Lobotomy Corporation~Unbekannt Unterabteilung~ (御鏡)
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小日向桔梗

私は今日から"翼"の一員なのだ。今度こそ仕事を頑張らなければ!!

 

そんな事を考えながら、彼女は…失礼、突然"彼女"と言われても、画面の前のあなたは理解が出来ないだろう。冒頭のような事を考えながら新しい職場の扉を潜った"彼女"は、この小説の主人公とも言うべき存在であり、名を小日向 桔梗と言う。以降は桔梗の名で親しまれる事となるだろう。

さて、本題だ。彼女は以前所謂ブラック企業で働いてた。連日残業、ボーナス無し、休日出勤……彼女はそれを望んでなどいなかった。

だからこそ、退職して新しい仕事を探した。そこで見つけたのがこの会社、ロボトミーコーポレーション~Unbekannt Unterabteilung~だった。正直な話、桔梗は後半の英字の羅列の意味を全く持って理解していなかった。だからこそ、有名企業であるこの会社に入社したいと思った。有名企業であればある程ブラックな可能性はあるが、日々の電力を生成できるならば多少の妥協は必要だと、寧ろ世のためになると、喜んで入社試験を受けて、見事合格。

心浮かれながら初めて職場に訪れた桔梗は、己の考えが如何に甘かったか、漸く理解した。

何故なら―――扉を潜った桔梗の頬に、僅かに粘度を持った紅い飛沫が跳ね、直後高速回転する白い何かが眼前を通り過ぎたからだ。

 

「……え。」

「ふん、愚かな奴め、日々の鍛錬を怠るからこうなるのだ。急ぐぞロンドン。早急にあのおーるあらうんどへるぱーを始末する必要があるからな。」

「お前相っ変わらず冷徹だな。てか先に行っててくれ。俺はそこの今にも倒れそうな奴を医務室に運んでから行く。お前ならHEくらい余裕だろ?」

 

桔梗は漸く理解した。自分の頬に付着した液体が血である事。それを生み出したのは、彼女の足元で事切れた、スーツを着た人物である事。彼、或るいは彼女を殺害したのは、先刻眼前を通り過ぎて行った白い物体である事。事切れた人物と平然とした様子で会話を交わす眼前の二人組が、恐らく職員である事。

様々な情報を一度に得た桔梗の脳が、それらを完全に処理しきる事は不可能で、ロンドンと呼ばれた人物が言った通り、彼女の視界は闇に覆われ、意識もまた、段々と薄れて行った。

 

「ほう。流石はロンドンだな。見事言った通りになるとは…自慢の天眼でも使ったか?」

「馬鹿言ってんじゃねぇよクソチビ。どう見たって慣れてねぇ奴の反応だ。嫌でも解るわ……、とっととヘルパー鎮圧して医務室に来いよ?」

 

満と呼ばれた、黒子で顔を隠した背の小さい職員が舌打ちを一つ残して白い物体…改め、オールアラウンドヘルパーが向かった方へ足を進めると、ロンドンと呼ばれた女性は気絶した桔梗を背負い、満とは反対の方向へと歩き始めた。幸い、医務室はエレベーターさえ使えばそう遠くなかったから。




初めまして。私、御鏡 河神[ミカガミ カガミ]と申します。ロボトミ小説を書くのは初めてですが…皆様に少しでも楽しんで頂きたい所存です。
今後後書き欄には、初登場した職員の設定や、一話が終了時点での状況(収容違反中のアブノーマリティ等)を記載して行きます。

・小説の舞台
ロボトミ支部の一つ。大西洋に浮く孤島の研究所。エージェント達は研究所に隣接する寮で生活するが、管理人が寛容なため実家へ帰宅する事は可能。しかし、情報漏洩を防ぐため、管理人やアンジェラ、セフィラ達はそのエージェントを終始監視する。
入社試験は三段階に分かれており、一次試験は志望理由を書いたレポート五枚以内の提出。二次試験が筆記試験。三次試験が管理人との面接。

・管理人からエージェントへの指示や、管理人とセフィラ間でのやり取りの方法
タブレットやインカムを通して。作業の指示や管理人とセフィラ間のやり取りは基本タブレットで行われるが、アブノーマリティが一体でも収容違反している際、管理人からエージェントに対する指示は全てインカムで行われる。

・小日向 桔梗[コヒナタ キキョウ] AGE:21 GEN:Woman TEAM:Welfare
本作の主人公。日本人。白髪長髪。
人当たりは良いが、いくら上司からの命令と言えど無理な事は無理だと言う程、さっぱりした性格。以前の職場では気弱だったが、管理人が寛容(優しいとは言っていない)なため、少しではあるが心を開けるようになっている。
新入社員なのでグロ耐性皆無。非常に厄介事に巻き込まれやすい体質。
今後彼女が担当する予定のアブノーマリティは、【T-01-31:The Silent Orchestra】、着用予定のE.G.Oは【Weapon:Reverberation】【Suit:Moonlight】【Gift:Moonlight】。

・ロンドン=シュレディンガー[ロンドン] AGE:24 GEN:Woman TEAM:Disciplinary
気絶したキキョウを医務室へ運ぶエージェント。オーストリア人。容姿は長髪でつり眼である事以外はご想像に御任せスタイル。一人称俺だけど女性。
姉御肌で他のエージェント達から慕われる一方、アブノーマリティの鎮圧になると途端に殺気立つ。ゲブラーのようにアブノーマリティを憎んでいる訳ではないが、その脱走が原因で大切な仲間が傷付けられるのを快く思わないだけ。元々今のような性格ではなかったが、周囲の職員達を勇気付ける指導者が必要だと気付き現在の性格へと変貌した。
占いの素質があり、少し先の未来を見通す"天眼"を持つ。

・白藤 満[ハクドウ ミチル] AGE:24 GEN:Man TEAM:Record
収容違反中のオールアラウンドヘルパーを鎮圧するために奔走するエージェント。日本人。成人男性の割に非常に低身長(ロンドンは158cmだがミチルは149cm)。アルビノの所為で白い肌。紅い目。少し癖のある真白な長髪。黒子で顔を隠す。白の直垂に黒い陣羽織を着る。低身長と言う理由から歯の高めな下駄を履く(下駄を履いても身長153cm)。白布を巻いた家宝の薙刀を背負っている等、容姿が明確に決まっている。因みにE.G.O Suitは直垂の下に着用している。
少々他人を小馬鹿にしたような態度を取るが、もしも金などを借りた場合、利子をつけて返す程律儀。だが同時に、眼前で仲間が死んでもそれを嘲笑する程の冷酷さを併せ持つ。以前に比べて、他人に対してより冷酷になった。専ら片仮名に弱い。
陰陽道を家業とする一家の現頭首であり、時々式神を使役して収容違反中のアブノーマリティを足止めする事がある。

・収容違反中のアブノーマリティ
 ・【T-04-51:Little Helper】

・職員:今日の一言
名もない彼、或いは彼女「ごめん、ごめんよ新人…トラウマになりそうな事してごめん…それじゃあ、お元気で。」


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自己犠牲主義者

次に桔梗が目を覚ました時、彼女は医務室の白いベッドの上で横たわっていた。ゆっくりと身体を起こせば、すぐそこに見えるのは巨大なメス。ビクリと肩を跳ねさせるも、その持ち主らしき人物は何処にもいない。

