玲瓏の翼【18禁版】 (珍歩意地郎_四五四五)
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001:御前試演のこと、ならびに控えの間のこと

 パイロットの顔面から、眼球がとびだした。

 

 つづいて、(うつ)ろになった眼窩(がんか)と鼻、耳の(あな)から、湯気の立つピンク色のモノが。

 噴出し、飛沫(しぶ)き、(したた)り、コクピットの計器盤(コンソール)にベチャリ、叩きつけられる。

 ホンの少しまえまでは美少年だったその面差しは、無残な肉塊と成り果てて。

 

 だがそのギャップを、観客たちは大いに愉しむらしい。

 スタジアムを満たす群衆の中から叫びと悲鳴がすこしばかり。

 しかしそれを圧する歓声と喝采――そして尾を引く(とよ)もし。

 

 宙空に浮かぶ、一辺五○m近くの大モニターは、惨状を(てい)するコクピット内オンボード・カメラ映像を瞬時に切りかえ、キー局のスタジオにならぶ二人の司会者と、ひな壇芸人を映し出した。

 

「ハイ!えー、と言うコトで。つかまっちゃったワケですけどもぉ」

「ねー?これで6人目?ですか?ヒドイことになりましたネェー」

「おまえ全然ヒドイと思ってないダロ」

 

 スタジオからの、手を打ちたたくバカ笑い。

 

 しかし、居ならぶ数万の観衆はモニター画面などそっちのけで、耐撃ガラス張りのドーム天井ごしに外を見つめたまま動かない。

 

 全天を、紫電(しでん)満たす暗雲がおおっていた。

 気流がはげしいため、明暗・濃淡が入れ替わりせめぎ合う。

 その雲間(うんかん)を割ってあらわれた“耀腕(ようえん)”と呼ばれる一本の巨大な前腕状の光。

 

 禍々(まがまが)しい、亡霊じみたそのカミナリ状の腕が、空中で航界機から光のように延びる“界面翼(かいめんよく)”の一部をわし掴みにしていた。

 

 同調機体からの情報逆流(フィードバック)を受け、パイロットの脳髄(のう)は一瞬にして煮られたにちがいない。

 さしわたし一○○mはあろうかというその腕が、最後にオレンジに赤熱する。

 航界機が放つ界面翼の光量が、やせ細ってゆき、やがて機体は爆散した。

 巨大な光の腕は、それにまるで満足したかのように色をうすめ――消える。

 機体の残骸がスタジアムの方に落下してくるが、今回のため、特に配備された局地対空戦闘(ファランクス)システム群が、機体を粉みじんに彼方へ吹き飛ばす。

 

 砲声、雷鳴、空震。その他もろもろが重なる轟音。

 一○万人規模を誇る広大なグラス・ドームのトラス構造が、地震か、あるいは爆撃を受けたかのようにゆれた。

 どこかでひびく硬質な金属音は、この巨大なスタジアムの構造体を留めるSUS(ステンレス)のアンカーのひとつが飛んだ音だろうか。

 

 ――事象震(じしょうしん)

 

 三年に一度。

 断片化した各世界がニアミスを起こすときに発生する、事象面(じしょうめん)どうしの軋轢(あつれき)に端を発する空間乱流。その嵐のなかを、とくに選抜された航界士(こうかいし)“候補生”は規定の機動をすることで、正式に“勅任(ちょくにん)”航界士と任命される。またこの特別公開試験は、貴賓(きひん)として日本政府の要人と、外象人の王族が臨席するため“御前試演(ごぜんしえん)”とも呼ばれていた。

 

 そして集まった、数多の観客……。

 

 彼等の関心は、この公開試験に出場する候補生達の“首尾”だった。

 

 機動に要した時間。

 あるいは採点の総点数。

 東と西の修錬校の対決判定。

 さらには、候補生の「生死」まで。

 

 バイパス回廊のゲート通信を使い、他の事象面世界にも実況中継されるこのイベントは、その結果予想に小国の国家予算規模にも等しい賭け金が動く。

 

 唇のはしに、()()()()()な微笑を浮かべ、ある者はブックメーカ端末と電子双眼鏡を。ある者はポップコーンや酒の入ったグラスを片手に――彼ら“群集”は、すでに候補生の順番も1/3を過ぎたいま、血みどろな様相を呈しつつある今回の“御前試演”の興奮とともに、次の“犠牲者”が愛機と共にステージにせり上がるのを、いまや遅しと待ちかまえている……。

 

               * * *

 

「またもや、ドッカぁ――――ん!……か?」

 

 重い沈黙を破って、候補生の一人がおどけた風に。

 しかし、それに続く者はいない。

 

 選抜候補生たちが試演の順番を待つ、(ひか)えの大広間。

 いまの機動を、部屋に設置されたモニターで見ていた少年・少女たちは、己の内をさらすまいと、(もだ)したまま、それぞれ無表情な顔をそらしあった。

 

  (よわい)も様々な面差(おもざ)しである。

 そしていずれも18を出ているようにはとうてい見えない。

 

 ひ弱なアゴの線。

 小鹿を想わせる透明な(ひとみ)

 面差しには、ただ(おさな)さだけが目立って。

 

 彼等がまとう航界士候補生の礼服は、出身錬成校の校長がその趣味を反映させるのか、大戦中の軍服を思わせる物もあれば、時代がかった中世の装束を連想させるものもある。唯一共通なのは、礼服の胸に勲章や略章のたぐいを並べたてていることだろうか。

 

 一見して、古今東西の若くして逝去(せいきょ)した若年将校たちが、一同に会している風。

 のこらず生気なく、おしなべて沈鬱(ちんうつ)(おもて)をあらわすのも、その印象を補強する。

 

 蒼白(そうはく)な顔をした一人が、白手袋をはめた手で礼装服の立て(えり)に幾重にも並ぶ装飾的なフックを外し、胸もとをくつろげた。

 

 逃亡防止のために窓のない広間は、思いのほか息がつまる。

 さらに加えて豪華な調度品が所せましと並ぶだけに、余計にその感をつのらせた。

 交差ヴォールト様式の解放感ある高い天井が、せめてもの救いとなり、少年少女候補生たちの頭上に広がって……。

 

 大扉がノックされた。

 

 候補生たちはビクリと身をふるわす。

 入ってきたのは、『控えの間』付きのメイドだ。

 王宮付きの派遣要員だろうか。冷たく、洗練された印象。

 栗色の髪をピンで押さえつける整った顔だちは、二十(はたち)前後というところ。

 ヴィクトリア風の重々しいバッスルがついた、黒白の給仕ドレスに身を包み、(ふく)らみ(そで)の肩と腕には階級章が、つつましく。

 

 宮廷伍長――つまり、平軍でいうところの先任曹長階級だ。

 

 彼女が紅茶の道具を載せたダイニング・ワゴンをゆるゆると押し、部屋の中央にしつらえた巨大なサモワールに近づいて、()れた手つきで茶葉とお湯とを追加する所作(しょさ)を候補生たちは声もなく見まもる。かたわらに置かれた、ひと抱えほどもあるボヘミア製・クリスタルグラスのビスケット・ジャーに充たされた中身には、もはや誰も手をつけるものがいない。

 彼女もまた無言のまま一連の義務をはたすと、おもむろに一礼。

 ワゴンを押し、少年たちの目前から去っていった。

 

 大扉の(とざ)される音に、広間の呪縛(じゅばく)が、とける。

 

「――これで五機つづけて、か」

 

 スプーンが、ティーカップに幾分激しくうち当てられる音。

 

「単座四機に、復座一機……みんな瞬殺だったな。」

「機動の内容だってそんなにワルくなかったぞ」

「にしても、今回の事象震。ちょっとヒドくないか?」

「自信ナイ、とか?」

 

「――自信があるヤツなんて居るのかよ」

 

 どこかで湧いた、ふてくされたようなこのひと言は、効いた。

 広間のあちこちに陣取る候補生たちの顔が、一様にかたくなる。

 

 予想外の『激甚(げきじん)級・事象震』。

 

 かといって、試演をキャンセルということは、できない。

 それは出身修練校の限りない不名誉であり、在校生の進路にまで多大な影響が生じる。いまさら後になど、とうてい引けない彼等だった。

 まだ幼年校ともみえる一人などは、幼い顔をさらに涙ぐませて椅子の上でひざを抱える。さまざまな思惑をふくんだ視線が、部屋に飾られた高価な什器(じゅうき)のあいだを交錯(こうさく)した。

 

 壁に掲げられたレオナルド・ダ・ビンチの複製画。

 額縁のなかで予言者が、おもわせぶりな微笑とともに天を指して。

 

【挿絵表示】

 

 その隣に据えられた、人の背丈以上もある柱時計は真鍮(しんちゅう)の振り子も重々しく、ゆっくりと沈黙を()ってゆく……。

 

 

「『九尾(きゅうび)』、アンタなら、ヒョッとしてやれるんじゃないか」

 

 やや久しくして、赤地に金の縁どりが印象的な、どことなく近衛兵めく礼服を着た少年が、手にしたカップごしに部屋の片隅にいた候補生を“W/N(ウィングネーム)”で呼びかけた。

 

 『九尾』と呼ばれた、ちょっと女性的な、品の()いその候補生のほおには、うっすらと尾を引く白いキズ跡。

 首もとに佩用(はいよう)するのは金色の枝が追加された「金枝(きんし)付き・王賜十字章」。

 彼は背後の問いかけに、スタジアムの情景を映し出すモニターを(うつ)ろな眼差(まなざ)しで眺めつつ、ほおの傷を中指のはらで軽くさすりながら、かつて自分が、まだ別のW/Nで呼ばれていたころに経験した、ある日の出来事を思い出していた。

 べつの声がイライラと、

 

「どうだィ『九尾』!“耀腕殺(ようえんごろ)し”サンよぉ。自信のホドぁ、よォ?」

「――さて、ね?」

 

               * * *

 

「さて、ね?じゃねーだろ『ポンポコ』!」

 

 ヒソヒソとしつこく話しかけてくるのは、となりにすわる候補生1021『牛丼』だ。外象人特有の金色の瞳を、文字どおり好奇心でかがやかせている。

 

「こんどの秋の大戦技会、ぜったいオマエ選ばれるって!」

「でも、こっちは1年だよ?しかも“三級”候補生の」

 

 『ポンポコ』と言われた彼は先日の技能審査フライトを、苦い思いと冷や汗が()()()()になった印象でふりかえる。

 高々度試演中、余計な界面翼をハンパに出してバランスを(くず)し、あやうく雲海(うんかい)に墜ちるところだったのだ。『エースマン』主席・先任教官の精神注入棒がまだ尻にひびいている。

 

「さっき教官室で盗み聞きしたんだ。こんどの特殊作戦?だかナンだかに、加えるかもって。オマエを」

 

 まさか、と彼は苦笑し、一蹴(いっしゅう)した。

 

「――どうせ赤点のリストでも読み上げてたんだろ」

 

 午後もおそい授業だった。

 

 航界士候補生・修錬校〔瑞雲(ずいうん)〕の5時限目である。

 秋の陽ざしが、教室に物憂(ものう)げな色合いで流れ、生徒たちの顔を照らしていた。

 ときおり、防爆用の土手を(へだ)てた滑走路から練習機がノンビリとした爆音を立てて飛び立ってゆくのがきこえる。

 運動場ではラグビーだろうか。ホィッスルや、かけ声。

 スクラムを組むときの(うめ)きなど。

 

 そんな中、定年退官(ていねんたいかん)したはいいが、高値づかみしたマンションのローンを支払うため、しぶしぶ時給契約で働いていると噂のある“般教(ぱんきょう)”担当の老教官が、界面翼の作成秘訣(ひけつ)を、ゆったりとした口調で教えていた。

 

 




最初は純粋にシニカルな空戦モノです。
主人公が強制女体化されるヤバいシーンは中盤から。



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002:午後の授業のこと、ならびに航界機のしくみのこと

「イイですか?――みなさん」

 

 顔つきが、大昔の演奏家に似ていることから『リヒテル』とあだ名のついている老教官は、手にした3Dデバイスを使い、教室に半透明な航界機を浮かべ、

 

「みなさんの出す“界面翼(かいめんよく)”は、みなさん自身の“認識力”が機体を介して周囲の空間をゆがめ、それが光の屈折の関係で翼のように見えるのはご存知のとおり。すべての航界機が機動できるのは、この空間の()()()のおかげです」

 

 (ひい)でた額が、ぐるっと教室を見まわした。

 肩のところに三級候補生の肩章が付く、夏制服の生徒たちを、ひとりひとり(いつく)しむように眺める風。

 

 ふと、その視線が『ポンポコ』のところで止まる。

 

「しかし――その認識に自信が持てなくては、界面翼は創れません」

 

ごらんなさい、と『リヒテル』は、教室に三角錐(さんかくすい)の像を浮かべ、底面をしめした。

 

「どうです?この物体はOに見えますね?でも今度はこうすると?どうでしょう」

 

 三角錐の像がゆるやかに動き、かわって側面をしめす。

 

「ね?△に見えます……人間の視点は悲しいかな、一点でしかモノが見えません。同じものを△だOだと言いあらそうのが()の世界です。そしてこれを三角錐だと心像できるのは(居るとすればですが)“神様”しか居ないのでしょう」

 

 膝の色の抜けたスーツや、かかとのスリ減った革靴。

 出席簿をかかえた大柄な猫背が、ペタペタと廊下を歩く光景。

 みんな頼りないこと(おびただ)しい。だが時おりヒヤッとするほどの洞察力を青い眼の奥から生徒にぶつけるこのロシア系教師は、候補生たちから一目おかれていた。

 

「Oだ△だ、などは正直どうでもよろしい。判断がつかなかった場合は、()()()()()()()()()()()()()()()()()。しょせん“完全に正しい解”など、ヒト()()()には与えられていないのです」※

 

 そして、この老教師は流麗なフランス語の書体で、

 

 ――正しいイメージなど無い。あるのはただのイメージだ――

 

 そう電子黒板に大きく書きつづったあと、

 

「自分自身の“尺度”で物ごとを見るのです。偏向(へんこう)したメディアなどの情報を鵜呑(うの)みにしないのも、その一例。でも自身の!その尺度が!間違っていては万事休す!わたしがつね日ごろ、経験値を高めよ、己を(みが)けというのはそういうこと」

 

 そして老教師は、さらにその下に力強く大書する。

 

 

 

        (事  象 そ の も の へ!)

      Zu den Sachen selbst!

 

 

 

 「われら“東の錬成校”の別れの挨拶「Zu dess」はダテではありません。己のすべてを棄てなさい。衒気(てらい)欲望(よく)躊躇(ためらい)――そして恐怖(おそれ)(しこう)して、そこで見えてくる真実の核()()を、つかみ取るのです……」

 

 おぃ、と教壇からの視線がそれたのを機に、となりの『牛丼』がささやいた。

 

「今日の『ペンギン』の見舞い、行くだろ?」

「ん?……あぁ」

「よかった、最近オマエ冷たいからなー。『山茶花(さざんか)』もさびしがってたゼ?」

 

 なにをバカな、と『ポンポコ』は、教室の入り口近くに座る女子生徒を見た。

 

 きまじめにキッチリ分けた三つ編み。それが規定どおり着こなした制服の背にかかって、双のリボンが印象的に。若干ポッチャリ、おまけにメガネっ子で地味顔だが、優しいコだと『ポンポコ』は見ていた。そしてなにより、となりで試験勉強の“内職”をする『牛丼』の“お相手”でもある。

 

 ――彼女持ちはイイよなぁ……。

 

 視線を転じ、ふと窓側の空席を見たとき、机のうえに置かれた一輪()しの花が新しいのに気づく。

 折からの風に、それは(はかな)げにゆれて。

 

 夏休みに入る直前、1学期最後の実技演習で殉職(じゅんしょく)した『土鳩(どばと)』の席だ。

 

 あまり親しくもなく、もう当人の印象も薄れているがなんとなく覇気(はき)のない同級生(ヤツ)だったなと彼は思う。当時、たまたま自分は風邪で休んでいたが、その間の機動飛行でパニックにおちいり、界面翼の破綻(はたん)をおこしてリカバリーもできず、底なしの“雲海”に墜ちたのだと聞かされていた。

 当然、死体は見つかっていない。

 数日おきに花壇から取ってきた花を花瓶に差しかえる優しさを見せるのも、やはり『山茶花』だろう。

 

 ――彼女欲しいなぁ……。

 

 ほおづえを突き、ぼんやり『ポンポコ』が考えていると、突然、教室に携帯のコールが鳴り響いた。講義中に携帯を鳴らすという暴挙に生徒たちはギョッとするが、何のことはない。携帯の持ち主は、当の『リヒテル』だ。

 

「あぁ……失礼」

 

 大柄な老教官は背中を丸め、まるでオモチャのように見える携帯をのぞき込み、つぎの瞬間、無言のまま、教室の天井をあおぐ。

 (もだ)すこと幾拍(いくはく)――やがて、極めておちついた声で、

 

「……あとは自習とする。各自、いまの章を……よく復習しておくように――Zu dess」

 

 いきなり別れ文句をつぶやくと、力のない足取りでヨタヨタと出ていった。

 とたんにザワつきだす教室。

 

「午前中の航界心理テストどうだった?」

「わたし今日、部活休むわ。あしたの空間物理、自信がないからテスト勉強……」

「疑似生体P/Cのイイの入ったよ?過去の試験機動がI/Pされた奴。九万でどう?」

 

 おい見ろ!と窓ぎわの一人が、教室の中をふり向いて叫んだ。

 

 「ブラン・ノワール組だ!本物のゲシュタルト()・スーツを着てる!」

 

 えぇっ!とクラス中が窓辺に。

 

 見ると、彼方にある上級生用校舎のわたり廊下を、丸いものを手にした、白と黒の女子候補生二人組が歩いている。丸いものは、自我還元時(リダクション)に精神と機体との同調で使うヘッド・デバイスだろう。

 

 『ポンポコ』もウワサでは聞いていた。

 

 白いスーツは、北欧系の二世である2年生の『オフィーリア』。

 そして黒いスーツは――なにかとヤバい噂のある、純国産・3年生の『黒猫』。

 東日本を管轄する東宮(とうぐう)と、西日本がテリトリーである西ノ宮(にしのみや)の間で行われる、学校別の戦技会(せんぎかい)・女子の部では、現在トロフィーを総ナメにしているという話だった。これに比肩(ひけん)し得るのは同じく3年女子の武戦派にして反則屋な『デザート・モルフォ』だけとも。

 

 ちなみに見た目を裏切り、白い方が“タチ”で、黒が“ネコ”だろうと下級生(とくに女子)の間ではもっぱらの噂だった。

 もちろん――面とむかって確認した猛者はいないが。

 

 身体に痛いまでに密着するとされるG・スーツ姿は、二人とも上に何も羽織っていないので、ボディ・ラインが丸見えとなっている。

 

 1年生では支給されることのない“本物の”機動用スーツ。

 

 進級しても適正なしと判断されれば、一度も着る機会なく卒業ということもありえる。上級生用の校舎と1年生用の建物は厳しく隔てられているので、着用しているナマの姿を見るのは、珍しいことだった。

 

 携帯!携帯!とクラス中が騒ぐなか、彼女たちの姿はすぐに校舎のかげに隠れてしまう。焦りすぎて、三階であるこの教室の窓から哀れにも望遠デバイスを落とした者が、約一名。

 

「撮ったァ!」

「コピらせろ!」

「三千で――――」

 

 まさに、その時だった。

 真昼の空に、一瞬、閃光が(はし)った。

 画像を争っていた候補生たちはハッと顔をあげる。

 数拍おくれ、大気中にこだまする破裂音のような轟音。

 腹の底にズシンと響く衝撃波。次いでビリビリと震える窓ガラス。

 トンビが鳴いていた青空の彼方にひとすじ、黒煙がゆるゆると立ちのぼって。

 

「事故だ!」

 

 いくぞ!と『牛丼』は『ポンポコ』を引っ張るかたちで、その他のクラスメイトと共に教室を飛び出した。ほかのクラスでも騒ぎがおこり、ゾロゾロ候補生たちが出てくるが、担当教官たちに怒号と鉄拳で制止されている。

 それを尻目に、二人のクラスは競いあうように、二段、三段飛びで階段を降り、一階のピロティーに上履きのまま駆けだすと、防爆堤を超えた滑走路の方に行こうとする。

 ふと『ポンポコ』は駐車場のあたりに、知り合いである指導員(チューター)が、不自由な片足を(かば)う大きな動作(モーション)で、黒いサイドカーのキックをかけるのを見た。

 

龍ノ口(たつのくち)先輩!」

 

『ポンポコ』か!?と龍ノ口は、1年生の集団の中にいる彼を見つけ、叫んだ。

マフラーがいかれているのか、古めかしいBMWが、距離をおいてなお、轟然と息を吹きかえす。

 

「事故だ!危ないから教室に入ってろ!」

「なにがあったんです!?」

 

 やってきたBMWは、小僧集団の中を突っ切るかたちとなったため、すこし速度を落とす。

 

「練習機が一機、墜落した!詳細は分からん」

 

 航界士候補生をケガでリタイヤし、候補生専属の指導員(チューター)をつとめる航界大学の3年は、ホーンを鳴らし、好奇心旺盛(おうせい)な1年坊の群れをおいはらった。

 やがて、速度を上げて走り出そうとしたサイドカーだが、なにを思ったか急停車する。

 

 (うつむ)いていたが、やがて肩ごしにゆっくりとふりむく龍ノ口。

 

 そのとき――この元・候補生が見せた薄い笑みは悽愴の気を帯び、これからの『ポンポコ』の人生のなか、長く脳裏(のうり)に刻まれることになる。しかし今はただ、(スゴ)みのある眼の底光りだけが注意をひいて。

 

 微妙な数瞬の間。

 

 やがて、『ポンポコ』!と叫ぶその面には、見たことのない陰影《かげ》がうかんでいる。

 

「こいよ――乗れ」

「ボクが、ですか?」

「なにが起きてるか分からんが……人手は多いほうがイイかも、な」

 

 

 




※エトムント・フッサールです。

ここがヘンだよ!というのがありましたら
御教示願いたく。

珍歩・拝


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003:事故のこと、ならびに先輩候補生たちの死のこと

 

 一群から出た『ポンポコ』は、クラスメイトに見せつけるがごとく、少なからず得意気にサイドカーの舟側へと乗りこんだ。

 ボクものせて、いやオレも――と、バラバラ(むら)がるほかの1年生。

 

「だめだ、二次災害のおそれがァ――だからコラ!坊主ども!乗るんじゃない!」

 

 (すき)あらば乗り込もうと、未練(みれん)がましく群がる1年生を引きはなすために、ふたたび龍ノ口はスロットルを開けた。爆音を響かせ、BMWはピロティーをぐぐり、正門を駆け抜ける。

 

「――覚悟しておけよォ!?」

 

  スピードがのるにつれ咆哮(ほうこう)する、排気音ダダ()れなフラットツイン・エンジンと、耳元(みみもと)の風きり音にまけまいとして龍ノ口は怒鳴った。片手で額にハネあげていたゴーグルを引き下げ、両目に当てながら、

 

「最悪、晩メシが不味(まず)くなる!講義は、大丈夫かァ?」

 

 かまいません!と『ポンポコ』も怒鳴りかえす。

 

「つぎの時間は、学科、取ってませんから!」

 

  防爆用の土手をまわると、視界が一気にひろがり、滑走路エリアに出た。

 その滑走路の終端(しゅうたん)ちかくに、キノコ雲の残滓(なごり)らしきものが薄くたなびいている。火災は――どうやら起こしていないらしい。

 

 ――望みアリだ!

 

 誘導路わきにある格納庫のサイレンが鳴りはじめた。

 赤十字が書かれた大型ゲートが、回転灯を光らせながら重々しく開いてゆく。

 いまごろかよ!と龍ノ口が腹立たしげに唇をゆがめ、

 

()ッそぃナァ、救護班は!まるで俺達を殺そうとしてるみてェだ」

 

 その言葉が合図だったかのように、あちこちの道からてんでバラバラ、上級候補生たちの乗るスクーター、三輪バギー、はては黒煙を盛大に吹きまくる、軍払いさげの個人用・機動車両があらわれて煙の方へ走ってゆくのが見えた。

 とおくから怒鳴り声。

 

「キサマら、もどれぇっ!クソ共!行くなぁっ、行くなァァッ!」

 

 管制塔の非常階段から駆けおりてきた、騎兵帽をかぶるガタイのいい男が、ハンドマイク片手に怒鳴っている。王立探査院から直々(じきじき)に派遣されている主任教導官『エースマン』だ。

 警笛(ホイッスル)が2回。

 つづく威嚇(いかく)用の銃声は、この鬼教官自慢のピ()()メー()ーだろう。

 だが2年、3年の候補生たちに動じる気配なない。

 それぞれの愛車で、黒煙、爆音すさまじく、一目散に現場へと駆けてゆく。

 

「いまの時間は?誰が墜ちたんです!」

 

 激しく一度、車体をスリップさせてBMWは滑走路に入った。タイヤマークが幾重(いくえ)にも錯綜(さくそう)する直線が、風圧とともに彼等の目のまえに広がる。

 

「今日は、3年の長距離機動試験のはずだァ!界面翼(ツバサ)は、逆ガルの四枚半だった!」

(よく)の色は?何色でした!」

「そこまで見てない――いや、トパーズ色!だった、ような……」

「『ムラマサ』センパイ!?」

「あのバカは、女に(ひじ)テツくらって今日はフテ寝してるよ!」

「じゃァ、ギンズブルグさん?」

「やつは技査の判定研修で他校に――うゎ!」

 

 主滑走路を走る彼等にむかい、平行する誘導路からハデにホーンを鳴らしつつ、トレーラー・ヘッドが飛び出してきた。リヤ部には、別の組の候補生たちが「タンクデサント」している。BMWはとっさに後輪をロック。慣性を利用し、船を浮かせたままヌヴォラーリ顔負けのサイドカー2輪ドリフト。

 

「クソったれども!」

 

 寸前のところでBMWは事故を回避するものの、トレーラー・ヘッドは平然とふたりを無視し、煙幕のように黒煙を吹きつつ目のまえを加速してゆく。速度を殺されたサイドカーの横を、ジープや野戦バギーが次々に追い抜いていった。

 

 最後に後方から軽快なチャンバー音を響かせ、モトクロスが彼等と併走する。

 機械油で汚れたツナギの上半身を脱いで腰にむすび、その下はレオタード。

 腰の弾薬帯に前腕ほどのレンチをぶっ差し、バンダナを巻く銀色の豊かな髪を、時速九〇kmの風になびかせる姿。砂漠(デザート)色のカフェオレ肌ともあいまって、まるでアマゾネスのよう。

 

 出た!と『ポンポコ』は緊張する。

 

 『デザート・モルフォ』。

 ブラン・ノワール組をしのぐ、スゴ腕の女子候補生。

 対校戦では、その機動があまりに暴力的かつラディカルで、いつも反則負けを喫するため“無冠の女王”などともよばれる、東西校通しての武闘派候補生・最右翼。

 

「ハィ!――なに遊んでンのさ」

「サラか!あンのクソ野郎、南組(Sud)のザハーロフだな?」

 

 彼女のことを、龍ノ口はW/N(ウィングネーム)を使わず名前で呼んだ。

 つまり――それだけ親しい間柄(あいだがら)ということだ。

 

「四年前の対校戦のこと、まだネに持ってンだってサ!」

「俺のせいじゃないぞ!あれは――むこうの機体の整備に問題があったんだ」

「ハ!ヤツにそんな道理、つうじないよ!」

 気ィつけな!と言うや彼女はギアを一段ケリ下げてスロットルをひねり、フロントを高々と持ち上げると、けたたましく駆け去ってゆく……。

 

  墜落現場は、滑走路をすこし離れた場所にある、なだらかな草原の一角だった。

 たぶん、あと一歩のところで力尽きたのだろう。

 フェンスや側溝(そっこう)が張りめぐらされているため、大型の四輪や機動車両の組は到着がおくれ、バイクやバギーなどの軽車両が先に集まっていた。『ポンポコ』たちのサイドカーも、キリギリまで近づくと車体を停め、スイッチを切る。

 

 静寂。

 

 エンジンと風切り音のせいで耳鳴りがするなか、先に着いた生徒たちが、機体の残骸(ざんがい)を遠まきに取りかこみ、(たたず)んでいるのが見えた。龍ノ口は、BMWのタンク脇から片手杖(かたてづえ)を引きだし、脚をかばいつつヒョコヒョコと精一杯の速さで駆けよるや、あえぐような息で、

 

「墜ちたのは、だれだ!ケガ人は!?」

 

 だが、囲みの中の候補生たちは、ただ残骸の方を向き凝固(ぎょうこ)したまま、それに応えようとしない。

 おい!と、龍ノ口が一団に近づき、一人に手をかけると、

 

()ッつぁん――ダメだったよ」

 

 その候補生は龍ノ口の腕を振りはらい、うなだれたたまま群れを離れる。

 かわりに集団の一人が肩越しに後ろをむいて声ひくく、

 

「3年の『ホース・ヘッド』と『蟷螂(カマキリ)』ペアです――耀腕(ようえん)にやられた、らしい」

「耀腕だァ?……ウソつけ!この晴天に」

 

 それを片耳に聞きつつ、『ポンポコ』は居ならぶ先輩たちに遠慮しながら、小柄な体躯(からだ)を利用し、囲みのすき間をひかえめに押しわけて、最前列へと出る。

 

 灼けた金属とオイル。

 燃えた草木。

 それにオゾン臭が一気に濃くただよい、鼻をついた。

 心なしか、顔もほのかに熱くなって。

 

 機体は――かろうじて原型をとどめていた。

 

 普通(なみ)の練習機ではない。

 準正式タイプ・複座型の偵察系スーパー・クルーズ練習代替機だ。

 消化剤が効いたのか鎮火はしていたものの、残骸はいまだ陽炎(かげろう)をまとっている。

 コクピット周辺まで火は来ていないが、キャノピーが(うしな)われた操縦席の中は、ひとめ見れば十分だった。

 

 二人の候補生の亡骸(なきがら)が、そこにはあった。

 

 前席のパイロットは着座したたまま、前のめりになっていたが、ヘルメットバイザーの上がった顔面には、HU(ヘッドアップ)Dの(ディスプレイ)基部が深々とめりこんでいる。

  血液とも髄液(ずいえき)とも分からぬ(ねば)ついたものが、給気マスクを伝い糸を引き、ゆっくりと(したた)りおちて。

 

 後席に座るRSO(航界機偵察装置担当員)の首は無く、剃刀のような切り口で、ヘルメットに接続するケーブルや給気ホースごと、スパリと切り取られている。白い切断面が、どこかスーパーの豚肉を連想させ、『ポンポコ』の視界をゆるがす。

 ナタが一閃したような切り口は、そのまま機体後部へと続き、パワー・パックの防弾区画にまで延びている。機動ユニットと二次燃料タンクは見あたらない。途中で脱落し、別個に墜落したのだろう。先ほどの爆発音が、それにちがいなかった。

 

 少なからずの若者たちにとって、はじめて向き合う、『死』という現実。

 鳥のさえずりだけが、その沈黙の中、陽気に響きわたって……。

 

 目の前がクラクラと()れつつ、みぞおちからムカつくものが逆流する『ポンポコ』だが必死に耐える。ここで吐くことは、死んだ先輩たちを冒涜(ぼうとく)するような、そんな気がしていた。

 脇の茂みがガサガサ揺れると、先にモトクロスで抜いていったサラが(ツバ)を吐きながら出てきた。一団の視線に出会うとバツが悪そうに下を向く。それを横目に龍ノ口が、

 

「墜落位置の連絡は?ドクター・ユニット(VTOL)、おそいじゃないか」

「もう通報ずみ。だけど――飛行禁止命令が出ているって」

 

 首から円形計算尺(けいさんじゃく)を下げた、作業着姿の生徒が応えた。

 

「正体不明の移動型・空間阻害物(そがいぶつ)警報がでているとのコトです」

「ぼくら、管制塔で多層レーダー見てたんですけど……」

 

 と、一団の中から、ワイシャツにネクタイ姿といった管制履修組の2年生たちが、いかにも事情を知った風な口ぶりで、

 

「あれは、あきらかに耀腕反応でした。な?」

「あぁ、間違いない。重力波レーダーと事象面解析でクロス・チエック済みです」

 

 ふうぬ、と龍ノ口は口を曲げて腕ぐみをする。

 そのまましばらく機体の残骸をにらんでいたが、遠くからトラックなどの排気音が聞こえてくると、

 

「よし、航界班長クラスをのこし、全員撤収(てっしゅう)!これ以上もたついてると『エースマン』の精神棒がとんでくるぞ!『リュリ』、『マラルメ』!配下を使って現場保存しろ。『ヒミコ』以下のグループは火気の確認――かかれッ!」

 

 兄貴分である龍ノ口チューターの命令一下、残骸の囲みがバラバラと解ける。

 

「ポン、俺はここを仕切らにゃならん。おまえはサラ――『デザート・モルフォ』の後ろに乗って帰れ……なんだオマエ、上履(うわば)きじゃないか。生活指導に見つからんようにな」

 

 龍ノ口の言葉を、『ポンポコ』は、どこかとおくに聞いていた。

 目のまえで凝固する、かつて候補生であった“もの”。

 上級生二人の、あまりに無惨な死に様。

 

 自分も、()()()()()()()のかという(おも)いが、血の気の引いた頭からはなれない。

 龍ノ口が、なにごとかサラに耳打ちする。

 それを受け、この大柄な武闘派女子候補生は、なおも機体の残骸を見すえて動こうとしない『ポンポコ』に歩み寄ると、ひよわな肩に腕をまわし、悲惨な墜落現場から彼をひきはなしていった……。

 



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004:先輩女子候補生のこと、ならびに彼女の母性のこと(前

 帰りのサラの運転は、ド派手(はで)なものだった。

 耳をつんざく回転数で丘を駆け、軽量のわりにパワーのあるモトクロス・バイクを強引にあやつる。

 はじめのうちは、自分を担当するチューター(龍ノ口)の彼女でもあるこの先輩に遠慮して、うしろのキャリアを掴んでいた『ポンポコ』だったが、モトクロスが宙を舞い始めた時点で彼は工具をぶっ差したままの彼女の腰に必死でしがみつく。そのうちにサラは修練校の方角を外れ、高速のインターへと進んでいった。

 表示板を見ると、

 

 【六八番岬・二〇km】

 

 あの!と、たまりかねて『ポンポコ』は叫んだ。

 

「サー!自分は――夕方に技査フライトの追試があるんですけどォ!」

 

 ハ!とサラが叫びかえす。

 

「ナニいってんだィ!さっき言ッてたろ?飛行禁止令が出てるって。それにあんなコトがあったんだ!ここ数日は飛行停止に――キまってるサァ!」

 

 サラは、時速100km以上でモトクロスをとばしながら高速の料金ゲートを駆け抜けると、平坦な道になったことで、ふたたびキャリアを掴んでいた『ポンポコ』の腕を強引に探るや、この下級生の左右の手を、むりやり自分の豊かな胸に巻きつけ、そのうえ念入りに二度、三度押し付けた。

 

「手ェはなしたら、ヒドいよ!?」

 

 ツナギごしのやわらかい感覚に、ノーブラ!?と『ポンポコ』が驚くまもなく、彼女はさらにスロットルをひねり、通る車両もまばらな片側二車線の高速をカッ飛んでゆく。

 センターラインがものすごい勢いで流れてゆき、ときおり現われる無人ヴィーグルや、老人が乗る自律セダンなどをパイロン扱いにして、右に、左に。

 一羽のハヤブサが、そんな二人と()るように急降下し、低空を矢のように抜いていった。

 

 岬にある灯台の駐車エリアで、凶悪なモトクロスはようやく停まった。

 ヒシとしがみついていたムチムチの肢体(からだ)がホレ、と身じろぎし『ポンポコ』に降りろとうながす。

 

 耳鳴りが凄い。

 さきほどのBMWの比ではなかった。

 

 豊かな胸を抱いていた腕は葛藤でこわばり、呼吸(いき)は風でなびく先輩候補生の銀髪のおかげで窒息寸前。ツナギをへだてて先輩候補生の体温も感じたはずだが、スピードの恐怖に圧倒され、あまり記憶に残っていない。ムダに力が入っていたせいで、バイクのシートを降りると彼のヒザが笑う。上履きで踏む草の感覚が、無性(むしょう)にありがたかった。

 

「ァあ、スーッとしたァ!」

 

 サラは、そんな彼をよそに、バイクのスタンドを立て、ウン、と伸びをする。

 ついで豊かなヒップに手をやり、身体を微妙にひねって何かの具合をちょっと直すと、そのまま岬のモニュメントである巨大なオブジェに歩いてゆく。

 

「どした?――来なョ」

 

 展望台に向かう大階段の途中で立ち止まり、ふりむいた彼女は、乱れた銀髪を手ぐしで直しながら『ポンポコ』をうながす。航界士用のゴツい腕時計をチラ見した彼はため息をつき、このワイルドな女先輩のあとに従った。

 

  岬の公園には、誰もいなかった。これがもうすこし経つとカップルのデート・スポットになるという話だが、いまはまだ時間が早いのだろう。

 

 ――カップル?

 

 そう考えた『ポンポコ』は、豊かな髪をなびかせる、自分よりはるかに背の高い上級生を見て、むねの中であわてて首をふり、目の前の光景を眺める演技(ふり)をする……。

 

 見渡す限りの大雲海だった。

 

 上空を数羽、トンビがのんびりと舞っている。

 雲から吹きちぎられた霧が、急斜面となった岬の崖下を(おお)っていた。

 ときおり(はる)彼方(かなた)で、雲が上空に激しく吹き上がるのが見える。雲海の深部で事象面の軋轢(あつれき)が発生し、その衝撃波が表面に噴出するのだ。一見、壮麗(そうれい)に見えるこの雲の海の下では、空間がはげしく震動してるのだろう。かなりおくれて、空震も二度、三度伝わってくる。

 

 以前は、ここが『海』と呼ばれる大きな塩の湖だったらしいが、「大破断」のあとは海面の代わりに一面、雲が満ちる空間となっている。底を確認した者は、誰もいない。調査のため幾人もの命が失われたと聞いていた。『土鳩(どばと)』はどうなったかな、と彼はチラリと思う。

 はるか高々度の空を、事象面連絡型・資源タンカーが、界面翼をキラめかせ、よぎってゆく。大きい……五〇万t級だろうか。

 

「アタシぁ、雲海が好きサ」

 

 3年の女子候補生は手近なベンチに歩み寄り、ソロソロと静かに座ると、長い脚を投げだし、銀の髪を()きあげながら、ぶっきらぼうに(つぶや)いた。

 

「なんたって、ウソがないからねぇ……どこまでも――清潔だ」

 

 そして背をねじり、『ポンポコ』を見て、

 

「ホラ――こっちィ座ンなよ。そんな空気よめないんじゃ、()()()()にも嫌われっゾ?もっと女の意を汲まニャァ」

 

 “彼女”という単語を、ことさら意味ありげに強調された彼は、しぶしぶと、

 

「お察しのとおりです、サー!ボクは――いえ自分には、彼女なんかいません」

「へェ!そうかぁ?」

 

 サラはアッハ!と(うれ)(あざ)るように。そしてとなりに座った『ポンポコ』の頭をつかみ、ワシワシと手荒く()でながら、

 

「わりとイケてンのに。まわりの(メス)どもァ、見る目ないンかねぇ……どぅれ、お姉ェさんが“彼女”になってやってもイイぜぇ?」

 

 ニッカリと微笑する、銀髪のアマゾネス。

 そのイメージに、『ポンポコ』の胸が、(クヤ)しくもときめいてしまう。

 次いで彼女は、ナントいきなり彼の頭を抱き寄せ、自分の胸の谷間にうずめた。

 

 はだけられたツナギ。

 2stのエンジンオイル臭に混じり、谷間からイイ匂い。

 そしてうすいレオタード生地に、胸の頂のポッチリが、チラッと。

 

 ――(ワレ)(クロ)シ……サレド(ウツク)シ。※

 

  防衛的に、彼は衒学的(げんがくてき)な言葉を思いだし、、平常心をうしなわないよう努力。

 だがすぐに髪をつかまれて顔を引き起こされ、金色の瞳が、まるで心をのぞき込もうとするかのように間近にせまると、彼は精一杯のさりげなさで身をはなし、

 

「先輩は!その――お相手が居るじゃないですか!」

 

 どもりながら、相手のやわらかい二の腕を押しのけるや、ササッと尻をスライドさせ、距離をおいて座りなおす。

 

「こんなコトしてたら、龍ノ口先輩に怒られます」

「――バカ(たつ)かァ」

 

 忌々(いまいま)しげな口調で呟きつつ、彼女は、ウェストに巻いていた弾薬帯のポーチの一つからスキットルを取り出し、ネジ込みのキャップをひねった。

 飲み口が雲海からの風に吹かれ、低い音を鳴らす。

 ひと口、グビリと(あお)るや、ふと、サラは彼の方を向き、

 

「そういや、サ。きょうの墜落現場を見て……大丈夫だったかぃ?」

「大丈夫だったって、なにがです?」

「そッか……男の()だねぇ」

 

 はやくもウィスキー(くさ)い息を吹きかけつつ、彼女は顔を寄せると真顔にかえり、

 

 「『ポンポコ』……だっけ?アンタさぁ」

 「はい、サー」

 「なんで候補生なんか志願したンだィ?今日の奴等(ヤツラ)、見たろ?」

 

 先ほどの光景がよみがえってきた。

 オイルと()けた金属、それに樹脂(じゅし)の臭いにまじって、(なまぐさ)い鉄のような気配。

 切断された肉の断面の白さが、いまだ記憶に新鮮に。

 

実家(いえ)が金に困ってた、とか?」

「――いいえ」

「生徒数の足りないウチの修練校から、親伝いにタノまれたとか?」

「――いいえ」

「わかった!「御前試演(ごぜんしえん)」で勅任(ちょくにん)航界士に任命されて、華族(かぞく)婿養子(むこようし)になりたいんだろ!度胸あるねェ。まぁワかるよ、同じ航界士でも勅任と奏任(そうにん)じゃエラい差だかンなぁ。給料体系ひとつにしたって――」

 

 サラは、3年に一回訪れる“事象震”のなかを飛ぶ、戦技披露会を話題にした。

 だがこれにも『ポンポコ』は「いいえ」と首をふる。

 とうとう彼女は声を荒げ、

 

「じゃぁナンだッてんだよ!ジレったい()だねェ!」

 

 一瞬、彼は自分を取り巻く出生のいざこざを、この武闘派アマゾネスに話してみようかと考える。話したあとの相手を見てみたいとも。しかし半秒ほど躊躇(ためら)うと、やはり止めにした。

 この姉御(あねご)の反応が――なによりせっかく手にした好意を(うしな)うのが――(こわ)い。

 

「べつに……なんとなく」

「ハァ?」

「気分、ってンですか?とくに進路に希望もないし。家にも居たくなかったし」

 

 バカじゃないのアンタ?と書いてある表情(かお)がアップになる。

 

「あきれた……候補生は、何かしら理由があるってェのに、アンタって()は」

「そんなら!サー『デザート・モルフォ』は、なんで候補生になったんです?」

 

 上級生を呼ぶときの“サー”付きW/N(ウィングネーム)を使いながら、ポンポコは反抗的に口をとがらせた。勢いに乗ってさらに言いつのり、

 

「推薦で入ったと聞きましたけど?それに入校試験の時、セクハラしてきた教官を、上段回し蹴り一発で床に沈……あ。いやこれは、あくまでウワサでして」

 

 しまった、と口をつぐむが、もうおそい。

 

「クソ(タツ)め……」

 

 彼女は、スキットルからさらに一口飲んだあと、肉感的な唇をグイと(ぬぐ)い、

 

「アタシぁ……探査院のⅡ型実験体として、特別ワクで、ムリヤリに入校られたんだよ!ハーフにしちゃ脳が特殊とかで。でもそのうち考えも変わってサ。実入りも良かったし」

「はぁ……支度金(したくきん)と給料ですか」

「家がビンボーでね。ふた親ァ、とっくにあの世なんだけど妹たちにャ、ちゃんと学校へ行かせてやりたいし。それに最近、この命をやりとりするギリギリな感覚ってェの?ヤミつきになって、もうサイコーに()れそう――って!なんでこんなコト、アンタに話してンのサ!」

 

 ぺシッ、とサラは彼の頭をはたく。

 

「いってぇ……そうか、特別ワクで入ったんですね。道理で」

「あぁ?」

「翼形が特殊だとおもった。サー『デザート・モルフォ』の長い四枚翼、自分は美しくて、好きです――あ!いやその、あくまで翼のハナシでして」

 

 うっかりそう言ってしまい、『ポンポコ』は、顔から火が出る思いをする。

 

 随伴(ずいはん)飛行で見学した彼女の真っ白な翼。

 武装をはずした旧式の大型爆撃機から見た光景。

 下界は一面の雲海。上空は硫酸銅(りゅうさんどう)めいた硬質な蒼空。

 そこに彼女の機体から延びる界面翼が、夢のように(きら)めいて……。

 

 習い性とでも言うのか、『ポンポコ』は『リヒテル』の講義を、老人の声音そのまま脳裏(のうり)によみがえらせた。

 

 

 

※旧約聖書:雅歌

 



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004:先輩女子候補生のこと、ならびに彼女の母性のこと(後

 正確に言えば、界面翼(かいめんよく)を“(つばさ)”というのは、さきの授業のとおり語弊(ごへい)があった。

航界士の使う機体はパイロットの認識器――つまり“脳”を媒介(ばいかい)として起動する。

 

 並行世界から流入した外象人のもつ理論による、事象面相互律干渉(そうごりつかんしょう)の法則は、それまでの地球物理学の分野に、革命とも呼べる長足の進歩をもたらした。

 

 この世界の基盤である“事象面(じしょうめん)”とは意外に(もろ)いということが、彼らの文明によって伝えられて以来、それをいかに利用するか、各研究機関の間で実験がくり返され、結果、相互律の観点から『もっとも細密な事象面の縮図』である人間の脳髄(のうずい)に注目が集まる。最終的に、その器官が生む“存在(そんざい)認識(にんしき)”力をアナログ的に増幅させ、機体の周囲の空間を歪めながらすすむ技術が開発されることとなった。

 

 各パーソナリティ(個人)は自己の意識を“還元(リダクション)”させ、アンテナと化した機体からの情報を受け、()()()()()()()()()()()()()()()させる。“界面翼(かいめんよく)”と呼ばれるこの翼は、ゆえにパイロットの身体能力、精神、あるいは品格により、色彩・枚数・形状等を、さまざまに変えるのである。そのような「自我の分身」とも言える界面翼(つばさ)の形を「美しい」などと言うことは、()()()()()()()()()()()()()

 

 『ポンポコ』が、あわてふためいているのを見て余裕が生まれた“武闘派”上級生は、肉感的な口もとに浮かびかかる照れ笑いを、かろうじて()し殺したように、

 

「ハ!ナマ言って」

 

 強烈なデコピンを一発。

 

「オダてたってナニも出ないよ!それに、そのサー何たらって言い方、スキじゃないんだ。自分で付けたワケじゃなし、まだろっこしい。サラで良いよ」

 

『ポンポコ』がひたいをさすり、ふくれっ面をしていると彼女の携帯が鳴った。

 ディスプレイを見てチッとサラは舌打ちし、銀髪をふって耳を(あら)わにさせると、

 

「ハイもしもし?こちらサラ・鈴鳴一級航界士候補生――ッと」

 

 つぎの瞬間、しかめっつらをして彼女は携帯からサッと耳をはなす。

 受話側からナニやら一方的にガナる声。

 

「え?ハイハイ。聞いてますよ……えぇ?えぇ、ココに居ますけど?」

 

 サラは『ポンポコ』の方をチラ見する。

 

「えぇ?三〇(サンマル)以内に?ムリっスよ、そんなぁ。ハイ現在地はココっスけどぉ……えぇっ!マジっスか?でも……チェッ。あのクソ禿()げ、切りやがった」

「誰です?」

「エースマンのブタ野郎さ。アンタを学校まで送るハズなのに、どうなってンだって……わりィ。やっぱ飛行停止はナシみたい。てへ ♪ 」

「てへ ♪ じゃないですよぉ!」

 

 頭の中が真っ白になった『ポンポコ』は、なみだ目で絶句する。

 事故のとき、管制塔から降りてきて、拳銃を乱射していた禿頭(とくとう)の鬼教官。それが形相を変えて自分に向かい、「(クソ)だ」「ウジ虫だ」「無能だ」と怒鳴る姿が、いまから見えるようだった。

 

「いま何時です?うわ、もうこんな時間!飛行前打合せに参加してるはずなのに!」

「いいじゃん、技フラなんざ。一回ぐらいサボっちまえよ」

「先週の結果よくなかったんですよ。ああ……もうダメだ……また(ケツ)バットだ」

「男の()だろう、しっかりしな!」

 

 トホホとうなだれる『ポンポコ』の背中を、サラはドンと一発どやしつけた。

 

「きょうは、もうイイから寮に帰れってサ。なに、そんな成績悪かったの?」

「うぅ…先週は、ちょっと。規定機動中に“尻尾(シッポ)”生えちゃって」

「こないだの騒ぎはソレかぁ……ふぅん」

 

 サラは、興味津々(きょうみしんしん)といった風で、またもや『ポンポコ』に顔を寄せる。

 対して、彼のほうは相手の動きにつれ、またもや少しのけぞった。

 

「オマエさんの翼ぁ、どんな形なんだィ?」

 

 言われた彼はウッとつまる。

 

「ボク、自分の翼、目でみたことないから」

「あたりまえだろ。自分で自分の顔は見れないのと同じだ。相互認証(そうごにんしょう)が発生する雲海の大深度じゃあるまいし。通常空域じゃ自身の翼は感覚でわかるけど、自分の肉眼じゃ見えないもんな」

「雲海の中では、自分の翼が()れるんですか?」

「らしいよ?アタシも、そこまで深く潜ったことないからシラネ。でも随伴機(ずいはんき)の映像ぐらい、飛行後打合わせ(デブリ)で見せてもらえるだろうに」

 

 うぅ、と『ポンポコ』は悔しそうに、

 

「“技術未達”とかいって教官も見せてくれなくて。普通は二枚らしいです。調子が良ければ四枚、かな?前回の技査でインメルマン・ターンの途中、いきなり余分なトコに翼が生えて四枚半……おかげでバランス崩して、アヤうく“雲海(くも)墓標(ぼひょう)”でした」

 

 おぉう……とさすがにサラも真剣な顔で、

 

「救援機が間に合ったんだ?良かったなぁ」

「いえ、自分でも何だかわからないうちにリカバリーして……気がついたら翼も復活して通常に飛んでました。監督機が撮った記録はノイズが乗ってて、ハッキリとは観れませんでしたけど」

「事象共振(きょうしん)能力が、まだまだ育ちざかりなんだねぇ……で、界面翼の色は?」

 

 彼は、また言葉につまる。

 だいたいの候補生は、綺麗(きれい)色彩(しきさい)と輝きのパターンを持った(つばさ)(つく)るが、『ポンポコ』の出す界面翼は、ずばり“ドブ色”と言われていた。今のところ、これが一番のコンプレックスだ。成長するにつれ、色も形も変化するという教官の言葉を、いまは信じるしかない。そんな彼が、外交的な言い回しで使う表現は……。

 

「え、と。群青(ぐんじょう)色とか、(あい)色とか」

「見てみたいナァ。こんど随伴機(ずいはんき)に乗ってイイ?」

「ぜっっっっっったいダメです!!!!」

 

 岬からの帰りは、ノンビリとしたスピードでモトクロスは走った。

 時刻は夕方、一七時を回っている。

うしろの座席から見る街中の景色は新鮮だった――あらゆる意味で。

 

 女性。しかも美人で、先輩で、スタイル抜群で、ハーフ。さらに美しい界面翼の持ち主であるスゴ腕の候補生が操るバイクのタンデムというのは、『ポンポコ』の彼女っ気がない人生のなかで、あたかも平均率的なふれもどしが来たような。

 いい匂いのする銀髪に顔をなでられるので顔を横にそむけるが、ほおがくすぐったい。それすらも、嬉しいような、恥ずかしいような。

 ノーヘルの2尻(にケツ)ということで回転灯を回してPC(パトカー)が追ってきたが、サラが豊かな胸元から一級・候補生証をホラヨ、とさしだすとサイレンを引っ込め、左折してゆく。

 

 街は、早くも冬の商戦の(いろど)りをみせていた。

 ウィンドウに並ぶ服も、コートやマフラーが目立つようになり、気の早いところは雪の結晶まで。 店には簡略体の外象語と日本語が並ぶが、前者は筆記の太さの組み合わせや、時に文字色まで意味をともなうので、完全にマスターするのは難しい。

 信号待ちで停まった時、なにげなく横の建物を見た彼女が、

 

「ドウだい――寄ってく?」

 

 『ポンポコ』が彼女の視線を追うと、派手な構えのラブホテルが、デンとそびえている。

 午前中までの彼だったら、ここで不覚にもドギマギしただろうが、少年ごころには早くも免疫(めんえき)がつき始めていた。

 

「バカ言わないで下さい?龍ノ口先輩に怒られます。それにウワキ?じゃないですか。ソレ」

 

目のまえの横断歩道を、若い夫婦ともみえる二人が、ベビーカーを押して横切ってゆく。

 外象系の夫と、日系の女性だ。ベビーカーの中では乳児が、なにやら玩具(おもちゃ)を振りまわしている。抱きつく先輩候補生の体温が、そのときなぜか熱くなるように思われて。

 

「バカ(たつ)は、さ……イカれんてんだよ、アレ」

 

 信号待ちが長くなりそうなので、彼女はエンジンを切った。

 そして夫婦連れが見えなくなるや、はぁっとため息をついて大きく肩を落とす。

 

「四六時中、外界のコトばかり考えてやがる。独立系航界士の望みを捨てないんだ」

 

 サラは、航界士の中でも別格な宮廷直属・最上位のランクである階級を、唾棄(だき)するような口調でつぶやいた。

 

「外界って、各国事象面(ベース)以外の、まだ未発見の事象面のことですよね?」

「アイツ、模擬戦で(あし)やって、候補生リタイヤしたろ?それがいまだに尾を引いてンだな……オマエのコト、うらやましいとも言ってたぜ?」

「ボクのことが!?まさか。どうしてです」

 

 掛け値なしに彼は驚いた。そんなことを言われたのは、初めてだ。

 サラは『九尾』の驚きにフフッと微笑み、

 

「ヤツは若い。可能性がある。それに何より飛べる、ってサ」

()ちこぼれなのに?」

「オマエぁ五体満足で思考も健全だ。それだけで十分恵まれてンだよ。あと、な……」

「……あと?」

「龍のヤツ……事故ンときに機体からの情報逆流(フィードバック)が原因で、脳に異常ができてサ。これがどうも進行性らしい。アイツが、みょうに情緒(じょうちょ)不安定ンなったの、いままで見たことないか?」

 

 さぁ、といいかけ『ポンポコ』はサイドカーを止めたときの、あの薄い笑みを思い出す。底の無いような(くら)眼差(まなざ)しも、(あわ)せて。

 

「手術すれば(なお)るらしいんだが、そうなると決定的に飛べなくなるッて。それで……」

 

 後ろからホーンを鳴らされ、チッ!とサラはスターターを()りこんだ。

 すこしフロントをリフトさせ、モトクロスは走り出す。

 そこから先は、なにを言っても彼女は(こた)えようとしなかった。『ポンポコ』を寮の前まで送り届けた後は、エンジンも止めず無言のまま走り去る。

 

「……はぁ」

 

 大きくため息をすると、2stオイルの(にお)いに、落ち葉を焼く気配が混じった。

 夕暮れの光景の中、置きざ去りにされた彼は、砲金(ほうきん)色の空をあおぎ、近くのマンションのシルエットから、砥鎌(とがま)のような月がのぼり始めるのを観る。

 

 見た目には38万4000キロの距離。

 

 しかし今は、衛星軌道で事象面が断絶し、決して人類の手のおよばない球体。

 トボトボと自分の部屋に帰り、スプリングを(きし)ませベッドにひっくり返る。

 目を閉じると奔流(ほんりゅう)のように、きょうの出来事が次から次へとよみがえってきた。

 

 数時間まえに目の当たりにした、先輩候補生二名の無惨な死。

 

 だが奇妙なことに、それはもはや何処《どこ》か遠いことのように思える。

 ()けた金属の異臭や機体から立ち上っていた陽炎(かげろう)も、いまは早くもおぼろげとなっていた。明日のエースマンの怒鳴り声や尻バットも、もはやどうでもよくなっている。

 

 代わって鮮烈に上書きされているのは……。

 

 モトクロス・バイクで宙空に駆け昇るスリル。

 額をぶつけんばかりに近づいてきた、金色の(ひとみ)

 肉感的な紅い唇。

 上級生の女性の匂い。

 抱きついたノーブラの、なまめかしい感触。

 その奥に見た、レオタードの……。

 

 ――武闘派でコワい人って聞いてたけど……ぜんぜんちがうや。

 

 彼は『デザート・モルフォ(砂漠の美)』と呼ばれる彼女の顔を思い出しながら、

 

「……サラ」

 

 口に出し、丸めた毛布を抱きしめ、キスをするマネ。

 とたん、われにかえって恥ずかしさに悶絶(もんぜつ)

 ベッドの上をジタバタとのたうちまわる。

 そして次の瞬間!

 脳裏にサラの彼氏である龍ノ口が肩越しに見せた、あの妙に酷薄な笑み。

 じわじわと胸の内を()いのぼる罪悪感。

 もしや!と、おもわず彼は、ベッドから()ね起きる。

 

 ――自分は、なにか三角関係のもつれに、まぎれこんでしまつたのでは!

 

 そのまま凝固(ぎょうこ)し、部屋の天井を見つめること数拍。

 

「……なーんてね、まさか」

 

 ふくらんだ妄想(もうそう)は、すぐにしぼみ、ベッドに背中から崩れおちる。

 自惚(うぬぼ)れを自覚したときの苦々しい自己嫌悪が、いつまでも(おり)のように残った。



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005:候補生の社会的地位のこと、ならびに(くろ)い老人のこと(前

 事故が起きた数日後の放課後。

 

 延び延びになっていたクラスメイトの見舞いのため、『ポンポコ』は『牛丼』や『山茶花』と連れだって、いつもとは全くちがう方面のリニア・トラム(浮上市電)に乗った。夕方の混雑は、まだ始まっておらず、車内はわりと()いている。

 

 「なんかサ?来週の月曜に、特別なフライトあるみたいだぜ?整備屋や資材の連中が、ここンとこウロウロしてる。格納庫の一部は、(トラ)テープ張られて立ち入り禁止だし。ひょっとしてそいつが、まえに言った特殊(オペラシオン)作戦(スパシィアル)、かも?」

 

 通学用の小振りなフライト・ケース片手につり革をつかみながら、『牛丼』が話しかける。彼女の『山茶花』は彼にゆずられた席に座り、お見舞いの果物籠をひざの上にのせ、文庫本を読んでいた。題名はカバーで読めなかったが、ページにビッチリ文字が詰まっている。章の名前も長たらしく『「大破断(だいはだん)」後の(だつ)構築的世界(こうちくてきせかい)』?……ムズかしそうだ。

 

「――いいよな、『ポンポコ』は。一年のうちに本戦に出られて」

「またその話?ボクが対校戦の候補になれるワケないじゃないか」

「教官室で聞いたんだって!」

「めずらしく新型機でも来るんじゃない?どっちにしろボクのような“()ちこぼれ”は関係ないよ」

「自分のことをオチコボレなんて言わない!」

 

 ピシリと『山茶花(さざんか)』が上目づかいに『ポンポコ』をにらみ、教育的指導。

 

(やす)っぽく見えるわよ。自分に矜持(きょうじ)を持とうとしない候補生なんて、最低」

「ちぇっ……きびしいなぁ」

 

 秋のはじめの風景が、車窓の外を流れてゆく。

 

 ふだん乗らない路線から見る景色は新鮮だった。走るにつれ、トラムは商業地から遠ざかってゆき、ところどころススキの穂がめだつ「**建設予定地」と看板の立つ空き地が点在するようになる。

 

 (ねぇ。あれ、航界士候補生の制服じゃない?)

 

 すこしはなれた場所から、そんなささやきが聞こえてきた。

 

 (え?フツーに士官学校っしょ?)

 (違うって。ほら、肩口(かたぐち)んトコにマークあるじゃん。杖と蛇と翼の)

 

 “カドゥケウス”のことかと『ポンポコ』が(そっ)と声の方を見ると、チェック柄の超ミニなスカートに黒ストをはいた女子高生二人組。彼ら三人を指さし、ヒソヒソ。

 

 (このさきの丘に、王宮の病院あるじゃん?そこ行くんだよ、きっと)

 (いーよねぇ、エリートは。彼氏にしたら腰を振っちゃうよ?イかせちゃうよ?)

 (スゴいよねェ……でもサ、よく死ぬンでしょ?事故とかで。よくやってるよネ)

 (ホラ、外象人じゃない、もう一人のほう。ちょっとヨクね?イケてね?)

 (えー顔がよくてもアタシ絶対ムリ)

 (そんなに力説すんなよwww)

 (だってカレシ死んじゃうんだよ?ぜってー耐えらンない)

 

 勝手なことを言い合ったあげく、かかとをつぶしたコインローファーを引きずりながら、女子高生二人組はストローで(すす)っていたシェイクを座席に置きざりにしてトラムを降りてゆく。

 

 発車ブザーにかかる嬌声(きょうせい)と笑い声。

 

 動き出したトラムと三人のあいだで、しばし沈黙。

 やがて、いたたまれなくなった『ポンポコ』がその沈黙をやぶって、

 

「そういや、サ。『ペンギン』の具合(ぐあい)、どうだって?」

 

 さすがに幾分ブッスリと『牛丼』は前を向いたまま、

 

「……シラね。でも、もう復帰はムリだろ。あんな事故で、よく助かったよ」

「実際、ラッキーだったよな。雲海の上でなかったのも、幸いだった」

「もっとラッキーなのは、これで障碍者(しょうがいしゃ)手当と王宮からの廃兵恩賜(はいへいおんし)、それに優先就職権があるだろ。最悪、生活保護もあるし。これで一生、食いっぱぐれナシだ」

 

 『山茶花』が本をふせてキッと顔をあげ、

 

「あなたねぇ!本人の目の前でそれ言ってみなさいな。彼がどう感じるか!」

 

 だが、次にその言葉を使ったのは、入院中の候補生だった。

 

 白い印象の、北向きな病室。

 衝立に仕切られた、六人部屋の片隅。

 

 そこで頭を包帯でグルグル巻きにされた候補生が、蒼白い顔つきをして上半身をベッドにもたせ、オズオズとした気味のある三人を迎えた。異様なのは包帯を巻かれた候補生の頭部が、まるで(えぐ)られたように一部ゴッソリと欠けていることだ。脳は大丈夫だろうかと見舞客たちは心配になる。

 彼等の視線を読んだのか、なに、見た目ほど(ヒド)くないと言われてるのサと『ペンギン』は力なく薄い笑みを返し、

 

「それに――これで生涯(しょうがい)困らないしね。王宮の傷痍年金(しょういねんきん)がつくから」

 

 チラ、と『牛丼』が『山茶花』にするどい一瞥《いちべつ》をくれてから、

 

「なぁ、『ペンギン』よ、こんどクラスのみんなで――」

「そのW/N(ウィングネーム)も、もうやめてくれないか」

 

 きっぱりと、この“元”候補生は言い放った。

 

瑞雲(ずいうん)の事は……もう考えたくもない」

 

 重い沈黙が降りてきて、彼らのあいだを包んだ。

 となりのベッドに横たわる老人が視るモニター音声が、少々うるさい。『総理特別会見』と字幕のついた画面のなか、中年の女性がキンキン声で話している。

 

 《半世紀ちかく前、いまだ特定不能な過去の、ある一時。『地球』というひとつの連続面で構成されていたこの世界は突如、世界地図をハサミで切り刻むように、いくつもの事象面に分かたれ――》

 

 そうだよなァ、と『牛丼』は作ったような明るさで、

 

「一年はワリを食うモンなぁ。オレなんか『牛丼』食べすぎで腹コワして、次の日の機動試験を欠席しただけで『牛丼』だし、こいつは()(そこ)なった(タヌキ)のしっぽみたいに、翼を出したり消したりで安定しないから『ポンポコ』だし」

 

「そして自分は、とうとうホンモノの『ペンギン』になったってワケだ」

 

 あとを引き継いで『ペンギン』が自虐的な()()()をみせて、

 

「文字通り、もう飛べない。あたまの一部もなくして歩行困難でヨチヨチ歩きサ」

「…………」

 

 気をつけた方がいいぞ?諸君、とベッドの主は口調を改め、

 

「転進するなら、五体満足な今のうちだ。自分は今回、思い知ったね。結局われわれは蠱毒(こどく)の虫みたいなモンじゃないか。いくら不景気で就職先がないとはいえ、もっとラクな職業があるはずだ。ブラックでもナンでも、明日の命が保障される職が!」

 

 『ポンポコ』はおどろく。

 まさか同じ候補生であるクラスメイトから、このような話が出るとは。

 彼はうわずった声で身を乗り出し、

 

「進路変更しろ、とでも言うのか?」

 

 『ポンポコ』――『ポンポコ』よ、と入院患者はヤレヤレ風味で首をふり、

 

「あくまでサジェスチョンだよ。クソ役人どものために、そこまで義理だてする必要はないっての。知ってるだろ?ウチの系列の修錬校。予算は横流しされてひどい装備のまま飛んで。そのあげく、事故多発じゃないか!マスコミどもは箝口令(かんこうれい)のおかげで、おおっぴらには報道してないけど」

 

 『山茶花』も思い当たるフシがあるのか、不安げに、

 

「わたしもウワサでは聞いてるわ……あくまでウワサだけど」

「宮殿と省庁のカラみも、前より複雑になってるらしいしなぁ。なんかヤバげな(ハナシ)も、いろいろ聞くし」

 

 『ポンポコ』は、初耳のハナシに曖昧な顔をするしかない。

 それを見た『牛丼』は、仕方ないヤツだなと言ういきおいで、

 

「知らねぇのか?ポン。オレたちが単なる実験動物(モルモット)にされてンじゃねぇかって」

「そうなん?ボクは、あまり気にしたこと無いけど……」

「おめーはオメデタイ奴だなぁ。一部じゃ「反社会的人格障害」のラベル貼られたヤツを、わざと問題のある機体で飛ばして“殉職(じゅんしょく)”扱いで始末してるんじゃないかッてな(ウワサ)もある。ネットの履歴は気をつけろよ?オマエのとばっちりは受けたくないからな」

「ボクだって!趣味はスタンドアローンにしてるし。本だって傾向をたどられないよう、実本で読んでるぞ!?」

 

 ここでチョッと『山茶花』が言いよどんでから、

 

「あるいは、ルックスのいい候補生は、女子はもちろん男子でも、その、オカマを掘られて愛玩品(あいがんひん)にされるとか。『ポンポコ』も気をつけなさいね?知ってる?あなたクラスの女子の一部で、カップリング論争になってるわよ」

「カップり?なんだって?」

「ま、ンなワケで自分はイチ抜けだよ。あとは諸君でガンバってくれたまえな」

 

 見舞客たちは言葉もない。

 悄然(しょうぜん)とした面持ちで、それぞれバラバラな方を向き、なにやら考える風。

 当の入院患者は、自分の辛辣(しんらつ)さなどどこ吹く風で、もはや航界士など自分には関係ないとばかりに、リハビリ用の器具だろうか、金属製の器具を左手で、ぎこちなくあやつっている。

 だがそれは本心だろうか、と『ポンポコ』は、かつてのクラスメイトを窃み見る。相手の声の調子に、もはや手の届かぬものに対する“哀切(あいせつ)”と“ヤセ我慢”めくものを感じ取ったからだった。

 

 《――そこへ、こんどは異事象面から、いままでの地球とはまったく異なった歴史軸(れきしじく)を持つ人々が、流入してきました。「同時並流事象面」、いわゆる並行世界の住人たちです。彼らの卓越(たくえつ)した技術によって、我々はここに新・産業革命という果実を得たのであります。これも王宮を主体とする外象人の方々が日本政府と協力し、不断の努力を――》

 

 白衣の男女一団が入ってきた。

 モニターが消され、総理のセリフは尻切れトンボになる。

 ナースが老人の脈をとる一方、白衣を着た研修医あがりらしき若者が、ペンライトを手にしてかがみ込む。時間を確認。一団は、静かに、着実に、そして手なれた様子で、パジャマを着た枯れ木をおもわせる老人をストレッチャーにのせると、どこかへと運び去った。

 

 これで四人目だな、と“元”『ペンギン』がそれを見送りながらつぶやいた。

 

「この部屋は、よく患者()が死ぬ……」

 

 通勤帰りで、いよいよ混みはじめた帰りのリニア・トラム。

 そこに、三人は声もなく身をよせていた。

 

 ベビーカーでむずがる赤ん坊の泣き声。

 停留所の喫煙所でワンカップ片手に談笑する労働者。

 街宣車のマイク。

 渋滞のホーン。

 車内に差しこむ夕日の色と、生活の雑踏。

 

 くたびれたスーツを着た中年が持つ一枚物の号外には、さきほどの会見が記事になっていた。

 

 《日本国政府、王宮と政務を統合》

 

「どうする?これから。オケでも行って(うな)る?」

「ダメよ、候補生が――第一、わたしたち制服じゃない」

「失敗したなァ。あの病院が制服と身分証ないと入れないとはいえ、コインロッカーに私服、仕込んどくンだったぜ。なんかパッと騒ぎたい気分なのに」

 

 そうねぇ、と『山茶花』もこれには同意したようにチラッと『牛丼』を見ると、混雑ににまぎれ、手をつなぐ。それをチラ見した『ポンポコ』は、さりげなく顔をそらし、ながれる車窓に見入るふりをした。停留所につくとさらに乗客がふえ、彼は新参の乗客に押されるかっこうで、二人から距離をおく。それでもカップルの会話は聞こえてくる。

 

 (やっぱり、早めにリタイヤして、どこかの役所にもぐり込むのが最適解(さいてきかい)ね)

 (でもよ?候補生として、それなりにハクつけないと……給料も変わってくるし)

 (これからの将来設計に、かかわるもんね)

 

 ――将来。かぁ、

 

 『ポンポコ』は、交差点を大曲りするトラムに、車内を()たす吊り革の(きし)みを聞きながら、漠然(ばくぜん)と考えた。

 航界士。

 その上の奏任(そうにん)航界士。

 さらに上の階級である勅任(ちょくにん)航界士。

 そして最高位の、事象面探査級・独立航界士。

 

 ――はるか彼方(かなた)、だよ……それまで生きてられるかな。

 



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005:候補生の社会的地位のこと、ならびに黝(くろ)い老人のこと(後

 航界士がリタイヤした場合、外交省や資源管理庁、あるいはそれに関係した省庁、民間企業に入るのが通例だ。でも候補生はどうだろう、と彼は考える。友人が少ない自分は、さっきのように不確かなウワサぐらいしか入ってこない。暗い話や、怖ッかない話も少なくないらしい。大学の特例入試や口頭試問(こうとうしもん)の準備を、すべり止めとして今から準備したほうがいいのだろうか……。

 

「――だから、って。聞いてるのかよ、ポン!」

「え……え?」

 

 混雑を押しわけ、いつのまにか背後に来ていた『牛丼』が、しょうがないヤツだなと言うように、

 

「だからサ?オレら、つぎの停留所で――降りるから」

「なに、どっか遊びにいくの?ボクも――」

「いや、こいつン()に行くわ。きょう親御(おやご)サン居ないらしいから」

「またね、ポン」

 

 ニヤニヤと彼氏のほうが下卑(げび)た意味深な笑いを見せ、この候補生カップルは地下鉄の駅にちかい場所で降りていった。

 

 ――ちぇぇぇぇぇぇ……ッッつ!!……なんだィ!

