多数の芸能分野で目覚ましい成果を上げる美城プロダクション。
そのアイドル部門のひとつ。ひとりのプロデューサーに割り当てられた仕事部屋。
「わ、可愛いー! 奈緒ったら顔真っ赤にしちゃって!」
「紗枝たちとメイド服を着たときのだね」
「やーめーろーよーっ!!」
来客用に置かれたシンプルなソファーに座った美城プロダクション所属アイドル、渋谷凛と北条加蓮は丁寧に作られたアルバムを二人で覗き込み、ページをめくっては感嘆の声を上げていた。
二人が見ているアルバムに纏められているその人、凛たちの対面に腰掛ける同じくプロダクション所属アイドルの神谷奈緒は恥ずかしさとむず痒さに抗議の声を上げるも、本気で辞めさせようとしないあたりに諦めと三人の力関係を伺う事ができる。
馬の耳に念仏。馬耳東風。
一度揶揄うモードに入った二人を止める事は難しいと、奈緒は経験からよく知っていた。
「でも凄いね。ここにあるの、全部奈緒のなんだ」
凛が目を向けたのはこの部屋で最も目に付きやすい大きな本棚。
上等なものではないがしっかりとした作りのその本棚には丁寧な荘重を施されたアルバムがずらっと並んでいる。
それは全部、奈緒が今までアイドルとして歩んできた軌跡を収めたものだ。
「プロデューサーひとりで作ったんでしょ? 愛されてるねー、奈緒」
「へあ!? あ、ああ愛されてるとかっ、へ、変なこと言うなあ!? それはPさんが勝手に……っ!」
「んぅ〜! 可愛いっ」
「だーかーらぁーっ!!」
揶揄うようにウインクをする加蓮。
途端に頬を朱く染めた奈緒が必死になる姿は愛らしく、それがまだ加蓮の悪戯心を刺激する。
そんな事はつゆ知らず。イイ反応を続ける奈緒に凛までうずうずとしてくる。
「でも、うん。見れば分かるよ。これを作った人は奈緒の事が大好きだって事ぐらい。愛されてるね奈緒」
「凛まで!?」
鬼に金棒、加蓮に凛。
世の中どうしようもない事だってある。形成不利を悟った奈緒は「もう好きにしてくれ……」と力なく浮きかけていた腰を下ろした。
「あ、そうだ」
「……今度はなんだよぉ」
「もう拗ねないの」
「誰のせいだよ!?」
漫画なら電球が付いていそうな、名案です、といった顔をした加蓮。
訝しむ奈緒に楽しそうにピンと立てた人指しを一度左右に振って、加蓮は本棚のアルバムの一番左、少々色褪せたNo. 1と題されたそれを引き抜く。
「せっかくだから昔の奈緒のこと色々話してよ、私が事務所来たのって奈緒や凛よりずっと後だし、ここに思い出を振り返るのに丁度いい物もあることだし……ね?」
「嫌だよ恥ずかしいし」
「あ、いいねそれ。私も、私が来る前の奈緒の事を知りたいな」
「奈緒に拒否権はありませ〜ん」
「横暴だー!」
ぎゅっと握った両手を胸の前で降る奈緒を無視してアルバムを開く加蓮。
最初の一ページ目。そこには今よりも少し幼い印象の残る奈緒が、パーカーに両手を突っ込みツンとした目を向けていた。
「え、なんでこんなにツンツンしてるの?」
「というか、背景が完全に外だけどどんなタイミングで撮ったの?」
「……それはあたしとPさんが初めて出会ったときのだよ」
過去の自分を見られるのは気恥ずかしい。
精神の安寧のため机に突っ伏した奈緒がもにょもにょと答えた。加蓮の口角が歪む。
「ゲロッちゃいなよ奈緒。今日は節目でもあるんだしさ」
「……ほんっと加蓮はいい性格してるよなぁ」
「そんなに褒めても何も出ないよ?」
「褒めてないわ!!」
はぁ、と体勢を戻してため息。
好奇心に目を輝かせる加蓮を見て諦めの境地に至った奈緒は、仕方なく話す事にした。
瞼に浮かぶのは鮮烈に記憶に焼き付いている、冬が近づき身を裂くような木枯らしが吹く十一月。
自分とプロデューサーが初めて出会った運命の日。
千葉に住んでいる、アニメが好きな普通の女子高生が魔法をかけらた日だ。
「そうだなあ、あの日私は用事があって秋葉原に行ってんだけど──」
