帯に電話が掛かってくるのが以外だったのだろう、驚きの感情が入り交じった千尋の声が聞こえてくる。

 

 

『大和? 今なら時間は大丈夫だけど……どうしたのこんな時に。お昼時に電話してくるなんて珍しいわね』

 

「ごめん、ちょっと気になることがあって。千尋姉って昔ドイツに仕事で行ってたことあったよな?」

 

『えぇ、ドイツ軍で総合格闘の教官としてね。それがどうかしたの?』

 

「どうかってわけじゃないんだけど、聞きたいことがあるんだ」

 

『聞きたいこと?』

 

 

わざわざこの時間に電話を掛けて聞きたいことは何なのか。話の意図が分からずに、大和の言うことに返事を返すことしか出来ない千尋に、一つの単語を投げ掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ラウラ・ボーデヴィッヒって名前聞いたことある?」

 

 

 



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誰にも話せないコト

 

 

―――人それぞれに人生があるように、人には知られたくないようなこと、思い出したくないようなことがある。幼少期の人間不信は、あまり思い出したくないものなのだろう、苦虫を噛んだように顔をしかめる。

 

そしてどうして大和が人間不信になったのか気になるところだ。今の生活ぶりを見ていると、とても昔人間不信だったとは思えない。

 

千尋との電話を切った後、人の過去について改めて考えさせられたようで、壁に身を預けてそのまま窓の更に向こう側を見つめる。

 

一件普通に見える人でも、過去に何があったのかは当事者である本人しか分からない。人は見かけによらないとは良く言ったものだ。

 

 

「あれ、大和くん。どうしたのこんなところで」

 

「な、ナギ? どうしてここに」

 

「私は次の授業の配布プリントを取りに行っていたから……大和くんこそ、教室に戻って無かったの?」

 

「ちょっと用事があってさ。もう終わったからちょうど戻ろうとしたんだけど」

 

 

声の聞こえた方へ顔を向けると、両手にプリントを抱えたナギがいた。すでに昼休みの時間は残り数分を切っており、ほとんどの生徒は教室に戻っているため、この時間まで廊下に出ている方が珍しい。

 

廊下に出ているのはナギのように教師に頼まれてプリントを取りに行く生徒くらいで、時間ギリギリまで教室の外に出ている生徒は非常に少ない。というのも、IS学園は制服のカスタマイズが自由などの校則が緩いところもある一方で、授業に少しでも遅刻した生徒にはそれ相応の罰を与えるといった厳しい側面もある。

 

罰とは言っても体罰ではなく課題を人よりも増やされるなどで、罰の内容自体はそこまで重たいものにはなっていない。ただ、遊び盛りの学生として課題に時間を取られるのは苦痛以外の何者でもないため、全生徒は時間をキチンと厳守している。

 

ほとんどの生徒が教室に戻っている中、一人廊下の壁に寄り掛かっていたため、ナギが大和に疑問を持つのは当然の反応だ。

 

 

「とりあえず早く教室に戻るか。遅刻なんてしたら大目玉だし」

 

「ふふっ、そうだね」

 

 

壁から背を離し、ナギと二人で教室に向けて歩き出す。自然な微笑みを浮かべるナギに対して、どこか新鮮な感じがした。

 

そういえば今日まともに話すのは初めて。今朝は声こそ掛けられたものの、シャルル関係でバタバタしてたから軽く挨拶を交わしただけで他は一切話していない。いつも話していたせいで感覚が麻痺しており、たまに話さないだけでも新鮮な感じになってしまうようだ。

 

視線を首もとに向けると、ゴールデンウィークに買ったネックレスが太陽の光に反射してキラキラと光っている。朝は誤魔化してしまったが、良く見てみるとかなり似合っているのが分かる。

 

 

「ネックレス、着けてくれたんだな」

 

「うん。本当はプライベートの時だけにしようって思ったんだけど、せっかく大和くんがプレゼントしてくれたから……」

 

 

元々自分が欲しかったもののため、着けることに関しては全く抵抗は無かった。しかし着けていると他の人の目にも触れてしまうため、プライベートの時だけつけようと考えていたらしい。

 

理由としては今生徒の間では有名なネックレスのため、もし使っているのを知られると、どこでどのように手に入れたのかを

勘ぐられると思ったからだ。そこで大和から貰ったことが分かれば、それこそ学校中の噂になって、大和に迷惑を掛けてしまうかもしれない。

 

もちろん、大和が何かを言う人間ではないことは知っている、しかしナギ自身がそれでは申し訳が立たない。

 

とはいえ、せっかく大和がプレゼントしてくれたからもののため、着けない訳にもいかない。だから実際着けてみて、もし勘ぐられるようならすぐに外し、何も無いのならそのまま着け続けようと考えた。

 

半日着けてみて、特に何かを勘ぐられることはなかったため、そのまま継続して着けている。が、実はクラスメートのほとんどが、ナギが大和にほの字なのは知っているため、ワザワザ野暮なことを聞かないようにしているのは有名な話だったりする。

 

 

「そうか……その、何だ。すごく似合っているぞ」

 

「ほ、本当に?」

 

「あぁ。朝はちゃんと話せなかったからあれだけど、贔屓目なしで本当に似合っている」

 

「あ、ありがとう」

 

 

食堂でラウラと対面していた時の雰囲気とは一転、穏やかな良い感じの雰囲気に包まれる。会話を交わしながら、教室へと歩き始める。幸い教室までの距離はさほどないため、そこまで急ぐ必要はない。

 

二人で歩く廊下。ゴールデンウィークに出掛けたのも二人きりだったが、つい最近のことだというのに、もう結構前のことのようにも思えてきた。思えば女性と一緒に出歩くようになったのは、IS学園に入ってからのことであり、中学時代までは到底考えられないようなことだった。

 

世界のパワーバランスが崩れているからこそ、男女が仲良くするのは中々上手くいかないもの。大和も今の風潮には不満を持っており、女性に媚びることを嫌っている。

 

一部からは大和の性格が裏目に出て、非常に嫌われて煙たがられることもあるが、それが自分だからと、本人はそれを良しとしている。

 

そして、話の内容はネックレスから、転校生のシャルルの話へと移る。

 

 

「そういえばデュノアくんとはどう?」

 

「シャルル? あいつは良いやつだよ。物腰柔らかいし、気も利くし。いかにもフランス紳士って感じだよな。ありゃ人気も出るわ」

 

「そうなんだ! 実習の時も話題が出てたからどうなのかなって」

 

「実習か……さっきのことを思い出そうとすると、鳥肌が立ってくるな」

 

「あ、あはは……」

 

 

シャルルの話が実習の話に切り替わった途端に、大和のテンションがいつもと比べて数段階ほど下がる。その下がり方があまりにも如実すぎて、話を切り出したナギも苦笑いを浮かべるしかない。何があったのかはナギも察しており、実習のことを切り出した時点で大和の反応がどうなるかは何となく想像出来た。

 

女生徒を抱えあげる大和の姿を見るナギの内心は、穏やかなものでは無い。とはいっても違う班の自分が何かを言いにいったところで、決定事項が覆るはずもなく、渋々大和の班の様子を静観していた。結局、大きな問題は起こらなかったが、ナギが見せた面白くなさそうにむくれる姿は、クラスメートの何人かに目撃されていたらしい。

 

話題にこそ出さないものの、クラスで着替える最中にその時のことを本音や癒子からかわれたのはまた別の話だ。

 

 

実習のことは思い出したくないなと耳を塞ぐ大和だが、ふとナギはどの班に居たのかと、大和の頭の中に疑問が浮かぶ。

 

 

「ところでナギはどの班だったんだ? 鈴かセシリアか?」

 

「あ、ううん。私はボーデヴィッヒさんの班だよ」

 

「っ!」

 

 

ナギの口からラウラの名前を出され、一瞬言葉が出なくなる。

 

 

大和の班は確信犯的なお姫様抱っこイベントのせいで、歩行訓練にはかなりの時間を費やすはめに。大和の班が終わった時にはすでに他の班は終わっており、自分の班が一番遅かったのかと落胆の表情を見せる大和だったが、それよりも遅い班が一つだけあった。

 

それがラウラの班で、彼女の醸し出す生徒たちを見下した態度と、決して口を利こうとしない一方的な拒絶により、副担任の山田真耶がサポートに入るまで全く実習が進まなかった。特にラウラから何かをされた訳ではないが、つい先ほどまで話していた相手だったために、思わず言葉が出なくなる。

 

突然黙ってしまった大和の様子を心配し、ナギが顔を覗き込んできた。

 

 

「ど、どうしたの?」

 

「い、いや。何でもない! 変に実習のことを思い出してさ」

 

 

 苦し紛れに誤魔化すものの、これではラウラとの間に何かあったと言っているようなもの。朝の一件は暗黙の了解で誰も聞いてこないだけで、ラウラと大和がいがみ合っていたのは皆が知っている。

 

今の大和の発言は、クラスでのひと悶着があった後、また何かあったのかもしれないと想像されてもおかしくはない。案の定大和の心中を察したナギが、本当に大丈夫なのかと大和の身を案じる。

 

 

「もしかしてボーデヴィッヒさんと何かあったの? 朝もちょっと問題になっていたみたいだけど……」

 

「……俺ってそんなに分かりやすい? なるべく表情に出ないようにしているんだけど……」

 

「うーん。表情には出てないんだけど、何かあった時は、いつもと雰囲気が違うっていうか……」

 

 

自分の考えていることがどうして分かるのか。驚く大和は次第に自分の周りの女性は、予知能力でもあるんじゃないかと思えてきた。姉の千尋や、担任の千冬、生徒会長の楯無、そしてクラスメートのナギと。

 

実は大和の表情に出ている訳ではなく、大和を取り巻く雰囲気が変わることで、彼女たちは大和に何かが起こったのを察している。逆にこれは誰もが察せるものではなく、大和とある程度親しくならないと気付かないものだ。

 

そのくらい僅かな変化なので、逆に大和がどうして悟られるのかと驚くのも無理はない。だが、裏を返せば本当に親しい人間には、何が起こったのかは断定が出来ないまでも、大和の心境に変化があったことを察することが出来る。

 

良く長年付き合っている幼馴染みとは、無意識のうちに考えていることが分かるなんて言われるが、大和のそれは、これに近いものがある。

 

 

「マジで!? ……ちょっと待て、そう考えると今までの俺の喜怒哀楽が全部知られてたんじゃ……」

 

「そ、そこまで私は分かる訳じゃないよ!? ただ何となくこうかなぁって思うだけで、特に断定できる訳じゃないし……それを言ったら、大和くんだって!」

 

「いや、俺は単純に人心把握が得意なだけで……あっ」

 

 

見事なまでの自爆である。ここまでテンプレ通りに自分から人心把握が得意だと暴露するのも珍しい。自分で暴露したことに言い終わってから気付いた大和は、恥ずかしさからほんのりと頬を赤らめる。

 

 

「い、今のは私のせいじゃないよね?」

 

「……そうだな。何か自分で言ってて、空しくなってきた……まぁつまり俺が言いたいのはあれだ」

 

「あ、ボーデヴィッヒさんのこと?」

 

「あぁ。とりあえず、学校に慣れてくれるのを待つしかないな。でも、根は悪いやつじゃないだろうし、そのうち心を開いてくれるだろ」

 

 

大和もラウラを悪く言いたい訳ではないが、今現状だと濁して言うしかない。ナギは実習の時に班が一緒だったため、大まかにはラウラの性格は知っている。ナギも見た目だけで人を嫌う子ではないため、初対面の印象は最悪だとしても特に問題はない。

 

対人コミュニケーション能力に関しては、最低レベルな上に、本人から人と接することを拒んでいる状態なので、これをどう治していくかが問題だ。そこを解消できれば、一夏に対する執拗な敵対心も薄れるかもしれない。

 

しかしこれがかなり骨の折れる作業になるのは必至、食堂で偶々ラウラを見かけて合席した時も、それこそ一週間放置した生ごみを……そこまでは言い過ぎかもしれないが、明確な敵意と拒絶、侮蔑を持った眼差しを持っていたのは間違いない。

 

話を聞いてみると想像通り、千冬が二連覇を逃すことになった原因にもなってしまった一夏には、強いに憎しみにも近い敵意を持っていた。ラウラの考え方が非常に危険なものであったため、釘を刺す形で事態はその場限りの収束は見せたものの、やはりラウラの根本的な考え方を改善しない限りは解決は難しい。

 

 

(どうするか……特にこれといった案も無いし)

 

 

口では時間が解決するとはいっても、時間が解決するなら当の昔に解決している。つまりいくら待っても今の状態が変わることはほぼ無いに等しい。かといって、こっちから近付いていっても効果があるとは到底思えない。

 

 

(それに……)

 

 

言葉に出そうになり、反射的に視線を落とす。大和なりにどこか引っ掛かるところがあるのか、表情はやはり浮かない。大和の表情の変化を目の当たりにしたナギは、口には出さないものの心配になる。

 

それでも次の瞬間にはいつも通りの表情に戻っており、グッと両手を上に突き上げて背伸びをすると、やや速めに歩き始めた。

 

 

「時間が不味いな、話し込みすぎたみたいだ。少しはや歩きになるけどいいか?」

 

「あっ、うん。それは大丈夫だけど……」

 

 

大和くんの方こそ、と言葉を続けようとしたところで、これ以上聞くのは、大和にとって気分が良いものではないかもしれないと思い、不意に口を閉ざす。ただ中途半端な部分で止めて語尾が間延びしてしまい、言葉の続きを気にした大和がこちらを振り返る。

 

 

「あっ、悪い! 流石に配布プリント持ったままだと、歩きづらいよな。よし! じゃあそれは俺が持つよ 」

 

「へっ……あ、いや。だ、大丈夫だよ! 箱とは違って軽いから!」

 

「なら良いけど……。もし運びにくかったらすぐに言ってくれ。手伝うから」

 

「う、うん。ありがとう」

 

 

一瞬、言おうとしたことがバレたのではないかとヒヤリとしたが、どうやら大和にはバレてはないらしい。ホッと胸を撫で下ろし、大和の後を追うように歩き始める。

 

人の悩みは下手に踏み込んで行くものではないし、大和も踏み込まれるのを望んではいないはず。気軽に話せるような無いようならまだしも、表情の変化から気軽に話せるものではないことが、容易に想像出来る。

 

 

(どうしたんだろう?)

 

 

それを知るのは大和だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、マジで大丈夫かよ。顔色真っ青だぜ? 」

 

「だ、大丈……うぇっぷ。ダメだ、まだあの時の味を思い出すと……」

 

「だから無茶するなって! 自習になったんだし、少しゆっくりしてろ。ほら、水買ってきてあるからこれでも飲め!」

 

「うぅ……サンキュー大和」

 

 

 昼休みを終えて教室に戻ってきた俺が、初めに目の当たりにした光景は顔色を真っ青にしながら机に伏す一夏の姿だった。いつも明るく、病気とは無縁な一夏が、顔面蒼白で今にも倒れそうな姿を見ていると、こちらまで心配になってくる。

 

幸い、元々あった授業が教師の都合で自習になり、その隙を見計らってミネラルウォーターを買いに行き、キャップの口を開けてから一夏へと手渡す。半分涙目になりながらペットボトルを受け取り、それを口へと運ぶと一口、二口と喉を液体が流れ込んでいく。

 

つい数十分前に別れた時には普通だったのに、昼休みの間で何があったというのか。吐きそうになっているため、昼食を食べ過ぎたとか、食べ合わせが悪かったとか、原因を絞ることは出来る。

 

いずれにしても、グロッキー状態の一夏に原因を聞くのも酷、喋るだけでもキツいはずだ。聞く相手を一夏の隣にいるシャルルへと変える。顔を向けた途端、シャルルも俺の視線に気付いて後ろを振り返る。

 

 

「悪いシャルル。もし原因が分かれば教えてほしいんだが、一体昼休みに何があったんだ?」

 

「うん。えーっと……これは僕の口から言って良いのかな?」

 

「言って良いも何も、それを聞かないと一夏がどうして―――」

 

 

グロッキー状態になっているのか分からない……と言い掛けたところで、シャルルの視線が俺だけではなく、その更に後方に向いていることに気付いた。誰かの視線を気にしているのだろう、後ろにいる誰かを交互に見るシャルルの視線は、気まずそうだった。

 

 

「なぁ、まさかとは思うけど、一夏の調子が悪い理由って……」

 

「うん……お昼にお弁当のおかずを交換し合ったんだけど、その時に食べたサンドイッチがちょっと、ね?」

 

「……」

 

 

俺の問い掛けに、顔を上下に軽く振って昼時に起こった出来事を話し始める。

 

言いづらそうに言葉を濁すも、原因がおかず交換の時に食べたであろうサンドイッチなのは一目瞭然。シャルルの反応から、誰かが作ったであろう料理を食べて体調を崩したのは、容易に想像することが出来た。

 

そして問題なのはそのサンドイッチを誰が作ったのか。屋上に一夏が引き連れていく時点で、メンバーはおのずと絞られてくる。昼前に一夏の口から聞かされた中には篠ノ之の名前しか出てこなかったが、他に着いていくメンバーがいるとすればセシリアと鈴の二人。

 

シャルルの視線の先にいる人物がサンドイッチを作った人物とすれば、容疑者は四人から一人に絞られる。犯人をほぼ断定出来たけど、果たして名前を出して良いのか悩むところだ。

 

 

「いくら料理があれでも、ここまでひどくはならないだろう。何をどう作ればこんなことになるか、俺が教えてほしいくらいだ」

 

「そ、それはそうなんだけど。ほら! 少しだけ分量間違えたとか、ちょっとしたミスなら誰でもあるし」

 

「……シャルル。庇いたいのは分かるけど、これはどう見てもちょっとしたミスにはならないだろ」

 

 

元々優しい性格なんだろう。どうにかして庇おうとするものの、ぐぅの音も出させないほどの正論を突きつけられれば、何も言い返せずに、ただ苦笑いを浮かべるしかない。

 

人の気分が悪くなるほどのミスを、ちょっとしたミスで済ますのには少々無理がある。

 

 

「ま、なっちまったもんは仕方ない。次同じ轍を踏まないように気を付けるしかないな」

 

「そ、そうだね。僕もまさかこんなに酷いとは思って無かったし」

 

「ってことは見た目は普通だったのか?」

 

「うん。特に問題は無かったと思うよ。ただセシリアが本を見たまま作ったって言ってたから、ちょっと不安には思ったんだけど……」

 

「おいおい……」

 

 

シャルルの一言に、本当に本に書いてあるままに料理を組み立てる人間がいるのかと突っ込みたい気持ちを抑えながら、ぐったりと机に伏す一夏の姿を見る。

 

さらりと製作者の名前まで出してしまったことだし、もう名前を伏せること自体をシャルルも諦めたみたいだ。

 

 

「辛味とか甘味とか苦味とか全てが交じってもう……とにかく食べ物を食べてる感じがしなかったよ」

 

「……シャルルも食べたのか。三種類の味が楽しめるサンドイッチって言うと聞こえはいいけど、一口で三種類の味が楽しめるってどう作ればそうなるんだよ」

 

 

一体どこのポイズンクッキングなのか。よく漫画で常識知らずのお嬢様が、お米を研ぐために食器用洗剤を使う的なシチュエーションとかはよく見る気がするが、ようはそれと似たようなことが実際に起こっているわけだ。

 

とりあえず、レシピ本に載っているまま、使う材料も作り方も見ずに、とりあえず写真と同じになるように作れるのはある意味で尊敬できる。

 

一夏が迷いなくそのサンドイッチを食べたのは、ぱっと見た感じでは違和感が無かったからだ。逆にレシピ通りに作って、形が崩れているのであれば作り慣れていないことが一夏にも分かっただろう。

 

下手に見た目だけが完璧だったために、何の疑いもなく食べ、更に作ってもらった料理に不満を言わずに、一人で我慢して食べて、グロッキー状態になった……ってところか。本心を言わないところが優しさだとしても、体調を崩してしまっては元も子もない。

 

 

「ま、一夏らしいって言えば一夏らしいよ。無茶と無謀はちょっと違うけどな」

 

「あ、あはは。手厳しいね大和は」

 

「んなことはねーよ。正直に言わないといけないところはいわねーと」

 

「でもその優しいところが一夏の良いところだよね、誰にでも優しいところが」

 

「あぁ、本気でそこは俺も凄いと思う。それなのに女性関係では疎い……か。ったく、世界中の男が羨ましがるのも分かるよ」

 

 

人に優しく出来るのは誰もが出来ることではなく、出来たとしても、それが下心満載だったりと、無意識に出来る人間は少ない。どうすればここまで女性を惹き付けられるのか、俺も教えてほしいくらいだ。

 

若干皮肉を込めて一夏のことを誉めていると。

 

 

「あっ、そういえば大和とこうして話すのって初めてだよね」

 

 

ふとシャルルが話題を転換してきた。

 

 

「あぁ、昼は別行動だったしな。本来なら今は授業中だからこんなこと許されないけど、自習中になったことだし、まぁ多少話すくらい良いだろ!」

 

「ふふっ、何か悪いことしている気分。大和って結構大人っぽいイメージだったんだけど……」

 

「それみんな言うんだよな。別に特に変わったことはしてないと思うんだけど……あれか? もしかして顔が老けているとか?」

 

「そ、それは無いんじゃないかな? くくっ、大和ってジョークも上手いんだね?」

 

「ったく。笑うなって! ほら、そろそろプリントやるぞ」

 

 

適当に言ったはずの冗談がシャルルの笑いのツボにはまったらしく、優雅に口元を押さえて笑う。昼休みは俺がいなかったから、ちゃんと話す機会は今回が初めてだ。こうして話してみるとシャルルの人間性がよく分かる。そもそもの土台が俺たちと違うっていうか、動作の一つ一つが上品に見える。

 

会話を切り上げてシャルルも自分の机に向き直り、配られたプリントに目を向ける。

 

さて、そろそろ俺も自分のことに集中しよう。一般的な高校であれば自習時間ともなれば、好き放題しているのが日常。ここはIS学園、ある程度勉学もしっかりとしなければならない。この時間は一般教養の時間だから、難易度は別として、書いてあることが何なのかはすぐに分かる。

 

先ほどナギが配り終えたプリントに目を通す。俺はそこに延々と書かれている数字の羅列と小一時間、格闘するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あぁ、仕事増やして悪い千尋姉。うん、俺の方は大丈夫、こっちでも探りを入れてみるから。うい、じゃあお願いします」

 

 

昼に引き続き、再度千尋姉に連絡した俺は、調べて欲しい内容を受話器越しに伝えて電話を切る。時は既に一日の授業を終えて放課後、自室に戻って軽くシャワーを浴びた俺はズボンだけを履き、上半身裸のまま携帯を片手に千尋姉と電話をしていた。

 

伝えた内容はボーデヴィッヒのことと、後はシャルルのことについて。今のところは特に何事もなく無事に収まっているが、いつどうなるかは分からない。事が起きてからでは遅いため、定期的に実家へと連絡は入れ、対策を練っている。

 

俺一人でやれることも限られるし、あくまで俺が対処出来るのは学園内で問題が起きた場合で、一度に複数問題が起きれば片方は手をつけられない。その為、今周りで起きている現状を千尋姉に伝え、もしもの時に対応出来るように準備をしている。

 

念には念を。例えそれが杞憂だったとしても、備えあれば憂いなし。事が起きて何も出来ずに大事になるよりは良い。

 

 

「さて、そろそろ一夏の部屋に行くか」

 

 

話は変わるが、シャルルの部屋は一夏と同じ部屋になったらしい。部屋自体が二人部屋のため、一人一部屋を与えられていた俺か一夏の部屋に入居するのは当然。

 

別に新しく部屋を用意するほどの余裕もないし、基本的にうちの寮は二人一組で部屋を使っているから、むしろこれが普通だ。

 

そして俺は安定のぼっちプレイ。一人の方が動きやすいし仕事もしやすいけど、部屋に戻ってきても返ってくるのは部屋の反響音だけで、虚しいったらありゃしない。

 

 

 

 

――― この後はシャルルの歓迎会に呼ばれているわけだが、以前のクラス代表就任パーティーのようにド派手にやるわけではなく、声を掛けられる人数だけで歓迎しようって算段になっている。

 

いつまでも上半身裸でいるわけにもいかないし、さっさと服を着るとしよう。流石の俺もこの年で露出狂のレッテルは貼られたくない。

 

……どうにも部屋にいるとプライベート感が強く、上半身裸のままうろうろする癖が抜けない。俺も割と適当だから、家でも比較的ズボラだったし、プライベートなのに堅苦しいのは性に合わない。

 

 

シャワーを浴びるために一度脱いだインナーを洗濯かごの中に投げ入れ、クローゼットの引き出しから新しいインナーを取り出し上から被る。シャワーを浴びたばかりで少し湿った髪の毛が無造作になびき、ドライヤーで形を作った髪型のセットが若干崩れる。

 

IS学園に来てからもう二ヶ月以上経つし、髪も伸びてボリュームも増えている。故に髪の毛のトップが立ちにくくなるし、髪も中々乾かなくなる。後は寝癖が目立つんだよなこれ、短いうちは大して気にならないけど、伸びてくるとあり得ない方向にねじれた寝癖が多くなるから、直すのに骨がおれる。

 

霧吹きの寝癖直しを使うと、乾いているところと湿っているところが分かれて逆にセットしづらくなるし、変に癖が目立つくらいなら全部を濡らして一からセットした方が早い。

 

何だかんだ言ったけど、他の子たちに『うわっ、ダサっ!』的なことを言われたら軽く凹むくらいには、身だしなみに気を使っている方だと思う。

 

 

「服はジャージで良いよな。そんなに派手に着飾ることもないし」

 

 

着てみると如何にも男の部屋着! って感じがする服装だが、そこまで気にすることもないだろう。これが外に出掛けるなら気にするけど、細やかな歓迎会に堅苦しい服を着ることもない。

 

改めて鏡を見て変なところがないかを確認し、部屋の外へと出た。

 

 

一夏の部屋は俺の部屋の二つ隣。誰も居ない廊下を歩いて、僅か数秒で一夏の部屋の前へとたどり着く。見慣れた場所なのにどこか久しぶりな感じがするのは何故か。その疑問に気付くのに、さほど時間は掛からなかった。

 

 

「そういえば一夏の部屋に入るのって、鈴が一夏と喧嘩した時以来だっけ」

 

 

今までを思い返すと、一夏が俺の部屋に来ることはあれど、俺が一夏の部屋に上がり込んだことはほとんどない。理由を探せばタイミングが合わないのもあるし、何かをする時は俺の部屋を使っていたのもある。

 

それはさておき、いつまでも扉の前で立っていたら邪魔になるし、さっさと部屋に入るとしよう。部屋の扉を数回ノックし、中からの反応を待つ。

 

 

「……?」

 

 

しばらく待つものの、中から反応が返ってくることはなかった。もしかしてノック音が弱かったのかと思い、先程よりもやや強目にドアをノックする。

 

さっきも決して弱目にしたつもりはなく、中に誰かがいれば気付くぐらいには強くノックしたはずなんだけど……まさか誰も居ないのか。今日は放課後、一夏は篠ノ之たちと訓練とするのは聞いているが、早く切り上げるようにすると聞いてるため、もう時間的には戻ってきても良い時間だ。腕時計の短針は五時になろうとしているし、いつも夕食前には戻ってきているのを考えると、誰かに捕まっているのか。

 

結局ノックをしてもドアが開くことはなかった。これでは俺が何かをして閉め出された人みたいだ。これが確信犯だったら何の冗談か、タチの悪い冗談過ぎて全く笑えない。

 

悪いとは思いつつも、鍵が開いているのではないかと淡い期待を抱いてドアノブを時計回りに回す。

 

 

「……あ、あれ?」

 

 

俺の期待に反し、鍵が掛かっているであろうドアノブは何のつっかえもなく、時計回りに回る。ようは今、このドアは完全に鍵が掛かっていない状態にある。ルームメートしか入らないと思ってわわざと鍵を開けっ放しにしているかどうかは知らないけど、これは不用心にもほどがある。

 

鍵が開いていたってことは、部屋の中に一夏、もしくはシャルルのどちらかがいる状態だとは思う。それでも気付かないってことは寝ているのか、はたまたヘッドホンやイヤホンで音楽を聞いているから、外音が聞こえないのか。想像はいくらでも出来るが、結局理由は断定出来なかった。

 

ひとまず開け掛けたまま立ち尽くすわけにもいかないし、一旦部屋に入ろう。最悪、一夏に今から行く的な連絡を入れればよかったかもしれない。こちらの落ち度を若干反省しながら、そのまま靴を脱いで部屋の敷居を跨ぐ。

 

部屋に明かりは付いたままで、鞄の類いは一切掛けられていない。部屋自体は毎日掃除でもしてあるように片付けられており、布団の上には綺麗に畳まれた洋服が積まれていた。服のサイズ的にこのベッドは一夏のベッドだろう。窓際が一夏のベッドってことは、廊下側のベッドがシャルルのベッドか。

 

両方ともシーツのシワをキチンと伸ばしてあり、とても年頃の男子の部屋とは思えないほどの綺麗っぷりだ。これを見ていると部屋にいる時、風呂上がりに上半身裸でふらつくようなズボラっぷりを発揮する俺が急に惨めになる。

 

主夫とはよく言ったもの、二人とも良いお嫁さんになると思うぞ、うん。

 

と、下らないことを考えたところで二人が見付かるわけではなく、俺は一人、他人の部屋に立ち尽くすことしか出来ないでいた。

 

 

「電気を消し忘れて、鍵もかけ忘れたってことか? でも電気は付いてるわけだし、居ないってことは……」

 

 

途中まで言葉が出掛かったところで、小さい音ではあるが、何かがぶつかり合う音が聞こえてきた。その音がする方へと歩いていくと洗面所のさらに奥の、シャワルームから聞こえてくることに気付く。

 

水滴が小刻みに勢いよく床へぶつかる音が、シャワールームでシャワーを浴びていることを証明していた。俺がノックした時には既にシャワーを浴びていて、入ってきた時には身体でも洗っていたんだろう。

 

何とも都合の良い解釈だが、そう考えれば納得が行く。シャワーを浴びていると、ドアが壊れるほどに強くノックしなければ、音はシャワールームの中まで響かない。

 

あくまで部屋の中にいること前提のノックだったため、シャワー音にかき消されてしまえば聞こえないのも無理はなかった。俺がこうして部屋に上がっているのも知らない訳だし、むしろ風呂から出てきた時の反応が楽しみでもある。

 

 

「とりあえず待つか」

 

 

どちらかが居ることが分かり、ベッドの前に並ぶ椅子の片方に座る。一度部屋に戻るのも馬鹿らしいし、勝手に入ったことは後で謝っておけば大丈夫……なはず。

 

……あぁ、念を押しとくとシャワールームの中をわざわざ覗きに行くような無粋な真似はしないぞ。男の裸を見つめる趣味は俺にはないし、何でか知らないけど見に行ったら見に行ったで、取り返しがつかないことになる気がする。

 

具体的にどうとは表現出来ないが、俺の第六感がそう悟っていた。

 

 

さて、ここで待つのは良いとしても、出てくるまでの時間をどう潰そうか。携帯のゲームをする気にもならないし、かといって誰かに連絡を取るだけの時間があるわけでもない。誰かを待つ時間って、異様に長く感じるから暇になるんだよな。

 

暇を潰すものがあれば問題はないけど、あいにくこの部屋にある物は俺の私物ではないため、勝手に使うのは厳禁。何か持ってくれば良かったとやや後悔しつつ、背もたれに全体重を預ける。

 

 

 

 

もうこの学園に入学して二ヶ月過ぎたのかと思うと、時の流れが早いのを改めて実感させられる。初めのうちは心配だった交友関係も悪くはない、気を許せる異性の友達もかなり増えた。

 

毎日が充実しているかと言われれば充実している。周りには偏った思想の持ち主、つまりは女尊男卑の思想に染まった子もいない。いや、俺の周りに居ないだけで、よく探してみれば俺や一夏に敵対心を持つ生徒や教師もいるかもしれない。

 

この世に生まれて十数年、護衛の仕事をこなすようになってから数年が経つ。高々十数年しか生きていない学生だというのに、学ぶことは非常に多かった。表側の世界とは比較にならないくらい、裏側の世界情勢が酷いことも知った。

 

 

生活を送る中で常々思うことがある。

 

 

―――俺は何のために生きているのかと。

 

 

先ほど言ったように毎日が充実していないわけではない。むしろ充実し過ぎている方だと思う。正直IS学園に入学が決まった段階で、ここまで順風満帆な学生生活が送れるとは思わなかった。仮にISの適性検査に受からず、そのまま藍越学園に入学していたらどうだっただろう。

 

たらればの話にはなるが、充実した生活を送れたとは断定出来ない。藍越学園に入学していたら十中八九、俺はひたすら仕事漬けの日々を送っていたと思う。

 

護衛対象の中にはどうしようもないほどくそみたいな人格の人間や、どうしてこいつを護らないといけないのかと思うほどの人間だっている。仕事だから好き嫌いどうこうではないのは十分分かっている。

 

でも心の中で全てを許せるかと言われれば許せるはずがない。表面上は出さなくても、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。そう思うのが逆に人間であり、人間らしさだと思う。

 

かといってこの仕事を嫌々やっているかと言われればそれも違う。護衛としての誇りは大切にしているし、プライドだってある。

 

ただ順風満帆な学園生活も、人を護る護衛の仕事も、結局何のために生きているのかを意味付けるものにはならなかった。人間不信だった幼少期も、何のために自分が生きているのか分からずに、一人で塞ぎ込んでいた。

 

 

一度、俺は同じようなことを千尋姉に聞いたことがある。案の定難しい質問だったらしく、答えが返ってくるまでにかなりの時間が掛かった。

 

だがそれでも答えは返ってきた。あの時の答えは数年たった今でも覚えている。

えーっと、確か……。

 

 

 

 

 

「ふぅ、さっぱりした……って、わぁっ!? な、何で大和がここにいるの!?」

 

「ん? おう、シャルル。遊びに来たぜ」

 

 

 タイミング良く、後ろから聞こえた驚きの声に顔を向けると、そこにはスポーツタオルを手に持ち、ジャージ姿に身を包んだシャルルの姿があった。シャルルの身体からは蒸気が上がり、そしてシャンプーのほのかな香りが鼻腔をくすぶる。まだ乾かしたてであろう髪の毛は、毎日手入れを欠かさず行っているかのように綺麗に整っていた。

 

時計を確認してみると既に時計の針は五時を回っており、この部屋に来てから十数分が経っていた。物思いに更けるといつも以上に早く時間が過ぎることを再認識しつつ、背もたれから背を離して椅子をシャルルの方へと向ける。

 

まさかシャルルも、部屋に一夏以外の誰かが居るなんて思わなかっただろう。シャワールームから出てきた時の反応の仕方が予想以上……むしろ驚きすぎじゃないかと思うくらいだ。

 

 

「い、いつの間に? の、ノックしてないよね!?」

 

「ついさっき。ノックに関しては結構強目にやったけど、全然反応が無かったから、無視決め込まれてるのかと思ったぞ?」

 

「そ、そんなことないよ? ちょっと聞こえなかっただけで、部屋には居たわけだから」

 

「んー……ま、それに関しては良いんだけど、一夏ってまだ特訓中か?」

 

「一夏は僕が上がった時も、まだ篠ノ之さんたちに捕まってたから……」

 

 

歯切れが悪そうに苦笑いを浮かべるシャルル、どうやら一夏は当分帰っては来なさそうだ。折角部屋に来たわけだし、このまま手ぶらで帰るのも勿体無いし、一夏が来るのを待つとしよう。シャルルもタオルを洗面所にあるかごの中に入れ、再度俺の対角にある椅子に腰掛ける。

 

シャワー上がりなのか、いつもは束ねている髪をストレートに下ろしているから、本物の女性のように見えてくる。仮にここで写真をとって、俺の彼女的な感じで紹介すればほとんどの人間が勘違いするくらいに。

 

もう一つ違和感があるとすれば、シャンプーの香りが、うちで使っているシャンプー、それも千尋姉が使っている女性もののシャンプーと全く同じ香りだということ。

 

偶然持っているだけなのか、それとも……。

 

 

「にしても、部屋の鍵を開けっ放しなのは流石にまずくないか?」

 

「ご、ごめん。結構急いで帰ってきたから、つい忘れてて……」

 

 

急いで帰るほどの用があるのかと一瞬考えるも、普通に考えて転校初日で、生徒の一部に追いかけられる可能性を踏まえれば、おかしなことではない。

 

 

「謝る必要はねーよ。とりあえず一夏を待とうぜ、折角歓迎会開いてくれるって言ってるわけだし」

 

「う、うん……そうだね」

 

 

何かに怯えるように手を膝の上に乗せて、下を俯きながら黙りこんでしまい、会話が途切れてしまう。シャルルの態度がどこかこちらの様子を伺っているように見えるのは気のせいか。何かを気にするようにチラチラと俺の方へ視線を向け、俺が視線を合わせようとすると再び俯いてしまう。

 

ひたすらその繰り返しだ。俺に何か知られたくないことでもあるのか、そう思うとこちらとしても気になってしまう。昼に話した時はこんなこと無かったのに、入ってくるタイミングが悪かったのか。

 

沈黙が続き、何か話題は無いかと考えるも、こんな時に限って話題が浮かんでこない。

 

 

……俺って他の人から見てそんなに怖く見える存在だっけか。

 

自分で言うのもなんだが、顔はそこまで厳つい顔をしているわけじゃないし、常に不機嫌なオーラを出しているつもりも無い。朝や昼のテンションと違いすぎて、一瞬避けられているのではないかと錯覚してしまう。

 

 

「……ねぇ、ちょっと聞いて良いかな?」

 

「ん。あぁ、俺が答えられることなら良いぞ」

 

 

そんな中、シャルルが不意に声を掛けてくる。声は普段よりもやはり静かで、何かを探ろうとしているようにも見えた。とはいえ、まだ質問内容は聞いてないわけだし、断定するのは早い。

 

シャルルが話すのを待っていると、一つ間を置き、意を決したように質問を投げ掛けてきた。

 

 

「大和ってさ、もし誰にも話せないようなことがバレそうになったらどうする?」

 

 

実習中にシャルルへ投げ掛けた言葉が脳裏に戻ってくる。あの時はその場のノリで口から出た言葉だが、真剣な眼差しで聞かれると結構気圧されるものがあった。

 

 

「また随分と壮大な質問だな……自分の秘密がバレそうになった時、ね。あくまで俺の考えだけど、場合によっては打ち明けるかな」

 

「誰にも話せない秘密なのに?」

 

「あぁ、俺ならそうする。あくまで場合によっては、だけどな」

 

 

シャルルの質問の意図がどことなく読め、自分の考えをシャルルに伝えると、予想通りの反応が返ってきた。ほとんどの人が誰にも話したくない、もしくは話せないようなことの一つや二つは持っている。それが恥ずかしいことだったり、辛くて悲しいことだったりと人様々だ。

 

仮に隠していた秘密がバレそうになったとしよう。ここで生まれる選択肢は二つ、素直に話すか上手く軌道修正をして誤魔化すかだ。まずバレそうになった時点でいくら誤魔化しても、相手に不信感が募るのは必須。

 

完全に拭い去るには相当な時間が必要な上に、ふとした瞬間に思い返してしまうことを考えれば完全に誤魔化すのはほぼ不可能。

 

相手が深く勘ぐる人物でなければ、変に誤魔化す必要はないし、俺とナギの時のように聞かれた時に素直に話せば良い。

 

ただ最低限の線引きは必要になる。確かに無人機から助けたのは俺だが、俺が護衛をやっていますとまでは伝えていない。このケースで知られたくないのは『無人機から助けたのは自分』ということと『自分は護衛業をしている』ことの二つ。

 

優先順位を付けるとすれば、俺にとって知られたくないのは後者だ。後者を守るためなら前者を切り捨てることくらいは構わない、だからこそナギに話せた。

 

自分なりの答えを伝え終わると、意外だと言わんばかりに目を丸くして、呆然としながらじっとこちらを見つめてくる。そりゃそうだ、人に話せないような秘密なのに、それをあっさりと話すと言っているんだから。当然、話さずに解決出来るのであれば話す必要はないし、話す話さないの見極めは自分で判断すれば良い。

 

俺の返答をシャルルがどう判断したのかは分からないが、変に勘違いをしているようにも見えた。俺の意見に反論するように、シャルルが言葉を被せる。

 

 

「……秘密を打ち明けたことで、今の関係が壊れたらって思わないの?」

 

 

シャルルが言うこともごもっともだ。それを話したがために、関係が全て壊れてしまうかもしれない。

 

 

「普通なら思うよな。でも正論を言えば、人に話したくないって秘密ってそういうことなんだよ。極端な話、友人から過去に何人も殺めていましたって言われたらどう思う?」

 

「それは……」

 

 

我ながらかなり極端な例を出したと思う。でも人に知られたくない秘密は今までの人間関係を容易に壊すことが出来るものだって多い。知られたくない秘密が小さな黒歴史なら特に気にすることもない、バレた時にのたうち回るほど恥ずかしいだけで済む。

 

シャルルが言い返せずに黙り込んでしまう辺り、人間関係を壊すほどの秘密を抱えているように思えた。むしろ抱えているからこそ、わざわざ聞いてきたんだろう。この部屋でシャルルと初めて話した時から、様子がおかしいのは明らかだった。

 

 

今部屋に入られたら隠していることがバレるとでも思ったのか。今朝からシャルルの行動には些か違和感を感じていたし、あながち間違いじゃないかもしれない。

 

 

「……」

 

「大丈夫かシャルル。顔色、あまり良くないぜ?」

 

「へ、平気だよ。そうだよね、確かに大和の言う通りかも」

 

 

核心に触れてしまったかもしれないと、シャルルの顔色を伺いながらも、持ち直してくれたことに安堵しながら、一言そこに付け加える。

 

 

「……それでも隠すことは悪いことじゃない。むしろ秘密がない人なんていないと思うぞ」

 

「うん……」

 

 

如実に気分が落ちているシャルルを見ると、俺が心をへし折るようなことをしたようにしか見えない。ちょっと説教みたいになったことを反省しつつ、どうにかしてシャルルを元気付けられないかと考え、実行する。

 

 

「まぁ元気出せよ! 暗いままじゃ、一夏にまで心配される……ぞっ!」

 

「キャッ!?」

 

 

 その場に立ち上がり、落ち込み気味に俯くシャルルの背中を軽く叩く。そこまで強く叩いたつもりはないが、急に叩かれたことに反射で甲高い女性のような声をあげる。いきなり何をするのかと、驚き気味に抗議の視線を向けてくる。

 

溜まっていたものが大きな声を出したことで、ある程度吐き出されたらしく、覇気のある眼差しに戻っていた。この後どう話を続けようかとしたところで。

 

 

「悪いシャルル、遅くなった! 箒たちに捕まってて……おっ! 大和、来てたのか!」

 

 

真打ちの登場だ。

 

不意にドアが開いたかと思えば、顔を汗だくにして出発間際の電車に駆け込むように部屋に入り込んでくる一夏の姿が。顔が汗だくなのにプラスして、着ている制服のベルトが所々抜けている上に、制服自体がシワまみれになっている。更衣室から寮まで走ってきたのが容易に想像出来た。

 

本人が言った手前、遅れたことに申し訳なさを感じているみたいだ。とはいっても多少の遅刻くらいは想定範囲内、シャルルから篠ノ之たちに捕まったことを聞いた時点で、少しばかり遅刻する可能性があるのは分かった。

 

改めて全員揃ったところで行動するとしよう。

 

 

「ういっす、待ちくたびれたぜ一夏。よっしゃ、役者も集まったことだし、歓迎会の準備始めるか」

 

「そうだな。あ、後で箒たちも来るみたいだから、さっさと終わらせようぜ!」

 

「了解……と言いたいところだけど、汗だくのままはマズイし、まずは軽くシャワー浴びて汗を流せ」

 

 

折角の歓迎会を汗だくのまま行うのはいただけないし、ひとまずシャワーへと誘導する。

 

「んー、そうだな。じゃあちょっと待っててくれ、すぐに済ませるから」

 

「うい。それなら俺は一旦部屋に戻って、遊べそうな道具が無いか探してくるわ」

 

「りょーかい!」

 

 

後ろ向きに手をヒラヒラと振りながら、一旦部屋の外に出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ、実際のところどうなんだろうな」

 

 

部屋から出てドアが完全に閉まったことを確認した瞬間、ぼそりと本音が漏れる。思い返せば不可解な行動が随所に見られた。

 

IS実習のために着替える時に、急に脱ぎ始めた一夏を見て悲鳴を上げたところにしても、男性の着替えに対しての反応は普段男性と接してきたとは思えないほどに顕著なものだ。男性の着替えを見慣れていないという枠を越えて、完全に男性の裸体を見ることに抵抗があり、恥じらいを持っている。

 

当然、上下共に何も着てない素っ裸の状態であれば、俺も引くことはあるにしても、着替えるべき場所の更衣室で上半身裸になったくらいでは何とも思わない。

 

次に引っ掛かったのは使っているシャンプー。これに関しては何とも言えないが、少なくとも千尋姉が使っていた女性もののシャンプーとは言い切れる。別に嗅覚が特別優れている訳ではないものの、普段嗅ぎ慣れた香りを忘れるほど鈍くはない。

 

女性専用のショップでしか売ってないとかで、よく買いだめしているのを見た。女性専用のショップでしか売っていないものを、わざわざ男性が買いに行くとは考えにくい。

 

 

「何を抱え込んでいるのかも分からないし……」

 

 

話は逸れるが、時折見せる何かを背負い込んだような雰囲気も気になるところだ。これに関してはかなり敏感に感じることが出来るため、間違いなく何かを隠していると断言出来る。

 

自分から秘密がバレそうになったらどうするか、と聞いてくれば、自分が知られたくない秘密を隠し持ってますと公言しているようなもの。淡々と話すならまだしも、あそこまで感情移入していれば、自ずと何かを隠していることには気付ける。

 

 

総括するとしばらく様子を見る必要があるのは間違いない。目立った行動を起こしている訳でもないし、今下手に突っ込むとこちらの動向が気付かれる可能性もある。

 

もう少しだけ、様子を見てみるとしよう。

 

 

「まぁそれでも、一つだけ飛び込んできてる確実な情報といえば……」

 

 

それに……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シャルル・デュノア……ね。さっき聞いた情報の中には、デュノアの社長に息子がいるなんて情報、無かったんだよな」

 

 

 

 

 

 

―――少しばかり気になることもある。



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銀色の思惑

 

 

 

 

シャルルがIS学園に来てから数日が経つ。

 

不思議なもので、僅か数日しか過ごしていないにも関わらず、シャルルはすっかりクラスの一員として溶け込んでおり、休み時間なんかはクラスメートたちと談笑する姿がよく見られるようになった。

 

シャルルと二人きりになったあの日以来、気まずくなるのではないかと気にすることもあったが、次の日には何事もなかったような接し方だったため、俺の杞憂は何だったんだろうとこっちが気疲れする羽目に。

 

歓迎会に関してはもう色々と怖いものがあった。特に一夏ラバーズの面々が、一夏の隣に座るのは誰かだとか、実は一夏の本命はシャルルなんじゃないかだとか、バチバチと火花を散らしていて、あの空間だけ完全な別空間だった。

 

まぁそれは恋する乙女的な反応があるのは良いとしよう、それを俺にまで向けるのは勘弁してほしい。割とマジで。

 

 

ボーデヴィッヒもあの日以来、俺にも一夏にも突っ掛かってくることは無くなった。ま、そもそも顔を見るたびに突っ掛かられるのも困るんだが、何もしなかったらしなかったで、良からぬことを企んでいるんじゃないかと思うだけで、警戒を緩められないでいた。

 

出会った時から敵意むき出しで接されていれば、警戒を解くなんてのは無理な話。嘘ばかりついていた人間を、急に信頼しろと言われても無理なのと同じことだ。更に普段は表情に出さないため、ボーデヴィッヒが何考えているか分からない分、対応が難しい。

 

下手にこちらから鎌をかけることもないし、ひとまずは見守ることにする。

 

 

 

ところで全然話題は変わるが、IS学園の訓練機は申請を出さないと借りられないのは知っているだろうか。いくら世界でただ一つのIS育成施設だとしても、学園に配備されるISの数は限られてくる。

 

全世界に配備されている全てのISコアを合わせても四百六十七個。ISの合計は四百六十七機だ。それ以上は篠ノ之束が製造をやめたために、各国が総力を上げて研究を進めているも、結果は芳しくない。コア自体がブラックボックスになっているせいで、コアがそもそもどのように造られているかも分からない状態だ。

 

何をどうしたところで成果が上がらないのは目に見えている。コアを量産出来るのは世界中どこを探してもたった一人、篠ノ之束だけになる。

 

そんなこともあって、幾分前から予約をしなければ訓練機を使えないって縛りがあったんだが、今日ようやくその申請が下りて使えるようになった。とはいっても時間は限られているわけだし、折角使えるのだから色々と試したいところ。

 

 

そういえば、俺に専用機が与えられるって話はどうなったんだろう?

 

千冬さんに職員室に呼び出されて、事の次第を話されてから結構経つけど、連絡が来るわけでもなく、話題に触れられることも無くなった。専用機が与えられる話について知っているのは、千冬さんと俺だけで、他の教師や生徒で知っている人間はいない。

 

楯無さんにも話してないから、この学園で知っているのは二人だけになる。ようは二人だけの秘密ってやつだ、面と向かって言ったら百パーセント殴られるから言わないけど。

 

元々は無い前提での入学だから、遅れたところで文句はない。ただ何だかんだどうなるのかと、気になるところではある。

 

今日は休日ということで、授業が一切組み込まれていない。故に、アリーナには数多くの生徒が自習訓練のために集まっている。アリーナは休日、全解放になるため自由に使うことが出来る。とはいいつつも、管理室では教師が見張っているため、好き勝手が出来る訳ではない。

 

 

そして打鉄を借りた俺は、いつも一夏が放課後に特訓しているアリーナに向かうと、既にISをまとった三人が一人をボコボコにしている光景が映った。何のいじめだろうと思いつつ近寄ると、丁度ボコボコにされている一機が地面へと叩き落とされ、模擬戦という名のいじめは終わったわけだが……。

 

 

「だから何度言ったら分かるんだお前は! さっきの攻撃はこう、ドーンとやって、ガキーンとやればいい!」

 

「一夏さん! 先ほどの回避は左足を五度ほど傾けて……」

 

「あーもうだから、感覚よ感覚。……はぁ!? 何で分からないのよバカ!」

 

 

これは酷い。

 

初めて一夏の特訓がどんなものかと見てみれば、予想以上に酷いものだったのは分かった。逆によく一夏も爆発せずにこの特訓を受けていたなと思う。一夏も鈴やセシリアといった周りの代表候補生に少しでも近付きたいと思う一心で、毎日の訓練をこなしているのだろう。逆にこれだけの過密なスケジュールでよく体が持つなって感じだ。

 

一夏なりに吸収しようと行動するも三人の言っている意味が分からずに、ただ首を傾げるしかない。

 

 

「無茶言うなって! お願いだからもう少し分かりやすく頼む! 全っ然分からん!!」

 

 

言っていることがからっきし分からずに、一夏は両手を広げて抗議をしていく。三人がISを解除しているのに対して、一夏だけがISを展開しているため、シチュエーションだけ見ると一夏が教えているようにも見える。

 

が、実際は逆だ。

 

三人としては一夏に対して分かりやすい解説をしていると思っているものの、聞いている一夏からすれば日本語で話してくださいと思えるほどに分かりづらいものになっている。それに関しては俺も一夏に同意せざるを得ない。

 

まず篠ノ之に関しては重要なところの例えが『どかーん』だとか『ガキンッ』だとかの擬音語ばかりで、結局どのような感覚で行動すれば良いのかがまるで分からない。身ぶり手振りで表現している分、まだ分かりやすいようには見えるが、結局は大して変わらない。

 

似たような説明になっているのは鈴だが、こちらはこちらで自分の感覚をそのまま伝えているため、尚更一夏が混乱する原因になっている。

 

ある程度技量が高くなって行くと、感覚で行動をしたり、自分のリズムが染み付くので、本人たちはそれで分かれど聞いている人間には念仏を唱えているようにしか見えない。三人の言うことに冷や汗を滴ながら頭を抱えて考え込む姿は、まさにその象徴とも言える。

 

つまりは自分たちが覚える感覚を、具体的な例えや、分かりやすい言葉に置き換えられていないせいで、一夏は全くと言って良いほど理解出来ていなかった。

 

 

「お前らなぁ……そんな説明じゃ一夏も俺も分かんないっての」

 

「あっ! 大和!」

 

 

しばらくの間教え方を見ていたが、さすがにこのままでは可哀想だと思い、声を掛けて近付いていく。俺が行ったところで何かが変わるわけではないものの、多少の気休めになれば良いだろう。

 

三人の方を向いていた一夏がこちらを振り向き、篠ノ之、セシリア、鈴の三人も俺に気付く。

 

 

「わ、私は今までの経験で思ったことをそのまま教えているだけで!」

 

「あたしだって、いつもの練習から得たことを……あーもう! こういうのって教えるの難しいのよ!!」

 

 

口々に己の意見を述べてくる篠ノ之と鈴。いくら言っても二人の説明があまりにも分かりにくいのは明らか。どうやら二人は直感や感覚で行動しているため、普段の動きをかいつまんで誰かに教えるのは苦手にしているらしい。

 

それこそ、私の動きを見て学べという形の教え方になってしまう。同じ剣を扱う近接戦闘メインの篠ノ之の動きは多少真似られるところがあっても、衝撃砲を使った中距離戦闘をメインに行う鈴の動きは、一夏にとっては覚えても実戦に生かしにくい。

 

 

「だから肝心な内容を教えてないから混乱するんだろ。擬音で例えたり、感覚を語られたところで具体的な言葉が無いから、アドバイスにもなってないんだよ」

 

「うぐっ。それは……」

 

「確かにそうだけど……」

 

 

ぐうの音も出させないような正論を叩きつけると、二人は何も言えなくなり、悔しそうに顔を歪める。常普段自分が出来ているようなことでも、それを教えるのは難しいこと。プロスポーツの世界なんかでも、選手としては超一流でも、コーチや監督としては二流なんて言葉がよく言われる。

 

教えられたことを吸収するのが得意でも、教えられたことを誰かに教えるのは苦手なんて人間はいくらでもいる。それこそ二人とも私の動きを見て学べ的なタイプだから、教えるとすれば、一夏の前で実演するのが教えるには一番良い方法だろう。

 

篠ノ之と鈴は俺の指摘が少しばかりショックだったのか、落ち込み気味にボソボソと何かを呟く。

 

……何を言ったかには見過ごすことにする、言っても意味無さそうだし。

 

そんな中、一人何も言われていないことにどや顔を浮かべながら、腰に両手をおいてえっへんと胸を張るセシリア。ISスーツ越しに浮かんでくる二つの……失礼、どや顔を崩さずにセシリアは口を開く。他の人間がどや顔を浮かべると腹が立つのに、セシリアがしても腹立たないのは何故なのか。

 

 

「ふふっ、お二人ともまだまだですわね。やはり一夏さんの指導はわたくしが……」

 

「はい、ちょっと待て。セシリアもセシリアであまり誉められた教え方じゃないぞ」

 

「な、何故ですの!? 箒さんや鈴さんと違って、出来るだけ細かく一夏さんに説明してました!」

 

 

 納得が行かないと身を乗り出すように抗議をしてくるセシリアだが、分からないものは分からない。二人と違って確かに詳しく説明しているのは明らか、ただ如何せん一夏にも俺にも詳しすぎて理解が出来なかった。

 

セシリアの場合専門用語が多く、詳しく説明しているようで、実は全く分かりやすい説明ではない。更に体の傾け方を角度で言い表しているため、慣れていない一夏からしたら何を言っているのか分かっていない。

 

この説明を分かりやすいと言う人間がいるとするなら、ISに乗り慣れたベテランくらいだろう。申し訳ないが、俺たちが理解するには少しばかり難しすぎた。

 

 

「詳しいけど、言葉の意味が難しすぎて暗号にしか聞こえないっつーの。後は体の傾けで具体的な数字を出されてもどうするんだよ。一夏は何百時間も乗ってる訳じゃないんだぜ?」

 

「うっ。そ、それはそうですが……」

 

 

不満げな表情を浮かべながらも、何かを言い返すこともせずにその場で黙り込む。俺も悪気があってつついている訳でも、揚げ足を取っている訳でもない。少し聞いただけでも、言っている意味が分からなかったし、このまま自分の指導が正しいと思われてもこれから先の将来困ることになる。

 

 

「ま、とはいいつつ俺も教えられるかって言われると、微妙なんだけどな。俺もどっちかと言えば、感覚で行動する方だし」

 

「あ、確かに大和の場合分かるかも。あんまり型にこだわったりする感じじゃないよな」

 

「マニュアル通りに動いても面白くないし、型が決まった競技はあまり好きじゃないんだよ」

 

 

ただ少なくとも、擬音だけとか感覚だけでは教えないけど。いつぞや言ったと思うが俺は型にハマった競技はあまり得意じゃない。それこそ剣道だとか柔道だとか、技が決まっているものに関しては少し苦手だ。もちろん出来ないわけじゃない、単純に好まないってだけで。

 

それに見るのは結構好きだから、一概に嫌いとも言えない。

 

優柔不断? 何とでも言ってくれ。

 

 

さて、一段落ついたところで訓練機が使えることだし、俺も練習するとしよう。既に打鉄は装備してるから、すぐにでも練習が出来る。折角だから模擬戦なんかをやってみても良いだろう。

 

度が過ぎるもので無ければ原則的に許可はされているし、最悪、管理室の教師が文句を言ってこない限りは続けても大丈夫なはずだ。現にこのアリーナでは模擬戦を行っている生徒もいる。

 

で、相手はどうするかだけど……。

 

 

「一夏、ちょっと疲れてるところ悪いんだけど、相手出来るか?」

 

「え、俺と大和で? そういえば、一度も戦ったこと無いなぁ」

 

「おう。だから、一度くらいは戦っておきたいだろ。俺も実戦はほとんどやってない無いから、こういう時しか機会が無いんだよ」

 

「あぁ、いいぜ!」

 

「なら決まりだな! じゃあ誰か審判を……」

 

 

戦ってみたい相手と言われれば一夏になる。セシリアとはクラス代表を決めるときに既に戦っているし、篠ノ之とはISではなく、一度剣での手合わせをしている。この中で一度も戦ったことのない相手と言えば、一夏か鈴のどちらか。

 

鈴と戦っても良かったが、入学時から一緒だったのに一度も手合わせをしたことがないのもあれなので、先に一夏と戦うことにした。

 

対戦相手も決まったところで、三人のうちの誰かを審判に立てようと選ぼうとしていると。

 

 

「お待たせ、一夏! あ、大和にみんなも。珍しいねこんなに集まっているなんて」

 

 

頃合いを見計らったように、ISを展開したシャルルが颯爽と現れた。シャルルの専用機はラファール……だよな。実習の時に山田先生が使っていたものと装甲は同じなのにカラーリングが違っていた。

 

ただ装甲は似ていても改良は施されているはずだ。与える専用機を量産機と同じ性能にするとは考えづらい。

 

 

このアリーナに男子が三人全員集まっているとのことで、周囲の生徒たちがきゃあきゃあと色めき立つ。転校してきたばかりとのことで、未だにシャルルの人気は衰えず、連日クラスには他クラスの生徒が押し寄せている。

 

男の金髪っていうと割とアウトローな感じで、チャラいってイメージをしがちだが、シャルルの場合中性的な顔に金髪というマッチングが抜群で、その笑顔に悩殺されることも多い……らしい。

 

あくまで聞いた噂だから何とも言えないけど、羨ましい限りだ。更に言うなら夏に出せる題材が増えただとかで、一部の変わった趣向の生徒にも大人気なのはまた別の話。

 

 

「丁度よかった。今から大和と模擬戦やるんだけど、ちょっと審判頼んで良いか?」

 

「うん、良いよ。じゃあ、どちらかが決定打を浴びたら終了で良いかな?」

 

「あぁ。見極めはシャルルが頼む。俺も一夏も、多分エンジンかかったら、シールドエネルギーがゼロになるまでやりそうだからさ」

 

「あはは、分かったよ」

 

「じゃあ大和と模擬戦やるから、また後でな」

 

「「むぅぅぅ……」」

 

 

一夏としては逃げたい気持ちが強かったらしく、さっさと三人に断りを入れる。反面、三人からしてみれば面白くなく、むくれ面を浮かべながら一夏のことをじっと見つめる。

 

三人の中には一夏をレベルアップさせるという目的の他に、少しでも距離を縮めたいといった願望がある。バレてないと思っているらしいが、端から見れば俺以外でもすぐに分かる。

 

布仏が一度その様子を見た時に何気なく呟いた言葉が『隠しているつもりなのかな~?』だ。この一言が何を表しているのか、余程の鈍感じゃ無い限りすぐに分かる。

 

 

話は戻るが、久しぶりのIS戦闘で緊張半分、楽しみ半分ってところだ。一つ目を閉じて、頭の中で一夏のタイプを想像していく。先のクラス対抗戦を見ても分かるように、完全な近接格闘タイプで、中距離や遠距離からの攻撃はほぼ無いと断定して良い。

 

注意しないといけないのは、相手との間合いを瞬時に詰められる瞬時加速(イグニッション・ブースト)と、相手のシールドバリアを破壊して、操縦者に直接ダメージを与える零落白夜。

 

模擬戦だから零落白夜は使えないのは良いとして、瞬時加速に関しては隙あらばすぐにでも使ってくるはず。クラス対抗戦の時は粗さが目立っていて、初見の一回しか使い物にならなかったが果たして今はどうなっているのか。

 

 

『二人とも、準備は良い?』

 

 

オープンチャネル越しにシャルルの声が聞こえてくる。ある程度距離が離れていても相手と会話が出来る機能のため、本気で私用でも使いたくなる。便利だよなこの機能って、携帯と違って声を出してしゃべる必要もないから、話している内容を聞かれることもない。

 

……あったとしたら一台どれくらいするんだろうな。

 

 

ある程度人数が少ない場所まで離れて、標準装備のブレードを展開する。一瞬展開できなかったらどうしようと思いながらも、特に問題なく展開出来たことに安堵しながら、再度気持ちを入れ直す。

 

……楽しみだ。いくら本気で無いとは言え戦うことは嫌いじゃない。バトルジャンキー? 何とでも言え。

 

 

「おう! 大和、手加減しないからな!」

 

「当然」

 

 

一夏の声に手短に反応をし、目の前のことに集中する。視線の先には一夏の展開した白式、手元に視線を向けると白式の唯一の武器、雪片弐型が握られている。視覚補助のためのハイパーセンサーが稼働し、レンズでも覗いたかのように細かい砂ぼこりが見えた。

 

スラスターを吹かしながら空高く上昇していく。一旦気持ちをリセットさせながら、どう戦いを組み立て、最終的には自分のペースへと持ち込むかを考える。はっきり言ってしまえば模擬戦で、公式戦ではない。セシリアと戦った時のほどよい緊張感も、誰かに何かを見せ示す覚悟もない。

 

ただ単純に戦うことが楽しみに思える、それだけだ。

 

 

『じゃあ……始めっ!』

 

「うぉぉおおお!!!!」

 

 

シャルルの開始の合図と共に一気に俺の懐へ飛び込もうと接近してくる。瞬時加速は使っておらず、スラスターを吹かして詰め寄ってくる動きに無駄な動きはなかった。前に比べて動きが精錬されてムラが全く無く、一直線にこちらへと向かってくる。一夏が左手を前に出して右手の雪片を振りかぶり、勢いよく振り下ろそうとする瞬間、体の軸を左側にずらして一撃を回避しにかかる。

 

 

「ふっ!」

 

「らぁっ!!」

 

 

振り下ろした雪片を返し刃で、横のなぎ払いが俺に迫ってくる。初撃の回避を最小限に抑えたお陰で、次の行動への移行は早かった。俺の機体の前を刃が通過していく。

 

 

「おー、こえーこえー。もう目がマジじゃねぇか。容赦ねぇなぁ……」

 

 

回避を終えて挑発にも似た言葉を言いながら、一旦一夏との距離を長めに取る。初撃を当てられなかった悔しさからなのか、センサー越しに顔を歪める一夏の姿が映った。以前に比べれば確かにスピードも生かせるようになっているし、一太刀もキレが増している。

 

ただそれでも当たらなかった理由はまだその太刀筋が単調な上に、俺の反応が十分に追い付いているからだ。一旦離れた時もやろうと思えばいくらでも距離をつめられたはず、逆に厳しいことを言えば近接格闘型のISが、一度接近したのに相手を無傷で逃がすのはあり得ない。

 

俺も攻撃終了後の隙を狙って一旦距離をおいたため、いかにその隙を無くすかが今後の一夏の課題にはなるだろう。とはいえ、俺も別にISを完全に乗りこなせる訳ではないため、セシリアや鈴の動きから学ぶことは多い。

 

鈴が言ったように何となくの感覚で動くのは、あながち間違いではない。慣れてくれば感覚で避けるようにもなるし、それが自分の攻撃のリズムを作り出す。全てを感覚で避けるのは極めて危険だが、時には感覚に頼らなければならないことだってある。

 

片手を前につき出して一夏側に手の甲を見せると、指全体手前にくいくいと引き寄せて挑発する。

 

 

「さぁ来いっ!」

 

「言われなくても行ってやるさ!」

 

 

普通に飛び込むとかわされると判断し、今度は瞬時加速を使いながら猛スピードでこちらに向かって接近をしてくる。確かに初見であれば反応は難しいかもしれない。

 

再び俺の間合いに踏み込んで来ると、雪片を弓のように引きながら、勢いそのままに突っ込んでくる。持っている日本刀ブレードを構えて、一夏の雪片の矛先がギリギリまで接近するのを待ち構える。

 

 

「もらった!」

 

「そうはさせねぇ……よ!」

 

 

瞬時加速の最大の弱点は直線的にしか移動が出来ないところにあるが、その分移動速度が飛躍的に向上するため、判断が遅れればたちまち餌食になる。ただある程度の熟練者になれば使用者の癖を見抜いて回避されたり、逆にタイミングを合わされて追撃を食らうこともある。

 

俺には一夏の癖が分かるわけではない。いつも一緒にいるとは言っても、一夏の訓練中まで同席しているしているわけではない上に、粗さが目立っていると知っていたのも後に聞いたからだ。

 

なら、反応が遅れたからこの一夏の一撃は避けられないかと言えば。

 

 

―――否、あいにく他の人よりも目は良い。

 

 

ギリギリまで矛先を近付けると、自分のブレードの背を一夏の雪片の背に当てて、左側に体を傾けながら雪片の方向を右側へと弾いて変える。金属音が擦れ合う耳障りな音と共に、白式の胴体部分が俺の目の前に無防備に現れる。ある程度の余裕がある状態で攻撃を弾かれれば、まだ次の行動に移るのも簡単だが、ギリギリまで引き寄せてから図られたように避けられると次の行動が非常に困難になる。

 

一夏の言葉から察するに、今の一撃で俺を仕留められたと油断したのだろう。ハイパーセンサー越しに映る一夏の表情は焦りに満ちていた。

 

 

「嘘だろっ!?」

 

「良い突きだけど、流石にそう簡単に食らうか! はぁ!」

 

「くうっ!?」

 

 

体を上手く反転し、遠心力を利用しながら右足を白式の胴体部分に叩き込む。ガードが遅れた一夏は俺の蹴りをまともに受けて後方へと飛んでいくが、壁ギリギリのところでスラスターを吹かした。勢いを緩和して体勢を整え直し、再び上空へと戻ってくる。

 

正直、今の一夏の特攻は誉められたものではない。互いのISが完全な近接格闘型のものとはいえ、馬鹿正直に瞬時加速を使うのは自滅にも近い。何度も言うように瞬時加速は直線的にしか移動出来ないから、タイミングさえ掴めればかわしやすい。

 

ましてや決まったと思って油断していることくらい、表情を見れば分かる。実際にかわされた後、一夏は俺の動きに反応が出来なかった。一瞬の油断が命取りになるのは誰もが知っていること、ただそれでも油断してしまうもの。一度油断したらイレギュラーな事態に対応するのはかなり難しい。

 

更に一夏の場合発動のモーションも分かりやすいお陰で、かわすのも容易だ。ある程度のレベルになってくれば、タイミングよく発動出来るだろうが、今はまだまだ読むに容易い。

 

 

 

さぁ、ここからどう一夏の牙城を崩していくか。一夏がどこまで反応をしてくるかは分からないけど、セシリアの時みたいに接近戦に持ち込ませるのもありだろう。

 

 

「油断大敵だぜ一夏。決まったと思って途中で手を抜いただろ?」

 

「うっ……そこをつかれると痛いな」

 

 

自分で思う部分があったようで、少しばかり落ち込む一夏が、今そこを気にしている暇はない。完全な実戦ではないからこそ俺は手を加えないが、これが戦場であれば容赦なく立ち向かっていく。それこそ相手の命を奪うつもりで。

 

戦いでは一瞬の油断が命取りになる。大げさだけどたった一つのミスでこちらが窮地に追い込まれたり、仲間を失ってしまったり、下手をすれば自分の命を失う可能性だってある。

 

現場に遭遇したことが無いからこそ。まだ命を失う重みを理解しきれていない部分があるのは明らか。以前のクラス対抗戦での出来事を忘れた……訳ではないと思う。実際に自分友達が、家族が居なくなったとしたら、その時の悲しみは計り知れないものがある。

 

 

「さぁ、やられっぱなしって言うのも俺の性に合わないから、悪いけどそろそろお遊びは終わりにさせてもらうぞ」

 

 

ブレードの背の部分を左の手のひらに当てて小刻みに鳴らしながら、一夏に一言告げる。やられてばかりなのは俺も面白くはない。一夏と戦うのは今回が初めてだが、一度も戦っている姿を見たことがない訳ではないため、大体一夏の戦い方も把握してる。

 

あれから戦い方が変わったかと、少しだけ観察をしてみたものの、根本的なところは変わっていない。やはり雪片だけで戦うのは中々に厳しいものがある。その雪片だけで、頂点を取った千冬さんは化け物レベル……とは口が裂けても言えないけど、実際そうだろう。

 

圧倒的に実戦経験が不足しているのは間違いない訳だし、同じタイプとして少しでもアドバイス出来ればとは思う。あくまで俺が教えられるのはISをまとっていない状態での、生身による身のこなしや戦い方。

 

一撃必殺の零落白夜があるのだから、これを上手く活用しない戦い方はない。

 

 

何だかんだご託を並べてみたが、俺も反撃させてもらうとする。ほんの少しだとしても俺の動きから学べることもあるはずだ。

 

 

「はぁっ!」

 

 

一夏に向かって真っ直ぐ加速をしながら、懐に飛び込んでいく。互いに近距離用の武器しかないのは分かっているため、一夏は俺の動きに合わせて、雪片を降り下ろしてきた。

 

金属と金属が擦れ合うガリガリとした耳障りな音と共に互いの刃がぶつかり合う。腕に体重をかけて一夏に詰め寄ると、一夏の腕が僅かに体側に動く。

 

 

「ぐっ……重っ」

 

「今のは受け止めるべきところじゃないぜ一夏」

 

「アドバイスどうも……てか、お前全然動かしてないのに何でここまで良い動きが出来るんだよ!」

 

「良い動きって言われてもな……本能?」

 

「ぐっ、くそ。こっちは受け止めるのも一苦労だってのに、涼しい顔かよ!」

 

 

避けたりしなかったのはまともな接近戦では分が悪いと判断したからなのか。避けられるのなら初めから避けていると訴えるような表情に切り替わる。遠距離射撃型のセシリアと比べれば基本が接近戦になるから、太刀打ちできるとは思うけど、よほど代表決定戦の時のインパクトが根強く残っているらしい。

 

でも逆に一夏にも同じことが言える。遠距離タイプに接近戦で勝つのなら、一度詰めた間合いは決して離さずに、そこで仕留める。近接対遠距離の戦い方の鉄則だ。つまり俺が簡単に避けられるのは、まだまだ一夏に決めきれるだけの決定打が無いことになる。

 

生身の戦いでも同じように決定打が無ければ、相手に翻弄され続けて、気持ちや体力が切れた時に仕留められる。それか瞬殺されるかのどっちか。果たして俺の攻撃に一夏がどこまで着いてくるのかは分からないけど、ISではなく生身の戦闘であれば瞬時に組伏せることは容易だ。

 

さて、どこまで一夏が反応できるか……。

 

 

「……隙あり!」

 

「うわっ!?」

 

 

重なりあっていた刃を力任せで強引に右側へと弾く。ぶつかり合っていたことで均等が保たれていた力が、弾いたことで右側……一夏にとっては左側に集中し、一夏の体のバランスが崩れて、石に躓いて転ぶかのように前につんのめる。バランスが一度でも崩れれば、それは大きな隙になる。一度前に崩れたバランスをすぐに立て直すのは、いくらISに乗っていたとしても難しい。

 

戻せたとしても若干の時間が生じる。その隙を黙って見過ごすほど、俺は優しい人間でも手を抜く人間でもない。

 

 

「はあっ!!」

 

 

一夏の斬撃を弾いた後、追い討ちを掛けるようにブレードを縦に振り下ろす。

 

 

「くっ……まだまだ!」

 

 

バランスが崩れつつも、何とか持っている雪片で俺の斬撃を止める一夏。顔はまだ諦めていない、この状況において俺の優勢を覆そうとしている。

 

……面白い。

 

 

「なら止めてみろ!!」

 

 

空中で対面したところに容赦なく斬撃を加える。縦横斜めと闇雲に振り回さずに、相手の避けにくいところをピンポイントで狙っていく。すると一夏の表情がみるみるうちに苦悶の表情へと変わる。初めのうちは何とか防いでいたが、徐々にガードが崩れていく。

 

相手がガードを出来るのであれば相手に余裕があって、反応ができていることになる。ならば、相手に余裕がなくなる上に、反応が追いつかない速度で攻撃を叩き込めばいいだけ。ガードを崩されつつも何とか防ぎ、凌いでいるのは流石。日頃の訓練の賜物だ。

 

……果たしてあれがまともな指導かと言われれば少し怪しいけど、それでも成長しているんだからいいのか。逆によくあの指導法で上達したなとすら思えた。

 

それでも俺はその上を行って見せる。

 

いくら経験が浅くとも、どれだけ操縦が下手だとしても、絶対に負けるわけにはいかない。負けず嫌いとでも何とでも言えば良い。

 

単純に負けたくない、それだけだ。

 

 

「く、くそっ! 速すぎて……!」

 

「どうした一夏! 反応出来ないと更なる高みなんて行けないぜ!」

 

「い、言ってくれる!」

 

 

もはやガードは追い付いていなかった。目で追いきれておらず、体も反応していない。そもそも俺の動きについていけてなかった。この近距離だ、立ち回りも戦術もへったくれもない。

 

手を緩めずに攻撃を加えていく。

 

 

「甘いっ!」

 

「うわぁっ!?」

 

 

斬撃の途中で一夏に蹴りを入れると、予想外の体術にガードが間に合わず、数メートルほど後ろに一夏は吹き飛ばされる。そして吹き飛ばした後を追うように一気に接近し……。

 

 

「ふっ!!」

 

 

一夏の首元にブレードを突き付けた。

 

 

『そこまで!』

 

 

オープンチャネル越しに、シャルルから止めの合図が掛かる。突き付けたブレードを一夏の首元から離して、一歩後ろに下がる。肉体をフルで使う連続攻撃は結構疲れる。動けなくなるほどではないが、額からはじんわりと汗が染み出てきた。

 

刀をしまう俺に対して、一夏が悔しそうな顔を浮かべながら声を掛けてくる。

 

 

「やっぱり強いな大和は。……なんか自分が情けなく思えてくるよ。綺麗事ばかり言って俺は何をやってたんだろうって」

 

 

拳を強く握りしめながら話すその言葉からは、自身の不甲斐なさがひしひしと伝わってきた。実戦を積んでいる回数で言えば圧倒的に一夏の方が多く、反対に俺が動かした回数に関しては指折り数えるくらいしかない。

 

それでも蓋を開けてみれば、目の前には完敗という二文字があった。悔しい、今まで何を思って訓練していたのか、自分には才能がないんじゃないか。様々な思考が一夏の中にはあるはず。

 

あくまで模擬戦、一夏も零落白夜を使うことがなかったわけだし、全力の戦いではないのは間違いない。とはいえ、それは全て言い訳に過ぎないのは一夏自身が一番分かっている。

 

成長速度だけで言えば誰よりも早いだろう。それでもまだ一夏には絶対的な切り札はない。零落白夜は確かに能力だけ見ればチート的な性能だが、それをまだ一夏が使いこなせてないように見える。

 

零落白夜を自在に使いこなせてこそ、初めてそれが絶対的な切り札になる。俺は一足一刀の間合いが自分の領域(テリトリー)だと思っている。この間合いでは絶対に負けたくないし、負けるつもりもない。何人か反応出来そうな人に心当たりはあるものの、俺の強みであることには変わらない。

 

その反面、近寄らなければ出来ないデメリットがあるため、万能ともいえない。強みと弱みは常に背中合わせ、近寄れば絶大な効果を発揮出来るが、近寄れなければ意味がないわけだ。

 

 

「ネガるなよ。俺だって何もせずに今がある訳じゃないし、成長速度なんて人それぞれだろ」

 

「そう言われてもなぁ。実際大和との力の差は明らかだろ? いくら成長速度が人によって違うとは言っても、稼働時間が圧倒的に俺の方が長いのにこうもあっさりだと少し凹むぜ……」

 

「あー……まぁそこに関してはなぁ」

 

 

言えるはずがない、命を懸けたギリギリの状況下で仕事をしてるなんて。ISを動かすときに少なからず、身体能力の高さが比例してくる。例えば代表候補生のセシリアや鈴だって運動神経は良いみたいだし、千冬さんに関しては言わずもがな。

 

一般の男性に比べると一夏も十分に運動神経は良い方だけど、それでもまだ伸ばせる部分はある。元々剣道をやっていた時に比べて、体力的には落ちているわけだし、日頃の訓練を続けていけば身体能力も上がる。

 

一つ気になるとすれば、いつもに比べると一夏の落ち込み方が激しいところか。俺が一夏を認識しきれていないのもあるのかもしれないが、IS学園に来てから一夏の落ち込む姿をみるのは初めてかもしれない。表情もどこか浮かないものだった。

 

 

「らしくないな一夏。ネガティブ思考はあまりしないと思っていたんだけど」

 

「うーん……俺もあまり気にするタイプじゃないと思ってたんだけどな。それでも悔しいものは悔しいし、落ち込む時は落ち込むさ」

 

「なるほど。とりあえず地上に戻ろうぜ」

 

 

気になるところは色々あれど、模擬戦が終わったのにいつまでも上空に待機している訳にもいかないため、地上へとゆっくり降下していく。

 

降下地点にはISを展開したシャルルと篠ノ之、そして鈴とセシリアが待ち構えていた。周りにも何人かが様子をチラチラと伺いながらも、どこか近寄りにくいらしく、こちらを見つめるだけの生徒がいる。

 

いくら倍率の高いIS学園に入学したとはいえ、周りに代表候補生がいて、IS製作者の妹がいれば大きな顔は出来ないし、近寄りづらいよな……などと思いつつ、地面に無事着陸。隣にいる一夏も、グラウンドに大穴を開けること無く無事に着陸したようだ。

 

三人が真っ先に駆け寄ったのは一夏の元だった。ここまでものの見事にスルーされると突っ込む気が無くなる。

 

駆け寄ったは良いものの、口から出る言葉は中々に厳しい言葉で、ギャーギャーと一瞬のうちにその場が騒がしくなる。一応模擬戦を行ったわけだし、フィードバックとして一夏に思ったことを伝えるために一夏の元へと歩み寄る。

 

とりあえず一夏の課題は何個かあるけど、さしあたり目立つとすれば……。

 

 

「俺が率直に思ったことだけど、結構攻め急いでいなかったか?」

 

 

俺が戦いながら思っていたことの一つが攻め急ぎだ。一夏も俺の戦法をある程度は把握しており、主導権を持っていかれないように気を付けていたのも分かる。そうは言っても、自分の攻撃方法も近接戦闘しか無いため、最終的には近寄らなければ攻撃を加えられない。

 

長引かせてこちらの動きを把握されるくらいなら、短期決戦で早目に終わらせようとでも考えたか。

 

俺の質問に目を丸くして見つめてくる一夏だが、口から発せられる言葉はやはり図星だった。

 

 

「あぁ。セシリアとの一件で、大和にペースを握られたら終わるって思ってさ。それならペースを握られる前に終わらせようと思ったんだけど……」

 

「……わたくしはあの時のことを思い出すだけで、トラウマが甦りそうですわ」

 

 

真っ先に反応したのは他でもないセシリア本人だった。苦手な接近戦で完膚無きまでに叩きのめしたことで、接近戦の重要性を改めて認識させられたみたいだが、セシリアの中にはどうも飛び込まれた時の苦手意識があるのかもしれない。

 

ただこれに関しては、あまり近接武器の練習をしてこなかったことも原因の一つにあるのではないかと思っている。例えるならスキーやスノボーを練習もせずに、いきなりやれと言われても出来ないのと同じで、接近戦の訓練をせずに対処しろと言われても無理な話だ。

 

 

「何にしてもあの剣技は目を見張るものがあるな。霧夜はどこでそれだけの実力をつけたんだ?」

 

「……どこでって言われると答えづらいけど、結構無茶はしたな。それこそ真剣を使っての手合わせとか」

 

 

あれは地獄だったなと昔のことを思い返す。本気で生死を懸けた戦いってのは、本気で逃げ出したくなる。それも戦う相手が明確な敵ではなくて、千尋姉ってところがまた逃げたい気持ちを増幅させる。

 

もうそれから数年が経つのかと考えると、時が経つのは早いなと再認識させられる。当然俺は本気で立ち向かったが、当時は全く歯が立たなかった。向こうとしては目の前で赤子が必死に立ち向かってくるようなものだったんだろう。その場から一歩動かせずに、俺は惨敗した。

 

人に真剣を向けるのもそうだが、訓練とはいえ、家族に刃を向けるのが精神的にも辛く、怖いものだったのを覚えている。

 

まぁ、当たり前だけど仕事で相手に刃を向けたことは何度もある。それでも自分の中に強く残っているとしたらこれだ。

 

 

篠ノ之の問いに何気なくさらりと返答すると、それまで黙って話を聞いていた一夏が反応した。

 

 

「……ちょっと待て、今真剣で手合わせって聞こえたんだが」

 

 

案の定、言われたことに疑問を持った一夏が驚きの表情……というよりも人間でない何かを見ているような目付きで見てくる。

失礼な、俺は別に人間を辞めたつもりもないし、化け物になったつもりもない。

 

ちょっとだけ指導法が厳しかっただけだ。

 

 

「あぁ、やったよ。本気で死ぬかと思ったけど」

 

「死ぬとかそういうレベルじゃないだろ!! お前は一体どんな生活送ってんだよ!?」

 

「いや、生活は普通だぞ。何なら一夏もやってみるか?」

 

「勘弁してくれ!!」

 

 

これ以上話していると全員の俺への認識が人間でない何かになりそうなため、適当な辺りで話を分断させる。先ほどから俺の周囲は苦笑いを浮かべることしか出来ずにいた。

 

シャルルに関しては俺のことが未だよく分かっていないらしく、困惑の表情を浮かべるのみ。普通の一般常識で考えらたら、真剣で戦い合うこと自体が常識から外れているため、全員の反応は必然でもあった。

 

一旦話しに区切りがついたところで、再度別の質問を一夏に向けて投げ掛ける。

 

 

「とりあえずそこは良いとして……一夏。ちょっと例え話をしよう、自分の目の前に蚊が現れたらどうする?」

 

「そりゃ、両手で叩き潰すか追い払うだろ。いつまでも周りを飛ばれたら耳障りなだけだしな」

 

 

返ってきた答えに関しては、おおよそ予想通りの答えだった。周りに蚊が飛んでいれば耳障りな上に、刺されたら腫れて痒くなる。誰がどう考えても一夏と同じ答えを言うだろう。

 

 

「なるほど。なら叩き潰すタイミングはどうだ?」

 

「タイミングって言われてもな。目の前を飛び回られたらすぐにでも……あっ」

 

「そう。飛び回っている時に叩き潰すのと、人肌に触れようとした瞬間では仕留めやすさの違いは歴然だ。つまり戦いに置き換えるのなら、仕留めるタイミングや相手の特性の見極めだ。それがまだ身に付いていない」

 

 

相手のデータが全く無い状況であれば、情報を引き出すために動きが慎重になる。仮に分かっていたとしても、余程の実力差が無い限りは無茶なことはしない。

 

クラス対抗戦では鈴の不意をついて一泡ふかせたと聞いている。だから一夏にも出来ないわけではないが、まだ操縦者として未熟な部分が目立つ。

 

今回のケースでは一夏は主導権を握られまいと積極的に近接戦闘を持ち掛けてきた。積極的なのは悪くないが、戦術がない積極性は怖くない。図られているのであれば話は別だとしても、そんな素振りや仕草は一つとしてなかった。

 

積極的な行動が逆に攻め急ぎに繋がり、そして大きな隙を作ることになった。そこには油断や実力が含まれるとしても、相手の特性やデータが分からずに戦うのは無謀も良いところ。

 

 

「それに戦術も無しに飛び込んできたら、俺としても対処するのは簡単だし、鈴とかセシリアも余裕で対応出来るだろうしな。相手をちゃんと把握すること、仕留める時は一瞬の隙を見逃さずに確実に仕留めること。これが今の段階で俺からアドバイス出来ることだな」

 

「へぇ、何と言うか……分かりやすいなぁ」

 

「うん、僕もそう思う。感覚で語るタイプかなって思ったけど、大和って指導者に向いているんじゃない?」

 

「向いているとは思わないけどな……シャルルは一夏の今の課題って何だと思う?」

 

「そうだね。あっ、そうだ。もし一夏が良ければ僕と……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ! あれって……」

 

「ウソっ、ドイツの第三世代じゃない?」

 

「まだ本国でのトライアル段階だって聞いてたけど……」

 

 

シャルルが何かを言い掛けた途端、不意にアリーナにいる生徒たちがざわつき始める。ざわめく原因が何なのかは知らないが、向けられる視線の雰囲気にはどこか見覚えがあった。ざわつきの中心に吸い寄せられるように、俺たちは一斉に振り向く。

 

 

「……織斑一夏、私と戦え」

 

 

明確な敵意を隠そうともせず、ISを装着してこちらを睨み付けるラウラ・ボーデヴィッヒの姿がそこにはあった。



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葛藤、衝突。そして確信

 

 

 

「……はぁ」

 

 

天井へ向かって無意識に溜め息を吐く。寝転んだベッドが僅かに沈み、身体の周りをシーツの冷たさが包み込む。

 

折角の休日だというのに、彼女の心は晴れないでいた。休日といえば学生の花でもあり、プライベートを思いきり楽しむことが出来る貴重な時間。では、そんな貴重な時間なのに何故心が晴れないのか。別に課題が山のように残っているわけでも、今が日曜日の夜とかそういうわけでもない。

 

―――鏡ナギ。どこにでもいるような普通の女の子だ。

 

高校一年生ともなれば、それなりに悩みも出てくるし、異性に対して意識をする。彼女の中には密かに思いを寄せる男性がいた。

 

霧夜大和。この学園にいる数少ない男子生徒で、世界で二番目にISを動かした男性操縦者でもある。ただでさえ女性の園といわれるIS学園に男子が入学しようものなら、よかれ悪かれ全生徒の注目の的にもなる。

 

知名度だけでいえば一夏よりも低いものの、生徒の中での大和の評価は非常に高く、中には少しでもお近づきになりたいと話し掛けてくる生徒だっている。大和もあまり抵抗が無いようで、誰とでも平等で気軽に接するし、嫌がる素振りも見られない。

 

そんな男性が自ら友達は少ないと言うのだから、驚きでもある。以前、彼女が居たことがあるかと質問したことがあるが、本人は居ないとキッパリと言い切ったことが学内に噂で広まり、月が経つにつれて大和の人気が上がっているのは明らかだった。

 

ナギ自身、初めから大和に好意を持っていた訳ではない。初めて話したのは入学初日の寮の食堂での出来事だ。三人で食事をとっていたため、偶々席が一ヶ所空いており、そこに運良く食堂に現れた大和が座っただけのこと。

 

クラスでは席が隣同士以外に、何か接点があるわけではない。隣同士ということで、話しかけやすいのではと言われればそうかもしれないが、まず彼女の性格上自分から率先して話し掛けていくタイプでもない。

 

そして特に自分に秀でたものがあるかと言われれば、思い浮かばない。もちろん、他の人から見ればあるのかもしれないが、自分でこれが秀でていると言い切れるものは無かった。

 

 

「……うぅ」

 

 

ごろりと寝返りを打ちながら、ベッドに置いてあるマスコットの抱き枕を抱き締める。気分が晴れないせいか、抱き締める力がいつもに比べて強い。巻き込んだ腕が抱き枕に深く食い込む。

 

自室ということもあり、彼女の服装は非常にラフなものとなっている。上半身に纏う襟シャツは胸元が大きくはだけて、とても人前に出れるようなものではないし、下に関しては穿いているのか穿いていないのか分からないほどに際どい。実際下にはショートパンツをはいているものの、それがかえってアダルトな雰囲気を醸し出す原因になっている。

 

女性もプライベートの時は人前に出れない服装をしているとはよく言ったもの、この姿を大和が見たらいつものイメージが反転するに違いない。大和の性格だから特に悪くは言わないだろうが、驚かれるのは間違いないだろう。

 

 

「ただいま……って何やってるの?」

 

 

部屋のドアを開けて入ってきたのは、ルームメイトの夜竹さゆかだった。ベッドに寝転んでいるナギの姿を見て、呆れたような顔をしながら告げる。反応から察するに今回が初めてでは無いみたいだ。

 

 

「あ、さゆか……もう用事は終わったの?」

 

「うん。ちょっとしたことだったからね。……ふぅ、やっぱり休みの日に制服着るのは落ち着かないなぁ」

 

 

 ボタンを外して制服を脱いでハンガーに掛ける。サラリーマンが休みの日に会社から電話が来ると、不快な思いをするように、休みの日にちょっとした用のために制服を着て学校へ行くのは良いものではない。

 

制服を脱ぎ、ワイシャツ一枚になるとスカートだけはいたまま隣のベッドにゆっくりと腰掛ける。片手をぐっと天井に向かって伸ばした後、ナギの方へと振り向く。

 

 

「……それで、誰のこと考えていたのかな?」

 

「べ、別に誰のことも考えていないよ。ちょっと気分が乗らなかっただけで……」

 

 

ニヤニヤと小悪魔的な表情を浮かべながら問い詰めていく。これも何度のやり取りだろうか。核心をつかれて苦し紛れの言い訳をしてみるものの、その語気には全く説得力がない。更に言ってしまえば、言い訳を聞いたのは今回だけではない。だからこそ、既に一つの結論に辿り着いていた。

 

 

「ま、良いんだけどね。何を考えようとも、その人の自由だから」

 

「……さゆかが人をからかうのが上手いなんて、皆が知ったらビックリしそう」

 

「そう? でも確かにクラスだとあまり喋らないし、言われてみるとそうかも」

 

 

さばさばと話す口調は一件個性にも見えるが、実は学園では全くの真逆な性格をしている。目付きはどちらかといえばたれ目で、大人しくてお淑やかなイメージが強く、クラスの中では物静かな方で、積極的に発言することも少ない。

 

良くも悪くも物静かなイメージがクラスメートの頭にはある。一度染み付いたイメージはそうそう抜けるものではない。

 

例えば何か疑われるようなことをしたとする。それがクラスに蔓延すれば一度事が解決した後でも、何か問題が起きたらまたアイツがやったのではないかと疑いの目を向けられる。

 

人は見かけによらない、良くあることだ。

 

 

「あっ、そういえば霧夜くんの噂は知ってる? 今ちょっと話題になってるんだけど」

 

 

ふとさゆかが話題を変える。噂なんてどこにでもあるが、この学園では特に一夏と大和の噂は絶えない。一体どこからその情報を仕入れてくるのかと思うほどに、話題は豊富にある。日常茶飯事に噂は切り替わるため、噂自体知らない人間も多い。

 

とはいえ、ここ最近で何か噂になるようなことがあったかと、首をかしげながら返す。

 

 

「え? ここ最近は大和くんの噂は聞かないけど……」

 

「だよね。ナギってさ、霧夜くんの過去って聞いたことある?」

 

「……ううん、聞いたことない。あまり大和くんって過去のことを話さないから」

 

 

過去を聞いたことないのは事実で、この数ヵ月間で大和が自分の過去について語ったのは僅か。一例をあげるのなら、初日の夕食時に彼女が居たことがあるかないかの話がそれだろう。

 

そして何故か一瞬、クラス対抗戦での無人機襲撃の光景が頭をよぎる。彼女にとっても思い出したくない、話したくない過去だ。

 

過去といえば大和は一体何者なんだろうかと、何度か考えたことがある。見た目は同い年の男の子にしか見えないものの、見境なしに攻撃してくる無人機に対して生身で立ち向かおうとするその肝の据わった度胸、臆することのない精神力。とても同年代の人間とは思えないのも無理はなかった。

 

二人きりで出掛けたときに大和が話してくれたのは、あの時に助けたのは大和自身だという真実のみ。それ以上のことは聞かなかったし、話されなかった。

 

 

「何かあったの?」

 

 

確かに大和の噂は多いが、入学当初に比べると過去の事に触れる噂はほとんど聞かなくなった。全くのゼロではなくとも、広がる前に鎮火するのだろう。聞かなくなっているのは大和に対する興味が薄れた訳ではなく、興味を持てるような噂が少なくなったと考える方が良いかもしれない。

 

どうして今の時期になって過去の噂が流れてくるのか、ナギの中で気になる部分があったらしく、再度さゆかに聞き直す。ナギもさゆかも噂を率先して広める性格ではないが、噂が流れてくればやはり気になるもの。興味深しげに先に続く言葉を待つ。

 

 

「うん、あくまで噂なんだけど。ほら霧夜くんってISを動かした時もあまりニュースで取り上げられなかったでしょ?」

 

「そういえば……」

 

 

確かに、と頭の中で頷く。そう思うのは無理もない、男性がISを動かしたという世界的なニュースにも関わらず、取り上げられるのは一夏のことばかりで、大和のことはほとんど取り上げられていなかった。一夏が千冬の弟だから、メディアが一夏の方に注目するのも当然だといえばそれまでだろう。

 

ただいくら注目の的だからと言って、大和の情報が取り上げられないのは不自然だ。仮にも二人目の男性操縦者なのだから、メディアが卒倒するのは目に見えている。一夏と同じように、大和の生い立ちから友人関係から何から何まで全て洗い出してもおかしくはない。

 

頭の中に残るわだかまりが語る。

 

 

『どうしてなんだろう?』と。

 

 

「今更だけど、変な噂が立ってるんだよね。隠さなければならない経歴があるんじゃないかって」

 

「経歴って……そんな大げさな」

 

「だよね。私もそう思ったんだけど、霧夜くんって分からないことが多いからさ」

 

 

今さらバカらしいよねと付け足すさゆかだが、彼女もまた数少ない男性の噂というところに、少しばかり興味を持っているようにも見えた。

 

 

「大和くんの過去かぁ……確かにちょっと気になるかも。でもあまり詮索することでもない気がする」

 

「私もナギの意見に同感かな。あまり人の昔話に首突っ込むのもちょっとね」

 

 

中にはより深いところまで知りたいと思って詮索する子もいる。しかしその行為を快く思わない子もいる。少なくとも噂になっている本人はあまり快くは思わないだろう。それも自分の過去について勝手な憶測が飛んでいるわけだ、いい気分になるわけがない。

 

とはいってもきっと大和のことだ、絶対に表情には出さないだろうと容易な仮説が立てられる。ふぅと一つため息をつき、ベッドに向かって再度倒れこむ。結局自分はどうすればいいのかと、頭を悩ませる。

 

いつも彼のことが頭から離れない、軽い病気なんじゃないかと思うくらいだ。

 

 

「で、実際のところ霧夜くんとはどこまで行ってるの? そのネックレス、最近付け始めたみたいだけど、もしかして霧夜くんのプレゼントとか?」

 

「へ? こ、これ!? こ、これはそのぅ……」

 

 

話が一段落したところで、さゆかは急に話題を変えて人差し指をナギの胸元に向けて指差す。さゆかの指差す先にあったのは、いつぞや大和と出掛けた時に貰ったネックレスだった。

 

折角貰ったのだからと周囲の視線を気にしつつも、ここ一週間は毎日のように付けていたが、特に周りが突っ込んでくることは無かった。あるとすればどこで買ったのかと聞いてくるくらいで、大和に関する話には一切絡んでいない。気付いていないと言えばそれまでだが、ネックレスが誰かから貰ったものだと推測する生徒もいる。

 

それが大和だと推測することだって出来るわけだ。

 

 

さゆかの一言を本来なら否定するべき場所なんだろうが、本人の反応は見ての通り。これではネックレスは大和から貰いましたと自らアピールしているようなもの。もごもごと黙り込んでしまう辺り、まさか振られるとは思っていなかったんだろう。

 

言葉を考えようとすればするほど、逆に言葉が詰まってしまい、言い返すことが出来なくなってしまう。そんなアワアワと慌てる姿のナギを、ニヤリと見つめる姿はまさに小悪魔そのもの。むしろナギからすれば悪魔なのかもしれない。

 

もう何を言い返しても自分は手玉にとられるだけ。そう感じたナギは観念したかのようにポツポツと言葉を続ける。

 

 

「……はい、そうです」

 

「やっぱり、何となくそんな感じはしてたんだよね。でも良いなぁ、好きな人からのプレゼントかぁ」

 

「す、好きな人って……まだ好きな人とは言って「じゃあ、嫌いなの?」そ、そうとも言ってないよ! 私は別に……」

 

 

あまり大っぴらに彼女も言いたくないらしい。仮に好きだと言ってそれが大きな噂になれば、大和に迷惑が掛かる。もちろん、大和に好意を抱く女性は少なからずいるだろう。一度も大和と話したことがない生徒、話したことはあるもののクラスが違ってお近づきになれない生徒と様々だ。

 

この学園に異性として入学すれば、物珍しいだけではなく、生徒たちの好みのタイプに当てはまることもある。人の個性は十人十色、顔が良ければ全員が惚れるかと言われれば違う。それでも好みのタイプだと認識する生徒がいても不思議ではない。

 

 

「もう、はっきりしないなぁ。別に誰かに言いふらしたりするわけしゃないのに」

 

「も、もういいでしょ!? この話は終わり!」

 

「はいはい、分かったわよ」

 

 

顔を真っ赤にしながら話を中断させようとする。流石にこれ以上からかうのは酷だと思ったのか、さゆかも渋々といった表情で話を止めた。

 

止まってしまった話をどう続けようかと考えていると、不意にさゆかの携帯のバイブが鳴り始める。ちょっとごめんねと一旦席を外して、廊下の方へと歩き始める。

 

電話だろうか、携帯電話を耳に当てて話し始める。話すとは言っても、内容が聞き取れるほどの声ではなく、何かを話しているなと思うくらいの小声のため、内容までは分からない。ただ先ほどまでと違って、さゆかの表情はどこか気難しいものだった。

 

表情の変化に何があったのだろうと、ナギは首をかしげる。人の心を読むなんて特技があれば分かるんだろうが、生憎人類にはそんな超人的な能力を持つ者は居ない。

 

やがて電話を終えると再度ベッドに深く腰掛け、ナギに向かって意味深なことを話し始める。

 

 

「一度あることは二度ある、か……」

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「織斑一夏……」

 

「何だよ?」

 

「貴様も専用機持ちらしいな。なら話は早い、私と戦え」

 

「断る。俺にはお前と戦う理由がない」

 

 

休日のアリーナは各学年の生徒たちが自身の鍛練に使用することも多い。実習ほどピリピリとしたムードではないものの、真剣に取り組む生徒たちの周りは張り詰めた空気が流れているのも事実。ただそれを差し引いたとしても、ここまで異質な空気が流れることはそうそうあるものではない。

 

異質な空気はとある場所から周囲に伝染し、全く関係のない生徒までがその方向を気にするほどだった。

 

一夏は向けられる視線に対して臆せずに突っかかる。初対面が最悪の出会い方のせいで、ボーデヴィッヒに厳しい言い方で返す。一夏の反応はボーデヴィッヒにとって想定内のものらしく、口元を少しばかり半月に歪めながらニヤリと笑みを浮かべる。お前に戦う理由が無いことくらい、百も承知だと言わんばかりに。

 

 

「貴様に戦う理由が無くとも私にはある」

 

 

何がそこまで彼女を駆り立てるのか。一夏が誘拐されたせいで、千冬さんは決勝戦を棄権せざるを得なくなり、モンド・グロッソの二連覇を逃したからか。千冬さんに依存するボーデヴィッヒの闇は相当深いものらしい。

 

この考え方はどう考えてもこじつけに等しい。いくら尊敬しているとはいえ、優勝という名誉より一つの命は天秤には掛けられない。それもたった一人の弟であれば、誰もが弟の命を優先するだろう。

 

しかし実際、常識だと思われている認識は、ボーデヴィッヒの中ではかなり大きくずれていた。

 

下手にここで俺が介入しても火に油を注ぐだけだろうと判断し、一触即発の雰囲気の中、二人の様子を黙って見つめる。一度だけではあるが、食堂でボーデヴィッヒと話したことがある。

 

話の中で彼女が一夏のことをどう思っているのか把握はしていた。その上で度が過ぎるのであれば、こちらとしても容赦はしないと釘は刺した。

 

とはいっても彼女の一夏に対する強い憎しみは、一度釘を刺したくらいで、どうにか出来るものではないみたいだ。幸い、闇討ちしようなどと考えていないだけマシだとポジティブに考えるべきか。それとも動向が分からないからこそ、何をしでかすか分からないと深く考えるべきか。

 

どちらにしても、しばらく警戒を厳にする必要がありそうだ。

 

 

 

「貴様がいなければ教官が大会二連覇の偉業を成しえただろうことは容易に想像できる。だから、私は貴様を……貴様の存在を認めない」

 

 

……あぁ、やっぱりな。

 

一夏の返答に対するボーデヴィッヒの予想通りの返しに、ため息が出てくる。

 

後ろにいる篠ノ之たちは、訳が分からないって顔をしている。

 

そりゃそうだ、何故一夏のせいで千冬の二連覇を逃したのか分かるはずもない。例え理由が分かったとしても、ボーデヴィッヒのやろうとしていることに同情は出来ないだろう。

 

 

「また今度な。今は戦う気分じゃない」

 

「ふん……ならば戦わざるを得ないようにしてやる!」

 

 

一夏が軽くあしらうように背を向けると同時だった。ボーデヴィッヒの纏う漆黒のISの左肩の砲身が、太陽の光でギラリと反射したかと思うと、大型の実弾が背を向けている一夏に一直線で向かっていく。

 

まさか背を向けた瞬間に自分が撃たれるなんて思う人間は居ない。発射音と共に後ろを振り向くも、すでに弾丸は発射された後。すぐさまにクローズ状態の雪片を展開し、迫り来る弾丸に備えようとするも思いの外弾丸の方が速い。

 

すると弾丸が当たるかどうかといった距離まで接近した瞬間、金属がぶつかり合う鈍い音と共に弾丸が弾かれる。当たったのは一夏ではなく、何者かが展開したシールドだった。

 

その人物はというと。

 

 

「……こんなところでいきなり戦闘を始めようとするなんて、ドイツの人は随分沸点が低いんだね?」

 

「貴様……!」

 

 

当たる直前に一夏の前に素早く割って入ったのはシャルルだった。ラファールのシールドを展開しながら、右手に六一口径アサルトカノンを持ち、 銃口をボーデヴィッヒ、もとい彼女の専用機のシュヴァルツェア・レーゲンに向ける。

 

濁したジョークを飛ばしたのは、シャルルなりの配慮のつもりなのか。しかしそれが逆にボーデヴィッヒの癪に障ったらしく、表情こそ変わらないものの、明らかに先程に比べて殺気が強くなっている。

 

まぁ一応俺も前には出たけど、結局はシャルルに助けられた形になる。最悪、刀で飛んでくる弾丸を叩き切るか弾けば良い話だ。セシリアのレーザーとは勝手が違うとしても、原理は同じだし出来ないこともない。

 

それにしてもシャルルの一つ一つの動作に全く無駄がない。相当乗り慣れていることが動きから容易に判断できる。

 

 

「やるなシャルル」

 

「そんなことないよ。慣れれば今のことくらい誰でも出来るようになるだろうし」

 

 

顔だけを少しだけ反転させ、俺と一夏の身に何事もないことを確認した後、再度ラウラの方へと視線を向ける。

 

 

「フランスの第二世代型で私の前に立ちふさがるとはな」

 

「未だに量産化の目処が立たないドイツの第三世代型よりは動けるだろうからね」

 

 

二人揃って冷静さを保っているというのに、雰囲気が怖い。そう思っているのは俺や一夏だけじゃないだろう。シャルルとボーデヴィッヒの実力は完全に未知数だが、二人の行動だけで判断するのであれば相当な実力を持っているのは分かる。互いに衝突したらどちらが勝つのかは、全く見当がつかない。

 

二人が戦うとどうなるかを見てみたいが、そうは行かないだろう。ボーデヴィッヒの初撃は明らかに背を向けた人間に対してすることではない。当然、騒動の一部始終はアリーナに設置されたカメラで、監視室のモニターに映し出されているはず。

 

時間的にはもうそろそろだけど……。

 

 

『そこの生徒! 何をやっている! 学年とクラス、出席番号を言え!』

 

 

タイミングを見計らったように、アリーナのスピーカーから教師の声が響き渡る。ここまで来れば、もうボーデヴィッヒとはいえ手出しはしてこないだろう。ここで下手に問題を起こし、必要以上に教師に目をつけられ、自分に不利な状況へ傾かせる行為はしないはずだ。

 

いや、もう十分なくらいやっているんだろうけど、今回の騒動の全部を教師が見たわけでもないし、彼女にとってこうも何回も邪魔が入れば興が削がれる。既にもう戦う意思はないようで、ISの展開を解除し、俺たちに背を向けてアリーナの出口に向かって歩いていく。

 

 

「……ふん、また今度だな」

 

 

一言言い残すと、その後ろ姿はアリーナの外へと消えていった。

 

 

「はぁ、何だか一気にペース崩されたな。しかし良い度胸してるよなボーデヴィッヒも。あれだけ吹っ掛けといて何事もなく立ち去るなんて」

 

「一夏、大丈夫?」

 

「あ、あぁ。二人ともありがとう」

 

 

誰よりも早く一夏の元にすぐに駆け寄り、その身を心配するシャルル。攻撃が当たったわけではないため、一夏の体にダメージ自体はない。一夏も心配そうに駆け寄るシャルルに問題はないと、自身の無事を伝える。続いて篠ノ之やセシリア、鈴が一夏の周りを囲う。

 

人気者は忙しいな。

 

ふと現実に戻ったところで、周囲を見渡すと先程までいた生徒たちの数が減少していた。時間的にはもう夕方、休日のアリーナの閉館時間は早いし、俺たちもそろそろ撤収した方が良さそうだ。

 

……にしても、ようやく申請が下りて借りられたと思ったら大したことが出来ずに終わりとか泣けてくる。訓練機は予約制で、時間制になっているのは知っているけど、限られた時間で出来ることなど知れてる。そういう意味では久しぶりに実戦を経験出来たのはプラスだった。

 

時間的にもうやれることもないし、俺たちも更衣室に戻るとしよう。

 

 

「ま、今日はこのくらいにしておくか。時間も時間だし、あまりここに長居しても仕方ないだろう」

 

「……」

 

「おい、一夏。聞いてるか?」

 

「あ、あぁ大丈夫。じゃあ更衣室に戻るか」

 

 

気のせいか、どこか一夏に元気がないようにも見える。俺に負けたことを引きずっている訳じゃなさそうだし、他に原因があるとすれば何だろうと、ボーデヴィッヒが来てから今までのことを思い返してみる。

 

……あぁ、千冬さんが優勝を逃したのはお前のせいだと言われて、引きずっているってところか。誘拐に関しては誰も予想が出来ないわけだし、それを負い目に感じても過去が変わるわけではない。そうは言っても、いざ面と向かって言われればブルーな気分になるのはもうどうしようも無いこと。気にするなとはいっても、実行するのは俺じゃなくて一夏。

 

俺が詮索したところでどうにかなるわけでもないし、もう少しだけ様子を見るか。

 

 

「えっと……じゃあ先に着替えて戻ってて」

 

 

 更衣室に戻ろうとした俺と一夏に、シャルルがそう言付けする。気になると言えばシャルルもそうだ。何故か着替えの時に俺たちと着替えたがらない。耐性が云々って話を前したけど、一緒に着替えるくらいあっても良い。

 

ISの実習の時も着替えは完全に別で、俺たちが更衣室に行く前にシャルルが着替え終わるか、俺たちが着替えて更衣室を出ていった後に、シャルルが着替えるか。いずれにしても頑なに一緒に着替えるのを拒んでいる。

 

知られたくない秘密があるにしても、その反応が如実すぎるために、一夏もどうして一緒に着替えないのかと首をかしげるしかない。

 

 

「というかどうしてシャルルは俺たちと着替えたがらないんだ?」

 

 

一夏が少し前からシャルルの不可解な行動を気にしていたのは俺も知っている。初めの内は別に気にすることでもないだろうと、言及することも無かったが、毎日毎日頑なに断られれば誰でも不自然に思う。最初は恥ずかしがりやなのかなと思うことでも、毎回毎回同じ言葉を言われると、幾らなんでも気にしすぎじゃないかと認識は変わる。

 

本音を言うのであれば、本当に男性なのかと疑わざるを得なくなる。幾らなんでも男性の反応としては不自然な部分が多過ぎる。それが如実に出るのが着替えの時だ。

 

そして一夏の正論にシャルルが返す言葉は。

 

 

「だ、だって……その、は、恥ずかしいから……」

 

 

消え入りそうな言葉だった。もはや自分が着替えるところを絶対に見られたく無いと言っているようなもの。今まで何人もの男子を見てきたけど、ここまで如実な反応は一度もお目にかかったことはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

……まぁ、あれだ。正直な話俺もここまであえて悟らないようにはしてたけど、知らない振りをするのも疲れてきた。

 

ぶっちゃけて言うなら、何でシャルルはわざわざ男装なんかして入学する必要があったのか。それもわざわざリスクを犯してまで。転校してきた時から、シャルルの見せる言動に違和感を覚えてきたが、ここまで来ると女性なのかという疑問から、女性だと言い切れるレベルでの確信がある。

 

本人はバレまいと隠しているみたいだけど、隠せているとは到底思えない。同室の一夏にバレるのも時間の問題だろう。

 

 

一つ心当たりがあるとすれば、同じ男性であれば俺か一夏に近寄りやすいところだ。男装した理由なんていくつでもこじつけられるけど、恐らくはシャルルの実家関連でのことだろう。デュノア社は世界的にも有名なIS関連の会社で、量産機であるラファールはデュノア社が開発したものになる。

 

そうは言ってもこのご時世、いつまでも同じ物の生産だけでは企業は潰れる。同じ物を作り続けて生き残る企業など、全世界を探したところでほとんど無い。今や最新型は第三世代で第二世代のISの需要は低くなりつつある。各国が第三世代のISを開発する中、デュノア社は第三世代の開発は上手くいってない。

 

このままではそう遠くない未来、確実に倒産する。

 

焦りから無理矢理にでもデータ収集に踏み切ったと考えるのが妥当だろう。さらに男性操縦者と発表すれば、一夏や俺にも近寄りやすい。

 

あくまで男装してきた理由は俺の仮説に過ぎないし、決めつける証拠や裏付けが掴めたわけじゃないから、今のところ何とも言えないのが現状。

 

 

さて、お馴染みのやり取りとなっている訳だが、中々引き下がらない一夏を一旦シャルルから引き離すとしよう。嫌がっているのだから、これ以上無理に誘ってるとただの嫌がらせになる。一夏の背後から両肩を掴むと、強引に更衣室へと方向転換させて、後ろから無理矢理押して歩かせる。

 

 

「うわっ!? 何すんだよ大和!」

 

「シャルルが後で来るって言ってるんだから、さっさと戻るぞ」

 

「わ、分かったから! 無理矢理押すなって!」

 

「というわけだからまた後でな。とりあえず一夏は連れていくから」

 

「え、あ、うん……」

 

 

シャルルは鳩が豆鉄砲を食らったようにポカンとしながら、俺の顔を見つめる。表情が、俺が助け船を出したのが意外だとでも言いたいようにも見える。別に助け船を出したわけじゃないし、このままでは埒があかないと思ったから一夏を止めたまで。

 

しつこい男は嫌われるなんてよく言うけど、一夏の場合は嫌われるような人間には見えないんだよな、同じ人間なのに。これがモテるやつとモテないやつの違いなのか、自分で言ってて悲しくなってくる。

 

 

「じゃあ篠ノ之たちもまた夕食の時にな」

 

 

全員に一旦別れを告げ、一夏の両肩を無理矢理押しながら更衣室へと連れていった。



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ブロンド貴公子の真実

 

 

 

「さてと、こんなもんか」

 

 

アリーナから戻った俺は自室へと戻り、部屋を軽く掃除していた。掃除しようにも中々機会が無かったため、目につく範囲でざっとやってみたところだけど、少しやるだけで案外変わるものだと達成感が満ちてくる。

 

別に俺の部屋がゴミまみれでとても目を当てられた状態ではないほど、汚れていたわけじゃないからそこだけ注意してほしい。小一時間ほど窓を吹いたり、カーペットを軽く掃いたりと、目に見えないホコリも一ヶ月経つと結構溜まる。

 

何やかんや結構綺麗になったし、ここまでで止めておこうと手に持っている濡れた雑巾を洗面台へと持っていき、水で濯ぐ。すると汚れた面から黒く淀んだ水が流れだし、それが排水口へと流れていく。たったこれだけのことをしただけなのに、既に雑巾は真っ黒、そりゃ雑巾の買い換えが増えるわけだ。

 

部屋と気分もさっぱりしたところでふと、時計を確認する。

 

 

「んー……今日はやけに遅いな。そろそろ呼びに行くか?」

 

 

時計は既に七時前、食堂が下手に込み合う前に席を取りたい……という願望はもう叶わないだろう。既に食堂は込み合っている頃だ。いつもは一夏が呼びに来てくれるか、それより早くナギたちが呼びに来て食堂に行くかのどちらか。今日に関してはどちらもないし、たまには俺の方から出向いてみても良いかもしれない。むしろ今まで呼びに来てくれたことに驚きだし、素直に嬉しい。友達に恵まれてなんて幸せなんだろうと常々思える。

 

かつてはこんなこと考えてもみなかったし、必要だとも思わなかった。

 

 

「……」

 

 

人付き合い。

 

過去の俺に最も欠乏していたもの……むしろ欠乏させられたもの。

 

更に言うなら、嬉しい、楽しい、悲しい。

 

喜怒哀楽とも呼べる感情が果たしてあっただろうか。気軽に話せるようなクラスメートが出来たのも、このIS学園に入ってからで、小学校や中学校時代はうわべだけの関係なんてザラにあった。

 

話せる友達が居なかったわけではない。

 

友達付き合いが完全に無かったかと言われればないわけじゃないし、放課後に遊びにいくことだってあった。

 

ただ果たしてそのすべてが俺の本心からの付き合いかと言われれば、それは首をかしげざるを得ない。何故だろうか、基本仕事優先で考えてきた思考が、IS学園に入ってから変わりつつある。時が経てば人は変わる、思えばここに入学して常に仕事のことを考えることがなくなった。

 

良いことなのか悪いことなのか、ただはっきり言えることは今の生活が、今までのものよりも充実しているということ。

 

更に嬉しい、楽しい、悲しいといった喜怒哀楽がはっきりとするようになった気もする。人としての成長だとしたら、それはそれで嬉しい。むしろ当たり前の反応だと突っ込まれたら、俺としては言い返せない。

 

……そういえば最近どうも、女性に対しての意識が強い。これに関しては俺も認識している、あえて名前は言わないけど、なんか……うん。

 

ま、過去に浸りすぎても仕方ない。さっさと呼びにいこう。

 

 

「お?」

 

 

いつも通りのジャージ姿で廊下に出て一夏の部屋を向くと、そこには見慣れた姿があった。

 

 

「よう、セシリア。さっきぶりだな」

 

「あら大和さん、まだ食事を取られていないのですか?」

 

 

一夏の部屋の前には私服姿に着替えたセシリアが立っていた。半身の状態で顔だけをこちらに向け、優雅に挨拶を返す姿が様になってる。右手はドアノブに掛かっており、今から一夏の部屋に入ろうとしているのはすぐに分かった。

 

一人で一夏を呼びに来る辺り、確信犯というかなんというか。他の二人は出し抜こうとでも考えているのかもしれない。しかし食堂に誘うだけだというのに、セシリアの身なりは整えられている。部屋着だとラフな生徒も多いけど、セシリアの場合はイメージを損なわないように努めているのがよく分かる。

 

……その反面、俺は別に食堂に行くくらいジャージ姿で良いやくらいの感覚。意識の違いに若干凹む。陰で笑われているのではないかと思うと着替えずにはいられなくなるが、きっと大丈夫だと、根拠のない確信を自分に言い聞かせる。

 

今度からもう少し部屋着にもこだわってみるか。

 

 

話を戻そう。挨拶を返された俺は、一夏の部屋の前に立つセシリアの元へと歩み寄る。

 

 

「あぁ、ちょっと部屋で掃除してたからな。セシリアも一夏を呼びに来たのか?」

 

「えぇ。少し散歩をしていたら、偶々一夏さんの部屋の前に辿り着いたので」

 

「そ、そうか」

 

 

あくまで偶々だと言い切る。そこまで言うなら何も言わないけど、別に素直に言っても特何かを思うわけではないし、隠す必要があるとは思わない。

 

そこが俺たち男性と女性の認識の違いなんだろうけど、女の子の気持ちはやはり難しい。セシリアなりに思う部分があるのだろう。

 

ところで、未だ一夏の部屋から反応がないんだが……まさか部屋にいないのか。反応がないことにセシリアも不思議そうな顔を浮かべながら、ドアノブを見つめる。

 

 

「おかしいですわね、反応がありませんわ……」

 

「ノックしたんだよな?」

 

「二、三回ほどノックをしたんですけども、返事が無くて……」

 

「ちょっと悪い、場所変わってもらっていいか?」

 

「はい、構いませんわ」

 

 

そう言うと少し後ろに下がり、変わりに俺がドアの前に立つ。……気のせいか、中から微かにバタバタと慌てているような物音が聞こえるんだけど。

 

中から物音がするってことは、誰かしらが部屋にいるってことになる。居留守だとするとタチが悪いことこの上ないが、物音の様子から察するに、どうもそれとは違う。若干な罪悪感にかられながらも、部屋のドアに耳を当てて中の様子を伺う。

 

 

「何か聞こえました?」

 

「いや、まだ何も―――『だあっ! 何でクローゼットなんだよ! ベッドで十分だ!』……は?」

 

「はい? どうしました大和さん?」

 

「い、いや、何でもないんだけど……」

 

「?」

 

 

 一体中で何をしてるのかが想像もつかない。聞こえてきた言葉だけから想像しようとも、主語が分からないせいで想像がまとまらずに、逆に混乱する。思わず頭を抱える俺を、不審そうに見つめてくるセシリアだが、ごく当然の反応だ。クローゼットとベッドをどう結びつけたら言葉の意味として繋がるのか、今聞いたことだけで分かったら、すぐにでも教えてほしい。

 

ただし内容こそ分からずとも、声調からかなり焦っていることは読み取れた。

 

 

「一夏さん、入りますわよ?」

 

 

そうこうしているうちにセシリアがドアノブに手をかけ、時計回りにノブを回す。すると抵抗なくドアノブが回り、扉が開く。

 

まさかとは思うけど、一夏って毎日部屋の鍵を開けっぱなしにしてるのか。だとしたら不用心も良いところ、部屋の中にいるからと言っても鍵を開けっぱなしにしようとは思わない。

 

アパートなんかに住んでいる人間が、自分が外出中はもちろん、在宅中にも部屋の鍵を開けっぱなしにすることはほぼない。IS学園にいるから、周りの人間はそんなことをする人間じゃないから、一夏の中で安心感があるのかもしれない。

 

とはいっても、誰がどう考えても不用心だろう。俺も細か

いとは思わないけど、さすがに部屋のドアをずっと開けっぱなしにすることはない。

 

……中には鍵を掛けてても、平然とピッキングで入ってくる人とかもいるけどな、楯無さんとか。それもかなりきわどい体勢で。もはや誘っている様にしか見えない。

 

 

悪いと思いつつも、俺も興味というものを押さえきれず、セシリアの後に続いて一夏の部屋へと入る。すると先に入ったセシリアが部屋の奥にあるベッドの手前で止まった。ベッドに腰かけているのはすぐに分かったため、俺も素早くセシリアの元へと近寄る。

 

が。

 

 

「悪い一夏、お邪魔しま……何してんだお前?」

 

 

目の前に広がる光景に、疑問を口にせざるを得なかった。ベッドに一夏とシャルルがいる、ここに関しては別に普通のことだし、特に俺も突っ込む気は更々ない。ここで問題なのはそこではなく、二人のやっていることだ。

 

まず一夏の後ろには大きく膨れ上がった布団がある。簡単なことで、布団が膨らんでいるのは中に誰かが入っているから。この部屋で布団に入る可能性があるのは二人、一夏がシャルルのどちらか。

 

一夏は既に俺の目の前にいる。よって消去法でシャルルということになる。それ以外の選択肢があるとすれば異性だけど、その可能性は極めて低いだろう。

 

 

更に言えば何をどうして、その布団を隠すようにして一夏が両手を広げて覆い被さる必要があるのかだ。両手はしっかりと布団についており、誰かに引き剥がされないように押さえ込んでいるのか分かる。

 

つまりは誰かに中を見られたくないからこそ、隠そうとする心理が見て取れる。表情をよく見てみると、一夏の額から冷や汗が流れ落ちるのが見えた。

 

 

「いやぁ、アハハ……し、シャルルが気分悪いっていうからさ、ちょっと面倒見てたんだ! なっ?」

 

「う、うん……ごほっごほっごほっ!」

 

 

と、俺の呆れた物言いに一夏が返してくる。目線は完全に泳いでおり、言葉の節々もつっかえているような状態では、如何にも私隠していますと言っているようにしか見えない。

 

シャルルも咳がワザとらし過ぎる。誤魔化すときにそこまで大袈裟に咳をしたら、尚更こちらの不審感を募らせるだけだ。もちろん人によっては咳の仕方は変わるし十人十色、とはいっても果たしてシャルルがここまで大袈裟な咳をするようには思えない。

 

つまるところ言いたいことは、隠すにしても、もう少し人に悟られないように隠すべきじゃないかって話だ。さすがにいくら鈍感な奴でも、この状況を見れば隠し事をしてることくらいは……。

 

 

「あ、あら、そうですの? それなら仕方ありませんわね」

 

「……」

 

 

俺の常識がおかしいのか、それともセシリアの常識がおかしいのか、はたまたワザと気付かぬ振りをしているだけなのか、どちらにしてももういいや、気にしたら負けの気がするし。

 

とりあえず、このままだと話が脱線したままだし、一旦話を元に戻そう。

 

 

「んんっ! まぁシャルルの看病をするのはいいとして、結局この後はどうする? もし心配なら俺が二人分の飯を持ってきてもいいけど」

 

「え!? あぁ、いや、そこまでしなくても!」

 

「そうは言っても流石に何も食べないのはかえって体に良くないぞ。少し位は何かを入れた方がいい。……まぁ、食べれないほど気分が悪いんじゃ仕方ないけど」

 

「と、とりあえず一旦食堂に行こうぜ! ついさっきまで夕飯は俺一人で行くからって話をしてたんだよ」

 

「あ、そうなの」

 

 

相変わらず一夏の返答はおぼつかない。必死に誤魔化そうとしてはいるものの、誤魔化しきれてないせいで逆に怪しい。そもそもシャルルはどうして俺たちの方に顔を見せないのか。

 

まぁ気分が悪い時の顔なんて誰かに見せたくないし、寝返りをうつのもしんどいのであれば、こちらを振り向かないのも納得できる。

 

……本当に気分が悪いのなら、な。

 

 

セシリアもいつもの一夏と様子が違うと思いながら、不思議そうに見つめるも、断定までは行き着いていないようで、それ以上言及することはなかった。

 

むしろこの後、一夏と夕食をとる楽しみの方が大きく、気にする暇自体が無いのかもしれない。ある意味不幸中の幸いとでも言うのか、俺も深く気にするタイプじゃないし、セシリアも一夏を取り巻く女性関係や、一夏自身のこと以外は対して気にしない。

 

ただ仕事上、相手に危害が加わると判断すれば話は別だが、今の様子を見る限り、その兆候は皆無だ。

 

 

「もしシャルルがそれで良いのならそうするけど……それでいいか?」

 

「ごほごほっ! お、お構い無く」

 

「そっか。じゃあそうするか」

 

 

結論がまとまったところで、ようやく一夏が重たい腰をあげる。チラチラと後ろのシャルルのことを気にしながらも俺たちの元へと歩み寄ってくる。

 

 

「さっ、一夏さん。早くいきましょう。時間がなくなってしまいますわ!」

 

「わ、分かったから引っ張るなって!」

 

 

セシリアに腕を捕まれて部屋主の一夏が俺よりも先に部屋からカミングアウトする。一人取り残された俺は布団を被って寝ているであろうシャルルを見つめる。部屋の中にまだ俺が取り残されているのが分かっているようで、一向に布団から出てこようとしない。

 

布団から出てこない理由は本当に気分が悪いか、単純に顔を見せたくないか。どちらにしても出てくる気はないみたいだ。

 

反応をしないシャルルに向かって一言だけ、言葉添えをする。

 

 

「……隠し事ってさ。程度に違いはあれど、いつか必ずバレるもんだよな」

 

「……」

 

「ま、それだけだ。ゆっくり休めよ」

 

 

それだけを言い残し、俺は部屋から退室して 部屋の前で待っている一夏と合流した。既にセシリアは一夏と腕を組んでおり、もはや周りに見せつける気満々で、一夏はその様子を苦笑いを浮かべて見つめる。

 

IS学園ならまだしも、これ一般世間の前でやったら間違いなく嫉妬の視線の嵐だったに違いない。むしろ心のどこかでリア充滅べば良いのにと思っている俺がいる。殴っていいかな?

 

割と狙って見せつけられるのは耐性がないし、今なら誰も目撃者はいない。

 

……と、悪ふざけはこのくらいにしてさっさと食堂へ向かうとしよう。ここでいつまでも油を売っていても解決はしないだろうし。

 

それに既に種は蒔いておいた。これがどうなるかは本人の行動次第、こちらとしては種が芽を出すのを待つだけだ。

 

 

「ちょっ、セシリア近いって!」

 

「うふふ。しっかりエスコートしてくださいな」

 

 

いや……あれだやっぱり悪ふざけじゃなくて全力で殴ろうか。恨みは無いけどとりあえず全世界の男子を代表して一発くらい殴ってもバチは当たらないだろう。

 

 

「モテモテだな一夏。羨ましくて殴りたくなるぜ」

 

「は……おいちょっと待て! その握りこぶしは何だよ!?」

 

「俺も結構嫉妬深いからさ。全世界の男子を代表してお前を全力で殴ってもいいか?」

 

「笑顔で言われても全然嬉しく無いんですけどぉ!?」

 

 

おぉ、焦ってる焦ってる。あまりやり過ぎるとあれだけど、たまにからかうと面白いんだよな、一夏も。

 

そしてセシリアはセシリアでかなり大胆だ。誰が見ているか分からないこの状況下で一夏の腕を組むとは、それも自分の体を限り無く一夏に密着させるように。

 

セシリアも女性の中だと美少女に分類されるし、街中を歩いていれば周りの男の一人や二人は振り向きそうなもの。全員までとはいかないまでも、振り向く男は何人かいるのは間違いない。

 

ただ一夏の表情を見ると、恥ずかしさの方が強いみたいだ。恥ずかしさも異性として意識して恥ずかしいのではなく、他の人に見られるのが恥ずかしいように思える。

 

恋を実らせる道のりはまだまだ長そうだ。

 

 

「な、何をしているんだ一夏!?」

 

 

ふと、前方から聞き覚えのある甲高い声が響き渡る。

 

 

「げっ、ほ、箒!?」

 

「あら、箒さんごきげんよう。これからわたくしたちは一緒に夕食ですので」

 

 

目の前にいたのは篠ノ之だった。来た方向から察するに、既に夕食は済ませてきたんだろう。食事を済ませたのなら、これから食堂へ向かうことはない。完全に篠ノ之をセシリアが出し抜いた形になる。

 

そんな篠ノ之にあくまで一緒にという単語を強調し、鼻で笑いながら一夏との密着度をあげる。その瞬間、先ほどまで驚きの表情を浮かべた篠ノ之の表情が、怒りの表情へと歪んでいく。

 

と同時に篠ノ之の握りこぶしがミシミシを音を立て始めた。

 

 

「一緒に夕食に行くのと、腕を組むことに関係はないだろう!?」

 

「殿方がレディのことをエスコートするのは当然ですわ」

 

 

ギロリと威圧するかのような視線が一夏に向けられる。

 

 

「では箒さん、失礼しますわね」

 

 

篠ノ之の視線をものともせず、さばさばと一夏を連れて食堂へと歩き出す。

 

 

「ま、待て! それなら私も同席しよう、私もこれから夕食なのでな」

 

 

あれ、篠ノ之が戻ってきた方向って食堂だよな。これから夕食って……あぁ、なるほど。セシリアと一夏を二人きりにしてたまるかっていう篠ノ之の思いか。実際は既に済ましているんだろうが、二人きりにするぐらいならもう一度夕食を取るくらい安いってところだろう。

 

一つ気になるとすれば、一日四食になるからカロリーが高くなるところくらいだが、篠ノ之は体を毎日のように動かしているし、そこの心配はしなくていいかもしれない。

 

 

「あらあら箒さん、一日四食は体重増加を加速させますわよ?」

 

 

すると案の定俺が思っていたことをセシリアが先に言葉に出す。が、篠ノ之にとっては大した皮肉では無いようで。

 

 

「ふん、心配は無用だ。私はその分運動でカロリーを消費しているからな」

 

 

一日の必要なカロリーは大体1700キロカロリー前後と言われる。一食あたりは総カロリーの三分の一、四食取ったとすると

、一食あたり四分の一になる。

 

だがカロリー内に収めることは難しい。間食とかでお菓子やデザートを食べれば、その分上乗せになってくる。

 

そう考えると取りすぎた分を消費しなければならない。一食分のカロリーを減らすのにもかなりの運動が必要だというのに、さらりと一度の練習で消化すると言っているわけだ。相当にハードな練習をしているのは分かる。

 

ナギが前ぼそりと俺に呟いたのが、寮に来てから間食が増えたせいで生活自体が中々に大変だとのこと。結構朝食を低カロリーに抑えたりして何とか誤魔化しているらしいけど、そんなことをするくらいなら間食を止めるか、その分動けばいい。

 

とは言っても体を動かすこと自体が大変だし、あまり動かしたくないのであれば、総カロリーを落とすしかない。それこそ間食をしたら三食を減らすみたいな。

 

 

「で、では行くとするか」

 

 

急に場を仕切り始めたかと思えば、そそくさとセシリアとは反対側に近づいて腕を組み始めた。幸い、片方は誰もくっついていないし、セシリアに対抗しようと思ったんだろう。

 

 

「箒さん、何をしてますの?」

 

「お前も言ったではないか。男がレディをエスコートするのは当然なのだろう?」

 

 

勝ち誇ったような笑みを浮かべる篠ノ之と、言われたことに眉を細めながら面白くなさそうに膨れっ面をするセシリア。まさにオウム返し、ついさっきセシリアが篠ノ之に言ったことは、そのままでセシリアへと返ってきた。

 

自分が言った手前、ぐぅの音も出ずに悔しそうな表情を浮かべる。

 

まさに今の一夏は両手に花の状態。周囲にいる学園の生徒たちも今の一夏、厳密には一夏と腕を組んでいる篠ノ之とセシリアの羨ましそうに見つめてくる。

 

当の本人はどうだか知らないけど、三人の後ろを歩く俺としては非常に気まずいものがある。だってイチャイチャしている男女がいる後ろを歩くんだぜ? しかも街とかじゃなくて学校内を。もはや周りから俺だけはぶせにされているんじゃないかと思われてもおかしくない。

 

篠ノ之が現れてからは一言も話していない。むしろこの流れの中でどこに俺が介入する余地があったのか。必然的に俺がぼっちになるのは見えていた。

 

 

「お、おい! あんまり密着されたら歩きずら……いっ!?」

 

「この期に及んでまだそんな口を利くのか、お前は」

 

「己の幸福を自覚できないなんて、男の風上にもおけませんわ」

 

 

二人の片腕が一夏の両脇腹をつねったことで撃墜が走り、思わず大きな声をあげる。一夏としては素直に思ってることを伝えたつもりが、二人には一夏の返しが気に入らなかったらしい。目をつり上げながら一夏の顔をじろりと見つめる。『少しは私たちの気持ちを察せよ!』的な感じで。

 

うん。分からないわけではないけど、今の二人の反応は逆効果な気がする。好意ゆえに気付いて欲しいって訴えているんだろうけど。

 

 

「や、大和。助けてくれ!」

 

「あー……助けたいのは山々だけど、この状況下でお前を助けたら、今度は俺の命がないから助けられん。だから頑張ってくれ、何かあったら骨は拾ってやるから」

 

「勝手に殺すな!」

 

 

助けようとしたら十中八九、俺に飛び火しそうだからあえて後ろから見つめるだけにとどめておく。

 

この後、ただ食事を取るだけなのに一夏が異常に気疲れするのはまた別の話だ。

 

さて、この後どう動いてくるのかもう少し様子を見てみるとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 見透かされたのはいつからなんだろう、彼女は何度も自問自答を繰り返した。初めて会った時から感じていた彼の他の生徒とは違う何か。今まで数多くの人間と話してきたものの、彼だけはどうしても読めなかった。パッと見た感じはどこにでもいるような人間で、話してみても特に何かが変わっているわけでもない。

 

ならどこが周りと違うのか。女性の体を嫌らしい、下心ある目付きで見ているわけでもない。紛れもなく普通の男子生徒だ。

 

たった一つ、全てを見透かしたかのような視線以外は。

 

 

消灯時間となり、静寂の広がる廊下をただ一人、シャルル・デュノアは歩いていた。真実を確かめるために、自分が思っていた疑問を確信へと変えるために。

 

そうこうしている内に、部屋の前に立つ。本来ならこんなことすべきではないのは誰よりもシャルル自身が分かっている。部屋に入ろうとするも、罪悪感が強すぎて取っ手に手を掛けては離す、掛けては離すを繰り返す。入ろうと思う度に心が締め付けられるせいで、踏ん切りがつかない。

 

胸の高鳴りを鎮めるために一旦片手を胸に置き、二度三度深呼吸を繰り返す。手が少しばかり胸の中へと食い込む。彼が本当に男性ならば、絶対にあり得ない光景だ。太っているならその分腰回りも出ているだろうし、胸だけが不自然に出ることはない。仮にそれが胸筋ならなおさら、手がめり込むなんてあり得ない。

 

男性にはない双丘。それは紛れもなく、女性の象徴だった。

 

 

(大和が危険な人間だなんて思いたくない。でも分からない以上、確かめないと……)

 

 

彼……否、彼女は自らが女性だという事実を隠してIS学園に編入している。理由は彼女以外、誰も知らないはずだったが、ふとしたハプニングにより同室の一夏に知られてしまった。

 

男性の変装もお世辞にも上手いわけではなく、男性らしからぬ仕草に大和だけでなく、一夏も不審に思っていた。それでも何とかバレまいと誤魔化してきたものの、先述のハプニングにより、一夏に自分が女性だとバレてしまった。しかしこの件に関しては既に解決しており、一夏とシャルルは既に和解をしている。

 

和解したことで一件落着……であればシャルルも特に深く気にすることもなく、済ましたことだろう。

 

 

―――霧夜大和、彼の存在が無ければ。

 

 

シャルルの言動に一番目を光らせていたのは他でもない大和で、シャルルが一番警戒をしていた人物。自分が女性だという事実を、誰よりも先に勘づいていたのは彼だったのではないか。更に言うなら気付いている上で、知らぬフリをして自分と接してきたのではないか。そう考えると自分の考えは全て大和にバレていたのではないか。

 

無論この考えは全て彼女の憶測にすぎない。だが初めて会った時からの彼の意味深な言葉や仕草に、薄々シャルルも気付いていた。もしかしたら私の目的を全て知っているのではないか。そう思うと恐怖でいてもたってもいられなくなった。大和が悪い人間だとは思いたくは無いが、彼の言動だけを見るとゼロとは言い切れないのだから。

 

彼が夕食のために一夏を呼びに来た時に、シャルルへと呟いた一言は独り言だとは到底思えなかった。

 

 

"隠し事はいつか必ずバレる"

 

 

あの時に言われたことが未だに忘れられない。暗にお前の秘密は全て知っていると、遠回しに言っているようにも見える。知られるだけでも不味いというのに、もし自身の秘密が一般世間に出回ったとしたら……。

 

 

(ううん。ネガティブなことばかり考えてたらダメだよね。とにかく事実を調べなきゃ)

 

 

意を決して音を立てないようにドアノブを回す。夜にもなれば鍵をかけて寝ている生徒の方が当然多い。むしろ鍵をかけない生徒の方が少ないだろう。希望は薄いが一か八か、鍵が開いているか開いていないか確認するだけでもせずにはいられなかった。

 

ゆっくりと回していくとガチャリという音と共に。

 

 

(開いた……)

 

 

部屋の扉が開いた。

 

 

(ど、どうしよう……)

 

 

鍵が開いていたは良いものの、この後どうすればいいのか分からずに、部屋の扉を開け掛けたまま立ち尽くしてしまう。焦れば焦るほど、思考回路が纏まらない。部屋に入ったところで何をすればいいのか。確かめるといったところで、証拠が残っているかどうかも分からない上に、この暗い部屋の中を明かり無しで探索しなければならない。

 

どこに何があるか分からないからといって、明かりを付ければ大和に気付かれてしまう。真っ暗な部屋に明かりがつけば、すぐに異変に気付くだろう。

 

この暗がりで、大和が危険な人物ではないという証拠となるものを見つけるには、どうすれば良いか。もしくは安全だと確認出来ればいい。

 

夜遅くで眠気が襲ってくる時間だというのに、シャルルの頭はフル回転していた。

 

最悪、何か履歴が残っているかどうかの確認を取れるだけでも……。

 

 

(あっ、携帯電話!)

 

 

一つだけ確認する方法を思い付いた。仮に電話やメールでどこかにシャルルの情報の横流し、それか仕入れているのであれば履歴として残っているはず。消されている可能性は高いが、調べてみる価値は十分にある。それに携帯なら夜は充電するためにケーブルに刺しているはずだから、手元に抱える可能性は低い。何もなかったとしたら、即座に大和の部屋から退室する。リスクは高いが、やってみる価値はあるだろう。

 

足音を立てないよう注意しながら室内へと侵入し、暗い室内を注意深く進んでいく。扉をほとんど閉めてしまったせいで、頼りになるのは自分の感覚のみ。確か二人部屋の作りは全室同じだったはずだ。

 

備え付けの家具を場所移動したところでたかが知れているし、机なんかは床にしっかりと固定されているため、動かすことは出来ない。普段と同じ感覚で進んでいけば障害物はないはず。自分に言い聞かせるように目を凝らして進むと、部屋の奥に膨らんでいる布団が目に入る。

 

大和はもう既に寝ているだろうか、もし寝ていなかったらと頭に不安がよぎる。可能性として無いわけではない、就寝時間は共通だとしても、夜遅くまで起きている生徒もいる。あくまで外出が不可なだけであって、部屋の中で静かにしていれば何の問題もない。

 

歩を進めるのが怖い、無意識ながらも意識せざるを得ない。井戸足取りが止まってしまうも、再度進み始める。足元から慎重に回り込み、ベッドの周囲を確認する。

 

視線を上げていき、枕のすぐ横にある小さな机にはスタンドライトが置いてある。そこに小さく光輝く赤い点、紛れもなく電子機器が充電されている状態なのを証明していた。

 

ごくりと唾を飲み込み、その赤い光に向かって手を伸ばす。その際、寝返りを打つ方向によっては大和の視線上に手が来るが仕方ない。ばれないようにそれを回収し、中を素早く確認する、やるのはそれだけだ。

 

単純明確、下手に何かを考える必要もない。

 

 

(後ちょっと……)

 

 

もう少しで手が届く。

 

必死に身を乗り出して目の前の赤い点を掴もうとする。目と鼻の先にあるというのに、とてつもない距離があるように感じられた。しかしそれも気のせい、確実に距離は縮まっている。ようやく手が届くと思った時、伸ばした腕に違和感が走った。

 

 

(あ、あれ!?)

 

 

伸ばそうとした手が急に動かせなくなる。目一杯伸ばそうと思っても、それ以上先には進んでくれない。後もう少しで届くというのに、何故ここに来て届かないのか。前に壁があるわけでもない、自分の腕が無くなったわけでもない。

 

なのにどうして。

 

 

そもそも何故動かせないのかを瞬時に考える。そういえばどうしてか手首のあたりがやけに温かい、何か人肌に近いもので、握られているような感じが……。

 

 

(まさか!?)

 

 

一つの結論に行き着く。

 

導き出した結論が今の彼女を絶望に追い込むには十分だった。みるみる内にシャルルの顔色が青ざめていく。

 

その時彼女は悟る。あぁ自分はハメられたのだと、手のひらの上で踊らされていただけなのだと。

 

そして。

 

 

「よう。待っていたぜ」

 

 

布団の中から手を伸ばしてシャルルの手首をつかみ、勝ち誇ったような笑みを浮かべる大和の顔がそこにはあった。



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○シャルル・デュノア

 

 

「な、何で……」

 

「あそこまで見え透いた種まきをしたら、誰だって当日くらいは警戒するさ。ま、時間的には俺の予想よりも少し遅かったけどな」

 

 

 俺の予想通り、シャルルは一人で部屋へと侵入してきた。毎日掛けていた鍵をあえて今日だけは開けて様子を伺うことにしたけど、まさかここまで上手く行くとは思ってなかった。案の定、シャルルは驚きと絶望の表情を浮かべながら立ち尽くすだけ。

 

自分はハメられただけだ、俺の手のひらの上でマリオネットのように良いように操られていただけだと、思っているようにも見える。そう考えると少し悪いことをしたのかもしれない。あくまで部屋に来たってことは、シャルルの中に俺が得体の知れない人物だという認識があったんだろう。それも散々シャルルの核心に触れるような単語を呟けば、そのような認識になったとしても不思議でもない。

 

 

「……僕を、どうするの?」

 

「どうするって言われてもな。逆にどうして欲しい?」

 

「―――ッ! 僕が女性だって告発するんでしょ? だってそのために……」

 

「部屋に誘きだした……確かにそう考えても不自然はないか。でも勘違いするなよ、俺は別に告発する気もなければ、この学園から追い出す気もない。どうしても聞きたいことがあるんだ」

 

「聞きたいこと?」

 

「あぁ、まぁとりあえず座れよ。立ったままじゃ話しにくい」

 

 

 ピクリと身を震わせながら、静かにベッドに腰掛ける。これから何をされるのか分からず、その場に俯くだけ。正直な話、俺からシャルルに対して危害を加えるつもりはない。仮に聞きたいことに対しての返答が、一夏や俺に危害を加えるような内容であれば話は別。この場では特に手出しはしないが、もし相手から手出しをしてきた時には容赦しない。

 

と、あくまで脅してはみたものの、恐らくシャルルの解答はそうではないはずだと思いたい。とにかくシャルルの口から答えを聞かない限りは何とも言えない。

 

さぁ、どう聞いていこうか。

 

 

「ねぇ、大和。君はどこまで知っているの?」

 

 

どのように質問を投げ掛けるかを考えていると、先にシャルルの方から質問を投げ掛ける。質問内容はいたってシンプルで、シャルル自身のことをどこまで知っているのか。完全に断定できる理由ではないが、いくつか自信を持って断言出来るものがある。

 

 

「そうだな、確信を持って言えるのは、性別を偽っていたってことと、何らかの理由で俺か一夏に近付いてデータを収集しようとしていたことくらいだな」

 

「鋭いんだね……ほとんど当たっているよ」

 

 

感心したように言葉を伝えるものの、それに反してシャルルは自嘲気味な笑みを浮かべる。ほとんどってことは俺か一夏に近付いた理由がはっきりしないからだろう。これに関しては裏付けを取りきれていないっていうが、確信を持って言えないところ。

 

断定こそ出来ないが、心当たりのある理由としてはシャルルの父親が経営している会社、デュノア社の経営が上手くいっていないことが挙げられる。経営難になっているのは、第三世代のIS開発が上手くいってないからだ。

 

一夏の使っているISはもちろんのこと、男性なのにISを動かせる事実を解明すれば、デュノア社は一瞬で今の立場を逆転することが出来る。デュノア社にとってデータを取るために近付くには 俺か一夏かに近付くのが簡単だと思った。

 

……やってくれる。こっちをそこまで甘く見られたら困るな。

 

 

シャルルが言い切った後に暫しの沈黙が続く。一言も話さずに微動だにしないシャルルに再度言葉を投げ掛ける。

 

 

「しかしまぁ、デュノア社も思い切ったことをしたもんだ。まさか三人目の男性操縦者が現れたなどと。それもまた、実の娘にそんな危険な真似をさせるとは……」

 

「うん、そうだね。本当に……僕が本当にあの人の娘なら……」

 

 

今の言葉に妙に引っ掛かりを感じるのは俺だけなのだろうか。シャルルの言葉に出てきた『あの人』という単語。

 

あの人とはつまる所シャルルの父親のことを意味するんだと思う。ただシャルルのその呼び方にはトゲが感じられた。そもそも自分の父親をあの人呼ばわりする娘がいるのかと。

 

それに本当に娘だったらって……これではまるでシャルルは自分が実の父親、もしくは母親とは繋がりが無いって言ってるようなものじゃ……。

 

 

「……は? ちょっと待て、今のは俺の聞き違いか?」

 

 

思わずその言葉に対して聞き返す。

 

 

「ううん、多分大和が思っている通りだと思う。僕はね、愛人の子なんだよ」

 

 

シャルルから寂しく、そして儚げに伝えられる言葉に、何も声を掛けられなくなる。さすがにシャルルが今の両親の実の娘ではない事実は俺も知らなかった。ある程度の情報収集はしたつもりだが、愛人の子なんて情報は初耳。いくら人より情報を知っているとはいっても限界がある。

 

それに霧夜家は護衛業であって、情報収集に特化している訳ではない。流れ込んでくるものに関しては把握出来ても、流れ込んでこない情報の把握は出来ない。

 

霧夜家の弱点を補う意味でも、情報収集に長けている更識家と手を組んだわけだが、特にそういった情報は入ってこなかった。

 

まさか楯無さんは知ってて隠していたとか?

 

 

ただ今更そこを気にしても仕方ない。

 

 

「愛人……か」

 

 

 口からポツリと言葉が漏れる。果たして普通に生活している人間にとって、この言葉がいかに所縁がなく、重たい意味を持つのかを理解するのにそう時間は掛からなかった。シャルルもまた辛い過去を持つ人間なんだと、ここで俺が投げ掛けるのは慰めの言葉ではない。

 

慰めの言葉を投げ掛けたところで、お前に何が分かると言われるのが筋だろう。人を励ます一言が、時には人を激怒させる要因にもなる。例えシャルルが激怒しなかったとしても、下手な同情を嬉しいとは思えない。

 

俺がここで投げ掛ける言葉として何が正解なのかは分からないけど、一つ投げ掛けるとすれば。

 

 

「……重たい言葉だな」

 

「あはは……普通の人にはあまり聞き慣れない言葉だよね」

 

「あぁ。大抵のことには驚かないと思ってたけど、まさかこんな形で驚かされるとは思ってもみなかったよ」

 

 

別に大袈裟に言ってる訳でもなく、驚かされたことは事実だ。いくつかの可能性を模索はしたものの、まさかシャルルが愛人の子だとは思わなかった。

 

どうして実の娘であるシャルルにデータ収集なんて危険なことをさせるのか。頭に引っ掛かっていた疑問が、シャルルの一言でようやく解消した。

 

実の娘ではない。

 

それだけでデュノア社が利用するには十分すぎる理由だった。

 

 

「引き取られたのが二年前。丁度お母さんが亡くなった時にね、父の部下がやってきたの。それで色々と検査をする過程でIS適正が高いことがわかって、非公式ではあったけれどデュノア社のテストパイロットをやることになってね」

 

 

シャルルは過去に起こったこと、今に至る経緯を順を追って説明し始める。あまり話したくないことを話そうとすれば、自然に表情は歪む。しかしシャルルの話し方はどこか淡々と、一度どこかで話したことがあるような口ぶりだった。もしかしたらこの事実を話したのは今回が初めてじゃないかもしれない。

 

夕食の時、一夏を呼びに行った時に一夏は何かを隠そうと必死だった。つまりシャルルが女性だと分かり、それを俺たちに知らせまいと庇ったんだろう。だとしても人が人を庇うのには理由がある。

 

そこで浮かび上がってくるのが、一夏もシャルルの過去を知らされたのではないかってことだ。あくまで現段階だと推測しか出来ないが、恐らくは聞いているはず。でなければ、シャルルを庇う理由がない。

 

いくら仲が良いとは言っても、自分のデータを盗むのに利用していたことが分かれば、一夏といえど怒るだろう。だとすれば、怒らない理由が相応のものだったと考えるのが妥当か。

 

まだ理由に関しては明らかになってないため、俺としては何とも言えないものの、もう少し深く聞いてみる必要があるのは間違いなさそうだ。

 

 

「父に会ったのは二回くらい。会話は数回くらいかな。普段は別邸で生活をしているんだけど、一度だけ本邸に呼ばれてね。あの時はひどかったなぁ。本妻の人に殴られたよ。『この泥棒猫の娘が!』ってね。参るよね。母さんもちょっとくらい教えてくれたら、あんなに戸惑わなかったのに……」

 

 

 今まで対面したのが二回だけなのに、果たしてそれが本当に父親と呼べるのかどうか考えてみると、甚だ疑問が残る。それが仮に単身赴任が理由だったとしても会話が僅か五回なのは、父親としてあり得ない。

 

実の娘でなければ無下にしてもいいか……そんなわけがない。相手が愛人だったとしても、自分の血液が混ざっているのだから、紛れもなく自分の子供であるのは明らか。相手が愛人だからといって、自分の子供を都合の駒のように扱う資格はない。

 

その無責任な考え方に腹が立つ、気が付けば拳を握り締めていた。仮にそれが第三者の介入があったからだとしても、父親なら自分の子供を守るべきだ。

 

本妻にも一言言うとするなら、当たる相手はシャルルじゃない。そもそも暴力を振るうこと自体間違っている。

 

 

「大和?」

 

「……悪い、少し思うことがあってな。続けてくれ」

 

 

拳を強く握りしめていたのが、シャルルの目に留まったらしく、不思議そうにこちらを見つめてくる。あまりこっちの内心を知られるのも良くない、いつも通りの平常心に気持ちを戻しつつ、再度シャルルの話に耳を傾ける。

 

 

「うん……それから程無くしてかな。デュノア社は経営危機に陥ったの」

 

「……なるほど、第三世代型の開発遅れか」

 

「そう。量産機こそ世界第三位のシェアを誇るけど、その量産機も他国に比べれば、開発はかなり遅れてたんだ。一度遅れたら取り返すのは難しいからね、データも時間も不足しているから、第三世代型の開発は中々形にならない。その上政府からの予算も大幅にカットされたら、もう弱り目に祟り目だよね。遠回しに政府から見捨てられたってことなんだと思う。次のトライアルでいい成果を出せなければ、予算は完全にカットらしいから」

 

「それで危機感を持ったデュノア社は、シャルルを利用したのか。……単純だけど、分かりやすい理由だな」

 

「……男性操縦者が現れたとなればそれだけで注目を浴びるための広告塔にもなるし、同じ男性ってことで一夏や大和にも近付きやすくなるしね」

 

「あぁ、あわよくばデータを盗むためってことか。それで、盗むように指示したのはシャルルの……」

 

「うん。デュノア社の社長……つまり僕の父、かな」

 

 

ほぼ予想通りのデュノア社の思惑に、思わずため息が出そうになる。男性操縦者が現れたと発表すれば注目を浴び、男性としてIS学園に編入すれば、同じ男性の俺たちからデータが取りやすいとでも考えたんだろう。

 

……ヘドが出る。シャルルのことを都合のいいモルモットのようにしか扱ってないんだろう。先にも言ったように、本気で自分の子供だと思っているのであれば、絶対に今回のようなことなどさせるわけがない。もしやるとしたら、何らかの庇いだてがあるはずだし、それも全くない。それにシャルルの表情を見ていれば自分が進んでやったことではないことくらい、嫌でも分かる。

 

彼女は根から優しい人間なんだと思う。だからこそ無理矢理データを盗もうとしなかった。一夏と一緒の部屋なのだから、その気になればいつでもデータを盗むことくらいは出来た。言い方としては悪くなるけど、今の一夏とシャルルの実力差は一目瞭然。実力行使まではいかなくとも寝ている時、無防備な時にいくらでも行動は出来たはず、でもやらなかった。

 

あまつさえ、秘密を自分から打ち明けてくれた。ここまできっぱりと言い切られると、非道な人間ではないことくらい分かる。

 

 

「……ごめんね、隠してて」

 

「いや、それだけ言ってくれれば十分だ。ようやくシャルルの本心が分かったから」

 

「はぁ。でもまさか二回も同じことを話すなんて思ってもみなかったよ」

 

 

俺へ話したことで二回目、つまり俺以外にも話している人物がいることになる。一番最初に秘密を打ち明けたのは恐らく……。

 

 

「俺が二回目ってことは、一回目は一夏か?」

 

「うん。ちょっとその……色々あって」

 

「何故顔を赤らめる」

 

「あっ、と、特に何もないよ!?」

 

 みるみるうちにシャルルの顔が紅潮していく。何故このタイミングで顔を赤らめるのか全く分からないけど、熱でもあるのか。といったボケはさておき、普通に考えてバレる時に何かしら恥ずかしい思いをしたってことだろう。それこそ全てをさらけ出した的な。

 

まさか一夏が何食わぬ顔でシャワールームに入って、シャルルの全てを見たなんてシチュエーションはあるはずがない。流石にそこまでラッキーだと……まぁこれ以上言うのはやめとく。リアルにありそうだし。

 

 

「ま、そこはとりあえずいいわ。問題なのはこれからだな。理由はどうであれ、今回のことがバレたらフランス政府は黙っていないだろうし」

 

「IS学園にいる間は如何なる国家、団体、組織には帰属せず、本人の同意がない限りは干渉は出来ない。特記事項にはそう書いてあるけど……」

 

 

シャルルの表情はやはり浮かない。懸念するのはIS学園にいるからといって、何の処罰もないかと言われても断定が出来ないところか。事実を既に察しているシャルルは、顔をしかめながら特記事項を復唱する。一字一句全てが合ってるわけではないが、大体シャルルが言った通りの内容になっている。

 

正確には『本学園における生徒はその在学中においてありとあらゆる国家・組織・団体に帰属しない。本人の同意がない場合、それらの外的介入は原則として許可されないものとする』となっている。

 

一見自分は守られているようにも見えるこの特記事項だが、今回のシャルルのケースはイレギュラーなものになる。それもISを開発する上で、絶対にやってはならない禁忌をおかしてしまっている時点で、この特記事項が適用になるかどうかは正直怪しい。

 

シャルルがデュノア社の指示でやらされていたとはいっても、命令を了承して実行しようとしている時点で、同罪となる。最悪のケースを想定した場合ではあるが、可能性としては低くない。

 

助けてやりたくても、介入が出来ないところだとどうしようもない。例え在籍期間の三年間は何とかなっても、それ以降は戸籍を消して死亡した扱いにするか、シャルルが完全にデュノア社との関係を断ち切らない限り、守るのは無理だ。

 

それでも守る方法を探すことは出来る。

 

 

「とにかく、ここから先を考えるのはシャルルだ。自分はどうするのか、どうしたいのか。俺たちも微力ながら力になる。役立つかどうかは分からないけどな」

 

「……やっぱり大和って変わってるよね、僕が言ってることが嘘だって疑ったりすると思ったんだけど」

 

「こう見えても人心把握には自信があるんだよ。それこそシャルルの仕草や声のトーンで嘘を付いてるかどうかなんて、すぐに分かる。それに、見え透いた嘘を付くのが上手いようにも見えないしな」

 

 

特に男装とか、と一言付け足す。

 

 

「なにそれ。やっぱり最初から気付いてたんだ?」

 

「初めから気付いていた訳じゃないよ。ただ仕草が男っぽくなかったし、如実に一緒に着替えるのを拒んでたからもしかしてとは思ったけど」

 

「あぁ……上手く隠そうと思ったんだけどなぁ。それでも男の人に着替えを見られるのはちょっと……ね?」

 

「確かに元々母子家庭ってことを考えると、尚更耐性は低いだろうし。ある意味バレるのは時間の問題だったかもな」

 

 

さすがに身なりこそ男性の真似を出来ても心まで男になりきることは出来なかった。むしろなり切れないのが当たり前だし、シャルルが堂々と上半身裸で着替えられても俺らとしては反応に困る。というより、その前にシャルルのことを直視出来ない可能性の方が高い。むしろ上半身裸で、男の目の前で着替える女性がいるかどうかも怪しいところ。

 

てか居ないだろ、って言いたい。

 

さぁ、もう聞きたいことはあらかた聞けたし、これ以上聞くこともない。万が一シャルルが人のことを考えないような本心であれば、それこそ表社会に出れないほどに追い詰めることも辞さなかったが、俺も手を出さずに済んだ。

 

まずはそこを喜びたい。一旦話を区切り、スタンドライトの下に起きっぱなしになっている携帯電話を充電器から外して自分の手元に持ってくる。その様子を不思議そうに見つめるシャルルだが、やがてハッとして言葉を続ける。

 

 

「それって大和の携帯電話?」

 

「あぁ。シャルルは何かあると思って手を伸ばしていたけど、この携帯はマジで普通の携帯だよ。家族の連絡先は入っているけど、別に怪しいことには一切使ってない」

 

 

 携帯の画面を開き、着信履歴やメールの送受信履歴を簡単に見せる。メールや電話相手こそ見られてしまうが、別に内容が大っぴらに出る訳じゃないし、内容を見られたところでシャルルに関することは書いていないし、話してすらいない。現物見たところで判断は出来なくとも、俺がやましいことを考えているわけではないと分かってくれればそれでいい。

 

そもそもシャルルのことは調べたり聞いたりはしたけど、悪用するためではない。

 

急に携帯の画面を見せられて驚くシャルルだが、やがて納得したかのように目を細める。

 

 

「上手く誘導されたって考えると、大和の方が上手だったんだね」

 

「たまたまだよ。正直、来るかどうかなんてギャンブルだし、巡り合わせが良かっただけだろ」

 

「でもその可能性を掴みとった……日本式に言うと運も実力のうち、って言うでしょ?」

 

「ふぅ、こりゃシャルルに一本取られたな」

 

 

シャルルが部屋に侵入する保証はどこにもなかった。それでも、どうすれば来てくれるのかを考えつつ種は撒いたつもりだ。数ある可能性の中から、たった一つの可能性を掴み取るのは難しい。運も実力のうちだなんて、先人は大層な言葉を考えたもの。

 

 

「ま! そんなところだ。時間も時間だし、お開きにでもするか」

 

「うん。……あ、大和!」

 

「ん? どうした、まだ何かあるか?」

 

 

話を終えてベッドから立ち上がり、入り口へ向かおうとした俺に、シャルルが付け足すように話掛けてくる。他に何か聞くことがあるのだろうかと疑問に思いつつ、シャルルの方へと振り返る。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「……ありがとう」

 

「……っ!」

 

 

たった一言、たった一言感謝の言葉を述べられただけだと言うのに、強烈にシャルルを『女性』だと意識してしまう。今まで男だと思っていた奴が実は女性だった……ってことであれば、当然驚くだろう。自分の中では想定外の事実なのだから。

 

でもシャルルは違う。元々男っぽくないと疑っていたせいで、シャルルが女性だったという事実を知っても、特に驚くこともなかった。女性なんだから男とも体格は違うし、出るところは出てる。特に素肌を直視したり、見せ付けられない限りは耐性はあるものだと思っていた。

 

認識が男性から女性へと変わることで、シャルルが俺に対して見せる『男らしくない仕草』が『女性の仕草』へと変化。そのギャップのあまりの違いに、言葉を失ったまま間抜けにも呆然と立ち尽くす。

 

今まで何人もの笑顔を見てきている。人によって多種多様な笑顔でも、本心から笑顔を出す時の気持ちは皆一緒だ。

 

あぁ、シャルルってこんな風に笑顔を見せるのか……好意を持っていないとしても、他の男には見せたくないと思ってしまう。

 

俺だって男だ、何気ない仕草にドキッとすることだってある。

 

 

「ど、どうしたの?」

 

「あぁ、いや。大丈夫だ」

 

 

つい見とれましたなんて言えるはずもなく、平静を装いながら返事をする。女の子のドキッとする仕草ランキングみたいな感じでテレビで放送されることがあるけど、結構俺的には上位だったりする。

 

感謝される時の笑顔をされて、悪い気がする男は居ないだろ。それも美少女ともなれば尚更嬉しい、男装している時は美少年、男装していない時は美少女。性別が迷子とはよく言ったもの。

 

両性にモテるのが反則過ぎるのは間違いない。

 

 

「ねぇ、僕もずっと気になっていたことがあるだけど……聞いても良いかな?」

 

「……答えられる範囲ならな」

 

 

どこかで聞いたことがある言葉に、若干嫌な予感がしてきた。語呂が全く同じな訳でも、シャルルから以前言われた訳でもない。

 

似たような雰囲気……いや、更に強烈だった覚えがある。シャルルが転校してくる少し前、それも大体クラス対抗戦の時ぐらいだと認識がある。

 

相手は……そう、千冬さんだ。

 

以前アリーナでの無人機襲撃事件の際、俺は無人機を無力化すべく、生身でアリーナへと突入。そして中にいた一夏と鈴と協力し、無人機を撃退した。二人には協力した人間の正体が俺だとは打ち明けてないし、本人たちも気付いていない。だが事態が終息した後、アリーナへ戻る際に出会った千冬さんだけは気付いていた。

 

その途中で投げ掛けられた言葉は今でも頭の中に残っている。

 

 

『お前は一体、何者なんだ?』だ。

 

 

千冬さんの言い分も分かる。どうすれば普通の人間がISに対して生身で立ち向かい、挙げ句の果てに撃退することが出来るのか。いくら凄腕の護衛だからといって限度がある、身のこなしといい通常の人間がおいそれと出来る動きではない。

 

だが、それが事実であり、真実であることに変わりはない。一夏の零落白夜でシールドが完全に破壊されているとはいえ、俺は無人機を容赦なく切り刻み、無力化させた。この事実はどうあがこうとも変わることはない。

 

何となく、何となくだがシャルルが俺に対して言いたいことが分かった。百パーセントとは言えないが、恐らく俺の考えていることと合ってるはず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――大和も、知られたくないことってあるの?」

 

 

何気なく気軽に聞いたつもりなんだろう、シャルルの表情からは悪意が感じられない。知られたくないこと、つまりは俺には秘密があるのかないのか、聞かせてほしいみたいだ。

 

 

「……」

 

 

顎に手を当ててどう返そうかを考える。すぐに思い付くわけではないが、少なくとも解答として返さないといけないのは間違いない。

 

あやふやに返したところで、逆に猜疑心が強くなるだけだから、俺の口からはっきりと言えるとすれば。

 

 

 

 

 

 

 

「―――あぁ、もちろん」

 

 

俺にだって知られたくないことはある。

 

 

自分が護衛をしていること、護衛をしている相手が一夏であること。それに楯無さんと一夜を明かしたことだってそうだ。それこそ一つや二つどころか、数え切れないほどの隠し事が俺にはある。

 

俺だけじゃない、生きている誰もが知られたくないこと、知られてはいけないことを抱えて生きている。例えそれがどれだけ仲の良い夫婦や親友であっても、自分の全てをさらけ出す人間が、この世界六十六億の人口の中にどれだけいるか。恐らくはほとんどいないはずだ。

 

知らない方が幸せだった、そんな秘密だってある。だからこそ皆、知られたくないことや話したくないことは自分の胸の内に仕舞い隠す。珍しいことじゃない、誰もがやっていること。

 

だからこそ俺は隠す。自分の過去全てを、生い立ちを。

 

 

"知られたくない"

 

 

その一心で。

 

 

 

「いつかバレるのかもしれない、時期が来たら自分の口から伝えるかもしれない。それでも、今はまだシャルルに……いや、皆に知られる訳にはいかない」

 

 

 

いくら綺麗事を言ったところでバレる時はバレる。運が良ければバレないかもしれない。それは俺にも分からない。シャルルだって、自分の男装がいつかはバレることを悟っていたかもしれない。でも、彼女の本心はバレたくなかったわけだ。

 

真理をいうのならバレない秘密など無いのかもしれない。冷静になって考えてみれば自分の秘密を相手に話すって、どれだけ勇気がいることだろうか。

 

俺の全てが皆に知られた時、どんな反応、表情をされるのかなど考えたくもない。

 

なら隠し通せるまで隠してやろう。そう、思った。

 

 



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第五章‐Pseudo self‐
気になる気持ち


 

 

「あ……」

 

 

気がつくと俺はベッドの上で大の字になりながら寝ていた。カーテンのわずかな隙間から朝日が差し込んでくる。差し込む光が寝起きの俺にとっては限りなく眩しいものだった。

 

そもそも今何時だろうか手探りで目覚まし時計を探していると、手の甲に何かがゴツリと当たる。当たったものに心当たりがあった俺は、そのままそれを手繰り寄せる。手の甲に当たったのは言わずもがな、目覚まし時計だ。閉じたままの目を薄開きにして時間を確認し、時計をスタンドライトの置いてある台へと戻す。

 

時間は五時半、早朝ランニングに出掛ける時間としては少しばかり早い。ただ二度寝をするような時間でもないし、すぐに着替えて出発するような時間でもない。いつも部屋を出るのが六時手前だから、まだ横になっていてもいいだろう。

 

昨日は寝たのがいつもに比べると幾分遅かった。シャルルが部屋に来るまで寝た振りをしながら待ち、話を聞いた後はシャルルを部屋まで見送ったわけだが、どうにもその後からの記憶がない。単純に考えればそのまま眠りについたと考えるべきだけど、夜遅くまで起きていた時はどうにも寝起きが良くない。

 

遅寝早起きに慣れていない訳じゃないけど、常識的に考えて夜遅くまで起きていれば朝はゆっくり寝ていたい。

 

 

 

 

……やっぱり起きよう、ゴロゴロしてたところで時間の無駄になるだけだし、それなら早めに戻ってきてゆっくりすれば良いだけのこと。

 

腹筋の要領で上半身を起こしてベッドから立ち上がると、そのままクローゼットの引き出しを開け、中からランニング用のウェアを取りだして、手早く着替える。その足で洗面所に向かい、寝癖が目立たないかどうかを確認し、特に問題がないことを確認すると、足早に部屋を出た。

 

 

 

 

 

「ふぅ……もう大分暖かくなったな。そろそろ上着は無くても良いか」

 

 

春先に比べれば随分暖かくなったなぁと思いながら、いつものランニングコースを走る。額についた汗が大粒の水滴となって瞼に落ちてくる。ウェアを腕捲りし、腕を使って額の汗をぬぐうもあまり効果はない。涼しいがために朝走るわけで、涼しくなかったらいつ走っても変わらない。

 

部屋に戻る時には結局汗だくになって帰るから、いつ走ろうが変わらないんだけどな。それでも何だかんだ言っても、朝は涼しいときの方が走りやすかった。冬だと今度は寒すぎて中々体が温まらないから、走る距離が増える。

 

体を動かすことが好きだから、早起きして走ることに抵抗はない。そもそもの体力作りにもなるし、オーバーワークをしなければ、体を壊すこともない。それに疲れている時はすぐに分かる、自分の体だしな。

 

目の前に広がる散歩道をペースアップしながら走り抜ける。この段階で力の加減としては八割程度、体に掛かる負荷としてはかなりのものが来ている。それでも毎日、同じことをこなしていれば体は自然と慣れる。今じゃ心地よい運動にしか感じられない。

 

着々と脳筋になっている気がする、ムキムキになる気はないけど。

 

 

「はっ、はっ……ん?」

 

 

時間帯が時間帯だけに、この時間に外に出ている生徒はまず居ない。IS学園に来てから朝のランニングで会ったのは千冬さんくらいで、それも毎回会うわけではない。それだけに目の前に人がいるのが珍しく思えた。相手も朝のランニング中なんだろう、一定のペースを刻みながら右手を見ながら走っている。

 

右手に付いてるのは時計かなにかか、ただ心なしか付けているものがどこかで見たことがあるような気がする。更に言うなら走っている後ろ姿も……。

 

 

「……まさか」

 

俺と相手との距離は十数メートルくらい。この距離なら普通足音で気付きそうなものだが、目の前のその人物は気付く素振りすらない。見方を変えればそれだけ走ることに集中しているとも言える。

 

ってかこの後ろ姿って明らかにアイツだよな。

 

そのままの速度でも十分に追い付くのは可能だが、少しだけギアを上げることにする。いつコース変更するかなんて分かったもんじゃないし、別のコースに行かれたら俺の予定まで狂ってしまう。正直いつもやることだから、コースとかはあまり変更したくない。自分で変えるのならまだしも、相手に変に合わせてしまうとやれることも限られて来てしまう。

 

ダンッと地面を蹴り一気に目の前の目標に向かって接近、ピッチを上げて足音も早くなったのに未だに気付いてない。ならばと勢いそのままに相手の横に並走し、そこで初めて声を投げ掛ける。

 

 

「よう、一夏! 朝早くからせいが出るな!」

 

「はっ……や、大和!? こんな朝早くから何やってるんだ!?」

 

「いや何って、ランニングだけど。つい最近から始めたのか?」

 

「ああ。……日頃の訓練もそうだけど、こうして実際に体を動かして鍛えるのも良いかなって思って……さっ!」

 

 

走っている人物は思った通り一夏だった。黒のトレーニングウェア羽織り、驚いた顔で俺の顔を見つめてくる。互いにペースダウンしながら、ゆっくりと並木道を走っていく。

 

俺は毎日決められたコースを走っているため、もし一夏が毎回別のコースを走っていたら会わないのも頷ける。どれくらいの距離を走ったんだろう、額は既に汗だくで髪もぐしゃぐしゃに濡れていた。息づかいもいつもよりも荒く、既に結構な時間を走っていたことが容易に想像が出来る。

 

 

「大和は……毎日走っていたのか?」

 

「あぁ、基本的にはな。ペース的には疲れてくる時ほど上げてる。スピードは落ちてるだろうけど」

 

「なるほど。どうりで大和に勝てないわけだ、まず根本的な意識が違うんだからさ」

 

「俺は別に選ばれた人間じゃないし、一線で戦えるようになるには、こうでもしないと皆には追い付けないしな。操るのはISでも、体を鍛えてないと、基礎体力なんかはIS動かしただけじゃ身に付かないし」

 

 

まだ先日の一件を引きずっているらしい。それこそあまりに気負いすぎてオーバーワークにならなければいいけど。

 

 

「あれからちょっと考えたんだ。守る守るって言って、結局俺は何か守れたのかって」

 

「……」

 

「対抗戦の時も、俺がしっかりしていれば鏡さんは危険な目にあうこともなかった。……口だけで、俺は何一つ守れていない。むしろ守られてばかりだ」

 

 

クラス対抗戦がもう随分前のことのようにも思える。確かにあの時ナギは命の危機にさらされたが、それは一夏がキチンと守らなかったせいではない。油断をしなければ……と揚げ足を取ればそうかもしれないが、第一前提として、ナギが来る可能性は誰もが予想だにしなかったこと。仮に予想出来ていたとすれば、もはやソイツ自身が意図的にそう仕向けたようにしか見えない。

 

もしくは神様くらいだろう。この世に神様なんてものがいるのなら……だけど。

 

 

「それこそ毎日の訓練だって、どこか手を抜いていた部分があったんだと思う。でもこのままだと俺は成長出来ない上に、皆に置いていかれる……そう思ったんだ」

 

「……なら、見返すために更に努力しないとな。よし! 俺に着いて来い。コースとかは特に決めて無いんだろ?」

 

「あぁ、とりあえず時間を決めて走ろうと思ってたからな。大和はコースを決めているのか?」

 

「おう。ペースをあげる場所やコースは決まっているから、変に時間が過ぎることもないし、かなり負荷がかかるからトレーニングにお勧めだぞ」

 

 

決まっているコースとはいえペースを早めたり遅めたりするインターバルや、高低差が激しい坂道を登ったりもするし、初見だと着いてこれるかどうか怪しいところだろう。というかほぼ百パーセント着いてこれない、それくらいに厳しいコースだと思っている。

 

このコースは朝千冬さんに出会った時に教えてもらったコースで、何故か茶道部の入部テストで使っているだとかいないとか。茶道部は千冬さんが顧問をしていることもあり、入部希望者が続出しているらしく、その為に考えたコースらしい。

 

……茶道部の面影がないって突っ込みはなしだ、誰もが知ってることだし。

 

 

さて、それだけ厳しいコースを走るのに俺が一夏にペースを合わせることは簡単でも、それでは一夏のためにはならない。一夏も俺が手を抜いていてペースを合わせることを望んではいないはずだ。

 

戦いもトレーニングも、手を抜かないのが俺の信念。一夏がどこまで着いてこれるか楽しみだ。

 

 

「分かった、じゃあ案内してくれ」

 

「決まりだな。先に言っとくけど、遅れたら容赦なく置いていくから気を付けろよ?」

 

「うっ……お手柔らかに頼む」

 

 

 容赦なく置いていくという単語に若干ながら一夏の表情が険しくなる。今の一言で大体どうなるかを察したんだろうけど、これしきでへこたれては困る。幸い一夏は成長途中だし、叩けばまだまだ伸びる。今の一夏はそこら辺に転がっている石の状態だ。何もしなければただの石だが、磨けば光輝くダイヤにもなる。

 

特に純粋な身体能力に関しては鍛えれば伸びていく。だからこそ、叩き甲斐があるもの。一線は越えないけど、ギリギリまで追い詰めるのもありか。

 

 

「よっしゃ、行くぞ!」

 

「お、おう!」

 

 

ジョギングの状態から一気にペースを上げ、並木道を駆け抜ける。後ろを振り向かなくても、足音で一夏が着いてきているかどうかは分かる。走り始めたばかりということもあり、後ろからは地面を蹴る足音が聞こえる。これがいつまで続くかは分からないが、今の一夏の体力がどこまであるのかを見極めるには良いかもしれない。

 

その後、ランニングは小一時間ほど続くのだが、一夏がどうなったのかはお察しだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

「い、一夏、大丈夫?」

 

「だ、大丈夫……少し疲れただけだから……」

 

「全然大丈夫に見えないんだけど!?」

 

 

教室までの廊下をフラフラと千鳥足で歩く一夏に対し、これまでに見たこともないくらい心配そうな表情を浮かべるシャルル。事情を知らないシャルルは当然のごとく、慌てることしか出来ない。

 

ランニングを始めた後、最初は俺のペースに合わせて走ってきたものの、途中の坂道から一気にペースダウン。頭は全力を出そうと思っているのに体が全く着いていかず、最終的にはバテバテの状態で寮まで戻ってきた。

 

ランニングが終わった時には足をまともに動かすことが出来ずに、俺が肩を貸しながら部屋まで戻ってきた訳だが、それからもう一時間以上経つというのに、一夏自身の体力は回復しきっていなかった。

 

 

「まぁ、一日生活してればある程度治るだろ。怪我はしてないよな?」

 

「あぁ……しかし、ランニングがあそこまできついとはな。正直走ることを嘗めてた」

 

「俺たちが普段走り慣れてるのは平地だからな。坂や平地を交互に、それもペースまでバラバラにすると、そりゃ初めは足もついていかないって」

 

「え、え?」

 

 

何度も言うようにシャルルは俺と一夏が朝ランニングに出掛けたことを知らない。一夏が出掛けたのは知っているかもしれないが、一夏が俺と一緒に走った事実は知らないはずだ。現にシャルルの反応が物語っている。

 

 

「最低一週間は筋肉痛が酷いと思うけど、続けてればいつかは慣れるさ」

 

「……だといいけど」

 

「あの……一夏? 大和? 僕、二人の話していることがよく分からないんだけど……」

 

 

オロオロしながら、俺と一夏の顔を交互に見る姿が可愛らしい。シャルルのランニングと、俺たちのランニングとでは認識に違いがあるみたいだ。何をどうすればここまでボロボロになるのかと。

 

それこそ無茶したって言えばそれで丸く収まるんだろうけど、内容を話したら逆にシャルルがドン引きしそうだからやめておく。話した瞬間に私の一夏に何してんの的な感じで刺されたら嫌だし、うん。

 

さて、ここまで来るのにいつもより時間が掛かってしまった訳だが、ようやくゴールの教室だ。教室に入ろうと部屋の前に立った時、それは聞こえた。

 

 

「そ、それは本当ですの!?」

 

「う、ウソついてないでしょうね!?」

 

 

ドアを開ける前だというのに、教室から廊下まで声が響き渡る。ドア越しにこれだけの声が聞こえてくるってことは、中では相当大きな声を出していることになる。

 

 

「……大和、今のってセシリアと鈴の声だよな?」

 

「あぁ、何話してるかは分からないけど……そもそも鈴が朝っぱらからうちのクラスに来るって珍しいな」

 

 

声に特徴があるから声の人物が誰かは、すぐに断定することが出来た。昼なんかは一緒に食べることも多いけど、朝から俺たちのクラスに鈴が来ることはあまりない。それも朝っぱらから大声を上げるなんて、余程興味深い話があったんだろう。最も、話を聞いていない俺たちとしては興味の持ちようが無いし、特に気にも止めないままに教室へと入る。

 

すると入り口のすぐ近くの机に、セシリアと鈴が身を乗り出すようにして話を聞いている。周りには同じように話を聞く集団が数人いた。話に夢中になっているらしく、俺たちが入って来たことに気付いていない。

 

クラスを見回すと、どこもかしこも仲良しグループが集まって話に花を咲かせている。奥にいる何人かは俺たちが入ってきたことに気付いて、手を振り返してくれる子もちらほら。

 

に引き換え、目の前にいる二人の国家代表候補生と来たら……。

 

 

全く気付かないくらい集中して話を聞く二人に呆れながらも、挨拶はしようと声を出そうとする。

 

 

「本当だってば! この噂、学園中で持ちきりなのよ? 月末の学年別トーナメントで優勝したら織斑くんか霧夜くんと交際出来――」

 

「「ん? 俺がなんだって?」」

 

「きゃあああ!!?」

 

 

待てやコラ、いきなり人の顔見てこの世の終わりみたいな悲鳴出すとは失礼な。これが男だったら全力で殴りそうなところだけど、そこはまぁ女性だしご愛敬ってことで。

 

それでも声をかけただけで全力の悲鳴を上げられると凹むなぁ。メンタルが弱いとは思わないけど、常識的に考えてみてほしい。

 

 

「おいおい、さすがに顔見た瞬間に悲鳴あげられると傷つくっての」

 

「それで、一体何の話をしてたんだ? 俺と大和の名前が出ていたみたいだけど」

 

「う、うん? そうだっけ?」

 

「さ、さあ、どうだったかしら?」

 

 

返ってくる言葉はどれもこれもすっとぼけたようなものばかりで全く当てにならない。内容をどうしても知られたくないようで、何があっても言うつもりはないらしい。じろりと見つめるものの、見つめた瞬間に俺から罰が悪そうに視線を逸らしていく。如実すぎる反応が隠し事があるのを証明しているわけだが、別に悪意があるわけじゃなさそうだし、下手に問い詰めても仕方ない。

 

で、さっき大きな声を出したセシリアと鈴にも同じように視線を向けるわけだが、クラスメートと反応はまるで同じ。挙げ句の果てには笑いながら誤魔化そうとしてくる。むしろその行動自体のせいで、意地でも話の内容を探り当ててやろうと思うわけだが。

 

 

「じゃ、じゃああたし自分のクラスに戻るから!」

 

「そ、そうですわね! わたくしも自分の席につきませんと!」

 

「は? お、おい! まだ別に時間にはなって……行っちまった」

 

 

まだホームルームまで時間は十分ほど残っているというのに、よそよそしい態度で鈴は教室の外へ、セシリアは自分の席へと戻っていく。二人の行動を皮切りに、賑やかだったクラスから他クラスの生徒がぞろぞろと外へ出ていく。

 

見慣れない顔があると思ったら、別のクラスの生徒だったのか、どうりでクラスの人数が多いと思うわけだ。結局話はうやむやにされたまま、うまく逃げられた形になる。勝負をした訳じゃないが、何か負けた気分だ。心がモヤモヤしてスッキリしない。

 

 

「なーんか、訳ありっぽいな」

 

「うーん。でも僕たちは話を聞いた訳じゃないから、何とも言えないよ」

 

 

シャルルの言うこともごもっとも。話を聞いた訳じゃないし、噂話なんて入学してからどれだけあったことやら。危害が無いなら気にする必要はないし、偶々鈴やセシリアにも興味があった。

 

そう片付ければ納得は出来る。一夏やシャルルや俺のいずれかが問題を起こした訳じゃなさそうだし、深く心配することも無さそうだ。

 

 

「まぁいいや。俺らも席につこうぜ、いつまで立ってても仕方ない」

 

「そうだな」

 

 

しかし一体何を話していたんだろう。こういう時の女子の結束力って無駄に強いから、聞いても絶対に教えてくれないだろうし、聞くだけ時間の無駄か。

 

自分の席へと座り、鞄を机の側面についているフックに引っ掛ける。教室の時計で時間を確認すると、まだ時間には余裕があった。ただ今から席を立つのも面倒くさいし、廊下に出たところですることもない。ホームルームまで携帯をいじっているのも時間がもったいない上に、時間を過ぎて使っているのがバレたら没収は避けられない。

 

なら、周りと話をしながら時間を潰すのが一番良い時間の使い方か。

 

荷物を整理していると、隣のナギと視線が合う。あぁ、そういえば挨拶はまだだったっけ。

 

 

「あっ、大和くん。おはよう」

 

「おう、おはよう。……ってあれ、今日はいつもより荷物多いみたいだけど」

 

 

挨拶を交わした時に俺の目に映ったのは、見慣れない手提げ袋だった。可愛らしい動物の刺繍が入っているところを見ると、如何にも女の子の持ち物らしい。ここ最近俺が気付いてないだけなのかもしれないが、動物の手提げ袋を持ってくることは無かったはず。

 

弁当用の手提げに見えないこともないけど、一人分の弁当を入れるためだけにしては大きい気がする。中身を覗こうとまでは思わないものの、いつも持ってきていないものを持っていればやはり気にはなる。

 

 

「え……こ、これ? これはちょっと……うん。成り行きっていうか」

 

「……もしかしてだけど、ナギも何か隠してるのか?」

 

「そ、そんなことないよ!?」

 

「そ、そうか」

 

 

机においてある袋を側面のフックに引っ掛けて、あくまでただの手荷物ですと言い切るナギだが、反応が反応なだけに隠し事をしてるんじゃないかと無意識に悟ってしまう。

 

とはいえ、あまりナギを深く言及したところで意味がないの分かっている。どうも女子生徒同士で俺や一夏に話せないような秘密があるみたいだし、それに比べれば些細なものだろう。よく考えれば自分の手荷物を異性に見られるのはかなり抵抗がある。

 

手荷物に関して追及するのはやめよう。

 

 

「あっ、隠し事って訳じゃないの。うん、その……」

 

「?」

 

 

 顔を赤らめて手をもじもじとさせるが、何を言いたいのか分からない。俺がやらかしたならそれまでだけど、今の会話の中に顔を赤らめる要因になったものがあるようには思えない。

 

隠し事って単語を聞くと、周囲に隠し事をしている人間が多いせいで、全員が俺に隠し事をしているんじゃないかと思い込みそうだ。

 

それにどうにもナギの歯切れも悪い。元々ハキハキと話すタイプではないのは知っているが、そうだとしても反応が如実すぎる。手をもじもじとさせるだけではなく、別の方向を見たり、唸ったりととにかく落ち着きがない。

 

 

「言いたくないなら、無理して言わなくても良いぞ? 俺も無理矢理聞こうとは思わないからさ」

 

「えっと……あの……大和くんゴメン。メールで伝えるからメール見てもらって良いかな?」

 

「メール?」

 

 

 口では言いたく無いらしく、メールで送信するとのこと。言いたくない理由は周りにクラスメートが居るからだろう。気付けばナギの後ろの生徒が、興味深げにこちらを見つめていた。

 

更に一夏の隣にいる谷本がこちらをニヤニヤと見つめている。笑みを浮かべるってことは、谷本自身は内容を知っているってことだよな。何だかあまり良い予感がしないんだが、大丈夫だろうか。

 

果てしなく不安になってきた。

 

 

「お、届いた」

 

 

 そのわずか数秒後、等間隔のバイブレーションと共に携帯の画面がメールの受信画面に変わる。差出人は鏡ナギ、伝えたい内容が書かれているみたいだけど、メールで送ってくるということは、他の人には絶対に聞かれたくないことなんだと思う。一旦メールボックスを開く前に目線だけで辺りを見回し、誰かがこちらを覗き込まないかどうかを確認する。

 

前にいる一夏は荷物整理をしているため、こちらを向く気配が一切ない。後ろの席の岸原理子はそもそも席についておらず、別の場所でクラスメートと談笑している。俺の左右には誰もいない、誰にも気付かれずにメールを読むのなら今のタイミングだろう。

 

携帯のメールボックスをクリックし、そのまま受信フォルダを開いて未開封のメールを開く。差出人はナギで間違いない、そのまま画面をスクロールしながら文面を眺めていく。

 

 

「……」

 

 

”メールでごめんね、どうしても言いづらくて……。

 

もしよかったら今日のお昼一緒に食べよ?

 

その……二人で”

 

 

 メールの文面は一緒に昼飯を取ろうというものだった。正直この文面だけで判断しようとすると思わず首をかしげてしまう。悲しきことに俺の体はすでにこのIS学園に慣れてしまっているせいで、女性に対しての感覚が随分と麻痺しているらしい。ほぼ毎日女性と食事をとれているってことがどれだけ恵まれていることなのか、冷静に考えてみればすぐ分かること。

 

ナギと二人っきりで……二人!?

 

 

……そういえば複数の女性と飯を食べることはあっても、二人きりで食べることは無かったような気が。一度だけあるとすればボーデヴィッヒに釘を刺した時くらいか。それでも特にボーデヴィッヒを意識することは無かったし、笑い合う状況になったわけでもない。

 

ただ淡々と目先の料理を食べただけだ。

 

 

俺の見間違いじゃなければ、一番最後の行に書いてあったはずだ。再度携帯を開き、慌ててメールボックスを開いて確認をする。

 

 

「あ……」

 

 

俺の見間違いではなく、携帯の文面には『二人で』とはっきりと書かれていた。しばらく携帯を持ったまま画面を凝視しつつも、事実を把握した俺は顔だけを左側に向ける。視線の先に飛び込んできたのは、今にも緊張で倒れそうなくらいに耳まで赤くなりながらこちらへ目線を向けるナギの姿だった。

 

その姿は俺の反応を待っていることもあり、どこか不安げな感情が入り交じっており、持っている携帯を祈るように握っている。

 

不安げではない、不安なんだ。断られるんじゃないかと。

 

 

「……っ」

 

 

ヤバイ、何だこれ。すげぇ意識しちまう。

 

ようはナギが言いたいことって、お昼は誰かを一緒に誘うんじゃなくて、俺と二人きりで食べたいってこと……だよな。

 

昨日のシャルルに引き続き、仲の良い女友達の『女性』として一面を見てしまったせいで、体の体温がグングン上昇していく。相手を何とも思わなければ体温が上昇するわけがない、現にボーデヴィッヒと二人で食事をした時は一切『女性』として意識することはなかった。

 

でも今回は強烈なまでに意識してしまう。いや、二人で出掛けたあの時からずっと……気になる異性として。

 

これじゃまるで俺が……。

 

 

と、とりあえず返信しよう。折角誘って来てくれているんだし、何も反応しないのではナギにも失礼。二人で食事を取るくらいなら大丈夫、別に問題があるわけじゃない。

 

 

「了解……っと」

 

 

平静を装おっても、心拍数だけはどうしようもなかった。今胸に耳を近付けられたり、手を置かれたりしたら、一発で緊張状態にあることを悟られるほどに。

 

メールの送信ボタンを押して、再度携帯電話の蓋を閉じる。蓋を閉じたのを見計らったように、ホームルーム開始のチャイムが鳴り響く。席を立ったままのクラスメートたちは慌てて自分の席へと戻り始めた。もし千冬さんが教室に入った時に、席から離れていようものなら、出席簿による鉄拳制裁は免れないからだ。

 

それは俺や一夏のような男子生徒だけではなく、女子生徒だろうが関係はなく、携帯電話を使っていても例外ではない。返信を終えた携帯電話をそっと、鞄の中へとしまった。横目にナギを確認すると同じように、携帯電話を鞄の中へとしまう。気になる内容とはいえ、鉄拳制裁を受けるのとは天秤にかけられない。

 

男女平等、女子だからという理由で手を抜くことはない。一ヶ月過ごしてみて、千冬さんの来るタイミングを皆把握しているようで、ここ最近は誰かが鉄拳制裁を受けることは見なくなった。

 

案の定、皆が席についた瞬間に教室のドアが開き、千冬さんが入ってくる。同時に先程まで高揚していた気持ちが徐々に落ち着いてきた。

 

 

(何だか俺らしくないな……)

 

 

 

 

ここ最近色々なゴタゴタのせいで、女性に対して敏感になっているのも事実だが、間違い無く、話す度に意識する度合いが強くなっている。

 

ナギの存在が俺の中で大きくなっている証拠なのか。

 

 

 

IS学園での生活を初めに思い描いた時に、まさかここまで充実した生活を送れるなんて、夢にも思わなかった。ましてやこの女尊男卑の世の中で。

 

平凡な日常。

 

それは理想であり、誰しもが得られる生活ではない。大概の人間は程度に違いはあれど波瀾万丈な生活を送っている。生活の中で苦労があり、更に僅かながらの楽しみがある。

 

平凡な日常を送りたいという願望は一番の贅沢だ。俺が護衛業を営んでいるとはいっても、それも波瀾万丈な生活として扱われるんだと思う。

 

ただ波瀾万丈な生活と違うところは、護衛という仕事上、生死に関わることも多い。テレビによく出てくるようなガードマンやSPとは似て非なるもので、一歩間違えればクライアントどころか自らの命を落とすことだってあり得る。

 

そんな一般の人間が思い描く日常から、かけ離れた日常を送っている俺が誰かを笑顔に、幸せにすることが出来るんだろうか。

 

命の危険に曝すくらいなら、一人で生きていく方が吉なのかもしれない。

 

 

分からない、どうすればいいのか。

 

 

 

それでも、分からなかったところで何かが変わるわけじゃない。

 

俺が例え護衛という仕事をしていたとしても俺は『霧夜大和』だ。俺の存在が消えてなくなるわけでも、否定されるわけでも無い。

 

生きがいなんてモノを深く考えるのは辞めた。そんなもの、壁に当たった時に考えれば良い。無くったって生きていける、むしろ生きがいを考えることが生きがい……それで十分だ。

 

 

 

―――鏡ナギ。

 

彼女が俺のことをどう思っているのかなんて、接し方を見ていれば分かる。俺が彼女を思う気持ちが何なのか、今まで経験したことのない感覚にまだ答えが出ていないけど……。

 

いつかは自分の中で答えが出るんだと思う。

 

 

(……参ったね、どうも)

 

 

そんな苦笑いしか出てこない、朝の一時だった。



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二人だけのランチタイム

 

 

 

 

「それでは、午前中の授業はここまでとする」

 

「「ありがとうございました!」」

 

 

 午前中最後の授業を終えて、ようやく待ちに待った昼休みの時間を迎える。ようやく昼飯だと皆席を立って教室を出ていく。出ていった理由のほとんどは学食へ向かうためだ。ぐっと両手を突き上げて体全体を伸ばす。勉強のために長時間座っていると、どうにも体の調子が悪くなる。それこそいきなり立ち上がろうとすれば、体のダルさが如実に出てくる。

 

……はっきり言おう、朝っぱらから今の時間までの授業の内容は、ほぼ頭の中に入っていない。朝のことが気になり過ぎて、集中出来る訳がなかった。

 

 

鞄の中から携帯電話を取り出し、電源を入れ直してメールの内容を確認する。朝返信をしてからそのままで、完全なノータッチで来たものの、もしかしたら返信が来ているかもしれない。顔を合わせようとするも、ナギが恥ずかしがってしまい顔を合わせられず、それを見た周りが茶化すといったテンプレ的な展開で、全く話すことは出来ず。

 

あまり周りに悟られ過ぎてもアレだし、一限の休み時間以降は大人しくすることに。

 

 

電源を入れてから起動まで十数秒は掛かる。少しばかり起動するのを待ち、操作状態になったのを確認すると、左上の電波のマークの右側に通信中のマークが出てくる。これが出てくるってことは電源を切っていたせいで受信を出来なかったメールが、センターに預けられていることを証明している。

 

つまりは未受信のメールがある。

 

 

やがてメール受信の画面に切り替わり、メール受信数が二件と出た。受信した内の一件はメールマガジンで、今買い換えたらお得ですよ的な内容のもの。故に今の俺には一切関係がない内容だ。

 

そして、もう一件のメールの差出人は……。

 

 

「大和、飯行こうぜ!」

 

「うわぁ!? な、何だよ!」

 

 

 未開封メールを開こうとした瞬間、上から一夏の顔が現れる。状況が状況だったために、思わず驚いたまま椅子にもたれ掛かったため、バランスを崩して椅子が後ろの席に倒れ掛かり、自分の体がバックドロップでも決められたように半月型に反る。

 

手を慌てて伸ばし机を角を掴んだことで事なきを得たが、思いもよらない慌てぶりに、一夏だけではなく周りのクラスメートたちもこちらを不思議そうに見つめてくる。俺が何か怪しいことしたみたいに見られてるけど、別に悪いことも怪しいこともしてないからな。

 

そんな俺の驚きぶりに逆に一夏がビックリしたみたいだ。

 

 

「そ、そこまで驚かなくても……」

 

「驚くわ! いきなり上から声掛けられてみろって!」

 

 

 実際驚いたのは事実。良くあるよな携帯とかでサイト開いている時に、誰かに見られていると思わず体がびくつくこと。見られて困るようなサイトじゃなければいいけど、それが見られたくないサイトだったら涙もの。特に年頃の男子が良く見るようなアダルト系サイトなんかを見ているのを、女子なんかに見られた日には、膝から崩れ落ちるほど凹むと思う。

 

 

「ま、まぁ良いじゃねぇか! そんなことより飯行こうぜ!」

 

 

気を取り直して俺を昼飯に誘ってくる一夏だが、残念ながら今日は先客がいるんだなこれが。以前は俺以外が全員弁当で、俺だけがぼっちを食らう羽目になったが、今回はその逆。

 

誘ってくれることは凄く嬉しいけど、今日ばかりはこれを断ることにする。

 

 

「あー、悪い一夏。今日は俺は先客がいるんだよ」

 

「え、そうなの? それなら……いっ!?」

 

 

一夏が何かを言おうとしたところで、後ろから伸びてきた手が襟を掴む。掴んだまま一夏の重心が掛かるのとは反対方向へと、引き寄せようとするため当然一夏の首が絞められる形になる。

 

一夏の襟を掴んだ人物の正体は。

 

 

「一夏、他人の恋愛事情に足を踏み込むなど、男として言語道断。お前はこっちに来るんだ」

 

 

 篠ノ之だった。眉間に皺を寄せて、いつもより不機嫌なオーラを出しながら一夏のことを睨み付ける。篠ノ之なりに気を遣ってくれたのか、それとも単純に一夏をセシリアや鈴よりも先に確保しておこうと思ったのかどうかは分からないが、今回に関しては都合がいい。ま、正直な話両方だろう。昨日セシリアに抜け駆けされているのを知っているわけだし。

 

襟を引っ張られているせいで一夏の首が絞まっている。苦しそうな表情を浮かべながら、視線を後ろを向けて篠ノ之へ抗議の視線を送る。

 

 

「ちょっ、箒!? わ、分かったから手を! 苦しいって!」

 

 

それこそ、一夏が俺と一緒に来ようぜ的なことを言おうしたのであれば篠ノ之の行動も分からないではないが、言おうとした内容を知っているのは一夏だけだ。一夏の言葉に篠ノ之は握っていた襟を離し、一夏を解放する。手を机の上に置き軽く呼吸を整える。

 

しかしやることが豪快だ、逆に一切言い返さない一夏も一夏で凄いと思うけど。そんな二人のやり取りを苦笑いで見ていると、ナギがこちらをちらりと見つめて先に廊下へと出ていく。一緒に行ったら注目の的になるし、敢えて先に行ったんだろう。慌てて後を追うのもあれだし、少しばかりゆっくりと後を追うことにする。

 

そうは言っても一緒に食べてたら変わらないんだけどな。

 

 

「大丈夫か一夏? 篠ノ之もあんまりやりすぎるなよ」

 

「お、おう。……そうか、今日は一緒に来れないのか」

 

「あぁ、悪いな。また今度誘ってくれ」

 

「おう、じゃあまた今度な」

 

 

 話もまとまったところで、再度教室から出ようとすると、今度はセシリアが一夏と篠ノ之の輪に割って入ってくる。抜け駆けしようとするのを防ぐためか、いち早く篠ノ之が一夏のそばに近寄った行動が、昨日自分がした行動とダブったのかもしれない。ズカズカと篠ノ之のそばまで歩み寄ると、バチバチと火花を散らせながらにらみ合う。

 

 

「ちょっと篠ノ之さん、抜け駆けは許しませんわよ!」

 

「昨日一人で出し抜こうとしていたお前がそれを言うか、この猫かぶりが」

 

「あなたに言われたくありませんわ!」

 

 

あぁ、女の子が一人の男を取り合うの光景って怖いよな。絶対に取られたくないって気持ちは分かるけど、ここまではっきりしていると羨ましいを通り越して怖い。残っているクラスメートの何人かはまた始まったよ的な視線を向けてくる。篠ノ之もセシリアも一夏に好意を向けていることを聞かれると頑なに否定するが、逆に二人の反応が如実すぎて肯定しているようにしか見えない。

 

一回布仏が『二人は結局おりむーのことどう思っているの~?』なんて聞いた時に返ってきた言葉は、二人そろって何とも思ってないって返してきたが、その時の二人の慌てぶりと否定の全力ぶりが完全にツンデレの気がある返答そのもので、何人かが腹を抱えて笑っていたのを覚えている。

 

余りにツンツンしていると、いつか一夏に好意を向ける女性が現れた時に足元を掬われそうで怖い。正直これに関してはどうなのかは分からないんだけど、シャルルも怪しい気がするんだよな。昨日の一件で、一夏に自分の正体を明かしたことまでは分かったけど、果たして二人の仲はどこまで進展しているのやら。普通の男子だったら何とも思わなくても、一夏の場合は常に何かあったんじゃないかと思えるくらい色々なことが起こりすぎている。

 

さて、まずはここから離れるとしよう。用件は伝えたし、俺がここにいつまでも残る意味はもうない。

 

 

「……まぁ、後は頑張れよ一夏。俺はもう行くわ」

 

「あ、あぁ……」

 

 

 今の二人を相手にしたらどれだけ時間を使う羽目になるか分かったもんじゃない。げっそりとした表情の一夏に二人を任せて、俺は一足先に今日教室から出る。

 

教室を出たところで携帯を開き、先程読みかけにしているメールを開く。とはいっても大部分の内容に関しては朝のメールに書いてあったわけだし、大した内容は書いていないはず。書いてあるとすればどこで待ち合わせるかの場所の指定か、メールの内容には……。

 

 

「ん、ここって……っと! 悪い!」

 

 

メールを見ながら走っていたせいで、前のことが良く見えておらず、生徒の一人にぶつかりそうになる。ぶつかりそうになった生徒はには特に怪我は無かったものの、目を逸らしながら走るのは良くない。というより、走る行為自体厳禁だったっけ。頭を軽く下げると大丈夫だと声を掛けてくれる。優しい子で良かった。

 

走らないように、なるべく早く追うことにする。指定の場所が俺の予想とは違った場所だったため、何故ここなのかと少しばかり疑問が湧いてくる。

 

いや、場所的には良い場所なんだけど、校舎の近くにそんな場所があるなんて、俺の頭には入っていなかった。俺もどちらかと言えば校舎回りを散策することはないし、あるとしても誰か不審者が現れた時に指定の場所へ向かうだけだ。どこに何がどのような配置であるかまでは把握しきれてない。

 

把握してるのはそれこそ教師の一部、もしくは楯無さんくらいか。

 

……そういえば、楯無さんもここ最近見ないな。いや、今まで会う頻度が多すぎただけで、本来ならこれくらいが普通なんだろうけど。いざ会わなくなると考えると、寂しいものがある。

 

最近部屋に侵入することも少なくなってきたし、それこそ最後に話したのってシャルルが転校してくる前くらいだった気がする。あれだけ場を引っ掻き回して楽しんでいた光景が、ここ最近見られなくなったっていうのも物足りない。

 

とりあえずそこに関しては今は良い。考えることくらい後でいくらでも出来る。

 

俺は目的地へと歩を急がせるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪い、お待たせ!」

 

「あっ、ううん。こっちこそ無理言ってゴメンね? 織斑くんからお昼誘われたんでしょ?」

 

「あぁ、まぁな。でも今日は約束があるから断った。折角誘ってくれたんだから、他の人の介入は無しだ」

 

「ありがとう! それじゃあ、一旦座ろう?」

 

 

ナギに促されるまま、設置されているベンチに座る。

 

背景に校舎があり、周りには手入れされた花が咲き誇る花壇が、そして涼しげな風が春の終わりを感じさせるかのように、生い茂る木々の葉をゆらゆらと揺らす。その中に一つだけ設置されているベンチに揃って腰掛け、背もたれに体重を預けた。

 

俺たちがいる場所としてはIS学園の中庭なんだが、中庭からは少し離れた場所にある。中庭の広さは膨大だ、それこそ隅々まで探索しないとどのような造りになっているかなんて、分かったもんじゃない。それに大きく開けた場所から離れていることもあり、穴場と言えば穴場なんだろう。周囲に俺とナギ以外に人は見当たらなかった。

 

中庭があるのは知っていたけど、まさかこんな穴場があったとはな。良くあるよね、誰にも知られていない自分だけの秘密の場所って。

 

腰掛けたは良いものの、外と言うこともあり温度が高い。風がいくら吹いても、日光がこれだけ照らしてくると、春の暖かさというより、もう夏の始まりを感じさせるような蒸し暑さにも感じられる。昼休みくらいは別に校則違反でもなんでもないし、上着だけは脱いでおく。

 

ボタンを外して着ている制服の上着を脱ぎ、すぐ横の空いている席に畳んで乗せる。

 

 

「……どうした?」

 

 

俺が服を畳む様子をまじまじと見つめてくるナギ、自分が服を畳んでいる姿なんて見ても面白くないだろと思いつつも、反応せずにはいられなかった。

 

 

「うん……手慣れているなって思って。私も洗濯するけど、制服とかを畳むのって初めの内は結構大変でしょ?」

 

「あー、確かに。上手く畳めないから、最終的に丸めて終わりって奴もいたなぁ」

 

 

暑くて制服を脱いだまでは良かったけど、上手く畳めないから制服を丸めて鞄の中に入れたらシワまみれになって、家で母親に怒られるなんて良くありそうな経験だと思う。初めから綺麗に畳める奴なんて早々居ないだろうし。

 

 

「あ、そうだ。忘れない内に………あの、大和くんが作ったりする料理には到底及ばないと思うけど……も、もし良かったら……」

 

 

 朝俺が見た動物柄の手提げ袋の中から、長方形の風呂敷包みを取り出し、控え目に手渡してくる。

 

俺は普段学食で昼飯を食べているわけで、弁当を自分で作って持ってきたことは一度もない。風呂敷包みの箱を見るのは数ヵ月ぶりのことになる。中学時代は給食制度を取っている学校もあれば、完全な弁当制度の学校もある。

 

うちは給食は小学校までで、中学校からは完全な弁当。自分で作ったり作ってもらったりしたけど、それは学内に学食制度自体が存在しなかったからだ。学食があれば弁当を作ることも減り、学食で済ませることも多かっただろう。

 

IS学園は全寮制のため、一人暮らしと似て非なるものがある。寮内、学内には食堂が完備、たまに作って食べることもあるが、大抵は食堂で済ますことが多い。

 

 

 故に差し出された弁当が懐かしく思える、そして同時に嬉しく思えた。それに家族以外の、しかも異性に弁当を作ってもらったとなれば尚更。

 

目を閉じて顔をトマトのように真っ赤にし、体を小刻みに震えさせながら包みを差し出す。異性に弁当を手渡すこと、それがどんなことを意味するのかなど分かりきっていること。断られたらどうしよう、突き返されたらどうしよう、様々な不安が頭の中にあるんだろう。

 

いつだったか、出掛けた帰りにアクセサリーをプレゼントしたことがあるが、あの時は俺も照れ隠しをしながらその場から逃げるように離れた。特別な感情が無いとしても、異性に何かを渡すっていうのは緊張するものだ。

 

 

「ありがとう、喜んで頂くよ」

 

「……うぅ」

 

 

恥ずかしそうに渡してくるナギに、俺もそう返すのが精一杯。手渡された弁当を受けとると膝の上に置き、包みの結び目を解いていく。風呂敷包みを広げて中から出てきたのは、薄黒い大きめの弁当箱だった。

 

 

「じゃあ、開けて良いよな?」

 

「ど、どうぞ」

 

 

 緊張した面持ちで俺の手先を見つめてくるが、そこまで見つめられると蓋を開ける俺の方が緊張してきてしまう。こうして女の子に弁当を作ってもらうのは初めての経験だし、手作り弁当ともなれば否が応でも期待してしまう。ナギの家事能力が高いことは知っているし、味に関しては全く気にしてない。緊張しながら、ゆっくりと弁当箱の蓋を開けていく。

 

 

「おお! こりゃ凄いな!」

 

 

 思わずそう口走ってしまう程に、色鮮やかに敷き詰められた具材。唐揚げに卵焼きといった鉄板メニューに、バランスを考えて入れられたほうれん草とキノコのソテー、そして弁当を色鮮やかにするために添えられたミニトマト。余ったスペースを埋めるように、チーズとキュウリが入ったちくわが入っている。

 

運動会にお弁当を持っていった時に、まさに鉄板と言われるメニューばかりが添えられていた。逆にそれさえ入れておけば、好き嫌いが多い子供でも食べれるし、外れることも少ない。俺は別に好き嫌いも無いし、作ってくれたものに関しては基本は残さない。食べ物であれば何を入れて貰っても嬉しくなる。

 

 

「なぁ、もしかしてこれって全部手作りか?」

 

「うん。私冷凍食品を入れることもあるけど、あまり好きじゃないから……なるべく作るようにしているの」

 

 

 

 

日本中で手作り弁当を作っている何人が撃沈する言葉だろうか。俺もだけど、手作り弁当とはいえいくつかはレトルト食品、もしくは冷凍食品をいれることが多い。というより必ず入れている。

 

まさかとは思っていたけど、やはり今日詰められた弁当のおかずにレトルト食品は一切入っていなかった。唐揚げにしてもレンジで解凍したものとは明らかに香りが違う。俺だって台所に立つこともあるし、それくらいは見れば分かる。冷凍の唐揚げなら冷えてくれば味は一気に落ちるし、何より見た目が実際に衣を付けて揚げたように見えない。

 

時間を掛けてでも作ろうと思えば全ての料理を手作りすることは出来る。ただ全てを一から作ろうとすると時間が掛かってしまう。それに一つ一つの具材を作るだけでも、かなりの労力を要するはず。これだけの料理を短時間で作ることはまず無理だ。だからこそ、ナギが一つの弁当を作るために早起きしたことが容易に想像出来る。

 

ただナギに対する感謝の言葉しか思い浮かんでこない。

 

 

「……」

 

「ど、どうしたの?」

 

「いや、改めて俺の幸せを認識してた」

 

「え? え?」

 

 

俺の言葉の意味が伝わらずに首をかしげる。言葉の意味は分からなくて結構、むしろ理解されたら地味に困る。とにかく、今は目の前にあるこの弁当を食べよう。時間は無限ではない、限りある時間を楽しむことにしたい。

 

 

「じゃあ、いただきます」

 

 

箸を持ち、弁当の中で一番存在感を放っていた唐揚げに箸を向ける。一口大の唐揚げをそのまま口の中へと運ぶ。噛み締めた瞬間に唐揚げ独特の風味と、閉じ込められた肉汁が口の中に充満する。外はサクサクとした食感に、中はふわっとした柔らかくてジューシーな食感、二つの食感のコラボレーションに感動しそうになる。

 

文句無しに美味い。

 

 

「美味い」

 

「ほ、本当に?」

 

「あぁ! マジでこれは美味いよ。これってもしかして隠し味にヨーグルトとか入れてるのか?」

 

「うん。ヨーグルト入れると味が凝縮されるから……でも、良く分かったね」

 

「今まで食べた唐揚げとはちょっと違ったから、もしかしたら一手間加えているのかなって」

 

「そうなんだ……良かった、喜んで貰えて」

 

 

 味の感想を言われたことで、ホッと胸を撫で下ろすナギ。俺もあまり包み隠さずストレートに物事は言うから、感想は素直に言うけど、一切贔屓目無しに美味しい唐揚げだ。正直、店を出せるんじゃないかというくらいに。

 

安心して表情も柔らかなものになっているが、そんなに心配しなくても……。

 

続いて卵焼きとそれぞれに箸を伸ばしていく。どれもこれも甲乙つけがたいところがある。手厳しい評価をしてくれと言われても俺はプロの料理人ではないし、美味しいものは美味しい以外に評価のしようがない。

 

流石に女の子の前ってこともあり、がっつきながら食べることは出来ない分、じっくりと堪能させてもらうことにする。

 

 

安心したことでようやく、ナギも自分のお弁当を開き始めた。感想を聞くまでは食べるに食べられなかったんだろう、ようやく箸を動かし始める。

 

 

 

……と思ったのだが、一向に口へ運ぶ気配がない。それに気のせいか、顔がさっきより赤い気がするんだけど……。更にこちらをチラチラと確認しながら、あーでもないこーでもないと唸り始める。ますます考えていることが分からない。

 

横目で様子を確認しながら、俺はただひたすらに箸を動かしていると。

 

 

「あ、あの……や、大和くん」

 

 

声に反応して振り向くと、より一層顔を真っ赤にさせたナギの姿が。ここまで来ると、もはや見る人間全員が大丈夫なのかと心配するほどに赤くなっている。一体彼女が何を想像しているのかは分からないけど、そこまで顔を赤くさせる要因は何なのか。

 

 

「お、おい大丈夫か? 顔真っ赤だぜ?」

 

「う、うん。大丈夫だから、大丈夫だから……ね?」

 

 

上目遣い。

 

男がやってもげんなりするだけのものは、女性がやれば最大の武器となる。箸をギュッと握りしめたまま、上目遣いに俺の方を見上げてくる。その視線の破壊力は計り知れず、何も言い返せないまま硬直する。なんて間抜けな面をしているんだろう、もし俺が二人いたとしたら間違いなくそう言っている。何度されてもこれだけは耐性がつかない。

 

二人揃って見つめあったまま時間が過ぎていく。やがて先に言葉を発したのはナギの方だった。

 

 

「あのね……その……」

 

 

歯切れの悪い言葉のまま箸を持ち直す。箸を持ったかと思えば、今度は自分の弁当箱の中に入っている卵焼きを掴んで上に持ち上げた。

 

そして持ち上げたまま、卵焼きを俺の方に……っておい、これってまさか。

 

 

「あ、あーん……」

 

 

 俺の目の前に差し出された卵焼き、ご丁寧にその下には手皿が添えられていた。さらに心なしか、さっきよりも俺との距離が近くなっているような気がする。というより明らかに近い、そして目の前に卵焼きが差し出されている事実も変わらない。

 

このまま何もしないでは完全に気まずくなるだけだし、変に理由を聞いても同じように気まずくなるだけだろう。何を入れてもどう意図してこんな行動をしているのかは分からないけど、差し出された以上俺がとる行動は一つしかない。

 

ただ念のために確認だけしておく。

 

 

「あの……ナギさん?」

 

「や、大和くん! は、早く!」

 

「は、はい!」

 

 

 顔が真っ赤で恥ずかしがっているのは間違いないというのに、声の迫力はいつもと段違いだった。結局、確認すらさせてもらえずに、それ以上は何も言えなくなる。聞いても答えてくれないなら、もう俺がやることはたった一つ。この卵焼きを食べるしかない。誰かに見られたら恥ずかしいだとか呟いている暇もないし、拒否することも出来ない。

 

よくテレビなんかでカップルがよくやっているのを目にする。現実にやっている人間がいるとしても、人前でやるものじゃないから、実際にやろうとすると勇気がいるものだ。

 

何、簡単だ。目の前にあるものを食べればいい。恥ずかしいのは俺だけじゃないんだから。一度口の中に溜まった唾を飲み干し、口を卵焼きに近付けていく。

 

 

「じゃ、じゃあ……あーん……」

 

 

ある程度の距離まで口を近付けると、ナギが口の中に卵焼きを頬り込んでくる。間違いなく味は美味しいのに、恥ずかしさと緊張から味が感じられなかった。

 

それどころか顔の表面温度がみるみる内に上昇するのが分かる。俺ってこんなに恥ずかしがり屋だったかと、新たな自分の変化に動揺を隠せない。

 

ナギがやろうとしたのは一般世間で言われる『あーん』だろう。何をどう思ったのかは分からないけど、行為自体が相当恥ずかしいものだったことは分かる。当の本人は恥ずかしさから顔を俯かせたまま、耳まで顔を赤くしてふるふると震えている。

 

 

「うぅ。やっぱり恥ずかしすぎるよ……」

 

 

俯いたナギがポツリと消え入りそうな声で呟く。当たり前だっつーの。やられた俺もめちゃくちゃ恥ずかしいんだから。むしろ周りに見られなくて良かったと、安堵のため息すら出てくる。かといって嬉しくなかった訳じゃない。女の子に食べさせられて嬉しくない訳がない。

 

さて、いつまでも恥ずかしがってても仕方ないし、残った弁当を食べきらないと、後々余裕がなくなる。折角余裕を持って中庭まで出てきたというのに、時間が無くなって掻き込むなんてのはゴメンだ。俺は良くても、女の子が掻き込む場面なんかは見たくない。

 

一つ息を吐き、気持ちを落ち着かせてから箸を取り、弁当の中身を口へと運んでいく。少し気持ちが落ち着いてくれたお陰で、ようやくまともな味の判別が出来るようになる。

 

うん、美味い。

 

 

「まぁ、あれだ……おいしいよ、やっぱり。それこそおふくろの味っていうと言い過ぎかも知れないけど」

 

「……」

 

 

俺なりに話を広げたつもりだったが、完全に俯いていたまま反応がない。

 

このままでは埒があかないな、何か別の話題は……。

 

 

「料理っていうと昔を思い出すなぁ。初めて作った料理って炭クズだったっけ」

 

「あ、私その話詳しく聞きたいな」

 

「へ?」

 

 

 何気なく昔の苦い思い出を口にすると、今まで俯いたままだったナギが唐突に聞きたいと申し出てくる。顔の赤みは完全に取れ、興味津々といった感じに身を乗り出してくる。俺も口に出した手前、後に引くことも出来ない。とはいっても別にこの件を話したところで、さほど問題にはならないし、せいぜい俺の苦い思いでの一部が明るみに出るだけだ。

 

料理がある程度形になるまでの俺の経過具合なわけだが、初めはとても目も当てられない程に酷いものだった。まず料理が原型を留めていない時点で、料理と呼べるかどうかも怪しい。アニメやテレビの世界ではあっても、料理で炭クズを作る人を俺は見たことがないんだが、もし全世界で俺だけだったら自慢になるな。

 

世界でただ一人、料理で炭クズを作った男として。不名誉すぎて涙が出てきそうだ。

 

 

「なら少しだけ。まず俺がどうして料理をやろうと思ったかだけど、初めは一つでもちひ……姉さんに勝ちたかったからさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――話し込んでいる内に、あっという間に時間は過ぎ去っていった。昼休み終了まで十分、教室に戻るまでの準備を始める。自分の料理の経歴を話してからは特に何事もなく終わったわけだが、自分の昔を声に出して説明するのは中々に骨が折れた。

 

一通り片付け終わったところで、忘れ物がないかどうかを体を触って確認する。ポケットに手を入れて財布……はあるな。制服の内ポケットに入っている。

 

携帯はズボンのポケットに入って……。

 

 

「あれ、カバー外れてる」

 

 

携帯はいつ外れたのか、携帯のカバーが外れて電池パックが剥き出しになっている。自分からわざわざ外すことはないし、何かの拍子で外れたんだろう。しかもご丁寧にカバーのロックが外れている。

 

流石にむき出しのまま放置するわけにはいかないし、外れたカバーをポケットの中から探りだし、携帯の裏側に貼り付ける。

 

 

「……あっ! 大和くんそれって……」

 

「ん……あぁ、これ?」

 

 

隣で片付けをしているナギが驚きながら指したのは携帯カバーの裏側部分。もちろん何でこんな場所を指したのかは理由がある。良く思い出で、携帯電話の裏側に撮った写真を貼り付けている子がいる。友達との思い出を忘れないように、繋がりを断ち切らないようにと、思いは人それぞれだ。

 

思い出を大切に思う気持ちは俺も同じ。ゴールデンウィークに出掛けたときのプリクラが、携帯カバーの裏側に貼ってあるなんて意外に思えたんだろう。

 

確かに俺のイメージから珍しいと思うのも無理はないか。あんま思い出とか大切にしなさそうに見られることもあるし。

 

 

「意外に見えたか?」

 

「あ……うん。正直大和くんのイメージとは違っていたかも」

 

「良く言われる。料理出来ますって言ってもしなさそうとか言われるし」

 

 

意外に思われるのも慣れっこだ。俺が入学日の自己紹介で特技は料理だと言ったのに、大体のクラスメートは忘れている。現に相川なんて完全に忘れてて、料理は良く作ると言えば意外そうな表情を浮かべるだけだった。

 

 

「で、でも大和くんのことを馬鹿にしてる訳じゃないよ? ただ、その……嬉しかったから……」

 

「え、最後何て言った?」

 

「な、何でもない!」

 

 

最後に小さな声でボソボソと何かを言ったようにも見えたのは気のせいか。まぁ、そこは気にしても仕方ない。こうしている間にも時間は刻々と過ぎ去っていく。残り十分ほどあった余裕もごく僅か、これ以上長々と居座ると授業の遅刻は免れない。

 

千冬さんの授業ではないとはいえ、遅刻は非常にマズイ、急ごう。

 

 

「よし、準備は良いか?」

 

「う、うん。大丈……キャッ!?」

 

「っ!? 危ねぇっ!」

 

 

 急ごうといきなり立ち上がったことが災いし、踏み出そうとした足が片方の足に引っ掛かる。想定していたのならまだしも、想定外の事態に対処するのは非常に難しい。案の定、バランスを崩して前に倒れ掛かる。一度重心が傾けば、自力で元に戻るのはほぼ不可能。重力に従って前に倒れ込むしかない。

 

だが受け身を取ろうにも、そのまま倒れたら目の前のベンチにぶつかる。倒れた方向を修正するのも難しい、出来たとしても倒れる時の体の向きを変えることくらいか。ただ今のナギにそんな暇と思考はない。何がどうなっているか、把握出来ていないだろうから。

 

体の向きを変えたとしても、平面な地面に倒れる訳じゃない。凸凹なベンチの上に倒れることを考えると非常に危険だ。

 

悲鳴と同時に既に俺の体は動いていた。あの時、段ボールを持って階段を降りていた時のシチュエーションと姿がダブる。打ち所が悪ければ大怪我は免れない。

 

無理矢理腕だけで受け止めようとしても支えきれないと判断し、一歩先へ半身の体勢で踏み込んで、体ごとナギの前に立つ。これなら全身で受け止められるし、クッションにもなるはず。

 

刹那、微かに寄り掛かる重みと共に、体が預けられる。やれやれ、何とか上手くいったか。勢いそのままに倒れ込んできたから顔はすっぽりと俺の胸元に埋まったままだ。

 

このまま運ぶわけにもいかないし、一旦ナギを……。

 

 

ふにふにっ

 

 

ところで、さっきからずっと気になっていたんだけど、この右手に当たっている柔らかいものは何だろう。感触としてはマシュマロのようなものなのか。そもそも身に覚えのない感触だから、何とも言い表し難い。もしくは肉まんのような、あんまんのような……。

 

 

「ひっ……」

 

 

うん……あれ。どうしてナギが声を上げるんだ?

 

 

ふにふにっ

 

 

「んんっ……」

 

 

 二度目の声を上げたところで、ふと俺は思い直す。俺は今どんな状況なのかと。確か転びそうになったナギを守ろうとしてナギの前に割って入った。これは間違いない。そもそも転ぶことが分かった段階で何もせずに突っ立っている方があり得ない。

 

その後はそのまま倒れ込んできたナギを体全身を使って受け止める。ここに関しても問題はない。実際に俺の前にはナギがいるのだから、胸元に顔を埋めている状態のため、どんな表情をしているのかまでは確認出来ないけど。

 

で、他に思い当たるとすれば今の俺ナギの体勢について。体全身で受け止めたのだから、俺の体の中にナギが寄り掛かっている状態。反動で別方向に倒れないようにと手を背中に回して……。

 

回して?

 

 

ふにふにっ

 

 

「あんっ!」

 

 

色艶やかな悲鳴が三回続いたところで俺はようやく気付く、俺の右手は一体どこにあるのかと。左手に関しては受け止めた際に背中側に手を回したため、きっちりとナギの左肩まで手が届いている。だが問題なのは左手ではない、右手だ。

 

冷静に考えてみれば、俺は右手を右肩側に回した覚えはない。念のために右肩側を確認してみるも、やはり回してないものは回してない。

 

じゃあこの右手の右手はどこにあるのか。それに加えてこの柔らかい感触。

 

 

「……」

 

 

もしこの杞憂が外れてくれたらこんなに嬉しいことはないと思いつつ、視線だけを右下にずらしていく。視線の先に入ってきたのは何かを掴んでいる俺の右手、位置的には上半身か。俺が掴んでいる何かは形がグニャリとつぶれているようにも見える。はて、人間の体に掴んだら形が変形する部分なんて……。

 

 

「……え?」

 

 

一つだけ、ある。上半身にある女性特有のもの。おい、まさかこの右手が掴んでいるものって。

 

 

「……」

 

 

ナギの……。

 

 

「うわああああああっ!!? わわわわわわわわ悪いっ!!」

 

 

慌ててナギから離れる。何てことを俺はしていたのか、それも一度のみならず三回も。セクハラも良いところだ。

 

でも柔らかかった……じゃなくて!

 

離れた後、すぐさま体をほぼ直角に折り曲げての謝罪。人生でここまできっちりとした謝罪をしたことは一度もない。それでも自分がしたことは決してわざとじゃないにしても、相手に不快感を与えてしまったことに変わりはない。

 

許してくれるとは思わないが、謝らずにはいられなかった。しばらくの間、二人の間に沈黙が続く。ナギは当然のことながら恥ずかしげに俺から顔を逸らす。むしろこの状況で気まずくならない方がおかしい。

 

 

「……」

 

「あ、あの……その……ゴメン! 謝って済むようなことじゃないけど……本当にゴメン!」

 

「も、もう大丈夫だから。き、気にしないで」

 

 

大丈夫だと念を押されるも、逆にナギの言葉の全てが鋭いトゲとなり、俺の心に深く突き刺さる。助けたことが仇になるなんて思いもよらなかった。善意でやったことが悪意になるとか、泣きたくなってくる。ガックリと頭を垂れて凹む俺に、そっと声が掛けられる。

 

 

「……大和くんがワザとじゃないのは知ってるよ。私を助けようとしてくれたんだよね?」

 

「え……あぁ、まぁ」

 

 

元々下心があったわけでもなければ、狙ってやろうとしていたわけでもない。ワザとじゃないのはきっぱりと断言出来る。

 

 

「なら、私は大和くんのことを責められないよ。その……揉まれた時は、ちょっとびっくりしたけど……」

 

「うぐっ……本当にごめんなさい……」

 

「そ、そんなことより早く戻ろう? 授業に遅刻しちゃうから……」

 

「そ、そうだな」

 

 

 頭が上がらないとはまさにこの事。今の俺にはただ謝ることしか出来なかった。如何せん女性とのトラブルやハプニングとは無縁だったから、こんな時どう反応し、対処すれば良いのかが分からない。結局は気まずい状態のまま、中庭を後にする。時間もタイムリミットだ。ここでゴタゴタしていたらマジで間に合わなくなる。今の俺には黙ったまま教室に戻るしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この時まだ俺は知る由もなかった。

 

 

後にこんなことよりもずっと理不尽で、ふざけた出来事が起こるだなんて。



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ラウラの葛藤

 

 

 

「日直な訳でもないのに荷物運びを手伝わせるなんて、千冬さんも人遣いが荒いよなぁ」

 

 

時は流れて午後。

 

バタバタなランチタイムを終えて残る授業もあと僅かなのだが、そんな時に限ってアンラッキーなことばかり起こる。授業終了後の休み時間のことだ。

 

本来学生にとっては憩いの時間とも呼ばれる休み時間が、何故か教師の雑用を手伝わされる羽目に。完全に名指しで呼ばれるところを見ると、確信犯的なものがあったんじゃないかと思ってしまう。段ボール一杯に入ったプリントを職員室に運ぶだけの簡単な作業……なのだが、如何せん段ボールが重たい。軽い筋トレにも十分使える代物だ。

 

教室の扉を開ける為に一旦荷物を下ろし、数回扉をノックした後に段ボールを抱え直して、職員室の中へと入る。前は入った瞬間に数多くの視線に見つめられていたというのに、皆が慣れたことで俺に対する興味も薄れつつある。今では好奇の視線も数少な、冷静に考えてみれば怖すぎだよな、入った瞬間に職員室にいる教師のほぼ全員が俺の方を振り向くって。

 

一斉に振り向く教師陣、なんて都市伝説が作れるんじゃないか。おー、怖い怖い。

 

さて、今回の目的はボケを決めることではなくて、この段ボールを届けること。えーっと……千冬さんの机は確か。

 

 

「霧夜くん。ご苦労様です」

 

「山田先生。ちふ……じゃなかった。織斑先生ってまだ戻ってきて無いですか?」

 

「織斑先生ですか? つい先程戻ってきたんですけど、外に出ていってしまって……もしかして何か用がありましたか?」

 

「あ、いえ。ただこの荷物をどこに運べば良いのかと思いまして。職員室まで持ってきてくれとは言われたんですけど、職員室のどこに置けば良いかまでは聞いてなかったので……」

 

「それでしたら、私がお預かりしますよ。授業で使ったプリントですよね?」

 

「えぇ。お手数掛けて申し訳ないですが、頼んでも良いですか?」

 

「はい! 何せ私は霧夜くんの副担任ですから!」

 

 

胸を張りながら笑顔で応えてくれる山田先生は教師の鑑だと思う。思わずその欲張りな上半身に目が行きそうになるが、そこを堪えつつ頭を下げる。元々のサイズがあれだから、上半身を張るとよりボリューム感が伝わって来てしまうため、もはやある一種の凶器だろう。

 

町歩く男が何人反応したことやら、加えて見た目も童顔で、実年齢より幼く見える。千冬さんの後輩だから、二十代前半なのは間違いないけど、制服を着れば学生と何ら変わらない。千冬さんが着ても似合わないとは思わないけど、違和感が強いのは否めない。

 

山田先生が生徒に人気なのは、優しいところや教え方が丁寧なだけではなく、同い年に話をしている感じもあるからだろう。気さくに話しかけれるという意味では、大きな武器にもなる。

 

からかわれているのは悪いことではない、やりすぎは良くないけど。たまにやり過ぎて山田先生も怒る時があるし。

 

 

そんな話はさておき、素直に引き継いでくれた山田先生に感謝しよう。

 

 

「すみません、ありがとうございます。よろしくお願いします!」

 

 

 一礼した後、そのまま身を反転させて職員室から出る。あまり言いたくはないが、好奇の視線が減ったとはいえ、職員室の空気はどうも好きになれない。気が抜けないというか、張り詰めた感じが何とも言えない。

 

職員室から出た後、ふと時計を見て授業まで何分かを確認する。ここまで荷物を持ってくるまでに結構時間を使っているし、あまりオチオチしていられないのも事実。この前トイレに行った時に授業に遅刻しそうで走ったら教師に一喝されたため、それ以来廊下を走ることを控えている。

 

ただトイレに関しては、歩いて戻ったらかなりギリギリになるし、職員室もトイレと同じ方向、ほとんど同じ距離にある。故に歩いていると間に合わない可能性が高い。

 

人目につかない廊下を走るのが一番のセオリーだろう。

 

ってかもしかして俺をパシリに使ったのは、女生徒じゃどうあがいても間に合わないからか……?

 

だとしたらかなりタチが悪い。逆に絶対に間に合わないからかこそ任せないとも考えられるけど。まぁいいや、走るなと言われても今回ばかりは走らないと間に合わなさそうだし、バレないように走れば良い。

 

考えがまとまったところで俺は静かに地面を蹴り、教室に向かって駆け出した。廊下を道なりに直進して初めの曲がり角を右折、そのまま真っ直ぐ走れば中庭を突っ切れる。本来、この中庭を上履きで突っ切ることは禁止。当たり前と言えば当たり前だけど、さすがに時間がない。授業に遅刻するくらいなら、多少校則を破った方がマシだ。

 

初めの曲がり角を注意しながら右折する。人がいることも考えられるし、全力疾走をするわけにはいかない。曲がった後は真っ直ぐ進めば中庭の渡り廊下に出る。そこを突っ切ってしまえば、教室までは一気にショートカットをすることが可能。

 

小走りをしながら中庭へとと差し掛かる。静かにその場を去ろうとすると、どこからか聞き慣れた声が聞こえてきた。

 

 

「なぜこんなところで教師など!」

 

「やれやれ……」

 

 

先に進もうとしていた足が無意識に止まる。この先の曲がり角に誰かいるんだろう、ごもっとも声の質から判断してボーデヴィッヒと千冬さんの二人か。感情任せに声を荒らげるボーデヴィッヒと、その様子を鬱陶しそうにしながら悪態をつく千冬さん。千冬さんの反応で、このやり取りが一度でないと容易に想像することが出来た。

 

このまま俺が廊下を突っ切れば二人にバレるのは必至、あらぬ誤解を招かれても文句は言えない。そもそも上履きで突っ切ることを禁止されている場所を堂々と通ってきた訳だし、今千冬さんに見付かるわけにはいかない。かといって廊下を引き返す時間など残されている訳もなく、二人がいる場所を通らないことには先に進めない。

 

柱の影に隠れて二人の様子に注意を向ける。

 

 

「何度も言わせるな。私には私の役目がある。それだけだ」

 

「このような極東の地で、何の役目があるというのですか!」

 

 

 よくよく話を聞けば散々な言われようだ。ここまで言われたのはセシリアがまだ高圧的な態度の頃か、もう二度とないだろうと思ってはいたがまさかこんなに早く二度目があるとは。巡り合わせとは怖いもの。

 

話から察するに、今の千冬さんのやっている仕事に対してボーデヴィッヒが不満をぶつけているみたいだ。千冬さんは確かドイツ軍で教官として働いていた時もあったんだっけな。教官として働いていた時と、教師として働いてる今とでは千冬さんのギャップに大きな違いがあるのだろう。

 

強くて凛々しい姿を見ているボーデヴィッヒにとっては、今の千冬さんのやっていることが気に入らない、認めたくない……そう思っているのか。

 

 

「お願いです、教官。我がドイツで再びご指導を。ここではあなたの能力は半分も生かされません」

 

「ほう」

 

 

ボーデヴィッヒの言い分に、千冬さんが短く答える。

 

一言で言うのなら子供のワガママにしか見えない。ここで教鞭をとるくらいなら、ドイツに戻って教官をした方が千冬さんの為になると。千冬さんがボーデヴィッヒの言い分に対してどう思っているかは分からないけど、いい気分はしないはずだ。

 

正当な意見を言っているつもりが、ボーデヴィッヒの私利私欲を満たすためだけの願望になっている。俺が思う以上に、依存度が強い。

 

 

「大体この学園の生徒など、教官が教えるに足る人間ではありません。意識が甘く、危機感に疎く、ISをファッションだと勘違いしている。そのような程度の低いものたちに時間を割くなど、無駄の何以外でもありません!」

 

 

ボーデヴィッヒの一方的な言い分に、目をつぶったまま黙って耳を傾ける千冬さん。言い返す気も湧かないのか、それともまた別の理由があるのか。

 

 

「仮に織斑一夏に思い入れがあったとしても、あやつの存在は教官のために―――」

 

 

一夏の存在を全面否定しようとした矢先の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――そこまでにしておけよ、小娘」

 

 

 刹那、千冬さんとボーデヴィッヒの周りだけがまるで別空間にでもいるように、ガラリと雰囲気が変化する。ビリビリとした張り詰めた空気が一気に充満し、一瞬体が動かなくなる。少し離れている俺でこれだ、目の前にいるボーデヴィッヒは足が完全にすくんでいるかもしれない。

 

一線を越えて不満をぶちまけようとするボーデヴィッヒに、静かな威圧感ある声が響き渡る。あまりの凄みに、一言も発せずにその場に立ち尽くすボーデヴィッヒ。何かを言いたくて言葉が出てこない、考えることが出来ない。まるで金縛りにでもあったかのように、一言も発することが出来なかった。

 

確かにISを一種のファッションのように考えている子だっている。現に、ISスーツのカタログを開いて、どこのモデルにしようか悩んでいる生徒なんてごまんといる。見た目のデザインで選ぶ子、使いやすさで選ぶ子など様々。

 

無理もない、彼女たちは一度も戦場に立ったことがない上に、まともなIS起動を行ったこともない。だからこそ、戦場に立つ恐怖を、ISという兵器を動かす恐怖を知らない。

 

知らないのは決して悪いことじゃない、むしろ戦場を経験している人間の方がレアなくらいだ。軍事経験がある生徒なんて、それこそ全学年を探したところでボーデヴィッヒくらいしかいないだろう。

 

 

ボーデヴィッヒは軍人として、数多くの戦場を渡り歩いてきているからこそ、この学園の体質に不満も出てくる。一瞬の判断が命取りになり、昨日まではあんなに元気だった人間が、次の日には見るも無惨な変わり果てた姿になっているなんてざらにある。

 

彼女のいた世界は、常に命の危機との隣り合わせだ。明日は我が身……厳しい世界を生き抜いてきているからこそ、不満として出てきてしまう部分もある。

 

 

俺も全てを否定する訳じゃない。

 

ただ、今の千冬さんの役目は入学してきた生徒を一人前に育て上げることだ。ここはドイツではない。仮に千冬さんが本当に望んでいたのなら、ドイツ軍に教官として残っていただろう。それでも日本で教師として、教鞭を振るうことを選んだ。

 

これは紛れもない事実だ。

 

 

―――戻ってきてほしい。

 

それはボーデヴィッヒの一個人の願望にすぎず、千冬さんの気持ちではいない。自分がこうしたいから、叶えたいから。そんな簡単に、都合の良いように物事が運ぶのであれば、『理不尽』なんて単語は生まれてこない。

 

 

 

そして威圧の中に含まれる、家族を侮蔑されたことに対する怒り。誰がどう言おうが、自分の一人の弟を必要ないと遠回しに言われて、黙っている家族などいやしない。表情こそ変わりはしないものの、明らかに怒っている。

 

俺がもし千冬さんと同じ立場に立っていたとしたら、自分を抑えられたかどうか危ないところだ。ふと入学したばかりにセシリアに千尋姉をバカにされたことに対し、ブチ切れてしまった時のことを思い出して苦笑いが出てくる。

 

程度に違いはあれど、家族のことを思わない人なんていないと信じている。信じていても中にはものの見事に裏切ってくれるケースもあるけど、そこを気にしたところで仕方がない。

 

一方のボーデヴィッヒは既に下を俯いたまま、顔を上げられずに震えていた。ただ全ては自分のワガママな発言が招いた自業自得、同情する余地などない。

 

 

「人の家族のことに対して介入してくるとは、少し見ない間に随分と偉くなったものだ。十五歳で選ばれた人間気取りとは恐れ入る」

 

「わ、私は……」

 

 

あまりの威圧にボーデヴィッヒの口調が震える。千冬さんに対する恐怖と、見捨てられたくない感情が混ざりあって言い返せないままだ。

 

何も言えなくなったボーデヴィッヒに対し、再度口を開く。

 

 

「まぁいい、一つだけ良いことを教えてやろう。探そうと思えば、いくらでも強い人間はいる。クラスにいる霧夜なんかもその代表例だろう」

 

「わ、私はあんな男に不覚を取ったりなど!」

 

「ふっ、その男に転校初日に手玉に取られたのは誰だ?」

 

「くっ……」

 

 

単純に一夏が殴られそうになったのを防いだだけで、手玉に取ったつもりはなかったんだけどな。悔しそうに声をあげたってことは、手玉に取られたと認識しているってことみたいだ。

 

 

「さて、そろそろ授業が始まるな。さっさと教室に戻れ」

 

「……」

 

 

 千冬さんの声に促されるように足音が遠ざかっていく。何も言わなかったところを見ると、ぐぅの音も出ないほどに言いくるめられたらしい。柱を背もたれにしながら、千冬さんがその場から離れるのを待つ。今出ていったら待っていた意味がないし、通り抜けたらいけない場所を俺が通り抜けてきたことがバレる。授業はギリギリだろうけど、少し待とう。

 

 

「……?」

 

 

千冬さんだってこの後授業があるはず、なのに足音がその場から遠ざかっていかない。

 

おい、このパターンはまさか……。

 

 

「そこの男子。盗み聞きか? 異常性癖は感心しないぞ」

 

 

掛けられた声に思わず背筋が凍る。完全に隠れたつもりだったのに、千冬さんにはバレていたというのか。本来なら上手く誤魔化して逃げたいところだが、そうは問屋が下ろしてくれない。逃げたとしてもすぐに捕まる未来がはっきりと見える。

 

ここまで諦めがつくケースも珍しい。いつまでも隠れていれば授業にも遅刻する。さっさと諦めて姿を出すとしよう。

 

ふぅと一つため息をつきながら、柱の影から出ようとする。

 

 

「な、何でそうなるんだよ! 千冬姉!」

 

 

前に、またもや聞き覚えのある声がその場に響き渡った。千冬さんに対する親しみが最も籠った独特の呼び方、この呼び方をするのはIS学園でただ一人しかいない。進もうとする足を止め、再度柱に隠れ直す。

 

俺も気配を消して隠れてはいたため、まさかバレるとは思っていなかった。もちろん偶々一夏が場に居合わせたたけで、バレたのは俺の方だって可能性もあるけど、もう一度様子を見ることにする。

 

というか一夏、こんなところで公私混同したら……。

 

 

「いってぇ!!」

 

「ここでは織斑先生だ。馬鹿者が」

 

 

案の定、千冬さんに叩かれる音が聞こえた。心地よい乾いた音が鳴り響く。出席簿でここまで良い音が出るんだから、叩きどころを分かっているんだろう。チラリと二人の様子を目視で確認すると、叩かれた頭を押さえながらしゃがみこむ一夏の姿が。反応からして分かる、すげー痛そうだ。

 

 

「……それと、もう一人居るな。出てこい、今なら無罪放免で許してやる」

 

 

一夏に夢中になっている間に、結局俺が隠れていることがバレてしまった。これ以上隠れていてもあれだし、今なら無罪放免って訳だ、隠れている意味がない。観念したように両手をあげながら、千冬さんと一夏の前に出る。

 

 

「流石ですね、織斑先生。バレない自信はあったんですけど」

 

「これくらいならすぐに察知できる。もう少し隠れる術を磨いてみたらどうだ?」

 

「……精進します」

 

 

相変わらず手厳しい意見だ。誉めるところを見たことがないけど、人を誉めたことがあるのか気になるところ。それにこれくらいならって言われても、今の隠密行動には結構自信があったんだけどな。

 

察知されたのはこれで二回目、早々バレるものじゃないとは思うけど、更に精度をあげなければならない。それこそ一般人を基準に来たところで意味がない。折角千冬さんっていう達人がいるわけだし、この人が気付かないくらいにならなければ。

 

 

「や、大和! お前こんなところで何してんだよ?」

 

 

一夏が驚きながら声をかけてくる。普通ならまさか他に聞いている人間がいるとは思わないし、逆に気付けたら千冬さん並みの気配察知能力があることになる。

 

 

「職員室に荷物届けた帰りだ。特に理由はないよ」

 

「ところで織斑と霧夜。今の話をどの辺りから聞いてた?」

 

「俺は何で織斑先生が教師をやってるのかと、問い掛けていたところくらいからですかね」

 

「お、俺もそのくらいです」

 

「ほう、そうか……」

 

 

都合の良いことに俺と一夏の聞き始めたタイミングはほとんど一緒らしい。顔を交互に見ると、微かに笑みを浮かべる。千冬さんの笑みの理由が分からずに、俺と一夏は顔をあわせながら、首をかしげる。

 

 

「織斑先生がボーデヴィッヒに俺の名前を出すとは思いませんでしたよ。ま、認めてくれてることが分かって俺は嬉しいですよ」

 

「ふっ、あれは言葉のあやだ。このくらいで満足されては困る」

 

「手厳しいですね。結構プロの軍人を相手にするのは骨が折れるんですけど……」

 

 

生意気を言うなと釘を刺される。意地でも褒めないのは千冬さんだからだろう。俺も簡単に褒められるとは思ってないし、名前を出してくれるようになっただけでも喜びたいところ。

 

 

「しっかし、ボーデヴィッヒは随分と織斑先生のことを気にかけているみたいですね」

 

「あぁ、正直、あまり褒められたものではないがな」

 

「でもちふ……織斑先生は、どうしてそんなにラウラに気に入られているんですか?」

 

「……まぁ、昔色々あってな。さぁ、お前らもさっさと戻れ。走るな……とは言わん。授業に遅刻だけはしてくれるなよ?」

 

「了解です」

 

「は、はい!」

 

 

 これ以上俺たちをここに引き止めると次の授業に間に合わないと悟り、千冬さんは話を切り上げる。……というよりそもそも次の授業の担当が千冬さんなわけで、遅刻イコール死を意味することになる。

 

それでも走るなと言い切らないところを見ると、走ってもいいから私の授業には遅刻してくれるなよ? と遠回しに伝えているようにも思えた。そうだとしたら尚更遅刻する訳にはいかなくなった。仮に遅刻しようものなら……やめよう、想像すると何故か身震いがしてくる。

 

おかしいな、千冬さんに殴られたことは今までないというのに、自分が出席簿で殴られる未来しか見えない。

 

話を終え、教室に向かって走り出そうとするも一夏はどうにも反応が遅い。ゆっくりしている時間はもうないし、さっさと連れていくために肩を掴んで軽く揺する。

 

 

「おい一夏、早く戻ろうぜ。授業に遅れたくないだろ?」

 

「あ、あぁ」

 

「……? じゃあ織斑先生、また後で」

 

 

体を揺すったことで一夏も我に返り、教室に向かって歩き始める。後に続くように俺も千冬さんに一礼し、その場から立ち去ろうとする。

 

 

 

 

 

 

 

「―――頼んだぞ」

 

 

 立ち去ろうとした瞬間に、後ろから小さな声が聞こえてきた。微かな声ではあるが間違いなく、千冬さんの口から発せられた言葉だった。その言葉に込められた意味は分からないが、何かを意味しているのは分かる。一夏の護衛について念押しをされたのか、それともまた別のことを頼んでいたのか。

 

今の俺には、千冬さんの言葉を理解することが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えーっと……ここがあれで、絶対防御は……」

 

 

 午後の授業を乗り越え、長い一日を終えた俺は図書室にて課題を片付けていた。机に向かって左側に参考書を広げ、右側に数枚のプリントを広げて、穴埋め部分及び記述式の問題を解いていく。参考書は一冊では足りず、数冊ほど使いながら問題を解いている。本来なら真っ直ぐ寮まで戻れると思っていたのに、とんだ仕打ちだ。

 

帰りのホームルームも終わってさぁ帰ろうと思っていた矢先に、してやったりのドSな表情を浮かべながら俺に手渡された数枚のプリント。渡されたプリントの内容を俺が理解するのには、そう時間は掛からなかった。この後はアリーナで訓練をするつもりだったんだけど、その予定は完全に潰れることに。共に訓練する予定だった面子は心配そうな顔を浮かべていたものの、この件に関してはどう考えても俺が悪い。

 

ナギや布仏には後から行くと伝えてあるけど、果たしていつ行けるのか、分かったもんじゃない。ちなみに気まずい雰囲気はいつの間にか解消されており、普通の受け答えをされて俺の方が拍子抜けを食らった。もちろん、あの時の話題は一切話に出していない。

 

で、終わるのを待ってもらう訳にもいかず先に行かせたけど、案の定、分からない問題に関しては調べざるを得なくて、時間が掛かっている。

 

というよりこの問題の難易度がおかしい、教科書開いて答えが載っていない問題ってどういうことだよこれ。問題に関しては完全に千冬さんがオリジナルで作ったらしく、知らないことに関しては暗号にも等しい。更に追い打ちなのは、まだ授業での取り扱いが無い部分の出題があること。そうなれば基本的に参考書に頼らなければならない。

 

苦痛だ、自業自得とはいえこれは苦痛以外の何者でもない。

 

プリントをやらせる理由が、時間的に厳しかったとはいえ、中庭を上履きで走り抜けたことを見逃すわけにはいかんとのこと。それよりも罰だ何だと言う割に、千冬さんの表情は楽しそうなものだった。

 

幸い、カンニングせずに自力で全部やれって言われるよりましだけど、参考書を使った量と全問正解の状態での提出という条件は十分なくらいタチが悪い。

 

と、愚痴を並べたところで問題が解き終わるわけでもない、目の前から消失するわけでもない。渋々、プリントの問題を解いていく。

 

 

図書室の中には生徒たちが何人かいるが、ほとんどは読書を楽しんでいる。課題を片付けている、もしくは自主学習をしている者はほんの数人だ。俺はこのプリントの他に、クラス全体に課された予習復習も片付けなければならない。

 

後どれくらいの時間が掛かるのだろう、それを考えただけでも気が遠くなる。

 

 

 

 GWも明けて夏真っ盛りと言わんばかりに、この図書室内には冷房が効いている。そのお陰で制服を着ていても十分に涼しい状態が保たれている。ちなみに俺は制服を着ていると堅苦しいから、脱いでるワイシャツの袖を捲っているわけだが、特に寒いとは感じない。

 

あまり暑がることもないし、かといって寒がることもない。割りと便利な体だけど、だから何って話だ。

 

もらったプリントの一番最後の項目を埋め終えて、ようやく一枚が終わった。残るは三枚、ここまで終わらせるのに約三十分、学校が終わったのは三時過ぎだから全部やろうとすると、最低でも五時くらいまでは掛かる。

 

それも全く同じペースで解き続けた場合で、残りのプリントが同じように解けるとは思えないから、時間がずれ込むことは十分に考えられる。むしろずれ込む可能性しか考えられない。

 

そう考えると家に帰ってやるとしても、自分が自由に動ける時間は少ない。はぁ、泣けてくるなここまでくると。とはいっても泣き言を呟いたところで現実は変わらないし、目の前のことに集中しよう。

 

一枚目をファイルの中へ仕舞い、二枚目を取りだして問題と向き合う。静かなものだ、毎日何もなく静かに過ぎてくれれば良いのにと常々思う。

 

 

「何だ今の音? それに急に騒がしくなったような気が……」

 

 

 図書室は室内だけではなく、入出の際も静かに入ってこなければならないのは当たり前である。誰かに言われなくても、雰囲気だとか自分がいつも読書をしている時のことを考えてみればすぐに分かることだ。

 

バタンと固い物体がぶつかり合う音が鳴り響いたかと思えば、今度は慌てて走る足音が室内に響き渡る。こんな放課後に一体何だよと文句の一つを頭の片隅に思い浮かべつつ、再びプリントの方へと目を向ける。

 

気のせいか足音が俺の方に近付いてきている気がするんだけど……。

 

 

「あっ、霧夜くん! よかった、ここにいたんだ!」

 

「あれ、鷹月? って、何でISスーツのまま!?」

 

「そ、そんなことはどうでもいいの! 今大変なことになってて!」

 

 

 私語厳禁な図書室だというのに、血相を抱えながら入って来たのは鷹月だった。余程全力疾走してきたのか、息も絶え絶えになりながら両手を膝の上につき、顔だけをこちらに向けながら、俺が図書室に居たことに安堵の表情を浮かべる。

 

当然、周囲は何事かと一斉にこちらを振り向く。仮に大声を出さなかったとしても、今の鷹月の服装を見れば、あまりにもこの場に不釣り合い過ぎて、誰もが何かあったんだと悟るだろう。今の鷹月の服装は何故かISスーツを着たままなのだ。

 

基本ISスーツで外に出ることはしない。着替えずに出てきたってことは、着替える余裕がないほどの事態に陥っていることになる。ただ事じゃないのを把握し、手に持っているシャーペンを机の上に置き、体を鷹月の方へと向ける。事情が何にしても話を聞かないことにはどうしようもない。

 

 

「とりあえず落ち着け。主語がなくて全く分からないし、簡単で良いから現状を説明してくれ」

 

 

もし鷹月の口から出てくる言葉が俺が一切介入しなくても解決出来ることであれば、教師に任せよう。逆に俺が入ったことで、事態が複雑化したらそれはそれで面倒なことになる。そもそも俺が介入する事自体間違っているんだから。

 

それでも俺を呼びに来たってことは、どこかで俺に関連することが起きていることになる。介入しなくても解決するとは考えにくい。しかし一体何が起こったというのか、誰かが怪我でもしたのだろうか?

 

あまり大袈裟なことになっていなければ良い。

 

 

「い、今第三アリーナでボーデヴィッヒさんが二組の代表候補生とセシリアに模擬戦を仕掛けてて! そ、それで……」

 

 

杞憂が外れてくれればと願えば願うほど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナギがその戦闘に巻き込まれたの!」

 

 

嫌な予感は当たる。

 

あぁ、今鷹月何て言ったっけ?

 

確かボーデヴィッヒが二組の代表候補生……要は鈴か。それとセシリアに模擬戦を仕掛けたんだっけか。あいつらのことだ、一夏関連で侮辱され、それにカッとなって挑発に乗ったところだろう。相手は想う気持ちは分からないでもないけど、自分から手を出したら元も子もない。

 

先に手を出したら悪いには悪いけど、同情の余地はある。自分にとって大切な人間をバカにされたことに対して怒れるのだから。

 

……まぁ、今そこに関しては俺にとってまだ深く気にすることじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――最後、鷹月何て言った?

 

俺の聞き間違いじゃなきゃ、ナギが戦闘に巻き込まれたって聞こえたんだけど。どうすればナギが巻き込まれる? 自ら手を出すような子じゃないだろ。

 

 

相手が一夏じゃなければ手を出して良い?

 

相手が一夏じゃなければ巻き込んで良い?

 

 

んなわけあるか、許されるわけがないだろ。例え仕事としての俺が許しても、一個人として霧夜大和がそんな理不尽でふざけたことを許せるわけがない。

 

 

「それで……え?」

 

「悪い鷹月、そこまででいい。残った話は俺から聞いた方がいいだろう」

 

 

席を立ちあがり、荷物をそのままに一目散に図書室を出る。鷹月が他にも言いたそうにしているものの、今は時間だけが惜しい。

 

……何、話くらい後でいくらでも聞くことが出来る。だからこそ現状に時間を割いている暇はないし、そんな余裕もない。

 

 

一回、アイツには根本から分からせた方が良いみたいだ。自分のしていることがどれだけ常識知らずで、自分勝手で、我儘で、人としてふざけた行為なのか。

 

その身を以てきっちりと分からせてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が直々に……だ。



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○激昂

 

 

 

「あら、鈴さん」

 

「セシリア……奇遇ね。あたしはこれから月末のトーナメントに向けて特訓するんだけど」

 

「奇遇ですわね、わたくしも全く同じですわ」

 

 

時間は放課後の第三アリーナ。月末のトーナメントが近いということもあり、アリーナには大勢の生徒が押し寄せている。その中でばったりと出くわしたのはイギリスの代表候補生、セシリア・オルコットと、中国の代表候補生、凰鈴音。言葉から感じ取れるように二人の間には見えない火花が散っている。

 

火花が散るほどに意識をするのは、互いがライバルと認識しているからこそだろう。初めは互いに認め合うことをしなかった二人だが、クラス対抗戦を経て大きく成長し、互いを認め合うほどに。

 

まだまだ荒削りな二人だが、磨いていけば間違いなく伸びる。二人ともそれだけの努力は惜しまない。それこそ最近は一夏に特訓という名目で一緒にいることが多いものの、自身の鍛練に手を抜いたりはしない。

 

二人がトーナメントで狙うは当然、優勝することだ。二番や三番を取って良く健闘しましたなんて誉め言葉はいらない、あくまでこだわりは自身が一位をとること、それ以外にない。

 

 

「ちょうど良い機会だし、ここでどっちが上かハッキリさせとくってのも悪くないわね」

 

「あら、珍しく意見が一致しましたわ。どちらの方が強くて優雅なのか、この場ではっきりとさせましょうではありませんか」

 

 

売り言葉に買い言葉。先日の実習でタッグを組んで惨敗したこともあり、二人の力がどのくらいなのか認識し合うのも悪くはない。遠距離射撃型のセシリアと、中距離格闘型の鈴。相性の甲乙はつけられないが、どっちが勝っても不思議はない。セシリアはスターライトMKⅡ、鈴は双天牙月を呼び出して、それを展開。いつでも戦闘を始められるように準備する。

 

 

「では……」

 

 

二人が対峙した瞬間、あらぬ方向から小さくもハッキリとした声がそれぞれの耳に入る。互いの耳に入ってきたのは、声の主がオープンチャネルを使ったからだろう。二人の対峙する地点に砲弾の飛来を知らせるアラートが届くと、即座にその場を離れて砲弾が飛んできた方向を見る。

 

砲弾が着弾した場所にはクレーターが出来、その威力を物語っている。後一歩、反応するのが遅かったら砲撃の直撃は免れなかった。砲弾が飛んできた方向を見た二人に飛び込んできたのは、漆黒に塗りつぶされたIS。

 

目の前に展開されるモニターには機体名が『シュヴァルツェア・レーゲン』と記されている。そしてそのISに登録されている操縦者は。

 

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ……」

 

 

苦虫を噛んだように眉間にシワを寄せるのはセシリア。データだけで判断するのであれば、今まで自分が相手にして来た相手よりもレベルが上。戦ったことは無いにしても、すぐに相手の力量を図ることが出来た。それにプラスして欧州連合でのトライアルでの関連もあるかもしれない。

 

一方で、全くの無警戒だったところへの砲撃、それに勝負を邪魔されたことで、鈴は静かな怒りをラウラへと向ける。

 

 

「……どういうつもり? 後ろからいきなり砲撃するなんて良い度胸してるじゃない」

 

 

双刃を連結させた双天牙月を肩に担ぎながら、淡々と声をかけつつも、衝撃砲を準戦闘段階へとシフトさせる。ある程度今の雰囲気から、一触即発ムードが漂っていることは把握出来た。

 

 

「中国の『甲龍』にイギリスの『ブルー・ティアーズ』か。……ふん、データで見た時の方がまだ強そうではあったな」

 

 

ラウラの言葉に含まれる明らかな挑発。安い挑発だと普通なら鼻で笑ってやり過ごすところでも、今の二人には火に油を注ぐようなもの。

 

データ上の方が強いという言葉は、遠回しにお前らはデータの上でしか見栄を張ることが出来ない落ちこぼれだと捉えられる。ラウラの発した言葉が、二人の代表候補生としてのプライドを傷付けるには十分だった。

 

こめかみに血管を浮かべながら、二人はラウラの事を睨み付ける。

 

 

「何? やるの? わざわざドイツからやってきてボコられたいなんて大したマゾっぷりね。それともジャガイモ農場じゃそういうのが流行ってんの?」

 

「あらあら鈴さん、こちらの方はどうも共通言語をお持ちでないようですから、あまりいじめるのはかわいそうですわよ?」

 

 

 今度は逆に鈴とセシリアが、ラウラに向かって挑発を返す。言葉には明らかな侮蔑の感情が含まれており、ラウラに対しての根強い怒りが感じ取れた。

 

そもそも一夏の一件を二人とも知っているため、彼女たちの中に眠る敵意は大きい。二人が何かをされた訳じゃないものの、自分の意中の男性を悪く言われ、気分が良いわけがない。それが因縁の相手であれば尚更だ。

 

反応した二人に引き換え、あくまでラウラは言い返されたことに冷静を保っている。この時点で完全に二人をキレさせる事を前提で話し掛けているのが分かる。

 

何を言ったところで今のラウラにとっては、心地のよい子守唄程度にしか思っていないんだろう。千冬や一夏の時と全く違い、表情一つ変わらない。むしろ笑みを浮かべるほどの余裕さえあるようだ。

 

 

「はっ、二人がかりで量産機に負ける時点で、貴様らの力量などすぐに図れる。中国もイギリスもよほど人材不足のようだな」

 

 

以前の実戦演習にて一組副担任の真耶と対戦した時に、全く自分の力を出せずに完敗したことがあった。仮にも二人は一国の代表候補生。IS学園の教師とはいえ、何も出来ずに負けたことは屈辱以外の何物でもない。

 

付け加えるなら相手は一人で、こちらは二人で立ち向かっての結果だ。個人の実力差があったとしても、目も当てられないほどの惨敗であることは、誰が見ても明らか。初めてだからコンビネーションや連携が合わなかった……そんな言い訳など認められない。

 

あの戦闘は二人の経験不足、現状の実力を物語っているのだから。

 

ラウラのじわじわと追い詰めるような追及に、徐々に二人の沸点が近付いてくる。我慢出来るとはいえ、いつ爆発するかなんて本人でも分からない。爆発させたい気持ちをぐっと堪えながらも、ラウラへと言葉を返す。

 

―――否、既に彼女たちの沸点は振り切り掛けていた。良く見ると二人が装備の安全装置を外すのが見える。

 

 

「ああ、わかった、わかったわよ。スクラップがお望みなわけね」

 

「ええ、そうみたいですわね。どうされます? わたくしとしては一人でも十分なのですが」

 

 

完全にラウラの挑発に乗せられる二人の様子を見ながら、ニヤリと不気味な笑みを浮かべるラウラ。

 

そして、トドメとばかりに。

 

 

「はっ! 二人がかりで来たらどうだ? 一足す一は所詮二にしかならん。下らん種馬を取り合うようなメスに、この私が負けるものか」

 

 

二人に絶対に言ってはならないことを声を大にして叫ぶ。分かってやっているのだから、尚タチが悪い。一瞬対峙する三人の間に静寂が訪れる。しかし今の一言が鈴とセシリアの沸点を振り切らせるには十分だった。

 

自分たちが格下だと決めつけられ、見下されたのももちろん、一夏のことを下らない種馬と罵ったこと。それが引き金となった。

 

自分達にとって大切な人を目の前で罵られて二人が黙っているはずもない。まず鈴が安全装置を外した衝撃砲の砲口をラウラに向ける。それに続いてセシリアがライフルのスコープを覗きながら、発射口を向けた。

 

 

「……今なんて言った? あたしの耳には『どうぞ好きなだけ殴ってください』って聞こえたけど?」

 

「この場にいない人間の侮辱までするとは、同じ欧州連合の候補生として恥ずかしい限りですわ。その軽口、二度と叩けぬようにここで叩いておきましょう」

 

 

一度キレたものはもう元には戻らない。目尻をつり上げながら二人はラウラに向かって敵意を飛ばす。

 

 

「ふん、これしきの安い挑発に乗る時点で、もう勝負は見えてる。とっとと来い!」

 

「「上等(ですわ)!!!」」

 

 

手招きをしながらファイティングポーズを取るラウラに向かって、一斉に飛び掛かっていく二人。三人の泥臭い戦いを止める者たちは誰もいない。観客席にいる生徒たちはその様子を黙って見つめ、アリーナで練習していた生徒は巻き込まれないように距離を取る。

 

勝負の結末が決まるのはまだ、先のことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、一夏。今日も特訓するよね?」

 

「あぁ、トーナメントまで日がないからな。クラスの皆も頑張っているみたいだし、さすがに俺がだらしない姿を見せるわけにもな」

 

 

第三アリーナへと続く廊下をシャルルと一夏は並んで歩く。本来ならここに大和も追加される予定だったものの、彼の姿はどこにも見当たらない。

 

 

「ふふ、そうだよね。そういえば大和は来れそうなの?」

 

「いや、正直微妙だって。アイツがあそこまで焦るのは珍しいし、今日は厳しいだろうな」

 

「あはは……織斑先生お手製の課題プリントだったっけ? 僕もさすがに気が引けちゃうなぁ」

 

 

大和が来れない理由として千冬から与えられた大量の課題プリントを片づけなければならないからだ。そもそも大和はクラスの中では優秀な方で、聞かれた質問にはすぐ答えるし、抜き打ちテストをやっても大体高得点をたたき出してくる。授業中の素行が悪いわけでもない生徒が、何をどうして人より多い課題プリントを与えられるのか不思議でならない。

 

一夏もシャルルも、大和がどうしてそんなことになっているのか分かってないようだが、課題を与えられた原因に関しては大和自身が一番よく分かっているだろう。

 

と、課題を今日中に片づけなければならないということもあり、大和は一人、図書室にこもって課題を黙々と進めている。量だけ考えてもすぐ終わるような量ではないし、早く終わったとしてもアリーナの閉館時間ギリギリになる可能性が高いことから、今日くる可能性は低いと一夏も考えたようだ。

 

普段優秀な生徒で通っているシャルルでさえも、やりたくないと苦笑いを浮かべるだけだ。

 

 

「あ、今日は確か鏡さんたちがアリーナに行って練習するって言ってたな」

 

「鏡さん……ってよく大和と一緒にいる子だっけ?」

 

「あぁ。最初は大和が教えるみたいだったけど、大和が来れないから自主練習するとか言ってたような……」

 

 

教室で話していたのを何気なく聞いてたからどうなのかは分からないけど、と付け足す。トーナメントがタッグマッチということもあり、非常に全体の温度が高い状態になっているのは薄々二人も感じていたらしい。

 

 

「……なぁ、いつもこんなに人いたっけか?」

 

 

アリーナへ向かう途中に一夏が何気なく思った疑問、それがふと言葉に出る。さっきから廊下を走る生徒も数多くみられるようになった。この先は第三アリーナだ、人だかりが出来るような場所ではない。仮にイベントがあるならまだしも、今日行うようなイベントは無いはず。そもそもイベントがあったら、特訓のためにアリーナ自体使えない。

 

帰りのホームルームでの伝達事項にも無かったはずだ。

 

 

「ううん……何かあったのかな? ちょっと様子を見ていく?」

 

「そうだな、ピットに行くよりそっちの方が早いし」

 

 

ここから真っ先にピットに向かうよりかは、観客席によった方がアリーナの内部を良く見ることが出来る。少しだけ早歩きしながら、観客席へと向かう。

 

 

「誰かが模擬戦してるみたいだけど、それにしては様子が……」

 

 

おかしいと言い切る前に、観客席にまで響き渡る爆発音。たかだか模擬戦でここまでの爆発があるのかと、アリーナのガラス張りの窓からアリーナの様子を覗く。辺り一面に蔓延する砂煙、その中から二つの影が飛び出してきた。

 

 

「鈴! セシリア!」

 

 

飛び出してきた二人の表情には余裕が全く無い。相当追い詰められているのだろう、二人の展開するISの所々に傷があり、装備の幾つかは破壊されている。二人がかりだというのに、相手を無力化することが出来ない。同時に悔しさも見て取ることが出来た。

 

二人が出てきた後、砂煙から出てくるラウラ。

 

シュヴァルツェア・レーゲンの機体には傷らしい傷はほとんど見られず、装備の損傷もない。さらに二人がかりの鈴とセシリアに比べて、表情に余裕がある。息も上がっていなければ、疲れた表情もない。どちらが優勢なのかはすぐに分かった。

 

 

「な、何をしているんだ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「くぅ……まさかこうまで相性が悪いなんて」

 

 

 代表候補生を名乗っているだけあり、実力が高いことは鈴やセシリアも分かっていた。しかしそれでも二人がかりで戦っているというのに、苦戦を強いられていた。甲龍の最大の武器である、衝撃砲。

 

これはハイパーセンサーを使ったとしたも、黙視することが出来ないその一撃を難なく防いでいる。ラウラにも砲撃自体は見えていないはずなのだ、だというのにラウラに向かって攻撃を撃ち込んでも、その攻撃が届くことはなかった。

 

ラウラが手を突き出しただけで、砲撃が無力化される。最大の武器が使えないのでは、鈴も完全な接近戦を挑まざるを得ない。少しでもアドバンテージがあると思った衝撃砲が何度も防がれては、無駄にエネルギーを捨てているようなもの。

 

そう何回も撃てる代物じゃない。それにここまで数回、最大出力の『龍咆』を撃ち込んでいるせいで、エネルギーも既に半分を切っている。まさに相性は最悪、こちらの攻撃パターンも相手に読まれている。

 

 

「ちいっ……!」

 

 

シュヴァルツェア・レーゲンの肩付近に搭載された刃が射出されて、鈴へ向かって一直線に飛んでいく。ワイヤーと本体が接続する役目がある一撃は、かわしにくい起動を描きながら鈴へと接近。

 

忌々しげな表情をしながらも、一つ、二つと上下左右の上昇降下を繰り返して、懸命にこれを避け続ける鈴。一般人なら反応するだけでも精一杯の攻撃を辛うじてかわしていく、鈴の実力も相当だ。だが、その実力の更に上をラウラは行く。何度も回避行動を取っていれば、集中力はじわじわと確実に削られていく。

 

追い詰められた時の人間の集中力は相当なものだが、それは決して長続きするものではない。どこかで見落としが出てくる、どんなに優秀なIS操縦者であっても。

 

 

そしてワイヤーの一つが鈴の右足を捉える。しまったといった表情を浮かべるももう遅い。

 

 

「そうそう何度もさせるものですか!」

 

 

ライフルのスコープを覗き、ほぼノーモーションでラウラに向けて威嚇射撃を撃つ。かわされたとしても牽制になってくれれば良いと思いつつ、ビットを射出してラウラの元へと向かわせる。

 

 

「ふん、この程度の仕上がりで第三世代型兵器とは笑わせてくれる」

 

 

近接戦に不向きなブルー・ティアーズにとって、遠距離射撃は攻撃の要でもあり、セシリアの真骨頂でもある。ラウラの周りを覆い囲ったビットは視覚外から射撃を行う。

 

攻撃を繰り出すセシリアをつまらなさそうに見つめたかと思えば、ビットの展開された二方向に両手を突き出す。先ほどの龍咆と同じようにビットの動きが止まってしまうが、同じようにラウラは今両手が使えない状態だ。

 

セシリアがビットを動かす時には集中するために他の動きが出来ないのと同じように、ラウラも複数の相手や攻撃を同時に止めるのは不可能。一瞬ではあるが、ラウラの動きが止まる。

 

ラウラによって止められたビットをわざわざ動かす必要はない。

 

 

「動きが止まりましたわ!」

 

「それは貴様も同じだ」

 

 

ビットの操作を止め、再度ライフルによる攻撃を行うセシリアだが、同時にラウラの大型カノンによる砲撃がライフル攻撃を無力化。

 

すぐさま連続射撃へと移行しようとするセシリアに、先ほどワイヤーを使って捕縛した鈴を、振り子の原理でぶつけて動きを止める。原始的な方法ではあるものの、遠心力が加わった攻撃による衝撃は大きい。

 

 

「きゃあああ!!?」

 

 

ぶつかり合ったことで完全に体勢を崩した二人へ、ここで初めてラウラが突撃を仕掛けにかかる。一筋の弾丸が空気を切り裂くように一瞬で接近すると、両手首の袖部分から、ブラズマ刃が展開されて鈴へと襲いかかる。

 

 

「このっ!」

 

 

一気に間合いを詰めてくるラウラと距離をとりつつ、迫り来る刃の数々を防いでいく。必死に防ぐ鈴を嘲笑うかのように、更にワイヤーブレードが鈴を襲う。

 

ここまで来ると、全てを回避するのは難しい。少なくとも手持ちの近接武器である、双天牙月だけでは防ぐことは無理だ。厄介なワイヤーブレードを防ぎつつ、近接メインのプラズマ手刀の猛攻を止める必要がある。

 

この現状を漠然としたごり押しで押しきるのは不可能。再度衝撃砲を展開し、エネルギーの充電へと移る。

 

 

「甘いな。この状況でウェイトがある空間圧兵器を使うとは、笑わせてくれる」

 

 

言葉と同時に、甲龍の両肩の衝撃砲が実弾砲撃により破壊される。鈴に残されているのは近接武器による攻撃手段のみ、それに加えて衝撃砲を打ち出そうとした際の大きな隙があった。

 

その一瞬の隙をラウラが見逃してくれるはずもない。相手の目の前で体勢を崩すなど、どうぞ好きに攻撃してくださいと言っているようなもの。肩のアーマーを吹き飛ばされたことにより体勢が崩れた鈴に接近し、プラズマ手刀を無防備な懐へと突き刺す。

 

 

「させませんわ!」

 

刹那、高速移動で間一髪、鈴の間に入り込んだセシリアが、自らのライフルを盾にして一撃を逸らす。同時に腰だめに装着されている実弾ミサイルを発射させた。

 

轟音と共に爆風に包まれるアリーナ。あれだけ接近しての爆発なら、相手はおろか自分たちも爆発に巻き込まれるのは避けられない。刺し違えてでもというセシリアの判断だった。

 

爆風により、地面へと叩きつけられるセシリアと鈴。やり方としては少々強引で、セシリアの普段行うような戦い方ではなかったものの、今は形を気にしている暇はない。ミサイルが直撃したとしても、仕留めきれていない可能性だって十分にある。

 

とはいえ、既にシールドエネルギーは底を尽き掛けている。もはや二人揃って満身創痍も良いところだが、ラウラもあの爆発に巻き込まれたのだからただでは済まないはず。二人は何とか場に立ち上がり、蔓延する煙を見つめる。

 

 

「あんた……あの近距離でミサイル撃つなんて無茶するわね」

 

「愚痴なら後で聞きますわ。でもこれでダメージが通っているはず―――」

 

 

 言いかけたところで、セシリアの言葉が止まった。そしてみるみるうちに信じられないとばかりに、顔が青ざめていく。視線の先の煙が晴れていく。あわよくばこれで倒れてくれれば、最低でもダメージが通ってくれればと思って自滅覚悟で放ったミサイル攻撃。

 

 

「どうした? これで終わりか?」

 

 

徐々に晴れていく煙幕の中から現れるラウラの姿、そして身に纏うシュヴァルツェア・レーゲンにはダメージらしいダメージが全く通ってなかった。

 

あり得ない、完全に直撃したはずだ。黙視確認は出来ていないが、あの至近距離でどうやってあのミサイルを防いだというのか。まさか防ぐ自信があって、わざと撃たせたとでも……。頭の中に浮かんでくる様々な可能性を振り払う。

 

考えたところでラウラはほぼ無傷の状態で立っている。その事実だけは覆しようがなかった。

 

 

「ならば次は――私の番だ」

 

 

 ラウラが言うと同時に瞬時加速で地上へと移動し、無防備な鈴を蹴り飛ばし、セシリアに至近距離から砲撃を当てる、吹き飛ばされた二人にワイヤーブレードを飛ばす。先ほどまでならかわすことが出来たであろう攻撃も、今の状態の二人に抵抗する手段は残っていなかった。成すがままに、ワイヤーが二人の体を捉える。二人の体を捕まえてラウラの元にと手繰り寄せ、そこから先は一方的だった。

 

 

「ああああっ!」

 

 

抵抗の出来ない二人に対して容赦ない攻撃、殴る蹴るの応酬で二人のシールドエネルギーを削っていく。抵抗が出来ない時点で、二人に勝ち目はない。故に既に勝敗はついている。だがラウラは攻撃の手を緩めなかった。

 

一方的な展開に周りの生徒が騒ぎ立て始める。止めた方がいいのではないか、教師を呼んできた方が良いのではないか。様々な声が上がるというのに、誰一人としてラウラを止められる人間がいなかった。そして普段はいるはずの監視担当の教員が、今日に限ってまだ来ていない。

 

アリーナで起こっているのは模擬戦でもなんでもない、ただの一方的な暴虐だった。

 

されるがままの一方的な攻防に、鉄壁を誇るISの防御機能に亀裂が走る。いくら防御性能が高いとしても、攻撃をつけ続ければ限界がくる。鈴とセシリアのダメージの蓄積が多く既に機体維持警告域のレッドゾーンを超えて、操縦者生命危険域、つまりはデッドゾーンに差し掛かっている。

 

このまま攻撃をされ続ければISを維持することが出来なくなり、強制的にISが解除されることになる。そうなれば冗談抜きで生命に関わる状況に追い込まれる。

 

数々の大会でもデッドゾーンに陥ることはまず無い。そこまで追い詰めることは基本的に禁止されているし、ストップが入る。

 

ただ今はラウラの暴走を止められる生徒がいない、他の生徒も巻き込まれるのを恐れているからだ。このアリーナにいる生徒の大半は一年生。経験も浅いし、実戦経験をしている者はいない。

 

そんな自分たちが実戦経験豊富で、ドイツの代表候補生にまで登り詰めたラウラを止められるはずがない、ましてや鈴とセシリアが束になっても敵わない相手をどう止めるというのか。

 

 

―――怖い。

 

 

その感情が生徒たちを震わせていた。

 

 

「つまらん……この程度か」

 

 

 二人の実力に失望したらしく、ある程度攻撃を終えると、ワイヤーを振り子の原理で鈴とセシリアを、あらぬ方向へと投げ飛ばす。投げた方向には丁度人だかりがあり、悲鳴をあげながら生徒たちは逃げていく。そしてそのうちの一人、打鉄を展開している生徒に直撃する。もはや対個人間だけではなく、周囲の無関係な人間まで巻き込み始めている。

 

自分が何かにぶつかったことに気付き、鈴とセシリアは安否のために声を掛ける。

 

 

「だ、大丈夫? ってあなたよく大和と一緒にいる……」

 

「鏡さん、大丈夫ですか!?」

 

「は、はい……」

 

 

ぶつかったのは他でもないナギだった。鈴の方は既にボロボロだが、ナギの方は纏っている打鉄のシールドが守ってくれたこともあり、ほぼダメージは無かった。特に外傷が無いことを確認すると、ほっと胸を撫で下ろす。

 

 

「あんた……全く関係ない人を巻き込むなんて何考えてんのよ!!」

 

「全くですわ! あなたには罪悪感が無いのですの!?」

 

「……そこでタラタラと離れずにいたから当たったんだろう。周りがよく見えていない証拠だ。そら、お前らはさっさと立て!」

 

「あぐっ!?」

 

 

周りを巻き込んだことに対しての罪悪感など微塵もないのか、何事もなかったかのようにワイヤーを引き戻し、二人を殴打し始める。

 

 

「ボーデヴィッヒさん止めて! もうやり過ぎだよ!」

 

 

二人がひたすらいたぶられる様子に、我慢ならなくなったナギが声をあげるも、その制止を振り切り攻撃の手を緩めようとしない。

 

 

「どうした! 殴られているだけか!? 少しはやり返してみせろ!」

 

 

不適な笑みを浮かべながら攻撃を加えるラウラ。誰も止められる者がいない中、アリーナにガラスが砕け散る音が鳴り響いたかと思うと、白い光がラウラに向かって接近する。

 

 

「おおおおっ! その手を離せえぇぇ!!」

 

 

白い光の正体は白式を纏った一夏だった。雪片に全エネルギーを集約させて零落白夜を発動し、アリーナの周りを覆うバリアを破壊。切り裂かれたバリアの間を突破し、アリーナへと侵入。ピットからでもアリーナに入ることは可能だが、わざわざ遠回りをしている余裕など、今の一夏にはない。

 

射程距離まで近付くと瞬時加速を使って一気にラウラに接近し、刀を振り下ろした。近付く一夏をラウラはまるで嘲笑うかのように見上げる。

 

 

「感情的で直線的、まさに絵に描いたような愚図だな」

 

「くっ……な、何だ!? か、体が急に!」

 

 

ラウラと目があった途端に、一夏の体が全く動かなくなる。刀を振りあげたまま一夏の行動はピタリと止まり、指一本動かせない。そうしている間にも零落白夜のエネルギー刃は小さくなっていく、このままでは鈴やセシリアの二の舞になるのは時間の問題だ。

 

 

「やはり敵ではないな。この私とシュヴァルツェア・レーゲンの前では貴様も有像無像の一つでしかない」

 

「くそっ!」

 

 

 ニヤリと冷酷な笑みがラウラから溢れる。あまりにも歪みすぎたラウラの冷笑に、一夏は初めて人間に対しての恐怖を覚えた。額からは冷や汗が吹き出し、居ても立ってもいられなくなる。しかし強固な拘束器具で捉えられているみたいに、何をどうしようにも体が動いてくれない。

 

 

「―――消えろ」

 

 

言葉と共にプラズマ手刀を展開して振りかぶる。

 

 

やられる。

 

瞬時に一夏はそれを悟った。迫り来る恐怖に目を閉じる。

 

また自分は何も守れずに終わるのか、結局俺は口だけなのか。いくら訓練しても軽く相手に捻られて終わる。まともに勝ったことなど、このIS学園に来てからあっただろうか。いつも誰かを守ると言いつつ、守られてばかりだった。

 

悔しい……。もっと力があれば皆を守ることが出来たのに。悔しさのあまり、力一杯拳を握り締める。ISを纏った上からだというのに、自分の手のひらに痛みが走った。この痛みは、屈辱は決して忘れるものか。

 

胸に刻んだ一夏は迫り来るラウラの攻撃に備えて歯を食い縛る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……?」

 

 

ふと異変に気付く。思い返してみればどうして拳を握り締めることが出来たのだろうかと。ラウラに見られていた時は指一本動かすことが出来なかったというのに何故。

 

それにいつまで経ってもラウラの攻撃が来ない。どうなっているのかと、閉じた目を開いていく。

 

と。

 

 

「き、貴様はっ……!!」

 

 

驚くラウラの声の他に、ギシキシと金属同士がぶつかり合う鈍い音が聞こえる。暗い世界に明るい日の光が差し込んでくる。目を強く閉じていたこともあり、視界が若干ぼやけて見えた。ラウラと自分の間に、何かがいる。

 

もしかしてシャルルだろうか。この近くでラウラの攻撃を防げそうな人物といえば、シャルルしか思い浮かばない。鈴やセシリアでも防げるが、ISのシールドエネルギーが尽きた以上、動くことが出来ない。

 

大方、破壊したバリアの隙間から、ISを展開して入ってきたのだろう。

 

自分よりも実力が上の鈴やセシリアが束になっても敵わなかったのだから、手助けに来たと考えるのが妥当だ。そうとなれば自分も立ち尽くしている場合ではない。

 

徐々に視界が晴れていくにつれて目の前の人物がハッキリと映る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前にいるのはシャルルではなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

「―――やるか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生身の姿でラウラのプラズマ手刀を防ぐ大和だと。



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一時の停戦

 

 

 

「―――っ!!?」

 

 

たった一言大和が呟くと同時にラウラへと向けられる強烈な威圧感と殺気。一人の人間が発する異様な雰囲気が、ラウラを硬直させる。AICを張られている訳でもないのに、体が動かない、動けない。

 

刀を振り下ろしながら、ラウラに一歩ずつ近寄ってくる大和に対して抱く明確なまでの恐怖。こっちはIS搭乗、相手は刀一本しか装備が無い上に生身だ。誰が見たってどっちが有利なのかは明白。何をどう足掻いたところで、生身の大和に勝ち目は無い。

 

その相手に対して自分は怖がっている。いくつもの戦場を潜り抜けてきた軍人の自分が。たかだか一個人に過ぎない人間に恐怖し、怯えている。

 

 

「……お前には言ったはずだよな? これ以上危害を加えるなら容赦はしないと……」

 

「っ……」

 

 

びくりと体を震わせるラウラを余所に、大和は言葉を続けていく。

 

 

「一夏やセシリア、鈴だけじゃ飽きたらず、全く無関係な人間まで巻き込んで……そこまでして戦いたいか、そこまでして千冬さん以外の存在を否定したいのか」

 

「き、貴様っ!」

 

 

 淡々と言葉を続ける大和の声のトーンは一切変わらない。この場にあまりにも不釣り合いな雰囲気に、不気味ささえ感じる。ラウラはたまらず声を荒らげるも、大和が止まることはなかった。ジリジリと歩み寄るのとは反対に、ラウラが一歩ずつ確実に後退していく。

 

何てことはない、相手は高々刀を持った生身の人間だ。何を怖がる必要があるのか、圧倒的優位に立っているのはラウラだというのに、前に進もうとする意思とは反対に足が前に進まずに、後ろへ下がっていく。

 

 

「や、大和! お前一体何して……」

 

「一夏、シャルル、一旦下がれ。ここは俺が受け持つ」

 

 

ラウラが反撃の意思が薄れていることを確認すると、すぐ後ろに待機している一夏と後を追うようにアリーナに入ってきたシャルルに向かって指示を出す。

 

 

 

「で、でも生身で挑むなんて……」

 

「無茶言うなよ! いくらお前の剣の腕が確かだとしても、あいつを相手に生身でやりあうなんて自滅もいいところだ!」

 

「自滅……確かにそうかもな。……それでもアイツには分かってもらわないと困る、自分のやっていることを」

 

「……」

 

「大和……」

 

 

大和がラウラに対して激しい怒りを覚えているのはシャルルもすぐに分かった。普段とは全く違った怒りの表情に、シャルルの声は震え、一夏はそれ以上何も言えなくなる。

 

既に鈴やセシリアだけではなく、他のクラスメートにまで危害が及んでいる。しかもその一人がよく大和といる仲の良い人物に危害を加えたのであれば、大和がラウラに怒るのは当然のこと。

 

シャルルがデータを盗もうと部屋に忍び込んだ時も全く怒らなかった人間が、人を傷つけられたことに怒っている。大和を止める理由が何一つ見当たらなかった。シャルルが大和を止めるすべはない。

 

そして一夏もだ。自分だって鈴やセシリアを傷つけられたことに憤りを覚えたからこそ、戦いに参戦した。理由としては一夏も大和も、全く変わらない。

 

 

大和はISを身に纏っている訳ではなく、打鉄用の刀を持っているだけ。どこから借りてきたというのか、身の丈ほどの長さを誇り、通常の日本刀よりも遥かに重たいものを、補助なしでいとも簡単に持ち上げている。

 

それでもISに生身で挑むのは、自殺行為に等しい。シールドどころか、絶対防御すら発動しないこの状況で、ラウラの一撃を食らえば致命傷になりかねない。下手をすれば命を落とす危険だってある。危険な行為だと思っているのに、大和の雰囲気が止めることを許さなかった。

 

 

大和に言われるがまま渋々後ろへと下がり、地面にISが解除されたまま倒れている鈴とセシリアの元へと向かう。既に二人はナギが介抱しており、特に目立った傷は見られない。ただ殴られたり蹴られたりしたことで、何ヵ所か内出血していた。

 

 

「う……一夏……」

 

「無様な姿を、お見せしましたわね……」

 

 

一夏とシャルルが近くに来たことで、申し訳なさそうに体を起こす二人だが、ダメージがまだ残っているせいで体中がズキズキと痛むのだろう。体を起こそうとするだけだというのに、二人とも顔をしかめる。

 

 

「あ、織斑くん……二人とも怪我自体はそこまで酷くないけど、あまり動かさない方が良いと思う……」

 

「そっか……よかった」

 

確認した限りは命に関わるような状態にはなっていない。二人が無事だったことに安堵の表情を浮かべる一夏。ひとまず二人の無事を確認することは出来た。後はこの争いを終わらせ、二人を保健室まで運べば良い。

 

 

「そ、そんなことより大和くんは……」

 

 

一体何を考えるのかと、ラウラと大和の光景に視線を向ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さて。話の途中だったな、ラウラ・ボーデヴィッヒ。もうお前のペースに合わせるのも疲れたし、同情する余地もない」

 

 

一夏とシャルルが鈴とセシリアを無事に退避させたことを確認すると、再びラウラに向けて言葉を続ける。ラウラが何もしなければ大和が怒ることも無かった。

 

食堂で共に食事を取った時、一夏にはもう手を出すなと釘を刺されたのにも関わらず、手を出し、挙げ句の果てには輪とセシリアをデッドゾーンにまで追いつめ、大切なクラスメートまで傷付けた。

 

許せるわけがない、一個人の感情で人を傷付けることが許せたとしたら大和もここまで怒ることはない。

 

我儘で身勝手な行動がどれだけ人を傷付け、悲しませるのか。ラウラはまだそこを分かっていない。彼女にも様々な理由があるとしても、間違いは正さなければならない。

 

 

「何より俺の大切なものを傷付けて、平然といられるお前の態度が気に食わない」

 

 

大和は詰め寄るペースを徐々に早めていく。その迫力に気圧されるように、ラウラも後退していくが足が言うことを聞かない。敢えて名前を伏せ、大切なものと表現したのは大和なりに思う部分があったんだろう。ただし、言葉を続けていくにつれ感情のこもっていた瞳は、徐々に感情のない無機質なものへと変わっていく。

 

周りの誰もが知り得ない、仕事モードの顔つきへ。

 

そして……。

 

 

「口で言っても聞かないのなら……その身をもって分かってもらうだけだ」

 

 

その言葉を皮切りに、一気にラウラとの距離を詰めようと身を屈めた。

 

 

 

 

 

 

「―――霧夜、そこまでにしておけ。これ以上の戦闘は流石に黙認しかねる」

 

「……」

 

「き、教官!」

 

「何度言ったら分かる。ここでは織斑先生だ」

 

 

 不意にアリーナに響き渡る声と共に、誰よりも存在感のある人物が大和とラウラの間に割って入る。屈めた状態のまま顔だけを上げて千冬の顔を見つめる大和はしばらくの間屈んだままの状態を保つものの、千冬の介入で興が削がれたらしく刀を下げて直立の体勢に戻る。

 

が、大和本人としてはあくまで納得していないようだ。攻撃を止めたのは、これ以上やっても千冬に止められると思ったからで、このままラウラが何のお咎めも無いのはやはり納得は出来ない。

 

鈴とセシリアが挑発に乗っての模擬戦だったとしても、ナギはそこに全く無関係。幸い怪我一つ無かったものの、巻き込まれた事実は揺るがない。

 

しばし静観していた大和が、千冬に向かって文句をぶつける。

 

 

「……俺としては納得出来ないんですけどね。これだけの人間を被害に巻き込んでお咎め無しっていうのは」

 

「言い分は分かる。だが、お前が処分を下すものではない。……分かるな?」

 

 

いくら納得が出来ないとはいえ、ラウラの裁きを大和が出来るものではない。IS学園にいる以上、全ての権限は学園側に委ねられている。仮に大和が学園の幹部であればそれも可能だったが、あいにく一生徒に過ぎず、勝手な判断でラウラを裁くことは出来ない。

 

大和が手を出したい気持ちもわかるが、千冬の言い分は的を射ており、一つも間違っていない。これ以上言ったところで言い分がはずもないと判断し、息を吐いて気持ちを落ち着ける。心の蟠り、怒りがそれだけで収まるわけではないが可能な限り気持ちにリセットをかける。

 

気持ちを落ち着けた後、改めて口を開く。

 

 

「……分かりました、今回は引きます」

 

「もの分かりが良くて助かる。ボーデヴィッヒもそれでいいな?」

 

「教官がそう仰るのであれば……」

 

 

ラウラも渋々ながら千冬が言った事だからと了承をするも、すぐに大和の方を睨み返してくる。お前だけは絶対に許さない、その視線に気が付いた大和は既に興が削がれていることもあり、どこか涼しい表情でラウラへ返す。

 

 

「俺とて納得している訳じゃない。覚えておけ、もし仮にこれ以上、俺の管轄に踏み込んでくるなら手加減はしない」

 

「貴様っ……!」

 

「よせ、霧夜。あまり挑発をするな。……では、学年別トーナメントまで私闘の一切を禁止する。解散!」

 

 

千冬の声にISを解除し、反対側のピットへと戻っていく。流石に千冬の目の前で私闘を起こしたくはないというラウラなりに思う部分があるんだろう。手に握られた打鉄用の刀を肩に担ぎ、回れ右をして一夏のもとへと戻っていく。この刀は偶々訓練していた生徒に借りたもので、自分が用意したものではない。

 

まさか生身で振り回そうなんて、誰も想像しなかったことだろう。身の丈ほどある刀ともなれば、長さに比例して重さもかなり重い。それこそ補助なしで振り回すのは困難を窮める。大和が重さを感じなかったのも、怒りで忘れていたからだ。火事場の馬鹿力とは良く言ったもの。

 

大和が戻った先には驚きの表情を浮かべたままの一夏やシャルル、ボロボロの状態の鈴とセシリア、そしてナギと箒が出迎える。一夏とシャルルに至っては口をあんぐりとさせたまま、大和のことを見つめている。

 

そんな二人をチラリと見いやると、無言のまま二人の横を通りすぎる。人前でキレてしまったことに対する気まずさが大和の中には残っており、今は話せるような心理状態じゃない。

 

下を俯いたまま通りすぎる大和の後ろ姿が、一夏とシャルルには寂しく思えた。

 

 

「大和くん……」

 

「……」

 

 

アリーナを後にしようとした大和にふとナギの声が呼び止める。振り向く大和の瞳に映るのは心配そうな表情を浮かべたクラスメートの姿だった。

 

自分のやったことに後悔はない。なのに、この心の中のモヤモヤは何なのか。被害としては最小限に食い止められたはず、あの時もし自分が入らなかったらさらに被害が拡大していたかもしれない。結果として大和は皆を救った、それでも大和の中では納得出来ないことが多すぎた。

 

今はとにかく一人になりたい、そう思って足早にこの場を去ろうとしたのに何故か足が止まってしまう。何気無く映ったらナギの全身を確認する。ISの訓練をしていたんだろう、全身は学園指定のスーツに着替えられている。

 

露出する肌に特に怪我はないみたいだ。駆けつける前に静寐から聞いた話では巻き込まれたと説明されただけのため、大怪我をしたんじゃないかと内心気が気じゃないままアリーナまで来たものの、怪我がないことを確認出来てほっと胸を撫で下ろす。

 

ただ単純に良かったと。

 

 

「怪我はないか?」

 

 

たった一言、ナギへそう告げる。大和の質問の意図をすぐに汲み取ったナギは、素早く大和の質問に答えた。

 

 

「うん。私なら大丈夫」

 

「良かった。お前が無事で……」

 

 

答えを聞き取ると、どこか満足そうな、それでも消え入りそうな笑みを浮かべながらアリーナを後にする大和。今だけは一人にしてほしい。大和の意図が全員に伝わったのだろう。それ以上大和が何かを言うことは無かった。そして大和に誰かが声をかけることも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「別に助けてくれなくて良かったのに」

 

「あのまま続けていれば勝ってましたわ」

 

 

会話が聞こえてくるのは保健室、アリーナの騒動からすでに一時間余り時間が経っている。怪我をした鈴とセシリアは治療を終え、ベッドの背もたれを立てながら互いに一夏と顔を会わせようとしない。体の隅々に包帯が巻かれ、腕には絆創膏が貼られている部分もある。大怪我まではいかなくとも、十分に痛々しく見えるのは否定出来ない。

 

保健室には三人の他に、ナギがいる。シャルルは飲み物を買ってくるとのことで、一旦保健室を留守にしているのだが、怪我人二人のぶすっとした態度のせいでどうにも保健室の空気が重い。

 

二人が助けてくれと助けを乞わなかったのは事実だが、感謝の言葉が出てくると思っていた一夏にとっては何とも言えない雰囲気だった。一夏も度が過ぎた模擬戦に苛立ちを覚えて飛び込んだ手前、自分には特に感謝されることも無いかと割り切ってはいた。

 

 

「お前らなぁ……俺はともかく鏡さんには感謝しろよな。怪我したお前らを介抱してくれてたんだから」

 

「うっ……そ、それはそうでしたわね……ありがとうございます」

 

「べ、別に感謝されることなんてしてないよ」

 

 

一夏にぐぅの音も出ないほどの正論を言われて、セシリアは先にナギへと感謝の言葉を述べる。ナギも謙遜しながら、お礼を言われるようなことはしていないと否定をしつつも、代表候補生にお礼を言われたことに満更でもなさそうに頬が紅潮する。

 

セシリアはクラスメート、鈴も良く教室にくるため、何度か顔を会わせたことはあるものの、こうして同じ空間にいるのは初めてのため、ナギはどうにも気分が落ち着かない。

 

すると鈴が一人だけ居づらくなっていることに気付き、声をかけた。

 

 

「確かあんた、よく大和と一緒にいるわよね? こうして話すのは初めてね」

 

「は、はい!」

 

 

話し掛けられただけだというのに、企業の面接会場にでもいるかのような反応ぶりだ。人見知りで一歩引き気味な性格もあって緊張した言葉の返しになってしまう。つまりタイプ的には鈴とは真逆になる。

 

 

「かしこまらなくていいわよ。私は凰鈴音、気軽に鈴で良いわ。さっきは助けてくれてありがと」

 

「あっ、はい。鈴さん」

 

「さん付けも良いわ。あたしたち歳も同じで、別に代表候補生だからって特別な訳じゃないし」

 

 

緊張の余り、同学年に対してさん付けをするナギを呼び捨てでもいいと許可をする。

 

代表候補生といえば、国から将来性を見込まれたエリートたちだ、故にプライドが高く、選ばれた人間だからという理由だけで、理不尽な行いをする人間もいる。

 

鈴とて代表候補生としてのプライドが無いわけではない。それこそ先の戦いのように、自分の候補生としての誇りを汚されれば怒ることだってある。それでも代表候補生だから特別扱いされたり、同学年から変に慕われたり敬語で呼ばれたりするのは鈴としてはあまり気分が良いものじゃないらしい。

 

彼女の本質は対等な立場であれば、年下であろうが呼び捨てを許す。逆にふざけた人間であれば、名前を呼ぶことさえ許さない。そこを徹底している、一夏が絡むと妙に短気になったり暴力的になったりするものの、普通の女友達にはサバサバとしている。

 

付き合いやすいといえば付き合いやすい。最も口は少しばかり悪いが。

 

一夏は二人の様子を見つめながら微笑むも、鈴は笑っている素振りが気になったらしい。

 

 

「……あんた、何ニヤついているのよ?」

 

「いや、別にニヤついてねーよ。怪我しているのに良く喋るなって思って」

 

「はぁ? 何言ってるのよ? こんなの怪我のうちに入らな――いたたたっ!?」

 

「そもそもこうやって横になっていること自体無意味――つううっ!」

 

 

要はこういうことだ。一夏に対しては決して弱みを見せてたまるかと、意地でも強がって見せる。二人をその様な行動に駆り立てるのは、好きな相手には無様な姿を見せたくないから。自分の良い部分を見せたいと思っている人間が、態々弱みを見せるはずがない。ただ無理やり怪我をした体を動かそうとすれば痛むに決まっている。二人揃って怪我をした部分を押さえながらその場にうずくまった。

 

完全な自爆っぷりにナギは心配そうな表情を、一夏は呆れた表情を浮かべる。

 

と。

 

 

「バカって何よバカって! バカ!」

 

「一夏さんこそ大馬鹿ですわ!」

 

「あ、あの。二人とも、あんまり大きな声を出すのは……」

 

一体何を考えていたというのか、声にこそ出してはいないものの表情から何を考えているのかが汲み取れたんだろう。二人は一夏に文句を言うが、声の大きさから相当体に力が入っている。

 

ナギが注意したところで既に後の祭り。

 

当然、力が入れば。

 

 

「って、いっつぅ!」

 

「くぅ! 声を出すだけで痛むなんて! あんまりですわ!」

 

 

案の定身体中に痛みが走り、再度うずくまる。下手に暴れたり大声をあげたりしても、待っているのは痛みだけだ。百害あって一理なしという言葉がそっくりそのまま当てはまる。怪我に八つ当たりをしたところで回復が早まるわけでもないし、大人しくしておいた方がいい。

 

二度の自爆でようやく認識したらしく、不貞腐れながらもベッドに寄り掛かる。

 

 

「二人とも無茶しちゃって。好きな人に格好悪いところを見られたから恥ずかしいんだよ」

 

「ま、俗に言うツンデレってやつだな」

 

「ん、シャルル……に大和!? お前何処行ってたんだよ!」

 

 

飲み物を買いに出てきたシャルルと同時に、アリーナを出ていった後どこかに消えた大和が共に保健室へと戻ってきた。予想だにしない訪問者に、シャルルを除いた全員から言葉が消える。

 

が、しばし時が止まったかと思うと、やがて鈴とセシリアは顔を真っ赤にして怒り始めた。

 

 

「なななな何を言ってるのか、全っ然っ分かんないわね! こここここれだから欧州人って困るのよねっ!」

 

「べべっ、別にわたくしはっ! そ、そういう邪推をされると些か気分を害しますわねっ!」

 

 

一夏にはシャルルの言っていることが理解できずに首を傾げる。逆に言葉の意味を理解している二人は図星を指されたこともあり、捲し立てながらそっぽを向く。その様子をクスクスと笑いながら見つめるシャルルは、二人に買ってきたであろうウーロン茶と紅茶を差し出す。

 

 

「はい、ウーロン茶と紅茶。とりあえず飲んで落ち着いて、ね?」

 

「ふ、ふんっ!」

 

「不本意ですがいただきましょうっ!」

 

 

シャルルから差し出された飲み物をひったくると口を開けて、早飲み競争でもしているかのように勢いよく飲んでいく。ペットボトルの中身がなくなるのが早いこと、わずか数秒で半分近くまで飲み干してしまっている。恥ずかしさから上がった体内温度を下げるためか、それとも顔の赤らみを取るためか、どちらにしても飲むペースが以上に早いのに変わりない。

 

飲み物を飲む二人に、大和は苦笑いを浮かべながら話し掛ける。

 

 

「しかしあれだけボコボコにされたのに元気そうで何よりだ。体へのダメージはどうだ?」

 

「あぁ、保健室の先生が言うには落ち着いたら戻って良いって……特に後遺症もないってさ」

 

「そうか」

 

 

 淡々と受け答えをする大和に、先程ラウラに対して向けたような怒りの感情は見られない。普段、誰かに対してあまり怒ることがない大和。少なからずこの学園にも大和の存在を快く思わない生徒や教師もいる。大和が廊下を通る際に、陰口をする生徒もいない訳じゃない。その生徒にさえ、今まで一度も大和は怒ったことが無かった。

 

大和がIS学園に来てから本気で怒ったのは二回。

 

一回目は入学早々に当時は高飛車で高圧的な態度だったセシリアから家族を馬鹿にされた時、あの時も周りに有無を言わせぬ雰囲気を纏い、クラスの生徒を震え上がらせた。それでも本人は当時のことを深く反省し、二度と同じことはしないと言ってはいたが、今回はケースがケースだ。怒るなという方が酷だろう。

 

先程のことが無かったことかのように振る舞う大和の対応に、誰もが疑問に思うも、大和に聞くことはなかった。

 

場に居合わせているナギも不思議に思いつつも、大和のことを見つめる。視線をしたに向けていくと、ポケットの中に右手を突っ込んでいた。気のせいか、大和の右手には包帯のような何かが巻かれているようにも見える。

 

……いや、見えるのではない。実際に包帯を巻いていた。右手は大和が一夏をラウラから守るために近接ブレードを握っていたはず。

 

まさか―――と、ナギの頭に不安がよぎる。

 

 

「大和くん」

 

「ん? おぉ、珍しいな一夏たちと一緒にいるなんて」

 

「うん……ってそんなことは今はどうでもいいの! 大和くん、もしかして右手を怪我してるんじゃないの?」

 

「―――っ!」

 

 

気付かれたとばかりに、少しだけ大和の表情が歪む。しかしそれも一瞬の出来事で、すぐに元の表情へと戻る。ただナギの一言は、保健室にいる全員に大和が怪我をしている事実を伝えるには十分だった。

 

 

「え? そうなのか?」

 

「右手って……あんたまさかアイツの攻撃を受け止めた時に!?」

 

「そ、それなら早く保険医に見せた方が!」

 

 

一夏が、鈴が、シャルルが、口々に言ってくる。一同の反応に面倒臭そうな表情をしながらも、観念したようにポケットに突っ込んでいた右手を出す。

 

右手にはナギの言うように白い包帯が巻かれている。怪我の程度がどれくらいなのかは見ただけでは漠然としか判断が出来ないが、少なくとも絆創膏を貼ったり、消毒をしたりするだけで治るような怪我には見えなかった。

 

 

「あー……出血した箇所が箇所だけに包帯の巻き方は大袈裟だけど、実際傷自体は大したこと無いから安心してくれ」

 

「はっ……そ、そうなのか?」

 

「あぁ。そもそも本当にヤバかったら自分で治療なんかせずに、保険医に見てもらうさ」

 

「た、確かにそうかもしれませんが……」

 

 

結局は大和に上手く丸め込まれる。重症の怪我であれば、我流での処置は危険だ。怪我をした本人がそれは一番分かっていること。皆の前で何度も拳を握って開く動作を繰り返すも、大和に痛がる素振りはない。

 

やはり自分たちの杞憂だったのかと、皆が思い始めて言及を止める中、どうしてもナギだけは納得出来ていなかった。

 

その傷は本当にラウラの攻撃を受け止めたことによる傷なのかと。常識的に考えてISの補助なしで身の丈ほどもある近接ブレードを振り回したり、ISからの攻撃を防ごうとすれば手に傷くらいは出来る。それが生身の人間なら尚更だ。

 

それでも以前に無人機相手に生身で渡り合ったことのある人物が 、包帯を巻くほどの怪我になった理由はまだ別にあるのではないかと思えた。

 

過去の記憶を掘り起こして大和の本質、性格を考える。今回と同じようなケースの時、セシリアにキレた時、怒り収まらない大和はどうしたか。

 

 

「あっ……」

 

「どうした?」

 

「な、何でもないっ!」

 

 

声が出てしまい、大和に声を掛けられたため慌てて口を押さえる。確か、怒りを抑えるために握りこぶしを作りながら歯を食い縛って我慢をしていたはずだ。その時、大和の右手が血で赤く染まっていたのを思い出す。

 

当然普通の考えであればラウラの攻撃を受け止めた際に、その衝撃で怪我をしたと考えるのが妥当。

 

もしかしたら口調こそ冷静でも、すぐにでも相手を叩き潰したいほどに怒っていたのではないか。それを抑えるために必死に拳を握り締めていたのではないか。

 

どちらにしても想像にすぎない。真実を知るのは本人だけだ。

 

 

「とにかく重症になってなくて良かったよ。さて、じゃあ俺は……何だこの音?」

 

「音? 音なんてどこから……聞こえるな。何だこの音?」

 

 

真っ先に気付いたのが大和、次に一夏も気付く。遠くからこの保健室に向けて走ってくる足音が聞こえてくる。それも一つや二つじゃない、かなりの大人数の足音だ。複数の足音が重なって、まるで地鳴りのようにも聞こえた。

 

徐々に足音が大きくなってくる。既に保健室にいるメンバーは全員迫り来る足音に気付き、入口へと視線を向けた。

 

刹那、轟音と共に保健室のドアが開かれる。保健室は病人もいるから静かにしましょう……なんて常識はどこに消えたのか。開くと同時に雪崩れ込んでくる人混みの数々、それらは全てIS学園指定の制服を着ており、全員が生徒だと確認できる。

 

ガラガラだった保健室はものの数秒で満員語例。誰も入れないほどに保健室のスペースが埋まる。何のためにこんな場所まで駆け付けてきたかは分からないが、突然の出来事に皆が言葉を失って呆気にとられている。

 

 

「織斑くん!」

 

「デュノアくん!」

 

「霧夜くん」

 

 

駆けつけた生徒が口々に目標の名前を叫ぶ。自分が何かをやらかしたのかと、一夏は何故か拳銃でも突き付けられたかのように両手を上げた。そして名前を呼ばれた人物の中で一人、居なくなった人物がいる。

 

ただし人数が人数なだけに、誰も居なくなった事に気付かない。それ以上に一夏とシャルルへと全員の目が向いているのも関係しているだろう。

 

 

「な、何だ急に!?」

 

「え、み、みんなどうしたの? と、とりあえず落ち着いて……」

 

「これっ!」

 

 

一夏とシャルルの周りを取り囲む生徒たちが揃って出してくるのは学内の緊急告知が書かれた申込書だった。四角で覆われた箇所が二ヶ所ある。おそらくはそこに自分の名前を入れるんだろう。目の前に出された幾多モノ申込書を前に、状況を飲み込めずに動きが固まる一夏とシャルル。

 

そもそもこの申込書が何なのか自体分かっていないのだから、反応の返しようがない。仕方なく目の前に差し出された申込書に書き記してある説明事項を読み上げていく。

 

書かれている内容は今月行われる学年別トーナメントについてだった。書いてある文を順を追って読むは良いものの、文面が多く、一夏の読むスピードが徐々に落ちていく。

 

要約すると実戦的な戦闘を行うから二人でのタッグでの参加を必須条件とし、ペアが出来なかった場合は抽選に選ばれたもの同士でペアを組むことになる。

 

締切の項目について読み上げようとすると、それより先に痺れを切らした生徒が待ったをかける。

 

 

「ああ、そこまでで良いからっ! と、とにかく!」

 

 

全員が某告白番組に出ているかのように、一斉に礼をしながら手を差し出してくる。ある一種のホラーにしか見えない。一夏の顔は既に異様な恐怖感からひきつっている。

 

 

「私と組もう、織斑くん!」

 

「私と組んで、デュノアくん!」

 

「私と組みましょう、霧夜くん! ……ってあれ? いない?」

 

「前世の頃から愛していましたっ!」

 

 

 何をどうして学年別のトーナメントがタッグでの参加が必須になったのかは分からないが、ここに押し寄せて来た生徒たちにとっては少しでも男子という異性とお近づきになれるチャンスでもあった。

 

これだけの人数が押し寄せた理由としては、我先にと思ったところが大きい。ただしその考えを持つのは一人や二人の生徒だけではなかったようで、保健室に大勢の人間が押し寄せる自体になっている。

 

出し抜こうと思ってもこれだけの人数が集まってしまったら、全く意味がない。もはやその状況で一夏やシャルル、そして大和から選ばれるのは難関校を受験して合格を貰うよりも困難をきわめる。

 

幸い学年別のタッグトーナメントということもあり、押し寄せてきているのは一年生のみなのか救いか。これが全学年合同だとしたら、保健室には混沌とした地獄絵図が広がっていたに違いない。

 

 

「えっと……」

 

 

一夏がシャルルの方を向くと、勢い良く迫ってくる生徒たちの手に、たじろいでいるシャルルの姿がある。彼女の性格上、お願いされると断り辛いんだろう。どう反応を返せば良いのか分からずに立ち尽くす。

 

加えてシャルルは女性であり、誰かとタッグを組むと特訓を行った際に正体がバレるとも限らない。シャルルの正体を知っているのは一夏と大和の二人。これ以上、変にシャルルの正体が学園中にバレるのは一夏としても防ぎたいところ。

 

どうしようかと考えていると、助けを込めて困り果てた顔で一夏を見つめる。視線が合った瞬間に再度顔を背けてしまうことから、あまり長く一夏のことを見つめていると助けを求めるのがバレてしまうと思ったらしい。

 

助けを求めることが生徒に知られれば、私たちとタッグを組みたくない理由があるのかと、怪しまれる可能性もある。もしシャルルの周囲を調べられたら、女性だとバレてしまうかもしれない。

 

彼女を助けるためかどうかは分からないが、相変わらずの喧騒に包まれる保健室中に響き渡るように、一夏は声を張り上げて宣言した。

 

 

「悪い! 俺はシャルルと組むから諦めてくれ!」

 

 

声高らかに宣言したは良いものの、言った後で一夏は気が付いた。先程まで喧騒に包まれていた保健室が、水を打ったように静まりかえっているのを。もしかして自分は言ってはならないことを言ったんじゃないだろうかと気まずくなる。

 

 

「まぁ、そういうことなら仕方ないか」

 

「確かに、他の女子と組まれるよりはいいし……」

 

「冷静に考えて見れば織斑×デュノアってのもありね! 今年の夏は織斑×霧夜で行こうと思ったけど、カップリングも中々……」

 

「あれ、そういえば霧夜くんは何処行ったの? ここに居なくない?」

 

「え?」

 

 

一夏とシャルルが組むことが決まり、納得しない面々も何人かいるも、強引に自らを納得させて保健室を去ろうとした時だった。

 

さっきまでいたはずの大和の姿がない。

 

一夏とシャルルをペアに組むということは出来なかったが、まだ可能性があるとしたら大和だけになる。既に男性が三人いるうちの一夏とシャルルは互いにペアを組むことが決定している。

 

たが、奇数ってことは一人が必然的に溢れることになる。残っているのは大和のみ、一年生どころか全学年を探しても男子生徒はもういない。

 

 

「織斑くんとデュノアくんはダメ……でも」

 

「まだ霧夜くんが残っている……ってことは」

 

「チャンスはある……?」

 

 

落ち込みかけていた生徒たちの目がギラリと光る。まるで獲物を見つけた獣のように。これはマズイと、一夏とシャルルは共に冷や汗を流し始める。シャルルを守ったはいいが、結局大和があぶれたことで次なる標的は大和に切り替わることに。

 

だがもう時は既に遅し。新たな標的を見つけた生徒たちは次々に駆け足で保健室を出ていく。

 

 

「急ぐわよ! 何としても霧夜くんを見付けるのよ!」

 

「抜け駆けなんてさせてなるものですか!」

 

 

一人、また一人と保健室を去っていく。賑やかな保健室は一瞬のうちに静まり返り、その喧騒は廊下に移動し、やがて聞こえなくなった。保健室に取り残されたのは、最初からいた五人と……。

 

「……一夏、お前後で覚えておけよ」

 

 

隠れていたベッドの下からひょっこりと出し、顔をヒクつかせながら一夏をジト目で睨む大和だけだった。

 



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大和の思惑

 

 

 

「お、お前何処に隠れてたんだよ!?」

 

「何ってベッドの下だぞ? 嫌な予感がして案の定隠れてみれば……人のこと売りやがって」

 

「そ、そんなつもりじゃねーって! し、仕方なかったんだよ! こうでもしねーと……」

 

「おっと、それ以上は言わなくても分かってるって。事情は分かっているから安心しろ」

 

 

 凄まじい数の足音と、あれだけの轟音を撒き散らしてくればさすがにただ事じゃないのはすぐに分かった。念のためとはいえ、ベッドの下に隠れて正解だったかもしれない。

 

ただ自分が同学年の生徒から標的になった……という意味では完全なハズレだけど。それでも一夏なりにシャルルを守ろうと思っての言葉だったんだろう、こればかりは仕方無い。最悪追いかけられたら逃げるか、やんわりと断れば良い。

 

ベッドの下から脱出した後に、入り口の扉を閉めるとワイシャツについたホコリを軽くはらう。

 

 

「ち、ちょっと一夏! あたしと組みなさいよ! 幼馴染みでしょうが!」

 

「鈴さんあなたは二組でしょう!? 一夏さん、ここはクラスメートとしてわたくしと!」

 

 

怪我をしている人間が何をいっているのか。痛む体を無理矢理起こし、一夏に詰め寄ろうとする。それとセシリアその言い方はなにげに酷いぞ。さらっと二組だから一夏と組む資格はないって言ってるようにも見えるし。

 

鈴は言われたことを大して気にしていないから一夏のことに夢中なのか、それとも単純に気付いていないのか。はたまたどうてもいいと思っているのか、いずれにしてもまぁ気にして無いなら良いかもしれない。

 

さて、とにかく俺はいつまでもここにいる時間は無いし、他にもやることがあるから先に寮へと戻るとしよう。セシリアも鈴も怪我自体はそこまでひどい訳ではないし、一日ゆっくりしていれば痛みは無くなるだろう。

 

ただトーナメントに出れるかどうかは微妙だろうな。ボーデヴィッヒの攻撃でIS自体がかなりダメージを負っているし、下手に無理をさせて稼動しようとすれば後々の致命的な欠陥に繋がるかもしれない。

 

おそらくは学園側からストップが掛かるハズだ。各国のお偉いさんなんかもくるし、アピールにとっては絶好の機会ではあるが、二人にとって今は無理するような時期じゃない。一回のアピールが無くなったからといって、それで二人の評価が下がるわけでもなければ、代表候補生を下ろされるわけでもない。

 

むしろ無茶をして機体を再起不能にするようなことがあれば、そっちの方が大問題だ。実力としては二人ともトップクラスの実力を持っているのだから、一回のアピールがなくなったところで問題はない。

 

 

「盛り上がっているところ悪いけど、まだ課題も終わってないし俺は先に帰るぞ」

 

「あはは……今日の夕食は誘わない方が良いかな?」

 

「あぁ、とてもじゃないけど終わりそうにないしな。そうしてもらうと助かる」

 

 

俺としてもやることが多々残っている。鷹月に呼ばれて課題を途中にしたまま来たせいで、まだ半分くらいやる部分が残っている。調べなければならない部分は先に片付けたから、後は手持ちの参考書だけで何とかなるはず。

 

もし参考書で何ともならない時は……その時考えよう。今からネガティブになったところでどうしようもないし。課題が片付くわけでもないしな。

 

 

「あ、大和くん。それなら私も……」

 

「うい、じゃあ帰るか。後はシャルルに任せたぞ」

 

「うん。それじゃあまた明日」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 保健室を後にし、二人ならんで通学路を戻る。この光景は何度もだろうか、もう幾度となく繰り返しているかのようにも思えた。ふと、ナギの横顔を見る。アリーナで確認した際は特に怪我は無いように見えたけど、本当に大丈夫なのかが気になる。

 

 

「あー……その、何だ。体は大丈夫か?」

 

「え? うん。特に問題はないと思う。そんなことより大和くんこそ……」

 

「あぁ、これか。血こそ出るけど傷は深くないし、一日二日すれば治ると思う」

 

 

俺の右手を指差しながら心配そうに尋ねてくるのを見ると、どうにもこちらが申し訳なくなってしまう。

 

大体の人間は、俺がボーデヴィッヒの一撃を無理して受け止めて怪我をしたと思ってはいるみたいだけど、本音を言えば自分が理性を失いそうになるのを防ぐために必死に刀を握っていたから。

 

……なんて、格好悪くて言えやしない。

 

どれだけ自分を抑えきれないのかと言われれば、俺はぐぅの音も出なくなる。それでも耐えなければならないと本能がそう悟った。如何に憎い人間であろうと、暴力で解決していたら結局はまた恨みを買うだけだ。どこかで誰かが歯止めをかけなければ、それは永遠に続く。

 

もちろん、ボーデヴィッヒの行為を俺は完全に許した訳じゃない。それでも詫びようと思うのであれば、それはそれで俺は謝罪として受け止める。セシリアの件だって別に引きずってはいないし、本気で謝罪があるのなら俺は構わない。

 

ただ今回の場合、謝罪してくるようには思えない。本人がどう思っているのかは知らないが、俺が根本から教え込んだところで、自身で認識を改めない限り、変わることはない。俺がいくら一夏に手を出すのは止めろと言ったところで、ボーデヴィッヒの中で根本が変わってないのだから、同じことを繰り返すだろう。

 

とにかくボーデヴィッヒのプライドを一回、完膚なきまでにへし折る必要がある。

 

……敗北、という形で。

 

 

「また……無茶しようとしてない?」

 

 

俺の言うことがあまり信用ならないらしい。

 

無理もない、ここ最近ナギの目の前でやっていることが大概信用を失うようなことだし。今回の出来事しかり、昼休みの出来事しかり。

 

普通に考えてIS相手に近接ブレード一本、更に生身で挑むなんて馬鹿げてる。

 

心配かけさせたくないと言って早々、心配かけるようなことをしている時点で信用なんか無いも同然。純粋な瞳で見つめられると、下手に誤魔化したところで俺の罪悪感が強くなるだけ。かといって正直に言うのも気が引ける。

 

 

「無茶か……どうだろう。何処からが無茶なのか、正直良くわからないな」

 

 

それは俺の本心でもある。無茶の定義は人によって曖昧だから。皆が無謀だと思えばそれは無茶になるんだろうけど、本人がそう思わなければ無茶ではない。命を張ってでも守ろうとすることが、皆にとっては無茶という認識になるんだろう。

 

仕事としてはこんなもの無茶でもなんでもない、当たり前のことだ。それでも一般世間の常識と、仕事の中での常識は大きく異なる。護衛なんて仕事は傭兵や軍隊と同じで、いつ何処で命を失うか分からない。

 

命の危機にさらされる状況、それは総じて一般世間では非常識、非日常なんて言われることもある。でも裏仕事としての認識では常識になる。

 

そうは言っても、ナギとしては俺を危険な目に会わせたくない。危険にさらしたくないのが本音なのは分かる。二人で出掛けた際に泣いて懇願された時は、本気でどうしようかと考えた。

 

……それでも、俺は今の仕事を辞めるわけにはいかないし、辞めるつもりもない。

 

自らが進んで選んだ道、信念を曲げるようなことはしたくない。

 

 

「それでも、あの時危害が及んだって知らされた時は、流石に我慢出来なかった……俺にとってはナギも皆も、大切な存在だから」

 

「……」

 

「得体の知れない俺にも、今までと変わらないように接してくれる。俺としても、これほどに嬉しいことはないよ」

 

「……うぅ」

 

「……顔を赤くされると、俺まで恥ずかしいんだけど」

 

「そ、そう言われても」

 

 

ほんのりと赤面させる姿に、淡々と話す自分が恥ずかしくなってくる。もし人が居ないところで俺が今の言葉を延々と話していたら、完全な中二病扱いだ。その内大切な人へ向けたポエムとか書き出したりしてな、そこまで来たらもう末期だろうけど。

 

あまりこの内容について語ったところで埒があきそうにないから話題を変えよう。何か話題は……。

 

 

「そ、そういえば大和くんはタッグトーナメントのペアってどうするの?」

 

 

幸いなことに、ナギの方から話題を振ってきてくれた。そういえばトーナメントのタッグ制になったのはついさっきだし、まだどうするかなんて一切決めていない。一夏はシャルルとペアを組んだわけだし、この学園に在席している男子でフリーなのは俺だけ。

 

おそらくは一夏やシャルルみたいに人が殺到することはないとは思うものの、保健室のシチュエーションを想像すると背筋が凍る。大多数が一人の人間を囲う状況を考えてみれば分かるだろう。俺だったらその場から全力疾走で逃げたくなる。もしペアを組まなければ自動抽選でペアも決まるわけだから、それを狙っても良いかもしれない。

 

あまり知り合いだけで組んで仲良しこよしになりすぎるのも問題だし、力のある人におんぶに抱っこじゃ実力の向上など望めない。逆にセシリアと鈴が組むと、今度は他の生徒との実力差が大きく開いてしまう。

 

そうなるともはや代表候補生の独壇場になってしまうから、タッグトーナメント自体の意味合いが無くなる。抽選であればいくら抽選とはいえ、それなりの配慮はあるだろうし、実力が変に偏ることも無さそうだ。

 

 

「まだ決まってないな。ただ俺としては抽選でも良いんじゃないかって思ってる」

 

 

最終的にタッグトーナメントになるのだから、誰かしらとペアを組むことになる。なら先に誰と組むかを決めるより、抽選で選ばれた方が俺としては気が楽だ。連携を考えると先にペアを決めて練習した方が良いかもしれないが、ぶっつけ本番でどれだけ自分の実力を出せるか、相手と連携が取れるのかを試したいなら答えは後者になる。

 

仮に俺が組むとするなら誰だろうな……うん。実は組むとしたら誰にするかは決まっていたりする。

 

 

「そうなんだ……」

 

「ちなみにナギはもう決まっているのか?」

 

「うん。実は通達が来た時に部活の子から連絡が来てて……」

 

「へー、皆行動早いんだな」

 

 

 ペア決めは既に結構進んでいるらしい。普通に考えればペアを組むなら仲が良い人と組みたいし、仲が良い人なら下手に気を遣わなくても良い。気楽っちゃ気楽だ、むしろその方がやり易いだろう。

 

生徒たちの行動の早さに思わず関心してしまう。

 

 

「ま、俺は俺のペースでやるよ。慌てて決めたところで良いことなんか何もないし」

 

「……」

 

「あ、あれ……どうした?」

 

「……むぅ、何でもないよ」

 

 

俺が何か気に触るようなことを言ってしまったのか、俺がふと気付いてナギの顔を見つめると、不機嫌な表情を浮かべたナギの姿があった。知らず知らずの内に適当なこと言って、実は怒らせていましたじゃ話にならないぞこれ……一体どこにナギを不機嫌にさせる要素があるのか、全く分からない。

 

下手に聞き返しても墓穴掘りそうだし、聞き返さずにおこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あっ」

 

 

不意にナギが前を見つめながら声をあげ、その場に止まった。進行方向は前なのだから特に問題はないのだが、視線は一点を見つめたまま全く動かない。それどころか先ほどよりも顔色が悪くなっているようにも見える。ずっとナギの横顔ばかり見つめていた俺は、ワンテンポ遅れて前を見る。

 

 

―――視線に入ったのは風に靡く銀髪、無造作にセットされているにも関わらず、毎日手入れをしているかのように髪はサラサラだった。一際小柄な容姿から醸し出される他の人間とは似て非なる雰囲気。圧倒的な存在感の中に感じる寂しさ、孤独感。言葉で表すのなら孤高の花とでも言うべきなのだろうか。

 

忘れようにも忘れられない、明確な敵意を持った瞳がじっとこちらを射抜く。厳密に敵意を向けられているのは俺の方で、ナギに対してはその敵意は向いていない。

 

ラウラ・ボーデヴィッヒ。

 

アリーナでの一件を知っている人間にとっては、最も会いたくない人物でもあるだろう。誰に対しても低姿勢で、分け隔てなく接するナギでさえ顔がひきつっている。

 

 

「ふん、トーナメントが近いというのに、女を引き連れて遊び呆けているとは良い身分だ。少しはやる奴だと思ったが、私の見る目が無かったな」

 

 

失望したかのように吐き捨てるものの、俺からすればお前が言うかって感じだ。俺の中ではアリーナでの一件については既に、自己解決している。あの時は頭に血が上って本能赴くままに行動したが、もう今となってはやり返そうとまでは思わない。

 

開口早々毒をはいてくるボーデヴィッヒに呆れつつも返事をする。

 

 

「はぁ、お前はもう少し口の聞き方を覚えろよ。言うこと全てが喧嘩腰って……選ばれた人間にでもなったつもりか?」

 

「だからどうした? お前たちと私とは違う。ISをファッションや遊び道具程度にしか思ってない生徒が、私と対等になったつもりでいるのか? つくづく笑わせてくれる奴らだ」

 

「こりゃ重症だな……」

 

 

口から出てくるのは諦めからくる深いため息。会話のキャッチボールがコミュニケーションの土台だと教えられることが皆あったと思う。コミュニケーションの大切さを教えるのは幼稚園や保育園時代には教えるし、教えなくても集団生活を送っていれば、ある程度までは身に付くものになっている。

 

ボーデヴィッヒの場合はコミュニケーションのその土台がまず出来ていなかった。千冬さんに対しての受け答えは正常だとしても、他の人間に対しての受け答えがままならないのなら、コミュニケーション能力が著しく劣っているとしか言いようがない。

 

前例を見たことがあるせいか幾分まともに見える。しかし根本は一緒で、取りつく島もない。俺たちに向けられる言葉の全ては上から目線による喧嘩口調のみ、毎日罵倒され続ければ気が狂いそうだ。あいにく俺は罵倒されて喜ぶような性癖でもない。

 

何とか会話をしようにも向こうが拒絶しているせいで、会話が続かない上に成り立たない。

 

どうしろというのか。

 

 

「お前なぁ、全く関係ない人間を傷付けて良く平常心でいられるな。ある意味感心するよ」

 

 

静かな口調の中に皮肉を込めてラウラへと伝える。こんな下らない挑発に乗ってくるとは思わないが、乗ってくれたらそれはそれで儲けだ。実際開き直っている時点で、ボーデヴィッヒには罪悪感が無いんだろう。巻き込まれたナギを見てなお、謝罪の一つもない。

 

そういうタイプの人間だからと言われればそうかもしれないが、時と場合や程度にもよる。ここは明らかに謝るべき場所なのに、謝るどころか寧ろ開き直っている。ここまでくると誰かがいくら怒ったところで変わらないし、気にしていないのであれば下手に刺激しても仕方ないか。

 

 

「はっ下らん。そもそも貴様らはISに対する考えが甘い。仲良しごっこする暇があるのなら、少しくらいISについて勉強の一つでもしたらどうだ?」

 

 

やはりこちらの挑発には乗ってこない。多少なりとも耐性がついているんだろう。表情一つ変えず、涼しい顔で俺に返してくる。隣にいるナギはいつの間にか俺のすぐ横にまで近寄り、左手の袖口を掴んでいる。

 

ここに居たくない無言で俺に対してそう訴えているようにも見えた。

 

一人ならいくら時間かけようにもなんともないが、流石に誰かがいるとあまり時間は掛けられないようだ。さっさとこっちの用事を片付けよう。探そうと思っていた矢先に向こうから来てくれた訳だ、これを利用しない手はない。

 

あまりこの手は使いたくなかったが、今別の方法を考えたいる時間が惜しい。

 

 

「ISの勉強ね……そんなことよりもまず欠如した一般常識の勉強をした方が良いと思うんだがな」

 

「……っ!?」

 

 

ほんの一瞬ではあるが、ボーデヴィッヒの表情が歪む。眉がぴくりと動き、明確な感情の変化が見てとれた。どんなに優しい人だって自分のことを何度も罵倒され続ければ怒る。仏の顔も三度までというように、どこかで必ず感情は爆発する。

 

ボーデヴィッヒは決して我慢強くない。自分や千冬さんに関することで悪く言われると、カッとなる性格なのは分かっている。

 

もう一押しだ。

 

 

「ま、そもそも一般常識なんて勉強するものじゃないし。どうやらどっかの誰かさんがいたところの上官は、そんな当たり前のことも教えられない無能ってことだろ」

 

「っ!? 貴様ぁ!!」

 

「大和くん!」

 

 

 あえて個人名をあげずに揶揄したが、ボーデヴィッヒには誰のことを馬鹿にしたのかすぐに分かったらしい。当然だ、ボーデヴィッヒを指導し、今の地位に立たせるまでに育て上げたのは千冬さんなのだから。

 

もちろん俺としては千冬さんを馬鹿にする気など一切ない、だからこそ思っていないことを言うのは気が引けた。

 

思惑通りに俺へと詰め寄り、右手を伸ばして胸ぐらを掴もうとする。ナギが俺の名前を呼ぶが、特に心配はない。俺が狙ってやっていることだ、対処出来ないことをやろうとはしないし、逆に対処出来ないのに相手を挑発したらただの馬鹿。

 

右手が俺の胸ぐらを掴もうとした瞬間、素早く体を半身にすると、そのまま左手で右手首を掴む。一回掴めば後はこっちのもの、好きなだけ殴ることが出来る。

 

けど、別にそこまでする気はない。

 

しかし怒る理由は単純だ、千冬さん関連のことになるとここまで熱くなるとは。しかも正当防衛とか抜きに、相手を容赦なく組伏せようと行動出来るのがまず凄い。

 

にしても……。

 

 

「くそっ! 離せっ!」

 

「相変わらず、いきなりなんだな。……まぁ落ち着けよ、流石に俺も言い過ぎた」

 

「……ちっ!」

 

 

忌々しげに舌打ちをするも、何とかして俺の拘束から抜けようとする。右手以外は空いているのにやり返してこないだけマシかもしれない。興奮状態にある事実は変わらないけど、今なら話が出来るチャンスだ。これを逃すと今度はいつ話しかけられるか分かったもんじゃない。

 

下手なことをしないように見張るには、ボーデヴィッヒの行動が見える場所にいた方が対処しやすい。

 

なら、やることは一つだ。

 

 

「ところで、ペアは決まったのか?」

 

「何を言い出すのかと思えば……私がわざわざ組む必要もない。組んだところで足手まといになるだけだ」

 

「はぁ、その様子だとまだきちっと通達を見てないみたいだな。今回のトーナメントはタッグトーナメントに変更になったから、ペアを組むのは必須なんだよ」

 

「ふん、だから何だ? どうせ溢れた人間は抽選で選ぶんだろう。どいつがペアになろうと、役立たずなのは変わらん」

 

 

最初からペアは居ないものだと考えているみたいで、相方が誰になろうと関係無いとはっきり言い切る。どいつが来ようが私に合わせられる人間などいやしない、自分に対して絶対の自信があるようだ。

 

 

「役立たずか……」

 

 

逆にそれなら好都合だ。発想を変えれば、相手を選ばないから誰でも良いと捉えられる。トーナメントがタッグ制になったからこそ、誰かと必ずペアを組まなければならない。故に一人で戦うことは許されない。

 

嫌々ながらもボーデヴィッヒと誰かと組んで試合に出場することになる。それでもアイツのことだ、自分一人で何とでも出来ると思って、完全な個人プレイに走るだろう。相手は幸い、操縦が不慣れな一年生だ。鈴やセシリアはISのダメージレベルによっては出場しないし、そうなるとボーデヴィッヒの障壁となるのはシャルルと一夏のペアくらいだ。

 

四組にも代表候補生がいるのは知っているけど、実力は完全な未知数。噂にもなっていないってことは、飛び抜けた実力は無いはず。正直ボーデヴィッヒの実力は一年生の中ではトップクラスだし、個人プレイでも早々負けることはない。

 

だが、実力が高いからと言って全て勝てるわけではない。個人の実力だけで全てを勝ち抜けるほど、勝負の世界は甘くない。ボーデヴィッヒもそう思っているだろうが、学園の体質、生徒に対して慢心を持っている。自分はこんな甘い生徒たちに負けることはないと。

 

だからこそ負けを知ってもらう。その相手はシャルルと一夏のペアが最適だろう。理由は言わずもがな、この学園でボーデヴィッヒが最も恨み、そして敵意を向けている人物だからだ。恨んでいる相手に負ければ、それ相応に彼女自身で思うことはあるはず。今までのプライドを一番へし折られたくない人間にへし折られるのだから。

 

問題はそこに行き着くまでにどうするか。方法としては一つしかない。

 

 

「……ならその役回り、俺が買って出てもいいよな?」

 

「何だと?」

 

「や、大和くん!」

 

 

俺の言ったことが予想外のことだったのか、ボーデヴィッヒも思わず驚いた表情を浮かべた。ナギに関して完全に止めに入っている。

 

そりゃそうだ、さっきまであれだけ敵意を向けていた人間が、突然手のひらを返したようにペアを組もうと言っているのだから。本来なら恨んでいる人間や、敵意を向けている人間に対しては近寄りたくないと思うのが当たり前で、俺はその心理と真逆のことをしている。

 

 

「貴様……正気か? 一体何を企んでいる?」

 

「別に。強いて言うならお前の歯止め役だ。やり過ぎないためのな」

 

「……」

 

「誰と組んでも一緒なら、俺と組もうが誰と組もうがかわらないだろ?」

 

「断る。どうせ邪魔をしてくるのだろう」

 

「何故邪魔をするって言える? 確証でもあるのか?」

 

 

予想通り、ボーデヴィッヒから返ってきた答えはノーだった。ついさっき敵対した相手を態々ペアに選ぶわけがない。自分とペアを組みたいのは近づく口実に過ぎず、本当の目的はまた別にあるのではないかと思われても仕方ない。

 

とはいえ、俺がいくら邪魔をしないと言い切っても、信じてもらえないのが当前。実際に俺が何かを企んでいると言えば企んでいるかもしれないが、ボーデヴィッヒのことを邪魔してわざと負けさせようとは思っていない。

 

はっきりと言い切ったボーデヴィッヒに、邪魔をすると断言できるだけの理由があるのかと問う。

 

 

「確証も何も貴様のことだ、何かを企んでいるとしか思えん。それに危険因子を側に置けば、いざという時に障害になる。お前と組むメリットがない、それなら役に立たないなりにも抽選で選ばれた奴の方がマシだ。捨て駒として使えるからな」

 

「障害ね。なるほど、俺が怖いのか?」

 

「減らず口を……あまりいい気になるなよ、霧夜大和」

 

「いい気も何も事実だろう。プロの軍人が、たかが素人に何度も足元を掬われるなんて、それこそ笑いのネタになるぜ?」

 

「私を馬鹿にしているのか。もうお前と話すことはない、さっさと失せろ」

 

 

何度も遠回しに皮肉を言っていると、無理矢理話を切り、そのまま興味がなさそうに俺たちの横を通りすぎていく。このままやり取りを続けていても意味はない、むしろ無理に話を続けている俺にも、あまりメリットがない。このままではボーデヴィッヒは去ってしまう。折角掴んだペアを組むチャンスなのに、結局逃してしまうのか。

 

……なんて、そんなことをさせるつもりはない。もう決めている、そもそも正攻法で上手くいくだなんて最初から思ってないし、奥の手は奥の手できちんと考えてある。

 

これで上手く釣れるかどうかは確証が持てないけど、現状一番良い方法だとは思っている。少なくとも試してみないことには始まらない。

 

俺のすぐ横を通り過ぎ去ろうとした瞬間に、ボーデヴィッヒだけに聞こえるように小さな声で呟く。

 

 

「そうはいかねーよ。……そうだな、賭けをしよう」

 

「……」

 

 

賭けをしようと持ちかけた俺の呟きにピタリと歩を止める。表情は前を向いたまま俺の方を振り向くことはない。顔を会わせようと思わないんだろう。しかし現に足を止めたということは、話は聞こうとしてくれたことになる。

 

あまり長引かせても意味がないため、手短に条件を伝える。俺にとってはデメリットしかないが、この際仕方ない。無論、この賭けに負けるつもりは毛頭ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――もし俺とペアを組んでお前が優勝したら、この学園から出ていってやるよ」

 

「大和くん! な、何言ってるの!?」

 

「ほう? 確かに私の優勝で貴様が目の前から消えるのは面白い」

 

 

俺の言ったことに抗議をしてくるナギと、興味深そうにこちらを振り向くボーデヴィッヒ。二人の表情はまるで正反対で、ナギは両手で俺の左腕の服をつかみながら、どこか泣き出しそうな表情で引き留めようとする。今言ったことを撤回してくれと言わんばかりに。

 

ラウラの実力は学年トップクラス、代表候補生の中でも群を抜いた強さを持つ。もしペアの片方がすぐに負けたとしても、一人で二人を相手にすることくらいは全く苦にはならないだろう。いくら相手のデータが少なかったとはいえ、実際に鈴とセシリアを圧倒している。俺にとっては分の悪い賭けであることには変わらない。

 

確率的にはどう考えてもボーデヴィッヒが勝ち抜く可能性の方が高いのだから。

 

 

「仮にお前が自分の実力だけで勝ち抜くってことであれば、俺は一切戦闘には手を出さない。俺が集中攻撃されたとしても、防ぎきる自信はある」

 

 

俺とて遅れをとるつもりはない。ISに乗りなれていない生徒よりかは動かせる自信があるし、そうおめおめと負ける気もない。ボーデヴィッヒが相手を倒す間、相手から攻撃を防ぎ切ることくらいは出来る。

 

それに……。

 

 

「……あぁ、勝負事でわざと攻撃を受けて負けようとは思わないから、そこは安心してくれ。条件としては悪くないだろ? お前は勝つだけで目の前にいる邪魔者を排除できるんだから」

 

 

わざと攻撃を受けて負けて賭けを無効にしようとは思っていない。初めからそんなことを考えているのであれば、リスクの高い賭けなんて持ち掛けることはしない。平穏無事に、今まで通りの学園生活を送っている。

 

 

「……分の悪い賭けを自分から持ち掛けてくるとはな。本当にそれでいいんだな?」

 

「あぁ、二言はねぇよ。一回言ったことを覆すほど、俺は優柔不断な人間じゃない」

 

「ふん……好きにしろ」

 

 

 

 

 

 

 

思いの外あっさりと了承をしてくれたことにひと安心し、胸を撫で下ろす。一言呟くとボーデヴィッヒは場を去っていった。小さな後ろ姿が更に小さくなっていく。やがてその姿が完全に見えなくなり、俺も寮へと帰ろうかと一歩踏み出そうとする。

 

 

「さて、じゃあ俺らも帰ろ……いででででっ!!? な、何だよ急に!?」

 

 

帰ろうとした瞬間に脇腹に激痛が走る。これがマジで痛い、よく脛を弁慶の泣き所なんて言うけど、脇腹をつねられるのも負けず劣らずの痛みが走る。俺の付近で出来る人物といえば一人だけだ。

 

 

「何だよ、じゃないよ! どうしてあんな無茶な約束をしたの!? 約束通りになったら大和くん、ここから出ていかないといけないんだよ!?」

 

 

近くにいた彼女は明らかに怒っていた。怒りながらも泣きそうな感じで必死に訴えてくる。どうしてあんな無茶な約束をしたのかと。

 

ナギにしては珍しく語気が強めて訴えてくるせいで、思わず俺の方が気圧される。言っていることが正論過ぎて何も言い返せずにただ俺は怒られるためだけに立ち尽くす。

 

 

「いや、でも……」

「でもじゃない!」

 

「……はい」

 

 

正直に言おう、滅茶苦茶怖い。女性……特に同世代から怒られた経験が無いせいで、言い返す言葉が見付からずにただ頷くしない。こんな風に怒られるのいつぶりだろうか、もう何年も前のような気がする。

 

怒られると基本的に気分が下がるはずなのに、何故か嬉しく思えた。

 

何故だろう。

 

俺のことを本気で心配をしてくれている人がいる。おそらくそれが嬉しいんだと思う。そっち系の人間ではないとは思うけど、怒られたことに対して喜びを覚える……端から見たら怪しい人間そのものだ。

 

 

「……大和くんが居なくなったら、絶対みんな悲しむよ」

 

「……ごめん。でもこれだけは分かって欲しい。今回ばかりは多少の無茶をしなきゃ変えられないってことを」

 

「え……?」

 

 

何を言っているのか、俺に対してそんなことを言いたげな表情を向ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だってアイツは……」

 

 

俺の声は吹き荒れる風によって掻き消された。



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それぞれが求めるもの

 

 

 

 

 誰もいなくなった通学路を、寮へと向かって歩く姿が一つ。あまり整えられていないながらも、色艶やかな銀色の長髪を風になびかせながら彼女、ラウラ・ボーデヴィッヒは歩いていた。

 

何なんだアイツは……彼女は何度も心の中で唱え続けている。まるで催眠術にでも掛かったかのように何度も何度も。

 

この学園に来た理由の中には、今IS学園にて教鞭をとっている織斑千冬を再度ドイツ軍の教官として引き戻すことも含まれており、機会を見付けて話をした。何故こんなところで教師をしているのかと。

 

ラウラにとって千冬はもっとも憧れる人物であり、落ちこぼれだった自分を再度専用機持ちのエースに引き上げてくれた、尊敬の的ともいえる存在だった。

 

 

「……」

 

 

無言のまま右目に手を当てる。過去のことを思い出すと、嫌でも右目が疼く。普段は右目に眼帯を付けているが、視力が失われていたり、傷があったりするわけではない。

 

眼帯を取れば誰もがその理由を聞く。

 

 

"その黄金色に輝くオッドアイは何なのか"

 

 

紛れもなく、かつて自分をどん底に陥れたのはこのオッドアイが原因だったからだ。

 

 

 

ラウラはアドヴァンスド……通称、遺伝子強化試験体として生み出された試験管ベビー。人よりも身体的スペックが高い人間とでも言えば聞こえは良いかもしれない。

 

名前なんてものは飾りでしかない。自分の名前を呼ばれて嬉しいと思ったことなど、今の今まで一度たりともなかった。

 

戦いのためだけに生み出され、戦うためだけに生きている。生まれてすぐに自分の価値を悟った、戦い敵を倒すためだけに私は生きているのだと。

 

軍部の期待通り、様々な訓練で基準値以上の成績を残し、軍内でもトップクラスの戦闘力を有する軍人まで上り詰めた。

 

素晴らしい試験体だと研究者は手を叩いて喜び、ラウラのことを褒め称えた。しかしそれはラウラ個人に向けられるものではなく、遺伝子強化試験体として成功したことに対するものだった。

