カラワリ (譜千)
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少女は突然現れた

これからよろしくお願いします。


「世界は死にずらくなったものだ」

いや私の周りだけか。自然公園からいやでも目に付く白い塔を見ながら、ため息交じりに呟く。

 百五十年ほど前ならば、人の寿命なんて百二十年ぐらいだったか。技術が進んで死にずらくなって、即死でなければ命は繋げるようになってしまった。ほとんどの人が体に機械を身に着けて生活している。内部であれ、外部であれ。

 正しく死ねなくなったせいで私の友人はあんな死に方を選んだのだろうか。未来が見えてしまうから、夢に浸ることにしたのだろうか。

 ポケットに手を入れ、自然公園を出ていこうとするところで違和感に気づいた。

 誰かがいる。

 黒いフードに瞳のような模様。ピンクの髪に特徴的な色彩の瞳。歳は十歳ぐらいだろうか。超然とした雰囲気と、あまりに冷たく睨みつけるから大人びて見える。

「赦さない」

 怒りの感情で声が震えていた。少しだけ嬉しくなる。生きた人の言葉だと思えたからだ。

 パタンと彼女は唐突に倒れた。さすがに慌てて駆け寄る。どうやら熱があるようだ。さっと調べてみるがどうやら彼女は外の人間のようだ。厄介事かもしれないが、私は彼女を自分の研究室に連れていくことにした。

 

 

「私の名前などどうでもいいだろう」

 少女の名はカフというらしい。どこから来たか、どうしてあの場所に突然現れたのかは説明してくれない。

 彼女は今、私の小型冷蔵庫から勝手にアイスを持ち出し我が物顔で食べていた。貴重なんだぞ、それ。

「困る」

「わかった。じゃあドクターでも先生でも、教授でもどうとでも呼んでくれ」

「じゃあカンザキさん」

「日本人の名前か。どうしてその名前なんだ?」

「わからないけど、懐かしい名前」

 彼女は照れながら微笑みながら自分の髪を撫でる。

「この子はラプラスっていうの」

「なんだねそれは?」

 怪訝そうに呟いている途中に、視界に巨大な魚が写る。色は濃紺。瞳は朱。実態があるわけではないが、そこにいるかのように漂っている。その人でも飲み込みそうな瞳と目があう。

「私に色々教えてくれる」

 ラプラスと呼ばれた金魚は口を開き、恐ろしい赤い洞窟を広げる。

 そして私は食われると、脳に不可思議な言葉が送られてくる。なるほど。食われたことで五感を支配されたようだ。それにしてもかなりの情報量だ。なるほど、彼女の言っていたのはこういう意味か。

 このやり方は昔あった神様のことを思い出す。

 ラプラスという魚が私を食(は)むのをやめる。巨大魚は少女の後ろを動かずに泳ぐという映像みたいに漂っている。頭の中にいろいろ入ってきて眩暈がしそうだ。

「驚いた。君は彼女と同じ世界の住人か」

 彼女というのは、言うならばこの時代の神様だ。電子の世界に君臨した女神であり、人に幸福を与える存在だ。

「仮想世界はあなたたちの墓場じゃない!」

 拳を握り締めて肩を震わす。

 彼女の言葉で思い出すのは私の友人のことだ。

終末医療ならぬ、終末睡眠というものがこの時代に存在する。

精巧に作られた仮想世界で死ぬまで過ごすというものだ。私の古い友人は妻を事故で亡くして、終末睡眠を選んだ。可能性のある人物だった。私よりも強く賢く、人間的にも優れていた。

なのに彼は逝ってしまった。五十年以上昔の苦い思い出だ。永遠の命があっても人間は死にたくなる生き物だと思い知らされた。

「けど彼らは幸せなのだろう」

「偽物の景色の中で生きても、生きたことにはならない!」

「手厳しいな」

 なぜ私がこんな風に申し訳なく思っているのだろうか。

「おじさんはまだ生きてるでしょ?」

「どうだか。死んでないだけかもしれないよ」

「けどあなたは私を見つけてくれた」

「あんな場所にいたら誰でも気づく」

「本当にそう思う?」

 彼女はそういうとフードを被る。彼女がフードを被ると途端に気配がなくなる。もしも目の前に彼女がいることを知らなければ気づけないかもしれない。

 バサッと彼女がフードを勢いよく外し、

「ねっ?」

 と今度は得意げに目を細める。表情がよく変わる子だ。

「これは驚いた」

 と形だけでも言っておく。彼女は得意げに頷いているが、恐らくラプラスという魚が他人の感覚をハッキングしたのだろうが口には出さないでおくことにした。

 私は立ち上がり自分のコーヒーを用意する。そういえば彼女にも何か用意するべきだろうか。しかたないので来客用の茶葉を用意する。こういうのはいつも助手に任せていたが、なんとかなるだろう。

「お前」

「花譜」

「わかった。花譜はどこから来た?」

「わからない」

「どこで生まれた?」

「わからない」

「どうしてここに来た?」

「あなたに会いに来た」

「なぜ?」

「味方にするならあなたがいいってラプラスが教えてくれた」

「そうか。何がしたい」

「この世界を壊したい」

「それは何故だ?」

 とここで彼女の言葉は途切れる。コーヒーの入ったコップを持ち、自分のデスクの前に座る。

 彼女の方に向き直ると、彼女は胸を押さえながら言葉を紡ぎ始める。

「ここが騒ぐ。なんでかわからないけど、心が騒ぐ。仮想世界は私にとって特別な場所で、あんな風に、人がたくさん死んでいく場所じゃない!」

「だから壊すと。頭の悪い発想だな」

 彼女の考えを頭が悪いというなら、私の言葉は「つまらない」ものだ。

 淹れていたコーヒーを口に運ぶ。

「……花譜は昔のことを覚えているか?」

「えっ?」

 どうやら考えたこともなかったようである。少ししてから首を横に振った。

「しばらくここにいろ。……世界の壊し方はまぁ考えてやる」

 どうしてそんな風に答えたのだろうか。きっと私もこんな世界に嫌気がさしていたのだろう。

 