《神谷奈緒》
その日少女が秋葉原に向かった理由は至って単純、そして明快だった。
『げ、限定版……! 欲しい……!』
大好きなアニメ。その中でも特に熱を上げているシリーズの待望のブルーレイ。
ネット購入など邪道千万……とは言わないが、現地に行き現地のイベントに参加して現地で購入する。そういう熱意が湧き上がるほどには、少女はその作品が大好きだった。
神谷奈緒十七歳、ギリギリ秋。
箪笥の奥にしまってあるカワイイ系の服と、普段きているカッコいい系の服。悩んで、いつも通りのカッコいい系の服を着て。
千葉から電車を乗り継いで、この日少女は初めてオタクの聖地秋葉原へと足を踏み入れた。
バイトして貯めたお金を大事にバッグに入れて、ドキドキしながら電車を乗り継いで。
満員電車に苦労しながらおっかなびっくり辿り着いた秋葉原はそれはもう楽しかった。
伊達にオタクの聖地とは呼ばれていない。何処を見ても大好きなアニメがある。可愛いコスプレをした女の子がいる。奈緒の目が輝くのも無理はなかった。
『か、可愛い……! アタシも着てみたい……って、アタシには似合わないか』
殻を破りたい十七歳の秋。どこか普遍な毎日に抱く飢餓感を……具体的に言えば可愛い自分になりたいという憧憬。それを家の中で家族にすら内緒で集めた可愛い服に袖を通しては姿見を見てニヨニヨした後、『やっぱりアタシには似合わないよな……』と箪笥にしまうルーティーンで解消する高校生が神谷奈緒という少女だった。
幸いな事に、いわゆるお上りさん丸出しの奈緒に良からぬ声をかける輩はいなかった。十七歳の勝手もよく分からない少女ひとりで安心安全と言い切れるほど秋葉原は清い場所ではない。
なので。
『やべえ、クビになる。無職になる。だいたい東京で該当スカウトなんてやっても可愛い子は大抵既に事務所入ってるし、いきなりスーツ着た男に名刺渡されても今のご時世警戒しかしないって。下手すりゃ通報だし実際されかけたよ。部長はほんとなに考えてるんだ……俺が無職になったら世界滅びねえかなあ。……あれ、あの子は……』
油断していると、後に一目見てティンときたとのたまう、こんな如何にも怪しい男に目を付けられることもある。
「欲しいもの買って会場を出たときに目がヤバい感じの男の人がいてさあ、東京は怖いなって思って──」
「いやいやいやいや待って、待って奈緒」
「なんだよ加蓮、まだまだこれからだぞ?」
両手を突き出してストップのサインを出す加蓮。話を中断した奈緒は不思議そうに首を傾ける。
「誰? これは誰? まさかプロデューサー?」
「そうだぞ?」
「違うじゃん! 全然違うじゃん! 奈緒のプロデューサーもっと爽やかな感じじゃん!」
「この時のPさん、成果出せなきゃクビって言われてたみたいでさ。後からそれは必死にさせる方便だって分かったんだけど、この頃は余裕ない感じでだいぶキマってたんだよ。今考えると酷いよなー」
けらけらと笑う奈緒をよそに、凛と加蓮はお互いの顔を見合わせた。
なんか今のプロデューサー像が崩れ去ってしまいそうだったが、疼く好奇心には逆らえず続きを促す。
「でも、足早に立ち去ろうとするアタシをPさんが追いかけてきてさ──」
『あのっ! 突然ですがアイドルに興味はありませんか!?』
『うひゃあっ!?』
それとなく危険人物的な意味で注意していた大人の男性がいきなり自分の方に走ってきたかと思えば、自分の目の前で立ち止まり見事な角度で名刺を差し出してきた。
驚くなという方が無理だろう。当然、奈緒の喉からも悲鳴になり損ねた驚愕が絞り出された。
若い男である。キッチリとした品質の良い黒のスーツが恰幅の良い体躯を包み、整髪剤で整えらた頭髪やしっかりと剃られた髭を見るに社会人として最低限の清潔感は持ち合わせている事が見て取れる。
だが、細いフレームの眼鏡の奥にあるキマった目と全身から発せられる圧が全てを台無しにしていた。