 

何なんだこいつらは、一体私のことを何だと思っているのか。ラウラの中には着実に、研究者に対する不満が溜まっていく。それでも自分が生き残るためには、課程ではなく結果として残さなければならない。

 

人間兵器として産み出されたラウラの生き残る道は、戦い続けて成果を出し続けることしかない。

 

 

だが時の流れとは無情だ。

 

ラウラの思惑とは別に、そんな時間が長く続くはずも無かった。

 

 

篠ノ之束の開発した究極兵器、ISの開発によりラウラの世界は脆くも崩れていく。

 

ISへの適合性の向上のために行われた、肉眼へのナノマシンの移植処理。そして移植された目のことを通称『ヴォーダン・オージェ』と呼ぶ。これは脳への視覚信号伝達の向上、および動体視力の強化をするために行われたが、理論上は失敗せず、不適合もない……はずだった。

 

だが、科学的なものに失敗というのは付き物だ。いつどこでどんなイレギュラーが起こるとも限らない。百パーセントの確率などあり得ない。

 

例えどんな優れた人間だとしても必ず失敗はある。

 

処置した左目は金色へと変化し、常に稼働状態のまま自らは制御出来ない状態に陥った。

 

後は転落するだけだった。気が付けばトップの座から陥落し、IS訓練での成績は全てが基準値以下の成績、今までラウラに何も言えなかった人間から浴びせられる軽蔑や侮蔑を含んだ視線、そして嘲笑。

 

それらがラウラの心をへし折るには十分だった。

 

一度折られた心は戻らない、何とかしようと思うもどうすれば良いのか分からない。誰も教えてくれない、自分で何とかしようにも何も出来ない。いつしかトップはおろか、部隊の中での成績は最下位まで下降。

 

元々孤独の中を生きてきたラウラにとって、己の強さが唯一自分の存在理由として誇れる場所だったのに、その存在理由さえ無くなった。もはや自分がこの世に存在する価値など無い。

 

手を叩いて喜び、褒め称えた研究者たちが手のひらを返すのはそう遅くはなかった。

 

 

いつしかドイツ軍最強の軍人は、ただの出来損ない、おちこぼれだと呼ばれるようになり、ラウラの居場所は完全に無くなった。

 

絶望に打ちひしがれる中、行き場を失った自分を立ち直らせてれた人物こそ、当時ドイツ軍の教官として指導をしていた織斑千冬だった。

 

一目見ただけで分かる彼女の圧倒的な存在感、強さ、立ち居振舞い。一瞬にして引き込まれた。この人こそ出会うべき人間であり、尊敬出来る唯一の人間だと。

 

だからこそ、彼女の二連覇に泥を塗った存在が許せない。奴さえ居なければ、千冬が二連覇を逃すことなど無かった。強さに対して異常なまでの執着を見せるラウラに、弱いだけの存在など路肩の石に過ぎない。

 

むしろ自分の道を阻むのであれば容赦はしない。ましてや自分の尊敬している人間に泥を塗ったのであれば、その障害は取り除くまで。例えそれが実の弟だとしても関係ない、認められるわけがない、あんなに軟弱な男が千冬の弟などと。

 

しかし彼女にとって一夏は大した障害ではなかった。IS操縦の腕一つとっても自身に到底及ばない。生身の格闘でも負けると思ったことは一度もなく、負ける要素が一つも見つからなかった。

 

今彼女にとって最も障害となる人物は、また別にいた。

 

 

「霧夜大和……」

 

 

常に一夏の近くにいて、何かと邪魔をしてくる人物の名を呼ぶ。彼女には天敵とも呼べる相手だろう。初めこそ名ばかりで、ただの物珍しい男性操縦者程度の認識でしか無かった。

 

それこそ自分の敵ではないと。しかし実際に一夏に平手打ちをしようとした時も、食堂でいがみ合った時も、アリーナで鈴とセシリアと戦った時も、一度たりともラウラが大和を圧倒したことはない。

 

きちんとした形式で戦ったことが無いから何とも言えないものの、小さな消しゴムを手の甲に正確に当てたり、自身の攻撃をいとも容易く受け止めたりと一般人とは到底思えない身のこなしを見せてくれる。

 

ラウラとて軍人だ。自身の身体能力や戦闘能力が周りに劣っていると思ったことは一度もないし、ましてやただの一般人に遅れをとるなどと考えたこともない。

 

大和がただの一般人ではないことくらい、何度も対面してればすぐに気付く。更にISの攻撃を生身のまま打鉄用のブレードで受け止めるなど、あり得ないようなことをしていれば身体能力に関して言えば化け物レベルだと察知できる。

 

何故他の生徒たちは大和の異常なまでの能力を悟ることが出来ないのかと、失望感すら沸いてくる。

 

ただ少なくとも純粋な戦闘力では太刀打ちできない。彼女の中で大和の認識は大きなものとなっていた。

 

一夏を排除する上で最も障害となるのは大和だが、その障害を自身の力だけで打破することは困難を極める。自分とて不意打ちで勝とうとは思っていない、望むのは完膚なきまでに叩きのめして勝利することだけだ。

 

ISの操縦の腕に関しては未知数だが、それでもラウラと大和の間には圧倒的な経験差がある。ISに関して負ける要素は一つもない。

 

なのにいざ大和の前に立つと、全てを見透かされたような、得体の知れない不気味さを感じる。

 

どうこの障害を打破するか、彼女なりに考えたが良い案は思い付かない。すると考えている最中、大和から一つの提案があった。共にトーナメントのペアを組まないかと。

 

 

当然、ラウラはこれをバッサリと切り捨てる。得体の知れない人間を自分の側に置いておくのは自殺行為にも等しい。それも元々完全に敵対していた相手だ、どんな思惑があるかも分からない。メリットらしきものもないし、他を当たれと言い返そうと思った時、思わぬ提案を持ち掛けられる。

 

 

"もし俺とペアを組んでお前が優勝したら、この学園から出ていってやるよ"

 

 

ラウラにとっては思いもよらない提案だっただろう。自分が優勝するだけで、この男は自分の目の前から消えると言っているのだ。わざわざ自分で手を下さなくとも、勝手に居なくなってくれることがどれだけ今の自分にとってプラスか。意味が分からないほど頭は悪くない。

 

幸い、同学年に強敵と呼べる相手はいない。代表候補生二人を同時に相手をしても圧勝できたのだから、それ以外の生徒の相手など、赤子の手を折る程に容易いこと。一人でも十分に優勝することが出来る。

 

どうしてそこまでして自分とペアを組みたがるのかが気にかかるところではあるが、見返りを考えれば痛手にはならない。今ラウラにとっては大和という天敵さえ排除出来れば、これほど嬉しいことはない。

 

後はわざと負けることがないかどうかを気にしたが、大和の性格上それはないと判断し、特に言い返すこともしなかった。

 

何にしても優勝すれば良いだけのこと、直接自分が手を下すよりも簡単なことだ。

 

こんなに楽なことはないと、否が応でも笑いが込み上げてくる。

 

 

「くくっ……私を邪魔をする者はもう居なくなる」

 

 

誰もいない静かな通学路に、ラウラの不気味な笑い声が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、大和くん。奇遇ね、こんなところで会うなんて」

 

「……そういうのは奇遇って言わないですよ、楯無さん。また勝手に人の部屋に入り込んで……」

 

「良いじゃない。一夜を共にした仲なんだから」

 

「誤解される言い方は不味いんでやめてください。あまりやり過ぎると織斑先生に……」

 

「じ、冗談よ冗談。ちょっとからかっただけじゃない」

 

 

ナギと別れた後、自室の扉を開けて真っ先に飛び込んできたのは、ベッドの上に寝そべりながら雑誌を読み漁る楯無さんだった。部屋の鍵を開けようとした時に空回りしたため、すぐに鍵を開けられていることは分かった。

 

もはや何度も同じことをされていると突っ込む気すら起きない。それでも少しばかりおいたが過ぎるところがあったから、魔法の言葉を一言ささやいてからかうのを辞めさせる。

 

名前一言で制止能力があるって、すごいことだと思う。あの楯無さんですら、抑制させるのだから威力は絶大だ。

 

 

「そういえばペアが決まったそうね。相手は確か……ラウラちゃんだったかしら?」

 

「えぇ、まぁ。さすがに情報早いですね。誰かから聞いたんですか?」

 

「そこは企業秘密だから、おねーさん言えないなぁ。でも知ったのはついさっきだから、最初から知ってたわけじゃないわよ?」

 

「さっき……って本当についさっきだから、最初から知ってるも同然だと思うんですけど」

 

 

 既に俺がペアを組んでいる事実は楯無さんには知られているようで、何気ない会話からトーナメントについて話がシフトチェンジする。すでに楯無さんは俺が誰とペアを組むのかは分かっており、相方の名前を告げた。相方……なんて呼べるほどの信頼関係はないが、トーナメントでは背中を預けることになる。

 

そしてボーデヴィッヒが優勝したら、IS学園を出ていくと啖呵を切ったことに関して後悔はしていない。帰りに怒られたことについては多少の罪悪感こそ残るも、ようは俺が賭けに勝てば良い。無謀だと思われるかもしれないが、少しくらい無茶するしかなければ、そうするしかない。

 

 

「それと、賭けに負けたらIS学園を出ていくなんて、随分と思いきった賭けをしたわね」

 

 

予想はしていたけど、やはり賭けについても知っていた。慌てず騒がず淡々としたいつもの調子で話し掛けてくるから、楯無さんの内が全く読めない。

 

一体どんな情報網なのか、考えてみるだけで末恐ろしくなる。この人だけは絶対に敵に回してはならない、本能がそう悟っていた。とはいえ、実態は俺の一つ年上の女性なのは変わらない。

 

もし更識家に生まれていなければ楯無の名を襲名することもなかっただろう。そう考えると廻り合わせは奇跡的でもあり、必然的なものでもある。

 

話を戻そう。賭けとしては分が悪いのは確か、勝つために奮闘するのに優勝したら俺はこの学園から出ていく。もはや賭けと言って良いのかさえ怪しいところだ。

 

それでも双方の合意の上で成り立っているわけだし、周囲を除けば何ら問題はない。

 

 

「そうですね……ただ俺は無茶とも思わないですし、無謀とも思わないです」

 

「どういうこと?」

 

「言葉通りです。誰にとは明言しませんが、アイツは、ボーデヴィッヒは間違いなく負けます」

 

 

今のままいけばボーデヴィッヒは間違いなく負ける。勘で言っているわけではなく、個々の力だけで勝ち抜けるほど現実は甘くない。

 

楯無さんと話をしながら制服の上着を脱いでハンガーにかける。本当なら全部着替えたいが楯無さんがいるし、女性の前で着替える訳にもいかなかった。ただ、いつまでも請福を羽織っているのも堅苦しいし、学校が終わったのに制服を着続ける意味もない。

 

楯無さんが制服姿で来てるのはまぁ……そういえば楯無さんの私服姿って見たこと無い気がする。一回一夜を共にした時は俺のジャージを貸したから楯無さんの私服を見たことがない。一度お目にかかりたいものだ。

 

さて、俺の言いたいことが何かと言うと、結局は敗北を知ることで、自分の今までを顧みる機会を設けられるから。特に相手が一夏ともなれば、まず間違いなく思う部分が出てくる。

 

 

「同学年に負ければ、アイツもある程度は思い直してくれると思います。力が全てじゃないって」

 

「随分と肩入れするのね。ラウラちゃんと何か関係でもあるの?」

 

「さぁ? 単に俺がお人好しってだけじゃないですか?」

 

 

じろりと楯無さんの探るような視線が俺に向けられるも、口調を変えずに返す。正直な話、ボーデヴィッヒとの関係を指摘されても、血の繋がりがあるわけではない。ただ一つだけ今言えることがあるとすれば、昔の俺と今のボーデヴィッヒが非常によく似ていることくらいか。

 

信じられる人間は自分だけ……いや、千冬さんという尊敬する人がいる分、昔の俺よりも人を信じることは出来ているみたいだ。そうは言っても、自分が認めた人間以外心を開こうとしない。誰にも心を開こうとしなかったことを踏まえるとまだマシだが、心を開こうとしない事実は変わらない。

 

織斑千冬という人物が、ボーデヴィッヒの中で依存してることで、今のしがらみから抜け出すことが出来ない。ようは全ての基準は千冬さんに置き換えられている。

 

実際にボーデヴィッヒが生徒に向ける視線は、軽蔑や侮蔑が含まれたもので言葉の節々にトゲを感じられる。まるで俺たちの存在が千冬さんに泥を塗っていると言わんばかりに。

 

俺の返答に対して楯無さんの表情が一瞬、不安げなものへと変わる。ただしそれもほんの一瞬で、次の瞬間には元の表情へと戻っていた。

 

楯無さんは千冬さんに次ぐレベルで鋭い洞察力を持っている。俺の過去の経歴については家内を除けば誰一人知らないし、データも残っていない。それこそISを動かした時には、幾多もの機関が俺の情報を得ようと血眼になって住んでいる場所を見つけ出そうとしたが見付からず。

 

精々分かったとしても生年月日と名前くらいで、それ以外の情報は漏れないようになっている。更に通信機器は全て霧夜家純正モデル。自分の家なのにたまに怖くなる時がある。

 

 

「大和くんがそう言うなら良いけど……」

 

 

やはりというか全くと言って良いほど納得してない。眉をひそめながら、疑いの眼差しを向けてくる。まだ何か理由があるんじゃないかと言わんばかりに。

 

これで仮に理由があったとしても、人に話すようなものではないし、話すことはない。ここから先の一線を越えさせるつもりはない、例え楯無さんや千冬さんだとしても俺の管轄に足を踏み入れさせたりはしない。

 

 

「とりあえず飲み物どうします? とはいってもカフェオレくらいしか無いですけど」

 

「えぇ、それでいいわ」

 

 

話に夢中ですっかり忘れていたが、飲み物を何一つ出していないことに気付く。楯無さんは大して気にしてなさそうだが、折角来てくれたのだから飲み物くらいは出してあげたい。

 

部屋に設置されている冷蔵庫の前まで行き、中からパックを取り出してカップに注ぐ。楯無さんの分だけ用意し、それを手早く楯無さんの前に出した。来るのが分かっていればクッキーとかを用意していたが、あいにく楯無さんは規則性が無い。

 

ただ来る時は大体決まっている、何かしら重要な話がある時だ。話の始めこそプライベートでも、最終的には別の重要な話に変わる。だから今回も世間話とは別に用があるんだろう。

 

取っ手に手をかけて飲み始める。飲み方一つでも絵になる人なんて早々居ないだろう。

 

 

「楯無さん、今度は俺から質問して良いですか?」

 

「珍しいわね。大和くんから質問だなんて。おねーさんに何でも聞いてごらんなさい。あっ、でもスリーサイズはトップシークレットだからね? でもどうしても聞きたいのなら……」

 

「聞きたくありません! 聞いたところでどう反応すれば良いんですか!?」

 

「えーと……皆に自慢出来るじゃない?」

 

「女性の秘密をベラベラと喋るほど、俺の口は軽くありません。それにトップシークレットじゃないんですか?」

 

 

こちら側から質問を持ち掛けたのに、出鼻をいきなり挫かれる。楯無さんのスリーサイズが知りたくないかと言われれば知りたい。知りたい知りたくないの問題ではなく、俺の聞きたいことは楯無さんのスリーサイズの話ではない。

 

少し真面目な話をしようとしたのに、これじゃ話をする気も失せてしまう。話す内容まで忘れる前に一旦落ち着こう。

 

 

「んんっ! 一旦話を戻します。このままだと埒が明かなさそうなので」

 

「えー? このままで良かったのに……」

 

「いいから落ち着いてください。結構大事な話ですから」

 

 

一言で言えば疲れる。悪い人じゃないのは百も承知だけど、下手に乗ってしまうと楯無さんのペースになってこちらの話が全く出来なくなる。性格上人をからかうのが好きなタイプのため、無理やりにでも話を中断させるしか方法が無い。相変わらず笑顔を絶やさずにこちらを見つめて来る楯無さんだが、大事な話だと伝えるとそれ以上何かを言うことは無くなった。

 

締めるところで締めれない人間はただの空気が読めない人間だが、楯無さんが場の雰囲気を汲み取れる人で良かった。

 

さて、場も落ち着いたことだし話を進めることにしよう。楯無さんはどんな話なのかと内心楽しみにしている部分もあるだろうが、残念ながらそんな楽しい質問では無い。はっきり言えば暗い感じの質問内容だと思う。楯無さんがこの質問にどう答えるのか、それとも答えられないのか、はたまた別の反応を返すのか。

 

 

 

 

 

 

「答えられればで構いません……孤独ってどう思いますか?」

 

 

 単刀直入に話を振ったことで、楯無さんの表情が固まる。質問内容の意味が分からないとでも言いたげな視線が俺を射抜いた。意味が分からないと言われても、質問内容を他の言い方に置き換えることは無理な話で、俺が聞きたいことは紛れもなく『あなたは孤独についてどう思いますか?』だからだ。

 

仮に立場が逆だったとしたら俺も思うだろう、こいつは何を言っているのかと。質問の内容としてはあまりにも突拍子のない漠然としたもので、この場で聞くような内容では無い。逆に楯無さんだからこそこの質問をぶつけた。

 

変な質問に一瞬戸惑ったような表情を浮かべるも、すぐに俺の質問に対して真剣に解答を考え始める。

 

そうは言っても答えが早々見付かるわけではない。

 

少し言い方を変えよう。

 

 

「分かりづらいですよね、すみません。言い方を変えます。今まで楯無さんが孤独を感じたことってありますか?」

 

「私が?」

 

「はい。もし答えたくないのであれば答えなくても大丈夫です」

 

 

これなら比較的答えやすい問いになったと思う。今までに自分が孤独だと感じたことがあるかどうか。親友や両親にまで見捨てられたりして、本気で自分は孤独の中を生きていると感じたことがある人はそう居ない。果たして楯無さんはそれがあったかどうか。

 

 

「そうね……仕事としての私なら思うこともあるのは事実ね。でも、一個人の私なら無いって断言出来るわ」

 

 

楯無さんらしいといえばらしいのかもしれない。

 

更識家の当主ともなれば、一人で抱え込むような問題も多くなる。それ故に孤独を感じることも多いみたいだ。少なくとも皆の長として組織をまとめなければならない。

 

それでも一個人として感じたことはないとはっきりと言い切った。並大抵のことでは孤独と感じないのかもしれないが、単純に考えて周りに楯無さんのことをよく理解してくれる人物がいるんだろう。

 

俺のことを見つめる瞳は真っ直ぐで、決して揺るがないものだ。嘘を言っているようにも見えない、そもそもこんなところで嘘をついたところで仕方ない。

 

こっちが真面目な質問だと念を押して投げ掛けているのに、ふざけて嘘を言うなんて人としてどうなのか。

 

 

「ちなみに……大和くんは孤独を感じたことがあるの?」

 

 

今度は逆に楯無さんの方から同じ内容の質問を投げ掛けてくる。質問の内容的には聞き返しやすいものだし、聞き返されることを想定していなかった訳ではない。

 

楯無さんが正直に話してくれたのだから、俺も正直に話すことにする。それに隠すようなものでもない。

 

 

「昔は孤独しかなかったです。味方なんて誰一人として居なかったですから……」

 

「……」

 

「でも今は違います。家族がいて、仲間がいて、守りたいと思える人がいる。孤独を感じたことはありますけど、もう一人ぼっちだなんて思ってないです」

 

 

 結局はここに繋がる。昔は孤独が当たり前だと思っていた。自分の存在理由、存在価値などないと。周りには腫れ物のように扱われ、要らなくなったら捨てられる。存在価値を自分で決めるのではなく、誰かに決められているという実感が苦痛で仕方ない。

 

憎い、人間全てが殺したいくらいに憎い。それが叶わぬなら自分がこの世から消え去りたい。何度頭の中で相手を、自分を殺しただろう。

 

もう数えきれない。

 

それでも歳月というものは不思議なもので、人間の心の内を変化させることが出来る。いままで憎いと思っていた人間に救われる。壊すのも人間だが、救えるのも人間。

 

人との繋がりを拒絶し、信じることが出来るのは自分自身と、自分を救ってくれた千冬さんのみ。俺がボーデヴィッヒとどこか似ていると思った一番の理由はそこだ。

 

反対に違ってしまったのは、俺は千尋姉に救われ、千尋姉を介して少しずつ人間に対して歩み寄ったのに対し、ボーデヴィッヒの場合は千冬さんに救われ、そのまま千冬さんに依存してしまっている。

 

つまり殻を破れずにまだ中に閉じ籠っている。

 

だから、今度こそアイツを殻から引きずり出してみせる。

 

 

「孤独に生きていくことがどれだけ辛いのか分かっているつもりです。だからこそ、俺はボーデヴィッヒに手を貸します。自分で自分の殻を破れるように……このまま千冬さんに依存し続けたらいつか壊れる。壊れるところを、俺は見たくないんですよ」

 

「……」

 

 

これは俺からの本心だ。鈴やセシリアを傷つけられ、ナギを混乱に巻き込んで、あまつさえ謝罪の一つもないのに、許すこと自体あり得ない。

 

俺だって決して先の一件を許している訳じゃないが、ボーデヴィッヒには一度知って貰わなければならない。当然事がトントン拍子で進むとは思わないし、簡単に成功するとも思ってはいない。

 

それでも、誰かがどこかで歯止めをかけて、向き合う時間を作らなければ、近い将来確実にボーデヴィッヒは壊れる。間違った方向に……道を踏み外しつつある場所にレールをひいて、方向修正をする必要がある。ただそれをするのは俺ではない。俺はあくまできっかけを与えるだけで、最終的に解決するのは本人だ。

 

無茶を承知。修羅場を何度も潜り抜けてきたのだから、これしきのことくらいは何ともない。いつもよりほんの少し、骨が折れる作業なだけだ。

 

生身での戦いで一般人に負けるなんて到底思ったこともないし、IS操縦でも動かしたばかりの生徒には遅れをとらない自信がある。

 

それでも、まだ足りない。

 

 

「楯無さん、お願いがあります」

 

 

皆を……いや、たった一人を救えるだけの力が欲しい。

 

 

その為には強くなるしかない。

 

 

だから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――俺とサシで勝負してください」



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敗北

 

 

 

「……よし、後は楯無さんか」

 

 

時はひと悶着があった次の日の放課後、アリーナにて打鉄を身に纏い、来るべき人物を待つ。

 

昨日のアリーナでの一件で、本来なら私闘は禁止されているが、楯無さんが特別に掛け合って許可をしてもらったらしい。

 

昨日のことと言えば、今朝教室に行くとクラスメートや他クラスからの生徒からの質問攻めが尋常なものではなかった。理由は言わずもがな、何で俺がボーデヴィッヒとペアを組んだのかについてだ。

 

どこでどう話が漏れたのかは分からないけど、何故かクラスメートの全員が知っていた。

 

理由に関しては答えられないと言っても、納得してくれるはずもなく、ホームルームが始まるまでずっとクラスがすし詰め状態だった。さすがにここまで事が大きくなるのは想定外だったため、俺もさすがに焦ったが、朝の喧騒に関しては千冬さんの登場で鎮静化された。

 

何人もの生徒が出席簿で一斉に叩かれる姿を見ても、なんとも思わなくなった俺の思考は随分ずれているみたいだ。

 

 

 

授業に関しては特に何事もなく過ぎていったものの、休み時間になる度にクラスメートの誰かに質問攻めをされる始末。当然一夏やセシリア、篠ノ之や鈴にも同じように詰められ、昼食の時間には既に俺自身がボロボロになっていた。

 

理由は分からないでもない。ボーデヴィッヒの第一印象ももちろん、一夏に牙をむき、代表候補生二人を叩きのめし、無関係な生徒まで被害に巻き込んだ事実は瞬く間に学園中を駆け巡った。

 

事実を目の当たりにした生徒自体が少数ではあるため、まだ炎上まではしてないものの、ボーデヴィッヒを敬遠する生徒は徐々に増えているみたいだ。

 

敬遠されるだけで済むならまだ優しい方だろう。それもボーデヴィッヒの実力と物を言わせぬ雰囲気がそうさせているだけで、仮に一般の生徒が同じことをしようものなら、学園中の生徒から追い詰められ、精神的にも肉体的にも潰される可能性だってある。

 

そこまでする生徒ばかりかと言われれば分からないが、一般的な考えで集団の中に周りを脅かすほどの癌があるのであれば、取り除こうとするのは当然。

 

セシリアや鈴が『何であいつと組んでいるんだ』的なことをかなりきつく言ってきたのは、自身が直接の被害者でもあるからだ。ボーデヴィッヒと組んで俺にとって何のメリットがあるのか。常識的に考えてあるわけがない。

 

残念ながら俺はあそこまでデレがないツンツンした女の子を対象として見れないし、罵られて喜ぶような性癖の持ち主ではない。

 

……はぁ、頭が狂ってるんじゃないかと思われたらそれはそれで嫌だな。元々この年で護衛の当主を務めている時点で、だいぶ常識離れしてるけど。

 

ま、今はそんなことどうでも良い。仕事としては当主を務めているとしても、表面上は一般人と何ら変わらないんだから。

 

 

「お待たせ。ちょっと時間が掛かっちゃって」

 

「いえ、全然。むしろこうして俺のワガママを聞いてくれたことに感謝します」

 

 

待つこと数分、ISを身に纏った楯無さんが現れた。

 

霧纏の淑女……呼び名をミステリアス・レイディ。ロシアの第三世代型ISで楯無さんの専用機になる。全身水色基調の彩りが楯無さんと被り、何とも言えない一体感を感じさせる。

 

一つ気になるとすれば、一夏の白式、セシリアのブルー・ティアーズなどと比べると装甲が少ない。防御に関してはどうなんだろう。見かけだけで判断するのは危険だし、戦いながら観察することにする。

 

最も、そんな暇を与えてくれるかどうかは全くの未知数だけど。

 

更識楯無、IS学園生徒会長。俺たち一年の前には一度も出て来たことがないため、知っている人物はかなり少ない。会ったことがある意味では俺の他にナギくらいか。もしかしたら他にもいるかも知れないが、知っている範囲ではそのくらいしか思い付かない。

 

生徒の頂点に立つ人物であるが故に、誰よりも賢く、強くなければならない。

 

学園最強……それが楯無さんの肩書きだ。本人がその呼ばれ方をどう思っているかは分からないが、生徒の中では全てにおいて一番の成績を誇る。

 

常識的に考えて挑もうとしてる相手との実力差がありすぎる。IS操縦において何枚も楯無さんの方が上手だし、IS戦闘の実戦経験も豊富だ。そこに精々数ヶ月ISを動かしただけの俺が挑んだところで、勝敗は見えている。

 

当然、最初から諦めるつもりもないし、やるからには勝つ気でいく。頭の中でイメージを浮かべて刀を展開後、右下に向かって振りおろす。その様子を楯無さんが少し驚いたように見つめていた。

 

「どうかしました?」

 

「大和くんって物覚えも良いわね。二、三年でも名前を言わないと武器展開出来ない生徒が多いのに」

 

 

ノーモーションでの武器展開に感心しながら賛辞を贈ってくれるものの、つい最近千冬さんには遅いからもっと早く展開出来るようにしろって言われたばかりなんだよな。言うことは厳しいけど、間違ってはいないからしっかりと改善できればと思っている。

 

 

「いや、この前これでも織斑先生にまだ遅いって言われたばかりなんですよね……」

 

「あー……でも織斑先生の言っていることを、最初から真似出来る人なんて殆ど居ないわよ?」

 

「いや、でも確かにその通りです。改善できる部分は改善していないと」

 

「上昇思考ねぇ」

 

 

苦笑いを浮かべながら淡々と話続ける楯無さんに、俺の気分も少しずつ高まってくる。端から見ればとても戦い前の二人には見えない。

 

それでもスイッチのオンオフくらいはすぐに出来る。何度も仕事をしていれば自ずと切り替えれるようになる。楯無さんもそれは同じだろう。

 

 

「ところで大和くん、昨日のこと覚えている?」

 

「はい。負けた方が勝った方の言うことを一つ聞く……でしたよね?」

 

 

 実は昨日、戦いを了承する以外にも約束をしていた。元々俺の個人的な理由だし、身勝手なことだとは思っていたため、何らかの条件を言われることくらいはあらかじめ想定していた。負けたとしても、楯無さんのことだし無茶苦茶なことは言わないと思うけど、何を言われるか分からないから若干怖い部分もある。

 

それでも命が刈り取られるわけではない分、全然気楽に挑める。

 

俺の返しにニヤリと笑みを浮かべる。そもそもどうして俺が楯無さんに勝負を挑んだのかといえば、本当に些細な理由の過ぎない。

 

……まぁ、我ながら子供っぽい理由だと思っている。

 

 

「かといって、そう簡単に負けようとは思わないですけど。やるからには倒すつもりでやるんで」

 

「言うわねー。大和くんIS戦闘で負けたことなさそうだし、一回負けてみるのもいいと思うな」

 

 

負けるつもりはないと言ったことに、少し挑発を込めた楯無さんの言葉が返ってくる。

 

ただその言葉に一つ誤りがある。

 

 

「いえ、一度だけ負けたことがありますよ」

 

「あれ、そうなの? 誰に?」

 

「織斑先生です」

 

「うーん……あの人は別次元だからカウントしなくていいんじゃない?」

 

 

俺は今まで何回かISを交えて戦ったことがあるが、負けたことがない訳じゃない。一回完膚なきまでに負けたことがある。俺が初めてISを動かしたのは入学前に行われる簡易的な適性検査の時だ。

 

生徒がどのくらいの実力を持っているのかを判断するために行われるもので、基本的には教師が全力で相手をすることはない。

 

なのに、俺の対戦した教師は千冬さん。手抜きなんかしてくれるはずもなく、ほぼ圧倒されて負けた。足掻くだけ足掻いて、 最終的には近接ブレードを一本破壊し、シールドエネルギーを削れるだけ削ったものの、千冬さんにとって大した痛手ではない。

 

『無茶無理無謀』の三大用語が当てはまりそうな試合展開だった。相手が千冬さんだから負けたといえば、言い訳になるかもしれないが、あいにく言い訳をするつもりはない。

 

単純な自分の実力不足だ。

 

楯無さんにも到底勝てるとは思わないけど、負けるつもりはない。矛盾しているかもしれないが、挑戦者なのに初めから負けますと断言するやつは居ない。

 

千冬さんの名前を出したことに、少し難しい顔を浮かべる楯無さんの心境は複雑そうに思えた。楯無さんの反応だけをみると、一度千冬さんに挑んで返り討ちにされたようにも見える。むしろ千冬さんに挑んで、勝てる人がいるのであれば俺が知りたいくらいだ。

 

もしかして取材なんかも来るんじゃないか? 元世界一を破った人類現れる! みたいな見出しが新聞に載りそうだ。

 

 

「ま、それでも負けは負けなので。相手を選んでたらそれこそ意味ないですから」

 

 

相手が強かったから……なんて言い訳をしたところで仕方ない。負けた理由はそれぞれあるが、基本負けた時の根本的な理由は相手との実力差があったからだ。

 

ほんのわずかな違いでも、結果としては大きく違ってくる。それこそ単純な実力差、戦った時の互いのコンディション、相手との相性。どこか一つが上回るだけで勝ててしまうことだってある。

 

勝負は紙一重。

 

俺がセシリアに勝てたのは一瞬の油断があったからで、油断をしなければ勝つのは難しかっただろう。自身の実力が優れていればもちろん一番良いが、たった一つの油断が勝負の行方を左右することもある。

 

 

「さ、やりましょう。折角ここのアリーナを貸しきってくれたんですから」

 

「そうね」

 

 

 互いに搭載されたスラスターを吹かしながら、上空へと飛んでいく。果たして今の俺がどこまでやれるのかは分からない。それでも入学してから培ったものをぶつける事くらいは出来る。自分の力が学園最強の楯無さんにどこまで通じるのか試してみたい。

 

俺も万能な人間ではない。はっきりと断言できる、IS戦闘になったらとてもじゃないけど全てを守りきることは俺には無理だ。少なくともISの実力だけで言うのであれば、セシリアや鈴、シャルルやボーデヴィッヒにも劣ると思っている。

 

俺が何とか出来るのは生身での戦いくらいで、IS戦闘……それも代表候補生クラスになったら、精々隙を見つけて活路を見いだせれば良いところ。

 

当然、隙を見せたら俺も容赦はしない。一気に詰め寄って叩き潰す。一度巡ってきたチャンスを逃したりはしない。

 

 

IS戦闘における守るための術が通じるのか、通じないのか。

 

あの馬鹿の目を覚まさせるには、同じ土俵に立つまでは行かなくても、有効打を与えられるくらいには強くならなければならない。

 

 

自然と体の力は抜けて、リラックス出来ている。いきなり体を動かしても、ある程度までは動いてくれる自信がある。あまり俺自身が緊張することがないのも事実だが、それ以上に戦うことに対する高揚感が尋常じゃない。

 

……こんなにバトルマニアみたいな発言をすることなんて、今まで無かったんだけどな。それだけ俺のISに対する認識も変わってるってことなんだろう。

 

ただ一つだけ言い切れるのは、ISは立派な兵器であるということ。人を守ることも出来れば、人を傷付けることも出来る。それどころか人を殺めることだって可能だ。一線は絶対に越えてはならない、そこに関しては弁えている。サイコパスだとか、人を傷付けることに快感を覚えることもない。

 

人の使い方一つでISが守るための兵器にもなれば、破壊するための兵器にもなる。

 

 

「楯無さん」

 

「何かしら?」

 

「……負けません」

 

「奇遇ね。私もよ」

 

 

刀を前に突き出し、楯無さんの顔めがけて矛先を合わせる。先ほどまでは見返りがどうだの言ってたが、いざ向かい合うとその雰囲気は一変。賭けのことなど全て忘れ、目の前の相手に勝つことだけしか考えられなくなる。

 

楯無さんとて俺に主導権を渡す気なんて更々ないだろう。

 

 

「じゃあ……」

 

 

楯無さん手に大型のランスを持つ。

 

武器名は『蒼流旋』

 

武器の形状から近接メインの武器かと思いきや、モニターに映し出されるデータには四連装のガトリングガンが内蔵されている。気にせずに接近戦へと持ち込んだら、たちまちガトリングの餌食になりそうだ。

 

霧纏の淑女とはよく言ったもの。どんな攻撃が来るのかも想像がつかない。

 

加えてこちらの武器は近接ブレード一本、貧弱すぎるにもほどがあるが、使う武器をいちいち考えなくても良いから割り切りやすい。相手に接近して振りおろす、なんて簡単な戦い方か。最も、その攻撃が楯無さんに届くかどうかと言われれば怪しいところ。

 

まぁ今そんなことを気にしたところで。

 

 

「始めましょうか!」

 

 

勝てる確率が上がるわけではない。楯無さんの一声で戦いの火蓋が切って下ろされる。近接戦に備えて素早く後ろに下がると、ランスに備え付けられているガトリングを撃ってきた。

 

 

「……っ!」

 

 

スコープを覗いているわけではないのに、どうしてここまで正確な射撃が出来るのか。打ち出された弾丸は寸分の狂いもなく俺に向かってくる。スラスターを吹かしながら小刻みに避けるも、一歩反応が遅れたらまずかった。

 

少しばかり肝っ玉が冷えたところで仕切り直しだ。再度刀を剣道のように前へと突き出して攻撃機会を伺う。あまり悠長なことも言ってられないので、少し経っても楯無さんが動かないようならこちらから動いていくことにする。

 

 

「はぁっ!」

 

「おっと! 危ない危ない」

 

 

一気に間合いを詰め、近接ブレードを縦に振りおろす。太刀筋を少し斜めにしたから中途半端な回避ではかわせないものの、まるで攻撃が来るのが分かっていたかのように、余裕をもってかわされる。言葉とは裏腹に焦っている様子は微塵も見られない。それほどに戦うことに関して余裕があるんだろう。

 

下手に間合いを詰めても逆に俺が楯無さんの術中にはまるだけだし、一旦距離を取る。

 

 

「甘いわよ!」

 

「くっ……展開が早い!」

 

 

……が、簡単に距離を取らせてくれるはずがない。楯無さんとしてもワザワザ近付いてきた相手を逃す訳もなく、今度はいつの間にか取り出していた剣を横に凪ぎ払う。それを間一髪、ギリギリの距離でかわし、距離を取るべく空中を旋回するも、楯無さんもそれに合わせて後を追ってくる。

 

あくまで近付きすぎず、遠すぎず。微妙な距離感を保ちながら後を追われる俺としては怖いものがある。回避と防御を並行して行うのは難しい。そこが楯無さんにとっては大きな狙いだった。

 

それにプラスして、武器の展開が尋常じゃないレベルで早い。マジックのようにポンポンと切り替えてくるから、どう対応していいのか判断がつかない。

 

そもそもどれだけの武装があるのかも分からないし、攻撃手段が幾つあるのかも分からない。ほぼ相手のデータがない状態で飛び込むのはあまりにも危険すぎる。

 

楯無さんのことだ、奥の手は最後に残しているとも考えられる。

 

 

「接近戦に自信があるみたいだけど、そう簡単に大和くんのペースにさせないからね?」

 

「そんなことは百も承知です!」

 

 

近付こうにも何をして来るか分からない恐怖感から近付くことが出来ない。展開する武器から大まかな使用用途、遠近のタイプは予測できてもどのタイミングで繰り出してくるのかまでは見切るのは難しい。

 

それこそIS戦闘において常識は存在しない。それこそ近接用のブレードをブーメランのように投げ飛ばすこともあるくらいだ。負けはしたものの、セシリアもボーデヴィッヒに至近距離からミサイルを打ち込んでいる。このケースはこのようにするといったパターンは一切ない。

 

マニュアル通りの動きで勝てるのなら、誰もが基礎だけを固めていくだろう。もちろん土台を作る意味で基礎は大切だが、結局は実戦経験を積まなければいつまで経っても強い相手には勝てない。

 

俺が一夏よりアドバンテージがあるのは身体能力と、数々の任務で学んだ身のこなしや立ち回りくらいだ。操縦技術に関しては俺より一夏の方が高い。

 

一夏に勝てたのは、経験によるところが大きい。そんな経験も代表候補生……否、国家代表を相手にしたら全くの無意味になる。

 

 

「ちぃっ……データが少なすぎる。無理して突っ込んだところで意味ないし、どうするか……」

 

 

余裕ある笑みを浮かべながらこちらを見つめる楯無さんの様子に、思わず舌打ちが出る。楯無さんにとって俺の操縦は脅威に思われていない現状で、なおかつ懐にも飛び込むことが出来ない。飛び込んだところで反応されたら、好機が一転ピンチになる。

 

そもそもデータに頼らざるを得ないところが俺がまだ未熟な証拠。これをもし千冬さんが聞いたら、間違いなく戦いながら慣れろって言うだろう。事前にデータ収集をしたところで、得られるものは多くない。そんな無駄なことに時間を費やすくらいなら、自分の技能を高めようと努力した方がいい。

 

つまるところ戦いながら楯無さんの出方を見て、そこから対処していくしかない。

 

元々仕事だってデータが充実している訳じゃないし、慣れているといえば慣れている。

 

さて、現状あるデータとツールを使って、どう楯無さんに挑んでいくか。もう楯無さんに打鉄のデータはとっくにインプットされているだろうし、それこそ不意をつくくらいしか方法がないかもしれない。

 

 

「……ウダウダ考えたところで仕方ないってか」

 

 

結局はそこに行き着く。言い訳なら負けた後で考えればいい。とにかく行動しよう、命を落とす訳じゃないし、何とでもなる。

 

 

「……来ないの?」

 

 

どちらも動かないまま、静寂に包まれるアリーナ。貸しきり状態だから、訓練をしている生徒はおろか、見物している生徒もいない。回避行動をとった後、動かずにいる俺にしびれを切らしたのか楯無さんがプライベート・チャネル越しに声を掛けてくる。

 

 

「いえ、そういう訳じゃないです。ただ少し行動が消極的だったと思って」

 

「?」

 

「ウダウダと戦術を組み立てるなんて、俺の性分に合わないですから。どっちかって言うと本能で行動するタイプですし」

 

「……私もそう思うわ。考えるよりも行動して、そこから活路を見出だす。それが大和くんのスタイルだって」

 

「はい。なのでもう変に考えるのは止めるます。今俺にとって重要なのは、この勝負に勝つことじゃなく……」

 

 

俺の歯切れを悪くした言葉にどこか感じる部分があるんだろう。こちらを見つめたまま、ランスを前に突き出して俺の方へと向ける。ここで詰めてこないで待ってくれるのは楯無さんなりの優しさなんだろう。ここで詰められたら俺はとっくにやられている。

 

「俺の力がどこまで通用するかを知るためですか……ら!」

 

「っ! さっきより早い!」

 

 

言葉をいい終えると同時に、一気に楯無さんへと詰めよりブレードを振り下ろす。まさか楯無さんもデータのない相手に無謀にも飛び込んでくることまでは予測できなかったらしく、剣を装備したまま半身にして斬撃をかわす。下手に受け止めたり、大袈裟に避ければ俺がその隙を見逃すはずがないと思ったんだろう。

 

精錬された無駄のない動きで素早くかわし、即座に次の行動へと移る。

 

剣を縦横と上手く凪ぎ払いながら、至近距離まで近付かせまいと楯無さんも応戦してくる。正直な話、剣術といったところに関しては例外はあるとして負けない自信がある。だからこそ懐に飛び込んだ時においては絶対に負けない。

 

なのに今はどうだ、懐に飛び込んで負けることもなければ、勝つことも出来ない。楯無さんに押されているわけでもないのに、自分のペースに持ち込むことが出来ずに狂わされるばかり。

 

ようは俺が楯無さんに飲まれている。主導権を取り返そうにも、のらりくらりと攻撃をいなし続けられるといつまで経っても取り返すことが出来ないまま、同じことを繰り返すだけ。

 

人にはそれぞれ得意分野がある。IS戦闘において優位にたつには自分の得意分野で如何に攻めていけるか、また負けないためには相手の得意分野でペースを握られないようにすること、これが最も重要になってくる。

 

隙を作らないようになるべく小刻みに刀を振るうも、剣で上手くいなされてコンボへ繋げることが出来ないまま数分が経つ。これだけやっていればどこかで集中力が切れそうものなのに、一向に集中力を切らす気配がない。

 

 

縦横斜め、突きと攻撃を繰り出すも怯ませる決め手にはならず。一夏やセシリアに勝った時のようなペースに持ち込めないでいる。それは楯無さんも同じで、向こうから攻めてくる気配はない。

俺の攻撃をかわし、いなしながら懐に飛び込ませないように牽制しつつ、一足一刀の間合いにならないように絶妙な距離感を保っている。

 

 

「はぁっ! せいっ!」

 

「ふっ! はっ!」

 

 

俺にとって攻撃手段は近付いて斬りつけるだけ。分かりやすい、シンプルな攻撃方法だ。それでもそれが通用しないのであれば、攻撃手段が残されてないのも同然。

 

 

「ほらほら、いつまでも同じ動きじゃ仕留めれないわよ?」

 

「分かってます!」

 

 

決定打がない。ならそのチャンスを作り出すのは他でもない自分自身。少なくともこのまま同じことを続けていても、状況は変わらない。

 

それなら、一か八か試してみる意味はある。

 

 

「っ!」

 

 

攻撃を加えて牽制した後、今度は楯無さんから距離を置くように離れていく。目の前を横に凪ぎ払った剣が通り過ぎるが、間一髪これをかわし、徐々に距離を離していく。

 

ハイパーセンサー越しに楯無さんの表情が映る。俺の行動がさぞかし意外だったらしく、その表情が驚きに染まっていた。今までなら一度詰めた間合いを死んでも離れるものかと、離れることは無かった戦い方から一転、近接攻撃が一切当たらない距離まで離れたのだから。

 

近接武器の攻撃範囲から離れれば、楯無さんも攻撃方法に中遠距離型の武器を選ばざるを得なくなる。予想通り剣を収納した後、ランスを取りだして内蔵されているガトリングを撃ってくる。

 

近距離だと避け辛いが、ある程度距離があれば避けやすくなる。左右に機体を移動させながら迫り来る弾丸を避けていく。とはいってもいつまでもここに立ち止まって避け続けるわけにもいかない。

 

近接武器しかない俺にとって遠距離における攻撃方法は皆無、近付くしか方法がない。それでも立ち回り次第では楯無さんを追い詰めることも出来るはず、こちらの作戦がバレてないことを祈るだけだ。

 

 

「何か策があるのかしら?」

「さぁ、どうでしょう? 俺も大概な行き当たりばったり人間なので」

 

 

本能の赴くままに動き、行動する。丸っきり考えて無いわけではないが、行動しながら物事を考えることが多い。

 

とりあえず楯無さんとの距離は取った、後はここからどうやって目的の場所まで追い詰めるかだ。

 

 

「じゃあ、行きます!」

 

 

スラスターを最大出力にして一気に楯無さんとの間合いを詰めていく。接近させまいと内蔵のガトリングガンを撃ってくるが、それを左右に機体を移動させながら避けるのではなく、本当にまっすぐに楯無さんへと近づき、同時に迫り来る弾丸を刀を使って弾く。

 

一つ目、二つ目と刀を上手く返しながら複数の弾丸を弾いていく行動に、流石の楯無さんも驚いたようだ。

 

いくらハイパーセンサーの視覚補助があるとはいえ、迫り来る弾丸をかわすのにはある程度の反射神経が必要になる。つまり目で弾筋を見切ったとしても、体が動かなければどうしようもない。

 

それでも"一発の弾丸くらい"であればハイパーセンサーの視覚補助が無くても、相手の銃を構える動き、トリガーを引く瞬間に銃口と手の動きに集中していればかわすことが出来る。

 

スピードに乗りながら接近するとまず縦から下へと刀を振り下ろす。楯無さんはそれを少しだけ右に移動して避けた。

 

 

「はあっ!」

 

「きゃあ!?」

 

 

 振り下ろした反動で左足を後ろへと引き、反転しながら回し蹴りを無防備な腹部へと叩き込む。ダメージとしてはさほど無いだろうが、相手を少しでも怯ませれば十分だ。そして刀を横に凪ぎ払うここで決めきれなくても、ダメージを与えられればそれでいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

……なんて、短絡的な思考をしている時点で気付いていなかった。

 

俺は既に楯無さんの術中にハマっていることを。

 

 

「手応えが……ない?」

 

 

不意に感じた違和感だった。刀を横に凪ぎ払った際に、確実に当てたはずの一撃に衝撃が無かった。無いというのは言い過ぎかもしれないが、手に残るはずの感触が小さい。

 

確実に一撃をいれたはずなのに、相手に当たった手応えがまるでない。そんな馬鹿なと思いつつも、紛れもなく堅い物に当たったほどの感触がなかった。例えるなら柔らかい蒟蒻を剣で切った感じだ。

 

それでも目の前に専用機を纏った楯無さんがいるのは事実、実際に楯無さんが……。

 

 

 

 

いない。

 

 

 

 

 

楯無さんだったものはグニャリと姿を変形させるとよく見慣れた液体へと変化し、地面へと垂れていく。

 

液体の正体は水、俺が攻撃をしたのは水が作り出した楯無さんの分身だったらしい。

 

 

「……分身?」

 

 

いつ本体と入れ替わったのか分からない上に、楯無さんの姿まで見失ってしまった。

 

 

「―――ねぇ、何だか暑くない?」

 

「暑い……?」

 

 

どこからか楯無さんの言葉が聞こえる。質問の意味が分からずにただ楯無さんの質問の意味を考える。

 

暑いと言われれば暑くないわけがない。これだけ体を動かしているのだから、体中から汗が吹き出てくる。暑い条件なんて誰もが一緒、何を今さらと思いつつもふと別の疑問に気づく。

 

どうしてこのタイミングでこのような質問を投げ掛けてきたのかと。

 

 

……いや、待て。冷静に考えてみると、汗をかいているにしては確かに暑すぎる。ただ暑いって言うよりかは、湿度が高い部屋にでも閉じ込められたような。

 

 

「!? しまっ……!」

 

 

言われたことの意味をようやく理解した時には既に遅く、崩れかけの分身体もろとも爆発に巻き込まれた。



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進展する関係

 

 

 

「私の勝ちね、大和くん」

 

「……」

 

 

地面に倒れ込み、動くことが出来ないまま空を見上げる。視線の先には上下が反転した楯無さんが、笑みを浮かべながら俺の顔を覗き込んでいた。反転しているのは俺の頭側から覗き混んでいるからだ。

 

どうしてこんな状況になっているのか、すぐに察しはつくだろう。さっきの模擬戦で俺は負けた。

 

それも完膚なきまでに。俺の考えた作戦など楯無さんにとっては読むに容易いものだったんだろう、実行する前に叩き潰された。

 

想定していた現実とはいえ、あまりにも一方的すぎる負け方にショックを隠しきれない。いくら前向きとはいえ、ここまで実力差がはっきりと出てしまえば何も言い返すことが出来なくなる。

 

 

いくら機体の特性を読み取れなかったとはいえ、それは完全なる言い訳に過ぎない。俺と楯無さんの間にある実力差が何よりの敗因だ。

 

近接戦闘に持ち込めばこちらにも可能性がある、その近接戦闘にも持ち込めず、相手の特性も把握することが出来ずに無様に負けた事実だけは変わらない。

 

何も出来なかった、それだけがただひたすらに悔しい。千冬さんとはタイプが同じで、相性が良かったからこそ善戦できたのかもしれない。

 

だが、現実はこれだ。まともにシールドエネルギーを削ることも出来ず、相手にこれといったインパクトを与えることも出来ずに負けた。

 

 

それでも泣きたくても泣けないほどに悔しいのに、何故か悪い気はしなかった。気分も落ち着き、ようやく体を動かす気になって、ゆっくりと上体だけを腹筋の要領で起こす。

 

 

「楯無さん」

 

「ん、何かしら?」

 

「付き合ってくれてありがとうございます。おかげで俺が今どの位置にいるのか、自分がどれだけ弱いのかが実感出来ました」

 

 

口から出てくるのは感謝の言葉。悔しいことには変わりないが、俺のワガママのためだけに場所と時間、そして訓練機まで確保してくれたことに感謝しなければならない。

 

その場で出来るだけ深く頭を下げる。

 

身近な人間に敗北することを知れただけでも俺にとっては大きなプラスだ。相手は国家代表の楯無さん、元々分が悪かったとはいえ、これだけコテンパンに負けると返って清々しい気持ちになれた。

 

自分のISの実力ではまだ到底、誰かを守ることなんて出来やしない。だからこそ、もっと強くなりたい。少なくとも、一人の大切な人間を守るくらいの力が欲しい。

 

 

「お礼なんていらないわ……さて、大和くん。私が最初に言ったことを覚えているかしら?」

 

「負けた方が勝った方の言うことを一つ聞く、ですよね。もちろん覚えてますよ。そこはもう楯無さんに任せます、好きにしてください」

 

 

話は変わり、模擬戦の前に二人で決めた取り決めについて再度確認する。

 

敗者に口無し。負けた俺に言い返せることなんて一つもない。その場に座りながら、楯無さんが口を開くのを待つ。顎に手を当ててしばらくの間考え込んでいる。

 

……全然話は変わるが、楯無さんのISスーツ姿も目のやり場に困る。あまり直視しすぎると色々な意味でやばい。全体のボディラインもそうだが、発育のいい双丘や下半身とか色々とそそられるものがある。

 

視線を少しだけ外してはいるものの、完全に外してしまうと返って怪しまれるため、どう頑張っても視界の中に入ってきてしまう。こればかりは仕方ないし、女性だからと言えばそれまで。

 

発育の差に違いはあれど、ISスーツ姿の女性は正直破壊力が高すぎる。

 

 

「潔いわね。まぁ元々これに関しては決めてたことなんだけど……その前にまずは少し別の話をしましょう。大和くん、今の私と大和くんの関係ってどんな関係になっていると思う?」

 

 

また返答に困るような質問だ。

 

関係ね。通常通りの返答なら同じ学園の先輩後輩だって答えるんだけど、望んでいるものはどうもその返答では無さそうだし、どうしたものか。とりあえず無難なところから攻めてみよう、下手なこと言うとそれはそれで怖い。

 

 

「どんな関係って言われても先輩後輩としか答えられない気が……」

 

「あぁ、違う違う。私と大和くんの立場を踏まえてってこと」

 

 

案の定、楯無さんの希望する答えじゃ無いらしく、ノーの解答が返ってくる。立場を踏まえてと言われたら、もはや返す解答は一つしかない。

 

 

「当主同士で、かつ協定を結んだ間柄……ってことですか?」

 

「ほぼ正解ね。物わかりが良くておねーさん助かるわ」

 

 

冷静に考えればそこに結び付く。敢えて触れはしなかったものの、立場は違えど同じ一家の当主を務めており、互いの利害が一致したことにより協定を結んだ状態にある。

 

あくまで仕事としての関係で、普段は特に気にせずに接してはいるものの、ここでその話を持ち出すのだから、楯無さんの欲求にそれが絡んでいるのかもしれない。

 

まさか霧夜家の当主をやめて更識家に入れなんて言わないよな。言うことは何でも聞くとは言ったけど、常識を逸している物までは想定していない。そう考えると改めてとんでもない条件で勝負をしたのだと、認識させられる。

 

結論を言うなら、仮に楯無さんが先の要求をしたところで、俺に拒否する権限は一切ない。

 

 

「ようは、私と大和くんの立場がほぼ同じにあるのは分かるわよね?」

 

「はい。……はい?」

 

 

一旦納得したところで、再度思わず聞き返す。協定を結んでいる状態……ようはあくまで同じ立場として互いをサポートし合いましょうというのは分かる。そもそも協定を組んだ理由が、霧夜家の弱点である情報網を、更識家の弱点である人材不足を補うためだからだ。

 

ただしあくまでそれは協力関係と言われれば分かるが、立場が同じ状態かと言われると疑問を抱かざるを得ない。認識の違いだろうが、俺としては別に楯無さんよりも上の立場にいるとは思わないし、逆に下の立場だと思っている。

 

むしろうちの弱点を補って貰っているのだから。

 

……あれ、言ってることが矛盾してるな。更識家の人手不足な面を俺が補っているって考えると、持ちつ持たれつの関係といえば立場的には同じかもしれない。

 

 

「つまりね。同じ立場にいるってことは、年齢差とか先輩後輩なんて関係ないの」

 

「……へ?」

 

 

何か話が拗れてきたぞ、楯無さんは一体何が言いたいんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからこれは命令です。これからは私のことを"呼び捨て"で呼ぶこと。いい? もしさん付けしたり敬語で話し掛けてきたら返事もしないから」

 

「は……はぁ!?」

 

 

予想より遥か上をいく楯無さんの返答に、普段出さないような大声を出して場に立ち上がる。楯無さんの要求っていうのは、自分のことを敬語で呼ぶなってことだよな。

 

いきなり無理難題をぶつけてきてくれる。今の今まで敬語で話していた相手に対して、どうタメ口で話しかけろと言うのか。

 

 

「いや、あの……」

 

「あっ、これ決定事項だからね? 負けた方は勝った方の言うことを一つ聞くって念を押したんだから♪」

 

「ぐぐっ……」

 

 

私の言うことは黙って聞きなさいと楽しそうに満面の笑みで伝えてくる異様な雰囲気と、正論過ぎる意見にぐぅの音も出なくなる。負けた方が勝った方の言うことを一つ聞くと、先に約束していたのだから俺が拒否することは出来ない。ニヤニヤとしてやったり感満載の表情がたまらなく眩しい。

 

とはいっても、いきなり呼び捨てで呼べと言われてもやり辛いものがある。

 

いくら言い訳したところで、口を利いてくれないのはマズイ。仕事上、年上にもタメ口で話すことは多々あるけど、学校の先輩後輩の関係でタメ口を使うのは初めてだ。

 

割り切って慣れていくしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ、分かったよ。これからこの口調で良いんだよな、"楯無"」

 

「っ! い、良いんじゃないかしら?」

 

 

試しに呼び捨てで呼んでみると、顔を少し紅潮させながら俺から視線を外す。もしかしてだけと呼び捨てで呼ばれることに慣れていないのか。口では余裕でもいざ行動に移されると弱い、ようは人をからかうのは好きでも自分がからかわれるのは弱いタイプ。

 

それも異性からであれば、なおのこと意識するだろう。仮に俺が同じ性格だったら絶対に意識する。今までさん付け、君付けで呼ばれていたのに、ある時急に呼び捨てになれば意識しない方がおかしい。

 

 

「……もしかして照れてる?」

 

半分図星だと分かりつつも、あえて突っ込んで反応を見てみる。

 

 

「そ、そんなことないわよ! ただその……そう! 太陽の光が暑くて……」

 

 

返ってきたのはいつものような余裕綽々の切り返しではなく、その場を何事もなくやり過ごそうと苦し紛れについた言い訳だった。確かに暑いっちゃ暑いけど、顔か真っ赤になるほどの炎天下にいるわけではない。

 

いつもとは違った女性らしい反応が、妙に可愛らしく思えてくる。元々綺麗な人だとは思っていたけど、今の楯無さん……楯無は綺麗というよりかは可愛らしく見えた。

 

言っていることが苦し紛れに思い付いた言い訳なのはすぐに分かったため、あえて楯無の顔を無言のままじっと見つめ返す。

 

「……」

 

「……うぅ」

 

「何で言った本人が恥ずかしがるんだよ。呼び捨てじゃなきゃ返事しないって言ったのはそっちだろ?」

 

「だ、だって……」

 

 

仕方ないじゃないと抗議の視線を送ってくるものの、照れた顔で凄まれても俺としては怖くもなんともない。反応を見る限り、ある程度親しい間柄の異性に呼び捨てで呼ばれたことが無いんだろう。

 

今まで完全に楯無のペースだったけど、俺がペースを握るのも悪くないかもしれない。ただISスーツ姿でもじもじと照れられると、俺も直視出来ないっていうのが辛い。

 

女性の体に飽きたら終わりなんてよく言われるけど、毎日別の女性の際どい姿を見ているこっちのメンタルはボロボロだ。

 

ところで何で急にまた呼び捨てで呼ばせようなんて思ったのか、そこが疑問として残る。思い切って理由を聞いてみようかどうか考え込むも、気になる疑問は早々に解消しておきたいから念のために聞いておく。

 

 

「で、また何で急に呼び捨てにしようと思ったんだ?」

 

「それはさっき言った通り……」

 

「いや、理由のこじつけにしては流石に無理があるって。立場が同じでも呼び捨てにさせる理由にはならないし」

 

「……」

 

 

知られたくない、話したくないのならそれでもいい。単純に俺が気になるだけで、楯無が話したくなければ理由を話さなかったとしても咎めることはしない。

 

 

「……隔たりがある感じがして嫌だったのよ。何か置いてきぼりを食らっているみたいで」

 

「え?」

 

「こう見えても、年が近い男の子と話すことなんてほとんど無かったから……少しでも大和とも仲良くなりたいって思って……」

 

「?」

 

 

ポツポツと話し始めるが、最後の方は完全に聞こえず、更に疑問が深まるばかり。一つだけ分かるのは深く詮索しない方が身のためだということ。

 

楯無が言うことを総括すると、さん付けで呼ばれることにどこか隔たりを感じていた。俺としては全くその気はないが、本人の気持ちまで汲み取れる訳ではない。

 

何故隔たりがあると感じてしまったかまでは俺にも分からないし、変に聞くべきものではないと思った。

 

ただそれ以上に……。

 

 

「も、もういいでしょ?」

 

「あぁ。焦る顔を見ることが出来たから十分だ」

 

「―――っ! バカっ!」

 

 

少しからかいすぎたせいか、プイと顔を横に逸らしてしまう。如実な変化に口元が思わずにやける。楯無の焦る姿をまじまじと見るのは初めてだから。どちらかといえばいつもの会話の主導権を握るのは楯無で、俺がメインで話を進めることはない。

 

だからこそたまに立場が逆転して、いつもとは違う一面を見れたのは貴重だろう。多分、楯無の中では俺が中々呼び捨てに出来ずに悶々とする姿をからかうのを想像していたに違いない。

 

……そういえば、確か楯無って本名じゃないんだよな。更識家の当主に就いた人物が楯無を襲名するみたいだし。毎回本名じゃない名前を呼んでいることを考えると、違和感しか感じれなくなる。

 

それでもこの学園では楯無の名を使っているわけだし、本名を進んで聞くのは失礼かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「とりあえず、これで俺は楯無の言うことを聞いたってことでいいか?」

 

「えぇ……何か疲れちゃった」

 

「疲れたも何も、自分が言ったことじゃ……」

 

 

 

 

 突っ込みを入れたところで、何気なく振り返ると額に手を当てて、フラフラと歩く楯無の姿が目に入った。千鳥足までは行かなくても、見るからに歩きずらそうにしている。怪我をしているわけではなく、明らかに体調の良し悪しに変化が現れたのを物語っていた。

 

すぐに楯無の元へと駆け寄り、身の安否を確認する。

 

 

「おい、本当に大丈夫か? 体調が悪いなら先にいってくれれば……」

 

「違うの。朝から体が重いとは思っていたけど、何か急に……」

 

 

 

普段の仕事で無意識の内に体に疲れがたまっているのだろう。

 

IS学園の生徒としてはもちろん、生徒会長としての仕事、そして更識家当主としての仕事。俺が思う以上に楯無にかかる負担は計り知れない。今まで一日ゆっくりと休める日が何日あったのか。

 

普通の家庭ならどこにでもいる女子高生のような、普通の学園生活を送ることも出来たはず。それでもこの年で一家の当主を務め、周囲を取り仕切っている。周りが素直に言うことを聞くばかりの人間だけではなく、衝突だってあるはずだ。

 

周囲には決してさらけ出すことが無い彼女だけの、楯無だけの秘密。更識家の枷をとれば、楯無だって普通の女の子と何ら変わらない。

 

 

「ここからなら保健室の方が近いか……」

 

 

このまま学生寮に戻るよりかは、そのまま保健室に直行した方が近い。下手に寮まで連れて帰って体調を崩すよりかは、一旦保健室で休んだ方が良いだろう。幸いまだ遅い時間じゃないし、千冬さんにでも一本連絡を入れておけば最悪夜遅くになったとしても、特に何かを言われることはないはず。

 

俺に関しては保証出来ないけど、そこはもう致し方がない。この状態を放っていくことを考えたら、断然前者を選択する。

 

 

「……悪い。俺が無理に付き合わせなければ」

 

「ううん、大和のせいじゃない。私の体だもの、私が歯止めをかけなきゃいけなかっただけ」

 

 

互いに謝罪の言葉を述べるも、今はいちいち気にしている余裕はない。ここで反省するより楯無を運ぶ方が先決。とはいえ体に出た普段の疲れは想像以上に大きいもので、歩くのも辛そうだ。正直、この状態で歩いて向かわせるのは痛々しくて見てられない。

 

 

「保健室まで歩くのは……難しいよな。……先に言っておく、嫌だったら後で殴っても構わない」

 

「え……」

 

 

意を決して楯無の側に歩みより、体を屈めて肩と足に手を掛ける。そして足を払うように楯無の体を浮かせると、両手でしっかりと全体重を支える。重みと言うほど重みは感じず、むしろ毎日食事をとっているのだろうかと思うほどに軽い。

 

楯無のことだ、このままでは世間体を気にして、無理矢理にでも笑顔を作ったまま何事もなかったように寮へと戻るだろう。

 

突如俺にされたお姫様だっこに、何度もまばたきをらながら、目を見開いて俺の方を見つめてくる。自分が何をされているのか、未だに把握できて居ないらしい。

 

キョトンとしたまま数秒、事態を把握した楯無の顔がみるみる内に赤く染まっていく。

 

 

「や、大和!? な、ななな何してるの!?」

 

「こうでもしなきゃ、危なっかしくて見てられないって。保健室までこのまま運ぶから大人しくしていてくれよ?」

 

「だ、だからってこんな格好……誰かに見られたら恥ずかしいじゃない!」

 

「なるべく人目につかないルートを通る。放課後だし、あまり人も多くないから見付からないようにやり過ごすのは可能だ。……さっきも言ったようにもしも嫌だったら運び終わった後に思いっきり殴って貰って良い」

 

 

もしこれが本気で嫌がっていたら抱き抱えようとした段階でぶん殴られている。とにかく殴られることを承知で俺は抱えているわけだし、運び終えた後であればいくら殴ってくれてもいい。

 

半分無理矢理抱き抱えているわけだし、人の感じ方によってはセクハラで十分訴えることが出来る。そうなればいくら男性操縦者とはいえ、下手すれば監獄行き。一生出られない可能性もある。

 

ただ、今はうだうだやっている時間がないのも事実。あまり衝撃を与えないように、早歩きでアリーナの出口へと向かう。

 

 

「……で、でも」

 

「あーもう! 大丈夫だって! お前だって一人の人間なんだから体調崩すことだってあるだろ! それは決して負い目に思うようなことじゃないし、ましてや悪いことでもない!」

 

 

俺にまで迷惑をかけていることを負い目を感じ、更に何かを言おうとする楯無を強引に黙らせる。むしろ俺の方こそ体調が悪いところを無理させたのに、何で楯無が謝る必要があるのか。本来なら無理をさせた俺が楯無に謝らないといけない立場なのに。

 

人を頼ることはほとんど無く、大体の問題を一人で解決してきた楯無にとって、人を頼ることは大きな抵抗があるんだろう。それでも人を頼ることは悪いことじゃない、むしろここは人を頼らないといけない部分だ。

 

罪悪感に包まれた表情を浮かべる楯無を納得させるために俺は一言伝える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからさ―――頼れる時くらい、人を頼れって」

 

「……はい」

 

 

ようやく大人しくなり、腕を俺の首に巻き付けてくる。

さっさと運ぶとしよう、俺もあまりこの体勢で楯無を抱えているのは理性的に危ない。

 

足早にアリーナを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日頃の疲れだって。今日はゆっくりと休んだ方がいい」

 

「……うん」

 

 

ベッドに楯無を寝かせたまま、すぐ近くにある椅子に腰掛けて腕を組ながら楯無の顔を見つめる。布団を深々と被り、顔だけをこちらに見せながら申し訳なさそうに見つめてくる。熱自体はそこまで高くないし、一日休めば元通りになるだろうとのこと。

 

少し落ち着くまで保健室で休んだら帰っても良いと言われたため、症状的には軽いものらしい。

 

俺と楯無を残し、保険医はさっさと帰ってしまった。いつも思うけど、あの人も大概適当なんだよな。処置とか診断は的確なんだけど、生徒が来ても姿をくらませていることが多いみたいだし、今日みたいに居たとしてもすぐにどこかに消えてしまう。

 

職務放棄も良いところだが、逆に堅苦しくなくてフランクなところが生徒たちには人気らしい。

 

現在保健室内にいるのは俺と楯無の二人だけ。視線の先に見える窓からはオレンジ掛かった夕日が差し込み、保健室を照らす。二人きりで保健室にいるのも、どこか変な感じがする。更に話す話題が見当たらないせいで沈黙しかない。状況を打開できるほどのトーク力があれば一番良いけど、生憎話す内容も無いし、会話が行き詰まっている。

 

ただ楯無の体調を踏まえても、下手に話しかけるよりかは黙っていた方が気分は楽かもしれない。

 

背もたれに全体重を預けながら、外の方を見つめる。そういえば更衣室に荷物を全部置いてきたけどどうしようか。流石にそのまま置きっぱなしは不味いし、課題や予習が何も出来なくなる。

 

もし知り合いの誰かがアリーナで練習をしていのなら回収してもらえるように頼むものの、タイミングが悪いことに先日の一件のせいでアリーナで練習をする生徒が激減。今日一つのアリーナを貸しきり状態に出来たのもそのためだ。

 

本来なら貸し切ることは出来ない。一夏も今日はアリーナで練習をしないみたいなことを言ってたから、回収できる人間が俺以外誰一人いない。

 

最悪、事が落ち着いてから取りに行けば良い。

 

 

「……ちょっと飲み物買ってくる」

 

 

流石に黙りのままでは何も変わらないし、一旦間を挟む意味でも飲み物を買いに行こうと立ち上がる。

 

が。

 

 

「……え?」

 

「……かないで」

 

 

歩き出そうとした瞬間、俺の左手が強く握られる。この保健室で俺の手を握れるのはただ一人しかいない。手を握った人物が誰か分かるも、振り向くことが出来ずにその場で立ち尽くす。すると、聞こえるか聞こえないかのギリギリのか細い声で何かを呟く。

 

よく聞こえない。

 

何かを言ったのは事実でも、根本的な内容までは俺の耳までは届かなかった。相変わらず、楯無は俺の手を握ったまま離そうとはしない。飲み物を買いに行くことも出来ずに、その場に立ち止まったまま再度後ろを振り向く。

 

 

「あの……楯無?」

 

「行かないで……ごめんなさい。もう少しだけここにいて」

 

 

か細い声なのは変わらないが、今度ははっきりと聞こえた。捨てられた子犬のように懇願してくる姿が、俺の体を硬直させる。一人にしないでと訴えかけるように呟く姿が、どこか儚く見えた。そこまで言われると俺も出ていけない、座っていた椅子へと座り直すも、未だ楯無は手を繋いだまま離そうとはしない。

 

孤独を感じたことはない……昨日確かに楯無はそう言った。でもそれは楯無なりの強がりだったのかもしれない。本当は誰かにすがりたかった、誰かを頼りたかった。

 

普段の楯無を知っている人間がここまで弱々しい姿を、誰が想像できるだろう。

 

 

「分かった。俺はここにいるからゆっくり休め」

 

「本当? どこかに行ったりしない?」

 

「あぁ、大丈夫」

 

 

初めて見る楯無の別の一面に戸惑いを隠せないながらも、冷静を装いながら伝える。

 

しばらくはここに居よう、少なくとも楯無が落ち着くまでは。

 

 

「……ありがとう」

 

 

俺の言葉に安心したのか、感謝の言葉を述べた後に楯無は目を閉じる。それでも握った手を離すことはなかった。

 

 

「……」

 

「楯無?」

 

「……すぅ」

 

 

反応がないと思えば、可愛らしい寝息を立てて寝始めた。よほど疲れがたまっていたのだろう、見る誰もが驚くほどの寝付きのよさだ。どこか子供らしい仕草に思わずくすりと笑みが出てきてしまう。安心したかのように寝息を立てる姿を永久保存するために写真を撮りたくなる衝動をぐっと堪え、平常心を保つ。

 

さて、寝てくれたのは良いことだけど手を離してないから、俺が身動きを取れないんだなこれが。更に言うなら二人だけの保健室でもう片方が寝てしまえば、もう一人は取り残されることになる。つまり俺は今は話せる相手もいなければ、どこかに行くことも出来ない。

 

楯無が起きるまではずっとこのままということになる。

 

 

「……携帯電話くらい持ってくるべきだったな」

 

 

連絡手段がないから、誰かを呼ぶことが出来ない。総括すると、俺は完全に今ボッチの状態になっている。美少女に手を握られて嬉しくないわけがないが、話す相手が誰もいないのは時間潰しに骨がおれる。

 

 

「……」

 

「寝顔だけ見ると、本当にただの女の子にしか見えないよなぁ」

 

 

ここ最近、楯無がゆっくり休めることなんてほとんどなかっただろう。仕事の時ならまだしも、普段時であれば俺も比較的長い時間、睡眠は取っている。体に異変が現れるほどに疲れたことはない。

 

しかしまぁ、こうしているとあれだな。妹を看病する兄になった気分だ。年齢的には俺が下でも、シチュエーション的にはそう見えなくもない。

 

 

「……」

 

 

楯無が起きるまでの時間をどう潰そうか考えていたけど、どうやら楯無の寝顔を鑑賞するだけでも、ある程度の時間は潰せそうだ。



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楯無の想い

 

 

 

「……あ、あれ? 大和?」

 

「おう、起きたか。思ったよりも早かったな」

 

 

楯無が寝付いてから数時間、もう既に日もどっぷりと暮れて、保健室は真っ暗な漆黒の世界に包まれていた。せめてもの救いとばかりに月の光が差し込むも、精々人の顔が少し確認できる程度。暗いことに変わりはない。

 

時刻は既に夜七時を過ぎており、この時間にまでなると流石に校舎に人は残っていなかった。夕方に聞こえた人の声も、今は全くといって良いほど聞こえてこない。つまりこの学園に残っているのは俺と楯無のみ。

 

てっきり見回りの教師が来ると思っていたのに来ず、そのまま楯無が起きるまで待つことに。それでも楯無がゆっくりと休めた訳だし、結果的には良かった。

 

 

「な、何で大和がここに? 帰ってなかったの?」

 

「……自分の握っているもの見てみ?」

 

「え……あっ!」

 

 

どうやら先ほどの甘えは無意識にやっていたことらしい。現状を認識すると慌てて握っている手を離す。寝てから起きるまでの数時間、ずっと手を繋いでいたものだから、俺も動くに動けずに体勢的にかなり疲れるものがあった。ようやく片手が動かせるようになり、椅子から立ち上がってぐっと天井に向かって手を伸ばす。

 

手を握り続けていたことが恥ずかしかったのか、少しばかり頬を赤らめながら上目遣いで見つめてくる。いや、握ったのは俺からじゃないから俺のせいじゃないよなこれ?

 

何勝手に握ってんだとか言われたら俺マジで泣くよ?

 

 

「流石に手を握られたら帰れないしな。無理矢理にほどくのもあれだし」

 

「べ、別に手ぐらいほどいたって……」

 

「行かないでって言ったのは誰だよ?」

 

「……うぅ」

 

 

思い出して赤面する楯無が年上とは思えないレベルで可愛らしい。会話の主導権を握れるだけで、ここまで楯無が変わるのを見るとS心を燻られるものがある。いや、相手を痛め付けて快感を覚えるような性癖ではないけど。

 

 

「何か大和、急に意地悪になってない? 今までそんなこと言わなかったのに……」

 

「なってないよ。今まで敬語で話していたから違和感感じるかもしれないけど、むしろこっちが俺の地だし」

 

 

今の会話の立場的としては有利に立っていると思うけど、楯無に対して意地悪をしているとは思わない。多少からかいの意は込めているとしても、対応をがらりと変えたつもりはない。

 

まだ納得が行かないらしく、うーうーと唸りながら恨めしそうに俺の方を睨んでくるが全く怖くない。むしろここ最近で一番怖かったのは、無茶な約束を取り付けた時のナギだろう。

 

平静を装っていたけど、全く言い返すことが出来なかったし、言い返させなかった。あの時のオーラはどこか怒った時の千尋姉に通ずるものがあった。俺もまさかあそこまで怒られるとは思ってなかったし、何よりも怖い。滅茶苦茶怖い。

 

言い返したら一生口を聞いてくれないような気がした。

 

 

「ところで体調の方はどうだ? さっきより体が楽になっていれば良いけど……」

 

「えぇ、体調ならもう大丈夫。結構寝れたから、立ちくらみを起こすことは無いと思うわ」

 

「立ちくらみを起こすほど寝てなかったのか? 確かに忙しいのは分かるけど、体を壊したら元も子もないぞ?」

 

「それくらいは分かってるけど。私がサボる訳にも行かないし、片付けないといけない仕事が多いから……」

 

 

正直かなり難しいところだ。休んだら休んだだけ仕事が上積みになる状況らしい。仕方ないと楯無は言うものの、同じことを続けていたらまた体を壊すかもしれない。

 

何とか手助けが出来ないだろうか。仕事内容にもよるが、更識家の仕事に関しては俺は一切触れることが出来ない。理由は言わずもがな、俺は更識家の人間ではないから。

 

 

「……まぁ、ほどほどにしてくれよ。また倒れたなんて言ったら洒落にならないから」

 

 

俺から出来るのは注意喚起を促すことくらいだ。

 

 

「あら、心配してくれるの?」

 

「心配しない方がおかしいって」

 

「ふふっ♪ ありがと。さっきは迷惑かけちゃったわね」

 

 

ニコニコと感謝の言葉を返してくる楯無の表情に、疲れというものは見えない。保健室に連れてきた時と比べれば顔色は格段によくなり、いつもの生気が戻っている。口調も弱々しいものではなく、ハキハキと喋れるようになっているしあらかた回復したように見える。

 

楯無も元気になったところで、俺も動くことにする。今の俺の格好はISスーツだから、とりあえず着替えたい。寒さ的なものは感じないものの、それでもこのまま帰ることを想像するといろんな意味でゾッとする。

 

よく考えてみてほしい、女性しかいない学生寮にほぼ水着同然のISスーツを着た男が帰ったらどうなるか。

 

制服を含め、カバンも全て更衣室に置きっぱなしになっている。取りに行かないと何も出来ないし、まずは着替えも含めて持ち物を取りに行くことにしよう。

 

 

「更衣室に服置きっぱなしだから取りに行くか。流石にこの姿で帰る勇気は俺にはないし」

 

「そうね、それじゃあ出ましょうか。あっ、マスターキー持っているから、万が一鍵が掛かってても安心して」

 

「ん、了解」

 

 

どこから取り出したのか、一枚のカードキーを見せてくる。恐らくはカードキー式のロックが掛かっているところでは、このカードキー一つでいくらでも開けられるんだろう。もはや普通の教師に比べても権限を持っているんじゃないか、流石IS学園生徒会長。

 

楯無が立ち上がったところで、足早に保健室を出る。俺の後をついてくる足取りを見ても特に体調の悪さは見られない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アリーナの更衣室まで一直線へと向かう。足取りが大丈夫とはいえ、やはり階段に差し掛かると足を引っ掛けないか心配になる。段差に差し掛かる度にチラチラと楯無の方を振り向く俺がどう映っているのだろうか。

 

なるべく後ろのことを気に掛けながら歩を進めると、割と早く更衣室までつく。ただここは男性専用の更衣室になるため、女性用の更衣室はまた別に設置されている。

 

一旦楯無と別れた後に更衣室へと入り、そのまま使っているロッカーの扉を開く。中には着替えた時と全く同じ状況で、制服とカバンが置いてあった。

 

カバンを開き、中にはいっているものが無くなっていないかの確認だけ素早く済ませ、そのまま素早く制服へと着替え始める。

 

ISスーツを脱ぎ、下着、ワイシャツ、ズボンの順に着替えていく。そこまで急ぐ必要があるかと言われればないけど、モタモタ着替えるくらいならさっさと着替えて楯無を待った方がいい。

 

素早く着替えを済ませると、鏡を見ながら髪型を軽く確認し、制服のヨレを直す。異常がないことを確認すると、カバンを持って更衣室を出た。

 

 

「あら、大和。もう少しゆっくりでも良かったのに」

 

 

更衣室を出ると、既に着替えを終え、廊下の壁に凭れながら扇子を片手に佇む楯無の姿があった。

 

 

「え……早くないか?」

 

 

思っていたことが言葉に出てくる。これでもかなり早く着替えたというのに、それを上回る速度で楯無は着替え終えていた。着替えの早さなんて人それぞれだけど、着替えるまでに一分も掛かっていないことになる。女性の着替えは結構時間がかかるイメージがあったんだけど、実際は違うのか。

 

 

「そう? 後は帰るだけだし、着るものだけさっさと着ただけよ?」

 

「ふぅん。結構女性って着替えに時間かかるイメージがあったんだけどな」

 

「そんなことないわ。別に着けなきゃいけない訳じゃないから、外してたって別に良いわけだし」

 

「へぇ……ん?」

 

 

また流れで頷きそうになったけど、さらっととんでもないことを言ったような。着けなきゃいけない訳じゃない……ってまさか、まさかな。

 

 

「もしかして想像した?」

 

「お前なぁ、冗談でも言って良いことと悪いことが……」

 

「あら、本当に着けてないわよ? 下はあれだけど、上に関しては別に「言わせねぇよ!?」……あん、良いじゃない別に」

 

 

 てっきり冗談だと思っていたら、言っていることは事実で、本当に着けていないらしい。着けてる着けてないは別問題にしても、それを年頃の男子の前で言うかってところだ。相手が俺だから言うのか、それとも誰が相手でも言うのかは分からないけど、堂々と公表されたところで、俺はどう反応したらいいのかが分からない。

 

着替える手間を省いたならそれでいいけど、俺に公表されてもだから何だよってなる。仮に誘っているならそれはそれでいい、俺は乗るつもりはないし。

 

 

……ふと、自分の右腕に何かの感触がある。よく見たら今まで目の前の壁に寄り掛かっていたはずの楯無の姿がなくなっている。

 

どこに行ったのかととぼけたところで、現実が変わるわけでもない。常識的に考えて俺の右側に楯無が来て、引っ付いていると考えるのが妥当だ。

ただ問題はそこではなく。

 

 

「……なぜ俺の隣に来る、そしてどうして体を密着させる?」

 

「え? ダメ?」

 

「ダメじゃないけど……腕に何か当たっているんだが」

 

「当ててるのよ♪」

 

「……さようですか」

 

 

人の腕に自分の胸を当てて恥ずかしく無いのだろうか。

 

楯無のプロポーションは抜群なまでに良いため、右腕には嫌でも豊満な感触が伝わってくる。制服の上からでも分かるその感触と、腕に当たって潰れている双丘を意識するなといわれても、こればかりは意識しない方が無理だ。

 

ただ悲しきことに更に上を知っているせいか、思いの外耐性が出来ていることに自分自身が一番驚いている。意識はしても、抱き付かれたことに対する理性の決壊はなかった。

 

 

「むぅ……」

 

 

表情をあまり変えない俺の反応が面白くないらしく、ハムスターのように頬を膨らませながら抗議をして来る。急な密着にあわてふためく俺の姿を想像していたんだろうが、からかうことが前提であれば耐えることくらいは出来る。これが完全な裸体の状態でやられたら無理だけど。

 

 

「あまり遅くなるとマズイし、とりあえず帰るぞ」

 

「……え? うん、そうね」

 

 

むくれる楯無をよそに校舎から出る。通学路の人通りは殆ど無いとはいえ、寮の窓から外を眺めることは出来る。つまり楯無が俺にくっついている光景を見ることは可能だ。

 

……それでも寮に着くまで楯無が離れることは一度もなく、楯無の様子がいつもと違うのは明らかだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 

 寮へと戻って楯無と別れた後、自室に戻りシャワーを浴びながら髪の毛をわしゃわしゃと泡立てる。やや暑く設定したシャワーの水温が疲れた体に心地よく浸透する。食堂の閉館時刻が近いこともあり、本当なら先に食堂へと駆け込んだ方が良かったものの、汗だくの体で食事はとりたくない。

 

先にシャワーを浴びてしまったせいで、既に食堂の閉館時間を過ぎてしまった。今から行っても何も置いてないだろうし、残っている食材を使って何を作ろうかなどと考えながら、泡立った石鹸を洗い流す。

 

今日の一件を経て、俺にはまだまだ経験と実力が足りないのはよく分かった。それに最高峰のレベルがどれくらいなのかも分かった。一方的にやられて悔しいかわりに、得たものは大きい。

 

いつかは絶対に楯無に勝つ。新しい目標も出来たことだし、やる気は嫌でも上がってくる。

 

 

「ふぅ」

 

 

髪の毛についた石鹸を全て洗い流した後、洗面所から大きめのバスタオルを取り、体全体を拭いていく。濡れた髪の毛から水滴が落ち、体を濡らしていく悪循環を防ぐため、髪の毛だけを先に拭いてから上半身へと移っていく。

 

本来なら湯船にお湯を張れるような設備があれば良いけど、残念ながら男子は湯船に浸かれる設備が整っていないから、それは叶わぬ願いだ。大浴場を使えるのは女性陣のみ、そろそろ整備されても良いと思うんだが、いつになったら使えるようになるのか。

 

使えるようになる時が待ち遠しい。

 

 

体の水滴を拭き取り、下着とジャージのズボンだけを先に履き、その後上から黒のタンクトップを着る。最近は半袖のTシャツを止めてずっとタンクトップでいるが、中々にこれが快適だったりする。

 

外に出る時はジャージを羽織るけど、まかり間違ってもタンクトップ一枚で出ることはない。自分の肌をじろじろ見られても嫌だし。ISスーツはそれしかないから着ているだけで、着なくても良いのなら好き好んで着たいとは思わない。

 

 

全てを着終えた後、まだ湿り気が強い髪の毛を小さなタオルで拭き取りながら洗面所から出る。ある程度まで乾いたら、ドライヤーを使って乾かせば良い。水分が残りすぎていると乾かした時に中途半端な生乾きになるし、起きた時にかなり強い寝癖がつく。

 

そうすると結局手間が掛かるだけだし、乾かす時はなるべく水分を拭き取った後、軽く乾かすために少しだけ放置している。

 

 

乾かしている時は顔を下に向けるため、前の様子がうまく見えない。区切りの良いところでタオルを取り、顔を前に向けると……。

 

 

「お帰りなさい。遅かったわね」

 

 

椅子に座った楯無が本を読みながらこちらを眺めていた。不法侵入に関してはもう気にしないことにする。常識が通用しないのなら、常識で物事を話しても意味がないだろうし。

 

いつものこと、くらいの認識で立ち回る。

 

 

「いや、そりゃシャワー浴びてたから仕方ないだろ。で、どうしたんだ? 何か話でもあるのか?」

 

「話……そうね。ちょっと大和にお礼を言おうと思って」

 

「お礼?」

 

 

お礼ならさっき言われたし、これ以上何をお礼として差し出すというのか。お金を渡されても俺としては困るものがある。

 

心当たりがあるお礼されるような出来事と言えば、先ほどの保健室の件くらいで、他に心当たりがある物はなかった。とはいっても別にお礼をされるほど大それたことをしたつもりはないし、見返りを求めようとして行動してもない。

 

ちょいちょいと手招きをする楯無に若干の不安を感じながらも、タオルを首にかけて近付いていく。

 

 

「別にお礼されるようなことをしたつもりは無いんだけどな」

 

「あなたがそう思っても、こちらは感謝の気持ちとして返したいの」

 

「うーん……」

 

 

そんなものかと思っていると、不意に俺との距離を楯無の方から詰めてくる。心なしか、手をモジモジとさせているような気がするんだが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから―――」

 

「え……?」

 

 

 次の瞬間、俺の視線の先に飛び込んできたのは部屋の天井に設置されたライトだった。なぜ楯無の姿が前から消え、天井に設置されたライトが目に入るのかが分からない。俺も相当に疲れているのか、いつもより判断力が鈍い。やがてその光景が続いたと思えば、背中にクッションのような柔らかい反発が来る。

 

背中の感触で初めて気付く、俺は何をどうされたかベッドに倒れ込んでいると。何が起きたにしても倒れ込んでいる事実が覆せるわけではない。問題はどうして俺がベッドに倒れたのかだ。

 

別に何かに躓いた訳でもなければ、バナナの皮で滑ったわけでもない。大体自分の部屋なのだから普段何処に何を置いているのかは把握している。今いる場所には転ぶ要素も物もない。俺の内心を代弁するとしたら、転ける意味が分からない。

 

でも現に、俺はベッドに倒れ込んでいる。

 

 

ふと冷静になって、数秒前の出来事を思い返す。シャワー浴びた後に部屋に戻るとメイド服に着替えた楯無がいた。そして俺との距離を詰めてきた楯無が俺の足を……。

 

 

「た、楯無! 急に何を……お、おい!」

 

 

足を払われて俺は脳天からまっ逆さま。幸い後ろがベッドだから良かったけど、これが普通の床だったら悶絶していたことだろう。そうはならないように受け身はとっても、事態を把握出来ないまま倒されると反応が遅れる。

 

いきなり何をするのかと抗議しようと立ち上がろうとするも、再度それを阻止される。倒れている俺の両腕を手で押さえつけ、起き上がれないように体重をかけてくる。腹筋の要領で起き上がろうとするも、力が上手く込められずに起き上がることが出来ない。

 

端から見れば俺が完全に楯無に押し倒されている状況だ。それでも俺の部屋だから周囲に人は居ない。見られる心配はないものの、この状況は非常にマズイ。

 

どうして俺が楯無に押し倒されているのか見当もつかないせいで、俺自身の頭が混乱して判断力を鈍らせる。人に足をかけて転ばせた挙げ句に、立ち上がろうとするのを無理矢理押さえ付ける。これが悪ふざけだったとしたら本気でタチが悪いどころか、悪すぎる。

 

歯止めをかけようと語気を強め、楯無に注意の言葉を送った。

 

 

「おい! あまり悪ふざけが過ぎると―――っ!」

 

 

楯無の顔を見た瞬間に完全に言葉を失う。

 

楯無の顔は何を物語っているのだろう。顔は熱でも出したかのように紅潮し、吐息も激しい運動をした後のように荒い。密着度が高いせいで女性特有の香りが鼻腔を刺激し、頭の中が酔いが回ったかのようにクラクラする。トロンとした目付きがいつもの楯無の精神状態じゃないことを物語っていた。

 

今の楯無は普段の楯無ではない。目の前にいる楯無は意識した……いや、好意を寄せた相手に迫る女性のような顔をしている。

 

そんな顔をされたら、俺は何も言えなくなる。楯無を"生徒会長"もしくは"更識家当主"として認識したことはあれど、"一人の女性"として意識したことが何回あっただろう。

 

恐らく殆ど無かったはず。

 

目の前にいる楯無はどのしがらみにもとらわれない、ただ一人の女性、更識楯無だった。

 

甘えるように、物欲しそうに見つめる視線は俺へと向いている。

 

互いの顔を見つめ合いながら時間だけが過ぎ去っていく。

 

 

「楯無、これがお前の言っていたお礼なのかよ?」

 

 

沈黙を破るように俺から楯無に声を掛ける。俺の声に体をびくりと震わせながら顔を背ける楯無に、更に言葉を続けていく。

 

もし本当に楯無の言う本心のお礼がこれなら、俺は楯無を人としてどうなのかと認識する。常識的に考えてあり得ない、楯無が良かれと思っても俺にとっては全く良いものではない。それでも楯無がいつもの精神状態ではないと考えれば、深く問い詰めるのも酷かもしれない。

 

 

可愛い子に押し倒されるなら本望。

 

そう思う男性もいるだろう。だがそれはあくまで他の人間のパターンであって俺は違う。

 

どれだけ可愛い子だったとしても、絶世の美女だったとしても。

 

俺は拒絶する。それは俺の信念に反することだから。

 

いくほどの時間がたっただろうか。今まで押さえつけられていた両腕の力が緩んだ。それと同時に添えられていた手が退けられ、楯無自身も俺から離れる。

 

解放された俺は腹筋の要領で起き上がり、楯無と向き合った。

 

 

「ごめんなさい。本当なら口頭で伝えようと思ったんだけど……」

 

「え?」

 

 

自分のしたことに対して申し訳なさそうな雰囲気を醸し出しながら謝罪の言葉を告げてくる。最後の方が聞き取れずに再度聞き直そうとするも、何でもないと言葉を濁される。

 

 

「大和、貴方って誰かから好意を寄せられたことってあるかしら?」

 

「好意? いや、特には……」

 

 

ないと言い切ろうとした段階で言葉が出てこなくなる。本当に自分は好意を寄せられたことが無いのか。

 

……いや、そんなことない。向けられたことは何回かある、でなければ告白なんてされたりしない。そしてその告白も断り続けている。どれだけ人の好意を無下にする人間だろうと、自分の人間性にヘドが出てくる。

 

それでも中途半端な関係で付き合いたくない。そこだけは曲げくないし、譲れない部分だ。

 

楯無の質問に対しての言葉が出てこない、はっきりと断言して言い切ることが出来ない。言い切ることが出来ないということは、好意を向けられていることがあったと肯定していることになる。

 

……現に今だって向けられているわけだ。気持ちに気付きつつも、一歩を踏み出すことが出来ない。

 

 

俺が弱いから、覚悟がないから、"本当の"自分と向き合って貰える自信がないから。情けないくらいに弱くてどうしようもない人間だ。

 

 

「……私だって女だから異性を好きになることだってあるわ。行動の一つ一つが女心をときめかせるの」

 

 

楯無の言葉の一つ一つが俺の脳内に、そして心の奥底へと響いてくる。無意識のうちにどんどん心拍数が増え、胸の高鳴りが大きくなる。

 

 

「近くにいるだけで意識するなんてこと無かったもの。いつの間にか引き込まれて、気付けば姿を追っていた。気付けば好きになっていた」

 

 

楯無の言葉が、誰かのことについて指し示しているのはすぐ分かった。一言一言が重くのし掛かり、意識せざるを得なくなる。どうして俺が楯無の言うことを自分のことのように捉えているのだろう。どこの誰に言っているのかも分からないようなことを自分に置き換えて……。

 

そこでようやくことを悟る。

 

楯無の視線を追うと、その視線は紛れもなく俺の視線を射ぬいていた。

 

 

「楯、無……?」

 

 

これじゃあまるで……告白、みたいじゃないか?

 

声が出せない、楯無から目を離せなくなる。

 

分からない。俺はこれにどう応えれば良いのか。

 

 

 

「だから……」

 

 

ギュッと手を握りしめて、意を決したように見つめながら。

 

 

 

 

 

 

 

「―――私も大和のことを好きになっても良いよね?」

 

 

一言そう呟く。

 

呟かれた瞬間に頭の中が真っ白になる。言われたことが理解出来ずに呆然とするしかなかった。

 

告白なのか、そうでないのか。楯無の言葉を聞いただけでは判断できない。聞いたニュアンスだけで判断するのであれば、お願いのようにも見える。しかし言葉の真意を理解する程の頭の回転は無く、どう行動すれば良いのかすら分からない。

 

一つだけ分かること、それは楯無が俺のことを好きだってこと。面と向かって、ここまではっきりと言われたのは初めてかもしれない。

 

 

「付き合ってくれって訳じゃないの。ただ私の中では答えを出したかったから……大和にどうしても伝えたかった」

 

 

震えながらも勇気を振り絞って伝えようとする姿に、体が完全に硬直する。相手に素直に感情を伝えることがどれだけ難しいことなのかはすぐに分かる。

 

自分が相手のことを好きだ、嫌いだと思っていても、それを面と向かっては中々伝えることが出来ない。むしろ言わずに自分の心の中にしまっておくケースの方が多い。

 

言葉を一言も発することが出来ないまま、楯無から視線に吸い込まれる。楯無がこれだけ話し掛けてきてくれるわけだ、何か返さなければならない。

 

 

「その……楯無。お前の言いたいことは分かったけど……」

 

「えぇ、分かってる。だから返事は返さなくていいわ。今回のことは私の胸の中にしまっておくから」

 

「あ、あぁ……」

 

「意識した?」

 

「……意識するに決まってんだろ。まだ胸の高鳴りが止まらないよ」

 

 

テンパる俺とは反対に、ほんの少し照れ臭そうにしながらも淡々とした表情で返してくる楯無。

 

思わぬ楯無の告白に俺の胸の高鳴りが止まることはなかった。これだけ言われて意識しない訳がない。大袈裟にいうなら、今までの任務よりもこの瞬間が一番テンパったと置き換えることが出来るほど。

 

話してくる楯無にはもう先ほどまでの面影はなく、いつも通りの姿へと戻っていた。

 

 

「それと……はい、これ」

 

 

どこからかおもむろに取り出し、俺の前に差し出されたのは薄い青色の包みだった。意図が分からず何気なく手渡されたものを受け取る。中に何が入っているのだろうか、厚さ的には国語辞典や英和辞典ぐらいで、大きさも辞典と同じように長方形の形をしている。

 

雑誌なんかを風呂敷に包むことはないだろうし、風呂敷で包むってことは、渡す時には必ず包んで渡すものだと容易に推測できる。もしかしたら包まないかもしれないけど、包むことが一般的なんだろう。

 

渡されたはいいけどこれを一体どうすれば良いのかと考えているうちに楯無から話が続けられる。

 

 

「これは?」

 

「私からの正式なお礼よ。中は開けてのお楽しみね。変なものを入れてる訳じゃないから、そこは安心して欲しいな♪」

 

「……」

 

「あ、開けるのは私が出てってからでお願い。感想はまた後で聞かせて? 」

 

「まぁ、そう言うなら……」

 

 

もう何が何だか訳が分からない。

 

答えを出さず無くてもいいと言われても、そのせいで逆にモヤモヤは晴れないままだ。答え自体が出てこないのは俺の中でどこか思うことがあるんだと思う。

 

でも楯無のことを異性の一友人として見ているのか、それとも一人の女性として好意があるのか。少なくとも分かることがあるとすれば、楯無にとって俺は好意の対象の男性であるということ。

 

面と向かってはっきりと言われるなんて、考えもしなかった。それでも楯無に好意を向けられている事実だけは変わらない。

 

部屋から出ていこうとベッドから立ち上がる楯無を見送ろうと、後を追うように立ち上がる。背を向けたまま楯無はこちらを振り向こうとしない。気のせいか、後ろから見える耳たぶが気持ち赤くなっているような気がする。

 

それでもさほど気にすることではないだろうと割り切り、部屋の入り口まで着いていく。そして楯無が入り口扉のドアノブに手を掛けようとした瞬間、手を掛けたまま静止し、思い付いたかのように声を掛けてる。

 

 

「それと……」

 

 

言い忘れたことでもあるのだろうか、入り口の前に立つ後ろ姿を眺めながら言葉を掛け返す。

 

 

「まだ何かあるの―――」

 

 

言葉を掛けた矢先の出来事だった。

 

後ろ姿が急に翻ったかと思うと、俺から見て右の頬に温かな感触が触れる。変化に気付くのはそう難しいことではなかった。

 

目の前に居たはずの楯無が移動している。一体どこに、視線を目の前からやや右側にずらすと、楯無の癖のついた水色の髪が見えた。シャワーを浴びた後なのか、シャンプー独特の香りが鼻腔を燻る。

 

事を終えて、一歩後ろへと楯無は下がる。何をされたのか理解したのは、楯無が離れてから数秒後のことだった。

 

照れ臭そうに顔を赤らめながらも、小悪魔のように微笑む姿がたまらなく男心を揺さぶる。

 

 

「また明日、ね?」

 

「え? あ、ちょっ、楯無!」

 

 

一言だけ俺に伝えると、そのまま部屋を出ていく。引き留めようと声を掛けるも、すでに楯無は部屋を出た後でどうしようもない。手を扉に伸ばしたまま立ち尽くす。

 

まだ頬には温もりが残ったままだった。

 

そっと右手を頬に添えると改めて認識する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あぁ、そういうことなんだ……と。



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第六章‐Find out my mind‐
偶然という名の必然


 

 

 

 

「まるで有名アーティストのライブ会場みたいだな」

 

 

六月も最終週に入り、気温の上昇と共に学年別トーナメント一色へと切り替わった。

 

更衣室でISスーツに着替えながら、備え付けのモニターを眺める。映し出される映像には隙間がないほどに人で埋め尽くされた観客席と来賓席。来賓席にはスカウト目的で各国の人間が来ているらしい、わざわざ遠いところからご苦労なことだ。

 

血眼になって有能な人材を探そうとすることだろう、ただどうもその空気が好きになれない。観察されるような視線に関しては向けられて良い思いになる人はいない。もちろん、各国のスカウトが来ているわけだし、ここでの結果がスカウトの目に留まって話が来れば嬉しくなるのは分かる。その為にIS学園に来ているのだから。

 

ただ変に意識をすればするほどに、落ち着かないのは俺だけじゃ無いはずだ。

 

 

「三年にはスカウト、二年には一年の成果を確認するために来ているものだからね。一年は特に関係無いみたいだけど、大和も活躍したらチェックが入るんじゃないかな?」

 

「活躍出来るかどうかは分からないけどな。正直今回はスカウトよりも気になることがあるし、あんまり目立つことは考えてはないよ」

 

 

ISスーツに着替え終わったシャルルと一夏と共にモニターを眺めながら他愛の無い話を交わす。正直な話一夏の言うように、スカウト云々の話よりも自分のペアの方が気になるところだ。

 

さて、ペアと言えば結局ボーデヴィッヒとペアを組んだものの、基礎的な練習やコンビネーションの確認は一度も行わないまま本番を迎えることとなった。アイツとしては自分の足さえ引っ張らなければそれで良いと考えているのかもしれない。

 

戦い方としては完全な個人プレーになる。そこでどう俺が立ち回れるかが、負けないための重要なピースとなるだろう。幸い、ボーデヴィッヒの実力は代表候補生二人を難なく片付けることが出来るレベルだし、普通にやれば負けることはない。

 

同学年の中に障害となりうるペアと言えば、一夏とシャルルくらいか。他にも強敵はいるかもしれないが、如何せんデータが少ないから判断が出来ない。

 

負けるつもりはない、それでもボーデヴィッヒには一回敗北を知ってもらう。

 

ちなみに、このトーナメントで優勝したら俺がここから出ていくことに関しては、ボーデヴィッヒとナギ以外の誰にも伝えていない。むしろ一夏に伝えたらマジで殴られそうだし。

 

仮に現実になったとしても、一夏の護衛を辞めるつもりはな い。そこは俺と千冬さんの契約だからだ。遂行するまでは何があっても、それを取り下げることは出来ない。

 

 

「……活躍って言えば今回は気になる人間もいるみたいだし、そっちの観察の意味合いもあるんじゃないか?」

 

「気になる人間?」

 

 

 俺が何気なく呟いたことに一夏が食いつく。これから行われるのはあくまで一年生のトーナメントで、二、三年は一年が終わってから。シャルルの言う話が本当なら、一年の試合を見に来る人数は二、三年に比べれば一段と少ないはず。なのにアリーナの観客席は満席状態、通路にも立ち見が出るほどに密集率が高い。

 

シャルルの言うように二、三年のスカウト目的もあるだろう。ただそれ以上に来賓やスカウト、はたまた生徒たちには気になることがある。

 

その対象は俺と一夏。女性にしか動かせないはずの兵器を男性が動かした……なんてことが起きれば否が応でも観察対象にはなる。IS学園にいるからこそ平々凡々な生活を遅れているだけで、これがIS学園に属さない外の世界なら普通の生活を送れる保証は一切無かった。

 

いつもの学年別トーナメントとは大きく違うところ。それは世界で二人しかいない男性操縦者が参加するというところだ。

 

 

「あぁ、それって一夏と大和だよね。世界に二人しかいない男性操縦者だから」

 

 

真っ先に俺の言葉の意味合いを理解したシャルルが反応をする。相変わらず頭の回転が早い。

 

今までISを用いての戦いは学園の生徒の目には触れてはいたものの、一般世間の目に触れたことはない。当然、各国のお偉いさんの目に触れたことなんかは一度たりとも無いわけだ。つまり俺と一夏の実力は完全に未知数。トーナメントは俺と一夏がどの程度の実力の持ち主なのかを見るには絶好の機会になる。結果次第では各国からお声が掛かることだろう。

 

 

「何か観察されるみたいで嫌だな……いざ意識すると戦いづらい」

 

「まぁ、あんまり深く考えても仕方ないだろ。外は好きに言わせておけば良い。どう足掻いたって結局は見られるんだから」

 

 

如実に嫌そうな表情を浮かべる一夏。気にするなとは言えないけど、気にしたところで何かが変わるわけではない。

 

下手に意識して緊張のあまり力が出せないなんてジョークは笑えない。観客を好きな野菜に見立てろ……とまでは言わないが、気にしないのが一番だ。

 

 

「織斑先生の弟だとか、唯一無二の男性操縦者だからとかは関係無い。あくまでISに乗る以上は皆平等だ」

 

「それもそうだな。あまり気にしないように……か。言われると簡単そうだけど、いざ実際にやれって言われると難しい気がする」

 

 

一夏が言うのはごもっとも。

 

IS操縦者として、皆に見られるという条件は同じだ。それが大舞台に出れば出るほど視線は嫌でも多くなる。それでも第一線で活躍する国家代表なんかは、そのプレッシャーと常に戦っている。

 

誰かから見られるのは悪いことではない、ただそのプレッシャーの中で本来の力を出せなければ、上に行くことは出来ない。初めの内は誰もが緊張するとは思うけど、そこは徐々に慣れていけば良い。

本来の力が出せなかった、勝負に勝てなかったとしても命を奪われる訳ではないのだから。

 

さて、俺は俺で自分の方を気にするとしよう。あまり興奮して気持ちを高ぶらせても力は出しきれないだろうし、一旦目を閉じて内から自分を見つめ直すことにする。

 

今回に関しては緊張はしてないが、それでも一旦自分をリセットする意味でも、気持ちを落ち着かせるのはリラックスにもなる。

 

勝つためのシミュレーションをぼんやりとイメージしながら、しばらくの間目を閉じる。一夏やシャルルの声も、今の俺には聞こえてこない。単純に話していないだけかもしれないが、声だけではなく、音の一つも聞こえてこなかった。

 

やがてゆっくりと目を開けると、隣にいる一夏とシャルルがこぞってモニターを見つめている。対戦相手は当日の抽選で決まる。

 

そしてペアを組めなかった生徒のペアも、今日ランダムで決まるようになってる。時間的にはそろそろだろう、対戦相手やペアは俺たちが見ているモニターに映し出される。

 

 

「一夏はボーデヴィッヒさんとの対戦だけが気になるみたいだね?」

 

「ん? あ、あぁ。まぁな……」

 

 

一夏はボーデヴィッヒのことをどこまで知っているのだろう。取りつく島もなく、本人から聞き出すことは不可能。聞き出すとすればボーデヴィッヒのことを知る第三者からだが、知っている人物がいるとすれば、一夏の身近な人物では千冬さんだけだ。

 

真実を聞いたのなら、どこか一夏の中で思う部分もあるんだろうけど、聞いていないのなら何故自分が恨まれなければならないのか悩んでいるのかもしれない。いずれにしてもボーデヴィッヒに対して強く意識しているのは間違いない。

 

 

「感情的にならないでね? ボーデヴィッヒさんは一年の中で最強だと思う」

 

 

心配の意を込めてシャルルが一言、一夏に向かって励ましの言葉を入れる。それに対して一夏も再度気を引き締めなおし、大きく頷く。

 

 

「あぁ、分かっている」

 

 

自分がネガティブに考え込んでしまえばパートナーも不安に思ってしまう。シャルルも一夏もあまりネガティブな感情を表に出さないだろうから大丈夫だが、人によっては不安を感じてしまう人間だっている。

 

すぐに切り替えが出来るのは一夏の良いところだ。

 

 

一夏がシャルルに頷いて間を置くこと数秒、モニターに大きくトーナメントの対戦相手が表示される。画面一杯に名前が書かれているせいで、自分の名前を見つけるだけでも一苦労。視線を左右に這わせ、名前を探していく。

 

 

「「―――えっ?」」

 

 

 俺の左右にいるであろう二人が気の抜けたような声を出すと同時に、自分の名前が書かれている項目を見つける。枠の中には霧夜大和とラウラ・ボーデヴィッヒの文字が書かれている。間違いなく俺の名前だ、学園に同姓同名は居ないし、ペアの名前も間違っていない。

 

自分の名前が確認出来たところで、次に気になるのは俺の対戦相手について。勝ち抜けのトーナメント方式であるがゆえに、既にいくつもの名前が書かれているが、その中で最も気になるのは自分の対戦相手の情報になる。

 

視線を横にずらせば対戦相手の名前が表示されている。俺は迷うことなく視線を横に向けた。

 

 

「……え?」

 

 

対戦相手の名前を見た瞬間に、二人に遅れるように気の抜けた声が無意識に出てくる。

 

言葉にうまく言い表せと言われると、何とも言い表し難い事実だけど、偶然という名の必然とでも言えば良いのか。

 

対戦相手の名前は織斑一夏、シャルル・デュノア。奇しくも所詮で俺と一夏は対戦することになった。

 

 

「なぁ、絶対に有り得ないと思うけどこれって確信犯か?」

 

 

思っていたことが反射で言葉として出てくる。

 

偶然にしては話が出来すぎているし、内部操作が行われたのではないかと疑ってもいいレベルだ。数多くのペアがある中で、たった一度しか当たらない相手を、どれだけ低い確率で引き当てたのかと思うと自分の運の良さに驚きすら覚える。

 

逆に一夏とシャルルはどうだろう。

 

俺はともかく組んでいる相手は一夏にとっては因縁の相手な訳だし、意識しないわけがない。

 

 

「確信犯かどうかは分からないけど、一番最初に大和と当たるのはちょっとついていないかもね。勝ち抜く上で一番の障壁になるだろうから……」

 

 

一夏より先にシャルルが言葉を返してくる。言葉には明らかに本心が込められていた。欲を言うのなら一番最初に俺たちと当たるのは避けたかったと言わんばかりに。

 

ボーデヴィッヒの実力を肌で感じて認めているからこそ、一番最初に当たるのは避けたかった。一番最初に当たるということは、ボーデヴィッヒの戦闘データを集められないのと同じ。

 

仮に俺たちと組が分かれていれば、他の組が戦っている間に少なからず情報収集は出来ただろう。対策は練っていても、一回本気の実戦を見るのと見ないのでは対処法は大きく変わってくる。一回でも見れば、思い付かなかった打開策を思い付くかもしれない。

 

が、自分たちが一番最初に当たるため、ぶっつけ本番で戦いながらボーデヴィッヒの戦闘データを集めなければならないことになった。戦いながら相手のデータを収集し、更にそこから勝つための活路を見出だすのは並大抵の難しさではない。

 

考えている間にも相手を攻撃し、相手からの攻撃を防がなければならない。普通の生徒であればシャルルも後れをとることはないだろうが今回は相手が相手だし、戦いながら打開策を考えるのは厳しいと思われる。

 

自分で言うのもなんだが、同世代の生徒の中ではそこそこ動ける自信がある。セシリアや一夏に勝ったのは相手の慢心や、情報不足が幸いしたが、単純な実力の部分において、他の生徒よりかは遥かに実戦経験は積んでいる。

 

知識では負けても、戦闘に置いて負ける気はない。

 

 

「どちらにしても勝ち抜いていたらどこかで当たっていただろうし、それが早かったか遅かったの違いだろう」

 

「それでも僕としては二人の戦いを一回くらいは見たかったかな。ボーデヴィッヒさんもそうだけど、注意すべき人物はボーデヴィッヒさんだけじゃないからね」

 

 

苦笑いを浮かべながら俺の方を見るシャルルの表情が、全てを物語っていた。

 

二人にしてみれば他の生徒と戦うよりも圧倒的にやりにくいはず。そこに学年最強クラスのボーデヴィッヒが加わるとなれば、これほどに厄介なことはない。

 

俺に関してはいつも通りの打鉄での参加のため、ある程度の対策は立てられる。隙を見て近づいて、間合いに入ったら一気に仕留める。そこに関してはずらすつもりはない。

 

 

……ただ、そうは言っても何度も同じ戦い方が通用するようには思えない。今まで一対一で戦うことはあっても、二対二以上の複数で戦ったことは無かった。

 

個々の実力だけではなく、互いのチームワークが勝敗を左右する。チームワークだけで言うなら、俺とボーデヴィッヒは最低だろう。阿吽の呼吸がと伝えたとしても、そんなものは必要ないと一刀両断される光景が容易に想像できる。

 

仮に俺が一夏に接近したとしても、シャルルがカバーに入れば俺は対処出来ない。近接において最も不利なのは周囲の気配りが疎かになる点だ。加えて複数を同時に仕留めるための攻撃が不可能。

 

専用機ならまだしも、与えられているのは量産機の打鉄、カスタマイズが出来るわけでもないし、一撃で相手を無力化出来る零落白夜のような単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)があるわけでもない。

 

一撃で仕留める確証が無い以上、今まで通りの戦い方をするのは非常に危険な行為になる。

 

少なからず攻撃中に横槍を入れられないように、相方にもう一人を押さえていてもらう必要がある。

 

呼吸を合わせることがボーデヴィッヒに出来るかと言われると、正直微妙だ。出来ないとも言い切れないが、出来ない可能性の方が強い。それでもチームワークを、自身の力でカバー出来るだけの実力は持ち合わせている。

 

 

「警戒しすぎじゃないか? ボーデヴィッヒはともかく、俺は稼働時間で言ったらお前らより少ないぞ」

 

「お前が言うか! 大和の場合は常識が通用しないだろ。セシリアや俺を散々ボコボコにしておいて」

 

 

間髪入れずに一夏からツッコミが返ってくる。何をいきなりと言い返そうと思ったところで、セシリアと一夏を同じようなシチュエーションで叩きのめしたことを思い出し、寸でのところで食いとどまる。

 

一夏の返事に呼応するように、今度はシャルルが言葉を被せてきた。

 

 

「うん、やっぱり一夏もそう思うよね。大和の場合実力もそうだけど、得体の知れない怖さがあるっていうか……」

 

「あー分かるわそれ。ボーデヴィッヒの攻撃を生身で受けた時なんか、本当に人間かどうか疑ったしな」

 

「そうだよね……ねぇ大和。まさかとは思うけど人間卒業してたりしないよね?」

 

「するかっ! 正真正銘人間だっつーの!」

 

 

挙げ句の果てに人を勝手に人間を卒業した扱いにする始末。

 

勘弁してくれ。俺はまだ人間をやめようとは思わないし、人間をやめたとも思っていない。思わず語気を強めて二人に反論する。

 

まぁ、分からないでもない。少なくともボーデヴィッヒのプラズマ手刀をIS展開無しの生身、それも近接ブレードで一本で受け止めようものなら誰だって思うだろう。どこでそんなスキルを身に付けたのかと。

 

千冬さんとかなら同じことを出来そうだけどな……って千冬さんと同じ土台で比べたらダメか。それでもある程度の経験を積めばいずれ出来るようになるはず。熟練したIS操縦者は生身でも立ち向かうことが出来るなんて言うし。

 

俺もこの仕事をしてなければ生身でISに挑もうなんて無謀な挑戦はしない。

 

 

っつーか後で二人とも覚えておけよ。俺が勝ったら化け物扱いしたことを後悔させてやる。

 

特に何かするわけではないけど、そう意気込むことって大切だよな。

 

 

「二人とも俺の戦い方は知っているだろうし、万が一当たった時の対策くらいは立てているんだろ?」

 

「……」

 

「……」

 

「……お前ら本当に分かりやすいのな。とはいっても今まで通りの戦い方はしねーけど」

 

「え? そうなのか?」

 

「当たり前だろ。相手に対策を立てられているのに、ワザワザ馬鹿正直にいつも通りの戦いをするアホがどこにいるんだよ?」

 

「あっ……それもそうか」

 

 

 例えるのならじゃんけんで相手が絶対にグーを出すと言っているのに、正直にチョキを出して負けるようなもの。残念ながら俺の得意分野だとはいっても、相手に対策を立てられたら今はどうしようもない。

 

だがいつかは対策は立てられる。

 

あれだけ派手に戦えば、多少なりとも俺の攻撃方法や立ち回りを体で覚えるだろうし。戦った当事者である一夏は、身をもって知ったはずだ。

 

シャルルと手合わせをしたことはないものの、IS戦闘において相当な実力を持っているのは分かる。一度でも相手の戦いを見れば、そこから打開策を見つけることなど容易いもの。

 

生憎シャルルとサシでの戦いをしたら勝てる気がしない。シャルルのデータが少ないのはもちろんのこと、単純なIS戦闘における総合的な実力で勝てない。

 

 

クラス代表決定戦で、セシリアに勝てたのは心のどこかで慢心があったから。もしもう一度再戦したら勝てるかどうか微妙なところ。

 

IS知識、身のこなしから判断して、シャルルは相当な実力者だ。一度俺の戦いを見て、接近戦ではシャルルにとって分が悪いことは分かっている。

 

となると、自分から相手の得意な間合いに飛び込んでくるとは考えずらい。良くも悪くも、中遠距離での戦いがメインになる。そうなると俺は攻撃するためにシャルルに近付かなければならない。

 

打鉄には中遠距離の攻撃方法が無く、中遠距離での戦いにも特化しているシャルルの専用機、ラファールとは相性が悪い。

 

いつも通りの戦いをしていたら間違いなく勝てない。楯無には全く手も足も出ずに完封された。俺も近距離でしか攻撃出来ないなりに、もう少し無い頭を捻らせて攻略法を見付け出す必要がある。

 

むしろボーデヴィッヒと俺の能力は相手に知られている、逆にこっちはシャルルの能力を把握しきれていない。触れられていないが、一夏の白式の単一仕様能力(ワンオフアビリティー)の零落白夜も相当なチート能力だ。シールドエネルギーの残量に関わらず、まともに直撃すれば一撃でゼロに出来るのだから。

 

シャルルに気を配りつつも、一夏の一撃必殺にも気を配らなければならない。相手は俺とボーデヴィッヒのことを警戒しているけど、俺としてもシャルルと一夏は厄介な相手であることには変わりない。

 

 

「でも、打鉄って近接特化型のISでしょ? 戦い方をそう簡単に変えることなんて……あっ!」

 

「……気付いたか。今回は一対一じゃなくて二対二だ。一対一の時よりも遥かに戦い方のバリエーションは増やせる。それに二人いるんだったら、俺が攻撃の主体にならなくてもいいしな」

 

 

一対一なら自分が攻撃するしか方法がないため、攻撃と防御を全て自分で賄わなければならない。

 

今回のトーナメントは二対二で、どちらかが攻撃を重点的に行い、もう片方が防御に徹することも可能だ。それぞれの得意分野に合わせて戦術を組み立てられ、またカバーし合える。それがタッグの最大のメリットであり、デメリットでもある。

 

俺の場合は……そうだな。恐らくデメリットの方になるんだろう。そもそも俺とボーデヴィッヒの息が合わない、仮に俺が合わせようとしても、それを無視して独断で行動する可能性が高い。

 

実力が伴えば伴うほどにプライドは高くなる。それに一夏に対して並々ならぬ敵意を持っているのなら、何がなんでも己の力で組伏せようと行動するはず。ペアの手助けなど無いようなものだと認識しているに違いない。

 

 

しゃしゃり出るつもりはないし、基本はボーデヴィッヒの戦い方に合わせるつもりで行動する予定でいる。下手なことすると、味方に攻撃される滑稽な状況が生まれるかもしれないし。そんな間抜けな展開だけは見せたくはない。

 

新聞部辺りがネタにするかもな、黛さんあたりがバッチリ写真を押さえて一面で飾られたら、一躍俺も有名人だ。見出しは優勝ペア、まさかの仲間討ち……的な感じで。

 

 

 

 

 話を戻そう。負けるようなことがあれば、絶対的な力を持つ自分が、ISを稼働させて僅かな初心者に負けたことになる。その時点でボーデヴィッヒのプライドはズタズタにまで引き裂かれるはずだ。

 

俺としてはそっちを期待していたりするのだが、確実なものにするのなら俺が手を抜けば良い話。そうは言っても手を抜くのは俺のポリシーに反する……というかしたくない。くだらないことを考えるくらいなら、真剣勝負でぶつかって勝つ、もしくは負けた方が良い。

 

例えそれが退学せざるを得ない状況になったとしても。

 

 

「そこはちょっと盲点だったかな。……いや、それでも大和が心理的に……」

 

「シャルル、あまり深く考えるなよ。逆に気楽に本能のままに行動した方が良い結果になるだろ」

 

「そんなこと出来るの大和だけだと思うけど。本能のままに行動って、どんな感じなんだろうね一夏」

 

「うーん……体が無意識のうちに勝手に反応してくれる感じじゃないか?」

 

「いやいや、ちょっと待て。何もしなくても体が反応してくれる訳じゃないからな? ちゃんと周りを見ながら状況は判断するさ」

 

 

何もしなくても体が勝手に反応してくれるってどんな便利な体だろうか。それこそ人間を卒業しているようなもの。どうしてもこの二人は俺を人間卒業認定したいらしい。

 

嬉しいのか悲しいのか、馬鹿にされているのか誉められているのか。どちらにしても人をバカにするような性格ではないし、誉めているんだとは思う。

 

俺としてはあまり嬉しくはないけど。

 

 

「さて、じゃあ俺はもう行くわ。遅刻して怒られるのは嫌だし」

 

「あぁ、そうか。大和は反対側のピットだったっけか。ならもう行かないと不味いよな」

 

「そーゆーこと」

 

 

組み合わせも決まったことだし、そろそろ本番に向けての準備が始まる。ここまではふざけていたが、ここから先はふざけているような場面でも、場合でもない。

 

今一度気を引き締めよう。

 

負けるつもりなど毛頭無い。むしろ全試合完膚なきまでに叩き潰して勝つつもりの意気込みくらいは持っている。甘えを持っていたら負ける。

 

ボーデヴィッヒと交わした約束などどうでもいい。目の前の試合に全力で集中し、そして向かってきた相手に勝つ。

 

一回戦目、俺が当たるのは一夏とシャルルのペア。

 

セシリアや鈴を抜けば、恐らく一年の中ではボーデヴィッヒについで実力を持っている。男性操縦者ながらメキメキと頭角を表し、追い込まれれば追い込まれるほど力を出せるクラッチタイプの人間である一夏。

 

セシリアや鈴と謙遜無い実力を持っているであろうシャルル。一人一人の実力はボーデヴィッヒに劣っていたとしても、コンビネーションに関しては俺たちよりも圧倒的に高い。

 

純粋な力が勝つのか、それとも二人のチーム力が勝つのか。

 

 

「……大和!」

 

「ん?」

 

 

出口に向かう最中、後ろからシャルルに呼び止められる。何かを伝えようとするかのように投げ掛けられた声に、反射的に後ろを振り向く。ギュッと拳を握りしめ、決心したかのように口を開いた。

 

 

「絶対に……負けないからね!」

 

 

その声は紛れもなく、俺たちを打ち負かせてみせると自信を込めて良い放たれた一言だった。はっきりと芯の通った一言が俺の心を貫く。俺の視線を射ぬく決意のこもった真っ直ぐな瞳。好敵手と戦ってみたいと思うあまり、俺の気持ちが高揚していくのが分かる。

 

 

「あぁ! 俺もだ!」

 

 

にやりと微笑みを浮かべながらシャルルに返すと、再度前を向き出口へと向かう。

 

面白い……だからこそ全力で戦う意味がある。賭けのためでも約束のためでも何物でもない、ただ純粋に戦いをしたいと言う気持ちだけで戦うことが出来る。勝ち続けてしまえば退学することになるのに、気持ちは高揚するばかり。

 

 

とはいっても楽しんでいるだけでは意味がない。本来の目的はまた別にある。

 

目的を胸の内に秘め、俺は更衣室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう、待たせたな」

 

「……ふん」

 

 

 一夏とは反対側にあるピットに入った時、既にボーデヴィッヒは壁に凭れながら迫り来る時間を待っていた。いくら更衣室が遠いとはいえ、俺も対戦相手と順番が決まった後すぐに出たつもりだったのに既にピットに来ていたとなると、対戦相手が決まった後、周りには目もくれずに一直線に向かってきたのだろう。

 

いつもの感じで軽く挨拶をかわすも、ボーデヴィッヒの口から返ってきたのは興味がなさそうな返事だった。一瞬俺の方を振り向いたかと思うと、一言告げた後に顔を意図的に逸らす。ボーデヴィッヒの醸し出す雰囲気が、お前と話すことなど無いと物語っていた。

 

相変わらずだなと思いつつも、心のどこかではもう少し心を開いてくれとも思うと、どこか寂しい感じもする。

 

 

「おい、貴様」

 

「あ、どうした?」

 

 

ピットの片隅で待機状態になっている打鉄に近付こうとした刹那、今度はボーデヴィッヒの方から声を掛けられる。俺から声を描けた回数は多くても、こいつから声を掛けたことは無かったはず。

 

声を掛けたと言っても、口の悪さは相変わらずだがな。

 

 

「先日の約束、まさか忘れた訳ではないな?」

 

「忘れねーよ。どうすれば人と交わした約束を忘れんだよ。お前が勝ったら俺がこの学園を出ていく、だろ?」

 

「ふん……今さら取消にはならないぞ」

 

「取消しなくて結構。一回取り付けた約束を取り止めにするほど、俺は腐っちゃいない」

 

 

初めて声を掛けてくれたのはそれはそれで少し進展したのかと思ったりもしたが、内容はあくまで交わした約束の確認だった。

 

元より約束を取り消そうと思ってはいない。何のために啖呵を切って約束を取り付けたのか。

 

取り止めにしたら俺の考えている計画は全て駄目になる。もちろん俺も手を抜く気などない。あくまで真剣勝負、それで勝った時は勝った時だし、負けた時は負けた時だ。今から先のことばかり不安に思っても意味がない、モチベーションが下がるだけで、良いことは何もない。

 

 

「それともう一つ……貴様は戦いに手を出すな。私だけで戦う」

 

「ほう?」

 

 

再度投げ掛けられた声に小さく頷く。

 

言っていることは本気だろう、本気で自分一人で勝ち進むつもりでいるらしい。ボーデヴィッヒにだってプライドがある、言ったことを覆すようなことはしない。普通に考えたら馬鹿なことを言うなの一言で片付けられるような口約束だが、実力を考えると決して難しいものではない。

 

それでも俺だけ完全に手を出さないわけにもいかないし、自分の身ぐらいは自分で守ってみせる。

 

それに一人で勝ち進むことが出来るほど、勝負の世界は甘くない。

 

何気なくボーデヴィッヒの表情を見つめると、冷静な表情を保ったままだ。戦い前だと言うのに恐ろしいくらいに余裕がある。

 

 

"負ける気がしない"

 

 

絶対的な自信がひしひしとボーデヴィッヒから伝わってくる。一人で何でも出来るといった慢心が彼女の中にあるのは間違いない。

 

 

「なら、俺は高みの見物でもしているかな。お前が負かされる瞬間を見るのが楽しみだ」

 

 

皮肉を込めて挑発をするが、今のボーデヴィッヒにとってこの挑発は赤ん坊に頭を撫でられたようなもので、挑発のうちには入らないだろう。

 

俺の皮肉に対し、不敵な笑みを浮かべながら。

 

 

「ふん、万が一にもあり得ない可能性だな。相変わらず口だけは達者なことだ」

 

 

はっきりと言い切った。

 

それも万に一つもあり得ない可能性だと。どれだけ自分の実力に自信を持っているのか。その自信が出てくるのは長年培ってきた自分の経験によるものなのかもしれない。少なくとも実力だけで言うなら学年トップクラス……いや、トップだと言い切っても過大評価にはならない。

 

だが、一つだけボーデヴィッヒも忘れていることがある。

 

力だけではどうにも打ち砕けない壁があることを。

 

 

「ただし、一つだけ条件がある。もし負けそうだと判断したら俺も手を出させてもらう。何もしないで負けるだなんて、んな後味悪いのはごめんだ」

 

「……勝手にしろ、そんなことはない」

 

 

一回戦まで残り数分を切った、反対側のピットでは既に二人が準備を終えたことだろう。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

俺とボーデヴィッヒの間に既に会話は無かった。

 

学年別タッグトーナメント、この先どのような展開になるのかは誰にも予想が出来ない。

 

それでもこの学園のことだ、一つや二つ波乱があるのではないか、そんな気がしてならない。

 

頭の片隅に僅かに残る杞憂を忘れ、俺は目の前の戦いに備える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――そして、その時は訪れた。



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タッグトーナメント開始! 因縁の対決

 

 

 

 

「まさか、一戦目で当たるとはな。待つ手間が省けたというものだ」

 

「そりゃあ何よりだ。こっちもお前と全く同じ気持ちだぜ」

 

 

 決戦はアリーナ。中央には対峙する四人、そして更に周りには観客席を覆い尽くさんばかりの人数がこぞって戦況を見守っていた。中央に位置するのは一夏とシャルルのペアと、ラウラと大和のペア。一回戦の第一試合だというのに、会場内の雰囲気はまるで決勝戦を見守るかのように、固唾を飲んでアリーナの中央を凝視している。

 

通常なら緊張で武者震いの一つでもしそうだというのに、四人からは緊張している素振りは見られない。それどころか緊迫した雰囲気をどこか楽しんでいるようにも見えた。

 

緊迫した雰囲気の中、まず先にラウラが口を開き、そしてラウラの挑発に不敵な笑みを浮かべながら一夏が応戦する。それだけ一夏の心には余裕があるようにも見えた。

 

 

(手を出すな、ね。初めのうちは大丈夫だとしても、後半はどうかな? 一人で勝てるほど、一夏もシャルルも弱くはないぜ)

 

 

打鉄を身に纏いながら、ラウラに向けて視線を向ける。つい先ほど言われたことを忘れるほど、大和の頭はお花畑ではない。

 

 

『貴様は戦いに手を出すな。私だけで戦う』

 

 

 自信に満ち溢れた一言、本来なら反発されてもおかしくないニュアンスの言葉だが、大和はラウラの言葉に興味深げに相槌を打った。勝てるものなら一人で勝ってみろ、一人で勝てるほど二人は生半可な実力は持ってないぞと言わんばかりに。とはいえラウラが手を出すなと言ったからといって、何もしないわけではない。

 

本当に何もしなければ、一夏やシャルルにひたすらサウンドバッグにされるだけで終わる。一夏とシャルルは友達とはいえ、戦いで手を抜くようなふざけた真似はしない。何より戦いにおいて手抜きを嫌うのは大和自身だ。それは二人もよく知っている。おそらく全力でつぶしに来るだろう。

 

攻撃はラウラに任せるにしても、自分の身を守るために行動はする。例え自身が約束通り退学になったとしても、あくまで勝つ前提で戦う。一夏とシャルルが負ければ単純に二人の力が、大和とラウラに及ばなかった。

 

それだけの話だ。

 

 

場内に仕掛けられた掲示板が効果音と共に減り始める。カウントが減るごとに周囲の視線は四人に集まっていく。クラスメートが各国の上層部が、たった二組のIS戦闘を観戦している。事実上の決勝戦にも負け劣らぬほどの注目度であるのは間違いない。

 

世界中の男性の中で唯一、女性にしか動かすことの出来ないISを動かすことが出来る一夏と大和。二人の戦いを一目見ようと、観客席に空席は一つと残っていなかった。

 

カウントが残り僅かとなる。一夏が雪片弐型を展開し、体勢を低くして戦闘態勢に入った。

 

ビリビリと張り詰めた空気の中、カウントがゼロになる。

 

 

 

 

「「叩きのめす!!」」

 

 

二つの声が重なり合うと同時に真っ先に飛び出したのは一夏だった。瞬時加速(イグニッション・ブースト)を発動させ、戦い開始の合図と共にラウラに向かって突撃していく。

 

 

「うおおおおおおおおおおっ!!!!」

 

 

光陰矢の如し、一筋の弾丸と呼べるに相応しい速度で風を切り裂きながら、一気にラウラとの間合いを詰める。戦いにおいて最初の一手でダメージを与えることが出来れば、後の戦況は大きく有利になる。

 

ましてや攻撃特化の白式の攻撃をまともに食らえば、例え単一仕様能力(ワンオフアビリティー)の零落白夜を使用していなくても、大ダメージは免れない。シールドエネルギーの消費効率においては他の機体より燃費が悪くなっているものの、攻撃特化という部分を考えれば大した痛手にはならない。

 

むしろ一撃で相手をダウン状態に追い込むことが可能な攻撃力を持つ機体と捉えれば、これほどに脅威な機体は無いはずだ。

 

それに加えて以前の一夏と比べると瞬時加速(イグニッション・ブースト)の質が上がっている。無駄な動作が少なくなり、相手としては発動のタイミングが掴み辛い。普通の生徒であれば、この一撃で為す術も無く敗れ去っていることだろう。

 

しかし相手はドイツの代表候補性のラウラだ。いくらタイミングを崩されたとは言っても、一夏の攻撃パターンは頭の中にインプットされている。攻撃力は大きくとも、一夏には遠距離から攻撃する手段が一つもない、故に攻撃パターンは限られてくる。

 

それさえ分かっていれば、どれだけ脅威な攻撃力を持っている機体だとしても、ラウラにとって対処するのは造作もないことだった。

 

 

「ふん……バカの一つ覚えか」

 

 

タイミングを見図り一夏をギリギリの間合いまで接近させたところで、右手を突き出す。ラウラが右手を突き出した瞬間に、目の前に見えない壁が張り尽される。それと同時に一夏の動きが雪片の青い刃を突き出したまま硬直する。押しても引いても、薙ぎ払おうとも体が動いてくれない。

 

AIC……アクティブ・イナーシャル・キャンセラーの略語であり、別名慣性停止能力ともいう。慣性の法則にしたがい動いている物体を強制的に止める能力。一見チート染みた便利な能力にも思えるが、発動させるには膨大な集中力と正確性がいる故に、IS操縦者の中でも高い実力を持つ者にしか使いこなせない。

 

実際AICを破るための効果的な対策は無く、特に近づく必要がある近接格闘型のISにとってはまさに天敵とも言える能力だ。

 

 

「くっ……」

 

 

網に掛かった魚、蜘蛛の巣に掛かった昆虫の気分だろう。一回包囲網に掛かってしまえば、自力で脱出することはほぼ不可能、全く身動きが取れない。束縛された一夏に向かって話し始める。

 

 

「開幕直後の先制攻撃か。分かりやすいな」

 

「そりゃどうも、以心伝心で何よりだ」

 

 

 ラウラの言葉と同時に右肩に備え付けられた巨大なリボルバーが回転音を轟かせると、銃口はまっすぐ一夏の正面を捉えていた。ニヤリと標的を捉えたラウラの表情が僅かに歪む。一夏もラウラが今からやろうとしていることをすぐに想像できた。それでも出来れば想像したくなかっただろう。

 

それでもラウラは一つだけ致命的な勘違いをしている。今回行われているのは一対一のサシでの勝負ではなく、二対二のタッグトーナメントであるということを。一人仕留めればそれで試合終了ではなく、二人を倒さなければ勝ったことにはならない。

 

 

試合が始まった瞬間真っ先に駆け出したのは一夏だ。アリーナ中の視線が一夏に集中する中、シャルルは特に行動せずに定位置に佇んでいた。それが今はいない、銃口を向けるラウラも始めこそ薄笑いを浮かべるも、一夏のペアであるシャルルの存在に気づき、一瞬砲撃を躊躇してしまう。

 

もしかして自分は罠にまんまと引っかかったのかと。冷静に考えてみれば自分の専用機、シュヴァルツェア・レーゲンをお披露目するのは初めてではない。以前セシリアと鈴を袋叩きにした時も、二人を傷つけられて感情的になった一夏を相手にした時も、AICで相手の攻撃を食い止めている。

 

初見ならまだしも、何度か見ている攻撃だ。対策の一つや二つを考えていても何ら不思議はない。AICの弱点、それは相手の動きを止める際に、相手の動きを正確に見極めるだけの多大な集中力が必要だということ。

 

だが、二人はその事実に気付いていない。それでも片方がAICに止められた際の打開策はすでに立ててある。

 

 

「何をしているボーデヴィッヒ! 早く後ろに下がれ! 罠だ!」

 

「……ちっ!」

 

 

 ラウラの後ろから今まで黙って戦況を見つめていた大和が直接声を大にして叫ぶ。声と同時に一夏の影から現れるオレンジ色の機体。シャルルの専用機、ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ。一夏の後ろから現れた時には既にライフルをラウラに向けて構えており、引き金を引けばすぐにでも発射できる体勢にある。

 

ラウラがシャルルの接近に気付けなかった理由を挙げれば、一つは二人に対する慢心があったからだが、理由はそれだけではない。

 

開始と同時に一夏が飛び出したことで、ラウラの視線は一夏の方へと向く。この時点でラウラはシャルルに対する警戒心を薄め、一夏の接近に集中力を費やした。これはAICでて確実に一夏の攻撃を防ぐためでもある。そしてラウラの思惑通り一直線に接近してきた。瞬時加速(イグニッション・ブースト)を使われたとしても一直線に向かってくるしかないのだから、タイミングさえ掴めればAICで捕捉するのは対して難しいことではない。

 

案の定、一足一刀の間合いに飛び込む寸前で一夏の動きを止めることに成功した。だが一足一刀の間合いともなれば一夏との距離が近いこともあり、背後のシャルルを確認しずらくなる。

 

例えば一枚のA4サイズの紙を視界の目の前に突き付けられたとしよう。大きさとしては顔を覆い尽くすくらいのサイズではあるが、相手の視界を完全に奪うには十分すぎるくらいの役割を果たしてくれる。

 

一夏が紙の役割をすることでラウラの視線を覆い、その間に一夏の背後に素早い動作で接近したシャルルがタイミングよく現れた。ハイパーセンサーは万能とはいえ、相手の体を透視して背後の風景を確認できるまでの性能は持ち合わせてない。

 

加えてラウラは攻撃を加えようと巨大なレールカノンを展開している。本人の意思で自由に動かせるとはいえ、通常よりも行動が一歩遅れるわけだ、戦いにおいての遅れは致命的ともいえよう。

 

ラウラのレールカノンの発射と同時に六一口径のアサルトカノンによる砲撃を浴びせる。

 

シャルルのカバーにより狙いを定めた弾丸は一夏のすぐ横を通り過ぎる。まさに間一髪、攻撃を外したラウラはすぐさま身を翻して後方へと下がり間合いを取る。厳密には外されたというよりかは、最後まで狙いを定めなかったといった方が的確かもしれない。

 

もし大和の声に反応せずにいたら、たちまち自分がシャルルの砲撃の餌食になっていたことだろう。

 

 

「ちぃ、霧夜大和! 手を出すなと言ったはずだ!」

 

「口を出しただけで、手は出してねえよ! ほら、きびきび動け! やられたいのか?」

 

 

助けてもらった大和に対しての第一声は感謝の言葉ではなく皮肉だった。自分一人で戦うといった口約束を早々に破られたと思えば、ラウラの性格上どうしてもそのような反応になってしまう。

 

無論、大和は手を出したわけではないと一言伝え、更なる驚異が迫っていることをラウラに伝えた。

 

上空を指さす先には更に追撃を加えようと、両手にアサルトライフルを構えているシャルルの姿が映る。

 

 

「逃がさない!!」

 

 

驚くべきシャルルの武器の展開の速さ、二丁のアサルトライフルを呼び出すのに一秒と掛かっていない。展開した双方を前に突き出すように構えると、ラウラに向けて連射していく。

 

ラウラの後退した方向には大和がいる。互いにまとまるのは危険だと判断し、ラウラは左方向へ、そして大和は右方向へと移動をしていく。

 

 

「っと! 目標が二人もいるってのにどんな命中精度だ……よっ!」

 

 

 片方のアサルトライフルから発射された弾丸を、大和は刀を左右に振るいながら弾いていく。背後からの攻撃ではない分弾の動きをハイパーセンサー越しに確認しながら叩き落しているのは、シャルルの攻撃が見えている証拠。

 

初見でこれだけ防げる人間は居ない、それも大和のIS稼働時間はラウラやシャルルに比べれば圧倒的に少ないのに、高いレベルでのパフォーマンスを披露している。

 

それを可能にするのは大和の元々の格闘センス。努力だけでどうこうできる問題ではないのは、ISを稼働しているシャルルが一番分かっていること。

 

弾をかわすのではなく、正面に来た弾丸を刀で弾くような動きを見ながら、思わず関心の声をあげる。

 

 

「凄いね。初見だと防げない人も多いのに」

 

「目だけは良いからな。これくらいはそこまで難しいことじゃない」

 

「目が良いからって……速度は通常の弾丸よりも全然早いんだけど」

 

 

大和の返しに思わず苦笑いが出てくる。大和と一度も戦ったことの無かったシャルルだが、改めて戦ってみて実感するのは大和の強さ。僅かなIS稼働時間で、驚くべき速度で成長している。

 

弾丸を弾くことを重点に置いているため、大和が攻撃してくる素振りはない。このまま押しきれるかと内心思うも、このまま無理矢理押しきるのは危険行為だ。今は上手く弾幕を張ることで接近を許していないものの、弾幕がやめば間違いなく接近してくるだろう。

 

それに一対一ではなく二対二だ。モタモタしていたら二人から集中砲火を浴びて、シールドエネルギーが尽きるのも時間の問題になる。

 

 

「うおおおおっ!!」

 

 

 再度瞬時加速(イグニッション・ブースト)で大和に接近する一夏。このまま攻撃を続けていたら自分の攻撃が一夏にまで当たる、接近状態にある中でこのままアサルトライフルを連射し続けているのは危険すぎる。

 

一旦連射をやめ、一夏の後方に降りる。

 

 

「一夏っ!」

 

 

 一夏が接近してくることに気付き、一夏の攻撃に応戦するように刀を雪片にぶつけた。金属同士がぶつかり合う鈍い音がすると同時に、二人の周囲からぶつかった際の風圧が起こる。その風圧がどれだけの衝撃だったのかを物語っている。

 

力を籠めることで刀が小刻みに揺れ、互いが押し負けないように全体重を相手にかける。一夏の攻撃を受けながらも、大和はやはり余裕を感じさせる笑みを浮かべていた。

 

単純な力比べ、それも接近戦での大和との戦いは圧倒的に分が悪い。先日、手合わせした時のトラウマが脳裏をよぎる。まともな剣技での競り合いではどうあがいても勝てない。

 

 

 入学したばかり、箒との十数分の手合わせを見ただけで大和の実力がすぐに分かった。全国大会優勝者である箒と面と防具を付けない状態で対戦し、全く寄せ付けないレベルで圧倒。箒は攻撃を一撃も当てることが出来ず、完封負けを食らっている。

 

自分は歯が立たなかった相手を、いとも簡単に倒す。それが一夏の目にどう映ったのかは本人しか分からないことだ。それでも脳裏からは絶対に離れない光景になっている。

 

自分よりも上にいる存在、そして同時に絶対に負けたくないと思える存在。いつかこの男の隣に並び立てるくらいに強くなってみせると目標のように思える反面、今の自分ではこいつには勝てないとも思えてしまった。

 

 

 

「なるほど。タッグトーナメントだし、一人を先に仕留めた方が楽だろう。狙いは良いと思うぜ……でもっ!!」

 

「くっ……うわぁっ!?」

 

 

 一夏の雪片を受け止めたまま半身になり、無防備な白式に蹴りを入れる。モニターには物理攻撃により僅かながら体力の減少が映し出されていた。さすがに二対二ということもあり、大和が追撃してくることは無い。

 

いつもなら一度詰めた間合いを離さずに積極的に攻撃をしてきていたにも関わらず、今回はそれとは反対に消極的でこちらの出方を伺うかのような立ち回りが、戦い前に言った大和の言葉が偽りではないことを証明してる。

 

少なからず、仮に大和が勝負を決めようと前に出てくるようならシャルルが大和の攻撃を邪魔していたことだろう。現にシャルルの手にはアサルトライフルが握られており、銃口は大和の方へと向いたままだ。

 

運が良ければそのまま大和だけでも片づけようと思うも、大和だけに集中しすぎると今度はラウラの方がおろそかになってしまう。

 

 

(やっぱり追撃はないね。うーん、いつもの戦いかたじゃないとするとやりにくいなぁ)

 

(あぁ。今の行動もシャルルが居なかったらと思うと、ゾッとするぜ)

 

 

 致命的なダメージを防ぐことが出来るくらいで、一夏に大和の攻撃を完封する手段はない。刀一本で相手に立ち向かう大和の姿は、まるで代表時代の千冬を見ているようだった。

 

千冬に力及ばずとも、同学年の中ではトップクラスの実力を持っているのは事実。近接戦のスペシャリストに近接戦で無防備にも突っ込むようなギャンブルは出来ない。

 

 

(やりにくいね。元々実力があるのもだけど、対策通りにいかないのは)

 

(確かに。それでもやるしかないだろ。逆に対策を考える必要がなくなったんだ、開き直ってやればいいさ)

 

(ふふっ、一夏らしいね?)

 

 

打開策が無いなら開き直ってやればいい。一夏にとっては考えて戦うより、本能のままに戦った方がやりやすいのかもしれない。

 

再度二人で、正面を向き合う。

 

 

「……これから盛り上がるところに水を差すようで悪いんだけど、一旦俺は下がらせてもらうぜ」

 

 

 意気込む一夏とシャルルの二人に、大和から思いもよらない言葉が投げ掛けられる。何をどう思ったのか、二人に伝えられた言葉は、自分が一度戦いから離脱する旨を告げるものだった。

 

急にどうしたというのか。遠回しにラウラと二人で戦ってみろと言っているようにも見える。当然、大和が物事に対して手を抜くような人間でないことは分かっている。だからこそ意味が分からない、何故大和が戦いから離脱するようなことを言うのか。

 

 

「は? 一体何を言って……」

 

「相方がお前ら二人を相手にするんだと。俺は手を出すなってさ」

 

 

個人間秘匿通信(プライベート・チャネル)越しに戦いから一旦離脱する理由を伝える。大和はトーナメントの前に一つの約束ごとをかわし、それに納得している。

 

戦いに手を出さないこと、それはあくまで大和が相手を鎮圧するレベルでの攻撃をするなということになる。大和に許される行動は相手の攻撃から自分を守るだけ。大和の性格を考えても簡単に約束を破るようなことはしない。

 

ただそれはあくまでも負けないケースでの行動であって、自チームの負けが考えられるケースに関しては話は別。もし負けが想定されるケースでは、勝つために大和も戦線に加わることになる。ここに関しては大和の中の線引きであり、約束に関しても表面上のものに過ぎない。

 

 

ちなみに大和が一夏を追撃しなかった理由として、シャルルの存在が大きいが、少なからずラウラとの約束を守る意味合いもあった。本人がそれで勝つと言い切っているのであれば、邪魔をするほど無粋な男ではない。

 

しかし逆手とれば、一夏たちにとってはチャンスに、ラウラにとってはピンチになりうる可能性も十分にあり得る。

 

 

「もしかして、それに大和は納得したの?」

 

「あぁ。でも勘違いするなよ? 納得はしたけど、完全に手を出さないとは言ってない。負けたらそれで格好つかないからな」

 

「大和がそう言うなら……」

 

「まぁ、そう言うわけだから……うわぁっ!?」

 

「なっ!?」

 

 

 言い終わる前に、大和は二人の目の前から姿を消す。厳密には消したわけではなく退かされた。上空を見上げると空高く放り投げられた打鉄の姿、足には頑丈なワイヤーがくくりつけられている。大和の後ろに陣取ったラウラが相手の死角を利用して接近し、打鉄の足にワイヤーをくくりつけると、タイミングよく振り上げた。

 

遠心力により大和は打鉄もろとも上空に打ち上げられて、そのまま宙を舞う。

 

 

「てめっ、ボーデヴィッヒ!」

 

 

 上空から大和の抗議の声が聞こえてくるも、これをどこ吹く風でスルーし、高速移動で二人へと接近する。投げ飛ばされた大和は機体を反転させて、足から地面に落ちていく。地面に着地した瞬間両足に全体重と重力がかかり、地面を抉りながら機体が後退していくも体全体から墜落するのを防いだ。

 

今さらラウラと言い合ったところで、こちらの声は一切通じないだろうと割り切り、戦っている三人から攻撃を受けないように外へと下がっていく。

 

大和の奇妙なまでの行動にアリーナの観客はそれぞれに首をかしげる。ざわめくアリーナの観客席、大和の意図を悟った人間は何人いるのだろうか。

 

少なくとも管制室にいる一人の人物は、大和の意図に気付いていた。

 

 

 

 

 

 

 

「どうしたんでしょう霧夜くん? 急に退いちゃいましたけど……」

 

「ふん、なるほど。おおかたボーデヴィッヒと何か約束でもしているんだろう。戦いにおいて、霧夜が自ら手を退くのは考えにくい」

 

「約束ですか? 一対二の状況でボーデヴィッヒさんにメリットがあるようには思えないですけど……」

 

「あぁ。それでもアイツはやる気だ。だが、一人で勝ち抜けるほど相手は甘くない」

 

 

 千冬の視線が管制室のモニター越しにラウラの姿を射抜く。まるで勝負の行く末を知っているかのように。千冬が何を見てどう判断したのかは分からないが、彼女なりに確信を持って断言出来る部分があるようだ。

 

先を見据えた千冬の言動に対して不思議そうな顔を浮かべ、モニターを見ながら考え込む真耶。勝負はどこで何が起こるか分からない。特にいくら力量で優勢に立っていたとしても、たった一回の慢心が形勢を逆転させることだってある。千冬の自信を持った発言は、今までの戦闘経験によるものだろう。

 

大和というピースを外してまでラウラは一人で相手をすることを選んだ。専用機持ちを含めても、大和の実力は学年トップレベル。稼働時間だけを見ると代表候補生はおろか、一夏よりも少ないのに、驚くべき格闘センスでセシリアや一夏を倒している。

 

 

「それにアイツはいつ気付くのか……本当なら、その役目を生徒にやらせるものではないのだがな」

 

「はい? 織斑先生?」

 

「ふっ……何でもない、気にするな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦況はアリーナへと戻る。

 

助け合う、協力し合うという気は今のラウラからは微塵も感じられない。目の前の敵さえ倒せれば何だって利用する、それが例えペアの相手であっても。ペアが戦闘不能になったところで、自分が残り二人を片付ければどうってことはない。

 

トーナメントのルールは、どちらか片方のシールドエネルギーが尽きたら終了ではなく、両方のシールドエネルギーをゼロにするか、相手が負けを認めるまで続く。だから大和が戦闘不能になっても試合は終わらない。

 

一人でも一夏とシャルルを相手にして勝つ自信がラウラの中にはある。逆にその障害になりうる人物が大和のため、むしろ先に大和を片付けてくれた方がラウラとしては嬉しい部分があった。

 

だが今の攻防を見る限り、短時間で大和を仕留めるのは難しいとラウラは判断した。IS操縦者としての実力を見るのであれば、大和はシャルルに劣る。それに戦い方を誤らなければ、一夏にも勝てる可能性はある。

 

ただ大和のことを瞬時に無力化出来るほどの実力を持っている訳ではないため、ラウラも二人が大和を倒すまで待っている訳にもいかなかった。

 

ならそれよりも早く、自分が二人を片付ければ良いという結論になり、今に至る。

 

 

「一夏、下がって!」

 

「分かってるよ!」

 

 

 突進してくるラウラに対し、一夏とシャルルは互いに分散していく。ラウラが追い始めたのはシャルルの方だった。一撃の近接攻撃を持つ一夏よりも先に総合力で優れるシャルルを潰しておこうと考えたのだろう。

 

幾つものワイヤーブレードを展開ながら、中距離でシャルルを追い詰めていく。さすがにシャルルでも相手の攻撃を完全に見切るのは難しい。損傷を最低限に押さえながら、近接ブレードを用いてこれを対処していく。

 

 

「くぅ……さすがドイツの候補生だけあるね」

 

「どうした!? 貴様も所詮口先だけか!」

 

 

 安い挑発を投げ掛けるも、シャルルは一切反応せず。相手の集中力を削ごうとしたんだろうが、シャルルに対しての心理的動揺は無理だ。とはいいつも、複数のワイヤーブレードを同時に処理するのは先日の鈴と同じように並大抵の集中力を必要とする。

 

 

「そら! これで終わりだ!」

 

「ッ!?」

 

 

ワイヤーブレードを解除し、一気に機体を加速させるとそのままシャルルの懐へと潜り込む。攻撃は止んだものの、間髪いれずの接近でワンテンポシャルルの反応が遅れた。その隙に右肩についている、巨大なレールカノンの照準をシャルルに合わせる。

 

この距離で直撃を食らったらシールドエネルギーが底をつきる。照準を合わされるギリギリのタイミングで反応し、高速切替(ラピッド・スイッチ)でアサルトライフルを呼び出して応戦しようとするものの、腕を上げようとした瞬間に腕が動かせなくなる。

 

迫りくる相手を捕捉するのは難しいが、接近した相手をAICで束縛することは比較的容易に可能だ。それも今のシャルルは自分の行動だけで手一杯の状況であるが故に、AICのことを意識していたとしても反応が出来なかった。相手の心理に付け込んだ良い作戦だったと言える。

 

 

「啖呵を切ったわりに大したことは無かったな。所詮貴様もその程度だったか、つまらん」

 

「そうだね……でも一つだけ君が忘れていることがあるよ?」

 

「何?」

 

 

 追い詰めたシャルルから出てくる挑発染みた言葉にラウラの眉が僅かに動く。このままレールカノンの引き金を引けばシャルルを無力化することが出来る。自分にとっては圧倒的優勢、相手にとっては絶体絶命の状態であるにも関わらず、シャルルの表情がは余裕そのものだった。

 

負ける相手に生意気な顔をされるのがラウラには堪らなく不愉快で、気に入らないものだった。植え付けられた怒りの感情が化けの皮を剥がしていく。イライラが募るもここで吐き出したところでどうにもなら無いのが事実。

 

それでも余裕な表情をされるのだけは、追い詰める側として納得が出来ない。そもそも何故シャルルは余裕な表情を浮かべていられるのか。

 

 

「……」

 

 

 ほんの一瞬だけ冷静になって考える。私は何を忘れているのだろうかと。忘れていることなど無い、追い詰めるまでの立ち回りも完璧だったし、後は攻撃を加えれば終わる。そうすれば残っているのは一夏だけだ、実力的にもシャルルの方が厄介だからという理由で先にシャルルを片付けることにした。

 

 

「……まさかっ!!」

 

 

シャルルの言葉の意味をようやく汲み取る。目先の相手ばかりに目がいってもう一人の存在を忘れていた。先ほどは大和が声をかけてくれたお陰ですぐに気付くことが出来たが、大和には手を出すなと退かせているため、当然声は掛けてこない。

 

タッグトーナメントの名目上、相手は一人ではない。ハイパーセンサー越しに、後ろ斜め上空からラウラに迫り来る影が確認できる。エネルギー刃を出し、この一撃で決めると雪片を振りかぶる一夏の姿だった。

 

 

「ちぃっ!」

 

 

忌々しげに舌打ちをしながらシャルルへの攻撃をキャンセルし、その場から間一髪のタイミングで離れる。離れると同時に一夏の一撃は無情にも空を切った。

 

仕留めるつもりでいたんだろう、攻撃を空振った一夏の表情は悔しさが滲み出ていた。

 

 

「悪いシャルル! 仕留めきれなかった!」

 

「ううん、助かったよ。僕もあのまま粘りきるのは無理だったし、タイミング的にはバッチリだったから」

 

 

最初からシャルルは一夏の攻撃を待っていた。だからラウラの頭から一夏の存在を薄れさせるために時間をかけて、一夏から距離を取らせた。

 

早いタイミングで一夏に飛び込ませてしまうと、一夏の存在をはっきりと認識され、対応されて窮地に陥ってしまう可能性もある。

 

だがシャルルの不敵な笑みにより、ラウラの怒りの矛先は一夏ではなくシャルルに向く。そうなると頭の中から一夏の存在は消える。実際に消えるわけではなくとも、不意の攻撃が出来るくらいには意識が薄れる。

 

それがシャルルの最大の狙いだった。攻撃自体は致命傷になる攻撃を防ぎ続けていたため、シャルルにダメージらしいダメージはほとんど無い状態。

 

しかし一方の一夏は零落白夜を外してしまったために、シールドエネルギーの減少は免れない。それでも一夏に外してしまったことによる負の感情は無い。

 

次がまたある……といった前を向いた姿勢が一夏からひしひしと伝わってくる。

 

 

 

逆にラウラにとって、自分が劣勢に立たされる状況はストレスしかたまらない。自分のパターンで攻めきれず、仕留めることが出来ない。

 

押しているのはこちらのはずなのに、何故か寸前のところで邪魔が入る。これではまるで自分が格下に手を焼いているように見える。

 

トーナメントで相手を完膚なきまでに叩きのめせば、千冬も学園のレベルの低さに失望してまた教官として戻ってきてくれるはずだと思っていたのに。

 

 

「どうしたボーデヴィッヒ。何なら俺も出れるぞ?」

 

「黙れ! 貴様は下がっていろ!!」

 

 

 更には退いた大和からも個人間秘匿通信(プライベート・チャネル)越しに、からかい紛いの指摘を受ける始末。ここまで言われると尚更、協力を頼もうとは思わない。

 

イライラを隠せず八つ当たり気味に吐き捨てるラウラを、大和はじっと見つめたまま仁王立ちで待機する。流石に全く戦線に加わらず見ているだけなのは退屈らしい。実態を知らない生徒たちから見れば、大和が手を抜いてサボっているように見える。

 

 

(実力的にはボーデヴィッヒが上回っている……が、いつ二人が弱点に気付くか。いや、下手するともう気付かれたか?)

 

 

 戦況を見つめながら頭の中で最悪の事態を想定しつつ、すぐに対処できるように戦術を考える。いくら実力が高いからといって一夏とシャルルの息の合ったコンビネーションをそう簡単に崩すのは難しい。

 

片方がAICに捕まったとしても、もう片方はフリーで動ける。ラウラは何の気なしにAICを使っているが、別方向からくる相手に対して同時にAICを展開することは不可能。

 

今の一夏が飛び込んできた瞬間にシャルルのAICを解除したのは、同時展開が出来ないから。一瞬の出来事ではあるが、おそらく二人とも解除した場面を確認しているだろう。

 

一回目は気付かなくとも何回か見せられているうちに違和感が出てくる。大和はトーナメントの最初の段階でAICの弱点に気付いたからこそ、すぐさまラウラに忠告をした。

 

罠だから早く下がれと。

 

 

ただその時点では一夏もシャルルも弱点には気付いておらず、少しでも不意打ちでラウラにダメージを与えていこうと思ったのが最初の行動に出ただけだった。

 

 

大和の杞憂、二人には既に弱点がバレているのかもしれない。

 

出来れば外れていてほしいと願う大和の予想は的中することとなる。

 

 

 

 

「なぁシャルル。さっきからアイツ、片方どちらかを止めることはあっても、二人同時に動きを止めることは無いよな?」

 

「うん、言われてみれば……」

 

「……ちょっと確認してみたい。シャルル、援護頼めるか?」

 

「うん、任せて!」

 

 

一夏の中に疑問が沸き上がる。確かに動きを完全に止めてしまうAICは厄介だが、どうして二人同時に展開することはないのかと。今のケースはもちろんのこと、開始早々の一撃もその気になれば二人まとめて停止結界の網に捕らえることが出来たはずなのに。

 

 

単純に自分たちを格下に見て手を抜いているだけなのか、それとも……。

 

疑問を確認すべく、一夏は再度単騎でラウラに突っ込んでいく。

 

シュヴァルツェア・レーゲンからいくつものワイヤーブレードが展開されて、一夏の接近を拒む。一つ、二つ、三つとかわしていくうちにわずかなワイヤーブレードの歪みを見つけて一気にラウラの間合いへと接近。

 

勢いを利用して雪片を横に薙ぎ払った。

 

 

「無駄なことを……」

 

 

不敵な笑みを浮かべると一夏の接近に合わせて片手を突き出し、再度一夏をAICの網に引っ掛ける。停止結界の前ではどうあがこうにも一夏は行動できない。シャルルを止めた時と同じように、右肩のレールカノンを一夏に向ける。

 

だがラウラは気付かなかった。先ほどまでとは違い、今度は一夏が不敵な笑みを浮かべた。自分たちが仕掛けた網に獲物が引っかかり、してやったりとでも言わんばかりに。

 

 

「忘れているのか? 俺は別に一人で戦っているわけじゃないんだぜ?」

 

「なっ……!?」

 

 

 ラウラが一夏の言葉に、慌てて視線を周囲に張り巡らすも既に遅い。一夏の後ろから現れたシャルルが零距離にてショットガンの弾幕を浴びせると、大きな爆発音と共にレールカノンは爆散した。

 

 

「くっ……!!」

 

 

いくら反応が早い人間でも自分の死角から、それも零距離で攻撃を叩き込まれれば反応は出来ない。大きな攻撃手段を一つ失った。

 

そしてもう一つ、一夏の中の疑問は確信へと変わった。AICは対象に集中していなければ束縛することは不可能、更に同時に複数の相手を束縛することも出来ない。

 

つまり一夏かシャルルのどちらかを束縛したとしても、もう一人が動けるうちは、AICを解除するのは造作もないことになる。ただしそれは二人の相性が良いから出来る芸当であって、互いの相性が悪ければ、早々上手くいくようなものではない。

 

鈴とセシリアが負けた理由も、相手の特性を理解出来なかっただけではなく、個人での戦い方になってしまった部分も大きい。

 

相手の戦い方に自分の戦い方を合わせて、コンビネーションで戦うことがどれだけ難しいか。シャルルが一夏を上手くカバーしてる部分もあるが、最大限に力を引き出せているのは、一夏がシャルルを信頼しているから。

 

強大な力に対して個で立ち向かうのではなく、チームで立ち向かう。戦況を見守る大和も大きく、納得するように頷いた。だが、あまりうかうかしている場合じゃないのも事実。

 

 

「やっぱりそうだ! AICは同時に二方向への展開は出来ない!」

 

 

停止結界の最大の弱点を見破ったことで、勝ち誇ったような笑みを浮かべる一夏。だが、勝負がついたわけではない。あくまでラウラの戦法の一つを潰したに過ぎず、シールドエネルギーをゼロになるまで削る必要があった。

 

それも二人分のシールドエネルギーをだ。

 

 

更に追撃を加えようと一夏は零落白夜を発動させて、一気にラウラとの間合いを詰める。そして後ろから一夏を援護するようにシャルルが一夏の背後からアサルトライフルをラウラに向けて連射する。

 

接近する一夏と遠方からの攻撃に回避以外の行動を取れなくなる。AICを発動させようにも、これだけ切羽詰まった状況では確実に命中させることは出来ない。可能性だけで言えばかなり低くなるだろう。勘で発動させて万が一外した場合、それは自分の敗けを意味することになる。

 

今一夏の零落白夜を食らえば、ほぼ間違いなく自分のシールドエネルギーは底を尽きる。一か八かで使うか、それとも相手が隙を作るのを待つか。

 

もし負けたらと思うとラウラのプライドには大きな傷がつくことになる。私がこんなやつらに負けるのかと、その精神的なダメージは計り知れないものがある。だからこそ何がなんでも負けるわけにはいかない。

 

だが状況は最悪。二人の動きに集中し、それを的確に対処しなければならないのだから。

 

 

「これで終わりだっ!!」

 

 

シャルルの銃撃を上手く利用して、一足一刀の間合いに入った一夏が雪片を振り下ろす。反射的に自身を庇うように左手を差し出し、来るべき攻撃に備える。

 

だが、その攻撃は無情にもラウラに届くことはなかった。

 

 

「……!? や、大和!?」

 

 

斬撃の前にラウラと一夏の間に入り、振り下ろした右手を掴んで攻撃を防ぐ大和の姿があった。直接雪片の刀身に触れたわけではないため、大和にはダメージは無い。ギリギリまで攻撃を引き付け、当たる直前でラウラの前に現れて手首を掴んだのだから、攻撃をした一夏も後ろにいるラウラも気付くはずがなかった。

 

大和は手出しをしてこないと認識していた一夏とシャルルは共に驚きを隠せないまま、ただ茫然と大和の顔を見つめるしかない。驚く様子の二人を薄笑いを浮かべながら見つめると、自身の後ろにいるラウラへと視線を向ける。

 

一瞬、目の前の事態が呑み込めずに呆気にとられていたラウラだが、やがて事態を悟るとその表情は苦虫を噛み潰したような表情へと変わる。

 

 

「貴様……手を出すなと言ったはずだ! 何故余計な真似をする!?」

 

 

何故このタイミングで邪魔をしてきたのかと。ラウラの中には助けてくれたありがたさよりも、勝負の邪魔をされたことによる怒りの方が大きかった。しかし大和は事前にラウラには伝えてある、もし負けそうになるのであれば手を出すと。

 

当然ラウラの言い分としてはもう戦えないわけでもなければ、負けたわけでもない。あくまで劣勢に立たされてはいるが、これからいくらでも立て直すことが出来る。だからこそ、怒りが心の奥底から沸き上がってきた。

 

だが大和としてはどこ吹く風。本当に手を出すなという約束のもとでのトーナメントであれば、手を出してはいなかった。トーナメントの始まる直前、大和はラウラにはっきりと明言をしてある。

 

 

「言ったはずだぜ? 負けそうだと判断したら、遠慮なく手を出させてもらうと。お前の物差しならどうなのか分からないけど、俺はお前の判断基準でとまでは言ってない。負けそうだと判断したら手を出すと言っただけだ」

 

「ぐっ……」

 

 

 そこまで言われてラウラも何も言い返せないらしく、口を真一文字に結びながら大和から顔を逸らす。確かに自分は大和の条件に対し、勝手にしろと言っている。勝手にしろということは、負けそうになったら大和自身の判断で手を出すことに了承をしているのと同じことだ。

 

完全に押し黙ったところで、再度一夏の方へと顔を向ける。一夏としてはこれで仕留めれたと完全に油断していたことだろう。完全に裏をかかれた大和の行動に焦りを隠せない。いずれにしても大和とは戦う運命にはなっていた。それが大和だけを二人で相手にするのか、それともラウラと大和をまとめて相手にするかの違いなのだから。

 

 

「くそっ! 後少しだったのに!!」

 

「そうだな。それでも勝負は何が起こるか分からないし、今回みたいなイレギュラーが起こるとも限らない」

 

 

 戦いにおいて不測の事態はつきもの。ラウラに前線を任せて一旦下がると明言したのは大和だが、手を出さないとは言ってない。それを大和はラウラが負けるまで絶対に手を出さないと、大げさに判断してしまった一夏にも油断があった。

 

頭の中では大和の存在を強くしていても、無意識の内に自分の敵はラウラだけだと錯覚してしまった。その理由は大和が一夏とシャルルに伝えた文言は勿論のこと、本当に一切手を出してこなかったことにある。

 

判断力の部分で未熟さを露呈してしまったわけだが、まだ試合中で反省の弁を述べている暇ではない。一旦この状況を覆そうと必死に策を考える一夏だが、大和に零落白夜を防がれたことで、行き場を失ったエネルギーが刀身から抜けていくことに気付いた。

 

 

「なっ!? エネルギーが!!」

 

 

目の前のモニターに表示されるシールドエネルギーの残量が、零落白夜、瞬時加速(イグニッション・ブースト)の多用で既に二桁に突入していた。これでは零落白夜を使うことも出来なければ、瞬時加速(イグニッション・ブースト)を使うこともままならない。更に相手の攻撃をまともに食らうようなことがあれば、シールドエネルギーは底を尽きる。

 

 

「限界までシールドエネルギーを消耗しては、もう戦えまい!!」

 

「っ!!」

 

「うわぁ!?」

 

 

 一夏のシールドエネルギーが残り僅かだということが判明し、大和の背後からプラズマ手刀を展開したラウラが一気に接近。ハイパーセンサー越しに背後の様子を瞬時に確認した大和は、自身が攻撃を食らわないように寸前のところで一夏の手を放して上空へ避難する。

 

いきなり大和の背後から現れたラウラをこちらも間一髪のところで反応し、一夏は大和から離れるように地上へと降下していく。

 

一夏の回避をサポートするように地上からはシャルルがラウラに向けてアサルトライフルの弾幕を張る。一夏が攻撃態勢に移れないのを確認すると、ターゲットを変えてシャルルに向けてワイヤーブレードを鞭のように振るう。

 

 

「あぁっ!!」

 

 

一つ目はかわすものの、横から奇襲気味に伸びて来た二つ目の一撃をかわすことが出来ずに直撃を食らう。

 

 

「シャルル!!」

 

「はぁぁあああああああ!!!」

 

「しまっ……だぁっ!?」

 

 

シャルルが攻撃を食らったことで、一夏の視線が一瞬地上へと向く。その隙を見計らって再度一夏へとプラズマ手刀を展開しながら接近し、白式に向かって矛先を突き出した。

 

勢いを相殺しきれずにそのまま地面へと落下し、背中を強く打ち付ける。一夏の周りに舞い上がる砂埃の量が、衝撃を物語っていた。絶対防御に守られているとはいえ、背中から地面に落下しようものなら、肺の酸素は一気に外に排出され、呼吸はおろか身動き一つとれなくなる。

 

とどめを刺そうと上空からは急降下でラウラが接近してくる。

 

 

「これで―――ぬあっ!?」

 

 

不意に一夏の前を影が通りすぎる。その影は一直線でラウラに向かうと、体当たりの要領で弾き飛ばした。ラウラにとっても、そして上空で戦況を見守っていた大和にとっても予想外な動き。

 

予想外なのも無理はない。これまでの戦いやデータにおいて、シャルルが瞬時加速(イグニッション・ブースト)を使ったことなど一度もなかったのだから。

 

完全な不意打ちに全く対応で出来ずに地面を二度、三度バウンドして体勢を立て直すも、既にラウラの目の前にはショットガンを展開したシャルルが迫っていた。

 

反射的に腕の装甲で頭部を覆い、ショットガンから身を守る。

 

 

「ば、バカなっ!! 瞬時加速(イグニッション・ブースト)だと!? そんなデータは無かったはず……!」

 

「データも何も、今はじめて使ったからね」

 

 

一夏が何回もの練習を行って身に付けた技能を、たった数回見ただけで扱えるようにしたシャルルの器用さ、操縦センスには誰もが驚かされたことだろう。

 

 

「まさかこの戦いで覚えたとでも言うのか……っ! だがっ! 私の停止結界の前では無意味……うあっ!!?」

 

 

 左手を正面に突き出そうとした瞬間に、今度は背後から衝撃を受ける。一度ラウラの中に染み付いた戦い方は早々簡単に抜けるものではない。AICは効力に気付いていない相手であったり、一対一のタイマンであれば絶大な効果を発揮するものの、複数の相手と戦う時は諸刃の剣となる。発動には膨大な集中力と正確性がいるため、一度に束縛できる人数は一つの対象のみ。

 

 

 

背後からの衝撃を理解出来ずに混乱するしかないラウラ。先ほどの落下で一夏のシールドエネルギーはほぼゼロに近い状態。落下した位置から素早く起き上がり、自分に接近したとしても多少時間が掛かる。まして一夏には瞬時加速(イグニッション・ブースト)を使えるだけのシールドエネルギーは残されていない。

 

何より背後から近寄られたなら、接近する際の音が聞こえるはず。だが現実に音らしい音は一切無かった。シャルルは自分の前にいるのだから背後からの攻撃など出来るはずがない。

 

なら何故、このタイミングで攻撃が来るのか。

 

恐る恐る背後を振り返るラウラの目に飛び込んできたのは。

 

 

「ふっ……」

 

 

 シャルルが使っているアサルトライフルを構えた一夏の姿だった。得意気に勝ち誇った笑みを浮かべながらラウラを見つめる。どうして一夏がシャルルのアサルトライフルを持っているのか疑問に思うも、その疑問はすぐに解消された。

 

シャルルはあえてアサルトライフルを捨てたのだと。捨てられているとはいえ、弾数が残っていれば発砲は可能だ。以前、一夏はシャルルから射撃の基礎ではあるものの、簡単な射撃訓練を受けている。

 

万が一のためにと、やったことが今日役立った。

 

 

(コイツっ……はじめから狙っていたと言うのか!?)

 

 

心の奥底から込み上げてくるのは驚き、そして驚きの感情は徐々に怒りへとシフトしていく。過去の経験から他人から見下されるのを嫌っている。してやったりの表情は、ラウラにとって火に油を注ぐようなもの。

 

怒りの矛先はすぐに一夏へと向く。ただでさえ千冬の顔に泥を塗ったと毛嫌いし、敵意を向けていたところに追い討ちのように格下だと見下された。

 

一夏が思ってなくとも、ラウラはプライドを傷付けられたと怒る。

 

 

「この……死に損ないがぁぁあああっ!!!」

 

 

憎しみに染まった怒りの形相で一夏に突進をしていく。今のラウラの中にはシャルルの存在はなく、瞳の先には一夏しか映っていなかった。目の前のことしか見えなくなった時、人は最も無防備な状態になる。つまりラウラは複数人を相手に背を向けているのとほぼ同等の行為をしていることになる。

 

この場合、一夏よりもそばにシャルルがおり、シールドエネルギーの残量は歴然の差がある。小突くだけでシールドエネルギーが尽きる一夏と、余裕が残っているシャルルのどっちを先に潰した方が楽かなどすぐに分かること。

 

エネルギー不足の一夏に残された攻撃手段は、アサルトライフルによる射撃のみ。それも普段実勢経験のない武器の扱いは、固定の目標ならまだしも、動いている相手を正確に狙い撃つのは困難を極める。

 

相手がセシリアであれば動いている相手を打ち抜くことなど造作もないことだが、近接格闘がメインの一夏にとってそれは無理難題を押し付けられたようなもの。上下左右の移動をされるだけでも、相当狙いはつけにくくなるはずだ。

 

上空にいる大和も一夏のシールドエネルギーが残り僅かなのは知っており、地上への着陸の準備に入っていた。自分が一夏を完全に無力化すれば、ラウラはシャルルとの戦闘に集中できる。そこで決定打だけは受けないようにサポートを入れれば、十分な勝機があると。

 

 

だが残念なことに大和の思惑は外れ、一時の感情に身を任せてシャルルに背を向けて攻撃目標を一夏へ転換。わざわざ自分から作ってくれた隙を見逃すほど、シャルルは優しい人間でも甘い人間でもない。

 

 

「馬鹿野郎! シャルルから目を離すな!」

 

 

慌てて個人間秘匿通信(プライベート・チャネル)でラウラに声を掛けるも、声を掛けた時にはシャルルはラウラの正面にまで接近していた。

 

 

「どこを見ているの?」

 

「なっ!?」

 

「この距離なら外さないっ!!」

 

 

 表面を覆っていた盾の装甲ははぎ取られ、その中から先端の尖った杭のようなものが現れる。射程距離が短く、接近した相手でなければ通用しないが、純粋な攻撃力だけなら第二世代の中でも最強の呼び声が高い装備であり、一撃でシールドエネルギーを半分近くまで削ることが出来る秘密兵器。

 

シャルルは最後の最後までこの武器を隠し、確実に当てられる機会を窺っていた。ラファールの機体で最も攻撃力の高い武装を最後まで隠し持っていたということは、ここが仕留めるチャンスだとシャルルは悟ったのだろう。

 

 

盾殺し(シールド・ピアース)……!」

 

 

攻撃体勢を整えたシャルルに、ラウラの為す術は何一つ残っていなかった。攻撃の前にほんの一瞬だけ、シャルルが笑みを浮かべる。いつもなら誰もを虜にする微笑みが、今は悪魔のようにしか見えない。

 

タイミング的にAICを発動させるのは不可能、処刑台に立たされた囚人のような気分を味わっているようだった。敗北することに対する恐怖心が、ラウラの気持ちを一気にドン底へと叩き落とす。

 

 

「はああああああっ!」

 

「ぐうっ!!?」

 

 

 正面から固い物質をぶつけられたような衝撃がラウラの腹部を襲う。シールドエネルギーを利用した絶対防御が発動するも、たった一撃で一気にエネルギーが減少していく。モニターに表示されたエネルギー残量がみるみるうちに減少していく様子をただ呆然と眺めることしか出来ない。

 

更にパイルバンカーの衝撃を相殺しきれず、人体の方にも殴られた時の衝撃が伝わり、人に握りこぶしで殴られた時のような痛みに苦悶の表情を浮かべたまま、アリーナの壁に叩き付けられた。

 

 

 

 

 壁に叩き付けられると同時に、劣勢を跳ね返した一夏とシャルルのペアに、アリーナ中から大きな歓声と満遍ない拍手が送られた。

 

観戦に来ている生徒のほとんどは、ラウラがドイツの代表候補生であり、一年の中ではトップクラスの実力を持ち合わせていることを知っている。

 

更に鈴、セシリアといった中国とイギリスの代表候補生二人を同時に相手にして、無抵抗な相手をタコ殴りにしたという悪いイメージが染み付いてしまっている生徒も何人かいる。

 

アリーナでの一部始終を目撃してしまった生徒に関しては、ラウラに対して乱暴な悪役のようなイメージが強く、逆に一夏とシャルルには悪を退治する正義のヒーローのイメージが強い。

 

そのイメージが少なからず、歓声や拍手に反映されていた。

 

 

 

 

 

劣勢をひっくり返した一夏とシャルルとは反対に、窮地に立たされたのは大和とラウラだ。

 

大和の方はダメージらしいダメージは無く、戦うことには全く問題はないものの、現状を放っておけばラウラのシールドエネルギーは底を尽き、大和とシャルルの一騎討ちになるのは間違いなかった。

 

いくら近接には無類の強さを誇るといっても、総合力だけを比べれば大和はシャルルに劣る。ましてや片方は遠近両用の装備持ち、片方は近接ブレード一本だけだと考えると、残っているシールドエネルギーを踏まえても大和の分が悪いのは事実だった。

 

それならラウラに気をとられているうちにシャルルを無力化する必要がある。もしくはラウラを助け出し、二人でシャルルを叩くか。いずれにしても考えている時間はもうない。

 

 

 

「ちいっ! 世話の焼ける……」

 

 

上空から一気に降下し、追撃を加えようと壁に叩きつけられたラウラに接近しようとするシャルルの後ろ姿を追い掛ける大和。

 

 

 

 

 

だが、急に機体が前に進まなくなる。

 

エネルギーの残量は十分に残っているから、エネルギーが尽きたわけでもない。先ほどと違うことといえば、妙に両脇の辺りに抱えられているような違和感があることくらいか。だがどうして両脇に違和感があるのかと疑問に思ったところで、大和は現状を把握する。

 

相手は二人いることを。

 

 

「っ!? て、てめっ、一夏!?」

 

 

そう、大和が邪魔を出来ないように後ろから羽交い締めをしていたのは一夏だった。エネルギーは残り僅かで、攻撃する手段がほぼ残されていないとしても、相手の動きを羽交い締めで止めることは出来る。

 

絶対に離してなるものかと渾身の力を込める一夏と、束縛を何としてでも解除しようと前に足を踏み出そうとする大和。

 

 

「大和! 勝負は何が起こるか分からない……だろ?」

 

「くっ……」

 

 

大和を束縛している間にも、接近したシャルルは二発、三発と攻撃を攻撃を加えていく。みるみるうちに削られていくエネルギー、そしてラウラの専用機のシュヴァルツェア・レーゲンにも紫電が走りだし、ISの強制解除の兆候が現れ始める。

 

 

 

 

 

 

 

―――その時だった。

 

 

 

 

 

「うああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 

 

ラウラの悲痛に満ちた絶叫が木霊したのは。



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明かされる真実

 

 

 

 

 

「おいおい。いくら何でもそのイレギュラーは聞いてねえぞ……」

 

 

 目を覆いたくなるような光景だ。シャルルと戦っていたボーデヴィッヒが耳を(つんざ)くような悲鳴をあげたかと思えば、紫電と共にボーデヴィッヒを禍々しい黒い物体が取り込もうとしていく。

 

黒い物体は恐らく元々はシュヴァルツェア・レーゲンだったものか。見る影もないほどに変形したそれは不気味と言い表す以外に無かった。何が起きたのか分からずに唖然と立ち尽くす俺たちをよそにボーデヴィッヒを取り込んでいく。

 

必死にもがいて逃げ出そうとするも、赤子をあしらうかのようにそれを上回るスピードで取り込む様子は、弱肉強食の世界を体現しているようにも見えた。

 

ISが変形して操縦者を取り込むなどと、そんなイレギュラーがあるのかと心の底では思いつつも、事態を冷静に分析している時間は残されてないと判断して黒い物体から距離を取ろうとする。

 

 

「ああああああああああっ!」

 

 

悶え苦しむボーデヴィッヒの姿に、思わず目の前の光景から目を背けたくなる。あれがもし自分だったらと思うと、想像もしたくもない。

 

既に学園側は事態を把握し、生徒たちの安全を守るため、アリーナの表面ガラスのシャッターが降り、アリーナ内と観客席を隔離する。

 

これでは迂闊に近寄ることも出来ない。何にしても相手の実力は完全な未知数、IS変形した姿であるはずなのに、この現状を見る限りでははっきりと言い切ることは出来なかった。

 

正直、ボーデヴィッヒの専用機に何らかの仕掛けが施されていたとしても、黒い物体がシュヴァルツェア・レーゲンだとは思えない。変形するにしても度が過ぎている、じゃなければアリーナと観客席を隔離することはしないだろう。

 

学園側は異常事態だと認識したことになる。これではトーナメントどころの騒ぎじゃないのは事実、無人機襲来の時のように、放っておけば必ず脅威の存在になるのは誰の目に見ても明らかだった。

 

 

「シャルル。ISが原型をとどめないレベルで変形することなんてあるのか?」

 

「ううん。一次移行(ファースト・シフト)する際に若干姿形が変わることはあるけど、原型を留めないなんてことはあり得ないよ!」

 

「とはいっても、目の前の事態は楽観視出来るような問題じゃないよな」

 

「でも、一体何が起こってるのか僕にもさっぱり……こんな光景今まで見たこともないからさ」

 

「逆に何回も見ていたら、それはそれでこえーよ。ISの安全性を疑うレベルだ」

 

 

ジョークを交わしつつも、全く笑えない事態であるのは事実。何百時間とISを乗り回しているシャルルが断言するのだから間違いない。

 

シャルル自身もまさかのイレギュラーに信じられない表情を浮かべながら、黒い物体を見つめる。本来なら黒いISと言いたいところだが、残念なことにもはやISの面影もない。面影の無い物体を、ISと呼ぶには無理がある。

 

 

「……?」

 

 

 僅かながら小さく呼び掛ける声が聞こえる。消え入りそうなほどに小さな声ではあるが、確かに何処かから呼ばれた。キョロキョロと周囲に視線を張り巡らせるも、誰かが口を開いた様子はない。

 

一夏とシャルルを確認するも二人とも声を発した様子はなく、目の前の事態に釘付けになっているように見えた。声を発していないだけではなく、二人には声が聞こえなかったことになる。もしくは声こそ投げ掛けられているものの、小さすぎて聞こえなかっただけか。

 

他にあるとすれば俺だけに聞こえている、もしくは俺が単純に空耳を聞こえたと勘違いしたかのどちらか。可能性としては後者の方が確率が高いのは事実、だが間違いなく俺の耳に声が聞こえた。

 

生憎人の声と空耳を間違えるほど俺の耳は腐っちゃいない。

 

もう一度耳を凝らして呼び掛ける声の正体を突き止める。もっとも、再度同じ声が聞こえてくるとは限らないが聞こえてくる可能性だってある。声の正体を探るべく先ほどよりもより注意深く、全方位に意識を張り巡らせながら声を探る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『た、す……け、て……』

 

「……ボーデヴィッヒ?」

 

 

今度ははっきりと声が聞こえた。

 

やはり空耳ではなく、人間が発した声に間違いはない。だが問題なのは人間が発したか、空耳だったのかということではなく、その声の主。声色から声の主を断定して何気なく呟く。当の本人は目の前の黒い物体に取り込まれながらもがき苦しんでいる。

 

 

「えっ? ボーデヴィッヒさんがどうかしたの?」

 

「あ……いや、特に何がってわけじゃないんだが……」

 

 

 隣にいるシャルルも急に人の名前を呟いてどうしたのかと、不思議そうに顔を覗き込んでくる。シャルルの反応から疑問は確信へと変わる。今の声は聞き取りずらいものの音ではあるものの、誰かが声を発したと十分に認識できる大きさのものであるのは間違いない。

 

普通に声を飛ばしたのであればシャルルも声が聞こえていたはず、しかしシャルルは全くの無反応だった。

 

つまりシャルルには想像通り、ボーデヴィッヒの声は届いていない。となれば個別に個人間秘匿通信(プライベート・チャネル)を使って飛ばしてきていることになる。

 

俺たちが呆気に取られている間に、ボコボコと不気味な音を立てて黒い物体が徐々に形を成していく。

 

 

「雪片……千冬姉と同じじゃないか……」

 

 

 ぼそりと呟く一夏の言葉に釣られ、形成されていく黒い物体に握られているものを凝視する。雪片といえばかつて千冬さんが振るったであろう武装だったはず。

 

現に試合を直接見たわけではないため、俺にはそれが本当であるかどうかは分からないが、一番間近で見て来た一夏が言うのだから間違いないだろう。

 

言われてみれば先ほどまで戦っていた際には、今握られている武器を展開することは無かった。

 

全身装甲のIS……だけど先月アリーナを襲撃した無人機とはまるで似つかない何か。そして現役時代に千冬さんが使っていた武器を展開する姿。ISの形をしたISではないもの。いくら形成された姿とはいえ、不気味な存在である事実は変わらない。

 

先月の襲撃事件と違う点は、目の前のISのようなものに人が搭乗している点くらいだ。

 

とりあえず、下手に相手をするのも実力が未知数な分危険だし、一旦後ろに下がって体勢を立て直すことにしよう。俺は開放回線(オープンチャネル)で二人に指示を投げかけようとした。

 

 

「二人とも、ここは一旦「俺がやる……」―――は?」

 

 

 瞬間に一夏から通信が入る。雪片を中段に構え、切っ先を黒いISへと向ける。今の一夏にシールドエネルギーはほとんど残されていない。小突けばエネルギーは無くなるレベルまで弱っている状態で、正体不明、実力も未知数な相手に挑むなど無謀以外の何物でも無かった。

 

一夏の動きが完全に静止した瞬間、形成を完了したISが一夏の懐へ飛び込んだ。

 

 

「ぐうっ!!?」

 

 

 一瞬のことに全く反応できず、横へと薙ぎ払われた一撃で、一夏の体と手に持っていた雪片が弾き飛ばされる。既に雪片は弾き飛ばされた後で、一夏には防御する手段が残っておらず、完全な丸裸同然の状態になっている。

 

この状況で下手に連続して攻撃を食らえば、一夏の白式は強制的に解除され、生身の状態でフィールドに投げ出される形になる。

 

 

「あの馬鹿……っ!!」

 

「あ、大和!!」

 

 

 言葉を発する前に体は動いていた。シャルルの静止を振り切り、一夏の元へと駆けていく。だが俺が動いた時には既に遅く、続けざまに縦に振り上げた刀を、一夏へと振り下ろした。

 

直撃を防ごうと腕をクロスし、最低限の衝撃で抑えようとするも、振り下ろした攻撃は薙ぎ払った一撃よりも遥かに高い攻撃力を持つ。後ろに吹っ飛ばされると同時に、一夏の白式は強制的に解除された。

 

 

「おい一夏! 無茶するんじゃねぇ!!」

 

 

地面に座り込む一夏の左腕からはジワリと赤い血液が滲み出てくる。シールドエネルギーが底をついたせいで絶対防御が発動しなかったんだろう、むしろこのくらいで済んでよかったと前向きに考えるべきかもしれない。

 

 

「……からどうした」

 

「……?」

 

「だからどうしたっ!!」

 

 

 戦う手段が何一つ残されてないというのに、勢いよく立ち上がると、猪が目の前の獲物を追うかのように一直線で黒いISへと向かっていく。

 

一夏の瞳からは明確な怒りが感じ取れたが、自分自身の不甲斐なさに怒っているのではなく、目の前にいる黒いISに向けられているものだった。

 

猪突猛進という言葉が一夏には似合うだろう、俺が放っておけば一夏は間違いなく死ぬ。生身の人間が全身装甲のISに立ち向かうすべなどない。

 

熟練のIS操縦者ならまだしも、乗り始めて数カ月の一夏が対抗できる術を持っているとは到底思えない。あくまで一夏は普通の人間だ、鍛え方も違うし、限度だってたかが知れている。

 

このまま一夏を突っ込ませることは簡単だが、ここで死なせるわけにはいかない。これがその場限りの任務であれば情など何もないけど、数少ない友達だ。

 

 

 

―――だからこそ、全力で止める。仕事人としての俺ではなく、一個人の俺として。

 

黒いISを殴ろうとする一夏に急いで接近すると、肩を掴み強引に進行方向とは反対側へと引き離す。

 

 

「うわぁっ!!?」

 

 

多少力加減を間違えたようで、一夏は背中から地面に落ちる。本来ならすぐに謝っているところだが、事態が事態なだけに謝っている暇は無い。標的を一夏から俺に移すことで、相手に俺を察知させる。

 

どうやら無防備な一夏より、残った三人の中で最もシールドエネルギーを多く残した俺に標的が移ったようで、黒いISはゆっくりと顔を俺の方へと向ける。

 

無機質な表情が何とも憎たらしい。いや、細かなパーツは一切無いから表情と言い表すのは違うかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「……よう、出来損ない。お前の相手は俺だ」

 

 

挑発ぎみに声を掛けると、俺の声に呼応するかのように雪片を上段に構え、一気に俺の元へと踏み込んでくる。見たことのあるような太刀筋に体が反応し、刀を縦に構えて攻撃を防ごうとする。

 

見たことがあると感じるのも無理もない。ついさっき一夏へ行った攻撃と全く動作が変わらなかったのだから。いくら動きが洗練されていたとしても、来ると分かっている攻撃を対処するのは難しいことではない。これが連続攻撃なら話は別だが、相手の動きを見るからに連続攻撃では無いようにも見える。

 

 

刹那、ズシリとした重たい感触が刀を握った両手にかかる。

 

 

「……のやろう。やってくれるじゃねぇか」

 

 

攻撃を見切ったにしても、相手の攻撃を受け止めればこうなる。一撃一撃が重く、手加減らしい手加減は一切無い。中にはボーデヴィッヒがいるが、彼女の意思とは別に黒いISが動いているのかもしれない。

 

 

「しっ!!」

 

 

 受け止めた攻撃を弾き飛ばして懐に飛び込もうと地面を蹴る。相手は既に次の攻撃モーションに移っていた。でかい図体をしながらも、動きだけは機敏らしい。

 

だが無人機と何ら変わらない生気が通っていない攻撃は俺からすれば何一つ怖くはなかった。

 

武器が、兵器が怖いのではない。それを扱う人間に、俺たちは恐怖して震え上がる。つまり今の黒いISがボーデヴィッヒの意思によって動いているわけではないと仮定すれば、ただ単にマニュアルにしたがって動いている工場にあるような機械と変わらない。

 

標的が作り上げる部品ではなく、動く人間に変わっただけの話だ。

 

 

「はぁっ!」

 

 

黒いISの返し刃による斬撃をシールドで受け止めると、そのままの勢いで無防備な胴体を刀で一閃。

 

 

「……手応えがない?」

 

 

 振り切ったはずなのに手応えがない。当たっているのは間違いないのだが、刀の柄から感じる妙な違和感に戸惑いを隠せなかった。手応えがないともなれば相手には攻撃が伝わっているはずがない。ダメージが無い状態で相手の懐にいるのは危険すぎる。

 

視線を直撃した部分に向けると、漆黒のボディには傷らしい後が全く残っていない。よって俺の攻撃は黒いISに一切通じていないことになる。

 

次なる反撃に備え、後ろへと飛び退くと同時に前を切っ先が通過する。一瞬、判断を迷えば攻撃を食らっていただろう。

 

 

「くそ! なんつー防御力してやがるんだ……」

 

 

 攻撃が通じないともなれば、下手な攻撃は自分の足を掬わせることとなる。俺がいくら攻撃したところで、相手には通じない。相手を無力化するには、一気に仕留められるだけの攻撃力が必要になる。

 

残念なことに、打鉄には最低限の標準装備のみで、防御力を貫けるほどの攻撃力を持ち合わせていない。出来るとすれば救援部隊が到着するまでの時間稼ぎくらいだ。

 

 

「い、一夏! ダメだよ! 危ないから離れてっ!」

 

「離せシャルル! あの野郎ふざけやがって、ぶっ飛ばしてやる!!」

 

「……まだ収まってないか」

 

 

 一夏が駆け出そうとするのを必死に引き留めようと後ろから羽交い絞めをかけているも、一夏の中では納得のいかない部分が大きすぎるようにも見えた。じたばたと体をバタつかせながらシャルルの束縛から必死に逃れようとする。

 

一発でもあの黒いISを殴るまで気を済まなさそうだ。とにかく何を怒っているのか、その理由に心当たりがないわけじゃないが、頭に血が昇っている状態の一夏を落ち着かせる方が先決。

 

ISで本気で一夏を羽交い絞めにしているから抜け出すことは出来ないはずだが、徐々に束縛するシャルルにも罪悪感が湧いてくるだろう。

 

一旦、一夏を落ち着かせるべく、背後の様子を気にしながら前線から退く。悔しいが打鉄の攻撃ではあのISを無力化出来ないのが事実。専用機さえ持っていれば……自分が無力であることに嘆きたいところだが、現実は何を言ったところで変わるわけではない。

 

どうやらあのISもこちらが攻撃態勢にならなければ攻撃を加えてこないらしい。そこは先月の無人機と非常に特徴が似ている。

 

 

「落ち着け一夏。何を怒っているのかは分からないけど、お前一人でどうにかなるような問題じゃないだろ?」

 

「んなこと分かっているさ! でも、あれは千冬姉だけのものなんだ!!」

 

「はぁ? 織斑先生の?」

 

 

 千冬さんの単語が出てくる時点で、一夏が黒いISの使う剣技に対して怒りを覚えているのは把握できた。そうは言っても、一夏がやろうとしていることはただの無謀な行動以外の何物でも無い。

 

ここで無茶をして得られるようなことは何一つないはず、それ以上に自分の命を危機にさらすことになるのは誰が見ても分かること。

 

周りの状況判断が出来なくなるくらい、一夏の怒りの感情が上回っていた。

 

 

「良いから退いてくれよ! いい加減にしないとお前らも―――」

 

「少し落ち着け! 今のお前が行って何が出来る。生身で飛び込んで、無様に殺されるつもりか? お前が居なくなって、悲しむのは誰だ。お前の行動はそこまで考えてのことなのか?」

 

「くっ……」

 

 

 感情任せに言い返すのではなく、落ち着いた口調で一夏のことを説得させる。一夏の怒りを静めることなど、本気で武力行使に出れば簡単に静めることは出来る。だが、それだと場は収まったとしても、結局は根本的な部分の解決には至らない。何故なら一夏は納得していないから。

 

一夏が怒る理由は十分に分かるが、一個人の感情に任せた行動は、時と場合によっては自身を滅ぼすことにもなる。だからこそ、卑怯だと思いながらも一夏にぐぅの音も出させないように言いくるめた。

 

ここで一個人の感情に任せてボーデヴィッヒの元へ突っ込むのと、一旦気持ちを落ち着かせて再度対峙するか。天秤にかければおのずと答えは出てくる。間違っても前者を選択するようなことはない。一夏も自分の不用意な行動で、周りを悲しませたくない思いがある。

 

 

「……ったく、お前は織斑先生のためなら地の果てまで追いかけそうだな」

 

「う、うるせーな。それに千冬姉だけじゃねぇよ。あんなわけわかんねー力に振り回されているラウラも気に入らねえ。どっちにしても一発殴ってやらないと気が済まねぇ」

 

「なるほどね。で、どうするんだ? 正直もう俺たちが手を出さなくても救援部隊が来て、事態を沈静化してくれるだろう。わざわざ我が身を危険にさらさなくても良いと思うぞ?」

 

 

 実際もうすぐ教師陣による救援部隊が来る。俺たちなんかより遥かにIS戦闘に長けているだろうし、これくらいならお手のものだろう。だからわざわざ無理をする必要もない、あえて一夏にどうしたいかを投げ掛ける。

 

仮に一夏が自分たちの手で何とかするのであれば、俺はそれに対して協力はするし、撤退するのであればそれもそれで選択の一つだから反対する義理もない。無茶をするべき場面ではないことは間違いないが、俺もあの馬鹿(ラウラ)を助けてやりたい。

 

 

「……違うぜ。俺がやらなきゃいけないんじゃない。俺がやりたいからやるんだ。他の誰かがどうかなんて知ったことか。大体ここで退いたら、それこそもう俺じゃなくなっちまう」

 

「青臭いな」

 

「うん。僕もその言い方はちょっとあれだと思う」

 

「んなっ!? お前らなぁ!」

 

 

あくまで自分の信念を貫きたいからか。納得させる理由としては不十分だけど、一夏だからと考えれば十分過ぎる理由かもしれない。

 

とりあえず笑い話はここまでにして、少し真剣な話に持っていくことにする。

 

 

「さて、笑い話はここまでだ。飛び込ませたいのは山々だが、無防備で突っ込ませることは了承出来ないぞ」

 

「で、でも白式を起動させるためのエネルギーはもう……」

 

 

一撃を食らった際にISが強制解除を食らったのは、もう一夏の白式には、エネルギーが残っていないため、全展開はおろか武器だけの部分展開も出来ない状態になっている。

 

俺の近接ブレードを貸そうにも重量がありすぎて、振り上げてから振り下ろすだけでも、相当な筋力を使う。常人にはISの補助がなければ振り下ろすことさえ困難なはずだ。

 

貸したところで使いこなせないのであれば、敵ISの格好の餌食になって終わる。振り上げている間に攻撃を食らって、再起不能になる未来が目に見えている。さすがにそこまで危険な行為は黙認しかねる。

 

他に方法があるかとずっと考えてみるものの、これといった方法が見つからずに頭を悩ませることしか出来ない。せめて少しでもエネルギーが残っていれば、もしくはエネルギーを分け与えることが出来れば。

 

そんな都合の良い話があるわけ……。

 

 

「それなら大丈夫。僕のリヴァイヴから直接一夏の白式にシールドエネルギーを回すから」

 

「そ、そんなことが出来るのか!? ならすぐやってくれ!」

 

 

あった。

 

予想外のシャルルの言葉に、思わず目を丸くしながらシャルルの方を向く。どこからかコンセントのようなものを出し、それを一夏の手首に巻き付けられているガントレットに差し込む。シャルルが合図を送るとコードが明るく光り出し、ラファールのエネルギーが送られていく。

 

 

「ただし!」

 

「え?」

 

「約束して、絶対に負けないって」

 

 

手を銃のような形にすると、シャルルはにこやかに笑いながら一夏に励ましのエールを送る。自分に残っている少ないシールドエネルギーを回すのだから、負けてもらっては困ると、そう言いたいんだと思う。

 

エネルギーを回せばラファールのエネルギーはゼロになり、シャルルは戦うことが出来なくなる。シャルルが戦えずに一夏も戦えないとなると、残されたのは俺ただ一人。

 

さっきもあったように打鉄の攻撃力では黒いISの装甲を突破することが出来ない。故に救援部隊にすべてを任せることになる。啖呵を切っておいて無様に攻撃を外したら、恥ずかしくて俺たちに顔向けできなくなるような気がする。

 

 

「もちろんだ、負けたら男じゃねーよ」

 

 

啖呵を切った手前、絶対に勝ってみせると断言する一夏。一夏から返ってきた言葉に、シャルルは再び女性のようなまぶしい微笑みを浮かべて言葉を続ける。

 

 

「じゃ、もし負けたら明日から女子の制服で通ってね?」

 

「うっ、それは……」

 

 

シャルルの言葉に思わず一夏の表情がゆがむ。おそらく自分が女子の制服を着て登校する姿を、頭の中で瞬時にイメージでもしたんだろう。中性的な顔をしているし、制服の着方や化粧次第では化けないこともないけど、実際男の自分が女装をして登校するなど考えたくもない。むしろ考えたこともないはずだ。

 

シャルルがサラリと笑顔で言う辺り、確信犯にも思える。

 

 

「へえ。ならそこに化粧をするってオマケも付けたらどうだ?」

 

「あ、それ良いかも」

 

「あ、あぁ。良いぜ、負けることなんてないからな」

 

 

負けることは無いと言いつつも、一夏は顔を引くつかせる。負けた挙句に女子生徒しかいないIS学園に女装で登校なんて男からすれば地獄のような罰ゲームだ。

 

兎にも角にも、シャルルと俺の提案に納得すると同時に、シャルルのラファールが解除されエネルギーの移行が完了したことを告げる。

 

 

「これで完了。リヴァイヴに残っていたエネルギーは全部渡したよ。大和、一夏のサポートお願い出来るかな?」

 

「おう、お安い御用だ。一夏、全てはお前の攻撃に掛かっている。確実に当てろ、そのための隙ならば俺が必ず作ってやる」

 

「……助かるぜ、二人とも」

 

 

 エネルギーの移動が終わったガントレットを掴むと同時に一夏の周りを眩い光が包み込む。そして右手を天高く掲げると、右手を覆うように白式の腕部分の装甲だけが展開され、右手には雪片弐型が握られていた。

 

零落白夜を使うことを考えると、シャルルのエネルギーだけでは右腕の部分展開が限界だったみたいだ。

 

むしろ想定内。一夏を如何に安全にボーデヴィッヒの懐に飛び込ませるか。黒いISは俺たちの攻撃を感知し、行動する。標的が一夏に向いてしまうと危険なため、一旦俺が飛び込んで相手を引き付ける。

 

その隙に一夏が全エネルギーを使った零落白夜を叩き込む。部分展開とはいえ、攻撃力は通常の零落白夜と何ら変わらない。

 

一発クリーンヒットさせれば、必ず勝機を見いだせる。

 

俺に与えられた使命は一夏を守り通すこと。何が何でも、一夏を守り切ってみせる。

 

 

「やっぱり、残りのエネルギーじゃ武器と右腕だけで限界だね」

 

「いや、これだけあれば充分さ」

 

 

切っ先を黒いISへと向けると、ただならぬ雰囲気を察知したのか、こちらへと向き直る。

 

 

 

 

 

 

「一夏、ちょっといいか?」

 

「何だ?」

 

 

 作戦の前に一言、どうしても一夏に伝えたいことがあった。柄じゃないのは分かっている、自身に今の立場を言い聞かせる意味合いもある。

 

またそれとは別にこの場限りで、もう一人救い出したい奴がいる。どうしようもないほどの不器用で、自身の感情を上手く表せない奴だけど、俺や一夏、シャルル……みんなと同じ、たった一つのかけがえのない存在であり、命だから。

 

俺自身の我儘になるかもしれない、俺には何より一夏を守るという優先すべき任務があるというのに、今だけはそれ以上に優先したいことがある。護衛失格だと、私情を挟む自分に嫌気がさしてくる。

 

 

 

「―――俺の身を挺してでも、お前をISの懐に飛び込ませる。だからお前も、俺を信じてくれ」

 

「何を今更。お前が言ってくれるほど、信頼出来る言葉なんてねーよ!」

 

「……そう言ってくれると助かる」

 

 

嫌気がさす大元の理由は私情を優先することではない。

 

今、目の前にいる人を、自身の力で救うことが出来ない自分の無力さに対してだ。

 

俺がどれだけ頑張ったところで、黒いISの無力化出来る一撃は持っていない。立ちはだかるISを倒すことに間接的にではあるものの、一夏を利用しようとしている自分を本気でぶん殴りたくなる。どうして数少ない友人を、わざわざ危険な目に合わせようとするのかと。

 

だからこそ、全幅の信頼を寄せてくれる一夏に、俺は応えなければならない。

 

 

 

 

()()()を救ってもらう代わりに、俺はこの命を懸けてでも一夏を守り抜くことを。

 

 

 

 

 

「零落白夜……発動!」

 

 

掛け声とともに、一夏の刀身には青いエネルギー刃が出現し攻撃の準備が整った。

 

 

「……準備は良いか? 相棒」

 

「あぁ、いつでも」

 

「なら―――行くぞ!!」

 

 

俺の合図と共に一斉にその場を駆け出し、黒いISと交戦状態に入る。向こうも俺たちの接近に気付き、刀を構え直すと、一直線にこちらへと向かってくる。

 

俺が先頭に立ち、一夏に攻撃の矛先が向かないように注意を向けながら、迫りくるISの動きを凝視する。今度は一対一ではなく一対二だ、数だけなら俺と一夏が優勢だろう。

 

黒いISは俺の接近に合わせて刀を縦に振り下ろしてくる。

 

 

「はっ!」

 

 

刀を上空に向けて一閃し、相手の刃を弾く。それでも相手には怯みらしい怯みは無く、返し刃で再度俺の体を薙ぎ払おうとしてきた。

 

 

「二度も同じ手を食うかよ!!」

 

 

 迫りくる攻撃を弾かずに、刀で受け止める。先ほどよりも更に重たい衝撃が握っている刀越しに俺へと伝わってくる。攻撃を直で受け止めようとすれば痛いに決まっている。

 

だが攻撃を弾いたところで、すぐさま次の行動に移られて反撃を食らうのが目に見えている。それなら次の反撃に移らせないように、わざと刀で受け止めた方が隙を作りだすことが出来る。一瞬の痛みと、敗北を天秤にかけたら多少の痛みを我慢することなんて容易い。

 

攻撃を刀で受け止めたことで、刀を握る手にジワリと赤いシミのようなものが出来る。相手の攻撃を無理に受け止めたせいで衝撃が直に手に伝わっているのかもしれない。

 

 

 

……だがこれで隙は作れた。ハイパーセンサー越しには背後から飛び込んでくる一夏の姿が確認出来る。黒いISは俺が刀を受け止めているせいで、次の攻撃の動作には移れない。つまり完全な無防備の状態を作り出すことに成功したのだ。

 

雪片を高々と振り上げた一夏は、勢いそのままに一直線に振り下ろす。

 

 

「今だ一夏!!!」

 

「はぁぁあああああああああ!!!」

 

 

―――一閃。

 

零落白夜が直撃した黒いISは紫電を発しながら、巨大な体が崩れ始める。刀に込められた力が和らいでいくことが、ISの無力化に成功したことを証明する何よりの証拠だった。

 

 

「おっ……と」

 

 

 胴体部分が真っ二つに割れ、中から衰弱したボーデヴィッヒが顔を覗かせる。付けている眼帯は外れており、薄く開けられたまぶたの奥には、金色に輝く瞳が見えた。眼帯を外したボーデヴィッヒの表情を見るのは初めてだが、それによってこちらも得るものがあった。

 

今の表情を見るだけでは、敵意をむき出しにしていた頃の行動が到底信じられない。自分を捨てないでほしい、見捨てないでほしいと強く訴え掛けるようにも見えた。

 

体を預けるように俺の方へ倒れ込んでくる。流石に犬猿の相手とはいえ、抵抗する力は既に残っていなかった。一瞬俺の方へと視線を向けると、安心したかのように瞼を閉じる。

 

 

「大和! ラウラは無事なのか!?」

 

「あぁ、特に目立った外傷はない。とはいっても、一旦保健室に運んだ方が良いだろう。まぁ、後のことは教師たちに任せようぜ」

 

「それもそうだな。……にしても、気を失った表情だけ見ると、普段の行動が信じられねーな」

 

 

本当に一夏の言う通りだ。もし助けてもらって生意気なことを言って来るのであれば、文句の一つでも言い返してやろうと思ったけど、ボーデヴィッヒ表情を見るとそんな気は彼方へと消え去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ったく、どこまでも迷惑を掛けてくれたもんだ―――この、大馬鹿野郎」

 

 

 

 

 

 

 

俺の腕の中で眠るボーデヴィッヒに向けて小さな声で呟く。果たして俺の声が聞こえているのか、聞こえていないのか、それは本人しか分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『何故だ……どうしてお前はそれほどにまでに強い?』

 

 

 白い空間に一人佇むラウラは、目の前に見える後ろ姿に向かって投げ掛ける。代表候補生でもなければクラス代表でもない、ましてやISを稼働させてから日も浅い男がどうしてこれほどまでに強いのか。

 

敵意をむき出しにして食ってかかった相手に、助けられたともなれば何も言い返せなくなる。むしろラウラ自身が恨まれる対象になったとしても不思議ではないのに、何故自分を助けたのか。自分と進んでペアを組んだことといい、ますます霧夜大和の人物像が分からない。

 

ラウラの問い掛けに対してしばらく後ろを向いたまま黙っていた大和だが、少しばかり考え込んだ後にラウラに答えを返す。

 

 

『……俺はお前が思うほど強くないよ。俺なんてまだまだ、人一人守れないような弱い人間さ』

 

 

淡々と大和は答える。

 

大和の返答に、気持ちムッとしながら表情を歪ませた。ラウラにとっては理解しがたい内容だった。代表候補生であり、一ドイツ軍人である自分は、IS学園の生徒にIS戦闘で遅れをとるとは思わないし、生身の戦闘でも常人なら容易に組伏せる自信がある。

 

第三者の力を借りたとはいえ、自分の暴走したISを止めたのだ。生半可な実力じゃ止められない上に、制御状態に無いISに挑めば、下手をすれば命を落とすことだって考えられる。ラウラとは別の意思で動いていたのだ、加減など微塵も無かっただろう。

 

自身の生命が脅かされるかもしれない強敵に立ち向かう強靭な精神力。生身では軍人の自分をいとも簡単にあしらえるほどの戦闘力。少なくともただの人間だとは考えにくい。

 

 

 

ラウラの中で結論として出せたことがある。

 

―――大和は間違いなく、自分よりも強い存在であると。

 

 

だというのに返ってきた答えはラウラの思っていたこととは真逆の答えだった。自分は弱い存在であるという言葉がラウラの心に突き刺さる。いつものラウラなら激昂していたことだろう、私のことをなめているのかと。

 

ただ言い返そうとは思わなかった。

 

 

『弱い? お前がか?』

 

 

大和へとラウラは確認の意味を込めて言葉を返す。

 

 

『あぁ。むしろこの世で全てにおいて強い人間なんていないと思うな』

 

 

振り返りながらラウラに問いかける大和の表情は、ラウラが今までに見たどの表情よりも穏やかだった。そして自分のことを考えて話し掛けてきていることが読み取れた。

 

 

『俺もそうだし……そうだな、千冬さんもそうだと思うぞ』

 

『教官が……?』

 

 

意外な人の名前がそこで出てきた。大和の言葉に目を丸くしながら、ぱちぱちと何度もまばたきを繰り返す。今この場で大和が千冬の名を口にしたのもそうだが、何より自分が全てにおいて理想だと思っていた人物の名を、何の迷いもなく強い人間ではないと口にしたからだ。

 

ラウラの中では尊敬された人間を馬鹿にされた怒りはなく、驚きしかなかった。

 

 

『人ってのは弱味を知られたくないから強がる。仮に自分が上に立つ人間であれば、より弱味なんて見せないだろうな。お前の見ている千冬さんは確かに強かったかもしれない、でも千冬さんのプライベートを見たことはあるか?』

 

『そんなもの……』

 

 

見ているに決まっていると返そうと思った瞬間に言葉が出なくなる。

 

軍事教官としての千冬は誰よりも強く、そして尊敬できる人間だった。自分以外の人間にも尊敬の眼差しを向ける者は大勢いる。少しでもお近づきになろうとする者を、鬱陶しそうに追い返していた姿をよく見た。

 

ラウラの中では千冬という人物は自分の目指すべき、尊敬すべき人。この人のように強くなりたいと思っていたのは間違いない。

 

 

……なのに千冬のプライベートのことを聞かれると、何も答えられない。

 

何故だ、千冬のことは誰よりも知っているはずなのに。誰よりも近く、誰よりも熱心に教導を受けていたのにどうして。

 

千冬が自分のことをどう思っているのか、普段どのようなことを考えているのか。分かることが一つも無い。初対面ではないから知っていることもあるはず。

 

 

ラウラが見ているのは教官としての千冬であって、一個人としての千冬ではない。彼女が知っているのは教官としての千冬だ。

 

休みには千冬が何をしているのか、訓練が終わった後、どのような過ごし方をしているのか、肝心な一個人としての千冬の生活を見たことなど、当時のラウラは一度も見たことがなかった。

 

好きな食べ物は、趣味は、異性タイプは。

 

頭の中でいくつもの質問がぐるぐると回る。そのほとんどを答えることが出来ない……否、分からない。千冬のことを分かっているつもりが、何一つ理解出来ていなかった。

 

何気ない質問に答えることが出来ず、下を俯いたままうなだれるラウラ。

 

表面だけを見て全てを知った気でいた。だが現実はこれだ。千冬の思っていることはおろか嗜好品や生活も分かっていない。これでよく、誰よりも千冬を知っているなどと胸を張れたものだ。

 

人として恥ずかしいと思うあまり、大和と顔を合わせられない。ラウラのことを見つめ、どこか苦笑いを浮かべながら言葉を続ける。

 

 

『……話を戻すぞ。全てにおいて完璧な人間なんて居やしない。誰もが弱い部分を持っている』

 

『……』

 

『俺だって弱い存在だ。だからこそもっと強くなりたい。それでも力だけを求めていたら、間違いなくその力に飲み込まれる』

 

 

純粋な力だけを求めた者はいつかその強大な力に飲み込まれる。だからこそ、同時に強くならねばならない部分が人間には存在する。

 

今のラウラはまさにそれだった。純粋に勝つための力を求めたからこそ、その強大すぎるほどの力に飲み込まれた。強くありたいと願ったからこそ、自分でも制御出来ないほどの力に負けた。

 

皮肉と言えば皮肉かもしれない。だが今回の件で力を己の為だけに求めようとしたらどうなるかは、今回の一件を経て十分に理解しただろう。

 

 

『強さってのは自分がどうしたいか、どのようにありたいか。自分の信念みたいなものだと思っている。だから逆にそこを考えられない奴は強くなる為の土台すらままならないってことさ。当然ガタガタの土台で強くなれるわけがない。もし仮に間違った強さを求めようとすれば……』

 

 

力を制御出来ずに自分自身が飲み込まれる。頭の中で再度繰り返し呟く。

 

 

 

『間違った考え方をしなければ強くあろうとすること、誰かを目標にすることは悪いことじゃない。現に俺も尊敬する人、目標にしている人はいるしな』

 

『そう……なのか?』

 

『あぁ。土台っていうのは道を踏み外さないようにするための礎。その礎を築くには身体以外に強くならないといけない部分がある。どこか分かるか?』

 

『……』

 

 

大和の質問の意図は分かる。ただ意図が分かるだけで、答えまでは分からない。千冬に少しでも近づくために、体を鍛えること頭脳を磨くことなどの純粋な力を求めていたラウラにとって、それ以外に鍛える部分など到底見当もつかない。

 

答えが分からないまま、しばらく沈黙を貫くラウラ。大和も一言も話そうとしない。答えが分からないまま時間だけが経っていく。

 

 

『分からないならいい。解答は人それぞれだし、自分なりの答えを自分自身で導き出せばいい』

 

『あ……』

 

 

答えられないままでいると先にラウラの様子を悟った大和が二言ほど告げると、今度はラウラに背を向けたまま反対方向へと歩き去ろうとしてしまう。とっさに手を伸ばそうとするもその手が大和に触れることは無かった。自分の意志とは逆に体が思うように動かない。

 

更に視界がぼやけ、大和の姿が歪み始める。ここはどこなのか、夢でも見ているというのか。夢だったとしても夢とは到底思えないほど、リアルな光景にラウラは何を信じていいのか分からなくなる。

 

 

『まぁ、あまり深く考え込んでも仕方ない。固いことばかり考えていたら楽しいはずの人生もつまらなくなっちまう。もう少し素直になっても、人を信じてみても良いんじゃないか?』

 

『楽しい人生……』

 

『あぁ、思っている以上に捨てたもんじゃ無いと思うぞ。強さを求めるだけじゃなくて、たまには別のことに羽を伸ばしてみるのも良いだろ』

 

 

同い年だというのに大和の言葉はまるで人生の先輩にでもアドバイスをされているかのように、重みがあった。

 

別のことに羽を伸ばせと言ったのは、今までとは別に年頃の女性らしいことに手を伸ばしてみるのも良いんじゃないかといった内容を揶揄したものだろう。しかし今まで戦いの中を生きてきたラウラにとって、楽しい人生とはどう過ごせばいいのか分からない。

 

 

『……仮に今度お前が途中で道を踏み外しそうになったら』

 

 

少しばかり間を開けて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――俺が踏み外さないようにお前を支えてやるよ』

 

 

大和が最後に一言を告げた後、ラウラの視界は暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

目を開けた先に飛び込んできたのは白い天井だった。体に掛けられた布団がほんのり暖かい。既に先ほどの光景はどこにも残っておらず、ようやく夢の世界のことだったのだと認識する。

 

 

「よう、起きたか?」

 

「お前は……ッ!」

 

 

足元から聞こえた声に、返事をしようと体を起こしていくと、体の節々に痛みが走る。激しい訓練をした後のように身体中が重い。途中まで腹筋の要領で起こした体を、再びベッドの上に倒す。懐かしい感覚だ、体の至る部分が打撲しているのだろう。

 

無理に体を起こそうとしても体が痛むだけなのは目に見えている。少しだけ上体を傾けさせて、頭部側の壁に頭を寄り掛からせて体を支える。改めて大和のことを見ると、手には授業で使う参考書が握られていた。自分がベッドで寝ている間、ずっと勉強をしていたのだろうか。

 

自分が意識を手放してから既に数時間は経っている。外は夕焼けの影響もあってほんのりと黄金色に染まっていた。

 

 

「あまり無理はするなよ。そこまでひどくないけど、体の至る部分を打撲しているみたいだから」

 

「大丈夫だ。これくらいなら何てことはない」

 

「そうか」

 

 

 参考書を閉じて机の上に置き、椅子から立ち上がると半開きになっていたカーテンに手を掛けて開く。室内に夕日が入り込み、先ほどよりも明るい光が保健室を照らす。床にはベッドにもたれ掛かるラウラの影と、窓から外の景色を眺める大和の影が映し出される。会話の無いまま、保健室には時計の秒針が時を刻む音だけが響く。

 

 

「俺が保健室に居たのは意外だったか?」

 

「あぁ。完全に恨まれていると思っていたから……」

 

「……正直な話、鈴やセシリア、それに全く関係の無いナギにまで手を出したことを許せってのは都合がいい話だ。下手をすれば命に関わっていたしな」

 

 

淡々と言葉を続ける大和だが、その一言一言がラウラに重くのし掛かってくる。冷静な今だからこそ判断が出来る、自分のした愚かな行動。一人の軍人、人間として絶対にやってはならないことを平気で行ってしまったことに対する罪悪感が押し寄せる。

 

ラウラのしたことが大和にとって許せない行為であるのは間違いないが、今の大和に怒りの感情は感じられない。隠しているかもしれないが、大和の性格を考えるとそれは考えずらい。

 

罪悪感と共に押し寄せてくるのは安心感。あの時大和が介入していなかったら、どうなっていたのだろうか。大和の話すように下手をすれば命に関わっていたに違いない。人を殺めたことがないわけではない、自分とて軍人だ。戦場に立てば嫌でも人を殺めることはある。

 

ここはIS学園。ISという兵器を学ぶ場所であり、戦場ではない。当然人を殺めることは重犯罪になる。もしそれが現実となっていたら……。

 

 

「わ、私は……」

 

 

沸き上がる恐怖感に顔を青ざめながらガタガタと体を震わせる。

 

無防備な相手に一方的に暴力を振るい、それに対して優越感に浸る。どれだけ愚かで小さな人間なのだろう。どうして先のことを見据えた行動が出来なかったのだろう。何故今回の行動が千冬にまで迷惑を掛けることを汲み取れなかったのだろう。

 

全てを司る神にでもなったつもりなのか。

 

……私は、一体何なんだろうか。自分の存在意義がガラガラと崩れていく。

 

千冬のようになりたいという目的が無くなった以上、ラウラがすがる紐は何一つ無くなった。何のために生き、何のために尽くせばいいのかが分からない。

 

 

どうすればよかったのか。ただ俯くラウラに大和が歩み寄る。

 

 

「何この世の終わりみたいな顔してんだよ。終わるも何も、始まったばかりじゃねーか」

 

 

軽くラウラの額を小突くと、暗い表情をしながらも顔を上げる。溜め息をつきながら、ベッドのすぐ横にある簡易椅子に腰掛けて頭を軽く掻く。

 

 

「あのな、確かにお前のやったことは許せる行為じゃない。でも許す許さないはお前が決めるものじゃないし、誰も許さないなんて一言も言ってないだろ」

 

「……んで」

 

「トーナメントの前と後でお前が決定的に違う部分は、自分の非を認められるようになったこと。自分の行いに罪悪感を感じれるのなら、お前はまだ終わっちゃいない」

 

「なんで……」

 

「ん?」

 

「何でお前は私のことが庇える!? 私はお前たちに散々酷いことをしてきたというのに、何故私を恨まない! どうして私のことを嫌いにならない! 何で私を軽蔑しない!!?」

 

 

ラウラの内に秘めていた思いが爆発する。どうせなら自分のことを徹底的に突き放してほしかった。あれだけの騒ぎを起こしたのだから、もう自分に居場所などない。報告されれば本国へ強制送還されるのも時間の問題だろう。

 

居場所がないのにここに残る意味もない。何故大和は庇うようなことばかり言うのか。恨まれても仕方ないのに、どうしてこの男はいつもと変わらない表情で平然と話していられるのか。

 

頭の中がぐちゃぐちゃになり、泣きそうな表情を浮かべるラウラを、顔色一つ変えずに見つめる。

 

しばらくすると答えが分かっていたかのように、微笑みを浮かべて。

 

 

「……庇うことに、助けることに、理由なんているのかよ?」

 

「なっ……」

 

 

ラウラに一言告げる。理由がないと言い張る大和の言葉にラウラは完全に言葉を失ったまま絶句する。この男は人を助けることを本能的に行っているとでも言うのか。

 

 

「あぁ、勘違いするなよ。誰でも助ける訳じゃない。大罪人を助けるほど、俺はお人好しじゃないんでな」

 

 

自分の言ったことをラウラが勘違いしたと悟り、補足として言葉を続ける。余程のことがない限り、まだ更正の見込みがあると判断すれば、大和は間違いなく手を差し伸べる。

 

かつてセシリアが大和の家族を侮辱した時もそうだった。言われた時こそ激昂したものの、セシリアが大和に謝罪をした時にはすぐに許していた。もちろんセシリアが平謝りをしようとするとは考えられないが、可能性としては否定できない。

 

それでも謝罪をすぐに受け入れ、セシリアのことを許した。人を見る目があるのか、それとも一度あった出来事はすぐに忘れて切り替えるタイプなのか。恐らくはその両方だろう。

 

護衛の当主として人を見る目、人心把握には自信があると自ら豪語しているが、実際一般人に比べれば遥かに人を見る目はある。

 

ラウラは大和のお眼鏡にかなったともとれるが、大和がラウラを気に掛ける理由はまた別にあった。

 

 

「お前が黒い物体に飲み込まれる際に声が聞こえたんだよ。助けてくれって」

 

「そ、そんなことは言っていない! 余計なお世話だ!」

 

 

ラウラが黒い物体に飲み込まれる時、小さくはあるが助けを乞うような声が聞こえたのは間違いない。一度目は声が小さすぎて聞こえなかったものの、二回目に関してははっきりと大和自身が聞き取れた。

 

更に大和が把握する限りでは、場に居合わせた一夏とシャルルにはラウラが助けを乞う声は聞こえず、自分だけに個人間秘匿通信(プライベート・チャネル)を使って投げ掛けてきたことも。

 

とはいっても状況が状況だっただけに、ラウラも必死だったはずだ。助けを乞おうとする行為は何ら不思議ではない。

 

ただ大和の言うことが事実だったとしても、言った本人からすれば認めたくないことだ。ましてやプライドが高く、元々敵視していた相手に助けを乞いましたなどと言えるはずもなく、顔をそらしながら断固として言ってないと言い切る。

 

 

「そこまで否定しなくても……まぁこの際言った言わないはいいや。俺の空耳だったかもしれないし」

 

 

 言ったことは事実だ。声を聞き間違えるほど、大和の耳は悪くない。それどころか耳が特別良い人間でなくとも、あの声であれば誰もが聞き取れるような声量。必要以上に詮索しなかったのは、自分が誰かを頼ろうとした行為を知られたくないことを察知したからだろう。

 

最も聞いた人物が噂好きの生徒なら、あっという間に学園中に噂を広めたかもしれないが、聞いた相手は大和だけで、大和自身も噂を広める行為は好きじゃないため、広めるつもりは毛頭ない。

 

 

「……他に庇う理由があるとしたら、お前がここに入学してきた時に、何となくだけど似ているって思っちまったからだな」

 

「私とお前が……か? 何を馬鹿な、生まれも育ちも国籍も性格も言葉遣いも、何から何まで違うだろう」

 

「あぁ、俺も少し前まではそうだと思っていたよ。まさか自分と同じような境遇を経験した人間がいるわけが無いって」

 

「同じような境遇?」

 

 

大和が言っていることが分からない。さっきから聞いていれば一体何が言いたいのか。庇う理由が無いと言ったかと思えば、今度はラウラと自身が似ているからと言う。

 

挙げ句の果てには自分と同じような境遇を経ているなどと言い始める始末。

 

 

「何でだろうなってずっと考えていた。でも何度考えても俺の中の違和感は取れなかった」

 

「……」

 

 

話を聞けば聞くほどに、ますます分からなくなってくる。分かることがあるとすれば、大和の口ぶりがまるで自分のことを昔から知っているかのようなところくらいだ。

 

ラウラも生まれてから今まで数多くの人間とであったことがあるが、大和に会ったことは一度たりともないと断言が出来る。一度会った人間の名前は忘れても顔だけは絶対に忘れない。

 

仮に当時会った顔立ちから変わっていたとしても、多少の変化であればすぐに気付けるくらいの察知能力は持ち合わせている。

 

頭の中で過去の記憶を繰り返し探り続けるも、大和と顔と名前が一致するような人間は一人として出てこない。やはり自分は大和と会ったことはないとはっきりと断定できた。

 

大和が会ったことがあると言い張るのであれば、それは完全な他人のそら似だと言い切れる自信がある。

 

自分と大和は会ったことはない。言い切れるからこそ大和の口ぶりに違和感を覚えた。

 

 

「……ラウラ・ボーデヴィッヒ。お前に聞きたいことがある。もし嫌だったら答える必要はない」

 

 

大和は知っている、ラウラは何も知らない。

 

大和の考えていることなどラウラだけではなく、他の第三者すらも分からないだろう。

 

聞きたいことがどんな内容なのかもラウラには分からない。

 

ただ大和の言葉は自分の全てを見透かしているのではないかと思うほどの迫力があった。

 

……何故見透かされていると思うのか。自分の過去を誰かに話したわけでもなければ、そもそもの前提で大和に会ったことすらない。仮に自分の過去を知りうる人間がいるとすれば自分と同族の人間か、もしくはその関係者。

 

見透かされてると思ってしまう今の自分の心理状態が異常なのだと、自分に言い聞かせるように納得をする。

 

知っているわけがない、見透かすことが出来るはずがない。

 

そう思っていた。次に発せられる大和の言葉を聞くまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

「遺伝子強化試験体って知っているか?」

 

「―――ッ!!?」

 

 

大和の言葉に対して如実なまでの反応を見せるボーデヴィッヒ。その反応は、言うまでもなく言葉の意味を知っていることを物語っていた。

 

何故お前が知っている、そんな感情が含まれた視線を大和へと向ける。

 

ドイツ独自で行っている研究の一つで、戦いのために通常の人間よりも身体能力の高い人間を産み出す実験。産み出された赤ん坊は通称試験管ベビーと呼ばれる。

 

ラウラにとっては最も思い出したくないトラウマの出来事だ。大和の言葉によって、再び過去の苦い経験がよみがえってくる。

 

 

「図星か。とりあえず、無理に細かいことまでを聞くつもりはない。ちょっと確認したかっただけだ。聞いたことが真実なのかをな」

 

「……一体、お前はどこまで知っている? 何故私が遺伝子強化試験体だと分かった?」

 

 

ラウラの言うこともごもっともだ。結局はそこに結論が行き着く。どうして大和が遺伝子強化試験体のことについて知っているのかと。

 

遺伝子強化試験体の実験について知っているのは、ドイツ軍や研究者のごく一部のみ。それを一般人である大和が知り得るはずがない。

 

 

「……」

 

 

……いや、違う。

 

その思考には一つだけ大きな誤りがある。どうして会ったことがないからといって、自分のことを知ってるはずがないと言い切れるのか。

 

自分は会ったことがなかったとしても、第三者の介入で大和が自分を知れる機会はいくらでもあった。根拠もなしに知り得る機会は無かったで片付けるのは違う。自分が気付かなかっただけで、知り得る機会は十分にあった。

 

遠くから観察されていればこちらは気付けないし、ラウラ自身の資料に目を通せば生い立ちから何から何まで判明する。

 

自分は試験管ベビーであるが故に、研究者からデータを取られている。研究者の一人が大和と知り合い、もしくは両親だったとすればラウラが試験管ベビーだと気付く可能性は十分にある。

 

 

ただ一つ分からないのは、自分を知り得る機会はあったとしても、自分と共通点があるかと言われれば甚だ疑問だ。何をどう見て大和は自分と同じ境遇におかれていると言ったのだろう。

 

はっきりと同じ境遇だとは言っていないものの、言葉を濁して言っていることくらいは流石に気付く。

 

同じ境遇……自分が置かれていたような立場を幼少期に味わったことがあるのか、それとも現在進行形でその立場にいるのか。少なからず現在の大和の生活環境を確認する限り、孤独な生活を送っているようには見えない。むしろ一般の高校生と比べてもかなり充実した生活を送れている。

 

いずれにしても断定は出来ない。想像はいくらでもすることが出来ても、ラウラ自身で答えを導きだすことは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

それこそ、断定が出来る理由があるとすれば自分自身と……。

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

 

 

自分自身と全く同じ場所で、同じようなことを大和も受けていたとしたら。

 

 

 

 

 

 

 

「まさか……」

 

 

 

 

 

 

 

にわかには信じられないが、そう考えると全ての辻褄が合う。

 

ラウラが一つの可能性を導きだしたと同時に、黙っていた大和が口を開き。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――何でかって? 理由は簡単さ。俺もお前と同じ、遺伝子強化試験体だからだ」

 

 

衝撃的な一言がラウラに告げられた。



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揺れ動く心、初めての感情

 

 

 

 

 ベッドを背もたれに言葉を失ったまま俺の方を見つめる姿が目に入る。そこまで驚かせるつもりはなかったけど、自分の予想していた遥か斜め上の答えが返ってくればボーデヴィッヒの反応も無理はないかもしれない。

 

ずっと誰にも話せずに秘密にしていたこと。何故俺が生身の体でIS相手に立ち向かうことが出来たのか、その真実がこれだ。

 

戦うために生み出され、戦いのためだけに生きている試験管ベビー……遺伝子強化試験体。

 

今俺につけられている名前も本当の名前ではなく、全て千尋姉がつけてくれたもの。俺が生まれたのはドイツであるが故に、国籍も日本国籍ではない。

 

そもそも遺伝子強化試験体だから国籍の概念も無いのかもしれない。自分の体のこと知っているのは自分自身だとよく言うが、俺は自分の体のことすら分かっていない。

 

通常の人間よりも遥かに身体能力の高いハイスペックな体だ。テレビで見るような信じられない動きも、すごいと思ったことはない。

 

毎日がつまらない、人間は信じられない。そう思っていたのはいつ頃のことだろう。

 

初めて意識がはっきりした時に目に入ってきたのは両親ではなく、白衣に包まれた研究者たちの姿だった。

 

親の顔も知らずに育てられ、愛情を注がれずに育てられた人間が俺たちだった。だからこそ本当の親子の愛情を知らないし、仲睦まじい親子を見ると羨ましく思う。

 

それでも今は不思議と現状に満足出来ている自分がいる。

 

 

「そんなまさか、お前が……」

 

「何と言われようと事実は変わらない。正真正銘、俺は遺伝子強化試験体だ」

 

 

 信じられないと言った表情を浮かべられるのは予想通り。ボーデヴィッヒの中には様々な感情が渦巻いているんだろうけど、一番引っ掛かる部分に心当たりがある。

 

俺とボーデヴィッヒはドイツにいた頃に会ったことがない。俺はボーデヴィッヒと顔を会わせる前に霧夜家に引き取られたため、俺の存在を知る人間はごくわずか。それでも研究者たちに聞けば何人かは俺のことを知る人間が出てくるだろう。

 

だからこそ、ボーデヴィッヒは俺が強化試験体だったことに大きな驚きを感じているようにも見える。

 

 

「では何故ここにいる? 本当に遺伝子強化試験体だとするなら、お前もドイツ軍に所属しているはず……」

 

「あのままならそうだったかもな。それより先に俺は霧夜家に引き取られた……いや、拾ってくれたって言った方が正しいか」

 

「拾ってくれた……まるで捨てられたみたいな「みたいじゃない、捨てられたんだ」……え?」

 

 

ラウラの言葉に覆い被せるように言葉を続ける。

 

 

研究者達(くず共)にな……」

 

 

 当時のことを思い出そうとすると虫酸が走る。全てを吐き出したいという感情を噛み殺すように、拳を強く握りしめて冷静さを保つ。最も握りこぶしを作っている時点で、冷静かどうかと言われれば冷静とは言えない。

 

自分をゴミ同然の扱いで捨てた研究者たち……いや、人間全てを憎み、恨み、そして何度も頭の中で殺した。

 

元々邪険に、食事すらもまともに与えてもらえずにモルモット同然に扱われていたところへ、追い討ちを掛けるように捨てられた。当時まだ五歳になるかならないかの年齢で、生活する術などあるはずもなく、資金なんて一銭たりともない。

 

捨てられ、その命が尽きる前に俺は拾われた。

 

 

「お前ももしかしたら、聞いたことがあるんじゃないか。強化遺伝子が適合しなかった失敗作がいると」

 

「……その話なら聞いたことがある。通常の遺伝子よりも更に強化した遺伝子を組み込むことで、より強靭な試験体を作るつもりだったらしいが、どれも失敗で実験自体が無かったことになったと……」

 

「……」

 

 

 ボーデヴィッヒも聞いたことがあるんじゃないかと思って聞いてみると、予想通りの答えが返ってきた。

 

この実験には数多くの成功例がある中で、強化遺伝子を組み込むことに失敗し、出来損ないの烙印を押されて捨てられた試験体たちがいる。

 

実験内容は通常の遺伝子よりも更に強化された遺伝子を組み込むことで、より強靭な遺伝子強化試験体を作り出すというもの。単純な話、人知を越えたスペックを持つという仮定の元に研究は進められたが、実際は上手く行かなかった。

 

肉体のベースは通常の人間と全く変わらないのに、そこに想定を遥かに越えた遺伝子を組み込めばどうなることくらい分かるだろう。

 

 例えば自転車に取り付けられているタイヤ。ここに空気を注入するとタイヤ自体が膨張して表面が固くなり、地面を安定して走ることが出来る。逆に空気がなければ表面は柔らかいままで体重を支えることが出来ずにバランスが安定しない。それで道を走ろうとすれば、当然転倒する可能性だってある。

 

では逆に空気を入れすぎたらより安定するかと言われたらそれもまた違う。物には体積がある。許容量を越えて積み込んだり、入れたりすれば動かなくなるし、タイヤの場合は入れすぎればタイヤのゴムが中からの空気圧に耐えきれずに破裂する。

 

人間だって同じだ。限界スペックを越えて強化し続けてれば、人の体は崩壊する。

 

 

 

 

その成れの果てが俺たちだ。

 

 

「……くくっ」

 

「?」

 

 

屈辱的で腹立たしいことなのに、何故か笑い声が出てきてしまう。

 

失敗作がいると伝えているのは既に俺も知っていることだが、まさかあの実験を無かったことにしているのは初耳だ。そこまでして自分たちの保身のために、俺たちは捨てられたのかと考えると命をどれだけ軽視しているのかが分かる。

 

人を、命を、何だと思っているのか。

 

ふざけるな……。

 

心ではそう思っているのにどうして笑い声が出てくるのが不思議でたまらない。このタイミングで笑い声をあげた俺を驚きの表情で硬直しながら見つめるラウラ。

 

ラウラに俺はどう映っているのだろう、言い表すのであれば『不気味』という一言が最適かもしれない。

 

 

 

 

 

 

「ははっ、はははっ! そりゃ傑作だ!! まさか実験自体を無かったことにするなんてな! 流石研究者様たちは考えることが違う!」

 

 

 怒りや恨みを通り越して笑いしか出てこなかった。何も思っていなかった、俺たちのことなんてただの使い捨ての駒にしか見てくれていなかった。やっぱりそうだ、口では綺麗事を述べようとも真実は変わらない。

 

あいつらが俺らを捨てたという事実はどう隠蔽しようが、俺たちが生きている以上は真実として残る。

 

 俺から人を信頼すること、信用すること。その全てを取り去ったのはあいつらだった。自分の心が弱かっただけなのかもしれない。心を開こうとしなかっただけなのかもしれない。捨てられてから何回か思い返すことがあった。俺たちが捨てられたのは仕方のないことだったのかもしれないと。

 

それがボーデヴィッヒの一言で疑問は確信に変わった。実験を無かったことにしたことが、俺たちの存在を無かったことにしたのと同じだと。

 

 

「……そもそも、あの実験は失敗なんかしてないんだよ」

 

「え?」

 

「失敗してないのに、俺たちは捨てられたんだ。危険因子としてな」

 

 

 失敗したというのはあくまで表面上の理由で、研究の実態は成功していた。逆に成功してしまったからこそ捨てられた、生まれつきハイスペックな能力を持つ試験体が他国に寝返るようなことがあれば、それだけで大損害を被る。

 

並みの人間よりもスペックが高い通常の試験体よりも、更に強大な力を持つ試験体の戦闘力は一人、二人いれば国の一つ、二つを容易に壊滅させられる程度のものがある。それでも自分たちの手で始末するわけにもいかない。

 

 もし軍にバレれば自分たちの明日は保証できない。だからこそ、物心がつく前に俺たちを捨てた。軍上層部にはしばらくは順調だったが、力を制御出来ずに実験は失敗に終わったとでも伝えてあるのだろう。

 

もしくは軍上層部も繋がっていて、事実を完全にもみ消したのどちらかか。いずれにしても捨てられた事実は変わらない。

 

戦闘力は高くとも生活スキルはほぼ無いに等しい。食べ物も飲み物も満足に取れない生活が続けば、勝手に飢えで死んでいく。道ばたに佇む人間に手を差し伸べる人間なんかいるわけがない。ましてや場所が貧困街であれば尚更だ。

 

暗い世界で一人孤独に生きていたことを思い出したくはない。ゴミ箱に捨てられた食べ物を貪り、人が到底食べないであろう生き物を生のままで食べる。何日も風呂にも入ってないから、身体中垢だらけだ。泥臭く汚く、誰もが俺たちを軽蔑し哀れみ、そして手を差し伸べようとはしなかった。

 

ボーデヴィッヒも周りから見捨てられたという点では同じだが、食事を与えられずに捨てられているわけではない。俺がまだ本当に遺伝子強化試験体なのかと信じられていないのも事実だろう。

 

 

「……それは、五百円玉か?」

 

「あぁ」

 

 

事実を飲み込めていないボーデヴィッヒに、ほんの少しだけ力の一部を見せるべくポケットの中から新品の五百円玉を取り出す。よくテレビで十円玉を折り曲げたり、リンゴを握り潰したりするチャレンジ番組を見たことがあると思う。

 

親指と人差し指で五百円玉を見せながら、レプリカではないことを確認させる。片方の人差し指で五百円玉をコツコツと叩き、固い物質である事実を証明した後に、それを手のひらに乗せて閉じる。

 

握りこぶしをボーデヴィッヒの目の前へ突き出す。

 

目の前で拳に力を込めて、手の中に包んだ五百円玉を握り潰す。特に力の加減は考えてはいないが、ある程度力を入れればつぶれてくれる。

 

手の中に固形物が形を変える感触が伝わってくる。元の大きさから小さくなったことを確認すると、手のひら側を上に向けてゆっくりと開く。

 

 

「……!!?」

 

 

手のひらの中にある五百円玉を見てボーデヴィッヒは完全に言葉を失う。無惨な形にひしゃげた五百円玉が手のひらに乗っている。詳しくは五百円玉だったものか、既に元々の形状は保たれていなかった。

 

この形を見て五百円玉だと分かる人間が何人いるのだろう。恐らくほとんどの人間がガムの包み並み程度にしか理解しないはず。

 

常識の範囲で考えるのなら、五百円玉を握り潰すのは有り得ない。

 

 

「もう、普通の人間って感じがしない。私生活だと力は押さえているけど、力を出せばこうなる。迂闊に握手も力を込められない」

 

「……」

 

「絶対に叶わないって分かってたけど、何度普通の体になりたいって思ったか。自分の体を恨んだよ、どうして俺は普通の人間じゃないんだろうって。こんな力があっても、皆怖がるだけで良いことなんて一つもない」

 

 

何をしても手加減をしないといけない。運動を楽しめたことは今まで一度たりともない。全力で体を動かすことが運動の最大の楽しみなのに、全力を出せば動き全てが人間じゃなくなる。……いや、人間では出来ないような動きになる。その動きを見ればたちまち周りは俺から離れていくだろう、化け物が現れたと。

 

このふざけた体を作り上げた奴らをいつか根絶やしにすると、何度考えて実行しようとしたか。

 

 

「視力も、聴力も。全てが人間のそれを超越した。何も望んじゃいないのにだ」

 

「一体お前は……」

 

「……悪い。完全に私情を挟んじまった。……まぁとにかく、そんなこともあって、昔の俺は人を信じられなかった。人間イコール研究者のイメージが染み付いていたから、誰にも心を開こうと思わなかったし、人のために何かをしてやろうとも思わなかった」

 

 

ボーデヴィッヒの言葉に徐々に感情が込められてくる。少なくとも先ほどまでの刺々しい感情はなくなり、どことなく俺のことを心配してくれているようにも見えた。

 

過去の話を交えつつ、俺が話せる範囲の部分をボーデヴィッヒに話していく。生まれてから酷い扱いを受けていれば、人は心を閉ざしてしまう。

 

 

「……それでも俺に手を差し伸べてくれた人がいた」

 

 

殻に籠った状態の俺に手を差し伸べて引きずり出してくれたのは千尋姉だった。あの人に会わなかったら俺はずっと殻に籠ったままだっただろう。

 

殻を破って初めて、全ての人間が捨てたものではない、この世界はまだ腐り切ってはいないと認識を改められた。本当の人の優しさ、温かさを身をもって感じ、守られているだけではなく、誰かを守れる人間になりたい。

 

だからこそ戦うために得た身体能力を、今度は人を守るために使おうと思うようになった。

 

迷惑ばかりかけた分、俺はその恩を返したい。

 

 

そして……。

 

今俺の身近にいる大切な人を守りたいからこそ、俺は前を向ける。

 

 

「人間って、本当に不思議だよな。一つの行動で傷付けることもあれば、救うことも出来る。俺はその行動で救われて、自ら殻を破ることが出来た」

 

「……」

 

「過去のことを洗い流せとは言わない。それでも同じところに依存し続けていたらつまらねーだろ。新たな目標、生き甲斐を見付けてみても良いんじゃないのか?」

 

「生き甲斐……」

 

「ボーデヴィッヒ、お前に目標や生き甲斐はあるか?」

 

「それ、は……」

 

 

 質問に対して気まずそうに俺から視線を背ける。答えられない。ボーデヴィッヒの様子がそう物語っていた。本気で何も浮かんでこないんだと思う。

 

今までボーデヴィッヒの目標は生き甲斐は、千冬さんに依存した部分が大きかった。それ以外に何か目標があるか、信念があるか、生き甲斐があるかと言われると一つも思い浮かばないらしい。

 

毎日が退屈だと嘆いている人間はよくいる。特に目標もなく、毎日何もせずに過ごすだけの満足感の得られない生活を送っているのかもしれない。

 

 

 

 

しかし、どんな状況においても、最終的に自分を変えるのは自分だ。いくら周りがサポートを入れたとしたも、それらは全てきっかけにしか過ぎない。今ある現状から一歩踏み出すのは自分自身、この場合はボーデヴィッヒ自身。

 

もし彼女がここから一歩足を踏み出そうとするなら、俺はそれを全力でサポートしよう、全力で守ろう。

 

それは同類としての感情ではなく、一個人霧夜大和としての感情。俺がそうしたいからそうする。

 

間違ったっていい、今ならまだ取り返しがつくから。

 

一回しか無い、自分だけの人生だ。悔いだけは残したくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「見つからないなら、これから見つければいい。俺も見つけるまでに時間が掛かったけど、必ず見つけられる。もし見つからないなら、その時は俺も一緒に考えてやる」

 

「霧夜、大和……」

 

「何に縛られる訳でもない。今日からお前はラウラ・ボーデヴィッヒとして生きていけばいい」

 

 

俯いて言葉を一言も発することがないまま、時間だけが過ぎていく。

 

もうこれ以上俺が何かをすることもない、俺がやれることは全てやった。後はボーデヴィッヒがどう判断し、これからどう行動するか。それは俺自身が決めることじゃない。

 

あくまで俺が与えたのは切っ掛けで、それを土台にするかどうかはボーデヴィッヒが決めることだ。

 

……今は一人にさせてやろう。俺がいつまでもいても気まずくなるだけで、長い時間一人で考え込む時間も必要だろう。

 

 

「ま、何かあったらいつでも声掛けてこい。俺は先に部屋に戻っているから」

 

 

部屋を後にする時、後ろから何か小さな声が聞こえる。一瞬足を止めるも、振り返らずに俺は保健室を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「あっ……」」

 

 

保健室から自室へと戻ると、俺の部屋の前でナギとばったりと出くわす。以前の一件から若干の距離感を感じるようになり、どうにも気まずい雰囲気になるのは否めない。

 

それでも俺の部屋の前をウロウロと徘徊していたのは、用があるから何だろうけど。鉢合わせた瞬間に少し焦ったような表情を見せたのは気になるけど、そこは気にしても仕方ない。とりあえず用件を聞こう。

 

有無を言わずに殴られるのだけは勘弁だけど。まさかそんなことはないよな?

 

 

「おう、どうした?」

 

「あ、実は大和くんを待ってて……」

 

「俺? あー……悪い。もしかして結構前から待ってたりしたか?」

 

「ううん。来たのはついさっきだから、そんなに待ってはいないけど……」

 

 

待ってないと言いつつも、十数分前から待っていたのは分かる。ノックしても部屋の中から反応がなかったから、俺が不在なのが分かり、戻ってくるまでの間部屋の前で時間を潰していたってところか。

 

俺だったら不在と分かった段階で一旦部屋に戻るけど、戻らないのがナギなりの優しさなんだと思う。

 

本当についさっき来たのなら、それはそれで俺の勘違いってことになる。格好つけてて予想を外すことほど恥ずかしいことはない、故に誰にも言わないようにしよう。

 

 

「とりあえず部屋にでも入るか? 立ち話じゃ疲れるだろ」

 

「うん、ありがとう」

 

 

仲が良いから何事もなく招き入れることが出来るけど、これがもし初対面の女性とかであれば完全に口説いているようにしか見えない。

 

俺が女性を部屋に招き入れるところを誰かに見られたり、写真を撮られたりすることを考えると若干怖いが、毎回周囲を警戒しても妙なことをしている人間は居ないし、そこまで気を張っても仕方ないと割りきってはいる。

 

俺や一夏の私生活の写真なんかは当然高く売れることだろう。仮に今のシーンが誰かに撮られたとすれば、俺だけじゃなくて、ナギまで被害を受けることになる。それも二人きりで部屋に入ったとすれば、変な勘繰りをする人間も出るだろうし、ロクなことにはならない。

 

部屋の鍵を開け、先にナギを部屋の中に入れた後、俺もそれに続いてさっさと部屋の中に入った。

 

部屋の明かりを付け、手に持った鞄を机の上に置き、制服を脱いでハンガーに掛けた後、ベッドにどっかりと腰を下ろす。

 

続いてナギも隣のベッドにゆっくりと腰を下ろす。俺はワイシャツに制服ズボンといった如何にも帰宅したばかりの高校生みたいな服装だが、ナギはキャミソールにショートパンツといったラフな格好。

 

女性のプライベートの部屋着としては割りとスタンダードなものだが、中々にこれが際どい。腕を上げた時に横から見えるアレとか、スタイルのよさがより際立つボディーライン。同世代だと誰だろう、篠ノ之ほどは無くても、セシリアよりもありそうな気はする。

 

目のやり場に困る。年頃の男の部屋に来るんだから、もう少し目に優しい服装にしてほしいと思いつつも、絶対に手は出さないだろうといった信頼感があるのかと考えると、正直複雑なところがある。

 

何か話題は……。

 

 

「あれ、そういえば結局トーナメントってどうなるんだっけ?」

 

「聞いた話だと実力を見るために、一回戦だけはやるんだって。他の子から聞いた話だから確証は無いけど……」

 

 

 思い付いたことをそのまま口に出すと、間髪いれずに返事が戻ってくる。結局トーナメントは非常事態により中止。後の戦いはやらずに終わりかと思ったら、完全に中止にはしないらしい。予想はしていたけど、これだけ行事ごとに問題が絡んでくると、もう何もやらなくて良いんじゃないかと考えてしまう。

 

それでも学校行事として毎年行っているから、来年も同じように行うんだろうけど、いくらなんでも問題が起きすぎな気がしてならない。

 

先に行われた代表戦では無人機の襲撃、今回のトーナメントではVTシステムの暴走。

 

 

 

 偶然にしては色々と出来すぎている。未だかつてIS学園でこれほどに問題が起こる学年があったのか。過去のことを全て知っている訳じゃないから何とも言えないけど、無かったと思う。

 

もしかしたらどこかの誰かが一枚噛んでいるのかもしれない。俺としては外れてほしい杞憂だが、可能性としては十分に考えられるのが事実。

 

場の問題は解決していても、根本的な問題はこれからもずっと出てくるだろう。それをどれだけ手早く揉み消し、無かったことに出来るか。起きてからじゃ遅いから、何がなんでも未然に防ぐ必要がある。

 

学園の警護と一夏の護衛。まだ先は見えないけど、必ずやり遂げてみせる。

 

 

 

 

 

 

「そんなことよりも……ボーデヴィッヒさんとは」

 

 

ふと口に出してくるのはボーデヴィッヒのことについて。部屋の前で彷徨いていた理由は、賭けがどうなったのかを知りたかったからか。

 

ボーデヴィッヒに俺が約束を取り付けた時、すぐ隣にいた上に、その場ではっきりと賭けに負けたらIS学園を退学すると言い切ったから、心配をしてくれたのかもしれない。

 

万が一のことを想定しているらしく、あまり俺と顔を合わせようとはしなかった。聞きにくい内容なのは明らかだし、分かっているのならわざわざ部屋に来て確認するようなことはしない。

 

言い出しにくそうに恐る恐る尋ねてくるナギに、はっきりと回答を返す。

 

 

「ん? あぁ、賭けのこと? そもそもトーナメントが中止になったし、賭け自体も無効だよ。アイツもそれで納得してくれるはずさ」

 

「ほ、本当……?」

 

「おう。だから俺がここから出ていくことはないよ」

 

「……」

 

「どうした?」

 

 

ボソボソと呟いたような気がするも、あまりに声が小さすぎて聞こえなかったため、再度聞き直そうと耳を近付ける。

 

 

「……良かったぁ」

 

「へ?」

 

 

 今度ははっきりと聞こえた。同時にベッドの上に乗せた右手に暖かい何かが覆い被さってくる。視線を下げるとはっきりと瞳に映るもの、ナギの左手だった。暖かくもどこか震えている左手、もしものことがあったらと想像したせいで、不安に満ちていたんだろう。

 

俺が近くにいることを確かめるように強く、そしてしっかりと手を握ってくる。絶対にこの手は離さないと訴えかけるように。

 

 

「ずっと心配だったの……本当に大和くんが私たちの目の前から居なくなるんじゃないかって」

 

 

力を込める左手からは、ナギが胸の内に秘めた想いが伝わってくるように感じられた。暖かい……というよりは熱い。

 

俺自身は自信満々で啖呵を切ったものの、それを見ていたナギの内心は俺とは違う。少なからず良い方に捉えてはいない。俺も勝算があったかと言われれば確固たるものはなかった。

 

分の悪い賭けであることに変わりないし、一夏やシャルルに頼らなければ成り立たないものだったのも事実。一夏とシャルルが俺たちと当たる前に負ければ、作戦が成功する可能性は大きく下がる。

 

大げさに言うなら不可能に近い。そんなふざけた賭けを自分から持ち掛けるなんて、頭がどうかしているとしか思えない。

 

それでも俺を軽蔑するわけでも、見放すわけでもなく、最後まで俺のことを心配し続けてくれたことに対して自責の念に駆られる。

 

 

「ごめん。今思うと軽率だった……」

 

「今?」

 

「うっ……約束を取り付けた時からです」

 

 

痛いところをつかれてただ首を縦に振ることしか出来ない。声や雰囲気からして怒っているわけではなさそうだが、芯の通ったぐぅの音も出ないほどの正論に顔を逸らす。

 

気まずくなるのなら初めからやらなければと突っ込まれても、男には退けない時があるからとだけ言っておく。

 

でも、この学園を退学せずに済むと考えると、肩の荷が下りたように感じた。何だかんだで思い入れが強かったんだろう。仕事中にあまり私情を挟むことはないが、今回は三年間に及ぶ長期的な仕事になる。それに加えて俺自身は男性操縦者としてIS学園に三年間通うことになるわけだ。

 

一週間、長くても一ヶ月で終わる仕事ではない為、人と仲良くなるし、思い入れも強くなる。

 

 

「……でも」

 

「ん?」

 

「……本当に良かった」

 

 

 安心したかのように顔を俺の肩に乗せてくる。俺とナギの距離は最も近い場所にある。それこそ俺はナギに、ナギは俺に世界で一番近い場所に。実際に聞こえるわけではないが、ナギの心拍数が体を介して同調しているように感じられた。

 

―――暖かい。人間特有の温もりがすぐ側で感じられる。例えるなら家族のような安心感だ。他の人間だと特に何とも思わないのに、千尋姉とナギが近くにいると同じような感覚になる。不思議と嫌な感じはなかった。

 

ナギの顔は紅潮しているようにも見える。耐性が出来たからなのか、俺が鈍いだけなのかは分からないけど、自然と恥ずかしいと思うことはなかった。

 

むしろこのままずっと側に居たい、この温もりを感じていたい。

 

何故そう思えるのか。そもそもこんな感覚今まで思ったことなんて……ない。誰かにここまで気を許したことも無ければ、誰かを強く意識することも無かった。ましてや誰かに好意を寄せるだなんて考えたことすら無かった。

 

変わったのは周りじゃ無く、俺自身だ。

 

周囲が、皆がクラスメートが親友が俺と言う存在を変えてくれた。

 

そして……

 

 

本気で守ろうと思える人に出会えた。

 

 

「―――ありがとう」

 

 

ナギの一言に感謝の言葉を返す。今の俺に出来ることは彼女に対して感謝すること。俺のことを心配してくれたことが何よりも嬉しかった。

 

一緒にいるとこれほどに落ち着ける相手はいない、側にいてほしいと思える人はいない。

 

……今まで決して考えることも沸き上がることも無かった感情、これが人を好きになるってことなのか。

 

意識すると心臓の高鳴りが大きくなる。ナギの顔を直視できない。

 

 

「……あの、大和くん」

 

「……」

 

「大和くん?」

 

 

 声を掛けられているのは分かるのに声が出なくなる。返事が出来ない。入学して出会ってから何度も異性として意識している節はあった。それでも人に恋する、惚れているとまでは思わなかった。

 

一緒にいてこれだけ意識してしまう、無意識の内に体温が上がるなんて経験はしたことがない。全てIS学園に入学してからだ。

 

視線の端にナギの顔が映る。心配して覗き込もうとしているんだろうが、覗かれたら俺の顔が見られてしまう。さぞかし今の顔はだらしないものだろう。

 

 

 

見られるわけにもいかず、勢いよくその場に立ち上がる。

 

 

「……ちょっと顔洗ってくる」

 

「え? う、うん」

 

 

 

 

 

 

 

 顔を覗かれる前に素早く洗面台へと駆け込む。後ろでは突然どうしたのかと呆然とするナギの姿が容易に想像出来た。洗面台に駆け込み、壁に体重を掛けるように寄りかかり胸に手を当てるとハッキリと心臓の高鳴る音が聞こえてくる。

 

自分が思っている以上に意識しているみたいだ。一旦気持ちをリセットするために、顔に勢いよく水を当てる。ほどよい冷たさが火照った顔を冷すと同時に、心臓の高鳴る音が徐々に収まってくる。二回、三回と繰り返し顔に水をかけて、ようやく気持ちが落ち着いてきた。

 

蛇口を閉め、畳んであるタオルで顔についた水滴を拭う。

 

 

「や、大和くん。大丈夫?」

 

 

顔の水滴を拭い終えたところで、ナギが洗面所の入り口からひょっこりと顔だけを出す。心配そうな表情を浮かべながら控え目に声を掛けてくる姿は、本気で俺の体調を案じてくれているんだと思う。

 

 

「……悪い。ちょっとな」

 

 

拭ったタオルを洗濯籠の中に投げ込み、平常心で洗面台から出る。出口から少し離れた場所に立つナギと目が合う。

 

 

「あっ……」

 

 

 先に反応したのはナギの方だった。俺と視線を合わせたまま、互いに視線を逸らせなくなる。長い間見つめ合えば見つめ合うほどに恥ずかしくなるのに、不思議と恥ずかしさはなかった。

 

裏表のない純粋な瞳に、一本一本が毎日手入れされているかのようにサラサラな前髪、そして柔らかそうな唇。ナギが何を考えているのか俺にも分からないように、ナギにも俺が考えていることは分からない。

 

千尋姉に覚えるような安心感。絶対に重ねて見てはいけないのに、自然とナギと千尋姉を重ね合わせてしまう。

 

不意に感じる孤独感、誰かに側にいて欲しい、誰かにすがりたい。ボーデヴィッヒにあれだけ偉そうに大人ぶって、自分だって誰かを頼らなければならない、すがらないと生きていけない。

 

目の前にあるものを何がなんでも自分のものにしたいし、絶対に離したくない。

 

 

 

 

 

 

 

―――あれ、俺一体何を言って……。

 

 

「ナギ」

 

 

 再度俺の頭の中に靄が掛かり、自分の行動に反するように、無意識に目の前にいる女性の名前を呼ぶ。俺ってこんな人間だったかと、自分で自分の性格が分からなくなる。

 

ここまで如実に誰かに傍にいて欲しいと思い、甘えたいと思ったことがあっただろうか。

 

逆にボーデヴィッヒに言ったことが、自分に返ってきているように感じる。ダメだと分かっているのに手が伸びる、頭の中で何度も何度も繰り返し呟き、歯止めを掛けようとするのに体が言うことを聞いてくれない。

 

ナギの何気ない仕草全てが、理性を飛ばそうとしてくる。本当にまずい、このままナギが俺の目の前にいれば間違いなく手をかけるだろう。

 

抑えきれない衝動を抑えようとするも、既に体は動いている。

 

 

「ほ、本当に大丈夫? 顔が真っ赤……」

 

 

 流石に異変に気付いてくれたらしい。俺の身を案じて顔を覗き混むナギだが、今はいち早くこの場から離れて欲しい。本当に何をするか分からない上に、自分自身でもどう対処すればいいのかが分からない。分かるのならそもそもこんなことにはなっていない。

 

身体中が熱い。胸の高鳴りはますます大きくなるばかりで収まる気配は全く無かった。胸が苦しい上に、上手く呼吸が出来なくなる。身体に出ている異常の原因が分からない以上、俺が出来ることは一つだけだ。

 

とにかく逃げて欲しい、それが俺の一番の願いだった。平静を装うことはもう出来ない、それなら俺から離れくれれば、少なからずナギに手を出すことは無くなる。

 

しばらく一人で冷たいシャワーを浴び続けていれば、いつかは収まってくれるはず。もし収まらなかったとしても、それならナギの前に現れなければいい。

 

今は現状を細かく説明してる時間も余裕も無い。

 

 

「―――ッ! だ、大丈夫だから……そんなことよりも早くっ……!」

 

 

声を絞り出すように投げ掛ける。思考がまとまらない、言葉がまとまらない。肝心な部分の単語が思い浮かばないせいで、用件が伝えきれていない。

 

早く何をすればいいのか、何処へ行けばいいのか。言わなきゃいけない内容のはずなのに、どうして言葉が出てきてくれないのか。分かる分からないではない、今ここから逃げてくれればそれでもう言い。例え嫌われたとしても、彼女を手に掛けるくらいであれば、嫌われて拒絶された方がマシだ。

 

 

「……」

 

「頼むっ……! もう……これ以上は……っ!」

 

 

もう抑えられない。自分でも自分がどうなるか分からない不安感、恐怖感に苛まれる。言葉に逃げてくれという単語が出てこない。言葉とは裏腹に側にいて欲しいという俺の強欲さから来るものなのか。

 

それでも俺の前から逃げてくれれば、もうそれ以上は何も望まない。興奮状態にあるのは間違いない、それも自分でも到底抑え込むことが出来ないような。

 

 

 

 

ぼんやりとする意識の中、不意に目の前からナギの姿が消える。単純に俺の反応が鈍くなってるのかもしれないが、俺の視界からナギの姿が消えたのは間違いなかった。

 

普通に考えれば危険を察知して、自ら離れてくれたんだろう。相変わらず身体中は熱いままだが、何も起こらずに済んだ事に胸を撫で下ろす。

 

―――良かった。これでナギに手を掛けずに済んだ。

 

 

 

 

 

 

 

心の中で安堵の溜め息をつきながら、これからどうしようかと考え始めた瞬間―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……大丈夫だよ」

 

 

誰かの声と共に俺の周りが温もりで覆われた。



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深夜の来訪者

 

 

 

 

 

「大丈夫だよ」

 

 

 目の前にいる大和をまるで赤子を宥めるかのように両手で自分の元へと抱き寄せる。抱き寄せられた当の本人は何が起きたのか理解出来ず、目を何度も瞬きさせながらその場に固まる。

 

首に回した両腕に力を込めて腕のロックが外れないようにすると、自分の身体と大和の身体の密着度を上げる。

 

 

(大和くんの心臓の音、すごく大きい……)

 

 

大和の心音がハッキリと聞こえる。その心拍数からどれだけ大和が興奮状態にあるかは容易に想像することが出来た。

 

少なくとも今の大和が平常心ではないのを判断するのは、常に一緒にいるナギにとって造作もないこと。途中までは何ともなかった大和が、自分が側に近付いて肩に顔をのせた時から、様子がおかしかったのはとうに気付いていた。

 

それでも大和のことだからと、特に深く聞かずに見守るだけにしていたものの、どうにも様子がおかしい。いつもならすぐに気持ちを切り替えられるはずの大和が、今回は全くと言って良いほど切り替えられていない。

 

洗面台に行ったのは、高まる気持ちを落ち着かせる意味合いもあるのかと勝手な想像を膨らませていた。大和は男性であり、いくら鈍かったとしても、常に一緒に行動している女性に身体を密着させられれば、多少恥ずかしいと思ったり意識したりはする。

 

逆にナギも無人機襲撃事件の一件以来、大和を異性と強く意識し、恋心を寄せるようになった。

 

 

学年別トーナメントを前に、ラウラと交わした無謀とも言える約束。あの約束を交わしてからというもの、ナギの中で大和がいなくなるかもしれないという可能性を拭えずにいた。全てが片付き、大和が居なくなる可能性がなくなった後でも、本人の口から事実を聞かない限りはとても安心は出来ない。

 

だからこそ、本当に大和が居なくならないかの確認の意味を込めて大和の部屋を訪れた。

 

 

「う……えっ?」

 

 

事態を飲み込めず小さく声を漏らす大和だが、やがて自分の置かれている状況を徐々に認識し始める。

 

 

「な、何を……」

 

 

抱き締められていることを察し、一体何をしているのかとナギに問う。ただ拒絶の言葉を述べているにも関わらず、力ずくで離そうとはしなかった。

 

楯無の時とは違い、特に力を込められない状況ではなく、引き離そうと思えば難なく引き離すことが出来る状況だ。

 

自分が手を出すかもしれないから逃げて欲しいと言っているのとは裏腹に、やっていることが矛盾している。

 

そもそもどうして大和はこんな状態になってしまったのか。

 

大和は理性を失いかけている訳でもなく、ナギを襲いたいと思っている訳でもない。

 

その理由は至極、単純なものだった。

 

 

 

 

 

 

 

―――大和は今まで、一人の女性として好きになったことがない。

 

だから本当に異性として、相手を好きになった時にどう反応すれば良いのか、どのように声をかけたら良いのか、どう行動したら良いのかが分からない。

 

大和も結局は人の子だから、女性に対して意識をすることもある。それは極々当然なことであり、世界中の男性の誰もが経験していることだ。それでも女性として、異性として想いを寄せる、好きになるといった経験は今の今まで一度たりともない。

 

それどころか彼の仕事上、立場上、プライベートで人と接する回数は一般人に比べてかなり少なく、彼に真の友達が居るかと言われればほぼいない。表面上の付き合いだけで、互いのことをさらけ出せるような人間関係は、家族の千尋くらいだった。

 

ましてや幼少期に度重なる非人道的な経験により、人間不信になっていた時期があることを考えると一般人に比べて、愛情に疎い節はある。人から本気で好かれる、自分から相手を本気で好きになるといった経験が無ければ尚更。

 

千尋に向けるそれは家族としての愛情であり、一人の女性として意識し、好きになっているわけではない。大和がナギを意識し始めたのはまだここ最近の話であって、大和本人も好きだと認識したのはついさっき。

 

当然女性と付き合った経験が無い大和は、どう接すればいいのか分からずに頭がパンクした。今の大和は理性を失った状態ではなく、単純に対応が分からずに頭がパンクしただけなのだ。

 

冷静に考えてみれば、女性に近付かれただけで理性が崩壊する意味が分からない。流石に大和もそこまで理性が脆い訳でもなければ、女性に対してだらしない訳でもない。

 

それでも大和自身は知る分かる訳もなく、ナギを身の危険から遠ざけさせようとした……それだけの理由だった。

 

 

(……私のこと、意識してくれているのかな?)

 

 

大和がどう思っているのかは分からない。だが心拍数の多さが大和が興奮していることを物語っていた。

 

不謹慎だと思いつつも、自分のことを意識してこうなってくれているのなら本望だと考えていた。ナギが大和を抱きしめた理由は、単純に大和が自分に助けを求めているように感じたからだ。好きな気持ちが溢れて我慢出来なかった……からではない。

 

 

(……あれ?)

 

 

抱き締められて密着度が上がっているというのに、逆に大和の心拍数が減っていく。

 

静かな部屋に二人の吐息だけが聞こえる。それも些細なもので、それを除けばほぼ無音状態と言っても過言ではない。ただ無言のまま大和を抱き締めるナギ。大和も言葉を発することはなかった。

 

徐々に思考がまとまると同時に大和の気持ちも落ち着いてくる。

 

 

「……」

 

 

落ち着いて来たところで、果たして自分は何をやっているのかと、首をかしげながら数秒前の出来事からゆっくりと振り返り始める。

 

なんとも異質な光景だ。洗面所の前で二人の男女が抱き合っている。この場合抱き合うというよりかは抱き寄せられているといった表現の方が適切かもしれない。

 

仮に誰かが部屋の中に入ってきたとしたら、勘違いされても不思議はない。

 

 

「……あっ」

 

「どうしたの?」

 

「―――ッ! うわあぁぁああ!? す、すまん! すぐ退くから!」

 

「えっ……あっ」

 

 

 現状、大和のしていることはいち男性として誰もが喜ぶような行為だ。女性から抱き締めてもらえる、それも美少女というオマケがつけば尚更嬉しい。

 

それでも限度がある。

 

我に返った大和の視線の先に入ったのは、大和の胸に当たって潰れたナギの双丘だった。元々キャミソールにショートパンツといったラフな服装だったせいで、ボディラインがハッキリと浮き出てしまっている。

 

いきなり目の前に双丘が飛び込んでくれば、赤面するのは当然。居てもたってもいられなくなって、一旦距離を取ろうとする行為自体は至って普通。それも潰れているともなれば、どれだけ強く抱き締められているかがすぐに判断がついた。

 

そこを判断出来ないほど大和は鈍感ではない。大声をあげながら慌ててナギから飛び退く。飛び退く大和をナギはどこか名残惜しそうに見つめながら、顔を赤らめた。

 

 

「落ち着いた?」

 

「お、落ち着いたも何も、こんな状況で落ち着いていられるわけが……あれ?」

 

 

ナギの言葉に何を呑気にと返そうとするも、つい先程まで収まらなかった胸の高鳴りが収まっていることに気付く。

 

気のせいかと思いつつも、自分の右手を左胸に当てて心拍数を計り始めた。手には興奮状態だった時ほどの心拍数は感じられない。まだ多少平常時よりは心拍数が多いものの、それでも先程までとは雲泥の差だった。

 

何よりも通常思考で物事が考えられる。考えた言葉がすんなりと声として出てくる。

 

 

「……本当に申し訳ない。もう、迷惑かけすぎて何言って良いか分からねーや」

 

「大和くんがそこまで謝る必要はないよ。確かにちょっとびっくりしたけど……」

 

「それでも俺がナギのことを……むぐっ」

 

 

 謝罪の言葉を続けようとする大和の口を手で強引に押さえる。口を押さえられたことで、頬をハムスターのように膨らませる大和がどこか小動物のように見えた。

 

普段のキリッとした出来る男性のオーラは何処へやら。この様子だけ見ると、とても実年齢よりも上に見ることは出来ない。

 

 

「ぷはぁっ! ちょっ、いきなり何すんだよ」

 

 

大和が静かになった頃合いを見計らい、大和の口を覆った手を離す。

 

どうして会話の途中で口を覆うようなことをしたのかと抗議する大和。

 

 

「大丈夫だから、ね?」

 

 

 人差し指を口の前に立て、他言無用だとウインクしながら大和に伝える。自分が許しているのだから、それ以上は謝る必要はないと。

 

事が事だけに謝りたくなる気持ちはよく分かる。相手が理不尽であれば、許されざる行為をしているわけだ。いくら男性操縦者とはいえ、やっていいことと悪いことがある。

 

それでも許すと言っているのだから、これ以上謝ることは無い。ナギの言葉に大和も納得せざるを得ず、渋々引き下がる。自分がやったことを相手に許されたら、それ以上謝罪の言葉を述べられても、相手にとって鬱陶しい以外の何者でもない。

 

引き下がったものの、大和の表情はやはり浮かないものだった。心の奥底にはまだモヤが掛かっているんだろう。

 

 

「……何だか、すごく負けた気分だ」

 

「べ、別に勝負した訳じゃないから、あんまり気にしても仕方ないと思うんだけど……」

 

「とは言っても、色々迷惑掛けたから気にするなって方が無理な話だよ」

 

 

迷惑をかけてしまったことは事実のため、嫌が応でも気にはなる。しかし大和もそれ以上は言及することはなく、そのままベッドへと倒れ込んだ。

 

 

「あの、実は他にも話があったんだけどいい?」

 

「話? あぁ、いいぜ」

 

 

倒れ込んだ体を腹筋の要領で起こし、再度ナギと向かい合う形になる。

 

 

「全然関係ない話になっちゃうんだけど、トーナメントが終わったらすぐに臨海学校になるでしょ?」

 

「そういえばそうだっけか。この学校って行事多すぎてどうにも把握出来ないんだよな……」

 

「アハハ……それでね。臨海学校の準備で、今度の休日に街に行こうと思っているんだけど」

 

 

 ナギの口から出てきたのは臨海学校という単語。学業の中では、思い出として根強く残るであろうイベントの臨海学校。男女共学ともなれば夜になると互いの部屋に忍び込んだり、各自の部屋で恋話に花を咲かせたりと、恋愛でも欠かせない行事になっている。

 

実際問題IS学園での年間行事は多く、一年目は生徒手帳を見ない限りは全てを完璧に把握することは難しい。話題の転換で一瞬大和は考え込むような素振りを見せるものの、すぐさまナギの話題に話を合わせていく。

 

例年と違うケースと言えば臨海学校に、二人の男性生徒が参加することだ。そもそもISを男性が動かしたケースは今回が初なのだから、男子生徒が臨海学校に参加するのも初の試みとなる。

 

 

 

ナギがどうしてこのタイミングで準備の買い物の話題を出したのかはすぐに理解できることだろう。

 

 

「だからその……良かったらね? 大和くんも一緒にどうかなって……」

 

「あぁ、いいよ」

 

「そうだよね。水着ぐらいはやっぱり織斑くんとかと買いに……えっ?」

 

「うん、一緒に行こうか。臨海学校の準備は早めにしようと思っていたから」

 

 

てっきり断られると思っていたのだろう、大和の返事を聞いたナギの顔は驚きに満ち溢れていた。

 

 

「良いの?」

 

「ん、あぁ。ナギさえ良ければ俺は全然構わないけど、何か都合でもあったか?」

 

「あっ、ううん! そうじゃないんだけど……」

 

 

大和としては誘われたから了承をしただけなのに、ナギの思わぬ反応で、本当に一緒に行って良いのか分からなくなる。

 

 

(俺、誘われたんだよな?)

 

 

再度、大和は自分が買い物に誘われたことを頭の中で確認する。むしろこれで誰が一緒に行くかなどと言われようものなら、大和の心は粉々に砕け散る。多少大袈裟ではあるが、意中の女性に嫌われた時ほどショックなものはない。

 

 

「そ、そう言うことだから。また後で詳しい日程と時間は連絡するね!」

 

「え? あっ、おいちょっ!!」

 

 

 脱兎の如く部屋から出ていこうとするナギを追いかけようとするも、予想よりも遥かに素早い身のこなしに、あっという間においてけぼりにされてしまった。

 

部屋に取り残された大和はただ一人、出ていった扉を見つめるばかり。ナギが居なくなった途端、急に静かになる自室。ナギが側にいないことに対する寂しさが大和を徐々に支配していく。

 

 

(……あぁ、そうか。この気持ちってやっぱり偽りじゃないんだ)

 

 

誰でも良いわけではない、彼女だからこそ大和の気持ちは落ち着くし、側に居たいと思える。胸の高鳴りはもうない、それでも何ともいえない寂しさだけはどう頑張っても拭えそうに無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――おい、大和!」

 

「んえ? あぁ、呼んだか?」

 

「さっきからずっと呼んでるさ! どうしたんだよボーッとして!」

 

「ボーッと? 俺が?」

 

 

 ふと、隣にいる一夏から声を掛けられて我に返る。食事に一切手をつけずにいれば、どうかしたのかと声を掛けられても無理はない。一夏とシャルルと食堂に来てからの記憶があやふやすぎて、肝心なところは完全に抜けている。

 

一回医者で見てもらったらどうかと言われても、反論出来ないような浮わついた気持ちなのは間違いない。既に二人とも食事の半分以上は食べているというのに、俺は箸すら持ってないのだから普段とは違うのは目に見えて分かる。

 

うん、人を好きになるって本当によく分からない。

 

 

「トーナメントの時は何ともなかったのに、急にどうしたの? 我ここにあらずって感じなんだけど……良いことでもあった?」

 

「……いや、特に何も。騒動が一段落して、安心しているんだよ」

 

 

トーナメントの時は何もなかったのにと付け加える辺り、俺が変になったのは自室待機になってからのことだと、おおよその見当を付けているようにも思えた。

 

一夏に比べるとシャルルは女心に関して敏感……というよりも女性であるが故に、女性系の問題に関して察知出来るんだと思う。下手に勘ぐられないように、平静を装ってシャルルへと返す。内心はバレているんじゃないかとひやひやものだ。

 

 

「そういえば手は大丈夫なのか? さっき血で滲んでいただろ」

 

「問題ねーよ、前に怪我した時の傷口が開いただけだから。そんなことよりあれ、何だ?」

 

「あれって?」

 

 

俺が何気なく指差すのは食堂の柱の部分。柱の下には数人の女子生徒がたむろしていた。表情は多種多様、だがその表情全てが、目の前の現実を受け入れることが出来ずに絶望に染まっているように見える。

 

 

「優勝……チャンス……消えた」

 

「交際、ムコウ……」

 

「折角のシミュレーションが……水の泡……」

 

「「うわぁぁぁぁああああん!!」」

 

 

泣き叫ぶようにバタバタと走り去ってしまう。トーナメント自体が中止のせいで、当然優勝を目指していた生徒にとってはショックが隠せないらしい。最も、優勝と交際がどういう関係にあるのかは分からないけど。優勝したら誰かに告白するつもりでもいたんだろうか。

 

 

「……何なんだ?」

 

「知らん。つーか、今日の食堂が異様なまでに静かなのも気になるし」

 

「うん。それはついさっきから思ってたんだけど……皆どうしたんだろうね」

 

 

 数人の生徒が如実すぎるだけで、そもそも食堂中が異様に暗い雰囲気に包まれていた。いつもは喧騒に包まれて騒がしくて仕方ないと思えるほどなのに、今日は逆に静かすぎる。トーナメントの中止が、生徒たちに影響を及ぼしているのは事実だとしても、残念がる理由が不純なものではないかと疑ってしまうのはどうしてだろう。

 

個人的にもトーナメントが中止になってしまったのは残念だし、個々の実力を試すことが出来る機会を失ってしまったと、ネガティブに考えると何とも言えない気持ちになる。

 

 

「ま、それぞれに理由があるんじゃないか。気にしたところで俺たちに理由なんて分からないし」

 

「それもそうか」

 

 

手つかずのまま少し冷めてしまった夕食手を伸ばし始める。二人に比べると残っている量に歴然の差があることから、相当長い時間、俺は物思いにフケていたらしい。元々量は人より多目に食べるため、食べ初めから食べ終わるまでに時間が掛かる。

 

急いでいる時は掻き込めばいいが、ゆっくりと落ち着ける時間帯でなら掻き込むような食べ方はしたくない。ただあまりゆっくりしている時間がないのは事実、食べ終わるまで二人を待たせるわけにもいかない。とりあえず二人には追い付こうとメインに手を伸ばす。

 

 

「あ、一夏」

 

「ん……おっ?」

 

 

 俺が食べ始めると同時に、シャルルが視線の方向に誰かが居ることを一夏に伝える。それにつられて視線を向けた一夏が人物の正体を察知し、俺は食事に手をつけながら視線を横に這わせる。

 

瞳に飛び込んできたのは、いつもより少しばかり頬を赤らめ、腕を前でモジモジとさせる篠ノ之の姿だった。いつもの篠ノ之は凛とした日本美人のイメージが強いため、恥じらう姿を想像することが出来ない。

 

何かを聞き辛そうに照れる姿は、恋する乙女を彷彿とさせる。いや、実際に一夏に想いを寄せているから恋する乙女なんだろうけど。

 

 

「あっ、そうだ箒。先月の約束な……」

 

「な、何だ?」

 

 

何かを思い出したのか、おもむろに椅子から立ち上がり篠ノ之の元へと歩み寄る。篠ノ之も一夏の行動に驚きを見せながらも移動せずにその場に佇む。

 

一夏の言葉から出てくる『約束』の二文字。一夏の発した二文字の言葉に篠ノ之は如実な反応を見せる。

 

約束ってことは、このトーナメントで優勝でもしたら、何か一つ願いでも聞いてもらおうとしていたのか。問題なのはどちらが約束を持ちかけたのかだけど、一夏から篠ノ之に約束を持ち掛けたとは考えにくいし、普通に考えて篠ノ之から持ち掛けた約束だとは思う。

 

かつ篠ノ之の反応からは、あまり大っぴらには言われたくない内容なのも分かる。言われたくないとすると異性関係の約束だろうか。このトーナメントで優勝したら私と付き合ってください的な。

 

 

「別に付き合ってやっても良いぜ」

 

「ほ、本当か!?」

 

「は?」

 

 

 思わず飲み掛けた味噌汁を吐き出しそうになるのをぐっと堪えつつ、今起きたことを冷静に思い返してみる。一夏が篠ノ之と約束を交わしていることは分かった。どちらから持ち掛けたのかも、今の会話でハッキリとした。発信元は篠ノ之らしい。

 

問題なのはその後、二人が付き合う約束をしていたことについてだ。約束が本来の解釈をされるということは、一夏と篠ノ之が付き合うってことになり、男女の正式な交際に当たる。

 

 

 一夏の認識と篠ノ之の認識に相違がなければ、二人は晴れてカップルになる。正直信じられない、俺だけじゃなくて隣にいるシャルルも『あの一夏が?』とでも言いたげな表情をしている。

 

シャルルも実際は年頃の女性だし、一夏に惚れていることを考えれば気が気じゃないのも分かる。最もシャルルが女性であることを知っているのは極少数だろうけど。

 

ま、今俺が述べたのはあくまで一般世間の解釈をした場合であって、女心に超鈍感な男性の解釈には当てはめていない。つまり俺が言いたいのは、一夏が篠ノ之と交わした約束を間違って解釈している可能性がある点について。

 

 

 男女間で交わされる『付き合う』の定義は交際の意味合いを指すことが多く、用事に付き合って欲しい、遊びに付き合って欲しいを意味することは少ない傾向にある。

 

篠ノ之の反応から察するに、篠ノ之は付き合うの意味合いが男女の交際的な意味合いで伝えた一方で、一夏は用事に付き合って欲しいと解釈している可能性が非常に高い。

 

 そもそも告白の返事を、どこの誰かが聞いているかも分からない食堂でするとは到底考えられない。一夏がいくら恋愛に関して疎いといっても、最低限の節度は守ってくれるはず。むしろ節度を守れない人間ならこの十五年間何を学んできたのかという話になってくる。

 

一夏の生活や立ち居振舞いを見る限りは、そこに関して問題はなさそうだが、今回の話の論点はそこではない。一夏が篠ノ之の意図をどう汲み取っているか。

 

どことなく嫌な雰囲気がするのは俺だけじゃないはず。シャルルも一夏がこれからどう返すか、何となく察したようにも見えた。

 

 

 普段の篠ノ之であれば気付いていたかもしれない。恋は人を盲目にするとはよく言ったもの、今の篠ノ之に冷静な判断をする余裕は無いらしい。

 

一夏の傍に自ら近づくと、襟元を掴んで自分の方へと引き寄せる。その表情はまさに恋する乙女そのもので、喜びの表情に満ち溢れていた。

 

 

「ほ、本当か!? 本当にいいのだな!?」

 

「お、おう」

 

 

篠ノ之の迫力に気圧されて、若干引きぎみに後ずさる。一夏の反応で十中八九、勘違いしていることは分かったけど、果たして一夏はどう篠ノ之に伝えるつもりなのか。

 

 

「何故だ、理由を聞こうではないか」

 

「何故と言われても……幼馴染の頼みだからな、それくらい付き合うさ」

 

 

 理由に対して幼馴染みの頼みだからと返す。『それくらい』と付け加えてしまう辺り、一夏は完全に告白ではなく遊びに付き合うくらいの認識しかしていないらしい。

 

篠ノ之がどう一夏に伝えたのかは場に居合わせた訳ではないから分からないけど、少なからず自分が好きだということと、付き合いたいということを、はっきりと伝えなければ勘違いされてもおかしくない。特に一夏の場合は尚更だ。

 

ましてや『付き合って欲しい』の一言しか伝えていないのであれば、どうぞ勘違いしてくださいと言っているようなもの。

 

これから先の展開を予想すると頭が痛くなってくる。シャルルも先の展開が予想できたらしく、頭を押さえたまま苦笑いを浮かべしかなかった。

 

 

 

 

「―――買い物くらい……ふぐぁっ!?」

 

 

 言い切った一夏の顔面に握りこぶしが叩き込まれる。上げて落とすといったなんとも理想的な、相手を怒らす展開なのか。篠ノ之としては天国から一気に地獄へと叩き落とされた気分だろう。顔は阿修羅のような憤怒の形相へと変わり、周りには怒りのオーラが溢れている気がした。

 

 

「そんなことだろうと思った……わ!!」

 

 

期待させておいてまたそれかと、握りこぶしを作りながら怒りを表す篠ノ之。それでも怒りが収まらず、殴られたことで場にしゃがみこんだ一夏を蹴り上げる。痛みでその場にうずくまる一夏をよそに、地団駄を踏みながら食堂を去っていった。

 

勘違いした一夏も一夏だが、何もあそこまで暴力を振るわなくてもと思いながらも、うずくまっている一夏の元に近付く。

 

 

「おい、大丈夫か一夏?」

 

「一夏ってさ、たまにわざとやってるんじゃないかって思う時があるよね」

 

「いや、恐らくは無自覚だぞ。でなきゃこんな漫画みたいな展開が起こるわけがない」

 

「お、お前らなぁ……」

 

 

わざとじゃなくて完全な無自覚で行動しているから尚更タチが悪い。何をどうすればそこに行き着くのか一夏に聞いてみたいところだが、『違うのか?』的な返答をされて終わりな気もする。

 

本人も悪気がないから、俺としても強く責めることが出来ない。これが確信犯だったら、いくらでも内面から叩き直すことは出来る。ただ本人は完全な無自覚だから、そこまで強く言えないのが現状だったりする。

 

そうは言っても、ここまで恋愛に関して鈍いとなるとさすがに何とかした方が良いと思う反面、如何せん打開策が見付からない。言葉で言うのは違うだろうし、本人に気付いてもらうしか思いつかないんだけど……どうしたもんか。

 

 

「あ、良かった! 皆さんまだここにいたんですね!」

 

「山田先生、急にどうしたんですか?」

 

「はい! 今日はお疲れ様でした♪ それでですね。皆さんにとって朗報がありまして」

 

 

うずくまる一夏を見守っていると、食堂の入り口からバタバタと駆けてくる小柄な影が近付いてくる。いつも授業では顔を見るのに、久しぶりな感じがするのはどうしてか。

 

……あぁ、校舎内で話すことは多いけど、こうして私的な場で話すことが少ないからか。千冬さんとは話す機会が多いから特に何も思わないけど、元々話す機会が少ない山田先生はどうしても長く会っていなかったような不思議な感覚に襲われる。

 

大きな双丘を揺らしながら近付いてくるもんだから、直視し辛い。普通のプロポーションだけで言うなら、クラスの中でも勝てる相手はいない気がする。隠れながら羨む人間は数知れずだろう。

 

話が完全に脱線したところで再度、本題に戻るとしよう。

 

そもそも山田先生がここに来た理由だけど、朗報と聞く限りは俺たちにとって良いことなのは分かった。逆にそれ以外は何も分からない。先読みが出来るなら最高だけど、生憎そんな便利な特殊能力は持ち合わせていないから、とりあえず山田先生の話を聞くことにする。

 

 

「朗報……ていうとトーナメントは仕切り直しになるとかですか?」

 

「あ、いえ。残念ながらトーナメントは完全に中止になりました……もちろん一回戦だけは行うんですけど……ごめんなさい。霧夜くん、楽しみにしてましたよね」

 

「えぇ、まぁ。それでも事情が事情なんで仕方ないです。で、朗報っていうのは何ですか?」

 

「えーっとですね。なんと! 本日から男子の大浴場利用が解禁になります!」

 

 

目をキラキラと光らせながら、まるで自分のことかのようにエッヘンと胸を張る山田先生だが、自己主張の激しいそれがモロに強調されると、嫌でも視線を向けたくなる。

 

一夏に至っては痛みなど忘れて、完全に山田先生の胸元に視線が釘付けの状態だ。いくら鈍感でも、性に関しては年頃の反応を見せるあたり変わった性癖を持つ訳じゃないのは分かった。

 

一方、一夏の反応を見たシャルルは、面白くなさそうに眉間にシワを寄せる。

 

 

「……一夏のスケベ」

 

「何でだよ!?」

 

 

私怒ってますと言わんばかりに、一夏から顔をそらす。

 

あれか、やっぱりシャルルも一夏にときめいたのか。篠ノ之にセシリア、鈴だけじゃなくて、シャルルも一夏のハーレムに加わったとなると、少し助言をしただけで贔屓だと言われそうだ。

 

 

「まぁ確かに色目を使っていたのは事実だよなー」

 

「おい大和、お前まで何言ってんだ!?」

 

「お、織斑くん!? だ、ダメですよ! 先生と生徒がそんな関係を……あ、でも先生と生徒の関係は学園の中だからで、学園の外でのプライベートだったら……はふぅ駄目ですよぉ、織斑くん♪」

 

 

 頬に両手を当て、体を左右にくねらせ始めた。頬を赤らめるあたり、あらぬ方向へと妄想が膨らんでしまったらしい。授業中も度々、クラスメートの些細な質問で自分の世界にトリップすることがあるけど、一回自分の世界に行くと戻ってくるまでに時間がかかるんだよな……。

 

千冬さんがいるならすぐに引き戻してくれるものの、生憎都合良く千冬さんがいるわけでもないし、自分の世界に入り込んでしまった以上、しばらくは元に戻らなさそうだしどうしたものか。

 

 

しかしまぁ、女子だけしか使えなかった大浴場が使えるようになったのはそれはそれで嬉しい。今までは自室のシャワールームしか使うことが出来なかったし、湯船に浸かるだけでも疲れの取れ方は全然違う。

 

湯船に浸かることはIS学園で一度もなかったし、そう考えると山田先生の言うように朗報なのは間違いない。あくまで女子生徒がメインで使って、入浴時間を決めて俺たちが借りるみたいな方針にはなるんだろうけど、それでも湯船に浸かれることを考えれば俺たちにとってかなりのプラスにはなる。

 

大浴場を使うか使わないかは本人の自由だし、男子のためだけに時間を設けてくれたことに感謝しなければならない。

 

 

「さて、俺は残りを食べて部屋に戻るけど、二人はどうする?」

 

「とりあえず僕と一夏も一旦部屋に戻るよ。大浴場使えるなら、是非使ってみたいし」

 

「大和も一緒にどうだ? 折角だし皆で入りにいこうぜ!」

 

 

本人としては何気なく言ったつもりなんだろうけど、一夏の言葉に真っ先にシャルルが反応し、目を丸くしたまま顔を赤らめる。皆って言えば、近くにいるシャルルもカウントに含まれることになる。

 

表向きには男子生徒として入学をしているが、実態は年頃の女性。理由があって隠している状態ではあるものの、女性である事実は変わらない。

 

必然的に見てはいけない部分まで見えてしまう可能性もある。見えないように顔を背けたところで、大浴場内の雰囲気は気まずくなり、ゆっくり浸かっている間もなく、どちらかが出ていく羽目になる未来が容易に想像できた。

 

 

「いや、俺は良いけどシャルルは不味くないか?」

 

「へっ……あっ!? そ、そうだったな! 悪いシャルル、気付かなくて」

 

「う、ううん。ぼ、僕は全然大丈夫だから……」

 

 

 何故二人して照れるのか。目の前でラブコメを見せられる方の身にもなってほしい。あれだ、惚気ているカップルを見ると全力で殴り飛ばしたくなるような気持ちが沸々と湧き上がってくる。殴ったところで俺の憂さ晴らしにしかならないし、気分が悪くなるだけだから殴りはしないけど、目の前で見せつけられると羨ましいような負けたような気がしてならない。

 

これがモテる男とモテない男の違いだと認識させられるとどうにも悔しい。これだけモテるのに本人にはその気がない上に、好意に対して全く気付いていないのはまさに女泣かせ……キング・オブ・唐変木ズの称号に相応しい。称号を貰ったところで全然嬉しくないだろうけど。

 

そう考えると勇気を出して付き合ってくれと告白した篠ノ之が可哀想に思えてきた。これ以上深く考えると何故か罪悪感に苛まれる気がしてならないから、この辺りで考えるのはやめにしておく。

 

 

「ま、俺は一番最後でいいから、お前らだけで入る順番は決めてくれ。ちょっとやらないといけないこともあるし、すぐに大浴場に向かうのは無理そうだ」

 

「……そうか。なら俺とシャルルでどっちが先に入るか決めて、最後に入った方が大和を呼びにいくってことで良いか?」

 

「あぁ、それで良い。後は山田先生は俺が部屋まで連れていくから、先に部屋に行っててくれ」

 

「了解。シャルル、行こうぜ」

 

「あ、うん。じゃあ大和、また今度」

 

 

流石に山田先生を自分の世界にトリップしたまま、置いてきぼりにするわけにもいかないし、ひとまず山田先生の自室まで運んでから部屋に戻ることにする。

 

一夏とシャルルと挨拶を交わした後、残った夕食をかきこんで、山田先生を部屋まで送り届けたわけだが、山田先生を部屋に連れていく際に、たまたま出会した千冬さんに俺が山田先生を襲っていると勘違いされて、上段回し蹴りを食らい掛けたのはまた別の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふわぁ……流石に今日は疲れたな」

 

 

自室でノートパソコンを開きながら最低限の報告物を作るも、襲ってくる眠気には勝てず、徐々に瞬きの回数が増えていく。何度か手の甲でごしごしと目蓋を擦るも、眠気が覚める気配はない一向にない。

 

時間的には消灯時間は過ぎているし、パソコンとにらめっこを続けるくらいなら、寝た方が時間は有効活用できる。実家への報告物は一応形にはなっているため、後は送るだけでいい。

 

そうなるともうやることは何一つ残っていない。

 

そろそろ寝ようかどうしようかと悩むも、選択肢などもはや無いに等しい。メールの送信ボタンを押し、送ったことを確認すると、パソコンの電源を落とす。正直この報告がどのように使われているのかは俺には分からないが、果たして有効活用されているのかと言われれば甚だ疑問だ。

 

現場に何か落とし込みがあるわけでもないし、あくまで俺が自分の意思で動いているから、別段実家からの指示もない。

 

報告は仕事に対してのもので、現状ほぼ毎日送ってはいるが、一夏の身の危険が及ぶような事態が無いから、書く内容がない。逆に書く内容が増えればそれだけ一夏に危険が及ぶケースが増えたことになる。

 

俺としてもあまり嬉しい事態ではないため、出来ることなら穏便に時間が過ぎて欲しいというのが本音だ。

 

 

「もういいや、やることはやったし今日は寝よう」

 

 

椅子をしまい、ベッドに向かって背中から倒れ込む。全てが解決した後のベッドの感触は、いつも以上に心地よく感じられた。それこそ目をつむっていると、いつの間にか夢の世界に入り込んでしまうほどに。

 

寝転びながら今日一日のことを振り返ろうとするも、一日の内容が濃すぎて、とてもじゃないが全てを振り返ることは無理だった。

 

 

 

……一つ振り返るとすれば、俺自身がボーデヴィッヒと同じ遺伝子強化試験体なのは、紛れもない事実であるということ。ボーデヴィッヒを助けるために出任せで言った嘘ではなく、偽りの無い真実。

 

真実を打ち明けるべきかどうかはかなり悩んだ。いくら同じ境遇とはいえ、わざわざ自分から正体をさらす意味がない。言ったところでボーデヴィッヒにどこ吹く風の反応をされれば、言うだけ無駄になる。

 

それでもボーデヴィッヒなりに考え直す、自身を見つめ直す切っ掛けとなることを信じて自分の正体を打ち明けた。彼女がどう捉えたのかは分からないが、ちょっとでも前をみてくれればというのが俺の本心でもある。

 

 

何かに縛られ続けたら人生自体つまらなくなってしまう。たった一度しかない人生なんだから、誰かに依存するのではなく、自分で考えて行動した方が良い。自分の足で一歩踏み出すことで、殻を破ることが出来る。

 

これからボーデヴィッヒがどう変わっていくかが楽しみだ。

 

 

「……」

 

 

天井を見ていると徐々に目蓋が閉じ、視界が狭まっていく。思いの外体が疲れているんだろう。徐々に体から力が抜けていくのが分かる。

 

後は眠気に身を任せ、眠りにつくのを待つだけ。

 

 

「……?」

 

 

 静かな部屋ほど僅かな音が鳴れば聞こえやすく、俺の耳には部屋の扉を数回ほどノックする音が聞こえた。隣の部屋でバタバタと騒いでいる音が壁越しに伝わってきたとも取れるが、音の質感がベニヤ板のような柔らかいものではないのは分かる。

 

音を聴けば大体どこを叩いているか分かるし、今の音は明らかに、固く作られている入り口の扉をノックしたものだった。

 

消灯時間はとっくに過ぎているし、本来なら無断外出は禁止されているが、仮に部屋の前に人がいるならこのまま放置する訳にもいかない。それが重要な話なら尚更だ。

 

時間的には生徒が来るのは考えにくいし、かといって教師陣も消灯時間を過ぎ、生徒たちが寝ているかもしれない部屋に来るのは考えづらい。

 

となると考えられる可能性として、部屋を訪れる人物は限られる。最も高いのは恐らく千冬さんだろう。逆に千冬さん以外の人物が思い付かないし、校則を破ってまで寮の外を出歩く生徒がいるようにも思えない。

 

しばらく様子見で入り口の扉を見ていると、再度小刻みにノックをする音が聞こえてくるところから、まだ部屋の前にいるらしい。イタズラには思えないし、外にいる人物が誰であれ、そのまま放置する意味もないから、一旦誰がいるかだけ確認しておこう。

 

ベッドから起き上がり、部屋の入り口へと歩み寄る。中途半端に起こされたことで、眠気が覚めてしまった。部屋に掛かっている内鍵を二ヶ所外し、取っ手を掴むと部屋の扉を廊下側に開く。

 

 

すると。

 

 

「はい、こんな夜分に誰で……」

 

 

どなたですかと途中まで言い掛けて行動が止まる。てっきり千冬さんが来たとばかり思って心構えていたところを、一気に根本からへし折られた気分だ。それほどにまで意外な人物が俺の目の前に立っていた。

 

恐らく今まで俺が部屋の前に立たれた人物の中で一番意外な人物だと思う。予想外の展開に思わず言葉を失い、扉を開いたまま場に立ち尽くす。相手も一向に話続けようとしない俺に痺れを切らしたのかもしれない。今度は相手から言葉を投げ掛けてきた。

 

その人物とは……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夜分遅くに済まない……どうしてもお前と話したいことがある。少し良いか?」

 

 

制服を纏い、いつもとは少し違った雰囲気を持つラウラ・ボーデヴィッヒだった。



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本当の強さ

 

 

 

 

 

「どうしたこんな遅くに。もう消灯時間は過ぎてるぞ?」

 

「すまない。少しだけ時間が欲しい」

 

 

 ボーデヴィッヒに促されるまま、部屋を出た後に向かったのは、学生寮の屋上だった。

 

夜とはいっても初夏ということもあり肌寒さはなく、若干湿った感じの弱風が前髪をゆらゆらと靡かせる。

 

閑散とした屋上には俺とボーデヴィッヒの二人だけ。他に人の気配は一切無い、屋上から見える建物の窓はすべて漆黒の闇に染まっており、部屋には誰もいないか、もしくは寝静まったことを証明していた。消灯時間を過ぎているのだから当たり前なのかもしれない。

 

 

最も、本当に就寝したかどうかは怪しいところだ。カーテンさえ閉めれば部屋はある程度暗くなるし、明かりを最小限にすれば外からは中の様子がほとんど確認できず、部屋の明かりを切ったかのように暗くなる。

 

一年の寮長が千冬さん故に、騒ぎ立てる生徒は誰一人いない。存在だけで生徒を統制出来るのも、それはそれで千冬さんの凄いところだ。普通の教師なら、年頃の学生にからかわれて終わりだろうし。

 

俺も久しぶりにこの人は敵に回したらヤバイと思えるくらいだから、一般人としては間違いなく最強の部類……もはや一般人扱いして良いのかも分からなくなってきた。

 

 

 

 

さて、問題はどうして俺がこんなところに連れてこられたのか。

 

俺に背を向け、手すりに両腕を掛けて学園中を一望する姿からは、ボーデヴィッヒが何を考えているのか判断することが出来ない。

 

わざわざ屋上に連れてきたところを見ると、誰にも聞かれたくない話なんだろうが、それなら俺の自室でも十分に出来たこと。部屋に盗聴器がされていることは無いし、聞き耳を立てられたとしても、普通の声であれば隣に聞こえることはまず無い。

 

屋上に来たことで四方八方から話は聞かれるし、姿も目立つから、話す場所としてはナンセンスだ。そこまでボーデヴィッヒが見越して屋上に連れてきたとなれば、話以外にも目的がある可能性も否定できない。

 

とりあえず理由だけ聞いてみるとしよう。

 

 

「時間が欲しいなら尚更、ここじゃなくても俺の自室とかで良かったんじゃないか?」

 

「……」

 

「どうしても屋上で話をしたいのなら拒否はしないけど……せめてここまで連れてきた理由くらいは教えてくれ」

 

「……あれから自分なりに考えてみた。本当の強さとは何なのか、私には何が無くて、お前には何があるのか。無い頭を使って自分なりに考えてみたが―――結局、何一つ分からなかった」

 

 

 ポツポツと話し始めるボーデヴィッヒ、本人なりに先ほどの戦いから学ぶことがあったんだろう。ただすぐに結論を導き出そうとしたところで、答えが分かるものでもない。特に『強さ』に関する考え方なんて人それぞれで、必ずしも全員の『強さ』に関する答えが一致するとは限らない。

 

自分にとっての『強さ』の定義はすぐに見つかるものではなく、長い時間をかけて初めて見つかるものだ。俺の見つけた自分なりの『強さ』の定義は人と触れ合うことで見つけられたが、果たして全員が同じ探し方で見つかるかどうかと言われれば、それは違う。

 

何一つ分からないのは必然であり、当然の結果だった。分かるわけが無いのだから。しかし、ボーデヴィッヒが元々の考えから新しい考え方をしてみようと一歩踏み出したのは、今の発言から重々伝わってきた。

 

一昔前の彼女なら決して考えないようなことだった訳だし、そこに関しては大きな変化だと思う。

 

 

 

なるほど、俺をここに呼び出した理由の一つは少しでも早く答えを見つけ出そうとする焦りからか。

 

 

「そりゃそうだ。数時間、頭を捻ったくらいで答えが見付かるなら、誰も苦労はしない。人によって辿り着く期間は違うし、ましてや一日、二日で答えに辿り着けるようなものでもない。難しいものなんだよ、強さの定義ってやつは」

 

「あぁ、そこに関しては私も分かった。だが私には立ち止まっている時間が惜しい……少しでも早く、私は答えに近付きたい」

 

「必死なのは良いけど、あまり無茶はするなよ? さっき言ったように、すぐに見付けられるほど簡単なものでもない」

 

 

 どうにもボーデヴィッヒ自身、どこかで焦っている部分があるらしい。今までの自分を変えようと必死なのは伝わってくるが、無茶をして悪い方向に傾いてしまったら意味がない。

 

俺も自分なりに答えを見つけろと言った手前、ボーデヴィッヒの行動を止めることは出来ない。

 

もしかしたら、彼女にとって強さを求めることは生き甲斐を見つけていく上で、書かせないものなのかもしれない。だったら、少しでもボーデヴィッヒにとって納得できるような答えを一つ提示するのもありか。

 

頭の中で思考を張り巡らせるも、これといった具体案が見付からずに時間だけが過ぎていく。

 

 

「……分かっている。それで、だ。私がここに呼び出したのは他でもない」

 

「ん?」

 

 

 背を向けたボーデヴィッヒがこちらを振り向くと、何かが手に握られているのが見えた。俺が握られているものに視線を向けると、待っていましたとばかりにそれをソフトボールを投げるように下から上へと手を振り、俺の方へ握られているものを投げる。

 

投げた瞬間に月日に当たって僅かに反射する光が、投げた物体の正体を明確に判断させる。くるくると円を描くように回転するそれを、刃の部分を触らないように、束の部分を掴んだ。

 

二十センチほどのサバイバルナイフ……なのだが、本物と比べると質量も軽いし、刃の部分を曲げようとすると自由自在に傾くから、強度はかなり低い。刃の部分は表面こそ光を反射させるものの、硬質ゴムの上に塗料なものを吹き掛けてテカりをつけているだけみたいだ。

 

つまり本物のサバイバルナイフではないただのレプリカ……対人格闘の訓練の際に使うようなものだろうか。実際に軍隊の訓練まで見たことは無いから何とも言えないけど、まともに直撃すれば痛いだろうし、当たりどころが悪ければ怪我をすることだってある。

 

相手を突いた時に大ケガにならないよう、取っ手の部分に刃が引っ込むような細工はしてあるみたいだが、こんなものをわざわざ渡して、何を目論んでいることやら。

 

まぁ、その答えも今にボーデヴィッヒの口から語られるはず。

 

 

 

「霧夜大和、一つ頼みがある。私と生身での手合わせをして欲しい」

 

 

 予想通り、ボーデヴィッヒの望みは俺と戦うことだった。サバイバルナイフのレプリカを渡された時点で、大体の見当はついていたが、俺と戦うことで納得をするのであれば良いかもしれない。

 

俺の目を見つめたまま、自分の思いを伝えてくる。編入してから現在までの行動を振り返ると、自身の感情だけで攻撃的に動く行動が目立ったが、目の前にいるボーデヴィッヒからは負の感情は一切感じられない。

 

ただ単に、純粋に俺と戦ってみたいという武人であるが故の率直な感情が伝わってきた。

 

 

「……心構えは立派だが、本当に良いのか。今日のトーナメントで怪我をしているんだろ?」

 

 

 気になるのはボーデヴィッヒの状態だ。VTシステムに取り込まれた際の、操縦者に掛かる負担は並大抵のものではないはず。保健室に見舞いに行った時、体を起こそうとして顔をしかめていたのを覚えている。

 

怪我が酷くなるくらいなら、今日戦わなくてもと思う俺に対し、少しだけ得意気な笑みを浮かべながら返してきた。

 

 

「打撲程度で音を上げるほど、柔な鍛え方はしていない。これくらいの怪我など、大した問題ではない」

 

「そうかい」

 

 

何とも、軍人らしい答えの返し方だ。

 

リアルの戦場では打撲や切り傷、擦り傷などの軽傷は怪我とは言わない。いくつもの戦場を駆け巡ってきたボーデヴィッヒにとって、多少の打撲ではハンデにすらならないらしい。

 

もしも痛がるような素振りを見せるようなら、力付くでも手合わせを断っていたが、そこまで言い切るのなら俺も断る理由はない。

 

 

 

渡されたサバイバルナイフをくるくると回しながら、順手に持ち変える。普段握る刀が小太刀ではないため、逆手持ちはどうにも慣れない。いつも使っている長モノであれば戦いやすいが、慣れないものを握ると違和感だらけだ。

 

 

「この手の武器は使い慣れていないんだが……ま、無いものねだりしたところで仕方ないか」

 

 

そうは言っても、この場にある武器はサバイバルナイフのレプリカくらいしかないし、ワガママを言ったところで刀が使えるようになるわけでもない。

 

刀が使えないから勝てなかったなんて言い訳にもならないし、ここはあえてボーデヴィッヒの土俵で戦ってみることにしよう。

 

こうして生身で手合わせするのは、入学してから間もない頃にやった篠ノ之との剣道以来か。あの時は俺が一切ダメージを受けずに篠ノ之を完封したが、今回はどうだろう。

 

篠ノ之と比べると本物の戦場を味わっている分、戦い慣れているのは間違いないし、単純な近接格闘戦の実力に関しても篠ノ之を軽く凌いでる。同学年で生身の格闘戦において、ボーデヴィッヒの横に並び出れる者は居ないだろう。

 

実力に関しては未知数だが、この年で精鋭が集うドイツ軍の少佐を任されているくらいだし、一般人と比べたら天と地ほどの差がある。それも数人が纏まって挑んでも勝てないほどに。

 

 

「で、ルールはどうするんだ。……まさか時間制限なしのエンドレスとか言わないよな?」

 

「ふむ。お前が許すのなら、それもありだろう」

 

「んな長いこと出来るかっつーの。長くやってたら誰かに見られるかもしれないし、織斑先生に見付かったらそれこそ不味いだろ」

 

「それもそうだな。だが安心しろ、初めからエンドレスでやる気は無い」

 

 

エンドレスにしたら誰かに見られるリスクは高まる上に、千冬さんに見付かったら一環の終わり。深夜帯の無断外出は完全に校則を無視しているわけだから、弁護のしようがない。あくまで千冬さんが黙認してくれるのは、非常時の仕事の時だけであり、私用丸出しの外出は許可してはいない。

 

とはいっても、見付かった時の言い訳を考えたところで無罪放免になるわけでもないし、ここまで来たら腹を括ろう。

 

もしかしたら今回の一件は既に千冬さんにバレているかもしれないし。

 

 

「ルールは一本勝負。相手の急所部分にサバイバルナイフを突き付けた方が勝ちだ」

 

「了解、ならさっさと始めようぜ。時間をかけても意味はないだろうし」

 

 

 目を細めながらボーデヴィッヒを見つめ、相手の出方を伺う。腕を前に突きだし、ファイティングポーズを取りながら体勢を屈め、円を描くように相手との間合いを取る。

 

注意する点はいつもと間合いが違うことと、ボーデヴィッヒが使い慣れているナイフを使っているところ。使い慣れている部分のみで判断するのであれば、間違いなく有利なのはボーデヴィッヒだ。

 

使うことはあれど、頻繁に使うことの無い俺に対し、戦場で常に携帯し、近接戦の要として使いこなしていたボーデヴィッヒとは明らかに土台の技能レベルが違う。

 

 

……が、そのくらいのハンデなら俺としては特に問題ない。相手がナイフの達人だったとしても、当たらなければどうということはない。

 

 

 

 

 

「……っ!」

 

 

 一歩下がった瞬間、先に動いたのはボーデヴィッヒだ。素早い立ち回りで、一気に俺との距離を詰めると俺の首筋目掛けてサバイバルナイフを一突き。構えていたナイフを、突き出されたナイフに対して垂直にし、背の部分でナイフ軌道をずらす。

 

刀と違って小回りがきくサバイバルナイフは、次の行動へと移りやすい。もし普通に避けていただけなら、そのまま返し刃で次撃を受けていた。軌道を変えたことで次の反撃に移ることが出来ず、悔しげな表情を浮かべながら距離を取る。

 

 

―――ヒットアンドアウェイ。ダメだと判断したら無理をせず即座に後退し、攻撃を仕掛けるチャンスを見出だす戦法で、一撃当てたら離れる、一撃当てたら離れるを繰り返すことで、確実に相手を弱らせ、弱らせたところを一気に仕留める。

 

時間は掛かるが、相手を弱らせて仕留める意味では、効果的な戦法の一つとも言える。だが、如何せん効率が悪い。結局は相手が弱るまで基本動作を繰り返さなければならないし、相手が動きを変えてきたら自分もそれに合わせて基本動作を変える必要がある。

 

 

何より一撃急所に当てたら終わりの戦いで、ヒットアンドアウェイ戦法を繰り返す意味がない。時間をかけて人の体力を削ろうとする作戦なら、間違いなく失敗すると断言できる。

 

多少の攻防で尽きる柔な体力はしてないし、それしきの揺さぶりで乱れるような精神力でもない。

 

 

それでも今の一撃の鋭さは見事、無駄な動きは一つもなかった。視線を切ったら本気でこちらがやられる。

 

 

「なるほど、伊達に訓練は積んでないってことか」

 

 

馬鹿正直な攻撃ではない分やりにくい。これまでどれだけの人間と戦ってきたのか。俺はあくまで一人の対象を守るために刀を振るうが、ボーデヴィッヒの場合は向かってくる不特定多数の敵を相手にする。

 

相手をして来た数だけなら俺よりも多い。戦場に立ってきた経験、技量、そこだけを見れば確実に俺よりも実力があるのは明らか。

 

……どうしたもんか。

 

ナイフの間合いは踏み込んだとしても精々二メートルくらいだから、刀を使う時よりも相手に近づく必要がある。ナイフでの実戦経験は少ないものの、丸っきり無い訳じゃないし、戦えないわけでもない。

 

じっくりとボーデヴィッヒの動きを見極めつつ、仕留めるのが最善策だ。いくら経験で勝るとはいえ隙はある。

 

それに先制攻撃を完全に防ぎきったことで、多少の動揺が生まれていることだろう。手の内を明かしすぎると、太刀筋に慣れて対応されるから、ボーデヴィッヒとしても素早く仕留めたいはず。

 

焦れば焦るほどに正確な攻撃に歪みができてくる。初めは小さくても、その歪みは一旦出来てしまえば後は大きくなるだけだ。

 

 

「ハァッ!」

 

 

諦めず、再度俺へと接近してナイフを振りかぶり、縦横斜めと縦横無尽に突き付けてくる。正面からの攻撃ならいくら緩急をつけたとしてもかわしやすい。

 

俺を少しでも焦らせるのであれば、死角からの攻撃の一つでもなければ焦ることはない。だが使っている武器はナイフ一本、一本のナイフで死角から攻撃を行うのは、相手がよそ見をしない限りは不可能。

 

 

「ふっ!」

 

 

 ボーデヴィッヒの攻撃をギリギリまで引き付け、小刻みに左右にかわしていく。かわす際に風圧が横を突き抜けていくが、こればかりは我慢するしかない。

 

あくまでかわすのはギリギリでかわすこと、もし余裕もってかわしてしまうと相手に考える隙を与えてしまうことになる。更に自分の動作も大きくなってしまうため、致命的な隙になる。僅かコンマ何秒のことではあるが、その時間が自分の勝敗を大きく分けることにも繋がる。

 

 

「くっ……まだ余裕があるのか!」

 

「馬鹿言え、本当に余裕があるなら既に仕留めているさ」

 

 

本来ならさっさと仕留めているところだが、ボーデヴィッヒのナイフの扱いがそれをさせてくれない。むしろ自分の力を出せないと言った方が正しいか。

 

いくら遺伝子強化試験体とは言っても、才能だけでは決してたどり着くことが出来ない領域だってある。従来の人間と比べて強化されている部分は、聴力、視力、筋力と言った肉体的な部分に関係する場所のみ。

 

技術の部分に関しては、埋め合わせをすることが出来ない。もちろん人よりも飲み込みは早いものの、怠けていれば技術はついてこない。相手の動きを察知し、避けにくいギリギリの部分を的確につけるだけで、どれほど努力してきたのかが分かる。

 

これほどに努力してきた人間を嘲笑えるほど、研究者(アイツら)は人を見てきたとも思えない。強さだけでも認めてほしいと必死に努力をしてきた人間に、出来損ないの烙印を押すことが出来るほど、研究者(アイツら)がスゴい人間と思ったこともない、認めようとも思えない。平気で人を捨てるような奴らを、許し認めようなんて思えるはずもない。

 

罵倒され、嘲笑され、蔑まれ、苦しんで苦しんで……それでも何かにすがって前を向こうとする姿勢を評価しないなんて、そんなあり得ないことがあるだろうか。

 

 

少なくとも戦ってるボーデヴィッヒからは、必死さが伝わってくる。もう一回自分を見つめ直そうと、至らない今までの自分を少しでも変えようと。

 

 

だからこそ、俺も全力で迎え撃つことにする。

 

 

「なにっ!?」

 

 

目の前で起きたことが信じられないらしく、目を丸くしたまま俺を見つめる。ナイフの大きさは決して大きくはない。それでも動いている物体を正確に掴もうとすると、多大なる集中力と正確な位置を掴む動体視力が必要になる。

 

ナイフを扱っていた年数、戦場経験はボーデヴィッヒの方が上かもしれないが……。

 

 

「その太刀筋はさっきも見たぜ?」

 

 

身体能力と動体視力に関して、負けるつもりはない。突き出してきたナイフをかわさずに、人差し指と中指で挟んで進行を止める。二本の指で挟んだことで通常より挟む力は落ちるが、ナイフの攻撃を止めるくらいの力はある。指から逃れようと必死にナイフを引っ張るものの、俺も全力で力を込めているからそうそう簡単には抜けない。

 

必死になる理由は言わずもがな、攻撃手段を失えばイコール負けを意味するのだから。ボーデヴィッヒの無防備な部分にナイフを突き当てるのは容易い。それでこの戦いは終わる。

 

 

「ていっ!」

 

「うわぁっ!?」

 

 

空いている方の手で、軽くボーデヴィッヒの肩の部分を押しながら、挟んでいるナイフを手放すと、引っ張っていた勢いそのままに後ろへと後退していく。

 

意外そうな顔をしているところから、今の攻防で自分の負けを悟ったことだろう。それなのに自分を仕留めることをせずに、ただ肩を押して間合いを離しただけ。

 

温情も良いところだ。何故仕留めようとしないのか、それにはちゃんとした理由がある。

 

 

「な、何故止めを刺さない!? そのまま攻撃していれば、お前の勝ちだっただろう!?」

 

「答えっていうのはそう簡単に見付かるもんじゃない。それでも探さなければ見付からない。今回の戦いで少しでもお前が答えに近付けるのなら……俺は徹底的に付き合う」

 

「……っ!」

 

 

 俺の投げ掛ける言葉にボーデヴィッヒの顔が強張る。仕留めることは造作もないことだが、そもそもこの戦いの主旨は何だったのかと考えると、俺がボーデヴィッヒを一方的に叩きのめすものでもなければ、ボーデヴィッヒの実力を俺が見極めるためのものでもない。

 

全力を出さなければ相手に失礼だとは思うが、今回の戦いの目的はボーデヴィッヒにとって足りないものを見付けるための戦いだ。

 

さっさと終わらせるのも手の一つとはいえ、それでは単に自信の実力を誇示しただけに過ぎない。彼女の反応から察するに、まだ答えを導き出すためのきっかけが、何一つ見付かってないことくらいは分かる。

 

何度も言うように簡単に見付かるなら苦労はしない。この戦いでボーデヴィッヒがきっかけを見付けることが出来るかと問われれば、微妙なところだろう。

 

ただ見付けることが容易ではないと、彼女自身が分かるだけでも一歩前進したことになる。

 

 

変わろうとしない人間には手を差し伸べないが、自ら変わろうとする人間には全力で手を差し伸べる。

 

同じ遺伝子強化試験体としてではない、ましてや護衛一家の当主としてでもない、霧夜大和一個人としてだ。

 

 

「―――来いよ、()()()。お前が満足するまで、相手になってやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

分からない。自分が何をしたいのか、何が生き甲斐なのか、何が足りないのか。

 

どうしてこいつの目はこんなに輝いているのか、とても同じ境遇にいた人間とは思えなかった。相対するだけでも全身からひしひしと伝わってくる胸の内に秘めた強い信念。

 

目標が、目的が、誰にも譲れない何かがあるのかと思わせるほどの信念がこもった強い眼差し、それはまるで私が尊敬するあの人と似た目をしていた。

 

答えに近付こうと、私は霧夜大和との戦いを希望した。今度はISではなく、一個人の生身の戦いで。幸い、特に嫌がることもなく、快く了承をしてくれた。私の意図を汲み取ってくれたのかもしれない。

 

私の中で、こいつならもしかしたら答えに導いてくれるのではないかと、僅かばかりの希望を頭の中で思い描いていた。

 

 

 

そしていざ戦ってみて分かる。霧夜大和の強さは今まで相手をして来た相手の中で、もっとも強く、異次元レベルの強さだと。

 

ナイフの扱いだけなら、一般人に後れを取ることなどないし、歴戦の相手だとしても差し違えることくらいは出来る。少なくとも全く歯が立たないなんてことはない。

 

 

……しかし現実はこれだ、もう小一時間ほど経つだろうか。片や涼しい顔で、汗一つかいていないというのに、私は身体中汗だくで、何時間もランニングさせられたかのように呼吸が荒い。膝に手を当てながら呼吸を整えようとするも、すぐに回復するほど人体はハイスペックではない。

 

こちらが緩急を付けた攻撃も、まるで数秒先が見えているかのように的確にかわされる。それも何とか回避できたのではなく、わざとギリギリまで接近させてかわすといった、動体視力が優れている人間にしか出来ない芸当だ。

 

それをあたも簡単にやり遂げる辺り、こちらの攻撃が完全に見切られていて、かつ相手に余裕があるんだろう。

 

 

 

「まだやるか?」

 

 

 

疲労困憊状態の私に、これ以上続けるかどうかの確認をしてくる霧夜。当然だ、まだ私は負けたわけではない、滴る汗をぬぐいながら顔を上げ、再度ナイフを前に突き出す。

 

 

「……あぁ!」

 

 

一方的な攻防だが、致命的な一撃は貰っていない。体力は今にも底を尽きそうだが、ここで立ち止まっている訳にはいかない。絶対に一矢報いて見せる。いくら相手が圧倒的な強さを誇っているとはいえ同じ人間だ。

 

疲労は少ないとしても、さすがに小一時間攻撃に対応し続けていればいずれ集中力の限界は来る。人間の平均が約五十分、既に戦い始めてから五十分は超えているし、どこかでミスが起きても何ら不自然はない。

 

隙は一瞬だが、私にも十分勝機はある。

 

 

「はっ!」

 

「馬鹿正直な攻撃じゃ、俺には届かないぞ!」

 

 

再度霧夜との距離を詰めながら、相手の避けにくい箇所を狙って攻撃を加えていくも、目の前からの攻撃は霧夜にとってかわすに容易い攻撃なんだろう。

 

涼しい顔をしながら左右に顔を揺らして避ける。手持ちのナイフはほとんど使っていない。それだけ余裕がある状態なのだから、このまま同じ攻撃を続けていても活路は見出だせない。

 

ならこちらから意図的にペースを崩す必要がある。

 

ナイフを握りなおし、今度は霧夜の顔をめがけて突きを入れる。正面からの攻撃はほとんど通用しないが、今回の意図はこの一撃で霧夜を仕留めることではない。ナイフの間合いが数センチまで近づいた瞬間、私の予想通り顔を右側へとずらした。

 

 

かかった! と反射的に心の中で思った。

 

 

確かに加減無しの突きを急に止めるのは難しい。だが、相手が回避することを分かっているなら、攻撃を加減するのは簡単だ。

 

 

「げっ……!」

 

 

霧夜の顔の前で制止させたナイフを順手から逆手に持ち直し、避けた方の霧夜の首筋めがけて振り下ろす。自分の罠に引っ掛かったのを悟ったのだろう、明確な焦りが霧夜の顔には現れていた。

 

今度こそ、獲ったと勝ちを確信した瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なーんてな」

 

 

してやったりの表情を浮かべた霧夜の顔が、何故か反転して映った。

 

 

そして不意に背中から身体中に衝撃が走ったかと思うと、肺から一気に酸素が出ていく。背中から地面に叩きつけられると、衝撃のあまり呼吸が一瞬出来なくなり、体を動かすことも出来なくなる。地面に倒されたことは分かっても、どのような過程で倒されたのかは全く分からない。

 

つまり私自身が相手の動きを把握できなかった、着いていけなかっただけの話だ。疲れているのは言い訳にすらならない。私は良いように手のひらの上で転がされていただけであり、そもそも同じ土台にすら立てていなかった。

 

その場に倒されたことがどういう意味か分からないほど、物分かりの悪い人間ではない。

 

私たちの間には埋めることが出来ないほどの大きな壁があった。

 

……実力という名の壁が。

 

 

圧倒的な実力差の前に手も足も出ず、成すがままに負けた。対人格闘戦でも負け知らずだった私が、初めて味わう『完敗』の二文字。

 

大の字になって倒れ込むなんていつ以来だろうか。生身での戦闘ではほとんど経験してこなかったことに、自分の中でも戸惑いが隠せない。

 

気が付くと喉元にはサバイバルナイフの矛先が当てられている。私が一番最初に伝えたように、これで完全に私の負けが決定した。

 

……いや、実際はもっと早く私の敗北は決定していた。仮に霧夜が初めから本気を出していたとしたら、温情をかけずに完膚なきまでに私を叩きのめしていたとしたら。

 

この小一時間で何度葬り去られたことだろう、もはや数え切れない。

 

 

「はぁ、はぁ……わたし、は……負けたの、か?」

 

「最初に決めたルールで判断するのなら、そういうことになるな」

 

 

 息も絶え絶えの状態で、負けたかどうかを再度確認する。信じられなかった、こうもあっさり負けてしまったことが。相変わらず息一つ乱さずに、霧夜は淡々とした口調で私に語りかけてくる。

 

その一言で改めて負けたことを認識する。

 

自然と自身の敗北を認めたくないと言った、どす黒い感情は沸き上がってこなかった。

 

しかしそれとは別に私の心の奥底から沸き上がって来るのは、とてつもないほどの悔しさ。ましてや同年代の異性に、自信を持っていた土台で戦って負けたのだから、経験したことのない、言い表せない悔しさが沸々と込み上げてきた。

 

感情を押し殺すように力一杯歯を食い締め、強く手を握る。

 

 

霧夜が視線を顔、手の順で向けたかと思うと、不意に笑みを浮かべながら話を続けてきた。

 

 

「悔しいだろ? この世界には千冬さんだけじゃない。お前が知らない実力者たちがいくらでもいるんだ」

 

「……私は、また負けた。トーナメントではお前と織斑に救われ、今度は手も足も出ずにお前に負けた」

 

「………」

 

「強いのだな、お前は」

 

 

ここまで実力差を見せられたら認めざるを得ない。私とは比べ物にならないレベルの強さであると。

 

取っ掛かりが取れたように、思っていたことが率直に言葉として出てくる。認めたくないといった負の感情が沸き上がることはなく、素直に相手を認めることが出来た。

 

 

「実際、俺は実力があるだとか、自分が強いだとか豪語出来るような人間じゃない。それでもたった一つ、お前よりもほんの少しだけ強いと認識出来る部分がある」

 

「強い、部分……?」

 

「あぁ、そうだ。どこだと思う?」

 

 

 突然の質問に少しの間頭の中で考えを張り巡らせる。身体能力を含めた戦闘能力は私より確実に霧夜の方が上だ。だが霧夜はそれを真っ向から否定した。

強いと豪語出来ないということは、確実な勝利なんてものはないということを暗に伝えたいのかもしれない。

 

どれだけ強い人間でも負け知らずの人間なんかはいない。どこかしらで負けたこともあれば、挫折を味わったこともある。

 

私は教官が何でも出来て、悩みなんて一つもない、負け知らずの人間だと、あらぬ理想を持っていた。だが、冷静になって考えてみればそれはあり得ない話だと断言できる。

 

あくまで私の前では強い人間だと振る舞っていたとしても、実際内面はどうだったのか。全てを見ようとしなかった、表面だけを見て、教官の内面を何一つ考えようとしなかった。

 

 

こいつにとって何が私より強いのか、今なら何となく分かる気がする。今まで私が決して目を向けず、考えようともしなかった部分。

 

それでも人間にとって、最も重要な部分。

 

 

一つ間をあけて右手で握りこぶしを作ると、そのまま左胸……ちょうど心臓の真上辺りを二、三回叩き。

 

 

 

 

 

 

「――― (ここ)の強さだ」

 

「心の強さ……」

 

 

口に出して復唱し、何度も頭の中で言葉を思い浮かべる。

 

何があっても決して揺るがない己の根幹。

 

全てを拒絶し、逃げてきた私にとって心の強さなど縁も所縁も無いような存在だ。もし仮に強い心を持っていたとしたら己の欲望に飲まれ、VTシステムになど取り込まれなどはしない。私の心が弱かったから飲み込まれた、ただそれだけのことだ。

 

勝てばいい、負けなければいい、仮定はどうでもいい。だからこそ、紛い物の最強の力に手を出した。

 

恥ずかしい。軍人としてだけではなく、一個人として恥ずかしく、みっともない心構えだ。今の私があの時の私の前にいたのなら、絶対に許しはしないだろう。

 

 

「ま、そうは言っても、俺も偉そうに説教出来る立場じゃないけどな」

 

 

頬を軽くかきながら、恥ずかしそうに顔を逸らす。

 

 

 

霧夜とて、幼少期は私よりも酷い境遇にあったはず。

 

研究者や軍の仲間たちには嘲笑や侮蔑を含ん視線、罵声や中傷を浴びせられることもあったが、食事まで抜かれたり、暴力を振るわれたりすることは経験にない。ましてや軍から無理矢理にでも追放されて、路頭に迷うなんて想像したこともないし、想像したくもない。

 

人より強いから、危険だからという理由で小さな子供を捨てる神経すら疑う。人を信じられなくなって当然だというのに、目の前にいる男は違った。

 

 

「どうしてお前はそこまで前を向ける、強くあれる。私以上の仕打ちを受けていたというのに、どうして……」

 

「仕打ち? あぁ、昔の話か」

 

 

私の中での大きな疑問はそこだった。与えられた仕打ちを考えれば人を信じられなくなるどころか、心がいつ崩壊してもおかしくないのだから。

 

 

「……人なんか信じられるわけがないし、強くあろうとも思わなかったよ。同じ人間に捨てられて、人を信じろって方が無理な話だ」

 

「……」

 

「……でも、あの人(千尋姉)に全ての人間がそうじゃないってことを教えてもらった」

 

 

私と同じように、霧夜も一人の人間が救ってくれた。

 

決定的に違うのは、私の場合は他人に依存して自分の足で前に進んでいこうとしなかった。一方の霧夜は救ってもらった後、自分自身の足で前へ進み、未来への道を切り開いていこうとしている。

 

 

 

他人に依存していた事実は二人とも変わらない。だが依存したまま殻に閉じ籠り、拒絶し続けていた私と、自分で殻を破り、自ら一歩を歩み始めた結果は全く違う。

 

肉体も精神も大きく成長した霧夜大和に対し、肉体だけは年月と共に成長したが、精神(こころ)に関しては数年前からそのままの私。

 

初めは同じ道を歩んでいた身なのにいつの間にか、私と霧夜の差は実力以外の部分でも大きく差がついてしまっていた。

 

自らの肉体だけを鍛え、内面を改善しなかったのは誰のせいでもなく、ただの自己責任だ。十数年生きているのに私は何をして来たのだろうと、自責の念にかられる。

 

 

 

 私のことを見捨てようと思えば、いつでも見捨てることができただろう。私がしてきた行為は決して許されるものではない。

 

編入時に織斑一夏に暴力を加えようとしたこと、二人の代表候補生を一方的に攻撃して怪我を負わせたこと、そしてその戦いに全く関係ない人間を巻き込んでしまったこと。

 

どれも悔いても悔いきれない野蛮な行動であり、人として絶対にやってはいけないことだった。

 

なのに、最後まで私のことを見捨てなかった。私が拒絶しようとも、必ず側には霧夜大和という存在がいた。

 

 

人を惹き付けるだけの魅力、そして統率するだけのカリスマ性。分け隔てなく接する社交性の高さに、過ちを犯した人を許せるだけの底知れない寛容性。大切な人を守るためには自己犠牲を厭わない正義感。

 

 

羨ましいと思った。

 

何て眩しい存在なんだろうと思った。

 

今のままでは絶対に敵わないと思った。

 

霧夜みたいな人間に、私もなりたいと思った。

 

私のことを認めてくれるのだろうか、私と親しくしてくれるのだろうか、私の友達になってくれるのだろうか。

 

怖くて聞けなかった、拒絶されるのが怖くて。

 

 

「切っ掛けなんて些細なことだったし、今でも俺自身が特別なことをしているとは思っていない。俺にとっての当たり前を毎日実行しているだけさ」

 

 

当たり前のことを当たり前に出来るような人間が、この世界に何人いるのか。恐らくは数えるほどしか居ないだろう。

 

 

「ま、強いて言うなら俺の強さの定義は、大切な誰かのために戦うこと……かな」

 

 

照れ臭そうに告げる霧夜の顔が、今の私にはとてつもなく眩しく輝いて見える。どうしてこれほどの人間を私は見誤っていたのか、今となっては理解に苦しむ。

 

あぁ、この男には当分勝つことは出来ないと、私の直感が悟っていた。

 

 

「さて、と。立てるか、ラウラ?」

 

 

私の本当の名前を呼びながら、私を立ち上がらせようと何気なく手を伸ばしてくる。少し前までの私だったら、この手を遠慮なく叩き落としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――霧夜大和。

 

私と同類でありながら誰よりも強い信念を持つ男。

 

私のことを遺伝子強化試験体という実験体としてではなく、一人の人間『ラウラ・ボーデヴィッヒ』として見てくれた数少ない人間。

 

少し遠回りになってしまったが、この男と一緒にいれば、私に足りないものを見付けられるかもしれない。

 

これからどうやって生きていこうか、皆とどのように接していけば良いのか。どれもこれもゆっくりと考えていけば良い。完敗したというのに、今までにないくらい私の気分は晴れやかなものだった。

 

 

 

「―――あぁ、すまない。助かる」

 

 

ゆっくりと手を伸ばし、差し出された手を……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

強く、握りしめた。



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銀色の告白

 

 

 

 

 

 

 

「ふわぁ……」

 

「今日は何時にも増して眠そうだな大和」

 

「いつにもって、別にいつも眠そうな顔はしてねーよ。ちょっと色々やってたら寝るの遅くなって……」

 

 

次の日……ではなくて時間軸としては今日になるのか。

 

ラウラとの一戦を経て、部屋に戻った俺はそのまま眠りについたわけだが、直前まで体を動かしていたせいで、全くと言って良いほど眠れなかった。お陰さまで完全な寝不足、一度起きてしまった体をすぐに寝沈めるのは無理があった。

 

起きているわけにもいかないし、とりあえず体だけでも休めようとベッドに横になるものの、熟睡が出来ないから疲れが取り切れるわけもなく、体がいつもよりもダルい。

 

授業自体には差し支えはないけど、あまり気持ちの良いものでもないし、今日は授業が終わったらさっさと帰って昼寝でもしよう。

 

 

話を戻すと俺と一夏は二人で学校に登校中な訳だが、いつもはいるはずのシャルルの姿がない。朝食堂にも来なかったし、一夏を呼びに行った時も既に居なかった。何か隠し事をしているのではないかと思うと、様々な疑問が浮かび上がって来るわけだが……そこまで気にするような内容でもない気はする。

 

あの戦いの後、多少の変化があったといえば、俺のラウラの呼び方くらいか。以前は一貫してボーデヴィッヒと名字の方で呼んでいたが、今は名前のラウラの方で呼ぶようにしている。

 

戦いが終わった後に、普通に名字で呼んだところ、泣きそうな顔をされたから名前で呼ぶようにした。捨てられた子犬というか、捨てられた猫というか、一人にしないでくださいオーラが、ひしひしと伝わってくれば断れるはずがない。

 

 

「しかしよくもまぁ、これだけイベントごとにアクシデントが起きるもんだ。もうイベントやらない方が良いんじゃねーの?」

 

 

相変わらずのイベントごとのアクシデント。そろそろ学園全体をお祓いしてもらった方が良いんじゃないかと思うレベルにもなってくる。俺の口から細かくは話してないけど、大きな学園全体を巻き込んだ事件以外にも、微々たる事件は起きている。

 

そこは俺や楯無の二人で、何事もなかったかのようにしてはいるが、いつ公に出てしまうかなど分かったものではない。

 

幸い大小問わず、どのアクシデントも大事になる前に沈静化出来ているのと、大きな怪我人はまだ出ていないところが唯一の救いか。

ただし大きな怪我人が出ていないだけで、場合によっては大事になっていても何ら不思議はない。

 

究極兵器と人間の体、正面衝突でぶつかり合えばどうなるかなんて誰でも想像出来る。基本生身の人間は兵器に対して抗う術を持っていない。自然の前では人は無力なのと同じように、機械の前でも人間は無力だ。

 

イベントに合わせているあたりタチが悪いことこの上ないが、全ての事件が同一人物によるとも限らないし、原因の発信源が分からない状態だからどうしようもないのが事実。学園側も相応のセキュリティシステムで外部からの侵入は防いでいるのかもしれないけど、ここまで問題が多いともなれば流石に見直してもらわざるを得ない。

 

取り返しのつかないことになる前に。

 

 

ただ俺の口から言ったところで、動いてくれそうなのは教師は千冬さんくらいで、教師の大半は俺のことを普通の生徒だと思っている。正体を明かすわけにはいかないしどうしたものか。

 

 

「まぁそう言うなよ大和。確かに毎回毎回アクシデントは起きてるけど、大事には至っていないみたいだし」

 

 

俺の皮肉を諭すように言葉を投げかけてくる。

 

最終的にはそこに繋がる。大事になっていないからこそ、学園側も動きずらいんだろう。

 

下手に事を大きくすれば周囲の不信感は大きくなり、学園の評判にも繋がる。評判が悪くなればおのずと志願者は減るだろうし、優秀な操縦者も集まりづらくなる。

 

 

「あぁ、今回も大事にならなかったから良かったけど、いつどうなるかなんて分かったものじゃない。ここまで立て続けに事が起きてると、どうも敏感になっちまう」

 

 

敏感になっているのは俺だけじゃないはず。学園にいる生徒の何人かは思っているだろう。新入生はもちろんのこと、二年、三年生も同様に。

 

 

「……っと、ここまでにしておくか。そろそろ教室に着くし」

 

 

少し深く話し過ぎたみたいだ。過ぎたことを愚痴っていると、周りにまで負の空気が伝染するし、ここら辺りでこの話はお開きにする。

 

歩を進めている内に昇降口まで来ていた俺と一夏は、靴を履き替えてそのまま教室へと向かう。いつも通り教室の扉を開くと、既にそこには何人かのクラスメートたちが登校を終えて、談笑をしている姿が見受けられた。

 

その中からシャルルの姿を探し出そうとするも、どこを探しても全く見当たらない。先に行ったのなら既に教室に着いてるはずだし、居ないということはまだどこかで道草を食っているか、別の場所に呼び出されているかのどちらか。

 

誘拐されたなんてことはないとは思うけど、万が一のこともある。特にシャルルの実家との問題を考えれば、いつ何が起こっていたとしても不思議ではない。

 

 

「あ、織斑くんと霧夜くん。おはよ! 教室中を見渡してどうかしたの?」

 

「あぁ、おはよ相川。ちょっとシャルルを探してて……まだ来てないのか?」

 

「おー、おりむーときりやんだー。デュっちーなら今日はまだ見てないよー」

 

「そっか……ってかデュっちーって変わった呼び方だなおい」

 

 

教室入ってすぐの場所で話をしていた二人に挨拶を交わすと、シャルルが来ているかどうかを確認するが、まだ教室には来ていないらしい。

 

それにしても、布仏のあだ名のネーミングセンスは、普通の人では思い付かないような独創的な部分がある。さすがにシャルルのことを『デュっちー』と呼ぶとは思わなかった。

 

 

「おかしいな、俺には先に行くからって部屋を出たんだけど……」

 

 

 シャルルが教室に居ないことで首をかしげたのは、他でもない一夏だった。今日会っていない俺はともかく、一夏は同じ部屋なのだから少なからず何回か会話を交わすこともあるだろう。何より、シャルル自身が先に行くからと事伝えしたことを考えると、一夏が疑問に思っても仕方ないことだった。

 

そうなると誰も手掛かりを掴んでいないことになる。変な心配はしたくないが、ルームメイトに先に行くと言って未だ教室に着いていないのは不自然。

 

とはいっても教室に来てないのは事実な訳だし、探そうにも手掛かり一つ無いのだから、今は黙って待つしかないのが現状だ。ただそこまで大事にはなっていないだろうし、職員室にでも寄っていると考えれば何ら不思議ではない。

 

 

「そこに関しては後で分かるだろ。とりあえず入口塞ぐのも邪魔になるだけだし、さっさと席につこうぜ」

 

「それもそうだな」

 

 

 深く気にしても仕方がないと判断し、一旦持っている鞄を置くために自分の席へと向かう。

 

机のフックに荷物を引っ掻けて中から参考書を取り出すと、それを机の上に置いた後、制服のヨレを正す。

 

 

 

 

 

「おはよ、ナギ。相変わらず早いんだな」

 

「おはよう、大和くん。そんなこと無いよ、寮に居てもやることが無いだけだから」

 

 

隣には既に着席しているナギがいて、軽く挨拶を交わし、椅子に座り直す。鼓動が高鳴る事もなければ、変に意識することも無かった。

 

昨日のあれは本当になんだったのか、夢の中の出来事だったんじゃないかとも思える。それでも俺がそうなったのは事実であり、彼女の事が好きであるという事実は変わらない。

 

守りたい人ではなく、一緒に居たい人へ。

 

……これはもう一夏の事をからかえないかもしれない。俺がナギに対して好意を持っていることに気付いている人間は、多少なりともいるだろう。変に俺が話をすれば自爆しそうだし、自身の事に関しては鈍感でも、他人の気持ちには敏感な人間(一夏)もいるから侮れない。

 

 

「あの……あまり顔をジロジロ見られると……」

 

「へ? あっ、わ、悪い! そんなつもりは無かったんだが……」

 

 

無意識のうちに顔を眺めていたらしく、控え目な感じに指摘を受けて慌てて顔を逸らす。恥ずかしそうに若干頬を赤らめる姿を見ると悪いことをした気分になる。

 

相手からずっと見られていたら、そりゃ変な感じになるだろうし、いい気分にはならない。異性からずっと見つめられることが、快感に思える人間がいるとしたらそれはそれで逆に怖い。

 

 

「……」

 

 

そう言えば昨日抱きつかれたんだよな。

 

今まで不意な事故とか、泣き付かれた拍子に抱きつかれたことはあったけど、あそこまでナギ自身を意識した状態で抱きつかれたのは初めてだ。そこがどうしても頭の中から離れない。

 

女性特有の体の柔らかさ、密着した上半身から伝わってくる温もりと心臓の音。全ての音がはっきりと聞こえる時点で、俺とナギはこの世界で一番近い場所にいることを意味していた。

 

更にシャワーを浴びたばかりの髪の毛から香るトリートメントの香りが俺の鼻腔を刺激し、理性を奪おうとする。どうしようもなかった、目の前にいる存在を全て自分のものにしたいという強烈な独占欲に襲われ、挙げ句の果てには手を掛けようとする寸前にまで踏み込んでしまった。

 

……でも、柔らかかったよな、うん。

 

右手を握る動作を繰り返しながら、自問自答を繰り返す自身に情けなさを感じつつも、もう一度ナギの方へと振り向く。

 

 

「ど、どうしたの?」

 

「いや、大丈夫。何でもないよ」

 

 

 言い返した後に気付く、これでは逆に何かあることを隠しているように見えるんじゃないかと。

 

ちなみにどうしてわざわざ振り向いたのかというと、本当にナギは昨日のことを何とも思っていないのかどうかを確認するためだ。見たところ特に目立った変化はないし、よそよそしい雰囲気もなければ、俺を避ける素振りもない。

 

むしろ俺が気にしすぎなだけなのだろうか。もしかしたら俺の認識が違うだけで、実は女性にとって抱きつくことの一つや二つ些細な事かもしれない。

 

これで真顔のまま『抱き付かれたくらいで意識するとかお子さまだね』とか言われないことを祈る。ナギなら思っていたとしても、絶対に言わないだろうけど。それに抱き付くことが些細なことなら、ここまでセクハラ問題は大きくならないだろうし、俺の認識があっていると信じたい。

 

 

 

 

 

「み、みなさん……おはようございます……」

 

 

 ホームルームの時間になり、教室の入口から山田先生がフラフラとしながら入ってくる。いつもニコニコと笑顔を絶やさない先生がこれほどまでに疲れきった表情を見せると心配になってくる。

 

 

「織斑くんが何を考えているのかは分かりませんけど、私を子供扱いしようとしているのは分かりますよ……先生、怒ります……はぁ」

 

 

フラフラとした足取りのまま一夏の前に来ると、一言、二言愚痴を垂れながら教壇へと戻っていく。怒るとはいっても声に覇気がないし、実際は怒る気力もないんだろう。

 

そもそも一夏が何をしたのかが気になるところ。

 

無意識のうちに別の部屋に入って着替え中の生徒の裸を見たとか、昨日から大浴場が解禁になったのを良いことに時間を間違えて大浴場に入って、一悶着やらかしたとか……どれもこれも信憑性にかけるし、結局は一夏に直接聞いた方が早そうだ。

 

 

「おい、一夏。お前何やったんだよ?」

 

「な、何もやってねーよ! そもそも俺が怒られる理由が見当たらないっつーの!」

 

 

本気で否定する辺り、本人にも全く心当たりが無いらしい。じゃあ何を山田先生は怒ると言っているのか、謎はますます深まるばかり。探ったところで無駄だろうし、すぐに分かりそうな気もする。

 

 

「そ、それではですね。今日は転校生を紹介します……いや、もう紹介は済んでいるというか……」

 

 

転校生? この時期に?