できれば次は金曜までには投稿したいです。


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それは静かな新しい日常

 十歳ほどのロリっぽい花譜ちゃんです。


 彼女と暮らす日々が始まった。彼女はよく歌っていた。ただ彼女はどうしてその歌を知っているのか、分からないと答えた。何かが欠けているというにはあまりにも大きすぎる気もする。

「この時代の人間は幸せだよ」

 私は忌々し気に塔を見ながらつぶやいた。

「見えるだろ」

 自然公園から少し離れた砂漠の真ん中に建てられた白い塔。世界で一番きれいな墓場だ。機械につないだ棺桶に、生きた人間が入り、残りの人生を謳歌する。花譜の言った通り、仮想世界は今や人類の最期の場所の一つだ。

「あれを壊すってことは困ったことにいろんな人間にとって不幸なんだよ」

 私は自作の棒アイスを彼女と分け合いながら話を続ける。

「この時代は良い時代だよ。虐待、いじめ、病気に、戦争。政治、経済、すべて電子の神様が調整してしまっている。不死身の命に、安らかな死。私もこの時代に貢献してきたつもりだが、平和で息が詰まりそうなぐらいだ。知ってるかい。アイスも、コーヒーも今は人目を忍んで嗜むものなんだよ」

 そう取り決めたのは人間で、実現してしまったのが神様だ。窮屈だ。

「難しい言い方しないで欲しいです」

「そうかい。それより何か歌ってくれ。得意だろ」

 私の言葉に彼女はベンチから勢いよく立ち上がり、くるっと私に向いて反転する。得意げに目を細めてはにかむ。よっぽど歌うことが好きなのだろう。

 すぅーと小さく息を吸う。少女の声が室内に響き始める。

 

 

笑うなら

描くなら今だ

言葉なんかじゃ伝わらない

空に放つライン

狂い合う愛

間違いさえ貫いた

道しるべはここだったのか

全ては君が学ぶのだ

notice notice

愛しいかな?別れは

散る煙草の明かりがサインだったんだ

Forget forget

忘れられない

すれ違う視線は知らない

気づけないから

…………

…………

 

 彼女は歌を続ける。私はいつしか目を閉じ彼女の言葉に耳を傾けていた。

「泣いてるのかい?」

 瞳の端に雫が煌く。思わずそう尋ねてしまった。

「分からないです。けど私は忘れてしまった。忘れたくないぐらい大切なことがあったことしか思い出せない」

 歌い終わると彼女は胸を押さえて、もう片方の手で涙を拭う。

「そうかい。案外それが君の戦う理由なのかもしれないね」

「戦う理由?」

「未練だよ」

「どうしたら思い出せますか?」

「そうだね。戦うこと、抗うこと、歌うこと。今の君ができるのはそれぐらいだ。そうして君は自分の価値と過去を見つけて、自分を証明する。なあに花譜が見つけられなくても、私が観測してみせるよ」

「本当ですか?」

「あぁ証明して見せよう。花譜」

 我ながら大きくでたものだ。

「なんとお礼を言えばいいんでしょう」

「いらないよ。また聞かせてくれればね」

「はい」

 彼女は嬉しそうに答えた。

「ラプラス」

 珍しく私のほうから巨大魚を呼ぶ。すっと手のひらほどの大きさのラプラスが視界に移る。どうやらラプラスの大きさは周囲の機械の数や性能が関わるようで、自然公園には環境調整装置以外の機械はほとんど置いていないため、サイズが小さくなるようだ。ラプラスの気分という可能性もあるが。

 ラプラスに指先を噛ませる。もっとも痛みはないし、私の考えをラプラスに情報として食わせるだけだ。電気信号を読み取らせているというのが正しいかもしれない。

「よし出かけるぞ」

「どこにですか?」

「もう一つの現代かな」

 私は意味深にそう答えた。

 

 

 いつもの白衣姿からフード付きのラフな服装を用意する。花譜も普段の服装にフードを被らせて後ろに連れて歩く。

「あのどこに行ってるんですか?」

「まぁ適当に周りを見てろ」

 老朽化したコンクリート。塵と埃が舞う町角。私の研究室のある都市とは雰囲気が違う。怖いのか花譜は私の服の裾を小さくつまんでいる。

 建築物に無理やりつぎはぎをした建物。錆びた鉄。煤けたプラスチック。廃墟のようでここでも人は生きている。

「私たちがいた研究都市の周りにはこういった集落が形成される。ここもその一つだ」

「カンザキさん。公園で言っていたことと違う」

「違わないさ。なぜならここの住人でもあの塔に入ることはできる。しかも多額の給付金を頂きながらな」

「どういうことですか?」

「終末睡眠を希望することで家族に飯を食わせられるんだよ」

 実際には研究協力してくれたから謝礼を支払っているという制度だ。脳についてはまだ解き明かされていた部分もあるし、ドナーの登録をしていれば誰かの肉体のスペアとして肉体を提供することもある。貧乏人が自分の体を資源として売り出せてしまえているのだ。

「お陰であの塔への希望者は尽きないよ」

 塔では幸せな人生がシュミレートされている。辞退者なんてそうそう出るわけがないのだ。

 崩れた町から見える柱のような塔から視線を外し、歩くのを再開する。

 大通りを避けつつも、賑わいの大きい場所に進む。花譜の様子だが、興味深そうにあたりを見渡している。

「こんなところもあったんだ」

「花譜が仮想世界の住人というのなら、この場所は知らないだろう。同じように神様がいくら凄くても、あの人はあくまでも人工知能だ。機械の発展していない場所にはあまり介入はしない」