 

 憮然(ぶぜん)として『ポンポコ』は二人が手を取りあい、街中に消えゆくのを見おくる。

 リニア・トラムが滑るように動き出し、そんなイチャつく浮ついた彼等を一瞬にして目のまえから消し去った。

 ガランと胸にひろがる空漠を意識しつつ、彼は車内の人いきれのなか、ひそかにためいきをついて、

 

 ――あぁ、ボクも彼女、ほしいな。そうすりゃ今日みたいな日でもウサ晴らし的な話ができるのに……どうせならサラ先輩みたいな人がいいな……来年、探査院主催の「2年生宮廷舞踏会」に出れたらいいけど。華族(かぞく)や女子校のカワイイ娘いっぱい来るって言うし……でもいまの成績じゃムリかぁ。そういや『山茶花』が何か言ってたな。クラスの女子のあいだで、キモがられてるって……。

 

 ガックリと肩をおとし、いっそ自分も修錬校を退校して何か手に職をつけるか、と覚悟を決める。かといって家には戻れない。すると住み込みで働ける――

 

 そこまで考えたときだった。

 

 ふと、なにか得体のしれない視線を受けているような、強烈な圧迫(あっぱく)を感じた彼は、その方をふりむく。

 シルバーシートに座る、きわめて高齢の老人が自分を(にら)みつけていた。

 着古し、つぎの当たった(くろ)いチェスター・コートをマントのように羽織(はお)る姿。

 白い髪もほとんど抜けた彫りのふかい顔立ちは外象系か。大きな(つえ)の柄をにぎる油紙(あぶらがみ)を張ったような骨張った手。その上に()せたアゴをのせて。そして(きざ)まれたように深い(しわ)の奥から、まるで調子の悪い中古の練習機を値踏(ねぶ)みするような視線を、遠慮(えんりょ)なく『ポンポコ』に。

 

――いや、まて……どこかおかしい。

 

 つぎの瞬間、彼はゾッとする。

 

 その老人には――白目が無かった。

 ただガランと(くら)いふたつの穴が、髑髏(どくろ)のようにこちらを見すえている。

 体の輪郭(りんかく)もおかしい。まるでドローイングから抜け出しでもしたように、ユラユラと存在が一定しない。ときによっては半分()けているようにさえ、見える。

 

 昔の説話にある“髪の毛が太る”というのはこういう事をいうのか、頭皮に微弱な電流が流れるようなしびれが来て、考えもまとまらない。

 老人の格好をした“影”は、まるで『ポンポコ』に不平を言うかのごとく、まばらな歯のならぶ口を(かす)かに動かしている。となりに座るサラリーマンはスマホの画面に夢中で、この存在に気づく気配すらない。

 

 非常警笛(ホーン)が鳴り、トラムが急減速した。

 

 手すりにつかまっていなかった乗客が、あやうく将棋倒しに。

 車内の悲鳴を通して、進行方向の方で、金属同士がぶつかる物理的な破壊音。

 事故だ!との叫びもあがる。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 とっさに手すりを確保して、転倒をまぬがれた『ポンポコ』は、同じく自分にしがみつくことで難を逃れた買い物帰りらしきオバさんに声をかける。

 

「やぁだ、ボクありがとぉ……やぁァ、何なン?ネギ折れてもうて」

 

 買い物袋から延びたネギが折れ、さらに卵まで割れていることを見つけ憤慨(ふんがい)しているサンダル()きのオバさんをまっすぐ立たせ、ふと相手の肩越しにくだんの老人を見ようとした『ポンポコ』の頭髪(かみ)が、また太くなる。

 老人の“影”は消えていた。代わってその場所には小学生らしき子供が座り、携帯ゲームに夢中となっている。となりのサラリーマンはバスの窓をあけ、身をよじって乗り出し、スマホで何かを撮っていた。

 

あの、と『ポンポコ』は買い物オバさんに、

 

「そっ、そこにお爺さん。座ってませんでしたっけ?こう――黒い格好の」

「ジぃさん?知らんヮ。最初からこの子がおったけど?」

 

 もしかして急ブレーキで転げ落ちたかな、と彼は座席の下や連結部のすきまなどを、身をかがめて(のぞ)きこむ。しかし――居ない。満員気味のリニア・トラム車内で、スカートをはいた女性などに気味悪がられるだけ。

 

「ボク――大丈夫?」

「いえ、確かにいたんです。へんなお爺さんが」

 

 買い物オバさんは、分かってますよというような目つきで、

 

「あんまり勉強に根つめたらアカんよ?大変なんやろ?候補生サンて。いくら“この事象面(セカイ)を救うンやぁ”言うても、いっぱい事故りはるモンなぁ……ウチんとこのトナリの子もな?大学受験ダメで、引きこもりになってもうて――自殺未遂(じさつみすい)やて。ハイこれ!(アメ)ちゃん」

 

 声高に、次から次へと話しかけてくる買い物オバさんを、当たり(さわ)りのない返事であしらううち、トラムはようやく動き出す。車窓を見ると、軽自動車とトラックが正面衝突している現場がよぎっていった。エンジンオイルか、あるいは別の何かか。滅茶滅茶に壊れた軽自動車の車体下からどす黒いものがしみだし、液だまりをつくって……。

 

 気ィ付けてやァ、の声に送られトラムを降りた彼は、(ひと)り、微妙な心持ちを抱えたまま街をトボトボ歩き、寮の部屋に帰る。

 教本や計算尺(けいさんじゃく)などの機材が()まった重いフライト・ケースをおき、仰々(ぎょうぎょう)しい制服の帽子と上着を壁のハンガーにかけてから、机のイスにすわって部屋を(なが)めわたした。

 

 ミニカーが載る、古い文庫本でギッシリの本棚。

 そのウラにはエロ画像が満タンのメモリーが、(ひそ)かにいくつか。

 衣装タンス側面に貼られた、空技廠(くうぎしょう)が発行する、月(ごと)に最新鋭機の写真が載った限定ものカレンダー。

 滅多に観ることのない、壁の大型TVモニター。

 空のペットボトルが溜まるテーブル。

 その傍らにバッテリーが妊娠したまま放置されたタブレット。

 乗らなくなって久しい、ロード用自転車のフレーム。

 ベッドの(わき)にはヴィオラ・ダ・ガンバが入ったケースが、(ほこり)をかぶって。

 その他、いろいろ。

 

 今まで生きてきた名残(なごり)のすべて。なんか、あっけない。

 自分が死んだら、これらのものが片づけられて、それで終わりだ。すくない友達も、すぐに忘れるに違いない。実家の“両親”は探査院からの弔問金(ちょうもんきん)を喜ぶだろう。全てがマルく収まるじゃないか。そう考えると“名誉(めいよ)殉職(じゅんしょく)”もイイかと思える。

 『ペンギン』のことばが頭について、はなれなかった。

 教官はよく「おマエらの若さには“無限の可能性”がある」なんて言ってくれるが、実際は“無限の不安がある”に過ぎない。

 

 ――あ……。

 

 なんでこんなにネガティブな考えが湧いてくるのか、分かった。

 いつの間にか制服のYシャツに、消毒液の(にお)いが移っている。

 どこで付いたのだろうか。

 壁に掛かっている制服のにおいを嗅ぐが、べつだんそんな香りもしない――いや、気のせいだろうか、(かす)かに2stエンジンの(にお)いがする、ような。

 

「んっ!よし!」

 

 パン!と柏手(かしわで)

 俄然(がぜん)、それまでとは打って変わって、やる気が湧いてきた『ポンポコ』は、寮に備え付けの大浴場に至る階段を風呂オケ片手におりていった。時間も早いので節電のため天井の灯りが点かず、非常用のライトだけがポツポツと、かぼそく(かがや)いている。ほかに入浴(はい)っている生徒の姿はない。

 しかたなく、天窓から日没後の(あい)色な空がのぞくだけの仄暗(ほのぐら)い空間で体を洗うと、冷たいシャワーを全身におもいきり浴び、不吉な印象を(はら)う。

 震えがくるほど身体を引き締めたあとは、湯気の立ちこめる大理石(なめいし)張りの広い浴槽に滑り入り、体を浮かべた。

 

 チェレンコフ光めく湯船の底の(あお)い照明が、お湯ごしに肌を照らす。

 

 サラ先輩の、翼のイメージ……。

 生気が、再びゆるゆると、自分を(めぐ)りはじめる気配。

 まとわりついていたものが退散してゆき、体が清まる心象。

 

 ――死、か……。



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006:「大破断」の歴史のこと、ならびにゲシュタルト・スーツのこと

『ペンギン』の見舞いに行った週の金曜日だった。

 

 昼食のすぐあとにある『モガモガ』の講義は、本人の口調もあって睡魔との戦いになる。墜落事故のあった日以来、なぜか『リヒテル』が休んでいるので、瑞雲(ずいうん)校きっての高齢な非常勤講師が、臨時に般教(ぱんきょう)を受け持ったのだが、これがゆるい感じの講義をするので、とにかく眠い。

 おまけにこの日は外象人(がいしょうじん)の歴史がメインで、わかり切ったことを食後のうごかない頭に聞かせるのは、ある種の拷問(ごうもん)だ。

 今日は運動場に体練の号令はなく、滑走路を離陸してゆく機体の音も聞こえない。

 

 めずらしく静かな昼下がり。

 そしてまた狙ったようにイイ感じの風が、そよそよと生徒の頬をなでる。

 

  瑞雲最長老の教官は、眠そうな生徒を見わたして教壇(きょうだん)のうえから微笑した。また、その中から金色や赤色をした瞳。銀色や薄いブルーの髪の生徒をかぞえ、

 

「このクラスにも1/3ほどは居ますか。もう“混血児(ハーフ)”は珍しくないですからねぇ。むかしは“ハーフ”といえばわたしのような、いまで言うインド事象面と日本事象面の父母から生まれた子のことでしたが、昨今は地球面と外象民とのあいだに生まれた子をさすようになりました……」

 

 そう言うと講師は教室の宙に、現在の事象面と連結する“網化廻廊(もうかかいろう)”を浮かべた。

 北米・カナダ。オセアニア。日本。インド。広域欧州。アフリカ。

 もとの地球上にあって、いまだ連絡がとれないエリアもある。北極や南極、それにユーラシア大陸の一部が、ごっそりと抜けていた。

 

「髪や(ひとみ)の色が特殊なことをのぞけば、言語や哲学等、それまでの地球文化と似ていたのが幸いしました。これは私見ですが“文化的刻印(こくいん)づけ”の似かよう民族が、それぞれにふさわしい事象面に漂着したのではないかと考えますねぇ……「大破断(だいはだん)」によって世界が切り分けられたのも、ほぼその文化域に沿ってであります……」

 

 ガクンと一回、『ポンポコ』のアゴがおちる。

 ハッ、と気を取りなおし、となりの席を見れば、『牛丼』はとっくに首をたれて爆睡中だ。またクシャミと一緒に入れ歯が飛んでこないか、ヒヤヒヤしている教壇前の女子候補生をのぞいて、教室は完全に沈滞ムード。だが、そんな生徒たちのやる気のなさを意に(かい)さず、淡々(たんたん)と『モガモガ』の講義はつづく。

 

「大破断」直後のインフラの壊滅と自然災害。

 多くの混乱や犠牲。

 同時に『日本事象面』に、流入した数万の“外象人”

 界面翼技術の伝授。開発と改良、実用化。

 

 ようやく発見された、分断された各世界をつなぐ『廻廊(かいろう)』。

 まず日本は、インド事象面との接触に成功する。インドは、自国に流れ込んだ外象人の技術をつかい、すでにヨーロッパ事象面への廻廊を開いていた。東西ヨーロッパ事象面は、アメリカ・カナダ事象面への廻廊を構築ずみ。

 さまざまな小路(パス)が、時代とともに構築されてゆき、網化(もうか)され、世界は糸電話めく脆弱(ぜいじゃく)さで、水平的・垂直的に、かろうじて(つな)がってゆく。

 

 廻廊の新規発見。

 未知の事象面への探索。

 

 ひいては、この世界が分断されるきっかけとなった原因をさぐり、世界を元に戻そうというのが(各事象面で呼びかたは異なるが)『探査院(たんさいん)』であり、その未知の事象面に挑む先兵こそが、特殊な能力を見いだされ、厳しい訓練の後に選抜された、冒険心あふれる――べつな言い方をすれば命知らずな――『航界士(こうかいし)』と呼ばれる一群だった。

 

「で、あるからして――」

 

 《講義中失礼します。1016・三級候補生『ポンポコ』――》

 

 そのとき、いきなり放送で呼び出しがかかった。

 自分のW/N(ウィングネーム)をモロに呼ばれた彼は、一気に眠気を覚ましたクラス中の注目をあびる。

 

「おまえー、ナニしたんだよ?」

 

 放送が終わると、ワッと周りが冷やかし半分に話しかけてきた。

 

「至急、離床準備棟(りしょうじゅんびとう)にて着装(ちゃくそう)って言ってたけど……これから飛ぶとか?」

「ポンくん、こないだの技査フライトの件じゃないの?補修、受けてないんでしょ?だから言ったじゃない、チャンと――」

「盗撮でもバレたんじゃねェの?このムッツリが」

 

『モガモガ』が、ヨロヨロとクラスを(しず)め、『ポンポコ』の方をみて、

 

「あぁ、キミ。そう言うことだから……はやいトコ行ってきなさい」

 

 エースマン~の(けつ)バット~♪と、どこかで声高に。

 ドッとわく教室。

 

「えぇ、もう。行きますよ――行きゃイイんでしょ!」

 

 なにやらイヤな予感。だが、あえて強がって、『ポンポコ』は、いかにもめんどくさそうに席を立つと、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)なフリでクラスをあとにする。

 ひとけのない廊下に出てクラスの視線から(さえぎ)られるや、彼は態度を一変、不安な心持ちと表情で、急に温度が冷え冷えと下がるように感じる校舎を駆け足ギリギリの足早で離床準備棟へと向かう。

 

 渡り廊下を通った時、遠くに駐められたBMWが見えた。

 

 あれからもう二週間以上が経つ。死体の記憶は、とっくに(おぼろ)となってしまったが、カフェオレ色の肌と、その(あたたか)い柔らかみの記憶だけは、いまだに生々しい。

 もういちど触れてみたいなァと考えていると、いつの間にか足どりはゆるやかになる。うつむいたまま校舎の角を曲がると、ドスンとなにかにぶつかった。

 驚いて顔を上げた『ポンポコ』の目に、『エースマン』のオリーブオイルで(みが)きたてたような禿頭(ハゲあたま)が、まぶしい。

 

「い、そ、ぎ……っつったよな、あァ?」

 

 気弱な愛想笑いをうかべる彼に、この主任教官は()()()()に青スジを浮かべ、

 

「さっさとクソ準備棟に行かんか!オカマ野郎が!クソ更衣室に!クソ行って!クソ着装しろ!かけ足!」

 

 それだけいうと、『ポンポコ』の尻を重い半長靴(はんちょうか)で蹴り上げた。

 まえにつんのめった彼は、カタパルトで弾かれたようにダッシュでその場を逃れる。秋晴れの中、静まりかえった建物をぬって走っていると、なんで自分がこんなことをしているのか、その非日常っぷりに、頭の中も混乱気味となる『ポンポコ』だった。

 

 息を切らせて離床準備棟にたどりつき、脱衣エリアに駆けこむと、制服をぬいで全裸となる。指定の脱衣カゴに制服を入れ、胸の名札をそこに付けてそのままカゴを押すと、壁に吸い込まれ、シュートを通って洗い物はクリーニングルームに。

 

 すっ裸のまま隣り合う殺菌ブースにはいり、エア・シャワーと共に紫外線。 

 目を閉じ三〇秒。

 

 アラームが鳴り、処置がおわってから、さらに隣の部屋に通じるドアへ。すると時間外なために照明を落とされた中、個々に青い光を発する無菌BOXロッカーの列が縦横にならぶ光景がひろがる。

 がらんとした、あたかもひとけのない寺院の納骨堂めく雰囲気。

 消灯中のロッカーは空きか、当人が着用中だ。

 

 ――そう言えば……。

 

 以前、技査航界飛行で事故死したはずの候補生が、殺菌灯の点いていないロッカーの前でションボリとうなだれていたと言うウワサ。それが、まことしやかに囁かれていたことがある。見えている者に気づくと、彼は自分のロッカーを泣きそうな顔で指し示すのだとか……。

 

 ブルッと体をふるわせた『ポンポコ』は、足ばやにロッカー室のヒンヤリとした空気の中をすすんだ。足音がペタペタと、まるで自分の後をつけてくるように、だだっ広い暗がりに響く。割り当てられたロッカーの扉を開けると殺菌灯が消え、白色LEDが灯る。そこで自分の練習用スーツを手に取ろうとした彼の動きが、止まった。

 

 薄暗がりの中、ロッカーのW/Nを確かめる――間違いない。

 

 中には、通常の見なれた薄手のクリーニングパックの代わりに、ひと回りも大きく、ズシリと重い真空パックが入っていた。凝った作りのリップが、完全無菌包装であることを告げている。

 

 ――なに。え?……え?

 

 黒と灰色のツートンでデザインされた、おそらく本物のゲシュタルト・スーツ。いつも教練飛行で使う安っぽい簡易スーツではなく、ちゃんと人工筋肉と毛細循管シートが、極限までに薄く配置された、そこそこの価格がする外車一台分の価格と同等な、選抜上級生用の代物(シロモノ)

 

 たっぷり一分間、凝固していると、彼方にある出口の扉がひらき、

 

「候補生1016!『ポンポコ』……でイイのか?居るかァ!」

「――あ、ハぁイ!ここに」

「早くコッチに来たまえ!時間がないんだ!今日中にデータ取りしてラボに送らんと間に合わん!」

「あの、離床用スーツが――いつもと違うの入ってるんですけどォ……!」

「いいから早く!」

 

 さいごは怒鳴り声となった姿の見えない相手に、しかたなく『ポンポコ』はフルチンのまま、10kg以上はあるに違いない無菌パックをかかえ、なさけない気分でペタペタと出口に向かう。

 

 扉をあけ、ヒッ、とまたもや彼はたじろいだ。

 次の間は『フィット・ルーム』と呼ばれる装備品の着用エリアだが、そこには彼の到着を待ちかまえていたらしい錬成校付きの保険医と、見たことのない白衣の一群。それに黒スーツ黒メガネの二人組が、入室してきた『ポンポコ』を一斉にギロリと注視する。

 思わず無菌パックで前をかくす彼に、白衣の集団にいた若い女性がツカツカ進みでると、有無を言わさずそれを引ったくり、開封リップを引く。

 

 パックに空気の入る甲高い音。

 

 それが合図であったように、部屋の中にいた7~8人は一斉に動き始めた。

こっちへ、と白衣の男二人が、部屋の中央に据えられた、ギロチンのような見慣れない物に『ポンポコ』を誘うと、あっという間に首と両手足を、二本の柱に拘束する。ついで両脇、股の付け根、足首を固定され、下の部分が左右にひらくと、彼の身体は足をハの字に、そして尻を突き出した格好のまま、ガコンと宙に浮いた。

 

「首から下、脱毛するからね?クリームちょうだい」

「拘束薬と安定剤、注入……完了」

「ダメだぜこれ。スーツの脚が、たぶんチョイ短い」

「最近の子は、スタイルいいねぇ」

「強制屹立(きつりつ)薬、早く――イイこと?ちょっとチクッとするわよ」

「循環器系と思考系のバイタル接続。急げよ?ラボの連中、残業しないから」

「ハイ、おしりの力抜いて――もっと!そう……イイ子ね。あら。便(べん)が残っているわ」

「100パー勃った?じゃカテーテルを。暫定(ざんてい)的なものでいい。正式なものは、後日」

 

 矢継ぎばやに言われ、アウアウと。

 

「大丈夫だから。そんなに緊張しないで……もっとラクに」

網膜(もうまく)パターン()るから眼を動かさないでくれ――ハイOK」

「排便させるわ!シリンジと、温水にグリセリン。それにバケツ準備して!」

貞操帯(C・ベルト)を。鍵は?」

「いちおう付けといてくれる?この子がヘンにいぢると、アヌスやユリスラ傷付けるから」

「スーツの準備出来ましたァ!」

「クスリの量。間違ってないか?反応がうすいぞ」

「大丈夫、ホラ、こうすると――興奮してる。カワイイ」

「キレイなからだねぇ……」

「規定外の行動は、界面翼保持精神の瑕疵(かし)につながります。自重を」

「この子ちから入れてダメだぁ。そんなに緊張すんなよ……」

「――やっぱり中和剤を注射()とう」

 

 

 脚や下腹部に刷毛《はけ》をつかってヒヤッとしたものが塗られる気配。

 そして、いくつもの手でそれが塗り延ばされてゆく。

 次いで首筋に電気が流れたようなムチ打ち状態。

 頭が、だんだん虚《うつ》ろになり、考えがぼやける。

 からだに力が入らず、されるがまま。

 

 うらスジに鈍痛がひろがり、電子ゴーグル付きヘルメットで視界は奪われた。

 胸のあたりに冷たいシールが貼られ、肛門にヌルヌルした細い指が進入したかと思うと尻の感覚が薄くなり、次いで勝手に勃起(ぼっき)が始まって尿道に何かが入ってゆく。

 

 目隠がわりのゴーグルに電子走査パターンが奔り、眼球がチカチカと。

 

 シュコシュコと音がして、肛門が拡げられる――かと感じるや、後ろから柔らかいモノを挿入()れられ、身体の中にアツい液が放たれて。身体をよじって脂汗をガマンし、もう限界!と動かない口で訴えようとすると、肛門あたりの圧力がぬけ、下腹からボタボタと流動物が垂れる音。異臭。スプレー噴射の気配で、すぐに臭いは消える。

 ヒンヤリするもので清められ、すぐにグイッと手荒く下半身を何かで縛られて。

 そして――頑丈な鍵のかかったような金属音。

 

 胸の先を誰かがサワサワと撫でている、ような。

 鼻の近くに、暖かく蒸れた体温の気配と、化粧品の匂い。

 再度、全身を幾本の手で、くまなく(なぶ)られる。ふたたび首筋に、なぐられたような衝撃……。

 

 ゴーグルが外され、『ポンポコ』は涙のにじむ眼をしばたたかせた。

 化学反応のように、ヒタヒタと感覚がもどってくる。ついでに羞恥心(しゅうちしん)も。

 自分を見る白衣の女のうち、一人が顔を上気させ、そっと自らの胸と太ももの付け根を()むのが、視界のはしに映った。携帯のカメラをいじる白衣の男も。

 

「だいぶ手間どった。さ、はやくスーツを」

 

 “ギロチン”の拘束から解放され、依然としてなかば感覚がうすいまま、彼はフラフラと鏡のまえに立つ。下腹部に(くわ)えさせられた、エナメル状に黒光りする薄いオムツのようなものをマジマジと見るヒマもなく、白衣の一団の長らしき者から、レーシング・スーツのツナギのようなものを指し示されつつ、

 

「いいかね?ゲシュタルト()・スーツは、体に完全に密着する必要があるため、とにかく窮屈(きゅうくつ)に出来ている。そのうえ手荒に扱うと機体との同調をうしない、インターフェースからの情報逆流(フイードバック)で、体中を針で刺されるような苦痛がはしり、最悪の場合、脳を煮られる可能性がある」

 

 べつの神経質そうな痩せた青年がメガネを光らせ、

 

狙撃手(スナイパー)が、狙撃銃を愛人のように扱うがごとく、

   ソムリエが、年代物のワインを解体中の時限爆弾のように扱うがごとく、

      航界士は、ゲシュタルト・スーツを芸術品のように扱え――分かったな?」

 

 4人がかりで着付けられながら『ポンポコ』は幾分躁病気味な説明を受けた。

 次にクリップボードになにやら書き込んでいた女医が、

 

「アナタが気にしてる下半身のソレは“貞操帯”、あるいは(チェスティ)・ベルトと呼ばれるものよ。第二還元(リダクション)状態の肉体は、ときとして体液ダダもれ状態になるでしょう?G・スーツの中にそれが入ると、機体同調に不具合が生じるコトがあるの。その防護措置よ」

 

 彼女の持つペン型のデバイスが、貞操帯の概念図を宙空に浮かべた。男性用貞操帯の肛門と尿道には、それぞれ異なった太さのデバイスが体内に延び、「返し」状のものでガッチリと固定されている。

 うしろから、あるいは左右から別の白衣たちが、

 

「きょうは試着なので、能動装着モードは使わず、人力で挿入れるから」

「コイツは非・ニュートン繊維なんで、外からの急な衝撃には強いが内側からは滑らかだ。防弾もある程度ならイケる代物なんだゼ」

「クソ高価いブツだからな?慎重に扱ってくれよ?」

 

 つぎつぎと矢つぎばやな説明。

 『九尾』はワケも分からずコクコクと(うなづく)くしかない。

 

「ココロの準備はイイこと?それじゃ――イクわよ」

 

 マネキン(人形)のようにツルツルとなった素足をスーツに差し入れるときの、冷たい感触。うすく潤滑剤が効いているのか、きわめてキツイながらもスムーズに肌をおおってゆく。

 

 ゴムのような、ビニールのような。

 あるいはよく(なめ)した革のような。

 

 白衣の男たちが総がかりで、太ももまでシワのでないように引き上げてから、そこでいったん、手術用ゴム手袋をはめた若い修錬校付き女性保健医に替わる。

 

 荒々しくも要所はソフトに、かつ手なれた様子で、貞操帯の位置をスーツの部位と合わせてゆく。動かされるたび、麻酔の切れかけた尿道と肛門に鈍痛と微妙な刺激。

 

 プラグが通電された。

 

 肛門の中と尿道の奥でバルーンがふたたび広がり、固着された感触。

 さらに白衣集団が腰、肩へと引き上げる。

 冷たい、締め付けるような感覚が、体を手荒く揺すられるごとに這い上がってゆき、最後に首もとのロックが、カチリと締められた。

 

「違和感は?」

「……すごく、キツいです。コレ」

 

 歩いてみてと言われ、彼は小さく行ったり来たりする。

 足の裏面に付けられた金属が、カチカチと、そのつど鳴った。

 

 身体を、ねじり、そらせ、屈み、曲げる。

 

 ギュッギュッと革が(きし)むような、ミチミチした感触。

 その後もう一度、人工筋肉からのデータとA/Dコンバータをチェックされ、数カ所を、さらにワンサイズ小さくすることに。

 

「これはあくまでその場しのぎよ。本当ならアナタのカラダを3D採寸してトルソーつくって、そこから厳密なスキンタイトに仕上げるんだけど……来週のアタマまでに何とかしろだなんて、いくら特殊――」

 

 そのときスーツを着た黒メガネ二人組の咳ばらいがして、女医の言葉は押し止められる。彼等は『ポンポコ』に近づくと、一人が彼の手を後ろで固定し、もう一人がシェーバーのような機械を手に調節するような仕草。やがておもむろに彼に近づくと、額にその機械を押し当てた。

 

 「アウッ!!」

 

 次の瞬間、『ポンポコ』の眼に火花がはしり、ひたいが赤熱したような激痛。

 声にならない叫びをあげて崩れかかるところを白衣たちに支えられ、かろうじて彼は床に頭を打ちつけずにすんだ。

 

「これでオマエは正式な候補生」

「つまり東宮(とうぐう)の財産となったワケ」

「これからの行動は東宮の看板を背負っている」

「万事につけて自重しろヨ?」

 

 こともなげに、黒メガネの二人組は交互に言いはなつ。

 

「……なんなんです、コレ」

 

 『ポンポコ』は額をおさえ、血が出てないか確認してから、いまだチカチカと星の舞う視界で相手を(うら)みがましく(にら)んだ。

 

「電子刺青(いれずみ)さね」

「マーカーと」

「識別を」

「兼ねている」

「探査院の本院に入るとき」

「この識別証が必要になるのさ」

「テロに遭ってドブに転がされても」

「死体をすぐ見つけてもらえるようにな?」

 

 息のあった台詞で最後に顔を見合わせ、このコンビはフヒヒと(わら)う。

 

「月曜の朝、このお二方がキミを迎えにいくから。土日は行動を自粛(じしゅく)なさい?」

 

 うんざりしたような声と目付きで、女医が“ギロチン”を白衣の男たちに撤去させつつ、『ポンポコ』と黒メガネ二人組を等分に見やりながら命令した。

 

「繁華街や(さか)り場に、ノコノコとアホ面さげて出歩かないこと。最近は、とくに治安が悪くなってンだから。この土日は、作戦隔離(かくり)用の候補生宿舎に――」

 

 作戦?と『ポンポコ』が眉をひそめる。

 またも黒メガネ二人組の咳ばらい。

 

「え。えぇ、そう。貞操帯をつけたまま、あなたがフラフラ遊びに行かないよう特別な寮に入ってもらいます。ヘタに動き回ってオチンチン傷つけたら、一生後悔するわよ?」

「そんな――あしたは気晴らしに街へと、その」

 

 アラ残念だったわね、と女医は無情のひと言。

 

「まぁ、仮づけの貞操帯、銜《くわ》えさせられてるから、あまり動けないでしょうけど。月曜の実技補習、がんばってね」

 

 えぇっ、とそれを聞いた『ポンポコ』の尻穴が、ヒリヒリと抗議する。

 

「この週末、ずっとコレつけたままですか!?」

「実戦用G・スーツになれるためよ?ガマンなさい」

 

 ツケツケと言い放つ女医の言葉を聞いて、機材を片づける白衣の一群のひとりが『ポンポコ』を哀れに思ったか、慰めるような優しい声で、

 

「だいじょうぶよ。先輩たちが、みんな通った道なんだから」

「ふぇぇ……非道いですよぉ」



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007:貞操帯のこと、ならびに妖しげな晩餐のこと

「――それじゃな」

「 ――Zu・dess」

 

 相変わらずの調子で、最後にそんな言葉をのこし、黒メガネたちを乗せた黒塗り(リムジン)のテールランプは、自動運転で夜道をしずかに遠ざかっていった。

 あとには、制服姿の下に貞操帯をギッチリと()められた『ポンポコ』が、左手に通学用フライトケース、右手には支給されたスポーツ・バッグ――この土日の着替えが入っている――という格好で、(ひと)りポツンと枯葉散る門のまえに、見捨てられたように残される。

 

 腕の時計を確認。

 時刻は……二二時を少し回ったところだ。

 

 彼はいったん荷物を置き、自分の肩を抱いてこする。

 秋も深まり、吐く息に白さこそ混じらないものの、夜になるとすこし冷えた。

 ここまで遅くなったのは、黒メガネたちに連れられ、有名ホテルの高層階にある高額(たか)そうなレストラン『サラヴァン』で、彼らが言うところの『領収書つき晩メシ』をしたためてきたからに他ならない。

 

 この前は『モルフォ』先輩で、今度はいけ好かないオヤジふたりに置き去りかと彼は、やるせなげにあたりを見回して。

 

 高級住宅街らしく、まわりは静かだった。

 

 近くの常夜灯に季節はずれの蛾が二、三匹。鱗粉(りんぷん)をまきちらし、(はかな)げにまとわりついている。同時に、その街灯の蒼みががった光は、路上の石畳(いしだたみ)の文様を冷たく浮き立たせ、あたりの景色のわびしさに、ひと刷毛(はけ)加える効果となっていた。

 

 ふり向けば、木立に(なか)ば隠れるようにして、借り上げ寮らしきマンション状の建物が、門の鉄柵を通して見える。開けようとするもガチャリと手ごたえがしてビクとも動かない。インターホンを見つけ、おそるおそるそれを押すと頭上の強力な防犯灯がともり、しばらくしてスピーカーからいかにも寝起きのようなピントのボケた女の声が不機嫌そうに、

 

ウィスキー()ノヴェンバー()を……」

 

  とっさに言われ、一拍おいてW/N(ウィングネーム)のフォネティック・コードだと気づいた彼は、アセりながら、

 

「あ、あのっ――ポポっ、『ポンポコ』!ですぅ……」

 

 インターホンの上から緑色のフラッシュが閃く。何となく額がジーンと熱くなる感覚。あぁ、コレがそうかと彼は胸のうちで感心しつつ、待つことしばし。

 

東宮管轄(とうぐうかんかつ)・瑞雲修錬校、候補生1016『ポンポコ』。照合終了」

 

 背丈の三倍以上ある重そうな格子門が、カン高いきしみをたてて横に開いてゆく。木立の向こうの寮は、ごく普通の大型マンションに見えた。植栽(しょくさい)のあちこちに見え隠れする、監視カメラのLEDをのぞいては。

 

 車寄せに近づくと、分厚いガラスで出来た二重の自動ドアが時間差で開閉し、目の前にひとけのない広いロビーが展開する。フロントにも<CONCIERGE>と札の立つカウンターにもひと気はない。

 

 ――と、すこし先で、管理人室らしき小窓から、マニキュアを塗った白ブラウスの腕がヌッとのび、キーを差し出しチャラチャラ……。

 こわごわそれを受け取ると、ピシャリ、無愛想(ぶあいそう)に小窓は閉まった。

 

  ――ちぇっ……なんだぃ。えぇと1124……11階かな?

 

 キーのタグを読みとり、深閑(しんかん)としたうす暗い空気のなか、白黒の市松模様(いちまつもよう)なタイル張りがつづく肌寒い廊下を、心細げな足取りで進んでゆく。

 

 通りすぎたラウンジ・コーナーで、ヒソヒソとわらう声。

 

 えっ!と、ふり返るが――誰もいない。

 エレベーターで目的の階までのぼり、ようやくあてがわれた部屋を見つけて中に入った彼は、入り口わきに立つ等身大の鏡を見つけると、扉を閉めるのも早々に制服を脱ぎすて、なにはともあれ全裸となり、自分のからだを再点検する。

 

 黒く、そして光沢のある素材で作られた、▽型の薄型オムツともいうべき“貞操帯”を填められた少年が、恥ずかしげに鏡の向こうから『ポンポコ』を見つめていた。下腹部にピッチリと食いこんでいるそのデバイスは、まるで皮膚の一部にでもなったように、はずせる気配すら感じられない。

 彼は『フィット・ルーム』での出来事を思いおこす。

 

「こんなの先輩たちが付けてるなんて……聞いていませんよ」

「は?当然よ。一年坊には絶対に知られないよう、上級生には脳教導で口止めしてるもの。なんのために一年とそれ以外の校舎が分けられていると思って?だいたい、初年度のうちにC・ベルトを受領するなんて例外もいいトコよ?……まぁ、ダレかに気に入られたンなら、いまのうち“後ろ”に慣れといた方がイイかもネ。あンた、年上に好かれそうだし……けっこう“ジジィ殺し”になったりして」

 

 女医の顔にうかんだ、意味ありげな、ほの暗い笑みがゾロリと脳裏(のうり)に。

 

 実を言うと、貞操帯の話はウワサの程度で聞いたことはあった。でもまさかこのような悪趣味なモノとは。やはり仲間が少ないと、アンテナが低くて損だな、と彼は悲しいくらいに実感する。同時に、『山茶花』が言っていた“愛玩品”云々(うんぬん)(はなし)も、いまとなっては途方もない重みで、肛門(アヌス)尿道(ユリスラ)(うず)きと一緒になり、胸のうちにヒタヒタと不安を運ぶ。

 

 あらためて鏡をみると、胸の部分には薄い湿布状のバイタル送信用PCが生体接着剤で貼りつけられていた。いまこの瞬間も、心拍、発汗、血液粘度、等々を管轄(かんかつ)の医療センターにおくり続けているのだろう。

 

 前髪を持ちあげ、鏡に(しかめ)めつらをよせてみる。

 刺青(いれずみ)と言われていたが、別段そんなモノは見えない。ただ言われてみれば、すこし額が突っ張る――ような気がする。女医の話によれば、これで上級生用校舎のゲートが、フリーパスになるらしい。

 

 もともと薄かった体毛が完全に無くなっている。

 みょうにツルツルした手ざわり――そして光沢。

 まるで自分が、永続性敵性地域で活動する航界士に支給されるというウワサの“RSOドロイド(個人用アンドロイド)”にでも改造されてしまったような。

 離床準備棟に行く前の自分と、いまの自分では、なにか決定的に変わった、いや変えられてしまった被虐的な印象。

 

 小用(オシッコ)をもよおし、トイレの扉を開けたとき、その思いは強まる。

 

 通常の洋式便器ではない、騎乗型コクピットのシートを模した“またがって座る”タイプの便器が、トイレの中央に鎮座(ちんざ)していた。壁にある使用方法のプレートを見れば、尻形の鞍をのせた低めの木馬に大用と小用のユニットがあり、そこにこの貞操帯をのせればイイらしい。何のことはない、赤ん坊用“おまる”の大人版だ。つかまるところも、ちゃんとある。

 

 ――ふぇぇ……。

 

 午後の『フィット・ルーム』で白衣の一群に(なぶ)られた恥ずかしさが、意外な強さで鮮明によみがえってくる。

 だが自然の欲求にはかなわない。

 赤いビニールを張った鞍状のシートにイヤイヤまたがり、おおまかに腰を浮かせ気味に座ると、強力な電磁石がはたらき自動的に位置あわせされ、ガチリとシートにロックされる。膀胱(ぼうこう)の中のものが勝手に吸い出されてゆき、うしろの穴の方は、貞操帯に仕込まれたプラグのセンサーにより用便なしと判断され、自動的に通電がとまると電磁ロックは解除された。おそるおそる尻をさわるが、何も手に付かない。

 わずかに香る、消毒用アルコール臭。

 

 小さい方はアダプターをつければいつでも出来るが、大きい方はこのタイプの専用便器でないとダメだと聞かされている。心細い声で『ポンポコ』は(つぶや)いた。

 

「……だいじょうぶかなぁ」

 

      ―――――――――――――――――――――――――

 

「本当、大丈夫なんですか?この個体。有望株ってドコ情報です?」

 

 モニターが並ぶ暗室の中、徹夜続きの目をした男が、背後からの声を受けると、監視モニターの画面をみつめたまま、袖をまくったYシャツに刺青(ほりもの)が目立つ腕をのばし、あくまでモニターから眼を離さず、手もとの資料を肩ごしに渡した。

 

 書類をめくる音。

 葉巻の煙が、モニターの光に白く、くねりながら拡散、消えてゆく。

 

 そのモニターの中では、全裸に黒い貞操帯姿といった少年が、大の字でベッドにひっくり返り天井を向いて、なにやら考え事にふけっている。間接照明のみ点けられた部屋は薄暗いのだろうが、画像補整で幼さの残る顔は、よく見えた。

 

「あぁ。『カッコウ』のタイプⅣ、ですか。瞬間的に、認識野強化が可能な型の?代償(かわり)として感情面の因子を多少、抑制してるんですよね?正確な判断のため」

「ひでぇ話さ。不妊治療の若夫婦に仕込んだはいいが、数年後、こんどはその夫婦に自然妊娠の子供(ガキ)が出来て、この()はお払い箱だとヨ。責任もって飼え、と。まったく今どきのアホ夫婦は」

「思考的なバイアスは、ないんですかね?」

「若干、引っ込み傾向なところはあるが、先天的なものじゃァねぇ……ハズだ。『エースマン』のやつも太鼓判を押してた。『突き落としてやれば、それなりに()い上がってくる“最高にクソ可愛い、クソひな鳥”だ』と」

 

 舌打ちが、モニタールームの狭い部屋に響いた。

 それに対し、葉巻を一服するあいだの沈黙。

 

「あぁ……おめェは――ヤツがきらいだったな」

「あの下品さは、好きにはなれません」

「いずれにせよ、月曜だ。ここで心配なのは、どうも計画が外に漏れている兆候(ちょうこう)があるッてことサ。偽装されたアクセスが、最近はミョウに目立っている――慎重(しんちょうに)に、やらんと」

「しかたないですね。このご時世、金を出せば尻尾(シッポ)をふる裏切り者は、どこにだって居ます」

 

 フン、と鼻を鳴らす気配。

 

「ま、金は大事だからな。コッチもこの候補生サマの監視をしているだけで、二日間分の特別手当がつくんだ」

「しかし、一秒も欠かさず監視というのもツラいですよ」

「仕方あるめェ。いつだったか前任者がチョット眼を放したスキに、監視対象のガキに飛び降り自殺をされた(てつ)は踏みたくねぇしヨ?」

 

 まァのんびりやるサ、と男は別のモニターのスイッチをいれる。

 ニュース回線の画像が、AIアナウンサーのなめらかな(しゃべ)りを流しはじめた。

 

      ―――――――――――――――――――――――――

 

 《では次のニュースです――》

 

  シャワーを浴びたあとベッドにひっくり返った『ポンポコ』は、壁に備え付けのモニターをぼんやりと眺める。画面の中では探査院・本院前のフェンスらしきところを、機動隊の一団に監視されながら、プラカードの列が行進していた。

 

 [神の怒りに耳を傾けよ]

 [人類はその本分を()れ!]

 [電気料金の値上げ絶対反対!]

 [食料税の無慈悲な導入断固阻止を!]

 

 ハンドスピーカーを持ったムサい中年のオヤジが、神だ罰だと叫んでいる。 

 

 ――なんのこっちゃ……。

 

 ニュース・アドレスを、手もとのタブレットで適当に次々変えると、様々な画像が流れてゆく。

 代替医療設備に不審者が侵入し、移植用の人体部位を盗みだした話題。

 新型AB(対・事象面)M納(ミサイル)入をめぐる、防衛商社と外界省の贈収賄疑惑。

 外象人と日本人のあいだで(すす)む異象結婚。

 新生児限定で蔓延(まんえん)する新型ウィルス、

 外象風レストランの新メニュー、

 芸能人の結婚……。

 

 アホクサ、と『ポンポコ』はモニターを消すとベッドを跳ね起き、窓辺に。

 奇妙な寮だった。

 窓が全部()りガラス状となっている。しかも指ではじいた感じ、かなりブ厚い。そして開けようとしても最低限の換気を満たすためか10cmほどしか動かない。その狭いすき間から見た外は隣の建物の外壁となっており、寮の外を満足にうかがうことは出来なかった。

 

 ――ふぅん……。

 

 とどめに、『牛丼』たちに映像メールを送ろうとしても“圏外”と表示されるしまつ。手持ちの個人用端末を壁のソケットにつなげばいつものサイトにも接続出来るが、どう考えても部屋のつくりがアヤしい。閲覧履歴は、まずダダもれだろう。

 彼は、この週末に読んで完全に頭に入れておくようにと渡された練習機のコクピット・マニュアルを、通学用フライト・ケースから引っ張り出した。

 

 ため息。

 

 週明け、実技補習のあとテストに出るから、といわれては仕方ない。

 分厚いそのマニュアルは、急造のコピー物らしく、ぞんざいに()じられ、しかもところどころ黒く塗りつぶされている。ページもだいぶ飛んでおり、ジェネレータとハードポイント装備品の項目がゴッソリ抜けていた。そもそも機体概念図と三面図が欠落していては、どんな姿か想像もできない。

 

 ――なんだよコレ。(ふる)い造りだなぁ。「多事象面・統合最適設計」以前の機体じゃないの?……事象震度4の存在空間をAIの完全自動操縦で界破(かいは)可能ってホントかコレ?……うぇ。AIから完全独立モード?その場合、全部マニュアルでやれってか?脳負荷60%マシ?おいおい……海馬(かいば)が死ぬって。

 

 『ポンポコ』はコピーの束をベッドに放り投げた。そして窓辺によると鼻だけを突き出し、外をながれる夜気の薫りを嗅いだ。

 次いでふと、先ほどまでいた高層ホテルのレストランを思い出す……。

 

 

 重く、秘めやかな薄暗い空間。

       大きく肩の開いたイヴニング・ドレスの若い婦人たち。

 

 首もとに幾重にも巻かれた真珠のネックレス。

       二の腕まで覆う、輝くほど白い長手袋(ロングアーム)の艶やかさ。

 

 対する男たちの方といえば、いかにも省庁の官僚然とした仕立ての良さそうな三つ(ぞろ)え。あるいは宮廷の内殿(ないでん)勤務服や、礼装軍服に並べた勲章のきらめき。

 

 天鵞絨《ビロード》、サテン、シルク、真珠、金の留め具、水晶の香水入れ。

 革手袋、ステッキ、勲章用リボン、装飾拳銃、銀製の名刺入れ。

 

 (……なぁに、あれ?誰かのお手つき?)

 (護衛がついてるからな。相当のお(かた)のモノだろう……なるほど、高価そうだ)

 (イイ趣味してるわねぇ……“市場”に出たとして、幾らぐらいかしら?)

 (下世話な。しかし小生なら二〇〇両は……)

 ((しわ)い。当方なら、最低四〇〇は出すぞ?アレは、なかなかイイ)

 

 そんな物憂(ものう)げな、謎めいたヒソヒソ声の林の中を、奥まった窓際の席に陣どり、金剛石(ダイヤモンド)をぶち撒けたような下界の光景を横目に、自分は勝手にオーダーされたお子様ハンバーグセット。黒メガネ二人組は、シェフ推奨のコース料理。領収書をもらえばコッチのもの、という魂胆(こんたん)が見え見え。ワイン・リストの革装丁に、よだれをながす様をみても、それは明らかだった。

 

「お二人の仕事は……なにかの警護なんですか?」

 

 年代物らしき高価(たか)そうなワインを、ソムリエからおそるおそるサーヴされていた二人は、顔を見あわせ、ひょうきんな顔をするだけで話にならない。

 

「……やっぱり探査院の所属なんでしょ?」

 

 黒メガネたちは、ふたたび顔を見合わせると、

 

無明(むみょう)の闇への眼差しを――あらぬ方へとひた(そそ)いでも」

「真実の認識には、ほど遠し。心せよ候補生、そも何者なりしか」

「……じゃぁ、候補生って。なんなんです?」

「きれいは汚い」

「汚いはキタナイ」

 

 二人してワインを前菜(オードブル)の上に吹き出し、これまた話にならない。

 眉をひそめるソムリエ。

 あきれた『ポンポコ』は、前菜をクチャクチャ咀嚼(そしゃく)する二人組から顔をそむけ、窓の外を充たす闇をながめる。

 高層ホテル周辺のエリアは、一面の宝石箱だった。が、彼方のところどころに、まるでハサミで切りとったような暗い区画がある。軍事施設?公園墓地?それにしては数が多い。

 あの、と『ポンポコ』はワインで口をゆすいでいた二人組に、

 

「むこうにポツポツある、あの灯りのない場所って――なんです?」

 

 大人ふたりは、大窓の外をつまらなそうに一瞥(いちべつ)したあと、

 

擁立(ようりつ)議員・連座(れんざ)責任法」

「投票シタカラニハ、ソノ議員ニ責任ヲ」

 

 なにを言ってるか、さっぱり分からない。そんな『ポンポコ』をいたぶるように、二人の大人はニヤニヤと(わけ)知り顔で、やってきた伊勢エビのスープを前に、彼のほうを上目遣いのまま、音を立ててすすりあう。

 

 『ポンポコ』も、目の前に運ばれた『お子様も大満足!外象牛の厳選ハンバーグ・オニオンスープ付き』をフォークで味気なくつつきながら、ぼんやりと考える。

 

 尻穴にズップリと刺さる排泄プラグの違和感がつらい。

 

 イスにも、太ももの裏を使って、前のめりに座るしかないのがせつない。

  サラ……サー『デザート・モルフォ』も、こんな感じを味わっているんだろうか。あのブラン・ノワール組の姉サンたちも?それとも“本物”の専用貞操帯は、こんな違和感がないのか……。

 

 

 寮の窓の外を、救急車のサイレンがドップラー効果で滑っていった。

 ヒンヤリとした夜気に、木の香りが濃くにじんでいる。

 

 《天気予報です。境界面を超えて進んできた低気圧が、九州エリアに大雨を……関東地方も朝から…》

 

 そういえば、と『ポンポコ』は、『牛丼』たちが今日の昼休み、教室のすみに集まり、彼女持ち限定の集団で、テーマ・パークにいく計画をしていたのを思い出した。あいにくと、この土日は雨らしい。

 

 「――フフッ、ざまぁ……」

 

 そう呟いたあと、さすがに『ポンポコ』は自己嫌悪。

 

 冷えてきた彼は窓をしめると、部屋に備えつけてあったシルク素材のようなガウンを素肌のうえに羽織(はお)る。

 回線を閉じ、一面ブルーなモニターの光が部屋を照らすにまかせたまま、物憂げな風情でベッドに身体を横たえ、なにやら急転直下(きゅうてんちょっか)の気配がある自分の人生行路を、(うつろ)ろな表情(かお)のまま沈思黙考・再検証する。

 

 窓の外を、またサイレンの音……。



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008:特殊作戦のこと、ならびに戦友たちのこと

「……本ッッッ当ォォォに!どうしょうもないわね!」

 

 校内女医の怒りが大噴火だった。

 眼鏡の奥の(ひとみ)が、冷たい炎を発している。

 

「こんッ、なに遅刻して――バカじゃないの!?」

 

 こめかみをヒクヒクさせ、ゴム手をはめた手に、殺菌スプレーを吹き付ける。

 

「むかえのクルマ出したのに……情報いってなかったか?」

 

 白衣の男の一人が、手元(てもと)の端末をチェックしながら、非難がましくチラ見する。

週末にあてがわれた寮の場所は、練成校から10kmばかり離れていた。それを知った『ポンポコ』は、めんどくささに一時帰寮もあきらめ、わたされた機体マニュアルの分厚いコピーを、テスト勉強の要領で、この土日どうにか頭に入れる事に専念したものである。

 

 さて月曜の朝、例の黒メガネ二人組を寮の門前で待っていたが、いっこうに彼らの車はこない。仕方がないので近くのバス停にいき、路線図を読み解いてバスに乗ったはいいが、道が交通事故で渋滞していたため、怖い顔をしたスタッフの一人が待ち受ける正門に着いた時には、登校時間を大幅に過ぎていた。そのまま首根ッこをつかまれ、上級生用の医療棟に拉致(らち)られて、手荒く準備される。

 

 ――朝イチで技査フライトなんて聞いていません!

 

 ……と、文句を言おうとしたが、女医の手が”うしろ(アヌス)”に新しいプラグを入れなおしている最中とあっては、ヘタに口ごたえするのも()っかない。黙ってしおらしく、されるがままになっていた。

 

 外された貞操帯は、連結したプラグやカテーテルごと、わきのステンレスのカゴに放り込まれている。コイツにはヒドい目にあった、と『ポンポコ』は、うらみがましく横目でにらんだ。

 

 定期的に襲ってくる便意。おまけに何かのきっかけで、プラグと貞操帯が強弱にバイブするのだ。思いきって手持ちのツールナイフで格闘したのだが、よほど頑丈な繊維(せんい)らしく、440ステンレスの刃がボロボロになっただけ。そして今日、今度()められた貞操帯は、オムツから更に進化して、カーボン状のメカニカルなパンツに進化していた。それがバチン!という音とともに、骨盤の上でロックされる。

 

「いいわ。さ!とっととチャンバーに入る!」

 

 新品の彼専用ゲシュタルト・スーツは、すでに圧力チャンバーの下にセットされ、ぶら下がっていた。

 全裸にカーボン・パンツという恰好で階段を上がり、すこし高いところにある圧力室に入ると、ドアを内側から閉める。床には穴があり、それはGスーツの首もとと連結されていた。直前に使った者が女子候補生だったらしく、女物のコロンの匂いが、かすかに。

 

「送圧します――鼓膜(こまく)に、気をつけて!」

 

 圧のかかったエアが送られ、連結されたG・スーツがわずかに広がる。あらかじめ説明を受けた通りに、ふくらんだ風船に入る要領で、首元の所からスーツの中に滑り込む。剃毛(ていもう)された脚に触れるスーツの冷たさと、潤滑剤のヌルつきに、あらためて彼は慄然(りつぜん)とした。なにか異様なものに、決定的に()り込まれてしまったような。そんな感覚が、ふたたび。

 中にはいると、若干(じゃっかん)(ふく)らんだ状態のまま、外のスタッフも手伝い、G・スーツの位置を直してゆく。着付けるメンバーは金曜の午後と変わりがなかった。黒メガネ二人組の姿が居ないことを除けば。

 

(あつ)抜きマース!耳抜きヨロシク」

 

 スピーカーから注意され、足先から順に身体が締めあげられてゆく。

 

「まえよりキツい――です、ぅ……」

「ガマンなさい!そのうち体温で組成変化がおきて、ちょうど馴染(なじ)むから」

 

 首もとのユニットが閉じられると、自動的にチャンバーからポロッと分離された。

 すかさず白衣の一団が『ポンポコ』の身体をまんべんなく触り、チェックが入る。

 上体どころか腕をまげるのもきびしい。カチン、カチンと金具を鳴らし歩くと、本当にアンドロイドになった気分。それに、締めつけによってカーボン・パンツの緩衝部(かんしょうぶ)が縮み、うしろのプラグが体内に、さらに食い込んでくるのが分かった。

 電話が鳴り、自動的にスピーカー・モードに切り替わる。

 

《クソ医療班(いりょうはん)!まだか!いつまでかかりやがる?》

 

 いま終わりました!と女医が声高に叫びかえすと電話は切れた。

 チラッと腕時計を見て、

 

「では“プリブリ”へ。みなさんお待ちかねよ――Zu dess」

「……Zu dess」

 

 ちからなく彼は挨拶を返し、一団に見送られて部屋を出る。

 とびらが閉まる瞬間、白衣の男の一人の声で、

 

「キチ〇イ沙汰(ざた)だな……まるでいけに――」

 

 ガシャン、と扉が閉まり、あとの言葉はギロチンにかけられたように。

 不安な心持ちと、全身を圧迫される感覚に(さいな)まれたまま、『ポンポコ』は節電のため薄ぐらい廊下をコチコチと歩いて、不安な心持ちのまま『プレ・ブリーフィング室』とステンレスの札がある飛行前打ち合わせの扉に立つ。

 大きく深呼吸して中に入ると、薄暗い部屋の中、各人の飛行特性に沿わせたG・スーツを着込む候補生たちが着席したまま体をねじり、いっせいに彼のほうを見た。

 その数、ざっと十数名。

 

 (――おい、『ポンポコ』だぜ?)

 (一年坊じゃないか!あいつも今回の作戦に?)

 

 部屋がすこしザワつく。あえて彼はそれを気にしないようにして声を励《はげ》まし、

 

「……遅れてすみません」

 

 フライト・プランの説明をしていた飛行教導員が、レーザーポインターを使い機動エリアらしき場所を示しつつ、身ぶりで空いている席に着くよう伝える。

 機動空域は、技査フライトにしては、ずいぶん東の方だ。

 

「――であるから、警報の有無にかかわらず、突発的な“耀腕(ようえん)”発生に留意せねばならない。現状、手持ちの高々度監視機と休眠中のレーダー・サイトを暫定(ざんてい)復活させているが、一朝一夕(いっちょういっせき)にはいかん」

 

 沈黙。3Dプロジェクターの画面が、無人偵察機と浮遊型・重力波レーダーの索敵画に切り替わる。

 となりにいた二年の候補生から、黙ってプリントの(たば)が渡された。

 薄暗がりで目をこらし、表題を見て『ポンポコ』はおどろいた。

 

 [非定常・耀腕捜索飛行活動要諦(ようてい)

 

 ・耀腕の発生を(うなが)力場形成(りきばけいせい)誘導弾を……

 ・選抜候補生においては雲海近辺の境界面(きょうかいめん)まで降りて(おとり)となり……

 ・王宮付き教導団/実験中隊が耀腕の特性をさぐるために接近。偵察ポッドを……

 

 『ポンポコ』の体から血の気が引き、G・スーツの窮屈(きゅうくつ)さが気にならなくなる。

 

 ――なんだよコレ。技査フライトじゃないじゃん!

 

 威力捜索(いりょくそうさく)だか敵性研究(てきせいけんきゅう)だか分からない代物の作戦要諦(さくせんようてい)をまえに、彼の頭は真っ白に。あまりに突然すぎて、(ふる)えすらこない。

 

 ――これじゃ、実戦だよ!なんで自分が……一年なのに……。

 

 説明を担当する航界主任が、彼の混乱をよそに、教壇の上で何か(しゃべ)っていた。

 

「――もともと、本作戦は一ヶ月前から、極秘裏(ごくひり)に準備していたものだ。それが先日の耀腕遭遇(ようえんそうぐう)事故である!不幸な出来事とはいえ、反面、これはもう天佑(てんゆう)というほかない」

 

 耀腕が大写しになる。

 事象震(じしょうしん)と共にあらわれる、航界士の敵。

 居ならぶ候補生たちは、暗雲を割って(あらわ)れる巨大な光の腕の映像に、凝然(じっ)と見入る。

 3Dプロジェクターの投影が消え、部屋に明るさがもどった。教壇ちかくにいた学年教科主任が、今回の作戦のため、特に選抜された候補生の顔をながめわたし、

 

「昨今、緊縮財政のあおりを受け、どこの錬成校も予算がキビしい。西のほうでは今年も五、六校が閉鎖になるそうだ。もちろんこの東日本エリアでも状況はおなじ。つまりこの作戦を急ぐのには、他校にさきがけ成果を宮殿に報告したいという思惑もある」

 

 あぁ、そういうことか――という候補生たちのシラけた雰囲気が一瞬、広がる。それを敏感に察したか、教壇で説明していた航界主任は、たくみに話題を一般論にすり変え、時事問題にリンクさせつつ、

 

「ちかごろ(ちまた)では「航界士制度を廃止せよ」という論調も、一部のマスコミに散見される。それどころか!耀腕は『大破断』をおこした神の意志の具現(ぐげん)だとする市民団体すらある。断片化した世界を渡ろうとする人間に対しての天罰だと――実に、バカバカしい!」

 

 ドン、とこぶしで教壇が叩かれた。そして憤懣(ふんまん)やるかたなしといった表情で、

 

現状維持(げんじょういじ)さえできればいいという一般市民は、その現状維持をつづけるのにどれだけの努力と、資金と、また時として今回のような血が!費やされているか見ようとしない。そして恐るべきは、この愚かな風潮が趨勢(すうせい)の度合いを増しているというコトなのだ!」

 

 ここで航界主任は語勢を一転、声の調子をわずかに落とし、

 

「……これはまだ未確認の極秘情報であるが、三日前、廻廊(かいろう)の中継点となる“基地”のひとつが、突発性の巨大な事象震により消失した。負傷者・行方不明者は分かっていない……ターミナル・ステーションが崩壊し、すくなくとも数千人が、雲海に呑みこまれたと推測される」

 

 (しん)、と部屋の空気が重くなった。

 候補生たちの顔が、引きしまる。

 

「探査院にとって、もはや時間はあまりない。一日!一刻もはやく!この耀腕の弱点をさぐり、大破断の大元にたどり着かなくてはならない。今回の作戦は、そのための反攻・第一弾だと、そう心得るように」

 

 壇上の説明者が引き取ったあと、わきに立つ学年教科主任が、

 

「なお、今回は特別に、一年から抜擢(せんばつ)された者がいる――候補生『ポンポコ』だ。彼は経験値を稼ぐため、特例でこの作戦に参加させた。先輩である諸君は、そのW/N(ウィングネーム)に恥じぬよう、立派な機動を彼に見せてやってくれ。候補生『ポンポコ』は気負わず、先輩たちについて行くぐらいの気持ちで飛べばよい。ムリはするな」

 

 以上、鋭意努力(えいいどりょく)せよ、とこの人物は言葉をむすぶ。

 

「起立――敬礼!」

 

 解散したあとは、各自で滑走路に向かう。その途中『ポンポコ』は上級生からさっそくイジられた。ひやかすような口ぶりが、頭上から交互にふりそそぐ。

 

「ゼロ番台の機体で飛ぶのかよ!いまどき騎乗(きじょう)型コクピット?勇気あンなぁ」

「『オレ、この作戦が終わったら彼女に告白するんだ』とか考えてない?」

「雲海の底についたら連絡よろしく。メールおくってね♪」

「知ってるか?雲海の中には、幽霊がいるんだぜ?それがオマエの魂を喰うんだ……」

 

 なれない貞操帯が填まる尻を叩かれたり、感応ヘルメットを取られそうになったり。

 

 「――およしなさい!上級生が、みっともない!」

 

 騒いでいた一団が振りむくと、三年の略章をつけた女子候補生。

 

 ――“ブラン・ノワール組”……の黒い方。

 

 まっすぐな髪を切りそろえ、後ろは腰のあたりまで。

 肌の白さとも相まって、まるで顔つきは日本人形のよう。

 しかしその瞳は――氷のように(つめ)たく、動かない。

 女性は体のラインをさらすことを嫌い、だいたいが貫頭衣か短い白衣をはおっている。だが彼女は、スレンダーでありながらメリハリの効いたボディを誇示せんばかりに、光沢のある黒いGスーツでギチギチに(いまし)められた豊かな胸や(くび)れたウエスト、そして排泄用のユニットが丸わかりな下腹部や、かたちの良い脚を周りに見せて、(おく)する気配がなかった。不意に、その冷涼な面差(おもざ)しがフッ、とやわらかく(ゆる)んだかと思うと、

 

「『ポンポコ』君、だっけ?可愛いW/Nだこと。気にしちゃダメよ。話は『モルフォ』から聞いてるわ。私は『黒猫』。ヨロシクね。フィー、いらっしゃい」

 

 温度を下げた声で彼女がうしろを向くと、これまた金髪の人形を想わせるような二年生が、オズオズと顔をのぞかせた。白いG・スーツの控えめな胸と、貞操帯ユニットが浮きでる下腹部。それを黒猫の体の後ろにまわることで隠している。

 

 『黒猫』は、自分のかげに隠れようとする下級生を前に押し出し、相手がイヤがるのもおかまいなしに、その胸をまさぐりながら、ウェーヴのかかった相手の金髪に(ほお)をよせ、

 

「この仔は『オフィーリア』。わたしのウィングメイトよ。アナタと私たち、今後も一緒に飛ぶ機会があるかも知れないから、ご挨拶させておくわね」

 

 それにしても、と彼女はフト顔をくもらせ、

 

「ゼロ番台で飛ぶの?スゴいのね――でもムリしちゃダメよ?」

「そのぅ……“(ゼロ)番台”ってなんです?」

 

 え、と全員の空気が固まった。

 

「あなた――知らないでアサイン(割り当て)されたの?」

「知らないもなにも、自分はてっきり今日は技能査定の追試だと……指定搭乗機も今回がはじめてで。その、そんなにボロい機体なんですか?」

 

 『ポンポコ』の言葉に、固まった空気が、さらに重くなった。

 

「なんか……イヤーな雲ゆき」

「この作戦、そういやウサン臭いウワサがありました。西との取引がどうとか」

「アレほんとかな?殉職者をだせば、その分補助金が……」

「バカいうな!ウワサだウワサ!選抜に落ちた奴らが、やっかんでいるのさ」

「……。」

 

 暗くなりかかる雰囲気。

 だが、一人が、それを振り(はら)うように、

 

「ま、われら航界士候補生。飛べと言われたら――飛ぶさ……だろ?」

 

 この言葉に、一団の空気が、ふふっ、と笑いくずれるように変わる。

 

「……そうね。アタシは飛ぶの好きだし」

「俺だって耀腕の一本や二本ぐらい、どうってコトないさ――怖くなんかないぞ」

「『ポンポコ』、きみは、どうだ?覚悟、できてるか?」

 

 とっさに話をふられ、この集団の最年少者は、内心あわてながら、

 

「ボクは……まだわかりません。耀腕とか、出会ったことないし」

「こいつビビってやがる。大体、なんで一年坊が出てくるんだ?」

「アナタと違ってそれだけ才能あるんでしょ?自信持ちなさい、ポンくん。ここにいるハンパな男どもとは大ちがい。結局は――」

「キサマらぁッ!何モタモタしとるかぁッ!」

 

 四角く切り取られたように明るい廊下の出口で、仁王立ちの人影が現れた。

 

「クソ耀腕のクソ一本や二本だと?クソいい度胸だ!候補生2104『ウーラン・ツヴァイ!』だな?」

 

 次いで『エースマン』の調子が、いくぶんニヤついたものになり、

 

「きょうのクソ事象面斥候は、キサマに任せる!クソ先行して、クソ状況を、クソ正確に、クソ伝達しろ!クソ全員――クソ駆け足!」

 

 『ウーラン・ツヴァイ』は、なぜか(うら)みがましい目でポンポコをにらむ。

 『オフィーリア』の、ひかえめな笑い声……。

 



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009:いわくありげな旧式機のこと、ならびに雲海の幻影のこと

 整備士たちが、慎重に『ポンポコ』と機体を各種ラインで接続してゆく。

 ケーブル一つ、コード一つ接続されてゆくたび、視野に光が(はし)り、体が反応。

 HM(ヘッドマウント)Dに(ディスプレイ)緑色をした一次同調のインジケータが投影され、刻々と変わって。

 

「コネクト・ユニット起動・予熱開始。高度計リセット・非常用電源・確認」

「――チエック」

「バイタル接続・心拍確認。血中酸素濃度モニター開始」

「――チェック」

 

 特性評価試験によって割り当てられた彼のコクピットは、どちらかといえば時代おくれな「騎乗(きじょう)型」の操縦系だった。多くの候補生は、普通の航空機のようにイスに座る姿勢で機体を操縦するのに対し、『ポンポコ』のタイプはレース用バイクのように前傾姿勢(ぜんけいしせい)でまたがって操作する形となる。操縦の感覚自由度があがる反面、機動特性の暴力的なところが諸刃(もろは)の剣だが彼自身の好みには合っており、教練でも時おりこのタイプを使っていた。

 

「むかしァ、みんな騎乗型(この手)操縦系(タイプ)だったモンだが……」

 

マクフィー整備主任が、ピカールとウェスを手に配下の整備士たちを指揮しつつ、

 

「いまじゃマニューバAIが発達したおかげで、大部分が寝椅子(ねいす)タイプになっちまったな……紛争以降に発見された法則で設計された機体を、(フタ)ケタっつッてな?それ以前の、パイロットの腕がモロに出るタイプをゼロ番台と呼んでンのサ。言ってみりゃ、AT車とマニュアル車みたいなもんだ」

 

 『ポンポコ』は、先輩たちが格納庫で嬉々(きき)として、自らにアサインされた今風(いまふう)の機体に駆けよってゆくのをよそに、ハンガーの薄暗い片すみに独り案内されて対面した搭乗機、その第一印象を反芻(はんすう)する。

 

「――これが……練習機じゃないよね、コレ……」

 

 思わず彼は声に出してうめいたものだった。

 

 この土日、必死で覚えたマニュアル。

 その主が、威圧(いあつ)する勢いで目のまえに(うずくま)っていた。

 軽妙なデザイン。

 美しいフォルム。

 俊敏(しゅんびん)さをイメージさせるオーラ……。

 ――そういったものとは、()()()()()()()()()()

 

 無骨。鋭利。凶悪。巨大。

 

 これら記号を(こお)らせ、現実世界に具現(ぐげん)させたものがあるとすれば、まさに。

 ちょっと見には、歴史の映像講義で見た共産圏のジェット戦闘機のよう。練習機にしては多すぎるハード・ポイントや大容量のウエポン・ベイ(武装庫)が、その印象を補強している。幾度となく描き換えられた形跡(あと)のあるペインティング。被弾痕(ひだんこん)なのか、外板にはミシン目のように交換された部分すらあった。そして実戦機をムリヤリ練習機に改造したのだろう。いかにも後づけな可変硬翼(こうよく)……。

 

 ほの暗い空間でこの大型の機体を見上げた時、逆に得体(えたい)のしれないモノに見下ろされたような感覚。黒ずんだ銀色をしたこの機体は“奉天(ほうてん)”と名付けられていると、その時はじめて聞かされる。蒼枯(そうこ)たる威風(いふう)に圧倒されつつ、まぁ“回天”じゃなくてラッキーだったと、胸を(おのの)かせながら、頭のどこかで彼は思ったものだ。

 

「ポンポコ聞いてるかァ?各侵襲(しんしゅう)デバイス規定位置へ。生理反応処理コネクタ・接続」

「――よっと。チェッ……っくふゥう!」

 

 排泄(はいせつ)ユニットを、シートに設置されたコネクタと接続した時、サージ電流が発生したのか前立腺あたりのバルーンが刺激され、あやうく精を漏らしそうになる。

 

 「……だいじょうぶか?」

 「――も、問題なし」

 

 アヘ顔を隠すため下をむいた時、『ポンポコ』はコクピットの床に、うす黒い染みが広がっているのを見つける。

 油染みとは明らかにちがう色合い。

 

 ――これ……血なんじゃないの?

 

 湧き上がる嫌悪感。

 テンションだだ下がりのなか、彼はチェッとつぶやいた。

 

 「……ボロ機体」

 

 そのとき、突然後頭部に電撃がはしり、反射で身体がのけぞった。

 目の前に星が舞う。

 クラクラする視野となみだ目でバックミラーを見ると、機体の尾部にいた整備員に向かいマクフィーが走ってゆき、跳び蹴りを炸裂(さくれつ)させるのがみえた。

 

「ボケぇコラ!AI接続をターミナル・フィルタ起動前にするヤツがあるか!」

「え?ジブンなんもやってないッスよぉ!」

「貸せ!オレがやる。おめェは予備機の整備してろ!801番機だ!」

 

 整備主任の背後で、蹴りをうけた茶髪にピアスの若い地上員が蹴られた尻をさすり、ニヤニヤ薄笑いを見せながら去ってゆく。その気配に彼はどうしたことか、ゾッとした。

 

「供給エア圧、地上既定値(きていち)以降(いこう)自動給気へ……すまねぇ、ポン」

「チェック……いえ、大丈夫です」

 

 コクピット内環境を整えるため風防が閉ざされ、以後は機体に付いたデバイスで会話のやりとりとなる。マクフィーの言い訳がましい声が感応ヘルメットから響いた。

 

《なにせ急に“本院”から回されてきた(ふる)い機体だからなぁ……整備は万全のつもりだが。オレも久々にこの手のタイプをいじったよ。機体除菌(じょきん)が終わったのが9時間前で――》

「さっき言ってた“むかしはみんなこのタイプ”って、いつのごろ話です?」

《んぅ?……ほんの、3,40年前サ。ようやくメイン廻廊が、おちついたころ、かな》

「マクフィー主任どのも、航界士だったんでしょ?第一線の」

《……二級だけどな。そン(ころ)ァ、分断された世界がアチコチ領界(りょうかい)ラインを勝手に引いて、境界侵犯(きょうかいしんぱん)だのなんだのと。そのたンびにスクランブルで大変だった》

「一般武装を積んでたんですよね?対耀腕用フレアじゃなく、誘導飛翔体(ミサイル)を」

《いまだって長距離AAM(空対空ミサイル)や、ABM(対事象面ミサイル)積んで格闘戦やってるトコもある。オマエが――そんな場所の配属にならないように》

 

 口調を変え、ぶっきらぼうにマクフィーはそれだけ言うと、『ポンポコ』と機体との接続作業にもどる。おしゃべりはこれまでだ、とでも言うように。

 

 最後に、前傾姿勢の上体をホールドするため、マニューバ・ダンパーと呼ばれる自在固定アームを引き出す。両肩と胸をコネクタで接続し、準備完了。

 しばらくの後、 地上での最終チェックを終え、総計で八機が駐機場にならんだ。

 

 シュヴァルム単位で2個小隊。

 色も、形も、さまざま。

 

 ほとんどが単座だが、複座型もある。

 ハデなカラーリングがあると思えば、長距離戦術偵察機のように、漆黒な機体も。

 パール・ホワイトな白地にブルーの一本ストライプは、『オフィーリア』の六九番機だ。

 

 いずれも性能の良さそうな美しい機体だが、やはり『ポンポコ』の跨る○八番機だけは、長年の使用で外板や部品の交換を重ね、微妙な色ちがいのアクセス・パネルや、後づけの改装部分が全体的に目立ち、まるでブリコラージュされた模型を思わせ、無様(ぶざま)だ。ただ機体から発散される禍々(まがまが)しさと巨大さだけは、待機列のなかで群を抜いていた。言ってみれば華やかなエア・レースの会場に、場ちがいな軍用機が、無粋(ぶすい)(まぎ)れこんだ印象……。

 

 地元警察の監視下で、大型の増糟(ぞうそう)のような不格好きわまる対耀腕弾が各機に配備され、セィフティ・ピンが抜かれた。やがて整備員退去のホィッスルが二度鳴り、順番に牽引車にひかれ、ゆるゆると滑走路端へ向かってゆく。

 本来ならペラ(プロペラ)曳航(えいこう)機に引かれ、のんびりと上昇してゆくのだが、今日はちがった。

 

――来た。

 

 晴天のかなたから、機影がポツ、ポツとあらわれ、みるまにそれが大きくなる。

 離着陸用のエンジン音を響かせ、王宮付き探査院の巨大な曳航用VTOL航界機が四機、瑞雲錬成校の滑走路上空をいちど旋回したあと、せまい誘導路端に編隊を密に組んだまま一斉に降着する。砂塵と芝が盛大に舞い、立て付けの悪かった防火用設備小屋のシャッターがフっとんだ。

 

《すげェ!空技廠(くうぎしょう)の新型だ!》

 

 だれかがオープン回線で叫んだ。

 

 やっぱホンモノは迫力あるわ、と『ポンポコ』も乾燥する給気マスクの中で唇をなめる。ふと防爆用の土手の方を見ると、瑞雲錬成校の在校生が一群となって歓声を上げていた。応援団の大団旗が、エンジン噴流のなごりを受けてゆらめいて。

 

《各機・離陸準備。曳航機一機につき、練習機二機を同時に牽引する。呼ばれた者から自走して離陸位置へ。2104『ウーラン・ツヴァイ』、2095『オフィーリア』》

 

 VTOL機が一機、それに合わせるように進み出て、滑走路端の前で曳航用のロッドを横に展開。地上員が2機の練習機の機首に曳航索をとりつけ、ちょうど“冂”のような形となった。連結の終わった機体はそれぞれグライダー型の硬翼を機体側面の格納場所から展開し、発進にそなえる。

 

《まって下さい、わたしお姉ェ――いえ、サー『黒猫』(シャノワール)と一緒じゃないんですか?》

命令(オーダー)だ。今回は、このフォーメーションでいく。離陸タイミングに注意。両サイドの機体は意識的に間隔をとれ。R1,R2時は、界面翼の相互干渉を避ける位置まで双方、自主回避せよ》

 

 地上員が、背をかがめて散ってゆく。

 VTOL機のジェネレーター圧力が上がり、地上に陽炎(かげろう)がたった。

 

《候補生のみなさん、準備はよろしいですか》

 

 それまでと全く違う声が、オープン周波数に割って入った。

 老練な印象をうける、中年の女性パイロットだ。

 

《それでは行きますよ――お手並みを、拝見》

 

 電力供給を兼ねた曳航索に余分なテンションを与えぬよう、始めはゆっくりと。

 しかしそれはすぐに戦闘離陸速度まで上がってゆく。

 V1。そしてあっという間にV2。

 

《危ない!》

 

 右サイドの2014がVTOL機の後流に流され、あやうく反対側の2095と接触しそうになる。だが幸い曳航索(えいこうさく)がからむこともなく、どうにか安定飛行に入っていった。

 

 2番機集団、3番機集団も、磨かれた光が充ちる雲量0の青空に離陸してゆく。

 

 4番機のVTOL機が、取りのこされた二機の前に進みでた。

 先行する三機にくらべ、やけに好戦的な塗装。

 何となく使い込まれた印象さえ受ける。

 機首にはシャーク・マウス。

 機体側面は、でかでかとマンガか何かのキャラ。

 

 管制塔からの指示が飛んだ。

 

《2109『サラマンダー』、1016『ポンポコ』、離陸位置へ――殿を(しんがり)タノんだぞ、火竜、(サラマンダー)初心者(わかば)の面倒を、たのむ》

《『サラマンダー』了解――『ポンポコ』、心拍上げすぎ。緊張するな、普段通りやればいい。通常の技査飛行だとおもって飛べ》

「1016、了解……なるべく(うま)くやってみます」

 

 管制から離陸許可が出た。

 とたん、無言のまま4番機は全力滑走を開始する。

 

 「ぐっ!」 

 

 いきなりの滑走開始に、騎乗型のコクピットに乗る彼の視野が揺らいだ。

 両肩を自在ホールドするダンパーが加速度を検知して、自動的に固着する気配。

 さらにG・スーツの首もと・背側が硬化し、体をサポートする。

 

 そのまま、脳が置いて行かれるかと思われるほどの緊急離陸。

 

 滑走路が見覚えのないスピードで足もとをながれ、いつのまにか、視界いっぱいに空が広がっていた。高度計の針が目まぐるしく回り、機体の姿勢が、牽引用硬翼使用時にしては恐ろしい角度を示している。そのまま一気に高度を(かせ)ぎ、『ポンポコ』の呼吸が酸素マスクの中でようやく正常になるころには、1~3番機の集団をはるか足元にふまえる位置まで上昇していた。

 

廉人(レント)中尉、編隊にもどりなさい!候補生たちを引いているのですよ!?》

《ハ!ツカえねぇヒヨコ押しつけられるくらいなら、ここでツブしてやりぁスよ》

《それはわれわれ教導隊の仕事です!貴方たち()()()()の仕事ではありません!》

《あンたらのおかげで最近はクズばかり来やがる。尻ぬぐいする身にもなれってンだ》

《編隊にもどりなさい!繰り返します、廉人中尉、編隊に――》

《……オレに、命、令、するんですかィ?》

 

 ドスの効いた声。

 

 空電と、地上短SAM部隊の交信らしきものが混じった沈黙。

 4番機に引っ張られる候補生ふたり。

 クラクラする頭で、無線にかたずを呑んで。

 

《――事故が起きた場合は、キチンと責任をとってもらいますからね》

 

 冷ややかな声とともに、交信は切れる。

 ひぇぇぇ、(ヒド)いの当たっちゃったなぁ、と曳航される側はコクピットで(フル)えた。

 

《――てェことだ、ヒヨコさん(ども)よ》

 

 この中尉は、そんな彼らにとどめを刺すような口ぶりで、

 

《さァて。おゆるしも出た事だし……作戦空域までにゃ、まだチト間がある。最初のブラック・アウトといこうか》

 

 VTOL機が、不気味に増速。

 

《両機、硬翼(こうよく)を揚力最小まで移行。翼縮を確認後、曳航状態のまま高速機動に移る》

 

ゾッとしながら『ポンポコ』はコンソール脇のノブを3ノッチ手前に引いた。あまりに高速域でロックを外したため、ガコンと(ひど)い音がして、翼がウィング・ベイに1/4まで格納されてゆく。

 練習機の揚力は、もともと胴体だけでも(リフティング・)プラス(ボディ)に設計されているので、速度さえあればこれだけでも十分起動はできる。とはいえ、いくらなんでも無茶だった。

 考えを同じにしたか、あるいは上級生としての責任感からか、二年の『サラマンダー』が、

 

《中尉どの!これはあまりに危険です。曳航中、操縦をあやまると、練習機同士が接触する可能性が――》

 

無線の向こうから鼻で(わら)う気配。

 

《操縦を誤れば、だろ?なら問題ないジャン。おま―らが失敗(ミス)ンなきゃイイんだから》

 

 さらに対気速度が速まった。

 VTOL機からイオン翼が吹き出て、それが後退してゆく。

 

 ――マズイ。本気だよ相手は!