『ふ、不審者……!?』
『不審……!? いやちがっ、スマホを取り出すのはやめてぇ!?』
なので、奈緒が初見二秒で不審者認定するのも無理のない事だった。
数分間通報しようとする奈緒と必死に弁明をする男の格闘が続き。
『ほ、本当に違うんだな……? アタシを連れ去ったりしないな……?』
『仮に何かするつもりならいきなり声をかけるんじゃなくてもっと上手くやるよ……』
『ひっ!? やっぱり……!』
『あっ、ちがっ、今のは言葉のあや! 言葉のあやで!! スマホはやめてってっばお願いします!!』
閑話休題。
未だ警戒は残るもののひとまずの誤解は解けた奈緒は、胡散臭げに押しに負けて受け取った名刺に視線を落とす。
そこには男の勤務する会社名と肩書き、そして男の名前が品のある明朝体で記されていた。
『美城プロダクションアイドル部門プロデューサー……美城プロダクション!? それってあの美城プロか!?』
『はい、その美城プロです』
瞠目する奈緒に対して、プロデューサーは内心でグッと拳を握りながら答えた。
美城プロダクションとは全国に名を轟かせる大手プロダクション。モデルの高垣楓を始めとした数多くの有名なタレントが在籍しており、女子高生なら普段の日常会話の中で当たり前のように名前の出てくる有名人だっている。それが美城プロダクションだ。
会社のネームバリューによるキャッチ力は折り紙つき。今までは警戒心のあまり名刺すら受け取ってもらえないかった、目の前の少女はどうやら押しに弱いご様子。
そこまで把握したプロデューサーは畳み掛けた。成果出せなきゃクビが方便とは知らぬ彼は必死だった。
『今、弊社は新たにアイドル部門を新設しようとしていまして。他部所からの転身もありますが、メインプランは新規開拓。なので新たな原石の発掘に力を入れています。その一環としてこうして声をかけさせていただきました。ささ、立ち話もなんですのでよければあそこの喫茶店ででも──』
『なんか手慣れ過ぎててナンパみたいで信用ならないんだけど。ちょっと美城プロダクションのホームページから電話かけて確認するけどいいよな?』
『あれ!? そこまで信用ない感じ!?』
『だって見た目が胡散臭いし……』
『見た目が胡散臭い!? あれぇ、ちひろさんにはバッチリって太鼓判押してもらったんだけどな……』
スマホの内カメラでソワソワと身嗜みの確認始めたプロデューサーを尻目に、美城プロダクションの公式ホームページから電話をかける奈緒。
男の名前の社員は確かに在籍しており、今は社外に出ている事、そして名刺の携帯電話番号が確かに男のものである事を確認した奈緒はひとまず男の身分を信用することにした。
『信じてくれて何よりです。では、ご都合が宜しければどこか適当なお店でゆっくりお話を──』
『──いや、ここまでしといて悪いけどさ、いいよ別に。アタシにあ、アイドルとか、無理だし』
『──理由をお聞きしても?』
真摯に見つめ──いや、目はぐるぐるしててヤバかったが。奈緒は正面から己を見据える瞳から目をそらすように俯き、肩にかかる癖の強い髪を弄りながら答えた。
『いやだって、向いてないっていうか……眉毛もその……太いし。アイドルの子みたいに可愛くなれないっていうか……』
『そんな事はない!!!』
『ひょえぁ!?』
突然の大声。だが、そこには声量と同じくらいの熱がこもっていた。
驚く奈緒だけでなく周りの通行人までもが何事かとプロデューサーに目を向ける。
真剣な表情で、まっすぐな瞳で。プロデューサーは奈緒を見つめる。
『君は可愛い! すごく可愛い!! その眉だって素敵だ!! 俺はとってもキュートで君のチャームポイントだと思う!!!』
『はあっ!? ちょ、いきなり何言って……!?』