 言いながらおかしな話だとも思った。花譜は私の後ろを中身でついて来ている。だが初めて会った時に、彼女は仮想世界からやってきたという言い方をしていた。

「ラプラス」

 私が呟くと相変わらず手のひらサイズの青い魚がヒレを揺らしながら現れる。私は指先を噛ませて、情報を共有する。

「最近仲良しですよね?」

「そうだな」

「私は仲間外れですか?」

 ちょっと怒っているように頬を膨らませる。

「いやそういう訳ではないのだ。言語化が上手くできなくてな」

「私が馬鹿だって言いたいんですか?」

 ぐっと彼女の顔が一段と近くなる。

「いやまてそうじゃないんだ」

「じゃあなんですか?」

 まだ未確定の事項だ。理論も定まっていないし、ラプラスに任せたほうが結論は早い。

「大したことじゃない。私自身正しい答えを持ち合わせていないんだ」

「語彙力ないんですか?」

「怒るな。仲間外れのつもりはしていない。そうだな。英気を養うついでにラーメンでも食べるか?アーカイブを覗いていたのは知っているぞ」

 花譜は私の研究室にいる時いつも過去の記録を見ている。やはり音楽が多いが、次に食べ物が多い。私は普段仕事中なので、一人で黙々としていてくれているのは助かっている。

「この時代にあるんですか?」

「まぁついてこい」

 どうやら追及を逃れることには成功したようだ。入り組んだ路地を抜け、馴染みのラーメン屋に向かう。時間帯的に少し早い晩御飯といったところだ。

「いらっしゃい。おや先生じゃないか?何かあったのかい」

「別に何も変わらないよ。ただちょっと外の空気を吸いに来たついでだ」

 馴染みの店主に答える。なんだかんだで彼とは付き合いが長い。二十年か、三十年ぐらいか。

「おや先生その子は?」

 私がフードを外したため、花譜もフードを外したようだ。外ならば子どもは珍しくはないが、突然現れたのは周囲を驚かせてしまったようだ。花譜も私の背に隠れて様子をうかがっている。

「預かっている子どもだ」

「そうですか。まぁ座ってください。いつものでいいでしょ?」

「助かるよ。少し多めで、小皿を頼む」

「あいよ」

 店主はそういうとカウンターから離れる。私たちも店の前から奥へと移動する。

 席に向かい合うように座ると、花譜は落ち着かないように周囲を見ていた。

「気になるか?」

 彼女は小さく頷く。

「この店は食品文化指定を受けている。なんでもかんでも規制しようとする人間が多いが、文化を残そうとする人間も多いということだ」

 と説明するがどうやら彼女の興味は別の場所のようだ。

 ラーメンが運ばれてくると二人とも会話はなくなり、ただ黙々と食べていた。花譜は少しだけ嬉しそうに、慌てて食べていて喉に詰まらせそうにしていた。取り分けた分では足りないのか、私の方を見ていたのでもう少しだけ分けてやる。

 若干十歳だが、どこにそんなに入るのだろうか。

 

 




 次は週末に投稿できるように頑張ります。


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明日の人類は人間かな

 私のオリジナル要素「神様」の登場です。こちらは昔私が書いた小説のキャラクターになります。お話に都合が良かったので久々に書いてみました。
 


 研究施設から外出してから三日ほどが経過した。私はその間仕事を慢心していた。単純に締め切りが近いのに、花譜の相手をしていたせいでもある。彼女はつまらなそうに部屋でデータを見ているか、フラリとどこかに出かけるようになった。どうやらたびたび外に出かけているようだ。施設から出るのには手続きとカードキーが必要なはずだが、どうやっているのだろうか。

「先生最近食事増えましたね?」

「そんなことはないよ?」

 私にそう尋ねたのは私の助手だ。もちろん花譜の食事も取り寄せているから、この質問は予想していた。なので白を切ることにした。

「それよりどうしたんだい?」

「あのこの間頂いたレポートなのですが」

「何かあったのかい」

「その上の人が興味をもったようで話を聞きたいと」

 先日と言えば、花譜を見ていて思った理論か。簡単に言うと人格の複写は可能なのかといった内容だった。

「そうかい。いつ?」

「できるだけすぐだと。できれば今すぐです」

「今すぐ?」

「はい。こちらがレールのチケットです」

 レールというのは一人用のリニアである。

「わかった。じゃあ今から行ってくるよ」

「今からですか?」

「何か問題?」

「いえちょっと驚いて。先生やっぱり最近何かありました?」

「そうだね。少しだけ毎日が楽しいかな」

 恐らくは彼女と出会ってから楽しいのだろう。

 外出用の上着を用意して、チケットを片手に研究都市の地下に向かう。担当の職員にチケットを見せて、レールに乗り込む。奇妙な浮遊感のあとは静かなものだ。別に来るのは初めてではないので、到着の合図があるとすぐに降り目的の建物へと向かう。

 それにしても本部に来るのも久しぶりだな。

「げっ」

 受付で要件を説明し、案内人をつけると言われたがその人物に嫌なものを見たかのような声を上げられてしまった。

「お久しぶりです」

「なんでまたあなたなんですか?」

「有能だからじゃないですか?」

 背の高く、髪の長い女性だ。彼女は本部の警備部門の主任である。私とはたびたび会う機会があるが、彼女は私のことを毛嫌いしている。理由としては、私が電子の神様に気に入られていると思っているからだ。あの神様はそんなつもりなどないというのに、無用に嫉妬をされ迷惑な話だ。

「こちらです」

 キッと睨まれた後に案内されたのは見慣れた何もない小さなドームのような部屋だ。辺りは薄暗く、等間隔に並んだ壁のライトが怪しく光っている。

「では」

 最後まで睨んでいて案内人の態度としては失格ではないだろうか。それだけ主人への忠誠が強いということなのだろう。

「お久しぶりですね先生」

 音声のあと目の前に金髪の美しい女性が現れる。

「アイ」「アイン」と呼ばれる最初に魂を獲得したとされる人工知能。いや正確には人口知性と言うべきものか。彼女は自分の主人に与えられた「人間を幸せにする」という命題を抱え今日まで活動し続けている。その間およそ百八十年。今の時代を構築したのは彼女といっても過言ではない。