 

 『ポンポコ』の肛門がゆるむ。それを検知して、アナル・プラグが自動的に拡張(かくちょう)

 

《さァて、いくぞォ?》

 

そう言うや、曳航機はいきなり背面飛行。そのまま弧を描きながらダイブしてゆく。

 動力めいっぱいの機動降下。

 エンジン全開の飛び降り自殺。

 『ポンポコ』たちも反射的に相手に合わせて背面になると、天地がひっくり返った光景を見ながら、頭から落ちていった。

 

 肩が冷え、呼吸が荒くなってゆく。

 バイタルを拾ったシステムが自動的にスーツの温感上昇。

 エア供給量3%アップ。

 HMDの数値がめまぐるしく変わる。

 雲海の白さがせまる。寸前でVTOL機は機体を順面(じゅんめん)にもどすと、

 

 《雲海に入るぞォ。両機、機体姿勢に注意!》

 

 曳航状態が安定したところで4番機群は雲の中に突っ込んだ。

 はじめは明るい霧状だったコクピットの外も、だんだんと光を失ってゆく。

 『ポンポコ』は、曳航(えいこう)されているとはいえ機位を失わないよう、神経を集中させる。気付いたら背面飛行なんて醜態は、ゴメンだった。

 ふだん、訓練で雲海に入ることは滅多にない。というより厳禁されていた。何が起こるか分からないのが雲海の中だった。大破断から年月がたっているとはいえ、いまだに多くが謎に包まれている。

 風防外の視界が悪い。

 以前、水中透明度のひくい湖で、魚雷型のスクーターを使い講習を受けたときの事が思い出された。

 

 ――あのときは(くさり)を巻かれた水死体が……。

 

 突発的な気流にはげしくあおられ、機位を乱しそうになった『ポンポコ』は、あわてて舵を修正。もう余計なことを考えず、操縦に集中する。目標ポイントが照準サークルの中にくるよう、それだけを注意しながら……。

 

 VTOL機が翼端灯と航空灯を付けた。

 

 彼も、手元のスイッチで、それにならう。

 機位確認。意外にサイドが近い。アブないな、と眉をひそめていると、

 

《『サラ()()()』!中央寄りすぎ。気流に巻かれるとポン吉にぶッかる。まだ下げっぞ》

 

 雲海深度を下げてゆくにつれ、気流も激しくなり、翼端灯の上に青白い炎がうかんだ。

 

 ――セント・エルモの灯か……はじめて見た。

 

 と思うまもなく、その火は姿を大きくしながら硬翼を伝ってきて、最後に巨大な青白い髑髏となりキャノピーに張りついた。ヒッ、と彼が無線の送信ボタンを押そうとするより早く、ヘルメット内に『サラマンダー』の悲鳴がひびく。

 

《鬼だ!鬼が機体にくいついてる!3匹、いや、4……5匹!》

 

 そのあとは、ワケのわからない悲鳴と怒声。

 曳航される片側の機体が激しくゆれる。

 それを聞いて、『ポンポコ』はかえって落ちついた。

 長年のクセで各種インジケーターを素早くチェック――異常なし。

 ドクロを見ないよう、計器飛行に集中する。

 廉人中尉のあざけるような調子が、レシーバーから響いた。

 

《おちつけ。それはオメーの深層心理の具象化だ。現場は“フロイト”って呼んでる》

 

 空電まじりの沈黙。

 稲妻の紫色を二度、三度、4番機群は突きぬけた。

 キャノピーに一瞬、水滴が激しく突き当たる。驚いて彼が顔を上げると、いまだドクロは彼の方をにらんでいた。まばらな歯の残るアゴがカクカクと、痙攣(けいれん)したようにむなしく動く。まるで何かを伝えるように。

 

《……パイロットの気に病むモノ。あるいは心的外傷(トラウマ)が、ワリと雲海深度の浅いエリアであらわれる。理由は不明だ。無視してればそのうち消える。幻だよ、マ、ボ、ロ、シ。鬼が見えるのはダレだ?》

《サっ、サラマンダーです!》

《火食いトカゲの名が泣くな――ポン(キチ)ィ!一年坊、息しとるかァ?》

 

 呼びかけられた彼は、給気マスクの中で、ひび割れたくちびるをいちど舐めてから、

 

 「こちら『ポンポコ』。こっちは光る頭蓋骨(とうがいこつ)がキャノピーに――現在、絶賛シカト中」

 

レシーバーから、引きつったような手放しの笑い声がひびいた。

 

《いいぞォ豆ダヌキ!キンタマだけァ、デカいとみえる》

 

機体の位置に注意しろ、と中尉は続けた。

 

《深度をさらに下げッぞ。もっと面白い体験をさせ……あァ?圧縮通信?代われ》

 

そこでいったん交信が止み、一時的に静かになる。

 時折気流にもまれ、機が激しくゆれた。そんな中、立体投射型HUDが発するグリーンの光が外の嵐を隔絶し、刻々と変わる状況を冷静にデータとして変換・表示し続けている。

 

 雲海深度。

 指示対気速度。

 存在意識保持レベル。

 Gスーツからのバイタル。

 レーダに映る前方とサイドのIFF(敵味方識別)表示。

 それらはみな、自分が()()()()()()()()()証だ。

 こころが落ち着く。気がつけば、キャノピー外にドクロの姿は消えていた。

《くそっ!》

 

 そのとき、ヘルメットのレシーバーが甦った。

 

《各機!チョイと面倒なことになりァがった。雲海散歩はおあずけだ。これより上昇に移る。同時に各自スーツを還元モード・1で起動準備。交戦機動の用意をしておけ》

 

 こちら『サラマンダー』、と先輩候補生が、いまだ興奮の残る声。

 

《交戦機動って……何かあったんですか》

所属不明機(アンノウン)だ。先行する我が方の編隊群に、異常接近してくるヤツがいる》

 

 キャノピーの外が、黒から乳白色へ。どんどん明るくなって行く。

 不明機のことはさておいて、とりあえず雲海を離れられることで生き返るような気分になった『ポンポコ』は、ホッと胸をなでおろす。

 



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010:界面翼を展開のこと、ならびに臨死体験のこと

 

【挿絵表示】

 

 

 

――雲海を出た!

 

 ホッと息をつくが、期待した青空ではなかった。

 陽光は、あちこちに立ちのぼる積乱雲に乱され、まるで中世の版画めいて幾つもの輝線をななめに描く(チンダル現象)。上空も薄い巻積雲におおわれ、重力ベクトルまでもが若干みだれているのか、まるで巨大な雲の迷宮にでも入ったよう。目視飛行するには注意しないと自己存在感をも失いかねない。

 

《各機、R1起動!まだ界面翼は展開するなよ!?存在干渉(そんざいかんしょう)に注意!》

 

 廉人(れんと)中尉の口調が、切迫(せっぱく)した調子にガラリとかわり、なにやら本職のプロらしくなってきた。

 だが、辺りの光景にボンヤリ見とれていた『ポンポコ』は、命令を聞きのがす。

 すぐさま、小鞭(ホイペット)のように廉人中尉の(ゲキ)が飛ぶ。

 

《ナニやってやがる『ポンポコ』!リダクション()・モード(ワン)へ!》

 

 彼は、あわてて手元の安全装置(セーフティ)をはずし、レリーズを押した。

 HMDの表示が変化し、モードが移行したことを知らせる。

 同時に、G・スーツに接続した各コードを通って、なにかが自分の中に侵入してくる感覚。言ってみれば、それはガラスの細かい破片がキラキラと、(きし)み音をたてて、身体の中を()たしてゆく形象(イマージュ)

 

 やはり本物のG・スーツ。

 一年に支給される練習用の簡易(かんい)スーツより、体感的には数十倍過激だ。

 すこし身体をよじると、それがザクザクと皮膚(ひふ)を突き破りそうで、怖い。

 だが思考と感覚は違法な薬でも注射したように、異様に()えわたるのを感じる。となりを飛ぶ先輩候補生の心音までも分かるいきおい。しかし牽引するVTOL機は、実戦機だけに生体シールドがあるのか、機内の状況は判然としない。相変わらずの戦闘推力で高度をかせいでゆく。

 

 一つ積乱雲を抜けると、はるか彼方に先発した曳航機群が三角形を描き、雲海スレスレを飛ぶのが見おろせた。曳航される練習機も全機、いつ耀腕が出現してもいいようにR1で飛行しているのが“意識”できる。

 

 ――ヘンだ。

 

 ポンポコは眉をひそめた。

 

 ――進行方向・第一象限。

 

 なにかいる……しかも、かなりの脅威(きょうい)

 明確に加害衝動(かがいしょうどう)をもつ、複数の意識集団。

 右肩に、目の粗い紙ヤスリを押しつけられるようなプレッシャー。

 それがじわじわと広がって、不快感をあおる。

 練習機のレーダーに反応はない。

 VTOL機が装備しているに違いない大仕掛けの重力レーダーは、どうなのだろうか?

 

 《中尉どの、前方同高度、1ー5ー0から1ー6ー0の間に何か居ます!》

 

 名誉挽回(めいよばんかい)、と言わんばかりに『サラマンダー』が正確に反応した。

 ポンポコも絞られた方位に眼を凝らす。だがその空間は、逆光のため暗い柱を思わせる積乱雲が幾つも立ち昇り、よく分からない。それに対し中尉は(アザ)るように、

 

 《反応(オソ)いぞォ~。雲海から出た瞬間(とき)に気づかにゃダメだ……それっと!転針》

 

 VTOL機が旋回を開始しようとした時だった。

 積乱雲を突きやぶり、超大型の飛翔体がアッという間に近づいてくる。

 HMDが、警報とともにデータを出す。

 

 ――速度3.2。IFFは(敵味方識別装置)“未確認”

 

 だが、リダクション・モードに入っている候補生たちには、すぐに分かった。

 あれは他校の練習母艦だ。自分たちのように曳航式ではなく、贅沢(ぜいたく)にも空中投下式の。べらぼうに費用がかかるため運用される練習校は限られている。この東では王宮直轄の練習艦[鳳翔](ほうしょう)ほか、ニ、三艦ぐらい。だがそれならIFF登録があるから“未確認”とは出ない。では……どこの所属だ?

 

 《未確認艦に告ぐ。当方は航界士錬成校[瑞雲]所属・練習機群。フライトNo.0518・2087。当方の航界活動を阻害(そがい)することなきよう通告する。繰り返す――》

 

 中尉が言い終わらぬうち、未確認の飛翔体とは対航状態のまま、一瞬ですれ違う。気のせいか、一瞬、線香と蝋燭(ろうそく)の炎の連想がうかんだ、ような。

 電磁処理を施しているらしい、凹凸の少ないヌメッとした巨大な漆黒。大型水族館で見たイルカとかいう生き物の巨大版が、音速ですれ違ったような印象。

 4番機群の背後で不明艦は信じられないような高Gターンを決める。直後、黒い艦体の下面で大型ウエポン・ベイ状の扉がひらき、なかば界面翼を展開した練習機が射出された。

 

 投下された機体は三機。

 雲海に向け落下しながら、みるみる翼を拡張させてゆく。

 廉人中尉の叫びがインカムに響いた。

 

《やべェ、ヤツらやる気だぜ。上等だクソぁ!両機、リダクションモード・2へ移行!オート・ポイエーシス(自己生産)・システム起動!切り離すぞ?3.2.1.レッコ(解放)!》

 

 曳航していたワイヤーの電磁ボルトがはじける。

 火喰トカゲの機体は事象面との還元率をあげ、手なれた調子で素早く界面翼を展開。ナトリウムの炎色反応(えんしょくはんのう)めく赤色を、脳の負荷ギリギリまで許容して拡げつつ、所属不明の練習機群に対応するため離れてゆく。

 

 『ポンポコ』は一拍おくれた。R・2に移行できない。

 意識を集中し、移行文言を唱えてもシステムが反応しないのだ。

 

 ――くっ!何か……引っかかってる。

 

 ダダ落ちする高度計の数字。雲海面が、ズームでせまる。

 

 ――あぁ……いよいよか。もう、ダメだ。

 

 非常用脱出レバーに『ポンポコ』は手を伸ばそうとするが、止める。

 ここで射出座席を使っても、雲海に呑み込まれるだけだ。

 生き延びるのが数分、あるいは数十分遅れるだけで、結果は同じだろう。

 最新型の練習機はコクピット周りが分離し、グライダーとなるが、暗記した“奉天”のマニュアル記録をさらっても、そのような機能は見あたら無かった。この操縦席は、パラシュート付きの死刑台だ。

 

 ――やっぱりだ。ヤな予感したんだ。このボロ練習機……。

 

 テストの赤点。

            机の上の花瓶。

   頭のえぐれた 

 囁き       クラスメイト。

     上級生たち。      血だまり

首のない       骸骨

   陽炎         湖の水死体。

 事故    精神注入棒

            真珠とドレス

 

 ……サラ先輩の、巨乳。

 

  ――生きたい!

 

 脱出装置のレバーに彼が手を伸ばした、その瞬間。

 石のように雲海に墜ちてゆくポンポコを、サファイア色の翼を展開する不明機の一機が、等速でダイブしながら近づいてきた。

 

 ――硬翼……完全に収納されてないよ、きみ。整備不良かい……?

 

 不明機を操る操縦者のからの、いたわるような“意識”。

 えぇっ、と『ポンポコ』はヘルメットバイザーのHMDを確認するが、インジケータは“格納済み”のマークが点いている。横を見ると、なんと八枚もの界面翼を展開する練習機が随伴(ずいはん)降下していた。

 

 ――その状態じゃ、高位シフトは無理だね……まってて。

 

 八枚翼の不明機が一瞬、存在干渉(そんざいかんしょう)をふせぐためか、すべての翼を消すと、スッと機体を寄せる。そして尾部アームをくり出すと、軽く“奉天”の閉まりかけな硬翼に打ち当てた。鈍い音がして、ウィング・ベイは閉じられる。

 

 ――OK、やって!

 

 雲海面が目のまえに近づいた。

 もう猶予(ゆうよ)がない。

 雲海の中での単身・界面翼起動は危険がともなう。

 

 所属不明の練習機は、ふたたび翼を創出させると、キレのある機動でロールをかまし、創翼阻害(そうよくそがい)をふせぐため“奉天”から離れ、爆発的に上昇してゆく。

 『ポンポコ』は、龍ノ口から直々にゆずられた、秘密のコード・パスを叫んだ。

 

 とたん……、

 

 体の中を充たしていたイガイガなガラス片が、すっと液状化し、すみずみまで馴染(なじ)む感覚。冷たい水に、内側からさらされたように、細胞という細胞が瞬間的に置き換えられたような印象。

 この状態から急に戻ることはできない。

 極端に言えば彼はいま、人間から“別のモノ”に変化したのだ。

 

 頭の中に、世界が入ってくる――この事象面の現象、(すべ)て。

 

 大気のながれ、匂い。

 自機を照らす光の暖かみ。

 さまざまな気配。感情の流れ。

 

 自身が希薄化(きはくか)し、だんだんと形を無くしてゆく心持ち。

 ゲシュタルト()・スーツが、そんな『ポンポコ』の個体自我を、(かろ)うじて保つ。

 “奉天”の機体から群青色(ぐんじょういろ)とも薄墨色(うすずみいろ)ともつかぬ陽炎が吹き出し、それが空間をゆがめてゆく。すると見る間に硬い印象の光が、まるでガラスにヒビが入ってゆくように四方に延びていった。ヒビの数は四、いや、それに短いのが一つ。

 

 雲海をx軸とする歪んだ漸近線の軌道を描き“奉天”は危ういところで水平飛行に移ることができた。

 

 バイタル・コントロールシステムに警告。

 心拍数と血液アドレナリン指標が赤色値に。

 

 すぐさま薬液による適切な処置が機体側から行われるが、モード2に移ったいまは肉体に何の感覚もない。感情も(おそ)ろしいほど澄明(ちょうめい)。言ってみれば幽体離脱でもしたような状況に、(ちか)い。

 

 ――ありがとう、えぇっ、と……。

 

 『ポンポコ』は辺りを見まわし、次いで気配を探った。

 

 だれもいない。

 

 ときおり青空の断片が見える気流激しい雲の筒のなかで、彼の意識は孤然(ひとり)、フラフラと機動する“奉天”の上で、たよりなく浮かんでいた。

 

 遠くで、何かが激しく争う気配が発せられている。

 あまり美しくない、近寄りたくないたぐいのモノ。触れば、(けが)れるような……。

 四方を濃淡めまぐるしく回転する綿のなか、彼は感覚で手近の雲をすくう。ヒンヤリとした冷気が腕までつたい、水蒸気の一つぶ一つぶが感じられるよう。心が、奇妙な平安に満たされ、いままでにないほどの(おだ)やかな気持ちに包まれた。

 

 ――このまま、どこかに行きたいな。

 

 あいかわらずどこかで鳴る警告音(アラート)

 ウザい、と彼は思考操作でアラームを切った。

 いつの間にか目の前で複雑に錯綜(さくそう)しデータを示していたHMD表示の輝線も消え、『ポンポコ』は裸体(はだか)で雲間を彷徨(さまよ)っている。

 

 ――光が……。

 

 見たこともない金色の光が、上方(うえ)から降りそそいでいた。

 かすかに――きわめて(かす)かに、自分の本名が遠くから波のように伝わってくる。

 

 ――呼んでる?……だれ?

 

 うん、と背を伸ばし、光が降ってくる上空を見た。

 意識を集中。

 自分ができうる限りの機動上昇。

 体が――消える。

 こころの中で、なにか鎖が解かれたような気配。

 

 そんなとき。

 

 候補生の意識がひとり、『ポンポコ』を追いこして蒼空の高位(たかみ)へと昇っていった。

 まって、と彼は呼び止める。

 

 ――ねぇ。機体は、どうしたの?

 

 相手は『ポンポコ』を横目に、ちょっと微笑んだかと思うと、

 

 ――永久(トワ)浄福(ジョウフク)(イタ)ラン……汚穢(ムサ)肉塊(ニク)(コロモ)()()テ。

 

 そのまま彼を引き離し、どこまでも昇ってゆく。

 追おうともがくも、自分はネバついた空間にとらわれたように。

 

 ――おいキミ!待てよ、まてった……。

 

 突然!

 

 胸にナイフを突き刺され、『ポンポコ』は我にかえった。

 首根っこをワシ掴みにされて、もとの体にタタキ戻された感覚。

 リダクション・レベルが、いつの間にかモード1にもどっている。

 ゼイゼイと、まるで呼吸を止めていたかのように彼はあらく息をつく。

 チラチラ・キラキラと目の前を星が舞い、こめかみを冷たいものがながれる。

 

 バイタル・システムに警告ランプ。

 

 G・スーツに装備されているAEDの作動履歴がついていた。

 脇腹が、電撃のなごりで紙ヤスリをかけられたようにヒリヒリとうずく。

 吐き気が、二度、三度。

 

 《『ポンポコ』ォ!キサマ心臓止めてナニしてやがる!》

 

 無線の直音声で、廉人中尉の怒鳴り声。

 

 《耀腕(ようえん)がでた!繰りかえす、耀腕だ!指定座標をおくる。こっちァ不明機群と耀腕との二正面作戦だ!とっとと来やがれ!》

 

 



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011:航界戦のこと、ならびに耀腕犠牲者の末路のこと

 《遊んでる場合か!ただちに空中集合!》

 

 通信に、中尉の怒りの念波が添付され、平手打ちされた感覚。

 『ポンポコ』の括約筋が、また少しゆるむ。

 座標を航法P/Cに入力。転針して、自動で指定エリアへと向かう――はずだが針路が定まらず、フワフワと。

 

 ――チェッ。さすが旧式……機体が鈍重(おも)い。

 

 そう唇を(かん)んだ時、どこかのシステムにバグでもでたのか、瞬間、翼が消えて、300mばかりダダ墜ちする。かろうじて立て直したが(リカバリー)、油断すると気流ごときにあおられそうに。いくら精神を集中させても挙動が安定しない。

 

 「あぁもう、このボロが!ちゃんと飛べよ!」

 

 今度は回線がショートしたらしく、一度、尿道カテーテルに軽い電撃。

 

 「いッ!……たぁッッ……つ!?」

 

 こりゃダメだ、と彼はあきらめ、イヤイヤ還元(リダクション)の深度をもう一度、レベル2にまで昂進(こうしん)させると、世界との同調をはかった。認識と視点が機体のうえにふたたび占位し、周囲は曇ったフィルターを棄て去ったかのごとく、いっそう明瞭(はっきり)と感じられるようになる。

 

 ――見えた!

 

 感覚で20ちょい先、高度差で3000ほど下方の積乱雲そば。

 事象破砕リミッターoff、界面翼・最適解へ。

 機体にダッシュをかけて急行。

 

 不明機母艦と錬成校VTOL1番機、そして3番機、4番機。それに双方の練習機群と耀腕が、彼我(ひが)入り乱れての格闘戦というワケの分からない混沌状態。味方の練習機群が、二本の耀腕を相手に奮闘する。そこをチョロチョロと、不明機群がジャマをする格好。

 四方を雲に包まれた広大な空間で、青白い稲妻を血管のように這わせた(くろ)い腕と、白煙で出来た柳のような細い腕が、ゆらゆらと雲間から出たり消えたりを繰り返し、周囲の機体に襲いかかっている。VTOLの2番機はどうしたことか、姿が見えない。対・耀腕誘導弾が乱れ飛び、雲海に紅蓮(ぐれん)(はな)を次々と咲かせて。

 

 ――『ソード』もっと右!『ランサー』お前は下から殺れ!『青龍Ⅱ』!ナニやってやがるクソ()けが!磁気フレア使ってパラージ(弾幕)!ガキ共のバックアップに!

 ――勝手言うな!タダでさえこっちは対耀腕弾の携行が少ない!

 ――ハァ?教導団の名はダテか!?ババァ!そうじゃねぇ!もっと寄れ!

 ――この黒い()ジャマ!中尉どの墜としていいスか?

 

 練習機が一機、不明機と界面翼をぶつけあう。

 稠密(ちゅうみつ)な金属を激しく打ち合わせたような思考共鳴波が響き渡り、たがいの憎悪を叩きつけて。

 闘犬(とうけん)のようにいがみ合う、その二機の横を白い機体が(つばめ)のように翔け抜けた。 自機のウェポンを射出しながら、耀腕に向かってゆく。

 

 ――『フィー』!もっと距離をおいて!認識機動のロスが多すぎるわよ!?

 ――ワかってる姉ぇサマ!でも機体がなんか重く、てッ!

 

 危うく(つか)まれかけた『オフィーリア』は、機動の型を華麗に変化させ、きわどいところで耀腕の指をすりぬける。同時にすくい投げ投法で(くろ)い耀腕の根本に事象面反応弾を投下――わずかに耀腕が、震える。

 

 ――ダメだ……航空優勢が、()れてない。 

 

 そう感じた『ポンポコ』は、危険とプライドを(はかり)にかけ、なるべく遠巻きに参戦しようと、おっかなビックリ近づいてゆく。

 

 ――大丈夫……あとで問題にされないよう、それッぽいトコに、抱えているモノをブン投げとけばいい。そう、なんにせよウエポン・ベイは、空にしとかないと……。

 

 彼が機動降下に移ろうとしたとき、廉人中尉の指示を圧し、聞き覚えのある女性の声――VTOL機群の編隊長――が混乱する意識交信を押しのけ、最優先緊急モードで金切り声。

 

 ――各機、気をつけて!この耀腕は――変化します!

 

 黔い耀腕の手の甲を、『オフィーリア』が大きく迂回(うかい)しようとした時だった。

 

 前腕の一部がうずを巻いたかと見ると、そこから小ぶりな腕が噴出する。即座に回避行動にうつるが、所属不明の練習機が、それをジャマした。急な機動に速度を殺された彼女の界面翼を、耀腕が(つい)につかむ。

 

 「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 脳に直接、いやな悲鳴が全開で響いた。

 人間が出せるとも思えない凄惨(せいさん)な声に、一瞬、周囲の機動すべてが凍りつく。

 編隊長や『黒猫』が何か怒鳴っていたが、聞き取ることは出来なかった。

 周辺を舞っていた機体は、うごきを止めた耀腕と『オフィーリア』機とを、“意識体”のまま、声もなく凝視する。

 R2モードに入っている『ポンポコ』も、ほかの候補生たちと同じく距離という要素を取りはらい、すぐ目の前で起こっているかのようにその光景を目撃した。

 

 界面翼をつかまれた『オフィーリア』の顔が、まるで水分を抜き盗られるかのように、イヤイヤをしながら見る間に(しな)びてゆく。それはあたかも翼を経由し、耀腕に生気を吸い取られてゆくように。

 やがてミイラのように完全に()からびると、これ以上は吸えないと耀腕は悟ったのか、やせ細っていた界面翼を利用して、こんどは何かを逆流させた。力こぶめくものが、翼を伝ってゆき、とうとう最後に『オフィーリア』機へとたどり着く。

 

 ミイラが、驚いたように眼をまん丸くするのが最後に見えた。

 艶をうしない縮れた金髪が、放射状に逆立つ。

 

 つぎの瞬間。

 

 ボン、と何かが(はじ)ける軽い音。

 タンパク質の焦げる臭いも一緒に。

 どこかで嘔吐(おうと)する気配。たぶん『サラマンダー』だ。

 周囲の機体が、候補生たちが、凝然と声を(うしな)う中、ややあって、

 

 ――『ウーラン・ツヴァイ』……『オフィーリア』のバックアップにまわれ。

 

 廉人中尉が、うってかわった落ちついた調子で、指示を下した。

 

 ――でッ、でも――もう死んでるんでしょ!?

 ――命令だ。それと全機、所属不明機群に対し対耀腕弾の使用を許可する。作戦行動を阻害する場合にあっては、これを実力で排除せよ。

 

 この“本気”な意識波がつたわったのか、所属不明の練習機群は一様にすこし距離をおき、現場を遠巻きに監視する空間に占位する。

 

 操舵能力を喪った『オフィーリア』機が、緊急飛行モードに移行していた。

 

 硬翼を自動展開。さらに緊急用の延長翼を出してグライダー状になり、耀腕から幾分、離れたところで、回収を待つための周回飛行を始める。『ウーラン』が『オフィーリア』機から垂れた緊急用の曳航索をつかもうと接近した。だが、その救援活動をねらってか、黔いほうの耀腕が、ゆるゆると雲海を(うごめ)き『オフィーリア』機の周回飛行空域に移動する。

 

 ――『ウーラン』、『ロードマン』を援護に付ける。素早くやれ。

 ――ムリ!無理ゲーですって!やつら知能持ってる!『フィー』の死骸をオトリに!

 

 そのとき、疲れたような編隊長の声が全機に伝わった。

 

 ――廉人中尉。増援がこちらに向かっています。それまで待機しましょう。この所属不明群にも対応してもらいます。状況は伝えました。増援は全機、八八式ASM(対艦ミサイル)を装備済み。

 

 援軍が、対艦用に武装しているというこの意識交信が決定的だった。所属不明の母艦は、練習機を順次、練度の高いうごきで空中収容するや、現場を高速離脱してゆく。

 すると今度は黔い耀腕が、その形を薄れさせ、消滅したかと思うや、細白い耀腕の方は『オフィーリア』機を(つか)み、そのまま雲海に沈んでゆこうとする。

 

 ――ちきしょう!

 

 どこからか叫びがしたかと思うや、周囲を舞っていた機体のうち、一機が界面翼を全開に、耀腕へと特攻をかけた。

 

 ――黒ネコ!待て!

 ――冗談じゃありませんわ!このままあの子を引っ張られて、たまるもんですか!

 

 虹色を伴った藍色の長大な界面翼が、小さく、後退翼状に変化してゆく。

 

 ――やる気だ。

 

 空域の全員が見まもるなか、雲間をヒリヒリした緊張が()たす。

 

 VTOL機が援護として、残り少ない誘導式の大型反応弾を轟音とともに射出。『オフィーリア』の機体ギリギリをすり抜け、耀腕の周囲で着弾・炸裂。動きを幾分おさえる。『ロードマン』がフォローにまわった。耀腕の基部を目標に、自機の残弾を全部放出。雲海の浅い部分が数度、オレンジ色に変色し、耀腕が『オフィーリア』機を放して沈んでゆく。

 その(すき)をのがさず、『黒猫』の尾部から緊急曳航索をつかむための回収ロッドが()び、曳航索にヒットする。

 

 ――やった!

 

 ワイヤをつかみ、上昇する『黒猫』を全員が見て歓声をあげかけた、その刹那(せつな)

 姿を消したはずの黔い耀腕が、雲海から垂直に、猛然と突き出される。

 明確な悪意をもった、餓死者の正拳突き。

 

 乗機を直撃され、『黒猫』の体が横ざまに“く”の字にへし折れた。

 血と吐瀉物(ゲロ)とを驚くほど吹き出しながら、パイロットが白目を剥くのが、R2モードに入っている候補生たちにはハッキリと分かる。

 

 慄然(ゾッ)とするヒマもない。

 

 分解する機体。

 飛散する部品やハイドロ。増槽やウェポン。

 パイロットシート周りの残骸(ざんがい)だけが(わず)かに残り、それが『オフィーリア』機に引っかかる形で雲海への落下を奇跡的に救っている。

 ヘルメットが飛び、給気マスクも喪われた『黒猫』の蒼白い顔。

 口から、鼻から、耳から、目から。

 紅いものをタラタラとながし、長い黒髪がバサバサと高層気流にゆれて。

 

 その時。

 

 候補生たちは、たしかに聞いた。

 

 ――ネェサマ……ネェサマ……ネェサマ……。

 



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012:初陣のこと、ならびに新しいW/Nのこと

 いまにも蒼空に消え入りそうな、かぼそい、透明な声。

 ()じやすく、控え目な存在の波動……。

 そんな気配が、候補生たちのまわりを微風のように廻りめぐったかと思うや、『オフィーリア』機が、最終緊急用にプログラムされた救援待ちの周回機動を突然中止し――あたかも意志があるように――気息奄々(フラフラ)と戦闘空域からはなれてゆく。

 

 それを追う――(くろ)い腕。

 (きず)ついた可憐な機体を、(けが)れた腕が、ふたたび(なぶ)ろうとする。

 だが居並ぶ者たちは、指をくわえてタダ観ているだけ……

 そんな光景を前にしたとき、『ポンポコ』の中で豁然(かつぜん)と何かが(ひら)けた。

 

 ――くそっ!

 

 四枚半のハンパな界面翼を意志の及ぶかぎり最大限に拡張!

 自我境界リミッターをも外しての緊急戦闘加速。

 後付けのシステムである「脳幹(のうかん)保護」のための「自動抑制(じこよくせい)モード」に入ろうとするところを、「ジャマするな!」とばかりニラみつけ、意識操作でカット・オフ。

 

 情けない!

 あまりに情けない!

 なんで一方的にヤラれっぱなしなのサ!

 こうなったら、ダメもとで――ボクが先輩たちを!

 

 気のせいだろうか。

 旧式であるはずの“奉天(ほうてん)”は、まるで喜び勇むかのように一度機体を身震いさせると、それまでのナマクラな挙動がウソのような勢いで、カミソリめいた戦闘(コンバット)機動(マニューバ)を開始。猛然と耀腕に襲いかかる。

 廉人中尉や編隊長の制止する意識波も、もはやどこか遠くに。

 命令違反?(ケツ)バット?懲罰房?

 

 ――フン!知るもんか。

 

 (ポンポコ)には、見えていた。

 

 この三本に見える耀腕群の本体は、知覚を変えれば根本を同じくする分岐した細い筋に過ぎないこと。その急所らしき根元に自機が抱える対耀腕弾を全弾たたき込めば――あるいは!

 R2モードに入っているので、電子計器の指示やFCS(火器官制装置)のデータは使わない。

 ()()()()()()()()()()()()

 ただそれだけ。

 耀腕が、『黒猫』機の残骸をぶら下げた『オフィーリア』機をつかもうとする動きを止め、『ポンポコ』の方に向かってくる。

 

 ――ハ!対耀腕・誘導弾かかえて、地獄に逆落としだよ!

 

 彼の脳裏(のうり)に、かつて授業で見た大昔のレシプロ式・急降下爆撃機の白黒映像が、この非常時にもかかわらずチラッとうかぶ。究極の“同一化”。景気づけにサイレンが無いのが残念なほど。あの当時はペラ(プロペラ)の回転で目標軸からズレてゆく誤差と地球の自転まで計算にいれたらしいが、今は展開した知覚を機体に還元さ(リダクション)せるのみ。

 

 研ぎ澄ませた認識力(つばさ)を、めいっぱい増幅しての特攻接近。

 ダイブ・ブレーキなどもちろん無い。チャフなども効かないだろう。

 イチかバチかの大勝負。

 

 投射地点で、イメージ的に彼は6発の対耀腕弾を“なげつけ”る。

 相手の反応が(はや)い。狙いを読まれたか。

 手首のあたりをギリギリかすめ――素早く待避機動。

 

《ポン吉、右だ!右へ回避!》

 

 視床下部のあたりに廉人(レント)中尉の叫びが響いた。

 と、背後から、まるで幽霊に追われるかのようなザワザワした感覚が背中を走り抜け、足首を冷たいものにつかまれる感触。

 

《『ポンポコ』、離脱なさい!『ポンポコ!』》

 

 空域が、異口同音(いくどうおん)の悲痛な“想い”で充たされる。

 彼の機体から延びる4枚半の翼のうち、一枚が、耀腕の痩せさらばえたような指に挟まっていた。

 動きが取れない。心象的には、足首に冷たいドロが(から)まったよう。

 酸欠した思考(あたま)で半ば気を(うしな)いながら、なんとかそれを引きはがそうと身の毛もよだついきおいで焦っていると、湖での無重力訓練中、湖底で自分の足を(つか)んできた腐乱死体の腕を思いだした。

 

 質感も、冷たさもそっくりに。

 

 声にならない悲鳴と共に、彼は、ネバついた()()を引きちぎる……。

 

         ――――――――――――――――――

 

 会議室の大型モニターが映像の再生を止め、待機画面の赤になった。

 居ならぶ宮廷武官や通常軍・高級将校の顔が、それと等しく赤く染まる。

 一見、鬼でも集合したような、もの凄い画面(えづら)だが、しかし表情は、一様(いちよう)に満足そうなものをたたえて。

 

 「なんと言ったかな?――そのぅ……コイツのW/N(ウィングネーム)は」

 「『ポンポコ』、であります。東宮代将殿(ブリガディエ)

 

 耀腕による候補生虐殺シーンを見続けていたため、張りつめていた一座の空気。

 それがフッ、とゆるんだ。

 ひくくおさえた笑いさえ起こる。

 緋色(ひいろ)に金モールの宮廷勤務服をまとう初老の男も、ニヤけた笑いを浮かべつつ、

 

 「『ポンポコ』……ちがう、違うだろう。コイツは、そんなタマじゃあない」

 

 ふたたび映し出された画像が逆転され、目当てのところで、止まる。

 ミュートのまま、もういちど再生。

 

 界面翼の一枚を耀腕に捕まれた、いびつな翼を展開する“奉天”。

 その時だった。

 一瞬、機体が震えたかと見るや、自由な翼の一枚が、まるで巨大なナイフのように成長し、数百mはあろうかという(くろ)い耀腕を、瞬時にしてズタズタに切り刻む。白いほうが、ふたたび雲海を割って現れるが、この機体は間髪入れず、べつの翼の一枚を長槍(スピア)状に変化させ、ものすごい勢いで突き立てた。

 ふたたび一時停止(ポーズ)

 たてに引き裂かれた耀腕。

 界面翼の創り出す事象面のヒビに引き裂かれつつ、止まる……。

 

 かすれた声が、あえぐように、

 

 「化け物ですね、この候補生は……まさしく我々が欲していた待望の逸材(いつざい)……」

 「本件に関しては、作戦に参加した候補生に、強制記憶補正処置を用いた箝口令(かんこうれい)をひいてあります」

 

 女性の宮廷少佐が直立不動のまま、キリリとした口調で端末片手に補足して、

 

 「同時に、関係部署には[特秘一種]の通達を完了済みであります」

 「当該(とうがい)候補生の機体に、工作のあとがあったと聞いておるが?」

 

 疑わしげな別の声に、この少佐はテキパキと、

 

 「硬翼が未収納のインシデントですが、問題の部位に指紋が検出されました。現在照合中であります」

 「サボタージュ、か……しかし、あんな二流校で?」

 「その二流校が、俄然(がぜん)、重要度を増してきたということだ。東西対校試演会が、楽しみですな。西の奴ばらに、泡を吹かせてやれますぞ?」

 

 まだだ――まだ。もっとシゴいてやらにゃ、と“東宮代将殿”はアゴ(ひげ)をいじる。

 

 「競ワセ、選別シ、廃棄スル。まだまだ手ぬるい。もっと食い合いをさせにゃならん。それも、極秘裏(ごくひり)に。(しこう)して、我々は最終勝利をおさめるのだ」

 「ですが、そうなりますと、いまの情報秘匿(ひとく)体制に、問題があります」

 

 宮廷少佐は、“ここだ”とばかり予算の不足を匂わせて、

 

 「事実、この候補生の乗機を検証したところ、西ノ宮由来と推察されるウィルスが、同調システムに発見されました。リダクションの第二工程で発現するもので、自我の湮滅(いんめつ)を助長させるタイプです。この日、西側でも約一名。自我拡散症によると見られる殉職者を発生させています。安全管理、および監視体制を構築するには、資材も人員も――」

 「“足らぬ足らぬは工夫が足らぬ”だよキミ」

 

 間延びした別の声がピンボケな調子で、

 

 「西ノ宮(むこう)だって予算が潤沢(じゅんたく)なワケではあるまい」

 「しかしあちらサンは人体実験ができるからなぁ……候補生(こども)を使い捨てできるのは、強みだテ。監査もうるさくないと聞く」

 

 空幕長の徽章をつけた男が、うんざり半分、やっかみ半分のような声で。

 

 「(しか)り。当方でそのようなコトをやろうものなら陛下の逆鱗(げきりん)にふれる……」

 

 ベストから金鎖を垂らす高価(たか)そうなスーツ姿の中年は、唇をゆがめた。

 

 「結局、ウチの切り札は、この『ポンポコ』だけか」

 「逆に言えば、強力な捨て札ともなりうるわけだ……譲歩を引き出すための」

 「うむ……それにしても、早急に、べつのW/N(ウィングネーム)をつけねば、(ウチ)としても恰好がつかん――そうだろ少佐(キミ)

 「は」

 「は。じゃないよキミぃ――何かないのかね、いいW/Nが……」

 

 映像ファイルが代わり、一機の練習機が、あやうげな調子で基本機動をする鮮明なシーンが映し出された。データの日付は、今の映像より、すこし前のものだ。

 技査フライトだろうか。監督機に見守られながら、規定の連続(わざ)をこなそうと、汚らしい群青色の光をはなつ貧弱な4枚翼。候補生の認識力で創る空間のヒビが、負荷に耐えられず、苦しそうに“存在フラッター”をおこす。

 2回目のインメルマン・ターンでとうとう翼は破綻(はたん)し、制御不能のまま雲海に墜ちるかと思われたその時。機体は、しばし震えると、周囲の空間に、輝くばかりの劈開面(へきかいめん)(はし)らせた。

金色(こんじき)の翼を拡げるようにも観えるその翼の数は、九枚。

 

 「何度見ても、スゴいなコイツは」

 「たしかに。あの『エースマン』が太鼓判を押すだけのコトはある」

 「死なせる覚悟で飛ばせて、はじめて実力を発揮するとは。因果(いんが)な候補生だ」

 「今回の作戦に、強制的に参加させて正解でしたね」

 「本人、知らんのだろう?」

 「両方のケースとも、自己喪失しているところを回収したからな」

 「自我安全弁が働いて、交戦時の記憶はあいまいだそうです」

 「今回使用した機体は、アレだな?(ウワサ)に聞く――“人喰(ひとく)奉天(ほうてん)”」

 「あぁ。担当部署を怒鳴りつけ、倉庫の封印をといただけはある。官僚(クズ)どもが」

 「なんにせよ、耀腕を自分の認識力(つばさ)で“消滅”させるとはねぇ……」

 

 「――たしかに。『ポンポコ』、なんてトボけたものじゃ、ありませんわね」

 

 男たちの会話に()じり、中年女性のやわらかい声が、部屋をわたった。

 

 「――殿下!」

 

 ザッ、と一斉に椅子が引かれ、一同が起立する。

 一瞬で現出する将官制服や文官勤務服の林を()って、ひとりの人物が、その歩みもゆるやかに、モニターへと近づいた。

 清楚にして優美。だがどこか威圧感のある、宮廷用・執務ドレスに(よそ)われた姿。

 モニターの灯に浮かび上がる、品のいい、ぽっちゃりとした二重の(おとがい)

 だがその双眸(そうぼう)は――あくまで冷ややかに。

 

 「この子はタヌキなんて(とぼ)けたものではなく……むしろキツネ。化け狐ですわ。そうじゃありませんこと?代将(ブリガディエ)

 「御意(ぎょい)に、殿下」

 

 そうですね、とこの人物は幾拍か(もだ)した後、

 

 「どうでしょう、代将(ブリガディエ)。この子の新たな名前(W/N)は……」

 

         ――――――――――――――――――

「Q.B.――QB!」

 

 荘重(そうちょう)にうち鳴らされる弔鐘(ちょうしょう)の合間を縫って、背後で声がした。

 喪服代わりである第一種・礼装制服の首もと具合が、気になって仕方ない彼は、白手袋をはめた手で、勲章に隠れた黒ネクタイの結び目をソッとゆるめる。

 

 黒に銀の縁取り。剣吊りベルトと角の柄がついた短剣。半身が隠れる銀モールつきのマントに、乗馬用ズボン。それに、投げナイフを納めたシースが右に装備されたロングブーツ。とにかくこの礼服は仰々しい――なにより重い。

 

「QBったら!」

 

 “一級候補生”の肩章をのせた肩を、いきなり叩かれて、彼はふりむいた。

 『牛丼』と『山茶花(さざんか)』、それにもう一人、他クラスの女子が三人、ならんで立っていた。

 女子候補生一年の冬用礼服は、第一装制服の上に防寒対策の意味でボア付きのマントと毛皮の帽子。額には瑞雲の校章が銀色に輝いている。

 

 高等錬成校に入って初めての冬。

 女子の見なれぬ一装姿をまえにして、不覚にも彼は、内心ドギマギする。それを押し(しず)めるため、わざとぶっきらぼうに、

 

「なんだよ、ギュードンか。よっす、サザンカ」

 

ヤッホ、とメガネの奥から『山茶花』の微笑が手をふった。

 

「なんだよじゃナイだろー。さっきから呼んでるのに」

「う……じゃぁ、ちゃんと発音しろよ。『Q.B.』じゃなくて――『九尾』だ!」

 



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013:慰霊式のこと、ならびにサラ候補生再登場のこと

 W/N(ウィングネーム)を『ポンポコ』から変更するという通達が管轄の中央省からあったのは、つい数日前のことだった。

 

 ふつう二年生にもなれば、よほどのことが無いかぎり珍妙な名前は変えられて、他から呼ばれても恥ずかしくない物になるのだが、一年の内からというのは珍しい。おまけに身を(てい)して上級生を助けたとの理由で、日本国・航界殊勲章(しくんしょう)も授与される。もっとも救助した『黒猫』は、いまだICU(集中治療)ポッドに格納された状態で、候補生登録を抹消(まっしょう)されたとのウワサだが。

 

 新しいW/Nは、いまだに彼の中で慣れない。

 風のウワサで、自分の学校に『九尾(きゅうび)』とかいうスゴ腕がいると聞いたのは、もうずいぶん前のことになる。

 まさか、それが他ならぬ自分自身のことだったとは。

 

 一ヶ月前、耀腕と東西の候補生錬成校がくりひろげた三つ(どもえ)の戦い。

 この事件は、その時ちょっとしたニュースになった。

 

 原因究明と責任の追及。

 法的な処理と賠償問題。

 

 査問(さもん)委員会での泥仕合がマスコミと大衆を()かせたが、いつの間にかすべてに結論を得ないまま、移り気な世間の興味もうすれ、責任を取って辞職した者や処罰を受けた者は報告されぬまま、なし崩しに沈静化する。

 

 季節は晩秋の終わりにうつりつつあった。

 

 ようやく東宮(とうぐう)西ノ宮(にしのみや)、それぞれ宮殿広報担当の応酬(おうしゅう)がおさまった昨今、今日は“事故”で行方不明となった東宮候補生をとむらうための慰霊式が、ここ中央大聖堂で世間に示威(じい)の意味もこめて、盛大に()り行われるのである。

 

 おりしも例年より早い寒波が、事象境界面を超えてやってきた。

 季節だけは、もとの世界が球体であった通りにすぎてゆく。

 渡り鳥でさえ、飛んでくる。

 しかし生身の人間は、事象境界面を超えられない――航界機なしでは。

 

 黒ずくめの喪服たちが、あちこちから中央聖堂のドームを目指し、宮殿前広場の石畳を歩いてゆく。その足音が一つにまとまってゴォッというような(ひび)きとなり、寒々とした光景に拍車をかけていた。今日、東の錬成校は喪に服すという意味で、一斉休校となっている。式典に参加する者は手当が出る段取りになっていた。そうした道行きの途中で『九尾』はクラスメイトに捕まったのである。

 

「イイよなぁ……ポン――『九尾(きゅうび)』は」

 

 式次第のパンフを丸め、『牛丼』が『九尾』の肩章を叩きながら、

 

「特進で、一級候補生サマかぁ」

 

 『山茶花』が、好奇心まんまんといった風に表情(かお)を輝かせ、

 

「ねェねェ!新しい寮の住み心地、どう?広いの?間取りは?」

「1LDK、っていうの?そんなに広くもないよ。でも部屋に風呂がついてる」

 

 おまけに拷問台(ごうもんだい)のようなトイレも、と加えたいところだが、こちらは恥ずかしくて絶対に言えない。いまこの時も自分の肛門(アヌス)尿道(ユリスラ)をズップリと犯している“貞操帯”の事だけは、何としても知られてはならなかった。

 

 うそぉ。いいなぁ。の応酬のあと、もう一人の女子候補生が、こちらはすこし控えめに、

 

「新しいW/N、『九尾のキツネ』から採られてるんですって?なんで九尾なんです?」

「こっちもよく分からない。なんでも羽根の形が、すこし変化したらしくて」

 

 お稲荷(いなり)サンみたいに?と『山茶花』が、お下げを揺らして笑う。

 

「鳥居の形をしていたとか?」

「いくらなんでも九枚翼のハズねェよなぁ」

「いたら化け物よねぇ。あの『カズィクル・ベイ』でさえ、八枚翼ですもんねぇ」

 

 彼女は東の錬成校につたわる伝説の先輩候補生の名をあげた。

 『九尾』は、自分を救った西の候補生のことをチラッと頭にうかべる。

 

 サファイア色した、あの八枚翼……。

 (くや)しいぐらいにキレイだったな、とも。

 

「昇進祝いになんか奢れよ『Q.B.』。景気よくサ」

「アラ、いいわね。港湾区のインペリアル・スカイ・ラウンジで“お昼(ランチ)”なんていかが?」

 

それにつられたのか、他クラスの女子候補生が、

 

「これからワタシの彼も加えてダブルデートなんですけど……どうです?『九尾』さんも?」

 

 そして事情をしらぬ、屈託(くったく)のない笑みで。

 

「せっかくですから『九尾』さんの彼女もつれて、わたしたちとご一緒に」

 

 あとの二人は、あちゃァ……という微妙な顔。

 満身創痍(まんしんそうい)の彼は、かろうじて体勢を整えつつ、平静をよそおった顔で、

 

「なんで昇進した方が、オゴらにゃならんのかね。それに『Q.B.』じゃない『九尾』だ!」

 

 ヨぉ!『Q.B.!』と、そのとき遠くから声がかかった。

 

 四人は声の方を向く。

 次いで『山茶花』が、うわぁ……と声にならない吐息。

 

 SMの女王様が女性航界士用・冬季喪服(もふく)をデザインしたらこうなる、という見本のような装いの人物が、チャリチャリと金属音を立て、威風堂々(いふうどうどう)、近づいてきた。

 

 (えり)に、ヤマアラシのような密集針のボアが付いた、毛皮製の黒マント。

 その下は、胸が大きくダイヤに空いたタイトなアッパー。

 谷間も見せる、こころニクい演出――ついでに薄物越しに、胸のポッチリも。

 ピンク色のショーツが見えた!と錯覚するほどにギリギリなミニスカート。

 そこからのびる、網タイツに包まれたムッチリな太もも。

 しかし、それもすぐに膝上(ひざうえ)までの拍車(スパー)つき編み上げブーツに隠れてしまう。

 

 『山茶花』のかぶる物より上質と見える、濡れたような光りを(はし)らせた、東部ヨーロッパ事象面の山岳民族がかぶる様な背の高い黒の毛皮帽。そこには錬成校の紋章のほかに、対校戦・戦績優秀賞と空技廠・青銅十字章の徽章が輝き、とどめに大きな黒法皇鳥の羽根だ。

 

 アクセントとして首から垂らす、純白のマフラーの具合をなおしながら、

「なんだクラスメイトか?をォ!いっちょまえに“一級”の肩章ぶっ刺して!?」

 

 “あの日”のように、彼女は『九尾』の肩に腕をまわす。今日は2Stオイルの匂いにジャマされない分、マントに(こも)もる彼女のムレたような温かい躰香が、革の臭いとともに(なま)めかしく(かお)った。黒いふたつの隆起を背景にして、二重にさげた真珠(しんじゅ)の大玉ネックレスが、()える。

 

「行こうゼ、式ィはじまッちまうよ――オマエらも遅れンなよ?」

 

三級候補生のヒヨコたちは気圧(けお)され気味のまま、ピョコピョコと頭を下げた。

 『九尾』は、そんな彼らに見せつけるよう、なるべく心やすい風を演じながら、

 

 「わかりました、サー『デザート・モルフォ』。候補生『九尾』、およばずながらエスコート(いた)します」

 

 名高い武闘派上級生のW/Nを、いくぶん声高に口にする。

 空気を読んだのか、サラも媚態(しな)をつくり、こちらも三人に聞こえよがしに、

 

「もぅ『Q.B.』ったら、硬いンだからぁ!カタいのは“アソコ”だけで、イ、イ、の!」

 

 そういうや大きな胸を『九尾』の顔にムニムニと押し付け、

 

「サラ、って呼んでくんなきゃ――イ・ヤ・!」

 

 人さし指で、年下候補生の胸に()()()を書く。

 

 自分の仕掛けた演出を、そのままダイレクトに返された『九尾』。

 ボッと顔が火照るような感覚で、うれし恥ずかしさに心中、天にものぼる勢い。

 そしてさらに柔らかい胸が押し当てられるという、大サービスの波状攻撃。

 あぁ、本当に彼女が居たらなぁ、と彼は心底思う。

 

 口をアングリあけたままの三人から遠ざかると、彼女はサバサバと口調をかえ、

 

「式ィ終わったら、(たつ)とメシぃ食い行くんだ。オマエもどうだ、『Q.B.』?」

 

 彼は首にまわされた腕から感じる体温を味わいながら、彼女がはめる黒い長手袋に光るドクロの指輪を眺めつつ、ちょっとふくれて、

 

 「それってデートじゃないんですか?ボクはジャマでしょ。それに『Q.B.』じゃない、『九尾』!」

 

 

 

 慰霊大聖堂の薄暗く広大な空間。

 見上げるほどに高い丸天井から、光が方形に何本も差し込んでいた。

 床には、10階ほどの高さからかろうじて見分けがつく文様や画が、真鍮と大理石タイルで描かれている――はずだが、今日は喪服姿の群衆が、その場所を占めていた。主廊だけではない、袖廊や翼廊、さらには廻廊の上に設けられた通路もいっぱいである。

 だが、立ち入り禁止となった100m以上の階は無人なので、ちょっと観には、この広大な大聖堂は、まだまだスカスカに見えた。

 

 ――ふえぇぇ……。

 

 他校の候補生が、このように一堂に集まるのを見るのは初めてな『九尾』には、それが精一杯の反応だった。しかも錬成校ごとに、デザインは千差万別。まるで喪服のデザイン・コンペとみまごうほどに。洋風もあれば和風もある。現代風にシックなスタイルから、はては法王の傭兵のような、時代がかったモノまで。

 オールド・ミスが校長の錬成校は、えてして礼装が仰々しいという話だった。

 そして――アヤしげなウワサも、チラホラと。

 

 大聖堂の中はスチームが効いて暑いくらいだ。

 なるほど、外で見たときは、サラがなぜマントの下を薄着にしているのか分からなかったが、いまにして彼は納得する。女子の上級生は重々しいマントを外しているので、下の衣装が丸分かりだった。彼女たちは黒を基調としたギリギリに派手な喪服をまとい、まるで(おのれ)の存在を誇示するように。

 そこへ行くと、男子候補生は不利だ――デザインの関係上、胸元ひとつ緩める事が出来ない。高級将校めく生徒も、平安朝の武官をデザインした生徒も、西洋古典風の生徒も、男子候補生はみな顔を上気させ、ハンカチで汗をふいている。

 

(ほら――あんまキョロキョロしてンなよ?)

 

 ヒソヒソと、サラは彼に注意する。

 

(オマエは注目浴びてんだから)

(そんな。サー『モルフォ』が、そんなデーハーなカッコしてるからでしょ)

(失ッ礼な。あたしゃシックな方だろ。あれ見ろよホラ――貧相(ヒンソー)な横チチ出して)

 

 アゴで示されたほうをみると、なるほど。サラの格好を数倍濃くしたような女子候補生。サンバのカーニバルに飛び入り参加しても、おかしくない。

 

(ぅっわ。そもそも喪服ですよね?なんで上級生の女子は、みんな派手(ハデ)なんですか?)

(そりゃ、自分のW/Nを売るためサ)

 

 こともなげに彼女は、(かたわら)らを通りすぎる他校の男子候補生、その視線に会釈(えしゃく)を返しつつ、

 

(対校戦の前哨(ぜんしょう)。ここで相手にもプレッシャー与えとく、ってワケ。とくに今日はエラいさん達も来てる。自分を売り込んどいて、もし将来正規採用されなかったら、どっかの省にモグり込みたい、ッてな算段だ。女の“候補生くずれ”なんて引き取り手はあんまり無いし。一般企業の秘書や、手当をもらって“愛人(あいじん)”やってる先輩もいる。あぁ――愛人、ってのはダナ?いわゆる――)

(それくらい知ってマス!)

(マ、そういうこと。女で事象面間航行タンカー勤務なんて、なぁ?……チッ!ほら、シャンとしろ――来るぞ!)

 

 サラの気配が一変する。

 混雑のなか、彼方からどことなく“水っぽい”男子候補生たちを従えた女子候補生が、悠然(ゆうぜん)と近づいてきた。

 



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014:他校候補生のこと、ならびに宮殿“三王女”のこと

 喪服(もふく)に引き立てられた抜けるような肌の白さ。

 ラピス・ラズリな冷たい(ひとみ)。まるで人を射るような眼差しで。

 そして――皮肉そうな微笑を浮かべた、冷徹(れいてつ)を印象させる薄い口もと。

 

 ほんのすこし『オフィーリア』を連想するが、雲間(うんかん)に散ったあの女子候補生の清楚さも可憐さも、そして(はかな)げな雰囲気もまとってはいない。ただ肉食獣めいた、あてのない不満と物欲と、そしてなにより冷たいカミソリのような気配を周囲に放射しているだけだった。

 

 一団は二人の前で足を留めた。

 そして取り巻きを背後に、彼女は一歩進みでて軽やかに一揖(いちゆう)すると、

 

「これは、これは。『デザート・モルフォ』どの。こたびはとんだ事になりまして。わが錬成校を代表し、お悔やみ申し上げます」

 

 たいした迫力だ、と『九尾』は心中舌を巻く。

 

 大柄で滅殺の気満々なサラを相手に、身長160cmそこそこと見えるこの肉食獣はビクともしない。対して“デザート・モルフォどの”も隠しきれない殺気をおさえつつ、見なれない慇懃(いんぎん)な態度で、つつましく応戦する。

 

「ご挨拶、大変恐縮です『クラスナヤ・ズヴェズダ』どの。散華(さんげ)した者たちも御来臨を賜り、泉下(せんか)でさぞや光栄に思うことでしょう」

 

 それを聞いた彼女は、取りまきに有るか無きかの流し目をくれたあと、口調をいくぶん冷ややかなモノに転じ、

 

「とは言っても。まぁ此度(こたび)の作戦は、そもそも無理があったともっぱらの評判ですが。貴女(アナタ)という逸材が居ながら具申できなかったのが少々不思議でしたよ。なおかつ参加もしていないとは。あたら(はな)の命が――無為(むい)に費やされて」

「まこと、耳朶(じだ)に痛きお言葉でございます、サー『ズヴェズダ』」

 

 相手の気配を、サラはやんわりと受け流しつつ、

 

「とはいえ、()()のような末端には、うかがい知れぬ駆け引きが、いろいろとあるようで――」

「貴女の所のように、小まわりの効く“小ッぽけな”修錬校ですと……」

 

 目の前の『ズヴェズダ』は、サラの言葉などまるで聞こえないように、

 

「いろいろと他愛(たあい)もない冒険もできて楽しそうですけどねぇ。当方のような政府直轄(ちょっかつ)、精鋭ぞろいのマンモス校にもなると……これがなかなか」

「お言葉の……とおりにございます……サー」

 

 軽く頭をさげたサラのこめかみが、このときピクピクと動く。

 

「貴女には、まだ紹介してなかったですわね?」

 

 そういうと彼女は、まわりの取りまきを次々に紹介する。

 そのうち一、二名のW/Nに『九尾』は聞きおぼえがあった。

 全国の対校戦・上位入賞発表のニュースで、わりと耳にする名前だ。

 

 いずれも洒落(シャレ)めかし、さまざまな光りモノを身につけた“チャラ系”候補生たち。パッと見、ホストだと紹介されても分からなかったろう。一団のなかでも『九尾』と同学年と見える一人の年少候補生は、オー・ド・トワレの臭いを振りまきつつ、彼にあからさまな侮蔑(ぶべつ)挑発(ちょうはつ)表情(かお)をかくさない。

 

「で――そちらは?紹介しては、くださいませんの?貴女のカワイイ()を」

 

 粘着質な声で“カワイイ子”といわれてムカッとくるが、先輩に恥をかかせるわけにはいかない。

 『九尾』はサラが反応するより早く、幼年校時代、半(ねむ)りで聞いていた礼法授業の知識を、記憶野に活を入れ、ミリセコンドで思い出す。

 悠揚(ゆうよう)せまらず彼は前に進み出ると、白手袋を填めた右手の中指と薬指を礼服の胸の合間に差し込み、左手は背に、そして左足(さそく)をひいて(かろ)く身をかがめ、

 

「尊敬すべきサー『クラスナヤ・ズヴェズダ』に拝謁(はいえつ)の機会を(たまわ)り、光栄至極(こうえいしごく)(ぞん)じます。小翼(しょうよく)は名乗るほどの者ではございませぬが、『九尾』、と御心にお留め置き下れば、これに勝る幸せは……」

 

 『九尾』!と取りまきの間に動揺(どうよう)(はし)った。

 

 (あの“耀腕扼殺者(やくさつしゃ)”の!?)

 (“(あお)の殺し屋”とか言われてるヤツ!?)

 (ちがう、“白の槍騎兵(ランシエ ブラン)”だ!)

 (酒場に入り浸って、地元のヤクザ半殺しにしたって聞いたぞ……)

 (マジで?コイツが!)

 (こぇぇぇぇ!)

 

 すこしのあいだ、集団をふくむ周りがザワつく。

 そのとき、式典の始まりを告げる鐘が、頭上陰々(ずじょういんいん)と鳴り響いた。

 

「ではサー『ズヴェズダ』……わたくしどもは――これにて」

 

 あっけにとられる一団をよそに、サラは『九尾』をうながし、揚々(ようよう)とその場を去った。

 修錬校ごとに指定された座席のエリアに向かう最中、とうとう彼女は笑みくずれ、

 

「ニャッハぁー、気持ちよかったァ!アンタのおかげで、あの『ズベ公』のブタに一泡フかせたわ。ザマミロっての!クソが」

 

 破顔一笑、せっかくキメた『九尾』の髪を、ワシワシとなでる。

 

「ちょっとモー、やめてくださいよぉ!……でも、サー『ズヴェズダ』って、全国大会でいつも上位にいる人ですよね」

 

 ふくれ顔で髪型をなおす『九尾』にサラは、

 

「サーなんてつけなくていーの。自分の家柄と、金と、コネと、容姿だけを鼻にかけてるクソ女なんだから」

「……それって最強の配牌じゃないですか」

「だ~か~ら~、このアタシが仕方なくペコペコしてンじゃないのさ。アイツにたてつくと、ウチのガッコの予算すら、キビしくなるかもしれないからネェ」

「へぇ……そんなに」

「それにアイツとはこの前、秋の大戦技会で因縁があってね。借りを返してやる……」

「今年のは中止になりましたよね」

「かわりの全国大会が年明けにひらかれる、ってウワサさ。そンときにな。来年の春は、例年どおりなら“事象震”が発生するハズ。そのマエに決着つけるつもり」

「……コワいですね」

「あぁ。()()()()()()()()()()()()()()()()?よく覚えときな」

 

 若干ザワつき始めた周囲。視線。

 携帯カメラの気配と共に『九尾』という言葉がチラホラと。

 

「でも、なんでみんなボクの名前知ってるんだろ」

「あぁ、『九尾』っていうオマエのW/Nな?ずいぶん前に決まったらしい。でも保安上の理由から表に出せなかったらしいぜ。それがなぜ知れわたったかというと……」

 

 サラは、すれちがう知りあいに会釈をかえしながら、

 

「アタシぁ見たことないが、当時の空撮映像が、ウィルスがらみで流出したんだとサ。他校じゃ、もうオマエのW/Nにつけられた二つ名だけひとり歩きして、けっこう有名らしい。“孤高の翼”“白雲の乙仲(おつなか)”“事象の求道者”その他、もろもろとナ……うちのガッコ、来年は予算獲得のチャンスかも、な。もちろん卒業生のアタシも、航界大学でハナ高々ってワケ」

 

 満足げなサラは、艶めかしい腕を彼の汗ばんだ首にまたもやまわして、あたかも周囲に誇示するように通路を歩いてゆく。

 スーハーと鼻で深呼吸する『九尾』。

 ズボンの下も、けしからぬことにチョットふくらんで。

 

「気ィつけろよ『九尾』。有名になった候補生は、ほかの“二つ名”(ども)から因縁(インネン)つけられる場合もあるからな……どした?鼻息あらくして。暑いか?」

「い、いえ!とんでもない!」

 

 しばらく行くと、すこし高くなった階段部分に見なれない女官服を着た人物が、まるで喧噪(けんそう)を避けるように独り(たたず)み、こちらを()っと見ているのに気がついた。

 

 徽章(きしょう)輝く略帽の下で、キッチリ撫でつけられた金髪。

 黒いドレスに印象的な、白い襟元。そこに輝く何かの十字章。

 胴をしぼったシルエットの上半分は女官風の装い。しかし下は、『九尾』と同じく乗馬用のズボンに磨きたてた長靴(ちょうか)だった。シルクらしい光沢の黒い膨らみ袖に、小さく階級章が輝く……。

 

 『九尾』の視線を追ったサラが、

 

「へぇ、珍しいな。王室付き秘書官だ。階級は、と。宮廷中尉!?……平軍での上級少佐、ってトコだなァ。(トシ)ぁオマエと同じくらい?マ、どうせ華族がコネで入れたんだろ。あの歳で佐官級は、ネェわ。アタシらなんかさんざ修羅場くぐって、せいぜい“上航卒”スタートだもんなぁ」

 

 しばらく混みあう通路を歩いてから、彼女は『九尾』の首にまわした腕をとくと、喪主校指定の上級生用座席エリアに去ってゆく。とおい人混みのなかにエースマンの愛用する騎兵帽もチラっと見えたような気が。

 

 中央の壇上に副祠祭(しさい)が座を占めるころ、万人単位が集う堂内のざわめきは、ゆっくりとおさまってゆき、やがて大鐘楼の本鐘が鳴らされるころには、コンサートの合間のような(しわぶき)が二,三度きこえるだけとなる。 

 

 鳴らされるオルガン・レクイエム。

 儀典長の宣言と、従者隊が鳴らす鉦鼓(しょうこ)

 祭壇の袖から皇族と、総理大臣。そして外象民の長である王族が姿をみせた。

 

 第一、第二――そして第三王女。

 

 喪の象徴であるマスクに半顔を隠し、長い裳裾(もすそ)の黒ドレスに身をつつんで、『九尾』たちが見守るなか、画に描いたような優雅さで順次着座する。

 中央に位置を占めるのは、女系王族であるこの王室の第一王女だ。

 “薔薇(バラ)の王女”と言われる彼女は、現在の女王が高齢で公式の行事に参加できない今、実質の統領(コンスル)であり『大破断』によって日本に漂着した避難民を統べるトップでもある。

 右隣に座る“(ラン)の王女”と呼ばれる第二王女は、外務一般を担当していた。

 

 そして――左隣に座る、燃えるような赤毛を、黒リボンで結い上げた第三王女。

 “百合(ユリ)の王女”とよばれる彼女こそ、探査院のトップであり、すなわちすべての航界士の長である。もっとも性格の激しさから“鬼百合”と呼ばれ、王宮内では敬遠されて、職務も実際には第二王女が兼務しているというウワサだったが。

 

 ――あ。

 

 着座せる王女たちの、それぞれ背後には、小姓だろうか。薙刀(なぎなた)(かたわら)らに立て、片ひざをつく者と、権威の象徴である指揮杖を、凛として保持し、佇立する者。

 その指揮棒を馬手(めて)にする者のうち、第三王女の背後にひかえる女官に、さきほど『九尾』たちを見下ろしてきた宮廷中尉らしき者がいた。

 ヴェネチアン・マスクをかけてはいるものの、周囲の小姓たちを圧し、“凄絶なる美”とも言うべき気配を、風貌、儀容ともあいまった形で周囲に発散している。

 

 弔鐘(ちょうしょう)が陰々と鳴り、砲車に乗せられて会場に入ってくる(ひつぎ)が5つ。

 耀腕の奇襲を受けたVTOL2番機の乗員4名、そして『オフィーリア』の分。

 座していた者は全員起立して遺体を迎える。だがこのうちの4つは空だ。雲海に墜ちた者を捜索するすべはない。残る一つ、『オフィーリア』の棺も、遺体はとうに火葬済みで骨壺が入っているだけと聞いている。遺体の状態は、ひどいものだったらしい。回収を手伝った医療班のうち二名が当日に配置転換を希望し、のこりの要員も長いあいだ、鎮静剤の助けをかりたと、これは『牛丼』の受けうりだ。

 

 あの美しかった顔が、耀腕の力で見るまに無惨な面に変形させられていったイメージ。

 

 ――実際の死体も、あんなふうだったのかな、

 

 と『九尾』は(ジッ)と考える……。

 

 侍童たちが捧げる大燭台(おおしょくだい)の列。

 年老いた司教の振る香壺と、読経。若い司祭たちの交唱。

 長い儀式と歴々のスピーチ。

 座っている者の頭が居眠りでフラフラ揺れるころ、ようやく慰霊式は終わった。

 

 百人規模の外象人による聖歌隊が、十二音階にしばられない不思議な詠唱(えいしょう)を行うなか、粛然と鐘は打ち鳴らされ、棺を載せた砲車の列は、ならびゆく参会者が思い思いに撒く花弁が折りなす永訣(えいけつ)細雪(ささめゆき)のあいだを、ふたたび大聖堂からしずしずと出てゆく。

 

 内閣の要職と皇族、王族。それに来賓(らいひん)たちが退席し、あとは自由散会となった。

 開け放たれた大聖堂の大扉から冷たい外気が、ヒタヒタとまぎれこみ、儀式に使われた大蝋燭の列をゆらして、蒸された人々の顔をホッとさせる。

 

 『九尾』が先に聖堂の入り口で出会った三人組が、男子候補生をひとり増やして近づいてきた。

 



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015:聞いてはいけない会話のこと、ならびに礼拝堂のこと

「ポン――じゃなかったQB。このあとどうするの?」

 

メイクを気にしつつ、顔の汗をおさえながら『山茶花(さざんか)』が言葉をかける。

 

「やっぱり()()()()のトコ行くの?