『世の中に絶対なんて言葉はない。俺は君を絶対にトップアイドルにしてみせるなんてことは口が裂けても言えない。でも! 俺は絶対に君を今よりも可愛くする事ができる! 君をもっともっと輝かせる事ができると確信してる!! 俺は今まで何回もスカウト失敗してきたけど、それも全部今日君に会うためだったんだと思う!!!』
『いや、待て、ちょ、止まっ!』
『君を見たときから俺の中で夢ができた!! 君と一緒にトップアイドルへの道を駆け上がる事だ!! 可愛い系の服でいこう!! 君を輝かせる衣装を俺が持ってくる!! 君の魅力を沢山の人に知ってもらえるような仕事を、舞台を俺が用意する!!!』
『か、かわっ!? いや、アタシは別に……!? ってアンタどっから私のこと見てたんだ!?』
ざわざわと騒がしくなる周囲。
羞恥から顔を朱くする奈緒。いや、きっとそれは羞恥だけが理由ではないのだろう。
え、知らない男か自分を見ていた恐怖? ……多少はあるかもしれない。
『ごめん、実はあのイベント会場俺もいたんだ。ほら、これ限定ブルーレイ。そのアニメ、実は俺も大好でさ』
『仕事サボって悪いサラリーマンだな……』
『むしろサボらず真面目にやってきた結果ガス抜きしないとどうにもならないレベルのストレスがね……』
カバンから出てきた、自分が勝ったものと同一のブルーレイ。思わず半目になる奈緒だが、そんなものはどこ吹く風とプロデューサーは疲れた笑みを見せる。社会の無常を感じさせる笑みだったと後に奈緒は語った。
『なんていうかさ、つまり、俺は君に惚れたんだ。うん、俺は君に惚れた』
『は、はァ!? 急に何言って……!』
『だから俺は君をアイドルにしたい。沢山の人に君の魅力を伝えたい。君が自分の事をアイドルに向いてない、可愛くないって言うのなら、君が自分の事を可愛いって思えるように俺が魔法をかけてやる。いいや、俺が魔法をかけさせて欲しいんだ』
奈緒はずっとペースを握られっぱなしだ。
押せばイケル、とプロデューサーが内心で考えていた事は否定できない事実だったが、吐露された言葉が本気の想いだった事もまた真実。
大手プロダクション、その新規事業を担うアイドルのスカウトだ。生半可な気持ちでは出来ない。もしそれをやってしまっては、その先に待ち受けているのはあまりにも惨い現実だけだから。
プロデューサーの本気はしっかりと奈緒にも届いていた。
目はヤバかったが、その声には隠しきれない情熱があった。
返答を迷う様子を見せる奈緒に、プロデューサーは右手を伸ばして。
『俺は君が最高のアイドルになれると思ってる。……それにまあ、なんていうか、アイドルになったらこのアニメみたいな可愛い服もいっぱい着れるよ。そういう仕事も頑張って取ってくるよ。だから……俺に付いてきてくれませんか?』
迷いはあった。躊躇いもあった。
そして、期待があった。
この手を取れば、今とは違う自分になれる。テレビの中で輝くアイドルのように、可愛い自分になれるかもしれないという焦がれるような願いがあった。
思えば、考えるまでもなく。
神谷奈緒という少女の心は既に決まっていたのかもしれない。
でも、だからといって素直に手を取る事は恥ずかしいしなんか悔しかったので。
『は、はァ!? な、なんであたしがアイドルなんて……っ! てゆーか無理に決まってんだろ! べ、べつに可愛いカッコとか……興味ねぇ……し。きっ、興味ねぇからな! ホントだからなっ!!』
両手をパーカーのポケットに突っ込んで、ツンと斜め上に首を向けて唇を尖らせ。
精一杯不承不承の形を演出しながら。
『でも……そこまで言うならやってみても……その、いいぞ』
『ありがとう。……後日、親御さんにも説明に行かないとですね』
『え、おっ、親にもか!?』
『当たり前でしょう? だって君まだ未成年ですよね? 奈々さんじゃないんだし』
『ま、まじか……』
少将の想定外はあったものの。
こうして神谷奈緒という普通の高校生は。