「君にとっては瞬く間だろう」

「いえいえ。先生のレポートを拝見してからは一日千秋の思いでしたよ」

「嬉しいことを言ってくれる」

 柔和な笑みを浮かべる彼女はまるで生きているようだ。だが実際は部屋の装置によって目の前にいるように見せているだけだ。拡張現実という奴だ。ラプラスも同じ手段を用いて私の目の前に現れるが、本来は大掛かりな装置が必要なものだ。

 私は早速レポートの内容を再度確認する。

 問い。魂の複写は可能だろうか。脳をすべて文字化し、別の場所に保存。別の肉体を用意し、文字列化した脳を人口の肉体に搭載する。そうしたものは魂と言えるのかどうか。

「さてこれは書いていませんでしたが、神様そういった実験なさってますよね?」

 そもそもこの時代は人工知能が機械や設備を生み出す時代だ。人間の扱える機械などそれこそ人の周りにしか存在していない。

「神様なんて言わずに「アイ」と呼んでください。あなたはいつもそうです。私のことを過大評価なさる」

「アイ。答えて頂きたい」

 彼女は小さく頷くと、

「他言は厳禁ですよ」

 と付け加えいくつかの資料を宙に浮かべる。私の手前にも手の届く範囲にデータが届く。

「近年人口の問題が言われているのはご存じですか?」

「ええ。少し前から研究者の中でも囁かれています」

 人間の長寿化。生殖能力の低下。塔ができたことによる現実世界での生存の放棄。原因は定まっていないが、現在世界人口は減少傾向にある。このまま進めば人間という種は絶滅に至ると言う者もいる。

「その認識で間違っていません。そこで私はある実験を行っています」

 彼女の言葉に合わせて、また別の資料が表示される。十歳ほどの子どもの写真が目につく。すべて水槽で培養されている様子だ。ただ今時こんなものは珍しくはない。

 ただどこかで見たことがある気がする。

「これは?」

「私は次世代と呼んでいます」

「ほう」

 彼女はそこから説明を始める。現在の人類、私たちのような人類ではいずれ数が衰え絶滅してしまう。人類滅亡を回避するために、彼女は次の人類を用意する計画をしているそうだ。

「私の研究とどう関係があるのですか?」

「新しい子どもたちは自分のことを人類と思わないでしょう。なぜなら機械によって生まれ、育てられます。それでは私の手足となって働いてくれている人たちと変わらないのです」

 現在でも子どもは少なからず生まれているが、機械の手は多く母子ともに負荷は少ないものとなっている。人から生まれたら人なのか、人として生まれたら人なのか。判断に迷う話だ。

「そこで生きた人間の脳を乗せると?そんな単純なものでもないでしょう」

「ええ。しかし今の人類の多くは四十年ほどで終末睡眠を望む傾向にあります。人類滅亡はもはや悠長に構えられない問題なのです」

「少し聞きたいのですが、ならばなぜあなたは塔なんてものを作ったのですか?」

 終末睡眠を行うための施設となるとそれなりの規模が必要である。にもかかわらず、それは今や世界中に存在している。塔に入ることを夢見て人が集まるほどだ。

 今の私は仮想世界を墓場にした意味を問わないといけない立場だ。

「必要だったからです。私は人を幸せにするために存在しています。あの塔は必要で、死の恐怖を忘れて穏やかに眠ることを望んだ人がいたのです」

 百点の回答だ。傷ついて眠ることを選んだ友人がいた。私に反論の言葉はない。ただ彼女なら、花譜ならなんと答えるのだろうか。逃げてるだけだと、怒りそうな気がした。

 

 

 

 本部から戻りその話を花譜にしたら案の定怒っていた。

「どうして死ぬの! 家族は! 友達は! 大切な人はいないの!どうして今を手放してしまうの! 生きているのに!」

 目の端に涙を浮かべながら、すごい剣幕で私に迫る。

「そうだな。どうしてなんだろうな」

 私は彼女の言葉を抱きしめるように優しく返した。

 花譜は肩を震わし怒りを露にしているが、私は対照的に冷静でいつも通りコーヒーとアイスを用意する。

「カンザキさんは怒らないんですか?」

「そうだな。私は寂しかった。いや絶望したのかもしれないね」

 苦い思い出として残っているのはそのためだろう。

「私だって本当はいなくなりたくなかった!あれ?」

 彼女は自分の言ったことに驚いているようだ。

「昔のことを思い出したのか?」

 アイスを花譜に渡しながら尋ねる。

「知らない。だけど胸が苦しい」

 言葉の後にアイスを口に運ぶ。

「あなたの友達はどうして死んでしまったんですか?」

「さてね。彼にとっては彼の妻が世界のほとんどだったのだろう。想いの大きさなど他人が軽々しく考える者じゃないよ。痛みも苦しみもその人の財産だ」

「財産?」

「あぁ。前に言ったろ。人間の生きるってことは、戦うことであり、抗うことだ。決して幸せに浸ることを人生とは呼ばない」

「カンザキさんは何と戦っているんですか?」

「私か?私は簡単だよ。死にたくないから生きているんだ。戦ってなどいないが、無駄に苦しむ生き方だよ。苦しいなら逃げればいいのにね」

 別れのたびに何度も自問自答したものだ。啜ったコーヒーが余計に苦く思えてしまう。ただ今更そんな理由でこの生き方をやめようとは思わない。

 花譜は何も言わなかった。代わりに唇を固く結んで、悲しそうにこちらを見ていた。

「アイスを食べたら公園に行こう。気分転換が必要だ」

 私は彼女に提案すると小さく首を傾け頷いた。

 

「過去に行く方法を知らないか?」

 今思えばそれが私の友人との最期の会話だった。

「SFだな。神様なら知っているかもな」

 神様にどんな手段を使っても会いたい人物がいることは一部の研究者の間では有名だった。

「そうか。じゃあ僕は塔に行くよ」

「死ぬのか?」

「違うよ。彼女に会いに行くんだ。アインは過去に行ったことがあるらしい。ただしそれは一方通行で肉体があると戻ってこられないんだ」

 私は何も答えず、訝しげに聞いていた。喪失によって狂ったのか、現実逃避なのか。日に日に弱っていく彼に私は何と言葉をかけるべきだったのだろうか。

 