「……うん、そのつもりだけど」

 

 すげェよなぁ『九尾』は、と『牛丼』は突っ放したように、

 

「あッという間に、エリートの仲間入りだもんなぁ……オレらヒラ候補生とは、ちがうよナァ」

「なんだよ。急に」

「オマエは、ウチらとは住む世界がちがう、ってコトさ」

「――ちょっと。そんな言いかたないわよ」

 

 『山茶花(さざんか)』が横からたしなめた。つづけて真顔になって、

 

「でもね。私たちも、これからデートのつもりだったけど、OBの皆さん訪ねてみようと思って」

「OB?ウチの学校の卒業生を?」

「お式の間、教務課のデータ取り寄せて、いま省庁に勤めてる何人かにメール送ったら、二・三人会ってくれるって。先輩たちのお棺見てから考えが変わったわ。死んぢゃったら、お(しま)いよねぇ……」

「それに『九尾』クンは、もう本採用確定だろうけど」

 

 新しく加わった男子候補生が、上級生らしい落ち着いた口調でそれに続いた。

 

「われわれは、どうなるか。安全索は、作っておかないと」

「保険は、だいじよ。ね?」

「あぁ……ンじゃな。あーばよ、Q.B.」

 

 口々にそういうや四人は、巨大な列柱がならぶ薄暗い側廊(そくろう)を、人の波にくわわって大聖堂を出てゆく。

 あっけにとられた『九尾』は、去ってゆくそんな彼等の後ろ姿を見送った。

 

――ちぇっ、なんだい。

 

 いいもんね、と『九尾』はサラ先輩の巨乳を頭に思い浮かべつつ、彼女を探そうと人の流れに逆らい、上級席があったところや、広大な翼廊、二階席を、携帯のサーチ機能で見わたす。しかし――どこにもいない。三○分ほど探して、ガッカリと出口エリアのほうに向かいかけたとき、聖堂の側廊にいくつか設けられている小部屋の一つで聞いたことのあるような声がした。

 

(……だからって、あのコにあたらなくてもイイじゃないか!)

(そうじゃない。ヤツが!その覚悟を持っているか……それを知りたかったんだ)

 

 足音をしのばせ、かつ、いまだチラホラしている人の眼を気にしつつ、彼はあくまでさりげなく、扉に身を寄せて耳をちかづける。

 

「ハ!ウソだね。アンタはあの子が憎かったんだ!」

 

 甘ったるい香の染みついた木製の扉をへだて、言葉がハッキリときこえてきた。

 

「あのコが怖じ気づいて、飛べなくなればイイと考えてたンだろ?所詮(しょせん)やつ当たりさ!」

「何とでも言え。その理屈でいうと、お前もオレの憎しみの対象となるわけだな?」

「ヘェ。じゃアタシも、憎んでるッてのかィ!」

「だから――ちがうと言ってるだろうが!」

 

 思わぬ龍ノ口の怒気に、一瞬サラがひるむ気配。

 しかし、それでも態勢をたてなおし、うわずったような声で、

 

「……アタシにゃそう見えるのサ。アンタは変わった――変わッちまったよ。むかしの優しくて思いやりのあるバカ龍じゃ、なくなッちまった」

「じゃァ、さっさと俺を見限れよ。『()()()()』のトコでもいくがいい」

「ちょ……なんでそんなコト言うんだい!あのコは関係ないだろ!」

「とっととヤツの所に行けよ。アイツには可能性があるからな。将来――ウマくいきゃ玉の輿だぜ」

 

 龍ノ口の声に、()ねたような、ふてくされた色が混じるのを、『九尾』は相手が見えないだけ、敏感に感じとる。なんてことだ……あの大先輩が。

 

「ふざけンじゃないよ!もともとアンタが構ってやれって言ってきたんだろ!」

「は!どうだか?まんざらでもなかったんだろ?」

「なんで、あんなガキが!アンタの代わりになると……思ってるのサ」

 

 最後の方は、泣き声が入っていた。

 焦れたような声と、足を踏み鳴らす音。

 告悔室状の狭い空間に響き、彼のところまで届く。

 

「ホンキで……ホンキでそんなこと……イヤ!なにを……」

 

 あとは言葉にならない。

 なにやらくぐもった音と、身体が激しくぶつかる音。

 衣擦れ。小さな悲鳴。悶える気配。よがり声……。

 

 文字通り「どんより」とした気分で『九尾』はうなだれ、その場をのがれた。

 

 ――しょせん……アテ馬、か。

 

 分かっていたつもりだったが、いつのまにか本気になっていた……馬鹿。

 

 温かくよどんだ薄暗がりを、力の入らない脚でフラフラと歩き、もはや人影もまばらな大聖堂から彼はよろめき出る。とたん、いきなり寒気に包まれたせいか、外のまぶしさか。あるいは今、扉の向こうに聴いた会話のせいか。世界は一瞬ゆれ、平衡(へいこう)(うしな)われる。

 脇を通り過ぎる参列者たちの視線。チラチラと自分に向けられるのが分かって恥ずかしい。

 大扉にドッともたれかかり、冬の雀のように首をすくめ、じっと目眩が収まるのを待つ。

 ようやく『九尾』が目を開けると、

 

 荒涼とした聖堂前広場の石畳。

 主人を待つリムジンの黒い車列。警戒線と、武装した護衛。

 三々五々、散ってゆく群衆。

 リニアトラムへの列。あるいは国鉄、地下鉄へと向かう列。

 水の枯れた噴水脇には、焼き栗売りの屋台が二三、煙をあげ、客を集めている。

 見上げると、視界を圧する大聖堂の逆光ぎみな伽藍(がらん)を背景に、わずかだが白いモノがちらつきはじめていた。

 

「寒さが身に染みるなぁ……」

 

 とおくで、見知った候補生たちの一群が華やいでいるのが見えた。

 

 ――マズい。

 

 あわてて大扉の影に身を隠す。

 

 『牛丼』たちに()()()の姿を見られたくはなかった。

 あれだけアオっておいて孤独な姿を彼等の目にさらすのは、あまりにもミジメすぎる。かといってヘタに大聖堂の中にいると、いかな超広壮な建物とはいえ苦手な先輩や教官達と()()()()()になる可能性も捨てきれない。それに顔バレした今は“有名な候補生には因縁をつけてくる輩もいる”という話が気になった。

 

 はぁつ、とため息。

 自身の吐いた息が、雪のやってくる空へと昇ってゆく。

 

 ふと視線を横に向けると、大聖堂に隣接して背の高い(さく)で囲まれた礼拝堂が目に入った。

 大階段をタッタッと降り、足早に近づくと、柵には、(つち)の目も鮮やかな鍛鉄細工(たんてつざいく)で、様々な図像がほどこされている。

 探査院の紋があるその細工の意匠をたどってゆくと、どうやらこれが、寓意的な物語絵巻になっていることに『九尾』は気づいた。

 

 人間が、事象面の境界である廻廊をいくつも越え、苦難と戦い、犠牲を払いながら、ついには彼方に待つ“絶対者”と相まみえる――ところで物語は鉄柵の門扉(もんぴ)となって(おわ)っている。

 

 ちぇっ、イイとこだったのに、と(とざ)された門に並ぶ聖獣の口がくわえた大きな手環を何気なく指で動かす。輪と金物がチンと打ち当たると、電子音がして、門のロックが音を立てた。

 

「瑞雲校ザイセキ・一級航界士コウホセイ『九尾』・ドノ――カクニン、シマシタ」

 

 ――うぉ!

 

 いきなり自分の新W/Nをよばれ、彼はプルプルっと身体を震わせる。

 両開きの門のうち片側が、蝶番のグリスの効きも滑らかに、音もなく後ろに動いて、けっこうな勢いでストッパーにブチ当たり、ハデな金属音をたてた。それはまるで「入れ」と言わんばかりに、彼の耳に威圧的に響く。

 

 ――とりあえず寒さしのげて時間ツブせればいいかァ。

 

 玉砂利のうえにきれいに並ぶ飛び石をつたって、よく手入れされた前庭をよぎる。階段をのぼり、彼は予想外に重い礼拝堂の大扉を押しあけた。

 

「……」

 

 天窓から差す、きわめて(かす)かな、うすい紫のひかり。

 さほどひろくもない、不思議な会堂が、闇のなか、(かす)かに浮かんでいた。

 

 礼拝用ベンチもなにもない。

 絨毯すら見あたらない。

 壁にかかる什器(じゅうき)も見分けられない。

 

 大理石(なめいし)の床は何の意匠(いしょう)もなく、ただ真っ白のようである。中に歩み入ると、着ている喪服の黒さで、自分が、この仄暗(ほのぐら)く、清浄で、神聖な場所を侵す部外者とも思え、躊躇(ためら)いを覚えてしまうほど。。

 

 まったくの、無音。

 

 心音すら聞こえてきそうな、静謐(せいひつ)の世界。

 

 「……はぁ」

 

 大きなため息を、またひとつ。

 温かみもなく、かといって(つめ)たさも感じない空気が、肺を()たす。

 自分の硬い足音すらはばかられる光景を、ゆっくりと歩くと、ようやく薄暗がりに慣れた眼が、木製の小さな椅子を見つけた。会堂の中央まで片手で運び、貞操帯に気をつけつつ、ふぅ、と腰を下ろす。

 

 ポカン、とした空虚がやってきた。

 

 いままで自分がしてきたコト。

 努力、苦労。冷や汗。

 それらすべてが、価値のないような――そんな感覚。

 

 猛烈なジェットコースターに乗せられ、気がついたらココまでやってきてしまったが、このさき、本当にこのままで良いのかという、最近自分の中に浮き沈みする()()()も、したり顔をして胸の内にうかぶ。

 

 形を変えて相次いだ“死”という事象。

 牧歌的な幼年・中等錬成校と違い、いきなりの血生臭さ。ヒリヒリと首筋を襲うシビアな現実。この先さらにきびしさを増すのだろうか。

 保険、という『山茶花』の言葉が耳についてはなれない。とりまく状況が悲惨になった場合、自分も候補生とは別の進路を、用意したほうがよくないか。

 

 ――でも、いったいどんな進路を……?

 

 こんなとき、誰に相談したらいいのか分からない。

 瑞雲(ずいうん)の教官に訊いてみた所で、とんでもないと言われるのは分かってる。龍ノ口(チューター)や『モルフォ』先輩にしても、どういう反応が返ってくるか(それに、先ほどのことがあった今、まともにふたりの顔を見れそうにない)。両親と交流があったら、父親にでも尋ねてみるところだが、家を体よく追い出された自分が、いまさらノコノコ訪れても、迷惑がられるに違いない。『牛丼』や『山茶花』たちのOB訪問の結果でも、聞いてみようか。

 

 昔はよかったなぁ……と、彼は感傷的におもう。

 なにも考えず、ただ勉強して、飛んでいれば良かった。

 幼年校時代の、無動力グライダー。

 山間部の気流に包まれながらの、単独操縦(ソロ)

 陽光に輝く純白のパイロンを、右に左に、滑ってゆく。

 

 《(よろ)しい!以後、時間の終わりまで、各自、好きに飛んでよし》

 

 “じーちゃん先生”から無線で言われ、一斉に上がる歓声。

 インカムに響く、同級生の挑発。

 

 《だれがいちばん高いか、きょうそうだ!》

 

 編隊を崩し、紺碧の空に次々と高度を上げる白い機体たち。

 次第に空が藍色になってゆき……。

 

 ――あ。

 

 まただ、と『九尾』は唇をまげ、自分を(わら)う。

 

 礼拝堂の床面。

 少し離れた場所に、見ようによっては頭骸骨(とうがいこつ)の影めくものが浮かんでいる。

 きっと天窓についたシミが、偶然そのような形をつくったのだろう。

 今はあのバスの老人も、テスト勉強や演習飛行で疲れた自分の幻覚であることは分かっていた。雲海に潜ったとき出てきた“フロイト”が、そのいい証左だ。

 ここ最近、あまりに多くの死が、近づき、そして離れていった……。 

 

 彼は立ち上がると、ガイコツ状の影を見下ろした。

 そして、重い長靴(ブーツ)で、その影を思い切り、踏みつける。

 

 ――この!……この!……この!……この!

 

 「この――厄病神め!」

 

 ガシャン!

 

 その時。

 サーチライトの信号用シャッターを操作するような音が響き、いきなり礼拝堂は真っ暗となる。

 



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016:光の驟雨(しゅうう)のこと、ならびに闇奥からの眼差しのこと

 ――うわ!

 

 いきなりの暗転。

 『九尾』は身体を堅くして、辺りの気配をうかがう。

 うっかりすると平衡感覚もなくしそうな、濃密な闇の中の、息苦しい数拍。

 

 残像のせいか、それでもガイコツは残ったまま。

 網膜(もうまく)の奥にゆらぎ、どこか嘲笑(あざわら)う風。

 

 ――この!

 

 長靴の足をさらに振り上げようとした、その時。

 ふたたび同じ音。

 

 瞬間、礼拝堂は光の極彩色(ごくさいしょく)()たされた。

 

 背後なる薔薇窓(ばらまど)鎧戸(よろいど)(ひら)かれ、大理石(なめいし)の床に絢爛(けんらん)たる文様(もんよう)が投射される。

 闇に慣れた眼には、まだらに焼かれた深みある蒼片すら、(まばゆ)い。

 さらに同じ音が続き、そのたびに冥く塗りこめられていた高い壁面が、さまざまな輝色で()たされ、『九尾』を瞠目(どうもく)させる。

 

 画硝子(えガラス)のモチーフは、表の柵にあった鍛鉄細工とおなじものだ。

 事象面を渡るものが、艱難(かんなん)をへて、ついに約束の地に至るの図。

 それがアルカイック(古 拙)な風味も効果に加え、圧倒的な迫力で(せま)ってくる。

 

 彼が場内の変化に息を呑むこと、やや久しく。やがて、とおくから硬質な靴音の反響が、ゆっくりと近づいてきた。

 

 斜めに降り注ぐ“光の驟雨(しゅうう)”の彼方(かなた)

 そこにブーツを履く人影があらわれると、次第に姿を明瞭(はっきり)とさせる。

 黒い膨らみ袖には、宮廷中尉の階級章。

 そして(もも)の広がった乗馬用ズボン。

 相手は近づくにつれ、ステンドグラスの様々な色に染められて、表情がなんとなく読みづらい。 略帽の都合上、うしろになでつけた髪のせいでオデコにみえるその下の柳眉(りゅうび)と、勝ち気な瞳がようやく判然る距離になってからようやく、

 

「こんにちは?」

 

 声の調子は、どうやら面白がっている(ふし)がうかがえた。

 

「……どうも」

 

 倒れた椅子のかたわらで、『九尾』は不器用に一礼する。

 とたん、相手は不機嫌さを声に()せ、

 

「ナニよ、覇気(はき)ないわね。それが“耀腕殺(ようえんごろ)し”の応対なの?」

 

 ちょっとガッカリ、とこの宮廷女官は非難するように胸をそらせ、バックルが光る腰の帯革(たいかく)に手をやる。そこには刃渡りの長い儀典用短剣らしきものを太めの銀鎖で下げているのが(うかが)えた。

 

 近くで見ても、やっぱり自分と歳がそんなに違わないや、と再確認。

 整った面差(おもざ)し。

 いたずらっぽそうな眼差(まなざ)し。

 磊落(らいらく)な言葉を(もてあそ)ぶものの、身体から発する品格は隠しようも無い。

 画硝子でまだらに染め上げられているとはいえ、勤務服の仕立ても恐ろしくイイのが分かった。白い襟元(えりもと)に輝いていたのは、なんと。ダイヤモンド剣付き・航界士十字章だ。はじめて実物をみた。なるほど彼女は華族の、それもずいぶん位が上の家門だ。しかも自分のことを少なからず知っているらしい。

 

 気をつけろ、と彼は本能的に自戒(じかい)する。

 

「んで?こんな辛気(シンキ)くさいトコに、なんの御用かしら」

「辛気くさい?あ、いえ宮廷中尉どの!申しわけありません。この礼拝堂の扉が開いたので――つい入ってみた次第で」

「礼拝堂?」

 

 すこし意外な顔をした彼女は、つぎに何やら皮肉な笑みを浮かべ、

 

「そうねぇ。まぁ、礼拝堂とも言えるわね――いらっしゃい」

 

 彼女は(かかと)に打った金具の音を、静謐な極彩色の空間に遠慮なく響かせ、礼拝堂の奥、光のとどかぬ場所の床面にポッカリと設けられていた地下に通じる階段に誘う。降りきった場所に設けられた重そうな扉を、彼女に続いて入ってみると、なんとなく乾いたような甘いような、(ホコリ)っぽい独特の臭気が、闇の冷たさと共に吹き上げてきた。

 えらく重厚(じゅうこう)な、動作の渋い扉が背後で閉まって、また真っ暗。

 

 明かりをつけるわよ?とスイッチをひねる音。

 

「ぅわ!」

 

 一面に奥へと続くワインセラーのような、レンガ造りの人工洞窟(どうくつ)

 違うのはワインの代わりに人間の頭蓋骨が整然と並べられていることだ。天井は大腿骨と背骨を使って綺麗に文様が描かれ、それらが工事用の強力な電球に照らされて強烈な陰影(いんえい)を形づくり、グロテスクではあるが、バロック的な空間を演出している。

 

 どう?と彼女が、声もない『九尾』を横目に、勝ち誇ったような勢いを響かせ、

 

「ここは礼拝堂なんかじゃない。外象人(がいしょうじん)納骨堂(のうこつどう)なのよ。ここにならぶのは、みんなご先祖様ってワケ。地球の事象面にも、似たような宗教はあるはずよ?カプチン会派とか。珍しくもないでしょ?」

 

「どれぐらいの……人数分があるんです?」

「さぁ?わたしも興味ないから知らない。外象人が(いとな)む王室の有史以前からじゃないかしら。もちろん外象人の遺骨ばかりじゃないけどね」

 ふぇぇ、と彼は(うな)った。

 なにやら身体が冷えてくるようでもある。

 

 病院からの帰りに見た、あの気味悪い爺さんの記憶。

 雲海で見た頭蓋骨(フロイト)の心象。

 そして、先ほど“光の炎”にかき消された影絵。

 暗喩にしては、(つら)なりがイヤらしい。やはり何かの……。

 

 ふと、どこかでカラカラ、と乾いた音が鳴った。

 (かたわ)らで、宮廷中尉が体を固くするのがわかる。

 

「……なに?」

「さぁ。ネズミでも……いるのかな?」

 

 何気なくつぶやいた『九尾』に、エッと彼女は音の方を見てしばらく沈黙。

 やがて声を奮い立たせ、彼をせきたてて、

 

「さ、こんな陰気なトコはもうたくさん!出るわよ」

 

 『九尾』の喪服を引っぱると、もとの場所にもどり、重い扉を懸命(けんめい)にあけようとする。どれ、と彼が代わってみるものの、緑青(ろくしょう)のういた頑丈(がんじょう)そうな真鍮(しんちゅう)の取っ手はビクとも動く気配がない。

 

「うっわ。ひょっとしてオート・ロック、とか?」

「えぇっ?知らないわよそんなの!」

「そんな。宮廷中尉どのは、秘書官でしょ?ここのしくみに詳しいのでは?」

 

 早くも危うい雲行きに『九尾』は、ちょっと待ってよという声で。

 対して彼女も、だから何よと尊大(そんだい)に、

 

「わたしは“宮殿付き”よ?“神殿付き”じゃないわ。神職に女は成れないもの」

 

 へぇ、そんなもんですかネと彼が言おうとしたとき、人工洞窟を照らす明かりが、一斉にフッと消えた。

 鼻をつままれても分からぬ闇。

 カラカラと、どこかでまた乾いた音が、つづけて。

 ヒッ!と息を呑む気配。 柔らかいモノが、しがみついてくる。

 しかし、どうしたことか、サラ――『デザート・モルフォ』と一緒にいたときのような、胸の高まり、幸福感、切なさといったものが、いっさい感じられない。つまりワクワク感が全くないのだ。あるのは緊張感。そして何より警戒感。

 

 なぜだろう、と覚めた視点で『九尾』は自己分析をおこなう。

 相手の家柄を、気に掛けているのだろうか。

 または自分の性癖、あるいは属性に合わないとでも……。

 

 と――気のせいだろうか。

 

 彼は、どこからか自分たちを(うかが)う視線を感じる。

 けっして好意的ではない、その眼差し。

 非難するような――糾弾(きゅうだん)するような……。

 



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017:地下迷路のこと、ならびに奇妙な番(つがい)のこと【18禁版】

 

【挿絵表示】

 

 

 ――なんだ……?

 

 携帯を出し、フラッシュ・ライトを起動するが、うっかり充電不足だったためバッテリー節約モードになってしまい、光量不足でとても遠くまで骸骨の洞窟は見渡せない。かえってホラー映画的な演出風味となっただけとなってしまう。

 

 余計なことに、リニア・トラムで見た老人の印象もヒタヒタと脳裏に()いて出て、頭皮に微電流をはしらせて。

 

 しかし今は(ひる)んでいる場合ではない。

 

 なるべく声を(はげ)まし、彼我の身分差では通常ならばとても許されない気安い口調で、

 

「あー。節電モード?になってるんですね。最近は、電力事情キビしいから……」

 

 闇のなかで、『九尾』はつとめて余裕のあるふりで話しかけた。

 やがて、壁にあるスイッチを見つけ、ラッキーとばかりプラスチックも黄ばんだ年代物のそれを、再度パチパチと動かすが――()かない。

 

「ありゃ……ネズミが電線かじったかな?」

 

 ひぃぃぃぃっ!と声にならない悲鳴。

 しがみつく腕の力が増した。それとともに漂う、柑橘系の香水。

 

「大丈夫ですよ、携帯とか無いんですか?連絡して、扉を開けてもらえれば」

 

 おびえた宮廷中尉の顔が、すがるように彼を見あげた。

 

「神官部の大代表なんて知らないわよ……それに」

「……それに?」

「携帯、おいてきたの」

「なんでまた。ってか――うわッ!」

「なに?どうしたの!」

「ぼくの、いえ小官の携帯も圏外に。その扉、たぶん電磁波を遮蔽(しゃへい)する電波暗室(でんぱあんしつ)仕様だ。どうりで頑丈なはず……」

「どうするのよ!なんとかしなさいよ!」

「いや……何とかと言われましても……」

 

 洞窟の構成は、迷路のようになっていた。

 いくつもの分岐、また分岐。

 携帯のライトで局所的に照らされる骸骨の群れは、先ほどまでとはちがって陰鬱(いんうつ)として、細い迷路を心細げな足取りでゆくふたりに対し、敵意をむき出しにするようにも見える。先ほどの視線が、いまだ後をつけてくる気配。

 

「ねぇ……本当にこの(みち)でイイの?」

 

 心細げな彼女の声に小官の感覚では、と『九尾』はなるだけ儀礼的な雰囲気と平常心をくずさないよう注意しながら、

 

「この直上が、ちょうど大聖堂のエントランスのはずです。ほら。敷石(しきいし)のレンガに(ホコリ)がありません。この通路は、見た目より使われてる感じです。もうすこし行けば、ちょうど祭壇(さいだん)のあたりかと」

「……よく分かるわね」

「方向感覚と距離感覚は、幼年校のころから叩き込まれました」

「小学生のころから……そのころから飛んでたの?」

「ややもするとフット・ペダルに足届きませんでしたよ」

 

 “恐怖”とは認めたくないものを振り(はら)うため、彼は、さきほどの感傷を、わざと思い出しつつ、

 

「あのころが一番よかったなぁ。つぎの中等修錬校では、格闘戦、おぼえるのにロケット・モーター装備の機体になったけど、好きじゃなかった。事故をおこしてリタイヤする仲間も出たし――いや、失礼。私情です」

「いまはどう?航界士の本科候補生になって、嬉しい?」

 

 彼の頭に、なぜか龍ノ口とサラの会話が、ある程度の苦さと共によみがえる。

 

 沈黙。

 

 しかし、この微妙な間が、なぜか彼女の微笑を呼んだ。

 かかえこむ『九尾』の腕に、さらにやわらかく力をこめ、

 

「ねぇ。候補生、ヤめたいと迷ったコト――ない?」

 

 胸の内をズバリと言い当てられた気がした彼は、恐怖も忘れ、足を停めた。

 

「なんで、急に――そんなことを?」

「最近、ムダに人材消費してるでしょ?インシデントも多発してるし」

「そりゃ、まぁ……そうですが」

「実をいうとね?このへんで探査院は方針転換(ほうしんてんかん)――」

 

 まって!と『九尾』は彼女を制した。

 今度こそ、彼は()ッとする。

 どこかですすり泣く声がする……ような気がした。

 貧弱なライトで辺りを照らすが、そこはY字型の分岐となっており、分かれ目には大鎌をかたわらにした黒マントの全身骨格が、お定まりの標語(メメント・モリ)を頭上にして、彼等を見おろしている。

 えぇっ、と宮廷中尉が本格的に『九尾』の身体へ抱きつく。

 

「なによ――アレ」

 

 風のふきぬけるような低い音。

 それに混じって、たしかに(むせび)()きのようなモノが聞こえてくる。

 Y字路の、左の方からだ。

 

「……行きましょう」

 

 彼女が『九尾』の腕を、右の通路に引っ張った。

 そこを「ちょっとマテ」といまは気安く彼女を押しとどめる。

 むりやり行こうとするのを抱きとめたため、レースで飾られる彼女の女官服の胸を、わしづかみにしてしまう。

 

 おたがい無言のまま、しばらくモミ合い。 

 

「まって!宮廷中尉どの、まって!」

 

ようやく彼女を落ち着かせ、骸骨通路の足もとを照らす。

 

「ほら、この床!右側の通路は敷石がこんなにすり減ってるのに、左はホコリだらけ。ハズレですよ」

「じゃぁ右行けっての?イヤよ!」

「では骸骨が泣くとでも?バカバカしい」

 

 応対しながら『九尾』は、自分の、この沈着さがどこから出てくるのだろうかと驚く。

 同年代の女子、それも超上流の美人がそばにいるからイイ所をみせたがっているだけなのか。それとも――。

 後ろから礼服のすそを引っ張られながら、登り勾配となった通路を進むと、それに従ってドクロの数は少なくなっていった。代わりにすすり泣きの声は高まり、言葉までハッキリとする。

 

 (だめ、ダメです、そんなところ――ァアっ!ボク逝っちゃいますぅ)

 

 ひくい、くぐもった声が、何やらそれに(こた)える。

 

 (いや、らんぼーすぎます――ーアン――アァァン……)

 

 なるほど。

 すすり泣きの正体は、どうやらコレだったらしい。

 うしろから礼服を引っぱる力がなくなり、俄然(がぜん)、元気になった彼女が、ムッハー!と鼻息もあらく、『九尾』を追いこして前に出た。

 むりやり体をすりつけて前にゆくとき、化粧の香り。

 艶かしい柔らかさと、上気した女の体の匂い。息づかい。

 普段めったに触れない女物の服の摺れ具合とともに。

 

 携帯のライトを消すと、あたりはほのかに明るい。

 見ると行く手は階段となり、その先は光の四角なワクが浮かんでいた。

 四つんばいになった彼女のヒップが目の前でアップとなったまま『九尾』のまえで階段をのぼり、四角なワクをソッと押し広げる。彼も秘書官をバックする姿勢で、彼女の髪の香りを感じながら、すき間に眼を押し当てた……。

 緋色の法服を着た中年のヒラ司祭と、白いシルクのガウンがはだけた、とし(いとけな)侍童(じどう)。これら奇妙な(つがい)が、なにか激しく身体をかさねてリズミカルに動かしあっている。

 

 「ほうれ――オマエのだいじなココを、こんどシューツしてやろうな?おチン○を残したままタマタ○を取ってイヤらしいオマ○○にしてやるぞ……?そこに可愛いピアスも付けてやろうな?」

 「イヤですぅ……はづかしぃよぅ」

 「もうオマエは、オトコの娘としてしか、生きられないんだよ?一生、ワシの如○宝をおしゃぶりするのが大好きな、聖奴隷になるんだよ」

 「そんな、ほんと?ほんとに、ボクでいいの?あぁっ、ふっ、ふとぉぉい」

 「おホゥ、可愛い、イヤらし、服を、着せて、一生、ワシに、ご奉仕、するのじゃ!」

 「アはぁッ!うれしぃッ!してっ!ボクを、司祭、さまの、およめ、サンに、してぇぇぇっ!」

 

 動きが激しくなるとともに、二人の声が高まり――そして静かになった。

 ややあってから、司祭は、いまだもの欲しげに小さな尻をくねらせ、白滴をたらす侍童から眼をそむけるや、ついと立ちあがると(さめ)めた声で、

 

 「……脳に施術(せじゅつ)したプロラクチン管理プラントは、上々のようだネ。はやくガウンを着給え。ほかの侍童にバレないようにな?こんどの祭日に、また可愛がってやる……」

 

 うす禿げの小男は、自分の服装を整えてから、次いで気のない手つきで半裸の侍童に、真珠めく光沢のあるレース付きガウンを着付けると、年幼い相手をせき立て、連れだって視界を出て行った。

 

 重い木製らしきドアが閉まる音。

 

 ささえる『九尾』の腕の力が尽きて、二人は小さな扉を押しやぶり、砂袋のように部屋に転がり込む。

 

 「イッタぁ……ちょっとォ!どこさわってるのよ!」

 「そんなぁ、不可抗力です!」

 

 辺りを見回すと、聖像やイコン、事象球(じしょうきゅう)が所せましと並べられる小部屋だった。どうやら祭壇ちかくの聖具室と見える。

 

 ブツブツと中尉が文句を言いながら、立ち上がるのをよそに、彼は今まで通ってきた背後に伸びる暗闇を(にら)みつけた。

そして――おそらく体重を長らく支えていたからだろう――震える腕で、そのままゆっくりと、厳重に「隠し扉」を閉める……。

 

 



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018:『蓮華』のこと、ならびに年幼い犠牲者のこと

 そろって礼服のよごれをはたき、(かわ)とテレピン油、なにより次亜塩素酸ナトリウムっぽい臭気(注:カビキラ○とかドメ○トの臭いです……つまり……?)のする小部屋の、なま温かい空気のなかで、いま通ってきた死の世界の気配を全身から洗いながし、ようやく人心地がつく。

 

 宮廷中尉は、しきりに乱れた服の胸もとをなおしていた。

 そこに、なんとなく恣意的な気配を感じ取る『九尾』は、ネクタイの具合を直しながら(ひそ)かに横目にして(でも、残念ながらサラ先輩の胸とくらべれば全然だな)と、失礼にも品定め気味に観察する。

 抱きつかれた時の感覚も、先輩候補生のあふれるような肉感とちがい、どこか冷たく、(なま)めかしさが足りない。

 明るい電灯のもと、あらためて目の前の宮廷中尉を目の当たりにすると、なるほど確かに美人ではあった。

 

 モデルとも言っていい整った顔立ち。

 ちょっと冷たそうな(ひとみ)

 品の良い口もと。

 ぬめるような光沢の白い肌。

 おでこ気味な印象は、明るい灯のもとでも変わらない。

 だが、やはり心なしか尊大で、女性らしい暖かみに欠けるようにも思える。

 

 ――ステンレスのような……ガラスのような。

 

 たぶん、家柄か、階級を鼻にかけてるんだと『九尾』は判定(ジャッジ)する。

 しかし彼女の方は、そんな彼のあけすけな視線を受けて何を勘違いしたか顔を赤くし、口もとをとがらせると、

 

「でっ、でも。まぁ地下墓所での功績により、(さわ)った事は不問にしてあげます」

 

 それに――と、彼女は急に小悪魔っぽい笑みをうかべ、

 

「なンか、イイもの見れちゃったし」

「いいものって……アレがですかぁ?」

「ともあれ、こんな部屋。サッサと出ましょう。」

 

 ゲンナリ顔の『九尾』をよそに、彼女は妙に()れたうごきで、()っと枠金(わくがね)に飾られる聖具室の扉をひらき、ひとけのない廊下の左右を特殊部隊よろしくコンパクト(化粧品)の鏡を使って確認する。

 声低く、宮廷中尉が本職めいて呟いた。

 

 ――クリア……!

 

 ふたりが連れ立ってさりげなく聖堂内にもどると、司教の接待でもしていたのか、残っていた高官たちと護衛の一群が、主身廊近くに集まっているのが遠くにうかがえた。

 

 ――チッ!

 

 歯の隙間から漏れ出たような、彼女の鋭い舌打ち。

 

「……ここで、いったんお別れましょう」

 

 宮廷中尉は、高官たちが集う彼方を見やったあと『九尾』を柱の影に(いざな)いつつ、

 

「本当は――一緒(いっしょ)にお食事でもと思ったけど」

 

 忌々(いまいま)しそうな鋭い目つきで彼方を見やりながら、

 

「ヘンなトコで時間(テマ)とっちゃったわね?」

 

 言われて『九尾』が航界士用のゴツい腕時計を見れば、もうすでに一四時を回っていた。忘れていた空腹感がよみがえる。

 視線をもどすと、彼女はいつのまにか手にした名刺を一枚差しだし、

 

「じゃね?――Zu(ズゥ) dess(デス)

 

 それだけ言うや中尉は、良くプレスの効いた制服の背を返し、主身廊(しゅしんろう)迂回(うかい)するかたちで足早に外へ出て行く。

 

 ――あ、ちょっと。

 

 そういう声すら『九尾』の喉おくで消えたほど、彼女の動きはさりげなく、そして素早かった。

 まるで黒い(ヒョウ)が体毛に光沢を(はし)らせ、しなやかに身をひるがえして消えたよう。

 無駄なコトとは知りつつ、未練(みれん)げに彼女のあとを追って大聖堂側面の扉から外に出る。

 

 とたん、新鮮な、冷たい空気が、まぶしく頬を射た。

 

 いつの間にか雪も勢いをましており、たちまち黒い礼服は鹿()()模様となる。

 ガランとした広場には、もはや誰もいなかった。

 手にした名刺を、明るさから来る眼の痛みをこらえ、あらためてよく見る。

 

 『第三王女付秘書官(宮廷中尉)ミラ・ユデイト・アレクサンドラ』

 

               *  *  *

 

 制服の胸ポケットに、まだそれは入っていた。

 何回も見直したもかかわらず、いまだエッジが鋭いのは、人工象牙でつくられているためだと知らされる。

 

 控えの間に、ノックの音が二度、三度。

 あいだを空け、災殃(まがつび)を告げるように、重々しく。

 少年たちのあいだに緊張がつたう。

 覚悟していたものが、とうとう来た。

 そんな感覚。

 

 やがて、古風なライフルを胸に掲げる衛兵が二名現れ、つづいて勤務用のドレスをまとった宮廷女官が、控の間に入ってきた。今回はメガネ着用の女官。階級は――宮廷曹長だ。

 彼女は一礼して、周囲を緩やかに見まわしたのち、手にした巻物を悠揚(ゆうよう)せまらず上下に(ひろ)げると、よくとおる声で、

 

「西ノ宮所属、清暁第一校所属・候補生『蓮華(れんげ)』!“御礼拝(ごれいはい)”の、お時間です」

 

 ―【御礼拝】―

 

 つまり、この事象震を試演飛行する前に行われる、(みそ)ぎの儀式。

 見方を変えれば、これは大司教が直々に行なってくれる“生前葬”だ。そして今回のような激しい事象震の場合、それが“本葬”となる可能性は――きわめて高い。

 

 広間の中央から、古代西域の僧服をあしらったような格好の一人が、今は覚悟も決めたのか、慌てず騒がず悠然(ゆうぜん)と立ちあがった。

 

 金色の冠に、重々しい袈裟(けさ)すがた。首から下げる大玉の数珠が印象的に。

 その格好が、どこか三蔵法師をイメージしなくもない。

 育ちの良さそうな、まっすぐな面構え。

 決意をひめたような、固く結ばれるくちびる。

 鋭角的な雰囲気をまとう印象は、相当な(つか)い手とも見える。

 

 かたい面持ちで、そのまま周りを見回していたが、やがて(みつけた!)とばかり悪戯(いたずら)っぽい笑みを浮かべると『九尾』の方に歩み寄り、

 

「やぁ。キミが()()『九尾』とはね。とうとう現世(このよ)では親しく話す機会も無かったが……」

 

 そんな曖昧(あいまい)な言葉とともに、この候補生は一瞬、(かす)かな微笑をうかべる。

 

 そこには、悲嘆(かなしみ)も、悔恨(うらみ)も、諦観(あきらめ)()えなかった。

 

 ただ、揺らぎのない清澄(せいちょう)さのみが、面差(おもざ)しには満たされている。

 泰然(たいぜん)と死地におもむく同い年くらいの相手を見て、(おのれ)の時は、こんな平静を保てるだろうかとひそかに(おそ)れ、感心しつつ、『九尾』もとりあえず立ち上がると、西ノ宮で使われる別離(わかれ)の言葉で握手をした。

 

「――ご武運を。Braa(ブラァ)

「まぁ――いずれ、そのうち。Zu(ズゥ) dess(デス)

 

 相手は、去りぎわにもう一度だけ振り返って微笑すると、衛兵にはさまれ、控の間を出て行く。

 『九尾』は儀式的にライフルを突きつけられ、部屋を出てゆく同い年ぐらいの背中を見おくった。

 衛兵の行為は、過去に錯乱した候補生が、武器を持って暴れた時の名残(なごり)だ。

 そのときの事象震も(ひど)い状況で、試演に参加した候補生は全員死亡、あるいは行方不明と記録にはのこっている。惑乱し、試演をまぬがれた候補生が、その後どうなったか。

 データは抹消されていて、分からない。

 

 大扉が閉まるのを確認し(ひと)り控の間に残った宮廷女官は、居ならぶ少年たちの顔を、どこかサディスティックな色を交えて見遣(みや)りつつ、

 

謹聴(きんちょう)!第三王女『百合(ゆり)殿下(でんか)』からの御宣告(ごせんこく)です!」

 

 そう声高に叫ばれると、候補生たちは一斉に立ち上がり“気をつけ”となる。

 ひとつ(うなづ)く女官。

 ふたたび羊皮紙製ともみえる巻き癖のついた紙をひろげると、

 

此度(こたび)の事象震、峻烈(しゅんれつ)の度、此処(ここ)に極まれり。

 (ゆえ)に『蓮華(れんげ)』の機動(むな)しき場合……。

 試演は――あとひとたびにて打ち切りとす』

 

 思いもかけない通達だった。

 

「ソレって……つまり……どういうコトで?」

 

 おさえきれない喜びを懸命に隠そうとした震え声で、一人の候補生が手を挙げる。喜悦あふれるしまりのない顔がブルブルと、まるで(おこり)にでもかかったよう。

 

「貴官は――」

 

 と、ここで三十前後とみられるこの女官はメガネをなおし、そのレンズの奥で、ネズミを前にしたネコのような瞳の輝きをみせ、

 

「すでに、ご理解されているご様子ですが。(こと)()(いたずら)に費やすは――愚かなことです。左様で御座いましょう?」

 

 そう言い放つと、口のはしに乾いた笑みを浮かべ、形ばかりの一礼をするや、気取ったターンをキメて控の間を歩み去った。

 

 広間の空気が、みるまにゆるんでいくのがわかった。

 

 ほとんどの顔から思いつめた表情が消え、肩から背中から、緊張が抜けるのがわかる。なかにはそれを悟られまいと、わき上がる笑みを隠すべく、うつむくものすらいた。

 

「おい、つぎの順番は?アワれな子羊は、誰だい?」

 

 さきほど中年女官に向けて質問した候補生が、はやくもお道化た口調で、

 

「カワイソウになぁ、えぇ?オイ。耀腕の最後の生け(にえ)だぜ――いや、クソ観客の、かな?官製グラン・ギニョール(恐怖劇場)のフィナーレだ!」

「よせ、そんな言い方」

 

一拍おいて、さすがに広間の方々(ほうぼう)から、とがめる言葉が重なった。

 

不躾(ぶしつけ)極まりないな、どこの出身だ!」

「礼儀を知らんのか……候補生の風上にもおけん」

「『二番星』だろ、変形四枚翼の。西ノ宮。香具山校のクズだ」

 

 んだとコラ。と先の候補生がスツールを蹴って立ち上がった。

 

「ヤんのか、あァ?上等だ!立てや」

「よせよせ、ケンカなんて。つまらンだろが」

 

 老け顔をしたひとりの候補生が、めんどくさそうに割って入った。

 

「せっかく無傷で助かるってのに、わざわざケガしようってか?ご苦労なこった」

 

 その言葉で、一触即発の気配は、やや沈静化する。

 

「でも順番的に、つぎは誰だい?」

「――この子だよ」

 

 どこから声がかかり、全員の視線がそちらを向いた。

 ひとりの候補生が、椅子の上でヒザを抱える小柄な少年を示していた。

 この少年のまとう礼服は全体にブカブカで、帽子などは今にもずり落ちそうだ。実際、全員の注目をあびて驚いた事で、銀色の葉をあしらった将校帽のひさしが前にずっこける。本人がうっとおしげにそれを取ると、栗色をしたベリーショートのサラサラ髪が現れた。

 

「驚いた!御前試演に女の子か!!」

「ウソだろう!まさか中等校?」

「キミ――お嬢ちゃん。なんでこんな所に?」

 

 最後の言葉に、小柄な身体がぴくりと反応し、青ざめた可愛い顔がふくれっ面をして、

 

「ボク……オトコですけど。()()()

「どっちでも変わらん!イヤな結果しか見えない」

「キミみたいなヒヨッ仔は、ミリセコンドで耀腕の餌食(えじき)だぞ」

「……どうだって良いんです。どうせ」

 

 やがて、この小さな候補生はポツリと応える。

 

「今回の試演でボクが出たから、学校も助かるし、殉職(じゅんしょく)しちゃったとしても家門(かもん)(うるお)います

「家門――華族(かぞく)出身か?」

 

 コクリ、と少年は無言のまま。

 ふぇぇ、と広間に嫌気のようなため息。

 

「だッから、ヤなんだよ――“名家”ってのァ!」

 

 そう言いつつ一人が制服に下げる短剣を一挙動で投げつけ、広間の壁に突き立てた。

 チークの羽目板に鋭角的な音を立て、深々と刺さった鋼が光る。

先ほどまでの沈鬱な空気が、ふたたび帰ってきたような気配。

 

「こんなカワイイ奴がナァ。なんでなの?」

 

 ――カワイイ、か……。

 

『九尾』は、クッションが効いた豪奢な肘かけ椅子に身を持たせ、うつろな眼差しのまま、老け顔の候補生がつぶやいた、その言葉を反芻(はんすう)し、ふたたび過去の日々を思い出す……。

 

 

                 * * *

 

「え?だって可愛かったじゃないの。あの()

「変態中年に(さわ)られるのを喜ぶ、きち(ピ~)な子供(ガキ)にしか見えませんでしたが?」

 

 思わずトリ肌のたった二の腕を軽くさすりながら、『九尾』は窓の外をみる。

 

地上一ニ〇〇mのスカイラウンジは界面アンカー処理をしてあるため、地震はもちろんカルマン(うず)の揺れとも無縁な設計で微動だにせず、足裏の感覚が地上と変わらない。

 にもかかわらず、この日はちょうど雲高がラウンジのあるフロアにかかり、高さ数十mはあろうという大窓の外は流れる霧で満たされて、それがためにラウンジ全体が、室内楽の軽やかなBGMにのって(ゆる)やかにどこかへと漂流してゆくような、そんな光景を(てい)していた。



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019:うれしくない初デートのこと、ならびに宮殿の内幕のこと

 店舗用にしては贅沢なテーブル。

 それを(はさ)んで前に座るのは、白い婦人用スーツに面紗(ヴェール)付きの帽子を(はす)にかぶったミラ宮廷中尉である。

 

 凝った意匠な胸の造花。 

 胸もとに輝く品の良い装身具。

 アール・ヌーボー風の高級(たか)そうなスーツ。

 上からふんわりと羽織られたいかにも手触りの良さそうな毛皮のコート……。

 

 待ち合わせの指定場所で初めて目にしたときは、どこぞの金持ちな新婚サンの片割れかと思ったものだが。

 

 ドレス・コードは“フォーマル”で!

 

 先日受け取ったメールには、とくにそこが強調されていた。

 

 そこで『九尾』は、むかし合コンのため購入し、寂しくもいまだ出番のないヘリンボーンのツィード・ジャケットにポロ・コートを合わせ、指定の待ち合わせ場所である“サモトラケのニケ”像を背に、特設ラウンジ総合コンコースを行く様々な人の流れを観ながらボウッと(たたず)んでいたところ、いきなりその新妻風がツカツカと近づき、

 

「――ナニよそのスーツ。ダサいわね」

 

 と、きたものである。

 側面に王宮の徽章を飾るつばの短い帽子。そこに巡らされた白い面紗(ヴェール)を持ち上げてみせると――それが(くだん)件の宮廷中尉だった。

 

 リップの色が、どぎついほど赤すぎる。

 腰つきの豊かさがイマイチなので、せっかくのデザインが板に付いていない。

 全体的に、どことなく借りモノめいた感じ。

 ピンヒールを()く危なっかしい足どりも、一つ一つの仕草も、その印象を多分に後押しする……。

 

 話は数日前にさかのぼる。

 

 慰霊式典からしばらく経ったある日だった。

 修錬校の放課後、部活にも入っていない『九尾』は、寮に帰って明日のテスト勉強をしていると、いきなり机の上の携帯が強制受信モードでメールを受けたものである。

 携帯をにらんで受信意志を送ると、文面が宙に浮かび上がった。

 

 ==こんどの日曜、ヒマでしょ?六区の浅草120階・スカイラウンジに集合ね♪

 

 なんだ、この間違いメールは?と眉をしかめるも、よく見ると〔ミラ宮廷中尉〕とある。

 

 ――ウっザ……!

 

 つぎの日曜は、やっとのテスト明けだから部屋で爆睡したいと考えていたのだ。

 それにあの宮廷秘書官。

 一見、美人に見えるが相手をするにはちょっとキツすぎる。

 一体どこで目を付けられたのだろう……。

 

 「残念ながら当方、試験中につき勉学に(いそ)しむ所存(しょぞん)なり。申し訳なく(そうろう)

 ……送信、っと。

 

 音声でそう答え、さて、と先輩候補生から回ってきた空間物理の過去問ファイルを開いたとき、ふたたび着信音。

 

 ==ウソつきなさい。アンタの学校、こんどの土曜でテスト週間オワりでしょうが!分かってンのよ?それともナニ?テスト明けで、ゆっくりエロゲーでもやろうって魂胆(こんたん)

 

 一瞬、絶句するが、『九尾』は、すぐピンとくる。

 

 ――これはダレか男のブレーンがいるに違いない……。

 

 それに考えてみれば相手は航界士の元締めである“第三王女付きの秘書官”だ。

 探査院の本院端末から、こんなチンケな修錬校のデータに入り込むなぞ、たやすいことなのだろう。

 ヘタに言い逃れをすると、ますます「in the soup」(苦境に陥る)な予感。

 

 あれこれ考えていると、またもや着信音が。

 ==ナニよ。無視(ムシ)ですか。

 

 どう答えようかと彼は本気(ホンキ)で悩み始める。

 

 ――あのショタ好き変態小悪魔め……。

 

 アレでなかなか権力を持ってそうでコワい。ヘタに対応したら、あとあと(タタ)られる予感……。

 疲れた脳みそにムチ打って、オーバーブーストで答えをたたき出す。

 

当該日(そのひ)は所用があるため、欠席せざるを得ません。お誘いは、まことに有り難いのですが、断腸(だんちょう)の思いで辞退いたします。何卒(なにとぞ)、あしからず」

 ……送信、っと。

 

 はね返すように、またもや着信。

 ビクビクしながら文面を浮かべると、

 

 ==ザンネン。最終確認が終わって王立造船所から回航(まわ)された“南十字星”に乗せてあげようと思ったんだけド。何とかならないかなぁ(チラッチラッ。

 

 さすがにこれにはクラッときた。

 

 東宮が持つ大型界面翼艦は多々あるが、白鯨型(モービーディック)三番艦の“南十字星”は最新装備の高速巡界艦(フリゲート)で、つい最近に初期作戦能力(I O C)を獲得したばかりだと聞いている。

 

 ――乗ってはみたい。乗っては見たいケド、なァ……。

 

 結局、ことわりの文面をかえし、『九尾』はそれで終わったと考えていた。

 

 次の日、“航界倫理”のテストが終わったとき、彼は候補生指導室に呼ばれた。

 そこで生活指導の担当官が、机の向こうから、いやに深刻な面持ちで言ったものである。

 

「候補生『九尾』。キミ――探査院に何か失礼な事しなかったかね?なんの事やら分からんが『メールの返事が悪い』って、先方がエラくカンカンで――」

 

その時、ポケットの中で携帯が振動した。

ハッと、何事か思い当たった担当官にうながされ、携帯をオンにすると空中に文字が、

 

 ==どう?きてくれるよね……?

 

 そしていま。

 

 結局、服の指定やら特設ラウンジ入り口でのパスワード入力やらと、こまかいことを教えられ、テストぼけの頭も治らないまま着慣れないツイードのスーツも堅苦しく、高度一ニ〇〇mでホットミルクをのんでいる『九尾』だった。

 相手は、そんな彼の仏頂面(ぶっちょうづら)もおかまいなしにメロン・ソーダを前にして、うれしそうに何事かしゃべっている。

 

 ――ふぅん。

 

 『九尾』は相手の言葉を右から左に流しがら、ひそかに相手を観察した。

 

 こうしてみると、この宮廷中尉も自分と同い年ぐらいな女の子だなと思えてくる。

 こんな借りモノめいた格好じゃなく、もっと今風の女の子らしい格好してくれれば良かったのに、とも。

 それとも宮廷秘書官は、プライベートでも服装コードが決まっているのだろうか?

 

「……でねでネ?最近は西ノ宮とのやりとりがヒドいのよ。こないだの件もそうだけど、ナニかと難癖(なんくせ)つけてくるんだもの。あの別れぎわの“ブラアア”ってナニあれ?ださー。たしか何かの略だったわよね……ねぇ!ちょっと聞いてる!?」

 

 うっ……と彼は、あわてて我にかえり、

 

「Brahma atma aikyam……梵我一如(ぼんがいちにょ)、の略ですね。己を捨て、世界と合一するというのが西の連中の機動時における心得と聞きます。そのせいかG・スーツを装備してても自我をとばして肉体に返ってこない候補生が最近ふえて、西側では問題になっているとか」

 

 これは以前、龍ノ口から教えてもらった情報だった。

 

 実際あの機動時に心臓を止めたときの浄福(じょうふく)感はスゴかったと、『九尾』はひそかに怖気をふるう。よくぞ生きて返ってこれたとも。

 

「そ、正解。よくできました」

「……なんだ、試したんですか。ちぇ」

「あなたがボンヤリしてるからでしょ、もう!」

「カンベンしてくださいよぅ。こっちはテスト明けでクタクタなんです」

「じゃ、ホテル行って休む?外苑(がいえん)のインペリアル・スィート確保するケド?」

 

 チロリ、とした相手の上目づかい。

 一気にキナくさくなる展開。

 

 さすがに『九尾』の目も覚めた。

 新しさの取れないスーツの胸を張り、

 

「ソレホドマデジャ……ナイデス」

「もう!男なのにハッキリしないわね。そんなに(つら)いんだったら、候補生なんか止めてウチに来ればイイのに。テストも無いわよ?……もちろん仕事はあるけど」

「――どんな?」

 

 と、『九尾』は胡散臭(うさんくさ)げな視線で。

 

 もうここまで来ると相手が“雲の上”の存在にもかかわらず、完全に知り合いのノリだった。もうドウにでもなれって感じ。

 しかし彼女は、そんな『九尾』のタメ口をとくだん気にするマデもなく、

 

「うぅーん……とりあえずは西ノ宮との渉外(しょうがい)担当見習いから、かしらネェ?アイツらにギャフンと言わせるだけの担当官が少ないのよ、もう。ホント人材枯渇(じんざいこかつ)ってヤツね」

「え。でも、東宮(とうぐう)西ノ宮(にしのみや)も、同じ外象系なんですよね?」

「いちおう……ね」

 

 目の前の彼女は、プツプツと泡を浮かべるメロン・ソーダにストローで軽く口をつけた。氷と(みどり)の泡のなかで、ピンク色のサクランボが上下する。

 ひとしきりそれを(なぶ)ってから、ひと呼吸()いたあと、

 

「東宮と、西ノ宮とではね……」

 

 ここで、やや彼女は眼差しを(けわ)しくして、

 

「おなじ外象民でも、()()()()、モノの価値観が、すこしちがうの。認識や自我の強さを外界に反転させて飛ぶ航界技術。それを頼みとする民族だから、思考スタンスの違いは決定的なワケ。過去には坊主たちと血みどろの政争を()り広げたと年代記(ねんだいき)にあるわ。日本で言うところのタイセイホウカン?で神殿側から王宮側に司政が移ったのは、ここの時間流でほんの一〇〇年とすこし前だって。仲ワルいのよ――そもそも」

「ふぅ……ん?」 

「最近、むこうの技術が、行き詰まってるらしいの。それでこちらの技術センターも、かなりのハッキングを受けてる。それだけでなく妨害行動も。こないだの雲海戦も、その一例よ。強引なんだから。データだって、どこもかしこもウィルスだらけ」

 

 『九尾』は、慰霊式でのサラとの会話をうかべ、

 

「なんか、ボクの界面翼データも、ウィルスがらみで流出したらしいですね」

 

 彼は、ドブ色とよばれる自分の翼が知れ渡ったかとゲンナリする。

 いくら耀腕を(ほふ)ったところで“精神の(くらい)”を示すと言われる翼の色がそれでは格好がつかない。

 

「本人より先にW/N(ウィング・ネーム)(ひと)り歩きするなんて……」

「アナタの名前が『ポンポコ』から『九尾』になったと知らされたのは最近よね?でも西の宮では、書類上のW/N変更時から情報がつたわってた。本人に知らせなかったのは、アナタ自身の安全のためよ」

「有名になった候補生は他校の生徒から因縁(いんねん)つけられたりするっていう、アレですか」

「他校の生徒からインネン?」

 

 ハ!とハナで嗤《ワラ》う気配。

 ミラは手もとの脚つきグラスに少しく目を落としてから薄い笑みをうかべ、

 

「そんな可愛いモノじゃないわ……」

 

 そう言うや、隣の椅子においた小さなハンドバッグから携帯を取り出した。

 

「コイツらに見覚えは、ある?」

 

 チタン色の携帯が、宙に二つの立体ホロを浮かべる。

 忘れようもない。

 初めて本物のG・スーツをつけたときに居た、黒スーツの二人だ。

 

「そして、この男は?」

 

 次に浮かんだのは茶髪の、ちょっとヤンキー風な男だった。

 思い出すのに数秒かかるが、あの実戦飛行のとき接続コードを手荒にあつかい、こちらの前立腺を刺激してくれた若い整備士と重なる。

 

「まえの二人は、西ノ宮との空戦になった日、朝あなたを迎えにいくはずだった人員よ。“交通事故”で重傷。次の人間はあなたの学校にもぐり込んで生徒の情報や機動試験を知らせてたスパイ。いえ、スパイなんて大層な代物じゃない……小遣(こづか)いカセギの、ただのチンピラだった」

 

 彼女から放射される冷徹(れいてつ)さが、ふたたび強くなってきた。

 目つきも、気のせいか幾分とキツくなったような。

 

「ただでさえ、この妨害活動!これであなたが『九尾』なんて知れていたら――どんな欺瞞(ぎまん)工作を受けてた事か!」

 

 シャ――ッ!と宮廷中尉はネコが毛を逆立てるように。

 

「ウラの“交通整理”が終わったんで、あなたに正式なW/Nの辞令がおりたの。タイムラグは、そのせいよ。まぁ東宮(ウチ)の情報管理がザルだと言われれば、それまでなんだけど。」

 

 なにを言ってるか、彼にはいまひとつよく分からない。が、少なくとも自分が一時危なかったらしい事は、おぼろげながら理解する。

 

「きょう貴方(アナタ)をよんだのは、こういう活動があるから気をつけてね、って言うためよ。東宮と西ノ宮。同じ王宮だけど、言ったとおり反目(はんもく)しあっていると言って良いわ。相手側の有望な候補生を、事故にみせかけ危害を加えたり、ワナにはめて醜聞(しゅうぶん)ひろめるなんて、あたりまえのコトだもの。あるいは何かの取引材料として、実験体あつかいで融通しあう、とか。いいえ――実験体あつかいなら、まだイイほう」

 

 相手から放射される冷気が、さらに冷える。

 ホットミルクは、すっかりヌルくなっていた。

 

近々(きんきん)に、こんどは雲海深部へ探査活動をするってハナシがあるわ。パイロットには、貴方がノミネートされてるみたいだけど……いいコト?誘いにのっちゃダメ。危ないわ。一応、予算には計上出来ない段取りにしといたから大丈夫だと――」

「ちょっ、待って下さいよ。なんですそれ。聞いてませんよ」

「とうぜんよ。聞かせてないもの」

 

 シレッと彼女は言い放つ。

 あのね、とメロンソーダをわきに除け、(かろ)く身をのりだして、香水の雰囲気を漂わせながら、

 

「候補生の命なんて、紙切れ一枚、ハンコひとつよりカルいのよ?予算獲得の談合ネタに使われるならまだしも、私怨(しえん)や個人的な欲求のために、将来を左右されたくないでしょ?だから航界機なんか降りて――探査院のスタッフになりなさいな」

 

 そう言いつつ、(くら)い笑みをもらし、手をさしのべるミラ。

 “宮廷中尉”である彼女の、いまだ知らない(かお)の一面が、目の前で(ひら)めく、ような。

 

 ――情報工作担当者?それとも“汚れ仕事”を請け負う現場の実行班……?

 

 話半分で聞いていた学校でのコワい(ウワサ)話。それがリアルな現実となって立ちのぼって。

 なんとなく気圧(けお)される雰囲気のまま、

 

「秘書官の仕事、って。どんな事やってるんです?アブなくないんですか?」

「アラ?――へぇ、心配してくれるんだ」

 

 相手は高価そうなブラウスに包まれた腕を、すんなりと引っ込め、軽くうれしそうに。

 

「そうじゃないですけど……」

 

 茶化された『九尾』は、チョッとふくれる。

 仕返しとばかり、彼は先ほど相手が言ったセリフの(はし)に引っ掛った点を訊いてみた。

 

「ミラ宮廷中尉どのって――外象系なんですか?」

 

 こんどは相手の雰囲気が、一瞬、硬くなった。

 失敗したかな、と彼が唇をひそかに噛んだとき、ラウンジに流れていたコレルリの合奏協奏曲が止み、女性のアナウンスが、高い天井に響く。

 

 《航界艦“南十字星”は、当ポート五番フィンガーに、あと十分程で到着の予定となります。乗艦を御予定のかたは御準備のほど、よろしくお願い致します――繰り返します》

 

 アナウンスが終わるころには、相手の表情(かお)(けわ)しさも消えていた。

 

 「もし――そうだとしたら?」

 

 ミラは、高価(たか)そうなバッグをパチンと閉めながら立ち上がる。

 冷ややかな眼差しが、『九尾』を見下ろした。

 

 「()()()()()()は――おイヤ?」

 



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020:“蘭の王女”のこと、ならびにクラスでの疎外感のこと

 ラウンジに所属する衛兵の“(ささ)(つつ)”に送られ、腕を組んだスタイルで、ふたりは一〇〇m四方ほどの広さを持つコンコース・ロビーに出た。

 

 一般客用の二《ふた》ケタ番台・フィンガーとは、イミテーションの鎖と金ポール、それに赤絨毯(じゅうたん)で仕切られた中、さらに一階上のフロアに、長い長いエスカレーターを使ってふたりは昇ってゆく。下から見上げてくる一般客たちの、羨望(うらやみ)嫉妬(ねたみ)まじりな視線を背中に痛いほど感じ、うしろを向くのがコワい。しかしミラは面紗(ヴェール)を下ろしたままアッケラカンと振りむいて、

 

「ほら、見て?アタシたち、華族の若いニュー・カポーに見られてるかも」

 

 言われてとうとう後ろを向いた“夫役”は、初詣(はつもうで)のとき大階段直前でロープの通行規制をうけた参拝客を連想するのがせいぜいだ。

 上階に着くや彼女は、上品なスーツに似合わぬノビをして天をあおぎ、

 

「あぁ……久しぶりの有給はイイわ――素晴らしき(かな)、人生!」

御勤務(おしごと)、おいそがしそうですね」

「うん……ナニせ風邪ということで、ムリヤリ取った有給だもの」

「大丈夫なんですか?それ」

「たまには、ダマってズル休みでもしないと身体がモたないわ。最近、ウチの殿下の仕事が増えて。スタッフがそれを押し付けられるンで大変よもう。感謝なさい?私の貴重な自由時間を。そしていいコト?今日は付き合ってもらうわよ……?」

「もう寝たいんですけど……」

「アラそう?うふふ♪――じゃあ」

「チ ガ い ま す !」

 

 衛士が散在する絨毯の通路を二人はさらに歩んで「五番フインガー」と表示がある入り口までたどり着いたときだった。

 エントランス・ゲートが、黒スーツの一群で満たされている。

 げ!とミラは狼狽(ろうばい)したような(うめ)きを上げ、

 

「なによアレ!――聞いてないわよ」

「……ハァ?」

 

 一群をよく観ると、スーツのラペル部分に、等しく銀色の徽章を付けている。

 

「なんです?あれ」

()ッ!ダマって!」

 

その声に振り向いた黒スーツの一人が、あぁっ、とふたりを見て驚いたように。

 とたん、ミラは声をこころもち張りあげ、

 

「『百合(ゆり)』の殿下付き秘書官、宮廷中尉ミラ・ユデイト・アレクサンドラ!おそれながら『(らん)』の殿下ご一行さまと、親しくすれ違う許可(おゆるし)を頂きたく存じます!」

 

 そういうや、優雅なスーツが汚れるのもかまわず片膝立ちとなり、右手をついて平伏する。『九尾』の方をうつむいたまま向き、ささやき声で、

 

「ナニやってんの!ほらアンタも!」

「――いいえ!その必要はありません」、

 

 ミラの言葉を圧し、柔らかな、それでいて(りん)とした語勢が辺りに澄みわたった。

 黒スーツが次々と頭を下げる中、ゲートの奥から、宮廷服を着た一人の婦人が現れる。

 気配が、気品が。なにより迫力のケタがちがう。

 それが外象民の№2。『(らん)の王女』だった。

 

「いちど、直にお会いしたいと、こう、心待ちにしておりましたのよ」

 ぽっちゃりめの優しそうな瞳が、『九尾』を見おろした。

 わずかな二重アゴも彼女の柔和(にゅうわ)な印象を手伝っている。

 だが身に(まと)う高貴さは隠しようもない。

 たとえ宮廷用の雅服姿でなくともそれは同じだろう。

 緊張した『九尾』は口が上手く回らないかと危ぶんだのだが、大聖堂での経験もあってこの場所でも礼節の授業で教わったとおりの口上に成功する。だがなぜかそれに対する第二王女の眼差しは、痛ましさ――もしくは哀れみというものだった。

 

 (ゆる)やかな、まるで(なぐさめ)めるような優しい口調がそれに続く。

 

「課業は――(きつ)くはないかぇ?体調は、大事ないかの?」

「ハ、殿下のご慈悲(じひ)をもちまして、問題は御座いません」

 

 ふるえる声をはげまし、彼は(かろ)うじて応じた。

 

「……殿下の御稜威(みいつ)彌榮(いやさか)ならんと(こいねが)い、日々精進しております」

 

 深々と腰をかがめる頭上で重々しくゆるやかにうなずく気配。

 

「西の方にも、()()()の名が(ほま)れと共に届き、わが東宮も誇りに思います」

「ありがたき、お言葉――かたじけなく」

 

 うっかり『九尾』は感激のあまり涙が出そうになった。

 胸の締めつけられるような、嬉しさ。かしこさ。勿体(もったい)なさ。

 ついで、微妙な間をおいてから蘭の王女は、

 

「そう遠くない未来、つぎの探査航界が予定されております。これは内々の話ですが、こたびは雲海の深淵(しんえん)に挑む事となりましょう。腕利(うでき)きの候補生が要《い》り用となります。かくなる時は――」

(おそ)れながら!」

 

 おどろいた事に、秘書官風情(ふぜい)であるミラが第二王女の言葉をさえぎり、とうとつに面《おもて》をあげた。王女周辺の従者一団が、(さっ)と緊張する気配。

 

「その計画は、確定でございましょうや?小官は百合(ゆり)殿下(でんか)の秘書官を及ばずながら拝命しておりますが、当該《とうがい》作戦は無期延期になったと聞き及んでおります!」

 

 緊張のため喉がかすれたのだろう。普段とはちがい幾分《いくぶん》ハスキー気味な声で、彼女は語気するどく先をつづける。

 

「探査院の正式な行動予定、および予算計画には、そのようなものは存在――」

「ひかえよ!」

 

 近くにいた女官が、手にした従者用の飾りつき長扇でミラの肩を打ちすえる。

 濃密な森閑(しんかん)さが充ちる通路に、ピシリ、鋭い音がつたわった。

 

「殿下の御前(ごぜん)である!口をつつしめ」

「西への(みつ)ぎの代償(だいしょう)としては、それはあまりに――」

「――ひかえと申すに!」

 

 女官はブラウンの髪を振りみだし、長扇をミラの頬に一旋させる。

 扇の房飾りが飛び、ミラは『九尾』の側にたおれこんだ。

 辛うじて受け止める事に成功した彼は、腕の中で震える柔らかい身体を無意識のうちに抱きしめる。

 壊れた扇子を手に得意げな風で仁王立ちとなり、二人を見おろす若い女官。その彼女に向かい『蘭の王女』は背後から痛ましげな口調で言葉をなげかけた。

 

「そなた、()っておりますか?剣を(たの)む者は剣に、()を恃む者は威に、(おの)ずから(ほろ)びるのですよ。自省なさい」

 

 深々と一礼する衣ずれの気配。

やがて緋色の床でうずくまる二人を残し、第二王女一行は、ゆるやかにその場を去っていった。ひとけが絶えた廊下は毛足の長い絨毯のせいか、ふたたび音楽室のように静かに。

 

「だいじょうぶですか、サー?」

 

 ミラの背中をゆるやかにさすっていた『九尾』は、うずくまる彼女の顔をのぞき込んでギョッとする。なぜなら泣いているかと思いきや、彼女の顔は怒気にあふれ、面紗(ヴェール)を通してすら瞳は爛々(らんらん)と燃えているのが判ったからである。

 

「……立たせてくれる?」

 

 やや久しくして、ようやく彼女は『九尾』にささえられ、立ち上がった。

 噛みしめられた(あか)い唇。

 しかめられた細い眉。

 扇で打たれた側のほおはスリ傷がつき、うっすら血がにじんでいる。

 

「……ねぇ」

 

 いまは声の調子も直ったミラは、眼を隠していた面紗を帽子の上にまくり上げ、

 

「キス、してよ」 

「……え?」

「だから。キス、しなさいよ」

 

 心中、『九尾』は驚くが、男のプライドから何とか平静を保った――はずだったが、顔が爆発的に赤くなるのは避けられない。それを見てミラの顔がすこしやわらぐと、いつもの小悪魔的な笑みをわずかによみがえらせ、

 

「もう、ハラたって仕方ないの!いいでしょ?あんなコトあったんだもの」

「いや、でも……その」

「なによ!()れったいわね――あぁ、そうなんだ」

 

 ニンマリとした笑みが、ますます深くなる。

 

「もしかして、初めて?したコト無いんだ?航界士は“草食”が多いって聞いてたケド?アナタもやっぱりそのクチ?」

 

 せまられて退いた『九尾』の背中が通路の壁にあたる。

 ミラは、そのまま躰を押しつけるようにして、彼の前腕を、レースの手袋をはめた手で握ると、自身のスーツの内側に差し込ませた。

 

 獲物を前にしたような、彼女の目つき。

 

 着痩(きやせ)せ、とでもいうのか。意外に量感のある隆起が、『九尾』を驚かせる。

 どこまでも柔らかい暖かさ。シルクらしい艶々(ツヤツヤ)としたブラウスの手触りごしに感じる、なめらかな丸み。そして、手のひらの真ん中にポッチリとした突起が、くすぐったく。

 

 ――ノーブラ!