それまでの変わらない毎日を抜け出し、やばい目をした魔法使いに魔法をかけられてアイドルへの道を踏み出すことになったのだ。
「──って事があったんだよ」
そう締めて、奈緒は長話で乾いた喉を潤すためにお茶を飲んだ。
話しているうちに思い出した当時の感情が胸に染みていく。
ああ、懐かしい。物語のように劇的ではなかったけれど、鮮烈に記憶に焼きつくような出会いではあった。自分は最初、プロデューサーの事をヤバいやつだと思っていた。その第一印象はそれからしばらく継続されたのだから、今思えば本当に余裕がなかったのだろうと少し笑ってしまう。今ではもう滅多に見れないプロデューサーの姿だ。
「……まあ、色々驚いた事はあるんだけど」
奈緒と同じようにお茶を飲んだ加蓮が統括する。
因みに、奈緒とここによく訪れる加蓮と凛にはマイ湯飲みが常備されていたりする。
「概ねネットに書いてある通りだったね」
「うん、だいたいネットに書いてある事だったね」
「なんだ、二人とも知ってたのか……は? えっ、ネット!?」
予想外の単語に瞠目する奈緒に、知らなかったのかと目を丸くした加蓮はあるサイトのURLを奈緒に転送した。
急いでリンク先に飛ぶ奈緒。そこに書かれていたのは──。
【超貴重写真】アイドルの神谷奈緒ちゃんがスカウトされてる時の写真流出【めちゃかわ】
「なんだよこれ!?」
ばっと加蓮に向けて突き出したスマホに表示されていたのは、某大手掲示板のスレッドのひとつ。
日付を見るにだいぶ前のもので、しかしレス数どころかスレッドもかなりの数伸びているようだった。
「そりゃ、秋葉原みたいな人が多いところでそんな事やってたらそうなるよ。ねえ、凛」
「そうだね。まあ、私は奈緒が知らなかったのが意外だったけど。前にプロデューサーに聞いたら知ってるみたいだったし」
「Pさんこの事しってるのか!? 知っててアタシに黙ってたのかァ〜!!」
うがー、と奈緒は両手で頭をかきむしる。
消してやる……! と意気込んではいるが、数秒で対処しても複製を防ぐのは困難なネット社会。時間が経っているので不可能なのは言うまでもないだろう。
自身の始まりの日が流出していた事に半ば発狂気味の奈緒を華麗にスルーして。
加蓮と凛は既に感想モードに突入していた。
「この写真じゃ遠いからなんか一生懸命話してるなー、ぐらいしか分からなかったけど、プロデューサーさんってばそんな告白じみたこと言ってたんだねえ」
「この写真も秋葉原でその時に撮ったんだろうね。よく見たら他の写真と違って荒いし……スマホで撮ったのを現像したのかな?」
「ふふ、それにしても本当にこの顔……ふふふ、プロデューサーの事を不審に思ってるの丸わかりで……っ」
「これがこうなるんだから凄いよね」
言い切ると同時、凛は別のアルバムを引き抜き、ごそっとページをめくった。
そこに写っていたのは、最初に見ていたふりふりの可愛いメイド服を着た奈緒。
《【夜宴のメイド】神谷奈緒》
「この照れ顔の奈緒かわいいー!」
「この企画の収録の時は加蓮はまだいなかったけど、この時の奈緒は本当に可愛かったかな。凄く恥ずかしそうにご主人様……って呼んでくれるんだ。プロデューサーが動画で持ってる……あっ」
「えー!? なにそれ見たい!! 絶対見せてもらう!!」
「なんだよそれ! 初耳なんだけど!? ダメだぞ加蓮? ダメだからな!? 絶対見せないんだからな!? Pさんも後でとっちめてやる……っ!」
超貴重映像と聞いて目を輝かせる加蓮とは対照的に悲鳴をあげる奈緒の声が響く。
ちょうどその時、まるでタイミングを計ったかのように部屋のドアが開き、プロデューサーが現れた。
「ただいま〜……っと、渋谷さんに北条さん、いらしてたんですね」
「おかえり〜。ねえねえプロデューサー、メイド奈緒の動画の事なんだけどさあ」
「Pさん動画ってどういう事だよ!? アレはけしたはずだろっ!?」