……

……

隠しても

壊しても未だ

言葉なんかじゃ言い切れない

肌を交わす夕日の並木道を

何も言わず貫いた

遠くにいるあなただけが

全ての意味を抱くのだ

I Believe I Believe

何もかも許して

あなただけを感じて生きて来たんだ

forget forget

全部嘘だよ

すれ違う視線は消せない

認めないから

閉ざした意味を探し合うように

お互いの今を気づかぬように

あなただけはわからぬように

全てが

君を殺すから

……

……

 

 花譜の歌を聴いていたら不意に昔のことを思い出した。散りばめられた言葉が、私に過去を想起させたのだろうか。

 例えば本当に過去を変えられたら、今を変えられるだろうか。

 花譜は歌い続ける。私の知らない言葉を紡ぐ。目を開くと塔が見えるから、私はベンチに座って目を閉じている。

 次世代の偽物の子どもたち。減少していく人類。花譜の願い。仮想世界の目覚めぬ夢。脳の文字列の転写。塔で眠る人たちの幸福。過去に行くと言った友人。

「あはははは」

 すべての点が奇妙に繋がり、私は笑いを堪えることができなかった。

「どうしたんですか?」

 歌うのをやめた彼女が私の元に駆け寄ってくる。

「いいやなんでもない。もしかしたら私は狂ってしまったのかもしれない。ラプラス、花譜。私の話を聞いて欲しい」

 理論は定まってなどいない。可能性の話でしかないのだ。自分が興奮していることには自覚的だが、抑えられそうにはない。

 もしもそんなことが可能なら、世界が変わるなら、私はそれを見てみたいと思った。

 



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「カラワリ」決行

 物語が大きく動き始めました。


 

「作戦は分かったな?といっても君は歌うだけだ。一番頑張るのはラプラスだが問題ないだろう」

 作戦決行の当日がやってきた。私は外套を用意し、花譜も黒基調とした装いに変化している。ラプラスとシンクロしているのか、服装の一部は時々青く発光しているように見える。彼女にはレールを徒歩で歩いて塔に向かってもらいことになっている。

 偽物の子どもたちは塔の地下で眠っているからだ。

「あのこれが失敗したら?」

「失敗はしないよ。全て成功だ。私たちの行為はただの問いだ。もっともどちらにしても私と花譜はお別れだ。君の正体は話したろ?」

 私の言葉に彼女は片腕を強く握りしめる。

「君は仮想世界の住人だ。その体は返さないといけない」

 突き放すような言葉になってしまう。彼女に背を向けると後ろから抱きつかれる。

「立ち止まりはしないよ」

「分かってます。だけどここでお別れだから」

「そうだね」

 私は彼女の手を取る。手を引いたまま空いた手で小型冷蔵庫を開く。握った手を外して、慣れた手つきで自作のアイスを二つ取り出し、彼女に渡す。いつもの席に座って、いつものようにアイスを食べる。これも今日で最後だ。

「このアイスしょっぱいです」

 彼女の頬を雫が伝う。

「そうか」

 確かに少ししょっぱいかもしれない。これでは泣いてしまうのもしかたない。

「あのあなたの本当の名前教えてもらえますか?」

「×××××。もしも出会うことがあっても、他人だよ」

「私も同じです。あなたの知っている私は、今だけです」

「あぁ。……写真でも撮るかい?私は苦手なのだけど」

「私も苦手です。けど持っていけないですよ」

「私の手元に残る」

「寂しくないですか?」

「はっ今更そんな寂しさなどいくらでも背負ってやる。それに君は死ぬために向かう訳ではない。もっとも私の理論が正しければの話だけどね」

 椅子から立ち上がり、フィールドワークで使うカメラをロッカーから取り出す。

「ラプラスお前も来い。シャッターは任せたぞ」

「カンザキさん。ラプラス使いが荒いですよ」

「だってそいつ便利なんだもん」

 実際こういったユーザインターフェースが手元に欲しいぐらいだ。これが終わったらそれとなく調べてみるか。

 カメラを机に置いて向かい合う位置に二人とも移動する。二人しかいないので近づく必要はないが、花譜はピッタリとくっつく。彼女の右肩が私の左腕に当たる。これから先が不安なのか、ぎこちなく彼女が私の手を握る。おかしなものだ。偽物だと確認しても、この体温は本物だ。

ウィーンと動作音が聞こえ、シャッターがきられる。

 カメラに映った私たちはぎこちなく笑っていた。二人ともカメラ慣れしていないのが良くわかるものだった。

「さて行くか」

「あの待ってください」

「なんだ?駄々っ子か?」

 振り返ると花譜は少しだけ頬を膨らませる。

「そんなんじゃないです。その作戦に名前とかあるんですか?」

「名前? あぁそうだな。「カラワリ」がちょうどいいな」

「カラワリ?」

「分厚い卵の殻を破りに行くんだよ。私たちでね」

「はい!」

 外套を纏った研究者。黒服の少女。正体不明の浮遊する巨大魚。勇者のパーティーとは言えない。差し詰め神様に反旗を翻す魔女の一味だ。

 

 

 花譜と別れ、私は私の役目を果たすために神様に会いに行く。もっともただお喋りをしに行くだけだ。いつもの通りアポをとり、警備の主任に「非常識です」と小言を言われた。深夜の来訪ではあるが、神様には些細な問題だ。

 ドームに入ると彼女が早速現れる。薄い金髪の麗しい女性が姿を現す。

「お久しぶりです神様」

「お待ちしてました。急に話がしたいんだなんて私ワクワクしてますよ」

 私も同じ気持ちだが、今日は少しだけ事情が違う。

「まずお願いがあります。今晩私はとある実験を行いたいと思っています。それを静観して頂きたいです」

「内容は聞かせてもらえないのですか?」

「承諾していただければ話しますよ。いやそうしてもらえないと話せないのです」

 機械の知性相手にこんな物言いがどこまで通用するのだろうか。ただ過程があるから予測は立てられるもの。少なくとも彼女は私がどんなカードを持っているかは知らないはずだ。