 

山田先生の言っていることが飲み込めずに呆気にとられる俺たちをよそに、教室の扉が開かれて外から一人の女子生徒が入ってくる。

 

つい最近、ラウラとシャルルが編入したばかりだというのに、編入が多い高校だ。全世界からIS操縦者が集められているから、不定期的な転校は十分に考えられるとしても、その頻度があまりにも多すぎる気がする。

 

 

 

で話を戻すと、教室に入ってきた女子生徒について。

 

髪の毛をブリーチしただけでは、決して再現することが出来ない程綺麗な金髪を後ろで結わている。くりっと大きく見開いた眼差しに、整えられた顔立ちは非常に中性的で、服を変えれば美少女ではなく美少年に見えないこともない。

 

女子生徒の中では比較的短めなスカートから伸びる足は無駄な肉が一切ついていないほどに引き締まっていて、健康的な生活、もしくは日々鍛練をしていることが伺えた。

 

そして女性特有の膨らみが胸元にはある。制服越しに分かるのだからそこそこサイズは大きいんだとは思う。

 

誰もが羨むような美貌、そしてどこか人懐っこい、優しそうな表情から浮かべる笑みは、クラスにいる同姓でさえも虜にさせるほどだ。

 

うん、何だろう。胸がある以外の部分に関しては、どこかで見たことがあるような風貌だ、それも本当につい最近。

 

まるでシャルルみたいな……って、あれ? シャルル?

 

 

 

 

 

「―――シャルロット・デュノアです。皆さん、改めてよろしくお願いします♪」

 

 

 満面の笑顔を浮かべて挨拶する姿は、以前男性操縦者として転校してきたシャルル・デュノアの姿と寸分の狂いもなく一致した。一つ違うとすれば自身の名前、以前はシャルルと名乗っていたが、今回はシャルロット。

 

ここまで似ている双子はそう居ないだろうし、シャルルに血の繋がった兄弟がいるなんて聞いたこともない。つまり、目の前にいるのはシャルル本人。

 

シャルロット・デュノア。

 

それが彼女の本当の名前なんだろう。

 

 

「えーっと……デュノアくんはデュノアさんということでした。うぅ、また部屋割りの組み直しです……」

 

 

 シャルルが女性だったという事実が判明したことで、再度部屋割りを組み直さなければならなくなり、弱々しく教卓の上に崩れ落ちる山田先生。篠ノ之と一夏の例はあくまでイレギュラーであって、年頃の男女が同棲することは認められていない。

 

部屋が空くまでの期間限定として特例で認められていたのだから、このままシャルルと一夏が同棲することはまずない。……シャルル自身としてはそっちの方が嬉しいだろうけど、山田先生が言っている以上部屋変更は間違いないだろう。

 

 

ただ一時期とはいえ、一夏とシャルルが同室だったのは事実。男性と思われていたから許されていたものの、女性と分かれば話は別。

 

一瞬、時が止まったように静まり返るクラスだが、やがて事態を把握するとざわざわと騒ぎ立て始める。

 

 

 

「もしかしなくてもデュノアくんって女?」

 

「美少年じゃなくて、美少女だったってことね!」

 

「私のデュノアくんはどこ? これってドッキリだよね? デュノアさんはデュノアくんでしたってオチだよね?」

 

「え、デュノアくんはデュノアさん? じゃあデュノアくんはどこに……?」

 

「アハハハハハハハハハハハハハハ!! 嘘だっ!!」

 

 

 

 十人十色の反応を見せるクラスメートたちの中には元々怪しいと睨んでいた者もいれば、あわよくばお近づきになりたいと思っていたにも関わらず、女性だった事実が判明して、泣き崩れる者。

 

更には現実が受け入れられずに自問自答を繰り返す者や、タガが外れたかのように狂気の笑い声をあげる者。一番最後の高笑いに関しては、完全に危ない人にしか思えないが、本音を言ったら負けな気がする。

 

 

 

しかしまぁ、こればかりは俺も驚かされた。

 

元々はデュノア社からの命令で、自身を男性と偽って一夏や俺に接近し、データを入手することが本来の目的だったはず。よって、ここで正体を晒すのはデュノア社の命令に背いたことと同じになる。

 

バレたら不味いと言っていたにもかかわらず、わざわざ自分から正体を明かした理由が分からない。無論、シャルルが実家と縁を切るようなことをしたのであれば話は別だが、現段階では判断は出来ない。

 

驚いたのは俺だけではなく、目の前に座っている一夏もそうだ。鳩が豆鉄砲食らったような顔を浮かべながら呆然と、シャルルの顔を見つめている辺り、一夏にも伝えていなかったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ちょっと待って。昨日って確か男子が大浴場を使ってたよね?」

 

 

 シャルルの正体が分かったと思えば、今度は話があらぬ方向へと展開していく。クラスメートが何気なく呟いた一言に、クラス中の視線が俺と一夏のいる座席に集中する。

 

別にやましいことはしていないと視線の方向を目線だけで見渡す俺に対し、冷や汗をだらだらと流し、前を向いたまま指一つ動かせないまま体を震わせる。

 

大浴場もなにも、自室のシャワーだけで済ませているから、大浴場自体を使っていない。ただしそれは俺だけの話であって、目の前にいる一夏は違う。反応から察するに、一夏が大浴場を使ったのは間違いない。

 

一夏の反応を見た後、今度はすぐにシャルルの顔を見る。すると丁度、シャルルと俺の目があった。シャルルも何となく俺の伝えたいことを察したらしく、ほのかに顔を赤らめる。どうしてこのタイミングでシャルルが顔を赤らめるのか。

 

ほぼ答えは絞られているが、念のために他のクラスメートの反応を確認しておく。

 

窓際の一番前に座る篠ノ之に関しては鬼の形相のまま、一夏のことをじろりと見つめる。仮に木刀や竹刀が近くにあるのなら容赦なく飛びかからん剣幕だ。

 

そして斜め後ろのセシリアに関しては、目からハイライトが消え失せ、俗にいう死んだ魚の目の状態に。心なしか耳につけている待機状態のブルー・ティアーズがキラリと光輝いているようにも見える。

 

どのみちこのままいくと翌日の一面をIS学園で飾りかねないのも事実。『男性操縦者、クラスメートに襲われる』なんて見出しは笑えない。

 

一夏とシャルルの反応から結論を言うと、一緒に大浴場に入っ……。

 

 

 

 

 

 

 

「いいいいちぃぃぃぃいいいかぁぁぁあああああああああああああああ!!!」

 

 

突如、クラスのホームルームを遮り、怒号と轟音と共に、入り口付近の壁が破壊される。

 

校内でのIS展開は基本的に認められていないから、反省文レベルでの校則違反なのは間違いないが、わざわざ壁を壊してまでダイナミックな入室をする必要があったかどうかと考えると何とも言えない。

 

壁を破壊する音と共に聞こえた声のトーンで、壊した人物が誰なのかはすぐに判断できた。

 

 

「な、何だよ鈴!? お前は隣のクラスだろ!!」

 

「うるさいわね! 自分のしたことを胸に手を当ててよーく考えてみなさいよ!!!」

 

 

 一緒に風呂に入ったからとはいっても、クラスの壁を勝手に壊すのはいくらなんでもやりすぎじゃね? とは思いつつも、二人の一部始終を見つめる。山田先生は突然の鈴の登場にどうすれば良いのかオロオロと戸惑うばかり、教壇に立っていたシャルルは被害を受けないように、いつの間にか直線上から離れている。

 

ふーふーと荒い鼻息のまま、最高に憎い相手を追い詰める彼女のような鈴の姿に、両手を前に広げて突き出し、自分は無罪であると伝えようとする。

 

もはや一夏の行為自体が事実だと認めているようなものだと、誰もが思うような状況だが、誰も何も言わないのは今の状態で何かを言うと、自分たちまで巻き添えを食らう可能性があるからだ。

 

一夏自身、どうこの場をやり過ごそうかと必死に考えているが、失言さえしなければ……。

 

 

「待てって!! 大体、俺がシャルルと一緒に風呂を入ったからって……あっ」

 

「あーあ……」

 

 

 何とかなると思った俺が馬鹿だった。話をうまく誤魔化すつもりが、完全に事実を肯定してしまった。それも全員の前で大々的に。

 

言葉さえ選べば事態は収束できたかもしれないのに、わざわざ自ら一番選んではならない選択肢を選んでしまった。もう庇おうにも庇いきれない。ただ、一緒に風呂に入ったことが事実とはいえ、そこまで熱くなるものかと頭の片隅では思ってしまう。

 

実際、一夏から一緒に入ろうと誘った可能性は低い。となると元々一夏が先に入る予定だったところに、不意打ちでシャルルが入り込んだか。

 

仮説はいくらでも立てられるが、とにかく現状を何とかしよう。

 

 

「よし殺そう!」

 

 

何とか出来る時間がもう無かった。一夏の返答に誰よりも早く察知した鈴は、専用機である甲龍の肩の部分に備え付けられているアーマーをスライドさせる。

 

……射角若干俺の方を向いている様な気がするんだが。

 

 

「ちょっと待て! 少し人の話を!」

 

「問答無用ぉぉおおおおおおお!!!」

 

「し、死ぬ!? これは絶対に死ぬうううううううう!!」

 

 

 人は絶体絶命のピンチに陥った際、信じられないような力を発揮するという。火事場の馬鹿力とでも言うのか。何をどうしてか後ろの席にいた俺の襟元を掴んだかと思うと、力任せに自分の前に立たせる。

 

思った以上に強い力で引っ張られたせいで、俺も自分から立ち上がってしまう。座りっぱなしだと服を引っ張られた影響で首が締まり、苦しくなるから。

 

というかどうして俺も自分から立ち上がろうとしたのか。護衛であるが故の性といえばそうなのかもしれないが、このままじゃ俺はもちろんのこと、二人まとめて衝撃砲を食らう羽目になるのは必然的。単純に一夏を俺の方へと引き寄せたら良いだけの事だった。

 

っつーか、何で俺を盾にするし。専用機を持っているわけでもないし、モロに被害を受けるのは俺なんですが…… 。

 

 

 

―――刹那、衝撃砲の発射音が聞こえた。

 

 

 

 

「……あれ、生きてる。死んでない?」

 

 

次に聞こえてきたのは一夏の声だった。

 

迫り来る攻撃に備えるため、目の前で腕をクロスさせるも攻撃が来る気配が一向にない。痛みを感じる間もなく天に召したのであれば話は別だが、現に俺以外のクラスメートのざわめく声が聞こえてくる。

 

仮にあり得るとすれば鈴が攻撃を外したかどうかだが、この至近距離で照準を外すほど、精度の低い砲撃ではないし。現に俺はちゃんと発射音を聞いている。

 

つまり攻撃をしたのは間違いない。だがどうしてか、俺たちに直撃する前に攻撃が消えたことになる。

 

その理由は目を開いた先にあった。

 

 

「ら、ラウラ!?」

 

「……」

 

 

俺たちの前に背を向けて立ちはだかったのは、昨日跡形もないほどに破壊されたシュヴァルツェア・レーゲンを纏うラウラの姿だった。

 

よく見ると、右手を前につきだしながら鈴の放った衝撃砲を受け止めている。

 

鈴にとっては天敵とも言える代物『AIC』

 

それを展開して俺たちを攻撃するのではなく、初めて守ろうとした。

 

 

停止結界を前に衝撃砲は行き場を失い、やがて消失。鈴も防がれた瞬間こそ、再度攻撃体制に移ろうとしたものの、これ以上の攻撃はクラス全員に迷惑をかけてしまうことを悟り、戦闘状態を解除した。

 

これ以上も何も、クラスでISを展開して衝撃砲をぶっ放したところで迷惑以外の何者でもないが、今はそこは触れずにおこう。

 

 

「助かったぜ、ラウラ! サンキュー……って、お前のISもう直ったのか?」

 

「……コアは辛うじて無事だったからな。持ち込んでいた予備パーツで組み直した」

 

「へぇー、そうなのか!」

 

 

あぁ、なるほど。ISの装甲自体は見るも無惨に壊れてしまったが、コア自体は無事だったからラウラでも組み直すことが出来たのか。

 

それでも自分で一から組み直すことが出来る時点で、ラウラのISに対する知識や技術が俺たちとは違う次元にあることは理解できる。

 

そして一仕事を終えたラウラはIS展開を解除し、改めて俺たちに向き直る。

 

 

「その……織斑一夏……」

 

「ん、何だ?」

 

「……すまなかった!!」

 

「へ? えーっと……え?」

 

 

一夏の目の前で腰から体を折り曲げ、謝罪の言葉をはっきりと述べるラウラ。

 

誰がこのような状況を想定しただろうか。ラウラの目の前にいる一夏はもちろんのこと、セシリアや、篠ノ之を含めたクラスメートの誰もが、挙げ句の果てには山田先生まで呆気に取られている。一夏に関してはどう反応すれば良いのか分からずに、俺の方へチラチラと目線を向ける。

 

ラウラの変わりように全員が驚き、目を丸くする。ましてやラウラから謝罪をするなんてことは考えてもみなかったことだろう。

 

 

「……私はお前のことをずっと逆恨みしていた。強くあるはずの教官が、気恥ずかしそうな表情を浮かべる存在がいることを許せなかった。私の価値観を押し付けて、お前の全てを否定しようとしていた……」

 

 

 ポツポツとラウラの口から語られる言葉の数々。自分の理想が崩れるのが怖かった、自分だけを見て欲しかったという感情が一夏を強く恨む原因となっていた。

 

身勝手でワガママな感情だと思いつつも、昔のラウラには千冬さんしかいなかった。自身を落ちこぼれのどん底から、再度軍隊のトップレベルに引き上げてくれた存在が、彼女にとっての拠り所だった。

 

心の拠り所は良くも悪くも『強さ』であり、ラウラが見てきた姿は凛々しく、逞しく、誰よりも強かった千冬さんだ。そこを見てきたのであれば、自分の知らない表情を向ける存在があれば認めたくはない。

 

もし自分の拠り所である存在が居なくなったとしたら……。

 

独りにされること、それがラウラにとって最も恐れていたことなのかもしれない。

 

初めは純粋にラウラ・ボーデヴィッヒを、一個人として認めて欲しかっただけだった。それがいつの間にか肥大化して、大きな負の塊となったんだと思う。

 

 

「許してもらえるとは思っていない。だが、今までのことを全て、この場でお前に謝罪したい。本当にすまなかった!」

 

 

 

今一度一夏に深く頭を下げた後、今度はクラス全体が見渡せるように、教室の後ろ側へと視線を向ける。

 

 

「それと……クラスの皆にも、そしてこの場にいる私が手を掛けてしまった生徒にも……この場を借りて謝罪したい」

 

 

 再度頭を深々と下げて全員にむけて謝罪をするラウラ。彼女が導き出した一つの答えが、クラスの全員に謝罪をすること。理由はどうであれ、関係のない人間まで巻き込んでしまったのは事実。

 

数々の不祥事から問題児扱いされ、他人と接することを明確に拒絶していたせいで、誰もラウラに歩み寄ろうとはしなかった。嫌うまではいかなくても、クラスメートの評判は良くない。

 

ラウラの謝罪の意図が、もし許してほしいがためだけのものであり、自分が犯した罪の重さを分かっていないようなら、他の生徒が許そうとも俺は絶対に許す気はなかった。普通の人間よりも人心把握には自信があるし、表情を見るだけでもある程度の感情や考えていることは分かる。

 

しかし贔屓目無しに見ても、今のラウラに許してほしいという感情はこれっぽっちも混じってなかった。ただひたすらに自分の犯した過ちを、謝罪したい。例えそれが許してくれないようなことであろうとも。

 

よく見るとラウラの体は震えていた。自業自得な部分が強いとはいえ、どんな罵声を浴びせられるのか、また拒絶されるのではないかと思うと怖いんだろう。

 

確かにラウラのやったことは許される行為ではないし、許してはならない行為だ。それでも彼女の誠心誠意のこもった謝罪を蔑ろにするほど、うちのクラスメートたちは冷たい人間じゃない。

 

中にはラウラの気持ちを汲み取ってくれる人間だっている。現に……。

 

 

「頭を上げて、ボーデヴィッヒさん」

 

「え?」

 

 

 真っ先にラウラに声をかけたのは他でもないナギだった。思いもよらない人物からの声掛けに、下げていた頭を上げて、驚きの眼差しで見つめる。ラウラにとっては一番意外な人物だったかもしれない。

 

無関係なナギがラウラ、セシリア、鈴の三人の戦いに巻き込まれ、俺がキレる原因となったのはラウラだってよく知っている。ナギからすれば迷惑以外の何者でもない上に、本来なら許そうとも思えないような行為だ。

 

その癖すぐに謝罪をするわけでもなく、今更全てを謝られたところで許されるものでもない。

 

自分のことを嫌っていても、何ら不思議ではない人物からの声掛けにラウラはたじろぐしかなかった。

 

 

「本心からの謝罪をされたら、私たちはこれ以上責めることは出来ないよ。ボーデヴィッヒさんがどれだけ悔いているのかは、十分に伝わってきたから……それに私も、あの時のことはもう気にしてないしね」

 

 

どこかで聞いたことのある台詞に、思わず苦笑いが出てくる。

 

ラウラに声をかけるナギの様子が、いつぞやのセシリアに声を掛ける俺の姿とダブった。

 

ただいくら優しいとはいっても、一度は敵対していた関係なのだから急に対応を変えるのは難しい。ナギから出てくる言葉は間違いなく、あの時と今でラウラの心情の変化を悟ったから言える言葉であり、今まで通りのラウラだったら決して声を掛けることなどなかったはず。

 

ラウラがいつもと様子が違うことくらい俺じゃなくても、クラスにいる全員が既に気付いている。むしろ一日でこれほど劇的に雰囲気が変わってるのに、気付かない方がおかしい。

 

 

「う……うむ。あ、ありがとう……」

 

 

照れながらそっぽを向くラウラに、笑顔で返すナギの姿が大人すぎて眩しく見える。

 

 

「ボーデヴィッヒさんってあんな顔もするんだ……」

 

「何か常に怖い人だって思っていたけど、よく考えたら人見知りなだけ?」

 

「これこそツンデレってヤツね!」

 

「いや、それはちょっと違うわよ。ただ単に転校生に良くある、クラスに馴染めなかっただけでしょ?」

 

「よく見たら凄く可愛いよね! お人形さんみたい!」

 

 

 

今のやりとりを見ていたクラスメートたちも、ラウラの意外な一面が垣間見れてどこか満足しているようにも見えた。

 

ラウラのことをよく分かっていない段階での行動であったが故に、接することに抵抗こそ覚えていただろうが、このまま徐々にラウラが前を向いて歩き出してくれれば、いずれは自然とクラスに溶け込んでくれる様な気がする。

 

これからどうなるかは俺にも分からないけど、多分大丈夫だろう。

 

 

人生の新しいレールを引き直すのは、まだ遅くない。何故なら、ラウラはまだ『ラウラ・ボーデヴィッヒ』としての一歩を踏み出したばかりなのだから。

 

人生はこれから何十年と続く。俺がラウラのことを見ていれる期間は、決して長くはないが、少なくともこの学園にいる間だけは見守っていきたいと思う。

 

 

「……何か大和、いつも以上に嬉しそうだな」

 

「特別意識してる訳じゃないんだけどな、そう見えるか?」

 

「おう。まるで妹を見守る兄みたいな感じに見えるぜ」

 

「はは……まさか」

 

 

何を馬鹿なことをと、気にも止めずにあしらう。

 

ラウラを見守る俺の様子が、一夏にどう映ったのかは分からないが、特別意識をしていることはない。それでも後者に関しては間違いと言い切れない部分が、少し複雑な感じがした。

 

言われてみればちょっとばかり過保護過ぎたような気もするし、ラウラが日に日に成長していく様子が嬉しいと思える自分がいる。そう考えると一夏の言うように、本当に兄と妹のような関係に見えるかもしれない。

 

 

 

何はともあれ、一番の問題も片付いたことで一件落着……と思っていたが、事態は思わぬ展開を迎えることとなる。とりあえず中断させてしまっているホームルームを再開させようと、机に戻ろうとした俺の前に再度ラウラが立ちふさがる。

 

どことなく緊張した面持ちに、どう反応すれば良いのか分からずに、席に座ることに躊躇いを持ってしまう。そのまま自分の席に戻らずに、俺の前に来たってことは俺個人に何らかの用件があるからだと思ったんだが。

 

 

 

「そ、それと……だな。わ、私からもう一つ言いたいことがある!」

 

「ん?」

 

 

いくらなんでも緊張し過ぎな気が……。言葉も途切れ途切れだし、人の顔を見て話さずに、キョロキョロと視線がさまよっている。人前で言いづらい用件なら、無理にここで言う必要はないし、俺と二人きりの時や休み時間を使って伝えればいいと思うんだけど、違うんだろうか。

 

やがて手を握ったり開いたりする動作を数回繰り返した後に、ようやく言葉を続けてくる。

 

 

「きょ、今日から……」

 

 

今日から……何だって?

 

何かをゴニョゴニョと呟いたんだろうが、声が小さすぎて俺の耳では聞き取ることが出来なかった。言いたいこととは何だろうかと思いつつも、そこまで大それたことではないだろうと勝手な憶測をしながら再度耳を傾ける。

 

昨日の今日ということもあり人と話すことに抵抗がまだあるらしいが、言葉はつっかえながら話してくる姿がどうにも可愛らしい。ラウラの中で俺を含めた全員の認識の仕方が変わったのもあるだろうけど、それ以上に年下の後輩を見ているような気がしてならない。

 

 

「今日から……貴方は」

 

 

うん? 貴方? 貴方って俺のことだよな?

 

おかしいな、昨日までの俺の呼び方は『お前』かフルネームだったはずなのにいつの間に呼び方が変わった?

 

タッグトーナメントまでは『貴様』とかだったことを考えると、遥かにマシになっているわけだが、ツンツンしていた相手からいきなり『貴方』と呼ばれると、背中がむず痒くなって堪らない。

 

……ちょっと待て、こんな感じのシーンどこかで見たことがあるぞ。確か異性からの呼び方が変わった時って相手を認めたり、好きになったりした時じゃなかったか。

そもそも俺自身、ラウラに変に好感を持たれる行動をした覚えもなければ、惚れさせるような言葉を投げかけた覚えもないんだが。

 

 

「あ、あなたは……」

 

 

最後の一言をとてつもなく言いづらそうにするラウラに、俺の方から声を掛けようとした瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――今日から貴方は……私の『お兄ちゃん』だ!! い、異論は認めない! 決定事項だ!!」

 

 

 

勢いよく投げ掛けられたラウラからの言葉に、正常稼働していた頭の中が一瞬のうちに真っ白になり、何一つ物事を考えられなくなる。

 

予想の斜め上どころか、普通のボールでキャッチボールをしていたところに大砲を撃ち込まれたような気分だ。よくあるテンプレ漫画でも言わないような一言を受けて、全くと言っていいほどに返す言葉が見つからない。

 

少し落ち着いて一旦内容を整理してみよう。

 

鈴が衝撃砲を放って、それから俺や一夏を守るために、停止結界を展開。ISを解除し、一夏に今まで自分が行ってきた蛮行を謝罪、同時にクラスメート全員にも自分の身勝手な行動によって嫌な思いをさせ、迷惑を掛けてしまったことを謝罪した。

 

ここまでは全く問題ない。問題なのはそこから先、俺の前に来たラウラは言いずらそうに躊躇した後、衝撃的な一言を発したような気がする。

 

 

 

 

今日から俺はラウラの……。

 

 

「…………はい?」

 

 

おにい、ちゃん?

 

 

 

 

「「ええええぇぇぇぇぇ!!!?」」

 

 

ラウラの一言に、クラス中の生徒の叫びが木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅん。あの子は結局、自分の正体を教えちゃったんだ」

 

 

 モニターを見ながらどこか残念そうな面持ちで呟く女性。各国の研究者及びマスコミが血眼になって探しているであろう時の人、篠ノ之束。

 

しばらくの間モニターに写る映像を見つめていたものの、やがて興味をなくしたようにその映像を切った。霧夜大和が遺伝子強化試験体だという事実を、知っている人間が増えてしまったことに、不満を感じているらしい。束もまさか本人から打ち明けるとは思いもよらなかっただろう。

 

ただの人間に対しては全く興味を抱かない束が、どうして大和に興味を持つようになったのか。

 

 

 

 

―――それは彼がISを動かせるからだけではなく、『ドイツの汚点』とも言える、非道な実験の数少ない成功例であるからだ。

 

ラウラのような遺伝子強化試験体とは違い、通常よりも強力な遺伝子を組み込まれたことによって産み出された、まさに人間兵器とも呼べる試験体。生身であっても究極兵器であるISに立ち向かえるほどの戦闘力と、規格外の身体能力を持ち合わせる。

 

成功体は通常の遺伝子強化体に比べて圧倒的に少なく、成長と共に遺伝子が適合せず、身体や精神が崩壊し、再起不能になる者、体に障害を抱える者、死に至る者が続出。ほとんどが失敗に終わった中、適合に成功した数少ない試験体の一人、それが霧夜大和という存在だった。

 

だが常識を逸した規格外の身体能力に、国家の崩壊を恐れた研究者たちは研究自体を無かったことにし、試験体たちを捨てた。

 

いくら規格外の身体能力や戦闘力を持っていたとしても、頭脳は通常の子供たちと何ら変わりはない。見ず知らずの場所に放り出されれば、生活手段などはない。お金も食料もない状況下では生活すらままならず、やがて飢えに苦しんで命を落とす。

 

その生き残りとして霧夜家に引き取られた存在である大和に、束は研究対象として目をつけた。

 

 

「まぁ、いいんだけどね別に。話したところで事実が変わる訳じゃないし」

 

 

初めこそ半信半疑だった束は、疑問を確信へと変えるために、ダミーの依頼を霧夜家に依頼し、わざと自分が敵ISに襲われるように仕組んだ。

 

結果、大和は敵襲から束を守りきり、実力を証明した。

 

しばらくの間モニターを見続けたことで疲れがたまったらしく、両手を上に向けて伸ばし、その場から立ち上がる。

 

 

「とりあえずあの子にはもう一回会う予定だから、その時もう一回話をしてみようかな? 渡したいものもあるし……ふふっ♪ 今度会うのが楽しみだなぁ!」

 

 

後ろを振り向くと、そこには待機状態のISが二つ。暗い室内に射し込む夜光が機体に反射し、何とも言えない神秘的な風景が広がっている。

 

片方は炎を基調とした赤いIS、そしてもう一つは闇を基調とした黒いISだった。それぞれがどこの誰の手に渡るのか、それはまだ束にしか分からないこと。

 

 

 

 

まだ誰も予想していなかった。これから始まる悲劇への序章を。

 

悲劇という名の大きな歯車は、今ゆっくりと回り始めたばかりなのだから。



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第七章‐That's how you know‐
変わっていく毎日


 

 

 

 

 

 

 

やぁ、皆おはよう。

 

いつもと口調が違っているのには、ちょっとした理由があるだけだから特に気にしないでほしい。

 

タッグトーナメントが終わって早三日が経つ。一回戦だけは必ず行うとのことで、前日までは行われていたものの、それも終わったことで激動の一週間が終了した。

 

やっと一息つける毎日が戻ってきた訳だが、実際この学園にいる時点で、静かな毎日など過ごすことが出来ないという現実に引き戻され、若干萎えているのも事実。

 

 

 三日前のラウラの一言はあまりにも衝撃的過ぎて、その日は頭が真っ白のまま誰とも話すことが出来なかった。挙げ句の果てに、その日に千尋姉から電話が掛かってきて、開口早々にテンパった俺の言った言葉が『俺に妹が出来たんだけど』はさすがにギャグにしか思えなかった。

 

 

無論事情を知らない千尋姉は、俺の爆弾発言に数秒間黙り込んだ後、盛大に笑いやがった。冷静に考えれば電話先で一番始めに言った言葉が『俺に妹が出来たんだけど』は笑う。相手が千尋姉じゃなかったとしても笑う。もしくはこいつ頭大丈夫かと不安になるだろう。

 

その後にきっちりと理由を話したところ、千尋姉の反応は意外にもさばさばしたものだった。見ず知らずの人間だった俺を引き取ってくれるくらいだから、家族が一人増えたところで特に何とも思わないだろう。それどころか自分から進んで可愛がりそうな気がする。

 

戸籍上は何もしてないから本当の妹になった訳じゃないが、ここ最近のラウラの懐き方は異常だ。恋人になった訳じゃないから一線こそ守ってくれてはいるものの、人に甘えることが多くなった。

 

無意識……というより今まで一般常識をしっかりと学ばなかった部分があるせいで、スキンシップが激しい。何事にもストレートに行ってしまう分、自身の裸姿を見られることに抵抗も無い。最も、異性に見られて抵抗がないのは俺くらいみたいだけど。

 

 つい先日、大浴場を向かった際には先回りして、一緒に入ろうとか言い出し始めた際は流石に背筋が凍った。それだけならまだしも、突然服を脱ぎ始めるから慌てて止めて、更衣室の外に出したわけだが、こっちとしてはたまったもんじゃない。結局ゆっくりと浴槽に浸かるのは諦めて、体と頭を洗ってさっさと出ることに。

 

むくれっ面のラウラか外では待っていた訳だが、どうして俺と一緒に風呂を入ろうとしたのかを尋ねたところ返ってきた答えが『兄妹なら包み隠さず風呂に入ったりするのではないのか?』だ。

 

聞いた瞬間にどんな一般常識だと突っ込みを入れそうになったが、誰かからの入れ知恵だったとしたらラウラに直接注意するわけにもいかず、その常識は間違っていることだけを伝えて部屋に戻った。

 

確かに幼稚園とか小学生の低学年くらいまでなら、妹と一緒にお風呂へ入る……実際、俺自身が一緒に入らされていたから分からないでも無いけど、高校生にもなって一緒にお風呂は恥ずかしすぎるし、公開処刑もいいところだ。

 

一緒に入れて嬉しいとかそういう次元ではなく、単純に不味いだろというレベル。そこの常識を徐々に軌道修正していかないとこれから先、ラウラの将来が不安になってくる。

 

お前はラウラの保護者かと言われれば、現状否定が出来ないくらいに面倒を見ている自覚はある。なんつーか、一人にしておけないっていうか放っておけないっていうか。

 

 

 

……それで、だ。話はここまでにして一旦現実へ目を向ける。正直現実から目を背けようと、あえて全く別の話をしていたものの、もうこれ以上話すネタもなければ時間もない。

 

 

「……」

 

 

 途中から周囲の音を聞きながら狸寝入りをしていたものの、鍵をかけたはずの扉をピッキングか何かで開ける音が聞こえ、室内に床を踏みしめる足音が響き渡れば、明らかに誰かが自分の部屋に侵入していることは分かる。

 

途中までは熟睡だったが、仕事上些細な物音でも気付いてしまう。音が聞こえ始めたのはほんの数分前のこと。上の階層、もしくは下の階層から聞こえる物音であれば特に気にすることは無かったが、自分の入口がピッキングで開けられているのだったら気にせざるを得ない。

 

いくら知り合いだったとしても、勝手に人の部屋に忍び込まれて気分がいい人間など、そもそも居るなら教えてほしい。

 

 

やがて鍵を開けると、今度は扉が開く音と共に室内の床を踏みしめる足音が聞こえてくる。すでにこの時点で何者かが俺の部屋に侵入しているのは事実。危険に晒される可能性を考慮すると、オチオチ寝てもいられない。

 

寝たフリをしつつ、自身に近付いてくる足音に耳をすませ、今どの距離にいるのかを確認する。一定以上近付いてくるようなら、誰なのかを確認しなければならない。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 相手も自身の物音を消すことには自信があるらしいが、足音を完全に消し去ることなんて出来ない。音としてはほとんど聞こえないから、その手の道……例えば暗殺的なことに手慣れているのがうかがえる。

 

だが、それ以上は踏み込みすぎだけどな。

 

 

相手が俺の横に来たのを確認すると、勢いよく飛び起き、背後へと回り込んで手刀を首もとに突き付ける。

 

足音と気配で大体の位置を把握したから、場所に間違いはない。

 

 

「どんな用件で俺の部屋に忍び込んだのかは知らないけど……どこの誰だ?」

 

 

手刀を突き付けたまま相手ごと後退し、壁面に備え付けられている部屋のスイッチを押す。

 

にしても何か相手の体格が華奢というか、小柄というか……。

 

 

「その……わ、私だ」

 

「ら、ラウラ!? お前こんな時間にどうしたんだよ?」

 

 

スイッチをつけたことにより照らされる室内。そこには戸惑うラウラの姿があった。慌てて突き付けた手刀を解除し、その場から離れる。

 

流石にこの暗がりじゃ人がいる気配は分かっても、人物までは断定が出来ない。

 

こんな時間に来られたら、否が応でも警戒してしまう。時計が指し示すのは午前四時。普通なら仕事でもない限りは起きないような時間だ。

 

 

「じ、実はだな。お兄ちゃんが一人では寂しいと思って……」

 

「待て、どうしてその結論に行き着いたんだお前は。寂しいも何も、今までずっと一人部屋だったんだぞ?」

 

「……」

 

「……」

 

「うぅ……本当は布団に潜り込んで、親睦を深めようと……」

 

 

どこか落ち着かない様子のまま言い訳をするも、部屋に侵入する理由が不純すぎて、思わず吹き出しそうになる。ずっと一人部屋で生活していたんだから、今更寂しくなることはない。

 

正論をラウラにぶつけると、俺の一言に切り返しが出来ないだけでなく、意図的な沈黙に耐えきれずに本音を漏らす。

 

 

「ちょっと待て! 親睦を深めることとベッドに潜り込むこととどんな関係があるんだ?」

 

 

漏らした本音にはあからさまな矛盾がある。親睦を深めることがベッドに潜り込むことと結び付かない。ラウラが誤解しているとしたら、その間違った認識を吹き込んだのは誰なのかという話になってくる。

 

 

「日本では兄妹は寝る時に一緒に寝るという風習があると、優秀な部下から聞いたのだが……」

 

「……ほう?」

 

 

ラウラの言葉はあながち間違ってはいない。実際一緒に寝たことがある人もいるだろう。

 

ただそれは幼少期の人間が前提条件であって、年頃の兄妹がやるようなことではない。それも俺とラウラは別に血の繋がっている兄弟でもないのだから、万が一があったら困る。

 

そもそも年頃の血の繋がっていない兄妹が、同じ布団で寝るだなんて、アニメや漫画の世界での出来事を、一般常識として吹き込むような部下がいるのなら、一回お話する必要があるみたいだ。

 

 

「で、その優秀な部下とやらはどこのどいつだラウラ?」

 

「か、顔が怖いぞお兄ちゃん!?」

 

 

俺の顔を見たラウラの顔が強ばる。今の俺がどんな悪人面をしているのか鏡に映してみたいところだが、あいにくそんなことに手間をかけている暇は無い。

 

そんなこんなで小一時間ほど下らない会話で時間を潰すわけだが、その後結局一睡も出来ずにいつもの時間を迎えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、一夏は?」

 

「今日は見てないけど……そういえばデュノアさんもいないね」

 

 

時は移り変わり、朝のショートホームルームの数分前。いつもなら喧騒に包まれているクラスが、今日は水を打ったかのように静まり返っている。

 

もちろん朝のショートホームルームが始まっているわけではないため、話をすることが禁止されているわけではない。とはいえ、いつもはまだ会議や準備で来ていないことを考えると否が応でも意識の的にはなる。

 

静かな理由をあげるなら、ホームルームの前だというのに、珍しく千冬さんが既に教室に来ているのだ。普段は先に来れない千冬さんの代わりに山田先生が来て、ショートホームルームを進めるのだが、今日は山田先生が居ない。

 

だからこそ千冬さんが先に来たんだろうが、クラスメートからするといつもとは違った朝の風景に、仲の良い友達と話すことも忘れ、全員が真面目に着席したまま前を向いている。

 

 

俺も席に座って、横にいるナギに小声で話しかけている状態だ。

 

ちなみに俺の前の席と、その右隣の席は誰も居ない。厳密にはまだ来ていないというのが正しいだろう。

 

 

「霧夜、デュノアと織斑はまだ来てないのか?」

 

「はい。食堂でも見なかったので、てっきり先に行ったのかと思ってました」

 

「……そうか」

 

 

千冬さんから話を振られて淡々と答える。話している最中に急に話を振られたものだから、話し相手のナギは背筋をピーンと張りながら姿勢を正す。

 

俺は話慣れているから緊張することはないけど、一般の生徒が急に千冬さんの凛々しい声を聞けば、こうなるのも頷ける。俺も慣れてなかったらビビるだろうし。

 

普段なら俺と一緒に来るか、篠ノ之やセシリアと一緒に来ることが多い。既にセシリアと篠ノ之は来ているし、今日は一緒に登校した訳ではないらしい。

 

……それにどこか二人の機嫌が悪いような気もする。というより如実に不機嫌だ。篠ノ之は目をつむったまま、口を真一文字に結び、眉はつり上げて、普段付くことがない頬杖まで付いている状況から、如実に不機嫌であることがうかがえる。

 

片方の手に握り締められたシャーペンを、何度もカチカチと音を鳴らしているところを見ると無意識のうちにやっているらしい。数人は篠ノ之から距離をとるように体を逸らし、かつ顔を合わせようとはしなかった。

 

そりゃそうだ、今の篠ノ之を見て機嫌が良いなんて言う奴が居る訳がない。

 

 

「ちょっと朝からひと悶着があったのは私も知っているのだがな……そうは言っても、遅刻する理由にはならん」

 

「ごもっともで」

 

 

 ひと悶着とやらが何なのかは分からないが、少なからず遅刻しても良い理由にならないのは事実。二つ返事で千冬さんの意見に賛同すると、今度は斜め後ろに座っているセシリアへと視線を向ける。

 

こちらも頬を膨らめながらむくれ面を浮かべ、面白くなさそうに窓際に視線をうつしている。元々のキャラもあるんだろうが、セシリアに関しては篠ノ之と違って、雰囲気がいくらか柔らかい分、周囲の生徒たちは距離をとろうとはしなかった。

 

むしろ後々にからかいの的になるんじゃないか……そんな気がしてならない。

 

 

「それにしても珍しいですね。シャルロットと一夏が二人揃ってこの時間に来てないだなんて」

 

 

一夏とシャルロットが遅刻したことはない。

 

……呼び方が変わったのは、単純にシャルロット自身が本当の正体を全員に明かしたから。本名を明かしたのに、いつまでも偽名で呼ぶのも失礼だし、あの日からずっと本当の名前で呼ぶようにしている。

 

さて、話を戻そう。特にシャルロットに関してはクラスでも指折りの優等生として通っている分、遅刻するのは考えにくい。

 

一夏も何だかんだで授業には遅刻しないで来ているし、入学から今まで遅刻も病欠もしたことはない。だから寝坊だとか、忘れ物を取りに戻った的な理由で遅刻することは無いと思ったんだがな。

 

 

「ん?」

 

 

何だ? 窓の外から機械音が聞こえるような気が……。

 

 

「……あの馬鹿共が」

 

 

ボソリと千冬さんが口を漏らしたとほぼ同時に、窓の外からはISを部分展開したシャルロットと一夏がダイナミック入室をかましてくる。

 

 

「ま、間に合った!」

 

 

時間としてはギリギリ、まさに間一髪滑り込んで遅刻は回避した。

 

ただし、遅刻は回避したものの、私用でISを展開した事実は変わらない。目撃者が俺たちなら口裏を合わせて誤魔化すことは出来ても、教師に見られてしまえば誤魔化すことは不可能。

 

いつもだったら全く問題なく、誤魔化しきることが可能だっただろう。

 

 

「おう、ご苦労なことだ」

 

 

二人にとっての唯一の誤算は、千冬さんの存在を頭に入れていなかったこと。いつもならこの時間帯、千冬さんや山田先生は居ない。だからいつもなら誤魔化すことが出来た。

 

今回はイレギュラーでたまたま千冬さんが居た。故に誤魔化すことが出来ない、それまでのこと。

 

千冬さんの冷静な怒りを感じさせない声に、二人の顔がみるみるうちに青ざめていく。これから起こりうる事象が容易に想像出来たんだろう。

 

そして二つの乾いた音が教室中に響き渡った。

 

 

「デュノア、敷地内でも許可されていないIS展開は禁止されている。意味は分かるな?」

 

「は、はい。すみませんでした……」

 

 

千冬さんからの説教にションボリと謝っているシャルロット。一方、一夏は未だに頭を押さえてその場にうずくまったまま動けないでいる。多少なりとも千冬さんも手加減はしているらしい。それはシャルロットだからであって、実の弟である一夏には容赦なしだ。

 

それより何より、普段から礼節を重んじ、規律違反などとは無縁そうなシャルロットが規律違反を犯したことに、クラスメートたちが驚いた表情を浮かべている。

 

シャルロットが進んで規律違反をするとは考えにくいし、考えられる線としては、遅刻しそうな一夏を助けるために……と考えるのが妥当か。

 

 

「デュノアと織斑は放課後教室を掃除しておけ。ただもし二度目をやらかした時は……覚悟しておけよ?」

 

「「はい……」」

 

 

絞り出すように了承し、凹みながら各々自分の席へとつく。それでも教室掃除だけで許してくれるのは、千冬さんなりの優しさかもしれない。

 

男女平等で容赦なく鉄拳制裁を食らわすなんて言われたりもするけど、こう見えて案外優しそうなところは優し……。

 

 

「お、織斑先生!! 角は反則じゃありませんか!?」

 

「何、下らんことを考える輩にはこれくらいが妥当の罰だと思ってな……!」

 

 

考えたことがばれて、俺にまで出席簿の制裁が下ろうとするも、間一髪白羽取りで出席簿の動きを止める。俺と出席簿の距離は僅か一センチほど、少しでも気を抜けばそのまま出席簿の固い角が、俺の顔面を直撃することとなる。

 

一夏とは違い、出席簿の角で叩こうとするのだから、なおタチが悪い。痛みに関しては、通常の面で叩かれるのとは雲泥の差だ。

 

 

「チッ……まぁ今回はこれくらいで許してやろう。だが私の前で下らんこと考えるな」

 

「わ、分かりました」

 

 

もう少し手加減してもらいたいところだが、口が裂けてもそんなことは言えないし、言ったら言ったで笑顔で出席簿を降り下ろされそうな気がする。

 

それでも護衛という枠組みを外れれば、俺だって普通の人間なんだから、手加減してもバチは当たらないはず。練習や鍛練の手加減は論外だが、ちょっとした悪戯くらいは目をつぶって欲しい。

 

 

「霧夜」

 

「……いえ、何でもございません」

 

 

ものすごい目で睨まれた。それこそ目付きだけで人を失神させんばかりの勢いで。

 

……ホームルーム中は考えるのをやめよう。

 

 

「確か今日は通常授業の日だったな。IS学園生とはいえお前たちも扱いは高校生だ。赤点など取ってくれるなよ」

 

 

一段落ついたところで、ホームルームが始まる。

 

IS学園とはいえ、毎日全ての時間でISのことばかりを勉強しているわけではない。通常の高校と同じように、一般科目の授業も存在する。

 

当たり前だが点数があまりにも悪ければ赤点になるし、仮に赤点を取ったら夏休みはほぼつぶれてしまったはず。中学時代はテストの二日前くらいになって必死に頭に詰め込んで、点数をとっていた思い出が強い。

 

それでもそこそこいい点数が取れたから、内容自体が簡単だったんだとは思う。覚える内容も多くないし、範囲もそこまで広いものでは無かったから二日前、最悪一日前に始動しても赤点を回避することくらいは出来る。

 

 

さすがにこの状況で一日、二日前から勉強する勇気はないし、ある程度点数を狙うなら最低でも一週間くらい前から始動した方がいいかもしれない。昔のノリでやったら痛い目みそうだし、悪い点を取ろうものなら目も当てられない。

 

 

「あぁ、それと来週から始まる校外特別実習期間だが、全員忘れ物などするなよ。三日間の短い期間だが、学園を離れる事になる。自由時間では羽目を外し過ぎないように」

 

 

来週からIS学園を離れて、校外実習を行うことになる。一端の高校生だから騒ぎたい気持ちも分かるが、IS学園の生徒としての自覚を持って欲しいのかもしれない。

 

千冬さんの口から出てくる言葉の全てが当たり前の内容であり、絶対に守らなければいけない内容だからこそ、言葉に出して注意換気をしているんだと思う。

 

それでもシーズン真っ只中の海の近くに宿舎があるともなれば、嫌でも皆のテンションは上がる。先週からクラスでは臨海学校の話で持ちきりだ。

 

水着は何が良いかとか、日焼け止めクリームはどうしようかとか、夜遊ぶための道具は何を持っていこうかとか。如何にも普通の学生らしい過ごし方だ。

 

勉強のためとはいえ、羽目を外したい時は外したくなる。

 

 

 

それでも、千冬さんは羽目を外すなとは言ってないから、多少のことは黙認するつもりでいるみたいだし。

 

ま、ともあれ個人的にも楽しみだったりはする。

 

 

「あの、織斑先生。今日山田先生はどうされたんでしょうか?」

 

 

ホームルームが終わるか否かという時に、後方から何人かは思っていたであろう疑問が投げ掛けられる。

 

いつもと違うと言えば朝のホームルームを始める時から千冬さんが居るということと、もう一つは山田先生が居ないということ。

 

朝のホームルームに山田先生が居ないことなんて今まで無かったし、何かあったのならそれはそれで心配にもなる。実年齢以上に若く見えることもあり、クラスメートからからかわれる事が多々ある先生だが、丁寧な授業の教え方はもちろんのこと、生徒としては親しみやすいが故に人気が高い。

 

先の実戦訓練の際の模擬戦を見て、その凄さを実感したものは数知れず。代表候補生二人を難なく倒した実力は未知数。そんな山田先生でも国家代表になれなかったというのだから、それだけ国家代表の壁が高いところにあることを示している。

 

全教師の中でも生徒たちから慕われている教師を選ぶとするなら、かなり上位に位置する先生だとは思う。

 

だからこそ唐突に山田先生が来ないという現象に、違和感を覚える生徒が多い。風邪を引いたんじゃないか、何か厄介事に巻き込まれたんじゃないか。様々な可能性が脳裏をよぎる。

 

 

「山田先生は本日、現地視察にいっているため不在だ。故に山田先生の担当している授業、及び業務は私が担当することになる」

 

 

なんてことはなかった。視察ってことは毎年場所が変わるのだろうか。毎年変わらなかったとしても先方に挨拶に行くことはあるし、今回が偶々山田先生の担当だっただけかもしれない。

 

視察とはいえ、生徒たちからすれば一人でも現地に行けるのは羨ましいと思えるもの。それぞれにザワザワと騒ぎ立て始める。

 

 

「えー! 山ちゃんだけ先に行ってズルい!」

 

「いいなぁ……絶対に温泉に浸かってるんだろうなぁ」

 

「くうぅぅぅ! 私ももう少し早く生まれていれば……!」

 

 

いや、それは違うだろと内心突っ込みたくなる。マジレスすることでもないが、楽しむためだけなら個別で休みをとって行けば良いだけの話。個人的に授業がサボりたいからといった願望の強い人間が何人かいるみたいだが、山田先生だって当日のスケジュールを円滑に回すために視察へと行ってるだけで、楽しむためではないはず。

 

なんて御託を並べてみたが、これで本当に温泉に浸かっていたら苦笑いしか出てこない。

 

 

「あー……お前ら少し静かにしろ。いちいち騒がれては埒が明かん」

 

 

千冬さんの鬱陶しそうな声に、ピタリとクラス内の喧騒が止む。話している生徒が居ないかを確認した後に、再度口を開いた。

 

 

「では、これにてSHRを終わる。一限目に遅れないよう、迅速に行動するように!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん、食堂に行こう!」

 

「おう、分かった。分かったからまずは引っ付くのをやめなさい。歩きづらいから」

 

 

 午前中の授業を終え、昼休みを迎えたIS学園。ISの基礎知識の授業もそうだが、一般教養の授業も中々に苦痛ではある。数式に当てはめて、答えがこうなりますと繰り返し説明されても、同じ文言を聞いてるようにしか思えず、最終的には眠くなる。問題は違えどやっていることは同じだから、呪文を繰り返し呟かれているようにしか見えない。

 

そして卒業してからその知識を使うかどうかと言われれば、九割近い人間が使わないはず。無駄な知識と言えば無駄な知識なんだろうけど、学生である以上は性分として受けなければならない。悲しいことだ。

 

 

……で、腕をぐっと天井に伸ばし、食堂へ向かおうと立ち上がった俺に、誰よりも早く接近し引っ付いてくるのはラウラ。

 

クラス全員に謝罪をしてからというもの、雰囲気が幾分柔らかくなり、少しずつではあるもののクラスに溶け込んできている。

 

元々のキツい性格さえなければ、年下の妹を持ったような可愛らしさがある。同世代に比べるとやや常識知らずな部分があり、更に三日前に堂々たる宣言をされてしまったせいで、すっかりと妹キャラが定着してしまっている。

 

 

「ボーデヴィッヒさん、本当に変わったよねぇ」

 

「霧夜くんって、実年齢より大人びて見えるから本当の兄弟のみたいだよね」

 

「あーあ。私も霧夜くんの妹になりたいなぁ」

 

「まだよ、まだお近づきになるチャンスはあるわ!」

 

 

 基本的にラウラの起こす行動は、ラウラさんだし仕方がないかくらいにしか思われていないようで、大体何をしても許されてしまっている現状だったりする。

 

そのせいでラウラが俺に引っ付いてきたところで、異性の対象としてはとらわれず、また兄妹のじゃれあいが始まった……的な微笑ましい眼差しで見られるだけだ。

 

ラウラとしては俺のことを異性として好いているというより、兄妹のスキンシップの一貫としてやってる節が強い。本当の兄妹でもやらなさそうなことを。

 

故にタチが悪い。

 

本人が無意識にやっていることほどタチの悪いことはない。

 

 

やってることのベクトルが高すぎて、アニメの世界にでも入り込んだんじゃないかと何度思ったことか。年頃の兄妹が一緒にお風呂に入ろうとするだとか、手を繋いで歩くだとか、人目憚らず抱きつくとか、完全に二次元の世界過ぎてついていけない。

 

端から見たらラウラがただのブ○コ○にで、俺がスキンシップを嫌がっている兄的な風に見えるんだろう。昔ならともかく、決してラウラのことは嫌っている訳じゃないし、可愛い奴だとは思うけど……どうにも接し方がよく分からない。

 

姉は義姉がいるが実の妹が居る訳じゃないしどうしたものか。

 

ただこれだけ健気に懐いてくれるところを見ると、無下になんか出来ないから悩みの種となっている。

 

 

「むう……こんな時はラウラの積極さが羨ましいな」

 

「天然って凄いですわね。とはいっても、一夏さんに飛び付くなんてしたくても出来ませんし……」

 

 

一部はラウラの性格を羨ましがる者もいる。

 

一夏のことを想う気持ちは偽りがなくても、それを行動に移せた人間は居ない。

 

あぁ、シャルロットは一夏と一緒に風呂に入ったんだっけか。そう考えると現時点でのアドバンテージはシャルロットが一歩リードだな。素直になれない点で大きく負けてしまっている篠ノ之、セシリア、鈴の三人に比べ、自身の感情をはっきりと伝えられ、上手く立ち回れるシャルロットは抜け目なくアプローチをかけれている。

 

最も、一夏がシャルロットの行動をどう思っているかは俺にも分からん。ただあまり進展自体は無いとは言い切れる。

 

 

「あ、あの大和くん! 私も一緒に行って良いよね?」

 

「え、あぁ、もちろん……ってこら、ラウラ。少しは落ち着けって、人の手を勝手に引っ張るなよ」

 

「む……そうか。『お姉ちゃん』を置いていく訳には行かないな」

 

 

変わったことと言えばもう一つ。

 

何故かラウラがナギのことまで『お姉ちゃん』と呼ぶようになったこと。

 

ラウラとは何の関係もなかったナギがどうしてお姉ちゃんと呼ばれるようになったのか、理由としては至極単純なものだったのだが、単純すぎて恥ずかしいからまだ誰にも言っていない。

 

一夏を始めとしたクラスメートたちには、ラウラが謝った時に真っ先に過ちを許して、手を差し伸べてくれたことに感動し、尊敬の意味も込めてそう呼ぶようになったんじゃないかと伝えてある。

 

あくまでクラスメートたちには、自分はどうしてラウラがそのように呼ぶようになったのか分からないと伝えてあるが、本当の理由に関してはもう一度言うけど、恥ずかしいから言いたくない。

 

うん、言えないんじゃない。言いたくないんだ。

 

分かるかこの気持ち?

 

 

「さぁ、お姉ちゃんも早く行こう!」

 

「わっ……ちょっ、ちょっと待ってよボーデヴィッヒさん!」

 

 

俺から離れて今度はナギの手を握り、教室の外へと駆け出そうとする。忙しなく走り出そうとする姿に、慌ててナギが着いていく。もはやラウラには目の前のことしか見えておらず、一番最初に誘われたはずの俺は完全な置いてけぼりを食らった。

 

二人の後を追うように、俺は教室を出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――正直、俺のことをお兄ちゃんと呼ぶようになった経緯が不明確なのは別として、明らかにラウラの心情には変化が現れている。それも俺が思っている以上のスピードで。

 

一般常識が多少飛んでいるのは、今まで一般常識を自ら学んで来なかったからであり、そこは少しずつ軌道修正していけば大丈夫だろう。

 

 

「手の掛かる厄介な妹を持っちまったな……」

 

 

どこぞのヤレヤレ系主人公が吐きそうなセリフを浮かべながらも、手を焼いてしまう自分が居る。

 

兄……か。

 

 

意外に悪くないかもしれない。

 

そんなある一日だった。



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街へ

 

 

 

 

「んー、久しぶりの外出だと新鮮な感じがするなぁ」

 

 

久しぶりと言うと語弊があるかもしれないが、学園外に出ることは早々無いから、たまに島の外に出ると新鮮な感じがする。

 

IS学園は陸の孤島であり、本州とは隔離された場所にある。言う人に言わせると基本的に立ち入る場所では無いが故に、秘境と言われることもあるらしい。

 

 

「一ヶ月ぶりくらい……かな?」

 

「クラス代表戦の後だからそれくらいか。一ヶ月振りとは言っても、すげー久しぶりな感じなのは何でだろうな」

 

「うーん、学校生活が濃かったとかじゃない?」

 

「あー、それもそうか。言われてみればここ最近休みらしい休みもなかったかも」

 

 

 モノレールに揺られること小一時間。本島に戻ってきた俺とナギは、いつぞや訪れたレゾナンスへと向かうべく、最寄り駅に着いたところだった。

 

以前来たときは近くの時計台での待ち合わせになったが、それは俺とナギがそれぞれ実家に帰省していて、時計台に別々に集まるしか方法が無かったから。今回は共にIS学園の休日を使って外出をしているから、寮を出るときから行動を共にしている。

 

少し早めに出ることで、モノレールが混み合う時間を避けることに成功。臨海学校の一週間前の土日だし、何人かの生徒は服や水着を買うためにモノレールを使って本島へ戻って来るだろう。

 

前もって準備していて正解だった。お陰さまで席は空いていたから座ることが出来たし、出掛けて早々立ちっぱなしでついた頃には疲れているなんてことにはならなくて済んだ。

 

帰りならまだしも出鼻だけは挫かれたくない。

 

 

「今日は大和くん結構薄着だよね?」

 

「あぁ、今日の気温で上着を着る勇気は無かった」

 

 

初夏の暑さは中々に厳しいもので、選んだ服装は如何にも夏服というような服ばかりだ。

 

上はポロシャツといつものネックレスに、下は黒が強いスキニーデニムにスニーカーといったあくまで軽装を重視したカジュアルなものとなっている。

 

前は上着を羽織っていたけど、七月に突入して気温はゴールデンウィーク時よりも上昇。この時期に上着を羽織ったところで、暑すぎるから選択肢から除外した。

 

 

「にしても……相変わらずお洒落だよな、女の子って」

 

「そ、そうかな?」

 

 

自身の体型や好みの服によっては選ぶ服が限られてくるにも関わらず、自分にあった服装を何パターンも用意してくるところは凄いと思う。

 

服だけじゃなくて、普段しないような化粧をしたり、髪型を少しだけ変えてみたりと、お洒落に常に気を遣えることに驚きだ。

 

俺なんかは、とりあえずだらしなくなければ良い的な発想だから、そこまでお洒落に気を遣うこともない。

 

それがご覧の有り様だ。

 

 

ところで髪型って言えば、いつもと何か雰囲気が違うような気が……。

 

 

「あぁ。そういえばナギも今日いつもと少し髪型違うよな」

 

 

ずっと気になってたというと語弊が生まれるが、モノレールに乗ってから今まで、どうにもいつもとナギの雰囲気が違うと思っていたら、その理由は髪型にあった。

 

いつもは日本美人らしい長い黒髪をストレートに下ろし、左側の一部分をヘアゴムで結わえているスタンダードな髪型だったが、今日は若干毛先にウェーブが掛かっている。

 

やったことはヘアアイロンもしくはウェーブアイロンを使って、毛先にウェーブを掛ける簡単なものかもしれないが、どこか大人の色っぽさ、気品というものが強調されていつもよりも美人に見えた。

 

いや、元々美人だったけどより一層って意味で。

 

 

「う、嘘。何で分かったの?」

 

 

どうして気付いたのと驚くナギだが、毎日顔を会わせていれば仕草や容姿、ファッションの変化はすぐに分かる。ファンデーション変えましたと言われると、判断はしづらいが髪型なら俺じゃなくても見抜くのは造作もない。

 

毛先だけとはいっても、元々天然のストレートヘアを持ち合わせているのなら変化には気付きやすい。むしろ気付かないやつがいるのかと、そう言いたくなる。

 

 

「何でって言われても、毎日顔を会わせていればすぐに分かるよ。いつもよりも……いや、何でもない」

 

「え、え? 何て言おうとしたの今!」

 

「な、何でもない。今日も天気がいいなって思っただけさ」

 

「全然話の脈略合ってないよね!?」

 

 

途中まで言い掛けたところで話すのを止める。これ以上言ったらまたやらかすかもしれないと、意識的に言葉を遮った。苦し紛れの言い訳が、良い天気ですねは厳しすぎたかもしれない。却ってナギの不信感を強める結果になってしまい、ジト目で見つめられる。

 

すごく悪いことをした気分になるが、これに関しては正直に言ったら恥ずかしい、猛烈に恥ずかしい。

 

いつもよりも綺麗だなんて、この大観衆がいる中で言えるはずもない。

 

贔屓目無しに綺麗だから、お世辞でも何でもない。俺たちの横を過ぎ去っていく男性の何人かに一人が振り返っているのを見ると、俺の目が決して腐っているものじゃないことは分かる。

 

満場一致で、今日のナギはいつもよりもずっと綺麗なことが。

 

 

「と、とりあえず行くか。ほら、そんなふくれ面しないで」

 

「むぅ……」

 

 

まだ納得が行っていないらしく、むくれ面をしながら俺を見つめることをやめようとしない。

 

はっきりと言って欲しいなら言うけど、二人きりでもないのに言ったら拷問以外の何者でもない。ナギにとってはモヤモヤがたまってしまうだろうけど、一旦心の奥底に仕舞い込むことにする。

 

休日ということもあり、駅構内は大勢の人で溢れ返っている。それこそ、普通に歩いていたら人波に呑まれて身動きが取れなくなってしまう。

 

 

「大和くん、それなら一個だけお願い聞いてもらっても良い?」

 

「お願い? 俺に出来ることならいいけど……」

 

 

早めに行動しようと考えているところに、声を掛けられる。あんな中途半端なところで会話を遮られたら当然、納得は行かない。だから俺も多少、何かお願いされたら応える気ではいた。

 

俺がお願いを聞くと了承すると同時に手を差し伸べてくる。これは俗に言うエスコートしてくれる? 的なサインなのか。それとも連れてってやるからさっさと手を握れこの間抜け的な意味合いなのか。

 

差し出されただけでは分かるはずもない。

 

 

「あの……これは?」

 

「手」

 

「へ?」

 

「手を握ってくれたら、その……今のことは聞かないでおいてあげる」

 

 

等価交換とも呼べるナギからの要求に、一瞬思考が停止する。いや、むしろ等価交換とも呼べないような気もするが……。

 

 

「分かった。それで納得するのなら」

 

 

意識してしまうと恥ずかしくなる。故に恥じらいを捨て、差し出された手を握り返す。握手をするようにガッチリと握り返すのではなく、赤子を抱くかのように優しく握り返す。

 

 

「ひゃっ……」

 

 

握られたことで小さな声をあげるナギだが、俺には何も聞こえていない。聞こえたら負けだ、聞こえない振りをしながら平静を装いつつ、一旦目を閉じて気持ちを落ち着かせる。

 

女の子の手ってこんなにか弱くて小さなものだったっけ。

 

如何せん、恋愛系の方面に関しては疎いという自覚がある。手を握ったことなんて一度もないのだから、初めての感覚を覚えるのは不思議ではない……だが、握った手があまりにも小さくか弱いものだったことを知ると、何とも言えない感情が沸き上がってくる。

 

意識しないようにしても、勝手に意識してしまう。それは俺の中で彼女の存在が大きくなっているからだろう。

 

 

「悪い、ちょっと強く握りすぎたか?」

 

「そ、そんなことないよ。ただちょっと、男の人の手って凄く大きいんだなって思っただけ」

 

「そうか? 特別手が大きいって思ったことは無いけど……」

 

 

特別大きいと思ったことは無いものの、いざ女性の手を握ってみると不思議と自分の手が大きく感じてしまう。

 

後何だろう、言い表しにくいけど凄く温かいというか何と言うか。そんな感じがしてならない。つまりヤバイってことだ。どうヤバイのかはあえて言わないけど、抱き着かれるのとは違うベクトルで意識させられる。

 

とりあえず行動しよう。せっかくの休みな訳だし、立ち止まったまま時間が過ぎ去るのは非常に勿体無い。

 

 

「よし、それじゃあ移動するか。ってナギ、お前が握れって言ったのに、言った本人が恥ずかしがってどうする」

 

「だっ、だって! こういうの初めてだし、人前だって思うと……」

 

 

本人が恥ずかしがっていることに思わず笑いそうになる。普段手を握ることなんてないだろう。ましてや異性の手を握るってことはそれだけ意識しているか、特別な存在でなければしない。

 

嬉しいと思える反面、胸中を打ち明けることが出来ずにいる自分が情けなく思っている。このまま何も言わずに平穏な生活を送るのか、それともハッキリと自分の想いを伝えるのか。

 

正体を知られるのが怖いんじゃない。仮に付き合ったとして、誰かに大切な存在を傷つけられるのが怖いんだ。

 

もちろん本当の自分を知られた時に拒絶されることも怖いのは変わらない。

 

それでも大切な存在を傷つけられるよりかはマシだ。

 

 

「うぅ……」

 

 

傷付けてなるものか、絶対に。

 

命を懸けてでもこいつ(ナギ)は護りきって見せる。クライアントとしてではなく、一個人として。

 

……このまま纏まっているのは良くない。得体の知れない誰かが見ているとも限らないから。

 

行こう。

 

 

「……」

 

「……あ、あれ。どうしたの?」

 

「いや、何でもない。時間も勿体無いし早く行こう」

 

 

先ほどよりも、少しだけ強引にナギの手を引っ張りながら駅を後にしようとする俺の姿に、多少なりとも疑問に思ったナギが機嫌を伺うような眼差しでたずねてくる。

 

疑問という疑問はないが、あまりここにいるメリットもないし、何より時間を無駄にしたくないし、貴重な時間をくだらない邪魔で取られたくはない。

 

 

 

 

……気付いていないとでも思ったのか、ここに着いてから監視する数人の存在があることに。どうやら本人たちは気付いていないようだが、監視の目を一点に集中されればすぐに気付ける。

 

尾行の精度としてはあまり高いとは言えない。一般人の目は誤魔化せても、その手の方面を知っていればザル以外の何物でもない。

 

もっとも、すぐに危害を加えてくる気配はないし、向こうがどう動こうか考えているようにも思える。

 

俺の思い違いで知り合いの誰かがつけている可能性も否めないが、気を配る必要はある。もうしばらく様子を見た方が良いだろう。

 

仮に手を出してこようものなら、その時は容赦しない。

 

 

 

 

 

さて、本来なら危険因子と分かり次第排除するべきだが、ここは街中。あまり大事には出来ないし、逆に向こうもこれだけ大勢の人がいたら手出しは出来ないから、むしろ都合が良い。人通りの多いところなら襲われる可能性は低くなる。

 

 

 

「にしても水着か……どんなのが良いのか見当もつかねーわ」

 

「大和くん、あまりプールとか海には行かないんだっけ?」

 

「人に比べると行く回数は少ない気がする。水着とかもあまりこだわらない人間だから……」

 

 

話を戻し、これからどの水着を買おうかという話題に切り替える。正直な話、プライベートで男友達と来るくらいなら特に問題は無いが、周囲に女性しかいないともなればこの常識は通用しなくなる。

 

如何にも海パン! みたいな風貌で出ていったら間違いなく引かれるだろうし、逆にド派手な柄のパンツだったら今度はチャラ男のイメージが染み付く。

 

最低限の知識はあるが、細かい知識については皆無。そもそも私服の着こなしも微妙だというのに、そんな男が一丁前に水着のチョイスを出来るわけがない。男物ということで若干の抵抗はあるだろうが、ナギに見てもらうのもありかもしれない。

 

 

「でも今回はみんな見るからね。あまり派手すぎるとちょつとキツいかも……」

 

「だよなぁ。俺もそう思うからどれ選ぶか迷っているんだよな。ナギは男物の水着のこととかって分かるか?」

 

「あまり自信はないかな。カタログとかを読んだりはしてるけど」

 

 

自分の水着を完全に女性に決めてもらうのも如何なものか。普通立場は逆であり、女性が男性に新しい水着を決めてもらうのが通常。通常とまでは言わなくとも、そのようなケースが多いのは事実。

 

 

「まぁ無難なところを選ぶか……ん?」

 

「どうしたの?」

 

「いや、目の前に見覚えのある姿があるんだが……あれって一夏とシャルロットだよな」

 

「え……あっ、ほんとだ」

 

 

 人を指差すのはあまりよろしい行為ではないが、反射的に手が伸びてしまった。指差す方向にいるのは、IS学園の制服に身を包んだ一夏とシャルロットの二人。初めこそ他人の空似だくらいに思っていたものの、考えてみればここまで似ている人間は居ない。

 

ここで何をしているのだろうかと考えることもなく、真っ先に思い浮かぶのは俺たちと同じように臨海学校の準備をしにきたということ。

 

この休日にIS学園の制服着用なところに疑問を覚えるも、それ以上に二人きりで買い物に来たこと、人混みに隠れて見づらいが、ちゃっかりと手を繋いでいる。

 

 

「デートなのかな?」

 

「いや、多分違う。もし本当にデートだったら申し訳ないけど、一夏が何気なく誘っただけだと思うぞ」

 

 

何故だろう、不思議とそう思ってしまう辺り慣れって怖い。一夏じゃなかったらデートだって断言できるのに、相手が一夏というだけで、その方程式は崩れ去る。

 

一夏がシャルロットを誘ったときの状況が何気なくイメージ出来てしまうあたり、悲しくなってくる。

 

とりあえず転入してきてばかりだし水着もないだろ? とか、一人で行くのもなんだし、折角だから一緒に行こうぜ? 的なノリなんだとは思う。それでも手を繋いでいる辺り、シャルロットから手を繋いで欲しいと言ったのか。なんか俺たちとやっていることが同じだな。

 

 

まぁ一つ言えるとすると、今二人に俺たちの存在を気付かれるのは非常に不味い。

 

 

「冷やかされるのも嫌だしな……よし、少し別ルートを取るか」

 

 

行き着く先が同じだったら本末転倒だが、少なからずこの人混みで声を掛けられるよりはマシだ。ナギの手を引きつつ、一夏が歩いていった方向とは別に右折し、そのままレゾナンスへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐぬぬ、シャルロットさんはまた抜け駆けですの!?」

 

「ふふ、ふふふふふふ……よし、殺そう!」

 

 

その頃一方。

 

大和や一夏の後方には、ハンカチを噛み締めながら羨ましそうに一夏とシャルロットを見つめるセシリアと、目からハイライトが消え、ヤンデレ化した鈴がいた。鈴に至ってはもはや右腕に既にISの部分展開をして、今にも飛び掛からん剣幕だ。

 

最も指定された場所以外でのIS展開は禁止されているため、報告されたら謹慎レベルのことをやっている。

 

だが今の鈴にはそんな声が届くはずもない。彼女の目の前には、一夏がシャルロットと手を繋いでいるという事実しか見えていないのだから。

 

すぐ近くには大和とナギもいるというのに、そんな些細なことが見抜けないほど、彼女の視野は狭まっている状態だ。もし背後から奇襲を受けようものなら、ひとたまりもないだろう。

 

 

 

故に、一夏の後ろをこそこそとついていく鈴とセシリアのすぐ後ろに、もう一人の存在が近付いていることにすら気付いていない。

 

ただ救いがあるとすれば、二人に対しての敵意は一切無いという部分に尽きる。

 

 

「むむ……お兄ちゃんとお姉ちゃんばかりズルいぞ!」

 

 

ピタリ、と二人の足が止まる。

 

何故ならその声に聞き覚えがあったから。二人にとってはあまり良い思い出の無い……正直まだ、苦手な部分の方が多いはず。

 

急に声を掛けられたからというよりかは、かつて敵意を向けられた相手に声を掛けられたから反射的に足が止まったといっても過言ではない。

 

 

「ら、ラウラさん!」

 

「あ、アンタねぇ! 何でこんなところにいるのよ!?」

 

 

 ラウラに対して思わず身構えてしまう二人だが、驚くセシリアと、眉をつり上げる鈴とでは若干の反応の違いがある。普段授業や生活を共にしている分、セシリアの方が耐性が出来ているのかもしれない。

 

鈴もラウラの謝罪の場に居合わせていたものの、普段のラウラの顔を知っているわけではない。普段のラウラに関しては大和に甘える妹のような存在ではあるが、それを知っているのはクラスメートのみ。

 

ラウラの行いを知らない人間だったとしても、取っつきにくい雰囲気なのは間違いない。ここ最近は幾分丸くはなっているが、軍人としての雰囲気に気圧される人間も少なくはないだろう。

 

 

「ん? なんだお前たちか。安心しろ、もう別にやり合おうとは思っていない」

 

 

ラウラが理不尽な暴力を振るうことは一切無くなった。物言いにトゲはなくなり、不快に思う人間も少なくなっているのは事実。

 

二人の存在にさばさばとした口調で返しながら、再度前にいる人物へと視線を向ける。

 

 

「急に心変わりされたって、とても信用できないわよ」

 

「鈴さん! 何もそこまで言わなくても!」

 

 

鈴としては未だ納得できない部分があるらしく、皮肉を込めながらラウラに返す。流石に言い過ぎではないかとセシリアが諭すも、一度染み付いてしまったイメージを払拭するのは中々難しい。

 

ましてや普段一緒にいないのなら尚更だ。

 

 

「……確かに、私は人付き合いが苦手だ。そこを否定するつもりは毛頭ない。だが、理不尽な暴力をやめたのは事実だ。これからも、そのつもりは一切ない。お兄ちゃんと約束したからな」

 

 

約束したからと念を押すラウラだが、口約束だけで守れるほど甘いものではない。

 

それこそ内部的に変化がなければ、また同じ過ちを繰り返すだけだろう。それでもはっきりと鈴へと伝える言葉からは、並々ならぬ彼女の決心を汲み取ることが出来た。芯の込められた言葉に気まずい表情を浮かべながら、鈴は一歩後ろへと引き下がる。

 

 

表立った行動で問題児的な見られ方をするが、元々成績に関しては非常に優秀な生徒であり、勉学や実技だけなら全く問題はない。世間を知らなさすぎた、一般常識が分からなかった、単純な理由だったにも関わらず見向きもしなかった。

 

 

「まぁ良いわ。少なからずアンタに敵意がないのは分かったから」

 

 

鈴もラウラの変化には薄々感付いていた。

 

ただ鈴の性格上、口コミだけでは信用が出来ないのは当たり前。いくら変わったと言われても、実際に会って話してみなければ、彼女の中の疑問は晴れなかった。

 

まだ完全には納得出来ないものの、以前のラウラと違うことは分かったらしく、ふてぶてしい言葉の中にもどこか満足したような表情を浮かべながら、ISの部分展開を解除する。

 

 

「それにしても……大和がお兄ちゃんって想像出来ないわね」

 

 

どちらかといえば年齢よりも上に見られる大和だが、鈴にしてみると、大和が誰かの兄であるイメージがわかないらしい。

ラウラが大和のことをお兄ちゃんと呼ぶことに違和感を感じている。

 

それもそのはず。一時期は完全に無視を決め込んで敵意を向けていた相手を、急にお兄ちゃんと呼べば何かあったのかと疑問に思うのも無理はなかった。

 

大和の口からもラウラの口からも、分かり合うために屋上でタイマンを張っていたなどという真実は語られるわけもなく、屋上での一件を知る人間は一人としていない。

 

 

当然、大和とラウラが遺伝子強化試験体であることもまた然り。これに関してはラウラを除いて知っている人間は誰一人として居ないだろう。

 

大和の核心に踏み込んできた人間はごく僅か。名前を挙げるのなら、千冬と楯無の二人のみ。その二人であっても大和は自分自身のことを打ち明けようとはしなかった。

 

 

「そうでしょうか? 頼りになる良いお兄さんだと思いますけど」

 

「いや、まぁ確かに視野が広いし、気がも利くし良いやつだとは思うけどね。でもいきなりアンタたちが兄妹って言ってもピンと来ないわよ」

 

「そんなこと……いえ、そうですわね。ラウラさんと大和さんは見た目が似てるわけじゃありませんし、言動も性格も違いますから……」

 

 

はっきり言えば似ていない。全くと言って良いほど似ていない。

 

目元が似ているだとか、髪型、髪色が同じだとかであればまだしも、大和とラウラの共通点は出生だけであって、他に似ているところは皆無。

 

 

「お前たちは中々にキツいことを言ってくれるな……まぁ良い。誰がどう言おうとお兄ちゃんはお兄ちゃんだ」

 

 

言われなければ兄妹には見えないだろうと言われたことに対し、少しばかりのショックを受けるラウラだが、すぐに切り替えて大和たちの後を着いていこうとする。

 

 

「ちょ、ちょっと! どこに行くのよ?」

 

「決まってるだろう、このままお兄ちゃんの後を着いて行く。あわよくば私も合流する!」

 

「ま、待ちなさいよ!」

 

歩き出すラウラを反射的に足止めする。流石に自分の行動に何度もいちゃもんを付けられれば気分は良くない。鈴の方へと振り向くラウラの表情はどこか不機嫌に見えた。

 

 

鈴からすれば一夏に後をつけていることを知られたくないのが本音だ。一夏たちに存在がバレなければ特に問題はないが、ラウラの目的は大和たちであり、それ以外には目もくれない可能性もある。

 

ラウラにとっては一夏たちに自分の存在がバレたとしてもダメージはない。だが鈴たちからすると大問題だ。

 

 

「今度は何だ? 私もそこまで暇ではないぞ?」

 

 

もちろん大和たちと一夏たちの行き先が違うのであれば、そこまで心配することはなかったものの、方向的にも明らかに同一の方向へと向かっている。来週から臨海学校だから、二組とも服や水着を揃えに来たと考えるのが妥当だ。

 

二組がバッタリと出会す可能性も十分に考えられる。

 

 

「アンタ、大和たちに着いて行くことは伝えてあるの?」

 

「いや、伝えてはいない。あくまで私の判断で着いてきただけだ」

 

 

直接的に言うのではなく、遠回しにラウラへと質問を投げ掛ける鈴。意図が分からず、鈴の隣ではセシリアが頭にはてなマークを浮かべ、首をかしげている。

 

 

「……今二人の良い雰囲気を壊すのはどう思う?」

 

「むぅ……それは不味いな。雰囲気を壊すようなことをしたくはない」

 

 

鈴の一言に歩を止めて考え込む。さすがに二人の雰囲気を悟れないほどラウラは子供ではないし、割り込むことで邪魔になるとするなら話は変わってくる。

 

我先にと気持ちが前を向いていたラウラはどこへやら、腕を組んだままどうしようかと悩み始める。

 

 

「なら、あたしたちと行動しない?」

 

「お前らと?」

 

「ええ。アンタは大和たちに用があるんでしょ。私たちは一夏に用があるから目的は別だけど、幸い向かっている場所が同じみたいだし、途中まで一緒に行かない?」

 

 

共に行動すれば、二手に別れるよりもバレるリスクを減らすことが出来る。問題なのは場所が違ってしまった場合に、今の行動が全て無駄になるということ、それと人数が多い分見つかりやすくなっているということだ。

 

少しの間考え込み、そして二人に向かって返答をする。

 

 

「……それが良いか悪いかは分からないが、一人で闇雲に行くよりは良いか。分かった、お前たちに着いていくとしよう」

 

「決まりね! なら、さっさと行くわよ。見失ったら不味いし」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラウラが賛同したことで、足早に後を着いていく三人。

 

それぞれのデートは、まだまだ始まったばかりだ。



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気配の正体

 

 

 

 

 

 

「あっ」

 

「どうしたの?」

 

「いや、このままだと前と同じ感じになるなぁって思って」

 

 

ナギの手を握ったまま、勢い良く飛び出したは良いものの、予定らしい予定は何一つ立てられていない。

 

ノリと勢いで何とか凌ごうと考えていた数十秒前の自分を全力で殴ってやりたいところだが、生憎そんな時間があるわけでもない。

 

時期が時期だけに大通りは多くの人たちで賑わっている。それこそ特に買うものが無くてもウインドウショッピングを楽しむことだって出来る。選ぶ物に関しては特に困らないだろう。

 

 

(そういえばここってテーマパークも近くにあったんだっけ)

 

 

前回来た時は全くのノータッチで、話題にも出さなかったが、近郊にテーマパークもあるらしい。この話は前回買い物に行って帰ってきた後、別のクラスメートに確認して判明した。

 

元々テーマパーク自体はあったらしいが、去年の暮れ頃から改装し始めて、つい最近リニューアルオープンしたんだとか。隣駅から歩いて数分の距離らしいし、時間次第では遊びに行ってもいいかもしれない。

 

俺もテーマパークに来たことはほぼないし、何より来る相手が……って何言わせるんだ。

 

まぁ事実、来る相手がいなかった。そこに関しては否定しない。

 

前回と同じ流れだと、どこかですることが無くなるだろうし、先に時間が出来た時のことを考えていたとしても、バチは当たらない。

 

折角の機会だし、是非行ってみたいところだ。

 

……最も、それはナギが了承したらの話。

 

 

「私は前と同じでもいいと思うんだけど……大和くんどこか行きたいところでもあるの?」

 

「あぁ。買い物は買い物でして、終わったら隣駅のテーマパークに行きたいと思ってるんだ。俺自身、あまりレジャー施設に行ったことが無くてな。もし良かったらナギと一緒に行こうと思ってるんだけど……どうだ?」

 

「へ……わ、私と?」

 

「あぁ。もし行きたくないのなら買い物だけでも良いし、都合が合うなら行きたい」

 

 

一緒に行きたい気持ちに関しては迷わず断言できる。

 

一方で俺に誘われたことが把握しきれていないのか、オロオロと周囲を見渡し始める。見回したところで居るのはクラスメートではなく、全く知らない赤の他人のみ。誰も助けてくれない状況だ。

 

最も、助けるほどの危ない行為を俺がしているわけでもないし、第三者から受けているわけでもない。ナギが答えてくれれば話が進むわけだが、急な提案を一度に飲み込めるはずもなく。困惑した表情を浮かべながら、今度は俺の方へと視線を移す。

 

うん、あれだ。困ったところで俺はアドバイス出来ないし、むしろ答えを待っているのは俺だからな。

 

しかしまぁ困った顔も可愛らしい。

 

仮にこんな時に何を考えているのかと言われたら、はっきり言わせてもらう。可愛いらしい表情に反応しないで、いつ反応するのかと。

 

もうなんか……最近の女の子のレベルが高すぎるのか、それともナギ限定に言えることなのか、喜怒哀楽全ての表情が可愛らしく思えてくる。

 

 

いや、これはナギだからこそ思うのかもしれない。

 

 

「どうだ?」

 

「わ、私も行きたい! その……二人きり、なんだよね?」

 

「あぁ。この状況で他の人間を誘うつもりは無いし、むしろ誰かを誘うほど空気が読めない人間になったつもりもない。単純に俺がナギと一緒に出掛けたいだけだよ」

 

「うぅ、人前で言われると少し恥ずかしいよ……」

 

「へ? あっ」

 

 

顔を赤らめながら俺の背後に視線を向けるナギ。

 

つられて後ろを振り向くと、そこには好奇の視線が集められていた。その種類は様々、俺達の様子を羨ましそうに見つめる者、彼氏彼女が出来た我が子を見守るように見つめる者、嫉妬の念にかられて持っていたハンカチを噛みながら悔しそうに見つめる者など。

 

……何をどうして男がハンカチを噛みながら見つめているのかは分からないが、そこを気にしたところで状況が変わるわけでもないし無視しよう。

 

何にしてもマンネリ化は防げたわけだし良しとしよう。丸一日買い物だけに時間を費やしたら前回と同じになるから勿体無い気がしてならない。

 

 

買い物って言えば、今ナギが付けているネックレスも前回俺が買ったものだったりする。そこそこ値は張ったが、普段の感謝の気持ちを込めてという意味では高いとは思わなかった。

 

 

もう一つ理由があるとすれば贖罪の意味合いだ。

 

偶然だったとはいえ、危険なことに巻き込んでしまった事実は揺るがない。割り切ってはいるが、これからまた巻き込むようなことがあったらと思うといてもたってもいられなくなる。

 

更にナギは一瞬とはいえ、こちらの世界へと踏み込んできてしまっている。これ以上踏み込ませるわけにも行かないし、何より普通の学校生活を送って欲しい。

 

こんな仕事で彼女の生涯を棒に振ってしまうようなことがあれば、俺はどう償えばいいのか。

 

彼女と一緒にいる時間はもちろん大切だ。接すれば接するほどに、核心へと踏み込めてしまう。

 

 

「もう、大和くんはホントに無意識で……」

 

 

表の顔は一般人でも、裏向きは護衛の当主。仮に核心へと踏み込んでくるようなことがあるのなら、俺は彼女から距離を取らなければならなくなる。

 

正直楯無の場合も、協定という形がなければ距離を置かざるを得なかっただろう。最悪、排除さえ考えなければならないケースも出てくるかもしれない。

 

そうならないようにするには、俺から遠ざけるか俺が霧夜家の当主を降り、実家と完全に縁を切るかのどちらか。

 

どの選択が正しいのか、今の俺には全く想像がつかない。

 

 

「大和くん?」

 

 

ただどこかで答えを出さなければならないのも事実、少なくともこれ以上誰かをテリトリーに踏み込ませるわけには行かない。

 

ナギを含めて楯無、ラウラ。教師には千冬さんと、程度は様々だが、俺の核心に触れている人間と、触れそうな人間で分かれる。

 

楯無と千冬さんに関しては、俺の裏家業を知っているが遺伝子強化試験体であることは知らない。

 

ラウラに関してはその逆で、遺伝子強化試験体であることは知っているが、裏家業をしていることは知らない。

 

そして、ナギに関しては両方とも知らない状態ではあるが、無人機襲撃の一件を経て、俺の正体を気にし始めている。

 

ここで食い止めないと、ずるずると正体を明かす羽目になるし、何としてでも……。

 

 

「大和くん!」

 

「あっ、ナギ。どうした?」

 

 

声を掛けられたことに気付かず、淡々と回想を続けていた俺に少し語気を強めたナギが顔を覗き込んでくる。いつもよりほんの少し不機嫌さを滲み出し、ムッとした表情を見せてきた。

 

 

「どうした? じゃないよ! さっきから声を掛けても全然反応しないし。何考えてたの?」

 

「えーっと……これからの将来のことを考えてたりとか」

 

「それ今考えるんだ!?」

 

「こ、こういう時だからこそ考えれるものもあるだろ……いや、ねーな。ねーか」

 

 

考えなくても分かることをナチュラルに伝える辺り、本気で大丈夫なのか。自分で言うのもなんだけど、そろそろ本格的にヤバイんじゃないかと自覚している辺り、治しようがない気もする。

 

 

「ほんとなんつーか、我ながら言い訳考えるの下手だなぁって最近思うんだ」

 

「それは確かに否定出来ないかも。大和くん、知られたくないことを聞かれると、全然違う話題に話すり替えるもんね?」

 

「うっ……しかたねーだろ」

 

 

何だろう。やっぱりナギと一緒にいるとペースを乱される。別の仕事で女性と触れ合う機会はあったが、あくまで仕事だったから意識することもなかった。

 

隣に居られようが体を触られようが、話し掛けられようが特別な感情など抱くことは無い。それがむしろ当たり前だったからこそ、いざという時にどう対応すれば良いのか分からなくなる。

 

まるで初な恋人同士のように。こればかりは慣れていくか、誰かから知識を得ていくしかないのかもしれない。知識を得るにしても、周りに参考に出来る、それか経験豊富な人が居るかどうかは何とも言えないところだ。

 

 

「でも、不器用なところも大和くんらしいかな?」

 

「俺らしいって、お前なぁ……」

 

「あっ! 別にバカにしてる訳じゃないよ? ただ普段は凄く落ち着いてて、大人びて見える人にも、こんな不器用な一面があるんだって知れるだけで、私は嬉しいから」

 

 

ナギにしてみれば嬉しいことらしいが、俺にとっては何とも言えない複雑な気分だ。でもナギが喜んでくれているみたいだし、自然と悪い気分にはならない。

 

 

「じゃあ予定より少しオーバーするかもしれないけど……午後もよろしくな?」

 

「うん♪」

 

 

俺とナギは再度、無意識に手を繋ぎ歩き出す。

 

 

 

二度目の、それも異性とのお出掛けともなれば、否が応でもテンションは上がる。今日も一日このまま終わってくれるだろうと、切に願う俺だったが……。

 

そうは問屋が下ろしてくれなかった。

 

全ての事象、これから起こりうる悪夢の発端となる歯車は、俺たちの知らないところでゆっくりと、しかし確実に動き始める。

 

今の俺には、裏側で歯車が回り始めたことなど気付くはずもなかった。

 

 

―――事の重大さに気付くのは、まだまだ先のことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……よく考えたら経路は違っても、目的地が一緒だったら全く意味ねーって話だわな」

 

「し、仕方ないんじゃないかな? ほら、ここって基本皆集まる場所だし」

 

「あぁ。IS学園の生徒も、服買う場所って言ったら大体ここだっけ」

 

 

目的地が一緒であれば例え経路を変えたとしても全く意味がない。鉢合わせたくないのであれば、初めから行く場所を変えろって話だが、あいにく他の場所を知らない俺に頼れるのは前回訪れた服屋のみ。

 

ただ基本的にここの服屋、IS学園の生徒たちの中でも話題になっている服屋で、休日にはIS学園の生徒が押し寄せるという。それに臨海学校が近いともあれば、かなりの高い確率で鉢合わせることも想定できる。

 

 

「まぁ、案の定というか。早目に買って正解だったわ」

 

「そ、そうなのかな?」

 

 

五感が働いたとでも言えば良いのか。本来ならもう少し自分の水着を選んでも良かったかも知れないが、商品を見て即決したことがかえって功を奏したようだ。

 

 

目の前には一夏の手を引いたまま試着室に入っていくシャルロットの姿が。その後を追うように、セシリアや鈴を筆頭にラウラまでもが同じ服屋へと入ってくる。

 

幸い寸前のところで服屋を出たことで、存在を気付かれずに済んだはいいが、これでは落ち着いて買い物も出来やしない。

 

俺とナギは服屋からほんの少し離れたブリッジの部分で、一部始終を観察しているわけだが、セシリアと鈴の一夏を探す形相たるや恐ろしいものがある。

 

二人からしてみれば、シャルロットに抜け駆けさたくない気持ちで一杯なんだろうが、これではただのストーカーになってる。二人にはもう少し落ち着いた行動をして欲しいところだが、出来ないからこそこんなことになっているのかもしれない。

 

ライバルが多くて出し抜きたいのは分からんでもないけど、ここまで執念深いとなると若干怖い。

 

 

「にしても、僅か数ヶ月で二人落とすともなるともはや天才的な才能にしか思えないんだけど……」

 

 

何気なく、ボソリと独り言を呟くように小さな声を出す。単純に一夏の女性を味方につけるスキルがすごいと、褒め称える意味で言ったつもりが、聞く人間によっては誤解を招く言葉に早変わりするらしい。

 

 

 

 

「……大和くんがそれを言うの?」

 

 

―――刹那、背後からトーンの落ちた声が聞こえてきたかと思うと。

 

 

「へ? いでででででっ!? ちょっ、脇腹つねるのは反則だって! お、俺が何をしたんだよ!?」

 

 

不意に左脇腹を激痛が襲う。痛みのあまり後ろを振り向くと、振り向いた先にはあからさまに不機嫌な表情を浮かべたナギの姿があった。

 

一言で表すなら背後に目に見えないオーラがあると表現するべきか、はたまた阿修羅が降臨していると例えるべきか。

 

なんつーか単純に怖い。普段物静かで怒らなさそうな人間が怒ると怖いように、ナギもまたそのタイプの人間だったようだ。

 

 

「私だって、いつの間にか虜になってたんだもん、そんな言い方されたら安い女の子みたいに思われるじゃない……」

 

「え? え?」

 

「し、知らない!」

 

 

発する声が小さく、何を言ったのかよく分からなかったが、彼女の気に触ってしまったのは事実。顔を赤らめ、頬を膨らませたままプイと横を向いてしまう。

 

 

「お、おおおお織斑くん! こ、こんなところで何やってるんですかぁ!!?」

 

「何をしている……」

 

 

不意に服屋の方から聞きなれた声が聞こえてくる。いや、むしろ常日頃毎日聞いているというか、無意識に身構えてしまうような凛とした大人の女性を思わせる、ただ存在感がある声と、同世代に居そうな若々しい声。二つの声に引っ張られるように、思わず服屋の方を振り返ってしまう。

 

そこには更衣室を除く三人の女性の姿が。

 

一人は店員だろうか。お洒落な帽子をかぶり、中の様子を気にしているようにも思える。そりゃ更衣室を三人がかりで覗くのだから、中で何かが起きたことぐらいは容易に想像できる。

 

 

二人目は小柄な女性……というよりわざわざ説明するまでもなく、見た目ですぐに判断がついた。俺たちのクラスの副担任、山田先生だ。

 

そして三人目、もはや言わずもがなだろう。めんどくさそうにこめかみを押さえながら、様子を見守る長身の女性。そこにいるだけで絶大な存在感を誇り、キリッとした目付きと、後ろで束ねられた腰まで届くほどの黒髪。そして黒に包まれたビジネススーツにストッキング。

 

如何にも理想のキャリアウーマンを具現化したようなもの。そしてその正体は、世界最強の名を欲しいがままにする女性。千冬さんその人だった。

 

 

どうやら開けた更衣室には一夏とシャルロットがいるらしい。着替えているかどうかも分からないのに、何の戸惑いも無く、更衣室のカーテンを開く辺り、流石千冬さんといったところ。

 

一方の山田先生は、水着姿のシャルロットに『早く着替えてください!』と声を大にして注意をしてる。更衣室に入っていくまでは二人が制服姿だったところを見るに、中でシャルロットが水着を披露するために着替えたと考えるのが妥当。

 

二人で中に入った理由は外に一夏を出してしまったら、知っている別の誰かが来た時にデートしていることがバレてしまうから。

 

バレてしまうことを避けたい人物といえば、一夏に恋心を寄せるメンバーに絞られる。最もIS学園全体から考えると絞りにくいが、一夏の行動を身近にリサーチ出来る人間ともなれば、その人数は大幅に絞ることが出来る。

 

 

「ん……? なんだ、お前たちも今日はここに来ていたのか?」

 

 

考え事をしていると、こちらを見つめた千冬さんと視線が重なる。反射的にナギは俺の後ろに隠れたが、別にやましいことをしている訳でもないし、隠れる必要も無いんだが……。まぁ普段の千冬さんを見てると無意識に身構えてしまうのは俺もそうだし、ナギの行動はある意味正常ともいえる。

 

わざわざ隠れるほどでも無いと悟った俺は、ナギを連れて千冬さんの元へと向かう。勘づかれた時点で、一夏やシャルロットにも俺の存在はバレている。

 

 

「ええ、まぁ。臨海学校も近いですし、そろそろ水着の一つくらいは揃えておこうと思いまして」

 

「そうか。私たちもこんな立場だが、海にこの姿で行くのも避けたくてな。とりあえず何かしら用意しようと足を運んだら……」

 

「まさかの不純異性交遊紛いの行為を目撃したと?」

 

「そういうことになるな」

 

「ちょ、千冬姉! 俺は別にそんなつもりは!」

 

 

実姉がナチュラルに不純異性交遊を認めてしまったことに納得が行かず、その場から立ち上がって抗議をしようとする一夏だが。

 

 

「織斑くん! まだお話は終わってませんよ!?」

 

「は、はい! すみません!」

 

 

あっけなく山田先生の一言に撃沈。普段全く怒らない先生だからこそ、逆らうことが出来ない。それにセシリアや鈴との模擬戦以来、生徒たちの山田先生に対する認識は大きく変わっている。

 

見た目は俺たちとほぼ変わらず、十代半ばに見られても何ら不自然は無いのに、いざ実戦ともなれば頼りになる狙撃手(スナイパー)となる。実力は生徒たちが到底敵うレベルではない。言い方が悪くなるが、良くも悪くも実力主義だ。教師でも頼りなければ生徒に見下されるし、不安にも思われる。

 

元々は一夏もどこか頼りないと思う部分があったんだろう。人は見た目で判断することなかれなんてよく言うが、大体の人間は無意識に見た目で判断することが多い。

 

とはいっても山田先生が説教をする絵は珍しい。説教からも生徒に対する愛情がひしひしと伝わってくる。そもそも男女が二人で更衣室に入って、着替えなんかしてたら怒られるに決まってる。

 

見付かったのが教師にともなれば尚更。

 

 

「ところで、お前たちはもう買い終わったのか?」

 

「はい、一応俺の分は。ナギの分はまだこれから買う予定なんですけど……」

 

「ほう? 今度はお前が鏡の水着を選ぶのか。それはそれで興味深い」

 

「いや、そうはいっても俺もちゃんとアドバイス出来るかどうかなんて分からないですし、最終的には好みで選んじゃうかもしれないですね」

 

「なに、女性からすればその好みが重要だ。そうだろ、鏡?」

 

「え、あ、それは……はい」

 

 

今度は俺とナギの話に話題を振り換えてきた。ナギは若干恥ずかしそうに千冬さんの同意に応じる。

 

既に俺の水着は選んで貰ったから今度は俺が選ぶ番になるわけだが、男性ものの水着と女性ものの水着で大きく違う点がある。

 

試着をする時、俺は下だけを履き替えれば良いだけだから特に恥ずかしさらしいものは無い。逆にナギは女性だからこそ、全身脱がなければならない。基本的に女性ものの水着は

サイズが合うかどうかも着てみて確認をするため、着ている服を一旦全て脱ぐ必要がある。

 

つまりそこが一番危ないわけで。

 

チラリとナギの方へと、厳密には上半身へと視線を向ける。季節的な意味合いもあれば、体系的な部分も大きく関係してくる。

 

俺がポロシャツにスキニーと、カジュアルな服装であるようにナギもまた着ている服はワンピースだ。ワンピース自体の種類があまりにも多いからどの種類かは分からないが、どちらにしても体のラインがハッキリと出てしまっているのも事実。

 

普通のTシャツに上着を羽織るとか俺と同じポロシャツを着られたら直視が出来なかったかもしれない。

 

同世代の女性と比べても明らかに平均より大きい。プロポーションだけなら、楯無ともタメを張れるんじゃないかと勝手に思っている。IS学園の制服は作りが固く、胸元を押さえ込んで実物より小さく見えてしまうが、素材が柔らかい布地であれば制服の下に隠れていたものは……その、行動するたびに揺れる。

 

い、いかん! こんな場所で俺は一体何を考えて……。

 

 

 

「霧夜、何を想像しようがお前の勝手だが、考えていることが全部顔に出てるぞ」

 

「も、もう! どこ見てるの大和くん!」

 

「へ? どこって……あっ!?」

 

 

はい、盛大な地雷を踏みました。

 

チラ見してすぐに視線を逸らすつもりが、完全に凝視していたらしく、千冬さんにはため息をつかれ、ナギは胸元を押さえながら俺から視線を逸らす。

 

目の前で自身の株が大暴落していく瞬間を見るのはこれで何回目だろう、そろそろ一回や二回、引っ叩かれても文句が言えない。むしろ全てを許してくれるナギがそれはそれで凄いが、学習しないバカとはまさに俺のこと。

 

人のふり見て我がふり直さず。目も当てられない。そりゃナギに脇腹抓られても文句は言えない。

 

 

あぁ、脇腹を抓られた理由ってそういう事だったのかと、今になってようやく理解した。

 

近くに女性が居るのに発言としては非常に軽はずみだった。

 

 

「ふん、恋には勝てんか。羨ましいものだ」

 

「うぐっ、なんで面白そうな顔してるんですか。そりゃ俺が盛大な地雷を踏んだのは事実ですけど」

 

「いや、意外だっただけだ。初め会った時はとても年相応に見えないと思ったが、今のお前は年相応。ここに入学して多少変わる部分があったんだと思うと、それはそれで嬉しくてな」

 

 

普段のトーンを崩さないながらも、学園では見せないような穏やかな微笑みを見せる千冬さん。人をからかえれて満足しているらしいが、からかわれている張本人からすれば面白くはない。いや、別に怒りとか怨念はなくても、面白いからもっとからかって下さいというやつはほとんど居ない。

 

まだまだ年齢的なアドバンテージが俺にはあるようだ。

 

 

 

……まぁ、この話題はこれくらいにして、さっきから柱の後ろでコソコソと人の話を聞いているであろう奴らに登場してもらおうか。

 

 

「さて、そろそろ出てきてもいいんじゃないか? 人が気付いていないと思ったら大間違いだぞ?」

 

 

途中からずっと気になっていた違和感の原因。悪意が無いからとずっと黙って来たが、このまま行けばバレるのは時間の問題。むしろ俺にバレている時点で、こっちから探りに行けばボロは出るんだろうが、それじゃあいつらも格好が付かないだろう。

 

俺の背後にある円柱からひょっこりと、二つの影が出てくる。何故気付いているのかと言わんばかりに、その表情は驚きを隠せない。

 

気付くも何も、あれだけ下手くそな尾行をされたら俺じゃなくても気付く。現にシャルロットが更衣室に逃げ込んだのも存在に気付いたからだろうし。

 

 

「ったく、一夏を尾行するならもう少し上手く尾行しろよ。分かりやす過ぎていつ声掛けようか迷ったくらいだ」

 

「な、なななな何のことかさっぱり分かんないわね!? あ、あたしたちは偶々今日偶然ここを通り掛かったのよ!」

 

「そ、そうですわ! 言い掛かりも程々にして下さいまし! や、大和さんが深く考え過ぎではありませんこと!?」

 

 

 鈴に関しては同じ意味合いの言葉を続けてしまうレベルでテンパっているらしい。『偶々』も『偶然』もどちらとも同じ意味合いにしかならないことは言わなくても本人が一番分かっている。言いたいことは良く分かる、よーく分かるからこそもう少し落ち着こうか。そこまでテンパっていたら事実だったとしても嘘のように聞こえてしまう。

 

そしてセシリア、深く考えすぎってどういうことだコラ。人が話している一部始終を陰でこそこそ聞かれるのは気分の良いものじゃないから敏感になるんだ。ただこの発言については木乃伊取りが木乃伊になるといったところ、俺も人のことはとやかく言えない。そっちが仕事上当たり前の行動だから。

 

 

「あー騒ぐな。一気に人が増えて五月蠅くてたまらん。プライベートの時ぐらい静かに出来んのかお前らは?」

 

「いや、織斑先生。逆に今プライベートですから、うるさいのは仕方ないです。学園じゃないんですから」

 

「……はぁ」

 

 

鬱陶しそうに二人の登場に対して頭を抱える。本来なら一夏とシャルロットとも会うつもりは無かったんだろう。千冬さんとていい大人だ。弟の、それも年頃の弟のプライベートに対してあれこれ口出しする気はないはずだし、二人そろって更衣室に籠城するなんてことが判明しなければ、水着を選ぶだけ選んで帰ったはず……いや、そうでもないか。

 

それでも教師陣二人に会うことなく、やり過ごすことくらいは出来たとは言い切れないのはなぜか。そして一夏とシャルロットはまだ山田先生に説教を食らっている。時間にして既に十数分、それも店舗の床に正座をさせる教師がそうそういるとも思えない。男女平等の鉄拳制裁で知られる千冬さんですら、地べたに正座をさせている話は一切聞いたことが無い。

 

一つ教訓に出来ることは、普段優しいから山田先生の説教は大したことないと思っている奴らは死んだなってこと。

 

絶対に怒らせないようにしよう。店の床に直接正座は精神的にも辛い。

 

 

「さて……あれ、お前ら二人だけだったか? てっきりラウラも一緒に着いてきていると思ったんだけど」

 

「え、あれ!? い、いない? いつの間に……」

 

「に、逃げましたのね! さっきまで一緒に居ましたのに!」

 

 

鈴とセシリアが出てきたのは良いが、俺が背後に感じた気配は三人。鈴とセシリアが内二人だったのだから、間違いでは無ければもう一人いた。近しいところで篠ノ之かラウラの名前が思いついたが、食堂に行った際に鉢合わせ、今日は一日部活だと言ってたから篠ノ之は選択肢から外れ、ラウラだけが残る。

 

大穴で楯無の線も考えたが、あいつがここまでザルな尾行をするとは考えられないし、やるならやるでもっと上手な尾行をする。少なくとも俺が声を掛けただけでは絶対に出てこない。

 

 

「……悪いな。折角二人きりだと思ったのに」

 

「ううん、仕方ないよ。時期が時期だから他の人たちに会う可能性だってあるわけだし」

 

「そっか、ありがとう……ナギ、悪いんだけどちょっとお手洗い行ってくるから少しの間だけ、織斑先生たちと居てもらっていいか?」

 

「え? うん、それは良いんだけど……大丈夫?」

 

「あぁ、すぐに戻る。そんなには掛からないだろうから。じゃ、ちょっと待っててくれよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一夏とシャルロットに出くわし、千冬さんと山田先生に遭遇。挙句の果てに鈴とセシリア、ラウラまでもが俺たちの後ろにいたともなれば、もはや二人きりのデートでも何でもなくなってしまった。

 

だが、当然臨海学校が近いともなれば新しい水着を、特に今年は男性が二人もいるとなれば気合いを入れて水着を買い揃える。故に誰かと遭遇する確率は低いが無いとは言い切れない。

 

二人きりで楽しみたかったのは俺の本音であり、紛れもない事実。根底を覆すつもりもないし、かといって全員を悪く言うつもりは毛頭無い。

 

 

一人皆の元を離れてお手洗いに向かう……訳ではなく、階段を下りてレゾナンスから出る。レゾナンスから出て目の前に広がるのは大通り。人混みも多く、一旦はぐれると中々見付けにくい状態にはある。

 

ここでは目立つし、場所を変えよう。大通りを左折して少し歩くと、今度は人混みが全く無い裏路地のような場所が右手側に見える。賑わっている大通りと比べると一目瞭然。道幅は決して狭くないのに街灯は一つも立っておらず、夜になれば月夜が照らす他明かりは何もない暗がりになる。

 

日が差し込む日中でさえ、建物に囲まれて暗いのだから誰も踏み込まないし、踏み込もうとしない。歩いている人間の誰しもがその場所に一片たりとも興味を示さなかった。

 

場所的には丁度いい。こちらにしてみては好都合だと進んで足を踏み入れていく。もはや視界にも入れたくないような場所なんだろう、俺が裏路地に入っていくというのに誰一人興味や好奇の視線を向けなかった。

 

 

「ま、この辺りで良いか」

 

 

裏路地の真ん中くらいで歩を止めて、空を見上げる。明るいはずの空が周囲の建物に隠れ、何とも言えない風景が広がっている。一言で言い表すとしたら薄気味悪い。

 

だからこそ誰一人として近寄らないし、目もつかない。

 

 

そもそも何故俺がこの場所に来ているのか、選んでいるのか。理由は一つ。

 

 

 

 

……朝、モノレールから出てからずっと俺を監視する複数の視線。はじめのうちは放っておこうと思っていたが、ここまで敵意を向けられるともなれば放っておけない。

 

あわよくば鈴とセシリアを呼び出した時に視線が分散してくれればと思ったが、敵意を向けるほどに憎まれているとすれば、その程度で退くはずもない。気配の消し方や立ち回りから察するに、そこそこ出来るレベルにはあるらしい。

 

 

 

────ハッキリ言って不愉快だ。

 

人の一日を妨害していることが、下らないものさしで俺や一夏を狙おうとしていることが。無関係な人間を巻き込もうとして、それを正当化して揉み消そうとする姿勢が。

 

許すのであれば完膚なきまでに叩きのめして、二度と社会復帰出来ないレベルにしてやりたいが、それは独り善がりな感情で動く犯罪者と変わらない。

 

一夏とナギはあえて千冬さんや山田先生を含めた教師陣、更には代表候補生のシャルロット、鈴、セシリアに付き添って貰った。相手も千冬さんや、名だたる代表候補生がいれば無理に手出しは出来なくなる。

 

俺一人が単独行動を取れば、ターゲットを絞ることが出来るし、みすみすこれを逃さない手は無い。

 

 

「そろそろ出て来たらどうだ? いつまでもかくれんぼするのは苦手だろう?」

 

 

 周囲に気配が複数漂っている。案の定俺が一人になったところを狙い、全員俺をターゲットにすることに成功したようだ。

 

くだらないかくれんぼもそろそろ飽きてきた。いつまでもこそこそと後をつけられるのは好きじゃないし、じろじろと見透かされたような視線はもういい。

 

ここら辺りで一旦全て終わらせてやろう。

 

俺の手で。

 

 

狭い場所特有の建物風が吹く。それが合図と言わんばかりにどこからともなく覆面を被った人間が、ゾロゾロと出てくる。

 

全員で五人……前の屋上での一件よりも人数だけなら多い。俺を中心に逃げられないよう周りを固めていく。逃げる気など毛頭無い、人のデートを散々邪魔しやがって、人を馬鹿にするのも大概にしてもらいたいところだ。

 

 

「自分から一人になるとは馬鹿な男だ。織斑千冬に付き添っていれば、巻き込まれずにすんだものの……格好の餌食になるのが目に見えないのか?」

 

「格好の餌食になってやったんだ。お前たちも俺がわざわざ一人になった意味を理解できないほど、頭の回転が鈍い訳じゃないだろ。それとも、全員揃いも揃って頭の中はお花畑か何かか?」

 

「貴様っ! たかだが男の分際でぇ‼」

 

「落ち着け、大きな声を出すな。私たちの任務はどちらかの男性操縦者を抹消すること。大声で誰かに気付かれたら意味がなくなる」

 

 

多少の挑発に引っ掛かる辺り、全員が全員冷静なメンバーでは無さそうだ。これもほぼ前と同じ、この先の展開は目に見えている。前回と違うことがあるとすれば人数が多少、多いことくらいで、実力値はさほど変わらないように見える。

 

 

「それで、この人数差でどうするつもりだ? まさか本気でこちらとやりあうとでも?」

 

 

向こうは向こうで、絶対的なアドバンテージがあると言わんばかりに挑発をしてくる。絶対的に勝てるとは言えないが、前回の反省を何一つ生かせてないようだ。そもそも同じところが牛耳っているかも分からないし、同じだと括るのは危険か。

 

だが、相手に舐められていることは事実。尚更気に食わない。

 

 

「一人になる意味を察しろって言っただろ。人の情報も調べずに漠然と襲ってきたのか? ならお前らは大概なバカだったな」

 

 

再度の挑発に臨戦態勢を取る。バカに塗る薬があるとすれば、一旦痛い目にあってもらおう。自分が喧嘩を売る相手が誰なのかをきっちりと分からせてやる。

 

 

「喧嘩を売る相手はキチッと見定めろよ? じゃなきゃお前ら……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────死ぬぞ?」

 

 

俺の一言が戦闘開始の合図となった。



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新たなる敵、越える一線

 

 

 

 

 

 

周囲から襲い来る五人全員に気を配りながら、瞬時に状況を把握する。実力はどの程度か、立ち振舞いだけで判断するならそこまでの脅威を感じることはない、だが全員の手にはそれぞれキラキラと光り輝く鋭利な刃物が握られている。立ち止まったまま、全員を無傷で捌き切ることは難しい。

 

それにこちらは丸腰、武器らしい武器など何一つ持ち合わせていないのだから、まずは一点突破で一人を早急に片付けることにする。

 

幸い周囲には一般人が居ないような場所だし、多少荒く対処しても大丈夫なはず。骨の一本くらいは覚悟してもらうことは前提になる。この際甘えたことを言ってたら俺がやられてしまうし、手抜きは一切不要。丸腰相手に複数人で襲い掛かってくるんだから、向こうも多少のリスクは覚悟の上。

 

情けは無用、全力で叩き潰す。

 

 

「死ねぇ!!」

 

 

突っ込んでくる一人に向かって走り出すと、持っていたナイフを顔めがけて突き刺そうとしてくる。最新の注意を払い、攻撃に上手く合わせるように体の軸をずらし、迫りくる攻撃をかわす。アタも簡単に避けているように見えても、常に死と隣り合わせだから内心ビクビク。バトルマニアでも無いし、こんなことで戦いたくはない。

 

攻撃をかわして付き出した右手を左手で掴むと、空いている右手を体に添え、ガラガラ抽選を引くように一気に引く。突っ込んできた勢いを利用したことで遠心力が働き、相手の体は反時計回りに宙を舞う。遠心力を最大限に生かした投げは破壊力十分。受け身も取れないままに地面へと叩きつけられる。体と地面がぶつかり合う鈍い音と共に、ナイフを握っていた右手から力が抜ける。

 

顔を見なくても分かる、肺から一気に空気が抜けて呼吸困難に陥り、ナイフを握るどころの話じゃなくなったか、もしくは気を失ったか。どのみち十数分は最低でも立ち上がることは出来ない。

 

力が抜けた右手からナイフを奪うと、一人をつぶしたことで空きが出たスペースへと後退し、体勢を整える。

 

 

「この役立たずが! みすみすやられやがって!」

 

 

罵声を浴びせながら気を失った相手に近付き、体を二度、三度と蹴り飛ばす。チームとは形ばかり、前回と同じように仕事をするためだけに組まれたチームであり、チームワークなど微塵も感じられない。やられたらお払い箱同然、戦えない人間はいらない、用済みになって捨てられるごみと何ら変わらない。

 

そうしている間にも怒りが収まらないのか、何度も何度も顔を踏みつけ、これ以上蹴られ続ければ体に大きな障害が残る可能性もあるし、最悪命を落とすケースも十分に考えらえる。周りのメンバーもその行為を見て見ぬふり、それが一切の信頼関係が無いことを証明していた。

 

先ほど奪ったばかりのナイフを反対に持ち直し、刃の部分を人差し指と中指で挟んで、ナイフ自体が回転しないように細心の注意を払い、相手の頭上目掛けて投げ返す。

 

ターゲットには当たらないが相手を威嚇するには充分過ぎる効果だろう。踏みつけていた足を止め、俺に向かって邪魔をするなと言わんばかりに、鬼の形相で睨んでくる。

 

 

「貴様は一体誰の味方だ。私たちの敵だろう! 敵の分際でこちらの領域に踏み込んで来るなっ!!」

 

「……あのな、頭に血がのぼってるみたいだから冷静に言うぞ? お前らのやってることは誰かを救うことでも何でもない。私利私欲の為に、自己満足の為だけに人を傷付けて優越感に浸るただの悪魔だ」

 

「だからどうした? こいつは貴様ごときにのうのうとやられたんだ。すぐに離脱するやつはうちにはいらん! バカに付ける薬は無いって言うだろう! それと同じだ!! やられたこいつはもうお払い箱なんだよ!!」

 

 

これ以上聞くのはこりごりだ、意味を全く持たないあまりにも身勝手すぎる行動に、ヘドが出てくる。多少なりとも事情があるのなら、同情の余地があると真っ先に思い浮かべてしまった。結果、何一つ同情の欠片も見当たらない。悪口一つで吐き捨てるとしたら、人間以下の何か。

 

裏世界ならいくらでもそんな人間はいるし、珍しい訳でもない。だがまざまざと実態を見せられ、開き直られると、沸き上がって来るのはぶつけようの無い怒りと、やるせない虚無感。

 

 

「そいつはお前らのチームではあっても、所有物じゃない。ましてや、タコ殴りにする権利なんてどこにある? バカに付ける薬は無い? お前ら自分自身の行動知ってて、んなこと言ってんのか」

 

「そのくらいで口を慎め! 高々一人倒したくらいで良い気になるなよ、この俗物がぁっ!!」

 

 

バカに付けるクスリはない。そっくりそのままコイツらに返す。もう話は終わりだ、容赦をする必要など微塵も無い。

 

今この場でコイツらは潰す。野放しにしたところで、またロクなことにならない。前提で俺と一夏の命を狙ってきている時点でどんな人間なのかは察しがついたが、ここまで腐っているとなると何も言いたくはない。

 

 

「何を言っても無駄なことはよく分かった。だが、お前らにもう一つだけ言っておきたいことがある」

 

 

もういいだろう。これ以上の間を持たせるのも勿体なくなってきた。さっさと終わらせて、俺はナギの元へと戻りたい。

 

あと一言言うことがあるとすれば……。

 

 

「最初に言ったよな? 喧嘩を売る相手は見定めろよって」

 

「……」

 

 

こいつらは真意に何一つ気付いていない。どうして俺が進んで一人になったのかを。皆を巻き込みたくないのは当然だが、それだけではない。

 

 

────最大の理由、一人であれば自分が戦っている様子を他の誰かに見られなくて済むから。

 

 

「勝ち目がない戦いを挑むように見えるか? 本当に詰んでるのがどっちかを考えてみろよ」

 

「この……クソがぁぁぁぁああああああ!! かかれぇぇぇええええええええ!!」

 

 

一人の指示で再度全員が一斉に飛び掛かってくる。挑発に挑発を重ねたことで遂に堪忍袋の緒が切れ、絶叫にも近い声を出しながら突っ込んでくる姿がたまらなく滑稽に思えてくる。

 

結局誰の差金で俺たちを襲いに来たのかは聞きそびれてしまったが、おおよその検討はつく。

 

男性操縦者。

 

名前の響きだけなら間違いなくいい響きだろう。だがその響きを良しと思わない人間もいる。特にその中でも過剰な反応を見せるのが、女尊男卑に対し異常なまでの執着を見せる人間だ。

 

ISの登場により女性優位になったこの時代。ISは女性だから動かせるからこそ優位に立てるのであり、男性が動かしたとしたら状況は一変する。

 

女性優位な社会へと築き上げたのに、また男女平等な世の中へと戻ってしまう。本来なら男女平等が理想であり、多くの人々が望むこと。

 

しかし、かつて亭主関白の時代があったように、今は何事も女性優位に進む。百人の男性が左と言っても、一人の女性が右と言えば右になる。

 

あまりにも不公平過ぎる世の中だ。

 

 

「……」

 

 

襲い来る四人の動きを把握し、俺に一番近い相手に向かって走り出す。ナイフを引いて突き出そうとした瞬間、体を屈めて低い位置から相手の手元に向かって回し蹴りを叩き込む。

 

蹴りはピンポイントで手の甲を直撃し、持っていたナイフは宙を舞う。同時に相手の顔が痛みから悲痛に歪み、僅かながらの隙が生まれた。一瞬でも隙を見せたらそれは命取り、素早く相手の後方へと回り込むと、右手を相手の首筋に向かって振り下ろす。

 

糸が切れたマリオネットのように、膝からガックリと崩れ落ちて動かなくなる。人通りはないとはいえ、すぐ近くにはレゾナンスの大通りがある。ここで戦い始めている時点で今更感は否めないが、出来る限り目立った行動は避けたい。

 

 

「……悪いが一瞬で終わらせてもらうぞ」

 

 

 

 

 

────……

 

 

 

 

僅か数分間の出来事だった。

 

俺の周囲には気を失って場に倒れ込む者、戦意を喪失し、腰が抜けて地面に座り込んだまま立てなくなってしまった者が散在している。

 

すでにこいつらに戦意は無い。自分達を雇った人間が誰なのか聞き出したものの、こちらも用意周到に計算しつくされており、依頼人の顔も名前も全く分からないとのことだった。彼女たちにICレコーダーだけが送られて来たらしく、そこに残っていたメッセージから今回の一件を企てたが、未然に阻止される結果となった。

 

本来なら、警察につき出すべきなんだろうが、この手の連中は警察に直接引き渡したところですぐに出所してくるのが目に見えている。だがこいつらに関しては権利団体が直接関わっているとは考えにくい。

 

前回は直接依頼をしたが、返り討ちにあったことで多少は学習をしたのかもしれない。直接俺たちに関わることは、相当なリスクを伴うと。だからこそICレコーダーで身バレしないように対策をした、と考えるのが妥当か。

 

最初の一回は誤魔化せたとしても、何度も似たような事象が繰り返されれば、彼女たちの信用問題にも関わってくる。団体の強制解散は無くとも、上から圧力が掛かるのは逃れられないだろう。

 

 

さて、話は変わるが、こいつらの引き渡しは一旦更識家を挟んでからになった。

 

さっき楯無に電話したところ、『どーせナギちゃんとデート中なんでしょ?』と機嫌悪そうに電話に出たのは置いといて、事情を話したところすぐに関係者を向かわせるとのこと。

 

出来れば自分自身が向かいたいと言ってはいたが、楯無は楯無で別の仕事に追われている最中。

 

その仕事をほっぽりだして来いとは言えないし、これ以上は無茶をさせたくない。以前、無茶のし過ぎでぶっ倒れているし、弱々しい楯無をみたくない。

 

 

 

「思った以上に時間が掛かっちまったし、そろそろ戻りたいけど……」

 

 

 

すっかり忘れていたが、レゾナンスを離れてからすでに十数分が経つ。戻る時間を含めると二十分以上は掛かることになる。ちょっとトイレに行ってくると伝えたは良いものの、どう考えても時間か掛かりすぎている。

 

何をしていたのかと聞かれたら切り返せないレベルには焦っている。

 

 

「くっそ……こりゃ出てくるタイミング間違えたな」

 

 

この後色々と聞かれる未来を想像し、若干げんなりとした気持ちに苛まれる。

 

ただ飛ばしてくる殺気があまりにも強かったし、あのまま放置したところでロクなことになっていない。放置して全く関係ない人間まで巻き込まれるリスクと天秤にかけると、先に対処した方が得策なのは明らか。

 

少なくともタイミング的にはちょうど良かったはず。後手になればなるほど、こちら側の状況は不利にしかならない。

 

しかし困った、このままじゃ本当に動きようが……。

 

 

 

 

 

 

 

「ッ!?」

 

 

上空から感じる今までとは違う殺気、顔をあげる間もなく後ろにバックステップを踏んで回避行動をとる。飛び退いた瞬間、今までいた場所に大型のサバイバルナイフが落ちてくる。地面にぶつかり、大きな金属音をたてて転がる。

 

こんなところに何の理由もなく、サバイバルナイフが落ちてくる訳がない。第三者の誰かが狙って落としたとしか考えられない。相変わらず上空に漂う殺気に冷や汗があふれ出てくる。通常の殺気であればそこまで動じることは無かったが、伝わってくるのは殺意の中に秘められた強大なまでの狂気。

 

狂っている……読んで字の如くだ。通常、常人が向ける殺気は対象者に向ける感情であり、関係のない人間に向けられるものではない。

 

だがこれは違う。道行く人間、近くを通った人間、視界に入った全てのものを無差別に攻撃しようとするような非常に残忍かつ、残虐な殺気。

 

野放しにするわけにはいかない。

 

 

「おーおー、お見事! 視界外からの攻撃を感知し、的確に避けるか。やっぱり本物はちげぇなぁ、霧夜家当主さんよぉ?」

 

 

……今まで聞いた声の中でもトップレベルに耳につくほど忌々しい声だ。

 

目の前にいたら無意識に蹴飛ばしたくなるほどの、調子づいた人を見下した口調。ネジが一本緩んだといえば聞こえが良いが、そのレベルの問題ではない。

 

ニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべ、建物の窓のヘリに腰掛けながら、上から目線でジッと俺を見つめる男性。

 

そう、男性だ。

 

年齢はどうだろう、俺と同じくらいか若干上のように見える。身長は俺よりも少し高いくらいだが、肩幅が広く、身に着けているタンクトップは張り詰めていることから相当体を鍛えていることが伺える。

 

ギョロっとした不釣り合いな近寄り難い目つき。何より纏う雰囲気は、さっきの五人組とは明らかに違い過ぎる。

 

分かりやすくするなら全くの別ベクトルにいると言い表せばいいか。雰囲気だけで常人よりも強いことが汲み取れるが、そこから先が見えない。

 

何かを隠しているのではないかと思うと、行動に起こすことが出来ない。一瞬の隙が命取りだ、実力が未知数である以上、瞬き一つ出来ないがゆえに、目が若干乾燥してきた。

 

 

「んでぇ? もう一人の男性操縦者とやらは何処にいるんだ?」

 

「はい、あそこですなんて教えると思うか? 答えるやつがいるのなら教えてほしいくらいだ」

 

「くくっ、はっはっはっ! そりゃごもっともだ! なら、お前を殺せばそいつも出てくるんじゃねぇのかぁ!?」

 

 

大袈裟に言うには何も行動を起こそうとはしない。これだけ殺気を垂れ流しているというのに、自制は出来ているらしい。

 

 

「やれるものならやってみろ。いくらでも相手になってやる」

 

 

挑発には挑発で返す。

 

あまり大事にはしたくはないが、一夏を含めた周りの人間に危害が及ぶのであれば、今のうちに片付けておくことが得策。右足を少し後ろへ引き、戦闘体勢へと移行する。俺の様子を見て、僅かだが相手の目が細くなる。

 

こちら側の思惑を悟ったのか。

 

だからといって相手が行動を起こすわけでもなく、ただ俺の顔を観察するように見つめるだけだった。だがこいつから感じる、この拭いきれないモヤモヤ感は何だろうか。

 

 

「……本当ならこの場でぶち殺してやりてぇが、あのお方からの許可が降りない以上、好きな行動は出来ねーんだわ。あくまで今日は様子見、俺に与えられた任務は、お前がどんな人間なのか見てこいってだけだ」

 

「……」

 

「くっくっ……少し残念だが、俺には時間が無い。あばよ!」

 

 

窓の縁から室内に戻るとそのまま姿を消す。

 

気配は完全になくなり、また元の裏路地の静けさが戻ってきた。一体どのような意図があって、何を目的に俺の元を訪れたのかは分からないが、少なからずここから先、俺たちの前に立ちはだかるであろう人物なのは間違いない。

 

一つ言えることがあるなら狂気の中に、どこか懐かしい感覚があった。現実に会ったわけでも生活したわけでもない。似ているかどうかと言われれば、似ていないし顔の作りから骨格まで何から何まで違う。

 

誰がどう見ても似ているとは言い難い容姿から、過去に何処かで会ったのでは無いかと思わせる懐かしい感覚。もし俺の感覚が事実であり、引かれ合う要素があるとするなら……。

 

 

「……まさか、な」

 

 

その後無事に更識家の人間が来て、俺を襲った五人組を無事に回収。

 

任務を終えた俺は、足早にレゾナンスへと戻るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待っていたぞ霧夜。遅かったじゃないか」

 

「あぁ、織斑先生。実はちょっとチンピラに絡まれまして」

 

「チンピラ……ね。片は付いたんだろう?」

 

「えぇ、何とか。でも正直油断は出来ないっす。最低、今日一日は鷹の目を持つ必要がありますね」

 

 

レゾナンスへと戻ってきた俺を一番最初に出迎えてくれたのはナギではなく、千冬さんだった。入り口付近に腕を組んで仁王立ちする姿があまりにも様になりすぎて、通りすぎる人間が次々と振り返っていく。千冬さんの凛とした美しさももちろんのこと、腕を組んだことで腕の上に乗った二つのたわわの存在感に釘付けになる。

 

やましい意味は一切ないが、ビジネススーツ越しにでも伝わるそれは男性人の視線を釘付けにするには十分すぎる破壊力を持っている。

 

 

合流したところで千冬さんに遠回しではあるが、事の次第を伝える。表情一つ変えずに淡々とした様子で話し掛けてくるも、あまり良くない兆候なのは薄々感付いているのかも知れない。右手を顎の下におきながら暫し考え込む。

 

無理もない。屋上での件に引き続き二件目、前が寝静まった夜に行われたことを考えると、今回は昼、それも比較的人通りがある近くだから、随分と大胆で強引な手口になっている。

 

それも俺たちの後をつけながら機会を伺っていたとなると、周囲の目を気にすることが無かったことになる。今回も未然に防ぐこと出来たが、今後どのような出方をしてくるのかは常にリサーチする必要が出てきた。

 

 

「……」

 

「何か思うことでもあるのか?」

 

「まぁ、多少は。少なくともこれからのことを考えると、先が見えなさすぎて」

 

 

先の見えない出口に苦笑いしか出てこない。

 

考えることばかりでどこから手を付けていいのか分からず、途方に暮れそうになる。出来ることが出来ないのは何とももどかしい。

 

あまり深く考えない方が良さそうだ。無理に考えても良い方向には進まないし、一旦頭を切り替えよう。

 

 

 

「ところで皆はどこへ?」

 

「一夏たちなら昼、鏡ならトイレ付近にくソファーに座っているぞ」

 

 

あぁ、やっぱり別行動になっていたか。

 

腕時計を見るとレゾナンスを出た時間から三十分くらい経っている。十数分で戻るつもりが、とんだ小休憩になってしまった。過ぎたことを気にしても仕方ないし、一旦ナギのところに向かおう。

 

むしろ三十分も待たせたのだから、詫びの一つでもいれなければならない。そのせいで愛想をつかれないだろうかと、一抹の不安が脳裏を過る。

 

 

「さっさと行ってやれ、後のことは私の方で何とかしておく。折角の休日だ、これ以上仕事のことばかり考えても仕方なかろう」

 

「……そうですかね」

 

「何、お前もまだ学生だ。一家を背負う重圧は計り知れないだろう。確かに仕事を依頼したが、私たちも動ける範囲でサポートしていく。だから一人で全てを解決しようと思うなよ?」

 

「お気遣い感謝します。それでは」

 

 

俺が何をやっていたのか、この人には全てお見通しだった。無理をしてるつもりは一切無いが、第三者からの視点ではそう見えているのかもしれない。ならここは多少ながら、ご厚意に甘えることにしよう。

 

千冬さんに指差される方向へと小走りで駆けていく。トイレなら、先ほどの服屋からさほど離れていない。

 

次の突き当たりを右に曲がればトイレの入り口だ。少しだけスピードを上げて、突き当たりの曲がり角を曲がる。

 

 

「キャッ!?」

 

「おっ……と?」

 

 

距離を少しでも短縮するために壁側ギリギリを走っていたことから、曲がろうとした瞬間死角から出てきた人物とぶつかりそうになる。

 

寸前のところで別方向へと飛び退いた為、衝突こそ避けられたが、いきなり見ず知らずの男が死角から飛び出てきたのだから、相当驚いたことだろう。声質的に女性だろうし怖い思いをさせてしまったかもしれない。

 

足を止め、ぶつかりそうになった女性に謝罪の言葉をかける。

 

 

「っと! ごめんなさい! 少し急いでいたもので……ってあれ?」

 

「や、大和くん! 今までどこ行ってたの?」

 

 

その女性の正体はナギだった。

 

どうして俺がここにいるのかと、表情から驚いている様子が見受けられる。本来ならトイレから出てくるはずの人間が何故か反対側の出口側から出てくる。入れ違いになったならまだしも、だったらナギが俺の存在に気付かないのもおかしいし、俺が気付かないのもおかしい。

 

トイレから出て、待ち合わせの場所に戻るならわざわざ遠回りする意味もないし、どこかですれ違っているはず。なのにすれ違いがないのは、俺が同じ階のトイレに行っていないこととイコールを意味している。

 

嫌な汗がたらりと額からあふれでてくる。この場をどう凌ぐか、それだけのために現在進行形で俺の頭はフル回転していた。

 

休日ということもあり、ショッピングモール内は人で溢れ返っている。各テナントには大勢の人が詰めかけ、ブリッジやテナント前通路にも隙間がないほどの人だかりが出来ている。

 

トイレはそこから外れているものの、土日にもなれば利用者は大幅に増える。

 

心苦しい言い訳だが、そこを理由にするしか……。

 

 

「あっ……」

 

「ん、どうした? 人の指先ばっかり見て」

 

「大和くん。赤い液体が右手の人指し指に付いてるけど……」

 

「赤い液体?」

 

 

指差すナギに促されるまま、右手の人差し指を見つめる。ここにくるまで全く気付かなかったが、確かに指の肉のところが、二、三ミリほど切れており、そこから血が滲み出ているのが分かる。

 

軽く押さえると傷口から血が出てくるだけで、痛みは無いことから、傷自体は深いものではないらしい。だが問題はいつどこでこの傷が出来たのか。

 

あまり心当たりが無いため、ほんの少し頭の中で傷の原因を探る。つい先ほどまで、路地でちょっとした大格闘をしていた訳だが、原因があるとすればその時くらいしか思い付かない。

 

 

「……」

 

 

一つ心当たりがあるとすれば、一人目を倒した際に奪ったナイフを、相手の主犯格に向かって投げ返した時。本来なら取っ手を握って投げ返すものを、怪我を負わせないように刃側を人差し指と中指で挟んで投げ返した。

 

むしろそれ以外、こんな場所に怪我をするシーンが見当たらない。紙を触ったわけでも、どこかに指を挟んだ訳でもないならあり得るとすればそのシーンのみ。

 

 

「それって血だよね、どこで怪我したの?」

 

「それが全くと言って良いほど覚えがないんだ。トイレに行ってから帰ってきて、何か怪我するようなことはしてないし……」

 

 

怪我をしていることに気付いたナギは、どこで怪我をしたのかと尋ねてくる。先ほどまでは怪我をして無かった場所に黒ずんだ血が付いていれば、誰だって気になる。

 

当然、真実を語るわけにも行かず、俺は思い付く限りの単語を連ねていく。トイレにいく振りをして、実は密かに俺たちを監視していた人間を始末しに行きましたなんて、馬鹿正直に言えるはずもない。

 

 

「と、とにかく手当てしないと。大和くんもちょっとここ座って! 今日絆創膏持ってたかな……」

 

 

言われるままにナギの隣の椅子へと腰かける。

 

傷としては決して深くないが、思いの外出血量が多いことに、慌ただしくセカンドバッグの中から絆創膏を探し始める。痛みがあるかないかと言われれば無い。深刻に考えるような怪我ではないのは明らかだが、第三者が見ればどうして怪我をしているのか気になる。

 

理由はデート中に、指の腹を怪我する理由が見当たらないからだ。それこそ紙を持ったり、刃物を使ったりしない限りは。刃物なんてわざわざ人と出掛けている時に持つものじゃないし、紙に関しても貰うとしたら精々チラシくらいだから、怪我をする可能性は低い。

 

変な疑いを掛けないのも、彼女なりの優しさなのかもしれない。俺が皆のかげに隠れて何をしているのか、薄々感づいてる節がいる。知ってはならないことと彼女の中で認識し、あえて聞いてこないのだとしたら非常に申し訳ないことをしている。

 

 

「ごめん、今日忘れちゃったみたい。どうしよう……」

 

「あぁ、これくらい気にするなって。唾の一つくらいつけとけばすぐに治るよ」

 

 

鞄の中を探し終えたナギが、申し訳なさそうな表情を浮かべながら謝ってくるも、大丈夫だからと諭す。逆に俺のために絆創膏を用意してくれようとしたのだから、ナギが謝る必要など一切無い。

 

彼女的には役に立てないもどかしさがあるようで、眉毛が下がった言い表し難い表情をしている。人の手を両手で優しくとりながらどうにか出来ないかと考え込むも、絆創膏も無いのであれば治療のしようもない。

 

それこそさっき言ったように唾でも付けて放置するくらいしかないし、怪我に気付けただけでも良かった。近くのテナントに薬局があったはずだし、そこで絆創膏を買えば良いだろう。金額も高いものじゃないし、身バレを防ぐ意味合いでも役に立つ……と前回の無人機戦の時の自分に対して皮肉をのべてみる。

 

 

「……」

 

「そろそろ手を放してもらってもいいか? この状況結構恥ずかしいんだけど」

 

 

あえて触れないようにはしていたが、さっきからずっとナギが俺の手を掴んだまま放そうとしない。

 

何故放そうとしないのか、彼女の心理は分からないが、マジマジと手を見つめられると背中がむず痒くなる。

 

それも傷を負っている以外の部分の指の肉をムニムニと押すもんだから、まるでナギが物心がついたばかりの子供に見えてしまう。本人に直でこんなこと言ったら怒られるだろうけど、一つ一つの俺に対する仕草がいつもよりも幼く感じた。

 

 

「えーっと、ナギさん? 大丈夫か? さっきから我ここにあらずみたいな顔をしているような気が……」

 

 

幼いというよりかはもうなんか視点が一点に集中しているような気がするんだけど。

 

主に俺の人差し指に。

 

それに気のせいか、どことなく俺の腕をホールドする力が強くなっているような気がしてならない。いや、明らかに強い、どこからその力が湧いてくるのかと思うくらいには。もっと力を込めれば引き抜けるだろうが、そこまでしてしまったら俺がただ嫌がっているだけの人間に映ってしまうことを考えると、力を込めることすらままならない。

 

 

「……今なら、誰も見てないよね?」

 

「はい?」

 

 

 

 

 

 

 

――――刹那、俺の右手人差し指をどこか生暖かく、安心するような感覚が襲った。

 

 

「一体何を……ぅえ!!?」

 

「はむ……んむ?」

 

 

一瞬の静寂、頭の中を一筋の電撃が走ると共に真っ白な風景が目の前に広がる。日常というものが直視出来ず、簡単な思考ですら働かなくなる。目の前で何が起こっているのかなど、想像に容易い。だが俺の脳内はその現実をどうにも受け入れることを拒み、薄くも硬い壁を張っているようにも見える。

 

周囲から見たこの光景はどう映っているのだろうか。羨望か嫉妬か、それともはたまた別の感情か今の俺には判断がつかなかった。周りを見渡せばすぐに分かることがどうして分からないのか、理由は簡単で俺の視線はナギの方を向いたままで、全くと言っていいほど周囲を見渡そうとしないからだ。

 

単純なことにも気付けない俺の思考能力は明らかに落ちているし、前を見ているのにナギが何をしているのか分からない。いや、分かろうとしない。分かっているが、それを信じることが出来ない。

 

 

「ちょっ、あの、ナギ! いくらなんでもそれは……」

 

 

あわよくば夢だったらと思いつつ空いている方の手で頬を抓ってみるが結果は変わらず、結果から言えば俺の目は節穴でも何でもないという事実が証明された。

 

怪我をしているはずの俺の人差し指、それをまるで子犬が心配して舐め回すように口にくわえている。

 

小さい頃。大体幼稚園か、小学校の低学年くらいか。小指とかを怪我すると、学校の先生……女性の先生が口にくえて止血してくれたことを思い出す。

 

中にはそれが自分の母親であったり、同級生であったり、はたまた姉であったりとシチュエーションは様々だが、何人かの人間は体験していることだろう。

 

それを今目の前でやられているのだ。

 

 

「んっ……んぅ……んぁ」

 

「ちょっ……っ!!」

 

 

口から伝わってくる温かさと、独特な柔らかい感触。口の中でうねうねと動いているのは舌だろうか。相当恥ずかしい行為をされているというのに、瞳に映る健気な姿を見ると、彼女の行為を止められない。

 

口の中で何度も傷口を舌でなぞられているうちに、頭が蕩けて気分まで変に高ぶってくる。ゾクゾクと背筋を走る妙な感覚が、平常心を装う俺のタガを外していく。

 

好きな女の子に傷口を舐められているのを見ているだけで興奮する。時たま上目遣いで俺のことを見つめるナギが可愛らしくて、今すぐにでも抱き締めたくなる。胸の高鳴りが止まらない。

 

加えてチラチラと上目遣いで見つめてくるナギの姿と、口からこぼれる声がたまらなくエロチックな様相を醸し出しているせいで、俺の脳内温度が勝手に高まっていく。

 

そうは言ってもここは公衆の面前だ。いくらなんでも人前で抱き締めたりなんかしたら……。

 

人前?

 

 

「ま、待て! ここ人前だからさすがに不味い!」

 

「ふ? ふぁあ……」

 

 

口にくわえる力と手をつかむ力が弱まった瞬間に、人差し指をナギの口から引き抜く。

 

一瞬名残惜しそうな表情を浮かべるも、自らがやらかしたとんでもない行為に、一気に顔がトマトのように真っ赤に染まり上がる。耳まで真っ赤かにしながら、魚のように口をパクパクと開閉したまま硬直する。 

 

勢いでやったは良いけど、実際に自分が何をしたのかを自覚し、強烈なまでの羞恥心に襲われているらしい。普段は真面目で優等生で通っているナギが、どのような思考になれば人の、それも異性の指をくわえるなんて行為に走るのか。

 

 

「わ、わわわわわわわわわ私、一体何を!!?」

 

「今さら!? むしろ一番恥ずかしいの俺なんですけどぉ!?」

 

 

恥ずかしい、一言述べるとするなら恥ずかしい、それ以外に何を言い表しようがない。

 

くわえていた時の感触が未だに忘れることが出来ず、モヤモヤとした気分のままだ。顔もいつも以上に暑くなっている気がする。

 

幸い人前とはいえ、誰かがこちらを見ているわけでもなければ、知り合いが近くにいることも無かった。IS学園関係者に知られなかったのは、不幸中の幸いだろう。

 

つーか色々とタイミング悪すぎ、嬉しいけど限度はある。頭の回転が追い付いてない。

 

 

「だ、大体、同年代の女の子に指をくわえられるなんて経験は一度もないんだから。そ、そういうのはやるならやるって言って貰わなきゃ困る。俺にだって、心の準備はあるんだからな!」

 

 

脈略無く、女性に自分の指をくわえられる不意打ちを経験している男子が、この世の中でどれだけいるのか聞いてみたい。顔を直視できないほどではないがやっぱり意識もするし、人並みの恥ずかしさだってある。意識しているんだから尚更、せめて心の準備くらいはさせてほしい。

 

変な空気に当てられて若干気まずくなった二人を、静寂が包み込む。口を押さえたまま顔を逸らすナギと、顔を赤面させて人差し指で頬をポリポリと掻く俺。

 

 

「う、うぅ。舐めとけば治るっていったから、つい……」

 

「行動が随分と大胆過ぎやしませんかね!? 確かに言ったけど、びっくりするわ!」

 

 

このままうだうだやっててもキリがないな。ちょっと恥ずかしいけど、時間も無限じゃない。

 

 

「ほら、行くぞ!」

 

「ど、どこに行くの?」

 

「どこにって、昼まだ食べてねーだろ? 時間も良い時間だし食事にな。……それと、待たせちまったから特別に好きなデザートも頼んで良いぞ」

 

 

ポカンと呆気に取られた表情を浮かべるも、それがすぐに照れ隠しだと気付いたのか、クスクスと口元を押さえながら笑い声をあげる。

 

 

「笑うなって」

 

「ふふっ、ごめんごめん。ちょっと面白くなっちゃって……うん、それじゃあ行こ?」

 

「うわっ……と。そこまで引っ付かなくても良くないか? これじゃまるで────」

 

 

恋人みたいだ。

 

と呟こうとするも、その一言はナギの笑顔によって止められた。人差し指を口の前に出しながら、イタズラっぽい笑みを浮かべて、それ以上は無粋だと。

 

俺の右手を引き寄せる力がぐっと強くなる。密着する体と体、直に伝わる暖かな感触。手入れされた髪からほのかに香る女性特有の良い匂い。

 

彼女は俺に対してどのような感情を抱いてくれているのか。

 

 

『生涯を共にする伴侶を見付けたのなら、それ相応の覚悟を持ちなさい』

 

 

いつぞや俺が言われた言葉だ。

 

伴侶、伴侶か。早いとは思うけど、可能性だって十分にありえること。いつどこで、どのように出会い、そして生涯を共にするのか。そしてその相手が誰になるのかは分からない。

 

少なくとも一緒にいたいと思える相手であることは間違いない。

 

 

 

一日はまだ折り返し。

 

この後は平穏に一日が終わるように。そして少しでも良いことがありますようにと、切に願うのだった。



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○告白

 

昼を食べ終え、つかの間の平穏な時間を楽しんだ後に、今度はナギの水着を買う為に女性用の水着コーナーまで足を運んだ。

 

当たり前のことながら、女性用の水着コーナーに生まれて十五年、足を踏み入れたことすらなかった俺は、そのスケールの大きさに驚きを隠せないでいた。通常、水着は季節コーナーの一部にコーナーが増設されているものだと思っていたが、俺のイメージとは裏腹にワンフロアを全て水着だけで占領している状況。

 

俺の現実のイメージが一瞬のうちにガラガラと崩れる瞬間でもあったわけだが、俺のイメージが崩れ去ったところで買うものが変わるわけでもないし、とりあえず二人で回ってみようか、というのがお互いの結論だったわけだが……。

 

こんな女性の水着しか置いていない場所等、男一人で取り残されたら拷問以上の何物でも無い。周りには女性ばかりで、何故か今日に限って男性が近くにいない状況。周囲からは相も変わらず好奇の視線が飛び交うばかり。幸い今日は近くにナギがいるからまだ緩和されるが、ボッチにされていたらと思うとぞっとする。

 

はたから見たら女性の水着コーナーに一人男が忍び込んでうろついているだけにしか見えないだろうし、彼女の水着を一人で買いに来ました! なんて言う勇気もない。

 

 

「……」

 

 

一切役に立っていない俺がこの場にいて何をすればいいのかと、途方にくれながら柱にもたれ掛かる。一旦水着を流し見してきたいと離れ離れになるからこそ、俺にはすることがない。一緒に行こうと言われればそれに従うが、一旦一人で見て来たいと赤面しながら言われたら俺には楯突く術など無く、ただその後姿を見つめるしか無かった。

 

通り過ぎる女性客がさっきからチラチラとこちらを流し見してくるのがつらい。IS学園に入学したばかりの興味深げな視線とはまた違った感情が入り乱れていて、別のことをして気を紛らわせたくなる。

 

仕方がないから携帯を取り出して、ネットを検索しながら最新のニュースを眺めたりとか、適当なサイトにアクセスして面白いネタは無いかと、そんなくだらないことをして暇つぶしをしている現状。

 

もっと有意義なことで時間を使えよと言われれば、ごもっともな話だ。

 

 

ナギさんや、早く戻ってきてくれ……。

 

 

「あ、大和くんお待たせ。ごめんね、待ったでしょ?」

 

「いや、そんなには。良い水着は見つかったか?」

 

「うん。それなんだけど……」

 

 

戻ってきてほしい時に戻ってきてくれるナギが女神に見えた。ナギの手には買い物かごが握られていて、その中には二枚の水着が入っている。

 

 

「あれ、二着買うことにしたんだ」

 

「いや、そうじゃないの。少し前に買った水着があるから一着だけにするつもりだったんだけど、自分で選んじゃうとどうしても選びきれなくて。いつもは友達が選んでくれるんだけど、今日は大和くんに選んで貰おうかなと思ってるんだ」

 

 

元々ある選択肢の中から結構悩んで選別したんだろう、それでも決めきれずに全てを持ってきたってことは、この中から自分に合う水着を俺に選んでほしいということ。俺のセンスで果たしていいものなのかは甚だ疑問だが、参考の一つとしてくれればうれしい。

 

 

「俺の意見で本当に大丈夫かどうか不安で仕方ないけど、参考にしてくれれば」

 

「そうだよね、中々女性の水着一緒に買う機会なんてないもん。私だってさっき選んだ大和くんの水着、本当にそれでよかったのかなって未だに思ってるし」

 

 

ここだけの話。

 

即決したとは言ったものの、多少なりともナギの意見は取り入れている。流石に俺だけの独断で選ぶわけにも行かなかったし、折角だから女性であるナギの意見も取り入れて二着ほど新しい水着を購入した。にしても最近の水着って結構高いのな、お会計の際に金額聞いて若干びっくりした。

 

 

「じゃあ私ちょっと着替えてくるから」

 

「おう。じゃあ俺は待ってるから、着替え終わったら呼んでくれ」

 

 

ぱたぱたと俺の横を通り過ぎ、すぐ後ろにある更衣室へと入ってシャッターを閉める。

 

一から着替えるし、どれくらい時間が掛かるだろう。少なくとも脱いで終わりの簡単な水着じゃない。何十分もかかるものじゃないにしても、そこそこ時間が掛かるのは間違いない。

 

今回は臨海学校とはいえ水着は学校指定のものではなく、完全にプライベート水着オッケーの状態。更に言えば露出度も見えない限りは大丈夫といった、年頃の男子高校生にしてみれば中々に刺激が強いものになる。

 

つまり好きな水着を買って着てもいいといった、世の中の男子高校生及び男性が発狂して喜びそうなイベントにもなるわけだ。

 

 

「……」

 

 

頭の中を過ぎる更衣室の中を猛烈に覗きたいという煩悩を振り払い、再度携帯の待ち受け画面を開く。このやることのない時間に携帯電話を開く癖はやめたいところだ。

 

ただ最近結構な頻度で携帯が鳴る。大体はメールなんだけど、知っている子だけじゃなくてチラホラ知らない子から送られてきているメールもある。『IS学園の二年生です!』とか『今日時間空いてる?』とか、一体どこから情報が流れているのかは知らんけど、以前とは比べ物にならないレベルのメールが送られてくるのもまた事実。

 

教えているのはプライベートの方のアドレスだから大丈夫とはいえ、今の時代の拡散力には圧倒される。

 

 

「あの、大和くん。着替え終わったから見てもらっても良いかな?」

 

「ん? おう、いいぞ」

 

 

そうこうしている内にいよいよお披露目タイムだ。

 

女性のプライベート水着を見るのは何年ぶりだろう……いや、女性のプライベート水着は雑誌やニュースでは見ても、買い物とか遊びに行った海で見たとこは一切ない。普段も精々見ることがあるとすればIS学園指定の水着か、ISスーツのみ。水着っていえば水着だが、それとこれとは話が違う。

 

勝負下着なんて言葉があるが、女性にとっては友達にファッションとしてではなく、男性に見てもらう特別なものでもある。ナギ自身もそのつもりでいるのかもしれない。

 

返事をして数秒後、右から左へカーテンが開かれる。

 

 

「その……どうかな?」

 

 

恥ずかしがりながらおずおずと様子を伺うように俺を見つめてくる。

 

白い生地をベースにしたトップスにハート型の赤い斑点が随所に刺繍され、トップスとボトムにはそれぞれフリルが付いた何とも愛らしいデザインとなっている。

 

年相応の可愛らしさとでも言うのか、どちらかといえば大人らしさという雰囲気は伝わってこない。でも当然ビキニだから胸元はぐっと強調され、ナギのその……大きな胸がクローズアップされる。恥ずかしがって俺が見ると視線を横に逸らすその仕草が言葉に言い表せない程に可愛らしい。

 

あれだ、膝をちょっと曲げてぐっと前屈みになったら峡谷が見えるタイプだこれ。スタイルの良さが尚更際立ってしまい、本音を言うと誰にも見せたくない。過大評価ではなく、紛れもなく綺麗だと伝えてやりたい。

 

 

「あーうん……可愛いと思う」

 

 

全くと言っていいほど褒めきれていないし、アドバイスの欠片もない。俺の心底から沸き上がってくる言葉はそんな簡単に終わらせられるほどチープなものではないのに、いざ言うと『可愛い』とか『綺麗だ』とか『素敵だ』とか誰もが言えるような言葉ばかり。

 

お前は小学生か! と言われるのも時間の問題かもしれない。

 

だが俺の言葉に対して、嫌な表情一つ見せずニコリとほほ笑みを返して喜んでくれる。

 

 

「ありがと♪ じゃあまた別の水着に着替えてくるね」

 

 

再度シャッターを閉め、ガサガサと物色し始める。

 

いつも一緒にいたけど、制服姿、たまに部屋着や私服を見ることはあっても、水着を見たことは一度もない。そもそも名前が違うだけで土台は下着と何ら変わらないことに、今さら恥ずかしくなってくる。

 

普段着ている服は良くも悪くも、ある程度までボディラインを隠せてしまう。だからこそ完全にボディラインがはっきりと浮き出る水着は、視覚的に相当な破壊力を持っていた。

 

……改めてナギのスタイルを思い返そうとすると、鼻腔の奥から何やらムラムラと込み上げてくるものがある。無駄な肉は一切付いてないし、だからといって全部がそうではなくEカップは越えていそうなサイズに、キュッと引き締まったウェスト、そして肉付きの良いヒップ。

 

部活の都合上、毎日運動は欠かさずに行っているらしいが、もって生まれた体格というものは早々変えれるものではない。

 

はっきり言うと怒られそうだけど、エロい体つきなのは間違いなかった。俺の見た限りではクラスの中でもトップクラスに。

 

 

「大和くん、次良いかな」

 

「はい、大丈夫でございます! いつでも来てください!」

 

「き、急にかしこまっちゃってどうしたの?」

 

「いや、特に何でもないんだ、うん。ごめん忘れさせてください」

 

「???」

 

 

さらば俺の煩悩。

 

誰が何を言っても口外出来そうにない単語の数々。まとめると色々と女性が羨むようなスタイルをしてるってのは間違いない。話の内容が全く掴めないナギはカーテン越しに顔を覗かせ、首を傾げるしかなかった。

 

 

「そ、それより次の水着は?」

 

「あ、そうだったね。えーっと、これなんだけど、どう?」

 

「お、おぉ……」

 

 

可愛らしさの中に潜む色気。

 

先ほどとは雰囲気は真逆で、可愛らしいと表現するよりかは綺麗で大人びていた。黒色の水着は一見、ナギとは正反対の色に思えるがむしろそのギャップがかえって、大人の色気を醸し出している。

 

大人っぽくあろうと背伸びしている感じではなく、自然に体と同化した一つの芸術。道行く男性のほとんどが振り向くであろう美貌。こんな子が俺の側にずっと居たのかと思うと、自身の立場が如何に恵まれていたのかを再認識出来る。

 

 

「いつもと違って大人っぽいと思う」

 

「ホント? 良かった。似合わないって言われたらどうしようかと思って……」

 

「似合わないわけないだろ。お前に似合わない水着があるなら俺が教えて欲しいくらいだ」

 

「大袈裟だよ……でもありがと、仮にお世辞だったとしても凄く嬉しい♪」

 

 

満足そうな笑みを浮かべながら更衣室のカーテンを閉める。俺のアドバイスが参考になってくれれば良い。とはいえ参考になるとは言いがたいし、最終的にはナギの判断に委ねることになる。

 

 

「……はっ!? いかんいかん!」

 

 

水着姿は二着とも、きっちりと脳内保管されているらしい。少し目を瞑ると、鮮明なまでに二着の水着が浮かんでくる。同時に肉付きも良く、引き締まったナギのスタイルまで。

 

結局試着した二枚ともナギは買うことになった。理由はどこかの誰かさんが鼻の下を伸ばしてくれたからとのこと。誰なのか言及まではしなかったが、シチュエーションからすぐに分かる。

 

それからしばらくの間、変に想像をしてはナギに突っ込まれるを繰り返すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ一日は始まったばかりだーなんて言ってたけど、本当にあっという間だったな」

 

 

日が若干暮れ始めている。

 

初夏ということもありまだまだ周囲は明るいが、オレンジ色に染まった太陽が二人を照らし、影となって地面に写し出す。朝のうちは混み合っていた沿道もピークを過ぎ、所々に隙間がみられるようになり、随分と歩きやすくなった。

 

午前中の約束通り、俺たちはテーマパークへと立ち寄った。ここも午前中に比べれば人は減っていて、入場する俺たちに向かってくるような人ばかり。既にアトラクションを終え、十分に楽しんだことだろう。

 

ガヤガヤとした喧騒はそこには無く、テーマパークとはかけ離れた静かな雰囲気が漂っていた。

 

 

「そうだね。前ってこんな早かった?」

 

「んーどうだろ? 服を見てお昼を食べて。んで確かその後は……」

 

「そ、その後は思い出さなくて良いよ!」

 

 

頬を膨らめ、そこから先は思い出しちゃダメ! と言わんばかりに口を塞ごうとする。急にどうしたと、ナギの言動が初めのうちこそ理解出来なかったが、そういえばナギにとっては思い出したくないようなことがあったなと思い出すと、自然と笑みが溢れる。

 

初めて本心をぶつけてくれたあの日。俺にとって彼女がかけがえのない大切な存在だと再認識させてくれた日。脅威から守ったあの子を初めて異性として認識し、好意を抱き始めたきっかけになった日でもある。

 

 

「こ、こら。あまり押すなよ! それに思い出すなって言われても無理だって!」

 

「じゃあそこだけ記憶を上手く切り取って!」

 

「んなこと出来るかっ!!」

 

 

最近明確に変わったのは俺だけじゃなくて、ナギもそうだ。初めて会ってから常に一歩引いた立ち位置なのは変わらなくても、笑顔をよく見せてくれるようになった。

 

良くも悪くも大人しい子で人見知りな感じは否めなかったのに、あの一件から印象は大きく変わった。

 

 

"自分の思ったことを素直に伝えられる子"

 

"人が傷つくところを見たくない子"

 

"誰よりも俺の身を案じてくれた子"

 

 

あげていけばキリがない。良いところなんて、探そうと思えばいくらでも見つけられる。入学して間もなく彼女がぼやいていたこと。

 

『何か特別なことが出来る訳でもなければ、選ばれた存在でもない』

 

周りのレベルを見て愕然としたのかもしれない。有名私立の何十倍を誇る倍率のIS学園。毎年数多くの女性が試験を受けるも、その大多数は実技試験を受けることなく涙を飲んでいる。

 

その中での合格ともなれば、十分に胸を張って良い。だが彼女には嬉しさの中に大きな劣等感があった。本当に私がここにいて良いのかと。蓋を開けてみれば勉強についていけない訳でもなければ、友達が出来ない訳でもない。

 

ただ、心の奥底に潜む劣等感や不安は拭い去れないままでいた。

 

 

「……? な、何だよその得意気な眼差しは?」

 

「大和くんも私に言ってくれたよね『お前に泣かれると、俺が困るんだよ』だったっけ?」

 

「ぐはっ!? お前それはずるい!」

 

 

今となっては昔話のように思える。

 

もちろん内に秘めた思いはあるだろうけど、初めて会った時の負の感情はほとんど無い。

 

初めてデートに行った時、ナギを慰める時に無意識に言った台詞を掘り返され、悶絶するような恥ずかしさに包まれる。これも最近までは考えられなかったこと、相手が楯無ならまだしもこれがナギだなんて信じられるか?

 

してやったりとばかりに満面の笑みを浮かべ、やがてそれはクスクスと笑い声に変わる。

 

 

「あははっ♪ やっと大和くん、ちゃんと笑ってくれた」

 

「ちゃんと笑う? 一体何の……」

 

 

今日一日で笑った回数は何回かあるし、個人的にはちゃんと笑っていたはず。ナギに俺の姿は一日どのように映っていたのか。言葉の意味から一日中苦笑いか、愛想笑いしかしてないようにも見える。

 

 

「だって今日ずっと険しい顔してたから、何かあったのかなって」

 

「あ……」

 

 

言われてみれば、と自身の一日の行動を振り返る。朝、後ろを何者かにつけられていると察知してから今まで、緊張の糸を切らしていなかった。無意識の内に緊張が表情に出て、眉間にシワを寄せたような険しい顔つきになっていたかもしれない。

 

つまり、それだけ俺に余裕が無かったことになる。

 

特に気掛かりなのは最後に出会ったあの男……正直二度と会いたくないが、これから先、俺たちの前に必ず立ちふさがるような気がしてなら無い。

 

だからあの時、千冬さんに仕事のことばかり考えるなと釘を刺されたと考えれば納得が行く。

 

 

「そうかもしれない、でももう大丈夫。散々ナギにからかわれたし」

 

「大袈裟だよ……そういえばこの後どうするの? 今から回るにも時間が足りないし、全部乗り切れないと思うんだけど」

 

「あぁ、いや。ここに来た目的ってアトラクションを回るんじゃなくて、少し落ち着ける場所を確保したかったからなんだよ」

 

「落ち着ける場所?」

 

「うん。ほら、後ろにあるアレ」

 

 

ナギが振り向く先にあるのは一際大きな存在感を放つ、円型の搭乗物。先端にくくりつけられた円型の個室が、ぐるぐると時計回りに回っている状況を見れば俺がこれから乗ろうとしているものが何なのかは想像に容易い。

 

"観覧車"

 

一つの部屋に三人から四人で搭乗し、時計回りに空の散歩をするテーマパークの人気アトラクションの一つ。通常、夕方になればなるほど人が少なくなるジェットコースターやお化け屋敷と違い、観覧車は暗くなってからの方が待ちが多くなる。

 

理由は二人きりになれる唯一の個室でもあるからだ。周囲は鋼鉄の壁に覆われており、中を無理矢理覗こうとするならヘリコプターでもチャーターするしかないし、ヘリが近づこうものならたちまち取締の対象にもなる。自身の肉体を使って物理的に登ったとしても、目的の個室にたどり着くまでに相当時間が掛かる上に、到底無事に辿り着けるとも思えない。

 

だからこそ誰にも邪魔をされない。限られた二人だけの空間になる。

 

何故ここを最後に選んだのか、理由は特に無い。

 

前に来たときは改装中で気にも止めなかったし、偶々教えてくれたクラスメートがいなければ立ち寄ることもなかった。本当それだけだが、今思えば好都合かもしれない。

 

強いて理由を言うなら、単に立ち寄りたくなったから。

 

 

「なんでも、日本で三番目に高い観覧車とかで結構有名らしい」

 

「日本で三番目って中途半端だね……凄いのかどうなのかよく分からないよ」

 

「取って付けた感が否めないけど、それで売り出してるくらいなんだからそこそこ有名なんだろ。とりあえず乗ってみようぜ、感想はそれからでも遅くない」

 

 

こくりと小さく頷いたことを確認し、観覧車の搭乗口へと向かう。

 

 

 

 

 

夕方過ぎ、今から乗ればちょうど街を照らす夕日を一望できる時間と重なる。幸い、早めに行動をしたお陰で人はあまり並んでいない。この調子なら後数分もすれば、自分たちの番が回ってくる。

 

そこから俺とナギの間に会話は一つと無かった。互いが何を考えているのか、以心伝心で伝わっているように。話すべきではない。

 

打ち合わせをしたわけではない。互いの本能が勝手に悟ったのだ。二人だけの時間はこうも雰囲気が変わるものなのか、あまりの変わりように内心驚きを隠せないでいる。

 

気まずい沈黙ではなく、意図的な沈黙を感じたことはない。無理に話し出すこともない、ひたすら目の前の光景を、景色を、楽しむためだけに与えられた貴重で、僅かな時間をどう使うか。

 

誘導員に促されるまま、観覧車へと乗り込む。

前の席にはナギが、そしてナギの前の席には俺が座る。レストランなどの向かい合うような形ではなく、机一つ無い場所で対面したことはない。

 

どう反応すれば良いのか分からずに、窓の外へと視線を向ける。

 

 

「……」

 

 

窓の外には街の景色を夏の夕焼けが照らし、何とも幻想的な光景が広がっている。広がる街並みを改めて見てみると、片手を広げて握ろうと思えば握れてしまうほどに、小さく狭いもの。

 

全てを実寸大で記録しようとするならカメラでも収めきれないというのに、観覧車から見れば写真一つで収まってしまう。これだけ大きな街が小さく見えるのなら、俺たちはどれだけ小さいのか。

 

ゆっくりと時計回りに回っていくこの観覧車も、十数分もすれば一周する。そして一周すれば一日が終わる。そう思うと果てしないほどの寂しさに苛まれる。

 

まだ終わりたくない、終わらせたくない。二人だけの時間が残り分刻みとなるだけで、居てもたってもいられなくなるというのに、体は行動しようとしない。

 

 

「……今日はありがとね。私のワガママに付き合ってくれて」

 

 

観覧車内に蔓延する沈黙の中、不意にナギが静寂を破る。ワガママなんてとんでもない、感謝するのは俺の方だ。

 

 

「こちらこそ。お陰で有意義な一日を過ごせたし、俺の方が感謝してもしきれないよ」

 

 

切り出してくれたことで話題が出来、俺からも感謝の言葉を告げる。

 

買い物に誘ってくれたのはタッグトーナメントが中止になったすぐ後のこと。あの時もナギから出掛けようと誘ってくれた。

 

……思い返すと俺から誘ったことが一度もない。クラス対抗トーナメントの時、今日、全部ナギからの誘いしかない。流れるままについていく。それも悪くはない。

 

ただ、完全におんぶにだっこ状態なのは話は別になってくる。人との付き合いすらまともに出来ていないことに、若干の自己嫌悪さえある。

 

 

 

────いや、若干どころの話じゃない。

 

どうして俺は彼女の内心に気付いてあげれない無いんだろう。

 

どうして自身の感情を隠し、常に仕事の感情で自分の欲望を上塗りしてしまうのだろう。

 

何故彼女は俺を買い物に誘ってくれるのだろう。

 

どうして俺だけのために弁当を作ってきてくれたのだろう。

 

 

答えなど、すぐ目の前にある。なのに自分が好きだという感情を隠し、あまつさえ人の恋愛がどうだと首を突っ込む。最低な人間だ俺、人にとやかく言う権利なんか何一つ持ち合わせていないのに。

 

そう考えれば恋愛感情を持たない一夏の方が数倍優しい。好意を持たれてなくてがっかりはしても、彼女たちは何としてでも一夏を振り向かせてやろうと奮起するから。

 

 

なら、俺のやっていることはどうだ?

 

ナギの想いを分かっているのに応えず、遡れば楯無の好意すら俺は無下にしている。とても褒めれたものでもなければ、一般的な思考の持ち主であればゲスの極みだと言われても、言い返せるものではない。

 

 

今重要なことは自身の感情を誤魔化すことでもなく、相手を巻き込みたくないからと予防線を張ることでもない。

 

 

 

"俺が彼女たちのことをどう思い、どうしたいのか"

 

 

それをはっきりと伝えることだ。

 

 

「……大和くん。私ね、大和くんに伝えないといけないことがあるの」

 

「俺に?」

 

「うん。ちょうど時間も良いし、ここなら良いかなと思って……隣、行っても良いよね?」

 

 

俺が切り出す前にナギから切り出されてしまい、再びタイミングを失う。切り出された手前、先に伝えるわけにもいかずに、要望通りに俺の横へと座ってもらう。

 

 

「私、元々男性って苦手だったんだ」

 

 

ナギの口から発せられる意外な事実。

 

異性と話慣れていないのはすぐに分かったけど、男性が苦手だと本人の口から語られるのは初めて。突然の告白に肩越しに姿を見つめる。視線は前を向いたまま、物思いに更けるように淡々とした口調で語り続けていく。

 

その姿は普段のナギとは比べ物にならないほど落ち着いていて、話に心から吸い込まれそうになった。

 

 

「嫌いって訳じゃないの。私、元々女子校に居たから男性との付き合いがなかったっていうのもあったんだけど、丁度一年くらい前かな? 私の学校の子がストーカーにあってて……」

 

 

とても嘘を言っているようには思えない。ストーカーにあったり、身近な人が被害に遭えば、男性が恐怖の対象に見えても不思議はない。

 

 

「大事には至らなかったんだけど、どうしても染み付いたイメージは拭えなかった」

 

 

当事者でないことからトラウマにはならなくても、男性のイメージはそこで固まってしまう。染み付いたイメージを変えるのには、相当苦労をしたんだと思う。

 

 

「……でもね、ある人と出会えて全員が悪い人じゃないって分かった。その人は私の男性に対する全ての認識を変えてくれた」

 

 

彼女の男性に対するネガティブなイメージを払拭した人がいる。

 

存在一つで人を変えることが出来る。

 

簡単に見えて、中々出来るようなことではないし、相手の行動に気を配り、細かな動作も見逃さないようにしなければ無理だ。

 

彼女に多大なる影響を与えたその人が羨ましい。彼女を何度も裏切り、危険な目に合わせてしまった俺と比較するとむなしくなってくる。

 

ため息が出そうになるのをぐっと堪え、続きを聞こうとする。

 

……。

 

だが俺の思惑とは別に、その一言を境にピタリと会話が途切れてしまう。まさか急に会話が途切れるとは思っていなかった俺は、こちらから切り出して良いものかどうか聞くわけにも行かず、黙りを決め込むしかない。

 

 

「……っ!?」

 

 

不意に椅子に乗せていた手の上に、ナギの手が乗せられる。それと同時に俺の肩にふわりと頭を預けてきた。彼女の本心を汲み取ることは出来なかったが、不思議と嫌な感じはない。

 

 

「もう、まだ気付かないの?」

 

 

言葉の意味が分からない。だって今は自身を変えてくれた人のことを。

 

 

「―――私のことを変えてくれたのは大和くんなんだよ?」

 

「え?」

 

「じゃなきゃ……わざわざこんなところで言わない……」

 

 

手を握りしめる力が一層強くなる。

 

言葉の一つ一つにはっきりと込められるナギの気持ちが、俺の鼓動を高めていく。

 

そこにあるのは恥ずかしさではなく嬉しさ。俺の存在が考え方を変えたのだと思うと、それだけ彼女の中で大きな存在になっていたことになる。

 

 

「俺は……助けられてばかりだ」

 

「どうしてそう思うの?」

 

「俺も皆が思っているほど出来る人間じゃない。嫌なことがあれば怒ることもあるし、分からないことがあれば誰かを頼り、助けを求めることもある。今の俺があるのは自分の信念だけじゃない。誰かがいるからこそ、こうして前を向いていれるんだ」

 

 

前にも言ったように、俺は決して強い人間ではない。

 

誰かが居てくれないと自身を制御出来ないほどの弱い人間だ。ここ最近だけで千尋姉、楯無、ナギと複数人の女性に迷惑を掛けて助けられてきた。

 

弱いだけじゃない、答えをうやむやにしていることを考えれば、本当に酷いことをしている。

 

楯無然り、ナギ然り。

 

直接的、間接的ではあれど、二人の想いを受け止めている上に気付いている。そこに対して俺は一切答えを返さず、ただ黙りを決め込んだまま。

 

答えれば楽になるかもしれない。

 

しかし、二人から同時に想いを寄せられるということは、どちらか一人を選んだ段階で、もう一人を切り捨てることになる。恋愛ではそれが当たり前のことなのに、答えてやるだけの度胸もなければ、周りに流されるまま、優柔不断な行動を繰り返してしまっている。

 

誰がどう見ても、個人的な見解で二人に何も言わず放置をすることが、人としてどれだけ最低なことかは分かっている。どうして一言、待って欲しいの一言を楯無に言えなかったのか。それが悔やんでも悔やみきれない。

 

二人とも魅力的な女性だし、もし俺が居なかったとしても素敵な相手を見つけて、上手くやっていける未来が容易に想像出来……ない。今の状態で、そんな無責任を言うことなんて、出来るわけがない。

 

俺はそんなことをしたいんじゃない。こんな下らない御託を並べるためだけに、観覧車なんて乗り込んだわけじゃない。

 

 

「なぁ……俺からも一つ言っても良いか」

 

 

今は何よりもナギの本心を聞きたい。だからこそ、俺は彼女に伝える。

 

他の誰のものでもない、(霧夜大和)としての本心を。

 

 

 

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「────俺……ナギのことが好きだ」

 

 



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○伝える想い、伝わる想い

 

 

 

「────俺……ナギのことが好きだ」

 

 

自分の想いを、心の奥底の本心を、言葉に乗せて精一杯伝える。不器用で不格好で……女心なんて全く気にも止めなかった男の一言をどう受け止めるかは、彼女次第にもなる。

 

胸の高まりは依然として変わらないというのに、思考だけは嫌なくらい落ち着いていた。言うことは言った、後はどうとでもなれ。仮にこれで玉砕しようとも、一切後悔することなどないだろう。

 

 

「ふぇ……?」

 

 

小さく、か細い声を漏らすのが聞こえる。その声からは言ったことを把握しきれず、頭の中がショートし掛けているように見えた。

 

目線の先にはナギの顔がある。くりっとした大きめな瞳に、整った鼻。瑞々しく、柔らかそうな唇にはうっすらと口紅が塗られていることに今更ながら気付く。これだけの間近な距離で見てみると、改めて女性としての色っぽさを感じることが出来た。

 

 

「う、嘘。だって……」

 

 

信じられないといった表情のまま、視線を四方八方にさ迷わせる。

 

 

「どうした?」

 

「だって、大和くんは楯無さんのことが……」

 

 

消え入りそうな声で呟く『楯無』の二文字。

 

どうしてこのタイミングで楯無の名前が出てくるのかは、容易に想像出来る。ナギの中で俺が楯無に対して好意を寄せていたと思っていたから。

 

ここ最近は無かったが、以前は人のジャージを借りて部屋に泊まったり、ピッキングで勝手に侵入したりと悪い意味で目立つ行動も多く、端から見れば既に付き合っている恋人同士のようにも見えたのかもしれない。

 

だがそれは一般生徒に知られることはなく、知っているのはたった一人。運悪く俺を迎えに来た時に、部屋に泊まっていた楯無の出迎えを受け、俺と楯無が付き合っているものと勘違いした。またはそこまでは行かなくとも、俺が楯無に好意を抱いて密かに狙っていたと括られたか。

 

確かに楯無のことは嫌いじゃないし、好きか嫌いかと言われれば間違いなく好きだ。

 

俺にとって守ってやりたいと思える、大切な人間であることも否定しない。だが、それは本当に異性として、かつ本心から好きと言えるかと問われれば、肯定は出来ない。

 

二人とも魅力的な大切な存在なのは変わらない。だが心の底から断定して好きだと、一緒に居たいと思える人間は一人だけ。

 

 

「楯無のことは確かに好きだし、大切な存在だよ。そこは否定しない、でも好きの意味合いが違う。上手く言えないけど、俺の中で良い友達というか……」

 

「……」

 

「だから、さ。もう一度言うよ。自分の気持ちに嘘はつかない。俺はナギのことが好きだ」

 

 

口元を両手で覆い、俺の方をただ呆然と見つめる。

 

やがて顔を覆う両手を退かしたかと思うと、目元に涙をためながら出来る限りの笑顔を浮かべた。そんなナギの姿がたまらなく愛おしくなり、自然と両腕を伸ばす。こんな時男はどうすればいいのか、何一つ分からないが背中へと腕を回し、そのか弱い体を優しく抱き寄せる。

 

答えを告げられていないというのに、抱き寄せるだなんて何を考えているのだろう。腕の中にすっぽりと収まったナギの体。抱き寄せられたナギも顔を横向きにしたまま、左耳を丁度心臓辺りに来るように調節し、両腕を俺の上半身へと回した。

 

直に心臓の音を聞かれるのがすごく恥ずかしいはずなのに、今だけは心地よく思えた。

 

 

「……ズルいよ、本当に」

 

「何が?」

 

「全部だよぅ……私が、私が言おうとしていたことを全部先にいっちゃうなんて」

 

 

どこか拗ねたようなナギの口調。更に言葉を続けていく。

 

 

「私、諦めてた。絶対に私なんか釣り合わないって」

 

「そんなことない。むしろ俺の方が……」

 

 

釣り合うはずがない。

 

霧夜家当主、男性操縦者という点を除けば、俺だって普通の人間と何ら変わらない。いくら男性が苦手とはいえ、これだけ分け隔てなく接してくれて、気落ちしている時はフォローに入ってくれる。

 

嘘一つない素直さ、誰にでも優しく、思いやりを持てる女の子。この世の中で果たして何人いることだろう。

 

 

「実はね。タッグトーナメントの前に楯無さんに会ったの」

 

「楯無に?」

 

「特に深いことを話してないんだけど、どれだけアドバンテージがあろうとも、私は負けないからって。最初は何のことか分からなかったけど、大和くんのことだってすぐに分かった」

 

「……」

 

 

その話は俺の耳に入っていない、当事者のナギと楯無の二人しか知り得ないこと。

 

どんな不利な状況下であれ、絶対に諦めないという固い意志、つまりは宣戦布告。同時に隙あらば、いつでも奪い取るからと暗黙の挑発の念も込められている。楯無らしいといえば楯無らしい。

 

思わぬ事実に、苦笑いを浮かべるしかない。

 

 

「今でも思うの、誰か一人と一緒になることで誰か一人が不幸になるなら、皆一緒で良いって」

 

「え?」

 

 

さらっと呟くナギの言葉に、抱き寄せた俺の体は固まる。女性誰もが……というわけではないが、相手には自分だけを見て欲しいと思うのが普通。人の恋路に第三者の介入など許されるはずもなく、二人以上になってくると一般的に浮気だとか、不倫といった扱いになる。

 

日本の法律では一人の夫に対して、一人の妻。一夫多妻は認められていない。

 

 

「もちろん二人きりの時は私だけを見て欲しいって思いはあるよ。けど一番でも二番でも良いから、私のことを好きでいて欲しい、愛して欲しい」

 

「ナギ……」

 

「私だけが幸せになって、他の人が知らないところで傷付くなんて、そんなのやだよ……」

 

 

どちらが正解なのかは今の俺には分からない。ナギにとってはそれが理想論。

 

外的なものであれ内的なものであれ、誰かが傷つくのは見たくない。仮に恋人同士になったとしても、誰かが介入してきても大丈夫だと言っている。だが今のところその案に賛成することは出来ない。ナギの言い分も良くわかる。

 

楯無のことを意味しているだと思う。どんなケースでも相手を気遣えるのは、彼女なりの優しさだろう。だが俺と楯無間の問題は、ナギが介入するべきものじゃない。

 

当人間で解決すべき問題だ。

 

 

 

 

 

 

「……でもね」

 

「ん?」

 

「私が大和くんのことを好きな気持ちは変わらない。今までも、これからも」

 

「そっか」

 

「大好きだよ、大和くん」

 

 

再度ナギの口から発せられた言葉は、先ほどまでとは真逆の告白に対する返答。不意な返しに収まったはずの胸の高鳴りが大きくなってくる。

 

胸元に顔を埋めていたナギが上を向く。

 

目と目が合う、こうも自然に互いの眼差しが重なりあったことは未だかつて無かった。心通わす……そんな言葉があるように、俺はナギの、ナギは俺の気持ちを悟ったかのように視線を外せなくなる。

 

普段なら恥ずかしがって視線を外すのに、一時も視線を外すことはない。

 

カタカタと観覧車が回る音が聞こえるだけで、周囲の音はそれ以外何も入ってこない。どれくらい回ったのだろうか、今となってはどうでも良いこと。

 

誰も見ていない完全な密室、この場には俺とナギ以外の人間は誰一人入ってこれない。

 

もう一度彼女に言葉を伝えるべく、抱き締める力を強める。身長差がある分、ナギが上目遣いになる。そんな彼女と少しでも視線を合わせる為に、オデコとオデコを触れ合わせる。こつりと痛くないように優しく合わせると共に、ナギが目を若干細めた。

 

二人の距離はほとんどゼロに近い。額から伝わってくる温度は、普段よりも高く感じた。あと数センチ近付けば触れあってしまう唇、ナギの口から漏れてくる甘い吐息が顔に当たる。沸き上がってくる衝動をぐっと堪え、言葉を続けた。

 

 

「……これから楽しいこともあれば、楽しいこと以上に辛いこともあると思う。時には悲しませることもあるかもしれない。それでも俺はお前のことが好きだ」

 

「……うん♪」

 

 

俺の言葉にはにかむナギの姿。

 

もう言葉は要らなかった。

 

何一つ負の感情が込められていない瞳。信じ、慕い、敬愛する。彼女を眺めているだけで中に渦巻く黒い感情は全て消え去り、代わりにどうしようもないほどの愛しさが込み上げてくる。

 

おもむろに目を閉じるナギ。これからどうするのか、何を期待しているのか。それを理解出来ないほど、俺の脳内は退化していない。

 

これだけ俺のことを想い、好いてくれる子。目の前の行動を無下にすることは出来ない。

 

抱き締めていた両手をほどき、両肩を優しく掴む。

 

 

「あっ……」

 

 

ほのかに彼女の声が漏れる。ピクリと体を震わすその仕草は期待している部分もある反面、緊張と不安で一杯なんだろう。

 

全く裏の世界など知らない子を選んだのだから、相応の覚悟を持たなければならない。俺もナギに伝えていかなければならないし、ナギにも飲み込んでもらう。

 

仕事だ家柄だと、そんな小さな事情だけで彼女を振れるほど、俺の想いも弱くない。

 

目を閉じて唇を突き出すナギに吸い寄せられるように、自身のそれを近付けていく。

 

 

これからのことはどうしよう。いや、今から後のことを気にしたところで仕方ない。なるようになる、そう前向きにポジティブに考えられるのは恋のお陰かもしれない。

 

誰の介入もないのなら、乗っている間は二人だけの時間だ。誰にも邪魔されず、介入されず。今だけは……この十数分だけはナギだけの俺になろう。

 

唇と唇の距離は残り数センチ。

 

彼女の顔が視線一杯に広がる。トリートメントをしたばかりのようにサラサラな髪、誰もが見ても振り返るような整った顔立ち、ナチュラルメイクが、より大人っぽさを際立たせている。そして瑞々しく柔らかそうな唇。口から漏れる甘い吐息が俺の理性を刺激し、ナギ以外の全ての景色を俺の視界から消し去る。

 

唇が触れ合う瞬間、俺もゆっくりと目を閉じ────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はーい、終了です! お疲れ様でしたー!」

 

 

長いようで短かった観覧車による空中旅行は終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

「おかえりなさい。随分と早いお帰りね」

 

「あ? お前が偵察だけにしろって言ったんだろ。胸糞わりぃ、あそこでアイツを仕留めておけば事は楽に進んだものを……」

 

 

とあるホテルの一室のような部屋で行われるやり取り。

 

不機嫌さを微塵も隠そうとしない人物は、先ほど大和の前に姿を現した男であり、丁寧口調な女性に対して敵意を剥き出しにしたまま、上着を乱雑にソファーへと投げつける。

 

敵前逃亡が彼の癪に障ったようで、行き場の無い怒りをどこにぶつければ良いのか分からず顔を歪めた。雰囲気やオーラからして高いプライドを持っている、それも誰にも負けないといった絶対的なプライドが。仮に彼が負けたことがないともなれば、戦いもせずに敵の前から去るのはあり得ない話。仕事とはいえ、自身のプライドを押し殺した形になる。

 

だが彼はそんな些細なことでも、我慢出来るほど沸点が高い訳ではなく、事あるごとにキレてしまう短気さを抱えているようにも見える。

 

男の吐き捨てるような言葉に対し、女性はあくまでいつもの調子を崩さないまま冷静に言葉を伝えていく。

 

 

「貴方の言い分は分かる。でも、現段階では情報があまりにも少なすぎる。素人同然とはいえ、複数人を相手にしてあっさりと無力化しているところを見ると、実力は計り知れないわ」

 

「買いかぶりすぎだろ? 生身が強かろうが最終的に勝った奴が強いにきまってる。その仮定なんて俺にとっちゃどーでもいい」

 

 

情報が少ない上に、実力が高い水準にあれば手は出し辛い。大和の実力を見越しての発言だったにも関わらず、頑として自身の意見を曲げようとしない。

 

どのような仮定であれ、最終的に勝った奴が強いと豪語をする。面倒くさそうに頭をかきながら、ポケットからタバコを取り出して火を付けた。煙を吸い込むと同時にタバコの半分が灰となり、灰皿へと溢れ落ちる。その様子を眺めながら忌々しげに舌打ちをした。

 

 

「チッ……」

 

 

周りのことは一切気にしない自己中心的な考え方らしい。我が強いことは悪いことではないが、団体行動においては致命的な欠陥とも言える。

 

その場しのぎのチームだったにしても、元からこれでは取り付く島もない。

 

 

「ハァ、扱いに困るわ。この手のタイプは皆こんな感じなのかしら?」

 

 

鬱陶しいと思うのは男性だけではなく、女性の方も同じ。言い方こそ優しくても、彼女の中に渦巻くどす黒い感情は隠せない。

 

年齢こそ女性の方が上だろう。

 

何時間も掛けて手入れしたような癖のある金髪を纏い、人を魅了するであろう得意げな真紅の瞳は、雰囲気も相極まって大人の色気を感じさせる。端正だけでは言い表せないほどの、三次元離れした顔立ち。

 

誰もが目線を向けるであろう迫力あるプロポーションに、赤い水着のようなドレスを着る姿は、どこかの王妃を思わせる。年齢は二十代後半か、はたまた三十代か、四十代か。外見だけでは判断がつかない妙な雰囲気がある。

 

今の一言が気になったらしく、彼女の悪態にピクリと反応をする。

 

 

「おい、今の一言はどういう意味だ」

 

「言葉通りの意味。言ったはずよ、相手を見誤るなと。あの男、織斑一夏を守るために派遣された護衛人らしいけど、数々の噂があるわ……その噂の多くは私たちにとって良いものじゃない」

 

「はぁ? スコールともあろう人間が、んな根も葉も無い噂を信じんのか? 馬鹿馬鹿しい!」

 

 

これ以上考える必要もないと、吸っている途中のタバコを灰皿に力強く押し付け、ソファーから立ち上がり部屋の外へと出ていく。

 

 

「どこへ?」

 

「どこでも良いだろ! 散歩くれぇさせろや!」

 

 

語気を荒げながら力一杯に部屋の扉を閉める。バタンという大きな衝撃音ともに部屋に振動が走ると同時に、何事もなかったかのような静寂が訪れた。

 

スコールと呼ばれた女性は部屋に自身以外誰も居なくなったことを確認すると、大きなため息を一つつき足を組み直す。

 

 

「元々分かっていたとはいえ、あれはきついわね……実力があったとしても、とても一緒に居ようとは思えないわ」

 

 

口から出てくる偽りの無い言葉の全てが、彼女の本心全てを物語っていた。彼女もどちらかと言えば男性を見下すような立場にいるのかもしれない、だがそれを直接言わないのは性格か、それとも言い返す気力が無いほどにあきれているのか。

 

いずれにしてもろくな理由じゃない。

 

 

「百歩譲って()()と同種なら我慢はするけど、何とかならないものかしら」

 

 

彼女も管理する身ともなれば、頭を抱え、悩ますことも多い。今後あの男が自分の下に紐づくことを考えると頭が痛くてたまらないことだろう。

 

それより何より一癖も二癖もありそうな人間ともなれば、自分の言うことを全く聞かない、取り合おうとしないことなんてザラだ。現状のまま進んでしまえば、大きな衝突は免れない。更に凶暴な性格ともなれば尚更、女性優位の世の中であれだけ楯突けるのだから、タチが悪い。

 

 

 

 

男が出ていったのと入れ違いに、今度は別の女性が部屋に入ってくる。

 

 

「スコール、今戻っ……あの男は?」

 

「おかえりなさい、オータム。ついさっき外に出て行ったわ」

 

 

部屋に入ってきたオータムと呼ばれる女性、男が居ないかどうかをスコールに確認したとたん、表情を一変させる。

 

「ふん! 一緒の空間に居るだけでも空気が淀む! あの男、自分が偶々I()S()()()()()()からって良い気になりやがって。すぐにでも潰したいくらいだ!」

 

 

彼の味方はこの場にはいないらしい。だがそれ以上にオータムの口から驚愕の事実が汲み取れた。

 

"ISを動かせる"

 

男性でこの事実が確認できるのは二人のみ、彼女の言うことが本当であれば三人目の男性操縦者の発見となる。どうみても二人の輪の中には混じれていない男性が、どうして彼女たちと行動を共にし、またそれを彼女たちも我慢をしているのか。

 

ISを動かせる人間ともなれば納得行く。男性操縦者ともなれば各国が喉から手が出るほどに欲しい存在でもある。一方で一部の女性からはその存在を危惧し、排除しようとする人間もいる。

 

二人の口ぶりから見て、協力の関係にあることは分かるが信頼関係は一切無い。力を持つからという理由だけで、共に行動をしているだけに過ぎない。

 

だからこそ彼の存在が無ければ悪態もつくし、罵声も飛び交う。

 

 

「あなたの気持ちはよく分かるわ。それでも目的を達成させるためには、あの男の力がどうしても必要なの。それは分かってちょうだい」

 

「それは分かるけど! どうしてあんな奴を引き入れたんだ!? 他にも人選はあるだろう!」

 

「本当ならあんなのを引き入れるつもりは無かったわよ、でもこちらの事情も分かって頂戴。貴方に辛い思いをさせているのは分かる。決して貴方を無下にはしないわ……」

 

「スコール……!」

 

 

目を輝かせながら近くまで歩み寄ると、スコールはその体を優しく包み込む。抱き寄せながらも、彼女の視線は先程男が出ていった方向を目を細めながら見つめる。

 

 

(私たちの野望のためにはまだピースが足りない。だからこそ、今はわがままを言っている場合じゃない。それでも足りないピースはもう少しで揃う。その時までの辛抱よ……)

 

 

彼女の思惑の意味を理解出来る人間など居ない。だがたった一つはっきりしていることと言えば、彼女たちの存在は一夏や大和にとって脅かす存在になりうることか。

 

会話の内容から察するに、一夏や大和を影から狙っているのは彼女たち。ただ、一番最初に矛先を向けてきた女性権利団体もまた、一夏や大和にとって脅威の存在になるだろう。

 

 

(会える日が楽しみだわ)

 

 

スコールは考えることをやめ、オータムとともに奥の寝室へと姿を消していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 

日は暮れ、既に時間は七時過ぎ。

 

並木道を煌々と照らす街灯。

 

夜風が周囲の草木を揺らし、夜独特の雰囲気を醸し出す。そんな静まった夜を二人きりで歩くのも中々に興味深い。

 

互いの両手には幾つかの買い物袋、そして持ち切れなかった商品に関しては後日寮へと送るように手配済み。やることもやったし、後はもう帰るだけ。門限は問題が無いけど、この時間からだと食堂はしまっている。故に夕飯を食堂で取ることが出来ない。

 

何を作ろうか……などとレシピを考えながら歩くも、想像が膨らまずにあーでもないこーでもないと頭を悩ませるだけ。

 

 

二人揃って無言なのは色々と理由があった。それでも握り締める手は決して離さぬように握っている。手を握ろうと声を掛けたわけでもなく、いつの間にか互いが同じ考えになり、自然と握りあっていた。

 

観覧車内での出来事は片時も忘れない。言っちゃなんだが、寸前のところで茶々が入り、それ以来ずっとこんな感じの雰囲気になってる。手こそ繋ぐも、互いの顔は明後日の方向を向いたままで、会話らしい会話が一つもない。現地を出て、モノレールに乗って最寄りにつくまで結構な時間があったにも関わらず、喋ったのは一言二言のみ。

 

観覧車での話題には一切触れないまま、今に至る。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

沈黙。

 

余りにも分かりやすいこの状況に話し出すことも出来ない。悪いわけじゃないにも関わらず、話すことが出来ないのはどうしてなんだろう。きっかけさえあればと話題を探そうとするも、すぐに見つかるのであればこんな苦労はしない。

 

あと少しで一日が終わる。寮まで数百メートルの道を一歩一歩、思い出を踏みしめるように歩く。

 

残り数分で終わる一日を終わらせたくなくて、わざとゆっくりと歩こうとするも確実にその距離は縮んでいく。帰り始めた時は何とも思わなかったのに、終わらせたくない、終わりたくない気持ちが一層強くなっていく。

 

そう思えば思うほどに無意識に握る手が強くなった。強めたことに驚き、俺の方へと視線が向く。ナギにとっては痛かったかもしれない。力の加減をミスったかもしれない、強めた力を少しだけ弱めてみると今度はナギの方から握り直してきた。

 

”このまま別れたくない”

 

強い気持ちが初めて一緒になったような気がして……。

 

 

「あと少しで今日も終わりか」

 

「そうだね。いつもより短かったような気がする」

 

 

本当に、本当に早かった。

 

気がつけば喋りだしていた。恐ろしいほどに思考もしっかりしているし、側にいるからという理由で舞い上がったり、どもってしまうこともない。短かった今日一日を振り返りながら、並木道を歩く。

 

普段なら、誰かに見られていないかを気にするところが、今日は特に意識することもなかった。慣れ……よりかは別のところに思考が向いているからだと思う。

 

好きな人と出掛けて、好きな人と買い物をして、好きな人と食事をして、好きな人と帰る。当たり前のことなのに、全ての行為が新鮮に思えた。

 

仕事に縛られて線引きをする必要もなければ、壁を作り自身の想いを封じ込む必要もない。俺がナギのことを好きだという事実は変わらない。

 

彼女の想いを知っていたのに、気付かない振りをして、曖昧な答えで誤魔化し逃げていた過去の自分を思い出すとヘドが出る。

 

答えを出すならまだしも、中途半端な関係を続けようと奔走し、彼女の本心を分かろうともしなかった。

 

でも、今は違う。

 

 

「ついちまった」

 

「うん……」

 

 

あっという間の数分間。早歩きをしたわけでもないが、こうして寮へと着いてしまった現実は変わらない。寮を見上げながら帰ってきてしまったことを再認識し、一つため息を漏らす。

 

離れたくない、離れたくないけど、離れなければならない。現実はあまりにも無情だ。名残惜しそうに握っていた手を離した。

 

門を潜れば一旦親友の関係へと戻る、特別な関係でいられるのは二人きりの時のみ。そう思うといてもたってもいられなくなる。

 

 

「あ、あのさ……」

 

「どうしたの?」

 

 

門を潜る直前に俺からナギへと声を掛ける。考え無しでの声かけだったから、何を話そうかも決めていない。それでもやっぱりもう少しだけ二人きりで居たいというも思いが強かった。

 

学校で会える、寮内ならいつでも会えるでは全く意味がない。

 

あくまで今日この場で一緒に居たいというのが俺の本心だった。彼女のことを一切考えない、ワガママな考え方だとは思うけど、一度溢れだしてしまった想いを抑え込めるほど、俺は大人ではない。

 

 

続けて言葉を言えずに黙っていると、苦笑いを浮かべたナギが俺の両手を優しく握る。何も言っていないのに、俺の思考全てが見透かされているような気がした。

 

 

「大丈夫、私も大和くんと同じ気持ちだから」

 

「へ?」

 

 

本当に見透かされているとでもいうのか。いや、この際見透かされていることなどどうでも良かった。彼女の一言が堪らなく嬉しくて、思わず変な声を漏らしてしまう。

 

だがナギの一言で俺の中でも踏ん切りがついたらしく、徐々に落ち着きを取り戻す。同じように思っているのは俺だけではなかったという事実に、どこか安堵している自分がいた。

 

 

「そ、そうなのか?」

 

「そうなのです♪」

 

 

俺の疑問に対してきっぱりと答えてくれる彼女の明るい笑顔が眩しい。観覧車内から続いていた妙な雰囲気はいつの間にか消えてなくなり、いつもの雰囲気が戻る。ただ気のせいか、立場がいつもと逆転しているようにも思えた。

 

尻に敷かれる。

 

若干シチュエーションは違うかもしれないが、たまには女性に主導権を握られるのも悪くない。

 

この後はどうしようか。汗だくになったわけでもないが、一旦部屋のシャワーを浴びたい。シャワーの後、冷蔵庫内に備蓄されている食材を使って、簡単な料理を作れば良いだろう。

 

 

 

 

 

 

「あ、そろそろ部屋に戻らないとね。皆に見られちゃう」

 

「そうだな。それじゃあまた明日学校で」

 

 

また明日と、いつもと同じように別れる。名残惜しいがこればかりは仕方ない。

 

 

「うん。あっ、ちょっと待って! まだ忘れ物が……」

 

「忘れ物? そんなのあった……」

 

 

最後まで言葉を言い切ることは出来なかった。

 

 

忘れ物なんてしたのかと、俺が知らないところで起きていた事象に混乱しつつも、俺がナギの所有物を間違えて持っているのかもしれないからと、反射的にポケットに手を突っ込んだ。

 

ポケットに手を突っ込んだ瞬間、ほんの一瞬ではあるが、ナギから視線が逸れる。逸れた瞬間、僅かに視線にあったナギの足が()()()

 

現実的に考えて人の足が急に消えるなんてことは有り得ない。驚きのあまり急いで視線を戻すと、俺の双眼に飛び込んできたのは、はにかんだナギの顔だった。

 

驚く俺とは対照的に、くすりと微笑んだ顔は俺の顔にどんどんと接近し……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

「んっ……」

 

「―――ッ!?」

 

 

視界一杯にほんのりと顔を赤らめたナギの顔が広がる。

 

同時に感じるのは優しくも暖かな体温。服越しに伝わる感触だけではなく、口を通して伝わる直な温もり。柔らかい何かで俺の口が塞がれている。その何かを判断するのにそう時間は掛からなかった。

 

甘く、蕩けそうな感覚に思考回路が纏まらない。女の子の唇ってこんなに柔らかかったのかと、それくらいしか考えることが出来なかった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

俺のファーストキスを、ナギはどう感じたのだろう。少なくともファーストキスだったなんて、知る由もなかっただろう。僅かな時間だったにも関わらず、とてつもなく長い時間に感じた数秒間。

 

ずっとこのまま一つになっていたい。

 

そんなワガママは通じなくとも、彼女の……ナギの内に秘めた想いはハッキリと、しつこいくらいに伝わってきた。

 

 

唇を離し、コツンと俺の胸へと頭をつけながら下を俯く。

 

 

「さっきの続き……まだ、だったもんね?」

 

「つづ、き……?」

 

 

続きの意味が分かるのは俺とナギの二人だけ。

 

 

「ば、バイバイ」

 

 

ほんの一瞬の二人だけの時間を噛み締める余韻もなく、ナギは俺を背にして寮へと戻っていく。

 

唇に微かに残る温もりを噛み締めながら、呆然と立ち尽くす俺に冷たい夜風が当たる。

 

ナギに遅れること数分、ようやく思考が戻った俺は後を追うように寮へと向かう。

 

部屋に戻ってからも何かをする気になれず、ひたすらベッドに寝転びながら一睡も出来ない夜を過ごすのだった。



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いつか必ず

 

 

 

 

 

 

 

部屋に戻り、扉を閉めてそのままベッドへと倒れ込む。ルームメイトは部屋を空けており、部屋にいるのはナギのみ。大きめの抱き枕をギュッと抱き寄せると、顔を埋めながら思い返す。

 

 

(私、大和くんと……)

 

 

口元を指で触りながら、未だに残る感触を忘れられずに赤面する。いざ思い返すと自分がどれだけ大胆なことをしたのか、恥ずかしくて堪らなくなってくる。たまたま人が居なかったから良いものの、あんな光景見られたり撮られたりしたら全校生徒の格好の的。

 

高まる気持ち、胸の奥底に仕舞い込んだ彼女の想いは抑えることが出来なかった。イケメンだから、優しいから、二人しかいない男性操縦者の一人だから、そんな上部だけの中途半端な想いで好きになったのではない。

 

内面も外面も含めた大和の全てが好きだからこそ、想いを伝えた。

 

出かけた際トイレに行ったきり戻らなかった時間があった。

 

戻ってきたのは三十分後。大和の性格だから本当に体調が悪い時は、前もって連絡をするはず。それがないのは連絡も出来ないほどの状況に追い込まれていることになる。

 

分かったから聞かなかった。

 

皆が知らないところで、戦っているのだと。本音を言えば、危険な目に合って欲しくない。それは散々言っているし、大和だって知っている。

 

ナギに心配を掛けるようなことはしたくないといっても、どうしようもない事情が彼にはある。彼の本職は護衛であって、対象の人物を守ること。

 

一夏に危害を加える脅威を排除し、命に換えても守りきることが、彼に与えられた任務になる。最優先事項を履き違えるほど、情に流されやすいわけではない。それでも彼にとっての"護りたいモノ"は一人や二人だけではない。

 

 

彼に携わる人物、仲良くなった人物全てが彼にとっての"護りたいモノ"になる。当然だが何度も言うように最優先事項を履き違えることはしない。

 

だが彼の場合、優先事項そのままに()()()()()()()()()()()()

 

最大の長所でもあり、時には致命的な欠点ともなる。

 

 

彼女も薄々ながら大和の立ち位置を理解しつつある。だからこそ思いを汲んで、平静を装ったまま追求をしなかった。

 

現実と向き合わなければならない。常に危険に晒される立ち位置にいると知ったことで、内心穏やかではないだろう。

 

ただ、そんなことで傾くほど、彼女の想いは柔なものでもなければ、薄っぺらいものでもない。

 

 

(私のことが好きって言ってくれるなんて思わなかったな……)

 

 

 

彼の口から直接言ってくれたことが、彼女にとって一番の驚きだった。

 

観覧車に誘ってくれた時点で何か話があるんだろうとは思っていたが、自身から伝えようとした想いを先に伝えられて一瞬頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなった。

 

遅かれ早かれ、自身の想いをはっきりと伝えるつもりだった。それがたまたま誘ってくれたあの観覧車内での出来事になる。

 

 

(ど、どうしよう。明日からどんな顔して合えば)

 

 

思い切った行動に踏み込んだは良いものの、気持ちが高ぶった興奮状態にあった先ほどの行動を思い返してしまうと、次に会った時どのような顔をすればいいのか分からなくなってしまう。

 

少し考えるだけでその時に伝わってきた彼の驚いた顔、体温、唇の感触までもが鮮明に蘇ってくる。すぐに切り替えることが出来るほど彼女は恋愛に慣れているわけではないし、取り繕うのが上手いわけでもない。今のまま学校に行ったらすぐに何があったと悟られてしまう。

 

だが今から明日のこと、彼と会うことを考えても仕方ない。一旦お風呂にでも入って、気持ちを切り替えれば多少は落ち着くだろう。

 

おもむろにベッドから起き上がり、クローゼットの引き出しの中からタオルや寝間着として利用する部屋着を取り出し、洗面道具や洗顔石鹸、ボディーソープにコンディショナーを洗面器に入れると部屋を出る。

 

いつもより気持ち早歩きで大浴場へと向かう。幸いなことに通り道の廊下には誰もおらず、壁には光に反射した自分の影が映し出されるだけだった。

 

ひとりぼっちで大浴場へ行くのは珍しい。大体は誰かしらと一緒に行ってたし、そもそも夕食も食堂で取らないことなんて誰かの部屋で作ったり、実家に帰ったりした時以外は無かった。

 

普段とは違った妙な感覚を覚えながらも、一人先を急ぐ。階段を一階まで降り、入口のロビーに差し掛かった途端、ピタリと足を止めた。

 

 

「楯無さん……」

 

「こんばんはナギちゃん。奇遇ね、こんなところで会うなんて」

 

 

そこにはまだ制服姿を纏ったままの楯無の姿が。だが、どこか雰囲気が違う。いち早く違和感を感じ取ったナギは、何が違うのかを考える。

 

その違和感の正体が分かるのに、数秒と掛からなかった。いつもなら掴み所がなく、ミステリアスな雰囲気があるというのに、今日に限ってない。もちろん、表情や仕草はいつものままだが、人の纏う雰囲気は感情や体調によって大きく左右する。

 

体調でも悪いのかと楯無の身を案じようとするナギだが、彼女の考えていることも楯無にはお見通しだった。首を横に振りながら苦笑いを浮かべ、大丈夫だとジェスチャーをする。

 

 

「いつもと雰囲気が違ったかしら」

 

「え? えぇ、まぁ。私の気のせいかもしれないですけど……」

 

「まぁ、そうねぇ。若干いつもよりローテンションかな?」

 

 

クスクスと冗談めいた言い方で、ナギへと話を続ける。ただその言い方が儚くて、今にも消えそうなジョークのようにも見えた。

 

まるで失恋したかのような……。

 

 

「ね、少しだけ時間良いかしら。十分くらいで話は終わるから」

 

「は、はい。それくらいなら全然……」

 

「ありがと。ここで話すのもなんだし、私の部屋に行きましょう」

 

 

 

 

 

 

 

楯無に促されるまま、後ろを着いていく。個別で話をするのだから、相応の話なんだろうと予想を立てつつも、内容を知るのは楯無だけだからと黙ったまま歩く。

 

心当たりがあるとするなら大和の話題について。今日起こったことを既に悟っているのではないかと。

 

絶対にバレないだろうと思っていたことが、いつの間にか知られているなんてことは一度や二度ではない。学園全生徒の情報を一人で把握しているなんて噂もあるくらいだし、情報網が異常なまでに広いのは誰もが知っている。

 

 

 

本当なら大和に告白されたことなど、誰にも知らせたく無いようなことだが、楯無になら知られても良いと思っていた。

 

タッグトーナメントが始まる少し前、彼女は楯無と偶然会った時に言われた言葉を一言一句、完璧に覚えている。同時に楯無も大和に想いを寄せている人間の一人であることを把握した。

 

好きな人が出来れば人間の性で自分だけを見ていてほしい、自分だけのモノにしたいと思うのは当然。しかしナギだけは違った。

 

 

「さて、と。どこから話しましょうか」

 

「……」

 

「そんな硬い顔をしなくても良いのよナギちゃん。あなたを責めようとしてる訳じゃないし、久しぶりにちゃんとお話ししたかったの」

 

「は、はい」

 

 

緊張しないでと楯無は言うが、たった一人部屋に呼び出されて緊張しないはずがない。それも学園最強の生徒会長の部屋に呼ばれて、一対一の面接のように座って相対するのは中々に勇気がいる。

 

二人は顔見知りではあるが、所詮はそこまで。楯無はナギのことをよく知っていても、ナギが持ちうる楯無の情報は圧倒的に少ない。IS学園が年齢に関係ない実力の世界だったとしても、目の前にいる存在がそもそもその頂点に君臨するのだから、緊張していないとすれば相当肝っ玉の据わった人間だと証明することになる。

 

 

座りながら部屋を一望すると、無駄なものが全く置いてなかった。ベッドの周りもシンプルそのもので、人形や可愛らしい抱き枕は一切無い。持っていないというよりかはキチンと片付けられている印象を受ける。ただ女性らしい部屋かと言われれば違うし、かといって男性らしい部屋かと言われても違う。

 

 

「ふふっ、ごめんなさい。いつでも人を呼べるように常に部屋は片付けてあるの。もっとも、掃除しているのは私の同居人なんだけどね」

 

 

部屋を見回すナギに、からからと笑いながら伝える。

 

楯無と一緒に暮らしている人はどんな人なんだろうと想像を膨らますナギだが、楯無は若干苦笑いを浮かべたまま話し始めた。

 

 

「それよりも今日は楽しかった?」

 

「え、あ、はい! おかげさまで……」

 

「そう、良かった。元々話は知ってたから、大丈夫かなって思ってたんだけど……そっか」

 

 

濁した回答に、変わらないトーンで話続けようとする楯無だが、後半に行くにつれてそのトーンは明らかに落ちていく。些細な変化だが見逃すほど鈍感ではない。

 

大和のことが気になっている様子は隠せておらず、表情は変わらなくてもどこか不安げな気持ちを抱えているようしか見えなかった。

 

楯無が事実を知っているかどうかなど、聞いてみなければ分からない。だが現状を隠し通せるほど、ナギも嘘をつくのが上手くは無かった。楯無の表情を見れば見るほどに、心が痛む。

 

事実を伝えるべきか否か、ナギにとっては難しい選択でもあった。そうは言っても一緒の学校に通っている以上、いずれは分かる。大和の口から先に楯無に伝わるのが先か、口コミで伝わるのが先か、今この場で伝えるのが先か。どちらにしても最終的な結論は同じこと。

 

 

 

「ねぇ、ナギちゃん」

 

「は、はい。どうしました?」

 

「……大和に告白されたのかな?」

 

 

ドがつくほどのストレートな質問に言葉を失い、楯無の目から視線を離せなくなる。事実を知らずに質問を投げ掛けたのか、それとも既に事実を知った状態であえてナギに質問を投げ掛けたのかは、楯無本人しか分からない。

 

何度も言うようにナギは人に嘘をつくのが苦手だ。この期に及んで告白なんかされてませんと言い返すことは出来ない。一体楯無は何を考えているのか、意図も分からずに真実を伝えていく。

 

 

「……はい。今日、大和くんの口から直接……」

 

「そう、なんだ……」

 

 

視線を逸らし、俯いたまま小さく返答をする楯無。ナギも伝えてしまった手前、バツが悪そうに楯無から視線を外す。無理もない、直接言われたわけでは無いにしても、楯無の質問に対する肯定は、間接的に楯無が振られたこととイコールになる。

 

大和が想いを伝えた理由はただ一つ。楯無への想いよりも、ナギへの想いの方が強かったから。最終的にはどちらか一人を選ばなければならない現状に、相当悩んだ上での結論だったのは分かる。

 

大和の中で二人が護りたい人であることは変わらない。だが彼が選択したのは楯無ではなくナギだった。

 

 

「ロビーに居たのは本当に偶々だったんだけど、その時のナギちゃんの顔がいつもと全然違ってたからもしかしてって思って……。やっぱりそうだったのね」

 

「……」

 

 

全てを見透かされているような気分だ、もう何もかもお見通しと言わんばかりに。

 

楯無がそう判断したのは単純にいつもと顔つきが、表情が違ったからとの理由だけではない。

 

デート中に大和が害虫退治で外に出ている時、楯無へ電話連絡を入れている。後処理を頼まれただけだったが、楯無から今どこにいるのかと問い掛けたところ、本島の方にいるとのことだった。

 

長期休暇ならまだしも、ただの連休で本島にいく理由は限られてくる。デートに行っているのかとカマをかけたところ、返ってきた答えは、『あのなぁ……』といった濁したものだった。

 

その一言が疑問から確信へと変わる瞬間でもあった。

 

 

事実を言われてしまい、何を楯無に言えば良いのか分からずに下を俯く。不思議と怒られている、詰められている口調ではないのに、人に知られることがこんなにも変な気持ちになるだなんて思いもしなかった。

 

切り出すことが出来ずにいるナギに向かって、再度楯無が声を掛ける。だがその内容はナギの予想を大きく越えるものだった。

 

 

 

「おめでとう、ようやく想いが伝わったんだ」

 

 

思いもよらない称賛の言葉に顔をあげて目を見開く。ナギの中では祝福された喜びよりも、驚きの方が勝っていた。

 

どうして自分が祝福されたのか。もちろん本来であれば祝福されるケースなのは間違いないが、文句の一つや二つも言われるのではないかと内心びくびくしていたからこそ、よりそう思ってしまう。

 

楯無にとって未練が全く無いのかと。

 

 

「あ、あの……」

 

「もしかして文句の一つでも言われると思ってたかしら?」

 

 

淡々と連ねられる言葉の数々には未練が感じられない。決して遠回しに嫌みを言っているわけでも無ければ、直接言っているわけでもなかった。

 

やはりただの気のせいだったのかと、徐々にナギの中で疑問が解消されていく。

 

 

「だとしたらちょーっと心外だなぁ」

 

 

そう、本当に楯無に未練がないと判断が出来れば気のせいで片付けることも出来た。楯無の顔を見つめていたナギの顔が強ばっていく。

 

楯無の表情に如実なまでの変化を感じ取ったナギだが、話している手前、切り出すことが出来ない。

 

 

「前からお似合いだと思ってたけど……そっかぁ」

 

「楯無さん!」

 

 

楯無の無理をしている感に堪えきれなくなったナギが勢いよく切り出す。会話の途中に、それもこれほどまでに感情を露にするナギを楯無も見たことはないだろう。

 

どうして無理をして取り繕うとするのか。

 

仮に本心から祝ってくれているとしたら、ナギもここまで言うことはない。だが、楯無の言葉の一つ一つ、表情から汲み取れるのは明確なまでの未練、悲しみ、後悔。いくら平静を装ったとしても、溢れ出る負の感情を隠すことは出来なかった。

 

 

「ど、どうしたの? 急に大きな声だして……」

 

「楯無さんは本当にそれで良いんですか!? 本当にそれで諦めが付くんですか!」

 

「―――ッ!」

 

「言ってたじゃないですか! どれだけアドバンテージがあっても負けないって、そう言ってたじゃないですか! なのにこんな簡単に……」

 

 

言葉が続かない。

 

言いたいことは分かっているのに、上手く言葉に出来ない。楯無の未練にナギは怒っているわけではない。

 

どんなアドバンテージがあったとしても、負けないと宣戦布告をしておいて、あっさりと大和への想いを断ち切ろうとしている楯無の姿に無性に腹が立った。啖呵を切って伝えてきたのに、その程度の安っぽい想いだったのかと。

 

初めて会った時から、ナギにとって楯無は理想の女性だった。大和の部屋で鉢合わせた時に一目で悟ってしまった、この人には絶対に敵わないと。女性が憧れる女性など、何人もいるわけではない。

 

場にいるだけで周囲の雰囲気を変えてしまうほどの存在感、一声掛ければ全員が後ろを着いていくほどの圧倒的なカリスマ性。嫉妬すると同時に芽生えたのは、尊敬の念だった。

 

いつかこの人のようになりたい。一緒になれなかったとしても、少しでも近づくことが出来れば……そう思って毎日努力してきた。

 

自分としては到底越えることなど出来ないと思っていた"目標"がこうもアッサリと白旗を上げてしまったことが悲しく思えた。

 

 

「た、確かに私を選んで貰えなかったのは残念だったけど、相手を選ぶのは大和の自由だし、もう別に未練なんて……」

 

「だったら……だったら何で楯無さんは泣いてるんですか!」

 

「……え?」

 

 

泣いてなんかいないと思いつつも、ナギに言われるがまま頬を触る。

 

手に触れる湿った感触、それはゆっくりと頬を伝い、やがてポタポタと滴のように床へとこぼれ落ちた。嘘だ、これは嘘なんだ、夢なんだと思いつつ何度もまぶたを擦るも、一旦溢れ出した滴の流れを止める術はなく、頬を伝ってくる。

 

止まらない、止めようと思えば思うほどに涙が溢れでてくる。

 

大和に未練がない。

 

どうしてすぐに分かるような嘘を付いたのだろうと、楯無は内心後悔していた。これでは自分がまだ未練があると伝えているようなものだ。せめて笑顔で祝福しようと取り繕ったのに、端から見れば自分が想いを捨てきれないまま、しがみついているようにしか見えない。

 

汚く、醜い自分を見せたくない。

 

私は学園の生徒会長、更識楯無なんだ。何度も何度も自分に言い聞かせる。今までなら言い聞かせることで、"皆の知る楯無"を保つことが出来た。

 

でも。

 

 

「う……そ。な、何で……」

 

 

保てない。

 

皆の知る私が、更識楯無としての私が、今鏡ナギという生徒の前で崩れていく。人前で泣いてる姿を見せたことなど当の昔に置いてきた。

 

影で隠れて何度も涙を流したし、泥水も啜った。止まれ、止まれ、止まれと繰り返し念じても効果は一つとして得られないまま。その間にも自分自身をナギに見られている現状から、すぐにでも逃げ出したいと思った。

 

 

「本当はっ! まだ大和くんのことを!」

 

 

好きだ。

 

今でもはっきりと断言できる。例え誰かに笑われようとも、彼のことを愛している。

 

彼を別の誰かに取られたことが悔しかった。

 

先に行動をしなかった自分が惨めだった。

 

相手に嫉妬する自分が、酷く醜く見えた。

 

だから全てを隠して、自分の心の奥底に仕舞い込もうとした。

 

それでも無理だった。どうしても自分の頭の中には常に大和の存在がちらついてしまい、気が付けば彼のことを考えてしまっていた。彼に想いを伝えたあの日から、楯無には分かっていた。

 

大和の想いは既に……それでも彼女は負けたくなかった。負けたとしても何とかして彼に振り向いてもらおうと最後の最後まであがくつもりだった。だがいざ現実になってみればこの有様だ。

 

余りにも情けなく、自身の弱みをナギに見せるだけになってしまった。

 

なのにどうしてナギはここまで、自分のことを気に掛けようとするのか分からない。

 

気に掛けたところで彼女になんのメリットもない。

 

それとも何をどうやっても大和を奪わせない程の自信があるのだろうか。いや、ナギの性格に限って悪どいことを考えるような人間ではない。

 

じゃあどうして……。

 

 

「……だって」

 

「え?」

 

「私だって……私だって諦めたくないわよ! でも、どれだけこの想いを伝えても! 大和の瞳には私の姿は映ってなかった!」

 

 

内に秘めた彼女の本心を全てぶちまける。

 

下手をすれば周囲の部屋に聞こえるほどの大音量で、ただどれだけ周りに音が聞こえようが、今の楯無には関係なかった。

 

悔しい……目の前の子に負けたのだと思うと、実戦で負けたことよりも悔しかった。頬を伝う涙が、楯無の全てを物語る。体を震わせ、口を真一文字に結び、心の奥底から沸き上がってくる感情を堪えた。

 

 

「ずっと……ずぅっと、大和のことが好きだった! でもっ、私には振り向いてくれなかった……!!」

 

 

諦めたくないに決まっている。自分の初めての男友達、今まで異性関係とは無縁の生活を送っていた彼女にとって、大和との出会いは様々な経験をさせてくれた。

 

自分一人では対処しきれない時には快く手を貸し、体にムチを入れて無茶をして倒れ掛けた時には、目を覚ますまで一緒に居てくれた。彼の一つ一つの行動が、楯無にとって初めての体験であり、新鮮なものだった。

 

そして彼に対する興味は、いつの間にか好意へ。どうして好きになったのかは楯無自身にも全く分からない。気が付くとずっと後ろ姿を追っていた。片時も彼を忘れたことなどない。

 

たかがそれしきのことでと、鼻で笑う人間もいるだろう。笑われようが馬鹿にされようが、本能が惹かれたのだから好きになったのは事実だ。

 

 

「楯無、さん……」

 

「諦めたくないっ! だって私が初めて好きになった人なんだもの! 初恋の人をそう易々と諦めたくなんかないっ!」

 

 

 

言葉の羅列もままならないまま、ひたすらに想いをぶちまけた。柄にも無く大声を出したことで、楯無の息遣いがほんのりと荒くなる。

 

感情を露にしてしまったことで、皆の知らない一面を知られてしまった。しかし全てを吐き出したことで、楯無の中に溜まっていたわだかまりが消える。

 

はぁはぁと呼吸を整える楯無を見つめたまま、どこか微笑むような表情を浮かべると言葉を続けた。

 

 

「良かった。大和くんのことを完全に諦めた訳じゃなかったんですね」

 

「……?」

 

 

言っている意味が分からない。

 

確かに完全に諦めたわけではない、心の奥底では万に一つの可能性でもあればと思っているのも事実だ。だからといってそれとナギがどう関係あるのか。私的な感情に第三者は関係ない。

 

 

「確かに私、大和くんのことが好きです。大好きです。一人で独占したいほどに」

 

「……」

 

「でも、一人が幸せになって皆が不幸になるなら、私は嫌です」

 

「ち、ちょっと待って! ナギちゃん、一体なにを?」

 

 

 

 

「―――私のワガママになっちゃいますけど、恋人が二人、三人いても良いのかなって思ってます」

 

 

ナギの放つ衝撃的な一言に、楯無は完全に言葉を失う。

 

正直、にわかには信じられない。

 

簡略化すると、一人と結ばれることで他の想いを寄せた女性が傷つくのであれば、全員恋人になれば良いといった考え方になる。

 

彼女の言っていることは、今までのカップルの常識を覆している。ただここまではっきり言い切れるのは、彼女がそれでも良いと納得をしているから。

 

 

「ほ、本気で言ってるの? あなたに何のメリットが……」

 

「メリットっていうと違うかもしれません。でも私は、今後大和くんが色々な女性と出会って想いを寄せられて悩む姿を、逆に選ばれなかった人が悲しむ姿を見たくないんです」

 

 

理想論であり、現実的なものではない。

 

出来るんだったらすでに何人もの人間がチャレンジしていることだろう。

 

少なくともすぐに納得できるようなものではないし、大和や相手の合意があってこそ初めて成り立つものになる。だが現状は大和の合意は得られていない。性格上、一途なのが一番の理由だろう。

 

それに何人も引き連れてしまった場合に全員に平等に愛情を捧げられない上に、大和が楯無に向ける感情がまだ一人の女性としての好意になっていない。

 

中途半端な気持ちで付き合ったところで、最終的に別れるのなら意味がない。それこそ全員が傷ついてしまう。

 

 

「少なくとも、私はそう思ってます。もちろんどうなるかは分からないですけど、それで良いって」

 

 

あくまでナギの個人的な考え方であって、誰しもが考えていることではない。無理に押し通すつもりもないし、強制するつもりもない。

 

ただ、楯無には伝えたかった。それだけの話だった。

 

 

 

 

 

 

 

「……変わってるわね、ナギちゃんも。そんなこと考える人は初めて見たわ」

 

 

俯いたまま大きくため息をついた後、話し始める。

 

やれやれ感を醸し出す雰囲気とは裏腹に、言葉に覇気が戻ってきている。些細な変化だが、ナギも楯無の変化に気付いた。

 

 

「私も何で大和を好きになったんだろ。格好いいとは思ったけど、最初はそれくらいにしか思わなかったし」

 

 

整った顔立ち。

 

持って生まれた顔立ちは一種の才能とは言われるが、大和の場合も一般男性と比べていい男の部類に入る。楯無の最初の認識は精々それくらい、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 

顔立ちが整った男性と出会うのは一度や二度ではない。内面を見ない顔だけの出会いなら今まで何度かあった。

 

その中で大和だけが好きになったのには、それ相応の理由があるはずだが。

 

 

「……まぁ、いいか。理由なんて。好きなものは好きなんだから仕方がないわ」

 

 

あっけらかんと言ってみせる。人を好きになることに理由なんかは要らないと。

 

 

「好きな男を取られたくらいで、勝手に次はないと思い込んで……ホント、馬鹿みたい。はぁ、まさかナギちゃんの前で大泣きするなんて。これは弱味握られちゃったかなー?」

 

「そ、そんなことないです。別に弱味なんて……」

 

「いいのよ。私の弱い部分なのは事実だし。でもこのまま負けっぱなしじゃ面白くないもの。まだ少しくらいあがいてもいいわよね?」

 

「は、はい?」

 

 

ニヤリと得意気に微笑む楯無の顔に涙はなかった。どこか清々しく、吹っ切れたような、いつも通りの楯無へと戻っていた。終始ペースを握られ続けてしまったが、それは今回だけ。

 

キョトンとした表情を浮かべながら首を傾げるナギをよそに、おもむろに椅子から立ち上がり、鏡の前に立つ。

 

目元が酷く腫れている。目は赤く充血しており、誰が見ても泣いた後だと分かる顔だ。ここまで泣いたのはいつ以来だろう。誰かに怒られた時でもこんなに泣いたことはない。

 

だが泣いたことで自身の中に溜まったものを吐き出すことは出来た。そして吐き出させてくれたのは他でもなく、ナギだ。

 

彼女が何も言ってくれなかったら、いつまでもずるずると引き摺っていたことだろう。彼女には感謝しなければならない。胸の内に感謝の気持ちを秘め、振り向き様にそっと微笑んで見せる。

 

 

「一回戦は負けちゃったけど、次は絶対に負けないからね?」

 

「の、望むところです!」

 

 

大和がナギに想いを伝え、両想いになったのは事実。

 

一足遅れてしまったが、ライバルに負けない為にも追い付かなければならない。今の大和の眼中にはナギしか映っていない、だからこそ燃えるし、意地でも振り向かせようと思える。もちろん彼にとっての一番は変わらなくてもいい。

 

もし万に一つの可能性があるのなら。

 

更識"楯無"としての自分ではなく、更識"刀奈"としての自分を見てほしい。

 

彼に本当の名前を教えてはいない。いずれ自身がもう一度告白することが、彼が告白してくることがあれば。

 

その時に伝えようと、固く心に決めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、ちょっといい?」

 

「なんでしょう?」

 

「ごめんなさい、先に謝っておくわ。確かお風呂に向かう途中だったでしょ? すぐ終わるって言ってたけど結構な時間話してたから……」

 

「……あ」

 

 



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第八章-Oceans eleven-
○噂のあの子にオトコは釘付け


 

 

「海だぁー!!」

 

 

 IS学園の生徒が乗ったバスは高速道路をひた走る。大きく開けた視界の先に広がる大海原、外の景色を視界や写真に収めようと窓際に張り付くクラスメートたち。

 

相変わらずの騒がしさの中でも、教師陣は誰一人口を挟むことは無かった。この学園に入学して初めての校外学習、もとい臨海学校。テンションはいつもの一段階……いや、二段階以上上がっているのも無理はない。

 

学習とはいっても年頃の女性が海へ行くともなれば、勉強のことなんか二の次で遊ぶことが頭の約十割を占めている。

 

瞼に飛び込んでくる強烈な初夏の太陽光に、思わず目を逸らす。もう少し寝かせてくれと心の底で念じ続けるもこれだけ光が差し込んでくる上に、騒がしい現状を踏まえると寝れるわけもなく、渋々重たい身体を起こす。

 

座ったままの体勢、加えてクーラーの効いたバス内で一人爆睡をしていた為、がちがちに固まってしまっている。天井に向かって大きく背伸びをして血行促進し、身体の血の巡りを良くする。

 

 

「あ、やっと起きた。ほら大和くん、海だよ?」

 

 

隣の席に座るナギから声を掛けられるも、どうにも乗り切れない。臨海学校は楽しみでも、海を見て馬鹿騒ぎをするだけの元気は無かった。

 

 

「いや、俺は良いや。昨日中々寝付けなくてな、もう少しだけ寝てるから、現地に付いたら起こしてくれ」

 

 

到着するまでにまだ時間が残っている。海を見る気力も体力も今はないし、もう少しだけ硬めの座席に身を委ねることにしよう。

 

 

「え、えぇ!? また寝るの!? さっきまでずっと寝てたのに……」

 

 

再度眠り込む俺に残念そうな声を上げる。

 

学園を出発してからすぐに寝付いてしまい、目覚まし代わりの声で起きた次第だ。ここ最近……というより二、三日の話だが夜は中々寝付けずに布団の中でごろごろする日々を送っている。

 

お陰さまで寝起きは最悪。体は鉛でもつけているかのように重たいし、ここ数日の不規則な寝方が祟って、若干左目が痛い。別段腫れてもないし、充血しているわけでもないからそこまで気にするようなものじゃないけど、だからといって気持ちが良いものでもない。

 

出来ることならすぐに直したいところだが、これくらいのことは無いわけじゃないし、寝れる時に寝て、適度に冷やしていればすぐによくなる。

 

 

「ぶーぶー! つまんないぞきりやーん!」

 

「そーだそーだー! 夢がないぞー!」

 

 

俺とナギのやり取りを見ていた外野、特に布仏と相川が揃って反論してくる。言おうとしていることも分かる。臨海学校とは言っても、クラスメート全員での旅行だ。クラスで纏まって全員で楽しみたいのが本音のはず。

 

てか楽しむのは良いけど、俺が騒ぎ立ててワーキャーやったらイメージが崩れそうなもの。それに俺も寝たくて寝ていた訳じゃない、体調を加味した上での睡眠だからそこは許して欲しいところ。

 

 

「でも大和くん眠いって言ってるから寝かせてあげた方が……」

 

 

おっ、やっぱりナギは優しいな。無意識の内に相手を気遣う言葉が出てくる。

 

 

「でもでも! 海に行ったら、霧夜くん取り合いになっちゃうんだよ!? そしたら一緒に遊べないじゃん!」

 

「だからー今のうちに遊ぼうって思ったんだよー!」

 

 

さらりと怖いことを言ってくれるのは相川か、自分が取り合いになっているシーンなど想像したくもない。本当に取り合いになったら、生きて帰れる気がしない。

 

絞られるだけ絞られた後ズタボロになった俺に、更なる追い討ちをされたら灰のように体が吹き飛ぶ自信がある。

 

 

「確かにそれはそうだけど……」

 

 

俺に同意していたはずのナギがブレ始める。あからさまに目をキョロキョロと這わせながら、言われてみればと同意を求めてくる。

 

……言わんとしてることは分からなくはない。少なからずIS学園にいる以上、男性の水着姿なんて早々お目にかかれるものではないし、万に一つの確率で色んなところから遊びに誘われたらクラスのメンバーと遊ぶ暇がなくなるとも考えられなくはない。

 

とはいえ、バス内で遊ぶツールがあるとするならトランプとかしりとりとかそれくらいなもの。

 

いや、皆からすれば些細なことでも思い出の一つとしてとどめておきたいんだとしたら納得出来る。実際寝るのも飽きていたところだし、現地まで残り少しだ。

 

 

「あぁ、いいよ。そろそろ寝るのも飽きてきたし、皆で何かやるか」

 

「おー! そうこなくっちゃねー!」

 

 

ワイワイと騒ぎ立てる一同をよそに、バスの椅子に立て掛けておいたペットボトルの水を一口含んだ。

 

 

「本当に寝なくて大丈夫? 疲れているならまだ寝ていた方が良いんじゃないの?」

 

「いや、大丈夫。折角皆集まってるんだし、俺だけが爆睡って変な話だよな。ナギも何かやるか?」

 

「え? うん、まぁ……」

 

 

あの日以来、俺とナギの関係が大きく変わったわけではない。日数が経ったからといって人前でイチャつくこともなければ、二人きりになった時に特別なことをしているわけでもない。

 

それに互いに告白し、一歩踏み込んだ関係に発展したことをまだ誰にも伝えていなかった。今言ってしまうと後々面倒になるから、進んで言いふらす必要もないだろう。故に誰一人俺とナギが恋人関係になったことを知る人間はいない。

 

だが、感付いていそうな人間は何人か見受けられる。多少の雰囲気の違いを悟ったのか、それともまた別のところから知ったのか。いずれにしてもあまり深く詮索するものでもない。

 

裏を返せば、それほどにまで二人に変化が無いとも言える。

 

 

何一つ変わらない毎日に安堵しつつも、どこか物足りなさを覚えてしまう。

 

そうは言っても愚痴を溢したところで何かが大きく変わるわけでないし、一旦忘れよう。そもそも愚痴を溢すようなことをしたわけでもされたわけでもない。

 

 

「決まりだ。じゃあ早速―――」

 

 

バスでの限られた時間を皆と楽しむこと十数分。IS学園一行を乗せたバスは目的地へと辿り着くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、ここが今日から三日間お世話になる花月荘だ。全員、従業員の仕事を増やさないように注意しろ」

 

「よろしくおねがいしまーす!!」

 

 

目的の旅館に到着後、バスから荷物を持って降りると旅館の前にクラス別に整列し全員で挨拶をする。

 

普段他クラスに行くこともないし、噂を聞くにしても精々鈴の噂くらいしか聞くことも無い為、顔を見たところでどこの誰かが分からない現状。

 

相手はこっちを知っているからチラチラと好奇の視線を向けるだけだが、何一つ知らない俺はどうすることも出来ない。顔と名前が一致しないなんてそうそうないんだが、IS学園に来てから他クラスとの交流はほとんどないし、合同実習も隣のクラスとやるくらいで、回数自体も大して多くはない。

 

会ったことのない人間の顔を覚えきれるほど物覚えが良いわけではないし、軽く頭を下げて挨拶を返すことくらいしか出来ない。仕事に関わる可能性のある……言うなら学園でもあまり評価の高くない、陰で何をやっているかどうかも分からないような要注意人物は認識しているが、特に普通の生徒に関しては精々どこかで見たことあるな程度。

 

気に掛けなさすぎるのも問題だが、気にかけまくって自意識過剰になっても意味は無い。

 

 

全体の挨拶に対して、女将さんが丁寧なお辞儀を返す。慣れたものだ、一連の動作が絵に描いたかのように美しく、一つの演技のように見えた。

 

 

「ふふ、こちらこそ。私は清洲景子と申します。今年の一年生も元気があっていいですね」

 

 

仕事とはいえ、ニコリと微笑むその顔が眩しく見える。年齢は三十代だろうか、年相応の落ち着きと余裕が感じられた。今年の一年もってことは、毎年のようにここを利用させてもらっているらしい。生徒たちの扱いも手慣れたものだろう。

 

笑顔を絶やさない女将さんの顔が不意に俺たちの方へと向く。

 

 

「あら、こちらが噂の……?」

 

 

興味深げに見つめる視線に、負の感情は見受けられない。単純にIS学園に男性がいることに対して興味を持ってくれているみたいだ。無理もない。毎年この輪の中に男性が居たことは一度もないのだから。

 

 

「初めまして、霧夜大和です。よろしくお願いします」

 

 

軽く会釈をしながら挨拶をした。出遅れるよう慌てて一夏も頭を下げる、否下げられる。一夏の頭を鷲掴みにした千冬さんが、お前もさっさと挨拶くらいしろと言わんばかりに力を込めている辺り容赦のなさを感じる。

 

 

「お、織斑一夏です」

 

 

二人揃って挨拶を済ませたところで、今度は千冬さんが話始めた。

 

 

「えぇ、まぁ。今年は男子が二人いるせいで浴場分けが難しくなってしまって申し訳ありません」

 

 

本来ならいつも通りの手順で行われるはずの臨海学校が、男子が二人いることで変わってくる。別途二人の男子のためだけに男性浴場を用意してくれたことを思うと申し訳なくなる。

 

 

「はい、こちらこそよろしくお願い致します。ふふっ、いい男の子じゃありませんか。しっかりしてそうな感じですし」

 

「見映えだけで大したこと無いですよ。まぁ、こっちはそこそこ大人ですがね」

 

 

そういうと千冬さんは、人の頭をわしゃわしゃと髪の毛をこねくりまわす。

 

女性が男性にしている光景はなんとも滑稽な姿だが、自然と嫌な感じはしない。まぁ言い方はかなり厳しい言い方ではあるものの、心の奥底では認めてくれている部分があると思うと嬉しくなる。

 

 

「それじゃあみなさん、お部屋の方へどうぞ。海に行かれる方は別館の方で着替えられるようになっていますから、そちらをご利用なさってくださいな。場所が分からなければいつでも従業員に訊いてくださいまし」

 

 

一連のやり取りをクスクスと笑いながらごゆっくりと後ろへ下がっていく。

 

ところで俺の部屋はどこになるんだろう。常識的に考えれば俺と一夏が一緒の部屋になるんだろうけど、そうすると一夏目的で部屋に生徒たちが溢れ返る可能性も考えられる。収拾がつけられなくなると大変だし、部屋を別々に分ける可能性だって考えられる。

 

ぞろぞろと動き始める生徒とは裏腹に、場に立ち尽くしたままどうしようかと考える俺と一夏。そんな中不意にダボダボの制服を来た布仏が現れる。

 

 

「ねーねーおりむー、きりやん。二人の部屋何処なのー?」

 

「あーどうなんだろうな。また特に何も言われてないから全然分からねーや」

 

「後で部屋教えてねー。夜皆で遊びにいくからさー」

 

「おう、確認したらすぐ教えるよ」

 

 

こりゃまた夜は夜で騒がしくなりそうだ。

 

どちらにしてもこの後、部屋割りの発表があるだろう。そこでどこの部屋に泊まるのか確認すれば良い。

 

とりあえず行動を起こそうと一夏に声を掛け、列に並んだまま着いていこうとする。

 

 

「織斑と霧夜は私と一緒に来い。お前たちの部屋はこっちだ」

 

 

不意に列とは外れた場所に立つ千冬さんに声を掛けられた。部屋割りを千冬さんが把握しているということは、もしかして千冬さんの部屋の近くが俺たちの部屋になるのか。このまま列が空くのを待ってても時間が掛かるだけだし、知っているのであれば着いていかない手はない。

 

むしろ着いていかないと、殺される未来しか見えないから必然的に着いていくわけだが……。

 

千冬さんの後ろに金魚のふんのように着いていく。ところが、生徒たちが泊まるであろう部屋とは別の方向へと向かい始めた。一体どこに行くのかと、周囲の生徒はこちら側の様子を伺う。

 

生徒の集団とは離れ、少し歩くといくつか部屋が並んでいる通路に出る。その中の突き当たりの部屋で立ち止まる。もう一つ隣にある部屋を指さしながら。

 

 

「霧夜はそこで泊まれ。織斑は私と二人部屋だ」

 

「は、はい?」

 

 

俺の部屋の扉には何も書いていないが、一夏が泊まる部屋にはデカデカと教員室の三文字が。更に千冬さんの口から明かされる衝撃の事実。何の説明もなければ家族和気藹々と団欒するだけの場所になるんだろうけど、千冬さんと一緒にいるとある一種の拷問のように見えるような気が……。

 

 

「あぶなっ!?」

 

「ちっ、外したか。余計なことを考えるなよ霧夜」

 

「ちょっ、だからってカバンをフルスイングする必要あります!? 避けるのが遅れてたら完全に首を持ってかれてましたよ!?」

 

 

あ、あぶねえ。久しぶりの千冬さんの攻撃だから若干反応が遅れた。

 

幸い出席簿と違って重たかったせいで、いつもより速度が出なかった分、反応が遅れてもかわすことが出来たが、ちょいとばかし考えていることが失礼すぎたし、一旦自重しよう。一夏に関しては千冬姉の攻撃をかわすなんて……と言いたげな驚きの表情を浮かべている。

 

あぁ、このやり取りを一夏の前で見せるのは初めてだったか。

 

 

「ん、んんっ! まぁ元々は個室で手配する予定だったんだが、シーズンが重なって一部屋分しか取れなくてな。それに、個室だと夜に就寝時間を破った女子が押し掛けるのは目に見えている」

 

「確かに、有名人ですからね。十中八九そうなるでしょう」

 

 

千冬さんの言うようにほぼ間違いなく部屋をバラした途端に、生徒の大半が一夏の部屋に押し寄せてくる。

 

加えて夏の行楽シーズン真っ只中ともなれば、相応に集客もあるだろうし、全部屋確実に確保するのも中々に難しい。一年の生徒ほぼ全員のツインルームを予約で押さえて、さらにシングルまで差し押さえるのは無理があったらしい。

 

 

「ちょ、ちょっと待てよ! だったら大和と二人部屋にすれば良かったんじゃ」

 

 

一夏の考え方も正解かもしれない。だが、それで生徒たちを抑えるのは難しいし、標的が単純に二人になると考えれば更に酷いことになる。一人でも千冬さんの部屋に入れば、それだけで牽制にもなるし、迂闊に手出しは出来なくなる。

 

就寝時間前ならまだしも、就寝時間後に騒ぎ立てられるのは他の人にまで迷惑が掛かることを考えると、どちらかが千冬さんの部屋に泊まった方が良いのは明らか。

 

 

 

「お前たちを二人にまとめたら、尚更格好の的になるだけだ。それに、私の部屋に霧夜を泊めると霧夜もやりにくいだろう」

 

 

教師と生徒の関係を抜きにして考えれば、二人は実の姉弟だ。第三者の俺が泊まるよりも安心だし、何より一夏の側に安心できる人間がいれば、外部の人間も迂闊に手出しは出来なくなる。

 

隣の部屋には俺がいるし、万が一があればすぐに連絡は来る。いつでも動けるように準備はするし、隣の部屋ともなれば駆けつけやすい。

 

もしもの時を考えたときの最善策、それを打ったに過ぎない。どんなに頼りになる人間だとしても、本当に安心できるのは家族以外の何者でもない。

 

そう考えると、少しだけ一夏が羨ましく見えた。

 

 

「どのみち、就寝時間までは自由に移動出来るわけだし、一緒にならないのは寝る時くらいだろ。この後も皆で海に行くんだし、そう気にすることはないさ」

 

「それもそうだな、じゃあさっさと荷物置いて行こうぜ」

 

 

臨海学校初日はありがたいことに完全な自由時間になる。ホテルでのんびりするのも良いし、海に遊びに行っても良い。

 

大半は海に遊びに行くし、俺たちもそのつもりで水着を買った。ここまで来てやっぱり行きませんはただのお金の無駄遣いになる。折角の自由時間だ、こればかりは楽しみたいところ。

 

それぞれ部屋に入り、電気をつけて閉まったままのカーテンを開く。

 

 

「おお……」

 

 

そこに広がる絶景、オーシャンビューとはまさにこの事。雲一つない晴天の空が海面を照らし、透明度の高い海が一つの絵画のような魅力的な世界観を作り上げている。

 

広がる景色に思わず声を漏らし、しばしの間目の前に広がる絶景に釘付けになりつつも、待たせている人間のことを考えるとそうも時間を掛けてられない。

 

鞄の中から水着とタオル、そして上に羽織れる上着を取り出し、鞄を部屋の隅に寄せると部屋を出る。

 

 

 

部屋の前にはすでに荷物をしまい終えた一夏がいた。目線で合図をして、二人揃ったまま海へと向かう。旅館を出るとすぐ近くに海への入り口がある。目と鼻の先に広大が海が広がってることを考えると、海水浴をするにはベストポジションだ。

 

視線に入る水着を着た女性の数々。普通のお洒落な水着から始まり、視線を釘付けにするレベルのハイレグを着ている女性もいる。目福なのは間違いないが、見続けたらただの変態になるし、そんなことが出来るほど俺には肝が据わっていない。

 

女性の派手な服を見るだけで、顔を赤くするレベルのくそ雑魚ですが何か。水着は自分のボディラインをはっきりと浮き出してしまうが故に、無意識に赤面してしまう。

 

しかも揃いも揃って、スタイル良しの出るとこ出た発育の良い子が多いと来たものだ。

 

全く、海水浴は最高だぜ!

 

 

「わ、ミカってば胸おっきー。また育ったんじゃないの~?」

 

「きゃあっ! も、揉まないでよぉっ!」

 

「ティナって水着だいたーん。すっごいね~」

 

「そう? アメリカでは普通だけど」

 

 

端から聞こえる会話を聞くだけで、ごくりと唾を飲み込む行為を繰り返す。

 

それは俺だけじゃなくて、一夏も同じ。いくら女心に気付かないキングオブ唐変木であっても、さすがに露出の少ない水着姿には興奮する。外国人特有の日本人離れした容姿は半端ない。骨格の問題なのか、日本の女性が海外の女性に羨望の視線を向けるのも分かる。

 

 

「一夏、何鼻の下伸ばしてんだよ」

 

「べ、別に鼻の下なんか伸ばしてねーよ!」

 

 

陽の光に照らされる一夏の顔がほんのりと明るい。

 

何だかんだ言われても年相応の男性だと言うことが分かり、ホット胸を撫で下ろす。女性の気持ちに気付かず、あらゆるフラグを平気でへし折ってしまうあたり、本気で女性に興味がないのかと本気で心配していたが、俺の杞憂だった。

 

いや、そこは信じたかったけど、あまりにも絵に描いた鈍感男よりも鈍感過ぎて、マジで男の後ろ姿しか追っていないのかと一度本気で考えたこともある。

 

何バカなことを言っているんだと言われるかもしれないが、割と本気で。

 

 

「鼻の下伸ばさないってことは、お前まさかそっちの気が……」

 

「ねぇよっ!」

 

 

ちょっとからかってみると予想通りの反応を返してくる。ここ最近あまり話すことも無かったし、たまには男子だけで話すのも悪くはない。

 

むしろここには女性しかいないのだから、二人で話す時間も貴重になる。共学であればまだしも、女子高ともなれば男子と喋れる時間は少ない。

 

 

「よっしゃ、さっさと着替えて早いところ海に行こうぜ」

 

 

更衣室に着き、手早く上着とズボン、そして下着を脱いで水着へと着替える。気のせいか、周りにいる男性が少ない。行楽シーズンだから、ピーク時ではないにしても着替えている男性は圧倒的に少なかった。

 

更衣室は学園で貸しきりではなく、一般客との兼用。あれだけの人数がビーチにいたことを考えると、もう少し男性がいるとは思っていたんだが、意外にも少なかった。

 

手際よく着替え終わり、最後に水着の紐を絞めていると、どこからか視線を感じる。というよりもすぐ隣にいる一夏から。

 

あまり男からじろじろ見られると、女性に見られるのとは違って逆の意味で気になる。それこそ貞操的な部分で、無意識に後ろ側を壁側に隠そうとくるりと反転し、視線を向けているであろう一夏をジロリと見つめる。

 

 

「どうした一夏、やっぱりお前はそっちの気があるんじゃ……」

 

「ち、ちげぇって! ただ、どうすれば大和みたいに引き締まった体つきになるのかなって思っていたんだ!」

 

「俺の体が?」

 

 

一夏に言われるがまま、自分の体に視線を向ける。

 

毎朝、毎夜のトレーニングはほぼ欠かさず行っているから、体型は以前よりも少し大きくなっているような気がする。腕回り、足回り、胸回りと負荷を増やしたからだろう。少なくとも周りにいるような一般人と比べたら雲泥の差、負けるつもりはない。

 

とはいえ、引き締まった体つきは一夏も同じ。俺のを羨む前に、十分引き締まった体つきをしている。

 

 

「いやいや、一夏も十分引き締まってるだろ。それ以上筋肉をつけるなら相応の運動が必要だし、人間には骨格があるから限界がある。今の年齢なら一夏くらいあれば十分すぎるって」

 

「でもなぁ。同じ年齢の、同じくらいの背丈で体つきが違うとさすがに嫉妬するぜ」

 

「そんなもんなのか?」

 

「そりゃそう……ってあれ、大和。お前身長高くなったよな?」

 

「前にもどっかの誰かに同じ台詞を言われた気がする。あんま変わらない気がするんだが……」

 

 

正直、あまり自分の身長に興味はないし、体つきにも興味はない。痩せたか太ったかの話になれば気になるけど、変に太るようなトレーニングはしてないし、現段階でも気にすることではない。

 

身長も小さすぎるとコンプレックスだが、平均くらいはあるだろうし欲を言ったところで伸びるものではない。

 

 

「もうちょっと身長と筋肉がつけばなー、やっぱり筋肉質な男って憧れるだろ?」

 

「まぁな。ただ何だかんだ地道に鍛えるしか方法はないと思うぞ」

 

「それもそうか」

 

 

話が纏まったところで更衣室を出る。

 

実際体を鍛えることくらいしか有効な方法は見付からないし、人によって付き方が違う以上、具体的なアドバイスは出来ない。スポーツインストラクターでもないのだから。

 

更衣室を出ると、太陽の光で熱くなった砂浜が両足に熱を伝えてくる。小学校の時なんかはグラウンドの地熱に耐えられなくて、爪先ではなくて踵の部分で立ちながら凌いでいたものだ。

 

足に伝わる熱さにどこか懐かしさを覚えながら、いざ夏のビーチへと降り立つ。

 

 

「あっ! 二人とも出てきたよ!」

 

「嘘!? どこどこ?」

 

「織斑くんと霧夜くんだ! ねぇ、水着変じゃない?」

 

「霧夜くんの鍛え上げられた腹筋……じゅるり……はっ! わ、私ったら何を考えているのかしら……」

 

「織斑くん肌綺麗だし羨ましいなー! これは脳内に永久保管決定ね! 寮に戻ったら絵に書き起こさなきゃ!」

 

「霧夜×織斑……いえ、織斑×霧夜? ど、どうしよう!? ネタが多すぎて纏まらないよ!」

 

 

今まで学業を忘れて遊んでいたはずの生徒の視線が、見えない魔力に吸い寄せられるかのように俺や一夏の方へと向けられた。それも一斉に、誰かが号令をかけたわけでもないのにだ。

 

向けられたこちらとしては驚きのあまり、若干足を後ろに引いて物陰に隠れたい気分になった。自分の裸の上半身をジロジロと見つめられると背中がむず痒くなってくる。

 

最初の方に聞こえてきた内容ならまだしも、後半に行けば行くほどに会話の内容が目も当てられないレベルで卑猥な内容になっているのには突っ込んではダメらしい。

 

薄い本などを販売する夏冬の一大行事に、IS学園に通う男子がまぐわうイラストや漫画が並ぶことを想像したくない。名前は変えられても容姿や場所が似たようなものだったらそれはそれで嫌だ。

 

本に描かれるくらいなら、遠巻きに舌なめずりされた方がマシに思えてくる。いや、本来ならどちらもダメなんだが、どちらかを選べと言われたら後者を選ぶ。

 

とりあえず仮に出したとしても、俺や一夏の目に触れなければ良いなと心底思いつつも、表情に出さないように気を遣い、海の方へと歩き出す。

 

 

「こりゃ、軽いハーレムだな。本来なら嬉しいケースなんだけど、全員から好奇の視線を向けられたら嬉しさが半減しちまう」

 

「う……これは思ったよりキツいかも」

 

 

見渡す限り女性、一面に広がる女性の集団に男性の存在は打ち消される。海水浴だから誰一人、スクール水着を着ている人間はおらず、全員がそれぞれに選んだ勝負水着を着用している。

 

日焼けしていない白い四肢が剥き出しで、大事なところだけを覆う薄っぺらい布地の刺激が思いの外辛い。やはり試着した時と、海で実際に見るのではイメージが全然違う、違いすぎる。

 

凝視しているとあまりの光景に頭がクラクラしてくる。中学から高校に上がり、成長著しい上半身と下半身。どこか恥ずかしそうに四肢を隠そうとする仕草を見せるほどの初々しさ。

 

女の子にも色々あるんだろう。今日のためにお菓子を一週間我慢して節制に励んだとか、逆に節制できずに食べ過ぎてお腹回りや二の腕のプニプニが酷くなったとひどく落ち込んでいる子もいる。

 

好きなものは中々我慢できないし、あれも一種の中毒みたいなもの。

 

 

「いーちーかー!!」

 

「うわぁ! り、鈴!?」

 

 

大きな声と共に、勢いよく走ってきた鈴が一夏へと飛び付く。飛び付きながらいとも容易く上っていき、肩車をするような体勢になる。着ている水着が鈴らしいというか、ハツラツとした鈴を象徴するかのような彩りだった。

 

 

「おー高い高い! 遠くまで良く見えるわ。一夏、あんたいい監視塔になれるんじゃない?」

 

「なるか! さっさと降りろって!」

 

 

友達感覚のじゃれあいに、普段の調子を崩さないまま鈴に反抗する。てっきり水着姿の幼馴染が飛び掛かってきたのだから、多少なりとも赤面するだとか照れるだとか、相応の反応を規定していたのだろう。一夏に肩車をする鈴の顔がどこか物足りなさそうに見えた。それもほんの一瞬で、フラフラとする一夏の上にバランスを取りながら肩車を続ける姿に、周囲の人間が注目し始める。

 

こんな人だかりの中で飛びついたのだから目立つのも無理はない。クラスメートたちがあっという間に二人の周囲に群がる。

 

 

「わー楽しそう! 私もやりたーい!」

 

「その次はあたし!」

 

「俺は展望台じゃない! いい加減に降りろ! ネコかお前は!」

 

 

そりゃそうなる。自分だけズルいとばかりに布仏や相川が手を挙げて近寄ってきた。

 

……何だろう。もう突っ込んで良いのか良くないのか分からなくなってくる。海だからこそ、私服で来る生徒はほとんどいない。その中、一人奇抜な水着を着て登場する人間が一人。

 

布仏さんや、どこかの人気キャラクターを連想させるかのような水着は一体何だ。

 

しかも肌の露出が無いから到底水着と呼んでいいものかどうかも分からない現状。誰がどう見ても海でコスプレをしているようにしか見えない。それでも天然な顔立ちに、ふんわりとした雰囲気に視線を持っていかれる男性は多い。後は確かISの実技訓練の時に知ったことだが、中々にいいものを持っている。いいものが何なのかは自分で調べてくれ。

 

そういえば学食で鉢合わせた時も似たようなものを着ていたし、ある意味布仏の嗜好なのかもしれない。

 

 

「人気者だな一夏。みんなにモテモテじゃねーか! 羨ましいねぇ全く」

 

「これがそう見えるか? 助けてくれよ大和」

 

「いやーそれは無理な相談だな。今の鈴を引っぺがしたら後で引っ掛かれそうだし頑張ってくれ」

 

「なっ!? この薄情者!!」

 

「はっはっはっ。何とでも言え」

 

 

俺に助けを求める一夏だが、ここで無理矢理鈴を引きはがそうものなら、後でどうなるか分かったもんじゃない。

 

 

「な、なにをしてますの鈴さん! 貴方まで抜け駆けですの!?」

 

 

騒ぎ合っている内に着替えを終えたセシリアがパラソルを片手に登場する。本人がどう思っているかは分からないが、日本人離れした美貌とスタイル。

 

そして自身の専用機、ブルー・ティアーズを基調としたかのような青いビキニを纏う姿は、テレビで見るモデルのように様になっている。ビキニの切れ間から除く、平均よりも大きめなそれと、無駄な肉が一切ついていないくびれ。普段の節制と、毎日のハードな練習が引き締まった肉体を維持できている要因だろう。

 

腰に巻かれた水着と同色のパレオが、どこか大人びた気品を感じさせる。だがセシリアの幼さがかえって何とか大人の女性を醸し出そうと、背伸びしている感じがひしひしと伝わってくる。

 

さて、大人びた雰囲気を醸し出しながら一夏の元に寄って来たわけだが、目の前に広がる光景に目を吊り上げて、不機嫌オーラを洗面に押し出す。

 

 

「別に抜け駆けじゃないわ。早く着替えて外に出たらたまたま一夏がいたから飛びついただけ」

 

「たまたまいて飛びつくだなんて、そんな不純な理由がありますか!」

 

「別にあたしって身長低いから誰かの上に乗らないと、遠くが見えないのよ。だから一夏に肩車してもらいながら、移動監視塔ごっこしてたの」

 

 

鈴もセシリアの言い分に淡々と言い返す。

 

感情的になりやすいセシリアの扱いは慣れたもの。多少理由が不純だったとしても、ぐぅの音も出せない程にセシリアを言いくるめていく。

 

 

「ぐぬぬぬ……あー言えばこー言いますわね! 大体、一夏さんも一夏さんですわ!」

 

「お、俺? な、なんもしてねーって!」

 

「嘘おっしゃい! バスの中での約束もすっぽかそうとしていたんじゃないんですか!」

 

「約束? 何よそれ?」

 

 

約束?

 

バスの中は大半熟睡していたせいで、バス内の会話をほとんど覚えていない、というか聞いていない。故にバスの中でセシリアと一夏の約束など知る由もないわけだが、これに関しては俺はおろか鈴も知らない。理由は一組と二組は別のバスであって、二組の鈴は同じバスにはいなかったからだ。

 

セシリアの『約束』といった単語に今度は鈴の表情が不機嫌なものへと変わる。一夏の方から飛び降りると、ジト目で一夏とセシリアの交互に見つめる。鈴の変化を見たセシリアの表情が、ほのかににやけたものへと変わる。

 

”今回は出し抜かせて頂きますわよ”と鈴へと宣戦布告をするように。

 

幸い今は篠ノ之もシャルロットもいないし、出し抜く機会としてはもってこい。全員に差をつけるチャンスである。

 

バチバチとセシリアと鈴の間に火花が散る。

 

IS操縦者としても、一夏を狙う女性としても絶対に負けてなるものかと、互いに無意識の内に対抗心が芽生えているらしい。

 

果たして一人の男の取り合いに俺なんかがいても良いのか。むしろ俺がいることで邪魔になってしまうのであれば、一足先に軽く体をもみほぐして海に向かった方が良いかもしれない。それともここで一夏を待つか……。

 

どうしようか迷っている中、また別の声が、今度は俺の背後から投げ掛けられた。

 

 

 

 

「あ、大和くん。まだ泳いで無かったの?」

 

「その声はナギか? あぁ、一夏を待とうかどうしようか悩んでて。でもこのまま待ってても時間だけが過ぎるだけだし、一人で泳ぎに行こうかななんて……」

 

 

後ろにいるのが誰なのかは声質で分かった。

 

そういえば姿が見えないと思っていたが、まだ着替えの途中だったようだ。

 

ちょうどいい、折角だしナギと泳ぐのも悪くない。二人きりでいると関係がばれるだろうし、何人か誘っていけば上手く誤魔化せるかもしれない。どうしようかと提案しようと、後ろを振り向いた俺の目に飛び込んできたのは……。

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

「あの、ちょっといつもと雰囲気変えてみたんだけど……どうかな?」

 

 

若干顔を赤らめて前屈みの体勢をしたナギの姿だった。



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変遷

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、ちょっといつもと雰囲気変えてみたんだけど……どうかな?」

 

 

誰がこの光景を予想しただろう。

 

俺だけじゃなく、一夏や周りにいるクラスメートでさえもその姿に言葉を完全に失う。否、見とれると言い換えた方が正しいかもしれない。先日の買い物で、ナギの水着は試着の際に見ているから、大丈夫だと思っていた俺がバカだった。

 

太陽の光に照らされる姿は、もはや芸術といっても過言ではない。モジモジと顔を赤らめて恥ずかしそうに、だがどこか俺の評価を期待するようにこちらを見つめている。

 

着ているものは先日購入した二着の内の黒い方だった。サイズはばっちりのはずなのに、上半身に装着されている豊満なたわわが苦しそうに、トップの布を張っていた。二つの布の中に収まりきらない重量感や如何に、男女問わず視線が釘付けになる。

 

引き締まったウエストに肉付きの良い、平均より大きなヒップをピチッとしたボトムが覆う。紐で結ばれているせいで、素肌が露になっている太もも、大腿骨あたりが堪らなくそそる。

 

インパクトといえば外見も大きな変化の一つか。

 

普段のようなストレートヘアーや、二人で出掛けたときのような毛先を若干カールさせたヘアスタイルではない。長い髪を横で束ねて、更に花の髪飾りで結わえた何とも夏らしいファッションをイメージしたコーディネートとなっている。

 

いつも見ているからなのか、髪の長い子が束ねるとグッと印象が変わると言うか……。

 

その、すごく可愛いです。

 

 

「に、似合っているんじゃないか?」

 

 

やっべ、声が裏返った。

 

しかも小学生や幼稚園でも言えるようなチープな言い回しに、自分自身を全力で殴りたくなる。そうじゃねーだろと思いつつも、いざその場になると何一つ言葉が思い浮かばなくなるし、良いことを言おうとすれば言おうとするほど、声が出せなくなる。

 

 

「大和、声裏返ってる」

 

 

結果、一夏に揚げ足を取られる羽目に。

 

だが人の彼女を見て鼻の下を伸ばしているお前も人のことは言えまい。

 

今度は逆に一夏の揚げ足を取りに掛かる。

 

 

「う、うるせぇ! お前だって鼻の下伸ばしてんじゃねぇか!」

 

「なっ! こ、これは不可抗力で!」

 

 

図星をつかれて慌てふためきながら言い訳を述べようとする一夏だがもう遅い。一夏の後ろには既に目をキラリと光らせた阿修羅が仁王立ちしていた。先陣を切ってセシリアが一夏を問い詰めていく。

 

他の子に色目を向けられることが嫌なんだろう。折角今日のために用意した水着も、一夏に見て貰えなければ意味がない。鈴ならまだしも、全く関係のないナギに色目を向けられれば尚更面白くない。

 

 

「一夏さん! どういうことか説明してくださいな!」

 

「せ、セシリア! こ、これは違うんだ! 別に下心があった訳じゃなくて……」

 

 

不倫がバレて必死に妻を説得している夫の図……に見えなくもない。一夏は将来尻に敷かれると見た。

 

キーキーと騒ぎ立てるセシリアを宥めようとする一夏だが、全然宥められずに、事態はますますヒートアップしていく。一方その傍らで黙りを決め込んだまま、下を俯く。両手は何故か自分の胸元を押さえ、皆に見られないように覆い隠していた。

 

気持ち体が震えているように見えるのは気にしてはならない。俺の本能が悟っている、今の鈴は決して触れてはならないパンドラの箱であると。

 

 

「ふふっ、ふふふっ……そっかぁ、やっぱり一夏はそうなんだぁ……」

 

 

不気味な笑い声を上げ始める鈴の周囲から、徐々に皆が離れ始めた。体をヒクつかせる様相が不気味過ぎる。さすがの一夏も鈴の異変に気付き、一旦セシリアを無視して鈴の元へと駆け寄る。しかし一夏が近寄ってきたというのに、ピクリとも反応を示さない。

 

するとおもむろに歩き出し、今度はナギの後ろへと立ち位置を変える。

 

 

「あ、あの……鈴?」

 

 

後ろに回られたことに些か疑問を感じるナギが鈴に問いただすも、相変わらず反応がない。態々立ち位置を変える理由も分からないし、一体鈴は何を考えているというのか。

 

 

「くっ、ふふっ、ははっ……羨ましい」

 

 

僅かに聞こえた羨ましいと呟く声。

 

鈴の声を聞いた刹那、一抹の不安が脳裏を過った。何に対して羨ましいと思ったのかと。

 

途中から会話を振り返ってみよう。

 

まずどうして鈴がこのような状態になったのかだが、それは自身やセシリアに目もくれず、ナギの水着姿に鼻の下を伸ばしていたからだ。スタイルのよさならセシリアは負けてないが、胸の大きさだけならナギの方が……その、大きいのは明白。

 

つまり鈴が羨ましいといったのは、自身よりも均一の取れたスタイルを持っていたから。

 

無駄な肉付きが一切無いため、太りやすい体型の女性からしてみれば、スラリとした鈴の体型も羨望の的にはなるが、鈴の場合は逆。ついて欲しい部分の肉まで付かずに筋肉に変わってしまっている現状が嘆かわしいと、非常にコンプレックスとなっていた。

 

以前、一夏の貧乳発言に鈴がブチキレたのは記憶に新しい。

 

 

では結論、羨ましいのは分かったけどどうしてナギの後ろに立ち位置を変える必要があったのか。

 

 

「一体なに……ひっ!?」

 

 

答えは口から漏れる悲鳴が全てを物語っていた。

 

口を押さえながら、必死に込み上げてくる悲鳴を堪えようとするナギ。どこか泣きそうな顔をしているようにも見える。泣きそうになるほど何をされているのか、視線を顔から下にずらす。

 

 

「……」

 

 

水着がやけによれているのは気のせいではないはず。ブラの部分を上から手で覆い、盛大に揉む様子が俺の視界に飛び込んできた。上下左右に不規則に揺れ、変形する二つの胸を凝視しながら事を冷静に分析していく。

 

 

「……っ、やぁ……見ないで……ふぁ!」

 

「う、羨ましい! 何よこれ! 大きさだけじゃなくて感度も良いじゃないの!」

 

 

エロい、ひたすらにエロい。周りにいる誰もが二人のやり取りを赤面しながら眺めている。

 

知らんぷりをしてチラチラと様子を窺う者や、顔を両手で覆いつつも隙間から観察する者、中にはカメラまで用意しようとする者と様々。多種多様な反応を見せるのはセシリアや、一夏も例外ではない。

 

 

「り、鈴さん! あ、あああああなた何をしてますの!? 一夏さんも目を逸らしてください!」

 

「いだだだだだだだ!? ちょ、セシリア! 爪が目に食い込んで……!」

 

 

鈴の行動に激しくテンパるセシリアと、視界を覆われて爪が目元に刺さって叫ぶ一夏。

 

臨海学校開始早々、大事になって臨海学校が中止になるだなんて不名誉なものはない。しかもその原因が一国の代表候補生が巨乳を羨むばかりに、一般生徒の胸を揉みしだくだなんて、笑えない冗談はアニメや漫画の世界だけにして欲しい。

 

 

「大きさはE……いや、F!? 少しくらい寄こしなさいよ!」

 

「み、皆みてる、から……あんっ!」

 

 

A○を見ているような気分になる。公共の電波に乗せられないほどの、いや本当に。

 

このままではさすがに埒があかないし、千冬さんや山田先生が来たらより大事になる可能性だって考えられる。なら、今のうちに事態を収束させるしかない。

 

何よりいくら同姓とはいえ、人の"彼女"の身体を良いように弄ばれていい気分はしない。

 

 

ゆっくりと鈴の元へと近づき、右手を空高く掲げる。力をセーブしながら、右手を鈴の脳天目掛けて振り下ろした。

 

スパァン! と乾いた衝撃音と共に、鈴が場に蹲る。鈴の束縛を逃れたナギは息を荒くしたまま、反射的に俺の背中へと隠れる。

 

 

「大丈夫か?」

 

「う、うん。でも鈴が……」

 

 

顔だけを振り向かせて、一旦ナギの身を案じる。いくらおいたが過ぎるとは言っても、鈴のことだし一線は弁えている。返答も問題はないし大丈夫そうだ。

 

こんな時でも相手の事を気遣えるナギの器の大きさに感服しそうだが、今はそんなことを言っている場合ではない。

 

 

「痛った……何すんのよ!」

 

 

痛みから多少の立ち直りを見せた鈴が、涙目で俺の方を睨み付けてくる。まさか鈴もいきなりひっぱたかれるとは思わなかったことだろうが、半分以上自業自得だ。ちゃんと手加減はしたつもりだが、それでも痛かったらしい。そこに関しては申し訳なく思うが、度が過ぎれば痛い目に遭う。

 

……というより、鈴をナギから引き離すにはあれくらいしか手段が思い付かなかった。

 

 

「何すんのよ、じゃねぇ! 公衆の面前で何してんだお前は!?」

 

「う、うるさいわね! 良いじゃないあれくらい! ちょっとしたスキンシップよ!」

 

「あれのどこがちょっとしたスキンシップだっての! やりすぎだわ!」

 

 

鈴には同じことを繰り返さないためにも、きちっとお灸を据えておかなければならない。今回はたまたまだろうけど、また次同じことをナギにされたら理性が耐えれるのか。誤って制服越しに掴んだあるが、直に触ったわけではない。

 

あれだけグニャリと潰れたり、上下左右に揺れたりするのを直視するのは辛すぎる。

 

 

「ほら、ナギに言うことあるだろ?」

 

「う……ご、ごめんなさい」

 

「あ、謝らないで。私なら全然平気だから」

 

 

謝罪も済んだところで折角海に来たのだから遊ぶとしよう。前置きが長かったが、ようやく本題に入れる。

 

 

「ん……あれ、一夏は?」

 

「織斑くんならオルコットさんとあそこに……」

 

 

軽く準備体操をしようと横を向くが一夏の姿が見えなかった。つい先ほどまで隣に居たのにどこに消えたのかと周囲を見渡すと、先に見付けたナギが二人の方向を指差してくれる。

 

そこにはビーチパラソルを開き、日陰にうつ伏せで寝そべったセシリアと、砂浜に膝をつきながらセシリアの背中を見つめる一夏の姿があった。一夏の目がキョロキョロ泳いでるのと、セシリアがブラを外して寝そべっているのを見るとどうやらサンオイルを塗ろうとしているらしい。

 

覚束ないながらもサンオイルを手に塗りつける。色々と忙しいことで、そこら中に引っ張りだこ。気の毒には思わないが、大変だなとは思う。

 

そして案の定、鈴が不機嫌な顔を浮かべながら一夏の元へと歩いていった。それに釣られるように、俺とナギも鈴の後を着いていく。

 

 

「ひゃ!? い、一夏さん! 少し手で暖めてから塗ってください!」

 

「わ、悪い! こんなことやったことないから、分からなくて……」

 

 

ちょうど塗り始めた頃に鉢合わせる。

 

どうやら手でオイルを暖めずに塗り始めてしまったため、かなり冷たかったようだ。ピクリと身体を震わせて顔だけを一夏の方へと向ける。顔を向けることで胸が擦れて、セシリアのたわわがぐにゃりと変形する。俺は何も見ていない、本当に何も見てない。

 

初めてオイルを塗るだろうし、どのように塗れば良いのか分からないのも頷ける。

 

正直、俺も今一夏が失敗するまでオイルの塗り方を知らなかったし、同じことをやれと言われたら、一夏と全く同じ末路をたどっていた。反面教師とは言い切れないが、一夏の失敗を見て正解だった。

 

改めて手と手を擦り合わせながら、手のひらでオイルを暖めていく。二人の様子を観察するように見つめる鈴と、興味深げに見つめる俺とナギ、それとその他クラスメートたち。

 

 

「ん……いい感じですわ一夏さん」

 

 

目を細めてご満悦といった表情を浮かべながら寝転ぶセシリアの背に、一夏は恐る恐るサンオイルを塗っていく。サンオイルを暖めて塗ることは分かっても、どれくらいの力でどのような順序で塗っていけば良いのかまでは分からない。

 

探り探り塗りたくっているが、特にセシリアの不満の声が上がることは無かった。

 

 

「ぐぬぬっ。約束ってこの事だったのね!」

 

 

悔しそうな表情を浮かべながら地団駄を踏む鈴だが、今さら横やりを入れても意味がないことくらいは分かっている。せめて一線は越えさせないようにと、目を凝らしながら一つ一つの動作を見逃さないように見張り始めた。

 

 

「じー……」

 

 

態々声に出さなくてもと思うが、そうまでして強調したいのだろうと思うと、突っ込む気は無くなった。鈴の声に反応してチラチラと一夏が様子を窺ってくるが、途中で止めるわけにもいかずに黙々と手だけを動かしている。

 

手を動かす度に微かに漏れるセシリアの吐息が地味にエロい。この前キスする寸前の吐息なんかも初めて経験したが、それを彷彿させる。だがシチュエーションが違うし、俺がセシリアを異性として意識するかと言われれば違う。

 

 

セシリアのシミ一つ無い色白な肌。手入れが丹念に施されているであろう髪の毛。誰もが羨む理想なボディラインをなぞるように塗る一夏の内心は、大層穏やかなものではないはず。

 

 

「じいいいいいいいいいいい!!」

 

 

時間が経つにつれて鈴の自己主張が激しくなってくる。声が大きくなる度に、一夏の動かす手が早くなるのを見るのは中々面白い。

 

やがて上半身をほぼ塗り終えたか塗り終えないかの瀬戸際に差し掛かった時、目を瞑ったまま静観していたセシリアが口を開いた。

 

 

「あ、あの、一夏さん。同じところばかりもあれですし、折角なら手の届かない場所もお願いしたいのですが……」

 

「手の届かないところ……脚か?」

 

「脚もそうですけれども……その、お尻も」

 

「はぁ!?」

 

 

これはまた大胆な場所を言ったもの。言われた当人は固まったまま、どうしようか悩んでいる。セシリアの下半身……主に水着で覆われた存在感のあるそれを凝視しつつ、ごくりと唾を飲み込む。

 

エステじゃあるまいし、普通は男性がさわるような場所じゃない。むしろ抵抗感しか無いだろう、常識的に考えて触らせるような場所ではないのだから。

 

男としては、一度触っておきたいであろう女性の下半身。肉付きの良い部分を手で触ったら鼻血でも出るんじゃないかと考えると、興味深いけど実際やる立場になるとそうも言ってられない。

 

一夏も腹を括り、手をセシリアのボトムに伸ばそうとした瞬間。

 

 

「はいはーい、そこまで!」

 

 

横槍が入った。

 

一夏からサンオイルを引ったくると両手にあり得ない量のサンオイルを塗りつけ、セシリアの背中を触る。サンオイルを塗った手で背中を触ったのだから、当然暖められてない。突如背中を襲う異様なまでの冷たさにセシリアが顔をあげる。

 

 

「きゃっ! ち、ちょっと何を!」

 

「ほらほーらほーら、ほいほいほいーっと!」

 

「あっ、そこは……あはっ、あはははははっ!!」

 

 

背中、腕、脇腹、横腹と満遍なく塗りたくられるせいで、全身を擽られているような感覚に陥り、笑いを堪えられずに吹き出す。

 

 

「ひゃぁあああああ!? ち、ちょっと鈴さん、いい加減に!」

 

 

そしてボトムの中に手を突っ込んだ瞬間、セシリアが大きな悲鳴を上げる。さすがにセシリアにも我慢の限界が来たらしく、勢いそのままに立ち上がろうとした瞬間に、直感的に危険を感じた俺は、セシリアに背を向けるように後ろを向く。

 

すぐ後ろにはナギがおり、どうして急に振り向いたのか分からずに、困惑した表情を浮かべた。

 

理由ならすぐ分かると目で合図を送り、その時が来るまで本の少しの間待つ。感情が高ぶると、今の自分の状況まで把握できなくなる。セシリアは水着をちゃんと着ていた訳ではなく、ブラの部分は紐を外してその上に胸を置いて寝そべっている状態だった。

 

散々鈴にいじられたことで我慢の限界が来たセシリアは、ブラを外していることに気付かないまま起き上がり鈴の方へと向き直る。鈴の方向には鈴以外の人間もいるわけで、そこにはサンオイルを塗っていた一夏の姿がある。

 

故にここから先の展開など容易に想像することが出来るだろう。

 

 

「えっ!?」

 

「うわぁ!?」

 

 

立ち上がったセシリアの正面が二人の方向へ向いたらしい。水着が外れているであろうセシリアの姿を見て、鈴と一夏がそれぞれに声を上げる。どんな光景が広がっているのか見てみたい気持ちも強いが、今この場で振り向く勇気は無い。

 

心の奥底から沸き上がってく煩悩を振り払い、心頭を滅却する。

 

 

「きゃぁぁああああああああ!!!」

 

 

一際大きな悲鳴が上がったかと思うと、何かがぶつかり合う音と共に、一夏の体が海の方向へと飛んでいく。どうやら予測通りのことが起きたらしい。ISの許可区域外での展開は禁止されているのに、堂々と破る辺り、そのシステムが崩壊しているようにも思えた。

 

 

「もしかして大和くん。こうなることを予想してこっち向いたの?」

 

「まぁ、な。流石に自分の彼女が居る前で、他の女の子の素肌を見るわけにはいかないし」

 

「ふぇ? 急にどうしたの?」

 

「……いや、何でもない」

 

 

誰にも聞かれないような小声で話しかけたが、内容がちょっと踏み込みすぎた。俺が意識しすぎたのか、ナギが気にしていなかったのか。

 

とにかく今は海に飛ばされた一夏を回収することにしよう。なるべくセシリアの方に視界を向けないように俺は海の方へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかしラッキースケベというか、ことごとく災難に巻き込まれるよな一夏って」

 

 

吹っ飛ばされた一夏が戻ってきたのは数分後、幸い顔にも痕は残っていないし傷もついていなかったし一先ずは安心だろう。先ほどまで共に遊んでいたナギはちょっと別の子たちとも遊んでくるとのことで、一旦離れ離れになった。

 

んで鈴はセシリアと鷹月の二人に旅館へ連行。理由は一夏と競争をしている際に足をつってしまい、溺れかけたから。いくら本人が大丈夫とは言っても実際は体に影響がないとも言い切れない。身を案じて二人に強制的にフェードアウトさせられた形になる。ジタバタと抵抗していたことだし、ありゃ連れて行くのは相当大変だろうな。

 

折角一夏と距離を縮めるチャンスだったのに、鈴としては災難だったのは間違いない。本人としても納得していないだろうし、案外途中で二人から逃げ出しているかもしれない。

 

 

「あ、大和! こんなところに居たんだ!」

 

「ん……んおっ!? な、何だそのバスタイルお化けは!」

 

 

背後からふと声を掛けられて振り向くと、そこにはシャルロットがいた。着ている水着は前に一夏と共に買いに行った時のものか。あの時は遠目からしか見えなかったから分からなかったが、素肌に纏う水着の色合いがシャルロットとマッチしている。

 

良好なスタイルももちろん、髪色と同系色の黄色のブラと、黒と黄色が降り混ざったパレオ。セシリアと同じように、自身の専用機に合わせた水着のチョイスが、良い感じにシャルロットの色を醸し出していた。

 

さて、シャルロットは良いとして問題はその隣にいるミイラ。

 

全身をバスタオルで覆っているせいで、誰なんだか全く分からない。体格的にはシャルロットよりも小柄だし、何となく検討はつくが、本人の口から言葉を聞くまでは断定は出来ない。

 

 

「ほら、大丈夫だって。大和に見せるために用意してきたんでしょ?」

 

「だ、大丈夫かどうかは私が決める!」

 

「その声、やっぱりラウラか」

 

 

想像はついていたが、やはりバスタオルの中身はラウラらしい。素っ裸で人の布団に入ったり人前で抱き着いたりと、恥ずかしがる素振りはここまでほとんど見せていないラウラが、ここまで恥ずかしがるとはよほど自身の水着の着こなしに自信がないのか。

 

元々お洒落には一切気を遣うことはなかったし、普段着ている服も制服か軍服、水着に関しては学校指定の水着のみしか持っていないだろうから、少し心配していたんだが……二人の口振りを見る限り、水着自体は用意してきているようだ。

 

バスタオルを取ろうとしないラウラを急かすように、シャルロットが言葉を続けていく。

 

 

「もう、折角着替えたんだから見てもらわないと意味無いよ?」

 

「ま、待て! わ、私にも心の準備があってだな……」

 

 

どれだけ渋るんだろう。

 

見せたいのか見せたくないのか、ラウラからしてみれば見せたくない訳ではなく、普段見せたことがない姿だけに単純に恥ずかしいだけだとは思う。

 

自分のファッションなんか気にも止めなかったラウラが、人に水着を見られることに恥ずかしがっている。これも彼女の中での大きな進歩になる。

 

それにいつの間にか、シャルロットとも随分仲良くなっている。女性だと判明してから、再度部屋割りが変更され、今は同室だとかなんだとか。

 

どちらにしても部屋割り変更も良い方向へ傾いているのは事実だ。山田先生にも感謝しなければならない。

 

 

「それなら、僕が一夏と大和と遊びにいっちゃうけど良いのかなー?」

 

 

そうこうしている内にシャルロットの口からトドメの一言が告げられる。ラウラだってこの臨海学校を楽しみにしていたに違いない。でなければ態々水着を新調せずに、学校指定のスクール水着を着てくるはず。

 

言っていることが本当であれば、ラウラはこの後一人取り残されることになる。そうなると居てもたってもいられなくなるはず。

 

 

「そ、それはダメだ! 私だってお兄ちゃんと……え、えぇい! 脱げば良いのだろう脱げば!」

 

 

半ばヤケクソ気味に纏っていたバスタオルを取り払った。何枚着けていたのかと分からなくなるほどの量が空を舞う。一瞬バスタオルに釣られて視線が上を向くも、すぐに下へと戻る。

 

視線に飛び込んできたのは、いつもとは違った雰囲気の水着を纏ったラウラの姿だった。黒基調のレースに、まっすぐ下ろしているだけの髪を両サイドで結わえたツーサイドアップ。

 

 

「わ、笑いたければ笑うが良い!」

 

 

このような姿をギャップ萌えというのか。普段のような強気で鋭いナイフのような雰囲気は無く、異性に自身の水着を見られていることに恥ずかしがっている。指先をツンツンと合わせながら、視線をさ迷わせる姿があまりにも新鮮すぎて、思わず笑みがこぼれた。

 

 

「な、何で笑うんだお兄ちゃん!」

 

「いや、悪い悪い! あまりにも普段と違いすぎてつい。正直ビックリした、十分すぎるくらい可愛いじゃん」

 

「なぁっ!?」

 

 

瞬間湯沸し器のようにカァッと顔を赤らめるラウラ、その様子を面白がってシャルロットがクスクスと笑う。女性の水着姿について敬意は払うが、大袈裟に言うほど俺は優しい人間ではない。

 

誰がどう見ても、贔屓目なしに可愛いと口を揃える。

 

 

「か、かかかか可愛い!? わ、私がか!」

 

「あぁ、もちろん。それとも俺がお世辞を言ってるように見えるか?」

 

「ほーら、だから言ったじゃないラウラ。絶対似合っているって」

 

「そ、そうか……私はか、可愛いのか。そんなことを言われたのは初めてだ……」

 

 

相変わらず人差し指をツンツンとさせながら照れている。ラウラが可愛くないと言いきるやつは目が節穴か、それとも色々とヤバイ性癖の持ち主かのどちらか。

 

機械じゃなきゃ愛せませんとか、爬虫類に人生捧げていますとか、本当に勘弁してほしい。

 

 

「その水着はラウラが選んだのか?」

 

「い、いや。私の部隊の部下だ……いつも手助けしてくれて助かっている」

 

「ほぉ、なるほどな」

 

 

全ては自分で選んだわけでなく、ラウラの直属の上司に色々とアドバイスを貰ったらしい。

 

ラウラの言う部下とやらには、前科もあるせいでイマイチ信用性に欠ける部分があるけど、今回に関しては良いアドバイスをしてくれたようだった。

 

そりゃいきなり人のことをお兄ちゃんと呼ぶように仕向けたり、兄妹は寝る時には一緒に布団に寝るだのと常識から外れたことを言われていたら、その気がなかったとしても信用出来なくなる。

 

あまり見詰めているのも恥ずかしいだろうし、ざらっと全体を見回して終わりにしよう。

 

と。

 

 

「霧夜くーん! 皆でビーチバレーしないー?」

 

 

どうやらビーチバレーをするようで、十数メートル先にいるクラスメートから声を掛けられる。夏の海と言えばビーチバレー、定番中の定番だ。

 

誘ってくれたのを断る理由もないし、一夏(ひとなつ)の思い出にもなる。

 

参加する意図を伝えるべく、手を振って合図した。

 

 

「あぁ、今いく! 俺以外にも二人追加になるけど大丈夫だよな!」

 

「もちろん! 私たち先にコート作ってるから早目に来てねー!」

 

「了解!」

 

 

話を纏めたところで、再び二人に視線を向ける。後々連れてきましたというのも手間だし、先に伝えることだけ伝えきってしまった。

 

 

「ってな訳だ。二人も行くだろ?」

 

「うん、喜んで! ラウラも行くでしょ?」

 

 

追加になる二人とはシャルロットとラウラのこと。シャルロットはほぼ二つ返事、だがラウラだけはどうしようかと悩んでいるようにも見えた。

 

果たして自分なんかが混じってバレーをしても良いのか、いくらラウラの本質をクラスメートが徐々に理解しつつあるとはいえ、ラウラは分からない。

 

謝罪をしてもまだ心のどこかで自分は認められていないんじゃないか……そんな不安がラウラの脳裏にはあるのかもしれない。

 

 

「い、いいのか? 私も行って……わふんっ!?」

 

 

恐る恐る、控え目に俺に尋ねてくるラウラの頭を、膝を屈めて小さな子供をあやすようにわしゃわしゃと撫で回す。突然のことでされるがままのラウラだが、やがて気持ち良さそうに目を細める。

 

何だろ、本当の妹を持った気分だ。よく兄が泣く妹をあやすように頭を撫でる仕草をテレビとかで見るけど、実際にやってみると撫でているこっちが癒される。

 

特別な手入れなんかはしてなさそうだが、指がスムーズに動くほど柔らかかった。癖になりそうだ、ずっとこのまま撫で回していても良いくらいに。

 

少しばかり名残惜しいが、撫でるのを止めてラウラを諭していく。

 

 

「良いに決まってる。俺たちは兄妹、だろ?」

 

「う、うむ……」

 

「それに、俺の妹なんだからそれくらいのことで弱気になってどうする。お前のことを影で邪険に扱ったり、悪く言うやつがいるなら俺が何とかしてやる。な、シャルロット?」

 

「ふふっ♪ 大和もお兄さんとしての姿が様になってきたよね。大丈夫だよ。誰もラウラをひとりぼっちにしたりはしないから」

 

「あ、ありがとう」

 

 

 

 

 

自分で言っててこれはただのシスコンじゃないかと思ったのはまた別の話。実際に可愛い妹を持つと、普通の兄はこのようになるのだと知ることが出来ただけでも収穫だ。

 

仲間だ、兄妹だと言われて嬉しそうな笑みを浮かべるラウラの手を引いて、クラスメートたちがいる方へと向かう。俺たちの様子をニコニコと笑いながら観察するシャルロットを見てると、妙に背中がむず痒くなる。

 

 

「おー、大和たちもやるのか」

 

「おう、一夏。相変わらず回復が早いな。男が二人いることだし、折角だから俺とお前は別れようぜ!」

 

「いいぜ! 今日こそこの前の借りを返してやる!」

 

 

無事に合流すると一夏がいた。

 

鈴とセシリアの姿は見当たらず、てっきり既に来ているものだと思っていた篠ノ之まで居ない。一夏ラバーズで来ているのはシャルロットのみ。

 

シャルロットのこのようなところがアドバンテージを取れる理由なんだと思うと、他のメンバーの噛み合わせの悪さに苦笑いしか出てこない。

 

 

 

 

ビーチバレーをやるのは久しぶりだし、ちょっと本気を出すとしよう。男は二人しか居ないし、必然的に俺と一夏が別れる形になる。一夏もこのまま俺に負けてばかりはいられないと気合いが入っているし、俺もやるからには負けるつもりはない。

 

まだ他のチームメンバーすら決まっていないのに、俺と一夏の間にはバチバチと火花が走る。

 

 

「おおう、きりやんとおりむーがバッチバチだぁ!」

 

「なんか……暑いね! これは面白くなりそうだよ!」

 

「じゃあチーム分けするか。えーっと、三人ペアで良いのか?」

 

「あぁ、この人数だとそれがちょうどいいな。人数増やしすぎるとそれはそれでやりづらいし」

 

 

話が纏まったところで、チーム分けを行う。一夏が周りを見渡し、参加人数から何人ペアになるかを算出する。本来ビーチバレーは二人一組で行われるのがメジャーだが、この人数を二人ずつに分けたとすると、とても回しきれなくなる。

 

人数的にも三人一組が丁度良い。俺と一夏は別れるとして、残りのメンバーはどうしよう。

 

組みたい人で組んでしまうと埒が明かない。結局あーでもないこーでもないと議論を重ねた結果、くじ引きで決めることに。この日のために作っておいたと、谷本が取り出したくじ引きでそれぞれくじを引き、そこに書かれていた番号の人間とペアを組む。

 

年頃の女の子は遊びに行く時の用意周到さが半端ない。そして全員がくじを引き終わった後、引いたくじに書かれている番号を見た。

 

結果は……。

 

 

「おにいちゃーん!」

 

「ちょ、ラウラ! お前ここ人前だっつーの!」

 

「あ、あはは……」

 

 

俺のペアは偶然にも、ナギとラウラだった。俺とペアだったことに目をキラキラとさせながら飛び付いてくる。嬉しいのは分かるにしても公衆の面前で抱きつかれるのはさすがにいただけない。

 

俺とラウラのやり取りを見ながらナギは苦笑いを、他のクラスメートに関してはまーた兄妹のじゃれあいが始まったよとでも言いたげな温かい視線を向けてくる。

 

どうやらラウラのことは異性の対象としてではなく、妹ポジションとして見ているらしい。仮にナギとかが抱きついてくれば、ラブラブだとひやかし、からかわれる未来が容易に想像出来るが、ラウラに関しては俺の本当の妹として見られているみたいだ。

 

 

……まぁ、名前も顔も似ても似つかないけど、出生は同じな訳ですし? あながち間違っているとも言い切れない。血の繋がりも調べたことがある訳じゃないし、これで本当の兄妹だとしたら笑うしかない。

 

以前は敵対心丸出しだった二人の距離が急接近していたせいで、生き別れの兄妹じゃないかなんて噂も聞くが、本当のところどうなんだろうな。年は同じだけど一般常識に弱く、体格も人形のように小柄な分、どうしても幼く見える。

 

故に一緒にいたらカップルではなく、兄妹にしか見られないわけだ。

 

 

一方のナギも、ラウラが俺に抱きついてきたり、手を繋いだりすることに関しては特に何とも思っていない様子。嫉妬の一つや二つ向けられるものだと覚悟していたのに、現実はこうも違うともなると妹ポジションの偉大さを改めて認識させられた。

 

 

「二人とも、やるからには勝つぞ」

 

「当然だ! お姉ちゃんは私が守るから安心してくれ」

 

「うん。ありがとう、ラウラさん。でも私も運動が苦手な訳じゃないから大丈夫だよ」

 

 

あまり運動している姿を見ることはないから、にわかには信じられないけど、ナギは陸上部に所属している。それもバリバリの現役選手として。

 

そこを踏まえると、普通の生徒より運動神経は良いだろうし、細かな動きも機敏だと思われる。何気にこのチームは最強なんじゃないだろうか、単純な総合的身体能力だけなら一番良いだろう。

 

だが、全員が全員バレー経験者じゃないし、相手にバレー経験者がいれば苦戦だって考えられる。

 

 

ま、ガッチガチに勝ち負けを意識しても仕方がないし、楽しむことをメインで勝ちにいこう。勝ちへのこだわりは捨てきれないんだ、許してほしい。

 

 

最初の対戦は一夏とシャルロット、そして相川のペア。相川はハンドボール部で運動神経は高いし、シャルロットも抜群、一夏もここ最近の訓練でメキメキと昔の感覚を取り戻しているし、侮れない相手だ。

 

あらかじめ作ってくれていた砂のコートに立ち、両足を少しだけ屈めながら重心を落とす。通常の地面に比べて足をとられやすいし、固めの地面でのような跳躍は期待出来ない。ならどれだけ相手がミスをするように動けるか、逆にどのような動きをすれば相手はミスしてくれるのか。

 

そこを考えた動きが重要になる。

 

 

さぁ、これからいよいよビーチバレーの真剣勝負が始まる。

 

 

特別変わったことをしたわけでもない。

 

 

だというのに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”それ”は突如訪れた。

 

 

 

「――――ッ!?」

 

 

不意に左目を襲う、ゴミや埃が入った時のようなズキリとした痛み。

 

砂埃でも入ったのだろうか、反射的に左目を抑えると中の異物を洗い出すように涙が溢れてくる。

 

 

「お兄ちゃん、目を抑えているけどゴミでも入ったのか?」

 

「大和くん? 大丈夫?」

 

「あ、あぁ。ちょっと目に埃が入ったみたいで……少し待っててもらっていいか? すぐに目を洗ってくる」

 

 

俺の些細な変化をラウラとナギは見逃さなかった。すぐに俺に駆け寄って俺の身を案じてくれる。

 

だがそこまで心配することでもない。

 

普段は海に来ることは無いし、少量舞い上がった砂埃が目に入っただけ。近くに水道があるし中に入ってしまった砂埃を洗い流せば症状なんかはすぐにおさまるだろう。

 

あまり大げさに見せてしまうと、かえって周りに迷惑を掛けてしまう。一旦一夏にも事情を話し、俺は一人水道場へと直行する。

 

その後すぐに目の痛みは引き、多少の充血は残ったもののビーチバレーをしている内に目の赤みは完全に引いていた。

 

 

時間は十一時(オーシャンズ・イレブン)、まだまだ楽しむ時間は十分に残っている。校外学習が始まってしまえば遊ぶ時間もそんなにないことだろう。僅かばかりの自由時間を楽しむべく、俺たちは”今”を楽しむのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――今後起きる悪夢のことなんて微塵も知らずに。

 

 

 

 



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臨海学校の夜-ある一室のガールズトーク-

 

 

 

 

 

時は流れて七時過ぎ。

 

ほぼ丸一日遊び倒したIS学園一行は、旅館へと戻り夕食を摂っていた。大広間に中心を囲うように置かれた座布団に座り、目の前の小さな卓袱台の上には色とりどりの料理がのせられている。懐石料理を思わせるほどの上品な作りは、とても一端の高校生が食べるような食事ではない。

 

普通に頼んだら諭吉が一枚消えるんじゃないかと思うほどの料理を提供する高校、IS学園。もはや高校といった定義には当てはまらないかもしれない。

 

見た目がよければ味も……。

 

 

「うん、こりゃ美味いわ」

 

 

期待を裏切ることはなかった。

 

普通にうまい、有名なレストランの料理を食べているような感覚になる。

 

昼も夜も海の幸を食べているが、一切外れを引かない。海に近い旅館だから海鮮系に目が行きがちだが、他の料理の質も通常のものとは比べ物にならない。メインばかりを極めるのではなく、出てくる料理全てで食べる人を満足させる。

 

まるで一つのオーケストラのようだった。

 

ご飯がおかわり自由ということでがっつくような食べ方はしないものの、箸だけを素早く動かし、既にご飯だけで三杯目に突入している。まだまだ育ち盛りだし、昼にかけては遊び倒して体力をフルに使っている。

 

空になった胃を満たすには、ひたすら目の前の料理をかき込む他なかった。料理の美味さのお陰で、その箸が止まることはなさそうだ。

 

 

「しっかしすげえなぁ。これ本わさだろ? 高校生の飯じゃねえって」

 

「本わさ?」

 

 

日本に来たばかりのシャルロットはまだ知らないことも多い。

 

特に日本特有の食べ物、大まかな名称は知っていても細かい種類までは知識が追い付いていないようだ。本わさ……俗にいうわさびの一種なのだが、日本原産のわさびをその様に言うらしい。なので辛さも風味も、従来のわさびとそう変わりはしない。

 

ただ海外だと食べたことのない人間は多いだろう。刺身の皿についている鮮やかな緑色を興味津々に見つめるシャルロット。

 

 

「あぁ、そういえばシャルは知らないのか。本物のわさびをすりおろしたものを本わさって言うんだ」

 

「え? じゃあ食堂の刺身定食でついているのは……」

 

「あれは練りわさ。合成したり着色したりしているから、味は大きくは変わらないんだけど定義がちょっと違うかな?」

 

「へぇー、じゃあこれが本当のわさびなんだ」

 

 

お皿についているわさびの塊を摘まみ上げて、自らの眼前に箸を持ってくる。ここ数週間で箸の扱いにも慣れたようで、苦も無く使いこなしている。海外だとカトラリーを利用するケースがほとんどだし、箸を握ることは皆無。海外の留学生とかが日本に来て初めてぶち当たる難関は、箸の使い方だと言っても過言ではない。

 

小さい頃から使っている俺たちからすれば簡単だが、日本に来てまだ一カ月ちょっとのシャルロットからすればかなり難しい動作になる。それでも短期間で順応してくる辺り、彼女の適応力の高さを伺える。

 

が、今問題なのはそこではない。

 

わさびの塊を摘まみ上げてどうしようと思っているのか。数秒先の未来が見えるなんて素敵な能力だが、生憎そんな特殊な能力は持ち合わせていないし。現状を見ていれば誰でも把握できるようなこと。

 

何の迷いもなく箸で摘まんだわさびの塊を口の中へと放り込んだ。

 

 

「えっ!?」

 

「うわぁ……」

 

「―――――ッッッッ!!!?」

 

 

悲鳴にならない悲鳴を上げつつ、持っていた箸をカランと落とした。

 

強烈に鼻を刺激する痛みに耐えるため、反射的に鼻をつまむ。目元に涙をためているし、相当辛かったんだろう。見ているこっちまで痛くなりそうだ。

 

 

「お、おい……大丈夫かシャル?」

 

 

シャルロットを挟んで左隣にいる一夏が顔を覗き込む。

 

今の俺の立ち位置はシャルロットの右隣、左隣に一夏がいる。興味本位でわさびをあれだけ口の中に入れたらそうなる。それに本わさを知らなかったら尚更。名前が若干違い、練りわさに比べると高級品であるところにシャルロットも興味を持ったんだろうが、辛味があるのは変わらない。

 

 

「ら、らいじょうぶ……ふ、ふうみがあっておいひいよ……」

 

「どこまで優等生なんだよ」

 

 

どこぞの食レポをしているかのように、本わさに対する感想を述べているシャルロットだが、辛味のせいで上手くろれつが回り切っていない。

 

その姿に見かねた一夏が慌てて湯呑にお茶を入れて手渡す。それをひったくるかのように受け取ると、ごくごくと一気に飲み干していった。

 

 

「っ……う……」

 

 

シャルロットの件が一段落したかと思えば今度は一夏の左側から聞こえてくる、何かを我慢するような唸り声。元の声質も相極まって、アダルティな声に聞こえる。ひざ元を何度もこするようにし、必死に正座を崩すまいと我慢していた。

 

俺や一夏は何度も正座の経験があるから、食事程度では足がしびれることは無い。だが、普段正座をしない人間であれば話は別。正座は日本でこそ当たり前だが、外国で正座をしながら食事をする機会はまずない。そのような点でシャルロットはなじみ過ぎているっていえばそうかもしれない。

 

ラウラはもとよりテーブル席で食事をとっている。とはいってもラウラが仮に座敷だったとしてもこれくらい軍隊の訓練に比べればどうってことは無いと言い切りそうなもの。

 

……まぁ、ラウラもラウラで食事の席に着くときに散々俺の隣が良いと駄々を捏ねたが、そこは我儘を言わないようにと説得させて今の場所に座ってもらっている。年頃の妹を納得させるのは大変だと思いつつも、どうにも甘やかしたくなる。

 

血がつながっている訳ではないが、ここまで甲斐甲斐しく世話を焼いていると、もう周りから兄妹と言われたところで、何ら不自然は無くなった。最近は如実にそう思うようにった。

 

 

さて、一夏の隣でずっと唸り声を上げているのは、他でもないセシリア。料理に全く手を付けていないところを見ると、演技でもなく本気で辛いらしい。

 

 

「大丈夫か? 正座が無理ならテーブル席に移動したらどうだ?」

 

「へ、平気ですわ……こ、この席を確保するのにかかった労力に比べれば……」

 

 

セシリアの口から、隣の席を確保するために労力を使ったことが呟かれる。聞こえるか聞こえないのかの小さな声だったがために、一夏やシャルロットにはその声は聞こえていない。聞こえていないというよりは意識が向けられて無かったんだろう。

 

シャルロットは辛さから回復したようで、再び食事を続けている。一夏は何か聞こえたなと思いつつも、内容までは把握出来なかったらしく何を言ったのかとセシリアに尋ねる。

 

 

「席? 席がどうかしたのか?」

 

「い、いえ! な、なんでもありませんわ!」

 

「一夏、女の子には色々あるんだよ」

 

「そうなのか?」

 

 

好きな異性の前では隠しておきたいこともある。本当ならセシリアだってテーブル席で食べた方が楽なはず、なのにどうしてわざわざ慣れない座敷にしたのか。そこが分かれば一夏もセシリアに好意を持っている証拠にもなったが、残念ながらそうでは無かった。

 

一夏のシャルロットに対する返事を聞けばわかる。

 

 

「なら、セシリア。俺が食べさせてやろうか? 前にシャル……むががっ!?」

 

「い、一夏っ!」

 

 

セシリアの身を案じ、食べさせてやろうかと持ち掛けた一夏の口を両手で塞ぐシャルロット。前半はまだしも後半は完全に言ったらマズイ単語だったのは容易に想像できる。

 

現にシャルロットの慌てぶりを見れば一目瞭然。

 

俺たちの見ていないところでそのような行為があったのは明白だし、誰にも知られたくない二人だけの秘密なのも分かる。

 

とまぁ、はたから見ればすぐに気付きそうなものだが……。

 

 

「そ、それは本当ですの! その、食べさせてくれるというのは!」

 

「「えぇ、そっち?」」

 

 

セシリアの返しに、二人の声がハモった。それも綺麗なくらいに、狙っているんじゃないかと思うほどに。

 

セシリアにはシャルロットに一夏が食事を食べさせたという事実はどうでもよく、食べさせてくれると言ったことの方が気になったらしい。嬉々とした表情を浮かべながら一夏に顔を近づけてくる。

 

 

「せっかくのお料理、残したりしたら申し訳ありませんものね!」

 

 

足のしびれを忘れているかのように目を輝かせながら、置きっぱなしにしていた箸を一夏へと渡す。

 

一瞬戸惑いつつも、セシリアから箸を受け取り刺身へと箸を伸ばす。鮪の赤身を掴み、セシリアの要望で少量のわさびを赤身の上に乗せると醤油をつけて口元へと持っていく。

 

お前らはカップルかというツッコミは無しにして、これだけ生徒たちが密集する中で食べさせようとしたら抗議の声が上がるに決まっている。

 

セシリアの隣に居た相川が即座に大きな声を上げた。

 

 

「あぁー! セシリアズルい!!」

 

「織斑くんに食べさせてもらってる!」

 

 

相川の声につられて、会話を楽しんでいた生徒たちがわらわらと群がり始める。一夏は専用機持ちたちの所有物ではないと、以前抗議の声が上がっていたのを思い出す。正直一夏と距離の近さだけでいえば、シャルロットやセシリア、鈴に篠ノ之とほぼ横一線に並んでいるのに対し、その他の生徒たちは四人に比べると一歩遅れている。

 

当然、こんな時まで一夏を独占されたら納得が行かないのも分かる。少なくとも一夏に好意を持って接したい生徒も何人かいるはずだから。

 

 

「ず、ズルくありませんわ! これは隣の席の特権ですのよ!」

 

「それがずるいって言ってるの!」

 

「織斑くーん! 私も食べさせてー!」

 

 

事態はますますヒートアップ。止める手段など持ち合わせていない一夏はおろおろと周囲を見渡しながら、最終的に俺にヘルプを求めてくる。むしろこの場で俺が仲介に入ったら、尚更事態がこじれて収拾がつかなくなる。この場は俺が下手に手出しをしない方がよさそうだ。

 

これで上手く逃げられる。

 

そんな甘い期待を抱いていた俺が浅はかだったと気付くのはそう遅くなかった。

 

 

「それなら私は霧夜くんに食べさせてもらおうかな?」

 

「なぬっ!?」

 

 

背後から聞こえた声に振り向くと、そこには別のクラスメートたちが既に群がっていた。時すでに遅し、何をどうしたところで俺は逃げられない程に膨れ上がった生徒たちの大群は、まるで獲物を見つけた獰猛動物のように目をぎらつかせている。

 

 

「あーズルい! 私も私も!」

 

「織斑くんが駄目なら霧夜くんよ! 皆の者かかれえええ!!」

 

 

完全な風評被害に等しいこの現状をどう打破しようかと考えるも、それすらも上回る速度で押し寄せてくる女子の大群。

 

これ以上どうしろと、半ば諦めかけた矢先に背後のドアが勢いよく開かれた。

 

 

「お前たちは静かに食事をすることも出来んのか!」

 

 

一喝と共に群がっていた生徒たちが一瞬のうちに自分たちの席へと戻る。

 

扉を開けたのは別室で食事をとっていた千冬さんだった。確か教員は俺たちの大広間からは反対側に位置する部屋で摂っていたはず。隣の部屋ならまだしも、反対側の部屋までこの部屋の騒音が聞こえていたとすると、相当騒がしかったに違いない。

 

臨海学校だしテンションが上がるのも仕方ないが、節度は弁えるべきだ。

 

にしても入ってきたのが千冬さんだと分かるや否やのクラスメートの行動の速さと言ったら凄まじいものがあった。まぁこの場合はそれが最も良い決断だろう。さすがに千冬さんを敵に回すことで、どのようなことになるか分からない程、理解能力が乏しい人間はうちのクラスにはいない。

 

千冬さんの介入で静まりを取り戻した大広間だが、食べさせる行為を中断されてしまったセシリアは終始、不機嫌な表情のまま食事を進めていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあー、折角織斑くんと遊ぼうと思って色々持ってきたのに……」

 

「まさか織斑先生と一緒の部屋だなんて、ツイてないよねー」

 

「はぁ……」

 

 

机の上に無造作に置かれた数々のテーブルゲームの数々。UNNOにトランプ、花札にすごろくといったボードゲームまで。これだけあれば出店でも開けるんじゃなかろうかというくらいに、広げられたゲームを見つめながら少女たちは大きなため息をつく。

 

事実を知ったのはつい先ほどのこと。

 

一夏の部屋の場所を知らなかったクラスメートは夕食後、真っ先に一夏の元へと向かう。ここに関しては競争だ、一番早く声を掛けた者が誘うことが出来ると言っても過言ではない。それに声を掛けられたら断りづらくなる、一夏の性格からして、一番最初に声を掛けてしまえばチャンスはある。

 

そんな淡い期待は一瞬にして消し飛んだ。

 

机の上に体育座りをした谷本癒子が残念そうにおさげ髪を触る。一夏と遊ぶことを前提に考えていた夜のカリキュラムがなくなってしまったことで、彼女たちはどうすることも出来ずにただ部屋で黄昏ることしか出来ないでいた。

 

 

「うーん。霧夜くんはいつの間にか居なくなってたし、ガード固いよねぇ」

 

「ねー、ホントそう思う。頼りになるし、いい人なんだけど絶対に一線は越えさせないというか……」

 

「でも気持ちは分かるかなぁ。それに霧夜くんもきっと織斑先生の近くの部屋じゃないかな? 結局それなら部屋に行っても騒げないし、どっちにしても同じだよ……」

 

「「はあぁぁ……」」

 

 

年頃の女の子が揃いも揃ってため息を連発させる。この部屋は全部で五人が収容できる部屋となっている。ルームメイトは谷本癒子、岸原理子、布仏本音。

 

 

そして……。

 

 

「ただいまー! ってあれ? 皆どうしたの?」

 

「何か我ここに在らずって顔してるけど……」

 

 

買い物から戻ってきた相川清香と鏡ナギの二人を合わせて五人になる。二人の手には旅館の売店で買ったであろうお菓子に、飲み物の数々。

 

夜に備えての買い物だろうが、戻ってきて早々暗い顔を拝めることになるとは思ってみたなかったはず。スリッパを脱いで座敷に上がると、買ってきたお菓子や飲み物の入った袋を机の上に置く。

 

 

「おりむーの部屋には織斑先生がいて、きりやんの部屋も織斑先生の近くだって考えると、楽しみが一つ減っちゃったような気がしてー」

 

「え!? そうなの! 何か売店にいた子たちも静かだなーって思ってたけど、そういうことだったんだ。 えー! 残念……」

 

「そうなんだ……うーん、でも仕方ないよね。二人とも人気だから、織斑先生も気を遣ったのかも」

 

 

本音の口から語られる事実に、若干ながら落胆の表情を隠せないのは清香だった。あわよくば少しでもお近づきになろうと考えていたのかもしれない。

 

一方で終始落ち着いた表情なのはナギだった。

 

他の四人とは違い、一人だけ優位に立っているようにも見える。最も、この中で一番優位に立っているのはナギで間違いない。

 

まだ男女の関係になっていない四人に対し、ナギはもう既に男女の関係になっている。大和に対して明確に想いを持ってからというもの、ここにいる四人はナギのことを応援している。

 

度々進捗を聞いてはアドバイスを伝えることも多々あったが、ここ最近はめっきり減っている現状。四人も相談がないことをどこか寂しく思いつつも、上手くいっているのだろうかと心配をしているのも確か。

 

 

「あ、ねぇねぇナギ。最近霧夜くんとはどうなの?」

 

「わ、私?」

 

 

そういえばここ最近はどうなのか、そんな何気ない思いから会話が始まった。

 

まさかこのタイミングで話を振られるとは思っていなかったらしく、『霧夜』の単語を聞いたナギの顔がほのかに紅潮する。

 

今は臨海学校中だし、それぞれの恋ばなに花を咲かせるのは当たり前で、噂になっている男性と仲良くしている女性がいれば、それは格好の的になる。

 

いくらナギが否定しようとも、大和とナギが周囲より親密な仲にあるのは確か。特に一組の面々は、学内での二人の様子をしっかりと見ている。

 

とはいってもプライベートの部分までは追いきれてはいない。だが二人がちょこちょこと何処かに出掛けている姿も散見されるし、普段の日常生活から見ても雰囲気が良いのは伝わってくる。

 

挙げ句の果てには専用機持ちを除けば、数少ない大和のことを名前で呼ぶ人物の一人であり、逆に大和からも名前で呼ばれる人物の一人でもある。

 

 

「そ、そんなこといきなり聞かれても……」

 

「おぉ? その反応はもしや何か進展があったのかな?」

 

「ふふふ……おじさんしってるよ? 臨海学校前の休日に二人で出掛けたことを!」

 

 

いきなり聞かれてもとワタワタとあわてふためくナギだが、逃げようと思っても無駄だと言わんばかりに手をワキワキとさせながら、ナギへと近付いていく癒子、理子の両名。端から見たら、ただのエロ親父が詰め寄っているようにしか見えない。

 

 

「ふ、二人とも目が怖……えっ!? 本音ちゃんと清香ちゃんまで何してるの!?」

 

「ふっふっふっ、おじさんもナギの恋愛事情には興味あるなぁ!」

 

「かがみん、観念するんだよー!」

 

「ちょっ! わ、分かったから! ど、何処触って……んんっ! やめっ……んぁっ!」

 

 

残った清香と本音がナギの背後に回り込むと、彼女の体を取り押さえに掛かる。お前らは警察の強行班かと言いたくなるほど連携の取れた動きに、ナギは為す術もなく動きを封じられた。

 

ジタバタと動いている内に二人の手が際どいところに触れてしまい、度々妖艶な声を上げる。このままでは周りの部屋にまで会話を知られてしまうと観念したナギは、両手を上げて降参のポーズを取った。

 

これ以上抵抗しても無駄なことがよく分かったからだ。

 

それに、何やかんやここにいるメンバーには世話になっている。男性が魅了されるような服を教えてくれたり、化粧も手伝ってもらったりした。色々と影でサポートしてくれるなど、ナギとしては本当に助かった。

 

あの日のことは二人だけの秘密として隠しておこうと思ってはいたものの、出掛ける姿を見られては隠しようがない。それに怪しがってコソコソと出掛けたら、かえって怪しまれる。

 

なるべく人目につかないように外へと出たが、他クラスの目は誤魔化せても、クラスメートたちの目は誤魔化せなかった。

 

 

「ぜ、絶対に言っちゃダメだからね!」

 

「「うんうん!」」

 

 

個人の恋愛のことを、ホイホイと言いふらすような人間ではないのはナギが一番よく分かっている。他言無用だということを強調して伝えた後、大和と出掛けた時のことを話し始めた。

 

 

「臨海学校ってことで水着を買いに……」

 

「ってことは今日着ていた黒のビキニって霧夜くんに選んでもらったとか!?」

 

「う、うん。そうだけど……」

 

 

開口早々の食い付き振りに驚きを隠せなかった。

 

今日着ていた水着は大和が選んでくれたものであり、試着した中では最も大和が反応を示してくれたものにもなる。

 

大和の反応も楽しみに着用していたのもあるが、その前に鈴に好き放題されたイメージが強すぎて、あまり良い思い出が無かった。

 

ただ、大和が着ている姿をチラチラと頻繁に眺めていたのは知っているし、彼女にとっては彼が喜んでくれるだけでも十分嬉しかった。

 

 

「う、羨ましい」

 

「ぐぬぬ。霧夜くんと二人きりで、かぁ。いいなぁー!」

 

 

彼女たちもまた年頃の女の子であることに変わりない。二人のシチュエーションを想像したんだろう、両手を頬に当てながら羨ましそうにナギを見つめた。

 

気になる異性と買い物に出掛け、自ら着用する水着を一緒に選んでもらう。つまり自身の好みだけではなく、相手の好みに合わせた水着を選ぶことが出来るから、海やプールで水着を着けた時の、相手に与える好感度は従来よりもグンと上がる。

 

まず男女二人きりで買い物に出掛けることが、羨望の象徴とも言える。IS学園に入学した以上、どうしても男性との関わりは激減するのだから。

 

 

「それでそれで? 他は何処行ったの?」

 

「お昼は近くのレストランで摂ったんだけど」

 

「ま、まさかあの『あーん攻撃』とか!?」

 

「し、してないよ! 周りに人もいたし!」

 

「じゃあ、人が居なかったらしてたの?」

 

「うぅ、それはそのぉ……」

 

 

手をモジモジさせながら恥じらうナギの姿を、ニヤニヤと見つめる四人組。いつもは良い友達でも、この時ばかりは悪魔に見えたと言う。

 

彼女も『あーん攻撃』がやりたくなかった訳ではない。好きな人と一緒に出掛けるのだから、甘えたいと思うのが当然。それでも人前でやるほどの度胸は無かった。

 

今なら出来るだろうか、そう思いながらも周囲の目を気にすると、どうしても手は出し辛い。背伸びしてもろくなことはないし、ゆっくりと進んでいけば良い。それがナギの中での結論だった。

 

 

「あーん! 私にもそんな男の子の知り合いが欲しかったなぁ!」

 

「男の子の知り合いって、織斑くんも霧夜くんも知り合いじゃん!」

 

「でも織斑くんも競争率高いし、霧夜くんには……ねぇ?」

 

「うん、それは私も思う。絶対的に越えられない"壁"がいるし」

 

「「うんうん!」」

 

 

それぞれが顔を揃えて、ナギの方を見つめる。

 

 

「ふぇっ?」

 

 

私? と驚きの表情を隠せないまま首を傾げる。誰がどう見てもナギに決まっている。既にクラスメートたちは大和を追いかけるのを諦めるほどに、二人の距離感は近い。

 

本人たちは無自覚なんだろうが、周りから見ればとても踏み込めるような関係ではないことくらい分かる。

 

実際既に付き合っているのだから、あながち完全に踏み込むことが出来なくなったと言っても過言ではない。手出しをする可能性があるとすれば、身近にいるラウラかもしくは楯無くらいか。

 

 

「またまたぁ、とぼけちゃって! それに、まさかそれで終わりじゃ無いんでしょ?」

 

「え、えぇ!? まだ言うの!」

 

 

大和との関係がバレてるんじゃないかと思うほどに、的確な話の流れになってくる。

 

元々聞かれたら親密な知り合いだけには話そうと思っていたが、ここまで来ると全てを見透かされているようにも見えた。

 

一瞬戸惑うも、再度ゆっくりと、今まで以上に顔を赤らめながら、覚束無い口調で話を進め始めた。

 

 

「その、最後は遊園地に行って……」

 

「「遊園地っ!!?」」

 

「こ、声が大きいよ!」

 

 

最後の最後に出てきた遊園地という単語に今日一番の食い付きを見せる面々。ごくりと唾を飲み込みながら、続くナギの話を待つ。

 

デートの最後に遊園地を訪れるのは、もはや告白の鉄板の流れである。遊園地に行く意味を理解出来ないほど、彼女たちも子供ではない。

 

 

「か、観覧車に乗って……その、あの……」

 

「……」

 

「や、大和くんに……す、す、す……好きって」

 

「「きゃー!」」

 

 

全部言い切ったナギを黄色い歓声が包み込む。言い終えたナギは耳まで顔を赤くしながら、下をうつ向いてしまう。寮の前でキスをしたという部分に関しては触れなかったが、それでも一日の全容を話した形になる。

 

女性の誰もが羨む、一つのストーリーになりすぎた一日の展開に、歓声を上げずにはいられなかった。この時間帯はまだ自由時間のため、大きな声を出そうが織斑先生の逆鱗に触れない限りは問題ない。

 

それに大声で騒いでいるのは、別にこの部屋だけではないし、別段驚かれるようなこともないだろう。

 

 

「うっそ! それ本当に!?」

 

「う、うん」

 

「ど、どっち! どっちから言ったの!?」

 

「えっと……大和くん、からかな」

 

「おー! きりやんも隅に置けないなー!」

 

 

ワイワイとまるで自分のことのように喜び、盛り上がる四人に対して、完全に一人取り残されるナギ。

 

まさか自分のことでここまで盛り上がるとは思ってなかったらしい。話した相手がこの四人で良かったと、心からそう思うナギだった。

 

 

「くぅうう! 私たちも良い恋愛しなきゃ!」

 

「その前にまず相手を見つけないとね。織斑くんは倍率高すぎるし……合コン?」

 

「合コンって、誰が開くの? 私あまり男子の知り合い多くないし」

 

「そこは……理子あたりどうなの?」

 

「わ、私もそんな男の子の知り合い多くないよ! それを言うなら癒子はどうなの!」

 

「私もそんなに多くないかも……」

 

「「はぁ……」」

 

 

大きく溜め息を吐きながら、自らの状況を再認識する。

 

ここはIS学園、女性の園。

 

異性を見つける方が難しいくらいなのだ。出会いを求めるためには、男性と知り合わなければならない。知り合うためには何かしらの方法で男性と出会わなければならないが、現状男性と繋がりがある女子がほとんど居ない。

 

一例として、入学してきた男子と付き合えたという意味ではナギのケースがあるが、たまたま入学してきた男性操縦者のうちの一人と、フラグを立てるというケースがあまりにもレアすぎて全く参考にはならない。

 

探し出すためにはツテを探し出すか、自ら交友を広げて行くか。一見簡単そうに見えるが、何度も言うようにIS学園は"共学校"ではない。男子の母数がほぼゼロに等しい中、そこから男性の知り合いを見付けるのは至難の技。

 

そもそも最初からそれが出来るなら先代からやっているだろうし、やっていないのは出来ないから。

 

故にIS学園にいる間は異性の相手が出来る可能性は、かなり低い。それは彼女たちの表情を見ていれば一目瞭然、ズーンとした暗い雰囲気が広がる。

 

 

「何かすごーく負けた気分。別に一人の男の子を取り合ったわけでも無いのに……どうしてなんだろ?」

 

「そうだよね。なんだろう……」

 

 

相変わらずの四人の反応に、フォローの声も掛け辛くなってしまう。

 

僻みを向けられている訳でもないのに、自身の現実を知ってしまったことで、より落ち込んでしまった四人。今は声を下手に掛けない方が良いのかもしれない。

 

 

「わ、わたしちょっと風に当たってくるね!」

 

 

一旦落ち着かせる意味でも外に出た方が良いと判断したナギはおもむろに立ち上がり、入り口へと向かう。

 

まだ完全消灯まで時間はあるし、ロビーで少し時間を潰せば皆も落ち着いてくれるはず。

 

ふすまに手を掛けようとした刹那、ふと後ろから声が掛けられた。

 

 

「あぁ、ごめんねナギ。変に気を遣わせちゃって。でも、本当におめでとう」

 

「私たちもナギっちに続かないとね!」

 

「私も、霧夜くん以上に良い男の子を捕まえるから見ててよ?」

 

「私も頑張るー!」

 

 

背後から掛けられる祝福の声の数々、振り向いた先に飛び込んできたのは、先ほどまでのこの世の終わりのような表情ではなく、あなたに負けないようにと意気込む四人の姿だった。

 

皆の表情を見ていれば自然と分かる、お世辞でも偽りでもない、本心からの祝福に思わず涙腺が緩む。良い親友をもって良かったと、改めて思えた。

 

 

「みんな、ありがとう!」

 

 

……私も皆に負けないように頑張らないと。

 

少なくとも皆に誇れるような、大和に釣り合えるような彼女になろうと。改めてナギは心に強く誓い、部屋の外へと出掛けるのだった。



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臨海学校の夜-勘違いから始まる恋話?-

 

 

 

「ふんふんふーん♪」

 

 

セシリア・オルコットは上機嫌だった。

 

何故これほどまでに上機嫌なのか、自分でも分からないほどに足取りは軽い。今にでもスキップして飛び立ってしまいそうにも見える。

 

 

(まさか一夏さんのお部屋に呼んで頂けるなんて♪)

 

 

理由は単純だった。

 

その理由は夕食の時に遡る。

 

食べさせてくれると言ったにも関わらず、千冬の介入により、出来なくなってしまった。セシリアはずっとむくれ面を続けていたが、食事を終えた後、一夏から個別に呼び出されてある誘いを受ける。

 

一夏としては謝罪の意味合いも込めての誘いだったんだろうが、気になる異性からの誘いにセシリアのテンションは一気にハイに。

 

内容までは聞きはしなかったが、部屋に呼ばれただけだというのに変な括りをしてしまったようで、着用する下着諸々は、とても一端の高校生が着けるようなものに変わっている。

 

それだけのために部屋で付け替えてきた。個別の部屋であれば考えられた可能性だが、セシリアが忘れているのは、一夏が一人部屋ではないこと。そしてペアが誰も歯向かえないレベルの人物だということ。

 

だが部屋に呼んでもらったことが、セシリアにとってはたまらなく嬉しい出来事だったんだろう。今ならどんな困難があろうが、立ち向かえそうな気がした。

 

ルンルン気分のまま角を曲がると、セシリアの目に異様な光景が飛び込んできた。

 

 

「……?」

 

 

一室の前に立膝を付きながら、ドアへと耳を当てて中の様子を伺う四人の姿が。何をしているのだろう、部屋に入りたいのなら普通に入れば良いのに、どうしてドアに張り付いているのか。

 

スパイ映画や探偵映画じゃあるまいし、と頭の中で考えつつも、もしかしたら部屋には入れない理由があるのではないか、という結論に行き着く。

 

部屋の前にいるのは、箒、鈴、シャルロット、ラウラの四人。いずれも自身に関係するメンバーだ。となると四人の前の部屋が一夏の部屋……もとい一夏と千冬の部屋になる。

 

職務中ではないとはいえ、"あの"千冬の部屋だし、入ることに抵抗感があるのは分かる。だが、このケースは明らかに抵抗感があるわけではなく、中で起きている事象に興味を持ち、息を潜めて聞き耳をたてていると解釈するのが妥当だろう。

 

一体自分の知らないところで何が起きているのか、興味に駆られたセシリアは足音を消しながら、静かに四人の元へと詰め寄って声を掛けた。

 

 

「何をしていますの?」

 

「シッ!」

 

 

小さな声だったにも関わらず、声を出すなと鈴はセシリアの口を両手で塞ぐ。一体急に何を……と文句の一つでも言おうとした瞬間、部屋の中から聞こえてきた会話にセシリアの表情が一気変わった。

 

 

「じゃあ大和、ここに寝そべって力を抜いて」

 

「あぁ……っ!」

 

「悪い、力入れすぎたか?」

 

「いや、大丈夫だ。これくらいなら全然……くっ! ちょっ、そこはっ!」

 

「くっくっくっ、さすがのお前も、一夏のテクの前では形無しだな」

 

 

一体、何が起きているのか。

 

部屋の中に三人の人間がいるのは分かるが、問題なのはそこではなくて聞こえてくる会話の内容。

 

誰がどう見てもコンビニに売られている薄い本の某描写や、一定の年齢からしか視聴が出来ないメディア媒体で垂れ流すような内容の会話が聞こえてくる。しかもその相手が男×男。このケースに当てはめるのであれば、一夏×大和のシチュエーションにあたる。

 

 

「こ、これは一体何の冗談ですの?」

 

 

顔をヒクつかせながら、ギギギッと壊れたロボットのように四人の方へと顔を向けるセシリア。既に会話を聞いたことで箒、鈴、シャルロットの三名は死んだ魚のような目をしていた。

 

自分の好きな男が別の相手、それも女性ではなく同性に興味があったとすれば、そもそもの選択肢から除外されることになるし、何より一夏の好意の対象がまさかの大和だったことを考えたら、絶望の底へ叩き落とされても無理はない。

 

挙げ句の果てには、二人の様子を面白がって観察する千冬がいることを考えると、何も言えなくなってしまう。

 

 

「一夏とお兄ちゃんは何をしているんだ?」

 

 

ラウラに関しては事態が飲み込めておらず、中で何をしているのだろうと興味津々な様子だ。ラウラは一夏に好意を持っている訳ではなく、大和と遊びたい、一緒に居たいとの思いが強いだけであって、大和の好きな相手が仮に一夏であろうともぶれないだろう。

 

 

「いっつつ! お前もう少し加減を……」

 

「まぁまぁ。でも良い感じにほぐれてきただろ?」

 

「そりゃあな。しかし、一夏にもこんな特技があったなんて、結構意外だったぞ」

 

「こいつはこう見えて割と何でも出来るからな。そこら辺の男には到底真似できないテクを持っている」

 

「へぇ、そうなんです……あいたたっ!」

 

 

引き続き行われる行為に、廊下にいる面々の顔は死んだ顔をしつつも、あまりの生々しさに真っ赤にしている。相変わらず首をかしげるのはラウラだけで、周囲の変化にもはてなマークを浮かべるだけだった。

 

更に中の様子を探ろうと耳を近付ける。

 

この時、中の行為を観察することに夢中で、扉に掛かった圧力が強まったことを誰一人気付けなかった。ミシミシとほんの小さな音が部屋の中に響き渡る。

 

普通なら気付かない人間の方が多いが、中にいるのは世界最強と、護衛のエキスパート。些細な音を判別できないほど耳は腐っていない。

 

 

「……一夏、ちょっとそこで待ってろ」

 

「どうやら、子ウサギたちが群がっているみたいだな」

 

 

布団に寝そべっていた大和が立ち上がり、ほぼ同時に千冬も腰掛けていた椅子から立ち上がる。そして二人揃って入り口へと近付いてくる。

 

 

「あれ、なんか静かになった?」

 

「よく聞こえんぞ、もう少しドアに寄ってくれ」

 

「ほ、箒さん。これ以上は危ないですわ」

 

 

一方で部屋のドアに張り付いている面々は、二人の接近に全く気付いていない。

 

急に部屋の音が聞こえなくなったことで、よりドアとの密着度をあげていく。当然密着すればするほど、ドアの軋みは大きくなり、音は小さいものから大きなものへと変わっていく。

 

いつもなら聞き耳をたてる上で、大きな音をたてるのはタブーであり、尾行や監視をする際には細心の注意を払って行動する。それでも現実としてあり得ないミスをしているのは、本人たちが目の前のことしか考えられていないから。

 

今彼女たちにとって重要なのは、ドアに接近してくる二人の存在から逃げることよりも、中で行われているであろう如何わしい行為を観察することらしい。

 

が、ラウラだけは不穏な空気を悟ったらしい。

 

 

「シャルロット、少しドアから離れていた方がいいだろう」

 

「え、ちょっ、ラウラ?」

 

 

ドアの側にいたシャルロットの手を引き、半ば強引にドアから遠ざける。二人の接近に直接気付いた訳ではなく、ラウラの直感があまり長く聞き耳をたてるものではないと判断したから。

 

嫌な予感がする。それなら一人でも部屋の前から遠ざけておいた方が良い。いきなり手を引かれたシャルロットは意味が分からないまま、後ろへと後退させられた。

 

 

―――刹那

 

 

「へぶぅっ!?」

 

 

勢い良く開かれたドアに、密着していた三人が殴られる。盛大に、物凄く痛そうだ。現にドアがぶつかった頭の部分を押さえながら涙目になっている。

 

 

「何をしている。この馬鹿者が」

 

「なーにしてんだお前ら。揃いも揃って聞き耳なんかたてて……」

 

 

逃れられない現状に、苦笑いを浮かべながら後ずさりを始める箒、セシリア、鈴の三人。シャルロットとラウラに関しては、ご愁傷さまですと手を合わせながら三人を見つめている。

 

 

「あ、あははは……こんばんは、織斑先生」

 

「こ、これはその! た、偶々ここを通りかかりまして!」

 

「さ、さようなら!」

 

 

言い訳を考える前にたった一人だけ身を翻し、その場から逃走を図ろうとする鈴。だがこの場面での逃走を易々と許してくれるほど、千冬は甘くない。大和は比較的甘い方だが、千冬に指示されれば、それに対して全力で応えようとする。

 

 

「霧夜」

 

「はい。よっ……と!」

 

「にゃっ!?」

 

 

スタート自体は悪くなかった、誰よりも早く離れられたし逃げ切れる可能性は高い……などと淡い期待を一瞬でも考えた自分が甘かった。

 

一人だけ先に脱兎のごとく逃走しようとしたところを大和に捕まれて、素っ頓狂な声を上げる。まさか自分の行動が全て読まれていたとでも言うのか、それほどにまで的確な捕縛に目を丸くするしながら驚くしかなかった。

 

じたばたと抵抗しながら逃げようとするが、体格差もあるせいで大和の手から逃れられない。

 

 

「や、大和! 離しなさいってばー!」

 

「はいはい、脱走猫はそのまま部屋に収監で。それで良いですよね、織斑先生?」

 

「あぁ、それで構わん」

 

「うぅ、大和の裏切り者……」

 

「どこが裏切り者だ。ったく、人の部屋の前に張り付いて聞き耳たてている方がよっぽどタチが悪いっての」

 

 

捕まえられたのが運の尽きだと観念し、渋々部屋の中へと連れていかれる。ここから先の未来を想像したのか、箒とセシリアは共にガタガタと体を震わせる。

 

ラウラとシャルロットは何とも言えない表情を浮かべながら、鈴の後ろ姿を見つめる。千冬は鈴が部屋に入ったことを確認すると、今度は四人の方をジロリと見つめる。見つめられたことで今度は全員の背筋がピンと伸び、まるで軍隊にでも入れられたかのように姿勢を正す。

 

 

「ふん、ついでだ。お前たちも入っていけ」

 

「は、はい!」

 

 

千冬の命令を断るわけにもいかず、言われるがまま部屋へと入る四人。この後どうされるのか、各々が未来を想像しながら奥へと進んでいく。

 

人の部屋の前で、こっそりと聞き耳を立てていたのだからその罪は重い。それも男性同士の危ない会話を聞いていたともなると、口封じのために何をされるのか考えただけでいてもたっても居られなくなる。

 

 

「人の部屋で盗み聞きとは感心しないが、まぁいいだろう。お前らが何を想像していたのかなど、すぐに分かる」

 

 

場に正座した五人の前にあぐらをかいて、腕を組みながら座り、堂々たる存在感を放ちながら会話を進めていく千冬。話の内容に顔を真っ赤にしながら下を俯く四人。

 

ラウラは相変わらずそっち系の話に疎いのか、よく分からずに首を傾げるのみ。

 

 

「どーせ、俺の出してた声が卑猥に聞こえたとかそんな感じじゃないですかね。あのマッサージなら多少声が漏れても仕方ないと想いますけど」

 

「「ま、マッサージ?」」

 

 

大和の口から出てくる単語に、目を丸くしながら見つめる。

 

 

「あぁ。男同士で抱き合うわけないだろう。それともお前らはそっちの方が良かったか?」

 

「「結構です!」」

 

 

座っている椅子に肘をつきながら、ケラケラと笑い声を上げる大和に、そっち系の趣味があるんじゃないかと指摘されて全力で否定をした。

 

と、同時に安堵のため息をつく。一夏が男性に興味がある性癖じゃなくて良かったと。

 

 

「コイツはこー見えてマッサージが上手い。お前らもやってもらうと良いだろう」

 

「ああ、そうだった。元々セシリアを呼んだ理由がそれだったんだ!」

 

「は、はい?」

 

 

一夏の発言に、首を傾げるセシリア。そう言えば自分はなんで呼ばれたのだろうかと。一夏の性格上、特に用がないのに呼びつけることはないし、部屋に呼ばれた時に理由を聞いていなかった。

 

否、呼ばれたことが嬉しくて、他のことが頭の中から一切吹っ飛んでしまったというのが正しい。

 

一夏が自分を部屋に呼んだ理由が分かり、一気に落ち込むセシリア。どうせそんなことだろうと思っていた反面、期待を大きく裏切られたことによる落胆が大きかった。個別での声かけにもしかしたらと期待を込める部分は、今まで以上にあった。

 

少なからず個別に誘ってくれたのだと。だが現実はこれだ。箒や鈴がいるのは本当に偶然だったが、呼び出された内容がマッサージだと聞かされると、自身の中での想像とのギャップが激しく、従来のテンションを維持することは出来なかった。

 

 

「うぅ、とんだ勘違いですわ……」

 

「勘違い? 何かあったのか?」

 

「な、何でもありません! 全部一夏さんのせいですわよ!」

 

「お、俺!? 俺が一体何を!」

 

「あーあー、騒ぐなガキ共。耳が痛くて仕方ない。ラブコメは別の部屋でやってくれ」

 

 

鬱陶しそうに呟く千冬の一声に再び静まり返る。むくれ面をしながらハムスターのように一夏を見つめるセシリアを、一夏は苦笑いで誤魔化す。

 

 

「でも流石に二人連続でやると汗をかくな」

 

 

千冬、大和と二人連続でマッサージをしたことで、一夏の額にはジワリと透明な汗が滲み出ていた。加えてこの夏の温度ともなれば、動かなくても汗をかくし無理もない。

 

 

「手を抜かないからだ、少しくらい加減を考えろ……まぁ、お前は霧夜と一緒に風呂にでも行ってこい。部屋を汗臭くされたら敵わん」

 

「ん、そうする。じゃあ大和、行こうぜ」

 

「おう」

 

 

千冬の言葉に小さく頷いた一夏は、タオルと着替えを持って大和と共に部屋を出ていく。部屋に残された五人は正座したは良いものの、どうすればいいのか分からずにただ呆然と座るだけ。

 

スーツ姿の千冬となら何度か話したことはあれど、浴衣を纏ったプライベートが若干入り混じった千冬と話すのは初めての経験で、教師としての姿しか見てこなかった五人にはどう切り出して良いものか分からなかった。他の人間に比べれば千冬のことを知っている箒、鈴であっても緊張からか言葉が出てこない。

 

ラウラもセシリアやシャルロットに比べれば千冬のことを知っていたとしても、教官としての顔がほとんどであってプライベートまで知っているわけではない。

 

いつものバカ騒ぎは何処へやら、一向に話し出そうとしない五人に呆れたように千冬が切り出した。

 

 

「おいおい、いつもの騒がしさはどうした。別に葬式をやっているわけではないぞ」

 

「あ、その……」

 

「織斑先生とこのように話すのは初めてといいますか……」

 

「いきなり話せと言われても……」

 

 

全員思うことは同じらしい。箒、セシリア、鈴が思ったことを素直に伝える。偽りのない本心にやれやれ感を拭えない千冬はこれでは一向に話が進まないと、話題を切り替えに掛かる。

 

 

「ったく仕方ないな。私が飲み物を奢ってやろう、篠ノ之、何が良い?」

 

 

いきなりの名指しでびくりと肩を震わせる箒、どう返せばいいのか分からずに柄にもなく、四方八方に視線を這わせる。

 

箒が戸惑っている間にも、千冬は備え付けの小さな冷蔵庫の中から飲み物を人数分取り出した。

 

 

「ほら、人数分の飲み物だ。どれがいいかはそれぞれで決めるがいい」

 

 

手当たり次第に渡したものの、それぞれに受け取った飲み物が偶々本人の納得のいくものであったため、特に交換をすることなく落ち着いた。

 

 

「い、いただきます」

 

 

手に取った飲み物を恐る恐る口へと運ぶ。液体が喉を通ることを確認した千冬の顔がニヤリとほほ笑む。顔だけでも『飲んだな?』とでも言わんばかりに。

 

 

「飲んだな?」

 

 

と言ったところで、想像と同じような言葉が投げ掛けられる。

 

飲み込んだ五人は飲み込んだ後、キョトンとした表情のまま千冬を見つめる。

 

 

「の、飲みましたけど……」

 

「な、何か入っていましたの?」

 

「失礼な奴だな。なーに、ちょっとした口封じだ」

 

 

セシリアの発言に一言物申すと、再び冷蔵庫を開けて何かを取り出す。キンキンに冷やされたスチール缶は、表面に星印が描かれた大人の飲み物。

 

ビールだ。

 

 

プシュッと良い音を立てながら蓋を開けると、中から真っ白な泡が噴き出てくる。こぼれないように口を付けて泡だけを先に飲み込む。そしてそのまま、中身のビールをごくごくと飲みほしていく。

 

ビールを飲む時は一期のみをしてはいけません。そんな常識などかなぐり捨てるかのように500mm缶を一気に飲み干していく。飲んでいるのは若干安目の発泡酒ではなく、高めのビール。それをおいしそうに飲み切るとぷはぁと息を漏らしながら満足そうな笑みを浮かべる。

 

 

「くぅ! ……どうした? 私の顔に何かついているのか?」

 

 

いつもなら校則、規則、規律などと決まり事には誰よりも人一倍厳しいはずの千冬が、仕事帰りのサラリーマンと同じようにグビグビとビールを飲む姿が全く想像つかない。少なくとも仕事の千冬を見ている生徒からすれば一致せず、ポカンとしたまま千冬を見つめていた。

 

教官としての千冬、教師としての千冬といずれも厳しい表情しか見てこなかったラウラは、他の四人に比べて驚きも多く、何度も何度も瞬きを繰り返す。信じられない、これがあの教官なのかと。

 

 

「私とて人間だ。酒くらいは飲むさ。それとも私が作業用のオイルでも飲んでいるように見えるか?」

 

「い、いえ。そうではないんですが……」

 

「今は職務中ではないんですか?」

 

 

箒が、シャルロットが口をそろえて言葉を伝える。

 

が、あっけらかんとした表情で二人に返す。

 

 

「堅いことを言うな。それにもう口止め料は払ったぞ?」

 

「口止め……あっ!」

 

 

千冬の見つめた先にある蓋が開けられたジュースの数々、視線の移動に気付いた五人はほぼ同時に手元を見る。既に自分たちは蓋を開けている缶を握りしめている。それも飲み物を口に付けている。

 

飲み物を手渡された意味をようやく悟り、声を上げた。

 

 

「さて、前座はこれくらいにして肝心の話をするか」

 

 

本題にうつる前に二本目のビールを取り出して、蓋を開ける。

 

 

「一人は別として……一夏の、あいつのどこが良いんだ?」

 

 

集められたメンバーからして”あいつ”が誰を指し示しているのかはすぐに理解出来た。

 

 

「わ、私は今の一夏の実力に納得が行かないからですので」

 

「わたくしはもう少しクラス代表としてしっかりしてほしいだけです」

 

「あたしはただの腐れ縁なだけだし……」

 

 

自身の感情を素直に吐き出せないのは色々と不憫だ。彼女たちも本心から思っているわけではないが、どうしても誰かに本心を言いたくないと思ってしまう部分がある。箒、鈴、セシリアの三人は揃ってツンツンとした回答を返す。

 

 

「ふむ、ではそれをそのまま一夏に伝えておくとしよう」

 

 

回答に対して、一夏に伝えるとしれっと言う千冬に、三人は目をギョッとしながら千冬の元へと迫る。

 

 

「「い、言わなくていいです!」」

 

 

言われたくないに決まっている。

 

言われた時点で自分たちが何の感情も向けていないことを知られてて、ますます状況が不利になる。それも一夏と最も距離感が近いのはほかでもない千冬であり、クラスでも最大のライバルはクラスメートではなく千冬じゃないかと密かに噂されているくらいなのだ。

 

更に千冬が言うと冗談に思えない。

 

 

「それで、デュノアはどうなんだ?」

 

「わ、私は……優しいところ、です」

 

 

先ほどの三人とは違い、小さな声でぽつりと言うシャルロットだが、その一言には一夏に対する想いが詰まっていた。

 

 

「ほう? だがあいつは誰にでも優しいぞ?」

 

「あはは。そうですね……でもいつかは私の方に振り向かせたい、とは思っています」

 

 

熱くなった頬を冷ますためにパタパタと扇ぐシャルロット。彼女の紛れもない真っすぐな一言に、箒、鈴、セシリアといった三人の視線が釘付けになる。

 

本心を言っておけばよかったと後悔をしているようにも見えるが、今更気が付いても遅い。真っすぐ感情を伝えられるところが、シャルロットが一夏との抜け駆けが上手くいく理由の一つかもしれない。なるべく自分の本心に嘘をつかないようにしようと改めて決心する三人だった。

 

 

「それでお前はどうなんだ。特に二人を異性としては見ていないんだろう?」

 

「わ、私ですか?」

 

「お前以外に誰がいる。ここに来た頃と比べると随分丸くなったんじゃないか? それに結構霧夜にも懐いているみたいだしな」

 

 

ラウラがここに編入した時と、今を比べてみると違いは歴然。昔を知る人間からすると、何があればこうも変わるのかと疑問を抱かざるを得ないだろう。その一人の中に千冬も含まれている。

 

ドイツ軍の教官だった頃に、ラウラを自身に陶酔させてしまった負い目もある。大きく変われた理由を本人からも、大和からも聞いたわけではない。

 

だが自身が出来ないことを大和はやってのけ、ラウラも応えて見せた。そのようになるまでの過程を知りたいのではなく、結果としてどこが変わったのかを千冬は知りたかった。

 

それは教官、教師としてではなく、一個人織斑千冬として。

 

 

「……正直、以前の私は”強さ”こそが全てだと思っていました。力無き者は無力であり、また信ずるに値すらしないと。だから私は教……織斑先生に依存し、貴方さえいれば良いとそう思っていました」

 

 

事実だった。

 

頼れる人間は千冬しかいない、千冬の言うことさえ聞いていれば良い、他人など信用する必要もない。私にとって千冬は絶対だ。

 

何度頭の中で唱えたか分からない。

 

暗い殻の中に閉じこもっていた自分に手を差し出し、外の世界に出してくれたのは大和だった。

 

 

「”強さ”とは力ではない、ましてや理不尽な暴力でもない。本当に大切なのは”心の強さ”だとそう教えてくれたのはお兄ちゃんでした」

 

 

どれだけ自分が反発しようとも、拒否をしようとも。

 

自分勝手の都合で、逆恨みで、我儘で自身がISに取り込まれた時にも、命がけで助けに来てくれた。

 

遺伝子強化試験体、人間兵器としてではなく、一人の人間として。

 

 

『ラウラ・ボーデヴィッヒ』として受け入れてくれた。

 

かつては自身と同じ境遇でありながら、誰よりも前向きで、強い信念を持った真っすぐな生き方が眩しかった。眩しすぎて、自分なんかがとても近付くことが出来ない存在だと思い知らされた。

 

だからこそ自身を導く彼の後ろ姿は大きく、頼もしく見えた。

 

 

千冬以外誰も歩み寄ってくれなかった私に、共に生きて行こうと歩み寄ってくれたことは忘れない。

 

だからこそもっと強くなりたい。

 

今度は道を踏み外さないように、力と言う名のパンドラの箱の鍵が開くことの無いように。

 

 

 

「私はもう、お兄ちゃんを異性としては見れません。ただ、私にとって大切な人だと言い切れます」

 

 

ラウラにとって、大和はかけがえのない大切な人間である。

 

人生の目標として千冬の背中ばかりを追い掛けてきた自分が、今は大和の背中を追い掛けている。決して千冬が劣っているわけではなく、大和の生き方にラウラ自身が共感したから。

 

人それぞれに生き方の違いがある。どの生き方をすれば良いのか分からないからこそ、色んな人と出会い、触れ合う必要があった。

 

助けられてばかりだからいつかこの恩を返したい。そう切に思う気持ちが変わることはない。

 

それからもう一つ、大和が教えてくれたことがある。

 

 

「ここ最近の生活はどうだ?」

 

「凄く楽しいです。どうしてこんな単純なことにすぐ気付けなかったのかと、自分でも不思議なくらいに」

 

「そうか」

 

 

千冬の質問への答えは即答だった。ラウラの回答に、千冬は何一つ突っ込まないでいる。

 

そう、大和が教えてくれたのは『強さの意味』と『日常生活を楽しむこと』の二つだ。

 

大和と関わること以外にもここ一ヶ月の間に様々なことがあった。

 

ナギと知り合い、シャルロットと同室になり、またクラスメートとも少しずつ打ち解けきている。毎日同じことを繰り返してきたドイツの頃と比べると、かつてないほど目まぐるしく、充実した日々を送っていた。

 

人を信頼すること、自分から人に歩み寄る行為がこれほどまでに素晴らしいことなど、想定していなかっただろう。未だ嘗てない経験の連続に勝手に頬が緩み、笑顔が増えた。

 

皆、自身のことを可愛い可愛いと言う。女性らしい仕草もなければ、服も何を着れば良いのか分からない。ましてや化粧なんか当然で、身嗜みの部分でも、髪も洗ったらそのまま自然乾燥させ、最後に軽く整えて終わりだし、女性らしさの欠片もない。

 

そんな私をどうして皆は可愛いと言うのか。今でも理由は分かっていないが、理由など考える必要も無かった。

 

理由を考えるくらいなら、今を出来る範囲で全力で楽しみたい。

 

色々なことを教えてもらい、吸収していきたいと毎日のように思っている。

 

 

「……」

 

 

皆、口を閉じたまま話に見入っていた。ラウラがどれだけ変わったのかは、彼女の反応を見れば分かる。

 

そして誰がここまでラウラを変えたのか。

 

その中心には大和がいるということも。

 

 

「霧夜か。あいつもなかなか食えない男だ」

 

「あの、織斑先生! 大和って何者なんですか? とてもただの一般人とは思えないんですけど……」

 

 

誰しもが一度は思ったことだろう。シャルロットが先陣を切って聞いてくる。同時にうんうんと大きく頷く他三人。だがラウラだけはそうではなかった。

 

この中で大和の細かい事情を知っているのは千冬とラウラの二人だけ。だが二人とも同じ内容を知っているわけではなく、千冬は仕事としての大和の一面を、ラウラはどちらかといえばプライベートとしての大和の一面を知っている。

 

しかし、どちらにしても彼女たちから話せる内容ではない。仕事もプライベートも、大和にとってはおいそれと言えることじゃないし、本人もここにいない以上許可がとれない。許可を取ろうとしたところで、本人は決して言いたがらないだろう。

 

だからこそその事実を伝える訳にはいかなかった。

 

 

「私もあいつの全てを把握している訳ではない。私が知っているのはお前たちよりも、身体能力に優れるところと、一般人に比べると頭が切れるところくらいだ」

 

「そ、そうですか……」

 

 

千冬なら何か知っているかもしれないと期待を込めて聞いたが、返ってきた回答は満足行くものではなく、どこか腑に落ちない様子。

 

 

「……まぁ、どちらにしても、だ。あいつらと付き合えるのは得だな。二人とも容姿は悪くないし、家事も出来る。どうだ、ほしいか?」

 

「「く、くれるんですか?」」

 

 

キラキラと目を輝かせて期待する恋する乙女に対し。

 

 

「やるか馬鹿」

 

 

容赦ない一言が伝えられた。千冬からの返答に、「え~」と避難の声が上がる。

 

 

「後、霧夜のことは私の口からは言えん。あいつの家内に直接聞け。だが私以上に説得が大変とは言っておこう」

 

 

千冬は大和の肉親である千尋と知り合い関係にある。かつてドイツに単身渡っていた時、千尋は格闘指導の教官としてドイツ軍にいた。

 

人よりは家内のことを知ってはいるが、千冬が大変だと言い切るくらいだし、事実なんだろうと全員が頷く。

 

 

「それに女ならな、奪うくらいの気持ちで行かなくてどうする。自分を磨けよ、ガキども」

 

 

部屋が大きなため息に包まれる中、ただ一人千冬だけは満足そうな笑みを浮かべながら、三本目のビールの蓋を開けるのだった。



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○臨海学校の夜-Reiterate-

 

 

「あぁ~」

 

 

大浴場に響き渡る妙におやじ臭い声。

 

幸いなことにIS学園の生徒専用に入浴時間を作ってくれたため、俺と一夏以外の男性は居なかった。風呂場にはシャワーが流れる音とその声だけしか聞こえない。

 

 

「おっさんかよ一夏」

 

「いやいや、銭湯の湯船に浸かったらこうなるって」

 

 

俺は一夏が湯船に浸かっている間に体を洗い、シャワーで体に着いた一日の汚れを落としていた。

 

頭からかぶる適度な温度感が心地よい。半日を海で遊び倒したのだから体には嫌でも潮の香りが染みついている。ベタベタとした感触が何とも気持ち悪かったが、一度でも洗い流せばその感触は全て流れ落ちた。

 

ぴちょんと滴る水滴を振り払い、髪を乱雑にかき上げてオールバックにする。昔は銭湯の鏡なんかを見て、アニメのキャラの髪型にするだなんてこともやった気がするが、それももはや遠き思い出、どこか懐かしささえ覚える。

 

髪も体も洗ったことだし、一夏イチオシの湯船に浸かるとしよう。元々大人数用に作られているから、二人で独占するには十分すぎるほど広い。もう少し心が幼ければ全力ダッシュを決め込んで、湯船にダイブすることも考えられたが、生憎公共の場でやるほど、今の俺は幼くない。

 

大人しく、ゆっくりと浸かることにしよう。

 

タオルを腰に巻いて大事な部分を隠すと、足からゆっくりとお湯へ浸かる。足裏から沸き上がってくる程よい湯加減に、背筋がぞくぞくと震える。

 

本音を言うと結構熱い。

 

が、湯の熱さが一日の疲れを全て吹き飛ばしてくれるようにも思えた。じわじわと体を沈めていき、最後は肩まで入れた。これなら一夏の言うように声が漏れそうになるのも分かる。

 

 

「おぉ、これはまた中々……」

 

「だろ? やっぱ寮の大浴場も良いけど、天然の温泉は格別だな!」

 

 

成分はなんだったか忘れたが、やはり人工的な大浴場よりも天然温泉はレベルが違う。ぼーっとしていたらあっという間に寝落ちしそうなほどに気持ちが良い。

 

さっきまではちょっと熱いくらいだった湯加減が、いつの間にか程よい湯加減になっている。あまり浸かりすぎると逆上せそうだが、ほどほどに浸かればこれほど極楽なものはない。

 

一日の浸かれどころか、日頃の疲れまで一気に吹き飛ばしてくれそうだった。

 

 

俺まで湯船に使ったことで、大浴場には水滴が滴る音以外の全ての音が消える。いつも騒がしいところにしか居なかったし、たまには静かな入浴も悪くはない。

 

俺は寮の大浴場を使ったことがない。一夏は許可されてから定期的に使っているらしいが、別に部屋のシャワーだけでも十分だと思っていた。

 

でもいざこんな場所に来てみると、たまには良いなと思える。

 

 

「なぁ、一夏ちょっといいか?」

 

「何だよ、急に真面目になって……」

 

「たまには俺が真面目になるのも悪くないだろ。つっても、そこまで真面目な話じゃないんだけどな」

 

 

ここには俺と一夏の二人しかいない。なら男同士の会話をしても悪くはないだろう。

 

 

「二人で風呂に浸かるのも何度もあるわけじゃない。それに男同士で静かに過ごせる場所なんてこれくらいしかねーんだから」

 

「……大和?」

 

「あぁ、悪い。ついつい感傷に浸っちまった。どうも銭湯に入ると気が抜ける。柄にも無いことばかり呟いててもしかたねーか」

 

 

少し温まりすぎたか。

 

肩まで浸かっていた体を起こして、湯船に触れる面積を減らす。すると多少は夜風の涼しさが体に当たり、火照りが冷めてきた。

 

 

「実際、どうなんだ最近は? 誰か気になる異性は出来たか?」

 

「はぁっ!? な、何だよ急に!」

 

「いやな、クラスメートがよく聞いてくるんだよ。好きなタイプとか、気になる子とか居ないのかって」

 

 

これはマジな話で、結構な頻度で聞かれる。クラスメートだけならまだしも、他のクラスや上級生まで俺に聞きに来るのだから、一夏の人気ぶりは相当なもの。

 

一夏の取り巻き以外にも隙あらばと狙う生徒も多いし、少しでも一夏のことを知りたいと思うのも無理はない。俺もたまに色々聞かれることはあるけど、当たり障りのないことしか言わないし、過去のことは基本的には言わない。

 

俺の過去を一言でまとめるとラウラみたいな境遇でしたとか、クラスで浮いた存在でしたとしか言えない辺り、俺のぼっちさ具合が分かる。

 

IS学園に入学するまで異性の友達など皆無だったし、付き合った女の子もいない。経験人数なんかは当然ゼロ。経験していたらその年で何をやっているのかって話だ。

 

 

一夏の恋愛事情が気になるのももちろん、周りにいる四人には多少なりともアドバイスをしてやりたい部分がある。どうも見ていると揃いも揃って空回りしている感が否めないし、シャルロット以外は素直じゃないから、感情を上手く伝えきれていない。

 

故に一夏が篠ノ之、セシリア、鈴に抱くのは、自分に対して厳しいといったイメージになる。イメージが染み付いてしまうと抜けきるまでに時間が掛かる。下手をすれば一生掛かっても抜けないかもしれない。

 

その分、四人の中ではシャルロットが頭一つ分抜けているようにも思えた。

 

 

「どうって言われてもなぁ……正直何を答えれば良いのか」

 

「まさかとは思うけど、気になる女性は織斑先生とか言い出したりしねーよな?」

 

「ば、馬鹿言うなよ! 千冬姉は俺の家族だぞ!」

 

「さぁ、どうだか。一部じゃ織斑先生、一夏の本命だと思われているみたいだし」

 

「何故!?」

 

 

頭を抱える一夏だが、全部本当のことだ。

 

一部思考が変わった生徒は、俺が本命だと言い張っているみたいだが、それは聞かなかったことにしたい。むしろ聞きたくなかった。

 

よく考えてみてほしい。男同士がまぐわう姿を見て誰が嬉しいのかと。うん、その手の人間だけが嬉しいのは知ってる。俺も理解がないわけじゃない、ただ自分をネタにされるのは想像したくない。

 

俺は決して同性に興味があるわけでは無いと、この場を借りて断言しておく。

 

 

「まさか、シスコン?」

 

「なわけあるか!! 勝手に近○相○的なシチュエーションに持っていくのはヤメロぉ!」

 

 

ぜーぜーと鼻息も荒いまま大きな声で叫ぶ一夏。まさかとは思うけど、今の声誰にも聞こえてないよな?