 

「お、やっと起きたか。調子はどうだ?」

 

ゆっくりと扉を開きながら入室してきたのは、桔梗をここまで運んできた張本人であるロンドンだ。煙草を片手に煙を吐き出す彼女は、何処か儚げな雰囲気を放っている。

 

「ここまで運んでくださったのは、あなたですよね?有難う御座いました…先程は何が起こっているのか、理解出来ませんでしたが……しかし、ここで働くと言う事は即ち、先刻のような事象に慣れなければならないと言う事でしょう。それが俗世の役に立つと言うならば、私は喜んで受け入れます。」

「…へぇ。案外気丈なんだな。まあ、パニックにならないよう気を付けろよ……あ、その前に管理人室か。お前、まだ何も支給されてないだろ?案内してやるからさ。」

 

そう言って、ロンドンは桔梗を立ち上がらせる。そして、未だ緊張している様子の彼女に、紫色の缶ジュースを手渡した。

 

「これ飲めよ。少しは気が楽になるだろうしな。」

 

暫く桔梗は呆けた様子だったが、ロンドンが医務室から出て行った事を知ると、慌てて後を追って廊下へ出た。

缶ジュースの蓋を開けて中の液体を一口飲むと、爽やかなソーダの味と、甘い葡萄の味が口の中に広がる。

 

「美味しい…有難う御座います!」

「礼は俺じゃなくて満に言えよ。ヘルパーの鎮圧後、お前を心配して持って来たのはアイツだからな。」

「満さん、ですか。」

 

満の名を復唱した桔梗の耳に、不意に音楽が聞こえた。オルゴールのような音色だ。それは、彼女から見てすぐ右隣の部屋から聞こえるようだった。何の音なのか、と尋ねる桔梗にロンドンは舌打ちを零す。

 

「その音は30秒以上聞くと精神に異常を来たす。今使ってんのは……どうせ自己犠牲精神の半端ないアイツだろうな。」

「誰が自己犠牲精神の半端ない奴ですか、ロンドンさん?」

 

桔梗が音の原因となっている部屋を通り過ぎて数秒、後ろから声が聞こえた。オルゴールの音色はすっかり止まっていて、桔梗はその声の持ち主が鳴らしていた事を理解する。

ロンドンは後ろを振り返り、

 

「何だ、もう止めたのかルーカス。お前にしちゃ珍しいな?」

 

と尋ねた。ルーカスと呼ばれた男は酷く顔を顰めて答える。

 

「あのですねぇ…ルークスと呼んでくださいよ。確かに紛らわしいですけども…そう言えば、そちらの御方は新人さんのようですが…管理人室へ?」

「悪かったって…ま、そんなところだわな。」

「左様ですか…おや、これはこれは…私も作業の指示が入りましたので、これで失礼しますね。新人さん、早々に"退社"しないよう、お気を付けください。」

 

ルークスと名乗った男はくるりと踵を返し、その場を立ち去った。彼の後ろ姿に、桔梗は手を振る。しかし、ロンドンは険しい表情で彼が去って行った先に続く廊下を見詰めて続けていた。

 

 

「あーあ…やっぱり気付かれちゃったよねェ…駄目だなァ。ロンドンが相手じゃ、ウチの特技も意味無いし…ツマンネェなァ…」

 

男はクツクツと笑うと、命じられた作業をするため、あるアブノーマリティの収容室へと向かった。【O-06-20:Nothing There】の収容室へと。




・各職員の担当アブノーマリティについて
一人につき一体のアブノーマリティと言う訳でも、一体のアブノーマリティにつき一人と言う訳でもない。複数体のアブノーマリティへ作業を行う職員や、数人の職員に交代で作業されるアブノーマリティもいる。
また、アブノーマリティの担当を割り振られた後でも管理人の指示によっては別のアブノーマリティに作業をする事もある。

・ルークス=ルーカス=シンフォニカ[ルークス] AGE:27 GEN:Man TEAM:Welfare
とある収容室から姿を現したエージェント。ドイツ人。身長は175cm程で、白い髪と真黒な瞳を持つ。
自ら管理人に文句を付けて、音楽関連のアブノーマリティを全て担当する程に音楽を愛し、音楽に魂を捧げ、音楽に包まれて"退社"する事を夢見る男。
音楽関連のアブノーマリティに魅了されても、言動が普段通りに見えるためあまり管理人には気付かれない。一部の職員からは密かに、"静かなオーケストラの人間版"と呼ばれている。
他の職員が少しでも精神面で変化を見せるのに対し、入社当時から何一つ変わらない。
しかし、入社直後に見せた態度からエージェントロンドンは彼の事を、ルーカスと呼んでいる。

・収容違反中のアブノーマリティ
 ・【Nothing】

・職員:今日の一言
 ・ルークス「嗚呼、今日もまた音楽が施設全体に響き渡っています…美しい。」


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黄衣の管理人

「………入るぜ、管理人。」

 

ゆっくりとした足取りで歩を進め、管理人室の前に辿り着いたロンドンと桔梗だが、ロンドンは暫し扉を開けるのを躊躇った様子を見せていた。しかし、意を決した様子で扉をノックし、中に向かって声を掛ける。

すると、どうした事か扉は自動で開いた。一歩入室した桔梗は、異様な雰囲気を放つ人物を見た。

 

「……………」

 

黄衣を纏い、【X】と書かれた雑布を顔に貼り付けた人物を。

 

「新人を連れて来たぜ。倒れた方だ……んじゃ、最終確認的な奴だからさ。俺は部屋の前で待ってるよ。」

「はい、解りました。」

 

ロンドンが退室すると、管理人と呼ばれた人物は桔梗の目の前の椅子を、細く長い指で指す。

座れ、と言う事だろう。恐る恐る、緊張した様子で腰を下ろす桔梗に、管理人は名刺を差し出した。

 

【管理人X ハスター

 

職業と名前以外書いていない、素朴な名刺。桔梗がそれを胸ポケットに仕舞う頃には、管理人は既に桔梗の履歴書を取り出し、それを眺めていた。沈黙が二人を包む中、不意に管理人が口を開く。

 

「小日向桔梗……時に、音楽は好きか?クラシックが望ましいが。」

 

低く掠れた男の声が、その場に響く。少し遅れて、桔梗はこれが管理人の声であると言う事を理解した。

桔梗が首を縦に振るのを見て、管理人は満足そうに息を吐く。

 

「…暫くは安泰だな。小日向桔梗、貴様にとあるアブノーマリティの担当を命じる。」

「い、いきなり担当とか付けられるんですか…!?」

「エージェントが何人いようとデメリットはない。それに、担当を任せたいアブノーマリティを担当している職員が一人しかいない今、お前の力が必要なのだ。やってくれるな?」

 

有無を言わせぬ静かな声に、桔梗の身体は動かなくなる。まるで、金縛りにでもあったかのように。

僅かに捲れた雑布の下で、管理人は口角を上げて言った。

 

「エージェント桔梗。只今を以て【T-01-31:The Silent Orchestra】の担当を命ずる。職務は明日より開始、本日はマニュアルを読んで休まれたし。」

 

モニター下の棚から"新人用"と書かれた冊子を取り出し、桔梗に手渡すと、管理人は桔梗に背を向けモニターを見上げながら言った。

 