 

 だがこれが意外にも『九尾』の熱を冷ました。

 代わりに彼は、別のものを想いおこしている。

 あのムッチリとした肉感。

 悩ましくも張り切った腰つき。

 引き締まったカフェオレ色の肌と、荒々しくも優しいまなざし。

 顔を抱きすくめられた時の、豊かな谷間からただよう大人の女性の匂い……。

 

 突然ミラの顔がこわばり、いきなり『九尾』を突き飛ばした。

 はずみを食った彼は、反対側の壁までよろける。

 不意打ちをくった彼の驚き顔に、ミラは憤然(ふんぜん)とした面持ちで、

 

「ナニよ!そんなに、あのオッパイ(オンナ)がイイわけ?」

「急に、なにを……ボクは、べつに」

「言わなくても分かるわよ!」

 

 頭上から、腹に響く霧笛が降ってきた。

 同時に彼女の携帯も廊下に鳴りわたる。

 

「ウルサイわね!……えぇ、行かないわよ!乗艦は取り消すわ!」

 

 通話を終えるや彼女はフーフーと肩で息をしていたが、やがて略帽のピンを抜き、後ろでまとめた髪の具合を整えてピンを差しなおすと、面紗(ヴェール)を下ろし、乱れた胸元を、血の気のない手つきでととのえた。

 

「今日は、これまでにしましょ――(きょう)()がれたわ。帰り路はわかるわよネ……それじゃあ」

 

 つけつけとそれだけ言うや、無言のまま、彼女は通路の奥に去ってゆく。

 

 ――なんだってんだよ……もう。

 

 呆然と、『九尾』はその後ろ姿を見送るしかなかった……。

 

 

 

 それから二週間ほどたった、ある朝の講義だった。

 

 ようやく学校に復帰した『リヒテル』が講義を脱線し、対航戦の秘訣(ひけつ)を電子黒板に図と共に書きはじめ、それに候補生たちは身を乗り出して、クラスが静かな興奮で包まれていると、廊下から足音がパタパタ近づいて教室のドアがノックされ、学校の若い女性事務員が失礼しますと顔をのぞかせ、

 

「候補生1016、『九尾』さん」

 

 はい?と必死に模式図を写していた彼が顔を上げると、

 

「至急、離床準備棟へ、とのコトです」

 

 クラス中に、またか、という白けた気配がひろがる。

 『九尾』と言う名前が有名になり、特別扱いされるようになると、クラスの中でも自然と浮く雰囲気ができた。以前はよく一緒に遊びに行った『牛丼』たちとも疎遠(そえん)になる。『山茶花』は変わらずに接したがっているようだが“彼氏”のほうが良く思わないらしい。それが証拠に、机を並べていても、もう滅多に話をすることはなかった。

 対航・交戦図を書きかけ、思わずイライラと舌打ちをした『九尾』は、

 

「今ですか?イイとこなのに……あとじゃだめなんですか?」

 

 するとクラスのあちこちからブーイングがおこり、

 

「いいから早く行けって!先が聞けないじゃないか」

「そうだぞQB、講義のジャマだ」

「大丈夫だよ、後でノート見せてやるから……目眩まし(チャフ)の」

「上級校医の、あのSMセンセイの奴隷だってハナシだけど?尻掘られるんでショ?――アンアンって」

 

 どっと(わら)いがおこる教室に、バン!と『リヒテル』は強大な手で教卓をたたき、ラテン語で、

 

(イヤ)シキ(コト)()(ロウ)スル(モノ)ハ、(オノ)ズト(ココロ)(イヤ)シクス!自省しなさい!講義にもどります……あぁ、候補生『九尾』。早く行ってきなさい」

 

 叱られ、(シン)、とショゲきったクラス。

 その冷ややかな、憎しみまじりの空気を痛いほど感じつつ、彼は無表情をよそおうも、屈辱感で(ほお)を熱くしながら、うつむきかげんに教室を出る……。

 

 雲高の低い、どんよりと暗く寒い日だった。

 ほてった頬を冷やすにはちょうどいい。事務員のあとについて下駄箱で靴を履きかえ、上級生棟に行く途中、ファイルを片腕で山盛りに抱えて龍ノ口が片手杖でヒョコヒョコとやってくるとのが見えた。

 先日の慰霊式での出来事――告悔所めく小部屋での、痴態。

 以前とちがい、何となく(けが)れたような、直視できない相手の印象がある。

 自身でも知らず、少し引いていると、

 

「よ、『九尾』――いまチッとイイかな?」

 



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021:雲海大深度探査計画のこと、ならびに墜ちた偶像のこと

 女性の“瑞雲”付き事務員は、パープル色な品の()いブラウスの肩をすくめ、

 

「龍ノ口さん。いまからこの子、準備棟に連れて行かなきゃ……」

「そんなイヤそうな顔すンなョ。だーいじょうぶだって!俺が連れてッから。かわりに悪ィいけど、このファイル。研究棟・第四号室のあの爺さんトコに持ってって――ホイと」

 

 いきなり大量のキングファイルをドサッと渡され、事務員は小さな悲鳴をあげる。 龍ノ口はそれにかまうことなく(きびす)をかえすと、そのまま『九尾』を(いざな)い肩を触れ合う勢いでならべ、杖をいそがしく使って歩きはじめた。

 

「…………」

 

 しばらくは、沈黙。

 

 ふたりの吐く白い息が、あの日の――雪の大聖堂を思い出させる。

 龍ノ口の体から、『デザート・モルフォ』を(けが)したおりの、(なまぐさ)い、淫猥めいた禁忌(きんき)の気配が(ただよ)うようで(くやし)しく、自然、『九尾』は先輩である()()()()から距離をとる。しかしこのチューターはそんな彼の心持ちなどおかまいなしに、彼の(ひそ)やかな煩悶(はんもん)を一瞬にして吹き飛ばすようなことを話しはじめた。

 

「なぁ……こんどオマエ、雲海深部への偵察降下に出るんだろ?Dゾーンの?」

 

 Dゾーン?と一瞬『九尾』は眉をひそめ、

 

「あぁ、調査未了界域のコト、でしたっけ――って、エ!決定なんですか!?」

 

 彼は耳を疑う。

 だがその驚きをなど気にする風もなく、龍ノ口は陽気に、

 

「西の宮との技術的な駆け引きがカラんでるらしいんだが……ンなこたァ、どうでもイイ。とうぜん、強行偵察タイプになるだろうから複座(ふくざ)だよな?主操縦者(メイン)はオマエとして、RSO(航界機偵察装置担当員)に俺を指名してくれないかなァ?その権利がメインにあるのは、錬成校代々の不文律だ」

 

 ――いいコト?誘いにのっちゃダメよ……

 

 ミラの、あの“王女付き秘書官”の炎をたたえた(ひとみ)が『九尾』の目前で(ひらめ)くような気がした。耳元でささやかれた息の熱さとミントの香りもいっしょに。

 

「なァ――イイだろ?」

 

 足を止め、龍ノ口の方を改めて見ると、驚いたことにこちらも何かに()かれたような、底光りのする眼をしている。般教(ぱんきょう)の授業で、読書感想文の課題に出された“パリの憂鬱(ゆううつ)”。その作者紹介ページに載っていた「伝説の詩人」の眼差しが、似たような感じで。それに、よく注意してみればなんだかタバコ臭い。おまけにお酒の気配すらする……ような。

 

 『九尾』は相手をにらみ、唇を()む。

 次いで、とりあえずの時間かせぎとして、

 

「その話、ホントですか?探査院の予算には計上されず凍結になったって自分は聞いてますが……」

「ンなもん、補正予算(ほせいよさん)や復活折衝(せっしょう)で、どうにでもなるだろが?それに、もう作戦名も決まってるって話だ。『盟神探湯(くがたち)65B』。いいか要は――こういうコトさ」

 

 龍ノ口は、校舎の壁によりかかり、腕組みをして、

 

 「“認識”を装置(デバイス)で増幅させ、あたりの空間をねじ曲げて、ほとんど幽体離脱スレスレの状況で飛ぶ俺たち(いや、正確に言えば俺はもう飛んでないが……畜生(ちくしょう)め!)にとって、G・スーツってのは、言ってみりゃァ“存在”をワクの中にとじこめ、事象面に“実存”させる安全索みたいなモンだ。そして安全索が切れた場合も、最終安全装置として“(オート・)A P(ポイエーシス・) S”が(システム)付いてる。破損したメモリを再構築するように、自己を修復する代物だ」

 

 龍ノ口は片手杖をコツコツと地面に突き立てる。

 そのとき大鴉が一羽、近くの立ち木に(おお)きな翼をばたつかせてとまり、ギャァ、と一声。得体の知れぬくろい目で、彼らふたりを首をかしげ、ねめつけた。

 

 候補生指導役(チューター)は、その方を鬱陶(うっとう)しげに一瞥(いちべつ)してから、

 

「……だが残念なコトに我が方は、この自己生産システムの分野で、西ノ宮(アチラ)さんよりだいぶ(おと)ってる。ムリもない。前にも言ったが、世界との融合だ、涅槃(ねはん)の境地だ、なんて言って自我をトばし、結果的に()()()()しまくる向こうのほうが、そりゃァ技術は進歩するわな……寒いか?」

「えぇ……すこし」

 

 じゃ、歩きながら話そう。と龍ノ口は、杖をセカセカと動かしつつ、上級生用の校舎に入った。

 廊下をゆくと、通りすがりの教室では、『存在認識論ーⅡ』と表題のかかっただ立体画像を教官が操りつつ、中空にアメーバを三次元的に何層にもからめたような、存在領域をうかべるなかで、グラデーションのかかったその境界面に、生徒が航界機の模型を動かし、自分の考案した航界機動を発表している。

 

「きいた話じゃ、こんど西ノ宮は新方式のAPSを開発したらしい。なんでもシナプスレベルの再現までいけるとか。これを使えば、耀腕(ようえん)はもちろん、雲海の大深度で突発的に襲ってくるらしい“強制憑依(ひょうい)”すらクリアできる、かもしれない」

「きょうせい……なんです?」

「オヤ、知らんか。強制憑依思考」

 

 不勉強だな、と龍ノ口は不満そうな顔をして、

 

「いくら自己意識を機械的に防御しても、突発的に何かに意識を乗っ取られることがあるらしい。意識だけじゃない。身体まで物理的に変化させられる場合もあると聞いた」

「……フロイト?みたいなものですか……」

 

 そんな生やさしいモンじゃない、と龍ノ口は鼻で(ワラ)い、

 

「一部の大深度探求航界士(ディープスローター)からは、スバリ“悪霊”(ズロイドゥーフ)と呼ばれているそうだ」

「……」

「つまりこのシステムを使えば、これまでの雲海深度記録を、大幅に塗り替えることが可能になる。より安全に、より確実に。そこで次に必要となるのは、この新型システムのテスト航界を請け負う、優秀な航界士候補生さ。本職の貴重な航界士はテストになんざ使えんし。なにより奴等(ヤツラ)が、やりたがらんだろう。かくなる上は、優秀なる候補生『九尾』に、パイロットを――」

 

 はぁ?と『九尾』はとうとう声をあげ、

 

「ボクが?なんで――どうして!ほかにも優秀なヒトいっぱい居るでしょうに!」

「そのヘンは知らん。上層(うえ)には上層(うえ)の理由《かんがえ》があるンだろ」

 

 ヒステリックに叫ぶ彼に“元候補生”は、なにか唾棄するような一蹴で、

 

「とにかく、オマエに白羽の矢が立ってるってのは確実、ってハナシだ。東宮の空技廠(くうぎしょう)が仲立ちして、西ノ宮の[存技研(そんぎけん)]――存在技術研究所と交渉してるらしいンだな、コレが」

「イヤですよ!そんなの」

 

 さすがに()じ気をふるい、あえぐように答える。

 

「死ににいくようなモンじゃないですか!わざわざ」

「なぜだ?未知の領域だぞ。そこに挑めるんだ。こんなに幸運(ラッキー)なことはない」

「龍ノ口先輩には、そうでしょうけど!!」

 

 『オフィーリア』の死に様を思い出した『九尾』は、ブルッと体を震わせ、

 

「べつに、ワザワザ危険なトコに行かなくても……ねぇ?ホラ、その、深淵(しんえん)(のぞ)くものは、なんとやらって。好奇心が強すぎたネコになるのもイヤですし」

 

 そして、なるべく平静をよそおいつつ、龍ノ口の目を見ないようにして、

 

「ボクも最近は、なんだかクラスの皆からシカトされるわ、妙な横ヤリあるわで。航界士ってあんまイイことないなァって。できるならどっか探査院がらみの企業を紹介してもらって、安定した生活――」

「……本気(ホンキ)で言ってやがるのか?」

 

 その声は、これまで『九尾』が聞いたことがないほどドスが効いていた。

 相手の猫背な背中に、怒気が溜まってゆくのがわかる。

 やがて一呼吸おいて、この先輩は年下(としした)の顔を(にら)みつけ、いきなり爆発した。

 

「これを見ろ!この(あし)を!」

 

 アルミの片手杖で、自分の不自由な片脚を邪険に打ち叩きながら、

 

「もう機体と満足に同調ができない――できないんだよ!おれの界面翼《つばさ》は無くなっちまったんだ!自分ひとりで高度な機動は出来ない!金輪際(こんりんざい)な――いいか()()()だぞ!だがオレは飛びたい!()()()()()()!……でもな、(クソ)鈍重な大型貨物機のFEや(フライト・エンジニヤ)貨物(カーゴ)クルーなんざゴメンだ!ならば……そう、RSOなら?後席(タンデム)とはいえ、まだしもさ……貴様はイイよ?好きに飛べるんだ!無限の可能性がある!だがオレは――オレは……!」

 

 (うら)みがましい上目づかいが、『九尾』を見()えた。

 

 多少そり反ったように見える片手杖.

 それを、龍ノ口が横殴りに持ちかえたのを見て彼はハッと身構え、打ち叩かれるのを覚悟する。

 

 ジットリトした数拍。

 

 やがて相手は、そんな彼のおびえ顔を目の前にして寸前のところで自制したらしい。

 急に肩の力をおとすと己の所業に気づいたのか、この翼を(うしな)った元候補生はうつむいたまま、年下の候補生をシッシッとおいはらう手つきで……。

 

 『九尾』は、形ばかりの敬礼をして、その場を逃げ出した。

 

 いままで辛うじて残っていた、先輩に対する尊敬の念の最後の一角。

 それが、音をたてて無残にもガラガラと崩れてゆく。

 

 鼻の奥にツンとするものをこらえつつ、唇の端をわななかせながら、彼は離床準備棟へとかけていった。

 



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022:新しい貞操帯のこと、ならびに校内女医の趣味のこと

「いつまで待たせンのよ!」

 

 龍ノ口をやり過ごし、離床棟《りしょうとう》についた『九尾』だったが、こんどは入り口で待ちかまえていた校内女医《センセイ》に、またもやカミナリを落とされた。

 

「毎回毎回!学習しないコね!まったくもう!この遅刻魔!バカじゃ――って、あら。泣いてるの?遅刻するほうが悪いんでしょ!もう!」

 

 細い指に、見た目と違って強力な握力。

 服の上からとはいえ、腕をギリギリつかまれるのが痛い。

 そのままフィットルームへ連れて行かれ、消毒液臭の漂う部屋に投げ入れられる。

 

 部屋の中央には“あの”忌まわしいギロチン。

 おまけにガチムチの屈強そうな看護助手が三名。

 感染症予防用のフルフェイス・ゴムマスクごしに、爬虫類のような目つき。

 

 一瞬でこれらを見て取った『九尾』に、女医は情け容赦《ようしゃ》もなく、

 

「探査院・別院から、あたらしいC・ベルト(貞操帯)が届いたよ!」

 

 女医は、ご丁寧にもジュラルミン・コンテナ入りの体外排出ユニットを示す。

 

「今日からコッチの方つけてもらうからね。コムプリ(わかった?)!?」

 

 ドヤ顔で指し示されたそのユニット。

 生体シリコンだろうか?アズキ色をした、妙にテカる物体。

 イボのようなものが沢山ついた、そのうえ神経接続部のトゲも生々しいグロテスクな体内挿入部《アナルプラグ》も、いまの『九尾』には、どこか現実感がない。

 

 先ほどの大きく目を見開いた指導役(チューター)。何かに取り()かれたような、その(まなこ)

 いまだ情景が目前にチラチラとフラッシュバックして、いくぶん体温の下がり気味な彼の思考野を大部分占拠したまま去ろうとしない。

 

「さ、制服をぬいで――はやく!別院の方がお待ちだよ。」

「別院って……?」

空技廠(くうぎしょう)の「奥の院」のコト。()()()()()()()()。予算の規模から『影の王宮』とも呼ばれているわ。私たちの「異相科学省」とつながりのある空技廠とはゼンゼン別なモノ。すごいわよぉ、このC・ベルトは。何たって――」

 

 あとの説明を『九尾』は聞いていなかった。

 さきほど聞いた龍ノ口の言葉。

 あまりな暗合。偶然。

 

 そのため気づいたときは全裸にされ、ギロチンに拘束されて、脚を大の字に開いたすがたで麻酔《リドカイン》を混入させたゲル剤を局所に塗られていた。

 ネットリとした手つきで、アヌス部分は特に念入りに処置されて。

 

 女医の目が、手術用ゴム手袋をキュパキュパ鳴らしつつ嗜虐(しぎゃく)的にかがやき、舌なめずりしている。だが彼はまったく別のことを考えていたので、尿道カテーテルや排便用プラグのサイズと長さが、ひとまわり大きくなった感覚にも気づかない。

 

 記憶の断片。様々な心象が、グルグルと、頭のなかでまわる。

 

 進行性の脳障碍(しょうがい)

 首のない死体。

 瞳の中の炎。

 フロイト。

 弔鐘《ちょうしょう》。

 髑髏《ドクロ》。

 身体改変。

 雲海の大深部。

 強制憑依――悪霊(ズロイドゥーフ)

 

 いつの間にかミラ秘書官や龍ノ口の言った計画は動き出していて、いま自分が強制装着されてるこの貞操帯のようにズップリ(ハマ)って取りかえしが……。

 

 ――って、ズップ……リ?

 

()ッッた、ぁァァァァァァァァァァアア!」

 

 貞操帯のことに考えが及んで初めて気がついた『九尾』は、拘束される“ギロチン台”を激しくゆすり、黒い革枷(かわかせ)を引きちぎる勢いでもがいた。

 

「暴れないの!いま調整するから。親和剤、20追加」

 

 麻痺がゆっくりとやってきて、それが去ると下腹部の違和感は消えている。

 

「……いいわ、外したげて」

 

 ようやく解放された彼は、おそるおそる自分の下腹部をさする。以前より薄く、身体にフィットする貞操帯が張り付いていた。

 なんとなく(みだ)らな、光沢のある紫。つややかな感触。

 ふたつの丘がラテックスで作った女性の恥丘を思わせる。

 ご丁寧にも、うっすらタテ筋まで、再現されて。

 

「特殊な人工皮膚をスキン溶着しているから、()()()脱げないわよ。問題があった場合は、探査院所属のレスキュー呼びなさい。前のモノと比べて、よりいっそう服の上からでも分かりにくいわ。これで一人前ね」

「なんか……だんだん酷くなってゆくような」

「なんですって?アタシの趣味に文句――」

「……趣味?」

 

 ゲフンゲフン!と、とっさに女医は咳払い。

 

「あ、イェイェ。とォォォォっても!よく似合ってるわよ」

「いえその、先輩たちは、みんなこんなもの……四六時中?」

「そ、そうよ?もちろん――」

 

 女医はこともなげに言いはなつ。

 

「首輪みたいなものよ。便の排泄《はいせつ》は専用の設備がないと出来ないから、ヘンに遠くにも行けないし。ロケーション機能もついて居場所も分かるしね」

 

 『九尾』はサラの姿を浮かべた。

 

「その。女の、女性の……先輩も?」

 

 こともなげに女医は、なにを当たりまえなという表情で、

 

「女子候補生は、とくにね。いろいろ便利なのよ。排便、排尿はもちろん経血処理とか、局部保温とか。鎮痛プラントとか」

 

 と、ここでニタリと意味深な(わら)いをもらし、

 

「挿入する膣の処理部を()()()()に変えたり。前に()()()()()追加する子もいるわぁ」

 

 “ディルド”や“アダプター”が何かは分からなかったが、(あや)しげな笑いをもらす女医の顔からして、良からぬモノであることは何となく察しがついた。

 

 チャンバーに入り、G・スーツを肌に張り付かせる。

 なるほど。新型貞操帯は前よりスムーズな感じで、外見にも自然だ。ウェストにポーチの並ぶベルトのようなバイタル・デバイスを調整し、さて、と女医を見ると、いつも背中に装着する機器の代わりに紙の手下げ袋をわたされた。

 

「G・スーツのバック・パックは要らないわ。あと、服が来てる――はいコレ」

 

 袋の中を見ると、オリーブ色の真新しいツナギ型作業着が入っている。ちょっと見には、軍用の一般勤務服のようだ。腕には探査院のマーク。

 

 【城壁の隙間から鍵を差し出す腕】※

 

「それからこの書類持って――あなたの履歴書。おむかえの連絡機が二滑(にかつ)に来てるハズだから。いい?こ・ん・ど・こ・そ・急いでもらうわよ?」

 

女医が、額をくっつけるほど近づき、眼鏡の奥でにらむ。

 

「あの、感応ヘルメットとかデバイスは?」

「聞かされてないわ。向こうで用意するんじゃないの?」

 

 ――やっぱり。

 

 計画は進行しているんだなと、ノロノロした手つきで『九尾』はスーツの上からツナギを着なおし、古風な「目玉つき封筒」を受け取りながら考える。どうしよう……バックれようか?でも、どこへ?

 

 浮浪者になるんだ!という想像が、浮かぶ。

 

 川の土手ッぷちにブルーシートと単管を組み合わせて(ねぐら)をつくり、朝な昼なに空き缶を集め、

 

 テスト勉強も、

 (ケツ)バットも、

 追試も、殉職も、関係ナシで。

 

 風呂とトイレは川で済ませて、調理はカセット・コンロか。電気は……どっかで盗電して、スパコン(超伝導)・バッテリーに貯めとけばいい。

いますぐこの場から逃げ出して、ダッシュで寮に帰ってエロ画象を始末して、手持ちの現金を……。

 

 ――あ。

 

 そこまで、計画を練ったとき、彼は自分の下腹部、尿道とアヌスをズップリと犯しているものに思い当たった。

 

 惨めな思いに(ひた)されたまま股間をなでる。

 柔らかいようで、硬い、去勢されたように平らな丸みが、中ゆびに伝わった。“男のふくらみ”が圧し潰され、縦スジのあるなだらかさに換わってしまっている。

 

 ――これがある限り……逃げられない、か。

 

 幸せなプータロー生活が、雲のように消えてゆく。

 

「どぉ?女の子みたいでしょ」

 

 女医が、してやったりというニヤニヤ顔で、そんな彼の仕草を。

 

「似合うと思ったのよねぇ……あなたオンナ顔だし。ウェストもくびれてるし」

「そんなぁ」

「これでおチチつけて、メイクすれば、もう立派な女の子じゃないの。知ってる?あンた、クラスの一部から、カキタレになってるって」

「柿タレ?なんですソレ。バカタレにされて?」

 

 あッはは!

 

 女医は高価そうなブレスレットを揺らして手を打ち鳴らし、イスの上で身を前かがみにして笑いくずれる。

 眼鏡をズラして涙をふき、

 

「ヤッパねぇ……アナタ、箱入り()だわ」

「クソ『九尾』候補生!クソ居るか!?」

 

 いきなり怒鳴り声がして、フィットルームの扉が、ギロチンのごとく横に開けられる。

 脱走、という『九尾』の希望が、このとき決定的に打ち砕かれた。

 

「先方様が、クソお待ちだ!とっととクソついてこい!クソが!」

 

 展開に既視感(デジャビュー)を覚えた彼は、やはり、と部屋の天井をあおいで大きく息をつく。

 バイバーイ、と笑顔で校内女医。

 

 エースマンがスクーターを飛ばし、第二滑走路の駐機場まで『九尾』をおくり届ける。

 主席教官のラフな運転にもかかわらず、後席にまたがる貞操帯をはめられた尻に、鈍痛は無かった。よほど(うま)くできているらしい。




※プラハ市の紋章の「剣」を「鍵」に
 換えたものと考えてください。


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023:古風な飛行士のこと、ならびに高速巡界艦のこと

 ゴリラのような背中ごしに身を乗り出して前方をみると、雲高の低い曇天(どんてん)模様の空のもと、管制塔前にある駐機場のはしに、大昔の前線観測機を発展させたSTOL連絡機が、プロペラを休めているのが見えた。

 ほどなくスクーターは機体のかたわらに滑り込む。

 

 「ご注文の候補生1016『九尾』、お持ちしましたァ!」

 

 機内にただ一人、操縦席にいる人物に主席教官は敬礼する。

 古風な茶皮の飛行帽にゴーグル、そして給気マスクを装着したままなその人物は、ぞんざいに敬礼を返すと『九尾』のほうを指して、乗るようにうながす。

 

(じゃぁな?――クソ(ウマ)くやれ!)

 

 そうエースマンはささやいて、さっさとスクーターにまたがり帰って行く。

 後部座席に乗ろうとした『九尾』はコツコツと窓を指で弾かれ、ナビ席に座るよう指示された。高い位置にある予圧ドアを「ウンショ」と開き、ヨッコラセと苦労して乗りこみながら、

 

「本日はお世話になります!瑞雲校・一級航界士候補生、『九尾』です!」

 

 パイロットは正面を向いたまま、黙ってうなずくと、シート・ハーネスを示す。

 『九尾』がドアを閉めるや始動ボタンが押され、プロペラが回転をはじめた。

 

 《フライト№***――第二滑走路へどうぞ。本日風速0、雲高……》

 

 管制塔からの案内を受ける間もなく、このパイロットはグローブをはめた手でいきなりスロットルを最大位置(M A X)に叩き込む。ブレーキのかかった主脚が推進力に負けてグッと縮み、コクピットからの視点が少し下がる。ビリビリ・キシキシと鳴る機体の内装。後方にあった自販機の空き缶入れが、プロペラ後流と翼面のジェネレーター流をうけ、中身をまき散らしながら吹っ飛んでゆく。

 

 ――この主操縦者(メイン)……いきなり?

 

 『九尾』があわててハーネスをロックしようとするより先に、機体は誘導路を滑走しはじめた。三〇mも走らないうちに、機体はふわりと浮き上がり、そのまま急角度で暗い空を目指し昇ってゆく。機体の規模のワリに推力が強いのか、かなりのズーム上昇。さらに翼辺から擬似界面翼を噴出。爆発的に速度を増してゆく。

 

 前線観測機が元ネタの機体なのでコクピットの視野がすばらしかった。

 

 『九尾』はこれを最後と後ろを向く。

 一年も居なかった校舎が――運動場が――滑走路が。足もとをはるかに、みるみる小さく遠ざかってゆく。終わってみれば、最後の方はナンだったが、結構たのしい修錬校《がっこう》生活だった。『牛丼』や『山茶花』は、まだあそこで頑張っているのだな、と考えるとやはり『九尾』は一滴(いってき)の感傷を禁じ得ない。

 エースマンやリヒテル、“あの”校内女医、龍ノ口――そしてなにより……。

 

 そのとき、暗く厚い雲に機体が突入して彼の目から母校をおおい隠してしまう。

 キャノピーの外は灰色の綿になでられ、激しい気流にゆさぶられた。

 

 このままどこかに運ばれて、またヘンなモノに乗せられ、雲海の深部にドロップされるのか。たぶんこんなモノじゃ済まないんだろうな、と陰鬱(いんうつ)な気分で、機体とともに揺れる心をもてあます。

 

 ――じゃぁ、RSOってダレが来るんだろ……龍ノ口指導員(チューター)じゃないとすると?……探査院は()()()()()()の人材にコト欠かないのかナ。まるで戦争狂(ウォーモンガー)ならぬ危険狂(エキサイトメント)だよ(シーカー)だ。本職の航界士ってそんな頭のネジをトバしたひとばかりなのかなぁ……あーァ、ボクも普通(フツー)の高校生なら、普通の女の子とデートもしたり仲間と旅行にも行ったりしたかったよ。ちぇ、候補生『九尾』ドーテーにて死す、かぁ……やりたいこともイッパイあったのになァ……。

 

 などと、様々な思いが頭の中が浮かんでは消え、消えては浮かび。

 

 これから自分を迎え撃つであろう恐怖からくる戦慄(わなな)きがなければ、涙の一筋でも(ほお)に流したかもしれない。

 

 その時。

 いきなり機体は密雲を抜け、とたん、まぶしさに彼は眼を細めた。

 

 輝くばかりの一面な、雲の絨毯(じゅうたん)

 硬質な、そして金属めいた鋭さをみせる蒼い空。

 そこに月が、いつもの数十倍の大きさで雲海から昇ってくる。

 事象面の屈折が重なったときに、まれに観ることのできる光学的現象だ。

 

 さらに、視界の()くコクピットから(あた)りを見回したとき、厚い雲海の一部が、まるでモグラが土中を移動するときのように、次々と盛り上がってゆくのを目の当たりにして。

 

 「なんだアレ……うわ!」

 

 雲を押しのけ、一個の巨大な白い物体が、ゆっくりと浮かび上がってくる。

 

 緩やかな局面で構成された美しい艦体。全長は軽く1km以上あるだろう。月がレンズ効果で巨大に見えたのも、この巨大な艦が発生する長大かつ透明な多重複層型界面翼のせいに違いない。とはいえ、近づくにつれよく見れば、あちこち改修跡があり、艦齢が彼の第一印象よりも古いことを物語っている。

 彼は先の作戦で自分にアサイン(割り当て)された旧式機体を思い出した。作戦後すぐに回収されたため、あれ以来、お目にかかってはいなかったが。

 

「スゴい……」

「モービーディック型・高速巡界艦(フリゲート)――その一番艦(ネームシップ)よ」

 

 声の方をむく。

 ゴーグルを額にはね上げ、マスクを外したパイロットが微笑んでいた。

おどろきで『九尾』は口をあけたまま、しばし呆然とする。

 それはそうだ。いきなり見知った顔がとなりに居るのだから。

 

「ミラ……秘書官。どの」

 

 まず彼女がスティック(操縦桿)を握れるということがビックリだった。しかも高速巡界艦のほうに進路を合わせ、ゆっくりと寄せてゆくことからどうやら彼女は着艦する気らしい。いや、いや、それよりも――

 

「今回の雲海深部への探査計画って。ミラが……秘書官どのが、RSOなの?」

 

 はぁ?と彼女は巡界艦に軸線を合わせながら、眉をしかめ、怪訝(けげん)な顔をする。

 

「なんのハナシ?」

 

 彼方をすすむ巡界艦の上甲板が一部、変形して滑走路状になるのが見えた。

 

「今日は、この前ジャマされたデートの――埋め合わせよ!」

 

 ツンケンとした口調でミラは言い放つが、『九尾』の「よかったぁ……」の言葉にエッという顔となり、ついでリップで(いろど)る口元を、一生懸命こわばらせたかと思うと、いっそうトゲトゲしい声を上げ、

 

「なにが、良かったァ――よ!」

 

 プロペラ音が()たす沈黙。

 ややあって、いくぶん口調をやわらげた口ぶりで、

 

「そんなに……アタシとのデート、うれしい?」

「えぇ!とっっっっっっっっっっても!!!!」

 

 死刑執行をのがれた純粋な喜びをはしゃいだ声に乗せ、しだいに近づいてくる巡界艦の方を見ながら無邪気に彼は答える。

 状況が『陰』から『陽』に。

 真逆にひっくり返りすぎて頭がおかしくなりそう。

 死を覚悟していた分、反動がものすごく躁的になって。

 

「これから作戦に投入されるものだと……この前のコトもあるし」

 

 そう言って『九尾』が操縦席の方を向くと、どうしたことか、秘書官はふたたびゴーグルと給気マスクで顔をおおっている。

 巡界艦からコールサインの呼び出しがあり、着艦ナンバーが与えられ、誘導用のマーカーがフロントに表示された。飛行着艦なので、着艦フックは逆向きとなる。

 

「秘書官どのがスティック握れるなんて、初耳ですよ」

 

 次第に巨大さの実感を増して行く巡界艦を眼前に、『九尾』は携帯端末を持ってこなかった事を悔やんだ。カメラで動画を撮れば、これをネタにクラスのみんなといろいろと話せたのに。そうすれば、もう一度クラスにとけ込むきっかけを作れたかもしれないのに……。

 

 ――いや、やっぱダメだな。

 

 彼は、すぐに考え直した。

 なまじっかそんな映像を見せつければ、また反感を買うのがオチだ。

 エリートはいいなと、嫌味の一つも飛んで来るにちがいない。

 不意に黙り込んだ彼に、ミラはマスクを外し、

 

「どしたの?――まさか酔った?」

「あ、いえ。飛行時間、けっこうありそうですね。機動がなめらかだ」

 

相対速度二〇と言うところをジワジワと寄せてゆく彼女の腕前に、本職の『九尾』すら舌を巻く。

 

「固定翼だけじゃなく、回転翼。界面翼の資格だってあるわよォ?」

 

 多少とくいげに彼女は答え、

 

「王族付き秘書官には必須(ひっす)の資格なの――送迎とかあるから」

 

 速度計を脇からのぞき込むと相対速度ゼロでいけそうだ。

 目標軸線とマーカーの同調はドンピシャ。

 『九尾』の視線に気づいたのか彼女は、

 

「飛行着艦は楽勝だと思うかもしれないケド、艦体表面の突発的な乱流にも即座に対応しなきゃだから、コレはコレで難しいのよ?――やってみる?」

 

ブルブルと彼は首をふる。

 

 マーカーに誘導され、ラダーとスティック。それにスロットルとイオン翼操作トリムを小刻みに動かし、ミラは指定された移動滑走路に寄せてゆく。甲板上には連結作業用の全自動ヴィークルが待ち受けていた。

 

「初めてだなぁ、巡界艦に乗るの――楽しみ」

「よかったわね。いろいろと案内してあげるわ」

「もー。てっきりボクは本決まりになった雲海深部探査に借り出されたものと……」

 

 何ですって!

 

 ミラが『九尾』の方を見た時、一瞬、機体は乱流を受けて姿勢をみだす。

 

 「ウワっ!」

 

 しばらく機体は木の葉のようにゆれ、ようやく態勢を立てなおし艦との激突を回避したのち、ミラはゴーグルと給気マスクをはね飛ばした。

 

「ちょっと!……だれがそんなコト言ったの!?」

 

 相手の勢いに驚いた彼は、出がけに龍ノ口とのあいだでかわした一部始終を話した。

 

「なるほど、ね……そういうこと……」

 

 説明を聞き終えた彼女は、キッと唇を噛むや機体の体勢を維持し、艦に近づいてゆく。

 もう機体が不意をつかれることは無かった。

 

 ――あ……。

 

 本気モードのミラの横顔。

 

 ふと、『九尾』はそれを見て、不覚にも心を捕まれてしまう。

 今までの身の丈に合わぬ背伸びした作り物ではない。

 ()()()()の地金が現れたような。

 

 サラともちがう。

 『黒猫』や『オフィーリア』、『山茶花』とも。

 ましてやあの『ズベ』公などとは全然ちがう。

 

 何かまったく異質な雰囲気。

 だがそれは、決して悪いものではない。

 言ってみれば……。

 

 考えをたぐろうとしたその時、着艦甲板が目の前にせまった。

 彼の体は緊張して連想は尻切れに。

 

「――くっ!」

 

 最終アプローチで彼女は見事な三点着地を決めると、スロットルを絞った。とたん風圧で機体は後ろに流されるが、着艦フックがヒットして機体は止まる。情けないことに『九尾』はヘッドレストに後頭部を打ちつけ、目の前に星が。すぐさま自動ヴィークルが近づき(ギア)を固定すると、滑走甲板ごと本体に収容される。

 

 「痛ったたた……お見事」

 

 ゲートが閉まり、天井ライトが煌々(こうこう)と灯る格納庫で風の猛威から収まると、ミラは操縦席から、いまだに脱力している『九尾』に詰め寄った。

 (ひとみ)の中の炎が復活している。

 これさえなきゃなぁ、と彼はナビ・シートでげんなりと。

 

「――さっきのハナシ、間違いないわよね!」

「えぇ……なんか作戦名まで決まってるらしいですよ?」

 

 作業服を着た甲板整備員が近づいてきた。ミラはゴーグルだけ付け直すと、

 

「ここにいて。殿下に連絡してくる。それとW/N(ウィングネーム)は、言っちゃダメよ?あぁ、兵曹!モーターとバッテリのチェックを。それとペラ(プロペラ)のピッチ可変が、ちょっとシブい気がするの。あと擬似界面翼作成口も見ておいてね」

 

 そういうや、首に巻かれた白いスカーフをなびかせ、機体から飛び降りて格納庫を足早に去っていった。『九尾』は整備員と二人、足取りもズカズカと去ってゆくその後ろ姿を、あきれ顔で見おくる。

 

          

 

 結局、彼女が帰ってきたのは、たっぷり三〇分以上たってからだった。

 

「あぁ――お帰りなさい」

 

 整備員を手伝っていた『九尾』は、機体から外した重いエレメントを床に置くと、腰を叩きながらミラをむかえた。予想のとおり、彼女は何か屈託(くったく)ありげな顔をしている。

 飛行帽とゴーグルを操縦席に放り投げると、機体のそばに輪留めされていた対艦用・自律キネティック弾頭が載る台車にヒョイと腰を寄りかからせて、

 

「……兵曹、どう?」

「コレ、しばらくホっといた機体ですよね?一応整備してますけどジェネレータ、新しいのに替えたほうが良いスよ?資材に(ナシ)つけときましたからエレメントだけは、じきに来ますけどあと二時間は……」

「ちょうどいいわ。お願いね」

 

 行きましょ、とミラは弾頭から腰をはなすと、整備兵に会釈する『九尾』を引っぱって格納庫を後にした。

 

「まァたデートが台無しだわ――まったく」

「殿下と連絡、ついたんですか?」

「どうもこうも。()()()()()()()()わ」

 

 憤懣とした足取りで艦内を進み、頑丈そうな隔壁の中に入り、内扉を閉鎖する。

 エアロックを経て反対側の分厚い扉を開くと、外郭通路に出た。

 

 グワッと一気に吹き込む冷風。

 

 あおりでミラの髪を留めていたピンがはじける。

 青い空と白い雲。そして人の営みを拒む清冽な大気。

 それを背景にして、逆光気味なかたちで長い髪が広がる。

 気のせいかシルエットの奥で彼女の瞳が金色に輝いたような。

 

 吹き荒れる風の中、

 

「大丈夫ですかぁ!墜ちません!?」

「艦は機動を停止したわ!おちたらアナタがボケなのよ!!」

 

 そういうや、苛立たしげに長い髪をはらった。

 



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024:艦内観光のこと、ならびにリモコンのこと

 ――ー寒い。

 

 『九尾』はツナギのチャックをあけ、G・スーツの腰に巻くバイタルのサーモ・レベルを上げた。そんな彼におかまいなくミラは革の飛行靴でグレーチング張りの狭いキャット・ウォークを鳴らし、どんどん進んでゆく。

 彼もそのあとに続こうとするが、格子から見える真下は雲海にさえぎられてるとはいえ、はるか高空の世界だ。

 

 最後にチラ見した高度計が正しければ、およそ三〇〇〇m……。

 

「どうしたのォ?――ーはやく!」

 

 いつのまにか開いた距離で、ミラは声高(こわだか)に叫んだ。

 なるべく下を見ないよう、そのあとを続く。

 ふり向いたミラの顔が、『九尾』の真剣な表情を見てニンマリと、

 

「なに――コワいの?」

 

 そういうや、今までの足どりを変えてタラップをのぼり始める。

 意地の悪いことに、あきらかに目的地を変えた気配。

 ついて行った先は艦体から水平に突き出た信号灯マストだった。

 

「ホラ、コッチいらっしゃいョ。前にカウリングあるから、風もそんなに無いわ」

 

 手すりがあるとはいえ、手の幅にもみたない細い足場。

 

 ――落ちたら……一巻のおわりだ。

 

 タイミング悪いことに、一瞬、雲が切れて下の大地がのぞく――かと思いきや、また閉ざされる。こんどは濃い霧に、まわりを包まれた。

 

「そんなとこでナニするんです?」

 

 マストの根元で、足の裏にイヤな汗をかきながら『九尾』はためらう。

 

「それにいくら飛行服とはいえ寒くないですか?中に入りましょうよぉォ?」

「なによ?来ないの……来ないなら」

 

 ミラの顔が、たなびく霧の向こうで小悪魔的な微笑(えみ)をうかべた。

 

 ボアの付いた古めかしい革製飛行服のポケットから、彼女はピンク色をした小さな器具を出すと、これ見よがしに示しながら片手でダイヤルをゆっくりと回す。

 

 (――!!)

 

 とたん、『九尾』は顔をしかめ、股間と尻をおさえて“つ”の字になる。

 

 貞操帯で身体に強制挿入された装置(デバイス)

 醜悪な形をした排便プラグと尿道カテーテルの2本。

 それがダブルで微振動(バイブ)をはじめたのだ。

 

 強弱。

 うねり。

 くび振り。

 前後に運動……。

 

「ちょっ!ナニ!――なんです、コレぇ!」

「ほぅ~ら、早くこないと、もっと刺激が強くなるわよぉ……」

 

 瞬間、強さが増して『九尾』はデッキに膝をつき、丸くなってしまう。

 

「ほら、オニさんこちら♪」

 

 ――バカにして!

 

 怒りをおぼえた『九尾』は、先ほどまでの恐れがウソのように、手すりもつかまず、バランスだけで、ツカツカとマストの中ほどにいるミラに歩み寄る。彼女は、さらにマストの先端まで逃げてゆき、髪を横ざまになびかせ振りむいた。

 

 霧がミラの下半身を隠した。

 一瞬、彼女の存在感が遊離(ゆうり)する。

 さらに、その確信犯めいた美瑛(びえい)が超自然的な(スゴ)みを与えて。

 

「私が好きな殿方が――私を追いかけて来てくれるだなんて!」※

 

 カスタニェットでも投げつけてやろうかとなどと考えつつ、彼は凍った手すりをつかみながら、さすがに足探りで彼女に近づくや、リモコンを力ずくで奪おうとする。させまいと、彼女はリモコンをつかむ腕を手すりの外にのばし、

 

「動かないで!いま動いたらコントロール・スイッチを最大にするわよ?そしたらアヘ顔で下界に真っ逆さまねぇ」

「いったい、ナニするつもりです!」

「ナニするのよ――決まってるじゃない!」

 

 ルージュを()いたミラの口元。

 微妙に緊張したかのようにこわばった、かと思うと、

 

「……キス、しなさい」

「……は?」

「なんども言わせないで、恥ずかしい。だからキスしなさい!このまえの続きよ!そうすれば、リモコンは貴方にわたすわ」

 

 (かた)みに(もだ)すこと幾拍(いくはく)

 やがて浮かんだ『九尾』の小狡(こずる)そうな表情(かお)を見るや、ミラは柳眉(りゅうび)を逆立てて、

 

「おデコになんてしたら、ダイヤル最大にしたまま、リモコン投げ落とすからね?」

 

 ――う。

 

 さらに数拍の沈黙。

 まわりは一面、雲海の霧につつまれ、まるで異界のよう。

 

 おそるおそる、『九尾』は、ミラの冷たい唇に口を合わせた。

 そのまま互いに眼を閉じる。

 

 ミラは満足げに背を反らせたまま、リモコンを手探りで彼のツナギのポケットに入れた。そして返す手で自分の飛行服の前をあけ、そのまま彼の手をまたも自分の胸に誘う。G・スーツ越しに彼女のぬくもりが伝わってきた。一見、古めかしい彼女の飛行服だが、やはり温調装置が入っているらしい。

 やわらかい唇をはなすと、彼女は満足げな吐息《といき》をついた。

 

「いい?アンタ……これでワタシの彼氏だからね?浮気なんかしたら……」

「う……分かりましたよぅ」

「ほら、タイタニックやってタイタニック。ちゃんと支えてよ?」

 

 彼女が大胆にも信号マスト先端の柵を乗り越えようとしたとき、近くのラウド・スピーカーからピ・ガーのあと咳払いがしたかと思うと、

 

「本艦は再機動に入ります。外甲板に出ている方は、すみやかに――」

「……チェッ、またジャマして。いいわよモウ、行きましょ?」

 

 隔壁を通って艦内に戻ると、『九尾』は少しばかりウキウキ顔の秘書官に、意外に窮屈(きゅうくつ)な艦内をあちこち案内される。

 ただ、動力室とブリッジ。それに稼働中の艦載機群を含めた兵装関連は見せてもらえなかった。話によればフルセットの通常航界打撃群を、まとめて“蒸発”させる事が可能らしい。高速巡界艦クラスでさえその威力なら、もっと上のクラスの戦闘能力は、どのくらいなのかと想像を絶する思い。ウワサに聞く、事象面を完全消滅させる“相互主観(そうごしゅかん)破砕砲”などと言うのも、現実味を帯びてくる。

 

 つねに低い地ひびきのような騒音が充ちる艦内空間を、様々なタイプの食堂、スーパー銭湯、射撃練習場、艦内聖堂と、時として床から持ち上がった隔壁に蹴つまずかないように回ってゆく。おかげで良いモモ上げ運動に。

 

 不思議なのは、どの施設も、二人が入るといつのまにか、ひと気が無くなってゆくことだった。艦内移動のため「艦道二号線」という、物流を兼ねた小さなチューブ・トラム状の列車に乗ったときも、車内にいた士官、兵員含めた乗員たちが、微妙に距離を措くのが分かった。

 

 個人用のリニア・ホバーに乗って二人は通路をすべってゆく。

 前方から、色ちがいの勤務服を着た二人連れの女性乗員がやってきた。すると今度も、すれちがう直前、やはりわきの通路に入ってしまう。

 『九尾』は、とうとうミラに、

 

「ねぇ――なんか避けられてません?ボクたち」

 

 えっ、と彼女はなぜか顔をそむけ、

 

「気のせいでしょ……それに図体(ずうたい)だけは大きいけど中は(せま)い艦だから、見学者に気をつかってくれてンのよ。あんまり神経使ってるとハゲるわよ?キューちゃん」

「キューちゃん?」

「そ。『九尾』のキューちゃん」

「イヤですよ、そんな南海漬けモノみたいな呼び方」

「ガマンなさい?警告したでしょ?外でおおっぴらに『九尾』名乗るなって。ヘタしたら、西ノ宮の司祭に、拉致(らち)られるかも」

「司祭?なんで坊さんが」

 

 小首を傾げる彼に、宮廷秘書官は肉食獣の笑みを浮かべ肩越しに振りかえり、  

 

「この前見たはずよ。あの納骨堂出たトコで。むこうじゃ珍しくないみたいね?ああいうの。『若梅(わかうめ)』ってW/N(ウィング・ネーム)のコ知ってる?黎明(れいめい)学園、それも中等校だけど」

「付属のエリート校じゃないですか……W/Nは初耳ですけど?」

「やっぱり西の方にひとり、ご執心なジジィの大司教がいて自分のトコに転属させろってウルサいのよ。童子()いで有名なヤツ。坊主風情(ふぜい)が、どこで眼ェつけたか知らないけど」

 

 それはコッチのセリフだよと思いつつ、

 

「あの、ミラ……秘書官殿?」 

「ミラでいいわよ、ウザったい」

「そのぅ、ミラ、どのは――」

「はァ!?」

「あ、いえミラ、さん?……は、なんで小官などを、相手にしようと?」

 

 先に立って歩いていた彼女は、うふん、と照れ笑いのような表情で振りむき、

 

「第二殿下のラボで、キューちゃんの飛ぶ映像見たのよ。それでちょっと興味もって」

「え……ボクの飛ぶところ?いつの?」

「たしか“フィギア(エイト)”やったあと“インメルマン・ターン”失敗(ミス)って雲海に墜っこちかけたとき、かしら?」

 

 あのときだ、と『九尾』は思う。

 

「ボクの翼の色……その、(みにく)くありませんでした?」

「どうして。素敵な色だったわよ?」

「……何色でした?」

「え。アンタ知らないんだ?じゃ言うのやーめた」

 

 フフっ、とミラ秘書官は、またも小悪魔っぽい笑みをもらすと、

 

「教えて欲しけりゃ、ちゃんとわたしの言うコト、聞きなさい?さもないと、どうなっても知らないから」

「どうなるんです?」

 

 秘書官のなかで逡巡(ためらい)が動くのを『九尾』は看た。

 

 ――あ……まただ。

 

 横顔が、その一瞬だけ悲壮をたたえ、ドキッとするほど美しい。

 野生系のサラ先輩とはまったく異なるもの――強いて言えば“高潔(こうけつ)な美”。

 先ほどの、コクピットでの横顔にも通じる真剣さで、彼女は眉をひそめたまま、「どうなるですって?」と言葉を継いで彼に正対した。長い黒髪をうしろになでつけギロリと、

 

「まえにも言ったじゃない!候補生なんて、きょうび消耗品あつかいなんだから。いくら美辞麗句(キレイごと)でオダてられたって、結局は政府の備品あつかいなのよ!いいコト?……よく覚えといて!」

 

 来なさい、と彼女はホバーを乗り捨て、せまい通路を歩きはじめる。

 

 




※「ギスモンド城の幽霊」好きなんですよねぇ。




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025:F・カートリッジのこと、ならびに奇妙な邂逅のこと【18禁】

 すすむにつれて、通路の色が変わっていった。

 そのうち隔壁(かくへき)が二重三重にもあらわれ、全身スキャンで身分を確認される。

 『九尾』が驚いたのは、こんな場所にも自分のデータが入力されており、秘書官の名前と同時に自分のW/N(ウィング・ネーム)も読み上げられた事だった。そして、ようやくたどりついた目的地らしき頑丈(がんじょう)そうな扉には、

 

       【ブルー(バッジ)要員以下の入室は】

       【これを固く禁止する――艦長】

 

 虎ワクで、そんな注意事項がビス止めされている。

 ここでアラームが鳴った。

 つづいて女性の合成音声らしきものが、なめらかな口調で、

 

(おそ)れいりますが航界士候補生は入室資格がありません。艦艇管理法・第――」

「ホワイト(バッジ)要員の管理職である、わたしの権限(けんげん)と責任で許可します。解錠(ウヴレ)!」

 

 若干(じゃっかん)の空白。

 

 やがて渋々といった感じで、ブ厚い隔壁(かくへき)ドアが開いた。

 そこはエア・シャワールームとなっており、同時に吹き出るミストと殺菌灯を浴び数分間、強風に吹かれる。終わると、つぎの部屋は靴底がひたるほど、浅く水が流れており、靴裏を消毒。ようやく入った場所は、一○m四方ほどの大きさもあるだろうか。白を基調とした、黒いグリッドが壁面にならぶ、無味乾燥とした部屋だった。

 中央にはコンソール。その傍らに、胸ほどの高さで一m角ほどの金属質な直方体が何本も整列して立っている。表面にはシリアルナンバーらしきものが、プレートで。

 

「――ここは……なんの部屋です?」

 

 数歩、部屋の中央に歩み入り、くるりとふり向いたミラは、

 

「この艦のメイン・スタビライザー養成装置よ。エイジング(熟成)・ルームとも呼んでるわ」

 

 彼女はコンソールに手のひらを当ててから、何かをI/P(インプット)する。

 壁のグリッドの一つが、まるで引き出しのように、ゆっくり壁面から直方体状に突きだした。

 サイズ的には、コンソールわきで直立しているものと同じ。連動して上面の一部分がひらく。

 かすかに感じられる、冷気。

 

「見てごらんなさい」

 

 面白がるようなミラの口調。

 『九尾』はイヤな予感とともに、引き出された部分に近づく。

 

 ――うっ……。

 

 『九尾』の頭から血が音を立てて引いてゆき、一瞬、よろけた。

 以前にも、こんな事があったと彼は頭のどこかで。

 でもこんどの方が数倍ひどい。

 

 あの、(つや)やかな黒髪。そして冷たく理知的な表情(かんばせ)は、もう無かった。

 静脈の目立つ、透き通るような白い裸体。

 ()りあげられ、コーティングされたように光沢がある坊主頭と、蒼白な顔面。

 ひろくなった額には、刺青でもされたような明瞭(めいりょう)さで、番号と認証コード。

 

 氷の印象だった(ひとみ)もいまは白目を()き、口には大小の径を変えて幾本もの透明な管を差し込まれている。

 控え目な胸は露出され、両の丘の中央が切り割られて、ここにもチューブが何本も身体の中に飛び込んで。

 腕も根本から切りつめられ、代わりに何かの機器が接続されていた。

 下半身は隠されて見えなかったが、推して知るべしだろう。

 

「……サー『黒猫』(シャノワール)?」

 

 (あえ)ぐように(つぶや)くのが精一杯の彼は、己の眼を疑うように二、三回まばたきする。

 

「言ったでしょ?候補生なんて――たんなる消耗品(しょうもうひん)だって」

 

 ミラは、そんな彼の顔を小気味よさそうに横目にするや、悠揚(ゆうよう)せまらず(かたわ)らに歩み寄ると、そっと彼の肩に手を置いて

 

「これは、一般に“F・(フィメール)カートリッジ”と呼ばれるものよ。生体を効率よく保存しながら、その個体の脳髄(のう)を活用するの。女性候補生の脳は、脳梁(のうりょう)が太くて情報の大量入力にも耐えるし、安定志向があるでしょ?だから不安定な事象面境界(きょうかい)を渡るとき、航界艦の姿勢制御に使われるってワケ。もっとも……」

 

と、彼女は直方体の中に横たわる『黒猫』のひたいを、中指の腹でやさしく()で、

 

「賞味期限?があるから、そのたびにカートリッジの中身を入れ替えなきゃだけど。まぁ、艦の運航状況しだいね。()って七、八年といったところかしら?耀腕や、ほかの航界艦との戦闘状態を継続した場合は三年も保たないと言われてるわ。小脳が――()けてしまうのよ」

「でも……でも、生きてるんですよね!?」

 

ミラはコンソールにもどり、立体表示を宙空に浮かべてデータを呼び出しながら、

 

「記録によると――この“素体”が日常生活に復帰する可能性は無いわね。ときおり眼球運動があるらしいから、ひょっとして自我意識があるカモだけど、望みうす。言ってみれば“例外状態(れいがいじょうたい)(せい)”というトコロかしら」

「そんな……ムゴい」

「ハ!植物状態で症状が固定された場合は脳髄を有効利用する(むね)、彼女とは契約が交わされているもの。航界士候補生になるときに、宣誓と――血判で」

 

 たんなる臓器の有効利用よと、あたり前のようにミラは言いはなつ。

 

角膜(かくまく)腎臓(じんぞう)と、なんら変わりない。こういったカートリッジをいくつも並列処理につないで艦の安定をはかっているわけ。ココは、その養殖場(ようしょくじょう)みたいなものよ。ホンモノの――つまり稼働中(かどうちゅう)の――カートリッジが並ぶ部屋は、別にあるわ。さすがに艦長でないと入れないけど」

「まさか、この四角なグリッドが……全部?」

 

 『九尾』は、入り口以外の三面にならぶ格子状の文様を、今までとは違った目で、畏怖(いふ)の面持ちもまじえて見わたす。

 

「みんな――その、植物状態の女の子が詰まってるんですか?」

「空きもあるから全部ってわけじゃないけど、現状では四五%以上埋まってるみたい」

「……」

 

 なんのことはない、遷延性(せんえんせい)意識障害(いしきしょうがい)の患者を再利用する、その献体(ドナー)保管倉庫だ。

 打算(ださん)思想、ここに極まれリ。もはや理念(りねん)も、倫理(りんり)も、理想(りそう)もない。

 完全無欠な実用主義(プラグマティズム)(なさ)け無用、仏心御免(ぶっしんごめん)唯物論(ゆいぶつろん)

 おそるおそる、彼は秘書官の顔を(ぬす)み見て、

 

「ボクも植物状態になれば……こうなる?」

「まさかァ!」

 

 『九尾』の台詞(セリフ)にミラは、陰惨(いんさん)の度合いを俄然(がぜん)、増しはじめるこの部屋にそぐわぬ快活(かいかつ)さで笑いころげると切れ長な目じりの涙を、曲げた小指で(はら)う。

 

「男の子の脳髄(のう)をスタビライザーなんかにしたら、艦があさっての方に行っちゃうわよォ。境界門(ゲート)維持(いじ)や航界艦艇の針路保持――みんな女性(メス)の脳の特質を利用したモノ。狩猟行動を基礎とする好奇心あふれる男子(オス)の脳髄は、ほかの分野で利用されてるわ」

「――たとえば?」

 

 その問いに、彼女は『九尾』の瞳をじっと見すえ、

 

「……そ・れ・は、機密事項。知りたければ候補生なんてやめて、探査院(ウチ)で働きなさい?アタシがいい部署、紹介したげる。だからイイ?いま計画されている雲海・深深度探査のパイロット募集には手を()げないこと。それと第二王女には気をつけて。こないだのアレ、判ったでしょ?」

「このあいだ、って?」

 

 ジれったいわね、とでも言うように、ミラは手近の直方体をガン、と蹴りつけ、

 

「“南十字星”に乗せたげようとしたときに、あのイケ好かない“(ラン)殿下(ビッチ)”ご一行が現れて、あなたに特定シナプス促進波(そくしんは)あびせたじゃないの。あれは感謝情動(かんしゃじょうどう)昂進(こうしん)させるモードよ。ありがたがって、目ぇウルウルさせてたでしょ?人のオトコを!まったく!」

 

 あれが、と『九尾』はそのときはじめて納得がいった。

 自分でも変だと感じていたのだ。

 感情崩壊にも似た、どうしようもない感謝の思い。

 まさか――あれが人工的なものだったとは。

 

「アンタが拒否しようとしたら、おなじ手を使って志願させるかもしれない、もしそうなったら、アタシに言いなさい?何とかしてあげるから。だから――」

 

 ミラは、宙空に浮かぶ緑のインジケータをつついた。

 

 先ほどミラが蹴りつけた、コンソールわきに直立して並ぶ直方体の一つが、低い(うな)りを発し、その正面が壁に突き出た“カートリッジ”とおなじ開き方をする。中には、やはり坊主頭の女性が格納されていた。唯一ちがう点は、中身がまだ意識あるらしく、直方体の中で苦しそうに身じろぎしているコトだった。

 

 剃髪(ていはつ)はされているが、額には(むご)たらしい認証コードと数字がない。両腕もまだ繋がった状態で、首輪からのびる革製らしき黒い編み上げの袋を使い、うしろで一つにまとめられている。ひかえめな胸の片方の(いただき)には鑑札のようなものがピアス留めされ、本人の身じろぎとともに揺れている。泣きはらしたような真っ赤な両目を突然のまぶしさにしばたたかせ、黒い口枷(くちかせ)にポッカリと開けられた丸い穴から、チロチロのぞく紅舌(こうぜつ)と、意味不明な言葉らしきものをオーオーと出して。

 

「ほぉら……イイ子にちてまちたかァ?」

 

 ミラは満面の笑みをうかべ、直方体の後ろに回り、中に拘束されている女性の額をピタピタ叩く。そしてポケットからハンカチをとり出し、口のまわりと、小さな乳房に滴りおちた(よだれ)(やさ)しくぬぐってやる。次いで直方体を後ろから抱く姿勢のまま、()びた上目づかいで『九尾』を見上げるや、嫣然(えんぜん)と、

 

「だ~からぁ……ぜったいに、志願しちゃ――ダぁメ」

 

 カートリッジの中に拘束されている女性に対して(なぶ)るようなミラの仕草と目つきを見ているうち、彼は蘭の王女の言葉とともに、ようやく思い出した。

 

 (()(たの)む者は威に、(ほろ)びるのですよ……)

 

 あのとき。

 ミラのほおを、大扇で打ち据えた若い女侍従。

 それがどういうわけか“カートリッジ”の中に封印され、いまや高速巡界艦(フリゲート)の部品にされようとしている。

 

――それも、意識のあるままに?

 

「その人も、えぇと、スタビライザー?にされるんですか」

「んー。どうしよっかナー」

 

 ミラは“中の人”のアゴを、きれいに整えられた光沢のあるピンクの爪でゆっくり引っ()きながら、

 

「あのとき、手ひどくぶっ叩かれて大恥かかされちゃったもんねェ?……このまま麻酔なしで、後頭部にドリルで穴開けて、脳髄インターフェース、頭蓋(ずがい)の中に這わせてもイイんだけど……」

 

 中の女が悲鳴をあげた。

 そして拘束された口を精一杯使い、(なみだ)のすじをあらたにしながら、

 

「エンハ…オオヒテフハハイ……エンハ……」

 

 不自由な言葉をかろうじてあやつり、なにごとか訴えている。しかしそれを聞いたミラの眉間は美しく(しか)められ、口調がトゲトゲしくなって、

 

「ようやく取れた休暇(きゅうか)のデートを台無しにして!人の恋路(こいじ)をジャマするやつは、馬に蹴られる代わり、コレでもしゃぶってなさい!」

 

彼女はそう言うや、カートリッジの開口部内手前から、ジェル質感のあるショッキング・ピンクの筒を引き出した。よくみると、先端は男根をかたどっている。

 イボつきの、カリが高い、見るからに(おんな)を泣かせそうな凶悪たる一本。

 

 と――その模造チ〇ポは一転、ウネウネと自在にかたちを変えるではないか。

 

 大小ふたつに分かれたり、タコの脚を思わせる形になったり。

 果ては先端からミミズのような舌をチロチロ出しいれもする。

 

 中の女性の悲鳴が大きくなった。

 

 それを意に介さず、彼女はプルプルしたピンク色の亀頭に、軟膏のようなモノを塗りたくると、悲鳴を上げる口枷(くちかせ)の中にも何やらスプレーする。とたんに悲鳴は()み、ゲホゲホと、せいいっぱい身をよじらせる中の女性(ひと)

 

「はぃ、あ――ん?」

 

 顔をそむけようにも、カートリッジの拘束と口枷が、それを許さない。

 どぎついピンク色をした太く長いカリ高の男根が、女性の()()()を無視してズルズルと口の中を通ってゆき、やがて彼女の悲鳴がとだえるとコンソール上の立体表示が、電子音と共にあたらしく文字を浮かべる。

 

 女声の合成音が、

 

挿入管(そうにゅうかん)接着・気道(きどう)確保・使用気体/洗脳用オピウム・および催淫(さいいん)剤混入・Bタイプ」

 

 そして最後に宙に浮かんだ文字が点滅した。

 

 《強制呼吸補助(こきゅうほじょ)を開始しますか?Y/N》

 

「どうするぅ?これを吸うとネ?なぁにも考えらンない、おバカになっちゃうの。でも気持ちイイのよぉ?……これが済んだら()()()()にも、いーっぱいご馳走してあげましょうねぇ?」

 

 ミラが()らしている間に、カートリッジ内の女性が暴れ、顔が赤くなってゆく。

 思わず『九尾』は叫んだ。

 

「秘書官!もうやめて下さい!あまりにムゴすぎます!」

「ハァ!?あのときブッ叩いてくれたお礼をしてるんじゃないの!」

「それでもコレはあんまりです!」

 

 毅然(キッ)(ニラ)みあう二人。

 

 やがて、こぶしを握りしめ仁王立ちで見すえる『九尾』の語気に本気を感じ取ったのか、チッと彼女は舌打ちし、コンソール操作をやり直す。

 流れるような手つきで宙に浮かぶ外象文字をつつくと、知的な女性の口ぶりを想わせる合成音声は、

 

「了解いたしました。使用気体・通常格納・Aタイプに変更――強制呼吸補助を開始します」

 

 アナウンスがそう言い終えるや、カートリッジ内の女性が脂汗を流し、グッタリとうな垂れて静かになる。さらにミラは操作を続け、カートリッジの開口部を鎖すと“部品候補”の姿を『九尾』の目から(おおい)い隠した。

 

 ミラは肩を落とし、コンソールに目を向けたまま、

 

「ねぇ――ひとつ約束して」

「なんです!」

「どんなときでも、アタシに命令しないって」

「それならボクにも約束してください!」

 

 『九尾』は語気も鋭く、負けずに言いかえす。

 

「卑しくもボクの“彼女”を名乗るなら!どんなときにも優しさや品格を失わない、って」

 

 彼の言葉に一瞬、ミラの面差しが、暗く(かげ)った。

 

「アンタまでそんなコト言うんだ……でも、イィ」

 

 コンソールのわきを離れると、ミラは『九尾』に歩み寄り、いきなり彼の首に腕を巻き付けて唇を重ね、目を閉じた。その動きはネコのようにしなやか、かつ敏捷(びんしょう)で、たわいもなく『九尾』は唇を奪われる。

 

 今度のキスは、長いものになった。

 

 (かたみ)に唇をはなしたとき、ほそく輝く糸が、二人の間をつなぐ。

ミラは、(あや)しげな微笑を浮かべると、女侍従が格納されているカートリッジによりかかり、飛行服の上着を中のアウターごと寛げ、黒いレースのブラをあらわにしてから、ホックをはずし、

 

「――ね……見て?」

 

 

                 * * *

 

「見ろ!きたぞ」

 

 観衆のどこかで叫び声があがった。

 スタジアムの舞台正面から搬送用の大エレベーターに乗って、航界機が一機。徐々(じょじょ)にせり上がってくる。

 猛威(もうい)いや増す事象震を怖れて数をいくぶん減らしたとはいえ、スタジアム内に残る数万の観衆――中継の視聴者を含めれば、数千万にはなるだろう――が一斉(いっせい)に歓声を上げた。

 



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026:挑む少年のこと、ならびに控えの間の軋轢のこと

 グラス・ドーム内の空中に浮かぶ光学スクリーンが蘇り、この荒天に(いど)む少年を大写しにする。

 モニター越しだからか、部屋を出たときとは印象が違うような気配。

 なにか手の届かない、別の世界の住人になってしまった感が。

 観衆から――とくに若い女性の観客から、ひときわ歓声。

 

 大きな冠の具合を直したとき、袈裟(けさ)に停められた様々な勲章が輝く。

 

 第一級(特)鳳凰(ほうおう)章。

 対校戦成績優秀賞(金賞)。

 西ノ宮法務院・八葉付き迦陵頻伽(かりょうびん《/blue)が》medaillon(メダイヨン)

 

 御披露目台(おひろめだい)”の上に立つ少年は、皇族や王族の並ぶ来賓席を仰ぎ見て、軽く一礼。

 顔は幾分(いくぶん)(あお)ざめているが、引き結んだ口唇(くちびる)からは、決意のほどが(うかが)われた。

 (ころ)すには()しい仔ぢゃないか?エラく美形だ。毛並みも良さそうだし)

 (なんでボクのところに来なかったかなぁ。あたら有益な個体を)

 (ナニ、あれも誰かのお手つきが放流(なが)されたモノでしょうて)

 (もしかして、どなたかの逆鱗(げきりん)に触れたのかしら?)

 (なんじゃいその目は!ワシは知らんぞ?)

 (では西ノ宮の方々のどなたかとか?)

 (あの本院の大僧正かもしれん)

 (ぶるぶるぶるつ)

 桑原(クワバラ)桑原)

 

 テラス状になった“お歴々の席”で、着飾った招待客のあちこちから漏れる、そんなもろもろの(ささや)き。

《西ノ宮院付属――清暁第一校・候補生『蓮華《れんげ》』》

 

 スピーカーが、これから飛ぶ者の履歴を装飾たっぷりの仲人(なこうど)口調で読み上げる。

 生まれ――家系――修錬校の成績。受賞歴。

 それを彼は肩で聞きながら、居ならぶ観客を、幾分ひややかに見わたす風。

 

《――使用機体はロッキヰド&イスマヱル社製・FA47・サンダーボルト・Ⅳ》

 

 次いで外象語、および数カ国語で、同様の案内をする拡声器の紹介が終わると、画面が替わる。『蓮華』の横顔のアップ。唇のはしにフッ、と寸鉄(すんてつ)のような、皮肉な笑みのようなものが浮かぶ。だがそれもすぐに消えてしまう。

 機体を整備係に任せ、候補生はいったん()えた観衆の視線から姿を消した。機体も、スタジアム外の離床プラットホームに向け、再びエレベーターを降りてゆく。

 振り返った少年が、一瞬、沈鬱(ちんうつ)な笑みをみせて。

 

 

           

 毛足の長い絨毯(じゅうたん)に豪華な調度が備わる控えの間。

 だがそこには、先ほどまでの沈鬱(ちんうつ)な気味は、もはや無い。

 自分の“死刑”の順番を待っていた少年たちは、ロココ調の軽やかで(みやび)やかな椅子を思い思いに動かして、それぞれ好みの位置に持ってゆくと一装服をすこしばかりラフにくつろげ、用意された大型モニターに見入っている。

 

「さぁ、たのむぜ……うまく()ちてくれよ?賭けるかィ?オレは三〇秒以内に」

 

 『二番星』が、近くに座る西洋中世騎士風の候補生に話しかけた。

 

「よしたまえよ……そんな」

「は!キレイごと言ってンじゃねぇよ!」

 

 またもいきなり『一番星』が切れた。

 

「ヤツさえ――ヤツさえ()ちれば!あと一人除いて、みんな丸く収まるんだぜ?」

 

 もっと長く飛ぶだでしょう?と遠くから声がかかった。

 

「彼、いちおう六枚翼よ?ずっとまえに対校戦で見たわ」

 

 さらに別の方から、(とが)めるような口ぶりで、

 

「われわれの身代わりとなって飛ぶんだ。もっと静かに見守ろうじゃないか」

「チッ!なんでぇ。みんなイイ子ぶりやがってヨォ!」

 

『二番星』が、()れたように叫び地団駄をふむ。

 かたちの悪いジャガイモのような「いがぐり頭」を振りたてて、

 

「オマエ()だって考えてみろよ!ヤツが(なんてったッけ?そう『蓮華(れんげ)』だ)クタばれば!このキチ(ピー)イじみた事象震を飛ばずに済むんだ!えェ?そうだろ!死ぬのを期待するなって方が、ムリってもんだ――そこにいる!」

 

 と、例の女の子ともみまがう候補生を指さして、

 

「そこのオンナ小僧(コゾウ)みてェに、ガタガタ震えるのがオチってもんだろうが!こん中で手前(てめ)ェの身が可愛くないヤツが、いるんかい!?どいつもコイツもスマしたツラぁしやがって!偽善者どもが!吐き気がすらァ!豚野郎が(ブダン)!」

 

 ねばついた沈黙が、広間を支配した。

 

 広間の少年たちは、(かたみ)に視線を避け、(おの)がじしに自省する。

 ただひとり、女小僧と言われた候補生だけは、(うら)みがましい目で『二番星』を()っとニラんで。ひざを抱えたまま動かない。

 

 しばらくして、モニターに『蓮華』候補生がふたたび現れる。

 

 今度はスタジアム内ではない。

 空電と衝撃波が飛び交う外の世界だ。

 機体のまわりを、グランド・クルーが忙しく巡っている。

 

 観客用にバラエティ番組を流していた大パネルが切りかわり、少年が整備員に助けられコクピットに着座するのが映し出された。機付き長が各種ユニットをスーツの所定部位へ手ぎわよく接続し、最後に候補生のヘルメットを、専用ラインで機体とむすぶ。

 

 給気マスクを装着。

 バイザーが降ろされ、『蓮華』の表情は好奇な観客の眼から遮断(しゃだん)された。

 音声が、外の音を手加減しながらひろう。

 空電と空震、雷鳴と暴風。

 

「墜ちろ、墜ちろ、墜ちろ、墜ちろ……」

 

 控えの間では、とぎれなく続く、念仏のような声。

 

離床六〇秒前(Tマイナス60)

 

 アナウンスが、無機質にカウントを告げた。

 整備員の動きにハッパがかかる。ひとり、整備員が倒れている。雷球(らいきゅう)の直撃を受けたらしい。赤色回転灯を付けた車両が近づき、白衣をはためかせてストレッチャーが運ばれ、赤ムケの身体が回収される。暴風の轟音をしのぐ勢いで機体の一次スターターが回り、機動ジェネレーターが息を吹き返した。

 

離床三〇秒前(Tマイナス30)

 

 怒鳴り声。警笛(ホィッスル)――また警笛。

 整備員が飛びすさり、車輪止めは外される。

 別れ(ぎわ)に交わされる機付長とパイロットの、ハンドサイン。

 

「――飛ぶぞォ!」

 

 スタジアムのどこかで悲鳴にも似た叫びがあがった。

 ジェネレーターが離床パワーにまで上がると、機体の周囲に陽炎(かげろう)が立つ。

 候補生の特質により、その色は千差万別。

 この機体の場合、揺らめきは、うす紫。

 

 主脚(ギア)を固定していたワイヤーのロックがはじけ、ふわりとサンダーボルトは浮き上がる。やがて機動安全高度にまで達すると、機体をつつむ、うす紫色のもやはますます強くなり、ひととき、機体の輪郭(りんかく)そのものが希薄化(きはくか)して、光学的にグニャリと歪んだように。

 

 つぎの瞬間。

 

 機体の周囲にサファイア色の鋭角なヒビが生まれ、それが鱗翅類(りんしるい)の羽根のごとく、八方へと伸びはじめた。

 

 ――あいつ!

 

 (ひかえ)の間で『九尾』は思わず立ち上がる。

 

 ――あのときの!

 

 スタジアムの観衆も、同じようにどよめく。

「八枚だ!八枚だしやがった!」

「こりゃあ、今度はイケるかもしれんぞ?」

「カメラ!カメラ早く!」

 

 雷球乱れ飛ぶ、(くら)く荒れた上空を背景に、機体は垂直に高度をとりながら翼をのべてゆく。

 

 『Tプラス・一五、一六、一七…』

 

 スタジアムの中では、合成音声が無機質に離床後の経過をつげていた。

 

「――耀腕だァ!」

 

 ふたたび、めざとい観衆の中から叫び声。

 上空の暗雲が割れ、そこからニュッ、と骸骨めく()せさらばえたような光の腕が、(ひらめき)きながら数本伸びる。危ない!と観衆が息をのんだ瞬間、機体は背面から対耀腕弾射出。光の前腕をあらかた消散させ、のこる一本の腕も限界機動で華麗に回避する。

 

(うま)い!」とスタジアムが手を打ち、(うな)った。

 

 その――瞬間……。

 

「あ!」と言うヒマもなかった。

 

 ひとまわり巨大な耀腕が、回避先を予測していたように雲間からあらわれ、翼の一枚をわしづかみにする。候補生たちの見るモニターの中で、『蓮華』の八枚翼はしおれ、見る間に輝きを無くしてゆき、わななくようにふるえ、明滅する。

 

 ワイプに入るオンボード・カメラの映像では、パイロットが体を、人体ではありえない激しさと動きで痙攣(けいれん)させながら必死にヘルメットを取ろうとしているのが分かった。跨乗型の操縦席ではグラス・コクピットが火を噴き、風防(キヤノピー)の火薬が誤爆して吹き飛ぶ。

 

「――脱出しろ!」

 

 むだとは()りつつ、『九尾』は(ひかえ)()で叫んだ。

 あの顔が、データの逆流で歪み、脳が灼かれてゆくのを想像したくなかった。

 つられてほかの候補生たちも、異口同音にモニターに向かって叫ぶ。

 

「はやく!」

「がんばれ!メットを外せ!」

「機外に脱出しろ!」

「(…………………………死ね!!)」

 

 もがき苦しみながら、ヘルメット・システムをどうにか脱いだ瞬間。

 パイロットの頭部が、まるで炸薬でもしかけてあったかのように爆散した。

 きれいな下あごの歯ならびと、ピンク色のみょうに長い舌が映ったところでモニターは暗転する。

 

 

 

 沈黙と、巨大な疲労感が――控えの間に降りてきた。

 

 

 

 実況アナの軽薄な声が、むなしく彼らの耳朶(じだ)をうつ。

 やがて翼が完全に消えたのと同時に、巨大な腕も薄くなり、形を崩してゆく。翼を(うしな)い空に(のこ)された機体は、そのまま石のように地表に墜ちていった。

 

 視界から消えて数秒後。

 

 火球と黒煙が立ち昇り、たちまち暴風に吹き消されてゆく。

 観客の尾を引くどよめきが、スタジアムを満たした。

 観客席のあちこちで、ハズした“勝ち翼投票券”とカラのペットボトルが宙を舞っている。

 

「ヤレヤレ――これであと一機か」

 

 控の間を白々とわたる声に、どの目も非難がましく発言の主をにらみすえる。

二人だけ、そっぽを向く者がいた。『九尾』と、そして例の小柄な候補生だった。それをめざとく見つけた『一番星』が、『九尾』の席に歩み寄るとカラみはじめる。

 

「よぉ“耀腕殺し”ぃ。どうだィ、あんなチビ助を飛ばすんじゃナシに、アンタが代わりに出てやったら」

 

『九尾』は、脳裏に『蓮華』の散りざまを張りつかせたまま、ジロリと顔をわずかに声の方に向け、

 

「その言葉――そっくりキミに返すよ」

 

 ウッ、と『二番星』は鼻白(はなじろ)むが、すぐに露悪的な笑みを投げてよこし、

 

「わかってンだよ。どうせオレのこと、クズ野郎と思ってンだろ?」

 

 いや、と『九尾』は首をふった。

 ペラペラと軽薄に喋るこの候補生がウザイ。

 いまは、早く話を切り上げ、独り『蓮華』の喪に服したい『九尾』だった。

 

「……ウソつけよ。この部屋のほとんどのヤツらは、みんなキメつけてるゼ。オレが、どうしようもないクズだってコトをな。何よりオレが一番よく知ってらぁ!」

 

 そうか?と相変わらず『九尾』は立ち尽くしたまま、荒れた空を映すモニターから目をはなさない。まるでそのまま眺めていれば“サンダーボルトⅣ”がまた現れてくれるかのように。

 

「確かに、オレはクズ野郎さ。でも、オレの立場なら誰だってこうなるだろ、なぁ?」

「もちろん、そうだな」

「……え」

 

 カクン、と二番星の首がおちた。

 

「ホントに……そう思う?」

「……あぁ」

「……」

 

 だよ、なァ!?と急に『一番星』は元気づく。

 腰に手をやり、まわりの候補生の敵意に満ちた視線を跳ね返し、皆勤賞や健康優良賞のならぶ制服の胸を反らして、逆にまわりをねめつけた。

 

「ホラ見ろぉ!」

 

 いくぶんかさにかかったように、

 

「“耀腕殺し”()()だって、こうおっしゃってンだよォ!どいつもコイツも善人ヅラしやがって!だれもあんな空、飛びたくねェだろが!」

 

 ――あんな空、か。

 

 またもや言い合いがはじまるのを上の空に、『九尾』は頬の傷をなで、ふたたび定位置の椅子にドサリと力なく座った。そして若干位置の悪くなった貞操帯を、さりげなく直す。

 

 

* * *

 

 ――くっ!