 

聞こえていたら高確率で俺たちが恥ずかしい思いをすることになる。そしたらまた話のネタになるんだろう。勘弁してほしい。

 

 

「んで、結局はどうなんだ?」

 

「……正直、分からない。箒とか鈴は幼なじみだし、セシリアとシャルは友達だ。俺自身、皆を異性として意識していないんだと思う」

 

「一緒にいる時に、仕草が気になるとかは?」

 

「それはある。俺も男だし、笑顔とかを見るとドキッとするっていうか……」

 

 

ふむ。なんとも判断し辛いが、完全に異性として見ていない訳ではないらしい。

 

だが悲しいことに、一夏の中では誰も"気になる異性"になっている女性は今のところ居なかった。端から見て一番好感度が高そうなシャルロットであっても、一夏が異性として気にするレベルには達していない。

 

原因は何個かあるんだろうけど、一夏のことになるとすぐ熱くなって言葉より先に手が出るのも一つの原因だろうな。一夏がいくら優しいとはいっても、暴力的な女性を好むとは思えないし。

 

後は一夏が彼女たちの反応をどう見るかにもよる。ただの暴力として片付けるのか、照れ隠しの一環と判断するのか。そこは俺が矯正できるものじゃないし、年月の経過に任せていくほか無さそうだ。

 

 

「大体、俺なんかを好きになるやつなんて居るのか? こっちから声を掛けても、よそよそしい子ばかりだし……」

 

「……」

 

 

一夏の回答に思わず湯船に顔を突っ込みそうになる。

 

そりゃ、イケメンに声掛けられて恥ずかしがっているだけだろう。向こうから話し掛けられるならまだしも、一夏の方から話しかければそうなるのも頷ける。後は自身のスペックを一夏自身が把握していないようにも見えた。

 

容姿端麗、運動神経もそこそこ良し、家事万能と来れば寄り付かない女性など居ない。好みの問題もあるし、全員が全員とは言えないが、一度くらいは話してみたいと思う女性は多いだろう。

 

同じクラスにこんな男子がいたら、早々に白旗を上げそうだ。よくあるイケメンで性格が悪いではなく、イケメンな上に性格まで良いと来たパーフェクト性能の人間ともなれば分からんでもない。

 

もっとも、本人が女心の分かる人間であればの話だが。

 

 

「一夏」

 

「何だ?」

 

「女心をもてあそぶような男は馬に蹴られて死ねば良い……なんて言われたこと無いか?」

 

「こっち来てから数回あるな」

 

 

どうやら心当たりがあるようで、ほんの少し一夏のトーンが下がる。

 

 

「なら話が早い。決して言われたから他人事、って訳じゃないんだ。その発言を自分に置き換えて考えたことはあるか?」

 

「……ないかも」

 

 

ないらしい。

 

つまり一夏は今まで自身が女性に声を掛けたりしても、よそよそしい態度をとられていたことで、自分に魅力が無いと思ってしまっている部分がある。

 

女性としては単純にイケメンに声を掛けられたから、恥ずかしくてどう返せば良いか分からずによそよそしい態度になってしまった。

 

自信過剰は救えないが、一夏の場合は単純に自分の魅力に気付いていないだけのようだ。

 

『馬に蹴られて死ね』だなんて皮肉を言われるだけのスペックを持ち合わせているんだから、もう少し自分に自信を持っても良いはず。

 

 

「なるほど。まぁあれだ、時には善意で言ったはずの自分の発言が、相手を傷付けることもある。ってことだけ分かってくれりゃそれで良い」

 

「あぁ……そうだな」

 

 

再度訪れる沈黙。

 

俺の一言を一夏はどう捉えたのか。もしかしたら不快に思っただけかもしれないが、相手を誤解される発言を言っているかもしれないと、認識を改めてくれればそれでもいい。

 

 

「大和はあるのか? 自分が善意で言った一言が、相手を傷付けているかもしれないって」

 

「もちろん、ただ気付くのはいつも言った後だ」

 

 

俺の一言を皮切りに苦笑いを浮かべ合う俺と一夏。互いに心当たりがある辺り、やはりどこかしら似ているのかもしれない。

 

一つ違うとすれば、今相手が居るか居ないか。

 

久しぶりに訪れる男二人だけの時間。

 

風呂に入っている間の短い時間ではあったが、いつも以上に有意義な時間を過ごしていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁーさっぱりした。たまにはゆっくりと浸かるのも良いな」

 

「大和は風呂に来なさすぎなんだよ。折角寮でも使えるようになったんだから来れば良いのに」

 

 

風呂から上がり髪の毛をタオルで拭きながら一夏と会話を交わす。

 

毎日シャワー生活だったし、久しぶりに湯船に浸かるとやっぱり身体中から疲れが安らいでいるような気分になる。一夏のいうこともごもっともだし、ちょいちょい風呂に顔を出しても良いかもしれない。

 

 

「この後はどーする? もう部屋に戻るか?」

 

「そうする。やることもないし。部屋でアイツらにあったらよろしく伝えといてくれ」

 

「ん、了解。じゃ、俺は先に部屋戻るわ」

 

 

着替え終えた一夏は、一足先に更衣室から出ていく。

 

ここ最近、髪の毛を切りに行ってないから幾分伸びた。タオルで拭いても中々水気が取れないし、あまり強く拭くと髪の毛が抜けてしまう。

 

ようやく水気が取れたところで、備え付けのドライヤーを使って乾かしていく。ある程度水分を取れれば、ドライヤーを使って数分で乾かすことが出来る。

 

左手を髪の間に入れて、束にならないように乾かす。朝起きて水で濡らし、ワックスを付けることまで想定して、ある程度形を作って乾かすのが癖付くまでは難しい。

 

もう慣れたけど。

 

 

「んー、こんなもんか」

 

 

ある程度形を作って乾かしたところで、ドライヤーのスイッチを切った。風呂上がりでワックスもつけてないから、ぺたんとしたボリューム感の無い髪型になっている。

 

いつもみたいにツンツンと髪の毛を立たせるのはワックスがないとキープが出来ないし、ドライヤーで無理矢理立たせても寝ると潰れて寝癖になってしまう。

 

なら初めから立たせる意味はない。見られてだらしない髪をしているわけじゃないし、問題は無いだろう。

 

 

浴衣を着た後、手荷物をまとめて更衣室を出た。

 

 

「そういえば喉渇いたな。確かロビーに自販機があったっけ」

 

 

唐突に喉が渇いた俺は、直接部屋に帰るのではなく、帰り道にある自販機へと向かった。風呂上がりは汗で水分が少なくなっているし、何かしら飲み物が飲みたくなる。

 

こんなこともあろうかと、二度手間にならないように細かいつり銭も持ってきている。ロビーの自販機は思いの外種類が多く、どれを選ぶか悩むところだが、悩む間もなく緑茶のボタンを押した。

 

正直飲めれば何でも良いし、選んでいるとキリがない。

 

ガコンという音ともに、取り出し口に緑のラベルが貼られたお馴染みのペットボトルが落ちてくる。

 

それを受け取り部屋へ戻ろうとした瞬間、ロビーのソファに誰かの後頭部を見付けた。その後ろ姿は何度も見ているし、見間違えるはずがない。

 

……ちょっといたずらしてみたくなった。

 

存在を気付かれないように、ゆっくりと背後から近付いていく。幸いなことにこちらの気配には全く気付いていない。ボーッとしたまま、両手で握っているペットボトルを見つめている。

 

そうこうしている内に、俺との距離が数十センチにまで近付く。

 

そして―――。

 

 

「わっ!」

 

「きゃぁっ!?」

 

 

夜も遅いため、普段の声よりも少し大きめな声で後ろから声を掛けると、予想通りのテンプレ的な反応をしてくれた。ビクッと体を震わせながら、慌てて後ろを振り向く。驚かせた人物が誰だか気付くと、からかわれたことを悟り、ぷくっと頬を膨らませた。

 

 

「もう! 脅かさないでよ!」

 

「いや、悪い悪い。まさかあんなに驚くなんて思わなくて。こんな時間に何してたんだ?」

 

「……べっつにー? 人を驚かせて喜んでいるような人に教えませーん」

 

 

ありゃ、予想以上に機嫌を損ねてしまったみたいだ。

 

悪気があったわけじゃないが、思いの外ナギにダメージが伝わってしまったらしい。

 

 

「そいつは困った。一緒に話したかったのにもう二度と口を聞いてもらえないのか……しくしく」

 

 

我ながら下手くそな芝居だなと思いつつも、ダメもとで泣いた振りをしてみる。

 

泣いたことなんてここ数年記憶にないし、その前を遡っても数えるほどしかない。しかも大抵が千尋姉にボコボコにされるか、怒られて泣いた記憶。

 

あまり思い出したくない内容だったりする。

 

だが意外に効果があったのか、プイと横を向いていたナギが困った顔で俺のことを見つめていた。

 

 

「はぁ、もう。何やってるの大和くん」

 

 

ナギもまた、既に風呂を済ましているのだろう。

 

いつものトレードマークのヘアピンは無いし、ヘアゴムで髪を結わえてもない。本当に乾かしただけの髪だが、着ている浴衣も極まってこれもまた普段とは違った独特のギャップがある。

 

出来ることら今すぐにでも写真に撮って、額縁に入れて、眺めるようと保存用と自慢用に分けて……って俺はアイドルの追っかけか!

 

そこまではしないまでも、普段と違ったナギの一面として脳内に焼き付けておくことにする。

 

 

「ほんとは見かけたから声を掛けただけなんだ。いくら集団行動の多い臨海学校でも、少しくらいは二人きりになる時間があってもいいだろ?」

 

「―――っ! それはそうだけど……だったらもっと普通に声を掛けてくれたって良いじゃない。何も後ろから脅かすことなんて……」

 

「そこは本当に出来心なんだ。好きな子には意地悪したくなるって言うだろ」

 

「す、好きって……こ、こんなところで何言ってるの……」

 

 

顔を赤くしながら下を俯いてしまう。

 

ヤバイ、これが巷で噂のノロケってやつか。

 

この時間だし、既にIS学園女性の入浴時間は終わっているからロビーに来る生徒もいないだろうし、隠す必要も無いとのことで心の奥底にしまった本音が出てくる。

 

たらればの可能性は考えたが、周囲に人の気配はない。誰かが影で監察している様子もないし、ロビーに近寄る存在が一人としてない。

 

今ごろ部屋でワイ談を楽しんだり、ゲームを楽しんだりする生徒がほとんど。フロントも外からの来客が無ければ店頭には出てこないし、この時期は予約で旅館そのものが一杯の状態。

 

まず、この時間帯の来客はない。つまり部屋から飲み物を買いに来る生徒にさえ気を付ければ問題はない。

 

ベタベタとするつもりはないし、仮にも付き合っているわけだ。限られた時間であっても、会話くらいはしたくなる。

 

 

「ははっ♪ 悪い悪い。まだ消灯時間まで時間があるし、ちょっとだけ話さないか?」

 

「え? う、うん。いいけど……」

 

 

了承を得たところで、ナギの腰掛けている隣に腰を下ろす。互いの距離はどれくらいだろう、密着しているわけではないが以前に比べると近い気がする。

 

自然と隣に座っていることに対する恥ずかしさは無かった。

 

 

「今日ちゃんと話すのは初めてか。朝も昼も、まともな会話無かったような気がする」

 

「うーん、言われてみればそうかも。なんでだろうね、話す機会は結構あった気がするんだけど」

 

 

今日一日を振り返ってみると、二人で話したのはごくわずか。大体どこかしらに引っ張りだこだったし、ラウラに引っ付かれるわ、千冬さんとビーチバレーのタイマンを挑まれるわ、本当の意味で忙しない……だが充実した一日だった。

 

楽しかったのは間違いないけど、話していない。休みの日で部屋に一日籠っている時くらい話していなかった。

 

 

「ところでどうしてロビーに? 皆と部屋に居るんじゃなかったのか」

 

「さっきまではそうだったんだけど……ちょっとね」

 

「?」

 

 

色々とねと感慨深そうに顔を逸らす。女の子には人に言えない秘密があるんだろう、下手に詮索するものじゃない。

 

 

「その……実は、ね?」

 

「ん?」

 

 

深く聞かないでおこうと言った矢先に、今度はナギの方からここにいる理由について話し出そうとする。

 

何だろう、果てしなく嫌な予感が俺の脳裏をよぎるんだが……。

 

 

「あの……皆に……っちゃった」

 

「え、なんて?」

 

 

途中から声のトーンが下がり、何を言っているのか聞こえなかった。

 

聞き耳を立ててもう一度ナギに言うように伝える。

 

 

「だ、だから。大和くんと付き合っていることを言っちゃった……」

 

「へーそうか」

 

 

なるほど、ナギがルームメイトに付き合ってることを言ったのか。そうかそうか、ルームメイトにねぇ。俺とナギが付き合い始めたことを……?

 

 

「あれ?」

 

 

……って、付き合ってることを言った!?

 

 

「言ったのか!?」

 

「ひぅっ!?」

 

 

まさかナギが簡単に口を開いてしまうとは思っておらず、思わず肩を掴んでしまう。

 

いきなりの俺の行動に驚いたナギが声を上げる。どことなく怖がる素振りを見せてるところから、怒られると思っているのか。

 

俺としては怒る気なんかは微塵も無いし、言ったら言ったで仕方がないとは思っているけど、どうやら俺の行動が誤って伝わってしまったようだ。

 

今後の行動の為にもなるべく黙っておきたかったのは間違いないが、言ってしまったのなら仕方がないこと。

 

ナギのことだからうっかり口を滑らせたとは考え辛い。

 

どうせクラスメートの何人かが外堀から埋めてって、答えないといけない状況になって、渋々答えたってところだろう。ナギも口止めをしてあるはずだし、面白半分で外部に伝えることはないはずだが、もし大事になりそうな時は俺が動けば良い。

 

それをダシに揺すってくるのなら、その時はそれ相応の処罰を受けてもらうだけだ。

 

とりあえず一旦ナギの肩に置いた両手を離そう。

 

 

「あ、悪い。ついつい癖で。そっか、言っちまったのか」

 

「うん。えっと……ごめんなさい」

 

「あぁ、それくらいなら平気さ。どうせいつかはバレるんだし」

 

「あ、ありが……ふぇっ!?」

 

 

しゅんと落ち込むナギの頭を撫でる。

 

ラウラの頭は何度か撫でたことがあるけど、確かナギは一度もなかったはず。お風呂上がりだから髪質がサラサラとしていて、一段と柔らかい気がする。

 

撫で回し過ぎると癖がついてしまうため、癖が付かないようになるべく優しく撫でる。キョトンとしたまま俺の顔を眺めるナギの表情が写真を撮りたくなるレベルで可愛い。

 

もう最近可愛いとか、綺麗とかチープな文言しか並べられてない気がする。それでも素直な感情を言い表すには、それで十分過ぎる。

 

 

「うぅ、私子供じゃないのに」

 

「嫌だったか?」

 

「い、嫌じゃないけど」

 

 

子供っぽく見られるから、頭を撫でられる行為に抵抗感があるらしい。ただ本音を言えば、悪い気はしないみたいだ。

 

 

「……うん、やっぱり嫌じゃない。大和くんの側にいるだけで凄く心が落ち着く」

 

「えっ」

 

 

【挿絵表示】

 

不意にはっきりとした口調で言い切ったかと思うと、撫でる手を潜り抜けて俺の体に自らの体を寄せる。そしてあの観覧車の中での出来事を思い出させるように、コツンと肩に頭をのせてきた。

 

浴衣越しでもはっきりと伝わってくる人肌の温もりに、かぁっと一瞬にして顔の温度が上がるのが分かる。からかっていたはずなのに、いつの間にか俺がナギを意識させられている?

 

 

「ふふっ、大和くん。顔真っ赤」

 

「う、うるさいな」

 

 

俺の反応を見てにこりと微笑むナギの仕草を見たら、立場が逆転しているのは容易に分かる。してやったりの表情のナギに対して、俺の顔は真っ赤。

 

洗ったばかりの髪から漂うトリートメントの甘い、女性特有の香りが鼻腔を燻り、目の前がクラクラとしてくる。自分の近くに女性が居るんだと、強烈に意識させられる瞬間でもあった。

 

自分が自分でいられなくなるような不思議な感覚。だが出来ることならずっと側に居て欲しいと思う、安らぎを与えてくれる存在。この感覚は以前よりも、間違いなく大きくなってた。

 

学校で会う時、人前で話す時は何も変わらない。もっとも変わるのは二人きりの時、大切な存在(鏡ナギ)といる時だけだ。

 

だから人前で甘えてくることもないし、寄り添ってくることもない。だから今目の前にいるナギは、他の誰もが知らない俺だけのナギになる。

 

俺にとっての特別な存在でいてくれることが何よりも嬉しかった。

 

 

「こうして大和くんと二人きりで寄り添うのはずっと夢だった。正直、まだ信じられないよ」

 

「俺もだ。人を好きになるなんて思いもしなかったし、初めて好きになった人と両想いだったなんて」

 

 

互いの顔を見てクスリと笑い合う。

 

 

 

"偶然"ISを動かしてIS学園に入学し

 

初日に"偶然"立ち寄った食堂でナギと出会い

 

忘れた荷物を取りに帰った時に"偶然"ナギを助けて

 

セシリアとクラス代表を掛けて戦った帰り道に"偶然"名前で呼ぶようになって

 

無人機襲撃の危機を助けて"偶然"正体がバレて

 

 

いくつもの"偶然"が合わさり、想いを繋げた。

 

―――否、ここまで来ると偶然ではなく、全てが必然だったのかもしれない。

 

まさか来た学食で偶々話した相手が、自分とお付き合いすることになるなど、考えもしなかった。

 

あの時会ったのは谷本と布仏とナギの三人だったか、煮物王子とかいう不名誉なあだ名を付けられそうになったが、その時に三人から飛び交った質問の数々はまだ覚えている。

 

ナギからは……あぁ、そうだ。『好きなタイプはどんな子か』だったっけ。優しくて家庭的な子が好みだなんて答えたけど、半年も経たずタイプの子が彼女になるなんて、今でも夢みたいだ。

 

改めて自分の頬を強めにつねるが痛い。それに目も覚めない。やっぱり夢じゃない。

 

 

「「あっ」」

 

 

ソファの上に置いた手が偶然重なってしまい、互いに声を上げる。条件反射で手を引こうとするも、引く前に力強く手を握りしめられた。

 

か弱い手が俺の手を優しく包む。手越しに伝わってくる彼女の想いが、一気に俺の中を駆け巡った。驚いたまま視線をナギへと向けると、そこには上目使いをしたまま顔をほのかに赤らめるナギの姿があった。

 

何かを懇願するような、期待するようなトロンとした目付きで俺のことを見つめている。この付近には誰の気配もない。それに時間的にも今さら誰かがロビーに来るとは考えにくい。

 

それはもう俺だけじゃなくて、ナギ自身も知っているんだと思う。

 

まるで金縛りにでもあったかのように、目線が逸らせなくなる。二人揃ってタガが外れかけているのかもしれない。前回は横やりが入ってしまったが、今回は邪魔する人間は誰一人居ない。

 

 

「ナギ……」

 

「……」

 

 

俺の一言が合図となり、ナギは目を閉じる。

 

言葉なんて要らない。互いの気持ちが合えば、タイミングなんてすぐに分かった。

 

目を閉じるナギに顔を近付けていく。自然と恥ずかしさは無かった。むしろ抑えきれないほどのいとおしさが込み上げて来てしまい、もうナギ以外のことが一切考えられなかった。

 

そして―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ズキンッ!

 

 

 

"それ"は突然訪れた。

 

朝や昼に起こったものとは全く別の激しい痛みに耐えきれず、ナギの体に向かって倒れ込む。急なことに全く反応が追い付かなかったナギは目を大きく見開く。

 

 

「や、大和くん!? ど、どうしたの!?」

 

 

痛い。

 

目を抉り取られるような痛みが左目を襲う。朝起きた時と昼の痛みは我慢出来ても、こればかりは我慢できなかった。腹の底から込み上げてくる絶叫を必死に堪える。額はおろか、身体中汗だくになりながらソファを掴む。

 

一日にこれだけの頻度で、かつ同じ目ばかり痛みが走ることなんて今までに経験がない。どう考えてもおかしい。

 

俺の体に異変が起きているようにしか思えなかった。

 

 

「ぐっ……うぅっ……」

 

 

呻くことしか出来ないほどに痛む目を押さえながら、何とか立ち上がろうとするも、痛みのあまり足元まで覚束なくなる。ソファの角に足をぶつけて倒れそうになるのを堪え、近くにある柱にしがみついた。

 

 

「大和くん! 先生に診てもらった方が!」

 

 

並々ならぬ異変を感じ取ったナギは、慌てて千冬さんを呼びに行こうとするがそれだけはまずい。このタイミングで俺の体の異変を千冬さんに知られるわけにはいかない。

 

痛みの程度は違えど、少しくらい部屋で休めばすぐに治るはずだ。

 

俺は大丈夫だとなるべく平静を装って伝えるも、痛みで顔がひきつってしまい、逆効果になってしまう。

 

 

「だ、大丈夫……」

 

「そ、それなら部屋に戻ろう! 今日はもう休んだ方が良いよ!」

 

「すまない……」

 

先ほどまでの女性らしいナギの表情はどこにもなかった。

 

貴重な時間を潰してしまったことに対する罪悪感に苛まれながら、俺は部屋へと戻る。

 

 

 

 

 

 

部屋の中に入った俺をどこか心配そうに見つめながらも、念を押して大丈夫だと伝えると、渋々自分の部屋へと戻っていく。

 

やれやれ、折角のセカンドキスのチャンスだったのに逃しちまっ……。

 

 

「うっ……ぐうっ!?」

 

 

再度襲う突き刺すような痛みに、視界がぐらりと揺れ、目の前から色彩が無くなる。

 

色あるものが全てモノクロに見えたかと思うと、俺の景色は反転し、真っ暗な闇が広がる。

 

フローリングの床へと倒れ込むと同時に、意識を手放した。



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第九章-Unknown existence-
顕れる天災


 

 

 

 

 

 

―――臨海学校二日目。

 

この日が俺にとって、人生の中で一位二位を争うレベルでの最悪な一日だったことを、いつまで経っても忘れないことだろう。

 

 

 

 

 

完全な自由時間だった初日とは違って、二日目は丸一日、実戦演習の訓練となる。昨日まで遊び呆けていた連中も、今日はキリッと引き締まった真面目な顔立ちをしている。

 

遅くまで起きてた子たちも何人か居たにも関わらず、疲れを全く感じさせない。

 

……俺も割と寝れた方だとは思う。

 

寝たと言うよりかは、気を失って気付いたら明け方だった。部屋に入ってすぐの床に倒れ込んでいたせいで身体中の節々が痛いわ、体中汗だくでびしょびしょだわ、体全身にのし掛かる疲労感が凄まじかった。

 

幸い、目の痛みも治まってはいたが、いつ痛み始めるかの恐怖感に襲われてしまい、一回起きた後は一度たりとも寝れずに終わる始末。痛みが治まってくれたのは良かったが、次同じ痛みが出たらと思うといてもたってもいられなくなる。

 

正直、全く笑えない。

 

朝起きて鏡を見ても目が腫れている訳じゃないし、充血している訳でもない。痛みの原因を突き止めることが出来ず、いつ痛みが出るのかと、不安感は拭い去れないまま今日を迎えた。

 

 

「大和くん」

 

「うん?」

 

「その……大丈夫?」

 

 

隣にいるナギが心配そうな声で顔色を伺ってくる。心配そうな声なのは十中八九、昨日の夜の出来事が原因だろう。

 

人前で痛がる素振りやあからさまに体調が悪そうな表情を浮かべることが無かった手前、ナギの前で盛大にやらかしてしまったことに後悔している。

 

痛みを我慢して部屋に帰っていれば……などと当時のことを振り返っても遅い。

 

あの痛みは堪えきれる痛みではなかったし、急に部屋に戻るようなことがあれば、かえって何かあったのではないかと怪しまれる確率が高まるだけだ。

 

どうナギに返そうか、考えるもナギを一発で説得させる言葉が見付からない。これだけ心配をかけているから、何を言っても変わらない気がした。

 

だが、多少なりとも伝える言葉が俺にはある。身を案じてくれたことに感謝しなければならない。

 

 

「あぁ、痛みは治まったよ。ありがとう心配してくれて」

 

「……」

 

 

納得出来ないと言わんばかりの表情だ。

 

そりゃ昨日の今日で納得できる訳がない。あれだけ痛がってた人間が次の日に何とも無いと言ったところで、信憑性があるはずもない。

 

現状痛みがないのは事実だし、左目に変わった症状は無いけど、いつ痛みが再発するか分からない。

 

ナギの気持ちもよく分かる。俺の性格を考えてもまた我慢しているんじゃないかと、疑いを掛けるのは当然だと思う。

 

何度もナギを誤魔化してきている。答えをはぐらかし、自分が何をしているのかを伝えないまま。そんな俺の事情も汲み取って、ナギは俺がしていることを一切追求しなくなった。

 

だが追求してなくなったのは仕事のことのみであって、俺の体に何かあったら話は変わってくる。初めて二人で出掛けた時のことになる。

 

 

『大和くんが傷付くのだけは見たくない』

 

 

ナギが涙ながらに伝えたのは記憶に新しい。極力心配はかけまいと努めてはいるも、今回のようなイレギュラーは対応のしようが無い。

 

 

「大丈夫。痛みは治まっているし、特に腫れてるわけじゃない」

 

 

更に不可解な点が一つある。

 

そう、悶絶するほどの痛みがあったというのに目は一切腫れなかった。鏡で目を見ても、充血の一つもしていない現状に、俺自身が一番首を傾げるしかない。

 

昨日の痛みは気のせいで、全て夢だったんじゃないかと思うほどだが、ナギが知っている時点で事実であることを物語っている。

 

 

「……分かった。でも無理だけはしないでね?」

 

「あぁ」

 

 

話に一区切りついたところで、前へと向き直る。もう前には千冬さんがいて話しているし、これ以上目立った行動をするのは死を意味する。この距離だとしても出席簿を自在にコントロールして俺の脳天へと直撃させるだけの技量は十分持ち合わせていることだ。流石にこの場で痛い思いをしたくはない。

 

 

「ようやくこれで全員だな。おい、遅刻者」

 

「は、はいっ!」

 

 

遅刻者と突っつかれてラウラはビクリと体を震わせながらも、背筋をピンと伸ばしてどんな処罰でも受け止めると覚悟を決めた軍人染みた表情を浮かべる。

 

話題には一切上げなかったが、全員が集合した後、数分遅れで列へと入ってきた。寝坊したんだろうけど、あのラウラが寝坊するなんて相当珍しい。それこそ昨日何かあったのではないかと心配するほどには。

 

インパクトと元々の雰囲気で勘違いされがちだが、実際IS実習の成績、学業共に優秀と、非の打ち所の無い成績を残している。

 

俗に言う優等生であり、遅刻をするなど最も考えられないような人物が遅刻をしてきたことに驚きを隠せなかった。

 

 

「そうだな、ISのコア・ネットワークについて説明してみせろ」

 

「は、はい。ISのコアはそれぞれ相互情報交換のための―――」

 

 

つらつらと難しい単語の羅列を並べるラウラの説明は分かりやすいようで、普段学習していない人間からすればお経のようにしか思えない。

 

既に俺の視界に入る何人かの人間の頭上にはてなマークが浮かぶ。実際見えたわけじゃないが、反応を見る限り全然が全員理解している訳じゃなかった。

 

そして案の定というか、出来れば予想が外れてほしいと思っていたにも関わらず一夏も同じように難しそうな顔を浮かべている。あれは完全に分かっていない時の表情だ。

 

 

「ふん、まぁいいだろう。今回は目を瞑るが、次は無いと思え」

 

 

千冬さんの一言にラウラはほっと胸を撫で下ろす。

 

しかし難しいISのコア・ネットワークについて、噛みもせずに説明できるのはさすがとしか言いようがない。

 

 

「さて、それでは各班ごとに振り分けられたISの装備試験を行うように。専用機持ちは専用パーツのテストだ。全員、迅速に行え」

 

 

千冬さんの指示に従い、全員が行動を始める。

 

俺も別に専用機持ちじゃないし、一般生徒に紛れて行動をしようかと思い立った矢先。

 

 

「あぁ、篠ノ之と霧夜はちょっとこっちにこい」

 

 

準備を手伝おうとした瞬間に千冬さんからお呼びの声がかかる。どうしたのだろうか、個人的な説教は心当たりがないし、篠ノ之と二人で呼ばれる理由が見当たらない。

 

何だろうと首を傾げながらも、千冬さんの元へと歩み寄る。

 

 

「お前たち二人には今日から専用機が―――」

 

「ちーちゃーーーーーーーーーーーーん!!」

 

 

千冬さんが話している途中、突如周囲に響き渡る声。どこか幼さが残る間延びした声に聞き覚えがあった。声の発信源はどこかとキョロキョロと見回すと、崖の一角、どちらかといえば急斜面だろうか。

 

到底人間が登り降りするような場所じゃない急勾配を、物凄い勢いで駆け降りてくるウサミミをつけた人間が一人。

 

不思議の国のアリスをモチーフにした服装に、不釣り合いなまでの大きな胸。それに伴わないほど幼い見た目と態度。

 

その人物とは―――

 

 

「とう!」

 

 

坂を駆け降りた反動で大きく跳躍すると、ある一点に向かって飛び込んでいく。同時にゴキッという関節をならす音が聞こえた。

 

普通なら関節を鳴らした時になるような音ではない。だが俺ははっきりと聞いてしまった、見てしまった。こちらに飛び込んで来る獲物をジッと見つめながら、左手を鳴らす千冬さんの姿を。

 

 

「やあやあ、ちーちゃん会いたかったよ! さあ、ハグハグして愛を―――ぶへっ!?」

 

 

千冬さんに飛び込んだかと思うと、狙いを定めた千冬さんが手を伸ばして相手の頭を掴む。すると間抜けな声をあげて、その人物は止まった。

 

 

「ふっ、相変わらず容赦の無いアイアンクロー……ちょ、ちょっと待ってちーちゃん! 本気で痛くなってきたよ!」

 

「そうか、ならこのまま握り潰されるといい。一旦潰せばお前のお花畑な頭も何とかなるだろう」

 

「おおう、脳内変革ってやつ? いいねぇ、束さんすごく興味があるよ。ちーちゃんのお堅い頭も一度あばばばばばば!?」

 

 

間接的に悪口を言われたことに苛立ちを覚えたのか、千冬さんの締め付ける力が一層強くなる。力が強くて抜け出せずにジタバタともがく姿がなんとも滑稽だが、本音を言ったら失礼。

 

うん。今までの一連の会話だけを察するに、以前あったことがある人物らしい。否、らしいではなく会ったことがある。

 

人を見た目で決めるな、なんてよく言われるが正直苦手だ。

 

 

「た、束さん?」

 

 

付近にいた一夏がその名前を呼ぶ。

 

篠ノ之束。稀代の天才にして天災。この世に究極兵器、ISを生み出した張本人。

 

仕事を一度だけ一緒にしたことはあるが、それ以外の関わりと言えばIS学園に入学する前に、遠隔操作で勝手に人の着信音を変えられたことくらいか。

 

会話をしたのもそれが最後であり、会話自体も大したことを話さなかったような気がする。対人コミュニケーション能力がお察しの通りだったが故に、まともな会話は何一つない。

 

 

「うぅ、頭が潰れちゃう……」

 

「自業自得だ馬鹿め」

 

 

酷い言われようだ。

 

二人共友人関係にあるみたいだが、二人のやり取りを見ていると、千冬さんが一方的に突き放しているようにしか見えない。これだけを見ると誰とでも話すことが出来る人なんだが、その他の第三者になった瞬間に、絶対零度の拒絶が始まる。

 

一度やられたが、本当に生ゴミを見るかのような目と表現するのが正しい。親しい人間に対する態度と、その他の第三者に対する視線が違いすぎる。

 

一回でも経験すると、よく分かるだろう。もしかしたら盛大に心をへし折られるかもしれないけど。

 

 

「いたた……あ! いっくん!」

 

「ど、どうも束さん」

 

 

殴られた痛みはどこへやら。一夏の顔を見るなりぱぁと顔を明るくして、まるで嬉しさから子犬が尻尾を振るように、ブンブンと手を振る。

 

どうやら一夏は親しい間柄になるらしく、笑顔を絶やすことはなかった。

 

さて、問題は彼女が、何をしに来たのかだが……。

 

 

「やぁ!」

 

「……どうも」

 

 

反射的に岩影に隠れようとした篠ノ之にテンション上げ上げのまま声を掛ける。

 

名字が同じの段階であらかた推測できたが、二人は姉妹だ。似てないと思ったのは最初だけで、篠ノ之にも姉の面影がある。髪色は別として容姿もそうだし、目元も不眠症によるクマがなければきりっとした日本美人らしい目付きになるだろう。

 

 

「えへへ~久しく会わない間に大きくなったねー! 特におっぱいが……ぎゃふんっ!?」

 

 

手をワキワキとさせながら篠ノ之の胸に手を近付けていくが、両手が胸に触れる前に頭を衝撃が襲う。何とも間抜けな声を上げながら、痛みに堪えきれず場にうずくまった。

 

篠ノ之が握っているのは日本刀の鞘。

 

一歩間違えたら犯罪レベルだが、あらかた加減をして殴ったんだろう。加減されてるとは言っても、鞘で殴られたいとは思わない。

 

てかどっからその日本刀出した。まさか隠し持っていた訳じゃあるまいし。

 

 

「殴りますよ?」

 

「殴ってから言ったぁ。箒ちゃんひどーい!」

 

 

どんなに殴られても、蹴られても、気に入った相手からの攻撃は彼女にとってはスキンシップの一つに過ぎないらしい。集合した目の前で行われる漫才の数々に、一同は完全に口を開けたまま立ち尽くすことしか出来ないでいた。

 

かくいう俺も呼び出されたから前に出てきたものの、話が一向に進まないんじゃ出てくる意味があったのかと、徐々に頭から集中力が消えていく。

 

すると俺の表情を察し、埒が明かないと判断した千冬さんが催促した。

 

 

「おい束、自己紹介くらいしろ。うちの生徒が困っている」

 

「えー、めんどくさいなぁ……私が天才の束さんだよ、はろー。終わり」

 

 

信じられないほどに簡潔にまとめられた言葉の羅列を自己紹介と呼べるのか甚だ疑問だ。入学式の日、初顔合わせでの一夏の自己紹介よりも酷いんじゃないかと思うと、苦笑いすら出てこない。

 

あぁ、何一つ半年前から変わっていない。見慣れた光景ではあれど、もう少しまともになっていいんじゃないかと切に思う。

 

ただ他の生徒たちに自身の正体を知らせるには十分だった。名前を聞き、みるみるうちに騒がしくなっていく。

 

 

「ったく、もう少しまともな紹介は出来んのか。おい一年、手が止まっているぞ。こいつのことは無視してテストを続けろ」

 

「こいつはひどいなぁ。らぶりぃ束さんと呼んで良いよ?」

 

「うるさい黙れ」

 

 

二人にとってはこれが日常茶飯事なんだろう。俺が気にすることでもない。

 

 

「それで……頼んでいたものは?」

 

 

篠ノ之が控えめに尋ねる。どうやら頼み事があるらしいが、何かは分からない。多分二人の間だけで交わされた約束だろうし、むしろ俺が知っていたらおかしいというもの。

 

だが篠ノ之が姉に頼みそうなものと言えば大まかに検討がつく。逆を返せば彼女にしか作れないものは多いし、消去法だけで判断すればおのずと選択肢は絞られる。

 

 

「ふっふっふっ、それは既に準備済みだよ! さぁ、大空を御覧あれ!」

 

 

キラリと目を光らせたかと思うと大空を指差した。つられるがまま篠ノ之が、むしろクラスメート全員の視線が上を向く。

 

刹那、銀色の大きな塊が二つ。大きな音を立てて、砂浜へとめり込む。

 

二つ……二つ?

 

一つは篠ノ之のものだとして、もう一つは誰のものなのか。二つ含めて篠ノ之のものの可能性も考えられるが、そこまで大型な贈り物とは考えにくいし、それなら箱を大きくすればいいこと。

 

わざわざ箱を分ける必要性が感じられない。彼女のこだわりであれば分からなくもないにしても、そこにこだわりを持つようには思えなかった。

 

俺がまだ、篠ノ之束という女性を把握しきれていないだけなのか、それは現段階では判別しようがない。

 

 

パチンと指を鳴らすと、金属の箱が音を立てて真っ二つに割れる。中から現れたのは…….。

 

 

「じゃじゃーん! これぞ箒ちゃんの専用機こと『紅椿』! 全スペックが現行ISを上回る束さんお手製のISだよ!」

 

 

深紅に包まれた機体。太陽の光に輝く赤色がより眩しく見えた。

 

言ったことが事実だとするのであれば、現行の第三世代モデルを上回る最高のISにもなる。各国が必死に開発を進めているというのに、彼女はたった一人で最高モデルのISを作り上げた。

 

しかしどの世界でも開発すらままならない、最新型のモデルを開発して、各国が黙っているかどうか甚だ疑問なところだ。最新鋭のISを持ち合わせた操縦者はどの国も、喉から手が出るほど欲しいことだろう。

 

それに日本国籍だからとはいっても、日本の代表候補生にならなければならないといった決まりはない。最悪データさえ手に入ればと、良からぬことを考える人間が出てくるとも限らない。

 

力を得るということは、相応のリスクを伴う。今まで以上に、周囲の見方は厳しくなるし、何故お前ばかり優遇されるのかと僻む人間も出てくるはず。

 

本音を言ってしまうと、実の妹だからといって、おいそれと専用機を……それもどの国も開発が追い付いていない最新鋭ISを与えていいものかと疑問に思ってしまう部分もある。

 

 

それともう一つ気になっているのは、篠ノ之の専用機の隣に待機している別のIS。

 

白基調の一夏の白式とは真逆の黒基調のボディ。一夏の白式を大地を明るく照らし、新しい生命を育む光とするなら、これは光が照りつけることで生まれる黒い影。

 

このISは誰のものなのか、どんな意味合いがあるのかと考えていると意外な人物に声を掛けられた。

 

 

「やぁやぁ! 久しぶりだね。一年ぶりくらいかな?」

 

「……どうでしょう。さすがにどれくらい前のことかまでは覚えて無いですね」

 

 

いつ俺の間合いに飛び込んだのか。

 

てっきり天才なのは頭脳だけだと思ったが、どうやら身体能力まで常人を遥かに凌ぐほど、オーバースペックなものらしい。

 

篠ノ之博士と面と向かってまともに会話をするのは今回が初めて。以前仕事を引き受けた時に比べると随分物腰も柔らかで、人を拒絶するような素振りは見られない。

 

千冬さんからは凄く感謝していたと聞いていたけど、こうも反応が違うとかえってやりづらい。この人の個性を分かっているからこそやりづらいし、尚且つ苦手意識も芽生える。

 

いや、苦手意識ではなく俺はこの人が苦手だ。嫌いなわけじゃなく、単純に思考が全く読めない上にこちらの言っていることが伝わらないから。前例が前例なだけに、すぐにこの人を信用するわけにも行かなかった。

 

 

「ぶー! つれないなあ! もう少し愛嬌があってもいいじゃないのさ!」

 

「善処します」

 

 

言葉自体もどこか辛辣なものとなってしまう。

 

本心では言うつもりのない言葉が、みるみる内に心の奥底から湧き出てくる。

 

何故だろう、別にきつい言葉を浴びせられたわけでもないのに、この人にだけは決して気を許すなと、無意識に俺の体が悟っている気がした。どれだけ注意深く観察しても思考が把握出来なかったことなんて初めてだ。一年前は彼女から何一つ情報を引き出せないまま、仕事を終える羽目に。

 

情報を引き出しきれなかったのは俺の力が至らなかっただけだが、この何とも言えない掴みづらい感覚が苦手だった。

 

 

「善処って! 私は君に何回会えるか分からないんだよ!? 折角なんだからもっと笑顔にさぁ……はぶぇ!?」

 

「話が進まないので、そろそろ静かにしてもらえますか?」

 

「ほ、箒ちゃんがまた殴った! 昔はもっと優しくて無邪気だったのに!」

 

「割りますよ?」

 

 

説明の途中で俺の方へと歩み寄ってきた姉に対して、まさかの鉄拳制裁を行う篠ノ之。流石に日本刀の鞘は控えたようだが、握りこぶしでげんこつされたら痛いに決まっている。

 

頭を押さえて涙目のまま抗議する演技ではなく本物の涙だし、相当痛かったんだろう。昔の自分を話に持ち出されて、今度は先ほどの鞘を取り出す。

 

公衆の面前で過去話をされたいとは思わないし、篠ノ之の反応はごもっとも。『割りますよ』は斬新な言い方過ぎて怖いが、本当に実行することは無いはず。

 

……で、話は戻るが残った黒いISは誰のものなのか。そろそろ言ってほしいところ。

 

 

「へみゅぅ……あ、そーだ! もう一つのはね、君の専用機だよ。霧夜大和くん」

 

「……はい?」

 

 

さらりと衝撃的な事を言ってきた。

 

あの黒いISが俺の専用機? そんな馬鹿な、俺に専用機を作って一体何のメリットが……と考え掛けたところで、過去の記憶が蘇ってくる。

 

過去、とは言っても遡るのは俺が入学してからすぐのことになる。千冬さんから生徒指導室に呼び出された際に、以前の任務で親友である篠ノ之博士を守ったことに対する感謝と、任務完遂のお礼に専用機を作る話があった。

 

あれから時間も経っていたために、専用機の話は頭の片隅に追いやられていた。

 

まさかこのタイミングでとは予想がつかない。直接手渡したかったといえばそれまでだが、よくもまぁこんな手の込んだ仕掛けを作ったものだ。彼女にしてみてはこれくらいの作業など、朝飯前なのかもしれない。

 

それを含めて規格外、誰もが認める随一の天才篠ノ之束。

 

今回は素直に感謝する他なかった。

 

 

「ありがとうございます。わざわざ俺のために専用機を用意してくれて」

 

「いやいやー、束さんの手に掛かればこれくらいちょちょいのちょいだよー! ささっ、二人とも早速搭乗してみようか!」

 

 

ぐいぐいと背中を押され、俺と篠ノ之は専用機のある場所へと歩き出す。すると背後から専用機を与えられたことを妬む声が聞こえてきた。

 

 

「なんかずるくない?」

 

「だよね。篠ノ之博士の妹だからって専用機貰えるんでしょ? 納得いかないなぁ」

 

「それに篠ノ之さんって、特別良い成績でもないよね? 霧夜くんはまだしも、もっと別に与えてもいい人材がいるんじゃないかな?」

 

 

妬みは主に篠ノ之に対するもの。それも他クラスの生徒によるものだった。

 

自分たちはこれだけ頑張っても専用機を貰えないのに、何故大した成績も残していない篠ノ之が専用機を貰っているのか。

 

確かに剣道においては優秀な成績を納めている篠ノ之だが、全国大会で優勝した事実を知る人間はあまり居ない。ここはIS学園であって、剣道の実績などISにはほとんど関連性がないと思っている生徒がいるのも事実。

 

ただ俺から言わせてもらえば、剣を振るったり、かわしたりする動きはおいそれと習得できるものではない。いくらISに補助機能がついているとはいえ、運動をやっていない人物が操縦するのと、武道の大会で優勝するほどの腕前を持つ人物が操縦するのでは大きく変わってくる。

 

だが、彼女たちからすればIS操縦技術が卓越したものでなければ、認めたくないと暗に言っているようにも見えた。

 

気持ちは分かるし、姉から直接専用機を渡されればコネを使って手に入れたと思われても不思議ではない。

 

それに、生徒たちの推測は間違っていないかもしれない。

 

 

「……っ!」

 

 

彼女たちの言葉に、苦虫を噛んだような表情を浮かべる篠ノ之。普段なら相手にしない篠ノ之だが、表情からひしひしと、後ろめたい気持ちが伝わってくる。

 

一夏の回りは、ほぼ専用機持ちたちが囲んでいる。

 

もしセシリアや鈴や、シャルロットたちに篠ノ之が劣等感を感じていたとすれば、考えられないこともない。

 

篠ノ之の口から専用機を依頼した可能性が。

 

 

「おやおや、歴史を勉強したことがないのかな? 有史以来、世界が平等であったことは一度もないよ」

 

 

口々に不満を述べる生徒たちをピシャリと黙らせる。ぐぅの音も出ないほどの正論に気まずそうな表情を浮かべながら、各々の作業へと戻っていく。

 

間違いなく平等なんてものはない、今の世の中だってそうだ。男性は蔑まれ、女性が優位に立てる世の中が『不平等』を体現している。

 

一旦事態が収束したことで、再度専用機の前に立つ。

 

篠ノ之は紅椿の、そして俺は……。

 

名前を知らない。このISの名前自体聞かされてないのだから、知るはずもない。

 

 

「あの、すみません。このIS名前って「まだないんだー。ごめんねー」……」

 

 

あっけらかんと名前がないと伝えられた。

 

 

「名前、か」

 

 

専用機を貰ったところで、あのISとかこのISといった指事語で呼ぶのは嫌だしな。名前ばかりは早急に決める必要がある。

 

俺も元々名前なんてものは無かったし、名無し同士と言えば相性は良いかもしれない。

 

篠ノ之博士が手に持っている二つのボタンを押すと、紅椿とこの黒いISの装甲が割れて、操縦者を受け入れる体勢が整う。とりあえず今は乗ることだけを考えよう。

 

操縦席に腰を下ろすと周囲を装甲が体を守るように覆った。今まで乗っていた打鉄に比べると、若干ながら乗り心地が違う気がする。

 

 

「じゃあ、すぐにパーソナライズとフィッティングを始めようか、箒ちゃん! あ、大和くんのは普通のISとは勝手が違うからそのままで大丈夫だからね?」

 

「はい、分かりました」

 

「……お願いします」

 

 

相変わらず篠ノ之の態度は冷めているというか、素っ気ない。それでも篠ノ之なりに感謝していることは伝わってくるし、素っ気ない態度もワザとやっているわけでもない。

 

上手く感謝の感情を伝えることが出来ず、どう接したら良いか分からなくなっているだけだろう。

 

そこまで心配することもないと、下で凄まじい勢いでキーボードを叩く篠ノ之博士を見る。最早手元が全く見えない、まるで千手観音みたいだ。俗に言うブラインドタッチを遥かに凌駕するその速度は、誰もが見ても惚れ惚れするようなスピードを誇る。

 

驚きなのは彼女の前に広がる複数のディスプレイ。手元を見ているならまだしも、目の前に広がるディスプレイを一つずつ確認しながら打っているのだから驚きだ。プログラムだから一つでも間違えると正常な動作をしない。パソコンのJavaやVBと比べても、プログラムの数は膨大。

 

しかもたった一人で恐るべきスピードで処理していくのだから、まさに天才そのもの。

 

誰も真似できない彼女の行動に、一同は口をあんぐりとさせたまま立ち尽くすことしか出来ないでいた。

 

 

さて、篠ノ之のフィッティングを行っている間に、自分のISに積み込まれている装備でも確認しておくとしよう。どうやら俺の専用機はこのまま使えるみたいだし、今のうちに何が使えるかを確認しておいた方が実戦になった時に後手に回らずに済む。

 

 

「えっと……」

 

 

モニターに映し出される武器を確認していく。とはいっても装備自体は至ってシンプルで、近接用ブレードが数本。俺の戦闘スタイルを模すかのような装備の数々に思わず苦笑いが出てくる。

 

前の仕事の時の戦い方を見てるし、実際の俺と似せて作った方が操縦者にとっては動きやすい。仕事がバレる危険性もあったが、サーベルではないし、特注鞘が備え付けられているわけでもない。

 

両手剣といった共通点はあるが、装備は似ても似つかないからそこまで問題は無さそうだ。

 

 

他にこれといった装備はないか。遠距離用武器もあるのかと思ったが、現状それらしい武器は見当たらない。接近して切るといった分かりやすい戦い方だが、俺にとっては一番合っている戦い方だろう。

 

 

「……ん、これは?」

 

 

操縦席を見回していると、気になる箇所を見付けた。

 

他とは作りが違うし、これ見よがしに自己主張しているから機能の一つだとは思うけど、何の機能なのかは分からない。聞いてみようか。いや、まだ篠ノ之のフィッティングの最中だし、邪魔をするのも良くない。

 

後でまとめて聞けば……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――っ!?」

 

 

それはまた"突然"襲ってきた。

 

突如左眼を襲う痛み。

 

昨晩のような倒れ込むほどの痛みでは無いにしても、同じものなのは分かった。どうしてこんな時にと歯を食いしばって痛みを堪える。

 

幸い堪えられない痛みじゃない。

 

周りにバレないようにすれば、この場はやり過ごせる。大丈夫だ、何とかなる。

 

 

表情に出ないように痛みを我慢していると、思いの外すぐに痛みは引いた。何とかなったと安堵する俺だったが、こんなものはこれから訪れる事象と比べれば何てことはないと思い知るのは……。

 

まだ、少し先のことだった。



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与えられた力

 

 

「さーて、パーソナライズとフィッティングが終わったことだし、そろそろ紅椿で飛んでみようか、箒ちゃん」

 

「はい」

 

「それと君もね」

 

「分かりました」

 

 

処理自体は一分掛からず終了。篠ノ之博士の手元を見たところで何をしているのか早すぎてワケわからなかった。

 

あの早さは慣れじゃなくて、完全に自分の感覚から来るものだから誰にも真似が出来ない。決して努力しただけでは行き着けるような次元ではないし、根本的な脳の構造が、一般人とは比べ物にならないようだ。

 

紅椿からコード類が外され、篠ノ之が目を瞑った瞬間に爆発的な加速力で一気に上空へと翼を広げた。

 

瞬時加速を使った訳じゃない。紅椿のシールドエネルギーに大きな減少は見られないし、単一仕様能力を使ったわけでもない。

 

以上のことから結論付けると、純粋な機体だけのスペックでこれだけの加速力を誇ることになる。紅椿のスペックと、他の専用機持ちたちの専用機のスペックは比べるまでもなく明らか。

 

現存するどのISよりも上を行く性能を秘めている。セシリアや鈴、シャルロットやラウラの表情を見るだけでも篠ノ之の専用機が如何に異次元染みているか分かる。

 

 

篠ノ之が先に空へと展開するのを見届けた後、それを追うように俺も目を閉じて頭の中でイメージを具現化していく。自身が空を飛ぶイメージを……。

 

 

「えっ……」

 

 

思わず声が漏れた。

 

今までにない不思議な感覚。体が浮き上がるような、打鉄では味わうことが出来なかった身軽な感覚。

 

自分の手足を動かしているかのように動く。それはパーソナライズとフィッティングがあるからこそ出来ることであり、一度も乗ったことが無い機体で出来るなんてあり得ない。

 

初めて打鉄に乗った時、多少なりとも違和感があった。思うように行動できない、動いてくれない、動かすことが出来ないと何度思ったか分からない。

 

だが今は自分の意のままに動く。それどころか、想像以上の動きをしてくれる。急浮上しようと思ったわけでも無いのに、紅椿に負けず劣らずのスピードで空域へと急上昇した。

 

 

驚いたのは俺だけではない。地上で見ている一夏や、その他代表候補生たち。またクラスメートや他クラスの生徒、教師陣も千冬さんを除いて驚きを隠せないでいる。

 

もちろんこれは肉眼ではなく、ハイパーセンサー越しに見る全員の表情だ。身体能力までが強化されているわけではないが、少なくとも他のISとは勝手が違う。それを知っているのは、この専用機を作った篠ノ之束ただ一人。

 

 

「ふっふっふ! 驚いた? 君のISは少し特殊でね、現存する訓練機や専用機とはちょっと作りが変わっているのさ!」

 

「作りが変わっている?」

 

「そーそー。何か変だと思わない? 私はパーソナライズもフィッティングも一切してないし、ここに来る前にもそのISに手を加えてない。通常のISが身体に馴染むまでには、どんな熟練の操縦者であっても時間が必要になる。それが君のISにはない……どうしてだと思う?」

 

「……」

 

 

地上にいる篠ノ之博士から声が飛んでくる。

 

やはり俺の読み通り、この機体にはパーソナライズもフィッティングも施されて居なかった。そこまでは予定調和だが、問題なのはどうしてここまで搭乗当初から体に馴染むのか。考えれば考えるほどに頭の中がぐるぐると回り、思考がままならなくなる。

 

ISを作っている人間でも無いんだし、機体の特性を乗っただけで把握出来るほど頭が良いわけでもない。そんな頭脳があるのならわざわざ考えることしない。

 

 

「ふっふーん! その顔は分からないって顔だね! じゃあ特別に答えを教えてあげよう!」

 

「……」

 

 

何だろう。

 

凄く小馬鹿にされたような気分だ。いや、実際に小馬鹿にされているし、本来なら堪忍袋の緒が切れているところだが、自然とスルー出来てしまった。

 

彼女の人間性、性格が分かったというのもある。それよりもどうしてこのようなことになっているのか、気になっている自分が居た。彼女の口から答えを聞きたい。今はその一心だった。

 

 

「正解はね。君のISは()()()()()()()()()()()()()本来の力を発揮するんだよ」

 

 

語られる新たな事実、もはやISの常識を覆していると言っても過言ではない。

 

女性だったら近距離戦闘、遠距離戦闘が苦手でもない限り、誰でも乗りこなせるような作りになっている。それは操縦者に合わせてフィッティングとパーソナライズが存在するからであり、二つの概念がなければ、選ばれた人間しかISを動かせないことになる。

 

篠ノ之博士の言うことが本当だとするなら、元々の身体能力が高くなければ、このISはまともに動かすことすらままならないことになる。

 

 

「だから普通のIS操縦者では乗りこなせない、それこそ国家代表クラスであってもね。乗りこなせるのはごくわずか、逆に君ならこのISを乗りこなせると思ったのさ」

 

 

はっきりと伝えられる真実に、凄まじいものを渡してくれたものだと苦笑いが出てくる。身体能力に関しては隠してきたつもりだが、仕事の時にちょっとばかり暴走しすぎた感は否めない。

 

 

「逆に、少しくらい特徴があったほうが嬉しいでしょ?」

 

 

自分専用の機体と考えると、確かに嬉しいものがある。本当の意味で、自分の体に合わせて動いてくれる機体など、全世界探してもこれだけなのだ、嬉しくないはずがない。

 

そうは言っても、一個だけやらかしたことがあるとすれば篠ノ之博士の護衛の際、暴れざるを得ない状況になってしまったが故に、俺の戦いをまじまじと見られる羽目になったことか。この口ぶりからするとおそらく俺の身体能力が高いだけではなく、遺伝子強化試験体だってことも気付いているだろう。この人の情報網だ、いつどこの誰から情報を仕入れているか分からない。

 

知らせていないはずの俺の電話番号はおろか、住所まで的確に当てられるともなると、この人の前では隠し事をしていても何一つ意味を持たない気がする。実際に意味を持たないし、そもそもプライバシーが無いんじゃないかというツッコミはこの際なしだ。

 

自分の身体能力に合わせて動くISともなると、運動神経が低い人間が動かしたら、ただのガラクタ同然。人によっては俗に言われる欠陥機に成り下がる可能性もあり得る。

 

 

「さてさて、箒ちゃんはどうかな? いつも乗ってる訓練機とは勝手が違うでしょ?」

 

「えぇ、まぁ」

 

 

専用機は搭乗者に合わせて作られた機体であるが故に、相性がいいのは当然。だからこそ何も手を加えなかった俺の専用機が、これだけの出力を発揮出来ることに驚きを隠せない。

 

見たところ紅椿には刀以外にもアサルトライフルを装備しているなど、篠ノ之が得意とする近接戦闘だけではなく、遠距離射撃戦にも対応出来る武装が揃っている。

 

それに加えて、単純なスペックは現行モデルの更に上を行くと来たものだ。

 

 

「箒ちゃん、試しにこれを撃ち落してみてね~」

 

 

合図と共に何処からともなく現れたミサイルが、篠ノ之に向かって発射される。数だけなら十数発、軌道は読みやすいが訓練機しか乗ってこなかった篠ノ之がどのような動きを見せてくれるのか。

 

空中を切るように向かうミサイルに向かって一閃。薙ぎ払いに関しては速度的に目視で追えるレベルのものだったが、紅椿自体の機動力が化け物クラス。誰もが人目に見て分かる機敏性、細かい動きを連続しているにも関わらず、一切操作ミスがない。

 

更に斬撃から発せられるエネルギー刃が、的確にミサイルを一つ一つ打ち落としていく。刀とは本来接近して使うもののはずなのに、一種の飛び道具としても使える。

 

もし篠ノ之と戦うことがあるとしたら非常に厄介だ。このまま彼女が順調に成長していくと仮定すれば、近い将来、必ず各国の代表候補生たちと肩を並べる日が必ず来るだろう。

 

 

「――やれる! この『紅椿』なら!」

 

 

篠ノ之の目に宿る自信。

 

一夏や取り巻く人間は専用機を持っていることに、嫌と言うほどもどかしさを感じていたはず。与えられた専用機は各国の専用機を遥かに凌駕する代物であり、凄まじい性能を秘めている。

 

言わば強大な力と表現するのが正しいか。強大な力は上手く扱えばこれほど心強いものはない。

 

だが力の使い方を一歩でも誤れば、自分自身がその力に飲み込まれて制御が出来なくなる。

 

今の篠ノ之の表情を見ていると、まるで子供が欲しかったオモチャを与えられて喜んでいる様子と一致する。

 

故に危険。

 

何でも出来ると自身の力を過信し、力に溺れて周りが見えなくなる。最終的に己の強さは、ただの自己顕示となり脳を侵食していく。

 

以前のラウラはその典型例だ。力に溺れ、力を求めたばかりにVTシステムが発動。ラウラはドロドロと変形したISに取り込まれた。

 

正しい使い方をしていれば問題は無い。だが、脳裏を過る一抹の不安だけは拭い去れそうに無かった。

 

 

「よーっし! オッケー箒ちゃん! 完璧だよ!」

 

 

篠ノ之を見た後、何気なく地上で待機している面々へと視線を向ける。この一部始終をどう感じているのか。少なくとも一部を除いて、篠ノ之博士の妹だからという理由で専用機を与えられていることに対して不満を持っている生徒は多い。

 

どうして彼女だけがと、負の感情を持ち合わせている生徒が見受けられる。

 

そして、篠ノ之博士の博士の方へ視線を向けた瞬間、俺の背筋は凍りついた。

 

 

「ーーーッ!?」

 

 

見たくなかった、見せてほしくなかった。

 

妹の身を案じる視線ではなく、一つの研究対象として見つめる科学者としての視線。

 

今の篠ノ之博士の視線は、篠ノ之を研究対象としか見ていなかった。普段はそうじゃないかもしれない、専用機を作ったのも篠ノ之のことを考えた上での行動だったのかもしれない。

 

研究者という立場上、あらゆる事象に興味を持つのは仕方ない。

 

だが一瞬でも篠ノ之のことをモルモットとして見た事実は変わらない。

 

 

「姉妹か……」

 

 

血の繋がった二人。

 

二人の繋がりを羨ましいと思いつつも、どこか心の奥底にぽっかりと空いた穴は塞げそうに無かった。

 

 

「後はキミも折角だし動かしてみようか。どんな感じか気になるでしょ?」

 

「まぁ、そうですね。乗り初めで感覚は掴みづらいですし、出来るのであれば」

 

「そう来なくっちゃ! 箒ちゃんと同じ弾数を撃ち込むから全部落としてね~」

 

 

篠ノ之と同じように十数発のミサイルがランダムに発射される。

 

双剣スタイルか、片手剣スタイルか選べるみたいだし両方とも試してみたいところだが、あまり考える暇はないようだ。いつの間にか眼前に迫るミサイルを薙ぎ払いで打ち落とすと、ミサイルの大群から降下しながら抜け出す。遠距離武器が使えない現状を考えると、残された攻撃手段は近付いて斬りつけるだけ。

 

下手に近寄って斬り付けてしまうと爆発が誘発し、巻き込まれてしまう可能性もある。立ち回りに細心の注意を払いながら、迫り来るミサイルの数々を落としていく。

 

まとまって飛んでくるミサイルに剣を投げてぶつけると爆発を起こす。周囲のミサイルも上手く爆発へと巻き込み一網打尽にしていく。

 

近接武器とはいえ、投げちゃいけない決まりはない。これも一つの戦法であり、形勢を逆転させる重要な切り札にもなりうる。

 

打鉄の時とはまるで違う体との相性の良さに驚きを隠せないながらも、目の前のミサイルを一つ一つ的確に撃ち落としていく。体が無茶を聞いてくれる、自分の思うように動いてくれる。

 

誰でも操縦出来るような機体ではなく、身体能力に比例する機体もそれはそれで面白い。欠陥機とも呼ばれる機体の方が、俺には合っている。

 

 

全てのミサイルを叩き落とすのに十数秒と掛からなかった。シールドエネルギーの減少もほぼないし、集中力の乱れ、その他精神的な部分を含めたメディカル面の異常も無い。

 

新たな力を手に入れることは思いの外悪くない。だが飲み込まれたら終わり、頭の中に最重要事項として叩き込み、俺は陸地へと戻っていく。

 

地面に足をつけた後、頭の中でISの武装解除をイメージすると体の周りから展開されていた装甲が光の粒子となり、消えていく。そして光の粒子は俺の体のある部分へと纏まり……。

 

黒色に光輝くネックレスへと姿を変えた。

 

 

「すげぇな! あんな多くのミサイルを簡単に落としちまうなんて!」

 

「あぁ、さんきゅー。でも何回か操縦はしているし、あれくらいは出来ないと」

 

「いやいや、初めからあの動きは中々出来ないだろ! それも貰ったばかりの専用機で馴染んでないんだから。俺だって一次移行(ファースト・シフト)するまではやりづらかったし! やっぱりすげぇよ大和は!」

 

 

目をキラキラとさせながら歩み寄ってくる一夏。

 

専用機を貰い、初めての稼働で自由自在に操ったことを本心から凄いと思っているみたいだが、訓練機の操縦を合わせて何回か動かしている訳だし、出来ない動きではない。

 

まして自分の身体能力に比例した動きをするのであれば、操る人間によってはとんでもない能力を発揮することもあるのだから、本来の自分からすれば出来ない動きではないのかもしれない。

 

 

篠ノ之博士の口ぶりから察すると、一次移行(ファースト・シフト)の概念まで無かったりしてな、この機体。与えてもらったは良いけど、この機体には分からないことが多すぎる。データの開示も試してみたけど、近接武器のツインブレードを除けば、これといった武装も見当たらないし、それ以上のことはロックが掛かって調べられない状態。

 

ISの専門知識に関しては無いし、整備士でもない。細かいことを言われたところで、眠くなる呪文を唱えられているようで頭の中に入ってこない。

 

細かい詮索は諦め、使いながら調べることにした。

 

 

 

 

「お、織斑先生! た、大変です!」

 

 

試運転も完了した頃、慌てた様子の山田先生の声が場に響く。場に不相応な酷く焦った声が伝染し、一瞬にして周囲の音が無くなる。

 

声質だけで判断できるほどのただならぬ事態。専用機や実習のことなど忘れ、全員が山田先生の方へと視線を向ける。

 

「どうした?」

 

「こ、これを……」

 

 

千冬さんの元へと駆け寄った山田先生は、小型のタブレットのような端末を手渡しする。内容を一通り確認した千冬さんの視線が一瞬険しくなるが、すぐにいつも通りの凛とした視線へと戻る。

 

 

「特命任務レベルA……現時刻より対策を、か」

 

「はい。その、ハワイ沖で試験稼動をしていた……」

 

「あまり機密事項を口にするな。生徒達に聞こえたらどうする」

 

「す、すいません。それでは私は他の先生方に連絡してきますので」

 

 

はっきりとは聞こえなかったが、どうやら機密事項の文言を伝えてしまったようで、千冬さんから注意を受ける。つまりそれだけの大事な事態であることが伺える。一通りの事態を伝えた後、山田先生は旅館の方へと駆けていく。

 

後ろ姿を見送った後、千冬さんは俺たちの方へと体の向きを変えて声を大にして生徒全員を振り向かせた。

 

 

「全員注目! 現時刻より、私たちIS学園教員は特殊任務行動に移る。今日の稼動テストは中止だ。各班、ISを片付けて旅館に戻るように。連絡があるまでは各自待機しておくように。以上だ!」

 

 

あまりにも突然すぎる『稼働テストの中止』

 

多少のイレギュラーだったとしたら、生徒たちに知らせることもなく、教員たちが処理をするはず。IS学園でも生徒は知らなくとも、小さな問題はかなりの頻度で起こっている。

 

それを漏洩させなかったのは、教員が生徒に知られる前に解決をしていたからだった。

 

一夏がある組織に狙われていたことも同じで、一般生徒に知られる前にこちら側で全てを解決させている。少しでも安心の学園生活を送ってもらうために。

 

だがテストを中止にさせるということは、教員たちを総動員しなければ解決できないほどに、深刻な問題へと発展していることを意味していた。

 

いきなりの指示にどうすれば良いのか分からず、専用機持ちを除いたほぼ全員が困惑し始める。状況は違えど、無人機襲撃の時のように、慣れないことに対して自分たちがどう行動すべきなのか判断が追い付いていない。

 

ここに関しては経験の差だろう。専用機持ちは程度は違えども戦場を経験している。ラウラなんかはその筆頭といっても過言ではない。

 

事態が事態だけにあまり時間を無駄には出来ない。いつまでたっても行動をしない生徒たちに、千冬さんは厳しい口調で半ば強制的に旅館へと誘導をかけた。

 

 

「とっとと戻れ! 以後、許可無く室外へ出たものは身柄を拘束する! いいな!」

 

「は、はいっ!」

 

 

厳しくいうのも生徒たちの身を案じてのこと。千冬さんの言葉にようやく訓練機の片付けを始める。

 

 

「専用機持ちは全員集合! 織斑、オルコット、凰、デュノア、ボーデヴィッヒ、それと霧夜と篠ノ之もだ!」

 

「はい!」

 

 

人一倍、大きな返事をする篠ノ之。

 

篠ノ之の目は自信に満ち溢れていた。今まで自分に無かった専用機()を手に入れられたことに満足し、これで今までの劣等感とはおさらば出来ると言わんばかりに。

 

確かに苦渋をなめたこともあったはずだ。一夏の周りを取り囲むのは各国の代表候補生、それも全員が専用機持ちと来た。自身がいくら幼馴染みとはいえ、ISスキルに関するレベルで言えば大きなアドバンテージがある。

 

どうして自分はいざという時に力になれないのだろうと、悔しい思いをしていたことも用意に想像出来る。だが、今の篠ノ之は専用機を手に入れたことでようやく同じ土台に立てた、強大な力を手にいれることが出来たと、気持ちばかりが先走り、浮き足立っているようにしか見えない。

 

人間、浮き足立っている時が最も危険で、大事になりやすい時でもある。浮かれたまま悪い方向へと傾かなければいい……そう切に思うことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ、軍用ISが暴走ねぇ……また上手いことやったじゃねーか」

 

「さぁ、なんのことかしらね?」

 

「けっ、とぼけんなよスコール! ふん、まぁいい。俺は俺のやりたいことをやるだけだ、誰か何を言おうと関係ねぇ」

 

 

廊下を歩く二つの姿。

 

ニヤリと不気味に微笑む姿は一度見れば、二度と忘れることは無いほどに醜く、腹立たしい程に人を見下したような笑み。ニヤニヤと狂喜の笑みを浮かべながら歩く横を、一人の女性も並走しながら歩くもう一人の女性。

 

スコールと呼ばれた女性は表情一つ変えないまま、淡々とした口調で男へと返した。男の方も対応に慣れているのか、特に気にすることもなく話を続けていく。

 

 

「本当にこの暴走であいつらは動くんだろうな?」

 

「おそらくはね。事態が事態なだけに教師たちが動く可能性もあるけど、訓練機で止められるほど銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)は甘くない。そうなると必然的に専用機が出てくることになる。貴方のお目当てのあの子もね」

 

「あ? アイツは専用機持ちじゃ無いだろ? この前会った時はそんな素振りなかったぞ」

 

「貴方と会った時はまだ専用機を支給される前。今日、あの篠ノ之束から直々に手渡されたそうよ」

 

「へぇ、そうかい。くくっ、なら尚更殺し甲斐があるってもんだ!」

 

 

専用機が手渡されていると聞き、嬉しそうに微笑む。もっとも、微笑むという単語が的確なものなのかは分からないが。

 

 

「あまり油断しないように。貴方が思っている以上に高い実力を持っているのは確か。あまり図に乗りすぎると足元を掬われる」

 

「あぁ!? んなことさせる前に潰してやる!」

 

「そう。傲慢な態度は構わないけど、万が一の時には撤退させる。私たちの指示は絶対、それは分かっているわよね?」

 

「わーってるよ! んなケースになった場合の話なんか、このタイミングですんじゃねーよ。気が散る!」

 

 

 

(霧夜大和……あの男、どこかで見た覚えがあるんだけど気のせいかしら)

 

 

スコールの脳裏には懸念点があった。

 

確かにこの男は一夏や大和と同じようにISを操れ、操縦技術も並のレベルではない。少なくとも代表候補生に遅れは取らないだろうし、一人だけでも複数人を相手にすることは決して難しくはない。

 

だというのに、頭の中に残るモヤは一体何なのか。自身に見覚えがあるというのも、モヤの原因の一つになっている。一度も会ったことがない男に対して言うのはおかしいが、スコールの中では間違いなく、大和の顔を以前に見ているという自負がある。

 

一度見た顔を忘れるほど、彼女の頭は廃っていない。ただ問題は彼の顔をどこで見て、見覚えがあると思ったのか。記憶を遡っても彼と対面した覚えはないし、それなら町を歩いている時に偶々出会したのか……いや、違う。

 

自身は大和と出会ったことが無いのに顔を知っていることになる。

 

 

(一体どこで……?)

 

 

既視感はあるのに肝心な部分が分からない、思い出せない。深く考えれば考えるほどに、分からなくなっていく。

 

 

「おい! 何ボーッとしてんだ! 俺はそろそろ行くぞ!」

 

「えぇ、分かったわ」

 

 

考え込んでいたことを指摘され、柄にもなく慌て気味に顔を上げる。

 

彼女の性格上、分からないことを溜め込むのは好きじゃないようだ。それに相手が脅威になりうる存在ともなれば、気にするのは当たり前。

 

 

「無駄な戦闘は禁物よ。こちらが無理だと判断したらすぐに撤退すること。一人で深追いは厳禁なのを忘れないで」

 

「へーへー。お前は俺の親かっての! 深追いも何も、そんな状況にはならねーから安心しとけ、じゃあな!」

 

 

歩を止めるスコールに対し、一人暗闇の通路へと姿を消していく。その後ろ姿を見つめながら、スコールは一言ぼそりと呟く。

 

 

「あの傲慢な態度、さすが『プライド』と呼ばれているだけあるわね」

 

 

腕を組ながらあきれた様子で去った方を見つめる。

 

プライド、それがあの男の名前になる。平気で人を見下すような傲慢な態度を見れば、これほど似合う名前はない。

 

 

「気を付けなさい。貴方や私が思っている以上に、何かがある」

 

 

一人の男の存在が脅威になる。彼女にとっての唯一の懸念点だった。

 

だがその姿が無くなった今、彼女の声が届くことは無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この時誰が想像しただろうか、あのような惨状が起きるかなど。

 

墜ちる翼、嘲笑う悪魔。

 

二つが対になるとき、それは現実となる。

 

 

「くはっ、くははははははははははっ!!!」

 

 

狂喜に染まる笑い声、握られた刀にこびりつく赤黒い何か。それを嬉しそうに舐めとるIS操縦者。

 

 

「そんな……嘘だ。目を覚まして……お願い、だから……いやだ、いやだぁ!!!!」

 

 

海面に響き渡る悲痛な声。

 

悲痛な声だというのに、小声としてしか認識出来なかった。

 

混濁する意識の中俺は……。

 

 

「大和……くん?」



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拭えぬ杞憂

 

 

 

「では、現状を説明する」

 

 

旅館の一室に集められたのは、専用機持ち及び教師陣。照明を落とし、外部から隔離された空間には大型のディスプレイが浮かんでいる。

 

「二時間前、ハワイ沖で試験稼動にあったアメリカ・イスラエル共同開発の第三世代型の軍用IS『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』が制御下を離れて暴走。監視空域より離脱したとの情報が入った」

 

 

事は俺たちが想像している以上に重大なものだった。

 

一夏はポカンとしたまま周りをキョロキョロと見渡すばかり。当然だ、今までの任務と言えば精々学園内での処理が可能なレベルで、他国の話など一度たりとも上がったことがなかったのだから。今回は軍用のISが暴走したともなれば、首を傾げるのも無理はない。

 

本来であれば、ISを管理している国が対処すべき内容であって、俺たちに話が舞い込んでくることは無い。だが俺たちの元へと話が舞い込んでくる理由はただ一つ。

 

俺たちが対処しなければならない程に、緊急性のある案件だからだ。

 

 

「……」

 

 

各国の代表候補生たちは普段見ている目つきとはまるで違う、真剣なものだった。ISに関する事態に対処するのはこれが初めてではないだろう。経験したことのない未知の事象に、思わず気が引き締まる。

 

 

「その後、衛星による追跡の結果、福音はここから二キロ先の空域を通過することが分かった。時間にして五十分後。学園上層部からの通達により、我々がこの事態に対処することとなった」

 

 

想像した通りだった。

 

しかし全くデータの無いISを相手にしろとは無茶を言ってくれたもの。

 

話の中で分かっているのはISの名前だけ。細かなスペックや特徴は一切分かっていない状態。話の中で出さなかったのは機密案件に触れる部分もあるからか。おいそれと口外出来るものではないことくらいはすぐに判断出来た。

 

 

「教員たちは学園の訓練機を使用して海域の封鎖を行う。よって、本作戦の要は専用機持ちに担当してもらう」

 

 

これはまた更なる無茶ぶりだ、つまり周囲に誰も近付かせないようにするから軍用ISの暴走を止めるのは俺たちだと。正直、要を任せて大丈夫なのかと一抹の不安が残る。

 

自信が無い……と言われればそうだろう。いくら色んな場所で命にかかわる仕事に携わったとしても、ISで国家レベルの重要任務を任されるとなれば話は違う。どれだけの修羅場をくぐってきても、こればかりは最初から慣れることは出来ない。

 

 

「それでは作戦会議を始める。意見があるものは居るか?」

 

 

むしろ質問しか思い浮かばない。

 

どこまで質問が可能なのか悩んでいると、俺よりも先にセシリアが手を挙げた。

 

 

「はい。目標の詳細スペックデータを要求します」

 

 

セシリアの質問はごもっともな内容だった。

 

これまでの話で分かったことは軍用ISが暴走したこと、暴走したISを俺たちが止めるということ。だが止めるためには今の状況では情報が少なすぎる。

 

不確定要素ばかりで相手に挑むのはあまりにも無謀であり、危険な行為だ。少なからず千冬さんから、軍用ISの情報を少しくらい得なければ勝てる戦いも勝てなくなる。

 

そんなセシリアの要求にも、分かっているといった表情のまま小さく頷く。

 

 

「分かった。ただし、これらは二ヵ国の最重要軍事機密だ。決して口外はするな。情報が漏えいしたと見られたら、諸君には査問委員会による裁判と、最低でも二年の監視がつけられる」

 

「分かりました」

 

 

本来だったら代表候補生といえど知らせてはならない情報のはず。それでも見せたということは、全員を信用しているからか。開かれたモニターをセシリアが鈴がシャルロットが、ラウラが、次々と覗き込んでいく。

 

四人とも緊急事態の対処には慣れているらしい。隠しているのかもしれないが、動揺らしい同様は一切感じ取られなかった。

 

四人に対して控え目な篠ノ之、そしてよく分かっていない一夏。二人とも本当の意味での実戦は初めてだろうし、どうすれば良いのか分からないのも無理はない。誰だって初めのうちは自身の役割が分からない。

 

作戦会議といっても何をどうすれば良いのか、何を聞けば良いのか。何度も経験を重ねて成長していく、言い方は悪いかもしれないが二人にとってはいい経験になりうるかもしれない。

 

 

「おにいちゃんも……」

 

「あぁ、悪いラウラ。どれどれ……?」

 

 

ラウラに促されるままモニターを覗き込む。難しい文字の羅列とは別に、先ほど千冬さんから伝えられた機体のデータが記されている。

 

 

「広域殲滅を目的とした特殊射撃型……わたくしのISと同じくオールレンジ攻撃を行えるようですわね」

 

「攻撃、機動の両方に特化した機体ね。厄介だわ。しかもスペック上では甲龍を上回っているから、向こうの方が有利かもしれない」

 

「この特殊武装が曲者って感じだね。ちょうどフランスからリヴァイブ用の防御パッケージが来てるけど、連続しての防御は難しい気がするよ」

 

「しかもこのデータでは格闘性能が未知数だ。持っているスキルすらも分からん。偵察は行えないのですか?」

 

「いや、恐らくは厳しいだろう」

 

 

はっきりと俺の口から事実を伝える。

 

これがただの普通の機体であればそうは言わなかったが、訓練機ではなく専用機だ。それに緊急事態として俺たちに救援要請をするくらいだし、それだけ強大な力を持ち合わせていることになる。

 

現にセシリアと鈴、シャルロットの会話でISの特性は掴めた。ラウラが言うように近接、格闘性能に関しては全く分からないが、それを調べようにも近付いて情報収集しなければならない。

 

少ない人数で未知数の敵と戦う行為は、あまりにも危険すぎる。

 

それにそれ以前の問題だってある。

 

 

「本来なら偵察して万全を喫すのが得策だろうが、事態は緊急を要している。偵察に掛けている時間も無いはず」

 

「霧夜の言う通りだ。この機体は現在も超音速飛行を続けている。アプローチは一回が限界だろう」

 

 

千冬さんと意見が合う。

 

音速飛行ともなると、そもそも追い付くことすら困難になる。一度チャンスを逃せば、そのまま止めるチャンスを失い、下手をすれば大惨事になることすら考えられる。

 

結局は一度のアプローチですぐにケジメなければならない。だが、一撃で相手を無力化するには、並大抵の攻撃では返り討ちにあうだけだ。

 

だから、一撃で仕留められる攻撃を持つ機体が必要になる。

 

 

「一回きりのチャンス、ということはやはり一撃必殺の攻撃力を持った機体でなければいけませんね」

 

 

山田先生の一言で、全員が一夏の方を向く。

 

どう考えても適任者は一人しかいない。

 

 

「え? 俺!?」

 

 

自身を指差したまま驚く一夏。

 

消去法をとったとしても、一撃の攻撃力が最も高いのは、一夏の白式。単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)の零落白夜であれば、どんな強大な敵でもバリアを無視して攻撃を通すことが出来る。

 

逆に言えば皆が一夏の方を向いた時点で、残された打開策はそれしかないということ。

 

 

「そうよ、あんたが零落白夜で落とすのよ」

 

「だね。ただ、問題なのはそこまで一夏をどうやって運ぶかだけど……エネルギーは全て攻撃に割らないと無理だし、移動に使っている余裕は無いよね」

 

「そうなれば、目標に追いつける速度が出せるISでなければな。それに超高感度ハイパーセンサーも必要だろう」

 

「ちょっ、ちょっと待ってくれ! お、俺が行くのか!?」

 

「当然(だろ)」

 

 

全員の考えが一致する。

 

これは別に一夏を目立たせようだとか、相手を舐めて、自分がやらなくてもといった力配分をしているわけではなく、それぞれ自分たちの機体の特性を把握し、最も成功確率の高い方法を取っているに過ぎない。

 

自分たちでケジメられるのであれば、真っ先にそうしている。真っ先に一夏の名前が出てくるのは、零落白夜を使って一撃で無力化することが、最も得策であるからだ。

 

俺たちが気を付けないといけないのは、被害を最小限に抑えること。出し惜しみをしている暇はない。

 

 

「この中で最大の攻撃力を誇るのは一夏、お前の零落白夜だ。銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)を一撃で黙らせる役割として、これほどの適任者は居ない」

 

 

セシリアや鈴、シャルロットやラウラも高い攻撃力を持ち合わせているが、零落白夜と比較すると一段階以上劣る。相手は音速飛行を続けているのだから、攻撃のチャンスは一度きりしかない。

 

攻撃を当てるのも容易ではないだろう。しかし一度のチャンスで確実に仕留められる可能性がある機体、それは一夏の白式しかなかった。

 

 

「うっ……」

 

 

思った以上のプレッシャーに一夏の顔が若干歪む。今まで経験したことのない重圧に押し潰されそうになっているのかもしれない。

 

一夏の表情を見た千冬さんが、俺の言葉の後に続ける。

 

 

「織斑、これは訓練ではなく実戦だ。お前が適任者ではあるが、もし覚悟がないなら無理強いはしない」

 

「……」

 

 

"覚悟"

 

皆の耳に響く、世界を知っている女性からの重たい言葉。常々一夏は言っていた、大切な誰かを守りたいと。だが守るためには今以上に強く、確固たる覚悟を決めなければならない。

 

これは訓練ではない。もしかしたら作戦に参加した誰かが、旅館にいる誰かが負傷するかもしれない。専用機持ちとは常に大きなプレッシャーと共に戦っている。押し潰されるくらいであれば、専用機など乗る必要もない、乗る資格もない。

 

そう思っている。

 

今後同じようなことが幾度と無く起こるだろう。IS操縦者、代表候補生、国家代表とはそういうものだ。

 

人の安全を、命を。預かり守っていく覚悟が一夏にあるのか。

 

俺が知っている本当の一夏であれば、無様な姿は晒さないはず。

 

聞かせてくれ、お前の答えを。

 

 

 

「やります。俺が、やってみせます」

 

 

不器用だが真っ直ぐな言葉。再びあげた顔に負の感情は無かった。覚悟を決めた眼差しに、千冬さんもどこか満足そうに頷いたように見えた。

 

「よし、それでは作戦の具体的な内容に入る。現在、この専用機持ちの中で最高速度が出せるのは誰だ?」

 

 

話がまとまったところで、早速本題に入る。

 

まずは一夏を相手の元へ運ばなければならない。一見簡単に見えるが、実際は一夏にシールドエネルギーを使わせずに、無傷のまま運ばないといけないことを考えると、相当難易度は高くなる。

 

かつ、音速で移動する機体に追い付くわけだから、機体のスペック……強いてはスピードが遅ければ話にならない。専用機持ちたちが軒並み口を閉ざす辺り、互いに譲り合っているようにも見えた。

 

ISによって向き不向きがあるし、全ISが同じ動きが出来るわけではない。俺のISだって、自分の身体能力に呼応するとはいえ、最高出力がどこまで出るかなんて試したことがないし、いきなりここで大役を任されることを考えると荷が重い。

 

仮にこのISの特徴やスペックがもう少しハッキリしているのであれば、その場で解答を出すことが出来たが、あいにく結論を出せるほど稼働時間も長くない。ここは俺が運び役を引き受けるのは得策では無い。

 

静寂の中、真っ先に手を上げたのは。

 

 

「それなら、私のブルーティアーズが。ちょうど本国から強襲用高機動パッケージ、『ストライク・ガンナー』が送られて来ていますし、超高感度ハイパーセンサーもついています」

 

 

セシリアだった。

 

なんでも試験的なデータ収集も含めて、イギリスから様々なパーツやら何やらが送られてきているとのこと。

 

元々ブルー・ティアーズのスペックは決して低くはないし、状況を考えると実戦にも慣れているセシリアが出た方が効果はあるだろう。

 

運び届けたまま、一夏のサポート役に回ることが出来れば活路は見出だせる。少なくとも素人の俺がうろちょろ手出しをするよりも良い結果になるのは間違いない。

 

千冬さんもここはセシリアが適任であると悟ったようで、更にセシリアへと質問を投げ掛けていく。

 

 

「オルコット、超音速下での戦闘訓練時間は?」

 

「二十時間です」

 

「ふむ……。それならば適任「待った待ーった。ちょっと待ったなんだよ~!」……山田先生、強制退去を。何なら力ずくでも構わん」

 

「え、えぇ!?」

 

 

張りつめた作戦会議の場に、不釣り合いなトーンで割り込まれたことで、千冬さんのこめかみには大きく血管が浮き出る。

 

表情が変わっていないから尚更怖い。ラウラに関しては人の手を握ったまま、ガタガタと震えるように姿を隠し、他面々に関しては私は関係ないとばかりに視線を逸らす。

 

山田先生に追い出す指示をするも、当の本人はISの開発者である人間を一教師の自分が追い出して良いものかと慌てふためくだけ。

 

テレビ番組で出てくる忍者のように、天井の一部分を外して逆さまになりながら部屋の状況を見つめる篠ノ之博士。追い出そうにも天井に手が届かないため、追い出しようが無い。

 

もっとも、千冬さんが本気になれば屋根裏部屋から強制的に引きずり出しそうだ。生徒たちの前だからこそある程度の平静を装うが、これ以上なにかおちゃらけた行動を取ると後が怖い。

 

忠告はしたぞ?

 

もう俺は知らないからな。

 

 

そして誰に言われるわけでもなく、自由気ままに天井裏から飛び降りて着地した。

 

 

「ちーちゃん、ちーちゃん。もっといい作戦が私の頭の中にナウ・プリンティン……ふげばぁ!!?」

 

 

作戦の邪魔をするなと言わんばかりに、半ば強制的に拳骨を落とす。

 

 

「作戦の邪魔だ。さっさと出ていけ!」

 

「おおぅ、これはまた激しい求愛行動だねぇ! そんなツンデレなちーちゃんもばばばばばばば!!? 痛い痛い痛い! 冗談だからやめてよー!」

 

 

相変わらずおちゃらけた篠ノ之博士の頭をグリグリと抉る。さっきまでの張りつめた雰囲気がたった一人の存在で崩される。やりづらいが我慢する他無い。自らの姉の行動に若干ながらも眉間にシワを寄せる篠ノ之。

 

もし千冬さんが手を出さなかったら篠ノ之が手を出していたかもしれない。

 

 

「そんなパッケージなんかを使わなくても、ここは断然紅椿の出番なんだよー!」

 

「何?」

 

「紅椿のスペックデータを見てみて! パッケージなんかなくても超高速機動ができるんだよ!」

 

 

ふむ、もし彼女が言っていることが本当だったとしたら運搬役はセシリアではなく、篠ノ之が受け持つことになる。試験的なパッケージを使うよりかは、従来から備わっているスペックの範囲内で稼働させるか。

 

どちらが効率が良いかと言われれば後者になる。セシリアのパッケージが無駄なわけではないが、使えるのであれば最高スペックを持ち合わせる紅椿が役割を全うしてくれた方が安心ではある。

 

が、それはあくまである程度熟練した候補生がやってくれた場合の話だ。

 

 

「……」

 

 

篠ノ之の方をチラリと見つめる。

 

専用機を貰ったことで、以前よりも明らかに浮足立っている。篠ノ之博士お手製の、世界に一つしか無い第四世代型の最新IS紅椿。

 

実戦稼働で、篠ノ之自身もスペックを存分に体感したことだろう。

 

大きな力は人を惑わせ、過信させる。それこそ自分なら何でも出来ると言わんばかりに。取り返しの付かない事が起きてからでは遅い、その時間を取り戻すことはタイムマシーンでもない限り不可能だからだ。

 

この作戦……二人だけに任せるのは危険かもしれない。

 

 

「織斑先生」

 

「何だ?」

 

「篠ノ之を運搬要員にするのは賛成ですが、二人での戦闘はあまりにも危険過ぎる。直接戦闘に関わらないまでも、現地にバックアップ要員を待機させても良いんじゃないかと思われますが、如何でしょう?」

 

「ふむ……」

 

 

全員が一斉に向かわずとも、作戦本部に残る人間とイレギュラーが起こった際にすぐに駆けつけられる海上で待機する人間がいれば、最悪フォローが出来る。

 

限られた人員で任務を遂行させるためには、最大限の奥の手を考えておく必要がある。それに先ほどから拭いきれないざわめきが気になる。

 

俺の杞憂であって欲しいと願うばかりだ。

 

 

「本来なら篠ノ之と織斑以外は本部待機させる予定だったが……念には念を押すべきかもしれんな。それなら霧夜、お前が行け。他にサポート出来る人間はいるか?」

 

「教官、それなら私が!」

 

「僕も行きます!」

 

 

俺の一言に対し、ラウラとシャルロットがそれぞれ反応を示す。

 

 

「分かった。オルコットと凰は本部待機、他は準備が出来次第、織斑と篠ノ之の後を追え!」

 

「「はい!」」

 

「束。紅椿の調整にはどれほど時間がかかる?」

 

「調整時間は七分あれば全然オッケー!」

 

「では、今回の作戦は、篠ノ之、織斑両名で行うものとする。作戦開始は三十分後。各員、直ちに準備にかかれ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラウラ、シャルロット。ちょっと良いか?」

 

「うむ、どうしたのだお兄ちゃん?」

 

「どうしたの?」

 

 

一旦解散になり、篠ノ之博士が紅椿と白式を調整している最中、俺はラウラとシャルロットを呼びつける。

 

ラウラとバディを組んだことはあるけど、シャルロットと組んだことはない。組んだことが無いからといって動けませんでしたとならないように、二人に今回の行動、役割について伝える。

 

あくまで俺たちの役割は一夏と篠ノ之をフォローし、銀の福音の暴走を止めること。無用な戦闘は極力避けると共に、万が一があった場合に対処しなければならない。

 

正直、ラウラもシャルロットも実戦経験は豊富だし、そこまで細かく指示を飛ばす必要はないだろう。

 

今回、問題なのはまた別にある。

 

 

「いや、今回作戦のことなんだけどな……正直頭のモヤが晴れないんだわ」

 

「モヤ?」

 

「何か懸念していることでもあるの?」

 

「あぁ。二人には初めに言っておく。最悪の事態も想定して動く必要があるだろうし」

 

 

たらればの話はあまりしたくはないが、十分想定できるイレギュラーがある。

 

 

「この作戦、今のままなら間違いなく失敗する」

 

「「えっ!?」」

 

 

俺の言葉に驚く二人。

 

篠ノ之博士が登場してからの篠ノ之の動向を観察しているが、浮き足だった気持ちを抑えきれていない。薄々二人も気付いているかもしれないが、このままいけば間違いなく作戦は失敗に終わる。

 

一夏と篠ノ之が二人で現地へと向かい、残りのメンバーは本部待機させるのが本来の作戦だが、その作戦にノーを入れたのは理由がある。

 

周りを見れない人間は必ず、些細な失敗で大切なものを失う。力を入れた、専用機を手に入れた、だからどうするのか。それだけで皆と同じ土台に立てたと思ったら大間違いだ。

 

再三言っているが、力の使い方や意味を履き違えれば、己を滅ぼすどころか、第三者までも傷付ける可能性だってある。

 

 

「ど、どういうことなの?」

 

「浮き足立っている時が最も事故が起きやすいのは、二人とも分かるだろう?」

 

「浮き足立つ……もしかして箒のことか?」

 

「そうだ。専用機を与えられて、浮かれているのは否めないし、初めから早々連携が上手く行く保証もない。それに今の篠ノ之が状況判断を的確に出来るかどうかも分からない。あまりに不安な部分が多すぎる」

 

 

流石ラウラと言ったところか。名前を言わなくとも、俺の懸念点を瞬時に把握してくれた。

 

 

「確かにいつもより自信に満ち溢れている気がするけど……」

 

 

シャルロットもラウラほどではないが、篠ノ之の雰囲気の変化を感じ取っているらしい。逆を言えば分かりやすいということ、二人だけではなく、セシリアや鈴も同じように篠ノ之の変化に気付いているかもしれない。

 

 

「注意したところで直るものでもないだろう。だから俺たち全員で二人をサポートし、完遂へと導く。良いか?」

 

「分かった」

 

「うん!」

 

 

不安しか無い今回の作戦の全容。

 

シャルロットやラウラのサポートがあるにしても、成功までの道筋を辿ることが出来ない。もう一つの不安要素があるとすれば、俺の左眼か。今のところ痛み自体は無いが、またいつ同じようなことが起きるとも限らない。

 

もしまた痛みが出てきた場合、俺も前線から退く必要がある。流石に重要な任務で無茶は出来ないし、それが枷となるのであれば出る必要がない。

 

むしろただの邪魔になるだけだ。

 

この作戦はどう転ぶか、全ては俺たちの動きに、もしくは篠ノ之の、一夏の動きに掛かっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さァ……絶望のスタートだ」



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翼、墜つ

 

 

「来い、白式」

 

「行くぞ、紅椿」

 

 

時刻は十一時半になる。

 

あらかた作戦会議は終わり、後は来るべき出撃の時を待つだけとなった。

 

 

「じゃあ、箒。よろしく頼む」

 

「本来なら女の上に男が乗るなど、私のプライドが許さないが、今回だけは特別だぞ?」

 

 

今回の作戦は前に述べたように、一夏と篠ノ之の行動に掛かっている。

 

本来ならばセシリアが担当する白式の運搬を、紅椿が請け負うこととなった。故に銀の福音の鎮静化を行うのは一夏、現地まで無事に運び届けるのが篠ノ之の役目となる。

 

不安要素は拭いきれないが、致し方ない。俺たちは二人の後を着いていくように飛行し、二人から少し離れた場所で待機。いざというときにすぐ駆けつけられるようバックアップする。

 

最も、いざという時が来たら、作戦が失敗している可能性は大いにありうる。本音を言えば、二人が無事に作戦を成功させることを祈るしか出来ない。

 

しかし俺も篠ノ之も専用機を支給されて一日と経っていないに、本当に大丈夫なんだろうか。ISの稼働時間だけで言えば俺の方が多いが、正直な話ドングリの背比べレベルであって大した比較にもならない。

専用機を稼働してからの時間はほぼ同等、この専用機もどこまで無茶を利かせて動かせるのかは試してもいないから分からない。

 

幸い、このISは操縦者の身体能力に比例して真の力を発揮するみたいだし、言っていることが本当だとすれば普段の動きに近付けることも可能なはず。

 

 

「それにしても、たまたま私たちがいたことが幸いしたな。私と一夏が力を合わせれば出来ないことなど無い。そうだろう?」

 

「あ、ああ。でも箒、先生たちも言っていたけれどこれは訓練じゃ無いんだ。実戦では何が起きるか分からないし、十分に注意して―――」

 

「無論、分かっているさ。ふふ、どうした? 怖いのか?」

 

「ちげーって。あのな、これは―――」

 

「ははっ、心配するな。お前はちゃんと私が運んでやるから大船に乗ったつもりでいればいいさ」

 

 

何気なく展開される二人の会話に聞き耳を立てる。篠ノ之の一言に対し、いつもは温厚なはずの一夏の表情が険しくなった。

 

どうやら俺たちが思っている以上に篠ノ之は浮かれているらしい。専用機が手に入って嬉しい気持ちは分かるが、これは訓練じゃない。

 

人の命が掛かった実戦だ。

 

 

「浮かれてるな」

 

「うん、そうだね。このままだといざという時に危ないかもしれない」

 

 

ラウラとシャルロットの見解も確固たるものとなる。

 

このままで行くと作戦が失敗するだけじゃなく、他の誰かを命の危険にさらすかもしれない。二人と同じように専用機を展開し、出発の時を待つが、出力では到底紅椿のスピードに敵わない。恐らくあっと言う間に置いていかれることだろう。それでも誰かが二人の後ろ姿をバックアップしなければならない。

 

二人だけで何でも出来ると思ったら大間違いだ。一夏はそう思っていないみたいだが、篠ノ之はそう思っている辺り、互いの認識の中で違いが出来ている。

 

篠ノ之博士が何を考えているのか分からないけど、白式の運搬に最適な機体は紅椿であるといった事実は変わらない。

 

 

『霧夜、デュノア、ボーデヴィッヒ、聞こえるか?』

 

「はい」

 

 

オープン・チャネル越しに飛び込んでくる千冬さんから大きく頷く。

 

 

『お前たちの役割は二人のサポート、万が一失敗した時の撤退フォローだ。無用な戦闘は極力避けろ』

 

 

「わかりました」

 

 

的確で分かりやすい指示だった。

 

千冬さんの一声で、俺たちは戦闘要員ではなく、今回は完全なサポートに徹することとなる。既に一夏と篠ノ之には指示を飛ばした後らしく、二人を上手くフォローして欲しいとのこと。

 

シャルロットとラウラと熟練操縦者の中に、どうして俺だけが混じっているのかは分からないが、選ばれたのであれば目の前の仕事に徹するまで。

 

 

『あぁ、そうだ霧夜。ちょっといいか?』

 

「はい、何でしょうか?」

 

 

不意に飛んでくるプライベート・チャネル越し越しの千冬さんの声。周囲のメンバーの反応が無いことから、どうやら俺だけに個別で飛ばしているらしい。

 

回りくどいがプライベート・チャネルを使うということは、何かしらお願いがあるということ。周囲から音を消し、千冬さんの声へと耳を傾ける。

 

 

『どうも篠ノ之が浮かれているな。たらればのことはあまり言いたくはないが、二人のことをよろしく頼む』

 

「分かりました」

 

『お前には一夏の件でも世話になっている。負荷をかけて申し訳ない。大変だとは思うが……』

 

「そんなことないですよ織斑先生。むしろ織斑先生がIS学園に引き入れてくれて感謝してます。もしここに入学していなかったら、こんな充実した学園生活は送れませんでしたし」

 

『……』

 

「俺にとっては人を守ることが仕事ですから。それ以上でもそれ以下でもないです。とにかく必ずこの任務、成功させてみせます!」

 

『頼んだぞ。くれぐれも無理の無いようにな』

 

 

千冬さんの激励に大きく頷くと、プライベート・チャネルを切る。

 

全員の準備が整ったところで、いよいよ出撃となる。与えられた専用機での初めての仕事だ、嫌でも緊張してくる。

 

 

『では、はじめ!』

 

 

千冬さんの号令と共に、五つの専用機が一斉に空高く飛翔する。俺、シャルロット、ラウラはほぼほぼ同じくらいの速度で高度を上げていくのに対し、横を凄まじい速度で一気に高度三百メートルまで飛ぶ紅椿。

 

速度、馬力。どれを取っても現行のISとは比べ物にならないレベルのスペックに、一同は驚きを隠せない。汗水垂らして開発した各国の専用機が、一瞬にして越される瞬間だった。

 

更に紅椿は一夏を抱えての飛翔であって、その分重荷も背負っている。逆に俺たちは何一つ重荷を背負っていない。ハンデがある上での高速飛行を見せられたら、篠ノ之博士が一夏の運搬役に強く推薦するのも頷ける。

 

そもそも作った本人なのだから、これくらいの出力がだせることはとっくにお見通しだったことだろう。

 

あっという間に高度五百メートルに達した。

 

 

目標高度へと達すると、一気にスラスターを吹かせながら加速していく。

 

 

「目標捕捉、現在地確認! 行くぞ一夏!」

 

「お、おう!」

 

 

凄まじい速度で飛行を続ける篠ノ之の後ろを同じように追いかける三人。だが篠ノ之との機体の差は歴然。ラファールが、シュヴァルツェア・レーゲンが、全くと言っていいほどついていけなかった。

 

かくいう俺も追い掛けることが精一杯で、とてもじゃないが他のことなど何一つ考えることが出来ない。紅椿が異次元染みた機体であることが伺える。

 

シャルロットとラウラの機体に比べると俺のISはスペックがそこそこ高いらしく、速度は頭一つ分以上抜け出ている。速さを競うわけじゃないが、自分の身体能力に比例してくれるからこそ、俺としては動かしやすい。

 

篠ノ之についていくこと数分、ようやく目標の姿を捕捉した。

 

 

ハイパーセンサーの資格情報が自分の感覚のように目標を映し出す。

 

 

「嘘だろおい……」

 

 

思わず俺は声を漏らす。

 

前方に映るのは銀の福音。全身を銀色に包んだ、名に相応しい機体だった。頭部から生えた巨大な翼が、何とも不釣り合いな異様感を醸し出している。

 

事前の情報では大型のスラスターと広域射撃武器を融合させた新武器だと聞いている。

 

だが今はそんなことはどうでも良かった。

 

俺が驚きを隠せない理由は別にある。ブリーフィングの段階では、鎮静化するべき機体は一機のみであるという情報しか受けていない。

 

調査の段階で海域には他のISがいるなんて情報は無かったはずだ。だというのに、ハイパーセンサーに映る機体は、一機ではなく()()だった。

 

ではこいつは何者なのか。

 

IS搭乗者の顔がはっきりと、ハイパーセンサーに映し出された。忘れもしない、不愉快なまでに歪んだ薄笑い。見ているだけでヘドが出てくる。ニヤニヤと挑戦的な笑みを浮かべたまま、その視線の先は……。

 

俺を捉えていた。

 

 

「何でお前がここに居る!!?」

 

 

一週間ほど前に出掛けた時のことを思い出す。もしかしたら今後の障害となるのではないか、そんな杞憂を頭の片隅に置きながらも、どこか大丈夫であろうと思っていた自分がいた。

 

予想出来るはずも無いだろう。

 

あの時会った男がI()S()()()()()()()なんて。

 

 

「よぉ……待っていたぜぇ? 霧夜大和さんよぉ!」

 

 

灰色のISを身に纏い、片手にはバラのトゲのようにいくつもの刃を纏った刀。機体自体は一夏の白式にデザインが似ているが、色は正反対に位置する色になる。

 

このタイミングで出てくるということは、俺たちの敵であることは間違いない。わざわざISが暴走したタイミングを狙って来る辺り、確信犯にしか見えなかった。

 

それともこの一連の暴走もこいつらが……?

 

どうしてISに乗れるのかはこの際どうでもいい。今は銀の福音の暴走を止めることが先決であり、共倒れが目的ではない。相手のデータが全く無い以上、下手に全員で飛び掛かるのは危険。

 

二人には一夏と篠ノ之のフォローを頼むことにしよう。今はそれが最も得策だ。銀の福音を止めた後、全員でコイツを相手にすれば良い。そうなればある程度データも分かって対処の一つや二つ浮かぶはず。

 

一旦、千冬さんに状況を伝えることにする。プライベート・チャネルで千冬さんへと繋げた。

 

 

『織斑先生、原因不明のISを確認しました』

 

『何だと!?』

 

 

俺の報告に驚きを隠せずに感情的になる千冬さん。

 

本来なら確認が取れない機体が出現した瞬間に、本部へと伝達が行くはず。今の反応から察するに、予兆なくいきなり現れたことになる。

 

驚きを隠せないのも無理はない。

 

もしくは誰かが人工的にISの存在を隠していたか……だとしたらそんなことが果たして出来るのか。

 

分からないことばかりで頭の整理がつかない。だがこのまま放置していたら作戦の妨げになってしまう。ならここは俺が対処すべきだ。

 

 

『このままでは作戦の妨げになるかと思われます。イレギュラーですが戦闘の許可を』

 

『分かった。しかしレーダーに反応が無かったのが気になるな。十分注意して当たるように』

 

『分かりました』

 

 

千冬さんから戦闘の許可を取り、改めてプライベート・チャネルを切る。

 

 

「お兄ちゃん、アイツは?」

 

「さぁ? 出会いたくなかった恋人ってやつかな」

 

「冗談にしては笑えないよねそれ。随分好かれているみたいだけど」

 

「あぁ、このタイミングで来るとかついてねーよ。本当に」

 

 

緊急事態だと言うのに皮肉すら出てくる。

 

たった一度しか会ったことが無いというのに、こうも相手のことを悪く言えるのだと考えると、どれだけ生理的に嫌っているのだろう。

 

 

「シャルロット、ラウラ。お前ら二人は一夏と篠ノ之のフォローを、コイツは俺がやる!」

 

「分かった!」

 

「任せたよ!」

 

 

二人共俺を信頼してくれた。

 

そしてこの作戦が得策であると、理解してくれた。

 

 

「一夏と篠ノ之はそのまま銀の福音の相手を! 良いか、絶対に無理をするなよ!」

 

「あ、あぁ!」

 

「分かっている!」

 

 

一夏と篠ノ之の二人にも最低限の指示を伝える。

 

如何せん篠ノ之の状態が怖いが、こっちはこっちでそうも言ってられない。全くの未知との戦いな訳だ、どう対処しようかさっきからずっと考え続けている。

 

何とか全員で無事に切り抜けて、旅館へ戻ろう。

 

淡い期待を胸に抱きながら前を見据えた。

 

 

「おーうイイねぇ。俺とサシでやり合おうってか?」

 

「何がイイねぇだ、ほぼ指名してきたくせに。のってやったんだからありがたく思え」

 

「くっくっくっ、いいねぇその目付き。得体の知れない相手を目の当たりにしているってのに、まるで恐怖を感じられない……!」

 

 

ケタケタと、気味の悪い笑みを浮かべる姿から視線を逸したくなる。コイツが何を考えているのかは分からないが、目的があるとすればただ一つ。

 

 

「あぁ、だからこそ殺してやりてぇなぁ!!」

 

 

隠す気もない殺気がビリビリと伝わってくる。

 

本気で俺のことを殺しに来ているのが分かるが、何が原因で殺しに来ているのか分からない。もっとも、理由があるのなら先から言っているはずだし、相手から何も言ってこない理由は……。

 

単純に殺しを楽しむだけの人間だから。

 

そう推測するのが正しい。

 

 

「殺れるもんならやってみろ。こっちだって易々とやられようとは思わねーし、お前にそこまでの確固たる勝算があるとでも?」

 

「ふん! むしろ貴様に勝算があると? そのふざけた自信、叩き潰してやる!」

 

 

 

その声が死合開始の合図となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オラァッ!」

 

 

気付いた時には既に目の前にいた。

 

疾風の如きスピードはどこか見覚えのある動き。一夏の瞬時加速(イグニッション・ブースト)のそれと全く同じだった。

 

だが一夏の動きよりも洗練されていて、初動が全く分からない。タイミングが読みやすい一夏と比べると、瞬時加速(イグニッション・ブースト)の完成度は段違いだ。

 

幸い距離があった為、一足一刀の間合いに入られる前にかわす。

 

なるほど、と頷きながら相手を見つめる。確かに言うだけのことはある、間違いなく今まで戦ってきた相手とはレベルが違う。

 

続けざまに一振り、二振りと加えられる攻撃に対し、タイミングを合わせて攻撃をかわしていく。

 

が―――。

 

 

(コイツ……隙が全くない!!)

 

 

内心穏やかなものではない。

 

迫り来る斬撃をかわしていく大和の顔は既にこわばっていた。いつもなら様子をみるためにわざと攻撃を出させることもが、今は目の前の攻撃から逃げることしか考えられない。

 

洗練されているのはIS操縦技術だけではなかった。

 

右に左に機体を捩らせて避け続ける動きと、突き出し、振り払う剣の動きはまるで一つの乱舞を見ているようだ。それほどにまで美しく、レベルの高い戦いが目の前で繰り広がられている。

 

 

「はっ! やるじゃねぇか! さすがは一家の当主と言ったところか!?」

 

「ふん、この際そんなことはどうでもいいだろう! 勝つか負けるか、やるかやられるか。単純な力比べだ!」

 

 

斬撃を掻い潜り、今度は体勢を低くしたまま身を反転させると体術で、相手の腹部に蹴りを入れた。

 

 

「くっ! ……なんてなぁ!」

 

「ちぃっ!」

 

 

ニヤリとしてやったりの薄笑いを浮かべる。

 

ノーガードだと思って叩き込んだ蹴りだったが、蹴りの先にあったのは持ち合わせている剣だった。

 

まさかこちらの動きを読まれていたとでもいうのか。満身など無かった、だが少なくとも一回も自分の動きを見たことがない人間が対処出来るようなものでもない。

 

ISで直接的な肉弾戦をする試合を見ることはあまりない。ISには専用の武器が搭載されているし、わざわざリスクの高い肉弾戦へと持ち込む理由が無いからだ。

 

不意をついた一撃を分かりきったように対処できたのは、大和の動きを知っていたか、もしくは元々からそれ相応のスペックを相手が持ち合わせていたか。

 

だがどちらにしても分が悪いのは事実。大和の動き方を知られて対策をされていれば今まで見せた立ち回りは全く役に立たないし、単純なスキルが上であれば勝つことすらままならない。

 

ただ現段階ではあまりにもデータが少なすぎる。もしこのまま撤退しようものなら作戦は失敗な上に、後追いされて更なる大損害を被る可能性もある。

 

コイツだけは必ず、ここでなんとかする必要がある。

 

 

一旦仕切り直しとばかりに、相手との距離を取った。

 

負けるとは思っていないが、大和の表情はよろしくない。相手がやりにくい相手なのはもちろんのこと、自身の体の方の心配もあるからだ。

 

距離をとり、思考を落ち着かせて再度作戦を考える。が、その作戦も考えさせる暇もなく、相手は突っ込んでくる。

 

 

 

 

「オラオラオラァッ! どうしたよ!? 顔色が良くないぜ!?」

 

「ちっ……!」

 

 

戦うまで気付かなかったが、ようやく今の自分の状態を把握出来た。

 

判断能力がいつもに比べると落ちている。いつもならすぐにでも思い付くようなことが分からない。

 

原因は言わずもがな、昨夜の目の痛み、そして気を失って満足に体を休められなかったことによる疲労。いつ痛みが再発するかも分からない不安感。

 

本来なら蹴りが止められたくらいで大和が動揺するはずがない。

 

自身の知らないところで、確実に大和の体は追い込まれていた。全ての要因が重なり、大和の判断能力を鈍らせる。早くケリをつけて、一夏たちの元へ駆けつけたい。焦れば焦るほどに追い込まれる。

 

思考能力の低下は自身の身体能力にまで影響を及ぼす。

 

 

「そこががら空きだぜぇ!!」

 

「うわぁっ!?」

 

 

ついに相手の一撃が当たってしまう。薙ぎ払いを受けた大和は数メートル先まで吹っ飛ばされる。宙を舞う大和を追ってくるプライドと呼ばれた操縦者。二人の距離が零になる瞬間、再度バラのトゲがついたような刀を振りかぶる。

 

この一撃を受けたらまずい。

 

大和の五感がそう悟っていた。本能が勝手に体を動かし、刀を振りかぶった相手の手を取ると、背負い投げの要領で投げ飛ばす。

 

 

「流石にすぐはやられてくれねぇみたいだなァ……いいねェそういうの。追い込まれても闘争心を失わねぇやつは好きだぜぇ!」

 

「そりゃどうも」

 

『お兄ちゃん、私もそっちに!』

 

 

プライベート・チャネル越しにラウラから連絡が入る。銀の福音鎮静化のフォローにあたっていたラウラだが、ここに来て大和の苦戦を目の当たりにした。

 

大和の体調までは把握できなくとも、相手の力量を見誤ることはしない。プライドの力量は少なく見積もっても代表候補生レベルか、それ以上のレベルにあることは判断できた。

 

バックアップ要因にはシャルロットもいるし、自分だけが助太刀する分には問題ない、そう判断したようだ。

 

 

『大丈夫だラウラ! お前は一夏の方をサポートしろ!』

 

 

が、大和の指示はあくまで一夏の方を優先しろとのことだった。ここは任せろと言われたからこそ、大和を信用して離れたが、どうも大和の状態がおかしい。先ほどまでは何とも無かったのに、いざ戦いが始まると動きはいつもに比べるとぎこちないし、動揺しているようにも見える。

 

自身が知る大和は実はこんな人間だったのか……いや、違う。少なくとも一撃、二撃で動揺するような人間ではなかったはず。だとしたら大和の身に何か異常を来しているとも考えられる。

 

ここで簡単に食い下がるようなラウラでは無い。大和に絶大な信頼を置いているからこそ、放っておけるはずが無かった。

 

 

『イヤだっ! 今のお兄ちゃんを放っておくほど、私は人でなしにはなれない!』

 

『だから今は―――』

 

 

ラウラを説得しようと試みる大和。

 

しかし相手は隙まみれの大和を放っておくはずがない。

 

 

「さっきから誰と何を話してんだぁ!? 隙だらけだぜぇ!」

 

『ラウラ、話は後だ!』

 

『ちょっと待て! お兄ーーー』

 

 

半ば強制的にプライベート・チャネルを切る。

 

自身のことを心配してくれるのはありがたいし、手助けしようとしてくれるのも分かる。本来なら頼らなければならないケースだ。自身を犠牲にしてまで、無理をする場面で無いのは分かっている。

 

武装を変え、大和に向けてガトリングの弾をばら撒き弾幕を張る。立ち尽くしているとたちまち蜂の巣にされかねない為、大きく旋回しながら弾幕の嵐から逃れる。正面に来る弾丸は刀を使って弾きつつ、ダメージを最低限に抑えて行く。

 

近距離と遠距離両方を兼ね備えた機体。

 

近付いてもダメ、距離をとってもダメ。どちらかに得手不得手があれば対策のしようがあったが、相手に苦手な分野は存在しないらしい。

 

不意を付いて懐に飛び込むにはどうするか。近付いたところで決めきれない可能性もあるし、かといって同じ場所に立ち止まっていたところで打開策が思い浮かぶはずもない。

 

シールドエネルギー自体はさほど削られてないし、まだまだ打開策はある。ここでうだうだ考えたところで、何も始まらない。

 

 

(無心だ……何も考えるな、負の感情を持つな。相手だけを見ろ!)

 

 

多少なりとも弱気になっていた自分が居る。

 

いつもの自分ならもっと冷静に事態を把握し、対処をしていたことだろう。相手の熟練度が高いからといって、不慣れなIS戦闘に弱気になっていた。挙句の果てにラウラにも心配される始末、これではどっちが上なのか分からない。

 

肝心な時に力を発揮できないのであれば、これから先の未来はない。こんなところで後ろを向いているようなら、いつか必ず自分は一夏に抜かれる。護るはずの人間が、逆に護られる人間になるかもしれない。

 

どんな逆境であっても向かっていく姿勢、それだけは忘れてはならない。

 

 

「目を瞑って居たら前なんか見えねぇぞ!」

 

 

再度刀へと持ち替え、瞬時加速(イグニッション・ブースト)で大和との距離を詰めて来る。目を閉じたままの大和の前まで近付くと刀を振りかぶる。

 

自身との実力の差に愕然として諦めたか、だとしたらそれまでの男だったということになる。正直つまらない戦いだった、それがプライドとしての感想だった。オータムが散々注意しろと言っていたから多少は期待してみたものの、手応えは全く無かった。

 

身のこなしや立ち回りなど、強者を思わせる動きもあったが、所詮はそれまで。

 

それ以上でも、それ以下でも無かった。

 

よくある井の中の蛙。周りのレベルが低かったから、偶々抜きん出ているように見えただけの口先野郎だった。

 

もうこの顔を見ることもない。せめて散り際くらいは潔くしてやろう。振りかぶった右手に力を込めて振り下ろす。

 

 

(あばよ、最強の護衛さんよぉ!)

 

 

下まで刀を振り下ろした。

 

 

(手応えが……ないだと?)

 

 

振り下ろしたには振り下ろしたが、手に残る感触がない。確かに捉えたはず、だというのに個体にぶつかった感触や抵抗感が刀を握る右手には全く伝わって来なかった。

 

まさか何も無いところに自分が振り下ろしたのか……いや違う。目の前まで詰め寄っておいて、直前にあらぬ方向を斬りつけるなどという間の抜けた行動はしない。

 

ではどうして手応えが無いのか。目の前に居るであろう大和の姿を見る。

 

居るであろう大和の姿は。

 

 

「なっ……!?」

 

 

そこにはなかった。一体どのタイミングで、何処へ消えたというのか。余裕の笑みを見せていた表情が一瞬にして強張る。完全に捉えたと思っていた姿が無い。

 

同時に背後から、刀の矛先が首元に当てられる。

 

 

「形勢逆転、ってやつだな」

 

「テメェ、いつの間……ぐぁっ!?」

 

「目の前に敵がいるってのに、随分な余裕だなおい」

 

 

背後に回り込んだ大和は零距離で刀を薙ぎ払う。衝撃に耐えきれずに、プライドは苦悶の表情を浮かべながら吹き飛ばされた。削られるシールドエネルギー、大和が何をしたのか分かっていなかった。

 

 

瞬時加速(イグニッション・ブースト)だと! 専用機を与えられた人間がそんなすぐに出来るわけが!」

 

「お生憎さま、人より物覚えが良いんでね。まさか一発でお前の動きを盗めるとは思ってなかったけど」

 

 

恐るべき才能だ。

 

今しがた見た動きを、そっくりそのままコピーして自分のものにしたのだ。一夏の瞬時加速(イグニッション・ブースト)を何度も見ているとはいえ、実戦の一発目で成功させる辺り、やはりIS適性が高いかもしれない。

 

シャルロットも使った試しがあるが、そもそも稼働時間が圧倒的に違う。

 

初心者が練習なしにおいそれと使えるものでは無いが故に、驚くのも無理はない。

 

では本当に大和の才能が凄いのかというとそういうわけではない。全員が搭乗しているISと比べると、大和のISは癖がある。それは搭乗者の身体能力に応じて、真の力を発揮するといったもの。

 

成功したのは大和の身体能力の高さ、機体の特性全てが合わさったといっても過言ではない。

 

 

両手に刀を装備し、再度プライドに向けて矛先を突き出す。慢心など無い、今は目の前の相手を全力で潰すこと、それが大和に与えられた使命だ。

 

 

「さぁ、戦いはこれから……『一夏! 何をしている! 折角のチャンスを!』――っ!?」

 

 

突如オープン・チャネル越しに飛び込んでくる箒の声に、思わず耳を傾ける。プライベート・チャネルと間違えたのか、尚も箒は言葉を続けていく。

 

一体どういうことなのか、銀の福音を担当している一夏と箒の身に何があったのか。すぐ近くで作戦にあたってはいるが、この状況ではそちらにまで思考を傾ける暇はない。

 

ただ箒の口ぶりから察すると、まるで自分たちとは関係のない第三者が居るように聞こえた。ハイパーセンサーを使い、視点をプライドから見切らぬよう、背後の様子を確認する。

 

 

見ると一夏の姿は箒とは別に、かなり下方にあった。銀の福音はそんなところに居るのか、いや、違う。

 

一夏の飛行している下に居るのは、小型の船だった。どうしてこの海域に船が居るのか、ここ一体は教師陣によって封鎖されているはず。

 

 

(密漁船……?)

 

 

脳裏に過る一抹の不安が的中してしまう。一夏の持つ雪片から、零落白夜を発動した時に現れる光の刃が消えて、展開装甲が閉じた。

 

エネルギー不足。零落白夜を使うほどのシールドエネルギーが白式にはもう残されていなかった。

 

 

(くっそ……まさかこんな時に!)

 

 

零落白夜を使えないということはこの作戦の失敗を意味する。

 

 

『馬鹿者! そんなくだらん船などを庇って! そんなやつらを―――』

 

『違う!』

 

『―――っ!?』

 

『そんな悲しいこと言うな。力を手にした途端に、弱いやつらのことが見えなくなっちまうなんてどうしたんだよ? お前らしくない。全然らしくないぜ?』

 

『わ、私は、私はただ――』

 

 

箒の動きが完全に止まる。先ほどまでの自信に満ち溢れた表情は消え失せ、動揺のあまり顔面蒼白のまま、ただ狼狽える。何をすれば良いのか、どう立ち回れば良いのか。明後日の方向を見たまま、完全に目の前にいる福音から視線を逸している。

 

何かを伝えようとするも言葉にならない。力が抜けた手から刀がずるりと滑り落ちて光の粒子となり消失した。

 

 

具現維持限界(リミット・ダウン)!? やべぇ!)

 

 

完全なエネルギー切れ。

 

ここがIS学園だとしたらブザーが鳴り響き、試合が終わっている。だがここはIS学園ではなく、完全な実戦。命の駆け引きを行う、危険な場所。

 

 

「箒ぃぃいいいいいいいいいいいいいい!!!!」

 

 

事態を把握し、全速力で箒の元へと加速する一夏。

 

武器を捨て、残ったエネルギーを全て瞬時加速(イグニッション・ブースト)に充て、一目散に向かう。

 

 

『シャルロット、ラウラ! 撤退する! 一夏と篠ノ之の元へ向かえ!』

 

 

二人に指示を飛ばし大和も現場へ向かおうとする。

 

 

「てめぇ、俺を差し置いて他のやつのことばかり考えてんじゃねえよ!!」

 

 

が、そうは問屋が卸さない。

 

大和の進行方向には憤怒の形相でこちらを睨み付けるプライドの姿が。コケにされたこと、一瞬でも自分が手のひらでもてあそばれたことを相当気にしているらしく、明確なまでの殺意がひしひしと伝わってきた。

 

もう容赦はいらない、どんな手を使ってでもコイツを落とすと言わんばかりに。

 

 

「……だ」

 

「あ?」

 

「……魔だ」

 

 

怒りを覚えてるのはプライドだけではない。先ほどから邪魔をされ、仲間を危険にさらしてしまっている大和だってそうだ。本来ならイレギュラーがあるとはいえ、ここまでの出来事は想定していなかっただろう。

 

だが作戦は失敗。念には念をと考えた二の手、三の手も全て無意味なものとなった。だからこそ、悔しいし情けない。その思いは大和の心の奥底から沸々とわき上がってきていた。

 

 

「何だって? 言いたいことがあるならはっきりと言いやがれ!」

 

 

しびれを切らしたプライドな挑発気味に声を投げ掛けた瞬間、大和の中で何かが切れた。

 

 

「邪魔だと言っている! そこを退けぇええええええええええ!!!」

 

 

瞬時加速(イグニッション・ブースト)を使い、目にも止まらぬ速さでプライドの横を駆け抜ける。

 

何一つ反応出来ず、立ち尽くすことしか出来ないでいる後ろ姿をよそに、二人の元へ一目散に駆け寄ろうとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時だった。

 

 

「ーーーっ!!?」

 

 

言葉にならないほどの痛みが左目を襲った。瞳の神経を鋭利な刃物で突き刺されるかのような拷問に近い痛み。

 

流石に耐えきれなかった。

 

プライドの横を過ぎ去った瞬間にバランスを崩し、左目を抑える。恐れていた最悪の事態に対処しようとするも、痛みの度合いが酷くまともに目を開けず、思考もままならない状態に。

 

バランスを崩した状態を立て直すのは難しい。ましてや至近距離に敵がいるともなれば、それは致命的なものとなる。視界を上げた先に映るのは、ニヤリと狂気に歪む笑み。

 

 

ーーーマズイ、このままでは。

 

 

本能が悟った。既に刀が振り上げられている。この状況で先ほどと同じことをやれと言われても出来ない。それでもこのままでいれば直撃を食らうことになる。

 

ダメージは免れないのであれば、せめて直撃はかわそうと判断した大和は、持てる限りの力を振り絞って後方へと移動した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……えっ?」

 

 

何かが切り裂かれる嫌な音だった。

 

音と同時に、大和の目から遠近感が無くなる。

 

遠近感がなくなっただけではない、今まで見えていたはずのものが見えなくなる。大和の左目が暗闇に覆われ、同時に赤黒い液体が目蓋から溢れ出す。

 

距離的に見ても直撃はかわしたはず、精々体の一部分がかするくらいで済むはずだった。なのにどうして左目が暗闇に覆われ遠近感が取れなくなるのか。

 

それにシールドエネルギーや絶対防御があるにもかかわらず、何故直接肉体まで攻撃が届いているのか。

 

考える暇もなく、次の攻撃を繰り出してくる。

 

 

「くそっ……!」

 

 

今度は回避も間に合わない。

 

反射的に持っている刀を眼前に差し出す。何とかこれでガードは出来る。そう思っていた大和だが。

 

現実はあまりに無情だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

周囲一体に響く金属が破壊される音と、何かを切り裂く音。音と共にシャルロットの、ラウラの、そして箒の視線が一斉に大和の方へと向いた。

 

 

「ぐっ……カハッ……」

 

 

口から大量の血を吐き出す大和の姿が、場にいた全員に、モニター越しに見ている千冬や真耶、その他教師陣に映し出された。

 

プライドの放った一撃はISのシールドや絶対防御、更に装甲やISスーツまでを切り裂き、大和の肉体まで届いていた。傷口からおびただしい量の血が溢れ出てくる。とても助かるとは思えないほどの量が、止めどなく流れ宙へと滴り落ちていく。

 

大和のISは強制的に解除され、宙に放り出された大和の体は生身のまま、まっ逆さまに海面へと落下していった。

 

 



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失ったモノ、失われたモノ

 

 

 

「お兄……ちゃん?」

 

 

ボソリと声を漏らしたのはラウラだった。目の前で起きた出来事が信じられなかった。攻撃を受けてまっ逆さまに海へと落ちていく。ISは強制的に解除され、生身のまま宙へと放り出される。

 

 

「お兄ちゃん!」

 

 

気が付けば動いていた。落下していく大和の姿を追いかける。このままでは海面に叩きつけられて終わりだ。シュヴァルツェア・レーガンが出せるギリギリのスピードで少しでも早くと、スラスターを吹かす。

 

 

「くはっ、くははははははははははっ!!!」

 

 

狂喜に染まる笑い声、握られた刀にこびりつく鮮血を嬉しそうに舐めとるプライド。やってやったと言わんばかりに微笑む姿があまりにも不釣り合いで、不気味に見えた。そしてその視線は大和から、ラウラへと移り変わる。

 

第一優先は変わらないが、ターゲットを変えてはならないという決まりはない。プライドはスコールの命によって動いているが、特に細かい指示はない上に他の相手に手を出すなとも言われてはいなかった。

 

 

「次はお前の番かぁ!?」

 

 

刀を振り下ろし、大和を追いかけるラウラに向かって急降下。

 

 

「ラウラ危ない!」

 

 

プライドが後を追う姿を目の当たりにし、シャルロットが警鐘を鳴らすも、大和のことが気になるせいか、全くと言って良いほど耳を貸そうとしない。

 

このままでは例え大和を救っても、ラウラも被害を受けることになる。一夏と大和が撃墜されたというのに、これ以上被害者を出すわけにはいかない。

 

 

「無駄無駄無駄ァ! 全員揃って血祭りにあげてやるよ!」

 

 

刀を再度振りかぶろうとした瞬間、ラウラの影から一本の刀がブーメランのように、プライドの方へと飛んでくる。

 

刀を投げたのは大和だった。混濁する意識の中、ラウラを助けるために最後の力を振り絞りラウラを守った。もっともラウラに当たらずに目標を正確に捉えられたのは不幸中の幸いかもしれない。

 

 

「ちぃっ!?」

 

 

刀を避ける為に体の軸をずらすプライドだが、急降下中のせいでバランスを崩す。再びラウラの後を追おうとするも、顔を上げた先に飛び込んできたのはアサルトライフルの銃口を向けるシャルロットだった。

 

 

「させないっ!」

 

 

プライド向けて引き金を引く。これだけ邪魔をされたら追うことは出来ない。弾幕から逃れる為、横に大きく旋回してシャルロットから離れる。

 

 

「ふん! 流石に二人同時は面倒だな……まぁ良い。もう俺の目的は達成したし、ここは一旦退かせてもらうぜ。だが次に会った時はお前たち全員、地獄へ送り届けてやる!」

 

 

シャルロットの攻撃で興が覚めたらしい。今から残った専用機持ちを相手にするのはリスクが高いと判断したんだろう。それにいつまでも時間を掛けていたらいつ増援部隊を呼ばれるか分からない。そうなると逆に自分自身が窮地に追い込まれる。大和を倒すことは達成したが故に無理をする必要はない。

 

武装を解除すると足早に空へと消えていく。その姿はあっという間に皆の視線から消え、先ほどまでの静かな海上へと戻る。

 

一夏と大和が重症、要である紅椿はエネルギー切れで使い物にならない。これ以上作戦を続行させることは不可能だった。

 

一夏は箒と共に海面へと着水、そして大和はラウラがキャッチした。海面からは何度も何度も気を失った一夏を呼び掛ける箒の声が、ラウラは大和を抱えながら沈痛な面持ちで言葉一つ発さない。

 

 

「うっ!」

 

 

ラウラの元へと駆け寄るシャルロット。抱えられた大和の姿を見た瞬間、反射的に口を押さえた。シュヴァルツェア・レーガンには傷口から滴り落ちた血がベッタリとこびりつき、黒の機体を赤く染めていく。

 

肩付近から腹部にかけて続く大きな傷口。本来なら守ってくれるはずのISスーツは引き裂けている。

 

常人であれば死んでいてもおかしくないほどの怪我に、完全に潰れた大和の左眼。切りつけられたまぶたはぱっくりと二つに割れ、まぶたには血溜まりが出来ている。神経まで届いていたとしたら、治ることは一生ない。

 

息も絶え絶えの状況で、大和はうっすらと右眼を開けた。

 

 

「ラウ、ラ……?」

 

「お兄ちゃん!」

 

「大和!」

 

 

口々に声を掛けるも大和の反応は覚束ない。二人を安心させようと振る舞おうとするも、今の大和の状態では喋れば喋るほど、自身の怪我が芳しくないことを伝えてしまっていた。

 

 

「シャルロットも……ははっ、格好悪いところ……見せちまった、な」

 

 

荒々しい呼吸の中、懸命に話そうとするも上手く呂律が回ってくれない。途切れ途切れに話すのが精一杯だった。

 

 

「はぁ、はぁ……い、いいか、よく聞くんだ。もしさっきの奴が出てきても、絶対に、戦うな。奴の持っているあの刀は……ゴホッ、普通の刀じゃ……ない」

 

「分かった! 分かったからもう喋らないで!」

 

 

見ていて痛々しかった。衰弱していく大和を見たくなかった、信じたくなかった。

 

シャルロットは感謝していた。一夏と同じように情報収集のスパイとして潜り込んだ自分を責めるわけでもなく、むしろ自分を導いてくれた。誰よりも強く、真っ直ぐで、負ける姿なんて想像出来ない人間が負けた。

 

 

「ダメ、だ……俺の口から、お前たちに、伝えなければならないことがある……」

 

 

視界にモヤが掛かり、ラウラやシャルロットの顔が認識できない。それだけではなく、視界から白黒を除いた全ての色が消え去る。

 

しゃべっている本人が一番辛いだろうが、二人にどうしても伝えなければならないことがあった。

 

 

「し、しの、ののを……」

 

「?」

 

「篠ノ之を……責めないでくれ」

 

「え?」

 

 

シャルロットが、ラウラが、大和の言っていることに首をかしげる。

 

今回の作戦失敗、そして男性操縦者の負傷、全ての事象から導き出される結論。その中に箒の慢心があったことは事実であり、自分勝手な考え方、行動が一夏を負傷させ、二人を助けに行こうとした大和までもが怪我を負った。

 

大なり小なり、箒にも責任が存在する。もう少し気を引き締めて作戦に当たっていれば、ここまでの惨事を引き起こすことは無かっただろう。

 

仮に福音を仕留め損なうことがあったとしても、負傷する事態を避けることは出来たはず。本心には出さないが、シャルロットとラウラの二人もそう思っていた。

 

何故、箒を庇いだてするようなことを被害者であるはずの大和が言うのか。

 

 

「な、何故だ!? お兄ちゃんがこんなことになったのは……「ラウラ、それは違う……」ーーッ!」

 

「……俺が、怪我をしたのは、ラウラのサポートを断り、単独で戦っていたからだ。あの時お前の……ゴホッ、手を借りていれば、結果はもう少し……違ったかもしれ、ない」

 

「どうして……どうして大和はそこまで自己犠牲を!」

 

 

ラウラのサポートを断ったのは事実、だがそれが作戦失敗とイコールだったかと言われれば言い切れない。

 

 

「さぁ……何で、だろうな。ここまで来ると……本当に、俺がただのお人好しなのかもしれない、な……」

 

 

常識的に考えて大和が箒を庇う理由はない。むしろお前のせいでと責める立場だ。だが、それでも大和が箒のことを罵倒することも無ければ、皮肉の言葉を言うことも無かった。

 

シャルロットとラウラには、大和が後々起こりうるであろうハレーションを抑える為に言っているようには見えなかった。

 

それほどに本心の通った言葉。ここまで来るとお人好しのレベルでは片付けられない。

 

 

大和の行動がラウラには見覚えがあった。

 

かつてドイツの冷水と言われ、人との関わりを断ち、本当に強い人間しか認めようとしなかった自分に何度も声を掛け、自業自得で巻き込まれたVTシステムの暴走時にも、命を掛けて助けてくれた。

 

今IS学園の中で最も大切な存在であろう、鏡ナギを巻き込み、セシリアや鈴といった親友を傷付けても、大和はそれを全て許した。

 

 

だがラウラはまだそこまで大きな器を持ち合わせていない。大和が怪我をしたことに対しては、本人の中で上手く処理が出来る訳もなかった。

 

 

「し、篠ノ之は必ず、自らを責めるだろ……う。お前たちが、皆が……あいつを、救ってくれ」

 

 

作戦を失敗し、自らの過ちを悟った時、箒は間違いなく自身を責めて殻の中に閉じ籠る。

 

だからこそその時は、仲間である皆で助けて欲しい。

 

大和が二人に伝えたかった、最後の言葉だった。

 

 

「くっ……ゴホッゲホッ!」

 

「お兄ちゃん!」

 

「大和!」

 

 

限界などとうに迎えていた。それでも二人に胸の内を伝えるべく、力を振り絞った。

 

が、それももう限界だった。

 

気力だけで意識を保っていた体が重たくなる。

 

 

「……ラウラ」

 

「?」

 

 

最後に痛む体にムチを打ち、ラウラの顔に触れる。

 

あぁ、女の子の頬ってこんなに柔らかかったのかと思いつつ、一言伝える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ごめんな、後は任せ……」

 

 

言葉と同時に全身の力が抜け、手が頬から滑り落ちる。辛うじて開いていた瞼は閉じ、一切の反応を示さなくなった。

 

 

「嘘だ……」

 

「そんな……大和!」

 

 

何度も声を掛けるが、大和から返事はない。返事もなければピクリとも動かなかった。

 

 

「そんな……嘘だ。目を覚まして……お願い、だから……いやだ、いやだぁ!!!!」

 

 

ラウラの悲鳴が海上に木霊する。

 

耳が張り裂けんばかりの大声だったにもかかわらず、意識を完全に手放す前の大和の耳には子守唄のように聞こえた。

 

 

(ちくしょう……俺は誰も守れずに死ぬのか)

 

 

結果見るも無惨なほどに失敗した作戦。

 

様々な要因はあれど失敗した事実は変わらない。

 

 

(みんな……)

 

 

脳裏に浮かぶのは仲間たちの顔。

 

喜怒哀楽の表情がまるで走馬灯のように、何度も何度も繰り返し映し出される。

 

悔しさと悲しみを抱えながら、大和の意識は闇へと吸い込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ! そんな馬鹿なことがあってたまるか!」

 

 

一方の作戦本部。

 

両手を机の上に力一杯叩きつけながら、モニターを睨み付ける千冬の姿があった。珍しく感情を露にする千冬だが、誰も驚く人間はいない。自分がもし同じ境遇にいれば、同じような反応をするだろう。

 

目の前で自分の弟が、教え子が撃墜されたともなれば気が気じゃ無くなっても不思議ではない。だが一教師として作戦を任される以上、涙を流すわけにも情を介入させるわけにもいかない。

 

込み上げてくる感情をぐっと堪え、現実を受け止める。

 

部屋にいる真耶は慣れていないのか顔面蒼白のまま口元を手で覆い、鈴とセシリアに至っては完全な放心状態。大切な教え子が、想いを寄せる人間が重症を負い、ショックを隠すことが出来なかった。

 

 

「織斑先生、霧夜くんの生体反応が……」

 

「分かっている! おい、デュノア、ボーデヴィッヒ! すぐに霧夜と織斑を旅館まで運ぶんだ!」

 

 

オープン・チャネルで吐き捨てるように指示を飛ばし、手元にある作戦書をモニターに向かって投げ付ける。

 

作戦が失敗した今、この作戦書は無意味なものとなった。やりきれない思いから、こめかみを押さえつつ下を向く。

 

 

「私のミスだ。無茶をさせなければ、一夏も大和も怪我を追うことなど無かった!」

 

「織斑先生……」

 

「すまない、少し私情が入ってしまった。山田先生、帰投後、専用機持ちたちを部屋に。霧夜はそのまま救急搬送を」

 

「わ、分かりました!」

 

 

真耶は救急車両の手配のために、バタバタと部屋の外へと出ていく。真耶を見送った後、再度モニターへと視線を変えるが、千冬の表情は浮かないものだった。

 

 

(二人とも無事であってくれ……!)

 

 

かつて世界一を取った千冬も普通の人間。

 

今はただ、二人の無事を願うことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全員帰投後、一夏は旅館へ、大和はそのまま近隣の病院へと搬送されることとなった。

 

一夏の場合は幸いなことに、怪我の症状が特別重たいわけではなく、一旦は旅館で様子を見ることに。症状が悪化すれば強制的に搬送となるが、運び込まれてからは救護班の治療により現状は安定していた。

 

しかし意識が戻らず、今はまだ簡易的に作られた救護室で眠りに付いている。

 

 

そして大和の状態について。

 

運び込まれた時には既に虫の息。誰もが認める危険な状態であり、特に酷かったのが上半身に残る大きな傷と、損傷による出血多量。よくこれで生きているなと言えるほどの状態らしい。

 

本来、ISにはシールドバリアーと絶対防御が存在する。プライドの放った一撃はその二つをも貫通し、ISに備わっている生体維持機能までをも無効化した。

 

大和が危険な状態に晒されたのは、生体維持機能が働かなかったところが大きい。そして完全に潰された左眼は修復が難しく、下手をすれば一生左眼を使うことが出来ないかもしれない……とのことらしい。

 

 

 

背けたくなる現実から数時間。多少の落ち着きを取り戻した一室に作戦に参加した全員が集められた。落ち着きを取り戻したとはいえ、メンバーの表情は暗かった。

 

いつもいるはずの二人の存在がない。いない理由が怪我をしたからと、なんとも皮肉なものであるが故に、二人に関しての話題に触れることはなかった。

 

 

今後の行動、流れに付いて話し合われているが千冬の話に大和の状態についての話は一切無い。あえて皆にトラウマを思い出させないように配慮しているのかもしれないが、メンバーの中でただ一人、どうしても知りたいメンバーがいた。

 

それは。

 

 

「お、織斑先生!」

 

 

ラウラだった。話を止め、ジロリとラウラの方を千冬は見つめる。

 

 

「どうした? 今はお前たちの質問に答えている暇はない。発言を慎め」

 

「それは分かっています! それでもやっぱり……お兄ちゃんの状態が気になって……」

 

「……」

 

 

ラウラの言葉に千冬の表情が強張る。

 

あまり聞いてほしくなかったと言いたげな感情が、ひしひしと伝わって来た。答えたくないというのは、イコール大和の容態が芳しくないことを意味する。

 

だがここで引き下がるほどラウラも従順ではない。

 

血の繋がりは無くても初めて自分を認めてくれ、家族として、妹として受け入れてくれた大和の状態を聞かずにはいられなかった。

 

何か一つでも大和の情報が欲しい。その一心で千冬をじっと見つめる。そして千冬は、ラウラの行動に少し驚いた表情を浮かべた。

 

だがここまで強く押しきられたら千冬も黙っているわけにはいかない。

 

 

 

「……幸い、一命は取り留めたそうだ」

 

 

千冬の口から発せられる経過に、ラウラはホッと胸を撫で下ろす。

 

もうダメかもしれない。

 

一度は脳裏を過った最悪の展開を回避することは出来たことに、ラウラだけではなく場にいた全員が一安心する。自らの手の中でぐったりとしたままの大和を、涙ながらに運んだ。

 

手術自体が上手くいっているのだから、きっとまた元気な姿で戻ってきてくれることを誰も疑わなかった。あの男なら、大和なら、と。

 

しかし次に発せられる千冬の言葉に、一同は現実を思い知らされることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……だが、出血多量によるショックで意識がまだ戻っていない。織斑も意識は戻っていないが、霧夜は更にひどい状態だ。最悪、二度と目を覚まさない可能性もある」

 

「え……?」

 

 

安堵から一転して奈落の底へと叩き落とされる。

 

手術が成功しているのに、どうして目を覚まさないのだろう。

 

 

「そして霧夜の左眼は」

 

 

聞きたくない。

 

誰もが目をそらし、耳を傾けたくなくなる現実を千冬は平静を装って伝えた。

 

 

 

「―――もう二度と、視力が戻ることはないそうだ」

 

 

千冬の口から告げられる残酷な現実。

 

彼女の言葉に、場にいる全員の頭の中が真っ白になった。

 

意識が戻るかどうかも分からない。大和がどのような状態なのかを悟れないほど、皆子供ではない。仮に意識が戻ったとしても、切り付けられた大和の左眼は二度と……二度と光が灯すことはない。

 

外の世界を見れないことがどれだけ惨めなことか、自分の目を失うことがどれだけ苦しいことか。大和に降り注ぐ精神的なダメージは計り知れない。

 

 

皆が現実に絶句し、身動き一つ取れなくなる中、カタカタと震える人間が一人。

 

 

「貴様ぁ! 何故あの時お兄ちゃんを助けなかった!」

 

「―――ッ!!」

 

 

突如、激昂したラウラが怒り任せにその人物へと歩みより、胸ぐらを掴んで無理矢理立たせる。兄が生死の境をさ迷っている状況を知らされて、感情をコントロール出来るほどラウラは精神的に大人ではない。

 

立たせた人間は箒だった。鬼の形相で睨み付けるラウラとは対照的に、箒はバツが悪そうに視線を背ける。

 

 

「貴様が慢心などしなければお兄ちゃんは、お兄ちゃんはっ!!」

 

「ら、ラウラ! 気持ちは分かるけど落ち着いて!」

 

「ラウラさん! それはダメですわ!」

 

 

近くにいたシャルロットとセシリアが慌てて止めに入った。

 

シャルロットが二人の間に割って入り、セシリアがラウラを箒から引き剥がそうとする。

 

ラウラも大和がいなければ、ここまで変わることは無かった。大和の考え方や生き方が、ラウラの生き方に大きく影響を与え、『お兄ちゃん』と慕うようになるほど、彼が大切な存在なのは誰もが知っている。

 

大切な存在を傷つけられて激昂したくなる気持ちは分かるし、仮に自分たちが同じ境遇に置かれれば、同じことをするかもしれない。

 

だがここで箒を責めたとしても、起きてしまった過去を変えることは出来ない。

 

 

ラウラとて分かっている。

 

箒をつめるようなことをしても、何一つ解決などしないし、大和が元気に戻ってくることなどないと。しかし、沸き上がってくる感情をどこかにぶつけずにはいられなかった。

 

大和が最後に残した『篠ノ之を救って欲しい』という一言を忘れた訳ではない。だが、いざ現実を思い知らされると、大和の言葉よりも大和が大怪我をしたという事実ばかりが先行し、感情をコントロール出来なかった。

 

 

「ぐっ……くっ、う、うぅ……」

 

 

失った存在はあまりにも大きかった。

 

先ほどまでは鬼の形相で、箒の胸ぐらを掴んでいたラウラも現状を受け入れると同時に崩れ落ちる。

 

表情は歪み、瞳からは大粒の涙が溢れ出てきた。抑えきれない感情がボロボロと滴となってラウラの頬を伝う。ラウラが泣き崩れる姿など、クラスメートはおろか千冬さえ見たことがない。

 

 

「う、うぁあああああ……!」

 

 

悔しい。

 

確かに箒の行為は、大和が負傷する要因の一つになった。だが、それは事実だったとしても、大和が戦っている時に自分は何をしていたのか。

 

一夏と箒のサポートもままならないままだったのに対し、大和はたった一人で得体の知れないISと戦っていた。助けられなかったのは、自分たちの力不足だったから。

 

だが、これだけの実力者が集まったというのに一夏を負傷させ、銀の福音を捕縛することも出来ず、一人になった大和までも負傷する何の成果も得られなかった現状をただラウラは嘆いた。

 

自分に力が無かった。

 

何も出来なかった。

 

何一つ救うことも守ることも出来なかった。

 

泣いても、あの時間は戻ってこない。

 

 

「ラウラ……」

 

 

シャルロットはラウラの元に歩みより、崩れ落ちるラウラを慰める。

 

ラウラの精神的なダメージがどれ程のものかは、表情を見るだけで分かった。でも自分には何もしてやれない。出来ることといえば、多少気持ちを和らげるように慰めることくらいだ。

 

両手でラウラの体を包み込み、胸元へと抱き寄せる。人目も憚らず泣き続ける姿を、誰もが呆然と見つめるしかなかった。

 

 

「報告は以上だ。作戦は追って通達する。それまでは各自待機するように、解散!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちぇー。折角織斑くんに色々と手取り足取り教えて貰えると思ったのになぁ〜」

 

「仕方ないよ。非常事態だったみたいだし、私たちが何とか出来る問題じゃないから」

 

 

ところ変わってここは旅館の一室。

 

実習が中止になり、各々部屋へと戻った生徒たちは特にやることもなく、ひたすら流れゆく時間を過ごしていた。自由時間でもなく、ただ待機しろと言われただけに何をすればいいのか分からない。

 

今さら参考書を開いたところで勉強する気にもならないし、前提として参考書自体持ってきていない。

 

 

「おーおー、本命がいると余裕も違うねーナギっち」

 

「そ、そんなことないと思うけど……」

 

 

どうやらまるっきり暇という訳ではなく、会話をかわせる相手もいる為、そこまで退屈するようなことはなかった。

 

 

「そういえばナギが着けてるネックレスってプレゼントだったりするの?」

 

 

ふと、話題はナギの着用しているネックレスに移る。

 

買ってもらった時は、自分が大和と出掛けている事実を知られたくなくて、着用は控え目だったが、晴れて付き合うようになってからは人目を気にせずにつけるようになった。

 

今となっては懐かしい、大和と初めて買い物に出掛けたときに、ガラスショーケースに飾ってあったネックレスで、バイトをしていない高校生が買うには、中々手痛い出費になるほどの金額だった。銀基調の色合いに、キラキラとした宝石が指輪についたネックレスで、着けているとかなり目立つ。

 

まさか買い物が終わった後に、手渡されるとはナギも想像できず、より大和への想いが深まったのを実感した。

 

 

「え? うん、そうだけど……」

 

「やっぱり霧夜くんのプレゼントとかかな?」

 

「う……はい」

 

「えー、いいなぁ!」

 

 

人から貰うプレゼントは、自分で買うよりも格別に嬉しいもの。しかも気になる異性から貰ったともなれば、嬉しさは倍増する。

 

男性から貰ったプレゼントには、特別な思いが込められていると誰しもが思うだろう。実際、大和が送ったネックレスはそこそこの金額にはなるし、おいそれと買って貰えるような代物ではない。

 

いくら感謝の気持ちを込めてとは言われても限度がある。ナギも中身を確認した時、驚きのあまり少しの間言葉を失っている。特別な人に送るプレゼント、それは同時に好意の結晶でもあった。

 

 

「私もどこかに運命の人が転がってたら良いのになぁー」

 

「理子は彼氏居たんじゃないの?」

 

「えー? そんなのとっくに別れちゃったよー。いい人だったけど、私がIS学園に行くって言ったら物怖じしちゃって……ほら、やっぱり一般世間ではそういう風潮じゃん?」

 

「まぁね。逆にうちのクラスが珍しいのかなぁ」

 

 

理子の言うように一夏、大和と二人の男性がいるが、二人を邪険に扱ったり差別したりする生徒は一組に居ない。入学した生徒、元々いる生徒の中には女尊男卑の思考に傾いている生徒だっている。

 

一概には何とも言えないが、クラスで差別をする生徒は一人とて居ないのは事実だ。

 

 

「でもいいよねぇ。好きな人からのプレゼントだなんて」

 

「うぅ……私たちももう少し早く声を掛けていたら可能性もあったのかなぁ?」

 

「さぁ? でも聞く感じだと霧夜くんって一途そうじゃない?」

 

「どーなんだろ。ねえナギ。霧夜くんって二人でいる時はどんな感じなの?」

 

 

話はネックレスの話から、プライベートの大和の話へと移り変わる。この中の誰より、いや学園の中で誰よりも大和のプライベートを知っているであろうナギへと話を振る。

 

 

「な、何で大和くんの話?」

 

「いくら付き合っているとはいっても気にはなるよね。私たちといる時の顔と、ナギと二人きりである時の顔があるでしょ?」

 

「う、うーん?」

 

 

いきなり言われても、と困った顔を浮かべる。普段の大和と二人きりの時の大和の違いを聞かれてもイマイチピンと来ない。

 

端から見たら違うのかもしれないが、付き合い始めたのはつい最近のことだし、頻繁に連絡を取り合っている訳でもない。昨日、偶々ロビーにいた時に出会したとはいえ、いつもと変わった素振りなんかは……。

 

 

「……」

 

 

あった。それも盛大に。

 

普段は誰にでも平等に接するはずの大和だが、自身と一緒の時は声のトーンが高い上に、少しだけ子供じみた一面も垣間見える。

 

少しいたずらしてみたくなったという理由で、背後から人を驚かせたり、自虐に走ったりと、普段の学園生活では見れない、大和の一面を見ている。

 

手を繋ぐだけでも、肩を寄せるだけでも分かる大和の心拍数。共にいればいるだけ、大和が自身のことを意識してくれているのがひしひしと伝わってくる。

 

格好よく、大人びた一面だけではなく、少しだけ甘えた子供っぽい一面もある。これを知っているのは自分だけだろうか、そう思えば思うほど嬉しくなるし、ドキドキが止まらなくなる。

 

ポーっとしたまま動かないナギ、気持ち先ほどよりも赤らめた頬が普段の大和を想像していることが容易に分かった。

 

当然、周囲の生徒たちは自分の世界に入られているが故に面白くない。

 

 

どうしてやろうか。そんなことを一同が考え始めると同時に、癒子の腕が、他の子よりも存在感のある二つのメロンに伸びる。

 

音で例えるならぐにゃりという効果音が的確だろう。自分の世界に入り浸っていたナギの思考は、瞬く間に現実世界へと引き戻され、羞恥心からか一気に顔を紅潮させた。

 

 

「ええい! 羨ましいなこのこの! このお色気ボディで霧夜くんも悩殺かぁ!」

 

「ちょ、だからそうやって人の胸を勝手に揉まな……ひぃん!?」

 

 

柔らかく、揉みごたえのある感触。

 

制服を着ているときは制服が固い生地の分押し潰されて表面上は目立ちにくいが、実際さわると柔らかなクッションのようになっている……とのこと。

 

そして浴衣姿も同じであり、脱ぐと色々な意味で凄いらしい。

 

本人もちょくちょく、そのけしからん肉を寄越せと揉まれ続けているが、あまり言いようには捉えてないらしい。

 

下手をすればセクハラだ。友達だからこそ許してはいれど、我慢するのも一苦労。何でこんなに育っちゃったんだろうと前の自分を思い浮かべながらも、手を引き剥がしに掛かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからやめてって……ば!」

 

 

手を振り払おうとした瞬間、ブチッという音と共に畳の上に何かが落ちる音が鳴り響く。落ちた音までは聞こえなくとも、何かがちぎれる音は場にいた全員が聞こえた。 

 

 

「ご、ごめん! ブラのホック千切れちゃった?」

 

「う、ううん。千切れたのはそっちじゃなくて……」

 

 

胸から手を下ろし、ナギが指差す方向を見つめる一同。畳の床に転がっていたのは銀で出来た輪っか、指輪だった。

 

どこからこの指輪が落ちたのか。

 

その結論はナギの首もとを見て全員が悟る。着用していたネックレスの金属が切れ、切っ先から指輪が滑り落ちたのだと。

 

まさか先ほどの行為で千切れてしまったのだろうか。

 

いや、ネックレスに負荷が掛かるようなことはしていないし、付加が掛かるようなことがあれば、その前にナギの首が絞まっている。当然苦しくなるだろうし、ナギは胸を揉まれる以上にいやがるはず。

 

だがそのような素振りは何一つ見せることは無く、どうして千切れてしまったのか一同も、ナギ自身も分からずただ首を傾げるしか無かった。

 

 

「う、うそ! 何で?」

 

「わ、分からない。買って貰ったばかりだよねナギ?」

 

「そ、そのはずなんだけど……」

 

 

慌てて落ちた金属紐と指輪を拾う。だが千切れた金属を再度繋ぎ合わせることは出来ないし、今まで通りのネックレスとしての使用価値は全く無い。

 

折角買って貰ったのにどうしようと、大和に申し訳ない気持ちで一杯になると同時に、ナギの脳裏に一抹不安が過る。

 

 

 

実習が中止になった時、専用機持ちが招集されたのは、ナギも見ている。あの招集はなんだったのだろうか、誰がどう見ても非常事態が起きたようにしか見えない。

 

なら、非常事態の対処に大和が駆り出されていると考えても、何ら不自然はない。

 

 

(こういうのは、あまり信じたくはないんだけど……)

 

 

人から貰ったものが急に壊れた時、相手に不幸が襲い掛かるといった噂をよく聞くことがあるだろう。

 

オカルト的な話のためあまり信じたくは無いが、何ともなかったネックレスが急に壊れるなど、普通に考えてあり得ない話だ。

 

まさか大和の身になにかあっただなんて……。

 

 

ないとは言い切れない。

 

昨日二人きりで過ごしていた時、大和が急に左眼を押さえて痛がり始めた。痛がり方が平常時では無いような痛がり方だったし、診てもらおうと提案しても大丈夫だと断られてしまった。

 

朝あった時は何ともなく普段通りにしていたが、もし痛みが原因で大和の身に何かあったとしたら。

 

 

(大丈夫だよね。大和……くん?)

 

 

指輪を握りしめるナギの杞憂が晴れることは無かった。

 



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第十章ーIndomitable Wingー
かつての私、これからの私


 

 

 

『作戦は失敗。次の指示があるまで各員は自室に待機。今後、身勝手な行動は禁止とする!』

 

 

釘を刺すかのような千冬の言葉を聞いた後、全員はバラけて自室へと戻った。

 

時は既に夕暮れ。

 

黄金色の夕日が一面を照らし、美しい夏景色を彩っているというのに、部屋はカーテンで仕切られ、僅かな隙間から光が差し込んでくるだけだった。

 

折角の景色だが、座り込む少女にとっては世界でもっとも綺麗な景色であったとしてもどうでもよかった。

 

畳の上に敷かれた布団に横たわる少年をじっと見つめたまま、身動き一つ取らない。作戦の後で衰弱しきっている体を休ませもせず、小一時間ほどただただ少年の顔を見つめたままだった。

 

完全に衰弱し、弱々しく今にも崩れ落ちそうな顔。

 

倒れている最愛の人がいるというのに何も出来ない。そもそも目の前の少年が……一夏が、このようなことになったのは全て自分の責任なのだから。

 

 

(私の……全て私のせいだ)

 

 

分かっている、そんなことは何もかも分かっている。悪いのは全て私であると。専用機を持ったことで力を手に入れたとうつつを抜かし、慢心していた自分が情けなく、惨めに思えた。

 

密漁船を見捨てようとしたことを一夏に指摘され、飛ばしすぎたせいでシールドエネルギーを使い果たし、箒を攻撃から守ろうとした一夏が盾に。

 

それだけならまだしも、一夏のことに気をとられて周りが見えなくなり、追撃から自身を守ろうとした大和までも、別の脅威の前に倒れた。 

 

自分の独りよがりの行動が、多くの人を傷付けてしまった。どう償い、接すればいいのか。

 

箒には分からなかった。

 

 

(私が……私がもっとしっかりしていれば……)

 

 

どうしてこうなってしまったのだろうか。

 

新しい力を、強大な力を手にいれて優越感に浸り、簡単に遂行できると軽視していたのは間違いないし、一人でも何とかなると己の力を過信していたのも失敗した大きな要因だろう。

 

だがそれ以上に、周りを見てなかった。

 

作戦の成功ばかりを考え、万が一のイレギュラーを、作戦が失敗した場合の最悪の事態を、何一つ考えていなかった。

 

勝利の方程式が少しでも崩れた途端これだ、経験が少ない分土台は恐ろしく脆い。大黒柱を抜かれた家が簡単に倒壊するように、一つの作戦が上手く行かなくなった途端に、何も出来なくなった。

 

それだけではなく、一夏が密漁船をかばった行為を否定したことに対してらしくないと諭され、箒の頭の中は完全に混乱した。

 

揺るがない信念を持っていたはずなのに、それは薄っぺらい紙切れのように吹き飛んだ。

 

 

(どうして私はいつも……!)

 

 

もう少ししっかりしていれば、一夏も大和も撃墜されることは無かったはず。防げた損害を出し、想定外の被害を出してしまった彼女の精神的なダメージは計り知れない。

 

力を手に入れるといつもこれだ、これではあの時と何一つ変わっていない。

 

 

(昔から何一つ変われていない……)

 

 

中学三年生の時の、剣道の全国大会。

 

実力者だった箒は一方的な展開で相手を打ちのめし、全国の頂点に立った。表向きは誰もが欲するような栄光であり、十分に誇れるような偉業であったことは確かだった。

 

だが、箒にとっては違った。全国大会で優勝した喜びよりも、力に溺れてただの憂さ晴らしをしていた自分が酷く醜く、情けなく思えた。

 

彼女にとって全国大会で優勝することが目標ではなく、全国大会をただの憂さ晴らしのための場所として利用していた。決して同じ過ちを繰り返さないと、心身共に鍛えるために剣道を続けていたというのに、あの時から何一つ変わっていなかった。

 

心身共に鍛える。

 

『心』の強さも鍛えねばと思っていたのに、求めていたのは『心』の強さではなくただの強大な力だった。専用機を束に頼んだのも、少しでも皆に近付きたいからと思ったからであり、それは単純な『力』だった。

 

 

 

これは以前、強大な力に溺れてVTシステムに取り込まれたラウラにも強さの定義を大和が伝えている。本気で強くなりたいのなら力をつけるだけではなく、心の強さをつける必要があると。

 

一夏は皆を守るという信念を、大和は大切な人を命がけで守るという信念をそれぞれに持ち合わせている。言うだけなら容易いが、二人の場合は言葉だけで表せるほどの薄っぺらい信念ではない。

 

一夏の強さ、大和の強さを支える根幹の部分はぶれない信念……つまり『心』の強さだ。

 

二文字で言い表せたとしても、頭に別の文字が付くだけで意味合いは全く異なる定義になる。

 

 

 

『一個アドバイスをするとしたら、もう少し精神的な強さを持つことだな。最初に二回当てられて動揺しただろ?』

 

 

 

始めて大和と剣道場で手合わせをした際に言われたことを、箒は一字一句忘れずに覚えている。

 

イレギュラーが起きると脆くなる精神面を鍛えてみたらどうかと。あの一言は、自身の脆さを悟ったからこそ伝えてくれた大和なりの優しさだったと、今頃になってようやく気付いた。

 

何故あの時気付けなかったのか、修正出来なかったのか。

 

 

(何の為に修行をしていたんだ私は!)

 

 

目標が分からない、自分がどうありたいのか分からない。

 

一時のラウラのように強さのあり方が分からない。大きな損害を出し、頭が混乱しているといった理由もあるが、それ以上に精神面が脆いと指摘してくれた大和のアドバイスを、何一つ生かさなかった自身が無償に腹立たしかった。

 

何の為に今まで剣を振るってきたんだ……と拳に力を込めて握る。今後悔しても、あの時間が戻ってくることはない。

 

 

(一夏、霧夜。私はもう、ISには乗らない……)

 

 

手首に巻かれた金と銀が入り交じった赤い紐をギュッと握り締めたまま、二人の顔を思い描く。自身の信念を強さの定義を知っていた二人に対し、全てを履き違えた自身を照らし合わせる。

 

惨めだった、情けなかった。

 

強さの意味を履き違えた自分がISに乗る資格はない。箒なりの一つのけじめをつけ、口を真一文字に結んだ。何一つ理解出来なかった自分が、ISに乗っていては必ずまた同じ過ちを起こすことだろう。それならいっそのこと、ISに乗らない方が皆に迷惑を掛けなくて済む。

 

私はISに乗るべき人間ではなかった、乗る資格もない人間だった。

 

 

「私は……私はっ!」

 

「篠ノ之さん……思い詰める気持ちは分かりますが、今は来るべき時に備えて、部屋でゆっくりと休むべきではありませんか?」

 

「――っ! 山田、先生……」

 

 

突然の声にハッとして顔を上げると、そこには心配そうな表情を浮かべた真耶が立っていた。本来作戦室に込もって次の作戦を考えているはずだが、彼女の本心が居てもたってもいられず、生徒の様子を見に来た。

 

先ほどの一件で、終始箒は落ち込んだまま、誰とも会話を交わそうとせず、虚ろな眼をしたまま下を向いていた。ラウラに胸ぐらを捕まれた時も反抗の一つもせず、ただ項垂れるだけ。

 

大和と一夏が墜とされたことが未だに信じきれず、現実から眼を背けていた。

 

 

「織斑くんも霧夜くんも怪我をして、辛い気持ちは分かります。それでも自分を責めるばかりでは何も解決しません。少し休むべきだと思いますよ」

 

「……そう、ですね。少しだけ……頭を冷やしてきます」

 

「あっ、篠ノ之さん……」

 

 

表情を合わせないまま、真耶の隣をつかつかと歩き通りすぎる。そんな篠ノ之を真耶も止めようとするも、思った以上に早く、篠ノ之は歩き去ってしまう。

 

その後ろ姿に一抹の不安を覚えながらも、真耶にはただ見守ることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕暮れを迎えた海水浴場。

 

だというのに砂浜には人っ子一人見当たらず、閑散とした風景が広がっている。波が押し寄せ、やがて引く。一連の動作を何度も何度も繰り返す誰もいない海は、昼間のような行楽地ではなく、どこか不気味な雰囲気を醸し出していた。

 

ほどよい温度まで熱の下がった砂浜に残るのは、一人の足跡だけ。多くの人間が踏んだであろう砂浜には、たった一人の足跡しか残っていなかった。

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 

砂浜を走ったことで、適度な疲労感と息切れが箒を襲う。

 

膝に手をついたまま前屈みになり、乱れた息を整えようとした。

 

誰かに顔を見られたくもなかった。決して自分の顔が醜いというわけではない。誰かから視線を注がれることがたまらなく苦痛だった。

 

逃げてばかりでは何の解決にもならないというのに、ISに乗らないという自分勝手な考え方でしか、物事を正当化することが出来なかった。

 

 

だが、本心からそう思っている訳じゃない。

 

 

「一夏、霧夜……」

 

 

絞り出すように二人の名前を言葉に出す。

 

あまりにも弱々しい言葉に悲壮感を隠せなかった。箒だって二人のことが心配で今にも胸が張り裂けそうなはずなのだ。それでも一人になりたいのは、二人が負傷する要因を作ったのは箒自身だから。

 

いくら二人の意識が戻ったとしても、合わせる顔など無い。これからどうすれば良いのか分からず、遠くの水平線を見つめながら呆然と立ち尽くす。

 

 

「……?」

 

 

立ち尽くしている箒の背後から、砂浜を踏みしめる足音が聞こえてきた。

 

足音の数からして複数人ではなく、多かったとても二人。だが重複する足音が無いから、一人と考えるのが妥当だろう。

 

 

「こんなところに居たのか……部屋にも居ないから探したぞ」

 

「……」 

 

 

声の主はラウラだった。

 

箒にしてみれば一番意外な来訪者だ。本来であればもっとも自身のことを恨んでいるはずの人間が、このように姿を見せているのだから。

 

一つの慢心のせいで肉親に近い存在を傷つけられ、意識が戻るかどうかも分からない状態になり、仮に意識が戻ったとしても左眼の視力は二度と戻らないとまで言われて、正気でいられるはずがない。

 

片眼を失ったのだから、しばらくは日常生活にも支障が出てくる。遠近感が掴めないから今まで通りの動きをすることも出来ない。

 

群を抜いた剣術、一回の飛行で代表候補生と渡り合う格闘センスはもちろんのこと、通常の歩行も初めのうちはおぼつかないはず。たった一回の失態で、大和から日常生活までをも奪ってしまった。

 

申し訳が立たないし、何を報復されても文句は言えない。

 

覚悟を決め、歯を悔い縛りながら後ろを振り向く。

 

 

(――ッ!!)

 

 

表情こそいつもの凛とした様相を装っているも、右目の目尻から頬にかけて、涙の痕が残っている。まぶたは赤く腫れ、先ほどまで涙を流していたことが分かった。

 

肉親同然の存在を傷つけられる悲しみ、それは想像を絶するものに違いない。涙を流すイメージが全く無いラウラが、人目も憚らず大泣きをしたのだ。どれだけのショックだったのかと考えると、居てもたってもいられなくなる。

 

 

「勝手な外出は禁止されている、教官から言われただろう」

 

 

あくまでラウラの言葉は業務的で、冷静そのものだった。

 

 

「放っておいてくれ……私は、お前に合わせる顔がない」

 

「何?」

 

 

僅かにラウラの眉が上がる。ラウラの変化を気にせずに、そのまま箒は言葉を続けた。

 

 

「私のせいで……私のせいで作戦は失敗した。それに、二人が怪我を負う羽目になったんだ!」

 

「……」

 

「だから私はもう「また逃げるのかお前は。そうやって、現実から」……何だと?」

 

 

意外な言葉にカチンと来た箒は、ムッとした表情のまま、ラウラのことを見つめる。半ば飽きれ気味にも聞こえたラウラの一言に、若干のイラつきを覚えたらしい。

 

お前に私の何が分かるのかと。

 

 

「ふん、どうせそんなことだと思った。任務の失敗で塞ぎ込み、挙げ句の果てには自身が欲しくて貰った専用機を捨てようとしている……」

 

「もう放っておいてくれ! 私には専用機に乗る資格なんて……」

 

 

そこまで言い掛けたところで、ラウラの堪忍袋の緒が切れた。

 

 

「いい加減にしろっ!! そんなワガママが許されると思っているのか!?」

 

 

鬼の形相で箒の元へと近寄り、胸ぐらを掴み上げる。

 

だがそれは兄を傷つけられたことによる恨みではなく、一件から何も学ぼうとしなかった箒の考え方に対してだった。これほどの損害を出して落ち込むことは当然であり、塞ぎ込む気持ちが分からないわけでもない。

 

分からないわけではないが、箒の言うISに乗らないという言葉は、ラウラにとって『私はもう何もしません』に聞こえたのだ。

 

自身の失態を人に押し付けるだけ押し付け、自分はただ現実から逃げるだけ……一体何様のつもりなのだろうかと。もし仮に箒が闘争心を失っていなかったとしたら、ラウラもここまで怒ることは無かっただろう。

 

専用機を与えられるということはそれほどに重たいことであり、常に責任が付いて回ることを箒はまだ理解していなかった。セシリアや鈴やシャルロットやラウラが、どんな気持ちで専用機に乗っているのか。

 

専用機を与えられたから力を手に入れた、ではない。力を持っていたからこそ、専用機が与えられたのだ。だからこそ周りからの重圧も重たいものになるし、求められることも多くなる。

 

 

「貴様はもう専用機持ちなのだ! その専用機持ちが自分の蒔いた種を刈り取ろうともせずに、私はもうISに乗らないだと!? 甘えるのも大概にしろよ!!」

 

 

ラウラの怒りは収まらない。

 

ただラウラの言葉の節々に、誰かの面影を感じとることが出来た。言い方は乱暴だが、自分の感情任せに怒るだけではなく、相手を改善点を指摘し、更なる高みへと導くような怒り方。

 

ここ最近でラウラの心は確実に大きく、強くなっていた。

 

大和が倒れたからと言って下を向き続けるのではなく、まずは倒れた大和のために必ず敵を討とうと前を向いている。内心は今にも泣き叫びたいはずだ。悲しみを心の奥底にしまい込み、ただひたすら堪えている。

 

 

「専用機が欲しくて欲しくてたまらない人間が何人いると思っている! 専用機を与えられる実力がない者、実力があっても巡りあわせが悪くて与えられなかった者だっている!」

 

 

ラウラの言うことは正論だ。

 

ISのコア数は限られている上に、それを世界各国で割り振っている形になる。だからこそどれだけ欲しがってもそれに見合う力がなければ専用機は与えられないし、どれだけ実力が高かろうとそれ以上の実力者がいれば専用機は与えられない。

 

専用機を与えられるのは全世界の人口から算出してもほんの一握りだ。見慣れているものとしては現状、世界で最も手にすることが難しいものと言えるかも知れない。

 

欲しくても与えられなかった。その者たちの気持ちを考えたことがあるかと強い口調でラウラは伝える。一方でラウラの物言いに、言い返すことが出来ずに押し黙る箒。

 

 

「専用機が与えられるというのはそういう事だ! 誰かを傷付けるかもしれない、失うかもしれない。そんな覚悟もないままに貴様はISを欲したというのか!?」

 

「ッ!!」

 

 

言うとおりだった。

 

何一つ覚悟など持ち合わせていなかった。ただあの背中を追い続けたい、一夏や皆の隣に並び立つだけの力が欲しい。

 

最初は本当にそれだけの理由だった。だからこそラウラの言うことに言い返せ無い。言い返す言葉も見付からない。

 

理由は一つ、ラウラは覚悟をもってISに乗っている、箒は覚悟が曖昧なままにISに乗っているから。

 

 

「貴様は反骨心もなければ、戦うべき時にも戦えない臆病な人間なのか!?」

 

 

流石に最後の一言が箒の癪に障ったらしく、ラウラを掴み返す。

 

 

「ぐっ……この! 言わせておけば好き放題言いおって! そんなわけ無いだろう! 大体貴様とて何もしなかったではないか!」

 

 

私の何が分かる……少なくとも箒にはプライドがあった、一個人として決して曲げられないプライドが。ここまで好き放題言われる筋合いは無いと、啖呵を切っていく。

 

だが箒の眼には薄っすらと光り輝く水滴が付いていた。

 

作戦を失敗し、一夏や大和を負傷させたこと。特に再起不能レベルの大怪我をした大和のことを考えると、箒の良心が痛んだ。何故あの時、斬られたのが私ではなくて大和だったんだろうと。

 

出来ることならもう一度、もう一度あの時を取り返したいと何度思ったか分からない。

 

悔しくない訳がない、悲しくない訳がない、再戦出来るのであればとっくにやっている。

 

 

「だからこそだ! 私はもうこれ以上悲しむ人間を見たくない! 必ず私の手であの男を討ち取って見せる! それが私の覚悟だ!」

 

「何が覚悟だ! 私はこれから背負わなければならない! 一夏を、霧夜を傷付けてしまったという戒めを! 大体さっきから何だ! 一番重要なのは任務の遂行だと抜かしよって! お前は霧夜のことが心配ではないのか!」

 

「私が悲しんでないとでも思っているのか!!?」

 

 

ピシャリと言い放つラウラの言葉には今までのどの言葉よりも迫力があった。

 

悲しんでいないわけがない。それは誰よりも場に居た全員が知っていたはずだ。

先ほど千冬から大和の状態を言い渡された時のラウラの絶望に染まった表情、人目を憚らず号泣した姿を見れば、誰よりも兄の負傷を悲しんでいることは分かるはず。

 

事実を再認識して視線をラウラから背ける。

 

 

「……」

 

「このまま悲しみに暮れていればどれだけ楽か! でもそんなこと望んではいない! 少なくとも箒! 貴様が下を向いて塞ぎ込む姿を、お兄ちゃんが望んでいるとでも思うか!? 何の為に助けた! 何の為にお兄ちゃんは倒れたんだ!? その想いも踏み躙ったら、それこそ貴様はただの畜生に成り下がるだけだぞ!!」

 

 

大和自らが箒を責めるなと言った理由、それは本人しか知り得ないこと。

 

ラウラも本来であれば、箒の犯した罪を決して許してはいない。慢心をするような場面ではない、命の掛かった重要な国家任務なのだ。

 

それを軽視して作戦を失敗し、負傷者を二人出している。更に負傷者の一人は自身が最も慕う兄とも呼べる存在。

 

血は繋がっていないかもしれない。だが、そんなことはラウラにとってどうでも良かった。兄妹という括りに血の繋がりなど関係ない。家族の一員のように敬愛し、たった一人の存在として愛している。

 

唯一無二のかけがえのない存在を傷つけられ、ラウラが怒らないはずが無いのだ。しかし、箒のことを恨んでいるわけではなかった。

 

 

 

大和に責めるなと言われた時は、それはおかしいと反抗した。ただ冷静に考えて、大和の負傷した理由は箒の慢心によるものだけではない。

 

大和も言っていたが、そもそも相手に一人で無理して立ち向かおうとしなければ、大怪我をすることも無かったかもしれない。強大な一撃を持ち合わせている相手だったとしても、二人で掛かれば何とかなった可能性だってある。

 

それにあくまで負傷したのは結果論であって、二人で戦ったとしても何らかの損害は覚悟すべきでもあった。楽観視するわけではないが、今回の作戦失敗を一人の責任にすることは出来ない。一つの要因としては考えられるが、それが全てかと言われたら違う。

 

だが、作戦の失敗を一人で塞ぎ込み、ISに乗らないと現実から逃げるのはありえない。入手経路はともかく、仮にも専用機持ちの一員となったのだ。そんな甘えた思考は決して許されるものではない。

 

大和が伝えたかったこと、そしてラウラが伝えたかったこと。それを箒はどう判断したのか。

 

 

「……決めるのはお前だ。どうしても嫌だと言うなら強制はしない。選ぶ権利があるからな。だが本当にそれで良いと言うなら、お前は二度とISに乗る資格はない。覚悟が無い人間が、今後成長できるとは到底思わん」

 

 

本当にこのまま逃げ続けていて良いのか。

 

相手にも負けて、自分にも負ける。本当に今のままで良いのか。

 

逃げることは簡単だ。やらなければ、現実から目を逸らせば逃げることが出来る。しかし人間として最も大切なことを失う。

 

剣道で全国優勝した時、自身の行為がただの憂さ晴らしだと思って自己嫌悪した。力を持つといつもそうだった、改善しようにも改善出来なかった。その結果が今回の事態を招いた。

 

 

もうこれで二度目だ。三度同じことを繰り返してはならない。既に大切な何かを失い掛けているのだ。だからこそ、自身で蒔いた失敗の種は自分の手で刈り取る必要がある。

 

もう一度、もう一度チャンスがあるのであれば……。

 

失いかけていた闘志の炎が、再び箒の眼に宿った。

 

 

「……というんだ」

 

「何だ? 小声では何も聞こえんぞ?」

 

「どうしろと言うんだ! 敵の場所も分からない! 戦えるなら私だってまだ戦う! 戦って必ず勝つ! そして一夏と霧夜にもう一度謝るっ!」

 

 

感情任せに荒々しい口調で捲し立てる箒の様子を見ながら、ラウラの口元が僅かに納得したかのように歪んだ。

 

やれやれ、ようやくかと言わんばかりに、ラウラは満足そうな表情を浮かべた。彼女だって辛いだろう、だがこうして前を向いている。

 

このような事態になってしまったのは結果論であって、未然に防げたかとは言えない。様々な偶然が混ざり合い、たまたま今回の事態を引き起こした。

 

以前のラウラなら全くそのようなことを考えず、怒り任せに相手を追い詰めていたに違いない。初めこそ兄を傷つけられた怒りから、箒を詰めるようなことをしてしまったが、今は違う。

 

悲しみを心の奥底に隠しながら、周囲がしっかりと見えている。それがしっかりと出来るようになっただけでも、この僅かな期間で彼女が成長できた証にもなる。

 

 

「ふん、ようやく自分の声で言ったか」

 

「な、何だと!?」

 

「言葉通りの意味だ。私とて演技が上手い訳じゃない。こうでも言わないと、お前はいつまでたっても塞ぎ込んでいただろうからな」

 

 

演技? 一体何の話かと首を傾げる。理解が追い付いていない箒に対し、ラウラは背を向けながら言葉を続ける。

 

 

「昔までの私なら、お前のした行動全てを決して許していなかっただろう」

 

「!」

 

 

かつてはそうだった。

 

物事の真意を考えず、ただ怒鳴り散らせば良いと思っていた時期がラウラにもあった。

 

人間、嫌なことをされれば嫌な気分になるし、怒ることもある。それでもラウラは必要以上に追い詰めず、悲しみを心の奥底に仕舞い込んだ。

 

それが出来るようになったのは他でもない、大和のお陰だった。

 

元々ラウラは一般常識に疎い。でもそれは生い立ちを考えれば必然でもあるし、周囲の環境も相極まって知らないことが人より多かった。

 

だが今は違う。兄として大和の側に寄り添い、大和から様々なことを学ぶ。生い立ちが全く同じの大和が出来て、自分に出来ないことはないと前向きに考え、吸収出来るものは全部吸収しようと努力している。

 

小さな子供が些細なことに興味を持つように、ラウラも人として些細なことに興味・関心を持ち、それを身近な人から学ぶ。たったこれだけのことなのに、僅かな期間の内に、誰もが驚くべきスピードで人として大きく成長している。

 

箒を必要以上に追い詰めなかったのも、大和が箒のことを責めるなと言ったからだけではなく、ラウラが自分で箒の状態を判断し、彼女が本気で反省し、自身の浅はかな行動を後悔していることを汲み取ったからだ。

 

 

「もちろん、私だって人間だ。いきなり全てを許すことは出来ない。それでもお前が自らの行動に対して悔いていることはよく分かった」

 

「……」

 

「……さっきは悪かったな、胸ぐらを掴んでしまって。いくら頭が混乱していたからといって、お前だけを追い詰めて良いわけではなかった。この場で謝らせて欲しい」

 

「そ、それは!」

 

 

お前は悪くないと言いたいのに、言葉が出てこなかった。気付けば両頬にまぶたから止めどなく涙が溢れ出てくる。

 

これだけのことをして許されている自分が情けない。いっそのこと恨み続けてくれた方が楽だったと、自虐的に考えたこともあった。

 

かつては自身よりも精神的に幼いと思っていたラウラに、自分が諭されている現状。いつの間に彼女はこんなに強く、たくましい存在になったのか。ラウラがタッグトーナメント以降、心を入れ換えて生活しているというのもあるだろう。

 

ただそれ以上に、ラウラを変えてくれたのは他でもない『霧夜大和』という人間だった。

 

 

(霧夜……お前はこんなにも、慕われているのだな……)

 

 

同時に羨ましいとすら思えてしまった。

 

もう少し大和に早く出会えていればと思いつつも、現実は変わらない。

 

目についた涙を拭い去り、気持ちを一旦リセットする。

 

 

「さて話を戻すか。お前にもし戦う力があるのであれば、この後の作戦に参加してもらう。既に福音の大まかな位置については偵察済みだ」

 

「……」

 

「再度確認するぞ。行くか行かないかを選ぶのは自由だ。お前はどうする?」

 

 

腕に巻かれた赤い紐を、箒は力強く握りしめる。これ以上の間違えはしない、必ず作戦を達成してみせる。確固たる決意の現れが、箒の瞳に宿っていた。

 

大和の意識も必ず戻る。自らの過ちを全て許してもらおうとは思わない。事が済んで、大和が目を覚ましたら、その時は自分の口で謝罪をしよう。

 

もう、過去からは。

 

――否、自分からは逃げない。

 

 

「行く。今度こそ必ずケリをつけてみせる!」

 

「ふん。ならさっさとついて来い。もう皆準備を済ませてお前の帰りを待っている」

 

「……ああ!」

 

 

再度見開いた瞳に迷いはなかった。

 

ラウラの後を着いていく箒。確固たる決意……覚悟を胸に、再度状況を開始する。

 



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カコとイマ

 

 

 

「―――君、こんなところでどうしたの?」

 

 

とある夏の日。路肩に座り込む少年に話しかける一人の少女がいた。顔立ちから判断すると、年齢は大体十代半ばだろうか。スーツを着こなすにはまだまだ若さが残る年齢のはずなのに、ものの見事に着こなしている。

 

すらりと伸びた長い足。タイトスカートにスーツ、さらにストッキングといった色気ある服装に、うっすらとしたナチュラルメイクを重ねているため、年齢以上に大人びて見える。

 

道歩く人間の何人かは振り向くであろう整った顔立ち。毎日しっかりとトリートメントで手入れをされているかのようなさらさらなショートヘア。

 

均等のとれた……否、一部分がより存在感を発する魅惑的なスタイル。胸元は締め切ってしまうと苦しいのだろう。着ているワイシャツのボタンを二つほど外し、服の間からは生々しい健康的な肌が覗いていた。存在感ある胸がしゃがみこんだことで潰れ、上着の胸元が不規則に歪んでいる。

 

周囲を歩く人間は、何でわざわざ声なんかを掛けるのかと、若干距離を取りながら過ぎ去っていった。

 

ドイツ某所の貧困街。

 

繁華街に比べると貧しい家庭も多く、大通りの片隅には布切れを羽織った子供や大人が、それぞれに無気力な表情のまま座り込んでいる。家庭を追い出された者、自己破産して全てを失った者、罪を犯して社会から隔離された者。

 

理由は様々だが、一般世間から追い出されてしまった者たちが行き着く末路みたいな場所だ。当然、そんな人間を救おうとする者など居ないし、声を掛けようとする人間も居ない。だからこそ、彼女の行動は道行く人々にとって異質なものに映った。

 

 

「……」

 

 

彼女の問い掛けに少年は口を結んだまま答えようとはしない。何日同じ服を着ているのだろうか、至るところが汚れてボロボロになった布切れ同然の上着に、何日もシャワーに入ってないような汚れた体。近くの水辺で体を洗うことはあるんだろうが、常に外にいることによる汚れは拭いきれない。

 

多少臭っているのも事実。それでも女性は嫌な顔一つせずに少年へと語りかける。

 

虚ろな目をしたまま焦点の定まっていない視線を向ける。年不相応に抑揚のない表情、まるで喜怒哀楽といった感情全てを失ってしまったかのように変化がない。

 

見た目五、六歳といったところか。本来は初めての集団行動で友達を作ったり、色々な思い出を作ったりして、日々を楽しむ年頃だというのに、彼に一体何が起こったというのか。

 

少年からは既に生気を感じとることが出来ず、生きることを諦めているようにも見えた。

 

 

「…… In Deutschland?(ドイツ語の方が良い?)」

 

「……」

 

 

日本語で話しているから伝わっていないのかもしれない。そう思った女性はドイツ語で再度アプローチを試みるも、少年からの返事はない。

 

返事をすることすら面倒、もしくは心を開こうとしていないか。女性の方も取り繕った表情で少年に話し掛けているわけではなく、誰かに頼まれて話し掛けているわけでもない。

 

彼女自身の本心からくる人の良さに過ぎない。本気で目の前の少年が心配だからこそ声を掛けた。

 

周囲には少年と同じ境遇の人物がいるが、全員成人している人間ばかり。現地を訪れる前にも何人か見てきたが、ここまで幼い人間はいなかった。

 

 

このまま続けていても埒が明かない。それに女性自身もやることがあるらしく、腕時計に何度も目を向ける。さすがに時間が来てしまったようで、名残惜しそうに場から立ち去ろうとする。

 

 

「また来るからね?」

 

「……」

 

 

返事が戻ってくるわけでもなく、女性は背を向けた。

 

 

 

霧夜千尋、十五歳。

 

霧夜大和、六歳。

 

これが二人の初めての出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「霧夜さんの状態は?」

 

「相変わらずだ。容体自体は安定しているが、意識の戻る兆しが無い。最悪ずっとこのままの可能性も……」

 

 

集中治療室に呼吸器を付けたまま眠る大和を見ながら、主治医の一人が看護師の質問へと答える。運び込まれた大和の容体を見て、思わず冷静な表情が崩れた。今までISの事故で負傷した生徒や選手の治療を施したことはあるが、ここまで重度の症状で運び込まれてくることはまずない。ましてや絶対防御を、ISスーツまでをも切り裂いて肉体に大ケガを負うなど、未だかつて同じような事例を受けたことが無かった。

 

肩から腹部に掛けて無残に切り裂かれ、左眼が完全に潰れた状態で生きている姿を直視したくなかった。見守る誰もが、生きているのが不思議だと思えるほどの状態であり、常人であればとっくに死んでいてもおかしくない程の重症であったと。

 

幸い迅速な処置により一命こそ取り留めたが、いつ容体が急変するかは分からない状態。鎮静剤も効いている為、今は安定している状態だ。本来であれば潰れた左眼も治したかった。

 

体に巻かれた包帯とは別に、左眼に痛々しく巻かれた包帯。引き裂かれた体の傷は縫い合わせることで塞ぐことが出来た。しばらくこのままにして抜糸をすれば元通り傷口は塞がるはず。最も傷跡は残るがこの怪我による後遺症が残ることはないだろうという見立てだった。

 

が、この左眼だけは違う。

 

人間で最も大切な五感と言われているのがこの『視覚』になる。

 

二つあるうちの一つを怪我で失ったショックは計り知れない。仮に大和が意識を取り戻したとしても、もう両目で世界を見ることは出来ない。片目だけで生活することがどれだけ不憫で大変なことか。

 

ましてや大和の仕事柄、片目を失うことはイコール仕事を継続することが難しくなる。千冬以外の関係者には一切知られていない情報ではあるが、遠近感もまともにつかめないまま、いつ敵が襲ってくるかも分からない現場を、

弾丸飛び交う戦場を、生き抜くことが出来るだろうか。

 

はっきり言って今の大和の護衛として生き抜くスキルは無いに等しい。視界が片方無いだけでもアドバンテージは大きく異なっている。遺伝子強化試験体という生まれつき高いスペックを持っている為、大和の身体能力及び視力は常人のそれを大きく凌駕している。

 

だからこそ無茶も出来たし、誰も出来ないような仕事もこなすことが出来た。特に大和が大きく頼りにしていたのは視覚から得る情報であり、些細な変化も見逃さなかった大和だけの武器を失ったことによる代償は大きい。大和が大丈夫だと言っても、おそらく大元が仕事継続の許可を……一夏の護衛継続の許可を下ろさない可能性もある。

 

 

一夏の護衛をしていること、大和が護衛の仕事をしていることは誰も知らない。だが日常生活に支障が出るかもしれない怪我を残してしまった事に対しては、思う部分があった。

 

運び込まれた段階で、左眼が修復することが不可能なレベルだったのは誰もが分かった。だからと言って自分たちは患者の生活を支える為に仕事をしているのだから、治せなかったのは完全に自分たちの力不足、現代医療の力不足という見解になる。

 

主治医の表情は険しいままだった。何とか出来ないか考えたものの、これと言った治療法もなく、傷口だけを塞ぐだけに。口を真一文字に塞ぎ悔しさをあらわにするも、振り向いた時の顔はいつも通りの表情へと戻っていた。

 

そういえば、大和の怪我の報告はしてあるのかと。近くにいる一人の看護師へと尋ねる。

 

 

「ところで親族の方と連絡は取れたのか?」

 

「いえ、連絡したいんですが彼の携帯には親族に関わる連絡先が一切載っていなかったんです。それどころ知り合いの一人の連絡先さえも無いだなんて……」

 

「何? それは本当か?」

 

 

そんな馬鹿なことがあるかと、事実確認をする。

 

バツが悪そうに視線を背けるが嘘をついているようにも見えない。大和の持っている携帯電話には電話帳に登録されているデータが一つたりとも残っておらず、発信履歴も着信履歴までが消えている状態で誰一人連絡する手段が無い。

 

IS学園に問い合わせたところで、個人情報の為教えられませんと門前払いを食らう未来が目に見えている。これでは家族の誰にも連絡を取ることが出来ない。一体どうすれば良いというのか。そもそもの前提で携帯電話の中に連絡先が入っていないことがあり得るのか、仮にこの少年に友達が居なかったとしても、家族の連絡先くらいは最低でも入れるはず。

 

それすら入っていないのは何でだろうと、いささか疑問が残る。

 

大和自身に身内が全くいないか、単純に家庭内事情を知られてたくない。もしくは携帯の中身自体を知られたくないか。

 

どの理由であっても、『霧夜大和』という少年に謎が残るのは事実だ。こんなことがあり得るのかと、内心驚きを隠せない。ひとまず現状を伝えることが先決であり、何も伝えないのもおかしな話だ。

 

 

「仕方ない。IS学園の教師の方に一旦連絡を取ろう。そうすればそこから連絡を入れられるはずだ」

 

「は、はい。分かりました」

 

 

指示を出し、看護師は部屋から慌ただしく出ていく。

 

再度大和へと向き直る主治医、大和の表情を見つめる視線は一層厳しいものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 

海上から二百メートルほど離れた上空に佇む銀の福音。

 

周囲には誰もおらず、静寂を包み込む夜明けの海。何かを守るかのように頭部から伸びた翼が機体を包み込んでいた。

 

 

「……?」

 

 

静寂を切り裂くかのように、甲高い花火を打ち上げるかのような音に顔をゆっくりと上げる。

 

刹那、超音速で飛来した砲弾が福音の頭部を直撃し、大爆発を起こした。

 

 

 

 

 

 

 

「初弾命中。続けて砲撃を行う!」

 

 

目標から離れること約五キロ上空に位置するのは、シュバルツェア・レーゲンとラウラ。福音が反撃する前に次弾を装填し、発射した。

 

タッグトーナメントや先ほどの戦いで戦っていた姿とは大きく異なった姿をしており、八〇口径レールカノン《ブリッツ》をそれぞれ両肩に装備し、遠距離からの射撃に対する備えとして、四枚の物理シールドが展開されている。これぞ砲戦パッケージ『パンツァー・カノニーア』を装備した、シュヴァルツェア・レーゲンであった。

 

お披露目するのも初めてだが、実戦で使いこなすのも慣れているわけではない。それに今更慣れていないから使えないという考え方はあり得ない。

 

ラウラを含めて作戦に参加する全員が成功させることに全てを掛けている。また失敗しましたなどと無様な姿で帰るわけにはいかない。負傷し、今も意識不明のままの兄の為にも、何が何でも勝って戻らなければならない。

 

箒を説得する前にどれほどの涙を流しただろうか。未だかつて流したことのないほどの量を流したに違いない。すぐにでも泣き出したい気分だ。

 

 

(この戦いが終わるまで……絶対に泣くものか!)

 

 

だがそれはこの戦いが終わってからでも遅くはない。今は目の前の相手と全力で戦うのみ。

 

幸い、昼間の機体は居ないようだ。下手な横やりを入れられる前に、さっさと目の前の相手を片づける他ない。

 

 

攻撃に反応した福音が大きく翼を広げると、砲撃元であるラウラの姿を視界に捉える。目標はラウラ、一気に加速すると飛び交う弾丸を物ともせずに高速で接近してくる。照準を合わせて引き金を引いているというのに、ラウラの砲撃は全く当たらない。

 

――否、ラウラが追える以上の速度で福音が飛行を続けているのだ。銀に包まれた弾丸が、みるみる内にラウラとの距離を縮めて来た。

 

 

(敵機接近まで、四千……三千……くそっ! 思ったよりも速い!)

 

 

元々五キロほどあった間合いはいつの間にか一キロを切っていた。

 

間合いを詰めてくる間も砲撃を続けているが、翼から打ち出されるエネルギー弾によって半数を撃ち落とし、残った砲撃は驚異的なスピードによる回避で避けながらラウラへと接近している。

 

 

「ちいっ!」

 

 

従来のシュヴァルツェア・レーゲンと違い、遠距離攻撃に大きく特化する反動として、機動力が無くなる。反面福音は機動力に特化しているが故に隙の多い砲撃仕様では相性が悪い……が、それは従来の装備であっても同じことが言える。

 

砲撃仕様ではなかったとしても、福音の機動力には到底敵わない。ラウラのみが使えるAICを持って臨んだとしても、莫大な集中力が必要となる。断トツの機動性を誇る福音にAICを当てることは困難であり、それだけの為に至近距離に近づくのはただの自殺行為になる。

 

三百メートルほどの距離まで近づいた福音は更に急加速で速度を上げ、ラウラへと右手を伸ばす。

 

この距離では逃げられない。

 

しかしラウラは掛かったなと言わんばかりにニヤリと口元を歪めた。

 

 

「今だ、セシリア!!」

 

 

伸ばしていた腕は突如、視界外からの強襲により弾かれる。

 

ラウラしか認識していなかった福音はブルー・ティアーズへと視線を移す。ライフルから連続して放たれるレーザーを大きく舞うようにかわしていく福音を、セシリアは追いかけていく。強襲用高機動パッケージ『ストライク・ガンナー』を装備しているセシリアは、時速五百キロを超える速度を可能とし、またその速度の下での反応を補うために超高感度ハイパーセンサーの《ブリリアント・クリアランス》を頭部に装着し、そこからの情報をもとに高速飛行を続けて射撃を行っている。

 

 

『敵機Bを認識。排除行動へと移る』

 

「かかった!」

 

 

セシリアの背後から姿を現したシャルロットの手には二丁のショットガンが握られていた。まだ福音はシャルロットの姿を認識出来ていない。一瞬の行動に福音の動きが硬直した。これを逃すほどシャルロットは甘くない。

 

トリガーを引き背後から二発、三発と弾丸の嵐を浴びせる。攻撃によりバランスを崩すが、それも一時的なものであり、すぐさまバランスを立て直して続く攻撃をかわしていくと、追いかけるシャルロットに向かって弾丸をばらまく。

 

が、一連の動きを読んでいたかのようにシャルロットの前にはシールドが張られる。

 

 

「おっと、これくらいじゃこの『ガーデン・カーテン』は落とせないよ!」

 

 

 

 

福音の攻撃を防ぎつつ、弾幕が止むと同時に再度攻撃態勢へと移行。アサルトライフルを片手に追いかけていく。加えて高速機動射撃を行うセシリアに、遠距離から砲撃を再開するラウラ。三方向からのあらゆる攻撃の前に、さすがの福音もじわりじわりとエネルギーを削られていく。

 

ただこの三人では決定力に欠ける。残りの箒と鈴は何処に待機しているのだろうか。

 

弾幕を浴び続けてしまったことで消耗が激しくなると判断した福音は、現状三人を相手に勝つことが非常に困難だと判断したのだろう。全方向にエネルギー弾を放ち、スラスターを開いて強行突破しようと試みる。

 

 

「させるかぁ!!」

 

 

この機会を待っていた。福音が複数人の前に消耗し、離脱しようとする瞬間を。水面が急に膨張し、爆ぜたと思ったら、中から出てきたのは真紅に包まれた紅椿と、背中に乗った甲龍だった。

 

 

「離脱する前に叩き落す!」

 

 

一直線に福音の下へ急降下する箒に対し、箒の背中から飛び降りた鈴が、両肩の四つの砲口を展開。通常二つの砲口が機能増幅パッケージである『崩山』により拡張されているのだ。エネルギーの充電を完了した砲口から一斉に衝撃砲が火を噴く。

 

衝撃砲は箒の背後から福音を捉える。このままでは箒にまで直撃してしまうが、これも作戦のうち。衝撃砲が着弾するまでの時間を計り、ギリギリのタイミングで肉薄していた福音から離脱する。目の前に障害物があれば、仮にハイパーセンサーを利用しようとも、背後の様子を把握することは出来ない。

 

紅椿が福音の死角となって視界を遮り、衝撃砲が直撃する寸前のところで離れれば、いかに福音が機動力に優れていたとしてもかわすことは困難だ。

 

更に四つの弾丸はいつものような不可視のものではなく、視界ではっきりと捉えられる赤い炎を纏ったもの。回避される可能性は上がるが、一発一発の威力は通常の衝撃砲よりも高い。箒はハイパーセンサーで背後の様子を確認出来る、だが福音は確認出来ない。

 

威力そのままに、福音めがけて一斉に弾丸の嵐が降り注ぐ。

 

直撃したことを証明するかのように、周囲には煙が広がった。

 

 

「やりましたの?」

 

「いや、まだだ!」

 

 

あれだけの攻撃を受けても機能停止には追い込めなかった。

 

既に翼を広げて攻撃態勢へと移行した福音は、エネルギー弾を拡散させて一斉広域射撃を始める。

 

近距離にいた箒は、攻撃から逃れるようにシャルロットの後ろへと避難し、体勢を立て直す。展開装甲の多用により起きたエネルギー切れを起こしてしまった失敗を踏まえ、今の紅椿は機能限定状態にある。

 

射撃を何とか防ぎ切ったシャルロットだが、その表情は苦いものだった。

 

 

「これはちょっときついね。後何回持つかな」

 

 

いくら防御特化のパッケージであっても、こうも連続して福音の攻撃を食らい続ければ、シールドにも限界が来る。既にシールドの一枚は完全に破壊されてしまい、残るシールドは一枚のみとなっていた。短時間で一枚のシールドが駄目になったと考えると、あまり悠長なことは言っていられない。

 

もう一枚まで破壊されたらそれこそ前回同様、作戦失敗の可能性が出てくる。

 

何としてもそれだけは防がなければならない。

 

 

「ラウラ、セシリア! お願い!」

 

「言われずとも!」

 

「おまかせください!」

 

 

一時後退するシャルロットの代わりに、ラウラとセシリアが交互に射撃を繰り返して福音の足止めを行っていく。

 

作戦はまだ、始まったばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま! ごめん、おそくなっ……て?」

 

「何でテメェみたいな汚ねぇガキがこんなところに居やがるんだ! さっさと死んじまえ!」

 

「このウジ虫が! 見てるだけで吐き気がする!」

 

 

仕事を終え、足早に朝の現場まで走ってきた千尋。だが少年の元へとたどり着く前に、彼女の表情は驚愕のものへと変わった。

 

群がるのは二人組の大人。服装からしてもこの貧困街の人間ではなく、多少裕福な身分にはなるらしい。その二人組はまだ幼少期の子供を、何度も何度も殴り蹴り、踏みつける行動を繰り返す。

 

何故二人がこんな行動をしているのかは分からないが、少なくとも大の大人がやるような行動でないのは明らかだった。

 

 

二人の行動にも表情一つ変えず、されるがままの少年。周囲には千尋以外の人通りはなく、事が起きている手前で引き返すか、回り道をしようとする人間ばかりで、助けようとする人間は一人としていなかった。

 

抵抗する気のない少年に対し、尚も攻撃する手を緩めない。どうみても虐待の度を過ぎた一方的な暴力であり、決して許される行為ではない。

 

 

「聞いたぜ! お前強化試験体の失敗作なんだってなぁ! 出来損ないの人間が、こんなところで生きていけると思うなよ!」

 

「俺らはお前みたいな子供を処分してるのさぁ! どうせ殺しても罪にはならねぇ! 全て軍が隠してくれる! それどころか危険因子の排除ということで報奨金までくれる始末だ! こんな割りの良い仕事、止められる訳ねぇよなぁ!」

 

 

二人の言葉から察するに、少年は作り出された存在らしい。

 

作り出された存在であるが故に、仮に彼を殺めてしまったところで大きな罪にはならない上に、そもそも罪にならず、挙げ句の果てには軍が殺した事実を揉み消して報奨金を出すとまで言っている。

 

彼らがどのような経緯で、何を目的に少年に手を掛けているのかは理解した。しかし、自分の目の前で行われている小さな命を弄ぶ行為が、千尋の目にどう映ったのかは彼女の行動を見れば一目瞭然だろう。

 

どんな理由であれ、命を奪って良い訳がない。

 

 

「オラァッ! これでも食らえっ!」

 

 

どこから取り出したのか、頑丈な鉄パイプを少年の脳天目掛けて振り下ろす。これでトドメだと言わんばかりの一撃を、少年は一切回避しようとしない。

 

先ほどと同じように生きる気力を一切失った虚ろな瞳、もう殺してくれと言わんばかりの眼差しを二人に向ける。これで自分は楽になれる。こんな地獄からようやく抜け出すことが出来る。

 

どこか期待染みた少年へ、鉄パイプは吸い込まれるように……。

 

 

「なっ!?」

 

 

当たらなかった。

 

少年に当たる前に、鉄パイプは宙で止まったまま微動だにしない。わざと止めたわけではないのに、振り下ろそうとする手が先に進まない。鉄パイプを握った手を掴まれ、そこから手を動かすことすらままならない。

 

その手を掴んでいるのが自分よりも遥かに華奢で、身長も小さな女性だというのに、何一つ動きを取ることが出来なかった。

 

 

「そこまでよ。貴方たちがしている行為は、許されるものではないわ」

 

「ぐっ……邪魔をするな!」

 

 

空いている方の左手で殴りかかってくる男をかわし、カウンター気味に、相手の顎へ掌底を食い込ませる。無駄のない動きに一切反応できなかった男は、そのまま吸い込まれるように顎で掌底を受けた。

 

自身の力と相手の力の相乗効果も極まって、威力は通常の倍近くに。力の弱い女性でも、大の男一人を沈めることくらいなら、難しくない力にはなっていた。

 

力無く地面に倒れ込む男だが、脳震盪を起こしているせいで全身に思うように力が入らない。腰付近を足で踏まれているため、力を込めることすらままならない。

 

 

「言ったばかりよね? 許されない行為だと。これ以上やると言うのなら、私も手加減はしない」

 

「ちいっ、このくそ(アマ)がぁ! 覚えとけよ!」

 

 

流石に己との力の差を把握したようで、負け惜しみを残して、倒れ込んだ男を引き摺りながら退散していく。

 

 

「はぁ、こっちもあんなのばかりなのね……っと! それどころじゃなかった! 大丈夫?」

 

 

退散していく男たちに背を向け、倒れている少年へと歩みよる千尋。顔には何度も殴られたような打撲痕に、半袖から覗く四肢には至る場所に内出血がある。

 

好きなように弄ばれて、殴られて、蹴られて、痛くないはずがない。痛いはずなのに全く感情を表そうとしない少年を見ていると、自然と千尋の胸はチクリと痛んだ。痛覚さえ失うほどの虐待を受け、幾度と無く人に裏切られ、貶され続けた少年を思えば思うほどに放っておくことが出来なかった。

 

少しでもこの子の力になってあげたい。せめてこの泥臭い場所から解放してあげることが出来れば……。

 

無意識の内に、千尋は少年の頬を撫でていた。こんな小さな体で、一体どれ程の苦悩を背負ってきたのかと。

 

 

「なんてなぁ! 後ろががら空きだぞくそ(アマ)っ!」

 

 

ノーマークだった背後から奇声にも似た声でナイフを振り上げる男の姿が。てっきり諦めて退いたとばかり思っていたが、思った以上に根深いらしい。

 

しつこいくらいが丁度良いなんて言われることもあるが、千尋にとってこれほど鬱陶しい相手はいないだろう。微動だにしないまま、背を向けて迫りくる一撃を待つ。

 

用があるのはこの少年だけであり、男に関しては邪魔物でしかない。散々人が話をしているところに水を指さし続ければ、千尋のフラストレーションは限界点を突破する。

 

幸いなことに周囲は誰も見ていない。

 

本来なら()()()()()を見られたくはないが、致し方無い。付け上がる輩にはそれ相応の処罰を科さねばならない。

 

すうっと目が細めると次の瞬間、甲高い金属音と共に千尋の体が反転する。

 

 

「へ……?」

 

 

近くにいた少年はもちろんのこと、男にも風圧が伝わり前髪が揺れた。何かが物凄い勢いで通りすぎることを把握すると同時に、自身が持っていたナイフの刃の部分は、根本からポッキリとへし折れている。

 

へし折られた切っ先はくるくると回転をしながら、近くの地面に突き刺さった。何かを取り出した素振りは無い、男に確認できたのは何かが通り過ぎたことと、黒いストッキングの先にある逆三角形の薄紫色の何か。何の衝撃も無しにナイフが折れるわけがない。

 

ナイフをへし折るぐらいの衝撃を当てつつも、男が握っている柄の部分は残し、刃の部分だけを綺麗にへし折る芸当など常人が出来るはずがない。常識を逸した現実に得体の知れない恐怖を感じ、腰から力がストンと抜ける。

 

どしんと地べたに腰をつきながら、アオリ気味に千尋の表情を見つめる。目の前にはタイトスカートがあり、視点を変えれば中身まではっきり見えることだろう。男性なら誰もが一度は夢見るであろうスカートの中、それに美人のスカートの中ときたものだ。

 

だがそんな羨ましい視点よりも、感じる恐怖の方が数倍上回っていた。ガクガクと体を震わせながら、後ろへ下がろうとするも思うように体が動いてくれない。否、立ち上がれない。

 

 

「あ……あ……!」

 

「いい加減にしろ。情けを掛けているのが分からないのか。私も気が長い方ではない。これ以上手を出そうとするのなら、そのふざけた右腕をへし折るっ!!」

 

 

普段は可愛らしい千尋の表情が一瞬にして、誰もが逃げ出すほどの憤怒の表情へと変わる。ビリビリと体全身を襲う殺気に思わず涙を流しそうになった。

 

 

「ひぃっ!? か、勘弁してくれっ! じょ、冗談じゃねえや!」

 

 

一睨みを利かせると瞬く間に逃げ去っていく。

 

タチが悪いからこそ本気で骨の一つでもへし折ってやろうかと思ったが、その前に逃げ去ったためにそれ以上追いかけるのをやめた。今は男を追いかけることが目的ではない。

 

 

「……あ、ごめんなさい。はしたないところを見せちゃったわね」

 

 

 

 

 

表情を戻し、少年の方へと向き直る。

 

手持ちのバッグから包帯と消毒液を取り出し、治療を始めた。傷が出来ている部分に脱脂綿を当てて、消毒液を垂らしていく。

 

治療する千尋に嫌がって抵抗するわけでもなく、痛みから顔を歪めるわけでもない。ただひたすら、自分の体を治療する姿を見つめていた。自分の体に何をしようとも関係ない。何度も人間に裏切られ、貶され、蔑まれ、ゴミのように扱われ、ホトホト人間には愛想が尽きたし、心を開いたところで良いことなんて一つもなかった。

 

どれだけ歩み寄ろうとも、最後は絶対に裏切られる。今も昔も、何一つ変わっちゃいない。

 

自分たちはこの世にいてはいけない存在なのだ。どうせならさっきのやつらにやられて死んでおけば、一番楽だったかもしれない。

 

周囲の誰もが足を止めようとせず、手を差し出そうともせず、一人孤独に生活していた少年にとって、進んで歩み寄ってくれた初めての人間。

 

分からない。一体この人間が何を考え、自分のことをどう利用しようとしているのか。

 

何一つ思考が読めない。

 

 

「実はね、さっきある手続きをしてきたの。私たちの耳にも、貴方があの実験の被害者だっていうのは聞かされているわ」

 

「……」

 

「今まで凄くひどい仕打ちを受けて来たと思う。人間なんか信じられないほどに。死んだ方がマシだって思ったことが何度もあると考えると、酷く心が痛む」

 

 

治療する千尋は顔を上げようとはしなかった。

 

淡々と手を動かし、擦りむいたところや切れているところ、打撲しているところに適切な治療を施していく。手馴れた手つきは医者になれるのではないかと思うほどだった。

 

 

「貴方に人間の全てを許せとは言わない。でも人間の中には貴方をきっと、大切に思ってくれる人間だっている」

 

「……」

 

 

治療を終えて千尋は顔を上げる。

 

その表情は今にも泣き出しそうだった。どうして赤の他人である千尋が、自身のことにこれだけ感情移入をしてくるのか。彼女の行為が少年にとって煩わしいわけではないし、気に障るわけでもない。

 

自分の怪我を治療され、挙句の果てには自身が受けて来た虐待紛いの行為にも同情されている。ここまで献身的に尽そうとしてくれた人間など一人もいなかった。

 

 

 

 

 

自分の味方になってくれる人間など一人もいないと思っていたのに、またこうして希望を与えられる。

 

彼女を本当に信じていいのか分からない、彼女だっていつ裏切るかも分からない。

 

 

 

 

 

ただこんな自分でも大切に思ってくれる人間がいるのなら……もしかしたらしがみ付いても良いのかもしれない。

 

生きることに絶望していた自分に伸ばしてくれた手を握ってもいいかもしれない。

 

僅かながら自分に希望を抱いてもいいかもしれない。

 

 

「少なくとも私は貴方を認める。だって貴方はこれから私たちの家族になるんだから」

 

 

しゃがみこんだままニコリとほほ笑み、少年の瞳をじっと見つめる千尋。

 

彼女が何を考え、どんな感情だったのかは当時子供だった『大和』には分かる術もない。

 

いきなりどうして彼女の家族に招き入れられたのかは知らないが、彼にとって彼女との出会いが運命のターニングポイントだったのは間違いないだろう。後に『大和』と名付けられる少年が本当に千尋に、全ての人間に心を開くのはまだまだずっと遠い未来の話になる。

 

こんな時どう反応すればいいのか。当時感情を失っていた少年には分からなかった。

 

 

「私と一緒に来てくれる?」

 

 

目の前に差し出される手。これを握ったら彼女に自分は同意し、共に行動していくことになる。

 

彼女に心を開いたわけではない、だがこのままいても自分はのたれ死ぬだけだ。つい最近胃に食べ物を入れたのは何日前になるだろうか。まともに水分も取れていないし、決して長い命じゃなかったのは間違いない。

 

これからまた地獄のような日々が自分を襲うかもしれない。

 

でも今まで散々辛い思いをしてきたのだ、もう少し辛い思いをして結論を出すのも遅くはないだろう。

 

何日もまともに栄養を取っていないか弱い腕だった。それでもこうして生きている。たった一人、遺伝子強化試験体として生まれたたった一人の人間だ。

 

 

 

最後に、もう一度、もう一度だけ。

 

彼女の話に乗ってみよう。

 

後悔するのはそれからでも遅くはない。

 

行きつく先が天国か地獄かなんて自分が決めるものではない。

 

自分が選んだ道が偶々天国か地獄かだったかの話だ。今まで選択肢も何も無く地獄に叩き落されていたことを考えれば、今回はキチンとした選択権が与えられている。

 

なんて優しい話だろうか。

 

 

「……」

 

 

差し出された手を虚ろな瞳のままじっと見つめる。見つめる少年の瞳に変化はない。相も変わらず無機質な表情だった。

 

おぼつかないながらもゆっくりと千尋の方へと手を差し出す。恐る恐る、疑心暗鬼のまま差し出される手を笑顔のまま、表情一つ変えずに待つ千尋。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――そして手が握られる瞬間。

 

千尋は周囲の目を気にせず、少年の体を力いっぱい抱き寄せるのだった。



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○目覚め

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

「箒、無事か!?」

 

 

既に満身創痍となった一行。

 

が、流石に五体一では福音も分が悪く、箒の一撃により翼を失い、海面へと落下。

 

先には鈴の健闘もあり、福音は既に両方の翼が刈り取られている。だがその鈴も福音の攻撃をまともに食らい、戦線離脱することとなった。

 

ギリギリの戦いではあったが、二つの翼を失って飛行を続けることは出来ない。

 

猛攻により乱れた呼吸をゆっくりと落ち着けていく。

 

 

「私は大丈夫だ。そんなことより福音は―――」

 

 

海面へ転落した福音はどうなったのか、このまま放置する訳にも行かず、回収しなければならない。だが、事態は一旦収束した。全員疲弊していることだし、ひとまず落ち着こう。

 

誰かがそう言おうとした瞬間、海面が強烈な光の珠によって吹き飛んだ。

 

 

「何だ!? 一体何が起こっていると……」

 

「まずい! これは『第二形態移行(セカンド・シフト)』だ!」

 

 

周囲のもの全てを飲み込まんばかりの大きな球状に蒸発した海は、まるでそこだけが別次元にあるかのような雰囲気を醸し出していた。

 

大きな渦と化した穴の中心に青い雷を纏った福音が自らを抱くようにうずくまっている。ただならぬ予感を感じたラウラが叫ぶと同時に、うずくまった福音が顔を上げた。

 

 

―――このままではやられる。

 

 

全員の声が一致する。

 

形勢を逆転させて一度は倒したかと思った福音が立ち上がっている。何の実力も分からないのに、一目見ただけで分かってしまうほどの存在感。

 

無機質なバイザーから表情こそ窺うことは出来ないが、大きな目でもあるかのようにこちらを見つめる姿からは明確なまでの敵意を感じとることが出来た。

 

退かなければ……そう思った時には既に遅かった。

 

 

『キアアアアアアア……!!』

 

 

耳をつんざく獣のような咆哮に全員が反射的に耳を塞ぐと同時に、ラウラへと飛びかかった。

 

 

「なっ!?」

 

 

一瞬の出来事だった。

 

周囲の空気が揺れたかと思えば、目にも止まらぬスピードでラウラへと接近。反射できないほどのスピードに反応一つ出来なかったラウラは福音に足を掴まれる。

 

そして切断されたはずの頭部からは、ゆっくりとエネルギーの翼が生えた。両翼は完全に切り飛ばしたはず、全員の苦労を嘲笑うかのように再度新しい翼を広げ空を羽ばたく。

 

 

「ラウラを離せぇ!」

 

 

一番近くにいたシャルロットがすぐさま武装を切り替え、近接ブレードを持って突撃を敢行するが、空いている方の手でこれを止められてしまう。

 

 

「よせシャルロット! こいつは―――」

 

 

最後まで言うこともなく、ラウラは巨大なエネルギーの翼に包まれた。振りほどこうにも力が強すぎて振りほどくことが出来ない。端から見れば、決して逃れることが出来ない処刑台のようにも見えた。

 

刹那、エネルギーの弾幕を零距離で食らい、全身をズタズタにされて墜ちるラウラの姿が。

 

 

「ラウラ! このっ、よくもっ!」

 

 

ラウラが墜とされた怒りから、素早くショットガンに切り替えて反撃を行おうとするも、それよりも先に福音の方が展開したショットガンを振り払い、シャルロットの体を吹き飛ばした。

 

あまりにも強大の力の前に、次々と倒れていく仲間たち。第二形態移行した後の福音の力に、全く成す術もなかった。現行のISよりスペックが高い機体であることは事実だが、ここまでの力は稼働データにもない。

 

どこかで情報が間違っていたのかどうかは知らないが、第二形態移行した機体とはいえ、あまりにも力の差が開きすぎていた。自分たちの専用機では到底太刀打ち出来ないほどに。

 

 

「な、何ですの!? この性能……軍用とはいえ、あまりにも異常すぎる……」

 

 

再度高機動による射撃を行おうと構えるセシリアの目前に、既に福音は迫っていた。瞬時加速で一気に間合いを詰めたことで、セシリアの準備が出来ていない。

 

遠距離射撃特化のセシリアにとって、機動力に優れる福音はまさに天敵。ブルー・ティアーズは速度こそ水準を上回っているものの、あくまで詰め寄られた際の回避手段として使われるため、近接向きの機体ではない。

 

万が一の近接戦闘にはショートブレードのインターセプターを搭載していたが、今回は積み合わせていない。作戦のために強襲用高機動パッケージを積み込んだことで拡張領域が埋まってしまい、インターセプターを外すしか方法がなかった。

 

故に今のセシリアに近接攻撃の手段は持ち合わせていない。仮に持ち合わせていたとしても、近接戦を苦手とする自分が機動力に優れる福音の攻撃に耐えられるかどうか怪しいところだ。

 

それでも接近された時に踏ん張れるよう、セシリアはセシリアなりに訓練を積んできた。自信の裏側には誰も真似できない相当な努力の汗がある。

 

しかしセシリアの努力を簡単に消し去るのが、今の福音だ。距離を取り、ライフルを構えようとするセシリアだが、まるで相手の動きを全て読んでいるかのように、ライフルに蹴りを入れて弾き飛ばす。

 

そして幾多もの光の雨を降らせた。

 

 

「あっ……」

 

 

セシリアもまた力無く、海面へと墜ちていく。何一つ慢心は無かった。成功させるためにいくつもの作戦を練り、この戦いに挑んだはずが、蓋を開けてみれば福音の攻撃の前に皆が皆、ひれ伏していく。

 

一方的な攻防に、鈴が、ラウラが、シャルロットが、セシリアが……倒れていく。

 

残ったのは箒ただ一人だった。

 

 

「くっ……おのれぇぇええええええ!!」

 

 

ここまで来て食い下がる訳には行かない。

 

約束したんだ。必ず作戦を成功させて戻ると。力に溺れ、慢心していた箒の姿は既にそこにはなく、真っ直ぐの瞳で福音だけを捉える、一人の勇敢な戦士の姿がそこにはあった。

 

両手に日本刀を装備し、速度に身を任せて銀の福音へと一撃を入れる。スラスターを展開し、最高速度のまま福音を追尾。夜空に舞う白と赤の二色の光は、演目を見せられているかのように綺麗なものだった。

 

エネルギー切れの心配をしている余裕はない。

 

自分で何としてもケリをつけて見せる。

 

 

「このぉっ!!」

 

 

無防備になった腹部を蹴り飛ばすと、福音は反動で大きく後ろに後ずさる。

 

攻撃に転じていた福音が退いた。仕留めるのなら今しかない。全エネルギーを使い、高速で間合いを詰める。スピードもパワーもほぼ互角、だったら後は気の抜けた方が負ける。

もう下は向かないって決めたのだ、今さら引き下がれる訳がない。

 

 

「うぉおおおおおおおお!!!」

 

 

壮絶なラッシュに、徐々に福音がガード固めに入る。

 

行ける!

 

箒は直感的に勝機を見出だした。後はこのまま追い詰めて、福音がエネルギー切れを起こせば終わりだ。手を緩めずに攻撃を加えていく。

 

絶対にこの戦い、負ける訳には行かない!

 

装備した日本刀を空高々と振り上げ、そして目標目掛けて振り下ろす。

 

これで仕留める。

 

信じて疑わなかった勝利の剣は。

 

 

「……なっ!?」

 

 

光の粒子となって消えた。

 

今回の作戦は無駄遣いをしてしまったエネルギーを極力抑え、いざという時に使えるように蓄えていた。福音の攻撃の前に全員が倒れ、箒が一人になった時に初めて残していたエネルギーを爆発させて戦ったが、それでも福音の強固な守り、攻撃の前に確実に削られていたのだ。

 

当然、戦っている最中にエネルギー残量を気にしている暇などない。だが箒が認識している以上に、紅椿のエネルギー残量は減らされていた。

 

 

(このタイミングでエネルギー切れだと!? そんなバカな!)

 

 

目の前のモニターに広がるのはエネルギーが残っていない状態を表す『0』の文字。

 

もう今の箒に、戦う術は一切残されていなかった。エネルギーが切れた機体は恐ろしく脆い。

 

実戦では致命的な状態に等しい。

 

 

「ぐぅっ!?」

 

 

攻撃手段を失った箒の首に福音は手を伸ばす。

 

エネルギーで出来た翼を大きく広げ、攻撃準備へと移行。その様子を見て、箒は自らの最後を悟った。

 

キリキリと締め上げられることで、体内の酸素がみるみる内に排出されていく。抵抗する力すら無くなり、ズルリと腕から力が抜ける。

 

 

(くっ……そ、私は、また何も出来ずに終わるのか……)

 

 

善戦したのかもしれないが、結果が全てを物語っている。

 

約束を守れなかった。

 

自分の手でケリをつけられなかった。

 

ただそれだけが悔しい。このまま終わりたくない、だがそうしている間にも目の前が暗くなっていく。

 

 

(すまない、二人とも。私は、もう―――)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……?」

 

 

不意に目の前に流れていた映像が消える。

 

消えるまでは十年前に千尋姉に助けてもらった時の映像が鮮明に映し出されていた。今とは違う自分の見た目に懐かしくも、恥ずかしい複雑な思いが交差して背中がむず痒くなる。

 

その映像が不意に消えた。

 

あぁ、そうだ。自分は敵の攻撃に倒れたというのに、何故過去の感傷に浸っているのか。過去のことを思い返している場合ではない。

 

しかしこれからどうするというのか。目が覚めない以上どうしようもないし、何より俺自身が生きているかどうかも分からない。あの攻撃で自身が死んでいれば、どう足掻いても戻ることは出来ない。

 

肝心な時に自分は無力だ。

 

 

『貴様にとって強さとは何だ?』

 

「!?」

 

 

どこかから聞こえてくる声に体が硬直する。

 

真っ暗な世界の中に俺はただ一人佇んでいる。辺りを見回したところで誰かの姿が見えるわけでもなく、ただひたすらその場に待機するしか無かった。

 

得体の知れない声の質問に答えれば事態が変わるかもしれない。このまま黙っていたところで何一つ解決しないし、俺は見えない姿に向かって答えを返した。

 

 

「決して折れることのない心を持ち合わせているかどうかだ!」

 

 

改めて声を大に叫ぶと恥ずかしさに苛まれる。

 

かつては俺も『強さ』の意味を単純な力や、自らの権力や地位を誇示するためのものに過ぎないと思っていた。でも実際は違う、力だけを求めたところで、その先に待っているのは虚しさだけ。

 

どれだけ力を求めても、明確な目標や目的の無い強さは、いずれ自らを絶望に叩き落とすことになる。

 

ラウラが、そして篠ノ之がそうだったように。

 

強さの意味を履き違えれば、取り返しの付かない過ちを起こしてしまう事だってある。一度犯した過ちを取り返すことは出来ない、だからこそその過ちを起こさないように心を鍛えた。

 

だが……。

 

 

『ほう? 言わんとしてることは分かるが、貴様は強大な力の前に屈したではないか』

 

 

そう、俺は防ぎようがない攻撃の前に成す術もなく屈した。

 

どれだけ心を鍛えようとも、結局は自分よりも力がある人間には勝てない。それを自分が体現してしまうとは何とも皮肉なもの。絶対に負けないと思って臨んだ戦いは、相手を追い詰めることはあれど、最終的には一瞬のスキを付かれて俺は負けることとなった。

 

どれだけ善戦しようが敗戦は敗戦。戦いにおいて、良き敗者となどという言葉は存在しない。勝つか負けるか、生きるか死ぬか。

 

そのどちらかでしか無い。

 

機体の特性を見誤った訳ではない、それに気を抜いたつもりもない。だが俺は奴の『あらゆる事象を切り裂く』という能力を把握することが出来なかった。

 

 

『守りたいものを守れず、お前はただ左眼を失っただけだ。何かを得ることが出来たとでも?』

 

 

幸い夢の中にいる俺は両目が見えているようだが、現実は既に左眼を失っている。もしかしたら何とかなるかもしれないといった淡い期待はとっくに捨てた。

 

自分の体は自分が一番分かる。

 

怪我をした時点ですぐに分かった。俺の左眼はもう二度と使い物にならないだろうと。

 

一瞬のうちに視界を覆う闇に、痛みすら感じることが出来ないほどの出血。目を見開こうにも神経が完全に切れてしまい、閉じたまぶたを開くことが出来なかった。

 

 

それにこの声の言うとおり、守らなければならない相手(一夏)に怪我を追わせ、ラウラや皆には大切なものを失った悲しみを与えてしまった。

 

自分自身の不甲斐なさに腹が立つ。

 

 

「確かにお前の言う通りだ。俺は何一つ守れず、同時に皆を悲しませてしまった……」

 

『それで、貴様はこれからどうする気だ?』

 

「……このまま終われるわけないだろ。必ず戻ってリベンジしてみせる」

 

 

願わくはこの身が果ててないことを願うばかり。

 

生きて生きて、何が何でも相手に……あの男にリベンジをしてみせる。次は絶対に負けない。これ以上誰かを悲しませてなるものか。

 

 

"大和くんが傷付くのだけは見たくない!"

 

 

初めて二人で出かけた時に盛大に泣かれてしまった記憶がよみがえる。あの涙を二度と忘れてはならないと心に刻んだのに、俺はこうして傷付き倒れた。

 

また彼女に泣かれてしまう。決して傷付いた姿を見せてなるものかと決めたというのに、早速決意を破ってしまった。

 

だからこそ、俺はこんなところでいつまでも倒れているわけにはいかないし、眠っている訳にもいかない。俺が眠っている間にも仲間たちは福音と、あの男と戦っていることだろう。俺だけがあの戦いから逃げるわけにはいかない。

 

故に……。

 

 

「力が欲しい……皆を守れるだけの力が!!」

 

 

立ち止まっている時間など無い。

 

俺には欲しい、皆を守れるだけの戦う為の力が。それ以上はもう何も望まない。

 

 

『くくく……ハハハッ! ここまで完膚なきまでに潰されて心を折られることも無く、なお力を欲するか! 強欲な人間め!』

 

「おあいにく様、筋金入りの負けず嫌いなんでね。やられっぱなしは性に合わないのさ!」

 

 

負けたことは事実、声が言うように完膚なきまでに、再起不能になるまでに俺は負けた。

 

が、一つの敗戦をいつまでも根に持って塞ぎこむほど、俺の心は弱くない。幼少期の思い出を振り返れば、今以上の仕打ちを受けて来たのだから、この程度の怪我など可愛いものだ。

 

このまま俺が立ち上がることが出来なければ、俺はアイツの中に負け犬として刻み込まれることだろう。やられたらやり返す、負けっぱなしは俺の性分に反する。

 

 

『……どんなことがあれど折れることの無い心、倒れても立ち上がろうとする不屈の精神。何かの為に、誰かの為に立ち上がるか。本当、貴様ら人間は面白い……!』

 

「……」

 

 

声の正体が何なのかは分からない。

 

だが、その声からは俺たち『人間』に対してどこか期待しているような、解答に対して満足している様相が伺える。

 

生い立ちは遺伝子強化試験体かもしれない。ただ身体能力こそ違えど、見た目も心も仕草も何もかも同じ人間であることに変わらない。

 

 

「な、なんだ!?」

 

 

―――刹那、周囲の暗闇が一瞬のうちに取り去られる。

 

取り去られた後に残ったのは白の空間に浮かぶ俺の姿、そして目の前に立つ人物は……。

 

 

「お、俺……?」

 

 

俺だった。

 

顔のパーツも含めて寸分の狂いもなく、鏡写しで写っているようにしか見えない。

 

ただ服装はIS学園の制服ではなく、黒のアンダーシャツに特殊な素材で出来たズボン。特殊合金が組み込まれた対IS仕様のブーツ。特注のベルトに差し込まれた数本のサーベルといった戦闘が考えられる仕事の時に俺が纏う服装だった。

 

夢の中であれば同じ人間が二人居たところで驚きはしない。しかし俺にはこれが普通の夢とは到底思えなかった。

 

 

仮に目の前の人物と俺とで違いがあるとすれば、大きく分けて二つある。

 

それは声質と仕草だ。

 

声を聞いている限りは年老いている老人のようであり、しゃがれた声が非常に特徴的だった。とはいえ、見た目からはとてもあの声を発していた人物と同じとは思えない。

 

そしてどちらかと言うと勝ち気な、自信ありげな瞳に口元。ニヤリと得意気に微笑むその姿は、俺とは正反対。策がはまったり、形勢逆転した時に勝ち誇った笑みを浮かべることならあるが、平常時からそんな表情をしてはいない。

 

 

『あぁそうだ。お前は俺で、俺はお前だ』

 

「ここは一体……?」

 

『さぁな、少なくともお前が知る必要の無い場所であることは確かだ。知ったところで、何かが変わるわけでもあるまい?』

 

「……」

 

 

どうにも癪に障る物言いだ。鏡に写った自分が問いかけているようで、地味に腹が立つ。普段から俺はこんな物言いをしていたのかと。

 

 

『こんなところでいつまでも油を売っている暇は無いんだろう? なら、さっさと戻ってやれ』

 

「戻る? 俺はまだ戦えるのか?」

 

『戦うかどうかはお前次第だ。何、放っておけば誰かが解決してくれるだろう。怪我をした奴が態々戦場に出る必要もあるまい』

 

 

 

……さっきから感じていた違和感がようやく分かった。この男は俺が怪我をした経緯を知っている。まるで近くで全てを見ていたと言わんばかりに。

 

大体あの場に居合わせたのは俺を除けば一夏を含む専用機持ちだけであって、他には人らしき人はいなかった。俺が怪我をしていることを知っていた時点ですぐに気付くべきだった。

 

返答に対して的確に答えてくる辺りとてもただの夢だとは思えないし、俺のことを身近で見ていた可能性は高い。だが、現実には側にいなかった。故に分からないことだらけで頭の中が混乱し、何一つ話を整理出来ない。

 

返ってくる言葉が容易に想像出来るが、再度確認する。

 

 

「一体お前は……?」

 

『言っただろう。お前は俺で、俺はお前だ。お前が思ったことや出会ったことは俺に共有される。逆に俺が持ちうる知恵や能力も何もかもお前に共有されるのも事実だがな』

 

「知恵や能力だと?」

 

『ふん、それくらい自分で考えろ……"人間"め』

 

 

案の定想像していた答えが返ってきた。

 

結局は目の前にいる人物は俺の分身であり、そのものであると。何でこんなことになっているのかは分からないが、もしかしたら無様に負けた俺に対して喝を入れに来てくれたのかもしれない。

 

負けるつもりで戦いに挑んだわけではない。作戦を無事完遂させる為のPDCAを練り、確率が最も高い方を実行した。イレギュラーが無ければ、結果はどうなるか分からなかっただろう。

 

だが、負けは負けだ。情けない以外の何物でもない。

 

 

一つだけ引っ掛かることがあるとすれば、最後に言った人間という単語について。

 

奴がその単語を口にするということは、かえって自身が人間ではない別の存在であると言っているようにも見える。いくら考えたところで本当の正体が分かるわけでもないし、これ以上変に考えるのはやめにしよう。

 

 

『良いか。お前にはこれから更なる試練が押し寄せることだろう。それこそ理不尽な試練がな』

 

「……」

 

 

 

 

『それに耐えられるか?』

 

 

理不尽な試練がどんなものなのかは分からない。でもこいつは多分全てを見透かしていることだろう。それにIS学園で三年間も過ごすのだから多少の試練などは既に心得ている。

 

それすらも凌駕する何かがこれから押し寄せる。それに耐えうるだけの忍耐力を、精神力を持ち合わせているか。

 

……持っている。そんなことでへし折れるような柔な精神力ではない。

 

 

「あぁ、もちろん」

 

『くくっ……口だけは達者だな。まぁいい。お前の行く末がどうなるか見ててやる』

 

 

満足そうに笑う様子を見ると、納得が行く答えだったらしい。

 

さて、いつまでもこの場にいるわけにはいかない。俺だけ戦いに参加しないわけにはいかないし、自分で蒔いた種は自分で刈り取る。

 

 

『じゃあな霧夜大和! 強欲な人間め!』

 

 

俺の視界は再び闇に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

次に目を覚ました時、周囲は暗いままだった。

 

いや、仄かにカーテンの隙間から朝日が覗いている。朝焼けだろうか、そもそも自身がどれだけ眠りについていたのか想像も付かない。単純計算で丸半日、意識不明の状態が続いていたとしたら何日経っていることだろう。

 

生きていた……と認識するのにそう時間は掛からなかった。あの傷でよく生きていたなと、思わず苦笑いが出てくる。俺自身がどのような状態にあったのか、実際のところほとんど覚えていない。

 

刀での防御を破られ致命傷に近いダメージを受けて、薄れる意識の中で刀を投げたのは覚えている。ぼやける視界でも俺を助けようとするラウラの後を追う男の姿を確認することが出来たからだ。

 

幸い、ラウラは無傷。安堵すると同時に、俺の意識は暗闇に落ちた。それ以降の出来事、撤退したんだろうが結果どうなっているのかは未だ不明。

 

 

「あ……」

 

 

何がなく首元を触ると金属紐の感触が。あの攻撃でどのレベルのダメージを負ったのかまでは分からないが、待機状態で俺の首に掛かっていた。俺だけの専用機、こいつにも迷惑を掛けてしまった。

 

 

「時間は……」

 

 

今何時なんだろう。

 

時間を確認したいが為に、動かせる範囲で首を動かす。幸いなことに見渡せる範囲に医療関係者はいない。周囲に見えるのは幾多もの医療器具と、自身とビニールパックを繋ぐホース。先端は左腕の接続部に強固に固定されていた。

 

ポタリポタリと滴り落ちる水滴を眺めながら、自身の状態を確認していく。

 

口元にはテレビなんかでよく見る呼吸器が取り付けられ、俺がどれだけ危険な状態にあったかが伺える。呼吸する分には何ら問題は無い。むしろ意識がしっかりしすぎて怖いくらいだ。幸いなことに固定器具で体が固定されている様子もない。

 

体にも朝のような気だるさはない。固いフローリングの上で寝れば、体にも疲れが残るのは当然。むしろ病院のベッドで寝たことで、朝の疲れが取れたことを考えればラッキーだったようにも思える。

 

 

「傷は……」

 

 

左肩から右腹部にかけて怪我をしたはず、傷口の部分は包帯に覆われているから迂闊に触ることは出来ない。あれだけの大怪我なのだから、傷を結合する為にも、包帯の巻き方も強固なものになっている。

 

なら、多少触ったところで痛みは伝わらないはず。自分で自分の傷口を触るのは気が引けるが、現状の確認のためだ。空いている方の右手を伸ばし、傷口付近に触れる。

 

 

「……?」

 

 

包帯がよほど強固なのだろうか、傷口を触っている感覚が無い。痛みもなければ、痒みもない。手先に伝わっている感覚としては、普段肌に触れているような感覚のみ。何故だろう、確かに怪我をしたはずなのに。

 

そうはいっても、包帯が巻かれているのだから普段と感覚が違うのは明らか。分厚い包帯の上からは傷があるかどうかなんて分からないもの。変に触る訳にも行かないし、思いの外傷が塞がっているのは分かったからこれ以上触る必要もない。

 

傷口が開いたら一大事だ。

 

 

話を戻そう。

 

結局どれだけ見渡しても、近くに時計は見当たらなかった。携帯電話も持ち込んでいないし、時間を確認することは不可能。窓を開けて外の様子を確認するしかない。

 

 

朝日が差し込んでいるとはいえ、部屋の中は暗いまま。暗闇で目を開けていたお陰か、徐々に目が慣れてくる。だが相変わらず視点のピントが合わない。何故かと考え込んで、すぐに結論は出た。

 

あぁ、そういえば俺左眼が使えないんだっけ。視力は何よりの情報源だったのに、その内の一つを失ったダメージは今後どう響くだろう。

 

慣れるのには相当時間が掛かりそうだ。今後の一夏の護衛任務にも、相当影響が出そう……。

 

 

「……」

 

 

おかしい。

 

何かがおかしい。大きな違和感を感じ、ふと自分の顔を触る。

 

俺の左眼はアイツの一撃で視力を失った。左眼付近を触ると、今まであったはずの髪の毛が全く無くなっている。

 

手術をする際に邪魔になるからと、切られたんだろう。顔の左側の前髪だけきれいに切り取られていた。自分なりに気を遣っていたつもりだが、人命を優先するともなれば髪の毛に気を遣っている余裕はない。

 

感じていた違和感は前髪が切られてしまったこと……ではなかった。

 

先ほどピントが合わないと言った。

 

何故、ピントが合わないのだろう。

 

結論は片眼が潰されているから。人間片眼を瞑ったり、視力の悪い人がコンタクトを片眼にしかつけなかった場合に遠近感が掴めず、気分が悪くなることがある。

 

片眼になってから間もない為、単純に慣れていない。ピントが合わない原因はそれだと思っていた。

 

 

―――だがそれは違った。

 

左眼が潰れてピントが合わないのではない。

 

 

 

 

 

 

 

なぜなら潰れているはずの左眼はハッキリと、()()()()()()()()()()()()からだ。

 

ついさっきまでは完全な暗闇だったというのに。完全に視力を失っていたのは当事者である俺が一番よく分かっている。端から見ても、俺の左眼が修復不可能レベルの怪我であったことは分かったはず。

 

どんな名医が手術を施しても、視神経が完全に分断された段階で神経を繋ぎ直すことは不可能。何をしても左眼が治ることは無かった。

 

 

 

だというのに、今は()()()()()()()()()()()()()()

 

潰れたはずの左眼で目視できる。

 

ピントが合わなかった理由は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()から。

 

正常な右眼に比べ、目視出来ないほどの細かいホコリの舞う動きまで、正確に把握することが出来る。空気の流れが、暗闇に漂う何もかもがハッキリと確認出来る。未だかつてこんなことは無かった。

 

一体何が起きて……。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「これ、は……」

 

 

潰れたはずの左眼が復活している。

 

人間的に有り得ない事象に、呆然とするしかなかった。



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我が名は

 

 

 

「ぐっ……くぅ……」

 

 

ぎりぎりと首を締め上げられ、苦しげな声だけが漏れる。福音の力が弱まることはなく、むしろどんどん増してきている。

 

幾人もの専用機持ちを沈めてきた『銀の鐘(シルバー・ベル)』が紅椿の全身を包み込む。

 

 

(これまでか……情けない)

 

 

光の翼が輝きを増していく。

 

一斉射撃の準備に入る福音を見ながらも、箒の頭の中は目の前の福音よりも全く別のことばかり考えていた。

 

 

一夏に会いたい。

 

すぐにでも会いたい、今会いたい。

 

ワガママだと思った。自分の感情のみで動いてなるものかと思っていたのに、最終的には自身の欲望ばかりが浮かんでくる。

 

怪我の療養の為に旅館にいる一夏が、こんなところに来るはずがない。意識も戻っていないというのに、どうやってここまで来るというのか。来ないはずの人間のことばかり考え、目の前の現実を見ようとしない。

 

やはり私は弱い人間だ……。

 

こんな時、霧夜が居たら何て声を掛けてきただろう。

 

分からない。

 

分からないけど、現実から目を逸らした行為について怒ることだろう。

 

現実から目を逸らすな、向き合って戦えと。

 

 

だがもう、戦う力は残されていない。先ほどがラストチャンスだったのに、そのチャンスにも神様は微笑んでくれなかった。負けてなるものかと挑んだ戦いだったのに、強大な力の前に屈する外無かった。

 

 

 

「いち……か」

 

 

知らず知らずの内に口から漏れる、愛しき人の名前。決して駆けつけてくれるはずの無い人を呟きながら、箒は来る攻撃に備えまぶたを閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 

何の前触れもなく束縛していた手が離れた。

 

一体何が起きたのか。

 

困惑している箒が目の目に飛び込んできたのは、強力な荷電粒子砲の狙撃を受けて吹き飛ぶ福音の姿だった。

 

どこの誰が……と戸惑いを隠せない。セシリアでも、鈴でも、シャルロットてもラウラでもない。では誰なのか、遠距離から射撃出来る武装を持ち合わせている機体など、皆の認識にはない。

 

では一体この攻撃は?

 

疑問をもつ箒の耳に届いてくるのは、彼女が想いを寄せてたまらない声だった。

 

 

「俺の仲間は、誰一人としてやらせねぇ!」

 

 

上空に響く声。

 

箒の、皆の視線の先には白く輝く機体がある。

 

 

「あっ……あっ……」

 

 

声が出てこない。

 

じわりと涙が浮かぶ視界の先に見えるのは、白式第二形態・雪羅を纏う一夏の姿だった。有り得ない、あの怪我でこれだけ早く復帰してくるなんて。

 

大和ほどではないにしても、幾多ものエネルギー弾を受け止めた一夏の背中はボロボロで、多少寝たくらいで回復するようなものには見えなかった。

 

その怪我をおしてでも来てくれた一夏に声を掛ける。

 

 

「一夏! 一夏なのだなっ!? 体は、傷は……!」

 

 

慌てて上手く言葉を伝えられない箒の元に飛んでいく。

 

 

「おう箒。待たせたな」

 

「よかっ……よかった、本当にっ!」

 

 

一夏が戻って来てくれた嬉しさから、ポロポロと涙を溢す。それはかなし涙でも悔し涙でもなく、紛れもない嬉し涙。そんな箒の表情を見ながら、一夏はクスリと笑う。

 

 

「なんだよ。泣いてるのか?」

 

「な、泣いてなどいない!」

 

 

ごしごしと、目元についた涙を拭う箒の頭を優しく撫でる。自身の行動で怪我をさせてしまったことを深く後悔し、様々な感情を内に秘めていたことだろう。

 

 

「悪い、心配かけたな。もう大丈夫だ」

 

「し、心配などするものか! お、遅いんだお前は!」

 

 

これが俗に言うツンデレというものなのか。どうも自身の気持ちに素直になれず、強がりを言ってしまう性格らしい。本心では心配していない訳がない、もう二度と目を覚まさないのではないかと、最悪の事態さえ考えたほどだ。

 

だがこうして戻って来てくれた。箒にとっては一つ嬉しい朗報だったことは間違いない。

 

今の箒はトレードマークのリボンをつけておらず、腰まで伸びる長い髪を下ろしている状態。リボンは先の福音戦の攻撃が原因で焼ききれてしまい、使い物にならなくなってしまった。

 

髪の毛を下ろした箒も良いなと思う一夏だったが、やはり箒といえばロングポニーテールだ。たまには結わない髪も新鮮だが、彼女にはポニーテールが最もよく似合う。

 

そういえば……とおもむろに一夏が箒の前に手を差し出す。その手には布状の何かが握られていた。

 

 

「そうだ箒、これやるよ。ちょうどよかったかもな」

 

「え?」

 

 

箒の手にそっと、持ってきていたものを手渡す。

 

 

「り、リボン?」

 

「おう。誕生日、おめでとうな」

 

「あっ……」

 

 

七月七日。

 

一般世間でいう七夕は、同時に箒の誕生日でもある。

 

女の子にとって、自らが生まれた日を気になる異性に覚えてもらっていることがどれだけ嬉しいことか。それは箒の反応を見れば一目瞭然。驚いた表情を見せながらも、頬は若干赤らんでいる。

 

手渡された手前受けとるしかないのだが、箒には拒否する理由もない。

 

 

「折角だから使ってくれ」

 

「あ、ああ……」

 

 

ちなみにこのリボンは、一夏一人で選んだものではないのはご愛敬。年頃の女性に何を渡せば良いのか分からない一夏を見かねて、シャルロットが色々とアドバイスをしてくれたそうな。

 

だがそれは一夏しか知らない秘密。この状況でシャルロットに選んでもらったなどと、空気を壊すような発言をすることは無かった。

 

それにいつまでも和気藹々と話している訳にもいかない。まだ敵は生きている。幸い、一夏に食らった攻撃で体勢を崩されたようだが、すぐに一夏を敵だと認識し再度襲ってくるはず。

 

 

「さて、俺は行くわ。まだ終わってないしな」

 

 

攻撃から体勢を立て直し、向かってきた福音へと急加速した。

 

 

「じゃあ、再戦といこうか!」

 

 

再び、互いのプライドがぶつかり合う戦いのゴングが鳴らされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――何の為に戦い、先に何を見出だすのか。

 

真剣に考えたことが何度あっただろう。自分の周りの人を、大切な人を守るために戦う。だが理由はそれくらいしか考えたことはない。

 

手を出さなくても周りが解決してくれるのであれば、態々しゃしゃり出る必要も無いのではないか。誰かの行動で皆が、大切な人たちが守られるのであれば結果良しではないか。

 

今ではそんな考え方さえ浮かんできてしまうこともある。自分が目立ちたいが為に先陣を切り、作戦を失敗するくらいであれば手を出す必要はない。

 

サボることばかりを考えた何とも言えない思考にはなるが、誰もが一度は考えたことがあるはずだ。自分がやらなくとも周りがやってくれる、解決してくれると。

 

 

では、どうしてそのように思ってしまうのか?

 

 

結論、楽が出来るからである。

 

自己犠牲をしてまでそこまでやる必要が果たしてあるのか。周囲に手伝ってくれる人がいたり、フォローしてくるケースであれば自分自身がやらなくとも解決してしまうことだってある。

 

 

「……」

 

 

でも、今の俺は果たしてそれを望んでいるのか。

 

―――否、違う。

 

 

自分で蒔いた種は自分で刈る、自分の敗戦は必ず倍返しにしてやり返す。守られていては意味がない、守られてるくらいであれば、専用機なんてもらう必要もないし、資格すらない。それにこんな仕事をすること自体が烏滸がましい。

 

この仕事『護衛業』を始めてから常に覚悟をして来た。

 

自身に力が、覚悟が無くなった時が、仕事から手を引くべきタイミングであると。

 

 

だが俺には絶対に譲れない信念と覚悟がある。高々一度の敗戦で心が折れるほど、柔な精神力ではない。この体が今まで通り動いてくれれば、まだまだ戦うことは出来る。

 

戦って必ず、リベンジをしてみせる。皆を守るため、己の信念を曲げない為にも。

 

俺は剣を取る。

 

 

 

 

病棟から抜け出し、幸いにも監視の目を無事にすり抜けて屋上までやって来た。

 

時間が時間ということもあり、通路を徘徊するのは定時に見回りをする看護師のみ。部屋にはどういうわけか、監視カメラが付いていなかったから人の目を盗んで逃げることは大して難しいことではなかった。

 

夜風が涼しい。

 

いや、夜というよりかはほぼ明け方といっても過言ではないだろう。夏を感じさせる早めの夜明けが、暗闇と相極まって不気味な雰囲気を醸し出している。近くに見える海は漆黒に包まれ、朝日による濃い青から真っ暗な闇へと変貌する。

 

手術で切られてしまった前髪の一部に違和感を覚えつつも、他に変わりがないことに対して安堵を覚える。大怪我をおってしまったが、どういうわけか痛みがない。腕の良い主治医に当たったのか、それとも純粋に俺の再生能力、回復能力が化け物並みに高いのか。

 

それは俺にも分からない。

 

だが、神様とやらは俺に最後のチャンスをくれた。神など信じもしなかった俺が、唯一感謝をしたことと言っても過言ではない。

 

再びこうして立ち上がらせてくれた。再起不能とも思えた怪我から復活させ、こうして俺は二足で地面を踏みしめている。生きていることの素晴らしさ、それを俺は再認識していた。

 

 

 

そして完全に潰されたと思っていた左眼。これも不思議と復活している。

 

が、以前のような左右対称の瞳ではなかった。

 

鏡で見る目はどこか恐怖すら覚えるほどに鋭く、真紅に染まる眼差しは、見るもの全てを凍りつかせるほどの異形さがある。IS登場以後適合性を上げるために人工的に移植されたラウラの越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)とは違い、これは完全なる自然に開眼したもの。

 

従来あったはずの俺の左眼は完全に潰れていることから、怪我をしたことで体内の細胞が変化し、新しい眼を作り出したと考えざるを得ない。生物学的に有り得ない事象であるために、俺自身も体に何が起きているのかが分からない。

 

あまり人前で左眼を見せるべきではないと判断し、今はラウラが使っていたものと全く同じ眼帯を装着している。もしかしたらラウラが気を利かせて渡すように伝えてくれたのかもしれない。流石に刀傷が入ったまま、外を出歩くのは見映えもよくないし、怖がられるかもしれない。

 

何よりその傷を、異形と化した左眼を見れば誰もが理由を聞くだろう。

 

今回の任務は完全な機密事項として取り上げられているのに、この傷を見せてしまったら、興味を持った生徒が専用機持ちから聞き出そうとするかもしれない。下手をすれば自身が遺伝子強化試験体であることまで洩れてれてしまう可能性だってある。

 

眼帯を装着してても同じことが言えるが、少なくともこの傷と眼を見られるよりかは遥かにマシだ。

 

 

しかしまぁ、ラウラは本当に自信を持って自慢出来る妹になったと思える。俺が怪我をした時、想像を絶する精神的なダメージを受けているはず。仮に今戦っているとすれば、辛い感情を全て押し殺し、堪えているのかもしれない。

 

ラウラのためにも、俺はまたあの戦場に戻らなければならない。

 

 

気がつけば首からかけているネックレスに手を掛けていた。これから先、手放すまで俺のパートナーとなる。念じるように、俺の思いをネックレスへと伝える。

 

 

「そういえばまだ名前も決めて無かったな……」

 

 

篠ノ之博士より手渡された専用機。篠ノ之が貰った紅椿とは違い、この機体には名前がなかった。俺に決めさせようとしたのかどうかは分からないが、いつまでも名が無いまま使うわけにもいかない。

 

何度も言うようにこの機体は俺だけのものであり、自身が手放すまではパートナーとなる。

 

 

「ごめんな、こんなご主人で。お前のことをアレとかソレとか呼ぶつもりは無かったんだが、名無しなんて嫌だよな」

 

 

コイツにピッタリの名前、それをこの短時間で思いつくのは中々難しい。俺にしか付けられない、最も合うような名前は何か。少し顎に手を当てて考える。

 

意外にも専用機の名前はすぐに浮かんでくれた。こんな立派な名前で本当に大丈夫なのかと、我ながら妙なネーミングセンスに苦笑いが出て来る。

 

正直、手負いの俺に何処まで出来るのかは分からない。それでも今戦っている皆を置き去りにして、自分だけが戦いから背を向けることは許されない。

 

福音を、あの男を。次こそは仕留めて見せる。

 

 

「力を貸してくれ……!」

 

 

大怪我した人間が病院から逃げ出したら、皆どんな反応をするだろう。少なくともロクな反応は無いはず。怪我をした人間が許可も無しに外に出れば、大目玉を食らって最悪千冬さんに半殺しにされるかもしれない。

 

弱り目に祟り目。これほどこの単語が適切なケースはない。何も終わっていないのに今後のことばかりを考えると、むしろこのまま寝ていた方が良かったんじゃないかという気持ちばかりが先行する。

 

……なんて、俺が求めているのはそんな日常だった。皆で馬鹿やって、皆で怒られて、皆で笑えればいい。平々凡々な毎日を送れれば、俺は何一つ不自由しない。

 

もう十分だ、それだけで十分。これ以上は何一つ望みはしない。

 

ならさっさと事を片付けて、皆の元へ戻ろう。その為にも、まずは目の前の敵を片付けなければならない。

 

 

 

目を閉じ、心の底で新しい名前を念じる。

 

するとほのかにネックレスが発光し、幾多もの光の粒子が俺の周囲を包み込むのが分かる。

 

 

『若造が、生意気にも純粋な力を求めるとはな』

 

「ふん、良いだろこれくらい。お前にとっては造作もない力のはずだ」

 

『くくっ、そう来るか! 力だけを追い求めた人間は強大過ぎる力を飲み込まれる。貴様の謳い文句ではなかったか?』

 

「あぁ、そういえばそんなことも言ったっけな」

 

 

再度俺の頭の中に入ってくる声。

 

それは夢の中で一番最初に聞こえてきた声と全く同じモノだった。挑発的な物言いも、今では子守唄のようにしか聞こえない。コイツの言うこと全てを受け入れることが出来る。

 

コイツの言うとおり、力だけを求めれば俺の信念そのものを否定することになる。あれだけ純粋な力を否定し、嫌ってきた俺が、今まさにその力に手を付けようとしている。

 

いや、俺が欲しいのは純粋な力ではない。

 

俺が欲しいのは誰にも負けない、皆を守るための力だ。

 

 

「皆を守るための力が欲しい。皆を、大切な人を守れるのなら悪魔にでも身売りしてやるさ!」

 

『面白いっ。なら好きに使うが良いこの力を! 見せてみよ汝の覚悟を!』

 

 

力が奥底から沸き上がってくる感じがした。

 

満身創痍とも言える俺にも、まだ戦う力が残っていた。

 

不思議と何でもやれる、誰にでも勝てるといった根拠の無い自信ばかりが沸き上がってくる。このISが力を貸してくれているのかもしれない。

 

試運転をした時とは違った感覚。いつも以上に体が軽やかに感じた。俺の思いに呼応するかのように、光輝く粒子はやがて渦となり、俺の周囲をぐるぐると渦巻き始める。

 

 

『良いか。貴様のやることはもう決まっている』

 

 

何をやれば良いかなんて分かっている。こいつに言われなくとも、俺の目的はただ一つ。

 

 

『前だけを見ろ、後ろを振り返るな。立ち止まればそこで全てが終わるぞ』

 

 

全てが終わるまで立ち止まるわけにはいかない。知らないところで戦っている皆の元へ、なるべく早く駆けつけることが最優先。

 

 

他のことは考えるな、失敗したときのことを考えるな。

 

負けることを考えるな、勝つことだけを考えろ。

 

情けを掛けるな、手加減は無用だ。

 

怪我をしたから何だ。小さな言い訳で負けるような柔な鍛え方はしていない。

 

絶対に切り伏せる。あの醜い不愉快な笑みを、必ず絶望の淵へと追いやって見せる。

 

俺に喧嘩を売ったこと、二度と歯向かえないように後悔させてやる。

 

呪文を復唱するかのように何度も何度も自分自身に言い聞かせる。大丈夫、俺に出来ないことはない。

 

ネックレスを握る力を一層強める。

 

 

『時の流れに逆らうな。力に身を任せ、貴様は刀を振るい続けろ!』

 

 

 

俺の目覚めを信じて待ってくれてる皆のためにも。

 

知らないところで怪我をし、悲しませてしまった彼女のためにも。

 

遠くで俺のことを見守ってくれている、弱虫で大切な先輩のためにも。

 

俺に"人"としての生き方を教え続けてくれた家族のためにも。

 

 

この(賭け)、絶対に……絶対に負ける訳にはいかない!

 

 

俺に力を貸せ!

 

 

 

 

 

 

『叫べ! 我が名は―――』

 

 

どんなことがあろうとも、決して折れることの無い強靭な精神力。

 

朽ちることの無い闘争心。

 

何度負けても甦る不屈の翼。

 

閉じた眼をカッと見開き、俺はその名を―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来い! 不死鳥(フェニックス)!!!」

 

 

初めて叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおおおおおおおっ!!」

 

 

左手にシールド、雪羅を展開して福音に突っ込んでいく。シャルロットのガーデンカーテンとは違い、強力な攻撃さえも全て無効化してしまうといった、零落白夜のシールドバージョンになる。

 

当然、エネルギー消耗は通常のシールドとは比べ物にならないほど多いが、相手の攻撃を完全に防ぎ切ることが出来ると考えれば効果は絶大。エネルギーが続く限りは、攻撃を完封出来ることになる。福音の翼から発せられるいくつもの光弾は、一夏の展開するシールドの前にあえなく弾き返された。

 

福音には実弾兵器が搭載されておらず、シールドを張っている間は攻撃を通せない。これで一夏と福音の形勢は完全に逆転した。

 

二次移行(セカンド・シフト)した白式は四機のウイングスラスターが装備されたことで、機動力を大幅に向上させている。また以前使っていた瞬時加速(イグニッション・ブースト)ではなく、二段階瞬時加速(ダブル・イグニッション)を可能としている。

 

福音とはいえ人間が搭乗しているのだから、関節がありえない方向へ曲がる動きは出来ない。無人機とは違い、可動範囲にも限界がある。それに最高速での細かい動きをすることは出来ないため、今の白式なら十分福音の動きについていくことは出来る。

 

 

「うらぁっ!」

 

 

懐に飛び込むと同時に蹴りを叩き込む。

 

福音の動きが鈍くなる。いや、鈍くなったのではなく白式が福音の動きについていっているのだ。機動力の向上により、福音の動きに対応し、厄介な光の雨には無効化出来るシールドがある。徐々に、福音が追い詰められているのは明白だった。

 

距離を取る福音、更に追い詰めようとする一夏だが、福音の動きを見て足を止める。

 

 

「っ!?」

 

 

翼を大きく広げたかと思うと、光弾を発射するのではなく、自身に翼を巻きつけ、球状の繭のような姿へと変化。見たこともない形態に、一夏の脳裏に一抹の不安が過る。

 

だが考える暇を与えるほど、現実は甘くない。

 

丸めた翼を再度広げると、全方向に対して嵐のようなエネルギーの雨を降らす。一個人ではなく、周囲を巻き込んだ広範囲攻撃に一夏の視線は、ダメージから回復してないセシリアや鈴の方へと向く。

 

無差別に狙った攻撃は自分だけではなく、周囲の人間全員を巻き込むことになる。

 

このままではマズい。

 

本能が悟り、慌てて皆の方向へと駆け出そうとする。

 

が……。

 

 

「なーにチンタラやってるのよ! あたしたちは仮にも代表候補生なのよ? 人の心配している暇があるなら、さっさとケリをつけなさいよ!!」

 

 

鈴からの叱咤激励に、駆け出そうとした足をピタリと止める。言葉の意味を把握したからだ、自分は何のためにここに来たのかと。

 

鈴の言うように、今は福音の無力化が最優先。本当に危ない状況であれば、声を掛ける暇すらないだろう。彼女の声に覇気があることを考えると、これくらいなら自分たちで対処出来る。だからお前は福音のことだけを考えろと、自分たちに無駄な心配を掛けさせたく無かった。

 

逆に福音の暴走を止められるのは、もう一夏しか居ないという事実にもなる。

 

 

「……分かった!」

 

 

とはいえ、一夏にはもう仲間を信じるほか無い。

 

これでまた鈴たちを気にかけていたら、前回の二の舞いになって何の成果も残せないまま、撤退する可能性も出てくる。自分たちは大丈夫だと言ってくれたのだから、とことん信じ切るのが筋。頭の片隅に鈴たちの無事を願いつつ、再び右手の雪片と左手の雪羅に零落白夜の光刃を作り出し、福音へと向かっていった。

 

福音に立ち向かう一夏の様子を遠巻きに見つめる箒。手渡されたリボンをギュッと握り締めながら後ろ姿を見つめる。

 

姫を守る騎士のように颯爽と現れ、危機から自分を救い出してくれた。嬉しさを遥かに飛び越え、心が熱を持って躍動し、心拍数がみるみる内に増えていく。

 

自身の前に割って入った一夏の後ろ姿を見て思った。

 

あぁ、いつの間にこれほど成長したのかと。剣道を始めた頃はほぼ同じぐらいの背丈、もしくは自分が高いくらいだったのに、今では十センチ以上、一夏のほうが高い。想像以上に大きく、逞しい肩幅。

 

一夏なら福音を止められるかもしれない。そう思うと同時に、何よりも強く願った。一夏と共に戦い、彼の背中を守っていきたいと。

 

強く、強く願った。

 

そして箒の想いと呼応するかのように、専用機『紅椿』の展開装甲から、赤い光に混じって黄金の粒子が溢れ出す。

 

 

「こ、これは……?」

 

 

ハイパーセンサー越しに伝わってくる情報で、機体のエネルギーが急激に回復していくのが分かる。完全に底を尽きかけていたエネルギーがどうして……。

 

 

(一体どうして?)

 

 

理由は定かではない。

 

ありえる可能性としては、箒の戦いたいという気持ちに、真の『強さ』を明確に理解したことに、紅椿の眠っていた性能が呼応したか。

 

モニターに映されるのは『絢爛舞踏』の四文字。

 

展開装甲とのエネルギー構築が完了し、紅椿が持ちうる唯一無二の能力、ワンオフ・アビリディーの文字が書き出されていた。

 

でもこれなら、まだ戦える。

 

また一夏の力になれる。

 

一夏から貰ったリボンで再度髪の毛を結い直し、福音へと照準を合わせる。

 

闇夜を切り裂くかのように、一夏の元へと駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あれは一体!?」

 

「わ、分かんないけど。箒のエネルギーが!」

 

 

ダメージからの回復を待つ、セシリアや鈴、シャルロットとラウラも紅椿の異変に驚きを隠せないでいた。それもそのはず、エネルギーの尽きた機体が、何の変化もなく全快するなどISの根底を覆しているからだ。

 

全世界に一つしか無い第四世代の機体とはいえ、今までのISの常識とは掛け離れている。もはやISの理論では証明できないほどに。

 

 

「そんなことがあり得るのか……紅椿、あの機体は一体?」

 

 

普段、あまり驚きの表情を見せることが無いラウラも今回ばかりは驚きを隠せないでいた。

 

見たこともなければ考えたこともない。それほど、紅椿という機体はISの常識を覆している。もし何もしなくてもエネルギーが全快するのであれば、現存のISでは到底太刀打ちが出来ない。下手をすればこの四人で飛び掛かっても、難なく跳ね返せるだけの力を持ち合わせていることだろう。

 

このまま行けば、後は二人が片付けてくれるのを待つだけか。表情には出さないが、どこか安堵した様子の四人。キツい作戦だったがようやく終わりが見えてきた。

 

しかし四人は肝心な事を忘れている。

 

否、四人だけではなく、福音と戦っている一夏と箒も忘れていることがある。目の前のことばかりに夢中で、忘れてはならない相手が一人残っている事を。

 

大和を負傷させた、狂気の人物が一人残っているということに。

 

 

 

 

 

 

 

『敵機接近中。厳重警戒を!』

 

「「!?」」

 

 

周囲一帯、それも全員の機体に鳴り響く機械音声。敵の出現を知らせるアラートにたるみかけていた空気が、一瞬にして凍り付く。

 

福音は一夏と箒と戦っているはず。

 

他に敵が居るはずが無い。仮に居たとしたらこんな満身創痍の状態でどう戦うというのか。

 

まともに戦える人物は四人の中に一人とて居ない。ギリギリシャルロットが防御用のガーデンカーテンを展開出来るくらいで、攻撃要員としては利用するのは厳しい。

 

ラウラのレールカノンも、鈴の衝撃砲も福音の攻撃により破壊され、セシリアはそもそも福音のダメージから回復しきっておらず、満足に移動すらままならない状況。

 

 

一体誰が……一瞬考えたところで、全員の思考が一致する。

 

一人だけ、自分たちに敵意を向ける可能性がある人物が居ることを。

 

『霧夜大和を潰す』といった当初の目的は既に達成しているが、その後に言われた言葉をシャルロットもラウラも、忘れてしまっていた。

 

"次に会った時はお前たち全員、地獄へ送り届けてやる!"

 

 

目の前の福音にこれほど苦戦をすれば、頭の片隅に追いやられてしまうのも無理はない。

 

大和に再起不能の怪我を負わせた元凶。レーダーを頼りに敵機の現在地を検索する。このままでは到底立ち向かえるだけの戦力はない。自分たちだけでも引くべきか。そうこう考えている時間は……。

 

 

「ハッハァッ! 見付けたぜぇぇえええええええええええええ!!!」

 

 

無い。

 

場の雰囲気を一変させる、不愉快極まりない笑い声。

 

思わず耳を塞ぎたくなるほどの声に、現実から目を逸らしたくなる。ハイパーセンサーを確認した時、既に敵機との距離は。

 

 

「ぐぁっ!?」

 

 

ゼロだった。

 

相手の斬撃がラウラをピンポイントで捉え、衝撃で吹き飛ばされる。

 

現装備でラウラに近接向きの攻撃手段はないが、実力だけで判断するのなら、この中ではシャルロットと双璧をなす程の実力者になる。

 

まず実力者を消し、それに劣る人間を後に回す。合法的な倒し方ではあるが、タチが悪い。攻撃に一切の手加減は無く、攻撃を受けたラウラの表情は苦悶に歪む。

 

 

「ラウラ! このっ……」

 

「お前は邪魔なんだよっ!!」

 

「くっ!」

 

 

側に居たシャルロットを蹴飛ばし、吹き飛ばされたラウラの後を追い掛ける。

 

ダメージが想像以上に大きく、ラウラは体勢を崩したまま立ち直れない。武装もままならない今のラウラは丸裸同然であり、このまま攻撃を受け続けるのは生命にも関わってくる。頭は何とかしようと思うのに、体が言うことを聞かない。

 

ラウラだけではない。場に居る全員は既にボロボロ、まともな攻撃手段は残っていない。攻撃を堪えきれればまだしも、この男、プライドの特殊な攻撃は全員の脳裏から離れなかった。

 

一振りでシールドどころか絶対防御までをも貫通し、相手の肉体を直接切り裂ける並外れた攻撃。あれが来たら防ぎようが無い。せめて来ないことを願うばかりだが、温情をかけるほど優しくはない。

 

相手をいたぶり、傷つく様子を見て喜ぶような人間だ。正常な思考の持ち主とは到底思えない。

 

 

「お前アイツの妹なんだってなぁ! 妹がいたぶられる姿を見て、アイツはどう思うかなぁ⁉ あぁ!?」

 

「ぐっ、がはっ!?」

 

「ラウラ!」

 

「ラウラさん!」

 

 

ラッシュの連続の前に防御もままならず、されるがまま攻撃を受けるラウラ。普段のラウラならAICで相手の攻撃を止めることも容易だったはず。が、福音との戦いで武装を破壊され、精神的にも肉体的にもダメージを受けてしまっているせいで、ラウラの集中力は切れ掛かってる。

 

相手を束縛するのに膨大な集中力を必要とする。機動性と一撃の攻撃力に優れるプライドの機体はラウラにとって最悪の相性。集中する暇も与えられなければ、集中力があったとしても高速移動でかわされてしまう可能性の方が高い。

 

どちらにしても八方塞がり。

 

今のラウラに、四人にプライドを止める術は皆無だった。

 

一方的にいたぶられる姿に握りこぶしを作りながら悔しさを露わにするセシリア、鈴、シャルロットの三人だが、思うように体が動いてくれない。

 

プライドはワザとこのタイミングを狙っていた、全員が疲弊し、一網打尽に出来るタイミングを。一夏と箒が福音に掛かりきりの今、プライドに敵はない。通常時であっても代表候補生クラスを軽く捻る実力は十分に持ち合わせている。

 

止められる可能性がある人間が居るとすれば、治療中の大和くらいであり、その大和も意識が戻らないままだ。もし戻って来れたとしても、あれだけの怪我を抱えて戦えるはずがない。結局誰が来ても結論は変わらない。

 

そうこうしている間にも次々と攻撃を加えられ、ラウラの体は徐々に疲弊していく。いくら常人に比べて打たれ強いとはいえ、限界がある。実力者の攻撃をノーガードで受け続けられるほど、人間の体は頑丈に出来ていない。

 

 

「オラオラオラァッ! 抵抗の一つもしてみろよ妹さんよぉ!」

 

「うっ……くそっ」

 

 

抵抗が出来るのならとっくにしている。

 

出来ないということは既にラウラに、自身を守るだけの力が残されていない。プライドもそれは知っていることであり、確信犯として尋ねているだけだ。ラウラを追い詰めていくにつれて、プライドの笑みは一層不気味なものへと変わっていく。

 

 

「ウラァッ!」

 

「ガァッ!?」

 

 

首を掴み、力を込めて締め付ける。苦しそうに藻掻くラウラだが、その手から逃げ出す手段は無い。

 

 

「ラウラ! その手を放せぇ!」

 

「んはっ! そんなこと俺が知ったことか! ここからは俺の一方的な暴力の前に、お前らはひれ伏すだけの時間だ。コイツが終わったら順番に葬りさってやるから覚悟しておけ!」

 

 

言葉だけは強く言えるが、既に立ち上がる元気はシャルロットにも残されていない。

 

 

「あ、アンタ……何があってこんなことするのよ!?」

 

「そ、そうですわ。ラウラさんが貴方に何をしたと……」

 

「ハァ? 何言ってんだお前ら。お前らは虫けら一匹殺すのに、いちいち罪悪感を感じるのか?」

 

 

ラウラを、人を虫けらと表する非情さ、残忍さ。

 

到底同じ人間とは思えないレベルでかけ離れた残虐性に一同は凍り付く。この男にとって人間を傷付けるのは、虫を殺すことと同じであり、それ以上でもそれ以下でもない。

 

思考が、一般人のそれとは全く違う。自分たちが何を言ったところで、拳を振るう手を止めることは無いだろう。

 

 

「くっ、ラウラぁ!」

 

「ハハッ! 何を言おうがもう無駄だ。安心しろ妹さんよ。すぐにお前の兄の後を追わせてやるからさぁ!!」

 

 

刀を握った手に力が篭もる。

 

……来る。

 

ラウラにも分かった、あの攻撃が来ると。

 

悔しい、私もこの男の前に成す術なく負けるというのか。兄の敵を討つと言っていたのに福音の前に体力を削られ、プライドが出て来た時には何一つ抵抗出来なかった。

 

今頃大和はどうしているのだろうか。あれだけの大怪我だろうし、未だベッドで眠りに付いていることだろう。

 

もしかしたら、大和が目を覚ましたとしても自分は目の前にいれないかもしれない。願わくばもう一度、元気な兄の、大和の姿を見たい。

 

 

ーーー会いたい。

 

ーーー話したい。

 

ーーー無性に、会いたい。

 

ーーーまた一緒に学校に行って、まだ知らぬ世界を見てみたい。

 

 

ラウラの小さな願いはもう叶わないかもしれない。目を閉じて来たる攻撃へと備える。

 

 

(ここまで……か。ごめんお兄ちゃん、私はもう……)

 

 

振り上げた刀を、断頭台の刃が落とされたように振り下ろす。見たくない惨状に、全員が目を逸らす。

 

そして覚悟を決め、全身に力を入れるラウラの元に。

 

一輪の風が吹き荒れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……?」

 

 

おかしい、いつまで経っても攻撃が来ない。

 

もう自分の命は絶たれたのだろうか。その割には普段と感覚が変わらない。

 

 

「て、テメェは!?」

 

 

驚く声が聞こえる。

 

この声は恐らくプライドのものだろう、一体何を驚いて……。

 

 

「よう」

 

 

ふと、プライドの声とは違った別の声が聞こえる。目の前から聞こえる声に、何処か聞き覚えがあった。

 

でもあり得るわけがない。だって今は病院で意識不明のままだと言っていたはず。居ないはずの人間の声が聞こえてくるとは、自分自身が相当疲れているのかもしれない。

 

何よりも頼もしい覇気のある声、そして恐る恐る目を開けたラウラの視線の先に飛び込んできたのは、大きな背中。場に居るだけで伝わってくる圧倒的な存在感は、コイツが居るだけで何とかしてくれると、無意識に思わせてしまうほど。

 

ラウラの前に割って入る漆黒の翼を纏う騎士。プライドの手を握ったまま頑として放さず、攻撃からラウラを守ろうとする。力を込めているのに微動だにしない、一体手負いのコイツの何処にそんな力があるのかと、驚きと焦りを隠せなかった。

 

 

「あっ……ああっ……」

 

 

ラウラが見間違える訳がない。自身を深い闇の中から救ってくれた存在を。彼の生き方を手本にし、少しでも彼のようになりたいと思えるほどの人物。

 

彼女を救った救世主(メシア)

 

その名は……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺の妹に何しやがるこの野郎」

 

 

霧夜大和、その人だった。



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新たなる力

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺の妹に何しやがるこの野郎」

 

 

刀を握る手首を握りしめて、睨みを利かせる。

 

ラウラに攻撃が触れるギリギリのタイミングで間に割って入り、振りかぶる手を掴んで攻撃を止める。あと少し、ワンテンポ遅れたら同じ惨状を招いていたかもしれない。間一髪防ぎきれたことを確認し、心のどこかで安堵する。

 

病み上がりとはいえ体が上手く動いてくれて良かった。それより何より間に合って良かった。それに尽きる。

 

 

「な、何でテメェがここに!? あの怪我からそんなすぐに立ち直れる訳が……!」

 

「さぁ、何でだろう……な!」

 

「うぉっ!?」

 

 

言葉を言い終える前に相手の胸ぐらを掴み、遠心力を利用して明後日の方向へと投げ飛ばす。制御が利かないまま、遠くへと吹き飛ばされる姿を見つつも、背後の様子を伺った。

 

ラウラの顔に出来ている幾つもの殴打痕もあれば、痛々しい内出血まで確認できる。度重なる殴打により頬は腫れ上がり、いつもの可愛らしいラウラの表情は無い。どれだけ無抵抗の状態で殴られ続けたのだろう。ラウラのISを見てみると、普段のシュヴァルツェア・レーゲンとは装甲が違った。

 

予備パーツに遠距離射撃特化の砲撃装備があったはず、見慣れない装備だとは思ったが、これがその装備なのか。だとすると従来の機動力は失われている。

 

故に小回りが効かない。小回りが効かないということは機動力に優れる相手には最悪の相性となる。見る限り、男の機体は一撃必殺の単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)に、水準以上の機動力を兼ね備えていた。

 

今のラウラのIS装甲だけで相手をするには、あまりにも相性が悪い。

 

誰がどう見てもラウラの劣勢は明らか。相性だけではなく、福音との戦いで大きく消耗していたはず。

 

こいつはそれを知っていながら……。

 

 

「お、お兄ちゃん? ホントにお兄ちゃんなのか?」

 

 

ラウラが疑い深く、俺の顔を覗き込もうとする。俺の顔を被った偽物じゃないか、まるで化け物でも見ているような表情だ。

 

信じられないといった感情が物語っているように、誰が見ても再起不能レベルの怪我を負った人間が、僅か数時間で復活出来るはずがない。

 

誰が見ても一生を棒に振るような重傷だったのは明らか、だというのにどうしてこの男はここに立っている? そんな様々な感情が入り乱れているように見えた。

 

俺にも何で立てているのかは分からない。気付いたら目が覚めて、いつの間にかISを展開して皆の場に駆け付けていた。

 

 

 

 

 

 

戦うために。

 

護るべきモノのために。

 

 

「おいおい、俺が別人に見えるか? お前の兄の霧夜大和で間違いないだろ?」

 

「ホントに……本当か?」

 

「ホントに本当だ」

 

 

俺の元に近寄り、顔を体をペタペタと確かめるように何度も何度も触っていく。興味を持った子供が触っているみたいで妙にこっ恥ずかしい。ラウラの見た目はもちろんのこと、変に似合いすぎているせいで、不自然が不自然に感じられなかった。

 

体全身をほぼ触り切った後、再びラウラは顔を上げる。全身触りきったことでようやく、目の前に居る人物が霧夜大和本人であることを認識した。

 

 

「うっ……うぅ……!」

 

 

俺であるということを認識した途端、ラウラの表情が崩れる。今にも子供が泣き出しそうな、むしろどうあやしても泣きそうな表情。

 

泣きたい気持ちはよく分かる。

 

だがまだ泣く時じゃない。戦い自体が終わってないのだから、今泣かれると俺も困るし、皆も困る。戦いが終わった後まで、その涙は残しておいて欲しい。

 

気が付けば俺の右手はラウラの頭へと伸びていた。

 

 

「ふぇ……?」

 

 

子供をあやすように、出来るだけ優しくラウラの頭を撫でる。泣き出しそうな表情は徐々に驚きへと変わっていく。ラウラにはかなり心配を掛けてしまった。目の前で撃墜される俺を見て、待機しろという俺の命令を聞いてしまったことを相当後悔したはず。

 

あの時、俺の命令に背いてでも共に戦っていればと、自分自身を責めたに違いない。

 

驚きに染まる瞳にも、涙を流した痕が残っている。それに殴られたのとは別に、ラウラの目元は赤くなっていた。ちょっとやそっと泣いたくらいではこんなに赤くはならない。

 

どれだけ涙を流したのか想像もつかない。それでも俺のために涙を流してくれたのだと思うと、無意識のうちに申し訳なさと罪悪感がこみ上げてくる。

 

 

「よく頑張ったな」

 

「お兄、ちゃん……」

 

 

こんな時だというのに、時間を忘れて気持ち良さそうに目を細める。

普段時でもあまり頭を撫でることも無いというのに、今回ばかりは少しでも長く、自分の"妹"の頭を撫でたい気持ちが強く沸き上がってくる。

 

 

 

"妹"

 

 

俺にはまったくと言って良いほど無縁の単語であり、関係の無い存在であると思っていた。

 

ラウラが俺のことをお兄ちゃんと呼ぶことに、俺はどこか壁を張っていた。

 

実際に血が繋がっているわけではない。それに実際に知り合ってからまだ数ヵ月であり、互いのことをよく知っているわけでもない。

 

当然、同じ境遇から生まれた存在であることは知っている。だが結局はそこまでであり、普段互いが何をしているのかまで分からない。それを言ったら俺と千尋姉の関係だって初めから今と同じ関係だった訳じゃない。

 

 

 

つまりどの兄弟であっても、最初は関係値がゼロの状態から始まる。ただ自分が妹を持ったことに対して、どう接すれば良いのか分からなかった。

 

それでもラウラのことを大切にしたい気持ちは変わらない。ナギに対する恋愛感情や、千尋姉に対する尊敬にも似た大切にしたいという感情。

 

ラウラに向ける感情としては、千尋姉に向ける感情と大差は無いものの、少しだけ違いを言うなら、親が我が子をかわいがり、いつくしむような慈愛要素が強い。大切な存在には変わり無いのに、やはりどこかまだ第三者といった分け隔てをしていたのかもしれない。

 

ラウラは俺のことを兄と慕い、本当の兄妹のように接してくれた。ドイツの副官に入れ知恵をされたのは事実だが、それ以上に、俺に対して家族に向ける以上の愛情を向けてくれる。本当の兄として、尊敬してくれる。

 

俺が笑えば同じように笑うし、俺が傷付けば自分のことのように悲しむ。彼女は決して弱い存在ではない、でも内面は脆く崩れやすい。

 

俺とラウラは兄妹なんだ。そこに血の繋がりは関係ない。

 

 

「こんなボロボロになってまで戦ってくれたんだ。今度は俺がお前たちを守る番だ」

 

「そんなことより、怪我は……?」

 

「怪我は大丈夫、気にすることはない。俺は強いからな」

 

 

少しでもラウラを安心させる為に、言葉を選んで彼女を諭していく。

 

現に今のところ怪我の影響は出ていない。

 

とはいえ傷口を塞いでいる途中だからあまり無理は出来ないし、正直な話、ここでの戦闘は相当リスクの高い賭けにはなる。

 

満身創痍の中で後どれだけ俺の体が持ってくれるか。何せ俺自身が怪我の状態を把握出来ていない。無茶も甚だしい行動しかしてないが、とりあえず目の前の事態を片付けるまでは持って欲しい。

 

そう願うばかりだ。

 

 

「大和……本当に大丈夫なの? 怪我は……」

 

「悪いなシャルロット。今は怪我を気にしている状況じゃない。俺なら大丈夫だから、ラウラを頼む」

 

「う、うん」

 

 

シャルロットも心配しての行動なのは分かる。

 

何度も言うように戦いの場に出てきた以上、怪我をしているからというのは言い訳になる。側に寄ってきたシャルロットにラウラを受け渡し、離れるように指示する。ラウラほどではないとはいえ、シャルロットも度重なる戦闘ダメージで疲弊の色は隠せない。

 

無理をして戦っても俺の二の舞になる。

 

鈴とセシリアも、まだシールドエネルギーこそ残っているけど、福音から受けたダメージがまだ回復しきっていない。四人ともまとめて一旦後ろに下がってもらうことにする。

 

 

「大和さん……」

 

「大和、あんた……」

 

「おいおい、お前ら二人も揃ってなんつー顔してんだ」

 

 

セシリアが、鈴が、揃って心配そうな顔を浮かべたまま、俺の元へと歩み寄ってくる。そんな心配を向けられるようなキャラか? と言わんばかりの表情で俺は苦笑いを浮かべる。

 

おかしいな、そんなキャラじゃなかったはずだったんだけど。

 

 

「あ、あんたねぇ! あたしたちがどれだけ心配したと!」

 

「あのような大怪我をされて、心配するなということ自体が無理な話ですわ!」

 

 

逆に怒られる始末。

 

だが悪いのは勝手に負けて、皆を心配させたほかでもない俺だ。二人の言う内容は完全な正論であり、何一つ言い返すことは出来なかった。

 

むしろ身勝手な行動で、皆を不安がらせてしまった俺を、二人は心配してくれている。言い方は刺々しいのに、随所に伝わってくる二人の優しさが何よりも嬉しくて、自然と頬が緩む。

 

 

「ははっ、悪い。本当ならこのままゆっくりと話をしていたいところだけど……少しだけ待っていてくれ。すぐに終わらせるから」

 

「すぐに終わらせるって、あんたその体で戦うつもり!?」

 

「おう」

 

「そんなの無茶ですわ! 今の大和さんに無理はさせられません!」

 

 

本当なら二人の気持ちを無下にしたくはない、セシリアが言うように無理をしていい状態ではない。だがそれ以上に俺には戦わなければならない理由が出来てしまった。

 

 

「俺も無理はしたくないんだけどな。どうにも口で言っても分からないみたいだから……」

 

「は、はい?」

 

 

意味が分からないと首を傾げるセシリアをよそに再び投げ飛ばした男の方へと視線を向ける。そろそろ体勢を立て直して来る頃だろう、あまり悠長に会話している余裕はない。

 

 

「また後でゆっくり話す」

 

「あ!? ちょ、ちょっと!」

 

 

降下しながらセシリアから離れる。あのまま戦ったら皆を巻き込んでしまう。

 

俺の後ろに着いてくる人間は誰も居なかった。手負いの状態では足手まといになるのと、現状戦える人間は俺しか居ないと判断したからか。

 

 

「この死に損ないがぁ……邪魔をするな!!」

 

 

首をゴキゴキと鳴らしながら、自分の思うように出来なかったことに腹が立つのか、体勢を整えた男はギロリと睨み付けてくる。

 

 

「おい」

 

「あぁ!?」

 

「……お前、名前は何て言うんだ?」

 

「はぁ? この期に及んで何言ってんだこいつ? 左眼の次は頭まで壊れたか?」

 

 

確かにこの状況で相手の名前を尋ねること自体、頭が狂ったんじゃないかと思われてもおかしく無いかもしれない。

 

それでも俺には聞かなければならない理由がある。

 

 

「そう思ってくれて構わない」

 

「くくっ、俺の名前か。ちゃんとした名前はねぇけど、周囲はプライドって呼ぶなぁ?」

 

「ほう? して、プライド。俺の妹に手を出した理由は何だ?」

 

「そんなもん決まってるだろ。単純におもしれぇからだ。お前は害虫を殺すのに、態々理由なんかつけるのかよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の妹を。

 

 

 

 

 

 

「あぁ、それだけでいい。ようやく聞けたな」

 

 

 

 

 

 

俺の仲間を。

 

 

 

 

 

 

 

「後はテメェをぶっ潰すだけだ。このクソ野郎が」

 

 

大切な人を傷付けたコイツだけは絶対に許すわけにはいかない。

 

ニヤリと微笑む表情が死合開始のゴングとなった。一気に瞬時加速(イグニッション・ブースト)を使って、俺との間合いを詰めてくる。

 

片眼が潰れているが故に、いつもよりも遠近感が掴み辛いが、周囲に鳴り響く音と空気の流れで、相手がどれくらいのスピードで近寄って来ているかは分かる。

 

 

「ふっ!」

 

「オラァッ!」

 

 

振り下ろしとともに体を半身にすると、斬撃がすぐ後ろを通り過ぎていく。攻撃後の僅かなスキを狙い、半身のまま相手に蹴りを入れて距離を取り、瞬時に両手に刀を展開した。

 

展開すると同時に、再びプライドは俺との間合いを詰めて来る。あの刀にだけは注意しなければならない、一発の攻撃力はまさに一撃必殺レベル。まともに食らったらまた病院送り、下手をすれば命を落とす可能性もある。

 

相手の刃先を直接受けることは出来ないため、受け止めるとするなら相手の手ごと止めるか、完全にかわし切るしか方法はない。

 

それに大きな回避は、奴のスキルを考えると致命的なミスに繋がるだろう。小刻みに動きを悟られないように立ち回っていくのが最も得策。

 

突進の勢いを利用し、まずは一突き。

 

俺の顔を通り抜けていく一撃を見送りながら、再び前へと視線を向ける。

 

と。

 

 

「甘えよっ!」

 

「―――っ!」

 

 

ガツンという鈍い音とともに、相手の蹴りが俺の機体の腹をピンポイントで捉える。肉体に直に伝わる衝撃に、思わず顔を歪めた。幸い刀による一撃ではないため、ダメージ自体は大きくないが、俺の体にはしっかりと負荷が掛かっている。

 

傷口が開かない事を願ってはいるが、プライドの攻撃は今まで相手をしてきたどの相手よりも、一撃が重たい。このまま何回も相手の攻撃を受け続けていれば、シールドエネルギーは残っても俺の体力や気力が持たない。

 

手術傷が開いたら一環の終わり、だがこの場で戦えるのは俺だけであり、俺が退けば全員墜とされることになる。それだけは何としても防がなければならない。

 

 

「ふん! 片眼を潰されて、怪我をしている割には良い立ち回りだな!」

 

「ぬかせ」

 

 

片眼が潰されたからハンデになるか。

 

否、それは言い訳に過ぎない。確かに病み上がりの俺の体は絶好調の時に比べて、キレは大きく劣るかもしれない。しかし承知の上でここに来た以上、体の調子が悪いなどと逃げ道を探すことは出来ない。

 

逃げるつまりなどは毛頭ない、必ずここでケリをつける。

 

 

「はぁっ!」

 

「クハハッ!」

 

 

愉快そうに微笑むプライド。

 

一々反応が気に入らない。余裕のその表情が俺の怒りを増幅させていく。俺はこんなやつに負け、皆は傷付けられたのかと。自身の無力さに腹が立ってくる。

 

あの時仕留め損なわなければこんな面倒な事態を引き起こすことなど無かった。

 

 

「オラオラァ! かわしてみろよ!」

 

「このっ……!」

 

 

拳と剣術のラッシュに、完全な防御体勢に回る。スキのない攻撃に、相手の間合いに入り込めない。そして常に俺の死角になる左眼側に回り込もうとする。

 

俺が視界を把握できるのは右眼側だけであり、左眼は右眼に比べて視界が大きく狭まる。正面を剝いていたら左側から歩いてくる人間に気付かないほど、左側は大きな死角となっていた。

 

庇いながらスキを見せないように戦っていたつもりだが、コイツは瞬時に俺の欠点を見つけ、的確に攻撃をしてくる。力押しだけの単細胞かと思ったらとんだ大間違いだ。

 

これだけの強大な力を持っているにも関わらず、あらゆる場面に対応する柔軟性まで持ち合わせている。コイツ……一体どんな格闘センスしてやがる。これだけの立ち回りを何処で学んできたというんだ。

 

 

「手も足も出ませんってかぁ!? そんなんじゃ俺は倒せねーぞ!!」

 

 

このままじゃマズい。完全にペースを握られている。

 

 

「お前みたいなやつは何度も見てきたよ。息巻いて俺を倒すって言ってきた奴は数知れなかったなぁ!」

 

 

大口を叩く暇すらあるらしい。俺がいつ反撃するかも分からないのにだ。

 

コイツには俺の動きがある程度読まれている。左眼側が大きな死角になっているということも、上半身の怪我を庇いながら戦っているということも。ただ単に手のひらで踊らされているに過ぎない。

 

まるでマリオネットのようだ。決められた動きしか出来ず、操る人間の赴くままに行動する。意思を持っていたとしても、決して逆らえれない。

 

決められた動きしか出来ない、まさに今の俺を表現するのにこれほど適切な言葉は無いだろう。

 

 

「本当に俺を倒していればカッコ良かったんだろうけどよぉ……俺に喧嘩売っている奴って今どうなってんだろうなぁ?」

 

 

今までプライドに戦いを挑んだ人間は数知れず。それはISで戦ったのか、それとも生身で戦ったのかどうかは知らない。だが奴の口ぶりから察するに、戦った相手は恐らく……。

 

 

「なぁ? 霧夜家当主さんよぉ!」

 

「くっ……」

 

 

徐々に、だが確実に追い詰められつつある。

 

強大な力の前に挑んだ相手は屈した。負けを知らない、無敗の称号が奴を傲慢な存在に仕立て上げていた。刀による一撃は辛うじて躱しているものの、小刻みにコンビネーションとして入れてくる拳骨により、じわじわとシールドエネルギーが削られていく。

 

それでも一撃必殺の攻撃を食らうよりかは全然マシ。奴のワンオフにも何か弱点があるはず、少しでも粘って活路を見出す。目を見開き、正面から迫りくる脅威の数々を躱していく。

 

 

「くくっ、こりゃ俺の前にひれ伏すのも時間の問題だなぁ?」

 

「……」

 

 

会話が出来ない。

 

会話をする暇すら与えてくれない程の猛攻に成す術もなく、ガード状態を解除して攻撃に転換出来ない。

 

 

「お前はまた守れず終わるんだ! 今度は自分の仲間さえもなぁ!」

 

「!」

 

 

攻撃を躱す瞬間、ほんの僅かにプライドに隙が出来る。攻撃後の硬直、ほぼ無い隙がようやく生まれた。攻撃した直後は隙が生まれやすいものの、ここまでほとんど無かったため、形勢逆転の糸口すら掴めなかった。

 

偶々なのか、わざとなのかは分からないが、続けて刀を使わせなければそれでいい。

 

 

「うおっ!?」

 

 

自分の持っている刀で相手の刀を弾く。

 

これで次の攻撃に移るまでに時間を稼ぐことが出来る。拳による攻撃は間合い的に届かないし、ガトリング砲による攻撃も考えられるが、刀による攻撃を考えたら可愛いもの。このチャンス逃すわけにはいかない。

 

両手の刀を握り締め、右手を振りかぶってプライドの無防備な体に向けて一撃を。

 

 

 

 

「ぐっ……くあっ!?」

 

 

入れられなかった。一撃を加える前に、重たい何かが俺の左脇腹を捉えた。苦悶に歪む表情を脇腹に向けると、そこには見たことも無い新たな刀が食い込んでいた。

 

 

「油断したなぁ。誰も刀は一本しかないなんて言ってねぇぞ?」

 

「くぅ……」

 

「この刀には大した能力はねぇが、まともに当たりゃ痛いだろうよ? えぇ?」

 

 

攻撃にダウンする俺を他所目に奴の攻撃は始まる。

 

プライドの絶対的な優勢は変わらない。一撃必殺の能力を持たない刀であるが故に助かったが、大きくシールドエネルギーを持って行かれたのと、脇腹にはまだズキズキと痛みが走ったままだ。

 

骨折までは行ってないだろうが、容赦のない攻撃を叩き込まれれば、誰だって痛い。シールドエネルギーでは吸収しきれない質量エネルギーが、機体を通して直に伝わる。

 

普段ならなんてこと無い攻撃でも、怪我をした体には猛毒にもなる。

 

 

 

 

「あの怪我から立ち上がったのは確かにすげぇよ! 相手をした中で、倒れずに俺に向かってきたのはお前が初めてだ!」

 

 

度重なる攻撃でいつこの傷口が開くか分からない。完全に塞ぎきっていないとしたら、そう長くは持たない。

 

 

「リベンジして俺に勝つシナリオを想像していたんだろうけどよぉ! そんなものは空想上の夢物語なんだよ!!」

 

 

戦い始めてから手痛い一撃を何発か貰った。

 

後どれだけ耐えれるか、限界が来るまで数えるほどの回数もないだろう。

 

 

「さぁお前と同じ二刀流だ! これで終わらせてやるよ! どっちの方が強いのか、これでハッキリするだろ!」

 

 

確かに強かった。

 

俺が今まで出会った奴らの中でもトップクラスに。代表候補生と比較しても、それを十分上回るくらいに力はつけている。

 

 

「お前みたいな行動を蛮勇と呼ぶんだ! わかったかぁ!?」

 

 

一端の候補生や、IS操縦者じゃまるで相手にならないことくらい。ましてや手負いの人間が堂々と勝負を挑むなど、蛮勇も良いところ。格上の相手に対して自らハンデを背負い込んで、勝とうと思う浅はかな考え方がそもそも間違っていた。

 

 

「さっきから何黙り込んでやがる! このっ―――」

 

 

だから、それがどうしたっていうんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――一閃。

 

プライドが突っ込んで来ると同時に、何かが凄まじい速度で横切ったかと思うと、甲高い金属音と共に宙をクルクルと細長い破片が飛ぶ。

 

 

「……え?」

 

 

何が起きたか全く分からず、攻撃を止めて呆気に取られるプライド。目の前をハイパーセンサーでも追いきれない何かが通り過ぎ、金属音が鳴り響いたという事実しか分からないはず。奴の表情を見ればよく分かる。

 

初めて見せる困惑の顔。

 

負け知らずだった自分が、何をされたかも分からないなど、プライドにとっては屈辱でしか無い。

 

 

「シナリオだの蛮勇だの、くだらないことばかり言いやがって。だからどうした?」

 

「お、俺の刀が……!!」

 

 

そこで初めて、自分自身が何をされたか分かる。右手に握っていたはずの刀は刃先が鍔の部分からポッキリと切り取られ、全く使い物にならない状況になっていた。宙を舞う金属片はプライドの刀の刃先であり、攻撃手段として最も有効活用出来る部分。

 

そこをへし折られた刀は、攻撃手段として使い物にならない。

 

コイツの表情を見ていると、本当に何で刀が折れているのか分かっていないのがひしひしと伝わってくる。

 

特別なことは一切していない。ましてや単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)を使ったわけでもない。

 

原理だけで言えば誰でも出来るような非常に簡単なことだ。

 

では何故、実力も兼ね備えているはずのプライドが、何で刀が折れているのか分からないのか。

 

 

 

 

理由はただ一つ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だけ。

 

 

居合い抜き。

 

別の呼び方を抜刀術と呼ぶ。

 

公では一度もお披露目したことは無い。

 

何故なら俺は抜刀術が()()()()だからだ。

 

その苦手とする抜刀術すらコイツは見抜けなかった。

 

確かに今まで戦ってきた相手は強い相手も多かっただろう。だからこそ自信もつくし、傲慢にもなる。それこそ相手を何処の誰とも詳しく調べないで、喧嘩を売るような自信家に成り下がる可能性だって十分にあり得る。

 

 

言い方を悪くすれば井の中の蛙。

 

強い相手と戦ってきたかもしれないが、まだまだ世界を知らなさ過ぎた。俺のISの特性は、持ち主の()()()()()()()()()()()()()()()

 

つまり俺の純粋な身体能力に、コイツは追い付いていない。

 

 

以前セシリアと戦った時、彼女は俺たちの稼働時間が短いからと慢心し、結果一夏には善戦され、俺には負けた。それでもセシリアはそれ以降、決して慢心するまいと心に決めて訓練に打ち込み、弱い心を鍛えた。

 

それがまだ実戦ではなく、訓練だから彼女は取り返しが出来た。

 

 

だが実戦中の慢心は、ちょっとやそっとでは絶対に治ることのない病と同じ。一度出来た慢心は綻びを生み、やがて自身を破滅へと導く。

 

 

「くっくくっ……刀を一つへし折ったくらいで何を粋がっている? まだ勝負はついてないぞ?」

 

 

相変わらず気に入らない笑い方だ。見ているだけでぶん殴りたくほどの表情など、早々あるもんじゃない。

 

 

 

 

―――あぁ、本当に面倒くさい。

 

こんな奴に本気を出さなければならないだなんて。ふざけたやつだからこそ、手の内を見せずに潰してやろうと思ったのに。怪我で満足に動けない状態だが、コイツを潰し切るだけの力は残されている。

 

だが、徹底的にやらなければ必ずコイツは俺たちに報復しに来るだろう。

 

それなら報復する気すら失せるほどに叩きのめすまでだ。

 

 

「ほう、まだ威勢はあるみたいだな。なら踊ってみせろ、俺の手の上でな」

 

「あぁ!?」

 

 

 

 

 

力を貸せ、不死鳥(フェニックス)

 

お前の力を最大限に見せてやれ。

 

そして後悔しろ。

 

大切な仲間を傷付けた事を。

 

 

 

「行くぞ、不死鳥(フェニックス)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《Limit Break Mode Standby....》



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誰が為、何が為

 

 

 

 

「あ、おかえりなさい大和♪ ……ど、どうしたのその顔!?」

 

「……何でもないよ。ただ転んだだけだから」

 

 

霧夜千尋、十八歳。

 

霧夜大和、九歳。

 

 

 

千尋は既に高校卒業手前、大和も小学校三年生と、初めて会った時に比べると共に大きく成長していた。千尋は年齢以上の落ち着きと、独特の色気。

 

ほぼノーメイクというのにパッチリと見開いた二重の瞳に、整った顔立ち。高校の制服の上からでもハッキリと伝わる重量感のあるソレが、苦しそうに制服の胸元を締め付けている。すらりと伸びた健康そのものを表す脚に、寒さから守るように履いたストッキング。

 

大和と初めて出会った時に履いていたタイトスカートとは、また違った色気を感じることが出来る。タイトスカートを履いていると一端の社会人としての大人の色気となるが、学校の制服であればあどけなさ残る学生の一人としての、幼くも大人っぽい色気となる。

 

彼女は三年という歳月を経て、一回りも、二回りも大きく成長していた。

 

 

学校がいつもより早く終わり、たまには早く作り初めても良いだろうと、夕飯の仕込みをしていたため、彼女は制服の上からピンクのエプロンを羽織っていた。

 

鍋が吹き零れないようにガスコンロの前に立っていると、玄関の扉を開ける音が聞こえたため、慌ててコンロの火を弱めて玄関へと出迎えに向かう。

 

愛しの弟の帰りだ。

 

いつもは自分が遅くかえって迎えられることが多いのだから、今日くらいは驚かせてやりたい。エプロンはそのままに、玄関で靴を脱ぐ大和の元へと向かうととびきりの笑顔で出迎えた。

 

 

「いや、転んだって……」

 

 

しかし大和から返ってきたのは素っ気ない返事。

 

大和も三年前にこちらに住み初めてからというもの、千尋の尽力により少しずつ心を開き始め、今となっては普通に会話を交わす程度なら難なく出来るレベルに成長していた。

 

まだ他人と話すのはどこか壁を張る節があるらしく、苦手にしているようにも見えるが、それでもこの三年間での成長を考えると大きな変化だ。

 

千尋のことを『千尋姉さん』と呼ぶようになり、二人の壁はほぼ無いも同然のレベルに来ていた。だというのに急な大和の変化に千尋は思わず首を傾げる。

 

極めつけは大和の顔。左頬に絆創膏が貼られ、怪我をしているのが伺える。怪我をしたのはいいが、問題なのはその箇所。

 

普段膝を擦りむいたり、工作で手を切ったりすることはあるものの、顔を怪我することはほとんど無い。顔を怪我するようなシチュエーションが何通りあるのかと言われたら、パターンとしては限られてくる。

 

遊戯から落ちた……いや、大和がそんなドジを踏むとは考えられないし、余所見していて壁に顔をぶつけたとも考えづらい。

 

ましてや転んで頬を怪我するだなんて、万に一つもない可能性なのだ。

 

 

大和は嘘をついている。

 

千尋にはすぐに分かった。

 

 

「ちょっと待ってなさい。すぐに消毒液と新しい絆創膏持ってくるから」

 

「い、いいよこれくらい! 放っておけば治るからさ!」

 

「何言ってるの! あんた普段怪我なんかしないんだから!」

 

「俺だって怪我くらいするって! これは本当に転んだんだってば!」

 

 

「何言ってるの! さっき先生から電話があったのよ!」

 

「え……」

 

 

千尋の投げ掛けた言葉に反応して顔色が変わる。一連の反応を見て千尋の中の疑問は確信へと変わった。

 

 

「嘘よ」

 

「はぁっ!?」

 

「……全く。どうして怪我なんかしたのかしら」

 

 

カマをかけられたことに驚く大和をよそに、救急箱を探しながら、千尋は何故顔に怪我をしたのかを考える。普段怪我をすることがないからこそ、顔に怪我をしたことが不自然に見えた。

 

救急箱を探し終え、中から新しい絆創膏と消毒液と脱脂綿を取り出すと、それを大和の元へと持っていく。

 

 

「ほら。絆創膏剥がして、傷口見せて」

 

 

言われるがまま、渋々絆創膏を剥がしながら傷口を見せる大和。ピンセットを使って脱脂綿を消毒液で濡らし、傷口から垂れないように的確な角度で消毒していく。

 

 

「いたっ!」

 

「我慢する! すぐに終わるから!」

 

 

消毒液が傷口に染み、思わず顔をしかめる大和だったが、千尋の一声により痛みを我慢しながら、消毒を受ける。手際よく消毒を終えると、新しい絆創膏を取り出して頬へと貼り付けた。

 

 

「はい、おしまい。もう良いわよ」

 

「……うん」

 

 

救急箱をしまう千尋に返事をする大和だが、どことなく元気がないようにも見える。何か後ろめたいことでもあるのか、千尋の目には大和が何を考えているのかまでは分からなかったが、少なからずまだ何かを隠しているのは把握出来た。

 

一体何を隠しているのか、下手に放置しておいても良いことはないだろうし、何があったのかくらいは聞いておいても良いかもしれない。

 

 

「ねぇ、大和。本当は何かあったんじゃないの?」

 

「いや、学校では特には……」

 

「……」

 

 

どうやら学校で何かあったらしい。千冬は大和の身の回りで何があったのかとは聞いたが、『学校』でと指定はしていない。なのに大和から返ってきた答えは、『学校では特に何もなかった』というもの。

 

これでは逆に学校で何かあったと、自分から証明しているようなもの。千尋としてはもし引っ掛かればと、さらりとカマを掛けてみたが、思いの外簡単に引っ掛かり、ボロを出す大和。

 

大和の表情はさほど変わってはいないが、口から発する言葉は正直そのもの。うっかり滑らせたのは仕方ないが、些細な変化を見逃すほど、千尋の感性は甘くない。

 

 

「なるほど、学校で何かあったのね?」

 

「え……ちがっ!」

 

「すぐ分かるような出任せを言わないの! 早くおねーちゃんに話してみなさい!」

 

「だ、だから本当に何もないんだってば!」

 

「嘘おっしゃい! じゃあなんでそんなに視線が泳いでるのよ? まさかいじめられてるとかじゃないわよね!?」

 

「ち、違うって!」

 

 

ワーワーと喚く二人を余所に、不意に家の備え付けの電話が鳴り響く。呼び出し音と共にピタリと止まる二人のじゃれ付き合い。

 

 

「もう……こんな時に何よ」

 

 

パタパタと電話の方へと駆けていく千尋、一方の大和はムスッとしたまま場に座り込む。今までの課程から、大和が学校で何かあったのは事実。

 

仮にいじめられたとしても、跳ね返すくらいの力を大和は備えているし、数人単位で束になって飛び掛かったとしても、決して負けはしないだろう。

 

気になるのは大和の頬に出来た傷。

 

喧嘩しても到底負けないような人物の頬に、傷が出来ているという事実。千尋自身とサシで戦って食らい付いてこれた人間がおいそれと怪我をするだろうか。

 

一抹の不安が千尋の脳裏を過る。

 

すぐにでも事情を聞き出したいところだが、掛かって来た電話を蔑ろにするわけにも行かず、渋々と受話器を取る。

 

 

「はい、霧夜です……」

 

 

 

 

まさか千尋も思わなかっただろう。

 

 

 

 

 

 

「あぁ、先生。どうされたんですか?」

 

 

 

 

 

 

まさかその電話が。

 

 

 

 

 

 

 

「はい、はい……えぇ……はい?」

 

 

 

 

 

 

 

彼女の不安を。

 

 

 

 

 

 

 

「え? 大和が?」

 

 

 

 

 

 

 

 

的中させることになろうとは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、だからね? 息子たちは君が一方的に手を出したから殴り返したと言っているんだよ。分かるかね?」

 

「えーっと、状況を整理しますと……」

 

 

ところ変わって、小学校の生徒指導室。

 

電話の後すぐに学校まで来て欲しいと呼び出された大和と千尋。大和は当事者として、そして千尋はその保護者として。

 

喋り続ける相手方の保護者に、同調するように頷く教師。

 

気に入らない。千尋にとって最も嫌いな光景だった。

 

一教師と、一保護者。

 

端的に捉えればそれまでの関係なんだろうが、二人の間には目に見えない上下関係がある。何でもしきりに騒ぎ立てている男は相当な権力者だそうで、この学校を運営するために多大な資金を援助しているとのこと。

 

故に大抵の教師陣は頭が上がらず、保護者の中でも彼に意見する者はほぼ皆無に等しかった。事実を調べようとせず、一保護者の言うことだけを鵜呑みにし、へりくだる教師の姿勢。

 

また持っている権力を盾に、何でも思い通りになると力を振るう保護者、そしてその保護者にすがる子供。見ていて反吐が出るほど痛々しい。自分が何かをしたとしても、全て親が片を付けてくれる。

 

自分は絶対的な力を持っているんだと過信し、善悪の区別が付かなくなる。息子が着ている服を見てみると、同じ小学生としては随分グレードの高い服を来ている。よく見る『おぼっちゃま』をそっくりそのまま体現したかのような服装に、千尋は思わず表情を歪めた。

 

はっきり言って全く似合っていない。年不相応に七三分けで大人の雰囲気を醸し出そうと背伸びし、自分は如何にも出来ると見栄だけを張ろうとする。

 

 

「私たちが事実確認をしたところ、確かに霧夜くんが二人の少年を叩いたという目撃証言が出ておりまして……」

 

 

一体何を根拠に言っているのだろう。ところどころ目を泳がせて事情を説明する教師に一抹の苛立ちを覚える千尋。もし大和が先に手を出したことが事実なら、どうしてそこまで後ろめたい様子を装おうとしているのか。

 

後ろめたい気持ちがあるというのは、少なからず話している根拠に捏造があるということ。大和が先に手を出したのが百歩譲って正だとしても、二人掛かりで大和にやり返したのは正当化しても良いのか。大和の頬に出来た傷は、よほど強い衝撃が加わらない限り、あんな傷にはならないはず。

 

その場に倒されて、恐らくは蹴られた。蹴られたシーンを想像するだけで居ても立ってもいられなくなる。全く悪びれる様子もなく居る子供二人と、二人の父親。今すぐにでも蹴り倒したい。

 

千尋の中には言い返したいことが山ほどあったが、自身の感情を堪えて話を聞き進める。彼女に同調するように、大和も何一つ返答しようとはせず、淡々と話だけを聞いている。

 

 

「で、話をまとめますと。何をどうしてか急に霧夜くんが殴り掛った。二人共身の危険を感じて、自己防衛の為に霧夜くんにやり返した……それでよろしいですね?」

 

「はい、そうです」

 

「えぇ、先生の仰る通りです」

 

 

教師の言うことに頷く二人の少年。これでは一方的に大和が手を出したことになる。

 

確かに以前は情緒不安定な時期もあったが、大和が本当に自分から手を出すような事をするだろうか。今まで一緒に生活して、大和から相手に危害を加えるようなことは一度も見たことはないし、仮に出会う前にあったとしてもそれは遠い昔のことになる。

 

可能性は否定できないが、何の脈略もなく、誰かより先に大和が人に手を出すことが考えられなかった。絶対に何処かおかしい、本当の事実を息子たちが捻じ曲げて伝えているのではないかと疑問すら浮かんでくる。

 

確認しなければならない。

 

だんまりを決めていた千尋だが、その重たい唇をようやく開く。

 

 

「今回の件、多大なるご迷惑を掛けてしまったことを深くお詫び申し上げます。……ところで、先ほどの件ですが、うちの大和が先に手を出したというのは本当に事実なのでしょうか?」

 

「何を今更。うちの息子がそう言っているんだから、それが何よりの証拠だろう?」

 

「とはいえ、先生。目撃証言が出たということは、目撃者がいるんですよね? それならその方にも参考人として来ていただいた方が話が進むのではないですか?」

 

「それは……」

 

 

バツの悪そうに視線を逸らす教師、反応から察するに目撃者を呼びたくないのか、それとも目撃者はおらず、話のでっち上げの中で作り出された存在であるかのどちらかか。

 

いずれにしても呼べない事実は変わらないし、呼べない理由はろくなものではないのも明らか。目撃者は居るとは言っても、それは話だからこそ言えるわけであり、そこまでハッキリと言えるのであれば目撃者を呼べば良い。なのに呼べないのは理由があるのかと、問い詰めていく。

 

 

「確固たる証拠がない以上、私は何の理由もなく大和が殴ったという事実を受け取ることは出来ません」

 

「お姉さん、弟のことを可愛がるのは勝手だが、被害を受けたのは私の息子たちだ。君が出る幕ではないことくらい分かっているだろう?」

 

「そのまま返させていただくようですが、私としても捏造された事実を押し付けられたところで受け取ることは出来ません。ましてや大和の話を何一つ聞いていない、貴方の息子さんの証言だけでの結論ではないですか?」

 

「ははっ、これはまた口がよく動くお姉さんだ。君は分かっていないようだが、君の弟さんが仕出かした一件で、うちの息子は怪我をしたんだ。心に大きな傷をね」

 

「っ!?」

 

 

不意に立ち上がったかと思うと、そっと肩を触られる。同時に千尋に押し寄せてくるのは猛烈な嫌悪感と、拒絶感。

 

第三者の、それも敵対している男に肩を抱かれて良い気持ちにはならないし、ひたすら気色悪い。大和以外の男性に体を触られるイメージをするだけで虫唾が走る。

 

誰も居ないのであれば即座に叩き伏せていたところだが、あいにく公衆の面前。湧き上がる気持ちをぐっと堪えて、平常心を保つ。

 

 

「それで、貴方たちの要望は何でしょうか?」

 

「ふふっ、何。要望だなんてそんな大それたものじゃありませんよお姉さん」

 

「……」

 

 

人をチラチラと観察する視線が嫌らしい。舌舐めずる態度が、ことごとく人の沸点を刺激する。

 

何だ、私の体を差し出せば全てを丸く収めるとでもいうのか。もしそれで丸く収まったとしても、自分を売ってまで騒動を沈静化させようとした自分自身が許せなくなる。

 

そしてそれは逆に、大和を辛い目に合わせてしまうことにもなる。自分のみを差し出すことは大和も望んでいない、それにこんな人間に体を差し出すくらいなら、自害した方がマシだ。

 

 

「貴方たちが想像しているようなことは全て却下します。私たちがそれをやる理由は、何一つ見付かりませんので」

 

「ほほう? 強気なお姉さんだ。だがまだ世界の広さを知らん。あんた、まだこの期に及んで自身の立場が分かってないみたいだから教えてやる。この学校の運営は全て私の寄付があるからこそ成り立っているようなものだ。つまりあらぬ噂を立てて余所者を追い出すことくらいは造作も無いわけだ」

 

「……」

 

「他の学校に根回しをすることもそう難しくはない。弟さんの将来を保証したいのなら、私たちのいうことを―――」

 

聞くんだ、と言いきる前に千尋の口が動いた。

 

 

「結構です。追い出したいのであればどうぞご勝手に」

 

 

凛とした、静かな怒りのこもった迫力のある一言に父親は押し黙る。今までの相手はこの一言で落としていたのだろう、だが千尋は頑として譲ろうとしなかった。

 

理由はただ一つ。

 

千尋の納得のいく理由が何一つ聞けていないからだ。話を聞いていればやれ急に殴られただの、息子から聞いた内容が何よりの証拠だの、あまりにも幼稚で下らないやり取りに付き合うことが徐々に面倒になってきた。

 

結局こちらが何を言っても全ては相手側の都合の良いように解釈され、揉み消されるのであれば、わざわざ下手に出てへりくだる必要は一切無い。だったら相手が思うようにやれば良い、今いる小学校を追い出されたところで、大和の心が折れることもなければ、千尋自身の心が折れるようなことはない。

 

何より怖いのは、大和を失うこと。

 

それを守れるだけの手筈が整っている以上、相手に何をされたところで怖くもなんともない。家族のことに介入してくるのであれば、私利私欲となってしまうが、家系を盾にとって潰すまで。

 

何一つ躊躇は要らない。

 

 

「本気で言っているのか!? 私が本気になれば貴様の弟なんぞ簡単に飛ばすことも出来るんだぞ!」

 

「えぇ。飛ばしたければ勝手に飛ばせば良い。でももしそれが間接的にでも大和に危害が加わるのであれば……」

 

「ひぃっ!」

 

「あわ、あわわわわわ……」

 

 

千尋の表情を見た二人の息子は、表情を恐怖に染めて後退りしようとする。後ろにあるのは椅子の背もたれであり、それ以上逃げようがない。

 

 

 

 

「その時は……」

 

 

みるみる内に強まっていく明確なまでの敵意、殺気。

 

もし私の弟に手を出してみろ、その時は誰であっても容赦はしない。対面している教師、父親、息子二人は、齢十八歳の女性に恐怖すら感じたことだろう。千尋としては相手が一般人である以上、全力で威圧することは出来ない。

 

絶対零度の威圧をしてしまった段階で、この話し合いは千尋たちの負けとなってしまうからだ。力だけで強引に押さえ込もうと思えば、最初から強引にでも押さえ込むことは可能だった。

 

それでもやらなかったのには理由がある。

 

 

仮に全員を恐怖で震え上がらせて、強制的に屈服させたとしても、それは根本的な解決にはならず、逆に大和を殴った事実を隠すためにやったと捉えられてしまう。

 

それではまるで意味がない。適度に牽制しつつ、事実を聞き出すことが最優先であり、専ら争うためにここに来たわけではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ、もういいよ。千尋姉さん」

 

 

一部始終を見ていた大和がここで初めて声を発する。今までは完全に静観を決め込んでいた大和だが、やり繰りする内容があまりにも幼稚だと思って居ても立っても居られなくなったのか。

 

だが大の大人が権力を振りかざし、たかだが小学生の子供を飛ばす飛ばさないだの議論している時点で、その程度は知れている。権力はあっても頭は弱い。これ以上付き合っていられるかと言わんばかりに両手を上げた。

 

 

 

「大和……」

 

「結局、親が出てきて解決しようとする時点でこうなる事くらいは分かっていたよ。だからもうこれ以上、下らない話し合いをするくらいならさっさとケジメて欲しい」

 

 

鬱陶しそうに頭をかきながら、二人の少年を見つめる大和。視線は父親に合わせようとはせず、あくまで自身に暴力を振るったであろう二人に向けられていた。

 

 

「お前たちは俺を悪者に仕立て上げたいみたいだし、悪者にしたいのなら勝手にすれば良い。お前たちが言っていることが本当に事実ならな」

 

「……はぁ?」

 

「何言ってんだコイツ……?」

 

「ははっ、君は何を言っているんだ? 事実も何も私の息子たちがこう証言しているではないか。それが間違っているとでも?」

 

「あー、間違ってる間違っていないで議論する問題じゃ無いんですよおじさん。結局はどちらが真実なのか、それを明らかにすればいいだけの話だ」

 

「だからどうすると言うのかね?」

 

「ふん、この期に及んで俺の一言なんかには耳を貸さないだろう。でも……」

 

 

ポケットの中からペンライト状の何かを机の上に出すと、付いているボタンのようなものを押す。

 

初めの内はこれが何なのか分からなかっただろうが、ペンライト状の物体から流れてくる音声により、全てを悟る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーアンタらの声だったらどうだろうな?」

 

 

どうして大和がICレコーダーを持っているのか。レコーダーから流れてくるのは計画的に一人の生徒をイジメようとする二人の少年の声と、それを守ろうとする一人の男子の声。すすり泣く声は女の子だろうか。

 

二人の少年とは今、大和の目の前に居る父親の子供であり、真実が大衆の門前で明かされていることが信じられず、顔色を真っ青にしながら下を俯く。

 

 

『お前こんなウジ虫庇うのかよ』

 

『さぁ、どっちがウジ虫だろうな。お前たちのイジメに耐えてきたこの子の方がよっぽど人間として出来ているように思うけど』

 

『お、お前! 俺らに楯突いたらタダじゃ済まないからな!』

 

『勝手にしろ。俺はただ、お前たちがこの子にすることが許せないだけだ』

 

『このっ……! やれぇっ!!』

 

 

事の一部始終がハッキリと指導室内に響き渡る。

 

流れる会話は他でもない、二人組から手を出した証拠そのものだった。今流れた音声の中のどのシーンにも、大和から喧嘩を吹っ掛けた、もしくは大和が先に手を出した事実は記されていない。

 

むしろこの音声だけで判断するなら、先に手を出したのは二人の少年であり、大和は二人の暴力から一人の女子生徒を守っていたことになる。

 

この場に女の子を呼ばなかったのは、彼女の存在が二人が先に手を出したという動かぬ状況証拠となってしまうから。念には念をということで口止めはしているんだろうが、実声が残っている以上、二人が何を言ったとしても、跳ね返せるだけの証拠を手に入れたことになる。

 

 

これでは少年二人は何一つ言い返せない。

 

事の大きさを悟った二人の少年は、下を俯いたまま顔を上げられなくなる。また先ほどまでは二人側についていた教師も、観念したかのように持っていた書類を机の上にぶち撒けた。

 

これほどしっかりとした状況証拠はない。仮に声紋鑑定に出したとしても、二人の声と大和の声が作り物ではないことくらいは分かる。

 

一方で顔を真っ赤にしたまま震える父親。まだ言い訳を考えているのか、その言い訳すら浮かばずに顔を赤くする様子が堪らなく不格好で、滑稽な姿だった。

 

 

……何故ICレコーダーを持っているのかは、正直どうでも良い。徹底的な証拠を突きつけ、逃れられないようにする手際の良さ。千尋の想像以上に、大和は大きく成長していた。

 

 

「さて、これでハッキリしたと思いますが……まだ、何か言うことはありますか?」

 

「……」

 

「……」

 

 

何も言い返せる訳がない。

 

言い逃れが出来ない程の証拠を突き付けられているのに、この劣勢をひっくり返せる訳がない。大和が先に手を出したという事実は全くの捏造であり、二人の少年が一人の少女に手を出した挙句、それを守ろうとした大和にまで手を出したという新事実が発覚した以上、彼らに何かを言い返すことは出来なかった。

 

 

「ぐっ……このっ、小娘がっ!! 分かっているんだろうな!? この後まともな生活を送れると思うなよっ!!」

 

「どうぞご自由に。最も、貴方一人に生活が脅かされるほど、私も大和も弱くはないですから」

 

「ぐぅ……!」

 

「あらぬ事実を押し付けられ、あまつさえ事実を捏造したということで、市の方に訴えさせて頂きます。幸い音声データも残っていることですし、二人のいじめも明るみに出ることでしょう。これからが楽しみですね?」

 

「……」

 

 

言い逃れが出来ない事実がある以上、逃げることは出来ない。少し探りをいれれば、二人が常習的にいじめを行って居たこともハッキリする。

 

そうなれば世間の見方は一斉に変わる。特に二人揃って学校では有名人であるために、今まで隠していた事実が一斉に拡散することだろう。

 

下手をすれば、おめおめと登校することすらままならなくなる。今後の未来を、半ば棒に振ってしまったのだ。

 

 

「あぁ、それと先生。今後のことはしっかりと対処をお願いしますよ?」

 

「は、はい……」

 

「それでは私たちはこれで。大和、行くわよ」

 

 

大和を引き連れて、生徒指導室を後にする千尋。先ほどまで喧騒に包まれていた生徒指導室は今や静寂のみが支配する空間であり、場に居る誰もが口を開こうとしなかった。

 

二人の父親も既に何かを言い返す気力もなく、今後どのように言い訳をして逃げるかばかりを考えていた。今回ばかりは自分の力ではどうしようもないことは既に悟っている。

 

喧嘩を売った相手が一枚上手だった。そう思うとどうでも良くなる。

 

父親、息子共々、いつか必ずやり返してやろうと息巻くも、この後すぐ、大和は転校して姿をくらましてしまうことを、誰一人知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やーまーとっ!」

 

「な、何だよ急に!」

 

 

自宅に戻り、机の前でゆったりとしている大和を千尋は後ろから力一杯抱き締める。

 

鬱陶しそうに跳ね除けようとする大和だが、満更でもないらしく頬を赤らめたまま焦り気味の表情を浮かべる。この時千尋は十八歳、大和は九歳、大和も十分性的なことに関心を持っても良い年頃だ。

 

背中でグニャリと潰れる凶悪な何かのぬくもりが、服越しにハッキリと伝わってくる。千尋も大和に対するスキンシップに抵抗感を全くと言っていいほど持っておらず、大和だったらむしろ裸すら見せられると豪語するレベルで、積極的に体を押し付けてくる。

 

世の男性が本気で羨む光景だろう。彼女が大和のことを心の底から大切にし、愛している様子が伺える。

 

 

「おねーちゃんはうれしいぞぅ! 女の子を庇うだなんて、さすが私の弟だぁ!」

 

「ちょっ、分かったから! 分かったから離れぇー!」

 

 

嬉々とした表情を浮かべながら、何度も自身の懐に大和を抱き寄せる。お酒も入っていないのに何をやっているのか、自身の感情を体を使って全面に表す。

 

大和を引き取ったあの日から、どれくらい彼は成長していたのか。

 

当時千尋は十五歳。

 

自分一人で大和を育ててきたが、毎日が不安で仕方なかった。本当に自分の育て方は合っているのだろうかと。

 

何回、何十回自問自答したか分からない。子育てなどしたこと無い人間の初めての子育て。不安で眠れない夜もあれば、一人隠れて涙を流すこともあった。

 

それでも今日の大和を見て、確信した。

 

 

 

 

 

少なくとも自分の育て方は間違っていなかったと。

 

確信すると同時に込み上げてくるのは、真っ直ぐ大きく育ってくれた大和に対する喜び。今日くらいはいつも以上に愛情を注ぎ込んでも良いのではないかと、判断したらしい。

 

 

「……でも本当に良かった。大和が大事に巻き込まれなくて」

 

「千尋姉さん……」

 

「私にとって一番怖いのは大和が目の前から居なくなること。貴方を守るためなら何だってするし、命だって掛けてみせるわ」

 

 

それは千尋の覚悟。

 

大和を引き取った時から、必ずこの子は自分で守り抜いてみせると。

 

それに、と千尋は言葉を付け足す。

 

 

 

「私嬉しかった。大和が正しい力の使い方をしてくれて。貴方の持っている力は強大だし、場合によっては人を傷付けることだってある」

 

「……」

 

「これからもこれだけは忘れないで欲しい。大和の力は誰かを恐怖に陥れるための力じゃない、誰かを護るために使う力だと。大和にもいつか大切な人を護るべき時が来ると思う。絶対にね」

 

「……うん」

 

 

小さく返事をする大和。

 

何気ない会話で交わした約束だが、大和の心にはしっかりと、千尋の言葉は結び付いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見せてやるよ。絶望的なまでの力の差って奴を」

 

 

 

 

 

 

―――今はその時じゃないかもしれない。

 

千尋と交わした約束を、片時も忘れたことはなかった。

 

己の力は誰かを恐怖に陥れるものではなく、大切な人を護るためのものだと。

 

何度も何度も唱え、信念としてずっと抱えてきた。

 

これを使ったら、大和自身どうなるか想像もつかない。

 

でもこの場でラウラを、皆を護るためにはこうするしか方法がない。ここで完膚なきまでにプライドを叩き潰すこと、それが今すべきことである。

 

 

「悪いな。これを使うのは俺も初めてだから手加減なんか期待すんなよ。最も、初めから俺の辞書に手加減なんて文字は無いがな」

 

「さっきから減らず口ばかり叩きやがって! だったらさっさと掛かってこいよ! 返り討ちに……!?」

 

 

そこで初めて、プライドは大和の周囲を取り巻くエネルギーの異変を感じ取った。膨大なエネルギーが渦巻くだけではなく、エネルギーは大和に向かって集まっている。それこそとても制御できないほどに強大なものが。

 

ISのシールドエネルギー量は大体どの機体も大差なく、均一になっている。だというのに大和の周囲を纏うこのふざけたレベルの膨大なエネルギーは何なのか。

 

こんなエネルギーを収束されて攻撃に使われたら……。

 

プライドの額から、冷や汗が滴り落ちる。

 

 

「……あいにく、お前に受けた攻撃のダメージがゼロになっているとは到底言えないんだわこれが。正直いつ傷が開くかなんて分かったもんじゃないし、常に死と隣り合わせと考えると嫌になってくる」

 

「……」

 

「だから―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで終わりだ」

 

 

周囲のエネルギーが一旦収束したかと思うと、轟音と共に膨大なエネルギーが、炎のように大和の周辺を取り囲む。エネルギーがハッキリと黙視で確認できる。

 

桁外れのシールドエネルギーが大和の機体から放出されているのだ。

 

 

《Limit Break Mode……gear first open……》

 

 

「……護るべきモノのために俺は戦う。例えこの身が滅びようともな」

 

 

そして、二人の最後の戦いが始まった。



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勝者と敗者

 

 

 

「くっ……!」

 

「どうしたよ? 来ないのか?」

 

 

打って変わって慎重になったプライド。先ほどまでは常に先手を取ろうと接近戦を挑んできたが、今は俺の出方を窺いながらどう戦術を組み立てていこうか考えているように見えた。

 

奴の気持ちが分からない訳ではないが、俺が仮にプライドの立場だったとしたら、同じ行動を取るだろう。体の奥底から沸き上がってくる膨大なまでの力。

 

篠ノ之博士から専用機を貰った時からずっと気にはなっていたものの、触らぬ神に祟りなしとのことで、一切ノータッチで戦ってきた。

 

 

 

操縦席に気になる箇所を見付けたと言った時のことを覚えているだろうか。

 

目の前には幾多ものモニターが映し出され、相手の情報やエネルギー残量が映し出されているが、モニターのすぐ下に書かれている、『first』『second』『third』『forth』の四つの文字。

 

それぞれの文字のところには赤いランプが備え付けられていて、現状は『first』のランプが赤く灯っている。

 

まるで車のマニュアル車のギアチェンみたいだ。ギアを上げれば上げるほど、速度を上げられるのと同じように、これもギアを上げれば上げるほど、己のリミッターを解除し、限界以上の力を引き出せる。

 

限界点突破、読んで字の如し『リミット・ブレイク』

 

 

この機体だけに与えられた単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)

 

現に体は軽く、未だかつてなかった力が沸き上がってくるように感じた。その証拠に俺の展開する不死鳥の周りには、目でハッキリと確認できるほどのエネルギーが、炎のような形で覆っている。

 

だが当然、限界以上の力を引き出すのだから、それ相応の副作用があることは覚悟しなければならない。力を使い続けられる時間もそう長くはないはず、別で戦っている一夏と篠ノ之にコンタクトを取るなら、プライドが怯んでいる今がチャンスだ。

 

プライベート・チャネルを展開後、二人だけに聞こえるように調整する。

 

 

「一夏、篠ノ之、聞こえるか?」

 

『や、大和!? お前怪我は大丈夫なのか?』

 

「おう、まぁな。ゆっくりと話していたいところだが、そう時間もない。そっちの状況を出来るだけ簡潔に分かりやすく教えて欲しい」

 

『お、俺にそれを求めるのか!? えっと……何とか二人掛かりで福音を追い込んでいる。このまま行けばギリギリ倒せるってところだ!』

 

「ほんっとに簡潔だな」

 

 

あまりにも簡潔な説明に、思わず苦笑いが隠せない。

 

 

『し、仕方無いだろ? 簡潔に分かりやすくとか、俺にそんな無理難題を押し付けるなよ!』

 

「ははっ、悪い悪い。ま、そっちの状況は何となく分かった。……それと」

 

 

俺はあくまで二人に声を掛けたわけであって、一夏からの解答だけを期待したわけではない。

 

俺の声が急に聞こえてきたから驚いていることだろう。無言を貫いている不器用な少女に向かって声を掛ける。

 

 

「篠ノ之、何辛気臭くなってんだ!」

 

『―――っ!』

 

 

漏れる声から、びくりと体を震わせている姿が想像出来る。そりゃそうだ、自分のせいで怪我をしてしまった人間が現れて、いつも通りに出来る訳がない。

 

……最も俺自身、篠ノ之のせいで怪我をしたとは一ミリも思っていないし、左眼が使えなくなったことに関して恨んでもいない。こっちは許す気満々だが、篠ノ之の方はそう思っていない。むしろ常識的に思えるはずもない。

 

だからこそ、彼女の背中を今だけは押してあげる必要がある。積もる話はまた後にでもゆっくりすればいい。

 

 

「んな表情していたら勝てるもんも勝てないぞ! もし少しでも俺のことを後ろめたいと思っているのなら、勝て! 絶対に福音に勝て!」

 

『!』

 

 

どうやら少し覇気が戻ったか。

 

ならもう大丈夫だろう。二人に福音は任せ、俺は安心して目の前の相手に集中することが出来る。一夏と篠ノ之、稼働時間は他の専用機持ちに比べれば少ないが、決して力の無い存在だとは思わない。

 

二人とも現実から逃げずに戦っている、勇敢で優秀な操縦者だ。

 

 

「積もる話もあるだろう。それはこの戦いが終わってからゆっくり話そう」

 

『あ、あぁ!』

 

「福音は二人に任せた。逆にこっちは任された。この戦、絶対に勝つぞ!」

 

『おう!(あぁ!)』

 

 

二人から元気良い返事が戻ってきた。

 

よし、懸念点はもう無いし、後はこいつを倒すだけだ。プライベート・チャネルを切り、再びプライドと相見える。

 

 

 

 

 

 

 

「お前も暇なやつだな、人の会話をわざわざ待っているだなんて」

 

「あぁ!? 別にテメーを待っていたわけじゃねぇよ!」

 

「そうか。人の力をようやく理解して、弱腰になっただけだったな」

 

「てっ、テメェ……!!」

 

 

煽れば煽るほどにボロが出てくる。プライドの返事には前までの覇気はなく、こちらの力量、得体の知れない力に消極的になっていた。

 

弱腰になっている相手ほど、潰しやすい相手はいない。

 

すでに気付いていることだろう、この機体の異様さに、そして不気味さに。

 

 

「……このっ! くそがぁぁああああああああああ!」

 

 

怒り任せに飛び込んでくるプライド、奴にもそれ相応の矜持がある。それをコケにされて、黙っていられるはずがない。

 

 

「なめんじゃねえよ!」

 

 

ブンッと力一杯刀を振りかぶってくる。

 

怒り狂っているというのに太刀筋は冷静。大体の人間は怒り狂うと完全に自我を忘れて、太刀筋は無茶苦茶になるが、そこはさすがのセンスだと言ったところか。

 

 

「ふっ!」

 

 

刃の部分に当たらなければどうということはない。刀の刃先に細心の注意を払いつつ、プライドの振るう刀を弾く。もう奴には残されている近接武器はない。

 

中距離から遠距離用のガトリングは展開に時間が掛かる上に、接近戦では刀の方が早い。攻撃の準備をしている間に俺が直接間合いを詰めることが出来る。

 

刀を弾いた先には、がら空きとなった機体の胴体が見えた。このチャンスを逃す訳にはいかない。

 

返し刃でプライドの機体に攻撃を叩き込もうとする。

 

が。

 

 

「はっ! 引っ掛かったなぁ!」

 

「何っ!?」

 

 

プライドの左手にはついさっき、俺が壊したはずの刀が握られていた。手応えはあったし、破壊したのは事実。なのにどうして奴の手に刀が握られているのか。

 

 

「誰がスペアを持っていないって言ったよ!? 切り札ってのはこういう時のために取っておくのさぁ!」

 

 

してやったりの表情を浮かべながら左手の刀を振りかぶるプライド。確かにスペアを持っていないだなんて言っていないし、完全に壊しきったと思ったのは俺の勝手な想像だ。

 

つまり一度破壊させたと思って俺を油断させ、再度その隙を狙って仕留めようとする魂胆か。戦術としては悪くないし、最後の最後にかくし球を持ってくる。

 

戦術において最も勝率をあげる方法であることには間違いないが……。

 

前の俺には通用したかもしれないが、今の俺には。

 

 

 

 

 

 

 

「……なーんてな」

 

「な、何だと!?」

 

 

効かない。

 

振り下ろされると同時に瞬時加速(イグニッション・ブースト)で背後に回り込む。厳しい訓練を長い時間積んでようやく会得出来るレベルの洗練された動きに、反応一つ出来ずに冷や汗をたらしながら焦りの表情を隠せない。

 

代表候補生のように何時間もの稼働時間を誇るわけでもなければ、普段からISを乗り回している訳でもない。

 

この動きを可能にしているのは自身の身体能力だけではなく、リミット・ブレイクの身体強化によるところが大きい。怪我をした後で動きにキレが無かったものの、それを補うレベルで力が奥底から溢れてくる。

 

それに、スペアを持っていることくらい想定はしている。本気で俺が万が一を想定していないとでも思っていたのか。任務完遂の真髄は常に相手の真意を読み取ること。

 

何か隠し事はしていないか、相手が何を考えているのか。表情や仕草から相手の行動を先読み、把握し的確に対処する。

 

それが任務達成率百パーセントを誇る秘訣だ。

 

 

「はぁっ!」

 

「ぐわぁ!?」

 

 

振りかぶった刀を容赦なくプライドに向かって振り下ろす。伝わる衝撃に耐えきれないまま、苦悶の表情を浮かべる。自分の思い通りの展開に持っていけない。

 

絶対的な力を持ち合わせているというのに、手負いの相手に手玉に取られて、奴の中で混乱の色は隠せない。普段ならどんな相手だろうが、容赦なく切り捨てることが出来ただろうが、あいにく相性が悪かったらしい。

 

ISの稼働時間はプライドの方が長いかもしれないが、生身を含めた単純な実戦経験、生と死の隣合わせの経験の数は俺の方が圧倒的に多い。

 

それに俺や一夏にあって、プライドには無いものがある。その差が埋められない以上、俺に傷を負わせることは出来ないと断言できた。

 

 

「くそっ……くそっ! クソがぁっ!! お前如きが、この死に損ないがコケにしやがってぇ!!」

 

「……まだ分からないのか」

 

「あぁっ!?」

 

「そうか。分からないのなら特別に教えてやる。お前の刀は軽すぎるんだよ」

 

 

軽すぎるというのは刀の重さではなく、奴の刀を振るう目的、信念がまるで伝わって来ないということ。何かのために、誰かのために振るうべき力は自身にとって大きなものとなり、必ず己の成長へと繋がる。

 

プライドも単純な技量だけで言えば、普通に上級者クラスに位置するだろう。

 

一夏と俺にあり、プライドにはないもの。

 

それは誰かのために行動するといった気持ちだ。

 

プライドの刀を振るう理由は単純に、自分の力で弱き者を服従させたいから。

 

自分が上に立つことで優越感に浸りたいから。

 

目の前の人間が傷付き、悲しむ様子を見たいから。

 

自分のためではあっても、他人のための理由は皆無。第一優先が自己満足のために動いているからこそ、覚悟がない。死んでも守り抜くという決死の覚悟が。

 

俺にも守りたい存在はいるし、一夏にもいる。ただプライドはどうだろう。

 

自分以外を卑下し、全ては自分のために行動する。

 

そんなやつが本当に強くあれるだろうか?