「え、なにこれ。なぜ奈緒にバレて……ってまさか……渋谷さん? 渋谷さーん? こっちを見なさい渋谷さん」
「………………」
渋谷凛十五歳。失言をなかった事にした。
その後、騒ぐ奈緒加蓮を一時的に諌めて時間も時間だという事で車で三人を家まで送る運びになり。
無事に凛と加蓮を送り届けたプロデューサーと奈緒のふたりが残った。
眠らない街を走る車を覗く人工光が車内をなぞっては消え、なぞっては消える。
静かな車の走行音と顔見知りのラジオ番組を聴きながら、奈緒は口を開いた。
「ウソつき」
「嘘はついてないぞ。ちゃんとスマホの動画は消した。奈緒が指摘した方のスマホの動画だけどな」
「ほぼ詐欺紛いじゃんか」
プライベート用と仕事用。今どきデータの転送など朝飯前である。奈緒の言う通り撮った方のスマホのデータは消したのだからセーフ理論だ。完全にアウトである。
「にしても、懐かしいのを見てたなあ……」
運転に注意を払いながら、それでも懐かしい思い出にプロデューサーは目を細めた。
あのはちゃめちゃな出会いからのスタート。二人三脚でがむしゃらに進んできた。その道のり全てが上手くいった訳ではないけれど、振り返ってみればそれは楽しい道のりではあった。
「あの事も話したのか?」
「心当たりが多すぎるなあ……」
「これは話してないな」
「なんで分かるんだよ」
「奈緒の事ならだいたい分かるよ。俺は奈緒のプロデューサーで、アイドル神谷奈緒の一番の大ファンだからな」
その言葉に、口をつぐむ。
ぽわっと肺を絞るように胸から生まれるその感情の名前を、奈緒はまだ知らない。
しばらく走って、奈緒の家の前。
おやすみ、と別れの挨拶をして、運転席に戻ったプロデューサーは、どうしても言いたくなって窓から顔を出した。
「なあ、奈緒」
「ん、なんだ?」
「次の仕事はめっちゃ可愛い服きてやるやつな」
データ転送。奈緒がスマホを確認してぼっと顔を染めた。
「この服!? フリフリじゃん! ガラじゃないよ! 選んでほしいとは言ったけど……。うーん……Pさんが似合うって言うなら、実は似合ったりする、のかな……? じゃあ、し、試着だけ……なら……」
「……最初は衣装着るのにも凄い抵抗してたのに変わるもんだなあ」
「いくら嫌って言ってもPさんがそういう仕事ばっか持ってくるからだろ!?」
ムキになる奈緒が可愛くて、プロデューサーはついつい笑ってしまう。それに怒った奈緒もまた愛らしくて、プロデューサーは内心で苦笑した。
ああ、やっぱり──だ、と。
つまるところ。
女の子に魔法をかけた魔法使いは、いつの間にか女の子に魔法をかけられていたという事だ。
「誕生日おめでとう、奈緒」
「唐突な上にまだ日付変わってないぞPさん」
《神谷奈緒+》
「な、なあ、プロデューサー……ほ、本当にアタシがこれを着るのか……?」
「はい、絶対大丈夫! 神谷さんなら絶対似合います!」
「い、いやでも、やっぱこんな可愛い服着れないよ……!」
初めての衣装合わせ。
ドレスをモチーフにした柔らかな黒のライブ衣装。奈緒のためにプロデューサーが用意した、奈緒だけの衣装。
自分には似合わないと恥ずかしそうに、でもどこか寂しそうに溢す奈緒の手を握って。
プロデューサーは。
「自信を持ってくださいとは今すぐには言いません。でも信じてください。俺はこの衣装は神谷さんにだけしか似合わないと思って用意してきました。大丈夫です、めちゃくちゃ可愛いです! 俺の目に狂いはなかった! 今日から俺はアイドル神谷奈緒のファン一号になりました!! ……だから、笑ってください。その方が神谷さんは可愛い」
本当は全カード振り返っていく予定だったけど流石にその日の思いつきでは無理があった。気まぐれに追加していきたいです。
最後に。
奈緒ーー!!!誕生日おめでとうーーーー!!!!
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