 

 またしても、『九尾』の下腹に貞操帯バイブの振動がひびいた。

 “彼女”からの、呼びだし合図だ。

 



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027:サラ候補生の災難のこと、ならびに先輩チューターの偏執のこと(前

 

 アナル(肛門)にズップリと挿入されたディルドー。

 尿道には、同じくバイブ付きな、バルーンを有するカテーテル。

 つまりは遠隔操作(リモコン)付きの、排泄機能を備えた拷問具。 

 

 今日のバイブは“うしろ(アナル)”に一回――間をおいて、もう一回。

 そして――“まえ(尿道)”に四回。

 

 ――ということは……と。

 

 内ポケットの候補生手帳を取りだし、モールスじみたメモ書きを確認。

 貞操帯の前シールドを、悩ましげににさすりながら。

 もちろん強固に隔離されているので、まんぞくな刺激は与えられない。 

 

 《放課後、タダチニ下校シ、寮ノ門前ニテ待テ》……か。

 

 指令を復送したあと、諒解(りょうかい)の旨、ただちに返信。

 

 ――こんなんじゃ、漏《も》らしちゃうよ……。

 

 おもわず身体が震えそうになるのを懸命にこらえつつ、『九尾』は、まわりに気づかれていないか、()っと、ほかの閲覧ブースを(ぬす)み見た。

 

 暗い部屋の中で、灯りの点いた机が並ぶ閲覧エリア。

 候補生たちがそれぞれのブースでテスト勉強に余念がない――はずだが、遠くの方で爆発音や銃声がしているのは、3D映画(シネマ)でも見ているのか。

 

 瑞雲校を統括する情報システム全体に、非定常の緊急メンテナンスが入ると言うことで、その日の午前中最後の講義は自習となった。

 クラス担任の『リヒテル』は、しばらく使えなくなる一年生用の図書館に担当の生徒たちを連れてきて“放牧(ほうぼく)”したあと、自分は教官室へと帰ったらしい。つまり図書館がまるまる一限、『九尾』が所属するクラスのやりたい放題。

 このごろ老教官は担当講義を自習扱いにとすることが多い。やっぱり寄る年波には勝てないんだ、と、もっぱら一年生たちはウワサしあっている。

 

 そして……また振動(バイブ)

 

 ――あいつ……ッ!諒解(りょうかい)の返信したのに!

 

 くっ!と彼は思わず制服のうえから貞操帯をおさえた。

 高周波振動のせいで、尿道の奥がカユい。

 そして高まる性的な衝動――まるで拷問だ。

 

 眉をしかめつつ、『九尾』は彼方の王宮でリモコン片手に革張りソファの上で脚を組み、飲み物をかたわらにして、小悪魔的な笑みを浮かべるミラの姿を、楽々と想像する。最悪、百合(ユリ)の王女にいきさつを話し、二人してスイッチをいじって遊んでいるのかもしれない。

 

 図書館のイスは柔らかく、振動がひびかないので助かる。

 クラスの席の硬いイスには、仕方なく“座骨神経痛”だと周りに触れ回り、座席にクッションを敷いたので、(専用の低反発ウレタンが、上級生用購買部にあるのを女医に教えてもらった)作動音は目立たないが、しかし突発的な身ぶりで、どうもバレてるクサい。休み時間にクラスの女子集団が、聞こえよがしに自分のほうを見て「ビクンビクン」と言ってヒソヒソ笑うのを、彼は何度か耳にしている。

 

 付けっぱなしを強制されるこの(のろ)わしき代物は、三日に一度、保健室に行って、例の校内女医にスペアと交換してもらう。そして装着していたものは、生体部品をメンテするため、探査院の専門部署におくられる段取りと聞いていた。

 最近は身体(からだ)からヌリュヌリュとイヤらしい音をたてて長いプラグが抜がれる時も、何やらゾクゾクと鳥肌が立ち、自身の性癖に危機感をおぼえる『九尾』である。

 

 きょうは、その三日目だった。

 

 周囲の粘膜(ねんまく)が生体素材に慣れてくれば、これが「一週間」になり「十日」になりと日が延びると言われたが、初心者には今のところ三日が限度らしい。

 自分のブースの机上に3Dホロでうかぶ「日本事象面周辺の網化回廊(もうかかいろう)」をボンヤリとながめつつ、昼休みに入ったらすぐに出て行き処置をしてもらおう、と彼は心を決める。

 

 ――どうせ鐘が鳴ってすぐのカフェテリアは混んでる……いや、まてよ?

 

 そこで彼は、ハッと思いついた。

 

 ――なんで……終了時間を待つ必要がある?

 

 『リヒテル』も居ないし、いま医療棟に行けば、昼休み前に換装(かんそう)が済む。

 混むまえに食事もすませ、昼休憩を有効に使えるかもしれない。

 彼は端末を消すと二階にあるブースエリアを出て、一階の広場が一望できる吹き抜けの下を(のぞき)きこんだ。

 

 さっきトイレに小用をしに行ったとき、図書館の入り口脇にある室内庭園で、『山茶花(さざんか)』が文庫本に読みふけっているのを見かけていた。クラス委員の許可さえもらっておけば、自習を抜けるのに問題はないだろう。

 

 だが、いま彼が見れば、その庭園の葉陰には『山茶花』だけではなく、彼女の親しい友人である『折り鶴』や『花魁(おいらん)』、くわえて『牛丼』とその仲間も集まり、なにやら楽しそうに談笑している。

 

 自分が初の貞操帯で苦しんだ土日に、雨のテーマパークで遊んでいたメンバーだ。そう思うと、とほうもない疎外感が湧き上がるのを否めない。彼等と自身の間には、一階と二階以上の、果てのない隔絶があるような……。

 

「オぅ!ポン、ナニやってんだそんなとこで?」

 

 ソファーで脚を投げ出し、ふんぞりかえっていた『早弁(はやべん)』が、二階にいる『九尾』をめざとく見つけた。

 

「お勉強は――イイのかよ?」

 

 一団の談笑が()み、『九尾』は『早弁』の視線を追った集団の注目をあびる。

 気のせいか、舌打ちの気配。

 視線にこもる敵意を感じながら、いたたまれない思いで彼は階段をおりると、さりげない足どりで『山茶花』に近づく。

 

「ぐあいが――ちょっと医療棟(メディカル)へ」

「そう。大丈夫?」

 

 曖昧(あいまい)に返事をして、彼が図書館を出ていこうとしたときだった。背後から、

 

「医療棟だァ?オ〇ニーだよなァ!Q・B!」

 

 ドッと一団の笑いが弾ける。

不意をつかれ、自動ドアをあけたまま茫然(ぼうぜん)と『九尾』は棒立ちに。だが、やがて落ち着くと彼は庭園にいるクラスメイトの顔をゆっくりと()めつけた。ほどなく、彼の超然とした視線にあてられ、一団の(わら)いが尻すぼみになる。あとはヒソヒソと、リア充集団の少年同士で、これみよがしな悪意を持ったナイショ話の姿勢(すがた)

 その時不意に、『九尾』の中でこみ上げるモノが、彼自身にも意外な強さで噴出した。

 

 「あぁそうさ!オ〇ニーだよ!」

 

 声を限りに彼は怒鳴った。

 

 その剣幕に一団はギョッとして静まりかえる。

 二回の張り出しから、何の騒ぎかと閲覧室を出てくる気配も。

 ひとり、ひとり。顔を(ニラ)みつけてから、彼はフッと表情をゆるめ、

 

「おまえらも――ボクもな」

 

 呆気にとられる世俗の集団を背にして、あとは後ろも見ずに図書館を出て行く。

 

 医療棟に向かおうと曇天の冷たい大気のなか、両側に茂みがつづく小径(こみち)を足早に歩く彼のうしろで、あとを追ってくる足音があった。

 エッ、と後ろをむくとメガネの奥の瞳とぶつかって。

 

「『山茶花』ァ……どうした?」

「ゴメンね、ポン――『九尾』。このところ『牛丼(あの人)』、ちょっと変なの」

 

 彼はフン、と鼻でワラい、

 

「イイよ、べつに。気にしないサ。どうせ()()は嫌われ者だし」

「そうじゃないの。あのね?最近学校から、探査院に応援で出てるでしょ?」

 

 『九尾』はサラ先輩を思い出した。

 先輩もまた、ここ数日は探査院に出向しているというウワサだ。

 それで?と『山茶花』をうながすと、煮え切らない口ぶりで、

 

「私たちもこの前、本院に呼ばれて事務の手伝いに。それからナンかおかしくて」

「おかしいって――なにが?」

 

 うん……とうつむいた一拍。やがて、

 

「本院の事務の人に、さりげなく就職状況を聞いたらしいの。そしたら酷いこと言われたらしくて。もどってきてからズッとささくれてるのよ。採用も私たちレベルの学校じゃ見こみ薄らしいわ。この不景気で民間企業は採用しぼってるし、省庁は人員削減でしょ?人生計画がどうとか」

 

 『九尾』は唖然《あぜん》とする。

 

「イマからそんな心配してるの?早くない?()()一年だぜ?」

 

 あなたが!ノンビリ屋さんなのよ!と『山茶花』は急に声を荒げ、

 

「――()()私たち二年生になるのよ?」

 

 制服で縛められる大きな胸の下で腕を組んだ彼女は、(アキ)れたように、

 

「航界大学進学にしろ、就職にしろ、いまから考えておかないとオソいのよ?あなたは才能がある優等生だからいいけど、凡人のアタシたちは違うの!」

 

 ふうっ、と『九尾』は脱力する。

 結局――彼女もそうなんだ。

 自分なんか、分かってもらえないんだなという思い。

 いや、むしろ分かってもらおうなんて考えが甘ちゃんだった。

 

「……キミまでそんなこと言うんだな」

 

 『九尾』のセリフに、『山茶花』はシマッタと口をおさえた。

 

「ゴメンなさい、そんなつもりじゃ――」

「いいって!」

 

 それだけ言うと、彼は後悔気味な彼女の視線を背にはねかえし、足取りも荒くサッサとその場を離れてゆく。

 

 ――ちぇ。

 

 モヤモヤとしたものを抱えながら校舎までたどり着いた『九尾』は、風が吹き抜けるわたり廊下をポケットに手を突っ込み――指導教官に見つかったら説教ものだ――寒々しく背を丸め、足ばやに医療棟へと向かう。

 

  隔離(かくり)目的も兼ねる頑丈な自動扉を自身の生体認証で開け、メディカル・エリアの敷地に入り、医療棟へと入る。

 もはや馴染み深い感のある消毒液の匂いと、冷たい雰囲気。

 ひとけのない、森閑とした気配。 

 

「あのースイマセン……」

 

 『九尾』が医務室に顔を出したとき、こんどは女医のまえにすわり、顔を突き出して、ピンセットと脱脂綿で消毒を受けるサラと目があった。

 

 乱れた銀髪。

 悔しそうにへの字に結ばれた唇。

 その(はし)には青あざと、殴られたような血がにじんでいる。

 

「サr!……サー『モルフォ』、先輩!?」

 



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027:          〃           (後

 よゥ、と気丈にも彼女は笑みをみせる。

 

 だがそれは――どこか力なく、痛々しい。

 見慣れない制服と黒外套を着こんだ彼女は、なにか別人のようにも見えた。

 外套の肩のところに、盾状の重厚な紋章がある。

 

 半開きの城門と隙間からカギを差し出す腕。それをとりまく(さかき)の葉――探査院。

 

 してみると、この先輩も本院に借り出され、もどって来たばかりなのだろう。

 何気ない仕草で豊かな銀髪をかき上げたとき、こめかみにもスリ傷があるのを『九尾』は見た。

 

「『Q.B.』か……カッコわりぃトコ見せちゃったナ」

「先輩!いったいどうしたんです?階段で……転んだとか」

 

 治療をしていた女医が手近のファッション誌を丸めて立ち上がると、無表情でツカツカ『九尾』に近づくや腕を一閃。

 

「アホかぁ!」

 

 パコーン!といい音。

 

「どーみても(なぐ)られた傷でしょう?コレは!」

「んなコト、ボクだって分かります!」

 

 『九尾』は目を怒らせて叫んだ。

 

「でも女のひとに、いきなり面と向かって「殴られた?」なんて聞けないでしょフツーは!えぇ!?」

「あー……ウン」

 

 逆ギレした彼に勢いをそがれた女医は、透明タイプの消炎膜(プラスター)を『モルフォ』に貼る作業にもどりながら、チッと舌打ちをし、

 

「『ドラクル』よ。アイツ、まえはあんな性格(タチ)じゃなかったんだけどねぇ」

「『ドラクル』?って、ダレです!――どこの畜生だ!ブッ殺してやる!!」

 

 意外な『九尾』の剣幕(けんまく)に、女医はフッ、と微苦笑をもらし、

 

「あぁ、アンタは知らないんだっけ。(タツ)のヤツが昔使ってたW/N(ウィングネーム)さ」

「え……」

「たぶん……機体に乗れなくて、イラついてるんだと思います」

 

 『モルフォ』も乾いた微笑(ほほえみ)をもらしながら疲れた調子で呟く。なにか生活に疲れた中年主婦のように、

 

「なんか知ンないケド、こんど空技廠(くうぎしょう)で、また強行探査が計画されてて、じぶんが担当の一人になるんだってフいてる。もう機体には乗れないのに……それを言ったら、コレさ。やってらンないよ」

 

 内心『九尾』はギクリとする。

 またも『盟神探湯(くがたち)65B』。

 

「エースマンと学校の理事たちとで話してるみたいねぇ。最近アイツ、情緒不安定が報告されてて。ほかの候補生への影響も考えないといけないから、指導員(チューター)契約を打ち切るって」

「打ち切ったら、どうなりますか?」

 

 はぁ?とせきこむような『九尾』の問いに、女医はめんどくさげな声で、

 

「大学三年だっけ?アイツ。脚も悪くしてるし“院逃げ”か、よくて探査院の管理課に就職じゃないの?単位とれなかったら、シらないけど」

 

 暗い顔をして、サラが(そっ)とため息をつく。

 ダメ男に寄り添う依存症の女のように、苦労をしょい込む顔つきで。

 

「さ、どうする?美少年の“貞操帯”ナマ着替え、見ていく?」

「――やめてください!」

 

 女医は、サラにウキウキと誘うが、『九尾』のほうが断固として(こば)んだ。

 知らず、強い口調になったのは、大聖堂の小部屋でのぞき見た、龍ノ口との秘めやかな行為が、彼のなかで未だに(オリ)のように残っていたからだろう。

 龍ノ口という彼氏が居ながらホイホイと自分に慣れなれしく、カルい感じで近づくサラも心のどこかで許せなかったに違いないと後になって彼は自分の心を分析したものだった。

 

 『九尾』に拒否られた彼女は、足どりも重くシオシオと部屋を出てゆく。

 スチールの扉が、ガラガラと力なく閉まってロックがかかった。

 

 女医は、またもや丸めたファッション誌で彼の頭をポコポコ叩きながら、

 

「あんな言い方ナイじゃないの?あんな言い方は!可哀想(かわいそう)に――さ、とっとと尻出しな!」

 

 このままいけばプラグの扱いを乱暴にされるのが見えているので、彼はギロチンに拘束されながら、仕方なく大聖堂での一件を手短に話した。

 それを聞かされた女医は、カチン!と腰に巻きつく“貞操帯”の接合部を冷たい手つきで外しながら、

 

「だからって、アンタがアイツにツラく当たる必要は……ハッハーン?」

 

 ニンマリとした女医の笑み。

 ベットリとした赤いリップが刷かれる印象の口もとから、さりげにこぼれる世話女房のような。

 

 カァッ、と『九尾』の顔が真っ赤になるも、内股に邪険な勢いで吹きつけられた消毒液の冷たい刺激が、それを相殺(そうさい)する。ゴム手をはめた指が、剃毛(ていもう)の状態をソヨソヨと確認しつつ、ゆっくりタマタマを(ナブ)るようにして、

 

「――ハっハァァァァん……」

 

 そして、いかにもニヤニヤした声で、動けない彼の背後から追い打ちをかけるように、ヌメヌメと肛門の具合をゴム手の中指と薬指で探りつつ、前立腺を刺激して。

 

「そういうコト、かぁ」

「うぅ……」

「いいんじゃないのォ?“彼女”にしちゃえばぁ?」

 

 面白がるような三十路手前なこの女医の言葉に、えぇ?と『九尾』は、嬉し恥ずかしな心持ちと、下半身にこみ上げてくる射精欲求を大げさなリアクションで押しかくし、

 

「だって、その――年上だし……」

 

 だが、そう言うはしから、将来、テーマパークのベンチでサラ先輩とソフトクリームのナメっこをした挙句、いきおいでチューをする光景を想像し、頬がゆるんでしまう。

 状況はスキップし、ベビーカーの赤ん坊をはさんでニコやかに公園で微笑むふたり。

 

「……『九尾』?聞いてるかぃ?」

「――あぁ、ハイハイもちろん」

 

 ニヤけ顔をあわてて引っ込める彼に女医は、

 

「正直、ありゃァもうダメだね。あの龍ノ口(オトコ)は。でもアンタと一緒になれば、あの()にとっても、イイ話じゃない?将来有望な候補生と一緒になれて。どっちかっつーと、(あね)サン女房タイプだし。金のわらじを減らす必要もないよ?」

 

 そのときチャイムが鳴り、午前の講義のおわりを告げる。

 

「さァ、もっとおまた開いて!アタシだってお(なか)空いてるんだから……なに()たせてんの!いい?抜くわよ!?」

 

 若干ヒリつきの残る(尿道)をおさえながら、『九尾』はカフェテリアへ向かった。

 女医からされた手荒な処置に、先輩候補生との甘い幻想はもろくも吹き飛んでいる。

 そして、こんどは女医と自分とが、医療器具を使いベッドでカラミむシーンを妄想してしまい、なかばウンザリとしながら彼はカフェテリアのガラス製スイング・ドアを開ける。

 

 あたたかく美味そうな匂いのこもる空間は、昼休みもすでに半分を過ぎているので混雑のピークは越したところだ。

 入り口にくると、この日はすでにA定もB定も札がひっくり返り、残るはカレーか、麺類かというありさま。

 

 ――チェっ、しかたな。カレーにチキンカツのっけて、っと。あ、と、は……。

 

 追加を取ろうとしたとき、彼はいきなり背中を叩かれ、トングからゆで卵をとり落としそうになる。

 振り向くと龍ノ口の青黒く硬い顔が、そこにはあった。

 

「よぉ、『九尾』……ちょっといいか?」

 

 サラ先輩のことが頭にあったので眉をひそめ、てっきりその話かと相手の拳をチラ見するが、べつにケガをした様子はなく、かわりに探査院の紋章がはいった大判の角封筒をつかんでいる。

 不味(まず)いカレーになりそうだ――と、彼はその時覚悟した。

 

 差し向かいで座ったとき、龍ノ口は食いながら聞いてくれ、と手に持った封筒から何枚かの書類を出して、向かいで食う『九尾』のカレーに気をつけながら説明をはじめる。

 

 

 非定時(特)探査活動・作戦名・盟神探湯65B

 使用機体・空技廠・タンデム型強行偵察タイプ/彗星(すいせい)Ⅱ(タイプ43改)

 目的・雲海深度記録の更新(最低到達深度六五○○○m以上を目標)。

 作戦系統図……。

 前回実行された盟神探湯65Aの顛末……。

 機体モニターの分析結果……。

 帰投後搭乗員の身体奇形進行度……。

 形式未登録耀腕の複数発生事例……。

 

 

 ほかにも、なにやら物騒な文言が並ぶのを見て、『九尾』は頬張ったチキンカツの咀嚼(そしゃく)も忘れ、龍ノ口の手にするA4コピーの書類を、カレー皿越しに眺めた。

 表題には、探査院と空技廠の角印(かくいん)が押され、どうもホンモノくさい。

 ホラ、と龍ノ口は『九尾』に書類を渡し、

 

「汚すなよ?」

 

 大きなチキンの固まりをかろうじて()み込んで、彼は渡された数十頁の書類を、パラパラめくる。

 

 実験空域。

 当該行動(とうがいこうどう)の目的と意義。

 新型オート・ポイエーシス・システム開発経緯。

 使用機体の概略の項目では、3D写真が添付されていた。

 

 カフェテリアの宙に浮かんだ“彗星Ⅱ”。

 どう見ても一昔前の衛星軌道用戦闘爆撃機だ。

 推力、界破性、装備。そしてなにより調達価格。

 そこいらの機体とは、てんで比較にならないシロモノだ。

 

 タンデムのクセに、妙に距離の離れたダブル・キャノピーが目を引くが、これは緊急時にそれぞれ小型の非常用航界ユニットとなるらしい。

 

 ――なるほど……ケタ違いに高価なわけだ。

 

「これ……どこで手に入れたんです?」

「探査院の知り合いから、チョイと、な」

「もう、オフィシャルになってるんですか?」

 

 龍ノ口は思いつめたような上目遣いで凝然(ジッ)と『九尾』をニラみ、

 

「パイロットの都合がつけば……な」

 

 『九尾』は書類をめくる。そこに自分のW/Nが記載されているのを発見して、彼は品がないと知りつつも、音を立てイライラとスプーンを投げ出した。RSOの欄は(選考中)とある。

 いまこそ対等な立場に占位した彼は、相手の期待に満ちた目を(ニラ)み返しながら書類を返すと腕ぐみをして、

 

「サー『モルフォ』のこと……殴ったんですって?」

「ん?あぁ。なんだ、耳がはやいな」

 

 くだらない、とでも言うように龍ノ口はせせらわらい、手をヒラヒラさせ、

 

「いらん口出しするからさ。ヤツめ、もう飛ぶのは諦めろとヌかしやがった」

「それ、先輩の身を案じて、言ってるんじゃないんですか?」

「俺の身を案じるなら、飛ぶ算段の手伝いをしろってんだ。探査院の制服、オレの目の前でこれ見よがしに見せつけやがって。しかも“上航卒”の冬コートなんか……クソ」

「で、腹いせに殴った、と」

「ふうん……?」

 

 龍ノ口はあきれたようにそう言うと、

 

「ナマ言うようになったなぁ、『九尾』(オマエ)も」

 

 次いで口もとに薄い笑みを浮かべて、イスの背もたれに体をあずける。

 

「いいんだよ。アイツは――アレぐらいで」

 

 これで俺のことも嫌ってくれるだろう、と自嘲的に呟き、この大学生のチューターは書類をわきにおくと、もはや人もまばらになったカフェテリアを焦点の定まらない面持ちで見まわした。

 

 目の下にクマができている。

 ほおも、幾分そげたようだ。

 反面、眼の底光りだけは、増したようにも思える。

 

「先輩は、なぜそうまでして飛びたいんです?あんな耀腕がいる危険なトコを」

「なんだ。オマエ、飛ぶのが嫌いなのか?」

「キライじゃないですけど……でも危ないのは、コワいです」

綺麗(キレイ)な雲海だけを、飛んでいたい、か。なるほど」

 

 龍ノ口は手を頭のうしろに組み、さらにイスを倒すと、

 

「でもサ?このさき、どんな(みち)を進んでも耀腕みたいな奴は出てくるぜ?いちいち避けてたらキリがない。いつまでたっても目標エリアには着かんよ。それにビビったヒケめは、いつまでも残る。自分は、誤魔化せないからな」

「はぁ……」

 

 だとしたら、と先輩チューターは、眼の光をさらに凶暴にさせ、

 

「俺は――最高度の――試練を――自分に――与えたい」

 

 ひとつずつ言葉を句切り、おのれの言葉を確かめるように。

 まるで自分の潜在意思を鋭利なハサミで切り取り、目の前で確認するかの如く。

 

「失敗すれば、命がフッ飛ぶぐらいのヤツをな。成功すれば、それがこの世界を変えるキッカケとなる――ッてなァこの上ない喜びだが、自分に言わせれば単なる余録(おまけ)に過ぎん……好きなんだな、自分を限界まで追い込み、そこに一六(イチロク)勝負かけるのが。けど、それもこの先、たぶん出来なくなるだろう。チューターも遠からずクビだろうし。どうせオマエも知ってんだろ?俺の進行性の脳症」

「えぇ……サー『モルフォ』から聞きました」

「チッ!あのお(しゃべ)りが」

 

 ウワサには聞いていた事故の話が浮かぶ。

 

 サイドカーにトレーラーヘッドをぶつけてきた、あのザハーロフとかいうチューターとの、現役時代の大格闘戦。二機とも墜落し、龍ノ口は脚を、イツホクは片眼と片腕を負傷し、ともに情報逆流で脳髄過負荷を受けたと聞いている。入院した病院での、二人のド派手なケンカも、伝説になるほど相当なモノだったらしい。

 

「怖いぜ……自分が。まるで自分じゃなくなる時がある。感情を抑えられない。ささいな事でキレる。分かっていても止められねぇ。そして普通に返ったときの自己嫌悪。正直、酒がないと、やってられないコトもある……想いどおりにいかないツラさがオマエに分かるか?(いや)!分かるハズないな。そんなオレの最後の頼みを、オマエは聞かないという……」

 

 ふいにニヤニヤとわらう龍ノ口。

 その瞳に、ふたたび火が点った。ような気がした。

 イスを起こして、『九尾』の方に上半身を乗り出し、グッと睨みつけてくる。

 殴られる!と『九尾』は今度こそ覚悟したが、ペチペチと龍ノ口は『九尾』の頬を軽くたたいただけで席を立ち、去りぎわ、肩ごしに振りむくと、

 

「マ、考えといてくれ。だがな?『九尾(オマエ)』は――こちら側の人間だ。今に分かる。いや……思い()ると言った方がいい。好むと好まざるとに関係なく、もう首までズップリなんだよ。そン時になって、アワてるな?」

 

 そういうや書類を封筒にもどし、ニヤつく顔のまま杖をつき、まるで死神のように周囲の注目を浴びながらカフェテリアを出て行く。つめていた息をはいた『九尾』は、ゲンナリとした顔で、手前の皿に目を落とす。

 

 カレーは、すっかり冷めていた。

 

 食欲など、木っ端みじんに吹き飛んでいる。

 あとには言うに言われぬモヤモヤとした感情と疲労だけが、食べかけのカレーと一緒に残された。

 

 ――チェっ、まったく……だいたい『こちら側の人間』ってなんだい。

 

 煩悶することひさしく。自分を見る周りのヒソヒソ声も、どうでもイイやという感じ。

 結局、手をつけぬまま食器を下げに行くと、彼の前に小鉢(こばち)の空き皿だけをのせた『リヒテル』が微笑んでいた。

 

「どうしました。食欲が――ありませんか?」

 



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028:ミラとの諍いのこと、ならびに『リヒテル』流【オッカムの剃刀】のこと

 

 放課後、うすく積もった雪を踏んでノロノロ自分の寮に帰ると、門のまえにリムジンが止まり、そのかたわらにトレンチコートを来たミラがポケットに手を突っ込み、壁を背にして立っていた。

 傾げた赤いベレー帽と、あごをうずめる芥子色のマフラー。

 

 そうだ、と『九尾』は昼間の信号を思い出す。

 

 いろいろなコトがありすぎて、すっかり忘れていた。そして彼女の後ろめたげな目つきが、彼にすべてを(さと)らせる。

 近づくと、ミラは上ずったような声で二、三歩あゆみ寄り、すがるような眼つきで、

 

「あの……あのね?アナタに話さなきゃいけないコトがあるの」

「……」

「アナタに謝らなきゃ……」

「分かってるよ。『盟神探湯(くがたち)65B』、だろ?」

 

相手の愕然(がくぜん)とする表情(かお)を、せめてものウサ晴らしで通りしなに足を止め、横目にする。

 チェーンを巻いた大型車が、轟音をあげてふたりの傍らを通り過ぎる間の小休止。

 

「どうしてそれ……機密事項なのに」

「キミが言ったんじゃないか」

「え……」

 

 幾拍かの沈黙。やがて、

 

「つまりキミんトコの情報管理が、ザルってコトさ」

 

 『九尾』もマフラーを下げ、白い息を吐きながらつけつけと言い放った。

 もはや階級などどうでもいい。捨て鉢な気分が、九尾の胸を(さいな)んで放さない。

 

「きいて。今回の件は、西ノ宮との取引条件が……」

「新型オート(A)ポイエーシス(P)システム(S)の、ていの良い実験材料?東宮側の見返りは――何だい?実験データ?それとも……」

 

 相手の顔が、こんどこそギョッとしたまま(もだ)す。

 立ち止まった二人のあいだの距離が、見た目より遠いのを彼は実感する。

 今日は色々なことがありすぎた。社交的忍耐は――もう帰投燃料切れ(ビンゴ)だった。

 感情にまかせて彼は一度、灰色な冷たい空気を大きく吸うと、

 

「結局、きみのお仕えする『百合(ゆり)の王女』も、あの『(らん)の王女』には、かなわないってワケだ」

「そんな――」

「ツカえない“鬼百合(おにユリ)”って、本当だな」

 

 カッ、と今度はミラの顔に怒気が(はし)る。

 

「ちがうわ!一生懸命頑張った!……姫さまは。でも!」

「おなじだよ。結局きみの言うとおり、候補生なんてモルモット()()()()()

 

 普段の自分ではない言葉が、胸からあふれてくる。

 その勢いに、彼は酔う。

 フライホィールのように、どんどん勢いがついて止まらない。

 まさか自分の中にこんな性格が潜んでいたとは、と第三者的な感覚で驚きながら、

 

「ザけんなよ?さんざパワー・ゲームの(こま)にしておいて、その目的は何だ?行き着く先は?用済みの男子候補生は、どうなる」

「どこでサル知恵(ぢえ)を仕込まれたかは知らないけど――」

 

 唇をふるわせながらも必死に体勢を立て直そうと、ミラはポケットから黒い革の手袋に包まれた手を出し、それを固く握りしめた。

 顔が――必死に平静を保とうと努力し、かえってヒクついて。

 

「あまり詮索(せんさく)しないほうが、身のためよ?」

「へぇえ?()っかねぇ。じゃ、ヤメとくか」

 

 そう言い捨て、ミラの横を通り過ぎる。

 なんてこった、と彼は腹の中で苦笑せざるを得ない。

 

 ――これじゃ、龍ノ口センパイとおなじじゃないか。

 

 反面、そんな自分を格好いいと感じつつ肩をそびやかし歩いてゆくと、背後で雪を踏み鳴らし二歩、三歩。

 

「アナタには――まだ選択権があるわ!」

 

 必死な声が追いかけてきた。

 

拒否(きょひ)すれば、探査院は、ナニもできない!」

「どうだかね。カートリッジ行きじゃねーの?クソが」

「『九尾』!」

 

 声に、否応にも振り向かせる迫力があった。

 後ろを向くと、ミラの手にリモコンがある。

 瞬間、彼は眼を(いか)らせ、

 

「こんどそれ動かしたら……()()()との縁。キルから」

 

 目つきだけで(スゴ)むとスタスタ歩き出し、寮のガラスドアを開ける。

 

「なによ――なによなによ!」

 

 泣き声にも似た叫びは、ガラスドアを突き抜けて、彼の耳にとどいた。

 

「なによォ!」

 

 自分の部屋に入り、通学用フライト・ケースをそっとおく。

 そして、やおら着ていたコートを脱ぎ捨て、壁にたたき付けた。

 窓を開いて、細い隙間から冷たい空気を部屋にいれても、胸のモヤモヤは、晴れない。

 

 ――あぁクソ!

 

 ベッドに背面跳びの要領でダイブし、天井を見上げ、昼間の老教官との話を思いだす。

 

     ――――――――――――――――――――――――

 

「ワタシも、じつは航界士だったころがあったんですよ」

「教官どのが……?」

「ふつうに『リヒテル』、でイイですよ?みなさんそう呼んでるんでしょ?」

 

 カフェテリアから、すこし離れたところにあるラウンジだった。

 もう休み時間の残りが少ないので、候補生の姿はまばらだ。何かのレジュメを書き写している女子と、深刻そうな額を寄せ合い、密談めいたことをする三年生。

 老教官は、そんな光景をぐるっと見回したのち、おしぼりで顔をふいてニッカリとわらう。

 差し向かいで座っていた『九尾』は恐縮した。

 だが、『リヒテル』は彼が首をすくめたのを見て、

 

「別に(とが)めている訳じゃありません。わたしが財テクに失敗したので、嫌々(イヤイヤ)この学校でアルバイトをしている噂があるというも聞いています」

「それは、一部の連中の――」

「実をいうと――」

 

 頼んでいた飲み物が来た。

 ウェイトレスが、カップを二つ置く間の沈黙。

 一礼をしてヤボったい制服が下がってゆくと、大柄な老教官は、間違えられたオーダーを正すため、自分のほうにココア、『九尾』のほうに、カフェインレスのコーヒー置きなおす。

 (よわい)を重ねた、染みだらけのゴツい指が、若い彼の目をひいた。

 

「わたしは生徒たちが好きなんですよ――あぁ、文字どおり、父親的な心情でね」

 

 『リヒテル』は、ひとつ(うなず)いてから、

 

「みんなイイ子でたちでした。そして、かくいうワタシの一人息子も、候補生だったんです。フィードバックを受け、長いこと植物状態でしたが……先日ようやく彼方に旅立ちました」

 

――まさか……あの時じゃないよ、な?

 

 『九尾』は、目の前の人物が携帯をチラ見して、天をあおいだ光景を思い出す。老教官が教室を出て行ったあとクラスの候補生は、持ち株でも下落(さが)ったか?などと勝手な事を言っていたが。

 

 相手の顔が、急に陰影(かげ)を増したようにみえた。

 シワが深く刻まれ、一気に年齢をとったったようにも。

 そして長いため息をついたすえ、口の端にうすい笑みを浮かべ、

 

「正式な航界士となるのは、ハードルが高い。半分は挫折し、進路を変更することになるでしょう。私の息子のように不具になる場合もある。それでも一部の子は、(あきら)めたがらない――あの子のように」

 

 老教官の言葉に『九尾』はピンとくる。

 

「サー……ご覧になってたんですか」

「優秀でしたよ?彼は。戦績も、仲間や後輩への面倒見も、今までワタシの見た中で五本の指に入るくらい。でもそれがために、理想(のぞみ)現実(いま)のギャップを、認められないんですねぇ……これがもう少し経験を重ねれば、それなりに見えてくるものもあるんですが。如何(いかん)せん、彼もまだ(おさな)い」

 

 沈黙。

 しかし『九尾』は意を決して、

 

「リヒテル教官どのは!その……どう思われます?先輩が、飛ぶのを(あきら)めるか。それとも」

「それは彼が決めることです」

 

 と、意外に『リヒテル』、そっけなく切り返す。

 

「なんたって彼の人生ですから。決断の責任をとれるのは、本人だけだから」

「そりゃぁ、まぁ。そうなんですけど……」

 

 不満げにふくれっ面をする『九尾』をよそに、老教官は、

 

「願わくば、私は子供たちの決断が正しいものであれと、願ってやみまでん。そして、つねにそれは可能なハズなんですよ?よけいな先入観を捨て、出来事に()っすぐ向き合えば、開かない扉は無いんです。この世に“行き止まり”はありません。開かない開かないと「引き戸」を一生懸命に「押して」(なげ)いても無益なこと。いやはや時間と労力の、大いなる消耗(しょうもう)ですな。いいですか?『何とかのカミソリ』ではないですが、よぶんな要素は、捨てておしまいなさい」

 

 その分かったような上から目線の物言いに、『九尾』はイラッと反発して、

 

「それは!!あ、いえその……教官殿みたく経験をつんだ方が、はじめて言えることでしょ?後出しジャンケンです、そんなの!」

 

 そうかもしれません。と、この老教官はあえて抗わず、

 

「ならば経験、すなわち情報を、自分の中に入れなさい。その上で派生する枝葉を切り捨て、真実の核のみを、つかみ()るのです」

 

 『リヒテル』は、くたびれたスーツの内ポケットから手帳を取り出すと、銀のくすみが年季をしめすボールペンでなにやら書いていたが、やがて(ページ)を引き裂き、テーブルの上に。ふとい指をそろえズイと押してよこす。中指に填まる紋章付きの指輪を光らせ、

 

「図書館の、上級職員用・閲覧(えつらん)パスワードです」

 

静かな口ぶりで、この老教官は続けた。

 

「まずは、世界を知りなさい。そして雑音を切り()て、判断しなさい……今度の金曜日、瑞雲のセキュリティ・システムが、メンテナンスに入るのは知ってますね?盗聴、ウィルス捜査のための。生徒は放課後、一斉下校の日ですが、その時データを検索すればよろしい。一年用図書館のメンテナンス日は土曜ですので、まだデータは拾えるでしょう。一階トイレの窓を開けておきます。監視員の目をくぐってゆけば、建物には入れるハズです。巧くいけば」

「……」

「なんです?その顔は……真実を獲るためには、ときに危険も必要ですよ?」

 

    

 

 ベッドのうえで、『九尾』は制服の胸ポケットから、折りたたんだ紙片を出した。筆圧高く、漢字と数列の組み合わせが2行。(あお)いインクで書かれている。

 

 彼は、(ジッ)とそれに見入った。

 



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029:図書館に潜入のこと、ならびにこの世界の切れはしのこと

 金曜の午後に、瑞雲(ずいうん)校は一斉放課となった。

 

 学校の駐車場にはトラックが数台停まり、ツナギを着たメンテナンス業者が、はやくも台車に各種の測定器や検知器を載せ、あちこちをウロウロしている。

 

 『九尾』は個人用ロッカーに通学用フライトケースを入れると、そんな業者にまぎれて下校する候補生の流れにさからい、裏庭づたい、植樹づたいに先日使った一年生用の小さな図書館へと忍び寄ってゆく。これが上級生用の図書館だと「オデッサの大階段」じみた非常に目立つところを通るので無理だったに違いない。

 噴水がある園遊会(えんゆうかい)用の庭園のわきをぬけ、林の中の校舎といった(たたず)まいの建屋に近づいたときだった。

 

「オイ!そこの!」

 

 背後からいきなり呼び止められ、ビクリと『九尾』は文字通り飛びあがる。

 ふり返ると、顔は知っているが接点のない体育教師が、ジャージ姿に竹刀と紙袋を持った姿で、彼をニラんでいた。たしか『牛丼』情報だと、実家が上流華族の執事(しつじ)をしており、それをカサにきて威張り散らしているとの評判だとか。

 

「きょうは一斉下校だぞ!どこへ行く!?フライト・ケースはどうした!」

「えっ、いやその。この先の機材用具室に、手伝いに呼ばれてまして……えへ」

「手伝いだ?ウソつけ!きょうは用具室には誰もいないハズだ!一年か?W/Nは!」

 

 なにか知らないが、この教師は顔を真っ赤にして怒っている。

 

「いや、ホントに。手伝いに来ただけなんですケド――」

「ダレにたのまれて!?」

 

 体育教師のジャージのポケットで携帯が鳴り出した。

 相手が下を向き携帯をさぐるスキに、『九尾』は近くの茂みにとびこんだ。

 

「あ!コラまてッ!」

 

 怒声を背中ではねかえし、ダッシュでその場をひとまず離れる。そしてぐるっと回ると、遠巻きに図書館を見わたす位置の木の陰に身をひそめた。体育教師は、べつに追って来る様子もなく、あいかわらず図書館の正面玄関でウロウロと何かを待つように。

 

 ――くッそう……ナンなんだいったい。

 

 いっそ忍び込むのを中止しようか?と考えるが、メモを渡す『リヒテル』の、

 

 (キミにその度胸がありますか?ン?)

 

 と煽らんばかりだった口元のゆがみが、いま思いおこすと腹立たしい。

 さいわい、たしか男子トイレは正面玄関とは反対側だ。背をかがめ、物陰(ものかげ)づたいに裏手へまわる。トイレの換気窓は高いところにあった。スライド式の細長い窓を、はしから順にためしてゆくと、なるほど一番奥が空いている。サッシにいちど頭をぶつけ、上半身をトイレの室内にねじ込むと、

 

「うわ!」

 

 他組の一年生が二人、足がつきにくい“現金”の束と、何かのデバイスを交換する姿勢のまま、あぜんとして彼の方を見あげた。

 

「『九尾』!なんでココに。だれにも……言うなよ?」

「禁制品のウラ機材ぃ?()っぶな……うんしょっと……そっちこそ、ボクがここに来たの秘密だ、ぞ?って、うわっ!」

「危ねぇな!ナニやってんだよ」

 

二人の手を借り、どうにかトイレの床に脚をおろすと、

 

「オモテにヘンな体育教師がピケ張ってんだよ。ほら、実家が執事とかの」

 

 ゲ!と同級生たちが顔を見合わせる。

 

「バービー伍長かぁ……」

「え。なんだソレ」

「いつも人形がどうとか携帯で話してるアブないヤツ」

「オモテで張ってるんだろ?」

「あぁ。竹刀と紙袋もって」

「丁度いい、『九尾』、手伝ってくれ」

 

 言われて彼は、両手を組み合わせ、そこを踏みしろのようにさせて、二人の同級生を彼が入ってきた窓から脱出させる手助けをする。

 二人を見送ると彼は手を洗い、(そっ)とトイレの外をうかがった。

 緋色(ひいろ)(やす)っぽいカーペットから放散される、紙と電子機器の臭い。

 森閑(しんかん)とした広い空間。 

 

 ――クリア。

 

 おっかなビックリな抜き足、差し足。

 二階の個人閲覧ブースに通じる階段を昇ろうとすると、上で話し声。

 なにやら言い交わしつつ、だれかやってくる。

 

 逃げる場所はない。

 

 うひぃぃっ、とコンクリ板を重ねたタイプの、隙間だらけな階段のウラで身を小さくする。遮蔽物(しゃへいぶつ)など無いので、振りむけば見つかってしまうだろう。

 間をおかず、さきほどの体育教師が、居残っていたらしいヨボヨボの司書(ししょ)を、追いたてながら降りてきた。

 

「――まだ仕事が、のこってるんですがねぇ……」

「規則ですから!今日は、この建屋をカラにしませんと」

「一年生用のココは、明日がメンテナンスじゃなかったですか?」

「規則ですから!」

 

 そう言って、バービー伍長は『九尾』の目の前を、司書を小突くようにして廊下の奥へと消えて言った。

 

 心臓が、耳の中で鳴っている。

 かすかな震え。

 

 つめていた息を、ようやくユルユルとはいた彼は、忌々(いまいま)しい記憶の庭園を横目に足音を殺して階段をのぼると、個人用ブースの並ぶ真っ暗な空間をのぞき込む。

 

 先日とはうって変わり、ガランと人気(ひとけ)の絶えた部屋。

 

 こういう場所を不気味に感じるのは、どうしてだろうか。

 アレほど人の居た空間が、今はダレもいないというギャップ。

 まるで忘れ物を取りに行った深夜の学校のように。

 

 とりあえず様子を窺《うかが》い ――中に忍び込む。

 

 開け放されたブース区画の扉を閉めたい誘惑にかられたが、そこはグッと我慢。

 入り口から一番離れた、柱の影にある席をえらび、端末のスイッチをオンに。

 起動音ですら、デカいチャイムのように感じられる静けさのなか、瑞雲校のマークと暗号処理バージョンがモニターに浮かんだ。

 

――さて、と。

 

 パスの要求画面で、かれは暗記してきた文字列を打ちこむ。

 情報ソート番号という長い番号が、画面モニターから立体表示に切り替わって机の上の空間に浮かぶと、すぐにそれは、

 

 「政治」

 「社会」

 「経済」

 「外象」

 「王宮」

 

 といういくつかのキーワードに化けた。

 『九尾』が「社会」をつつくと、それはさらにいくつかの表題に変化する。

 

 実存辺縁(へんえん)共振崩壊(きょうしんほうかい)存在場(そんざいば)獲得紛争(かくとくふんそう)

 事象面間における相互干渉(そうごかんしょう)・崩壊報告。

 

 ――なんだ、これ……。

 

 それは、彼にとって、まったく新しい情報だった。

 個人ブースにつぎつぎと浮かぶデータと映像。

 

 その情報に『九尾』は震える。

 

 自分たちが何気ない日常をおくるこの事象面を含む世界が、実は講義で教わった以上に不安定で、もろい状況だという事実。

 あの飛行前打ち合わせで教わったほかに、網化回廊(リゾーム)・ターミナルの大規模崩壊が、最近もう一件起きていた。しかもそれは、人為的なテロである。行方不明者・負傷者4万人。こんな大事件なのに、どこのメディアも触れていない……。

 

 エネルギー需要曲線と人口予測。

 新型網化廻廊の支配権と複数事象面調停。

 資源・エネルギー・航路、そして技術の奪いあい。

 回廊の変化により激しく変わる為替(かわせ)と有価証券。暗躍(あんやく)する違法な仕手集団。

 遠方事象面で発生している、農政失敗の食糧不足による饑餓(きが)

 そして動乱――動乱――動乱――動乱。

 

 暴徒化したデモ隊に、高電圧放射器が浴びせられる光景。痙攣(けいれん)する人間が鉄パイプで殴られて。倒れたところに顔面を蹴り上げられ、静かになる。

 

 『九尾』は顔をゆがめ、別の映像に切り替える(チェンジ)

 

 “大破断”が神の意思であると演説する教祖をまえにした、何万もの信者。

           《チェンジ》

 事象面の狭間(はざま)暗躍(あんやく)する「武装界賊(かいぞく)」の一群が持つ、捕虜の生首。

           《チェンジ》

 経済崩壊により無価値となった資産を苦にした集団自殺。そのハエの群れのスゴさ。

           《チェンジ》

 麦畑の空を黒く覆いつくす(いなご)の群れ。頭をもみ、泣き叫ぶ住人。

           《チェンジ》

 近接事象面が引き起こす火山噴火の、街を呑みこむ華麗な溶岩流。

           《チェンジ》

 弾頭装填用・細菌兵器の工場が爆発して、町全体が、らい病(レプラ)罹患(りかん)

           《チェンジ》

 事象面間タンカーの遭難。『海』という場所に流れるカドミウム豊富な原油。

         ……《チェンジ》

         ……《チェンジ》

         ……《チェンジ》

 夕方のニュースでは、まったく触れられていないことが、モザイクなしグロ画像一歩手前な迫力で迫ってきた。

 

 (ふえぇぇぇ……)

 

 端末に触れれば触れるほど、自分が立っている日常生活の基盤が、足もとから瓦解(がかい)してゆく気分。

 暖房が効いているはずなのに、なぜか襟首(えりくび)がうすら寒い。

 いいかげん鬱っぽくなってきた彼は「社会」の情報エリアから「王宮」に移り、さらにその中の『探査院』に関連した項目をパラ見する。だがこの項目は、『九尾』には、まったく理解が出来ないシロモノばかりだった。

 

 多元存在変数(そんざいへんすう)と異事象面(じしょうめん)間の自発的相克(そうこく)作用・および既成領界(きせいりょうかい)の侵犯。

 西側に()ける「器官無(きかんな)身体(からだ)」及び東側の「肉体主軸による相互主観」の対決に関する一考察。

 “怪談”に()る共同思考野の斉一性(さいいつせい)圧力(あつりょく)について。

 事象面の純化概念(じゅんかりねん)と孤立意識の最新報告。

 

 最後のものは、どうやら「広域世界はエントロピー増大の法則にそって、(ゆる)やかに拡散(かくさん)するも、それに対する抗力が、個々の事象面に萌芽(ほうが)した“意志”により発生する」というオカルトじみた学説が、複雑な数式で証明されているようだった。

 

 ――めんどくせ……なんだコレ? 推論存在点(ゆいろんそんざいてん)/完全異界“神の最後の庭”……?

 

 項目を注視するや、ピッとアラームが鳴って文字が資料と重なり、

 

 《警告・このデータは参事官級以下の議員による閲覧(えつらん)を禁じられております》

 

 そんな文字が、宙に点滅する……。

 

 ダメだこりゃ、と『九尾』はあきらめ、いったん力を抜いて、イスの背にもたれかかり、暗い天井をあおいで気分をリセットする。

 次に彼は「候補生」というワクで、ビューワーに情報のソートを命じた。

 

 対校戦・戦績判定骨子。

 東宮/西ノ宮/華族院/日本政府審議官議事録。

 

 表題だけでもウンザリする回りくどい項目。

 目の前に浮かぶの文字を次から次に流してゆくと、ある項目に眼がとまった。

 彼の、その意志を検知したビューワーが、表題を流す動きを停める。

 

 社会不適応(ふてきおう)個体に対する事故演出手法を用いた抹消(まっしょう)件数。

 

 ――え……っ?

 

 



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030:仄暗い事実のこと、ならびに“人形”たちのこと【18禁版】

女性読者(居ないとは思いますが)
本編はスキップしてください。


 3Dで浮かぶ資料をつつくと、年単位で微増の折れ線グラフがあらわれる。

 目をこらすと自動的に資料の目盛りが細かくなった。

 ほかには――何の説明もない。

 

 グラフ下に、

 

【日本政府公安警察/外事課】。

 

 そしてその横に並んで、

 

【宮殿官房第三部/第三課】。

 

 資料の作成年度と個別案件資料・請求番号が添付されている。

 まてよ?と『九尾』は(ほお)の内側を()む。

 

 ――最近……ごく最近……似たようなうわさを、どこかで聞いた、ような。

 

 どこだっけ、と記憶を掘り起こそうとするが、ここのところ突飛なことが多すぎて、メモリの怒涛な上書きに、押し流されてしまっている。

 

 前頭葉の、このへん。あともう少しで出掛かる、というトコロをあきらめ、周辺の類似資料を、ビューワーに命じて検索(スキャン)させると、

 

 

 【実験用に供する個体の選抜および抹消(まっしょう)財産の再利用に関して】

 【廃棄F型候補生の入札要諦(ようてい)

 【新型人工血液によるカートリッジ・ファクターの合法的外活動化】

 

 

 そんなたぐいの表題が、次々と。

 

 

 手近な資料を、途中からひらく。

 すると、ブースの宙に浮かんだ、鮮明なホロ画像。

 

 

 『逃亡阻止を目的とする脳活動の必要最低限な痴愚(ちぐ)化』とある題。

 

 

 なにやらしかめつらしい字幕が流れた後……とうとつに貞操帯一つで手術台に大の字のまま拘束された、同年代と思われる女子。

 

 異様に豊かな胸。

 それに対して細すぎる腰。

 さまざまな器機が残酷に接続されて。

 

 両のこめかみに開けられた端子穴にケーブルが接続され、データが流された。

 手術台の上で細身の肢体がのけぞり、苦痛に顔を歪めカテーテルをゆらす。

 

「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 いきなり大音量で、少女の絶叫。

 

 ――はうぁ!

 

 『九尾は』あわてて画面を落とす。

 一瞬、からだを縮め、凝固させて。

 

 やがて、開放型のブースから恐る恐る首を伸ばすが、暗く静まりかえった閲覧室に、もちろんひとの気配はない。

 心臓がバクバクと鳴り、首もとからイヤな汗が垂れる。

 

 ――なんで……なんで、こんなとこにグロ画像が!?

 

 耳の中の鼓動と冷や汗が収まるのを待ってから、閲覧室の扉ぎわまで行き、図書館の気配に全身を研ぎ澄ます……。

 

 大丈夫――何も聞こえてこない。

 人の近づいてくる気配もない。

 暖房に熱せられた古いカーペットの臭いと、電子機器の匂い。

 

 ……それだけ。

 

 潮時かも、と考えるが……あと一歩、情報をつかみたかった。

 手持ちの個人端末に有線で情報を移そうとするも、やめる。

 どんな仕掛けがあるか、分かったものではない。

 

 おそるおそる閉じた3Dを最初からミュートで再生……のつもりが、どこに行ったか分からなくなる。セキュリティの関係か、ログを残さないビューワーなので、トレースできない。とりあえず、近縁にあったソレっぽい題名の記録を。

 

 

 【自家用人形を醸成(じょうせい)するための手引き】 

 

 

 『九尾』がおどろく間もなかった。

 字幕付きの説明付きで、一連の映像がはじまる。

 

 

★《fig1・目的別手法選択および素材導入》

  (BGMが明るく軽快なポップスの調子で)

 

 

 ――女子候補生が、部活にいそしむ光景。

 

 

 柄付きのリボンをもったピンクのレオタード姿で柔軟まがいの運動。

 

 胸。うなじ。

 あるいはワキのレオタード皺。

 大きく開脚して、湿った谷間がアップに。

 恣意的なアングルめいた、粘着性のある各ショット。

 開脚ジャンプが、背景をボカした長いスローモーションで。

 

 乱れる髪。輝く汗の玉。

 

 溌剌とした少女の顔。

 

 着地をして次の演技につなげる彼女の、ハッとするほど美しい真剣さ。

 染み込んだ汗がレオタードをテカらせ、まるでビニールの衣装を着ているようにツヤツヤと(なまめ)かしく照り輝く。

 

 やがて息を弾ませ、演技の終わったあとは、タオルで汗をふいて。

 と――ココでなぜか逆光気味に、ソフトフォーカスが。

 

 (曲調も一転、緩やかなものに)

 

 レオタード姿のまま、同い年の少女たちとふざけあうシーン。

 校庭の水飲み場。水泳の授業。キャンプファイア。

 短いカットで、次々と青春のひとコマ。

 

 そこへスーツの黒メガネ二人組が現われ、部活動の顧問らしき者と相談。

 

 (BGMは一転、なにやら陰謀めいた、オドロオドロしいモノへと)

 

 レオタードの上にジャージを着た姿のまま、彼女は不安そうな面持ちで、何も持たず白い革の内装をした黒いリムジンへと誘い込まれる。金庫のように分厚いドアが重々しく閉まり、彼女の姿を隠した。

 思わせぶりに暗い雲がかかった浅草120階の方へと走り出す、霊柩車めく印象の高級車……。

 

 

★《fig2・全身脱毛、および素体の検査》

  (BGMは密やかな、低弦の秘密めいた静かな調子で)

 

 

 ――どこかのエステサロンだろうか。

 

 

 民間施設にしては、設備が高度医療センター的な雰囲気。

 放射能マークの機材まであるその場所で、施術用のベッドに横たわって。

 全裸となった冒頭の少女は、短い白衣を着た金髪と銀髪の若い女性二人ががりで、妖しげなローションをヌメヌメと塗り伸ばされている。

 

 顔を見合わせた女たちの冥い笑み。

 彼女らの手つきが、同性をいたぶるとき特有の邪険さを帯びて。

 うすいオッパイに、秘裂に、ピンク色のアヌス(肛門)に、グニグニと細い指が食い込む。

 

 筋弛緩剤でも打たれているのか。

 二人が力の入らない少女の姿勢を変えるたび、彼女はされるがままにあられもない姿となって、無抵抗で目を閉じたままテラテラと光沢のあるボディを光らせる。

 

 シーンは変わり、デルタ部分と、後ろの部分の脱毛処理。

 

 処置室は水周りの設備がある場所らしく、少女は相変わらず目を閉じた状態で体を洗浄されている。

 やがて、あろうことか彼女は頭髪もふくめ、全身の毛という毛を哀れにも薬液によって除毛されてしまう。

 

 まるでラテックス人形のようになった少女。

 昏睡めいた眠りからは、まだ覚めない……。

 

 あどけない美しさを持っていた女子高生の(かお)は無残に手を入れられたあげく、もはや見る影もなかった。目覚めたとき、彼女は鏡の向こうに何を見るのかと『九尾』は唾をのむ。

 

 身体を乾かされたあと、再度ローションのようなものを塗られ、次いで

黒いゴムのようなボディ・バッグに入れられると何十本ものベルトでギッチリと梱包されたあとは、ストレッチャーでモノのように乱暴に運ばれ、やがて小型のエレベーターで果てしない地下へと消えてゆく……。

 

 

 

★《fig3・豊胸処理、全身整形》

  (BGMは無し。ただし、心電図を連想する調子で、澄んだ金属音)

 

 

 ――場所が手術室に移る。

 

 

 血がたっぷりと。

 手術用ケープの緑色を黒く染めて。

 もともとの胸に換わり、乳房状のバイオ・エネルギーパックが当人の胸に。

 

 一番下の肋骨が抜かれ、ウェストを狭窄された挙句、同時に骨格の一部も、超硬・多機能複合材に置きかえられる。

 

 スタイルのシュミレーション。

 手術室の中央に術後の予想図が3Dで浮かぶ。

 贅肉の無い、引き締った身体は、段階的にふくよかな、女らしい肉体へと――いや、それを通り越して、セックスシンボルとも言うべき(みだ)らな身体へと強制的に再生させられる運命。

 

 無影灯のもと、手術台に横たわる少女。

 執刀者たちの、よだれを流さんばかりな品の無い高笑い。

 

 頭にゴム製のキャップ。

 そして給気マスクを装着される血の気が失せた顔。

 意識の無いはずの閉じた目から――涙がにじんで。

 

 

 

★《fig4・馴致、および強制現状認識》

  (BGM復活。なまめかしい、ダルな調子で)

 

 

 ――場面はうって変わる。

   四方の壁と床が白いソファー状の詰めものに囲まれた部屋。

 

 

 天井の照明はピンクに。

 全裸のまま、目隠しをされた女子候補生。

 黒革の手枷と、足枷。

 それに幅のひろい首輪。

 

 口にまるいものを(くわ)えさせられ、さらにそれが脱落しないように黒革製のさるぐつわが、顔のまわりを(おお)って。

 時間が経過したのか、強制恵体化された身体のメリハリもなじんでいる。

 

 スポーツ選手らしく清楚なショートヘアだった髪型は一転、非情にも頭蓋に何か所かドリルで埋め込まれ施術されたジョイントを介し、見事な金髪(ブロンド)のロングパーマにうねるヘアピースを接続され、豊かな波打ちとなって肩にかかっていた。

 

 「A」から「E」ほどまでに肥大化させられた、まがい物の巨乳。

 そして恐ろしいほどの細い腰。

 それが見事に張り出した臀部(おしり)につづいて。

 

  ……泣いているのだろうか。

 

 金髪のウィッグをサラサラとゆらしながら、まるでしゃくりあげるように全身を細かく震わせ、鎖つきの手枷を巻かれた腕で、強制的に造られた豊乳が変形するほど己を抱きしめている。みずからの女性自身と肛門に深々と挿入され、貞操帯で非道に留められた淫具の(かす)かな刺激による内からの快楽に耐える有様。

 

 それでも(かな)しい女の(さが)か、ときおり自らハメこまれた淫具をすりつけ、早くもオズオズと、仄暗(ほのぐら)い淫欲をむさぼる風。

 

 猿轡にポッカリと丸い穴が開く口枷(くちかせ)を情けなくも強制装着され、そこに差し込まれた太い張り型は、彼女の口腔(くち)を犯しつつ、ウネウネと動いている。

 耳に接着されたカナル型のイヤホンから流れる調教用の声が、副音声で流れた。

 

  女性のネットリした、暗示型のおちついた声。

 

(大丈夫……貴女はカワイイお人形さんになるのよ)

 

「……」

 

(誰もがビックリしてふり返り、注目するぐらいのお人形サンにね……)

 

「あぉぉ……」

 

 たたみかける調教音声に、少女が力尽きたようにうなだれる風情。

 と、そこへ追い討ちをかけるように別の声で若い調教役の女の声が、

 

(でもザ~ンネン♪お人形はお人形でも、かわいいお洋服のかわりに淫らでエッチな服を着て、お客様の劣情に奉仕する浅ましい“メス人形”になるの)

 

「おごぉォォォオオ!」

 

 わずかに残った少女の理性が、激しく首をふる。

 

 (いやなの?それとも悔しい?――でもダメ。貴女は奴隷調教されて、それはイヤらしいメス人形になるの。お客サマの(おなさけ)を頂くことが、アナタの唯一の(よろこ)びになるんだから……)

 

 よかったわねェ、と静かに嘲笑する声の気配。

 

 (一生、お客サマのお情けを頂いて、気持ちよがってればイイんだから……ホラ!もっと肛門(おしり)に力を入れて!もう少し“お道具”をキツく食い締めないと、おマ○コにビリッと電気が(はし)るわよ!?……ダメねェ。もうチョットおクスリのチカラを、借りてみよっか?)

 

 

 また――少女のくぐもった悲鳴。

 

 

 しかし画面の外から扇情的なラテックス製のボンデージ・スーツを肌に貼りつけた、先ほどの金髪と銀髪の美女ふたりが出てきて、力なく抵抗する彼女を“人”の字型に拘束すると、胴体の目立たない部位に設けられたシャントに、点滴チューブの先を接続。

 画面が変わり、点滴棒にブラさがる薬液パックのアップ。

 

 

  大林製薬:【ヨガールアナル点滴静注液5mg】

 

 

 (字幕:使用上の注意をよく読んで、用量・用法を守り正しくお使い下さい)

 

 

 少女の抵抗が、しだいにトロンとしたものになって……。

 

 

 (そう、いい娘ね。でも、もう少し。お尻をキュッ♪とさせなさい?)

 

 

 少女が言うことを聞くようになったためか、女の声が労わるようなものに変わり、まるで頭をなでるような口調で、

 

 

 (疲れたでしょう……よく頑張ったわね?うれしいわ。ご褒美(ほうび)練乳(れんにゅう)味の栄養ドリンクをあげましょうか。いま(くわ)えているゴムのおチンポを舌先でぐる~んと丸く舐めなさい……ハイぐるぅ~ん?)

 

「あぉォォォ……」

 

 拘束された少女のアゴが、ノドが、苦しそうにうごく。

 

 (……そうそう、いいわ。そしたら頬が引っ込むくらいキュッ、と吸うの。そしたらおチンポの先から濃厚な液がピュッ、と出てきますからね……前と後ろの穴のお道具もユックリ動かすわよ)

 

  少女の軽く抗議するような、甘い鼻声。

 

 (大丈夫?まっててね。いま容器をセットしてあげる……)

 

 ボンデージ・スーツを着た金髪が(ゆる)やかな動きで、口枷で固定され、少女の口腔を犯すディルドーの根元にカートリッジを取り付ける。

 ズームされたカートリッジの商標。

 

 

 【マゾニナールA・経口洗脳液】

    

 

 (そう、いい娘、いい娘……)

 

 

 

★《fig5・目的別・脳浸透教導処置》

 (ユーロビートっぽい重低音の音楽。SMチックな画ヅラとマッチして)

 

 

 ――あきからに仕掛けのありそうな黒いGスーツ。

   そして禍々(まがまが)しい貞操帯を()められた彼女。

   黒革のハーネスで宙吊りにされ、頭をすっぽりと覆うデバイスを

   かぶせられ、様々なコードが延びる身体を痙攣(けいれん)させている。

 

 ラテックス風味の黒いG・スーツが、ローションでヌラヌラと照り光り、少女が調教の苦痛と強制注入される快楽に身悶えするたびにテラテラと淫猥な光沢をみせて。

 

 前掛けにゴム長靴姿の銀髪が、妖しい笑みをみせながら、大きな数珠の

形をした電気コード付きのソケットを彼女の肛門に挿入し、ネットリと前後に動かす。

 それにつれ、少女の股間から何かがはげしく飛沫(しぶ)いた。

 同時に幾本もの束になった金髪のムチが、哀れな彼女の背中を襲う。

 ビクビクン、と全身をピッチリ黒く覆われた身体が痙攣……。

  

 

 さすがに『九尾』は、コレ以降を見るに耐えず、記録をスキップ。

 

   

 

★《fig10・子宮切除と代替器機挿入・》

 (BGMはチャイコの弦楽セレナーデ)

 

 (画面の下に【注:回復不能点につき注意】とテロップが流れる)

 

 

 ――空いた腹部に、ドラ○えもんのような、バイオ・メンテナンスハッチ。

 レーザー刺青で、なにやら注意文言が焼き付けられる少女。

 

 

 聖アンデレの十字よろしくX形に拘束されている彼女は、坊主頭を激しく 振り、拘束台をゆすって、刺青の痛みに眼をカッ、と見ひらき、銜えさせられた赤いボール状の猿轡を呑みこむ勢いで絶叫する。

 

 絞られた音声をとおしてさえ、彼女の苦痛と悲哀が、まざまざと。

 

 

 『九尾』は、また記録をスキップ。

  

 

★《fig15・口唇肥大、および口腔内部切除・有襞粘膜形成》

 

 (BGMはバンドネオンの曲調で「Dr. Petiot 」を希望)

  https://www.youtube.com/watch?v=xPskdzG207g

 

 女子候補生の唇は、ぼってりと肉厚に整形される。

 口の中は、生まれつきの歯列を除去され、アタッチメント式に。

 

 そして奉仕用に具合の良いよう舌を二つに割かれ、そのうえ口の内側に、新たにイソギンチャクのような、突起粘膜を全面に融合される。

 

 もちろん肉感的な唇をとじれば、口の中の淫猥なしかけは分からない。

 

 

 

★《fig20・眼球摘出・多機能視覚共用器機を視床下部ユニットと共に埋設》

 

★《fig23・脳・および頭蓋インターフェース構築》

 

 

 《fig29》と字幕のある《外装整理。雇用主希望に基づく外見改変》では腰つきがさらに豊かに。大腿部は、それまでの優に1.5倍ぐらいにはなるだろうか。

 

 

 最後の《納品・輸送》で少女はバイタル維持装置に接続され、厳重に梱包されてどこかへと運ばれ、このおぞましいHow toは終わる。

 

 

 結局、可憐な印象のある、黒髪ショートヘアーだった痩せぎすの彼女は、

 

 赤銅系な金髪をした肩まであるウェービーなウィッグ。

 長いまつげの奥から覗く、豹の瞳を模した、デジタル風味な緑色の眼。

 グロスな照りをみせる、肉厚の真っ赤なくちびる。

 信じられないほどメリハリを付けられた人造ボディ。

 その根元から切断された両腕。両足――ただし機械的なコネクター処理で、必要に応じ人工四肢が装着可能に。

 

 ……等々。生まれつきの体を改変、あるいは無機物に置き換えられ、最後には『口淫奉仕(こういんほうし)タイプ(注:下部併用型)/乙種』という字幕を背景にして、見覚えのある金属製の筒に、もとの可憐(かれん)清楚(せいそ)な面影などは毛ほどもうかがえないほど性的な美貌に整形された顔を無表情のまま、ボッテリと肉厚にされた紅い口唇(くちびる)をポッカリと痴呆ぎみに開けた(かたち)で格納される姿を最後に終わった。

 

 いやな汗が、ドッと全身から吹き出てくる。

 吐き気、というよりも、ドス黒い胸苦しさ。

 巡界艦のエイジング・ルーム。

 フラッシュバックする『黒猫』の変わり果てた姿態。

 

 ミラは――宮廷秘書官は、たしかあの時、改変は植物状態になった「例外状態(れいがいじょうたい)の生」での再利用に限る、と言ってなかったか。宣誓と、血判で。

 

 頭がクラクラしてビューワーの意志入力が反応しない。

 

 イラついた彼は、ふるえる手で直接、宙に浮かぶ隣の表題をつつくと、こんどは四肢を二の腕、膝で切りつめられ、首輪をまかれた女子候補生が、なにやら蛍光色な蒼い溶液の充ちる透明なシリンダーに、天井クレーンでゆっくりと降ろされてゆく光景が映し出された。

 

 【特殊任務・従事忌避者】とテロップが流れる。そして、

 

『対酸・対アルカリ・対炎症・および対防創を目的とする皮膚置換処置』

 

 女子候補生はボウズ頭を激しくふり、もがきながら、粘性の高そうな液体にゆっくりと沈んでゆく。悲鳴は、口に銜えた何かのデバイスの効果で圧殺され、聞こえない――いや、ミュートのせいかと『九尾』は思い出し、おそるおそる音量をあげてゆく。

 

 天井クレーンの低いモーター音を背景に、口を封じられたまま、クレーンに吊される候補生の悶える声。それに混じって、微かに話し声がした。

 端末にイコライザー処理を命じて音を抽出。

 

「――から、コイツも馬鹿だよなぁ?素直に遠象探査を拝命りゃイイのに……」

「こんど日本に帰ってくるのが何時か、不明だからな。彼氏と別れンのがイヤなんだと。アホな話サ。聞いててイライラしてくるぜ。バカ女が!」

「ったくナ。結局「ドール」にされちまうンだから。彼氏とも永遠のお別れだ」

「このスタイルに、このお面だろ?前々から素体として、ネラわれてた?」

「ありうるな。“市場”は、いつでも――」

 

 女子候補生が引き上げられると、皮膚はビニールのような照りを発し、驚いた顔で定着された彼女の表情もあって、まるで本当に人形にされてしまったよう。

 

 『九尾』は再生を止めた。

 

 ――もうたくさんだ……。

 

 暗い天井を見上げて深呼吸すると、視界が、まるで磁場酔いのようにゆるやかに回っているような気がした。

 

 胸のむかつきが収まらない。

 新鮮な空気を吸おうと、暗いブース・エリアの外によろめき出る。

 

 ――まぶしい。

 

 モニターの輝度を最小にしていた為か、高窓から見える午後おそくの曇天すら、彼には痛いほどに感じる。とりあえず壁際に脚を投げ出して座りこみ、吐き気をおさえるため口を開け、あさく、かるく呼吸した。

 

 いま見てきた悪夢が、外の光に反応したように溶けてゆき、胸苦しさがゆっくりと収まってゆく。こめかみに流れた冷や汗をイライラとぬぐい、明るさに慣れた眼で脇を向けば、個人ブースのならぶ部屋の入り口が洞窟めいて、薄気味わるく口を開けていた。

 

 さぁ、どうする?と『九尾』は頬の内側を噛んでギュッと眉をしかめる。

 

 ――考えろ……考えろ……考えろ。

 

 特殊任務・従事忌避者というテロップの画像が気になった。

 『盟神探湯65B』。

 メインパイロットを拒否したら、自分も、あの映像のようなことになるのか。

 

 雲海。

 

 フロイト。

 

 耀腕。

 

 強制憑依(きょうせいひょうい)

 

 そして……悪霊。

 

 性的な道具にされるのと、雲海で壮絶な殉職(じゅんしょく)()げるのとでは、どちらがいいだろうか。あるいは、もっと別の選択肢はないのか。

 

「――コラッ!てめぇナニやってやがる!」

 

 突然、下卑(げび)た怒鳴り声がした。 

 



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031:“人形”たちの悲哀のこと、ならびにこの製品を取り巻く事情のこと【18禁版】

 ――一くッ!! 