 

 

 

―――答えは否、だ。

 

 

「お前の刀には覚悟がない。人を殺める覚悟はあっても、所詮はそれだけだ」

 

「さっきから何をグチグチと言ってやがる!」

 

 

話している最中にも関わらず飛び掛かってくる。先ほどまでは人が話している最中はほとんど攻撃をしてこなかったのに、今ではまるで正反対。

 

表情からも余裕が消え、焦っている様子がひしひしと伝わってきた。

 

 

「お前が、お前みたいなやつが! 俺を見下すなっ!」

 

「……」

 

「な、何だよその表情は! そんな表情で俺を見るんじゃねぇよ!」

 

 

哀れだった。

 

こいつの顔を見て、生き方を想像するだけで、自然と生い立ちが垣間見えるようで。

 

奴の生い立ちを知っているわけではない。

 

それでも戦いだけに全てを注ぎ、力の為だけに自分を捨て、奈落に落ちた人間は決して戻ることは出来ない。俺がどれだけ叩きのめそうとも更正は全く見込めない。

 

まだこいつは気付いていない。守る人がいることがどれだけ己の力を強くするのかを。

 

 

「……哀れな奴だ」

 

「くそ、くそっ! クソォッ! 何で当たらない! 何でお前は俺の攻撃が分かるんだよぉ!」

 

 

プライドの繰り出す攻撃の数々は、当たること無く空を切っていく。

 

特別なことをしたわけではないのに、何故当たらないのか。

 

理由は至極単純で、精神状態に綻びが出来たせいで、正常な思考が出来ていないから。俺と戦うまで自分よりも強い相手と出会うことが無かったのかもしれない、力においては現に絶対的優位を誇っていただろう。

 

ルールの無い喧嘩において、一切負け無し。負けることがなければ、自然と態度も大きくなれば傲慢にもなる。奴の傲慢……まさにプライドの名を象徴する性格だった。

 

単純な力においてはプライドの方が上かもしれない。だが戦場の経験と、単純な戦闘能力では、俺も負ける気はしない。強大な力に対抗できるだけの、スキルや経験は充分に持ち合わせているつもりだ。

 

後はこの機体ならではの機能。己の限界を引き上げ、強大な力を手に入れられる単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)、リミット・ブレイク。

 

プライドを上回る力を手にした。この力にさえ飲み込まれなければ、奴が俺に太刀打ち出来る術はもうない。

 

 

「……お前、一旦基礎からやり直したらどうだ。そんな無茶苦茶な動きじゃ、俺どころか一夏にすら負けるぜ?」

 

「このっ!」

 

 

見上げたしぶとさだ。

 

本来だったら既に心が折れていてもおかしくないというのに、闘争心を失っていない。とはいっても既に型は無茶苦茶であり、攻撃動作の段階でどこに何が来るのかを予測できてしまう。

 

はっきり言えば脅威を感じない。徐々に己の感情をコントロール出来なくなっていると考えれば、もうそう長くはない。

 

これ以上、無駄に戦いを続けても意味はない。プライドは倒すべき相手であり、許してはならない人物。

 

振り下ろしてきた刀を再度、居合い抜きで切り刻むと同時に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……えっ?」

 

 

全ての事象を切り裂く、プライドの刀までをも真っ二つに叩き割った。

 

ガラガラと崩れていく刀を呆然と見つめるプライドに、一切表情を変えないまま睨み付ける。

 

 

「刀の性能に頼り過ぎだ。自らの力を過信し、相手を格下だと決めつけて力量を見誤ったお前に、その刀を扱う資格はない」

 

「そ、そんな……俺が俺が……」

 

「はぁっ!」

 

「がはっ!?」

 

 

装備を失ったプライドに追い討ちをかけるように斬撃を叩き込む。回避が間に合わず、モロに攻撃を受けて吹き飛ぶ。回避が間に合わないのはリミット・ブレイクを使い、身体能力を大幅に引き上げているから。

 

従来の身体能力にプラスで、リミット・ブレイクによる身体強化。そして自らの身体能力に比例して、俺の専用機は真の力を発揮する。

 

単純な居合い抜きすら目で追いきれなかったプライドに、俺の攻撃をかわす能力は無い。頼みの綱である刀も二つまとめて使い物にならなくなった。

 

 

「分かるか? 無力の人間がいたぶられる様子が」

 

 

吹き飛ぶプライドの後を追い掛けながら、加えて斬撃を叩き込んでいく。

 

縦横斜め、縦横無尽の攻撃の応酬にたまらず機体が浮き上がる。今まで無力の人間に、敗けを認めた人間に、こいつは何をしてきたのか。

 

人として決して許されないであろう行為の繰り返し。

 

自身の過ちを反省することもなく、面白いからという理由だけで人を傷付けたこと。

 

何より俺の妹を傷付け、大切な仲間たちにまで手を出そうとしたこと。

 

 

「遅い」

 

 

切り返そうとする暇など与えるものか。

 

抵抗させる間も与えずに攻撃を叩き込んでいく。俺のスピードにブライドはついてこれていなかった。成す統べなく、俺の斬撃を受け続けるだけ。

 

確かにプライドは強い。だが俺よりも弱い。

 

この現状が何よりも物語っていた。

 

 

端から見たら、俺が一方的にいたぶっているように見えるだろう。それをこいつは抵抗する手段の無いラウラに、容赦なく行った。

 

 

 

怖い、助けて。

 

 

頭の中を交差する言葉が容易に浮かぶ。

 

 

 

 

 

「や、やめろっ!」

 

 

両手を突きだし、力任せに俺の体を退けようとする。

 

……そろそろ頃合いか。もうプライドに戦う術どころか、戦う気力も残されていない。

 

奴が絶対的に自信を持っていた刀を再生不可能レベルにまで破壊し、機体の性能ではどうあがいても俺の機体に勝てないことを身を以て知らしめた。

 

あがくのは勝手だが、このままでは自分自身が惨めになるだけ。

 

 

「やめろよ……くそっ。俺が……俺が……」

 

 

奴の目にはこう映っていることだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ようプライド。俺が怖いか?」

 

「……ぁ」

 

 

絞り出すかのように漏れる声が全てを物語っていた。

 

荒れる呼吸を整え、顔を上げたプライドの顔は、とても戦いが始まる前からは考えられないほど絶望に満ちたものだった。

 

打つ手が全く無くなった時、こんな表情をするのかと思うと他人事には思えなかった。

 

自分の脳裏に焼き付けなければならない。もし俺が絶望の底に叩き落とされた時、どのような顔をするのかと。

 

 

「悪いが今までやって来たことを考えたら、手加減は出来ねぇ。せめてもの慈悲だ、一気に終わらせてやる」

 

 

手加減はいらない。

 

これで何もかも終わらせる。

 

リミット・ブレイクの利用時間もそう長くはない、もたもたと語っている暇もなければ余裕もない。両手に握る刀にあふれ出すエネルギーを纏わせると、青色に輝き始める。全身の力を両手に集約させ、目を細める。

 

第一段階は、目で追えても体が反応しないほどのハイスピードコンボ。身体能力の引き上げにより、不死鳥の性能を最大限に引き出すことが出来る。

 

 

「俺は……負けるわけには、負けるわけにはっ!!」

 

 

負けることが何よりの屈辱だと自負しているプライドは、壊れたオルゴールのように何度も何度も、負ける訳にはいかないと呟く。

 

既に視線は下を俯いたままで俺を向いていない。強大な力を更に強大な力で押さえ付けられる恐怖をまざまざと見せつけられたのだから、心が折れていたとしても何ら不思議ではない。

 

もしコイツが幼い頃に千尋姉に出会っていたとしたら、もう少し未来は変わっていたかもしれない。しかしそれも後の祭り。現状は倒すべき敵であり、情けをかける必要は一切ない。

 

 

「負けるわけには……か。諦めろ、お前の未来はもう決まっている」

 

「な、何なんだ……何なんだよお前はっ!?」

 

「……」

 

 

プライドには俺が別ベクトルにいる人間に見えることだろう。

 

その考え方はあながち間違ってはいない。もう俺は普通の人間には戻れない。

 

潰されたと思っていた左眼は、高速で飛び交う弾丸の嵐を目視ではっきりと追えるほどであり、ISのハイパーセンサーを凌ぐ代物だ。

 

眼帯で隠しているのは潰れた眼を見られたくないからではなく、異形な眼を見て怖がられるのが怖いから。

 

見た目は人間であったとしても、全てにおいて一般人と同じだとは言えないほどに、人間を超越してしまった。

 

 

人に人として見られなくなるのは怖い。だからこそ、左眼は眼帯で封印した。

 

それでもやることは決まっている。自分の現状を把握するのは、この戦いが終わった少し後でも遅くはない。

 

 

「何とでも思えばいいだろう。俺はお前が憎い、大切な存在を傷付けられて、今すぐにでも殺してやりたいくらいだ」

 

 

殺気を込めた眼差しでプライドを射抜く。

 

 

「このっ……化け物が!」

 

「化け物で結構。同類に言われたところで痛くも痒くもない。今後その不愉快な顔を見なくなるだけ、ストレスも溜まりにくくなるだろうし、俺にとっては良いこと尽くしだ」

 

 

何気なく放つ一言。

 

言葉の意味を解釈した時、俺が何を言ったのか理解する。

 

 

「……まさか」

 

「そういうことだ」

 

 

物分りが良くて助かる。

 

俺は遠回しに、"お前を殺せば"二度と不愉快な面でストレスが溜まることはないと伝えた。目からハイライトを消し、無機質な表情のまま、プライドの返事を肯定する。

 

 

「あぁ、安心しろ死んだ瞬間も分からないくらいに、あっという間に逝かせてやるから」

 

「くそっ、やめ……」

 

 

両手にエネルギーが行き渡ったところで、翼を広げてプライドへと向かう。何かをゴタゴタと言っているが、今の俺の耳には何一つ聞こえない。

 

何があっても朽ちず、翼を折られても不屈の魂で立ち上がれる専用機、不死鳥。こいつの真の力を知るのはまだまだ遠い先の未来になる。

 

十メートル、数メートルと縮まる距離。相手が何を考えているのかは分からない。それでも俺が今すべきことは一つ。

 

 

 

 

 

 

この力で、皆を守り抜くこと。

 

 

「……刀剣乱舞(かまいたち)

 

 

両手の刀を振り下ろすと同時に、大きな渦を発生させて相手に向かって飛ばす。

渦の中は幾多もの斬撃が潜んでいる。四方八方から襲い来る斬撃は後ろに目でもついていない限り、完全に防ぎ切ることは不可能。

 

 

「ぐぁぁああああああああああああああ!!?」

 

 

渦の中に引きずり込まれ、斬撃の嵐を直接食らうプライド。渦の中に居るせいで身動き自体まともに取ることが出来ず、中から抜け出すことが出来ない。

 

何も出来ないまま、自身のシールドエネルギーが削られていくのを待つだけ。

 

 

「……」

 

 

攻撃が終わり、渦の外へと投げ出されるプライド。

 

既に攻撃によるダメージからかぐったりしており、とても戦えるような状況ではないのは明らか。が、まだISのシールドエネルギーは残っていた。

 

力なく落ちていくプライドの手首を掴み、そのまま持ち上げる。

 

 

「や、やめてくれ……俺が一体何をしたって……ぐぁっ!?」

 

「まだ自分の立場が分かってないみたいだから言ってやる。お前がやったことは到底許されるものじゃない……人の大切な仲間を傷付けておいて、よく平気でいられるな」

 

 

握り締めた手首を持ち上げて、顔面に一発拳骨を叩き込む。未だに自分が悪いとは思っていないこと、自分の保身だけを考えた身勝手な考え方に無性に腹が立った。

 

俺なんかどうでも良い。コイツはラウラに手を掛けておいて、そのくせ何をしただと?

 

ふざけるなよ。

 

 

「お前をこのまま野放しにするつもりはない。ここで俺が全てを終わらせてやる」

 

「い、良いのか!? 俺を殺しても! お前は人を守るのが仕事だろ! 罪悪感は……」

 

 

罪悪感か。

 

確かに人を殺したら少なからず罪悪感に苛まれることだろう。これまで幾多もの任務をこなしてきたが、人を殺めたことは一度たりとも無かった。

 

俺だって人間だ。誰かを傷付けることに罪悪感が全くない訳じゃない。ましてや人を殺すだなんて一度たりとも考えたことは無い。

 

しかしそれは俺の考え方の話であり、プライドが何かを言ったところで聞く耳など無い。

 

お前が言うのかと、お前が俺の仕事の何が分かるのかと。

 

散々人を傷付けたお前が、罪悪感が無いだと?

 

馬鹿馬鹿しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――馬鹿かお前は、自分で言っていただろう? 害虫を殺すのに、態々理由なんかつけるのか?」

 

 

それは戦う前にプライドが俺に返した言葉。

 

ラウラを傷付けた理由、単純に面白いから。付け加えるようにプライドの口から放たれた言葉をはっきりと覚えている。

 

だからこそこの場で伝える、自分の言葉には責任を持てと。

 

 

「は、はは……クソッタレが……」

 

 

自分の発した言葉をそっくりそのまま返され、プライドは忌々しげに舌打ちをする。

 

ほぼ無傷な俺とは違って、全身ズタボロ。顔には俺が何度も殴打した痕が残り、口には血だまりが出来ている。体に纏う機体にもいくつもの切り傷が付き、シールドエネルギーはほぼ尽きかけ。残されている装備は遠距離用のガトリングだけ、しかも展開するだけのエネルギーすら残っていない。

 

 

本当にこれで終わりだ。

 

 

「じゃあな」

 

 

右手を振りかぶり、プライド目掛けて振り下ろす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お兄ちゃん上だ!』

 

 

当たる瞬間、突然オープン・チャネルからラウラの声が飛び込んできた。

 

声色から察するに並々ならぬ事態を把握し、プライドを掴んでいる手を離して飛びのく。

 

刹那、俺の居た場所にピンポイントでレーザーの嵐が降り注ぐ。一歩反応が遅れたらレーザーの嵐を直で受けていたことだろう。ラウラの咄嗟の機転に感謝するとともに、上空へと視線を向ける。

 

 

「……」

 

 

量産機であるラファールを身に纏い、こちらをじろりと見つめる少女が一人。今のレーザーはこの少女が放ったのだとすると、操縦に相当手馴れていることになる。

 

 

「……ちい、回収されたか」

 

 

気付いたことがもう一点。

 

先ほどまで戦っていたはずのプライドの姿が無い、ラファールに乗っている少女の手元を見るとISを解除したプライドが握られている。

 

 

「てめぇ、何故助けに来た……」

 

「無様だな。自信満々に出て行った割には無様に負けて……これ以上、私たちの顔に泥を塗ってくれるな」

 

「離せ……俺はまだ戦える」

 

「ぬかせ。二度は言わないぞ、これ以上泥を塗るな。貴様の機体は唯一無二。それにこの男との力量差は明らかだ。何度やってもお前ではこの男には勝てない」

 

「ぐっ……」

 

 

どうやらプライドの仲間らしい。

 

仲間とは言っても会話の交わし方を見ると、互いに信頼関係は皆無のようだ。少女の様子を見るとあくまで今回はプライドを回収に来ただけであって、俺たちと交戦するつもりはないらしい。

 

正直な話、最後の一撃を叩き込めなかった段階でリミット・ブレイクの稼働時間が切れてしまった。こちらにとっても戦う気が無いのは僥倖かもしれない。

 

ただ油断は禁物、集中力を切らさぬように少女の方を見つめる。

 

 

後この少女の顔、どこかで見たことがあるような気がする。ずっと昔の話ではなく、ここ最近どこかで。

 

 

「今回は退かせてもらう。再戦はまた遠くない未来にあるだろう、その時は容赦はしない」

 

 

一言だけ言い残すと、少女はその場から去っていく。

 

呆気ない終わりだが、下手な深追いは禁物。仕留めきれなかったのは悔しいが、こちらのこちらで損害が大きすぎる。これ以上深追いしたところで、この機体のエネルギーが持つ保証も無いし、遠くなる後姿を見つめることしか出来なかった。

 

姿が完全に消えたことを確認し、俺は臨戦態勢を解く。

 

 

―――終わった。

 

あれだけプライドの心をへし折ったのだ。すぐに立ち直るとは考えにくいし、そう易々と再戦を挑んでくるとも考えにくい。しばらくはあの顔を見なくて済むと考えると清々する。

 

納得が行かない部分は多々あるが仕方ない。こればかりは運命だったと思って、納得させるしか方法は無い。

 

さぁ、皆の元へと帰ろう。

 

不死鳥の翼を広げ、俺は皆の元へと戻っていくのだった。



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雨降って地固まる

 

 

 

「一夏!」

 

「うぉぉおおおおおおおおおおおお!!」

 

 

渾身の力を込めた一撃を、福音に叩き込む。

 

最大出力の零落白夜を叩き込み、力任せに福音を押し切ろうとする。一撃に抵抗するように手を伸ばし、一夏の首に手を掛けた。力を込めて首筋に指先が食い込もうとした瞬間、福音の全身から力が抜けはじめ、動きを停止させた。

 

間一髪、ギリギリのところで福音のエネルギー残量をゼロにすることに成功し、動きが止まる。勝った……そう判断するのに時間は掛からなかった。福音の装甲が光の粒子となり剥がれ落ちていく。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

身をかがめて荒ぶる呼吸を整える。疲労などとうに限界を突破していた。全てが終わったことによる疲れが一気に全身に押し寄せ、体が動かなくなる。

 

体が動かなくなると同時に、思考もままならなくなる。福音はエネルギーが尽きたことにより、装甲は粒子となって剥がれ落ちていく。つまり福音の操縦者は生身のまま、空中に放り出されることになる。

 

気付いた時既に遅し、装甲が剥がれ落ちた操縦者は気を失ったまま空中に放り出され、海面に向かって真っ逆さまに落ちていく。

 

 

「しまっ……!?」

 

 

零落白夜を使用したことで、瞬時加速(イグニッション・ブースト)を使うだけのエネルギーが残っていない。今から駆け着けようにも間に合わず、このままでは海面に叩きつけられてしまう。こんな高さから落ちたら到底助かる見込みは無い。

 

慌てて操縦者の後を追う一夏だが、海面に叩きつける瞬間、目の前を高速で飛行する黒が目に入った。

 

 

「ったく、ツメが甘いんだよ一夏。最後くらい締めてみせろ」

 

「っ! 大和!」

 

 

ニヤリと勝気な笑みを見せる、親友の姿がそこにはあった。

 

怪我をしたとは聞いていたが、後遺症を感じさせないレベルの機敏な動きを見せている。たった一人場にいるだけで、何とかなると思える存在を心の奥底で羨ましいと思った。

 

 

 

大和の両手にはISスーツを纏う操縦者が乗せられている。幸い大きな怪我もなく、ただ気を失っているだけらしい。美しい金髪が特徴的な彼女を見つめながら、ふと心の奥底でどうして福音があれだけ抵抗したのかを考える。

 

 

(福音は彼女を守ろうと……)

 

 

福音は決して無差別に一夏や皆を攻撃したわけではない。

 

操縦者である彼女を外敵から守る為に、やむなく攻撃をしたのでは無いかと。

 

何とも言えない気持ちになりながらも海面スレスレの状態から、大空へ向けて上昇しようとする大和。皆の居る空へ、再度戻ろうとした。

 

 

その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

「―――ッ!!!!?」

 

 

左眼ではなく全身を襲う痛み。

 

痛みが出た瞬間に悟る、この痛みは先ほどまで使っていたリミット・ブレイクの副作用であると。

 

どんな副作用があるかも分からない機能をおいそれと使うわけにはいかなかったが、満身創痍の体を動かすには仕方ないと、一番最初のギアを開放した大和。

 

多少の副作用は想定していたが、全身を襲う想定外の痛みに大和は動きを止めた。

 

ズキズキと全身を襲う痛みに、体を動かすことが出来ない。無理に動かそうとすればまた傷口が開いてしまうだけではなく、救った操縦者までも危険にさらしてしまう。

 

 

(くっそ……第一段階でこの痛みかよっ!?)

 

 

リミット・ブレイクは従来ある操縦者の身体能力をエネルギーを使うことで引き上げ、限界以上の力を引き出す諸刃の剣。人間は普段時、力の二十パーセントも使えていない。それをエネルギーを使うことで力のリミッターを外し、普段使うことの出来ない力を開放出来てしまう。

 

通常のISであれば身体能力を上げたところで大きな違いが出ることは無いものの、大和のISは操縦者の身体能力に比例して真の力を発揮するといった特性を持っている。

 

今までのISの常識を覆す機体であることは間違いないが、普通のIS操縦者が大和のような機体を乗ることはまずない。そもそも開発元は身体能力に比例して力を発揮するISを作ろうとしない。

 

専用機を持つ人間はある程度の運動神経を持ち合わせていることは確かだが、人並み外れた運動神経を持ち合わせている人間はいない。大和の場合は一般人を遥かに上回る身体能力を持ち合わせているからこそ、このISと相性が合う。一般人では大和のISを使いこなせない。

 

故に身体能力に比例して力を発揮するISは欠陥機と認定される。

 

 

話を戻すが、普段使うことの出来ない力を使おうとすれば体にとてつもない負荷が掛かる。よく火事場の馬鹿力なんて言葉を耳にするが、人間が窮地に陥った時、脳が判断して眠っている力を引き出せてしまう。実際、その力を使った後は強烈な疲労感に見舞われたり、立つことすらままならなくなってしまう等、副作用があるのも事実。

 

 

この単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)も同じような形ではあるとはいえ限度があり、本来第一段階でここまでの痛みが出ることはほぼない。

 

 

 

 

ここまで痛みが出てしまったのは大和が病み上がりの体で使ってしまったから。

 

実は塞いでいる最中だと思っている大きな傷口はもう塞がっている。どうして塞がっているのかは分からないが、大和のISの自然治癒能力が働いたのかもしれない。それはあくまで机上の空論であり、事実を特定することは不可能だ。

 

傷口が塞がっているとはいえ、元々体が大きく疲弊しているところにリミッターを外すようなことをすれば通常以上の負荷が掛かってしまう。

 

 

継続的に襲ってくる痛みに、大和は場から動けず顔をしかめる。

 

 

操縦者を落とさないようにバランスを取っているが、このままでは……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――あんたも大概、ツメが甘いわよね大和」

 

「最後くらいしっかり締めろ……だよね、大和?」

 

 

生意気な言葉と共に、大和の両腕が支えられる。不意に軽くなった体に驚きを隠せずに、左右を確認するとそこにはダメージから復活した鈴とシャルロットの姿があった。

 

 

「……ちっ、うるせーよ」

 

 

揚げ足を取られ、恥ずかしそうにそっぽを向く大和に、笑みを浮かべる二人。今まで散々揚げ足を取られまくったのだ、この時ばかりは意地悪しても良いだろうと思うのだった。

 

 

 

 

上空へと大和を機体さら押し上げていく。一夏や箒の元へ辿り着く時には副作用も幾分収まり、通常の稼働をする分にはさほど問題は無かった。

 

ラウラやセシリアも無事であり、何とか全員無事に帰投出来る準備は整った。

 

大きくため息をつき、事が終わったことを再認識すると同時に押し寄せる疲労感。よくこんな状況下で動けたなと苦笑いが出てくる。とはいえさすがにこのまま福音の操縦者を運ぶには危険すぎると判断し、操縦者の体を鈴へと預ける。

 

 

「鈴、シャルロット、もう大丈夫だ。一人で行ける。その替わりこの人を……」

 

「ええ、分かったわ。あんたもしっかりしなさいよ。妹の前で不甲斐ない姿、見せられないでしょ?」

 

「ん、まぁな。それ以上に何を言われるか分かったもんじゃないけど」

 

 

手を出すなと命令し、勝手に大怪我をしたことを根に持っていないとは到底思えない。本気で殴られるんじゃないかと想像し、苦い顔を浮かべる。

 

 

「全くだよ。……僕だってあんな大和の姿、もう見たくない」

 

「……悪い」

 

 

シャルロットは大怪我をした時の大和の姿を見ている。肩から下腹部に掛けて大きく開いた傷口に、大量にあふれ出る鮮血。誰がどう見ても助からないと思える大怪我を目の当たりにして、正常な思考が出来るはずが無かった。もしあれが作戦中で気が張り詰めてなければ、シャルロット自身も気を失っていただろう。

 

人が怪我する姿を見たい人間などいやしない。

 

大きな心配を掛けてしまったことで表情を暗くするシャルロットに謝罪の言葉を述べる。

 

 

「あっ……ラウラ」

 

 

大和の背後に向かってシャルロットは声を漏らす。

 

声につられるように後ろを振り向く大和の目に飛び込んできたのは、今にも泣き出しそうなラウラの姿だった。申し訳なさからか、バツが悪そうな表情を浮かべる大和の元に歩み寄ってくる。

 

 

「……」

 

「あの、さ。ラウラ……」

 

 

手を伸ばして顔や体、両手をペタペタと触るラウラ。

 

興味本位で触られているような感じがして妙にむず痒くなる。それでも自分が守りたい大切な存在に触られて嫌な感じはしなかった。そうはいっても周囲にはこぞって専用機持ちたちが全員集結している、恥ずかしくないと言えば嘘になるが、ラウラに対する申し訳なさがそれを緩和していた。

 

 

「お兄ちゃん、傷跡は……?」

 

「え? 傷跡はまだ残って……ちょ!? 何処触って!」

 

 

何を思ったのか、大和のISスーツに手を伸ばしたかと思うと肩口のスーツを捲る。急な行動にさすがにやめさせようとする大和だったが、ラウラの行動はそれよりも早かった。傷口を見られていい気がしないのは当然……なのだがそれとは別に大和には見られたくない理由があった。

 

それは……。

 

 

「傷跡が……ない?」

 

「え!?」

 

 

ラウラの言葉に、周囲の専用機持ちたちが信じられないといった形相を浮かべながら集まってくる。しまったと言わんばかりに顔を押さえる大和だが時すでに遅し、ラウラはもちろんのこと全員に自身の傷口が完全に塞がっていることを知られてしまった。

 

大和も気付いたのはついさっきのことであり、今言ってしまうと混乱してしまうことを危惧してあえて言わずに済まそうとしたのだが、意外なところから真実が判明してしまった。

 

肩口から下腹部に出来た大きな傷跡は完全に消え去り、手術痕すらも無くなっている。一体なぜと困惑の表情を浮かべる一同を余所に、ラウラは更なる行動に打って出る。

 

 

「じゃ、じゃあ左眼も!」

 

 

大和の眼帯に手を掛けて、引きはがそうとするが引きはがす前に大和に止められる。

 

ラウラの手を止めた後、自身の手で左眼の眼帯を取り去る大和。

 

 

「あ……」

 

 

全員の目に映る真実。

 

そこには完全に閉じた大和の左眼があった。瞼には切り付けられた時に出来た傷跡が残り、塞がった瞼が開く様子は一向に見られない。

 

残念がる一同。体の傷が治っているならと淡い期待を持ちつつも、その期待は一瞬で消えた。

 

 

「ははっ……眼まで治ってくれれば良かったんだけど……神経が完全に分断しちまっているみたいでな、どうしようも無かったよ」

 

 

目の前の現実が全て。

 

体の傷は治っていても、神経までをも切り裂いた左眼は如何なる方法を取ったとしても治ることが無かった。

 

……と言うのは表向きの話。

 

元々の左眼は完全に潰れてしまっているが、代わりに新たなる左眼が開眼している。しかしその眼を見れば誰もが疑問に思うだろう。

 

本当の意味で人間を超越した左眼の存在はまだ誰にも教えられない。あえて左眼を閉じたまま全員に見せたのには、混乱を招かないため。この左眼の存在は今は誰にも知られるわけには、教えるわけにはいかなかった。

 

再び眼帯を付け直し、自身の傍で下を俯くラウラに声を掛ける。

 

 

「ラウラ、大丈夫か?」

 

「……」

 

 

声を掛けても反応しないラウラの方に手を置き、軽くユサユサと揺らしてみるが反応が無い。

 

 

「……ラウラ?」

 

 

もう一度声を掛けてみる大和だが、下を俯いたまま顔を上げようとしない。

 

どうしたのだろうと疑問に思うが、こんな時どうすればいいのかと近くにいるシャルロットにアイコンタクトでヘルプを送る。

 

 

「……」

 

「……?」

 

 

表情で返って来たのはただの苦笑いだった。シャルロットはラウラの行動が分かっているのか、しかし大和には苦笑いの意味が分からず首を傾げるばかり。しかしこの後起こる事象でシャルロットの行動が判明することになる。シャルロットが苦笑いを浮かべたのには理由があった。

 

 

「え?」

 

 

先ほどまで無かった変化が明確に表れる。掴んでいたラウラの体が小刻みに震え始めた。

 

薄着だから寒いのか、いや違う。

 

寒いのならもっと早くに前兆があるはず、寒がる以外に体を震わせることがあるとすればなんだろう。

 

 

冷静に考え始めた大和は結論に行きついたのか、気持ち顔色がよろしくない。同時にシャルロットが苦笑いを浮かべた理由も判明し、再度壊れたロボットのようにギギギと、シャルロットの方へと顔を向ける。意味を悟った大和に小刻みに顔を縦に振るシャルロット、苦笑いを浮かべた理由はただ一つ。

 

今まで下を俯いていたラウラが顔を上げる。

 

 

「う……うぅ……うう……」

 

「うわぁ!?」

 

 

眼帯があるせいで分からないが、右眼に零れそうなほどの涙を溜めて、泣き出すのを堪えるラウラの姿があった。何とか堪えようと我慢を続けていたラウラだったが、自分にとって最も大切だった兄が傷付いた悲しみは想像を絶するものだった。本当なら戦っている時も泣いて逃げたいほどに耐えていた。

 

加えて戦いが終わったことで張り詰めていた緊張が解け、ラウラの我慢していたリミッターが外れた。加えて大和が無事だったことに安堵し、嬉しさが押し寄せると共に込み上げてきたのは、我慢していた大量の涙だった。

 

 

(……あっ、これはやばいやつだ)

 

 

本能で悟る。

 

これは何をしようとも止められないと。シャルロットの苦笑いは、大和が何をしたところで止められないと伝える意味があったのだ。泣きたい時は何をしても止められない。

 

プライドと戦う前にあやす感じでラウラを落ち着かせたが、今回のは比が違う。

 

完全に涙が出てきてしまっている。

 

 

堪えきれない。これはいくら優しい言葉を投げかけたところで止められるものではない。周囲を見渡せば一夏を除いた全員が、耳を塞いで来るべき事象に備えているではないか。

 

 

そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁぁぁぁあああああああああん!!!!」

 

 

朝日が昇る会場に響き渡る一人の少女の泣き声。泣き止む様子が見られない少女を優しく抱き寄せる少年。今まで溜まっていたものを晴らすかの流れ出る涙は、全ての終結を物語っていた。

 

作戦開始時に周囲を覆っていた闇は取り去られ、晴れやかな心を現すかのように一面を朝日が照らす。

 

この戦いで少なからず失ったものはあった。だが被害が最小限に抑えられたのは勇敢な少年少女のおかげだったとも言えるだろう。泣き止まないラウラをどこか安堵した表情で見つめる一向、心に溜まっていたモヤが取れ、全員の顔は晴れやかなものだった。

 

全ての終結、作戦を完遂した一行はラウラが泣き止んだ後、旅館へと帰投するのだった。

 

 

 

……余談だが、ラウラが泣き止んだのはそれから十数分後のことだったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「作戦完了……と言いたいところだが、お前たちは独自行動により重大な違反を犯した。帰ったらすぐ反省文の提出と懲罰用の特別トレーニングを用意しているから、そのつもりでいろ」

 

「……はい」

 

 

作戦を終え、ようやく一息つけると思った俺たちに待っていたのは千冬さんによる説教地獄だった。かれこれどれくらい正座をさせられているのだろうと思うくらい長時間正座をさせられた俺たちの足は、既に痺れで感覚が無くなり掛けていた。

 

普段正座に慣れているメンバーは軒並み大丈夫な方だが、セシリアやシャルロットは完全に足の痺れがピークに達していて、顔色がよろしくない。逆にラウラは顔つきこそ険しいものの、足の痺れは全く感じさせていなかった。

 

ラウラもさっきまでは泣きっぱなしで、何を言っても泣き止んでくれなかったが、ようやく落ち着きを取り戻して今に至る。目元には涙の跡が残るが、一旦は落ち着いてくれている。

 

もう泣かれるのはこりごりだが、正直泣かせない自信がないのは何故だろう。

 

 

 

作戦こそ成功したが、この作戦は千冬さんたちの命令により動いたわけではなく、専用機持ちたちによる独断専行で動いたものになる。自室待機をしろと言われていたにも関わらず、命令を無視して勝手に動いたのは完全な命令違反であり、停学……下手をすれば専用機を剥奪されても文句を言えないレベルの違反を犯したことにもなる。

 

千冬さんの口から述べられる一言一言にぐぅの音も出ずに、ただひたすら頷くことしか出来ないでいる。そりゃそうだ、悪いのは完全に俺たちなのだから。

 

 

「……それと」

 

 

仁王立ちだった千冬さんが不意に俺の方に向かって歩き始める。

 

何だろうかと目線を下にしたままでいると、俺の前で足が止まった。俺個人に話があるのだろうかと顔を上げようとすると。

 

 

「この……大馬鹿者がっ!!」

 

「―――っっっ!!!??」

 

 

脳天に落ちる拳骨。

 

容赦ない手加減なしの一撃に、肉体同士が触れ合ってはならない音と共に、強烈な痛みが俺を襲う。

 

 

「お、織斑先生!」

 

 

千冬さんを止めようとする山田先生だが、鋭い眼光により何も言えずに引き下がる。

 

そのまま胸ぐらを掴まれたかと思うと、力任せに強引にその場に立たされた。目の前には千冬さんの顔がある、今まで見たどの千冬さんの顔よりも怖い。

 

何かを言い返すことも出来ず、千冬さんの顔を見つめることしか出来なかった。

 

 

「無茶をして大怪我をしたにも関わらず、勝手に病院を抜け出し、挙げ句の果てに監視の看護師を気絶させるだと!? そんな馬鹿げた話があるかっ!!」

 

 

そう、あえて伏せてはいたが俺は病院を抜け出す際に部屋の前を巡回していた看護師の一人を気絶させている。

 

それにより病院側は俺が誰かに誘拐されたのではないかと思い、一時は警察まで出動して大混乱になってしまった。

 

当然その報告は千冬さんの元へ行き、事実を話して今に至る。

 

殴られた頭は贔屓目なしに痛い、でもそれ以上に心が痛んだ。

 

悪いことをしたのは分かっている。悪いことだと分かっていて、実行に移ったのだ。全ての人を完全に裏切った形になる。改めて事実を突き付けられ、酷く心が痛むと共に申し訳なさが込み上げてきた。

 

 

「……すみませんでした」

 

「謝って済む問題ではない! 自分の立場がどういう立場か分かっているのか!? 病院での出来事ならいくらでもこちらが謝ろう。だが、お前一人を失うことで、どれだけの損失が出ると思っている!」

 

「はい……」

 

 

返す言葉も見当たらない。

 

千冬さんの一方的な説教に、ただただ頷くことしか出来なかった。

 

 

「……お前の代わりは居ないんだ。もう少し、自分の身を大切にしろ。この大馬鹿者が」

 

「……はい」

 

 

 

 

 

 

人生でこんなに謝ったことはないと思えるくらいずっと頭を下げ続けている。

 

俺の身勝手な行動で被害を被ったのは、ラウラだけではない。千冬さんを初めとした学園関係者、そして病院の医療関係者共々に迷惑を掛けてしまった。

 

頭を下げるだけでは到底済まなさそうな問題ばかりだが、それを全て千冬さんが庇ってくれているのだろうと思えば思うほど心も痛むし、何より自分自身の身勝手さに無性に腹が立った。

 

 

「あ、あの、織斑先生。その、霧夜くんは怪我人ですし、他にも怪我をしている子もいるのでそのくらいで……」

 

「ふん……」

 

 

この時ばかりは山田先生が天使に見えた。

 

納得がいかないながらもようやく千冬さんは引き下がる。納得が行かないのも当然、それだけ事態が大事だということがひしひしと伝わってくる。

 

 

「じゃ、じゃあ一旦休憩してから診断しましょう! ちゃんと服を脱いで全身見せてくださいね! ……あっ、男女別ですよ!」

 

 

これで男女合同だったら大惨事、念を押して伝える山田先生に分かっていますとアイコンタクトを送り、大きく頷いた。

 

 

「あ、これを持っていって下さい」

 

 

どこから取り出したのか、スポーツドリンクを俺と一夏に手渡す。そういえば長らく水分を取ってない。お陰様で喉はカラカラ、口の中はカサカサになっていた。口を開け、渇いた喉を潤す。

 

作戦前から飲まず食わずの状態だったためか、いつも飲むスポーツドリンクよりも何倍も美味しく感じられた。ささやかな気遣いに感謝しつつも、退室の準備を始める。

 

女性陣が着替えを始めることだし、邪魔者はさっさと退散することにしよう。立ち上がろうとすると、ずっと俺たちの方を見つめる視線が一つあることに気付く。

 

 

「?」

 

「……」

 

 

千冬さんだった。

 

先程よりも幾分表情が柔らかくなっている。いや、いつもの凛とした表情は変わらないが、どことなく雰囲気にトゲが無くなったというか。

 

 

「な、何でしょう?」

 

 

たまらず一夏が聞き返す。

 

流石にずっと見られていると落ち着かない。まだ話があるのかと待ち構えるが……。

 

 

「……まぁ、良くやった。全員よく無事に帰ってきたな」

 

「え?」

 

「はい?」

 

 

俺が一夏が口々に間の抜けた返事をする。

 

同時に千冬さんはプイと顔を逸らした。心なしか後ろから見える耳がほのかに赤い気もする。照れ臭そうに言う千冬さんの言葉を理解し、一夏が皆が笑顔になる。

 

実の弟が、生徒が危険におかされて心配しない教師は居ない。表面上は取り繕っているが、きっと千冬さんも相当な心配をしただろう。特に一夏が墜とされた時は、気が気でいられなかったはず。

 

それでもこうして不器用ながらも心配してくれる心遣いが嬉しく思えた。

 

さぁ、俺たちがいつまでもここにいたらいつまでも女性陣の診断を始められない。

 

もう一度部屋を出ていこうとする。

 

 

「……あれ?」

 

 

部屋を出ていこうとしたは良いが、目の前にいる千冬さんが急に斜めになった。千冬さんだけではない、視界に映る全ての世界が斜めになっている。

 

 

「大和?」

 

 

どこからか一夏の声が聞こえる。聞こえるはいいが思考がままならない。体の自由が利かない、さっき千冬さんに殴られたからか……いや、違う。

 

あの程度の痛みで体に異常を来すほど柔な鍛え方はしていないし体でもない。

 

まさかリミット・ブレイクのダメージがまだ……。

 

考える間もなく俺の世界は反転する。天井が見えたかと思うと、再び俺の意識はブラックアウトした。

 



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第十一章-KIZUNA-
すれ違い


 

 

「……ここ、は?」

 

 

見慣れた天井が視界に入る。

 

部屋を出ようとしたら気を失ったのは覚えているが、その後どうなったのか。

 

 

「! お兄ちゃん!」

 

 

枕元から掛けられる声に、反射的に振り向く。浴衣を着たラウラが心配そうに俺の方を見つめていた。体を起こし、異常がないことを確認する。起きたばかりで頭は働いていないが、それ以外は特にこれといった問題はない。

 

記憶の一部が飛んでいる訳でもなければ、自分が誰か分からない訳でもない。至って平常な健康体だった。

 

 

「ラウラ……んぁ、もう夕方!?」

 

 

窓から差し込む日の光は既に茜色。ここに帰ってきたのが朝早くだとしても、数時間寝ていたことになる。それこそ完全に昼間の時間帯を潰して。

 

 

「良かった……また目を覚まさないんじゃないかと思って」

 

 

そんなわけ無いだろうと言い返そうとするが、ラウラの悲しそうな表情の前に何も言えなかった。

 

俺としてはただ単に気を失っていただけかもしれない。

 

でもラウラは違う。

 

もしかしたら今度こそ目を覚まさないかもしれない。現に可能性としてあり得る話だ、リミット・ブレイクの副作用は何が起こるか分からない。

 

あのまま目を覚まさずに植物人間状態になる可能性だって十分考えられる。目の前で俺を失ってしまうかもしれない恐怖と戦っている時、ラウラは何を思っていただろう。

 

きっと怖かったに違いない。

 

 

「……お兄ちゃん」

 

 

控え目に俺の方へと近寄ると、俺の体に抱きつき顔を胸元に埋める。離れないようにと抱き寄せると、ラウラの体は微かに震えていた。

 

俺が起きるまでの間、ずっと付きっきりだったんだろう。きっと目を覚ますことを信じて俺のことを待ってくれていた。少しでもラウラを安心させるように、両腕に力を込めて抱き締める。

 

まるで子猫を抱き締めているような気分だ。ラウラは同世代の女の子に比べれば小柄であり、俺と向かい合うように抱き合っても顔が胸元に来る。妙に恥ずかしい気分になるが、いずれは慣れてくれると信じている。

 

 

恋人でもない限りこんなことはしないが、ラウラなら良いかと思ってしまう。抱き寄せている手前口に出して言うことは出来ないが、側に居てくれるだけで安心するというか……。

 

どことなくナギに向ける感情と似た感情に思えた。

 

 

 

そんな俺をよそに胸元に耳を当て、満足そうにラウラは微笑む。

 

 

「お兄ちゃんの心臓、ちゃんと動いている……」

 

「当たり前だろ、生きてるんだから。本当に、ラウラには心配掛けた。何から何まですまない」

 

 

ラウラには心配を掛けてばかりだ。今後俺と一緒に居ることになれば、幾度と無く心配を掛けることになる。

 

人生はまだまだ長い。兄妹として生きていくのであれば、いずれ俺の全てを教える時が来るはず。ラウラがこれだけ俺に尽くしてくれるのなら、俺も同じようにラウラに尽くすだけ。

 

 

「そんなことはない。兄妹として当たり前の事をしたまでだ。でも……」

 

「ん?」

 

「私の前から居なくならないで欲しい。私にとって、お兄ちゃんは最も大切な人だから……」

 

 

誰かを失う悲しみは当事者本人にしか分からないもの。大切な存在が居なくなったらと思うだけで、居ても立ってもいられなくなる。

 

二度と同じ過ちを繰り返してはならない。俺にとっては最も難しい決心ではあるが、誰かの涙を何度も何度も見たくはない。誰かが倒れることで誰かが悲しむ。

 

悲しみの連鎖は止めなければならない。だが俺にはやらなければならない使命がある。それが終わるまでは死ぬ訳にはいかない。

 

 

「あぁ」

 

 

……それにラウラの本心を聞いて、尚更死ぬわけには行かなくなった。ぎゅーっと全力で抱きしめて愛情表現を示すラウラに、同じように強く抱き締め返す。

 

二人で居る時だけは、ラウラだけの兄になろう。そう心に言い聞かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん、もう大丈夫」

 

「そうかい」

 

 

少し照れくさそうな表情を浮かべながら、俺から離れていくラウラ。時間としてはそこまで経っていないが、何時間にも思える濃い時間だった。

 

ここ最近、ラウラの行動が大胆になっているような気がする。元々一般常識に疎いのは知っているが、それを差し引いたとしても大胆であることに変わりない。

 

仮に本当に血の繋がった兄妹であったとしても、良い年頃にもなれば兄に抱きつくことはほぼなくなる。十六歳で兄に抱きつく妹が居るなんて話は聞いたことがない。その年なら返って嫌がる年頃だろう。

 

逆に今年で二十……いや、具体的な年齢を出すのはやめよう。二十代の姉が暇があるたびに弟に抱きつくなんて話はよく聞く。

 

誰が、とは言わない。風の噂でよく聞く。

 

 

ラウラに恥ずかしくないのかと聞きたい気持ちもあるが、返ってくる答えが何となく予想出来てしまうため、聞かないでおく。聞いたら聞いたで『むしろ毎日スキンシップをするものではないのか?』とか言われそうだ。

 

 

ラウラに抱き着かれて悪い気はしない。解釈の仕方によっては危ない関係にも思われそうだが、抱き着かれると落ち着くというか……。

 

それだけ俺とラウラの距離が近くなっている証拠なのかもしれない。

 

 

「実はお兄ちゃんが寝ている間に、箒が来てて……」

 

「篠ノ之が?」

 

 

俺の返事にこくりと頷く。

 

寝ている時のことは把握出来ないし、言伝が無いかをラウラに確認する必要がある。ラウラの方から話題を振ってきたのだから、意味があるんだとは思う。

 

返事に頷いた後、話を切り出す。

 

 

「お兄ちゃんが起きたら、これを渡して欲しいって」

 

「手紙?」

 

 

ラウラから手渡されたのは、中身が見えないように三つ折りにされた紙。

 

三つ折りにされているのだから、恐らくは何か言伝が書いてあるのだろう。

 

メールや電話ではなく態々手書きにする辺り、律儀な性格だと改めて認識する。中身は何が書かれているのかを確認するために、三つ折りを開く。

 

文面はラウラに見られないように隠して素早く読んでいく。内容は思いの外簡潔なものであり、読み切るのにさほど時間は掛からなかった。

 

内容を把握すると、再度手紙を折り直して懐へと仕舞う。

 

 

……こればかりは俺以外に見せる内容では無いし、俺も誰にも見せるつもりはない。ラウラも手紙を渡された意味をよく理解し、封を解くことはしなかった。

 

手紙を開けたか開けてないかは、ラウラの反応を見てみればよく分かる。そもそも人宛てに届いた手紙を勝手に開くような性格じゃないし、最低限のプライバシーは把握している。

 

それに手渡したのが篠ノ之ともなれば、ラウラも何が書かれてるのかなんて大体は想像がつくはず。

 

 

「なーるほど、そういうことね。……アイツも、俺と同じでホント不器用だなぁ」

 

 

自分と照らし合わせると、篠ノ之と良く似ていることに気付く。

全て抱え込んでしまい、誰かを頼ることの出来ない自分と、気持ちを上手く伝えきれず、いつも遠回りしてしまう篠ノ之。

 

タイプは違うが、不器用な面を持ち合わせているという意味では同じだ。

 

篠ノ之は未だに、怪我したことを俺が根に持っていると思っている。あの状況下であれば、自分の不手際のせいで怪我をさせてしまったと思ってしまうのも無理はない。

 

手紙の内容を簡潔に説明すると今日の夜、個別で話をしたいとのことだった。

 

公衆の面前では話せない内容だし、俺だけに伝える方法しては確かに手紙も方法の一つだが、携帯電話が普及している時代にこの伝え方は中々に古典的だ。まぁ、メールなんかよりも遥かに想いは伝わるし、手紙が悪いわけじゃない。

 

さてはてどうなることやら。

 

 

「不器用なところなら、お兄ちゃんも人のこと言えないと思うぞ」

 

「人の揚げ足を取るんじゃない。そんなことは自分自身がよく分かっているんだから」

 

 

ラウラに揚げ足をとられて思わず突っ込む。

 

それに今の切り返しは中々面白い。ラウラも冗談を言えるようになるほど柔軟になったのかと思うと、成長した娘を見守る父親みたいな感じになる。

 

揚げ足を取られたというのに、今度は二人とも笑いあっていた。

 

全てを器用にこなせる人間は居ない。小手先の作業が苦手だったり、勉強が苦手だったりと、何かしら不器用な面を持ち合わせている。だからこそ人間らしい、何か欠点があるからこそ改善しようと頑張れる。

 

 

寝ぼけた頭も随分覚醒してきた。

 

体の軽さだけで言ったら朝と段違いであり、無茶をした反動も既に無くなっていた。腕の一本や二本は覚悟していたが、幸い大きな後遺症は残っていないみたいだ。

 

ただあの技の使い方は今後注意しなければならない。先の戦いでは一番最初のギア開放だけで解決したものの、これからはそう簡単には行かないだろう。あの力に依存し続ければいずれ、力を制御できずに自分自身が力に取り込まれる。

 

第一段階の開放であの負荷だ。使用した後は体に激痛が走り、挙句の果てには体力を使い切って気を失う。本音を言えば危険すぎて使うのさえ躊躇うレベルだ。

 

 

残るギアは三つ。

 

ギアを上げていけばいくほど力は膨大なものとなるが、その負荷は想像を絶するものになるはず。タダで強大な力を得ることは出来ない。必ず代償が必要になる。

 

身を滅ぼすために力を振るうのではなく、皆を守るために力を使う。

 

そこをはき違えてはならない。

 

 

まずは俺ももっと強くなろう、機体の性能だけにならない本当の強さを。

 

IS学園に戻ったらまず楯無に頼み込まないとな。今俺は何が出来ていて、何が出来ていないのか。細かく分析して、いずれは自分の力だけで誰よりも強くなってみせる。

 

また一から鍛え直しだ。

 

 

「うげ……もう五時なのか。ちぇっ、三日目は何もせずに終わっちまうなぁ」

 

 

落ち着いたところで、現状を把握する。

 

枕元にある目覚まし時計の針が指し示す時間は五時。本来は三日目もISの実戦演習の予定だったんだろうけど、福音の暴走事件に伴い、それどころでは無くなってしまった。俺の勝手な想像だが、三日目も生徒たちは各自自室待機。そして教師陣は全員、原因特定に勤しむといった流れになっているだろう。

 

つまり今この時間も全員各自の部屋で待機している。もし従来通りに演習が行われているとすればラウラはこの場に居ない。いくら看病したいとは言っても、自分勝手な行動を千冬さんが許すはずはない。

 

ラウラがここに居るということは、必然的に全員部屋で待機の命令が下っているからだ。

 

 

……自室待機だとしたらラウラのしていることは完全な命令違反になるが、それくらいは目を瞑ろう。俺が寝ている間も看病してくれたのだから、こっちからすれば感謝しかない。

 

 

「さて、これからどうしよう。ラウラ、今はどうなっているんだ?」

 

「完全な自室待機は解除されたが、実習は中止。各自夕飯まで時間を適当に潰せと教官が言っていた。正直お兄ちゃんが寝ている間にも、この部屋を訪れる人間が多くてな。一体どこから話を聞きつけたのか……」

 

 

予想通り、実習は完全に中止。

 

国家レベルの問題ともなれば安全確保の為にもその選択肢は適切。

 

 

 

後、俺が目を覚ますまでの間、来訪客を追い返してくれていたのか。

 

流石に全員を部屋の中に入れていたらごった返しになっていただろうし、そもそもの前提で病人の部屋に何人も部屋に招き入れたら不謹慎にもほどがある。どうやって話を知ったのかは知らないけど、身を案じてくれるのは凄く嬉しい。

 

しかしあまりにも大人数であるが故に、ラウラが追い返していたってところだとは思う。鬱陶しそうに頭をかくラウラに、思わず苦笑いが漏れる。

 

 

と、ラウラが鬱陶しそうな表情を浮かべたのも一瞬。次の瞬間には再び引き締まった表情を見せる。

 

 

「その中で部屋に入れたのは箒と……実はおねーちゃんも……」

 

「はい?」

 

 

聞き間違えか、俺の耳には『おねーちゃん』と聞こえた気がするんだが。間違っていて欲しいと思いつつも、こんな至近距離で聞き間違えるような安っぽい耳はしていない。

 

間違いなくラウラは『おねーちゃん』と言った。

 

その単語を聞いた途端に体が無意識に反応し、額から冷や汗が溢れ出てくる。

 

ラウラがそう呼ぶ人物は一人しか居ない。

 

 

「ナギが来たのか……?」

 

「う、うむ。その……どうしてもお兄ちゃんに会いたいと」

 

 

ラウラの性格からして断り切れない。

 

ナギが部屋に来たら、どんな事情であれ通すだろう。それは俺との関係を知っているからであり、仮に通さないことがあれば隠し事をしていると悟られてしまうから。

 

通したら通したで全てを見られてしまうが、隠すことに比べたらまだいい。

 

事実を隠してナギを悲しませるくらいなら、知られた方がマシだ。どのみちこの姿で外を出歩けば、クラスメートや他クラスの生徒にも何があったのかと思われる。

 

今まで眼帯なんかをつけたことのない人間が急につけ始めるのだから誰だって怪しむ。

 

それでも怪我をして左眼が潰れた事実は変わらない。

 

 

「五分くらい居たんだが、あまり居ると皆から言われそうだからってすぐ帰ってしまった」

 

「そうなのか……何か俺のことを言ってたか?」

 

「いや、特には何も。お兄ちゃんの事をよろしくとしか言われてないぞ」

 

「……」

 

 

どうしたんだろう。

 

彼女の性格からして目を覚ますまで残っていると思ったんだが、俺の予想とは真逆の行動をとったことに驚きを隠せない。

 

あれだけ俺が傷付くのを見たくないと訴えていたというのに……。

 

今度会った時にちょっと聞いてみるか。

 

 

体を起こしきり、布団から立ち上がる。

 

 

「お兄ちゃん、どこへ?」

 

「飲み物買いにいってくる。すぐ戻ってくるわ」

 

 

そう言ってラウラを部屋に残し、俺は一人で部屋を出る。部屋を出て周囲に自分の姿を見られたところで、同じところに通っている以上は絶対に知られること。俺の意思関係なく、遅かれ早かれ皆も認識する。

 

別に怖がる必要はない。

 

廊下自体は閑散としていて、生徒の誰かが廊下を歩いている様子もない。時間的にはもうすぐ夕飯の時間だが、それぞれ自室で待機しているのだろうか。

 

二日間トータルで、かなりの時間寝続けていた俺の口の中は渇き切っていて、作戦終了後に貰ったスポーツドリンクもものの足しにはならなかった。

 

飲み物が飲みたいと、その一心でロビーの自動販売機へと向かう。旅館のロビーということで、そこそこ品揃えは多い。初日に買った時にも言ったが、どれを買おうか悩むくらいにはある。

 

ロビーについたところで一瞬どうしようか悩むが、今は飲めれば何でも良い。吸収効率が良いスポーツドリンクがベターではあるが、この際渇いた喉を潤せればというのがあるため、取り敢えず目に入った緑茶のボタンを押す。

 

ボタンを押すとガコンと言う音と共に、受け口に緑のラベルが貼られたペットボトルが落ちる。受け口に手を伸ばすべく少しだけ身をかがめて、ペットボトルを取ろうとした。

 

 

 

 

 

……何だろう。このシチュエーション、どこかで見たことがあると思ったら、初日の風呂上がりにロビーでお茶を買った時と、やっていることが寸分の狂いもなく同じなのだ。

 

確かこの後ソファーに座っているナギを見付けて、少しだけ話した後にキスをしようとしたら、左眼が急に痛み始めたんだっけか。

 

あまり良い思い出じゃないから、後半部分は思い出したくはない。それにあれが原因でナギを変に心配させることになった。次の日にも散々心配されたし、どうしてこう彼女にばかり気苦労を掛けてしまうのか。

 

挙句の果てにはその左眼を潰され、俺の視界は眼帯をしているせいで右眼だけしか無い。あれだけ心配されたのに無茶をしたのだから、ビンタの一つや二つは覚悟している。

 

むしろ裏切りまくっているのだから、別れ話を切り出されたって文句は言えない。

 

取り出したペットボトルを握ったまま、罪悪感に苛まれて下を俯きながら手に力を込める。

 

 

「……くそっ!」

 

 

ぶつけようのない怒りが、腹の奥底から湧き上がってくる。

 

何で、どうして。

 

いつも彼女に心配ばかりを掛けてしまう。そして今回は後遺症として残る形での怪我をしてしまった。眼帯をする理由なんてただ一つ。見られたくないからに決まっている、この醜い左眼を。

 

立場上、仕方のないことかもしれない。護衛として生きる道を選んだ時点で、一般人と全く同じ生活を送ることは出来ないと知っていたはず。誰かと付き合えば相手を巻き込むことくらい分かっていた。

 

なのに何故このタイミングで後悔の念ばかりが湧き上がってくるのだろう。

 

 

もう限界なのかもしれない。彼女に、ナギに、俺という存在を隠し通すことが。彼女の前では嘘は付けない、付きたくない。だが全てを話すということはつまり……。

 

 

やめよう。

 

どうやら若干ネガティブになっているようだ。ラウラを待たせている、早く部屋に戻ろう。ペットボトルの口を開け、少しだけ口に含み、再度フタを閉める。

 

自動販売機に背を向け、部屋へと戻ろうとした時だった。

 

 

「大和くん?」

 

 

背後から掛けられる声に背筋が凍り付く。

 

俺のことを名前で、しかも君付けで呼ぶのは一人しか居ない。後ろに居る人物が誰か分かるからこそ、振り向くことを躊躇う。でも振り向かないわけにはいかない、これ以上彼女を裏切り続けることは出来ない。

 

気付けば手が震えている。

 

思った以上に今の俺の素顔を見られることに抵抗を持っていることが分かった。自分の感情を抑え、平静を装ったまま後ろを振り向く。

 

 

「よう」

 

 

そう声を絞り出すのが精一杯だった。

 

俺と同じように飲み物を買いに来たのだろうか、手には可愛らしい女性物の財布が握られている。

 

 

「……」

 

 

俺の声に対する返答は無かった。気付けばナギの視線は目の辺りにある。付けている眼帯は医療用のものではなく、ラウラが使っている眼帯を譲り受けたもの。加えて左眼側の前髪が切り取られている事を考えれば、何か処置を施したことは容易に想像出来た。

 

周囲には誰もいない、二人だけの空間だというのに話題など何一つ見付からない。どう切り出そうか分からず、呆然と立ち尽くす俺に近付いてくるナギ。

 

そして。

 

 

 

 

 

 

 

「えっ……」

 

 

パチンという乾いた音と共に俺の顔は右側を向いていた。事態を把握すると同時に押し寄せてきた感覚は。

 

 

痛かった。

 

じんわりと左の頬を襲う痛み以上に、心がズキリと痛んだ。人に殴られても痛がることなんて無かったのに、どのビンタよりも痛く感じた。

 

 

「ッ!!」

 

 

ナギの方を向くと、必死で涙を堪えて顔を赤らめる姿がある。ふるふると体を震わせ、腕を振り切った姿が何よりも痛々しい。

 

こうなることは分かっていた。裏切ったのは俺なのだから、それ相応の仕打ちが待っていることは十分承知していたはずなのに、何故俺まで泣きそうになっているのか。

 

 

「……私、言ったよね。大和くんが傷付く姿は見たくないって」

 

 

彼女を傷付けまいと、心配させたくないと思っていたのにこの現状が全てを物語る。

 

 

「これは、その……」

 

「言い訳なんか聞きたくないよ! 無理しないでって言ったじゃない! どうしてこんなことになってるの!?」

 

 

普段声を荒らげることのないナギが怒っている。

 

当然だ、今回の事故は防ごうと思えば防ぐことは出来た。それを俺の自己判断で勝手に先行し、結果左眼を潰すことになった。

 

もし最初に痛みが出た段階で作戦参加を断っていれば、ナギの言った通りに病院へ行っていれば、安静にしていれば。結果は自ずと変わっていたはずなのに。

 

作戦以降、左眼が痛くなる兆候は一度もない。従来の眼が潰されて回復したのかどうかは分からないが、どうしてあの時踏み止まれなかったのか。

 

俺の認識が甘かった。立ち止まれなかったことに対して後悔している俺がいる。

 

ナギのは正論しか言っていない。作戦前にも無理はしないでと言っている。約束を破り、何もかも裏切ったのは俺だ。彼女の言うことに何一つ言い返すことは出来ない。何か言い返したところで全て言い訳になる。

 

 

「少なからず大和くんが無茶したことくらい分かるよ! 私との約束を破って!」

 

「……」

 

 

ボロボロと、彼女の頬を涙が伝う。

 

あれだけ静止したにも関わらず裏切られた。その深い悲しみと怒りが沸々と込み上げて来ているのだろう。流す涙がより一層罪悪感を掻き立てる。

 

 

「いつも、いつも大和くんは口ばかり!」

 

 

約束を言っては破り、裏切りの繰り返し。

 

それは護衛として生きているから、は通用しない。何故ならナギはその事実を知らないのだから。本当の自分を知られるのが怖くて話していない臆病な俺のせいで、彼女は悲しんでいる。

 

 

――もう、限界か。

 

ナギに全てを隠し通す自信がない。本来絶対に話してはならないことだが、全てを話して彼女を楽にさせたい。全てを知って俺に失望したとしても、それは今まで隠していた俺が悪い。

 

仮に別れ話を切り出されたとしても、俺は頷くだけでそれ以外の行動は何一つ出来ない。

 

元々付き合う時点で覚悟をしなければならなかった。俺自身の全てを話すという覚悟を。千尋姉にも言われたがこの仕事は常に危険を伴う仕事だ。

 

もし交際相手が出来た場合、何もかも話すか隠し切るかのどちらかを選べと常々言われていた。それで相手が外部に流出をさせるのであれば……。ここから先は言いたくない。

 

ナギを楽にするなら話すか、別れるか。いずれかの選択肢を取ることになる。

 

後はナギがどう思うかだが。

 

 

「私の言っていることそんなに間違っている!? どうせ大和くん、さっき織斑先生に呼ばれて任された仕事で怪我をしたんでしょ!」

 

「それ、は……」

 

 

歯切れの悪い返しは全て肯定。

 

彼女の言うことは寸分の違いもなく合っている。何一つ間違っていない。

 

 

「立場上仕方ないのは分かるよ! でも毎回毎回危険な目に合って、無理をして怪我して! 傷つく大和くんを私は見たくない! 見たくないよ……」

 

「ナ、ギ……」

 

「左眼……完全に見えないんでしょ?」

 

「……」

 

 

完全に見えない訳ではない。

 

むしろ今まで以上に驚異的な力を手に入れてしまったと言い表すのが正しい。相手が次どう行動してくるのか、何をどうすれば危険な状況を回避できるのか、瞬時に判断出来る。

 

それこそ戦場を飛び交う無数の弾丸が全てスローモーションに見える。それほどの動体視力を兼ね備える眼を、手に入れることに成功した。

 

左眼の力は右眼にも多少なりとも影響しており、遠近感が全く掴めない状況でも、相手の動きを先読みさせてくれた。リミットブレイクによる身体能力の向上と、この左眼の能力が、プライドを圧倒出来た要因と言っても過言ではないはず。

 

新しい眼を手に入れたとしても、前の眼を怪我で失ったことも事実。ナギの言っていることは合っている。俺の左眼に、昔の面影は何一つ無い。

 

眼帯を取れば異質な目に、誰もが驚くだろう。

 

 

「何で黙ってるの……少しは話してよ! どうしていつも大和くんは話してくれないの!?」

 

 

話せない……しかしさっきも言ったように、ナギにはそんなことは関係ない。俺に想いを寄せる一人として、彼女として、当然のことを投げ掛けているだけに過ぎない。

 

ナギだけではなく、同じ状況になれば誰もが同じことを言うはず。彼女に限ったことではない。ナギの想いを知って無理をするのは一度や、二度だけじゃない。

 

無人機襲撃事件、ラウラとの生身による決闘、VTシステムの暴走、第三者による襲撃、そして今回の福音事件。

 

数え切れないほど、俺はナギを裏切っていた。

 

 

「俺は……」

 

「分からない、分からないよ! 貴方が好きだからこそ、愛しているからこそ! 私は怖いの! 大和くんがいつか居なくなるんじゃないかって!」

 

「……」

 

「こんな思いをするくらいなら……ッ!!」

 

「ま、待ってくれ!」

 

 

ナギの手を掴むが、それを拒絶して走り去ろうとする。俺の顔なんか見たくないと言わんばかりに。

 

 

「放してよっ! 大和くんなんて見たくないっ! 大っ嫌い!」

 

「ッ!!?」

 

 

言われたくなかった。

 

想いを寄せている女性に、一番言われたくない一言を伝えられ、俺の手から力が抜ける。明確な拒絶に、俺は彼女を……ナギを、引き止める訳にはいかなかった。

 

フラれ……たんだ。

 

 

「あっ……」

 

 

思いのまま口に出してしまった一言に、ハッとした表情で、こちらを見て立ち止まる。だがこの状況で気まずさを覚えないほど、二人共鈍感ではない。

 

一瞬俺の顔を見ると、すぐに背を向けて走り去ってしまう。

 

その時、ナギから金属ものの輪っかのようなものが落ちる。彼女にフラれ、虚ろな目をしたまま落ちたリングを拾った。

 

 

「……これって」

 

 

指輪のようなリング。それが何なのかはすぐに分かった。

 

分かったのは何故か?

 

それは俺が初めてナギと出掛けた時、彼女にプレゼントしたもの。

 

その時はネックレスを渡したはず、しかし今俺の手元にあるのはネックレスではなく、ネックレスに付いていた指輪だけ。

 

つまりネックレス自体は捨てたか、引き千切ったか。

 

どちらにしてもロクなことじゃない。

 

 

「ははっ……はははっ……」

 

 

痛い。

 

胸が締め付けられる。

 

ポッカリと大きな穴が空き、何も考えられないし考えたくない。

 

大好きな人間に拒絶されるって、こんなにもつらいことだったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

落ちた指輪をギュッと握り締める。

 

既にロビーには静寂が戻っていた。

 

冷たい状態で買ったはずのペットボトルのお茶は、いつの間にか人肌で常温となり、水滴がポタリポタリと、まるでそれは涙のように不規則的にこぼれ落ちる。

 

どうすれば良かったかなんて分からない。何をどう願ったところで、失った時間は二度と戻ってこないのだから。

 

キャップを開けて、先ほどよりも少し温くなったお茶に口をつける。

 

 

「あぁ、くそっ……しょっぱいな」

 

 

買ったお茶がしょっぱいなんてあり得ない。

 

何故かこの時買ったお茶だけは、すごくしょっぱかった。

 

 

「……ちくしょう」

 

 

嘆いたところで彼女が戻ってくるはずもなく。

 

俺はただ一人、ロビーで立ち尽くすことしか出来なかった。



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Get over

 

 

 

 

「お、おい大和! お前本当に大丈夫か? 顔色悪いぞ!」

 

「え? あぁ、問題ない。いつも通りだ」

 

「いつも通りって……明らかに疲れてんじゃねぇかよ! 少し部屋で休んでいたほうが良いんじゃないのか?」

 

 

大和とナギの一連のやり取りが終わり、時は夕食の時間。大広間で初日と同じように食事をとっている。大和からすれば一日半ぶりの食事ということもあり、ハイペースで食べ進めるものだと一夏や一部取り巻きは信じて疑わなかった。

 

しかし現実は真逆。皆よりも遅く大広間に姿を現した大和はふらふらと覚束ない足取りで座布団へ座ったが、いつものような表情に比べると硬く、自ら誰かと会話をしようとしない。

 

大和の内面的な変化にいち早く気付いたのは一夏だったが、その他生徒たちは内面よりも外面の変化に各々疑問を持っていた。

 

 

「ねぇ、霧夜くん怪我でもしたの?」

 

「どうなのかな。でもボーデヴィッヒさんが様子を見に行った子たちを頑なに部屋に入れなかったみたいだし、その線が強いよね」

 

「あれってボーデヴィッヒさんの眼帯だよね? てことは左眼に怪我でもしたのかな?」

 

「でもなんか色々とあったみたいだよ? 専用機持ちの子は事情を知っているみたいだけど、誰一人口を割ろうとしないし……」

 

「私としてはアシンメトリーっぽい髪型も良いと思うんだけど、どうかな?」

 

大和の思った通り、眼帯をして登場した大和にそれぞれ疑問を持っていた。私たちが知らない間に何が起こったのかと。とはいえ箝口令により、専用機持ちは今回の件に関する情報の口外を一切禁止されている。

 

大和が気を失った後の朝食の際に、専用機持ちたちも色々と聞かれたみたいだが、誰一人事情を話すメンバーは居なかった。話せるような内容ではないし、話せばその生徒には制約が付き、自由な行動が制限される。

 

だから皆、聞くのをやめて個人での想像を膨らますだけに留めていた。

 

 

「……」

 

 

そんな外部の騒音も何一つ大和の耳には入ってこない。自分の噂など、今の大和にとってはどうでも良かった。

 

明確なまでのナギの拒絶に、心身ともに限界状態まで追い込まれている大和はさっきから全く箸が進んでない。食事を始めて何分か経つが、机の上に乗っている料理は一向に減る様子が無かった。

 

初めこそ作戦の疲れが出ているのかと思った一夏だったが、ここ数分の大和の行動を見て、疲れではないことを悟ったらしい。別の要因があると思って探りを入れるも、大和は全く話してくれない。

 

学園の誰よりも大和は口が堅い。正攻法で聞いたところで、何時間掛けようとも口を割ることは無いだろう。

 

 

「なぁ、大和!」

 

「大丈夫だから。心配するなって」

 

「心配するわ! さっきからずっと虚ろな目じゃねーか!」

 

「俺は元々こんな目だ。さり気なくディスっているのか一夏は?」

 

「ディスってねーよ! あーもう!」

 

 

と、取りつく島もない。

 

会話のキャッチボールにならずに、一夏は頭を抱える。女性関係に関しては一夏も大和も奥手で、イレギュラーが起こった時どう対処すれば分からない。

 

相手の気持ちを察せる辺り、大和の方が上手だが所詮はそれまで。

 

結局対処法が分からないことに変わりない。

 

ちなみに席の配置は一夏の左隣に大和、右隣にはシャルロット。大和の左隣は鈴となっている。うだうだとしたやり取りが続く中、一部始終を静観していた鈴が口を開いた。

 

 

 

 

 

「あのさぁ、大和。何があったのかは聞かないけどさ、もう少し人を頼っても良いんじゃないの?」

 

「……」

 

「頼らなさすぎよあんたは。そんなことしてたらいつか体壊すし、皆不安に思うのも無理無いわ」

 

 

大和も分かっている、人を頼らなさすぎだと。

 

何があっても誰にも頼らず、全て自分で解決しようとする。結果、解決はするが誰かを心配させてしまう。自分の最も悪いところだ。

 

しかし頼れなかった、話せなかった。事情を話し、拒絶されることが怖かったから。

 

 

「あたしたちには別に話さなくても良いけどさ、本当に大切に思っている子には、ある程度腹を割って話しても良いんじゃない?」

 

「!」

 

 

鈴の一言に驚きを隠せない表情で振り向く。

 

 

「い、一体何の話をしてるんだ?」

 

「一夏は一旦黙っていなさい。あたしは今大和と話しているんだから」

 

 

完全に蚊帳の外に追い出された一夏は、ショボくれた表情をしながら引き下がった。

 

鈴はどことなく気付いている。

 

何を隠しているのかまでは気付いていないようだが、大和が自分たちとどこか違うことには気付いている。この会話でそれを悟れる人間は誰一人居ない、強いて言うならラウラや千冬、楯無くらいだろう。

 

鈴の洞察力は代表候補生の中でもかなり優秀な方であり、一年の中ではトップクラスの洞察力を持ち合わせている。

 

大和も上手く隠してはいたが、行動の節々に何処か一般人とは違う何かを感じ取ったらしい。

 

 

「お前……」

 

「か、勘違いしないでよね! あんたには借りもあるし、その借りを返しただけなんだから! とにかく、ウダウダしているのは大和らしくないのよ!」

 

 

不器用ながらに伝える鈴からの励ましの言葉に、大和の瞳に若干光が戻る。

 

何を自分は迷っていたのだろうか。

 

誰かと付き合うと決めた時点で、このようになることなど分かっていたこと。彼女が納得しないのなら、納得させるように伝えるのが役目。その役目を放棄した時点で、大和とナギの間で意思疎通が出来ていなかったことになる。

 

意思疎通が出来ず、互いを信じ合えない男女はいずれ別れる。自分の事情を話す、話さないのは大和の判断だ。第三者が決めるようなことではない。

 

だが全てを隠し通し、ナギに心配を掛けることが正しいことなのか。

 

大和の中で既に結論は出ているはず。

 

 

「……まさか鈴に励まされることになるとは思わなかった」

 

「まさかって何よ、まさかって! あんたはあたしのことを何だと思ってるのよ!?」

 

「何って……友達だろ?」

 

「はぁ!? ば、バッカじゃないの! こんなところだけまじめぶったって意味ないんだから!」

 

 

ど直球な大和の答えに思わず顔を赤らめてパクパクとご飯を頬張る。ストレートに気持ちを伝えられるのには耐性が無いらしい。大和としては特に他意は無かったが、鈴にはストレートな感謝が予想外だったみたいだ。

 

 

「何にしてもありがとな、鈴。お陰で少しだけ元気出たわ」

 

「ふん。本当に感謝しているなら、さっさと私たちにも進捗くらいは報告しなさいよね?」

 

「へいへい、その内な」

 

 

大和の表情に笑顔が戻る。

 

まだ浮足立った変な気分ではあるが、何とかなるだろうと前を向く大和。止まっていた箸を動かし、残っている夕食を掻き込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのやり取りを遠目から見つめる存在が一つ。

 

大和の渦中の人物であるナギだった。

 

箸を止めたまま、大和の行動をじっと見つめる視線は何処か不安そうで、自らの行動を後悔しているようにも見える。鈴や一夏と何を話していたのだろう。距離が遠すぎて会話の内容は全く聞こえなかった。

 

 

先ほど、飲み物を買いに出掛けた際に偶々遭遇し、大和の姿を見て激高。感情任せに大和を叩き、大嫌いだと拒絶してしまった。普段着けもしない眼帯をしていれば、大和が怪我をしたことくらいは容易に想像がつく。

 

だが、大和だって無理をしたくて無理したわけじゃないはず。本当は嫌だったかもしれない、でも自分がやらなければ誰かがやる羽目になる。優しすぎるからこそ無茶をした。

 

かといって大和の行動を正論がするつもりもなく、この場合は逆にナギの言うことが正論だ。

 

彼女は大和の家庭事情を何一つ知らない。事情を知っているならまだしも、知らないのだから怒って当然なのだ。それに昨日までは普通だった相手が、急に姿を見せなくなり、姿を見せたと思ったら大怪我していたと分かれば、誰だって怒る。

 

特に大和は、無理はしないでというナギの言葉に納得している。納得している時点で、何を言われても言い返せない。言葉を悪くすれば、大和はナギとの約束を破り、裏切っているのだから。

 

それでも何もあそこまで突き放すことは無かったんじゃないかと、ナギはナギで罪悪感に苛まれていた。

 

『大嫌い』だと吐き捨てた言葉。

 

普通の友達同士だったとしても言われたくはないし、恋人同士なら尚更傷付く言葉だろう。それを使ってしまった、言ってしまった。

 

大広間に姿を現した時の大和の顔をナギはハッキリと覚えている。生気の抜けた死んだ魚のような目に、小突けば通れてしまうほどの弱々しい足取り。

 

怪我のせいではない、明らかにロビーでの一件を引きずっていると。

 

 

(私は……)

 

 

もちろんナギは大和のことを本心から嫌っている訳ではない。

 

今でも大和のことは大好きだし、ずっと側に寄り添っていたいと思っている。もっともっと親密な関係になりたい。それが彼女の本音だった。

 

ただ言ってしまった以上、自分の言葉には責任を持たなければならない。自分から大和に歩み寄るわけにもいかず、遠巻きに彼の様子を見つめることしか出来なかった。

 

 

(私、どうすれば……?)

 

 

分からない。

 

これからどう接すれば良いのか。

 

下手をすれば関係が自然消滅する可能性だってある。自身が拒絶の意を示してしまった段階で、大和の方から声を掛けてくる可能性は低い。こっちから声を掛けようにも気まずくて、話し掛けられない。

 

結局これでは平行線のままだ。

 

話題性だけとっても、一夏と大和は全校生徒に人気がある。相手がいないともなれば、寄って来る女性は数知れず。

 

頭を抱えるナギに、横に居るとある人物から声を掛けられる。

 

 

「あの、お姉ちゃん」

 

「ど、どうしたのラウラさん?」

 

 

慌てて横を向くと、控え目に尋ねてくるラウラの姿があった。何かを伝えたいみたいだが、手をもじもじとさせ、視線は四方八方に彷徨わせている。話の内容としてはあまりよろしくない内容なのか。

 

このまま大和のことを考えていても顔に出てしまうだけだと判断し、一旦気持ちをリセットさせ、ラウラの話を聞いていく。

 

 

「う、うむ。その、実はついさっきの話なんだが……」

 

「さっき? 何かあったの?」

 

「お兄ちゃん、飲み物を買いに出掛けた後、凄く落ち込んだ表情で戻ってきたんだ」

 

「……」

 

 

ロビーでの出来事が思い返される。飲み物を買いに行った時間がいつなのかまでは分からないものの、落ち込むような出来事があるとしたら、つい先ほどのこと以外考えられない。

 

続く言葉に耳を傾け、表情に出さないように話を聞く。

 

すると。

 

 

「ずっとお姉ちゃんに謝ってた。どうして俺はナギの意図を汲み取らなかったんだって」

 

 

ラウラの口から発せられた事実にキョトンとした顔を浮かべながら静止する。

 

 

「え?」

 

「お兄ちゃんも不器用だから……」

 

 

上手く言葉に出来なかったんだと思う、とラウラは続けた。

 

そういえば自分が捲し立てた時、彼は何一つ反論しなかったし、逆上することもなくナギの言い分を聞いていた。彼の中で言い返したい気持ちは少なからずあったはず、それでも自身の感情を押し殺し、ナギを受け止めてくれた。

 

浴びせた罵声で、大和の心はだいぶ折られたはず。だが彼は一番に自分のことではなく、ナギのことを考え言い返さなかった。

 

秘密がどうとか、隠し事がどうとかの問題ではない。

 

 

自分だって大和に秘密にしていることもあるというのに、どうして自分だけの価値観を大和に押し付け、大和の真意を汲み取ろうとしなかったのか。

 

言わなかったんじゃなく、言えなかったと何で考えられなかったのか。

 

裏切られたと一時的な感情に身を任せて突き放したことが、大和にとってどれだけ精神的なダメージになっていたのか。

 

何一つ考えようとはしなかった。冷静な今だからこそ判断出来る、何故あんなひどい事を言ってしまったのか。

 

 

下を俯いたまま、暗い表情で黙り込むナギをラウラも察し、言葉を続ける。

 

 

「でもお姉ちゃんも間違っているとは言えない。私だって同じことになったら、お兄ちゃんを責めると思う。よくも裏切ったなって」

 

「……」

 

「だが結局どっちも悪くない。だからこそ、お姉ちゃんにもケジメをつけて欲しい」

 

「ケジメ?」

 

「……もう一回お兄ちゃんと話をして仲直りして欲しい。こんなギスギスした関係は嫌だ。いつもみたいに笑い合ってる二人の間に私は入りたい」

 

「ラウラさん……」

 

 

―――仲直りして欲しい。

 

それがラウラの心からの本心だった。

 

これ以上、二人の悲しむ顔を見たくない。些細な喧嘩なのかもしれないが二人の落ち込み方を見ていると、ラウラもそうは言っていられなかった。

 

 

「そう、だよね。うん、分かった。私、もう一回大和くんとキチンと話してみるよ。そこでちゃんと、真実を聞いてみる」

 

「うむ。私も影ながら応援しているぞ!」

 

 

そう微笑むナギとラウラ。

 

彼女たちの顔にもまた、若干の笑顔が戻っていた。



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Your name is...

 

 

 

 

「屋上に来てほしい、ねぇ。ホントに呼び出し場所としては鉄板だよな、ここ」

 

 

涼しい夜風にさらされる旅館の屋上。海一面に浮かぶ月が夏夜の訪れを感じさせる。

 

落下防止用の手すりに腰掛けながら、俺は物思いにふけていた。風に揺れる前髪が物寂しい。昨日まではあった左側の前髪は綺麗サッパリと切り取られ、風が当たるたびに肌寒さを感じられる。

 

そんな夏夜の肌寒さも悪くはないと思いつつ、来たるべき人物を待つ。

 

夕食後シャワーを浴びて身支度を適度に整えた後、制服姿で屋上まで出て来た。予定時間の十数分前に到着したため、目的の人物はまだ屋上には来ていない。

 

部屋に戻る時間も惜しいし、少し夜風にでも当たって気分転換でもしようと、手すりに腰掛けている次第だ。

 

 

「朝だともっと絶景なんだろうな。夜だと月が映ってなかったらただ不気味なだけだし……」

 

 

後ろから誰かに背中を押されたらもれなく地面に真っ逆さま、フリじゃないから絶対に真似をしないで欲しい。大怪我どころじゃ済まないから。

 

夜空に浮かぶ月が近く感じる、手を伸ばせば隠れるし掴み取ろうと思えば掴み取れそうだ。

 

俺たち人間はそれだけ小さく儚い存在だ。若くして失われる命もあれば、長らく生きる命もある。だがそれらは全て有限であり、無限ではない。

 

必ずいつか終わりが来る。命に比べると宇宙はほぼ無限大、どこまでも広がる無限の空間、寿命という概念は無い。

 

命を掛けて守り抜くなんてよく言ったもの。たった一つしか無い命を犠牲にし、他人を守ろうとするだなんておかしいとしか考えられない。そう思う人間も多いだろう。

 

でもその考え方は他人事のようには思えなかった。

 

 

皆を守るために俺は命を掛けた。プライドを倒すために、持てる力全てを振り絞って戦った。戦ったことで守られたものもあるし、守れなかったものもある。

 

彼女との、ナギとの約束は破ってしまった。

 

しかしラウラの命を守ることは出来た。あの時の行動を後悔していないし、仮に見捨てていたらラウラの命が危なかった。

 

だというのに、心の奥底につっかえる蟠りは取れない。一体何が納得行かなかったのか分からない。だから俺は彼女と話す必要がある、例えどのような結末になったとしても。

 

 

「来たか」

 

 

ギギッという重たい音と共に屋上の扉が開かれる。

 

振り向きざまに扉の開く様子を伺いながら、誰が来たかは確認せず、扉に背を向けた。こんな屋上に夕食後、顔を出すような物好きな生徒がいるとは思えないし、腕時計の時間は待ち合わせの予定時刻を指し示している。

 

そろそろ来ても良い時間帯だ。特に時間に厳しい彼女なら、遅刻することは考えにくい。

 

 

「すまない。待たせた」

 

「いや、気にすることはねーよ。俺もついさっき来たばかりだから」

 

 

多少遅れても気にはならない。むしろ時間通りだし、俺が少し早く来すぎた。

 

俺を呼び出した人物は篠ノ之だった。

 

呼び出された理由としては何となく察しがつく。と言うよりそれくらいしか見当たらない。作戦中、俺が怪我をしてしまったことに負い目を感じ、謝罪をしたいんだと思う。

 

手すりから降り、ゆっくりと篠ノ之の方へと振り向く。篠ノ之にしては珍しく、トレードマークのリボンをつけておらず、髪をまっすぐと下ろしている。リボンは先の戦いで焼き切れてしまった……いや、新しいリボンを一夏から貰っている。

 

単純に風呂上がりだから着けていないのか、まぁそこに関してはどうでもいい。普段のポニーテールも良いが、髪を下ろした篠ノ之も魅力的だ。

 

服は俺と同じようにIS学園指定の制服を着用している。てっきり浴衣姿のまま来るかと思ったが、話が話なだけに浴衣を着るのはやめたのかもしれない。

 

表情は俺の前では変わらず暗いままで、常に俺の様子を伺うようにこちらを見つめている。俺が一体どう思っているのか、目の前にいる篠ノ之には分からない。

 

ただ篠ノ之の表情だけを見ると、心の何処かでは恨んでいるのではないかと思っているように感じられた。

 

 

「んで、話ってなんだ?」

 

「……」

 

 

結論から入ろう。

 

一体何の目的で呼び出したのかを確認すると、バツが悪そうに視線を向ける。少し語気を強めすぎたか、怖がらせてしまったのかもしれない。

 

よく見ると篠ノ之の体は震えていて、手は力一杯握られていた。

現実を知り、改めて左眼が失われたことを考えると、心の奥底から湧き上がってくる罪悪感に押し潰されそうになっていてもおかしくはない。

 

今目の前にいるこれが現実だ、その現実から目を逸らすことは出来ない。怖いのは誰だってそうだ、自分のミスで誰かを傷付けてしまえば怖

がって当然。

 

が、怖がっているだけでは、今後決して前に進むことは出来ない。現実から目を逸し、逃げ続けることは誰にでも出来る。

 

篠ノ之に必要なのは逃げることではなく、目の前の現実と向き合うこと。だからこそ彼女も個別で俺を呼び出したんだと思う、恨まれることを覚悟で。

 

 

話の内容を尋ねるも、中々篠ノ之から返答が戻って来ない。どう話し始めれば良いのか悩んでいるのかもしれないが、ずっと沈黙を突き通されてしまうと、俺も何も言えないし、出来ない。

 

返事がない以上はどうしようも……。

 

 

「その、霧夜!」

 

「おう」

 

 

こちらから話を進めようと切り出そうとした瞬間、篠ノ之から返事が来る。ようやく気持ちの整理をつけたのか、どこか気の張り詰めた表情で話し始めた。

 

 

「すまなかった!」

 

 

篠ノ之の謝罪が夏の夜空に響き渡る。勢い良く身を屈めると、地面にオデコがつくくらい深々とした土下座をしてきたではないか。篠ノ之の行動に既視感を覚えながらも、表情を変えないまま篠ノ之を見つめる。

 

旅館の誰かが気付くんじゃないかと思うレベルでの大きな声に、俺の方が気圧される。言い訳のない筋の通った一言が、ビリビリと体を通して伝わってきた。

 

体は震えたまま、今にも泣き出しそうな歪んだ表情で、自分自身の誠意を伝えてくる。

 

 

「私が、私が慢心しなければお前は左眼を失うことはなかった!」

 

「……」

 

「お前にかつて言われたことを、私は何一つ改善出来ていなかった。あまつさえ取り返しの付かないことを……!」

 

 

そうだ、篠ノ之がいくら謝ったところで俺の左眼は戻ってこない。だとしたこの謝罪に何の意味があるのか、悪く言えばそういうことになる。

 

この謝罪は俺に謝るためのものではないと、俺自身は思っている。

篠ノ之は一つの失敗を経て改善しようとしている。未だかつて誰かを大きく傷付けてしまうことなど、体験しなかっただろう。それ故に襲い来る精神的ダメージは計り知れない。

 

気を抜けば、油断をすれば、あっという間に大切な人間を失うことを身を持って知った。だからこそ、彼女はこれからの行動に対して責任を持たねばならない。

 

同じ轍を二度踏むのであれば、専用機持ちとしてだけではなく、人としてただのクズに成り下がる。

 

 

かつてセシリアにも言ったように、一度失敗したことを繰り返さないことの方が大切だ。己の考え方を根底から変えるのは、簡単そうに見えて難しい。今まで十数年生きてきた中で染み付いていた考え方を、リセットして修正しなければならないからだ。

 

篠ノ之の言うことは全て戒めとなる。

 

 

 

……もう彼女も十分悩み、苦労し、悲しんだ。

 

尚も謝罪の言葉を述べようとする篠ノ之に、声を掛ける。

 

 

「はい、ちょっと待った。篠ノ之の言いたいことは良く分かった。ただ一つだけ勘違いしていることがある」

 

「か、勘違い?」

 

「あぁ。確かに俺は怪我をしたし、生死の境を彷徨ったけど、篠ノ之に恨みもなければ、怒ってもいないぞ?」

 

「な、何だと?」

 

 

目を見開いたまま、驚きを隠せず絶句する篠ノ之。

 

どう驚こうとも、俺は篠ノ之に対して恨みを抱いていないし、怒ってもいない。

 

事実であり、真実。

 

篠ノ之を怒るつもりは一切ない。

 

 

「まぁなんつーか……怪我の一つや二つ、十分に考えられた任務だろ。なのにお前だけを責め立てるのは筋違いだし、強いて言うなら相手の力量を見誤った俺の責任だと思うんだが」

 

「ふ、ふざけているのか!? 私はお前から目を奪ったんだぞ! 専用機を与えられただけで力を手に入れたと勘違いして、結局一夏やお前が怪我するきっかけを作ってしまった!」

 

 

逆に篠ノ之に俺が怒られた。

 

そりゃそうだ、自分の不手際のせいで生死の境をさ迷った人間が、何のお咎めもなく許すといっているのだから、申し訳ないと思って謝りに来た篠ノ之からすれば、納得出来ない気持ちは分かる。

 

納得出来ないどころか、むしろ憤りすら感じているはず。口を真一文字に結び、何も出来なかった自身の不甲斐なさを噛み締めている様子がよく分かった。

 

 

「怪我をするきっかけか。あのな、篠ノ之。物事に絶対はない。仮にお前が慢心しなかったところで、俺はプライドの単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)を見抜けた訳じゃない。確かに要因の一端にはなっているけど、その原因が全てお前とは限らないだろ」

 

 

篠ノ之の慢心が、俺の怪我の要因の一端になっていることは事実だとしても、何度も言うように全て篠ノ之の責任になっているわけではない。

 

そもそも俺がもっと慎重に作戦を考えていれば、ラウラを頼っていたらと、原因は考えれば考えるほど出てくる。

 

篠ノ之は目の前で俺たちが墜ちるところを見ている。だからこそより罪悪感が強いんだろうが、根本を見つめ直していくと篠ノ之だけのせいではない。

 

少なくとも俺は篠ノ之を責めることは出来ない。

 

 

「な、何を言っているんだ!? そんな理由で納得できるわけないだろう! 人を傷付けた罪悪感を持ちながら、これから私はお前とどう接していけばいい!? 私の人生をかけても良いから償わせてくれ!」

 

 

あーあ、ここまで来るとそう易々と引き下がらないぞ篠ノ之は。だからといって謝られ続けるのは気分がよくないし、この場は解決して学園に戻っても、よそよそしい遠慮しがちな対応を取られても気まずいだけだ。

 

さて、どうすれば篠ノ之は納得してくれるんだろう。体罰を与えるつもりもないし、お金をせびるつもりもない。だとしたら篠ノ之に相応しい対応は何があるのか。

 

 

「償うって言われてもな。お前は納得出来ないかもしれないけど、本当にもう大丈夫なんだが……」

 

「それでは私が私自身を許せなくなる! お前が納得しても私は納得出来ない!」

 

「いや、だからそれはだな……」

 

「いやだ!!!」

 

 

ダメだ、これでは埒が明かない。

 

ここまで来るとセシリア以上に頑固だ。事が事なだけに気持ちは分かるが、償わせて欲しいと言われても、篠ノ之に何をさせるのか。

 

生活に支障を来すわけでもないから、そこまで深く考えなくても……っていうのが俺の考え方であっても、篠ノ之の考え方とは相反する考え方であるが故に話が纏まらない。

 

かといってここで篠ノ之に手を出したり、慰謝料をせびることは俺のポリシーに反する。あぁ、ただこの事実はいずれ千尋姉にも知られることだしどうしよう。

 

怪我をしたことはまだ伝えてないし、俺自身が大怪我をしたことが無いから、千尋姉がどのような反応を示すのか俺にも分からない。怪我をさせた相手を潰そうとするレベルで怒るのか、それとも仕事上仕方ないと括るのか。

 

自分で言うのも何だけど、大分可愛がられている方だし、もしかしたら前者の可能性が高いんじゃないかと個人的には思っている。その時にどう篠ノ之を庇えばいいのかと、未来のことばかり考えている自分を全力でぶん殴りたくなる。

 

今はその話ではなく、篠ノ之をどう説得するのか。

 

 

「……で、結局お前はどうしたいんだ?」

 

「そ、それは……」

 

「篠ノ之の行動が、許してもらおうという魂胆じゃないのは分かる。自身の起こした行動で被害を被った俺に、少しでも尽そうとしてくれるのはありがたい。でもそれじゃお前の身が持たねーぞ?」

 

 

俺のことばかりを気にしていたら篠ノ之の身が持たない。俺に怪我をさせてしまったという罪悪感からの行動なのは分かるけど、それでは俺のことをフォローしている内に篠ノ之が潰れてしまう。自身の姉から直接専用機を貰ったということで、今まで以上に周囲の風当たりは強くなるだろうし、専用機持ちとしての責任も出てくる。またどの国籍にも所属していない専用機持ちとして、各国から数多くのオファーが来るはず。

 

どの国も実現できていない第四世代IS。血眼になってオファーする可能性だって考えられる。

 

様々なプレッシャーと戦いつつ、俺のことに気を掛けている余裕はない。

 

それでも篠ノ之は頑として譲らない。

 

 

「そんなことは覚悟の上だ! 私がお前にしたことは、到底許されることではない! だからせめてお前のサポートをさせてくれ!」

 

 

何かをしないと篠ノ之も押しつぶされてしまうんだろう、怪我をさせたという罪悪感に。俺が大丈夫だと言っても、彼女にとっては何も大丈夫ではない。何一つ、罪滅ぼしをしていないのだから。せめて俺の為になることをしたい、それが篠ノ之の本心だった。

 

何を言っても折れる様子はないし、これは最悪俺自身が折れなければならないかもしれない。

 

とにかく一旦落ち着けよう。会話が平行線のまま一向に進んでいない。

 

 

「お前の言い分は分かった。とりあえず俺の話を聞いてほしい」

 

「は……?」

 

「―――少し、昔話をしよう。篠ノ之と俺が初めて手合わせした時のことを覚えているか?」

 

 

謝罪から話題を逸らすべく、俺はあえて篠ノ之と初めて剣道場で戦った時の話を持ち出す。一夏を鍛えると意気込んでいた篠ノ之と、ひょんなことから手合わせすることになった。戦おうとした経緯を思い出すと苦笑いばかりが漏れる。

 

俺が調子に乗って剣術を嗜んでいると言わなければ、手合わせすることは無かったかもしれない。俺としては剣術を嗜んでいるから、教えてもらわなくても大丈夫だとの意味合いで伝えたはずが、篠ノ之はだったら手合わせして欲しいと目をキラキラとさせてしまったという何とも言えない状況に。

 

結果は言わずもがな、俺が一方的に完封する形で勝利を収めた。

 

 

「……あぁ、覚えているさ。私はお前に負けた。それ以降お前と勝負することは無かったが、今でも勝てるとは思っていない」

 

 

篠ノ之とて忘れはしないだろう。

 

負け知らずだった自分が、異性とはいえ手も足も出ずに完封された。敗北をほとんど知らなかった篠ノ之にとっては、負けたことが相当悔しかったはず。一本を取られても何度も何度も食って掛かって来た状況を、俺も鮮明に覚えている。

 

しかし篠ノ之からすれば、わざわざこの話を持ち出して何の意味があるのかということになる。その表情は不服そのものであり、一体何が言いたいんだと訴えかけているようにも思えた。

 

実際この話自体に意味は無い。篠ノ之の感情を抑え込むことが目的であって、本当に意味が無い。半ば篠ノ之を強引に抑えつつ、話を続ける。

 

 

「あれさ、よくよく考えたらフェアじゃなかったよな」

 

「……」

 

「お前は剣道の型、俺は自由な剣術。そりゃ防具を着けてない分俺の方が動きやすいし、手数も多く出せる。確かに貰う一撃はでかいけど、身軽な分かわすのは難しくない。もう一度、お前と手合わせしたいものだ」

 

「霧夜……一体何が言いたいんだ?」

 

「いや、特に意味はねーよ。ただあまりにもお前が思い詰めているから、少しリラックスさせようと思って」

 

 

篠ノ之の表情が一層険しくなる。

 

目線が完全に目的を見失っているようにしか見えない。だが一旦は会話の主導権をこちらに引き寄せることが出来た。これで少しはこちらの話を飲んでくれることを願うばかりだ。

 

 

「俺は皆と平等でありたいって思っている。尽してくれることはありがたい、でもそれは篠ノ之の身を削ることにもなるし、結果お前が倒れたらそれこそ俺は申し訳が立たなくなる」

 

「それは……」

 

「辛い思いもしたし、もう十分苦しんだだろう」

 

「く、苦しんでなどいない! 私は自分がしたことの尻拭いをせずに終わるのは納得が行かないと言っているだけで!」

 

 

表面上は取り繕っているが、内心は穏やかじゃないはず。

 

これ以上、篠ノ之に負担を掛けるわけにはいかない。彼女の負担を少しでも和らげ、かつ納得させられることが出来る理由を提示しなければならない。

 

酷く弱った、焦りに満ちた今の篠ノ之の表情。このままではまたいずれ、俺への罪悪感が枷となり、同じ過ちを繰り返してしまう。

 

俺が篠ノ之に与えられる役目、彼女が納得出来る理由。

 

 

……一つだけ、あった。

 

些細なことかもしれない。だがこれは篠ノ之だけに当てはまる役目であり、納得出来る理由になる。何よりも重たく、重要な役目。

 

少しだけ、俺も自分を偽り、厳しくする必要がある。

 

篠ノ之から視線を切り、あえて鬱陶しそうに下を俯く。

 

 

 

 

 

 

「何をどうしても納得しないか。なら俺から一つ……お前に誓約を言い渡す」

 

「誓、約?」

 

「言葉通りの意味だ。約束を誓うこと。そこまでして俺に尽くしたいのなら出来るだろ。まさかこの期に及んで出来ないなんてふざけたことは言いださないよな?」

 

「―――ッ!!?」

 

 

顔を上げた時に篠ノ之を射抜く視線は真剣そのもの、そこまで言うのであれば自分の言葉に対して責任を持てと伝える。一度した約束を破ることは、絶対に許さない。

 

 

「自分の言葉に責任を持てよ篠ノ之。良いか、これから言うことは決して断ることも破ることも許さない。逆らったら……その時は本当にお前を許さない」

 

「……分かった」

 

 

俺の言葉にただならぬ何かを感じ、一気に篠ノ之の表情が引き締まる。

 

正直、賭けみたいな部分もある。ただ逆を返せばどうして今までそうしてこなかったのか疑問にすら思えた。

 

 

「まず、どうしてこれを誓約に選んだかについてだが……」

 

 

俺と篠ノ之。

 

不器用な面こそ共通点としてあれど、生い立ち、容姿、性格は何一つ接点が無い。

 

偶々IS学園に入学し、そこで知り合った友達、仲間。

 

定義として分けるのであればこの分け方が正しいだろう。

 

 

友達、仲間。

 

重たくも、どこか俺には薄っぺらく聞こえた。本当に友達なのか、本当に信頼し合った仲間なのか。そもそも信頼し合っているのなら今回みたいな事態を引き起こすことは無かったのではないか。

 

そう考えれば考えるほど、その二つの言葉が薄っぺらく感じてしまう。

 

―――否、薄っぺらい。

 

 

そもそも友達だの、仲間だの。口から出てくる言葉ほど、信用にならないものは無い。

 

 

”私たちは仲間だから”

 

”私たちは友達だから”

 

 

果たしてその言葉がイレギュラーに遭遇した時に、生命の危機に直面した時に、どれほど信用に足るものだろうか。友達だから手を差し伸べられるか、仲間だから絶望的な状況から一つの命を救い出すことが出来るか。

 

自信を持って出来ると答えられる人間はごく僅かだ。

 

 

話を戻そう。

 

そもそも俺は篠ノ之との間に壁を感じていた。セシリアや鈴や、シャルロットやラウラの誰よりも、壁があるように思えた。ではそう思う理由はなんだろうかと考えた時に、真っ先に思い浮かぶ理由が一つある。

 

それは俺と大きく関わりのある人間の中で、篠ノ之と俺だけが出来ていないこと。

 

 

「実はずっと前から気になってたんだわ」

 

 

告白の時に言うはずのセリフがこんなところで使われるなんて、誰も思わない。

 

俺もこんな理由付けをする羽目になるだなんて思ってもみなかった。だが実際に俺たちだけが出来ていないことがあった。もしかしたら他の人間に質問しても最初は分からないかもしれない、しかし俺の周囲で親交がある人間であれば、間違いなく縦に首を振る。

 

と言うくらい簡単なことだった。

 

それは―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ずっと名字で呼ばれていることにな」

 

「……え?」

 

 

言っている意味が分からないと、鳩が豆鉄砲を食ったような表情に変わる。

 

セシリアや鈴、シャルロットやラウラが出来ていて、篠ノ之に出来ていないこと。

 

それは俺のことを、俺が篠ノ之のことを名前で呼ぶこと。

 

チャンスはいくらでもあったというのに、俺たちは一度も名前で呼び合ったことが無かった。

 

 

決して俺と篠ノ之の仲が悪いわけではない。こと剣術においてはどこか師弟関係のようにもなっている。だというのに俺たちは互いの名を交わすことが無かった。

 

 

「一体どういう……」

 

「考えてみれば前々から違和感があったんだ。名前自体は知っているはずなのに、どうして互いの名前を呼び合っていないのか。何故だと思う?」

 

「……」

 

 

俺の質問に対し、篠ノ之は深く考え込む。

 

篠ノ之は『箒』という名前が、俺には『大和』という名前がある。入学してからもう数カ月、これだけ関わり合っているのに、名前で呼び合わないのも珍しい。

 

もしかしたら無意識に壁を作り、一定の距離を縮めようとしなかったのかもしれない。その引き金となったのがさっきの話にも出て来た剣道場での手合わせの一件ではないかと考えている。初めて俺と篠ノ之が関わりを持ったのは剣道場であり、逆に苦手意識を持たれる可能性があるかを探るとそこに行きつく。

 

もちろんこれは俺の勝手な想像であって確定ではない。

 

 

「無意識だったのかもしれない。だが呼び合っていなかったことは事実だ」

 

「……」

 

「篠ノ之、俺の名前知っているよな?」

 

 

コクリと頷く篠ノ之をみてニヤリと笑みを浮かべる。当たり前のことであって、これだけ関わりを持っているのだから、彼女が俺の名前を知らないのはあり得ない。

 

 

「なら話は早い。篠ノ之、ここから始めよう。本当の意味での友達って奴を」

 

「霧夜……」

 

 

違う、そうじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――霧夜、じゃない。俺の名前は大和だ。箒」

 

 

俺から初めて名前を呼ばれたことに、ピクリと体を震わせる。

 

本当の意味で背中を、全てを預けられるような関係になる意味を込めて、改めて俺の名前を預けた。

 

 

「お前に与える誓約は『俺の名前を何が何でも守り抜くこと』だ。良いか、本気で申し訳ないと思っているのなら行動で示せ。俺の名前すら守れない人間が、他の何かを守り抜けると思うな」

 

 

普通の人間が聞けば何を言っているのか分からないことだろう。

 

篠ノ之……いや、箒は分かっているはず。

 

 

「俺の名前を、お前に預ける。だから何がなんでも俺の名前を守ってみせろ」

 

 

名前を守り抜くことの本当の意味は、今回の件を戒めとして心に刻み、これから先、二度と俺と同じような被害者を出さないようにしろという俺からのエールのつもりだった。箒にとっては最も重たい言葉となりうるかもしれない。

 

自身の慢心が、取り返しのつかない事態を引き起こす可能性があることは重々身に染みて覚えた。これ以上、俺はもう箒を責め立てるつもりはない。

 

 

「お前にとっては重たいことかもしれない。意味の解釈は自由だけど、かなり厳しい約束のつもりだ」

 

「……」

 

「……ただ、お前がもし重圧に負けて押し潰れそうな時は……」

 

「大、和……」

 

 

 

 

 

「俺も一緒に、箒の重荷を背負ってやる」

 

 

決してひとりにはしない。箒が俺の背中を守る代わりに、俺も箒の背中を守ろう。

 

顔を上げる箒の目には既に涙が溜まっていた。

 

ここ最近だけで何回女性を泣かしているのか、そろそろ後ろから刺されても文句が言えないんじゃないかと思ってしまう。

 

とにかく、俺が他に投げ掛けてやれる言葉があるとすれば。

 

 

 

 

 

 

「幸い、誰も死んでいない。皆生きて戻ってこれた。お前が無事でよかった、それだけだよ」

 

「うぁ……大、和……大和っ!」

 

「ぐはぁっ!?」

 

 

涙を堪えきれず、泣き出した箒は勢いよく俺の腹へと体当たりをかましてくれた。

 

ノーガードだったせいで、肺から一気に酸素が吐き出され、一瞬呼吸が出来なくなる。

 

泣きつく相手は一夏だけかと思っていたら、まさかのパターンだ。凛とした表情を崩さなかった箒が泣いている。声を上げて、幼い子供が親に縋るように。

 

 

「すま、ない。すまない……ごめんなさい、ごめんなさい……うぁぁああ!」

 

「辛かったな。お前なら必ず、俺との約束を守ってくれると信じている」

 

 

 

 

大丈夫、箒なら必ず同じ轍は踏まないと信じている。

 

人間は脆く、儚い存在だというのに、叩かれようがへこたれようが、仮に引かれたレールから脱線しようとも立ち上がれる、誰かが立ち直らせてくれる。

 

そしてどん底から立ち上がった時、初めて成長する。

 

 

俺たちには等しく、明日が来る。

 

ひたすら漠然と毎日を過ごしていくのか、失敗を糧に次へと繋げようとするのか、それはその人次第。

 

各々抱えているもの、背負っているものがある。

 

毎日毎日枷と戦って生きている。どれだけ後悔しようとも、過去を取り返すことは出来ない。タイムトラベルなどと非科学的なものは使うことが出来ない以上、過去を作り変えることは不可能。

 

俺の左眼と同じように、失ったものは二度と戻ってこない。

 

 

 

過去は変えられないが未来は変えられる。

 

過去で間違ってしまったことを、未来にどう生かすか。一番重要なのは過去だけに、起きてしまったことに執着することではなく、過去を糧として未来を変えること。

 

 

「過去か……取り戻せるのなら取り戻したいな」

 

 

どれだけ願っても過去の時間は戻ってこない。

 

俺の叶わぬ願望は、夜風とともに闇の中へと消え去った。

 

残る問題は一つ。

 

 

俺がこれからどうしたいのか。

 

全てを話して楽になるのか。

 

全てを有耶無耶にし、現実から逃げ続けるのか。

 

俺の選ぶ答えなど既に決まっていた。

 

 

箒と同じように、俺も過去に仕出かした失態を糧に次へと繋げなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――その時はもう、すぐそこまで迫っていた。



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二人を繋ぐエンゲージ

ざざん、ざざんと、波が海岸に打ち寄せては引くを繰り返す。朝は透明度の高かった海も、夜になれば朝の透明度はどこへやら。

 

空を飛び交う鳥たちの姿も無くなり、波の音だけが聞こえる海の別の姿。当然、この時間に人がいるはずもない。

 

 

「ぷはぁっ!」

 

 

いるはずもない時間に海面から顔を出す姿が一つ。髪は海水でクシャクシャになり、垂れる前髪を鬱陶しそうに掻き上げる。かれこれ小一時間ほど、ずっと海へと潜ったまま出てこない。

 

海面に顔を出したかと思うと、ようやく海から上がった。

 

整った容姿、バランスが取れながらも引き締まった、筋肉質な体付き、加えてオールバックな姿は野性味あふれていた。

 

右眼と左眼で非対称な瞳。陸から上がるとすぐさま、置きっぱなしにしていたタオルを手に取り、髪の毛に付いた水分を拭き取ると左眼に眼帯を装着する。

 

霧夜大和、十五歳。

 

一家の当主として君臨する。

 

 

当主とはいえ、中身は普通の高校一年生のそれと何ら変わらない。人と同じ生活もするし、同じように悩みも持つ。

 

 

「……夜遅くに一人で泳ぐのも悪くないな」

 

 

悩みは決して口に出さずに平静を装う。

 

気分転換にと海にやって来たわけだが、衝動を抑えきれずに泳ぐことに。少し海を見て、旅館に戻るつもりだったが、意外にも時間を使ってしまった。

 

髪についた水分を拭き取り、顔を軽く振りながら残った水分を飛ばす。

 

 

「さて、と」

 

 

タオルや着替えと一緒に置いた腕時計を手に取り、時間を確認する。

 

まだ完全消灯時間までは時間があった。旅館に戻ったところでやることは特に無いし、もう少しここで時間を潰すことが出来る。

 

荷物を持ち、近くの岩場まで移動すると物思いにふけたまま、遠くの水平線を見つめる。

 

 

「……」

 

 

落ち着く。

 

海の小波が、風の音が、あらゆる音が大和には心地よく感じられた。

 

臨海学校が終わればいよいよ、夏休みへと突入する。

 

長いようで短かった数ヶ月を振り返ると、とても一言ではまとめきれないほど様々な出来事が起きた。小学校、中学校と振り返って、ここまで密度の濃い一学期はなかっただろう。同時に今までで最も、仲間が出来た。

 

女性の園で頑張ろうと意気込むも、入学早々、セシリアの一言に堪忍袋の緒が切れて、クラスメートを怖がらせてしまった。

 

楯無には当主同士の協定を持ちかけられ、転校生の鈴と知り合い、無人機襲撃で改めて、大切な存在を認識した。

 

異性との初めてのデートで泣かれ、二度と同じ過ちはと決心するも失敗し、編入して来たシャルロットとラウラとも一悶着。

 

特にラウラとは事あることにぶつかっていた。

 

 

 

そんな様々な出来事があれど、いつの間にか、大和の周りには仲間が増えていった。

 

 

「ほんと、分からないもんだよ」

 

 

ポツリと呟く、大和の言葉の真意。

 

元々、下手に馴れ合う予定は一切無かった。あくまで彼に与えられた仕事は、卒業までの間一夏を守り抜くこと。最優先事項は一夏の護衛任務だった。

 

それがいつの間にか解きほぐされ、大和自身の考え方も大きく変わった。

 

当然、仕事のことを忘れた訳ではない。それ以上に人と関わり合う事の大切さを、皆に教えられた。

 

大和の中には感謝しか無かった。

 

一言で表すなら充実。本当の意味で、IS学園での数ヶ月は充実していた。

 

 

「でも、やっぱり足りない……」

 

 

彼の中で最も大きくなった存在。

 

今はそれが隣には居ない。紆余曲折を経て、付き合い始めた大切な存在が。

 

彼女が隣に居ないだけでこれほどに落ち着かないものなのかと、困惑する大和の表情は、恋愛に慣れていない男性そのものだった。

 

彼にとって初めての衝突。

 

誰かと付き合う以上、喧嘩をすることもあるし、泣かれることもある。場合によっては振られることだってある。あらゆる仕事に対する対処は出来ても、女性の扱いはまだまだ青いものがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――そして悩んでいるのは彼だけではない。

 

 

「……大和くん」

 

「え?」

 

 

不意に聞こえるはずのない声が後ろから聞こえる。

 

聞き覚えのある声、大和にとっては最も会いたい人物であり、同時に彼女にとっても、大和は最も会いたい人物だった。

 

恐る恐る声の方へと振り向く。一体彼女がどんな表情で、どんな気持ちでここに来たのかは分からない。それでも彼女の顔を見たい、その一心で後ろへと振り向いた。

 

 

「……あっ」

 

「あ、あの……こ、こんばんは」

 

 

大和が今最も会いたい人間、鏡ナギの口から発せられたのは挨拶だった。

 

何故、このタイミングで『こんばんは』なのだろう。彼女の中で話題が見つからなかったのか、言われた大和はキョトンとしたままナギの姿を見つめている。

 

否、見とれていた。

 

自分の彼女の姿に。

 

制服や浴衣姿ではなく、ナギも自前の水着だった。水着の上からは薄黄色のパーカーを羽織り、遠慮しがちに大和の様子を伺う。着ている水着は、以前買い物に出掛けた時に購入した水着ではなかった。薄青色の、どちらかと言えばセシリアとかが好みそうな色合いの水着であり、その水着を買う様子を大和は見ていなかった。

 

確かあの時買った水着は二着だったはず、大和自身が選んだものをナギはそのまま買っているため、見間違えるはずがない。

 

では今着ている水着はいつ買ったというのか。

 

 

「……その水着、どうしたんだ?」

 

「……ま、前水着を買いに行ったでしょ? 大和くんがいない時にその……」

 

 

元々、大和の前では恥ずかしがることが多いナギだが、どうも視線を合わせようとせず、四方八方に視線を這わす。

 

夕方の一件のせいで、未だ大和との気まずさが抜けておらず、どこか態度もよそよそしく、大和の出方を伺っているようにも思えた。

 

自分から拒絶してしまった手前、話しかけづらいのだろう。

 

 

「……」

 

 

話が止まってしまう。

 

本当はもっと話したいはずなのに、いざ本人を目の前にすると萎縮して何も出来なくなる。どうして大和はこうも平然とした表情のままで居られるのか。

 

こんなにも緊張しているというのに、自分のことを何とも思っていないのかもしれないといった不安感に苛まれる。もしあれがキッカケで大和の心がナギから離れたとしたら……。

 

そう思うと尚更話しづらい。

 

 

「そうか。まぁ、立っているのも疲れるし座れよ」

 

「う、うん……」

 

 

促されるまま、一人分の感覚をあけて座る。

 

流石にいつものようにすぐ隣に座る勇気は無かった。何もかもがマイナス思考に考えられてしまうが、話さない以上は何も変わらない。

 

ラウラとも約束したのだ、必ず仲直りすると、真実を聞くと。

 

手を握ったり開いたりと、とにかく落ち着かない様子のナギ。まずは話そう、と覚悟を決めて口を開いた。

 

 

「「あのっ!」」

 

 

まるで打ち合わせしていたんじゃないかと思うレベルで綺麗にハモる。

 

大和も平静を装うも、内心は穏やかなものではなかった。見たこともない水着を見せられ、興奮のあまりすぐにでも抱き締めたいくらいだった。

 

あまりにも可愛らしく、同時に美しい彼女の姿。ナギが大和のことを大好きなように、大和もナギのことが大好きだ。一度拒絶されたからって思いが揺らぐわけでも、諦めきれるわけでもない。

 

心の底から、彼女が、彼が、大好きだ。

 

二人の想いは再び交差する。

 

 

「わ、悪い。何か言いたいことがあったんだろ?」

 

「う、ううん。大したことじゃないから先にどうぞ」

 

「あ、あぁ。分かった」

 

 

互いに譲り合い、大和に発言権を譲る形で収束。

 

 

「……ごめん」

 

 

謝罪から入る大和、その姿に目を丸くするナギ。謝る理由は先ほどの件についてだと分かっているものの、大和の方から謝られたことに戸惑いを隠せない。

 

 

「俺がナギの立場だったら、少なからず良い思いはしない。何も知らないのであれば怒って当然だし、殴りたくなる気持ちもよく分かる」

 

 

お前は何も知らないくせにと言葉を荒らげるのではなく、あくまで冷静に事の次第を伝えていく。

 

彼女は何も知らない。大和の仕事を何一つ知らないからこそ、尚更傷付いて欲しくない。

 

 

「怖かったんだ、ナギが全てを知って俺を拒絶することが」

 

 

大和自身、それが最も怖かった。

 

傷付く姿を見たくないと言われてしまった以上、自分の全てを彼女に曝け出すわけにはいかなかった。だから何も伝えず、隠し通すことを決めてここまで来たが、それももう限界だった。

 

これ以上、隠し通せる自信がない。

 

彼の仕事上、怪我をしないというのはほぼ不可能に近い。怪我をする度に見られることを考えると、言い訳にも限界がある。それならいっそ、全てを話して楽になってしまおうと考えた。

 

自分を知られることが怖い。話すということは、彼女を巻き込むことにもなる。様々な感情が入り乱れ、決心がつかないままここまで来たが、鈴の一言でようやく踏ん切りが付いた。

 

 

「でも違う。知られて拒絶されるのなら、それまでの関係ってことだったんだ」

 

 

ナギと付き合うと決めた時から分かっていたこと。立場上、誰かと付き合うことになるのであれば、覚悟しなければならないと。

 

 

「―――全部話す。これ以上、ナギに隠し事をするなんて出来ないから」

 

 

そう切り出し、大和は話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ISを動かせたからだけで入学したわけではない。元々、入学する気なんてサラサラ無かった」

 

 

参加した適性検査で偶々ISを起動させ、二人目の男性操縦者として大々的に世界に打ち出された。が、俺は入学する気が無かった。興味はあったが、IS学園に入学してしまえば自分の仕事に弊害が出る。

 

当主という立場上、勝手に行動をするわけにもいかないため、断りを入れようとした中、持ち掛けられたのは一夏の護衛任務だった。千冬さんの一教師としてではなく、一夏の姉としての依頼に二つ返事で承諾。入学予定では無かったIS学園に入学することとなった。

 

男性にとっては未知の学園に足を踏み入れることになる。完全に孤立していては仕事もやりにくくなるだろうし、最低限のコミュニケーションは必要になるだろう。

 

周囲と深いかかわりを持つ必要はないと思っていた。任されているのは一夏の護衛であり、最優先事項はアイツを何が何でも守り抜くことだからだ。多くの人間と関わりを持てばいずれ、自分の仕事に巻き込む可能性だって高くなる。

 

あえて距離を置くつもりだった。

 

 

―――だが実際は違う方向へと進んでいくことになる。

 

 

 

 

 

「でも、いつだったかな。ここでの生活が楽しいと、充実していると思い始めたのは……」

 

「……」

 

 

馴染んでしまった、IS学園に。

 

護衛対象だったはずの一夏は友達に、それを取り巻く周囲もいつの間にか仲良くなってしまっていた。

 

否、俺自身がそれを望んでいた。皆と共に触れ合い、高め合い、成長していくことを。何より学園生活を一学生として楽しむことを。

 

ないだろうと思っていた普通の高校生としての生活を、手に入れてしまった。

 

充実しているからこそ浮き足立つ。今回の作戦だって、誰とも関わりを持たずに自身を律していれば、変わっていた可能性だってあったかもしれない。

 

だが、外界と隔たりを持ち、壁を作ることが正解だったかと言われれば、それはノーだ。同じ業種の人間が人との関わりなんて持つなと言おうが、少なくとも俺はその意見を全力でねじ曲げる。

 

問題なのはそこではない。

 

 

「半年間過ごしてみて、つまらないと思ったことは一度もなかった。毎日が充実していて、まるで普通の高校生の生活を送っているようだった」

 

 

俺の一言に不意に疑念を抱いたのか、何を言っているのかと言わんばかりに、ナギは疑い深く首をかしげる。

 

 

「普通の、高校生? 大和くん……何言ってるの……?」

 

 

普通の高校生であることが当たり前……彼女の、ナギを初めとした一般的な考え方はそうだろう。ただ目の前にいる存在は、その常識が全く通用しない。

 

問題なのは充実した学生生活を送ることで、仕事の腕が落ちることだけではなく……。

 

 

 

「俺の果たすべきことは順風満帆に学生生活を送ることじゃない。俺の仕事は対象者を命懸けで守ることだ」

 

 

親しくなった人間まで無意識に巻き込んでしまうこと。

 

俺にとっては常識、ナギにとっては非常識。普通に考えればあり得ない。驚きを隠せないまま、じっと俺の顔を見つめて硬直する。

 

言葉の意味が理解出来ないほど、ナギの頭は弱くない。今の一言で何となく意味は察したはず。

 

対象者を命懸けで守り抜くこと、つまるところ誰かのボディーガードを引き受けているのだと。だがナギの想像するボディーガードとは違い、想像を絶する仕事内容であるということを、伝えていかなければならない。

 

常に死と隣り合わせの状況で戦っているからだ。

 

 

「対象者は言えない。でも俺は立場上、その人間を守らなければならない。命に変えてでも。だからこそ、無茶もするし危険な目にも合う」

 

「……」

 

「けどこれは俺が自分で選んだ道だし、後悔はしていない。この関係を続けていくとすれば、仕事の過程で何度もナギを心配させることになると思う。だから知って欲しい。全てを……俺の根幹を」

 

 

怖い。

 

自分の好きな子に、自分の醜い姿を見せることが。

 

決して見せまいと思っていた左眼の眼帯に手を掛ける。この眼帯を取り去った時、彼女はどんな顔をするだろうか?

 

同情か、軽蔑か。いずれにしても反応としてはどちらかになるだろう。

 

話を片時も視線を逸らすこと無く、聞いてくれたナギに最後の種明かしをしなければならない。俺は普通に生まれてきた人間ではない。

 

俺は―――

 

 

 

 

「俺は……作られた人間だ」

 

 

眼帯を取り去ることであらわになる左眼。右と違う異様な眼差しは、ギロリとナギの視線を射抜く。全てを凌駕し、あらゆる人類を超越した眼。

 

遺伝子強化試験体の本来の姿。ラウラを始めとした通常の試験体を遥かに超えた未知の存在。たった一人の存在で小国一つを潰すことが出来るほどの異次元離れした身体能力を持ち、全ての事象を見切る最強の眼。

 

 

「もう人間って感じがしない。身体能力の何もかも、人類の水準を超越した」

 

 

もはや人間の皮を被った化物と言い表すのが正しいだろう。プライドも言っていたように、正真正銘の化物と言い表しても過言ではない。

 

左眼を見た瞬間、ナギが下を俯く。その心は何を思うのか、俺には分からなかった。

 

 

「眼帯で隠していたのは潰れた眼を見られたくないからじゃなくて、この眼を見られたくないから。左眼の視力も失われていないし、むしろ今まで以上にはっきりと見える」

 

 

左眼も完全に潰れたわけじゃないことを伝える。

 

話せることは全て話した。

 

生い立ち、経歴、仕事。一夏の護衛をしているという目的を除いて全てナギに伝えたし、これ以上話すことは無い。後は俺の言葉をどう思い、彼女がどうアクションするか。

 

下を俯いたまま体を震わせる。怒っているのか、それともまた別の反応か。どちらにしても彼女のアクションを俺は受け入れるだけであって、何かを言い返すつもりはない。

 

今まで隠していた自分が悪いと言い聞かせた。何もかも後手に回り、悲しませてから事実を話す。自分の彼女に苦労を掛け、泣かせてばかりいる自分に彼氏を語る資格があるとは思えないと。

 

重たい話をした後だと言うのに、つっかえていたものが取れたお陰で、心は何処か清々しかった。

 

 

「これ以上、ナギを悲しませたくない。俺から伝えられることは全部伝えたつもりだ。もしこれでナギが俺を拒絶しても、俺は構わない」

 

「……」

 

「今まで隠していて、騙していて、悲しませて……本当にすまなかった!」

 

 

最後に俺が出来ることといえば、彼女に真実を伝えることだった。話を終え、俺は頭を下げる。

 

頭を下げたことで、俺の視線はナギの足元へと向く。ナギも俺と同じように下を俯いたまま、顔を上げようとはしない。

 

話もしたくないということなのか、それならそれで良い。彼女に伝えられることは全て伝えた。ならそれ以上俺は何も望まない。

 

どれくらい時間が経っただろう。一時間にも二時間にも感じられる時間の中で、ぼそりと小声でつぶやく声が耳に入ってくる。どこから聞こえてくる声だろうと耳を澄ましていると、声の発生源はすぐに特定することが出来た。

 

 

「……さい」

 

「?」

 

 

目の前のナギからの声であるにも関わらず、最後まで声が聞き取りきれない。

 

 

 

「……なさい」

 

 

徐々に大きく、はっきりと聞こえてくる声。俺の耳が衰えている訳ではなく、単純にナギの声量が小さかっただけの話。何を言っているのか、発せられる言葉の意味を悟るのに時間は掛からなかった。

 

 

「ごめんっ……なさいっ」

 

「えっ……?」

 

 

彼女の口から発せられたのは謝罪の言葉だった。予想もしない彼女の言葉に、体が硬直したまま動けなくなる。同時にナギも俯いていた顔をあげた。

 

顔を上げると同時に飛び込んできたのは、止めどなく涙を流すナギの姿。両目から絶え間なく溢れてくる滴は頬を伝い、やがて地面へと流れ落ちる。幾多もの水滴が、濡れるはずの無い足元を濡らしていく。

 

 

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……!」

 

 

壊れたオルゴールのように謝罪の言葉を繰り返すナギが心配になり、体一個分開けたスペースを詰め、少しでも安心させるように、そっと手を差し伸べる。

 

 

「ごめんなさいっ……私、何も大和くんのこと知らなくて……!」

 

 

知らなかったのは当たり前だ。俺が何一つ事実を彼女に話さなかったのだから。しかし俺の告白により、酷く当たってしまったことを、突き放し拒絶したことを何度も何度も謝り続けてくる。

 

 

「大和くんは陰で苦しんでいたのに、私は酷いことばかり言って……! 大和くんの気持ちを何一つ、理解しようとしなかった!」

 

 

俺の気持ちをか。

 

それを言ったら俺もナギの気持ちを何も理解出来ていなかったし、彼女の気持ちは痛いほど分かる。

 

まただ、また大切な人を泣かせてしまった。

 

泣いている姿があまりにも痛々しすぎで堪えきれなくなり、肩に手を掛けてそっとナギの体を自分の方へと寄せる。

 

水着姿のため上半身は裸だったが、気にもならない。いつもなら裸体に顔を押し付けられれば、恥じらいがあるというのに、今回ばかりは下心を含んだ感情は何一つ湧いてこなかった。

 

彼女を落ち着かせるために、出来る限りのことをするだけ。

 

 

海で泳いだばかりの男に抱き寄せられてもナギが抵抗することは無かった。完全な拒否反応を起こされないだけ、マシだと思いつつギュッと華奢な体を抱き寄せる。

 

 

「私があの時病院に無理矢理にでも行かせていれば……!」

 

 

落ち着かずに謝罪の言葉を述べるナギ。もしかしたら病院に素直に行っていれば、左眼の痛みの原因が究明できたかもしれない。が、仮にどれだけナギが説得しようとも、あの時の状況だけで考えるのであれば、俺は頑として説得に応じなかったはず。

 

そう考えると、結末は変わっていなかったようにも思える。

 

結論、彼女が自身に負い目を感じる必要なんて微塵もない。

 

 

「大丈夫、気にしてないよ。知らなくて当然だし、怒って当然だと思う」

 

 

言われた時は流石に凹んだが、今となっては特に気にはしていない。こうしてまた俺の傍に来てくれたことが、少なからず俺のことを完全に拒絶したわけじゃないと分かっただけでも十分だった。

 

 

「それに例えナギが病院に行くように説得しても、俺は応じなかったよ。だから怪我をするのは必然だったんだと思う」

 

 

俺の説得に少しずつ落ち着きを取り戻して泣き止むナギだが、比例して抱き締める力が一層強くなる。いつの間にか手が首の後ろに回されて、離さないようにと力を込めてきた。

 

ギュッと体を密着させ、泣き顔を見せないようにと顔を隠す。パーカーの下には水着のみといつも以上に薄い服装のため、彼女の温もりが、高鳴る鼓動が直に伝わってくる。どんどん上がる心拍数と共に、顔に火照りが出てくる。

 

 

「今話した内容を前提に、もう一回聞きたい。こんな俺でもまだ、一緒にいたいと思ってくれるか?」

 

「……」

 

 

俺の質問に対して沈黙が続く。

 

答えるまでの間が、果てなく長く感じた。

 

結論はこの場で聞きたい。このまま悶々としたまま、中途半端な関係を続けるのはお互いのためにならない。ナギが嫌なのであれば手を引くし、望むのであれば新しく関係を築き上げていきたい。

 

何よりも俺自身、ナギのことが大好きなのだから。

 

 

「……嫌いになんて、なれるわけないよ」

 

 

ぽつりと呟く彼女の声に、俺の顔の温度が一気に上昇するのが分かる。

 

 

「大和くんのこと大好きだから。どんな理由があっても、大和くんの全てが私は好き」

 

 

胸から顔を離し、上目遣いで俺の顔をしっかりと見つめたまま、ハッキリと自分の想いをストレートにぶつけて来る。迷いのない真っ直ぐな解答に、逆に俺の方が恥ずかしくなってきてしまう。

 

普段は俺の顔を見てもすぐに横を向いてしまうくらい恥ずかしがり屋の彼女が、俺の目をじっと見つめたまま、片時も視線を逸らすことがない。

 

 

「これからも迷惑を掛けるかもしれないけど、私はずっと大和くんの側に居たい」

 

 

裏表のない笑顔に、偽りのない言葉。そこに涙は無かった。

 

はっきりと伝えてくるナギの姿は、俺が今までみた表情の中で、一番可愛いと思えた。一夏も俺にとっては大切な護衛対象であることは揺るがない、ただ目の前に居る彼女は、それ以上にかけがえの無い存在になっていた。

 

改めて伝えられる、ずっと一緒に居たいという言葉が俺の心に強く響き渡る。

 

 

 

 

「……ありがとう。こんな俺を好きになってくれて」

 

 

想いを確認し合うかのように、再度抱き締め合った。止めきれないほどの愛おしさが、心の奥底から込み上げてくる。

このまま押し倒してしまっても良いのかだとか、襲っても良いのかといった黒い感情が押し寄せて来た。

 

夜の海辺を出歩く人間は居ない。それなら多少、俺しか知らないナギの姿を、ナギしか知らない俺の姿を見せあっても良いんじゃないかと思ってしまう。

 

心の奥底に渦巻く願望を仕舞い込み、平静を保ちながら一旦ナギと距離を取る。

 

 

「あっ……」

 

 

名残惜しそうに、ナギは声を漏らす。

 

このまま抱き合っていたいのは山々だが、ナギと会う機会があったら渡したいものがあったことを思い出し、俺はタオルと一緒に置いていた小さなカバンからあるものを取り出す。

 

それは決して新しく買ったものでは無く、彼女が置いていった忘れ物。つい先ほどロビーでナギはリングを落としたことに気付かずに部屋へと戻った。

 

具体的にはネックレスの一部分であり、紐が壊れている以上はネックレスとして機能しないが、まだこのリングには使い道がある、俺も意味なくこのネックレスを買ったわけではない。

 

 

 

 

 

 

「実は渡したいものがあってさ。これ、ロビーで落としただろ?」

 

「あっ……うん。その……ごめんなさい」

 

 

リングを見せると、思い出したかのように壊れた理由を話し始める。

 

 

「昨日の夕方、部屋で待機している時に輪が切れて……」

 

 

昨日の夕方と言えば、俺がプライドに墜とされた時間帯だ。もしかしたら俺の身に起きた出来事を、ネックレス越しに伝えてくれたのかもしれない。

 

ただお陰様でプレゼントしたネックレスは真っ二つに切れ、買ってから一ヶ月も経たずにその役割を終えることとなってしまった。故意ではないにしても壊れたことは事実、バツが悪そうに視線を背けて落ち込むナギ。

 

 

「折角大和くんにプレゼントしてもらったのに……」

 

「いや、壊れるのは仕方ない。形あるものいつかは壊れる。それが偶々早かっただけさ」

 

 

結局、壊れたのは故意な過失ではなく、自然に壊れてしまっただけであり、何一つナギは悪くない。偶々運が悪かったと、そう括るしかないし、嘆いたところでネックレスが直るわけでもない。

 

しかしさっきも言ったように、まだこのネックレスには十分使い道はある。

 

 

「このネックレスの噂、初めて買い物に行った時に調べたんだ。これを付けると好きな人と結ばれるって」

 

「し、調べたの?」

 

「こっそりとな。ま、ネックレスは壊れたけど、使い道はあるし大丈夫だろう」

 

「……ふぇ?」

 

 

既にネックレスとしての利用価値はない。

 

俺の言っている意味が分からないと首を傾げるナギをよそに、彼女の左手首を握る。

 

確かにネックレスとしての利用価値はないが、何度も言うようにネックレス以外にも利用価値はある。プレゼントをした時にナギには一切言わなかった秘密がある。

 

ダメ元で確認してみたところ、偶然に偶然が重なって手に入れることが出来た一品。

 

実はネックレスに付いている指輪は従来の大きさのままでももちろん、大きさや形等がオーダーメイド出来るものになっていた。在庫が無い場合は一から作ってもらうことになるため、時間が掛かってしまうが、在庫がある場合はその場で別のリングと入れ替えてくれる。

 

そしてこのリングの大きさは……。

 

 

「よいしょっ……と」

 

「……え?」

 

「良かった、ピッタリだ。俺の目も捨てたもんじゃないな」

 

 

ナギの薬指の大きさとピッタリと一致した。

 

そう、仮にネックレスとしては使えなくても指輪として利用することが出来る。

 

ガラスケースの中に残っているネックレスを買った時、指輪の大きさを変えることも出来ると言われ、大体のナギの指の大きさを伝えて作って貰った世界に一つしか無い、ナギだけのネックレスだ。

 

好きな人と結ばれるというのは、世界に一つしか無いネックレスと、彼氏彼女は唯一無二の存在といった部分を掛けた言葉のアヤだった。

 

薬指にハマらなかったらどうしようかと内心ヒヤヒヤものだったものの、無事にピッタリと当てはめることが出来たのは運が良かった。いくら眼が良いと言っても、確実な大きさを測るにはメジャーを使わなければならない。

 

目視だけでちょうどいい大きさを当てられたのは、正直嬉しかった。

 

目を何度もパチパチとさせながら、目の前の事態が把握出来ずにいるナギに、再度俺の気持ちを伝える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これから何度もナギに心配を掛けると思う。でも君に対する気持ちは変わらない。……だからその、俺で良ければずっと一緒に居て欲しい」

 

 

あまりにも不器用で不格好な俺からのプロポーズ。恥ずかしさから最後は声が裏返り、目線もナギから逸してしまう。

 

俺もナギも今年で十六歳、結婚するには早すぎる年齢だ。俺に関しては結婚出来るような年齢ではないし、二人共IS学園に入学したばかり。

 

どれだけ早くても、卒業するまで結婚出来ないことを考えると、あまりにも早いプロポーズにも見える。

 

でも俺は自分の気持ちに嘘は付きたくない。

 

ただ一人の人間、霧夜大和として鏡ナギのことを心の底から愛している。彼女を思う気持ちは誰にも負けるつもりはないし、俺の内に隠しておく自信は無かった。

 

呆気に取られたまま俺の事を見つめるナギだが、やがて口に両手を当てて、涙を流し始める。

 

 

「ほんと……何もかも突然過ぎるよ」

 

「否定はしないよ。でも何かをする時は毎回突然だっただろ? 時間は待ってくれないし、俺も自分の気持ちを偽るつもりはない」

 

「いつもいつも突然で……心配ばかりかけて……」

 

「むしろ心配と苦労しか掛けていなかったよな」

 

 

何度心配や苦労を掛けたか分からない。ナギに与える負荷も計り知れないものがあったはず、だがそれを許し、受け入れてくれた。

 

今回も一度はすれ違えど、またこうして分かり合い、再び手を取り合うことが出来る。

 

ずっと一緒に居たい。

 

その気持ちは揺るがないし、揺るがすつもりもなかった。

 

一度拒絶されて初めて分かる。俺には彼女が、ナギが居ないとダメなんだと。

 

 

「バカ……」

 

「あぁ、たった一人の大切な存在すら守れない大馬鹿者だ」

 

 

裏切り、結局一度は守れなかった。

 

ナギ、ラウラ、千冬さん……そしてクラスメイトたち。

 

自分が傷付くことで心配する人間が、悲しむ人間が居ることを今更自覚した本当の意味での大馬鹿者だ。

 

どうしようもほどの男を、彼女は好きだと言ってくれる。

 

 

「そういうところがホントに……大嫌い」

 

「知ってる。俺も自分で自分が嫌になる」

 

 

本当に反吐が出る。

 

仕事だからとは言っても、明らかに心配を掛けすぎだ。一体どれだけの負荷を彼女に掛けていたのか、想像もつかない。俺が裏で何かをしていることについて、一切の言及をせずに我慢してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――でもそんな大和くんだから……私は好きになった」

 

「……」

 

 

全ての罵倒を打ち消すかのように、自身の思いを率直にぶつけてくる。飴と鞭とはこのようなことを言うのだろう、ナギから視線が一切そらせなくなる。

 

聞きたい、続く言葉を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私を……大和くんのお嫁さんにしてください♪」

 

「……喜んで」

 

 

飛び付くように、俺に抱きつくナギを優しく受け止める。

 

人に愛されることがこんなに幸せだと思わなかった。意識せずとも勝手に上がっていく心拍数、抱き寄せるほどに伝わってくる彼女の温もり。

 

腕の中にすっぽりと収まる、か弱い存在。頭を撫でながら、また抱き締める。幸せそうな、気持ち良さそうな表情を浮かべながら俺の胸に顔を埋めた。

 

先ほどまで着ていたパーカーはいつの間にか脱いでおり、水着のみの状態で抱き合っている。傷一つ無い綺麗な四肢、均一の取れた……いや、一部が人より育った抜群のプロポーション。癖のないサラサラな髪型。一般的にも美少女と言い表せるレベルの整った顔立ち。

 

女性特有の甘い香りが、俺の鼻腔を刺激する。

 

 

「……あの、大和くん」

 

「どうした?」

 

「その……お願いがあるんだけど」

 

「お願い? おう、いいぞ」

 

「その……えっと……」

 

 

あくまで応えられる範囲でだが、理不尽なお願いをしてくるとは思えない。遠慮しがちに、言いにくそうにしているしているナギの姿に笑みが溢れる。

 

照れながら、上目遣いで見つめてくる彼女の姿が愛おしい。不意に意地悪をしたくなった俺は彼女の耳元に顔を近付け、そっと呟く。

 

 

「……何かやましいことでも考えているのか?」

 

「―――っ!! ち、違うよ! そ、そうじゃなくて……うぅ……」

 

 

主導権を俺握られている手前、何かを言い返すことも出来ずに耳まで赤くしながら下を俯く。

 

もし俺が彼女の立場だったら何をして欲しかったのか。少し考えると一つの結論にたどり着いた。果たしてそれが正解なのかどうなのかは分からないけど、やってみる価値は……あると思う。

 

もっとも、間違っていた場合は全力で殴られることも覚悟しなければならない。

 

実際初日は邪魔が入ったし、雰囲気がそういう雰囲気じゃないのは百も承知。

 

でも俺だって我慢できないことはある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナギ」

 

「な、何……んっ!?」

 

 

顔を上げるナギの肩を掴むと、その無防備な唇を優しく塞いだ。

 

未遂に終わった二回目の口付けのリベンジ。主導権を握られ、不意打ち気味にされた前回とは違い、今度は俺が主導権を握り、逆に不意打ちで返す。

 

 

甘く、そして想像以上に柔らかい感触。

 

心の奥底から湧き上がってくる得体の知れない幸福感。ナギが目の前に居る、繋がっていると思うだけで体温が上がっていった。

 

あまりの気持ちよさに頭の中が蕩けそうになる。たった数秒間の事だったというのに、俺の心のモヤを取り去るには十分だった。

 

突然のことに、驚きで何度も瞬きをするナギを見つめながら笑みを返す。

 

 

「……っ、前回の続き、まだだったもんな」

 

 

それはいつぞや、ナギが俺に言った言葉。

 

ようやく仕返しが出来たと笑みを浮かべる俺に、どこか不満そうな顔をナギは浮かべる。

 

 

「それで……終わりなの?」

 

「えっ……うわっ!?」

 

 

してやったりと思ったのも一瞬。

 

いきなり視線からナギの姿が消えたかと思うと、次に俺の視界に映ったのは真っ暗な夜空だった。そして急に体が浮遊感を覚えたかと思うと、次の瞬間海に真っ逆さま。

 

水しぶきを立てて、俺の体は海へと浸かる。折角拭いた髪の毛もびしょ濡れ。どうして俺がこんなことになっているのか、その理由はすぐに分かった。

 

俺の気が逸れた瞬間、ナギが体を押したからだ。仁王立ちの状況ならばビクリともしない体でも、腰掛けているだけの状態であれば、女性でもバランスを崩すことも容易。流石に全く意識をしていない状態で体を押されれば、俺でもバランスを立て直すことは不可能。

 

重力に引っ張られるがまま、海へと転落。

 

 

「ぷはぁっ! ちょっ、いきなり何を……うわっ!?」

 

 

幸い水深はそこまで深くはなく、俺の胸元くらいまでしか高さが無い。海面から顔を出し、未だ近くに居るであろうナギに抗議をする。

 

と同時に、勢い良く俺の体に飛び込んでくるナギの体。受け止めるタイミングが遅れ、そのまま二人仲良く海へと沈んだ。

 

 

「お、お前! ちょっとやり過ぎだって!」

 

 

お陰様で俺もナギもびしょ濡れ。ナギは初日と同じようにゴムで結わえたポニーテール姿のため、そこまで髪の毛が乱れている様子はないが、こんな夜遅くに二人揃ってびしょ濡れにならなくてもと思ってしまう。

 

 

「大和くん」

 

「な、何だ?」

 

「もう一回、して?」

 

 

顔を上げるナギの表情を見て、俺の表情は固まる。

 

上目遣いのまま頬を赤らめ、何かを懇願するかのように体を押し付ける。力を込めることで胸は体に当たって潰れ、視線が下を向いている俺には、あり得ない方向に潰れる二つのメロンが見える。

 

こ、これはいけない!

 

ワイシャツ越しならまだしも、布切れ一枚しか無い状態で胸を押し当てられるのはキツイ。その間にも俺の理性の糸は一つ一つ、確実に千切れていく。

 

もう一回……というのはさっきと同じことをもう一回して欲しいとの意味だろうが、そんなことを考えられないレベルで目の前の刺激が強い。

 

このままでは……そう思った時に再度、ナギから声を掛けられる。

 

 

「私なら、大丈夫だから……ね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

甘く囁かれる一言に、俺の中で何かが弾けた。

 

 

「好きなだけ……んむぅっ!!?」

 

 

言葉を言い終わる前に今度は強引に、ナギの唇を奪う。

 

それでも彼女が嫌がらないように時間を掛け、俺の吐息を伝えていく。

 

ナギは俺の首に腕を回し、より貪欲に俺の唇を貪ろうとする。今までのような軽く唇をくっつけるだけのソフトなものではなく、お互いを本気で求め合う、激しく、情熱的なもの。

 

未だかつて経験したことのない感覚が俺の脳裏を支配する。水滴で湿った前髪が月夜に照らされ、より彼女の妖艶さが増し、赤みの差す頬が堪らなく俺のS心を刺激する。

 

 

「ん、んぁっ……んちゅっ、大和く……んむっ」

 

 

恥ずかしさなど忘れて唇を貪る。

 

今まで溜まっていた想いをぶつける様に、その様子は二回目のものとは思えないほどに情熱的で、頭の中は蕩けそうになっていた。誰も近くにいないのを良いことに、より積極的に、よりいやらしく、彼女を求めている。

 

 

「んぁっ、全然足りない……からぁ。もっと、ちょうだぁい」

 

 

淫らな音が鳴り響く。くちゃりとかぬちゃりとか言い表せば良いのか。口の中でまぐわう舌先。互いの唾液を交換し合うように、何度も何度も口付け合う。

 

初めての深く、激しい口付けだというのに、恥ずかしさなど全くない。恥ずかしさの代わりに、彼女に対する愛情が脳を支配する。

 

 

十数秒間ほど互いを求め合ったところで、酸素が無くなり掛けたのか、俺よりも先にナギが唇を離す。二人を繋ぐ銀色の糸は、一定以上の距離が開くと同時に、プツリと切れた。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

「わ、悪い。つい夢中になって」

 

 

我を忘れるというのはまさにこういうことを言うのだろう。

 

酸素を取り入れようと荒い息遣いを繰り返すナギだが、その行動さえも俺にはたまらなく色っぽく見えた。ナギはナギで頬を赤らめ、ぽーっと昇天したまま俺の顔から視線を逸らそうとしない。

 

 

「や、大和くん……もっと……」

 

「お、お前……」

 

「今は貴方を、貴方だけを見て居たい。この場だけは誰のものでもない、私だけの大和くんであってほしい」

 

 

 

甘えるようにねだる姿に、もはやいつもの面影はなかった。

 

大人しく、遠慮しがちで、消極的な彼女と同一人物だと、誰が思うだろう。皆が知る鏡ナギではなく、俺だけに見せる新たな一面。

 

先ほどの口づけで完全にスイッチが入ってしまっているらしく、今は俺のことしか頭に入ってこないのかもしれない。

 

それは俺も同じだ。

 

彼女を大切にしたい。心配を掛けてしまった分、少しでも彼女の傍に寄り添っていたい。

 

 

 

 

 

 

「んっ……」

 

「んうっ……」

 

 

再びナギの唇を自分の唇で塞ぐ。ほのかに吐息を漏らすナギの姿を見た後、俺も目を閉じた。

 

先ほどの激しい口づけではなく、相手を思いやる優しい口づけ。マシュマロのように柔らかい唇から伝わってくるのは確かな想い、優しく愛おしい、好きだという本心。

 

一緒にいる以上、何度も唇を交わしていくことだろう。彼女と愛し合うことに、家系だとか生い立ちだとかは関係ない。俺がナギを好きであるという気持ちだけがあれば十分だ。

 

随分と自分の気持ちに素直になるまで時間を掛けてしまったけど、決して無駄な時間では無かったはずだ。

 

少しでも長くナギと一緒にいる以上、様々な壁が立ちふさがる。ただ二人一緒ならきっと、どんな壁でさえも乗り越えていける。

 

普通の生活を送る一人の少女と、裏世界に暗躍する護衛の少年。

 

全く正反対の道のりを歩む二人は、奇跡的な確率で出会い、そして想いを繋いだ。

 

二人の生活はこれからより、厳しいものとなっていくはず。

 

護衛として生きていくと同時に、一人の少女のパートナーとして生きていくことを選んだ時点で、覚悟をしなければならない。ナギには覚悟をしてもらわないといけない。

 

常に生死と隣り合わせの自分と一緒にいることがどれだけ大変で、時にはつらい現実を目の当たりにすることがあるということも。

 

 

俺の問いに彼女ははっきりと答えた、これからも一緒に居たいと。

 

それなら俺から言うことは何もない。ナギがそういうのであれば、俺はそれでいい。

 

彼女が口にした覚悟、その覚悟を俺があれこれ言うものではない。

 

 

 

 

ナギが俺を好いてくれたように、俺はナギのことが好きだ、好きであることに理由なんかないのだから。

 

 

 

 

 

 

―――月夜が二人を照らす。

 

二つの影は一つとなったまま、しばらく離れようとはしなかった。



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Epilogue
○護るべきモノ


 

 

 

「んー……紅椿の稼働率は絢爛舞踏含めても四十二パーセントかぁ。まぁこんなところなのかなぁ?」

 

 

空中に浮かび上がるディスプレイに映るパラメーターを眺めながら無邪気にほほ笑む。断崖絶壁の縁に腰かけ、下には満潮を迎えたであろう波が、幾度となく押し寄せた。恐怖という概念が無いのか、周囲の見通しの悪い時間帯だというのに淡々としたままディスプレイを叩いていく。落ちればもれなくあっという間に海の藻屑となれるだろう。

 

どこか納得が行かない不満そうな感情を込めながらも、鼻歌を歌いながら別のディスプレイを展開すると、そこには白式と不死鳥フェニックスの戦闘映像が流れている。

 

 

「まさか生体再生まで可能だなんて、ホント白式には驚かされるなぁ。まるで「白騎士のようだな」―――やぁ、ちーちゃん」

 

「おう」

 

 

気配を消し、音も無く束の後ろに立つのは千冬だった。深夜だというのにスーツに身を包む姿は、どこか独特の雰囲気を持つとともに、静かな威厳に満ちていた。どことなく千冬の浮かべる表情は険しい。だが数少ない興味を持つ対象であるにも関わらず、束は後ろを振り向こうとしない。束は無限に広がるであろう海原を見つめたまま、千冬は近くにある木に背中を預けたまま。

 

二人そろってどんな表情を浮かべ、何を考えているのかくらい長い付き合いなのだから分かる。態々顔を合わせる必要もない。

 

 

「ところでちーちゃん、白騎士はどこに行ったと思う?」

 

「……白式を『しろしき』と呼べばそれが答えなんだろう」

 

「ピンポーン! 流石だねちーちゃん! 白騎士を乗りこなしていただけのことはあるね」

 

 

白騎士はコアだけを残して解体され、第一世代機の作成に大きく貢献した。しかし保管していた研究所が襲撃された際に、コア自体が行方不明になったのだが、いつしかそのコアは白式の一部として組み込まれていた。

 

 

「にしてもあの子、やっぱり面白いよねぇ。私が想定している以上の成果を出してくれる。本当に面白い存在だよ」

 

「……霧夜のことか?」

 

「そうそう! 私も初めてあった時は何処にでも居るようなつまらない人間だと思っていたんだけどね。探ってみたら中々に面白い経歴の持ち主だったんだよね『やっくん』は」

 

 

大和のことを愛称をつけて呼ぶ束の顔はイキイキとしたものだった。初めてあった時には大和の素性を知らず、一般人に対する態度と変わらない態度を取り続けた。

 

しかし彼の行動を見ている内に気付く。とんでもない経歴と、一般人と異なる点を多々持っていると。

 

一つ目は言わずもがな、彼が遺伝子強化試験体だということ。それも通常の遺伝子強化試験体ではなく、人為的に強化された遺伝子を組み込まれている個体であると。

 

表向きは失敗として実験自体が無かったことにされたが、国を容易に滅ぼしてしまうことが出来る危険因子として、捨てられた個体の何人かは生き延びていた。

 

この事実はとっくの昔に束も掴んでは居たが、情報が余りにも少なすぎる故に、個々の足取りは掴めない。数少ない興味の対象として視線を向けるも、探すことが出来ずにほぼ諦め、忘れかけていた。

 

諦めかけていた最中に、出会ったのが偶々大和だっただけに過ぎない。見た目は普通の人間と何一つ変わらず、細かい身体的特徴も、話す言語も同じ。

 

違うことがあるとすれば、二つ目に挙げる、大幅に強化された身体能力だ。

 

視覚、聴覚、嗅覚といった感覚はもちろんのこと、ラウラの前で硬質な五百円玉を軽く握り潰してしまったように、握力、腕力、脚力といった力までもが人間を軽く超越している。

 

到底の人間では太刀打ち出来ないどころか、質量兵器と呼ばれる戦車や戦闘機をたった一人で無力化し、その気になれば国すらも潰せる力を持つ個体までいる。

 

通常の人間には行き着けない領域に居る作られた人間。篠ノ之束にとってこれほど興味を引かれる対象は居ない。

 

彼が任務を終えて帰った後、即座に調べた。そもそもこの護衛任務も、自分で手を下すのが手間だったが故に、渋々依頼をしたに過ぎない。正直誰が来ようが、何かに襲われて死のうが、彼女にとっては至極どうでも良かった。

 

が、これも時の運、巡り合わせというのだろう。

 

かつて追い求めていた試験体が目の前に居る。飛び上がりたくなる気持ちを抑え、あらゆる手段を使って即座に調べ上げた。

 

彼の身長、体重、生年月日等の個人情報を始め、生まれてからここまでどのような経歴を持ち合わせているのかを。

 

 

機密になっている部分でも、必要とあらばハッキングしたし、他の遺伝子強化試験体にも、執着心を持って調べた。調べて得た結果を元に大和の住まいを特定。

 

実際に会いに行き、情報をより手に入れようとした。

 

 

そんな中、束にとっては朗報とも思える事が起きる。

 

 

「まさかやっくんがISを動かすとはねぇ。それは束さんも意外だったよー」

 

 

大和がISを動かしたこと。

 

こればかりは想定外だったが、逆に合法的に近付けるチャンスだと思った束は、特定した住所を千冬へと提供。千冬に大和の実家へ足を運んでもらい、IS学園へと入学出来るように手を回した。

 

束の一言に、大和を入学させるようにISを動かさせたのはお前ではないのかと、千冬の顔が少しだけ強張る。

 

 

「お前が動かすようにしたわけではないのか?」

 

「まっさか。いくら束さんが天才でもそこまでは出来ないよ。どうしていっくんとやっくんがISを動かせるのかは未だに分かっていないんだから」

 

 

束が嘘を言っているようには思えない。てっきりと確信犯的にやった行動だとばかり思っていた千冬にとって、彼女の言葉は予想外。

 

……少し質問をしてみよう、大和の情報を踏まえて、束には聞きたいことがあると、千冬は話を続けた。

 

 

「なら私から質問をしよう。お前は霧夜に怪我をさせるためにわざとあの男を呼んだのか?」

 

 

あの男、とはプライドのことを指すのだろう。千冬の言葉にはいつも以上に力が込められている。自分の生徒を、大切な人間を傷付けられて、彼女の中にある怒りは未だに収まってはいない。

 

もし可能なら、直接本人を見つけ出して叩きのめしたいほどに。それにもし束が一枚噛んでいるとしたら、それも許しがたい事実。本当に関与していないのか、確認の意味を込めて束に尋ねる。

 

口に手を当てて考える素振りを見せると、やがて首を横に振った。

 

 

「やっくんが並外れた力を持っているのは知っているし、戦闘データは欲しいけど、だからといってよく分からない人間に襲わせることはしないよ。そもそも、あの男に関しては私は一切関わってないもん」

 

 

大和が負傷した原因になったプライドに関しても、束は知らないと言い切る。あくまでトーンは一定だが、この期に及んで嘘を付いているとは考えづらい。

 

実際、プライドの召喚に束は一切関わっていない。大和を襲撃したのはあくまでプライドの独断専行に近いものがあり、束が直接手を加える、命令するといった類は一切していない。

 

何よりも、と束は付け加える。

 

 

「興味対象を自ら傷付けることなんかしないし、私が手を出したら黙っていない子が居るからね。流石にアレを敵に回すのは私にとってメリットにはならないのさ」

 

「……」

 

 

誰のことを指しているのか。

 

千冬にはおおよその検討がついて入るものの、あくまで冷静に口を結ぶ。

 

 

「私もちーちゃんも、まともにやりあったら勝てないからね。少なくとも今は敵対しようとは思わないよ」

 

「今は……か」

 

 

思わせぶりな発言をする束に、警戒心を強めていく。一体何が言いたいのか、少なくとも千冬よりも束の方が大和に関する情報を持っているのは事実。ただ現状、大和への手出しをするつもりは無い上に、束から明確な敵意を感じることは出来なかった。

 

 

「なら、将来的には敵対する可能性があるということか?」

 

「……さぁ、そこは束さんにも分からないなぁ。時の流れは無常だからね。その時々で考え方も変わるし、新しい発見だって出て来るし」

 

「お前らしい言い方だな」

 

「えへへ〜、ちーちゃんに褒められちゃった」

 

 

無邪気な子供のように喜ぶ年齢不相応な姿。

 

彼女の真意を知るものはいない。例えそれが付き合いの長い親友だったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ねえちーちゃん、今の世界は楽しい?」

 

「そこそこにな」

 

「そうなんだ」

 

 

刹那、強めの風が吹き荒れる。

 

 

「私は―――」

 

 

束が呟いた言葉は風に消え、同時に束自身の姿も海辺から消した。束が居なくなった後、一人取り残された千冬は木に体重を掛けて物思いにふける。

 

束の考えている事はいつも曖昧であり、掴みづらい。

 

 

「……一体お前は何を考えているんだ」

 

 

千冬の率直な思いが溢れる。

 

もうかれこれ十年近い付き合いになるというのに、束の手の内は掴みづらく、振り回されてばかりだ。

 

 

「遺伝子強化試験体か……」

 

 

何気なく千冬の発する言葉には何か別の意味合いが込められているようにも見えた。

 

だがその言葉を理解出来るものは誰一人としていない。

 

 

 

―――長い夜は明け、帰宅時間へと時は移る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大和くん、大和くん。もうサービスエリア着いたよ? お土産とか買わなくていいの?」

 

「んぁ?」

 

 

どこからか俺を呼ぶ声に手繰り寄せられるように目を覚ますと、両肩を持ち、優しく俺を起こすナギの姿が映った。

 

臨海学校も無事に全日程を終えて昼には旅館を出発、思いの外疲れがたまっていたのか、座席に身を任せ、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 

何とも間抜けな声を上げながら起きたのは良いが、昨日の一件があってから寝顔を見られても抵抗感が薄れた気がする。

 

恥じらいが無いと言うのか、関係がより親密なものになったと言うのか。良いことなのか悪いことなのかの判断も付かないレベルで、ナギとの関係が深まった気がする。

 

 

「マジで? さっき寝たばかりの気がするんだけど」

 

「一時間近く寝てたよ? 凄く気持ち良さそうにね」

 

「むっ……そうか」

 

 

クスクスと笑われるあたり、相当爆睡をしていたに違いない。ゴシゴシと目を擦り、目を覚まそうとするが中々目のしばしばが取れない。

 

サービスエリアについたことだし、トイレにでも行って顔を洗えば多少は取れるだろうと思いつつ、席を立とうとすると先ほどからじっとナギが見つめたままなのに気付く。

 

 

「ほ、本当はもう少し寄り添ってて貰っても良かったんだけど……」

 

「え、何て?」

 

「な、何でもない!」

 

 

何を言ったんだろう、声が小さすぎて何も聞き取れなかった。変に誤魔化すくらいだし、さほど重要視する必要もないか。ぐーっと背筋を伸ばし、血液の循環を良くする。

 

普段は移動中もあまり寝ることは無かったのに、隣に安心出来る人間が居ると、身を任せて寝てしまうようになった。あくまで隣にいるのがナギだから、という建前もあるんだろうけど、自身の変化に驚きを隠せない。

 

 

「あっ! お兄ちゃんおはよう!」

 

「おっ……と! こらこら、バスの中で抱きつくなよラウラ」

 

「えへへー♪」

 

 

胸に顔を埋めて満足そうに微笑むラウラの頭を、グリグリと撫でる。そういえば今日は全くラウラのことを構ってないし、バスの中でも速攻で寝てしまったが故に話すらもしていない。

 

ラウラもまた、臨海学校を経て変わった人間の一人だ。人間的にももちろんのこと、なんつーか……完全に人目を憚らずにベタつき甘えるようになったと言うか。

 

今となっては可愛い妹だし、抱きつかれることに抵抗感もない。嬉しい気持ちは分かるが、この狭い車内で抱きつかれると危ないし、寝起きの俺がバランスを崩す可能性も考えられなくはない。

 

まぁラウラの反応が一々可愛いっていうのがあるから、強く言えない部分もあるし、俺個人としては全然許せてしまうレベルであるが故に特に言っていない。

 

それこそ軽く注意するだけに止めている。俗に言うシスコンとでも言うのか、ここ最近気持ちが何となく分かった気がする。

 

 

「どれくらい止まっているんだっけ?」

 

「えーっと、確か一時間くらいじゃなかったかな? お土産とかも買えるように長く取っていたと思うんだけど」

 

「そうか、ならちょっと見に行こうか」

 

 

停車している時間を確認し、二人を引き連れて外に出ようとするのだが、どうにも周りの空気感がおかしいことに気付く。厳密には一夏の周囲を取り巻く面々が。

 

セシリア、シャルロットの二人は仏頂面をしたまま席を立とうとしないし、一夏に至っては座席の机に顔を伏せたまま意気消沈している。

 

 

「おい、一夏。いつまで突っ伏しているんだよ。外行こうぜ!」

 

「お、おう大和……そうだな、行こうか」

 

「……? なぁ一夏、なんか妙にやつれてないか?」

 

「これは色々あったというか……ははっ、女性って怖いな大和」

 

「はぁ?」

 

 

とりあえず何を言っていることが分からない。一夏が妙に疲れているのは分かるけど、これほど疲れるまで何をしたというのか。

 

それに女性が怖いってことは、女性関連で一夏がトラブルに巻き込まれたんだろうか。なら嫉妬して二人の機嫌が悪いのも良くわかるけど。

 

 

「女心を理解出来ない一夏さんが悪いんですわ」

 

 

一夏の後ろの席にいるのはツンツンした金髪お嬢様、セシリア・オルコット。絵に書いたようなテンプレゼリフを残しながら、プイと顔を背ける。頬をリスのように膨らませながら、拗ねる姿は何ともお嬢様らしい。

 

普段は背伸びして落ち着いた年上の女性を目指そうとしているのに、好きな男の子が絡んでくるとこうも、必死になる姿は見ていて興味深いものがある。

 

 

「……」

 

 

ちゃっかりと一夏の隣に陣取るのはシャルロット。隣にはいるものの、見るからに機嫌が悪い。体から溢れ出る負のオーラが尋常じゃなく、口を一切開こうとしなかった。

 

そういえばバスに乗り込む前に聞いたなぁ、昨日の深夜に勝手に旅館の外に出て怒られた生徒が居たって。俺はキチンと許可を取ったし、さほど長い時間外に出ていた訳だからお咎めなし。

 

帰ってきた時に偶々千冬さんと出会ったが、俺とナギの様子をみると満足そうな笑みを浮かべた。最低限の節度は守るように……なんて言われたけど、もしその場になったら我慢出来るかどうか分かったもんじゃない。

 

で、その怒られた生徒が一夏だったとすると、話の辻褄が合う。

 

 

「くっそ、眠い。全然寝れなかったぞ」

 

「それを俺に言われてもな。許可の一つも取っておけば怒られることも無かっただろうに」

 

「うっ、それはそうだけど……」

 

 

予想的中、俺の言ったことに否定しなかったことから怒られた人物は一夏ということが確定。

 

 

「あー……、誰か飲み物を持っていないか?」

 

「ありませんわ」

 

「知らない」

 

 

哀れ一夏、僅かな希望を持って懇願をするもセシリアとシャルロットに一蹴され、力なく崩れ落ちた。

 

 

「箒……」

 

「な、何を見ている!」

 

 

仔犬が懇願するような眼差しに恥ずかしくなってしまったらしく、唯一機嫌が悪くない頼みの綱である箒までもがそっぽを向いてしまう。

 

まさに四面楚歌。一夏の周りに仲間は居ないようだ。幸いなことにサービスエリアに着いているから、多少体にムチを打って買いに行けば全ては解決する。

 

もっとも、その体力がないからこそ皆に頼んだんだろうけど……いやぁ、女性の嫉妬は怖いねぇ。

 

 

「一夏、サービスエリアに着いたんだから買いに行けば良いだろう。ほら、時間もないんだから」

 

「うぅ、じゃあ大和が買ってきてくれれば……」

 

「俺が手伝うとでも?」

 

「期待した俺が馬鹿でした。はぁああ……」

 

 

大きなため息をついて気だるそうに立ち上がる。あくまで俺は質問しただけであって、手伝わないとは言っていない。自己解釈したのは一夏だから、俺は悪くないはず。

 

あぁ、こんな時にまで人をからかおうとする辺り、俺の性格も大分捻くれてるな。

 

 

「三人がくれないなら仕方ないだろ。まぁそんな優しいやつが居たら、一夏も嬉しいよな」

 

「当たり前だろ。もう何でも良いから飲み物を口に入れたい……」

 

 

ボソリと呟く俺の一言に、そっぽを向いていた三人は一斉に顔を上げた。

 

一夏は現在進行形で困っているわけだ、しかも三人とも飲み物を持っている。一夏が喜ぶこと、すなわちここで飲み物を差し出せば、一夏の好感度アップにも繋がる。

 

はっとした表情のまま、それぞれ手持ちのカバンの中を探り始める。あまりにも分かりやすい反応に思わず笑みが溢れる。そうこうしている間にも一夏はバスから降りようと通路に出る。その後ろ姿を追うように、俺とナギ、ラウラが続く。

 

手持ちの残高がいくら位あったかと、財布の中身を確認しようとすると同時だった。

 

 

「「い、一夏(さん)!」」

 

「はい?」

 

 

俺の後ろをぞろぞろと、三人が続いてくる。箒とセシリア、シャルロットの手にはそれぞれ水の入ったペットボトルが握られている。

 

さり気なく一夏に渡して好感度アップを狙っているんだろうが、果たしてそう上手く行くのか。三人が手渡そうと一夏に近付いた瞬間、更に別の人物から声が掛けられた。

 

 

「ねぇ、織斑一夏くんって貴方よね?」

 

 

バスの入り口から車内に上がってくる一人の女性、光に照らされているのではないかと思うほどの金髪が眩しい。同時に見たこともない女性だということに気付く。学校の教師にはこんな特徴的な金髪の持ち主は居ないし、臨海学校に来ている生徒の中にも居ない。シャルロットやセシリアも金髪ではあるものの、特徴的なのは彼女の纏う雰囲気。

 

年齢的には二十歳くらいか、クラスメートたちと比較してしまうと随分大人びた雰囲気を感じる。実際、その表情からは幾多もの経験をくぐり抜けてきた強さが、ひしひしと伝わってきた。

 

黒のサングラスを掛け、カジュアルスーツを着崩した姿が妙に様になっている。テンプレなのか、スタイルも良い。それにモデルでもやっているかのような美人だ。町を歩いていたら数多くの男性が振り向くであろう美貌を持ち合わせている。

 

男性にとっては非常に魅了的な女性ではあるものの、あまり色目を使い過ぎるとナギに白い目で見られるだろうし、視線を少しだけ逸して自然体を装う。

 

サングラスを外して一夏に近付くと、興味深げに顔を凝視する。

 

話したことも会ったこともない美人を目の前に、若干緊張の色を隠せない一夏と、取り残される一夏ラバーズ。

 

 

「へぇ、君がそうなのね~」

 

「あの、あなたは……?」

 

「私はナターシャ・ファイルス。『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』の操縦者よ」

 

 

女性から聞かされる単語に驚きを隠せない。

 

どこかで既視感のある顔だとは思っていたが、まさか昨日戦っていた福音の操縦者だったとは。海面スレスレでキャッチはしたものの、顔まではよく確認していないなら若干うろ覚えな部分があった。

 

よく見ていると助けた本人によく似ている。というより本人なのだから間違いはない。

 

一体サービスエリアまで出向いてどうしたというのか。

 

 

「あ、あの……?」

 

「ふふっ、これはお礼よ。勇敢な騎士(ナイト)様?」

 

「え―――」

 

 

ニコリと微笑むと一夏に近付き、無防備な左頬にそっと自身の唇をくっつけた。羞恥から頬を赤らめる一夏と同時に、ぴしりという音とともに箒、セシリア、シャルロットの三人は凍り付く。

 

ラウラは興味深げにその様子を眺め、ナギは恥ずかしそうに両手で口元を覆った。社内は突然の行為にざわめき、社内に残っている生徒の視線は一斉に一夏の元へと降り注ぐ。

 

何でも頬へのキスは感謝の意味も含まれているらしく、ファイルスさん的には感謝の意味を込めたのではないかと、個人的には考えている。

 

しかし一夏に想いを寄せる三人からしてみれば、感謝のつもりであってもキスはキスだ。あって間もないファイルスさんが一夏にキスをすれば、新しいライバルが現れたと勘違いしても無理はない。

 

驚きは嫉妬へと切り替わり、ペットボトルを握り締める力が強くなる。

 

 

「あらあら、ちょっと刺激が強かったかしら? ごめんなさいね」

 

「え……はぁ」

 

 

浮かべる笑みも様になってて、口を押さえ方が何とも上品に見える。大人の色気というのか、同じ世代の異性が笑う時と比べると違いは歴然だった。

 

飄々と返すファイルスさんに、恥ずかしさから頬を赤らめて照れくさそうに視線を這わす一。少なくとも、一夏がファイルスさんに向ける視線は、女性として見ている貴重なものでもある。だからこそ、尚更三人からすれば面白くない。ここに鈴がいたなら、規律を無視して甲龍を展開する姿が容易に想像できた。

 

 

「一夏ってモテるねぇ」

 

「ホント、羨ましい限りですわぁ」

 

「はっ、ははっ、はははっ」

 

「ひぃっ!」

 

 

フリーズが解け、満面の笑みの中にどす黒い感情を込めて一夏のことを見つめる。一言でいうと怖い、これが女性の嫉妬なのかと考えると、背筋が凍り付く。

 

三者三様の反応に、一夏はビクリと体を震わせる。これから襲い来る未来を想像したのだろう、三人の手にはそれぞれペットボトルが握られていた。当然、中身は満タン。

 

中身がないならまだしも、中身がフルで入った状態で、それを投げようものなら軽く死ねるなと、他人事のように一部始終を見つめていた。

 

案の定、俺の予想は的中することになる。

 

 

「「はい、どーぞ!」」

 

 

一夏の画面めがけて、人数分のペットボトルが投擲された。

 

が、あいにくここは狭いバスの中。幸いラウラにもナギにも当たる軌道ではないが、一夏に当たったペットボトルはどうなるだろう。跳ね返ったペットボトルがあらぬ方向へ飛んでいくかもしれない。

 

そうすると無関係の人間が巻き込まれる可能性も出てくる。

 

それは防がなければならない。

 

 

一夏の前に素早く割って入ると、投げられたペットボトルをキャッチしていく。残った三本目は俺が掴むより先にラウラが掴んでくれたため、これで全部のペットボトルを掴むことに成功した。にしてもラウラのとっさの判断も目を見張るものがある。理由はどうであれ、気遣いも出来るようになってきているし、独り立ちするのも時間の問題かもしれない。

 

兄としては少し寂しい気分もあるが、致し方ない。

 

さて、問題なのはペットボトルを投げた三人か。

 

嫉妬から怒りたくなる気持ちは分からなくはないけど、流石にこの場でペットボトルを投げる行為はいただけない。

 

 

「ほっ……助かった」

 

 

胸を撫で下ろす一夏を確認すると、バツが悪そうに視線を逸らす三人に軽く注意をしていく。

 

 

「お前らなぁ。気持ちは分かるけど、こんな狭いところでペットボトル投げたら他の人間に迷惑かかるだろ?」

 

「うっ……それは」

 

「た、確かに大和さんの言うとおりですわ……」

 

「で、でも!」

 

「言い訳しない!」

 

「は、はい……」

 

 

反省した素振りを見せる箒、セシリア、シャルロットの三人。若干シャルロットが何かを言い掛けるが、言わせる暇も与えずに黙らせる。ここで話を聞いていたら埒が明かないし、ファイルスさんにまで迷惑を掛けることになる。

 

一概に三人を責めることはしないものの、TPOは弁えて欲しい。

 

 

「すみません、騒がしくて。皆悪気は無いんですけど、ちょっと元気が良すぎるというか……」

 

「あら、私は特に気にしないわよ? あなたたちの年なら、これくらい青春してないとねー」

 

 

ファイルスさんがいい意味で砕けていて助かった。一人の男を巡ってバチバチの争いをされたら敵わない。今のやり取りに対して楽しそうに笑みを浮かべる。

 

 

「貴方は霧夜大和くんよね。どう? 怪我の状態は」

 

「まぁボチボチってところです。体の傷は大分癒えたんで、日常生活にも支障は無いと思います」

 

 

お陰様で少し遠近感が掴みづらい以外は、別段支障はない。掴みづらいとはいっても、前線で両目を駆使している時に比べてであって、この状態でも常人に負ける気は全くない。

 

眼帯を外して左眼を駆使すれば言わずもがな。

 

怪我の状態を聞き、ファイルスさんは少し安心したように表情を和らげる。

 

 

「そう、それなら良かった。……でも左眼までは戻らなかったのね」

 

「そこは仕方ないです。作戦中に油断した俺が悪いんで」

 

 

やはり左眼が気になるらしい。気になるのは分かるが、この話題を出すと箒の表情が暗くなりそうだから、あまり本人の目の前で話したい内容ではない。

 

話はつけて落ち着かせてはいるが、話題に上がっても良い気分にはならないはず。

 

 

「貴方も大概無茶をするタイプなのね。よく心配かけて泣かせるタイプでしょ?」

 

「……否定出来ないですね」

 

 

この人もよく人を見ている。

 

つい先日の出来事がフラッシュバックし、思わず苦笑いを浮かべながら視線を逸した。実際に泣かした本人が近くにいる手前、そこに関してはぐうの音も出ずに首を縦に振るしかない。

 

というか福音の操縦者ならある程度事故の概要は聞かされているはず。怪我を押してまで作戦に参加した時点で、無茶をする人間だというのは目に見えて分かる。

 

 

「あら?」

 

「えっ?」

 

 

不意にファイルスさんが視線を俺の後ろに向ける。後ろに居るのは五人、だが視線の矛先は箒やセシリア、シャルロットには向いていない。となると残る選択肢は二人、どう考えても他のクラスメイトは無関係だし、視線が向けられる理由もない。

 

視線の矛先を確認してみると、丁度真後ろにいるナギの元に辿り着く。ナギが声を上げたのも自分に視線が向けられていることに気付いたからだろう。

 

しかしナギとファイルスさんにはまるで接点がない。俺が知らないところで会ったとも考えられないし、今回が初めての邂逅のはず。どうして真っ先にナギへと視線を向けたのか。

 

何だろう。このケース、凄く嫌な予感がするんだが……。

 

 

すると今度は俺の方へと視線を戻す。またナギへと視線を移すといった動作を二度繰り返し、再び柔らかな微笑みを浮かべた。

 

 

「ふふっ♪ まさかとは思ったけど、やっぱりそういう事ね」

 

「はい?」

 

 

言っている意味が分からないのに、何故か寒気がする。野生の勘とでもいうのか、これから起きることに一抹の不安が拭えない。

 

 

「だから燃えるものもあるわよね。よしっ!」

 

「あの、ファイルスさん?」

 

「私のことはナターシャで良いわ大和くん。そしてこれは左眼を失ってまで戦ってくれたお礼と……」

 

 

一歩間合いを詰め、俗に言う一足一刀の間合いへと入ってくる。彼女のことだし悪意はないだろうと、油断して構えていたのがいけなかった。

 

 

「んっ」

 

「!!?」

 

 

素早い身のこなしで俺へと近付くと、背伸びをして薄く口紅が塗られた色っぽい唇を頬ではなく、俺の口元に軽く口付けた。ほんの一瞬の僅かな出来事だったが故に感触もへったくれも無かったが、ファイル……ナターシャさんの唇が触れた事実は変わらない。

 

 

 

「えっ!?」

 

「「なぁっ!!?」」

 

 

あっけに取られる俺と、驚くナギとクラスメイトたち。ほんのりと頬を赤らめるナターシャさんの姿は俺から離れると、小悪魔のようにニヤリと微笑み。

 

 

「宣戦布告、かな?」

 

 

宣戦布告の意味が分からないほど、俺も鈍感ではない。わざわざナギに視線を向けた意味がようやく分かる。つまり……ナターシャさんはナターシャさんで、俺に好意を持っていると。

 

確かに作戦には参加したが、参加した理由はあくまで一夏のバックアップ要員として。事がスムーズに進めば、本来は戦いに参加することはなかった。

 

しかも戦ったのは福音ではなく、未知の存在プライドとだ。ナターシャさんを守るためかと言われると、若干の語弊があるし、俺が好意を向けられる理由が見当たらない。

 

とはいえ、口付けをされたわけだ。彼女でもない別の女性に、しかも彼女の目の前で。

 

今の口付けの意味を単純に解釈すると海外式の挨拶か愛情。が、この場で挨拶というのには無理がある。その解釈は俺だけではなく、全員の共通認識だろう。

 

もちろん、ナギにも……。

 

後ろを振り向くのが堪らなく怖い。

 

意識せずとも押し寄せてくる背後からの威圧感に、俺の背筋は凍り付く。わざとじゃないとはいえ、自分の彼氏が別の女性に唇を奪われて平気で居られるわけがない。

 

ましてや初対面の人間に。

 

冷や汗を垂らしながら、俺は目の前のナターシャさんの方へと向いたまま、話を続ける。

 

 

「宣戦布告って……何を?」

 

「あら、貴方ならすぐ気付くかと思ったけど……もう一回する? 今度は少し情熱的なやつを」

 

「いえ、分かりました。認識しました。だから勘弁してください!」

 

 

クスクスと俺の反応を楽しむナターシャさん。

 

後ろに居る存在(ナギ)の反応に焦っていることを悟られ、面白そうに微笑む。俺の知ってる年上の女性はこんなのばっかり、恨むぜ神様。

 

 

「ふふっ、可愛い♪」

 

「うぐっ……」

 

「あまりイジると、嫉妬されそうだしね。じゃあまたね、バーイ」

 

 

後ろ向きに手を振ると、ナターシャさんは颯爽とバスの外へと出て行ってしまう。バスを唐突に襲った嵐は甚大な被害を残し、あっという間に去ってしまった。

 

これからどう収拾付けろというのか。とはいってもこの微妙な空気感のまま放置する訳にはいかないし、何とか元の空気に戻すしかない。

 

また殴られるんじゃないかと、腹を括り、思い切って後ろを振り向く。

 

 

「あの……うおっ!?」

 

「……」

 

 

効果音で表すなら『ゴゴゴゴゴゴッ!』という音が相応しいか。

 

結論から言えば果てしなく怖い。無言で仏頂面を浮かべるナギの背後に阿修羅がいるようで、隣にいたラウラに関しては瞬時に反応し、俺の背後に隠れる。ガタガタと体を震わせ、顔を半分だけ出してナギの様子を伺う。

 

真正面に立たされたこっちとしては既に逃げたい。

 

俺とナギが恋人関係にあることを知っている人間は、ラウラとナギの一部取り巻きだけ。仲が良い事は知っていても、どうして修羅場になっているのかを知っている人間は少ない。

 

一夏に関しては何が起きているのか分からず、箒、セシリア、シャルロットの三人は俺が焦っている理由が分からず、頭の上にはてなマークを浮かべている。

 

 

「何をやっているのかな……?」

 

「い、いや! その、これはあくまで不可抗力で!」

 

 

そう、不可抗力だ。

 

俺は何も知らないし、何もやっていない。どちらかと言えば被害者じゃないだろうかとナギに訴えるも、聞く耳は持たないようで、ムスッとしたまま見つめている。

 

 

「へぇ、そうなんだ。良いね大和くん、モテモテで。私なんかよりもずーっと美人さんだったし」

 

「いや、だからそれはだな!」

 

 

美人だったことは否定しない。

 

ナターシャさんは一般の女性と比べても勿論のこと、美人の中で比べても上位クラスに入る。そんな綺麗な女性に好かれて男冥利に尽きるところではあるが、あいにく俺からナターシャさんに好意を持っているわけではない。

 

そもそも彼女の人となりを知っているわけではないし、突然のことにこちらの方が驚いているくらいだ。いくら弁明をした所で、ナギの機嫌が直るかと言われれば何とも言えない。

 

 

「な、何か修羅場みたいな感じだけど……」

 

「ど、どういうことですの?」

 

「い、いや、それは私に振られてもだな」

 

 

箒たちは各々、俺たちの関係に疑問を持ち始める。付き合っている真実は伝えていないし、目の前で繰り広げられるやりとりが、まるで恋人のように見える。

 

そう括られてもおかしくはない。

 

一方で一夏は完全に蚊帳の外。何が起きているのか、どうして修羅場になっているのか分からずに首を傾げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「浮気性の男の子には罰が必要かな?」

 

「罰? 一体何を……」

 

 

しようとするんだ。

 

そう言いかける前に、目の前に広がるどアップの顔。唇に触れる柔らかな感触、温もり。ふわりと揺れる髪から漂う、トリートメントの甘い香りが鼻腔を刺激する。

 

あの、これってもしかして……。

 

 

「「えぇえええええええ!!!!??」」

 

 

突然展開されるラブコメ展開に、バスに残っているクラスメイトの地響きのような叫びが木霊する。人間にはイメージがある。ナギのイメージは大人しく、あまり積極的に行動はしない。キャラが濃いクラスメートと比較すると、悪く言えば影が薄く、目立たない。

 

普段俺と行動することが多くて目立ってはいるが、俺がいなかったらそう目立つことはない。

 

そんな生徒が今話題の男性操縦者とキスしている。

 

 

「っあ……き、急に何を」

 

 

驚きのあまり、即座にナギから離れる。

 

口づけしていた時間はほんの僅かであったものの、周囲に見られたことを思うも、恥ずかしさから体中の体温が一気に上がっていくのが分かる。驚く俺をよそに、照れくさそうに微笑むナギの顔が眩しい。

 

 

「上書き、成功だね♪」

 

 

そう呟くナギの表情に、一気に顔が赤くなる。ナターシャさんに奪われた唇を、再度奪い返された。好きな男を見ず知らずの女性がキスをすれば、良い気分がしないのは当たり前。今までのナギなら、自分より優れているからとネガティブに思っていたかもしれない。

 

でも今は違う。俺に寄り添う女性としての余裕と、自信があった。

 

 

ズルい、それを言われたら何も言えないではないか。天使のように微笑む自分の彼女を直ぐにでも抱き締めたい気持ちにかられる。

 

口元に残る確かな温もりに無意識に唇を触る。

 

 

こんな公の場でしてくれたら、もう後には引けない。

 

俺以上に魅力的な男性が出て来ようとも、誰にも渡すつもりはない。

 

 

「……っとにお前は」

 

 

口から溢れる言葉は照れ隠しだった。

 

目の前に居る愛おしい彼女の体をギュッと抱き締める。抱き締めると共に湧き上がる黄色い歓声、俺たちの関係を祝福するもの、冷やかすものと様々だが、どれも悪い気分にはならなかった。

 

人前だから遠慮するという気持ちを忘れ、ナギを抱き締め続ける。一生分の幸せを噛みしめるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふつつか者ですが、これからもよろしくお願いします♪」

 

 

気持ち良さそうに顔を埋めるナギを抱き締めながら、改めて思う。

 

……この学園に入学して本当に良かったと。

 

 

 

 

人は幾多もの偶然の中で生きている。

 

 

 

 

どのような生い立ちなのか。

 

どのような才能を持ち合わせているのか。

 

どのような人と出会うのか。

 

 

 

これらは全て偶然であり、元々決められたレールではない。ひょんな事で変わることもあれば、ずっと変わらないことだってある。

 

だが人は出会った瞬間、それを必然だとか、運命だとか言う。

 

そこを否定する気は無い。幾多もの可能性から探り出した僅かな確率を引き当てたのだから、そう思わない人間の方が少ないはず。

 

男性がIS学園に入学するなど誰が予想しただろう。適性検査で動かさなければ、決して踏み入ることのなかった異界の地だった。ISを動かすことが元々決められていた未来なのか、それとも偶々だったのか、そんなこと今はどうでも良かった。

 

何故ならこうして大切な存在と出会えたという事実は揺るがないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

「本当に退屈しないな……この学園は」

 

 

かつてないほどに充実している学園生活。

 

学校を楽しいと思ったことは一度もなかった俺にとって、IS学園の入学は、全く別の新しい世界を見ているようだった。

 

変わるものもあれば、決して変わらないものもある。

 

少なくともこの充実感だけは変わることが無いはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

休憩を終えたバスは、IS学園へと向けてひた走る。

 

長いようで短かった数日間は終わりを告げようとしていた。明日からは再び、あの喧騒が戻ってくることだろう。時には鬱陶しさすら感じてしまった喧騒でも、今となっては心地よいサウンドのようにも聞こえる。

 

この数日間の臨海学校で、それぞれ学ぶことがあったはず。それらはこれから先、決して無駄にはならない。だが活かすも殺すも自分次第であり、必ずしもタメになるとは限らない。

 

どう活かしていくかは、その人間次第だ。

 

 

各々想いを胸に座席へと座る。

 

思った以上に溜まった疲れが、睡眠へと誘うには十分だった。座席に背中を預けるとともに、押し寄せる睡魔に逆らうことが出来ずに闇へと落ちる。

 

左肩には何かが乗っかる感触、それだけで俺の心は安息に包まれる。隣にいてくれるだけで安心するような存在、かけがえのない存在へと変わった。

 

 

 

 

 

ただの知り合いから友達へ。

 

友達から親密な関係に。

 

親密な関係から彼女へ。

 

彼女からかけがえのない存在に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――これから先、あわよくば永久に。

 

本当の意味での『護るべきモノ』として、俺は彼女を守り続けよう。

 

そう新たに胸に誓った。

 

 

 

【挿絵表示】

 




ここまでご愛読頂きありがとうございます。
臨海学校編で一旦物語は区切りとなります。
今後の詳細等は活動報告にて報告させて頂きますので、そちらをご覧ください。

本当にありがとうございました!


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第X章ー???ー
敗者の末路、新たなる目覚め


 

 

 

 

「ふぅん……負けたのねあの男」

 

 

つまらなそうに呟く声、見つめる視線の先に映るモニターには、大和と戦うプライドの映像が映し出されていた。最初の方こそ押し気味で戦っていたというのに、大和が本来の力を発揮してからは防戦一方。

 

自身の力を過信し、単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)の刀を真っ二つに叩き切られて戦う能力を失い、抵抗する術もなく完膚無きまでに叩きのめされた。

 

装備や機体の一部が破損し、当分は動かせない状態となった今、利用価値はない。鎌鼬の渦に切り刻まれるプライドを見ながら、そのモニターを消した。

 

 

 

「まぁ良いわ、元々過度な期待はしていなかったし。一度心をへし折られるくらいが丁度良いかもね」

 

 

 

散々高圧的な態度をとってきたのだから、当然の報いを受けるべきだ。

 

元々良い印象は無かったというのに、唯一の拠り所であった戦いでも負けた。もう彼が、プライドが誇れる部分など何一つ無い。

 

 

「スコール、連れてきたぞ」

 

「ご苦労様『M』貴方はもう下がって良いわよ」

 

「……」

 

 

 

 

コードネーム『M』

 

そのイニシャルが何を意味するのか、それは当人同士しか分からない。

 

呼ばれた少女が突き出すのは傷だらけになったプライド。至る所に切り傷が見受けられ、様相を見るだけでも命からがら逃げてきたことが伺える。

 

 

「残念ね。もう少し出来ると期待していたのだけれど」

 

「……」

 

 

スコールの声に対して一切の反応を見せず、がっくりと首を垂れたまま、無言を貫き通す。

 

自身は負けた、それも全く抵抗の出来ないまま完膚なきまでに。敗北を知らなかった男の初めての敗北、所詮は自身も井の中の蛙であったことを認識し、プライドをへし折られた。負けないことこそ自身の存在理由だったにも関わらず、それをあっさりと捻じ曲げられた。

 

あの男、霧夜大和によって。

 

彼にとって戦いが全てだった。

 

それを失った今、プライドに発言権はない。分かっているからこそ、スコールの一言にも口答えをしなかったし、出来なかった。

 

 

初めて植え付けられた()()

 

植え付けられた大和へのそれはすぐに消せるようなものではなかった。

 

 

「それにしても無様以外の何物でも無いわ。戦いでは負けたことがなかった貴方があっさり負けるだなんて。散々期待をさせておいて、この有様とは……」

 

「……!」

 

 

スコールが放つ心もとない言葉の連続に、僅かばかりの反応を示す。

 

負けたことは事実であり、言い逃れは出来ない。だが、彼がどれだけ狂っていたとしても戦いに関してはプライドを持っている。言いたい放題好きに言われて、気分が良い訳がない。

 

むしろこれだけズタボロにされた弱り目に、容赦のない非難の言葉は彼の怒りをますます増幅させていった。

 

ぐっと拳に力を込め、彼女の言葉に耐える。

 

 

「貴方の為に用意したISも壊されるし、ロクなことが無いわ。この責任、どう取るつもりなのかしら?」

 

 

自分の犯した失態に対し、どう落とし前をつけるのか。座り込むプライドを見下ろしながら、淡々と言葉を続けるスコール。

 

 

「……かせろ」

 

「聞こえないわ。はっきりと言いなさい」

 

 

ボソボソとしたか細い声で話すも、スコールの耳には聞こえるはずもなく、もう一度言うように催促をされる。苦虫をつぶしたように歯を食いしばり、再度声を振り絞った。

 

 

「俺を……俺をあいつの元に行かせろ! このまま終わってたまるか! 次こそあの野郎を殺してやるっ!!!」

 

 

勝つ見込みなど無い。

 

彼をそこまで奮い立たせるもの、それは自分自身に惨めな思いをさせた大和への恨みだけ。このままでは済まさない、完全な個人感情ではあるが、内に秘めた彼の怨念は相当なものがあった。

 

顔を上げるプライドの顔を、表情一つ変えずに見つめるスコール。

 

やがて何がおかしいのか、大きな声で笑い始めた。

 

 

「ははっ、あははははっ!!」

 

「何が可笑しい!」

 

「この後に及んでまだ再戦をしようと? ふざけるのもいい加減にしなさい愚図」

 

「なっ……!」

 

 

瞳からは光が完全に消え失せ、生ごみを見るかのような眼差しでプライドを見下ろす。貴様などもう必要ないと訴えかけるような眼差しに、プライドは得体の知れない恐怖を覚えた。

 

未だかつてスコールのこのような表情を見たことは無い。ましてやここまで彼女の口が悪かったことも知らなかった。

 

 

「負けた事実をもう少し重く受け止めることね。壊されたISの修繕費だってタダじゃないのよ。それにまた戦って勝てる保証は? 負けた時のダメージは? 誰が責任を取るのかしら?」

 

「ぐっ……そんなもの」

 

「私は貴方のコマじゃない。そんなに再戦をしたければ、自分で勝手に行きなさい。もちろんISは自分で調達でもするのね。それとも―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

途中まで言いかけて静かな足音でプライドの前へと歩み寄る。そして無防備なプライドの手をヒールの部分で思い切り踏みつぶした。

 

 

「―――っ!!? ガァァアアアアアアッ!!」

 

「私の言うことが聞けない、とでも?」

 

 

ミシミシと音をたてて軋む骨の音と共に、悲痛な叫びが部屋中に木霊する。表情は歪み、額からは大漁の冷や汗が吹き出た。

 

スコールの瞳からは光が消え失せ、感情を失った操り人形のような不気味な雰囲気が感じ取れる。ギリギリとヒールを押し付けながら、更に言葉を続けた。

 

 

「任務を失敗して、無様な姿を晒し、亡国機業のイメージを著しく傷つけたこと。貴重な専用機を壊したこと。どれも許されるものではない」

 

「ぐぅっ……」

 

「それに、貴方が今後どうなるかは私が決めるわけではないのよ」

 

「何だと!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうよね『ティオ』?」

 

 

スコールの言葉と連動するように、ギィと音を立てて扉が開くと、スーツを身に纏った一人の男性が部屋に入ってきた。

 

年齢的には十代後半から二十歳前後というところだろうか。手入れされた長髪に、華奢な体躯。肉付きの良いプライドとは、まるで正反対の体型をした『ティオ』と呼ばれた男性は目を閉じたまま、スコールの横へと立つ。荒々しい雰囲気を持つプライドとは違い、表情一つ崩さず落ち着いた雰囲気のティオ。二人にある共通点といえば、互いに男性であるとことくらいか。

 

ティオの左手には日本刀が握られており、スコールのボディーガードを務めているようにも見える。だがいつからスコールの側近となったのだろうか。プライドも亡国機業に属してから歴が浅いとはいえ、ある程度の人間の顔は把握しているつもりだった。それでもこの男、ティオの存在を把握していなかった。

 

亡国機業に属する人間のほとんどが女性であるが故に、男性の存在は僅か。てっきり自分一人だけだとばかり思っていた。

 

 

「えぇ、そうですね。スコール」

 

 

淡々と答える静かな口調。

 

表情一つ変化をしないせいで、相手の感情を読み取ることが難しい。が、亡国機業に属している人間なのだからそれ相応に実力を高いのだろう。実力の低い人間を、態々スコールが傍に置くとも考えにくい。スコールはプライド自身よりティオの方が優れていると判断したことになる。

 

自分の処遇をティオに任せようという時点で、既に自分は戦力の頭数に数えられていない。が、ここで弱気に引くことはプライドの矜持が許さなかった。

 

 

「……それで、俺をどうしようと?」

 

 

踏みつけられた左手の痛みを我慢し、ギロリと鋭い視線を向ける。

 

 

「あら、まだ強がりが言えるのね。そんな余裕はもうないはずだけど?」

 

 

パチンと指を鳴らすとガタガタと音を立てながら、天井の隙間から大型のモニターが出現した。何故この場でモニターが出てくるのか、意図が分からず首を傾げるプライドを余所に、ニヤリと薄笑いを浮かべるのはスコール。

 

彼女はモニターの意図を理解しており、隣にいるティオもまたその一人。場で分かっていないのはプライドだけだった。

 

大型のモニターの動きが止まると、自動的に電源が付き、青い出力画面へと切り替わる。何かを再生しようとしているのだろうか、どちらにせよ見る気は起きなかった。

 

 

「……」

 

 

再生が始まったかと思えば、薄暗い風景と、地下に続く大きな階段が映し出される。下はかなり暗く、明かりがなければ数メートル先の地面が見えないほどだ。

 

一体この映像に何の意味があるのか、再生される画面をただ凝視するだけしか出来ない。十数秒ほど経ち、カメラ画面が徐々に階段の奥へと進んでいく。

 

下へと続く無限回路のような階段は何処まで続いているのだろう。進めど進めど同じ画面の繰り返しで、段々気味が悪くなってきた。

 

徐々に苛立ってきたプライドは語尾を荒げる。

 

 

「おい! この映像に何の意味があるんだ!!?」

 

「良いから黙って見てなさい。直に分かるわ」

 

 

しかし返ってくる言葉は見ていろの一言。価値がない映像を見せられ続けて、苛立ちを隠せないまま数分が過ぎる。するとようやく一番下までたどり着いたのだろう、画面に木造の扉が映し出された。

 

ようやく変化が現れたことで、ほんの少しプライドの苛立ちが収まる。

 

それにしてもこの映像が意味することは何か。プライドに見せるくらいだ、当然彼自身に関係があることなのだろう、嫌がらせ目的で意味もなく見せるとは考えづらい。

 

 

 

 

 

 

……何だろう、嫌な予感がする。

 

 

別に何かを言われた訳ではない。映像が流れ始めて発した言葉は、黙ってみておけの一言。流れている映像がプライドにとって余程重要度の高いものなのか、それすらも分からない。

 

 

扉の前に止まっていた影の手がドアノブへと伸びる。ギギギという音とともに開かれる扉の先に見えたのは僅かな明かりが灯る鉄格子の空間だった。

 

薄暗いその空間にある一つの鉄格子の前で立ち止まる映像。鉄格子の中をカメラのレンズが覗く。

 

 

「ーーーッ!!?」

 

 

状況を把握したプライドは思わず絶句する。

 

鉄格子の中を捉えるカメラが映し出すのは、手錠を繋がれたまま、弱々しい表情を浮かべる幼い少女だった。服はボロボロで、何日も風呂に入れられていないのか肌も汚れているように見える。

 

力なく、カメラレンズを見つめる少女の瞳は衰弱しきっていた。年齢は七歳~八歳くらいか、まだ年端も行かない少女なのは見て取れた。少女がレンズを見て数秒後、映像は途切れ、再生が終わる。

 

 

「て、テメェ……!!」

 

 

ギリッと歯軋りするプライドの表情からは明確な怒り……否、それを飛び越えた憎悪が感じ取れた。

 

 

「約束が違う! あいつには手を出すなと言ったはずだ!!」

 

「えぇ、私との約束はそうだったわね。でも今回の判断を下したのは彼よ。私は今回の決断には一切携わって居ないわ」

 

「ぐっ……この屑がっ!!」

 

 

侮蔑の視線をティオに向けるが、彼はどこ吹く風と言わんばかりに話を切り出していく。

 

 

「好きに言えばいい。さてプライド、本題に入ろう。君の行動が、亡国機業のイメージを損ねた事実は変わらない。そこでリベンジのチャンスをやろう」

 

「何?」

 

「霧夜大和との再戦を認めると言っている。最もこれは温情であって、君への処罰ではないがね」

 

「だからって、テメェは無関係な身内に手を出したっていうのかッ!!」

 

「おいおい、どの口が言う? 君だって今まで無関係な人間に手を掛けてきただろう。私は君の裁量で判断したに過ぎんよ?」

 

「このっ……クソ野郎がぁぁぁぁあああああああ!!!」

 

 

淡々と外道な所業を口にするティオに対して、沸点が振り切れてしまったプライドは、怒りに身を任せながら飛びかかる。それと同時にスコールは横に飛び、ティオから素早く離れる。

 

飛びかかるプライドを余所に、全く動こうとしないティオ。体格差は歴然であり、まともに対峙したら到底敵わないだろう。

 

だが、あくまで一般常識の観点から判断すればだ。彼もまた一般常識が通用する人間では無かった。

 

 

「……」

 

 

拳が振れるか振れないかの間合いに入ったかと思うと、ほんの少し体を前傾姿勢にし、拳をギリギリで避けながらプライドの進行方向とは逆へ出る。

 

激しい動きのプライドと比べて、随分と無駄のない動きだ。攻撃をかわされたことを察し、振り向きざまに更なる追撃を加えようとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君はもうお払い箱だよ。プライド」

 

 

一言、小さな声ではあるがはっきりとプライドの耳に届いた。怒りに身を任せ、腕を上げようとする。

 

 

「……え?」

 

 

違和感に気付く。

 

まるで自分の体ではない、今まで全く体験したことが無いような感覚。

 

 

 

 

 

 

両腕の感覚が無い。

 

そんなバカなことがあるかと、視線を両腕へと向ける。

 

 

「あ……?」

 

 

無い。

 

自分の腕が両腕とも消えている。

 

刹那、二つの落下音と共に何かが自身の近くに落ちてくる。それはかつて自身の両腕に備え付けられたであろう物体だった。

 

 

「い、ギャァァァァアアァアアアアアアア!!?」

 

 

自身の腕だと認識すると同時に、全身を駆け巡る猛烈なまでの痛み。場に崩れ落ちたプライドは痛みのあまりのたうち回る。両腕からあふれ出るおびただしい量の血が、惨憺たる有様を物語っていた。

 

いっそのこと殺してくれた方がマシだと言わんばかりに表情は歪み、体中から尋常ではない量の汗が吹き出る。

 

 

「腕がぁああ! 俺の腕がぁあぁああああああッ!!」

 

「独断専行して勝手に失敗したんだから、対価を払わなければならない。彼女は人質だよ、君が好き勝手しないためのね。今回は両腕だけで勘弁してあげるよ、君の大切な妹に免じてね」

 

 

表情一つ変えないながらも、彼の右手には抜刀した日本刀が握られていた。刀身にはべったりと深紅の液体がこびりついて、ポタリポタリと地面を濡らしていく。

 

いつ抜いたのか、目測では追えないほどに精錬された動きは、相応の実力者だと確信させられた。

 

 

「ぐっ……止めろ、あいつに、あいつに手を出すなぁ! 今回の事とは関係ないだろっ!」

 

「関係大ありだよ。そんなことも分からないくらい君の頭は腐っているのかい?」

 

「このっ……うぐっ!」

 

 

倒れ込むプライドへと近付き、髪の毛を乱暴に引っ張り上げて立たせようとする。が、彼の体躯を引き上げられないのか、乱暴に床へと叩きつけた。

 

 

「スコール。彼を牢獄に入れておけ。……あぁ、傷だけは手当てしてやってくれ、この場で死なれたらたまらない」

 

「また面倒事を。貴方にとってまだ生かしておく価値でもあるのかしら?」

 

「さぁ、それは彼次第だろう。私が知ることではない」

 

 

ティオの素っ気ない返しに、そうと短く返すスコール。床に伏したままのプライドを一度見下すと、背を向けて扉に向かって歩き出す。

 

 

「あれはいつでも手に掛けられる。自身の行動には十分注意することだ」

 

「……」

 

 

返事を聞く間もなく、部屋を出た。

 

彼にとってプライドは興味対象ではない、死のうが生きようがどうでも良い存在だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「認識を改める必要がある、か」

 

 

自室についたティオは、モニターを見ながら一人つぶやく。そこにはスコールが見ていたものと同じように、プライドと大和の戦いの一部始終が映し出されていた。

 

 

「どんなものかと見てみたら……まさか同類とは。ますますおもしろい存在になりそうだよ」

 

 

ワインを片手に、ニヤリと微笑む姿は異常なまでに歪んで見えた。実際に相当歪んでいるのだろう。心の奥底に抱える闇は、プライドの持つそれ以上かもしれない。

 

如何せん見た目が普通の様相であるが故に気付かない場合もあるが、共にいれば彼の内面が壊れている事に気付くのは造作もない。

 

 

「こちらの準備ももうすぐ整う。そこからが地獄の始まりだよ……あぁ、楽しみだ! その顔が苦痛に歪むのが!」

 

 

 

モニターの奥に見える大型の培養器。

 

そこには酸素マスクをした人間が浮かぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼が何者なのか、意図は何なのか。

 

それを知る者は誰一人、居ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       “護るべきモノーRestartー”



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第十二章‐ Memories of summer‐
いつも通りの朝


ピピピッと朝を知らせる目覚ましの音と共に、俺の意識は一気に現実へと戻される。いつもとは違った枕の感触……だが懐かしく、寝慣れた感触の元、薄っすらと目を開ける。

 

 

「……んんっ」

 

 

朝五時。

 

普通の学生や社会人はまだ布団の中に潜り込んでいることだろう。襲い来る布団の誘惑に打ち勝とうと、何度も目を擦る。もう一度目を閉じてしまえば、再び安眠の中へとブラックアウト。起きる頃にはお天道様が照りつけ、心地の良い朝……もとい昼を迎えることが出来るはず。

 

最もこの場で惰眠を貪るつもりはないし、朝からやることは目白押し。誘惑に打ち勝つように目を開いた。

 

 

「あぁ、ランニング行かないと」

 

 

 俺の名前は霧夜大和。何処にでも居るごくごく普通の男子高校生……となるはずだったのだが、全国で行われる適性検査にてISを起動させてしまい、IS学園に入学することとなった。最初は不安半分、期待半分で始まった学園生活も、蓋を開けてみれば普通の学園生活と何ら変わらない楽しい学園生活を送ることが出来た。

 

そんなIS学園での生活も春学期を終了し、一ヶ月の長期休暇。夏休みを迎えていた。その長期休暇を利用し、一週間ほど実家に戻ってきている。戻ってきたのは昨日の夕方、前もって帰ることは伝えていたものの、正確な時間までは伝えていなかった。

 

お陰様で千尋姉の驚く顔を見れたし、個人的には満足している。電話先では伝えた俺の左眼の真実を確認されたが、箒を責め立てる気は一切ないとのこと。電話した時に『誰がやったの?』とおぞましいオーラを出していた人間と同一人物とは思えないほど、気にしていないように見えた。

 

ただこれから箒は左眼に怪我をさせたという重荷を背負っていかなければならない。本人にとっては辛い現実だが、幸い俺はこうして生きている。

 

が、もし俺が怪我をした現場に千尋姉が居たら、百パーセント血祭りに上げていたらしい。流石に目の前で弟が傷付く姿を見せられたら冷静では居られないと、真顔で語られた。その真顔の中にも、俺のことを心配する感情や、不安そうな表情を浮かべていたから、内心は本気で心配してくれていたのがよく分かる。

 

この仕事をしている以上、確約は出来ないけど千尋姉にもあまり心配を掛けるわけにはいかない。

 

 

昨日はずっと俺の側に張り付いたまま離れなかったし、色仕掛けでからかおうともしなかった。本気で心配を掛けていたのだと思うと、罪悪感しか湧いてこない。

 

ナギみたいに叩かれるんじゃないかとヒヤヒヤしていたが、『大和を叩くなんて出来ないわよ』の一言で済まされた。大切に扱ってくれるのは嬉しいけど、会う度に千尋姉のスキンシップが激しくなっているような気がする。

 

 

「愛されてるってことなのかな。喜んで良いのか悪いのか……」

 

 

姉弟。

 

端から見れば違和感など微塵もないが、血は完全に繋がっていない。悪く言えば赤の他人。他人であるはずの人間がこうして姉弟として繋がっている。

 

よく考えれば、割とレアなアニメの中のような感覚。周囲を見渡しても、似たような関係の姉弟など見たことも聞いたこともない。現実にはあり得ない例として存在するこの関係。

 

当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではない。

 

何とも不思議な感覚だった。

 

 

 

 

さて、起きよう。布団の中に潜り込んで居てもまた眠くなってしまう。そう布団から出ようと、何気なく足元を見て違和感を覚える。

 

―――はて、人間の足は四本あったかと。

 

 

「……」

 

 

俺の足は分裂出来るんだと、あり得ないことを平然と考える辺り、頭のネジが緩んでいるのかもしれない。現実に足が勝手に分裂したり、増殖するなんてことはあり得ない。つまりこの内の二本は完全に別人の足となる。

 

よく見れば足の太さが明らかに違う。無駄な肉が一切削ぎ落とされた瑞々しく、美しい足。その足が俺の足に絡み合い、まるで男女が抱きつくような格好になっている。

 

更に言えば俺の被っていたであろう掛け布団は、とても一人が寝ているとは思えないほどに膨れている。空気が入っているのか、いやそんなことはない。

 

空気が入って膨れるような寝方はしていないし、抱きまくらを抱えて寝ているわけでもない。現実的に考えて、俺以外の誰かが布団の中に潜り込んでいると考えるのが正しいだろう。

 

で、問題になるのが誰が居るのかだ。

 

 

「……マジかよ」

 

 

正直、もう誰が中に入っているかなんて分かっているし、この後の展開も予想出来ているけど、現実から顔を背けたい気持ちは持っていたい。恐らく布団をめくれば、その姿が露わになる。

 

物体の上に被っているであろう布団を恐る恐るめくっていく。

 

 

「すぅ……すぅ」

 

 

小刻みに寝息を立てて眠りにつく、我が姉の姿があった。無防備に安心しきった可愛らしい表情を浮かべながらも、非常に目のやり場に困るワイシャツ一枚の姿で、胸元を大きく開いたままスヤスヤと眠っている。

 

横向きに寝ているせいか、存在感のある二つの立派なたわわは潰れて不規則に変形。時々息苦しそうに漏らす艶やかな吐息が何ともアダルティーな雰囲気を醸し出す。一言にエロい、それも目のやり場が極端に困るレベルで。

 

顔が童顔ということもあってか、目を閉じていると年齢よりも下に見えてしまう。歳を重ねるに連れて年老いていくのではなく、むしろ若返っていく。

 

初めて会った時は年相応のあどけなさを残しつつも、キリッとした面構えは年齢不相応にも見えたのに、現役を退いた今となってはその表情を見ることはほぼ無くなった。では年齢相応かと言われればそれも違う。

 

先ほど言ったように若返っているようにしか見えないのだ。歳を重ねれば重ねるほど素顔で外出することを嫌うというのに、千尋はほぼノーメイクで外出している。

 

だからといって元の美貌が崩れる訳がなく、周囲に居る男性は虜になるんだとか。

 

 

と、千尋姉の顔について話している場合じゃなかった。

 

何で俺の部屋に、それも人の布団の中に千尋姉が居るのか。周囲を見渡して物の配置を確認するが、紛れもなく俺の部屋だ。間違っても、千尋姉の部屋に寝ぼけて入ったということはない。

 

となると真実は逆。俺が寝ぼけているのではなく、千尋姉の方から俺の部屋に入ってきたということになる。

 

一体何故、どんな目的が、理由があって?

 

 

「あぅ……んぅ? 大和?」

 

 

そうこう考えている内に、張本人が目を覚ます。一概に目を覚ますとは言っても、薄っすらと目を開けたまま焦点が定まりきっていない。まだ寝ぼけている状態のため、はっきりと俺だと判別は出来ていないようにも見えた。

 

……しかし一々口から出てくる言葉がエロい。『んぅ?』とか『あぅ』とか、年下の妹キャラが出すかのような声ばかり上げている。

 

男性が女性の気になる仕草とかで、髪を掻き上げる姿だとか、髪を結うために口でヘアピンを加える姿がツボにはまるなんて言う。俺にとっては寝起きの寝ぼけた仕草をする姿も十分可愛いく見える。

 

だ、ダメだ。俺には付き合っている相手が居るんだから、自分の姉にときめいていたら、示しがつかない。

 

 

「えへへー、大和がいるー♪」

 

「おい、まさか寝ぼけているんじゃ……うおっ!?」

 

 

にへっと笑ったかと思うと、今度は力任せに布団の中へと巻き込まれる。その力はとても女性のものもは思えないほど力強く、寝起きで覚醒しきっていない体を引きずり込むには十分なものだった。

 

俺の体は再び布団の中へ。二度寝をする予定は無かったというのに、千尋姉の横暴により引きずり込まれる。

 

 

「ちょっ、何してんだよ! 俺はもう起きるって「ダメっ?」―――っ!」

 

 

ぐはぁ、何だこの可愛さは!?

 

不安げな表情で俺を上目遣いで見つめる千尋姉の姿、そして胸元が大きく開いたワイシャツから覗く谷間に、確かな質量感のある二つの物質が俺の体に押し当てられている。

 

確信犯なのか、天然なのか。むぎゅむぎゅと押し当てられる温もりが伝わってくる。悪酔いした時とか眠くなった時には何度か似たようなことはあったものの、ここ最近はあまり無い光景。何より人の布団に潜り込んでくることなんて無かった。

 

 

「おねーちゃん、凄く心配したんだよ? 大和が怪我をした時、原因になった人間を潰したいくらいに」

 

「そ、それはちょっと……でも心配してくれてたんだ」

 

「当たり前でしょう。貴方は私の大切な大切な、家族なんだから」

 

 

原因になった……っていうのは俺の怪我する根本の要因を作り出した人間になるのだろうか。ただ改めて面と向かって心配していたことを告げられると、改めて嬉しさを覚える。

 

 

「大和が居ないだけで寂しかった。それなのに怪我までして……」

 

「ごめん」

 

「ううん。私も覚悟を決めなきゃって思ったのに出来なかった。大和が怪我をしたことで揺らいでしまった。思っていた以上に、私は大和に依存していた」

 

「千尋姉……」

 

 

そう言うとそっと、俺の左眼に手を掛ける。

 

元来あった左眼は無くなり、怪我をしたことで生まれたであろう左眼を触りながら、優しく、何度も何度も撫でる。繰り返される行為がくすぐったく、思わず苦笑いを浮かべた。

 

 

「……」

 

 

視線は俺の顔を向いたまま変わらない。俺の胸元くらいの高さに、千尋姉の顔がある。そしてしばらくじっと見つめ合っていると、首に手を掛け、スルスルと俺の顔と同じくらいの位置に、自分の顔を持って来た。

 

顔が近い。

 

顔が近いから、口から溢れる吐息が顔に当たる。寝起きの口臭は気にする子が多いなんて聞くけど、全く気にはならない女性特有の良い香り。

 

隅々までトリートメントで手入れされた長髪からシャンプーの香りが鼻腔を刺激する。視線を合わせたまま、背けられなくなる。

 

千尋姉の頬がほのかに赤い。恥じらいや興奮している様子を見せるなんて未だかつて一度もなかったというのに、俺のことを見つめたまま動かなくなった。

 

それでも締め付ける力は変わらぬまま、離してなるものかと子供が縋るように引っ付く。

 

 

「あの、千尋姉?」

 

「……」

 

 

呼びかけても応答がない。

 

どうしようか、力づくにでも引き剥がそうかと思った矢先の出来事だった。

 

 

 

「ん……」

 

「っ!?」

 

 

妙に生暖かい感触が左眼を襲う。

 

何をされた……寝ぼけているのか判断能力が鈍い。

 

 

「痛かったよね」

 

 

ボソリと呟かれる一言に、何も言えなくなる。何が痛かったのか、言葉の意味を理解出来ないほど俺も鈍感では無いし、物分かりが悪いわけでもない。

 

 

「そんなこと……」

 

 

心配を掛けてなるまいと、あえて強がって見せる。でもそんな強がりも、千尋姉の前では意味がなかった。

 

 

「嘘。一瞬とはいえ左眼が見えなくなるほどの傷が痛くないわけ無いもの」

 

 

隠そうと思っても見破られてしまう。

 

実際のところ痛くないわけが無い。

 

一瞬感覚が無くなったかと思うと、次の瞬間には目を抉られるような猛烈な痛みが襲ってきた。今でこそ痛みはないが、あの時に傷つけられた目の傷は未だに消えていない。

 

身体の傷は綺麗に塞がり痕も消えているというのに、左眼の傷だけは治らなかった。つまり如何なる手段をもってしても治ることはない。

 

一生俺の左眼にはこの傷が残り続けることだろう。

 

 

「無茶は構わないけど、貴方を心配する女性は多いの。それだけは忘れないでね?」

 

「……うん」

 

 

千尋姉の言葉にコクリと頷くと、満足そうに微笑む。

 

 

「じゃあ私はもう仕事だから出るけど……休みだからってあまり遅くまで寝ないようにね?」

 

「ん、分かった。行ってらっしゃい」

 

 

布団から出ると、素早く部屋から立ち去る。千尋姉が立ち去った部屋はまた朝の静けさを取り戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな朝の一時から、この物語は再開する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっつい……何度あるんだ今日?」

 

 

タンクトップ一枚、下は短パンを履きながらだらしなくソファーにもたれ掛かると、手に持っているうちわをパタパタと仰ぐ。

 

実家に帰ってきて二日目朝。

 

ランニングを終えてシャワーを浴び、新しい服にきがえたは良いものの、結局シャワーの火照りが残ってしまっているせいで、尋常じゃない暑さが押し寄せてくる。

 

早く家に帰りたい。

 

なんて、実家に帰ってきているにも関わらず内心思ってしまうあたり、盛大に頭の中が蕩けているようだ。クーラーを使いたいのは山々だが、生憎クーラーから出てくる風が苦手で、すぐに身体が冷えてしまう体質のようであまりクーラーは付けたくない。それに仮にその場は涼しくても、結局外へ出ると暑くなる。

 

今後外に出ない訳じゃないから、暑さに対する抵抗力が下がるのは避けたいところだ。

 

さて、早速だがこれから外に出る準備をする必要がある。実家にいる期間も一週間と短いが、今日は千尋姉が仕事で家を既に空けていた。家には俺一人、他には誰も居ない。出掛けるから戸締まりには細心の注意を払う必要があった。

 

 

 

パタパタとうちわを仰ぎつつも重たい腰を上げ、私服に着替えるべく部屋へと戻る。元々今日は出掛ける予定があり、実は先日、一夏から家に来ないかと招待を受けていた。幸いなことにここ最近は仕事も無く、平和な日々が続いているということで一日中フリー。

 

一夏の誘いに快く応じたところ、家の住所を教えて貰ったため、現地に向かうための準備をこれから始めようというわけだ。

 

机に乗っている麦茶入りのグラスを手に取ると、残りを一気に飲み干した。温度のせいか、注いだばかりは冷たかったのに、いつの間にかぬるま湯のような何ともいえない感じが口内へと伝わる。

 

言い表しがたい風味に、思わず顔をしかめるも窓から覗く風景を見ながら、ぼそりと呟く。

 

 

「今日も、良い日だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間は午後に移る。

 

身支度を整え、指定の時間を迎えたところで家を出た。予想通り、室内よりも遙かに強い日差しと、この世のものとは思えないほどの暑さが身体に照りつける。せっかく新調した服も、この暑さの下では一瞬の内に水分を含み、ずぶ濡れになってしまう。

 

幸い日陰を上手く伝いながら駅に向かうことで、無事にそこまで汗をかくことなく、電車に乗ることに成功した。

 

市内を通る電車の座席に体重を預けながら、目的地へと向かっている最中だ。十数年経ち、以前は古びた建物の多かった沿線もすっかりと新築の建物が連ねている。窓に映る風景を見ていると、自分の身体の成長と共に、改めて年を重ねたと実感出来た。

 

 

「女性の前では死んでも言えない単語だよな」

 

 

当たり前だが、特に妙齢の女性の前で言ったら、一瞬にして好感度はゼロを振り切るだろう。面白半分でも言うつもりは毛頭無い。むしろ今のこのご時世なら通報される可能性さえある。

 

視界を高速で通り過ぎる外の景色を見ながらも、ふと周囲の視線が自分自身に向いている事に気付き、社内へと視線を戻した。

 

 

「……」

 

 

するとどうだろう。

 

俺の方に向いていた数々の視線は一瞬の内に無くなった。車両の右端から左端に向かって視線を這わすも、誰一人とて視線があう人間は居ない。気付かれたことで俺の方を見つめるのが気まずいのか、それとも多少なりとも罪悪感があって、見ないようにしているのか。

 

人それぞれ、考えられる選択肢はいくつかあるものの、断定するまでには至らなかった。

 

ま、人の興味を引いているのは俺の左眼か。

 

何気なく、左眼を隠す眼帯に手を掛ける。臨海学校の前と後で変わった変化。先の戦いの中で左眼を失い、傷跡を隠すために眼帯をする生活を余儀なくされていた。この平和なご時世に、治療用の眼帯以外のものをする人間は早々居ない。

 

物珍しさが先行するのも無理はないだろう。これから生活する上で、何人もの人間が目の当たりにするであろう、この左眼。今更好奇の眼差しを向けられたところで、動じはしない。

 

 

「次は───」

 

 

 

そうこうしている間にも、目的地の最寄り駅へと到着するアナウンスが車内に流れる。電車に揺られること三十分弱、クーラーのきいた電車から降り、改札へと続く階段を下りる。

 

都内の駅だとまるで迷路のように構内が入り組んでいるが、幸いここの駅は出入り口が一つしかない。故に出口で迷うことはほぼ皆無に等しかった。改札機にICカードをふれさせて出ると、空からは強い日差しが照りつける。

 

そしてまぶしい光の中、俺の瞳に飛び込んできたものは。

 

 

「待っていたぞお兄ちゃん!」

 

「あ、あの。大和くん。おはよう……」

 

 

何故か私服姿のラウラと、ナギの姿が視界に入った。ようやく来たかと何故かドヤ顔を浮かべるラウラと、両手を顔の前で合わせ、申しわけなさそうな表情を浮かべるナギと、反応は正反対だ。

 

二人には帰省中に一度一夏の家に行くことは伝えているが、まさかついてきたのか。反応から察するに、元々ナギは行くつもりが無く、ラウラに誘われるがままに着いてきたってところか。

 

 

「ふふん、お兄ちゃんはきっとこの駅で降りると思っていた……ふぁぶぶ!?」

 

「何やってやりました的なドヤ顔してんだこのアホっ!」

 

 

全く悪びれない様子のラウラにお灸を据えるべく近付くと、痛くならないように加減をしながら、無防備な頬を優しく横に引っ張る。

 

むにょーんと音でもしそうな柔らかさと共に、ラウラの顔が変形する。突然引っ張られるとは思っていなかったようで、何とも気の抜けた声を漏らすとバタバタと抵抗をしてきた。もちろん抵抗されてもやめるつもりはなく、縦横斜めと縦横無尽に頬を引っ張って遊ぶ。

 

これからこのお仕置きをラウラ百面相と名付けよう。

 

 

「おにーひゃん! はなひぇー!」

 

「全くお前は! ナギにまで迷惑掛けて何やってんだ!」

 

「や、大和くん。私なら大丈夫だから、そろそろ離してあげた方が良いんじゃ……」

 

 

頬を引っ張られているせいで、まともに話すことが出来ずにじたばたと抵抗するも、ほぼされるがまま。そんなラウラをナギも助けようとする。

 

夏休みという事もあり、通常時に比べると駅近くをうろつく人も多い。いつまでも駅前で漫才をしていると笑われそうだし、一夏の家に行く時間も遅くなってしまう。一旦落ち着いて、目的地へと向かうことにしよう。一夏にも事情を話しておきたいし、いきなり二人がお邪魔すればびっくりするはず。

 

ラウラの頬から手を離すと、慌ててナギの後ろにラウラは隠れた。お前は物心が付いたばかりの子供かと、内心突っ込みを入れたくなるも、心の奥底に気持ちをしまい込み改めて気持ちを切り替える。

 

 

───紹介しよう。

 

ナギの後ろに隠れた小柄な銀髪の女性、ラウラ・ボーデヴィッヒ。

 

同じIS学園の同級生であり、ドイツの代表候補生でもある。また血の繋がりこそないものの、俺を兄として慕ってくれる可愛い妹でもある。

 

そして隠れるラウラを優しげな表情で見つめ、見守るナギ。本名を鏡ナギ。

 

同じくIS学園の同級生であり、俺と今学園で最も親密な関係にある人間だ。

 

 

二人とも俺にとって、これからも共に寄り添っていたい存在になる。かつては生死と隣り合わせの危険にあわせてしまったり、一方的に敵意を込めた視線を向けられたりと、到底今の状態とは程遠い関係ではあった部分もあるが、様々な紆余曲折を経て今の関係に至る。

 

 

「うぅ……ひどいぞお兄ちゃん!」

 

「どっちがだよ! ……ま、来ちゃったものは仕方ないし、皆で一夏の家に行くか」

 

 

とにかく来てしまったものは仕方がない。この期に及んで帰らせる程、鬼畜な性格はしていないし、逆に夏休みでも二人の元気そうな顔を見れて安心している自分が居た。

 

最後に会ってから一週間も経って居ないにも関わらず、何年も会っていなかったかのような奇妙な感覚に襲われる。それだけ二人の存在が、確実に俺の中で大きくなっている証拠かもしれない。

 

改めて二人の姿を視界に入れると、俺の視線に気付いた二人が揃って俺の方へと向いた。

 

 

「あー……何だ。二人とも似合っているぞ、今日の服装」

 

「え?」

 

「お……?」

 

 

気付くのが遅れてしまったが、二人の服装が眩しいほど、よく似合っている。ラウラに関しては制服か軍服かくらいのレパートリーを持ち合わせて居ない彼女が、今日は自身のモデルカラーにもなっている黒のワンピースを着用。

 

一人だけでは選びきれなかっただろうから、シャルロットや所属する軍隊の人間にもアドバイスを貰いつつ選んだのか。ラウラの雰囲気に良く合っていた。

 

一方のナギは言わずもがな。

 

ただいつもと違うと言えば、今まではワンピースを初めとしたスカート系を好んで着てきていたナギが、今日は一転してデコルテデザインのトップスに、白のショートパンツといった非常にラフな服装をしている。またトップスの素材が柔らかい素材であることから、ボディーラインがハッキリと出てしまうせいで目のやり場に困る。

 

いや、ホント何度も言うようだけどボディーラインがはっきりと出てしまう服装をナギが着ると、顔から下に視線を下げることが出来ない。恥ずかしながら、俺だって男だ。仕事中なら全く気にもならないが、残念ながらプライベートは別。

 

冷静沈着な護衛だという認識を完全にぶち壊し、些細な色物でも赤面する自信がある。

 

 

そんな俺の歯切れの悪い一言に、キョトンとする二人だが、やがて今日の服装を褒められているのだと認識すると、頬をほのかに赤らめた。

 

 

「ほ、本当に? この服普段は着ないし、私自身のイメージじゃないと思ってたから……」

 

 

友達に勧められて……と、ぽつぽつと話すナギだが、似合っている。むしろ似合いすぎて困る。普段は制服姿しか見ることを無いし、プライベートで出掛ける度に多種多様な服を見せられる男性の心境は穏やかなものではない。

 

とはいえ、まずは今日の服を勧めた友達グッジョブと言いたい。誰だろうか、クラスメートかそれとも地元の知り合いか。どちらにしても良いセンスしてる。

 

 

「いや、すげぇ似合ってる。流石だな」

 

「ふふっ♪ ありがとう。大和くんも似合ってるよ」

 

 

さり気なくナギに今日の服装を誉められて、少し頬がゆるんだ。自分ではさほどお洒落に着こなしているとは思わないが、Vネックのインナーシャツに紺のジャケットを羽織り、下は薄茶色のクロップドパンツ。

 

海に遊びに行くわけではないため、下は無難にスニーカーと、比較的涼しげかつカジュアルな服装を選んだ。以前に比べると服を含めた身だしなみに気を遣うことが増えて、必然と服に対する出費も多くなっていた。

 

自身の見栄えに関することだし、多少の出費は自己投資として行ったところで痛くはない。逆に中途半端な服装をして、人前に出る方が恥ずかしかった。

 

笑いあう俺とナギだが、その様子を後ろから面白く無さそうに見つめ、ふてくされる姿が一つ。

 

 

「うー……」

 

 

ナギの事は凄く誉めるのに、どうして自分はさらりと誉められただけなのか納得がいかずに、むすっとしながら頬を膨らませる。

 

そんなラウラの様子にほぼ同じタイミングで、俺とナギは気付いた。構って貰えずにふてくされる姿に、思わず苦笑いを浮かべるも、拗ねる妹をあやすかのように、俺はぽんぽんと頭を撫で、ラウラの身長に合わせて視線を下げて、ナギは諭して行く。

 

 

「悪い悪い。ラウラも十分に可愛いよ。ごめんな、お姉ちゃんばっかり誉めて」

 

「うぐっ……そ、そんなことない!」

 

「ラウラさんごめんね? つい二人で話し込んじゃって……」

 

「ううっ、だから私は別に寂しくなど……! こ、こら抱きつくな!」

 

 

俺たちのダブルパンチに言葉を詰まらせながら、嫉妬して居たわけではないと必死に否定するラウラが可愛らしく、ナギはラウラを力強く抱き締める。

 

ジタバタと抜け出そうとするラウラだが、思いの外ナギの力が強いのと、自分と向き合ってくれた事に対する喜びで、突き放すことが出来ないでいた。

 

数分ほど、仲睦まじい兄妹のやりとりをした後、俺たちは一枚の紙に書かれた場所へと向かうのだった。



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女の戦いは突然に、そして必然に

「えーっと、ここを左に曲がって……」

 

 

紙に書かれた住所を頼りに、一夏の自宅へと向かう俺と他二人。照りつける日差しは相変わらずであり、ほのかに額には汗が浮かび始めている。さほど駅から距離がある訳じゃないにしても、この暑さでは流石に周りを気にせずには居られない。

 

年々高くなって行くであろう平均気温も、夏の暑さに関しては関係ない。ただひたすらに暑いという一言に尽きる。後ろを歩くナギとラウラも暑さを気にする素振りを見せている訳ではないが、なるべく日陰になっているところを歩き、少しでも暑さが和らぐように配慮はしていた。

 

しかし家を教える方法が紙に書いた住所ってどうなんだろうか。このご時世便利になったとはいえ、それだけでは情報量に乏しいところ。前日にパソコンを使って駅からのルートを検索し、把握はしているがもし間違っていたらと思うと申し訳ない気持ちになる。

 

十中八九問題ないとは思うが、間違える可能性はゼロではない。

 

 

「大和くん大丈夫? もしかして道分からなくなったとか?」

 

「いや、道自体は合ってるはず。ただ一度も来たことのない道だから、少し探り探り向かってるんだわ」

 

「あ、そうなんだ。てっきり場所が分からなくなって途方に暮れかけているのかと……」

 

「おいこら、地味に酷いな」

 

 

何気ない一言にガラスのハートにヒビが入る、一ミリくらい。全長は一キロくらいだけど。

 

と、そんなことはどうでもいい。ゆっくりと確認しながら歩いているのは、一度も来たこと無い道で適当に進むほど、大ざっぱな人間ではないし、それが返って周囲を巻き込むことにったら目も当てられないからだ。

 

不安そうに顔をのぞき込んでくるナギに大丈夫だと伝え、先を歩いていく。そしてようやく突き当たりが見えてきた。目の前にある突き当たりを右に曲がれば、道路沿いに織斑家の標識が見えてくる。

 

無事に目的地へ到着、かつ二人を誘導できた事にホッと胸をなで下ろす。道間違えましただなんて失態は恥ずかしくて到底出来ないし、場合によっては相当なネタになるだろう。

 

そうこうしている間にも突き当たりに差し掛かり、最後の曲がり角を曲がる。すると視界の先にはっきりととらえる『織斑』の表札。かなり遠くだが、今の俺にははっきりとその二文字を認識する事が出来た。

 

 

「あ、あれか。あの一軒家がそうっぽいぞ」

 

「ホントに?」

 

 

が、何故か俺をはじめとして、ナギとラウラが同時に歩を止める。視線の先、織斑家であろう門の前に一つの人影が見えたからだ。

 

どことなく見たことがあるような横顔に、特徴的なブロンドの髪。小柄ながらすらっとした佇まいは、好青年を彷彿とさせる。手にセカンドバックを持ち、何度も人差し指を近付けては離し、近付けては離しを繰り返す。

 

何かの反復練習でもしているのか、それとも単純にどうすればスムーズなピンポンダッシュが行えるのか考えているのか。まるで一世一代の告白でもするのかと思うほどに、ビクビクとする仕草に思わず首を傾げた。が、それは当人にしか分からない。少し黙り込んだところで、先に見える見覚えのある姿に、隣に居るナギが声を漏らす。

 

 

「あれってデュノアさんだよね、何してるのかな?」

 

「……分からん。見た感じ一夏の家に遊びに来たって感じに見えるけど」

 

 

いずれにしても俺たちと同じく、一夏の家に呼ばれているのは分かった。しかしナギやラウラもそうだけど、シャルロットの私服姿も絵になる。紺色をベースにした襟立のTシャツに、赤くストライプが入ったスカート。シンプルな組み合わせだというのに、完璧に着こなしている。

 

写真を撮って雑誌にモデルとして売り出しても何ら違和感は無い。美少年にも見え、美少女にも見える。天から授かりし才能とはこのような事を言うのかもしれない。

 

さて、俺たちもこんなところで立っている訳にもいかない。相変わらずナギとラウラは暑がる素振りを見せないが、これだけの日差しと温度があるのだから、暑くない訳が無いだろう。

 

とりあえず用がシャルロットも織斑家に用があるみたいだし、声を掛けて一緒に尋ねるべきか。そう考えていると、俺たちと反対側の道を歩いてくる白いTシャツの、これまた見覚えのある男性が一人。

 

 

「あれ、シャル?」

 

「へ? うわぁああ!?」

 

 

背後から声を掛けられた形になり、シャルロットはぎょっとした表情を浮かべ、逆に織斑家の門の方へと後ずさる。彼女に声を掛けたのはもちろん、呼び方ですぐに分かった。

 

 

「い、いいい一夏!? ほ、本日はお日柄も良く……」

 

「はぁ?」

 

 

そう、一夏だった。両手にスーパーの袋をぶら下げているところを見ると、買い出しにでも行っていたのか。

 

いきなり意味の分からないことを呟くシャルロットに、若干引き気味の表情を浮かべながらも、続く言葉を待つ。まさかのタイミングで一夏が現れた事により、調子を狂わされ、柄にもない日本古風の言い回しが口からこぼれてしまい、どうしようとモジモジと考え込んでいる。

 

 

「あー、何か青春してんな」

 

「お兄ちゃん、何か昔を懐かしむ老人みたいな顔してるぞ」

 

 

二人のやり取りをどさくさに紛れて電柱に隠れながら伺う。俺の後ろにはナギとラウラが隠れており、俺の何気ない一言にど正論をぶつけてきた。今の一言がに若干哀愁が漂ってしまったことに関しては否定しない。

 

 

「あ、あの、シャルロット・デュノアです。織斑一夏くん居ますか?」

 

「何言ってんだ……?」

 

 

更に意味の分からない言葉を続けてしまったシャルロットに、唖然とした表情を浮かべながら口を開けて目の前の姿を見つめる。シャルロットの皮を被った別人じゃないかと、狐に包まれたままかのように呆然と立ち尽くす。

 

 

「そ、そのね? き、来ちゃった♪」

 

「いや、彼女やないかい!」

 

 

ズビシッ! と効果音がつきそうな突っ込みを陰で入れていた。一方のシャルロットはやってしまったと、場にうずくまりながら頭を抱える。これ以上見ていても進展が無さそうだし、目的は一夏に会いに来ることであるため、一旦は二人の元に向かおう。

 

電柱から姿を出し、一夏に向かって歩き出した。

 

 

「よっ、一夏! 来たぜ」

 

「おー大和! 待ってたぞ!」

 

「えっ?」

 

 

一夏に向き合うような形で声を掛けたため、シャルロットからすると背後から急に誰かが現れたような形になる。ピクリと体を反応させると、背後にいる俺たちに顔を向けた。

 

突然の登場に最初は驚くシャルロットだったが、やがて顔を確認するといつものトーンで挨拶をしてくる。

 

 

「大和。それに鏡さんにラウラも。おはよう」

 

「あぁ、おはよう。偶然だな、こんなところで会うだなんて」

 

「うん、そうだね」

 

 

一夏の家に行くことが確信犯だとしても、俺たちが来ることは想定外だったはず。他のラバーズたちが着いてきて居ないところを見ると、シャルロットが出し抜いた形になるのか。

 

一夏が実家に帰るタイミングを見計らったんだろうが、逆に俺たちと日付が被ってしまった……ってところだろう。

 

いつも通りの調子で挨拶を終えると、一夏に招かれるがまま織斑家の門をくぐった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー悪いな。帰ってきたばかりで掃除やら何やらで忙しくて」

 

 

家の中に入ると、俺たちはリビングに通され、ソファへ囲うように座る。一夏は買い出した飲料やら食べ物を忙しなく、冷蔵庫の中に収納していった。我が家と違い、普段は家に誰も居ない。故に定期的に一夏が実家に戻った際に掃除をしているそうだ。

 

うちは基本的に千尋姉がいるし、俺も実家に戻ったときは家事を手伝うから、家に誰も居ない日はほぼない。あるとすれば、揃って旅行に出掛けている時ぐらいだが、俺がIS学園に入学してからというもの、共にどこかへ出掛けることはめっきりと減った。

 

小さい頃は長期休暇を利用して色んなところに連れて行って貰ったりしたが、もうそんなことを考える年ではないということか。どちらかと言えば、一緒に家でくつろいでいる事が多い気がする。

 

出掛けたくない訳ではないが、タイミングがあわない。それに割と家にいた方が、千尋姉は喜んでくれることを考えると、無理に時間を作って遠出しなくてもと思ってしまう。

 

 

 

「ねえ一夏、おうちのことって一夏がやってるんだっけ?」

 

「あぁ、千冬姉は忙しいし、長いこと帰ってこなかったしなぁ」

 

 

学園の中と違って始めてくる想い人との空間で、少しでも色々なことを知ろうと、シャルロットが一夏に質問をしていく。質問をするシャルロットに、想定内の答えを返すと。

 

 

「へえ……そうなんだ」

 

 

一言ボソリと呟いたところで、不意に黙り込む。黙り込んだかと思うと急に頬を赤らめながら「えへへ」と呟いているところを見ると、どうやら一夏が自分と結婚した先の未来でも妄想したのだろう。コロコロと変わるシャルロットの表情に、ピクリと反応をするナギが面白い。ラウラはきょろきょろと辺りを見回しながら、ここが教官の家かと非常に興味深げに観察している。

 

何だかんだあってもラウラが千冬さんのことを尊敬しているのは変わらない。ドイツ軍で失敗作の烙印を押されて、自分を見失っていたラウラに、一つの道しるべを作ってくれたのだから、ちょっとやそっとのことで嫌いになるわけはない。

 

ただその時は何かに依存しなければラウラも自分を保つことが出来ず、千冬さんの強さの部分だけに魅入ってしまったが故に、取りつこうとする全ての人間を拒絶するといった悪循環に陥ってしまった。

 

今では過去の自分は黒歴史だ! なんて言ってはいるが、かつてはラウラ自身も心に大きな闇を抱えていた。

 

人の家に遊びに行くことが無かったラウラが、こうして初めて一夏の家に遊びに来ている。それも近くに千冬さんという存在がいることで、ラウラの中には掻き立てられるものがあった。許可があれば真っ先に千冬さんの部屋に飛び込んでいるはず。

 

……些か部屋の中の状況が不安だけど。

 

 

「はい、四人とも。朝作ったばかりだからちょっと薄いかもしれないけど」

 

 

そうこうしている間にも、冷えたグラスに注がれた麦茶が俺たちの前に現れる。グラスマットをテーブルに敷き、テキパキと手際よくグラスを並べていった。この辺りは普段からやりなれているのか見事なものだ。

 

 

「お、サンキュ」

 

「あ、織斑くんありがとう」

 

「ありがと一夏」

 

「うむ、感謝する」

 

 

其々に一夏の感謝の言葉を述べると、グラスを手に取り口元へ飲み口を持っていく。それと同時に、タイミングよく織斑家のインターホンが鳴り響いた。

 

 

「はーい、今でまーす」

 

 

ディスプレイ液晶が無いため、入口へと向かい訪問者を確認しに行く一夏。そんな一夏の様子を追うようにシャルロットが、そしてその後ろを全員がついていく。一夏が訪問者の姿を確認し、入り口の扉を開けると。

 

 

「あ、一夏さん! 近くを通ったので、寄ってみましたの! 美味しいと評判のデザート専門店のケーキを……え?」

 

 

満面の笑みを浮かべていたはずの来訪者―――セシリア・オルコットは、中の様子を視界に入れた途端に、何とも言えない表情を浮かべ、立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

「……」

 

 

互いのさぐり合いをするように、先ほどと打って変わって静けさに包まれるリビングの一角。変わったことがあるとすれば、先ほどまでの人数にセシリアが追加されていると言ったところか。配置としては俺の両隣にナギとラウラが来ており、俺の対面にシャルロット、そして左側のソファにセシリアが座っていた。

 

如実なまでにしょぼくれるシャルロットに、ジト目でシャルロットのことを見つめるセシリア。恐らく抜け駆けをしようとしていたことを知り、改めて油断ならないと警戒しているんだろう。ただ一つ言えば、セシリアもセシリアで、帰省中を狙って偶然この場を通りかかったと言うのだから、いささか都合が良すぎるようにも思えた。

 

というより良すぎる。彼女も彼女でまた確信犯の部分があったと考えるのが妥当。

 

しかしこの互いの内のさぐり合いのような雰囲気は何とかならないのか。ナギはどうしようかと俺に目で訴え、ラウラは我関せずと言わんばかりにお茶を飲んでいる。しかも二杯目を。

 

この暑い時期に、わざわざ温かいお茶を貰ったのには若干驚きだが、本人いわく日本といえば熱いお茶ではないのかとのこと。もちろんそれは分からなくは無いが、夏にもなると、俺たちの世代は冷たい飲み物を好んで飲むことが多い。コーヒーもホットコーヒーではなく、アイスコーヒーを飲むことがほとんど。

 

飲料に関しては温かい飲み物を敬遠しがちの中、淡々と飲み進めるラウラに感心すら覚えた。

 

 

「へぇー全部種類が違うんだな~」

 

 

重苦しい雰囲気を払しょくするかのように、一夏がセシリアの持ってきたケーキを眺めて呟く。万が一のことを考えていたのか、ケーキの数は今いる人数とぴったりの数が購入されていた。早速と言わんばかりに一夏は取り皿にケーキを分けていく。

 

 

「しかし凄いな。これ結構高かったんじゃないのか?」

 

 

買ってきたケーキは、どれもこれも普通のケーキ屋で購入すると比較的高い部類に入るものばかり。一端の学生が数多く購入するとなると、中々にハードルは高いもの。いくら代表候補生としての収入が多少はあるとはいえ、差し入れとして何個も買えるような代物ではない。相場を考えると、俺も何個も買う余裕はなかった。

 

 

「い、いえそんなことはありませんわ。人の家に出向くのであれば、わたくしにとってこれくらいは当然です」

 

 

おほほ、とそう言ってみせるセシリアだが、ケーキよりもシャルロットの存在にばかり目がいってしまい、それどころでは無い。話し方もどことなく余裕がないように思えた。

 

たわいのない会話を交わしていると、皿にケーキを乗せ終えた一夏が、各自にケーキを配っていく。普段はあまりケーキを食べることがないが、偶に見ると無性に食べたくなる。

 

ちなみに俺に配られたのは大きなイチゴの乗ったショートケーキであり、スポンジの間にも大きなイチゴが綺麗に連ねられている作りは圧巻だった。良くこれでバランスが取れるなと思えると同時に、作り上げた職人にただ感服するしかない。

 

一通り配り終えると、自身の取ったケーキを一夏は口に運んでいく。

 

 

「んっ、うまいなこれ!」

 

 

一夏の声を皮切りに、各々ケーキに手をつけ始めた。口に運ぶごとに綻ぶ表情を見ているのも面白い。冷静に考えてみると、大勢の女性に囲まれてスイーツを食べる経験はほとんどない。これはこれで新鮮な風景を見ることが出来たと喜ぶべきか。

 

皆の様子を観察するのも面白いが、食べている姿を凝視するのも良く思わないだろうし、早速俺も配られたケーキを食べるとしよう。

 

周囲を覆う透明のビニールを取り去り、フォークでケーキを一口サイズに切ると、フォークに刺し直して口に運ぶ。

 

 

「……うまい」

 

 

咀嚼を繰り返す度に口の中に広がる甘い香りに、絶妙にマッチしたイチゴの酸味。それぞれが合わさり、些細な幸福感に包まれる。あまり甘いものは食べないが、やはり偶に口にすると美味しかった。

 

もちろん一つだけなら問題ないが、これが二つ三つと増えていくと、俺の顔色が徐々に悪くなっていく。食事であれば相当量を食べることが出来るが、ケーキを初めとしたスイーツ系は割とすぐに限界がくる。

 

だからスイーツバイキングに行こうものなら、最初の一皿で割と限界が来て、無理に詰め込むと顔を真っ青にして黙り込んでしまう。これは以前、千尋姉とスイーツパラダイスに行ったときに判明したことで、千住観音のように皿を重ねていく千尋姉に対し、俺は一皿目を食べきったところでギブアップした。

 

笑顔で美味しいと凄まじい量を平らげた千尋姉は、終始ご満悦な表情を浮かべる。が、目の前に積み重ねられた大量の皿を見て、俺は尚更気分が悪くなり、開始十数分しか楽しめずに、残り時間をグロッキーで過ごすという地獄のような一時を過ごした。

 

それ以来、俺はスイーツバイキングに行ったことはない。

 

 

バイキングの後も、ケロッとした表情を浮かべたままの千尋姉を見ていると、一体その栄養は何処へ消えているのかと、不思議でたまらなくなる。身体を毎日動かして、ケアに努めているのは知っているものの、あれだけの量のスイーツを食べていて太らないのが仕方でならない。

 

本人は気をつけているとしか言っていないが果たして。

 

 

さて、そんな過去話と共に食べ進めるわけだが、何処かから視線を向けられていることに気付き、近くを見渡すと、チョコレートケーキを食べていたラウラが、じっと俺の方を見つめていた。

 

フォークを口にくわえたまま、物欲しそうにこちらを見つめる様子は、何かをねだっている証拠。あぁ、そうかラウラもこのケーキを食べてみたいのか。全種類美味そうなケーキだし、他の人のものを食べてみたくなるのは仕方ない。

 

ラウラの心境を悟った俺は、再度一口サイズにケーキを切り分け、フォークで刺して固定をすると、隣のラウラの口元へと差し出す。

 

 

「ん、食うか?」

 

「い、いいのか?」

 

「おう」

 

 

目をきらきらとさせつつも、驚きを隠せない様子のラウラ。まさかくれるとは思っても居なかったと言わんばかりの表情だ。そんなラウラの顔を脳内に保管していると、フォークをパクりと咥える。二人の様子をどこか羨ましそうに見つめるセシリアとシャルロット、そして何をやっているんだろうかと、現状を把握しきれていない一夏。

 

いつものことだと苦笑いを浮かべるナギと、十人十色の反応を見せてくれた。

 

 

恥ずかしがる素振りもなく口に含んだケーキをもぐもぐと食べるラウラだが、先ほどまで食べていたチョコレートケーキのクリームが頬に付いていた。一方で当の本人は全く気付かずに、貰ったケーキを満面の笑みで噛みしめている。

 

いつどうやってついたのかは分からないけど、流石に年頃の女の子がチョコレートを付けたままなのは頂けない。そのまま固まってしまえば、顔を洗わなければならない。

 

近くにあるティッシュを二、三枚取ると、ラウラの肩に触れた。きょとんとした表情かつ、上目遣いで俺の顔を見上げる。ラウラ自身は未だチョコレートが付いている事に気付いていない。

 

口の中のケーキを飲み込んでいることを確認すると、取り出したティッシュで優しく、ラウラの口元にあてがった。いきなり何をするのかと、驚きの表情を浮かべながらジタバタと抵抗してくる。動かれるとやりずらい。

 

 

「んむぅ。お、お兄ちゃん、何を……」

 

「口にチョコついてたから、気になっただけさ。放っておくと固まりそうだし、ちょっと大人しくしててくれよ」

 

「うっ……そ、それくらい自分で出来るぞ」

 

「その前に付いていたことに気付かなかったんだから、まずはそこからな」

 

 

人前で口を拭かれるのが、純粋に恥ずかしいのか。余り自身も人に口を拭かれる経験もないだろう。故になれておらず、だが強引に抵抗することも出来ずに、渋々されるがままのラウラ。

 

 

「い、一夏! 僕も一夏のケーキ食べてみたいな!」

 

「い、一夏さん! わ、わたくしと食べさせあいしませんこと!?」

 

「は、はぁ!? 何で二人とも鬼気迫った顔してんだよ!」

 

 

俺たちの様子を見て触発されたのか、セシリアとシャルロットは物凄い勢いで一夏に詰め寄っていく。その表情に一夏は顔をひきつらせながらドン引きしていた。恐らくは何気ない感じで食べさせ合いを提案すれば、一夏なら快く了承しただろうに、少しでもアピールしようと焦った結果、逆に一夏に引かれるハメに。

 

ガツガツ系の肉食男子が、合コンで迫ってくるような威圧感に、冷や汗をたらしながら距離をとろうとする一夏をよそに、ラウラの口を拭き終えた俺は、また先ほどまでと同じように自身のケーキを口に頬張った。

 

 

「織斑くん、これだけやっても気付かないんだね」

 

「……というより、今回のは一夏が嫌がっているようにしか見えないんだが」

 

 

事の一部始終を見ていたナギがぼそりと呟くも、折角のチャンスをごり押しでダメにしてしまっているのは、セシリアとシャルロットの方だ。一夏が二人を初めとしたラバーズから寄せられる好意に何一つ気付かないのは問題だが、それ以上にチャンスに変に意識しすぎて暴走してしまう方にも問題はある。

 

某野球ゲームの特殊能力に例えるなら、『チャンス×』とでも言うのか。普通の人から見るとチャンスだというのに、後がないピンチのようになってしまうのは彼女たちが想像以上に素直になれず、また不器用だからだ。

 

一夏も一夏で良くないところはあるが、こればかりは本人が徐々に解決していくしかない。

 

 

「だ、だよね。止めなくて大丈夫なのかな?」

 

 

一連のやり取りを見て止めた方が良いかどうかを確認してくるナギだが、俺らが下手に介入しない方がいい。

 

 

「恐らくは。それに変に止めに入ったら巻き込まれそうだし、ちょっと様子を見てみるか」

 

 

と、百歩譲ったとしてもそれくらいしか俺からは言えない。まさかラウラにケーキをあげた行為が、ここまで発展してしまうとは思ってもみなかった。三人があーでもないこーでもないと言い合いをしていると、またもや織斑家のインターホンが鳴り響く。

 

そもそもこの暑い夏の日に、連続でインターホンが鳴ることなんてあるのか。確かに二人しか居ない男性操縦者のうちの一人だし、姉の千冬さんも初代モンドグロッソの総合優勝者。メディアの格好の的であるが故に、家に押し掛けるマスコミがいたところで不自然には思わないが、一夏に聞いたときはある時を境にマスコミの理不尽な押し寄せは止まったらしい。

 

謎の裏の力……あの人の力が働いたんだとは思うが、いつの間にか落ち着いていたと聞く。

 

さて、そして今日。

 

俺たちやセシリア、そして今のインターホンと合わせると数十分も経っていない間に三組の来訪と、明らかに多すぎた。また一夏関係者、とどのつまりしの……箒や鈴ではないかと推測出来る。

 

 

そしてその推測は当たる事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おまえらもか……」

 

 

インターホンが鳴り、玄関へと向かった一夏から溜め息混じりの言葉が聞こえてくる。リビングに残された俺たちにも、一夏の声をはっきりと聞き取ることが出来た。どうやら出迎えた相手は、一夏の顔見知りのようだ。

 

さすがに知らない人間に対しておまえらもか、などと失礼な口を聞くことなどしないし、一夏の口調がフランクになっている事から、来訪者はかなり親しい人物であることになる。

 

 

「はぁ? アンタは何同じシチュエーションを見たかのようなことを言ってるのよ」

 

 

溜息を付く一夏に対し、まるで抗議でもするかのように聞いたことのある、勝ち気な話し声が聞こえてきた。特徴的な若干幼さが残る芯の通った強い口調に、勝ち気な雰囲気に。

 

 

「今日の朝偶々時間が出来たんだ。仕方なかろう」

 

 

また別の、どこか凛とした雰囲気すら感じることが出来るトーン。こちらもまた、聞き覚えのある声だった。

 

玄関の前でのやり取りに、セシリアとシャルロットは何で全員集合するのかと頭を垂れ、俺とナギは地味に想像が出来たと苦笑い。ラウラは相も変わらず自分を貫いて、ケーキをつついていた。

 

 

「まぁ良いわ、あがるわよ」

 

「あっ、ちょっと待てって」

 

 

ずかずかとマイペースのまま、織斑家に上がり込んでくる様子が伺える。引き留めようとするも取り逃したんだろう、一人は一夏の許可があるまで待とうとしたようだが、もう一人は我が家のように一夏の横をすり抜けて家に上がっているイメージが容易に出来た。

 

二人の足音が近付いてくる。どんな顔をするのかは何となく想像できるが、この際言わない方が吉か。そしてあーでもないこーでもないといった押し問答の後、ひょっこりと、リビングの入り口から顔を出したのは。

 

 

「しかしまぁアンタの家に上がるだなんて何年振り……」

 

 

リビングにいるそうそうたる面々の顔を見た瞬間、ピシリという効果音と共に、鈴の動きが止まる。そう、二人の内の一人は鈴だった。遅れるようにあきれた顔をした一夏が戻り、更に遅れるようにもう一人の来訪者が、リビングに姿を現す。

 

 

「おい、鈴。止まってどうした。部屋に入りづらいではない……か?」

 

 

二人揃って全く同じ反応で面白い。同じように部屋の中を覗いた瞬間、想像していなかった事態に目を丸くしたまま固まったのは箒だった。

 

二人とも思うことは同じで、折角出し抜いたと思ったのに、全員が同じ日に全く同じ事を考えていて、結局はいつものメンバーと遊びに来たのと変わらないことにがっくりと肩を落とした。

 

 

……いや、鈴は完全にそうだが箒は少し違うな。本来なら一対一で会うはずが、皆で会うことになってしまい、がっかりしているところに関しては同じだが、どうも俺に対する申し訳なさが消えないのか、俺の顔に目を向けようとしない。

 

一ヶ月そこそこで例の一件を完全に忘れるのは難しいし、自身の行動が要因の一つにも組み込まれているとすれば、すぐに切り替えるのは容易なものではない。どうしても自身の行動が許せなかった箒は、最低限の生活が出来るようにサポートさせてくれと申し出るも、当たり前の如く俺は拒んだ。

 

理由としては、箒の行い全てが原因ではなく、独断でラウラを待機させ、単身プライドと戦ってしまった俺が根本の原因であると判断したこと。

 

後は箒が俺をサポートするあまり、自身の身体が潰れてしまうのではないかと危惧したからだ。彼女のことだし、言ったことは最後まで貫くだろう。恐らく自分の身を犠牲にしたとしても。

 

だからこそ、俺は箒に誓約を与えた。『俺自身の名前を守り抜け』と、俺と同じ境遇を他の誰かに見せないように、守れるように、もっと強くなれと。

 

一度は納得してくれたとは思ったが、切り替えは中々難しいようで、学園でも表向きは割と普通な感じで接してくれているようにも見えた。が、実際内心では俺に相当遠慮している様子が伺える。

 

 

「……!」

 

 

ふと目があった。やはり思う部分があるのか、浮かない表情を浮かべたままだ。折角来たというのに、ブルーな気持ちになられたら勿体ない。変な空気になる前に話題を変えるとしよう。

 

想像以上の大御所となってしまった織斑家。人数は合計で七人。極めつけは俺と一夏を除いて全員女性と言うところにあった。世の男性が見たら羨むこと間違いないが、俺たちからしてみれば地獄……だと昔までは思っていたが、今は悪い感じがしない。慣れたのももちろん、自分に取って大切な人が何人もいる。

 

大切な人が居て、嫌な気分にはならない。

 

 

「とりあえず何かするか? テレビゲームは人数が限られるし、何かないか探してこようと思うんだが……」

 

「なら俺も手伝うよ一夏。一人で持ってくるのは大変だろ?」

 

「お、助かるぜ! じゃあ大和、頼むわ!」

 

 

一夏の声掛けに応え、一人で運ぶの大変だろうとのことで、俺も席を立ち後を追う。部屋にいくつか心当たりのあるゲームがあるのか、組み合わせとしては珍しいが、女性のみを残し、俺と一夏はリビングを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、何でアンタたちがいるのよ。ナギとラウラを除いて」

 

 

男性陣が居なくなって真っ先に口を開いたのは鈴だ。何度も言うように、一夏が帰省したタイミングを狙って家を訪れたのはいいが、結局いつもと変わらないメンバーがここにはいた。鈴がナギとラウラを除いてと言ったのは、二人は一夏に対して明確な興味を持っていないから。

 

ナギに関しては大和一筋、ラウラは大和の妹として金魚のふんのようにくっついて歩いており、二人とも大和しか眼中に無い故に、自身の障害にはならず警戒をする必要がない。

 

一夏に呼ばれた大和にラウラが着いていき、ナギも巻き込まれたことが容易に想像出来る。元々大和が呼ばれていた事を考えると、二人が着いてくる可能性は十分に考えられた。

 

 

「だから言っただろう! 偶々時間が出来て、私も帰省中だったから顔を出しただけだ!」

 

「わたくしだって、散歩をしていたら偶々一夏さんの家の前を通っただけですわ!」

 

「あ、あの僕は元々どこかで顔を出そうとしてて……」

 

 

反応は様々、むしろお前も狙っていたんじゃないかと一同心に思うも、先を越されてしまい、自身の本心を隠して言い訳をつらつらと並べる。その中、本音を込めたのはシャルロットだけあり、箒とセシリアは彼女の声を聞きしまったと内心後悔したが、時は既に遅し。

 

 

「それなら鈴さんはなんで来たんですの!? いくらなんでも都合がいいのではなくて?」

 

 

ならばと今度はセシリアが鈴に対して、何故一夏の家に来たのかと尋ねた。これではもうただの同じ穴の狢である。少しでも真意を知られるまいと話題を別の相手に振ろうとするも、第三者視点で静観するナギとラウラには何もかもお見通しだった。これぞまさに余裕の静観である。

 

目的の相手が他の四人とは違うため、やり取りをどこか微笑ましく見つめていた。

 

 

「あたし? あたしは一夏の幼馴染なんだから、別に遊びに来るのは普通でしょ?」

 

 

セシリアの指摘に関してあっけらかんと答える鈴、ふふんと余裕すら感じさせる笑みは顔を引くつかせていたセシリアの糸を切るには十分だった。

 

 

「嘘おっしゃい! そんなチープな理由ではないでしょう!」

 

「それを言うなら私だって幼馴染なのだから、偶々時間が出来て遊びに来るくらい不自然ではないだろう!」

 

 

鈴の一言に触発されたのか、箒自身も幼馴染なのだから遊びに来るくらい大丈夫だろうと言い返すと、今度は冷静を装っていたはずの鈴までもが机に身を乗り出す。

 

 

「はぁ!? アンタのは後出しよ後出し! 急に何言ってんの」

 

 

ギャーギャーと静かだったはずのリビングが喧騒の場に包まれた。一夏を取り合う争いは、どこぞの昼ドラの修羅場を彷彿とさせる。流石にここまでくると止めないとまずいと悟ったのか、ナギはどうしようかと立ち上がるも四人を止める手立てなど見つかるはずもなく、慌てふためくばかり。

 

ラウラに関してはケーキを食べ終わり、一人静かにお茶をすすっていた。どこまでも礼儀正しい立ち居振る舞いではあるが、こんな時ばかりはナギの援護に回ってほしいところ。

 

 

「ど、どうしよう。私じゃ止められないし……そ、そうだ。ラウラさん!」

 

「うん? どうしたんだお姉ちゃん?」

 

「ど、どうしたって……ど、どうしよう?」

 

「???」

 

 

日本語のような日本語じゃない言葉の羅列に、首を傾げるしかないラウラ。ナギとしては今にも一触即発状態の四人をどう鎮めようかとラウラに相談するつもりだったのに、焦るあまり言葉を省きすぎてしまい、ラウラに伝わり切らなかった。

 

最もやり取りを見ていたのならラウラにも多少は伝わったはずだが、全く見ていないラウラにとって現状を把握する術など無く、何をいがみ合っているのだろうと思うことしか出来ない。

 

と、その時。

 

四人のうちの誰かが机に触れたのか、僅かに動きラウラの腕に触れた。見えないところの動きは反応しようがない、腕に伝わる机の感触に対する驚きが、手先のコントロールを狂わす。僅かな揺れであっても、茶碗の中のお茶を飛び出させるには十分だった。

 

飛び出た液体は、そのままラウラの顔面を直撃。入れたばかりのお茶ではないことから温度的には下がっているものの、ラウラの顔ははびしょ濡れであり、前髪からはポタポタと水滴が零れ落ちた。最初は何が起きたか分からずに無反応のままのラウラだったが、時間が経つにつれて状況を把握する。

 

 

「あっ……」

 

「……」

 

どうして自分がびしょ濡れになっているのかと。現状を把握し、やや青ざめ気味ながら小さく声を漏らすナギと事態を把握せずにバチバチとにらみ合う四人、シャルロットだけは半分巻き込まれたに近いが、目の前の事で精一杯で、ラウラの様子には全く気付いていない模様。

 

心の奥底から沸々と煮えたぎる何かが、せり上がってくる。何もしていないのに周囲とドタバタに巻き込まれ、びしょ濡れになったこの状況は、誰がどう見てもラウラは悪くない。

 

仮に自身の行動が引き金で、今回の事態を引き起こしているのであれば何も言ってはいない。今のラウラなら感情をコントロールすることくらいは容易だろう。が、自分以外の第三者が原因ともなれば話は別。

 

そしてその原因となっているのは、一夏の家に来たことに対して未だにらみ合いを続ける四人。

 

 

「や、大和くんっ!」

 

 

ラウラの表情が怒りの表情に染まっていく。如実な変化に気付いたナギは顔を真っ青にしながら、部屋の外へと大和を呼びに行く。こうなると大和くらいしかラウラを抑える手段が無いからだ。

 

小さな体躯とはいえ、大和を除けば最も戦闘力の高いラウラ。暴走したら止められる人間は限られてくる。最も以前のような触れたら切れるような性格では無くなったが、いざという時に垣間見える冷徹さや怒りは常人を凌駕する。

 

いざという場面でも無いのだが、突拍子も無く自身がびしょ濡れにされている事には、納得行くはずもない。近くに大和というリミッターが居ない今、ラウラを抑える者は誰も居ない。

 

ゴゴゴゴッ! といった効果音が聞こえそうな雰囲気とともに、眉間しわを寄せたラウラが椅子を立つ。静かな、だが確かな怒りがラウラを纏う。この怒りをどこへ向けるべきか、そもそも目の前に引き起こした張本人たちが居るのだから、そこに向ければ良いのではないか。

 

勝手にそう置き換える。

 

 

「この……」

 

 

今まで黙っていたはずのラウラが声を出す。すると唯一巻き込まれていたシャルロットが顔を向ける。

 

この時にラウラの表情が視界に入ったようで、血の気が引いていくのを感じた。慌てて残りの三人を止めようとするも、既に時遅し。

 

 

「いい加減にしろっ!!!」

 

 

争いの輪の中に飛び込むラウラ。

 

一人の男を取り合うがために起きてしまった今回の一件は、結局大和と一夏が戻ってくるまで続けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何故こうなった……」

 

「知るか、本人に聞くしか無いだろう。ほら、ラウラはまず顔を拭いて」

 

 

俺の目の前には正座する箒、セシリア、鈴、シャルロットの四人。やりすぎたと思っているのか、四人の表情は優れない。一方で俺の隣にはナギと、真っ正面には顔を水浸しにしたラウラがいた。一夏はどうしてこうなったと頭を抱え、俺は借りたタオルで、ラウラの顔を拭いていく。

 

何をどうすればこうなるのか、慌てて呼びに来たナギについて行くまま、戻った先に映ったのは取っ組み合いをする箒、セシリア、鈴、ラウラの四人と、止めようとするシャルロットだった。恐らくシャルロットは巻き込まれ、ラウラは最初こそ黙っていたが、自身にも被害が及んだせいで堪忍袋の緒が切れたというところか。

 

じゃなければラウラの顔がお茶でびしょ濡れになるなんてあり得ない。流石に他の面子が怒り心頭だったとしても、人の顔面に飲み物を掛けるとは考えられなかった。

 

残り茶だったために温度は下がっていたものの、下手をすればやけどをする可能性もある。顔を拭きながらやけどがないかを入念に確認すると、顔には目立った傷は見られない。どうやらやけどをしている可能性は無いようだ。

 

 

「大丈夫か?」

 

「うん……」

 

「大変だったな、一旦顔を洗ってこい。一夏、洗面所借りても良いか?」

 

「あ、あぁ。洗面台なら部屋を出てすぐ左に曲がった突き当たりに……」

 

 

一旦顔を洗ってくるように指示をするとこくりと頷き、部屋を出ていく。顔を拭いたとはいえども、匂いを含めて完全に拭い切れた訳ではない。気分転換するにも丁度良いと考え、ラウラを洗顔へと向かわせた。

 

さて、残ったのは問題を起こした核心のラバーズな訳だがどうしたもんか。一夏の家に来た理由を探っている内に事が大きくなったような気がしなくはない。むしろその理由しか思いつかないんだが、他の理由は考えられるか。

 

 

「んで、一体何が原因だ?」

 

 

あえて俺は正座している四人に聞く。別に怒っている訳ではないが、彼女たちからすると怒っているように思えたのだろう。ほぼ同時にぴくりと身体を震わせながら、俯いてしまう。

 

あれ、何かこれ俺がいじめているみたいじゃないか?

 

一夏に視線を向けても苦笑いを浮かべるだけ、ナギに関してもうーんと歯切れの悪い返答をするだけだ。もし異論があるのなら、真っ先に鈴辺りが反抗してきそうだがそれすらないということは、自身が悪いのを分かっている、かつあまり理由を探られたくないということ。

 

理由の根元が隣に居るともなれば、知られたくないのはごもっとも。一夏は何が起きたのかをまだ把握出来ていない様子。が、今回ばかりはこれが正解か。把握したらしたで後々面倒な事になるし、今は俺の口から離す必要もない。

 

 

「……とにかく、気をつけてくれよ。どっかの誰かさんが気になって仕方なかったのは分かるけど」

 

「は、俺?」

 

 

視線を一夏に向けると、案の定分かってませんといった表情を浮かべる。タイミング同じく、四人全員がほのかに顔を赤らめた。

 

 

「な、何を言っているのかしらね!」

 

「か、勘違いも甚だしいですわ!」

 

「ぼ、僕はそんなつもりは!」

 

「……」

 

 

皆それぞれに否定の言葉を連ねるも、表情と言葉がまるで一致していない。所々つっかえながら言っている辺り、恥ずかしさから思考がまとまっていない証拠だろう。

 

 

が、その中で箒だけは表情が優れないままだ。もしかしてさっきの一件を引きずっているのか、それとも下手に以前の失敗と照らし合わせているのかは分からないが、やはり俺がいる前での行動を気にしているように見えた。

 

臨海学校が終わってからは、以前のように一夏に対する暴力的な行動も控えるようになり、言葉尻も幾分丸くなったようにも思えたが、それでも何かの拍子に前の自分が出てしまうようにも思える。そして事を起こした後に、自身の行いを悔い、マイナス方向へと考えてしまうといったネガティブな感情をぬぐい去れていなかった。

 

正直なところ俺に気を使っているとはいえ、箒の立ち居振る舞いが変わってきているのは間近で見ている人間がよく分かっているはず。何度も言うように確実に前進はしている。

 

それでも急に何もかもを変えるのは無理だし、簡単なら人間ここまで苦労することはない。箒の性格上、鈴のように常にポジティブに考えられる性格ではないため、軌道修正するには多少の時間が掛かるのは致し方がなかった。

 

今日時間があれば少し話してみようか。

 

 

「ま、こんなところか。ところで俺が現れた途端に正座をしたのか分からないんだが……何でだ?」

 

 

話は変わるが、何故か俺が戻って来て顔を見た瞬間、全員一斉に正座をするという奇妙奇天烈な風景を目の当たりにした。

 

別に怒っているわけでも、何かに対してイラついて居るわけでもないのに、まるで授業が始まる直前まで騒いでて、急に千冬さんが現れた時のような反応である。ちなみにラウラは、俺が近寄ったら我に返ったようで、しゅんと落ち着いた様子を取り戻した。ナギに呼ばれることが無ければ、織斑家は半壊していたかもしれない。

 

 

「それは……ねぇ?」

 

「えぇ、その……反射と言いますか」

 

「本能がマズいと悟ったんだ」

 

「何かあのまま続いてたら、生きた心地がしなかったと言えば良いのかな」

 

「お前ら揃いも揃って失礼すぎじゃねーか!?」

 

 

思っていた本心が言葉として出てしまう。生憎、そこまでされるようなことはした覚えが無いつもりだが、彼女たちの言い分はこうだ。

 

箒とセシリアに関しては、入学した時にセシリアが言った一言が原因で俺が激昂。しばらくセシリアにとってトラウマになっていたそうだが、今でも怒らせたらマズいと、無意識に反応してしまったらしい。

 

シャルロットはまだ男性操縦者、シャルル・デュノアとして在席していた頃に、俺が何かデータを隠しとっているんじゃないかと、探るために深夜の部屋に進入。後一歩のところで待ちかまえていた俺に捕まって以来、俺のことをただ者じゃないと思っているようで、やはり何かある度に反応してしまうとのこと。

 

鈴はラウラと敵対していた頃に、生身のまま打鉄の近接ブレードを振り回す仕草を見て、こいつに喧嘩を売ったら終わると悟ったそうな。

 

むしろあの場では箒以外、俺が近接ブレードでラウラのプラズマ手刀を受け止めているシーンを見ているはずだが、ひょっとして火事場の馬鹿力とでも認識されているのか。どんな馬鹿力であったとしても、生身でISと渡り合う人間など、早々居たら困る。

 

 

「まぁでも、その気持ちは分からないでもない気がする」

 

「待てやコラ」

 

 

一夏にトドメを刺されたことに納得が行かずに抗議の意志を示すが、周囲の視線が一夏の言っていることはごもっともであると肯定をしているせいで、俺には反論の余地もなかった。

 

……ちくせう。

 

と、一同が正座を解いて各自席に戻ったタイミングで、不意にリビングの扉が開かれた。

 

 

「何だお前たちか」

 

 

我らがラスボス千冬さんの登場。

 

一夏を除いてほぼ全員の背筋がぴんと伸び、一瞬のうちに緊張感が走る。千冬さんの服装は黒のインナーに、白い襟立ての上着を前で結び、青いスキニーといった何ともカジュアルなスタイル。が、上半身の膨らみだけは隠しきれないのか、上着が苦しそうに歪んでいた。

 

肌の露出に関してはそこまで抵抗が無いようで、無駄な肉の一切着いていないへそ周りが露出した何ともラフな着こなしをしている。

 

超絶美人の千冬さんだが、今の着こなし方を見ていると、そんじょそこらの男性よりも遙かに格好よく見えた。

 

 

「お帰り、千冬姉」

 

「織斑先生、お邪魔してます」

 

「あ、おはようございます。織斑先生」

 

 

出迎える一夏に続いて、頭を下げる俺とナギ。一同は相も変わらず固まったままだ。

 

 

「おう、霧夜と鏡も来ていたか。私は何もしてやれないが、まぁゆっくりしていけ。泊まりはダメだがな」

 

 

上着を脱ぎながら、振り向きざまにそう呟く。

 

泊まる可能性が万に一つもないとは限らない。男性のみでの寝泊まりならまだしも、異性同士での寝泊まりは教員としての立場上、容認出来ないのは致し方のないことだった。それに教師である自分の家で何か問題が起きたら、それこそ目も当てられない。

 

が、逆を言えばそれ以外なら寛容な目で見ると言った、別の意味も込められているんだとは思う。

 

何だかんだ厳しくしつつも、間違った方向に行かないようにと見守ってくれている。一夏が何を飲むか尋ねているところ、リビングの入り口から顔を洗い終えたラウラが姿を現した。

 

 

「お兄ちゃん、顔洗って……ふぇ?」

 

 

当然だが千冬さんが戻ってきていることは知らず、俺に対するいつもの調子で戻ってきたせいで、千冬さんの知るラウラのキャラは崩壊。

 

ハンドタオルで顔を拭きながら、ボサボサになったままの前髪で登場。初めてみるラウラのキャラに一瞬だが千冬さんは目を丸くし、ラウラはぽかんとした表情のまま、間の抜けた返事をする。

 

 

「は……えっ、き、教官!?」

 

 

ようやく目の前の人物が誰かを判断したのか、ワタワタと慌てながらだらしない表情と、盛大に崩れた前髪を整え始めた。色々と手遅れな気もするが、一旦スルーしておこう。

 

 

「きょ、教官! ほ、本日はお日柄もよく!」

 

 

どこかで聞いたことのあるような言い回しだ。ビシッと敬礼をしながら軍人のように……そうだった、ラウラはプロの軍人で階級まで与えられているエリートだったわ。ここ最近のキャラ崩壊のせいですっかりと忘れ去られていたが、紛れもなく佇まいや雰囲気は軍人そのもの。

 

場所にそぐわぬ敬礼をするラウラに、ここでしなくともと呆れる千冬さん。

 

 

「ここでは織斑先生と……あぁ、いや、今日はプライベートだったな。好きに呼べばいい」

 

 

いつもなら鉄拳か出席簿による一撃が入っていただろうが、既にIS学園は夏期休暇中。休みの最中まで自身の呼び方に拘る必要も無いと判断したようで、フッと柔らかな笑みを浮かべた。

 

IS学園ではあまり見ることのない、柔らかな表情は貴重だ。何気ない仕草を見ていると、学園ではかなり外面を被っていることが分かった。そう考えると、教師の仕事も中々大変なものがある。

 

思っていたような反応ではなく、キョトンとした表情のまま俺の元へと駆け寄ってくる。以前俺がラウラに言った、強いばかりが千冬さんではないという言葉。どうやらまさに今、普段の凛とした千冬さんとは違う一面を見たことで、驚いているように見えた。

 

上着をハンガーに掛けながらこちらを振り向くと、リビングにいる面々に視線を這わせていく。表情が変わらないせいで、何を考えているか分かりにくいが、何かを悟ったのか。不意に踵を返すと、ハンガーを持ったまま部屋の外へと出て行こうとする。

 

 

「すまない、一夏。すぐ出るから飲み物はいい」

 

「え? もう出るのか?」

 

「夏休みといえど教員は忙しいくてな。あぁ、夕飯は出先で済ませてくるから不要だ。後は騒がしくしても良いが、近所の迷惑になることだけは止めろよ」

 

 

大丈夫だとは思うが、と念を押されてしまった以上、もう下手なことはしないだろう。特に先ほどまで一夏のことで騒いでいたメンバーは耳が痛いに違いない。

 

部屋を出ていこうとする千冬さんだが、部屋を出る直前にちらりとラウラの方を見る。もしかしたらラウラが私服を着ているのを、初めて見るかもしれない。移動中は制服で十分くらいにまで言っていた彼女も、知らない内にこうも変わる。

 

ある意味我が子の成長を見守っているようなものだ。

 

 

「……変わったな」

 

 

それだけ言い残すと足早に部屋を出て行ってしまう。何というか、篠ノ之博士とはまた別次元の意味で嵐のような人だ。

 

ラウラには言葉の真意が伝わっていなかったのか頭上にハテナマークを掲げ、何となく意味を悟った俺は思わず笑みを浮かべた。

 

 

「行っちまったか。あ、そうだ。皆で遊べそうなゲーム見つけたからやろうぜ」

 

「あれか、久しぶりにやるのもいいな」

 

 

一夏の部屋で見つけたゲームの中から、大人数で出来そうなものにいくつか目星を付けたところで、ナギに呼ばれたものだから手ぶらで戻ってきてしまった俺と一夏。

 

取りに行かないとなと目で合図をすると、合図を理解した一夏は再び自身の部屋へと戻る。

 

後に続くように部屋を後にする俺だが、部屋を出る直前にナギに向かって両手を合わせて謝罪の気持ちを伝える。毎回面倒ごとに付き合わせてしまい、申し訳ないと。

 

そんな俺に対して、ニコリと微笑みながら大丈夫だと伝えるナギ。あぁ、本当に俺には勿体ないくらいの女の子だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後は特に差し支えなく時間は進んでいき、ついに夕方を迎えることになる。



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〇男は胃袋からつかめ

「んー、結構遊んだな!」

 

 

一旦ゲームに区切りがつき、座り疲れた一夏はぐっと背筋をのばす。どれだけゲームだけで楽しめるかと何とも言えなかったが、意外に楽しむことが出来て個人的にはかなり満足している。

 

今やっていたのは何でもカラー粘土を使って自身のお題であるものを作り、それを別の回答者が何なのかを当てるというゲーム。回答者は製作者が質問の内容に対して『イエス』や『ノー』で答え、『ノー』と言うまで質問が出来る為、質問内容によっては限りなく正解に近付けることが出来る。

 

マニアックなものや、固形名称があるものに関しては分かるはずもなく、ラウラが一番最初に作ったものは、先端があり得ないほど尖った何かだった。答えは山らしく、エベレストを参考にしたそうな。

 

もちろんだが正解者はゼロ。俺も当然の如く間違え、やっとお兄ちゃんを出し抜いたぞ! と胸を張りながらドヤ顔をされた。ラウラがすると、ただ可愛いだけで、ドヤ顔っぽくなかったのはまた別の話。

 

 

その前にはトランプでババ抜きやら大富豪やらを楽しんだが、大富豪に関してはお嬢様補正やら運やらが働き、完全にセシリアの独壇場。一回目を除いて最後まで大富豪を守り抜くという無双っぷり。強いカードはことごとくセシリアの手元に行き、時にはセシリアが出している間、誰もカードを出せずに終わることも多々あった。

 

ババ抜きに関しては駆け引きの問題から、表情に出やすいメンバーが最後まで残ることが多かったとだけ、言っておこう。

 

そんなこんなで数時間、ゲームで楽しんだ俺たちは一夏の作り置きしていたコーヒーゼリーの残りをかき込んでいた。口の中にほんのりと広がる苦み、甘すぎず苦すぎず、絶妙なバランスを保っている。デザートを作ることは多くない故に、様々な料理を自由自在に作れる一夏が時々羨ましく思う時があった。

 

 

「お、夏だねぇ」

 

 

コーヒーゼリーを食べながら何気なく窓の外を見ると、夏の厳しい日差しは幾分落ち着き、紅に染まった夕日が顔を覗かせている。五時過ぎだが、初夏の夏ということもあってかなり明るかった。

 

 

「じゃあ夕飯はどうする? そろそろ買いに行かないと食べるのが遅くなるぞ」

 

 

一夏が夕飯の準備はどうするのかと、全員に尋ねる。今いるメンバーで食べに行くことは毛頭考えてはいないし、皆で作って食べるのが一番考えられる可能性か。

 

 

「だったら皆で買いに行こうぜ。それぞれ一品ずつ何か作れば、そこそこ豪華な夕食になるんじゃないか」

 

「それならあたしが作ってあげる。一夏と大和は大人しく待ってなさいよ」

 

「あ、それなら僕も作るよ。一夏と大和が料理作ったら凄いのはもう知ってるから、たまには僕たちの料理も食べてみて欲しいかな」

 

 

鈴とセシリアが発言したのを皮切りに、私も私もと手を上げ始める。その中にセシリアの手もあったのは見なかったことにしよう、うん、見なかったことにしたい。

 

意見がまとまったところで、食材を集めるべく近くのスーパーへと歩を進めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーもう! このジャガイモ切りにくいったらありゃしないわ!」

 

 

エプロンを付け、台所に立つ鈴は率直な感想を隠すこともなく口に出す。いびつな形をしたジャガイモの皮をむき、切るといった行程があまりにも手間であり、イライラを隠せないでいた。手に握られたジャガイモのくぼみやシミが、あざ笑っているようにも見える。

 

悪戦苦闘する鈴の隣ではラウラとナギが一緒に下拵えをしていた。ラウラは大根を持ちながらむぅとうなり、その様子を微笑ましく見守っている。ラウラの場合は長い髪が料理するには邪魔になるのか、後ろに纏めてポニーテールにしていた。ラウラが髪の毛をポニーテールにすることは珍しく、見方によっては幼妻に見えないことも無い。

 

 

「大根か、相手にとって不足はないな」

 

「ら、ラウラさん。サバイバルナイフで大根は切っちゃダメだよ」

 

「そ、そうなのか? 軍の食事を作る時はいつも使っていたのだが」

 

 

見た目に反して、取り出したのがこれまた大型なサバイバルナイフとあり、ナギはぎょっとしながら、慌てて大きく振りかぶるラウラの動きを止めた。

 

研ぎ澄まされた刀身が室内灯の光を反射し、キラりと光る様子がより一層切れ味を演出。ラウラの力で刀身を振り下ろそうものなら、大根どころかまな板までをもぶった切ってしまう。

 

最初はどうして止められたのか分からずにいるラウラだったが、ここは軍の食事ではなく、一般家庭で作る食事であることを悟り、納得したかのようにサバイバルナイフをしまった。ホッと胸を撫で下ろしたナギは、包丁の使い方をラウラにレクチャーしていく。

 

ラウラの発言からも分かるように、包丁を使うのは今回が初めてだ。軍の食事を作ったことがあるらしく、刃物系の使い方に関しては誰よりも慣れているようだし、使い方に問題がなければ特に心配する要素は無さそうだ。

 

 

「あ、ラウラさん。包丁は振り上げちゃダメだよ。少し体重をかけるように力を入れれば切れるから」

 

「む、むぅ……中々に難しいな」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

今まで切り方など特に気にも止めなかったが、いざ言われたことを実行しようとすると、中々難しいものがある。ナイフにもよく切れる角度や場所があるものの、如何せん包丁を使うのは初めて。素直に力を込めて振り下ろそうものなら、結局サバイバルナイフを使って切るのも大した違いはない。

 

めでたく真っ二つになったまな板が作り上げられることだ。とはいっても包丁を凝視するラウラの目つきは真剣そのものであり、何とかものにしようと必死になっている様子が伺えた。ナギに言われるように手を猫のようにしたところに包丁の側面を当て、前に押し出すように大根を切っていく。

 

見た目こそぎこちない動きだが、切れた大根は均一の大きさに揃えて切られていた。紛れもなく彼女の持ち合わせている技術によるものだろう。

 

刃物の扱いにはやはり慣れていて、最初こそぎこちない動きを連発していたが、切っていくにつれて様になっていく。物覚えの早さに安心したナギは、自身の料理に取り掛かった。

 

 

(大和くん……何が好きなのかな?)

 

 

脳裏にふと過ぎる大和の好物。

 

今まで何度か大和にお弁当を作ることはあったが、こうして一品物として料理を作ることは初めて。感想としてはどれもこれも美味しいとしか答えられていないために、大和の好物が何なのかは聞き出せないでいた。

 

話す口ぶりから嫌いなものは少ないように見えるが、万が一苦手な食べ物を作ってしまったらと思うと些か不安に思えてくる。ちなみにナギが今日作ろうとしているのは豚汁であり、嫌いな人はほとんど居ない汁物だ。とはいえ、中に入れる具に苦手なものが混じっている可能性も否定できない。

 

それとなく聞いておけば良かったと若干の後悔をするナギだが、ここまで来て引き下がるわけにもいかない。

 

 

「ナギ、どうしたの固まって?」

 

 

考え事をしていると、左隣でジャガイモの皮むきをしている鈴が覗き込んでくる。人の感情の変化に対しては人一倍敏感なようで、ラウラに教えていた時とは違った雰囲気に変わったナギが心配になったのかもしれない。

 

 

「え、あ、ううん。何でもないよ」

 

「そう? 何か下を向いていたから元気ないのかなって思って。それとも誰かさんのことでも考えていたのかしらね」

 

「そ、そういうわけじゃ……」

 

 

もうここまでくると鋭すぎる部類ではないのか。名言まではしていないものの、ナギに関連する気にしそうな人物というと、一人しか考えられない。ニヤニヤと意地の悪そうな表情を浮かべながら、本当のところはどうなのかと詮索してくる鈴。ラウラは目の前の大根を切ることに夢中であり、こちらに気付く気配はない。

 

自分と大和のその後の関係を知りたいような感じだが、ここで話してしまったらリビングにいる大和にまで聞かれてしまうかもしれない。耳が良い大和のことだ、気付く可能性は人に比べてかなり高いはず。

 

……おそらくこの中で、大和のことに一番詳しいのはナギかラウラだ。が、大和のプライベートや今の立場を知っているという意味では、ラウラよりも詳しいかもしれない。今、鈴の誘いに乗って話してしまえば、余分なことまでぽろっと話してしまうかもしれない。

 

平静を装い、何事も無いように歯切れの悪い言葉を返す。

 

 

「ふぅん?」

 

 

どこか疑い深い視線を向ける鈴だったが、それもほんの一瞬だった。次の瞬間にはニコリと笑みを見せると。

 

 

「ま、そういうことにしておくわ。……今度ちゃんと聞かせてよね」

 

 

一言呟くと、ポンポンと肩をたたいて自分の作業に戻ってしまった。再びジャガイモを手に持つとあーでもないこーでもないと愚痴を垂れながら、自身の作業を進めていく。僅かな間の出来事にポカンとするナギだったが、考えていたところで状況が好転するわけでもないことを察し、豚汁作りへと励む。

 

豚汁で使う予定だった大根はラウラが頑張って切ってくれたはず、もうそろそろ切り終えた頃かと視線をラウラの方へと向けると、既に切り終えたラウラが達成感満載で胸を張ってナギの方を見つめていた。

 

 

「ふふん、どうだお姉ちゃん! 私だって本気になればこんなもんだ!」

 

 

まな板の上には均一の大きさに切りそろえられた大根がある。初めて包丁を使ったのにも関わらず、ここまで綺麗に同じ大きさに切りそろえられるのは純粋に凄いことだった。皮こそまだ剥かれていなかったが、それは自分が全部やってしまえばいいだけのこと。

 

切り終えたところで、ナギは感謝を伝えると同時に何の料理を作るかを聞く。お会計の時には様々な食材が購入されていたことで、誰が何を作るかが分からなかった。他のメンバーに関しては買い物の後にそれとなく自身の料理と重複が無いことを確認したが、ラウラだけは確認が済んでいなかった。

 

 

 

「ありがとうラウラさん。ところで何を作る予定なの?」

 

「うむ。私は初めておでんを作ろうかと思っている」

 

「そうなんだ。作り方とかは大丈夫?」

 

 

重複していなかったことに安堵すると共に、念のために作り方が問題無いかを確認する。

 

 

「前に本で見たから問題無いはずだ」

 

「……」

 

 

予想の斜め上の回答が返って来たことで、思わずナギは苦笑いを浮かべた。まず前提として、見た本が何なのかが問題である。仮に某漫画に出てくるような、串に刺した三点セットがおでんだと言い張るのであれば、それはあくまで漫画おでんの認識になる。

 

作れないことも無いが、初めておでんを作るのであれば少し難易度は高いかもしれない。もし串に具材を適当に刺して出汁で煮ようものなら、ゆで時間がバラバラで場合によっては火が通り切らない具材も出てくるかもしれない。故に串にさす具材は選ばなければならなかった。

 

流石に具材の判断まではラウラも分からないだろうし、今後料理を作っていくのなら少しずつ教えていくべきだ。

 

 

「まさかラウラさん。串にささった三点セットがおでんだと思ってたりするのかな?」

 

「ち、違うのか!?」

 

 

自分の認識が間違っているのかと両手を頭に当ててオロオロと慌てる。その様子が小動物のようで非常に可愛らしく、ふと抱きしめたいといった感情が沸き上がるも、胸の奥底に自身の欲をしまい、改めてラウラをサポートしていくことに決めた。

 

ナギもラウラが自分の作った料理を大和に食べて貰いたいと思っていることは分かっており、ラウラも初めて作るとは言っても、作るからには変な食べ物は出せないと思っていた。そこに三点セットの串は一般家庭で出すおでんでは無いことを知らされたために、慌ててしまっただけに過ぎない。

 

包丁の使い方を一発で理解したところから、決してラウラの料理センスは悪くない。練習を積めばいつかちゃんとした料理が一人で作れるようになるだろう。

 

 

「じゃあラウラさん私もサポートするから一緒に美味しいおでんを作ろうよ」

 

「ほ、ホントか!? ありがとうお姉ちゃん!」

 

「ははっ、もうラウラさんたら」

 

 

満面の笑みを浮かべながらナギへと飛びついてくる。不思議と嫌な感じでは無かったナギは、小さな体躯のラウラを優しく受け止めた。大和だけではなく、ナギも本当の姉のように接するラウラ。

 

一時のじゃれ合いを終えて、二人は其々の目標に向けてまな板へと向かう。ナギのレクチャーを真摯に聞きながら、不器用ながらも食材を切り、言われた通りの配分で調味料を混ぜていく。

 

 

"男は胃袋からつかめ"

 

 

その言葉を元に、一同は料理を進めていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一夏、この洗い物どこおけばいい?」

 

「あー、手伝って貰って悪いな大和。洗い物は水切りにかけといてくれれば後は俺がやっとくよ」

 

「りょうかい、っと」

 

 

最後の皿についた洗剤を洗い流し、食器立てに立て掛ける。結論から言って食事会は大成功に終わった。それぞれが持つ料理の腕を存分にふるったおかげで、いつになく豪華な夕食に。

 

危惧していたセシリアに関しては料理以前の問題で、早く加熱したいからとの理由で、ブルー・ティアーズのビットで鍋を真っ黒焦げにするといった何とも言えない結末を迎えてしまったわけだが、それ以外は順当に料理を作れたといっても過言ではない。ラウラもおでんを初めて作ったようで、真っ先に俺の元へ持ってきた時は不安で自身のなさそうな眼差しだったものの、食べた後の俺の表情を見て安心したらしく、俺に飛びついてきた。

 

微笑ましい風景の中、皆でワイワイと楽しんでいる内に時間はあっという間に過ぎ、既に外は真っ暗。食事会で使った鍋や皿などを洗いながら、何気なくリビングの様子を眺めた。

 

一夏を除いたメンバーが談笑している。入学した時には到底考えられないようなシーンが、目の前に映し出されていた。何事も起きない平和な一時に、自然と頬が緩む。それに出会った頃の関係で言えば、セシリアとラウラはどん底の関係からスタートしている。片や身内を馬鹿にされ、片や大切な存在を傷つけられ……様々な紆余曲折を経て、今に至っている。

 

それ以外の箒や鈴、シャルロットやナギも。皆それぞれに出会いと、エピソードがある。本当の意味で濃い一学期を過ごせたといっても過言ではなかった。が、正直な話命の駆け引きだけはそう何度も起きて欲しいと願うばかり。

 

一学期だけで数回と、頻度としては中々に多く起きているが、幸い自身の大怪我以外、大事に至っていないのは不幸中の幸いかもしれない。

 

今後どうなるか分からない学園生活だが、最後までやりきるつもりだ。

 

 

一旦全ての洗い物終え、備え付けのタオルで水に濡れた手を拭く。人数分以上の皿やら調理器具があったために、そこそこ時間が掛かってしまった。というかむしろこの人数で料理が出来るほどの調理器具と、人数分以上のエプロンを揃えていた織斑家に脱帽するしかない。まさか今日の出来事を読んでいたのか、だとしたら恐ろしい予知能力だ。

 

……なーんて、馬鹿なことを考えることが出来るくらい、臨海学校が終わってからは気の抜けた毎日を過ごしている。うちの家系の人間が今の俺を見たら、下手をすれば卒倒するかもしれない。

 

 

「結構な量だったし、大和が手伝ってくれてマジで助かった。サンキュー!」

 

「いやいや。折角家に呼んでくれたんだから、これくらいはやらないと罰が当たる。ところで千冬さんまだ戻ってこないけど大丈夫なのか?」

 

 

皆と遊ぶことに夢中になっていたせいですっかり忘れていたが、千冬さんが戻ってきていなかった。昼間に仕事だと出て行ったっきりで、よほど仕事が忙しいのか。それとも仕事は終えていて、誰かと飲んでいるのか。どちらの可能性も十分考えられるが故に、何ともいえないところだ。

 

 

「あぁ、さっき連絡があって帰りは日を跨ぐんだと。ってあれ、大和って千冬姉のことさん付けで呼ぶのな」

 

 

と、言ったところですかさず既に連絡が入っていたらしく、本人に代弁して一夏が答えると同時に、俺が千冬さんのことを『織斑先生』ではなく、名前かつさん付けで呼ぶことに気付いた。

 

意外に思っているらしく、目を丸くしながら驚いている。普段は学校で話すことしかなく、便宜上は織斑先生と敬称は付けるが、外に出れば一対一の個人。いくら仕事を任されているからといえども、学園外での先生呼ばわりは恥ずかしいから止めてほしいとの申し出が本人からあった。

 

加えて『織斑さん』だと他人行儀過ぎると言われ、今の『千冬さん』呼びに落ち着いた感じだ。一夏の周囲で千冬さんと呼ぶのは箒と鈴くらいしか印象にないようで、それもまた当然だった。

 

 

「学園外で先生呼ばわりもあれだし、かといって織斑さんってのは何か違うだろう?」

 

「確かに……くくっ、大和がマジメな顔して織斑さんとか! そ、想像出来ねー!」

 

 

……なーぜか、俺が千冬さんを織斑さん呼ばわりするシーンを思い浮かべてツボにハマったらしく一人で腹を抱えてゲラゲラと笑う一夏。そんなに俺が織斑さん呼ばわりする絵面が面白いのか、いくら思い浮かべても何一つ理解できない面白さに、ただ首を傾げるしか無いわけだが、一夏にとっては面白いらしい。

 

 

「大和、一夏は何を笑ってるの?」

 

 

偶々様子を見に来たシャルロットが、一夏の笑っている様子を見て思わず顔をひきつらせた。そりゃいきなり笑い出す姿を見て引かない人間はいないだろう。

 

 

「知らん。俺が織斑さんって呼んでる姿が面白いらしい」

 

「ど、どういうこと? 意味がよく分からないんだけど……」

 

「俺だって分かんねーよ。本人に聞いてくれ」

 

 

いくら俺に聞かれても、第三者のツボを理解することは出来なかった。くだらないジョークを思い付いて、周りからダメ出しされる一夏の姿は割と想像が付くが、ツボばかりは分からない。何が面白いのか、そればかりは本人に確認する以外にない。

 

しばらくしてようやく一夏も落ち着きを取り戻す訳だが、イメージをするとまた笑いそうとのこと。思い出されたところで俺が出来ることは何一つ無いわけだが、授業中の暇なタイミングに、ふと思い出して笑わないことを願うばかり。もしそれが千冬さんの授業だったとしたら、間違いなく出席簿の餌食となるに違いない。

 

 

「というよりもそろそろ帰らないと終電が無くなるな……」

 

「あっ、本当だ」

 

 

時刻は十時をとうに過ぎ、十一時近い。目の前の楽しむことに夢中になりすぎてしまったせいか全員時間を忘れていたようだ。都内のような比較的終電が遅くまであるならまだしも、地方の路線にもなると終電は早い。それも都内に向かう方面の本数は、かなり少なくなる。

 

織斑家から駅まで走る訳にも行かず、十数分掛けて歩くことを考えるとそろそろお暇しないと、本格的に野宿で夜を過ごす羽目になりかねない。

 

リビングに戻ると談笑を楽しむ中、一人テレビの方を見ながら何度も目を擦り、定期的にあくびをするラウラの姿があった。普段はあまり遅くまで起きておらず、規則正しい生活を送っているラウラだが、流石に普段と違う生活をしているとこの時間には眠くなるみたいだ。

 

眠そうにしているラウラに近付き、軽くゆさゆさと身体を揺する。

 

 

「ラウラ、大丈夫か?」

 

「うん……」

 

「もう帰るぞ、帰る準備は出来てるか」

 

「んー……」

 

 

返事もうつろうつろであり、いつ寝てしまってもおかしくない。寝かけているラウラに確認をとる姿を、一同は微笑ましい様子で見つめてくる。

 

ふふん、皆には分かるまい。最初はどうなることやらと思っていたが、いざポジションに当てはまると、妹は良いものだぞ。

 

 

今日来ている中で実家が最も近いのは箒か。夏休みが始まると同時に帰省したようだし、特に終電を気にする素振りもない。俺とナギを除いたメンバーは全員IS学園の寮に戻ることを考えると、ラウラはそちら側に任せた方が良いか。

 

念のために背後にいるシャルロットに確認を取る。

 

 

「シャルロット、ラウラを任せても大丈夫か?」

 

「うん、任せて! 大和と鏡さんは逆方向だもんね」

 

 

IS学園と俺の家は真逆の場所に立地しており、乗る電車も全く反対方向になる。つまりIS学園にラウラを送り届けることは瞬間移動でも出来ない限り不可能。ISを展開しようものなら、すぐにバレてしょっぴかれる未来が容易に想像出来た。

 

俺の心中を察してか、気を遣ってしっかりとラウラを送り届けることを約束するシャルロットだが、ラウラがそうはならなかった。

 

 

「うー……お兄ちゃんと一緒に帰る」

 

 

力のない口調で俺と一緒に帰りたいと伝えると、背後に回り込んで服の袖をギュッと握りしめて離そうとしない。

 

「ラウラ、気持ちは分かるけどワガママは良くない。シャルロットにだって迷惑を掛けてるんだし、今日は一回寮に帰るんだ」

 

「うぅ……」

 

 

こちらが申し訳なるくらいに悲しい顔を浮かべるラウラ。一緒に帰れないことがそこまで嫌なのか、だが甘やかしてばかりが常ではない。確かにラウラは知らないことばかりで育ってきた。一時は千冬さん以外全てを拒絶するといった常識を逸した行動を取るも、今は俺やナギを本当の家族のように接してくれる。

 

ラウラには身内が居ない。だからこそ同じ過去を持つ俺や、真っ先に歩み寄ってくれたナギには多大なる感謝と尊敬、そして愛情を持ってくれているのは行動を見ればすぐに分かった。

 

いつも後ろを金魚のふんのようについて歩き、経験する事象それぞれに驚き、喜び、怒り、そして悲しむ。一般的な常識としていくら妹とはいえ、わがままを許してはならないケースも存在する。

 

血は繋がっていないとはいえ、ラウラは可愛い妹だ。それだけははっきりと断言できる。知らないことだらけだからこそ物事の吸収は早い。故に甘やかせ過ぎたり、ワガママを好き放題許してしまうと、それが常識だとラウラに非常識を上塗りする結果にもなりかねない。

 

万が一、一人になってから損をしてしまうのは俺ではなく、ラウラになってしまう。これから数十年以上ある未来でつらい思いをさせたくない。大切な存在だからこそ、最低限の分別はつけなければならなかった。

 

 

「……」

 

 

怒られてしまったと、不安そうな眼差しでこちらを見つめてくる。こうしてみると俺が一方的にいじめているようにも見えなくはないが、断じてそうではない。俺自身もよほどズレた斜め上のことをしない限りは、あまり注意する事がなかったものの、一回くらいはっきりと伝えなければならない。それが俺が兄として、ラウラを正しい方向へと導けるのであれば尚更。

 

凹み方があまりにも如実すぎるので、ラウラの目線に合わせてしゃがみ込み、頭を優しくぽんぽんと撫でる。『んっ』と声を漏らしながら、ラウラは目を細めた。こうなる時はある程度落ち着いている証拠だ。

 

多少冷静さを取り戻したタイミングを見計らって、なるべく優しくラウラに問いかけた。

 

 

「俺だって寂しくない訳じゃない。少しでもラウラと一緒に居たいって思ってる。でもここでワガママを言ったら俺だけじゃなくて、他の人にも迷惑を掛ける可能性だってある。それは分かるよな?」

 

「……うん」

 

「今生の別れでもあるまいし、そんな暗い顔するなよ。折角の可愛い顔が台無しだぞ? それに夏休みはまだ始まったばかりだし、また一緒に遊びに行こう。夏休みが終われば、またIS学園でも会えるしな」

 

 

二度と会えなくなるわけでは無いことをラウラに伝えていく。時間は有限とはいえ、いくらでも遊ぶだけの時間は残っているし、また別の日にでも遊びに行くことは出来る。

 

今の時間だけを大切にするのは良いことだが、これからの時間はより大切にすべきだ。だからラウラには今だけを見て欲しくない。

 

 

「分かった……今日はシャルロットたちと一緒に帰るから、また今度遊びに連れて行って欲しい!」

 

「ははっ、それくらいお安い御用だ」

 

なっ? と近くにいるナギに向けて小さくウインクをした。それに気付いたナギも無言のまま優しく微笑む。すると先ほどまで暗かった表情は、一瞬の内にパァッと満面の笑みへと変わった。良かった、これで大丈夫だろう。今後我慢することも多いとは思うけど、少しずつラウラも強くなっていってくれればと思うばかり。

 

俺の言葉に納得し、パタパタとシャルロットの方へと近付いていく。説得が終わったところで、何とも言えない表情を浮かべた鈴が疑問を投げ掛けてきた。

 

 

「ねぇ、大和。アンタとラウラって本当に実の兄妹じゃないのよねぇ?」

 

「あぁ、そりゃそうだろ。国籍も何から何まで違うんだから」

 

 

何を今更と言い掛けるも、隣にいる面々の様子を見ると一概にもそうは言えないことが分かり口を塞いだ。

 

 

「いや、そうは言われても……ねぇ?」

 

「えぇ、わたくしたちの知る実の兄妹よりも遙かに仲が良いような気がしまして」

 

「むしろ何故兄妹じゃないのかと思うくらいだ」

 

 

鈴から始まり、セシリア、箒へとバトンが渡って、口々に思っていることを述べる。第三者目線から見ると、実の兄妹よりもそれらしく見えるらしい。

 

俺とラウラのやり取りが周囲にどう見えているのかは、俯瞰視点でもない限りは分からないが、三人の意見が一致する以上は、そう見えているのだろう。

 

話に区切りがついたところで、一夏に礼を言うと俺たちは織斑家を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ皆、ラウラをよろしく頼んだ」

 

「えぇ、アンタは安心して帰りなさい。道中二人揃って道草食わないようにね」

 

「はっ、そりゃどういう意味だよ」

 

「……」

 

 

駅に到着し、俺たちは互いの進行方向に向けての電車へ乗る。帰り際に鈴に冷やかされ、赤面するナギと否定する俺。

 

そもそも初めても……いや、何でもない。

 

互いに手を振り合い別れを告げると、時を同じくして自動ドアが閉まった。終電前の電車に無事に乗ることが出来たため、後は自分の最寄り駅を待つだけで良い。これだけ遅くなると心配なのが両親への連絡だが、ナギに親への連絡は済んでいるのかと尋ねると、とっくの前に連絡は済ませているそうだ。

 

終電が近いこともあり、電車はほぼ満員。座る席など見あたるはずもなく、隙間がある部分を縫うように移動し、空いているスペースの壁際にナギを立たせ、また彼女の前に俺が立つことで、壁を作るようにした。時間帯が時間帯だけにそれこそ万が一に巻き込まれる可能性はゼロではない。

 

降車するのは俺の方が先だが、ナギの乗り換え駅も俺の駅からそこまで離れている訳ではないことが分かり、やや一安心するが油断は禁物。俺の最寄り駅での降車数が多いこともあり、この満員電車も幾分落ち着きが見込まれるものの、そこに人が居ないわけじゃない。

 

 

「窮屈じゃないか?」

 

「うん、大丈夫。この時間だから仕方ないよね」

 

 

ナギも混雑する時間帯を知っているようで、割り切っていた。ほんの僅かに空いたスペースに、半ば強引に身体を入れたせいで互いの身体はほぼ密着状態にある。背後にも人がいるせいで身動きは取れず、壁に手を突いてかろうじてナギが苦しくないスペースを確保するのがやっとだった。

 

が、問題なのはそこではない。電車も乗り物であるために、ガタガタと小刻みに揺れているせいで、都度ナギに自分の身体が押し付けられた。つまりナギの豊満かつ凶悪な部分がクッションとなり、何とも言えない柔らかな感触が腹部に何度も伝わってくる。

 

形を変えながら、時にはぐにゃりと潰れると俺との距離はより一層近くなる。何でこう一緒に出掛けている時の服装はラフな服装が多いのか。胸元にはオシャレな穴が空いていて、そこから覗かせる白い肌がたまらなく男心をくすぶる。

 

挙げ句の果てには、互いの吐息が触れ合うくらいの距離に顔があるせいで、迂闊に顔の方向転換も出来なかった。

 

 

「……っ!」

 

 

体重がかかる度に、甘い声を漏らしながら上目遣いで俺のことを見つめるナギの顔を直視出来ずに視線だけを別方向へと向ける。マジで可愛くてこのまま君だけを奪い去りたくなってくる。

 

彼女の仕草の問題なんだろうが、赤面した時の行動の一つ一つがツボにハマってしまい、誰も居なければ本気で襲いかかるんじゃないかと思うほどだ。電車の中というロケーションが不幸中の幸いか。こんな男性が羨むシーンに当てはめて良い言葉かどうかは知らん、そんな余裕は無い。

 

 

「ご、ごめんね大和くん。大和くんの方こそその……窮屈じゃない?」

 

「い、いや俺は全然大丈夫だから……」

 

 

全然大丈夫なわけがない、ただこの場だけは他の奴には絶対に譲りたくない。真実を捻じ曲げて出まかせをいうものの、彼女からすれば嘘をついていることくらいお見通しなんだろう。俺の視線がほのかに胸元に向けられていることを見逃さなかった。

 

ナギ自身の視線が一旦胸元に移り、やがて俺の顔へと向く。どこに俺の意識が向いていたのかを確認すると顔を赤らめた後、僅かに微笑んだ。

 

もぞもぞと身体を動かすと両手を俺の胴に回し、ぎゅっと自分との距離を縮めていく。近付けられる限界まで抱き寄せているため、当たり前のように胸は完全に潰れ、服越しに伝わる感触はよりリアルなものとなった。

 

 

「これで少しは紛れたかな?」

 

「あの紛れたっていうか、よりリアルになったというか……」

 

 

ナギとしては、満員電車を窮屈に思う感情が紛れたのかと言いたいんだろうが、こっちからすると限界まで抱き締められているが故に別のところがよりダイレクトに伝わってしまっている。全然悪い気はしないというのに、別の意味で悪いことをしているような気がしてならない。二人だけの空間ではなく、公共交通機関の中で満員電車を良いことに抱き合うのはいただけない。

 

周囲の乗客も俺とナギの空間には無関心、もしくは気付いておらず、全くと言って良いほど反応はなかった。

 

 

「大和くんのエッチ」

 

「んなっ!? こればかりは不可抗力だろ! こんな狭い空間でどうしろと!」

 

「ほーら、そんな大きな声出すと周りに気付かれちゃうよ?」

 

「ぐっ……」

 

 

随分と言うようになったものだ。言い返せない俺を見てクスクスと楽しそうにナギは笑う。

 

今までは恥じらいからか行動は積極的ではなく、手を繋いだり肩を寄せたりするのも人前では消極的だったが、臨海学校での一件を経て変化が見られるようになる。

 

もちろん二人きりの時以外は、必要以上のスキンシップは避けるものの、人前でも手を繋いだり、腕を組んだりする事に抵抗が無くなった。腕を組む際にも恥ずかしげもなく身体を密着させて、俺の腕を自身の胸元に埋めるといったように随分と積極的になっている。

 

そのせいで、ここ最近は今のように主導権を握られてしまうこともしばしばあった。

 

 

「もしかして……嫌だった?」

 

「……嫌じゃないです」

 

「ふふっ♪ 良かった。からかってゴメンね?」

 

 

小悪魔のように笑うナギの笑顔が頭から離れない。

 

あぁ、本当にゾッコンなんだなぁと思うと共に、主導権を握らせないような対策を練らねばと、俺は頭を悩ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして三十分近い電車旅を終え、最寄り駅へ到着する。

 

最寄り駅を知らせる音声と共に、ゆっくりと電車は速度を落としていく。そろそろ降りる準備をしようと顔を上げると、既に周囲の数多くの乗客は荷物置き場から自分の荷物を下ろし、いつでも降りられる状況だった。

 

やがて移動する大きな箱は止まり、自動ドアが開くと同時に大勢の乗客が一斉に降車を始める。その様子はまるで雪崩のようであり、次から次へと雪が押し寄せるかのように、どんどん人が押し寄せてきた。

 

 

「きゃっ……」

 

「ナギ!」

 

 

別段俺は何とも思わなかったものの、抱きついたままのナギはバランスを取れずに、人混みに流されるように一緒に電車を降りてしまう。下手に動くと転ぶ可能性を踏まえ、バランスを崩しているナギの身体を全身で受け止めながら、人混みに逆らわずにプラットホームの空いている場所まで移動した。

 

移動している間に降車した電車の自動ドアは閉まり、発車してしまうが、怪我をするより何倍もマシだ。落ち着いて次の電車が来るまでナギを見守ろうとするも、何気なくホームの電光掲示板を見上げた彼女の口から発せられたのは衝撃的な一言だった。

 

 

 

 

 

「や、大和くん! じ、実は私今のが最終電車だったみたいで!」

 

「……え?」



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○必然の出会いと秘めた想い

「最終電車って……マジで?」

 

「う、うん。実はこの路線、最近少しダイヤが変わったらしくて……私も今の今まで忘れてて」

 

 

ナギに釣られるように電光掲示板を見上げると、まだ電車の本数はあるものの、ナギの乗換駅まで繋ぐ電車が無い。朝の内は始発から終点まで走っているものが多いというのに、夜遅くともなれば数はめっきりと減り、運転間隔も開く。

 

トドメにダイヤの改正。

 

確かに朝電車に乗った時も、いつもとは電車の来る時間が少しズレていた。現にナギが言っている時点で間違いは無いはず。とどのつまり、ナギは帰宅手段を失ったことになる。

 

 

「ど、どうしよう?」

 

 

多少距離が近ければ両親に迎えに来て貰うことも考えられただろうが、流石に乗換駅の前ともなれば距離がありすぎて、この時間から迎えに行くのは負担が掛かってしまう。

 

もし迎えに来るのが可能な距離であれば、すぐにでもナギは電話をかけている。それが出来ないということは、常識的に考えて迎えに来れる距離ではないことを証明していた。解決の糸口が掴めず、ナギは助けを求めてくる。タクシーで帰るには遠すぎるし、代金も馬鹿にならない。かといって歩けば朝まで時間が掛かってしまう。

 

満員電車から降りてしまったことが災いしたとはいえ、このまま何か打開策があるとも思えない。ウダウダと悩んでいる暇があるのなら、現実味のある可能性を話すほか無かった。

 

 

「じゃあ、うちに泊まるか?」

 

「え?」

 

 

脳内をフル回転させて、考えられる最良の選択肢を提示する。最良と言っても、もはやそれしか選択肢が無かったのが妥当か。いきなりぶっ飛んだ選択肢を伝えられ、ナギは目をキョロキョロと明後日の方向へと彷徨わせた。

 

 

「で、でも急に行ったら家族の人に悪いし……」

 

 

予想通りの反応である意味安心した。

 

以前よりも積極的になっても、元の遠慮しがちな性格は変わっていない。これでもし遠慮が全くない、ガツガツとした性格に変わっていたらなお驚きだったが、それは流石に無かった。

 

 

「家族……っても一人しか家に居ないし、俺から言っとくから安心してくれ。空き部屋もあるから、特に問題は無いと思うぞ」

 

「そ、そうなの? 本当に大丈夫?」

 

「あぁ、ウチはね。むしろナギの親御さんには連絡しておかないといけないか」

 

 

ウチとしては泊まる分には問題はない。

 

そもそも居るのが千尋姉だけだし、無駄に空き部屋もあるからホテル代わりに使うことも可能だ。だがナギの家族がどう言うかは分からない。彼女も年頃の女の子だし、一般的には渋られるケースが多いが果たして。

 

と、考え込む暇もなくナギから回答が返ってきた。

 

 

「あ、実は泊まるかもとは伝えてあるから、素直に終電逃して友達の家に泊まるって言えば大丈夫だと思う」

 

「さ、さようで御座いますか……」

 

 

奥の奥の手まで考えていたことに、苦笑いを通り越して乾いた笑いしか出てこない。用意周到とはまさにこのことを言うのか、まるで結末を知らされているようにも思えた。

 

というか、この事実をラウラが知ったらマズいんじゃないか。お姉ちゃんズルい! とか言ってきそうだし、今回ナギが泊まることに関しては内容を伏せることにしよう。

 

……冷静に考えてみれば、自分の家に女の子を泊めるのは初めての経験になる。今までにたった一度だけ、部屋に女性を泊めたことがあるとすれば、IS学園の寮の自室に楯無を泊めたことが最初で最後か。あの時は確か楯無と協定を結んでからの一番最初の仕事で、単騎で一夏の命を狙う敵勢力と戦った日のことだった。

 

無事に仕事を終えたわけだが、時間は今日よりも遅く、日付を既に跨いでいる状態。夜遅くに自室に戻ると、寝て居るであろうルームメートを起こしてしまうかもしれないといった理由で、半ば無理矢理泊まることになったわけだが、人の着替えを覗こうとしたり、朝起きたら寝ぼけて俺の布団の中に転がり込んだりと、色々な意味で嵐のような一時だったように思える。

 

おまけに人のジャージを借りるというおまけ付きで。

 

当然背丈と体つきが全然違うせいで、袖や丈はダボダボになっていたが、胸元と腰回りだけはその……これ以上話すと変に楯無のことを意識してしまうので、一旦話を止めさせてもらう。

 

 

今回は自分の家、つまり実家に泊めることになる。未だかつて男性も泊まったことのない我が家に、初めて人が泊まる、それも女性ときた。

 

 

「念の為に確認取るから、少しだけ待ってて欲しい」

 

 

ポケットから携帯を取り出し、千尋姉へと電話をする。既に家には帰っていて、ワンコールも経たずに電話に出たかと思うと、二つ返事で了承を貰い、改めて自宅へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここが……」

 

「そ、俺の家」

 

 

家の門の前に広がる一軒家。家族が二人で住むには十分過ぎるレベルの広さを誇っていた。千尋姉が成人した時に建てたばかりの家のため、まだ建ててから間もないのだが、既に物件の支払いは終了している。

 

建てる際にいちいちローンを組むのも面倒だから一括で払いますと伝えたところ、業者の目が全員点になっていたあの風景は忘れられない。二十歳を迎えたばかりの女の子が、まさか物件一つを現金一括で買うなど、到底考えられなかっただろう。

 

そもそも俺は身内の人間だからこそ分かるが、ここ数年千尋姉は通帳記入こそするものの、口座にいくら入っているのかは全然気にしていないそうだ。二十代なら好きなことにお金を使って、金欠に陥っている人も多いというのに、千尋姉が家系のやりくりで困ったところは一度たりとも見たことは無かった。

 

どんな高いレストランや料亭に連れて行かれても気にしないでの一言で済ませられる我が姉。引く手あまたのはずなのに、色々と残念なのが玉に瑕だ。何が残念か……とは言わないでおく。後が怖いし。

 

実家を見て興味深そうに全体像を見るナギ。特に無駄なものは置いていないため、家の前はすっきりしている。あまり家の前でたそがれていても仕方ないため、ナギを引き連れて敷居に足を踏み入れた。

 

 

「ただいまー」

 

「お、お邪魔します……」

 

 

いつも通り淡々と家の扉を開ける俺と、緊張した面もちで家の中へと入るナギは完全に両極端。キョロキョロと視線を這わせながら後ろを着いてくる。廊下の電気が付いていることから、千尋姉が家にいるのは間違いないが、反応が一切無い。

 

確かゴールデンウィークに帰った時も、居留守をされて背後から驚かされたというオチだったが、今回はどんな登場をかましてくれるのか。

 

靴を脱ぎ廊下に立つと、一番近くにあるリビングへと向かう。一本連絡入れてからそんなに時間は経っていないことから寝てるとは考えづらいし、まさか酒やビールをあおっている訳ではあるまい。既に飲んでいるなら話は別だが、電話した時は酔っている様子は感じなかった。

 

仮に飲んでいたらダル絡みをされた挙げ句に、延々としゃべり続けて、場合によっては泣き始めることもある。俺がIS学園への入学が決まった日、十数本のビールを空けた千尋姉は、涙腺が緩みまくって小一時間ほど泣き続けられた。感極まってしまった部分も大きいとはいえ、実際本人が思いの外涙もろいのは知っている。

 

様々な思考を浮かべながら、リビングのドアノブを回した。

 

 

「……お?」

 

「どうしたの?」

 

「いや、居ないなって思って」

 

 

リビングにいるかと思えばそれもまた違った。

 

が、先ほどまでリビングに居たであろう痕跡は残っていて、窓際に置いてあるテレビの電源は入れっぱなしで、机の上には溶けた氷の入ったグラスが置いてあった。朝着て出たであろうスーツは窓際のハンガーに掛けてあることだし、家に戻ってきたのは間違いない。

 

立ちっぱなしも疲れるし、一旦ナギだけソファに座らせて千尋姉を探しに向かおうとすると、廊下の突き当たりにある脱衣所から音が聞こえた。

 

 

「千尋姉、居るのか?」

 

 

物音のする方へ声をかけるとすぐに返答がきた。

 

 

「んー、大和? もう帰ってきたの?」

 

「うん。寄り道する場所もないし、駅から遠い訳じゃ無いからな」

 

「あらそう。ちょっと待っててね、すぐにそっちに行くから。可愛い彼女さんも居るんでしょ? 私も挨拶くらいはしないといけないわよね」

 

「ん、そうしてもらえると助かる。じゃあ待ってるから」

 

 

千尋姉の所在が確認できたことに安心した俺は、踵を返してリビングへと戻る。俺との会話の一部始終が聞こえたようで、ソファに座るナギはほのかに顔を赤らめていた。

 

 

「か、可愛いって。大和くんお姉さんに何を言ったの?」

 

「いや、ナギのことはまだ簡単にしか話して無いぞ。言ったのは彼女が出来たことくらいだし、常套句みたいなもんだと思う」

 

「そ、そうなんだ。でも可愛いかぁ……」

 

「……」

 

 

あまり言われ慣れていないのか、遠くを見つめながら自分の世界へトリップしてしまう。山田先生のように脳内であらぬ妄想を膨らませ、両手を頬に当てながらクネクネと身体を捩るまでは行かないが、それでも端から見れば一発で分かる。

 

本人は道行く人が振り返るレベルでの美少女だということを全く自覚していない。むしろレベルの高いウチのクラスでは、劣等感すら感じているほどだ。以前ナギは自らを、別段容姿が優れているわけでもなければ、何か一つが秀でている訳でもない平凡な人間と評していたことを思い出した。

 

確かに一年生の専用機持ちは全員容姿端麗、学業でも非常に優秀な成績を修めている生徒が多い。セシリアやシャルロット、ラウラなんかはその典型例になる。

 

だが、ナギには先に挙げた三人に無い良い部分も沢山持っていた。本人が気付いていないだけで、一夏を取り巻く面々が彼女のことを羨ましく思っているシーンは何度も見ている。

 

 

「ごめんねー、お風呂入ってたから全然帰ってきたのに気付かなかった」

 

「あー、良いよ。千尋姉だって仕事だろ? 急なお願いだったからそれくらいは仕方な……」

 

 

廊下から聞こえる声に返しながら、リビングの扉が開くと同時に後ろを振り向いた……までは良かったのに、視線の先に飛び込んできた千尋姉の姿を見て絶句。言葉を最後まで言えずに、ぽかんと口を開けたまま身体が硬直する。

 

風呂上がりというのは分かる、分かるけど今の千尋姉の姿は、男性が見てはいけないものだった。自分の家だからこそ、気にしなければならない部分に気を使えていない。

 

いつもはサラサラとしてストレートヘアが、水分を含んで湿って若干縮れた感じになり、風呂上がりの肌は全身から湯気が立つように紅潮していた。そう、そもそも肌が紅潮していると断言、言い表せることがおかしいのだ。

 

千尋姉は気を許した相手には、恥じらい無く接する。それは良いところでもあり、時には相手に見た目との印象を狂わせ、混乱させる。

 

現にナギは鳩が豆鉄砲食らったかのような表情を浮かべたまま、ぱちぱちと何度も瞬きを繰り返す。

 

 

バスタオルだけを巻き、颯爽と何事も無かったかのように現れるとは予想できなかったはず。モデルでもしているのかと思われるほど華奢な体躯であるにも関わらず、圧倒的な上半身の膨らみと引き締まった下半身を持つ抜群のプロポーションに加え、くりっとした大きく優しそうな瞳。年齢を感じさせない童顔で且つ、整った顔立ち。

 

女性が羨む、理想の女性を体現するかのような容姿に驚きを隠せないでいた。二十代にもなれば多少なりとも化粧をして、自分自身を少しでも良く見せようとするため、化粧をしている時と落としたときのギャップに驚くことは多い。ただし千尋姉に関してはその常識は全く通用しない。風呂に入った後なのに瑞々しくそして若々しい肌を化粧もせずに保てていた。

 

本人は化粧が面倒くさいからという理由でしないだけだが、実際しなくても十分すぎるくらいの美貌を持ち合わせている。だから家に居るときも、外に出るときも一切化粧をしない。

 

と、話が脱線しかけているところで本題に戻そう。この姉は何をとちくるってバスタオル一枚でリビングに来ているんでしょう?

彼女が来ることは伝えているため、俺が好きになる相手なら信用出来ると思って気を許しているのかもしれない。イメージを崩さない意味でも、残姉さんと思われないためにも、服を着るように指示した方が良さそうだ。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

「……何でバスタオル一枚なんだよ」

 

「え、マズかったかしら」

 

「マズイに決まってるだろうが! 人の彼女が来ているのに、裸に近い状態で現れる姉が何処にいるんだよ!」

 

「ここに居るぞ♪」

 

 

駄目だこりゃ、ナギの中で千尋姉の悪いイメージが染み付いてしまったに違いない。染み付いてしまえば払拭するのは並大抵のことではない。千尋姉はある意味、楯無の上位互換になる。

 

楯無がやっている色仕掛けなど可愛いもので、裸エプロンに見せ掛けても中にはキチンと水着を着ているなど、マズイ部分は見えないように配慮するのに対して、千尋姉は小細工の一切もしない。

 

だからタオルの下は、本当の意味で一糸も纏っていない。ひん剥いたら素っ裸だ。それでもあっけらかんとして、あなたたちに見られるくらいなら別に大丈夫的な視線で得意げなウインクを見せつけて来る。

 

そこまで言うのなら大丈夫か……ってんなわけ無いだろ!

 

 

「アホか! 開き直ってるんじゃねぇ!」

 

 

力を抜いて千尋姉……もとい、残姉の頭を軽くチョップする。抵抗すること無く受け入れたが故に、意外に良い音がした。結構痛かったらしく、両手で頭を押さえる。

 

 

「いったぁ! 何でぶつのよ!」

 

「良いからさっさと寝間着を着てこい! 話はそれからだ!」

 

「ぶーぶー! 大和が冷たいぞー!」

 

 

お前は子供かと言いたい。ナギに関しては怒濤の展開に全くついていけず戸惑うばかり。なおも抗議を続ける姉の背中をグイグイと強引に押して、廊下に出そうと試みる。

 

 

「やんっ! もー何よ。別に「ならもう一生口聞かない」……分かったわよぅ」

 

 

非常に物わかりが良いことで、ブーたれながらも納得して引き下がってくれた。さすがにあの姿で自己紹介されても頭の中に入ってこない。むしろ悪い意味でのイメージしか植え付けないので、さっさと退場して貰った。来れに懲りて、次は寝間着を着てきてくれると信じている。

 

逆にそうあって欲しいと信じたい。

 

これでもしネタに走ろうものなら、もう目も当てられない。今回のスタイルも多少緊張しているであろう、ナギの緊張を和らげる意味だったんだろうが、和らげるどころか自分の姉の認識をただの変態に変えるところだった。

 

 

「あ、あの大和くん。今のは……」

 

「一応俺の姉。悪いな、次戻ってくる時は普通に戻ってくれていると思うから」

 

「だ、大丈夫」

 

 

優しいナギも大丈夫だと言ってくれるものの、顔はやはり若干ひきつったまま。インパクトが強すぎて驚いているだけだとは思うけど、本当に株が急暴落するのだけは勘弁して欲しい。似たようなタイプの楯無を見ているナギでも、千尋姉のあのインパクトだけは噛み砕き切れなかったみたいだ。

 

……しかし何で今日に限って暴走するのか。自分の名前を覚えて貰おうと思ったのであれば、そんな回りくどいことをしなくても覚えてくれると言ってやりたい。

 

 

「でも凄い綺麗な人だよね、大和くんのお姉さん。」

 

「あぁ、ありがとう。千尋姉も喜ぶと思うから」

 

 

さり気無くフォローを入れるナギの優しさに感謝。

 

誰がどう見たところで正気の沙汰ではない出来事ではあったが、それから十数分後、キチンと髪の毛を乾かしパジャマを着た千尋姉が戻って来たところでようやく、まともに話をする土台が出来上がるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一体何をどうすればそうなるんだよ」

 

「大和の彼女さんも緊張してるでしょ? だから少しでも緊張を和らげようと思って」

 

「和らぐかっ! むしろ自分の姉の評価が急暴落しないか不安だったわ!」

 

 

髪の毛を乾かしパジャマを着て、身だしなみを整えて戻ってきた千尋姉は未だにぶーたれているも、裸に近い状態で話されるよりかはまだ良い。普通にしていれば誰もが振り向くほどの美人なのは間違いないのだから、下らないことは考えずに大人しくするべき……だと思うのに、本人は場をひっかき回したり、はしゃぐのが大好きなせいで、今日のようなことをすれば、ものの見事に残念な美人のレッテルを貼られてしまう。

 

が、残姉さん状態の千尋姉を見たことがあるのは俺と、ナギの二人だけであり、他の人間には一切見られていない。一緒に仕事をしたことのある千冬さんでさえ、冷静沈着で凛々しく強い方だったと評しているくらいだし、本当に気の許せる相手の前でしか暴走状態にはならないのが不幸中の幸いか。

 

何度も言うけど、黙っていれば絶世の美女と言われてもおかしくない。よくテレビや雑誌なんかで、職業の美少女紹介なんて良くやっているが、タイトルを付けるのならまさに『護衛業に舞い降りた天使』なんて言われたところで全く不自然は無い。

 

天は二物を与えずなんてよく言うが、ここ最近の俺の前での残姉さんっぷりはそんな定義をぶち壊してくれた。二物を与えたところで、駄目なものは駄目だと。

 

 

「ぶー、大和ってばかたーい。ねーナギちゃん?」

 

「え。は、はい……」

 

「むっ……」

 

 

おそらく流れで言ってしまったんだろうが、自分自身が堅いと言われたことに反応し、若干眉が逆への字になる。千尋姉は人を雰囲気に乗せてしまうのが抜群に上手い。営業なんかをさせたら常にトップの成績を取ってくるイメージが容易に膨らんだ。

 

加えて容姿も抜群に良いために、何人かの男性なんかは鼻の下のばして契約させられそうにも思える。

 

……そういえば千尋姉って今何の仕事をしてるんだろうか。護衛業の前線から退いてはいるものの、護衛業の仕事を請け負うこともある。が、頻度は少ない故にそれ以外の日には何の仕事をしているのか、純粋に気になった。

 

スーツを着て出て行くことから、普通のOLでもやっているのか。今の職業に関しては何一つ、千尋姉の口から語られることは無いため、そこだけが謎に包まれている。聞こうにも教えてくれないし、気にしなくてもいいのよの一言で済まされる。

 

別に変な仕事をしているわけではなければ何でも良いし、何も言わない。そこは千尋姉を信じている。

 

 

「あぁ、ごめんなさい。挨拶が遅くなって。私の名前は霧夜千尋、大和の姉よ。よろしくねナギちゃん♪」

 

 

そうこうしている内に、改めて千尋姉がナギに自己紹介をしていた。先ほどまでのふざけた様子では無く、柔らかで親しみやすい笑顔を浮かべてナギへと語りかけた。

 

 

「わ、私は鏡ナギって言います。大和くんのクラスメートで、その……お、お付き合いさせていただいてます。よろしくお願いします」

 

「ふふっ、そうみたいね♪ 折角だし、色々と聞かせて貰おうかしら?」

 

「え、えぇ!?」

 

「冗談よ、流石に当人同士の付き合いに細かく口を出すつもりはないわ」

 

 

根掘り葉掘り聞かれるのではないかと、一瞬身体をびくつかせるも、ニコリと微笑む千尋姉の表情がジョークであることを物語っていた。誤解をさせないように、言葉を続けていく。

 

本当にヤバいことにならなければ千尋姉も手を出すつもりは毛頭無いのだろう。

 

 

「でもあの大和が彼女ねぇ……まだおねーちゃんちょーっと信じられないかなぁ」

 

「俺もそう思う。まさかこんな可愛い彼女が出来るだなんて思わなかった」

 

「か、可愛い……」

 

 

同じような言葉の羅列にナギはまた顔を赤らめる。入学した時には彼女が出来るだなんて考えもしなかった。本当に偶然とは怖いもので、いつの間にか必然的なものとなる。

 

入学当初に、俺とナギが付き合うと予想できた人間は皆無のはず。そもそもクラスにそこまで溶け込む予定の無かった中、何だかんだ手を差し出してくれたのは一夏であり、ナギである。

 

一夏は俺にとって護衛対象者であり、クラスメートという関係を除けば、それ以上でもそれ以下でもない関係だった。が、いつの間にか良きライバルとして張り合い、目標とされている。

 

ナギは初日の夕飯の時に、偶々空いていた席に座ったことで会ったのがきっかけであり、それ以来常に共に生活を歩んできた。

 

 

「本当に俺は幸せ者だと思う。これだけ友達にも恵まれて、隣には大切な恋人がいる。当たり前のようで、中々出来る生活じゃないよな」

 

「うぅ……」

 

 

恥ずかしくなってしまい、ナギは耳まで赤くしながら俯く。それを見ながらケラケラと笑ってみせるのは千尋姉、ナギの反応が良すぎるせいで、見ていて飽きないらしい。

 

 

「さて、と。ナギちゃん、先にお風呂に入ってきたら。夜も遅いし、肌にも良くないだろうから。いつもはもっと早く入ってたんじゃない?」

 

「え。は、はい」

 

「あーそうだな。俺は後で大丈夫だし、先に入ってこいよ」

 

「それか二人同時に入ってくるって選択肢もあるけど」

 

「ぶっ! あのなぁ!」

 

 

……入りたくないと思うわけではないが、流石に身内がいる中で二人で風呂にはいるのは如何なものかと思い、吹き出してしまう。二人で入る状況を想像したナギの顔は完全にトマト、頭から湯気が出ているようにも見えた。

 

これ以上続けると、ナギの頭がパンクしてしまうかもしれない。俺の入った残り湯に浸かるよりかは、先に入った方がいいだろう。

 

 

「なら私が案内してくるわね。寝間着も貸すからそれを使ってもらって……今日来た服は明日に間に合うように洗濯しておくわ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「一旦席を外すから、おねーちゃんが居ないからって変なことしちゃダメよ?」

 

「するか!」

 

「……ふふっ♪」

 

 

ニヤニヤと冗談を述べてくる千尋姉に、幾度と無く突っ込みを繰り返す光景に、ポカンとしていたナギがクスクスと笑い始める。この家に来てからしばし緊張した様子だったのに、俺と千尋姉のやり取りを見てようやくナギが笑ってくれた。

 

裏表のない笑みに一瞬ドキリとしつつも、良かったとホッと息を吐く。笑顔浮かべるナギをよそに、何気なく千尋姉と視線が合ったかと思うと、ウインクをしてアイコンタクトで何かを伝えて来た。まるで作戦成功ね、と言わんばかりに。

 

……ほんと、この人もズルい。

 

何手も先を読み、少し話しただけで人の心理を把握してしまう。人心把握能力だけで言うなら、俺なんかより何倍も上になる。バスタオル一枚で現れたのも、残姉を演じるところも全て、ナギの緊張を解くためにやっていたのかもしれない。

 

中には地の部分も紛れ込んでいたんだろうが、それでも相当なものだ。到底、俺には真似が出来ないほどに。

 

その後、ナギは千尋姉に連れられるがまま、浴室へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うー……それにしても良い子が彼女になったわね。あんな優しい子、中々居ないわよ?」

 

「本当に俺には勿体ないくらいだと思う。てか千尋姉、流石に飲み過ぎだって」

 

 

ナギを風呂へと案内した後、リビングへと戻って来た千尋姉だが、冷蔵庫からビールの缶を纏めて出したかと思うと、相当なハイペースで缶を開けていく。晩酌をしないことはないが、本数はそこまで飲むことは無く、精々二、三本空けるくらいに留まっていた。

 

が、今日は既にその倍近くの本数が空けられており、机の上には空になったビール缶が並んでいる。こう言っちゃ何だが、IS学園の入学が決まった日の夜を思い出す。気付かない間に十数本を空けた千尋姉は、寂しさのあまり俺からしばらくの間離れず、泣き続けていた。

 

本数こそ飲めるものの、決して特別アルコールには強くない。二、三本飲めば顔は赤くなるし、いつも以上にテンションが振り切れて寝る、酷い時は泣き始める。

 

 

「何でおねーちゃんじゃないのよぅ……」

 

「待て待て、今の発言はだいぶヤバいからな。人が居る前で言ったら一発アウトなやつだわ」

 

 

もう既にぐずり始めていた。

 

ビールを握りしめたまま、目をウルウルとさせて今にも泣き出しそうな表情を浮かべる。

 

普段ならあやしてると寝てくれるのだが、あいにく今はナギが家に来ている。そんな醜態は当然見せるわけにはいかない。早めに部屋へ連れて行って寝付けさせようかと考えるも、本人が納得していない状態で無理矢理連れて行こうとすれば、当然抵抗されるだろうし、夜遅くに大騒ぎすれば近所迷惑にしかならない。

 

 

「うぅ……大和ぉ……」

 

「あーはいはい。俺はここにいますよ?」

 

 

仕方なく対面に座る千尋姉の横に移動した。下手に泣き出されても困るし、ナギが戻ってくる前に部屋に運ぼう。多少強引になるのは致し方ないし、一旦様子を見てタイミングを見計らって寝付かせれば、翌日には元通りになっているはず。

 

ゴールデンウイークに戻ってきた時もそうだったが、同居していた時に比べてスキンシップも激しいし、やたら人に甘えてくる。よほど一人きりでの生活が寂しかったのか、元々年齢不相応に幼げな顔立ちに仕草が加わるせいで、より幼く見えた。

 

……アニメやラノベでは弟のことを溺愛したり、可愛がったり、はたまた禁断の関係に発展してしまう姉弟は多い。二次元の世界でも見ているかのような光景に、思わず目を背けたくなる。が、背けるわけにも行かなかった。

 

 

「大丈夫?」

 

 

ぽんぽんと頭を撫でる。

 

最近、身近な存在としてラウラが居るせいか、無意識に人の頭を撫でてしまう。違和感しか湧かなかったこの行為も、今となっては何とも思わなくなった。やっぱり改めて思うけど、女性の髪の毛って凄く柔らかいし、同じシャンプーを使っているのに全然香りが違う。

 

頭を撫でる俺の顔を千尋姉はじっと見つめる。身長はもちろんのこと、座高の問題で俺の方が高くなることで、上目遣いになる。頬を赤らめて見つめる仕草は紛れもなく、幾多もの男を一瞬の内に虜にしてしまうほど、艶やかなものだった。

 

 

「……」

 

「千尋姉?」

 

「……」

 

「今日も遅いし、千尋姉も疲れただろ。そろそろ寝た方が良いんじゃない」

 

 

視線が止まったまま動かなくなる。心なしか、視線が朝の一時と酷似している。しかし朝に比べると、また別の感情が入り交じり、何とも言い表しにくいことになっていた。

 

 

「……大和が、私の旦那さんなら良かったのにな」

 

「え?」

 

 

何かを訴えるかのような眼差しで呟く一言に時が止まる。一体何を言っているのか、意味が分からず何度も瞬きを繰り返した。

 

 

「私だって女性よ。誰かを嫌いになることもあれば、好きになることだってあるわ」

 

 

俺が返事をする間もなく言葉を続ける。やがて言い終わったのか、再び少しの沈黙が訪れた。こちらから掛ける言葉も見当たらずに、視線をやや下げながら、何か話題をと考えるも何一つ話題が見つからない。

 

突然訪れた妙な雰囲気に飲まれ、正常な思考がままならなくなっている。どうするか考えていると、再び口を開いたのは千尋姉だった。だがその一言に、俺は完全に言葉を失うことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私ね、大和のことを弟としても、男性としても愛してるのよ」

 

 

「は……?」

 

 

不意にこつんと胸元に頭を預けて来た。本来なら赤面する行為であるはずなのに、それ以上に発した言葉が衝撃的過ぎて、恥じらう余裕すらない。

 

千尋姉が俺のことを愛している?

 

家族としてではなく、一人の男性として?