「……もう良いぞ。」

「…あっ、はい。失礼しました。」

 

管理人室を出て行く桔梗の耳に、微かに声が聞こえた。「私は彼を満足させ過ぎたようです。」と。扉が閉まると、それきり何も聞こえなくなった。

 

 

「私は彼を満足させ過ぎたようです。今は演奏会(コンサート)の準備をしているようですので、管理人は指示をお願いします。」

 

インカム越しに伝えると、彼は武器として支給された鎌を握り締めて感嘆の息を吐いた。

 

「まさか、これをアナタに振るう日が来るとは思いませんでしたよ。」

 

その背中からは悲壮感が漂うものの、狂喜に満ちた声を発し、不気味な笑みを浮かべている。しかし、彼はそれを自覚していない。

何故なら、彼は(ルーカス)であって、(ルークス)ではないのだから。




・ハスター=ド=カルト[ハスター] AGE:?? GEN:Man Management
黄衣に身を包み、【X】と書かれた雑布を顔に貼り付けている。本名はハスター・ド・カルトと言うが、大概の職員に"管理人"と呼ばれているのを見るに、知られていない可能性が高い。
他の支部の管理人が職員の死に嘆き悲しむのに対し、「弱さは罪。死は己を裁く罪であり救済だ。」と切り捨てる非道さを持つ。職員を蔑ろにする方が慣れている所為か、アンジェラとの関係は良好。

・収容違反中のアブノーマリティ
 ・【T-01-??:???】

・職員:今日の一言
 ・ロンドン「何でこんな時に限ってアイツが脱走するんだ?新人が"退社"しないと良いんだが…」


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収容違反

施設内に警報が響き渡った。あるエージェントは武器を片手に廊下を駆け抜け、あるエージェントは逃げ惑うオフィサー達を誘導し避難させ、そしてまた、ロンドンと言うエージェントはどうしたものかと頭を抱える。

 

「何で今日に限って彼奴が脱走するかなぁ…」

「あの、どうかしたんですか?」

「…お前、管理人に何かしらアブノマの担当任せられただろ?あ、アブノマってアブノーマリティな?まあ、アブノマは結構な数がいる訳なんだが…中でも特に驚異的な力を持つ奴が脱走しちまったんだ。」

「…えぇ!?そ、それって大丈夫なんですか!?」

 

桔梗の言葉に、ロンドンは首を横に振り背中の【Justitia】を手に持つ。しかし、一向にその場から動こうとはしない。

どうしたのだろうと、桔梗が声を掛けようとした刹那、彼女の方をゆっくりと見てロンドンは口を開いた。

 

「…新人。お前の名前は?あ、俺はロンドンな。何か知らんが教育係任されたからヨロシク。」

「宜しくお願いします。私は桔梗と言いますが…」

「解った、桔梗な。お前は兎に角避難してる奴等に着いて行け。それだけで良い。俺と共に行動する必要はねぇんだ。」

「ッロンドン先輩!?」

 

人波の中に桔梗を突き飛ばすと、ロンドンは逆側へ向かって走り出す。扉を二枚程挟んですぐそこにいる、静かなオーケストラの元へ。

 

「誰も死なせない。絶対に。そんな事をさせるものか。」

 

一人小さく呟くと、ロンドンは扉を開き、標的であるアブノーマリティに斬り掛かった。静かなオーケストラの指揮者は指揮棒を持ち、今にも演奏を始めようとしている。

既に静かなオーケストラと交戦していたルークスは、【Da Capo】で何度も何度も彼を斬り付けている。

 

「―――遅かったですね、ロンドンさん。あなたに来て戴けなかったらどうしようかと思っていましたよ。」

「お前の心配は無用なんだよ。音楽狂が…!第一楽章来るぞ、下がってろ!」

 

眼を爛々と輝かせて笑うルークスに、ロンドンは多少の怒りを交えた声で言った。直後、二人以外の声が響き、それに続いて、柔らかく緩やかな音楽が。

 

そんなに怒りを露にしては、何を楽しむ事も出来ませんよ。もっと気を落ち着かせては如何ですか?例えばそう、私達の音楽を聴けば気も収まるでしょう?

「残念、今の俺はWHITE吸収…全部お前のお陰だけどな!」

「嗚呼、音楽、美しい音、全てを魅了する音色。私が私であるために必要なもの……美しい…!」

 

ロンドンは静かなオーケストラの指揮者を何度も斬り付けるが、元よりALEPHであるそれを一人で鎮圧するのは至難の業。

そうこうしている内に、彼が奏でる交響曲は第二楽章に突入し、ロンドンの攻撃も彼には通用しなくなった。舌打ちを一つ残し、彼女は音楽に陶酔するルークスの襟首を掴んで一度部屋を出る。

後に残された静かなオーケストラの指揮者は、指揮棒を振るいながら哀しげな声を漏らした。

 

嗚呼、何故。何故行ってしまうのです。私達はただ、皆様に音楽を提供し、喜んで戴きたいだけなのに…

 

感情とは、生きとし生ける者全てが持つ、その身の一部。如何に姿形が違えども、人もアブノーマリティも大差は無いのだと言う事を、彼は証明しているのだ。




余談ですけど、この話が初めて投稿された10月27日ってルークスの誕生日なんですよね。
ロンドン「ルークス、おたおめ。」
ルークス(ロンドンさんっておたおめとか言うんですね…ちょっと意外でした。)

・収容違反中のアブノーマリティ
 ・【T-01-31:The Silent Orchestra】

・職員:今日の一言
 ・桔梗「ロンドン先輩…どうして、一人で行っちゃうんですか…もし、アブノーマリティさんを倒せなかったら、先輩がっ…」


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鎮圧作業

一方、桔梗は抽出チームのメインルームにいた。部屋の隅に押しやられ、どうすれば良いのかと考えている。

 

「なぁ管理人。僕も鎮圧行きたいねんけど。え?第三楽章までに鎮圧せなあかんのやし、寧ろええと思うんやけど…」

 

インカム越しに管理人と話す、青髪の男を見付けた。手にはクロスボウらしきものを持っている。

 

「遠距離攻撃なら…もしかしたら、力になれるかも知れない。」

 

自然と桔梗の口から言葉が零れた。しかし、誰もが"死にたくない"と叫喚する部屋の中では、悲鳴に掻き消され何も聞こえない。

桔梗は、青髪の男の背後から静かに歩み寄り、素早くその手の中の武器を奪った。

男が会話を中断し、振り返る。驚愕と焦り、そしてもう一つ、言葉に出来ないような感情の籠った目で、桔梗を見た。

 

ロンドン=シュレディンガーを救いたいのならば走れ、小日向桔梗。

 

管理人が、嘲笑を零した気がした。今の今まで、     

流され続けた身体が、自由に動く。

桔梗は素早く人波を掻き分け、ロンドンと別れた場所に向かった。後ろから、武器の本来の持ち主が追いかけて来る。

 

「ちょっと待てや!君、僕の武器奪って何処行きはりよる気や!?」

「ロンドン先輩を助けに行くだけです!しかし私は新入社員、強い武器なんて持ってません…だからごめんなさい、少し借ります。先輩を助けたら、すぐ返しますから!!」

「ふざっけんな責任取らされるんは僕なんやぞ!?」

 