 

 なかば呆然としていた彼は、反応がおくれた。

 腰をかがめ、すばやく振りむく――が、洞窟まえのテラスには、だれも居ない。

 こんどは女の悲鳴。続いて、なにやら男同士で言い争う声。

 

 ――1階からだ……。

 

 どうやら自分の存在がバレたのではないらしい、と彼は滝のような安堵(あんど)

 だが――まだ油断は、できない。

 匍匐(ほふく)前進で一階がのぞける位置まで、おそるおそる近づく。

 すると入り口近くの、例の室内庭園わきで、見なれない制服を着た金髪の女子が、システム検査会社のツナギを着た数人の男に囲まれている。

 一団のうちの一人が、割れるような大声で、

 

「いいか!手前(テメェ)にゃ大金かけてンだ!言うコト聞かんと“ドール”にして――」

 

――“人形(ドール)”……。

 

 『九尾』は、個人端末を取り出す。

 カール・ツァイス仕込みの光学ズームで、一階の、情景を。

 

 女子の方に見おぼえがあった。

 おなじ一年の候補生だ。

 忘れるハズもない。W/Nは『タチアナ』。

 

 顔立ちが()く、教官からも贔屓(ひいき)にされ、うちのクラスにもファンが多いと『牛丼』が言っていたような。当時、どうせ自分には“高嶺(たかね)の花”とあきらめたのと彼女のクラスが場所的に遠いのを幸い、『九尾』は強いて気にしないようにしていた。

 

――でも……だいたい彼女は一学期の終わりに転校していったはず。

 

 なんでいま頃?と、(スゴ)んでいる男の方にフォーカスを移す。

 こちらはなんと、あの頭の悪そうな体育教師……バービー伍長。

 そういうことか、と『九尾』は奥歯を()みしめる。

 

 おそらく何かの撮影会をしているのだろう。

 『タチアナ』はセーラー服を着せられ、撮影機材のわきにはレフ版が数枚、立てかけられている。

 やがて、ひとしきり怒鳴った教師はジャージの前を下げると、彼女の金髪をわしづかみにして強引にひざまずかせた。思わず『九尾』は顔をそむける。

 

「もっと舌うごかせよォ……オラッ!――ホント“()(あな)”にすッぞ!」

 

 バービー伍長の言葉に、なにがおかしいのか周囲のスタッフはゲラゲラわらう。

 

「コイツ、ホントに“ドール”にして市場に出したら、どれくらいつきますかね」

「五○は行くんじゃね?この顔に、この身体だぜ」

手前(てめ)ぇケチだな!八○、九○どこじゃねぇ、ヒャクは行くにキまってら!」

 

 伍長の言葉に、九尾は“あの夜”のことを思い出す。アヌスの(うず)きとともに。

 

 ――してみると“市場”というのは、そんなに有名な組織なのか?人身売買的な?聞いたことがないのは、自分のアンテナが低いから?でもテスト勉強ばかりの生活でも、そんなに有名なら少しは耳にはいってきても、いいハズなのに……

 『タチアナ』が100か。そうだ、自分のときは、幾らと値踏みされてたっけ……思い出せない。そもそも100ってなんだ?あのオヤジ二人といったレストランでは、なんていわれてたっけ、そうだ“両”だ。両ってなんだ?100万円?100万$?あるいは外象人の古い通貨である100万ソルドか。

 

 一瞬、『九尾』はヒヤッとする。

 

 空中に浮かぶ3Dファインダーを通し、仰向けで玩弄(なぶ)られる『タチアナ』。

 そんな彼女と目があった、ような。

 体位を変えられても、微妙に二階(こちら)を気にする風。

 

 バービー伍長がニヤニヤと、紙袋からバニーガールの衣装を取り出した。

 

 『タチアナ』は、気のなさそうな、力のこもらない手つきで、差し出された光沢ストッキングを履くと、その上からノロノロと網タイツを二重履き。均整のとれた(あし)を網目にコーティングされたようにテカらせ、バニーコートに脚を差し入れると、メリハリの利いたボディに引き上げ、バニーコートの背中にあるジッパーを閉じる――はずだが、よほどタイトなのか。あるいは胸が大きすぎるのか。白い肌をギッチリと(いまし)める黒エナメルのジッパーが上がらない。

 

「トレぇなぁ――でも、あたまワルそうなデカいチチ……イイぜぇ」

「コイツ、頭ンなか(いぢ)って、本当にメス人形にしたほうが、ヨかないですか?」

 

 バービーの尻馬(しりうま)に乗って、彼女を(はや)すツナギ服のひとりに、バービーは、

 

「アーほ。どっからそんな金、出てくンだ。コイツの全身脱毛と豊胸処置、それにボディライン矯正手術(オペ)だけで600万円だ。しかも(ヤミ)医者ァ使ってダゼ?」

 

 なるホド、円単位ではナイらしい、と2階で『九尾』は納得。

 

「さ、()るぞ!?」

 

 一団の行動を録画して、イザと言うときの保険にしようとした『九尾』だったが、だんだんと彼等の行為がエスカレートしてゆき、さまざまな“道具(アイテム)”を持ちだし、責めを替え手法を替え、さらにはアングルを替えて、そのうえ卑猥な煽り文句まで加えて『タチアナ』を(なぶ)(さいな)むのに辟易(へきえき)とする。

 

 首輪、手枷(てかせ)、それに全身を(いまし)めるクモの巣のような、エナメルのベルト。

 洗脳補強とバービーたちが呼んだ、聴覚と視覚をうばう、頭をすっぽりとおおう皮製らしき責め道具を使われたときは、彼女の身体が糸のもつれたあやつり人形のようにガクガクと、幾度もゆれる。

 

 ブースで見た、(あわ)れな少女たちのように、彼女も次第に、人からモノへ。

 あえぎ声と、悲鳴。

 のど奥に差し込まれたときの、えずきと()きこみ。

 

 衣装が変えられ、

 アラビア風な宮廷の踊り子に。

 全身を縄で縛められたSM風味に。

 エナメルで乳房をくびりだされるボンデージ姿。

 

 女の秘所に、アヌスに、尿道に。

 

 様々な思惑を秘めた残酷な器具が挿入され、あるいは抜き差しされて。

 そのうち女の子の発情した匂いが、2階にまで立ちのぼるようになる……。

 

 証拠撮影をしているうち、だんだん腹が立ってきた。

 

 あれは――自分だ、と『九尾』はかんがえる。

 

 オトナに、組織に、都合に。

 いいように振り回され、消費(しょうひ)される存在。

 当人の意思などお構いなし。小突かれ、蹂躙(じゅうりん)され、(なぶ)られる。

 尊厳(そんげん)を踏みにじられ、恐怖に(おか)され、それでも決して許されない。

 

 彼女の大きな尻に「“腰使い”がなっちゃいねェんだよォ!」 と平手うち。

 それを観た『九尾』の中で、怒りは頂点に。

 

 ――なんとか一矢報いたい……なんとか……。

 

 あたりを見回すと、火災報知機が柱のところに見えた。

 あお向けに寝かされ、手錠で両腕をあたまの上に拘束されて、曲げた脚を宙に持ち上げられた体位の彼女にも見える位置にある。

 思い切って『九尾』は腕を高く持ちあげると、指で報知器をさし示した。

 

「まって!ダメよ――ダメ!」

 

 その時、『タチアナ』の必死な声が、唐突(とうとつ)に。

 哀願するような眼差しが、3Dファインダー越しに『九尾』の眼を射た。

 

「ほゥ、そんなにヨかったか?オメェもコッチが良くなってきたんだな」

 

 一瞬の空白。やがて彼女は言葉つきをかえて必死に、

 

「もうやめて!警察に言ったらどうなるか分かってるの!?」

 

 警察ゥ?と男たちは顔を見合わせ、ヘッ、と。

 

「ナニ言ってんだコイツ?」

「いまさらケーサツ呼んで欲しいってか」

「アホが。ココにも一人いるよ、ホラ」

 

 バービーが、首輪からのびるクサリの(はし)を持つ、ツナギ服の一人を指した。

 若者の中でも少し年齢がいっているその男は、カメラを手に、ニヤリと。

 

「ハ!もう快楽(イキ)()け、クスリ()けのヘンタイ女が、どうした?いまごろ」

「だいたいポリ(警察)の親玉が、上玉の人形(ドール)をいくつもコレクションしてンのに、いまさらケーサツもナニもねぇもんだ。市場に参加しねぇ政治屋どもや検察、華族や宮殿のお歴々は、いねぇってのに……ヨ!」

 

 『タチアナ』のほおが、また平手打ちに鳴った。

 パァン!とホールに乾いた音が響きわたる。さらにもう一度。

 その音は、『九尾』の胸にささくれたクサビを打ち込んだに等しかった。

 

 ――そんな……。

 

 カーペット敷きの床の冷たさが彼の身体の骨身にしみるころ、ようやく一団の下劣な“撮影会”はおわり、『タチアナ』は縛られた半裸の上からコートを羽織らされ、スタッフの一団と共に図書館を出て行った。

 

 

 

 ――……。

 

 

 

 いつの間にか全身に余計な力が入り、背骨がガチガチに固まっていた彼は、関節の痛みに耐えてヨロヨロ床から起きあがると“洞窟”にもどる。

そして熱を持った電子機器を見つけるや、それをコードごと引き寄せて腹に抱え込んだ。手近かなブースの中に制服が汚れるのにも構わず横たわると、グッタリと身体を丸めて。

 

「分かっていたんだ……あのコ……彼女は」

 

 わざわざ口に出し、彼はポツリとつぶやいた。

 彼女、とワザワザ言い直したのは自分にとっての“恩人”を軽々しく表現したくなかったためだった。

 

「ああ、そうさ。分かっていた。そして、この()()は、なすすべもなかった……ッ!」

 

 自己嫌悪の以前に、いろいろなことが起こりすぎて、なにも考えられない。

 やがて一息つき、冷えた腹も温まると端末にもどり、「ドール」という語句を検索。

 なんとか出来ないか、なんとかこのことを世間に広くブチ()けて……。

 冷たい炎が、彼の胸のなかで燃えさかって。だが、出てきたのは、

 

 【バービータイプ・ドールの豊胸改造】

 【腰を不自然なく細くするには】

 【魅惑(みわく)的な(くちびる)の造型】

 【肉パテの目立たない注入方法とその要諦(ようてい)

 

  等々……。

 

 ――なんでフィギュア・オタクのHow toが!

 

 表題の文字を見て舌打ちをすると、そうだ!と次に「闇市場」「取引」関係で検索。

 

 【ポスト・マルクス主義の復権と市場の今後】

 【ハイエクの功罪とネオ・ケインズ派の現在】

 【広域(こういき)航界戦におけるゲーム理論について】

  等々……。

 

 ――ですよ、ねぇ……。

 

 検索をかさねても、これはと言うような情報も集まらない。

 気がついて時計を見れば、いつのまにか、もう夕方の時刻となっている。

 

 脱力が、全身をひたひたと充たしていった。

 頭がグルグルとまわり、フラフラに。

 

 潮どきだ、と感じた彼は、力の入らない手で端末の電源を落とし、ブースエリアを出る。

 外は暗いと思っていたが、夕陽の残照があるのか、まだすこし明るい。

 正面玄関のセンサーを(おそ)れ、来たときと同じくトイレの窓から身をよじらせ、苦労して外にでる。

 落ち葉を焼く焚き火の匂いが、心の荒涼(あれ)と現状のやるせなさを加速させる気分。

 ふたたび教職員の人目につかぬよう、茂みをつたい足ばやに修錬校の敷地をよぎり、柵をのりこえ、手押し車の老婆を驚かせて往来(おうらい)へ出る。

 

 やってきたトラムに、彼は衝動(しょうどう)的に飛び乗った。

 なかば自暴自棄なまま、行き先にまかせて……。

 



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032:翻弄される枯れ葉のこと、ならびに自己嫌悪のこと

 

 

【挿絵表示】

 

 

 (さか)り場が集まる旧市街は、変わらずの雑踏(ざっとう)だった。

 (よい)の口が始まったばかりのこの(とき)

 都市(まち)がリズミカルに――うねるように。

 人々(ひとびと)を吸い込み、吐き出し、呼吸している。

 

 壁面モニターの広告や、奇抜なディスプレイ。

 ラウドスピーカーの政府広報。その下をゆく様々な人々の流れ。

 通勤帰りの疲れた顔や手をつなぐカップル。

 

 早めにデキ上がり、声高に話す酔っぱらい達。

 ヤクザの地回(じまわ)りと、呼び込みの隠語。

 ウィンドウ越しに、談笑が充ちるカフェのにぎわい。

 温かそうなサロンにひらめくドレスの輝き。

 うす汚れた街宣(がいせん)車が、なにやらガナりながら通りすぎてゆく……。

 焼き鳥屋のダクトからは、美味(うま)そうな煙が壊れかけのファンとモーター音とともに外に流れ、あるいは安風俗店の扉がひらくたび、なかの(にぎ)わいと低音の効いたBGMが歩道にまで()(あふ)れて。

 

 だが『九尾』は、自分とそれら(にぎ)わいの間に、なにかうすく透明な、それでいて強力な(まく)ができたような、奇妙な遊離(ゆうり)感を味わった。あたかも立体映像を見ているかのように、すべてに現実感がない。

 風俗店わきにいた、アオザイすがたのティッシュ配りが自分をスルーしたとき、遊離感は、一転。疎外(そがい)感に、その席をゆずって。

 ホロ苦さと、(くや)しさ。

 胸のなかに()きおこる、(しぶ)い痛み。

 

 ――くそ……っ!

 

 騒音とネオンが交錯(こうさく)する街を、寒風に吹き(もてあそ)ばれる落ち葉のように、メチャクチャに歩きまわり、さまざま光や音。会話。靴音。なにより印象が、自分の中を蹂躙(じゅうりん)するにまかせ、いっそ(すべ)てを押し流すことを(こいねが)う。

 

 ヘッドライトの流れ、テールランプの(よど)みが、様々なフラッシュバックを呼ぶ。

 

 先ほどの胸が悪くなるような光景。

 ボッテリとした紅唇に整形され、思考のレベルも故意に引き下げられて、ビニールめいた肌艶にされ出荷される元・女子候補生。

 革拘束――そしてムチの音。

 こちらを見た『タチアナ』の眼差(まなざ)し。

 

 それはいつの間にか、龍ノ口の目つきに。

 あるいは、『リヒテル』の視線に。

 

 やがてはミラの――あの意味不明な宮廷秘書官の何かを狙うような瞳。いくつもの電飾アーケードやネオン看板をくぐるうち、ついにはいつかの気味悪い、あのガイコツめいた老人が、路地の奥からこちらを眺めているという強迫観念(パラノイア)めいた幻影(マボロシ)すら。LEDの光がとうとうチラチラと細かくブレるようになり、視線が(さだ)まらない。

 

 世界が(ゆる)やかに傾斜してゆく……。

 

 いや、傾斜しているのは、彼自身のほうか。

 

 (みち)ゆく人々が、こんどはギョッとしたような顔で、自分を避けるのを感じる。

 周りからのヒソヒソ声。周囲のコンクリートやガラス、SUSの(ステンレス)構造体に反射し、心にヒシヒシと突き刺さる。入射角と反射角の正確さで。

 自分に向けられた会話がガラスのサラダのように心に突き刺さる。

 看板。チラシ。自動宣伝カー。ティッシュ配りのキワどいおネェちゃん。 

 

 すべてが、自分を揶揄(やゆ)しているような。(あざ)るような。

 

 奥歯をかみ締め、泣くまいと彼はくちびるを引きむすぶ。

 

 ――修錬校だけでなく、みんな、ボクを仲間はずれにする!

 

 だが、湧きかけた怒りは、ふと尻すぼみになり、消えてしまう。

 当然だよな、という自虐(じぎゃく)と自己懲罰(ちょうばつ)が、それに代わって。

 

 『タチアナ』を見捨てた、後ろめたさ。

 

 さらに辿(たど)って、先輩の彼女に横恋慕しようとした、(おのれ)の汚さ。

 何だかんだ一級候補生になったことで、どこか自慢げな、イヤなヤツになってなかったか。昇進を、ハナにかけてはいなかったか。

 

 ――(バツ)を受けるのも……当然、か。

 

 どうしようもなく小ッさい自分……バカの道化……優柔不断なクズ……。

 数歩よろけ、とうとう傍らの建物に肩をつけて、大きく深呼吸してゆるやかに回る世界と折り合いをつけようとしたときだった。背後から、

 

「ダイジョブ?キブン、ワルい?」

「え……?」

 

 下向きに振りかえると、この寒空に、白いロングブーツとミニスカート。それに胸を強調するアッパーに銀色のチョーカーを巻いた、()()()()()()()()()()()()()な金髪のお姉さんが、マッチ売りの少女よろしく何かを入れたバスケットを腕に下げ、彼を見つめていた。

 

「ナンかブツブツ言って通りフラフラ歩いてるんだモン。()ッかないネ」

「ボクが?……ですか」

 

 街の塵埃(ほこり)にまみれた壁から離れようとして、またよろける。

 

「ちょとダイジブねェ!?コート着ないで、こんなフロワ(寒い)夜」

 

 そちらこそ、と『九尾』は何とか立ち上がることに成功すると、

 

「寒くないんですか?そんなキワどい格好で」

「アラ、言うね。カワイイお面で、ほら――さわてゴランなさぃ」

 

 二の腕までの白い彼女は、『九尾』の手をとると、大きく窓があいた胸元から、自分の胸を触らせる。

 

 ――あ……。

 

 ビニールのような、ラテックスのような、温かくツルツルとした肌ざわり。

 

「ネ?コーティングされてノ。だからダイジョブ。コムプリ(わかった)?」

 

 彼女は前にかかった金髪を、肩のうしろに跳ね上げてわらう。

 

「あの、おネェさんは外象系のひと?」

ティヤン(あら)、ドシテ?」

「日本語は上手いけど……なんとなく」

「そウ?」

 

 キャンギャルのお姉さんは、通行のジャマにならぬよう、『九尾』を道のはじに引っぱってゆくと、片ヒジにさげたバスケットの中から、広告付きのキャンディーを取り出し、

 

「ワタシはキスイ?の地球GIN?であル。ただアタマいじられ、ボクー(とても)考えダメにナタ」

 

 あっけらかんと彼女はそう言って、わらう。

 『九尾』はゾッとした。

 図書館で観た“人形(ドール)”の幻影が、自分を追いかけてきたような、気配。

 ドサクサまぎれに、ダメもとで聞いてみる。

 

「ねぇ……“市場”って、なんのことか知ってる?」

 

 お姉さんの身体が、ビクリと一度、電気ショックを受けたように。

 

「ダレからソレ聞いた?……ソレいけない。トレ(大変)トレ(大変)、イケない」

 

 エリアーヌ!と遠くから声がかかった。

 彼女が振り向くと、白シャツに蝶ネクタイ、それにピンストライプのベストに黒ズボンといったオールバックの男が、サングラスの奥からコチラを(ニラ)みつけて。

 

 パルドン(ゴメンなさい)、と彼女はいうと、男のもとに走ってゆく。

 観ていると、この男の拳固(げんこ)が、長身な彼女の頭に炸裂(さくれつ)した。よろけるところを、さらに万年筆のようなものでアタマを小突かれる。彼女が、なにやら話し込み、男がチラと『九尾』のほうをむく。やがて、彼女にもう一度万年筆のようなものを押し当て、何事か指示すると、店舗らしき建物の扉に、すがたを消した。

 エリアーヌと呼ばれた彼女は、ブーツのヒールを鳴らして走ってきて、

 

「ごめん、ごめん、マネージヤーに怒られちゃった」

「……大丈夫なの」

「平気、ヘーキ、それより、コレ」

 

 彼女はバスケットから、名刺を一枚、差し出した。

 そして打って変わったなめらかな口ぶりで、

 

「こんど、お店に来てよ。絶対ね?でなきゃ――ワタシが、また怒られちゃう」

 

 ニコやかにしゃべりながら、不思議にも彼女はひとすじ、涙を流した。

 

「制服は、着てきちゃダメだよ?サービスするからね?いつ来れる?」

「え……分からないですよ。修錬校のこともあるし……行けないかも」

「ソレが……いいネ――いえ!でも週末あたり、待ってるからね?絶対よ」

 

 それだけ言うや、アデュー(じゃぁね)、とミニスカートに包まれた大きな尻が去ってゆく。

 残された『九尾』は、名刺片手にぼんやりと、雑踏の中にたたずんで……。

 

  彼が寮に帰ったのは、夜もおそく、門限ギリギリになってのことだった。

 

 もはや自分の部屋がある階のエレベーター・ボタンを押すのもダルい。

 自室の扉をあけ電気をつけると、こもった部屋の空気に、気のせいか煙草(タバコ)の臭いがする。制服をクンクンかいでみると、今度は焼肉の匂いがした。温かい風を吹き出す居酒屋の排気ダクトのそばで、繁華街を激しく行き交う人々を、ぼんやり観察していたせいだ。結局その場所は、能面(のうめん)のように無表情な中年男の、

 

「ニィちゃん――なんぼや?」

 

 という意味不明なしつこい言いがかりに、(おそ)れをなして逃げたのだが。

 

 重苦しい航界士候補生の制服を脱ぎ、ブラッシングをして(ホコリ)をかき出したあと、ハンガーにかけて衣装戸棚へ。

 貞操帯ひとつの裸になって、木馬にまたがり排尿や排便をすませると、もうもうと湯気を立てる熱いシャワーを勢い最大にして浴び、ようやく『九尾』は生き返るような気分を味わった。

 

 バスルームの壁に額をつけて、目を閉じる。

 いろいろな事がありすぎた最近の光景が、断片となって。

 そして彼のなかで、われ先に浮かびあがろうと、バラバラにせめぎあう。

 

 老教官の言葉。

 図書館で見た映像――そして『タチアナ』。

 街の騒音と、近寄ってきたキャンペーンガール。

 あるいは自分の値段を訊いた、能面の様な中年。

 氷を思わせるミラの微笑。

 先輩候補生の熱に浮かされたような目つき。

 

 『盟神探湯(くがたち)65B』

 

 シャワーが止まった。

 節水と電力節約のため、一回の操作がタイマー仕掛けになっている。

 もういちどお湯のボタンを押そうとしたが、クソッ!とつぶやくと、思い切って水のボタンを押し、()だった体に(かつ)を入れる。季節がら、氷のように(つめ)たい感覚が背中から脳に突き刺さり、覚えたての単語の羅列を、記憶野に鮮烈に(はし)らせた。

 

「社会不適応個体」――「抹消」――「任務拒否」――「ドール」――「市場」

 

 長いこと冷水をあびてから『九尾』はようやくシャワーを止めた。

 身体の(ふる)えは、手に入れた情報のせいか、それとも冷たいシャワーを浴びすぎたせいか。バスルームを出ると濡れた体のまま、ベッドにひっくり返った。

 ニュース・サイトを点けると、また当たり(さわ)りのない出来事を流している。

 AIアンカーのキザったらしい喋りもハラがたつ。

 

 ――上野動物園で(あお)ユニコーンの子馬が一般公開?……知るかってんだ!

 

 イライラと思考操作でカットして、部屋はふたたび青い空間に。

 清澄な気配が、ふたたび空気を充たした。

 

枝葉(えだは)を切り捨てる?……ムリだよ、サー『リヒテル』」

 

 ゴロゴロとベッドの上で暴れていると、自身のなかで、得体の知れないモノが孵化(ふか)しようとあがくような気配がする。その落ち着かなさは、どうやっても相殺することはできない。

 あらかた体の水滴をベッドに吸わせたあと、彼はパタッと動きをとめ、額に手をあて、渡された名刺を手に、そのピンク色なカードを力なく見つめる。

 

「これは枝葉なんてモンじゃない、ジャングルじゃんか……カミソリじゃムリだ」

 

     ――――――――――――――

 

「オイ、なんていった……この小僧は?」

 

 葉巻をくわえた男が、背後に言葉を投げかける。

 モニターの光に、白い煙がゆっくりとたなびいて。

 

「ジャングル?カミソリが、どうとか」

 

 チッ!と鋭い舌打ち。一服吸う間の沈黙。

 

「フーッツ……まったく。早く服を着やがれ!冷水なんか浴びやがって。バイタル激変してナニかと思ったじゃねぇか!低体温症にでもなったら、コッチの責任だ。風邪でも引いたら減給(げんきゅう)くらッちまう」

「何か見てますね……名刺?カード?」

「オイ、チャンと録画してンだろうな?この前みてェに良いトコで画像が――」

「ワかってます。こないだは西のヒヒ爺ィどもから、クレームがスゴかったって。ネチネチとドヤされましたよ」

「糞エロじじぃどもが……ドコでも湧いてきやがる」

「しかし……コイツもつくづく(あわ)れなヤツですねぇ」

 

「ソレ言うなィ。なら小僧(ガキ)をネタに、小遣(こづか)いカセぐオレらってナニ?って話だ」

 

     ――――――――――――――

 

 ――今月の支給金(こづかい)、いくら残ってたかな……。

 

 睡りに落ちるまえ、朧気に九尾は考える。

 オッパイのおおきな、優しいお姉ぇさんたち。

 いままで受けた経験に無い、やさしい態度と仕草。

 やさしい温もり。そして笑顔。ふわふわとした触れ合い。

 

 ――あそこのお店、いちど行ってみようかナ……。

 

 やがて暖かく大きなうねりに包まれて、『九尾』は(しば)しのまどろみに――沈む。

 



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033:もう一人のチューターのこと、ならびに“女友達”のこと

 図書館で得た情報を『リヒテル』に問い質そうと週明けの月耀日、勇躍(ゆうやく)『九尾』は登校して教官室に向かったが、なんと!あの(ヒグマ)は出張でしばらく来ないという。

 

「そんなぁ!つぎ、いついらっしゃるか分からないんですかぁ?」

「公務だからね。先方のつごう次第だろう。情報系の除菌も長引いているし、今週と来週いっぱいは」

 

 学務課の主任職員は、端末を確認しながら応えた。

 

「なにか、伝言でもあるのかね?伝えようか?」

「いえ……べつに」

 

 まさか「図書館でSM撮影会やってた教官を弾劾(だんがい)してください」とも言えない。

 

 ――はぁ……どーするかなぁ。

 

 誰かに意見を聞きたかった。

 それも、信用できる人間に。

 

 市場の事。

 奴隷人形の事。

 この社会の、世界のこと。

 なぜ、情報は隠されているのか。

 なぜ、だれも真実に触れようとしないのか。

 

 同級生は、論外だ。

 知ってる先輩は、サラと龍ノ口の二人だけだが、片方は探査院に出ずっぱりで、龍ノ口は、なんと謹慎処分だという。いったいナニやらかしたんだか。

 

 『リヒテル』はいない。

 『モガモガ』など頼りにならない。

 あの校内女医は……あまり近寄りたくない。

 ミラは、なかば絶好宣言のあとは、アナルバイブを鳴らしてこないので、この状態はキープしたいと考えている。

 

 こう考えてみると、自分のコミュ能力の無さに我ながら呆れるな、と『九尾』は悲しく考える。

 なるほど、アンテナが低いワケだ。

 トボトボ廊下を歩いていると、行く手から長身の男を先頭に、男女の候補生を取り混ぜた一団がやってくる。

 

 ――げ、(ソゥード)組だ。

 

 先頭で風を切る長身の大学生こそ、龍ノ口の宿敵にして、南組チューター。

 ザハーロフ・ゾズタリェム・ゼレティウス。

 Zが3つならぶことから「トロワー()」とよぶ者もいるが、だいたいはもっと短く切りつめ、ゾッドとも呼ばれている。W/N(ウィング・ネーム)は『フェンリル』。

 ザハーロフは廊下の(すみ)に寄った『九尾』を見つけ、

 

「よぉ、(ゼミ)なし孤児がいるな。エセ一級候補生」

「……ご健勝で。サー」

「ヤツが居なくなって、北組(ノルド)は崩壊状態ってウワサだな?エェ?」

「さて、小翼には分かりかねますが」

 

 こいつ!とザハーロフは周りの取り巻きを見回し、

 

 「すっかり狡猾(ズル)くなりやがった。オレたちを受け流すつもりだぜ」

 

 龍ノ口とは異なったおもむきを持つ、凶悪なオーラ。

 頑丈そうなアゴが、ギクリとうごく。

 

 「ナメられたモンだな?南組も。え?」

 

 取り巻きたちの追従わらい。

 

 そのまま黙ってすれ違うかと思われた、一瞬、

 ザハーロフは、強烈なフックを、『九尾』の腹に叩き込んだ。

 腹筋に力を入れるのが遅れた彼は廊下の壁にフッとび、床に崩れおちて二、三度(えづ)きかける。

 

「ヤツに伝えときナ。いい加減ここに居着くのは、ヤメろってな」

 

 ()(ざわ)りだ、と言うや、顔をこわばらせた取り巻きたちを引きつれ、去ってゆく。

 まわりでこわごわ見ていた生徒たちも、不吉なものから逃れるように、三々五々、現場を散っていった。『九尾』だけが独り、腹をかかえ廊下にうずくまったまま残される。

 

 ――ちくしょう……。

 

 ヨロヨロと立ち上がると、通りすがりの生徒が、うしろめたげな目つきで、みな視線を逸らす。

 どうにかトイレまでたどりつき、二、三度吐いて、ようやくスッキリした。

 無条件反射で出たなみだを、ポケットのハンカチで拭き、口をゆすぐ。

 

 ――そっか、つぎの授業は、どうせ座学だしナ。

 

 これで完全に出席()る気をなくした。

 

 彼は、修錬校の増築予定となっている作業現場へとむかう。

 最近見つけたこの穴場は、独りになりたい時に絶好の場所だ。

 ナンでも工事を始めたはいいが予算が圧縮され、増築は無期延期となったらしい。

 入り口のバリケードをくぐり、監視センサーの死角をすり抜け、なかへ。

 建築資材がゴッタに集められている、ひとけのない空間。

 空調も生きていて、ありがたい。その片隅で、彼は手近な資材を都合(つごう)良く並べかえ、ゴロッと横になり目をとじる。

 

 ザハーロフの、鋼鉄のような笑み。

 

 最近は押さえの龍ノ口がいないせいで、やりたい放題らしい。

 “瑞雲”もオワりか、と『九尾』はハナでわらう。

 こうなっちゃ、ウワサを聞いて、新入生も入学(はい)っては来まい。

 と、なると、卒業生の格も堕ちることになる。

 なによりザハーロフそのものが、他校の回し者という風評も聞く。

 

 ――こりゃ本当に、将来の事を考えなくては。

 

 『山茶花』の メガネの奥の 瞳のきらめき。

 

 「もう私たち二年になるのよ……」

 

 やはり彼女は正しかった。

 ただし、もし――もし雲海行きを逃げられたら、のハナシだが。

 

 しかし、龍ノ口が謹慎ということは、RSOの望みが無くなったのだろうか。かりに雲海行きだとしても、どこかのヘンなオッサンと組まされるのは、いやだなぁ、と彼は切実に思う。

 

 (だからサ?こんどの週末、行こうよぉ)

 

 誰かが、工事現場に入ってきた。

 瓦礫(ガレキ)をあぶなっかしく踏み鳴らし、温風の排気口近くで座った気配。

 

 (えー、アブなくない?)

 (ダイジョウブだって。候補生の服ぬいで平服で行けば)

 

 ブロック材の梱包が積み上げられた陰から注意深く(のぞ)いてみると、女子候補生二人が手をつないで、お互いの制服を直し合っている。いや、よくみれば、直すフリをして触りあってるらしい。

 3組の『シモーヌ』と4組の『アドリーヌ』だ……。

 へぇ、と彼は短くわらう。

 あの二人、そんな仲だったとは。

 

 (美少年のキワどいショーが見られるってよ?)

 (うー。そりゃ……見てみたいけどサー)

 (じゃキまり。旧市街の奥まったトコロにあるお店だけど“メゾン・ドール”の近くだから分かりやすいよね。名前もニてるし)

 

 ――また人形。

 

 『九尾』は物陰で、そっともとの姿勢にもどると、手を頭のうしろに組み、作りかけの天井を見上げてウンザリ。

 共時性(シンクロニシティ)だかなんだか知らないが、最近すべてが暗喩(あんゆ)的だ。

 運命とやらを、本気で信じたくなる。まるでこの世界が、デキの悪いラノベのよう。

 

 ――あるいは“神の意志”とか?

 

どうあがいても、自分の雲海深部行きは決定で、殉職が“予約済みに”なっている、としたら。せめてそこに幾分かの自由意志が、裁量(さいりょう)が、存在してほしいものだが。

 

 運動場の方ではホイッスルの音と罵声が聞こえてくる。

 校庭では、バービー伍長が、体練の授業で男子候補生をサド的に締め上げて。

 そのくせ女子候補生は、学校付属のカフェで“お茶会”だと。テキトーに男子候補生を疲れさせる目的で、時間の終わりまでグランド周回を命じた後は、女子候補生たちのところに行くのだろう。最悪、次の犠牲者の品定めかもしれない。ほんッとうに自分のクラスの体練担当でなくて良かった、と彼は心底思う。

 

 ピチャペチャと、なにか舌なめずりをするような音がする。

 

 彼がふたたび体を起こしてみると、くだんの二人組が、イイことをしていた。

 

 

 気兼ねのいらぬ 彼女たち、馥郁(ふくいく)と、

 龍涎香(りゅうぜんこう)(かぐわ)しい、薄い寝間着を脱ぎ捨てる。

 妹が差し出して反り身になれば、

 姉は乳房に手を触れて、そっと口づけ、

 

 それから(ひざまず)き、修羅(しゅら)の振舞い

 狂気のように取り乱す。口はおちこむ

 金髪の黄金の下の灰色がかった影のなか。※

 

 

 ――あぁもう、いい加減にしてくれ……。

 

 ペチャペチャと“むつみごと”を間近に聞きながら、彼はこれからの事をズボンのなかでテントを張りつつ、一生懸命考えようとする。

 

 嬌声と吐息。そして“よがり声”が聞こえる中、ムダな努力では、あったが。

 

 ――いっそボクも、純粋に街で気晴らしするかぁ……。

 

 先日の夜、寝入る寸前に考えたことを思い出した。

 あのキャンギャルを脳裏に浮かべつつ、お金はどれだけ要るかなと胸算用をする……。

 

 

 




※ポール・ヴェルレーヌ
 「女友達」(1867)訳:窪田 般彌 より抜粋


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034:夜の冒険のこと、ならびに呼び込み女たちのこと(前

さぁ!いよいよ“やべ~パート”に突入です!


 週のなかばになっても、「除菌」といわれる校内システムのウィルスチェックは終わらなかった。

 安全面を考え、飛行教導はすべて中止。あとは体力のいらない座学とあれば、候補生たちは授業中、試験勉強の“内職”にはげむ。

 

 航界心理学の教官が、やる気のなさそうな声を生徒たちの頭上に素通りさせている最中、まえの席の『スメル烏賊(イカ)』は端末で簡単なアニメを作っているようだ。この頃すっかり疎遠(そえん)となったとなりの席の『牛丼』は、何かの面接マニュアル本らしきものを読んでいる。

 

 ――おぉ……目が真剣だ。

 

 『九尾』は、心ひそかに(うな)る。

 “亭主”候補生は、ここまで人を変えるのか、と。

 最近となりの席とは互いに妙な意地をはりあって、もはや言葉をかわすことすらなかった。

 敵意とも、羨望(せんぼう)とも、嫉妬(しっと)ともつかない視線が散発的に注がれるのがイヤさに、『九尾』のほうも極力、彼を見ないようにしている。

 

 その『九尾』はといえば、こちらはグッと(しな)(くだ)り、個人端末でキャンギャルからもらった名刺から、ガールズ・バーの相場とやらを検索しているしまつ。

 

 ――ピチピチなギャルが、お待ちしています……か。

 

 酒は脳細胞を死滅させると(オド)されているので、呑んだことがない。

 しかし、女の子と呑むマネくらいなら何とかなるだろうという目論見(もくろみ)で。

 どうせ雲海で()る命なら、一度ぐらい女の子とハメをはずしてみたい。

 

 周辺の地図をしらべるうち、『シモーヌ』と『アドリーヌ』が言っていた“メゾン・ドール”という超・高級レストランをみつけるが、それは“黄金(Maison)(d'or)”のコトで“人形”とは関係ないらしい。しかも、あの黒メガネ二人組と行った高層階のレストランは、その支店であることを発見して軽くおどろく。そしてメニューと値段をみて、二度ビックリ。こんな金額、領収書を切れるのだろうか。さすがに探査院。予算が潤沢(じゅんたく)と見える……。

 

「ふぇぇぇ……」

 

 思わず洩らしたタメ息に、『牛丼』が軽く反応してコチラをチラ見するが、すぐ面接本のほうにもどってゆく。

 どうあっても、自分の線引きは外さないらしい。

 こんなヤツだったとは――それならコッチからも願い下げだ。

 

 さて……今日は水曜日。

 

 つごうの悪いことに、週末は教導進捗(しんちょく)面談が入っていた。

 結果次第では、また落ち込んで、とても遊びに行く気分ではないだろう。

じゃぁ元気な今のうち、こんどこそキチンと用意して街にくりだすかと、不意に決心した『九尾』である。

 

 放課後、なにか話したげな教官を廊下でふり切り、いそいそと寮にもどると、

 

 まずシャワーを念入りに。

 そして、めったに使ったことのないコロン。

 時間をかけて髪型を整え、ドライヤーのあと整髪料。

 ミラとのデート・スタイルを変更し、カシミアの白マフラーを追加。

 街中にある「Fシステム」を避ける目的で、顔を隠すためのボルサリーノを。

 

 どうだ!と決めたつもりで、ネットのオークションで手に入れた十九世紀の姿見(すがたみ)の前に立つが、この老練かつ正直な銀幕は、出来損(できそこ)ないのチンピラもどきを(うつ)しただけだった。

 苦渋の表情(かお)を浮かべるチンピラ。

 角度を変え、ポーズを換えるが、印象は、変わらず。

 

 ――うぅん……まぁ、ヨシとしよう。

 

 カードや生体認証支払いは“足がつく”との端末の「風俗(ヤリ)ナビ」アドバイスから、リアル・マネーの換金場所をチェックして……。

 

 ――おっ、と。

 

 貞操帯用の、小さい方につかうアタッチメント。

 

 これがあれば、どこの公衆トイレでも、大丈夫。

 大のほうは、シャワーを浴びるまえに、木馬便器のエネマ・シリンジ・モードで完全にカラにしている。いきなり女性の音声警告で「腸内細菌が云々――」と言われた時はビックリしたが。

 

 貞操帯も、最近ではずいぶんと()れた。

 月曜に換装(かんそう)したばかりなので、つぎに“あの”校内女医に会うのは再来週でいい。

 

 時間を見はからい、知った顔に出会わないよう、非常階段を使って一階に下りると、裏口から外に出た。

 

 冒険の気配がする、エビデンス(証拠)不明の期待と予感。

 

 木々の(かお)る新鮮な夜気を深呼吸し、ふと夜空を見あげれば、三日月が、そんな気負った自分を見おろして、ニコと頬笑むような。

 

――よし!

 

 バスとリニア・トラム。それに地下鉄を乗り継ぎ、最寄りの駅へとむかう。

 あのときは図書館でのショックで何も考えず、足の向くまま気の向くまま、手あたり次第に交通機関を乗り継いだが、あらためて地図で見てみると、ずいぶん遠くまで来ていたんだなと自分の無鉄砲ぶりが少し怖くなる。

 (おのれ)のなかに、自身すらまだ知らない自分が居るような気配。

 

 地下鉄の入り口近くにある“チェンマネ屋”で、彼は生体認証からリアル・マネーを多めに換金した。札入れが、一気に分厚くなる。

 モーターの匂いが充満する、地下鉄のコンコース。

「節電月間」と標語のある、無味乾燥な駅ポスターが何枚も。

 遠くの闇で叫びをあげる、鉄条の響き。

 鉄の()けるような温風を吹き出す空調機……。

 

 勤め人が帰宅する流れとは進行が逆なので、乗り降りがラクだ。

 低くチャイムを鳴らし続ける自律清掃機も、のびのびと動いて。

 そんな中、目的の駅に降りると、浮浪者が二、三うずくまるタイル貼りのヒンヤリとした通路を抜け、A-36出口とある地下鉄のエスカレーターを登り出口に立った『九尾』の目には、しかし期待していた(にぎ)わいとはかけ離れた旧市街区の光景が映った。

 

 このまえの金曜とはちがう、どこかうら寂しい風景。

 

 ネオンも、車の通行量も同じなのだが、人の流れが、圧倒的にすくない。

 店先に出ている客引きの数もポツポツなら、店先を物色する人もチラホラ。

 なにより街全体に活気が感じられず、閑古鳥(かんこどり)(こえ)すら聞こえる気がする。

 高速道の高架が幾重にも錯綜(さくそう)する、さらにその頭上(うえ)を、道路管制用だろうか、飛行船がその図体にしては驚くほど静かに、夜空を(すべ)ってゆく。

 

 ――こりゃー失敗(ミス)ったかな?

 

 やっぱり金曜の夜にくれば良かったか、と『九尾』はマフラーの前をかき合わせ、はき慣れないウィング・チップの硬いソールを響かせて歩き出した。

 

 目の前に個人端末が3Dで浮かべるマップに案内され、右に曲がり、左に折れてゆくと、いつの間にか、路面の舗装(ほそう)は荒れ、両側を、建て増しを重ねる背の高い建物で(はさ)まれた、まるで谷底のような路地に入ってしまう。

 紙くずやタバコ・カートリッジ、あるいはコンドームの空き箱などが転がる、掃除のされていないビショビショな路面の水溜(みずたま)りに、割れたネオンの灯が、風に吹かれ、さざ波にゆらいで。

 

 ポツポツと行き交う人々も、うす汚れたジャンパーに野球帽やハンチングといった、公設競技場にたむろするギャンブル親父が目立つように。

 《ホルモン》と書かれた半ばやぶれ気味な赤提灯(あかちょうちん)や、ハンパな点灯をするLEDイルミネーション。壊れかけたプロジェクターが投影する3Dホロでは、有名ファッションモデルが、歪んだ微笑を歩く影のような通行人に送っている。

 

 ここ、旧市街は、建築基準法の適用範囲外となっていた。

 景観に配慮して建て増すのはいいが、壊すのはダメという土地がら、古い建屋に雰囲気を合わせた新規建築物が多く、そのカオス的な光景が、昼間は他象面観光客を呼ぶ場所となっている――と端末の説明。

 何とはなしに彼は、かつての愛機“奉天(ほうてん)”を思い出す。

 あれもツギハギだらけの、妙な機体だったが……。

 

 と、どうしたことか。

 そんなことを考えながら歩く『九尾』は、自分がいつのまにか、呼び込みするパンチパーマや、姐サンたちの、なま暖かい注目を浴びていること気づいた。

 いままで、「社長!社長!」とハッピ姿で呼び込みをかけていた角刈りの兄さんたちも、通り過ぎる彼には思わずニガ(わら)い、といった風。

 とうとう、ガマンできなくなったか、酒焼けをした初老の呼び込みが、

 

「お兄チャンどこ行くのぉ?イイ()いるよォ!」

「バカ、()しなよ。子供(コドモ)相手にサ」

「ブルブルブルっ、どこの華族サマかと思ったぜぇ」

(みち)ィ迷ったんだろ。このヘン分かりにくいし」

「ネェ!ボクぅ――精通した?」

 

 あとは、通りじゅうに響きわたる、下品な大爆笑。

 ほおを火照らせた『九尾』は、ムッとして、深めにかぶったソフト帽をとり、彼らを(にら)む。

 

 とたん。静まりかえる、場末の路地。

 

 いままで馬鹿笑いしていた海千山千な、脂ぎった薄ハゲな中年男や厚化粧のシワ女が、こんどはアングリと口をあけたまま。

 コレ幸いと『九尾』は足を早め、路地をあとにする。

 

 そんな彼のうしろ姿にヒソヒソと、

 

「なんなの?()()

「どっかから逃げて来た?それとも放流?」

「おとり捜査、かも?」

「ちげェねぇ、アンな“上玉”がコンなとこにくるけェ」

「うっかり手ェ出したら、トンだ大火傷(おおヤケド)だよォ」

「くわばらくわばら」

「おぃ、塩まいておきねェ」

(ナリ)が、いかにも似合ってなかったモンなぁ……」

 

 遠くなった最後の言葉を背中で聞いたとき、自身が持っていた服のセンスを全否定されたようで、彼は歩きながらガックリとくる。

 

 (――ナニよそのスーツ。ダサいわね……)

 

 してみると、ミラの――あの宮廷秘書官の言葉は、正しかったというワケか。

 この分野(ファッション)の勉強にも力を入れようと、この夜、何回目かの決意をする。

 

 魔窟のような湿っぽく饐えた匂いの充満する迷路状の路地を抜け、一気にきらびやかな表通りに出ると『九尾』はホッと歩みをゆるめた。

 

 あたりの光景は一転。空気は、磨かれたような雰囲気となる。

 

 呼び込みの男のスーツや、店先に立つチャイナドレス姿の照り輝き。

 一気に面目を刷新(さっしん)し、どれもこれもがキチンとした身なり。

 衣装に“破れ”や“ほつれ”がなく、髪には(くし)が通され、男のウェストコートにもブラシが当てられている気配が。

 

 【ロリっ仔の館】とかいう、しょーもないプラカードをもつ14~5と見える少女が、歩道のすみに佇んで道ゆく人に媚びた笑みを投げかけていた。

 「不思議の国のアリス」なコスプレをしたその少女を看て、すぐに『九尾』はピンとくる。

 

 ――成長抑制剤(クロノス)……。

 

 図書館で見た投薬の光景。

 クズな母親が娘の価値を高めようと、あるいは家出をして“ウリ”をするマセた〇〇生がスジ者からクスリを買い、服用した成れの果てとされるその“ニンフェット”も、着せられたコスチュームに色あせや破綻(ヤレ)はなく、しっかり管理された(ツヤ)やかさを魅せていた。

 そんな彼女から、こんどは自分にもチャンとティッシュが配られ、さらに『九尾』はホッとした気分になる。

 

 この世界――この夜。

 自分は“実際に存在している”という安心感……。

 



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034:             〃         (後

 『九尾』が、さらに周囲をよく観察すると、この界隈(かいわい)は通行人に豪奢(ごうしゃ)な毛皮をまとった女性をエスコートするカシミヤ・コートや、宮廷勤務服のマントが目立つ――ような。

 

 ――あぁ、そうか。 

 

 彼方にメゾン・ドールのきらびやかな建物がライトアップで見えた。

 ヨーロッパ事象面の古い造りを模した広壮な館で、ぐるりを高い鉄柵と庭園で囲まれている。テロ防止のため周囲はリニア・カーが乗り入れ禁止なので、みな手近なココいらで車を乗りすて、徒歩でレストランに向かうのだろう。

 

 しばらく歩くうちに、行く手から何やらスピーカーで一本調子で唱える声がする。

 

 歩みをゆるめ、通りしなに(うかが)うと、【神を畏れよ】というビラをベタベタ貼った軽自動車が道路わきに停まり、素人仕事で取り付けたようなルーフの拡声器で、

 

《今なら、あやうく――間に合います》

《いそいで(きびす)を――かえしなさい》

《地獄をみては――なりません》

快楽(けらく)(むさぼ)るものは――みな》

《ゲヘナの業火(ごうか)に――亡びます》

厳神(かみ)貴方(アナタ)を――ご覧です》

 

拡声器の調子がおかしくなったらしく、ハウリングで、(しば)し途絶える。

やがて、テープ録音なのか、全然関係の無いところから、

 

《ながき我が世の――夢覚めて》

《むくろの土に――返るとき》

《心のなやみ――終るとき》

《罪のほだしの――解くるとき》

《墓のあなたに――我魂(わがたま)を》

《導びく神の――御聲(みこえ)あり》

 

 軽自動車の窓はスモークとなっており、中は窺えない。

 光の加減か、暗いガラスに髑髏めく影。

 ギクリとするよりも早く、遠くからサイレンが近づいてきた。

 

(なげ)き、わづらひ――くるしみの》

雲海(うみ)にいのちの――舟うけて》

《夢にも泣くか――(チリ)の子よ……》※

 

 PC(パトカー)のドアが重々しくバタバタと開け閉めされたかと思うと、軽自動車の窓を叩き割らん勢いで警官たちがノックをし、この奇妙な街頭演説は尻切れトンボとなる……。

 

 (バカだなぁ、警戒区で街宣活動なんて)

 (“あの店”の周囲で、騒ぐなんてネェ……)

 

 路行く人々の、そんなヒソヒソ話。

 くだらない、と『九尾』は足をはやめ、点滅する横断歩道を渡る……。

 

 目指す店の近くまで来たとき、見覚えのあるプラカードを立てるキャンギャルが、水をキチンとまかれた石畳の歩道で所在なげに立っているのが見えた。

 しかし、同じ金髪なものの、ヘアスタイルと衣装(コスチューム)が違うので、おそるおそる近づくと――やっぱり別人。

 

 肉感的な、ムッチリとした肩と二の腕。

 そこに(きざ)まれた、スペードの刺青(いれずみ)

 同じように見えた金髪は、彼女の場合、赤銅がかっている。

 巻かれた首輪には、何かの電子デバイスが輝いて。

 

 横からの視線に気づいた彼女が、ふとふりむく。

 

「アラ、カワイイ殿方(とのかた)。ドウデス?いまカラ」

 

 あぁ、と『九尾』は(うめ)く。彼女も、やはり。

  

 蠱惑(こわく)的に見えるよう、肥大化(ひだいか)手術(オペ)された口唇(くちびる)

 夜の(ちまた)でも、どぎつく映えるための、グロスな赤がベットリと。

 身体の不自然なメリハリ。(おお)きな胸と尻にくらべ、ウエストの異様な細さ。

 成長抑制剤を使用する“ニンフェット”の見分け方もそうだが、図書館で観た女体改変手術の知識が、まさかこんなトコロで役立つとは。

 

「あのサ……いえ、あのデスね」

 

 自分でもギクシャクとした言い回しになってると思いつつ、

 

「エリアーヌさん、いません?」

 

 エリアーヌ?と、いかにも口淫奉仕が(たく)みそうな(くちびる)がうごく。

 

アン()トロワ()?――ドゥ()は、もうイナイね」

「えぇと――金髪で」

 

 彼の言葉に、ふいに彼女は手を打ち鳴らし、笑いくずれ、

 

「ウチのオ店、エリアーヌ。みんな金髪ネ」

「えぇと、これ」

 

 『九尾』は定期入れから、渡された名刺を出した。

 相手の顔が、ふと(くも)る。

 

「あのコ……他のお店イッタ」

「――そうなんだ」

 

 これでは“市場”のことも“人形”のことも訊けない。

 目の前のこの姉サンでは……相談するには、どうも信用が足らなさそう。 

 ガッカリとする『九尾』をなぐさめるように、

 

「でもアタシいるネ?アタシの方が――イイ(おんな)ヨ?」

 

 お店コナイ?クル?と、彼女は小首をかしげ、営業スマイル。

 どうしようかと考えていると、遠くからドミニぃーク!!と声がかかった。

 

ZUT(ちぇ)!イーサ!」

 

 やってきたのは、白いカクテル・ドレスにフェロモン満載な身体を包んだ、褐色な肌のホステスだった。黒く、ボリュームのあるソバージュが、エジプト遺跡の壁画を連想させる。サラの髪を黒く染めて商売女風にしたら、あるいはこのような。

 スレっからしな歩き方でブランド物のミュールを鳴らし、流暢(りゅうちょう)に、

 

「アブラ売ってんじゃないわよ!2Fでお客さまが……あら可愛い子ね?」

「ドゥのトモダチ、です」

「ドゥ?エリーの?へぇぇ。ねぇ、名前は?」

「……あの――『土鳩(どばと)』です」

 

 もの問いたげな美女二人の視線に、『九尾』がとっさにウソをついたのは、どういう風の吹き回しだったのだろうか。しかし、彼は姉御(アネご)二人が眉根(まゆね)に“?”と浮かべるのを感じて、

 

「ドバトです。鳩ですよ、ハト!」

「ハトォ?」

「あぁ、Pigeon(ハト)!」

「Pigeonネ!Pigeon、Pigeon、Mon pigeon(ワタシのはと)!」

 

 ドミニクと呼ばれたほうが、『九尾』をギュッと抱きしめる。

 その時、またしても遠くから声がかかった。

 カン高い、よく通る声音(こわね)で、

 

「ベッラ!ミイラ取りがミイラになって、ナニしてやがる!」

 

 三人が声の方を向くと、オールバックにサングラスの男が、金鎖を下げるベストのポケットに親指を引っかけ、こちらを見ていた。 

 男の下品なサングラスに見覚えがある。

 あの夜、エリアーヌさんを呼びつけたマネージャー。

 相手も、『九尾』の顔を見て思い出したらしい。険悪さを急に収めて、

 

「これはこれは――()()()()()()()()、いらっしゃい。お待ちしておりましたよ?あぁドミニク()()!2Fでお客様がお待ちだ。イサベラくん?ナニをしているのかねぇ、こんな寒空に坊ちゃんを()()()()させて」

 

 ドミニクが、一足先に店へともどってゆく。イサベラと呼ばれた方は、さりげなく『九尾』の腰に手をまわし、彼を店へとさそう風。その手が尻にまで延びたとき、驚きで腕が一度震えるのが、彼には分かった。

 

「おどろいた!あなた、ほんとうに候補生なのね?」

「ええ。いちおうは、そうです」

「三級?――それとも、もう二級になった?」

「一級です。いちおう」

「素敵!」

 

 彼女はそう言うや、

 

「マネージャー!このコ、一級候補生ですってよ?」

 

 近づいた二人に、オールバックの顔が、満足そうにうなづく。

 

「だろうと思いましたよ。オーラがちがうもの。どうぞヨロシク。このチンケな店でケチなマネージャー営ってる、イツホク・モシェルってモンです。」

 

 ささ、お早く中へ、と『九尾』は、まるで店に(から)め取られるように、中へと吸い込まれる。

 

「この世の()さをロストさせるには、うってつけの当店ですテ」

 

 ――――――――――

 

「旧市街区でロストしただと?」

 

 モニター室は、異常な緊張に充たされていた。

 蒼い光が充ちる中、いつもの二人を、長身のスーツ姿が二人組が難詰(なんきつ)している。

 あきらかに『当局』の鋭角的な雰囲気を発散する彼等を前に、さすがの監視役も萎縮(いしゅく)ぎみとなって。シャツをまくった腕に入れ墨のある大柄なデブは、それでも不満気にソッポを向いている。痩せた小男の方は、キョトキョトと落ち着かない。

 

「ちゃんと見張っていたんだろうな!」

「“ツェッペリン(飛行船)”で、上空からトレースは、してたんでサ」

 

 入れ墨のある男が、ふてくされたように。

 

「そしたら、反応が急に希薄(きはく)化して。市街区に入ってから、チョット目標は不鮮明になッてたんスが」

「Fシステムや、Wシステムの解析は!」

「あのへん、有名人のカップルが“路チュー”するってンで、切られている場所(トコ)、多くて」

 

 おぃ、冗談じゃないぞとスーツのもう一人が口をはさみ、

 

「このコトが上層に知れてみろ!どうな――葉巻はヤメろ!」

 

 マッチに手を伸ばそうとした入れ墨の男を一喝(いっかつ)する。

 

 ――――――――――

 

 一喝されたミニスカ・メイド姿の少女は、マネージャーの睨みにおびえつつ、銀ブチ眼鏡の奥からオズオズとした視線と仕草で『九尾』に紅茶を差し出した。

 バニーガールのような手首のカフス下に()()()()()がチラリと。

 動きがギコチないのは、ひょっとしてメイド・ドレスの下に、図書館で見た少女がされていたような“仕掛け”が全身に巡らされているのかもしれない。

 

 彼女は『九尾』の視線に気付くと、ぎこちない笑みを浮かべる。

 

 首輪に(いまし)められる(ノド)が、こくりとひとつ。うごいて。

 次いで、ささやくような小さな声が、

 

「……どうぞ」

「わざわざありがとう」

「スンませんねぇ『土鳩』閣下、まだこの()ァ、入店(はい)ッたばッかしナンで」

「いえ――カワイイ子で、嬉しいです」

「聞いたか!御礼は!」

「は、ハイ!だんなサマ。愛香(あいか)は、うッ、うれしゅうございます」

 

 いかにも華奢(きゃしゃ)そうな、父性本能をくすぐりそうな少女。

 フリルで飾られる、多分にえぐられたドレスの胸元。

 シルクか、サテン製だろうか。黒地全体に部屋の灯りを受け、光沢が(はし)る。

 そしてヒールが驚くほど高い、革製のキツ目なショート・ブーツ。

 彼女が深々と、ヘッド・ドレスが飾るショートヘアーな頭を下げたとき、少女にしては大きすぎるその胸の谷間に、トカゲのようなものが。

 

 『九尾』の脳裏に、図書館の悪夢がよみがえる。

 

 しかしこの娘の胸は、作り物にしてはいかにも自然だった。

 黒革のウェスト・ニッパーは、そんな少女の胴を残酷に締めあげ、レースの小さなエプロンが、それを形ばかりに隠している。

 短めの黒いスカートから、ガーター付きなパール(真珠色)の白タイツをはかされた脚。

 スカートの奥から、彼女が身動きをするたび、リリ、リリと鈴の音が。それに少しばかり上気したような顔の赤さ。

 

 

 暖房が効いたこの部屋は、なるほど少しばかり汗ばむほどだが、少女がこんなきわどい格好する理由には、少々力不足だ……。

 

 




※土井晩翠の「希望」を一箇所変えました:海→雲海(うみ)


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035:愛香のこと、ならびに彼女の献身のこと【18禁版】

 表通りの貧相(ヒンソー)な店の構え――例えれば場末のスナックのような――からは、ちょっと想像できない贅沢な客間の造り。

 サテン・ドールというこの店には、不思議な雰囲気が満ちていた。

 

 アンティーク家具を広めの空間に配し、マントルピース(暖炉)に火は赤々と燃えて。

 頭上のシャンデリアや紫檀(したん)と見える飾り棚。

 ここにきて初めて『九尾』は、支払いのことが少しばかり心配になった。

 

 ――でも、アンティーク家具を並べた「ぼったくりカフェ」なんて……聞いたことないしナァ。

 

「ところで……」

 

 と、マネージャーは、客人席の横に置かれるチェスタフィールド風のロング・ソファに腰かけると、中指に大きな印形(いんぎょう)(ハマ)る指輪をはめた右手でサングラスをズラし、上目(づか)いに、

 

「『土鳩(どばと)』閣下は――なンで、こんな街区(とこ)に?」

「とくに……意味はありません。一種の視察です」

「視察、ねぇ?」

 

 鼻で(ワラ)いつつ、あからさまに「感心しませんな」という口ぶりで、

 

「ココいらへんは、オモテはチッとばかり見栄(みば)えァいいが、ウラはロクなモンじゃありやせんゼ。お前サンの――いえ失礼――閣下のような方が、なんの援護もなくフラフラ出歩いたんじゃ、鴨ネギどころか、火薬に雷酸水銀ですテ?おっと、言い訳ご無用。バックアップが無いのは、確認済みですぜ」

 

 追従(ついしょう)侮蔑(ぶべつ)を半々にした、(イヤ)しい笑み。

 顔の陰影が、その印象に拍車をかけて。

 

「……そんなに怖いところなんですか?ボクはまだ部局に入って間もないもので。自分でコネとテリトリーを作ってこいと上司から……」

 

 ため息をつき、首をふってイツホクマネージャーは立ち上がると、『九尾』の背後で紅茶のお変わりとケーキを準備する愛香のそばに立つ。

 ハッと、彼女が息を呑む気配。

 やがて中年男は手をこすりあわせ、さ、行けと愛香に指示を出す。

 

 『九尾』は――見た。

 

 十八世紀作とみられるアンティークの小さな写真立てが鏡となり、その中でイツホクが指輪の印形(いんぎょう)をずらし、空洞から、愛香が用意したミントンのティーポットに、何か粉状のものを混入させるのを。

 礼服のブーツに仕込まれたナイフが恋しい。なるほど、こんな場合に使うのか。

 

 心が……。

 透明な湖に()らす(おもり)のように(シン)、と落ちついてゆく。

 この応接間のすべて。

 一挙手一投足すべてが、手に取るように。

 

 なんて事だ、と彼は思う。

 このピンチを(たの)しんでいる自分が居る。

 そして、そんな自分を傍観(ぼうかん)している、自分。

 心持ちが、妙に喧嘩(ケンカ)っ早くなって、ワクワクする気配……。 

 己の存在が二つに遊離してしまい、どこか気持ちの焦点が(うしな)われて。

 

 チリチリと鈴の音が背後から近づき、やがて前に回りこむと、愛香が、すこし震えながらポットと、トリオのセットにしたカップを載せる盆を(ささ)げ、彼の前に。

 

 その時だった。

 

 さて――と『九尾』が行動をおこすよりはやく、彼女は毛足の長い絨毯(じゅうたん)にヒールでもからませたものか、不意によろけるとトレイの物を全部床に落とし、カップやポットをことごとく粉砕して、紅茶をあらかた絨毯に吸わせてしまう。

 

 神経を引っかくような無残な破壊音。

 

「アイカ!――手ン()ェ!」

 

 イツホクの平手打ちが飛んだ。

 はずみで彼女は応接間の床にたおれ、ネコ脚のイギリス風な棚の角に、ヘッド・ドレスで飾られた小さな頭を打ちつけて、うぅん、と昏倒(こんとう)する。

 大またびらきに倒れこんだため、短めな黒のスカートがピラリとめくれ、少女の一番大切な部分を室内灯のアンティークな色のもとにさらけ出した。

 

 『九尾』は目を疑った。

 

 ガーター付きの白い光沢ストッキングで包まれた、その根もと。

 無情(むじょう)にも、可憐(かれん)な前と後ろの孔をドス黒い張り型で(つらぬ)かれた姿。

 錠前のついた黒革のハーネスが、ガッチリとそれら淫具の脱落を許さない。

 

 押し割られた双の小淫唇に穿(うが)たれた(ピアス)。そこに付けられたふたつの鈴が、彼女の歩みにつれてチリチリと鳴っていたカラクリを、彼は目の当たりにする。

 

 アナル・ブリーチされたピンク色の肛門。

 秘部にくい込むハーネース越し。恥丘に刻まれた“カラスアゲハ”の刺青(いれずみ)……。

 鍛え上げられた動体視力が“ラッキースケベ”といわんばかりのワンシーンを彼の脳裏(のうり)に刻み付けた。

 

 イツホクは、彼女の首輪に下がる手環(しゅかん)を手荒に扱って少女を引き起こすと、拳をかため、振り上げた。『九尾』は自動的に(おのれ)の体がイツホクの背後からグイとその腕をつかみ、自分でも信じられない力で、マネージャーを投げ飛ばすのを筋肉の痛みとともに“傍観”した。

 中年男の胴体が優雅(ゆうが)に宙を舞い、ロココ風な鏡台を修復が難しいほど粉砕する。

 

()ッてぇ……くそ。あぁッ!ルイ王朝の年代物を!そんなぁ……」

「へぇ……じゃ、その指輪も、年代モノなのかい?」

 

 『九尾』の口が勝手に動き、ギロリとイツホクを(ニラ)む。

 

 ――あ……まただ。

 

 自分ではない自分。

 それがこの女衒(ぜげん)を、殺さんばかりな目つきで。

 マントルピースの上に、大ぶりな銀製の七本腕燭台(メノーラー)がある。

 あれで(なぐ)ってもイイな……そんなことを考えながら。

 

「へ……へ、へへ」

 

 イツホクは下卑(げび)(わら)いを浮かべ、フラフラ立ち上がると、飾り棚の引き出しを開け、(ふる)い拳銃を取り出した。

 ただし――狙いはつけず、これみよがしにひけらかして。

 とりあえずマウントは取ったから、お互いのため、これ以上メンドウなコトはヤめましょうや?という意思表示。

 

「ッカしいと思ったんだよナ。アンタみたいなヤツが、ノコノコこんなトコに“アホ面”サラして出てくるわけがねぇ……オレもヤキが回ったモンだぜ。三課か?」

「……宮廷官房のモンじゃないよ。かといって、外事課でもない」

 

 図書館で見た単語が、口から出まかせにスルスルと口をついて出た。

 イツホクは、冷酷そうなうすい唇を(……ヤベェ)とゆがめ、

 

「内局?アァ……「本院」の始末屋か。お前ェいくつだ?」

「“クロノス”は使ってない」

「へぇぇ……その(トシ)で、ねェ」

 

 てぇしたもんだ、と余裕をかまし中型拳銃を尻ポケットに突っ込むと、

 

「仕切りなおしと、いきましょうヤ?」

 

 彼は、粉砕された鏡台を忌々(いまいま)しげに一瞥(いちべつ)してから飾り棚のガラス戸に近づいて、アブサン、それにグラスとスプーンを2セット取り出しテーブルにならべ、たおれた愛香の頭を、チャーチとみえるストレート・チップな爪先で、かるく突ついて起こす。

 

「……ヤめなよ」

 

「なに、ダイジョブですっテ。これぐらいの女餓鬼(メスがき)ァ、こんなもんで丁度イイんでさァ――おぃ起きろ!この若いダンナと呑むんだ、用意しねェか!」

 

 愛香はノロノロ起きあがると、目をパチクリさせた。『九尾』はすかさず立ち上がり、彼女を抱きおこすと、サラサラの黒髪をナデナデする。

 やはり。タンコブになってるじゃないか。

 

「痛かったね――だいじょうぶ?」

 

 へっ!とイツホクがくちびるを歪める。

 ほっときなせェよ、という様に。

 

 彼女は少しばかりまぶしそうにもういちど瞬きると、応接間の空気を瞬時に読み、ホッとした顔。『九尾』を見上げてひとつ(うなづ)き、そしてあわててまくれ上がったスカートをなおす。ズレたメガネを押し上げ、フラフラしながら立ち上がるとアブサンの準備を。

 

 コースターの上に立てたグラス。

 そこに渡したスプーンの上に、角砂糖。

 

 部屋がすこし暗くなる。

 

 イツホクも、『九尾』の対面に座ると、愛香の手で点けられた角砂糖の上で燃える炎に、()っと見入る。

 やがて尻の具合が気になるのか、もぞもぞと身体を動かし、無造作な風を装って拳銃をテーブルに放った。

 

「で。ウチの実入りは……ナンです?」

 

 微妙な一拍。

 『九尾』は旧式の量子コンピュータ並みに頭を働かせ、

 

「少なくとも、宮廷秘書官とのパイプ、とか」

 

 そう――少なくともウソは言っていない。

 

「そいつァ豪気だ!」

 

 相手の興奮をよそに、『九尾』はさりげなく卓の上にあった拳銃を取る。

 イツホクが、ハッと緊張。

 彼は炎に透かし、MOD.83 CAL.9という刻印が目立つ、中型の自動拳銃を診た。

 

 ――なんだろう……心が落ち着く。

 

 というか、長年慣れ親しんだ相棒に出会ったような。

 手が勝手に動き、薬室(チャンバー)からカートリッジを排出すると、弾倉(マガジン)を抜く。

 用心鉄を(トリガー・ガード)引き下げてフレームからスライドを外し、手()れた調子で、分解。

 

 バレルの状態を確認しつつ『九尾』の口がまたも勝手に、

 

前科(まえ)がある銃?」

「まさか。交換もできないんじゃ、そのたンびに捨ててまさァ」

「ふぅン……」

 

 すばやく組み立て、もと通りにすると、すこしひねくり回した挙句、名残惜しげに(テーブル)にもどすと、イツホクのほうに滑らせて。

 イツホクは肩をすくめる。

 こちらも余裕をかまして、押し返された銃を強いて取ろうとはせず、

 

「で――閣下は、ナニを……」

 

 ノックの音がして、ドアが勢いよく開けられた。

 

コマンジュ(隊長)――」

 

 いかにも用心棒風味な、ガタイのいい外象人がスッと入ってきて、『九尾』に会釈するとイツホクの耳に何事かささやく。しばらく聞くと、こちらもロシア語らしき言葉で、口早に子音を並べたシラブルを(ささ)くや、(テーブル)の拳銃を取り、

 

「閣下、野暮(ヤボ)用が出来ましたンで、チョイとばかし席をハズしまさァ――愛香!閣下を()()()()()だ!ワかってンな?」

 

 ザムノォーイ(ついてこい)、と用心棒に首をふり、二人は出て行く。

 

 雰囲気のある客間に、『九尾』と二人。

 残された愛香は、すこし恥じらいながら彼をソファーのほうにいざなう。

 幅広な本革のソファに座ると、彼女はオズオズとヒザの上に乗ってきた。

 

 『九尾』の首に腕をまわし。ギュッとする。

 

 女の子の、やわらかく甘い匂い。

 ありがたいことに、しつこい香水の臭いはしない。

 彼のももに、愛香が銜えさせられたディルドーの尻部があたる。

 自分もアヌスにズップリと銜え込まされている『九尾』は “立場の違う” 奴隷が二人、こうして抱き合っていることに、みょうな興奮を覚えてしまう。

 

 彼女の小さな頭を()でたとき、先ほど家具にぶつけたタンこぶを探り当てた。可哀想に、と腕をのばし、サイドテーブルにあった冷たいおしぼりを、ビニール・パックのまま、ソッと彼女の後頭部に押しあてる。

 そのまましばらくジッとしていた二人だが、やがて彼女が『九尾』の頭を抱いていた腕をはなし、不思議そうに、

 

「シないのですか――?」

「するって?ナニを?」

 

 いえ。と彼女はうつむき、

 

「こんなワタシじゃ、ごふまんですよね」

「なに言って。キミは十分カワイイさ」

 

 じっさい、初めて女の子を抱きしめた心臓はバクバクとうごき、願わくばこの動揺が彼女に悟られ、主導権を握られないようにと願うばかりであったが。

 

 何気ない仕草で、愛香は先ほど手荒く扱われた幅広な首輪の具合をなおす。

 胸に彫られたトカゲが、肉感的に、ゆれて。

 

「可哀想に……痛くなかった?」

 

 『九尾』が胸の谷にやさしく触れると、なにを思ったか、彼女はメイド服のアッパーに並ぶボタンを次々と外すや前をくつろげ、肩から滑りおとして上半身の裸体(はだか)を少年にさらした。

 

「ご覧――下さい」

 

 あらためて()ても、その印象は変わらない。

 

 おそらく彼女も豊胸処置されたのだろう。

 ただしシリコンなどではなく、長期の女性ホルモン投与で。

 

 乳輪と乳首に穿たれた大ぶりなピアス。

 そのわきの、和彫(わぼ)りとみえる極彩色の蜥蜴(とかげ)

 バイブとディルドーに気をつけて彼のひざのうえで身をよじると、背中に細かいムチの白っぽい(あと)が一面にあらわれる。

 

 たたみかけるように、彼女はポツリ、ポツリと、

 

「売られてから、ここに来て……いろんなコトがありました」

「……」

「いろんなことをさせられました」

「……」

(みだ)らな処置を受けて――イヤらしい身体にされて」

「……」

「そんなワタシでも、誇りと矜持(きょうじ)は、いまだ胸の内に秘めています」

「……」

貴方(アナタ)は……こんなところに来ては不可(イケ)ません」

「……」

 

 ついで彼女は、息吹で彼の耳をくすぐりながらの(ささや)き声で、

 

「先ほどのお言葉――当局の殺し屋(エージェント)なんて、ウソなのでしょう?」

 

 『九尾』のなかで逡巡(ためらい)が。

 まるで「気をつけろ!」と自分に一喝されたように。

 

 なるほど。監視モニターの可能性を、疑ぐってしかるべきだ。

 あるいは――()()()()()()

 

「確かに、殺し専門の部局(ブランチ)じゃない。でも当局の人間、というのは本当だがね」

 

 力のない、あきらめきったような彼女の笑み。

 

「やっぱり。こんなウブな殺し屋さんなんて――居ませんもの」

 

 ミントの香りとともにそういうや、愛香は『九尾』の手を取ると、ピアスが飾る己の豊かな胸に誘う。

 全身脱毛はされているものの、コーティングや、人形化などとは無縁な、自然な柔らかみとあたたかさが、手のひらにつたわって。

 

 ミラのオッパイに触れたときとは全然ちがう、なにか禁忌の手触り。

 あのとき、手のひらの真ん中をくすぐったのはウブで可憐(かれん)な乳首だったが、今回はホンモノ。奴隷である証として、ボッキ状態で乳輪ともどもピアスに(いましめ)められた、愛玩人形(ラブドール)の弩エロ乳首だァ!ァーァーァ……(エコー

 

 まて、と『九尾』は眉をひそめる。

 

 今の下品な印象派、どこから出た?