「塔の地下のプラント。先日見せて頂いたものです。そうですね「次世代」と呼んでましたね。私の予想では何名か、抜け出してますよね?」

 と尋ねるが私は確信が持っている。なぜなら「花譜」がそうなのだから。

「そこまで分かっているなんて、一体どこで知ったのですか?」

「おっとこれ以上は約束をしてからにしてもらいたいです。そのための駆け引きですから」

 拍手しながら笑う彼女に合わせるように、私も芝居がかった口調で返す。警備がやってきて拘束してくる可能性や、私の脳が暴かれる可能性も考えていたが杞憂だったようだ。

「確認しますが、それによって人が不幸になる。あるいは被害は発生しますか?」

「そうですね。多少の混乱は発生するでしょうが、すぐに収まるでしょう。破壊活動ではなく、あくまでも実験なので誰かが始末書を書かされるぐらいでしょう」

「分かりました。では黙認させていただきます」

「ありがとうございます」

 と私が答えると室内の明かりが一瞬点滅した。

「今のが実験ですか?」

「いいえ。これからが実験です」

 遠くで言葉が聞こえる。メロディが聞こえる。私にとっては聞きなれたものだが、みんなにとってはどう聞こえるんだろうな。

 

……

……

 notice notice

愛しいかな?別れは

崩れ合う言い分けで混ざっていくんだ

forget forget

忘れてしまえ

すれ違う視線は知らないから

ホオズキの花が咲いたら

君を連れて街の風になろう

あの日の意味もまやかしも全部忘れないように

君と笑う夏の日々を

何十年だって思い出すんだよ

真実をまやかして

気づいてしまうから

 

 

 いつもの曲が終わると息を吸う彼女の声が聞こえた。そして次の曲を歌い始める。優しく、よく響く、鳥が鳴くような声だ。心地良い。

 歌の途中で花譜の姿が投影される。私が今まで見た姿よりも少しだけ成長している。十五歳ぐらいだろうか。

「これが実験ですか?」

「まぁそうですね。これ塔で行っているんですよ」

 私の言葉に彼女が慌てて空にモニターを表示する。どうやら塔の監視カメラのようだ。しかし、どこにも彼女のらしき人物は映らない。それもまた当然だ。

「まさかあの子はこちら側ですか?」

 こちら側。すなわち電子の世界の住人だ。

 そうだ花譜。歌え。今だけはその世界はお前だけのものだ。音が鳴り響く間はずっとお前の居場所だ。

「ええ。見落としを恥じる必要はありません。私が少し仕込みをしました。これは塔の内部でやっているゲリラライブみたいなものです。すっかり死語ですね」

 もっともらしく言うが、九割ラプラスの力である。私の予想通りあの謎の魚を模した存在は、現在の科学の上を行く何かのようだ。

「どうして眠った人を起こすような真似をしたんですか?」

 悲哀に満ちた瞳を私に向ける。

「眠った人を起こそうと思ったのですよ。なぜなら彼らは生きている。幸せになる権利を持っているからです」

「意味がわかりません。彼らは幸せに死のうとしていたのに」

「そこですよ。幸せって与えられるものじゃない。幸せは勝ち得るものだ。今に甘えて眠ることを幸せだと言うならば、そいつは疲れているだけだ。別に私はそれが悪だとは言わない。だけどいつまでも平和で穏やかな卵の殻に籠っててはいけない。ましてや卵の殻の中で死んだら、何も生まれていない」

 私の言葉にアイは反論をしない。彼女の弱点と特性をついた作戦なのだ。効果がないと困ってしまう。

「アイ。あなたも甘えてしまっている。「こうすれば人は幸せだと」どこかで停滞している。生きている人間は単純ではないし、あなたが本当に人を幸せにする機械なら私のような人間は今日まで生き残れていない」

 それこそ私のように不和をもたらす可能性は処理され、終末睡眠に放り込んだほうが絶対に人類にとっては幸福だ。それをしていないのは、彼女の大きすぎる「人を幸せにする」という命題が難解であり、未だに彼女がその答えを探しているからだ。個人の幸せも、種の幸せも、未来の幸せも、すべて解決しようとする存在が彼女なのだ。

「あなたの殻は居心地が良い。だけど最初からそれでは将来の可能性が消えてしまう。たかだが四十年程度で死に急ぐ人間が現れるのはあなたのせいでもある。人は弱く楽なほうに流されるものだ。あなたも手を離すことを恐れず、独り立ちする姿を見守っていただきたい」

 こんな風に私はあの時、友人を叱咤できただろうか。きっとできなかった。私がこんな風に強く言えるのは、世界を壊したい、死に急ぐ人たちを見たくないと、言った少女と出会ったからだ。

「先生の伝えようとしていることは分かりました。ですが、こんなことをする必要はあったのですか?私には少し理解できかねます」

 頭の中に別の情報が飛び込んできた。どうやら私の役目は終わったようだ。

 

「えぇ。そんな必要はありません。これまでの話は時間稼ぎですから」

 




 次回は近いうちに投稿したい。


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過去の忘れ物

「花譜。お前はこの時代の人間じゃない」

 作戦を立てる前に私を正直に花譜に伝えた。

 彼女はフードを被り、目を伏せ、震える腕をもう片方の手で抑えた。

「ずっと考えていた。花譜が誰なのか。君はかつて地球にいた「誰か」の器だ」

 脳を文字列に変えて移し替えるように、電子の文字列が人の脳に宿ったのが彼女だ。彼女の感情は、文字列に宿った記憶と記録の混濁によってできている。

「どうやってできたか、どうしてここにいるのか、そんな疑問はこの際どうでもいい。重要なのはこれから君が何を成すかだ」

「何を成すか?」

「私は約束通りこの世界を壊そうと思う。破壊活動を行うということではないから安心してほしい。既成概念を一つぶち壊そうと思っているだけだ。少しでも長く人間が地球上で暮らしていけるようにね」