桔梗の逃走劇は続く。

 

 

そして、静かなオーケストラの演奏も続く。

 

「ルーカス、そろそろ第三楽章だ。とっとと鎮圧すんぞ。」

「ええ、ええ。解っております。しかしながら、もっと音楽を聴いていたい欲求に駆られているのです。」

「お前の音楽に対する執着心は相変わらず凄ぇな。呆れる通り越して尊敬するわ。」

「皆々狂気に呑まれているのは、重々承知の筈ですが?」

「ッフフ、それもそうだな。」

「せやから待て言うとるやろ!?考え直せ!君はまだ新人なんやから!!」

 

ロンドンとルークスが、メインルームに繋がる扉の前に座り込み会話を交えていると、聞き覚えのある声と足音が響いてきた。

反対側の扉が開く。扉の向こうから姿を現した人物に、ロンドンは絶句した。

 

「ッ…桔梗、何で戻って来た。逃げろって言ったじゃねぇか…!」

「先輩が心配だからですっ!」

「僕も一応君の先輩に当たるんやけど!?」

 

扉の向こうから、先程までとは違う曲調が、微かに響いた。

ふらふらと立ち上がったルークスが扉を開け放ち、【Da Capo】を構えてメインルームの中へ突入すると、嬉しそうな声が、桔梗の耳にも届く。

 

お帰りなさい、ルークスさん。聴衆を増やしていてくださったのですね。私達の音楽を聴きたいと仰る方々を呼んできてくださった。

「別段そう言う訳ではありません…よっ!」

 

ルークスが【Da Capo】を静かなオーケストラの指揮者に振り下ろすと、彼は微かに顔を歪めた。否、実際にはそんな事は無い。

何故なら、彼はマネキンなのだから。しかし、桔梗の眼にはそう見えた。

 

演奏が始まるより先に幾分かダメージを与えていた所為か、管理人室のモニターに映し出された彼の体力ゲージは残り僅かになった。

静かなオーケストラの指揮者が、少し拍を置いて指揮棒を振り上げ、高らかに言う。

 

さあ、新たな聴衆へ、歓迎の曲を。第四楽章と終曲を!

「あと少し。なのに、間に合わな…っ!?」

 

突如音楽が鳴り止み、ルークスが再び振り下ろした鎌は宙を斬る。静かなオーケストラの鎮圧が完了したのだ。

彼は一先ず胸を撫で下ろしたが、ふとある事に気が付いた。止めを刺したのは一体誰だったのかと。

 

私の攻撃はオーケストラさんが消えた後。ロンドンさんの武器では既にダメージを与えられない。新人と思われる女性を追って乱入して来た累さんの手に武器は無い…

では、先刻やって来た新人らしき女性はどうでしょう?

 

様々な事を考えながら扉の方を向いたルークスは、思わず目を見開いた。

何故なら、そこには【Reverberation】から矢を発射した体制のまま、静止している桔梗の姿があったのだから。




・瑠璃川 累[ルリカワ ルイ] AGE:29 GEN:Man TEAM:Security
桔梗の後を追って静かなオーケストラの前まで来たエージェント。日本人に見える。青い髪が特徴的。
一応オールアラウンドヘルパーと無名の胎児の担当だが、別段苦手な作業やアブノーマリティもいないため、事実上全てのアブノーマリティの担当をしている。
時折彼は妙な言動をする事がある。例えば、普段の一人称は「僕」であり、口調も関西弁なのだが、それが「ウチ」で良く語尾を伸ばして喋る時の彼は彼らしからぬと思う。
そう言えば、彼は確か一人の兄を亡くしていたが、「兄さんは何時でも僕と一緒におるんやで」等と言っていた事もあった。
そして、もう一つ不可解な事に……職員の名簿には、彼の名前は何処にも無いのである。代わりに、「"憂鬱"の鬱」と言う、存在しない筈の職員の名がそこにあるのである。
(関西弁はガバガバです。)

・収容違反中のアブノーマリティ
 ・【Nothing】

・職員:今日の一言
 ・累「言うて僕自己紹介まだしてへんけど…まぁ、宜しゅう頼んますわ。」


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案山子

今日、新しい人間がこの寮に来るって聞いたから、出迎えてやろうと思うんだ。

 

 

桔梗が立ち竦み、静止したままでいるのには、二つ程理由があった。

一つは、ロンドン達を助けたい一心で放った矢が静かなオーケストラに当たり、そのまま鎮圧出来てしまった事への驚きから。

そして、もう一つは…鎮圧される瞬間、静かなオーケストラの指揮者が微笑んだように見えた事から。

彼女は以前の職場の所為もあり、非常に疲れているのだ。だから、有り得ない筈のものが見える。

 

そう言えば、人には見えないものが私にだけ見えた事もあったな…まさか、ね。

 

「おーい、生きとりますー?」

「え…はい。あの、えっと…武器、すみませんでした。」

「いや、それあんさんにやるわ。管理人の命令やし。」

 

青髪の男が桔梗の眼の前で手を振り、彼女は意識をその場に戻す。そして、奪ってしまった武器を返そうとした。しかし、彼はもう良いのだと言い、煙草を吸い始める。同時に、アナウンスが響き渡る。

 

「本日の業務は終了だ。寮に戻って休むが良い。」

 

管理人がそう言うと、アナウンスはブツリと音を立てて切れた。

青髪の男が、スマホを取り出してメインルーム内の写真を撮り始める。

 

「あの、何してるんですか?」

「おん?嗚呼、被害状況の確認用や。寮で研究会開かれるし……せや、自己紹介しとこか。僕は瑠璃川累言います。累でええよ。寮監の親友やから、何かあったら相談し。ほな、また寮で会いましょや。」

 

累と名乗った男は、軽く頭を下げるとその場を去った。

 

「相変わらず自由人ですね。累さんらしくて素敵だとは思いますが……」

「いや、自由過ぎても問題だけどな?」

 

ルークスは微笑みながら呟くが、ロンドンは溜息を吐きやれやれと首を振る。ぱん、とルークスが軽く手を叩いて口を開いた。

 

「では、我々も帰りましょうか。桔梗さんを寮に案内して差し上げましょう!」

 

 

研究施設から離れた森の中には、大体研究施設と同じくらいの大きさの建物が佇んでいる。そこは、職員達が日常的に暮らす寮。ある程度は自給自足出来るように、整えられた場所だ。

 

「寮と言うより、ホテルみたいですね。」

「解る。俺も最初同じ事言ったわ。」

「私…私は、正直こんな広々とした場所に、私なんかが住んで良いのかと……驚愕しましたね。」

 

入口付近の畑の前で、三人は寮を見上げる。各々が思った事を口に出していると、不意に何処からともなく声が響き渡った。

 

Do you know who I am…♪

「…来たか。」

「来ましたねぇ…」

「な、何が始まるんですか…!?」

 

不安そうな声を漏らす桔梗に、ロンドンとルークスは同時に桔梗の方を向き、口角を上げ、息をピタリと合わせて言った。

 

「「新人を迎えるための、洗礼の儀。」」

ウケケケケケ!新人、新人、お前の名前は何かなァ!?僕はKing!即ち王だ!!