 

意味が分からない。だって俺と千尋姉は……。

 

 

血が繋がっていない。

 

 

俺は千尋姉を姉を、千尋姉は俺のことを弟として見ていた。仮に血が繋がっていなくとも、私たちは本当の姉弟だと。でも蓋を開けてみれば、血縁関係上の繋がりは一切持ってはいない。細かい鑑定をすれば、紛れもなく他人ということが分かるだろう。

 

だが千尋姉の口から発せられる一言で認識する血の繋がり。

 

繋がりなどあるわけがない。それでも姉弟としての建前上、可愛い弟して俺を見ていた。ましてや異性として思われているだなんて一切考えたこともない。

 

 

「大和は……私のことどう思ってる?」

 

 

トロンとした視線で尋ねてくる千尋姉の声質からは、不安に思う気持ちが感じられた。嫌われることが、拒絶されることが怖いんだと。俺から返ってくる言葉が負の感情にまみれていたらどうしようと。

 

どれだけ仲睦まじい姉弟だったとしても、不安に思うだろう。ましてや俺たちは義姉弟(ぎきょうだい)であり、元は完全な第三者……とどのつまり赤の他人の状態だった。つまり千尋姉からすれば、弟にじゃれ合いのつもりで告白したのではなく、たった一人の男性としと胸のうちに秘めた想いを伝えてきた、例えそれが決して伝わることが、叶うことがないものだったとしても。

 

十年、十年だ。一生から算出すると短い期間だが、俺はこれまでの人生の大半を、千尋姉は半分近くを共に過ごしてきている。あまりにも姉弟として過ごす時間が長かった、長すぎた。

 

口振りから察するに、ずっと隠してきた感情だったのかもしれない。そう考えると、無意識のうちに千尋姉を苦しませていたことになる。本人や俺が自覚していなかったとしても、だ。

 

 

『今でも思うの、誰か一人と一緒になることで誰か一人が不幸になるなら、皆一緒で良いって』

 

 

ふと、俺がナギに告白した時の一言が脳裏を過ぎる。細かい意味は語らなかったものの、一人を選ぶことで、親しい人間が不幸になってしまうのなら、皆で幸せになりたいと俺は解釈した。

 

当時は楯無のことを思ってナギが発した言葉であり、千尋姉に当てられたものではない。ただシチュエーションが似ており、フラッシュバックするかのように、幾つものコマが視界を過ぎると、すんなりと現状に置き換えることが出来た。

 

結論、全く同じシチュエーションであることに気付くまで、そう時間は掛からなかった。

 

俺は千尋姉のことをどう思っているのか、答えなどとうに決まっていた。

 

 

「俺も千尋姉のことは好きだよ」

 

「!」

 

 

思いもよらない答えだったに違いない。

 

明らかに千尋姉の表情からは驚きを感じ取ることが出来た。たった十年、さえど十年。千尋姉に何の感情も湧かない訳がない。それでも俺と千尋姉は姉弟だった、これからも関係は続いていく。

 

 

「ただそれと同じ……ううん、以上にナギのことが好きだし愛している」

 

 

もし告白される順番が逆転していたら、色々と変わっていたに違いない。千尋姉のことを思う気持ちは何一つ変わらない、好きであることに偽りもない。ただそれ以上にナギのことを愛していた。

 

 

「……そうだよね」

 

 

返答をすると俺から視線外す。想定をしていたのかもしれないが、伝えられる事実は思った以上に本人へと負荷が掛かる。ふるふると身体を奮わせながら、感情が溢れ出るのをぐっと我慢しているように見えた。

 

 

「うん、安心した。大和が変に気を遣って中途半端な答えを返してきたらどうしようかと思ってた」

 

「……」

 

 

出来る限り笑顔取り繕うとしているみたいだが、言葉に力がない。素面ではないのも影響して、我を維持するだけの余裕は無くなっていた。

 

 

「お似合いよね、二人とも。不器用な付き合い方をしていたら、ちょっとからかおうと思ってたんだけど…そうだよね」

 

「千尋姉」

 

 

言葉に余裕は皆無。言ってしまった手前、何とか会話を続けて話題を逸らそうとする魂胆が丸見えで、見るからに痛々しい。

 

辛い感情を押し殺そうとする仕草をこれ以上見ていることが出来ずに声を掛けるも、千尋姉は止まらずに話し続けた。

 

 

「あ、今のも冗談だから気にしないでね。もしかしてドギマギして……」

 

「千尋姉ッ!!」

 

「―――ッ!!」

 

 

千尋姉の前で声を荒らげたことなど未だかつて数えるくらいも無いというのに、柄にもなく声を荒げた。

 

突然の変貌に身体を震わせ、千尋姉はキュッと目を瞑る。瞑った目からはほんの僅かに涙が溢れていた。

 

 

冗談のハズがない。千尋姉なりに悩んで、それでも素面では言えなかった。紛いなりにも酒を飲んでも本心を言わなかった春先に比べ、確実に俺に対する想いが大きくなっている。少なくとも今の告白が冗談には思えなかった。

 

それを冗談の一言で済ませようとしたことに、俺は思わず声を荒げてしまった。

 

 

「ごめん、言い過ぎた。でも冗談だったら何で泣いてんだよ」

 

「別に泣いてなんか……」

 

 

自分を偽れる訳がない。

 

必死に否定をしようとするも、目の奥底からこみ上げてくる滴が一つ、二つと頬を伝ってこぼれ落ちる。何が起きているのか分からず目を擦るも、一旦決壊した涙腺はそう簡単に戻らなかった。

 

 

「なんで……なんで止まってくれないの?」

 

 

止められない涙に何度も止まれと呟く千尋姉だが、そんなことで止まってくれるほど、小さな想いではない。流れる涙が、千尋姉の俺に対する想いそのものを物語っていた。

 

俺が今彼女にしてやれること、出来ることは何があるか。そう考える間もなく、俺は千尋姉の身体を引き、自身の胸元へと引き寄せた。するも抵抗することもなく、すっぽりと収まり顔を埋める。身体の震えは変わらず、俺のTシャツにシミを作っていった。

 

 

「う……うぇぇ……」

 

 

声を押し殺して涙を流す姿に、頭を撫でて落ち着かせることしか出来ない。

 

俺より年上の千尋姉が泣いている。どんな困難や苦難があっても泣かなかった姉が、声を漏らしながら大粒の涙をこぼし続けた。止まることなく流れてくる涙が、俺の心を鷲掴みにするかのように締め付ける。

 

一度染み着いた姉弟の関係をリセットすることは出来ない。もし俺たちが姉弟ではなく、偶々出会っただけの関係だったら。共に生活することのない、完全な第三者であったらこの様なことにはなっていないと言い切れるか。

 

───それは、否だ。

 

むしろ姉弟だったからこそこうして共に生活出来ている。そもそも千尋姉がドイツに来なければ、俺と出会うことは間違いなくなかった。天文学的数値である偶然の可能性をたぐり寄せ、今このように共に居られる。

 

あの時知り合わなければ一般的な男女の関係で付き合うことが出来たかと言われれば、その可能性もほぼゼロに近い。

 

故に俺にも千尋姉にも、第三者であったとしても神様ではない限り、運命を変えることなど出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どれくらい時間が経っただろう。体感では一時間か、はたまた二時間か。それほどまでに長く感じた一時だったが、不意に寄りかかったまま身動きを取らなくなった。

 

酔いも回ってしまったのか、ほどなくしてスヤスヤと寝息を立て始める。千尋姉が寝付いたと同時に、まるで頃合いを見計らったかのようにナギが戻って来た。正直、悪いと思ってもタイミングとしてはベストタイミングだとガッツポーズをしたくなる。

 

つい先ほどまで人生の修羅場と化していたリビングに、ナギが来ていたら、より混沌とした状態になっていたに違いない。

 

 

「あ、大和くん。お風呂ありがとう、千尋さんは……ってえ?」

 

 

この状態がどうして起きているのか分からず、ナギの思考が止まってしまった。目の前には幾つものビールの空き缶が、そして酔いつぶれた千尋姉が俺に寄りかかっている。

 

自分が居なかった二、三十分の間に何が起きたのかと疑問に思うのも無理もない。だが、話すには時間が遅すぎた。

 

いつまでも寄りかからせている訳にも行かず、起こさないように右手を千尋姉の首付近に回して頭部を固定し、左手を膝の間接に回して、出来るだけ優しく持ち上げる。

 

俗に言うお姫様だっこになった。未だかつて千尋姉をお姫様だっこをしたことなど一度もない。今回が初めてなんだが身長とスタイルに合わないほど軽く、ちゃんと食事を取っているのかと心配になってきた。

 

しっかりと固定されていることを確認し、未だ状況を把握できずに呆然としているナギに簡単に状況を伝える。

 

 

「実はナギが風呂に入っている間に飲み過ぎてな。酔いが回って寝ちゃったみたいだ」

 

「そ、そうだったの? でもこんな短時間でってことは相当飲んだんじゃ……」

 

「ここに転がっている缶全部だしな。このまま放置も出来ないし、一旦部屋まで運んでくるからゆっくりしていてくれ。ご両親に連絡は大丈夫か?」

 

「うん。粗相無いように気を付けて泊まるんだぞってお父さんが」

 

「ははっ、そりゃ良いお父さんだ。悪いな、変に気を遣わせて」

 

「ううん、大丈夫。待ってるね」

 

 

ナギも深くは詮索しようとしてこなかった。把握し切れていないのももちろんのこと、仮に聞いたところで気まずくなってしまうのは明白。それとなく現状を悟ったかのような表情を浮かべると、小さく頷いた。

 

こちらもありがとうと一言伝えると、抱えた千尋姉を部屋へと運んでいく。寝室は二階にあるため、足を踏み外さないように慎重に上っていく。もっとも階段くらいで足を踏み外すことなどないのだが、一応人を抱えていることでより慎重になる。

 

部屋に到着し、ベッドに優しく下ろすと薄手の掛け布団を身体に掛け、室内にある小型の扇風機を回した。

 

 

「う、ん……大和」

 

 

だらしなくならないように千尋姉の周りを整えていると、千尋姉は不意に寝言を漏らす。寝言であって意識的に言葉を発している訳ではないのは分かるものの、自身の名前を呼ばれると、無意識でも反応してしまった。

 

顔だけを千尋姉の方へと向けると、やはり目を閉じたまま寝息を立てているだけで、覚醒した様子はない。周囲を整え終わり、部屋を出ようと立ち上がろうとすると、再び千尋姉から声が発せられた。

 

 

「大和……ずっと、一緒……」

 

 

昔の夢でも見ているのかもしれない。気持ちよさそうに寝息を立てる千尋姉の側にしゃがむと、前髪をかきあげて、無防備なおでこに軽く口付けした。

 

 

「あぁ、そうだな。おやすみ、千尋姉」

 

 

そう呟くとどこか満足したかのような表情を浮かべる。起きたときのことはまた起きたときに考えればいい。

 

 

「自分だけが幸せになって、他の人が知らないところで傷付くのは嫌……か」

 

 

俺の何気なく発した一言は暗闇に消えていくのだった。



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想い伝えて

「本当にここまでで良かったのか?」

 

「うん、大丈夫。送ってくれてありがとう」

 

 

次の日。

 

朝起きた俺はいつも通り身体を動かした後、自宅に戻るとタイミング良く起きていたナギとバッタリ遭遇。昨日洗濯したナギの私服は乾いており、既に私服に着替えてまさかの洗濯機まで回してくれていた。どことなく新婚のような雰囲気に互いに赤面してしまうも、それ以外は特に何事も無く朝の時間が過ぎていった。

 

今は実家近くの駅の改札前、本来ならもう少しゆっくりしても良いのではと思う感情もあるが、あまり帰りが遅くなるとご両親に心配を掛けかねない。朝の出勤時を外しているのと、夏休みということもあって、比較的駅の人口は少なく、バラバラと人の移動が見られるだけだった。

 

最寄り駅まで送ろうかと尋ねるも、泊めて貰ったのにこれ以上は迷惑を掛けられないと言われ、譲歩することに。意外にナギは頑固な部分も持ち合わせているから、こちらが何を言っても退かなかっただろう。あまり深く問いつめるのも良くないし、彼女の言葉に素直に従うことにした。

 

何事も無い……といえば、朝見送るタイミングになっても千尋姉が起きてこなかったことが気になる。いつもなら俺と同じか、場合によっては俺よりも早く起きるハズの千尋姉に一切反応が無かった。仕事は休みなんだろうけど、休みだったとしても早起きである人物が起きてこない。

 

……十中八九、昨日の夜の一件で尾を引きずっているんだと思う。切り替えが早いと言っても、前例のないショックから立ち直るのは至難の業だ。更にかなりの量のアルコールを摂取していることから、起きようと思っても中々身体が言うことを聞いてくれない。

 

下手に起こしに行っても俺には何も出来ないことが分かっていたため、あえて触れずにナギを見送りに来た。

 

 

「千尋さん、結局起きて来なかったね」

 

「んー……飲み過ぎたのかな」

 

 

まさか本当の話をナギにするわけにも行かず、多くのビールを開けていたことに便乗して、酔いつぶれてしまったのではないかと伝える。が、どことなく納得がいっていないような素振りを見せると、俺に質問を投げ掛けて来た。

 

 

「普段から千尋さんってお酒は飲む方なの?」

 

「あぁ、仕事終わって帰って来た後なんかは結構飲んでるよ。もちろん毎晩って訳ではないけど」

 

「そうなんだ……」

 

 

質問に何か意図があったのかもしれない。下手に考えて答えてしまえば、裏があるのではないかと怪しまれるし、差し支えない言葉を選んでナギに答えたが、一体今の質問に何があるというのか。

 

……いや、ちょっと待て。

 

千尋姉は飲酒することはあっても、誰かが来るのであれば控えるはず。楯無のことをよく見ているせいで、同じようなタイプである千尋姉の仕草を見ても、そこまで驚くことはないが、

 

誰かが来ると事前に電話で伝えているわけだ。彼女が来る日にピンポイントで酒をあおることなど、千尋姉の性格を考えれば普通はない。毎日飲んでいる人間ならまだしも、千尋姉は多くても二日に一回。頻度としては決して多くはない、家庭によっては毎日のように晩酌する人間もいるのだから。

 

今の回答だと千尋姉は飲兵衛ではないと言っているようなもの。ナギの性格なら僅かな触れ合いでも、相手の特徴や性格を大まかに把握することは可能なはず。

 

……となると導き出される回答としては。

 

 

「うん、だったら尚更引っかかるんだよね。毎日飲むわけではない人が、誰かが来るのに潰れるまで飲んじゃうなんて」

 

「……」

 

 

案の定、あっさりと勘付かれるわけだ。

 

鋭い、鋭すぎる。もはやこの洞察能力は一般人のそれを遙かに凌駕していた。自身が言ってしまった手前、きっかけを言うなら間違いなく俺の一言な訳だが、一体どうすれば今の一言で察せるのか。

 

しかも言った後の俺の考察と寸分の狂いもなく合致しているという罠。もはや驚きのあまり言葉すら浮かばない。

 

 

「本当に何も無かったの?」

 

「……はぁ、何でこうも鋭いのか。ただただ驚きしかないわ」

 

 

隠しても気付かれる。

 

下手に誤魔化したら余計に拗れると考え、素直に話すことに決めた。言ったらマズい情報に関しては伏せ、あくまで話の外枠だけを話すに留めることにする。

 

 

「分かった、話すよ。ただ絶対に黙っていてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう……私がお風呂に入っている間にそんなことがあったんだ」

 

「確かにちょっと危ないスキンシップは何度かあったけど、ここまでのは初めてだったから俺もどう対応すれば良いのか分からなくて」

 

 

ナギに夜の一件の流れを簡単に説明すると表情を歪めた。彼女にとっても意外だったようで、どう対処すれば良いのか分からずにいる。夜も酔いが回って寝付いたから良いものの、仮に起きていたとしたら今頃とんでもないことになっていたかもしれない。

 

 

「でもその……大和くんとは」

 

「あぁ、血は繋がっていない義姉弟の関係になる」

 

 

血縁関係のある姉弟ではない。

 

つまり結婚して子供を産むことが出来る。最も、この遺伝子強化試験体が生殖活動の出来る個体であるかどうかは俺には分からない。もしかしたらラウラ辺りが知っているのかもしれないが、センシティブなものをおいそれと聞くわけにも行かないし、そもそも何を考えているんだって話にもなる。

 

 

「難しいね。どの選択も傷つける可能性があるから、慎重になる必要があるし」

 

「だよなぁ」

 

 

特効薬が無いことを改めて認識し、ガックリと肩を落とした。

 

一人を選んで誰かが傷ついてしまった典型例。想定していたことが現実になると、何とも言えない気持ちになる。楯無に続き千尋姉まで、少なからず俺に対して好意を持ってくれた女性が涙を流していた。

 

臨海学校の帰りに出会ったナターシャさんに関しては、燃えるものがあるだなんて宣戦布告をして去っていったわけだが、全員が全員ナターシャさんのように割り切れるものでもない。臨海学校の後に個別で連絡が来たわけでもなく、彼女が今後どうするのか知らないものの、あの人の性格を考えると諦めなさそうな雰囲気は感じ取れた。

 

一方で楯無も楯無でまだ諦めてなさそうな雰囲気だったし、むしろ俄然燃えると息まいているくらいだ。

 

 

俺としてはたらしのように、何人もの女性に手を出すようなことはしたくない。が、こうなってくると考えなければならない。

 

 

「誰か一人と一緒になることで誰か一人が不幸になるなら、皆一緒で良い、か」

 

「それって……」

 

「あぁ、告白した時にナギが俺に言ってくれた言葉さ。前までは絶対にあり得ないって思ってたけど」

 

 

つい最近まではあり得ない、考えられないと思っていたにも関わらず決意は揺らいでいた。今までまともに女友達を作って来なかったこととが大きく影響しており、誰かが悲しむ様子を見ていられない。一般世間じゃ出会いと別れなど常識なのかもしれないが、俺にとっては全く逆の認識になっている。

 

何とかなると思ったのに、どうにもならない現実に、ただひたすら頭を悩ませてばかりだった。

 

 

「何だろうな、歳月を経て俺の心情が変わったとでも言うのか。それ以上に無意識に傷ついている人ばかりに目が行く」

 

「大和くん……」

 

「分からない。何が合っているのか、俺の決断は間違っていたのかどうかも」

 

 

本音を口にするとますます意味が分からなくなる。

 

俺の決断や考え方は間違っていたのか、そもそも根本がズレているせいで悲しませることになったのではないか。様々な憶測が脳内に飛び交い、合っているハズの思考まで狂わせていく。

 

これから千尋姉とどう接していけば良いのかと、考える俺のおでこに不意に衝撃が走った。決して痛くは無いはずなのに、予想しない衝撃が来ると反射的に痛いと呟いてしまう。

 

人間の不思議な心理だ。顔を上げるとそこにはクスクスと微笑むナギの姿、まるで何悩んでるのと言いたげな面持ちで。

 

 

「あでっ! な、何すんだよ急に?」

 

「らしくないよ大和くん! 誰よりも大和くんが千尋さんのことを見てきたんでしょ? それなら、誰よりも千尋さんのことを知っているハズじゃない!」

 

「あ……」

 

 

ど正論の一言に俺の身体は思わず硬直する。

 

そうだ、身内の中では俺自身が誰よりも千尋姉のことを知っているはず。そして誰よりも千尋姉のことを愛しているはず。血の繋がりなど、当の昔に気にしなくなったのに、何を今更気にすることがあろうか。

 

例えそれが血の繋がった姉弟であったとしても、血の繋がりのない姉弟だったとしても、俺たちは他人として接するのではなく、共に信頼し合って人生を歩んできた。歩んできた人生に失敗はあれど、間違いなど無い。

 

頼りになって、いつも優しくて、でもマズい道を歩みそうになった時は引き留めてくれて。時には厳しくも暖かく、そのくせ独りぼっちが大嫌いで甘えん坊で、偶に暴走することもある姉だけど……霧夜家に来てから、俺のことをずっと見守ってくれた事実は変わらない。

 

───だからこそ俺はそんな千尋姉が好きになった。

 

 

「それに、大和くんの中ではもう結論が出てるんじゃないの?」

 

「……」

 

「私はどんな選択をしても納得するよ。だってそれが大和くんの選んだ道だから」

 

 

ナギは両手で俺のことを抱き締める。胸元に顔を埋めて両手を背中に回すと、自身の身体をより密着させて来た。

 

人前での大胆な行為だというのに、感覚が狂っているのか慣れて来ているのか、自然と恥ずかしさは無い。周囲からは相変わらず、好奇や嫉妬の視線が集中するが気にならなかった。

 

 

「ちょっとは元気でたかな?」

 

「ちょっとどころかリミット振り切った。ありがとう」

 

「そう、良かった♪ じゃあ私は帰るから、また夜にでも話聞かせてね。バイバイ」

 

「ん、またな」

 

 

俺から離れて踵を返すと、改札の方へと向かっていく。徐々に小さくなっていく後ろ姿を見守りながら、俺は来た道を帰ろうとした。 

 

数秒すると今度は背後からパタパタと足音が戻ってきた事に気付き、再度後ろへと振り向く。足音の正体はナギであり、やや息を切らせながら振り向く俺の前で立ち止まった。

 

何か忘れ物でもしたのか、いや確か昨日遊びに来る時に目立った持ち物を持ってきては居ない。それならまた別に言い忘れた事があるのかと、考えてはいると息を整えたナギが口を開く。

 

 

「ご、ごめんね。忘れ物……しちゃって」

 

「忘れ物? 何か持って……ふむっ!?」

 

 

不意にナギの顔が目前にまで迫ったかと思うと、二人の距離はゼロになった。

 

完全無防備状態の俺の唇に、何度か味わった柔らかな感触が伝わってくる。目を閉じながら俺の首に手を回して決して離すまいと、自らを押し当てる積極的な行動に、思わず数度瞬きをするも、甘い香りにただ受け止めるほか無かった。

 

幸い、あまり周囲はこちらを見ていない。数秒間ほどの短い時間を終えると唇を離し、照れる俺をよそにはにかみながら彼女は言う。

 

 

「上手く行くおまじないだよ。頑張ってね、大和くん。それじゃ!」

 

 

今度こそナギはICカードを押し当てて改札をくぐった。

 

俺と付き合い始めてから明るくなったのは紛れもなく事実、加えてやや押され気味というか尻に敷かれかけている現状に思わず俺は頭を抱える。

 

悶々とした気分から復活後、もう一度千尋姉と話をすべく実家へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……大和」

 

 

自宅リビングのソファーに座りながら、物思いに耽る女性。起きたばかりなのか、着ている服装はパジャマのままであり、一点に視線を集中させたまま動かない。

 

幾分起きてから時間が経つというのに、妙にやる気が出てこない。失恋効果なのか、一時も無駄にしたくないと思う以前とは違い、どことなく憂鬱に感じる時間に思わず苦笑いが出てきた。

 

霧夜千尋、元霧夜家当主の肩書きを除けば、どこにでもいる普通の女性だ。目元には寝ている間にも涙を流していた痕が残っており、いつもは大きく見開いた目も今日はどことなく暗く、やさぐれているようにも見える。

 

分かっていたことなのに、気持ちの整理が追いつかない。当たり前、想定内の返答にも関わらず動揺していた。

 

 

「はぁ、私っていつの間にこんなに弱くなったのかしら」

 

 

あくまで彼は弟だ。

 

男性が絡むだけでこうまで自分をコントロール出来なくなるとは思わなかった。初めて大和と出会った時には持っていなかった感情が、歳月を経るにつれて現れ始めた。まるで一人の男性に恋をしているかのような感情が。

 

可愛い弟だと思っていた人間が成長し、いつの間にか年相応の立派な男性に。そして弟だという認識は消え去り、一人の男性、気になる異性として追うようになっていた。義理の姉弟だからこそ生まれてしまった認識に戸惑い、気付くのは大和が家を去ってからのこと。

 

しばらくは大和がいない生活を考えられず、生活の最中に彼の名前を呼んでしまう、無意識の内に料理も彼の分まで作ってしまうことが頻発。理解をしていても心の中では『大和が家を出た』事実を受け入れられずにいた。

 

姉弟同士の恋愛は近○相○なんて言われ、蔑まれることもあるが、根底として二人に血の繋がりはない。繋がっていれば我慢することなど十分に可能だった。繋がりがないからこそ、今までは隠していた大和に対する想いを隠しきれなくなり、その我慢も既に限界を迎えていた。

 

意中の男性を取られたくない思いが無意識に働き、昨日の夜のような行動に走ってしまった。彼女にとっては醜い感情であり、面には出すまいと封印してきたのに、ふとした瞬間に出てしまう。

 

 

「……はぁ」

 

 

何度目か分からないため息を吐く。

 

幸せが逃げるだなんて言い伝えがあるが、この時ばかりは付かずには居られなかった。肝心の大和は見送りのために家を開けていて、今は千尋しかいない。ただ見送りだけならそう時間は掛からないだろうし、もう少ししたら戻ってくることだろう。

 

戻ってきたらどう接しようか。

 

まだしばらく大和はいるようだし、毎日顔を合わせると考えればいつまでも引き摺っているわけには行かない。せめて普通に話さないと、大和も気まずくなってしまう。いつ帰って来るのか、そう考えているとロビーの扉が開いた。

 

 

「ただいま。あ、千尋姉。おはよう、起きてたんだ」

 

「え……うん、おはよう」

 

 

当の本人が帰ってきた。

 

慌てて挨拶を千尋も返す。扉を開けて千尋の存在に気付くも、別段慌てたりテンパったりするような仕草は見られない。

 

それどころかいつも通りの淡々とした対応に、昨日のことはもう忘れているのかと疑問に思う。昨日今日で忘れているとは思えないし、あくまで表情に出していないだけなのか、様々な思考を張り巡らしていると、不意に声を掛けられた。

 

 

「朝食はもう食べた? 俺も食べてないから、まだならすぐ作るけど」

 

「うん……お願いしようかな」

 

「ん、ならちょっと待ってて。今日はパンでいいよね」

 

 

今から米を炊き始めると食べる時間も遅くなってしまうと踏み、棚から食パンを取り出すと、トースターの中へと入れる。

 

てきぱきとした動作で、十数分後には立派な朝食が机の上には並んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「隣、座っても大丈夫?」

 

「え?」

 

 

朝食後、食器を片付けた俺は千尋姉の座っている隣側に座る。突然隣に座られたことで一々ピクリと反応をする千尋が可愛いと思いつつも、表に出したい感情を抑え、平静を装ったまま座った。

 

いつもなら落ち着いたままの千尋姉が、今日は落ち着かない。妙にそわそわしながら人の顔を見て、こっちが見つめるとすぐにプイと顔を逸らしてしまう。会話の一つもあるはずの毎日から一点、全く会話が起きないこの現状はある意味面白い。

 

新聞を広げながら興味のある部分だけを流し見し、さっさと机の上に畳んで置く。話が無い時は何をしても続かない。朝食を食べていた時もそうだが、会話らしい会話は全く無い。

 

家に帰ってきてから小一時間が経つも、かつてこれほどに会話のない時間帯があったことはほとんどない。むしろ毎回千尋姉の方から絡んでくることが多く、今日に限っては一度もそれが無いことから、普段の心理状態とないことは明白だった。

 

一方の千尋姉は「あー」とか「うー」とか唸りながら話し出そうとするも、昨日あれだけ泣きじゃくった挙げ句に寝落ちしてしまったために、どう俺に話したら良いのか分からないでいる。困っている姿はあまりにも斬新であり、思わず笑い出してしまう。同時につい出来心から携帯を開き、ムービーモードのスイッチを入れて千尋姉へと向けた。

 

 

「な、何がおかしいの?」

 

「ははっ、いや、おかしくないよ。ただ困っている千尋姉は珍しいなって思ってさ」

 

「べ、別に珍しくなんか……って! 動画撮るのやめなさいよ! 恥ずかしいじゃない!」

 

「おーおー、これで俺のお宝秘蔵映像リストにまた一つ追加か。しかも困っている姿に加えて恥じる姿とかどんだけ俺得なんだよ」

 

「アンタそんな性格だったっけ!? ちょっと! 貸しなさいって!」

 

 

いつもと百八十度ぶっ飛んでいる俺につっこみを入れ、携帯を取り上げようと、先ほどまでの悲壮な雰囲気をかなぐり捨てて俺の方へと迫ってくる。ムービーのスイッチを入れたのは間違いないが、あいにく映し出されている映像はアウトカメラではなく、インカメラのものであり、千尋姉の顔は一切映っていない。

 

……流石にそれくらいの配慮はする。それにお姉ちゃんが愛しくてたまらないオーラ満載のシスコンでもない。普段から会える上に、わざわざ画質の粗いムービーで残す必要はなかった。本気で残すならちゃんとしたビデオカメラかデジカメを使う。

 

ただ千尋姉の方向からはディスプレイに映る姿を確認することは出来ず、本当に取られていると思って必死に取り返そうとしてくる。ソファの背もたれに足をかけて、持ち前の体幹でバランスを取りながら千尋姉の届かない位置まで手を伸ばす。

 

何とか携帯を取り上げようと俺に覆い被さりながら限界まで手を伸ばすも、体躯の問題でギリギリ届かなかった。が、どれだけ必死なのか、尚も手を伸ばそうとする。

 

本人は俺の携帯ばかりに夢中で気付いていないが、俺に多い被さるということは常に二人の身体が密着状態であることを意味する。パジャマの上からでもハッキリと分かる重量感のあるそれが顔に当たって潰れ、俺の顔面は絶賛千尋姉の胸の中に埋まっていた。

 

柔らかい感触が心地よい反面、顔全体が覆われるせいで呼吸が苦しい。まだ微かに残るボディーソープの香りが鼻腔を刺激してくると、正常な思考がログアウトしようとする。

 

……っと、流石にこれはマズい、俺の理性が飛ぶ。

 

止めさせようとすると同時に、千尋姉は俺の手から携帯を奪うことに成功した。

 

 

「取ったわよ! さぁ消させてもらおうじゃな……あれ?」

 

 

達成感溢れる表情を浮かべるも、視界に飛び込んできたのは俺の顔が延々と映っている映像であり、千尋姉の顔は一切映っていない。まんまと一杯食わされたことを悟ると、ふるふると身体を震わせながら、俺の事を睨んできた。

 

顔が赤面しているせいで怖いを通り越して可愛い。おかしいな、俺の姉がこんなに可愛いハズがない。と、ふざけている場合じゃなかった。あまりふざけすぎると後々が怖いし、一旦締めるとしよう。

 

 

「ごめん、ふざけすぎた」

 

「……本当よ」

 

 

ムスッとあからさまに不機嫌な顔をする千尋姉だが、その顔には先ほどまで感じられた負の感情は無い。今のやりとりでだいぶ薄れてくれたのか、だとすればやった意味があった。

 

 

「あのさ、千尋姉。俺もずっと思っていたことがあるんだ」

 

 

ある程度テンションが元に戻ったところで、話を切りだし始める。唐突に話題を転換したために少し驚きの顔を見せる千尋姉だが、聞く体勢が出来ているおかげで、場から逃げようとはしなかった。

 

少し前から思い始めていたこと、それは俺と千尋姉の関係についてだ。かつては尊敬出来る姉、可愛い一人だけの弟といった、当たり障りのない普通の関係だった。あくまで千尋姉は()()()()()であって、それ以上でもそれ以下でもない、どこにでも居るような姉弟である。

 

そう思っていた。

 

 

「小学校の時だったっけ、いじめを受けていた子を助けたら濡れ衣を着せられて俺が一方的に悪いって呼び出された話。覚えている?」

 

「覚えているわ。今覚えば、大和もだいぶ小学生離れしてたわよね。証拠を押さえるためにICレコーダー使うとか、それを物怖じせずに相手家族の前で流すだなんて」

 

「それを言ったら千尋姉もだろう? 俺を飛ばそうとした父親にド迫力のメンチ切ったり、かと思えば淡々とした口調で相手を絶望の淵まで追い詰めていったり……とても高校生とは思えなかったよ」

 

「あ、あれは大和を守ることに必死で……!」

 

 

覚えている。

 

俺は当然ながら、千尋姉も昔あった出来事をしっかり覚えてくれていた。歳月は経っても、駆け抜けた思い出は色褪せない。思い出の中の一部として、俺と千尋姉の中に書き記されていた。

 

 

「知ってる、だって千尋姉優しいもんな」

 

「い、今更何言ってるのよ」

 

 

そんなの当たり前じゃない、とテンプレのような台詞を呟きながら言い返してくる。

 

 

 

 

 

 

そう、いつまで経っても千尋姉の優しさは変わらない。今も十年前の夏に初めて会った時と何一つ変わっていなかった。思えばあの時からずっと、千尋姉は俺の憧れであり、かけがえのない存在だったんだと思う。

 

好きを超越した何か。一言で言い表そうにも想像できないようなこの感情。楯無やラウラはおろか、ナギにさえない千尋姉だけへの想い。

 

意を決して、俺は全ての感情を集約した一言を伝えるべく、口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───だから好きなんだよ、千尋姉の事が」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……えっ?」

 

 

意味が分からずに目を丸くしたまま、俺の方を見つめてきた。あまりにも消え入りそうな声、瞳に映る立ち居振る舞いからはどこか不安そうな感情を見て取ることが出来る。

 

俺の声を皮切りに、リビングにはしばしの静寂が訪れた。キッチンの蛇口からこぼれ落ちる水滴の音と、外で乗り響く夏の風物詩の鳴き声だけが室内に木霊する。

 

 

「何を言って……」

 

 

未だに受け入れられないのか、視線を四方八方に這わせながら、俺と目を合わせようとはしない。

 

 

「言葉通りの意味だよ」

 

「言葉通りって……大和にはナギちゃんが」

 

「あー……なんか何処かで既視感のある切り返しだな」

 

 

千尋姉の口から出てくる切り返しに既視感を覚え、思わず苦笑いが出てきた。既視感があるのは当然で、俺がナギに告白した際に彼女の口から出てきた言葉とほぼ同じ内容であり、名前を『楯無』と置き換えれば、完全に同じものになる。

 

 

「ナギは大切な俺の彼女だ、間違いはないよ。でも千尋姉の事を好きな気持ちに偽りが無いのも事実なんだ」

 

 

一件、こいつは何を言い出すのかと思われても過言ではない。これでは女性を取っ替え引っ替えしているたらしと何ら変わりなかった。ただし一つ勘違いをしてもらったら困るのは、この言葉の根底にはしっかりと意味があること。

 

 

「……」

 

「考えたんだ、あれから」

 

 

昨日の出来事の後、無い頭を使って考えた。自分自身の考えがあっているのか、間違っているのか。少し前までの自分だったら、多くの人間と付き合うなんてあり得ないと断言している。一人と付き合うことで起こりうる弊害が少ないと考えていたからだ。

 

だが楯無に続き、千尋姉までもが涙を流す現状に、俺自身が耐えられなくなりつつあった。否、耐えられなかった。

 

周囲からしてみれば、俺は軟弱な男に見えるかもしれない。現に一人の女性も選ぶことに苦労し、挙げ句の果てには付き合っている女性以外にまで想いを伝えている状況。誰がどう見ても軟弱な男でしかない。

 

一人だけを選ぶことが出来ない、男性としては致命的だろう。

 

 

もちろんナギを愛する気持ちは何一つ変わらない。彼女への気持ちとはまた別に、千尋姉にも同じくらいの想いを持っていた。

 

 

「本当に一人を選ぶことが正解なのかって」

 

 

俺の一言に千尋姉は黙り込む。

 

誰もが一度は考えるであろうことに興味を引かれたのか、逸らしていた視線を再び俺の方へと戻した。

 

 

「当然、一般世間では淘汰される考え方だとは思う。でも俺が千尋姉を好きな気持ちは変わらないし、これから先変わることもない」

 

 

考えることではあっても、実現しようとする人間はいない。少なくとも日本国内では複数の女性が一人の男性の周囲を取り囲む様子を見たことはなかった。サークル帰りの大学生や会社帰りのサラリーマンでもなら見たことはあるものの、所詮関係の踏み込んだ男女の関係ではない。

 

だからこそ改めて教えて欲しい。今まで通りの姉弟としての関係で終わるのか、それとも一つ踏み込んだ異性同士の関係になるのか。ナギもそこに関しては納得しているし、そもそも誰かが悲しむならと提案して来たのは彼女だ。俺についてくるとなったとしてもとやかく言うことはないだろう。

 

どちらにしても最終的に決断するのは千尋姉本人であり、俺が決断に対して口を挟むようなことはしない。

 

 

「もし千尋姉がこんな俺でも良いのであれば……これからもついてきて欲しい」

 

 

千尋姉がずっと俺と共に居たいというのであればそれに応えてみせる。俺たちが姉弟であった根底は変わらない。

 

 

「姉弟の()()()ではなく、一人の女性の()()()()として」

 

「あっ……」

 

 

俺の一言に、自然と視線が動かなくなる。向けられる眼差しはいつもの千尋姉ではなく、まさしく一女性としての千尋姉だった。先ほどまでソファについていた手が自然と俺の手の上に被さる。心なしか頬もほのかに紅色がさした。

 

 

「大和」

 

「うん」

 

「……もう踏み出したら戻れないわよ。母さんたちにどう説明するの?」

 

「あぁ、神流(かんな)さんにか」

 

 

元は自分から想いを伝えて来たのに、家族にどう伝えるのかを考えてなかったらしい。まぁ考えてみれば素面では言いづらいことを、アルコールの力を借りて言ってしまった以上は仕方ない。自爆覚悟で飛び込んでくるのに、わざわざ後のことを考えはしない。

 

困惑しながらも人の手を握ったまま、これからのことを考えようとする千尋姉だが、俺からすれば別に何てことはなかった。

 

自分で言うのも何だが、そもそも俺が後先考えずに想いを伝えるわけがない。

 

 

 

───霧夜神流。

 

千尋姉が就任する前の霧夜家当主になる。併せて実の母親であり、千尋姉が戦いに秀でているとするなら、彼女は知略に秀でている。聞いた話になるが、最も長く当主を努めていたらしい。

 

ここ最近、神流さんと話すことはめっきり減り、不定期的に行われる定例報告の場で会うだけだ。が、会う度に言われるのが千尋姉との関係であり、何かあった時はよろしく頼むと何度も伝えられていた。

 

故に事細かに話の道筋を立てて説明する必要はない。

 

もしも姉弟を越えた関係になるのであれば、二人で話し合って納得するのなら、こちらからは口出しをしないとも言われている。つまり完全に俺たち任せの放任状態になっている訳で、よほどのことが無ければ何が起きても介入してくることはあり得なかった。

 

当然、場に居合わせることのない千尋姉は知る由もない。だからこそ慌てたんだろうが、それは全て杞憂に終わることとなる。

 

 

「大丈夫。そこは上手く説明出来るし、多分反対しないと思う。ま、何とかなるだろ」

 

 

俺からの回答にキュッと口を結び、どう答えを返せば良いのか分からずに混乱するばかり。僅かに潤む瞳を見るからに不安なのだろう。少しでも安心させられる方法があるのか、そう考えた時に思い浮かぶ手段は一つしか思い浮かばなかった。

 

握られている手を自身の元へと手繰り寄せ、両手で千尋姉の身体を優しく抱き締める。女性特有の柔らかな感触は言わずもがな、加えて思いの外すっぽりと収まってしまったことで、こんなに小さな体躯だったのかと驚きを隠せないでいた。

 

確かに男性の俺と比べると紛れもなく俺の方が高くなるが、女性の中で見れば千尋姉も160台後半と十分に高身長だ。女性としては大柄な体格になるにも関わらず、胸に納まる千尋姉は小さく思えた。

 

 

「……るい」

 

「ん?」

 

 

ほのかに声を漏らしたような気がしたが、最後まで聞き取れずに耳を傾けると、ポカポカと胸を殴ってきた。

 

 

「ちょっ、痛えって! 人の胸を叩くなよ!」

 

「う、うるさいバカ! 大和のくせに生意気なのよ!」

 

 

どこぞの二次元キャラが呟きそうなテンプレ台詞を発しながら、駄々を捏ねる子供のように何度も何度も殴ってくる。

 

ナギのような一般の女の子が殴るのであれば大して痛みを感じることは無いものの、相手が千尋姉のせいで一発一発が非常に重たい。どれくらい重たいかというと鉛で殴られているような感じだ。華奢な体躯のどこにそんな力が眠っているのか、本来なら駄々を捏ねるか弱い女性が非常に可愛らしく映るワンシーンであるのに、千尋姉がやってしまうと全くの別物になってしまった。

 

 

「ど、どこが生意気なんだよ!」

 

「全部よ、全部! 何がこんな俺でも良いのであればこれからもついてきて欲しい、よ! 私はアンタだから好きになったの!」

 

「は……え?」

 

「好きよ、大好き! どーせ好きよ! 悪かったわね!」

 

 

最終的に俺が逆ギレされる始末。が、千尋姉の口からヤケクソ気味に出てくる本音、普段らしからぬ千尋姉の慌てふためく姿がいつも以上に可愛いと思ってしまった。

 

顔を耳まで真っ赤にし、泣きそうになりながら『好き』の単語を連発する姿に、俺の方が恥ずかしくなる。ここまで想ってくれていたのかと思うと同時に、本当に俺の姉なんだろうかと思うほど別人に見えてしまった。

 

 

「好き……」

 

 

好き放題言って多少の落ち着きを取り戻すも、未だ千尋姉は俯きながら小さな声で好きと呟く。

 

ポリポリと、照れ隠しのように頬をかきながら俺は千尋姉へと声を掛けた。

 

 

「あの、千尋姉? その……うわっ!?」

 

 

顔を上げた千尋姉の瞳には大粒の涙が貯まっていて、顔を上げたせいでポロポロと頬を伝っていく。何とか堪えよう、我慢しようと思っていたみたいだが緊張の糸がプツリと切れてしまい、顔を赤くしたまま泣き続ける。

 

 

「うぅ……グスッ」

 

 

ここで俺も油断をしていたのがいけなかった。

 

 

「へっ? ちょっ、千尋姉まっ……!」

 

 

一定の距離があったはずなのに、急に千尋姉の顔が近付いてくる。本能が反応して避けようとするも、俺は肝心なことを忘れていた。

 

俺が座っているのはソファの上であり、当然ながらリラックス出来るように柔らかい背もたれが設置されている。普段なら快眠へと誘う癒やしのツールとして重宝するが、今回は背もたれがあるせいで背後に逃げることが出来ない。加えてクッションのように沈んでしまうため、身動きそのものが取れなくなってしまった。

 

それなら、無理矢理千尋姉を押し退ければいいのではないかと考えるも、両手をロックされていて動かすことが出来ない。足を使うなんてもってのほか、仮に使おうとしたところで足の間に膝を入れられているせいで動かせない。

 

まさに両手両足の自由を封じられた俺はまさに絶体絶命。振り解こうにも見た目以上に力があるせいで力が入らない。加えて力を入れられないよう抑え込まれているために何も出来ない。

 

 

策を考えている間にも、刻々と千尋姉の顔は近付く。もうここまで来たら観念するしかない。取って食われる訳じゃない……とは言えないが、抵抗したところで結果は同じ。

 

観念して目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

───唇同士が近付き、触れ合う刹那。

 

 

「いっ────っっつ!!?」

 

 

ゴンッ! と、とても唇同士が触れ合うような音ではない音がリビングに響くと共に、おでこにも衝撃が走った。完全に気を抜いた最中の不意打ち気味の一撃に、脳震盪でも起こしたかのように頭がクラクラする。

 

想定できるところからの攻撃であれば何てことはないものの、想定外からの攻撃は防ぎようがない上に、強烈な痛みが襲う。自身が信頼を置いている人間であるなら尚更だ。

 

当然痛かったのは俺だけではなく、頭突きをした張本人もしかり。頭を押さえながら、ウルウルと瞳を潤ませて、泣きそうになるのを堪えていた。

 

 

「あの、千尋姉?」

 

「いだぃぃいいい……」

 

 

そりゃ痛いだろう。

 

先ほどまでの雰囲気はどこへやら、弱々しく萎れる姿を見ていると、何も言えなくなってしまう。そこであぁ、そういえばと悟る。

 

千尋姉は人前でお色気やら、迫ったりすることはあれど、恋愛事に関しては疎い。そもそも一緒に生活してきて彼氏が出来たことはなかったし、男女の交流に積極的に参加することも無かった。

 

見た目とフレンドリーな立ち居振る舞いから、言い寄る男性は非常に多かったらしい。告白は全て断り、合コン等の異性との交流も極力避けるようにしている。理由ははぐらかされていたが、もしかしてその時から……。

 

と、こんな(なり)をしていても、俺以上に恋愛事には鈍感であり、またいざという時にどう対応すればいいのか分からない。今の状況を見てくれれば一目瞭然のはず。

 

勢いを付けすぎておでこ同士がぶつかり合うとか、ギャグにしかならない。

 

 

「勢いをつけすぎだっつーの。頭突きでもかますつもりかよ」

 

「うぅ……ごめんなさいぃぃ」

 

「……」

 

 

しょんぼりと如実に落ち込んでしまう千尋姉の姿に思わず笑みが出てくる。そう、俺が見たかったのは暗い表情の千尋姉ではなく、こうして喜怒哀楽がハッキリとしている表情豊かな千尋姉だ。

 

紆余曲折があったとはいえ、元に戻った姿を見れて本気で嬉しい。目の前で凹んだ様子の千尋姉に、今の俺の気持ちが伝わることは無いかもしれない。それでも今ならハッキリと言える。

 

 

 

───俺は千尋姉のことが好きだ。

 

 

「千尋姉」

 

「ふぇ……え?」

 

 

顔を上げた瞬間を見計らい、千尋姉の顎に自身の手を添えると、クイッと上を向けさせた。何が何だかと事態を把握できずに、千尋姉は間の抜けた声を漏らす。

 

視界に広がる千尋姉の顔。

 

くりっとした大きな瞳に、ほんの僅かに残る涙の後。泣いた後だというのに、一切崩れない顔立ち。元々メイクをせずにすっぴんを貫く千尋姉だからこそか。

 

瑞々しく柔らかそうな唇。身体の一部に触れているだけで、伝わる温もりが俺のことを癒してくれた。

 

姉弟だなんだの、そんなものはもう気にしなくていい。

 

 

 

千尋姉は姉であると同時に、大切な俺の女性でもあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やま……んぅ!?」

 

 

いつもやられてばかりは性に合わない。

 

ニヤリと小悪魔のように微笑む俺に、声を掛けようとする千尋姉の唇に優しく蓋をする。驚き目を見開く千尋姉も、徐々に蕩けるような目をしたかと思うと、恥ずかしさから見られたくないのか目を閉じた。

 

伝わる想いが一滴の滴となり千尋姉の頬を伝う。その滴の意味を理解できるのは、世界中でただ一人、俺だけだ。

 

 

 

 

 

 

どれくらい時間が経っただろう。

 

苦しそうになって身を捩る姿を確認し、そっと唇を離す。千尋姉は酸素を欲して小刻みに肩で呼吸を繰り返した。

 

 

「大丈夫?」

 

「うん……」

 

 

唇を触りながら、ポーッと頬を赤らめる千尋姉の姿に妖艶さを感じてしまう。

 

それと同時に先ほどよりも自分の身体に体重が掛かっていることに気付く。意図的にくっつけているというよりかは、自身の身体の力が抜けてしまい、俺の身体を支えにしているといった感じに思えた。

 

 

「ごめんね、大和。その……腰が抜けちゃって……」

 

 

消え入りそうな声で恥ずかしそうに呟く。予想通り、意図的なものではないことが判明した。無理矢理起きあがらせる訳にもいかず、互いの身体が最も近い距離で触れ合っている。

 

上目遣いで見上げる千尋姉の瞳が視界に入った。小刻みに揺れる肩、口からこぼれる甘い吐息が顔にかかる。年齢を感じさせるどころか、年不相応に幼く見える振る舞い。

 

大きく見えていたはずの姉の背中は、いつの間にか小さく、護りたい対象になっていた。

 

立てないままの姉の身体を優しく抱き締める。思いの外、華奢で小さな身体はすっぽりと胸元に収まり、気持ちよさそうに顔を埋めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

姉と弟。

 

一般的な常識を覆して繋がった二人。波瀾万丈の人生を歩んできた俺たちにとって、これからも更に困難な人生が待ち受けている。

 

十年先、二十年先の人生において、どうなっているかなんて全く想像も付かない。

 

それでも今は目の前の幸せを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───そんな、一夏(ワンサマー)の出来事。



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第十三章-Gold and silver time-
戻って出会うは水色な彼女


「……一週間振りか」

 

 

エナメルバッグを片手に、うだるような暑さの中戻ってきた愛しの学び舎、IS学園。実家を第一の故郷とするのなら、ここは第二の故郷とでも形容すれば良いか。いつの間にか愛着の湧いた場所に戻ってきたことで、喜びを感じることが出来た。

 

実家に戻っていた一週間があまりにも内容の濃いものであったが故に、一週間振りに戻ってきた感じがせず、数年ほど訪れていなかったかのような懐かしさがあった。

 

 

 

さて、ここ一週間のことを振り返るとするのなら、初日を除いた六日間、一日二十四時間の大半を千尋姉と過ごしている。……というより、ずっとくっつかれたままだった。特にどこかに出掛けるわけでも無ければ、誰かが家に来るわけでもない。本当の意味でのリフレッシュ気分を味わうはずが、ベタ付かれたまま一週間が過ぎた。

 

告白の一件を経て、より一層スキンシップに拍車が掛かった千尋姉は、朝、気付かない内に布団の中に潜り込むのは当然のこと、リビングに居る時は常に人の隣に居るわ、夜は人の部屋に勝手に入り込もうとするわで、リフレッシュなど一切出来ないままに一週間が過ぎ去った。

 

事の顛末を都度ナギに電話で相談するも、返ってくる答えは乾いた笑い声と、頑張ってという一言のみ。幸い一線を越えることは無かったが、まぁここまで変わるものかと自分自身が一番驚いている。

 

良くも悪くも、今までの千尋姉は我慢していることが多かった。特に俺への想いを漏らさずにずっと我慢していたことが最たる例だろう。が、あくまで『姉弟』と呼ばれる難攻不落の壁があったからであり、それが崩れ去った今、我慢を繋ぎ止めるものが何一つない。

 

一件以来、俺と接する千尋姉からは『姉』としての感情ではなく『女性』としての感情が強くなっていた。そこも含めて今の千尋姉が本来の千尋姉なんだと思う。

 

下手に余所余所しくされるくらいなら、これくらいオープンに接してくれた方が良い。後千尋姉の口から言われたのは、また俺がIS学園に戻ってしまうから、今の内に大和成分を補給しておきたいとのこと。それならあの積極的な行動も納得が行く。

 

……人前でやられたらかなり恥ずかしいけど。

 

 

 

さ、一旦切り替えよう。

 

だらしない顔でIS学園に戻ったら締まらない。寮への入り口を開くと、階段を使って自室へと向かう。やはり夏休みということで、大半の生徒がまだ実家に帰っていて、寮内に人の気配は少ない。

 

普段なら廊下を歩けば何人かと出くわすことも多いのに、誰一人として出歩かない辺り、暑さも影響しているのかもしれない。わざわざ暑い中出歩いて汗だくになるくらいなら、部屋に篭もって大人しくしていた方が涼しいし、身体的にも精神的にも楽だ。

 

そう考える生徒も決して少なくは無い。

 

 

そうこうしている内に自室へとたどり着いた俺は、鞄の中から部屋の鍵を取り出す。一〇ニ七号室、一夏の二つ隣の部屋であり、入学当初からお世話になっている。初めは寝付けなかったベッドも、今となっては馴染んだもの。居心地の良い一つの空間と化していた。

 

早速部屋に入るべく鍵を刺す。ある程度掃除をしてから帰省をしたから、これと言ってやることはないが、何か足りないものでもあったら買いにでも行こうか。この後のプランを考えながら、鍵を回すも……。

 

 

「あれ……?」

 

 

引っかかる感じがない。

 

通常鍵を開ける時は回した瞬間につっかえに引っかかり、更に回すことでつっかえを外して開錠する仕組みになっているのだが、いくら回したところで手応えは無かった。

 

おかしい、まさか帰省する時に施錠し忘れたのか。自身のうっかりを一瞬考えるも、鍵を掛けたかどうかの二重チェックはしているし、夏期休暇の最中は定期的に管理人が帰省中の生徒の部屋を回って鍵が掛かっているかどうかを確認している。

 

故に鍵のかけ忘れはあり得ない、むしろ何故このタイミングで鍵が開いているのか。考えられる選択肢としては、第三者の誰かが鍵を勝手に開けたとしか考えられない。

 

鍵を開けることが出来る人物は、俺の知る限り一人しかいなかった。既視感のある展開に突っ込みを入れたくなるも、考えたら負けか。

 

 

あえて無視をして別の場所に足を運んだとしても、俺の部屋はここにしかない訳で。最終的にはここに戻ってくるしかない。結局を同じ結末に行きつくことを悟り、改めて気持ちの整理をすると部屋の扉を開ける。

 

と。

 

 

 

 

 

「おかえりなさい♪ お風呂にします? ご飯にします? それとも……私?」

 

 

予測可能回避不可能とでも言えばいいのか。そこには満面の笑みを浮かべたままの楯無が、何故か裸エプロン姿で立っていた。白い四肢が完全にむき出しの状態であり、楯無を覆い隠しているのは白いエプロン一枚だけ。エプロンをはぎ取ろうものなら楯無を纏うものは何も無くなる。

 

何故だろう、今までは下に水着を着ているだとか、角度的にきわどく見えているといった想像が出来ていたのに、今は全くと言っていいほど下に何も履いていないという結論しか導き出せなくなっていた。理由は楯無のある意味上位互換である千尋姉を直近で見続けていたせいか、楯無の姿と千尋姉の姿がダブって見える。

 

以前俺は楯無の告白を断っている。目の前の楯無を見る限りは引きずっているようには見えないが、内心どう思っているかヒヤヒヤものだ。

 

 

「こらっ! 何か変な事考えているでしょ!」

 

「考えてないよ。って、その服装俺以外に見られたらどーすんだ」

 

「え? 大和以外に見せるつもりは……どうかな?」

 

「見せるつもりでいるのかよ!?」

 

 

こ、この生徒会長は相変わらず掴めない。そう考えると素直な千尋姉に比べて大分タチが悪い。人たらしの天才……もとい天災とでも言い表すべきか。ワザとやっているのか、それとも天然でやっているのか偶に分からなくなる時がある。

 

そこに加えてやたら鋭い。読心術でも拾得しているのか、表情に出していないにも関わらず反応出来るほどの察しの良さはどこで培われたのか教えて欲しい。

 

 

「ところで、わたしにします? わたしにします? それともわ・た・し?」

 

「へ……って! 選択肢がない!」

 

「あはっ♪」

 

 

もはや選択肢が一つしかない。一つあるじゃないと、ケラケラと笑う楯無だが、それは選択肢とは言わない。どの選択肢を選んでも最終的に行き着く結末は同じとかどんな鬼畜な質問だよ。

 

これはからかっている時の楯無か。ウィンクをしながら手をひらひらとさせる辺り、余裕のあるいつも通りの楯無であることには間違いない。人をからかい、場をひっかき回して楽しむ事に関しては天才的で、右に出るものは誰一人として居ない。

 

とはいっても楯無の存在を知っているのは身近なところだと俺とナギくらいで、他の同学年の生徒たちは知らないんじゃいだろうか。朝礼や行事にもあまり表立って顔を出すことは無かったし、クラスメートに聞いても分からないと答える人の方が多いかもしれない。

 

対面して話してみるとこれほどまでにインパクトがあって、存在感のある生徒は居ないと思うけど。

 

 

「にしても意外だなー、大和の事だから鼻の下のばして赤面すると思ったのに。もしかして誰かさんとお楽しみで慣れ「そこまでにしようか、生徒会長?」……ちょっ! 冗談よ! だからそのハリセンを仕舞いなさい!」

 

 

流石においたが過ぎるので、多少語気を強めながら隠し持っていたハリセンを出したら大人しくなりました、まる。出会ってからここまでまともな挨拶も出来ないままに楯無のペースに合わせてしまった。

 

逆に自分のペースに引き込んでしまうあたり、彼女らしいのかもしれない。ただこのまま付き合っていたら最終的に収拾がつかなくなる。一旦咳払いをして仕切り直すと、再度楯無に挨拶を返した。

 

 

「ただいま楯無。こうして話すのは久しぶりだな」

 

「えぇ、お帰りなさい。本当は大和が怪我をしたタイミングですぐにでも会いに行きたかったんだけど、こちらも色々と仕事に追われててね。もう怪我は大丈夫なの?」

 

「ん、あぁ。おかげさまでバッチリ治ってるよ。もしかして心配してくれたのか?」

 

「当たり前じゃない。大和が落とされたって聞いたときは、気が気じゃなかったわ」

 

 

相変わらずエプロン姿のまま、楯無はベッドに腰掛けた。俺は手に持っている荷物を机の横に置き、備え付けの椅子の背もたれ側を正面にして腰掛ける。

 

未だに鮮明に残るワンシーン。

 

俺から左眼を奪ったあの一件は決して忘れられるようなものでは無かった。当然それほどの出来事なのだから生徒会長である楯無の耳に入らないはずがない。生徒が二人も怪我をしたのだから心配にもなる。

 

 

「そうか、ありがとうな楯無」

 

「……本当よ。心配掛けさせないで」

 

 

目元が潤み感情的になる。

 

生徒会長としてではなく、更識楯無としての一言が胸に刺さる。この状況ではとても、ラウラの助けを無視して単身突っ込みましたとは口が裂けても言えなかった。

 

まだまだ俺は弱く、人を守れるだけの力はない。過信、慢心だけではなく、純粋に俺のIS操縦能力が水準に至ってないからこそ、格上の相手には出し抜かれてしまう。出し抜かれるという事は、まだ自身が未熟である何よりの証明になっていた。

 

もっと強くなりたい。

 

強くなるためにはどうするかを常に模索していた。

 

 

「楯無」

 

「? 何かしら?」

 

「またISの操縦を教えて欲しい」

 

「ええ、喜んで。とは言っても、今の大和に私が教える事なんてあまりないんだけどね」

 

「それなら足りないところだけでも教えて欲しい。専用機を貰っても、力を出せなければ意味がない」

 

 

大きな力は制御出来なければ自分が取り込まれる。取り込まれるということは、自身の身体が崩壊することを意味する。臨海学校での一件でリミット・ブレイクを使用した後、いくら病み上がりとはいえ副作用の負荷に押し潰されそうになった。偶々鈴とシャルロットが来てくれたことで事なきを得たが、もし支えが無ければあのまま痛みに身体を蝕まれていたかもしれない。

 

上げたギアは第一段階のみ。

 

残り三段階のギアがあることを考えると、このままではとても使いこなす事など出来ない。身体的な強さだけではなく、精神的な強さも欲しい。今の俺に足りないのはIS戦闘における総合的な実戦経験全て。

 

ここに留まる以上、改善できるところは早めに潰していく。生身で戦うのも限度があるし、仮に千冬さんに近いレベルの操縦者ともなれば、生身での戦闘は自殺行為になりかねない。

 

この学園に楯無を越える上位互換と言えば千冬さんくらいであり、こと生徒の中では楯無が圧倒的な実力を誇っていた。

 

俺からすればこれほど生きた教材は無い。戦闘スタイルが違うにしても、楯無から学べる部分は多々あるはず。俺のISは他の機体に比べてかなり癖のある機体であるが故に、一般的な常識は通用しないが、根本の動かし方や立ち回り、駆け引きに関しては従来のものと変わらない。

 

 

「そう。ただあまり無茶はしないでね。身体を壊したら元も子もないんだから」

 

「分かってる。そこは上手く付き合っていくさ」

 

 

身体が資本なのは職業柄、重々承知している。が、俺の反応に対しての楯無の反応はいささか冷ややかなものだった。

 

 

「……」

 

「な、何だよその目は?」

 

 

いまいち信憑性がないと、ジト目で俺を見つめてくる楯無。一体俺のどこに信憑性がないとでも……無かったわ、どこにもなかったわ。これまでの自分自身の戦い方を振り返ると、無茶苦茶なことばかりやっている。

 

無人機相手に生身で戦ったり、ラウラのシュヴァルツェア・レーゲンのプラズマ手刀を近接ブレードで受け止めたり、挙げ句の果てに副作用も考えずにリミット・ブレイクを発動させたりと……自分でも如何に馬鹿げた無茶をやってきたのかよく分かる。

 

自分のまいた種とはいえ、苦笑いしか出てこなかった。

 

 

「大和が無茶しないって言ったところで信じられないわ」

 

「……おっしゃる通りで」

 

 

やべぇ、何も言い返せない。

 

無茶したことに関して、俺は何一つ言い返す要素がないのに今更気付いている辺り、もはや末路なんだろう。そんな俺の返しにジト目をして睨んでいた楯無がケラケラと笑い始めた。

 

 

「ホント、大和って不器用よね。普段は誰よりも頼れるのに、自分のことになると急に適当になるんだから」

 

「う……」

 

「まぁでも、それが大和らしいのかな。私もそんな大和の事が好きになったんだし」

 

 

恥ずかしげもなく俺への好意を明らかにする楯無。俺射抜く視線に迷いは無いようだった。だが、俺もホイホイも了承をする訳にはいかない。楯無の事を好意的に見ているのは間違いないが、あくまでそれは友達としてであり、一人の女性として好いているかと言われれば、ハッキリとノーと言い切れる。

 

それは既に楯無が一番分かっているはず。それでも俺へ諦めずにアプローチに来ているのだから、心が強くなければそうはなれない。

 

 

「いつか必ず、自力で振り向かせてみせるんだから!」

 

 

きっぱりと宣言をする口調は強く真っ直ぐなものだった。楯無がそのつもりなら、俺も彼女のアプローチを断る義理はない。本気で俺の心を奪いたいのであれば、自分の力で奪って見せろ。

 

そう得意げにニヤリと笑ってみせた。

 

 

「それは、期待していて良いってことなのか?」

 

「当たり前じゃない! 恋は戦争! 多少の紆余曲折が無かったら面白く無いわ!」

 

 

常に前を向こうとする楯無を見ていると、自然と俺まで前向きな気持ちになる。

 

……あれ、これって俺が楯無に引き寄せられている事になるのか。

 

 

「……ははっ!」

 

「な、何で笑ってるのよ!」

 

「いや、笑うつもりは無かったんだ。楯無らしいって思ったらつい……!」

 

「もう! 大和なんか知らない!」

 

 

照れながらプイと顔を背けてしまう。

 

とうやら楯無に関する心配は杞憂だったらしい。千尋姉にしても楯無にしても、暗い表情は似合わない。ナギからの話だけでの判断だったために、どんな状態か不安でたまらなかったが、大丈夫である事がようやく分かり、ほっと胸を撫で下ろした。

 

 

「悪かったって、からかうつもりは無かったんだ」

 

「つーん……」

 

 

私、拗ねてます! を猛烈にアピールするために言葉で言い表すのを初めて見た。そっぽを向く楯無の機嫌を直そうとするが、これまた中々戻ってくれない。

 

参ったな……てっきり他にも用があったんじゃないかと思ったのに、これでは話が先に進まない。

 

 

「むー……もう、本題を忘れちゃうところだったわ」

 

「あぁ、やっぱり本題があったのか」

 

「やっぱり……ってことは察していたの?」

 

「少しな。正直自信は無かったけど、目的も無く人の部屋に来ることはあまりないだろう? まぁ、その前にだ」

 

 

楯無が人の部屋に来る時は、大抵何かしらある時が多い。本当に暇つぶしで来る事もあるが、楯無が来るイコール何かあると身構えてしまうもの。

 

最初の裸エプロンには度肝を抜かれてしまったが、やっぱり話しにくい内容ともなれば、過剰な前振りは必要なのかもしれない。

 

さて、何の話だろうか。内容が気になるところだがその前に……。

 

 

「楯無、とりあえず服着替えてこい」

 

「へ?」

 

 

俺は黙って洗面所への扉を指さすと、楯無に服を着るように促すのだった。



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銀色の幻影

「むぅ……お兄ちゃんは帰ってきたというのに、私に構ってくれない!」

 

「あははっ、そんなこと無いと思うけど。大和はラウラのことを大切に思っているはずだよ?」

 

「そ、それは分かる! 何たって私たちは兄妹なのだからな!」

 

 

八月某日。

 

IS学園の食堂にて食事をとっているラウラとシャルロットがいた。

 

ラウラのメニューは朝から厚切りのステーキにマカロニサラダといったヘビーなもの。ランチタイムやディナータイムなら分かるも、朝からステーキを食べることは早々無い。

 

また着ている服は軍服と、多くの生徒が私服を着ている食堂の中では一際目立っていた。シャルロットは流石と言うのか、白のインナーにオレンジ色の襟立シャツ、薄い青のショートパンツと、見事に着こなしている。

 

 

むくれ面をしながら、目の前にある料理をハイペースで口の中へと運んでいく。ラウラが若干不機嫌になっているのは、彼女なりの理由があった。

 

 

 

 

昨日兄と慕う大和が戻ってきた。

 

知らせを聞いたラウラは当然喜び、我先にと彼の部屋へと駆けつける。一週間前にまた寮に戻ったらとお預けを食らっている故に、ラウラの中では大和に少しでも構って貰おうという気持ちで一杯だった。

 

が、問題はそこからだ。

 

寮には戻ってきているのに、少し忙しいからとの理由で部屋を追い出されてしまった。もちろん多少なりとも二人の間で会話を交わしてはいるが、時間としてはごく僅かなもの。当然ラウラとしては満足行くはずが無い。ワガママを言えば大和に迷惑を掛けてしまうことが分かっていたため、その場は渋々了承して部屋に戻ったが、よくよく考えれば大和はしきりに室内の様子を気にしていて、ラウラを部屋の中に招き入れようとはしなかった。

 

一週間振りとはいえ、寮に戻ってきたら身の回りの生活用品を揃えたり、掃除をしたりとやることが多いのは分かっている。場合によっては埃っぽくなっているから、部屋に入れたくないと思うこともあるかもしれない。

 

ただあの時の大和の仕草は部屋を掃除したり、何か別の作業をしたりする素振りは無かった。とどのつまり部屋の中に、見られたくない物があった、または見られたくない人物が来ていたことが容易に想像出来る。

 

 

「だ、だがお兄ちゃんが浮気をしているかもしれないのだ!」

 

「大和が? そうは思わないんだけど……」

 

 

シャルロットはあくまで冷静に、第三者の視点から思ったままのことを伝えるも、ラウラからすれば気が気ではない。自分の知らないところで大和が知らない女性と交流している。自分が知っている人間であればまだしも、知らない人間と一緒にいることが納得行かなかった。そのせいで自分との時間が減っているともなれば、由々しき事態である。

 

迷惑を掛けることは避けたいが、共にいる時間も減らしたく無い。彼女からしてみれば何とも言えない悩みだ。

 

大和もラウラの事を本当の妹のように接して居るために、二人の中は睦まじいものがある。今はしっかりと時間を取ってくれているが、もしかしたら今後減るかしれない。

 

少なくとも大和が接している女性がどんな素性か知りたい。

 

ネタバレをするなら楯無が対象の女性になるのだが、普段は話したこともなければ、顔を合わせたこともない。加えてラウラが編入してから表舞台に立つことも無いのだから、知らないのも無理はなかった。

 

とにかく、このままではモヤモヤすると考えたラウラは立ち上がって、ある企画を話し始めた。

 

 

「故に近辺調査が必要だと考えた!」

 

「えぇ! そこまでやるの!?」

 

 

思いもよらないラウラの一言に、思わず手に持っていたバゲットを落としそうになる。まさかそこまでラウラが考えているとはシャルロットも思っておらず、唐突な提案に驚きを隠せなかった。

 

もし真生のたらしであればシャルロットも賛成していたかもしれないが、彼女も大和の性格を多少なりとも知っているために、他の女性にしっぽを振ってついて行く姿は想像出来ないでいる。

 

むしろ大和の近辺調査をしたところで、出し抜かれて何一つ成果を上げられないのではないか、先の未来が容易に想像出来た。

 

 

「当然だ、兄を守るのも妹の勤め。ならば私がお兄ちゃんをよそ者から守るだけ!」

 

「ちょ、ちょっとラウラ! それなんか少し違うような気がするんだけど!」

 

 

大和を守ることに俄然やる気を出すラウラだが、根本的な解釈を間違っていることに気付いていない。誰から教えられたのかと、シャルロットは止めようとするが、いきなり植え付けられた常識を上書きするのも無理がある。

 

ただこうなってしまうと大和以外にラウラを止める術は無いし、かといって大和にラウラの現状を伝えるのも気が引ける。そもそも一体誰が変な常識ラウラに教えているのか、シャルロットとしても気になるところではあった。

 

もちろん大概は所属している部隊の副官に教えて貰った事が原因ではあるが、ラウラは疑うどころか全く気付いていない。教えられたことは正しいに違いないと思ってしまうため、偶に周囲とズレた認識を持ってしまう。ただ元々一般常識に疎い部分があるからこそ、ゆったりと確実に軌道修正していく必要があった。

 

大和もちょくちょくラウラに正しい情報を教えながら軌道修正はしているものの、中々時間は掛かりそうだ。

 

落ち着いたところで、今度はシャルロットがラウラに向けて尋ねる。

 

 

「あ、そうだラウラ! この後時間ある?」

 

「む? 特に予定は無いが……」

 

「じゃあ折角の夏休みなんだし、洋服でも買いにいこうよ!」

 

「洋服? それならちゃんと今着ているだろう」

 

「いや、それ軍服だよラウラ」

 

 

私服なら間に合っていると言うラウラだが、誰がどう見たところで間に合っているようには思えない。

 

決して似合っていない訳ではない、むしろ似合いすぎていると言えばそれまでだ。が、私服として着用するには多少の無理があった。

 

 

「ね? 夏休みも無限にある訳じゃないし、たまにはいいでしょ?」

 

「あ、あぁ。シャルロットがそうまで言うのなら……」

 

 

最終的にはシャルロットに言いくるめられ、洋服を買いに行く同意をするラウラ。

 

部屋に戻った後着替えを行い、二人で寮の外へと出るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふん、どうだシャルロット。外出用に着替えたぞ!」

 

「あはは、結局制服なんだね」

 

 

電車を降車後、胸を張ってドヤるラウラに、シャルロットは苦笑いを浮かべる。ラウラが着てきたのは以前着ていたワンピースとかではなく、学校指定の制服だった。軍服と比べれば幾分マシにはなっているものの、中々プライベートの外出で着るような服ではない。

 

ただラウラのような美少女が着れば普通の制服もファッションとなる。今の彼女を白い目で見ている人間は誰一人とて居ない。むしろ格好良く着こなしていて羨ましいと思っているはずだ。

 

さて、二人……主にシャルロットの今日の目的は秋物と冬物の先取りと、今の季節の着回し用の私服だった。服は何着あっても損はしない。自身の変化に気付いてもらう意味でも、普段着は大切な意味を持っていた。

 

 

(ただでさえ鈍感なんだから、少しくらい変化をつけて一夏の視線を向けなきゃね……!)

 

 

女性の恋心に関しては唐変木・オブ・唐変木ズと言われるほど超鈍感な一夏だが、意外にも髪型や服装といった変化には敏感であり、少し変えただけのセットや、服の色合いには誰よりも早く気付くことも多い。

 

のだが、いつとその後が続かなかった。女性がときめくような仕草をするのに、肝心の一夏が女性の恋愛感情に全く気付かない。

 

手を握って欲しいと言えば、はぐれたら大変だからという理由で片付けたり、遊んだ帰りに付き合って欲しいと言えば、すんなりとオッケーする。が、告白に対して了承をしたのではなく、また遊びに付き合うと解釈をしたり。

 

今まで一夏に泣かされた女性は数知れず。

 

 

 

少しでもリード出来ればと意気込みながら、早速目的の場所へ向かおうとするシャルロットの視線の先に、見覚えのある姿が飛び込んできた。

 

大体自分の立ち位置から数十メートルほど離れているだろうか、人混みに紛れて映る整った顔立ちの男性。

 

 

「あれって……大和?」

 

 

思わずその名前を呟く。

 

自信がないのは大和のように見えて大和ではないことが分かっていたから。決して存在感のない顔ではなく、多少遠くても大和の顔は判別できる。

 

ただここ最近の大和は臨海学校で追った左目の怪我を隠すために、ラウラから譲り受けた眼帯をしているが、今さっき通り過ぎた人物にはそれがなかったこと。更に髪の色がかなり特徴的な銀髪だったこと、さすがに夏期休暇だからと髪を染めるとは考えにくい。

 

彼の口から髪を染めたいなんて聞いたこともないから、単純によく似た人物を見間違えただけだろう。視界に入ったのもほんの一瞬であり、後を追おうにも直ぐに視界の外に消えてしまったことで、どこへ行ったのか分からない。加えて髪の色、眼帯を着用していない要素から大和である可能性は限りなく低いと見る。

 

生きていれば知り合いと似ている人間を一人くらい見ることはある。今回もそれだろうと、シャルロットは特に気にとめることもなく、すぐに忘れることにした。

 

 

 

 

 

「む? シャルロット、どうしたのだ?」

 

「あ、ごめんねラウラ。ちょっとボーッとしてて」

 

 

全然違う場所を見ていた姿を不思議に思ったラウラが、何気なく声を掛けてくる。下手に大和のことを話してしまうと、ラウラの性格上、追いかけようと言い出すのが目に見えている。

 

あくまで別の場所を見ていただけだと、シャルロットも伝えた。

 

 

「それにしても凄い人集りだな。少しでも気を抜くとすぐにはぐれそうだ」

 

「そうだね。やっぱりみんな考えることは同じなのかな」

 

 

社会人を除いて、学生はほとんどが夏休みに入っていることだろう。道を歩く人の中にも数多くの学生が散見された。一人で歩いている人もいれば、仲間たちと楽しむ人、はたまた自分の大切な人と見回る人と、分類は様々。

 

その中を歩く二人だが、日本人が多くを占める場所において、二人の姿は相当目立っていた。

 

 

「え、凄い! 何処かのモデルさん?」

 

「わー綺麗! お人形さんみたい!」

 

「あれって確かIS学園の制服よね? ってことはまさか二人とも生徒なのかな?」

 

 

道行く二人を周囲の人間は、思ったことを口にする。

 

二人は全くの無自覚だが、贔屓目に見たとしても二人の醸し出す雰囲気、美少女っぷりは一線を画するものがあった。純粋なプラチナにブロンド、髪を染めようと思って手に入るような色合いではなく、女性からすればのどから手が出るほど羨ましく見える。

 

またラウラがIS学園の制服を着ていることで、二人が到底届かない場所にいる孤高の存在であるイメージが、より二人の魅力を倍増させていた。

 

女性からは羨望や嫉妬の入り交じった視線を向けられる反面、男性に関してはそのほとんどが鼻の下を伸ばしていたことを忘れてはならない。

 

 

「うぅ、何か恥ずかしい……」

 

 

周囲からの視線に恥ずかしくなってしまったようで、シャルロットの斜め後ろに隠れて、裾をギュッと握りしめる。命を懸けたやり取りには精通していても、羨望の視線で見られることは慣れて居ない。かつて一夏や大和がIS学園に入学当初、女子生徒たちの視線に四苦八苦していたように、ラウラもまた人から注目されることにどう対応すればいいのか分からなかった。

 

小さな子供のように隠れるラウラを見て、周囲の女性はおろか、男性からも歓声が沸き起こる。

 

 

「あ、あの子めっちゃ妹に欲しいっ!」

 

「う、うおおお! 神様はまだ俺を見捨てていなかった!!」

 

「ハァハァ……妹系キャラhshs」

 

 

ラウラのことを純粋に可愛いと思っている男性もいれば、片や呼吸が激しいままに食い入るようにじっくりと見つめる人間も一部ながらに見受けられる。当然ながらラウラが妹のような仕草をするのはシャルロットや、兄と慕う大和の前だけであり、普通の男性の前では、ドイツの冷水と呼ばれるほどの冷酷な性格を持った姿に変わる。もちろん以前に比べれば幾分トゲは抜けているだろうが、一般世間からはこんな小さな女の子がとギャップを感じることだろう。

 

が、逆にそこに対して魅力や幸福感を感じてしまう男性はいるかもしれない。それもラウラの魅力といったところか。

 

人前での立ち居振る舞いに慣れず、まるで人見知りの幼児のようにオドオドと緊張しながらシャルロットの後をついていく。ラウラの様子を後ろ向きざまに見てクスリとシャルロットは笑った。笑うシャルロットに対して何で笑うのかと突っかかっていくも、凄みが無い状態で突っかかられても何一つ怖さは無い。

 

 

「な、なにが可笑しい!」

 

「ううん、別に? ラウラは可愛いなぁって思ってさ」

 

「か、かわっ!? ふ、ふん! また世辞を……」

 

 

お世辞ではなく本気で言っているのだが、これ以上からかいすぎるとラウラの頭がパンクしてしまうかもしれない。

 

照れるラウラの手を引き、姉が妹をフォローするかのように目的地へと歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「プラチナにブロンド……!」

 

 

夏休み。

 

一般的に、七月の下旬から八月一杯にかけて与えられる長期休暇のことを指す。

 

とはいえ、それは主に学生や一部の社会人のみに与えられるものであって、通常のサービス業、接客業においては何の効力も持たない期間になる。

 

国民の休日や、長期休暇期間など関係なく働く彼ら、彼女たちの脳内に『夏休み』の三文字はなく、『お盆休み』の単語も存在しない。あくまで『シフト制』と呼ばれる会社管理のシフトで働いているサラリーマンにとって、夏休みなど知らない単語だった。

 

とはいえ休暇期間中には多くの客が来店し、それだけ多くのお金も動く。アパレル業界は、夏のお盆期間から九月の上旬に掛けては書き入れ時とも言われている。セールやバーゲンを行い、徹底的に在庫を処分して商品を入れ替える。

 

また一般客も値下がりを狙って購入しようとするため、必然的に来客は多くなる。中には当然夏休みを満喫する学生も数多く含まれていた。

 

ただあくまで店の利益が上がる期間にしか過ぎず、働く社会人にとっては自分の生活や、数少ない休日に使うお金のために働いているようなもの。まさか来店した客の中に是非接客させてくださいと思わせる客が来るとは頭の片隅にも思っていなかったはず。

 

 

 

いつも通りの接客用語を放つ店員の顔色が変わる。

 

来店したのは天然の金色の髪を持ち、中性的とも言える整った顔立ちのシャルロットと、凛としつつも、どこか可愛げのある雰囲気を持ち、シャルロットとは真逆の天然の銀髪を持つラウラだった。

 

二人の登場に店員だけではなく、店内の雰囲気がガラリと変わる。服を選びながらも顔だけは自然と二人を見てしまっていた。海外向けの店ではなく、日本向けの店であり、店内に居る客のほとんどは日本人であり、外国籍は皆無。

 

そんな中現れた二人組、それも滅多にお目に掛かることが出来ない、一線を画した美貌を持っていた。店舗の中央入り口付近に立っていた女性店員が真っ先に二人へと歩み寄り、声を掛ける。

 

 

「い、いらっしゃいませ。よろしければ新作の試着をしてみませんか?」

 

 

二人の無意識に発するオーラに思わず声が上擦った。それでも近くのマネキンを指さしながら、今はやりのファッションを掻い摘まんで、二人に説明していく。店員の説明に頷くシャルロットに対し、何が流行なのか、どうしてこの着こなしが良いのかが全く分からず、ただひたすら首を傾げるラウラと、反応は両極端だった。

 

 

「へぇ、こーいう重ね着が今シーズンの流行りなんですね」

 

 

マネキンに着せられたコーディネートを見ながら、感心したかのように言葉を返す。シャルロットも十分なくらいお洒落なのだが、第三者の意見からは学ぶことが多いと配色や組み合わせを観察していた。

 

また組み合わせは一例であり、体型や髪色に合わせて本人に適切なものを選ぶ必要がある。白黒の組み合わせだけでは、まるでパンダのような見栄えになってしまうし、仮にストライプが入っていれば横断歩道のようになる。

 

白と黒といったハッキリとした色合いは目立つが故に、アクセントになりやすい。重ねて着るのではなく、分けて着た方が色の良さを出しやすくなる。もちろんそれは一例であって、黒一色や白黒の組み合わせが似合う人もいる。

 

それこそ個性というものだろう。

 

元々シャルロットとラウラの二人には、ブロンドとプラチナといった特徴的な髪色がある。故に薄い色合いでも十分引き立たせることが出来た。今日シャルロットが着ている服の組み合わせはまさしくそれを証明している。

 

 

「ラウラ、折角だし着てみようよ!」

 

「えっ、うーん……白か」

 

 

突然話題を振られるも、自身のイメージと違い、ラウラはうーんと考え込む。

 

そもそも普段着ている制服が白であり、私服まで白なのはどうなのかと思っているようだ。またラウラが普段着る私服や水着は暗めを選ぶ傾向が強く、白といった明るい色を着ている自分の姿が想像出来なかった。

 

 

「悪くはないが、私に合う色とは思えないぞ?」

 

 

そう返すラウラだが、既にシャルロットの手には上着とスキニーが握られており、試着させる気満々だった。二人の雰囲気にただならぬ予感を感じたラウラだが時既に遅し。

 

 

「じゃ、早速着てみようラウラ」

 

 

着てみなければ似合うかどうか分からないじゃないと、ラウラに服を差し出すシャルロット。隣にいる女性店員も満面の笑みを浮かべながら、ノリノリで新作の服を持っている。

 

端から見れば、まるで妖精のような美貌を持つラウラだ。色々な服を着て貰いたいと思っても何ら不思議ではない。

 

 

「あ、い、いや。着るのはめんど」

 

「面倒くさいは……ナシで」

 

 

断ろうとした瞬間に、形容しがたいオーラに気圧されてしまう。決して怒っている訳ではないのに、どことなく混ざる黒いオーラと、いつもと変わらない口調が変に怖く感じられた。

 

結局、何点か新作を見繕ったシャルロットから服を手渡され、渋々試着室へと足を運ぶことになったラウラ。頬をリスのように膨らませてぶーたれながらも、折角選んでくれたのだから一応着てみようと上着を脱いだ。

 

脱いだ上着とズボンをハンガーに掛け、試着室に備え付けられたら大きな鏡に映った自分を見ながら物思いにふける。

 

 

(正直、こういうのはよく分からない。同じ年齢の皆は何を着ているのか、どうしてそれを選んでいるのか……)

 

 

何故普段着のファッションに皆はこだわるのか、ラウラにはよく分からなかった。人前にだらしない服を着て出たくない思いがあるのは分かる。

 

ただそこまでして服に対してこだわりを持つ理由は何なのか。

 

今までは私用で外に出歩くことは無かった。出歩いたとしても軍支給の軍服であり、そもそも私服を着ることがなかった。

 

 

(だが、この前皆やお兄ちゃんは私の水着やワンピースを見て可愛いと言ってくれた)

 

 

自分には必要無かったハズのものを褒めてくれた人がいる。

 

自分が可愛いと言ってくれる人が現れるなんて思ってもおらず、かつて険悪だったドイツの副官からも『隊長はいつの間にか雰囲気も丸くなって、年齢不相応な可愛さが出て来ました』と言われ、動揺を隠せなかった。

 

大和が一夏の家に行くと決まった時も、初めはIS学園の制服でついて行くつもりだったが、ナギが折角外に出掛けるならと私服を見繕ってくれた。

 

そして口々に言われる『可愛い』の単語。紙に書くだけならただの文字なのに、言葉で言われると不思議な感じになる。

 

───嬉しい。

 

 

これが嬉しいという感覚なのか。言われたことが無い手前、一度も意識したことが無かったのに、いざ言われると心が自然と温まる。

 

 

『正直ビックリした、十分すぎるくらい可愛いじゃん』

 

 

臨海学校で大和に投げかけられた言葉を思い出すと、瞬間的に顔の表面の温度が上がっていくのが分かる。きっと優しい大和のことだ、仮に雰囲気とは違うチョイスをしたとしても、当たり障りの無い言葉を選んでくるに違いない。

 

だが嘘を付くことはない。

 

あくまで相手にとって良い部分しか大和は言わない。似合っていなかったとしても、きっと良い部分を見つけて口に出すはず。

 

 

(わ、私は可愛いのか?)

 

 

最終的に自身が周囲にどう映って見えるのかを気にし始めた。散々周囲に可愛いと言われたところで、イマイチ実感は湧かない。大和にしてもナギにしてもシャルロットしても、嘘を言っているようには見えなかった。

 

どこかへ出掛けるにあたって制服姿だったとしても、皆は何も言わない。それでも褒めてくれる人が居るのであれば、少しでもちゃんとした服を選んだ方が良いはず。

 

様々な思いから、結局どうすれば良いのか分からずに着替える手を止めてしまった。

 

やがてそろそろ着替え終わっただろうと、試着室の前から離れていたシャルロットが戻り、中に居るラウラに向かって声を掛けてくる。

 

 

「どうかなラウラ、そろそろ着替え終わった?」

 

「───ッ!?」

 

 

シャルロットの声にピクリと反応するラウラだが、今の自分は制服を脱いだだけのワイシャツ姿のまま。悩んでいる間に結構な時間が経っていたようで、結局何も試着出来なかった。

 

何も反応しないわけにも行かず、カーテンの真ん中を持ち、顔だけを覗かせる。

 

外にいるシャルロットは既にラウラは着替えていると思っていたらしく、未だワイシャツ一枚で試着室に立つラウラに驚きを隠せないでいた。

 

 

「あ、あれ? どうしたのラウラ。もしかしてこの組み合わせは嫌だった?」

 

 

自身のチョイスが良くなかったのかと、不安そうな表情を浮かべるシャルロット。似合うかどうかは着てから考えれば良いと、多少なりとも強引にラウラを試着室まで連れて行ってしまったことに罪悪感があった。ラウラが本当に着たい服を選んで上げれば良かったと反省するシャルロットに対して、そうではないとラウラは首を振る。

 

 

「そ、そうではない。そうではないのだが……」

 

「?」

 

 

カーテンを握りしめる手で口元を覆い、赤くなる顔を隠しながら、言いづらそうに口ごもる。ラウラの意図が察せずに苦笑いを浮かべながら首を傾げるシャルロットは、先ほどと似たような路線で選んできた服を一旦返しに行こうとするも、恥ずかしそうにモジモジとする姿を見て足を止めた。

 

もしかして何か言いたいことがあるのかと。

 

シャルロットがチョイスした服でも十分にラウラは着こなすだろう。それに彼女が選んだ服であれば、決して外れることはない。

 

それ以上に、自身が着てみたい服があった。ただそれを言ったら、もし似合わないと思われた時にどう対応すれば良いのか分からず、途中まで出掛かっている単語が言い出せない。うーと唸りながらも、意を決して自身の要望をシャルロットに伝える。

 

 

「その……もう少し、可愛いのがいい」

 

「……あっ! うん、任せて!」

 

 

初めてのラウラの要望に一瞬ポカンと惚けてしまうも、直ぐに笑顔を浮かべてシャルロットは売場へと戻る。ラウラがそうありたいのであれば否定などするハズもない、少しでも良い服を選んで、ラウラをより可愛くしてみせる。

 

売場に掛けていくシャルロットは、一人そう意気込むのだった。

 

 

尚、ラウラの仕草に何人かの同姓が、鼻血を吹き出しそうになるのを堪えていたのはまた別の話になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラウラ、これでいいの?」

 

「あぁ、これにする」

 

 

いくつかの服を着て、最終的にラウラが選んだのは紺色のワンピースだった。以前とは少し違い、肩に掛けるだけのラフなもので、両腕を覆う生地は何一つない。また単色ではなく、胸元には白い生地がアクセントになり、よりラウラの可愛らしさを引き出している。

 

身長の高い女性が着れば高貴な大人びた着こなしになるが、ラウラが着るとあどけなさが残る代わりに、小柄な体躯から本物の妖精ではないかと思うほどの神秘的な雰囲気を醸し出す服装になる。

 

値の張る買い物にはなったが、これくらいの出費は彼女たちにとって決して痛くはない。シャルロットは買ったのだから着て帰れば良いのにと伝えるも、ラウラが初めて御披露目するのはお兄ちゃんの前が良いとのことで、買った服はしわの付かないように折り畳み、IS学園に宅配して貰うことになった。

 

退店の際、また来てくださいと接客の店員に名刺を渡され店を後にする二人だったが、あり得ないくらいに満面の笑顔だったのは何故だろうと、二人仲良く疑問に思うばかりだった。

 

 

「ラウラ、この後どうする? 丁度お昼の時間なんだけど」

 

「ふむ、そうだな。どこか近くで昼食でも取るか」

 

 

良い買い物が出来たと満足そうに腕を組むラウラは、今日買った服を見せたら、大和がどんな反応をするのか楽しみで仕方がないようだ。それこそ誰もいなければスキップをしながら、どこまででも掛けて行きそうなくらいに。

 

今日の昼は何にしようか。

 

休みに遠出をしたのだから、少しくらい贅沢しても良いかもしれない。朝はステーキを食べたから肉類は除くとして、やはりシャルロットに合わせるならフレンチ系か。

 

それともここは日本なのだから、日本食を食べるべきかもしれない。どれを食べようかとルンルン気分で歩くラウラ。テンションが上がるラウラを後ろから微笑ましい様子でシャルロットが見つめていた。

 

今日も平和な一日だ。

 

突き当たりの交差点を右に曲がればレストラン街がある。そこでめぼしい店があったら入るとしよう、あまり歩くにもこの炎天下だ、直ぐにバテてしまう。

 

 

 

 

 

何気なく歩くラウラだが、交差点を曲がろうとした際に、ふと反対側の歩道に目を向けた瞬間、ラウラの顔色が変わる。

 

丁度赤信号である横断歩道の先に、見覚えのある人物の姿が視界に入った。

 

見覚えがあるどころではない、今の自分自身にとって最も大切な存在である人物がそこにはいる。声を掛けようにも反対側の歩道であるために、気付くかどうかは分からない。反対側に渡るにも距離がありすぎる上に、人があまりにも多い。

 

だが、ラウラは反射的にその人物のことを呼んでいた。

 

 

「お兄ちゃん!」

 

「え、大和?」

 

 

自身の大切な兄を見間違うハズがない。確信を持ってその名前を呼ぶ。ラウラの呼びかけに背後のシャルロットも気付き、対象の人物である大和の名前を口にした。

 

だが人の流れはあまりにも無情であり、大和の姿は人混みに紛れて消える。追いかけようにも信号が灯す色は赤。交通量の多い繁華街において、赤信号を渡るのは自殺行為にしかならない。かといって赤信号が青に切り替わるのを待っていたら、完全に見失うことになる。

 

初めの内は追いかけようとするラウラだったが、やがて追いかけることがかなわないと悟ると、足を止めて再びシャルロットの方へと向き直った。

 

 

「すまない、見失った」

 

「ううん、それは大丈夫。それよりラウラ、今大和を見たって……」

 

「あぁ。あれは間違いなくお兄ちゃんだった。しかしこんなところで一人で何をしているだろうか」

 

 

大和なりの理由があるにしても、一人でこんなところを出歩く理由が見あたらない。てっきりナギと一緒に出掛けているのかと思いきや、一瞬映った大和の姿の周囲にそれらしき姿は見えず。

 

かといって学園で接点のある面々も無く、知り合いの誰かと話しているような仕草も無いことから、一人で街へと繰り出している可能性は非常に高かった。

 

他人のそら似か……いやそれも考えづらい。

 

見たことのない服装だったから別人の可能性も否定は出来ないが、自分が兄と慕う人物を見間違えるハズがなかった。

 

 

「そっか、じゃあやっぱり大和も来てたんだね。朝のは見間違いじゃ無かったんだ……」

 

 

ラウラの一言に、ふと今朝の出来事を思い出すシャルロット。駅で見たあの後ろ姿はやはり大和だった。自分の目は間違っては居なかったと思い、ほっと胸を撫で下ろす。

 

 

「む、なんだ。シャルロットは駅で見ていたのか?」

 

「うん。正直半信半疑だったけどね」

 

「そうか? 遠くから見ても判断付くような気がするが」

 

「いやいや、あれは流石に分からないよ。まさか大和が銀髪にイメチェンしてたなんて思わないもん」

 

 

ラウラの言い分に対して、無理だと苦笑いを浮かべながら顔を横に振る。顔と髪色が同じなら直ぐに断定は出来たが、何の前触れも無く銀髪にされたところで判断が付かない。

 

むしろ人混みに紛れた大和に、ラウラがよく気付いたと言うべきではないか。でも流石ラウラだよね……そう言い掛けたところで、シャルロットは言葉を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……は?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一体何を言っているのかと、若干の呆れを含んだラウラの表情に、何か間違ったことを言ったかと口を閉じる。

 

 

「何を言ってるんだシャルロット。お兄ちゃんは私のような銀髪じゃなくて、黒髪だろう?」

 

「……え?」

 

 

ラウラの口から発せられる言葉に、狐に包まれたかのような表情を浮かべた。ラウラは先ほど反対側の歩道を見て、お兄ちゃんを見つけたと言った。それは紛れもない事実であり、間違いでは無いだろう。

 

だがラウラは今大和の髪色を『黒髪』だと言い切った。光の反射で黒髪が銀髪に見えることはない。それは紛れもなく大和だと断定した上での発言になる。この段階でシャルロット自身が言っている大和と、ラウラが言っている大和とどちらが本物の大和かは直ぐに判断が付く。

 

 

「ちゃんと眼帯もしていたし、間違いないと思うが。シャルロットは別人を見たのではないか?」

 

「そ、そうだったのかなぁ?」

 

 

更なる事実で、眼帯をしていたことも明らかになる。こう見ると、どちらが本当のことを言っているか一目瞭然だった。自分の見間違えだったかと頭をかきながら、恥ずかしそうにラウラから視線を逸らす。

 

意外に抜けているんだなと、シャルロットの反応に冷静に返すラウラにアハハと乾いた笑いしか出てこない。

 

しかしだとすれば一つ不自然なことがある。シャルロットが駅で見た、大和とよく似た人物。初めは他人のそら似のようにも見えたが、果たしてあそこまで似た人間がそう簡単に存在するものか。

 

銀髪で眼帯を付けていないところを除けば、以前の大和そのものであり、常識的に考えれば大和だと誤認しても無理はない。

 

ラウラが見たのは紛れもなく本物の大和だろう。それなら自分の見た大和とよく似た人物は一体……?

 

 

(大和が二人? いや、それは無いよね。同じ人間を作れる訳が無いもの……)

 

 

考えれば考えるほど、頭の中がこんがらがって来る。全く同じ顔立ちの人間など、双子でも無い限りあり得ない。否、下手をすれば双子だったとしてもあり得ない。

 

まさか都市伝説とも言える大和のドッペルゲンガーにでも遭遇してしまったとでも言うのか。

 

 

(でもやっぱり僕の気のせい……だよね?)

 

 

そう自分に言い聞かせて、半ば無理矢理納得させる。またモヤモヤが残るものの、少し時間が経てば忘れるはずだ。そして大和に笑い話として話してやろう。

 

そう強く言い聞かせた。

 

 

「行くぞ、シャルロット。あまりここに長居するのも暑くて仕方がない」

 

「え? あぁ、うん。ごめんねラウラ! じゃあ行こうか!」

 

 

そして二人は昼食へと向かった。



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金と銀の交差

「あの、一つ聞いて良いですか?」

 

「ん、何か質問かな?」

 

「どうして僕だけ執事服なんですか?」

 

「だってあなた、そんじょそこらの男性よりも全然格好いいんだもの。問題ないわよ」

 

「はぁ……」

 

 

店員の一言でシャルロットはがっくりと頭を垂れる。

 

そもそも何故こんなことになっているのか。普通に昼食を取っていたはずが、偶々休憩を取っていた喫茶店の店長に声を掛けられ、トントン拍子でバイトをする事に。

 

何でも色々あって人員不足になってしまったらしく、猫の手も借りたいくらいに困っているそうで、数時間だけでも良いから、どうしても手伝って欲しいと頼み込まれた。

 

流石に戸惑うシャルロットだったが、困っている以上は見過ごすことは出来ない。ただ、未経験の自分たちなんかで本当につとまる仕事なのかと尋ねたところ、大丈夫だとの二つ返事が戻ってきたことで、渋々了承することとなった。

 

IS学園はバイトが認められていて、申請を出さずとも生徒たちの物差しですることが可能になっている。だが現実には学業の比重が大きく、バイトをする余裕がある生徒は少ない。

 

シャルロットやラウラに関しては代表候補生であるが故の支援を受けており、金銭的には特に困ってはいない。とはいえ二人揃って強く押されると頼み事を断れる性格ではないため、今回は仕方なく引き受けた形になる。

 

 

自身を纏う紺色のタキシード。

 

よく小柄な自分のサイズに合ったものが用意できたと思いつつも、膨らんだ胸元の存在感だけは隠すことが出来なかった。スタイリッシュな四肢とは別にどうしてもごまかしの聞かない女性特有の膨らみ。

 

箒にセシリアにナギと、自身の周囲の女性が大きすぎるだけで、シャルロットも女性の平均に比べれば大きい方に分類される。IS学園に男性として入学してきた時は、専用のコルセットを付けて半ば無理矢理膨らみを押さえ込んでいたが、形あるものを潰してしまうために結構圧迫感があった。

 

お陰様で正式に女性の『シャルロット・デュノア』として入学するまでの間、男性操縦者として誤魔化すことが出来た。最も一夏には不意なハプニングで、大和にはうまく誘導されて逃げ場を無くされると、最後は自分で仕掛けられた罠に引っ掛かり、正体をさらしてしまった事を除いてだが。

 

 

 

サイズに合ったタキシードが着れたのは良かったが、ご覧のとおり女性の象徴は隠すことが出来ない。うーっと恨めしそうなうなり声を上げて、自身の胸を隠そうとするもそんな簡単に隠れるハズもなかった。

 

はぁ、とため息をつきながら近くの机を拭いているラウラを見る。

 

黙々と机を拭く姿が妙に様になっており、磨かれた机はワックスを使った後のようにピカピカになっていた。しばし見つめていると視線に気付いたようで、こちらへと振り向く。

 

 

「む、私の顔になにかついているのか?」

 

「ううん、大丈夫。ラウラはそのまま続けてて」

 

 

気になっていたのはラウラの顔ではなく、着ているメイド服だ。何気なくフロア全体を見渡して気付いたことが、執事服のシャルロットを除いてメイドしかいない事実。

 

 

(僕もメイド服がよかったなぁ……)

 

 

と、心底思うシャルロット。だがそんな私情を仕事に挟むわけにも行かず、黙々と業務をこなしていった。女性であるシャルロットだが、立ち居振る舞いは執事そのもの。女性客が多いこの店において、黄色い歓声が飛び交う。

 

胸の膨らみがあるからではなく、彼女の醸し出す雰囲気が、客にとっての理想の執事を生み出している。声の掛け方、紅茶の注ぎ方、皿の置き方、加えて自然に出てくる屈託のない笑顔。シャルロットが無意識にしている立ち居振る舞い全てが、女性たちを虜にした。

 

 

「お待たせ致しました」

 

 

ニコリと微笑みながら、ティーカップに紅茶を注ぐ。シャルロット自身、接客業の経験は無いが客に対する対応は見事なもの。相手を一切不快にさせることなく、絶妙な距離感を保ちながら、丁重に対応をしている。

 

ぽーっとたそがれたまま、あり得ない量の料理を頼んでいく一組の女性客。前菜に始まり、メインディッシュにデザートといった各料理を三人前以上頼んでいる。

 

明らかに二人で食べきれるような量ではなかった。

 

もちろん彼女たちは死ぬほど腹が減っているかと言われればそうではなく、料理を頼んだ数だけシャルロットが運んできてくれるからだ。

 

そんな下心見え見えの状況であっても、嫌な顔一つせずに注文を受けていく。いやはや一人の女性として素晴らしいの一言に尽きる。

 

 

 

 

 

シャルロットが一組の顧客を対応する一方で、別の卓のコードレスチャイムが鳴り響き、机を拭いていたラウラが表示された卓番の場所へと向かった。椅子に座っていたのはいわゆる今風と言われる男性二人組。自身の髪の毛を金や茶色に染め、ニヤニヤとした表情でラウラのことを見ている。

 

周囲からはイケメンと呼ばれる分類に値するようで、自身に絶対的な自信を持っているらしく、常に髪を触って髪型の維持につとめていた。そんな男性の仕草を鼻で笑うかのように一瞬見つめるも、すぐに気を取り直して注文を取ろうとする。

 

 

「ご注文は?」

 

 

ラウラの口調はお世辞にも良いものとは思えなかった。丁寧語など遙か彼方へも置き去り、最低限の単語をつないでオーダーを取ろうとする。

 

 

「キミ、可愛いね! 仕事終わったら俺らと遊びに行かない?」

 

「……」

 

 

するとラウラの見た目を気に入ったであろう二人はナンパを始めた。オーダーとは全く関係のないナンパに、ラウラの表情が少し歪む。怒るというよりかは呆れているように見えた。ラウラにとっての理想の男性が大和であり、彼と比べてしまうと他の男性はどうしても見劣りしてしまう。

 

世の中には大和以上に優しく、気を配れる男性もいるが、彼女にとって大和は誰よりも優しく、大きく見えた。大和以上に優しかろうが、空気に敏感で気を配ってくれようが、大和が自分の中で一番の存在であることは変わらない。

 

兄と慕う人物と比べると、月とすっぽん、天と地ほどの差があった。平静を装いながらも同じように注文をどうするか聞くも、ラウラの言葉に全く耳を貸さずにナンパを続ける二人組。話が平行線のままで、一向に進む気配がない。

 

ラウラにとって我慢すること自体は決して難しいことではない。だがそれはラウラにとって納得の出来る理由があるからであり、なければ我慢をする必要はない。

 

今回に関しては注文を取っているのに、人の話を聞かずにナンパを続けている。ラウラの我慢も限界に来ていた。既に隣に座っている女性客の顔がみるみるうちに青ざめていくのが分かった。それほどにまで如実に伝わる空気の変化、絶世の美女とも言えるほどの顔立ちのラウラだが、生まれてから命をかける戦い方を学んできた本物の軍人だ。

 

一般人がどうあがいたところで勝てるはずもなく、まともに殺気を当てられたら逃げ出したところで不自然は無かった。今は一店員として振る舞っているため、無闇な行動は出来ない。

 

 

「ほらほら、そんな難しい顔なんかしてないでさ! ってあっ! ちょっと!」

 

 

あいも変わらずナンパを続ける二人を無視し、一旦カウンターへと戻るラウラ。そこには注文を取り終え、一部始終を見守っていたシャルロットが、心配そうな面持ちで、戻ってきたラウラに声を掛ける。

 

 

「ラウラ、大丈夫? 結構癖のありそうな二人組だけど」

 

「何、案ずるな。あれくらいどうってことはない。お客様なのだからお冷を持っていかないとな」

 

 

不適にニヤリと笑ってみせるラウラだが、目が全くと言っていいほど笑っていない。二人分のお冷やをお盆の上にのせて再度客席に向かうが、ラウラの姿を見てシャルロットも念のために報告はしておこうと、近くで食器を運んでいた店長へと声を掛けた。

 

 

「て、店長。大丈夫なんでしょうか?」

 

「大丈夫。ラウラちゃんに何かあったらこっちで責任を取るし、どーとでもなるわよ」

 

「は、はぁ……」

 

 

可愛いは正義よ! と笑顔を浮かべる店長に一抹の不安を覚えるも、今更心配したところで仕方ないと悟り、物陰からラウラの行く末を見守る。

 

大和からもある程度指導を受けていることで、恐らくは大丈夫だと思いたいが、やはり一抹の不安がある様子。まるで妹の初めてのおつかいを見守る姉のような感じだ。後方でシャルロットが見守ってるなど知らず、机の上に水を置いた。

 

 

「……」

 

「水だ」

 

 

力強く置かれたコップはガンッ! と音を立てる。音と共に伝わる振動で、中に入っている水が僅かばかりこぼれ落ちた。同じく音に驚き身体をビクリと振るわせる二人の男性。今までにやけていた顔はどこへやら、完全にひきつっている。そんな二人に対して表情一つ変えることなく、冷たい眼差しのまま見つめ続ける。

 

 

「こ、個性的な接客だね。め、メニュー持ってきて貰っても良いかな?」

 

「……」

 

 

またも何も言わずに席を離れ、ドリンクバー付近にあるカップにホットコーヒーを入れ始めた。二人はまだ何も頼んでいないにも関わらず、黙々とボタンを押してコーヒーを注ぐ。それもこの暑い時期に限って。

 

店内を見渡しても、最初からホットコーヒーを頼む客は少ない。ピークを過ぎているとはいえ、机の上にマグカップが置かれている机は一つも無かった。そもそも涼む目的で来た客にとって、余程の物好きでは無い限り、わざわざホットコーヒーを飲む選択肢は無い。何より、二人はまだ注文をしてないどころか、メニューすら見ていない。

 

つまり値段も知らなければ、見た目もどのようなものかも知らないのだ。誰がどう見ても理不尽極まりない接客内容であり、クレームとして出せば間違いなく指導が入るレベルのはずだが、ラウラの雰囲気がそうはさせないものだった。

 

二つのカップをお盆の上に乗せ、ラウラは二人がいる机へと戻っていく。改めて机の前に立つと、二人の前に熱々のホットコーヒーが入ったカップを置いた。机に置いたコーヒーからは湯気が立ち込め、とてもいきなり飲めるような熱さではない。だがラウラは引き攣る二人を余所に、話を続けていく。

 

 

「コーヒーだ。飲め」

 

「あ、あの……俺たちまだメニューすら見てないし、それにコーヒーにも種類ってものが」

 

 

急にコーヒーを置かれて飲めと命令されていることに怒っている様子はない。否、むしろ怒れない雰囲気をラウラから感じ取っていた。自分たちより遥かに小柄で華奢な体躯なハズなのに、有無も言わさないこの雰囲気は何なのか。

 

二人は当然ラウラが本物の軍人であることを知る由もない。何かを言おうとモゴモゴと口籠っていると、力が込められた声で一言。

 

 

「はっ。貴様ら如きにコーヒーの味の違いが分かるのか。なら聞こう、キリマンジャロとロブスタの違いは何だ?」

 

 

名前くらいは聞いたことがあるだろう。

 

が、いざ細かい違いを聞かれると答えることが出来ない。それもそのはず、コーヒーを好んで飲んでいる人間以外には、大概同じ味に感じてくるからだ。普段飲んでいる人間からすれば味の違いを見分けることなど造作もないこと。

 

だが、二人は年齢から察するに社会人ではなくどう見ても学生。若いからこそナンパやらなんやら出来ることも多々あるだろうが、相手があまりにも悪すぎた。ラウラがある程度多方面に精通する今時の女性ならまだしも、まだまだ彼女も学ぶところが多い。

 

当然今のやり取りを大和が見ようものなら、容赦なく怒られているところだろうが、あいにく今は居ない。故に止められる人間は誰一人として居なかった。

 

 

「分からないならさっさと飲め」

 

 

「いえ、はい……すみません」

 

 

渋々了承し、ラウラから差し出されたコーヒーをずずっと啜る。砂糖もミルクも入っていないブラックコーヒーだったというのに、二人にとってはいつになくしょっぱく感じたという。そして二人組が静かになったところで、ラウラはバックヤードへと下がる。

 

今の一部始終を見ていたのは裏にいる店員だけではなく、テーブル席にいる客も含まれた。普通の店員が同じことをしようものなら、完全にバッシングの嵐だろうが、そこはやはり彼女の美少女が作用しているらしく、一部の客……特にその手の志向の男性の多くが好意的な視線でうっとりと眺めている。

 

 

「あ、あの子超良い……!」

 

「罵られたい、見下されたい、差別されたいぃぃぃいい!!」

 

「お、俺Mに目覚めるかも……」

 

 

決して見本にしてはならない接客ではあるが、ラウラの場合はそれがスタイルとなり、より魅力的なものへと変貌。周囲から集中する視線が気になり、裏に戻る途中で何気なく近くの机を見つめる。丁度ラウラが見てしまったのは、ラウラの仕草に最も熱視線を向けていた机であり、自身の姿を凝視されることに慣れていないラウラは、得体の知れない恐怖を覚えて、駆けるように慌てて裏へと戻っていった。

 

凛とした迫力あるラウラとは一変し、小動物のように恥ずかしがる姿を裏の店員は微笑ましい笑顔で見つめていたそうな。

 

 

それからというものシャルロットとラウラは指名に指名を重ね、休む間もなくカウンターと裏を往ったり来たりを繰り返すことに。ひっきりなしに呼ばれる二人の噂は徐々に店外にまでも広がり、最終的にはピークを過ぎたのにも関わらず店外にも十数メートルに渡って長蛇の列が出来るという現象を引き起こすことになった。

 

そんな二人も疲れを見せることなく、淡々と来店されるお客様を対応していく。

 

初めの内は不慣れな接客を繰り返していたラウラも、回数を重ねるにつれて言葉尻も矯正されて幾分穏やかな雰囲気へと変わっていた。まだ接客用語が崩れることはあれど幾分まともに、ただ偶にかつてのラウラが垣間見えて一部の男性を喜ばせるなど、いつになく賑やかな店内。

 

 

 

しかし平和な時間はそう長くは続かなかった。

 

 

 

「動くなっ! 全員両手を上げてその場に伏せろッ!!」

 

 

一発の銃声音が店内に響ると同時に至る場所から悲鳴があがる。

 

 

「騒ぐんじゃねぇ! ぶっ殺されてぇかっ!!」

 

 

怒声と共に覆面マスクを被った一人が、ポンプアクションのショットガンを天井の照明に撃ち込む。轟音、熱射と共に一筋の光が空を切ったかと思うと、照明がガラガラと音を立てて床に崩れてきた。綺麗に装飾された面影は微塵もなく、残っているのは照明を固定する金具のみ。

 

音と共に店内にいる客や店員のほとんどが、頭を抱えながら地べたへとひれ伏せた。各々が銃弾の脅威から身を守ろうと必死であり、下手に逃げ出して命の危機に晒されるのであれば、抵抗せずに大人しくしていた方が良いと大半の人間が思ったことだろう。

 

侵入してきた敵勢力に対して反抗の意志を示す者は、今のところ誰一人として居なかった。四人いる内のリーダー格の男が周囲を見回し、反抗する意志が全員に反抗する意志が無いかどうかを確認する。

 

数回座席を見て、客に関しては全員地べたに伏せるか、机の下に隠れるかのどちらかであることを確認すると、後ろにいる部下に向かって大きく頷いた。

 

 

裏から一部始終を見守っていたシャルロットは、客席付近に隠れているラウラに向けてプライベート・チャネルを展開し、気付かれないようにチャットを飛ばす。

 

 

『こちらシャルロット。ラウラ、聞こえる?』

 

『む、シャルロット。エリア外でのIS使用は禁止されているぞ……あぁ、いや。そうも言ってられないか、どうした?』

 

『うん。この後なんだけどどうしよう? 三人は大した事無さそうだけど、一人は結構出来るように見えるし』

 

『シャルロットもそう思うか。一人だけは相当な手練のようだ。奴の周囲を纏うオーラが違う』

 

 

あまりにテンプレじみた一連の流れに、犯人たちも後先考えずに飛び込んできたとばかり思っていたが、どうやら違うらしい。

 

シャルロットとラウラが口々に言うのは四人組の内の一人、終始無言を貫く男性のことだ。発砲を繰り返し、大きな声で威圧を繰り返す三人の男性とは全く真逆の反応であり、一切今回の一件に介入していないように思えた。

 

身長的には男性の平均よりも高く、体格的にも引き締まった肉体をしている。他三人の体躯に注目すると、大柄ではあるが、服のしわがだらしなく弛んでいる。恐らく普段からあまり身体を動かしていないことが容易に推測出来た。

 

その証拠に銃器を持っているのは三人だけであり、残った一人は銃器どころか、武器になっているものを持っている気配がない。つまり自分の身体一つで戦うことに抵抗感が無い。逆言えば肉弾戦をしたとしても相手を組み伏せるだけの自信と力を有していることになる。

 

強盗まがいのことをするのに、銃器や刃物を持ってこないのはあり得ない。油断をすればあっという間に縄につくことになるからだ。万全な準備をした後での今回の襲撃となれば、武器を持つ三人に比べて遙かに上回る力を持っている可能性は非常に高い。

 

相手の力量がどの程度なのか分からない以上下手に手を出さない方が良いかもしれない。かといって放置しておけば相手の好きなようにされるだけ。店内には非力な女性も多く、かと言って男性も動ける訳ではない。銃口を突き付けられれば、誰もが萎縮して何も出来なくなる。

 

 

 

『無闇に動くのは危険だな、少し様子を見よう。銃器を持つ二人を潰せば大きな被害は防げるだろうし、今は隙を待つしか無い』

 

『僕もそう思う。じゃあ一旦このまま待機するね』

 

『了解』

 

 

あまり長く話しすぎると勘付かれる可能性があることを悟り、二人はプライベート・チャネルを切る。

 

店内を巡回しながら、逃げ出そうとする人間が居ないかを確認する強盗犯一行。シャルロットとラウラを除いて戦闘意志を明確に持っている者はおらず、構えていた銃を下ろす。

 

 

「しかしうまく行きましたね兄貴! もう絶対絶命かと思いましたよ!」

 

「全くだ。警察たちに追い詰められた時はどうしようかと思ったが、全部コイツのおかげだろうな」

 

「……」

 

 

見た目からして強盗以外の何者でもない。

 

話から察するに、どこかで強盗をしたまでは良いが、後先考えずに行動したことが祟って、警察に追われる羽目に。絶体絶命のピンチを救われたということか。

 

そうなると元々の銀行強盗は三人だけで、残りの一人は偶々力を貸しただけに過ぎないようにも見える。どちらにしても確信が無い以上ははっきりとしない。三人の関係図が分からず、シャルロットとラウラはただ首を傾げるしかなかった。

 

息を潜めながら情報を伺う二人を余所に、一味は客席を見渡したまま話を続ける。

 

 

「しかし変わり者も居るもんだ。わざわざ銀行強盗をした俺たちを助けるだなんて。おまえ一体何者だよ?」

 

「……」

 

 

まるで話すことに興味が無いと言わんばかりに、口を真一文字に閉じたまま一切の言葉を発することは無かった。頑なに喋らずいる様子に、若干の不安を感じた弟分が、痺れを切らして兄貴と呼ばれた男に声を掛ける。

 

 

「ちぇっ、こいつ全然話さねーっすよ兄貴。本当に連れてって大丈夫なんですか?」

 

「なーに、俺たちを助けるくらいなら裏切ることは無いだろ。それに警官一瞬にして蹴散らした強さは本物だ。俺たちにとっちゃ良い拾い者になるかもしれねぇ」

 

 

どちらにしても犯罪者である自分たちを助けた時点で、まともな思考の人間ではないのは確か。最初の内は自分たちを利用して何かを企んでいるんじゃないかと想像するも、それなら利用できる内に利用しておこうという結論に至った訳だ。

 

どことなく不安そうにする弟分に対して、今のところは心配する必要はないと諭す。あくまでこの窮地を救うには協力が必要だと考えているからであり、そこから先はまた後で考えればいいと、楽観的な思考でいた。

 

 

「あー君たちは完全に包囲されている。武器を捨てて投降しなさい」

 

 

そんな一味に、店の外からは人質を解放して大人しく投降する旨を伝えるアナウンスが聞こえてくる。どこぞの刑事ドラマのような声かけに対して、人質である客までもが対応が古いと突っ込みを入れていたのはまた別の話だ。

 

 

「あ、兄貴! アイツらもう外に!」

 

「心配するな、こっちにはまだ人質が居るんだ。そう慌てることはねーさ」

 

 

ガチャリとショットガンの引き金を引くと、窓に向かって発砲する。衝撃音と共に頑丈なガラスが見るも無残に砕け散った。撃った方からすれば爽快だが、周囲から見れば恐怖の対象。外でガヤガヤと興味深げに中の様子を伺おうとする野次馬たちを、阿鼻叫喚の渦に巻き込むのは造作も無かった。

 

多くの悲鳴と共に、ガラスの落下地点から退散していく。

 

 

「人質を痛い目にあわせたくなければ車を用意しろ! 間違っても突入するなんて考えるんじゃねーぞ!」

 

 

人質を取られている以上、自由に動くことが出来ない。多少の脅しを掛けておけば突入する可能性は低い、何故なら彼らにとっての最優先は人命だからだ。

 

いくら強盗犯を捕まえたといっても、その過程で関係のない第三者に被害が及んでしまえば、それなら捕まえずに被害が無かったほうが良いに決まっている。

 

かつ外からでは中の様子を伺うことが出来ない。中の状況を把握出来ない以上、言っていることが本当かどうか確認する術は無かった。迂闊に行動を起こせば、それだけで人命を危機に晒すことになる。

 

 

「ふん、他愛もない」

 

「へへっ、本当に平和ボケしてますよね日本って」

 

「全くだ。ま、どいつもこいつも自分たちで何とかしようとは思わない時点で、こちらとしてはやりやすいがな」

 

 

ケラケラと余裕の笑みを見せる男たちを、注意深くシャルロットは観察していた。どうも強盗犯の方に追い風が吹いているせいで、幾分調子づいている。

 

 

『このまま調子づかせるのも良くないよね……』

 

 

何をするか分からない以上、下手に調子づかせれば事が大きくなるかもしれない。だが今自分たちが動いたところで果たして正解なのかと、自問自答を繰り返す。

 

だが考え込みすぎるあまり、視線が僅かながらにフロアから外れた。戦いにおいて、一瞬の隙は諸刃の剣となる。ほんの僅かな隙にも関わらず、あっという間に自身との距離を詰める人間が一人。

 

視線を下げるシャルロットの視界に、見慣れないスニーカーが映る。驚くまもなく、顔を上げるシャルロットの顔に飛び込んできたのは、四人組の内の一人の顔だった。内心しまったと思うも既に遅い。慌てて後ろに飛び退こうとするも、右手をがっちりと掴まれているせいで、下がることすらままならない。

 

もちろん相手が並の男性であれば後れをとる事など無かったが、今目の前にいるのは四人の中で最も要注意な人物だった。軽く握られているように見えるのに、いくら力を込めても抜け出すことが出来ない。

 

 

「───ッ!」

 

「……」

 

 

マスクの奥から射抜く無機質な眼差し。

 

感情などまるで無い視線に、同じ人間なのかと恐怖感を覚え、思わず声を漏らしそうになる。ジッと見つめる視線からは感情はもちろんのこと、意図をくみ取る事も出来ない。敵意や殺意といったありがちな感情もない完全な無の状態に、より一層の恐怖感が掻き立てられる。

 

顔を背ければ怖がっていることが分かってしまう。相手に深く悟らせないよう、毅然として平静を装うが表情が変化しないせいで、何を考えているのか分からない。

 

 

「おい! 何をやっているんだ?」

 

「……」

 

 

すると強盗犯一味の一人がこちらの様子に気付いたようで、銃を持ったまま歩み寄ってくる。近寄ってくる様子をチラリと見ると、握っていた手を離し、シャルロットの元を離れた。

 

あっけに取られるシャルロットの一方で、変に悟られないように歩み寄る一人の元に、目の前にいた男も戻っていく。

 

 

「下手に手を出すと後処理が面倒だ。大人しくしてろ」

 

「……」

 

 

軽い叱責を受けながらも、戻って来たことを確認すると元の場所へと帰っていく。シャルロットの姿を見られなかったことで、一部のやり取りを気付かれることは無かった。

 

僥倖だったと、ほんの少し胸をなで下ろすと改めて気持ちを切り替え、カウンター席の陰から周囲の状況を見渡す。

 

精々窓ガラスが割れている程度で、他に変わったところは見られない。だが客席のテーブル席を見た瞬間、映り込んだ銀髪の姿にギョッとした驚きの表情を浮かべた。しばらく様子を見ようとプライベート・チャネルにて打ち合わせたはずのラウラが、皆平伏せる中、ただ一人立ち上がっている。

 

まさか自分が作戦を聞き逃していたのかと思い返すも、やはり一連の会話の中ではしばらく様子を見て待機としか言われていない。ラウラの中で活路を見出したのか。そうは言われても作戦が落とし込まれていない以上、ラウラが何を考えているのかまでは分からなかった。

 

彼女の動きに合わせるべく、凝視して動向を見つめる。

 

 

「何している。勝手に立ち上がれとは誰も指示していないぞ!」

 

「……」

 

 

語気を強めて服従させようとするも、多少の脅しでは全く動じることは無い。一切物怖じしないまま、握っている拳銃をチラリと見ると、また視線をあさっての方向へと逸した。

 

特徴的な見た目と話しかけても一切の反応を返さないことに対して、瞬時に日本人でないことを悟ったリーダー格の男は、日本語が分からないから現状が分からないのでは無いかと推測していた。

 

海外には銃の所持を許可している場所もある。常に拳銃を見れるような場所に住んでいたのであれば、日本人に比べて銃への耐性は強いのかもしれない。

 

 

 

と、勝手な想像を膨らませていくが、その推理は近くもあり、遠くもある。見た目こそ外国人、ドイツ人であるラウラだが、日本語は日本人と間違える程に流暢なものであり、よほど難しい故事成語をぶつけない限りは答えることが出来た。故に強盗犯の会話は何もかもラウラに伝わっている。

 

それとは別にラウラが銃器を日常レベルで見ていることに関しては合っていた。それどころか自分の手足のように使いこなすことが出来るプロの軍人だ。ただの強盗に拳銃を突き付けられたところで物怖じはしない。極めて冷静を保ったまま黙り続けるラウラだが、その様子にいささか苛立ちを隠せないでいるリーダー格の男。

 

何故この状況で怖がらないのか、まるで自分たちを抑えつけるなど造作もないと言わんばかりの、冷静かつ鋭い眼差しを浮かべるラウラの姿に、思わず舌打ちをして言葉を続けた。

 

 

「人の話を聞いてんのか! さっさと場に跪けっ!」

 

「まぁまぁ兄貴、そんなカリカリしないで! 見てくださいよ彼女。すげー可愛いっすよ!」

 

「ああ? 何言ってんだお前」

 

「いやー、俺実はメイド喫茶って初めてで、一回入ってみたかったんですよね! せっかくなんで接客受けてみましょうよ!」

 

 

マスクのせいで細かい表情は分からないが、口元を見るに嬉々としている様子が伺える。世に綺麗な女性は居ても、ラウラレベルの女性はかなり少数であり、早々お目にかかれるようなものではない。テレビやパソコンといったメディア媒体で見ることはあれど、実体として見る機会は貴重とも言えた。

 

強盗犯といえど所詮は男。

 

可愛かったり、綺麗な女性が目の前に居れば嫌でも追いかけてしまう。そう思っているのは彼一人だけでは無かった。

 

 

「お、俺も受けてみたいです!」

 

 

と、別の強盗犯が言う。

 

二人揃って何ともだらしない表情を浮かべているんだろうが、幸い事に肝心な部分は覆面マスクが守っている。自分たちは強盗犯なのに何を言っているのかと、リーダー格の男は頭を抱えて鬱陶しそうにため息をついた。

 

いくら人質が居るとはいえ、これでは強盗犯としての示しがつかない。流石に止めようとするも、二人はそれどころではないようだ。

 

 

「ったく仕方ない。ま、のども渇いていたことだしな。……そこの女! さっさと水を持ってこい!」

 

 

空いている席にどかりと座りながら、乱暴な物言いでラウラへと注文を続けた。だが何かを言い返そうとする素振りもなく、言われるがままにドリンクのコーナーへ向かう。

 

トレーの先、ラウラから見て一番遠い位置にコーヒーを、手前側のコップには無造作に氷を敷き詰めていく。コーヒーは熱々の状態のものであり、ただでさえ暑い季節なのに、覆面マスクを被っている人間からすれば尚更暑くなるものをわざわざ用意した。要望を聞かずに用意したのだから、反感を買ってもおかしくはない。

 

更に手前のコップには大量の氷、中には水が一滴も注がれていない。相手を煽っているとしか思えないものを用意し、改めて強盗犯の元へと戻っていく。

 

戻ってきたラウラの持つトレーに乗せられた飲み物を見て、一同は顔をひきつらせた。

 

 

「何だこれは?」

 

「水とコーヒーだ。飲め」

 

 

有無を言わずに差し出されたトレーを見るが、当然水を頼んだだけであり、細かいメニューを頼んだ覚えはない。それも差し出されたのは、ご丁寧に熱々のコーヒーと来た。

 

氷にしても溶けるまで待っていれば液体になるだろうが、どれだけ待ってれば良いのか。それなら初めから液体で持ってくれというのが本音だろう。頼んだ覚えのない飲み物を見て、強盗犯の一人がメニューを持ってくるように促した。

 

 

「いや、だから俺たちはメニューが……」

 

「黙れ、飲め。飲めるものなら……なっ!」

 

 

挑発的な表情を浮かべたかと思うと、突然トレーを天井に向かって放り投げる。氷のコップは真上に、コーヒーの入ったコップは角度をつけて強盗犯の方へ。熱湯に近い温度のコーヒーは覆面の上からでも効果は十分、正面にいた二人組の顔面に直撃し、熱さのあまり顔を手で覆った。

 

 

「あっちいいいい!?」

 

「この、って、てめえ! 何しやがる!」

 

 

怯んだ一瞬の隙をつくと、近くにあった椅子を踏み台にして宙高くラウラは飛び上る。舞い上がった氷の雨の中に自ら飛び込んでいくと、指弾を打ち出すかのごとく親指で思いきり氷を弾きだした。

 

並の人間では到底真似が出来ないような一直線の弾道は、まるで拳銃から打ち出された弾丸のごとく、強盗犯たちの目や手に直撃する。鈍い音と共にある者は目を覆い、ある者は握っていた銃を床へと落とす。

 

宙で反転しながら怯んだ一人の腹部めがけて蹴りを入れた。急所を狙ったピンポイントの一撃に悶絶し、腹部を抱えたまま床に崩れ落ちて動かなくなる。

 

 

「このガキィッ!!」

 

 

痛みと熱さから回復した一人が手に持ったハンドガンをラウラに向けるも、一切動じずに相手に向かって不適な笑みをラウラは返す。この時相手は気付いていなかった、ラウラと手を組んでいる人間が背後から近付いていることに。

 

 

「一人じゃ無いんだよねッ! 残念ながら!」

 

 

無防備な相手に背後から側頭部めがけて左のハイキックを繰り出すシャルロット。強盗犯からすればラウラのことばかり考えてしまったことで、シャルロットの存在は完全に忘れられていた。強盗犯に比べれば幾分小柄なシャルロットとはいえ、油断している相手に一撃を入れることくらいは造作もない。

 

高々と蹴り上げられたシャルロットのハイキックは一寸の狂いもなく側頭部に直撃、ガードをしてない頭部への攻撃により、視界が反転したまま近くの机に叩きつけられて気を失う。ガラガラと机の上の食器が落ちる音と共に、強盗犯の身体が力なく崩れ落ちた。

 

 

「ふう、この時ばかりは執事服で良かったかな。スカートだと中まで見えちゃうし、うん」

 

 

最初はメイド服を着るラウラが羨ましかったが、この非常事態で考えるのなら動きやすい執事服で良かったと胸をなで下ろす。最もラウラは服装関係なく相手を攪乱し、椅子や観葉植物を有効的に使って、映画の中で見るような弾丸を避けるという離れ業までやってのけた。

 

小刻みかつ素早い動きでリーダー格の男の至近距離まで近付くと、ショットガンを持っている手を思い切り蹴り上げる。痛みから思わず手を離し、視線は蹴り上がって宙を舞うショットガンへと移る。足下への注意が散漫になったところで、内側から足を引っかけて相手の顎目掛けて掌底を打ち込んだ。

 

 

「ハァッ!」

 

「ガッ!?」

 

 

顎に強烈な一撃を叩き込まれたせいで視線がぐらりと揺れ、手足に自由が利かなくる。踏ん張ることも出来ないまま、受け身を取ることも出来ずに、背後から床に倒れ込んだ。

 

動かなくなったことを確認すると、ラウラは残った一人を見つめる。

 

 

「……後はお前だけだ。まだやるのか?」

 

「ラウラ、油断は禁物だよ。彼、相当出来るみたいだ」

 

「らしいな。気配を感じさせずにシャルロットに近付いただけでも、相当戦い慣れていることがよく分かる」

 

 

今まで一言たりとも喋らず、そして一切手を出してこない残りの一人。二人の戦い方にも一切動じず……否、興味が無さそうに二人から顔を背ける。手を組みながら二度三度音を鳴らし、だらんと腕を下に垂らす。

 

 

……いつ来るのか、相手の行動に細心の注意を払って二人は観察する。するとマスクを被った相手の口元がほのかに歪んだ。

 

と同時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ガハッ!?」

 

 

小柄なラウラの身体が吹き飛ばされたのは。



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Throw off one's mask

「ガハッ!?」

 

 

一瞬、何が起きたか全く分からなかった。不意に風圧が来たかと思うと、既に目の前には強盗犯の姿が。ガードは間に合わないと悟り、反射的に後ろに飛んで衝撃を和らげようとしたにも関わらず、自分の身体はまるでピンポン玉のように吹き飛んだ。飛びそうになる意識を引き戻しながら両足で床につき、衝撃を吸収する。

 

確かに残る腹部の衝撃。硬い鈍器で直接殴られたかのような痛み、もし反応が遅れてモロに一撃を食らっていたとすれば今頃夢の中、下手をすれば酷い外傷を負っていたかもしれない。

 

 

「くっ……ゴホッゴホッ」

 

 

一撃の重さに呼吸が乱れる。

 

じんじんと伝わる腹部の痛みを堪えながら、自分を殴り飛ばした相手を睨み付ける。相手の横にはシャルロットが居るが、何が起きたか分からずに驚きを隠せないでいた。突然人がハネられたかのように吹っ飛べば、動揺するのも無理はない。

 

 

「シャルロット、隣だ!」

 

「っ!」

 

 

ラウラの声に反応し、すぐさま隣に居る強盗犯に向かって蹴りを繰り出すも、バク転で避けられてしまう。涼しい顔をしながら、シャルロットとラウラから距離を取った。無機質ながらもその表情からは挑発にも似た感情が見て取れる。

 

やがてお前らで俺のことを止められるのかと言わんばかりに、手を前に突き出し手招きをしながら挑発をし始めた。

 

相手の仕草に一瞬ラウラは苛立ちを覚えるも、挑発に乗れば相手の思う壺であることを悟って思いとどまる。この狭い店内での慣れた身のこなし、そして相手の力量を把握した上での絶対的な自信。

 

正面からやり合えば間違いなく負ける。

 

 

「ラウラ、大丈夫?」

 

「ああ、何とか。一瞬本気で意識が飛んだかと思ったがな」

 

 

ラウラの言葉に嘘は感じられない。

 

シャルロットもラウラの生身での実力はよく知っている。少なくともIS学園の一年生の中で、生身でラウラに敵う生徒はほとんどいない。そもそも一般人とプロの軍人では天と地ほどの差がある。

 

現に突然の強盗犯の侵入も、難なく鎮圧してるのだ。仮に武道をかじっている人間だったとしても、本気で生死との隣り合わせを経験してきたラウラの敵ではない。

 

相手のことがよく分かっていないハンデがあったとしても、ラウラに対して難なく一撃を入れられるのだから実力は紛れもなく本物。

 

攻撃された部位を押さえながらラウラは立ち上がる。痛み自体は我慢できるが、今の攻撃を何回も受け続けることは出来ない。とはいえ、現状を打破するには目の前の強敵を何とかする他ない。

 

 

(油断などしてなかった……こいつ、私が目視できないほどのスピードで近付いたとでも言うのか?)

 

 

何か仕掛けがあるんじゃないかと考えるも、これといった答えは見つからなかった。決して自分より格下だと油断をしたわけではない。相手を凝視していたにも関わらず、簡単に接近を許した。

 

間一髪反応出来たから良かったものの、種も仕掛けも無いとするともう目視に頼って反応するほか無い。だが人間の反応速度には限界がある、限界を超えて相手の動きを追うことは不可能だ。ラウラが姿を見失ってしまったのには、狭い室内での戦闘である部分が大きい。

 

部屋が狭くなるほど、相手との間合いは縮まっていく。喫茶店ということもあり、動けるスペースは限られていた。狭い分、少しでも隙があれば、あっという間に相手との距離を縮めることが出来る。

 

問題なのは、部屋の狭さを考慮した上でも反応出来ないほどの速さだったこと。凝視しているプロの軍人の反応が遅れるほどのスピード……つまり速すぎた。

 

 

(ラウラの反応が遅れるだなんて……この人、どんな身体能力をしてるんだろう)

 

 

シャルロットも身構えながらも、相手の脅威を悟っていた。他の三人を鎮めるのは決して難しいことではなかったが、最後の一人に関しては二人がかりで飛びかかっても勝てるかどうか分からない。単独で相手をすれば確実に負ける。

 

こんな時大和が居れば……ふと脳裏に大和の姿が思い浮かんだ。

 

 

(そういえば……)

 

 

ラウラがついさっき、この近くで大和の姿を目撃したと言っていたことを思い出す。シャルロットは駅で銀色に髪を染めた大和と良く似た人物を目撃したが、良くある他人の空似だったことが判明。

 

逆にラウラが見たのは紛れもなく大和本人。前者は眼帯を付けておらず、髪色まで違う良く似た別人だが、ラウラが見たのは大和そのもの。人混みに紛れて見失ってしまったが、もしかしたらまだ近くにいるかもしれない。

 

本来全く関係ない大和を巻き込むのは気が引けるが、報告だけでも入れておけば、万が一の時に裏で対応出来ることもある。それに大和なら何か出来るかもしれない。

 

ただ相手がこちらを見ている以上、携帯電話を使って連絡を取り合うことは不可能。それならISのプライベート・チャネルを使って大和に今の状況を伝えるのみ。通信相手を大和に設定し、通信を飛ばした。

 

 

(大和、聞こえる?)

 

(ん……シャルロット? どうした? 学園外でのIS展開や機能の利用は禁止になっているハズだが)

 

 

返す答えがラウラとそっくりだ。ほぼ同じ返答に思わず苦笑いを浮かべるしかないシャルロットだが、今はそんな悠長な事をしている場合ではない。

 

 

(それは分かってるんだけど、ちょっと緊急事態でね。今とある喫茶店に居るんだけど)

 

(それなら仕方ない。それで、喫茶店で何かあったのか?)

 

 

普段ルール違反をしないシャルロットがプライベート・チャネルを使ってまで伝えようとする行動に、危機がすぐそこまで迫っていることを把握する。

 

大和の方も話を聞く体勢になったところで、現状を掻い摘まんで話し始めた。

 

 

(うん、実は偶々入った喫茶店で強盗犯に侵入されたんだ。一人を除いて全員倒したんだけど、残りの一人が相当な手練れでね。ラウラと二人で居るんだけど、手も足も出ない状態で……)

 

(ちょっと待て、それ大丈夫なのか。誰か怪我しているんじゃ)

 

(あ、ううん、大丈夫。ちょっとラウラが手痛い攻撃を受けちゃったけど、怪我まではしてないみたい)

 

(……そうか、どちらにしてもそのままはマズいな。シャルロット、今居る座標を送ること出来るか?)

 

(あ、うん! それならすぐにでも……)

 

「シャルロット! 前だ!」

 

 

座標を大和に転送しようとした刹那、ラウラの声が響き渡る。即座に意識を前に向けると、既に目の前に相手が迫っていた。迫りくる一撃に反応したシャルロットは床を強く蹴り、後ろに向かって思い切りバックステップを踏む。

 

当然大和とのプライベート・チャネルに返答する余裕は無かった。不意にシャルロットの声が聞こえなくなったことで、スピーカーからは何度も自分の名前を呼ぶ大和の声が聞こえる。が、会話に割くほどの余裕は無い。

 

申し訳ないと思いつつも、一旦強制的にチャネルを切った。

 

避けると当時に蹴りが鼻先を横切っていく。後一歩反応が遅かったら危なかった、知らせてくれたラウラに感謝を伝えようとすると、当の本人は攻撃後の隙を狙って再度、相手に攻撃を仕掛けようと接近する。

 

 

「これならどうだ!」

 

 

床を蹴り、高く飛び上がると相手の顔面目掛けて一閃。が、馬鹿正直な一撃であるために、片手でガードされてしまう。

 

ラウラの一撃も相当重たいはずなのに、片手で受け取られてしまったことに歯を食いしばって悔しがる素振りを見せるも、宙に浮いたまま身体を反転させ、遠心力を利用しながら相手の脳天目掛けて踵を振り下ろす。

 

片方は自身の初撃を受け止めたことで使えない。となると残るは片腕のみ、だが先ほどよりも遠心力をきかせた踵落としは、通常よりも遥かに威力の高いものになっており、片手だけで防ぐことは難しい。片手で受け止めようとすれば、衝撃に耐えきれずに持っていかれる。

 

と、本来通りの筋道であれば相手に一矢報いることに成功したかもしれない。

 

だが今回の相手はあまりにも分が悪すぎた。

 

 

「なっ……」

 

 

攻撃の直撃を確信するラウラの瞳に、ニヤリと不気味に微笑む口元が映る。

 

その瞬間、自分の身体が風車のように一回転したかと思うと、勢いよく机に叩きつけられた。威力を増すために使った遠心力を逆に利用され、力そのままにラウラは全身で衝撃を受けることになる。

 

ぐしゃりという嫌な音と共に、強固に作られた机が真っ二つに割れる。割れた机がラウラに伝わる衝撃の大きさを物語っていた。悲痛な音に、隠れている客の表情が歪む。

 

 

「ぐっ……」

 

 

膝に手を当てて立ち上がろうとするも、痛みをこらえるのがやっと。本来であれば骨の一つや二つ折れていてもおかしくない衝撃がラウラを襲っている、むしろ立ち上がることが出来ている時点で奇跡のようなものだ。

 

だがこの身体では今までと同じように動くことは不可能であり、飛んだり跳ねたりする事も難しい。

 

 

「ラウラ!」

 

「な、何のこれくらい……!」

 

 

そう強がってみせるが身体は正直であり、力を込めるだけでも痛みが走る。誰がどう見ても、これ以上の戦闘は出来なかった。ラウラが完全に手も足も出ない上に、二人がかりでも一撃を加えられない現状から判断すると、勝てる見込みはゼロ。

 

なら今下手に戦ってこちらの戦力を消耗するくらいなら、増援が来るのを待った方が勝てる確率は上がる。問題はそれまで相手が待ってくれるかだが、ここに関しては何とか防ぎきるしかなかった。

 

相手の攻撃は食らえば終わりと、シンプルかつ分かりやすい。が、自分たちをコケにして遊んでいるのか、攻撃自体は激しいものではない。防御に徹していれば、何か活路が見いだせるかもしれない。

 

と、相手がいつ来てもおかしくないように臨戦態勢を取るシャルロットとラウラ。ラウラに関してはついさっき食らった一撃のダメージが抜けきっておらず、大きなハンデを背負ったまま、しばらく相手の攻撃を防ぐことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし二人は肝心なことを完全に忘れていた。

 

強盗犯は目の前にいる一人だけではなく、他にも三人いることを。気絶したと思っていた三人の内、一人の手がピクリと動く。どうやら攻撃が浅く、衝撃が伝わりきらなかったらしい。

 

普段であれば目を覚ました強盗犯にも冷静に対応出来たかもしれないが、今回は目の前の一人が強敵すぎるあまり、周囲に対して一切気を配ることが出来なかった。目を覚ました一人が現状を把握すると、近くに落ちたハンドガンに手を伸ばす。

 

 

「……こんなガキ共に、好き放題されてたまるかよっ!」

 

 

立ち上がったのはリーダーの男だった。ハンドガンのトリガーを握り締め、銃口をラウラに向かって突きつける。

 

 

「っ!」

 

 

まさか立ち上がってくるとは思っておらず、シャルロットとラウラは共に驚愕の表情を浮かべた。それに加え、本来であれば難なく対処出来たであろうイレギュラーも、ラウラが怪我をして満足に動けなくなってしまった今となってはどう対応するか考えるだけでも必死。

 

まともに動けるのはシャルロットだけであり、ラウラを守りながら二人と戦う余裕は無い。単独での戦闘で一人は倒せたとしても、ラウラですら手玉に取られた一人を倒せる未来は想像出来なかった。それに意識を取り戻すにしてもあまりにもタイミングが悪い。

 

既に銃口を突きつけられている状況を見ると、まさに絶体絶命、為す術が見当たらなかった。

 

 

「くそっ……!」

 

「くくっ、残念だったな。その年でここまで追い詰めたことは褒めてやる。だが、相手が悪かったなぁ!」

 

 

銃口を突きつける男を睨みつけるラウラだが、所詮は後の祭り。この距離では抵抗する術も無い。ならもう撃ち出される弾丸を避けるか、非常事態ということで禁止されているISを展開するか。

 

トリガーを引いてからでは弾丸を避けることは出来ない。ならトリガーを引く瞬間を判断する必要があるが、相手が複数人いる状態で集中力を維持することは極めて難しい。

 

ISを展開することになっても致し方がない、ラウラの中でそう結論付けた。

 

 

「死ね」

 

 

そしてトリガーが引かれる瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前を銀色の何かが横切っていったかと思うと、ラウラがISを展開するよりも早く、強盗犯の持っているハンドガンが轟音を立てて砕け散った。

 

 

「……は?」

 

 

場にそぐわない何とも間の抜けた声が垂れてしまう。目の前で起きていることを、場にいる誰もが理解出来ていない。トリガーを引くと同時に、弾が発射される事無くハンドガンが砕け散った。

 

 

「うぐっ……」

 

 

ハンドガンの破片により、犯人は手の何カ所かを切ってしまったようで、裂けた手袋からは出血している様子が伺える。加えて相当な衝撃が手に加わったらしく、腕を抑えて犯人がうずくまった。

 

無惨に砕けた銃身の一部がシャルロットの近くに転がると、そこには運ばれてきた料理を切るナイフが突き刺さっている。トリガーが引かれたのだから、銃が壊れたいない限り弾丸は発射される。だが銃口が塞がれている状態でトリガーを引けば、行き場を失った弾丸は中で暴発し、衝撃で銃は砕け散る。

 

問題はこのナイフがどこから飛んできたのか。

 

自分はもちろんのこと、ラウラも投げていない。対峙している一人もナイフを取る素振りなど見せなかったし、ナイフの形状から見て外部から持ち込んだ可能性は皆無。店独自で用意したもののため、外部で入手できるルートは限られた。

 

となると店内のどこかから投げられたとしか考えられない。投げられたであろう先、店舗の入口に視線を移すと。

 

 

 

「おいおい。こんな店内で発砲とは随分物騒な世の中だな」

 

 

店の入口に背を預け、得意げに微笑む大和の姿がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん!」

 

「や、大和! どうしてここが分かったの!?」

 

「外であれだけ野次馬と警察が騒いで居ればな。場所は分からなくても、すぐに検討はついたよ」

 

 

シャルロットからプライベート・チャネルを受けること数分。人目を欺いて移動していた俺はようやく二人の位置を特定することに成功した。最も、偶々俺が近くにいたのと、目的地周辺を警察や野次馬がたむろっていたこと、更に外に面する窓ガラスが盛大に割られていたことで、喫茶店の場所を特定することに時間は掛からなかった。

 

もし俺が実家や学園寮に戻っていたら危なかったが、駅の改札を潜る直前にシャルロットから通信が入ったために、迅速に動くことが出来たのは不幸中の幸いだろう。突然の登場に驚きの表情を隠せないでいるシャルロットとラウラ。

 

……しかしなんつー服装をしているのか。シャルロットはかっちりとした執事服、ラウラはフリフリとしたメイド服。どちらも似合いすぎていて違和感が無かった。

 

ラウラはどこか怪我でもしているのか、いつもと様子が違う。手痛い一発を食らったとは聞いていたけど、どうやらその後にも何かあったらしい。

 

 

「お、お前何者だ!? 一体どうやって……!」

 

「ん?」

 

 

腕を抑えながら、何をされたか分からずにこちらを睨みつけてくる覆面マスクの強盗犯。人の妹に銃を突き付けていたから、物理的に止めるために近くにあったナイフを投げただけなんだが、ほんの僅かな出来事故に全然気付かなかったらしい。

 

まさかそのまま発砲するとは思わなかったが、ある意味人に銃を突きつけた報いかもしれない。見るからに痛々しいものの、流石にここまで事を大きくしていてかける慈悲など無かった。

 

 

「まぁ、悪事は必ずバレるのさ。このご時世、上手く逃げようったってそうは行かねーよ。むしろ下手打つ前に捕まって良かったんじゃないか」

 

「く、くそっ!」

 

「シャルロット、悪いんだが少し見てて貰っていいか。こっちが見ていないところで下手なことをされても困る」

 

「え? あ、うん」

 

 

いくら銃を破壊して攻撃手段を無くしたとはいえ、まだ何か奥の手を残している可能性も考えられる。一番近くにいるシャルロットに声を掛け、残った強盗犯を取り押さえるべく指示を出した。

 

さて、と。残るはコイツだけか。

 

 

「随分と好き放題やってくれたみたいだけど、目的は何だ?」

 

「……」

 

「話すつもりはないってことかい」

 

 

死んだ魚のような無機質な眼差しに覆面マスクを被っているせいか、何を考えているか分からない。ラウラが今そこでうずくまっている男にやられたとは考えにくいし、十中八九こっちの男にやられたんだろう。

 

体格は俺とほぼ同じ。無駄な肉は綺麗に落とされていて、まさに理想的な体型と言える。そこに潜む確かな戦闘力、決して舐めて掛かったわけじゃなく、ラウラの実力を大きく上回っただけのこと。

 

この男、冷静な振りをして体中から発せられるオーラが常人のそれとはかけ離れていた。まるで怖いものなど何一つ無いと言わんばかりに、射抜く無機質な瞳。かつて俺から左眼の視力を奪ったプライドのような狂気的な性格とは正反対の性格だった。

 

だからこそやりにくい。喜怒哀楽がしっかりとしている人間ならば心理戦に持ち込むことも出来るが、感情の変化が分からない以上はどうしようもない……と言いたいところ、もちろん言いたいわけではない。

 

 

「……ふっ」

 

「ん?」

 

 

不意に黙っていた男が声を漏らす。嘲笑とでも言うのか、鼻で笑い人を小馬鹿にしているような雰囲気さえ感じることが出来た。

 

このケースで小馬鹿にされたところで別に何とも思わないが、初めて示す反応に、むしろ俄然興味がわく。一体こいつは何を考え、何のために行動しているのか。易々と強盗犯たちへの攻撃を許した以上、強盗犯のために行動しているわけではないことが分かる。

 

少なくとも喫茶店を襲撃したところでメリットはない。強盗犯には逃走するためのツールを用意する明確な目的があるが、こいつには目的らしい目的を感じられず、本能のまま行動しているようにしか見えなかった。

 

そこにラウラが攻撃を加えたが故に、自身に刃向かう者として反撃に出たんだろう。何もしなければ何事もなく事が済んだ可能性も考えられる。

 

 

「そうか、お前があの……」

 

「ちょっと待て、さっきから何をぶつぶつ言ってやがる。もう少し聞こえるように」

 

「お手並み、拝見といこう……かっ!」

 

「は……うお!?」

 

 

突然目の前から姿が消えたかと思うと、見失うほどのスピードで接近し、体勢を低くしながら踏み込んで来た。とっさの反応で顔を横にずらすと、すぐ横を風圧が通り抜けて行く。

 

少しヒヤリとするも、この程度で焦る訳にも行かずに気持ちを切り替えると、突き出された右手を掴んで後方に投げ飛ばす。速さだけなら今まで相手した中でもトップクラス、加えて一撃の重さもトップクラス。

 

一回攻撃を見ただけだが、そこら辺の一般人じゃまるで話にならない。ラウラが軽くひねられたところから判断すると、体術は達人レベルにまで達しているらしい。

 

ただ完全な我流のようで、今の正拳突きも空手や拳法といったどのカテゴリーにも当てはまらない。だからこそ武術独自の癖が分からず、対応に苦労する。一番相手にしたくない相手だ。

 

投げ飛ばしたところで対した牽制にはならず、空中で身体を反転させると難なく両足を地につく。

 

……仕方ない、言葉で聞かないのなら身体を使って黙ってもらうだけだ。

 

 

手を正面に突き出して手招きをしながら挑発する。その挑発が戦い開始の合図となり、男は地を蹴った。

 

この間僅かコンマ数秒、目で追うのも困難なスピードで近寄ると、加速を利用した重い蹴りを繰り出してくる。迫りくる足を片手を使って別方向へ軌道を逸し、こちらからカウンター気味に右足を上げようとした。

 

……が、背後に殺気を感じると同時に体勢をしゃがみながら低くし、両腕をクロスさせると突然ズシリと全身に衝撃が走った。ビリビリと痺れる両腕の上にはいなしたはずの相手の足がある。たった一瞬で引き戻して次の攻撃動作へと移ったとでもいうのか、恐ろしいほどの速度だ。

 

 

「ちぃっ!」

 

「!」

 

 

このままではジリ貧になるばかりだと悟り、力任せに相手を押し返す。攻撃後の硬直を狙い、力を込めた蹴りを叩き込んで行くが、正面からの攻撃では効果が薄く、腕をクロスさせながら衝撃をいなされてしまう。

 

小刻みにステップを踏みながら、互いに様子を伺う。不特定多数の人間がいる喫茶店で、大暴れをするわけにもいかない。再び接近して拳を乱れ打ちながら、相手の拳幕をかわす。少しでも油断をすれば一瞬にして意識を刈り取る一撃が直撃する。

 

 

「シッ!」

 

「こっちだっ!!」

 

 

襲い来る相手の拳を手で握り締め、カウンター気味に顔面めがけて拳骨を振るうが、乾いた甲高い音と共に手のひらできっちりと衝撃を吸収されて受け止められる。

 

相当な実力者なのは分かっていたけど、こうもあっさりと対応されるとこちらとしても手加減なんか到底している場合じゃない。最もそこまで手を抜いているつもりは無いが、俺の動きにもきっちりと対応してきていた。

 

が、相手もこちらの実力を心の奥底で見下していた部分があったようで、口元が先ほどよりも歪み、目つきが鋭くなる。思ったように攻めることが出来ず、苛立ちを隠せないでいた。

 

通常であれば苛立ちは攻撃の大振りを呼び、大きな隙を作り出す要因となる。感情の変化は見て取れるのに、繰り出す攻撃に大きな変化は無い。苛立ったところで状況判断は冷静、攻撃も正確無比。敵としてはこの上なくやりづらかった。

 

腕を捕まれて入口側へ投げ飛ばされるも、近くにある照明をぶら下げている鉄の部分へと捕まり、遠心力を利用しながら床へと降り立つ。

 

 

「ふぅ、やるな。一体その戦い方はどこで習った?」

 

「……」

 

「なるほど、自身の事に関してはあくまで無言を貫くつもりか」

 

 

そこまで言ったところで、入口の方からはバタバタと駆け寄る足音が複数聞こえてきた。こちらとしては別に相手を完全に伸す必要はなく、場にある脅威を取り去ることが出来れば、結果としてどの方法を取ったとしても特に問題は無かった。

 

ある程度時間を稼ぐことは出来ているし、最終的に相手が自分が不利だと認識し、逃げ出してしまえばそれまで、逆にまだ向かってくるというのなら相手にするまで。今対峙している男以外が動け無い以上、第三者から茶々を入れられる心配は少ない。

 

ポリシーなのか何なのかは分からないが、人質を取ることも無いようだし、俺は安心して目の前の相手に集中することが出来る。

 

 

「……」

 

 

痺れを切らしたのか、床を力強く踏みつけると床に散乱していた食事用のナイフがくるくると回転しながら宙へと舞う。刃先に触れないように取っての部分を掴むと、矛先をこちらへと向けた。

 

 

「おいおい、物騒すぎるだろ。ここ日本だぜ? 少し落ち着けよ……」

 

 

威嚇ではなく、本気で俺殺す気になっているらしい。見た目は冷静でも心の奥底には夜叉が眠っていた。

 

仕方ない、こうなってくると俺も沈静化させれば良いという認識を改めざるを得なくなってくる。こちらが何かを言ったところで、聞く耳など持たないだろう。

 

それに下手に時間を掛ければ他にも被害が出る可能性も考えられる。客の中には加勢しようかと考えている者も出て来ているみたいだし、戦いを長引かせるのは危険。

 

 

「それでもやるってんなら……」

 

 

ただの一般人では全くといって良いほど太刀打ちが出来ないはずだ。それどころか気の立っている相手に下手な刺激を加えれば、命の保証は無い。

 

手加減は無用、ここから先は遠慮なくコイツを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――やってやるよ」

 

 

徹底的に叩きのめす。

 

再び目を見開き地を蹴る。ダンという衝撃音と共に、一足一刀の間合いに飛び込むと全体重を掛けて正拳突きを繰り出す。モーションの少ない手加減なしの一撃が顎をとらえようとするが、寸前のところで背後に下がりかわされてしまった。

 

変わりに襲い来るのは、右手に握られた食事用のナイフ。

 

右利きの人間が攻撃をしようとすると、ちょうど俺の死角にあたる左眼側から攻撃が迫る形になる。死角だからこそ、普段に比べて反応がワンテンポ遅れてしまう。

 

いくら生活に慣れてきたとはいえ、高々一、二ヶ月で両眼が見えていた頃の距離感を取り戻すのは難しい。本来なら日常生活を送るだけでもやっとなはず。

 

……が、それはあくまで一般常識の話であって、常識が通用しない人間だって居る。

 

 

「っ!?」

 

「当たると思ったか? 残念、そんなヤワな鍛え方はしてないんだよ」

 

 

迫りくる刃先を人差し指と中指で挟んで受け止める。反応してきたことが想定外と言わんばかりに、相手は驚きの声を漏らした。彼の反応から俺のことを下に見ていた様子が伺える、多少なりとも何とでもなると慢心していたかもしれない。

 

だが、戦う上での慢心は完全な命取りになる。相手がナイフを引き抜こうと力を込めるも、微動だにしない。力を両指に込めたまま、捻るように指を動かすと衝撃に耐えられなくなったナイフは取っ手の部分を残してポッキリと折れてしまった。

 

 

「少し寝てろ」

 

 

相手のナイフによる攻撃手段を無くした後、多少の動揺で無防備になっている相手の脳天目掛けて、振り上げた右足を思い切り振り下ろした。

 

肉体同士のぶつかり合う鈍い音と共に、二回三回と床をバウンドすると近くの机に当たってようやく止まる。少し力を入れすぎたか、大怪我には繋がらないように配慮をしたつもりだが、いつもとは違う妙な感覚があった。

 

確かにピンポイントで顔面を捉えたはず……だというのに、足に残っているのは鉄製の机でも蹴り飛ばした時に起こるような痺れ。人を蹴り飛ばすことが滅多にないせいであまり覚えていないが、こんなに痺れが残るものなのか。

 

痛いわけではなく、歩けないほど痺れている訳でもない。こんな感覚だったかと疑問に思っただけだ。しかし何にしてもこれで一旦は落ち着きを……。

 

 

「……おい、嘘だろ。そこは大人しく寝とけって」

 

 

取り戻してはいなかった。

 

完全に沈静化させたと思っていた相手は、窓の縁を掴むと重たい身体を持ち上げる。蹴り飛ばした時に地面と擦れたからか、被っているマスクの所々に裂傷が出来ており、ほんの僅かに今まで隠れていた部分が露わになっていた。顔全体とまでは行かないものの、俺の方からは耳に掛かるもみあげまではっきりと見える。

 

この状態でまだやるとでも言うのか。ただし向こうが立ち上がった以上、こちらは戦闘態勢を解除するわけにはいかなかった。

 

 

「……」

 

「あっ、おい!」

 

 

が、予想に反して俺がいる方向とは別の方向に向かって走り出す。走る先にあるのは先ほど強盗犯が銃を撃ち込んだ事で割れてしまった窓だった。

 

窓に向かって一目散に駆け寄り、頭を抱えながら外へと飛び出す。下には警察や野次馬が居ることは本人も重々承知の中飛び降りたのだから、逃げ切ることも想定しての行動なのだろう。逃げられてしまった以上、手を施すことは出来ないし、何より今の喫茶店をそのままにして追いかけるわけにはいかなかった。

 

あの身体能力は間違いなく、俺を始めとした遺伝子強化試験体と全く同じレベルであり、一般の警察ではまず捕まえることは出来ない。加えて覆面のせいで人物の特定は難しく、人混みに紛れてしまえば気付かれることはない。してやられた感はあるが、下手に後追いをして大きな被害になるよりかはマシだろう。

 

幸いなことに喫茶店での襲撃に関しては大きな損害も出ておらず、あるとすればラウラが怪我をしたくらいか。

 

しかしまぁ、あの一撃を食らって立ち上がるのには正直驚き以外の何者でもない。自分自身が鈍っているのか、それとも無意識の内に手加減をし過ぎたのか。どちらにしても立ち上がり、逃げられたのは事実。少し自身の鍛錬にも力を入れ直さなければならない。

 

 

 

強盗犯たちも沈静化されて、一気に静寂が訪れる店内。

 

誰も言葉を発さずに沈黙が続く中、隠れている一人がボソリと声を上げる。

 

 

「私たち、助かったの?」

 

 

既に残った三人の内二人は伸びていて、一人はシャルロットの監視の元身動きが取れなくなっている。シャルロットに目視で確認を取ると、小さくコクリと頷いた。

 

これ以上抵抗する様子は見られないし、後は警察が入ってくるのを待つ……いや、呼びに行けば万事解決となる。ただ俺たちが関与したことをあまり大っぴらに話すと、後々が面倒なことになりかねないため、警察を呼んだら俺たちはさっさとトンズラすることにしよう。

 

専用機を持ったISを動かせる男性と、各国の将来を嘱望された専用機持ちの代表候補生。これだけ大きなことになっていれば、警察以外にも当然マスコミやら何やらが待ち構えていることだろう。

 

店長に裏口の場所でも確認して、場を去るのが勝ちだ。ラウラに関しては足を痛めているらしく、上手く歩けないだろうし、おぶって帰るとしよう。

 

この後の事を考えている内に警察が喫茶店の中に入店し、またたく間に強盗犯たちは取り押さえられることになった。

 

……後から判明したことだが、途中窓から逃げた一人に関しては取り逃してしまったらしく、更に顔も分からないことから未だに行方を追っているとのこと。

 

 

詳しい事情を確認する間もないまま、俺たちは喫茶店を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「痛っ!」

 

「やっぱり我慢してたか、ちょっと足を見せてみろ」

 

 

夕暮れのとある公園。

 

先ほどまでの慌ただしさは何だったのかと思うほど落ち着いた夕暮れであり、近くに見える海岸には朱色に照らす円形の光が波を編むかのように漂っていた。昼過ぎに比べると人通りも随分と少なくなり、周囲にいるのは三人を除くとほぼ居ないに近い。

 

公園に来るのはいつぶりだろう。ナギと出掛ける際は大概が買い物であり、他に行ったことがあるとすれば告白をしたテーマパークくらいだ。メインがウィンドウショッピングになっているせいで、近場の公園に足を運ぶ事なんて滅多にない。

 

嫌いな訳ではなく、買い物をしているうちに夜遅くなってしまうのが主な原因となっている。そもそも原因と言うほどのものかどうかも分からないが、この話はこれぐらいでいいだろう、むしろ良しにしてくれ。

 

さて話を戻そう。

 

帰り掛けに公園に差し掛かった時、ラウラが如実に足元を気にし始めた。喫茶店を出る際に何回も確認したが、本人は大丈夫だと首を縦に振らず。これ以上聞いても埒があかないと判断し、渋々ラウラの言うことを信じて電車に乗り、最寄り駅まで来たわけだが、流石に痛くなってきたらしい。

 

歩き辛そうに表情を歪めるラウラを強引に近くのベンチに座らせ、靴を脱がせる。青黒くなってはいないものの、触れるとやはり痛みが走るらしい。骨折まではいってないようだが、これ以上無理に歩かせるのも、患部の状態を見る限りは良くない。

 

 

「うぅ……」

 

「もう、ラウラも素直に言えば良かったのに」

 

「な、何をこれしき! このくらいなら気合でも入れれば……あうぅ!?」

 

 

強引に立ち上がり、再び歩き出そうとするラウラだったが、踏み出した瞬間に痛みが走ったようで、転びそうになる。

 

咄嗟に倒れ込むラウラのお腹に腕を伸ばし、地面に倒れ込まないように抱えて支えた。いくら口が達者だとしても、身体は正直であり、痛みを認識した今となっては、歩くたびに足に激痛が走っている。この状況でどうやって寮にまで帰ろうとしたのか、到底放っておけるようなものではなかった。

 

 

「ほら無理だって。怪我が悪化したらどうするんだよ」

 

「……」

 

 

俺の言葉にどこか納得の行かない表情を浮かべながら、唇を噛みしめる。理由はさっきの相手に手も足も出ずに負けてしまったからだろうか。

 

当然油断していた訳ではないと思うが、聞いた話によると全くと言って良いほどに歯が立たなかったらしい。ラウラは代表候補生であることはもちろんのこと、元々は遺伝子強化試験体として育てられたプロのエリート軍人だ。

 

ある程度力を持つ人間であったとしても負けることなど無かったし、屈服することも無かった。ラウラが明確に負けたと言える相手は俺の知る限り二人。

 

俺と千冬さんだ。

 

それ以外には負けた経験など無かったはず、だからこそ並の人間には負けないというプライドを持っている。が、今回そのプライドを根本からボッキリと折られてしまった。

 

ラウラの中にも切り替えて次にと考えるポジティブの思考の中に、僅かながらネガティブな思考が混ざっており、だからこそ純粋に負けたことが悔しい、そして俺の手を煩わせてしまったことに負い目を感じている。故にこれ以上俺に迷惑を掛けまいと、気丈に振る舞っていた。

 

ただし俺の視点から客観的に見ると、誰がどう考えても相手が悪い……否、悪すぎると言っても過言ではない。今まで生身で手を合わせた中では間違いなく最強クラスの実力を持ち合わせている。

 

それに最後に放った一撃を食らって立ち上がる辺り、タフネスさも常識を逸していることがよく分かった。あれは無意識に俺が手加減し過ぎたのではなく、急所を直撃したにも関わらず、相手は立ち上がって来たと言うのが正しい。

 

そんなバグキャラに、何の情報もないまま勝つなどと無謀にもほどがある。ギャグはせめて日常生活の中だけにして欲しいところだ。

 

 

「ラウラ、確かに手も足も出なかった事が悔しいのは分かる。怪我をさせられたのも、お前にとって相当な屈辱だったのも分からない訳じゃない」

 

 

しょぼくれたラウラに歩み寄りポンポンと頭に触れると、うーと唸りながらも座ったまま顔をこちらへと向けた。納得が行かないのは分かるが、これも実力。自分よりも強い人間がいると再認識する良い機会にはなったことだろう。

 

絶望的な力の差に悲観するような性格ではないことは知っているし、明日にもなれば切り替えていることは分かる。落ち込むことは悪いことではないし、手を掛けてしまったことに対して申し訳なく思う気持ちも大切だと思う。

 

兄として出来る俺なりの慰めにでもなるのか。後自分よりも小さな女の子の頭を撫でるのが変に癖になってしまっているようで、やめられない止まらない状態になっていた。

 

俺の気持ちを察してか、隣に居るシャルロットはクスクスと笑う。

 

 

「世の中には俺より強い年下だっているかもしれないんだ。また明日から頑張れば良いさ」

 

「……うん」

 

「ま、その前に足の怪我を治さないとだけど。どれ、おぶっていってやるからこっちに来い」

 

「えっ!」

 

 

場にしゃがみ込み、ベンチに座っているラウラに向かっている背を向けた。無理して歩かせる訳にも行かないし、かといってわざわざタクシーを呼ぶのも気が引ける。それなら自分がラウラを背負っていった方が手っ取り早い。

 

いつもなら喜んで飛びついてくる姿が容易にイメージ出来るのに、今日は飛びつくどころか恥ずかしがっている素振りが見て取れる。

 

まさか俺の事を兄とは認識せず、一人の男性として認識するようになってしまったのか。『お兄ちゃん』と慕うラウラが、異性として意識するだなんて、そんなアホなことは考えられない……と言えないのが悲しいところだ。

 

 

「あ、足の怪我なんて何ともない! これくらい歩ける!」

 

「はぁ? 立っているだけでも辛いのに、何を強がってるんだっての」

 

 

とりあえず何かと理由をつけておぶさるのを避けようとするが、まともに歩けないことは先ほどの一件で証明済み。誰がどう見ても強がりであることが明らかにも関わらず、頑なに嫌がる理由は何なのか。

 

何だろう、悲しい気分に襲われてならない。

 

 

「し、しかし!」

 

「しかしもへったくれもない! 怪我してるんだから、無理をするなよ。悪化したらどーすんだ!」

 

「ラウラ、ここは大和に甘えた方が良いんじゃない? これ以上無茶して怪我が悪くなったらそれこそ本末転倒だよ」

 

「うっ。シャ、シャルロットまで……!」

 

 

恨めしそうな表情を浮かべるラウラだが、痛みから上手く歩けないのは自分自身が一番分かっていること。言い返せないことに唸るも、頼みの綱だと思っていたシャルロットが俺の方へついているためどうしようもない。

 

チラチラと何度か俺の方を見ると、堪忍したかのように遠慮しがちに背中へ体重を預けてくる。首付近に腕を巻くように固定し、寄り掛かったことを確認すると、衝撃を与えないように膝の裏に腕を回し、スクワットの要領でゆっくりと重たい腰を上げた。

 

周囲から顔を見られたくないのか、直立した瞬間ラウラが俺の肩に顔を埋める。照れる妹の様子に小さく笑みを浮かべ、寮へ向けて歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん……」

 

「ん?」

 

 

歩くことしばらく、誰も話を切り出すことなく沈黙が続いていたが、不意に背後からラウラが話しかけてくる。ずっと何も話さずにいたからてっきり恥じらいが薄れたのかと思っていたが、やっぱり恥ずかしいのだろうか。

 

控え目におずおずと尋ねるラウラの方に顔だけ振り向かせると、目線だけを俺から逸らして顔を赤らめたまま話し始めた。

 

 

「重たくない?」

 

 

予想の斜め上を行くラウラらしからぬ質問に、思わず間の抜けた声が出そうになる。隣のシャルロットも鳩が豆鉄砲を食らったかのような表情を浮かべていた。

 

まさかラウラの口から自身の体重についての質問が出て来るとは思いもよらなかった。自身のセンシティブな情報には変わりないため、一般的な女性の観点からすれば分からなくもない。肉付きを悩む女性も多い中、無駄な肉の一切付いていないラウラからすれば気にすることが無い話題だと思っていたのに、正直意外である。

 

それに普段から人目をはばからず抱きついてきたり、素っ裸のまま人の布団に飛び込んだりするような部分から、恥じらいはないのではと思っていたが、やはり男性に背負われてると意識をしてしまうらしい。それに背負われている理由が、怪我をしてしまった自分にあるとすれば、一層その気持ちは強くなる。

 

ここでもし俺が『重すぎる、普段からどんな食べ物食べてんだよ』などと言ったら空気をぶち壊す事は必須。全く微塵も思ってはいないが、思ってもいないことを冗談半分で言って人をからかう人、いるよな?

 

あれ、意外にウケ狙ってるかもしれないけど割と言われた本人傷ついているから注意しような。

 

 

「全然。むしろ軽くてびっくりしてる」

 

「……ホント?」

 

 

嘘はついていないかと、純粋な眼差しで心配そうに見つめてくる。

 

 

「あぁ、本当だ。逆に好き嫌い無くちゃんと飯は食べれてるか?」

 

「う、うむ。言われた通りキチンと三食食べているぞ!」

 

「そっか、なら大丈夫」

 

 

何が大丈夫なのかよく分からないが、ラウラが納得してくれたから大丈夫、うん。しかしまぁ女性とは難しいもの、こちらから見る限り全く太っているようには見えないのに、自身の体重に対してかなり敏感になっている。

 

ちらりとシャルロットの方を見ると、タイミング良く視線が合った。ラウラはもちろんのこと、シャルロットもスタイルが良い。彼女の場合は身長が女性の平均より低い代わりに、出るところがちゃんと出ている。それも誰もが羨むレベルで。

 

男装していた時には上半身の膨らみをコルセットのようなもので押さえつけていたんだろうが、そこそこ苦しかったに違いない。

 

……むしろうちのクラスでスタイルが悪い生徒は一人も居ないような気がする。なのに食堂ではカロリーがだの、前借りをといった会話が絶えない。俺たちが思っているよりも難しい世界があるようだ。

 

 

「……大和、今何を想像してたの?」

 

「はい?」

 

 

一瞬シャルロットのことを見てしまったからか、ジト目で俺のことを睨みつけてくる。

 

い、いや、特に変なことは想像していないぞ?

 

シャルロットのスタイルは均一がとれているし、道歩く人が見れば見ほれるレベルの容姿もしている。羨む体つきと言われれば間違いないと、首立てに振ることが出来た。当然面と向かってスタイルを誉めるなど、そんなセクハラ紛いなことはしないが、もしかして変に勘違いをされたか。

 

俺には大切な存在もいるし、シャルロットの身体に鼻を伸ばして居るなんてことは……。

 

 

「大和のスケベ」

 

「ちょ! な、何でだよ!?」

 

「だって今の大和、凄くやらしい目つきで見てた」

 

「誤解だって! 確かにスタイルが良いなーとは思った……はっ!?」

 

 

シャルロットの言い分に対して弁明をしようとするも、この状況下で何を言ったところで、盛大にやらかすのは目に見えてるにも関わらず、テンプレ通りの失言をかましてしみう。

 

スタイルが良いと言うことは、シャルロットの身体的な情報になるため、本来であれば避けるべき言葉の一つ。苦し紛れに『周囲を見渡してたら偶々目があった』くらいに言い訳しておけば良いものの、無理に別の言葉を選ぼうとした末路がこれだ。

 

穴があるなら入りたい。

 

 

「……鏡さんに言っちゃお」

 

「おま! それはマズいって!」

 

 

次に落とされた言葉はつまり俺への死刑宣告でもあった。俺にとって一番言われたくない人物の名前を言われたことで、シャルロットの側に反射的に近寄ろうとするも、ラウラを背負っていることを思い出して足を止める。

 

一対一なら拝み倒してでも止める予定だったが、それをすることは叶わなかった。つーんとそっぽを向くシャルロットの機嫌を直そうとするも、この状況で何か有効な打開策があるわけでもなく俺は口ごもってしまう。

 

このタイミングでナギの名前を出すのはズルい。慌てふためく俺の姿を、シャルロットはクスクスと笑いながらしてやったりの表情を浮かべる。不貞腐れていた先ほどまでの姿とは一転した表情に、身体の力が一気に抜ける。

 

 

「冗談だよ。でも女の子の身体をジロジロと眺めるのはいただけないかなぁ?」

 

「……そうだな、注意しよう」

 

 

はぁ変に疲れた。

 

一日の疲れがどっと出た感じだ。まぁどちらにしても強盗犯は無事に縄についたわけだし、今日も今日とて無事に一日が終わった。

 

後は帰って今日のことを報告するだけ、改めて俺たちは寮に向かって歩き出す。

 

 

「そういえば大和ってさ、今日は朝からこっちに来てたの?」

 

「あぁ、ちょっと色々あってさ」

 

 

歩き出すと同時に、シャルロットから思いもよらない質問を投げ掛けられる。確かに朝から来ていたのは間違いないものの、喫茶店で鉢合わせるまで会うことは無かったはず。

 

そもそもどうしてシャルロットは俺にプライベート・チャネルを送ってきたのか、その時点である程度察するべきだったかもしれない。人混みに紛れながら歩いているとはいえ、知っている人間からすれば丸分かりであり、バレない方がおかしな話だ。

 

何処かで俺の姿を見たんだろう。そう思えば、近くに俺がいるかもと判断してプライベート・チャネルに連絡を入れてきたのも合点が行く。

 

しかしまぁ、シャルロット判断力には恐れ入る。自身に危険が及ぶと冷静な判断もままならないというのに、冷静に周囲の状況を分析、判断して的確に第三者へと伝える。

 

誰もが当たり前に出来るようなものではないことは当然であり、さすがは代表候補生だと思える瞬間でもあった。

 

 

「もしかしてさっき連絡入れたのも、俺を何処かで見たからか?」

 

 

恐らくはそうだろうとは思いつつも、念の為に確認を入れる。するとシャルロットの口からは思い掛けない言葉が返ってきた。

 

 

「うん、そうなんだけどちょっと確認したくて。大和って僕に会わない間に、銀髪に髪を染めてたなんてことはないよね?」

 

「……はい?」

 

 

予想の斜め上を行く質問内容に、思わず魔の抜けた返事をしてしまう。

 

俺が銀髪? アメリカンジョークか何かか?

 

冗談にしても中々ハードルの高い質問になる。自分自身の髪型を変えたのならまだしも、この髪を銀髪にした姿を想像することが出来ない。

 

 

「俺が銀髪? 何故に?」

 

「あ、いやその……」

 

 

俺が尋ねると、今度はシャルロットが恥ずかしそうに顔を赤らめながら後ずさる。何故恥ずかしそうにしているかなど状況を知らない俺が分かるはずもなく、更に分からなくなってきた。

 

俺の姿を見たことと、俺が銀髪に見えたことと何の関連性があるのか、全く繋がらない。もしこれで関連付けられたとしたら、どこぞの名探偵もびっくりである。

 

 

「お兄ちゃん。実は駅に着いた時にシャルロットが、髪を銀髪にしたお兄ちゃんそっくりの人物を見つけたのだ」

 

「ら、ラウラ!」

 

「……」

 

 

口籠るシャルロットに変わって、背中にいるラウラが理由を続ける。

 

今までの話を纏めるとこうだ。

 

朝、二人は電車に乗って買い物に出掛けた。降車駅の近くで俺によく似た人物を発見したものの、髪は銀色であり、眼帯もしていない全くの別人だったと。その後、今度はラウラが本物の俺を見かけたときに、シャルロットが急に俺は銀髪に染めたなどと言ったことで双方の意見は相違。

 

最終的にはシャルロットの見間違えで、二人の中では結論付いた形になる。

 

 

「ははっ、そりゃよくある他人の空似ってやつだ。流石に何の脈略もなく髪を銀色に染めることはしないよ」

 

 

可能性としては否定できないが、急に髪を染めるようなことはしない。

 

中々面白い偶然もあったものだ。

 

 

「も、もう! 帰るよ!」

 

「はいはい」

 

 

恥ずかしさから、シャルロットは足早に先へ進もうとする。その後について行くように、改めて俺は後を追うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

「お帰りなさい、早かったわね」

 

 

部屋に戻るといつものように楯無が手をひらひらと振りながら出迎えてくれた。最初の頃は不法侵入で何回千冬さんを召還しようかと思ったが、ここ最近の扱いは慣れたものだと自分でも思う。

 

部屋に勝手に入っていようが何とも思わなくなった辺り、慣れをより強く感じさせられた。

 

 

「どう? 何か収穫はあった?」

 

「あぁ、お陰様でな。最初は半信半疑だったけど、信じざるを得ないみたいだ」

 

 

話を変えよう。

 

そもそも俺があんな場所にいた理由。他の人間からすれば、夏休みに買い物に来た一人くらいにしか認識されてなかっただろう。今回はプライベートとしてではなく、仕事の一環として赴いていた。

 

実家から戻ってきた日に楯無と会い、そこで伝えられた情報を確かめるべく、買い物客を装って出歩いた訳だが、初日で確認が済むとは思ってもみなかった。

 

 

「───行方不明になっていた()()()()()()()()()()()、ね。まさか本当に俺とそっくりとは思わなかったよ」



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彼らのみぞ知る

人生において夏が巡ってくる回数は限られている、そして同じ夏の日は二度とめぐってこない。

 

この世に生を受けて十六回目の夏、平々凡々にいつも通り過ごした人間もいれば、中には大きな変化があり生活そのものが変わった人間もいるだろう。

 

 

残る夏休み期間は僅か。

 

 

約一か月間与えられるつかの間の長期休暇はあっという間に過ぎ去ってしまった。つい数日前に終業式を終えたばかりだと思っていたのに、もう数日後には新たな期の始まりが待っている。

 

残暑お見舞い申し上げますとはよく言ったもの、何処が残暑なのかと文句の一つでも言いたくなるのが人間の性。

 

しばらくこの暑さが和らぐことは無いだろう。

 

 

夏休みの課題も完全に終わったところで、ようやくこの夏にやり終えたことが無いかどうかを改めて確認する。IS学園だからといって、ISのことのみ勉強している訳ではなく、当然のことながら通常の授業もある。

 

全体の比重としてはISの授業の方が多いものの、一端の高校生としては通常の過程もあるわけで、その学業をおろそかにすることは許されない。

 

おかげさまでただでさえ膨大なIS課程の課題に加えて一般課程の課題を加えられたせいで、カバンの中に収められている紙の枚数が異常なことになっている。

 

中学時代なんかは夏休みに入る前に全ての課題を終わらせて、別のことをやっていたイメージが強いが、今回は少しずつ課題を進めていたために、つい先ほどようやく課題を終わらせることに成功した。

 

残る休みは数日。

 

限られた休みなのだから羽を伸ばそうかと考えるも、これと言って出かける場所が思いつかず、ぐっと両手を天井に伸ばしながら座り疲れた身体をリラックスさせる。座り疲れを取った後、椅子から立ち上がって部屋の外へと出た。

 

 

「しかし平和だな……」

 

 

誰も居ない廊下を歩きながら、一人でポツリと呟く。

 

レストランに強盗が襲撃した一件の後、結局何も起こらずにただ漠然と日々を過ごしている。すぐに動きがあるとは思わなかったが、本当の意味で何も起こらないと正直気が抜けてしまう。特に相手の目的が明確化されていない以上、計画もへったくれも無いとは思うが、気を緩めるつもりは毛頭ない。

 

 

俺の新しいパートナー不死鳥(フェニックス)

 

 

実のところ、臨海学校を最後に本稼働させてはいない。

 

そもそも実戦系の授業が無かったのもあるが、自身の身体に対する影響が出ないとも限らないため、無意味な稼働はさせないようにしている。単一仕様能力を使わない限りは特に影響はなさそうだが、実際問題それを使わなければ戦うことが出来ない可能性が考えられるのも事実。

 

今後は自分の身体の状態と、機体状況を見ての判断にはなりそうだ。また下手をやって心配を掛けるのも良くないし、極力無理をしないようにはしよう。

 

 

さて、折角廊下に出て来たのだから少し寮周辺を散歩でもしようか。

 

外はうだるような暑さが続いてはいるものの、ずっと部屋の中にいては暑さに対する耐性がなくなってしまう。それにまだ行ったことが無い場所も学園内にはあるし、学園散策をすると考えれば別に悪いものではない。

 

 

そうと決まれば善は急げだ。

 

 

「ん、霧夜か?」

 

「おっ……あ、ちふ……んんっ! 織斑先生、お疲れ様です」

 

 

丁度玄関に差し掛かった辺りで背後から声を掛けられる。

 

聞き覚えのある声に身体が反応し、先に進む足を止めて後ろを向いた。いつも通りの凛とした佇まい、以前あった時のようなカジュアルな服装ではなく、黒のスーツをしっかりと着こなしている。千冬さんの佇まいがいかにも出来る女性、といった雰囲気を醸し出していた。

 

一瞬地の呼び方が出かけてしまうも、咄嗟に言葉を止め、改めて呼び直す。俺たちはまだ夏休み期間中だというのに、教師の方は既に仕事が始まっていた。

 

これが社会人なのだと認識すると怖いものがある。いずれはここの学園に通う生徒のほとんどが社会人として働くような形にはなるんだろう。学業という拘束はあれど、長期休暇はしっかりとあるし、生活を根底から覆すような理不尽も基本的には起こることはない。

 

社会に出れば休みがない場合もあれば、理不尽なことが日常的に起こり得ることも考えられる。そう考えると教師、及び社会人は本気で心から尊敬出来た。

 

そんな千冬さんに挨拶をしたところ、更に言葉を続けられる。

 

 

「どうした、どこか出掛けるのか?」

 

「あぁ、いえ。遠出する予定は無いんですが、ちょっと校舎周りを散歩しようと思いまして」

 

「ほう、暑いのに精が出るな。この時間なら各部活動も行われているし、校舎の方まで足を運んでみたらどうだ」

 

 

千冬さんの提案は俺にとって魅力のあるものだった。

 

言われてみれば入学時に校舎内は多少探索をしたが、部活に関しては何一つ見て回れていない。恥ずかしながら生活に慣れていないのもあって、どこの部活に所属することもなく、淡々と毎日を過ごしていた。

 

言われてみればどんな部活があって、どれほどの生徒が活動をしているのか。そこに関しては率直に気になる部分ではあった。

 

 

「そうなんですね。でも俺私服ですけど大丈夫なんですか?」

 

 

とはいえ行くのは良いが、今のこの服装で校舎を回るのはどうなのかと疑問符が芽生えるばかり。本当にこの服装で出回って良いのかと、素直に千冬さんに疑問を投げ掛ける。

 

 

「構わん、今はまだ夏休み中だ。学業を外れた部分のことに関しては私もとやかく言うつもりはない。ま、いくら女性の園に身を置いているとはいっても、鼻は伸ばしすぎんようにな」

 

「ははっ、そうですね。気をつけます」

 

 

と、思った以上にあっさりと許可が下りた。当然のことながら俺と一夏を除けば皆女性。部活如何ではそこそこに際どい服装の生徒も居るだろう。幸い周囲は皆好意的な目で見てくれてはいるものの、中にはあまり良い目で見てない生徒も居るかもしれない。

 

信じたくはないが、今のこのご時世全員が全員、善人とは限らない。今の洒落っぽくなったけど、別に狙って言った訳じゃ無いからな。だからこそ周囲の目を気をつけろという千冬さんなりのアドバイスかもしれない。

 

ま、十分注意することにしよう。

 

 

「あぁ、そうだ。少しお前にも伝えることがあった」

 

「あ、はい。何でしょう?」

 

 

また別件にて話があるという千冬さん。

 

何だろう、全く俺が掴んでいない情報の共有でもあるのか。まさか臨海学校の時にやらかした失態の処分が別にある……なんてオチだったら笑えない。そもそも自分が悪いのは事実だが、いざ現実を思い知らされると中々に身構えるものがあった。

 

 

「なに、そう身構えることはない。お前の専用機の件だが、近々一旦預からせて貰うことになる」

 

「あー、なるほど。やっぱり身体にあまり良くないのが問題ですか?」

 

「それもある……だが、本質はそれだけではない」

 

「妙に歯切れが悪いですね。また別の問題か何かが?」

 

 

何千冬さんの歯切れが悪い。ただのメンテナンスであればそこまで深刻に考えることはないのだが、千冬さんの口振りでは何かあるのかと、かえって不安がかきたてられる。

 

元々操縦者の身体能力にあわせて順応し、力を発揮するイレギュラーな専用機ではあったものの、決して使い心地が悪いわけではなかった。問題なのは使いやすさではなく、単一仕様能力による心身への影響だろう。

 

元々は篠ノ之博士が用意した機体であり、誰も機体の詳細を把握できていない。もしかしたら今後、通常稼働に影響が出て来る可能性も否定は出来なかった。

 

そう考えると一度どこかのタイミングで見て貰う方が、これからのためにも良いかもしれない。

 

 

「いや、如何せんお前の機体は前例がないものでな。データをよこせと上からの圧力が強いのさ」

 

「あー……」

 

 

鬱陶しそうに頭をかく姿を見て、苦笑いを浮かべることしか出来なかった。

 

所謂大人の事情ってやつだろう。ようはお国のお達しで、何が何でも俺の専用機のデータが欲しいらしい。世界に存在するISコアの数は限られているにも関わらず、またそれとは別に二機のISが製造された。

 

不死鳥と紅椿。

 

二つとも篠ノ之博士が一から作り上げた、前例を見ない機体。自分たちでISを開発せざるを得ない、またコアの純増が全く進んでいない現状を踏まえれば、二機体の情報は喉から手が出るほど欲しいはず。

 

 

「ま、そこはこっちの管轄だ。お前が気にする部分ではない。メンテナンスに関しては追って通達する」

 

「分かりました」

 

 

俺が言い終わると、ではなと仕事へと戻っていく。

 

ISを稼働する上で、常にリスクがつきまとう。

 

それだけは常に、認識しなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、堅苦しい話が終わったところで、俺はIS学園の校庭へと歩を進めていた。こうして時間をとって休みの日に学校へと足を運ぶのは、IS学園に入学してから初めてのことになる。

 

夏休み期間だから生徒の数は少ないとばかり思っていたものの、部活動で精を出している生徒は多く、何気なく散歩している並木道でも、ランニング中の生徒の何人かに遭遇している。会う度に挨拶をかわしてくれるのは凄く嬉しいことだが、俺と全く面識の無い生徒の中には他学年、同学年問わず握手を求めてくる生徒もいた。

 

……いや、俺なんかをわざわざ構ってくれることに関しては喜ぶべきことではあるんだが、それだけのために皆の貴重な時間を奪ってしまっているような気がして、申し訳ない気持ちになる。

 

ここ数分だけでどれだけの人と会ったかまでは覚えていないが、数だけでもそこそこ会っているのは事実。もしかしたらこの道自体がランニングコースに指定されることが多いせいで、会いやすいのかもしれない。

 

 

「ここから先はグラウンドか」

 

 

道を進み続けると、視界の先に大きく広がるグラウンドが見えた。ここから先はIS学園の陸上グラウンドになる。

 

普段使うことがあるとすれば体育の授業のみ。IS実習の際に使うグラウンドはまた別にあり、ここは完全に運動専門で作られたものになる。

 

来るとしても週に数えるくらいしかない体育の日だけであり、それ以外の授業で来ることは基本的にはない。まさか私服で見に来るとは思いも寄らなかったが、有り余っている時間を潰すにはもってこいだ。

 

しかしまぁただのグラウンドではないのが流石IS学園と言ったところか。広い陸上トラックが存在するだけではなく、競技場のように観客席まで備えつけられている。私立校だったとしてもここまで豪勢に作られる事はないし、如何に別次元な場所に居るかを再認識させられた。

 

下の入り口から入るとトラックの中に入ってしまうため、少し迂回して観客席側に入る。流石にスニーカーを履いた状態でトラックに入るわけにも行かず、周囲を見渡せれば十分だと考えて、わざわざ観客席に登ったまでは良い。

 

ここなら練習中に変に押し寄せられる心配もない。それに観客席に来るには、一旦外に出て階段を登ってこなければならない。部活動中にそんなことを許すはずもない……と、ここまでは一般的な考え方になる。

 

が、俺は肝心なことを完全に忘れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ、大和くん? こんなところでどうしたの?」

 

「え?」

 

 

聞き覚えのある声。

 

俺は自分を『くん付け』で呼ぶ人間を、周囲で一人しか知らない。

 

……そう、その人物とは。

 

 

「あー! 霧夜くんだっ!」

 

「えっ!? うそ! ホントだ!」

 

「何々ー、陸上部の見学に来てくれたのー?」

 

 

と、該当の人物を紹介する前に他の陸上部の面々が、俺の姿を見るなり押し寄せて来た。

 

 

「は……?」

 

 

そう、彼女が……鏡ナギがここにいるということは必然的に彼女に紐付く部活の面々も近くにいるということ。観客席は安全地帯ではなく、運動に精を出す少女たちの休憩の場で使われる場所だった。

 

学年問わず、数多くの陸上部員たちに囲まれて身動きが取れなくなる。入学から幾分時間は経っているものの、それでも俺と話したことがない生徒、または話しかけたくても話しにいけなかった生徒と様々。

 

未だ話してみたいと思っている生徒は多いようで、俺が完全に解放されたのはそれから小一時間先の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ、そういえばナギも陸上部だったっけ」

 

「うん。あまり印象はないでしょ?」

 

「まぁな。というかそもそもクラスメイトたちが何部に所属してるか分からん」

 

 

陸上部に思わぬインタビューの嵐を受けた俺は、一旦グラウンドを離れ、別の場所で行われている部活動を見た後に、改めてグラウンドへと戻ってきた。様々な場所を見ている内にあっという間に時間が過ぎ、気付けば夕方。既に多くの部活は練習を終え、帰路へとついている。

 

俺がわざわざここに戻って来たのも、最初にナギに会った時に、折角だから一緒に帰ろうと声を掛けられたからだ。

 

幸い、丁度練習が終わったタイミングだったらしく、観客席に置いていた自分の荷物を片付けている最中だった。

 

 

「しかしまぁ……」

 

「? どうしたの?」

 

「いや、何でもない」

 

 

まだ練習が終わったばかりで、着替えも終わっていない。当然ナギの姿は陸上の練習着であり、普段着に比べて大幅に露出が増えている。よくテレビに映るようなおへそ丸出しのウェアではなく、上半身には半袖のTシャツを羽織っており、下は陸上ユニフォームのパンツ。上は言わずもがな、身体のラインがくっきりと浮き出ており、男のロマンの自己主張っぷりが半端ない。

 

ロマンが何かとまでは言わずに伏せておく。

 

今までISスーツやら、水着やらと様々なラフな服装を見続けて多少なりとも目が肥えたのではないかと思いつつも、実際そんなことは無かったと自分が男の子であることを再認識させられた。

 

 

「そ、そう。これから私着替えるからちょっとだけ待ってて欲しいけど、大丈夫?」

 

「それくらいお安い御用だ。適当に待ってるから、着替えが終わったら連絡して欲しい。それと変に気を遣って急がなくても大丈夫だから、慌てないで欲しい」

 

「うん、ありがとう」

 

 

男だったら上にジャージでも羽織って帰るだろうが、女の子は多少なりとも運動後のケアをしたいはず。しかもこの暑さの中、朝から身体を動かし続けているから、当然汗もかいている。

 

俺のことなんか気にせずにゆっくりと着替えてきて欲しいと思うも、何も言わなければ彼女の性格上、俺を待たせまいと思って急ぎ足で着替えをしてくるに違いない。急がなくても大丈夫だと一言添えると、ナギは表情を緩ませて感謝の言葉を紡いだ。

 

待つ分には何ら問題はないため、多少時間が掛かったところで何も愚痴はない。極端な話しだがら彼女のためなら一時間だろうが二時間だろうが待ってみせる。そんな待ったことはないけど。

 

それから着替えたナギが戻ってきたのは十数分後のことだった。

 

 

 

 

 

 

「あ、あのね。ちょっと聞いても良い?」

 

「んー、どうした?」

 

 

着替え終わったナギと合流し、二人で寮への道を戻って居る。これももはや見慣れた光景であり、別に今更恥ずかしがるようなことはない。だが、俺におずおずと尋ねてくるナギの様子がどことなくぎこちなかった。

 

別に壊れたロボットのような挙動をしているわけではないが、よく観察してみるといつもより多少二人の間を挟む空間が大きいような気がする。IS学園の生徒が出入りする場所ではあるため、手を繋いだり、腕を組んだりする事は遠慮しているが、いつもこんなに離れていたかと疑問が出てきた。

 

パーソナルスペースが確保されない近すぎる距離なら話しは分かるが、俺と距離を置こうとする原因は何か。

 

 

「その……大丈夫かな?」

 

 

言葉が抽象的過ぎて、その一言だけでは判断することが出来ない。言葉から察するに、いつもと距離を取ろうと考えさせる何かがナギにはあるんだろう。近すぎるのは問題だが、いつもより間隔を取ろうとする理由。

 

先ほどまでナギがやっていたことを考えれば、容易に想像はついた。

 

 

「何のことか断定は出来ないけど、特に問題はないぞ」

 

 

と、正直この返しくらいしか言葉が思いつかなかった。ようはほぼ一日に渡って身体を動かしていたから、汗の匂いが気になって、あえて距離を置いているってところか。

 

センシティブな情報であるが故に具体的な言葉を用いて発してしまうと、気まずくなってしまう。

 

 

「そ、そうなんだ……」

 

 

どこかほっとしたかのようなナギの表情から察するに、自分の想像通りだったようだ。

 

今の言葉だけではどう受け取られたのか判断が出来ないが、気持ち距離感が縮まったように思える。あくまで俺の所感であって、実際にどうなっているのかまでは知らない。どちらにしても気にするようなことではなかった。

 

下手に掘れば掘るほど会話は詰まっていくだろうし、これ以上何かを言うのは不要だ。

 

 

「……そういえば、夏休みも後少しだな」

 

 

と、話題の転換を図るために、思ったことをそのまま口に出す。残り僅かな日数となった夏休み、本来であれば悲しむことなのかもしれないものの、そこまで悲観するようなものではないように感じられた。

 

別に学校に行くのが苦痛とは思わない、むしろ楽しいとさえ思える。学校に行くことを楽しいと思える俺自身も相当変わっているのかもしれない。

 

そんな自分に思わず苦笑いが出る。

 

 

「大和くんは楽しそうだね。宿題が終わらないって嘆いている子もいるのに」

 

「そう見えるか? 確かに学校に行くことを苦には思わないけど。ってか今更あの膨大な量の宿題に手を付けているのか……」

 

 

ナギの口から発せられる衝撃の発言に、思わず顔がひきつる。あの山のような課題を終わらせるのに、そこそこ時間が掛かった覚えがあるからだ。

 

宿題が発表されたタイミングから少しずつ進めたものが、今日終わったばかりな俺が言うのもなんだが、あの量を一週間以内に全て終わらせるつもりなのか。長々と机に向かうのが嫌で、少しずつ進めていた俺から見ると、月末までに終わるビジョンが見えない。

 

 

「うん。必死になりながら部屋にこもって勉強してるんだって」

 

「うわぁ……俺は絶対に無理だ。素直に遊んでて宿題終わりませんでしたって新学期に言う」

 

「え、大和くんまだ終わってないの?」

 

「あぁ、違う違う。もし同じ状況に置かれたらってこと。もう自分の宿題は終わっているよ」

 

 

一瞬、まだ宿題が終わっていないのかと勘違いされ、心配そうな顔でのぞき込んでくるナギだが、勘違いだったことが分かると安心したかのようにほっと胸をなで下ろした。

 

流石に千冬さんのクラスで課題をすっぽかすようなことはしない。仮にすっぽかそうものなら、イコール死を意味する。女性だからといって手を抜くわけもなく、容赦なく出席簿の雨が降り注ぐことだろう。ただそれを至高だと思って、あえて罰を受けに行きたがるような体質の方に関しては否定はしない。

 

それはそれで本人の自由だし、各個人に向ける感情も千差万別。好きにすればいい。

 

が、俺はそっちの気はないため、しっかりと課題を終わらせた、それだけだ。

 

 

「ま、どちらにしても新学期になるんだ。これからもよろしくな」

 

「……うん!」

 

 

夏休みは終わる。

 

決して長い休みでは無かったが、人生において比較的充実した一ヶ月だったように思えた。もしかしたら俺が知らなかっただけで、今までも普通に過ごしていればこれくらい充実した休みとなっていたのかもしれない。

 

隣にいる大切な存在。

 

半年前には決して出来ることのないと思っていたパートナーが、今はすぐ側にいる。これからも共に歩んで行きたい、そんな想いを込めながら彼女に伝える。俺の発言の意図を理解してくれたのか、ニコリと微笑みを浮かべてくれた。

 

そして、新学期へと時は推移する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「戻ったか。どうだった? 久しぶりのオモテの空気は」

 

「相変わらずだった。どいつもこいつも面白くもないやつらばかりだったよ」

 

「そう言わないでくれ。おかげさまで貴重なデータを取ることが出来た。まさか彼との遭遇に成功するとはね」

 

 

モニターの光だけが煌々と灯る部屋に二人はいた。

 

幾つものディスプレイに映し出される街中の映像、一体どこの映像を、何が目的で映し出しているのか。カタカタとキーボードをタッチしながら、映像画面を切り替えて行くと、とある風景を映し出した状態で手を止める。

 

 

「……あぁ、奴は別格だった。これまで手を合わせてきた奴より何倍も戦い甲斐のある奴だ」

 

 

その映像を見てボソリと呟く男の顔は、どこか嬉しそうに歪んでいた。自分の好きなおもちゃを見つけた子供のような仕草が何とも不釣り合いに映る。

 

映し出された映像は言わずもがな、とある喫茶店にて大和と手合わせをした時の映像だった。映像の角度から察するに、男の顔周辺に隠しカメラでも仕組まれていたのだろう。攻撃を的確にかわしながら、有効打を叩き込む姿が映っていた。

 

ただ一人自分のペースについて来た人間。他の人間とは違い、選ばれた者しか得られない力を備えている。あのケースで冷静沈着に対応できる精神力と、他を圧倒させられる戦闘力。ほんの僅かな時間での手合わせではあったが、自身を屈伏させるだけの力を持っていることが分かっただけでも、十分すぎる収穫となった。

 

 

「ティオ、お前にあいつはやらん。俺の獲物だ」

 

「分かっているさ。どちらにしても私の力で彼と戦うのは少々分が悪い。戦うのなら君が適任だろう」

 

 

ティオ。

 

それはスコールの傘下にいる男性の名前だった。凛とした落ち着いた口調は変わらず、男性とは思えないほどの華奢な体躯に、腰まで伸びた長髪がよく似合う。

 

今この部屋には二人を除いて誰もいない状態であり、二人の声だけが部屋に反響して返ってくるだけだった。

 

 

「それにしても、本当に瓜二つなんだな。髪を黒に染めたら、どちらが本物なのか検討がつきそうもない」

 

 

マスクを脱ぎ、表情全てが露わになった姿を比べると、寸分の狂いもなく大和と同じ風貌をしている。見分ける点としては髪がラウラのような銀髪であること。

 

唯一すぐに分かる特徴でもある。

 

他に違いがあるとすれば、大和に比べると表情は固い部分か。無表情のまま淡々と話す姿は人に対しての信頼など皆無であることを物語っている。

 

かつてのプライドのような狂気染みた感情を汲み取ることは出来ないが、彼もまた一般人と比べると別のベクトルでズレた考えを持つ人物のようだった。

 

 

「久しぶりに楽しませてくれるだろう相手だ。誰にも譲るものか」

 

「……人の話を全く聞いていないようだな。だが彼に対して興味を抱いてくれたのはプラスかもしれない」

 

 

人の話などそっちのけで笑う姿に悪いくせが出たと思わず頭を抱えるも、逆に今後の作戦を成功させる意味合いではプラスに働くのではないかと考えると、決して悪い話ではなかった。

 

あらゆる人間に対して興味を持たなかった人間が、初めて明確に持った興味。

 

一体彼らは何を考え、何をしようとしているのか。

 

 

それは彼らのみが知りうる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「亡国機業、君たちには私たちの礎になってもらうよ」



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第十四章-Heart Painkiller-
Encounter with light blue


「おはよーっす」

 

 

新学期が始まってから数日が経つ。

 

またいつもと変わらぬ学園生活が戻ってきた。IS学園指定の制服を纏い学園へと向かう風景も、新鮮な感じはせず、むしろ日常茶飯事に見る光景の一つだ。

 

社会人が各々企業に勤め、対価として給与を貰う。逆に学生は自身が選んだ、もしくは入学した学校にて、勉学に励むことになる。

 

挨拶を交わしながら教室にはいると、中にいるクラスメートたちがにこやかに挨拶を返してくれる。自分の席につくと上着を脱ぎ、椅子の背もたれに掛けた。流石にこの時期はまだ暑く、上着を着ている状態では汗をかいてしまう。

 

上着を脱ぐこと自体は許されており、千冬さんを初めとした教師陣も何も言ってはこない。暑いのを我慢して体調を崩されたら困るのもあるだろう。

 

そんなことはさておき、何気なく間の前の席に視線を移すと、ぽっかりと空いた一夏の席があった。いつもならまだ来ていないだけなのかで済ます程度だが、既にクラスには箒やセシリア、シャルロットといったメンバーが既に登校している。

 

一夏は大体、この中の誰かしらと共に登校してくることが多く、一人で登校してくるケースは少ない。遅刻することは無いだろうとは思いつつ、右斜め前に着席しているシャルロットに声を掛けた。

 

 

「なぁ、シャルロット。今日一夏って見てないか?」

 

「え? ううん、見てないかな。今日は鈴と実戦訓練だったから、僕は先に来たんだけど、確かにそれでも遅いような気がするんだよね」

 

「ふーん、そうか」

 

 

何だろう、一瞬シャルロットの背後に黒い何かが見えたような気がする。

 

あの一夏のことだし、寝過ごして遅刻する可能性は皆無に等しい。幸いなことに千冬さんはまだ来ていないし、決して遅刻をしたと確定している訳ではないが、比較的早めに登校することが多い一夏にしては珍しいケースだった。

 

俺? 俺は朝起きるのは早いけど、別に学校に到着するのは早くはない。むしろ遅い部類に入るんじゃないかと思っている。とはいっても小中高と遅刻は一度もないし、寝坊したこともない。

 

そう考えると比較的早い時間に登校しているうちのクラスメートたちは、何だかんだ真面目だなぁと心の底から思えた。

 

カバンの中から教科書と参考書を取り出して、机の中へとしまう。普段なるべく机の中に教科書を残さ無いようにしてはいるが、持ち帰れば寮に忘れてくるリスクも考えられる。ただ課題が出ると自ずと教科書や参考書は持ち帰らなければならない。

 

何を思ってか教科書類を全て机の中に収納したままの机もあるが、正直掃除の時に困る。本人はフルアーマー机だなんて言ってたけど、運ぶ方からすれば割と笑えない。

 

 

改めて忘れ物が無いかどうかを確認したところで、予鈴がなってしまう。相変わらず俺の前にある席は空席、カバンも引っ掛かっていない。つまりはまだ登校していない現実を意味する。

 

割と早めにくる方だと思っていたのに、予鈴がなるまで登校していないなんてことが今まであっただろうか、いやない。それに鈴との実戦が長引いて遅刻したとも考えにくい。

 

もしそんな理由だったとしたら、朝っぱらから時間感覚が狂うまで何をしていたんだと突っ込みたくもなる。

 

 

「皆さん、おはようございます! それでは早速ショートホームルームを始めますので席についてくださいね!」

 

 

と、様々な理由を考えていたところで副担任の山田先生が、その後には続くように千冬さんも登場。たまに予鈴が鳴っても事前の職員会議が長引いたとかで、来るのが遅れることもある。

 

頻度としては決して少なくはないし、今日ももしかしたらと淡い期待を抱くも、しかしこんな時に限って都合のいいことが起きるはずもなかった。

 

 

「えーっと……あら?」

 

 

名前を呼ぼうとした矢先に、目の前の空席に気付く。誰一人体調不良で休んでいない中、たった一つ、それも教壇の目の前にある席に誰も座っていないともなれば、当然空席の存在感は大きくなる。

 

首を傾げながら一瞬硬直をするも、すぐに困ったように視線を千冬さんに向けた。千冬さんは山田先生が視線を向けるも何かを言葉を発することも無く腕を組みながらじっと空席を見つめ、やがてため息をつきながら口を開く。

 

 

「霧夜、お前は今日織斑とはあっていないのか?」

 

「残念ながら。俺は一人で登校したんで、てっきり他の誰かと先に行ってるものだと思っていたんですが」

 

「……そうか」

 

 

小さく呟く姿はどこか不機嫌そうにも見えた。

 

その気持ちは分からんでもない。

 

教師と生徒という関係があれども、本来二人は姉弟同士。自分の弟が何の理由もなく遅刻をしてくる。どこかで何かに巻き込まれたのかといった微かな不安感とは別に、何故このタイミングで遅刻をするんだと言った何とも形容しがたい感情。

 

意味の近しい単語とすり替えるのであれば、呆れに近いものがあった。しかしまぁ、本当にどこで油を売っているのか。比較的時間に対してはしっかりしていると思っていた反面、本気で何かに巻き込まれたんじゃないかといった不安もある。

 

無人機の襲来時から改めて学園内のセキュリティを見直してもらい、万全なセキュリティ体制を整えているとはいえ、相手は見えない敵であり、何をしてくるかなど読めない。強固なセキュリティでさえ、掻い潜られる可能性もあるからだ。

 

おそらくは単純な遅刻だと思っていると、何やら廊下側からバタバタと駆けてくる足音が聞こえてきた。よほど焦っているのか、足音の他に荒い吐息が混じっている。やがて教室の扉の前で足音が止まったかと思うと、扉が開いて汗だくの一夏が飛び込んできた。

 

 

「お、遅くなりました!」

 

 

そんな一夏にクラス中の視線が一斉に集中する。ゼイゼイと肩で息をしながら呼吸を整える一夏のもとに、ゆっくりと千冬さんは歩み寄る。怒鳴るわけでもなく、何も話さずに仁王立ちする姿が恐怖に思えた。

 

 

「織斑、遅刻の理由を聞こうか」

 

「え、えーっとですね。その、実技訓練をした後に着替えていて気付いたらこんな時間に……」

 

「ほお、遅刻の言い訳は以上か?」

 

 

腕を組みながら表情一つ変えずに淡々と話しを続ける千冬さんから滲み出るオーラに、一夏は冷や汗をかきながら後退り始める。

 

一夏なりに遅刻した理由をなるべく簡潔に分かりやすく伝えたつもりだったが、今の話だけで判断すると、だらだらと着替えたがために一夏が遅刻しただけにしか聞こえない。流石に時間を忘れるレベルで着替えが遅いとは思えないし、他にも理由があるんだろうと推測する。

 

最も理由があったとしても言い方一つで人には誤解を与えるだろうし、今みたいな言い方をしてしまえば十中八九、千冬さんに誤解釈をされるだけだ。

 

しっかりと説明し直そうと言葉を繋ごうとする一夏だったが。

 

 

「い、いえ違うんですちふ……織斑先生。実は着替えている最中に見知らぬ女の人に話しかけられて……」

 

 

盛大なまでに誤爆してくれた。

 

中途半端な場所で止めてしまうために、一夏が事象に対しての対策を何一つしなかったように聞こえる。それにこれでは遠回しに、授業よりも見知らぬ女の人との話の方が大事ですと言っているようにも見えなくもない。

 

結論、仮に見知らぬ女の人に話しかけられたとしても、遅刻が想定されるケースであれば、『すみません、遅刻したらまずいので、一旦失礼します。また自分から声かけさせてもらいます』に似た言い回しをしておくのが本来はベターだ。

 

恐らくは相手にペースを握られたまま、話していたらいつの間にか登校時間を過ぎていた……そんなところか。

 

 

「そうか。お前はのうのうと初対面の女子と話していて遅れたと、そう言いたいんだな」

 

 

と、案の定千冬さんからは追撃を食らう一夏。もうこうなってしまっては弁明のしようがない。現地に俺も居た訳じゃないので、一夏とその女性との間で何が起きていたのかまでは分からない。故に庇うことは出来ないし、そもそも相手が千冬さんだと俺が介入したところで余計に拗れる。

 

ここは静観するのが得策だ。

 

 

「いっ!? ち、ちがっ! そうではなくて!」

 

 

一夏、今の反応じゃ肯定しているようなものだぞ。

 

テンパる気持ちはよく分かるが、本来であれば一番落ち着いて話さなければならない。慌てて言葉がしどろもどろになる一夏の反応を見て、千冬さんはニヤリと不気味に笑った。

 

 

「デュノア、ラピッドスイッチを実演して見せろ」

 

「はい、分かりました」

 

「はっ……?」

 

 

死刑宣告の如く千冬さんの口から放たれる言葉に、理解が追いつかずに間の抜けた声を一夏は漏らす。それとは対象的に、千冬さんの命令に対して何の躊躇も無く了承したシャルロットが怖い。

 

返事をしたかと思うと、すぐさま専用機のラファールを起動させ、銃口を一夏に向けた。

 

先ほどまでは何ら普通の対応だったのに、一夏の何気なく発した『見知らぬ女の人に話しかけられた』という言葉に反応したのだろう。一夏に好意を寄せる人間として、全く知らない女性との色恋沙汰の話は面白くはない。

 

無論一夏にそんなつもりは無いとは思うが、現に朝のショートホームルームに影響が出ている。仮に理由があったとしても、何かあったのではないかと勘ぐられるのも致し方ない部分があった。

 

あらゆる要因を考慮した上でもやりすぎな気はするけど、どうしたものか。

 

 

「あ、あの、シャル。じょ、冗談だよな……?」

 

「何かな? ()()()()

 

 

あ、終わった。

 

どうあがいても絶望しかない未来だこれ。

 

シャルロットが一夏のことを名字で呼ぶなんてことはない。出会った当初はまだしも、今はこれだけ関わりがあり、普段は一夏と名前で呼ぶシャルロットが名字呼ぶ。内心相当怒っている証拠だった。

 

助けを求めようととっさに一夏は俺の名を呼ぶ。

 

 

「や、大和! 助けてくれ!」

 

 

が、同時に千冬さんとシャルロットの両名に睨まれる。まるで手を出したらわかっているよねとでも言わんばかりの雰囲気だ。

 

触らぬ神に祟りなし。

 

後は何とか一夏に頑張って貰うことにしよう。

 

 

「……南無」

 

 

手を合わせて助けるのは無理だと一夏に伝える。流石に本気で命を取られることは無いだろうし、一夏だから大丈夫だろうと根拠のない理由をつけて見送る。

 

その刹那、一夏の断末魔に似た叫びが教室中に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ま、本気で死ぬかと思った」

 

「そりゃ災難だったな。んで、結局は何があったん?」

 

 

ホームルームも無事に終わり、全体朝礼を受けるべく俺たちは体育館に会場を移していた。

 

シャルロットからの公開処刑ならぬ鉄拳制裁を受けた一夏だったが、無傷でこの場に居るのは日頃の鍛錬の賜物だろう。多少鬼気迫った表情を浮かべているものの、身体自体に影響は無いように見受けられる。

 

しかしまぁ、改めて女性の嫉妬は怖いと認識した瞬間だった。あの場はシャルロットだけだったが、よくよくクラスを見渡すと、箒はムスッとした不機嫌さを隠そうともしない表情を浮かべながら、セシリアは頬を膨らませて、わたくしがいないところで何を! と啖呵を切りそうな勢い。

 

場所が場所だけに何事も無く……と言い表すのはおかしいが、大きな問題が起きることは無かった。もしあれが教室ではなく、互いのプライベート空間であればあんな簡単に沈静化することは無かったに違いない。

 

一旦ホームルームでの出来事はさておき、結論何があったのかを一夏に確認してみる。教室では話そうにも上手く話せなかっただろうし、朝礼が始まるとは言ってもまだ開始時間までに余裕があった。

 

 

「いや、まぁ鈴との朝練が終わった後更衣室で休んでいたんだ。そうしたらいきなり視界を覆われてさ」

 

 

ポツポツと一夏は話し始める。

 

なるほど、もしこれが某暗殺系のゲームなら一夏は一回ゲームオーバーになっているに違いない。

 

 

「そしたら二年生だったかな、ネクタイの色が黄色だったから。ただ全く話したことも会ったこともない人で」

 

「……」

 

 

何故かドッキリを仕掛けようとする一連の動作に既視感があった。どこかで見たような、体験したことあるような不思議な感覚。

まずもって男性用の更衣室に女子生徒が入り込むこと自体が考えられないこと。

 

それを平然と行ってしまう度胸、ある意味感服せざるを得ない。うん、ある意味俺の知っている彼女とよく似ている。

 

 

「何か、女たらしならぬ人たらし的な感じだったか。人との距離感の測り方が絶妙というのか」

 

 

ははは、まさかそんな偶然がある訳がない。

 

つくづくそっくりの人間がいたもんだ。いやぁ、生きていれば自分によく似た人間に一人は会うだなんて良く言われるけど、身近にも案外いるもんだ。一回だなんて小さいことは言わずに、何回でも会っておけばいい。

 

 

「あ、大和。朝礼始まるみたいだぞ」

 

 

話を中断し、壇上へと視線を向けた。

 

流石に朝礼が始まってまで話すことは無いし、また後で詳しく話を聞くとしよう。と、本来ならここから教師やら、主任教諭やらの話に移るわけだが、今日の朝礼はいつもと違った。

 

 

『それでは本日の朝礼は生徒会長のお話からとなります』

 

 

入学してから初めてのケースに一年生の列がほのかにざわめく。そりゃそうだ、今まで朝礼で生徒会長の話なんてなかったのだから。

 

それだけではなく、生徒会長が誰なのか分からず困惑している生徒も多いはず。俺も関わりが無ければ決して知り得ることのない事実。運動部所属の人間であれば上級生と関わることも増えるとはいえ、ある意味生徒会はブラックボックスのようなもの。

 

二年生や三年生は姿形を知っていたとしても、一年生はその姿、存在すら認知出来ていないに違いない。

 

ステージ横のカーテンから姿を現す存在感。

 

彼女を纏うオーラは隠そうとしても隠すことは出来なかった。幾多もの競争の中で勝ち抜いた生徒のみが手にすることが出来る称号、学園の生徒で頂点を極めし存在、生徒会長。

 

そして今、生徒会長の立場に君臨する人物。

 

それは……。

 

 

「やぁ、みんなおはよう」

 

 

更識楯無その人だった。

 

 

更に。

 

 

「や、大和! 朝俺に声を掛けてきたのはあの人だ!」

 

 

と、予想通りの回答が一夏の口から溢れる。

 

うん、やっぱり一夏に話し掛けたのはお前だっかのかと、がっくりと俺は肩を落とすしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えーっと、うちのクラスの出し物ですが……」

 

 

時は流れて帰りのショートホームルーム。

 

朝礼で楯無が言ったように、学園祭も近いということで今はクラスの出し物を何にするか決めてる最中だった。と、ここまでなら普通の高校生活の一部と割り切れるのだが、モニターに映し出された出し物候補を見て、一夏は顔を引きつらせながら言葉を絞り出す。

 

ある意味クラスに男子が居るからこそ出て来る内容なのかもしれない。

 

とはいえ限度はある。

 

 

「全部却下だ!」

 

「「えーーーーっ!!?」」

 

 

バッサリと切り捨てる一夏に対し、クラス中から抗議の声が上がった。

 

 

「アホか! 誰が喜ぶんだこんなもん!」

 

 

そう言いながら一夏の指さす先に映し出されたモニターに記載された内容は、到底学園祭で出し物として公開、集客出来るようなものでは無かった。

 

 

『織斑一夏と霧夜大和のホストクラブ』

 

『織斑一夏・霧夜大和とポッキーゲーム』

 

『織斑一夏・霧夜大和と野球拳』

 

『織斑一夏・霧夜大和と王様ゲーム』

 

 

どこの夜の街だろうか。

 

そもそも何で俺と一夏がクローズアップされたものばかりが候補として上がっているのか不明だ。野球拳なんてやって俺たちが勝ち続ければ目を背けなければならないし、仮に俺たちが負け続ければ自分の服を脱がなければならない。

 

そんな公開処刑のような出し物を出来るわけも無ければ、学校が許可するとも思えない。ただある意味女性しかいないIS学園では仕方のないことかもしれない。ま、当然俺も賛同は出来ないけど。

 

 

「私は嬉しいけどなぁ。短時間でも男の子と一緒にいれる時間を作れるなんて、夢みたいだし」

 

 

両手を頬に当てて嬉嬉としながら話す谷本。

 

言わんとしてることは分からなくはない。男子にとって、IS学園は出会いの宝庫かもしれないが、女性にとって異性との出会いは皆無。今年に限っては俺と一夏といったイレギュラーが混ざっているためにほんの僅かに出会いのチャンスが出来ている。

 

そんなチャンスがあるのであれば活かしたい……と考えるのかもしれない。当然内容は抜きにして、だ。

 

 

「そーだそーだ! 男子の役割を全うせよ!」

 

 

役割は与えられるだろうけど、その役目が大体ひどいオチが想定できるのはどうなんだろう。

 

任せられれば全然やるけど、少なくとも今提示されている選択肢から選べと言われれば、首を縦に振るわけにもいかない。

 

 

「織斑一夏と霧夜大和は共有財産である! あ、霧夜くんは違うのかな?」

 

 

後ろの席の岸原が声高らかに宣言するが、そこに少し意見したい。いつの間に共有財産になったんだ俺たちは。しかもしれっと最後に俺だけ違うと訂正を入れているし。

 

色々あって、クラス中には俺とナギが恋人関係にあることが伝わっている。流石に深い関係にいる男子を祭り上げるようなことは出来ないといった判断なのかもしれない。ちゃっかりと今の話を聞いていた隣のナギは口元を押さえて恥ずかしそうに顔を赤らめた。

 

相変わらず可愛いなと思いながらも、話が一向に進まないこの現状を何とか打開したいところ。仕切っている一夏も頼みの綱である山田先生に意見を求めるも、クネクネと身体をよじらせながら自分の世界へと入っていってしまう。途方に暮れながら最後に俺の方を見てくる一夏。

 

聞く相手を間違ってしまったのは仕方ないが、この辺りで一旦ストップを掛けたほうが良さそうだ。このままではただ時間だけが無駄に過ぎて行くだけで、ショートホームルームの時間を使っている意味が無くなる。

 

一夏だけでは収拾がつけられない。

 

何だかんだクラス代表の補佐は任されている訳だし、黙って静観するのもどうかと思われる。口を開き、事態の収束を図った。

 

 

「あーみんな。色々意見を言うのは良いけど、一応学園祭だからな。内容を見ると一夏や俺にどうしても負荷が掛かるし、特定の人物だけに負荷が掛かる出し物はどうかと思うぞ」

 

 

事実、もし今上がっている内容で出し物を決めたとしても男性陣の負担が大きくなるばかりで、マンパワーでの運営になってしまう。そうなると学園祭の意図とは外れてくる上に、本来楽しむべきことも楽しめなくなってしまう。

 

気持ちは分からないでも無いが、今回の内容は少し修正したほうが良い。せめて良くある学園の出し物に切り替えて行った方が良い気はする、全体の混乱を起こさないようにする意味でも。

 

 

「でもそれだと何かパッとしないというか……」

 

「うんうん。折角男性が二人居るんだし、何か有効的に活用出来る方法は無いかなって思っちゃうんだよねー」

 

 

大々的に男性陣が居ることをアピールしたいと言っても、色物営業はよろしくない。なら別に俺たちだけではなくて、皆が目立てるような催し物にすればいいのではないか。

 

 

「なるほどね。なら俺たちだけじゃなくて割と全員がメインに立てそうな内容の出し物にすれば良いだろう。例えば……」

 

「メイド喫茶はどうだ?」

 

「そうそう、メイド喫茶とか……ぁえ?」

 

 

我ながら間の抜けた声だったと思う。

 

思い描いていた内容を口に出す寸前に、別の第三者の声によって遮られた。これが普通の生徒であれば別に大げさな反応などしなかったが、予想外の人間からの提案に驚きを隠せない。

 

声の出所に視線を向けると。

 

 

「王道だが客受けは良いだろう。それに準備に掛かった経費の回収も出来る。うちのクラスにはうってつけだと思うが」

 

 

淡々とメイド喫茶を運営することのメリット、デメリットを述べるラウラがいた。会社の会議で行うような説明に、俺以外のクラスメイト全員の視線も向く。

 

確かに理に適った内容であるのは間違いない。

 

飲食店系の出し物は、自分たちが制作に掛けたコストを回収することが出来る上に、俺と一夏を前面に出したいという要望を叶えることも出来る。王道と言えばそれまでだが、学園内に居る生徒が二人を除けば全員が女性であることを踏まえると、興味本位から来店する可能性も高い。

 

さしあたり問題があるとすれば。

 

 

「懸念点は衣装をどうするかだが、そこはツテでどうにでもなる。最悪皆で作れば良いだろう」

 

 

と、あっさりと解消。

 

ラウラにある程度考えがあるのであれば、それを尊重したい。するとラウラの意見に賛同するかのように、クラス中から声が上がってきた。

 

 

「確かに良いよねメイド喫茶。私憧れてたんだ!」

 

「ねー! 普段メイドのコスプレなんかしないから私も着てみたい!」

 

「あ! じゃあ私が縫うよ! こう見えても衣装作りは得意なんだ!」

 

「ねぇねぇ! この際メイドだけじゃなくて色んなコスチューム織り交ぜてみない?」

 

「それならご奉仕系のコスチューム集めてご奉仕喫茶なんてどうかな!?」

 

 

収拾がつかないレベルで飛び交う意見に、一気にクラス内が喧騒に包まれる。先に上がっていた案を採用するのであれば、皆で色んな討論をした方が良い催し物が企画できる。

 

ある意味ラウラがそのきっかけを作ってくれた。彼女なりにも成長しているようで嬉しい限りだ。何気なくラウラの方を見ると、こちらに向かって満面の笑みを浮かべながらブイサインをしてくる。

 

そんなラウラに感謝の気持ちを込めて相槌をうつと、また皆の話し合いの輪に加わっていった。

 

 

「はぁ……何とか落ち着いたか」

 

 

何とか話し合いが纏まりつつある状況を見ながら、ホッと胸を撫で下ろす一夏。

 

クラス代表を務めている手前、クラスの出し物も整理しなければならない。何かと中心に立つことが多い立場に居るのは間違いないが、実際頑張っているのは分かる。

 

 

「一夏もおつかれ。毎年一回ずつしか無いイベントだから話し合いが長引くのはしかたねーよ。むしろこれでも早く収拾がついた方だと思うし、今後もイベント事には注意した方が良さそうだ」

 

「こんなのが毎年あるのか……骨が折れるな」

 

「そう言ってやるな。いつかこの学園生活もいつから終わっちまうんだから。今を楽しむって考えれば割にあうんじゃねーの?」

 

「うーん、そんなもんか?」

 

 

そう、いつかは学園生活も終わる。

 

そして一度巡ってきた日は二度と戻ってこない。毎日が貴重な人生の時間のピースであり、そのピースが一個人の大切な思い出となる。

 

今は何とも思わない時間だとしても、これが数年後どう映るのか。それは本人にしか分からない。

 

 

 

話が大まかにまとまったところで、ショートホームルームが終わった。各々荷物をまとめて教室を出ていく。

 

時間は放課後へと移り変わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅い……」

 

 

俺は今一人クラスに残されたまま、椅子に座っている。元々は途中まで一夏と帰る予定だったが、今日決まったクラスの出し物を報告しないといけないとのことで、一夏は職員室へと向かった。

 

俺もついていくと言ったが、確かに職員室を経由すると、教室から帰るよりも遠回りになってしまうとのことで、待っててほしいと言われ。この学園内で何かに巻き込まれるケースなどそうそう無い故に、待つことにしたはいいけど。

 

結論、全く帰ってくる様子が無い。

 

どれほどの時間ここで待っているだろう。三十分か、一時間か、具体的な時間までは分からないものの、職員室に行って戻ってくる時間、また千冬さんと話すであろう内容を加味したとしても、明らかに長い時間なのは間違いなかった。

 

ポツンと一人きりで残されている俺の心中は言わずもがな。ナギは先に帰しちゃったし、他の知り合いも軒並み帰宅してしまっている。そもそも教室に俺しかいないのだから、一人なのは当たり前だ。

 

わざわざ携帯電話を使って連絡するのもあれだし、このまま待っているべきなのか。

 

 

「時間を潰せるものもないし……どーするよ、この状況」

 

 

一夏の人柄から推測しても、人を置き去りにして勝手に帰るような真似はしないだろうし、俺が待っていることを忘れることもない。マジで何かあったのか、そう考えるといてもたってもいられなくなる。

 

判断は悩みものだがせめて何か連絡があれば……。

 

 

「お、メール?」

 

 

ふと、机の上においてあった携帯電話のバイブレーションが鳴り響く。チカチカと小刻みにランプが点滅を繰り返し、やがて消えた。

 

もしかして一夏からの連絡だろうか、タイミング的にその可能性も考えられなくはない。ただメールより電話の方が連絡方法としては早く相手に伝わるんじゃないかと思いつつも、携帯を開き内容を確認する。

 

 

「えーっと……?」

 

 

"アダルトサイトの利用料金の未払いがあります"

 

 

「……」

 

 

一瞬携帯を叩き付けたくなるような気持ちに襲われるも、僅かに残っていた良心がそれを食い止める。あまりのタイミングの良さに驚く部分もあれば、何故このタイミングで紛らわしいメールが送られてくるのかと思う部分もある。

 

しかも明らかな迷惑メールが、だ。アダルトサイトの利用が無いとは言わないが、そんな高額な有料サイトを利用した覚えはない。しかも請求額が十数万ってどれだけ滞納していたんだこれ。とても一ヶ月二ヶ月のレベルじゃ無いだろ。

 

と、くだらないことを考えている間に再度バイブレーションが鳴り響く。今度こそ一夏からか、と思った俺の予想は外れることとなる。

 

 

「ん?」

 

 

メールの差出人は楯無だった。

 

加えてメールには添付ファイルがある。何だろうと思いつつ、未開封のメールをクリックして内容を確認する。

 

文面の内容は……。

 

 

 

 

 

"保健室なう♪"

 

 

「あんの生徒会長ッ!!!」

 

 

メール文面に添えられているのは数文字と文言、そして添付ファイルは楯無の膝下で寝ている一夏の顔だった。軽い怒りを覚えて語気を荒らげてしまうも、一夏が戻ってこない理由は判明した訳だ。

 

教室に戻ってこない以上、この場に留まる必要は無くなった。机の中に忘れ物が無いかを確認すると、カバンを持って教室を出る。さっさと保健室に行って何があったのか、経緯を確認することにしよう。

 

と、曲がり角を曲がろうとした刹那、不意に物陰から現れた生徒とぶつかりそうになる。走っていた訳ではなかったので、幸いぶつかることは無く回避することには成功したが、突然俺が現れたことに目の前の女の子は少し驚いているようだった。

 

足を止めて、女の子の方へ振り返る。

 

 

「ごめん! 大丈夫か、怪我はない?」

 

「あ……う、うん」

 

「そうか、なら良かった。ちょっと急いでで目の前が疎かになってて……」

 

 

謝罪の気持ちを伝えるも、俺と顔を合わせようとしない。人見知りなのか、緊張しているようにも見えるし、単純に気まずくて話しづらいようにも見える。話し方もおどおどとしたはっきりとしない話し方で、

 

 

同じ一年生だと思うんだけど、どこかで見たことのある風貌だ。

 

特に水色の髪の毛の女性など、そうそう何人も居るようなものではない。えーっと確か水色の髪の知り合いと言えば……。

 

 

「わ、私行くから! ごめんなさい!」

 

「へ? あ、ちょっと!」

 

 

引き止める前に駆け出してしまう生徒。

 

その後ろ姿を見つめるだけしか今の俺には出来ないが、何点か分かったことがある、具体的には推測出来ると言ったほうが良いか。

 

 

……純粋に水色の髪なんて滅多にお目にかかれるようなものではない。今まで出会った学園の生徒と照らし合わせて、かつ独自で仕入れた情報を合わせれば大体誰が何なのかは分かる。

 

当然、更識家の情報はこちらでもしっかりと握っておく必要があった。特に血の繋がりのある人間に関しては。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――今のが楯無の妹、更識簪か。性格は完全に正反対なのな」



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水色の思惑

「んで、お前は何やってんだ一夏」

 

「なっ!? ち、違う! これは不可抗力で!」

 

 

保健室を訪れた俺は目の前に広がる現状に頭を抱えていた。

 

写真であらかた状況を把握はしていたものの、俺が来ることが分かっていてなお続けている辺り、確信犯な部分が垣間見える。

 

恥ずかしさなど微塵も出さない余裕、片やの一夏はどう言い訳をしようかと慌てて弁明を述べる姿と対比させると、何枚も楯無の方が上手だと思ってしまう。それもそうだ、なんたって学園最強なんだから。

 

俺がIS戦闘で負けたのは二回、細かく言えば三回になる。

 

……思った以上に負けてるな。自分で言ってて恥ずかしくなってきたぞ。

 

 

一回目は言わずもがな、IS学園の入学試験の際に行われた千冬さんとの勝負。善戦なんてとんでもない、ひーひー言いながら近接ブレードを破壊することくらいしか出来なかった。その後は言わずもがな、俺のシールドエネルギーが尽きて試合は終了。

 

二回目、これは楯無との勝負になる。

 

これも途中までは善戦したのかと思いきや、いつの間にか楯無の術中にハマり、清き激情(クリア・パッション)でトドメを刺された。楯無の機体の特性を把握出来なかったとはいえ、最悪のリスクヘッジを考えて行動をするべき点ではあった。

 

勝機を見いだせなかったとしても、もう少し戦うことは出来たかもしれない。

 

 

三回目、臨海学校の際に戦うこととなったプライドだ。

最終的に勝つことは出来たが初戦は俺が負けた。ある意味一番想定出来ないワンオフ・アビリティだったかもしれない。

 

似たような能力で白式の零落白夜があるが、相手のエネルギー兵器による攻撃を無効化したり、シールドバリアーを無視して相手のシールドエネルギーに直接ダメージを与えることが出来るだけであり、まさかシールドバリアーと絶対防御を壊して肉体切り裂いてくるなんて考えもしなかった。

 

おまけに生体維持機能が発動しないために自然回復も無く、一時は生死の境を彷徨った。

 

とまぁ、三回の敗北を説明したわけだが、三回の中にも楯無との戦いが含まれている。少なくとも代表候補生になりたての一年生が太刀打ち出来るような相手ではない。それは単純な実力であったり、人の扱いであったり。あらゆる面で水準の遥か上に行く能力を持っている。

 

 

「なぁに、大和。もしかして妬いてるの?」

 

「……」

 

 

あぁ、出たよ得意分野。

 

人をおちょくる時の楯無らしい、どこか不敵な小悪魔的な笑みを浮かべていた。これは楯無の表面上の性格の一つであり、直そうと思ったところで直るようなものではない。ま、楽しいのなら別に止めることはしないが、下手な誤解を招く可能性がある発言は遠慮して欲しいところ。

 

それにこの場には一夏がいる。自分に向けられる好意に関してはてんでダメなのに、人のことになると一気に鋭くなる。

 

 

「え? 知り合い? ってまさか大和! お前鏡さんがいるのに!」

 

「ばっ、ちげーよ! 変に勘ぐるんじゃねぇ!」

 

 

お約束とでも言えば良いんだろうか。

 

楯無の妬いてる発言に早速一夏が反応した。一夏と楯無の距離感を見て、俺が嫉妬しているということは、俺が楯無に対して好意を抱いており、知り合いとはいえ第三者の男性が近寄るのを快く思っていないとの解釈になる。

 

楯無の事は好きだが、それとこれとは話は別。一夏に変な勘違いをされて、ナギに変な話をされても困る。

 

 

「じゃあ何で楯無さんのことを呼び捨てにしてるんだよ! 先輩なのに呼び捨てって、そこそこ気のしれた仲じゃないのか?」

 

「あら、一夏くん鋭いのね!」

 

「だーかーら、ちげーって! 確かに気のしれた仲なのは否定しないけど、単純に友達なだけだわ! それと楯無はそろそろお口をチャックしとこうか?」

 

「いやん、大和ったらこわーい」

 

 

私怖がってます! とわざとらしい演技を交えながら一夏の腕に捕まる楯無、同時に何かの温もりを肌で感じたようで、一夏は顔を赤らめた。

 

お前はお前で何してんだコラ。

 

このままでは混沌とした時間が続くだけで、一向に話が進まない。

 

 

「とにかく! 二人揃って何してたんだよ?」

 

「えー、聞きたい? 柔道場で仲睦まじい帯の取り合いをしてたら一夏くんが上着を「わー!? 楯無さん待って!」ふふっ、そんな必死な一夏くんも嫌いじゃないぞ♪」

 

 

ダメだこりゃ。

 

ただ今の一言でおおよその何が起こったのかの予想は立てられた。何かの理由で二人は戦うことになり、戦ったは良いが一夏がハプニングを起こして楯無に気絶させられて今に至る。

 

理由としては楯無に煽られた一夏がカッとして、反射的に勝負しよう的なことは言ったんじゃないかと思われる。

 

楯無から戦いを吹っ掛けるようなことはしないだろうし、楯無の考えているシチュエーションに誘導されたと考えるのが妥当かもしれない。

 

つまりは元々一夏と接触するつもりでいた。

 

このタイミングで一夏に近付いてくるというのは、周囲で楯無が動かなければならない事象が起きている可能性でもあるのかもしれない。何の脈略もなく、新学期が始まったこのタイミングで偶々でしたとは考えられない。

 

楯無のことだし近付いた真意は隠すだろうから、一夏に勘付かれることはないはず。問題なのは果たしてどこで何が起きているのかだけど、そこは後々楯無に聞いておく必要がありそうだ。

 

 

「ま、とりあえず皆には一夏が先輩と遊んでいたとでも伝えておくか」

 

「げっ!? それはちょっと待った! アイツらに言ったら俺死ぬわ!」

 

「じょ、冗談だって。そう慌てるなよ。んで、結局楯無と何があったんだよ?」

 

「あ、あぁ。実は……」

 

 

俺と別れたあとの経緯をポツポツと一夏は話し始めた。想定していた内容と概ね同じで、千冬さんに今回の学園祭の内容を報告し終わった後、職員室から出た際に朝遅刻の原因となった楯無に声を掛けれたらしい。

 

そこで楯無が一夏の教官役を買って出ると申し出るも、一夏は固辞。理由は既に周囲を取り巻く人間に教えて貰っているから。教える人間も、ほぼ全員が代表候補生と、環境としては非常に恵まれている。わざわざ後から出てきた得体のしれない人間から教えて貰う理由が分からないと思うのは当然。それに朝の遅刻の要因に楯無が絡んでいるとすれば良い気分にはならない。

 

一夏が断る理由もよくわかる。

 

で、断ったまでは良かった。どうやらその後一夏は自身のことを力不足だと言われたようで、カッとなって楯無との勝負を引き受けてしまった。少なくとも色々な実力者に揉まれ、力をつけていることに対して多少の自信は持ち合わせていたのだろう。それをたった一言で否定される。

 

一夏にとっては相当屈辱的な行為だったに違いない。

 

自分は男性、楯無は女性。体格には大きな違いがある。ISでの戦闘ならまだしも、肉体同士での格闘戦であれば自身にも勝機はある。

 

そんな淡い期待は一瞬にして打ち砕かれた。

 

絶望的なまでに立ちはだかる壁、それは想定を遥かに凌ぐレベルのものだったか。全くと言って良い程、手も足も出ずに投げ飛ばされ続ける。

 

結果惨敗。

 

気づいたら自身は気を失い、いつの間にか保健室で寝かされて今に至る。

 

 

負けるまでの過程でどうやら何かあったらしいが、あまり深く突っ込んでも意味がない。

 

ある意味生徒会長のレベルがどのレベルにあるのかを認識できたという意味では、貴重な経験になっているのかもしれない。この学園での生徒会長は別名学園最強。通常の高校の生徒会長のレベルと比較すると、歴然の壁が存在する。

 

少なくとも今の一夏では到底太刀打ちなど出来るはずもない。これからの鍛錬次第とはいえ、普通の鍛錬では到底追い付けないベクトルに位置する彼女に追いつき、追い越すためには並大抵の努力では追いつくことは出来ない。

 

 

「何となく事情は分かったけど、本当に一夏は女性事情に縁があるよなぁ」

 

「こ、これは不可抗力だ! 俺は無罪だぁ!」

 

「うーん。そりゃ分かっているけど、これだけ続くとある意味お祓いでもした方が良いんじゃないかって思っちまうよ」

 

 

男の俺が言うのもなんだが、一夏は非常に端正な顔立ちをしている。それに加えて歯の浮くような言葉を簡単に口にして、女心をときめかせることも多い。つまり女性の出会いに関して困ることは無いが、その分災難に巻き込まれることも多い。

 

下手な嫉妬を寄せられて理不尽な暴力や仕打ちを受けているようなことも多く、先日の臨海学校の時なんかはまさに良い例だろう。銀の福音の操縦者のナターシャさんがバスに来て不意打ち気味に頬にキスをした時、一部始終を見ていた一夏に行為を寄せる三人が、揃ってペットボトルを投げたのは記憶に新しい。

 

俺? いや、俺の記憶は忘れろ。

 

あの時のことを思い出すと変に恥ずかしくなってくるから。

 

幸い一夏に当たることはなかったけど、一歩間違えれば周囲の生徒にも被害が出る可能性だってあった。恋は盲目といえば聞こえは良いが、暴力であることに変わりはない。

 

そう思えば朝の一夏に対する実演もそれに値するのかもしれない。

 

と、何かと災難に会うことが多いのは事実。

 

そのような星の元に生まれているのなら仕方ないが、あまりにも気になるのであれば本気でお祓いを考えたほうが良いんじゃないかと心配になってくる。

 

いや、これはマジで。

 

 

「はは……しかし箒とかセシリアは何で俺のことであんな熱くなるのかなー、俺もしかして変なことしたか?」

 

「……いや、まぁうん。それは仕方ないと思うわ」

 

「え?」

 

 

最も、本人は嫉妬から強く当たられるとは全く思っていないし、気付いていない。何なら自分に好意を向けられていることにすら。そういう意味では全く異性として相手にされない一夏ラバーズがどこか可哀想にも思えてきた。

 

さて、そんなことより状況を整理しようか。

 

今部屋にいるのは三人。

 

入口側に俺、そしてベッド近辺に一夏と楯無がいる。一見何の変哲もない配置ではあるものの、一夏と楯無の距離は近く、端から見れば仲睦まじい関係に見えなくない。つまりこのタイミングで一夏のことをよく知る人間に入室されたら厄介なことになる。

 

少なくともあらぬ誤解を招くことは間違いないし、一夏が何らかの被害を被ることは間違いない。保健室に来る可能性は高くはないが、こんな時に限って何気なく来ることも考えられる。意外に誰かが一夏の居場所を言伝して、それを聞いた誰かが来る可能性もある。

 

ま、そんな偶然毎回毎回起こるわけが。

 

 

「おい、一夏。さっき千冬さんから聞いたんだが保健室で何を……」

 

「げっ!!」

 

「あら?」

 

 

ないと言い掛けた発言を撤回する。

 

どんな低い確率を手繰り寄せてんだ一夏は。まるで磁石に吸い寄せられる金属のように、親しい人間が近寄って来る。小学生の時に見せられた磁石に、砂鉄が群がってくる様子を思い出す。

 

まさにあれだ。

 

 

 

保健室に入ってきたのは箒だった。

 

一瞬何が起きてるのか、彼女も状況判断に迷ったに違いない。一夏にそんなつもりは無かったとしても、周囲からはそう見える。徐々に状況を把握しつつある箒の表情が驚きから、徐々に目が釣り上がっていく。おそらく……いや、間違いなく誤解して判断している。

 

肩をふるふると震わせて、怒りを堪えるような素振りを見せるも、キッと一夏のことを睨み付けるとヅカヅカと近寄っていく。

 

 

「全くお前と言う奴は! 自主練を放り出した挙句に、探しに来てみれば保健室で別の女子と交流か!」

 

「待て箒! 誤解だって!」

 

「どこが誤解だっ! デレデレしおって! 今日こそその性根叩き直してくれる!!」

 

 

そう言った刹那、箒の周辺がキラリと光ると右手に日本刀型のブレードが展開された。

 

竹刀やら木刀やら色々な武器は見てきたが、目の前で鉄製の刀を展開するとは予想外。てかこのままじゃ一夏どころか、保健室自体が破壊される。

 

そうこうしている間にも、箒は一夏との距離を縮めていく。一足一刀の間合いに入った時だった。

 

 

「ん〜、気持ちは分かるんだけど、ここで一夏くんを亡きものにされちゃうと、ちょっとおねーさん困っちゃうなぁ」

 

 

楯無が動く。

 

まさに一瞬だった。

 

手にセンスを持ったかと思うと振り下ろされる箒の攻撃をものともせずに受け止め、そのまま腕を振り上げた。金属音と共に箒の手に握られていた刀は手を放れ、矛先は天井に突き刺さる。

 

 

「えっ?」

 

 

箒の一撃は一夏に一切触れることなく、無力化された。しかも部分展開もせず、待機状態で無力化してみせた。本来であれば考えられないし、一年生の中でも同じことが出来る生徒はまずいない。前提として生身でISに相対すること自体、あまりに危険な行為だからだ。

 

ISで生身の人間を蹴散らすことなど赤子の手を捻るより容易いものであり、生身の人間がISに勝つなどまず不可能。そう考えられている中で、自身の攻撃をいとも容易く止められたことに箒は動揺を隠せず、刀の突き刺さった天井をただ見上げることしか出来なかった。

 

何より自分が何をされたのか理解できずに困惑しているようにも見える。

 

 

「ふふっ、気持ちは分かるけど熱くなったらダメよ? それに構内で無断のIS展開は禁止されているから、織斑先生に怒られちゃうわ」

 

「う……」

 

 

バツの悪そうに視線を外し、ISの部分展開を解除する。

 

とっさにカッとなって暴力を奮ってしまった自らの行為に対する気持ちもあるだろうし、目の前の楯無との圧倒的な実力差をまざまざと見せつけられたこともあるだろう。

 

が、どちらにしても一時的な感情に身を任せて暴力を振るうのはよろしくない。まだまだ箒も精神的に鍛えなければならないところが多々ある。

 

幸いまだ十代、よほどのことが無ければ取り返しはつけられる年齢であり、これから先の行動次第ではすぐに変わることが出来る。既に楯無が軽く釘をさしているし、この場で俺から変に何かを言うつもりはない。

 

後は本人に全て任せる。

 

 

「とりあえず一夏も回復したことだし、自主練にでも行ってきたらどうだ?」

 

「あ、あぁ。なんか悪いな気を遣わせる感じになっちまって」

 

「ん、特に気にはしてないさ。俺も俺でやることはあるんでね、先に帰らせて貰うとするよ」

 

「あら、大和帰るの?」

 

「おう。少しやっとかないといけないことがあってな。ま、そんな大したことじゃない。俺のプライベートタイムだと思って貰えれば」

 

 

とりあえず楯無が一夏に近付いた事実を確認することは出来た。

 

何となくの理由は分かるが、今の状況を再度整理する必要がある。近辺の変化から、外部の状態。最悪を想定したリスクヘッジ。

 

臨海学校が終わってから少し平穏が続いてはいたが、どことなく波乱の二学期になりそうな予感がする。

 

最低限、イレギュラーに対する準備はしておいた方が良さそうだ。

 

 

「そーいうわけだから、後は頼んだ。夜は合流するから、また部屋に戻ってきたら声を掛けて欲しい」

 

 

ひらひらと手を振りながら一人保健室を後にした。

 

平穏な生活。

 

それは誰もが望む生活だが、ほとんどの人間は望み通りの生活を送ることは出来ない。この学園にいる以上、というより男性としてISを動かしてしまった以上。

 

平穏な生活は送れないものと認識した方が良い。

 

だが、そこに介入する危険因子があるのであれば。

 

それは徹底的に正すだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『低気圧の影響で、今日の夜中から朝方に掛けて雷を伴い激しく降るでしょう。洗濯物を干す際は特に―――』

 

「……ホント、何の意図があることやら」

 

 

寮に戻り既に時は夕食後。

 

ベッドに寝転がり、テレビをつけながら束の間の安息を過ごしていた。ある意味この時間が個人的には一番くつろげる。睡眠時が最も疲れは取れるんだろうが、気持ち的にはこの時間が一番安らぐ。

 

風呂にも入ったし、後は寝るだけの状態ではあるが、すぐに寝てしまってはもったいない。時間は無限にあるわけではない、あまりに遅くなってしまうのは問題ではあるものの、多少夜遅くまで起きているくらいは良いだろう。

 

携帯の画面を開き、カチカチと最近のニュースをスクロールして見る。しかしまぁ、色々と疲れる一日だった。楯無に関しては突拍子も無く行動しているように見えても、実は緻密な計画の元行動していることが多いし、今回も今回で興味本位の行き当たりばったりの行動には見えなかった。

 

 

「……平和なのが一番なんだけど、そうも言ってられないってか」

 

 

動き出している勢力は多い。そしてその勢力すべてが必ずしも、自分たちの味方になりうる可能性は無い。表面上では何も起きていないように見えても、裏では目まぐるしく時が動いている。

 

数少ない男性操縦者である俺と一夏に加え、新世代機である箒の紅椿。今のIS学園には狙ってくださいと言わんばかりの標的が多数存在する。標的が増えれば増えるほど守ることは難しくなるわけで、一部の守りを強化すれば、一方の守りは弱体化する。

 

そこを叩かれてしまえばもう守りようがない。生まれるであろう歪みを埋めるべくして、俺や楯無のような存在がいるんだろうけど、それだとしても限度はある。俺たちが能力そのままに分身出来れば話は別だが、そんな人間離れした能力など持ち合わせているわけもない。

 

 

「んー……訳分からなくなってきたな」

 

 

話が纏まらない。

 

結局は楯無に話を聞けなかったし、心の中にあるモヤが解消されることはなかった。俺に話せない内容なのか、それとも単純に間が悪いだけなのか。

 

ただ最悪を想定して準備することに変わりはない。抜かりはなく、こちらはこちらで準備は進めさせて貰う。幸い何もデータが無いわけではない。多少なりとも、こちらで動き始めることくらいは出来る。

 

さて、何から取り掛かるべきか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んぁ?」

 

 

突如コンコンとノックされる部屋の扉。

 

いつの間にかウトウトとしていたようで、頭が少しボーッとする。完全に眠りこけていた訳ではないが、もう少しでブラックアウト出来るレベルで眠りそうだったらしい。

 

 

「はいはい、ちょっと待ってなー」

 

 

眠りかけていた頭を起こすために軽く頬を張ると、多少なりとも眠気が覚めていく。少なくとも人前に出れるレベルで目は覚めた。身体を起こして、ノック音の元である入口へと近づき、掛けていた鍵を外す。

 

 

「あ、こんばんは大和くん」

 

 

扉を開けた先に飛び込んで来たのはナギの姿だった。

 

だいたいこの時間に来る人物は限られてくるため、そう驚くことは無い。もしこれが知らない生徒であれば結構驚いているだろうけど、現状知らない人間が俺の部屋に来る可能性は限りなく低い。

 

既に風呂には入ったようで、ほのかにシャンプーの香りが漂って来る。

 

うん、もちろんそれはそれでそそるものがあるんだけど、着ているパジャマが凄く可愛い。寝間着に関してはあまり人に見せられるような服装じゃないと言っていたが、全くそんなことは無かった。

 

普段はかなりラフな服装で寝るみたいな話をしていたことを思い返すと、言わんとしていることはよく分かる。初めて出会った時に着ていた部屋着は中々にラフなものだった。

 

 

「おぉ、ナギだったか。こんな時間にどうした?」

 

「うん。ちょっとお話したいなって思って。忙しかった?」

 

「いや、丁度暇を持て余して寝そうになってたところだ。まぁ何も無い部屋だけどどうぞ」

 

 

断る理由もない。

 

むしろありがたい限り。

 

二つ返事で了承をすると、そのまま部屋へと招き入れる。

 

と、ここでふと気が付く。付き合い始めてから自分の部屋にナギを呼んだことがあったかどうかと。俺の記憶では最後に部屋に呼んだのはクラス代表戦の後に行われた夕食会以来。そこから先にも後にも、彼女を私室に招き入れた覚えは無かった。

 

一瞬部屋が汚れていないかどうか心配になるも、つい先日掃除をしたばかりであることを思い出し、俺の心配はただの杞憂で終わった。

 

あえて言うが、俺の部屋は至ってシンプルなレイアウトになっていて、無駄なものは一切置いていない。机の上に授業用の参考書や教科書が置いてあるだけで、洗濯物系も全て引き出しの中へ収納してある。後は普段着ていく制服の上着とズボンがハンガーに掛けてあるが、外に出ているものは精々それくらいだ。

 

本当の意味で生活をするためだけに作られた空間になる。つまりは見たところで何の面白みの無い部屋になるわけだ。他の生徒の部屋を覗いたことは無いが、少なからずこの部屋よりはおしゃれに装飾されていることだろう。

 

セシリアクラスはもはや自分の部屋のようにレイアウトを変えていそうだけど、あのレベルになると別の次元になってくるし、比較対象にはならない。

 

部屋の扉を閉め、ナギの後ろに続くように歩いていき、ベッドへと腰掛けた。ナギは腰掛けた俺を振り向きざまに見ると、クスリと微笑んで俺のすぐ横にゆっくりと腰を下ろした。

 

 

「こうして大和くんの部屋に来るのも久しぶりだよね」

 

「言われてみればそうだよな。実は丁度俺も思ってたんだわ」

 

「そうなんだ。ふふっ♪ 一緒にいることが多いのに、何だか不思議だね」

 

 

確かに意外かもしれない。

 

それに一緒にいることも多いが、二人きりでいる時間はそんなに多いわけではない。随所で二人きりになれているケースはあるものの、大体近くにはラウラがいる。

 

付き合い始めて互いの距離が近付いたとはいえ、人前でだらしなくベタベタとイチャついたり、時と場合を選ばずに抱きついたりはしないし、そこはしっかりと線引きをしてくれている。二人きりだったとしても学園外の人混みでは精々手を繋いだり腕を組む程度、学園内なら手を繋ぐこともない。

 

最も距離が近くなるのは、誰も来ないロケーション、かつ二人きりの時だけで、互いに節度は守るようにはしている。

 

だからこそ、臨海学校のバス内での一件はかなり衝撃的だった。悪い思い出では無いが、思い出したらそれはそれで恥ずかしいものがある。

 

 

「そういえば学園の出し物も決まったけど、ナギはどう思う?」

 

 

ふと、ここで今日のホームルームで決まった学園祭の出し物について、何気なくナギに訪ねてみる。よく分からない出し物が候補に上がった中での、ラウラが発案した唯一まともな出し物だ。

 

 

「わ、私としては大和くんとのポッキーゲームでも良かったんだけど……」

 

「……はい?」

 

「あ、な、何でもないよ! メイド喫茶だよね。私もメイド服なんて着たことが無いから、凄く楽しみなんだ! でも、まさかラウラさんの口から出るとは思わなかったかなぁ」

 

 

一瞬凄まじい発言が飛び出たような気がするけど、俺の思い違いだったか。

 

ただ思った通りの答えが帰って来て安心する。まぁラウラの意見が採用されたのは結構驚きだった。しかも予算や準備を加味しても十分に実行できるだけの建付けになっている。

 

後意外にも、メイド服を着てみたいと思う女性は多いらしい。ある一種の憧れでもあるのかもしれない。言われてみればナギのメイド服は一度お目に掛かりたいところではある。

 

うん、これは一男として見てみたい。そんな感じだ。

 

 

「それなー。俺も思わず間抜けな声が出て恥ずかしかったよ」

 

「えーっと、確か『ぁえ?』だよね?」

 

「げっ! 何で覚えてんだよ!」

 

「だって、あの状況であんな分かりやすい声で言ってたら……ね?」

 

 

小悪魔的に微笑むナギだが、覚えられていた方はたまったものではない。みるみる内に顔が紅潮していくのがよく分かる。思わず頭を抱えて顔を隠した。

 

言ってしまったのは事実であるが故に、言い訳のしようが無いのは事実。

 

冷静に考えて、あの場であの声量で言えば隣にいるナギには当然聞こえても何ら不思議ではなかった。盛大に間抜けな言葉な上に、声が半音ぐらい裏返っているのは見ていて本当にアホの極みにしか見えない。

 

別に天然の女の子が言うなら話は別だけど、男が『ぁえ?』なんて言ってたら普通に引く。むしろ笑って済ませてくれるナギが優しいだけだ。

 

 

「ぐぉおおおお……! あの時の自分を抹消したくなる……!」

 

「だ、大丈夫だよ! 声は裏返っていたけど、別に皆も気にしてないだろうし」

 

「気にしてないって、そりゃそんな細かい所まで気にしないだろうけど……あぁ、もう! 何か変に気になるな」

 

「あはは、何かごめんね。別にからかったつもりは無かったんだけど」

 

「い、いや大丈夫。人間誰にでも変なことを言う瞬間はあるだろうし、偶々口から出てしまったって考えれば納得は行く」

 

 

地味に申し訳ない気分でいっぱいになる。

 

ナギのことだ、これくらいなら笑って済ましてくれるだろうけど、変に気を遣わせてしまったのはいただけない。

 

 

「そ、そんなことよりもね。ちょっとお願いというかその……」

 

「ん?」

 

 

頭を抱えている間に、ナギが手をモジモジとさせながら恥ずかしそうに口ごもる。何か変なことを言ってしまったのかと、部屋に来てからの会話を振り返るも、特にナギが恥ずかしがるような言葉を発してはいない。

 

だったら何故恥ずかしがっているのか、イマイチ察知が出来ずモゴモゴと口ごもるナギを見つめることしか出来ない。俺が見つめている間、あーだのうーだの言いづらそうにしながらも、やがて意を決して言葉を続けた。

 

 

「あ、明日って休みでしょ? ルームメイトの子が友達の部屋に泊まりに行ってて、今日部屋に誰も居ない状態で」

 

「お、おう」

 

 

……なるほど。

 

とどのつまりナギが言いたいのは。

 

 

「あのっ! 今日大和くんの部屋……キャアッ!?」

 

「うおっ!?」

 

 

ナギが途中まで言い掛けた刹那、窓の外から轟く雷鳴が部屋を揺らす。ズシンという確かな衝撃音、それはあらゆる人間を恐怖へと陥れるには十分すぎるものだった。あまりの音に素直に驚きを隠せない。

 

どうやら近くに雷が落ちたらしい。

 

確か天気予報でも今日の夜中から雷に注意って言ってたような覚えがある。雨雲の影響もあるのか、ずっとこの状況が続くようには思えないし、しばらくすれば雷自体は落ち着くだろう。

 

が、問題なのは俺ではなくナギの方だった。

 

 

「……ッ!」

 

 

ギュッと俺の肩あたりを握ったまま、ふるふると身体を震わせている。よほど今の音が怖かったのか、口を真一文字に結んだままおびえていた。

 

雷が苦手な人は多い。

 

それは何も女性に限らず、男性にも言える。それでもナギの場合は完全に雷がダメなタイプの女の子だったことが今分かった。

 

 

「ナギ、大丈夫……うげ」

 

「ひぅっ!?」

 

 

続けざまに雷が落ちる。

 

人が折角慰めようとしている最中に、本当に空気の読めない雷様だ。いくら雷がなり続ける時間が限られているとはいえ、これだけ連続して落ちれば恐怖感はより増大する。

 

 

「うぅ……や、大和くん……」

 

 

現にこうして怖がっている。今はもう手を握るだけではなく、腕にベッタリと自身の身体を押し付けるようにしてくっつき、少しでも怖さが和らぐように努めている。

 

流石に怖がる女の子の姿を見続けて、何とも思わない人間ではない。

 

何か恐怖感を取り去ることは出来なくとも、彼女が落ち着けるような環境を作り上げることは出来ないかと、頭の中で幾多もの方法を考えていく。とはいえ早々思い付くようなものではない。

 

となるとその場しのぎとして、一旦落ち着ける方法があるとすればもう一つしか無い。急にされたらびっくりするかもしれないが、このまま怖がるのを放置するよりかはマシだ。

 

 

「ナギ、急にごめん。先に謝っておく」

 

「ふぇ……ふわぁあ!?」

 

 

おもむろに立ち上がると、ナギの膝裏と首元に手を回してお姫様抱っこのように持ち上げる。突然のことに判断が追いつかずに恐怖感など微塵も感じられないほどの何とも可愛らしい声をあげるも、お構いなしに作業を続けた。

 

持ち上げたまま、改めてベッドに座り直すと自分の両足の太ももを跨がせるようにナギを座らせる。当然この時の視線は俺と同じ方向ではなく、俺とナギが見つめ合うような形で座らせた。

 

しっかりと座らせたことが分かると、改めてナギの身体を自分の方へと引き寄せて、優しく抱きしめる。

 

 

「あ、あの大和くんこれは……」

 

「ごめん、これくらいしか思い付かなくて。嫌だったか?」

 

「……ううん、嫌じゃない。むしろ凄く嬉しい」

 

 

ニコリと微笑むと、ナギは気持ち良さそうに俺の胸元へ顔を埋める。ゴロゴロと断続的に雷が鳴り響くも、今の彼女を見る限りは一切怯えている様子は見受けられない。

 

とっさな判断だったが結果的に吉と出た訳だ。

 

が、問題なのはそこではなかった。

 

 

「……」

 

 

しばらく顔をうずめていたかと思うと、次の瞬間ふと俺の顔を見上げる。まるで何かをねだるかのように、物欲しそうにトロンとした目付きで俺のことを見つめてくる。

 

側に居たい、甘えたい。

 

そんな感情が強く伝わって来た。

 

しつこいほどに言わせてもらうが、ナギは人前でもキスをしてみせるほど肝っ玉の座った女の子ではあるが、普段から人前でベタベタとイチャついてくるわけではない。

精々人前でやったとしても手を繋いだり腕を組んだりするくらいであり、人前で自ら抱きついたり、キスをせがんだりすることは無い。

 

一線は越えないようにしているし、どちらかと言えば一歩下がった立ち位置で客観的に物事を判断し、人との距離感を保てる女の子だと思っている。

 

しかしそれは人前での話だ。

 

今は俺とナギの二人しかいない。ナギしか知らない俺の顔もあれば、俺しか知らないナギの顔もある。普段は平静を装いつつも、我慢をしている部分があるんだろう。今浮かべている彼女の表情を、第三者は決して見たことが無いと言い切れた。

 

 

「……♪」

 

 

頬に手を添えると子猫とじゃれるかのように、顔をなすりつけてくる。同時に俺との距離を近付けようと身体をより俺に密着させてきた。

 

いや、何この可愛い生き物。

 

ラウラなんかこ小動物的な可愛さとはまた違う、別ベクトルの可愛さ。なんて言い表せば良いのか。普段は恥ずかしがるようなその素振りはどこへ、女性が羨望するほどのわがままな身体を遠慮なく押し付けてくる。

 

あ、これはこれで別の意味でヤバイかもしれない。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

目と目めが合う。

 

互いの顔から視線を外せなくなる。

 

彼女が何を考え、そして何を希望しているのかはすぐに分かった。磁石のN極とS極同士が吸い寄せられるかのように互いに顔を近づけていく。

 

 

「んっ……」

 

 

距離がゼロになる。

 

伝わってくる想いそのものが俺の幸福感を満たしてくれる。今幸せなんだと、認識させてくれる。柔らかな口の感触から伝わってくる女性特有の良い匂いが、思考を鈍らせる。

 

ずっと、ずっとこのままで居たい。

 

ワガママとも言える感情が、より彼女を強く求めようとした。

 

 

「ん、んんっ……」

 

 

身体の酸素が減り始めたのか、ナギは苦しそうに身を捩る。それでも彼女が唇を離すことはなかった。

 

少しでもこの感触を味わっていたい。考えていること全てが分かるわけではないが、何となく同じことを思っているような気がする。

 

どれだけの時間そうしていただろう。

 

どこからともなく唇を離すと、ナギは身体を凭れかけてきた。呼吸をせずにずっと繋がっていた手前、若干苦しがっているように見える。

 

 

「あ、わ、悪い。大丈夫か?」

 

「ご、ごめんね。ちょっと苦しいのもあるんだけど……こ、腰が……」

 

 

どうやら腰が抜けてしまったらしい。

 

力が入らず立つことが出来なくなっているみたいだ。

 

この一連のやり取りにデジャヴを感じる。俺の気のせいだろうか。

 

 

 

「……ははっ、まぁ無理して立たなくても大丈夫だ。どちらにしても部屋に今日は誰も居ないんだろ? 泊まって行けよ」

 

「え?」

 

「もうこんな時間だしな。戻るなら止めないけど、元々そのつもりだったんじゃなかったのか?」

 

「あぅ……そ、そうです」

 

 

ボンと効果音が出そうなほど顔を赤らめながら俯向いてしまった。まだ人の部屋に泊まりたいとはっきりと言う勇気は無いらしい。

 

相変わらず恥ずかしがる姿も可愛い。どことなく慣れていない雰囲気を醸し出す女の子の仕草はそそられるものがある。

 

別にこれは俺だけじゃないはず。他の人間だって俺と同じ考え方の人間がいるに違いない。もしこれで俺だけだったとしたら全力でどこかの穴を見つけて潜りたくなる。

 

さぁ、天気もあまり良くないみたいだし。時間が経つと第二波がくる可能性もある。幸いなことに雷は収まりつつあるが、外では滝の如く打ち付ける豪雨が断続的に降り注いでいた。

 

夏真っ最中ほどではないが、晩夏になりつつあるこの時期の気候も非常に変わりやすい。さっさと寝て明日に備えるのが吉に違いない。

 

この部屋には何故かベッドが二つある。

 

恐らく部屋の立て付け自体が二人部屋であり、それを無理矢理一人部屋に変更したせいだとは思っている。本当なら泊まりに来た人間は空いているベッドを使って貰うのが良いんだろうけど、今の状況で『じゃあ空いているベッドを使ってくれ』などとは口が裂けても言えなかった。

 

 

「ナギ、悪いんだけど俺に身を委ねて欲しい」

 

「え? う、うん……きゃっ」

 

 

彼女を抱えたままベッドに寝転がる。

 

俺の胸元にすっぽりと収まったまま、重力に身を委ねて一切の抵抗を見せなかったあたり、深い信頼寄せてくれているのかもしれない。いきなり『俺に身を委ねて欲しい』なんて言われたら、深い関係にあったとしても抵抗する人間はいる。

 

それを嫌がらなかったということはつまり……そういうことだ。

 

 

「これなら怖くないだろ?」

 

「……うん。ありがと、気を遣ってくれて」

 

「お安いごようで」

 

 

そこから俺たち二人が眠りにつくのはあっという間だった。外では相変わらずの豪雨が猛威を奮っている音が木霊している。本来なら落ち着いていられるものではないが、それでもナギが怖がることは一切無かった。

 

二人しか知らない時間。

 

何と響きの良い言葉だろうか。

 

訪れる眠気と共に目を閉じる。

 

 

 

 

 

 

 

俺の目が開く頃には次の日の朝方になっていた。



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モーニングハプニングはモテる男の性分

「ふわぁ……んん?」

 

 

朝、それは一日の始まりを意味する。

 

心地の良い目覚めか、そうでないかは日によってまちまちだが、今日はそのどちらでも無いらしい。目は開いたものの、目の前に映るのは日差しが入り込んで少しばかり明るくなった天井だけだった。

 

ただ別に目覚めが悪いわけじゃないにも関わらず、身体が重たいような気がする。どこか疲れでも残っているのだろうか。言われてみれば昨日散々振り回されてるし、それが原因で疲れが残ってしまったのか。

 

……いや、そんなことで疲れが残るほどヤワな鍛え方はしていない。そもそもこの身体の重さは疲れや体調不良からくるものではなく、物理的に何かが乗っているような重さだ。

 

 

「……?」

 

 

そして気付いたことがもう一つ。

 

俺の両腕が金縛りにでもあったかのように動かない。強引に動かそうと思えば動くんだろうが、何だろう。動かしてはならないような気がする。

 

色々な意味で危ないんじゃないかと、俺の六感が悟っていた。現に俺の動かない手とそれから足にも柔らかい何かが纏わりついている。寝ているだけなのに得体の知れない柔らかい何かが纏わりつくだなんてことはあり得るのか、いやない。

 

どこのホラーだと突っ込みたくなる。得体の知れないものでないのは明らかであり、存在する何かであるのは間違いない。それでもこの感触から想定するに、俺の周りに居るのは二人。

 

一人は想像がつく、何せ昨日共に寝たのだから。念の為の確認で右眼だけを動かして視線を向ける。眼帯は外しているため両方の目で見ることが出来るが、左眼は極力使いたくはない。一部の事実を知る人間を除き、左眼は見えないとの認識になっている。

 

現に元々あった左眼は完全に潰れた。たがどういうわけか、寝て起きたら別の目が俺に宿っていた。それも本来なら目で見えないような小さなものまで、ハッキリと肉眼で捉えてしまう異次元染みた目を。

 

何故こうなったのかは未だに分からない。本来神経が分断され、失明状態にあった視力が何故回復したのか、回復どころか人間を遥かに超越した視力、動体視力が手に入ったのか。

 

まぁ考えたところで何かが解決するはずもない。一旦考えることをやめ、右隣に居る人物の顔を見る。

 

 

「すぅ……すぅ」

 

 

気持ち良さそうな寝息を立てて夢の中にいるナギの姿が映る。

俺の右腕を掴み、自身の身体に密着させながら寝ている姿に思わずドキッとする。加えて寝ている時の髪が前髪側にだらんと垂れている姿が、個人的にはツボだった。

 

あの後は特に問題なく眠れていたことが分かり、ホッと胸をなでおろす。

 

さて、こっちは良い。問題なのは俺の左側にいる人物だ。もう大体の検討がついているから、必要以上に語ることも無い。結論二者択一、そのどちらかしか無い。

 

大体どこのハーレム漫画の一コマだよ。

 

朝起きたら両腕に女の子が引っ付いて寝ている。アニメやゲームとかの二次元でしか無縁だと思っていたのに、現に俺は今当事者になっていた。

 

俺の左側、そこにはワイシャツ一枚で寝息を立てる楯無の姿があった。もう俺から説明をする必要は無いだろう。この寮、部屋の内側から鍵を掛けられるようにはなってはいるが、マスターキーを使えば簡単に外から鍵を開けることが出来る。そしてマスターキーを使えるのは寮長、つまり千冬さん。その他一定の権限を持つ教師、または生徒会長。

 

まさに職権乱用としか言いようが無い。

 

もうね、脇シャツの第三ボタン辺りまでボタンを外して人に引っ付いて寝てるのを見ると、何かを言う気力さえも奪われる。いや、可愛らしいのは否定しないし、仕草自体がそそられるものであるのは間違いないんだが……。第三ボタンまで開けると流石に胸元は完全にはだけた状態であり、少し凝視すると豊かな双丘の一部が見えてしまう。

 

男性として見たい気持ちはあるものの、迫ってくる欲望と闘うかのように視線を逸らす。右横にずらせば今度はナギの顔がどアップに映る。

 

あぁ、やっぱり可愛いな……じゃなくて!

 

 

落ち着け、まずはこの状況を整理しよう。とりあえず両腕が塞がっていること、加えて足も絡められているせいで俺は満足に動くことが出来ない。楯無とナギが、俺の両隣を陣取って寝ている。

 

 

「……」

 

 

ではどう脱出をするべきか。

 

身体を起こすこと自体は問題なく出来るかもしれないが、両腕がキッチリとロックされてしまっているために、簡単には抜け出せない。無論力任せに抜けるのなら簡単だが、問題なのは俺の両腕が二人の胸元に埋まっているから、無理に引き抜けばその感触を直接感じることになる。後ほぼ間違いなく二人は起きる。下手をすればあらぬ誤解を招くことになる。

 

あれ、これ俺詰んだんじゃね?

 

後考えられることとしては、時間的にラウラが部屋に入ってくる可能性があるといった部分。毎日ではないが、週に一回ペースで俺を起こしにくることがあった。ラウラ自身は率先して布団に潜り込んでくることはない。

 

少し前、俺のことを『お兄ちゃん』呼びし始めた頃に、同じ軍隊に居る仲間から、日本では兄妹が寝る時に一緒に寝るという風習があるなどと誤った知識を植え付けられたが、俺の説明により納得。

 

以降、布団に潜ろうとすることは無くなった。

 

が、今回の問題は布団に潜り込む、潜り込まないの問題ではなく、ラウラが知らない人間が布団に潜り込んでいるところにある。

 

 

これはシャルロットから聞いた話だが、強盗事件に巻き込まれた日に俺が浮気をしている可能性があるから、身辺調査が必要だと騒ぎ立てていたらしい。もし今ラウラが来て、現状を見たら確実に勘違いをすることだろう。この部屋に阿鼻叫喚の事態が起きることは何としても防がなければならない。

 

確率論になってくるからもしかしたら来ない可能性も想定出来るものの、今までの経験上、大体来てほしくない時に限って来るのが道理。俺がいくら淡い期待を抱いたところで、そんな幻想は一瞬にしてぶち壊される。

 

 

「お兄ちゃん、おはよう! 朝食に……」

 

「ははっ、ジーザス」

 

 

予想通りすぎる展開に思わず神様のことを口に出してしまう。少しでも話をしようと早めに起きて、俺のことを起こしに来たかったのだろう。部屋に入ってきた瞬間のラウラの眩いまでの笑顔は忘れられない。

 

部屋に入った瞬間までは間違いなくそう思っていたに違いない。部屋に入り、布団に俺とナギが居る。そこを確認するまでは良かった。

 

問題はそう、楯無だ。

 

朝礼で挨拶をしているから顔を知らないことはないが、ラウラにとって楯無は話したこともない、謂わば他人になる。なのにどういうわけか、俺の布団でスヤスヤと寝息を立てて気持ち良さそうに寝ている。

 

 

「がっ……な……なっ」

 

 

と、途端にラウラの動きが機械じみたものになった。予想外の現実に、頭がついていっていないのかもしれない。気持ちは分かる、俺も最初は突然のドッキリには頭がついていかなかった。

 

でも悲しきことに慣れてしまった現実がある。

 

 

「ふわぁぁあ……どうしたのー、もう朝ー?」

 

「き、貴様っ……!」

 

 

周囲の変化を感じ取ったのか、大きなあくびをしながら目を覚ましたのは楯無だった。外に跳ねた癖毛を伸ばしながら、ベッドの上に起き上がる。当然起き上がることで、布団に隠れていた上半身が露わになるわけで、ラウラの目にもはだけたワイシャツが入る。

 

確かにワイシャツ一枚で寝たり、ラフなキャミソールで寝てしまったりする女性も居るのは間違いない。うちの千尋姉なんかはそっちの類いだし。理由は単純で身内しか居ない場所であれば、自分の部屋着にそこまで気を遣う必要が無いからだ。

 

もちろん、人様の目がある前では絶対にやらない。やるとすれば基本俺の前だけ。あぁ、この前ナギが来た時はバスタオル姿で出てきたけど、あれはもう完全な交通事故だから特に気にする必要はない。

 

 

「あら、ラウラちゃんじゃない。こうして会うのは初めてね。私は二年の更識楯無、よろしくね♪」

 

「あ、あぁ。ら、ラウラ・ボーデヴィッヒだ。よろしく頼む……じゃない!」

 

 

淡々といつものトーンで自己紹介をする楯無の雰囲気に飲まれ、自身もいつの間にか普通に自己紹介を返すラウラ。完全な赤の他人のラウラが、いくら不可抗力とはいえ普通に返してしまうあたり、楯無の人心掌握術は目を見張るものがあった。

 

元々人との付き合い方が上手いんだろうが、コミュニケーション力を含めたら間違いなく俺よりも上になる。

 

 

「何故生徒会長がお兄ちゃんの部屋に居る!」

 

「んー、何でかしらね大和」

 

「いやいや、俺に聞くのかよ」

 

 

まさか俺に振られるとは思っていなかった。と、楯無の発言の中にラウラを刺激するような発言が入っていたようで、気持ち彼女の眉が釣り上がる。

 

 

「お兄ちゃんを呼び捨てだと……」

 

「あー、ラウラ。ハッキリ言うけど、悪いが俺と楯無はお前が思っているような仲では無いぞ」

 

「そ、そうなのか。だ、だがお兄ちゃんと寝ていたのはどう説明するんだ!」

 

 

俺がラウラだったら納得は行かない。仮に本当に恋仲では無かったとしても、共に寝ていた事実は覆せない。でも共に寝ていたともなれば相応の仲であることは判断がつく。

 

かと言ってここで楯無が勝手に布団に潜り込んできたと、直接伝えるのも、責任を全て楯無に押し付ける形になってしまう。実際は俺が寝ている間に部屋の扉をあけて、布団に潜り込んでいるわけだから事実をてい……捏造しているわけではない。

 

それでも事実を伝えることは気が引ける。仕方ない、事実を伝えつつも遠回しにカドが立たないように伝えよう。

 

 

「それは―――「私が大和のことが好きだからよ」……っておい」

 

 

いきなり出だしをへし折ってくれた。あまりのどストレートな物言いに、ため息が出そうになるも同時に変な恥ずかしさに苛まれる。はっきりと、自分のことが好きだと第三者の前で言われると、恥ずかしくもあり、そこまで想ってくれているのかと嬉しくなる。

 

 

「……」

 

 

一方のラウラは楯無の言葉に口を結ぶ。

 

決して怒っているわけではなく、淡々と楯無の口から続く言葉を待っていた。思うところがあったのか、少なくとも楯無から発せられた内容は、ラウラの知る事実ではないのは間違いない。

 

楯無は楯無で、先ほどまでのおちゃらけた雰囲気とは違い、しっかりと自分の想いをラウラに伝えようとしている。こんな雰囲気になってしまっては、俺はもう何も言えない。

 

 

「もちろん、双方の合意は無いから、私の一方的なだけどね。でも大和のことを想う気持ちに偽りはないわ」

 

 

こんな時、本来であれば男冥利に尽きると喜ぶべきなんだろう。でも楯無の言葉の真意を汲み取ると、どことなく複雑な気持ちになる。

 

楯無が俺のことを本気で好きで居てくれるのは事実だ。それは楯無も公言しているし、彼女の行動の節々からも伝わってくる。

 

からかうために一夏に引っ付いていた時と、今の状況の違いは一目瞭然。過剰なスキンシップは元からあるが、向けられる感情の違いはよく分かる。いつか俺に振り向いて貰おうとアプローチしてくる姿勢は全く変わらなかった。

 

たとえ俺が断り続けたとしても、楯無は自分が納得するまで続けるに違いない。彼女の負けず嫌いな性格を考えれば、必然とその結論に行き着く。

 

気付けば俺の手を力強く握り締めていた。何を思ったのか、口では力強く言えるにしても、内心は不安なのかもしれない。

 

 

「……またお兄ちゃんは知らない女性を誑し込んだんだな」

 

「おいおい、人聞きが悪いなラウラ。まぁ、無意識なうちにこんなことになっている時点で、相当タチが悪いんだろうけど」

 

「でもそれが良いところでもある。間違った行動ならまだしも、普段のお兄ちゃんの行動を見てれば人が惹きつけられたところで何ら不思議はない」

 

「そう思ってくれると助かる」

 

「もちろん、生徒会長が良からぬことを企んで近付いたのであれば話は別だ。だが今の話を聞く限り、本気でお兄ちゃんのことを想っていることは分かった。人の恋路を邪魔するほど、私も聞き分けは悪くない」

 

 

あれ、これ本当にラウラか?

 

いつの間にこんなに大人になったんだろう。目の前にいるラウラは俺の知っているラウラとはまた違う。俺の知っているラウラがこんなに大人なわけがない。

 

……などとふざけている場合ではないんだが、それほどに衝撃的だったのは理解して欲しい。そういえば俺が大怪我した時に箒を諭した時も、信じられない程に大人びた発言をしていたらしい。

 

俺と居る時以外で考えれば、ラウラは一番大人びた発言をする生徒かも知れない。そんな片鱗は普段の立ち居振る舞いから随所に伝わってくる。

 

 

「好きにすれば良い。誰がお兄ちゃんの側にいるからと言って、私の気持ちが変わる訳でもない。良からぬことを考える奴が居たら容赦しないがな」

 

 

何このイケメン。

 

これがもし男性だったとすれば、世の女性の何人かは惚れていたことだろう。ラウラの冷静すぎる切り返しに側に居る楯無も目を何度も瞬き驚きを隠せないでいた。

 

ラウラの変化だけは情報収集能力に長けている更識家でも感知は出来なかったらしい。

 

ラウラはどんな人間か? と言われて真っ先に答えとして出てくるのが、クールで無口。昔のイメージなら冷酷非道と言う人間も出てくるかもしれない。今のイメージなら、ちょっと世間知らずな美少女とでも言い表すのが正しいか。

 

そこに大人びた雰囲気を匂わせる要素は何一つない。

 

 

「大和。あなたラウラちゃんにどんな教育をしたの? 予想の斜め上のことばかり過ぎてついて行けないんだけど……」

 

「特に何もしてないよ、あくまで俺は放任主義なんでね。自慢の妹であるのは間違いないけど」

 

「ふふん。お兄ちゃんに褒められたぞ! もっと褒めてくれ!」

 

「はいはい、よく頑張っているな」

 

 

ベッドから起き上がり、ちょいちょいと手招きをすると、パタパタと小走りで俺の元へと歩み寄ってくる。近寄って来たラウラの頭に手をのせて軽く撫でると、気持ち良さそうに目を細めた。

 

あまり撫でられることが無いから分からないけど、人に撫でられるのは気持ちいいものなんだろうか。所感としては結構恥ずかしさの方が先行してしまうが故に、感触がどうなっているかなんて覚えているはずもなかった。

 

 

 

 

 

「ふわぁ……あぇ? 大和くんにラウラさん? それに楯無さんまで、どうしたんですかこんな朝早くから」

 

 

と、ここで寝ていたナギが目を覚ます。まだ完全に覚醒している訳ではないようで、言葉尻が少し怪しい。目をゴシゴシと拭いながら、半開きの視界を広げようとする。

 

これだけバタバタした状況下で眠っていられる方が凄いが、思考を変えて逆に深く眠れるくらいに信頼してくれていると考えれば嬉しい。

 

 

「起きたか。しかしにぎやかな朝なことで、おかげさまで俺の目覚めはすこぶる良いよ」

 

「え、え? 一体何が……」

 

 

と、現状を把握できずにナギはオロオロとするばかり。本来なら掻い摘んで説明した方が良いんだろうけど、特に説明しなくても察してくれるだろうと淡い期待を持つことにする。

 

 

「話が逸れたな。ラウラは朝食の誘いに来たんだろ? ちょっと準備をするから待っててくれ。それと二人も朝食行くんなら、そこの洗面台使って身支度は整えてくれ。もし必要ないならいいけど」

 

「あ、ううん。使うよ。ありがとう大和くん」

 

「どーいたしまして。フェイスタオルは洗面台の引き出しに入ってるから」

 

 

いそいそと洗面台に消えていく。やがて水の流れる音が聞こえてくると同時に、楯無は一言つぶやく。

 

 

「ホント、よく出来た子ね」

 

「あぁ、本当に。俺にはもったいないくらい良い彼女だよ」

 

「……私も頑張らなきゃ」

 

 

聞こえるか聞こえないかの声量で何かをつぶやく楯無だが、何を呟いたかまでは分からずに思わず質問を返す。

 

 

「ん、何か言ったか?」

 

「べっつにー? さ、私も顔洗ってくるわね」

 

 

結局何を言ったのかは教えて貰えず、はぐらかされるようにナギの後を追って、洗面台へと消えていってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんな準備は大丈夫か?」

 

「えぇ、大丈夫よ」

 

「よし……って! なんでしれっと人の腕にくっついてんだお前は!」

 

 

一通り準備を終えたところで、部屋の外へと出る。扉の前で鍵を閉めてしまっても問題ないか、改めて確認をすると楯無が唐突に引っ付いてきた。

 

廊下に人が居ないとはいえ、あらぬ誤解と勘違いを与える可能性があることを踏まえると、人通りがある場所で不用意に引っ付かれるのは防ぎたい。最もこれがナギであれば多少噂が出回っているだろうし、そこまで思うことは無いんだが、今回は楯無だ。

 

パーソナルスペースが近くなる分には良いけど、人前だからこそ引っ付かれるのは抵抗がある。

 

 

「あら、ダメかしら?」

 

 

と、楯無の反応はしれっとしたものであり、悪びれている様子はない。ダメとは言わないが、人の目に触れる可能性があるから控えて欲しいだけでって……あーもう! これが世の男性の目に触れたら○される未来しか見えないわ。もしIS学園が共学校だったらどうだったか、想像したくもない。

 

 

「ダメとは言わないけど、人前なんだからちょっとは遠慮しろって!」

 

「た、楯無さん! 何やってるんですか!」

 

「ほう、これがクラリッサの言ってた三角関係というやつか。しかし最終的に男性が刺されてしまうと聞いたが……お兄ちゃんなら大丈夫か。いや、万が一もあるから気をつけねば……」

 

 

そんな楯無の行動に、俺と同調するのはナギだった。離れて下さいと無理にでも引き剥がさないのは優しさ故にか。

 

さて、ナギの反応は至って正常であり正常で特に問題はないが、やや気になるのがラウラの方か。腕を組みながら何か考えているのが分かるだけではなく、口から考えていることがダダ漏れで、何一つ隠し通せていなかった。

 

再三にわたって聞く『クラリッサ』という名前。

 

ラウラの口からはドイツ軍の優秀な副官だと聞くけど、ラウラに間違った常識を教え込むなど、俺としては割と危険人物の一人になっている。何で三角関係の行く先が刺される結末に辿り着くのか、誰がどう見てもアニメに影響されすぎである。

 

ラウラが信頼を置いている面で見ると、仕事的には本当に優秀なのは間違いない。ただ如何せん残念な人であるとの見方をせざるを得ない。

 

 

さて、話が逸れたな。

 

とりあえず楯無を引き離そう。流石にこのまま食堂まで行くわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら楯無、他の人に見られる可能性があるんだからそろそろ……っ!? 誰だッ!!」

 

「え……」

 

 

不意に感じる明確な敵意の込められた視線。突然のことに何が何だか分からず、俺を除いた三人はポカンと立ち尽くすだけ。視線の先を特定すると、床を蹴って一気に接近する。十数メートル先にある曲がり角、影から食い入るように見つめる視線の存在をしっかりと確認できた。

 

それも好奇の目ではなく、明らかに敵意が籠もったもの。その敵意が誰に向けられていたのかは分からないが、視線の先に映るのは俺達四人しか居ない。つまり四人のうちの誰か、もしくは全員に向けられたものである可能性が非常に高い。

 

もし近接距離であれば取り逃がすことは無かったんだろうが、少しばかり距離が離れすぎていたか。曲がり角を覗いた時には既にもぬけの殻だった。

 

 

「ちっ……逃したか。こっちが気づく寸前で逃げ出すなんてタイミングが良いこともあったもんだ」

 

 

逃したことに対して思わず舌打ちが出た。

 

確かに誰かが居た形跡はある。それもついさっきまで。

これ以上監視していたらバレると思って直前で退散したのかもしれない。

 

だがここで俺たちをじっと見つめて居た事実はあれど、具体的に何を目的に動いていたのかまでは分からなかった。学園外の人間がここまで辿り着けるとは思えない。もしこれたとしたらどれだけ学園のセキュリティはザルなんだと文句の一つも言いたくなる。

 

外部からの侵入が無いとなると学園内の生徒、もしくは教師のうちの誰かとなる。外部からの侵入に成功する難易度に比べれば、遥かに落ちるしそもそも学校の生徒や教師であれば寮に居たところで怪しまれることはない。

 

どちらにしてもこちらに敵意を向けてきた時点で、何かを企んでいることも十分に考えられる。

 

 

「どうしたの大和? 急に大きな声出して」

 

「楯無、お前は気付かなかったか?」

 

「え、えぇ。もしかしたら注意散漫だったかもしれないわ……」

 

「……いや、仕方ない。ほんの一瞬だったし無理はないさ」

 

 

三人の中で一番早く駆け寄ってきた楯無だったが、俺が気付いた視線に気付けなかったらしい。これが命のやり取りを掛けた場所であればありえないミスであり、しゅんと落ち込んだ表情を見せる。

 

俺としては責めるつもりは毛頭なかったが、如実に落ち込まれると何も言えなくなる。少し羽目を外しすぎてしまったことを反省しているんだろうが、恋は盲目と言うことにしておく。これがもし楯無のような女性ではなく、男だったとしたら容赦はしないけど。

 

と、そうこうしている間にもラウラとナギが続けざまに歩み寄ってくる。

 

 

「どうしたんだお兄ちゃん、何かいたのか?」

 

「いや、何もないよ。誰かに見られているような気がしてさ」

 

「ふむ? しかしお兄ちゃんはこの学園で有名人だ。押し掛けてくることは無くなったとしても、一部の生徒が興味本位で近寄ってくることはあるだろう。今回も陰で見ていたは良いが、気付かれたから逃げたと仮定すれば辻褄は合う」

 

「確かに、言われればそうだな。ただそれならコソコソ隠れずに出て来てくれてもいいと思うんだけど……よく分からんわ」

 

 

発する言葉を聞いていると、ラウラも気付いていないことが分かる。多分こうであろうと仮定は立てているも、あくまで仮定に過ぎない。ましてや興味本位でと言っている時点で、先程の視線を認知出来ていなかった決定的な証拠だった。

 

 

「まぁいいや。とりあえず飯行こうぜ。こんなところでいつまでも油売っているのも時間が勿体無いし」

 

 

ただ、いつまでもここで考えていても仕方がない。何をどうしたところで、今出来ることなど何もないのだから。最悪のケースを想定して動くことは大切だが、こんな時から気を張ってしまったら疲れてしまう。

 

食堂へ向かおうと一言声をかけ、楯無とラウラの二人は真っ先に俺の後を着いてこようとする。

 

が、一人気難しい顔をしながら二人に遅れるようにナギが動き始める。

 

 

「……」

 

 

今の一瞬の間は何だったのか、顔だけを後ろに向けて表情を見るも、やはりその表情は浮かないものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……気に入らないわね。私を差し置いてあの男と距離を縮めるだなんて。見てなさい、必ずこの学園から追い出してあげるから」



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己の未熟さ、湧き上がる疑念

「え、自信を失いかけてる? 一夏らしくもない……よっと」

 

 

ガシュッ! と音を立てて放ったボールがリングを通過する。うむ、我ながら見事なバンクショットだ。

このIS学園で体育の時間は非常に貴重な時間になる。普段はISを中心とした座学や実習ばかりを授業で行っている中で、唯一楽しめる科目があるとすれば間違いなくこれだろう。

一般校でも基礎科目が授業のカリキュラムの大半を占めていて、体育の時間などほんの僅か。少なくとも体育の授業回数が他の科目に比べて多いなんてことはない。

 

とはいえここは女性の園、IS学園。一夏と俺の二人を除いて男性はいない。一般校なら別々に設定される体育も、男女合同にて行われることになる。隣のコートではキャイキャイとはしゃぎながらクラスメートたちが試合をしていた。

 

一方で俺と一夏は試合を待っている最中。そんな中、ふと一夏が普段ではあまり溢さない弱音を吐いた。どうやらここ最近思うような戦績を残せていないことに、多少の焦りを感じているらしい。

 

臨海学校が終わり、新学期が始まってからというもの、一夏の実戦での戦績は芳しくない。

 

 

「んーなんつーか、色々と出来ることは増えたけど、ここ最近勝ててないってのもあるんだよな」

 

 

スランプなのか。

 

伸び悩むような状況ではないとは思うけど、負けが混んでることに少しネガティブな考えが出てきてしまっているのは事実。白式の単一仕様能力の零落白夜は当たれば強力な攻撃だが、それ故にエネルギー消費も激しい。周囲の専用機持ちたちは嫌というほど認識している攻撃であり、攻撃を出させないように立ち回ることになる。

 

それを可能とするのが各々の持ち合わせている経験スキル。そして個体の特性を活かした戦い方を実行出来るところが大きい。現に候補生の一夏との戦い方を見ると、零落白夜に注意を払って戦っているように見えた。

 

裏を返せばそこさえ気を付ければ何とかなると思われているとも言える。

 

総合的に見て今の一夏の実力と代表候補生の実力を考えると、まだ一夏の力不足感は否めない。それは繰り返し行うことで初めて養われる戦闘経験。稼働時間が少ない一夏にとってそこは埋めがたい溝となってるのかもしれない。

 

 

「とはいえ元々ISに関わる勉強なんてしてこなかったことを考えれば十分過ぎる成長だろう? それだけじゃ満足出来ないのか?」

 

「満足出来ないわけじゃないんだ。もしいつか強大な敵が現れたとして、俺はその時立ち向かえるのかって考えると不安でさ。銀の福音の時は皆で力を合わせて何とかなったけど、毎回同じように行くかなんて分からないし」

 

 

戦いにおいて絶対は無い。圧倒的優位な立場にいても些細なミスがきっかけで形勢逆転されることもあれば、負け戦のような絶望的な状況であってもひっくり返せるかもしれない。

だからこそ考えられるあらゆるケースを想定して戦うことが重要になる。

 

何とかなるかもしれないし、何ともならないかもしれない。

 

ただどうにもならない選択肢を掴まないためにも、それぞれに鍛錬を重ねる必要があった。

 

入学してからというもの、一夏のIS戦闘における成長は目を見張るものがある。全く知識がない状態から代表候補生に肩を並べられるレベルまでこれたということは、それ相応に本人の努力がなければなし得ないことだ。

 

それでもまだ見えない脅威が来るかもしれないと考えると心配で仕方ない、といったところなのか。

実力がまだまだ未熟であることは一夏が自身重々承知している。背伸びしてでも得たい何かがある。

 

それはいつか来るかもしれない瞬間のために。

 

 

「そこは皆不安なんじゃないか? 銀の福音の件もそうだけど、誰も暴走するなんて想定出来ないだろうよ」

 

 

一つ言えることがあるとすれば、一夏の思っていることは皆不安に思っていることに違いない。表面には出さず、心の奥深くに不安な感情を押し殺しているだけだ。

 

 

「何かあっても対応出来るように今のうちに準備しておく。それが今俺たちに出来ることだろう」

 

「大和……」

 

「今負けてることに焦りを感じるのは分かる。ただ焦って突っ走ったところでいい結果になんてなるわけが無い。無理に背伸びする必要はねーよ」

 

 

一夏に言葉を返しながらバスケットボールをリングに向かって放つ。リムに当たったボールがガンッと音を立てて零れ落ちた。

 

結果で言えば勝ちに拘りたいのはよく分かる。ただ負けたことで得られることもある。何故勝てなかったのか、どうして負けたのか。時間は掛かるかもしれないが、一つ一つ確実に課題を潰していけば同じミスはしなくなる。

 

ちりも積もれば山となる。

 

一つの積み重ねはいずれ己に取って大きな財産になる。

 

 

零れ落ちたボールを拾い、そのまま両足に力を込めてリング目掛けて飛び上がる。ボールを手首の付け根でロックし、力を込めながらハンマーを打ち付けるようにリングへと叩き付けた。

 

叩きつけると同時にリングを掴むと自重でリングがミシミシと音を立てて軋む。一定の場所まで軋むと今度は元に戻ろうとする力が働き、反動を利用してリングから手を離して地面に着地した。

 

 

「やる時はしっかり力入れてやって、それ以外はしっかりと力を抜いて休む。何事もメリハリつけてやろうぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……メリハリつけてやろうぜなんて言っちまったけど、やっぱり少し心配なんだよなぁ」

 

 

ところ変わって生徒会室。

 

一日の授業を終えて帰宅しようとしたところ、校内放送で楯無から呼び出されていた。互いに連絡先を交換しているのだから携帯電話に連絡をすれば良いものを、あえて校内放送を使った辺り確信犯的なものを感じてしまう。

 

今この部屋にいるのは俺と楯無の二人だけ。本来であれば他の生徒会役員もいるそうだが、学園祭が近いこともあってクラスの手伝いに追われている兼ね合いもあって今日はここには来ないんだとか。生徒会の関係者でも無いはずの俺がここにこうしていること自体不自然な感じがするが、逆に内密な話があるのであれば人もそんな来るような場所でも無いし好都合だ。

 

この時期だから生徒会も割とてんやわんやしているかと思えば意外にもそうではなく、部屋の中は片付いていた。立ち上がったままキョロキョロと辺りを見回しても散らかっている様子はない。

 

てっきり書類の山が出来ているとばかり思っていたけど、雑務は順調にこなしているらしい。

 

 

「一夏くんのこと? それなら私の方でもしっかり見るようにするからそこは安心しなさい」

 

 

と、楯無は自分の椅子に腰掛けながら扇子をパタパタと仰ぐ。待機状態のISの使い方としてはいささか疑問を感じるが、日用品の一部として使えるなら便利なのかもしれない。

 

 

「ん、一夏のことを見る?」

 

「そ。この前の一戦でちょっとした賭けをして一夏くんは負けたから私にIS訓練を付けてもらうことになったの」

 

「そんな話になってたのか。逆にこのタイミングで楯無に教えてもらうなら一夏としてもちょうど良いかもな」

 

 

少し壁にぶつかっていると相談をされたばかりだし新しいコーチに教えて貰うのはありかもしれない。それに教えるのが楯無ともなれば持ち合わせている知識、情報量は計り知れない。如何に知識があっても教え方が下手であれば何の意味も為さないが、教え方に関しては少なくとも一番心配がいらない部分だろう。

 

実力は言わずもがな。自他共に認める学園最強である楯無にケチをつける人間などいるはずもなかった。一夏にとってはとんだ災難だったが、今後のことを考えると楯無と手合わせをして正解だったにちがいない。

 

そうかそうかと頷いてリアクションをすると、何故か楯無はムッとしながら不機嫌そうな表情を浮かべる。何か失言でもしてしまったのだろうか、そんなつもりは毛頭なかったが何かやらかして無いかと前後の会話を思い返した。

 

 

「……てっきり妬いてくれると思ったのに。意外とすんなりと受け入れるのね?」

 

「はい?」

 

「うー……知らない」

 

 

いきなり何を言っているのかと思ったが、言わんとしていることはよく分かった。要は一夏と楯無が一緒に特訓をすることに対して、俺があまりにも素っ気ない感じで答えを返してしまったことに、少しばかりふて腐れているようだ。拗ねた子供のようにぷいとそっぽを向いてしまう。

 

楯無の中で俺のことを諦めるつもりが毛頭無いのは朝のやり取りでよく分かった。彼女なりに本気で俺にアプローチをしているんだろう、故に上手くいかなかったりすると拗ねてしまうみたいだ。

 

 

「悪かったって、拗ねるなよ楯無」

 

「……なんてね、冗談よ」

 

「あのなぁ」

 

 

と、あっけらかんと応えて見せる。

 

ペロリと舌を出しておどけてみせる楯無に冗談かよと大きなため息が漏れた。

 

 

「話がそれちゃったけどIS訓練に関してはそこまで心配しなくてもいいわ。教え甲斐があっておねーさん嬉しいし♪」

 

「教え甲斐ね。今の一夏には伸び代ばかりだし、このタイミングで楯無に教えてもらえるのならもっと伸びそうだ。俺もうかうかしてられないな」

 

 

怠けていたらあっという間に追いつき追い越される可能性もある。何も知らずに入学し、数ヶ月でこれだけの知識量を蓄えてきた一夏。他の生徒が何年も前から勉強してきていることを考えると、一夏の飲み込みのスピードが如何に早いかが分かる。

 

中学三年間帰宅部だったせいで衰えてしまった体力も、徐々にではあるが確実に戻りつつあった。自分に劣っている部分を素直に受け入れられるのであれば、確実な成長を見込むことが出来るだろう。

 

問題は楯無がどのような教え方をするかだけど、立場が立場だけにかなり厳しい教え方になるに違いない。

 

などと考えていると不意に楯無の表情が曇った。

 

 

「でも問題なのはIS訓練のみに限ったことなのよね。ここ最近不穏な動きがあって、正直そこに関しては問題大有りよ」

 

 

後半に関してはあまり聞きたくない内容だった。

 

臨海学校から夏休みの最終日付近までは本当に何も起こらず、平穏無事な日常ばかり続いていたが、どうやらそんな日々が長続きするわけではないらしい。

最もここまで平穏が続いていることの方が奇跡に近いことであり、夏休み前に関しては毎週のように何かしらのトラブルに巻き込まれていた記憶しかなかった。

 

そう考えれば事が起きるのは別に不自然なことではない。

 

 

「少し前に巻き込まれた喫茶店での出来事を覚えているかしら?」

 

「あぁ、俺のドッペルゲンガーが現れたとかで調査に行ったからよく覚えている。肝心な情報は掴めずに逃げられちまったけど、それと今回のことは関係があるのか?」

 

「えぇ。とは言ってもあの事件自体が関わっているというよりかは、大和が戦った人物が絡んでいるって言った方が正しいわね」

 

 

話の内容からして思った以上に良くない方向へ事が進んでいるらしい。

 

 

亡国機業(ファントム・タスク)って大和は聞いたことあるかしら」

 

「……あぁ。あまりいい噂は聞かないけど、少しばかり知っていることがある」

 

 

亡国機業(ファントム・タスク)

 

数十年に渡り続いている裏組織であることは認知しているが、存在意義や目的は一切不明。風の噂ではロクな噂を聞かない。普通に生活している分にはまず関わる事はなく、一般人に知られた組織でないことは明らかだ。

 

 

「そう、なら話は早いわ。例の人物が亡国機業に所属したって情報が入っているのよ」

 

「……」

 

 

何が目的なのか分からないが良からぬことを企んでいるのは事実か。もしこちらに接触してくるとなると、大ごとに発展する可能性もある。個人で軍人であり対人格闘に関しては一年でも無類の強さを誇るラウラを圧倒していることを考えれば被害の大きさは想定できた。

 

生身で遭遇してしまえば太刀打ちできる人間などほぼ皆無に等しい。

 

 

「亡国機業に関してはISを……特に専用機を狙っているって話も出ているくらいだからこのIS学園が標的になる可能性もあるわね」

 

 

重苦しい楯無の一言。訓練用の機体だけではなく各国の開発した専用機が多数集結しているIS学園。セキュリティが掛けられているとはいえ、それを突破してでも欲しがる輩はいるだろう。

 

そして更に戦闘経験が乏しい専用機持ちは格好の的となる。

 

それは俺とて例外ではない。

 

ISの操縦歴は決して長くはなく、戦い方も機体の性能に頼っているところが大きい。

首からぶら下げているネックレスをそっと触る。この機体だけに備わっている特性、()()()()()()()()()()()()性能を発揮するというもの。

 

幸いなことに生まれ持った俺の身体能力は人間のそれを遥か超越している。篠ノ之博士の言う性能が正しいとすれば、身体能力に頼ることで歴戦の操縦者ともある程度互角に戦う事が出来るとも捉えられた。

 

が、それを上回る力を持つ人間が出て来た時、方程式は崩れることになる。これだけ広い世界だ、そんな人間が居ないとも限らない。純粋な身体能力での話であれば、つい最近同格のレベルの人物と手を合わせているのだから。

 

 

もし楯無の仮定が現実のものになるとすれば学園中が混乱を起こす可能性もある。楯無一人で全てを対処できるようなことではないはず。

ただどこかの誰かと同じであまり人を巻き込みたくないとか、何としても一人で解決しないととか背伸びをしてしまう一面を彼女も持ち合わせている。

 

 

「本当は私だけで何とかしたいところだけど、場合によっては大和に力を借りることになるかもしれない。その時は力を貸してくれると「あぁ、いくらでも楯無の力になるからいつでも言ってくれ」助かる……え?」

 

 

楯無が言い切る前にいくらでも協力するからと伝えると、キョトンとした表情で俺のことを見つめて来た。案の定、少しくらい悩むかと思っていたのか俺が即答したことに若干の驚きを隠せないようだった。

 

 

「何でも一人で抱えようとするなよ。俺が入学した時に協力するって言っただろ? お前も一人じゃ限度があるって言ってたじゃないか」

 

「うん……」

 

 

どうにも歯切れの悪い答えを返してくる楯無。

 

入学時には俺の方にも協力する代わりに、更識家としての仕事にも協力して欲しいと協定を結ぶことになった。当時は俺が五体満足の状態だったが、今は違う。

左眼が塞がれ、一般的には日常生活にも差し支えが出かねない状態になっていて、今の状態に無理はさせられないと楯無の中で考えているのかもしれない。

 

 

「もしかして怪我したことを気にしてるのかもしれないけど、俺はそんなヤワになった覚えはないぞ?」

 

「き、気にするに決まってるじゃない! だって一度は命を落としかけているのよ!?  大和ばかり危険な目に合わせるわけにはいかないわ!」

 

 

強い口調で俺の目を見る楯無の瞳は微かに熱を帯びて揺れていた。

 

最初と今の俺に対する楯無の認識は違う。お互いに職業上、生死の境目に立たなければならないこともある。仕事仲間としての目線のままであれば、気持ちの揺るぎは小さかったかもしれないが今は違う。目の前にいる楯無はどこかかつてのナギを見ているような気分だった。

 

大切な人が傷つくのは見たくない。

 

先日久しぶりに会った時には、何とか平静を装わなければと自分の胸の内を堪えていたのだろう。ただ内心は穏やかでいられるはずがなかった。

 

常識的に考えてそれが人として当たり前の感情なのだ。

 

楯無も更識家当主に就任してから日も浅く、何よりまだ若い。割り切ろうと思っても心の奥底ではどうしようも整理が付かないことだってある。

 

実際俺はあの臨海学校での戦闘で死に掛けた。

仮に助かったとしても一生意識が戻らない可能性もあると医師からは宣告もされた。

 

自分の大切に思う人間が、そのようなことになった時に俺は平静を装っていれるだろうか。

 

答えは---否、だ。

 

 

「こんなこと言っても仕方ないのは分かってる。でもね大和、あなたが思っている以上にあなたの事を思っている人は大勢いるの。貴方が倒れた時、私は原因の発端になった人物を恨んだわ。自分の手で制裁を加えようと思うくらいにね。仕事をしている上で無理をしなければならない時があるのは分かる。けどもし本当に大和が居なくなったらって思うと……」

 

 

本心をそっと心の奥底に仕舞い込み、決して表に出さないように堪えていたに違いない。

 

 

「楯無……」

 

 

すっと椅子から立ち上がるようと、俺の元へと静かな足取りで近寄ってくる。近づいて来たかと思うと頭をコツンと俺の胸元に預け、想像以上にか弱い細腕で俺の身体をギュッと抱きしめた。心なしか少し身体が震えているようにも見える。

 

人間には寿命があり、いずれは果てる運命にある。

 

明日なのか、数年後なのか、はたまた数十年先の未来になるのか、それは誰にも分からない。

 

何回同じ内容で泣きつかれているのかと、自分をぶん殴りたくなる気持ちに苛まれる。自分にとっては仕方のない負傷だったとしても、人によってはショックを受けて心に大きな傷を負ってしまうことだってある。家柄、仕事柄それはやむを得ないことだって自負しているし、それが仕事であることも重々認識している。

 

とはいえ楯無やナギやラウラからしてみれば俺のやっていることは危なっかしく見えるし、心配にならないわけがない。ナギに関しては自分の素性の大半を明かしたことで大体のことについては理解してくれているが、内心は心配でたまらないことだってあるだろう。

 

楯無に関しては俺が霧夜家の当主であり、この学園に潜り込んだもう一つの目的に関する認識はあるものの、俺が遺伝子強化体であることや、左眼が見えている事実は知らない。

 

ただでさえ知らないことばかりで、不安に思う気持ちが人より大きい楯無からすれば気にするなと言う方が無理に決まっている。

 

こんな時どうしてやればいいだろう。

 

俺が出来ることなど些細なことでしかない。でも少しでも楯無の心配の種が減るのであればと、無意識の内に手は楯無の頭に伸びていた。

 

 

「……?」

 

 

くしゃりと若干のクセがついた髪の毛が音を立てる。軽く手を動かしてやると癖っ毛ながらもサラサラの髪がほつれていく。ラウラやナギにやったことはあるが、楯無にやったのは今回が初めてだ。

 

正直反応は人それぞれだし、もしグーパンで殴られたら仕方ないと思いつつも無意識に手を動かす。

 

 

「大和。私、アナタより年上なんだけど……」

 

「知ってるよ。もしかして嫌だったか?」

 

「……嫌じゃない」

 

「そうかい」

 

 

どうやらグーで殴られるといった最悪の結末は避ける事が出来たらしい。

 

時間経過で少しずつ楯無も落ち着きを取り戻して来たようで、身体の震えも徐々にではあるが収まってきていた。気持ちが落ち着いたタイミングを見計らって言葉を続けた。

 

 

「楯無が俺のことを思ってくれるのは凄く嬉しいよ。負担を減らそうと配慮してくれてるのもよく分かる。でも……」

 

 

楯無の言いたいこともよく分かる。

 

 

「俺だってしたくて無理をしてる訳じゃない。それでも無理をしなきゃ駄目な時だってあると思ってる。皆を……そして楯無、お前も守るためにな」

 

「わた……し?」

 

「あぁ」

 

 

無理をするなと言われれば残念ながらそれは不可能に近い。いざという時には絶対に無理をしなければならない時が来る。

 

ナギやラウラを皆を、当然中には楯無も含まれている。

 

だから……。

 

 

「だから心配させないように強くなる。皆が安心していれるように、俺はもっと強くなってみせる」

 

 

強くなってみせる。

 

心配なんか掛けられないほどに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楯無が落ち着いたのはそれから十数分後のことだった。

 

落ち着いた後は照れくさくなったのか大和から逃げるように離れると、後の時間は今後の方針について簡単に話し合ってお開きに。

 

帰宅するために昇降口へと向かう道中、ふと見覚えのある人物が佇んでいることに気が付く。自分の下駄箱を見つめながら動こうとしない姿を不思議に思った大和はとある人物へと近づくと声を掛けた。

 

 

「あれ、ナギ?」

 

「あ……大和くん」

 

 

下駄箱に居たのはナギだった。

 

不意に声を掛けられたことに少し驚き、戸惑いながら顔を上げる。彼女の様子に一抹の違和感を感じた大和は、続けるようにして話し掛けた。

 

 

「今日は部活も無いから先に帰るって聞いてた気がするんだけど……もしかして俺のこと待っててくれたのか?」

 

「え? う、うん。そ、そうなるのかな?」

 

「???」

 

 

教室で別れた時には部活も無いから先に帰っていると言って別れたはず。確かに彼女の性格上何も言わずに待っていそうな気もするが、だとしたら昇降口の出入り口付近で待っていそうなものである。

 

靴も履かずに下駄箱の一点を見つめて待つような待ち方が果たしてあるのかといわれると何とも言えないところだ。

 

 

あわせて手をモジモジとさせながら落ち着きのない様子が少し気になる。

 

 

そんな仕草が数秒間続いた後。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、う……ご、ごめん! やっぱり何でもないっ!」

 

「え? あっ!? ちょっちょっとナギ!」

 

 

踵を返すと脱兎の如く走り去ってしまった。

 

どうしても言いたいことが何かあったのだろうか、話を聞けない今となっては知る由もない。一人ぽつんと取り残された大和はひたすらに首を傾げることしか出来なかった。

 

 

(何かあったのか……?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 

一方大和の元から立ち去ったナギは一目散に寮へと戻ってきていた。学園を出てから寮に戻るまでの間、ノンストップで走り続けていたせいで呼吸は乱れ、酸素を求めようと小刻みな呼吸を何度も繰り返す。膝に手をつき、額からあふれ出る汗がポタポタと地面を濡らしていく。

 

呼吸を整え、若干の落ち着きを取り戻したナギはカバンの中から一枚のはがきサイズの紙を取り出した。

 

 

「こんなの、相談できるわけないよ……」

 

 

ナギが手に持っている紙にはこのように記載されていた。

 

 

『最終通告だ。霧夜大和から離れろ。さもなくば今後の安全な学園生活は保証されないものと思え』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、一夏。大丈夫か?」

 

「おぅ……ノミの心臓くらい大丈夫だぞ」

 

「例えがよく分からないんだが、どう見ても大丈夫じゃないよな。疲れているのは分かるけどこれくらいは口に入れとけ」

 

「さんきゅー……」

 

 

夕刻となり、食堂で夕食を取っている俺と一夏。

 

最初はナギを誘って夕飯でも食べようと思ったが、あまり食欲がないから後から食べに行くとのことで一人で済まそうとしたところ、偶々寮へと戻ってきた一夏と鉢合わせた。フラフラと重い足取りではあったものの、本人は行くというので連れてきたまでは良かったのだが、一度席に座ると疲れから立ち上がることが出来ず。

 

今日から始まった楯無との特訓で相当絞られたんだろうと容易に想像がつく。やるからには容赦はしないと楯無は言ってたけど、ここまで容赦がないとは思わなかった。普段の面子と行う特訓は疲れた素振りこそ見せても、立ち上がらなくなるまで追い込まれるようなことは無いため、どれだけキツかったのかよく分かる。

 

俺が食事をとりに行った後も俯いたままだったため、やむなく手軽に口にできるスープだけを注文して一夏の前に差し出した。目の前にスープが置かれたことでようやくスプーンを手に取り、亀が這うようなスローテンポで口へと運んでいく。

 

特訓初日だから尚のこと疲れたんだろうけど、これがほぼ毎日のように続くことを想像すると苦笑いしか出てこない。いずれは身体も慣れて体力も付いてくるんだろうが、それまでは地獄のような日々になりそうだ。

 

 

「大和……俺さ、まだまだ全然弱かったよ」

 

「ん?」

 

 

食器を片付けるために立ち上がろうとすると、消え入りそうなほどの小さな声で一夏はボソボソと話し始める。今日一日を通じて一夏なりに学ぶことも多くあったのだろう。

 

IS学園の他の年を見てもここまでISに関連する事件が起こったことは未だかつてない。その問題が起きている中心に居た一夏は、上級生や他クラスの生徒と比べてかなり多くの経験を積んできていた。専用機持ちを除けば持ち合わせている実力がかなり高いレベルにまで来ていることは自他共に認める事実であることは間違いない。

 

それでもまだ上には上がいる。

 

本気で手も足も出なかったのは一夏にとって初めての経験だったのだろう。

更識楯無という人間は容姿端麗の文武両道。IS戦闘技能に関しても学園最強でロシアの国家代表である上に、生身の戦闘に関しても大の大人に負けないほどの格闘技能とあらゆる武術を身に付けていた。

 

いわば雲の上のような存在の人物になる。

 

 

「箒やセシリア、鈴やシャルに毎日のように付きっきりで教えてもらって、福音もなんだかんだ撃破して……強くなったと思い込んでた」

 

 

一夏は間違いなく強くなった。

 

が、あくまで以前と比べてということであって、学園最強になったわけでも、代表候補生を一網打尽に出来るような実力を身につけたわけではない。

 

 

「楯無さんにISのことを教えてもらったけど本当に出来ないことばかりでさ。皆にも色々と教えてもらっていたから、もっと俺は出来るし弱くなんかないと思ってたけど……マジで何も出来なかったんだって思いしらされたよ」

 

 

一定のレベルから見ればまだまだ実力が足りない。身をもってしれただけでも大きなプラスになったはずだ。

 

 

「だから俺は……」

 

 

途中まで言い掛けたところで一夏の声が止まる。声が止まるのと同時に一夏の手からスプーンが滑り落ちた。机の上にカランと転がる音が周囲にこだまする。

 

 

「一夏?」

 

 

声を掛けてみるが反応がない。

 

どうしたのだろうか。

 

表情を確認しようと身をかがめて下から覗き込む。

 

 

「すぅ……すぅ……」

 

「寝落ちしてたのか。ったく、座りながら器用な奴だ」

 

 

覗き込んだ先に映ったのは心地なさそうな寝息を立てて眠りに落ちている姿だった。この分だとちょっとやそっとのことでは目を覚さないに違いない。幸いなことに食堂はまだ空いているし、少しゆっくりと休ませてやろう。

 

空になった食器をまとめてお盆の上に乗せ、返却口へと持って行く。

 

 

「あれ、大和? 一人でいるなんて珍しいね?」

 

 

返却口で食器を仕分けしていると不意に背後から声を掛けられる。見覚えのある親しみやすい声質に振り向くと、そこには制服姿のシャルロットがいた。お盆に食事が乗ったままのところを見ると、どうやらこれから食事を取る予定のところらしい。

 

 

「シャルロットか。たまには俺も一人で飯を食べたくなる時もあるさ。ま、実は一人でいたわけじゃないんだけどな」

 

「? あ、そうだ。大和、一夏見なかった? 部屋にも行ったんだけどまだ戻っていないみたいで……」

 

 

一夏を誘って夕食に行く予定だったのだろう。だが、シャルロットが部屋に行ったタイミングはちょうど俺が一夏を夕食に誘い出した後で、当然もぬけの殻になった部屋に一夏がいるわけもない。

 

 

「一夏? 一夏ならそこにいるけど……今はそっとしておいてやった方がいいんじゃないか?」

 

「へ……あ、そういうこと! 大和と一緒に居たんだ。でもそっとしておいた方が良いってどういうこと?」

 

 

俺の返しに一瞬呆気に取られるも、内容を把握したようでホッと胸を撫で下ろしている。雰囲気から察するに、他の一夏ラバーズに出し抜かれたとでも思ったんだろうか。

 

ただ今この状態を見ると食堂に現れるのはシャルロットが一番早かったみたいだし、むしろ他の面々がシャルロットに出し抜かれているようにも見える。

 

 

「何、今日の特訓が相当キツかったみたいで疲れて寝落ちしちまったのさ」

 

 

一夏が座っている座席を指差しながら簡潔に理由を伝えると、シャルロットもどこか思い余る節があるようで苦笑いを浮かべながら返事をしてくれた。

 

 

「あー、やっぱりそうなんだね。一夏もかなり頑張っていたし、凄く追い込んでいたから……」

 

「なんだ、知ってたのか?」

 

「うん。というより、一夏の特訓を僕とセシリアで手伝ったんだ。その、生徒会長……楯無さんにお願いされてね」

 

 

シャルロットの口から話を聞くと、元々はセシリアと二人で中遠距離での戦闘を想定した模擬戦を実施する予定だったらしい。準備運動をしている最中、一夏と楯無がセシリアとシャルロットがいるアリーナに現れ、『シューター・フロー』で円状制御飛翔(サークル・ロンド)の実演をしてもらうように言われたそうだ。

 

一夏のような近接型のISではなく、どちらかと言えば射撃型の戦闘動作になる。果たして一夏の役に立つような情報なのかと首を傾げたものの、白式が第二形態移行により射撃装備が追加されたことで、射撃型の戦い方も出来るようになった。

 

つまり近接型としての戦い方だけではなく、射撃型としての戦い方も覚えていかなければならない。故に遠距離射撃型のセシリアのブルー・ティアーズ、そして近距離と遠距離どちらも対応可能なシャルロットのラファール・リヴァイヴ・カスタムIIの動きは、一夏にとって参考になる動きであることは間違いなかった。

 

……その実演の過程で一悶着あったらしいが、そこはあえて聞かずに置いておこう。

 

 

「なるほど。普段やらないような動きをスパルタのように叩き込まれれば疲れるわな」

 

「そうだね。内容的にはかなり厳しいものだったんだけど、楯無さんの教え方は上手だと思っちゃったなー」

 

「ほう。教え方が上手なシャルロットから見てもそうなのか」

 

「あはは。大和、それは流石に買いかぶり過ぎだよ」

 

「いやいや、これは本当にそう思ってる。聞いたことに対してあれだけしっかりと答えを返せるなんて中々出来ないと思うぞ」

 

「そ、そう? ありがと。でも褒めても何もでないよ?」

 

 

遠慮気味に苦笑いを浮かべるシャルロットだが、褒められることに関しては満更でもない様子。

 

シャルロットのことを過大評価しているわけではなく、贔屓目無しに教えるのが上手いと思っている。彼女のコミュニケーション能力の高さと比例しているのか、第三者の課題を明確に把握出来てかつ何をした解決に導けるのかを噛み砕いて教えることが出来ているように見えた。

 

実は俺も普段からISの戦い方についてシャルロットに相談することも多く、近接戦闘に頼りがちな俺の戦い方を見て、ここはこうした方がいいんじゃないかと具体的なアドバイスを貰うことも多い。

 

自分が見えているのは視界を通じた景色だけであり、俯瞰視点やあおり視点からの景色を見ることは出来ない。だからこそ第三者からの意見やアドバイスは本当にタメになる。ましてや噛み砕いて分かりやすく伝えてくれる人物であれば尚更だ。

 

話が多少変わるが教え方の観点で言えば、知識豊富なラウラなんかも最近は教え方が上達して来ている。IS操縦における知識のみならず、一般教養の部分における知識も中々のものだ。たまに聞きに行ったりすると『私がお兄ちゃんに教える部分なんかあまりないぞ?』なんて言いながらもしっかりと教えてくれる。クラスメイトたちにも頼られるようになったし兄としては鼻が高い。

 

教え方が上手といえば千尋姉なんかもそうかもしれない。

 

ただ生身の実演になると毎回地獄を見た記憶しかないから、ある意味教えてもらうのには勇気が必要になるだろう。戦いのイロハを教えてもらってる時、立ち上がらないほどバテバテになっているというのに無機質な声で『立て』は怖すぎる。あんな可愛らしい顔立ちから凛とした迫力ある声が出てくると思うと軽くトラウマになりそうだ。

 

終わった後は毎回謝り倒されたけど。何でも戦いを教えようとするとスイッチが切り替わってしまうんだとか。

 

 

「ははっ、別に見返りは求めてないよ。本当にそう思っただけさ」

 

 

純粋に人に教えることって凄いことだと思うし、才能だけで人を教えることは出来ないから、人知れずシャルロットも努力をしているんだと思う。シャルロットのみならず、何倍もの倍率をくぐり抜けて入学をして来たここの生徒全員が人一倍努力をしているはずだし、そう考えるとこのIS学園は努力の結晶のような場所なのかもしれない。

 

 

「そう言ってもらえると嬉しいなぁ。後今日楯無さんと話すまで知らなかったんだけど、大和は楯無さんと顔見知りなんだね」

 

 

と、不意に楯無の話題に切り替わる。

 

まさかシャルロットの口から楯無の話が出るとは思わなかったが、放課後の特訓で話していたのなら俺の名前が出たとしても不思議はない。一時期に比べればピークは過ぎたけど、話のネタにはなりやすいしその前まで会っていたわけだし。

 

どこまで話しているのか気になるところだけど。

 

と、こんな立った状態で井戸端会議みたいなことをしているのは良いけど、シャルロットはこれから夕食を取る予定だったんじゃないかと、ふと現実に戻された。

 

作ってもらったら料理が冷えたら台無しだ。

 

 

「ん、あぁ。ちょっと入学の時に色々あってな。ところでこれから夕食取る予定だったんだろ? 俺と話すのは良いんだけど、折角のスープ冷めないか?」

 

「……あっ、そうだった! ごめんね大和! つい長々と」

 

「全然大丈夫。むしろ一夏が途中で寝落ちして、一人でどうしようかと考えてたところだったんだ。ちょうど一夏のいる席は空いてるし良かったらそこ座れよ、俺もう食事終わったし」

 

「え、いいの? 大和も一夏と話したいことあったんじゃ」

 

「ある程度話したし俺はもう満足だ。肝心の一夏は寝ちゃったし、食事の期間だけでもシャルロットに見てもらおうかなと思ったんだけど、嫌だったか?」

 

「ううん、そんなことない! むしろ気を遣ってもらってごめんね」

 

「気にするな。いつもラウラとも良くしてもらってるし、これくらいのことなら何でもないよ。じゃあ俺は先に部屋戻ってるから、後のことよろしく頼む」

 

「うん、ありがとう!」

 

 

そこまで言い掛けたところでふと気がつく。

 

放課後ラウラの姿を見ていないと。いつもなら俺が帰ると同じくらいに部屋に訪れることが多いが、今日は来なかった上に同室のシャルロットといるわけでもない。俺のところに来ないとなると、大体シャルロットと行動を共にしていることが多いから、てっきり一緒かと思ったんだが。

別に気にするようなことでは無いんだろうけど、普段と異なる感覚に違和感を覚え、思わずラウラの所在を聞いた。

 

 

「あ、シャルロットもう一つあったわ。今日ラウラって帰ってきてるよな?」

 

「ラウラ? うん、僕が帰ってきた時には部屋にいたし、今も居ると思う」

 

 

その一言を聞いてどことなく安心している自分がいる。

 

ここからIS学園はそんなに離れているわけではないし、帰宅時間であれば下校している生徒も多く、白昼堂々トラブルに巻き込まれる可能性は低い。

 

なんだやっぱりいつも通りじゃないかとホッと一息をついた。

 

 

「そうか、なら「ただ何かいつもと違って困っていたというか、考え込んでいたみたいなんだよね」……考え込む?」

 

「一夏も疲れているだろうから、最初は僕もラウラと行くつもりだったんだ。でも夕飯に誘った時に『私はまだいいから先に行ってくれ』で終わっちゃったから、一夏を誘おうかなーと思ったんだけど……」

 

 

結果一夏は俺が先に誘っていたため居なかった、と。

 

帰って来ているには帰って来ているけど、言われてみればラウラの様子がいつもと少し違うように思える。何かあったのだろうか、普段は悩んでいる素振りを見せることが無いから少し心配になる。

 

一度部屋に戻る前にラウラの様子を見ることにしよう。

 

 

「なぁ、部屋に戻るついでに二人の部屋に寄っても良いか? ちょっとラウラと話がしたい」

 

「え? 良いけど、今も部屋にいるかは分からないよ?」

 

「それならそれで仕方ない。また明日にでも話すとするよ」

 

「分かった。じゃあ大和、おやすみ」

 

「おう」

 

 

シャルロットと別れ、足早にラウラの元へと急ぐことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えーっと……確かここだったよな」

 

 

部屋を確認して右往左往。

 

普段は転がりこまれることが多いから人様の部屋に行くのは慣れない。部屋番号を確認するとドアを数回軽くノックする。

 

すると意外にも早く応答は返ってきた。控え目にドアの隙間から顔を覗かせて、外の様子を伺おうとする姿。紛れなくラウラの姿だった。

 

 

「……お兄ちゃん、何でここに?」

 

「偶々近くを通り過ぎたってのと、何か色々悩んでるって話を風の噂で聞いてな。迷惑だったか?」

 

「ううん、そんなことはない。シャルロットには変に気を遣わせてしまった」

 

 

下手に様子を伺って遠回しに聞くよりも、素直に聞いた方がラウラも変な気を遣わずに済むだろうと思いストレートに聞くと、すんなりと話出してくれた。

 

どうやら何かに悩んでいるのは本当のようだ。表情には衰弱しているような感じは見受けられないし、身体的に何かされているような感じには見えない。となると一時的に何か悩み事が出来てしまったのか、そこに関しては聞いてみないことには分からない。

 

悩んでいるといえばナギも何か変だったっけ。

 

元々、遠慮しがちな性格だからあまり本心をさらけ出してくるようなタイプではないんだろうけど、帰り際の態度を見ると何か隠し事をしているように見えるんだよな。

 

うーん、難しいところだ。

 

 

「そうか。もしラウラ的にその悩みが話せるなら、話せる範囲で俺に相談して欲しい」

 

「わ、分かった。お兄ちゃん、ここで話すと他の人に聞かれる可能性があるから部屋の中でも良いだろうか?」

 

「あぁ。ラウラが良いのであれば俺はどこでもいいぞ」

 

 

今は誰も居ない廊下も誰かが来るかもしれないし、ここで話をしていたら別の部屋の生徒たちに話を聞かれてしまうかもしれない。

 

ラウラに促されるまま俺は部屋の中へと入った。

 

何だかんだでこの部屋に入るのは初めてだ。というか一夏以外の部屋に入った記憶が無いことを考えると、女性の部屋に入るのはこれが初めてな気がする。

 

部屋の構造は基本的にはどの部屋も同じだが、生徒によってはカーテンを変えたり、部屋の壁にお洒落な装飾を施したりとある程度自由に模様替えをすることが出来る。ラウラとシャルロットの部屋は特に何か装飾を施すことはせず、配置も初期のままにして使っているみたいだ。部屋自体も生活そのもので、毎日しっかりと掃除をしているようだ。

 

さて、あまり人の部屋を……それも女性の部屋を隅々まで観察するのは悪趣味以外の何者でもないので、この辺りでやめておこう。

 

 

ラウラに備え付けのデスク付近に置いてある椅子に座るように誘導されてゆっくりと腰を下ろすと、もう一つある目の前の椅子にラウラも腰掛けた。

 

 

「そ、それでだな。私が悩んでいる理由なんだが……お姉ちゃんに嫌われているのかと思って」

 

「……はい?」

 

 

乗っけから何を言うのかと思ったら、言葉だけを見るとかなり重たい話のように見える。が、何を思ってラウラがそう感じたのかは分からないため、詳細をヒアリングする必要があった。

 

少なくとも昨日までは……というより今朝までは全く問題のない良好な関係であったにも関わらず、学園で授業を受けてから帰宅するまでの丸半日に何があったのか。

 

そもそもナギが一方的に人を嫌うようには思えない。

 

かつてラウラがまだ編入したばかりの頃、全くの無関係な騒動に巻き込まれたにも関わらずそれをあっさりと許している程心の器が広い人間がラウラのことを一方的に嫌うとは考えられなかった。

 

考えられる可能性の一つとして、ナギの何気なく返してしまった反応に対してラウラが深く捉えてしまったというもの。本人は全くそのつもりがなくても、場の状況や心理状況に応じて捉え方は大きく変わる。

 

今回のことと関連があるのかは分からないが、確かに放課後……特に帰宅する前に昇降口で会った時点でのナギの様子は少しおかしかったように見えた。

 

一瞬の出来事だったが故に何かあったのかくらいであの場は済ましてしまったが、よくよく考えれば何かを相談したかったようにも思える。先に帰ると言って教室を出た人間と偶々あの時間に昇降口で遭遇するなんてあり得ない。

 

俺は生徒会室に寄って小一時間ほど時間を潰しているわけだ。

 

間違いなく俺、もしくは誰かのことを待っていたと断定できる。

そして俺に何かを話そうとした時点で、俺のことを待っていたと推測が出来た。

 

だが肝心の内容に関しては話さなかった、いや話せなかったのかもしれない。

 

何故話せなかったのか。

 

秘密にしたい内容だったからか、それとも話すと俺に迷惑を掛けてしまうと思うような内容だったのか。

 

いずれも推測の域に過ぎない。

 

一旦ラウラの話を聞くことにしよう。

 

 

「ラウラがナギの嫌がるようなことをしたってことか、それともラウラは何もしてないのにナギが一方的にそう思うようなことを言ってきたってことか?」

 

「それが……」

 

 

続く話を根掘り葉掘り聞いていく。

 

 

 

「帰ってきたお姉ちゃんに声をかけたら凄く挙動不審な反応をされて……何かあったのかと聞いても『これは私の問題だから大丈夫、放っておいて欲しい』って……わ、私は何かしてしまったんだろうか!」

 

 

どうすればいいんだお兄ちゃん! と慌てふためくラウラだが、話した内容を聞く限りではラウラのことを嫌っているといった反応をしているようには見えない。どちらかといえば私の中で解決するべき内容だから、ラウラさんは気にしなくて大丈夫と言っているように見える。

 

ちょっと角が立った言い方になってしまったせいで、ラウラが誤解をしてしまったのかもしれない。

 

が、挙動不審になるってところがちょっと気になるな。

 

驚いただけなら分かるけど、見知った人間から声を掛けられたくらいで挙動不審になるってことはよほど知られたくないような、詮索されたくないような隠し事を抱えているようにしか見えないんだが。

 

 

ともかく今のラウラの状態では話が進まなくなるし一旦落ち着けるとするか。

 

 

「ちょっ、そんな慌てるなって! ほら、一旦深呼吸!」

 

「う、うむ。すぅ、はー……」

 

 

慌てふためくラウラを一旦静めるために一度深呼吸を促す。

 

ずっとこの調子では話も進まなくなるし、折角設けた時間が無駄になってしまう。基本的にナギがラウラを怒ったり、また辛辣に接したりすることはなく、想定外の反応でどう向き合えば良いのか分からずに混乱をしているみたいだ。

 

気持ちは分からなくもない。

 

人間どこかしらで負の感情を向けられることはあるだろう。ラウラとしても次からはしっかりと向き合っていかなければならない。

 

少し間をおき、改めてラウラに話すことが出来る状態かを確認した。

 

 

「落ち着いたか?」

 

「だ、大丈夫だ。続きを」

 

 

多少落ち着きを取り戻したところで話を進める。

 

 

「ラウラが何か地雷を踏んだような感じではなさそうだけど、本当にそれだけなんだよな?」

 

「そ、そうだ。それ以外には特に何も言っていない」

 

「なるほど。念のための確認になるけどラウラが話した時、周囲に生徒はいたのか?」

 

「自分の後方までは分からないが、あの時居たのは二人だけだった思う」

 

 

場にいたのはラウラとナギの二人だけ。

 

他に誰か人がいたのだとすれば、聞かれる可能性を危惧して話すのを躊躇う可能性もあったが、その可能性も薄いとなるといよいよ分からなくなって来た。話している内容に偽りが無いのなら、ナギはラウラのことを決して嫌ってる訳では無い。

 

そこまでは分かる。

 

 

「少なくとも今の話を聞く限りではラウラのことを嫌っているわけじゃ無いと思うぞ」

 

「ほ、本当か!」

 

「あぁ。ただタイミングも良くなかったのかもな。あまり話したく無い内容を聞かれたくないタイミングで深く聞かれて、つい反射的にキツめに当たったのかもしれない」

 

「う……それは、その……ごめんなさい」

 

「仕方ないさ。ナギのことが心配だったんだろ? 普段だったら絶対に怒らないだろうし防ぎようが無かったと思う」

 

 

余計なことを言ってしまったとしゅんと落ち込むラウラ。眉をへの字に曲げて今にも泣き出しそうな表情からはどれだけ落ち込んでいるかがよく分かる。

 

 

「あまり深く考えすぎるな。ちゃんと話してくれて俺は嬉しいよ」

 

「わふっ、お兄ちゃん……」

 

 

何はともあれしっかりと話してくれたラウラには感謝しかない。そっと手を伸ばして頭を軽くポンポンと撫でた。気の抜けた返事から俺の手の動きに合わせてブラブラと頭を揺らす。

 

ナギが何に悩んでいるかの特定までは至らなかったが、ラウラの悩みを聞いて多少なりとも心が晴れたのならそれはそれで話を聞いた甲斐があるというもの。

 

ナギの件はまた一から調べると……。

 

 

「あ……」

 

「ん、どした。何か思い出したか?」

 

 

調べるとしよう。

 

そう切り替えようと思った刹那、ふとラウラが何かを思い出したかのような声を上げる。

 

 

「すまない。一つ言い忘れていたことがある。お姉ちゃんが私の前を立ち去ろうとした時なんだが、ハガキサイズの紙を落としたんだ」

 

「紙?」

 

「あぁ。慌ててすぐに拾い上げてたんだけど、スクールバッグもあるのに何故しまわないのかとは思ったんだが……」

 

「その紙がスクールバッグから落ちたって可能性は?」

 

「考えられなくもない。あくまで私が見間違ってなければの話になるが、スクールバッグの口は閉じていたし、他にしまえるようなものは持っていなかったから手に持っていたと思う」

 

 

確かにおかしな話だ。

 

学園側からの書類であればカバンにしまえば良いのに何故裸で持ち歩くようなことをしたのか。

 

スクールバッグもしっかりと閉じられていたのであれば手に持っていた……としか考えられないものの、真意ははっきりと分からない。とは言ってもナギの性格を考えるとカバンにしまうだろうし、裸で持っていたのであれば元々誰かに見せるつもりだったような気もする。

 

 

 

どことなく嫌な予感がする。

 

今は杞憂であって欲しいと願うことしか出来なかった。

 



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それぞれの目論見

「あんただろ。あの男の後ろにいつも付いて回っている生徒って」

 

 

学園寮の某所。

 

生徒で賑わう購買だが、そこから続く通路の先は行き止まりとなっていて、普段生徒が立ち寄ることはまず無い一角がある。一人の生徒を数名の生徒が取り囲み、まるで威圧をするかのように問い詰めている風景が広がっていた。

 

一人の生徒の首元に結ばれているリボンの色は青で、取り囲む生徒たちのリボンの色は黄色。複数名の二年生が一年生を取り囲んでいる光景はあまり良いものでは無い。

 

 

「あの、急に呼び出して何でしょう? 私、皆さんとお話ししたことも無いんですが……」

 

 

呼び出された理由が分からず首を傾げるのは一年生の方だった。話の内容を聞く限り、顔も知らない上級生から呼び出される原因やきっかけが一切無いのだろう。

 

どうして自分がこの場に呼び出されたのか理解が追いつかず、平静を装って聞き返すと上級生の態度が一変する。

 

返された態度と返事が気に食わなかったのだろう。ムッと表情を歪めながら近付きながら壁際に追い詰めると力任せに壁をドンッと叩く。

 

 

「とぼけんな!!! あんたに話すことが無くても、こっちは話したいことがいくらでもあるんだよっ!!」

 

「男性操縦者と繋がれて他の人間より優位にでも立ったつもりか! アンタみたいな何の変哲もない人間が選ばれた男とお近付きになっているのを見ると無性にイライラしてくるのよ!」

 

「媚び売って近付いて、チヤホヤして貰って……何の才能もないあんたが、何でこんな女のことを構ってるのかしら。本当に不思議でならないんだけど? ねぇ、なんで?」

 

 

語気を荒げてどんどん罵声を浴びせて行く上級生に対して、一年の生徒は一言も言い返そうとしない。言っても無駄だと我慢を決め込んでいるのか、それとも恐怖のあまり言い返すことが出来ずにいるのか。

 

 

「何とか言えよ!」

 

 

二度、三度と壁を叩いた。

 

ぐっと堪えながら言葉を発しようとしない一年の生徒も度重なる罵声や罰言の嵐は流石に堪えるのだろう。徐々にぱっちりと開いた瞳は潤み、負の感情が蓄積されて行く。

 

少しは何か言い返してくるのかと思っていたにも関わらず、想像以上に黙りを決め込まれていることに対して更に怒りを増幅させる。

 

 

「なんであんたみたいな人間があの男性操縦者なんかと……」

 

 

嫉妬、妬み。

 

自分たちにはチャンスが一切無かったと割り切れるのであれば良いものの、今の彼女たちにそんな余裕は全くと言って良いほど見られなかった。

 

今年ISを動かした男子が発見されたのは偶々であり、誰も予知出来るようなことではない。

 

今の一年生には一夏や大和に近づくチャンスが他の学年の生徒に比べて多い。逆に二年生、三年生といった上級生からすれば何で一年ばかり独占をしているのかと負の感情を持つ生徒が出ても何ら不思議は無かった。

 

そしてその焦点は大和の近くにいる、とある生徒へと照準が当てられる。

 

 

織斑一夏と霧夜大和。

 

二人の共通点は共に男性でありながら女性にしか動かせないISを起動させたというところにある。

 

もしこの二人を敵に回した時、どちらが面倒なのかを考えるとほとんどの人間が一夏の名前を出すことだろう。

 

いくつか理由はあるが、まず彼の背後には姉である織斑千冬がいること。ISの世界大会を難なく優勝し世界最強の名を持ち、IS業界で名が通っている彼女を敵に回したいと思う人間はいない。また一夏自身も各国の代表候補生との関わりを持っている。

 

一夏の身に何かあれば周囲はまず黙っていない。

 

 

一方で大和。

 

ISを起動させたという特異点はあれど、彼の背後には目立った後ろ盾はない。

故に手を出しやすく、脅威となる敵は一夏に比べると少ない。

 

最も彼に手を出そうものなら、下手をすれば一夏に手を出す以上に大火傷をする可能性もあるが、そんなことは一部の生徒を除いて知る由も無かった。

 

 

「私たちもこんなことしたくない訳。あんたが聞き分けのいい人間ならこれ以上何もしないわ。危害を加えられたくないのならさっさと離れ「嫌です」……なんだと?」

 

 

これだけの大勢で問詰めれば素直にこちらの言うことを聞き入れると思ったのだろう。しかし返ってきた答えは明確なまでの拒否を伝える言葉だった。

 

 

「あなたたちが大和くんに近付いてはならない決まりが無いように、私にも決まりはないはずです!」

 

 

言い返しようがない正論だった。

 

上級生が大和に近付いてはならない理由が無いように、下級生の彼女にも近付いてはならない理由はない。もし女子生徒たちに近寄られることを大和が嫌がっているのであれば話は別だが、彼は普通に話しかけてきた生徒のことを拒んだり、一方的に無視をするようなことはしない。

 

上級生たちが突き付けてきた要求をまかり通そうとするのであれば一方的な理不尽であり、納得が出来るような理由がない以上従う必要もなかった。

 

下級生の生徒が言っていることはごく当たり前のことであり、どちらの意見が破綻したものなのかは誰が見ても一目瞭然だろう。

 

迷いのない真っ直ぐな答えに一瞬呆気に取られてぐぅの音も出せなくなる上級生たちだが、自分たちの欲求が通らないと判断すると、みるみるうちにその表情を恐ろしいものに変えていく。

 

 

「この……下手に出てやりゃつけ上がりがって!!  調子に乗るなよッ!!!」

 

 

正論を突き付けられたことで言い返す事が出来ず、顔を真っ赤にさせながら手を振り上げる。

 

今なら自分たち以外誰も見ている人間は居ない。

 

それなら力づくでも言うことを聞かせてやる。

 

頭の中にあるのは独りよがりな考え方であり、自分の我がままを押し通すためだけに暴挙に及ぼうとした時だった。

 

 

 

 

 

「あなたたち、そこで何をしているのかしら」

 

 

周囲に響き渡る声に振り下ろそうとした手がピタリと止まる。声の発生源である真後ろを上級生たちは一斉に振り向いた。

 

 

「下級生を複数人で取り囲むだなんて。お遊びにしては少し度が過ぎているんじゃないの?」

 

 

手に持っていた扇子を広げて口元を隠す。

 

水色の癖のついた髪を靡かせて腰に手を当てたまま、やや怒りの篭った表情で上級生たちを見つめる。凛とした佇まいから溢れ出るオーラはまさに別格と言い表すにふさわしいものであり、ありとあらゆる人間を惹きつけるような魅力があった。

 

大きく力のこもった双眼はしっかりと目の前の標的を捉え、下手な動きをさせないように静かに威圧をする。

 

一際目立つ存在感を持つ生徒の名は。

 

 

「ちっ、生徒会長……」

 

 

生徒会長、更識楯無。

 

何故こんなところに生徒会長がいるのか、想像を張り巡らせたところで分かるはずもない。忌々しげに舌打ちをするリーダー格の上級生は、流石に生徒会長を相手にするのは分が悪いと悟ったのだろう。

 

学園最強の生徒と正面から事を構える必要はない。今この場で下手をすれば自分たちの立場が怪しくなる。幸いなことに楯無は今来たばかりで、それまでのやりとりは見られている様子はない。もし最初から見ていたのであればもっと早く声を掛けてきたはず。

 

上級生複数人で一人の下級生を囲む状況を良く思わずに声を掛けてきたのが実際のところだろう。

 

 

「……行くよ」

 

 

邪魔をされた以上ここに居る意味もない。

 

踵を返すと近くにいる仲間たちを連れて足早に走り去ってしまう。証拠があまりにも少な過ぎて楯無としても拘束する事が出来なかったのだろう。

 

小さくなっていく後ろ姿を眺め、やがて完全に消えたところで一つ大きく息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと来るのが遅過ぎたみたいね。全く、上級生が複数人で一人を取り囲むだなんてあまりいい趣味とは言えないわ」

 

「た、楯無さん……? 何でここに?」

 

 

目を丸くしながら思いもよらない人物の登場に驚く。

 

とはいえあのタイミングで楯無が駆け付けていなかったら、何をされたか想像もつかなかった。

 

 

「購買に買い物に来たら通路の奥から小さな物音が聞こえてね。普段は人が立ち寄らない場所だから、もしかしてと思って来てみたら……ってところかな。怪我は無い?」

 

「は、はい。特には」

 

「そう、ナギちゃんに何事もなくてよかったわ」

 

 

囲まれていた下級生……もとい鏡ナギの名を口にする楯無。

ナギの言うことが本当かどうかを確認するために、視線を彷徨わせて確認していく。目立った外傷は特に無く、気分を悪そうにしている素振りもない。

 

嘘はついていないようだった。

 

 

楯無の中に心残りがあるとすれば、もう少し早く来ていれば決定的な証拠が差し押さえられたということ。あのタイミングでは確証を持てる証拠がない以上、言い訳をされたら逃れられてしまう。

 

結果野放しにすることになってしまった。

 

 

「……ところで何かあったの?」

 

「え。な、何かって?」

 

「どうせ向こう側が難癖つけて絡んできたんでしょ。ナギちゃんが自分から喧嘩を売りにいくような性格じゃないことくらい分かるわ、それに敵を作るようなこともしないだろうしね」

 

 

ナギが何かに巻き込まれていることを察知し、何があったのかと言葉を掛ける。

 

楯無の見立ては当たっていた。

 

現にナギは上級生たちに恨まれるような行動をしていたわけでは無く、一方的で理不尽な妬みや怒りをぶつけられていただけなのだ。身に覚えのない怒りをぶつけられたら、いくら大人しいナギとはいえ反発するに決まっている。

 

 

「私自身が何かした覚えはないんですけど……」

 

 

楯無の問い掛けに対して、実は自分の下駄箱の中に脅迫紛いの手紙が置かれていて……と言おうとしたところで言葉が止まる。

 

楯無のことだから話したことを真摯に受け止めて、解決への手助けをしてくれるのは間違い無いだろう。ましてや脅迫紛いなことをされているともなれば、生徒会どころか学園総出で対処してくれるに違いない。

 

しかしナギの中に自分のことであまり迷惑を掛けたくないという思いがあるのも事実だった。

 

時期が時期なだけに楯無の生徒会長としての業務は想像を絶するほどのものがある。併せて更識家当主としての仕事も抱えており、忙しさだけなら学園の一部の教師たちよりも多忙を極める毎日を送っている。

 

ナギは楯無が裏家業の更識家当主であることは知らないが、同じ裏家業の当主の大和と良く一緒にいることから、楯無も同じタイプの人間であることは何となく悟っていた。

 

 

 

 

自分さえ我慢していればいずれは沈静化するだろう。

 

だから()()すれば何とかなる。

 

 

「……よく分からないんです。何で呼び出されたのか、全く面識の無い方だったので」

 

 

嘘をついた。

 

面識が無いのは本当だが何で呼び出されたのかは知っている。分かりやすいように脅迫文の中に名前を記載してくれた上に、当人たちが大々的に名前を大声で叫んでくれた。

 

でもこれは話すわけには行かない。

 

皆にあまり迷惑をかけたく無い。その一心で心の奥底に本心を仕舞い込んだ。

 

 

「そう……」

 

 

ナギの返しにぽつりと呟く。

 

情報を得られるかと思ったが、何も得られない現状にどことなく残念がっているようにも見えた。

 

 

「ごめんなさい。全然お力になれなくて」

 

「ううん、いいのよ。今回の被害者はナギちゃんな訳だし、むしろまた同じ目に合わないか心配だわ。もし何かあったら自分で抱え込まないですぐに相談すること。分かった?」

 

「はい、分かりました。では私はこれで……」

 

 

そそくさと楯無の横を通って自室へと戻っていくナギ。どんどん小さくなっていく後ろ姿を見つめながら、楯無は意味深な表情を浮かべる。やがて後ろ姿が完全に見えなくなったところで、ふぅとため息を吐き、近くの柱に自分の背中を預けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう。ナギちゃんもあまり隠し事が得意じゃないみたいね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰もいなくなった廊下に楯無の独り言がこだまする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私自身は何かした覚えはない、か。つまり相手からは事前に何かをされていたとも捉えられるわね……あそこまで隠したがるだなんて、余程知られたくない内容だと思うんだけど」

 

 

一連のやり取りの中でナギが何かを隠そうとしていることは見破っていた。

 

可能な限りの情報を引き出そうとするも、そこは一線を引かれてしまったことで聞き出す事は出来ず。が、あまりいい予兆ではないのは事実。仮にナギが上級生から何らかの理由で標的にされているとすれば、何としても守らなければならない。

 

 

「知られたくないこと、聞かれたくないこと、言いたくないこと……もしかして……」

 

 

楯無の中に一つの考えが浮上する。

 

確証は持てないが相談してみる価値はあるだろう。

 

 

「……ちょっと確認してみないとね」

 

 

行動を起こすべく楯無は歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――ラウラと話してから数日が経つ。

 

依然として情報が掴めないまま、時間だけが過ぎる日々を過ごしていた。

 

ナギも全く話をしないというわけではなくこちらからの話には答えてくれるが、以前に比べるとどこか素っ気なくなってしまっているような感じは否めなかった。

 

情報をこちらで収集しようとするも何一つ有効な情報は掴めず。ナギと何かを話そうとしても昼休みは別の知り合いと昼食に行ってしまったり、帰りは帰りで先に帰ってしまったりと二人で何かを話す時間がめっきりと減ってしまっている。

 

何かやらかしてしまったのかと危機感を募らせる中、今日は全校生徒を集めた朝礼が開かれたわけだが。

 

 

「おい一夏! これは一体どういうことだ!」

 

「一夏さん! 一体何をされたんですの!?」

 

「い、いや。俺にも何が何だか……」

 

 

朝、休み時間共に喧騒に包まれるクラスが今日はいつにも増して賑やかなものだった。朝礼を終えて戻ってくるとすぐに複数人のクラスメートたちは一夏の座席へと押し寄せる。箒がセシリアが、次々と追及されてテンパる一夏を尻目に朝礼の内容を振り返る。

 

ことの発端となったのは楯無の発した一言だった。

 

開催間近となった文化祭に特別ルールを追加するとかで、大型のディスプレイに特別ルールの内容を表示させたんだが、問題なのは表示された内容について。

 

スクリーンに映し出されたのは特大サイズの一夏の写真。

 

まさかの写真に集められた生徒の各所からどよめきが起きる。一体何が始まるのか想像もつかないからだ。

驚く皆をよそに楯無の口から発せられたのは『各部対抗織斑一夏争奪戦』を実施するというもの。

 

毎年学園祭では各部活動ごとに催し物を出し、その催し事に対して投票を行い、上位にランキングした部活には特別に助成金を出していたそうだ。それが今年に限っては一位になった部に一夏強制入部させるという内容に変更となったらしい。

 

目の前にいる本人の反応を見て分かるように、一夏には一切告知されていない内容だったが、もし告知されていたとしても本人は断固拒否していることだろう。

 

当然これだけ大々的にかつ告知なしで発表されては一夏も何も言えず。逆に体育館に集まった生徒たちは大盛り上がりで、どこぞのライブ会場にでもいるかのような地鳴りと熱気が一帯を包んでいた。

 

楯無のことだから突拍子もなくこんな企画をするようには思えないし、

何かしら意図があってのことなんだと睨んでいる。とはいえ一夏を景品に仕立て上げるだなんて、随分と思い切ったことをしたもんだ。

 

 

……結果目の前に広がるカオスな状況を作り上げている訳だが。

 

 

「い、一夏っ! 何でことになってるのさ!」

 

「ちょっ!? し、シャル、顔が近いって!」

 

「シャルロットさん! あ、あああアナタ何をしてますの!? ぬ、抜け駆けは許しませんわ!」

 

「セシリア、そういうお前もどさくさに紛れて一夏にひっついているではないか!」

 

 

僕聞いてないんだけど!