 大それたことでもあるが、誰かが指摘すべき事柄でもある。私が今生きてこの結論にたどり着いたのなら、それを伝えるのが役目だろう。一人ぐらいそんな反骨な奴がいてもいいだろう。

「花譜。私の頼みを聞いてくれるか?」

「なんですか?」

 不思議な光彩の瞳が自信なさげに私を見る。

「過去を変えてくれないか? 君ならできるはずなんだ」

「どういうことですか」

 私は昔友人が話したことを伝えた。過去に向かう方法。電子の世界に形を持っていること。今の時代と、向かうべき時代に繋がりがあること。互いに時代に存在を証明するものを用意すること。必要なものを簡単にまとめるとこの三つだ。

「私たちが挑戦を起こしてもこの時代は何も変わらないかもしれない。だから、君が過去を変えてほしい」

「どうして私なんですか?」

「君は時間が止まったままここにいるからだ」

 彼女は電子の世界に取り残された誰かの名残。それがどういう訳か、体を持ち意思を発するようになってここにいる。

 私は手のひらを彼女の頭に置く。

「夢や希望はなんだった?やりたいことはこれだったか?」

 私は優しく問いかける。

「……違う。わからないけど、私にはやり残しがある。「花譜」には戻りたかった場所がある」

 私はその言葉に満足し、彼女の頭を撫でた。

「大分人間らしくなってきたな。そうだ。それでいい。エゴで、自己満足で、好きなことを好きなようにすればいい」

「いいんでしょうか。その私ばかり」

「自分が恵まれてると思ったのか。花譜の存在が魔法みたいなものだから気にするな。それよりその魔法みたいな声で、諦めて寝てる奴らを起こしてやろう」

 寝てる側からしたら迷惑な話だろうな。いろいろ理屈は練っているが、私が腹立てている側面も大きい。

「はい。最初のころに言ったとおりになりましたね。私の価値も過去も見つけてもらいました」

 照れくさそうにしながらも、彼女は私に微笑みかける。花のように可憐で私は思わず彼女からから視線を外して空を見る。夜の訪れを感じる、光が闇に追われているような空だ。

「当然だ。私は君の観測者(ファン)だからね」

 

 

「時間稼ぎ?」

 と神様が問いかけるのと部屋のモニターに通話が来たのは同じくらいだろうか。

「失礼します」

 アイはそういうと耳元に手を当てる。

「どうしました? えっ架空区画が動いている?」

 といったところで彼女はこちらを見る。私は黙って意味深に頷く。

「はい。極秘の実験中です。混乱の起きないように対処お願いします」

 良く通る声に話すのは、私にも聞こえるようにするためだろう。やはり彼女は人間に優しい。彼女は腕を下ろし、困ったように腕を組んで私に向き直る。

「どうして先生が架空区画の設備をご存じで、扱えるのですか? あなたの周りに人間以外がいるなら、私も対処を考えないといけません」

「私が知っているのは、かつてあなたが自分の創造主に出会うために使った過去渡航機があることぐらいです。後のことは友人に任せています。私に人工知能が開発した設備を扱う能力はありませんので」

 嘘偽りなく答える。ただラプラスの存在については当然黙っておく。こうして万能に扱っているが、あれはなんなのだろうか。今は味方であることがただ心強い。

「信じてください。私たちはあなたの敵ではありません」

 また一つ花譜の歌が終わろうとしている。機械が動き始めたというのなら、もうすぐ彼女は行ってしまうのだろうな。

 これでいいのだ。私は目を閉じる。花譜はもう一曲ぐらい歌ってくれそうだ。せっかくなので目を閉じてこのまま聞いてしまおう。

 私の役目は終わったのだ。私が手を引くのはここまでだ。

彼女の産声を、別れの歌を、私のいない町へ、私のいない空へ羽ばたく彼女を、見送ろう。その旅立ちが、その先が後悔のないものになることを願って。

 意外なことに神様は何も私に尋ねなかった。

 言葉に感情を乗せて震えるような声。優しくどこか頼りないくせに、芯を感じさせる。まだまだ未完成で、不完全だ。だからこそきっとそれが未来を切り開く力になるだろう。

あぁこれが聴けるのも最期と思うと、さすがに名残惜しいものだ。

 ウィーンという電子音と後バタバタと人が流れ込む不愉快な音が訪れる。私は背後から地面に叩きつけられ拘束される。

「確保」

 両腕を後ろに回され、上から体重をかけられ動けなくなる。動く首を伸ばして、花譜が左目から涙を流しているのが見えた。あぁそうか行くのか。私は何故かそれに笑みを返した。

「またね」

 右手を小さく振って、そんな言葉が聞こえた気がした。

 

 

 




 あと少しだけお付き合いください。


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違う空の下 歌は繋がる

ようやく完結です。


 こうして私の行った「カラワリ」もとい塔と機密への不正アクセス事件は終結した。ただこの事件は奇妙な点ばかりで、私は拘束されたものの証拠不十分で解放された。今は監視されながら、神様用のレポートを三つほど提出することになった。一つは事件のこと。これは当たり障りのない事件のあらましだ。私が時間稼ぎに話した人の意識を覚醒させるのに、電子の脳を利用する実験の概要のようなものだ。二つ目は花譜とラプラスについてだ。これは神様との約束である。三つめは子どもたちについてだ。

「今度はどんな手を使ったんですか?」

「そう睨まないで欲しい。連日監禁されていて私は疲れているんだ」

「それは結構なことで」

 警備主任は相も変わらず気に食わない奴を見る目で睨みつけてくる。

「あなたのせいで私も減給よ。まったく忌々しい。その上あの方とまた話ができるなんて」

 そんな会話の後、私は生身の神様と話をして今回の事件のことを少しだけ話した。

 なんといつものドームではなく応接室のような部屋で話すことになった。

「テクスチャですか?」

「よくわかりましたね?」

「特徴的ですから」

 テクスチャというのは簡単に言うと人の見た目を見せたいものにする技術の呼び方の一つだ。子どもを大人に見せることはできるが、どうしても違和感が起こるためだいたいは肉体に近い見た目をしている。