「ひっ…!」

 

畑の中に立っていた南瓜頭の案山子が、不気味な笑い声を上げながら桔梗の前に躍り出る。腰を抜かしたのか、彼女はその場にぺたりと座り込んだ。

 

怖がる事ねぇだろ?だって、僕等はもう―――同じ穴の狢じゃねぇか。

「ち、違います…!こ、怖いので、止めてくださ…い!!」

そこまでです。あの時の痛みを今一度味わいたいのならば、続けて戴いて構いませんが。

 

ルークスの纏う雰囲気が突如変化し、案山子の首に【Da Capo】を添える。案山子が笑うのを止めた。

 

「……悪かったな、新人。僕はジャック・ザ・パンプキング。パンプキングって呼んでくれよ。ハロウィンキングで南瓜の王だ。覚えとけ。」

「は、はい…私は桔梗、です……あの…な、何で南瓜を被ってるんですか…?」

「だって…僕に頭とか必要ねぇし。」

 

そう言って、パンプキングは渇いた笑い声をあげた。因みに、こう見えて彼は寮監である。ロンドンは、ルークスとパンプキングに対し、哀れみにも似た視線を送っていた。未だに悪夢から解放されていないのか、と。




・ジャック=ザ=パンプキング[パンプキング] AGE:15 GEN:Man Dormitory Supervisor
頭に南瓜を被った奇妙な少年。漆黒のマントに身を包みながら、その下はオーバーオールを着ている。
子供でありながら寮監を務めているのは、ハスターに拾われた孤児であるから。
南瓜の中身は誰も見た事がない。互いに「大親友だ」と言い合う、エージェント累でさえも。

・収容違反中のアブノーマリティ
 ・【Nothing】

・職員:今日の一言
 ・ルークス「私も彼も、悪夢から逃げる事は出来ないのです。何故なら、それらは我々の心の奥底に、根深く寄生してしまっているのですから。」


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逃ゲラレナイ

身体が熱い。未だに施設でのあれが響いているようだ。

嗚呼、明日は休もう。矢張り私の居場所は此処しかない。此処でなければならない。此処以外では、認めて貰えない。他の企業では、こんなに休みを貰える事は無いのだろうから。危険な作業は多いが、休みの代償と思えば気も楽になる。

だからこそ、今日は久し振りに演奏会を開こう。新人の歓迎会も兼ねて…ピアノ、ヴァイオリン、フルート、チェロ、クラリネット、トロンボーン、それからチェレスタ…まだまだ足りないが、きっと皆様なら取り合ってくれるでしょう。

嗚呼…… 楽 し み だ 

 

 

「うふ……ロンドンさん、私は少し用事がありますので、新人の……ええ…何と言いましたか。」

「え、えっと、桔梗、です…ルークスさん、よろしく、お願いします。」

「桔梗さん、ですか。はい、よろしくお願いしますね。ではロンドンさん、彼女の案内は任せましたよ!」

 

ルークスは、一瞬だけ不敵な笑みを浮かべる。パンプキングもロンドンも気が付いた。もしもの話だが、累がここに居たとしても気付いただろう。しかし、桔梗だけは気付かない。ルークスは、桔梗の案内をロンドンに押し付けると、颯爽と寮の中に入ってしまった。

 

「……彼奴は無名の指揮者。僕の頭はがらんどう。狂気に呑まれていた僕等二人は………ケケケケッ、半分くれぇアブノマに近ぇ存在だなぁ……」

「……じや、俺が案内する。行くぞ。」

 

パンプキングは首を擦り、ボソリと呟きながら、ロンドンは桔梗の手を引いて、中に入った。

 

 

それからは早かった。寮の中を案内して貰って、夕食を取って、自室に案内されて……ベッドの上で寛いでいた桔梗は、不意に扉の下に何かが挟まっているのに気が付いた。

 

「何だろ…?」

 

ベッドから降り、扉の下のそれを手に取る。どうやらそれは、手紙のようだった。

 

拝啓 小日向桔梗 様

本日20時ヨリ、1階大ホールニテトアルイベントヲ行イマス。

新入社員デアル貴女様ノ歓迎会ヲモ兼ネテ行イマスノデ、是非トモオ越シクダサイマセ。

敬具 Lux Lucas Symphonica

 

淡々とした綺麗な字で。しかし、何かしらの想いが籠っているのだろう、震える字体で書かれたそれ。

自身の歓迎会をも兼ねて貰えるのかと、桔梗は心躍らせた。しかし、今はまだ18時であり、もう少し休んでいようかと思った彼女は、テーブルの上に手紙を置くと再びベッドの上に寝転がった。

そして、彼女の意識はそのままフェードアウトして行った。

 

 

気が付いた時、桔梗は薄暗い路地裏を只管に走っていた。否、正確には、自分ではない誰かの記憶を、夢の中で体験していた。頬を撫でる風、荒んだ呼吸、痛みに悲鳴をあげる身体……何もかもがリアリティに富んでいて、一瞬間は夢現の境が解らなくなる程だ。

 

「あっ」

 

足が縺れて、記憶の持ち主は転倒した。どさりと、地面に叩き付けられた衝撃が身体中を駆け巡り、次いでじわじわと痛み出す。咄嗟に口から漏れ出た声は中性的で、女にしては些か低く、男にしては高かった。しかし、桔梗はその声を何処かで、つい最近聞いた事があった。

 

「あんま逃げんなよ、××××サン。逃げたってアンタが苦しくなるだけだろ?」

 

背後から声がして、振り向いた瞬間に私は押し倒される。押し倒した張本人であろう男が、腹の上に乗る。その後ろでは男の友人らしき連中が、下卑た笑みを浮かべていた。

 

「嗚呼、嫌だ、嫌だ…っ…やめてくれ…」

 

私は必死に身を捩り抵抗するが、元来華奢な身体でまるで女のようだと言われ続けて来た私が、身体付きの良い男の力に適う筈もない。怖い、怖い。どうしようもなく怖い……!!

 

無骨な手が服の中に入り込んだその瞬間に、桔梗の意識は遠くに引きずられた。ずるずると意識が遠のき始めた夢現の狭間で、桔梗は声を聞く。

 

苦しい助けて助けて逃げたい嫌だ気持ち悪い怖い死にたい痛い気持ち良い殺してもっと欲しい悲しい寂しい苦しい怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!