 

と、一夏に近付いて問い詰めるシャルロットだが、距離があまりにも近すぎて一夏は顔を赤らめる。二人の様子を見ているセシリアは抜け駆けは許さないと言いつつも一夏の横から身体を密着させ、ちゃっかり役得を狙いに行ったセシリアに箒がツッコミをいれる。

 

 

「なーにやってんだか……」

 

 

もはや見慣れた光景になる。前までは専用機持ちだけで一夏を独占してズルイと多少なりとも羨望の視線を向ける生徒がいたものだが、ここ最近はまた夫婦喧嘩が始まったと、温かく見守るようになっていた。夫婦喧嘩が起きるたびに一夏がえらい目にあってはいるものの、これがモテる男の性分なのだろう。

 

止めようとしたら後で怖いし、俺は遠巻きにやりとりを見守るだけだ。

 

 

「そういえば織斑くんだけが争奪戦の対象になってて、霧夜くんはならなかったんだよね?」

 

「あー確かに! 立場で言えば霧夜くんも同じだしちょっと気になってたんだ!」

 

「確か朝礼の時の会長は結構意味深な感じだったような……もしかしてサプライズでもあるのかな?」

 

 

クラスメートの何人かが俺の方を向き直って疑問に思っていることをぶつけてくる。疑問に思うのも無理はない、確かにあの朝礼の最中に一夏の話題は多々出ても、俺の話題は一切触れられなかったのだから。同じタイミングで入学して、同じように話題に上がった男性操縦者であるにも関わらず何故俺の名前が出てこなかったのか。

 

朝礼中、俺の話題が一度も触れられないことに対して何人かの生徒はコソコソとあらゆる想像を膨らませることになる。やれ会長と親密な関係にあるのではないか、いやいや逆に険悪な仲だからこそ距離を置くためにあえて名前をあげなかったのではないか。

 

どれもこれも信憑性の無い根も葉もない想像に過ぎないが、少なくとも大半の生徒は俺と楯無の間に何かあるのではないかと思うことだろう。プライベートでも仕事でも共に行動することは多いが、意外にも俺と楯無と接点があることを知る生徒はほとんど居ない。

 

知っているとすればほぼ同じクラス、それも普段から行動を共にする面々くらいなもので普段たまに話をするくらいのクラスメートは知る由も無い。

 

 

「ね、霧夜くんはどう思うの?」

 

「俺? んー……正直選ばれなくてホッとしている感じかな」

 

 

一人のクラスメートに話題を振られて淡々と本音を語る。

 

ネタとしては面白そうな内容だが、最終的にカオスな内容になるのは明白。これから起こりうる未来がある程度想像出来るだけに、自分は巻き込まれなくて良かったと思ってしまった。

 

……ただあくまで現時点での話だ。

 

本番当日にどんなことになるのか分かったもんじゃない。少なくとも当日になってみない限り、何がどうなるのか断定は出来ない。

 

 

「えぇー、そうなの? でも確かに霧夜くんにはちゃんとパートナーがいるもんね! そういう意味では安心なのかな?」

 

「そうそう。あそこまで熱い関係を見せられたら……ねぇ? 邪魔なんかする暇さえ無いだろうし、眩しすぎて近づけないというか」

 

 

クラスメートの言う熱い関係っていうのはおそらく臨海学校の帰りのバスでの出来事を指しているんだろう。あのやりとりも思い出すと中々に恥ずかしく、赤面必須な光景だったと苦笑いが出てくる。

 

これは俺だけではなくナギにも言えることだが、基本クラス内も含めて学園敷地内では必要以上にベタつくことはしない。目立つ上に根も葉もないような噂をバラまかれると後々面倒なことになるからだ。臨海学校での一件がイレギュラー中のイレギュラーな出来事で普段からあんなことをしてる訳ではない……と自負しているんだが。

 

ちなみに俺たちの気持ちを良い意味でクラスメートたちは汲み取ってくれたようでら一連のやり取りを目撃しているクラスメートたちは、他クラスや他学年への口外はしないようにすると協力してくれている。

 

ここは非常に助かっている部分でもあった。そんな近しい関係が羨ましいと、俺のすぐ隣にいるナギに対して一人のクラスメートが話題を振る。

 

 

「羨ましいなー。ねね、ナギはどう思ってるの?」

 

「……」

 

 

が、問いかけに対して反応をしないナギ。

 

普段と表情は変わらないが、若干下を向きながら机に置かれている参考書をじっと見たまま、応答する素振りを見せない。

 

もちろんこの近さで聞こえていない訳がないんだが、我ここにあらずとでも言い表せばいいのか。

明らかに聞こえるような声量にもかかわらず反応が無いせいで、声を掛けた本人も何か失言してしまったのかとオロオロし始めてしまった。

 

 

「あ、あれ。私もしかして変なこと言っちゃったかな……?」

 

「おい、ナギ。どうした?」

 

 

すかさずナギに声を掛ける。するとハッとした表情を浮かべながら顔を俺の方へと向ける。

 

 

「え……え? ご、ごめんなさい。ちょっとぼーっとしてて……えっと、何の話だったっけ?」

 

 

本当に話した内容が一切頭の中に入っていないようだった。

 

この距離での会話。

 

それもそこそこの声量で話していたので、全く何も聞いていなかったというのは些か信じがたい事実だ。あまり積極的に話しに行くような積極的な性格ではないが、彼女自身は周りの話はちゃんと聞くし、話を合わせるのも上手い。

 

振られた話題に何の反応もしないだなんてあるのだろうか。

 

 

「おいおい。本当に大丈夫か」

 

「う、うん。私なら大丈夫だから。本当にごめんなさい」

 

「ううん、私もこのタイミングで聞くようなことじゃなかったかも。ごめんね、ナギ。……あ、全然話変わっちゃうんだけど、今年織斑くんの争奪戦があるってことは分かったけど、各部活ってどうするんだろうね?」

 

「ウチのバレーボール部は結構みんな息巻いてたかなぁ、何がなんでも織斑くんを引き入れるぞーって!」

 

 

あまり振らない方がいい話題だと判断したクラスメート、もとい岸原理子は申し訳なさそうな表情でナギに謝罪の言葉を掛けると、また別の話題へと転換をして行く。

 

話題が切り替わったことでまた盛り上がりを見せる一同だったが、やはりナギだけは違った。バツの悪そうな表情に切り替わったかと思うと、俯いてしまう。

 

……やっぱりどう考えてもおかしいよな。

 

数日前のあの日、朝から昼にかけてまではいつも通りだったのに、帰宅時に分かれてから再び会うまでの小一時間でそこまでテンションが変わるものなのか。もしかしたらまた昨日とは別の要因があるのかもしれないが、あの日から何かを引き摺っているようにしか見えなかった。何とか平静を保とうと努めているように見えるが、ここまで如実に反応が出てしまうとナギ自身の精神状態も良くはない。

 

本人に聞くのも良くない内容かと思って深く聞こうと思わなかったけど、ちょっと真剣に向かい合った方がいいかもしれない。

 

まだ次の授業が始まるまで時間はある。少し空気を入れ替える意味でも一旦外へ連れ出そう。

 

そう思った時には既に身体は動いていた。

 

 

「ナギ」

 

「大和くん……え?」

 

 

机から立ち上がると俺はナギの手を取って、半ば強引に立ち上がらせる。一連のやり取りに近くにいたクラスメートたちの視線が一斉に集中した。

 

 

「悪い。ちょっと風に当たってくる。次の授業に間に合うように戻ってくる予定だけど、もしかしたら「間に合わなかった時は私たちがフォローするから大丈夫。安心して話してきて!」……すまない、助かるよ鷹月」

 

 

もう何をするかなんてお見通しなんだろう。

 

俺が最後まで言いかける前にブイサインをしながら任せなさいと言い切る鷹月の姿が頼もしく見えた。他のクラスメートも何となく事情は察してくれたようで、口々に頑張ってと声を掛けてくれる。

 

本当良い仲間たちだ。

 

 

「と、いう訳だ。ナギ、ちょっと外で美味しい空気でも吸いに行くぞ」

 

「え、え? わ、私は別に「ナギにその気が無くても俺が今物凄く吸いに行きたいんだ! でも一人だと心細いから付いてきてくれ!」ちょっ、大和くんそんなキャラじゃ……わわ!?」

 

 

状況がイマイチ掴めないナギをよそに手を引いて入口へと向かう。

 

多少強引にでも連れてかなければナギは黙ったままでいるだろう。決して離さないように、でも痛がらないように握り締めながら教室の外へと出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここなら丁度良いか」

 

 

階段を駆け上がって向かった先は屋上。

 

お昼の時間こそ利用者が多くて賑わいを見せる屋上だが、休み時間に出入りする生徒は少なく閑散とした風景が広がっていた。

 

人があまり来ない場所であるが故に、二人きりで話をするにはもってこいの場所だ。入口も一つしかないため、話している最中に誰かが入ってくればすぐに気づいて話を止めることも出来る。

 

 

「も、もう。急にどうしたの?」

 

 

周囲を見渡して誰もいないことを確認し終わった俺にナギは声を掛けてくる。何の理由もなく連れてこられたことに対して疑問を持っているんだろうが、こちらとしては聞きたいことが山ほどある。

 

全てを話して欲しいとは言わないが、日常のテンションに大きく響くほどの何かを抱えているのだから、少しくらい頼って欲しいと切に願うばかりだ。

 

 

「急にって……ナギの方こそ心当たりがあるんじゃないか?」

 

「そ、それは……」

 

 

俺の問いかけに対して口籠る。反応から察するにやはりあまり触れられたくない、言いたくないような内容なのだろう。

 

 

「べ、別に私は何もないよ? 大和くんの考えすぎなんじゃないのかな?」

 

 

あくまで隠し通そうとするつもりか。

 

だがここまでのナギの反応は想定内だ。一対一で話し合ったとしても、中々口を割らないことは分かっていた。そもそもこんなことで簡単に口を割るくらいなら、もっと前から俺に相談に来ていたに違いない。

 

それを相談せず自分の中だけに仕舞い込んでいたとなると、話すつもりはなかった、話さずに自分だけで解決しようと目論んでいたと想定することが出来る。

 

 

「ナギの言う通り、俺の考えすぎなだけなら良いんだけどな。でもここ最近の挙動を見ているとそうも言ってられなかったんだよ。それに俺以外のクラスメートたちもいつもと雰囲気がおかしいって言ってる以上、何もないで通そうとするのが無理な話だと思うんだが」

 

 

あまり大っぴらにはしなかったが、ここ数日間でクラスメートの多くから何かあったのかと質問を受けていた。普段交わす会話の回数も少なくなり、ナギ本人の口数そのものが減ってしまっている。

 

物静かな性格といえども限度がある。周囲が気付くほどの変化なのだから、今のナギはいつもの様子と違うのは明白であり、何もないですと隠し通そうとすること自体無理がありすぎた。

 

 

「……」

 

 

きゅっと口を真一文字に結んだまま、ナギは何も言わなくなってしまう。

 

本心で言うなら全てを話して楽になって欲しい。

 

こんな時俺はどうすればいいか。

 

話したくない、話そうと思うけど話せるような内容ではない。

 

しかし目の前にいる最愛の人は苦悩している。

 

思考をフル回転させて何をしてあげるべきかを考える。

 

 

「質問を少し変えよう。そこまで言うなら本当に何もないってことで大丈夫なんだな? ならもうこの話はこれっきりにしよう」

 

 

思いついた言葉を会話として繋げていく。

 

無理に引き出そうとしたところで、ナギに辛い思いをさせるだけなのであればこれ以上は無理に聞かないことにした。

 

 

「あっ……」

 

 

俺がはっきりと言い切ったところで何かを言い出そうと口を開くも、どこかバツの悪そうな表情を浮かべる。

 

そこから言葉は続かなかった。

 

 

「ただもし、言いたいことがあるのに言い出せないだけなのであれば……」

 

 

一歩ずつナギとの距離を詰めていく。見捨てられるんじゃないかとでも思ったのかそれとも得体の知れない何かを俺から感じ取ったのか、恐怖からナギは目を瞑った。

 

無理もない。

 

俺が思っている以上に精神的な疲れが溜まっているのだろう。ギリギリなところで耐えている、少し小突けば倒れてしまうほどに。

 

だとすれば今俺に出来ることは一つだけだ。

 

 

「言えるようになったタイミングで俺に話してくれればそれでいいよ」

 

 

ナギを信じること。

 

それが今俺に出来ることだった。少しでも気持ちが落ち着くようにとナギの頭に手を乗せて優しく撫でる。

 

 

「えっ……」

 

 

ナギからするとさぞかし予想外の返しだったようで、顔を上げたままポカンと呆気にとられていた。

 

 

「純粋に心配なんだ。もしかしてナギが俺に頼ろうとすることを負担に思って、自分だけで背負おうとしているんじゃないかって思うと」

 

「……」

 

「だから話せるタイミングで良い。もし自分で解決が出来るのならそれでも良い。ただ一つだけ、これだけは俺と約束して欲しい」

 

「約、束?」

 

 

一つだけナギに約束を取り付ける。

 

これだけはどうしても守って欲しい。それだけをしっかりと目を見て伝える。

 

 

「あぁ。何、そんな難しいことじゃない。本当に辛くて潰れそうな時は絶対に相談をすること、これだけはしっかりと守って欲しい。お前の身に何かあったらみんな悲しむだろうし、俺なんか気が気じゃ無くて発狂するかもな」

 

 

ははっと冗談を交えつつ笑みを浮かべながら言ってみせるも、本音は心配で仕方がない。

 

人間には我慢の限界がある。底知れず我慢出来る人間なんてそう多くは無い。

 

俺にだって、ナギにだって我慢の限界がある。俺は自分だけに対するあらゆる仕打ちであれば何としても耐えてみせるが、自分の大切な人を傷付けられて我慢出来る自信は正直ない。

 

だからその我慢が決壊する前に頼って欲しい。

 

 

「約束、出来るか?」

 

「……うん」

 

 

小さな声だったがしっかりと俺の耳に入ってきたナギの声。

 

なら一旦はこの問題に関しては終わりにするとしよう。これ以上この話をすることに何の意味も持たない。

 

 

「や、大和くん……手、恥ずかしいよ」

 

 

恥ずかしがりながらナギの視線が上目を向く。彼女の瞳に映るのは俺の顔と伸ばされた手。こんなところ誰かに見られたらとでも言いたげな視線に、苦笑いを浮かべながら手を離した。

 

ラウラはどこの場所でも嬉々として撫でられにくるが、ナギは流石に誰かが来る可能性のある屋上で撫でられ続けるのは恥ずかしいようだ。

 

 

「ん。おっと、悪い悪い。さて、もう少しで授業始まるしそろそろ戻るか。俺はちょっと寄り道するからナギは先に戻ってて良いぞ」

 

 

先に教室に戻るように促し、屋上の入り口まで歩いて行くナギだったが、何かを思い返したかのようにくるりと俺の方を向く。

 

 

「……大和くん」

 

「どうした?」

 

「……ありがと」

 

「どういたしまして」

 

 

出来る限りの笑顔を浮かべ、足早に教室へとナギは戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナギが屋上から過ぎ去ったことを確認すると、素早く俺はとある人物へと電話を掛ける。

 

すると電話先の相手はコールがなる前に電話に応答した。

 

 

「……俺だ、どうやらお前の見立て通り引っかかったようだ。こっちはこっちで仕込みはもう終わっている。この後フォロー頼んで良いか?」



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○負けない心

「……ナギはまだ戻ってきてないのか」

 

 

教室に戻ってきた俺の視線に入ったのは隣の席の空席だった。

 

屋上で少し話を交わした後、俺より先にナギは出ていったのは間違いない。後を追いかけるように俺も屋上を後にしたが、教室に戻ってくるまでの間にナギに追い付くことも追い抜くことも無かった。教室に戻ってきていないとなると、考えられる可能性としてナギが最短ルートとは別のルートで教室に戻ろうとしているか、最短ルートではあるもののどこかで寄り道をしているか。

 

屋上から教室までの道のりは一つではないものの、わざわざ時間をかけるように遠回りをする理由が見当たらない。次の授業まで時間もそう残されていないことを考えると、最短ルートを使わない理由は無かった。

 

となると考えられるのは教室に戻るまでの間に何処かへと立ち寄ったかだが……。

 

 

「ねーねーきりやん。かがみんと一緒じゃ無かったのー?」

 

「あぁ。でもナギの方が先に教室に戻ったんだわ。だから当然席についていると思ったんだけど……一度も教室に戻って来てないんだよな?」

 

「わたしの知ってる限りでは戻って来てないと思うなー」

 

 

部屋を出ていった時には一緒にいたはずの人間が戻って来ない。違和感を覚えるクラスメートが出てくるのも分かる。周囲を代表して……なのか、布仏が一緒だったんじゃないかと確認を込めて聞いてくる。

 

先に戻っているとばかり思っていたこちらとしても、先に教室に戻ったはずとしか言いようが無いから逆に質問で返すことになってしまった。

 

もうそろそろ予鈴のなる時間だ。最悪遅刻を覚悟で探しに行こうかと考え込んでいると、不意に教室の扉ががらりと開く。

 

 

「あ……」

 

 

どこかから声が漏れると同時にクラス中の視線が入口へと集中した。

 

 

「え? み、みんなどうしたの?」

 

 

普段の喧騒とは打って変わって静まり返る教室の様子に驚くナギの姿がそこにはあった。

 

いきなり大勢の視線を浴びたことで、どう反応すれば良いのか分からずオロオロとうろたえるばかりのナギを俺は自席から立ち上がって迎えに行く。

 

 

「どうしたもこうしたも俺より先に教室に戻っただろ? なのに後から出た俺が先に戻って来て、ナギが始業時間ギリギリまで戻って来なかったから心配してたんだよ。まさかどこか怪我をしたとかじゃないよな?」

 

「ち、違うよ! ちょっと寄るところがあったから遅くなっただけで、特に何もないから大丈夫だよ!」

 

「……そうか、とにかく何事もなくて安心した」

 

 

怪我とかをしてるわけじゃないし、ナギの顔色もそこまで悪いわけではない。少なくとも屋上に呼び出した時に比べれば幾分改善しているように見えた。

 

具体的にどこに行ったかを言わずにはぐらかしたところを見ると、具体的な名称を出し辛い場所か、本当はどこにも行っておらず何か別の目的で遅れている可能性もある。

 

ただ先程俺はナギを信じると伝えたばかりだし、これ以上変に追求するのも違うような気がする。本当に辛いのであれば必ず相談しろと念を押しているため、最悪の事態にまで発展するようなことは無さそうだが、しばらくはちゃんと見ておく必要がありそうだ。

 

 

「ん?」

 

 

ナギが授業の準備をするべく席に戻ろうとした時に不意に違和感を覚える。ナギの通った場所を見るとほんの僅かだが足跡が確認出来た。屋上の汚れで出来たものかと一瞬思うも、土や砂の色がつくのならもう少しハッキリと足跡が残るはず。

 

床についている足跡はどう見ても土や砂がついて出来たもののようには見えない。

 

透明感がある……まるで水のような。

 

このIS学園内に靴が湿るような場所はあったか。

 

屋上に水溜りは無かったことを考えるとそれ以外の場所でついたものであることが推測できる。あんな時間で室内プールを往復することは不可能、となると水に関わる場所があるとすればトイレになるが。

 

 

トイレの床ってあんな靴跡が出来るレベルで濡れてることってないよな。

 

 

「……」

 

「ど、どうしたの大和くん」

 

「いや、何でもない。さぁ時間も無いし次の授業の準備でもするか」

 

 

考え込んでいる俺に声を掛けてくるナギに対して問題ないことを告げて改めて席に着く。

 

考えられる可能性。

 

全てを含めてそろそろ動き出す必要があるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すまないな急に呼び出して。本題から話すと霧夜、お前のISだが学園祭が終わるまでの期間学園側で預かることになった」

 

「いえ、とんでもないです。前に言ってたお話ですよね」

 

 

放課後、一人職員室に呼び出された俺は用意された別室で千冬さんと対面していた。ここなら誰かに話を聞かれる心配も少なく、誰かが入ってきてもすぐに分かる。

 

話は新学期が始まる前に話された専用機のメンテナンスの件について。臨海学校で初めて稼働させ、色々と曰く付きのISであることが判明した俺の相棒不死鳥(フェニックス)

 

操縦者の身体能力に比例して本来の力を発揮すると言った元来のISの常識を覆す構造に、操縦者の身体能力を飛躍的に向上させて、限界を超えた戦闘能力を手に入れることが出来る能力であるリミット・ブレイク。

 

ISに搭載されたエネルギーを利用した能力で、一時的に凄まじい力を手に入れることが出来る代わりに、操縦者の身体には多大なる負荷が掛かってしまう。俺は臨海学校でプライドと戦う際にリミット・ブレイクの機能を一段階解放して戦った。

 

結果は圧勝。

 

だが戦いが終わった後に来る副作用は想像を絶するものがあった。当然大怪我をして目覚めた後の利用だったため、従来の副作用以上のものが反動として返ってきてしまったということもある。それでも使った後には何かしら副作用が返ってくることは事実であり、身体に負担がかかることも否定しようがなかった。

 

身体に多大なる負担が掛かるリスクを孕むISをおいそれと使わせるわけには行かない。

 

……ここまでは当たり前の話になるがそれは表向きの理由だ。

 

 

「しかしここまで注目されるものなんですね。正直舐めてました」

 

「お前の場合は男性操縦者で、与えられた専用機が束の手を施したものだからより注目度が高いんだ。既に様々な企業から情報提供の依頼が来ているぞ」

 

 

千冬さんからも言われたが、今回の専用機……不死鳥に関しては篠ノ之博士が一から作り上げたISであり、世界に散りばめられているISのコアではなく、新しく用意されたコアが組み込まれている。そして現行機として生産されている第二世代機や第三世代機ではなく、第四世代機ということもあって希少価値は高騰。

 

各国では生産の目処すらたっていない第四世代機の登場ということもあって、注目の的になってしまっていた。ただでさえ各国に割り振られているコア数は限られている上に、全くの新世代機が登場したともなれば少しでも情報を手に入れたいと思うのは何ら不自然ではない。

 

つまり俺の機体からの情報収集が今回の目的の一つに組み込まれている。さっきも言ったが、フォーマットとフィッティングの機能が標準搭載されている通常のISと違い、操縦者の身体能力に合わせて性能を発揮する仕様も注目ポイントの一つになるだろう。

 

ただISのコア自体はブラックボックスになっているわけだし、調べたところで多くの情報を引き出すことが出来るわけでもない。それでも僅かな可能性や手に入れられる情報があるのならと、こぞって群がってから様子はまるでハイエナのようだった。

 

 

「織斑先生も大変ですね。とはいえ俺が何か出来ることもないんで、頑張って下さいとしか言いようが無いんですが」

 

「ふん、若者に言われなくても分かっているさ。少々骨は折れるが一度データを渡せば多少大人しくなるだろう」

 

 

一回のデータ提供で納得するかは甚だ疑問だ。未知の領域である第四世代機の登場に、新しい情報はいくらでも欲しいところ。もし期待する成果を得ることができない場合は強硬策に出て来る企業や国家もあるかもしれない。

 

専用機を持つというのはそれだけリスクがある。

 

たった一機で国を潰すことが出来るほどの戦闘力を持つIS。盗んででも手に入れようとする輩はいくらでもいる。

 

不死鳥の待機状態となるネックレスを首から外し、それを千冬さんに手渡す。

 

 

「あぁ、そうだ。念のための確認になるが、臨海学校以降、身体に影響は出ていないか?」

 

「え? えぇ、特段異常は無いと思いますが」

 

 

俺からネックレスを受け取ると同時に千冬さんは俺の身を案じようとする。

 

以降……ってことは臨海学校以降の話をしているのだろう。リミット・ブレイクを使った後は副作用から倒れ込んでしまったわけだが、あの日以降は特に身体に異常が見受けられることはなかった。

 

ここしばらく授業などの実演を除く実戦機会が無く、専用機持ちたちとの模擬戦もリミット・ブレイクを一切使わずに戦っている。緊急事態なら話は別だが、身体に負担のかかる可能性がある能力を学内の模擬戦で使う理由は無い。

 

元々の機体性能が高いこともあり、発動をしなくても十分戦うことが出来る。とはいえ万が一の時は使わなければならない時がくるだろう。第一段階の開放であれだ、まだ一度たりとも使ったことは無いが、第二段階、第三段階と数字が大きくなるにつれて得られる力も膨大になる代わりに、身体に掛かる負担も増えていくと考えた方が良さそうだ。

 

ギアは四段階まであるが、緊急時以外は極力使わないにしよう。

 

 

「そうか、なら良い。教え子に急に倒れられてはこちらも気分が悪いからな」

 

「ははは……お気遣いありがとうございます」

 

 

大っぴらではなく、さり気なく心配してくれるのがこの人の優しさだろう。IS学園では凛とした表情を崩さず、あざともなれば鉄拳制裁すら厭わないような鬼教官だが、根は誰よりも人情に溢れた人だ。

 

厳しさのある裏側に愛情がある。だからこそ山田先生も慕ってついてきているに違いない。

 

 

「今まではどうだったか分からないですけど、今は無理をしたら本気で心配してくれる人がいますから。これからは多少なりとも無茶な行動は減るかもしれませんね」

 

「ほう?」

 

「もちろんしないわけじゃないです。常に無理せずに行動してたら、仕事になりませんから」

 

「私もお前に全て任せている身だ。細かいところまでとやかく言うつまりはないが、臨海学校のようなことはしてくれるなよ?」

 

「そこに関しては何とも言えないですが……善処します」

 

 

護るべき大切な存在が出来て、以前に比べると無謀なことでも何とかしてやろうといった考え方はしなくなった。が、極力無茶苦茶なことはしないように心掛けるつもりでも約束は出来ない。

 

これは誰に言われようと、俺の生き様として譲れない部分になる。忘れかけられているかもしれないがこんななりでも霧夜家の現当主だ。

 

妥協出来る部分は妥協するが出来ない部分に関しては出来ない。そこを曲げるつもりはない。

 

 

「まぁ良い。明後日からは学園祭だ、お前にも本業はあるだろうが、学生なら学生らしく楽しむことも忘れるなよ?」

 

「はい、そこは当然です」

 

 

俺の雰囲気から何かを悟ったようで、ふっ微笑むと再び千冬さんは自らの業務に戻った。失礼しましたと一言だけ告げると部屋を出て、自分の荷物を取りに教室へと向かう。

 

楽しむ、か。

 

学園祭も一年に一度の行事、折角だから楽しむ一日にしたい。反面抱えている問題が多すぎるから学園祭前には少し解決したいところだ。

 

千冬さんの話にも出てきたように明後日には学園祭の当日を迎える。

 

中々纏まらなかった出し物の内容も固まり、クラス団結で絶賛準備を進めていた。ポッキーゲームやらホストゲームやら色物感満載の出し物のばかりが選択肢だった時にはどうなるかと冷や冷やしていたが、ラウラの機転で無事に『ご奉仕喫茶』を出し物として行うことに決定。

 

衣装なんかも頼れるドイツ軍の部下? に掛け合ったようでセンスの高いメイド衣装やら複数のコスチュームを手配し、クラスの皆を驚かせていた。兄妹は同じ布団で寝るなどと、とんでもない一般常識を教えていたことに些か不安しか無かったが、今回の件に関しては凄く良い仕事だったと思える。

 

足りない衣装はクラスメートの何人かが放課後残って作成。ちなみに俺や一夏が着る予定の執事服も手作りで作ってくれたようだ。出し物を決めた後、学園祭に向けての準備はすこぶる順調で俺や一夏といった男性陣が一切口出しをしていないにも関わらず、ここまで仕上げてくれていた。

 

後は本番を迎えるだけ、何が何でも成功させたい思いは全員が持っている。

 

 

 

 

 

 

職員室前の廊下を曲がり、中庭に続く吹き抜け廊下を抜けようとした時だった。

 

 

「―――うまく行ったよねー!」

 

「―――まずいと思ったけど、一人にしてくれてホント助かったわー。わざわざ一人にしてくれたんだもん、感謝しないといけないよねー!」

 

「……?」

 

 

吹き抜け廊下に足を踏み入れた刹那、丁度俺からは死角に当たる壁際から声が聞こえた。聞こえてくる声質の数からして複数人……三、四人ってところだろうか。

 

いつもならスルーをしてそのまま駆け抜けてしまうが、普段あまり人が立ち寄らないような場所から声が聞こえたため、そっと物陰に姿を潜めて聞き耳を立てる。

 

 

「あんたが考えることも大概えげつないよね〜。まさかあんなこと思いつくなんてさ!」

 

「何いってんの! そう言って成功した時はノリノリだったじゃん! 授業開始前の時間じゃトイレに行く生徒なんてそうそう居ないから見られる心配も少ないし、あれで少しは大人しくなってくれると良いんだけどねー」

 

「これで大人しくならないのなら、また別のことを考えるだけよ。何様なのかしらね、同じクラスを良いことに近づいちゃってさ! お前の彼氏かっつーの!」

 

 

会話の内容は不穏そのものだった。断片的な内容しか聞こえてこないが、トイレで何かがあったってことなんだろうか。加えて誰かに危害を加えているような内容の会話に聞こえて来る。

 

壁で死角になってしまっているせいで顔を確認することが出来ず、人物を特定することが出来ないのは難点だが明らかに柄の良さそうな会話ではない。もしかしたら後々何かを企んで実行に移すかもかもしれないと悟り、とっさに制服のポケットにしまってあるボイスレコーダーのスイッチを入れた。

 

いつどこで何が起こるか分からない仕事をしているため、常にレコーダーは常備している。実は俺の専用機にも会話を録音したり発信したりする機能が付いているらしいが、ついさっき千冬さんに渡してしまって手元に無いため、普段から持ち歩いているボイスレコーダーを使うことにした。

 

集音の妨げにならないように声を殺して続く会話を待つ。

 

 

「でも本当に付き合ってたらどうするの? そうなると迂闊に手を出せなくなるんじゃ……」

 

「そんなの関係ないわよ。もし本当だったとしたら一緒に居るのが嫌になるレベルで追い詰めてやるだけよ。バケツの水を掛けること自体が可愛く思えるくらいにね!」

 

「容赦ないわね。でも久しぶりにいじめがあのある奴が出てきてあんたは嬉しいのか。そういえばなんて言ったっけあの一年の名前」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えーっと……確か鏡ナギとか言ったかな」

 

 

内容はあらかた分かった。

 

話し方からして俺よりも上の学年。二年生か三年生のどちらかになるんだろう。その上級生とも呼ばれる生徒たちが特定の生徒たちをいじめていると。口ぶりからしても常習犯なのか虐めという行為自体を随分と楽しんでいるようだ。

 

極めつけに出てきた『トイレ』と『バケツ』の単語。そして水を掛けたという一言で何をしたのか全てを把握した。つまりトイレの個室に篭った、もしくは壁際にでも追い詰められた生徒に向かって水入りのバケツを放ったと……そういうことになる。

 

勿論その行為自体が到底許されるものではないことは事実。

 

 

まぁ、そこは勿論なんだが。

 

 

 

 

 

 

 

今アイツら……誰の名前を言った?

 

 

「ちょっと、こんなところで名前出して誰かに聞かれたらヤバくない?」

 

「大丈夫大丈夫、誰にも聞かれてないって! 放課後こんなところで聞き耳を立てる物好きな生徒なんていないでしょ」

 

 

俺の聞き間違いじゃなきゃ『鏡ナギ』って言ったような気がするんだが。

 

 

「あの一年もひ弱そうな大人しい外見なのに無駄に根性だけはあるのよね。ここ数日毎日のようにちょっかい出してるのに動じやしないわ」

 

「脅迫メールに靴の中に画鋲入れたり……後何したっけ? あぁ、今日の水入りバケツもそうか。これで堪えないならもう最終手段に出るしか無いよね〜」

 

「最終手段? 何か考えてるの?」

 

「もちろん。ここだとちょっと話しにくい内容だから後で全部話すわ」

 

 

そこまで話したところでバタバタとその場を離れる複数人の上級生たち。

 

幸いなことに俺がいる吹き抜け廊下の方ではなく、真反対にある中庭の方へと掛けていく。下手に廊下の方に来て誰かに見られたり、通りがかった教員に見られてことがバレるのを恐れたのかもしれない。

 

連中のグループの中にも多少なりとも頭が回る奴がいるみたいだ。

 

去った後に訪れる静寂、誰も居なくなったことを確認して持っているボイスレコーダーの録音ボタンを切る。これで奴らがいじめをして居たことは白日の元に晒されることになるだろう。もしナギが証言をすれば確実に上級生は退学処分、よくて長期に渡る停学処分になるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺にとってそんな当たり前の処遇についてはどうでも良かった。

 

 

「はははっ……やっぱりそうか。お前らが……お前たちが裏で手を引いてやがったんだな」

 

 

隠し事の真実を知る。

 

 

「話し出せる訳ねーよ……アイツの性格考えたら絶対に気を遣うに決まってる」

 

 

知っていた。

 

実は何もかも。

 

 

「俺に弱みを見せたくないから、俺に頼って迷惑を掛けたくないから……」

 

 

だから直前に手を打った。

 

大きな実害が降り注ぐ前に。

 

今のナギなら我慢するだろう。

 

俺に迷惑をかけまいと、何とか自分で解決をしようと。

 

 

「我慢していることをいいことにアイツらは漬け込んだのか」

 

 

性根が腐った奴は一度痛い目を見ないと分からない。

 

IS学園に入学してくるくらいだから一定のスペックを持ち合わせている人間なのだろう。だが人間は十人十色、まともな奴もいればそうじゃない奴も居る。

 

 

 

 

これでハッキリとした。

 

連中にかけてやる温情など微塵もないことに。

 

手の上で良いように誘導されていたことなどと、連中は気付きもしなかったに違いない。

 

証拠はもう十分なくらい手に入れた。

 

残すことは一つだけ。

 

 

 

 

 

裁きを加えることだけ、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「練習中すみません。ちょっと良いですか?」

 

「へ……あれ、誰かと思ったら霧夜くん。今日はどうしたの?」

 

 

放課後。

 

活気あふれる部活動の最中に、大和は普段来るようなことがない場所に訪れていた。

 

近くにいるトレーニングウェアを着た生徒におもむろに声を掛けると、大和のことに見覚えがあったようで少し驚いたような表情を浮かべる。多少の顔見知りであることは事実だが、陸上部員でもない大和が陸上トラックに顔を出すなんてことはほぼ皆無に等しい。

 

急に現れたらどうしたのかと気になるのも頷ける。

 

 

「もしかしてナンパ?」

 

「違いますよ! 部活動の最中にそんなことする訳無いじゃないですか!」

 

 

どことなく小悪魔染みた表情を浮かべながら大和をからかう生徒。二人のやりとりを見ると、どうやら大和が話しているのは上級生のようだ。ナンパであることをキッパリと否定した大和に対して、どことなく面白くなさそうな表情を浮かべて口を尖らせる陸上部の上級生。

 

 

「えー、面白くないなー。それとも陸上部の入部希望とか?」

 

 

ナンパじゃないなら部活への入部希望かと投げかける。

 

学園祭での催し物の結果が一位だった部活には一夏を強制的に入部させるといった発表が行われたのは記憶に新しい。陸上部でも一夏の入部に向けて準備を進めている最中ではあるが、もし大和が入部を希望しているのであればそれはそれで嬉しい偶然だ。

 

 

「魅力的な提案ですけどそれも違います。確認したいことがあって来たんですが、今日ってナギは居ますか?」

 

 

が、今日の大和の目的は入部希望では無かった。苦笑いを浮かべながら用事のある人物の名前を呼ぶと、少し残念そうに微笑みながらもやっぱりかといった感情が込められた何とも言えない表情を浮かべる。

 

 

「なーんだ違うんだ、残念。えっと、鏡だったよね? さっき見たから多分何処かにはいると思うんだけど……ちょっと待っててね」

 

 

どこにいるかまでは把握をしていなかったようで、大和を待たせて他の部員の元へと確認へ向かった。

 

大和の目的はナギと話すこと。

 

どうしても話したいことが、聞きたいことがある。

 

ここ最近ずっと続いていたナギの気持ちの落ち込みよう……その原因が全て明らかになったことでもう一度しっかりと話し合いの場を設けようと思っていた。

 

上級生たちから嫌がらせを受けていることをナギは誰にも相談することなく、一人で貯め込み我慢を続けてきた。最初こそ脅迫文や脅迫メールなどかわいいモノだったが、嫌がらせの内容は日に日にエスカレートし、ついには水入りのバケツを浴びせるといった暴挙にまで繰り出すことに。

 

水を掛けられたのではないかと疑問に思ったのは今朝、授業までの時間を活用して一度ナギと二人で話し合いの場を設けた後のことになる。話し合いが終わった後、ナギを先に教室へと戻した大和は彼女よりも数分遅れて教室へと戻って来た。

 

だが先に教室へ戻っているはずのナギの姿がどこにも見当たらない。授業が始まる前だというのに、わざわざ遠回りのルートで戻るとは考えづらい。

ナギが戻って来ないことに違和感を覚えたのは大和だけではなく、他のクラスメートたちもだった。ほとんどのクラスメートは大和と一緒に出掛けたのだから、一緒に戻ってくるものだと信じて疑わなかっただろう。

 

結果、予想に反して戻って来たのは大和一人だけ。

 

クラスメートはもちろんのこと、一番驚いたのは大和だったに違いない。これでは何かあったのかと思われても致し方のない状態だった。

 

そして大和に遅れること数分後、授業開始ギリギリの時間にようやくナギは戻ってきた。無事に戻って来たことに安堵しつつも、大和はナギの足元がほのかに湿っていることに気付く。どのルートを通って教室に戻って来たとしても靴が湿るほどの場所はこの校舎内には存在しない。

 

水をこぼしたか、誰かに水を掛けられたかのどちらか。

 

 

常識に考えて一般の学園生活で起きて良いようなことではない。

 

 

「……」

 

 

本当に何もないのかと、何か自分にとって理不尽な仕打ちを受けているのではないかと。根気強く確認を続けるも結局最後まで彼女が首を縦に振ることは無かった。

 

無理にでも口を割らせることくらい大和には出来ただろう。それをしなかったのは、沈黙を貫くナギに何か思惑を感じたからだ。

 

それでも大和の中での我慢は既に限界を迎えていた。

 

自分の目の前で恋人が悩み、苦しんでいる姿をこれ以上は見たくない。

 

誰が犯人なのかはもう分かっている。声もしっかりと録音し、言質も取っている以上言い逃れは出来ないだろう。

 

しかし大和の中で最も大切なのは危害を加えた上級生に裁きを下すことではなくナギ自身が無事であること、その一言に尽きた。

 

 

そうこう考えているうちに確認を終えて戻って来た陸上部の上級生だが、表情はどこか浮かない。

 

 

「ごめん霧夜くん。さっきまで個人練習していたからいると思ったんだけど見つからなくて……他の子の話だと数分くらい前にトラックの外に出てったみたい」

 

「外に?」

 

 

ナギは居なかった。

 

ただ話によると先ほどまではトラックの中で個人練習をしていたとのこと。大和とは入れ違いでトラックの外に出て行ったらしい。外に出たということは外周のランニングにでも行ったのだろうか、彼女の性格上練習をサボるとは考えづらい。

 

 

「えぇ。でも彼女の専門は短距離。確かに体力アップのために学園の外周をランニングすることはあるけど、この時期に外周を走るなんてカリキュラムは組んでないはずよ……怪我でもしたのかしら」

 

「それ、本当ですか?」

 

 

一瞬大和の顔が強張る。

 

普段から外周でのトレーニングを日課にしていたのなら分かるが、ならどうして外に出て行ったのか。何より毎日の練習を見ている部員が言うのだから間違いないだろう。

 

嫌な予感がする。

 

大和の心のザワツキは収まらなかった。

 

理由もなく外に出て行くことは無いだろうし、何かしら理由があって外に出たことが分かる。

 

まさかな……と。

 

強引に楽観的な思考に切り替えたタイミングだった。

 

 

「すみません。ちょっと電話取りますね」

 

「うん。もしここで待つのなら自由に使っちゃって大丈夫だからね」

 

「ありがとうございます。ホント助かります」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突然鳴り響く大和のプライベート携帯のコール音。このタイミングで何事かと、ポケットから携帯を取り出して画面を開く。

 

画面に表示される着信相手はラウラだった。共にいる時間が多く、常日頃から部屋まで駆けつけてきたり割とべったりな状態だったりすることが多いため、ラウラからの着信は多くない。

 

むしろ電話をかけてくること自体が珍しいので、大和はやや戸惑い気味に通話ボタンを押した。

 

 

「はい、もしもし……」

 

『こちらラウラ・ボーデヴィッヒ。お兄ちゃん、聞こえるか?』

 

「あぁ、しっかり聞こえるぞ。珍しいな、ラウラが俺の携帯に電話をかけてくるなんて」

 

『いや、実はプライベート・チャネル越しに声を掛けたんだが、全く応答が無かったから電話を掛けたんだ。今取り込み中なのか?』

 

「取り込んでるっちゃ取り込んでるが話は出来るぞ。後ラウラ、完全に余談になるんだが、残念ながら俺の専用機は今メンテナンス中でな、実はついさっき織斑先生に預けたところだったんだ」

 

『えっ……』

 

 

大和の話した内容にラウラの声がピタリと止まる。

 

電話越しでも分かる絶句っぷりに大和も思わず苦笑いを浮かべるしかなかった。学園内とはいえISの使用は許可されていない。当然プライベート・チャネルを使うことは出来ないため、使ってることがバレたら下手をすれば懲罰ものの案件となる。

 

大和の専用機は今しがた千冬に渡したばかりであり、もしかしたらラウラが飛ばした通信が千冬に聞かれている可能性も否定出来なかった。大和の専用機が今千冬の手元にあるとの事実をしったラウラは、電話を掛けた意図も忘れて呆然とフリーズする。

 

ただ何の理由も無くラウラがプライベート・チャネルを使うとは思えない。普段のラウラは所々天然な部分があるものの、成績優秀で規律を守る今や模範的な生徒となっていた。基本的な禁止事項の一つである、許可のないIS使用をラウラが知らないはずがない。

 

故に何でもない連絡でプライベート・チャネルを使おうとするなんて考えられない。

 

禁止事項云々の話は後回しで、電話を掛けてきた理由について大和は尋ねる。

 

 

「ラウラ、フリーズするのは一旦後だ。プライベート・チャネルを使おうとしたってことは緊急の話があるんだろう? まずはそっちを聞こうか」

 

『わ、分かった! 実はお姉ちゃんの件で……』

 

「ナギのことか。何があった?」

 

『実は……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だと!? もう一回言ってみろ!!!」

 

「何度でも言います。私はあなたたちの言いなりにはなりませんし、大和くんと縁を切るなんてこともしません」

 

 

とある室内に怒号が響き渡る。

 

複数人の生徒が一人の生徒を取り囲んでおり、いずれの生徒も先日の購買部の近くで見覚えのある生徒たちばかりだった。よほど気に障ることを言われたのか、それとも発言そのものが気に食わないのか、リーダー格の女性が顔を真っ赤にさせながら罵声を浴びせ続ける。

 

一方で取り囲まれている生徒……鏡ナギは極めて冷静に、平静を装って淡々とした口調のまま上級生へと言い返す。

 

彼女たちがいる場所は、学内の一角にある備品用倉庫だった。

 

備え付けられている窓の数も少なく、授業で使用する教室に比べると幾分暗い。生徒たちの周囲には多数の災害用の備品や未使用のデスクが置かれていた。普段は生徒を含め教師も滅多に入らないような場所のようで、床にはかなりの量のホコリが溜まっている。

 

窓が開かれているのは入室した生徒があえて開けたのだろう。雨風が吹き込む可能性のある窓をずっと開けっ放しにする理由は見当たらない。

 

 

「用件はそれだけですか? これ以上私に付き纏わないでください。はっきり言って不愉快です」

 

 

ここ数日にわたって続く嫌がらせの数々にうんざりだと言わんばかりに、ナギは大きくため息をつきながら心の内を明かす。いくら大人しく、あまり前に出ない性格のナギであっても毎日のように嫌がらせを続けられれば苛立ちを隠すことなど出来るはずもなかった。

 

普段の自分なら到底言わないような言葉が続けざまに出てくる。

 

 

「上級生の皆さんはさぞかし暇なんですね……申し訳ないですけど、私は決して暇なわけじゃないので。こんなことのために時間を使うのであれば、もっと別のことに時間を掛けた方が良いんではないでしょうか?」

 

「このっ、調子に乗るなよっ!」

 

「っ!?」

 

 

勢いに身を任せて近づくと、ナギの両肩を掴みながら壁に勢いよくぶつける。ドンッという衝撃音と共に伝わってくる痛みがナギを襲い、表情が苦痛に歪んだ。

 

 

「気に入らないんだよ! お前みたいな一般人が選ばれた人間と一緒にいることがっ!!」

 

 

結局は醜い嫉妬でしかない。

 

自分たちには得られなかったチャンスが今の一年生には巡ってきた。女子校であるが故に異性との関わりもかなり少なくなる。今年入学した男子二人は一般的観点から見てもかなり整った顔立ちだ。狙う生徒が居たとしても何ら不思議はない。

 

同学年の生徒に比べると他学年の生徒は圧倒的に接するチャンスが少ないのも事実。が、本当に大和と関わりを持ちたいのであれば自ら歩み寄って声を掛ければ良かっただけの話になる。

 

この上級生たちは大和と一度も話すどころか会ったこともなかった。

 

接する機会こそ一年生に比べれば少なくなるかもしれないが、決して会うことが出来ないわけではない。時間を見つけて会いに行ったり話したり、個人でアプローチを出来ることはいくらでもあっただろう。

 

一方でナギの場合は同学年での入学、かつ食堂で偶々大和に話しかけられたという僥倖はあれど、一緒に帰ろうと声を掛けたり、大和への手作り弁当を用意してお昼に誘ったり、はたまた休日には外出デートに誘ったりと大和が迷惑に思わない範囲でのアプローチは続けてきた。

 

地道な積み重ねが大和を振り向かせるきっかけとするのであれば、上級生に投げ掛ける言葉は己の怠慢と言う他なかった。

 

 

「さっさとあの男と離れろっ! これは最終通告だ!」

 

「そうやって脅せば私がはいそうですかと言うと思いましたか! お断りします!」

 

 

「このっ……舐めやがって! おい! あれを貸せっ!」

 

「くぅっ!」

 

 

強引に髪の毛を引っ張りながら床に跪かせると、一人の生徒から何かを手渡される。

 

ナギの視線に銀色に光り輝く双刃型の金属が目に入った。

 

一際大きく、切れ味のあるそれは俗に言う裁ちばさみと呼ばれるハサミになる。本来は裁縫用に使用される小道具になるが、どうして裁縫用のハサミが今この場にあるのか。

 

 

「随分良いツヤの髪してるんだなぁお前」

 

「!!!」

 

 

ニヤリと不気味な笑みを浮かべながら、何度もハサミを使う動作を繰り返す。シャキンシャキンと金属が擦れ合う音が鳴り響くと共に思わず、ナギの表情が曇った。

 

これから起こりうる未来を想像したのだろう。

 

本来なら想像もしたくないはずだ。

 

 

「くくくっ……私こんな性格だから手癖も悪くてな、もしかしたらザックリ行っちゃうかもしれないけど、手が滑ったらごめんなぁ?」

 

「「ハハハハッ!」」

 

 

目の前で繰り広げられている壮絶なまでの行為に、周囲を取り囲む上級生たちは止めるどころか笑いながら携帯カメラを向けるだけだった。止まる気もないのだろう。

 

ただ純粋に誰かがいたぶられている姿を嘲笑い面白がる、彼女たちにとってはイジメも一つの余興にしか過ぎなかった。

 

 

「この大切に大切に手入れしている髪を切られたくなかったら、私の機嫌を余り損ねない「切れば良いじゃないですか……」……は?」

 

「あなたたちの気がそれで済むのなら、やれば良いじゃないですか」

 

「お前本気で言ってんのかよ。あの男から手を引けばこんな思いしなくても「何度でも言います。私は引く気なんて毛頭ありません。そんなことで私の心は折れたりなんかはしない!」……」

 

 

だが彼女たちが思う以上にナギの心は強く、そして折れなかった。

 

 

「ちょっ、マジ!? それは傑作なんだけど! この期に及んでまだ心折れないとか、どんだけメンタル強いのよ!」

 

「いいよやっちゃえよ! 本人の了承も取れたんだから誰も悪くないでしょ!」

 

 

面白くない、その何があっても物怖じしない態度が気に入らない……様々な思いが交差する中、ギュッとハサミを握りしめたままあっけに取られるリーダー格の女子生徒。

 

結局どれだけ脅そうがナギには響かなかった。

 

大人数で責め立てたというのに決してくじけなかった、自分たちは負けたのだ。

 

それはナギの言葉が全てを物語っていた。

 

大和の隣のポジョンを奪われ、あまつさえ引き離そうと目論んだ計画まで失敗に終わる。何と哀れな姿だろうか。

 

負けっぱなしで終わってなるものか。

 

ギロリと睨みつけるとハサミをとる右手にも力がこもった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふ……ふふふっ、そこまで言うならやってやるよ!!!」

 

 

ナギの髪にハサミの刃が入る。

 

特にこだわりは無かったが何年も伸ばし続けて来た。

 

愛着がないかどうかと言われれば無いわけがない。少しでもだらし無い髪にならないようにと手入れには時間を掛けたし、定期的に美容院へと足を運んで幾度となくメンテナンスを施して来た。

 

日本美人を思わせる癖のない漆黒のロングヘアー。

 

手入れを続けていたとしても、ナギのような髪質を維持出来る人間はそう何人もいるわけではない。

 

腰まで届く長い髪を靡かせる姿と持ち合わせた類稀の顔立ち、均一が取れたプローポーションを見れば男女問わず、幾多もの羨望の視線を向けることだろう。

 

自慢をする気は毛頭ない。

 

しかしそれは彼女自身が自己研鑽を惜しみなく行った結果だった。

 

 

「はははっ! アンタも容赦ないわよねぇ!」

 

「ウケるわー!」

 

 

外野の声など、既に一切聞こえていなかった。

 

切れ味抜群の裁ちばさみの刃は長く伸びた髪の毛をたちまち一刀両断する。

 

切られた髪がだらりと床に落ち、下を俯いているナギの視界にも嫌と言うほど映り込んでくる。覚悟はしていたがいざ現実のものとなるとナギの心に堪えるものがあった。

 

ちょきり、ちょきりと不規則に聞こえる切断音は着々とナギの長髪を切り落としていく。もう既に腰まで伸びた特徴的な長髪は既に面影もなかった。

 

無残にも切り落とされた髪の毛が床一面に広がる。

 

 

(ごめん大和くん。最後まで強くあろうと思ったけど……今、大和くんの顔見たら泣いちゃうかもしれない)

 

 

目を閉じて我慢するナギの瞳にはほのかに涙が浮かぶ。だがそれを決して他の人間に悟らせるようなことはしなかった。何としても耐えてみせる、そう心に念じた時だった。

 

 

 

 

 

 

 

ガッシャァァアアアアアン!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ?」

 

 

衝撃で突き破られるような凄まじい轟音と共に入口の扉が破壊される。

 

外から強烈なまでの圧力を受けた扉はくの字に折れ曲がり、あらぬ方向へと吹き飛んだ。ガラガラと音を立てて転がる扉を中にいる上級生たちは信じられないような目で見るしかなかった。

 

あり得ない、と。

 

普段授業でも使わなければ、課外活動でも使わないような場所にどうして人が来ることが出来たのか。加えて部屋の入口には内側から鍵を掛けていたはず、合鍵でもない限りは絶対に入室することは出来ない。それ以前に強固な作りになっている扉を物理的に破壊するなど、ISでも使わない限り絶対にあり得ない。

 

入口には既に誰かがいる。

 

逃げようにも入口は一つだけで塞がれているとなれば逃げることすら叶わない。室内にある窓は人が通ることの出来る大きさではあるものの、部屋があるのは高層階だ。

 

何の装備もなしに降りることは出来ず、飛び降りようものなら大怪我は免れない。

 

何より絶対にバレることは無いと根拠のない自信を持ち合わせていた彼女たちに、万が一の際に対応するリスクヘッジなど持ち合わせているはずが無かった。

 

リーダー格の生徒の手から裁ちばさみが零れ落る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「大和……くん?」

 

 

顔をあげると同時に切断された髪の残骸が零れ落ちた。

 

入口に立つ人物の名前を呼ぶ。

 

 

よく見知った人物。

 

大切な大切な……この世で誰よりも愛しているパートナー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

「ようやく捕まえた……よくも好き放題やってくれたなこの野郎」

 

 

険しい表情を浮かべる大和の姿がそこにはあった。



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怒りの矛先

障害として立ち塞がる鍵付きの扉。

 

どうせ鍵など外から開けられないように内から掛けているに決まっている。

 

マスターキーがあるんだろうがそんなもの待っている暇はない。多少力を入れなければならないが壊せないレベルじゃない。

 

壊したら怒られるだけでは済まされないかもしれないが、彼女を救うためには安い代償だ。力を込めて容赦無く扉を蹴り飛ばした。

 

耐久値を大きく超えた衝撃を与えたことで見るも無残に変形し、レールから足が外れてあらぬ方向へと吹き飛ぶ。扉が無くなり、入口を覆う壁が取り去られて室内がより鮮明に見える。

 

遅かった、遅すぎた。

 

室内に広がる光景を見て真っ先に自分を責めた。

 

 

「ようやく捕まえた……よくも好き放題やってくれたなこの野郎」

 

 

本当に好き放題やってくれた、どれほどこちらが振り回されてたか分からないだろう。そして何よりどれだけ彼女が……ナギが傷付けられたかこいつらは知る由もないに違いない。

 

そこに罪悪感があるのなら決して人を傷つけることはしない。だがこいつらは罪悪感など微塵も感じさせず凶行に及んだ。

 

俺の大切な人をこいつらは……。

 

目線を下に移すと、床一面に幾多もの髪の毛が散らばっている。その髪の毛が誰のものであるかなどすぐに分かった。

 

 

「こ、これは……!」

 

 

俺の後を追うように部屋に入室してきたラウラも言葉を失う。無理もない、一人の人間を複数人で取り囲むようにして虐げていたのだから。昔のラウラなら弱肉強食の世界だと、取り合わなかったかもしれない。

 

だが今は違う。

 

常識では考えられない状況。ましてや自分が『姉』と慕う人物が虐げられていた一人だったなんて思いもよらなかっただろう。

 

一瞬、現状を受け入れられずに硬直するラウラだったが、やがて全てを悟ると表情がみるみる怒りの表情へと変わっていく。全てを引き起こしたのが周囲にいる上級生たちだと理解し、ギュッと拳を握り締めながら今にも飛び掛かりそうな剣幕で啖呵を切っていく。

 

 

「全部お前らがやったのかッ!!」

 

 

俺より前に出て上級生たちに詰め寄っていくラウラ。

 

ラウラの表情を見て場にいた上級生の何人が震え上がった。

 

相手はプロの軍人。もちろんラウラが軍人である事実を知る由など無いだろうが、小柄な体躯から発せられるオーラがただものではないと感じさせるに違いない。普段は軍人のオーラなど微塵も感じさせなくなったラウラだが、スイッチが入れば現役将校そのものだった。

 

ホルスターに手を掛け、中にしまってあるサバイバルナイフを今にも引き抜こうとする。

 

怒る気持ちはよく分かる……が、これ以上止めずにいたらヤバいか。本当に八つ裂きにしかねない。

 

今最優先なのは上級生たちを八つ裂きにすることではなくて、ナギの安否を確保することだ。

 

一歩前に出るとラウラの腕を掴み動きを静止させる。

 

 

「ラウラ、ちょっと待て」

 

「なっ、お兄ちゃん!? 離してくれ! こいつらはお姉ちゃんを!」

 

 

何故止めるんだと抗議してくるが、ラウラの今の気持ちは痛いほどに分かる。もしラウラが怒ってなければ俺が冷静ではいられなかっただろう。

 

 

「お前の気持ちはよく分かる! でも今必要なのはこんな奴らを叩きのめすことじゃなくて、ナギを助けることだ」

 

 

そこまで言ったところで頭が多少冷えたらしい。悔しそうな表情を浮かべながらも歩み寄る歩を止めた。

 

 

「……分かった」

 

「物分かりがよくて助かる。大丈夫、俺だって気持ちはラウラと同じだ。……後悪いが入口を塞いどいて貰えるか、逃げられたら面倒だ」

 

 

大人しくなったラウラの頭をくしゃくしゃと撫でると一つだけラウラにお願いをする。ここまできて取り逃したら苦労が全て水の泡となる。

 

一人残らず閉じ込めるように入口へと立たせ、四方八方塞がりの状況を作り上げた。逃げられるのは窓だけだが、ここから飛び降りるなど自殺行為に等しい。フック付きのロープのようなものを持ち合わせている様子もないようだし、万が一の用意は一切してこなかったらしい。

 

物事に絶対はない。

 

リスクを想定出来なければ、自分を追い詰める事態にならかもしれない。

 

が……仮に何か対策をしてきたとしても関係ない。全て力づくでへし折ってやる。

 

 

「……」

 

 

ラウラが入口に立ったことを確認すると、ゆっくりと窓際に向かって歩き始める。事の全てを見られたせいか、上級生たちも反抗する気はないようだ。

 

場所に相当な自信があったのだろう。絶対にバレないと思っていたことが簡単に覆されてぐぅの音も出ないようにも見える。

 

コツ、コツと一歩ずつ確実に間合いを詰めていく。やり返してこようとするのであれば、その時はこちらも実力行使に出るだけだ。この人数ならラウラ一人でも十分に食い止めることが出来るだろうし、最悪の場合は俺が助太刀することも出来る。

 

既に楯無にも全てを連絡していることからやがて部屋には来る。

 

多少なりとも時間を稼げればいい。このくだらなくつまらないお遊びはこれで打ち止め、ゲームセットだ。

 

長く感じた道のりもここまでだ。

 

しっかりとナギの姿を捉えると腰を落とし、肩を掴んでしっかりと彼女の瞳を見つめる。くりっとした大きな瞳、いつもは眩いまでの光を灯った輝きを見せているが、今回ばかりは肉体的にも精神的にもかなり参っていたのだろう。

 

どんのりと暗く弱々しいものだった。

 

当然だ。

 

ここ数日間に渡って繰り返される嫌がらせを誰にも相談することなく自分の中だけで解決しようと必死にもがき、耐えてきたのだ。常人であれば既に潰れているような仕打ちを我慢し、トレードマークでもあった美しい黒の長髪を失ったのだから明るく振る舞う方が無理に決まっている。

 

もう少し早く駆けつけていれば、気付けていれば彼女の髪だけは守ることが出来たかもしれない。

 

頭を撫でながら頬に手をやり、俺はそのまま首を垂れた。

 

 

「ごめん……俺が遅くなったばかりにこんなことになって」

 

 

一言目に出て来たのは謝罪の言葉だった。

 

ナギと二人きりで話した時に無理にでも聞き出しておけば、全てを未然に防ぐことが出来ただろう。もちろん守れたことも無いわけじゃないが、少なくとも長髪を失うことにはならなかったに違いない。

 

 

「ううん、大丈夫。私は大丈夫だから……私が何も話さなかったから、私が相談していればこんなことにはならなかったの。大和くんのせいじゃないよ……」

 

 

誰よりもショックを受けているのはナギのはず。

 

俺の謝罪に対して出来る限り優しくそして温かみのある言葉を選んで、決して俺は悪くないとフォローをして来た。

 

弱々しくもはにかむナギの姿に俺は何も言えなくなってしまう。座り込むナギの身体を引き寄せると、膝の裏に左手を入れ、同時に空いている右手を背中に回すと、そのままお姫様だっこの要領で持ち上げる。

 

 

「あ……」

 

 

いつもなら人前でこんなことをすれば赤面させて恥ずかしがるだろうが、もう恥ずかしがる余力すらナギには残されてなかった。悩み苦しみ抜いた数日間。

 

まともに寝られる日などほとんど無かったのは想像にた易い。抱きかかえたまま踵を返すと、再度入口に向かって歩き始めた。背後はガラ空きで無防備になるが、入口にいるラウラが見張ってくれている。俺一人なら襲われる可能性もあったが、誰かに見られてるともなれば手出しは出来ない。

 

入口まで運んだところでラウラが真っ先に駆け寄ってくる。

 

 

「お姉ちゃん……」

 

「ラウラさん……ごめんなさい。あの時冷たく突き放しちゃって」

 

 

ラウラに向けて発せられた言葉もまた謝罪だった。

 

数日前、挙動不審な反応をするナギに気が付いたラウラは何かあったのかを聞き出そうとするも放っておいて欲しいと突き放されてしまった。

 

今の反応を見るにキツく伝わってしまったことをナギ自身も認識しているようだ。もちろんナギにも突き放そうとする気は毛頭無かったのだが、気持ちにも余裕が無かったせいか、思った以上にキツく伝わってしまったのだろう。

 

唐突な謝罪にラウラは今にも泣き出しそうな顔を浮かべながら、違うと必死に否定する。

 

 

「謝る必要なんてない! お姉ちゃんは全然悪くないんだ!」

 

 

そう、悪いのはナギでもラウラでもない。

 

事の発端を起こした張本人たちが一番悪いに決まってる。

 

ナギを抱えたまま顔だけを後ろに向け、固まっている上級生たちに向けて言葉を投げ掛けた。

 

 

「そうさ、ナギもラウラも悪くない。悪いのは誰が見たって明らかだろうよ、お前たちは人の弱みにつけ込んだんだ!」

 

 

はっきりとそう断定出来る。

 

誰がどう考えたっていじめる奴が悪いに決まってる。

 

それ以上にかける言葉などなかった。

 

 

「や、大和くん……」

 

「ん? どうした?」

 

「これを……」

 

 

続け様に何かを言おうとしたところで、ナギが制服のポケットから何かを取り出し、それを俺のワイシャツのポケットへとしまう。今は両手が塞がってしまって何を渡されたのかは分からないが、重量や形状から想定するに携帯電話のように見えた。

 

自分の携帯電話をわざわざ俺に渡したってことは、この中に何か重要な手掛かりとなる何かが入っているのかもしれない。

 

 

「この中に全部入ってるから、良かったら使って」

 

「あぁ、分かったよ。ありがとうな、後のことは俺に任せて少し休め「大和っ!」っと、タイミングが良いことで」

 

 

時を同じくして室内に駆け込んでから楯無と遭遇した。

 

今ある仕事を全て放ってダッシュで駆けつけてくれたに違いない。額には薄らと汗を浮かべ、呼吸は荒く息も絶え絶えの状態だ。

 

 

「せ、生徒会長まで……」

 

 

ぼそりと背後から声が聞こえる。

 

まさか生徒会長まで駆けつけてくるとは思わなかったのだろう。また俺のことを名前で呼んだところをみて、俺と楯無の関係値が高いことをようやく認識したようだ。

 

 

「……なんなのこれは」

 

 

俺が抱きかかえるナギの姿を見て楯無の表情が曇る。楯無の想像以上に事大きくなったことで、理解が追いついていないようにも見えた。が、髪を無残にも切り裂かれ、衰弱したナギの姿を見れば自ずと結論は見える。

 

楯無の鋭い視線が背後にいる上級生……もとい同学年の生徒へと向く。ネクタイの色は黄色、俺やナギ、ラウラからすれば年上にあたるが楯無からすればタメだ。

 

 

「あなたたちが……っ!」

 

 

楯無の表情が怒りに染まっていく。

 

ここまでの事態にまで発展しているとは予想だにしなかったのか、ラウラと同じように今にも飛び掛かりそうな様相で睨み付けている。が、幸いなことに自分自身の感情を何とか制御しているようで、八つ裂きにしてしまうような雰囲気は無い。

 

ケリをつけるのならこのタイミングだろう。

 

 

「楯無、一つお願いがある。ラウラと一緒にナギのこと見てもらっていいか?」

 

「え、えぇ……大和はどうするの?」

 

「俺が全部終わらせる。お遊びはここまでだ」

 

 

壁際に立てかけるように座らせたナギのことを楯無とラウラに見てもらうように依頼する。

 

ここから取り逃がすなど万に一つもさせないつもりだが、絶対にありえないとは言い切れない。弱っているナギを人質に取られたら面倒なことになる。

 

念には念を。

 

最悪のケースを想定して二人を配置させ俺は再度上級生たちの方へと向き直る。

 

 

「さて、お前たちの将棋はもう詰んでいるわけだが……ここ数日間のやり取りで何かあるなら聞いておこうか」

 

 

極めて冷静を装いながら淡々とした口調で弁明があったら聞こうと声を掛けた。弁明をしたところで動かぬ証拠がいくつもあるのは事実。何を言ったところで言い逃れを出来ないように後ろは固めてある。

 

何かを感じ取ったのか、俺から逃げるように窓際へと逃げていく上級生たち。俺も逃すまいと窓際へと追い詰めていく。

 

 

「言うことが無いのならコレで終わりだ。あぁ、変なことしようと考えるなよ? もし考えているのならこっちは実力行使に出てでも止めるぞ」

 

「な、何だよ……やられた腹いせに私たちに何かをしようって魂胆か? そんなことしたらお前の立場が危うくなるんじゃないのか!」

 

 

ここでようやくリーダー格の生徒が口を開いた。

 

この世の中は女尊男卑思考が強い。

 

女性優位に物事は進むだろうし、彼女が多少権力を持っている人間なのであれば事実を捏造して逆転無罪を勝ち取れる可能性だってなくもない。

 

同時に俺がやった事実を捻じ曲げて垂れ込まれれば、世界中に俺の悪評を伝えることも出来る。

 

この時代のSNSの普及は著しい。

 

もし男性操縦者の片割れが問題を起こしたともなれば黙っていない団体も多数いるに違いない。そうなれば俺を危険因子として学園から排除させるようや動きも出てくる可能性もあった。

 

 

 

が、だからどうしたって言うんだ。

 

 

「くだらない脅しで俺が退くとでも思ったか? だとしたらお前の頭の中にはさぞかしお花畑なんだろうな。ここまで来て退くわけないだろ」

 

「何っ!?」

 

「常識をよく考えろ、それにお前たちがこの数日間にやっていたことの裏付けは既に取れている」

 

「何のことか分からないね。今日のことは確かに私たちがやったさ! 気に入らないからなぁ! でも以前のことについて私たちがやった証拠がどこにあるって言うんだい!」

 

 

この状況では先ほどまで及んでいた凶行を否定することは出来ないと悟ったか、全く悪びれる様子もなく開き直ったかのように認め始める。

 

頭を下げるわけでもなければ、謝罪の一つも入れるわけでもない。リーダー格の生徒は勿論のこと、周囲の生徒たちもどこか開き直ったかのようにケタケタと薄ら笑みを浮かべている。

 

その人を見下した態度。

 

罪悪感のかけらも無い腐り切った性根が俺の堪忍袋の緒をゆっくりとだが着実に引きちぎろうとしていた。

 

 

「はぁ……」

 

 

思わずため息が出る。

 

こんな奴らをまともな神経で相手する方が間違っていたと。

 

同じ人間として見る方が他の人間に失礼だったと。

 

 

「今日な、ナギがどっかの誰かに水入りのバケツでもぶつけられたんじゃないかってくらいずぶ濡れになって戻ってきたんだよ」

 

「え?」

 

 

俺の後方で誰かが小さく声を漏らす。

 

声の質からしてラウラか、何を思って声をあげたかなど今は気にしている暇はない。

 

 

「はぁ? そんなこと私らが知った話じゃない! 大体ソイツの朝の行動なんて把握出来るはずもないだろ」

 

「ほう……そうか」

 

 

そこまで聞いたところで疑念は確信に変わった。

 

今日の朝、ナギに水入りのバケツをぶちまけたのはコイツらだったことが。

 

 

「ふぅ……もしかして自爆するんじゃ無いかと思ってたけど、ここまで台本通りにやらかしてくれるだなんてこっちとしては願ったり叶ったりだ。ホントお前たちの考え方があまりにも浅はかで助かったわ」

 

「何だと!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……俺が言ったことよーく思い返してみろ。今の会話の出来事が『朝』起きたことだなんて一言も言ってねーぞ」

 

 

俺の確信めいた一言に言葉を失う。

 

ナギが水を被ったかのように濡れている事実は伝えたものの、明確な時間帯までは伝えていない。

 

本来であればいつ起きたかなんてのはクラスメートならまだしも、他クラスの……ましてや別の学年の人間が知っているのはおかしな話。いつ何処で仕入れた情報なのかと更に問い詰めていく。

 

 

「確かにナギがずぶ濡れになったとは言ったが……何故朝起きたことだって知っている? 明確な時間を言ったつもりは無いんだが?」

 

「だ、だからそれは……お前たちのクラスメートから!」

 

「クラスメート? 俺が誰にも言わないように口止めをしていたんだが、お前はウチのクラスのどいつにその話を聞いたんだ?」

 

「知らねーよ! 偶々誰かが話しているのを聞いたんだ!」

 

「偶々……ねぇ」

 

 

偶々聞いていた、か。

 

なるほど、そう言われると誰が話していたかは特定出来なくなる。偶然通りかかった際に聞いたのなら、ウチのクラスの誰が話していたかなんて分かるはずもない。

 

同じ部活にでも所属していない限り、クラスの人間と関わりを持つことはそうそう無いだろう。

 

本当に誰が口を漏らしていたとしたら話の辻褄も合わなくはない。

 

誰かが話しているのを聞いた可能性も十分に考えられた。

 

 

 

……もし今の話が本当だったとしたら、の話だがな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だとしたらソイツはますますおかしいな。そもそも起きてもいない、知りもしない情報をどうやって話すのか説明して欲しい」

 

「なっ、何だと!?」

 

「悪いが今の話は半分以上でっち上げだからクラスメートがそんな話をするハズがないんだ」

 

 

俺が教室で見たナギはあくまで靴底が湿っているだけで、全身がずぶ濡れになっているわけではなかった。

 

当然、気付いたのは俺だけで他のクラスメートたちがその事実を知るわけがない。加えて俺はこのことを誰にも話してはいない、もちろんラウラにもだ。

 

だから他のクラスメートから聞いた、なんて話はありえるハズがない。俺が逃れられないように吹いた大袈裟なホラにまんまと引っかかり、まんまとやった張本人でしか分からない情報を暴露した。

 

 

「さて、お前たちは誰から何を聞いたんだろうな」

 

「……」

 

 

顔を真っ青にさせながらついには何も言い返せなくなる。言い返させる気など毛頭ない。言い逃れが出来ないように外堀を着実に埋めたのだから。

 

もっとも、これで認めないなら確固たる証拠を提示しようと思っていた。

 

 

一つ目は俺が放課後に職員室付近の吹き抜け廊下で録音した音声データ。死角になっていたせいで表情を撮ることは叶わなかったが、声だけはしっかりと録音することに成功した。

 

話の内容は午前中にトイレで誰かに水入りのバケツを投げ付けたというもの。

 

今のやり取りで言質は取れたし、合わせて声聞鑑定にでも出せば即座にこの中にいる誰かと一致するだろう。

 

 

二つ目、ナギから手渡された携帯電話に入っているデータ。

 

わざわざあのタイミングで俺に渡してきたのだから、何らかの情報が携帯電話の中に入っていると想定される。音声なのか映像なのか画像なのか何のデータが入っているかは分からないが、蓋を開けて中身を確認すれば全て明らかになる。

 

自分で解決しようとナギも頑張ったに違いない。だがそのデータを提示する前に、今回の事態に巻き込まれた……そう考えるとふつふつと湧き上がってくるのは怒りのみだった。

 

 

 

 

 

そして三つ目。

 

俺たちはナギに危害を加える人物を特定するために証拠をどうしても押さえたかった。

 

実はナギの挙動がおかしくなった日の夜、俺は楯無から相談を受けていた。ナギが特定の人間から虐めを受けている可能性があると。楯無も現場を見たとはいうものの、楯無の存在に気付いた一同は即座に去ってしまったという。

 

これでは状況証拠が掴めない。

 

ナギの性格上簡単に口を割らないのは分かっていたから、こちらで証拠を探し出す必要があった。ナギに対して危害を加え続けているという逃れられない証拠が。

 

その機会は思わぬ形で巡ってくることになる。

 

 

「俺はナギに誰かが危害を加えていると踏んで、情報を引き出すために屋上に呼び出したんだ。おかしいと思わなかったか? 虐められている可能性のある人間を態々一人で教室に帰すだなんて」

 

「っ!?」

 

上級生たちには心当たりがあるようだ。

 

屋上でナギの安否の確認をした際に入口付近に点在するいくつかの気配を察知した。授業の前に屋上に来るような物好きな人間など早々いるもんじゃない。

 

息を潜めてこちらの様子を伺っている……少なからず好意的な気配では無いと即座に断定した。

 

多少なりとも危険な賭けだったのは間違いない。

 

俺はあえてナギを一人で教室に帰す選択をした。

 

 

「想像通りお前たちは引っかかってくれた。まさか教室に戻っている最中に本人と入れ替わっているだなんて思いも寄らなかっただろう」

 

「ど、どういうことだ!?」

 

「言葉通りの意味だ。お前たちが追い掛けたのはナギであってナギじゃ無い。別人だったんだよ」

 

 

ナギが屋上を去った瞬間に俺は楯無へと電話を掛けた。周囲に気付かれないようにナギを匿ってくれと。教室へと戻る道中、曲がり角の死角を利用してナギを捕まえた。何事かとナギも一瞬驚くも、声を出さないようにと念を押されて何も分からず楯無の指示に従って近くの教室に匿われる。

 

ナギを一時的に匿うと同時に、楯無の専用機であるミステリアス・レイディの能力を使ってナギそっくりに見立てた分身体を作り上げ、分身体をトイレへと向かわせた。

 

 

「お前たちに一生分かることはないだろう。そして今日を最後にお前らはこの学園に足を踏み入れることはない。お前たちの場合はそこに加えて暴行に恐喝……いくつ罪状がつくか楽しみだ」

 

 

後は想像通り。

 

トイレの個室で分身体を解除し、そこに後をつけていた生徒が水を掛ける。

 

生徒たちが去った頃合いを見計らいって楯無はナギを解放。

 

ナギの靴が湿っていたのは、実際にトイレに寄って水浸しの床を踏んだから。水が入ったバケツを掛けたともなれば、相当な量の水を使うことになる。天井近くから落ちた水は床タイルに落ちた衝撃で四方八方に飛び散り、あっという間に水浸しを作り上げる。

 

そこをナギが踏んでしまった。

 

それだけのことだ。

 

 

さらりと言ってしまったが許可のないIS展開は禁じられている。

 

今回の行為はバッチリと禁止事項に接触しているが、こんな時こそこの言葉が相応しいのかもしれない。

 

 

「悪さするんなら誰にもバレないようにうまくやれってな……まぁ、お前たちが証跡を残さずに事を運ぶ頭があるのであれば、こんな馬鹿げたことをしてすらいないんだろうが。結局のところ、全員揃ってその程度の人間だったんだろう」

 

 

まともな思考を持ってさえいれば大人数で一人を虐めるなんてことはしない。常識的な判断が出来ない以上、人として大切な何かを失ってしまった。

 

哀れな人間であるといった見解しか俺には出来なかった。

 

項垂れ、これからの未来を想像して膝をつき絶望する。

 

 

「……いいか、これからまともな生活が送れると思うなよ。俺の大切な人間を手にかけたこと、心の奥底から後悔させてやる。せいぜい楽しみにしておけ」

 

 

今更後悔したところで遅い。

 

もう取り返しのないレベルまで堕ちた人間を救う術はない、救いたくもない、救おうとも思わない。

 

軽蔑を含む視線で全員を睨み付ける。

 

 

「謝ったところでナギの負った心の傷は治らない。一生掛けて償って行くんだな」

 

 

これ以上相手をしていたら反吐が出てくる。

 

もう顔も見たくない。

 

俺の堪忍袋の尾が切れる前に強引に話を終わらせ背を向ける。

 

 

「ふん……選ばれた人間だからってエリート気取りか」

 

 

背後から何かが聞こえる。

 

上級生の誰かが話したいるのだろう、今となってはどうでもいいことだった。

 

 

「こんなことならもっと痛い目見せて後悔させてやれば良かったな……」

 

 

相手にするだけ無駄だ。

 

相手にすればつけ上がるだけだ。調子づかせたところで、こちらには何のメリットもない。

 

当たり前の話にはなるんだろうが、こいつらは人の神経を逆撫ですることが大好きなようだ。

 

 

「もう良いや、どうせこの学園に居られなくなるんだ」

 

 

人にとって絶対に言われたくない、言ってはならないことはある。特にセンシティブな内容であれば尚更そう思うことだろう。

 

このままであればくだらない戯言を言っているな、くらいの感覚で俺も目を瞑ろうかと考えていた。

 

だがどうやらそうは問屋が下さないみたいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ここまで来たらもう何をやっても変わらないし、暴れるだけ暴れまわって一人くらい殺してやろうか。全員でかかればあの弱ってるやつなら速攻で片付きそうだし」

 

 

そう呟かれた瞬間、俺の頭の中で何かが弾けるような気がした。

 

気が付けば身体は動いていた。自分でも何を考えているのか分からなくなる。

 

目の前にいるコイツらはなんだ。

 

俺の大切な人を手に掛けようとするコイツらはなんだ。

 

俺にとって邪魔でしかない存在。

 

俺の大切な人の安全を脅かす存在。

 

居たら害になるような人間などいらない。

 

大切なモノを平気で傷つけるような奴は消えて無くなれば良い。

 

でも目の前にいる奴らは自ら消えようとしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーダッタラ、ハイジョスレバイイジャナイカ。

 

自分の心の奥底に仕舞い込み、眠らせていたドス黒い感情があらわになると同時に俺は右手を振り上げ、すぐ隣にあった授業用の机に向かって振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 

プレス機が物体を押しつぶす時のような轟音とともに、強固な作りの生徒用の机が破壊される。

 

机の上にぶつけた拳を支点として机が折り曲がり、衝撃に耐え切れなかった貴金属たちは真っ二つに折れ、金属を固定していたボルトたちはあり得ない方向に曲がってしまっていた。

 

何が起きたかなど分からなかっただろう。上級生たちの瞳に飛び込んできたのは、普段使っている机がみるも無残に破壊されたという事実。

 

一体机にどれだけの力がかかったのかなんて計り知れないはず。机が壊れる風景なんて日常で見ることなど出来ないのだから。

 

 

「あっ……あっ……」

 

 

場にいた上級生のうちの何人かはあまりの衝撃と、俺が全力でぶつけた殺気に気絶。

 

残った上級生もガタガタと震えながら腰を抜かすか、涙を流しながら俺のことを見つめる。今の一撃が自分の人体に当たっていたらと想像したのかもしれない。

 

もし仮に当たっていたとしたらとんでもないことになっている。だがそんなことは俺にとってはどうだっていい。コイツらは何も感じちゃいない、自分たちがした愚かな行為を反省、謝罪するどころか開き直りやがった。

 

挙句の果てに殺しとけば良かっただと。

 

冗談じゃない。

 

 

 

 

 

 

 

「……マジで一回死んでみるか、あぁ?」

 

 

自分でも驚くくらいに低く冷たい声だったと思う。

 

人の命はおもちゃじゃない。

 

決して変えのきかない唯一無二のもの。

 

それを気安く殺すだと?

 

……ふざけるなよ。

 

 

「手が滑って狙いが机になっちまったな……本当だったら今の一撃をお前たちのその腐った脳天に叩き込んでやりたいくらいだ」

 

 

自分が今どのような表情をしているのかなんて分からない。だが、腰を抜かす姿を見る限り、さぞかし恐ろしい表情を浮かべているんだろう。

 

こんな奴らに……こんな奴らに散々振り回され、耐えてに耐えて。挙げ句の果てに大切な髪まで失ったナギがあまりに不憫に思えて仕方がなかった。

 

 

一歩踏み込むと、へたり込んでいるリーダー格の女性の肩を掴んで強引に立たせる。

 

恐怖のあまりガタガタと体は震えて顔は歪み、瞳からは涙が溢れてきた。まるで化け物でも見るかのような恐怖に怯えた雰囲気に俺は容赦なく言葉を続けていく。

 

 

「悪いが俺は一夏みたいに寛容で優しい人間なんかじゃない。自分でも嫌になるくらいにドス黒い人間なんだよ」

 

 

黒い感情を押し殺して偽っている自分が嫌になる。

 

本音を曝け出せば俺もこんな残虐な人間だったのかと、自分でそう認識すると吐き気がする。

 

 

「さて……お前が今日までナギにしたこと以上にいたぶってやっても良いんだ。こんなところに来る生徒や教師なんか滅多にいやしないし、証拠もなければバレることはない。この時代証拠がなければ立証なんか出来ないことくらい分かるだろ」

 

 

助けなんか求めたところで誰も来やしない。

 

楯無もラウラも俺の協力者だ。

 

慈悲など必要ない。

 

視線を足下に向けると裁ちばさみが転がっているのを確認した。

 

取手側を思い切り踏みつけると反動でくるくると回転しながら宙に浮く。刃先を握らないように掴むと先端を首元に押し当てた。

 

 

「ひっ……!」

 

 

声にならない悲鳴を上げる。

 

女生徒の反応から死と隣り合わせになることなど今までなかったことが容易に想像出来た。苦し紛れの冗談半分で呟いたのかもしれないが、どんな状況であったとしても言葉として発言したのは事実。

 

先端が皮膚に食い込まないギリギリの場所まで近付けながら、殺意を全面に出して睨み付けた。あと少しでも力を込めれば皮膚の薄い首元など簡単に貫通する。

 

 

「お前の、お前たちのくだらない行為のせいで俺の大切なパートナーが傷付いた。その報いは受けるべきだ。お望みなら一思いにやってやろうか?」

 

「やめっ……あっ……」

 

 

そこまで言い掛けたところで女生徒の視点がぐるりと暗転する。涙をたらし、鼻や口から液体が溢れ出る様相はとても他の人間に見せられるような光景では無かった。

 

 

「……気絶したか、たあいもない」

 

 

力の抜けた身体が重力に任せて地面へと崩れ落ちるが、咄嗟の判断で身体を支える。このまま倒れれば何処かに頭をぶつけているかもしれない。打ち所が悪ければ大事故に繋がる可能性もあった。

 

自分にとって憎い相手を助ける必要なんてない。

 

どうなろうが知ったことではないと思っていても身体は動いてしまった。

 

復讐は何も生まない。

 

ここで俺が手を加えたところでただの憂さ晴らしにしかならない。そう思うとすぅっと身体の中から負の感情が抜けていくのを感じた。冷静な思考回路が働くようになってようやく正常な判断が出来るようになる。

 

何のためにこんなことをしているのか、同時にただの虚しさしか残らなかった。

 

壁に気絶した女生徒を立てかけるとハッキリと意識のある生徒たちに向かって伝える。

 

「この際だから言っておく。俺の大切なモノを傷付ける奴はどんな奴だろうが許さない。お前たちがどんな処罰になるかなんて知ったこっちゃないが、次ナギに手を出してみろ! 今度は遠慮なくぶっ潰す!!!」

 

 

残れる可能性などゼロに等しい。

 

ここまで大事を起こしておいて学園に残れる選択肢があるのか甚だ疑問だ。

下手をすれば学園を追い出された後も後ろ指を刺される生活を送り続けることになるかもしれない。

 

だが一切の同情はなかった。同情の気持ちすら湧いてこなかった。

 

ピシャリと言い放った言葉に対し、涙を流しながら無言で頷く上級生たち。心の底から後悔しているようにも見えるが、全てが終わった今となっては正直どうでもいい。

 

 

「お兄ちゃん……」

 

「大和、後のことは私たちに任せて。アナタにはナギちゃんを運んで欲しいの」

 

「……分かった」

 

 

ラウラも楯無も俺の気分の沈み様を悟ったらしく、多くを語りかけようとはしなかった。

 

入口付近に座りながら、いつの間にか眠りに落ちていたナギの顔を覗き込んだ。全てが終わり肩の荷が下りたようで、浮かべる表情は安らかそのもの。ここ数日間まともな睡眠など取れるはずもなく、一気に疲れが押し寄せたに違いない。身体を多少揺すっても起きる素振りはなかった。

 

しばらくの間は眠り続けることだろう。

 

……本当、よく頑張ったよな。

 

 

「二人ともすまない。後のことは任せた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナギを抱きかかえて一人室内を後にする。

 

下校中の生徒もまだいるだろうし、あまり人目に見られないように帰るとしよう。腕の中で眠るナギが無意識のうちにそっと俺の首へと手を回す。

 

彼女の安らかな吐息と、安心したかのような寝顔が全ての終わりを告げていた。



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回顧

(あれ……私IS学園にいたはずじゃ)

 

 

ゆっくりと目を開いた先に広がる風景。

 

つい先ほどまで自分はIS学園にいたはずだが、ナギの瞳に映る風景はIS学園とは全く関係のない別の建物だった。今自分はどこにいるのだろうと思考を巡らせながら改めて周囲を見渡す。

 

汚れでくすんだ壁はどこか年季を感じさせ、至る所に工作の授業で創作したかのような絵画や書道作品が展示されている。同じように展示されている資料も『平仮名表記』が多く、まるで小学生でも読めるような文ばかり。

 

一体どこに来てしまったのだろうか。考えを巡らせるナギはやがて一つの結論へと辿り着く。

 

 

(ここ……どこかで見覚えがあると思ったら昔私が通ってた小学校? でもどうしてこんなところにいるんだろう)

 

 

確か上級生たちに倉庫のような場所へ呼び出されていたはず。

 

そこで何度も何度も罵声を浴びせられ、態度が気に入らないからと挙げ句の果てには伸ばし続けていた髪まで切られた。

 

 

(そうだ、確か大和くんが助けに来てくれて……そしたら私安心して)

 

 

絶体絶命のピンチに大和が駆けつけてくれたことは覚えているが、全てが終わったことに安堵して気を失ってしまっていた。瞬間移動でもしたのかと一瞬思うも、人体の構造上、科学の進歩状況から見ても非現実すぎて有り得ない。

 

気を失っているということは自分が見ているこの風景は。

 

 

(夢、なのかな)

 

 

今見ているもの全てが夢だと考えれば納得がいく。

 

それにしても中々懐かしい夢を見ているものだ。小学校を卒業したのは今から数年前、当時は早く大人になりたいだなんて思っていたが、時の流れは早いもので既に高校生。

 

後四年もすれば成人を迎えることになる。

 

小学生当時は小柄だった身長もすくすくと伸び、合わせて大人の女性の象徴とも呼べる部分も成長してきた。数年前の出来事が昔のことだと思えるようになった辺り、確実に歳を取っている証拠なのだろう。

 

 

「やーい! 悔しかったら言い返してみろよー!」

 

「うまく話せないのかよウジ虫〜! お前の口は何のためにあるんだよー」

 

 

過去を懐かしむナギの耳に二人の声が響き渡る。かなり大きな声だったため、声の出所はすぐ近くだということが分かった。

 

 

(今の声、この教室からかな?)

 

 

会話の内容から察するに誰かをからかっているように見える。即座に声の発信地を特定すると、教室に備え付けられている小窓から中の様子を伺う。

 

教室の中には二人の少年と一人の少女の姿が見えた。室内にある机や椅子が全て後方に下げられていることから教室の掃除をしている最中なのだろう。

 

三人を除いて生徒たちが誰も居ないところを見ると、時間帯的には放課後にあたるようだ。

 

 

「あ、あの……掃除……一人じゃ、終わらないから……」

 

 

ショートカットの女の子が、二人の男子に掃除を手伝って貰うように懇願している。何をされるか分からない恐怖からかビクビクと体を震わせ、目尻に涙を溜めながらも何とか掃除を手伝って貰おうと必死に言葉を伝えていた。

 

二人の少年は如何にもいいとこ育ちのおぼっちゃまをリアルに体現したかのような容姿で、年齢は相応に髪型は七三分け。着ている服もドレスコードでもしているかのような中々にグレードの高いものを着用していた。

 

 

「うるせーなー! お前みたいな暗いやつなんかと掃除してたらバカにされるだろ!」

 

「一人でやっとけよ掃除くらい! お前と一緒にされる俺たちの身にもなれよ面倒せー!」

 

「で、でもこの教室を一人で掃除してたら終わらな「黙れよ!」……ひっ!?」

 

 

続け様に何かを話そうとした矢先に強い口調で脅されて瞬間的自己防衛機能が働き、手を前に出して自らを守ろうとする。

 

彼女のやることなすこと全てが気に入らないらしい。イラつきを微塵も隠すことなく近づいていくと、力任せに身体を突き飛ばした。

 

 

「きゃっ!」

 

 

突き飛ばされた反動で少女は後方へと尻持ちをつく。床から伝わってくる衝撃と痛みが伝わり苦悶の表情へと変わる。

 

 

「う……ううっ……」

 

 

頭を我慢出来ずに少女の双眼からは銀色の滴が溢れ出てきた。頬を伝う涙が床を濡らしていく。何とかせき止めようと必死に目尻を押さえるも、一度決壊した涙腺は中々元に戻らない。

 

辛いと思えば思うほどに涙の量は増えていく。理不尽に振るわれる暴力を受け流せるほど少女はまだ強くない。

 

痛い、辛い、悲しい。

 

負の感情ばかりが先行して何も出来なくなる。ただひたすらにこみ上げてくる涙を流すことしかできず、何度も何度も涙を拭った。顔は涙でくしゃくしゃになり、目尻は涙を拭ったせいで真っ赤になっている。

 

何で自分ばかりがこんな仕打ちを受けなければならないのか。あまりにも理不尽な現実に嘆くも受け入れるしかなかった。

 

強いものが上に立つ。逆に弱きものは強きものに従う。

 

学生生活の中で自然に形成された上下関係そのものだった。

 

 

「コイツ泣いてやがるぜ」

 

「だっせーな! これくらいのことで泣くなんて流石ウジ虫!」

 

「「はははっ!!」」

 

 

泣き出す少女を指差して嘲笑う二人の男子。

 

いじめに対する分別が付かず、少女の気持ちなど到底理解出来ないことだろう。同学年であり、同じ学舎にいる以上立場もへったくれもないにも関わらず、少女よりも強いし立場が上だという優越感に浸り、根拠のない自信を持つ。

 

分かり切っていたことだとしても少女は歯向かうことが出来ず泣き続けるばかり。

 

 

教室内での一部始終を廊下の窓から覗くナギはあることに気付く。

 

二人の少年と一人の少女、どちらの姿にも見覚えがあった。

 

 

(これ……小学生の時の私?)

 

 

忘れかけていた懐かしい思い出、同時に思い出したくもない思い出。

 

脳内に眠る数々の思い出の中の一つ。その一部始終が目の前に広がっていた。

 

元々あまり積極的ではなく人見知りする性格のナギ。自己主張が出来ない、そして上手く人とコミュニケーションが取れない性格が災いし、いじめの中心にいる男子に目をつけられて定期的に嫌がらせを受けていた。

 

 

(ホント、この時は学校なんて行きたくなかったなぁ)

 

 

成長してから初めて分かる当時の心境。複雑な思いが交差して苦笑いを浮かべながら室内の様子を伺う。何故自分ばかりが辛い思いをしなければならないのかと、毎日毎日繰り返される嫌がらせの数々を耐える日々。

 

そこに楽しい思い出なんて何一つなかった。何度も何度も頭の中で相手を殺した。

 

絶対にいつか仕返ししてやると。

 

今となっては懐かしい青春の一コマくらいの認識で終わるかもしれないが、当時の自分に聞いたら何を呑気なことを言っているのかと一喝されることだろう。

 

 

(でも記憶通りならこの後助けてもらったんだよね)

 

 

室内を見つめながら何かを考え込むナギだが、そうこうしている内に中の様子また慌ただしく変わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前誰だよ、ウチのクラスじゃねーだろ! 勝手に人のクラスに入っちゃダメなんだぞ!」

 

「……」

 

「無視すんじゃねーよ!」

 

 

今度はどこからともなく現れたもう一人の少年。先にいた少年二人は急な生徒の登場に驚くも、見覚えのない生徒であることから自分たちとは別のクラスの生徒になる。

 

小学生あるあるで間違って別のクラスにきた人間に対して『ここお前のクラスじゃねーから』的な感じでからかうことがある。加えて何の用件もなくクラスに入ってはいけないという、よく分からない暗黙のルールまであるくらいだ。

 

そんな周囲などお構いなしに無愛想で表情一つ変えないまま、幼少期のナギの元へと歩み寄ると、何も言わずにそっと手を差し出した。

 

 

「ふぇ……?」

 

 

状況が理解出来ず、どこか間の抜けた声を出すナギ。少年はただじっとナギのことを見つめながら手を伸ばし続ける。まるで早く掴んでくれと言わんばかりに。

 

 

「立てるか?」

 

 

このまま固まっていられるのも困ると判断したようで、一言だけ声を投げ掛ける。

 

 

「う……うん」

 

 

困惑しながらもおずおずと差し出された手を握り返すと、見計らったように少年は力を込めてナギを立たせた。

 

無事に立ち上がったことを確認すると、少年は今度は二人組の方へと振り向く。

 

今まで誰かに反発されたことなど無かったのだろう。自分たちのことなどさぞかしどうでも良いと言わんばかりの少年の態度に、苛立ちを隠すことなく言葉を続ける。

 

 

「お前こんなウジ虫庇うのかよ」

 

「さぁ、どっちがウジ虫だろうな。お前たちのイジメに耐えてきたこの子の方がよっぽど人間として出来ているように思うけど」

 

 

冷静に淡々と、興味なさげに正論を吐き捨てる姿に言い返すことが出来ないのか、負け犬の遠吠えにも似たような言葉を言い返す。

 

 

「お、お前! 俺らに楯突いたらタダじゃ済まないからな!」

 

「勝手にしろ。俺はただ、お前たちがこの子にすることが許せないだけだ」

 

 

言い返したところで何一つ響かなかった。他の奴らは同じようなことを言っておけばすぐにごめんなさいと平伏してくる。毎回その姿があまりにも滑稽で優越感に浸る方が出来た。

 

自分は権力者の息子なんだ、と。実際に少年の父親はこの学校を運営するために多大なる援助をしており、多数の事業を手掛けている実業家でもある。現に彼の父親には向かう保護者はおらず、教師たちも父親の資金援助のおかげで運営が賄えていることを知っているため、下手なことを言えずダボハゼのように言われたことを言われたようにやるのみ。

 

例えそれが理不尽で間違ったことだったとしてもだ。

 

この少年は自分のことを知らないのか、それともそれ以上の権力者とでもいうのか一切怯む様子もなく飄々としている。

 

気に入らない。

 

コイツだけ自分の言いなりにならないなんてあり得ない。

 

絶対に服従させてやる。

 

怒りに支配された少年に既に周囲は見えていなかった。

 

 

「このっ……! やれぇっ!!」

 

 

一気に相手目掛けて飛びかかる。組みついて話組み伏せようとするも、力が強いのか中々倒すことが出来ない。そうこうしている間に足をかけられて、自分がうつ伏せのまま床に倒される。

 

 

「ぐぇっ!?」

 

 

痛々しい音と共に盛大に顔面着地を見せつけてくれた。顔を押さえて床にのたうち回る。

 

 

「このっ!」

 

 

同時に飛びかかってきたもう一人の少年は死角から腕を振り、ナギの前に立つ少年の頬を張った。パチンという音と共に当たった場所が悪かったのか口元付近から流血し、ポタポタと床に血が滴る。

 

痛みがない訳がないのだろうがそれでも怯む様子もなく、頬を張った少年の腕をしっかりと掴むと相手の間合いに背を向けて潜り込み、小さく背を丸めて背中に相手の体を乗せる。そのまま腕を引きながら背中を軽く上昇させると、遠心力で小さな身体はいとも簡単に宙に浮く。

 

何が何だか分からぬまま視界が反転したかと思うと、背中から勢いよく床に叩きつけられた。

 

 

「ガッ……ハッ!?」

 

 

全身に走る痛みと共に、肺の中から酸素が強制的に吐き出されて呼吸が出来なくなる。何とか動き出そうとうつ伏せになると、酸素を取り入れようと繰り返し空気を吸おうとする。ようやく顔面の痛みから解放されたようで、転ばされた少年は顔を押さえながら悔しそうに立ち上がった。

 

 

「これ以上やるなら本当に容赦しないけど……まだやるか?」

 

「くそ、覚えとけよ! おい行くぞ!」

 

 

うつ伏せになっている少年の手を引くと、力任せに教室の入口へと連れて行く。教室から出て行ったことを確認すると、少年は大きく溜息を吐いた。

 

 

「ふぅ……上手く行った。意外に何とかなるもんだな」

 

「あ、あの……あなたは?」

 

「あぁ、ごめんごめん。突き飛ばされていたみたいだけど怪我はない?」

 

 

すっかり声を掛けているのを忘れていた少年は、再度ナギの方へと振り向くと彼女の身を案じた。

 

 

「う、うん。私は大丈夫だけど、あなたの方が……」

 

「ん? あぁ、これか。これくらい唾付けとけば治るよ」

 

 

このくらいの怪我なんて日常茶飯事だと言わんばかりに口元を押さえる。叩かれた時に相手の爪が食い込んでしまったようで、頬も擦りむいたような痕が残っていた。

 

 

「そ、それはダメ……あの、バイ菌が入っちゃうから……こ、これ良かったら使って」

 

「ありがとう、でも本当に使って良いのか?」

 

「うん。だって怪我してるし……」

 

「ならお言葉に甘えて。後は一人で大丈夫……じゃないよな」

 

 

苦笑いを浮かべる少年の先に映るのは教室の後方に下げられた座席の山だった。掃除は一切進んでおらず、まだ床の至る所にホコリが溜まっている様子が見受けられる。そして掃除が終わったら今度は机を元に戻さなければならない。

 

一クラス数十人と仮定すると、誰がどう考えたところで一人で終えられるような作業量では無かった。先ほどの二人組は教室の外に出て行ってしまったため、今日戻ってくることはないだろう。

 

教室に残っているのはナギだけになる。女の子一人でこの量の作業をするとなると、夕方になっても終わらないかもしれない。

 

 

「一人じゃ大変だし、俺も手伝うよ。床履き終わって水拭きしたら机戻せば良いよな?」

 

「それで大丈夫だけど……どうしてあなたは私のことを助けてくれるの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「え? うーん、何だろう。助けることに理由なんていらないんじゃないないか?」

 

「……」

 

 

ナギは呆気に取られていた。

 

助けたことに理由なんか無いと言い切ったこの少年は何なのか。

 

今まで担任の教師に頼み込んでも何一つ改善してくれなかったというのに、救ってくれた少年は助けることに理由は無いとハッキリと言う。

 

変な感覚だった。でも不思議と悪い感じはしなかった。

 

 

「さぁ、さっさと終わらせて帰ろうぜ。帰り遅くなったらお父さんお母さん、心配するだろ?」

 

「あ……うん」

 

 

奇妙な感覚のまま再び掃除を再開する。

 

その様子を教室の外から見守っていたナギもまた妙な感覚に陥っていた。

 

 

(あの男の子名前何て言うんだっけ……聞いてなかったのかな。思い出せないや……)

 

 

助けてくれた少年の名前を思い出せない。

 

どれだけ記憶を振り返ってもその少年の名前は出てこない。それどころか以降にわたって一度もその少年に会った記憶が無かった。つまりこの時だけに会ったということになる。

 

 

(あの男の子今どうしてるのかな……)

 

 

ただお礼も言えずに終わってしまったとなると、もう一度あってしっかりとお礼をしたい。

 

 

(あれ……視界が)

 

 

ナギの視界がボヤけ始めた。

 

どうやら自分の意識が覚醒に向かっているらしい。徐々に瞳に映る風景にモヤがかかって行く。

 

 

(……え?)

 

 

掃除をしている少年の目が合う。

 

確実に少年の目はこちらを見つめていた。どこか見覚えのある得意げにニヤリと笑う姿を最後にナギは意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

目を開けると映り込んできたのは黄金色に光る白の天井だった。眠っている間に寮の自室まで戻ってきたようだ。

 

今何時なのかどれくらい寝ていたのかは分からないが、顔を窓際に向けてカーテンの隙間から覗く闇を見る限りは夜になっているらしい。

 

 

(夢……だったんだよね)

 

 

改めて先ほどまで見ていた光景は全て夢だったことを悟る。ここ数日間の中では幾分体も軽く頭の中もスッキリとしていた。

 

少し寝て身体に体力が戻ったみたいだ。

 

とはいえいつまでも寝ているわけにも行かない。

 

制服の上着は脱がせてくれたようだが、ワイシャツとスカートは履いたまま。このまま履いていたら両方ともシワまみれになってしまう。

 

一旦部屋着に着替えようと身体を腹筋の要領で起こしたところで、ベッドのすぐ横にいる人物の存在に気付いた。

 

 

「えっ……大和くん?」

 

 

自身が寝ているベッドのすぐ横に椅子を置いて座っている見覚えのある姿。

 

身体の前で腕を組んだまま背もたれに体重を掛けるようにして何度も小刻みに身体を動かしている。あらわになっている片目は閉じており、現在進行形で眠りについていることが分かった。

 

どうしてここに大和がいるのだろう。

 

その疑問はすぐに晴れることとなった。

 

 

(よく見たら家具の配置や置いてあるものが違う……じゃあ私のいる場所って大和くんの部屋?)

 

 

ナギがいる部屋が自身の部屋ではなく、大和の部屋に寝かされていたことに気がつく。精神的にも肉体的にも疲労がマックスだったナギは倉庫で気を失うように眠りについた後、全てを解決した大和が学校から寮まで運んできてくれたことを理解した。自室ではないのは同居しているルームメイトがいるからだろう。

 

今の自分の姿を見れば何事かと変に気を遣うことになる。バッサリと無造作に切り落とされた髪の毛を見ればより混乱を招きかねない。

 

混乱を最小限に抑えるために一度自分の部屋へと運び、目が覚め次第部屋に戻すつもりだったと考えればある程度は納得が行く。

 

 

「寝ちゃってる……そうだよね」

 

 

ここからIS学園はそこまで遠くは無いだろうが、それでも人一人を抱えたまま戻ってくるのは中々の重労働になる。加えてここ数日間、ナギと同様に大和自身も心も体も休まる日は無かった。

 

仕事上、寝ないで働くことはあるものの、寝れなかったり睡眠時間が短ければ自ずと身体に疲労は蓄積されて行く。一区切りついて疲れが一気に出たとすれば無理もない。

 

 

「……大和くん」

 

 

布団から出て四つん這いのまま近づくと、彼の頬を優しくなぞる。寝ているから名前を呼ぶナギの声が聞こえるはずもない。すやすやと小さな寝息を立てる姿は普段自分が見ている人物とは思えないほど幼く見えた。

 

結局自分の力だけで解決が出来なかった。最終的に大和だけではなく、楯無やラウラにも同様に巻き込み、迷惑を掛けてしまった。

 

 

「いつもいつも……本当にありがとう」

 

 

今回も自分を窮地から救ってくれた恩人に感謝の言葉を伝える。両手で大和の頭を抱えると、そっと自分の頭を近づけておでこを大和のおでこにくっ付けた。

 

 

「うん……うん?」

 

「あっ」

 

 

おでこをつけた瞬間に大和と目が合う。

 

瞬間的に体温の上昇を感じ、パッと大和から離れた。

 

 

「ふわぁぁあ……あれ、ごめん。俺もしかして寝てたか?」

 

「あ、うん。寝てたと……思うよ?」

 

「なぜ疑問形?」

 

「な、何でもない! 何でもないから!」

 

「???」

 

 

何故そんなに慌てているのかと疑問に思う大和だったが、聞かれて欲しくないことなんだろうとそれ以上追求することはなく、ぐっと腕を天井に向けて伸ばした。

 

 

「悪い。本当は起きているつもりだったんだけど、ナギが気持ちよさそうに寝ていたからその……つい、つられて」

 

「だ、大丈夫だよ。むしろ色々ありがとね。部屋まで運んでくれたの大和くんでしょ?」

 

「あぁ、まぁそんなとこだ」

 

 

照れ隠しのように頬をポリポリとかく。

 

自分が運んだとはっきりと言わずに濁すあたり、大和の優しさが伝わってくる。

 

 

「そうだ。身体は大丈夫か?」

 

「ちょっと寝たから大丈夫。少なくともここ数日間に比べると全然違うよ」

 

「そうか。良かった……」

 

「……」

 

「……」

 

大和の一言を皮切りに会話が止まってしまう。

 

互いに何を話せば良いのか分からず、口を結んだまま視線を左右に彷徨わせた。話したいことは沢山あるが選択肢があまりにも多すぎてどこから切り出せば良いのか分からず、二人揃って混乱しているようだ。

 

 

「えっとだな……起きたばかりで喉渇いているだろ? 飲み物とってくるから少しだけ待っててくれないか?」

 

「は、はい……」

 

 

いつになく硬く、ギクシャクとした様子の二人。

 

大和が飲み物を持って戻ってきた後、改めて二人は話し始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい。こんなものしか用意出来ないけど良かったら」

 

「ううん、ありがとう。気を遣わせてごめんね」

 

「お構いなく、これくらいならお安いご用だ」

 

 

冷蔵庫の中に残っていたオレンジジュースをグラスに注いでナギへと手渡した。遠慮しているとはいえ、想像以上に喉が渇いていたのだろう。コップに注がれたオレンジジュースはあっという間に半分以下の量まで減って行く。

 

 

「ふぅ……何か不思議な感じだね、オレンジジュースがこんなに美味しく感じるだなんて」

 

「そりゃ良かった。あの後数時間ずっと寝てたわけだし、相当喉が渇いていたんだろう。まだ残ってるからおかわりがあったらいつでも言ってくれ」

 

 

うん、と頷きながらベッドのすぐ近くにある小さなデスクにグラスを置く。ベッドに座るナギの隣に少し間隔を開けて腰を掛け、一息ついたことを確認すると改めて大和は話し始めた。

 

 

「……駆けつけるのが遅くなってごめんな」

 

 

切り出したのは謝罪の言葉。

 

倉庫部屋に駆けつけた際に一度ナギへの謝罪の言葉を伝えている。

 

ナギからもここまで事が大きくなってしまったのは自分のせいだから気にしないで良いと言われているものの、大和の中に眠る蟠りは解消できていなかった。

 

ほんの数秒早く駆けつけることが出来ていれば、髪を失う可能性を未然に防ぐことが出来たかもしれない。

 

 

「え?」

 

 

突然の謝罪にナギは目を丸くして固まる。むしろ謝らないといけないのは迷惑を掛けてしまった自身だというのに、何故大和が謝っているのだろうと。

 

 

「あの後少し考えたんだ。本当にナギの言う通り相談しなかったことだけが悪いのかって」

 

 

思い返すのはナギの一言。

 

確かに事前に相談をしていれば間違いなく未然に防ぐことは出来ただろう。

だがナギはこれ以上大和に負担を掛けられないと判断して相談をしなかった。つまりナギには大和が余裕が無いように映っていたことも事実。それはイコール大和自身の力不足であって、いらぬ心配をナギに掛けさせてしまった。

 

 

「本音を言うなら俺に相談して欲しかったってのはある。でも事の重大さをもっと理解してやれればまた違う結末になっていたかもしれないし、ナギに辛い思いをさせなくても済んだかもしれない」

 

 

加えて事態の重さを理解しきれずに対応が遅れてしまったことも要因の一つにあげられる。

 

と、後悔はいくら出来たとしても今が現実だ。どれだけ願ったところで過去の時間は戻らないし取り返すことも出来ない。

 

 

「だから……「大丈夫」え?」

 

 

途中で言葉を挟まれて慌てたように大和は顔を上げる。大和の瞳に映るのは苦笑いを浮かべるナギの姿だった。まるで予想通りの反応だったと言わんばかりに微笑むとそっと包み込むように優しく大和の手を握る。

 

 

「知ってたよ。大和くんなら私を責めずに自分を責めるって」

 

 

握る手に力が入る。

 

彼ならきっと自分の力不足を嘆き、責めるだろうと。

 

 

「大和くんの言うことも分かるけど、私のことを助けに来てくれた。あの時もし来なかったらもっと酷いことになっていたと思う。本来なら気付かずに放置されてもおかしく無いのに、私のために奔走して、結果助けに来てくれた……むしろ謝らないといけないのは私の方、本当にごめんね」

 

 

助けてくれてありがとう、迷惑を掛けてごめんなさい。

 

それがナギの本心だった。自分を助けるためにきっと大和は奔走していたに違いない、そんな人を誰が悪く言うだろうか。

 

実際に大和はナギを救い出すために多くの手を打った。それでも個人で集め切れる情報には限りがある。ナギが個人でやっていたり、動いていたりする事の全てを把握するのは無理があった。

 

あの時、ラウラの連絡からナギの危機を察知した大和は、呼び出された場所を断定するために職員室に寄って鍵の管理履歴を確認。呼び出しに人目につきやすく、開放感のあるような場所は選ばないだろうという推測から、選択肢を室内に断定。ピンポイントで場所を特定して即座に駆け付けている。

 

普通なら場所を特定することすら困難なはずの中、大和は自分を見つけて助け出してくれた。

 

これ以上のことはない。

 

 

「ナギ……」

 

「だから大和くんが気に病む必要はないよ。それとも髪の毛が短くなった私は嫌?」

 

 

短くなった髪の毛をナギは軽くかきあげる。

 

女性特有の仕草に思わず胸を打たれた大和は顔面の温度が上がっていくのが分かった。どこか大人びた気品ある雰囲気に圧倒され、そして色っぽさから顔を赤らめる。

 

ナギの顔を直視していられず右往左往に視線を彷徨わせながらしどろもどろに言葉を返した。

 

 

「へ? あっ、いや! そんなことはなくて寧ろ似合ってるというか。あの、何と言いますか……」

 

「ふふふっ♪」

 

 

赤面しながらアワアワと慌てふためく大和を見ているだけで元気になれる。

 

心の奥底に眠る気持ちを抑えきれず、大和の肩を握るとそのまま胸元へ顔を埋めた。不意な行動に大和は驚くも、気持ちよさそうに目を細めるナギの身体を両腕で優しく抱きしめる。互いの温もりが着ている制服越しでもはっきりと伝わってきた。

 

ナギは、そして大和は互いのすぐ側にいる。

 

しばらくの間抱きしめ合っていた二人だが、埋めていた顔を離すと真っ直ぐな瞳でナギは大和のことを見た。

 

 

 

 

 

 

 

「実はね。こんな感じで助けて貰うの今回が初めてじゃないんだ」

 

「初めてじゃないってことは、俺が知らない昔にも同じようなことがあったのか?」

 

「うん、小学生くらいのころにね。とはいっても今回ほどは酷くないんだけど」

 

 

髪は切られてないからね、と少し悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

こうして虐めから救ってもらったのは二度目の出来事であると、過去の思い出話を大和に話していく。

 

 

「私、昔は今以上に人見知りだったから人と話すことも苦手だったし、何より友達も中々出来なかったの」

 

 

元々物静かなタイプではあるが、小さい頃は人見知りが激しくて中々友達も出来ずにクラスでは孤立してしまっていたようだ。小学生の頃といえば比較的男女間での交友も多く、分け隔てなく友達が出来ることが多い。少なくともまだ女性関係や男性関係に深く悩むような年頃ではなかった。

 

逆に目をつけられれば目の敵にされて、あらぬ噂を立てられ、村八分のような状態にさせられて学校に通えなくなってしまうこともある。ナギはまさにその状態で激しい人見知りが災いし、クラスのいじめっ子に目をつけられて日常的に嫌がらせを受けていた。

 

 

「私がちょうど三年生になってしばらく経ったくらいかな。何言われても上手く返せなくてウジウジしていたから一部のいじめっ子から『ウジ虫』って言われるようになっちゃって」

 

 

キッカケなど些細なもので、少しでも人と違うことがあればいじめの標的になることもある。

 

特に海外から来た日本語も覚束無い留学生なんかはまさに例の一つとして挙げられるかもしれない。言葉も通じない、容姿も周囲の子供とかけ離れていることからからかいの的となり、エスカレートするとやがていじめへと発展する。

 

人間は十人十色であり、それぞれに個性がある。

 

容姿が違ったり、性格が違ったりすることは決して悪いことではない。ただ集団行動ならではの考え方なのか、周囲と外れた考え方や行動が気に入らなくなってしまう人間がごく一部いるのかもしれない。

 

 

「酷い話だ、人見知りなんてどうしようも無いだろうに。偶にいるんだよな、ちょっと人と接するのが苦手だからっていじめに走る奴」

 

「あはは……それでね、基本的には関わらないようにしていたんだけど、ある日掃除当番で一緒になっちゃって。誰かに変わって欲しくて先生に相談したら、理由もなく変わるのはどうなんだって」

 

「掃除当番か……ふむ、それでどうなったんだ?」

 

 

一瞬大和が何かを考え込むような素振りを見せるも、すぐさま続けて話をする様に促す。

 

 

「大和くんも想像出来ると思うけど、もちろん手伝ってくれなかったんだ。それにお前みたいな暗い奴と掃除してたらバカにされる! って言われて……何で私ばかりこんな目にあわないといけないのって思ったの」

 

「……」

 

 

大和はナギの話す様子を黙って見守る。心なしかその表情は険しい……というよりかは複雑なものだった。ナギの置かれていた状況を想像したのかもしれない。

 

 

「何もかも嫌になって、私なんて居なくなってしまえばって思った時に……一人の男の子が私のことを助けてくれた」

 

 

彼女にとっては恩人とも言える人物。

 

あの少年がいたからこそ今の自分は無事に生活を送れている、そう言っても過言は無かった。もしあの時助けてもらえなかったとしたら、あのままずっといじめ続けられたことだろう。

 

そして助けてくれた少年は今日に至るまで一度も会うことは出来ていない。だが少年が居なくなったあの日を境にピタリと自分へのいじめは無くなった。それどころか今までいじめを率先して行なっていた二人の少年は別人のように静かになり、黙認していた教師たちも率先していじめ撲滅に協力するように。

 

自分を助けた裏で何が起きていたのかをナギが知る由はない。事実としていじめが無くなったことで、以降は平穏無事な学生生活を送れていたた。

 

もし小学生の時に一度だけ会った少年がIS学園にいたとしたら大和と同じように助けてくれただろうか。

 

 

「名前も聞けなかったし、所属も分からないまま居なくなっちゃったんだけどね。でも何か雰囲気っていうのかな、大和くんにすごく似てるような気がして……え?」

 

 

自分で言いながら途中で言葉を止めてしまう。

 

そっくりだった。仕草も話し方も何もかも。

 

子供の頃の記憶であるが故に多少なりとも曖昧な部分もあるかもしれない。ただ自分を助けてくれた少年のことは今でも鮮明に記憶している。あの時少年は何と言っていたのか。交わした会話の量はそこまで多くない、少し考えれば大体の内容は今でも思い出せる。

 

脳内に記憶されている単語の一つ一つから、あの時交わした会話の内容を探り出していく。やがて結論に達そうとした時、ふと目の前にいる人物は口を開きどこか聞き覚えのあるよう声をだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「---誰かを助けることに理由なんかいらないんじゃないか、か?」

 

「嘘……」

 

 

頭の中がぐちゃぐちゃに入り乱れて何が何だか分からなくなる。

 

口を押さえながら驚きのあまり声を失った。そんなナギに対して大和はどこか恥ずかしそうに、そして得意げにニヤリと笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ……」

 

 

バラバラだったパーツがようやく繋がり、一つのパズルが完成する。自身の前で笑みを浮かべる大和の姿とかつて少年が見せた笑みが。

 

今、綺麗に重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あの時私を助けてくれたのは」

 

「あぁ、俺だ。話の途中まで全然気付かなかったよ。まさかあの時の女の子がナギだったなんて」

 

 

大和としてもまさか自分が助けた少女が幼き日のナギだったとは思いもしなかったに違いない。言われてみると昔の面影がないわけではないが、偶然助けた少女が成長してIS学園に入学しているなんて誰が想像つくだろうか。

 

 

「わ、私凄く探したんだからね。きゅ、急に居なくなっちゃったから本当に心配したんだよ?」

 

 

会いたかった、でも会えなかった、そして凄く心配した。

 

心の中にしまっていたナギの想いを大和にぶつける。自分のせいで少年時代の大和が不憫な思いをしてしまったのではないか。本気で身を案じているナギの顔を見ながら、どこか気まずそうに当時の出来事を話し始めた。

 

 

「ごめん。本当はもう一度ちゃんと挨拶しようと思ったんだけど、急に転校が決まって会えなかったんだ」

 

「て、転校?」

 

「そ、転校。本当はあまり言いたく無いんだけど、実は俺と千尋姉とで学園側と盛大にバトっちゃってさ。残っても良かったんだけど、あれだけ問題を起こしておいて残るのも気まずくて……」

 

 

 

 

 

 

 

 

順を追って説明していく大和だが、明かされる内容は何ともツッコミどころ満載の内容だった。ナギを助け出すまでは良かったものの、助けた際にいじめっ子たちをボコボコにしてしまい、それに対して相手方の父親が激怒。

 

どう落とし前を付けてくれるのかと、義姉である千尋と大和が揃って呼び出された。父親は地区では名の知れた権力者であり、二人を……特に姉である千尋を強請ろうとするも、毅然とした態度の千尋の前に何も言い返す事が出来ず。

 

挙げ句の果てにはICレコーダーに録音していた悪行の一部始終を大和に公開され、録音した音声を全て市の教育委員会へと提出するという何とも虐殺に近い形で完膚なきまでに叩きのめされた。

 

世間は狭い。

 

学校だけでは無く、地域一帯に一家の悪行は広がることになった。

 

故に学園を利用することも出来なければ、自分たちの立場を使って好き放題することも出来ない。同じ場所に住み続け、同じ地域の学校に進学する以上は常に後ろ指をさされながら生活しなければならないだろう。

 

一連のやり取りで問題は解決。このまま学園に残っても特に問題なく過ごすことは出来たかもしれないが、変に気を使われたり、いじめっ子の一家から横槍を入れられたりしたら面倒だと判断した千尋は大和を別の学校へと編入させることを決断した。

 

大和の転校の理由に関しては家庭の事情という形で処理され、誰も本当の転校理由を知ることなく大和は別の学校へと移る。

 

月日が経ち、小学校を卒業した大和は一般の公立校へ、ナギは私立の女子校へと入学したためにIS学園に入学するまで二人の接点は一切ないままだった。

 

 

「……そうだったんだね」

 

 

端的な説明だったが事情は理解してくれたらしい。

 

 

「もしあの時の男の子が大和くんだったらなんて考えてたけど……そっか、大和くんだったんだ」

 

「……嫌だったか?」

 

 

どこかで聞いたことがあるようなセリフを少し悪戯っぽく笑いながら言う大和にキョトンとするナギだったが、やがて彼女の表情がふっと緩む。

 

 

「……そんなことない。またこうして大和くんと会えたこと。私にとってそれ以上の幸せはないよ。何年経ってもやっぱり大和くんは変わってなかった」

 

 

嫌なわけがない、好きな人はかつての恩人だった。困っている時、悲しんでいる時に彗星の如く駆けつけて窮地を救ってくれる姿はまさにヒーローそのもの。

 

そして長い年月を経てこうしてIS学園で再会し、彼の彼女としてそばにいることが出来る。こんな幸せが他にあるわけがない。大和のことを想う度にどんどん胸の高鳴りは大きくなるばかりで収まる様子は無かった。

 

自分の前に最愛の人がいる。

 

今は彼の……温もりを純粋に感じていたい。

 

 

「……大好き♪」

 

 

好きだという気持ちが抑えきれずにたまらず大和へと抱きつく。

 

あぁ、この温もりだ。彼の胸の高鳴りが、心臓の音がはっきりと伝わってきた。

 

一度病みつきになったら離れられなくなる。制服越しに伝わる彼の身体の大きさ、逞しさは自分の何もかもをしっかりと受け入れてくれた。側にいることが出来るだけで私は幸せ者だ。

 

彼の容姿や性格だけが好きなわけではない。悪いところも全て含めて霧夜大和のことが大好きなのだ。

 

今はもっともっと彼の温もりを感じていたい。

 

気が付けばより強く彼のことを抱きしめていた。自分の身体をこれでもかと言うほどに押し付けて自分の想いを大和に伝える。豊かな双丘は大和の身体に当たって潰れ、肌の温もりがよりダイレクトに愛しの彼へと伝わる。

 

いつも以上に積極的な彼女の姿に何かを感じたようで堪らず大和が声を掛けた。

 

 

「な、ナギ……その、胸が……」

 

 

当たっている。途中まで言い掛けたところでナギの手が大和の顔に伸びたかと思うと、覆っていた眼帯を取り去る。露わになる異質な瞳、見るもの全てを射抜く鋭い眼差し。

 

久しぶりに両眼でナギのことを見た。相変わらず左眼だけ視力が異常なまでに発達してしまっているせいでピントが合わず、距離感が掴みにくい。

 

 

「ねぇ、大和くん……」

 

 

身体を密着させ、腕を掴みながら何かをねだるような目つきで大和のことを見つめる。顔を赤らめ、いつもよりトロンとした妖艶な目つきをしながら上目遣いに、大和の鼓動が高まり始める。

 

いつの間に二人の視線は動かなく……否、動かせなくなっていた。

 

視界からは互いの姿以外のものは消え、ナギは大和の、大和はナギの顔だけが映る。

 

ふとはにかんだかと思うと、唇を大和の左眼に押し付けた。

 

 

「んっ……ふぁ……」

 

 

自分で何をしているのか、感情が昂り過ぎて理解が追い付かない。薄らと目を開きながら、驚く大和をよそに執拗に左眼に舌を這わす。普段触れられる場所ではない上に、眼帯で隠している場所のため人目に付くことがない。

 

故に敏感になってる。くすぐったそうに大和は身体をよじらせた。

 

 

「な、ナギ……っ! く、くすぐったいよ!」

 

「ふ……んふっ」

 

 

大和の言葉でようやく唇を離す。

 

傷跡こそ残っているが痛みは無いが、それでも触られるとくすぐったさを感じるようだ。大和の首に手を回し、唇が触れ合う数センチほどの距離で互いに見つめ合う。

 

荒くも色っぽい吐息が大和の前髪を小刻みに揺らした。女性特有の香りが鼻腔を燻り大和の理性の鎖を一つ一つゆっくりと外していく。

 

 

「ごめんなさい、私……もうっ……」

 

「は……え? ……んむっ!?」

 

 

大和以上にナギの理性は決壊寸前の状態となっていた。数センチ先にある大和の唇、瑞々しくも引き締まった彼の唇に自分の唇を強引に重ねる。驚く大和をよそに決して離さないようにと強く塞ぐ。

 

恋人になってから何度も唇を重ねてきた。

 

 

デートを終えて別れる時に、臨海学校の海の中で、臨海学校から帰るバスの中で、最寄駅の前で。

 

 

それぞれに様々な思い出がある。

 

全てを差し置いて、今この瞬間がナギにとっては一番の幸せだった。幸せで頭が溶けておかしくなりそうになる。唇を重ねることで得られる多幸感がナギを満たしていく。

 

それは大和も同じだった。初こそ驚きを隠せぬまま引き離そうとするも、徐々に伝わってくる甘い香りが脳を刺激して感覚を麻痺させる。マシュマロのように柔らかく、温かく、何事にも形容し難い幸せな感覚。すぅと目を閉じて、互いの唇を貪り求め合う。

 

 

「ん……んんっ、ンフッ……んっ、んぁ……」

 

 

ナギの艶やかな声と唇を重ねているとは思えないほどのみだらな音が室内に響く。もし部屋に誰か来てしまったら……と頭の片隅にも考えられないほどに気分は高調し、今は互いの唇を貪ること以外のことは考えられなかった。

 

 

「んぅ! ……はぁ、はぁ」

 

 

体内の酸素が切れ掛かったのか、一度ナギは唇を離して荒い呼吸のままに外の酸素を求める。

 

が。

 

 

「……まだだ」

 

「ふぇ……大和くん、まっ……んんぅ!!?」

 

 

待ってと伝える息も絶え絶えのナギを強引に引き寄せると、このままやられっぱなしでなるものかと大和が再び唇を塞いだ。理性などとうの昔にすっ飛んでおり、まるで獲物を見つけた獣のように襲いかかる。

 

 

「んっっ!  んはぁ……ふぁ、ふむ……らめっ」

 

 

軽く重ねるものではなく、激しく互いを求め合う情熱的な口づけへと変わる。顔は真っ赤に染まり、ダメだと言いながらも大和の背中に伸びたホールドが解除されることはなく、同じように大和もナギを離そうとはしなかった。

 

もっと欲しいと大和を受け入れて求めてしまう。恥ずかしいなんて感情などそこには皆無。

 

口内でまぐわう舌先。混ざり合う互いの唾液が唇の接合部から溢れて、ナギの口元をつたう。たまった唾液は滴となり、やがてぽたりぽたりとベッドのシーツを汚していった。

 

 

「らめっ……これひ、んぐっ、じゃうひゃれ……んちゅ、わらひ……」

 

 

何かを伝えようとするも唇を塞がれてしまっているせいで、何を喋っているのか全く分からない。ナギが話そうとすることなどお構いなしに、話す暇を与えないように唇を塞ぎ続ける。

 

 

 

「んふぁ……おかひ、あむっ、んっ……くぅ」

 

 

力が抜けていく。

 

大和の身体に必死に捕まっていたナギだったが、徐々に身体に力が入らなくなり、重力に従うままベッドへと倒れ込む。

 

 

 

「ふぁっ……」

 

 

力が入らない。立ち上がれない。ベッドのクッションに身を任せてただ一点を見つめる。

 

 

「ま、待って……わた、しこれ以上「ナギが我慢出来ないなら、俺はもっと我慢出来ないよ」ふえ……んぅっ!?」

 

 

倒れ込むナギにも大和は容赦しなかった。場に倒れ込むナギの上に四つん這いでまたがると、戸惑いながらも言葉を続けようとする唇を再び奪う。

 

頭がおかしくなる。何も考えられなくなる。

 

ひたすらに唇を貪るだけの行為に貪欲になり、そして幸せや快感を感じる。頭がぼぅとしてもう何もかもどうでも良くなる。

 

 

「んぐっ、んっ、くちゅ。んぷっ……ふあっ……はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

散々貪った唇を離すと互いの唇を銀色の糸が紡ぐ。一定の距離まで伸び切ったところで限界を迎えてぷつりと途切れた。

 

体内の酸素が少なくなり、息も絶え絶えだというのにナギはどこか名残惜しそうなまま、とろんとした視線を大和の顔から切らさない。

 

抱きつきながら互いを本気で求め合ったことで、着ているワイシャツはシワシワになり、止めていたボタンもはだけて中のキャミソールが見えかけている。制服のスカートも脱げ、大和のいるところからは自分の履いている台形型の下着が完全に見えてしまっていた。

 

可能な限り優しく落ち着いた口調で確認する。付き合ってからというもの、『そのような行為』については一度もしたことが無い。

 

ここから先は完全な未知の領域となる。

 

 

「……念のために確認するよ。本当に大丈夫か?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今は大和くんが欲しい……」

 

 

ナギの本心が言葉として外に出る。

 

同意を合図に唇を塞ぐとそのまま、ナギのワイシャツに手を掛けていくのだった。



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変わらない想い、変わりゆくこれから

「寒くないか?」

 

「大丈夫だよ。ありがとう、心配してくれて」

 

 

俺の前には一糸纏わぬ姿のナギが布団をかぶったまま、にこやかに、だがどこか恥ずかしそうにしながら俺の顔を見つめてくる。夏の暑さもピークは過ぎて夜はどこか秋の訪れを感じさせるかのように涼しくなってきていた。

 

今の状況を説明すると俺は下のパンツだけを履いた全裸に近い状態で、ナギに関しては本当に何も着ていないし履いていない状態。風邪をひいてしまう可能性を危惧して上着を取ってこようとするも、大丈夫だと言うナギの一言を信じて布団の中に留まる。

 

 

「それに……」

 

「ん?」

 

「こうしてれば、寒くないでしょ?」

 

 

ニコッと微笑むとナギは少し照れ臭そうに身体を密着させて来た。服越しでは無く、直に伝わる人肌の感触が何ともたまらない。一線を超えてしまったすぐ後だからだろうか、不思議と恥じらいというものは無くなっていた。

 

公衆の面前で恥じらいがないのはまずいが、二人きりとこの部屋の中でのことなら問題ないだろう。くっついてくるナギを優しく抱きしめながら頭を撫でる。

 

 

「えへへ……♪」

 

 

気持ちよさそうに目を細めるナギ。

 

もし犬のように尻尾が付いていたらずっとブンブンと降っていそうな雰囲気だった。

 

と、いつまでも幸せオーラ満載の状態で今日一日を終えられたら平和であることこの上無かったのだが、徐々に冷静になりつつある俺の脳内に一つの懸念点が浮かび上がってくる。

 

とりあえずいじめ問題はひと段落付いたからよしとしよう。個人的にはもっと徹底的にやってやろうと思ったが、そんなことをしたところで何かを得られるわけでもなければ、ナギが喜ぶわけでもない。自分の憂さ晴らしのために暴れたところで、後に残るのは虚しさ……虚無感だけだ。

 

散々釘は刺しておいたし、今頃懲罰房にでも入れられて自分たちの処分がどうなるのかどうか待っていることだろう。後は学園側の処分に任せておこう。

 

俺が出来ることはやり切った。

 

 

さて、そこは良いとして問題は明日だ。

 

 

「……完全に忘れてた、明日どうしようか」

 

 

何を今更って話にはなるが、俺もナギも学校に行く分には問題はない。ただ今のナギの髪型、俺としては特段何も思わなかったが強引に切られてしまったせいで後髪の長さは不釣り合いな状態になっていた。

 

俺の視線が無意識に髪の毛へと向く。

 

何とか誤魔化そうと思えば誤魔化せるかもしれないが、イメージチェンジしたと言ったところで、髪の毛先を見たら美容師が切ったものではないことくらいクラスメートたちは瞬時に見抜くだろう。

 

後はナギの気持ち的なところの問題になってくる。それで良いと言うのであればもう何もないが、もし思うところがあるのであれば多少配慮してもらうように伝えた方が良さそうにも思える。

 

最も伝える相手は担任、千冬さんにだが。

 

俺の骨、誰か拾ってくれるかな……。

 

 

「え、明日?」

 

 

何の話と言わんばかりにナギは首を傾げる。あぁ、可愛いな……と、今はそうじゃなくて。

 

 

「そう、明日。俺は気にしないけど、今の髪で登校するのは気が引けるだろ?」

 

「あ、うん。それなんだけど……明日朝一で私から織斑先生に相談しようと思ってて」

 

 

と、俺の考えていたことを先回りで想定していたようだ。流石に今の状態では学園には行きづらく、せめて髪を整える時間くらいは欲しい。

 

近くの美容院に行ってから登校すると考えると午後からの登校には間に合うはず。となると午前中だけ時間を貰えればナギとしては十分なため、そこを千冬さんに交渉するつもりなのかもしれない。

 

 

「そっか。俺も手伝おうと思ったけど大丈夫そうか?」

 

「うん。それくらいなら全然大丈夫。私から直接伝えるから大和くんはしっかりと登校してね」

 

「ははは……そこは心配しなくても大丈夫だ。ちゃーんと登校するよ」

 

 

くすりと笑うナギの心中は如何に。

 

俺のことだから心配に思ってついてくるんじゃないかと思われたらしい。もちろんそれが出来るのであれば率先してついて行きたいところだが、そこは我らがボスの判断次第になる。

 

十中八九断られるだろう。勝手に抜け出そうものなら後々とんでもないことになるくらい分かる。

 

だから俺はやらない。

 

 

「もう一回……」

 

「もう一回? するのか?」

 

「ち、違うよっ! もう、エッチ!」

 

 

何かを言い掛けた瞬間に被せるように冗談を言うと、顔を赤らめながらポカポカと俺の胸元を叩く。

 

 

「大和くんのせいで何を言おうとしたか忘れちゃったよ」

 

「ご、ごめんごめん。そんなつもりはなかったんだが……」

 

「大和くんが盛ったお猿さんだっていうことはよーく分かりました」

 

「グハッ!?」

 

 

そ、そんなジト目で俺のことを見ないでくれ!

 

俺の良心が痛んで爆発してしまう。

 

一人で頭を抱えながら悶絶しているといつまでやってるのと言いたげに苦笑いを浮かべながらナギは話を続ける。

 

 

「ねぇ、大和くん。一つわがまま言っていいかな?」

 

「あぁ、何かして欲しいことでもあるのか」

 

「うん。その……大和くんが嫌じゃなかったら……今日はこのまま泊めて欲しいの」

 

「……へ?」

 

 

何とも可愛らしい内容のわがままだった。遠慮しがちなナギらしいといえばそれまでなのかもしれないが、このまま朝までいるものだと思っていた俺は思わず間の抜けた声が溢れる。

 

 

「ダメ……かな?」

 

 

ギュッと俺の手を握ってくる。

 

不安そうに上目遣いで見つめてくる健気な姿に『いいえ』と言えるはずがなかった。空いている方の手でポンポンと頭を触りながら、ハッキリと伝える。

 

 

「ダメなわけないだろ。良いに決まってる」

 

「あ……っ♪」

 

 

幸せそうな声と共にナギの表情がみるみるうちに明るく染まって行く。嬉しいという感情がはっきりと伝わってきた。

 

 

「ありがとう! ……大和くん」

 

「ん?」

 

「……大好きだよ♪」

 

 

どこからとも無く唇を重ねる。

 

幸せの形に説明なんかいらない。

 

二人だけの時しか知らない彼女の姿。尽くしてくれる姿が堪らなく愛おしくなってくる。目の前にいる大切な人をギュッと抱きしめる。伝わってくる温もりは体温以上の暖かさを感じることが出来た。

 

少しでも力を込めれば潰れてしまいそうなほどか弱い体付き。そのか弱い体つきでナギは耐えてきたのだ。

 

今だけはナギだけの俺になろう。

 

安らぎを与えてくれるこの空間はそっと目を閉じると即座に眠気を誘発する。二人揃って深い眠りにつくのにそう長い時間は掛からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ大和。今日朝から鏡さんの姿が見えないけど、体調でも崩したのか? ここ最近浮かない表情していたし」

 

「いや、体調を崩してる訳じゃないぞ。予定が済んだら登校するって朝連絡があったから昼前には来るんじゃないか?」

 

 

三限目の授業が終わったところで、前列の一夏から質問を投げ掛けられた。

一夏もここ数日間のナギの異変には気付いていたようで、いつも以上に心配した顔付きで俺に聞いてくる。

 

あの状態じゃ心配するなって方が無理だし、心配して当然だろう。

 

 

 

昨日の夜から先の展開を説明すると、朝早く起きた俺とナギはまず真っ先に千冬さんに電話をかけて事情を説明。ルームメイトに要らぬ心配を掛けないように一度俺の部屋に泊めたことも伝えた数分後、俺の部屋に千冬さんが来訪。

 

数日間に渡る嫌がらせの数々は千冬さんも把握していなかったようで、改めて事の顛末を説明。始まりは脅迫文だけだったが、どんどん内容がエスカレートして最終的にはトイレで水を掛けられたり、髪の毛を切れられたりしたと。

 

内容が内容なだけに言えなくなる気持ちはよく分かるが、ここまで事が大きくなってしまうと取り返しが付かなくなる可能性もあるから、必ず相談をしろと軽く注意は受けるも、それ以外のお咎めは特に無し。またナギが午前中に髪の毛を整えるために美容院へ行くこと、加えてメンタル的に問題に無いかどうかを確認するために病院へ行く許可も貰った。普段はめちゃめちゃ厳しいけど、物分かりが良くて本当に助かる。

 

……昨日の夜何をしたかは言ってないものの、何となく千冬さんは把握しており、俺に投げかけた言葉は『くれぐれも誤爆してくれるなよ』だった。

 

その言葉を聞いた瞬間にナギは耳まで顔を赤くさせ、俺はひたすらに明後日の方向を見ることしか出来なかった。

 

確かにあの夜互いの『初めて』を交わしたわけだが……行為中は気分が高まり過ぎて全く意識をしないけど、いざ時間が空いて別の人に突っ込まれると中々に恥ずかしいものがある。

 

と、後はナギが戻ってくるのを待つのみ。

 

 

「そうか。大和がそう言うんならそうなんだろうな。そう言えば朝の話覚えてるか? 上級生で停学者が出たって話。数日にわたって聴取するらしいけど下手したら退学させるって何をしたんだか」

 

「もちろん。理由は学内の風紀を著しく乱したってことだけど中々に定義が曖昧だよな」

 

 

俺の返しに一夏は確かに、と相槌を打つ。

 

あえて何も知らない風を装って答えるが、全容を知っているため驚きでもなんでもなく当然の結果にしか思えない。

 

本音を零すのなら停学期間何か作らずにさっさと退学処分にしてしまえば良いのに思うものの、流石に色々と調べる事があるのだろう。

 

同学年の楯無の話によると、リーダーに関しては元々素行自体も良くなく、たびたび授業をサボることもあれば、無断欠席の常習犯でもあったらしい。

 

入学当初から誰かをいじめて辞めさせたり、人の私物を勝手に盗んだりと兎に角悪評が絶えず続いていたが、決定的な証拠を押さえられずに証拠不十分で今まで在籍させることになってしまったようだ。

 

今回に関してはあらゆる証拠を差し押さえていて言い逃れは出来ないし、準備が整い次第退学をさせる方向で話を持っていく上で、法的措置も検討しているとのこと。多少時間は掛かるが一つ頭を悩ませる問題が無くなると考えればいいかもしれない。

 

そして彼女の取り巻きの連中に関してもリーダーほどの罪にはならなくとも、やっていた事が悪質であり、愉快犯として悪行を繰り返していたことから、退学か良くても停学処分が下ることになるそうだ。

 

学内に残れたとしてもナギへの接近は原則禁止、もし接近したり他の生徒に対して嫌がらせをしたりする事が確認されたらその時点で退学させるようにさせるらしいが、そもそも今回の問題で多くの生徒や教師から後ろ指を刺されて白い目で見られることは間違い無い。

 

それに村八分に近い環境で学園に残りたいと思うのか甚だ疑問だ。

 

仮に耐えて卒業出来たところで経歴に大きな傷がついた事実は変わらないし、進学や就職にも大きく影響するに違いない。

 

 

……ただ、俺にとってはもう至極どうでも良いことだ。前に言ったかと思うが、興味も無ければ同じ人間と思いたくもない。同系列にされたら他の人間が可哀想だ。

 

 

「まぁ、退学が検討されるのもそうだけど、学内に周知がいくってことは余程のことなんだろう」

 

「なるほどな。普通なら他学年の停学って他の学年やクラスには出回らないし、それが朝礼で共有されたってことは相応のことをしたってことになるのか」

 

「そういうことだ」

 

 

結論、それだけのことをしたから停学や退学になる。理不尽なものではない、自分の積み重ねが結果となって跳ね返ってきただけに過ぎない。誰も悪くない、悪いのは行為を働いた自分自身だ。

 

 

「そうだ、明日の学園祭に関して話があるんだった。分担なんだけど、俺と大和はフロアと厨房を両方担当することになるだろ?」

 

 

話題は明日に迫った学園祭へと推移する。

 

ほとんど触れることは無かったが明日はもう学園祭本番になる。クラスのホームルームでも話し合いを重ねに重ねた結果、俺と一夏はフロアでの接客をメインに、厨房にも入って調理作業を手伝うことに。どうやら一学期のクラス代表戦の後に開催した食事会から口コミが広がり、折角の腕を振るわないのは勿体ないとなった。

 

あの一回きりとはいえ、俺の料理の腕を評価してくれたことは素直に嬉しい。ここ最近バタバタと忙しいこともあってあまり自室で料理を作ることもなかったから、個人的に料理に携われるところも楽しみだ。メニュー自体は普通の生徒でも美味しく作れるようにマニュアル化してくれているそうだが、そこに対するスパイスや一工夫は担当した人物の腕次第。

 

腕がなる。

 

 

「おう。そこのシフトは流動的なんだよな。俺と一夏のどちらかが厨房に入る時はダブらないようにしないといけないんだっけか。最悪休憩も取れない可能性も覚悟しないとなー」

 

 

両方のポジションを担当するとなるとシフトは流動的になる。当然混み方次第では休憩時間も限られてくるはずだ。最悪休憩無しで働けば良いかと、比較的短絡なことを考えていたわけだが。

 

 

「そうそう。ただそうは言っても休憩は取らないとマズイからどこに休憩を入れようかって相談なんだけど……大和は鏡さんと合わせたほうが良いよな」

 

「はい?」

 

 

まさかの一夏の発言に思わず言葉が詰まる。

 

 

「ん、折角の学園祭なんだし時間を合わせて楽しんできた方が大和も良いだろ?」

 

 

何と気が利いた言葉だろうか。本当に人のことに関しては人一倍敏感で気遣いも驚くほどに出来ている。

自分のことになるととんだ唐変木に早変わりしてしまうのが難点だが……まぁそこも含めて一夏らしいのかもしれない。

 

 

「そう言ってくれると助かる。ナギのシフトは……あぁ、いや。登校したら俺から聞いておくよ、シフト聞いたら一夏に連携「誰のシフトを連携するの?」……え?」

 

 

聞き覚えのある声が俺の斜め前から聞こえた。俺の方に向いて座っていた一夏の視線が斜め上を向いたところで固まる。それだけじゃ無い、クラス中の視線がその一点に集中していた。休み時間の喧騒が水を打ったように静かになる。

 

釣られるように俺も視線を上げて声が聞こえてきた場所を見つめる。視界に映ったのはどことなく以前の雰囲気を残しつつも、見覚えのない風貌の女生徒だった。

 

いや、見覚えが無いわけない。

 

ガラリと変わった雰囲気がそうさせているだけで、俺はこの人物のことをクラスにいる誰よりも知っていた。

 

 

ぱっちりと開いた大きな瞳に、みずみずしくもどこか色気を含んだ口元を含めて全てが整った顔のパーツ。

すらっとしたスタイルの中でも存在感を放つ胸元の装甲。それとは反比例するようにきゅっと引き締まったくびれに、ハリのあって形の整ったヒップライン。

地面に向かって伸びる健康的でしなやかな脚。

 

どれを取っても美少女である要素を兼ね備えていた。

 

そして……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう大和くん。ごめんね、少し遅くなっちゃった」

 

 

人懐っこく、道行く男性を一瞬の内に虜にしそうな満面の笑み。

 

以前は腰まで伸びていたロングヘアは肩の少し上くらいまで伸びるミディアムスタイルに変貌していた。

 

 

「あ、あぁ。おはようナギ……」

 

 

俺に挨拶をする生徒の名前を呼ぶ。

 

出てくる言葉は何ともぎこちないカタコトのロボットのような言い回しになってしまった。しっかりと切りそろえてもらったようで、全体的にバランスの取れたミディアムスタイルの髪型がナギの魅力を一層際立てている。

 

一言で言えばすごく似合っている。逆に似合い過ぎて思わず言葉を失ってしまっていた。

 

 

「お姉ちゃん!」

 

 

俺に続くように反応したラウラが真っ先に駆け付け、勢いそのままにナギに向かって抱きついた。そんなラウラを驚きつつも優しく受け止めてナギは抱きしめる。事情を知らない生徒……もとい大半のクラスメートたちはポカンとしながら二人の様子を見つめていた。

 

ラウラも同様に心配していたのだろう。昨日は俺やナギに気を遣ってくれたようで、俺が部屋に戻ってからというもの一度たりとも部屋を訪れることはなかった。

 

当然電話やメールでの着信も一切ない。

 

朝登校した際に登校してこないことに対して大丈夫かどうかの確認はされたが、そこまで深く言及はされなかった。

 

が、本当は心配で心配で堪らなかったに違いない。

 

寂しくて寂しくて堪らなかったに違いない。

 

 

「ラウラさんも色々ありがとう。ここ最近は冷たくしたり迷惑ばかり掛けてごめんね?」

 

「そんなことはない! 私はこうしてお姉ちゃんが元気に登校してくれるだけで嬉しい! 本当に無事で良かった……」

 

 

ナギの元気な顔を見てようやくラウラの心も晴れたのだろう。やっといつものナギに出会えた嬉しさから人目も憚らずにギュッと力を込めてナギへと抱きつく。

 

本意ではないとは言っても一度はナギもラウラを突き放してしまった。多少なりともラウラの心に残る蟠りもあったに違いない。それでもこうしてまたいつものナギに会うことが出来た、それだけでラウラの心が晴れていくのを側から見ても感じることが出来る。

 

 

「あ、あの霧夜くん。お取り込み中申し訳無いんだけど……昨日今日で一体何かあったの?」

 

「そうそう! 急にナギが髪をバッサリ切るなんて……」

 

「凄く似合っているけど、髪を切るだけのために遅刻したなんて考えられないし。そもそも織斑先生が許さないような気がするんだけど……」

 

 

ナギの変化に気になっていたクラスメートたちがわらわらと俺の周囲を取り囲む。遅れてきた生徒がトレードマークの長髪をバッサリと切り落として別人のように変わっていたら何かあったと勘繰っても無理はない。

 

周囲の声もごもっともだ。

 

もちろんクラスメートたちが興味本位で聞いてきてるわけでは無いのはよく分かる。ここ最近のナギの様子を見て、本気で心配して聞きに来ていることは明白だった。

 

他愛もない無いようであれば俺の方からでも伝えてあげられるが、今回に関しては内容があまりにもセンシティブ過ぎるため、正直俺の口からとやかく言うことが出来ないのも事実。

 

事件の被害者は俺ではなく、ナギなのだから。

 

 

「ナギ」

 

「……うん、私は大丈夫。皆にも心配掛けちゃったし、何があったかくらいは知る権利があると思うから」

 

「そうか。なら俺からざっとしたことだけ伝えるよ」

 

 

俺が何を言おうとしているのかすぐに分かったようで、大丈夫だと念を押してくれた。

 

ここまで来てしまったのだから、隠していたところでどうせいつかバレる。それにクラスメートたちにもいらぬ心配を掛けてしまったことも間違いない。

 

今後のことを考えると何が起きていたのか、彼女たちにも知る権利はある。

 

 

「今から話すのは作り話でも何でもない全部事実の内容だ。ただこの内容に関しては絶対に他言無用で通して欲しい。彼女の……ナギのためにも」

 

 

だから俺は話す。

 

これまで起きた全てを。



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第十五章-Cinderellas Festival-
おいでよご奉仕喫茶!


 

時は流れて翌日。

 

IS学園は学園祭当日を迎えていた。

 

何気なく窓の外を見ると既に入り口付近には大勢の来場客を確認する事ができる。一般の学校の学園祭は原則的に外部の人間の入場に特段制限を設けることはしないが、IS学園に関しては学園の生徒から配布される入場券を持つ人物のみ。

 

つまり普通の人間は参加することすら許されない。現に入り口付近には幾多もの警備員が配置されて徹底的に入場チェックを行なっていた。確認項目は持ち込んでいる荷物の目視確認のみにとどまらず、空港にあるような金属探知機を使い、何処かに隠して危険物を持ち込もうとしていないかなど、厳重に厳重を重ねた入場管理を実施している。

 

やり過ぎてはないかと思う意見が上がるかもしれないが、冷静に考えて見ると別段厳し過ぎる訳ではなく、むしろ当たり前の対応である事が出来る。

 

IS学園はアラスカ条約に基づいて日本に設置された、IS操縦者育成用の特殊国立校になる。保管されている機密情報だけではなく、量産機である打鉄やラファール、それに各国の専用機が集結しているいわば宝の島のような状態なわけだ。併せてそのISや専用機を操縦するエリート、国家の代表や代表候補生も多数所属している。

 

どこの人間が悪事を働き侵入してくるかなど分かったもんじゃない。最近は幾分減ったが、夏休み前は簡単に敷地内への侵入を許すケースが多発しており、俺や楯無が対応に追われることも決して少なく無かった。また侵入が多発するということは同時にIS学園のセキュリティ、および警備がザルだと証明しているようなもの。

 

限定的とはいえどもIS学園に所属している以外の人間が出入りする学園祭は格好の的となる。

 

あまり笑えたもんじゃない。

 

取り返しのつかなくなる事態を引き起こさないためにも、しつこいくらいの警備がちょうど良いのは当然の判断だと思う。

 

 

「霧夜くーん! 一番のテーブルのお客様対応行ってもらっていい? 織斑くんもちょっと別の対応で捕まっててさー」

 

「ん、了解。一番なら今作っているこの料理を持っていくから、お客様には少しだけ待つように言ってもらえるか?」

 

「分かった! バタバタしちゃってごめんねー!」

 

 

フロア内で接客に携わっているクラスメートの一人が俺のことを呼びにくる。さて、作っているパスタも完成したことだし行くとするか。

 

 

「大変お待たせいたしました。ずわい蟹の和風パスタになります」

 

 

作ったパスタを片手に持ちながら客先へと運び、そして机の上に優しく置く。別のクラスから駆けつけて来たであろう一組の生徒ににこやかに微笑み掛けながら『ごゆっくり』と声を掛けると堪らず歓声が上がった。

 

 

「あ、あの! 霧夜くん! 折角だから写真撮ってもらってもいいかな?」

 

「はい。なんなりとお申し付け下さい」

 

「やったあ! イケメンとのツーショット! これはみんなに自慢できるわ!」

 

 

机の側に立つと俺を挟むように二人の生徒が立ち、生徒が構える携帯のインカメラに向かってポーズを取る。するとカシャリという音と共にシャッターが切られる。

 

正直あまり撮り慣れていないせいかこんなポーズで大丈夫なのかと思うだけではなく、ぎこちなく写ってないか果てしなく不安になる。

 

 

「こんなんで良いですか?」

 

「バッチリ! ありがとう霧夜くん!」

 

 

喜んでいる様子を見るとことなきを得たらしい。とりあえず無事に対応が完了してほっと胸を撫で下ろす。こんな感じのやりとりがここ小一時間ずっと続いていた。

 

大勢の人間で賑わう学園祭は各クラスが様々な出し物を実施。物によっては長蛇の列が出来るほどの賑わいを見せるものもあるわけだが、このクラスの出し物も例外ではなかった。廊下側の窓ガラスの先には、切れ目が全く見えないほどに繋がった長蛇の列。常にウェイトが掛かった状態の『ご奉仕喫茶』は大盛況を迎えていた。

 

長居するお客様が増えて回転率が下がらないように適宜フロア担当のクラスメートが声を掛けてくれているようだが、今の様子を見る限り当分この列が途切れることはないだろう。

 

基本的には普通の町中にあるような喫茶店とやっていることは同じ。ただ、そこに付帯サービスがついて来ている。付帯サービスとはいっても変な場所のおさわりとか抱きつきなどと過激な行為は禁止、あくまで完全な内容のみに限る。が、この学園の生徒にとっては普段中々話せない男子に接客してもらえる貴重な機会らしく、それでも全然構わないと押し寄せる生徒が急増した。

 

今やったように写真を撮ったり、後は出した料理を食べさせてあげたり、後は握手くらいなら問題はない。

 

 

「あ、霧夜くん! 私と握手して!」

 

「ちょっと私が先よ! 何であんたが言ったみたいなことになってるのよ!」

 

「へへーん! そんなの言ったもんがちだもーん!」

 

「キィイイ!!」

 

 

再度厨房に戻ろうとした矢先に声を掛けられた。

 

こうして料理を出したり別の対応に行った際にもひっきりなしに声が掛かる。声を掛けてくれるのは嬉しいが、この中で俺を取り合うのだけは控えて欲しい。この生徒たち以外にもお客様はいるし、中には学園の生徒の知り合いの子だっているのだから。

 

 

「まぁまぁ。お二人ともちゃんと対応しますので、どうかご安心下さい。それで……握手でよろしかったですか?」

 

「へ……う、うん! 喜んで!」

 

 

ちょうど二人いることだし、俺が両手を差し出せば済む話だろうと察し、二人の目の前に両手を出すとその手を其々が力強く握った。

 

ふむ……こんな感じで大丈夫なんだろうか。とは言ってもこれ以上のサービスはしようがないし、これくらいのことで喜んでくれるのなら全然良い。

 

料理提供と臨時の対応を終えて厨房に戻ってきた俺に一人のクラスメートが声を掛けてくる。

 

 

 

 

「はい、霧夜くんお水。ずっと対応してて水分取れてないでしょ?」

 

「あー助かるよ鷹月。丁度喉乾いてたんだ」

 

 

差し出されたキンキンに冷えた水入りのコップを受け取ると、口をつけて渇いた喉を潤す。バタバタとしていたこともあって飲み物を飲む暇すら作れなかったから、些細ながらも嬉しい気遣いだ。

 

 

「ふぅ……しかしまぁ本当に切れ目なくくるよな」

 

「そうだね。予想はしていたとはいえ、予想以上の混み具合だから私もちょっとびっくりしてるかなぁ」

 

 

あまりの混み具合に苦笑いを浮かべながらもテキパキと作業をこなし、フロアを上手く纏めてくれているのは鷹月だった。的確な指示出しをしながら、フロアと厨房等行ったり来たりして良い感じの橋渡しみたいな役割をこなしてくれている。

 

しっかり者っぷりはもはや周知の事実。賑やかな生徒が多いウチのクラスでは最も頼れる人物だろう。

 

そんな彼女もまたメイド服を纏っていた。ヘッドドレスがよく似合う。

 

 

「それにしても織斑くんの執事姿もそうだけど、霧夜くんの執事姿もやっぱり映えるよね〜。今日来る生徒の殆どが二人目的じゃない?」

 

「ははは、俺の執事姿で喜んで貰えるなら嬉しい限りだ。中々に忙しいのがたまにキズだけどな」

 

 

鷹月を始めクラスメートが着ているメイド服、どこかで見たことあるようなメイド服だと思ったらそれもそのはず、以前ラウラとシャルロットが臨時で手伝っていた喫茶店で使用している正装着と全く同じ物だったからだ。同様に俺や一夏が着ている執事服も同じ物になる。

 

どうやらラウラが言っていたツテというのはこのことだったらしい。ラウラが確認を取ったところ、二つ返事で了承をしてくれたそうだ。ちなみに当時は執事服を纏っていたシャルロットだが、今回に関してはメイド服を着ると譲らず。

 

元々男装していたくらいだから執事服も着こなせるとは思ったんだが、シャルロット本人としてはやはり女性らしくメイド服を着てみたかったらしい。男性用の服を着ても違和感がないのは彼女の顔立ちや仕草が中性的な立場にあるからなのかもしれない。

 

 

「でも本当に良かった。一時は大丈夫かなってずっと思ってたんだけど……」

 

「あー……それを言われるともう笑うしかないよ」

 

 

鷹月はクラスの出し物が決まる前のことを言っているのだろう。意見を出てくるが、いずれも色物目的のような出し物として成り立たないものばかり。だというのにそれもクラスの大多数が賛成していたのだから末恐ろしい。

 

最終的に喫茶店にすることで何とか纏まったが……本当ラウラに感謝するしかない。

 

コップに残った僅かな水を口の中へと含む。

 

 

「……あ、ほら霧夜くん。可愛いお嫁さんがオーダー取ってきてくれたみたいだよ?」

 

「ゴホッ、ゴホッ!? ……ちょっ、いきなり何言ってんだ!」

 

 

口に手を当ててニヤニヤとしながら俺をからかう鷹月と、飲み込みかけた水を吹き出しそうになる俺。吹き出したら大惨事だったが、寸前のところで耐えて何とか飲み込んだ。

 

お嫁さん? 一体何のことを……。

 

 

「じゃあ私はフロアに戻るから後はちゃんとお願いね〜♪」

 

 

颯爽とフロアに戻ってしまう鷹月を追う術は今の俺にはなかった。そして彼女と入れ違うように、厨房に一人の生徒が入ってくる。

 

 

「大和くん! オーダー入ったんだけど行けるかな?」

 

 

満面の笑みでオーダー表を手渡ししてくる俺のお嫁さん……もといナギの姿がそこにあった。自分のために尽くしてくれるメイドの奥さんか、まぁそんな未来も悪くないかもしれない。

 

 

「……大和くん、どうしたの?」

 

「は! あ、い、いや。何でもない。少しぼーっとしてた」

 

「?」

 

 

オーダーを渡したのにずっとぼけっとしている俺に再度声を掛けてくる。自分で言うのも変な話だが、危うく妄想の世界にダイブするところだった。

 

何を考えているのか分からず、オーダー表を持ったままナギはキョトンとするしかない。そしてそのキョトンとした顔もまた俺好みだということを忘れてはならない。

 

 

おかげさまでナギはいつも通りの様子に戻った。

 

昨日の内にクラスメートたちにはここ数日間の出来事を説明。何故急に切ることになったのか、その間にナギがどれほど我慢し耐えていたのか。元々ナギの異変には大半のクラスメートが気付いていたために混乱することは無かったが、クラスの全員が蛮行に対して憤りを覚え、同時にナギに同情した。

 

よく耐え切ったと。

 

 

「本当に大丈夫? もしかして疲れてるんじゃ……」

 

「大丈夫、疲れてないよ。ちょっと考え事をしてただけだ」

 

「そう?」

 

 

全く疲れていない訳ではないが、彼女の顔を見るだけで疲れなど吹っ飛んで消えてしまう。

 

渡されたオーダー表をざっと確認して厨房へと入る。オーダーが集中しているようで、外がてんやわんやなら中も中々にてんやわんやしている状態だった。

 

 

「また後で声を掛けるから、フロアのことは任せた。忙しくてやばかったり指名が入ったらすぐに呼んでくれ」

 

「分かった。私もフォロー入れるところは入るから」

 

「助かるよ」

 

 

また後でと、ナギはフロアへと戻って行った。

 

フロア専任と厨房専任が居るが、俺と一夏は状況に応じて両方に対応している。加えて鷹月やナギなんかも両方のポジションをこなすことが出来るため、基本的にはフロア担当だが厨房がどうにも回らなくなった際のヘルプ要員として、万が一の時はフォローに入ってもらうようになっている。

 

決して厨房の動きが悪い訳ではないが、キャパを超えたオーダーが入ってしまっていていくら作っても伝票が減っていかない。とは言っても一度教室内に設置した席は満席の状態になった。つまり主食系の大きめなオーダーは席が空いた分しか入ってこない。ここからは一気にオーダーの数は減っていくはず。

 

大手ファミレスチェーンのように長時間ゆっくり出来る訳でもないし、追加オーダーが入ってくる可能性も低い。だから一度今入っているオーダーを片付けてしまえば一旦は落ち着くはずだ。

 

 

「霧夜くんごめん! ちょっと入ってもらっていい?」

 

「了解! 三番卓のオーダー、時間が掛かるハンバーグを先に焼いて、待ってる間にサイドを系を完成させよう。後ハンバーグの付け合わせは今のうちに多目に作って、後々手間かけないように準備を頼む!」

 

「分かった!」

 

「パスタは茹で上がったものから俺に渡してくれ、こっちでトッピングは纏めて行うから分業してやろう。茹で時間だけ間違えないように!」

 

「う、うん! 分かったよ!」

 

 

若干右往左往してばたつき始めていた厨房の真ん中に立ち、それぞれの担当に指示を出して回転をさせる。とにかく今残っているオーダーは綺麗に片付けようと指示を出しながら、渡される料理に最後の仕上げを施してフロア担当の生徒に渡していく。

 

提供が遅れて完全に冷えてしまった料理を食べようとは思わないし、折角来たのだから美味しいものを食べて幸せになって欲しい。いかに早く出来立ての状態で提供が出来るか。料理の見栄えが崩れないように注意をして盛り付け、飾り付けを施していった。

 

指示が上手く行ったようで、厨房内の動きも良くなり溜まっていたオーダーも少しずつ減り始める。

 

 

「ん、ナイス火加減。このハンバーグは絶対旨いぞ」

 

 

動きも良くなると余裕が出てくると自然と料理自体のクオリティも高くなる。熱々のまま流されてくるハンバーグに熱したデミグラスソースを掛け、その上に程よく半熟になった目玉焼きをのせた。お店で出しても違和感の無い完成度に思わず唸らざるを得ない。

 

 

「霧夜くん! パスタの最後の仕上げお願い!」

 

「よっしゃ、いいタイミングだ! ハンバーグと一緒にパスタも出すから少し待っててな!」

 

 

茹で上がったパスタが渡される。

 

既に作り置きしておいたクリームソースは煮詰まらないようにフライパンで熱しており、頃合いを見計って茹で上がったパスタを少量の茹で汁と共に投入した。

 

パスタ用のトングを使って素早くクリームソースと麺を絡め、沸騰しないギリギリの温度で大皿へと盛り付けた後、中央にイタリアンパセリを添えて完成。

 

ハンバーグと同タイミングで出せたことでお客様を変に待たせることもない。

 

 

「よし、これである程度追いついた!」

 

「大和、そろそろ交代の時間だ! 何人か大和指名の客が入っているんだけど行けるか?」

 

 

タイミングよくフロアでの接客を終えた一夏が戻ってくる。

 

時間的にも俺と一夏のメインポジションが変わる時間だ。加えて溜まっていたオーダーも粗方捌き切ったところだし、残っているオーダーも既に対応を始めており、後は火が通った料理たちを盛り付けて提供するだけの状態にしてある。

 

もしオーダーが溜まっていたら少し残って手伝おうと思っていたが、現状ならチェンジしても大丈夫だろう。

 

 

「分かった。今入ってるオーダーは大体片付けたから、最後の仕上げだけ任せても大丈夫か?」

 

「おう、任せとけ!」

 

 

一夏にバトンタッチをして代わりに俺がフロア対応に入る。

 

そこから小一時間ほどピーク真っ盛りの時間帯に突入するわけだが、幸い皆の連携も良く何とか無事に乗り切ることに成功した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……これでちょっと落ち着いたか」

 

 

相変わらず客足は絶えないものの、いつぞやのピークに比べると少しばかり客の入りが落ち着いてき始めた。ひっちゃかめっちゃかしていた厨房、バタバタとフロア担当が駆け回っている光景も無い。とはいえ朝から働き詰めだったクラスメートたちの顔には若干の疲労の色が見えていた。

 

実際のところクラスにいる何人かは運動部か文化部のどちらかに所属している。そうなると各々の部活の出し物の手伝いなどで出て行ってしまうこともあり、煽りをくらって休憩も取れずにここまでぶっ続けで働いている人がいるのも事実だ。

 

そこは如何にシフトを組もうにもどうしようもないところだった。だからこそ落ち着いてきたこのタイミングで休憩を回し始めても良い頃だろう。

 

 

「あ、霧夜くん。お疲れ様」

 

「鷹月か、お疲れ。朝から鷹月が居てくれて本当に助かったよ。悪いな、ずっと働き詰めになっちゃって」

 

 

少し落ち着き始めたことで会話にも余裕が生まれる。

 

鷹月に関してはピークの時も一人冷静に指示出しをしていたし、フォローも上手かった。何よりアクシデントがあった際の連携も早かった。皆確かに頑張ってくれてはいたが、今日の総合した働きで言うとMVPの一人なのは間違いない。

 

あれだけ冷静な判断や機転の効いた動きが出来ているにも関わらず、本人は接客経験は無いって言っているのだから、人よりも視野が広いんだろう。

 

美人で気配りも出来る、彼女を将来の嫁さんに出来る人は幸せ者だな。

 

 

「ううん、私は大丈夫。そんなことより霧夜くんこそそろそろ休憩に入りなよ! 今は落ち着いているし、シフトだと部活動の出し物に行っている子たちも戻って来る時間だから」

 

 

と、さり気ない気遣いを向けてくれる。

 

朝から働き詰めなのは俺だけじゃなくて彼女も同じだろう。それでも周囲を優先してくれるのは彼女の優しさに違いない。

 

いや、本当に良い子だ。

 

 

「……それに一年に一回の企画なんだから、将来のお嫁さんと思い出を作らないとね♪」

 

 

どこかで見たような返しを再び見せてくれる。ウィンクしながら言ってくるあたり十中八九確信犯なんだろうけど、不思議と嫌な感じはしない。

 

 

「ってまたそれか! まだ籍は入れてないし、俺たちまだ高一なんだからちょっと気が早すぎるだろ?」

 

「ふふっ、そうだね。でも霧夜くんは満更でもないんじゃない?」

 

「ははは……」

 

 

鷹月のおっしゃる通り満更でも無い。言ってることが全部当たっていて何も言い返せない自分がいた。

 

将来のお嫁さん、か。

 

数年後の自分がどうなるかなんてあまり考えもしなかったけど、ごく一般な家庭を持って生活するのも悪くは無いかもしれない。いずれ俺も結婚したら家庭を持ち、新しい命も生まれて何もかもが違う生活を送ることになると考えると何とも言えない自分がいる。

 

平穏かつ多少の刺激がある生活。それは一番俺が求めているものなのかもしれない。

 

 

「あれ、大和くんも休憩?」

 

「あぁ。ちょうど落ち着いたみたいだし、そろそろ行こうかと思ってるよ」

 

 

鷹月と話していると使用済みの食器を手に持って厨房に戻ってきたナギと鉢合わせた。大和くんも……ってことはナギも一区切りついたら休憩入るように事前に言われているのだろう。

 

この現状だと入れる時に休憩に入らないと他のクラスメートたちの休憩も回すことが出来なくなってしまう。今は落ち着いてはいるが、またいつ混んで来るかなんて想像は付かない。

 

次の担当時間までは俺もナギも空いているし、今のうちに休憩に入って他のクラスの出し物を見回ってくるのも楽しそうだ。

 

 

「じゃあ着替えて休憩行ってきなよ。それに二人で出かける以外にも用事があるんだよね」

 

 

二人で学園祭を回るという目的は変わらないが寄るところがある。そのうちの一つが茶道部になる。というのも茶道部にはラウラが所属していて、俺たち二人にぜひ来てほしいとのこと。

 

朝にも絶対に来て欲しいと念を押されているため、休憩時間の間に立ち寄ることにしていた。だから今の時間ラウラはクラスにはおらず茶道部の方にいる。

 

 

「まぁな。じゃあお言葉に甘えて先に休憩もらうよ。鷹月もあまり無理しないように、お前の代わりは居ないんだから」

 

「え?」

 

 

執事服の上着を脱ぐ俺に鷹月はどこか意外そうな顔を浮かべる。

 

あれ、俺なんか変なこと言ったか?

 

言葉の文脈を思い返すも特段問題は無いように思うんだが……。

 

 

「あ……う、うん。ありがとう」

 

 

ほんのりと顔を紅潮させながら感謝の言葉を返してくる。何だろうあまり深く気にすると変なことになりそうな気しかしない。

 

 

「ねぇナギ。霧夜くんっていつもこんな感じなの?」

 

「うん。ただあまり大和くん自覚してないみたいだから……」

 

「そうなんだ。でもいつもナギが言ってることがよく分かったよ。これは確かにズルいかも」

 

「あはは……やっぱりそう思うよね」

 

 

ナギと鷹月、二人揃ってボソボソと何かを話している。声が遠すぎて残念ながら何を話しているかまでは聞き取ることが出来なかった。

 

 

「大和くん。私ちょっと着替えに時間がかかると思うから何処かで集合にしない?」

 

「そうだな。なら階段の踊り場の前で一度落ち合おう。今日に関してはどこもかしこも人混みまみれだけど、流石に教室の前じゃ目立つだろうし。そこでも大丈夫か?」

 

「うん、分かった。それじゃまた後で」

 

 

そうと決まれば善は急げ。

 

女性に比べると男性の着替えは幾分早く済む。手短に制服へと着替え直し、俺は階段の踊り場へと一足先に向かうことにした。



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仲睦まじい兄妹

一足先に教室を出た俺は既に階段の踊り場まで来ていた。有名になるのも困りもので、教室を出た俺を待っていたのは生徒や外部の来場者全員の視線の数々。

特に何かを企てているような人間はいないが、ヒソヒソと俺に聞こえないレベルの声で噂をされるのも中々に来るものがある。まるで入学した時の状態に戻ったような気分だ。

 

一度過去に味わっているから慣れている……なんてことはなかった。

 

慣れるはずがない。

 

後どれくらいで来るのだろうか。廊下の壁に寄りかかりながら、絶賛着替え中のナギを待つ。

 

と。

 

 

「あの、すみません。少しお時間よろしいですか?」

 

「……はい、何でしょうか?」

 

 

俺の背後から不意に話しかけられる。声が聞こえる方に無意識に身体が反応し振り向いてしまった。

 

当然ながら俺はこの女性を知る由もない。

 

明るめの茶色のロングヘアーに、すらりと伸びた健康的な美脚。

無駄のない引き締まった肉体にぴったりとフィットした黒のビジネススーツを纏った美人な大人の女性という印象を受けた。一般的な言葉で言い表すのであればどこかの企業に所属しているキャリアウーマンってところだろう。

 

わざわざIS学園の学園祭にスーツで来る。かつピンポイントで男性である俺に話しかけて来たってことは、IS関連の会社の人間なのかもしれない。少なくとも一般の来場者と同格に見るには多少の違和感があった。

 

 

「失礼しました。私、こういうものです」

 

 

差し出された名刺には『IS装備開発企業みつるぎ渉外担当・巻紙礼子』と書かれている。聞いたことの無い企業名にすっと目を細めた。とはいえIS装備の開発企業は数知れない。企業の規模も様々だ。そうなってくると全ての企業を洗い出すことは正直不可能に近い。

 

 

「担当の営業さんが俺に何の御用でしょう? 今日は何のアポイントも取っていなかったかと思うのですが……」

 

 

ありがたいことに俺の専用機、不死鳥にも追加装備を搭載しないかといった営業は多方面からいただいている。企業からすれば世界でISを操縦出来る男性に装備を使ってもらう事で大きな宣伝効果を得ることができるからだ。

 

俺の場合はまだ少ない方で、一夏の場合は俺以上に多くの営業をされていると聞く。実際に今年の夏休みは幾多もの商談の席に呼ばれて休みらし休みはほとんど潰されてしまっていたらしい。

 

一夏が多い理由は専用機の開発室が大きく影響しているように思われる。

白式の開発室である倉持技研が後付け装備の開発が出来ていないことで、各国の企業は躍起になってアプローチしてくる。少しでも自社の開発した装備を採用してもらい名を売ろうと。

 

一方で俺のISは篠ノ之博士お手製のISだと公表されている。故に装備を使って欲しいという話よりかは、うちの企業に所属して欲しい的な話を貰う方が多い。間接的に篠ノ之博士を囲い込もうと思っているのかもしれないが、そんなことを考えたところであの人が捕まるはずがない。

 

俺自身も大概を二つ返事で断ってしまう。この機体に追加装備を追加しても大丈夫なのかどうか現状何一つ分からない上に、企業に所属したところで俺にメリットらしいメリットも感じられない。貴重な男性操縦者である以上、取り合いになることは目に見えている。

 

振り回されるのは好きじゃない。

 

 

「はい。霧夜さんに是非わが社の装備を使って頂けないかと思いまして」

 

 

予想通りだった。

 

様々な人間が来場する学園祭はいくら警備を整えたとしても、入場券を持っていて害がないと判断されてしまえば通される。つまりそれは勧誘目的の企業であっても入場出来てしまうことになる。警備を突破してしまえば後は目標を見つけるだけ、今回の場合だと一夏や俺が当たるのだろう。

 

営業されたとはいえ俺からの答えは決まっている。

 

ノーだ。

 

 

「……ありがたい提案ではありますが、まずは学園側から許可を取ってからお願いします。この状態で話を聞けというのも無理な話なので」

 

 

大体俺は営業を受けるためにこんなところにいるわけではない。あくまでプライベート、ナギと学園祭を回るための待ち合わせとしてここにいるに過ぎない。

 

立ち話でマニアックな話を続けられる訳がないのは当然で、プライベートの時間でかつ事前のアポイントもなく自己のことだけを一方的に話を進めるなんてのは失礼にもほどがある。

 

 

「そう言わずに! こちらの追加装甲や補助スラスターなどいかがでしょう? さらに今なら脚部ブレードもついてきます!」

 

「いや、結構ですので」

 

「そこをなんとか!!」

 

 

毅然とした態度で断るも、畳み掛けるようにグイグイと営業を掛けてくる女性の態度に若干のめんどくささと苛立ちを覚える。全員が全員そんな営業とは思わないけど、ここまでパワー系で来られると話を聞く気すら失せてきてしまう。

 

もちろん業種によっては多少ガツガツ行かなければならない事があるのは十分承知しているものの、そもそも話を聞く体制が出来ていない俺に対してマシンガンのようにゴリ押しトークをしてくるのはどうなのかと思ってしまう。まずはせめて俺が話を聞く体制を作って欲しいところだ。

 

それに何かこの女性の態度……随分と猫を被って取り繕っているように見える。本来はもっと過激な女性なのか、丁寧な口調の節々にカドが感じられた。

 

ちょっと語気を強めて追い払おうかなどと考えていると。

 

 

「ごめん大和くん。お待たせしまし……え?」

 

 

タイミング良く女神が現れた。

 

今来たばかりのナギは当たり前ながら現状を把握していない。俺と対話をする女性の姿を交互に見ながら『知り合い?』とでも聞きたげな表情を浮かべる。

 

 

「あぁ、ごめんなさい。これからちょっと彼女と回る予定がありまして……話はまた後日に改めて」

 

「あっ……」

 

 

巻紙さんに対して一礼をすると、ナギの手を引いて階段の踊り場から離れる。強制的に話を区切られたことで何かを話し出そうと声が漏れるも、今は装備の説明を聞いている暇はない。

 

多少の申し訳なさはあるが、本気で自社装備を使って欲しいと思うのであれば後日学園側にも連絡が入るだろう。

 

……もし彼女が本当に『みつるぎ』の職員であれば。

 

 

一見するとただの押しの強いキャリアウーマンかもしれないが、彼女の言動に些か違和感があった。

 

まず彼女の立場はフロントマンだ。対個人、もしくは対企業と商談を行い、契約を取り付ける立場になる。しかも相手は今注目されている男性操縦者の片割れで、一夏ほどの注目度は無いかもしれないが広告塔としては十分に活用出来るはず。

 

この場で成果を出す事が出来なくとも何とか自社の名前を売っておきたい、もしくは今後利用してもらう為にも良いイメージを持たせておきたいと思うのが普通だろう。

 

少なくとも今の一件で俺の中での『みつるぎ』へのイメージはあまりよろしいものではなくなった。

 

 

ではたまたま今回来たのが新人だったのか?

 

いや、その線も考えにくい。絶好の広告塔として利用できる俺や一夏に対して、経験も浅く交渉力も弱い営業に担当させるだろうか。常識的に考えれば経験に長けているベテランを起用するはずだ。ましてやアポなしで突撃してくるだけでなく、初対面の相手に対して一方的に自社の説明だけを押し付けるような営業は御法度で、相手のイメージを下げるだけになる。

 

企業としてブランドイメージを下げることは今後の経営を傾ける可能性もあった。そんなリスクを孕むような営業をしたところで何のプラスにもならない。

 

 

考えすぎかもしれないが、ゴリ押しをしてでも俺と接触する必要があった……と考えることも出来る。

 

企業に属する人間なら自社のイメージを損なう行為は自重するんじゃないか。それでもリスクを承知でやってきたとなると、本当に必死で周りが見えていなかったか、確信犯的に何らかの目的で接近出来れば良いと考えたかのどちらかになる。

 

目的……例えば不死鳥の情報を、あわよくば機体を手に入れるとかな。

 

まぁあくまで仮定の中での話になる。本当かどうかは今の段階では切り分けられない。

 

 

歩いている途中で後ろを振り向くも、巻紙さんが追いかけてくることはなかった。

誰もいない場所ならまだしもこれだけ人が行き来する場所だ。もし追いかけようものなら目立つし、場合によっては学園から強制的に追い出すことも出来る。

 

 

「あ、あの……」

 

 

学園内にいる以上また会う可能性もあるけど、また会ったなら会ったで仕方ない。俺の中では唯一の自由時間を邪魔されたくなかっただけだ。

 

 

「や、大和くん」

 

「あーごめんなナギ、急に引き連れてきちゃって」

 

 

状況が読み込めないのに何の説明もせず連れてきてしまったため、混乱する様子のナギ。バタバタと忙しなくしてしまったことに謝罪をするが、ナギの顔がほのかに紅潮していた。

 

 

「う、うん。それは大丈夫なんだけど……あの、手が」

 

「手? 手がどうし……あ」

 

 

全く気にしていなかったが、人混みに紛れ込んでしまったせいで今の俺たちはそこそこに目立っている。IS学園の男性操縦者がいる、特に一般来場者からの視線を多く感じる事が出来た。

 

挙句の果てに異性である女の子と手を繋いで現れたともなれば、嫌でも目立つことになる。そこでようやく状況を把握した俺はそっと手を離した。流石に来場者がいる中で手繋ぎを続ける度胸は俺にはない。

 

 

「ご、ごめん。こんなところで嫌だったよな」

 

「ううん。嫌じゃないんだよ? ただ人前だからその……恥ずかしくて」

 

 

赤面する顔を隠すように手で覆うと、キョロキョロと視線を彷徨わせながら俺のことを見つめてくる。もちろん身長的には俺の方が高いため、自然とナギは上目遣いになる。

 

……自分、抱きしめて良いですか?

 

何だこの可愛い生き物は。一家に一人居てくれたら毎日のように癒されること間違いないだろう。今すぐにでも抱きしめたい、頭を撫でてやりたい衝動をぐっと飲み込み平静を装って言葉を続けた。

 

 

「そ、それよりこの後どうしようか? 一箇所はもう行くところ決まっているけど、それだけだと時間余るだろうし」

 

 

若干噛んでいるが気にしたら負けだ、気にしないでくれ。

 

話を戻すとこれから向かうのは茶道部、学園祭前から是非きて欲しいとラウラに勧誘されていた。ラウラが茶道といわれると少しイメージがし辛いところがある。

 

ただイメージがし辛いだけで元々の容姿は優れているものがあるし、和服なんかは凄く似合うだろう。

むしろ似合わない訳がないと断言が出来る。ラウラの容姿は学園どころか一般世間で競ったとしても極上クラス。雑誌にモデルとして掲載されていたとしても何ら不思議はないレベルだ。

 

良くお人形さんのような可憐な容姿なんて言われるが、浮世離れした容姿を持つとはまさにこのことに違いない。

 

最近俺の感覚がおかしいのかと思うくらい、周囲には超高レベルの美少女たちが多い。ここまで男性の理想を叶える環境は世にも珍しいにも関わらず、俺は何気なく学生生活を謳歌しているわけだが。

 

後ろから刺されても文句は言えないかもしれない。

 

 

「うーん、どうしようか。あっ、大和くん。陸上部の出店にも行くよね?」

 

「あー、そうだそうだ。来て欲しいって言われてたんだよなぁ」

 

 

忘れかけていたがもう一つ寄る場所があった。それはナギの所属する陸上部が出店してる出店に立ち寄ること、なんでも屋台系の出店を開いているらしい。

 

先日の件でのお礼も改めてしておきたいし、その二つを回っていて後はどこかに立ち寄れば、クラスに戻る時には丁度いい時間になるだろう。

 

 

「よし、となるとまずはラウラの方に行こうか。妹の頑張っている姿を兄としては見てやらないと」

 

「ふふっ、そうだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ! お兄ちゃん!」

 

 

茶道部の部室を開くと中にいたラウラが真っ先に反応した。喜ぶ犬が尻尾を振るように駆け寄ってくる。予想通りラウラは和服を着ていた。銀髪に眼帯に和服と中々にアンマッチな組み合わせかと思いきや、流石はラウラ、ものの見事に着こなしている。

 

ラウラが座っている周辺にいるのは同じ茶道部の部員だろうか、距離感を見るにどうやら良好な関係を築けているようだった。

 

俺の登場に少し驚いたような表情を浮かべ、ラウラの後を追うように近寄ってきた。

 

 

「よっ、ラウラ。元気にやってるか?」

 

「うむ! 今日は私に精一杯おもてなしをさせて欲しい」

 

 

ぐっと体の前で握り拳を作って意気込む姿を見ると相当気合が入っているようだ。

 

 

「ははっ、そうか! なら楽しみにしてる。それと……」

 

「む?」

 

「和服、よく似合ってるぞ。いつもの制服も良いけどやっぱり和服も可愛いと思う」

 

 

ラウラの和服姿を褒める。

 

改めての感想になるが凄くよく似合っている。普段は制服か軍服をきている姿しか見ることがないラウラだが、こうして実際に見てみるとやっぱり違う。

 

着せられている感じではなくて見事に着こなしている。一瞬何を言われたのか分からずぽかんとするラウラだったが、やがて言われたことを把握して顔を真っ赤にした。

 

 

「かっ! かかかかか可愛い!? わ、私がか!」

 

「あぁ、可愛いと思う。自分でその和服は選んだのか?」

 

「う、うむ。こんな和服だったら私に合うかなと思って……」

 

「そっか、良いチョイスだな。本当びっくりした。ナギもそう思うだろ?」

 

「うん! ラウラさん凄く可愛い。自分の普段着みたいに着こなしちゃってるのが凄いよね」

 

「お、お姉ちゃんまで! う、うぅ……」

 

 

俺の背後にいるナギからも褒められたことで、ラウラは顔を赤くして小さく萎れてしまう。面と向かって可愛いと言われることにまだ慣れていないようだ。それこそ臨海学校の前くらいまでは制服と軍服があれば今の生活には困らない的なことを言っていたのに、わずかな期間で見違えるほどファッションに気を遣うようになった。

 

最近は同室のシャルロットとよく服の着こなしや流行のファッションについての話をすることも多いらしい。流行りに敏感なシャルロットが近くにいることはラウラにとって大きなプラスになっているのかもしれない。

 

とはいえまだまだデリカシーというか、俺に対しての恥じらいとかはあまりないようだ。女性用下着のパンフレットを持ってきて『お兄ちゃんはどれが好みなんだ!』は笑った。ちょうどシャルロットと新しい下着についての話をしていたらしく、折角だから他の人の意見も聞いてみようとのことで、何故か異性である俺に聞きにきてしまったわけだが、あれは爆笑ものだった。

 

 

「わー霧夜くん来てくれたんだー!」

 

「茶道部に所属しててよかったっ! 神様ありがとう!」

 

「ねぇねぇ後で皆で写真撮ろうよー!」

 

 

と、ラウラ以外の茶道部員からも盛大な歓迎を受ける。一人に関しては神様にお礼言っちゃってるし。皆それぞれに和服を纏っているがやはり着せられている感じはしなかった。

 

 

「あら、霧夜くんの隣にいる方は彼女さん?」

 

 

不意に部員の内の一人が嬉々として訪ねてくる。その聞き方に嫌味な感じはなく、純粋に気になっているようだ。このタイミングで異性と一緒に出し物を訪れたら不思議と気になるのも無理はない。

 

学園内を二人で出歩くこともあったし、もしかしたら見られていた可能性もある。どちらにしても俺がナギと行動を共にすることが多いのは割と周知の事実。

 

俺たちの関係について気にする生徒は多い。ワクワクと楽しみなアトラクションを待っている幼い子供のように目をキラキラとさせる部員たちだが、どう答えようか。

 

 

「はぇ!? あの……その……はぅ」

 

 

隣のナギは恥ずかしさから顔は真っ赤。耳まで赤くしてしどろもどろになり、動きはロボットのようにぎこちないものへと変わる。視線だけは俺に助けを求めるように見つめてくるが、ナギの反応だけでどんな関係かはお察しがつく。

 

 

「ふふ、お姉ちゃんはお姉ちゃんだぞ!」

 

「いやラウラ、それ説明になってないから」

 

 

腰に手を当ててドヤ顔で説明をするラウラに反射的に突っ込む。授業ではあんなに分かりやすくて論理的で説得力のある内容を説明出来るのに、人の説明となると途端に端的なものになる。

 

ラウラらしいっちゃらしいがこれではよく分からない。案の定他の部員たちはよく理解出来ずにキョトンとしちゃってるし。

 

今までなら隠そうと思っていたけどもう隠したところで仕方がない。それにこの人たちなら教えても大丈夫だろうと、俺の勘がそう言っていた。

 

人心掌握には自信がある、そこは信じて欲しい。

 

 

「えぇ、そうです。俺の自慢の彼女です」

 

「……あぅ」

 

 

問い掛けてきた内容に関してはっきりと肯定をする。可愛らしい声を出してナギはショート寸前。

 

 

「やっぱりね! あー良いなぁ、自慢の彼女って言ってくれる彼氏なんて羨ましいなぁ〜」

 

「でも彼女さんも美人だしお似合いだよね。私たちにも素敵な彼氏出来るかなー」

 

「やっぱり胸も欲しい……いや待って、きっと貧乳にも価値はあるわ、だって希少価値も高いもの、ステータスだもの……」

 

 

口々に出て来るのはやっぱりそうだったのかと納得の意見ばかりだった。一人は何故かナギの胸元を凝視したまま死んだ魚の目をしているけど……うん、そこに関しては俺は触れてはいけないところだろうし、触れるのは控えておこう。

 

確かにナギは大きい。

 

クラス内でも相当なものだ、実際に触るとその質感や大きさが良くわかる。

 

 

さて、幸いなことに部員たちの反応は決して悪いものではなかった。認めたとはいえあまり広められると困るし、とりあえず軽い口止めだけはしておくとしよう。

 

 

「そこで一つお願いが「あ! 秘密にしておくから大丈夫だよ!」……左様ですか」

 

 

俺が何を言おうとしたのか分かったようで、言い掛けている途中で言葉を遮られた。物分かりが良いというか、凄く機転がきくメンバーが多いようで嬉しい限り。

 

こんな恵まれた環境で活動出来るだなんてラウラも恵まれている。先日の汚い上級生の一面を見てしまったがために、あまり先輩に対して良いイメージが残ってないんだけど、こんな一面を見ることが出来ると俺の心も救われる。

 

 

「そうだお兄ちゃん、早速私がもてなすとしよう!」

 

「あぁ、肝心な本題を忘れてたわ。えーっと……」

 

「霧夜くんと後彼女さんはこちらに」

 

 

本題から盛大に脱線してしまったが、俺たちの目的はラウラのもてなしを受けること。部員の人に目の前の畳へと誘導されると靴を脱いで座った。

 

俺に釣られるようにナギも隣に座る。茶道は記憶も朧げな昔に授業の一環で教えてもらったことがある。おおよその流れは何となく覚えているが、細かい作法までは残念ながら認識していない。

 

それでも大丈夫かと事前にラウラに確認したところ、そこまで細かいところまで気にする必要はなく、純粋に茶道の雰囲気を楽しんで欲しいとのことだった。

 

 

「……」

 

 

お茶を目の前で立てるラウラの姿が映る。先ほどとは違った真剣で凛とした表情に思わず釘付けになる。

 

細かい作法なんて知らない俺でも分かるそのシルエットの美しさ。小柄で無邪気で子供っぽい性格のラウラが、今この場だけは歳不相応に大人びて見えた。

 

準備が終わり、やがて俺たちの前に立てたばかりのお茶と少し小洒落た茶菓子が差し出される。確か茶道では茶菓子を食べた後に抹茶を飲むんだったっけ、多少朧げになっている記憶を蘇らせながら茶菓子へと手を伸ばす。

差し出された茶菓子を口へと運ぶと独特の甘い風味が口の中に充満し、空腹だった胃袋を刺激した。そこそこ上品で高目なものを使っているのかもしれない。

 

食べ切った後、続け様に立てたばかりのお茶を右手で取り、左の手のひらにそっとのせるとバスケのボールを支えるように左手で茶碗を支えた。

 

軽く一礼をした後に時計回りに二回回し、口の中へと含む。熱すぎずぬる過ぎず……程よい温度感の抹茶が身体を満たしてくれた。量としては決して多いわけではないが、抹茶独特の風味が身体に大きな満足感を与えてくれる。

 

 

「結構なお手前で」

 

 

何もかもが文句なしだった。茶道の一連の流れに少し感動してしまったかもしれない。俺からの返事の内容にラウラも安心したらしく、肩の荷が下りたようにふぅと一つ息を吐いた。

 

 

「ラウラさん。褒めてもらうために凄く練習してたもんね?」

 

「な!? そ、それは言わない約束では!」

 

 

背後にいる部員の一人から暴露されて再度赤面するラウラ。俺は別に言ったもいいんじゃ無いかと思ったけど、ラウラからすれば秘密にして欲しいことだったらしい。

 

それにしても『ラウラさん』か、クラスではまだ『ボーデヴィッヒさん』って呼ばれることが多いことを考えると、如何にラウラのことを信頼してくれているのかがよく分かる。

 

 

「ほう……そうなのか」

 

 

それにしても褒めてもらうために……か。

 

なんて健気な妹だろうか。

 

俺には妹がいたことはない。だがこうして血が繋がってはいないとはいえ、ラウラが俺のことを本当の兄として慕ってくれる姿を見ていると自然と心が温まる。

 

今の感じを見ているとラウラは俺の手を離れたとしても自分でやっていけるだろう。俺が何かを言う必要も無いくらいに成長してくれていた。

 

 

手を離れていく妹か……いつかは来ると思うと少し寂しい気持ちになる。

 

 

「ラウラ、ちょっとこっちにおいで」

 

「お、お兄ちゃん! 私は別に……わふっ!?」

 

 

チョイチョイと手招きをしてラウラを呼ぶと、その無防備な頭を優しく撫でる。頑張る理由が不純だとでも言われると思ったのかもしれないがそうじゃない。

 

 

「ありがとう、俺たちのために練習してくれて」

 

 

むしろラウラには感謝の言葉しか見当たらなかった。練習したと言うが代表候補生でありドイツ軍の少佐として立場上、決して暇では無かったはずだ。少ない時間を使って、少しでも俺やナギが喜んでくれるように頑張ったに違いない。

 

誰かに喜んでもらうために頑張ること、頑張れることが不純であるはずがない。

 

兄として誇らしい限りだ。

 

 

「う……ん……」

 

 

気持ちよさそうに目を細めるラウラ。自分がやられてもこっぱずかしくなってしまうだけだが、ラウラに対して頭を撫でる行為は効果テキメンらしい。

 

 

「お兄ちゃん……」

 

 

人目も憚らずギュッと抱きついてきた。

 

同い年なのに本当の妹のように甘える姿が可愛らしい。不思議とそこに変な気持ちは無く、純粋な慈愛のような感情でラウラと接する。

 

 

「わーラウラさん大胆!」

 

「だ、大胆では無い! 私は妹としてお兄ちゃんに甘えているだけだ!」

 

「いやいやー見せつけてくれちゃってー!」

 

「ううっ! だ、だから違うと!」

 

 

ギャーギャーと騒ぐラウラを温かい目で見つめる俺やナギ、そして部員たち。仲睦まじいやり取りは十数分に渡って繰り広げられた。



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生徒会演劇灰被り姫(プロジェクト・シンデレラ)、始動

「久しぶりにやると茶道って良いもんだな。こう、心が洗われるというか……純粋を楽しめるというか」

 

「大和くんもそう思うんだ。私も久しぶりだったけど楽しかったなぁ」

 

「そりゃ良かった。ラウラもきっと喜ぶぞ」

 

 

茶道部の部室を後にし、俺とナギは新たな目的地である陸上部の出店へと向かっていた。

 

しかし改めてラウラの成長には驚かされるばかりだ。ドイツの冷水と恐れられていた一学期のことが嘘のように思えるくらい明るく朗らかな子へと変わった。誰かに喜んで貰おうと一生懸命取り組んでいる姿を見ていると何より嬉しく誇りに思える。

 

最後の部員たちからのからかいも前までなら躍起に応戦していただろうに、今では照れて赤くなるだけ。むしろ助けてくれと俺に助けを求めるように。

 

可愛らしくなったもんだ。

 

そんなラウラも最後は練習してきたことがしっかりと出せたようで満足げな表情で見送ってくれた。休憩時間が終われば俺もナギもラウラもクラスの出し物へと戻る。忙しくてそれどころじゃ無いかもしれないが、そこでまた軽く話をしようと思う。

 

 

話しているといつの間にか出店が並ぶコーナーに差し掛かっていた。ここは運動部がメインに出店しており、主に食べ物系の屋台が並んでいるエリアとなる。フライドポテトに焼き鳥、たこ焼きに焼きそばに綿あめと……ここは季節外れの夏祭り会場かと思わずツッコミたくなる。

 

やがて屋台の一角に俺たちの目的である出店を発見。中にいる人物とふと目が合うと、真っ先に声を掛けられた。

 

 

「やあ霧夜くん! 来てくれたんだね!」

 

「はい、ちょうど休憩時間になったもので。それにしても凄い賑わいですね」

 

 

中で作業をしていた人物が表へと出てくる。先日色々と世話になった陸上部部長。ボブカットが似合うボーイッシュな人だ。性格も幾分サバサバしているというか、あまり細かいことは気にしないタイプだった。

 

実は昨日のうちにここ数日間のことを報告しに行っている。いきなり髪が短くなったナギの姿には流石に驚きを隠さないでいたものの理由を話すと納得。蛮行を働いた連中には怒りこそするも、そこまで深く引きずるようなことはしかった。

 

わざわざ報告に来たってことはもう全てが終わったってことだろうし、終わったことに対して私が追撃して言うことは無い、だそうだ。ただナギのことは本気で心配をしており、無事に戻ってきてくれて良かったと心の底から声を掛けていた姿が印象的に残っている。

 

先輩の優しい姿に思わずナギは号泣。

 

先輩からの気遣いは嬉しかったし、本音を言えば相当辛かったのだろうと容易に想像出来た。

 

 

「本当にね、今日は朝からこんな感じよ。霧夜くんのクラスも凄いことになってそうじゃ無い?」

 

「ははは、おっしゃる通りで。朝からひっきりなしに行列状態でてんやわんやですよ。まぁひと段落したんで、俺とナギは休憩入れたんですけどね」

 

 

一時は休憩無しも覚悟をしたが、優しいクラスメートたちに休憩を貰えたためにこうして自由時間を謳歌出来ている。今クラスで対応してくれている子たちには感謝の言葉しか出てこない。

 

 

「ところで陸上部の屋台は……おでん?」

 

 

屋台の方へと視線を向けると大きな鉄製の箱の中に大量に投入された具材の数々が確認出来た。熱々の出汁に絡まって空中には湯気が立ち込めている。

 

 

「うん、おでん。季節的には少し早いかもしれないけど、逆に物珍しいから食べたくなるでしょ」

 

 

コンビニなんかは夏期の間におでんを売り出すことは無く、食卓からも消えることが多い。決して美味しくなくなるわけではなく、純粋に何をしなくても暑い期間におでんを食べたいかと言われると、嫌いでもなければ食べたく無いわけでも無いが今はその気分じゃ無いと遠慮してしまう。

 

だからこそ少し季節外れのものを目の当たりにすると急に食べたくなる。長い間離れていた友人と久方ぶりに会うと、すぐにでも遊びたくなるような気分と少し似ているかもしれない。

 

なるほど、面白い発想だ。

 

結果はご覧の通り大盛況。おでんの屋台の前は人だかりで溢れている。継続的にやったらどうなるかなんて分からないが、単発的に今日だけしかやらないとなると物珍しさから立ち寄ってしまう。

 

 

「それに今年は織斑くんの入部の件も掛かっているからね。みんなのやる気も違うよ」

 

 

楯無から発表された催し物で一位になった部に一夏強制入部させるというもの。おかげさまでどの部活も例年以上に気合が入っているそうだ。

 

一夏の意思関係無しに景品として祭り上げるのは正直なんとも言えないが、それで結果学園祭がいつも以上に盛り上がっているのも事実。

 

楯無のことだから何か考えがあっての企画だと思うし、意味もなく一夏を景品にするとは思えない。

 

 

「あっ、霧夜くんの入部はいつでも受け付けてるから! 気が変わったらいつでも言ってね?」

 

「ありがとうございます、そこは少し考えておきます」

 

 

俺に対する勧誘も随分と熱心にしてくる。あくまで諦めてはいないってことなんだろう。ただ無理矢理入部させようとする訳ではなく、あくまでこちらの意思を尊重しようとしているところに好感がもてる。

 

幸いなことに俺はどこの部活にも所属をしていない。どこかに所属をしろと言われれば入部することは出来る状態にはある。もちろん立場上全部の活動に参加することが出来ない可能性が高いため、あえてどこにも所属せずにここまできた訳だが、もし入るとしたら陸上部は選択肢の中の一つに入れてある。

 

知っているとは思うが俺は運動が嫌いな訳では無い。時間があるのならいくら運動しても良いくらいだ。

 

 

「あ、ごめんね、全然関係無い話をつらつらと。折角来てくれたんだから美味しいおでんを食べていって欲しいな。用意してくるからちょっと待ってて」

 

「え、あの……お金は!」

 

 

じゃあ! と踵を返して屋台へと戻る先輩にたまらず声を掛ける。まだ俺たちは代金を払っておらず、このままでは無銭飲食になってしまう可能性を恐れて慌てて制服のポケットから財布を取り出そうとする。

 

と、そんな俺たちの様子を見ながらニコリと笑って見せた。

 

 

「今日は私からの特別サービス! お代はタダで良いよ」

 

「えっ!?」

 

 

ただで良いと言い張るものの、逆にどこか申し訳ない気持ちが湧き上がってくる。接待として迎えられるのであれば分からなくもないが、今回はお誘いに乗じただけで接待を受ける予定は全くない。

 

 

「いいのいいの! 霧夜くん、君には恩もあるしね。それの精算とは言わないけどこれくらいは返させて欲しいな」

 

 

それでも恩があるからと言う。俺自身が何か恩を売るようなことをしたかと瞬時に考えるが特段思い付かない。何だろう、俺が覚えていないところで何か手助けをしたことがあるとでも言うのか。

 

 

「……あの、本当に良いんですか? それに俺、なんかしましたっけ?」

 

「えぇ。だって霧夜くん、鏡を助けてくれたじゃない」

 

「はい?」

 

 

予想していなかった回答に思わず声が裏返った。隣にいるナギも目を何度も瞬きさせながら驚きを隠せないでいるも、すぐに納得が行ったかのような笑みを浮かべる。

 

助けてくれた……というのは先日の件のことを言っているのか。少なくとも一学期のクラス代表対抗戦で起きた無人機の襲来時のことを言っているわけではないはず。あれは箝口令によって全ての生徒が口止めをされていて、外部に話題が漏れるなんてことは基本的には考えられない。

万が一漏れることでもあればあらゆる手を使って出元を特定されるだろう。うっかり話そうものなら相応な処分が下されることになる。

 

そもそもナギが襲われたことを知るのは一部の関係者だけであって、あの場にいた一夏や鈴が口を割るとも思えないし、楯無やナギが全く関係のない第三者に口を滑らすなんてことは考えられなかった。

 

となるとやっぱり先日のことだと断定される。

 

 

「君が駆け付けてなかったらどうなるかなんて分からなかった。君のおかげで虐めも無くなって、鏡もこうして無事に戻ってきてくれた。私たちの大切な仲間を助けてくれたのだから感謝をするのは当然でしょ?」

 

「はぁ……」

 

「大和くんが思っている以上にみんな感謝してるんだよ。もちろん私もだけどね」

 

 

あなたは私の大切な人なんだからと少し顔を赤らめながら俺にナギは伝えてくる。二人の気持ちはよく分かったけど、俺の中で残っているモヤモヤした気持ちは晴れそうにない。

 

確かにナギは今こうして元気を取り戻して、いつも通りの状態に戻ることが出来ている。ただ俺の中では『駆け付けが遅くなったせいでナギが髪を切られた』という事実が先行してしまい、どうにも心の中に眠る蟠りが解消出来ていなかった。

 

ナギ自身はもう気にしないでと切り替えているようだが俺としては悔いても悔い切れない結果に。

 

もう二度と、同じ目に合わせてなるものか。

 

 

悔いを心の奥底に仕舞い込み、普段通りの表情で話を続けた。

 

 

「分かりました。ありがたくご馳走になります」

 

「ん、素直でよろしい。取ってくるからちょっと待っててね」

 

 

先輩は再び屋台の方へと駆けて行く。

 

人を陥れるようなどうしようもない人間もいれば、どんな人にも手を差し伸ばすことができる人間もいる。

 

この短期間で両極端な人間と出会ったわけだが、今後の学生生活を送る上で前者のような人間が現れないことを祈るのみだ。

 

 

「はい、お待たせ!」

 

 

俺が考え込んでいる内にプラスチックの容器を二つ抱えながら戻って来た。容器にはカツオ出汁が満遍なく染み込んだ具材たちとつゆが入っている。鼻腔を燻る香りが食欲をそそり空腹感をより増大させた。

 

シンプルに美味そうだ。具材も卵やこんにゃく、ちくわに大根に白滝と定番どころがよりどりみどり揃っている。こうしておでんを食べるのは久しぶり……かと思ったがそうではなく、実は夏休みに一夏の家へ遊びに行った際にラウラが作ったおでんを食べている。

 

最初は部下から教えて貰ったと三点セットの漫画おでんを作ろうとしていたそうだが、直前でナギが気付き、ちゃんとしたおでんを教えて軌道修正してくれたらしい。

 

あの時のおでんも濃すぎず薄すぎずの絶妙な味付けで美味しかったんだよな。ナギに出汁などの分量とかはレクチャーしてもらいながら作ったらしいが、教えて貰ったことを忠実に再現して出来るラウラも凄いし、そのレシピを人に教えられるナギも凄い。

 

ここ最近はもっぱら手作り弁当を作って貰ってるが、毎回毎回そのクオリティの高さに驚くしかない。使っている食材は特別豪華ってわけではないのに、一つ一つの具材を手抜きせずに込めて作っているおかげで、高級料亭顔負けの弁当になっている。

 

もし売りに出されていたとしたら多少値が張ったとしても迷わず俺買うだろう。

 

 

「さ、冷めない内に食べて!」

 

「はい、いただきます……ん?」

 

 

ふと出汁の香りを嗅いでいて気づいたことがある。

 

冷めない内にと伝える先輩に誘導されるように、備え付けの割り箸を使って中にある具材の大根を挟んだ。熱々の湯気を軽く冷ましながら、火傷しない温度に下がったことを見計らって口の中へと放り込んだ。

 

口の中に広がる暖かさと出汁の風味、一つ一つしっかりと噛み締めて味わう。見た目通りしっかりと出汁のしみこんだ大根は間違いなく美味い。それこそ学園祭の屋台で食べられるようなクオリティじゃない。

 

優しい家庭の味、心の底からしっかりと温まるこの感じ。

 

前にどこかで食べたことあるような……。

 

過去の記憶を辿っていつ食べたかと探っていくと一つの結論へと行きつく。

 

 

「もしかしてこのおでんって……」

 

「流石! やっぱり分かるんだね。そうそう、霧夜くんの思った通り、このおでんの出汁は鏡が仕込んでくれたんだ」

 

 

そう、俺が夏休みに食べたラウラのおでんとそっくりの味付けだった。当然不慣れな包丁を使ったことでラウラの切ってくれた具材は多少の歪さは残ったものの、今食べているおでんの味とほとんど変わらない。

 

疑問が確信へと変わり、少しスッキリした気持ちになる。

 

逆にこのクオリティを学園祭で再現出来たことが凄い以外の何物でも無かった。

 

 

「好きな人にも食べてもらおうって……な、鏡?」

 

「せ、先輩!」

 

 

先輩はニヤリとどこか意地悪そうな笑みを浮かべた。ナギは顔を赤らめながら何言ってるんですかと否定をしようとするもその否定の言葉は弱い。時折チラチラと俺の様子を横目に伺う様子が何とも可愛らしい。

 

……というか今日はナギに対して可愛いしか言ってない気がする。小学生並みの語彙力しか無い自分自身に笑うしかない。むしろ今の小学生の方がもっとまともなことを言いそうだ。

 

 

「美味しいよ。他の人には出して欲しくないくらいだ」

 

 

とても人様に出してはならないような味とかではなく、純粋に自分のためだけに作って欲しいと率直に思った。わがままがまかり通るならこの味を自分だけで独占したい。

 

大概俺も独占欲が強いのかもしれない。

 

 

「良いお父さんになるよ霧夜くん。毎日妻の料理を幸せそうにつつく旦那かぁ……いいなー、すごく憧れるよ」

 

「旦那って……旦那……えへへ♪」

 

 

結婚生活は学生である今の時点でも憧れるものらしい。将来のことを想像してしまったようで、頬に手を当てて顔を赤らめながらナギはトリップしてしまう。一体どんな想像をしているのかとても気になるところだが、聞くのは野暮といったところだろう。

 

そんなこんなで美味しく煮詰まったおでんに舌鼓を打ち、少し世間話をした後、俺たちは屋台おでんを後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ少し時間があるしどこかで休憩していくか。確かこの辺りにベンチあったっけ」

 

 

時間内に回れる催し物を回った後、俺とナギは人通りが無い場所を散策していた。催し物が行われているエリアからは少し離れた中庭を歩く。学園祭中は一般客はおろか生徒も来ないような場所だから、自然と互いに手を握りあっていた。ここなら誰かに見られることも少ないし、少し安心して温もりを感じることが出来る。

 

先日職員室からの帰りに見つけた場所になるが、この場所はナギに嫌がらせをしていた上級生たちがたむろしていた場所であり、本音を言うとあまり印象の良い場所ではないのも確かだった。

 

思い出としての印象はよくない。

 

しかしもう過ぎ去ったこと。

 

周りの花壇には手入れされた花たちが咲いているし、意外に足を踏み入れてみると悪くない風景が広がっている。昼休みなんかは落ち着いて昼食も取れるし、安らぎを与えてくれる場所であることに変わりはなかった。

 

 

「あったあった。ちょっとここで休憩しよう」

 

「うん、分かった」

 

 

ベンチを見つけて互いに腰を下ろす。肉体的に疲れてはいないはずなのに口から大きな息が溢れてくる。行く場所行く場所で注目の的になるとは思っていたけど想像以上だった。俺たちが思っている以上に、ここの女性にとっては男性操縦者と話し、接することが出来る機会というのは希少価値が高くて貴重なものらしい。

 

ある意味入学時とよく似た……距離が近いと考えると入学時よりも好奇の視線に晒された俺は思った以上に精神的疲労が溜まっていたようだ。どっしりと腰を下ろすとぐーっと空に向かって背伸びをする。

 

一息をつける時間は少ない。色んな催し物を回れて楽しかったのは間違いないが、やはりどこかで一息つきたいという願望があることも事実。こうして何にも邪魔されずに落ち着いて休める時間というのは凄く貴重だ。

 

 

「大和くん疲れたの?」

 

「少し。肉体的に疲れてるって感じじゃ無さそうだけど、あれだけ色んな女性に囲まれればなぁ」

 

「あはは……」

 

 

俺の口から溢れる言葉にナギは苦笑いを浮かべることしか出来なかった。休憩時間に関してはずっとナギと二人で過ごしている故に、間近で俺のことをずっと見ている。

 

二人きりの時間を楽しんでほしいと善意で休憩時間を合わせて貰ったが、行く場所行く場所で絡まれ続けているために実際二人きりの時間というのはここに来るまでほとんど作れていなかった。

 

 

「ま、そんなことを嘆いても今更だし仕方ないか。学園内を出歩けばこうなることは予想出来たわけだし」

 

 

予測可能回避不可能といった言葉が良く似合う。

 

歳を一つ重ねればまた新入生たちが入学してくる。来年べっとはっけんされた男性操縦者が新しく入学して来たら注目の的は移るかもしれないけど、もし入学してこなかったとしたら新入生たちからの視線は俺や一夏に向けられる可能性も考えられる。

 

毎年注目の的になってるとどこかのアイドルかと錯覚しそうだ。

 

 

「でも疲れてるなら無理はしないでね。まだ時間はあるからゆっくり休もう?」

 

「うーん。ただそんな何もしたくないくらいに疲れているわけじゃないから」

 

「……そう言って何回も無茶してるよね」

 

「うっ!」

 

 

ジト目で『何言ってんの?』的な表情を浮かべながら見つめてくるナギの視線に、俺は何も言えなくなってしまう。

 

そりゃそうだ、『疲れてない』とか『大丈夫だから』と言いつつも、ナギに隠れて無茶ばかりしていたのだから。自分で心当たりのある節があまりにも多くて何の弁明の余地もない。

 

 

「クラス対抗戦の時とか……」

 

「うぐっ!」

 

「臨海学校の時もそうだったかな?」

 

「ぐはっ!?」

 

 

傷口に塩を塗り込まれているような気分になる。度重なる追撃の言葉はどれもこれも俺にとってはクリティカルな内容ばかりで思わず頭を抱えた。

 

どこかしら怪我をしているのはもちろんのこと、全部が生死と隣り合わせだったこと。そして全部でナギを盛大に泣かせてしまったことが俺の中で軽くトラウマになっている。

 

勿論事情は全てナギには伝えたし、本人も理解をしてくれている。俺の職業や生い立ちに関しても知っている……とはいっても改めて口に出されると古傷を抉られているみたいだった。

 

 

「……冗談だよ、からかってごめんね?」

 

「ぐぬぬ……その話題はズルすぎるぞ」

 

 

頭を抱える俺の姿をクスクスと笑いながらナギは見つめてくる。会った頃は物静かで大人しい女の子だと思っていたのに、付き合い始めて初めて見えてくる小悪魔的な一面に俺は抗うことが出来ない。

 

これじゃあ俺は一生ナギの尻に敷かれたままだろうな。

 

 

「でも……」

 

「でも?」

 

「大和くんは無茶をするけど、必ず誰かを守ってくれている。私が今五体満足でここに居られるのも大和くんが助けてくれたからだよ」

 

「む……」

 

 

マジマジと言われると少しむず痒くなる。ナギなりにフォローしてくれたのだろう、そう言ってくれるだけでも俺の心は晴れやかになった。

 

 

「だから休める時はしっかり休んで、ね?」

 

「まぁ、心配かけたのは事実だしな。休める時には休もうと思うけど、今から俺が寝たらちょっとの間話す相手も居なくなるし暇にならないか?」

 

「それなら大丈夫。大和くんの寝顔を見てるから暇になんてならないよ」

 

「そうか……はい?」

 

 

ニコリと微笑んだかと思うとナギは自分の膝元をポンポンと叩く。

 

一体何を言っているのか、理解するまでに時間はいらなかった。

 

スカートからは健康美の象徴のようなすらりとした足が伸びており、太すぎず細すぎず筋肉がついて程よくむっちりとしたふとももが何とも言い難いエクスタシーを感じさせる。

 

 

「あの……どういうこと?」

 

 

何とも間抜けな声で聞き返すもナギが言いたいことはおおよそ見当が付いていた。おそらく世の男性であれば一度は味わってみたいと思う行為の一つに違いない。

 

膝枕、だ。

 

というか何故俺がもう寝ることが決まっているみたいな前提になっているのか。

 

 

「だからその、私が膝枕するから……こんなとこで座って寝たり、横になって寝たりしたら身体痛くなっちゃうよ」

 

 

今俺たちが座っているのは木製のベンチだ。家で使うベッドに比べるとクッション性は皆無で反発しかない。こんなところで横になったら身体が痛くなるのは間違い無いし、座って寝たとしても変なところに負荷が掛かって結局痛くなる。

 

なら寝なければ良い。

 

と本来なら言いたいところなんだが、不安そうな目で見つめてくるナギが気になって断るに断り切れなかった。

 

こう、困った時に不意に見せる表情がズルい。ナギみたいな美少女にされたら普通の男性なら一発で落ちる。現に俺はこうして落とされたわけだが、ここまで来たらもう引くに引けない。

 

据え膳食わぬは男の恥ともいう。

 

 

「あー……うん。ナギがいいなら……」

 

「そ、それじゃあ大和くん」

 

「あ、あぁ……」

 

 

流れに身を任せてナギに頭を向けるように体勢を変えると、重力に逆らわずにそのまま膝元目掛けてゆっくりと下がっていく。やがて限界まで下がりきると、何とも形容し難い独特の柔らかさと共に確かな熱感が後頭部へと伝わってくる。

 

第一印象は柔らかい、それに尽きる。

 

寮で使っている枕よりも断然寝心地が良く、一度目を閉じればあっという間に快眠へと誘われてしまいそうだ。人と触れ合うことで感じる人肌の温かさ、大っぴらには言えないけどクセになる。

 

 

「どう……かな?」

 

 

恥ずかしそうにナギは下を見つめてくる。普段は身長差から基本的に見上げられることが多い。だから見下ろされる感覚は斬新な気持ちになるが、これはこれで中々に危ないものがあった。

 

上を向いているとナギの顔が視界に入るものの、同時に豊かに実った果実が二つ、いやでも視界に入る。正面から見ても大きいなと分かるくらいなら、下からアオリ気味に見たらどうなるかなどすぐに分かった。加えて俺の顔を覗き込もうと少し前屈みになっているせいで、制服が引っ張られてよりはっきりと形が浮き彫りになる。

 

マズい、とてもナギのことを直視して見ていられない。

 

このまま見続けているのは危険であると判断し、自分の身体を捻って横向きに体勢を変えようとするが。

 

 

「だーめっ」

 

 

体勢を変える前に頭をしっかりとホールドされてしまい、身動きが取れなくなってしまう。振り解こうと思えば力づくで振り払うことも出来るけど、残念ながらナギ相手に出来るはずもなかった。

 

観念してふぅと一息吐く。

 

耐えろ、俺の理性。

 

 

「ふふっ♪」

 

「……っ!」

 

 

ナギはどこか勝ち誇った様にニヤリと笑って見せる。完全に主導権をナギに握られており、俺は何一つ反抗が出来なかった。俺が何に恥じらい、身体を捻ろうとしたのか全てお見通しなんだろう。

 

俺に対する扱い方はどこか楯無に似て来たようにも思える。

 

特にここ二、三日。

 

初めて身体を重ねたあの日から、少しだけナギの性格に変化が見られるようになった。

 

第三者の前では控えめで遠慮がちな性格は変わらないものの俺の前……更に言うなら俺と二人きりの時に遠慮が無くなったというか、俺に対して甘えることは当然として時にからかうような小悪魔的な一面を見せるようになった。少なくともこれまでの彼女の性格を考えると、あまりやらない行動を俺に限定してするようになっている。

 

嫌だとか、無理だとかの嫌悪感は一切なく、俺だけしか知らないナギの一面を知ることが出来たと考えると特別感があって少し嬉しい。

 

 

「あ……」

 

 

いつの間にか身体が眠気を支配する。目を閉じると徐々に現実世界から意識が遠のいていくのが分かった。膝に頭を預けながら、徐々に消えていく周囲の音が俺を眠りへと誘おうとしている。

 

襲ってくる睡魔を邪魔するものは何一つなかった。

 

 

「悪いナギ。少し、寝るから……後で起こし……」

 

 

そこで俺の意識は一時途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「少し休むだけでもやっぱり違うな。思った以上に身体が軽いわ」

 

 

休憩時間を終えて俺は再びクラスへと戻ってきた。同じタイミングで休憩に入っていたナギや同時間帯に部活の出し物に出ていたラウラも戻ってきて、少し刷新したメンバーにてご奉仕喫茶を切り盛りすることに。

 

行列も減り、午前から午後にかけてのピークの忙しさまでは行かないにもかかわらず未だ押し寄せる客は絶えない。

 

休憩時間の終わり際、多少の睡眠時間を確保出来たことで幾分気分はスッキリしている。時間にすると半刻にも満たない時間だったはずなのに、睡眠時間以上に足取りは軽い。何なら今すぐにでも走り出しそうなくらいに。

 

寮の枕も寝心地は良いのに女性の膝元は想像以上だった。疲れを完全に取り切る上で環境はかなり重要なのかもしれない。膝の感触そのままの枕があったら飛ぶように売れそうな気がするけど、市場であまり見ないところを見ると膝と枕は大きな違いがあるようだ。

 

 

さて、さっきも言ったように変わらずの繁盛ぶりを見せるクラスの出し物であるご奉仕喫茶。今回の学園祭ではクラス対抗の競い合いはないとはいえ、もし競い合ったらかなり上位に食い込めるに違いない。

 

変わらずフロアとキッチンを行ったり来たりと右往左往。かちゃかちゃと忙しなく食器を片付ける音や、グリル板の上で何かが焼けるような音が絶えず響き渡る室内は、音だけでも忙しさを認識することが出来る。

 

ただオーダーも減ってはいるので、ピーク時に比べれば遥かに身体は全然楽だ。

 

ピーク帯は満席に合わせて鬼のようにオーダーが飛び交っていたこともあっててんやわんやだったが、お昼の時間を過ぎたことで入ってくるオーダーも軽食メインに切り替わっていた。加えてべったりと張り付きをする機会も時間を追うごとに減っていることもあって、比較的フリーに行動が出来る。

 

いやぁ、楽になるって素晴らしい。

 

空席となった席に置かれている食器を両手にかかえて洗面台へと運ぶ最中、ふとフロア担当のクラスメートから声をかけられた。

 

 

「霧夜くん! 四番テーブルに霧夜くん指名のお客様が入ったから行ける?」

 

「あぁ、すぐに行く」

 

 

身体全身で食器を抱えている現状から顔だけを振り向かせて返事をする。どうやら神様はしっかりと見ているらしい、楽な展開を望んでいると真逆のことになるようだ。

 

指名をされた客席へと向かうべく回収した食器を一度洗面台に片付けると軽く両手を水で洗い流す。紙ナプキンで湿った手を拭いた後、指名のあったテーブルへと向かう。

 

と。

 

 

「はぁい♪」

 

 

該当のテーブルから和かに手を振る生徒が一人。俺の見間違いじゃなければ見覚えのある生徒だ。一歩一歩相手に近付くと、気持ち小さな声で声を掛ける。

 

 

「よう楯無、忙しいところありがとう。生徒会の仕事はもういいのか?」

 

 

俺を指名したのは楯無だった。今までの来場者の大半が俺の知らない生徒であったり、外部の人間ばかり。当然不快な思いにさせないようにと気を張るし、言葉尻もいつも以上に気を遣う。特に俺のことをほとんど知らない人間に対してタメ口なんてのは以ての外、細心の注意を払って接客をしていた。

 

そんな中、数少ない顔見知った生徒を見るとどこかホッとしている自分がいる。楯無に関しては入学してからの付き合いもそこそこに長いし、年齢関係なく話せるような仲であると個人的には思っている。

 

このクラスの出し物もバタバタと忙しく大変だとは思うが、楯無に関しては生徒会長として校内で行われている催し物全般の管理、運営を行っているわけでその忙しさは俺たちの比じゃない。

 

ここに来たのも数少ない合間の時間を見繕って来てくれたんだろう。簡素ながらも真っ先に気遣いを入れて挨拶を交わした。

 

 

「えぇ、取り急ぎやらないといけない仕事は終わったから。束の間の休憩時間くらいは楽しまないとね」

 

 

俺たちが知らない、見えないところで働いていることは容易に想像出来る。左肩を右手で軽く押さえながらグルグルと大袈裟に回す楯無だが、忙しくないはずが無かった。

 

人前で弱みを見せないところは流石。最も楯無の弱った表情なんて人前で見たことが無いし、悩みとは無縁のイメージを持っている生徒もいるかもしれない。

 

 

「それにしてもこの混み具合凄いわね。時間的にどこの飲食店も空席が出てくるのに、まだクラスの外に列作ってるじゃない?」

 

「おかげさまで開店からずーっとこんな感じだ。こんなに混み合っている出し物なんてうちくらいじゃないか」

 

 

大盛況じゃない、と楯無は笑いながら言う。

 

数少ない男子が集中しているからある程度の混雑は想定していたがここまで来てくれるとは思わなかった……というよりここまで混むとは全く想定していなかった。

 

総定数以上の来客に用意していた材料も所々欠品が出てしまい、すぐに用意が出来るものは購買に買い出しに、出来ないものに関してはオーダーストップを掛けるなどしてはいるものの、この時間にもなると徐々にストップを掛けるメニューも多くなっている。

 

既にメニュー表にも『完売御礼』と書かれたシールがいくつか貼られている。今年だから特に多いのかもしれないが、順当に行けば来年と再来年にも学園祭は残っているし、来年以降飲食店を行う場合は今回の反省を生かさなければならない。

 

 

「それじゃ、折角だし私もおもてなししてもらおうかな? さっき外にいる子にご奉仕メニューがあるって聞いたのよねー」

 

 

口元に手を添えてニヤニヤと俺のことを見つめて来た。これだけ人が来ていれば噂はあっという間に広がる。

 

どんなメニューがあったのか、どんな接客を受けたのか、そしてどんなご奉仕内容があったのか。

 

メニューは比較的ありきたりなもので特筆するものは無く、接客も簡易的に作成したマニュアルを元に行ってもらっている。名前を『ご奉仕喫茶』ともいうのだからご奉仕内容は様々。握手したり一緒に写真を撮ったりといった付帯サービスだけではなく、ちゃんとメニューの中に組み込まれた奉仕内容もある。

 

メイド用のものと執事用のもの。

 

何故か執事用の奉仕内容がメイド用に比べて二倍ほど多いのは気にしてはならない、気にしちゃダメだ。

 

 

「ま、好きなやつ選べよ。あくまで健全第一だから変な奉仕内容は弾いているから、もしかしたら期待に添えないかもだけど」

 

 

楯無なら別に何を選んでも構わない。そもそもやましい内容は組み込まれていないわけで、どれを選んだところで俺の心が折れるようなことはない。理不尽な無茶苦茶な内容があったとしたらヤバイけど。

 

 

「この執事にご奉仕セットって何かしら?」

 

 

メニュー表の一点を指差しながら楯無は尋ねてくる。幸い俺が対応している時にこのメニューを頼まれることは無かったが、このタイミングで来るのかと思わず笑うしかない。

 

名前だけ聞くと際どい雰囲気満載なこのメニュー、特に深い意味はなく言葉通りの意味になる。

 

 

「俺、もしくは一夏にお客様側が奉仕出来るメニューさ。どちらかが居ない時はここにいる男子が対応するけど、今は俺と一夏もいるから選べるぞ」

 

 

来場者側が執事である俺か一夏に奉仕が出来る。俺たちからすればこんなことにお金を払って貰って良いのかと思うわけだが、第三者からすると違うらしい。

 

まぁ確かに俺にも彼女が居ない状態で、街行く人々が振り向くような絶世の美少女と一日中一緒に居られるとしたら、もしかしたら多少の金銭は出しているのかもしれない。

 

シチュエーションに遭遇したことが無いから分からないけど。どうなんだろうか。

 

 

「ふぅ〜ん、そうなんだ……ならこれにしようかしら。もちろん私の執事は大和、貴方で良いわよね」

 

「仰せのままに」

 

 

と、疑う余地もないくらいの即決だった。

 

だろうなと思いつつも指名してくれて嬉しんでいる自分がいる。

 

一時期に比べるとアプローチは大人しくなっているが、それでも一途に俺のことを未だに思ってくれている。生徒会長という面を被っているとはいえ楯無も立派な女性だ。

 

恋愛とは無縁の存在……そんなわけがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせしました」

 

「あら、ポッキー?」

 

 

用意してきたグラスを楯無の前へと置く。ガラスの中には開封したばかりのポッキーが入っていて、これを使って執事である俺にポッキーを食べさせる簡易的な奉仕となる。

 

説明の前に何をするのか理解したのだろう。少し笑みを浮かべるとポッキーを一本手に取り、チョコの部分を俺の顔の前へと近づけて来た。

 

 

「はい、あーん♪」

 

「……あむっ」

 

 

恒例の掛け声と共に嬉々として差し出したポッキーを口に加える。ほのかな甘さのチョコの香りがあるハズなのに、若干の恥ずかしさから味わっている暇など皆無。

 

それもそのはず、俺と楯無のいる席には取り囲む生徒や外来の人間からの視線が一気に集中しているのだから。恥ずかしさで味わうことなんて出来ないに決まっている。

 

俺が学園に顔を知られているのは当然のこと、楯無も学園の生徒会長として知らない生徒はほとんど居ない。楯無が俺に食べさせている……楯無は別として俺が含まれて絵になっているのかどうかは分からないが、どこからかカメラのシャッターを切る音が聞こえてきた。

 

接客の一環としてやっている以上スキャンダルになる可能性が低いとはいえ、一連の光景が媒体として残ることを考えると何とも言えない気持ちになる。

 

 

「ぐぬぬあの女、こんな公衆の面前でお兄ちゃんと……!」

 

「ら、ラウラさん落ち着いて! お盆がひしゃげてるから!?」

 

 

後方からラウラの嫉妬の声とギギギと金属の盆が折れ曲がる音、そして飛びかかりそうなラウラを必死に止めようとするナギの声が聞こえた気がした。

 

そもそも何をどうしたらいとも容易く硬い金属のお盆が折れ曲がるのだろう。興味本位に後ろを振り向きたい欲求に襲われるが、振り向いたら色んな意味で終わる気がする。

 

だからここはぐっと堪えておこう。

 

 

「なんか餌付けしてるみたいね。大和は恥ずかしくないの?」

 

「……分かってて聞いてるだろう?」

 

「あはっ♪」

 

 

恨めがましくジトりと見つめるも、俺の照れる様子を見て楯無は笑顔を浮かべるだけだ。

モシャモシャと咀嚼音が周囲に響き渡る。こんな時に限ってどうして静かになるんだろうか。照れを隠せない俺とは対照的に楯無は楽しそうだった。

 

もはや確信犯にしか見えない。嬉々として差し出されたポッキーを加えて食べる姿は餌付けされた子犬のようだ。ただ楯無の立場は客であり、接客をしている俺が変な態度を取ってしまえば周囲の第三者にも、良からぬイメージを植え付けかねない。

 

故にされるがまま。これはなんて名前の公開処刑か教えて欲しい。

 

 

「ねぇ、これって逆も出来るのかしら?」

 

「俺が楯無に食べさせるってことなら一応出来るぞ。やり過ぎはストップを掛けられると思うけど」

 

 

ここ最近俺に主導権を握られ続けて、甲斐甲斐しく世話を焼かれたから仕返ししようとでも思っているのかと勘違いするほどの人たらしっぷりである。

 

ようは俺に食べさせて欲しいと暗に言っているんだろう。

 

ウチの出し物は『ご奉仕喫茶』であり、過度なサービス以外は割と融通がきいてしまう。だから俺がポッキーを食べさせたところで大きな問題にはならない。

 

 

「……ほら」

 

「ありがと」

 

 

コップの中にあるポッキーを掴むと楯無の前へと差し出す。淡々とした言葉ながらも楯無はどこか嬉しそうに、差し出されたポッキーを口に咥えた。

 

やって欲しいとはっきり言われたわけではないが、確認をとってきたということはやって欲しい思いが楯無の中にあるということ。ただまぁ、こうして肩の荷がおりた楯無を見るのも悪くはない。数少ない自由時間なんだ、こんな時は彼女のわがままくらい素直に受け取ってやろう。

 

そう思った。

 

 

「そう言えば一つ提案があるんだけどいい?」

 

「提案……ってことは奉仕内容とは全く別件の話になるのか」

 

「そ。生徒会で企画している催し物にちょっと大和にも協力してもらいたくて」

 

 

生徒会としても何か催し物をするらしい。

 

今日の今日まで聞かされていなかったから知らなかったが、生徒会も一つの組織と考えれば納得も行く。

 

問題なのは何をやるのか、俺が一切聞かされていないところにある。直前で提案をして来たからそこまで大事な内容では無いとは思うものの、これがもし面倒な内容だったとしたら詰める。

 

 

「俺なんかで役に立つなら手伝うけど、内容をまず聞いてもいいか」

 

「もちろん、そこが肝心だからね。ちゃんと説明するからしっかり聞いて判断して欲しいな?」

 

 

……なーんて言ってるけど、内容聞けば恐らく拒否権が無いように外堀埋められるんだろう。予測できる未来を頭の片隅に仕舞い込み、俺は楯無の話を聞いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一夏、仕事中悪いんだがちょっと協力して貰ってもいいか?」

 

「え? 仕事?」

 

「おう。とはいっても給与が出るわけじゃないから完全なボランティアみたいになっちまうけどな」

 

「仕事って……この状態でさらに仕事追加するって中々に無理ゲーだろ。なんなら分身体作って欲しいくらいなんだが」

 

 

楯無との話に一区切りつけ、フロアとキッチンの境目付近でせっせとグラスを磨いている一夏に声を掛けた。

仕事と聞いて少し顔を顰める一夏に対して、その反応は予想通りだと言わんばかりに苦笑いを浮かべながら話を進める。

 

この忙しい中更なる仕事を追加しようとしているのかと勘ぐった一夏の反応は決しておかしな反応ではなく、むしろ妥当な反応と言えるだろう。バタバタと接客に奔走している状態で仕事を追加されたらいい気分にはならない。加えて報酬も出ないとなると情でも無い限り協力したいとは思えないのが人間の性だ。

 

 

「あぁ、違う違う! ここの仕事が一区切りついてからさ。俺として断ってもらって構わないんだけど、依頼者が納得してくれなさそうでな」

 

「依頼者?」

 

「やぁ一夏くん」

 

「た、楯無さん!」

 

 

俺の背後からひょっこりと顔を出すと一夏は驚いた表情を浮かべて作業を止める。楯無がいるのは意外だったのだろう、と同時に依頼者が楯無であることを悟ったようだった。

 

 

「ど、どうしてここに? もしかして依頼者って……」

 

「そう、私よ。どう? 手伝ってもらえるかな」

 

 

恩を売られているわけでは無いものの、依頼者が楯無ともなると一夏としても断りづらいものがある。ここ最近一夏は楯無に放課後の特訓を付きっきりで見てもらっている。自分の蒔いた種とはいえ、熟練のIS操縦者に事細かに指導を受けられる機会など早々あるものではない。加えて学園最強を意味する生徒会長として、ロシアの国家代表としてのこれ以上ない肩書きもあった。

 

当然のことながら現役トップクラスの実力を持ち合わせる楯無の指導力は候補生と比べても一目瞭然。教師として教壇に立って教えることも出来るレベルになる。

 

誰もが羨むレベルの指導を間近で受けている一夏からすればこれ以上ない最高のお手本だ。少しずつだか確実に、以前にも増して力が付いてきた実感もある。

 

 

「えっと、それは……」

 

 

悩んでいる。

 

自分の時とは全く異なる反応に俺は呆れた表情を浮かべた。一夏の中にも恩を仇で返すわけにも行かないと、未だ明らかになっていない仕事の詳細についての説明を求める。

 

 

「ちなみに確認なんですけど仕事って何ですか? 大和の口から細かい説明がなかったので、先に知っておきたいんですが」

 

「生徒会の劇なんだけどね、人手が足らなくて困ってるのよ」

 

 

なら企画しなければ良いじゃないかと言わんばかりの視線で俺は改めて楯無を見つめる。詳細は既に楯無の口から聞かされているからこそ腑に落ちない部分もあるというものだ。

 

予想外の楯無の一言に思わずポカンとしたまま一夏は大当たりでも引いたかのようにフリーズする。

 

 

「はっ……げ、劇っ!? ちょ、ちょっと待って下さい! 何ですか劇って! 俺セリフなんて一ミリも知らないんですけど!」

 

 

予想通りの反応で楯無に切り返す。

 

手伝って欲しい仕事が劇ともなれば配役にセリフが割り振られる。もし一夏が劇に参加するともなればセリフを覚えなければならない。学園祭は既に午後、残った時間を考えても覚えられる時間は限られてくる。加えて劇をするにしてもどんな劇を行うのかは寝耳に水、そんな状態で自分が参加したところでまともな劇になるわけが無い。

 

仮に自分が裏方の作業を任されたとしても、何をどう動かせば良いのかなんて一夏には分からない。劇というくらいなのだから照明のやり取りや効果音の演出もある。触ったこともない機材操作を臨機応変にこなすのは無理がある。

 

どの選択になっても自分がまともに動けるとは思えない。

 

一夏の反応はごく普通の反応だった。

 

 

「あら、セリフなら大丈夫よ? だって全部一夏くんがアドリブで考えるんだもの」

 

「あ、アドリブ? ちょ、ちょっと待って下さい! 何の劇をやるかも分からないのにセリフはアドリブってどういうことですか!」

 

「アドリブはアドリブよ。ほら、台本通りに劇が進んでも面白くないじゃない?」

 

 

あぁ、この会長様は何を考えているのかと考えれば考えるほどに目眩がしてくる。

 

続け様にくる予想外の言葉の数々に徐々に頭の中が混乱してくる。いきなりお願いされた劇の手伝いが台本も何も無くめセリフもアドリブとはどういうことなんだ……。

 

少なくとも誰かのフォローがない限りうまく出来る自信はない。何ならフォローがあったとしても劇と呼べる演目を遂行する自信は一夏にはないように見えた。

 

 

「なら大和も手伝うんですよね!?」

 

「もちろん。そうじゃなかったら大和に内容を話したりしないもの。ただ一夏くんと違って主役を張るわけじゃ無いんだけどね」

 

「は、しゅ、主役?」

 

 

何を言っているのかと呆然とする一夏に向かって楯無はニコリと笑いながら言葉を続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう。劇は生徒会演目……シンデレラよ」



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王子(一夏)は逃げる

「お、おい! 何だよこの衣装は!」

 

「俺に言われてもな、そーいうのは全部楯無に言ってくれ。後衣装似合ってるぞ」

 

 

楯無に手渡された衣装へと着替えた一夏は不満を隠すことなく垂れ流していた。青と赤を貴重とした服に四肢にピッタリとフィットした白いタイツのようなパンツ。小学生の劇で仮装するなら違和感はない。とはいえ王子様王子様した服装を高校生にもなってするのは恥ずかしいものがあった。

 

ニヤリと笑いながら一夏に賞賛の言葉を送る大和もどこか顔が引き攣っている。そんな大和に一夏も気付いたようで。

 

 

「とってつけたような褒め言葉かよ……ぐぐっ、これは貸しだからな大和!」

 

 

と、最大限の抗議をする。当然だ、もし可能なら変わって欲しいとさえ思っているのだから。

 

 

「待て、今回のどこの要素に貸しを作る要素があった!?」

 

「全部だ全部! ちくしょう……こうなったらヤケだ! 大和も道連れにしてやる!」

 

 

やめてくれと頭を抱える大和だが、それは一夏も同じ気持ちだった。いきなり劇を手伝ってくれと言われて承諾はしたものの、一夏のポジションは主役。加えて決まった台詞はなく、一夏が主体となって劇をアドリブで構成していくというもの。起承転結を自分が決めてこの劇を成功に導かなければならない。

 

楯無に何とかなるとは言われているものの、不安要素しか無かった。自分の進行が成功するかどうかの鍵を握っているともなれば無理はない。せめて見苦しくないように無難にこなそうと思う一夏ではあったが、俺も裏方作業に徹したかったと、裏方作業を任されている大和に対して羨望の視線を向ける。

 

 

「でも大和は裏方かよ……良いよなぁ」

 

「いやいや良くはねーよ。こっちは慣れてもいない裏方やらされるんだから」

 

 

大変なのは何も一夏だけでは無いと言う大和の反応に対して、むむっと気難しい顔を一夏は浮かべた。タスクの比率だけで言うなら覚えることが多いのは自分の方では無いかと。

 

淡い期待を込めながら冗談混じりで自分とのポジションを変わらないかと提案を持ちかける。

 

 

「なら変わるか?」

 

「だが断る!」

 

「結局断るんじゃねーか!」

 

 

即答で返されてノリツッコミを一夏は返した。

 

流石に主演をいきなりアドリブで演じきる自信は大和にも無いのだろう。そもそも行き着く先も分からない劇の主役を任されて、素直に受けるなんて出来るわけもない。一夏はがっくりと肩を落として落胆の気持ちを隠せなかった。

 

 

「そういえば箒たちも可愛い衣装着れるからって、楯無さんに劇の参加を持ちかけられてたんだよな」

 

「そうそう。そのせいで防波堤が誰も居なくなるって一夏も大概な巻き込まれ体質じゃね?」

 

「言わないでくれ……」

 

 

楯無の提案に一夏ラバーズの何人かは反対の意を見せたにもかかわらず、楯無何かを耳打ちをすると同時に叛旗を翻して全員一夏の劇への参加を認めることに。

 

 

(しっかし楯無は皆に何を言ったんだ? メンツ的に可愛い衣装を一夏に見せられるって理由だけじゃ参加に持ち込むには弱い気がするし……)

 

 

建前としての理由は可愛い衣装が着られるからとのことだったが、そんなことでコロリと意見が変わるはずもない。となると別途何か付随の条件を与えられたと考えるのが普通だ。

 

大和も建前の理由は聞いてはいるものの、楯無が耳打ちした時に何を言ったかまでは聞き出すことが出来なかった。

 

 

(生徒会長権限はこんなことに使わないだろうから、何か決定的な一言があるはずなんだが……俺の考えすぎか?)

 

 

結局内容が分からない以上何が参加の決定打になったかなど分からない。

 

うーむと大和が考えていると。

 

 

「はいはい一夏くん、準備は良いかしら?」

 

「た、楯無さん。更衣室に勝手に入って来ないでください! 着替えてたらどうするんですか!」

 

 

楯無はノックもせずにいきなり扉を開けて更衣室の中に入って来た。男性更衣室だから勝手に入室されることはないと決めつけていたらしい。両手を身体を隠すようにしながら一夏は抗議の声を上げる。

 

今着ている衣装はやはり誰かに見られるのは恥ずかしいようで、大和の後ろに隠れるようにポジションを陣取ろうとする。

 

 

「やん、そんな隠れなくても良いじゃない。凄く似合ってるわよその衣装」

 

「は、はぁ……」

 

 

褒められているというのに一夏の表情は優れない。同じようなことを先に大和から言われているからだろう、本人からすれば恥ずかしいことこの上ない服装になる。

 

 

「忘れないうちにはい、これ。王子様と言ったらやっぱり王冠よね!」

 

 

手渡されたキラキラと光り輝く王冠を自らの頭の上にのせる。

 

今自分のシルエットはどうなっているんだろう……見てみたい気持ちはあるが、もし見たら本気で凹みそうだし辞めておこうと思うのだった。

 

 

「一夏くん。安心して、困りそうなところは私と大和でサポートするから」

 

「そーいうことだ。一夏は大船に乗ったつもりで盛大に盛り上げてくれれば良い」

 

「ぐぐっ……自分が参加しないからって……」

 

 

後で覚えておけよと言わんばかりに一夏は顔を顰める。とはいえ今更文句を垂れたところで何かが変わるわけでもない。二人に誘導されるままに更衣室を出ると、そのまま劇のメイン会場になる舞台へと案内された。

 

 

 

 

 

既に会場は満員御礼。

 

人が立つ隙間すら無いほどに埋め尽くされている。

 

舞台袖から会場の様子をチラチラと確認する一夏の目には、劇の開始を今か今かと待つ生徒たちが映っていた。ザワザワとした喧騒は収まらず、かつて無いほどの賑わいを見せている。

 

今からここで自分が主体となった劇が行われるのかと考えると、無性に胃がキリキリと痛くなってくる。劇の開始はもうすぐ、ごくりと唾を飲み込みながら緊張を紛らわす一夏の背後からトントンと大和は肩を叩く。

 

 

「おい、一夏」

 

「な、なんだ? 今少しでも緊張を紛らわそうとしてるんだが……」

 

「……何があってもお前は護り抜くから安心してくれ」

 

「は、はい?」

 

 

大和の言っている意味が全く分からずポカンとしたまま首を傾げる。あっけに取られた表情を浮かべていると、大和はニカッと笑いながら一夏の背中をバシッと叩いた。

 

 

「変な心配すんなってことだよ! さぁ、行ってこい! お前の本気をみんなに見せてやれ!」

 

「お、おう! 任せとけ!」

 

 

その瞬間、ステージ含めた会場全体が真っ暗になる。

 

ステージが暗くなると同時に近くにいた大和の気配もすぅっと消えた。劇に備えて裏の方へと引っ込んだのだろう、後は劇の開始を待つだけだ。

 

 

(何か乗せられたような感じだけど……大和にあそこまで言われて、燃えないわけにはいかないよな!)

 

 

緊張しているにもかかわらず一夏の表情は晴れやかなものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「相変わらず人をおだてるのが上手いわね。そっちの道でも食っていけるんじゃ無いの?」

 

「そっちの道ってどの道だよ。それに一夏が分かりやすい性格をしているだけで、俺が何か特別なことをしたわけじゃ無いさ」

 

「そうかしら?」

 

 

ステージが暗くなると同時に、大和と楯無は音響や照明などを管理するブースへと来ていた。上手く言いくるめたじゃないと微笑む楯無に大したことはしていないとうすら笑みを浮かべる大和。その笑みが意味するのは何か、これから先何が起こるのかを想定しているようにも見える。

 

 

「っと……俺は裏方に専念するか。メインで一夏が頑張ってくれてるんだから、これくらいはちゃんとやらないとな」

 

「ふふっ、助かるわ。大和も一夏くんと一緒に劇に出てくれてもいいのよ?」

 

「俺がか? ははっ、俺はメインで動くようなキャラじゃないし、今回は一夏に全部を託すとするよ。少なくとも一夏が出演していることで劇は満員御礼。十分すぎるくらい大盛況じゃないか」

 

「そうね。それでも私の性格上もうひとスパイス加えたら面白そうなんだけど」

 

 

含みのある笑いを優雅に浮かべる楯無。言葉の節々から大和にも劇に参加して欲しいという気持ちが強く感じ取れた。楯無の言わんとしていることを汲み取ったのか、大和も嫌な顔をすらことなく淡々と言葉を続けていく。

 

 

「つまりは俺に劇に出て欲しいと。俺が出たシナリオなんて考えて……いや、お前のことだ。有事の時に備えて二手三手先を考えているだろうし、俺が参加したシナリオも考えてるんだろう」

 

 

大和の言っていることは当たっていた。

 

本来は一夏を主役とした劇を進行する予定だったが、万が一大和が参加することになった場合も楯無は既に考えていた。

 

が、問題なのは何故大和を参加させるようなケースを先に想定していたのかだ。楯無から提案を持ちかけられない限り、大和に劇へ参加する可能性は皆無。

 

それがこの場で急に参加して欲しいと暗に伝えてくる辺り、楯無に思惑があるようにしか思えない。

 

 

「俺が参加した方が面白いし盛り上がるから参加して欲しいって言うより、参加した方が万が一の時に対応出来るからって理由が強いように思うんだが合ってるか?」

 

 

思ったことを率直に楯無へとぶつける。

 

素朴に疑問に思ったことを楯無に聞く大和の表情は至って普通のものだった。

 

 

「察しがいいわね、大体合っているわ」

 

 

大和の言い分に楯無は大きく頷く。そしてわざわざこのタイミングで大和に伝えたということは、ある脅威が間近に迫っていることを意味しているのと同義。

 

話の流れと細かい内容を整理すべく、先ほどよりも引き締まった表情で大和は楯無の話を確認していく。

 

 

「大和に少し前に亡国機業の件で話したことは覚えているかしら?」

 

「もちろん。つい先日のことだししっかりと覚えているぞ」

 

「なら話は早いわね。結論から言うとその組員が一人、この会場に紛れ込んでるって情報が入ったのよ」

 

 

亡国機業。

 

ここ最近の話題としてはホットなものとなる。

 

つい先日、大和が接触した青年が亡国機業に属したとの話を楯無からされたが、今回は亡国機業に所属している組員の一人がIS学園へと潜り込んでいるというのだ。

 

構成員は不明。

 

何人いるのか、どこまで大きな組織なのか全てが謎に包まれている裏組織になる。

 

 

「警備は敷いてるんだけどね。一般人の細かい所属までは聞き出せないし、それこそIS関連企業の一員として入られたら警備網は掻い潜ることが出来る」

 

 

いくら強固な警備網を敷いているとはいえ、指名手配されている人間でもなければ事前に止めることは難しい。入館の際に問題がないと判断されれば、易々とIS学園へと侵入されてしまう。

 

 

「今どこに居るか探ってるんだけどまだ見つけられていなくてね。もし目的が一夏くんや大和だったとしたら、ある程度大多数の生徒が参加するこのタイミングを相手が逃すとも思えない」

 

 

事情を知っている大和なら上手く対応出来ると思うけれどね、と楯無は付け加える。

 

 

「今回の生徒会演目は観客参加型の劇になるから、多数の生徒たちが参加することになる。その混雑に紛れ込めば一夏くんを狙って接近することも難しくは無いはずよ」

 

 

参加するのが身内であるIS学園の生徒とはいえ、膨大な人数の全校生徒の顔と名前を覚えているわけではない。ただし、大人数がひしめき合う中で生徒に紛れて一夏に接近することは決して難しく無い。相手が手練れであれば容易に接近するに違いない。

 

 

「まぁ、そうだろう。俺がもし一夏を狙っている人間だったら同じように考えるさ。ただ周囲をガチガチの守りで固めても相手は出て来ない……となるとあえて無防備な状況を作り出して炙り出すってところか」

 

 

だからこそそこを逆手に取る。

 

楯無や大和が完全に近くをガチガチで固めてしまうと、警戒されることは必至。確実に相手を炙り出すには適度な距離感を保ちつつ、接近を許したタイミングで確保に向かう。一度は成功させたと油断をさせて、その隙を突く作戦となるため、相手も不意な接近には対応が出来ない可能性が高い。

 

 

「……」

 

 

言い終えたところで、大和の表情はどことなく気難しいものへと変わった。

この方法では一夏を一時的に囮のように使うことになる。作戦の中の一つかつ限定的とはいえ、自分の護衛対象を、仲間を危険に晒すことになる可能性に何とも言い表せない複雑な感情があるのだろう。

 

 

「相手を捉えるために一夏を囮のように使うのは気が引けるが……致し方ない、現状有効な作戦が他に見つかるわけでもないしな」

 

 

そうは言っても他に何かいい作戦が思いつくわけでもない。万が一の時に備えるためと言っても、思いつく作戦には限界がある。

 

 

「後もう一つ懸念があるとするとあなたよ、大和」

 

「俺?」

 

「そう。あなた、先日織斑先生に自分の専用機をメンテナンスのために渡したそうじゃない。いくら私がいるとは言っても、IS無しで対処するの?」

 

 

今度は楯無が苦い顔を浮かべる。

 

話の内容を聞けば一目瞭然だが、今大和は専用機を持っていない。つい先日、千冬にメンテナンスのために預けてしまっているのだ。メンテナンス期間は学園祭が終わった翌日まで。つまりこの学園祭期間、大和は自身のISを用いた戦闘が出来ないことを意味する。

 

 

「あぁ、そういえばそうだったっけ」

 

 

あっけらかんとしながら、どこか他人事のように答えて見せる大和。まるでそんなことは既に想定済みで、今更どうということは無いと言わんばかりに。

 

IS学園で問題に巻き込まれる以上、常にISを使用した戦闘に遭遇する可能性がないとは言えない。むしろこれだけ警備が固い中で問題を起こそうとするのなら、自ずとIS戦闘が絡むと容易に想像出来る。

 

IS一機で国を落とすことも出来ると言われている以上、生身の人間が圧倒的な力を誇るISに生身で立ち向かえるはずがない。世界中のどの人間に聞いたところで同様の答えが返ってくる。

 

……あくまでそれが通常の人間であれば。

 

 

「ま、何とかするしかないだろ。何、IS乗りこなすよりこっちの方が俺も慣れているからむしろ安心だ」

 

 

楯無も大和が何を考えているのかなんて分かっている。元々大和の主戦場はISを乗りこなすことではない。自身の身体一つで相対するモノと戦うこと、それが本当の大和のスタイルなのだ。

 

常識では考えられないことを実行する。ISに生身で立ち向かうなんて常識で考えれば無謀で有り得ない話だ。自ら進んで命を落としにいっているようなもの。

 

だが、楯無は実際にクラス対抗戦の無人機襲撃の時に自らの両目で一部始終を見ている。両手に剣を握りしめて、侵入して来た無人機と互角以上に戦う大和の姿を。

彼の生身での身体能力や戦闘能力が常人とは比べ物にならないベクトルに位置することを彼女自身がよく分かっている。

 

故に変な無茶をしないか。

 

それだけが不安なのだ。

 

 

「……あなたのことだから止めても無理だとは思っているわ。まずいことにならないように私もしっかりサポートするから無茶苦茶なことはしないように」

 

 

「了解。どちらにしても事が起きたら動く、それだけさ。それに……」

 

 

ステージの方へと歩みを進めると背中越しに楯無に一言伝える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「迷い込んだネズミは一匹。容易いもんだ」

 

 

言葉を続けた大和の瞳はいつにも増して獰猛さを兼ね備えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆様、大変お待たいたしました。これより生徒会による観客参加型演劇、シンデレラを開演いたします」

 

「ん、観客参加型演劇? なんだそりゃ?」

 

 

ところ変わってステージ付近にスタンバイする一夏。劇の開始を合図する場内アナウンスで引っかかる点があったようで、思わず頭の上に疑問符を浮かべながら首を傾げる。

 

アドリブで劇が進むということは聞いているが、観客参加型演劇なんて話は寝耳に水。忘れているわけでもなければ聞いた覚えもない。

 

はて、と考えてているとブザー音と共にステージから暗転した。一夏は楯無からの指示通り、暗くなっている間に足音を立てないようコソコソとステージの上へと移動する。

 

楯無の指示は「場内が暗くなってからステージに移動すること」だけであり、それ以外の指示は一切聞かされていない。故にここから先が完全にアドリブである事が容易に想像出来た。

 

演目名はシンデレラ。

 

シンデレラの話なら昔読んだこともあるし、実際の劇団が行う演劇を見たこともある。だから話が全く分からないわけではない。進行のナレーションに合わせて、矛盾が生じないように話を進めていこう。

 

そう心に決めた。

 

 

「むかしむかしあるところに、シンデレラという少女がいました」

 

 

楯無の声でナレーションが始まる。聞いた事があるようなスタートにどこかホッと胸を撫で下ろした。

 

良かった、これなら自分の知っている始まり方だ、何だかんだアドリブだと言っても急拵えの劇に、そんな無茶苦茶な内容を仕込んでくる訳が。

 

「……否、それはもはや名前ではない。幾多の舞踏会を抜け、群がる敵兵をなぎ倒し、灰燼を纏うことさえいとわぬ地上最強の兵士たち。彼女らを呼ぶにふさわしい称号……それが『灰被り姫シンデレラ』!」

 

「へ?」

 

 

などという常識は一瞬のうちにぶち壊された。聞いたことがあるプロローグが一転、戦場に立つ兵士の物語のようなナレーションが流れ始める。話の展開について行けずに口あんぐりな一夏をよそにナレーションは進んでいく。

 

演劇はシンデレラだったはずだ、今流れているナレーションだけで判断をすると、少なくとも自分が知っているシンデレラの内容とはかけ離れたものである事が簡単に推測出来た。

 

 

「今宵もまた、血に飢えたシンデレラたちの夜が始まる。王子の冠に隠された隣国の軍事機密を狙い、舞踏会という名の死地に少女たちが舞い踊る!」

 

「はあっ!?」

 

 

場内からどっと歓声が上がる。

 

意味が分からず、ステージに一人取り残された一夏はキョロキョロと左右を見渡しうろたえることしか出来ないでいると、ふと上空から殺気を感じる。

 

このまま待機していたらまずい、そう本能が警鐘を鳴らしていた。

 

 

「もらったぁああああっ!」

 

 

ステージに映し出された丸い影が少しづつ大きくなってきたかと思うと、気合の入った掛け声と共に短剣を振り下ろす少女の姿が一夏の目に入る。

 

 

「は……うわぁ!?」

 

 

反射的に後ろにステップを踏んで自身がいた場所から飛び退くと、甲高い音と共に今までいた場所に大きな陥没が出来ていた。一夏の頬を冷や汗が伝う、あと少し反応が遅れていたらヤバかったかもしれないと。

 

 

「ちっ! 外したっ!」

 

「おい、鈴! 何なんだよその靴は! あと少し反応遅かったらヤバかった……うわぁ!」

 

 

攻撃を加えてきたシンデレラ……もとい鈴に対して抗議をするが、有無を言わさないうちに一夏に飛び蹴りで突っ込んできた。白銀のドレスにカチューシャといかにもシンデレラを形容する美しいシルエットであるにも関わらず、やっていることはどこぞのチンピラそのもの。

 

この攻撃も当たる寸前のところでひらりと一夏は躱すが、明らかに急所を狙った一撃に悪態をつかずにはいられなかった。

 

 

「こ、殺す気かっ!」

 

「大丈夫。このくらいじゃ死にはしないわ……よっ!!」

 

 

非難の言葉を述べる一夏目掛けて、鈴は中国の手裏剣、飛刀を一才迷うことなく投擲した。高速の速度で目標に向かって飛来すると、一夏の数センチ横を掠めてすぐ横にある柱に突き刺さった。

 

青ざめた表情で柱を見ると、そこには根本から突き刺さる手裏剣の姿が。

 

柱を貫通する威力の手裏剣とは如何に。

 

 

「し、死ぬわっ!」

 

 

続け様に投擲されてくる手裏剣の数々をサイドステップで交わしながら、鈴との距離を離していく。鈴の強襲を素早い身のこなしで避けていく一夏、ここで普段の特訓が活かされるなどとは微塵も思わなかったに違いない。

 

 

「一夏くん。一応刀剣類の刃は全部潰してあるから当たっても痛いだけよ。安心して頂戴」

 

「全然大丈夫じゃないっ!」

 

 

会場のアナウンスで一夏に向けて楯無が安全性の保証を伝えるが、やられている本人としてはたまったものではなかった。使っている武具に関しては刃を潰してあるので安全……という楯無の主張を俄に信じられるはずもない。

 

痛みに対して快感を感じるタイプではない一夏からすると、一撃を加えられるのは勘弁願いたいことだった。手加減など微塵も感じられない鈴の攻撃を見ると当たったらただでは済まないことくらい容易に想像出来る。

 

そうこうしているうちにも容赦なく鈴は一夏を追撃していく。

 

 

「あーもう! ちょこまかと避けんなっ!」

 

「避けるわ! アホか!? 死ぬだろうがっ!」

 

「死なない程度に殺すから安心しなさい!」

 

「意味が分から……どわぁっ!?」

 

 

鈴の理不尽なまでの弁論を退けようとするも、テンションが昂ってしまっているようで一夏の言うことに一切聞く耳を持たない。

 

 

「このっ! いい加減に……しろっ!!」

 

 

咄嗟に近くにある机を掴むと、それをちゃぶ台返しの要領でひっくり返して手裏剣を防ぐ。攻撃が怯んだタイミングを見計らって、鈴から距離を取り物陰に姿を隠した。

 

 

(そもそも何で鈴はあんな必死に俺を襲ってくるんだ? 俺、もしかして無意識のうちに何かやらかしたのか?)

 

 

極めて冷静に、一夏は事態の把握に努める。

 

ここ数日間の自身の言動で鈴を怒らせるようなことをしただろうかと。自分の学園生活から私生活まで全てを一瞬のうちに振り返ってみせるも、今週に関しては怒らせるようなことをした原因は見当たらなかった。

 

一夏からすればここまで本気で襲い掛かられる原因に心当たりはない。なのにどうして鬼のような形相で鈴は襲って来るのだろうか、いくらアドリブで進行する劇とはいえ、度がすぎているような気もする。そもそも鈴の性格を考えたら自ら進んでこんな劇に参加するようにも思えない。

 

楯無に強要されたのか。

 

いや、それも違う。

 

楯無はそんなことをする人でないし、仮に強要されたとしても鈴は理由がない限り断るはず。普通に誘われたとして二つ返事で了承するようなことは無いと考えると、もしかして劇に参加することによるメリットがあるのではないか……とも仮定出来る。

 

とはいえ、これだけでは弱い。

 

仮にそうだとして根幹の部分を突き止めない限り意味はなかった。

 

 

(ん……何だ?)

 

 

考え込む一夏の視界に突然赤い光が当たる。

 

目の前を飛ぶハエのような煩わしさから、何かが自分を照らしていることを察知した一夏はその場から離れようとするも、自分の動きに合わせて赤い光が追尾していることに気付く。それも都合よく自分の顔を……更に詳しく言うならこめかみ付近とでも言えばいいか。

 

チラチラと一夏の顔に断続的に照らされる光、授業を説明する時なんかに要点を伝えるべく使うためのツールがある。

 

そう、レーザーポインターだ。

 

そしてレーザーポインターについては授業以外の別の用途で使われることもある。不規則に顔の表面を右往左往していた赤いポインターはやがて一夏のこめかみでピタリと動きを止めた。

 

 

(……ッ! 狙撃か!)

 

 

悪戯なんかに使われるはずがない。

 

スナイパーライフルによる狙撃であると判断した一夏は、瞬時に身を屈めると自分の頭部があった場所に何かがガツンと音を立てて当たった。自分の知り合いの中で、かつ劇に参加する可能性のある人物の中で狙撃に秀でている人間がいるとすればそれは一人しか見当たらない。

 

該当の人物の名前を、一夏は思わず口に出して叫ぶ。

 

 

「これは……セシリア!」

 

 

 

 

 

 

 

 

一夏の予想通り狙撃したのはセシリアだった。

 

スコープ越しに一夏を見つめると、絶好のチャンスを逃してしまったことに対し思わず悔しそうな表情を浮かべる。

 

 

「外しましたか……次は外しませんわよ!」

 

 

再度ライフルのスコープを覗き込むとレンズに映る一夏の顔を焦点に合わせた。一方で一夏の眉間に現れるレーザーポインター、諦めず狙われて続けているのだと判断し、素早く身体を動かすとセシリアとも距離を取るべく反対方向に向けて走り出す。

 

セシリアも場所を変えながら一夏のあとを追尾する。幸いなことにサイレンサー付きのスナイパーライフルを使えているおかげで発射音も聞こえず、かつ遠距離から狙撃をすれば自身の居場所も簡単にバレることはない。

 

しかし同じ場所にいたら自分の狙撃が当たらない場所へと身を隠されてしまう。『ショット・アンド・ムーブ』と呼ばれる撃ったら動く、狙撃手の基本動作を忠実に守りながら、彼女は次の狙撃ポイントへと向かった。

 

 

(今回ばかりは負けられませんわ。必ず勝たせていただきます!)

 

 

と、秘めた闘志を燃やすセシリアだが、彼女や鈴をそこまで掻き立てるものは何なのか。先程同じような疑念を一夏は持っていたが、生徒会の企画とはいえ何の見返りも無いアドリブの劇に二つ返事で参加するとは思えない。

 

一夏の読み通り、この劇には一夏に知らされていない女子限定の景品が存在していた。

 

一夏の被っている王冠をゲットした女子には同室同居の権利を与えるというもの。対象者は男子生徒、つまり王冠を持っている一夏だけではなく、裏方で見守っている大和までもが対象となっていた。当然、自分たちの知らないところでそのような取り決めがなされているなんてことは二人とも知る由もない。

 

一夏も大和も何か裏があるんじゃないかという部分までは気付いていたが、まさか景品が自分たちとの同室の権利だなんて思いも寄らないに違いない。

 

 

「じょっ、冗談じゃない! こんなんシンデレラであってたまるか!」

 

 

思わず悪態をつく一夏だが、側から見ても致し方がない状況であることは間違いない。まさに四面楚歌、周囲に味方はおらず完全に孤立していた。

 

もはや自分はどこぞのハンターにでも狙われているのかと錯覚するかの様な集中砲火に一夏はひたすら逃げる。目的もなく、続く道をかき分けるように逃げ惑う。ただ逃げてばかりではいつかは袋小路に追い込まれる。

 

分かりきっていることとはいえ、人間追い詰められると正常な思考回路が働かなくなってくる。

 

 

「っ!? し、しまった! 行き止まりか!」

 

 

気付いた時には既に遅く、一夏はセシリアの狙撃を気にしすぎるあまり、まんまと行き止まりに誘導されていた。

 

赤いレーザーポインタが頭上の一点で止まる。つまり照準が定まったことを意味していた。周囲は建物の壁で覆われていて逃げ場は無い、セットを壊そうと思えば壊せる……ような強度なのかどうかも分からない上に、下手に壊してしまえば修繕費用の請求はどこに行くのだろうか。

 

請求は来ないと仮定しても、壊した先に起こりうる自分の未来を垣間見ると、笑えない様な結末が用意されている気がする。

 

ここまでかと半ば諦める一夏に背後から不意に声が掛けられた。

 

 

「一夏伏せて!!」

 

 

声と共に一夏の正面に現れる影。

 

銃口から発せられた弾丸は吸い込まれるように影に……否、シャルロットの持つ対談シールドに直撃し跳弾した。続けざまに襲い来る銃弾を防ぎながら、一夏に場に伏せるように指示する。

 

 

「シャル! 助かったぜ!!」

 

「すぐに追ってくると思うから、先に逃げて!」

 

「あぁ、サンキュー!」

 

 

ここにいたところでじり貧になるだけでなく、追っ手もすぐに追いかけてくる。先にこの場から離れるようにと念を押しながら伝えると、感謝の言葉を並べつつ、一夏は踵を返して場を離れようとした。

 

 

「あ、い、一夏! あの、そのえーっと……ちょっと待って!」

 

「ん? 何だ?」

 

 

身をかがめて銃弾の標的にならないように先へ進もうとする一夏に対して、何かを言い忘れたかのように突然引き留めるシャルロット。

 

 

「その、できれば、王冠を置いていってくれるとうれしいなぁ……」

 

 

一夏の頭上にある王冠を指差し、顔を赤らめながら譲って欲しいと懇願するシャルロットに対して一夏は急に何を言い出すのかと首を傾げる。

 

このタイミングで言うセリフとしてはあまりにも不釣り合いだったからだ。先に説明した様に王冠にそんな裏話があるとは到底知らない一夏からすればいきなり何を言い出すのかといった気持ちになる。

 

ただ幸いなことに先に攻撃を仕掛けてきた敵意剥き出しの鈴やセシリアと違って、一件シャルロットは自分に対して敵意はない様に見受けられた。話している感じはもちろんのこと、もし鈴やセシリアと同じように自分に本気で牙を剥こうとするのであれば、態々二人から助けるような真似をするだろうか。

 

二人の対応をするのに手一杯だった一夏にとって、第三の死角を相手にすることは不可能に近い。その気になれば一夏を捕まえる、もしくは無力化することはシャルロットにとって造作もないことになる。

 

と、なると本気で自分のことを助けに来てくれたのかもしれない。助けた証にこの王冠が必要になるようにとでも言われているのだろう。そう解釈した一夏は言われた通り、王冠に手を掛けて外そうとする。

 

 

「これか? 別にいいけど……こんなの何に使うんだ?」

 

 

結局はそこは分からずしまい。

 

何故シャルロットが王冠を欲しがっているかなど一夏には知る由もなかった。

 

 

(やった! これで王冠ゲット!)

 

 

内心は嬉々としているシャルロット。

 

彼女の性格上、鈴やセシリアのように先陣切って王冠を奪うことは出来ない。となれば別に強引に奪い取るだけが策ではない。シャルロットが選択したのは【奪う】ではなく【譲ってもらう】だった。

 

一夏に王冠の秘密を知られたら最後、秘密を知れば決して渡してはくれないだろう。であれば王冠の秘密を知る前に手中に収める必要がある。相手は一人とはいっても回避に優れる相手から王冠を奪い取るのは至難の技だ。

 

だったら相手の同意があれば無駄に争うこと無く、一夏本人から王冠を譲って貰えばいい。その為には敵意を見せること無く、一夏の近くに接近する必要がある。幸いなことに鈴とセシリアが正面から強行策を仕掛けてくれたことで、シャルロットとしては一夏に近付く口実を作ることが出来た。

 

一夏を二人の攻撃から守る、という口実が。

 

一夏の同意は得られた。

 

後は王冠を貰うだけ、それで全てが終わる。

 

 

 

 

王冠が頭から離れようとする刹那、不意に楯無の放送が入った。

 

 

「王子様にとって国とは全て! その重要機密が隠された王冠を失うと……なんと自責の念で電流が流れまーす!」

 

「……へ?」

 

 

一体何を言っているのかと思いながら王冠は頭から完全に外した一夏、と同時に身体を強烈なまでの電流が駆け回った。

 

 

「あばばばばばばばばっ!!?」

 

 

容赦ない高圧電流に一夏の身体は震え、目の前にいるシャルロットが何重にも分身して見える。身体が電流で震えている証拠だ。当然一夏自身は何が起きたのか一瞬では理解出来ず、外した王冠を慌てて頭上に戻した。

 

するとどうだろう、先ほどまで自身の身体を駆け巡っていた電流はピタリと収まったではないか。

 

 

「な、な……な……ぬわぁんじゃこりゃあ!!?」

 

 

無駄に凝りすぎた仕掛けに思ったことが率直に声となって発せられる。王冠のどこかにセンサーでも付いているのだろうか、王冠を外して確認したいところだが残念ながら命は惜しい。

 

 

「ああ! なんということでしょう。王子様の国を思う心はそうまでも重いのか。しかし、私たちには見守ることしかできません」

 

「やかましいわっ! くそ……しゃ、シャル、すまん。悪いがこの王冠は渡せない!」

 

どこまでも他人事かつ無駄に迫真に染まったクオリティの高い楯無のナレーションに若干キレかける。楯無の口ぶりから王冠を自ら手放すと高圧電流が流れる仕組みになっているらしい。

 

ぷすぷすと服の至る所から煙を上げ、折角の衣装がやや焦げかけており、電流の強さが見て取れる。つまり王冠を自らの意思で取らなければ電流が流れることはない。

 

一連の状況から判断するとシャルロットに王冠を渡すわけにはいかなくなった。一夏だって人の子であり、進んで痛い思いをしたいわけではない。

 

 

「えっ、そんな! 一夏っ!」

 

 

一夏から伝えられた言葉にショックを隠せないシャルロット。本人からすればまさか、に違いない。

 

手に入れる目前にまで迫った王冠が、仕掛けによって叶わぬ夢となるなど想定外だったに違いない。今までの自分の苦労は何だったのかと考えると凹む。

 

 

「いぃぃいいいいちぃいいいいかぁあああああああ!!!!」

 

「ふふふふふふっ! 逃しませんわよ!」

 

 

そうこうしている間にも巨大な刀を振り回す鈴と、スナイパーライフルを手に突撃兵のように近寄ってくるセシリアの姿が視界に入った。

 

本来であれば遠距離から獲物の隙を突いて確実に仕留めるために使用されるライフルが近接用の武器として使われている。一撃必殺の攻撃力を持つライフルを片手に突撃されるのは恐怖以外の何者でもない。

 

極め付けは二人揃って目が全くと言っていいほど笑っていなかった。

 

シャルロットとのやりとりの一部始終を見ていたのだろう。一夏に想いを寄せる人間としては抜け駆けされる行為を見せつけられることほど面白くないものは無い。

 

 

「鈴にセシリア! じゃあそういうことだから悪いなシャル!」

 

 

自身に向けられる敵意がより増大されていることを悟った一夏は、ここに居たらまずいと判断して慌てて場から立ち去る。

 

 

(くそっ、この劇に安息のタイミングは無いのかっ!)

 

 

悪態をつきながら一目散に逃げる一夏だが、いつまでも逃げ回っていたら自分のスタミナはいずれ尽きてしまう。安息のタイミングがないのなら、せめて自分サイドについてくれるようなお助けキャラは居ないものか。

 

シンデレラの原作にお助けキャラ何かいただろうかと走りながら考えるものの、これといったキャラクターが思い浮かばない。強いて言うのなら王子様がシンデレラの良き理解者となるはずだが、王子様は自分自身。シンデレラに関しては原作が大幅改編された劇になっているせいで、もはや自らを付け狙うアサシンのような立場になってしまっている。

 

今までの状況から推測すると味方とは到底思えなかった。

 

 

(……それに俺、いつまでこの役やってればいいんだ? まさか捕まるまでとか言わないよな?)

 

 

そもそもこの劇はいつまで続くのだろうか。劇が終われば自分が追われることもなくなるんだろうが、どこまでやればいいのか、いつ終わるのかも聞かされていない以上、明確な終了タイミングも分からない。

 

自分が捕まったら終わり、になったとしてもこの現状で捕まろうと思えるはずもない。

 

 

(……考えても仕方ないとりあえず逃げられるだけ逃げてみるか)

 

 

今は逃げるしかない。

 

永遠にこのまま逃げ続けるってことは無いだろうし、いつかはこの劇も終わりがある。それに逃げ続けることで明瞭化する部分もあるかもしれない。

 

歩を進めて行くと大きな塔がある場所へと出る。どこぞの文化遺産を彷彿とさせる巨大な建造物に本来なら感動すら覚えるはずだが、現状感動している暇などは無かった。

 

どうやら塔の作りを見ると上に昇ることも出来るらしい。近くにある梯子に手をかけて上の階へと移動しようとする。

 

 

「待て、一夏」

 

 

時に限って後ろから声を掛けられる。

 

声質から誰が声を掛けてきたのかはすぐに分かった。大体こういう時は貧乏くじを引く、ただ無視して先に進むわけにも行かず渋々一夏は後ろを振り向く。

 

 

「やっぱり箒か」

 

 

振り向いた先には普段の凛とした感じではなく、先の三人と同じように純白のドレスに身を包んだ箒の姿があった。一夏の反応が少し気に入らなかったのだろう、少しだけムスッとした表情を浮かべながら抗議をする。

 

 

「や、やっぱりとは何だ! わざわざ助けに来てやったというのに!!」

 

「え、そうなのか? だったら助かるぜ!」

 

「ふ、ふん! こ、こっちだ。ついてくるがいい……私の衣装への感想は無いのか……」

 

 

鼻息を鳴らして一夏の横を通り過ぎると、塔の近くにある梯子へと手を掛けながら、聞こえるか聞こえないかの小さな声で本音を呟く箒。その声は一夏には聞こえていたが、詳細な内容までは聞き取れなかったようで。

 

 

「なんか言ったか?」

 

 

一夏に聞き返される。当然消え入るような声で言う内容のため、もう一度面と向かって言えるような内容ではない。

 

 

「な、何でもない! お前はさっさとついて来い!」

 

 

捲し立てるように一夏に自分の後をついてくるように指示する。

 

 

「……はぁ、何怒ってんだよ」

 

 

箒本人としては微塵も怒っておらず、照れ隠しのつもりで言ったつもりが一夏には箒が怒っているように見えたらしい。先に梯子を登る箒の後を追うように一夏も梯子を登り始めた。

 

箒とはほんの少し距離を取りつつ頂上目指して梯子を登って行く。頂上がどこに繋がっているのか、設計に携わっているわけでもないため知る由もない。逆に箒はセットの構造を知っているのだろうか、行き当たりばったりに先導しているとは思えない。

 

ただ行き先だけは気になるところ。

 

ふと顔を上げて一夏は箒に質問を投げ掛けようとする。

 

 

「なぁ箒、これって一体どこに繋がっ「っ!!? ば、バカモノ! 顔を上げるな!」……はい、すみません」

 

 

一夏には見えないが、箒には何をしようとしているのかが分かったのだろう。顔をカァッと赤くさせながら上を見るなと一夏に叫ぶ。

 

そんな箒に一喝されて謝らされる羽目になった一夏。箒が怒る理由も一理あり、今回に関しては未遂で終わったが一夏がそのまま顔を上に向けるとダイレクトに箒のスカートの中が丸見えになる。年頃の女性ともなればいくら好意を持っている異性とはいえ、スカートの中を覗かれる事態だけは避けたい。

 

ふぅとため息をつくと再度梯子を登って行く。

 

やがて梯子を登り切ったところでようやく一夏は一息をついた。冷静になったところで改めて箒の服装を見る。いつもの凛とした雰囲気は変わらないものの、着ている服は紛うことなきドレス。

 

着物やカジュアルな服装などを含めて様々な服装の箒を一夏は見てきたが、方向性の違った神秘的な姿に思わず目を奪われる。視線に気付いた箒が少し困ったような表情を浮かべながら見つめ返してきた。

 

あまりジロジロと見られることに慣れていないのだろう。

 

 

「な、なんだ一夏、そんな私のことをじっと見て。私の顔に何かついているのか?」

 

「あ、いや違うんだ。その、何だ……こんなタイミングで言うのもなんだけど、箒のドレス姿すげー似合ってるなって思って」

 

 

改めて言うことじゃ無いしこのタイミングで言うようなことでは無いけど……と前置きを入れて率直な感想を伝えると、箒は案の定少しテンパりながら顔を赤らめる。

 

 

「に、似合ってる!?」

 

「おう。いつもの落ち着いた凛々しい感じも良いけど、今日の派手目な感じの服装も似合ってるぜ」

 

 

褒めるには何とも言えないロケーションとタイミングだが、自身の着こなしを褒められて嬉しく無いはずがない。

 

 

「そ、そうか。私のこの服は似合っているのか……そうか、そうかぁ……」

 

 

頬は緩み、キリッとした目尻が少し下がる。

 

鈴やセシリア、シャルロットとドレスアップした姿を見てはいるが、こうしてしっかりと見る時間を取れたのは箒が初めてだ。

 

先の二人には有無を言わせず強襲され、シャルロットに関しては強烈な電流のイメージが先行してしまい、ドレスを着こなした姿を見るような余裕が無かった。

 

だが忘れてはいけない。

 

如何にほっこりした雰囲気であったとしてもまだ劇の最中だということを。

 

 

「一夏、隙だらけだぞ!!」

 

「っ! ラウラ!?」

 

 

存在感を完全に消した小さな影が一夏を襲う。

 

どこに隠れていたのか、近くに潜伏していることに気付かなかった。小さな体躯と身軽なフットワークを利用して一気に一夏へと接近する。ラウラの手にはサバイバルナイフが。

 

もちろん劇用に用意されたレプリカであるため刃先は潰してあるものの、当たったら多少の痛みは覚悟しなければならない。

 

対して一夏は武器を何一つ持っていない丸腰状態。近くにいる箒はレプリカの日本刀を持ってはいるものの、ラウラの突然の襲撃に反応が遅れた。少し距離を空けていたのが仇となったか、刀を抜刀して近づこうとしても間に合わない。

 

 

「ちっ……しまっ!」

 

 

後退するスペースはない。

 

下手に逃げ回ったところで追撃される未来が想像できた。

 

一撃喰らうのは致し方ない、両腕を前方にクロスさせるように構えて正面からの攻撃に備える。多少の痛みは我慢して次の行動に移ろう。

 

数メートルの距離は一気に一足一刀までに縮まった。

 

ラウラは手に持っているサバイバルナイフを一夏の王冠に向かって振り払おうとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ?」

 

 

が、その攻撃が一夏に届くことは無かった。

 

既視感のあるような光景と共に交差させた両腕を下ろす。

 

一夏の視界に映るのはラウラでも箒でもなく、見覚えのあるまた別の背中だった。

 

 

「ふぅ、間一髪だったな」

 

 

執事服を纏う大和の姿がそこにはあった。



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忍び寄る影

「ふぅ、間一髪だったな」

 

 

寸前のところで間に割り込んだ俺は、一夏の王冠にラウラのナイフが接触する直前で右手の人差し指と中指で挟み込むように止める。後一歩遅ければラウラに王冠を奪われていたかもしれない。

 

半ば強引だったとは思うが、天井裏からステージ目掛けて飛び降りて正解だった。

 

 

「や、大和! お前なんでここに!? 裏方の仕事があるんじゃ……!」

 

「色々とこっちも事情があるんだよ。言ってみればこれも裏方の仕事の一つ……だっ!」

 

 

言葉を言い切ると同時に掴んだナイフを勢いよく振り上げると、柄の部分を握っていたラウラの身体が勢いよく宙に浮いた。相当強く握り締めていたらしく、小さな身体は俺とは反対側に飛んでいく。

 

そんなラウラに対して、掴んでいたナイフを投げ付けた。当然刃の部分ではなく柄の部分を向けて。いくらレプリカとはいっても力を込めて投げると当たりどころが悪ければ大怪我になりかねない。流石に劇で怪我人を出す事態には大事にしたくはないし、折角の一興なんだから少しでも皆が楽しめるように演出をしたい。

 

それに仮にもプロ軍人のラウラのことだ、掴みやすい場所にナイフを投擲しているし難なく対応できるだろう。

 

 

「お兄ちゃん!」

 

 

案の定、空中で不安定な体勢ながらもしっかりとナイフを掴むと、クルクルと美しいくらいの月面宙返りを披露しながら地面へと着地をした。五輪の演目なら最高得点を叩き出せるに違いない。

 

さすがドイツ人、見せ所をよく分かっていらっしゃる。本人とすれば無意識にやったことだろうけど。

 

そんなラウラに対して会場の至る所から歓声と拍手が沸き起こった。身体能力に任せた演劇は中々にお目にかかれるようなものではない。身軽かつ身体能力の高いラウラだからこそ出来る芸当になる。

 

 

「よう、ナイス着地だラウラ」

 

 

そうは言っても俺が劇に乱入してくるとは思っていなかったに違いない。ラウラはもちろんのこと、すぐ近くにいる箒も目をパチパチとさせている。

 

 

「てか大和、こんな劇になるなんて聞いてないぞ! 鈴には襲い掛かられるわ、セシリアには遠距離から狙撃されるわ散々だ。大和もこうなること知ってたんだろう!」

 

 

一旦劇の流れが落ち着いたところで予想通り、一夏が俺に対して抗議をしてくる。一夏の立場に自分が居たと置き換えると似たようなリアクションをすることが容易に想像が出来、苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

 

「まぁまぁ、そう言うなって一夏。残念ながら劇の詳細内容を知らされたのは俺もついさっきなんだわ。だからこそ俺みたいな立ち位置の人間がいるんだろうし」

 

 

観客参加型の劇なのは先に聞かされていたから知っていたが、決して全容全てを楯無から聞かされていた訳ではない。ましてや一夏の王冠の秘密に関しては聞かされたのはつい先ほど、男子にオフレコでなんつーことを企画してくれてるんだと、()()()()()を忘れるところだった。

 

王冠を奪った生徒は一夏か俺かのどちらかと同室になる権利が与えられるなんて斜め上を行くようなことを想像出来る訳がない。一夏ラバーズたちがあんなにコロっと楯無の要望を聞くなんて珍しいとは思っていたけど、王冠の秘密を知ったら納得出来た。

 

ラウラは……どうなんだろう?

 

一夏や俺と一緒の部屋になって嬉しいのだろうか。それともまた別途ラウラはラウラなりの目的があるのかもしれない。

 

 

「そ、そうなのか? それに俺みたいな立ち位置って……?」

 

 

俺の返しに対して率直な疑問を一夏は投げかけてくる。

 

そもそも俺の立ち位置に関しては一切知らされて無いのだから無理もない。そして俺の役割に関しては企画者である楯無から直々に依頼されているもののため、俺が余程変な立ち回りをしなければ特に何かを言われることもない。

 

王冠を奪われた時のダメージは計り知れないが、一夏自身が易々と王冠を奪われるタマではないだろうし、俺もそう簡単に奪わせる気もない。これまでの流れで一夏から明確に王冠を奪おうとしに来ているのは、セシリア、鈴、ラウラの三人。うちラウラ以外は一夏との同室権利を本気で狙いに来ている。

 

ラウラに関しては先にも言ったように自分のためにやってるのか、それとも別の第三者のために動いているのかは不明だが、結果一夏の王冠を力づくで奪いに来ている事実は変わらない。

 

シャルロットは奪う……というよりも譲り受けるって考え方だろう、だから正面から強引に奪いにくるようには見えない。

 

行動が読めないとすれば箒か。多分以前の箒なら力任せに強引にでも正面から挑みに来ていただろうが、今回に関してはどうやら出方がいつもと違う。楯無から別の条件を個別で与えられているとすれば話は別だが、さっき楯無から聞いた話では個別に条件を与えているようなことは言ってなかった。

 

おそらく全員が同じ条件でやっているものと想像が出来る。

 

 

「あぁ。一応俺が王子様の専属護衛ってことになる」

 

「護衛? ちょ、ちょっと待った! どういうことだ? 話が全く見えないんだが……」

 

 

返答に対してますます頭がこんがらがったようで、一夏は更に考え込んでしまった。元々裏方に徹すると聞かされていたのに、いきなり護衛だと言われてもピンとこないようだ。

 

 

「……さっきも言ったようにこっちにも色々と事情があるんだって。とにかく今の俺はお前のことを専属で守るような役割。所謂お助けキャラみたいなもんだ」

 

 

簡潔に纏めるなら一夏のお助けキャラ的なポジションになる。

 

ま、王冠を暴れないようにしっかりと務めは果たさせてもらうさ。

 

 

「むぅ、後ちょっとだったのに……お兄ちゃんめ!」

 

 

俺の乱入があることを想定していなかったラウラは、むっと頬を膨らませる。実際が間に入らなかったら、王冠を手に入れられた可能性が極めて高い。怒っている感じではないものの、少し残念がっているかのように思えた。

 

 

「そう簡単にやらせはしないさ。とはいえ、今の攻撃や接近までの一連の流れは完璧、そこは見事としか言いようがない。ただこんなアドリブの劇なわけだからもう少し裏を読んでおくべきだったな」

 

 

実際ラウラの仕掛けは悪くはない、むしろ完璧に近いものがあった。一つ注文をつけるとするのなら、アドリブまみれの劇なのだからいつどこで誰が邪魔を入れてくるかが分からない以上、そこに対して多少対策をするべきだったかもしれない。

 

……こんな劇で細かい注文を言ったところで仕方ないけど。あえて言うのならそこくらいだ。

 

 

「だがまだ終わっていない! 勝負だお兄ちゃん!」

 

 

持っているナイフを再度ラウラは構え直す。今度は隠し持っていたもう一本のナイフを取り出し、二刀流で勝負を挑むようだ。やたら表情がイキイキしているのは気のせいだろうか。

 

否、気のせいではない。

 

IS訓練という名目でISに搭乗して矛を交わすことはあれど、こうして生身の状態で拳を交えることはない。遡るのなら一学期の臨界学校前まで遡る。

 

 

「なるほど。俺と拳を交えようってことか……でもいいのか? 劇とは言っても手加減なんか出来ないぞ?」

 

 

こっちは一夏のことも守らなければならない。

 

もしこれがただの一対一であれば多少の匙加減は出来るかもしれないが、今回は一夏を守る必要がある。目的の遂行のためには下手に手加減をするわけにもいかない。故に初っ端から全力で向かっていく必要があった。

 

それに敵はラウラだけではない。

 

まだここには居ないセシリアや鈴も相手にしなければならなくなるかもしれないと想定すると、呑気に構えている時間など無かった。この場にはラウラの他に箒も居合わせているが、箒に関してはどうやらしばらく静観する予定らしい。

 

刀は納刀したまま、こちらの様子を興味深くじっと見つめている。自分が拳を交えるよりも、俺かラウラの戦い方を見てみたいというのが本音なのかもしれない。

 

 

「そんなことは承知の上! 行くぞ!」

 

 

地面を蹴り一気に俺との間合いをラウラは詰めてきた。

 

まさに光陰矢の如し、悪くないスピードだ。ラウラとは少し前に一度手を合わせているが、以前はナイフ一本。持ち手を変えることが無かったために、利き手の動きだけを凝視していれば良かったが、今回は左右両方の手の動きを凝視する必要がある。

 

二刀流に慣れていない人間であればなんてことはないものの、相手は百戦錬磨のラウラ。現役のプロ軍人である以上、二本のナイフを使いこなすことなどお手の物に違いない。

 

 

「一夏、巻き込まれるとヤバいから少し下がれ」

 

「え? あ、おう!」

 

 

一夏に自分から少し離れさせると足を肩幅に開き、左手を前に出してラウラを迎え撃つ。ラウラはダッシュの推進力を生かしながら右手を突き出してきた。推進力がある分後ろに下がるのは危険、となるとサイドに避けるかもしくは正面から受け止めるかのどちらか。

 

サイドに避けて隙を見計らって反撃をするのもいいかもしれない……が、忘れてはならないのがラウラが二刀流であるということ。つまり左手にもナイフが握られている。サイドに避けたとしても追撃されて体勢を崩す可能性があった。

 

多少リスキーだがここは。

 

 

「む!」

 

「正面から受け止めるってのも悪くないだろ」

 

 

ほんのわずかに身体の軸をずらすと、左手の人差し指と中指で刀身を挟み込む様に受け止める。ずしっと推進力の衝撃が伝わってくるが耐えれない衝撃ではない。

 

 

「お兄ちゃんに受け止められるのは予想内! ナイフは一本ではないぞ!」

 

 

馬鹿正直な正面からの攻撃が通用するとはラウラも思っていないに違いない。当然、先の手を読んだ行動であることはよく分かる。

 

案の定、右手での攻撃を止められたことを確認するや否や、素早く左手で俺の死角を狙ってナイフを振りかざした。人間三百六十度の全方向を完璧に認知することは不可能、如何なる視力を持ち合わせたとしても出来ない。

 

だがある程度想定することで、予想外の行動にも対応出来るようになる。あらゆる状況下で対応出来てこそ一流の証だ。

 

 

「予想通りなのはこっちも同じだラウラ!」

 

 

故に考えられる可能性は全て認知している。左手でラウラのナイフを掴んだまま、右手をラウラのナイフではなく左手の手首に回して掴む。ただこれでは両手が塞がってしまい、俺自身も攻撃手段を失う。だからこそ一度、ラウラと距離を引き離す必要があった。

 

 

「よっと」

 

「えっ!?」

 

 

ラウラは予想していなかったようで驚きの声が漏れる。

 

どうして俺がわざわざラウラのナイフを刀身で受け止めたのか、その気になれば手首を掴むことだって可能だったはず。ナイフを掴まざるを得なかったわけではなくラウラの選択肢を狭めるために、あえて刀身を掴むことにした。

 

ラウラのナイフと左手首を掴んだまま俺は後方に向かって倒れ込む。ナイフも手首もガッチリと掴まれているわけだ、当然重力に従ってラウラの身体は宙に浮く。仰向けになる俺の瞳にはラウラの驚いた顔が映った。

 

驚いた顔も中々に可愛らしい……などと言うタイミングを与えずに右足をラウラの腹部に押し当てると、倒れ込んだことによって発生した遠心力を存分に生かして後方へとラウラを投げ飛ばす。

 

同い年の中でも華奢で小柄なラウラだ。あっという間に小さな身体は宙を舞った。

 

単純な話で、投げに入るためには相手をしっかりとホールドしておく必要がある。ナイフを、しかも刀身を掴んだまま相手を投げ飛ばすなどと、そんな不安定な方法を選択することは一般的に考えればあり得ない話だ。

 

が、俺の前に常識は通用しない。

 

どうして自分が宙を舞っているのか理解出来ずにいるラウラだが、既に空中で身を翻して次の攻撃に備えようと体勢を整えていた。

 

体勢を整えようとしても、着地したばかりは攻撃に転ずることは難しい。出来ないわけではないが、無理に動こうとすればバランスを崩すことになる。そこはラウラが良く分かっていること、だからこの後の行動を推測すると自ずと取る行動は絞ることが出来た。

 

 

「少し強く行くぞ」

 

 

今度は俺がラウラとの間合いを一気に詰めると、無防備になっている上半に向かって少し強めに右足で蹴りを入れる。もちろん怪我にならない様に、力加減はしてだ。

 

 

「くっ!?」

 

 

俺の一撃に対して無防備のまま食らったら危険だと判断した様で、両手を上半身の前でクロスさせて蹴りを受け止める。ただ衝撃の全てを静止状態で受け止め切ることは出来ず、撃ち抜かれた衝撃でラウラの身体はトラックにはねられたかのように後方へと吹き飛んだ。

 

一部始終は観客席にもモニター越しに見えている様で、至る所から悲鳴にも似た声が聞こえてくる。いくら手加減出来ないとはいっても、怪我をさせるような力でラウラを蹴り飛ばす訳にはいかないので、多少なりとも加減はしている。

 

現状は劇の最中ということもあり、多少なりともリアリティを出すために大袈裟に打ち込む様にしているが、見た目ほどラウラにダメージはないはずだ。それに加えて着ているドレスの下には衝撃を吸収してくれる防備服を忍ばせていることは蹴った時の感触で分かる。

加えて俺が蹴り飛ばそうとした時に咄嗟に後ろに飛んで更に衝撃を和らげていることは確認済みだ。

 

 

「お、おい大和! お前少しやり過ぎじゃないか?」

 

 

ラウラとの攻防を見ていた一夏が咄嗟に声をかけてくる。側から見たら俺が容赦なく蹴りを入れた様に見えただろうし、何ら不自然のないごくごく自然の反応だ。

 

 

「あぁ、安心しろ一夏。ちゃんと手加減はしているし、それにラウラはこんなことで根を上げるほど柔な性格じゃない。第一「隙ありっ!」……うおっ!?」

 

 

一夏と話している間にも反撃に転じようとラウラが突っ込んでくる。今の一撃で少し自重してくるかと思ってたけど、どうやらそんなことは無いらしい。

 

むしろラウラの戦闘意欲に火をつけてしまったようだ。

 

 

「参ったねこりゃ。学園祭の出し物に過ぎないのに、思った以上に俺も熱くなりそうだ」

 

 

それは俺も同じだった。

 

こうして生身の状態で拳を交えると、内に秘められているバトルマニアの一面が垣間見えてくる。本来なら好き好んで戦いを仕掛けるような性格ではないことは自負しているが、やはり楽しいと感じた戦いに関しては例外もあるみたいだ。

 

血湧き肉躍るとはまさに今の状態を表すに違いない。

 

 

「前回は負けてしまったが、今回はそう簡単には行かないぞ!」

 

 

もはやラウラの発言からは本来の目的など忘れているようにも見受けられる。現に一夏の王冠を手に入れることよりも俺と戦うことの優先順位が上に来てしまっているのは事実のように思える。

 

嬉々と笑うラウラの表情を見る限り、俺との戦いを本気で楽しんでいるみたいだった。

 

ラウラのいう前回の戦いというのは、屋上での一件のことを言っているんだろう。話している内容を理解できるのは俺だけであり、近くで聞いている一夏や箒に関しては何の話をしているのか分からず首を傾げるだけ。

 

ま、それもそのはず。

 

屋上での一件は俺とラウラの中での秘密であり、比較的ラウラのことを知る千冬さんや距離が近しいナギでさえ知らない。

 

故に身内のトークに関してついていけないのは当たり前の話だ。

 

逆に全てを知っていられても困る。

 

 

「前回、前回ね。随分と懐かしい話を持ち出すんだなラウラ」

 

「当然だ! 私はあれがあったからこそ今の自分がある。さぁお兄ちゃん! こいっ!」

 

 

なるほど面白い。

 

 

「そうかい。だったらこっちも手加減なんか出来ないなっ!!」

 

 

接近して再度蹴りを見舞う。

 

俺とラウラの攻防はしばし続けられるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大和はラウラの対応で手一杯。くそっ、どこか逃げる場所は……」

 

 

一方、一夏は隙を見て逃げたし、これからどこへ身を潜めようかの算段を立てている最中だった。幸いなことに一番相手をするのに厄介なラウラを大和が抑え込んでくれている。一夏の知りうる中でラウラの戦闘に関する実力は間違いなく五本の指に入る。複数人で相手にしても厄介なラウラを大和が押さえ込んでくれているのは一夏にとってかなりのプラスとなっていた。

 

今のところ箒には戦闘の意思は無いように見受けられる。同時にシャルロットにも戦闘の意思は見られない。後を追って来ているのかどうかまでは分からないが、現状一夏の相手にしなければならない相手はセシリアと鈴の二人に絞られている。

 

ならここに下手に長居する必要性もない。滞在が長くなればなるほど足がつきやすくなる。二人のことだ、間違いなく後追いしてくるに違いない。

 

 

「しっかしこのセットどれだけ金掛けてんだ。それにさっき大和盛大に壊してたけど大丈夫かよ」

 

 

改めて凝視してみると細部にわたって作り込まれていることが良く分かる。それこそ外部の業者にでも頼まなければ表現出来ないようなクオリティで、到底学生の力だけでは準備出来るようなものではない。

 

全セット用意するともなれば相応の金額になるはず。

 

悪気は無いんだろうが幾多もの攻撃で、セットの所々が破損しているのも事実。鈴やセシリアはもちろんのこと、大和も高そうな城壁を拳骨や蹴りで破壊するなど中々に暴れ回っていた。身体能力に任せた超次元バトルにはついていけないと場を離れたわけだが、果たしてこれからどうしたものか。

 

 

「あ! 見つけたわよ織斑くん!」

 

「ん?」

 

 

自らの進行方向に一人の生徒が現れる。

 

エキストラか何かだろうかと首を傾げる一夏だったが劇の肝心な内容を失念していた。

 

そもそものコンセプトが()()()()()()()だということに。

 

 

「織斑くん、大人しくしなさい連行されなさい!」

 

「私と幸せになりましょう王子様!」

 

「いっ!? な、なんだ!」

 

 

一人現れ、また一人現れ。

 

チリも積もれば山となる。いつの間にか目の前には数十人の大群が押し寄せていた。何が起きているのか分からず一夏は思わず後退しながら身構える。

 

 

「さぁ盛り上がってきました! これから一般参加枠を開放いたします!」

 

「は、はぁぁあああっ!?」

 

 

目の前の事象を嬉々としながらアナウンスする楯無のアナウンスに、今日イチの叫び声を一夏は上げる。

 

同時に劇が始まる際のアナウンスで楯無が言っていた内容を思い出す。これは普通の劇ではなく、観客参加型の演劇であることを。

 

つまり出演キャストは無尽蔵。簡単な話学園中の生徒全員が参加しても良いことになる。目に見える限りでは数十人の生徒たちだが、もっと大人数が控えている可能性も考えられた。一人一人の戦闘能力は専用機持ちたちに比べると大きく劣るものの、圧倒的な物量で押し寄せられたらひとたまりもない。

 

一人になったこのタイミングを狙っていたのだろうか。いや、今はそんなことを考えている暇はない。何とかこの場から逃げ切ることが先決だ。

 

 

「この時を待っていた……合法的に織斑くんとお近づきになれるチャンスが来ることを!! 観念しなさい!」

 

「ふははははっ!! 神はまだ見捨てていなかった! 織斑くん覚悟ぉおおおおお!」

 

 

目が笑っていない。

 

完全なガチな目をしている。

 

獲物を狙うハンターのような研ぎ澄まされた視線に危険を感じた一夏は咄嗟に空いている道に逃げ込んだ。

 

 

「さぁ王子様! 私と一緒に来て!」

 

「幸せになりましょう織斑くん! 専用機持ちたちに独占なんかさせないわ!」

 

「だぁああ! ここもか!」

 

 

いく先々に既に幾多もの生徒たちが待ち構えている。

 

 

「あ〜待ってよおりむ〜!」

 

「ごめんのほほんさん! また今度な!」

 

 

とにかく誰であろうが構っている暇などない。

 

捕まったら最後、自分がどうなるか分からない。

 

例え聞こえてくる声が自分の顔見知りの声だったとしても、自分を捕まえることで何が起きるか一切聞かされていない一夏としては止まるわけにはいかなかった。

 

セットをかき分けて、誰よりも早く駆け抜ける。

 

 

「くっそー! 何で俺がこんな目に! 明らかに理不尽だろこの配役!」

 

 

この際悪態をついたところで何かが変わるわけでもないが、言葉に出さずにはいられなかった。

 

と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へ?」

 

 

着地したはずの足が空回りする。

 

確かに地面に足は接地したはずなのに、地面を掴む感覚がない。

 

 

「こちらへ」

 

「うわぁ!?」

 

 

そして一夏の姿は奈落の底へ引き摺り下ろされるのだった。



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因縁の組織、八本脚の悪魔

「着きましたよ。ここなら誰にも見つかりませんから」

 

「はぁ、はぁ……ど、どうも」

 

 

誘導されるがまま、セットの下をくぐり抜けて行き着いた先は更衣室だった。

 

息を整えながら現状を把握しようとする。暗がりを駆け抜けて来たために、そばにいる人間が誰なのかは分からなかった。自分の知り合いなのだろうか、聞く限り聞いた覚えのない声質だ。

 

改めて前方にいる人物の顔を見ると、案の定一夏の知らない人物だった。どこかで会ったことがあるか、過去の記憶を遡ろうとするも同一人物を探り当てることは出来なかった。

 

では何故自分を助けようとしたのか、それより気になるのが学園の関係者でしか入れないような場所にどうしてこの女性は入り込めているのかだ。

 

自分の知らない学園の教員だろうか。

 

学園の教員全員を把握しているわけではないため、教員の一人だと言われればそれまでだ。

 

ただ、物腰の柔らかい落ち着いた口調の裏にどことなく暗い闇の部分が垣間見えるような気がする。この目の前の女性に心を許してはいけないと、一夏の第六感が警鐘を鳴らしていた。

 

 

「あの……あなたは?」

 

 

息を整えた一夏が真っ先に確認したのは、目の前の女性の正体について。

 

結局相手が誰なのか分からない以上、こちらの腹を割るようなことは出来ない。最も、仮に信用出来る相手だったとしても初対面で自分の胸の内を曝け出すようなことなど出来るはずもないが。

 

ともかく大前提として、相手が誰なのかを把握しておく必要はある。

 

一夏の問い掛けに対し、女性は静かな口調のまま口を開いた。

 

 

「私はIS装備開発企業みつるぎ……渉外担当の巻紙礼子と申します」

 

「IS装備開発企業みつるぎ?」

 

「はい」

 

 

女性が口にした企業名を繰り返すように一夏は口に出す。聞いたことないような企業名に思わず首を傾げるが、どこの企業も専用機持ちにたちには自社の製品を使ってもらおうと必死になってアプローチを掛けている事実は良く知っている。

 

現に自身の専用機、白式にも追加装備を搭載しないかと言った話が後をたたない。加えて世界に二人しかいない男性操縦者の片割れともなれば、何としても自社の製品を使って貰おうと躍起になる。使ってくれればそれだけで広告塔になるからだ。

 

目の前の女性、渉外担当と言ったか。

 

渉外担当の役割といえば自社の追加装備を専用機持ちに営業を掛けて使ってもらい、自社を宣伝してもらうように誘導する役割を生業としている。

 

この更衣室には自分しかいない。

 

もし営業活動だとすれば最悪なタイミングで厄介な相手に捕まってしまったことになる。

 

 

(追手から逃げ切れたかと思ったら、今度はIS関連企業の営業か。よりによってこのタイミングで捕まるなんて……。結果助けてくれたことはありがたいけど、追加装備を使う気なんてないしどうするか)

 

 

これから話される内容については一夏も何となく想像がついていた。

 

ISの追加装備に関する話は何も今回に限った話ではなく、今まで嫌になる程営業をされている。

商談の際には千冬が近くにいることも多く、いくら魅力的な提案であったとしても全て断ってきていた。そもそも自身の白式のバススロットは全て埋め尽くされていて追加装備を搭載出来ないからだ。

 

それに仮に搭載出来たとしても勝手の分かりきっていないISに対して自分だけの判断でイエスの回答を出すことは出来ない。基本的に千冬を通すことになる、そうなれば自ずと返ってくる答えは想像が付く。

 

全てノー、だ。

 

 

営業目的なら、まずは使う気が無いことをハッキリと相手に明示する必要がある。逆に営業目的ではないのなら何故こんなところにいるのか。どちらにしても詳細を確認しなければならないことに、はぁと心の中で大きなため息をついた。

 

 

「あの、ところで巻紙さんはどうしてここに?」

 

「はい、実は……」

 

 

一夏の問いかけに対して含みを持たせるかのように口籠る巻紙礼子と呼ばれる女性。

 

数秒の間が空き、やがて重たい口を開いた。

 

 

「―――実は、この機会に是非白式を頂きいただきたいと思いまして」

 

 

言葉が発せられた瞬間、二人を包み込む雰囲気が一変する。

 

 

「え……ッ!?」

 

 

作られた笑みをそのままに話しかけてくる姿に一夏は警戒を強める。一歩後ろに下がると、そっと右手のガントレットからいつでも白式を呼び出せるようにイメージを固めた。

 

学園内での無断なIS展開は禁止されているものの状況が状況だ。相手が何をしてくるか分からない緊急事態である以上、校則がどうとか言っている場合ではない。

 

やらなきゃ、やられる。

 

 

少しのやり取りで一つ分かったことがある。

 

目の前にいる巻紙礼子と呼ばれた女性は学園の教員でも無ければどこかの開発企業に所属している人間でもない。

 

 

「あんた、何言ってんだ?」

 

「あーあー、ガタガタうるせーな、くだらねー自己紹介何かどうだっていいんだ……とっととよこしやがれクソガキ!!」

 

「ちいっ……ぐあっ!?」

 

 

穏やかな口調が一転攻撃的で粗暴な口調へ、そして表情までもが凶悪なものに変わる。ニヤリと不気味な笑みを浮かべながら一夏を睨み付ける姿を見て、味方だと判断するには些か不可能なものだった。

 

間違いない、コイツは……敵だ。

 

そう一夏が判断するとほぼ時を同じくして右足が正面へと現れる。とっさに両腕を身体の正面でクロスして構えることで、自身への直撃を回避することに成功したが蹴りの威力は相当なものであり、百七十センチを超える一夏の体躯をいとも簡単にロッカーまで吹き飛ばした。

 

ガシャンという音と共に背中がロッカーへとぶつかるとロッカーの扉は衝撃で拉げてしまい、同時に一夏の背中に大きな衝撃が加えられて肺の中の酸素が一気に外へと放出される。

 

 

「くっ、ゴホゴホッ!」

 

 

呼吸が出来なくなり、外の空気を求めようとせき込んだ。

 

 

典型的な口より先に手が出るタイプ。瞬間湯沸かし器を更にひどくしたような短気で傍若無人な立ち居振る舞い。

編入してきたばかりのラウラよりもひどいのではないか、今まで会ったことの無いタイプの人間且ついきなり蹴り飛ばされたことに対して苛立ちを隠せないのか、呼吸を整えながらギロリと相手のことを睨み付ける。

 

 

「アンタ一体……?」

 

「私か? 企業の人間に成りすました、謎の美女だよ!! おら、嬉しいか?」

 

 

ぐっと前傾姿勢になったかと思うと女性の背中が大きく膨らみ、やがて幾多もの鋭い刃物のような爪が服を突き破って出現した。

 

人間の背中から金属が突き破って出てくるわけがない。

 

見たことの無いものではあるが、これは間違いなくISを利用した部分展開だった。ISを展開されたともなればこちらも生身の丸腰状態で戦う訳にはいかない。待機状態だった右手のガントレットを空中に掲げる。

 

 

「来い! 白式!」

 

 

遅れる様に右手のガントレットを掲げると、緊急展開によってISスーツごと呼び出した。

 

パーソナライズされた専用機では量子変換された状態でISのデータ領域に格納されている。本来はスーツを着用してからISを展開するのが常だが今回は緊急事態であり、スーツに着替える時間猶予はない。相手が着替えを待ってくれるような優しさを持ち合わせているのなら話は別だが、誰がどう見たところでそんな淡い期待が叶うはずも無かった。

 

少しでも隙を見せようものなら一気に襲い掛かられるに違いない。スーツごとの呼び出しはスーツ着用後の展開に比べて大きくエネルギーを大きく消耗してしまう。

 

戦況は最悪、ただエネルギーの消費を気にしている暇などなかった。

 

 

「待ってたぜぇ……そいつを使うのをよぉ!!!」

 

 

待っていましたと言わんばかりの嬉々とした表情があまりに現実をかけ離れた歪んだものであり、はっきりと視界に捉えた一夏は思わず背筋に悪寒が走るのを感じた。

 

 

(この感じ……確か前どこかで)

 

 

目の前の女が醸し出す独特の狂気に満ちた雰囲気を以前一夏も味わったことがある。何年も前のことではない、それこそつい最近、何ならここ数カ月以内で。

 

 

(思い出した! プライド! アイツと雰囲気がまるでそっくりなんだ!)

 

 

思い出したくもない苦い思い出。

 

一歩間違えていれば作戦に参加した全員が命の危機に瀕する可能性があった臨海学校での出来事。忘れるわけがない、ISに搭乗して本気で命を懸けてぶつかり合ったあの一日を。

 

自分の暴力を正当化し、大和に瀕死の重傷を負わせただけでなく、既に戦う術を持ち合わせていないラウラを徹底的に痛め付けた。人を傷つける行為に対して何ら申し訳なさを持ち合わせておらず、最後まで二人への狼藉を一切詫びることが無かった男性操縦者―――その名を、プライド。

 

容姿や性別は違えど狂気に満ちた性格は似て非なるものがあった。

 

右手の拳をギュッと一夏は握り締める、臨海学校のことを思い出して何とも言えない気持ちになっているのだろう。

 

最終的にプライドは大和が徹底的に叩きのめし、敵側に回収される形で追い払うことに成功した。以後姿を現すことはないが、どうしても目の前の女を見ているとあの日のことを思い返してしまう。

 

人の血を嬉しそうに舌舐めずりするあのプライド(悪魔)のことを。

 

 

「本来の予定とだいぶ違うが仕方ねぇ。正面から近づいたらもう一人の方にはサラリとかわされてなぁ! 回りくどいのは性に合わねぇや! やっぱこっちの方が私っぽいよなぁ!!」

 

(もう一人……なるほど、大和か。確かに大和ならこの女の下手な罠に惑わされるようなことにはならないだろうし、きっと上手くかわしたんだろう。大和の専用機を奪うことに失敗したから、先に俺の専用機を奪おうって魂胆かよ)

 

 

ペラペラと話す内容を瞬時に整理する一夏。

 

様々な可能性がある中で、自分と同じ環境に置かれている人物は一人しかいない、大和だ。この女は自分に会う前に初の人物、もう一人の男性操縦者である大和にも接触していることが分かった。

 

回りくどく……ということは、正攻法で大和に接近したんだろう。だが何の策略もなく近づいたところで大和が見知らぬ人間を自分の懐に招き入れるわけが無い。それがたとえ絶世の美少女だったとしてもだ。

 

現に、話は一度学園に通してくれと見向きもされず。渉外担当としての仮面を被っていたにも関わらず説明を聞くことはなく、一切取り合うことはなかった。

元々学園祭ということで不特定多数の人間が出入りすることは周知の事実であり、当然中には各開発企業からの人間が自社製品の営業を目的にアポ無しで飛び込み営業を掛けてくる可能性があることも事前に教えられている。

 

専用機持ちかつ男性操縦者ともなれば広告塔としての効果は絶大。故に今年の学園祭に関しては一夏や大和に接近してくる人間が特に増えるから気を付けろと、クギを刺されていた。

 

大和としてもテンプレ通りの接近に対処がしやすかったのかもしれない。かと言って個別で呼び出そうとすればかえって怪しまれてしまい、対象に近づくことが難しくなる。故に多少手間だったとしても正面から極力怪しまれないように接近し、大和との関係をアイスブレイクしていく必要があった。

 

が、結果はご覧の通り。

 

既にフィルターを張っていた大和は押しの強い営業をものともせずに遮断し、それ以上の接近を突っぱねた。一夏と違い周囲に人が居る状況では実力行使することも出来ず、やむを得ず一度撤退することに。二人きりになれるシチュエーションを狙い、虎視眈々と機会を伺っていたところ一夏が劇の主役を張ることが耳に入り、一旦ターゲットを切り替えたってところだろう。

 

加えて大和が想像以上に食えない男だったということもある。仮に二人きりの状況に持ち込んだとしても、上手く躱されるのが関の山だったに違いない。

 

 

(とりあえず大和には接近したけど失敗したのは分かったし、そこに関しては一安心か。後はこの現状をどうくぐり抜ける? 相手の実力が未知数な以上下手に突っ込むことは出来ない)

 

 

さて、問題はこの現状をどう打破するか。

 

相手の手の内は一切分からない以上、闇雲に動いたところで窮地に立たされてしまうだけ。

 

ひとまずは上手く相手の攻撃を躱しながら、様子を見る方が良いかもしれない。

 

 

「多少強引にでも奪えば良かったな。どうやら大切にしている彼女がいるみたいだし、あの女を人質に取った方が良かったか……」

 

「おい、お前っ!!」

 

 

多少の犠牲は厭わない。否、目的のためなら手段を選ばない下劣な態度に、思わず一夏の感情が高ぶってしまい声を荒らげる。女の一言から大和とナギが一緒に居る光景をこの女に見られていることが分かった。

 

女は一夏の反応を面白そうに口元を歪めながら言葉を続けて煽っていく。

 

 

「おっとどうした。怒ったのか? さっきの奴と違っててめえは随分と短気な奴なんだな」

 

(いや待て、このまま相手の挑発に乗ったら相手の思う壷だ! 別に鏡さんがコイツに何かをされた訳じゃない、ここは落ち着いて……)

 

 

一度上昇した脳内温度を自分に言い聞かせるかのように鎮めて行く。怒りに身を任せて動けば正常な判断を出来なくなる、冷静になれ、冷静になれと繰り返し念じる。

 

決してナギが被害に遭った訳ではない。

所詮はでまかせであり、まだどこにも被害は出ていない。分かっていることとはいえ、いざ面と向かって悪気もなく言われると苛立ちは自ずと積もってしまう。

 

やがて落ち着いたところで再度、正面に立つ女を双眼に捉える。

 

大丈夫だ、もう落ち着いた。

 

 

「ふぅ……あぶねー所だった。お生憎さま、アンタの下らない茶番に付き合っている暇は俺も無いんでね」

 

「言ってくれるじゃねぇか。どうなっても文句を言うんじゃねぇぞ!」

 

 

女がISを完全展開し、背後の装甲から伸びた足が見えたかと思うと、爪先の銃口がしっかりと一夏に向けて狙いを定めていた。最後まで言い終えると同時に、一斉に銃弾を乱射する。

 

 

「うおっ!?」

 

 

突然の強襲に対して驚く一夏だが、正面からの攻撃なら決して躱すことが出来ないものではなかった。

 

白式の背後のスラスターを吹かして機体を動かすと、左右にスライドしながら乱射された銃弾を一つ、二つと確実にかわしていく。場外フィールドと違って天井という枷がある以上、率先した空中戦を広げることは不可能。かつ更衣室内である為に面積もさほど広い訳ではなく、前後左右の行動範囲も限られてくる。

 

故に本来であれば回避出来る攻撃も回避困難になってくることが想定されるため、正面からの攻撃に関しては確実に躱していく必要があった。無駄な攻撃を一発も貰うことは出来ない、この状況下でのエネルギー切れは致命的なものになる。

 

 

「ははははっ! よく避けるじゃねぇかクソガキ! 少しだけ認識を改めてやるよ!」

 

「このっ……所構わず撃ち込みやがって!」

 

 

悪態をつきながらも砲火の嵐をひたすらに躱し続ける。更衣室内は面積が狭いだけではなく、椅子やロッカーなどの細かい器具も置いてあるせいで精密な操縦技術が必要となってくる。狭い部屋内で弾幕の嵐から逃げ続ける行為に関しては、少なくともISを稼働して僅かの生徒では到底真似出来る芸当ではない。

 

一夏は専用機こそ持っているとはいえ、代表候補生と比べると稼働時間は決して長くはない。実際の任務での稼働も少ない、実戦での経験や場数も圧倒的に少なく、専用機を与えられた時に出来ることはほとんど無かった。

 

が、放課後の候補生たちと手合わせや、ここ最近の楯無とのマンツーマンによる特訓を繰り返し行うことで操縦技術はメキメキと上達。師事した相手も良かったが、何より一夏自身が努力を重ねた結果に他ならない。

 

 

「オラアッ! これならどうだっ!!」

 

「何のこれしき。楯無さんの地獄の特訓に比べりゃ甘いんだよ!」

 

 

弾丸の雨を左右移動によってくぐり抜け、瞬時加速(イグニッション・ブースト)を使って一気に相手との距離を縮めて行く。一足一刀の間合いへと踏み込むと、右手に展開した雪片弐型を素早く振りかざして切り込む。

 

 

「かかったなぁ!」

 

「ちっ、この……面倒だっ!」

 

 

振りかざすと同時に待ってましたと言わんばかりに、装甲脚で一夏の一撃をいなすとカウンター気味に一夏の懐に向けて銃口を構えた。

 

誘われた……このままでは直撃を食らってしまうと判断した一夏は、死角となっている女の背後むけて左足を蹴り上げると、無防備な後頭部目掛けて全力で蹴りをたたきこんだ。

 

 

「ぐっ!?  コイツ!」

 

 

エネルギーを大きく削ることは出来なかったが、今の蹴りで大きくバランスを崩して発射された弾丸は明後日の方向へと飛んでいった。忌々しげに舌打ちをする女から再び距離を取る。

 

 

「喰らいやがれぇっ!!」

 

 

一夏に照準を向けるとトリガーを引いて銃を乱射する。無造作に発射させられた弾丸のせいで更衣室はぐちゃぐちゃに、綺麗な形を保っていたロッカーはひしゃげ、ベンチは見るも無惨に真っ二つに粉砕させられていた。

 

この現状を見て誰が更衣室だと信じるだろう。

 

 

「アンタ、一体何なんだ!」

 

 

攻撃を躱しながら一夏は問い掛ける。

 

結局これまで分かったことは相手が敵であるという事実のみ。素性に関しては一切判明していない。

 

 

「ああん? 知らねーのかよ。悪の組織の一人だっつーの!」

 

「ふざけてんのか、俺はアンタの名前を「ふざけてねーっつうのガキが! 秘密結社亡国機業(ファントム・タスク)()()()()()って言えば分かるかぁ!?」

 

 

ついに自身の名を明かした女、オータム。

 

話しながらも的確な攻撃を加えてくるあたり、かなり的確な操縦技術を持ち合わせていた。異常なまでのテンションの高さ、気性の荒さに反して攻撃は隙がなく狙いは正確。

 

躱し切れなかったいくつかの弾丸が一夏のシールドエネルギーを少しずつ削っていった。一発一発のダメージは決して高くはないが、繰り返しくらい続けていれば蓄積されたダメージは時間経過で着実に増えていく。

 

更に弾丸の衝撃が身体に伝わってくるせいで相応に痛みは走る。絶対防御のお陰で肉体自体は守られているものの、痛みや衝撃までを吸収してくれるわけではない。

 

 

「ちっ、ちょこまかと! この『アラクネ』相手に良くやるじゃねえか!」

 

(くそっ、厄介だな。あの八本の脚はそれぞれ独立した意識でも持ってるのか?)

 

 

一夏にとって何より障害となっていたのはオータムの機体である『アラクネ』の背中から伸びる装甲脚で、一本一本がまるで独立した意識を持っているように動いていた。現にそれぞれが独立したPICで動いているのだろう。

故に正面から切り込んでも装甲脚でガードされ、迂闊に近付けば捕縛される。

 

距離を取れば銃弾が飛んでくるといったどの距離にいたとしても対応に困る相手だった。しなやかに動き回る様はまるで生き物の蜘蛛を見ているようだ。

 

厄介なことこの上ない。

 

 

「そうそう、折角だし冥土の土産に教えてやるよ。第二回モンド・グロッソでお前を拉致したのはウチの組織だ。感動のご対面だなぁ!!」

 

「っ!!?」

 

 

唐突に言葉を続けたかと思うと、オータムの口から衝撃の新事実が話される。

 

一夏にとってもどかしく、これ以上ないほどに自身の力のなさを実感した出来事は無い。忘れるわけがない数年前の出来事、一夏を救うために千冬はモンド・グロッソ決勝戦を棄権、結果的に連覇を逃すことになり、かつ最前線から退くことになった。

 

自分が原因で姉は剣を置いた。

 

そして剣を置いた根本的な原因を作り出した組織の一員が目の前にいる。一夏にとっては因縁のような相手だろう。メラメラと燃え上がる何かを感じると同時に、一夏の頭の中が一瞬真っ白になった。

 

 

「……」

 

「あ、何だって?」

 

「……かよ」

 

「聞こえねぇな。もっとハッキリ話せや」

 

 

ふつふつと湧き上がる怒り。

 

あの時何も出来なかった自分の不甲斐無さはもちろんのこと、何より自分の身内……たった一人の姉を巻き込んだあの一件を一夏は心の底から憎んでいた。

 

これほどにもない、感動の再会だ。

 

 

「そうかよ! だったらあの時の借りを今この場で返してやるっ!!」

 

 

一夏の内に秘めた怒りが爆発した。

 

雪片弐型を握る拳に力を込め、背後のスラスター出力を最大にすると爆発的なスピードでオータムへと迫る。もしこれが相手の隙を突いた攻撃であればものの見事に決まったことだろう、だが今回に関しては相手とタイミングがあまりにも悪過ぎた。

 

今の一夏を言い表すのであれば、標的に対して直線的に進む鉄砲玉のようなものだった。慣れたIS操縦者からすれば、正面、かつくると分かっている直線的な攻撃を対処することなど造作もないこと。

 

目に見えた挑発で我を見失った一夏の攻撃など、オータムからしてみれば全く怖くなかった。むしろ安い挑発にのってくれたと感謝しているくらいだろう。

 

無駄に頭を使って作戦を練る必要が無くなったからだ。

 

 

「あーあー、やっぱりガキはガキだな。ちょっと核心に迫ったことを言ってやったら急に攻撃が荒くなりやがった。多少はやるかと思ったら見込み違いだったか」

 

 

オータムは突進してくる一夏を見ながら鼻で笑う。そして両手を交差させながらあやとりのようなものを編んでいたかと思うと、それを一夏目掛けて投げ付けた。

 

 

「なら、これで終わりだぁ!」

 

 

エネルギーワイヤーのもので構成された塊は一直線に一夏に向かう。大きさはサッカーボールほどの大きさだろうか、高速移動をしていたとしても対処ができないわけじゃない。

 

一夏は右手に握り締めた雪片弐型を上段に振り上げ、タイミングを見計らって振り下ろす。

 

が。

 

 

「!? な、なんだ……このっ!」

 

 

眼前まで迫った塊を斬り落とそうとした刹那、一気に弾けて巨大な網へと変化した。

 

物理兵器ではないエネルギー体であれば、雪羅の装備で切り裂くことが出来るはず。だが甘かった、一夏の予想を遥かに上回るスピードで展開する網は、数秒と掛からずに全身を覆い尽くして一夏の自由を奪い取った。

 

 

「はははっ! 蜘蛛の糸を甘く見るからそうなるんだぜ! 悪いがその後は一度張り付いたら相当時間かけねーと取れねぇからな?」

 

 

もがく一夏を前にニタニタと笑うオータムが近付いてくる。彼女の手には見たこともない四本脚の装置が握られていた。

 

 

「んじゃ、お楽しみと行こうぜ。お別れの挨拶は済んだか? ギャハハ!」

 

「な、何のだよ?」

 

 

装置がガシャガシャと駆動音をたてながら一夏の身体に装着されると、脚を閉じて固定される。

 

 

「はははっ、この期に及んでまだ分からねーのか? てめーのISとだよっ!」

 

「なにっ……がぁあああああ!!?」

 

 

言っている意味がわからない、と言葉を続けようとした一夏の全身を電流が流れて激しい痛みが襲う。身体が焼き尽くされるような痛みに、たまらず絶叫を上げた。

 

痛みにくるしみ、顔を歪める一夏を楽しそうにオータムは見つめるばかり。余裕が嫌に気になる。

どれくらいの時間が過ぎ去っただろうか、ようやく痛みから解放されると、自身を拘束していた糸も解け装置も外れた。

 

不意打ちを狙うなら今しかない。幸いなことにオータムは余裕綽々の表情を崩さず、腕を組んだまま一夏を見ているだけ。突然の攻撃であれば

正面からとはいえ反応は遅れるはず。

 

 

(今だっ!)

 

 

渾身の力を振り絞り右手を振りかざすと、オータムの顔面目掛けて殴りかかろうとする。

 

が。

 

 

「甘ぇんだよガキ! ISの無いお前はただの役立たずだ!」

 

「ガアッ!?」

 

 

一夏の拳に合わせるようにカウンター気味で一夏の腹部目掛けてオータムの一撃が吸い寄せられる。トラックにでもはねられたかのように簡単に身体が宙を浮くと、勢いそのまま後方のロッカーに叩きつけられた。背中に伝わる衝撃とともに肺の酸素が一気に押し出され、呼吸がままならなくなる。

 

おかしい。

 

攻撃によっては直接肉体に衝撃が伝わってしまうものもあるものの、今の自分はISを展開しているはずだというのに、まるで()()()()()()()()()()()衝撃の伝わり方だった。

 

そこでオータムの発した一言を思い出す、ISの無いお前はただの役たたずだと。頭が冷えて冷静に物事を判断できるようになり、改めて自身の身体を見ると。

 

 

「どういうことだ……おい! 白式! おいっ!!」

 

 

IS用のスーツだけが残され、周囲を覆っていた白の装甲や握っていたはずの雪片弐型も跡形もなく消え去っていた。何度問い掛けても白式が呼応してくれることはなく、一夏の虚しい叫びだけが更衣室に木霊する。

 

 

「ははははっ!! いくら呼んだところでてめーのISは応えてくれねーよ! そもそも私の手にあるんだからなぁ!」

 

「な、何!?」

 

 

オータムはこれ見よがしに菱形の立体クリスタルを一夏に向かって見せ付ける。直接目視する回数は少ないが紛れもなく白式のコアだった。第二形態移行している証として、通常の球体コアに比べて強い輝きを宿している。

 

 

「さっきの装置はなぁ! 剥離剤(リムーバー)っつーんだよ! ISを強制解除出来るっつー秘密兵器だぜ? 生きているうちに見れて良かったなぁ!」

 

「ぐあっ、ガハッ!? こ、この……返せ」

 

 

無防備な一夏に二度三度、繰り返し蹴りを入れる。立て続けの攻撃によってはダメージが蓄積していた一夏の身体は自由に動かず、ついには顔を踏みつけられて地面にひれ伏してしまう。

 

 

「あぁ? 聞こえねーよ」

 

「返せ! それはお前のもんじゃねえ!!」

 

 

多少なりとも身体を動かさない時間があったからだろうか。痛みが和らぎ、身体を動かせるようになった一夏は踏みつけている脚を払い除けると、握られたコアを取り返そうと必死に手を伸ばした。

 

 

「だから、遅えって言ってんだろ!!」

 

 

とはいえIS対生身の人間ともなれば戦力差は歴然。どう足掻こうとも勝てるわけがない。一体で国を滅ぼせるレベルの戦闘力を誇るISとかたや相手によっては一対一でも勝てないこともあるかも知れない人間。

 

超えられない絶対的な壁が存在する。自然の脅威の前で人間が無力なのと同じで、IS相手に普通の人間は太刀打ち出来ない。

 

蹴り飛ばされてロッカーに激突する一夏。

 

こんな時に何も出来ない己の無力さを恨んだ。これでは数年前のモンド・グロッソの時と何一つ変わっていないではないか。結局誰かに助けてもらわないと、自分は何も出来ないのか……。

 

 

「いや、そんなわけがねぇ」

 

 

そうだ、そんなわけない。

 

確かに自分は何一つ特別な力など持っていない。ISが無ければまともに戦うことすら出来ない弱い弱い人間だ。

 

 

「……頭に上った血が下りてきて、少し冷静に物事を見つめられそうだ。もう少し早く冷静になってたら、戦況は多少なりとも変わってたかもな。こんなくだらない相手に振り回されていたって考えると、自分が情けなく思えて来るぜ」

 

「あ? てめー今何つった?」

 

 

ボソリと呟く一夏にオータムはこめかみをひくつかせながら反応した。余裕綽々の表情から一転して怒りに染まった表情を浮かべる。

 

あぁ、やっぱりそうだ。

 

こんなくだらないことで簡単にキレるようなどうしようもない人間に対してムキになって突っかかっていったのか。挙げ句の果てに良いように誘導されて、あまつさえ自分の専用機まで盗まれて……相手の掌の上で良いように転がされていただけではないか。

 

冷静になって考えてみれば本当どうしようもない。

 

 

(ははっ、わけわかんねぇ。人間キレすぎるとこうなんのか?)

 

 

何のために戦っているのだろう。

 

自分は何に対して怒っていたのだろう。

 

自分が迷惑を掛けた行為に対して。

 

尊敬する姉のプライドを潰してしまった要因に対して。

 

否、全部だ。

 

エゴだと言われても良い。

 

目の前にいる組織の人間たちが身勝手に引き起こしたあの一件をどう許せというのだろうか。

 

 

(許して良いわけねぇよな。コイツらがやったことを正当化しちまったら、自分の信念を否定することになる)

 

 

「おいてめぇ、何つった? もう一回言ってみろや!」

 

「あぁ、何度だって言ってやるさ! くだらない相手に振り回されてどうしようもねぇって言ったんだ!」

 

 

オータムの面と向かって一夏ははっきりと言い切る。一夏の目に含まれるのはオータムに対する明らかな侮蔑。加えて圧倒的な不利な状況下な一夏が何故ゴミクズを見ているような目付きで見下しているのか。

 

どちらの立場が上から分かっているのか。

 

この期に及んで私のことを侮辱しようというのか。

 

完全に馬鹿にされたと悟ったオータムの沸点は一気に限界を振り切り、目を釣り上げたまま鬼のような形相で近づいて来た。明確なまでの殺意を宿して。

 

 

「このっ……ぶっ殺してやる!」

 

 

殺してやると息巻いて装甲脚を振り上げようとした時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、ここでそんなことされるのはおねーさん困るなぁ。一夏くんのこと、こう見えても気に入ってるんだから」

 

 

一夏の背後から声が聞こえる。

 

それも場にそぐわない、どこかこの状況を楽しんでいるかのような声。だだどこか聞き覚えのある声、この声は自分が知っている人間のものだと判断し、入口の扉の前に視線を向けるとそこには楯無が立っていた。

 

 

「てめぇ、どこから入りやがった! 今ここは全システムをロックしてんだぞ!」

 

 

一夏を誘い込むために用意周到に準備を進めていたのだろう。全システムをロックし、一夏を孤立した更衣室に誘導したというのに、全く関係のない第三者に自身の居場所がバレているだけでなく、部屋のロックまで解除されている。

 

一夏の実力を下に見て慢心をしていたことは事実だが、近づかせないように抜かりは無く準備は行ったはず。

 

だが現実は侵入を許している。

 

イライラする、自分の思い描いていたシナリオと違う展開にオータムは思わず舌打ちをした。

 

 

「あら、侵入者だっていう割には随分とお間抜けさんなのね、私が誰とも知らずに。全システムをロックされたことくらい調べればすぐに分かることよ?」

 

「てめぇ……死にてえのか?」

 

 

お前の見立てが甘かった。

 

はっきりとは言い切らないものの、言葉の意味を考えてみればオータムは楯無に盛大に煽られている。

 

元々短気でプライドの高いオータムだ、核心に迫ることを言われたら当然苛立ちは増幅する。

 

 

「残念ながら死にたくは無いのよね。アナタみたいな野蛮すぎる人に殺されるなんてまっぴらごめんだわ」

 

 

追い討ちと言わんばかりに追撃を加えていく楯無。

 

いきなり現れた正体不明の生徒に好き放題に罵倒されて良い気分になる訳がない。一瞬にして沸点が振り切れると、楯無へと一気に接近して容赦無く装甲脚を振り上げた。

 

 

「このっ! 邪魔するんじゃねぇよ!!」

 

「楯無さん!!」

 

 

次の瞬間、その装甲脚は無慈悲にも楯無の身体を貫いていた。



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霧纒の淑女(ミステリアス・レイディ)

 

 

 

「楯無さん! てめぇ、楯無さんをよくもっ!!」

 

 

目の前で恩師とも言える楯無がオータムの装甲脚によって貫かれていた。この状況下で落ち着いていられるわけがなく、一夏はオータムに対して飛びかかろうとする。

 

一方で楯無は自分の胴体を装甲脚で貫かれているというのに、余裕の表情を一切崩さなかった。一夏も最初こそ取り乱したものの、やがて冷静に状況を見つめるととあることに気付く。

 

 

(血が一滴も流れてない……?)

 

 

明らかに通常では起こり得ない状況に思わず首を傾げた。またオータムも身に染みて目の前で起きている異変に気付く。確かに胴体を貫いたはずなのに手応えがおかしい。

 

 

「何だ……手応えがない?」

 

 

抵抗の無い何かを貫いているような感覚。少なく人肌を貫こうとすれば、障害を切り裂くような手応えがあるはず。それ全く感じられなかった。

 

 

「うふふ、慌てない慌てない」

 

 

話せるような状況では無いはずの楯無が声を上げる。傷付けられているとは思えないほどに余裕が含まれた口調に違和感を覚えると同時に、ぱしゃりと音を立てて()()()()()()()が崩れ落ちた。

 

透き通った透明感のある液体、これは。

 

 

「!? こいつは……水か?」

 

「御名答、水で作った私の分身よ。どう? 意外に精巧に作られているでしょ?」

 

 

楯無の声が今度はオータムの背後から木霊する。マズイと瞬時に判断して振り向くオータム目掛けて大きなランスを薙ぎ払った。

 

 

「くうっ!?」

 

「あら、浅かったわ。そのIS、中々の機動性を持ち合わせているのね。ちょっとびっくり」

 

 

直前で躱されたことで直撃とまでは行かなかったようだ。だが、この一撃でオータムの心理状態を崩すには十分であり、余裕を失った声質で叫ぶ。

 

 

「てめぇは一体なんなんだよぉ!?」

 

「私は更識楯無。そして相棒の霧纒の淑女(ミステリアス・レイディ)よ、覚えておいてね」

 

 

にこりと微笑むと、楯無の身体にIS装甲が展開されていく。これまで何度も指導をしてもらった一夏だったが、意外にもミステリアス・レイディを完全展開した楯無を見るのは初めて。

 

周囲に専用機持ちが多いこともあって比較的数多くのISを見てきたものの、見てきた機体のどのカテゴリーにも当てはまらないものだった。

 

まず特筆すべき箇所はその装甲に現れている。身体を覆うアーマーの面積が小さい反面、全身をカバーするように透明のフィールド……つまるところの水が彼女の身体を覆うように展開されていた。

 

手に持っているランスにも同様に水を纏わせ、ドリルのような回転をし始める。

 

 

「けっ、覚えておく必要なんかねぇ! てめぇもここで死ぬんだからなぁ!」

 

「あらあら、なんて悪役発言かしら。これじゃあ戦う前から勝敗は決まったようなものね」

 

 

この状況下に置いても楯無はいつものテンションを崩さないでいた。惑わされ、引っ掻き回されているのはオータムの方だろう。自分のペースへと持ち込むことが出来ない。苦し紛れにキツい言葉を浴びせて精神的なダメージを狙うも無意味、むしろ楯無に煽り返されて、自身の中での苛立ちがどんどん増幅していった。

 

気持ちの面で優位に立つことが如何に重要なことか、それは先程の一夏とオータムとのやり取りでよく分かる。

最初こそ踏みとどまったが、最終的には挑発に易々とのってしまった自分と違って、楯無はしっかりと自分を持っている。それどころか強引にでも自分のペースへ引き込んでしまった。

 

IS操縦者には経験年数や操縦技術などあらゆる部分が求められる。しかし最も重要なのは力や技術ではなく、操縦者の信念……あらゆる事に立ち向かえる精神力を持ち合わせているかどうか。

 

改めて一夏と楯無の間にある()()()()()()()が明るみに出る。

 

戦況が変わったことは喜ばしいものなのかもしれない。ただ一夏としては手放しに喜ぶことは出来なかった。

 

複雑な心境になるのも無理はない、楯無との実力差を改めて実感し、自身の無力さを思い知らされることになったのだから。

 

 

「ぬかせっ!」

 

 

そうこう言っている間にも目の前で展開される激しい攻防、オータムは自身の機体であるアラクネを操作し、八本の脚と二本の足で攻撃を繰り出してくる。

 

圧倒的な手数の多さで優っているにもかかわらず、楯無はたった一つのランスを使って凌ぎ切っていた。楯無の実力が抜きん出ていることもあるが、動揺からオータム自身は無意識のうちに、威力任せの単調な攻撃へと切り替わっており、先ほどと比べると攻撃のキレが全体的に落ちている。

 

予測が出来、かつこちらが反応可能なスピードなのであればどうということはない。

 

難なく捌き切る目の前の存在が気に食わない、オータムは苛立ちから腰部装甲に手を添えて二本のカタールを引き抜くと、自らの腕を近接戦闘用に、背中の装甲脚を射撃に切り替えて遠近両方から楯無に応戦する。

 

 

「くそっ! ガキが調子にのるな!」

 

「そんな雑な攻撃じゃこの水は破れないわ」

 

 

嵐のような実弾射撃を水のヴェールで完全に受け止め、侵攻を阻害する。勢いのついた弾丸もヴェールに着弾した瞬間に本来の勢いを失って止まり、楯無の元へ届くことは無かった。

 

おかしい、ただの水でこの弾丸を防ぎ切れるはずがない。徐々に冷静さを取り戻すオータムは一つの結論を導き出す。

 

 

「これ、ただの水じゃねぇなぁ!?」

 

「多少は考えてるのね。ご察しの通り、この水はISのエネルギーを伝達するナノマシンによって制御しているのよ。凄いでしょ」

 

 

別にオータムは手を緩めているわけではなく、依然として猛攻撃を続けたままだった。それを涼しい表情のまま、かつ話しながらという常識を捨てたような状態で防ぎ切っている。

 

普通に考えれば人と話しながらの攻防など出来る訳がない。それを楯無はいとも容易くやってのけている。

決して手を抜いた攻撃をしているわけではないのに、自分の攻撃が相手に通らない。

 

オータムからすれば屈辱以外の何者でもないだろう。

 

 

「くそっ、くそっ、くそっ!! なんなんだよてめぇは!」

 

「わざわざ二度も自己紹介なんてするわけないでしょ、面倒だし。それにしつこい人は嫌われるわよ?」

 

「この、うるせぇ!」

 

 

自身の攻撃が通用しない。

 

オータムの中での苛立ちは再びピークを迎えようとしていた。

 

勝手に怒って自滅するなら勝手に自滅すればいいと、彼女の反応など楯無からすれば至極どうでもいいことであり、気にする素振りを一切見せることはない。

 

流れ作業のように涼しい顔を浮かべながらオータムの攻撃をことごとく潰していった。

 

 

「ところで知ってる? この学園の生徒会長って肩書は学園最強の称号だということを」

 

「知らねえよ! これでもくらえっ!」

 

 

左手のカタールを投げ飛ばし、一気に距離を詰めようと跳び上がるオータム。

 

 

「甘いわ……え?」

 

 

飛んできたカタールをランスで弾いた楯無だったが、弾いた瞬間にランスに別の衝撃が走る。接近したオータムがランスを蹴り上げており、握っていたランスは手を離れて宙高く舞い上がった。

 

楯無に一瞬の隙が生まれる。

 

そこを狙い、オータムは八本の脚の四本を射撃モード、残りの四本を格闘モードへと切り替えて猛攻を仕掛ける。一撃一撃の重みが変わり、鉄壁の防御を誇っていた水のヴェールが押され始めた。

 

 

「あらら、これはちょっとキツイわね」

 

「ははは! その減らず口はいつまで続くかなぁ!? 最強だと? 笑わせんのも大概にしよろガキが!」

 

 

ほんのわずかに楯無の表情が曇る。現に手数が増えてからというもの徐々に押され始めており、時折りオータムの一撃がIS本体まで届いているのだ。

 

近くで戦況をじっと見守っている一夏にも些細な変化は伝わっており、大丈夫なのかと若干ながら不安を掻き立てられる。

 

 

「た、楯無さん!」

 

 

思わず楯無に声を掛けていた。当然だ、水の防御が絶対ではない限り、突破されない保証はない。現にオータムの攻撃が少しずつ、だが確実に通り始めているのだから。

 

助けが必要になるのではないか、それなら楯無が粘っている間にでも助けを呼びに行こうと提案しようとする一夏だったが、一夏の心情は楯無にも伝わっているのだろう。

 

顔だけを一夏の方へと向けるとにこりと笑い、先ほどと変わらない余裕を感じさせる笑顔を作る。

 

 

「大丈夫、一夏くんは休んでいて。今は私を信じて任せなさいな。君は君の望みを強く願っていなさい」

 

「俺の望み? 俺の望みを……強く、願う……」

 

 

楯無の言葉に一夏は深く考え込む。

 

 

「こんな時に何くだらねぇ話してやがる! 余裕ぶってんじゃねぇよ!」

 

 

度重なる攻撃によって楯無のガードを崩したオータムは、蹴りを入れて楯無を弾き飛ばす。併せて一夏と同じように蜘蛛の糸のようなものを投げ飛ばして楯無を束縛した。

 

 

「うーん、動けなくなっちゃったわね」

 

「はぁ、はぁ。てこずらせやがって!」

 

 

ここまで追い込むのに相当な労力を使ったようで肩で息をしながら、束縛した楯無を睨みつける。

 

 

「あらやだギラついちゃって、どれだけお盛んなのかしら。でも私Mじゃないからいたぶられるの好きじゃないのよね」

 

「あぁっ!?」

 

 

この期に及んで未だ余裕ある減らず口をたたく楯無に声を荒らげるオータムだが、どうしてそこまで落ち着いていられるのかとふと疑問が浮かぶ。

 

両手足を縛られた状態で身動きが取れない楯無に対して、五体満足で自由に動くことが出来る自分。

 

そして今白式は自身の手中にある。だから個人間秘匿通信(プライベート・チャネル)を使うことが出来ない。つまり一夏にも楯無を助ける術は存在しない。誰かを呼べば話は別だが、この場所に到着するまで時間が掛かる。加えて助けを呼ぶ手段が呼びに行く他ない以上、助けが来るまでの間、オータムがご丁寧に待ってくれるような優しい人間であるわけがなかった。

 

誰が見ても劣勢状態なのがどちらかなのかは一目瞭然、それなのにこの嫌な余裕を感じさせる雰囲気は何なのか。

 

 

「ねぇ、この部屋暑くない? 温度ってわけじゃなくて人間の体感温度が」

 

「何言ってやがる……?」

 

 

意味が分からない。

 

目の前にいる相手は一体何者なんだろうか、考えていることが何一つ分からず、オータムの中にほんの僅かではあるが恐怖心のようなものが芽生えていた。

 

 

「不快指数っていうのは湿度に依存するのよ……()()()()()()()()()湿()()()()()()()?」

 

 

そこまで言われてオータムはハッと我に帰る。気付けば室内全体に蔓延する霧、それも自分の体に纏わりつく気持ちの悪い霧だった。

 

少なくともつい先程までは発生していなかったはず、楯無に気を取られて気付かなかったとでも……。

 

 

「そう、それよ。その顔が見たかったの。己の失策を知ったその顔をね」

 

 

やられた。

 

オータムにわざとガードを集中攻撃させて労力を大量に消費させたのは、確実に一撃で仕留めるためのブラフ。楯無から必要以上に攻撃を仕掛けてこなかったのは、一発で仕留められる術があるのならば攻撃を()()()()()()()()()()

 

勝手に相手が自滅をしてくれるのを待つだけでいい。楯無に以上なまでの余裕があったのはオータムの行動を全て見透かした上で、自身の罠へと誘導出来ていたからだ。

 

オータムは良いように楯無の掌の上で転がされていた。

 

 

「ミステリアス・レイディ……霧纒の淑女が意味するこの機体はね、水を自在に操るのよ。さっきも言ったように、エネルギーを伝達するナノマシンによって、ね」

 

 

何が言いたいかよく分かるだろう。

 

部屋中に蔓延している霧も元をただせば水の集合体だ。水を自由に操ることが出来るミステリアス・レイディの性能を発揮する上で、この上なく恵まれた環境になる。

 

さーっと血の気が引いていくのがオータムにも分かった。

 

 

「し、しまっ……」

 

「遅いわ」

 

 

このままここにいたら危険だ。更衣室から離脱しようと飛びあがろうとするもそれよりも早く、楯無がパチンと指を鳴らした。

 

指を鳴らすと同時にオータムの周囲を纏っていた水が一斉に爆発を始める。抵抗する術もなく、一気に爆発に飲み込まれていく。

 

 

「あはっ、何も露出趣味や嫌味でベラベラと自分の能力を明かしている訳じゃないのよ。はっきり言わないと驚いた顔が見れないんだから、仕方ないわよね」

 

 

霧を構成するナノマシンがISから伝達されたエネルギーを一斉に熱へと転換し、対象を爆破する能力……名を『清き熱情(クリア・パッション)

 

密閉されたような限定された空間でしか効果的な利用が出来ない欠点はあるものの、決して開放的な空間で全くの利用が出来ないと訳ではなく、かつ一連の流れを行動と同時に行えることを考えると、実戦においては非常に有効的な攻撃手段となる。

 

楯無の専用機、ミステリアス・レイディの特性を知らない限りは到底対処することは不可能に近い。完全な初見殺しの技となる。

 

かつて大和が楯無と模擬戦を行った際にも、同様の手口で破れ去っている。まさか周囲の水分が急に爆発を始めるなんて思わないだろう。幾多もの爆発に耐えられなくなったオータムは、重力に身を任せるかのように後方へと倒れ込んだ。

 

 

「さて……っと、お待たせ一夏くん。相手の特性が読めない中よく耐えたわね。おねーさん感心しちゃったわ」

 

 

戦いに区切りをつけた楯無は付近にいる一夏に声を掛ける。大きな怪我はしていないように見受けられるが、彼の表情は浮かない。

 

 

「そんなことないです。俺は……俺は何も出来なかったです」

 

 

一夏の口から溢れるのは自身の無力さを悔いる一言だった。よほど悔しいのだろう、グッと拳を握りしめたまま身体は震えている。よく言えば善戦したとも捉えられるかもしれないが、自分一人では何も出来なかった。

 

特に精神的な部分での綻びがモロに出てしまったようにも見える。一度は我慢したが、自分の身の回りのことを、気に病んでいることを堂々とオータムに指摘されて自身の感情を抑え込むことが出来なかった。

 

我を忘れて周囲のことが何一つ見えなくなった結果、オータムに良いように捕縛されてISすらも奪われることに。

 

自分の未熟さが招いた結果がこれだ。

 

 

「んー、どうしてそう思うのかな?」

 

「良いように誘導されてこのザマです。我慢出来なかった、精神的に未熟だった。結局楯無さんに助けてもらえなければ、俺はただやられるのを見てることしか出来ませんでした」

 

 

無力。

 

一夏の脳裏に浮かぶのは自身の不甲斐なさだった。確かに以前に比べれば確実に力は付いているように思える。立ち回りも良くなったし、何より周囲の戦況に合わせた戦い方が出来るようになっている気がした。

 

だがオータムを相手に自分はされるがままで、まともな抵抗一つ出来なかった。

 

 

「そう。確かに精神的な部分で動揺しちゃったのは今後の課題かもしれないわね。でもね一夏くん、そうやって悔しがることは大切よ。だからこそ、あなたはもっと強くなれる」

 

「俺が……ですか?」

 

「ええ。私がそこは保証するわ」

 

「……」

 

 

楯無の一言に対して再び顔を俯かせながら一夏は黙り込む。

 

彼女の言っていることを否定している訳じゃない。

 

ここ最近何度も繰り返し反復練習を行うことで以前と比べれば着実に出来ることは増えている、ただ自分の成長を上回る勢いで仲間が成長しているのではないかと思い始めていた。

 

ISを使った実戦練習を行うこともよくあり、善戦まではいくものの最終的にはエネルギー切れを起こして敗北することが多くなっている。あと一歩のところまで行くのに勝てない、それは自分に実力がないからではないのか。

 

こんな調子では皆を守るどころか、守られているだけ。上手くいかないもどかしさに焦りを感じていた。

 

 

「はははっ、ダメですねやっぱり。理解しようとしても気持ちが追いつかないです。焦ることじゃないって思うんですけど、いざ現実を見せられると自分の力のなさが悔しくて」

 

「……少し前に君は弱いって言ったこと覚えてる?」

 

「もちろん、今もしっかりと覚えてますよ。あの時はいきなり何を言い出すんだこの人はって思いましたけど」

 

 

決して一夏を責めることはなく、あくまで冷静に楯無は話し続ける。彼女の口から出て来た言葉に、思わず一夏は苦笑いを浮かべながら物思いに耽る。彼が楯無に指導をしてもらうきっかけになった出来事、初めて楯無と話した時に彼女ははっきりと『君は弱いよ』と言った。

 

当然、知り合いの代表候補生から教えてもらい続けて貰った手前そんなことはないと一夏は反論する。『君は弱いよ』の発言が失礼だと思ったのも理由の一つだが、何よりも教えて貰っていた箒やセシリア、鈴やシャルロットのことを間接的に馬鹿にされたかと思ったからだ。

 

本来は一夏に現状の実力を伝えつつも、IS操縦の教官になろうかと提案を持ち掛ける予定だったようだが、話が拗れて二人は決闘をすることに。一夏も実力者たちに揉まれて力をつけたと思っていたようだったが、想像以上の実力を持ち合わせた楯無に惨敗。

 

絶望的なまでの実力差を改めて思い知らされた一夏は楯無の指導を受けることを決め、今に至る。

 

 

「確かに君は弱かった。実力も専用機持ちとしては役不足感は否めなかったし、一人で出来ることなんてたかが知れていた。……でも勘違いして欲しくなかったのはあくまで君にはIS操縦者としての実力が足りないってだけなの。ただ冷静に考えて頂戴、圧倒的にISを稼働した時間が少ないんだからそこは当然だと思わない?」

 

「え? まぁ……言われてみれば」

 

「だから一夏くんの全てを弱いって言ったんじゃないの。君には一つ誰にも負けない強いものを持っているわ、それは多分私なんかよりもずっとね」

 

「楯無さんよりも?」

 

 

意外な一言に顔を上げて一夏は何度も目を瞬かせる。

 

楯無の指導は厳しく、普段のおちゃらけた雰囲気は皆無のスパルタなもので褒められることも少ない。だからこそ楯無よりも負けないものを持っているという一言に思わず反応した。

 

 

「それは一夏くんが誰よりもよく知っているものだと思う。もしかしたら自覚は無いのかもしれないけどね。ま、自覚出来たら出来たで一夏くんの良いところが一つ無くなっちゃうかもだけど」

 

 

自覚が無い方が一夏くんらしいよねと楯無は微笑んで見せる。

 

顔を上げる一夏の背後に回り込むと少し強めに背中を叩いた。パチンといい音が室内に鳴り響くところを見ると、相応に痛みがあったようで衝撃から前方につんのめる。

 

 

「いっ!? な、なにするんですか!」

 

「シャキッとしなさい! クヨクヨしてる一夏くんなんてらしくないわよ!」

 

「!」

 

 

強くハッキリとした口調で一夏に伝えられる。

 

 

「今負けて焦りを感じるのは仕方ないけど、焦ったところでいい結果になんてならない。一夏くんは一夏くんらしくやればいのの。無理に背伸びなんかする必要なんかないわ」

 

「あっ……」

 

 

楯無の言葉が以前の大和の言葉とそっくり重なる。

 

 

 

『今負けてることに焦りを感じるのは分かる。ただ焦って突っ走ったところでいい結果になんてなるわけが無い。無理に背伸びする必要はねーよ』

 

 

 

そうだ、何を自分は焦っていたのだろう。

 

焦ったところで、嘆いたところで何も変わらないのは、自分が良く分かっていることじゃ無いか。今自分に必要なことはそんなことでは無く、直面した現実を受け入れて真っ直ぐ前を見つ直すことだ。

 

これまでやってきたことは決して無駄では無い。少なくとも自分が何故負けたのか、そして及ばなかったのかを振り返り、悔しがれるだけまだ自分は前進出来る。

 

胸の中につっかえていた枷がスッと消え去っていくように感じた。

 

 

「……すみません、楯無さん。心配かけました、もう大丈夫です」

 

 

もう迷いは無かった。

 

一夏の中にあったネガティブな感情が消え去ったのは、側から見ても明らかであり、その様子を確認した楯無は少し表情を緩めると更に言葉を続ける。

 

 

「このままISに乗っていれば一夏くんは間違いなくどんどん強くなるわ。ただ一つだけ気をつけて欲しいのは、力の使い方を誤らないで欲しいと言うこと。あなたの持っている潜在能力や白式の力は想像以上に大きいの。正しい使い方をすれば守れるものも増えるけど、使い方を間違えれば誰かを傷付けることにもなる」

 

「はい」

 

 

強大な力は誰かを守ることが出来るものとなりうる反面、間違えれば仲間を、大切な人を傷つけてしまうことだってある。

 

力で誰かを屈服させるために強くなりたいんじゃ無い、皆を守りたいから力を欲しているのだから。

 

 

「一夏くんの刀は自分一人のためにある訳じゃない。そこはちゃんと肝に銘じておいてね」

 

「……はいっ!」

 

 

はっきりと楯無の目を見据えて一夏は答える。その瞳には確固たる信念が秘められているようにも感じられた。一夏の回答にどこか満足そうに頷くと、楯無は再びピンと張り詰めた雰囲気を醸し出しながら、ある一点を見つめる。

 

 

「ぐっ……ま、まだだ!」

 

 

楯無の見つめる先には爆発のダメージから立ち上がろうとするオータムの姿だった。オータムの機体であるアラクネは至る所に損傷があり、足取りもフラフラと覚束ない。ダメージが抜けきっていないようで、側から見てもマトモな戦闘を続行するには困難な状況であることが分かる。

 

 

「あ、あいつ! あんな状態でまだ!」

 

 

が、それでも立ち上がるのであればまだ向かってこようとしている証拠だろう。いくらダメージが残っているとしても機体にエネルギーが残っていれば戦うことは出来る。後は気力がどこまで続くかだが、大人しくしている素振りを見せないところから察するに、エネルギーが尽きようとも戦い続けるに違いない。

 

だがそろそろこの戦いは幕引きにするべきだ。これ以上続ける理由もない。

 

 

「一夏くん。準備して、今なら分かるはずよ。私の問いが、ね?」

 

「っ!」

 

 

今の一夏は専用機を持ち合わせていない、正確には奪われてしまったといったところか。

 

本来であればこの状態で戦わせることなどしないはずだが、楯無は丸腰状態の一夏に対して意味深な内容を伝える。彼女の問い、それはほんの少し前に伝えた一言だった。

 

 

(あぁ、そうだ。楯無さんは願えって言ったんだ。つまりこの状態であっても白式を呼び出せるってことだ!)