 花譜も神様も本来のデザインよりも幼いのは「次世代」の体を使っているためだ。

 神様とは今回の事件のことと、花譜とラプラスの正体について少しだけ話した。

「あなた方の影響で塔の人たちや周囲でいろんな影響がでています」

「でしょうね。天使、あるいは魔女といった声も上がって議論を求めるようにランクを下げる申請を多く寄せられているとか」

 ランクというのは終末睡眠のランクだ。最高ランクはそれこそ一人だけの幸福な終末だが、ランクが下がると電子の世界で他者との意見交換や、仕事なども行うことができるようになる。

 「カラワリ」以降そういった声が非常に増えているのだ。

「ええ。そこは私もあなたの言った通り、考えが足りていませんでした。人の意識は刺激があると目覚めて幸せを求め始めるのですね。さてそれよりもラプラスとはいったなんだったんですか?」

「よくわからないというのが正直なところです」

「みんなを守らないといけない私には一番厄介な話ですね」

 因果律の魔だったのかもしれないし、あるいは他の存在でもおかしくはないのだ。議論を発展させても、それは妄想の延長線上でしかない。私たち人間の小さな脳では神様もラプラスも未知の事情であることは間違いない。

 事件の後処理と私の処遇の話をして終わりかと思ったが、最後に一つ厄介事を押し付けられた。

「先生。この子のことお願いしますね」

 といって神様は自分の体を指さした。私の面倒はまだ終わらないようだ。

 

 簡単に言うと私は左遷された。ただ私は一人ではなかった。

「先生ここで暮らすんですか?」

 目の前には白い四角い建物を見ながら、白髪の少女は私に話しかける。歳は十歳ほどで、白髪を後ろでまとめている。

「そうだ」

 彼女の名前はコロルという。どこかの言葉で「色」という意味だ。私が彼女を預かることになったのは神様から頼まれたからだ。

 花譜が入っていた「次世代」の子ども。そこに目覚めた意識がコロルだ。「次世代」の中でも彼女だけがここまではっきりと意識を持っているようだ。他の個体は眠っているに近いと伝えられている。

「ずいぶん田舎なんですね」

「研究都市の外はこんなものだ。さっさと中に入るぞ」

 中に入ると荷物はすでに届いていた。荷をほどきあらたかの片づけてようやく一息つくことにした。アイスはないが、コーヒーだけ用意する。私はミルクも砂糖も必要としないが、今後は用意しないといけなさそうだ。

 理由は私のコーヒーを飲んだコロルが恨めしそうに見ていたからだ。

「先生」

「なんだ?」

「そういえば私あの人の夢を見たんですよ」

「誰だ?」

「花譜」

 コップに伸ばした手が止まった。不可解な事象だ。すでにコロルの中に花譜はいないし、この時代にラプラスもいない。

「どんな夢だった?」

「えっと歌を歌ってました。綺麗なちょっと寂しい歌」

「そうか」

 あいつらしいと思いながら、私はコーヒーを口に運ぶ。苦味ばかりが広がって少し甘いものが欲しくなる。具体例を挙げるならアイスだ。

「えっと確かこんな感じの曲でした」

 といって鼻歌を歌って見せる。

「まてコロル。その歌を私は知らないぞ」

「そうですか? じゃあ聞きますか? 私、花譜ほど歌上手じゃないけどいいですか?」

「かまわん。お前が本気で上手くなりたいならこれから練習していけばいい。……時間はあるのだからな。付き合ってやる」

 少しだけ早口でコロルに伝えた。コロルはニコリと笑ってから小さく咳ばらいをした。

「コホン。では歌いますね」

 

 

 窓の外で桜が咲いていた。少女はあの子と同じ髪の色だとぼんやり感じた。

 これから少女は新しい一歩を進める。なのに気分が少しだけ乗らないのは、作業のために飲み物を用意しようとしたらいつものがなかったからだ。

 実に子どもっぽい理由だと思い、代わりに用意したものが温かいコーヒーで「プチ大人チャレンジ」と思うようにした。

 気分転換にアイスを用意したけど、甘くて苦くて、冷たくて温かいというバランスにどうしてか奇妙な懐かしさを感じた。

 小首を傾けながら、自分のために新しく買ってもらったパソコンに向き直り操作をする。

映像を確認しつつ、自分のための曲を歌い始めた。

 

 

わたしのはじまりのうた。みんなとわたしだけのうた。この世界の誰かの為のうた。

仮想世界からあなたへ。ただいま。

 

「雛鳥」

あなたの温もりを覚えている

繋いだ右手と触れ合う右肩と

あなたの笑顔を覚えている

ふと見せる暗い顔も素敵で

息ができないような綺麗事も

あなたのおかげで許せる気がした

さよならだよ全部

忘れてしまえ

日暮れの匂いと共に霞む言葉

前だけを見なよ

私を置いて

君のいない夏へ

君のいない空へ

夢を追うって言っておいて

「だったら私は」って言っても何もない

胸の高鳴りも日々のもどかしさも

君が全てを操ってたんだよ

あの日出会った時確かに

私の中に何かが生まれた

さよならなの全部

いつか忘れる古びた時計が刻む愛の終わり

涙は飲み込んで

大人になるの

君のいない夏で

君のいない空へ

人生が痛みだらけでも

生きる意味を知らなくても

翳むあの日々の匂いに揉まれ君がいる

大人になったら

うまく飛べたら

君より高く飛んで

空から見下ろして

「ばか」って

それで終しまいにしよう

さよならだよ全部

愛おしくても

木々も日暮れも変わらず笑う蝉も

前だけを見なよ

早くしないと置いていくからね

君のいない空へ

 




 ここまでありがとうございました。空想花譜小説「カラワリ」を読んでいただきありがとうございます。


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