 

…逃げたくても、逃げられない。直にあなたも理解出来ますよ、桔梗さん。

 

そこで、目が覚めた。




記憶の持ち主=登場済の誰か、とだけ言ってみる。そして私は言い逃げする。

・収容違反中のアブノーマリティ
 ・【Nothing】

・職員:今日の一言
 ・満「おい、儂の部屋の扉の下にこの手紙を入れたのは誰だ?
……否、奴であろうな。つかぬ事を聞いた…では、儂はこれにて。」


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演奏会

嗚呼、またあの夢だ。管理人さんと初めて会った日の夢。見る度に嗚咽が漏れる。吐き気がする。

出来る事なら、あの時の男の腕を引き千切り、脚を捥ぎ、耳鼻を削ぎ喉を焼き眼を潰し臓物の全てを使い物でなくし、そして積み上げて来た全てを踏み躙ってやりたい。私の矜恃を蹂躙した罪は重いのだから。

 

 

目覚めてすぐ、ルークス・ルーカス・シンフォニカは指揮棒を手に取った。彼がそのまま腕を振るうと、それはヒュッと空を切る。その音に、ルークスは感嘆の息を漏らした。"音"や"音楽"を愛する彼は、その音だけでも興奮しそうなのだ。

しかし、壁に掛けた時計の短針は今にも8を指そうとしている。

 

「…心惜しいですが、そろそろ行かなければ。折角声を掛けたのに、私が行かなくて何になる…」

 

唇を噛み締め、脳裏を過ぎる悪夢を払拭すべく緩く頭を振ると、ルークスは部屋を後にした。

 

 

「あの、累先輩、ロンドン先輩は…」

「ん……嗚呼、ロンドンはんは主催側やってん。許したってや?」

「…薄暗いな。灯りは儂の陰陽術で十分だろうか。」

「待って満。それ使い方間違ってる。」

「首が痛い。捥げそうだ……」

「Zzz…狂研究者君は今日も研究に身を打ち込Zzz……」

 

1階大ホールの座席には、数人が集まっていた。本来なら、より多くの職員がいるのだろうが、皆作業に疲れているのかあまり人数が集まらなかったらしい。

 

「…にしても、あのカーテンの向こうには何があるんでしょうか…?」

「それはやな―――」

 

カーテンに覆われた舞台に目を向け、ポツリと零した桔梗の呟きに答えようと累が口を開いた刹那、照明が完全に消えた。満が灯していた陰陽術の灯りも消え、会場が闇に包まれる。

 

Ich widme diese Musik einem neuen Mitarbeiter,Kohinata Kikyo.

 

舞台上、スポットライトの灯りの下。音楽記号の配われた、白い燕尾服を着た男の姿が浮かび上がる。男は流暢にドイツ語-だったのだが、桔梗は最後に自分の名前を呼ばれた事以外解らなかった-で喋ると、少し会場を見渡し、桔梗に向けて恭しく礼をした。そこで、彼女は舞台に立っている男がルークスである事を初めて理解した。

スポットが消え、シーリングライトの灯りが点る。桔梗は眩しさに一瞬眼を閉じたが、ゆっくりと眼を開け、思わず息を呑んだ。

舞台上の管弦楽団は、美しかった。彼女の心を奪った。そんな桔梗の横顔を見ながら、累は頭の片隅で思う。

 

(……ルークスはんの過去聞いたらどないな顔すんねやろか。ちょっと試しとうなるな…)

 

ヴァイオリンの弦を弾く音がして、累は舞台に目を向ける。既に演奏は始まっているらしい…成程、あの会社に入社する職員には相応しい曲だ。累は微笑を零した。

 

 

一曲目の、"金平糖の精の踊り"が終わると、聴衆は拍手で奏者を讃えた。しかし、管弦楽団は客席に向けて軽く一礼すると、自身の楽器と椅子を持って、颯爽と舞台袖に消えて行った。桔梗が首を傾げていると、入れ替わりにピアノが運ばれて来る。

二脚並べられた椅子に、ロンドンとルークスが座った。

 

「お、今回もあるんやな…桔梗はん、良う見とき?あの二人の連弾はごっつええねんから。」

「は、はい…!」

 

桔梗が食い入るように二人を見つめる。ルークスが最初の一音を奏でると、ロンドンの指も動き出す。滑らかで優雅な指の動きに、桔梗は何時しか魅入っていた。

 

 

演奏が終わり、ルークスとロンドンは恭しく礼をする。桔梗が誰よりも大きく拍手を送る中、ルークスはロンドンを振り向かせ、そして徐ろに―――――手の甲へ口付けた。ロンドンは一瞬間動きを止めると、小走りで舞台袖へ消えて行く。

 

「ぶっははははははははは!草生えるんやけどんふふふふふふっ!!」

Ist es so humorvoll,denen,denen Sie vertrauen,Respekt zu zollen?Herr Depression.

 

ルークスが舞台から降り、桔梗と累の前まで歩いて来る。燕尾服の裾を翻しながら歩く彼は、研究施設で見た人物とは全くの別人に見えた。

 

「いや、ちゃいますやん?ホンマあんさんあれやな思てもうてえっへへへへへいったぁ!?」

Kühlen Sie Ihren Kopf.Ich respektiere sie wirklich.

 

ルークスに小突かれ、累は頭を抑えた。ルークスが桔梗の前に立つ。彼は桔梗の前に跪くとその手を取り、甲に口付けた。

 

「…職員一同、アナタを歓迎しておりますよ。桔梗様…」

 

クスクスと笑うと、ルークスは踵を返して舞台上へ戻って行った。再び客席の方を向いた彼は、妖しい微笑を浮かべ口を開く。

 

「皆々様、本日は疲弊しているにも拘わらず誠に有難う御座いました。ご協力してくださった皆様も、有難う御座います。皆様に幸多からん事を。」

 

神父のような言葉を残すと、彼は再び礼をして舞台袖へと消えて行った。大ホールから人が退いて行き、桔梗と累の他には誰も居なくなる。累が桔梗の手を取り、彼女を立ち上がらせた。

 

「桔梗はん。明日からは本格的な仕事やし、僕等も休みましょや?」

 

 

「ほな、僕の部屋ここやから。あんま距離遠くあらへんから、大丈夫やろ?」

「はい、大丈夫です。累先輩、ありがとうございました!」

 

累の部屋の中からは、煙の匂いが漂っていた。その匂いが遮断され、途端に桔梗は目眩に襲われる。嗚呼、独りは寂しく恐ろしい。長く続く廊下に、以前の職場を思い出してしまった。思わず倒れそうになった桔梗の手が、強く引かれる。

 

「…新人、噂に聞いたが、静かなおーけすとらを鎮圧したらしいではないか。そんな貴様がこのような場所で卒倒し掛けるとは何事だ。気を付けぬか愚か者。」

 

顔を隠した背の小さな男は、それだけ言うと足早に去ってしまった。

何だったのかと桔梗が首を傾げていると、既に自室の眼の前で、暖かな布団の上に倒れると、彼女の意識はすぐに遠のいた。




ドイツ語のところはGoogle翻訳に押し付けたのでとんでもなくガバガバだと思います許してください()

・収容違反中のアブノーマリティ
 ・【Nothing】

・職員:今日の一言
 ・ルークス「Herr,vergib mir.Ich habe wieder gesündigt.」


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有り得ない

「おはようございます、桔梗さん。仕事の時間ですよ、一緒に行きましょう?」

 

泥のように眠っていた桔梗を起こしたのは、ルークスのそんな声だった。

 

(…マニュアル読むの、忘れちゃったな…あれ、そう言えば、)

「おはようございます、ルークスさん。ロンドンさんはどうしたんですか?」

「…体調不良でお休みだそうです。ですから、今日は私がお世話しますね、…それと、着替えのスーツ、です…へ、部屋の外で待ってますからっ!」

 

少し恥ずかしそうに部屋を出たルークスを見て、桔梗は首を傾げた。彼の本性を理解出来そうになかったからだ。

 

 

「えっと、作業は四種類あるんですけど…アナタが担当する事になったアブノーマリティさんは、とても好みが分かれますので、まずはここで練習しましょう!」

 