 

 

願えば遠隔でもISを呼び出せるなどと言った馬鹿げた話は聞いたことがない。

 

だが、一夏の中には自身で導き出した一つの確信めいたものがあった。

 

楯無の言ったことがようやく理解出来た。ISが奪われようが遠く離れていようが関係ない、友達を信頼するのと同じで離れ離れであったとしても心を通わすことが出来る。

 

ISは決してただの無機質な物体では無く、人間と同じ()()()()()()だと。

 

白式は絶対に応えてくれる。呼ぶ限り、何度でも何度でも!

 

 

「こいっ! 白式!」

 

 

右腕に意識を最大限に集中し、すぅっと目を閉じた先に僅かに見える光を必死に手繰り寄せる。見えた光はいつの間にかISの展開イメージと重なり、自身の周囲を覆うように集まってきた。

 

 

「白式、緊急展開! 雪片弐型、最大出力!!」

 

 

やがて本来はオータムの手元にあるはずのコアが一夏の手元へと召喚される。IS展開の常識を覆した光景にオータムは驚くしか無かった。

 

 

「な、なんだと!? て、てめぇ何をしやがった!」

 

「知らねーよ! これでも食いやがれ!」

 

 

完全な展開状態となった白式を身に纏い、オータムに向かって突撃する。右手に握り締めた雪平弐型を振りかざした瞬間に単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)である零落白夜の発動を強く感じた。

 

突撃の勢いそのままにオータムに向けてブレードを振り下ろす。

 

 

「ぐぅううう!?」

 

 

八本の装甲脚を集中させて一夏の斬撃を頭上にて食い止めるオータムだが、対象のエネルギーを全て無効化する零落白夜の前ではいくら防御を固めようとも関係無い。

力任せにガードを切り裂いた。

 

 

「んなっ……ぐえっ!?」

 

 

零落白夜をまともにくらって装甲脚のいくつかは完全に大破、ガードする術を無くした無防備な胴体に向かって、一夏は瞬時加速の威力を最大限に活かした蹴りを叩き込む。

 

ヒキガエルがつぶれたかのような声を上げながら吹き飛ばされ、部屋の端に激突するが、それだけでは済まないほどの強烈な威力だったようで、頑丈な壁を突き破ってアラクネの機体は隣の部屋まで吹き飛ばされた。

 

部屋に開けられた巨大な穴からは黙々と土埃のようなものが舞い上がり、先の様子を目視で確認することが出来ない。これほどに強烈な一撃を喰らったのだから、ただでは済まないはず。

 

とはいえ一度どうなったか確認しなければならない。先の部屋に足入れようとする楯無だったが。

 

 

「! 確かこの先の部屋って……」

 

 

一瞬入室を躊躇う。何かを知っているような口ぶりに、後を追って部屋に入ろうとした一夏も足を止めた。

 

 

「楯無さん? どうしたんですか?」

 

「……いえ、何でもないわ。さっさと行きましょう」

 

「え? あ、は、はい!」

 

 

気持ちを切り替えて部屋の奥へと進む二人。

 

奥に進む二人を待ち受けている光景は意外なものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ、くそっ、くそっ!!」

 

 

吹き飛ばされた瓦礫の中でオータムは何度も何度も悪態をつく。現実を受け入れることが出来ずひたすらに地面を殴り続ける。こんなことがあっていいはずがない、自分が遥かに操縦歴の浅い人間に敗れるなどと。

 

作戦は失敗。白式を奪うことが出来なかったらだけではなく、自身も無惨に敗れ去った。残されているISのシールドエネルギーは残りわずかな上に、機体は清き熱情(クリア・パッション)と零落白夜を喰らったことで既にボロボロ。に対して相手は二人、それもまだIS稼働に必要なシールドエネルギーにまだ余力があるように見える。

 

この状態で二人を相手に戦った結末がどうなるかを予想することは簡単だった。

 

だが負けを受け入れることは彼女自身のプライドが許さない。やられっぱなしで何の成果も得られずに帰還するなどあり得ない。

 

 

「大体何が簡単な仕事だ! ふざけやがってあのガキ!」

 

 

そもそも今回の作戦だって予想していないものだったのだ。

 

本来であれば寮の部屋に一人でいる瞬間を狙って、確実に白式を奪う予定だったはずなのに、急遽大幅な作戦変更を余儀なくされ人目が付く学園祭の場を狙わざるを得なかった。

 

以前、小手調としてIS学園へと送り込んだ刺客たちが何者かによって撃退されたとの情報が入り、一夏を取り巻く周囲に護衛が存在することが判明。故に迂闊に部屋へ近付くことは危険だと判断され、比較的接近のしやすいこの学園祭の場が作戦の実行現場として選ばれることとなった。

 

こんな急拵えの作戦なんか立てやがってと悪態をつく。

 

 

「あのガキは組織に来た時から気に入らなかったんだ。それに何がリムーバーだ! 遠隔で呼び出せるなら意味ねーじゃねぇか!」

 

 

それに一度取り返された以上、二度目のチャンスはない。一度リムーバーを使うとIS自体に耐性が出来てしまい、二度目以降はリムーバー本来の効力を発揮しなくなる。

 

今回の作戦と、リムーバーを用意した張本人である本人の顔を思い浮かべた。

 

あの顔を思い浮かべるだけでも忌々しい。自らの能力の高さと相手の能力の低さを確信したかのような見下した視線。歳下であるにも関わらず己の能力にカマかけて、人を顎で使う態度。

 

その少女の一つ一つの立ち居振る舞いがいちいち気に入らなかった。

 

 

「っ! そうか、そうかよっ! あのガキ!!」

 

 

そう、あくまで自分は都合よく動く駒の一つに過ぎなかったのだと。リムーバーの検証のために自分は良いように使われたのだと悟ると途端に明確なまでの殺意がふつふつと湧き上がってくる。

 

引き離す性質のリムーバーに対して耐性が出来る。それ故に遠隔コールが可能になったのだと。つまりリムーバーを使わなければISに耐性もできず、遠隔コールなんかも不可能だった。

 

使ってしまったことが自らを窮地に陥れるトリガーになってしまったことに気付く。

 

 

「殺す……殺す殺す殺す! この私の顔に良くも泥をなってくれたなぁっ!」

 

 

自らのプライドに泥を塗ったこと、それは決して許されるものでは無い。既にオータムの眼中に一夏や楯無の存在はなく、あるのはこの作戦を提案した少女に対する明確なまでの殺意だった。

 

人目を憚らず、汚い言葉を吐き捨ている。

 

吐き捨てずにはいられなかった。

 

と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――最近のスパイは随分と間の抜けた奴が多いんだな。どこで誰が聞いているかも分からないのに、自前の装置の機能をベラベラと口に出して喋るだなんて」

 

「!? 誰だっ!」

 

 

誰もいるはずのない室内に突如響き渡る声。先程戦った一夏や楯無のどちらでもない声質、それと変声機でも使っているかのような機械じみた声に、得体の知れない恐怖を感じたオータムは声のした方へと振り向く。

 

コツコツと暗闇から近付いてくる足音が徐々に大きくなってくる。武装状態を解除しないまま、じっと足音の方角を眺めていると暗闇の中から人型のようなシルエットが浮き出てきた。

 

人型ということはISを展開していない生身の状態ということになる。咄嗟にオータムはツキはまだ自分にあると信じ、迫り来る影を待つ。

 

やがて暗闇から姿を表した影ははっきりとオータムの視界に捉えられた。

 

 

「な、何?」

 

「……」

 

 

オータムの視界に入ったのは確かに人だった。だがISを展開している素振りも無ければ、ISスーツを着ているようにも見受けられない。

 

上半身は動きやすい黒い半袖のアンダーシャツに、下は硬い生地で作られたズボン。ズボンから覗く独特のブーツは、金属が埋め込まれた強固な作りになっている。身を守る防具のようなものは何一つつけておらず、あくまで極力身軽に動けるように軽装化を重視されているように見えた。

 

両手には長く伸びた鍔付きの日本刀。闇の中でもハッキリと光り輝く刀身は、あらゆるものを切り捨てる抜群の切れ味を表すかのようだった。そして正体を悟られないように装着された仮面、無機質な表情を悟らない仮面は得体の知れない不気味さと雰囲気を醸し出している。

 

右の腰に備え付けられた二本の日本刀ぶら下げ、一歩一歩確実にオータムの元へと近寄ってきた。歩くたびにかしゃかしゃと不規則的に金属が擦れ合う音が耳障りなようで、オータムはメット越しに表情を歪める。

 

 

「てめぇ一体誰だ! どこから入って来やがった!」

 

「……」

 

 

オータムの問いかけに仮面の剣士は答えない。じっとオータムのことを見つめながら彼女の反応を待つ。刀を抜いたままであるところを見ると、こちらの出方次第では刀を振りかざすつもりなのだろう。

 

だが、所詮相手は生身の人間だ。自身を守る防具もなければ、術もない。こちらの攻撃が一発でもまともに当たればそれで全てが終わる。ISの持っている力と比べれば、人間一人が持ち合わせている力などたかが知れている。

 

相手はISじゃない、()()()()()だ。そう彼女の中で結論付けた。

 

 

「何とか言えよ! あぁっ!?」

 

「……」

 

 

いくら話しかけても反応しない。仮面越しにオータムの姿を捉えたまま、一足一刀の間合いに入り込むわけでも切りかかるわけでもなく、一歩たりとも動こうとはしなかった。

 

 

「この……」

 

 

先に動いたのはオータム。

 

あまりの無反応振りに苛立ちを隠せないまま、づかづかと剣士の元へと近付いていく。この際だ、一人でも多くの人間を巻き添いにしてやる。

 

そんな黒い感情を隠そうともせずに残っていた腕にあたる部分の装甲を仮面の剣士に向かって振り下ろした。

 

 

(ふん! 殺った!)

 

 

これで終わりだと、振り下ろしたはずの腕。

 

そう確かに彼女は振り下ろした。

 

自信を持ってそう言い切れる。

 

だが、彼女の自信は一瞬のうちに崩れ去るものとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 

振り下ろす過程で急激に軽くなる腕の感覚、と同時に正面にいたはずの剣士の姿が()()()()()()()

 

何が起きたのか、自分は剣士に向かって腕を振り下ろした筈だ。なのにどうして目の前から剣士の姿が消えることがあろうか。意味が分からずにただ呆然とするが遅れること数秒後、付近にドサリという金属が落下したかのような甲高い衝撃音が響き渡る。

 

暗くてよく見えない。

 

近くに落ちたであろう落下物を顔だけを動かして確認する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ……な、何で」

 

 

オータムは愕然とする。

 

どうしてそれがそこにあるのかと。

 

ありえない、一体自分は何をされたというのだろう。

 

理解出来ない、理解出来るはずがない。

 

衝撃音の正体がまさか()()()I()S()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

見るも無惨に切り捨てられた断面図は鋭利な何かで一太刀されているようだった。

 

そしてこの場で剣や刀を抜ける存在がいるとすれば一人しか見当たらない。

 

 

「お、お前……」

 

 

自身の背後に微かに感じる気配に向かって声を掛ける。

 

 

「……」

 

 

オータムの問い掛けにもやはり答えない。

 

だがそこには身を小さく屈めて刀を振り切った剣士の姿があった。



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組織の人間

「この……ちくしょうがぁっ!!」

 

 

残った装甲脚でターゲットを狙い乱射する。まるでその攻撃を見透かしているかのように、軽やかな動きで弾丸の雨を左右に移動しながら避け続ける。

 

あり得ない、あり得るはずがない!

 

ISの攻撃を()()()()()()()()()()()()()などと。自分は夢でも見ているのではないかと思うほどに、目の前に広がる光景を受け入れることが出来なかった。

 

一般常識で考えても、人間の身体能力から考えても常識を逸している。当たり前のことながら生身の人間がどう足掻いたところで、国すらも潰すことが出来るISに立ち向かうことが出来るはずがないからだ。それどころか通常の物理兵器にすら敵わない人間が、どうしてI()S()()()()()()()()()()()()

 

 

(バカな! そんなバカなことがあってたまるか! ただの人間だぞ!? どうしてISと互角に立ち向かえる!?)

 

 

目の前で起きている非現実的な光景がオータムには信じられなかった。

 

この目の前の剣士には、通常の人間努力したところで到底到達出来ないほどの人外染みたスピードやパワー、秒速数百キロをゆうに超えるスピードの弾丸を目視で判断出来る異常なまでに発達した動体視力といった身体能力に纏わる全てがISと対抗出来るレベルで備わっていることになる。

 

普通に生まれた人間が突然変異を起こす訳がない。常人を遥かに上回る身体能力を持つ人間が出現したともなれば、各メディアが放っておかないだろう。加えてメディアが取り上げているとすれば、そんな情報が一般世間に浸透していないのもおかしい。

 

 

(……いや、待てよ。確かどこかで聞いたことがある。あれは……)

 

 

オータムの頭の中に引っかかっていることが一つあった。それは今から少し前の出来事になる。

 

今の世では知らぬ者はいないであろう究極兵器、通称IS。

 

各国が血眼になって探している開発者である篠ノ之束。あらゆるツール、メディアを駆使しても発見できず、噂では地球内にはもう存在しないのではないかと言われている人間。

 

だがオータムの所属する組織である亡国機業は独自の調査によって彼女の居場所を突き止めることに成功し、入手した座標に対して数人の部隊を送り込んだことがあった。

 

いくら稀代の天才と呼ばれる篠ノ之束とはいえ、ISを相手にことを構えることは出来ないだろうと見られていたが、数日後に届いた知らせは篠ノ之束の捕獲に失敗したという信じられない報告だった。

一体何があったのか、運良く逃げおおせた部隊員の一人に状況を確認したところ、俄には信じがたい報告が飛び込んで来ることになる。

 

篠ノ之束を見つけることには成功したが、自分たちは良いように誘導されていて、一人のISも持たない人間になす術なく返り討ちにあったと。任務用に渡したISはほんの二人分の量産機のみだったが、渡した全ての量産機が修復不能レベルにまで破壊され大きな損害を被ることとなった。

 

あの時こそ、そんなことを出来る人間などいるはずがないと笑っていたオータムだが、いざ現実として見せつけられると認めるしか無かった。

 

 

(それがコイツだったってのか!? 何でこんな化け物がIS学園なんかにいるんだ!)

 

 

仮に話が事実だったとしても、同じ人物がどうしてIS学園にいるのだろうか。偶然にしては話が出来すぎているような気がする。そうこうしている間にも攻撃をことごとく躱して一気に接近してくる。

 

狙いを定めて弾を乱射をしても、腕を鞭のようにしならせて攻撃を仕掛けようとも、オータムの攻撃は一度も剣士に届く事はなかった。まるで何事もなかったかのように躱し続ける様はとても同じ人間だとは思えない。

 

 

(くっ……近寄られたらやべぇ!)

 

 

オータムの本能が接近を許してはならないと警鐘を鳴らす。

 

相手が持っているのは近接用の刀のみで、遠距離からの攻撃手段はない。故に接近してからの攻撃にのみ気を付ければ良いが、想像以上のスピードとトリッキーな動きのせいで、先の動きを予測することが非常に難しい。

 

咄嗟に地面蹴り仮面の剣士から距離を取ろうとするが、お構いなしと言わんばかりに距離を詰めてくると勢いそのままに無防備な腹部に容赦のない蹴りを見舞われる。

 

 

「ぐあっ!?」

 

 

シールド越しに伝わってくる衝撃に思わずオータムは声を上げた。一夏との戦いによりシールドを破壊されており、直接攻撃が通ってしまう状態になっている。

 

普通の人間の蹴りの威力ではない、まるでトラックにでもはねられたような感覚だ。あまりの威力にバランスを崩して後方へとよろける。よろける姿に追い討ちをかけるように刀を振りかざして追撃を掛けていく。本来でればあり得ない光景だろう、IS操縦者がたった一人の生身の人間に圧倒されているなど。

 

 

「ちっ、くそがぁ……」

 

 

残されているエネルギーは僅か。

 

このまま戦っていたらエネルギーを無駄に消費し続けて、逃げ出すことすらままならなくなってしまう。もし逃げることが出来なければ捕まるのは必至、下手をすればISの無断展開とテロまがいの行為を起こしたという事で監獄行きになる可能性もある。

 

オータムとしても最悪の結末だけは避ける必要があった。

 

 

(想定外だが仕方ねぇ、ここは何としても逃げ切……!?)

 

 

目の前にいたはずの剣士の姿が消える。

 

否、消えたのではない。

 

目視を超えるスピードでアラクネの懐に潜り込んだのだ。身をかがめなが右足を勢いよく回転させると、遠心力そのままに自身の体重よりも遥かに重たい機体を思い切り蹴り上げた。

 

 

「うぐっ! ち、ちくしょう……私が、何で私がこんな!」

 

 

ゴツンという鈍い音とともに、アラクネの全身が宙に舞い上がる。勢いのままに天井を突き破ると、そのまま地上へと投げ出されるようにオータムは逃げ出した。

 

地上に逃げたことを確認すると、剣士も後を追うように身をかがめて飛びあがろうとする。

 

が。

 

 

 

 

 

「な、何だよこれ!?」

 

 

遅れる事数分の差で一夏が室内へと入って来たことで、一度行動を停止させる。

 

室内に入ってきた一夏は、ぐちゃぐちゃになった室内を見せつけられてただ呆然とするしかかった。自分たちが部屋に来るまでの間に一体何が起きたのか、そして肝心のオータムはどこに行ったのかが全く把握が出来ない。

 

キョロキョロと辺りを見回している内に剣士の存在に気付き、驚きの声を上げる。

 

 

「お、お前! 確か無人機事件の時の!」

 

 

予想外の人間がいたことに驚く以外のことが出来なかったと言った方が適切だったか。

 

一夏は剣士とは初対面ではなく、以前に一度クラス対抗戦の時に会っている。とはいえ一度も会話らしい会話をする事はなく、あくまで無人機を追い払うために一時的に協力して戦っただけに過ぎない。

 

当然、剣士の素性を知る由も無かった。

 

 

「一夏くん、どうしたの?」

 

「あ、た、楯無さん。実は……」

 

 

一夏に少し遅れるように楯無が室内へと入ってくる。楯無に事情を説明しようとする一夏だが、上手く説明が出来ず悪戦苦闘していた。

 

 

「!」

 

 

ふと、楯無と剣士の視線が合う。

 

モニター越しで見た事は楯無もあるが、こうしていざ戦闘中に対面することは初めてだった。

 

なるほど、確かに普段の柔らかい雰囲気とは全く別物の雰囲気を纏っている。少なくとも自分が知っている()()()()と同一人物だとは到底思えなかった。

 

そう、楯無は剣士の正体を知っている。仮面をかぶって顔を隠してはいるが、普段生活や仕事を共にしているパートナー、大和本人であるということを。

 

 

(一緒に仕事をした事はあるけど……やっぱり本気モードの時の雰囲気は別人ね。大和だって言われなかったら全然分からないもの)

 

 

ここにオータムが逃げ込んで来たのは間違い無いだろう。

 

部屋中荒らされている上に本来では開かないような大きな穴が壁に出来ているのが何よりの証拠だ。だが今部屋にいるのは大和のみでオータムの姿は何処にも見えない。

 

 

(オータムは居ない……となると撃退されたのかしら。天井に大穴も空いてるし、そこから逃げ出したって考えるのが自然ね。で、ちょうど大和は後を追い掛けようとしたってところみたいね)

 

 

楯無の予想はほぼ当たっており、まさに後を追い掛けようと飛びあがろうとする瞬間だった。

 

 

(それにしても、改めて大和が仲間で良かったわ。もし敵だったとしたらとても太刀打ちが出来るような相手じゃないもの)

 

 

改めて認識する大和の実力。

 

元々IS操縦者としての実力も高く評価されていたわけだが、臨海学校の際に専用機を与えられてからというものさらに磨きをかけて、一年の中でもメキメキと頭角を現してきていた。既にその実力は代表候補生をも上回ろうとしており、巷では実質一年生ナンバーワンの実力者ではないかと噂されるくらいだ。

 

更に彼の生身での戦闘能力は言わずもがな。

 

学園どころか全世界見渡しても彼に太刀打ち出来る人間は指折り数えるほどしかいないだろう。人外染みた動きで確実に相手を仕留めていくスタイルは、誰にも真似する事は叶わない。

 

 

「お前一体何者なんだ。俺たちの味方なのか、それとも敵なのか?」

 

「……」

 

「いや、どっちだよ! それじゃどっちの意味にも捉えられるぞ!」

 

 

剣を持ったまま両腕をクロスさせる剣士……もとい大和だが、一夏には何に対して否定をしているのか分からず頭を抱えていた。これでは『味方である』ことに対して否定をしているようにも『敵である』ことに対して否定しているようにも見える。

 

当然大和としては敵ではないと伝えるために両腕をクロスさせたわけだが、うまく伝わっておらずどうしたもんかと刀を下ろしてじっと一夏を見つめる。

 

仮面を外すか声を出せば簡単なんだろうが、目の前にいる相手が知り合いであるが故に仮面を外すことが出来るはずもなく、加えていくら変声機を内蔵しているとはいえども、迂闊に言葉を発することは許されなかった。

 

 

「何遊んでるのよもう。ねぇ、あなたは敵ではないのよね?」

 

「……」

 

 

楯無の助け舟を待ってましたと言わんばかりに、即座に頭上に丸を作る。仮面のせいで表情を見る事は出来ないが、きっと嬉しがっているに違いない。

 

 

「敵じゃないなら良いけど……というよりその仮面は何なんだ? 仮面外して話せばいいだろう。前も思ったけどジェスチャーで伝えるってかなり大変じゃないか?」

 

「……」

 

「……どうやら仮面を外せない深い理由があるみたいね」

 

 

一夏の問い掛けに再び両腕をクロスさせて応える大和。仮面を取って話したい気持ちは山々だが、今は一夏の親友としてではなく、一夏の護衛として立ち回っている以上、こちら側の家業の領域に踏み込ませることは出来なかった。

 

大和姿を見て楯無が心中を察しながら代弁している。

 

 

「そうなのか?」

 

「……」

 

「そうか。ならもうこれ以上は聞くのは野暮だよな」

 

 

楯無の代弁に頭上に丸を作ると、それなら仕方ないと一夏も引き下がる。話したくないことに対して必要以上に詮索しようとしないのは一夏のいいところだろう。

 

 

(一夏くんは納得してくれたみたいね。とりあえず大和のお陰で事は円滑に進んでくれている。後はオータムを捕獲するだけね)

 

 

一夏も剣士が自分たちの仲間だと納得してくれたところで、一度現状の整理を行う。

 

この学園祭に亡国機業の関係者が潜り込んでいることを事前に察知していた楯無は、関係者を炙り出すために一夏や大和に近付く人間を逐次観察していた。

 

来場者の中には一般の外来の客もいれば、IS企業の関係者、研究者、営業担当がいることもある。

 

受付の警備が強固なものとはいっても簡単な身分確認と手荷物検査を行うだけで、招待状を持っていなかったり、IS関連企業に所属していることが確認出来ていない人間以外は総合的判断によって怪しいと判断されない限り通されてしまう。それこそ国家の指名手配犯でもなければ顔を見ただけでは判断が出来ない。

 

そして現に亡国機業の関係者がいた。ターゲットは学園に所属する専用機持ちと男性操縦者である一夏と大和。ただ特に今年に限るのであれば、話題性も含めて一夏と大和がターゲットにされる可能性が極めて高い。

 

 

専用機持ちに近付く人間を徹底的に洗い出すことにした楯無は、大和に協力を仰ぐことに。

 

すると案の定大和に近付く人間が一人現れた。表面上はとあるIS企業の渉外担当、名を巻紙礼子と名乗っていたが、些か不自然な行動に目をつけた大和は楯無へと報告。

 

他の専用機持ちたちに特にこれといってIS企業からの接近が無かったことを踏まえ、周囲を警戒しつつも一人の人間の行動を重点的に監視することにした。

 

すると案の定、楯無や大和の見立て通り裏で行動を起こし始め、一夏を一人きりの状態にして更衣室へと誘い込む。本性は亡国機業に所属するオータムであると明かし一夏に対して牙を剥く。

 

そこまでは良かった。

 

楯無の登場により戦況は激変、一度は手中に収めた白式を一夏に奪い返されて窮地に立たされる羽目に。破壊された壁の奥にある部屋に逃げ込むも、前もって動きを先読みしていた大和にまでボコボコにされ、地上へと逃げ出した。

 

 

勿論、楯無としてもこれから先のことを考えていなかったわけではない。

 

既に手は打ってある。

 

 

「ねぇ。ここにISに乗った人間が来たはずだけど、どこへ行ったか分かるかしら?」

 

「……」

 

 

天井に空いた穴へと刀を向ける。

 

穴から逃げたと言いたいのだろう、オータムの投げ込んだ先は分かった。後を追いかけて捕縛すれば全て万事解決だ。

 

 

「ありがとう。一夏くん、追い掛けるわよ!」

 

「は、はい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

ISを展開すると二人はスラスターを吹かせ、地上に向けて上昇していく。やがて二人の後ろ姿が見えなくなったことを確認すると、付けていた仮面を外しふぅと一息ついた。

 

普段付けている眼帯は付けていない、付けていたら邪魔になるからだ。

 

 

何故専用機を使わずにリスクの高い生身で戦うことを選択したのか。それは大和が使わなかったのではなく、使いたくても物理的に使うことが出来なかったからだ。

学園祭直前で緊急のメンテナンスが入り、専用機そのものを千冬に預けている。故に今手元に専用機はなく、使うことが出来ない状態になる。

 

IS学園に男性操縦者として入学をしている大和だが、一夏がIS学園に通う三年間の護衛をするという大切な任務が存在する。だからISが無い状況下であったとしても戦う必要があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……楽じゃないね、こうして素性を隠して戦うことは」

 

 

ポツリと大和の口から溢れる本音。

 

決して楽では無い茨の道。

 

頻度が高く無いとはいえ、生死と隣り合わせとなる状況で戦うことは肉体的にも精神的にもキツいものがあった。更に仮面を被り、自身の正体が公にならないよう細心の注意を払う必要がある。

 

立場上、おいそれと自身の正体を明かした状態で仕事をするわけにはいかなかった。

 

 

「……行くか」

 

 

再び外した仮面を被り直す。

 

事情が事情だ、いつまでもここで立ち止まっている訳にはいかない。地上に戻った一夏や楯無は既に逃げ惑うオータムを追跡している頃だろう。

 

大穴の下に場所を移すと、両足に力を込めて飛び上がろうとした時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――見事、実に見事だよ。霧夜大和くん」

 

「っ!?」

 

 

入り口付近から聞こえてくる満足そうな声に飛び上がるのをやめ、両手の刀を構えながら臨戦態勢に入る。こんなところに人が残っているのも問題だが、何より自分の名前をハッキリと口にした、仮面の中に包み隠している自分の正体を。

 

少なくともここにいる間は名前を出していないし、呼ばれてさえもいない。

 

仮面で顔を覆い、声を出さずにいるにも関わらず、声の主は自身の正体を知っている。だが大和はこの声の主を知らない、過去の記憶を遡るもの似たような人間を見つけることは出来なかった。

 

刀を構えたまま、近づいてくる足音の正体を確認する。

 

 

「おいおい勘弁してくれ、今ここで君と刀を交える気は無いよ。私が相手をしたところで、君に勝てないのは目に見えている」

 

「……」

 

 

視界に入ったのはお洒落なスーツを纏う長髪の若い男だった。凛とした落ち着いた物腰やわらな雰囲気を纏い、表面上は殺気を感じることは出来ない。

 

一般的には礼儀正しいと言われる人間に分類されるタイプか。もしかしたら自分を油断させるためだけに猫をかぶっている可能性もあるかもしれないと判断し、未だに戦闘状態を解く事はなかった。その証拠に男性の左手には日本刀が握り締められており、いつでも抜刀出来る準備は出来ている。この状態で刀を交える気はないと言われたところで、信頼出来る要素は皆無。警戒を解いた瞬間に懐に飛び込んでくる可能性だってあった。

 

それに勝ち目は無いと言うが、どこまで信憑性があるものなのかも分からない。立ち居振る舞いにも隙は一切無く、相当な実力を隠していることは分かる。

 

まともに戦ったら少なくとも無傷では済まないと。

 

 

(……コイツ、表情が変わらないから分かりづらいけど、ドス黒い何かを感じる。それもさっきのオータムの比じゃないレベルで。一体何を隠してる?)

 

 

整った顔立ちに平均以上の身長を兼ね備え、入念なまでに手入れがされているであろう背中まで伸びた長髪。一見華奢に見えるが、スタイリッシュなスーツを着ていることからより痩せて見えるのだろう、そう考えれば全体的なスタイルもバランスが取れていた。

 

綺麗な薔薇には棘がある。

 

美形男子には間違いないものの、裏にある何かを感じ取った大和はより一層警戒を強める。

 

この男は『()()()()』と言った。つまり今は矛を交えるつもりはないが、場合によってはこれから先の未来、矛を交える可能性があるということを揶揄しているようにも見える。

 

腹の中にはドス黒い何かを隠している人間の言うことを信用することなど出来るはずもなかった。

 

 

「そう構える必要は無い、本当に今回は挨拶をしに来ただけさ。以前からウチのメンバーが世話になってるからね」

 

「……」

 

 

ウチのメンバー?

 

男の言うウチのメンバーとは誰のことなのか。

 

オータムのことなのかもしれないが、名前が既に割れている以上はっきりとオータムと言うはず。そして以前から、と言っている辺りが引っ掛かる。IS学園に入学してから今まで大和が戦った相手は限られている。

 

戦った相手の中から目の前の男が関連してそうな人間を選定していくと。

 

 

「特にプライドなんかは随分と思い入れがあるんじゃ無いかな、勿論知っているだろう?」

 

「……っ!」

 

 

名前を出されて思わずぴくりと身体を震わせると同時に自然と刀を構える。プライドも男の仲間の一人だということが判明した以上、尚更気を緩める訳には行かなくなった。

 

「おっと、勘違いしないで欲しいな。私はあんな野蛮な男と違って、私利私欲のために人を見境なしに傷付けることに対して快楽を覚えたりはしない」

 

 

口ではどうとでも言える。あの一連の事件は実行犯こそプライドだが、そのプライドを裏から糸を引いている人間が居たに違いない。同じ組織というのだから、この男が裏から糸を引いていた主犯格である可能性だってあった。

 

第一あの男を野放しにしているくらいだ、ロクな組織じゃ無いことくらいすぐに分かる。人の大切なものを傷付けておいて、今更善人ぶられたところでこっちが腹を割るとでも思っているのか。

 

それにあの一件のことは表面上は気にしていないよう振る舞ってはいるものの、決して許すことが出来るものではない。

 

 

「まぁそうは言っても、だ。プライドの一件もある以上、私たちを信用することなんか出来ないのは分かる。君みたいな用心深い男なら尚更だろう」

 

 

だったら何が言いたい。

 

話の先が見えない、予測できない。

 

結局この男は何が言いたいのだろう、真意が分かりかねる。

 

困惑しつつある大和に対して更に男は言葉を続けていく。

 

 

「だから()()信用しなくていい。元々一回目で信頼を勝ち取ろうなんて思ってはいないからね」

 

 

信用。

 

信頼。

 

どんな言葉を並べられたところでチープにしか聞こえなかった。

 

例え何をされようが信用することも無ければ、信頼をすることもない。

 

 

「一つ言い忘れていたんだが、うちの組織は絶賛人手不足でね。喉から手が出るほどに人員が必要なんだ、それも優秀な人間が。どうだ、うちの組織に入らないか? 君ならすぐに出世出来るだろうし、決して悪い話にはならないと思うんだが……」

 

「……」

 

 

こちらの意思などお構いなしに自身の組織への勧誘をしてくる。

 

いや、むしろ今日の本題はこっちなのかもしれない。この男は今は戦う気は無いと言ったが、目的もなくこんなところに来るとも思えなかった。

 

自分たちの仲間に引き入れて手駒を増やすことが出来れば、組織の土台も安定する。それも専用機を持った男性操縦者だ、これほどにまで使える駒はない。

 

 

「……」

 

 

首を横に振り勧誘を拒否する。

 

当然だ、ここまで話された内容から何を思えば二つ返事で了承すると思ったのか。

自身にメリットが感じられないのはもちろんのこと、人を傷付ける行為をなんとも思わないような奴らだ、残念ながらそんな組織に進んで入りたいと思う人間の程度が知れる。

 

 

「そうかい、残念だ。だがいつでも君の席は空けておくから安心してくれたまえ」

 

 

残念という割には、納得したような不敵な笑みを浮かべる。

 

いつか大和のことを手中に収めてやる、そう言わんばかりに。

 

 

「あぁ、そうだ。言い忘れていたけどプライドに関してはこっちでしっかりと処罰を与えておいた。もっともこれを君に言ったところで仕方のないことだがね、頭の片隅にでも置いといてくれ。今日はほんの挨拶だ。私はこれにて失礼させてもらうよ」

 

 

話は再びプライドの話へと転換する。

 

 

処罰をした。

 

どの程度の処罰をしたのかは知らないが、生やさしいものではないことくらいは容易に想像が付いた。処罰内容に関しては伏せているものの、恐らくターゲットとは関係のない人間に手を掛けたことでは無く、純粋に与えられた任務を遂行出来なかったからだろう。

 

彼にとっては処罰を与えた理由が、無関係の人間を手を掛けようとしたからだと大和に伝わってくれれば万々歳なのかもしれないが、残念ながらそこまで都合のいい解釈はしていない。

 

任務内容が銀の福音を奪えなかったことに対するものなのか、それともターゲットを抹消出来なかったことに対するものなのかは分からない。はっきりと言えるのは無防備な人間を傷つけたことに対するお咎めではなかったということ、そこに関してはハッキリと断言することが出来た。

 

 

言いたいことを言い尽くしたようで、男は踵を返して入口の扉へと向かっていく。結局何がしたかったのか、これだけでは良いように引っ掻き回されただけのような気がする。

 

このまま黙っている訳にも行かない、本当の目的が何なのかを聞き出すべく、これまで言葉を発さなかった大和が仮面越しに口を開いた。

 

 

「……待てよ」

 

「ん、どうしたんだ? 君からも何か質問があるのかい?」

 

「お前らの目的は何だ、何を企んでいる?」

 

 

大和質問に対してほんの僅かだが男の表情が曇る。答えづらい内容なのか中々口を開こうとはしない。

 

 

「何を、か。また難しい質問をしてくれる」

 

 

反応から察するに、やはり本人にとっても答えにくい内容だったようだ。

 

ハッキリと難しい質問だと言いつつも、手を顎に当てながら少しの時間考え込む。

 

 

「そうだな、強いて言うのなら」

 

 

続く言葉を待つ。

 

 

「新しい世界の創造、そう答えておこう」

 

 

あまりにも意味深な答えが返ってきた。

 

言葉の意味が理解出来ずに、数秒ほど大和思考回路が停止する。

 

 

「新しい世界の創造だと? 抽象的過ぎて何が言いたいのかさっぱり分からないな。お前たちの頭の中で思い描いている妄想じゃないのか」

 

「ははは、真面目も大真面目だよ。まさか私がふざけてこんなことを言っているとでも言いたいのかな?」

 

「あぁ、そのまさかだ。誰がどう考えたって正常な思考回路で導き出されるものとは思えないに決まっているだろ」

 

 

すぅと男は目を細めると周囲を纏う雰囲気が一変する。穏やかな顔と柔らかな口調とは裏腹に、不釣り合いなまでの敵意と殺気がひしひしと伝わってきた。

 

男は左手の刀の柄に右手を添えるといつでも抜刀出来る状態を取る。やっぱり隠していやがったかとため息をつく大和も再度両手の刀を構え直すと、相手の動きに合わせていつでも対応出来るようにじっと目を凝らした。

身体全身をリラックスさせて力を抜き、いつでも力を爆発させられるように全神経を集中させる。

 

が、少しの間両者一歩も動かずに睨み合いが続いたかと思うと、不意に男が刀の柄から手を離し、両手を上げて降参ポーズを作った。

 

 

「……いや、やめておこう。さっきも言ったように戦うために来たわけでは無い。あくまで今日は挨拶さ、ここでの戦いに意味はない。君にはもっと相応しい相手がいるし、その時まで矛を交えるのはお預けにさせてもらうよ」

 

 

繰り返し男の口から呟かれる戦う気はないという言葉。

 

ここまで念を押して言われるのだから本当に戦う気は無いらしい。

 

 

「……そっちに戦う気がなくても、こっちには気があるとしたら?」

 

 

当然大和には戦う理由がある。

 

学園や周囲の大切な人に危害が及ぶ可能性があるのであれば、危険因子を排除するために彼は刀を抜く。このまま野放しにしておけばいずれ自分たちの前に明確な敵として現れるような気がする。

 

 

「おいおい、随分と物騒なことを言ってくれるな。だが残念ながら時間もない、私もそこそこ忙しい身でね。悪いけど今日はここまでにさせてもらうよ」

 

 

踵を返すと部屋の入口に向かって歩き始める。

 

 

「待て! まだこっちの質問は終わってな……」

 

 

まだ聞きたいことがあると男を引き止めようと近づこうとした刹那、大和と男との間に金属の塊が落下する。コツンと地面と触れ合った瞬間、金属を起点として周囲一帯を眩いまでの光が包み込んだ。

 

 

(っ!? これは閃光手榴弾!)

 

 

ノーモーションでの投擲に大和反応が一瞬遅れる。

 

仮面越しで視界が多少狭まっているとはいえ、完全に遮断されているわけでは無い。仮面の隙間から強烈なまでの光が入り込んでくると、大和視界が一気に白に染まる。

 

 

「くそっ!」

 

 

目を開いているはずなのに何も見えない。

 

気配は感じることからまだ近くにいるのは分かる。ただ視界が完全に遮られている以上、足音だけで相手を追うには限界があった。普段であれば眼帯をしている左眼も、仮面を装着することでより視界が狭められてしまうことから外している。

 

今回に関しては外すという選択は間違いだったみたいだ。

 

いくら人類を超越した眼を持ち合わせているとはいえ、光を喰らえば眩しくて目を開けなくなるのは必然。音だけで大体の位置は分かったとしても、先にある障害物までをも完全に把握できるわけでは無い。このまま追いかけようとしたところで、あっという間に撒かれるのがオチだ。

 

元々逃走計画も入念になっていたに違いない、手口が用意周到だった。

 

 

「このっ、待て!!」

 

「私の名前はティオだ。またの再会を心待ちにしているよ、霧夜大和くん」

 

 

名乗る声を最後に男、もといティオの気配が完全に消失する。大和視界が完全に復活した時には既にもぬけの殻状態で、自分以外の存在は何一つ無い状態だった。

 

 

「ちっ……逃したか」

 

 

逆探知出来ない以上、この広大なIS学園の土地から奴の位置を完全に特定するのは難しい。

ここに奴がいたということは、学園のセキュリティ及び警備網を掻い潜ってきたことになる。つまり逃走もお手の物というわけだ。

 

今更増援を呼んだところで、まんまと逃げ切られる結末が分かる。

 

 

(ティオって言ったか……仮面を被っているにも関わらず、アイツは俺だと特定した)

 

 

仮面を被っている上に変声機で声を変えているにも関わらず、自身の正体が筒抜けだったことに引っ掛かる。ISを動かせる男性操縦者の一人だ、その気になればすぐに顔まで特定出来るだろう。

 

問題なのはどうして顔を完全に隠した状態にもかかわらず、大和だと特定出来たのかだ。

 

 

(アイツは俺の家系を……いや、それとも俺の生い立ちも知っているのか?)

 

 

可能性としては十分に考えられる。

 

大和が霧夜家の護衛一家の一員であることと、遺伝子強化試験体として育てられた過去については、そう簡単に外部に漏れるような情報では無い。大和過去を知る人物は決して多いわけでは無く、仮に漏洩したとしても経路は限られてくる。誰が秘密裏に情報を流したのか、それとも偶々流れてしまったのか、真実は誰にも分からない。

 

 

(いや、待てよ? 確かプライドも俺が霧夜家の当主だって知っていたな……つまり奴らは最初から俺のことを?)

 

 

以前あったプライドも今回のティオにしても大和が霧夜家の当主であることを知っていた。つまりは一定以上の情報を持ち合わせていることになる。

 

どちらにしても今後厄介な相手になりうる雰囲気は十分に感じることが出来たわけだし、これからは今まで以上に気を張っていく必要が出てくるだろう。

 

 

(……今は気にしている場合じゃ無い。それよりやることがある)

 

 

気になることばかりだが、今はそちらに気を遣っている時間はない。気持ちを切り替えると、今度こそ天井に向かって高く飛び上がるのだった。



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剣士は舞う

「はぁ、はぁ……くそっ! くそっ!!」

 

 

そこにあるのは自身に、もしくは思い通りにことが進まなかったことへの苛立ちか。地上に出てきたオータムは既にボロボロで、まともに戦えるような状態ではなかった。

 

 

「あのガキどもは絶対に殺す! 何が何でもだ!!」

 

 

この私をコケにしやがって、と付け加える。

 

ただオータム自身が相手の実力、つまり一夏や楯無の実力を甘く見ていたところが大きい。確かに途中までは順調そのものだった。最初に接近しようとした大和には断られたものの、ターゲットを一夏に変更してからは、学園のセキュリティレベルを落とし、一人になったところをロックのかかった更衣室へと誘い込んだ。

 

一夏の過去をダシに挑発し、我を忘れて飛び込んできたところを捕縛してリムーバーを装着して、白式を手中に収める。

 

そこまでは良かった。

 

問題なのはその後、楯無が登場してからだ。

 

 

(あの女が来なければ私が負けることなどっ!!)

 

 

敗北の原因を作った根本の人物のことを思い出し、ギリギリと歯軋りをしながら悔しがる。機体の特性を見抜けず、罠にまんまと掛かったオータムの実力不足と慢心が全ての敗因であるにもかかわらず、冷静さを失い沸点が振り切れてしまっているこの状況では、まともな判断をすることが出来なかった。

 

楯無の立場はIS学園の生徒会長だ。

 

学園の生徒であれば生徒会長と名乗る存在がどのような立場にいる人間なのかはすぐに分かるだろうが、オータムがそれを知る由もない。ましてや楯無が生徒会長であることも知らないはず。IS学園の生徒会長になる条件は『最強であること』。つまり楯無は贔屓目なしに学園の生徒の中でトップに君臨する実力を持ち合わせていることになる。

 

実力だけならオータムもかなり高いものを持ち合わせている。ここで問題になるのが、自分は勝てると勝手に解釈した彼女自身の慢心だ。万が一を考えて行動していればここまで惨めな思いをせずに済んだかもしれない。

 

少なくともロックを掛けたはずの部屋に外側から易々と入室できる時点で、一般の学園生徒とは訳が違う。その時点でオータムが楯無のことをただ者ではないと判断し、もう少し冷静な分析をして戦っていればまんまと罠に引っ掛かることは無かった可能性も想定出来た。

 

ミステリアス・レイディは水をナノマシンにやって自在に操ることが出来る。

 

持つ技の一つである清き熱情(クリア・パッション)は水を霧状にして周辺に散布し、一気に熱へと転換して爆破する。密閉空間などの限定された場所でしか効果的な利用が出来ない欠点があるが、面積が狭く四方が塞がれている更衣室内で使用するにはうってつけの技だった。

 

逆に室外でも発動できないことは無いが、密閉された室内に比べると効果が薄く、発動させるためにも膨大なエネルギーが必要となる。冷静な思考回路を持っていれば、『部屋が暑くないか』と問いただされるよりも先に、部屋の外に出ることで技の発動を防ぐことが出来たかもしれなかった。

 

最もこれは結果論であり、逃げたところでどのような結末となっていたのかは分からない。しかしどのようなパターンであったとしても楯無に会ってしまった時点で、彼女の将棋は詰んでいたのかもしれない。

 

 

(ちいっ、どちらにしてもこの状態じゃまともに戦えねぇ、一度撤退して仕切り直すか。何も成果を得られなかったのが癪だが、こんなところで捕まるよりはマシだ)

 

 

幸い地上に打ち上げてくれたのはラッキーだった。このままここにいたところで直ぐに追いかけてくるだろう。だったらさっさとここから逃げた方が得策、まともに戦うことが出来ない以上、留まる必要はない。

 

一時撤退しようとオータムが足を踏み出そうとした時だった。

 

 

(……な、何だ!? 身体が!)

 

 

踏み出そうとした足が空中に浮いたまま、動かすことが出来なくなる。同時に足だけではなく、全身が金縛りにでもあったかのようにピクリとも反応しない。

 

見えない力に束縛されているような感じ、少なくとも物理的な何かで捕縛されているような感じではない。

 

となると考えられる可能性は一つ。

 

 

(AICの停止結界か!)

 

 

自身を捕縛している見えない力の正体を導き出すも、捕まってしまっている現状では出来ることは無い。足を何とか動かそうとするも動く気配は無かった。

 

 

「くそっ、これは……ドイツの専用機か!」

 

「ふんっ、物分かりは良いみたいだな。亡国機業(ファントム・タスク)

 

 

冷静沈着な声と共に右手を突き出したままのラウラがオータムへと近づいて来る。ここ最近はクラスメートや部活動の仲間と打ち解けて幾分丸い性格となっていたが、戦闘ともなれば雰囲気は一変する。

 

シュヴァルツェア・レーゲンを身に纏うラウラの冷たい威圧感はまさに『ドイツの冷水』と呼ばれ、恐れられた雰囲気そのもの。鋭い目つきのままじっとオータムを睨み付けて行動を制限させる。

 

それでも尚動こうとするオータム。無駄に抵抗を続けようとする姿に多少イラッときたようで、静かながらドスの効いた声で威圧した。

 

 

「動くな。既に狙撃手がお前の眉間に標準を定めている。怪我をしたくなければ大人しくしていろ」

 

「くっ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さすがに逃れられないと堪忍したのか、オータムは無駄な抵抗をやめてだらんと腕を下ろす。ここから少し離れた場所にはブルー・ティアーズを展開したセシリアが待機しており、スコープのズーム越しに二人の状況を伺っていた。

 

ラウラからの指示があればいつでもトリガーを引けるように指をかけ、息を殺してじっと指示を待つ。

 

 

「ふぅ、まさかこちらに逃げてくるなんて相手の方もついてませんわね。かと言ってもう一方は箒さんに鈴さん、シャルロットさんも待機しておりますしどちらに転んでも……ってところかしら」

 

 

ラウラやセシリアを含めた一年の専用機持ちは既に楯無の指示のもと劇を中断し、各々の持ち場へとISを展開して移動を終えていた。オータムがどちらに逃げようとも、確実に取り押さえられるように。人数の比率は別の場所に展開している専用機持ちと違って一人少ないが、各機体の特性を活かした配置になっている。

 

特に遠距離から攻撃が出来るブルー・ティアーズ、近距離で相手をAICで束縛出来るシュヴァルツェア・レーゲンの組み合わせは遠近でバランスも取れている。

AICを相手に直撃させるためには集中力が必要となるとはいえ、手負かつ完全に油断し切ったオータムに当てることはラウラにとっては造作もない。

 

案の定、動きを静止した時に直撃を喰らいまんまと自由を制限させられた。作戦としてはこれ以上ない成功とも言える。

 

 

「それにしてもこのIS学園に一人で乗り込んでくるなんて、わたくしたちも舐められたものですわ」

 

 

一人で十分任務を完遂させられると判断されたのなら、IS学園自体が外部組織に舐められているに他ならない。とはいえIS学園には各国の代表候補生や専用機持ちの生徒がいることは十分想定出来ることだ。

 

いざとなれば学園中の専用機持ちたちが動くことも出来るというのに、わざわざ一人で乗り込もうとするだろうか。

 

 

「……少し嫌な感じがしますわね。ラウラさんにも念のために伝えておきましょうか」

 

 

セシリアの考えすぎかもしれないが、そもそも自分たちの一連の動きさえも予測している人間が別にいるとしたら、既に近くにオータムの仲間が接近している可能性もある。

 

となると長々と時間を掛ける暇はない。セシリアは個人間秘匿通信(プライベート・チャネル)を展開し、ラウラへとチャットを飛ばした。

 

 

『ラウラさん聞こえますか?』

 

『セシリアか、どうした? 今ちょうどAICで侵入者を捕まえてこれから尋問する予定だ』

 

 

セシリアのチャットに即座にラウラは反応する。声質こそ冷静沈着で仕事モードになってはいるが、オータムに向けている雰囲気に比べると幾分穏やかになっているように感じられた。

 

ラウラが反応した事を確認しセシリアも言葉を続ける。

 

 

『えぇ、ラウラさんの様子はこちらからも見えてますわ。もしかしたらその尋問、早く終わらせた方が良いかもしれません』

 

『む……どう言うことだ?』

 

『わたくしの考えすぎかもしれませんが、協力者がいる可能性も捨てきれません。この状況下でたった一人でIS学園に侵入するというのは考えづらいですわ』

 

『ふむ、確かにセシリアの言うことも一理あるな。分かった、なるべく早く事を済ませるようにする。そっちも引き続き頼んだぞ』

 

 

セシリアの可能性を頭に残して通信を切る。下手に時間を使っている暇はなさそうだ。

 

 

「さて、洗いざらい吐いてもらおうか? 貴様らの組織の全てをな」

 

 

軍人でもあるラウラはかねてより、秘密結社についての情報を僅かながら持ち合わせていた。暗躍組織であるが故に情報量は少なく、これまで表立った行動も無いために行動を起こすことがなかったものの、今回の襲撃とISによる戦闘。

 

普通の組織や企業ではISを手に入れるだけでも困難であることから、オータムの所属している組織が思っている以上に強大であり、今後の障害となりうることをラウラは見透かしていたのだ。

 

 

「加えてそのIS……アメリカの第二世代型だな。どこで手に入れた? 言え」

 

「言えと言われて、はいここですなんて言う訳ねーだろーが!」

 

 

ISコアを製造する技術は一般的には公開されておらず、またコアを製造出来るのはISを開発した篠ノ之束以外にいない。コア構造は完全にブラックボックスと化しており、各国が熱心に日々研究を進めているものの未だ解明には至っていない。

 

だからこそ、どこかから奪ったものであるとラウラは断定することが出来た。加えて何よりオータムの一言がどこかから奪い取ったことを明確に証明していた。

 

専用機の管理は厳重に施されており、本来であれば奪うことすら出来ない。そして盗まれたことは国防の重大な過失となるために公にすることは出来なかった。

 

一国からISを強奪する計画を企て、更に計画を実行してISを手中に収めている観点から、決してその組織力は小さく無いことを証明している。だからこそここで情報を聞き出しておく必要があった。

 

 

「そうか、なら尋問するだけだ。少しばかり長い付き合いになりそうだから覚悟しろよ」

 

 

ふっと笑ったラウラがオータムの元へと近づこうとすると、別の場所にいるセシリアから再びプライベート・チャネルから通信が飛んでくる。

 

 

『ラウラさん、そこから離れて下さい! 一機来ますわ!』

 

「なにっ……ぐぅ!?」

 

 

セシリアの声にセンサー域を拡大して散策をしようとするよりも早く、ラウラの右肩をレーザーが撃ち抜く。突然の事態に急いで左眼の眼帯を外すと、ハイパーセンサー補助システムである『ヴォーダン・オージェ』を展開させる。

 

金色に光り輝く眼が再度近づいて来るレーザーを捉えるも、AICを展開している状態では辛うじて躱すことが精一杯だった。このままではジリ貧になる。

 

AICにてオータムを捕縛しつつ、自身に近づいて来ているであろう機体をレーダーで探索する。

 

 

 

「そんな……まさか!?」

 

 

レーダーで探索を続けているのはセシリアも同じだった。こちらに向けて高速飛行で接近して来るISを発見し、ライフルのスコープでその姿を捉えると信じられないと驚きの声を上げる。

 

見たことのある機体、この場にいる誰よりも見たことのある機体はBT二号機である『サイレント・ゼフィルス』。

イギリスにて開発中だったであろう実験機体だったはず。それが何故ここにいるのか、そこから導き出される結論は簡単だった。

 

 

(盗まれた……?)

 

 

試験運用をこんなところでやるわけがない。

 

盗まれたことは国防の重大な過失となるために公にすることもなく、決して盗まれた事を認めることはない。そこにサイレント・ゼフィルスという機体がある事実だけが残る。

 

だが目の前に広がる光景から、何らかの出来事によりサイレント・ゼフィルスが盗まれたという現実だった。該当の機体の基礎データには一号機であるセシリアのブルー・ティアーズが使われている。

 

 

「何をしているセシリア! 早く撃て!」

 

「くっ!」

 

 

自国の専用機が盗まれたことに動揺したセシリアはラウラの一声によって我に戻ると、すぐさまスコープを覗き込むと引金を引くが、発射されたレーザーはシールド・ビットを展開されて消失、有効打を与えられずにいた。

 

BT二号機であるサイレント・ゼフィルスには試験運用的にシールド・ビットが搭載されている。一発一発が直線的にしか飛ばないレーザーでダメならばと、搭載されているビットを射出して攻撃を試みるも、その全てを狙撃によりはたき落とされた。

 

 

(そんな、あり得ませんわっ! 超高速機動下の精密射撃、それもこんな連射速度だなんて……!)

 

 

目の前で起きている現実をセシリアは受け入れることが出来ない。

 

静止した状態で撃ち落とすのならまだしも、相手は高速移動で接近してきている。そんな状態で狙撃を行えば照準がズレてるのは必然であり、ましてやビットの動きは不規則的で、こちらからの狙撃を命中させるには弾道を読まなければならない。

 

近付いてビット自体を切り落とすのであれば話は別だが、遠距離でここまで正確な狙撃が出来る時点で、操縦者のレベルが群を抜いていることが分かった。明らかに自身の操縦レベルよりも上に位置する操縦者であると。

 

ただだからといって引き下がれる訳では無い。敵機から自身の制御限界を超える六機の射撃ビットが飛来するも、回避行動に合わせて自らの真下へとミサイル・ビットを投下し、空中で制御動作を取らせて敵機へと向かわせた。

 

正面からの攻撃で駄目なのであれば死角から、遠距離射撃型の戦い方としてはセオリー通りの戦い方になる。相手は迫り来るミサイルの存在に気付いてない、貰った!

 

心の中で確信するセシリアだったが、ハイパーセンサー越しに映る敵機の操縦者の口元がニヤリと歪んだ。まるでこちらの手の内など全てお見通しだと言わんばかりに。

 

次の瞬間だった。

 

 

「なっ……!?」

 

 

狐にでも化かされているのでは無いかと思うほどに、信じられない出来事が目の前で起こる。ビットから発射されたレーザービームが弧を描くように曲がり、セシリアのミサイルを全て撃ち落とした。

 

 

(これはっ……BT兵器の高稼働時に可能な偏光制御射撃! 現在の操縦者ではわたくしがBT適正の最高値のはず、それがどうして!)

 

 

セシリアがこれまで築き上げてきた自信が、プライドがガラガラと崩れ落ちる。

 

今まで自分がやってきたことは何だったのか、これまで流した汗は、涙は。頭の中での整理が追いつかず、様々な思考が入り組んでしまったことで混乱状態に。

 

戦闘中では決してやってはいけない棒立ち状態になってしまう。これでは何処からでも攻撃して下さいと言っているようなものだ。相手の動きを見て揺さぶっているのではなく、失意の状況下で生まれる棒立ち。

 

気を張っている状態ならまだしも、この状態で相手の攻撃を受けたらひとたまりもない。

 

敵機はセシリアに向けてレーザーを射出している。

 

セシリアの様子をセンサー越しに見ていたラウラは、いち早く異変に気付いた。このままではセシリアが危ない、そう思った瞬間には既に身体は動いていた。シュヴァルツェア・レーゲンを素早く上空に向けて羽ばたかせると、一目散にセシリアの元へと駆けつける。

 

 

「この馬鹿っ! 回避行動を取れ!!」

 

 

今から行動しても間に合わない。

 

スピードそのままにセシリアを突き飛ばすと、自身が身代わりになるように入れ替わると全身にレーザーを浴びてしまう。

 

 

「っ!? ラウラさん!」

 

 

レーザーをまともに受けたシュヴァルツェア・レーガンの装甲がガラガラと崩れ落ち、地上へと真っ逆さまに落ちていく。ようやく我に返ったセシリアの目に飛び込んできたのは、既にオータムの元へと移動する襲撃者の姿だった。

 

 

「迎えにきたぞ、オータム」

 

「てめぇ……私を呼び捨てにするんじゃねぇ!」

 

 

そうこうしている間にも空中で体勢を立て直したラウラが二人の元へと接近する。だが、小型のレーザーの雨を降らして再接近を許さない。

 

 

「ふん、この程度……ちっ、邪魔が入ったか」

 

ラウラを牽制しながら襲撃者は装備のナイフでAICを切り裂くと、オータムを自由にする。

 

同時に背後から接近する気配に気付いて振り向くと、そこには雪平弍型を振りかざしている一夏姿があった。

 

 

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」

 

 

直線的な一夏の攻撃に対して嘲笑にも似た笑みを浮かべる。

 

 

「ふん、馬鹿正直に正面から突撃して来るとはな。扱いやすくて助かる」

 

 

一夏の突進をギリギリまで引きつけて横にかわすと、無防備になった一夏の背後からビットのレーザーを集中させた。

 

 

「ぐうっ!?」

 

「この程度か、IS学園の専用機持ちたちの実力は。笑わせてくれる」

 

 

落胆にも似た、だが確実に自身の実力の高さに優越感に浸っている様子がハッキリと分かる。根本の実力が高過ぎて、各国の代表がこぞって相手にしても太刀打ちが出来ない。

 

 

「これ以上ここにいる意味はない。おい、いつまでそこで惚けている、さっさと撤退準備をしろ」

 

「あぁ!? うるせぇよ!」

 

 

会話から判断するに襲撃者とオータムの間での協調性、信頼関係はゼロに等しい。ただオータムはこれ以上機体の損傷具合から戦えないのが事実、声を荒げながらも渋々言うことに従ってIS展開を解除しようとする。

 

その時、襲撃者のセンサーに一つの影が映った。

 

 

「何だ、IS? いや、これは……」

 

 

近づいてくる影が徐々に大きくなってくる。

 

大きくなるにつれてハッキリと視界に映るのはISではなく人だった。十数メートルほどの距離を空けて操縦者の前に立つと両手に持つ刀を下ろす。

 

 

 

 

 

 

「何故ここに人が紛れ込んでいる!」

 

 

突然の人間の登場にラウラは驚いていた。

 

こんなところに一般人が紛れ込んだら何が起きるか分からない。巻き添えを食らって大怪我では済まない可能性だってある。

 

残る少ないエネルギーを使えばここから安全な場所に逃がすことくらいは出来るはず。

 

再度、助けようと宙に浮かびあがろうとするが。

 

 

「ラウラさん、ちょっと待ってください!」

 

「なっ、セシリア!? このままでは!」

 

「大丈夫ですわ。あのお方でしたら恐らくは……」

 

「は……?」

 

 

飛び立とうとするラウラをセシリアが静止する。何故この状況で止めるのかと抗議するラウラだったが、セシリアの表情は決して動じていなかった。まるであの人間だったらこの状況を打破出来ると知っているかのように。

 

セシリアもこの人間を知っていた、むしろ忘れられるはずが無かった。目の前で起きたあの衝撃的な光景を忘れるわけがない。

 

生身の人間がたった一人で無人機を無力化させるなど。

 

あくまでラウラが編入する前に起きた出来事であり、その光景を見ていないラウラは当然そんな事実は知らない。助けに行こうとする行動は決して間違っていなかった。

 

 

「お前は誰だ?」

 

「……」

 

 

剣士は答えない。

 

その正体は紛うことなき大和な訳だが変わらず無言を貫いたまま、じっと襲撃者のことを仮面越しに見つめるだけだった。

 

 

「っ!」

 

 

展開を解除しようとしているオータムが大和の姿を見るや否や、苦虫を噛み潰したような何とも言えない表情を浮かべる。オータムの様子に気付いた襲撃者は、彼女がこの男に何らかの方法で痛い目に遭わされたのだと悟る。

 

一体どんな目に遭わされたのだろう。生身の人間だからと油断していたところを専用機持ちたちに取り囲まれたのだろうか。だとすればボロボロの状態になっているのも納得出来る。

 

何、目の前にいるのは生身の人間で、周囲の専用機持ちたちは自身よりはるかにレベルの劣る雑魚ばかりだ。

 

この私が遅れを取るはずがない。その絶対的なまでの自信が揺らぐことは無かった。

 

 

「……おいガキ。アドバイスなんて死んでもごめんだが、一つだけ言っといてやる。あの仮面野郎を下に見てたら痛い目に遭うぜ?」

 

 

自信を覗かせる襲撃者に対して聞こえるか聞こえないかの声量で忠告をするオータムだが、その声は届くことは無かった。

 

 

「下らん。私の前から失せろ、邪魔だ」

 

 

生身だろうが私は容赦しない。ニヤリと微笑む嘲笑には明確なまでの殺意が垣間見えた。

 

持ち合わせているビットの内二機を大和に向かわせる。同時に大和はビットに歩み寄って襲撃者との距離を詰めていく。

 

 

 

 

 

 

 

「ちっ……なら死んでもらうまでだ」

 

 

脅しでは止まらないことを確認した襲撃者はギリっと歯を噛み締める。舐めやがって、だったら本気で殺してやる。

 

迷うことなくビットに信号を送り、信号を受け取ったビットは二機同時にレーザーを発射した。直線的に大和へ向かうレーザーが距離を詰める。

 

その距離が残り一メートルを切ろうかという時に、一歩大和は大きく踏み込むとレーザー向かって両手の刀を振り下ろし、刀がレーザーに食い込むことを確認すると一気に振り切った。

 

振り切ったことで真っ二つに割れたレーザーは、それぞれ別の方角へと飛び散り、やがて消失する。

 

 

「……何っ!?」

 

 

何が起きたのか、襲撃者は理解が追いついていなかった。

 

出力は決して弱めていない、全力でレーザーを打ち込んだはず。なのにどうしてレーザー光は消え、目の前には無傷な大和が立っているのかと。信じられない出来事で一瞬襲撃者の行動が止まると、出来た隙を大和が見逃すはずがなかった。

 

地面を渾身の力で蹴り、身軽な動きで展開されたビットの一つに接近すると縦横に刀を振るいニ太刀。踏み込んだ足で地面を蹴ると、低い姿勢のまま今度は反対側に展開されたビットへと一気に近づき、上段から一太刀、返し刃で下から切り上がるとバックステップで後方へと下がる。

 

切り刻まれた二機のビットは音を立てながら煙を上げると、やがて轟音を立てて爆発、炎上した。

 

ビットの金属片がパラパラと雨のように周囲に降り注ぐ。

 

 

「……」

 

 

爆発したビットを確認すると大和は改めて襲撃者へと視線を映す。未だに目の前で起きた現実を飲み込めておらず、呆気に取られるばかりだった。

 

ビットが完全無効化されたことを確認すると、大和は右手に持っていた刀を地面へと突き刺し、右手の甲をあえて相手側によく見えるように差し出すと何度も自分の方へと手招きする。

 

かかって来いといいたげな明らかな挑発だ。

 

見栄を張ったわりにはその程度かと逆に相手を煽るような仕草を見せる姿に、流石の襲撃者も我にかえり、同時に沸々と怒りが湧き起こってくる。

 

こんな人間如きに私は馬鹿にされているのかと。圧倒的な実力を持つ彼女からしてみればISも持たない生身の人間にコケにされているのだ、当然プライドが許すはずもない。

 

だが、ここで挑発に乗れば相手の思う壺だ。白式の強奪に失敗した以上、留まる理由はない。チンタラしている間にも増援部隊が押し掛けることだろう、人数が増えれば尚更逃走が難しくなる。

 

先程の余裕のある表情はどこへやら、これではとんだ恥さらしだと言わんばかりに忌々しげに舌打ちをするとスラスターを吹かして上昇する。現に馬鹿にしていた生身の人間に、サイレント・ゼフィルスのレーザーを切り裂かれ、ビットを二機破壊されたのだ。

 

偶然だとしても自身の機体とプライドに傷を付けた。

 

セシリアやラウラを簡単にあしらっておいて、最後の最後でひょっこりと現れたたった一人の人間にしてやられた。肉体的なダメージは何一つ負っていないにも関わらず、与えられた精神的なダメージは計り知れず。

 

こうして冷静さを保っていられることが不思議なほどだ。

 

 

「……オータム、撤退するぞ」

 

「ちっ、だから言っただろうが! 余計なことするんじゃねぇよ!」

 

 

小声で呟く襲撃者に対してそら見たことかと罵声を浴びせるオータム。

 

空気音と共にオータムはISから離脱する。彼女の手にはISを機動させるためのコアが握られており、自身のISアラクネを土台に飛び上がると襲撃者の操縦する機体の足を掴んだ。

 

オータムが足を掴んだことを確認すると、牽制の意味も込めて地上に向かってレーザーの雨を降らす。地面が抉れるほどの高威力レーザーに、専用機持ちたちはこぞってシールドを展開して攻撃を防ぐ。

 

だが一人、そう簡単に逃してなるものかと大和は刀を構えながら二人に向かって猛然と駆け出す。

 

 

地を駆けるスピードはまさに獣のようだった。降り注ぐレーザーの雨を素早い身のこなしで右往左往しながら躱し続けると、ジェットエンジンでも付いているかのような猛烈なスピードで一気にオータムが脱ぎ捨てた機体の場所へと駆け寄った。

 

そして機体の胴体部分をトランポリンの要領で踏み付けると、得られる反発力を使って一気に上空向かって飛び上がる。一定の高さまで飛び上がると近くの柱に足を引っ掛け、重力を無視するかのように更に上へと登って行った。

 

 

「おい急げ! 奴が来る!」

 

 

オータムの声が聞こえる。

 

彼女の声に連動するように、射口が柱を駆け登る大和の方へと向けられると、容赦なくレーザーを発射した。発射されたレーザーが柱を次々に削っていく。

激しい攻撃を躱しながらバランスが崩れて揺れる柱の頂点までたどり着くと、走った勢いのままに襲撃者の機体へと飛んだ。

 

そのまま左足を突き出すと鈍い音と共に機体に蹴りが決まり、ぐらりと機体のバランスが崩れた。

 

 

「ちぃっ!」

 

「このっ! 何してやがんだ!」

 

 

機体のバランスが崩れて足に捕まっているオータムが更に揺れる。しつこい追跡に舌打ちをする襲撃者と、何を手こずっているのかとオータムは声を荒らげた。

 

逃してなるものかと、大和は持っていた刀を機体の隙間に突き刺して固定し、自身が振り落とされないようにバランスを取り、もう片方の刀を振り上げてサイレント・ゼフィルス本体に攻撃を加えようとした。

 

 

「このっ……これでも食らえっ!」

 

 

攻撃を加えようとした刹那、オータムが自身の懐から何かを取り出したかと思うと、黒光りする拳銃が大和に向けられる。

 

 

「っ!」

 

 

不安定な体勢のまま機体に攻撃を加えつつ、更に拳銃の銃撃を躱すことは厳しい。あくまで防御力は一端の人間と同じであって、銃撃をまともに喰らえば大怪我へとつながる。これ以上の深追いは禁物、学園に血を流すようなことがあってはならない。

 

咄嗟の判断で固定していた刀を解除すると、足で機体を蹴り飛ばして上空へと身体を放り出した。拳銃で狙いを定めたオータムが二発、三発と銃弾を放ってくるも、弾道に刀の刃を合わせて弾丸を弾き飛ばす。

 

何気なくやっている行動だが、一般の人間では到底成し得ないことを平然とやっていた。拳銃から射出される弾丸の速度は三百キロを超える、つまり至近距離では音と共に反応しなければ躱すことは不可能。

 

ほんの僅かな時間の間に銃弾軌道を正確に判断し、刀が刃こぼれしないような斜角で当てて弾いていることになる。人間離れした動体視力と反射神経を持ち合わせていなければ到底真似できるものではない。

 

 

「……マジで化け物かよ、コイツ」

 

 

銃弾を目視で正確に躱す姿にオータムは思わず『化け物だ』と呟く。これ以上攻撃する意味は無い、弾の無駄であると判断して拳銃を仕舞った。

 

重力に従うように身体を反転させながら地上へと降りて来る大和だったが、一方のオータムと襲撃者は既に上空遥か彼方まで移動している。

 

これではもう後を追うことは不可能、いくら身体能力が高くても空を高速で飛行するISを追い掛けることは出来なかった。無傷な柱に着地すると、ISが過ぎ去っていった上空を見つめる。

 

 

(ちっ、逃したか。とはいえ多少の牽制は出来ただろうし、これで軽々しくIS学園に侵入するだなんて馬鹿なことは諦めてくれればいいんだが……)

 

 

逃したことを悔しがる大和だったが、多少の牽制にはなっているはずだと前向きに事を捉える。

 

 

(さて、後は……ん?)

 

 

周囲を見回して敵がいないことを確認する中で、一つ不自然な箇所を見つけた。

 

視線の先にはオータムが乗り捨てたアラクネがある。

 

既にコアは抜き取られており、ISとしての性能は発揮出来ない状態になっているにも関わらず、頭部の部分が何度も赤く点滅していた。動力であるコアを失い既に用済みとなった機体の末路。

 

機体は膨大なエネルギーの塊だ。

 

もしそれが一気に破裂したとしたらどうなるか、未来は容易に想像出来た。

 

 

(これは……マズイ!)

 

 

そう思った時には既に駆け出していた。

 

アラクネの機体の点滅はより一層激しさを増し、ピッピッと不規則的な機械音が鳴り響く。

 

ここまで来てようやく、機体に最も近くにいる一夏が異変に気がつく。

 

 

「ヤバい!! 皆離れるんだ!」

 

 

一夏の声に異変を察知した周囲の専用機持ちたちが散り散りになっていく。

 

離れて行く一夏たちを尻目に、大和は逆に起爆装置と化したアラクネへ駆け寄る。爆破の有効範囲がどれほどのものか分からないが、広範囲ともなれば周囲一帯を爆風が襲う可能性もある。観客たちの避難は済んでいるとはいえ、規模によっては被害が出ないとも限らない。

 

根本的に爆破を止める方法、爆破の信号を送り続けている電子回路を破壊することで止まるかもしれない。

 

納刀した刀を引き抜くと、アラクネの機体に向かって一閃、返し刃で追加斬撃を加えると目にまとまらぬ速さで複数の斬撃を繰り返した。

無惨に切り刻まれてただのガラクタへと変わりゆく機体、もはや原型もとどめていないほどにバラバラとなった機体に対して、尚も手を緩めずに斬撃を加えていくと点滅していた赤い光が消失する。

 

光が消えたことを確認すると漸く斬撃を加える手を緩めた。高速斬撃を繰り返したことで体力を消耗したのだろう、ほのかな吐息が溢れている。

 

 

(止まった?)

 

 

赤い光の点滅は止まっていることから、機体の起爆装置を止めることには成功したようだった。

 

 

(いや待て、代わりに別の音が聞こえるような……)

 

 

だが、代わりに大和耳に届くのは小刻みに時を刻む時計のような音だった。規則的にカチカチと鳴り響く音はすぐ近くから聞こえる。

 

音の発生源を確認するために周囲を見渡していると、正方形の箱のようなものが胴体の裏部分に括り付けられていることが分かった。一体何だろう正方形の箱の正面部分を確認すると、そこに表示されているデジタルの数字が目に入った瞬間、背筋が凍りつく。

 

見覚えのある形状、時間で爆発する発火装置だった。既にカウントは二秒を切っている。

 

機体の起爆装置を止められてしまった場合に備えていたのだろう。起爆装置が作動すれば関係ないが、作動しなかった場合は遠隔で時限発火装置の電源を入れればいい。後はカウントがゼロになれば勝手に爆発する。

 

ボタンを押すだけで全てが完結する何とも単純な仕掛けだった。

 

 

(手動の時限発火装置! しまっ!?)

 

 

急いで爆心地から離脱しようとする大和だったが、それよりも早くアラクネを中心に大爆発が起こるのだった。

 



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閉幕

 

 

 

周囲一帯を爆発による砂埃が舞い上がる。お陰様でこの眼を持っていたとしても、視界が遮られている以上は周囲の状況を把握することは出来なかった。

 

ただ何が起きたか理解出来ている辺り、自身が爆発に飲み込まれるという最悪の事態は避けられたらしい。目を開けたら目の前に川が流れていて、木彫りの船が漂っていましたなんて正直笑えない。

 

爆発に気付いて咄嗟の判断の元、後ろへ勢いよく飛んだことが功を奏したようで、幸いなことに身体のどこかが痛いということも無かった。どうやら五体満足の状態にはある。大きなダメージもない。

 

一つ迂闊だったのは機体の胴体部分に括り付けられた爆弾を見抜くことが出来なかったことだが、地面側は俺の視線からだと完全な死角になっている。わざわざ脱ぎ捨てられた機体の死角部分を真っ先に確認するようなことはしない。

 

無論見える位置にあれば見逃すことはないんだが、音が鳴ってくれていたために、仮に死角だったとしても寸前で気付くことに成功した。

もし気付かずに滞在していたらどうなったいたのかなど想像もしたくない。

 

周囲は相変わらず砂埃に覆われているようだが、下には固い感触がある。俺は地面に仰向けに寝そべっているように倒れているのだろう。近くに何があるのか確認するために、上に向かって手を伸ばす。

 

 

ふにっ。

 

 

「ん?」

 

 

伸ばした先に触れたものは何とも形容し難い柔らかく弾力がある物体だった。どことなく生暖かいような感じがするのは気のせい……ではない、ほんのりと暖かい感触が手のひら越しに伝わってくる。

 

一体自分は何を掴んで。

 

 

ふにふにっ。

 

 

「んんっ」

 

 

どこからともなく溢れる声、どこか見覚えのある柔らかな感触。何かが目の前にあるのは事実、感触をものに例えるのならマシャマロだろうか。いや、これは肉まんやあんまんのような感触にも似ている気が。

 

感触に頭を悩ましている内に時間が経過し、ほんの少し自分の視界が開ける。

 

先に飛び込んできたのはほんのりと顔を赤らめながら俺を覗き込む楯無の姿だった。俺がさっきから右手で鷲掴みしている柔らかく、弾力のある生暖かい物体の正体は。

 

つまり、楯無の。

 

 

「なっ、たっ、楯無? お前一体何を!」

 

「こらこら、あまり喋らないの。こんなところで声を出したら皆に聞かれて正体がバレちゃうでしょ? それにちゃーんと私は大和を助けに来たんだから……だからそろそろ私の胸から手を離してくれないかしら?」

 

「え……あ、悪い」

 

 

俺の上に爆発から守るかのように覆い被さっていた楯無はくすくすと笑う。もちろん周囲に聞こえないくらいの声量で話しているため、聞こえることは万に一つも無いはず。楯無がからかうためにあえて大袈裟に言っているのかもしれない。

 

守るため、言われてみると俺と楯無の周囲を水のヴェールが囲い込んでいる。これで爆破の衝撃を吸収してくれていたのだろう。ヴェールの周囲は相変わらず砂埃で一面覆われたままで、周囲の視界は見えないまま。

 

故に外からの視界は完全に遮られている。ここには俺と楯無の二人しかいない。

 

それからぐにゃりと潰れるほど大きく存在感のあるソレ。少し恥じらいを見せながら指摘をする楯無の言葉で我に帰ると、慌てて右手を引っ込める。大きさだけで言ったら中々なもの、千尋姉には及ばなくとも……じゃなくて。

 

 

「もし大和がずっと掴んでいたいっていうなら好きにすれば良いけど」

 

「な、何言ってる。今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ」

 

 

緊張しているつもりはないのに声は裏返る。

 

こんな時に言うのも何だが楯無との距離が余りにも近すぎるのも要因の一つだった。俺と楯無の顔と顔と感覚は十数センチ、互いの吐息が触れ合うほどに逼迫した距離感にある。すぐに飛び退かずに小悪魔的な笑みを浮かべながらじっと俺を見つめてくる楯無を見ていると、仮面越しとはいえ直視することが難しい。

 

初っ端楯無の胸を盛大に揉みしだいてしまったこともそうだが、それ以上に近くで見る楯無の顔がいつも以上に大人びて見えた。果たしてこんなに色っぽかったかと。距離が近いこともあって、香水や柔軟剤やシャンプーでも無い女性ならではの香りが鼻腔を刺激する。

 

 

「やん、えっち」

 

「あのなぁ」

 

 

胸元を隠す仕草に思わずため息をつくしかないが、不可抗力とはいえセクハラ紛いの行為をしてしまったことは事実。

楯無自身はさほど気にしていないように見えるものの、やっている行為を訴えられたら真っ先に監獄に入ることが出来る内容だ。

 

 

「で、どうだったの?」

 

「どう、とは?」

 

「ISスーツ越しの胸の感触は」

 

「っ!」

 

 

ド直球に質問を投げかけてくる楯無。俺がここで正直に答えたり、言葉のチョイスをミスったりしたらからかう気満々なんだろう。表情から見ても、俺が困惑する顔を見て楽しんでいるようにしか見えない。

 

顔は見えないから雰囲気か、どちらにしても何を答えたところで同じような未来しか見えない俺は既に終わっている。

 

何も言わないで沈黙を貫くのも一つの答えなんだろうけど、逆にそれはそれで気まずい雰囲気になる。多分楯無ならどの回答をしても笑ってくれそうな気はするけど果たして。

 

ほんの少し考えて俺が出した回答は。

 

 

「まぁ……助かった。ありがとう、楯無」

 

 

楯無の話の内容を強引に捻じ曲げることだった。どちらにしても俺は楯無に助けてもらったことになる。彼女が水のヴェールを展開してくれて居なかったらどうなっていたことか。

 

爆心地からの距離と爆発の威力から大事には至らなさそうな距離は取れていたものの、少なくとも無傷では済まなかった。それに一歩間違えていれば楯無も危なかったはず。命を賭して俺のことを守ってくれたことに関してはひたすらに感謝以外の感情は見当たらなかった。

 

 

「あっ、逃げたわね」

 

 

俺の曖昧すぎる、というか完全に話題転換した回答に対して楯無は逃げたとケラケラと笑う。想定通りの回答だったんだろう、やっぱりと言いたげな顔だ。

 

 

「仕方ないだろう。どう答えようがからかう気満々なのはすぐに分かるし、年頃女性の胸の感触なんて口に出して言えるものでもないんだから」

 

 

感触を聞かれたところで回答に困る、というのが率直な感想になる。そりゃ言おうと思えばどんな感じだったのかと答えることは出来る。当然、内容に関してはセンシティブな部分の話にもなってくるし、相手は付き合っているわけではない女性。

 

楯無が仮にちゃんとした回答を望もうとも、俺としては答えることは出来なかった。

 

 

「でも、悔しいなぁ。もっと慌てふためく姿が見たかったのに。何だが思った以上に冷静だったし……私だってそんなにスタイル悪くないと思うけど」

 

 

やっぱり俺の慌てふためく姿を見たかったらしい、そうは言ってもこれでも中々にドキドキしてるけどな。あくまで平静を装っているだけで、心の裏側を覗く能力があればすぐにバレる。

 

ムニムニと自分の胸を触る楯無だが、割と何気なくやっている行動自体が男にとっては直視出来ないような危険な行動だったりすることに気付いていないのか、それともわざとやっているのか。両手に収まりきらない二つの双丘はISスーツ越しでもぐにゃりと形を変える様子がハッキリと確認出来る。

 

……デカイな。

 

後半は何かをゴニョゴニョと呟いているみたいだけど、声が小さすぎて何を言っているのか聞こえなかった。

 

 

「あ、肝心なこと聞いてなかったわね。怪我はない?」

 

 

ふと本題を思い出したかのように楯無は俺の安否を再確認してくる。爆風を多少浴びたことで少し靴やズボンに汚れはついているものの、身体は至って健康体。

 

怪我らしい怪我は一つもない状態だった。

 

 

「そこは楯無がしっかりと守ってくれたからな。本当に助かった。俺が言えた義理じゃないけど、楯無もあまり無茶はしないように」

 

 

何か出来ることは無いかと右手を伸ばして楯無の頭を撫でる。現状ではこれくらいしかやれることがないけど、せめてもの俺の気持ちだ。

 

 

「んぅ。私子供じゃないけど……これはこれで癖になるわ」

 

 

楯無も満更ではなさそうだった。

 

何だろう学園に入学する前にも、飲みすぎて泣き上戸状態になった千尋姉をあやしたことがあったけど、その時も頭を撫でているんだよな。本人はクセになりそうとか言ってたけど、楯無と言っていることが全く同じだった。

 

年上年下関わらず頭を撫でられる行為が嫌じゃ無いんだろうかと考えてみるも、千冬さんの頭を撫でている自分の姿を想像してみたところでギブアップ。何一つイメージが湧かなかった。

 

それどころか頭に触れた瞬間にボコボコにされて終わる未来しか見えない。

 

別のことを考えていると不意に楯無が顔を覗き込んでくる。

 

 

「ねぇ。今別の女の人のこと考えてたでしょ?」

 

「……そんなことは無い」

 

 

どうしてこうも鋭いのだろうか。

 

顔を隠しているから表情の変化なんて分かるはずもないのに、考えていることを的確に当ててくる。纏う雰囲気から察しているのだとしても、ちょっと鋭すぎるものがあった。

 

 

「嘘、絶対考えてた。ダメよ〜? 可愛い女の子の前で別の女の子のこと考えてたりなんかしたら」

 

「……」

 

 

自分で自分のことを可愛い女の子っていうのもどうかとは思うが、そこに関しては一切否定は出来ない。間違いなく楯無は美少女に分類される。

 

人当たりの良さはもちろんのこと、場の空気をしっかりと読むことが出来るし、容姿端麗な上に文武両道。どこにそんな完璧超人がいるのかと思うレベルで多彩な才能を兼ね備えている。

 

唯一このをからかうような性格が無ければ本当の意味で完璧なんだろうけど、それでも俺はこの楯無の性格が嫌いじゃない。むしろ普段の完璧な楯無を見ているからこそのギャップのようなものを感じられた。楯無の普段見られない一面に、心の中ではクスリと笑ってしまう。

 

さて話を元に戻そう。

 

もうここでやることは終えたわけだ。これ以上ここに止まる理由はないし、残っていれば俺の正体が皆にバレる可能性もある。一刻も早くここから離脱せねば。

 

 

「悪いな楯無。本当はもっとゆっくり話していたいんだが、そろそろ砂埃も晴れる。夜、改めて時間とってもらってもいいか?」

 

「えぇ、もちろん。ならあなたの部屋に行けばいいかしら?」

 

「それでいい。じゃあ後のことは頼んだぞ……それから」

 

「?」

 

 

ゆっくりと身体を起こすと楯無の耳元に顔を近付けて、小さな声ではっきりと感謝の声を伝えた。

 

 

「―――ありがとな」

 

「っ!? あ、あなた急に何を! べ、別にそんな感謝されるようなことはしてないんだから」

 

 

耳元でそっと囁くと同時に楯無の顔が真っ赤に染まる。いつもの余裕はどこへやら、どこぞのツンデレお嬢様のようなセリフを発したと同時に俺からパッと飛び退くと、オロオロとしながら距離を取った。

 

何かあれだ、やっぱり慌てふためく楯無も悪くない。仮面の中でニヤリと笑うと楯無に背を向けた。と、同時に楯無は周囲を覆う水のヴェールを解除する。

 

 

「……また後で」

 

 

それだけ伝えると地面を蹴り、俺は会場を後にした。

 

不幸中の幸いで怪我人はゼロ、そして俺自身の正体がバレることもなく、現場から走り去る時にもうまく逃げおおせたようで追跡してくる人間は誰一人居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん、いや。そうなんだけど実は色々あって……」

 

 

既に学園祭の全体プログラムは終了。

 

クラスの片付けも終わり生徒たちは皆帰路についていた。俺も自室に戻り、とある人物と電話にてやりとりをしている最中だ。

 

亡国機業の連中との戦いがひと段落して会場から離れた後、人目につかない場所で制服に着替えてクラスへと合流。今回の劇に参加しなかった生徒たちが片付けを始めていたため、そこに混ざり片付けを手伝うことに。生徒会の劇を手伝うことは事前に伝えていたため、特に怪しまれることもなかった。

 

俺がクラスに戻ってから数十分後、一夏を始めとした専用機持ちや劇に参加したクラスメートたちが戻ってくる。その中でも何人かの表情は浮かないものだった。箒とシャルロットは特に変わらず。一方でセシリアとラウラは疲労困憊で、何かに対して歯痒さすら感じる表情をしていた。

 

歯痒さを感じるのも無理はない。

 

突然現れたISに良いように牛耳られて何一つ対抗することが出来なかった上に、侵入者であるオータムを逃す羽目になったのだから。決して二人だけのせいではないとはいえ、其々に感じる責任は大きいものがある。

 

だが少なくとも今回の件でオータムのISである『アラクネ』は大破、コアこそ残っているものの、元通り修復しようとするには時間が掛かるはず。そう考えると近いうちにオータムが襲ってくる可能性は限りなく低い。

 

今回の戦いの全てが無意味なものであるかと言われればそうではない、確実に亡国機業に対しての牽制の役割は果たしていた。

 

 

「そうそう。裏で動いてる勢力が多くて気を緩められないってのが本音かな」

 

 

加えてオータムの救援で現れた襲撃者。二人は同じ組織に所属しているものと見て間違いはなさそうだ。

 

彼女の実力もまた抜きん出ているものがある。正面からまともに当たれば、大損害は免れない。今回に関しては相手がこっちを見下していたからこそ、こちら側にも付け入る隙があった。だから生身の俺でもあそこまで戦うことが出来たが、認識を改めた次回からはそう簡単に行かないはず。

 

また次回に関しては俺のISのメンテナンスも終わっているだろうし、少なくとも生身で戦うようなことにはならない。今回に関してはメンテナンスが被ってしまったことに対するイレギュラーであって、生身でISに立ち向かうことが常ではない。

 

武装もしない状態で戦うということは、攻撃が当たれば大ダメージは免れないということ。ISの全力の攻撃が万が一直撃しようものなら、俺の身体など一瞬ではじけ飛ぶ。

 

 

「さぁ、どうだろう。この近くにはもう居ないみたいだし、後追いしても無駄な気もするけど」

 

 

尚、俺がどこで何をしていたのかは特に言及されることは無かった。

 

実際、劇を運営する上での裏方作業こそ手伝っているものの、表向きには俺は今回の作戦に参加しないということになっている。厳密には参加させられなかったというのが正しいか。専用機の不死鳥は臨時のメンテナンスで千冬さんに預けている。

 

もし今回の作戦に参加するということであれば、訓練機用のISを借りるか、もしくは生身の状態で戦わなければならない。一般常識で考えて後者は問題外、となると前者が現実的ではあるが緊急時における打鉄の貸出は原則行なっていない。

 

つまり戦う術を持ち合わせていないことになる。

 

この学校に所属する生徒が刀両手にISへ立ち向かうなんて考える人間はいない。現に誰かがISと生身で交戦している風景は作戦に参加している専用機持ちたちの何人かは見ているだろうが、俺が戦っていると確信を持って断言されることはない。

 

状況証拠もなければ物的証拠も無い以上、俺がやったと断定出来るものは何もないのだから。精々学園側が雇っている誰かが助太刀に来てくれたのか、くらいで終わるはずだ。

 

俺の正体がバレないように楯無や千冬さんも協力してくれているし、自分なら口を割らない以上、基本的にはバレる心配は無い。付近で俺の正体を怪しんでいる人間も何人かいるが、断定できないように証拠は消している。

 

が、油断は禁物。

 

うっかりバレてしまいました、だけは防がなければならない。くれぐれも用心するようにしよう。

 

 

「そういうことだからこっちは大丈夫。多少無茶はしたけど特に怪我はないし、大きな被害も出てないから」

 

『ホント? 大和がそう言うのなら大丈夫なんでしょうけど……いや、逆に大和だから安心出来ないわ。大丈夫じゃないのに大丈夫って言うくらいだもの』

 

 

電話口から聞こえてくるのは俺の義姉である千尋姉の声だった。どこに行っても俺が言われることは同じなようで、あなたが大丈夫と言うことに関しては大体大丈夫じゃないと言い張る。

 

信頼はされているけど信用はされてないっていうのはまさにこのことか。電話越しでもジト目をしている千尋姉の表情が容易に想像することが出来た。

 

 

「こ、今回に関してはマジで大丈夫だって。本当に怪我はしてないし、俺は至って元気だから」

 

『どうかしら。前も大丈夫とか言っておいて帰ってきたら左眼を怪我してるんですもの。信用しろって言われてもねー』

 

 

千尋姉の言うこともごもっとも。

 

以前俺が左眼を怪我した時も、電話では大したことないから大丈夫だと伝えて帰宅したら、眼帯姿の俺に会った瞬間ギャン泣き。

泣き止んだと思ったら今度は凄まじいまでのドス黒い感情を微塵も隠さずに、俺の怪我の要因となった人物に日本刀片手にカチコミを掛けようとしていたくらいだ。

 

その迫力がまた半端なかった。

 

普段ニコニコと笑っている人ほど怒らせたら怖いなんて言うけど、まさにそれを体現するレベル。一国を本気で潰しかねないレベルで怒りに満ちた姉を止めるのには相当な苦労をしたとだけ伝えておこう。

 

可愛らしい見た目とは裏腹に持っている能力は桁違いなものがあるし、本気になれば国一つくらいだったら簡単に潰してみせそうだ。

 

 

「ははは……これに関しては何も言えねぇわ」

 

『当たり前でしょ。本当に大和ってちっちゃい時から無茶するところは変わらないわよねー。事が起きるたびに毎回毎回冷や冷やものよ』

 

 

今回に関しては本当の本当に怪我をしていないにも関わらず、日頃やらかしまくっていることから信用は全く無いも同然。もはや笑って誤魔化す事しか出来なかった。

 

話が右往左往して脱線しているが、電話の内容は今回の報告について。

 

学園の機密情報を含んでいるために全てを報告することは出来ないが、簡単な事後報告だけを伝えていく。前線を退いているとはいえまだまだ護衛としての仕事はしているし、俺にとっては紛れもない尊敬出来る当主としての先輩になる。

 

分からないことがあればアドバイスを聞くこともあるし、切っても切れないような関係になっているのは事実だった。

 

と、もう一つ別で聞きたいことがあったんだ、このままだと肝心なことを聞けずに終わってしまう。

 

 

「そうだ。話題変わって申し訳ないんだけど、一つ聞きたいことがあったんだ。俺の生い立ちに関して知っている人間って千尋姉が思いつく範囲で誰が思いつく?」

 

『どうしたの急に、あなたがそんなことを気にするなんて珍しいわね。何かあったの?』

 

「あぁ、実は今日矛を交えた相手が俺の名前を知っててさ。それに俺の左眼をこんなことにした相手とも同じ組織に所属しているみたい『何ですって……』ちょっ、ちょっと千尋姉落ち着けって!」

 

 

俺の左眼を潰したのはプライドだ。そのプライドが所属している組織が今日遭遇したティオと名乗る男と同じだったと伝えた瞬間に、電話越しに千尋姉の声のトーンと優しい温度が一気に下がるのを感じた俺は慌てて千尋姉を止める。

 

電話越しに伝わってくる冷静ながらも絶対零度のような冷たい声質と明らかな怒り。はっきり言ってめちゃくちゃ怖い。もし顔を合わせていたとしたら一般人なら腰を抜かして立ち上がれなくなるほどだろう、心の底からの怒りが確かに伝わってきた。このまま放っておいたら地の果てまで追いかけかねないと察し、大炎上する前に何とか落ち着かせようとする。

 

それは個人の身勝手な怒りではなく、俺のことを本気で心配しているからこそなのはすぐに分かる。

 

千尋姉は身勝手な理由で人を傷つけることを何よりも嫌う。当然だが千尋姉も自分勝手な理由で人を騙したり傷つけることは絶対にしない。だからこそ自分自身の勝手な都合で暴力をふるい、自身の大切に想う身内を傷つけられて怒るのは当然の話だった。

 

 

俺が仮に千尋姉と同じ立場にいたとしたら同様の反応をしているかもしれない。

 

 

『……ごめんなさい。続けて』

 

 

俺の言葉に冷静さを取り戻して爆発炎上までは避けることが出来たようだ。とはいえ間違いなく機嫌はよろしくない。言葉を間違えたらそれこそもう取り返しがつかなくなる。

 

一回落ち着けているから大丈夫だとは思うが、あまり刺激するような言葉は控えようと気を遣いながら言葉を続ける。

 

この話題をしたらプライドの話に触れる可能性もあった、少し迂闊だったかもしれない。少し簡潔にして伝えることにしよう。

 

 

「簡潔に纏めると、俺が会ったこともない人間が俺の名前を知っていた。俺自身は仮面をつけていて顔が見えないのに、霧夜大和だと断定しやがった。だからどこかから情報が漏れたんじゃないかと思ったんだけど、千尋姉は何か知らないって話だよ」

 

『なるほど、ね』

 

 

俺が言い終えた後、電話口で少し考え込む。もしかして独自で知っていることが何かあるのだろうか。それが分かれば奴らの組織のことが少し分かるかもしれない。

 

ティオは組織の目的を()()()()()()()()だと言った。当たり前だがこれだけでは抽象的過ぎて何をしたいのか丸っきり分からない。もし俺の情報の発信先を特定できれば、そこから何か組織の情報を得ることが出来ると判断した。

 

 

『正直、どうして相手が大和の名前を知っていたのかと言われたら分からないわ。でも……』

 

 

千尋姉も何故ティオが俺の名前を知っていたのかは分からないと答える。が、問題なのはその後だ。含みを持たせる反応を見る限りこの話には続きがあると暗に匂わせているようにも見えた。

 

続く言葉を待つ。

 

 

『でももし、その相手がかつて大和と同じ環境にいたか、もしくはあの研究に携わっている関係者だったとしたら話は別よ。大和の身元を引き受けるときに私の個人情報は照会しているし、研究の関係者だったとしたらその書類から足取りを辿ることも出来るわ』

 

 

ある程度予想が出来た回答ではあるが、やはりそうかといった回答が千尋姉の口から伝えられる。

 

辿り着くのはあの忌まわしき環境と研究。

 

国力の強化のために生み出された人間兵器。一つ一つの個体が持つ戦闘力は、たった一人で国一つを滅ぼすほど強大なものだ。最終的に研究は頓挫。生み出された成功体は危険因子として捨てられた。成功までに犠牲になったいくつもの試験体のことを考えると複雑な気分になる。

 

俺はこうして生きている。でも成功体全員が俺と同じように恵まれた環境に拾われたかどうかなんて分からない。覚えているのは自分以外にも何体かの成功体がいたことだけで、その後の所存がどうなったかなど足取りを掴むことは出来ていない。

 

仮に成功体、もしくは関係者の中に今の俺を知っている人間がいたとしたら。

 

 

「……」

 

 

ティオだけではない、喫茶店で襲撃があった際に居たあの遺伝子強化試験体。逃走した後の消息は不明で特にニュースでクローズアップされることも無ければ、詳しく語られることは無かった。

 

ただあの試験体も仮に奴らの仲間だったとしたら。

 

そして自分たちのような人間を生み出したことに対する全世界に対する復讐。それに伴う優れた遺伝子を持つ人間が牛耳る世界の創造を画策していると仮定したら。

 

たらればで物事を語ったところで仕方ないけど、十分に考えられる可能性だ。

 

 

『大和の話を聞く限り、もしも一箇所に遺伝子強化試験体が集まっているとしたら危険ね。正しい力の使い方を理解している子だったら大丈夫だけど、仮に抑えの効かない子たちで、暴動でも起こされたら歯止めが効かなくなる』

 

「うん、俺も今その可能性を想定していた」

 

 

そもそも生き残りが何人いるのかも分からない。

 

あの研究で生み出された試験体が複数人いて、同一箇所に集結していたらかなり危険な勢力になる。今後もあの男の勢力の動向には注意した方が良さそうだ。下手すれば世界のパワーバランスが傾くかもしれない。

 

 

『私の方でも情報収集はしてみる。その話が事実だったとしたら残されている時間は長くない。そして狙われる可能性がある場所といったら……分かるわよね?』

 

「あぁ、ここ(IS学園)だろうな」

 

 

各国の専用機持ちたち、及び複数のISが保管されているIS学園が今後狙われる可能性は十分に考えられる。IS学園を手中に収めれば保管されているISは思いのままだ。

 

そこから先何が起こるかなど想像は容易い。

 

 

『えぇ、その可能性は高いと思うわ。とにかく今出来ることは限られるけど、しっかりと対策はしておきなさい。協定を結んでいる更識家なんかはウチなんかよりかなり情報を持っているはずだしね』

 

 

相手に動きが見えないこちらとしても出来ることは限られる。とはいえ何の対策もしないのとするのでは結果は大きく変わってくるかもしれない。

サラリと更識家のことに触れる千尋姉だが言っていることはもっともで、情報収集能力に関しては裏側の世界でも右に出る組織はそう見当たらない。

 

 

「あぁ、そうするよ」

 

 

頼れる相手がいる内は頼れる部分は頼ろう。一人で闇雲に調べたところで限界がある。

 

霧夜家はどちらかと言えば戦闘力に秀でた一族で、更識家は情報力に秀でた一族だ。これからもそれぞれのいい部分を互いに補っていければいいと心から思うばかり。

 

 

「……ところで、千尋姉は落ち着いた?」

 

 

話が落ち着いたタイミングで一呼吸入れるべく今の様子を伺う。話している限りは時間経過とともに落ち着いていっているようだったけど果たして。

 

 

『おかげさまでね。少し話していたら多少気は紛れたわ。もちろん大和に怪我を負わせた連中を許すことなんて絶対に出来ないけど』

 

「そうか、そりゃそうだよな」

 

『当たり前でしょ。仮に大和が許したとしても私が許しません!』

 

 

さっきの雰囲気に比べると随分柔和な雰囲気に戻り、軽口を叩く余裕が出て来たようだった。ぷんぷんと頬を膨らませるような怒り方が出来るようになっている状況から察するに、一番まずい状態は抜けているらしい。

 

あまり引き摺られても困るけど、千尋姉の前ではこの手の話を出さない方が身のためかもしれない。

 

 

『あなたは私の大切な義弟だもの。そ、それに……』

 

 

と、途中まで言いかけたところで不意に千尋姉は口籠る。何故このタイミングで? と思いつつも続く言葉を促した。

 

 

「それに?」

 

『あ……う、その……大和はた、大切なその……こ、こいびとだから』

 

「……」

 

『う、うぅ〜!』

 

 

電話越しに上擦った声でポツポツと想いを伝えてくる。

 

最終的には恥ずかしさから唸って、顔を赤面させながら悶えている様子が何となく伝わってくる。ただ今の感じを見る限り、勝手に自爆した感は否めない。俺が言えと伝えた訳ではないし、千尋姉の方から言い始めたことだから俺は悪くない。

 

うん、悪くない。

 

あの日以来、何かが変わったかと言われれば特に何かが大きく変わったわけではない。互いに会う機会が増えたわけでも、会話の機会が増えたわけでもない。

 

でもこうして『恋人』という単語を口に出すとたまらなく恥ずかしくなる千尋姉に、そんな彼女を姉としてではなく一人の女性として可愛らしく思ってしまう自分がいる。俺たちの関係は間違いなく変わっていた。

 

漫画の中だけの世界だと思っていたこの関係。鏡ナギという勿体無いくらいに素敵な彼女がいるにも関わらず、自分の姉とも共にこれからを歩んで行くと決意をした。当然バレれば世間からの風当たりは強くなるだろう。最終的に婚姻関係を結べるのは一人だけ、日本という枠組みにいる以上複数人のパートナーを選ぶことは出来ない。

 

それでも千尋姉は俺について来てくれると言ってくれた。

 

そして俺は千尋姉の想いを受け止めることにした。

 

 

うん……あれだ、やっぱり可愛いな千尋姉って。目の前でやられたら人目を憚らず抱きしめたいくらいに。

 

 

『何で私ばっかりこんな恥ずかしい思いしてるのよ! 大和も大和で少しは恥ずかしがりなさいよぉ!』

 

「いや、これでも結構恥ずかしがってるんだよ。電話越しとは言っても、こうしてはっきりと想いを口にしてくれるとさ」

 

『ずるいずるい! 私だけこんな恥ずかしいなんてずるだよ! ぶーぶー!』

 

 

俺の姉がこんなに可愛いはずがない。

 

本人に聞いたら初恋の相手がそもそも俺だったようで、知り合いには見向きもしなかったそうだ。並外れた美貌に抜群のプロポーション、誰とでも分け隔てなく付き合える人当たりのいい性格故に、学年問わず男性ファンも多く、告白なんかは日常茶飯事。

 

一度大量のラブレターを持って帰宅したことがあったが、本人は恋愛に関しては無関心。故に年齢に反して恋愛経験は全くのゼロ。普段の仕事に関してはこれ以上ないほどに頼りになる先輩だが、恋愛に関しては威厳もへったくれもない、年上の余裕はどこへやら。

 

反応が初々しいというか、もうなんか言葉に表現出来ないレベルで可愛い。よくよく想像してみて欲しい、自分より年上の恋愛慣れしていない美人な女性が顔を赤らめている様を。

 

こう、ぐっとくるものがあるはずだ。

 

 

そりゃ俺だって恥ずかしくないわけがない。極めて冷静を装っているものの、顔の表面温度が上昇しているのがよく分かった。

 

自分で言って自分で悶えている姉。所々声が途切れていることから恥ずかしさのあまり自分のベッドでゴロゴロと唸っているに違いない。そんな大切な彼女の様子を想像しながら開き直りの意味も込めてケラケラと笑ってみせる。

 

 

『う〜……も、もう! この話は終わり! このままじゃ私からの話が出来ないからダメ! 閉廷っ!』

 

「えぇ……」

 

 

捲し立てたかと思えば強引に話を終わりにした。混乱する姿を電話越しに想像するのも面白いが、からかいすぎると後々が怖い。とにかく千尋姉から話があるみたいだしそっちをまず聞くことにしよう。

 

 

「それで、話ってのは何?」

 

『昨日だったかな。本家の方から連絡があったことなんだけど……書類はっと』

 

 

ガサガサと近くにある書類を漁っている様子が伝わってきた。本家という単語から何となく総本山……つまりは霧夜家の実家から連絡事項があったものと思われる。

 

俺と千尋姉が住んでいるのは実家から離れた場所に購入した一軒家で、住んでいる家が総本山になるわけではない。携帯へのメールや自宅へのFAXなど、連絡手段は様々だが不定期的に実家から連絡が来ることがある。

 

時々で連絡手段は異なるが、今回は自宅の方にFAXが届いたらしい。自身の携帯にはメールが受信されていないことは電話をする前に確認している。昨日も知り合いからのメール以外は届いていないし、どうやらFAXのみの連絡だったみたいだ。

 

 

『あったあった。えっと、まず大和に結論だけ話すんだけど……』

 

「うん」

 

 

書類を見つけた千尋姉が口を開き、俺は話の内容に耳を傾ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――来週、丸々一週間学校休める?』

 

「うん、うん? ……はい?」

 

 

開口早々、首を傾げるしかなかった。



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ディスタンス

 

 

「ごめんなさい、大分待たせちゃったわね。学園祭終了後の雑務に時間取られちゃって……ってあら、どうしたのそんな疲れた顔しちゃって?」

 

「いや、ちょっと嵐が過ぎ去っただけさ。特に問題は無いよ」

 

「? 何だかよく分からないけど大丈夫なら良いわ。もし疲れてるならすぐに言ってね。膝枕くらいならすぐに出来るから」

 

 

千尋姉との電話を終え、入れ違うように楯無が自室へと入ってくる。入口の扉を開けて楯無を部屋の中へと迎え入れる時の顔を見て、何かあったのかと察したらしい。

 

通話の中に色々あって気疲れするような内容も含まれていたわけだが、差し当たり体調に問題はない。さらっと膝枕が出来ると言っていることについては、詳しく触れた方が良いのか悩みどころだ。

 

うん、どうしようか。いや、触れるのはやめておこう。本気で触れてほしかったら楯無の方から何か言ってくるだろうし、挨拶程度のジョークのようにも見えた。深く突っ込んだらそれこそ話が進まなくなる可能性を考えると、触れない方が得策な気もする。

 

 

「ちぇー、顔を赤らめて恥ずかしがる大和が見たかったのに」

 

 

どうやら楯無は突っ込んでこなかったことよりも俺の反応にご不満な様子。何が何でも照れさせたいのか、それともさっきの出来事を根に持っているのかは分からない。

 

 

「開口早々からかってくるやつがどこにいる。しかも俺が照れてる顔なんて誰得だよ。ほら、さっさと部屋に入れって」

 

 

入口で話すのも変な話だし何より人目につく。幸いなことに今は廊下を出歩く生徒はいないものの、ここで会話をしていれば声が漏れて誰かに勘付かれる。

会話を中断して楯無を室内へと招き入れた。何気なくやっているが、男性の部屋に毎日のように誰かしら女性を招き入れている風景も中々に異様な光景なのは間違いない。

 

背もたれ付きの椅子に座る楯無に買い置きしていたオレンジジュースをそっと差し出す。またオレンジジュースかと言われるかもしれないけど、飲み物としては早々外さない。部屋に遊びに来ることが多いナギやラウラをはじめとしたクラスメートたちに出しても好評のため、常に部屋の冷蔵庫には常備してある。

 

このオレンジジュースもIS学園の購買にしか売っていないような特注品みたいだし、他の生徒からの評価も高いのは販売員のおばちゃんから聞いている。とりあえずこれを選んでおけば間違いはない、ただそろそろ新規開拓もしてみようか。

 

 

「まずはナギちゃんの件についてなんだけど」

 

「ん、ナギの件……っていうとあれか、上級生の処遇についてか?」

 

「そ。本当は懲罰委員会が動くのは学園祭が完全に終わってからだったんだけど、予想以上に早く事が進んでね。ついさっき結論が出たの」

 

 

楯無の口から語られたのは数日前から発生していたナギに対する嫌がらせについてだった。あの後嫌がらせの主犯格とその取り巻きに関しては懲罰房に収監されて、学園祭に関しても参加を認めないなんて話を聞かされていたけど、予想以上に早い処遇が下されたようだ。

 

 

「ふむ……随分と早い結論だな。もう少し時間がかかるとばかり思ってたんだけど」

 

「本来ならね。でも今回のことに関してはあまりに悪質過ぎるし、学園側としてもネガティブな要素を手元に残しておきたくなかったんじゃ無いかしら」

 

「……」

 

 

楯無の口ぶりから、大体どのような処遇が下されたのかの判断が付く。一般校なら当然一発退学だろう、だがここはIS操縦者の唯一の育成機関である学舎。少なくとも入学出来る以上、何倍もの倍率を勝ち取って入学をしていることになる故に、一人一人の能力は紛れもなく高い水準に位置する。

 

能力の高い人間だとしたら学園が手元に残すんじゃないか、場合によっては温情の停学処分なんて可能性もチラついたが、その不安は杞憂だったらしい。

 

 

「全員退学処分。主犯格の生徒に関しては余罪もあるから除籍とともに少年院送り。残りの生徒も少年院送りにはならなくても、しばらく保護監査処分にはなるでしょうね。加えて他の高校への編入も難しいと思うわ、学歴に傷が付いた人間を受け入れる場所なんて無いだろうし」

 

 

そこに一切の温情はなかった。

 

全員退学処分。

 

つまりこの学園から全員追放することとなった。

 

経歴に傷がつくのはもちろんのこと、これまで犯した罪によって少年院送りや保護監査処分になるらしい。

ただでは済まされてないとは思っていたけど、想像以上に重たい罪状が付いていた。IS学園を退学になったという枷はどこか別の高校に編入しようとしてもついてまわることになる。

 

そんな傷のついた人間をはい分かりました、うちは大丈夫ですと快く二つ返事で招き入れる学校がどれくらいあるだろう。仮に俺が受け入れる立場だったとしたら申し訳ないけど即座に断りを入れる。

 

 

「まぁ当然ね。それだけのことをあの子たちは罪として犯したんだもの。刑務所送りにならないだけでも感謝して欲しいくらいだわ」

 

 

淡々と処遇の結果を口にする楯無だが、所々棘のある言い回しをしているあたり内心は決して穏やかなものではなく、心の整理がまだ彼女の中で追いついていないようにも見えた。

 

退学処分になったからと言っても被害を受けたナギの心の傷が癒やされるとは限らない。今は何ともなくてもふとした瞬間にトラウマとしてフラッシュバックするかもしれない。

 

何の罪もない生徒を傷付けた行為は、決して許されるものでは無かった。ましてやそれが自分の大切な後輩であり親友だとしたら尚更。

 

 

「あの時は大和が私たちの気持ちを全て代弁してくれたから黙っていたけどね、何より私も大切な後輩が傷付けられて落ち着いてられるほど大人じゃないのよ」

 

 

俺が現場にいなかったら楯無も決して容赦はしなかっただろう。自分たちの私利私欲を満たすための行為に慈悲などはいらない。それこそ彼女は『生徒会長』の肩書きを使って、徹底的に叩き潰したに違いない。

 

俺以上に容赦ない制裁を下していた可能性もあった。

 

 

「どちらにしても、これでナギちゃんに危害を加える人間は居なくなったことになる」

 

「あぁ、みたいだな。これに懲りて第二波、第三波が起きなきゃ良いけど。まぁ起きたら起きたでその時は容赦するつもりはないけど」

 

 

危険因子は去った。

 

しかしそれはあくまで今回の件に関してだ。今後同じような考え方を持つ人間が現れる可能性も決して否定出来ない。

 

次同じようなことを考える輩が出て来たら容赦はしない、徹底的に言い逃れの出来ない証拠をかき集めて地獄の底へ叩き落としてやる。

 

それは俺だけではなく、楯無も同じ考えを持っていることだろう。いずれにしてもナギの件はとりあえずの終わりを迎えた、そこに関しては多少は喜ぶべきなのかもしれない。

 

一つ区切りがついたタイミングで楯無はグラスを口へ運ぶと、乾いた喉を潤す。

 

 

「次の話題は学園祭の襲撃者についてね」

 

 

グラスを机に置くと再び口を開いた。

 

話題は襲撃者について。

 

事前に情報を貰っていたことから迅速に対応することが出来、一度は奪われた白式を無事に取り返すことに成功した。

 

 

「まずは一人目、これは大和も知っていると思うけど亡国機業の巻紙礼子……本名はオータム」

 

 

襲撃者の一人であるオータム。

 

一般のIS開発企業の渉外担当を偽って学園祭に侵入し、一夏から白式を奪おうとした張本人。一夏に会う前に俺と接触を試みるも、相手にされず断られてしまったことからターゲットを一夏に切り替えたんだろう。

 

一夏を一人隔離したところまでは作戦として合格点だが、密閉空間を選択したのが仇となり、駆け付けた楯無のクリア・パッションをまともに食らった上に、一夏の零落白夜を続け様に受けて敗北。乗っていたISは装甲の大半部分が大破し、最終的にはコアを除いた全ての装甲もろとも爆発した。最もこれは機体に搭載されていたものではなく、外に取り付けられた時限発火装置を使って遠隔で爆発させたようだが。

 

コアが無事とはいえ外装はほぼ全滅に近く、一から組み直すともなれば相当に時間がかかるはず。

 

 

「彼女に関してはかなりの大打撃を与えることが出来たわ。コアを除く外装は大破。修理するにも時間が掛かる上に、盗品のISの修理を外部依頼するわけにも行かないでしょうから当分襲ってくることはなさそうね」

 

「確かにあの状態じゃ当分動けないだろうよ。ただ、少し懸念があるとするともう一人の操縦者か」

 

 

オータムに関しては今後しばらく再襲撃の危険性は低いと判断した。が、問題なのはもう一人、最後に顔を出した襲撃者の方だ。こちらに関してはダメージらしいダメージはさほど与えられていない、機体の損傷もほとんどないことから、間髪を入れずに再度出撃することが可能となる。

 

 

「えぇ。乗っていた機体はイギリスの専用機のサイレント・ゼフィルスね。こちらに関してはほぼ無傷で帰してしまったから多少懸念はしていたんだけど……」

 

「……ん、俺?」

 

 

これからも決して気は抜けないと考えているところで、楯無が途中まで何かを言い掛けながら俺の方を見てくる。

 

な、何だ? 俺何かやらかしたか?

 

 

「大和が良い牽制になるかもしれないって思ったの」

 

「俺が良い牽制?」

 

「そ。あの時セシリアちゃんとラウラちゃんでは歯が立たなかった。でもあなたは不意打ちだったとしてもサイレント・ゼフィルスに一矢報いた。生身の人間がISに立ち向かっているのよ、私だったら熟練したIS操縦者よりも不気味に思うわ」

 

 

楯無の言おうとしていることはよく分かった。別に俺にこれからも生身で戦ってくれと言っているわけではなく、生身で戦ったことが相手に不気味な存在感を植え付けることが出来て効果的だったのかもしれないと楯無は言う。

 

何度も言うが、ISには各国の軍事兵器を用いても太刀打ちが出来ず、そして軍事兵器にも人間一人では到底対抗出来ない。強さの根底をひっくり返すことは出来ないはずなのにその一般常識を目の前で覆してみせた。

 

当然相手もたかだか人間一人に翻弄されるなんて思ってもみなかったに違いない。

 

 

「とは言えサイレント・ゼフィルスの操縦者は厄介な相手よ。彼女を止めるだけでも相応な戦力を整えなければならない。こちらはこちらで早めの対策を取った方が良いでしょうね」

 

 

次同じ手は通用しない可能性が高い、と楯無は言い切る。今回の実戦データを元に、次はこちら側のウィークポイントを徹底的に叩いてくるに違いない。

同じ戦い方では通用しない。来るべき時に備えてこちらも各々のスキルアップを含めて対策をしておかなければならないのは間違いなかった。

 

 

「後は大和が会ったっていう男性……彼に関しては既に更識家で調査に当たってるわ」

 

 

会話を交わす機会は少なかったものの、謎の男、ティオについても既に調査を進めてくれているとのこと。奴に関してはあまりにも情報が少ないせいで、結局のところ詳しい素性が何一つ分かっていない。

 

表舞台はおろか裏舞台でも聞いたことのない名前であり、これと言って何か目立つ行動を起こしているわけではなかった。調べることで多少の情報は手に入れることが出来ても、期待している内容を知ることが出来るかどうかは分からないそうだ。

 

俺自身も裏世界に携わって幾年かたつものの、ティオなんて名前は聞いたことは無い。新しい世界の創造だなんて随分と突拍子も無い話だが、単身でIS学園に乗り込み、いとも容易く逃走したところを見ると持ち合わせている実力も相当なものであるように見える。

 

 

「流石だ、行動が早くて助かる。ただここにきて亡国機業に加えて新しい勢力が加わってくると考えると厄介だな」

 

 

気が休まる暇はひとときもない。

 

一難去ってまた一難。

 

IS学園にいる以上、安息の時間はほとんど無いと捉えて問題は無さそうだ。

 

分からないのは奴がIS操縦者なのかどうか。目視できる範囲で奴が持ち合わせていたのは日本刀と逃走用の閃光手榴弾のみ。ISを起動させる素振りも無かった。

 

 

この世界でISを動かす男性操縦者として公に認識されているのは俺と一夏の二人だけ。非公式ではプライドも操縦が出来ることを確認しているが、ISを動かせる男子の共通点を見比べるとそれぞれ生い立ちや育ちもバラバラで共通点など無いように見える。

 

根拠のない強引なこじつけをするのであれば、この三人全員が遺伝子強化試験体だったとした場合だ。が、俺はともかく残りの二人が遺伝子強化試験体だと実証するものが無い。

プライドは消息不明、一夏に関しては両親こそ蒸発しているけど千冬さんっていう家族がいる。千冬さんも千冬さんで生身の状態でIS用のブレード振り回すくらいだから次元の強さを誇ってるのは間違い無いけど、千冬さんが試験体として生み出された証拠もない。

 

うーん……ダメだ、それぞれが点のままで繋げられない。どちらにしても今のままでは明らかに情報不足で埒があかなかった。この状態で頭を悩ませたところで話は平行線のまま。一度整理をする必要がありそうだ。

 

 

「でも流石ね。専用機がメンテナンス中だって聞いたからどうなるかと思ってたけど、あなたは何なく襲撃者を追い払ってしまった」

 

「まぁ、それが俺の本職だしな。対象を脅威から守ること、根底は決して履き違えたりはしないさ」

 

 

結果として一夏を護ることには成功している。何より学園側に大きな人的損害は出なかった、そこについては喜ばしい限りだった。

 

楯無としては危ない橋を渡らせたくはないと俺の作戦参加には否定的だったが、自分に与えられた本来の目的を無視するわけにはいかないと半ばゴリ押しで作戦へと参加。一夏の友達でもあるとはいえ、俺に与えられた最も大切な使命は一夏を命懸けで守り抜くこと、何があってもそこだけは決して忘れてはならない、揺らいではいけない信念となる。

 

 

「それでもつくづくあなたは規格外だって認識させられるわ。全く情報の無い相手に臆さず飛び込めるんだもの」

 

「俺だって怖くない訳じゃないさ。相手が誰であれ、生身での戦いは常に命懸け。一歩間違えたら明日の朝日は拝めないって考えると、どうしようも無く怖くなることだってある」

 

 

相手の情報などほぼ分からない上に実力も分からない。感覚としては見えない敵と戦っているような気分になるのかもしれない。

 

情報がほとんどない以上、いつどこでどのような攻撃をして来るのかを戦いながら瞬時に判断して対処しなければならないことを考えると、一回の戦闘でかかる精神的負荷は相当なものとなる。

 

もし判断を間違えればその時に自分に降り注ぐ反動は計り知れないものがあり、下手をすれば命を落とす。普通の感覚では決して踏み込むことが出来ない世界、それが俺のいる世界だった。

 

この感覚に慣れてしまうのも異常なんだろう、これまでも逃げたいと思うことが無かった訳じゃない。でもいざ仕事と向き合うとゾーンに入るというか、恐怖感が薄れて何とも思わなくなる。

 

 

「色々な後ろ盾が無ければとっくに心は折れているかもな。こうして平常心を保っていられるのも皆が、仲間がいるからだ。だから皆には感謝しても感謝しきれないよ。特に公私共に支えてくれてる楯無、お前には特にね」

 

「あら、ありがとう。でもおだてられたところで何も出ないわよ?」

 

「何も求めてないよ。だだ純粋に楯無にお礼が言いたかっただけさ」

 

 

実際公私共に支えてくれる人間は少ない。私的な部分で関わりを持つ人間は多くても、仕事として学園の中で深い関わりを持っている人間で、思い当たるのは楯無と千冬さんの二人。

 

ナギは俺の仕事や立場、生い立ちこそ知っているものの、裏側の仕事への関わりは一切ない。千冬さんは仕事の面での関わりは多くとも、常に共に行動をしているわけでは無く、あくまで千冬さんは俺にとってお客様の立場だ。

 

常に何かをする際に行動を共にするとなると間違いなく楯無であり、彼女の存在は精神的にも何より大きいものだった。

 

改めて感謝の言葉を述べると楯無は照れ臭そうに顔を赤らめる。先程のテンパり具合ではないものの、表情から察するにまんざらでもないらしい。

 

 

「そう、なら純粋に大和の気持ちとして受け取っておくわね。こんなところかしら。他に何かある?」

 

「特に……あ、いや。一つだけあるわ。明日登校したら休みになるだろ? 次の一週間、俺学園を休むことになるからその間一夏とナギ、ラウラを頼む」

 

 

楯無からの話が終わってこちらに振られると、先程電話で千尋姉から共有された内容を楯無に伝えた。

 

原則、仕事の詳細内容に関して第三者に口外することは禁止されている。伝えられたとしても協定を結んでいる関係である相手限定で、行き先までしか伝えることが出来ず、誰が護衛対象になるかまでは伝えることは出来ない。

 

 

「一週間丸々だなんてそこそこ長い期間なのね。仕事?」

 

 

楯無自身がそこまで驚いている様子がないのも、仕事が理由で休むことを何となく悟ったからだろう。

 

 

「おう。ちょっと本職の方で仕事の依頼が入ってな。土日のうちに身支度整えて海外へ飛ぶことになる」

 

 

国外に出ての仕事は幾分久しぶりのことになる。一応は一週間って期間ではあるが、場合によっては伸びる可能性もある。

 

そうなると一週間では戻ってこれないかもしれない。

 

 

「海外か、随分と遠くの出張になるのね。一週間大和がいないって考えると少し寂しくなるわ」

 

 

楯無は淡々とした口調で寂しい思いを言葉に溢す。長期休暇を除かない限り、それだけの期間IS学園から離れることは無い。流石に寂しいは大袈裟すぎるのではないかと伝える。

 

 

「そんな大袈裟な。メールなら反応出来るし、何かあったらいつでも連絡しても大丈夫だぞ」

 

「それでも、よ。メールなら確かに海外でも連絡は取れるとは思うけど、あなたの顔や声は見たり聞いたりすることは出来ないもの」

 

「そうかい。俺からしたらそんな風に想ってくれて嬉しい限りだよ」

 

 

にこやかに微笑んだかと思うと自身の手元をキュッと握り締めた。

 

更識家の資産からすれば国際電話の通話料くらいポンと出しそうなものだが、どうやらそう言うわけでは無いらしい。女の子に顔を見たり声を聞いたりすることが出来ないと残念そうに言われると、男冥利に尽きるところだ。

 

 

彼女は、楯無は。

 

俺にパートナーがいると分かっていても、こうして変わらずに自分への想いを隠さずにぶつけてくる。

 

いつか必ず俺を振り向かせて見せると。他の男性に鞍替えするような気は毛頭ないようだ。だからこそ俺も下手な気持ちでは応えられないし、おいそれと好きだと想いを伝えるわけにもいかない。

 

好きかどうかと言われれば好きなんだと思う。

 

ただこれが一人の女性としてなのか、それとも友達感覚での想いなのかはまだ判断が出来ない。中途半端な想いで応えたところで、逆に楯無を悲しませるようなことになる。

 

ナギと千尋姉とこれからも共にいると想いを伝えただけでは無く、ナギに関しては手を出している。女たらしだと言われたところで文句は言えない。むしろ既に女たらしになっている自覚はある。それでも二人が俺と共にこれからを歩きたいと言うのであれば、それに応えるだけだ。

 

あくまでお互いが了承している以上、それ以上とやかく何かを言われる筋合いも無い。

 

……って、自分で言ってて何か変な気分になってきたな。このタイミングで何つー話をしてんだ俺は。

 

 

「でも一週間いないのなぁ……折角だし大和の部屋に入り浸ろうかしら」

 

「はい? おいおい、マスターキーはずるいだろ。俺のプライバシーは何処へ?」

 

 

この生徒会長様は何をさも当たり前みたいに人の留守をいいことに部屋に入り浸ろうとしているのか。生徒会長権限で全部屋のマスターキーを持っているわけだが、もはや職権濫用もいいところだ。

 

ここ最近、俺の部屋に侵入してくる頻度は減って……いや、別に減ってはいないな。俺自身の感覚も麻痺し始めているのかもしれない。

 

すると楯無は得意げに、背後に隠していたとある物体を俺の前に差し出す。

 

 

「あら、別に良いじゃない? だって手に入れたのは私だもの」

 

「え?」

 

「じゃじゃーん! これなーんだ?」

 

「……んげっ!? 何でお前が王冠を持ってるんだよ!」

 

 

輪っかの間に手を入れながらクルクルと回す黄金に光り輝く物体。一瞬何かと考えるも、その物体は今回の劇で景品として、皆の手から逃げ惑っていた王冠だと気付くのに時間はいらなかった。

 

どうして楯無の手にあるのか。

 

楯無のことだから強引に奪ったというよりかは、さり気なく一夏の頭上から王冠を取ったか、混乱の最中に一夏の頭から零れ落ちたものを拾ったかのどちらかの気がする。

 

どのみち楯無の手に王冠がある、ということは王冠を手に入れた恩恵を受けられるのが楯無だということになる。

 

 

「さーて何ででしょう? でも大和は知っているわよね、王冠を手に入れた生徒に与えられる権利について」

 

「えぇ、存じ上げてますとも。男子生徒のどちらかの部屋に同居出来る権利が与えられる、だったか?」

 

 

何が言いたいかは分かる。

 

ただ何だろう、俺の口から言ったら負けたような気がする。というよりもしかしてこれって楯無の出来レースだったんじゃ。

 

 

「そうそう。だからこれからしばらくよろしくね♪」

 

「ノオオオオオオオオオッ!!!!」

 

 

ウィンクしながら満面の笑みを浮かべてくる楯無に、もはや何も言い返す気力も湧かずにガックリと頭を垂れた。

 

予測可能回避不可能とはまさにこのことを言うのか。ニコニコと笑顔を浮かべる楯無がもはや悪魔のようにしか見えない。まさか毎日のように衣食住を共にする気でいるのか、二人揃って同じ部屋で生活しているなんてことがもし周囲にバレたら俺学園にもう登校できません。

 

頭を抱えながら楯無の顔を見ると。

 

 

「あはっ♪」

 

 

変わらず満面の笑みでしたとさ。

 

もうしてやったりと言わんばかりの満足そうな笑み。あまりにもまぶしすぎて思わず目を背けそうになるけどこれが現実です。

 

現実を受け入れたくないと椅子から立ち上がり、よろよろとした足取りで自分のベッドへとうつ伏せに倒れこんだ。ぼふっとしたクッション素材が俺の全身をしっかりと受け止めてくれる。

 

あぁ、このまま眠りに落ちてしまおうか。

 

 

「ちょっとちょっと、こんな美少女と一緒に生活できるっていうのにどうしてそんな残念そうなのよー」

 

 

案の定、俺の反応に納得がいかないと言わんばかりの抗議の声が上から聞こえてくる。決して不服というわけではない。それにこう言っては何だが、おそらくナギも俺の部屋に楯無が入りびたることを否定することはないだろう。

 

ナギ自身が誰かが幸せになることで、目に見える誰かが不幸になることを望んでいないのだから。それに千尋姉とこれからを共に歩んでいくことを後押ししたのが他でもないナギだった。

 

故に仮に俺が楯無と付き合う回答を出したとしても……。

 

 

「いや残念じゃ無い、残念じゃ無いけど世間体を多少気にしたらそりゃ思うところはあるよ」

 

 

むくりと起き上がり、ベッドの端に腰掛けなおした。

 

ぶーたれながら頬を膨らませて抗議をする楯無だが、不思議とそこに怒っているような感情は無い。

 

 

「それに楯無は……」

 

「私は?」

 

「……いや、何でもない。今言ったことは忘れてくれ」

 

 

美少女なんだからドキりとしないわけがないだろと、言いかけたところで口を閉ざすが、中途半端に名前を呟いてしまったせいで返って怪しまれることになる。

 

時既に遅し、楯無は俺の方へとジリジリと迫ってきており、表情はどことなく小悪魔じみたものへと変化していた。当然俺も逃げようとするがここはベッドの上であり、後方に下がったところで壁だ、いずれ退路を断たれてしまう。

 

その間にも四つん這いの体制のまま、楯無は俺との距離を確実に縮めて来ていた。

 

 

「えー! そんなの思わせぶりじゃない! ほら、隠し事なんてやめてちゃんと話してみなさい!」

 

「ぐえっ!? こ、こら楯無! こんなところでひっつくなよ!」

 

 

正面から飛び付かれると、首をロックするように両腕を回して俺との距離をゼロにする。完全に密着されてホールドされているせいで身動きを取ることが出来なかった。

本気で力を入れれば容易に抜け出すことが出来るだろうけど、こんなことで本気の力を使おうものなら怪我をさせてしまうかもしれない。

 

 

「ほら大和、さっさと言いなさいよ! 私が何なの!」

 

「い、言わない……」

 

 

密着しているため楯無との距離はない。だからこそ本来なら当たってはいけないところがぎゅうぎゅうと押し付けられている。束縛する力を弱める気がないのはもちろんのこと、自分の胸が俺の身体に当たって潰れていることを気付いていないのか、はたまた分かっていて当てているのかは楯無にしか分からない。

 

しかも楯無の凶悪なところはそこだけではない。スカートとパンストに隠れているが、しなやかな中に兼ね備える独特な柔らかさの脚、もとい太ももも中々に強烈なものがあった。後方に重心のある俺の足と足の間に楯無の足が突っ込まれているせいで、彼女が少しでも動くと下半身までもが密着する形になる。

 

加えてシャワーを浴びた後らしく、楯無の髪からはトリートメントの優しい香りが漂ってくるせいでまともな思考回路が働かない。女の子ってどうしてこう刺激の強い独特な香りを持っているのか、毎回毎回疑問に思うばかりだ。

 

 

「もー強情ね! いいわ、それならそれでこのまま大和の香りを堪能するから」

 

「ちょっ! 楯無やめ……ど、どこの匂いを嗅いでんだ!」

 

 

こんなに引っ付いてきているけど、俺がシャワーを浴びてないって選択肢は考えていないのだろうか。いや、まぁどちらにしても当然シャワー自体はしっかりと浴びているから問題はないんだけど。

 

学園祭での一夏の護衛役としての出演でラウラと交戦、更には亡国機業の襲撃者たちとの生身での戦闘の連続で身体はびしょ濡れで汗まみれ。この状態で人に会うのは非常に躊躇われる状態だったが故に、帰宅してからすぐにシャワーを浴びているので汗臭い匂いは消えているはずだ。

 

服も洗濯したばかりの部屋着に着替えているし、特段問題のない状態ではあるものの、いきなり人の胸元に顔を埋めてくる女性がいるかと突っ込んでしまう。

 

……もし今のやり取りで変な想像をした奴がいたら、後で打ち合いでもしようか、何しっかりと情け無用で相手してやるから覚悟しておけ。

 

宣言通り、顔を埋めたまま楯無は動かない。

 

しばし時間が経ち、ゆっくりと顔だけを上げる。

 

 

「えへへ、大和の香りがする」

 

「……一体どんな香りだよ」

 

「凄く落ち着くの、安心感があるっていうのかしら。とてもいい匂いよ」

 

「いざ言葉に出されると小っ恥ずかしいなおい」

 

 

こっちが恥ずかしいだけではないか。

 

楯無の言葉に俺の顔面が紅潮するのが分かる。汗臭いとか言われたらどうしようかと思ったけどどうやら杞憂に終わったようだ。

 

楯無は自ら離れようとはせず、身体を密着させたまま上目遣いで見つめてくる。心なしかいつもに比べると顔が赤い。呼吸も早く、小刻みな吐息が顔に当たる。

 

 

「ねぇ大和」

 

「ん?」

 

「もし、もし私がこのまま……「大和くーん」っ!?」

 

 

楯無が何かを言いかけた途端、入口の方から聞き覚えのある声が聞こえて来る。

 

時間は既に夕方。

 

食堂も既に開いている時間だし、夕飯のお誘いに来ても何らおかしな時間では無かった。同時に俺と密着していた楯無は猫が驚くかのようにぴょんと跳ねたかと思うと、慌てて俺との距離を取る。流石の楯無も、来訪者が来た状態で続ける勇気は無かったようだ。

 

が、今何か言いかけたような……。

 

 

「楯無、今何か言いかけなかったか?」

 

「あ……ううん、何でもないわ。ほら誰か来たなら早く行ってあげなさいな」

 

「ん、あぁ。分かったよ」

 

 

楯無にしては珍しく歯切れの悪い返事だった。反応がいつもと違うことに違和感を覚えつつも、ゆっくりと身体を起こすとベッドから立ち上がり、部屋の前にいるであろう来訪者を確認する。流石に来訪者を放置するわけにはいかなかった。

 

ただまぁ……少しあのままの空気に流されていたら色々と危なかったかもしれない。楯無のやつ、いつの間にあんな大人っぽくなったんだろう。それとも元々で俺が気づいていなかっただけか?

 

頭の中の雑念を振り払うかのように入口へ近づくと、外にいる人間に扉がぶつからないようにゆっくりとドアノブを回す。

 

 

「はい、どちら様?」

 

「大和くん。こんばんは」

 

 

部屋の前に居るのは既に私服に着替えたナギだった。髪が短くなったことで普段着ているはずの部屋着の着こなし方のイメージもガラリと変わっている。

 

今日はキャミソールにデニムパンツといったシンプルな組み合わせで、無駄な肉の付いていない引き締まったボディラインが素晴らしく、健康美を思わせた。サイズがピッタリとした服を着ているからなのか、引き締まった身体に反するような上半身の膨らみと、下半身の膨らみがより強調されており、

 

俺の顔を見ると同時に、屈託のない笑顔を浮かべながら挨拶を交わす。

 

あぁ、やっぱりナギはこの笑顔が似合う。数日前のような生気の抜けた作られたような笑顔は似合わない、心の底からの笑顔が絵になる。自分の目にカメラ機能があるのなら観賞用と保存用、そして自慢用と残しておきたいくらいだ。

 

さて、予想通り夕飯のお誘いだった。

 

行くことに関しては問題ないけど、部屋に楯無がいる以上一度そちらに区切りをつけなければならない。少しナギに部屋の前で待ってもらおうかと言葉を返す。

 

 

「おう、こんばんは。この時間ってことは夕飯だよな? ちょっと待っててくれ、すぐに準備をするから」

 

「うん。あ、もしかして誰か部屋に来てるのかな? それなら私先に行って席だけ取っておくけど」

 

「へ?」

 

 

ナギの一言に思わず身体が硬直する。

 

今の会話の中から、どうやって俺の部屋に来訪者が来ていることを予測出来たのか。

 

 

「あ、あのナギさん? 何故俺の部屋に誰かがいると?」

 

「うーん、女の勘かな。もしかして違ってた?」

 

 

慌てふためく様子を見つめながらクスクスと笑うナギ。この反応ではナギの言い分を完全に認めているようなものだ。現に部屋に楯無がいるのは事実、勘の一言で片付けるには些か無理があるような気もするんだけど、他に何か理由があるじゃ……。

 

 

「分かるよ、だって大和くんの香りとは別の女の人の香りがするんだもん」

 

 

呟くが声が小さすぎて何を呟いているのかまでは分からなかった。

 

ただ言われてみると部屋の前に誰かがいると気付いたのは名前を呼ばれたからであり、実際は声を掛ける前に部屋の扉をノックしていたのかもしれない。

 

名前を呼ばれる前は色々な意味でまずい状態であったために、部屋の扉をノックする音に気付かなかった。だからこそ、ナギにも俺が部屋の中で取り込み中なのかもしれないと想像出来た可能性がある。

 

これでもし俺が無反応のまま応対しなければ完全な留守、もしくは御手洗いやシャワーを浴びていて物理的にノック音や声が聞こえない場所にいると判断されていたのか。

 

いずれにしてもナギにしか分からないことだし聞くものでもない。

 

 

「じゃあ話終わらせてくるからちょっと「あら、その必要は無いわよ大和」って楯無!」

 

 

部屋の中に戻り話をする前に、楯無が俺の背後に現れて入口にいるナギを覗き込む。

 

いつも通りの雰囲気に戻った楯無は口元を扇子で隠しながら颯爽と登場したわけだが、開いた扇子には『真打登場』って書いてあった。開くたびに文字が変わる扇子の仕組みもよく分からないけど、言葉のチョイスも独特だ。

 

 

「やっぱり楯無さんだったんですね。もし大和くんが他の女の子連れ込んでたりしたらどうしようかと思ってました」

 

 

楯無の登場に対して予想通りだと言わんばかりにナギは苦笑いを浮かべた。

 

反応を見る限り、俺の部屋にいた人物が楯無だと特定していたのか、それとも俺がナギ自身が知っている人物以外は招き入れないと踏んでいたのか、おそらくどちらかだろう。

 

以前はクラスメート以外の他クラス、他学年の生徒たちも部屋の前に来ることはあったが、基本的に部屋に入れることはなかった。クラスメートに関しても複数人で来ることが多く、一人きりで俺の部屋を往訪する人物は数えるほどしかいない。

 

部屋に来る頻度が最も高い人物はラウラ、ナギ、そして楯無。後は一夏くらいだ。

 

そう考えると予想しやすかったのかもしれない。

 

 

「あら、流石の大和もそこまでタラシじゃないと思うけど。ね、大和?」

 

「ははは……ソウデスネー」

 

 

もはや笑うしかない。

 

とてつもない脱力感にはぁとため息が溢れる。

 

 

「こーら、男の子がため息なんかついちゃダメだぞ♪」

 

 

ケラケラとからかってくる楯無だが、誰のせいだ誰の! と心の中で思わずツッコミを入れる。いつも通りの楯無に戻ったのは良かったけど、その反面俺の気疲れはマックスだ。

 

 

「はいはい、分かりましたよ。っと、夕飯だったな。ちょっと財布持って来るから待って「はいこれ、大和の財布」……ありがとう、助かるよ」

 

 

俺の行動をある程度把握しているようで、楯無が差し出してきたのは俺の普段使っている財布だった。気の利いた楯無の行動に素直に感謝の言葉を伝える。

 

本当、こういうところも楯無は気が利くんだよな。周囲のことをしっかりと見たり聞いたりしなければ出来ない芸当だ。

 

準備も整ったことだし、さっさと食堂へ向かうことにしよう。

 

 

「さて、それじゃ行こうか」

 

「うん。あ、楯無さんも一緒にどうですか?」

 

「いいの? それなら喜んでご一緒させてもらうわ」

 

 

三人並んで食堂へと歩き出す。

 

俺が真ん中で左隣にナギ、右隣に楯無といった布陣だ。はて、どこかで見たことがあるような布陣な気がするような……。

 

 

「これって少し前に皆で食堂に行った時に似てるね」

 

「確かに、言われてみればそうだな」

 

 

あぁ、そういえばそうだった。

 

ここにラウラがいれば数日前の風景とピッタリと重なる。

 

あの時は楯無が引っ付いてきて大変だったなと物思いに老けていると、ふと右腕が柔らかい何かが当たっていることに気付いた。

 

なんてデジャヴかと視線を右下へと移す。

 

 

「〜♪」

 

「やっぱりか」

 

 

数日前と同じように自分の身体を密着させる楯無、一つ違うのはあの時に比べると幾分、今日の方が幸せそうな表情を彼女が浮かべているところだろう。

 

ご機嫌な様子で鼻歌を歌う楯無に対して離れろと言うことが出来ず考え込んでいると、今度は反対の腕に柔らかい感触が伝わってくる。楯無がいるのは右側で左側ではない、つまり今俺の左腕に伝わってくる感触の正体は。

 

 

「わ、私だって本当は大和くんとこうして……」

 

 

ナギだった。

 

顔を耳まで真っ赤にしながらも、しっかりと左腕に抱き付いたまま離そうとはしない。前回は何を抱きついているのかと、楯無を引き剥がそうとしていたのに、今回は何故か楯無側へとシフトチェンジしている。

 

人前だから自重しているけれども本当はもっとあなたに甘えたいと、恥ずかしがりながらもナギの言葉からはそう受け取ることが出来た。経緯が経緯とはいえ一度は身体を重ね合い、一歩踏み込んだ関係にまで発展している。

それにナギの心の中に潜む傷はまだ完全に癒えているわけではない、今は少しでも誰かに縋りたい、甘えたいと思うのが当然。元々あまり自分の意見を押し通すような性格ではない。だからこそ内に秘めた想いは人並み以上のものがあるに違いない。

 

なら俺が彼女の受け皿になってあげればいい、俺に全てをぶつけて来ればいい。

 

それがどんな内容だったとしても。

 

自分たちの知っている生徒が通る廊下で大切なパートナーと、大切な仕事仲間に腕を抱き締められて歩く姿はどう映るのだろう。幸いなことに今は誰とも鉢合わせずに歩いているけど、誰とも会わないなんてことはないはず。

 

 

「大和、両手に花ってどんな気分?」

 

 

何故今それを聞いたし。

 

まぁ本音を言うのであれば……。

 

 

「ここでそれを聞くのか……いや、恥ずかしいけど悪くないかもしれない」

 

 

建前と本音があるとすれば間違いなく本音になる。

 

少なくとも美少女たちに抱きつかれて悪い気分にはなる男子は居ない。

 

 

「大和ったらやらし〜、あだ名はムッツリーニ首相ね」

 

「偉人の名前を勝手にもじるんじゃありません!」

 

 

もはやただの悪口だ。

 

楯無としては俺の反応を見て楽しんでいるんだろうし、どう答えたところでからかわれるのは目に見えている。

 

なら、ここは正直に答えるのが得策。

 

 

「あの、大和くん。もし嫌だったら遠慮なく言ってくれていいからね? 私だけが良くても、大和くんが迷惑だったら意味ないから……」

 

 

控え目に無理しなくていいよと尋ねてくるナギに思わず感動してしまう。

どこまでいい子なんだこの子は、この性格の良さは人に真似出来るようなものじゃなく、まさに天使そのものを体現しているようだった。

 

 

「大丈夫、俺は嫌じゃないからナギがしたいようにすれば良い」

 

「あ、あぅ……」

 

 

生徒たちが行き交う廊下で腕を組むのはハードルが高かったか、恥ずかしさから頭がショートしたようで、ボンっと頭から湯気を出して俯いてしまう。

 

――結局、楯無が何を言おうとしていたのかは分からずじまい。ただいずれ、彼女の口から話してくれるのを待つことにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

時間は夕刻。

 

廊下の窓から差す夕日の光が、一時の平和を祝福しているように見える。

 

新たな敵、未知の組織との遭遇。

 

未だかつて体験したことのない脅威がすぐそこにまで迫っているのかもしれない。

 

 

 

それでも今、この瞬間は。

 

 

「大和くん、早く行こうよ」

 

「ほら大和、さっさと行くわよ」

 

 

この瞬間だけは。

 

 

「待てって。そんなに引っ張らなくても食堂は逃げて行かねーよ」

 

 

彼女たちに振り回されるのも悪くない。

 

二人に連れられるままに食堂へと向かう。

 

腕を組みながら食堂に入ったことで中にいた生徒たちに「ハーレム王だ!」とか「王になって一夫多妻制度でも作るのか!」などとからかわれるのはまた別の話だ。



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新しい門出

「皆さん、先日の学園祭ではお疲れ様でした。それではこれより投票結果の発表を開始いたします」

 

 

学園の翌日。

 

生徒たちは全校集会のために体育館に集められていた。今日は待ちに待った一夏争奪戦の結果発表だ。会場に集められた段階で、周囲の生徒たちはそわそわと落ち着きを隠さずにいた。今回の結果で一夏がどの部活に所属するかが決まるのだ、それも当然と言えよう。

 

既にステージの上には楯無が立ち、今回の学園祭での集計結果を取りまとめた紙を手に持っている。あの紙に結果が書いてある、水を打ったように静まり返る体育館ではあるが静寂の中にもどこか異様な雰囲気を漂わせていた。

 

各部活はこぞって一夏を引き入れようと奮闘。テンションの低い生徒はおそらく今回の催し物の結果があまり芳しくなかったのかもしれない。お祭り好きの生徒たちが一様に沈黙している。

 

嵐の前の静かさとでも言うのか、結果如何によってはリアルに暴動でも起きるんじゃないかと思うほどだった。

 

幸いなことに俺はこれからも生徒会に協力するという名目で争奪戦には含まれていない。だからどれだけ優れた成績を残そうとも、俺自身がどこかの部活に所属するということは無いが、一般の生徒たちにはこの情報は伝えられていない。

 

 

「さて、皆はどんな反応をするのかね」

 

 

ちなみにここだけの話、既に投票結果を知っている俺としては何とも言えない気持ちになっている。何なら開票も楯無に手伝わされ、全ての集計も俺がまとめていた。本来であれば全て生徒会の仕事のはずなのに、一般生徒の俺が開票の手伝いをしている、明らかに不自然な光景だ。

 

全校生徒の投票から有効投票と無効投票を切り分け、有効票だけを各クラブごとに取りまとめて一覧化。表を作って投票数の多いクラブを順位付けして上位から昇順で並べた。無効票は所謂無記名、指定された数以上の投票、一人で複数の投票を行った場合、またそれが目視で確認出来た場合、全て無効票としてカウントしている。ズルをしたところで誤魔化せないために、無効票の数は全体を見てもそこまで多くはなかった。

 

そもそも生徒会所属でもない俺が開票を手伝うことになった理由。

 

純粋に生徒会のメンバーの数が少なく、普段の業務と並行して開票結果を取りまとめなければならなかったからだ。一人一人の業務量が増えすぎてしまい、回らなくなってしまったことで俺に白羽の矢が立った。

 

 

「全く、開票を人に手伝わせるのならもっとメンバーを募集すればいいのに」

 

 

根気のある作業を手伝ったことで思わずため息が溢れる。俺が認知している範囲で生徒会の主要メンバーは会長の楯無、うちのクラスにいる布仏と彼女のお姉さんの三人だけだ。

 

むしろ今までどうやって業務を回してきたのか気になるところ。布仏とかほとんど寝ているかお菓子を食べているだけって自分で言ってるし、実務としては楯無と布仏のお姉さん……いや、何だかんだ楯無も色々なところに出回っているから、現実は布仏のお姉さんが一人で業務を回している姿が想像出来た。

 

逆に今までの業務をミスなく回していた布仏のお姉さんを讃えるべきか、素直に凄い以外の言葉が見当たらない。

 

昨日の夕食後、部屋に戻った俺に楯無は開口早々「開票手伝って〜」と泣きついてくるものだから断るに断れず渋々手伝ったわけだが、最終的に報酬は私とかふざけたことを言い出したので、とりあえずデコピンを食らわせといた。

 

頭を押さえながら半泣きで睨む楯無も中々に可愛かったとだけつたえておく。

 

 

と、そんな背景が今日を迎えるまでにあったわけだが、今は目の前の投票結果を聞くとしよう。

 

楯無が手元の紙を開くとじっと一点を見つめたまま、しばらく間を取る。結果待ちをしている生徒たちからすればこの時間がとてつもなく長く感じるに違いない。

 

ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえるような気がした。

 

 

「一位は生徒会主催の観客参加型劇『シンデレラ』!」

 

「「えっ……」」

 

 

まさかの投票結果に体育館にいる生徒たちの声がハモる。考えていることは皆同じのようで、全く予想だにしない結果を聞かされたことで頭の中がフリーズしてしまっている。

 

水面から餌を求める魚のようにポカンと口を開ける生徒たち。ある意味この反応も想定内のために驚くことはなかった。普通に考えれば一夏争奪戦の企画元である生徒会の出し物が一位になるだなんて思いもしないだろう。

 

楯無の口から告げられる結果に大体の生徒が驚きを隠さないでいる中で、何人かは結果は分かっていたと言わんばかりの反応を見せる。

 

まずはラウラ。

 

結果に対して大きくため息を吐くと、やっぱりかと言わんばかりの呆れた表情を浮かべている。頭の回転の速さと洞察力は流石と言ったところか、この企画自体に裏があると最初から気付いていた節さえ感じられた。

 

次にナギ。

 

苦笑いを浮かべながら、これまたラウラと同じようにそうだよねと言いたげな表情を浮かべており、楯無の企画したことだから何かがあると最初から感じていたようだ。

 

数秒の沈黙の後、体育館は大ブーイングに包まれた。

 

 

「卑怯よ! ずるい! イカサマ!」

 

「なんで生徒会なのよ! おかしいわよ!」

 

「私たちがんばったのに!」

 

 

次々に飛び交うクレームの数々。

 

そりゃそうだ、今回のメイン企画のためにどれだけ準備を重ねていたのかを考えれば、この開票結果に納得が行くわけもない。加えて一夏争奪戦を企画した生徒会が何故か優勝している。生徒会の権力を使ってイカサマをしたのではないかと思われても仕方が無かった。

 

体育館の至るところで上がる不満の声やクレームを壇上に立つ楯無は分かっていると言わんばかりの表情で一望すると、まぁまぁと手で制しながら話を続ける。

 

 

「劇の参加条件は『生徒会に投票すること』よ。でも私たちは決して劇への参加を強制したわけではないのだから、立派な民意と言えるわね」

 

 

そう、この話の落とし所は楯無の言うようにそこにある。これが参加を強制したのであれば大問題となるが、あくまで劇への参加は任意であり、参加したい生徒だけが参加をして欲しいと事前にアナウンスしていた。

 

そして参加を決意したのは他でもない生徒たち各々の自己判断だ。ただ参加をする代わりに、生徒会への投票を義務付ける。立派な等価交換であり、筋はしっかりと通っていた。

 

一夏の王冠を手に入れた生徒には一夏、もしくは俺と同室に住む権利が与えられるといった景品をだしに生徒たちの参加を促す。クラスメートならまだしも、他のクラスや他学年にもなれば俺や一夏との接点は少なくなる。少しでも男子生徒と距離をつめておきたい、と考えている生徒たちは想像以上に大多数を占めるようだ。

 

そうなればこれはチャンスと見て勝手に数多くの参加者たちが集まってくる。参加者が増えれば増えるほど、生徒会への投票数も自ずと増える。まとめて集計したところ、全校生徒の過半数以上が生徒会に投票していたことが分かった。

 

過半数を超えてしまった以上、何をしたところで他のクラブ活動に勝ち目がない事は明白。よく言えば生徒たちの心理を上手く利用した作戦、悪く言えば出来レースだった。つまりほとんどの生徒は楯無の手のひらの上で踊らされていたことになる。

 

楯無の言葉に対して一瞬黙り込む生徒たちだったが、やはり腹の虫が収まらないのか、未だに至る所で不満の声が吹き出している。

 

 

納得しないことも想定内だと、落ち着いた雰囲気のまま更に言葉を続けた。

 

 

「はい、皆ちょっと落ち着いて。()()()()()()()になった織斑一夏くんは適宜各部活動に派遣します。男子なので大会参加は出来ませんが、それ以外であれば普通の部員のように扱ってくれて構いません。それらの申請書は、生徒会に提出するようお願いします」

 

 

一夏を固定の部活に所属をさせる事はできないが、あくまで生徒会から派遣する一時入部のような形であれば認めると楯無は宣言する。するとどうだろう、先ほどまで各所から上がっていたブーイングは一斉に止まったではないか。

 

一方で生徒会に所属するなんて話は聞いていないのだろう、近くにいる一夏は唖然とした表情のままステージを見つめていた。見方を変えれば生徒会も学園内に存在する部活動の一環とも捉えられる。優勝が生徒会となれば、一夏は強制的に生徒会に入ることになる。

 

当然、そんな中一夏の生徒会への入部を快く思わない一夏ラバーズたちがいる。

 

 

「ぐぬぬっ……」

 

 

箒が。

 

 

「むむむっ!」

 

 

セシリアが。

 

 

「あは、あはははっ! 嘘だ!」

 

 

鈴が。

 

 

「……」

 

 

シャルロットが。

 

 

皆様々な反応を見せてくれる。キャラがぶっ壊れているのが一人いるけど、そこは気にしてはならない。

 

理由は一緒にいる時間が減るからだろう。ただでさえ、楯無が一夏の特訓を担当することになって以前よりも話す時間や共にいる時間が減っているというのに、まだ減らすのかとでも言いたげだ。

 

しかし他の生徒たちからしてみれば、楯無の提案は非常に魅力的なものとなっていた。特に今回全く勝ち目がなかったクラブや部活動からしてみれば、楯無の提案はタナボタ同然。

 

特に苦労をせずとも、一夏の派遣の権利を申請書一つで得ることが出来る。こんな僥倖は願ってもいなかったに違いない。

 

 

「ま、まぁそれならいいわ……」

 

「し、仕方ないわね。納得してあげましょう」

 

「うちの部活勝ち目なんて到底なかったし、これはタナボタね! ラッキー!」

 

 

各所から納得する声が上がり始める。

 

一夏の意志は完全無視な状態だが、これは大丈夫なんだろうか。一旦は落ち着きを見せる体育館だが、もちろんこれで終わりなわけがない。

 

解決したのは一夏の身の振り先であって、ここまで一切触れられていない存在がある。

 

 

「ねぇ待って! 霧夜くんってどうなるの?」

 

 

誰かの一声で話題が俺へと向く。

 

一夏争奪戦を発表した全体朝礼でも俺の名前が出ることはなかった。中には何故俺の名前が呼ばれなかったのだろうと疑問に思う生徒たちがいるのも事実。

 

俺の立ち位置はどうなっているのか、少なくともどこの部活にも所属していないフリーな状態にある。

 

 

「そうよ! 霧夜くんは? 派遣してくれないの!」

 

「生徒会長! どうなってるんですか!」

 

「まさか生徒会で抱え込んでいるとか!? それこそ横暴よー!」

 

 

話題転換されたことで体育館内は再び喧騒に包まれる。あぁ、結局こうなるのかと考えると頭が痛くなってきた。

 

でも楯無のことだ、こんなイレギュラーにも対応出来る回答はきっと用意してきているはず。

 

 

「はいはい、静かに。霧夜大和くんに関しては既に生徒会に所属している身です。彼に任せている業務も多く、部活動への派遣まで任せたら身体に負荷が掛かってしまいます。ですので、派遣することは出来ません」

 

 

ん、あれ? ちょっと待て。

 

俺はいつから生徒会に入ったことになったんだ?

 

楯無の返しが斜め上のものだったため一瞬思考が停止するも、よくよく考えたらおかしくないかと疑問が浮かび上がる。この楯無の回答にはラウラやナギも予想外だったようで、驚いた表情を浮かべながら俺の方を振り向いた。

 

ラウラに関しては泣きそうな顔になってる。体感的に兄を生徒会に取られたとでも思っているのか、一夏ラバーズと同様に一緒にいる時間が減ってしまったからといった理由ではないことを切に願うばかり。

 

当たり前だが俺が知らないうちに生徒会に取り込まれていた事実など、全校生徒の誰もが知る由はない。俺にとっても衝撃の事実に会場は再び喧騒に包まれた。

 

 

「そんなぁ!」

 

「い、いつの間に生徒会が……」

 

「ていうかその業務って何! 私で良かったら変わるから部活に来てよぉ!」

 

 

本来であれば静かに行うはずの朝礼も、楯無の爆弾投下により騒がしいものへと変化する。わーわーと騒ぎ立てる様子をどこか楽しそうに楯無は見つめていた。

 

やがて俺と視線が合うとイタズラっぽくウィンクを飛ばしてくるが、まるでゴメンねとでも言いたげな表情に見える。

 

こうして知らぬところで生徒会への入会が決まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「テメェ! 一体どういうことだよ!? あんなまがいもん渡しやがって!」

 

 

とある高層マンションの最上階。

 

豪華絢爛の言葉が相応しい室内で、雰囲気としては相応しくない怒号が響き渡った。室内着に着替えたオータムが怒りの形相のまま、一人の少女へと詰め寄っている。

 

年齢にして十五、十六歳くらいだろうか。明らかに中学生程の年齢に見えるにも関わらず、彼女の周囲を纏う雰囲気は冷徹そのものだった。オータムから向けられる怒りに対して表情一つ崩さず、むしろ余裕さえ感じられる。

 

その生意気な態度がオータムの怒りを増幅させる。任務遂行のために渡された剥離剤が欠陥品だった上に、当初の目的である白式を奪うことも出来ず、専用機であるアラクネを大破させられて自分は敗走。相性や機体の特性を把握しきれていなかったとはいえ、負けた事は事実。

 

彼女は顔に泥を塗られただけではなく、プライドすらも傷付けられ、その上に自らを実験的に使われたことに対する怒りを鎮めることが出来なかった。

 

許すことなど出来るはずもない。少女に詰め寄ると肩を握り、後方にある壁へと勢い良く叩き付ける。

 

 

「なんとかいえよ、ガキ! あぁ!?」

 

「……」

 

「このくそガキ! その顔切り刻んでやる!」

 

 

ふっと嘲笑を浮かべる少女。下に見られた、馬鹿にされたと判断したオータムの堪忍袋の尾が切れた。

 

足に備え付けられているホルスターからアーマーナイフを取り出すと、矛先を躊躇なく少女へと向ける。

 

 

「やめなさいオータム。うるさいわよ」

 

 

ナイフを振り上げた刹那、オータムの背後からバスローブに身を包んだ妙齢の女性が現れる。

 

浮世離れした美貌。まさにそう表現できるほどの抜群なスタイルと、キラキラと金色に輝く髪にバスローブから覗くスラリと伸びた両脚。少女やオータムに比べると、幾分落ち着いた大人の雰囲気を纏い、極めて冷静に諭していく。

 

声の元を振り向くと、オータムは悔しそうな表情を浮かべながらその女性の名を呼んだ。

 

 

「スコール……!」

 

「怒ってばかりいると皺が増えるわよ。少し落ち着きなさい」

 

 

スコールと呼ばれた女性はそのまま近くにあるソファへと腰掛ける。腰掛けることを確認すると、オータムは更に言葉を続けた。

 

 

「お前は……知っていたのか? こうなることを」

 

「えぇ。なんとなくはね」

 

「だったらどうして私に言わない! 私は……私はお前の!」

 

「分かっている、ちゃんと分かっているわ。あなたは私の大切な恋人だもの。忘れるわけがないわ」

 

 

目を見ながらスコールは自身の声を伝えると、オータムは顔を赤らめて振り上げたナイフを地面に落とす。

 

 

「わ、分かっているなら良い……」

 

 

先ほどまでの怒りは何処へやら。とても目の前の少女に怒り狂っていた人物と同一人物とは思えなかった。

顔を赤らめる様は初恋に緊張する年頃の女の子のよう。あまりにも正反対の態度に少女は呆れた表情を浮かべるも、その様子すら今のオータムには見えていない。

 

もう彼女の目にはスコールしか見えていなかった。

 

 

「おいでなさいオータム。今日は疲れたでしょう、髪を洗ってあげるわ」

 

「あ、あぁ……」

 

「ふふっ、素直な良い子ね。先にシャワーに入っていて頂戴。私もすぐに向かうわ」

 

 

スコールの言葉にこくりと頷くと、オータムは背後にあるシャワールームへと向かう。シャワールームに入り、扉が閉まったことを確認すると、スコールは別の人物の名を呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

「ティオ、いるんでしょ。隠れていないで出て来なさい」

 

「おや、気付いてましたか。少しばかり上手く隠れられていたと思ったのですが、流石スコールですね」

 

「あんなに存在感を漂わせておいて隠れる気があるのかしら。騙せられる人間なんて、今のオータムくらいよ。ところで何か話があるんじゃなくて? いくら好きに任せているとは言っても、今日の報告くらいはして欲しいものだわ」

 

「これは手厳しい。元よりそのつもりでここに来たんです、ご安心を」

 

 

入り口近くの柱から姿を現したのはティオと呼ばれた男性だった。

 

他でもないIS学園で大和と邂逅した正体不明の人物であり、相変わらず穏やかな笑みを浮かべたまま室内へと入室してくる。

 

 

「最近はジメジメとした室内ばかりで仕事をしていたからね。やはり外の空気はいい。年甲斐もなく感動してしまったよ」

 

 

ティオは嬉々とした様子で語り始める。今日の報告をしてほしいとスコールには言われているにも関わらず、彼の口から出て来たのは世間話だった。

 

彼としては前置きを入れたんだろうが、スコールはまた始まったわとため息をつく。くだらない世間話を入れてくる理由は何なんだろうか、こちらとしてはさっさと今日の報告をして欲しいだけなのに。

 

反応としては苛立つ、というより呆れるといった表現が正しいかもしれない。

 

 

「ティオ、それが今日の報告なの?」

 

「まぁまぁそう言わずに、前提は重要だからね。本題は今から話そうとしていたところさ」

 

「そう。それであなたのお目当ての人物には会えたのかしら」

 

 

このままでは話が長くなると判断したスコールは、当初の目的であったとある人物との接触に成功したのかどうかを確認する。

 

彼女の声掛けに自然と回答は弾んでいた。

 

 

「いやはや想像以上の人物だったよ。あのままIS学園で燻らせているには惜しいくらいにね」

 

 

彼の会いたい人物とは他でもない、大和だ。

 

IS学園に保管されている専用機を盗むためでも、国家代表候補生への接触でもない、大和を一目見るためだけにわざわざIS学園に足を運んだ。彼の身のこなしさえ見れば顔なんか見なくても分かる。一般人では到底到達出来ないレベルにある異次元染みた身体能力を見ればすぐに。

 

 

「生き残りは全滅したかと思っていたが……まさかこんなところにいるとは思わなかったよ」

 

 

幾多もの失敗と何人もの犠牲者を出した上で生み出された究極の遺伝子強化試験体。成功した個体はほんのごく僅か、だが成功体の全ては持ちうる強大な力を恐れた研究者たちが、各個体たちに物心がつく前に廃棄処分した。

 

破棄した理由は実にシンプルで、自国で生み出した個体が他国に寝返りって大損害を被ることを防ぐためだ。いくら最強の戦闘力を持ちうるとしても結局は一人の人間であり、知識や仕草は普通の人間と何ら変わらない。

 

故に幼いままに外へと放り出されてしまえば、生活力のない試験体は生きていくことが出来ない。まともな食事にありつけずにみるみるうちに痩せ細り、風呂に入ることも出来ずに着ている服や皮膚は汚れて行く姿は想像以上にキツいものがあるだろう。そうなると誰一人、路上を彷徨う試験体に手を差し伸べることは無くなる。

 

放っておけば後は勝手に栄養不足で終わりだ。

 

が、大和は生き残った。

 

地獄のような生活を耐えて霧夜家へと引き取られ、生まれつき持ち合わせている身体能力そのままに成長。身体は健康そのものであり、特にこれといった障害も抱えていない。こちら側に引き込めれば確実に大きな戦力になるのは間違いなかった。

 

 

(あの()()()()()()()()()()()と並び立つ……いや、それ以上か。これを上手く使わない手はない)

 

 

聞き慣れぬ単語を出しながらどう活用しようかを考えるが、少しずつ話が脱線していく様子を変に思ったスコールによって止められる。

 

 

「ちょっと、話が脱線しているように見えるんだけど。長い話を割愛すると目的の人物はあなたのお眼鏡に叶ったと言って良いのかしら」

 

「あぁ、すまない。ちょっと嬉しくなってしまった。その認識で問題はない。何せ生身の状態でオータムと戦えるくらいだ、一個人としての戦闘能力は言うまでもないように思えるよ」

 

 

ティオの一言に沈黙を貫いている少女がほんの僅かにピクリと背筋を震わせて反応する。オータムと戦うと言ってはいるものの、厳密にはこの少女も大和と戦っている。

 

そしてダメージらしいダメージは与えられなかった。各国の専用機持ちたちを容易に蹴散らしたというのに、大和にはしてやられた。生身の人間だから本気を出すまでもないと、格下に見て慢心していたのは間違いない。

 

容易に接近を許し、手痛い一撃を食らいそうになったあの一部始終を忘れることはなかった。

 

 

「そう。まぁあなたが何をしようとも誰に目を付けようと勝手だけど、くれぐれもプライドの二の舞だけは起こさないようにね」

 

「もちろん。あの男を引き入れたのは私の唯一の失態だよ。暴力に身を任せるだけで、鉄砲玉にもならなかった。ただ、そうは言っても資源は有限だ。あの男にはまたどこかで働いてもらうとしよう。そのためにわざわざ手元に残してあるのだから」

 

 

ふっとスコールは微笑むと、ソファから立ち上がってオータムの後を追いかけようとするが、そうだったと更に言葉を付け加えた。

 

 

()()、ISを整備に回しておいて頂戴。『サイレント・ゼフィルス』はまだ奪って間もない機体だから、再度調整が必要になるわ」

 

「分かった」

 

 

エムと呼ばれた少女が小さく返事をしたことを確認すると、今度こそシャワールームの中へと入っていく。スコールの後ろ姿が完全に見えなくなったことを確認すると、エムはティオに向けて視線を送る。

 

 

「……お前は知っていたのか? あの仮面の剣士が()()()I()S()()()()()()()()()()だということを」

 

 

気になっていたことを率直に聞く。

 

ティオはとある人物と会うためにIS学園に侵入したと聞いている。それもISを使わずに正攻法で、セキュリティ面が強固であるIS学園に正面からの侵入を易々と成功させている辺り、既に彼自身が相当な実力者であることがよく分かる。

 

目的の人物に会えたと嬉々として話してはいるが、それは自分が相対したあの仮面の剣士だったのか。加えてあの剣士がISと互角の力を持ち合わせている人間だったのかと。

 

 

「さぁ、どうだろう。だが、彼の力がどれほどのものだったのか。それはエム、手を合わせた君自身がよく分かっているだろう?」

 

(……この男の考えていることが分からない。口ぶりからしてお目当ての人間だったのは間違い無いだろうが、あの剣士は一体……)

 

 

素性を全て理解出来ている訳ではないが、未だかつて戦ったことが無いタイプだった。

 

かつ、強い。

 

計り知れない強さを身をもって感じることは早々無い。戦ったところで勝負は見えている、何故なら自分よりも劣る操縦者が大半であるからだ。

 

だが仮面の剣士、こと大和は自分の想像を絶するレベルの力を持っていた。少なくとも生身の状態で戦いを挑んだところで返り討ちにされることは必須、ISを展開していたとしても勝てる見込みがあるかと言われたら分からない。

 

 

他に気になることがあるとしたら何故この男は亡国機業に所属しているのか。スコールは手段が違えど目的が同じ人間だとして引き入れたらしいが、特に彼の行動に対しての縛りや制限もなく、自由に行動を許される状態にある。

 

エム自身は亡国機業に所属してはいるものの組織に対する忠誠心は皆無。好き勝手な行動が出来ないように、体内に監視用のナノマシンを注入されている。

 

彼女のお気に入りでもあるのか、それとも何か弱みでも握られているのか。はたまた相応の実力を持ち合わせているのか、誰よりも強い忠誠心を持っているのか。

 

特別待遇のような状況に、エムの頭の中には浮かぶのは疑問符だった。

 

 

「……」

 

 

考えたところで分かる問題でも無い。エムは深く考え込んだまま部屋を後にする。

 

誰もいなくなった室内、ティオは壁に背中を預けた。

 

 

(生み出された()()()()と矛を交えるのはいつになるか、楽しみで堪らないよ)

 

 

その顔には不気味なまでの笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それではこれより織斑一夏くんの生徒会副会長就任のパーティーを始めます! おめでとう!」

 

「わー、おりむ〜おめでとー! これから頑張ろうね〜」

 

「おめでとう。これからよろしく」

 

 

放課後、生徒会室に呼び出された俺と一夏を出迎えたのは盛大なクラッカーの嵐だった。

 

 

「はい?」

 

「ほら、二人ともこっちよ!」

 

 

一夏は突然の告知にポカンと口を開けたまま立ち尽くし、俺はクラッカーから飛び出た装飾を頭上についたために取り去ろうとする。

 

だが、髪の毛についた装飾を取り去ろうとするよりも早く楯無に手を引かれたかと思うと、室内中央にあるテーブルの前まで移動させられる。楯無の他にいる生徒は二人、クラスメートの布仏と恐らく布仏のお姉さん。生徒会室に入ることはあったが、タイミングが合わずに挨拶はまだだった。

 

こうして見ると姉妹の面影があるような感じはするが、布仏のお姉さんの方がしっかり者で真面目な雰囲気がある。実際言葉遣いもはっきりとしているし、天真爛漫な布仏に比べると知的でクール、年齢は相応に落ち着いているように見えた。

 

確か名前は。

 

 

「お二人とも初めまして、布仏虚です。いつも妹がお世話になっています」

 

「いえいえ、こちらこそいつも世話になってばかりで。それとご挨拶が遅れてしまって申し訳ないです。既に知っているかもしれませんが、俺は霧夜大和って言います」

 

「あっ、お、織斑一夏です。よ、よろしくお願いします」

 

 

そうそう虚さんだ。

 

ペコリとお辞儀をしながら自己紹介をする。礼節を重んじているのか、動作の一つ一つが凛々しく美しいものだった。同じ動作を何度も繰り返し練習したことがよく分かる。

 

 

虚さんに遅れるように俺と一夏は自己紹介を交わす。

 

 

「霧夜くんの話はお嬢様から良くお伺いしてます。色々とサポートをいただいているようで」

 

「ちょ、ちょっと虚ちゃん!?」

 

 

顔を赤らめてそれは言わない約束では! と話を止めに入ろうとする楯無だが時既に遅し。虚さんに被せるように俺は話を切り出す。

 

偶には普段からかわれている意趣返しくらいしてもいいよな。

 

 

「いえ、そんな。むしろ俺の方こそ色々助けてもらってますよ。本当に本当に頼りになる先輩です」

 

「大和まで! もう何よ、皆寄ってたかって」

 

 

もう、と顔を赤らめて腕を組みながら顔をプイと背けてしまう。楯無自身は人をからかうことが得意である反面、逆にからかわれることと褒められることへの耐性は高くない。どうやって反応したらいいのか分からないのだろう。

 

やり過ぎると怒られそうだし、程々にからかってあげるのがコツだ。そんな楯無の反応に俺と虚さんはしてやったりの笑みを浮かべる。

 

 

「ただ自分なんかが生徒会に入っちゃって大丈夫なんですか? こう言っちゃなんですけど、大和はまだしも俺が入ったところで何かの役に立つとは思えないんですが……それに肩書きも副会長ですし」

 

 

楯無をからかうことに夢中になっていると、一夏が疑問に思っていたことを尋ねてくる。自分が生徒会に入ったところで何か役に立つのかと。具体的にどんな仕事をしているのかも漠然としているからこそ、不安に感じているようにも見える。

 

一夏がどこまで知っているか分からないが副会長の肩書は、言わば次期生徒会長候補。楯無が生徒会長に就任してからというものの、長らくその椅子は空けたままにしていたようだ。楯無が何の理由もなく自身の右腕に一夏を指名する訳がない。

 

 

「そこまで気負う必要はないんじゃ無いかしら。一夏くんにも出来ることは沢山あるわ。ちなみに元を正すとIS学園に所属する生徒は必ずどこかの部に所属するような校則になっていてね。学園長からも常々どこかに入部させてくれって言われてたのよ。あ、それは大和もね」

 

「は、はぁ」

 

 

一夏は楯無の回答に歯切れの悪い回答を返す。納得が行っていないわけではなく、そんなノリで良いのかと疑問に思っているように見えた。

 

それと俺のついで感が半端ない件について、まぁ理由があるとは思うんだけど。

 

楯無の一言に補足をする様に今度は布仏が説明を始める。

 

 

「おりむーがどこかに入ればー、一部の人は諦めるだろうけど……」

 

「その他大勢の生徒がうちの部活に入れて欲しいと言い出すのは必至でしょう。その為生徒会として今回の措置を取らせていただきました」

 

 

布仏についで虚さんがさらに詳しく事の顛末を説明する。

 

三人は幼馴染だと聞く、細かい部分の連携はお手の物といったところか、間の取り方も絶妙だった。

 

詳細内容を確認した一夏は、これ以上何かを言っても無駄な努力だと悟りがっくりと肩を落とす。

 

 

「うぅ、俺の意思が無視されているような気がする……」

 

「あら、なぁに? こんな美少女三人もいるのに一夏くんはご不満なのかな?」

 

「そうだよ〜。おりむーは美少女はべらかしているんだよー」

 

「美少女かどうかは知りませんが、ここでの経験はあなたに有益な経験を生むことでしょう」

 

 

一夏の一言に三者三様の回答をしてくる三人だが、この中でまともな思考を持ち合わせているのは虚さんだけだと悟る。最初二人の回答があまりにも酷すぎるのもあるから尚更、完璧な回答をしている虚さんが目立つ結果となった。

 

全員の中で虚さんが最年長の三年生だったはず、とはいえ二個しか変わらないことを考えると年不相応に落ち着いたイメージがあるのも事実。

 

いや、そうは言っても間違いなく三人ともスタイル完璧な美少女なのは認める。

 

 

「えーっと……とりあえずこれから俺や大和は毎日放課後集合ですか?」

 

「当面はそうしてもらいますが、織斑くんは派遣先の部活動が決まり次第そちらに行ってください」

 

「わ、分かりました」

 

「ところで一つ、いいですか?」

 

「はい? あ、どうぞ」

 

 

一夏の質問に答えた虚さんが、今度は逆に一夏へ質問を投げ掛ける。何だろう、心なしか言葉の歯切れも悪いし、どことなく顔に赤みが差しているようにも見えた。

 

手をモジモジとさせながら恥じらう様子は乙女そのもの、もしかしてまた知らないところで落としてしまったのだろうか。ここまでくると罪作りにもほどがある。

 

虚さんの様子を不思議そうに見つめる一夏。やがて何かを決心したように表情を引き締めると、周囲にギリギリ聞こえるくらいの小さな声で質問を投げ掛けた。

 

 

「学園祭の時にいたお友達は、何というお名前ですか?」

 

 

友達、友達?

 

あぁ、そう言えば学園の生徒には家族や仲の良い知り合いを招くための招待券が渡されていたんだっけ。それを一夏は自分の知り合いに渡したと。となると、どこかのタイミングで一夏の知り合いと虚さんは会ったことになるんだろう。

 

 

「え? あ、弾のことですか? 五反田弾です。市立の高校に通ってますよ」

 

 

何か名前が聞き取りづらいな。

 

 

「ごだごだだ?」

 

「違う違う、五反田弾。そう言えば大和はすれ違いで休憩に行っちゃったから、タイミングが合わなくてまだ紹介出来て無かったんだよな。今度紹介するよ!」

 

 

もはや悪口にしか聞こえないような呼び方になってしまったけど悪意はない。一夏から知り合いが来るって話はそれとなく聞いてはいたものの、いつ来るかまでは聞いていなかった。

 

一度俺とナギが休憩のために席を外した時間帯があったから、おそらくその時間にクラスに来ていたに違いない。

 

そう考えれば合点が行く。

 

 

一夏の話した情報に対して虚さんは口元に手を当てながら考え込む。

 

 

「そ、そう……ですか。ということは歳は織斑くんと同じですね?」

 

「えぇ、まぁ」

 

「年下……ですか、それも二つも」

 

「え?」

 

「な、何でもありません! 貴重な情報ありがとうございました」

 

 

丁寧なお辞儀をして話は終わる。虚さんの顔を赤らめる表情はまさに恋する乙女そのものだった。

 

人の恋路は邪魔するべからず。外野は大人しく様子を見守ることにしよう。しかし一夏の友達もやるな、明らかに初対面の女性のハズなのにこうも簡単に落とすだなんて。

 

虚さんの反応に一夏はキョトンとするだけだけど、逆に変に踏み込まない方が良いのかもしれない。

 

 

「はいはい。後言い忘れていたけど、大和には私と一夏くんのフォローをお願いするわ。肩書き的には生徒会秘書って感じかしらね」

 

「了解。ま、頑張ってみせるさ」

 

 

朝礼での発表こそ驚いたものの、楯無の仕事を手伝ったり、共にいることも多かったりと関わる時間もそこそこ多かったし、割と生徒会入りに違和感は感じていない。俺自身の各部活への派遣は基本的には無いが、俺さえ良ければいつでも部活に顔を出すことは大丈夫とのこと。

 

ただ部活に行く頻度が増えるとハレーションが起きかねないので、頻度は考えて欲しいと言う形でまとまっている。部活自体に参加しても構わないが、丸一日使うようなことは避けるようにってことなんだとは思う。

 

 

「さっ、今日は皆が集まって新しいメンバーも増えたことだし、今日は盛大にパーッといきましょうか!」

 

 

と、話題を一区切りすると楯無は机の上にホールのショートケーキを置いた。クオリティに関しては言わずもがな、プロのパティシエでも呼んだんじゃないかと思えるほどに綺麗なデコレーションが施されている。

 

料理作りが得意なのは知っているけどお菓子作りもプロレベルだったとは脱帽した。あまりのクオリティの高さに目をキラキラとさせながら布仏は感動している。無類の甘いもの付きとして知られるわけだが、食事の時に、パンケーキに常識では考えられないシロップを形が崩れるレベルにまでかけて、更にそこにチョコを……いや、これ以上言うのはやめよう。リアルな光景を想像するだけでこちらが胃もたれしそうになる。

 

 

「うわ〜おいしそうっ!」

 

「では、お茶を淹れましょう。本音、あなたはお皿を用意して下さい」

 

「はーい!」

 

 

嬉々としながら準備を進める布仏。いつもはスローモーというかのんびりとした行動が多く、キビキビと動いている印象はあまりないものの、この時ばかりはそんなイメージを吹き飛ばす勢いでテキパキと準備を進めていく。

 

虚さんも慣れた手つきで給湯器の電源を入れると、ティーセットにお茶っ葉を入れていた。

 

 

「あの、俺たちは何か手伝わなくても?」

 

「一夏くんと大和は歓迎される側だから、ゆっくりしていって頂戴♪」

 

 

手伝おうとする一夏を制止し、作ってきたケーキを一人ずつ等分していく。切り終えたケーキたちはそれぞれの前に並べられた。

 

 

「それでは……乾杯!」

 

 

楯無の合図と共に、温かいお茶が注がれたティーカップを中央に集める。

 

俺たちは様々な思いを胸に、新しい門出を祝うのだった。



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十六章-Do something for a living-
二人の姉の再会


『We will be landing at……』

 

「んぁ? もう到着か」

 

 

着陸時の機内アナウンスが流れると共に閉じていた瞼をゆっくりと開ける。約十数時間にも及ぶ長い長いフライトを経て、こうして現地へと到着した訳だが、長時間座ったまま眠りについていたことから身体が重たい。

 

少しでも安眠をとアイマスクを付けて眠りについたことで、俺の視界は相変わらず暗いままだ。安眠とまでは行かなくとも、十分な睡眠を取ることが出来たために不思議と眠気や疲労感は無かった。座りっぱなしだったことによる身体の硬さも、時間が経過すれば改善されることだろう。

 

アイマスクを取ると窓から太陽の光が差し込んでくる。日本と時差があるからこっちはまだお昼くらいの時間になるのか。時差ボケだけが多少不安なところだけど体感で変にボケていることは無いし、まぁ恐らくは大丈夫なはずだ。

 

 

「ん?」

 

「……zzz」

 

 

ふと、左肩から腕にかけてほんのりと重みを感じる。

 

あぁ、そうだ。

 

席はすぐ隣だったんだっけと、隣にいる相方である()()()の顔を見つめる。未だスヤスヤと可愛らしい寝息を立てながら眠りにつく我が家のマスコット、こと姉。リラックスした表情を浮かべて気持ちよさそうに寝ているところを見ると、どうやらゆっくりと休めているように見えた。

 

着陸時のアナウンスが流れたとはいっても、飛行機が滑走路に接地するまで少しばかり時間はある。起こすのは飛行機が止まってからで良いだろう。

 

しかし本当にこうしてみると、自分と九歳も歳の離れた姉には到底見えないよな。

 

普段の顔立ちや笑った時の顔立ちは年齢不相応に若く見えるけど、寝ている顔はより幼く見える。女性の平均を上回る長身と、周囲の男女を虜にするワガママボディがあるから一定の年齢を超えてることは確認出来るが、未だにアルコールの類を買いに行くと年齢確認されることもあるらしい。

 

私はそんな子供じゃ無いっ! って毎回むくれ面してるけど、そう見えるんだから仕方ない。千尋姉の年齢だと本来なら若く見える事を喜びそうなものだけど違うのか。まぁ学生の頃の方が大人に見られて大人の方が子供に見られるっていうのも複雑なのかもしれないけど。

 

 

「う〜ん……うん、うん?」

 

 

寝たままの姿を観察していると視線に気付いたのか覚醒する。目をしばしばさせている姿を見ると、どうやらまだ完全な覚醒には至ってないようだ。俺の腕に身体を預けたまま顔だけを俺の方へと向ける。

 

 

「あーごめん、起こしちゃったか。もう少しで空港に到着するみたいだけど、まだゆっくりしてても大丈夫だぞ」

 

「うん……なんか、大和からナギちゃん以外の女の香りがする」

 

「は?」

 

 

起きて早々それかと思わず間の抜けた声が溢れてしまう。

 

というかどんな嗅覚だ。

 

他の人の匂いを嗅ぎ分ける犬のような嗅覚があるとしたら分からなくはないとはいえ、IS学園の制服は着替えているし、シャワーも浴びてきたから洗剤の匂い以外は完全に消え去っているはずなんだけど。

 

顔は寝ぼけたままながらも俺の腕から頭を離すと、じーっと俺の顔を見ながら問い詰めてくる。

 

 

「まーたあなたは女の子をたぶらかしたのねー?」

 

「んなっ!? ちげーって! 勝手に決めつけるなよ!」

 

「本当かしら? 何か隠しているような気もするけど……良いわ。後でゆっくりと聞かせてもらうから」

 

 

女の勘って怖い。

 

ここ最近ナギ以外の女性、主に楯無から引っ付かれることが多かったけど、それを感じ取ったのかもしれない。更識家という存在については千尋姉も認知しているし、現当主間で協定を結んでいることも知っている。だが俺と楯無の距離感が非常に近く、何とも言えない関係になりかけていることに関してはまだ話せていない。

 

 

 

……さて、そもそも何故千尋姉と行動しているのか。

 

事の始まりは昨日の下校時刻まで遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「少しの間日本とおさらばか。そう考えるとちょっと寂しいものがあるな」

 

 

週初めの登校日、一日の全ての授業を終えて既に下校時刻となっていた。今日の授業を最後に一週間、俺は日本を空けることになる。

 

期間にして一週間、ある意味季節外れのゴールデンウィークみたいな感覚とはいえ決して休暇のための休みではない。れっきとした仕事であり、そこに楽しもうとかリラックスしようとか腑抜けた気持ちは微塵も無かった。

 

この仕事は人の命を預かり、護る仕事だ。仕事の大きさに程度の違いはあれども、決して油断することは許されない。何が起こるかなんて分からないのだから。

もしかしたら一週間では戻ってこれないかもしれない、それこそ怪我なんかをしたらしばらくの期間、学校に復帰することすら出来ないかもしれない。

 

本当毎回仕事に入る前の日って胃がキリキリするよなぁ。

 

コレばかりは何回仕事をこなしたところで慣れるものじゃない。一時的なもので仕事に入ってしまえばすぐに治るような症状だ。故に特に気にするようなものでは無いとは言っても、気分としてはあまりいい気分にはならない。

 

 

「荷造りも完了。千冬さんと楯無に伝えて、ナギにもボヤかし気味に伝えたし、他のメンツには家庭の用事で休むことにしてあるから事前工作は完璧っと」

 

 

もういつでも出発出来るように荷造りは済ませてある。滞在期間が少し長いために大荷物になってしまったので、大きな荷物は昨日のうちに海外に向けて輸送してもらっている。何でも特別な航空便を使ったようで日本時間だと今日の夜、現地時間だと午前中のうちには到着するらしい。現代の輸送技術ってやっぱり凄い。

 

担任である千冬さんには仕事でしばらく休む許可は貰っている。元々入学する時に長期にわたって休む可能性があることは伝えてあるし、許可を取るのにさほど時間は掛からなかった。大怪我だけはしてくれるなよと、照れながらも身を案じてくれるあたり人間としての温かさを感じる。大怪我して一度千冬さんには気を失うレベルでの容赦無い拳骨を食らっているし、心配をかけさせない意味でも無事で戻ってこようと改めて決心した。

 

言い忘れていたけど、学園祭前に預けた専用機、不死鳥のメンテナンスについては海外に飛んでいる間に終わるようで戻り次第返却されるらしい。進捗を確認したところ特に欠陥が出ている場所や故障している箇所も無いので、引き続き使っても大丈夫との結論になりそうとのことだった。

 

ただし、単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)に関してはあまり使い過ぎないようにと釘を刺されている。第一段階のギアに関しては既に解放済みだが、残りの三つに関しては一切手をつけていない。ギア解放時の検証も出来ていないことから、迂闊な解放は危険だと判断。発動後の副作用が出ることは確認済みのため基本的には身体にもよろしくは無い。

 

どちらにしても率先して使っていこうとは思わない。使うのであれば、本気で命の危機に面した時だけだ。

 

 

また俺が不在である期間の一夏の護衛については楯無と、霧夜家から一人護衛を付けてもらうことになった。この護衛については一夏に帯同するわけではなく、校舎の外から一夏を見守ってもらうことになっている。つまり一夏との接触はなく、一夏は自分が守られていると勘付く可能性も低い。

 

この措置に関しては、楯無に集中する負荷を分散させる意図がある。

 

いくら楯無や周辺の人間が頼りになるとはいえ、彼女にこれ以上の負荷を掛けるわけにはいかなかった。現に一度無理が祟って体調を崩し、俺の前で倒れている。楯無のことだし、表面上は顔に出さないように仕事をこなしていくに違いない。そのせいで気付くのが遅れて体調を崩してしまったら元も子もない。楯無の代わりはいない、無理をさせない意味でも多少の代役はこちらとしても立てる必要があった。

 

 

「よし、帰るか」

 

 

夜には空港に到着している必要がある。既に準備は追えているので特別急ぐ必要はないけど、逆にゆっくりとくつろいでいる時間も無い。事故なんて早々起こるようなものでは無いけど、万が一に備えての早目の行動はしておいて損にはならない。

 

さっさと家に帰って、軽く一息ついたら直ぐに出発することにしよう。荷物を片手に自席から立ち上がり、教室から出ようとする。

 

……そう言えば。

 

帰りのホームルームに珍しく千冬さん来なかったな。忙しい人だし、授業を山田先生に任せていることも多い。ただ割と帰りのホームルームには出席していることが多いんだけど、今日は一度も顔を出すことが無かった。

 

誰も話題に上げることは無かったのは、多忙な身であることをクラスメートたちが良く認識しているから。特に深く気にするようなことでも無いし、この学園にいる以上何か起きたとは考えづらい。それより何より世界最強のあの人が誰かに遅れを取るような姿をイメージが出来ない。

 

IS相手に生身で互角に戦うことが出来る数少ない人間……のはず。実際に戦ったところは見たことがないものの、普段の身のこなしを見る限りIS用の武装を補助無しで振り回すくらいは容易に出来るに違いない。

 

一回手合わせしてもらいたいと思うも、本気で力をぶつけ合ったら周囲に被害が出かねないことを考えると、言い出すことは出来なかった。

 

機会があるのなら一度生身で、手合わせを願いたいものだ。

 

 

「ねぇねぇ、あんな生徒うちにいたっけ?」

 

「え、どれどれ? あ、もしかしてあの子!?」

 

 

ん、何だ?

 

やけに周囲が騒がしいような気がするんだが。また一夏あたりが何かやらかしたのか?

聞こえてくる話を聞く限りだと一夏関連の話ではなくて、ウチの生徒に関する話題のようだ。

 

いるよな、急にイメージチェンジしてきて次の日から全くの別人のような雰囲気になっている子って。髪を切ったナギなんかも清楚なお淑やかなイメージからガラッと変わって、どこか活発な感じになったし。

 

話の内容がそれと同じなのかは分からないので大まかな予想になるが、見覚えのない生徒がいて、実はイメージチェンジした誰かでしたってオチだろう。そこまで気にすることは無い内容にも思えた。

 

 

「うわ! 凄いキレー……モデルさんみたい」

 

「本当に一年生なのかな? リボンの色見ると確かに一年生の色だけど、雰囲気だけ見ると年上に見えるって言うか……」

 

「身長も高くて美人でスタイルも良いってどんな無敵超人なのかな、ちょっとで良いから胸部装甲の栄養が欲しいなぁ」

 

「私はあの足が堪らない……どうやって鍛えたらあんなスラっとした美脚になるのかしら」

 

「足もいいけど、あの引き締まったウエストからお尻にかけてのボディラインも中々じゃない? てかちょっと待って、そもそもウチの生徒? もしかして転校生とかってオチ?」

 

 

しかし今回はどんな仕事内容になることやら。海外に飛ぶってことは分かるけど、詳しい仕事の内容については空港についてから説明があるみたいで実の所、要人の護衛としか聞かされていない。

 

何なら行く場所も聞かされていない。日を跨いだ場所に行くっていうのは聞かされているけど、全世界で日を跨ぐような場所は多数ある。昼夜が逆転することは確定しているので、飛行機の中で多少なりとも寝溜めしておく必要があるだろう。

 

大体どこでも寝ることは出来るけど、座りながら寝るのって結構身体に負担が来るんだよな。

 

 

「ね、ねぇ霧夜くん。霧夜くんを訪ねて来た生徒がいるんだけど……」

 

「え、俺?」

 

 

耳だけは周囲の会話を聞くようにしていたからどんな話になっているかは大まかに把握はしている。どうやら誰もが羨むスタイルと美貌を持ったどこかのクラスの生徒が俺のことを尋ねて来ているらしい。

 

教室を出掛けたところで、入り口付近にいる生徒が声をかけて来たことで顔をあげる。声を掛けてくれたのはクラスメートの国津だった。相川の席の後ろに座っている生徒で、たまに話すことがある。

 

名前を出さないってことはクラスメートの一人じゃ無いことは分かった。半年間生活を共にして来たクラスメートの名前を覚えていないってことは考えづらいし、名前を知らないとなると別のクラスの生徒である可能性が最も高い。

 

下手をすると他学年の生徒になるのか、ここ最近俺のことを尋ねてくる生徒はあまりいなかったし、久しぶりの出来事に入学したばかりのことを思い出す。あの時は毎日のように俺か一夏指名の来訪者が跡を絶たなかったなと。

 

しかし誰だろう。

 

ここ最近何か目立つようなことをした覚えは……いや、してたわ。学園祭の時にクラスの出し物で執事をやったし、生徒会演劇のシンデレラでは一夏のお助けキャラを演じてたわ。

 

となると誰かも検討がつかないぞこれ。喫茶店の時は関わった生徒が多過ぎるし、全員の顔を完璧に覚えている訳じゃ無い。演劇に関しては全校生徒の何人が参加していたのか把握することなど不可能、もはや顔と名前が一致しないレベルだ。

 

念の為に本当に俺宛に尋ねて来たのかを確認する。

 

 

「本当に俺宛なのか? 一夏とかじゃなくて?」

 

「うん。織斑くんの名前は出していなかったし、霧夜くんって珍しい苗字だから一年には一人しか居ないと思うんだけど」

 

「あー……」

 

 

確かに国津の仰るように同学年で霧夜姓の生徒は一人として居ない。そこだけは以前確認している。俺の苗字を出している時点で、その生徒は俺宛に尋ねて来ていることが確定していた。

 

このタイミングで一体何だろう。

 

 

「でも見たことない生徒なんだよね、他のクラスの人も知らないみたいだし。リボンは一年生のリボンをつけてるから一年生だとは思うんだけど、誰も知らないって変な話な感じするよ」

 

「言われてみればそうかも、ちょっと変な話だな」

 

 

誰も知らないなんてそんなことあるのか、むしろそれってウチの生徒かどうかも怪しい気がするんだけど。俺指定で会いに来ているのも気になるところ、その生徒は俺のことを知っているってことになる。

 

ただ他の生徒は該当の生徒のことを知らない、他学年の生徒かと思えばリボンは一年生のリボンをつけていると来た。

 

ますます謎ばかりが深まるばかり。兎にも角にも俺宛に来たのであれば一度会うことにしようか、このまま待たせても申し訳ないし。大多数の生徒が行き交うこの場であれば、仮に敵勢力の人間だったとしても変なことを起こすことは無いはずだ。

 

 

「とりあえず会ってみるよ。その生徒ってどこにいるんだ?」

 

「入口出て少し歩いたところで見たから、まだそこにいるんじゃないかな?」

 

「了解、助かる」

 

 

お礼を伝えると、教室から出て言われた通り少し先へと歩いていくと、言われた通り人だかりが出来ている場所がある。結構な生徒がいるところを見ると、よほど人目を引く容姿なんだろう。

 

合えばどんな生徒なのかは分かるし、会ってから話を進めていくとしよう。

 

 

「はいはい、ごめんよー」

 

 

人混みを掻き分けて目的の人物の元へと向かう。向こうは俺のことを知っているのであれば、俺の顔を見れば真っ先に反応を見せるはず。まさかこの期に及んで興味本位で俺の名前を出してみましたとはならないはず。

 

放課後一人呼び出すのなら話は別だけど、これだけ多くの生徒がいる状況下で俺の名前を呼んで冷やかすだけのメリットが感じられない。何かしら用がある可能性が高い、加えてここにいる生徒たちが知らない人物なだけで俺が知っている人物である可能性も考えられる。

 

人混みを掻き分けてやがて先頭まで行き着くと、そこには一人の生徒がいた。俺の存在に気がついたようで、くるりとこちらを振り返る。

 

 

「あっ……」

 

 

声を漏らす女子生徒。

 

立ち居振る舞いから周囲の生徒とは違う。誰もが認める美少女、その出立ち全てが完璧そのものであり、彼女の周りを纏う雰囲気がそう認識させていた。

 

スカートからスラリとのびた、無駄な肉が全て削ぎ落とされたような長い足。栄養不足のようなただ細いだけの足ではなく、しっかりと鍛えられて程よく筋肉のついた健康的な足だった。他の生徒よりも丈の短いスカートに際どさを感じることが出来る。

 

引き締まったウエストラインに相反するように自己主張の激しい上半身と下半身。出るところは出て引き締まるところは引き締まっている。制服の胸付近は捩れて若干シワが出来ているのが見えることから、身の丈のサイズはあっていても胸のサイズが追いついていないことが分かった。下半身周りもぴちぴちと言うか……こう、男性の欲望を体現しているだけでは無く、世の中の女性も羨むレベルのスタイルの持ち主らしい。

 

こんな女子生徒が居たのかと俺は視線を顔に移す。すると視線が合ったことでどこか幼なげな人懐っこい笑みを浮かべたかと思うと、こちらに向かって駆け寄ってくる。

 

何だか千尋姉に凄くよく似ているような……。

 

って、え? 千尋姉?

 

 

「あはっ、みーつけたっ♪」

 

 

聞き覚えのあるどころか何度も聞いたことのある嬉しそうな声を上げると、走った勢いそのままに俺に向かって飛びついて来た。

 

 

「へ……えっ!? な、なんでこんなところにちひ……もががっ!?」

 

 

何かを言わせる暇もなく抱きかかえられる、柔らかい感触と共に男のロマンとも呼べる双丘に顔が突っ込んだ。

 

 

「「えぇええええええええっ!!?」」

 

 

周囲から悲鳴にも似たような歓声が湧き上がる。側から見たら知らない誰かが俺のことを襲っているようにしか見えない。

 

っていうか周りが見てるから! 俺の世間体がヤバいから!

 

埋められた顔を必死に抜け出そうとするも、想像を絶するレベルでの力で抱き締められているせいで抜け出すことが出来ない。

 

間違いない。

 

IS学園の制服は着ているけどこの感触はもちろんのこと、仕草や声、笑った時の人懐っこい癒される笑顔を浮かべられる人物は俺は一人しか知らない。

 

霧夜千尋。

 

紛れもない俺の義姉だった。

 

 

というか何で千尋姉がIS学園に? そもそもどうしてIS学園の制服を着ているんだ?

 

そりゃ生徒のサイズの制服を着たら、丈が合うものはあったとしてもどう考えても胸部装甲が収まり切る訳がない。着ている服や化粧の度合いによっても雰囲気はガラリと変わる。

 

化粧をすれば大人びた雰囲気に見えるが、千尋姉はどこかに出掛ける時もほぼノーメイクで出掛ける、メイクをしなくても十分過ぎるくらいの美貌を保てているからだ。ノーメイクで出掛けると幼なげな表情そのままのために、まだ十代ですと言ったところで何の違和感もない。

 

元々顔が童顔のために実年齢よりも低く見られることが多いが、一度制服を着てしまえばもはや学生そのもの。今年二十台半ばを迎える人間とは誰も思わないだろう。何なら初めて会った十代半ばの時の方が大人っぽく見えたというのはここだけの秘密だ。

 

 

「もー、凄く探したのよ? IS学園って広いし、どこに何があるかなんて分からないし……色んな生徒に聞いてようやく見つけたんだから」

 

「わ、分かったから。分かったからここで人を抱きしめるのはやめい! 恥ずかしいだろ!」

 

 

二人きりならまだいいけどここは完全に公衆の面前、どんな公開処刑だと嘆きたくなる。千尋姉のことを知っているナギとかだったら見られても……いや、ナギであっても抵抗感あるな。

 

もしこの光景を千冬さん辺りに見られでもしたら。

 

 

「おい、霧夜。お前に客人が来ているんだが目を離した隙に何処かに行って……」

 

「いっ!?」

 

「あら?」

 

 

一番見られたらまずいであろう人物の登場と共に、周囲にいた生徒たちが一斉に散開して行く。俺と千尋姉のじゃれあいを見た瞬間に、千冬さんを纏う空気が一気に絶対零度へと強制冷却された。

 

表情は一切変わらないものの、明らかに先ほどまでとは違う空気感に猛烈に逃げたくなる。が、残念なことに千尋姉に抱き寄せられたままのせいで逃げたくても逃げることが出来ない。

 

廊下にポツンと残る俺たち二人と千冬さん。ついさっきまでの喧騒は何処へやら。こんな時ばかりやたら連携良すぎじゃないですかね。

 

頭を掻きながら何をしているんだと、大きくため息をつきながら千冬さんは言葉を続けた。

 

 

「……何してるんですか」

 

「えーっと、姉弟のスキンシップ? むしろ千冬のところではやらないの? 確か弟がいたでしょ」

 

 

いきなり何言ってんだウチの姉は。

 

千冬さんに対して堂々と口を聞けるなんて、この世の中で探してもこの人だけな気がする。

 

そんか千尋姉の回答に対して呆れ気味に千冬さんも答えを返す。

 

 

「やりませんよ。それにその制服どうしたんですか、制服の貸し出しはうちではやってなかったと思うんですが」

 

「え? 立ち寄った教室に沢山置いてあったから、ちょうど良さそうなサイズを借りちゃったんだけど……変かしら? 一応近くにいた生徒にも許可は取ってるわ」

 

 

おお、あの千冬さんが手を焼いている。珍しい光景もあるもんだ。

 

確か千尋姉は総合格闘技の教官として、千冬さんはIS教官として勤めている時に出会ったって話は聞いているけど、どんな思い出があるか、などの深い話までは聞いていない。

 

 

「あぁ、いや。決して変ではないんですが……んんっ! とにかく、このままでは話が進みませんので、一度部屋に戻って来て貰ってもいいですか?」

 

 

いや、そこは変だって言い切っても良いような気がするんだけど。偶々立ち寄った教室に置いてあった制服を借りるなんて普通だったらやらない。この二人の人間関係を見ていると、どうやら立場が上になるのは千尋姉なようだ。

 

今でこそこんな丸い性格の大人しいポンコツ姉だが、一度指導者としての立場に立ったり、仕事モードに切り替わったりすると全くの別人のような立ち居振る舞いになる。おそらく千冬さんも仕事モードの千尋姉を見たことがあるんだろう。

 

あれを一度でも見たら本気でトラウマになる。アレを同じ人間だと言ってはならない、体験した身から言わせて貰うけど間違いない。仕事に関わりがなければ本当にただの可愛いだけの姉さんなんだけど、世の中って分からないものだ。

 

 

「えぇー! またあの部屋に戻るの〜? 折角大和に会えたのにぃ!」

 

 

俺と会う前にいた部屋があるんだろう。話は最初に戻るけど、どうして千尋姉がIS学園にいるのか気になるところ。千冬さんの口ぶりからすると呼ばれたというより押しかけたようにも見える。

 

そうこうしている間にもぶーたれながら千冬さんに抗議をする。誰かこの残姉さんを何とかしてくれ。

 

 

「そうは言ってもですね……(おい霧夜、何とかしろ)」

 

 

……何だろう口調は普通なのに、何とかしろと言わんばかりの物凄い圧が千冬さんから飛んできた来たような気がするんだけど。

 

いやいや、俺に何とかしろって言われても。板挟みになっている俺を見て千尋姉はニヤニヤとイタズラな笑みを浮かべてるし、というかそろそろ離してくれると嬉しいんだが。

 

男としては嬉しいんだけど、抱きしめる力が強くてリアルにアザが出来そうだ。

 

 

「よく分からないけど、とりあえず一度部屋に行こうか。こんなところでバタバタしてたら他の生徒も落ち着かないだろうし」

 

「……分かった。大和成分は補給出来たし、一度戻ることにするわ」

 

 

納得が行っていない表情を浮かべながらも、渋々千尋姉は俺から離れた。

 

見たこともない美少女に抱きつかれる男性操縦者、か。学園に戻ってきた時に質問攻めに合いそうだ、嬉しすぎて涙が出てくるぜ。

 

 

「あぁ、そうだ霧夜。お前も来い(よくやった)」

 

「はい、そうさせて貰います。どうせこの後姉とは一緒に行動する予定ですから(ははは……これくらいなら協力出来る範囲で協力しますよ)」

 

 

千冬さんに促されるまま、俺は別室へと招かれるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも何でIS学園に? 空港で合流する予定だっただろ」

 

「うん、最初はそのつもりだったんだけどね。少し久しぶりに大和に会えるって思ったら嬉しくなっちゃって、つい」

 

 

部屋を移した俺たちは職員室の近くにある別室に待機していた。千冬さんはお茶を淹れるために給湯室へ行っているためにここには居ない。この部屋には俺と千尋姉の二人きりの状態だった。ちなみに先程まで着ていたIS学園の制服は色んな意味で誤解を招く可能性があるとして着替えて貰った。

 

あまりにも似合いすぎて違和感が無さすぎる。リアルに高校生にしか見えないのは反則だ。

 

どうしてIS学園に来たのかと理由を尋ねると、久しぶりに俺と会えるのが嬉しくて我慢が出来なくなってしまったからだという。久しぶりとはいっても会っていない期間は二ヶ月弱だ、久しぶりの定義に当てはまるかどうかと言われるとなんとも言えないところだろう。

 

ただ、そこまで想ってくれているって考えると嬉しいのは間違いない。

 

 

「我慢はしたんだよ? でも何だろうな、あなたの事を考えれば考えるほど会いたいって気持ちが強くなっちゃって。あはは、迷惑だったかな。大和は……こんな束縛の強い女は嫌?」

 

 

ふと、上目遣いに不安そうな表情を浮かべる。

 

もしかして急に押しかけてきたことが迷惑だったかと。急な登場に驚きこそしたけど、別に迷惑なんて微塵も思っていない。とはいえ千尋姉の中では何のアポもない状態で押しかけてきてしまったことに対して、多少なりとも思うところがあったようだ。

 

元々、今回の仕事は俺一人ではなく千尋姉と二人で行うことになっていた。空港で待ち合わせて飛行機に搭乗しようと最初は伝えていたためにまさかIS学園に来ているとは思わず、だからこそ驚いてしまった訳だが。

 

 

「嫌じゃないよ」

 

「え?」

 

 

見方を変えれば束縛が強いって見えるかもしれないけど、残念ながらこれくらいのことでは俺は何とも思わないんだな。

 

普段は中々会えない大切な人に会えるから嬉しいっていうのは人として当たり前の感情だと思う。今回千尋姉は俺と一緒に仕事をすることが決まって嬉しさのあまりフライングしてしまっただけで、あの日以来毎日のように電話を掛けてくることも個別に会いにくることもなかった。

 

何なら会っている頻度だけなら一番低いんじゃないんだろうか。頻度どころかナギやラウラや楯無、他のクラスメートたちは毎日のように俺と顔を合わせることがあっても、千尋姉はここ半年で数えるくらいしか顔を合わせていない。

 

電話やメールもそこまで回数多くやっている訳ではなく、決して心の底から俺に依存をしているような感じでは無かった。

 

 

「俺は嬉しかったけどね、素直に会いたいって言ってくれて。こんなんじゃ束縛にもならないでしょ、可愛いなくらいにしか思わなかったよ」

 

「や、大和……」

 

 

予想外の反応だったらしく目を何度も瞬きさせる。

 

個人に対しての想いが強くなればなるほど、会いたいって気持ちも比例して強くなる。IS学園の制服を借りて俺に会いに来たのは思わず笑っちゃったけど、それもまぁ千尋姉の一面ってことで。

 

 

「だから安心しろって。これくらいなら全然重たい愛でもないし、束縛が強いとも思わないよ」

 

「うぅ〜大和が優しい……」

 

 

目をうるうるさせているあたり本気で感動してくれているようだ。

 

色々と我慢もしてくれている訳だし、たまには多少甘やかしてもバチは当たらないはず。そうこうしていると不意に入口の扉が開き、千冬さんが戻ってくる。

 

 

「すまない、茶っ葉が見つからなくてな」

 

 

少し時間が掛かっていると思ったら茶っ葉を探していたらしい。

 

お茶を配る千冬さんに気を遣わせてしまって申し訳ないと謝罪の言葉を伝える。

 

「すみません、気を遣わせちゃって。でもよくうちの姉を校舎の中に入れられましたね」

 

「何、これくらい気にするな。学園入口の警備員から私の知り合いを名乗る人間が来訪しているから確認に来て欲しいと言われて、行ってみたらってやつだ。まさか千尋さんとは思わなかったよ」

 

 

千冬さんからしてもまさか、に違いない。

 

しかも二人が会うのは実に数年ぶりのことになる。呼ばれるままに行ったらそこにいたのが千尋姉って、全く想像していなかっただろう。

 

 

「しかしまぁ時の流れと言うのか、随分と変わったんですね」

 

「え、私?」

 

「はい。ドイツでお会いした時に比べると幾分落ち着いた大人びた雰囲気を感じるようになりまして」

 

 

千冬さんは近くにある椅子に座りながら過去の話題を投げ掛けてくる。数年もすれば多少なりとも性格の変化があるだろう。特に現役バリバリの時の千尋姉を見ていると、今の千尋姉との違いにかなりのギャップを感じるのも分かる。

 

さっきも言ったが現役バリバリの時の雰囲気を一言で表すのなら鬼。

 

もちろん普段時は優しくて人懐っこい笑顔も健在だが、一度スイッチが入ると纏う雰囲気はもちろんのこと、口調までもが変わってしまう。本人曰く、親しい人や家族にはあまり見られたくない姿、なんて言っているけど俺は割と凛々しい姿もカッコいいとは思っていたりする。

 

無論、一対一の訓練の時は何度も地獄を見せられたけど。幼い俺からすれば怖すぎて何回逃げようと思ったことか分からない。あぁ、今でも休憩無しの情け無用組み手を、立ち上がれなくなるまで延々と繰り返していた日々を思い出すと身体が震える。

 

 

「そうなの? そんなに変わったって思わないんだけどなぁ……大和はどう思う?」

 

「いやいや俺に聞かれても、ドイツで教官やっていた時のことなんて見た事ないしなぁ。でも確かに落ち着いたっていうか、より大人びたって感じはするかも」

 

「ふーん、近くで見て来た貴方が言うのなら間違いなさそうね」

 

 

自分で自分の変化には気付かないようで、キョトンとしたままそうなんだと第三者からの意見を聞く。

 

ここに入学するまでは毎日顔を合わせていた俺が変化を感じるのだから、数年間全く会っていなかった千冬さんからしたら相当変わったってことだと思われる。

 

差し出されたお茶を啜りながら、今度は逆に千冬さんに言葉を投げかけた。

 

 

「それにしても千冬も成長したわね、今や立派なIS学園の教師だなんて」

 

「いやいや、そんな大それたことでは」

 

「ううん、すごい事だと思う。夢ある学生の指導かぁ、私には無縁だからちょっと憧れるわ」

 

 

私が教えたら皆逃げそうだし、と苦笑いを浮かべる。

 

悪く言うわけじゃないけど、千尋姉が本気モードで人を教えたら確かに色々とヤバいことになる。訓練のハードさだけで言ったら追随を許さないレベルでキツいに違いない。

 

勘違いして欲しく無いのは教え方は悪く無く、むしろかなり分かりやすい部類で、言っていることも正論であって理論もしっかりしているから、厳しい教え方でもついて行きたいと言う部下も大勢いたそうだ。

 

ただそれを一般の学校でやってしまえば、世間を賑わせている某パワーワードの行為に抵触する可能性もある。

……千尋姉の教えはトラウマになるレベルでキツかったけど、相手に合わせて教えることが出来るはずなんだけどな。

 

自分の教える相手が命を賭けて戦ったり預かったりする職業なら、厳しくするのは当然だ。油断すれば自身が命を落としかねない。

 

となるとドイツ軍や俺に対して厳しく教える必要があるのは必然だった。

 

 

「そうですか? 千尋さんだったら教師も出来そうな感じがしますが。むしろうちのクラスの面々に厳しく教えて欲しいくらいですよ」

 

 

ごもっともな返答を千冬さんも返す。僅かな期間とはいえ、千尋姉と共に仕事をしているおり、厳しさがあったとしても、教える能力は間違いなく高いと認識しているようだ。

 

教壇に立つ千尋姉かぁ、ちょっと見てみたい感じもする。正規雇用は難しくても非常勤講師みたいなシステムってないのかな。

 

 

「何かを教えることくらいは出来るかもしれないけどねー。今の教え方にはちょっと合わないんじゃないかな」

 

「またまたご謙遜を」

 

 

ところで全然関係ない話になるんだけど、千尋姉って普段何の仕事をしているんだろう。十数年一緒に過ごしていて何で知らないんだと突っ込まれそうだけど、聞いたところで「大和は気にしなくても良いの」の一点張り。

 

水商売や裏モノ系の仕事には決して付かないだろうからそこまで気にしてはいないけど、気になるかどうかと言われれば自分の身内の仕事だ、気になるに決まっている。

 

 

「しかし今回は海外で仕事ですか」

 

「えぇ、ウチは依頼があれば国内外は問わないもの。引き受けるにあたっての審査はするけど。だからちょっとの間、大和を借りるわね」

 

「はい、そちらは大丈夫です。既にきり……大和の方から伺っていておりますので」

 

 

いつもの口調で俺の苗字を言いかけるも、途中で名前を呼んだ。普段は苗字で呼ばれているせいか、学園にいるのに名前で呼ばれると、どことなく変な感覚になる。

 

人前での名前呼びに慣れていないようで、千冬さんはお茶入りのコップを口につけながら恥ずかしさを紛らわしている。

 

 

「そう、なら大丈夫ね。……ところで千冬、あなた良い相手は見つかったの?」

 

 

とんでもない大爆弾を投下してくれた。

 

 

「っ!?」

 

 

斜め上を行く質問に対して、口に含んでいたお茶を吹き出しそうになるのを寸前で堪えている。

 

人の担任にいきなり何言ってんだこの姉は。

 

 

「なっ、なななな何を!」

 

「何をって、そのままの意味よ。ほら、私もあなたもそろそろ良い歳になる訳だし」

 

「い、いや私にはまだ少し早いというかですね……今はまだ考えられないというか」

 

「そんなことないでしょう。あっ、大和なんかどう? 家事洗濯何でも出来るし、カッコいいし性格も良いし! でも独り占めはダメだけどね」

 

「はい?」

 

 

二つ目の大爆弾の投下。

 

俺と千尋姉を交互に見る千冬さん、そりゃ当然の反応だわ。

 

結局、部屋を出る時に千冬さんから学生なのに良い身分だなと後ろ指を刺される羽目になるのだった。



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「荷物の受け取り完了っと」

 

 

空港に無事到着した俺たちは、荷物の引き受け場にて機内に持ち込んだ荷物を回収している最中だった。荷物を預けた時に渡される券を元に、自分の荷物を探し出して回収する。

 

一週間分の衣類やら何やらを溜め込んでいるから総重量は中々のものがあるし、キャリーバッグの大きさもかなり大きい。衣類の中には私服もあるが、今回の依頼は標的に付き添うことになるということでスーツと複数枚のワイシャツも持って来ている。

 

無人機襲撃の際や前回の学園祭の時に着ている仕事服は完全な戦闘着であり、付き添いの護衛任務で着用する機会は決して多くはない。あれはあくまで最初から誰かとの戦闘を行う前提で着る服装だ、普段はスーツで仕事をする機会の方が多い。

 

それにあの服のまま人前を歩くのは気が引ける。好奇の視線に晒されるのは間違いない。

 

 

「大和、こっちも回収完了よ。この後ホテルに荷物を預けて身支度整えた後すぐに軍事基地に飛ぶけど、準備は良いかしら?」

 

「おう、大丈夫」

 

 

同じく荷物を回収し終えた千尋姉が声に返答をする。ガラガラと音を立てながら、あまり女性が引き摺らないような大きさのキャリーバッグを片手にこちらへと歩み寄って来た。

 

女性は男性に比べると持ち歩くアイテムが多い。化粧品はもちろんのこと、服一つにしても男性の比ではないくらいに。俺の荷物に比べてもその差は明らかだった。華奢な女性であれば引き摺るのも大変であろう大きさ、重さのキャリーバッグを片手に涼しい顔をしながら俺の近くへと立つ。

 

美女×大きなキャリーバッグ。

 

うん、アンバランスだけどこの組み合わせも悪くないかもしれない。

 

 

「どうしたの?」

 

「……いや、何でもないよ。さぁ、まずはホテルに向かうんだよな。待たせるのも良くないし、さっさと行こうか」

 

 

キョトンと首を傾げながら顔を覗き込む千尋姉が可愛かった、まる。

 

反応から察するにこちらの考えていることは悟られなかったようだが、あまり長く無反応でいたらバレていたことだろう。即座に思考を切り替えて、タクシー乗車場へと向かう。

 

俺の反応に対して些か違和感を覚えながらも後をついて来る。

 

っと、忘れてた。

 

先に進もうとする足を止め、再度千尋姉の方へと振り向く。

 

 

「大和?」

 

「悪い、気付いてなかった。千尋姉の荷物少し持つよ、重たいだろ?」

 

 

千尋姉の持つ荷物は俺なんかより遥かに多い。キャリーバッグ以外にも大きめのスポーツバッグを片手に握りしめており、両手が完全に塞がっていた。

 

一般的な女性どころか男性だったとしても歩きづらい重量になる。とはいえ俺たちが一般人と同じ身体の鍛え方をしてるわけではない。体の構造が全く違う故に、本来であれば歩きづらい重量だったとしても難なく持ち運ぶことが出来る。

 

決して千尋姉も重たいとは言わないし、重たいとも思っていないだろう。精々荷物が多いなと思うくらいだ。

 

ただ男性からしてみると女性に少しでも無理はさせたくないと思ってしまうもの。持っているスポーツバッグに手を伸ばすと、半ば強引に自分の元へと手繰り寄せた。

 

ぽかんとしながら素直に荷物を俺に手渡す千尋姉だが、やがて我に返るとそこまでしなくていいのにといった表情で言葉を続ける。

 

 

「あ、ありがとう。持ってくれるのはすごく助かるし、ありがたいけどこれくらいなら大丈夫よ? それに私が軽くなったところで大和が重たくなって歩き辛くなるんじゃ……」

 

「いや、大丈夫。いくら問題ないとは言っても、女の子に沢山の荷物を持たせたまま歩かせるなんて出来ないよ」

 

「え?」

 

 

一瞬何を言ったのか理解出来ずに首を傾げる千尋姉だったが、やがて俺の言葉の意味が分かるとかぁっと顔を赤くさせながら視線を逸らした。

 

 

「こ、こんなところで急に女の子扱いされても困るわよ。それにもう私は女の子って言うほど若いわけじゃないし」

 

 

赤面しながらモゴモゴと呟かれても説得力が無い。人差し指をくっつけてもじもじとさせる姿を、女の子では無いと言い切るには無理があった。

 

年齢的には大人の女性に差し掛かる領域に足を踏み入れているけど、それでも照れたり笑ったり怒ったり悲しんだりと、感受性豊かに忙しなくコロコロと切り替わる表情は年齢は相応に幼く見える。誰がどう見たところで年頃の女の子以外の何物でも無かった。

 

 

「なーに言ってんだ、誰がどう見ても可愛い女の子だろ。こんな時くらいは俺にカッコいいところを見させてくれって」

 

 

男として女性の前ではいい姿を見せたくなる、自分が大切に思う人間の前であれば尚更。自分でも歯の浮くようなセリフを言っていることが分かるせいで、何言ってんだ俺みたいな小っ恥ずかしい心理状態になっていて、全力で走り去りたい気分だ。

 

ただどうやらそれ以上に千尋姉は恥ずかしかったようで。

 

 

「あぅっ……」

 

 

何とも可愛らしい声を上げた。

 

小動物のような可愛らしさを誇る我が姉、人目も憚らず全力で抱き締めたい気持ちに苛まれるものの、自分の煩悩をグッと堪えて平静を装う。

 

だ、ダメだ。ここは耐えるんだ霧夜大和。ここで抱き締めたら歯止めが効かなくなる。仕事初日から色々とやらかして変に目立つわけにはいかないし、一度頭を切り替えよう。

 

 

「と、とりあえず早く行こうか。えーっと、タクシー乗り場はっと」

 

 

気を紛らわせるように声を上げながらタクシー乗り場を探す。

 

ホテルに着くまでの間、俺たちの間には何とも言えない微妙な空気が流れていたのはまた別の話になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分と大きな屋敷だこと。今回の対象はここの?」

 

「そうそう。依頼者は屋敷の主人から……護衛対象は娘さんね。ただ今日は挨拶だけだから、本格的な仕事は明日以降になると思うわ」

 

 

ホテルへと到着して荷物を預け、手早く仕事用のスーツに着替えた俺たちは依頼者のいる屋敷に向かってタクシーを走らせていた。

 

タクシーの窓から見える住宅街の街並み、少し違うのは一つ一つの家の大きさが一般的な大きさとはかけ離れていること。建てられている住宅はどれもこれも一般的な住宅の二倍以上はある。加えて全てが高級住宅と呼べるレベルでの華やかさを誇っていた。

 

ここはとある高級住宅街の一角、その中でも一際大きな屋敷がフロントガラスの先に映っている。

 

一言で例えるのなら城と呼ぶに相応しい。

 

 

「それにしても()()()()の一等地に住む娘さん……ようはお嬢様ってことか。良くウチみたいなところに依頼して来たよな。その気になれば本国でボディガードなんていくらでも雇えそうだけど」

 

 

今回の任務地、アメリカ。

 

観光として来たことも無ければ仕事として来たこともない。来たことがないとは言っても、アメリカを知らない人間はほとんどいないはず。幸い他の国に行ったことはあるし、パスポートも有効期限内のものを持っている。

 

何故アメリカだけ行か無かったのか、と言われると純粋にプライベートでも仕事でも行く機会が無かった、それに尽きる。

 

 

「そうねー、何かのっぴきならない理由もありそうだけど。何でも今回の依頼者は完全にウチを指名で来たみたいよ。それも大和、アナタをね」

 

「俺を?」

 

 

千尋姉の言葉に対して思わず俺は考え込んだ。

 

別に指名されることが全く無いわけじゃない、以前仕事を請け負った人からリピート的な感じで仕事をお願いされることもある。ただ今まで自身が対応した仕事の中で、アメリカ国籍に関連している依頼人が居たかどうかと過去の記憶を思い返す。

 

当然思い返したところで自分が対応した仕事の中には居なかった。こう見えても比較的過去の依頼人の情報は覚えている方だ、ここ数年の記憶を引っ張り出しても心たりは無い。

 

もしくは仕事とは関係の無い何処かで別の場所で会ったことがある人間か。関わりがそこまであるわけじゃ無いし、プライベート関係で会ったことのあるアメリカ国籍の人間は多くはない。

 

ここ最近出会ったことのある人間をしらみ潰しに探っていけば自ずと見つかりそうだ。

 

えっと、ここ最近だと確か……。

 

 

「それにしても随分とスーツが似合う歳になったのね。昔のあどけない頃が凄く懐かしいわ」

 

「ん、あぁ。そりゃもう何だかんだで十六になるし、身長もそこそこ伸びたから多少はね」

 

 

千尋姉の一言に思考を止めて顔を向けた。

まぁどんな依頼人なのかは到着してからのお楽しみでも良いだろう。

 

この歳でビジネススーツを着る機会は決して多くない。IS学園に入学してから初めて着るわけだが、サイズ感は身体の成長に伴って以前よりもキツく感じる。

 

仕事として人に会うわけだから当然身だしなみには最新の注意を払っており、シワのないワイシャツに濃いブラウンのネクタイを装着し、スーツは紺を基調としたシルク素材の生地をオーダーメイドして作ってある。

 

IS学園に入学する少し前にせっかく高校生になるんだから、少し良いオーダーメイドスーツくらい買いなさい……もとい買ってあげるわと千尋姉に言われて作ったわけだが、市販のスーツに比べると着やすさは歴然だった。

 

それぞれの体型に合わせた部分ごとのサイズ調整や好みに応じた細やかなデザインを全て一から作ることが出来る。常に動いている仕事をする以上スーツは消耗品になるとはいえ、より動きやすさを追求した作りに思わず感動した。

 

一般的なスーツとは違って生地が破れにくいコーティングを施している? とかで総合計でそこそこ値が張ってしまったとはいえ、これは作って正解だったと胸を張って言える。

 

 

服はもちろんのこと、髪もワックスを使ってセットしており前髪は邪魔にならないようにジェルを使って上げている。臨海学校の際に見るも無惨に前髪を切られてしまった訳だが、二ヶ月も経てば髪は自ずと生えてくるしそこそこの長さになっている。

 

そのままでは仕事の場、顔合わせの場には相応しくはないと判断して髪を上げることにした。

 

 

そんな俺の姿を見て千尋姉も色々と思うことがあったのか、我が弟の成長を喜んでいるように見える。少し前までは千尋姉の方が身長も高かったけど、いつの間にか身長も抜き去り俺が見下ろす立場になっていた。

 

ちなみに千尋姉も俺と同じようにスーツを身にまとっている。これほどスーツが似合う女性が他にいるのかと思うほどの着こなし方をしており、長髪を背後で束ねている姿を見るとどことなく千冬さんを彷彿とさる。

 

俗に言う出来る女性、バリバリのキャリアウーマンだ。ただ目尻がキリッとした凛とした雰囲気の千冬さんに対してやや垂れ目であるため、少し穏やかな雰囲気になる。

 

スタイルは全然穏やかじゃ無いけど、もはや周囲の男性の視線は釘付け間違いなしだ。

 

 

「アナタがそれだけ成長したんですもの。どーりで私も歳を感じるわけよ」

 

 

出会った時に比べると二人とも順調に歳を重ねている。

 

当時ガリガリだった弟は年相応の青年に。

 

学生だった姉は立派な大人の女性に。

 

時が経つのは本当に早い。

 

 

「お客さん、そろそろ目的地に着きますよ」

 

「ありがとう。さて、色々と情報を整理しなきゃね」

 

 

タクシーの運転手の声に自分たちの成長を振り返るのをやめ、改めて今回と仕事内容について簡単に整理する。

 

 

 

 

 

護衛対象はとある富豪の一人娘。ここ最近、彼女の近辺で色々バタバタがあり念には念をということで短期的にボディーガードをつけることにしたそうだ。期間が限定されているのは、純粋にその期間に彼女が人目の届かない場所へと行くかららしい。

 

話を聞く限り俺のことを知っているのは依頼者ではなく、護衛対象、つまり依頼者の娘さんだそうだ。そして本人の強い希望により俺を指名したと。

 

千尋姉に依頼者の名前を聞くも「着いてからのお楽しみ♪」ということで、依頼者の名前を聞けていない。というかその時の千尋姉が完全に何かを知っているような口振りだったことは間違いない。続け様にそろそろハーレム王国が作れるんじゃ無いと、クスクス笑われたところから察すると千尋姉も該当の人物のことを分かっているのだろう。

 

お楽しみ♪ なんてウィンクされたら俺もそれ以上聞くことは出来ず。いずれ顔を合わせば誰だか分かるし、深く聞く必要も無いだろうと追求することも無かった。

 

タクシーを降り、俺と千尋姉は大きな門がある前に待機する。如何にも豪邸と言わんばかりの雰囲気の建造物、相当な資産を持ち合わせているのだろう。一度上を見上げて目的地が間違っていないことを確認すると、門についている呼び鈴を鳴らした。

 

数秒ほどして、インターホンから声が返ってくる。

 

 

『はい、どちら様でしょう?』

 

「ご多忙の折恐れ入ります。私霧夜と申しますが……」

 

『あぁ、霧夜様でございますね? お話はお伺いしております。今門を開けますので少しお待ち下さい』

 

 

俺たちはいよいよ屋敷の中へと足を踏み入れることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やぁ、すまないね。遠方はるばる来ていただいたというのに待たせてしまって申し訳ない」

 

「いえ、こちらこそ。こうしてお会いできることが出来て光栄です」

 

 

門をくぐった後、俺たち二人は来賓用の客室へと誘導されて待つこと十数分。家主の登場とともに腰を上げて深くお辞儀をするとともに挨拶をする。爽やかな優しい声色とともに入ってきたのは家主であり、護衛対象の父親でもある人物だった。年頃の一人娘を持つ父親としては些か若く見える。

 

声色に比例して浮かべる表情は穏やかなもので、まさに紳士を体現したかのような優男だった。年齢に関しては妙齢のため分からないが、整った顔立ちは少なくとも十分にイケメンにカテゴライズされる。俗に言うイケオジってやつだ。

 

四十代、五十代によくあるだらし無い体付きではなく、日頃からキチンと節制しているようで、スーツを着たシルエットはとても中年の肉体とは思えないほど均一が取れている。

 

 

「ははは、そこまでかしこまる必要はないよ。立ち話もなんだ、遠慮なく腰掛けてくれ」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 

依頼人に腰掛けるよう促されるとそれに倣って俺と千尋姉は再度ソファへと腰掛けた。このソファの触り心地が凄く良くて、全体重を預けて目を閉じれば一瞬の内に夢の世界に飛び立てる自信がある。

 

勿論今は業務中であり、依頼人の前で居眠りするだなんて非常識なことはしないが、もしこれが自分の部屋とかならソファの感触を存分に味わっているに違いない。

 

人をダメにするソファ、そんなネーミングがぴったりかもしれない。

 

 

「さて、まずは自己紹介から入ろうか。私が依頼人である『レオン・ファイルス』だ。今回はどうか一つ、よろしく頼むよ」

 

 

にこやかに自己紹介する依頼人……もとい、ファイルスさん。

 

ん、ファイルス?

 

あれ、何処かで聞いたことがある名前だぞ。

 

 

「こちらこそご依頼ありがとうございます。私は霧夜千尋、と申します。隣にいるのが現当主、弟の大和になります」

 

「霧夜大和です。今回はよろしくお願いします」

 

 

違和感を覚えつつも自己紹介をすると、隣にいる千尋姉の口元がほのかに笑みを浮かべる。

 

おい、まさかファイルスさんの娘さんの名前って……。

 

 

「おぉ……君が大和くんか。いやはや、娘の()()()()()から話は聞いているよ。想像していたよりも随分と大人びた雰囲気をしているんだな君は」

 

「勿体無いお言葉です。粗相を起こさぬよう、しっかりと今回の任務を遂行させていただきます」

 

 

平静を装いつつも、内心驚きを隠せない。

 

ファイルスさんの口から溢れる娘さんの名前、俺の聞き間違いで無ければ『ナターシャ』と言った。

 

間違いない。

 

俺がこれまで出会った人物の中で一人だけ、ナターシャと名乗る人物に心当たりがある。夏休み前の臨海学校の際、暴走した銀の福音に搭乗していた操縦者。そして帰りのバスの中で俺と一夏にその……キスをした張本人、ナターシャ・ファイルスさんだ。金色に輝く髪がよく似合う美人な方で、纏う雰囲気は大人の女性を醸し出していた。

 

最後の最後でど盛大な爆弾を仕掛けてくれたことで、バスの中は大混乱に包まれ、最終的には公開告白をクラス全員の前で見せつけることになってしまった。

 

あれ以来ナターシャさんとは一度も会っていないし、連絡も取っていない。そもそもの話連絡先も交換していない以上ナターシャさんから俺はもちろんのこと、俺からナターシャさんに対して連絡を取ることも出来なかった。

 

 

「そう畏まる必要はないよ。むしろ畏るべき必要があるのは私かな。あの娘(ナターシャ)を命がけで守ってくれたこと、この場を借りてお礼したい。本当にありがとう」

 

 

背筋をピンと正したかと思うと、深々と俺の向かってこうべを垂れるファイルスさん。銀の福音の暴走によって一時期生命の危機に瀕していたナターシャさんを俺を含めた専用機持ちたちで救った。

 

厳密に言えば福音を止めたのは一夏や箒であり、俺はISが強制的に解除されて宙に投げ出されたナターシャさんをタイミングよくキャッチしただけに過ぎない。しかもプライドとの戦いで単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)を使った後遺症で身体中を得体の知れない痛みに襲われて、最後はシャルロットと鈴に助けられる始末、正直格好がついたかと言われると、全くついていない。

 

自分が助けたと誇れるとも思っていないし、何とも言えない気持ちになる。幸いナターシャさんは大怪我をする事もなかったし、大事に至らなかったという点では喜ぶべき部分なのかもしれない。

 

 

「そんな、自分が守っただなんてとんでもない。俺じゃなくて、周囲の皆が力を合わせてくれたからです。兎にも角にもナターシャさんが無事で本当に何よりですよ」

 

 

自分の力ではなく、あの場にいた皆の力があったからこそ作戦を完遂することが出来た。決して俺一人では成功に導くことは出来なかっただろう。

 

改めてファイルスさんへと話を続けた。

 

 

「皆の力、か。そうだな、そうやって周囲を素直に褒め称えられる謙虚な姿勢も娘が惚れた一つの理由になるのかも知れないな」

 

 

俺の言ったことに満足そうな表情で腕を組みながら二度三度頷く。

 

ちょっと待て、惚れた理由?

 

 

「今回、君たちには娘の護衛をお願いするわけだが……どうかな? この仕事が終わった後も是非うちの娘と親睦を深めてはくれないか?」

 

「はい?」

 

 

想像よりも盛大に裏返った声を室内に響かせてしまう。

 

意味はどうとでも取ることは出来るが、言葉通りの意味で取るとしたらそのような意味になることは間違いない。

 

更にファイルスさんは言葉を続ける。

 

 

「あ、あの……それはどういう?」

 

「ふむ、ちょっと言葉足らずだったかな。君がもし望むのであればナターシャを()()()()迎え入れて欲しいって言った方が良かったか」

 

 

この人、見た目は普通にイケメンなのに、発想が中々にぶっとんでいる。いや、依頼者にそんなこと言ったらいけないことは分かるけど敢えて言わせてもらう、この人は変態かもしれない。

 

顔合わせで今後のことを話し合おうとしていたらまさかの護衛対象者の父親に娘の嫁入り宣言をされるの巻。それも相手が俺と来た。ナターシャさんがある程度話していると考えると、既に俺には相方が。つまりは恋人がいることをファイルスさんも知っていると思われる。

 

ナターシャさん自身が察しの良い人だ、バスの中で背後にいるナギを見て俺との関係の近さを悟っていたみたいだし、父親であるファイルスさんに伝えていたとしてもおかしくはない。

 

話を振り出しに戻すけど、何でナターシャさんが俺に惚れているのか理解が追い付いていない。大体臨海学校の時、俺はナターシャさんを救ったと言うより、襲い来るプライドと相対していた時間が長かったわけで、直接的に銀の福音と相対していたのは一夏と箒の二人だ。

 

一目惚れ、とでも言うのか。

 

もちろんプライドの撃退と共に操縦者であるナターシャさんの救出を忘れていた訳ではない。ただ関わりが少ないはずの自分にどうしてナターシャさんが好意を寄せているのか判断がつかなかった。

 

 

「よ、嫁ですか!? そ、それはいくらなんでも話が飛躍しすぎでは?」

 

「ははっ、そんなことはないよ。ここは自由の国アメリカ、恋愛はもちろんのこと、結婚もその限りでは無いさ。それに娘の恋は応援するのが父親の務めってものだろう?」

 

 

それに君が人柄的にも問題ないことは話してみて分かったからね、と楽しそうに話す。

 

いやいやいや、この際俺の性格とか人柄とかはとりあえず置いといて、何でいきなり娘の嫁入り話に飛躍しているのか。そしてどうしてそんなにノリノリなのか。

 

隣の千尋姉は俺とファイルスさんの一連のやり取りを楽しそうにニコニコと笑いながら静観しているし、止める気は更々無いのだろう、まるで楯無みたいだ。

 

兎にも角にも誰かこの人を止めてくれと淡い期待を抱いていると、不意に背後のドアがガチャリと開かれる。

 

助かった、これで一旦会話の流れが止まって一旦仕切り直しが出来る。

 

 

「もうパパ! 私も同席するって言ったじゃ無い! この日をどれだけ待ち望んだか……あら?」

 

「あっ」

 

 

ドアが開くと共に背後を振り向くと同時に、入室してきた人物と目が合う。二ヶ月ぶりの再会、見間違える訳がない。

 

前に会った時にはカジュアルスーツを着崩した姿で登場したが、今回は自分の実家ということもあるのかキャミソールにショートパンツと少し……いや何ともラフな私服姿だった。どうやら今日は完全なオフであることが伺え、見た目は変わらず美貌を保っている。

 

悲しいことに、男性という性別上目の前に露出度の高い服装をされた女性が現れれば目移りしてしまうわけで、大きく開いた胸元に一瞬視線が釘付けになりかけるも、煩悩を堪えて別の方向へと視線へと向ける。

 

露出度の高さが日本のそれとは違いすぎて驚くしかない、まさにアメリカンスタイルだった。

俺と視線を合わせたまま大きな瞳を何度も瞬きさせるものの、やがてその表情が満面の笑みへと変わる。会えたことが嬉しい、そうストレートに伝わってくる感情を爆発させて、俺の元へと駆け寄ってくる。

 

 

「やっと会えた! 大和く〜ん♪」

 

 

両手を広げながら軽やかな足取りで近寄ってきたかと思うと、ソファに座っている俺の背後から、ギュッと抱きしめられた。ソファから見えているのは俺の肩から上の部分だけだ、その状態で抱きついたことでナターシャさんの顔は俺の顔のすぐ隣にある。距離にしてほんの数センチ、パーソナルスペースなどガン無視の状態だ。

 

少しでも息を吐けば甘い吐息が顔に吹き掛けられる、というか現在進行形で吹き掛けられている。女性特有の甘い香りが鼻腔を刺激すると共に、腕を首に回してベッタリとくっ付いているせいで背中、特に肩近辺に柔らかい何かが潰れて断続的に押し当てられていた。

 

人前、しかも家族の前でやっているのに恥じらいはないらしい。むしろ会えたことがそれ程にも嬉しいのだと思えば、一つの感情表現としてはありなのかもしれない。

 

とはいえ、だ。

 

いくらなんでも過激すぎやしませんかね。

 

 

「おぉ、ナターシャ。すまないね、お前があんなに嬉しそうに話をしていたからどんな殿方なのかと思ってね。先に会っていたんだ」

 

「それならそれで先に言ってくれれば良いのに。置いていかれたと思って慌ててこんな服で来ちゃったわ」

 

 

ナターシャさんは俺に引っ付いたままぷーっと頬を膨らませる。年は俺より上なんだろうけど、子供っぽい仕草が可愛らしい。

 

っと、その前に。

 

 

「ナターシャさん、お久しぶりですね。お会いするのは臨海学校の時以来ですか、お元気そうで何よりです」

 

 

どんな理由であれ、二ヶ月振りの再会は素直に嬉しい。ナターシャさんはアメリカのテストパイロットで、おいそれと国外に出ることは出来ないし、会う機会も限られてくる。日本とアメリカ、飛行機で行き来するにしても十数時間掛かる。

 

ISを使えばもっと早く着くんだろうけど、許可された以外での使用は固く禁じられている。そう考えると学園祭の時に襲来した亡国機業の人間って捕まったらどうなるんだろうな。

 

許可された区域外での無断でのIS展開に当たるだろうし完全な違反行為だし、下手すりゃ刑務所行き。それにテロ紛いの行為を繰り返している訳だから何年捕らえられるかなんて想像も付かない。

 

改めて挨拶を交わすと嬉々とした表情のまま、ナターシャさんは口を開いた。

 

 

「えぇ、この日をどれだけ心待ちにしていたか。大和くんとは連絡が取れないし、連絡先を聞こうにも個人情報だからって教えてくれないし……」

 

 

いや、そりゃそうだろと突っ込みたくなる。どこの学校に個人情報を無断で教える様な学校があるのか。もしこれで勝手に垂れ流していたとしたら大問題になる、それはIS学園とて例外ではない。

 

ただナターシャさんとしては、そこまでしてでも俺と連絡を取りたかったということになる。まぁもし許すのであれば連絡先くらいは伝えるとしよう、ナターシャさんのことだから悪用はしないだろうし。

 

 

「はははっ……いくらIS学園とはいえ個人情報にもなればお伝えは出来ないですよ。でもよく分かりましたね、まさか霧夜家を特定して依頼を掛けてくるだなんて」

 

「色々とツテを使って調べていたらとある人間から情報を入手出来てね。最初は半信半疑だったけど、大和くんが護衛一家の人間だなんてびっくりだわ」

 

 

とある人間が誰なのかは気になるところだが、確かに調べようと思えば霧夜家の存在くらいならすぐに調べることは出来る。それでもただ依頼をしただけでは俺が出動しない可能性もある、だからあえて俺の名前を指名で出したんだろう。

 

当然別の仕事のスケジュールと重複しない限りは指名を断ることは無い。俺自身、今は学業に重きを置いているために指名の依頼以外は受けない様にしているため、逆に指名をしてくれればすぐに動くことが可能だった。

 

 

「基本的には自分も一端の学生として通ってるんで、特定出来たのは凄いですよ。それと、引き受けた依頼に関してもちゃんと対応させて貰います」

 

「あら、頼もしい。なら期待しているわね♪」

 

 

そういうとナターシャさんは俺から離れてイタズラな笑みを浮かべたかと思うと、耳元に俺にしか聞こえない様な小さな声でボソボソと何かを呟く。

 

 

「……本当はこのままお持ち帰りしたいところだけど、今日はこれくらいにしておくわ。隣の彼女が嫉妬しそうだしね」

 

「え?」

 

 

ふと気付く。

 

ナターシャさんの登場から今まで、すぐ隣にいるはずの千尋姉の存在感が完全に消えていることを。それほどまでにナターシャさんの存在感が大きかったと言えばそれまでだが、完全な空気と化してしまっている。

 

何気なく視線を横に向けると。

 

 

「……♪」

 

 

笑顔だ。

 

ものの見事な満面の笑みだ。

 

 

「うふふ、()()()()()()()()()()()……」

 

 

表面上は。

 

ニコニコと満面の笑みを浮かべる裏に潜むダークなオーラ。人前、かつ依頼者の前だからこそ素の表情を出さないように笑顔を心掛けているんだろうけど、纏う雰囲気が笑顔とはかけ離れた氷の世界の様に冷たかった。

 

そして怖い。表情をガッツリと変えて怒られることも怖いけど、表情一つ変えずにニコニコと笑いながら怒るその姿に仕事なんかを忘れて逃げ出したくなる。

 

え、あんた当主だろって?

 

バカいえ、当主だろうが何だろうが怖いもんはこえーっつーの。普段ニコニコしている人間ほど怒らせるとヤバいっていうだろ、前にも言ったけど本当に千尋姉が不機嫌になったり怒ったらヤバいんだって。

 

冷や汗ダラダラな俺の心中を察してからごめんね、少しベタつきすぎちゃったかもと付け足してペロリと舌を出すあたり、ナターシャさんは多少の自覚があるらしい。

 

ちょっと待ってくれ、この後始末をするのって俺なんだが……。

 

 

「おやおや、大和くんは随分と年上の女性に人気があるんだね」

 

「何か大和くんを見てるとこう、母性本能を燻られるのよね。何か不意に抱き締めたくなるっていうのかな。でも不意に見せるどこか年上染みた一とかのギャップも堪らないというか……」

 

 

後ろで両頬に手を当てながらクネクネと身体を捩らせているナターシャさんと今の一連のやり取りを見て、俺と千尋姉の関係を何となく察したファイルスさん。

 

これはもうアレだ、どう転んだところで収集がつかないやつだ。

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ」

 

 

このカオスな状況に、ただ溜息を吐くことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、いい加減機嫌直せって」

 

「……」

 

「悪かったって。でもアレは不可抗力だし、流石に依頼者の前で下手なことも出来ないんだから少しは分かってくれよ」

 

「つーん」

 

「うわ、自分でつーんとか言っちゃったよこの人」

 

 

ファイルス家での顔合わせと打ち合わせを終えた俺と千尋姉はホテルの一室へと戻って来ていた。

 

打ち合わせ自体も数日間の流れの確認、問題が起きた際の対処法の共有くらいで特にピリついた雰囲気も無く淡々と終わった。話したいことは会ってから十数分の間で話し尽くしたのだろう、なんせ最初の十数分が一番密度の濃い時間だったから。

 

また明日と、笑顔に手を振るナターシャさんと別れを告げ、タクシーに乗るまでは良い。

 

問題なのは不機嫌オーラ満開のウチの姉について、だ。

 

 

ファイルス家にいる時は一時的に黒いオーラを出してしまうものの、タクシーに乗るまでは特に不機嫌な感情を表に出すことはなかった。

 

タクシーに乗った瞬間、雰囲気は一変。

 

人の顔を見て頬を膨らませたかと思うと、ぷいと明後日の方向に視線を向けたまま一切会話をしてくれず。こちらから複数回にわたってアプローチをするも完全に無視か、ダンマリを決め込む始末。

 

取りつく島もないとはまさにこのことを指すに違いない。

 

アメリカンスタイルだからなのか確かにナターシャさんのアプローチは積極的で少し過激なものだったことは認める。二回目の邂逅だというのに出会い頭に人に抱き付くなんてことは基本的には無い。

 

どこのハーレム主人公か。

 

当然、近くで見ている千尋姉から見れば面白くは無いのは明白、とはいえここには遊びに来たわけではなく仕事として来た身。

 

私的な感情は押し殺して話を進めようと思ったものの、予想以上に俺とナターシャさんの距離が近すぎることもあってか、若干プツンと行きかけてしまった。

 

 

「千尋姉ってば」

 

「うー……本当に悪いって思ってるの?」

 

「仕事そっちのけで話が明後日の方向に逸れちゃったのは本当に悪かったって思ってるよ」

 

 

とはいえ、仕事としてここに来ているのは俺も同じ。

 

依頼者である実の父親のいる前で護衛対象の娘をぞんざいに扱うことは出来ない。仕事とは関係ないプライベートな時間であれば引っ付いたナターシャさんを引き剥がすことは出来ただろうけど……。

 

残念ながらあの場でそんな勇気は俺には無いし、もう少し良いやり方があったのかもしれないけど、思い付くことも無かった。弟と姉の一線を越えた関係、側から見たら異様な関係に見えるはずだ。

 

そんなこんなでホテルに戻って来て数十分ほど時間が経つわけだが、千尋姉の機嫌は治らず。

 

 

「……」

 

 

とはいえ多少のアイスブレイクは成功したようで、不貞腐れながら俺の方へとチラチラと視線を向けてくる。

 

その表情はほのかに赤みを帯びていた。

 

 

「ねぇ」

 

「うん?」

 

「な、何でもない」

 

 

じっと俺のことを見つめたまま話しかけて来た思うと、またそっぽを向いてしまう。同じことの繰り返し、音楽プレイヤーのリプレイ機能を使っている様な気分になる、

 

さてはてどうしたものか。仕事中に私情を挟むことは無いだろうけど、平常時までこの感じだと俺が中々につらい。とはいっても俺が出来ることはせいぜい謝り倒すことくらいしか出来ないわけで、それに誠心誠意謝ったところで千尋姉が許してくれなければ意味がないわけで。

 

あれ、これもしかして詰んでね。

 

 

「うー、ダメ。もう我慢出来ない!」

 

「はっ……うわぁ!」

 

 

意を決したかの様に明日から立ち上がりズカズカと俺の正面まで近付いて来たかと思うと、力一杯抱きしめられる。突然のことで反応が出来ずにその豊満な胸に顔を埋めると、着ている服の胸部にシワが寄った。

 

そのままベッドに腰掛ける俺の太ももに全体重を預ける様に座ると、頭をコツンと俺のオデコに合わせる。さらさらとした前髪が鼻に当たってくすぐったい。顔を真っ赤にしながらも、互いに視線を逸らせなくなっていた。

 

 

「あの、千尋姉。これは一体どういう……?」

 

「や、大和が悪いんだからね」

 

 

むすっと頬を膨らませたままながらも目はとろんと潤み、口からはほのかに吐息が溢れて俺の顔に当たる。恋人が拗ねている様な感覚。否、間違いなく拗ねているんだろう。

 

 

「私たちがいるのに……他の女の子にまで手を出して」

 

 

私たちというのは自身とナギのことを指しているのか。

 

 

「ち、ちょっと待て。その言い方だと語弊があるからな? 大体そんなつもりは毛頭無かったって言うかその……」

 

 

気付いたらこんなことになっていた。

 

ドラマとかで良く見る展開だよな、うん。

泥沼の三角関係に巻き込まれて最終的に後ろから刃物で刺されるってオチ。生憎後ろから刺される趣味は無いし、そんな泥沼エンドを迎えることは全力で回避したい。

 

 

「誰彼構わず手を出す子じゃ無いのは知ってるわ。でもやっぱり認知していない女の人とベタベタするのは……」

 

 

見ていて面白くない。

 

言葉には出さないものの複雑そうな表情が暗に訴えていた。

 

 

「それだけ大和が魅力的な男性ってことよね。気付いていた? あなた自身、年上に凄く好かれる傾向にあるの」

 

「へ? あ、いや……」

 

 

自覚があったかどうかと言われたら全く無かった訳では無い。一学年上の楯無や目の前にいる千尋姉、そして今回のナターシャさんと、自身を取り巻く環境に年上の女性が多いことには薄々勘付いていた。

 

もちろん全員が全員そういうわけではなく、彼女であるナギや兄と慕ってくれるラウラは俺と同い年になる。ただ比率だけで言えば年上の女性が多いのは間違いない。

 

 

「大和が私たちのことを大切にしてくれてるのは分かるけど、目の前でのつつき合いを大人しく見てるのは私の性分じゃないの。だからちゃーんと上書きしなきゃね?」

 

「う、上書き?」

 

「そりゃもう大和の《自主規制》をナニしたり、私にどっぷりと浸かってくれるまで《自主規制》してもらって「やめんか!」あいたっ! 何するのよ!」

 

 

公に出来ないようなど直球な下ネタを突っ込む暴走した姉を静止すべく、おでこに軽くデコピンを食らわす。

 

力は抑えつつも、パチンと肉体と指が勢いよく接触する音からそこそこ威力はあったようで、攻撃された本人は額を抑えながら涙目で訴えてくる。

 

 

「会話が生々し過ぎるわ! もっとオブラートに包めよ!」

 

 

こんな白昼堂々話すような内容ではない。忘れてもらっては困るがまだ昼過ぎであって夜のアダルトな雰囲気は一切無い。

 

先程までのどこか大人びた甘い雰囲気は完全に吹き飛ばされてしまった。元を正せば何の話をしていたんだっけか、思い出そうにも思い出せなくなってしまうあたり、いかにこの姉の会話の内容が強烈だったのかが分かる。

 

さて、このまま放置して拗ねられても困るし多少の飴は与えるとしよう。

 

何、別に変なことじゃ無い。

 

 

「まぁ、ともかくだ。仕事は明日からだし今日くらい羽を伸ばしてもバチは当たらないだろ。それに折角外は良い天気なんだし室内に居たら勿体ない。着替えたらちょっと出掛けようぜ」

 

「ふぇっ?」

 

 

これからすぐ仕事に入るわけでは無い。

 

学生としての身分を優先するのなら授業を受けろという話にもなるけど、俺が今どこで何をしているのかなどIS学園にいる人間は把握しようが無い。

 

専用機を見に纏っていれば位置を特定することくらいは出来るだろうけど、残念ながら丸腰状態で特定する術はない。

 

それに普段は中々会えないんだ。

 

この時間を利用して()()()()()()()()()を敢行してもバチは当たらないだろう。



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乙女たちの井戸端会議

 

 

 

「……あ、あの。これは一体?」

 

 

一人の少女は困惑していた。

 

放課後、知り合いから話があると言われて快諾したまでは良かったが、今となってはどうして二つ返事でオッケーを出してしまったのかと深く後悔している。

 

雰囲気はまるでブラック企業の圧迫面接、とでもいうのだろう。自身が逃げられないように周囲を取り囲む面接官、もとい生徒たち。まだその年齢ではないものの、リアルな就活生の気分を少し早く味わえて得をした気分になる……訳はなかった。

 

 

「ふふふ……ナギ、覚悟は出来ているかしら?」

 

「えっと、な、何がかな? って鈴! 顔が近いよ!」

 

 

きらりと目を光らせて少女を、もといナギを覗き込むのは親友である凰鈴音だった。ふっふっふと悪者を彷彿とさせる笑みを浮かべながら、対岸に座るナギへと接近する。

 

場所は食堂。

 

放課後ということもあって、大半は部活動に勤しむか寮へと帰宅するかのどちらかで訪れる生徒も少ない。広大な食堂の一角で一人の生徒を取り囲む様子は側から見ると尋問しているようにしか見えなかった。

 

距離が近いと後方に逃げようとするものの、後ろは椅子の背もたれになっていて逃げることは出来ない。

 

 

「ノリノリだね鈴。でも確かに僕もちょっと気になるかなぁ」

 

 

ノリノリで問い詰める鈴に対して苦笑いを浮かべるも、話している内容は気になるというブロンズ少女はシャルロットだ。

 

空気の読める彼女の性格からして、本当に理不尽なことは真っ先に止めに入るはず。そんな彼女なら興味津々と聞き耳を立てるくらいだから、余程興味のある内容なんだろう。

 

 

「言われてみれば細かい部分を聞いたことがありませんでしたね。私も後学のためにも聞いておきたいものです」

 

 

シャルロットに続くように自分も興味があるから、とセシリアは言う。

 

 

「わ、私も聞いてみたい! 大和と一夏ではタイプも違うが、普段どんな感じにしているのか興味がある!」

 

 

最後に箒。

 

顔を赤面させながらも胸の内に潜む好奇心は隠せないらしい。彼女の言葉から察するに、話題は大和や一夏のことについてのようだ。

 

 

「え、大和くんと織斑くん? 大和くんのことなら多少は知ってるけど、織斑くんのことはあまり分からないよ?」

 

「何言ってるの、今日聞きたいのは一夏のことじゃ無いわ。あんたと大和関係についてよ!」

 

「か、関係?」

 

 

今更何をと返そうとするが、冷静に考えてみると今の今まで周囲に自分たちの付き合い始めた時の状況や普段の付き合い方を話す機会がほとんど無かったことに気付く。

 

自分のプライベート、それも大切なパートナーとの付き合い方や内容についてわざわざ話す機会が早々無いのは当然。本来なら二人の中だけの秘密として心の中に留めておくものになる。

 

唯一話したのは臨海学校の時、ナギの変化に気付いたクラスメートたちに付き合い始めたきっかけの出来事を話したくらいか。もちろん、目の前に座っている四人に話したことはない。

 

 

ただ四人も一夏に想いを寄せる身。

 

自分たちの何歩も先に行く二人の関係を少しでも聞いて、一夏を振り向かせるための肥やしにしたいと思うのは必然だった。

 

 

「関係って言われても、話せる内容と話せない内容があるし……それに勝手に話したら大和くんに何を言われるか分からないよ?」

 

「「うっ!」」

 

 

ナギの一言に、場にいた四人の顔がそうだったと引き攣る。

 

二人の中だけにしまっておきたい思い出もある。

 

もちろん話せる内容であればナギとしても話すが、話しても良いかどうか判断に悩む内容について話せば、後々話した事を大和に知られた時に何を言われるか分かったものではない。もちろん言われるのはナギではなく、聞き出そうとした四人に対してだ。

 

大和の性格からして、ナギを責めるようなことはしない。

 

それにこのシチュエーションから推測すれば、四人が聞き出そうとしているのは明白。学園に戻ってきた大和の耳に入った時のことを考えると、後々の未来を想像するのは容易い。

 

うーっとひとしきり悩んだ後、何かを決心したかのように言葉を続けた。

 

 

「だ、大丈夫。大丈夫だから話してちょうだい」

 

「本当に大丈夫? 声が裏返ってるけど……」

 

「こ、虎穴に入らずんば虎子を得ずよ。時には多少冒険しなきゃいけない時があるわよね」

 

 

有名なことわざで誤魔化そうとしているが鈴の声は盛大に声が裏返っていた。とはいえ彼女たちにとって今後必要な情報であることは間違いなく、目の前にいるナギは恋愛経験値だけで言うのなら自分たちよりも何歩も先を歩いている。

 

そもそもIS学園内で彼氏持ちの生徒はそこまで多くはない。年頃の女性にとって、恋愛経験値が先を行く人物から話を聞きたいと思うのは必然だった。

 

 

「そ、そこまで言うなら……でもどこから話せば良いのかな?」

 

 

話がまとまったタイミングで口を開く。

 

 

「そ、そうね。まずあんたたちが付き合い始めた時のことを聞こうかしら」

 

「付き合い始めた時のことかぁ」

 

 

定番中の定番、どんな過程を経て付き合い始めたのか。

 

当時のことを思い返していく。

 

元々男性操縦者という肩書きを持つ一夏や大和に興味本位でアプローチを試みる生徒たちは多かった。ナギとて同じクラスになった時は一度は話をしてみたいと思ったが、自分なんかが大和と親密な関係になることなんて無いだろうし、話せればラッキーくらいに考えていた。

 

初めての会話のチャンスは意外にも早く訪れる。

 

IS学園入学初日、夕食を取ろうと食堂にやってきた大和だったが、ピーク帯と重なってしまったこともあり座席はほぼ満員御礼。空席を探す大和が偶然見つけたのは、四人掛けの席に座っているナギたちだった。

 

大和にとって初めて話すクラスメートがナギであり、ファーストコンタクトで連絡先を交換して以降二人は少しずつ、ただ確実に距離を縮めていくことになる。

 

 

(あはは。付き合い始めってわけじゃ無いけど、クラス対抗戦の後の買い物も凄く思い出深いよね)

 

 

今でもあの時を思い出すとドキドキするし、心がときめいてしまう。

 

二人の距離が急接近し、互いを異性として意識し始めたのはクラス対抗戦の後日くらいだろう。街へと繰り出してデートすることになるわけだが、二人にとって初めてのデートとなった。

 

無人機から自分を助けてくれたのが大和であることを知り、そして別れ際に手渡されたプレゼントを見てナギの心は完全に大和で埋め尽くされてしまう。中学を共学校ではなく女子校で過ごした彼女にとって、異性との付き合いなど無縁。

 

漫画やアニメやドラマの中でしか見ることが出来なかったシチュエーション。夢であり、憧れだったシーンを自分が体験している。

 

あの多幸感は表現出来るものでは無い。

 

 

「付き合い始めたのは臨海学校の少し前から……ほら、皆が織斑先生に見つかった日なんだけど」

 

「あー。何か雰囲気変わったとは思ってたけど、やっぱりあの日だったのね」

 

 

予想が当たってどことなく満足そうな反応を見せる鈴は腕を前方で組みながらうんうんと相槌をうつ。

 

すると隣にいる箒が興味深げに話題を広げていく。

 

 

「ち、ちなみに聞きたいんだが告白はどちらからだったのだ?」

 

 

興味はあるが色恋沙汰に対する耐性は無いようで、どこか緊張気味にナギへと質問を投げ掛ける。

 

箒の質問に対して少し顔を赤らめながらも、箒の目を見てしっかりと回答する。

 

 

「告白はその……大和くんからだよ」

 

 

嬉しそうに微笑むナギを見て、四人は思わず彼女の表情に見惚れてしまう。

 

あぁ、これが彼氏を持つ女の子なんだと。普段決して見せることがない、()()に向ける表情に鼓動が高鳴っていく。

 

 

「やっぱり大和からだったんだ。確かに側から見たらいつ付き合うんだろうって気になるくらいに近い距離だったよね。相思相愛なんて羨ましい……」

 

 

一夏は僕のことどう思っているんだろう、と付け加えるようにシャルロットは誰にも聞こえない想いを吐露する。

 

普段の距離感から互いに好意を寄せていることがよく分かる関係になっていた大和とナギ。二人の関係に羨ましさを覚える一方で、自分の想いに勘付いてくれない一夏へのもどかしさを感じ取ることが出来た。

 

一夏に対しても好意を寄せるライバルたちは多い。少なくともここに話を聞きに来た四人は一夏に対して明確な好意を抱いている。ただいずれもタイミングが悪い、素直になれない、何故か伝えた想いを勘違いして認識されるなど、不特定多数の要因に見舞われて関係値が進展しない。

 

紆余曲折はあれど想いを実らせたナギを見ていると、現状の立ち位置に思わずため息をつかずにはいられなかった。

 

 

「それで、どうなったの?」

 

「え?」

 

「そこから先よ。まさか告白して終わり……ってわけじゃないんでしょ?」

 

「え、えぇ!?」

 

 

鈴の言葉に動揺を隠せない。まさかそこまで聞かれるとは思っていなかったのだろう。

 

告白の先、それは互いにとっての初めての行為。自分らしくない積極的な行動だったわけだが、今あの光景を思い出すと恥ずかしい気持ちで一杯になる。

 

一方の鈴は既に先の展開は知っていますと言わんばかりにニヤニヤと笑みを浮かべていた。もはや確信犯である。

 

当然、その日の出来事はそれだけで終わりではない。以前クラスメートに根掘り葉掘り聞かれた時にはそこまで詳しく突っ込まれることはなかったものの、あの時の光景を思い出しながら話さないといけないのかと考えると、恥ずかしさから顔の表面温度が上がっていくのが分かった。

 

上手く言い訳をしようにも目の前の四人はキラキラも目を輝かせている。

 

 

「えっと……うん。だ、誰にも言わないでね?」

 

 

ナギの言葉に首を縦に振る四人。

 

気のせいか、先ほどまでよりも身を乗り出しているようにも思える。話せる内容ではないで話を終わらせるのも一つの方法ではあるが、律儀に応えてしまうのは性格所以の問題か。

 

誰にも口外しないことを確認すると、すぅと息を吐いて昂りかけた気持ちを一旦落ち着ける。

 

 

「その、帰り道で……あの、き、キスを……」

 

「「キスぅ!!?」」

 

「し、しー!! こ、声が大きいよ! 他の人いたら聞こえちゃう!」

 

 

四人全員の声が盛大にハモる。

 

互いがカップル同士であればスキンシップの一環として口付けを交わすことはあるだろう。ナギの話を聞く限りでは付き合い始めた初日に二人はキスを交わしたことになる。プラトニックな付き合い方をしているカップルは手を繋ぐだけでも中々時間がかかるというのに、付き合った初日で二人は既に済ましていた。

 

四人は予想こそしていたけどまさかここまで早いとは思っていなかったようで、同時にナギ自身もここまで大袈裟な反応を返されるとは思っておらず、慌てて声量を下げるように場を沈めようとする。

 

 

「な、なるほど。き、キスか。わ、私も知っているぞ。ほら、天麩羅にしたら美味しいっていう」

 

「箒、それ鱚違いで全くの別物だよ。でも物凄く動揺しているのは分かるなぁ、僕たちからすれば未知の世界だもんね」

 

 

ナギの話に顔を真っ赤にして箒はカタコトの日本語を話す。動揺を隠せないまま、全く意味合いの違う魚の『鱚』を引き合いに出してしまい、シャルロットに冷静なツッコミをされる。

 

シャルロットとしても話口調こそ落ち着いてはいるが、内心ドキドキが止まらないでいる。今までされたことがない行為であるが故に、彼女にとっても知らない世界であった。

 

とはいえ恥ずかしがりながらも話すナギの表情は幸せそのものであり、自分の想い人からされるキスが如何に多幸感に包まれるものだったかは想像に容易い。

 

尚、シャルロットが一夏と同室の際に彼の額に唇を落としたことは誰にも話していない、彼女の中だけでの秘事になる。

 

 

「か、鏡さんはだいぶ進んでおりましたのね。キス、キスですか……はっ!? わ、わたくしは一体何を?」

 

 

セシリアはセシリアでキスという単語で何かを深く考え込む。やがてセシリアの顔が紅潮したかと思うと、頬に手を当てながら別世界にトリップしかける。どうやら自分がされるイメージを想像したらしい。

 

完全にトリップをする前に現実世界へと戻ってこれたことで、気恥ずかしさから周囲にキョロキョロと視線を彷徨わせた。

 

様々なトンチの利いた反応を見せる三人に対して、鈴は大きくため息をつく。

 

 

「あんたたち何してんのよ……あぁそうだ、キスで思い出したけど、修学旅行のバスの中でキスしたって聞いた時は流石に目が点になったわよ」

 

「うぅ。そ、それは」

 

 

私その時居なかったのよね、と何の気無しに鈴は当時のことを振り返る。一人だけ他クラスである鈴は搭乗するバスが違うこともあり、該当のシーンはリアルタイムで目撃することは出来ずに、後々風の噂で聞いたものになる。

 

今更思い返すとかなり……というか相当大胆な行動だったことに気付き、ナギは少しばかり言葉をつっかえながら頬を赤らめた。

 

あの時はいきなり来たどこの誰とも分からない第三者の女性に大和をおいそれと奪われるわけには行かないと、ある意味開き直った気持ちで直情的に行動を起こしてしまったわけだが、いくら自分の恋人で見知ったクラスメートの前とは言っても大胆すぎる行動には変わりない。

 

臨海学校から帰宅した後、事情を知らないクラスメートたちに根掘り葉掘り質問されたのは想像に容易い。あの一部始終を見せられて特になんの関係も無いですと、開き直るのには無理がある。

 

当然、そこで大和と恋人関係にあることもバレてしまったわけだ。

 

もはや自業自得以外の何物でも無いが、クラスメートたちからの反応は祝福の言葉のみ。大和自身もナギの行動に対してとやかく言うことも無く、バレてしまったら仕方ないよなくらいで、特に気にする素振りを見せることは無かった。

 

とはいえ、とはいえ、だ。大胆な行動であることには変わりなく、在学中は事あるごとにネタにされるに違いない。

 

 

ただまるで恋愛ロマンスのワンシーンのような出来事に憧れを持つ人間がいるのも事実だ。

 

 

「でも憧れますわね、バスの中で恋人とキスだなんてドラマみたいですもの」

 

「確かに誰しもが一度は思い描く光景よね。ま、私たちの恋愛の参考になるかと言われると、のろけ話を聞かされているだけのような気がしないでもないけど」

 

「ちょっ、ちょっと鈴ってば!」

 

 

折角ここまで話したのに! と眉をへの字に歪めてナギは抗議をする。

 

決して本心で怒っているわけでは無いが、最終的に自分の体験談がただののろけ話として取られてしまったことに納得が行っていないようだ。

 

とはいえ、だ。

 

何歩も先を進んでいるナギの姿を見ていると、自分たちの停滞っぷりに思わず落胆のため息しか出てこなかった。

 

 

「はぁ、何かあたしたち、女としてナギに相当引き離されちゃってるわよね。いや、そもそも同じ土台に立てていないというか……」

 

 

同い年だというのに恋愛経験値がまるで違うことに鈴は落胆の色を隠せないでいる。

 

 

「うん……だって僕たち誰かと付き合っているわけでも無いし、過去に付き合った経験もないわけだから」

 

 

今まで異性と付き合ったことが無いのだから経験値もへったくれも無い。

 

シャルロットは大和とナギの関係について羨望の視線を向けた。

 

 

「そうですわね……それに想いを寄せている殿方はいても何も進展がないんですもの」

 

 

現状で満足をしているわけではないが、行動を起こしても進展しない現状に対して、セシリアはもどかしさを感じていた。

 

箒や鈴のように昔から一夏のことを知っていたわけではないものの、少なくとも周囲の生徒たちと比べれば一夏との距離感は非常に近いものがある。

 

だというのにちっとも関係が進展している様子がない。

 

 

「アイツの性格上仕方ないとはいえ、身近に理想的な関係の二人がいるからこそ尚更私たちの惨めさが目立つというか……」

 

 

幼き頃の一夏をよく知る箒。

 

かつては共に剣を交えて切磋琢磨した間柄で、この中では最も早く一夏に対して好意を寄せていたにも関わらず、一夏の絵に書いたような唐変木振りと素直になれない自身の性格が災いして、今の今まで自身の想いを伝えられないでいた。

 

 

「「はぁーー……」」

 

 

突きつけられた現実にガックシと頭を垂れる。

 

分かっていた事実とはいえ自分たちの行動がどれほど一夏に伝わっているのか、当然本人に聞くことも出来ないため、一同の内にはモヤモヤだけが残った。

 

 

「あの……皆、大丈夫?」

 

「大丈夫、大丈夫。ノミの心臓くらい大丈夫よ」

 

「そ、それって大丈夫じゃないような気がするんだけど」

 

 

あからさまに動揺しているのは誰の目に見ても明らかだが、大丈夫だとナギへと伝える鈴。ただ言っていることがよく分からず、ナギは首を傾げることしか出来ないでいた。

 

 

「ところで……もう一つ気になってることがあるんだけど」

 

「え?」

 

 

ふと、鈴が話題を変える。

 

何だろう、心なしか嫌な予感がした。まだ何も話していないものの、このまま話を聞いていたら本当の意味で根掘り葉掘り聞かれるんじゃないかと。

 

若干の冷や汗をかきながらも、答えれる範囲で答えると言ってしまった手前、逃げ出すことも出来ずに続く言葉を待つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「髪を切ってからどことなく一皮剥けたというか、前よりも大人びて綺麗になったような気がするんだけど。あたしの気のせいかしら」

 

 

この髪は決して自分が意図して切ったものではない。正確には切られた、と言い表す方が正しいだろう。以前は腰ほどまで伸びていたが、今は肩くらいかほんの少し長いくらいの長さに落ち着いていた。

 

時間を経れば自然と伸びるものであり、焦らずとも待っていれば髪自体は元に戻る。ただ伸ばしていた髪に未練がないか、と言われれば嘘になる。

 

無理矢理切られて気分が良いはずがない。むしろ心が折れなかっただけ彼女の心が強かったと、その一言に尽きる。

 

 

さて、本題に一旦戻るとしよう。

 

ここで鈴が聞きたいのは髪が短くなった経緯ではない。態々聞かれたくない過去を掘り返すほど彼女も子供ではないし、センシティブなことに対する分別は出来ている。

 

髪を切った後からナギが前よりも大人びて見え、かつ綺麗に見えると言っている。ふと、大和と一線を越えてしまった時の出来事を思い返してしまったナギの顔の表面温度がぐんぐんと上昇していく。

 

一線を越えると男性はより男らしく、女性はより色気を兼ね備えた大人の女性になると言われているが、その変化に気付いたようだった。

 

 

「な、何を言ってるの? そ、そんなことないよ」

 

 

咄嗟に勘違いだと訂正する。

 

が、今の一瞬の戸惑いと表情の変化を四人が見逃すはずも無かった。

 

これは何かあったなと、四人の中での疑念が確信へと変わる。

 

とはいえここから先の内容に関しては二人の間だけでの秘事になる。当然大っぴらに話せるような内容では無いし、こちら側から強引に聞けるような内容でも無い。

 

それにそんな生々しい話をされても、聞いてる側が恥ずかしくなって居ても立っても居られなくなってしまうに違いない。

 

 

「ふぅん、そう。それならそう言うことにしておくわ」

 

 

今の一言で二人の関係がどこまで進んでいるのか、あわせて大人っぽくなった理由を悟った鈴はどこか満足そうに頷いた。加えて頑張りなさい、とナギへとエールを送る。

 

鈴の中には決して大和との関係を冷やかそうとする気持ちは無く、二人の関係を応援する立場であることに変わりなかった。

 

てっきり深く質問されると思っていたようで、予想外の声を掛けられたナギは目を丸くしながら鈴のことを見つめる。

 

 

「な、何よ。そんなにあたしの言ったことが意外だったかしら?」

 

「え? う、ううん。そんなことは無いんだけど……」

 

「まぁ確かに色々と情報は必要だったけど、何だかんだあたしたちもアンタたちのことは応援しているのよ。興味がないわけじゃないし聞きたいのは山々だけど、二人のその……()()に関して深く聞こうとは思わないわよ」

 

 

鈴はポリポリと頬をかき、どこか照れながら言葉を続けた。

 

ナギ自身思い返そうと思えばいくらでも思い返すことは出来る。自分の初めてを失った、最愛の人と初めて繋がったあの日のことをこれから先、決して忘れることはないだろう。

 

泣きそうになるほど痛いのに、肌越しに伝わってくる彼の温かさ、そして何事にも言い表すことができない多幸感。

 

あの感覚は体験しなければ分からない。

 

とはいえ、だ。

 

 

(()()を言うのはちょっと気が引けるかなぁ……)

 

 

物事には限度というものがある。

 

お互いの関係値は決して低いわけではないし、絶対に話したくないというわけでは無い。今いるメンバーになら多少際どいところまで踏み込んで話しても別に構わないとは思っているが、内容が如何せん形容しがたいものになる。

 

 

(凄く痛かったけど……でも、凄く嬉しかったし、幸せだった)

 

 

紛れもないそれはナギの本心だった。

 

互いにとって初めての行為だ。年相応に興味はあり、万が一の時に備えて最低限の知識は調べていたものの、いざ本番になるとイメージと現実が大きく違うことに気付いた。

 

彼を受け入れることで伴う痛みだってある。ただ痛みに表情を歪める自分を何度も気遣ってくれた大和の優しさに何度も彼女の心はトクンと跳ねた。

 

 

「はぁ、僕も頑張らないとなぁ。これじゃあ一夏に気付いてもらえないまま卒業を迎えちゃうよ」

 

 

一夏と自分たちの距離感はどれくらいなのか。

 

全員がほぼ横に並んでいる状態とはいえ、抱いている想いを一夏が気付いていないという現状を考えると、とてつもなく遠い距離のようにも思える。

 

下手をすればこのまま卒業まで気付かれないんじゃないか。リアルにあり得そうな未来で、シャルロットからするとあまり笑えないところだ。

 

 

「そうね。アイツには色々と気付いてもらわないと。付き合ってって言ったら、買い物に付き合うことと勘違いするあのバカをどう振り向かせるか……」

 

 

酷い言われようである。

 

見た目の容姿と秘めた優しさだけなら文句なしのパーフェクト人間である一夏。

 

にもかかわらず異性から向けられる好意に関しては鈍感そのものであり、どう捉えればその結論に至ったのかと思わず頭を抱えたくなるレベルの朴念仁なのだ。

 

 

「まだ学生生活が終わったわけではありません。ただ悲しきことに、一夏さんへわたくしの想いが伝わっていないのも事実ですわ」

 

 

自身が複数人から好意を向けられていることに気付いていない。それはここにいる四人も同様であり、ある意味全員のスタートラインは同じと言える。

 

 

「うむむ……」

 

 

故に幼馴染みというアドバンテージはあってないようなもの。

 

何か行動を起こさなければと、四人の脳裏には様々な想いが募っていた。

 

 

「あ、そういえば二人は普段どんな感じで接してるの? ほら、学校では今まで通りのようにも見えるんだけど、やっぱり二人きりになると違うものなのかな?」

 

 

ふと、鈴と入れ替わるようにシャルロットがナギへと質問を投げ掛ける。

 

 

「普段? 普段は割と普通だと思うけど……うーん、どうなんだろう?」

 

 

付き合い始めて既に三ヶ月程の月日が経つが、前提として自分たちの付き合い方はどう周囲に映っているのだろう。あくまで普通の付き合い方をしていると思っているものの、第三者から客観的に見られたイメージと乖離があることはよくある。前提として自分たちの普通の認識が、ズレている可能性もあった。

 

大々的な公言はしていないために、付き合っていることを知っているのはクラスメートと一部の知り合いのみ。

ただ明らかに二人の距離感が近いことから二人が付き合っている、もしくは友達以上の関係に発展していることを悟っている生徒も決して少なくは無い。

 

その一例が悪しき方向に捻れて起きた出来事が先日の嫌がらせだ。

 

二人の距離感から付き合っているか一定以上の関係まで進んでいることに気付き、面白くないという自分たちの私欲を満たすためだけに手を出してきた。もちろんこのような野蛮な行為に走ろうとする人間はごく一部であり、多くの人間はそうなるはずがない。

 

 

「あっ、でもお互いの良い部分も悪い部分もさらけ出すっていうのはあるかも」

 

「「さ、さらけ出す!!?」」

 

「へ、変な意味じゃないよ? その……変なところで我慢しても仕方ないし、何か思うことがあるなら遠慮なく言ってくれって大和くんが」

 

 

別の意味合いに取られたことを慌ててナギは訂正する。

 

下手な我慢をするのはやめようと、せめて二人きりの時くらいは素直になろうと改めて大和と交わした約束。大和はこれまでの生い立ちを隠し続け、ナギは先日の一件を誰にも相談せずに自己解決しようとしていたことは記憶に新しい。

 

二人が話さずに黙っていた内容もおいそれと相談出来るようなものでは無かったとはいえ、前者はナギを悲しませることになり、後者は自身の髪を失うことになってしまっている。

 

絶対に人に話すことが出来ない秘密の一つや二つはあって当然。

 

ただ、内容如何では取り返しがつかなくなるものだってある。だからこそ話せる部分、相談出来るような内容は遠慮無く言いあえる関係になっていこうと()()()に二人の間で取り決めたのだ。

 

 

(でも二人きりの時はいつも以上に甘えちゃってるかも。大和くんといると皆が知らない私を知って欲しいって思っちゃうんだよね)

 

 

大和しか知らない自分、同時に自分しか知りえない大和もいる。

 

少しでも自分のことを知って欲しい、少しでもあなたのことを知りたい。決して独占欲が強い訳では無いが、大和のことを思う気持ちは誰にも負けない自信がある。

 

例えそれが自分の悪い部分だったとしても、大和には自分のことをもっと知って欲しい。声を大にして言えるくらい、彼のことが好きなのだから。

 

 

「それって遠慮無くぶつかってきて欲しいってことだよね。何でも受け止めてくれそうな感じがして凄く憧れるよ。いいなぁ、鏡さん」

 

「そ、そうかな」

 

「うん。そっかぁ、やっぱり皆の前にいる時と、二人きりの時は全然違うんだね。一夏も僕と二人きりの時は……」

 

「え?」

 

「ううん、何でもない!」

 

 

後半に行くにつれてボソボソと聞き取りづらい声になったために、何を言ったのかと聞き直すナギだったが、顔を赤らめながら何でもないとシャルロットは反応する。

 

大方一夏と二人きりになった時のシチュエーションを想像したのだろう。ぶんぶんと顔を振って切り替えようとしていた。

 

 

「しかしまぁ聞けば聞くほど打ち出の小槌の如く出てくるわね。全部聞いてたら一日終わりそうな気がするわ」

 

 

想像以上に様々なことを聞けたことで鈴は満足そうな笑みを浮かべつつも、もうお腹はいっぱいであるとおどけて見せる。

 

このまま話していたら放課後の時間はおろか、丸一日話せる内容じゃないかとナギへと伝えると、ナギは両手を自身の胸の前で左右に揺らしながら遠慮がちに否定した。

 

 

「そ、そんなことないと思うけど」

 

「そんなことあるわよ。じゃあ大和の話を好きなだけ話してくれって言われたらどう?」

 

「えっと……」

 

 

好きなだけ話したらどうだろうと鈴に切り返されると、内容を整理するためにナギは考え込む。

 

どうだろう。

 

内容によっては話せないものや話してはならないものもあるし、それらの選択肢を除いた状態で大和の話をしようとすると仮定する。

 

 

「……っ」

 

 

顔の表面温度が再度上昇していくのが分かった。

 

こんな時に限って膨大な量の大和に関する情報が脳内に浮かび上がってくる。それを嬉々としながら話している自分を想像すると、否が応でも恥ずかしくなってしまう。鈴の言うとおり、話そうと思えばいくらでも話すことが出来るのは間違っていなかった。

 

おそらく好きなだけ話してほしいと言われたら、丸一日話し続ける姿が容易に想像出来る。

 

そんなナギの様子を見ながらやっぱりねとケラケラと笑う鈴に、周囲の三人も同調するかのように笑みを浮かべていた。

 

まさに予想通り、という一言に尽きる。

 

ボンッという音を立てながら耳まで真っ赤にしたナギは口をパクパクと動かし、手をもじもじとさせながら俯いてしまう。

 

 

「でもホント羨ましい限りよ。あんたの様子を見てると大和のことを大切に想ってることが分かるし、その逆も然りね。こりゃ子供の顔が見れる日も近いんじゃない?」

 

「も、もう! 鈴ってば!」

 

 

それ以上は駄目だと顔を赤くしながらナギは鈴を止めようとする。鈴の一言に想像してしまったようで、ナギの表情はどこか満更でもない様子が見て取れた。

 

大和との子供が欲しくないかと言われたらそりゃ欲しいに決まっている。将来は仲睦まじく過ごして、子供を育てる……何処にでもあるような普通の生活を送ることが出来ればそれでいい。

 

豪華な家や並外れた年収なんていらない。特別な生活なんて必要ない。

 

彼が居てくれるだけでいい、それ以外は何も望まない。

 

それが彼女の願いだった。

 

 

「さて、話もあらかた終わったしそろそろ帰らない?」

 

「そうですね、大変有意義な時間でしたわ。忙しい中、鏡さんもありがとうございます」

 

 

話が区切りを迎えたタイミングでパンパンと手を叩くと、鈴は机の下に置いてあるカバンを手に取りながら立ち上がる。

 

セシリアはセシリアで、恋人同士の深く立ち入った話を聞くことが出来て満足そうな表情を浮かべていた。感謝の気持ちを込めてナギへとお礼の言葉を伝える。

 

 

「本当にありがとね鏡さん。あっ、そうだ。折角だからこれからちょっと皆で出掛けない? 美味しいケーキ屋さんが出来たんだって」

 

 

カバンを持ちながらシャルロットは皆に出掛けないかと提案を持ちかけた。

 

性格や思考は違えど全員女性だ、流行りのスイーツの話題が上がれば反射的に食い付く。

 

 

「あぁ、その店なら私も知っているぞ。放課後出歩くこともここ最近は無かったし、たまには良いかもな。どれ、そうと決まれば早く行こう」

 

「あっ、待って! それならラウラさんにも声掛けるよ。今日は特に予定も何もないって言ってたから」

 

 

カバンから携帯電話を取り出し、ナギはラウラに電話を掛け始めた。トントン拍子で話は進み、一同は街へと繰り出すために食堂を後にする。

 

大和が居ない学園生活。

 

本来であれば入学し得なかった存在の人間。

 

だがその存在は確実に彼女たちの中でも大きなものとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(大和くん、元気にやってるかな?)

 

 

親が子を心配するかのような面持ちで海外にいる大和のことを想う。

 

でも彼なら大丈夫、来週にはきっと元気な姿を見せてくれるだろう。

 

だって彼は。

 

 

(大和くんは誰よりも強い騎士様だもんね)

 

 

そして彼女は彼のことを信じる。



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二人だけの時間

 

 

待ち合わせの集合時間五分前。

 

簡単に周囲の探索を済ませた俺は、待ち合わせ場所であるホテルの入口前に居た。

顔合わせが予想以上に早く終わったため、余った時間をどうしようかということで、久しぶりに二人で出掛けるのも良いんじゃないかと。

 

ちなみに俺の今回の休みに関しては病欠などでは無く、公欠として処理をされるらしい。本来であれば部活動の大会とかが登校日と重なった場合に使われるらしいが、特例中の特例措置を千冬さんの権限で発動させたそうだ。

 

気になるのは千冬さんの権限がどれほどのものなのか、というところ。特例措置を発動させられる辺り、相当高い権限を持っているのは間違いない。完全に家庭の事情だし、普通の欠席扱いになったところで特に何とも思わないが、配慮をしてもらえてありがたい限りである。

 

 

話を元に戻そう。

 

二人で何処かへ出掛けるくらいなら一緒に出てくれば良いのにと言われるかもしれないが、着替えの時間は男女で大きく乖離がある。

 

女性の方が準備する工程も多い故に、時間が掛かってしまうのはやむを得ない。多少待ち合わせに遅れることは想定しているし、そこまで急いで何処かに向かうわけでもない。

 

時間が掛かることを想定して俺も周囲の偵察を軽く済ませてきたところになる。早々問題が起きてもらっては困るものの、今のところ近くに障害となる問題は無いようだし、誰かに監視されている気配もない。

 

ひとまずは安心して出掛けることが出来そうだ。

 

 

「しかしまぁこうして二人で出掛けるのも久しぶりだよなぁ。夕飯とかの買い物除いたらいつぶりだっけ」

 

 

二人で出掛けること自体がかなり久しぶりのことになる。最後に二人で出かけたのはいつだったか、少なくとも今年に入ってからは一度も無かったような気がする。

 

うん、無かったよな。

 

初詣も仕事で行かなかったし、他のイベントでも二人で何処かに行った記憶は頭の中に残っていない。

 

そう考えると本当に久しく二人で出掛けることが無かったのだろう。二人でいる時間は長いのに、年齢を重ねるに連れて共にどこかに出掛ける機会は減少したってことになるのかもしれない。

 

……どことなく寂しい感じがしないでもない。

 

 

「あ、あの大和……お、お待たせっ!」

 

 

そうこうしている間に俺の背後から息を切らせたような声が聞こえてくる。

 

相当急いで着替えてきてくれたみたいだ。背後に居るであろう千尋姉の方を振り向きながら声を掛けようとする。

 

 

「あぁ。いや、全然待っていないよ。準備が早いのは男だから当然だし、慌てなくても一人ぼっちにはしな……」

 

 

視界に千尋姉の姿が映った瞬間に思わず言葉を失った。

 

 

「えっと……どうかしら? 普段あまりヒラヒラした服は着ないんだけど。その、ナギちゃんからたまには着てみても良いんじゃないかって言われて」

 

 

どうやら俺の知らない間に二人は連絡先を交換していたらしい。どのタイミングで交換したかは知らないけど、今ナギの名前が出てくるってことは、二人が繋がっていることは間違いないようだ。

 

さて、問題は今の千尋姉の服装についてだ。

 

学生時代や仕事の時こそスカートを着用する機会は多いものの、ここ数年だけの話をすると千尋姉のスカート姿を見る機会はめっきり減った。

 

ヒラヒラした服は似合わないというのと年甲斐もなく周囲の視線を変に引くのが嫌という理由から避けていたようで、言われてみれば外を出歩く時はスカートではなくデニムパンツ、もしくはショートパンツにタイツを重ねたようなカジュアルでボーイッシュな服を好んで着ていることが多かったように思える。

 

それでも結果的に持ち前の美貌とプロポーションのせいで人目は引く羽目になるわけだが。あそこまでどの服装でも着こなせるのは神が与えた才能だろう。世の女性が嫉妬したところで何ら不自然ではない。

 

あくまで私的に着たくないと言っているだけで、着たら着たでまるでどこぞのモデルにしか見えない。

 

世の中って理不尽だ。

 

 

「ち、ちょっと大和。黙っていないで何か言ってよ……私だけ恥ずかしいじゃない」

 

 

無反応だった俺に対して少し拗ねたような、ただその中に恥じらいを含んだ表情で見つめてくる。自分と一回り近く年齢が離れているとはいえ、今浮かべている表情は年頃の女性と変わりはない。

 

照れてる千尋姉、アリだ。

 

もし言葉に出したら後が怖いし、自分の心の中だけに留めておこう。

 

 

「うん、似合ってる。可愛いよ千尋姉」

 

 

自分の中き浮かんできた言葉を率直に声として伝える。

 

言葉の意味を理解出来ずにキョトンとする千尋姉だが、俺の言葉を理解するとボフンと頭から湯気を出しながら俯いてしまった。

 

……俺、何か間違ったこと言ってないよな?

 

 

「か、可愛い……可愛いって、大和が私のこと可愛いって」

 

「あのー千尋姉? 大丈夫か? 何か壊れたオルゴールみたいに同じ事ばっかり言ってるけど」

 

「ふぇ……? え、う、うん。だ、大丈夫よ。少し動揺しちゃった」

 

「そ、そうか。まぁ大丈夫ならそれでいいや」

 

 

誰がどう見たって明らかに動揺しているんだが……とはいえ本人が大丈夫と言うのならこちらから変に詮索するのも違うし、これ以上聞くのは得策ではない気がする。

 

しかしこうしてみると本当に年相応の女の子にしか見えないんだよな。仕事としての面を取り除いてあげれば、周囲にいるような一般人の女の子でしかない。

 

『護衛のエキスパート』、『霧夜家元当主』という看板は持っていても、言われなかったら分からない。それは敵に対しても同じことが言える。どんなに綺麗な見た目をしていたって、どれだけ優しい雰囲気を醸し出していたとしても裏には棘がある。

 

バラと同じだ。

 

千尋姉の場合は仕事の顔と普段の顔が全く別の物だからこそ、ギャップをより強く感じる部分もある。

 

どちらにしても一言なにかいうとしたら、ナギグッジョブ! といったところだろう。自分が男だから特に強く思うんだろうけど、女性のいつもと違う服装ってグッとそそるものがあるよな。

 

異論は認めない。

 

 

「んじゃ、行こうか。全然道知らないけど、とりあえず行き当たりばったりで色んなところ出歩いてみようぜ」

 

「そ、そうね!」

 

 

千尋姉の手を取りアメリカ市街の散策、もとい初デートへと向かう。

本来なら学園に通っている時間だが、偶にしか会えないんだから今日くらいはしっかりと羽根を伸ばすとしよう。

 

 

「じゃあ大和、しっかりとエスコート頼んだわよ」

 

「あいよ」

 

 

頬を赤らめながら実に初々しい表情を浮かべてる千尋姉、実にレアだ。

 

 

「千尋姉、どこか行きたいところはある?」

 

「そうねー。長時間移動してお腹も空いちゃったし、どこか雰囲気の良さそうなレストランにでも行かない?」

 

「いいね。実は千尋姉が来る前に雰囲気の良さそうなお店見つけたんだ」

 

 

千尋姉を待っている間の探索時間で良さげな飲食店を見つけたのでそこに行こうと提案する。

 

 

「あら、いいじゃない! そこにしましょ。大和が見つけてくれたんならハズレは無いだろうし期待してるわ」

 

 

するとあっさりと千尋姉は首を縦に振ってくれた。ざっと外から見ただけだから飲食店なのは間違いないけど、いざ入って料理を食べたら残念でした、は笑えない。

 

とはいえ雰囲気からして中々に高級系のレストランだったし、そこまで味が悪くはないと勝手に推測している。これでアテが外れたら素直に謝るとしよう。

 

 

「ハードルが上がるなぁ。ま、そこそこに期待しててよ」

 

 

行き先も決まったことで、俺たちは目的地に向かって歩き出す。

それから数時間に渡り、存分に市街巡りを楽しむのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん、電話? こんな時間に誰だ?」

 

 

時間は進み夜。

 

お昼から夕方にかけて存分にリフレッシュした俺たちはホテルへと戻って来ていた。既にシャワーを済ませ、明日の準備をしてるところでふと携帯の着信音が鳴り響く。

 

電話が掛かってくることは何ら不思議はないものの、知り合いの大半は現在進行系で日本に在住中だ。

日本から海外への電話は国際ローミング扱いとなり、通常の電話料金よりもかなり高額な料金が掛かってしまう。

代表候補生クラスにもなれば話は別だけど、何となくこの電話は学園関係者が掛けてきているものではないような気がする。

 

 

「……」

 

 

千尋姉は絶賛お風呂に入っている最中。電話が長引くようであれば外に出たほうが良いかもしれないが、手短に済む内容であればこの場で電話を取ってさっさと用件を済ましてしまった方がよさそうだ。

 

寝床の化粧台の上に充電してある携帯電話を手に取り、発信者を確認するとそこには見知らぬ電話番号の記載があった。

 

見立て通り、俺の知り合いの電話番号ではない。

 

誰だ?

 

 

「はい、もしもし」

 

 

相手を確認するべく受話器を耳に当てると通話先の相手に声を掛ける。

 

 

「やぁ、霧夜大和くん。先日は世話になったね」

 

「!!」

 

 

声を聞いた瞬間、一瞬にしてややだらけ気味だった背筋が伸びる。

 

忘れもしないこの声色、つい先日の学園祭で話したばかりの人物。

 

 

「……ティオとか言ったっけか、一体何処でこの電話番号を探知した?」

 

 

その名前を呼ぶ。

 

亡国機業のオータムを追ってる最中に現れた正体不明の男。近いうちに何らかのアポイントがあるとは思っていたものの、まさか人の携帯電話に直接かけてくるとはな。

 

この電話番号も簡単に探知出来ないような工夫を施しているみたいなのに、篠ノ之博士があっさりと看破してしまったように以外にザルだったりするのかもしれない。だとしたら霧夜家のセキュリティに首を傾げざるを得なくなる。

 

使っている携帯電話の回線がそもそも特殊な仕様になっていて他の人間が使っていない独自回線を霧夜家としてもっているが故に、本来そんな簡単にバレるようなシステムになってないはずなんだが、一体どんな管理をしているんだと愚痴の一つもこぼしたい。

 

プライベート用のアドレスに関しては色んな人間に教えているが、自分の電話番号を伝えている人間はごくわずか。

 

早々出回るようなものではないと信じたい。

 

 

「それは残念ながら企業秘密さ。どこでこの電話番号を手に入れたかなど教えられるはずもあるまい」

 

 

案の定、といった回答が返ってくる。

 

そりゃ出処なんか明かすわけがない、もしこれで明かしたのなら明かしたところで大して影響がないか、相当な間抜けだろう。

 

あくまでティオの回答は想定内。

 

それなら逆探知でヤツの発信元を辿る方が良いかもしれない。発信元が分かればそこから何か分かるかもしれない。

 

 

ただヤツが用心深い性格だったとしたら……。

 

 

「あぁ、この電話番号を逆探知しようとしても無駄だから諦めることだ。使える電話番号などいくらでもある、君がいくら頑張って探知したところでそれは完全な別の人間の電話番号さ。一度でも電話を切れば、次に掛けたときは全く別の人間に繋がるだろう」

 

 

その期待は安易に砕かれる。

 

コイツ、第三者の別の電話番号をハッキングしてそこから遠隔で掛けてきていやがるのか。やることが用意周到でリスクヘッジが出来ている。嫌でも自分の身元は明かさないって魂胆だ。

 

 

「御託はいい。一体何の用があって電話を掛けてきやがった」

 

 

こいつのペースにさせる訳にはいかない。ただの暇つぶしで電話を掛けてきたとは考えにくいし、何かしら俺に対して用があるはず。

 

ストレートに何の用かと尋ねた。

 

 

「おやおやつれないな。少しくらい雑談に付き合ってくれても良いだろう。それとも私との会話がそんなに嫌いかい?」

 

「……なら、嫌いにさせないようなトークスキルを磨いたらどうだ? 雑談目的なら俺が話すことはない。もう一度聞くぞ、一体何の用で電話を掛けてきた?」

 

「ふう、やれやれ。取り付く島もあったもんじゃないな」

 

 

誰が好き好んで天敵の話を聞こうとするのか。

 

間接的に手を下したのはコイツではないかもしれないが、同じ組織に所属しているプライドは俺の仲間を散々な目に合わせたんだ。

 

そんな奴とともに行動している人間がまともな神経を持ち合わせているとは到底思えない。あくまで天敵として情報はいくらあってもいいが、生産性の無い話であればこれ以上話す内容はない。

 

 

「まぁ待ちたまえ。折角初めて電話をしているんだ。一つ有意義な情報を伝えておくとしよう」

 

「……」

 

 

終話ボタンを押そうとしたところでようやく話が進む。この掴みどころのない感じは苦手だ。

 

 

「明日辺り楽しみにしていると良い。君にとってはいい刺激になるだろうからな」

 

「……刺激だと?」

 

「そういうことだ。では」

 

「おい! 何だよ刺激って! ……っち! くそっ!」

 

 

中途半端な情報を与えたかと思ったら電話を切りやがった。受話器からは無機質な終話を知らせる機械音しか聞こえない。

 

奴は電話を切ったらリダイアルしても意味ないと言った。掛かってきた電話番号に掛け直したところで、ティオではない別の人間に繋がる未来が容易に想像できる。

 

これでは肝心な部分が分からない。冷やかしつのつもりで電話を掛けてきたんだとしたら大概たちの悪い性格をしている。こっちをからかって楽しんでいる姿を想像すると無性に腹がたった。

 

携帯をベッドに向かって放り投げると、背後にあるソファーにどかっともたれ掛かる。短い会話ではあったものの決して無意味な情報を与えてきたわけじゃない。

 

明日辺り俺にとって刺激になるような出来事がある、ヤツは確かにそう言った。

 

 

「偶然にしちゃ出来すぎてるよな」

 

 

明日からは本格的にナターシャさんの護衛の任務に着く予定だ。ティオの言ったことに嘘偽りがないのであれば、明日の任務中に何かが起きるということになる。

 

 

「何が出来すぎてるの?」

 

「いや、わざわざ人の仕事の日を狙って……え?」

 

「仕事の日を狙ってって、今の電話は誰? もしかして前に大和が言ってた人かしら」

 

「あ、あぁ千尋姉」

 

 

問い掛けられた質問に何気なく答えたところで背後に誰かがいることに気付く。部屋の鍵は閉まっているし、この部屋の中に居る人間は俺以外に一人しかいない。シャワーを終えて長い髪をタオルで束ねた千尋姉が腕を組んだまま俺の様子を見つめていた。

 

 

「あの、千尋姉? 流石にその状態で話をすると色々とマズイ気がするんだけど……」

 

「何よ。別に私の裸なんて何回も見たことあるくせに何今更恥ずかしがってるの。大事なところはタオルで隠してるんだから良いじゃない」

 

「いや、そりゃそうだけど。雰囲気ってものがあるだろ」

 

「えー? そんなに気になるかしら」

 

 

話をしようにも今の服装が中々に際どい。

 

前ナギが家に泊まりに来た時に何となく分かったとは思うが、千尋姉は風呂上がりにすぐ脱衣所で着替えるのではなく、身体を拭いた後に大事な部分をバスタオルで隠したまま部屋に戻ってくる。バスタオルの下は当然何も付けていないだけでなく何も履いていない。

 

本人は火照った身体を少し冷ますためなんて言っているけど、自分自身の体つきをもう少し把握して欲しい。モデル涙目のセクシー・ダイナマイトボディを持っていることを忘れてはならない。

 

 

「そりゃ気になるだろう。まさかとは思うけど他の人の前でもやっ「やるわけないじゃない。大和の前だからよ」……さいですか」

 

 

即答で答えてくる辺り今の発言は間違いないのだろう。人前でやってないことが分かったから一先ず安心した。

 

……あれ、今俺何の話しようとしてたっけか。

 

 

「当たり前でしょ。他の男性の前でなんていくらお金積まれたって嫌です。私の身体が高いとは思ってはいないけど、誰彼構わず安売りなんてしません。で、話戻るけど今の電話は誰だったの?」

 

 

あぁ、そうだったそうだった。

まぁもう服装云々は良いや、この部屋には俺しかいないし第三者が勝手に入ってくることも無いだろう。千尋姉ももし寒くなれば勝手に服を着るはずだ。

 

 

念のため宿泊の部屋に盗聴器の類が仕掛けられていないかどうかも調べたけど特にそれといった機器類は仕掛けられてはいない。誰にも聞かれていないことを確認し、改めて話を切り出す。

 

 

「千尋姉の推測通り、電話の相手は学園祭の時に会った人物だった」

 

「……そう。電話番号は教えてないのよね? まずどこから電話番号が漏れたのか気になるわ。まさかとは思うけど学園内の親しくもない人間に電話番号を教えたりしてない?」

 

「流石にそれはないと思う。本当に仲の良い人間に教えることはあるけど、それ以外には精々メールアドレスくらいだよ」

 

「と、なると何処から漏れたのかしら。プライベート用の電話番号は勿論だけど、今回掛かってきたのってどちらの番号だったの?」

 

「……まさか」

 

 

思い当たる節があった。

 

この携帯電話、実は電話番号を二つ搭載しているタイプの携帯電話で、プライベート用と完全仕事用で使い分けている。

 

普段教える方はプライベート用の電話番号のみであり、教えている人数も決して多くはない。それに対して完全仕事用の番号に関しては霧夜家の関係者しか知らない完全社外秘の電話番号になる。

 

仕事で繋がりのある更識家でさえこの電話番号は教えていない。

 

当然存在しているもののため、普通に掛けることが出来る電話番号になるが、この電話番号は登録以外の電話番号から掛けると着信拒否になるはず。つまり俺が意図的に設定を変えない限り霧夜家以外の電話から掛けることは不可能なのだ。

 

通話設定画面を開いて状態を確認する。

 

 

「設定が変えられてる。一体誰が」

 

 

通話設定の画面を開いた俺の目に飛び込んできたのは、設定が変更された画面だった。確かにこの状態であれば、あらゆる電話番号から仕事用の番号に掛けることが出来る。

そして履歴から先ほどの着信はプライベート用ではなく、俺の仕事用の番号に掛けられていたことも判明した。

 

このままではまた電話が掛かってくるとも限らないため、今一度元の設定に戻して蓋を閉じる。自らが手を加えない限り設定は変わらないはず、にも関わらずどうして設定が変更されていたのか。

 

 

「……」

 

 

一つだけ心当たりがあった。

 

それは俺がIS学園に入学する前、初めて千冬さんにあった日のこと。帰宅してから掛かってきた電話、あの時も変えた覚えのない着信音に切り替わっていた。

 

着信音を切り替えた人物は。

 

 

「篠ノ之束……」

 

 

その名をフルネームで呼ぶ。

 

そう、あの時はデフォルトの着信音を変えられている。

 

一体どのように人の携帯にハッキングを仕掛けたのかは分からないが、そこから情報を引き出すことができるのだとしたら、番号の入手など造作もないのかもしれない。仮にティオと篠ノ之博士が裏で繋がっているのだとしたら、何もかも辻褄が合う。

 

ただあくまで想定の話で証拠がない。

 

今回分かったのは仕事用の電話番号が特定されたということと、携帯電話の設定を何者かによって遠隔で変えられたということ。篠ノ之博士が絡んでいるという証拠は何処にもなく、あるのはティオが俺の仕事用の番号を探し出して電話を掛けてきた、という事実だけだ。

 

 

「やっぱり。もしそれが本当だったとしたら大和も厄介なのに目をつけられたわね。しかもよりによって篠ノ之束だなんて……」

 

 

はぁとため息を吐きながら、どこか鬱陶しそうに千尋姉は呟く。

 

 

「彼女がその気になれば出来るでしょう。いくらセキュリティレベルが高く設定していたとしても、電話番号を探知するなんて容易いはずよ。でも彼女がやったっていう証拠がないわ。仮にそうだったとしても証拠なんて消されているだろうし」

 

 

見立ても俺と同じだった。

 

やった証拠がない上に、やったとしてもそれを特定できる証拠は予め消されているだろうという見解だ。

 

 

「だよな、とりあえず今回の件は本家にも報告しておくよ。正直プライベートならまだしも、仕事用の電話番号まで流通したら敵わないし」

 

「それがいいわ。全く……あの子まだ諦めてないのね。どうしたもんかな」

 

「? もしかして千尋姉って篠ノ之博士と会ったことあるのか?」

 

「……えぇ、少し前にちょっとね。それっきりで連絡も取るような仲じゃ無いけど」

 

 

千尋姉の表情が少し険しいものになる。

 

かつて会ったことがあるってことだけど、何かあったのだろうか。というより何もないことないっていうのが事実に違いない。

 

対面したなら多少のやり取りをしたってことなんだろうけど、あの興味対象以外に向ける態度を見たら、頭を抱えたくなるのも無理はない。

俺の場合、初めて会った時に比べれば多少マシになってはいたが、それでも一個人として未だに苦手意識は拭えない。

 

 

「話を戻しましょう。その電話をかけてきた相手は何か伝えることがあったってことかしら」

 

「それがあまりにも内容が簡潔すぎて色んな意味に捉えられるんだよな。明日を楽しみにしていると良い、君にとってはいい刺激になる、だなんて」

 

「また随分と遠回しな言い方ね。その文言をストレートに捉えるのなら明日何か起きるってことだけど……十中八九戦闘に巻き込まれる気がするわ」

 

「それは俺も思っていた」

 

 

ティオが言いたいことはそう言うことだろう、おそらく俺の居場所も割れているはずだ。そこに戦闘員を送り込まれれば、間違いなく戦闘が起きる。

 

明日は確か軍事施設に行く予定だったはず。

 

一般の場所に比べればセキュリティは固いんだろうけど、あらゆる手段を使って襲撃を仕掛けてくるとしたらそんなセキュリティなど何の役にも立たない。

 

 

「分かってると思うけど準備は万全に。私たちの役目は標的を命懸けでも守ること。失敗は絶対に許されないってことは忘れないで」

 

 

護衛対象を守れないことはイコール死を意味する。

そこまで行かなかったとしても少なくとも五体満足の状態ではない。

高額な報酬を貰う代わりに人の命を預かるわけだから失敗は絶対に許されない。自分の命に変えてでも対象を守る必要がある。今回の場合はナターシャさんをだ。

 

普段は優しい千尋姉でも、仕事の話になるといつになくその表情は真剣なものへと変わった。最前線で仕事をしていたのだから、命の重みは俺以上に良く分かっている。

 

万が一が無いように準備をすること、それは俺たち護衛業を営むものとして当然の心構えだ。

 

 

「あぁ。万が一は起こさせない、絶対に」

 

 

万が一を起こさせないために俺たちがいる。

 

いい刺激?

 

上等じゃねぇか。買ってやるよその宣戦布告(挑発)

 

 

「……いい顔をするようになったわね」

 

「え?」

 

 

真剣な眼差しから一点、少しばかり千尋姉の表情が緩んだ。

 

 

「IS学園に入ったことが原因で平和ボケしてたらどうしようって少し心配だったの。あっ! 別に大和の実力を疑っているわけじゃないのよ? ただ、それまでが仕事ばかりしてたってこともあるから反動が怖いなって」

 

 

千尋姉の言うことはごもっとも。

 

IS学園に入るまでは義務教育にも関わらず学生生活を半ば犠牲にした状態で、護衛の仕事に没頭することの方が多かった。休みの日に友達と遊ぶなんて無かったし、何なら友達と呼べる人間などほぼ皆無に等しい。

 

一夏を護衛するという目的も含めてIS学園に入学したわけだが、それ以上に楽しい学園生活を送れている。友達も増え、かけがえのない大切な存在も出来た。だからこそ平穏な日常に慣れてしまい、いざ仕事になった時に切り替えが出来るのか、そこを千尋姉は心配していたんだと思う。

 

 

「でもそれは私の杞憂だったみたい、安心した。むしろ今の方が逞しく感じるわ」

 

 

平穏な生活も多いけど、何だかんだ生死と隣り合わせの戦いも多かったからな。実際問題一回本気で死にかけているし……まぁ色んな経験を踏めたっていうのが活きているのかもしれない。

 

ただもう死にかけて皆に泣かれるのはゴメンだ。あの涙を見ることほど辛いものはない。命を懸けなければならない局面は否が応でも来るが、せめてそれ以外の日常は平穏無事に過ごしたいのが俺の率直な思いでもある。

 

さて、話を戻そう。

 

 

「どの道明日やることは変わらないさ。万全の準備をして任務に挑む、それだけだよ」

 

「うん、よろしい!」

 

 

千尋姉も俺の回答に満足そうに頷く。明日になってみないと何が起こるかなんて分かったもんじゃないけど、明日のために出来ることを準備しておく。

 

それが今俺に出来ることだ。

 

結果何もなければそれで良い。

 

 

「良し、準備完了」

 

 

明日持っていく予定の日本刀サーベルの手入れが終わった。

 

まずは切れ味を出すために刀身を研ぎ、それが終わったら鞘に戻すのだが、今度は帯刀用の特注ベルトに一本ずつ固定する作業が必要になる。今でこそ慣れたが、この一連の作業は何回やっても手間が掛かる。

 

今回持ち出す日本刀サーベルは三本。使う特注ベルトは何種類かあり、種類によって収納できる本数が決まってくる。

 

 

「それにしても大和は大変よねー。私は一本しか使わないから比較的身軽だけど」

 

「まぁ手入れは確かに大変だよな。帯刀時も軽いかと言われたら軽くはないし」

 

 

タオル一枚だった千尋姉も流石に肌寒くなってきたのだろう。ベッドに置いてある自身のパジャマに着替え始めた。

 

背を向けているとはいえ、タオルがはだけて絶妙な肉付きの下半身が主張している。見ていると危険なため、やや視線を逸らしながら話を続けた。

 

メインの戦闘スタイルが二刀流剣術になると最低二本分の刀が必要になってくる。その分身体に重荷を背負っていると考えると、動きづらいように思われるかもしれない。本数が少なくなれば負荷が軽くなる分、動きやすくなる。

 

二刀流は防御が固かったり、本数がある分相手に隙を与えずに攻撃を繰り出せるといったメリットもあるし、そこは各々のスタイルによって考え方が大きく変わってくる。

 

 

「ただこの戦い方がしっくりくるんだわ。何でかは分からないけど」

 

 

どうして二刀流剣術のスタイルにしたのかは分からない。偶々二本使ってみたらしっくり来た、二刀流になった理由はそれだけだった。

 

さぁ、準備は全部終わった。

 

後は明日に備えて身体を休めるだけだ。

 

 

「ふわぁ……いい時間だし寝るか? 準備も終わったし明日も早いからそろそろ身体を休めておきたい」

 

「そうね。フライト時間も長かったし私も疲れたわ」

 

 

既にパジャマに着替え終わった千尋姉も寝る準備は整っていた。グーッと手を伸ばしながら大きなあくびをしているところを見るともう眠たいのだろう。

 

ここに来るまで長い時間飛行機に乗っていたし、身体も疲れたに違いない。休める時はしっかりと身体を休めておくのも大切な準備の一つだ。

 

備え付けのベッドに移動して掛け布団の中へと入る。比較的値段設定の高いホテルを予約しているため、IS学園のベッドと寝心地はそこまで変わらない。フカフカとした安心安定のクッションが身体を包み込んでくれた。

 

後を追うように千尋姉も布団の中へと潜り込んでくる。

 

 

「ん……はい?」

 

 

あれ、確かホテルの予約はツインで予約しているはず。ダブルで部屋の取った覚えは無いために、部屋の予約間違えたかもしれないと予約した時のことを思い出す。

 

うん、やっぱりちゃんとツインで予約している。千尋姉が潜り込んだのは自分の布団ではなく、俺の布団だった。

 

ダブルで予約を取った意味よ。

 

 

「あのさ、千尋姉」

 

「何かしら?」

 

「あの、あっちに千尋姉のベッドあるんだけど何故こっちに?」

 

「何よ、私と一緒に寝たくないってこと?」

 

「いや、そういうわけじゃないけど」

 

 

じゃあ何なの。と言わんばかりにムスッと頬を膨らませながら拗ねられる。

 

いや、決して一緒に寝たくないわけじゃないけど、あまりに自然に人の布団へ入ってくるから突っ込む暇もなかった。

 

 

「急に布団に入ってこられたら……その、照れるだろ」

 

 

照れないわけが無い。

 

数センチ前には千尋姉の顔がある上に、何か良い匂いもする。千尋姉が動く度、声を発する度に鼻腔をくすぐられてクラクラしてしまう。本人には分からないかもしれないが、想像以上に女の子の香りというのは男性にとって刺激の強いものとなる。

 

 

「ふふっ、大和ったらかわいい♪」

 

 

微笑みを浮かべながら恥ずかしがる俺の鼻をツンツンと人差し指で突っついてきた。絶世の美女に布団の中に入り込まれて照れない男が居るわけがない。

 

 

「えへへ、今日は私が大和を独り占めできるね」

 

「独り占めって……確かにここには千尋姉しかいないけどさ」

 

「いつもはナギちゃんとでしょ? 他にも仲良い女の子居るみたいだし、どれだけあなたは女性を侍らかすのよ」

 

「うぐっ、それは……」

 

 

何も言い返せない。

 

俺自身が認知している中でも、好意を向けて来ている女性はナギと千尋姉を除いて二人。

 

楯無とナターシャさんだ。ナギを除けば全員俺よりも年上になる。

 

ラウラに関しては俺のことを好いているみたいだけど、彼女の反応から察するに一男性として、ではなくあくまで家族、兄妹として好きの部類になる。第三者から見ても俺とラウラの関係は本当の兄妹そのもののようだ。

 

……ただこの状況を世の男性に知られたら俺マジで後ろから刺されるかもしれない。

 

無駄に頭を働かせていると目の前から両手が伸びてくる。優しく頭に触れたかと思うと、少し力を込めて胸元に飛び込んでくる。

 

 

「せめて二人でいる時くらい、私は大和の一番でありたいの。ダメ?」

 

 

どことなく不安げな眼差しで千尋姉は見つめてきた。

 

前にも言ったけど、俺にはナギというパートナーがいる。

 

国によっては理解があるのかもしれないが、基本的に一対一の関係にしかならない。日本では重婚も認められていないし、複数人の女性と関係を持っていることが分かれば白い目で見られて非常識だと後ろ指を指されるのは間違いない。それを覚悟の上で自分の気持ちをはっきりと伝えた。

 

俺は千尋姉のことが好きだ。それは紛れもない事実であって気持ちに嘘偽りはない。そして同じかそれ以上に千尋姉は俺のことを想ってくれていた。

 

 

「ダメじゃないよ」

 

「えへへ♪」

 

 

俺の返答に満足そうに微笑みながらまた胸元に顔を埋める。それに答えるように背中へと腕を回してしっかりとホールドした。身体越しに伝わってくる温もりが俺の疲れを極限にまで癒やしてくれる。

 

明日からはいよいよ護衛の任務に就くこととなる。それまでの限られた時間は千尋姉との関わりに充てる時間としよう。



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生き写し

 

 

「あっ、いたいた! 大和くーん!」

 

「ナターシャさん!」

 

 

時は流れていよいよ任務当日。

 

目的の集合場所に向かうと、そこには既に軍服に着替えたナターシャさんが居た。俺の存在を見つけるや否や、ブンブンと手を振り、満面の笑みを浮かべながら駆け寄ってくる。

 

後ろには雇ったであろうボディーガードが二人。ナターシャさんの後を追うようにこちらに近付いてくる。どちらもスーツを着ているが、スーツ越しにも鍛え上げられた屈強な肉体がハッキリと分かった。

 

中々の手練になるのだろう。

 

とはいえ昨日のタイミングでは俺たち以外にボディーガードがつくなんて話は聞いていなかった。別のルートで手配した人間になるのか、少なくともナターシャさんが後ろにいるにも関わらず警戒心を抱かないのだから、少なくとも現段階では得体の知れない人間たちではないというところまでは分かる。

 

 

「Lady reckless behavior is dangerous...(お嬢様、迂闊な行動は危険です)」

 

「The other party is not necessarily the person himself.In addition I don't know if that is something I can trust or not(相手が本人だとは限りません。それに信用出来るかどうかもわからないでしょう)」

 

 

二人のボディーガードはナターシャさんに向けて英語で会話をする。内容から察するに護衛とは言えど、どこの骨かも分からない人間をホイホイ信用するな、とでも言いたいみたいだ。

 

ま、ボディーガードなら初対面の人間を疑って掛かるのは当然だろう。別に今のやり取りに対して不満もなければ憤りもない。俺も同じ立場だったとしたら言葉には出さないまでも、疑って掛かるのは間違いない。

ただ二人が態々言葉に出したのは俺が英語をヒアリング出来ないと思ってのことなのか、だとしたらこちらの力量を些か見くびりすぎな気もする。

 

どう言い返そうか考えていると、俺の元へ駆け寄って来るまではニコニコとして笑顔を崩さなかったナターシャさんが、少しムッとしながら二人に向かって言い返した。

 

 

「Unfortunately, he is my benefactor.Don't be rude(生憎だけど、彼は私の恩人なの。失礼なことは言わないで頂戴)」

 

 

どうやら二人の言葉が癇に障ったらしい。非礼を詫びるかのように頭を下げると彼女から一歩下がる。彼女を守る立場、つまりクライアントはナターシャさんであるため、必然的に彼らの方が立場は下になる。

 

臨海学校の銀の福音戦、確かに落下する彼女を受け止めたけど、実際に福音を止めたのは一夏だ。あくまで俺はプライドと矛を交えていたため、正直な話をすると福音との戦いには絡んでいない。何をもって恩人と捉えるかは人次第だが、明確に俺が助けたって実感が少ないのは事実だった。

 

二人が下がるのを見届けると、改めてナターシャさんは俺の方へと向き直る。

 

 

「ごめんなさい。気に障ったわよね? 彼らも決して悪気があるわけじゃないと思うんだけど……」

 

「いえ、全然大丈夫です。守る立場だとしたらこれくらいは当然ですから」

 

「そう、それなら安心。パパには大丈夫だって言ったんだけどね、娘になにかあったら私はまた後悔する! なんて頑として聞かなくて。待ち合わせるまでの時間だからそこまで強固にしなくても良いのにねー」

 

 

話を聞く限り、俺との待ち合わせの際に発生する僅かな時間にもボディーガードをつけたようだ。

 

万が一があってはならないと把握しているのは、自分だけではなく父親であるレオンさんも同じなんだと思う。父親として娘を守るというのは当然のことだが、圧倒的な力の前では無力。

 

だからこそ、外部の人間に頼み込んでいるんだと思う。後悔するっていうのは、銀の福音の事件のことを気にしているのだろう。銀の福音の暴走が収まるまで、気が気でなかったに違いない。

 

とはいえナターシャさんの口ぶりからするに、普段はボディーガードをつけていないことも分かる。

 

 

「……つまり、普段はボディーガードつけてないってことですよね?」

 

「えぇ、今回は特別よ。自分の身くらいは自分で守れるもの」

 

 

相変わらず俺の身の回りの女性は逞しい人が多い。ナターシャさんも見た目は華奢だけど、一般人では到底太刀打ちできないほどに鍛えているに違いない。

 

 

「色々あったのも事実だけど、こんなものが家に送られて来たら笑えなくて。イタズラだとは思うんだけど、こんなもの今まで送られてきたことはないし。だから念には念をってことで大和くんたちも呼んだの」

 

 

そう言いながら一枚の手紙のようなものを俺の前へと差し出してくる。ファイルス邸を訪ねた時にはお目にかかることが出来なかったものだ。差し出された手紙を周囲に見えないように隠しながら開き、上から下まで一読する。

 

当然、ナターシャさんの後にいるボディーガードたちにも、だ。ここから先はボディーガードたちの管轄外で、俺たちの管轄になる。如何なる理由があったとしても、クライアントの機密情報を他の人間には見せる訳にはいかない。まぁそうだな、これくらいの量であれば文面を見れば理解出来る。

 

読み終えた手紙をまた丁寧に折りたたみ、ナターシャさんへと返却した。

 

 

「これはまた……こんなの見たらそりゃ笑えないですね」

 

「でしょ? それもよりによって私が基地に出かける日だなんて、いくら何でもタイミングが良すぎるわ」

 

 

俺の反応にやっぱりかと、苦笑いを浮かべるようなナターシャさんだが、書かれている内容に関しては全く笑えるようなものではない。

 

俺が返却した手紙をポケットにしまうと、辺りをキョロキョロと見回す。

 

 

「あら、大和くんのお姉さん……千尋さんは遅刻かしら?」

 

 

気付いている人がいるかもしれないが、ここに来ている人物は俺一人、本来こなければならないはずの人物が一人居ない。

 

そう、千尋姉だ。

 

ナターシャさんにも一緒に行くことを伝えてあったために混乱するのも無理はない。元々、直前までの予定では俺と一緒に来る予定だったが、急遽千尋姉にお願いすることがあって一旦単独行動をすることになった。

 

そうは言っても千尋姉からすればそこまで時間が掛かるような内容でもないからそろそろ……っと、噂をすれば何とやらってやつだ。

 

 

「いえ、もう来てますよ」

 

「え? 一体どこ……っ!?」

 

 

不意に背後に存在感を感じたナターシャさんは、立っていた場所から瞬時に飛び退く。

まぁその存在感が何なのか知っているからあえて手を出さなかったんだが、いきなりやられたらびっくりするよな。

 

身のこなしを見た存在感、もとい千尋姉はナターシャさんの身のこなしに満足そうな表情を浮かべた。

 

てか護衛対象に何させてんだ。

 

 

「あなた……もう、びっくりしたわ。もっと普通の登場は出来なかったの?」

 

「あぁ、すまない。ちょっと悪ふざけが過ぎた」

 

 

申し訳無さそうに振る舞う千尋姉だけど、あれは絶対に確信犯に違いない。どれだけの実力を持ち合わせているのか試したくなった、っていうのがオチな気がする。

 

 

「が、二人はまだまだだな。もし私が殺し屋だったとしたら揃って三途の川を渡ってただろう。もっと精進することだ」

 

 

皮肉なジョークを二人のボディーガードに飛ばす。気配を察したナターシャさんに対して、二人は千尋姉の接近にすら気付くことが出来なかった。人を守る職業をしている身からすると、屈辱以外の何物でもない。

 

仮に本気だったとしたら二人共やられたことにすら気付かないんじゃないかな。信じられないといった表情を浮かべるがこれが現実だ。

表の世界のみのボディーガードを務めてきた人間と、裏の世界を生き抜いてきたボディーガードの決定的な違い。『人を守る』という広義の意味では同じだが、守るために必要な実力は天と地ほどの差がある。

 

裏世界には表世界では到底考えられないレベルでの実力を保有した人間が何人もいる、力に屈することは死を意味する。それらに太刀打ちできる実力を備えた人間が、俺たち霧夜家の人間たちだ。

 

 

「Oh my god.She's Japanese Ninja!?(信じられない。彼女は忍者の末裔かなんかか!?)」

 

「Crazy...(ありえない……)」

 

 

自分たちより遥かに華奢な女性に遅れをとる。

 

それもISを使っていない、生身の女性に。

 

よほどショックだったのか、呆然としながら口々にそう発することしか出来なかった。

 

 

「こんな状態で言いづらいんだけど……二人共ありがとう、短い時間だったけど助かったわ」

 

 

ナターシャさんは二人のボディーガードに御礼を告げると、二人は個人的感情を押し殺して一礼。

 

この場を去っていく後ろ姿は体に反して小さく見えた。

 

 

「大和、この近辺はオールクリア。特に異常なし」

 

「ん、ありがとう」

 

 

二人の姿が見えなくなったところで、ここ近辺の状況を簡潔に報告される。初っ端から問題が起きても困るけど、今のところ特に近辺の異常は見受けられないらしい。

 

他の人間だと多少疑いの目を向けるけど、確認したのが千尋姉であれば心配は無用だ。さて、実は何気ない連絡でも俺の中では多少の緊張感と戦っていたりする。

 

理由は何故か。

 

 

「ただ気は抜くな、万が一はいつでも起こりうる。常に警戒した状態で行動しろ」

 

「あぁ、分かった」

 

 

千尋姉だ。

 

俺に対しての言葉遣いから誰ですかと首を傾げる人間もいることだろう。何なら眼の前にいるナターシャさんも昨日会った時の雰囲気と間逆な雰囲気を醸し出す千尋姉の迫力に気圧されているのだから。

 

最初は気のせいかなくらいで流そうと思っていたが、やはり気のせいではないことを理解し、あまりの変わりように俺に『何があったの?』と困惑の表情を向けてくるあたり、本気で驚いているに違いない。

 

千尋姉の纏う雰囲気はまさに戦場の最前線に立つ戦士そのもの。

 

触れた者全てを切り裂きそうなクールな雰囲気に、いつもは穏やかな目付きも鋭く釣り上がっていた。長い髪の毛を後ろで束ねてポニーテールのようにしている。束ねている理由はもちろん、動いている最中に髪がバラけるの防ぐためだ。

 

またスカートでは動きづらいからと、帯刀する時はパンツスーツを着て行動している。普段は存在感のある上半身の双丘に視線が釘付けになりがちだが、有事の際はそれすらも邪魔になる。

 

より動きやすさを追求するために、サラシを巻いて押さえつけているあたり、仕事に対する並々ならぬプロ意識を垣間見ることが出来た。

 

 

「凄いわね、家で会った時の穏やかな雰囲気とは大違いよ。いつも仕事の時はこんな感じなのかしら?」

 

「まぁ、そうですね。とはいってもだいぶ丸くなったと思いますけど」

 

「……これで?」

 

「はい」

 

「全盛期が末恐ろしいわ」

 

 

ごもっともで。

 

もし格闘術を本気で教える、なんて話になったらずっとこの状態になるからなぁ。

 

あぁ、過去の訓練を思い出しただけで鳥肌がたってくる。反面、仕事以外の時は間逆な性格をしているから、ギャップ萌え的な部分はあるのかもしれない。

 

 

「大和、そろそろ」

 

「おっと、そうだった。ナターシャさん、もうすぐ現地に向かう時間ですよね?」

 

 

予定の時間になる。

 

今日はこのままとある目的地へと向かうことになっていた。一般人はもちろんのこと軍事関係者の一部分しか知ることができない場所。

 

地図上にも表記されない隠された陸の孤島。

 

北アメリカ大陸北西部、第十六国防戦略拠点。

 

 

「えぇ、行きましょう地図にない基地(イレイズド)へ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「二人共、ついたわよ」

 

 

目的の場所に到着した俺たちは建物の入口へと案内される。

 

本来であれば俺たちみたいな一般人が侵入することは固く禁止されており、今回もナターシャさんの専属の護衛という申請を通してもらい特別に入ることを許されていた。

 

建物自体は外からのあらゆる攻撃に耐えうる強固な作りとなっており、入り口には屈強な軍人たちが外部からの侵入を許さぬよう常時見張っている厳戒態勢。

 

何もここまでする必要があるのかと言われるかもしれないが、地図に記されていないような軍事基地だ。基地の中に眠っている情報は国家機密レベルのもの、と考えてみれば強固な守りにするのも理解出来る。

 

そんな場所に申請の一つで通してしまって大丈夫かと少し疑問に思う部分もあるが、そこを気にして何かが変わるわけでもないと、考えることを辞めた。

 

 

ナターシャさんの後を追うように、俺と千尋姉も続く。入口を見張る軍人に鋭い視線を向けられるも、こんなものは気にしたところでどうしようもない。

 

国家機密を扱っているような場所なら監視の目線も厳しくなって当然だろう。軍人からすれば万が一、俺がナターシャさんを裏切ることがないとも言い切れないのだから。

 

 

「へぇ、やっぱり軍事施設だけあって警備は強固ですね」

 

「まぁね。ここ最近世界的にも物騒な騒ぎが多いから、特に気を張ってるんだと思うわ。仕方ないといえば仕方ないけど、もう少し平和な世の中になって欲しいものね」

 

「間違いないです」

 

 

コツコツと足音が響くだけな無機質な廊下を歩きながら会話を交わす俺とナターシャさんだが、俺のすぐ横にいる千尋姉は一切喋ろうとしない。

 

俺は多少なりとも親交がある故に近しい距離感で接することが出来るが、千尋姉は今回完全な初対面の相手となる。前日に家を訪問しているとはいえ、あれは普段のプライベートとしての姿ではない。

 

距離感を掴みきれていない自分が話すのであれば、以前会ったことがある俺にやり取りは任せればいいと考えているのかもしれない。

 

 

「ところで、()()の保管場所は?」

 

「この廊下を真っ直ぐ行った突き当りの部屋よ。ホラここ。ちょっと天井が高くなっているでしょ?」

 

 

しばらく歩いていると一際開けた少し広い空間へと出た。天井の高さはメートルくらいはあるかもしれない。一歩ずつゆっくりと、その空間を進んでいくと今度は大きな扉が現れる。

 

セキュリティーロックが掛けられているため、扉の前に立ったところで開くわけでもない。すぐ近くにある電子制御の生体認証があることから、許可された人間以外は入れないような仕組みになっていた。

 

ナターシャさんは認証機の前に立つと手をかざす。数秒後、認証が完了したかのような効果音とともに目の前の扉の鍵が開き始めた。

 

 

「大和くん、こっちよ」

 

 

部屋の中へと誘導される。

 

本来ならこのまま入る予定だが念には念を入れる必要がある。俺はこのまま入るが入口には一人、監視役を置いておく方が良いだろう。

 

 

「大和、私はここにいる。中は任せたぞ」

 

「了解。外は()()に任せる」

 

「あぁ」

 

 

外を千尋姉に任せて、改めて俺は部屋の中へと入る。大きな扉の割には部屋自体の面積はそこまで大きなものではなかった。

 

ちなみに仕事中は愛称で呼ぶことは極力控えるようにしている。近しい関係であったとしても仕事中であって、愛称で呼ぶと緊張感も薄れて良くない。

 

名字で呼ぶことも考えたが、二人いる時に同じ名字だとどっちがどっちか分からなくなるため、二人の時は名前を呼び捨てるようにしている。

 

千尋姉と別れた部屋に入ると、明かりが灯ってないこともあり、部屋全体が真っ暗な状態だった。ただ暗い部屋の一番奥、そこに一際目立つ白い物体が佇んでいるのが見える。

 

その白い物体に見覚えがあった。ナターシャさんは入口付近のスイッチを押して部屋全体に明かりを灯す。

 

 

「大和くんも会ったことあるわよね」

 

「はい。臨海学校の時に」

 

 

眼の前に佇む白い物体の正体。それはいつぞやの臨海学校の時に矛を交えた機体。

 

名を銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)

 

海上で見た時とは違い現状は待機状態のまま保管されており、機体の周囲には決して取り外すことが出来ないよう、幾多ものワイヤーが張り巡らされている。

 

ナターシャさんはこの機体のテストパイロットだったはず。佇む機体を見つめる表情はどこか苦虫を噛み潰したように歪んでいた。ふるふると身体を震わせて両握りこぶしに力を込める。

 

 

「大和くんたちが守ってくれたから私は今こうして何一つ不自由なく生活出来ている。下手をすれば、私自身が再起不能になっていた可能性もあったわけだし、ホントに感謝してるわ。私を他のISの攻撃から守ってくれた銀の福音(あの子)にもね。でもその代償はあまりにも大きすぎた」

 

「ナターシャさん……」

 

 

現状の銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)の保存状態が全てを物語っていた。通常、稼働状態にあるISはこのような保存状態にはならない。二度と稼働しないように封印されている……つまりゴミ同然の扱いをされているのと変わらなかった。

 

ISは機械だが、搭乗者と共に戦場を駆ける良きパートナーでもある。そのパートナーをこのような扱いで保管されていれば、搭乗者として当然許せるようなものではなかった。

 

 

「あの事故の後すぐに凍結処理が決まったの。銀の福音(あの子)はもう二度と、空を飛ぶことは許されない」

 

 

それがあの子に下された処分よ、と続ける。何とか出来るのなら何とかしている。だが、個人の力など高々しれている。あくまでナターシャさんの立場は、専用機の操縦者でしかない。

 

暴走によって引き起こされた事件を国家はみすみす見過ごすようなことはしない。あまりにも処分が重すぎると食い下がったったのだろう、それでも処分が覆ることはなかった。

 

 

銀の福音(あの子)は私を守るために望まぬ戦いへと身を投じた。強引な第二形態移行(セカンド・シフト)、それにコア・ネットワークの切断。私のために自分の世界を捨てた。だから……」

 

 

ナターシャさんを取り巻く陽気な雰囲気は完全に消失し、やるせない怒りと明確なまでの敵意が宿る。

 

 

「だから私は絶対に許さない、許してなるものですか。銀の福音(あの子)の判断能力を奪い、全てのISを敵に見せかけた元凶を、必ず追って報いは受けさせる」

 

 

たかが機械のために、そういう人間がいるかもしれない。

 

だが何度も言うように操縦者からすればたかが機械、ではなくかけがえのないパートナーを失ったのだ。悲しみや怒りを覚えるのは至極当然の話だった。

 

 

「ごめんね。こんな話聞きたくないわよね「いえ、そんなことないです。良かった、やっぱりナターシャさんは俺の想像通りの凄く優しい人でした」……え?」

 

 

個人的な恨みを俺の前で出してしまった事に対し、謝罪の言葉を述べるナターシャさんだが遮るように言葉を挟んだ。

 

 

「それだけ憤れるのも、福音に対して愛情持って接して来たからだと思います。大切なパートナーを失ったらそりゃ毒の一つくらい吐きたくなるものですよ」

 

「大和くん……」

 

「だからつらいことがあったら全部吐き出せば良いんです。我慢する必要なんてないんですから。あっ、この場だと聞くのは俺になっちゃいますけど、自分なんかで良かったらいくらでも話聞くんで」

 

「ありがとう。場所が場所じゃなきゃ多分思い切り抱き締めてるわ。いえ、我慢する必要なんて無いって大和くん言ったわよね? それなら今から抱き締めようかしら。何ならそのまま舌まで入れて……」

 

「へ? あっ、いや! 我慢する必要なんて無いって欲望に対して忠実になれってことではなくて!」

 

 

ジリジリと近寄ってくるナターシャさんのオーラがちょっと怖くなってしまい、半歩距離を取ろうとする。そんな俺を見ながらクスクスと笑った。

 

 

「ふふっ、今はしないわ。……今は、ね」

 

 

今はと言う辺り、これから先は覚悟しておけよってことだろう。今更なのは重々承知で言うけど、ナターシャさんってこんなキャラだっけ。

初めて会った時の印象は年齢の割に大人びている落ち着いた女性って印象だったけど、所々でそのキャラが崩れている気がする。

 

人前だからある程度自身を取り繕っているのか、本来の彼女の性格はもう少し子供っぽい感じなのかもしれない。

 

 

「んんっ! 一旦話を戻しましょう。とりあえず現状は分かりました。この凍結状態の福音を奪おうとしている組織がある。奪いに来るって考えると、普通に攻め込んで来るとは考えづらい。かといってこんな強固な守りを生身の状態で突破してくる可能性もない。となると……」

 

 

元々の依頼内容はナターシャさんの護衛。

 

それに付随する仕事内容としてこの機体、銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)の強奪を未然に食い止めること。ただの商業施設ならまだしも、ここは普通の人間では知り得ない場所だ。

更に国家の重要施設ということもあって、セキュリティレベルは通常の軍事施設とは比べ物にならないレベルのものが掛けられている。

 

なので普通の人間では決して突破できる場所ではない。

 

にも関わらずナターシャさん宛に届いた手紙には「福音を奪う」といった内容が記載されている。何らかの方法を用いて、福音を自分たちの手中に収めようとしているのは事実だった。このセキュリティを掻い潜る何かがあるのか、それとも正々堂々強行突破をしてくるのか。

 

少なくとも普通のやり方では突破できない、つまりは。

 

 

「ISを使って乗り込んでくる可能性もあるってことか」

 

 

そこに行き当たる。

 

セキュリティを掻い潜ったとしても、正々堂々真正面からだったとしても人間の手だけでこの福音を奪い切ることは不可能に等しい。

圧倒的な人数で押し寄せてくるのか、もしくはISを使って押し寄せてくるのか。どちらにしても骨の折れそうな対応になるのは間違いなかった。

 

そして俺の専用機はタイミングを見計らったかのようにメンテナンス中、まともに専用機を乗りこなしたのっていつが最後だ? 臨海学校の後に数回授業で実戦訓練をした時に使ったきりでそれ以降は使っていない。

 

この任務が無事に終わって次回登校の際に手元に戻ってくるみたいだが、それも解析状況次第で返却日が過ぎることだって考えられる。

 

俺の専用機ェ……。

 

 

とどのつまり、仮にISが乗り込んで来ようものならまた生身で対応しなければならない。相手にもよるけど……まぁ、あの男(ティオ)の言うとおりなのであれば、亡国機業に関わってる誰かが来るに違いない。

 

前回の学園祭でアラクネはコアこそ無事であれど、機体そのものはしばらくは使えないレベルで大破させているし、出撃にまで時間が掛かるのは確実。となると無傷に近いサイレント・ゼフィルスか。

 

だが大前提として、亡国機業が機体を何台持っているかも分からない以上、どの機体で来るかどうかを決めつけることは出来ない。

 

それに。

 

 

アイツ(プライド)も亡国機業に所属してるって話だよな」

 

 

ここ最近は全く音沙汰の無くなってしまったプライド。全ての事象を切り裂ける刀を搭載した特殊な機体の操縦者で、一時は俺を瀕死に追いやった天敵でもある。

 

結局はプライドの動きの大半が機体に依存するものであり、奴自身のスペックがそこまで高くないことを突き止めた後は心の隙もついて叩きのめすことに成功したわけだが、仕留めるには至ってない。

 

仕留めようとした際には突如現れたラファールの操縦者に回収されてしまった。その後の足取りは全くの不明で生きているのかどうかも分からない状態だ。

 

あれだけ人を手に掛けることに対して執着していたのだから、何か問題を起こせば情報として入ってくるはず。情報が入ってこないってことは本当に何も起こしていない、起こすことの出来ない状態にあるかのどちらかになる。

 

 

「大和くん? どうしたの、さっきから一人ぶつぶつ考え込んで」

 

「ちょっと思うところがありまして。ま、やることとしては変わらないので大丈夫です」

 

「???」

 

 

最終的にやることは変わらない。ナターシャさんと福音を守り切る。

 

それだけだ。

 

 

 

「さて、それじゃあ……っ!?」

 

「どうしたの?」

 

 

扉の入口にいる千尋姉にも確認が終わったと伝えに行こうとしたところで足を止めた。急に動きを止めたことに背後にいたナターシャさんは俺の顔を覗き込もうとする。

 

ほんの微かに耳に入った異音。

 

どれくらいだろう、そう遠くは離れていない場所から聞こえてきた。密閉されている室内まではっきりと届く音なのだからよほど大きな音になる。ナターシャさんは聞こえていないようだが、俺の耳にはしっかりと聞こえていた。

 

外で何か起きている。

 

 

「ナターシャさん、今日この施設内か外で訓練が行われるなんて話、あったりしますか?」

 

「え? そんなことは無いはずよ。ここは別に演習を行うための施設ではないし、あるとしたらISのテスト飛行くらいだけど、今日は特にスケジュールでは入っていないわ」

 

「……分かりました。ナターシャさん、俺から絶対に離れないで下さい」

 

 

ナターシャさんに自分の側から決して離れないようにと伝えると、俺は背広の内ポケットに仕舞ってある仮面を取り出す。

 

 

「すみません、ここから会話は最低限になります」

 

「え……えっ?」

 

 

事態がイマイチ飲み込めていないのは仕方ない。聞こえるか聞こえないかの微かな音量だったから。聞こえてきた音の感じからして、何かと何かがぶつかり合う衝撃音のようなものだった。

 

軍事施設のため、訓練が行われたりすれば多少の音が聞こえることはある。それこそ何かがぶつかり合うような衝撃音が聞こえたところで不審には思わない。

 

が、訓練は予定されていないと言った。故にこの密閉空間に何かと何かがぶつかり合う音が聞こえてくるなんてないはず。

 

ぶつかり合う音は施設の何かが破壊される音、だから外では戦闘が起きている可能性があると解釈出来た。俺の杞憂であればそれでいい、それが杞憂ではないのであれば刀を抜く必要が出てくる。

 

仮面を被り、内蔵されているスピーカーを介して千尋姉にコンタクトを取った。

 

 

「千尋、外はどうなってる?」

 

 

声を掛けるとすぐにアクションがあった。

 

 

『敵IS二機、建物に侵入したと報告があった。私は現場に向かう。大和は彼女の元を離れるな』

 

「了解」

 

 

予想通り外で戦闘が行われているどころか、敵IS二機が建物に侵入したとの情報が耳に入る。スピーカー越しに聞こえる限りでは既に部屋の外では侵入者を知らせる警報音のようなものが鳴り響いており、併せてバタバタと人間が駆け回る足音も聞こえてきた。

 

非常事態が起きている何よりの証拠だ。外は千尋姉に任せて俺は二つのターゲットを守り抜くことに専念しよう。千尋姉とはいえ分身することはもちろんのこと、離れている相手を遠隔で対応することも出来ない、もし二手に別れて来られたらどちらかの接近は許してしまうことになる。

 

ISを使って乗り込んでくるのは想定済みだし、そう焦るようなことではない。左右の腰に結わえている鞘から一本ずつ刀を引き抜いて両手に持つとナターシャさんを守るように前に立つ。

 

すると背後に確かな温もりが伝わってきた。

 

 

「頼んだわよ。私の王子様」

 

 

視線を切らすようなことは出来ないため、具体的に何をしたのかまでは分からないが、恐らくもたれ掛かってきたのだろう。それでも俺の動きを制限してはならないと思ったのかすぐに離れたようだった。

 

今は色恋沙汰にうつつを抜かしている暇はない。

 

周囲に変化がないか五感を研ぎ澄まして有事に備える。嵐の前の静けさとでも言うのか、スピーカー越しに聞こえた喧騒とは打って変わって室内は静かなものだった。

 

一瞬でも気を抜くことは許されない、刀を握る手に力を込めた瞬間だった。

 

 

「っ! ナターシャさん下がって!!」

 

 

異変を察知し両手に握っていた刀を納刀すると、両手でナターシャさんを抱えながら立っていた場所から飛び退く。

と同時にけたたましい破壊音が静かな部屋に響き渡った。音に遅れるようにビリビリと地面は振動し、部屋中を砂埃が立ち込める。

強固な作りになっていたはずの入口は外側から見るも無惨に破壊され、原型を留めない状態で吹き飛ばされていた。

 

外からの圧力が如何に強烈なものだったかを物語っている。破壊された入口に立ち込める砂埃の中に一つ、これまではなかったはずの物影がはっきりと確認することが出来た。

 

サイズ、形からして明らかに人間でないことは分かる。

 

元々報告されていた敵ISは二機。物影が一つしかないということは、もう片方の機体は千尋姉の方にいったのだろう。ナターシャさんを安全な場所に下ろすと、再び刀を引き抜いた。

 

 

「……」

 

 

入口を見つめていると徐々に物影が大きくなってくる。こちらに向かって歩いてきているのだろう。室内に立ち込めていた砂埃も少しずつ晴れ、視界がよりクリアになる。

 

クリアになった視界に飛び込んできた機体は。

 

 

「ラファール……」

 

 

背後にいるナターシャさんの口から溢れる名称。俺が知っているどの専用機でもなく、目の前に現れたのは量産機であるラファールだった。

 

シャルロットの専用機であるカスタムⅡとはボディの色が大きく違っているから見分けやすい。

 

 

「……こうして対面するのは久しぶりだな。仮面なんかしていても私にはお前の正体が分かるぞ、()()()()

 

「っ!?」

 

 

俺の名前をはっきりと呼ぶラファールの操縦者。聞き覚えのある声にピクリと身体が反応する。聞き違いかもと思ったが、口調や声質から判断しても間違いない。

 

プライドを救出に来たラファールに搭乗していた操縦者と声質がピッタリと一致する。矛こそ交えることは無かったものの、操縦技術だけから判断するに高い水準での実力を兼ね備えていることは分かった。

 

 

「何で知っているのかとでも言いたげな顔をしてそうだな。だが、私はずっと昔からお前のことを知っているんだ」

 

 

昔からと少女は言う。

 

どういうことだと、俺が言い返す前にその顔を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なっ……」

 

「そんな、嘘でしょう……!?」

 

 

上げた顔を見て、ナターシャさんから信じられないといった声が上がる。

 

俺だって信じられるわけない、そんなことがあるのかと。

 

顔が似ている人間はいくらでも居る、だが限度がある。

 

()()はあまりにも似過ぎていた。

 

だって目の前にいるその少女の顔が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふん、何を驚くことがある。普段からよく見ている顔だろう?」

 

 

()()()と瓜二つの顔だったなんて。



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