あまり新人の教育係を任せられる事は無いのか、ルークスは些か緊張した様子を見せながら、一つの部屋の前で立ち止まった。

金属プレートには、【O-03-03:One Sin and Hundreds of Good Deeds】と書かれている。

 

「こ、怖いアブノーマリティさんですか…?」

「いえいえ、外見には驚くかも知れませんけど、とっても優しいですよ。名前はたった一つの罪と何百もの善、大抵の人は罪善さんと呼んでいますね。

では、実際に作業をしてみましょう。そうですね…最初は"愛着"にしましょうか。罪善さんとお話してきてください。」

「は、はい…」

 

桔梗はそろりそろりと、収容室に入る。入ってすぐに、出たくなった。

たった一つの罪と何百もの善の、頭蓋骨に似たその姿は、ホラーやグロテスクなものが苦手な彼女には、少し刺激が強かったのだ。

 

「えっと…罪善さん、って、呼んでも良いですか…?」

汝がそれを求めるならば。

「わわ、喋るんですね…!でもテレパシー、なのかな…?私、桔梗って、言います。罪善さんと、お話しをしに来ました。初めまして、なので。」

桔梗。汝の罪を、此処に。

 

それからの事を、桔梗は記憶できないだろう。作業が終わった後も、頭の中に霧が掛かったように、何も思い出せないのだろう。

漸く桔梗の意識が戻った時には、既にたった一つの罪と何百もの善の収容室から出ていて、「良く出来ましたね。」と、ルークスに頭を撫でられているのだ。

 

「少し休んだら、次は"洞察"です。収容室内の掃除ですね。」

 

あまり桔梗を心配するような素振りを見せないルークスだが、心の底では何を考えているのだろう。彼女はぼんやりとそんな事を考えていた。

5分程度の休憩を挟み、再び彼女はたった一つの罪と何百もの善の収容室に入った。今度は、掃除用具を片手に。

 

「こ、こんにちは、罪善さん。お部屋、お掃除しに来ました。」

汝の其は、罪を重ねるためか。それとも贖うためか。

「…?よ、良く解りませんけど、私は、自分に出来る事がしたいです。誰かの、役に立てたら、とっても嬉しいです…!!」

 

桔梗のその言葉を聞くと、たった一つの罪と何百もの善は口を閉ざした。桔梗からも、それに話し掛ける事は無かった。

彼女が黙々と作業をしている最中、部屋の外では。

 

「な、何故こんな事が…!?新人さんの筈ですよね、なのに…何故、罪善さんは普通の反応を示すんですか?有り得ない…既に仕上がっているなんて、普通じゃない…」

 

ルークスが脳内で様々な考察をしながら慌てていた。新人か否か、他の支部からの派遣職員か、しかし、管理人曰く彼女は紛うことなき新人。たった一つの罪と何百もの善が、洞察作業で普通の反応を示す事は有り得ない。

 

「何じゃ響の。どうかしたか。」

「ひゃいっ!?」

 

悶々と考えていた彼は、背後から忍び寄る足音に気付かない。

故に、肩を叩かれて思わず上擦った声を出した。

 

「っあ、嗚呼、宗次郎さんでしたか…いや、新人さんが…ランクⅠとかⅡとかの新人さんが、罪善さんの作業で…」

「あの、作業終わりまし……ぴえっ…」

 

幸か不幸か、作業を丁度終えて出て来た桔梗は、あまりの恐怖に後ずさる。

何故ならば、ルークスが宗次郎と呼んだその男の瞼は、幾重にも糸で縫い付けられていたのだから。




矢田目 宗次郎[ヤタメ ソウジロウ] AGE:26 GEN:Man TEAM:Training
瞼を縫われているエージェント。日本人。白藤満の従兄弟であるが、陰陽術の扱いはあまり上手くはない。加えて盲目である。しかし、ある程度であれば音や匂いを頼りに周囲の状況を察知する事は出来る。
二人の弟を大切にする傍ら、父親を非常に憎んでいる。

・収容違反中のアブノーマリティ
 ・【Nothing】

・職員:今日の一言
 ・宗次郎「誰か、父上を見とらんかのう?何か知っていたら教えて頂きたいものじゃが…」


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何も無い

何も無い、何も無い。私は何も持っていない。

私が私であるという自信さえ、とうの昔に失くしてしまった。

唯一あると、胸を張って言えるのは……一体、何なのだろうか。

それすらも分からなくなってしまったようだ。

 

 

矢田目宗次郎。瞼を縫われた男は、そう名乗った。趣味や身長、好きな物については何なりと答えるのに、何故瞼が縫われているのかを聞いても、無言を貫き通すだけで、何も答えようとはしなかった。

話は不意に、桔梗は一体何者なのか、と言った内容の話題に変わる。

 

「な、何者だって聞かれても……本当にただの新人ですよっ…?」

「ただの新人が罪善の作業で普通を出せる訳がなかろう、本当の事を言え。」

「そうですよ、同じ職場で働く仲間なんですから、本当の事を言ってくださいっ!!」

「えぇ…?そんな事言われても……あ、唯一普通と違う事をあげるなら……」

 

桔梗が、唯一『他者と違う特別な点』について語ろうとしたその時、施設内に警報が鳴り響いた。

 

【Warning,warning.Little Helper has escaped.Suppress immediately,please.】

 

「えっと…これは、アブノーマリティさんが脱走したって事で、良いんですよね?」

「うむ…まぁ、そうじゃな……」

「じゃあじゃあっ、私先に行ってますねっ!多分説明するより見せた方が早いですしっ!!」

「ちょっ、桔梗さんっ!?」

 

ルークスと宗次郎の制止の声を聞く間もなく、桔梗はその場を走り去ってしまった。自分の武器を抱えて、大層嬉しそうに笑みを浮かべながら。

 

 

「…Shot.」

 

その男は、オールアラウンドヘルパーの後を追い掛けては、与えられた武器から弾を発射していた。【Magic Bullet】と呼ばれるそれは、男が使うには最適の武器だった。

入社してから、ハンドガンやクロスボウを支給されてばかりだった男が初めてそれを手にした時、男の表情は誰よりも輝いており、それからと言うもの、男は鎮圧作業において過去の成績を覆すかの如く貢献した。

あのロンドン・シュレディンガーでさえ、一目置く程であった。

 

「待たぬか馬鹿者、死に急ぐ必要は無かろう!!」

「鬼ごっこなんかしてる暇ないから!早くボスぶっ倒してセーブしたいしさ!!」

「待ってくださいよ桔梗さ~んっ!!」

 

嗚呼、騒がしいな。声からして三人、内二人はルークスさんと宗次郎さんですか。女の声も名前も聞いた事がないが、新人か……嗚呼、面倒で仕方ない。早々に鎮圧して早く業務を終わらせよう……

 

バロウズ侯爵家の長男に生まれた男は、プライベートにおいて女性と一切の関わりを持たないようにしている。何故なら、幾度となく裏切られたからだ。もっとも、極めつけは最後に付き合った女性を、男が裏切ってしまった事にあるが。

とにかく、男は女性と関わりを持たないようにしている。仕事では仕方なく接しているが、その時の彼は淡々としており、用件が済めば早々にその場を去る。

 

近付かないで…最低よ、ずっと騙してたなんて……だから、こんな別れ方になるのよ……ごめん、なさい……永遠に、さようなら。

 

嗚呼、死んじゃいマシたね。アナタが不甲斐ない所為で。

 

記憶の中の女性と良く似た女の声に、男の脳裏を、憎くて堪らない人物の言葉が過ぎった。男がずっと欲していたものを、やっと手に入れたそれを、いとも容易く、卑劣な手段を使って奪ったその人物に、バロウズ侯爵家の長男、エーミールは殺意さえ覚えていた。

 

「っ……私だって、私だって、そんなつもりは無かったと言うのに……!!」

 

エーミールが感情任せに撃った弾は、オールアラウンドヘルパーの装甲を貫く。桔梗がそこに到着したのとほぼ同時に、オールアラウンドヘルパーの姿は消えた。

 

「は?ボス何処?いないじゃん…すみません、何か知りませんか?」

「………貴方が探しているボスとやらと同じ存在かは知らないが、脱走していたアブノーマリティは私が倒した。それだけだ。では、私は次の業務があるので失礼する。」

「……?」

 

苦虫を噛み潰したような表情をしてその場を立ち去ったエーミールに、桔梗は首を傾げるばかりであった。

 

 

「成程ねぇ……ハスターが引き入れたがる理由が良く分かりましたよ。一見すればそこら中にいる普通の女と変わりはしないが、アレもまた確かに狂気に満ちている……では、ワタクシもご挨拶と行きましょうか。」

 

ニヤニヤと笑っているであろうその人物の顔は、奇妙な仮面に包まれ、見る事は叶わない。それどころか、誰も許されない。

桔梗はこれから起こる、この人物との最悪の出会いを知らなければ、久々に就いた職場と、そこで働く者達の唯一の共通点も知らないのである。




・蝶之燈 榮海/エーミール=バロウズ[チョウノビカリ エイミ] AGE:33 GEN:Man TEAM:Extraction
英国侯爵の父と非常に淑やかな日本人の母を持ち、裕福な家系に産まれたエージェント。女性不信である。本来であれば爵位を継ぎ、侯爵となる筈であった。そんな彼が、ここに居る理由を知っているのは、一部の者だけだ。

・収容違反中のアブノーマリティ
 ・【Nothing】

・職員:今日の一言
 ・エーミール「……女は嫌いだ。あの人を思い出させるさっきの女は、特に憎たらしくて仕方がない。」


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ひとりの男

結局、あの男が何者だったのか。それを聞こうとしても、桔梗の後を追って来た宗次郎とルークスに質問攻めにされたり、心配したのだと軽い説教を受けたりして、それを聞く暇はすっかりなくなってしまった。そして桔梗は、一日鎮圧以外の作業をするな。と管理人から命令され、その場で大人しくしていた。

しかし、桔梗にとってはそれが苦であった。寧ろ、何かしらの作業をしていた方が、気が楽であった。と言うのも、その場に留まり続ける事は事情を知らぬ職員達からすれば、好ましい事では無いからだ。

画面の前のあなた方に例えるなら、仕事中や授業中に寝ている人がいても怒られない。そんなところだ。

だが、この会社ではそんな休憩中でさえも恐怖は忍び寄る。例えば、今壁に向かい、目を瞑り耳を強く塞ぐ桔梗の、背後にいる男のように。

 

彼女の首に、冷たく柔らかい何かが触れた。

ああ、哀れな桔梗。哀れな少女。

彼女は、この施設において最も危険な男に目を付けられた。

 

ゆっくりと目を開けた彼女の目に映ったのは、眼前でチロチロと舌を出す、黒い蛇だった。

 

「初めましてお嬢さん、お名前をお伺いしても良いデスか?」

 

後ろから声が聞こえた。本能が逃げろと叫び、桔梗は反射的に横に飛んだ。そのまま支給された……と言うか、累から譲り受けた武器を構える。しかし、そこに居たのはアブノーマリティではなかった。(もっとも、アブノーマリティが脱走していたのならば、警報が鳴るのだが。)

アブノーマリティの代わりに居たのは、2mはあるのではないかと思う程長身の人物。声からして男だろう。しかし、顔には笑顔を浮かべた仮面を被っているため、桔梗は確信を持てないでいた。

 

「クスクス、驚かせちゃいマシたかねぇ?そうデシたら失礼。しかし、見ない顔だったものデスから、思わず声を掛けてしまったんデス。これからは同じ職場の仲間なのデショウ?自己紹介でもしませんか?あ、それから、その子はワタクシの飼ってる子デスよ。」

 

その人は桔梗の首に巻き付いた蛇を指差し、仮面はニコニコと笑っている。しかし、桔梗はどうしても信用しきれなかった。何が、かは分からないが、とにかく嫌な予感がしたのだ。自己紹介のためだろうと、首に蛇を巻き付けて来る辺り、危険と判断出来たし、何より、彼の周りの荘厳且つ不思議な雰囲気は、何処か恐ろしいものだった。

 

「ワタクシ、アテールと申しマス。下〜の方の、設計チームでチーフをさせて頂いておりマス。アナタの所属は何処のチームで?」

 

仮面の隙間から、三日月のように歪んだ口が見える。

桔梗の心臓が、大きく跳ねた。何処かでその笑みを見た気もしたし、以前の職場で似た笑みを浮かべる人物がいたような気もした。しかし、彼女は何も思い出せなかった。

 

「……聞いてマスかー?」

 

アテールが桔梗の肩に触れようとするが、彼女は強くその手を払い、息を荒くしてその場に崩れ、気を失う。同時に、アテールは顔を顰めた。

 

「…つまらないですね。小日向桔梗……面白そうな新人だと思ったのですが、勘違いだったんでしょうか?」

 

ポツリと零し、アテールは踵を返して去って行った。彼が部屋を出て行くと共に、一人の男がやって来て、桔梗を背負う。そうして医務室まで運び、ベッドに寝かせると一つ溜息を吐いた。

 

「やはりあの男、人の皮を被ったアブノーマリティだな。少しでも、奴の被害に遭う人が減れば良いのだが……もう二度と、傷付けさせない。大切な仲間を失わせてなるものか……貴方も気を付けた方が良い。責任は貴方を一人にした教育係達にあるが、あの男は神出鬼没だ。どこからともなく現れては、人の精神を壊して去って行く…そんな非道な男だからな……もっとも、貴方は気を失っているから私の話など聞こえていないだろうが。」

 

男は誰に聞かせるでもなく言い、医務室を去った。

 

結局、その後収容違反が起きる事はなく、桔梗は医務室で一日を終えた。その日起きた事件は、アブノーマリティ一体の収容違反と、彼女の身に起きた非常に非常に不幸な災難だけである。




・アテール=ジェイレイン[アテール] AGE:31 GEN:Man TEAM:Architecture
管理人から指示を受けない限り、決して鎮圧に参加する事も他人を助ける事もない極めて異質なエージェント。人を揶揄ったり、絶望させたりする事を好む。何故彼がそんな事を好むのか、それを知る者は誰もいない。また、顔を隠す仮面の下を見る者がいれば。その人物は、彼の得意な呪いを掛けられ、苦しみながら息絶えるだろう。

・収容違反中のアブノーマリティ
 ・【Nothing】

・職員:今日の一言
 ・アテール「…つまらない。期待外れですね……ええ、本当に、何一つ面白くなかった。」


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