 ぜんぜん自分には無かったはずの知識だったが。

 それとも図書館の映像をみて、すこしオカしくなってしまったのだろうか。

 

「ん……」

 

 なよやかに彼女は身じろぎするや、そんな『九尾』の迷いを封じるようにキスをする。

 フェラ奴隷のルージュに染められたタラコ唇ではない。

 リップで軽く彩られた、清楚(せいそ)な、可憐(かれん)な、口づけ。

 そのまま(しばら)く、二人は石像化して動かぬまま。

 ミラとのキスなど比較にならぬ濃厚さで。

 

 しかし――何を思ったか、愛香は動きをとめると、やがて『九尾』の唇からほおを伝い、耳へと口元を移動させ、有るか無きかの囁き声で、

 

「お気をつけくださいね。あの紅茶を飲まされたら、アナタもメス奴隷にされていました」

 

 『九尾』も盗聴をおそれ、聞かれにくい低い声で、

 

「――やっぱり。さっきのは、ワザとだったんだね……()()奴隷?ボク男だよ?」

 

 えぇ、と彼女は火照(ほて)りの残った顔で一つ、『九尾』の首もとで(うなず)くと、

 

「この部屋で眠らされた何人もの男の子が、手術されて、豊満(おっき)すぎる乳房(オッパイ)にされたり、自身の細胞を培養され、そのうえ奉仕用に魔改造された“女の部分”を移植されて……」

「……」

(みだ)らな性技(わざ)を洗脳注入され、顔すらも変えられて。名前はおろか自己も()くしたあとは、厳重に梱包され、あちこちのお店に売られてゆきます。時には――他の事象面にすら」

「……」

「いまも、殿方やご婦人の欲求に応えるため、そんな少年たちが人形となり、お店の “備品” あつかいで、アチコチのフロアやショー・ウィンドウに立っています。わたし――あなたのそんな姿、見たくない」

 

 とうとう『九尾』はガマンしきれず、

 

「ここはどういう店なんだい?」

「マネージャーは“アンテナ・ショップ”といってました。ワタシも詳細は……」

 

 愛香の口ぶりに、『九尾』は違和感をおぼえる。

 

 彼女の雰囲気。

 それに加えて品の()面差(おもざ)し。

 

 単にそこいらのギャルが、ヴィトンやグッチ欲しさの挙句、安易に身を売ったすえ薬漬(ヤクづ)けにされて、転落したものとも思えない……。



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036:愛香の過去のこと、ならびに“思わぬ出会い”のこと【18禁版】

「アンテナ、ねぇ?なんの傾向(トレンド)を探るんだろう」

「“市場”の()(スジ)、でしょう、もちろん」

「――市場!?」

 

 『九尾』の驚きに、なにをいまさらと愛香は再び冷たいおしぼりを後頭部にあてて立ち上がると彼から距離をおき、(おのれ)の秘所に挿入される淫具が悪さをしないよう、チェスタフィールドのロング・ソファーに横向きな姿勢で座りなおす。それがいかにも退廃的でピタリと様になる姿なので、ますます『九尾』は瞠目(どうもく)して。

 

上流顧客の(エスタブリッシメント)好みは、最近変化をみせているそうです。ホンのすこし前までは、生育を薬で抑えた人工幼女(ニンフェット)でしたが、最近は男の娘(ギュノス)が、流行(はやり)(きざ)しを見せているとか。改変手術(ディート)をおこなうアンダー・メス(闇医者)が大繁盛らしいですよ?しかも――」

「男のコ?」

「えぇ。しかもイザークは――いえマネージャーは、放言してました」

 

 彼女は微妙に眉根(まゆね)をよせ、

 

「そこいらの庶民(クズ)を奴隷に()とすのでは、美学がなく高評価が得られないとか。言うも(けが)らわしいことですが“毛並み”が重要だそうです。高位の子弟を「メス墜ち」させることで、その『落差』が“()飼い”の高評価につながると」

「ウカイ?」

「え? “市場” での隠語ですが――ご存じない? “人形” をつかう側の。売人や、仲買人とはちがった格の存在で “人形師” のおとくい様ですのに」

 

 ヤバイ、と『九尾』はアセりつつ、話題をそらそうと、

 

「イツホク氏も“ウカイ”?なの」

 

 まさか、と彼女は寂しく唇をゆがめ、声をひそめて、

 

(あのひと)は、たんなる(やと)われ店長だそうです。ほんとうに怖い人たちは、背後(うしろ)に」

「コワい人たち?ヤクザとか」

「……」

「わかった、外象系のマフィアかチンピラだ」

 

 フッ、と()()()し、彼女の言葉がとぎれる。

 

 さらに情報を引き出そうと『九尾』は焦る。

 しかし。またしても、自分のなかで「待て!」の声が。

 疑わしげな愛香の目つき。相手の気配が硬くなるのが露骨にわかった。

 あまりにも粗雑(ざつ)すぎるだろ!と自分に叱責(しか)られ、(ののし)られた気分。

 状況を収拾!急いで改善しろと、胸の内でアセらされる。

 なにか無難なコトを……と『九尾』は知恵をしぼり、 

 

「じつは……ボクは“研修”の身でね」

「……」

「身体ひとつで、いろいろ体験してこいって言われてるのさ」

「……まぁ、そういうことにしておきましょうか」

 

 非道(ヒド)いなぁ、と『九尾』の言葉に彼女は冷ややかな真顔で、

 

「研修だとしたら――むいてませんわ?貴方(アナタ)

「う……そう?かな。やっぱり」

「この世には、ね。知らない方がいいコトがありますのよ?」

「ボクの教官は「経験値を高めろ、知識をさぐれ、そして自分で判断しろ」って、口うるさく言うんだ。それでなきゃ、いい界面翼(つばさ)は、認識力は、もてないって」

「知ってしまったら、後にはもどれない事だってたくさんあるんですのよ?心が(ケガ)されてしまったら、もう後戻りはできません」

「たとえば?」

 

 フゥ、とため息を一拍(いっぱく)ぶん。

 

「……困った方。見なくてもイイものを、わざわざご覧になりたがるなんて」

 

 ううぬ、と彼は心中うめく。

 

 この上品さ、言葉の緩急。

 なにより相手を()らさない応対。

 ひょっとして彼女も、成長抑制剤(クロノス)で創られた“ニンフェット”かもしれない。

 じつは、自分より年上で、けっこうな年齢だったり?だが、それにしては長期服用で出るとされる肌のゴム化やヨゴレなどがぜんぜん()えない。

 

「いったい、どうしてキミはこんなところに?」

 

 ツィ、と愛香はソファーから立ち上がった。

 そのまま優美な仕草で、チリチリと鈴をならしつつ壁際まで歩むと、応接間の窓を細めに開ける。

 冷たい夜気が蒸された頭に心地よく流れ込み、暖炉の炎に勢いを与えて。

 ふと、あの大聖堂の慰霊式が雪の光景とともによみがえる。

 色々なことがありすぎて、もうずいぶん昔のようだ。

 

「私は――」

 

 微妙な一呼吸をへて、彼女は言いよどむ。

 やがて、なにかを振り切ったように声の調子を落とし、

 

「むかしむかし、あるところに、ある華族(かぞく)がおりました。その一家は(ふる)い家柄で、権勢こそ無かったものの、それなりに周囲からは(した)われた家門でした……」

 

 九尾は黙って聞き入った。

 もちろんこの場合は、愛香の家門のことだろう。

 

「でも、一族を取り仕切っていた長老が身罷(みまか)ったとき、遺産の分配をめぐり、本家と分家。さらには分家同士のあいだで争いごとがおきました。それぞれが、味方に引き入れた人脈を背景に、裁判で優位に立とうとします。そのうち係争(あらそい)は泥仕合となり、むかしの贈賄(ぞうわい)や違法な事業を(あば)きあったすえ、多額の追徴課税と、すくなからずの逮捕者を出し、あらそいはこの一門の瓦解(がかい)をもって、おわりました」

 

「……ふぅん」

 

「一門にとって痛手だったのは、この一連の騒動が外象宮殿・日本政府、双方の枢要(すうよう)な人物たちから不興(ふきょう)を買ったことでした。彼等もまた、後ろ暗いことに手を染めており、この騒動で自分たちの所業の一端がマスコミ暴露されたことに対し、快く思わなかった方々が多かったのです。処罰として影に陽に、この一門は制裁を加えられ、分家の家々は離散(りさん)してゆきました。そして本家も――」

 

 不意に、彼女は声を詰まらせた。

 しばらくジッと、感情の波を堪え忍ぶようす。

 やがて耐え切ったか、もと通りの口ぶりで、

 

「本家も、所蔵していた書画骨董はもちろん、家屋敷まで余人の手にわたりましたが、なんとか家門は存続の見込みでした――しかし議会の要人で、派閥(はばつ)領袖(りょうしゅう)である他国系の帰化議員一人が、どうしても本家の取りつぶしに執着しました。自分の違法なカルテルが危機にさらされ、なおかつ自身の面子(ミャンツ)がつぶされたことに非常な怒りを抱いていたのです」

「……」

「ここで、宮殿の側からとりなし……というよりも、ハッキリとした警告が入りました。これ以上騒ぎを長引かせるようなら、しかるべき手段をとる――と」

 

 応接間の細めに開いた窓から、風に乗って遠くの喧噪(けんそう)が聞こえてきた。

 なにやら(ののし)り騒ぐような声も。

 繁華街のさわぎが、ここまで漏れ聞こえるらしい。

 愛香も、それに興を削がれたか、(ハナシ)を省略し、“巻き”に入ったようだ。

 

「その議員は地団駄ふんでくやしがったそうです。相応の代償をとらねば、野党のフィクサーとしての恥だ、名折れだと。そして、ついにその議員は……本家の子供たちに目をむけたのです」

 

「本家には――跡取りの男子が一人と、三人の姉妹がおりました。わたしが言うのもナンですが、姉妹は見目うるわしさで、周囲からは“本家の三花”と呼ばれていたそうです。その議員が言うには、ウチの組織に三姉妹を差しだせば、本家の取りつぶしは“断腸の思いで”(ホントにこうおっしゃいました)カンベンしてやる、と」

 

「跡取りさえのこれば、本家は救われると代替わりした当主は思ったのでしょう。三姉妹を“屋敷女中”(ハウスメイド)の名目で、議員の関係先である派遣会社の社長に、差し出しました。その会社のウラの顔が――“人形師”工房であることも知らずに」

 

 愛香は沈鬱に(もだ)した。

 しばらくは、言葉を探すように。

 表の騒ぎは、いつの間にか収まっている。

 ねばり気のある静けさが、応接間を支配した。

 時おり混じる、暖炉を通る風と、くべた(たきぎ)が爆ぜる音。

 

 それで?と、とうとうガマンしきれずに『九尾』は尋ねた。

 

「それで、どうなったんです?」

 

 それで?と愛香は怪訝(けげん)そうに、

 

「それでお(しま)いです。三姉妹は、それぞれメス奴隷として馴致(じゅんち)され、姉は完全な“人形(ドール)”に改変されました。後日、両親が、とあるパーティーに招待され、そこで姉の形をした、ビニールのような肌質(はだ)の人形が盛況な会場のなか、余興としてステージの中央で大型犬に後ろから突かれつつ、来賓(らいひん)(こび)と笑みを振りまき、ラブドールのようにO型に整形された口から(みだ)らな台詞(セリフ)を吐いて嬌声(あえぎごえ)を発していたそうです」

 

 まるで唾棄するような口ぶりで、愛香は言い捨てる。

 そしてうつろな目に自虐的な灯をともし、

 

「その夜、母は赤紙の貼られた屋敷の客間で首を吊り、父は病院で薬物依存症になりました――おそらく例の議員の息が、かかった病院だったのですね」

「……ほかの、ふたりは?」

「ひとりは、ひょっとして貴方(アナタ)もご存じかも知れません。末娘の方は“人形”のモデルとして、働いてるとか」

「よかった。モデルなら、まだしも――」

「ただし、頭部だけになって「着せ替え人形」ならぬ「すげ替え人形」として、いろいろなボディに装着(セット)されるんだそうです。もちろん、その後のお愉しみにも」

「……その畜生……なんて言う議員?」

 

 野党の――と愛香が口を開きかけたとき、鈴が細かく鳴り始めた。

 窓際で崩れおれる彼女を、『九尾』が素早く立ち上がって支えたとき、彼女の下腹部がバイブ音で震えているのが分かった。

 

「存じ――ません」

 

 辛うじて彼女がそう呟くと、鈴の音も()んだ。

 

 上気した顔に息を切らせ、ようやく彼女は呟いた。

 

「そして……跡継(あとつ)ぎとされた、唯一のこった男児も、いまはギュノスに改変され、どこかの屋敷で愛玩品の男の娘として、飼われているとか。いないとか」

 

 これですべてです、と彼女はピンヒールをフラつかせ、立ち上がる。

 

「この社会には、知らない方がいい世界もあるんです。もっとひどいハナシなんて、いくらでも知っていますし、この目で見てきました。貴方(アナタ)は――絶対に関わってはイケません」

 

 最後の言葉は低く、歯の隙間からささやくように、押し出された言葉だったが、ほかのどんな口調よりも凄味(スゴみ)があった。

 

 胸苦しさを覚えた『九尾』は高い(まど)を全開にして、二階のこの応接間から外の景色を見ようと、窓枠の取っ手に力をこめる。だが、横向きに細く開いた窓は、いまの角度からは開こうとしない。ガラス自体も磨りガラス状なので、窓の外は窺えなかった。まるで寮の部屋のように。

 

 ムリですよ、と愛香はそっけなく、

 

「使用人の脱出口にならないよう、あるいは侵入者の入り口にならぬよう、それだけしか開かないんです。ちなみにガラス本体も準防弾で、ちょっとやソッとじゃ割れませんから」

「おどろいたね、どうも」

「これぐらいで驚いていては――」

 

 ノックの音がして、マネージャーが応接間に入ってきた。

 乱れたオールバックを手櫛(てぐし)でなおし、拳銃をもとの飾り棚に放り込みながら、

 

「客人――あぁ、『土鳩』さん。チョイと来ちゃモラえませんかネェ」

「なんでしょう、イザークさま」

「オメーは、だァってろ……『土鳩』さん、階下でチョイとモメごとがありゃしてね?アンタに出張(でば)ってもらいてェんスが。その代わし、ココのお代は結構ですンで」

「……いいでしょう」

 

 あの、と不安げな表情《かお》の愛香を睨《ニラ》みつけて制し、マネージャーは『九尾』を廊下に連れ出した。

 

 グリーンの壁紙と緋色(ひいろ)の絨毯が印象的な、落ち着いた(たたず)まいの廊下を店の奥に向かい、だんだんと殺風景になる階段を地階まで降りてゆくと、行く手の部屋から怒鳴り声がする。

 やわらかい物が叩かれる音がして、不意に静かになった。

 チッ!とマネージャーのするどい舌打ち。

 歩み進めるほどに、いやな予感。

 両開きの大きな扉を開けた瞬間、広く殺風景なタイル張りの広間に、鉄(くさ)い血のにおいと、興奮した男たちの汗の気配。両腕を取られ、ガックリと床に膝を突く人物の背を中心にスーツ姿の男たちが取り囲む光景が、冴え冴えとした白灯のもと、『九尾』の目の前に展開された。

 

「『土鳩』閣下は、修錬校“瑞雲”の生徒サンでしょ?」

 

 イツホクは、いたぶられていた人物にツカツカと歩み寄り、グイと髪を(つか)んで持ち上げる。

 

「もしかしたらコイツに、心当たりがあるンんじゃ?と思ッて」

 

 やつれの目立つ、血にまみれた横顔。

 ハデに立ち回ったのか、来ているジャケットはボロボロだ。

 そしてなにより――ひしゃげ、折れ曲がった片手杖。

 

「……どうしたんです?コレ」

 

 目の前の光景が信じられない。

 打ちっぱなしのコンクリートとドラム缶、それにセメント袋が転がる空間。

 天井からはチェーン状のホイスト・クレーンがかかっている。

 よくみれば、コンクリートの壁面には赤サビ色をした手形や、飛沫(しぶき)の跡も

 震える声で、『九尾』は囁くように。

 対してマネージャーは、ナニね?とカルい調子で、

 

「ウチの三下が、女の子たちを道でスカウトしてたら、横からチョッカイ出して来やがって。なによりコイツも(ふて)ェ野郎で、ウチの若い()が4人ばかり病院送りに、ね」

「どうするんです……このヒト……」

 

 マネージャーは掴んでいた髪を手荒放し、ぐったりと目を閉じる青年の血まみれな顔を垂らす。傍らの男にロシア語で何ごとか話しかけると、その男も青あざの浮かぶ(ほお)をヒクつかせ、早口で返答するや青年の顔に、血混じりのタンを吐きかけた。

 

 マネージャーはひとつ、(うなづ)き、

 

「ま、それなりの対価をいただかなくちゃァ、ね。元気そうなヤツだし、腎臓(じんぞう)と肺をカタっぽずつ、それに角膜ぐらいで」

「そんな!」

 

 思わず『九尾』は叫ぶ。

 そんな彼の姿を見て(得たり)とこのユダヤ商人はニタリと、

 

「……でも、もし『土鳩(アンタ)』が何とかしてェ、ってンなら……?」

 

 ゴクリと『九尾』はノドを鳴らす。

 

「……どうしろと?」

「ナニ、そんな顔をせずとも。(ムズ)かしィこっちゃナイんです」

 

 店を預かるマネージャーは商売人の口ぶりで、最悪の事態を予想する少年にヤニ臭い身体を寄せると、ニヤけた表情(かお)つきで思わせぶりに、

 

()()()()()()()をして。店のために、ね」

「……」

「チョイと役立ってもらえりゃ――ネェ?」

 




さぁ、エロパートの始まりDEATH!


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037:いわくありげな店のこと、ならびに『九尾』→『成美』のこと【18禁版】

「アン!ドゥ!トロワ!キャトル!そこで!回って!脚を!上げて!」

 

 全身が、きしむ。

 緩急織り交ぜ、演じる

 “七つのヴェール”の三幕目。

 難易度の高い、アレグロ・パート。

 ダンス教師の手打ち拍子と指示が飛ぶ。

 もうフラフラで、ナニが何だかわからない。

 朝から叩き起こされ、すでに昼近くになっていた。

 しかし“脳教導”のおかげか、身体はリズミカルに、軽快に。

 

 ターン、ジャンプ!音楽に、合わせ。

 ポールに、からみ!愛欲(よく)に、()びて。

 ヴェール、投げて!(みだ)らに、蠱惑(こわく)に。

 

 指先まで、(おも)いをいきわたらせて。

 的確に――そして熱情(パッション)が、()ぜるように。

 精密無比(メカニカル)な動きと、煽情的な(ファッシネィション)柔らかさの対比

 天井の灯りが、動きに連れて目のまえを高速でよぎり。

 跳躍のたび、ローションを塗る肌がテラテラと。

 アヌスに挿入装着されたプラグ・テール。

 真珠(パール)のレオタードと、邪魔な首輪。

 時に、激しく。時に、柔和(にゅうわ)に。

 

「サンク!シス!セット!ユイット!目線!こっち!もっと!媚びて!」

 

 回転、回転!ジャンプ、回転!

 腕を、天に!笑みを、含んで!

 

 足に小さめな真珠色のトウ・シューズが、火花を散らす勢いで宙を翔ける。

 真珠のレギンスと、同じく二の腕まで延びた、同色の指なしグローブ。

 見えないヴェールをイメージさせるよう、繊細に演出して。

 

「ヌフ!ディス!オンズ!ドゥーズ!そこで!一転!雰囲気!険しく!」

「ハイ!ハイ!ハイ!ハイ!最後の!ターン!目力(めぢから)込めて!HALT(止まれ)!」

 

ゼェゼェと息をつきながら、練習用ステージの上で、ピタリと動きを止める。

イサドラが、馬手(みぎて)にした乗馬用ムチをヒュンヒュン鳴らしながら、ポーズをキめた“踊り子”に近づき、ステージに付けたバッテンのガムテープと、彼の立ち位置との差をさして、

 

()()()()位置と、五〇cmはチガっているじゃないか!――ナニやってるんだい『成美(ナルミ)』!」

 

 そう叫ぶや、ピシリ、シッポを生やした尻に、弱めの一発。

 あくまでも、店の“商品”に傷をつけぬよう、細かい配慮(はいりょ)

 メイド姿の愛香が、チリチリ、いそいそと、タオルにスポドリを持ってくる。

 ここはイツホクの店 “サテン・ドール(Satin d'or)” の稽古場(スタジオ)

 

 かつて『九尾』と呼ばれた『成美』の局部には、もはや貞操帯が喰い込んでいない。

 代わりにプラグを「し」の字に介した尻尾が、尻上から延びている。つまり「し」の曲がった先にプラグがあり、まっすぐな部分の上部に尻尾が付けられているので、見た目、生物学的な普通の位置に、尻尾が生えているよう。

 

「そんなぁ……キツィ……ですぅ」

 

 若いクセに寝言いってンじゃないよ!と、またピシャリ。

 

 愛香が、タオルで優しくひたいから身体へと汗をぬぐってくれる。

『成美』は「有難う」をいう余裕もなく、渡されたスポドリのボトルを、ストローからノドを鳴らして呑んだ。それを愛香がニコニコと、いとおしそうに、また嬉しそうに汗をやさしく払う。

 

「コン、なピチピチの肌してるクセに、さ!?」

 

 乗馬ムチの平たい先端が、『成美』の頬をなでる。

 すると頬をふくらませ、愛香がそのムチを邪険に払いのけた。

 ヒクリ、とイサドラのこめかみが痙攣し、ギロリ!彼女をねめつける。

 

「しばらく体練――やってなかったから」

 

 『成美』は言い訳しつつ、ゾッとする。

 あきらかに、身体が衰えてる。呼吸(イキ)がアガるのが、早い。

 いや、この弱りかたは異常だ――なんで?

 

「まだ三番目のヴェールだよ?金曜(あした)のステージまでに、完璧にしなきゃダメなのに!」

「どーよ、やってるゥ?」

 

 そのとき店長のイツホクが、数人のスーツ姿の老人を従えて、ドヤドヤと稽古場(スタジオ)に入ってきた。

 

 「おぉ……ホンモノだ!」

 

 ネイビー地に金の太いストライプという、三流芸人でも着ないような下品なスーツを着た一人が、上ずった声をあげて。

 老紳士たち一団の眼の色が変わり、気の(はや)い者は手を震わせ歩み寄る。

 一人などはスーツの胸ポケットから出した3Dと『九尾』を見比べ、

 

「実物のほうが、さらに数段カワイイじゃないか!ダレだこのカメラマンは!(クビ)にしたまえ!馘に!」

 

 写真(3D)には心当たりがあった。

 

 もう一週間以上も前になる。

 イツホクの子飼いたちとストリート・ファイトした挙句、店の虎箱(独房)に入れられた龍ノ口をネタに言うことを聞かされ、その夜スタジオまで連れて行かれた『九尾』は、セットの中で全裸をふくめ、色々(みだ)らなコスプレをさせられ、その姿を3Dに撮られたのだ。 

 

「これで、お前ェの半分はウチのものだな?」

 

 イツホクは撮影が終わったあと、機材を撤収するスタッフたちの混雑をよそに『九尾』に向かい、もはや「お前ェ」呼ばわりで粘着質な(わら)いを浮かべたものである。

 

「何かあったら……この3Dをバラまくよ?」

 

 最後にローマの少年奴隷風な衣装を着せられた『九尾』は、悔しくて声も出ない。

 ハメられた純金の首輪の具合を直しながら、ふくれっ面をする。

 

 ――まったく!龍ノ口(あのひと)がコンナ街区(トコ)を飲み歩かなきゃ、こんなに面倒なことには……ッ!

 

 その夜から、なかば店の丁稚奉公(でっちぼうこう)となり、ダンスや接待の作法を教わるハメになった彼だった。いまは週末に舞台でデビュー予定のため、特訓の真っ最中である。

 

「イザーック、イイのひろったなぁ!どこで引っかけた?」

「大事にしなきゃダメだぞぉコレ。ここには勿体(もったい)ないよ」

「ウチの医者、紹介しようか?いいスタッフそろえてやる」 

「このコの“童子蛋”※を作りたいね!10歳は若返るぞ!」

「きみぃ、まァた罪作りな艶姿(すがた)してからに……名前は?」

 

 ピン・ストライプのとなりの、ダブルのブレザーを着る白髪な人物。

 一見、品の良さそうなその老人が、『九尾』に額の汗をふいていた愛香の手からタオルを引ったくると、じきじきに彼の身体をふく。そしてそのタオルを自分の顔に当ててスーハーすると目をとじ……きわめて恍惚(こうこつ)とした笑み。

 

 ――おぇぇぇぇぇぇぇ!

 

 と、思いつつも “踊り子” は、レオタードの食い込みと、シッポの具合をなおしながら、営業スマイル。

 

「え、と……『成美』ですぅ」

「ナルミちゃんかぁ――イイ名前だねぇ」

 

 彼の“源氏名”は、愛香の妹の名に由来していた。

 そのためか、彼女は『成美』、『成美』、と口繁(くちしげ)く。

 まるでそう呼びかけるのが、嬉しいように。

 源氏名を決めるとき、『エリザベス』だ『ジルベール』だと、いろいろな候補があったが、イツホクやイザベラ、ドミニクが提示した案を拒否し、結局、愛香が出した『成美』に決まったのは、たしか昔の海軍大将に同じような字面(じづら)の人がいたな、という理由だけで。

 

 ――子曰ク、君子ハ人ノ美ヲ成ス、人ノ悪ヲ成サズ、云々……。

 

「イジィー、今晩この()、貸してくれたまえ」

 

 一団のなかで一人、とくに位が高いと思われる老人が、

 

「えぇッ……?ムーランの店長(ダンナ)、そんなァ」

「カタぃコト言わないだろうね?こないだ運河に一人沈めたの、不問に付すぞ」

「……作法も、まだ叩ッ込ンでないのにで御座いやすかィ?それにこの子は金曜にメーゾン・ドール本店でデビュー予定なんでさ。いま仕込みの真っ最中で……」

「ちょっと顔出しして、店のハクつけてくれればイイ。レンタルの(ゼニ)は、はずむよ?」

 

 ゼニ、ときいて、イツホクの顔はしまりがなくなる。

 

「へへ、どうも。「(ワメ)きの厳」の兄キにも、よろしくお伝えしてくんなせェ」

「夕方、むかえに来るよ?――約束だよ?()い先短い爺ィの、後生だからネ!」

 

 そう言って、スーツの一団は、さいごに『成美』とツーショット写真を撮って、満足げに稽古場を後にしていった。

 イサドラは、茶系のコンサバな服装で包んだ豊かな身体をブルっとふるわせ、

 

 (フン、ヒヒ爺ィどもが。しまりの無いシワ面しやがって!) 

 (ンなコトよりイーサ、どうなんだ?『成美(コイツ)』のデキは)

 (どこで拾ったのヨ?こんな上玉……オマケにキミ悪いわ。覚えが異様で)

 (もと一級候補生だゼぇ?当然だろが!)

 (ナンか、ウラあるんじゃナイの?ヤバいって……コンなの!)

 (オレにもやっと運が向いてきたってコトさ。みてろ?宮殿の――)

 (――()ッ!)

 

 あの、と『成美』は、コトコトとトゥ・シューズを鳴らして(けわ)しい顔で二人に近づき、イツホクの方を問いつめる。

 

「運河に一人沈めた――って。なんのことです?」

「あ?あぁ、こっちもイロイロ商売があってな」

「まさか!あの修錬校の!」

「チガうって!」

 

 イツホクは大あわてで腕をふった。

 

「ヤツならチャンと市大病院送りにして返したって!運河に沈めたのは、暴行致傷おこした、ただのチンピラよ。自殺した娘サンの遺族から依頼あってナ?どうせ裁判で「責任能力が無ェ」とかで無罪になるなら……ってな具合」

 

 ふぅ、と踊り子の姿の彼は、力をぬく。

 

「なら――イイです」

「そんなコトより、よォ?」

 

 イツホクは、レオタードに包まれた『成美(かれ)』の身体をジロジロと、

 

「ホントに、修錬校(ガッコ)の方はイイんだな?あとンなって尻ィ、もちこまれンのは否だぜ?」

 

 『成美』は自分の股間をなでた。

 女性の恥丘を模した、タイトなサポーター。スリット(たて割れ)のある局部。

 しかし、いつでも普通のトイレに行ける。排泄管理も、されていない。

 貞操帯で拘束されていないことが、これほどスッキリするなんて。

 

 ――骨休めに一、ニ週間、修錬校を無断で休んでも構わないだろ。なにか言われたら「イジめられて登校がイヤになり、雲隠れしてました」と誤魔化せばイイ。

 

 ガラにない悪知恵をはたらかせ、あえて自分を納得させる。

 

 ――なにより特殊雲海探査作戦機の操縦者(メイン)だ。ちょっとぐらいハメ外したって、黙認せざるをえないハズ。

 

 彼は、自暴自棄(やけくそ)(わら)いを浮かべた。

 

 図書館で見た風景。市場。ドール。肉体改変。メス奴隷。

 あれほど嫌悪した情報の、その真っ只中に自分がいるという。

 このクソな世界の、なんという皮肉と嫌味。

 ご都合主義なイタズラ。

 

 ――それに……ココが居心地いいようなら、もう雲海探査ともおサラバだ。

 

 最悪、航界士なんて、もう知ったことかと考えつつふと現実にかえり、

 

「ぎゃくに――ボクがココに居るって、分からないですよね?」

「そりゃぁ、もう。位置情報システムのついたC・ベルト(貞操帯)は捨てたし、この辺の個人照合システムは殺してる。それに居場所がバレたとしても、どうにもならないぜ?」

「と言うと……」

「こっちにャ強力なバックがあるんだから」

「外象系のマフィアでしょ?アテにならないな」

「バカ言え」

 

 マネージャーは鼻をならし、趣味の悪いネクタイを目立たせふんぞりかえると、

 

「そんなナマやさしい規模(モン)じゃねェよ。警察(イヌ)すら、ココには手がだせねぇ。だから(はかど)るんだなぁ商売が……」

 

 『成美』は、先日訪れたおそろしいほどの設備を抱える無名店を思いだす。

 それは、まるで映画のセットだった。

 あれだけのアンティークに、外象から移築したような建屋。

 なるほど背後には底知れぬ財力がにおう。

 泊まっているホテルも、ロイヤルスィートという待遇(たいぐう)

 店からすこし離れた場所にあるこの稽古場だって、なかなかの設備。

 

「しッかし、お前ェのC・ベルト(貞操帯)。外すのエレぇ苦労したナァ。闇医者に相当ボられたぜ」

「そうなんですか?」

「おうよ。お前ェは一級でも、かなり特殊な方なんだな。セキュリティ頑丈すぎ。なるほど秘書官云々のハナシも、納得できらァ……なァ?」

 

 イツホクのさりげない念押しに、

 

「わかりましたよ……そのへんは、大丈夫です。ちゃんと“(つな)ぎ”つけますから」

「タノんだぜ?現場が、宮殿側ともパイプもてりゃ、本店のウスノロ事務屋にも、デカい顔させねェ」

 

 オヤジ臭いオーデコロンのニオイを振りまきつつ、ニッカリと。

 しかし『成美』は、ピンとくる。

 いまのイツホクの言葉。

 

 ――宮殿側“とも”……?

 

 と、いうことは。まさかこの店舗系列のバックは――日本国政府側?

 あるいは、愛香の家系を滅ぼしたような、派閥を持つ野党議員?

 わからない。

 この社会って、いったいどういう――。

 

「で、だ。今夜のあのジジィの店に行く段取りなんだが……」

 

 それから『成美』は、愛香を連れて去ったマネージャーの命令で、ダンス教師のイサドラに、引き続きたっぷりと“奉仕者”マナーの教育を受ける。

 

お昼になった。

仕出しのシャケ弁当を食べながらも、イサドラの教育は続く。

なにせ、金曜の本番まで時間がない。話題は、テーブルマナーと、ホテルで毎晩マッサージをされながら受ける “奉仕者” 用の思考誘導教育の話となる。

 

「ほら、ゴハンこぼしてる。お箸の使い方、ヘタねぇ。おウチでちゃんと習わなかった?」

「……ボク、両親から体よく追い払われたんで」

「そうなの?まぁイイけど。でもホラ。エラい人と会食するとき、テーブルマナーがなってないと、一段低く見られちゃうわよ?いっしょに居る人にも恥かかせちゃうし。アタシなら、絶対ユルせない……死ねッて思うわ」

 

 『成美』は、スープを啜っていた黒メガネ二人組を思い出す。

 給仕に白眼視され、周りの客の失笑を買っていた

 

 ――なるほど。あれは……イヤだ。

 

「ホテルでの教育も、いよいよ第二段階だから。せいぜい頑張るのね」

「あの思考誘導教育って、なんか受けたあと頭クラクラするんで、ヤなんですよね。いつも午前中のレッスンに影響でます。一晩中、なんかモヤモヤして」

「まぁ、一種の洗脳だしね」

「洗脳……」

 

 イサドラはフッと唇をゆがめるや、イツホクがいたときとはガラッと雰囲気をかえ、

 

「えぇ、そう。クラクラするのはアタマが強制的に異物知識を注入されて、情報を自分に同化させようと必死になっているからよ」

 

 流暢な日本語で、このアメリカ事象面の姉御はそういうや、

 

「じっさい、もう『成美(アンタ)』も洗脳されちゃってるかもネ。そのうち……オッパイつけられて、培養(ばいよう)子宮を入れられて。ステキに馴致されて、飼い主さまの赤ちゃん、産みたくなるかも」

 

 シャケ弁当と教導用モニターの載るテーブルごしに “ニッコリ” と画に描いたような微笑。

 『成美』はなせか()ッとする。

 あくまで――あくまで、そこはかとなく、なにかそのウラに憎しみを。理由のない純粋な敵意を()ぎ取った、ような。

 

「なにか、身体の調子が変わったこととか、ナぁイ?」

「え……」

「肌がキメ細かくなったとか……おしりが大きくなったとか……」

「とくに大丈夫だとは、思いますけ――」

 

 組織、ってのはね?とイサドラは、まるでそれを聞かなかったかのように、

 

「どんなトコでも、思わぬところから、崩壊が始まるモノよ……千丈の(つつみ)螻蟻(アリ)の穴を以て(つい)ゆ。そんな言葉があってね」

韓非子(かんぴし)ですね――たしか喩老(ゆろう)篇」

 

 サラリと返した『成美』のセリフに、イサドラの眉がヒクつく。

 

「やっぱり。アンタ……いったい何者なの?」

「なにものって。ただの見習いですよ。宮廷秘書官の。自分の()()()でコネをさぐってこいって言われてます。個人的な情報源を開拓しろって。それで評価が決まるとか」

 

 『成美』の意図しない滑らかさで、自然と言葉が流れ出る。

 

 ――なんだ、これ?口が勝手に……。

 

 しかし「ウソね」と、イサドラは一蹴し、

 

「アンタのW/N(ウィング・ネーム)、たしか『土鳩(どばと)』だっわよ、ねぇ?」

「え、えぇ。まぁ」

「アタシの情報たぐったんだけど……そのコ、今年の前半に殉職(じゅんしょく)してるって」

「……」

 

 黙りこむ相手にイサドラは腕組みをして( やはり )という表情(かお)

 そして不意に、ねぇ?と、してやったりな笑みを浮かべ、

 

「女モノのレオタード着ることに、まえから拒否感はなかった?かわいく()びてみせることに違和感は?そのネイルの趣味はホントにアナタのものなのかしら。その蝶ネクタイ型の首輪。それにイヤリング。アナタ進んで身に付けていたわよネ。それに……そのお弁当、美味しい?」

 

 シャケの皮が、まるで紙を食べている感触に。

そんな、バカな。

 

「オシリでもう感じちゃってるんでショ?尿道のほうはどうだった?――そう、図星なのね」

「ボクは!そんなヘンなこと、してません」

「あらソウ?でもダメ。あなたの身体には、もう“メス奴隷”の魂が、いやらしい心根が、染み込まされちゃってるモノ」

 

 妖しげな目つきで、翠の瞳から避けようもない威圧感を浴びせられつつ、

 

「――ねぇ。貞操帯、って言ってごらんなさいな」

「え?」

「ホラ。はやく。貞操帯よ?てーそーたい♪」

 

 ナニを言ってるのか、と『成美』は、

 

「てっ……」

 

 でない。

 

「て、ヘぇッ!」

 

 まるで、のどの奥でブレーキがかかったように。

 戸惑った息だけが、かすれた具合で口から()れ出てゆく。。

 ね?とイサドラは、イイ気味だと言わんばかりに瞳を輝かせて。

 そして、(テーブル)に身を乗り出すや、上気した顔と、(にお)い立つような(おんな)の気配で、

 

「アナタの頭には、もうさいしょから拘束がかかってるの」

 

 うぅん。それだけじゃない、とこの(おんな)はさらに言いつのり、

 

「アナタの頭の中には、もうメス化本能が、刻まれてるの。前頭葉のなかに、細かい根がミッシリと張るようにして、もう戻れないのよ?あとは、あのヒヒ爺ィたちに奉仕するのを待つだけ。でも、それがもうイヤじゃなくなってる……いえ、むしろあの()ッさい萎びた()チンコをしゃぶりたくて、仕方なくなってるの。えぇ、そういう風にアナタのアタマの中を、いぢりまくってあげたもの。アナタが、あのホテルのロイヤル・スィートに泊まっている間中。浸透型の女性ホルモンも、おまけに」

 

 『成美』のアタマのなかで火花が(はし)って、なにも考えられない。

 まるで強力なブレーカーが作動して、躰の自由を奪っている感覚。

 胸が、熱い。下半身が――なぜかジンジンする。

 

「ホラ。ね?」

「ボクに、いったいなにを……」

 

 イサドラはガラッと口調をかえ、仁王立ちになると吐き捨てるように、

 

「だいたい、おかしいと思わなかったの?アンタみたいなガキが、あんなホテル手配されるだなんて。ドコまでオメでたいのサ。たかが候補生の走狗(いぬ)ふぜいが!」

「そんな、あれはイツホクさんが……」

 

 フフン、とイサドラは魅惑的な横顔に苛烈なものを浮かべ、

 

「ハッキリ言おうか?アンタがジャマなの。テキトーに女体化させて、売り飛ばしてやるわ。危険なのよアンタは。アタシにとっても、店にとってもねぇ!おしりのプラグに染み込ませた媚薬、どぉ?キモチいいでしょう。あなたは送迎の途中、誘拐(ゆうかい)されたことになるの。そう演出してあげる。全身換装か、再利用プラント堕ちがアンタにはお似合いだわ。首だけになって、フェラ奴隷になってみるぅ?心配しないで。その時は……アタシが買ってあげるわ。イザークは、モチロン怒るでしょうけど奴隷の誘拐や強奪なんて、この世界じゃよくあるハナシだし。アンタ、すぐ人気出そうだから無名な今のうちに芽を()んどかないと。それになによりこの店の系列は、アタシのパパが議決権をもつ大株主になってるのよ?スキ放題には、させない!――えぇ、させるもんですか!!」

 

 『成美』は立ち上がろうとするが、脚に力が入らない。

 イサドラは、そんな“彼女”のアゴをムチでシンネリとなぞり、

 

「この街じゃね、食べるものにも注意しなきゃ生きてけないんだよぉ?半人前のエージェントとはいえ、アンタみたいなガキが、ノコノコやってきてイイ場所じゃないんだ!」

 

 

 そういうや、聞き慣れない言語で何ごとかを叫ぶ。

 すると昨日の晩、先輩チューターをブチのめしていた格闘家クズれのような印象をもつ、ミリタリー・セーター姿の小柄だがガッチリとした男二人が、みょうに大きい電動車輪付きのコンバス・ケースをスタジオに運びこみ、イサドラに指示された場所で停めた。

 

 ダンス教師が、まるで『成美』に見せつけるとも思える、タイト・スカートをゆらしたモンローウォークでコンバス・ケースに歩み寄ると、そのジュラルミン製ケースの頑丈そうなサイド・ラッチを、優雅な手つきでバチン、バチンとひとつ、またひとつ外してゆき、二重のパッキンが目立つ胴体を『ご開帳~♪』とばかりにユルユルと開いた。

 

 なかは……M字状にしゃがむ人型に刳りぬかれており、黒いゴム張りの、その内側には様々な拘束用の仕掛けや、排泄(はいせつ)管理用の機器。あるいは洗脳用とみられるヘルメットやゴーグル。うちがわに男根の生えた呼吸マスクや、薬液パック・ホルダーにカテーテルなどがツヤツヤと照りかがやき、あわれな犠牲者を今やおそしと嘲笑(あざわら)うよう待ち受けていた。

 

「ここに入れられた子はね?アッという間に、マゾ人形の素体(ざいりょう)変貌(チエンジ)、というわけ。(コクーン)とも呼ばれてるわ……どぉ?素敵でしょう」

 

 この非常時に、『成美』のまぶたが、急に重くなる。

 全身が、(なまり)を縛りつけられたように、重く、ダルい。

 

「――どうしたの?もうおネムかしら……イイのよ?眼を覚ましたときは、可愛い姿になっているから。安心しておやすみなさい」

 

 男子を“(メス)”と強制的に変じる巨大な楽器ケース型の(おり)が、『成美』を取り込もうと貪欲に――そして無慈悲に覆いかぶさってきた……。

 

 

 




※童子蛋:(厳密には精通前の)少年のオシッコに漬け込んで作った「味付き卵」のコト。中国の食文化。


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038:「Oдержимость」のこと、ならびにコクーンのこと:A【18禁版】

 

「――へぇぇ、そう言う仕掛(しか)けかい」

 

 まさに混沌(こんとん)に墜ちようとした、その時。

『成美』は自分の口が、かってに動くのを、ボンヤリと感じた。

 

女衒(ぜげん)どもは相変わらず、か……タチわるいゼ」

 

 薬が効いているはずである『成美』の(からだ)がユラリ、立ち上がる。

 不敵な笑みを浮かべ、イサドラとその三下を、凜冽(つめたい)眼差(まなざ)しで。

 先ほどまでの“男の仔”っぽさや、あざとい雰囲気など、みじんもない。

 荒涼、あるいは冷酷な鋭利。または古参兵のような、(なた)を連想させる威圧感。

 イサドラ配下の脳筋な二人でさえ、なにか異様なモノと対峙(たいじ)する時の薄ら寒さを覚えるかのように、身体を緊張させるのが窺える。

 

「アンタ……誰だい」

「アンタ、だぁ?」

 

 イサドラの問いに、ヘッ、と『成美』は唇をまげ、レオタードの腰に手をあて、尊大に、

 

「クソ女衒(ぜげん)どもに名乗る名はネェよ」

 ハッ、と彼女が顔色を変える。

 

Oдержимост(憑依)ь!アンタ、まさか『浸透型・防衛自我』!なんてこと……年端(とし)もイかない、こんな自我(エゴ)も固まらない子に、なんて酷薄な!」

「ケッ!どの口がほざくか。ガキぃ、こねくり回し「人形」にするのが趣味な、三十路(みそじ)スギのHENTAI年増(としま)にゃ、言われたかねぇぜェェ」

 

 【年増】というアオり単語(ワード)にイサドラが反応した。

 傍目(はため)にもわかるほどのチックを引き起こしながら、

 

「言ったわね……アタシは少年たちを、最適解な姿態(すがた)にしてあげるだけよ!」

「よく言うわ悪趣味なブタが。聞いてあきれらァ」

シィーニ()?ジューチカ!」

 

 ダンス教師は、さりげなく乗馬用のムチを壁にかけ、かわりに、となりで輪にして下げていた、ロシア式の長い一本ムチを手に取ると、それを一旋。ヒュン、と空気を鳴らし、黒い触手のように延ばすと稽古場の床に打ちつける。

 

 スパァァン!と威勢(いせい)の良い音。

 

 たぶん、おぼえの悪いメス人形の素材を、ドヤしつけるためのモノだろう。

 次いで、うしろに控える脳筋風味な手下ふたりにツケツケと、

 

「イイから、こいつ、ハヤく格納しちゃいなさい!」

 

 後ろのゴツい顔は、困惑した面持ち。

 やがて、互いにうなずくと、『成美』に向かって襲いかかった。

 (ひらめ)くような、俊敏(しゅんびん)とした動きが、それに応じる。

 踊り子はイスをジューチカに向かって投げつけた。

 相手がひるんだ間髪をおかず、「青」に向かい、(テーブル)を片手支点とする、全身のバネを最高に効かせた華麗なる横蹴り。

 頑強そうなアゴを嫌って軌道修正したノドぼとけに、相手のガードより(はや)く、ワイズの細い特製トウ・シューズの爪先が、ピッケルのように突き刺さった。

 

「チッ!しかも戦闘タイプ!――なんて()!」

 

 イサドラが、歯の隙間から(ののし)る声。

 気道をツブされチアノーゼを出して、床で転げる相方に意識をうばわれ、スキの出たジューチカに、トウ・シューズは再度、汗を(キラ)めかせて宙に踊り全力をこめ、その片目を容赦なく蹴りぬく。イヤな飛沫(しぶき)とともに、おそらく水晶体が破裂する。

 着地したところに背後の殺気。

 素早く横転、きわどくその上を、ムチが風を切って()ぐ。

 

 ヘッ!♪

 

 殺伐(さつばつ)とした高揚感。

 破壊衝動の昂進(たかぶり)と、命を玩弄(もてあそ)ぶ、スリル。

 

 ――!……一瞬。

 

 積乱雲が林立する蒼空(そうくう)に、飛翔体(ミサイル)と航界機が乱舞する印象がよぎった、ような。

 紅蓮の炎を吹き、界面翼(つばさ)をもだえさせながら断末魔に堕ちてゆく数機。

 その背後には、潮汐力が心配になるほど大きく浮かぶ衛星が、ふたつ。

 セントラル・ピークが印象的な大クレーターをうかべて……。

 

 イサドラが繰りだす二撃目。

 長く延びたそれを、パール色した長手袋をはめる腕がつかむ。

 もう片方は、手近にあったバラの花束が刺さる鋳物製の大ぶりな花瓶をひっつかみ、姿勢チェック用にしつらえた壁一面の大鏡に向け投げつけた。

 

 耳に(さわ)る破壊音。

 ()()()を拡げて戦う少年の扇情的な姿が、バラと共に粉々(こなごな)と砕け散る。

 

 壺を投げつけた反動を使い、グイと一挙動で引き寄せたムチを、絶妙のタイミングで“フィッ”とゆるめるや、相手が姿勢を崩した瞬間を狙い、ムチをたるませる。それで相手の頭上に輪を作り、イサドラの首をグルン、と一巻き。

 ぐぇっ、ッ!と、ひきガエルのような肺の漏れ音。

 

「ハ!婆ァにゃ、お似合いの死にザマだぜ!」※

 

 そのまま一気にインパクトを当て、相手の首をへし折ろうとした刹那(せつな)

 スタジオの大扉を蹴り破り、チンピラ顔をしたスーツ姿の一群がドヤドヤと稽古場(スタジオ)になだれ込んできた。そのうちの一人が、みょうに熟練した一連の動きで、交感神経遮断(しゃだん)用のワイヤー銃をレオタードの尻に撃ちこむ。

『成美』の記憶は、そこで、とぎれた……。

 

 

 

 

 

 弾力性のある無音の闇の中で、『成美』は目覚める。

 

 せまい。蒸し暑い――ナニよりキツい。

 まるで専用の鋳型(いがた)の中にでも入れられたよう。

 

 身体がダルく、なにかフワフワして。

 身体はおろか、指すら動かせない。

 頭も、何かピッチリとしたもので覆われ、口はもちろん舌も動かしづらく。

 腕はどうやら背後で真っすぐ一本にまとめられ、足はM字開脚したような形で固定されているような。

 身動きしようにも、汗でヌラつくゴムめいた弾性が、すぐに体を押し戻す。

 

 ……アタマが。だんだんとはっきりしてきた。

 

 舌が動かせないのは、何か太いものをノド奥まで差し込まれているせいだ。

 両方の鼻にもφ()のあるチューブがいれられ、気管の奥まで入っている気配。

 眼球には、なにか大きめのコンタクトレンズのようなものが張り付いており、まばたきするたびに、違和感。

 

 下半身が、あつい。

 感覚がジワジワともどってくると、チンコが痛いほどボッキしており、貞操帯をハメられたときのようにカテーテルが入れられているのがわかる。しかも特段に太いらしく、アヌスに力をいれると前立腺のあたりがムズムズと甘痛(あまいた)い。

 

 そして、そのアヌス……。

 

 いつも挿入されるキノコ型をした排泄用プラグとはちがう、太さのそろった棒のようなものが挿入され、それが非常なゆるやかさで前後運動をしている感じ。

 きわめて微妙な、ふしぎな高揚(たかぶり)が自分の内をあぶりたてている。

 ()らされているような……(なぶ)られているような……。

 その感覚にタブー(禁忌)めいたものを感じた『成美』は、

 

 ――こんなことじゃ……!

 

 身をよじろうとするも、それすらむなしく。 

 

 耳もとでピッ、と電子音。

 聞こえるというより()()()()()()()ような鋭さで。

 

《アラ――おっきしたの?》

 

 同じく脳に沁み込むような調子で冷たい女の声。

 耳の奥までイヤフォンが差し込まれている気配。

 

《もうすこしで目的地だから。あとチョッと辛抱なさい》

(おごぉ……)

 

 『成美』は動かない口で、よわよわしく抗議する。

 

《不満そうね?でもダメ。手はじめに、あなたは可愛い男の()になるの……》

 

 ご覧なさい、と冷たい女の声がしたかと思うと、目の前に光景が展開される。

 

 簡易的な手術室のような場面。

 待ち受けるのは、スピード・スケートの選手のように、顔以外の全身を黒ラテックスめく光沢でおおった無表情な女性たち。

 同じく白いゴムのような前掛けをそろってつけており、ご丁寧にも頭には質感を等しくしたヘッド・ドレス。さらに口もとを防塵マスクで隠しているので、実質眼のまわりしか見えない。

 

 そこへ運ばれてくる、意識をうしなった少年。

 

(――オォ(ボク)!?)

 

 それから先は、シーンごとに進んだ。

 

・施術台に寝かされた彼は、女たちの慣れた手さばきで全身を丹念(たんねん)に再脱毛。

  あおむけにされ、うつぶせにされ、あるいはマンぐり返しのような姿勢で。

 

・ローションでテラテラな裸体の下半身を開き、タマタマの根元あたりに注射。

      たちまち彼自身が今まで見たこともないほどボッキするち○ちん。

 

・そこへ女たちのしなやかな指が、これまた極太のカテーテルを。

                 軟膏らしきモノをたっぷりとつけて挿入。

 

・処置が終わると施術台がモーターで形を変える。

          うつぶせにして無防備な腰高にされる『成美』のおしり。

 

・ふたりの女がカメラ目線、しかもふくみ笑いの目つきで。

            左右から尻たぶをゆるゆると引っぱり――“御開帳”。

 

・もうひとりが、凶悪な太さの「張り形」をカメラの視野に誇示した。

           S/W(スイッチ)を入れると、肉感的な自立運動をはじめる……。

 

 

へぁぁぁぁア(いやぁぁぁあ)……)

 

 力のこもらない『成美』の抗議。

 彼は思わず目を閉じる――だが、どうしたことか、まぶたが閉じられない。

 強制的に、つづくシーンを見せられる。ほほ笑みに細められる女たちの目。

 注射の効果か、自分の括約筋がゆるんでゆくのを彼は強制的に観せられて。 

 

 ・やがてアヌスの “*” に罪深(つみぶか)い黒紫色をした張り型の先っぽが、ペタペタ。

              まるでイタズラをするかのように当てられた。

 

 思わず『成美』は目をつぶる。

 しかし――ダメだ。画像は消えない。

 そこではじめて気が付いた。

 

 ――このコンタクトレンズ、眼球に直接はりつけるモニター!?

 

 ギュッと目をつぶると、双のまぶたにコンタクトからのびるコードが触れる。

 外したくても、首すら動かせない状態では……。

 

《見たくないの?――でもダメ。ホォら、おいしそうにお口をあけて……》

 

 

 ディルドォー、呑み込んでゆくわよォ……と女の声が、このたびは嗜虐(しぎゃく)的な笑いをふくむ。

 

 『成美』は“()()()()()”と呼ぶことを初めて知ったその模造(ダミー)チ〇ポが、自分のアソコをむりやりコジあけてゆくのを涙目でみつめる。やがて自分のアヌスがいかにも苦しげに口をあけ、一番太いカリ首をほおばったかと思うと、

 

 ズッ!ぬぬぬ……ぬぅぅぅゥゥ……。

 

 見たくなさに目をギュッとつぶっていても、物が見えるのはヘンな気もちだ。

 太い血管まで模したそのディルドーが自分のなかを犯し、侵入してゆくさまを、成すすべもなく見てなくてはならない。

 むらさき色にテカる革状の貞操帯が、そんな前後の責め具をグィと固着(バインド)して。

 

 ついで腕も、二の腕までの長い手袋をハメられると側面につけられたジッパーで一つにされてしまい、さらにその上から細長い三角形のような革製とみえる袋でおおわれ、ベルトで幾重にも偏執的に拘束された。

 

 場面が変わって、施術台のわきに対の形をした奇妙な箱が、よこづけとなる。

 どこかで見たような形。

 やがて画面のなかで頭を黒い革の装具に包まれ、M字開脚に固定された人影が、女たちによって簡易クレーンで、そのいびつな形をした箱のくぼみにピッタリと安置されてゆく。

 

 ――!これって……!

 

 いま明瞭(ハッキリ)と思い出した。

 イサドラに(しめ)されたコントラバス・ケース。

 

 ――それじゃ……いま自分が()るのは……。

 

 まっ暗な中、何とか身動きをと暴れるが、かえって疲労し酸欠でフラフラに。

 ケースの中に装備された調教・洗脳用のデバイス。それが刻々とじぶんの身体に作用し、女体化が進んでいるかと思うと焦るものの、どうにもならず最後は半泣きでグッタリとなる。

 

 映像は止まらない。

 

 『成美』が呆然とするうち、彼は箱の中の装置に次々とハーネースなどで固定され、幾本ものカテーテルが身体に刺されるのを目の当たりに。

 箱の内側にセットされた薬液パックのいくつかが拡大。

 

 ・【強力フェミショタン】

 ・【――男の娘化・そのまえに!――強制思考減退剤】

 

 そして……。

 

 ・【ヨガールアナル点滴静注液5mg】

 ・【マゾニナールA・経口洗脳液】

 

 最後の二つに覚えがあった。

 図書館で観た、口腔奉仕型(フェラ奴隷)の人形にされる少女が注入されていたクスリ。

 

 ――ミラのやつ!人形にされるのは脳死状態の女子候補生だといったじゃないか!なんで男子のボクがこんな目に……?

 

 図書館の少女たちと自分が二重写しになる。

 追い討ちをかけるように、画面がふたたび切り替わって。

 そして似たような境遇の少年が翻弄(ほんろう)される様々なシーンが次々と。

 

 マネキンがわりに表通りのショーウィンドーに立つ無表情な少年。

 女もののエッチな服を着せられ、ときおり下腹部にハメられた淫具の刺激に震え、路ゆく一般人の視線をチラチラと浴びつつ。

 

 場面転換。

 

 同一人物だろうか。

 時代錯誤なドレスを着た老嬢に、すっかりふくよかになった体をメイド・ドレスで包み、奉仕する情景。「失礼いたします」と元・少年は女声でひざまづき、18世紀風のドレスの中に身体をもぐりこませる。ややあって、老嬢のひくい、恍惚(こうこつ)的なむせびなき。

 

 また画面が変わる。

 

 ネグリジェ姿で長い髪を乱し、たわわなオッパイを揺らしながら、バーコードおやぢの()チンポを愛撫する女性の姿。

 

 そこにはもう少年の影はない。

 ただひたすら愛玩され、痴呆顔をして性をしゃぶる哀れなメス人形の(すがた)が在るだけとなって。

 

 あんな風にされるだなんて……。

 

 ――イヤだ!……イヤだ!……いやだ……。 




※イサドラ・ダンカンは1927年
 首に巻いたマフラーがオープン・カーの後輪に
 巻き込まれて惨死しました。この場合も名前が災いしたのですね。


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039:「Oдержимость」のこと、ならびにコクーンのこと:B【18禁版】

さぁ~ァ
どんどんやべ~パートになって行きます。


 『成美』の嫌悪などお構いなしに、映像は続く。

 

 画面がさきほどの『成美』格納シーンに切りかわり、箱の基部が映された。

 そこは小さなサスペンションがついた車輪状となって。

 奇妙なことに、車輪はギヤ仕掛けの工夫がされており、箱の内部の上下運動と連動するしくみが出来ていた。そこへ『成美』のアヌスをズップリと犯す、あの凶悪なディルドーの基部が貞操帯をはずされ、連結(ドッキング)

 

 アヌスの部分がアップ。

 

・箱底部の車輪がコロコロ動くたび、きわめて――きわめてゆっくり。

                    アヌスを犯す肉棒がヌラヌラと。

 

《どう?気持ちいい?》

あぁえぇ(やめてェ)あぁえぇ(やめてェ)あぁえぇ(やめてェ)!……あぇえぇ(やめてぇ)……)

《やめて?じゃキモチ好くなるようにおクスリをあげる。しゃぶっている棒を舌でくすぐりなさい。それぐらいの動きは、できるはずよ》

 

 チラッとイヤな記憶が浮かびかかる。だがしかし、おしりの圧迫から逃れたい一心で『成美』は押しつぶされて不自由な舌を、左右にすこしばかりレロレロと動かしつづけた。すると……。

 

 ドピュっ

 

 ディルドーがふるえ、練乳(れんにゅう)味の“痛み止め”が口のなかにユルユルとひろがり、ノド奥へと流れてゆく。屈辱感と引きかえに、お尻の苦しさがすこし減り、かわりに全身が熱くなって。

 

 頭も上気したようにボウッとして、思考がまとまらなくなってゆく。

 

 自分のこの状況。

 前にどこかで見たような気がするのだが。

 蒸し暑い生殺しの射精禁忌に全身を拘束された今となっては、とても。

 

 それよりも、もっといぢめてほしい。触ってほしい。

 何より――やさしく刺激的な愛撫がほしい。

 

 まだまだこんなもんじゃないわよ?と、熱っぽい心をあおる冷たい声。

 

 やがて箱は閉ざされ、チェロケースをふた周りほど大きくした形を取りもどし、バチン・バチン!とサイド・ラッチが無慈悲な音を立てて鎖される。

圧空(あっくう)!いれて!」と声が掛かり、シューッ!とケースの中に送気される。

 

《これで中にある内張りが膨張して、今のアナタをさらに拘束するワケ。そしてこれにはもう一つステキな仕掛けがあってね――良くって?》

 

 ピッ!とまたもや脳に響く電子音。

 

 すると膨張して全身を押し付けるゴムの内張りが要所で細かく振動を始めた。

 

《男の子のツボを刺激するように、こォんなコトも》

 

 微振動に混じり、弱い電気パルス。

 薬液の効果もあってか、敏感になった身体のアチコチを襲う。

 

 でも――足りない。

 胸の微振動(バイブ)がツラい。

 やさしく愛撫(サワサワ)してほしい

 誰かにモミしだいてほしい。

 

 イキそうになるとバイブがやみ、冷静になるとまた高められる。

 欲求次第に積み重なり、コップのふちをフルフルと震え、あふれそうに。

 と、今度はコップのふちを高くされたのか、いつまでもイクことが出来ない。

 

 “暗黒のイキ地獄”

      あるいは

         “冥い繭の快楽責め”か。

                それとも

                    “音のない淫乱欲求”

 

 

《おしりに力を入れて――そう。もっと肉棒(おチ○ポ)を味わって!》

(あひぃ……)

《ふふっ。()()()()()()()()()()()、教えてあげましょうか》

 

 パっ、と視界が(まぶ)しく。

 

 目の前を何百人もの人のズボンやスカート。そしてキャリアが行き交う。

 低い視点で見た、駅のコンコース……?

 待ち合わせ場所だろうか、制服のスカートにソックスといった女子の集団が近づいてきて、ケースを取り囲んだ。脚を組みかえたり、曲げのばししたり。

 

《どぅ?まさかすぐそばにあるコンバス・ケースの中に、イヤらしく拘束された男の子が入っていて、自分たちの脚を見ながら尿道やアヌスでオナニーしているだなんて、この()たちは気づかないでしょうねぇ……》

 

 おしりに入れられたディルドーが、振動だけでなく “ねじり” もくわえて。

 

(おぉォォォォォ……!)

 

《言ってあげましょうか?フタを一枚、へだてたところで、こぉンなイヤらしいことしてる、哀れなメス奴隷候補がいますよぉ、って》

 

 耳の中で音声が復活した。

 

「おネェさん、ずいぶんオッキい楽器!ダブル・ベース?」

「あら、(くわ)しいわね。そう、中で()()()()()()()()()()してるの。大事なモノだから運搬用にワンサイズ拡大してるのよ」

「さわってご覧なさい?」

 

 おそるおそるといった感じでケースが少女たちに触られる。

 するとおしりのバイブが大きくなって。

 「!!!」

 声にならない悲鳴は、少女たちの「スゴーイ」や「高価そー」という口々の歓声にかき消される。

 

 ひとりの生徒がコンバスケースのスレスレに近づいたとき、カメラが切り替えられ、スカートを下からのぞく位置に。

 シュミーズで囲まれた奥に、パンティ・ストッキング越しの青いショーツが。

 

「あっ……!」

 

 この機会を利用しようと『成美』はミジメにしゃがまされる姿勢をけんめいにヨジる。だが、これがワナだった。

 ピッ!と電子音がしたあと、尿道の奥、前立腺近くにパルスが(はし)って。

 

 近づいた少女の脚も驚いたように二、三歩離れる。

 視点が切り替わり、ケースのネック位置にあるカメラらしく、視点が高くなり少女の顔が、間近に。

 

「いまこれ!なにか動いた……」

「あぁ。このケース、モーターが付いているのよ」

 

 女の声がこともなげに、箱を前後させる。

 悪意をもった動き。緩急。強弱をつけて。

 

 ヌラヌラと、そのたびに『成美』のうしろを太いものが微動する。

 

(ひぐぅぅぅ……)

 

 アヌスを犯され悶える『成美』と30cm隔て、このちょっと美人なJK(女子高生)はコロコロと涼やかに笑い、

 

「なんだぁ、ビックリしたぁ」

「みなさん可愛いわねぇ……。そうだ、わたくしこの場所で、高踏派(こうとうは)のカルチャー・サロンを主催してるの。お茶くらいご馳走するわ?皆さんも是非一度きてくださいね?」

 

 そう言って、視野外から女の手が伸び、JKたちに名刺を配るのを見る……。

 もしかしたら――この()たちも、この女の毒牙に!

 

あぇぇぇぇぇ(ダメェェェェェ)ェェェェェェェ!)

《ウルサイわよ?》

 

 ヂリヂリヂリ!と乳首、アヌス、尿道に強めの電撃。

 

(あ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”!!!!!!!)

「――えっ?いまなんて?」

「うぅん、なんでもないの」

 

 JKの怪訝そうな声に、この女はシレッと答えて。

 

 ……どれくらい移動しただろうか。

 

 先ほどのコトもあってか、当たりがきびしいと感じる『成美』だった。

 尿道やアナル、そして乳首への微電流、さらには膨張してミッチリと全身を圧迫するラバーの内張から性感帯へバイブ攻撃といった器具による外からの責め。

 あるいは薬によって淫欲(モヤモヤ)に高められた内側からの嬲るような愛撫。

 

 最後は「メクラ板」仕様の黒いハイエースに乗せられ、しばらく走ったのちにゴトゴトと降ろされてしばらく運ばれる。ようやくケースが止まったところは、床が水回りを思わせるタイル張りとなった、どこか食肉処理場めいた場所。低い天井からチェーンのフックがいくつも下がる、陰鬱な気配のする広間だった。

 

 轟音を立ててエアが放出される気配。

 バチンバチン!!

 サイドラッチが乱雑に開かれる振動。

 

 コンバス・ケースが開けられたのか、ムレるような暑さが急激に引いてゆき、裸体には肌寒いほどの外気。

 

 『成美』の鼻腔を支配していたチューブが手荒く抜かれ、鼻の奥の痛みとともに、ムワッとするローションとゴム――そして薬液のにおい。

 気のせいか、そこに女の子の匂いが混じっている、ような。

 やがてそれが収まると、湿ったコンクリにまじってわずかに糞尿(ふんにょう)の気配。

 

 頭を(おお)っていた革の装具が取り除かれ、眼球に張りついていたモニターが慎重にはずされた。

 

 涙ににじむ目でパチクリ。

 すると、冷たい広間の壁際には同じようなコンバス・ケースがずらりと並んでいるにが見えた。なかには内側から叩かれるような音のするものまで。

 

 耳に接着されていたイヤホンがむしりとられると、コンバス・ケースの中の悲鳴や悶えがいっそうわかるように。

 

 空気の実在。それが現実感を()んで。

 

「ゾーロタ!シリブロォ!――あとをお願いね……」

 

 遠ざかるヒールの音を響かせ、女の声がそれを最後に消える。

 代わって、拘束されている『成美』の背後からボンデージ・スーツをまとった女ふたり組が目の前にあわられた。

 

 二十を少し過ぎたくらいだろうか。

 年齢のわりには、見事なプロポーション。

 そして何より目に付くのは、片方が(ゾーロタ)髪。もう片方が――(シリブロォ)髪。

 ともに冷ややかな灰色の眼で、彼を見下ろしている。

 

「あらあら。今度の素体(ざいりょう)は、お上品そうな()ですこと」

「どうでもイイよ。上品(ジョーヒン)だろうと下品(ゲヒン)だろうとサ?どーせそのうちマン汁たらしてよがり声あげるダケになンだから」

「気をつけて?この仔【特S指定】されてるの。こないだみたいに壊さないで」

「ちえぇ。この女顔さんざんいたぶって、(ケツ)アナで見境なくヨガりまくるマゾ豚にしてやろうと思ったのに」

 

 好き勝手なことをいいあってから、このふたりは『成美』のまえに、ヨイセ、ヨイセと姿見を持ってきた。

 

「ほぉら。マゾ奴隷・新入生なアンタのすがたを観てごらんな」

 

 大ぶりなコンバス・ケースのなかに拘束された自分のナマすがたを、彼は初めて目のあたりにする。

 

 ケースの漆黒な内張りを背景に、生白い少年の裸体(ハダカ)が幾重にもハーネースによって厳重に縛められた姿でヌメヌメと拘束されていた。

 

 大股びらきなM字にガッチリと固められた下半身。

 ツルツルにされたチンコはクスリの効果か、ハチ切れんばかりにみなぎり、しかも小指ほどのカテーテルで貫かれているのが痛々しい。

 

 アヌスにくわえ込まされた、凶悪といっていいほどの極太ディルドー。今この時も、ウネウネとかすかな円運動をして。

 

 首輪をつけられ、口にはやはり張り型らしきものをノドおくまでハメこまれる情けないすがた。腕は後ろでまとめられているので、まるで腕を切り落とされたようにも見える。

 

 あたかも奴隷化オペをひかえた少年が、チンポをしゃぶらされたまま、繭の中で性欲に(あぶ)られつつ涙目になっている図。

 

「あらあら。もの欲しそうな(カオ)しちゃって」

「ナマイキなガキには――オシオキだよッ!」

 

 ピン!と銀髪が『成美』の乳首をハジく。

 

「!!!!!!」

 

 声にならない悲鳴。

 ついにマグマが弾け、うんッ!ウンッ!ウン~~!と身を震わせて。

 太いカテーテルの中を白いものが移動する。

 

 カッ!と金髪がいきなり般若(はんにゃ)のようになり、

 

「シリブロォ!なにやってるの!ガマンさせなきゃ駄目じゃない!」

「はぁぃ……ちぇっ!みろ!アンタのせいで怒られたじゃないか!」

「ぐだぐだ言ってないで!はやく処置を済ませておしまいなさい!」

 

 へェい、と銀髪はふてくされ、視野の外に行って何かやりはじめた。

 やがて、金属が熱せられる臭い。

 金髪は『成美』の乳首の右側に、激痛とともに何かをつける。正面の鏡で彼が見てみると、リングがつけられ、そこに鑑札らしき札がさがった。

 

おォォぉぉ(あぁぁぁぁ)……)

「いいわねぇ。さすが特S級。たっぷり手間ヒマかけて仕上げてあげるからね?」

「サァできた!」

 

 背後から声がかかり、銀髪が陽炎のゆらめく長い鉄クシを手に戻ってきた。

 よく見ると先っぽに、真っ赤に()けた何かが刺さっている。

 ケースの背後に回った金髪の声が

 

「いい?タイミングを合わせなきゃだからね?」

「わかってらィ」

 

 舌なめずりせんばかりな銀髪の笑みが近づく。

 

あぇあ(それは)……?)

「アンタが奴隷であることを忘れないようにするための“焼き印”さ?」

 

 熱源がチ〇ポにちかづく感覚。

 それまでの欲求が一気にヒいた。

 冷や汗、というよりも衝撃で手足が冷たく。

 イヤイヤと首を振ろうにも、ケースの拘束が、それを許さない。

 

あんぁ(そんな)……あんぁぁ(そんなぁ)……)

「あらあら。でも泣いたってダメ。あなたはもうマゾ人形確定なんだから」

 

 銀髪が、揺らめく焼き印の先端を『成美』の顔に近づける。

 

「ほぉら……アツいのがイクわよぉ?」

(あええ!あええぇ!)

 

 ジュゥッ………つ!!

 

 焦げ臭いにおいをかぎながら、激痛に彼の視野は暗転する……。

 




注!
更新が滞っていたら
珍歩のヒをご覧下さい。

仕事が忙しい。
離職して海外放浪中。
人生に疲れた。

等の理由が記されていると想われます。


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040:Maison d'orのこと、ならびにビェルシカのこと

「いらっしゃいませ、ヴォロネツ閣下。

             これは、これは。今宵(こよい)もお美しい――初音(はつね)さま」

 

 年代物の逸品(いっぴん)ぞろいな什器が並ぶ、絢爛(けんらん)たるエントランス・ホール。

 金曜の夜とて、名にし負うメゾン(Maison )ドール(d'or)の豪勢な大シャンデリアが高みに連なった、二層窓を巡らす()色の大広間では、人いきれの中、おりしも一組の“いかにも”な男女を迎え入れたところだった。

 

 男の方は、五十路を優に越えているだろうか。しかし、背の曲がりなどとは縁のない、筋肉質と見える身体を宮廷勤務服に包み、陽に灼けたシワだらけの顔には、鷹のように炯々(けいけい)と輝く眼が。たいして連れ添う婦人は、高価そうなミンクのコートを羽織るものの、ようやく芳紀(よわい)二十(はたち)を数えたばかりと窺える。

 

「なにやら宮殿貴婦人の風格(ふう)すら、おまといになられたようですなァ」

 

 “ヴォロネツ閣下”は渋面をつくり、

 

「あかンわ、そない言うたら、コイツがまたつけあがるさかい」

「いえいえ、もう華族のお方かと、見間違えました」

「なんや、テオ。もう白内障か?眼医者ァ行った方が、ええで?」

 

 連れの婦人はキッ、と年配の連れ合いを一度、ニラむ。

 しかるのち出迎えの方を向き、きわめてニコやかに、

 

「うふふ。おだてても、ナニも出なくてよ?テオ。それより――」

 

 そこで、この店のファースト・コンシェルジュは、得たり、と満面の笑み。

 

「ははぁ。『成美』――ですか?」

 

 ひとつ、大きくうなずくと、 

 

「皆さん……おなじコト(おっしゃ)いますなァ」

「なんやて?競争相手(コンペチ)が、もう仰山(ギョーサン)おるンかい」

 

 ヴォロネツは、毛皮のコートに包まれた愛人を振り返るや、心底うんざりしたように静かな熱気を帯びはじめた店内を透かし(なが)め、

 

「ヒヒ爺ィどもは、節操(セッソー)ないのォ」

「蛇の道は――いえ、これはトンだ失礼を」

「ハ!えェて。いまさら取り(つくろ)うも、アホらし」

「ささ、こんなトコロで、お忙しいお身体を停めてちゃぁ、イケません。」

 

 テール・コートに一分の隙もなく固めた、地中海事象面出身の、この初老な男、テオ・パパディモスは、人をそらさぬ話術と笑顔を巧みにつかい、配下の者たちに来賓(きゃく)のコートを任せると、くるぶしまで埋まりそうな絨毯(じゅうたん)を踏んで、自ら連れ立ち、奥へと二人を招き入れる。

 

「シャンパンの銘柄はいつもので宜しいので?それと今宵(こよい)は先ず、まず東欧事象面産のキャビアを味わって頂きますぞ。ドナウ・デルタから特別便で手配したものです。初音さま、覚悟はよろしいですかな?※――ハッサン?アブドゥル!」

 

 店の構えは、あくまで謹厳実直(おおまじめ)

 “表向き”は紳士、淑女のための料理店であり、まちがっても拘束された少女のオブジェが飾られていたり、猥りがましい衣装をつけた半裸のウェイトレスが、トレイの上にシャンパンや海老のカクテルがのったトレイを捧げ、大卓の間を泳ぐ姿などは見られない。古風な店内の(きら)めきの下、かわってここで給仕(サーヴ)をするのは、一風変わった衣装をつけた、少年給仕たちだった。

 

《『成美(なるみ)』!》

 

 ネコ耳型のヘッドセットから司令が飛ぶ。

 

《「青鷺(あおさぎ)」の(テーブル)、男性客お二人に、牡蠣(かき)一ダース、それにサーモンのマリネ添え(大)。シャンパンは、ビンテージでなくていいそうだ。女性お二人には子豚肉のア・ラ・ザポローヂェ!追加でアーティチョークのサラダ。さっきみたく凝乳(スメタナ)を忘れるンじゃないぞ》

「はァい。あと「雷鳥」(らいちょう)卓のご老人が、ライム・ウォーターをご注文です」

 

 バニーガールのような、カラーと蝶ネクタイだけの首もとに仕込まれた喉頭(こうとう)マイクで管制塔(コントロール)(これが帳場の隠語だった)に返答。パレットを小脇に抱え通路をテール・ウォークしつつ、愛想笑いを振りまきながら『成美』はそう返答すると、先日、焼印を押されたはずのチ○ポ上部を、オシリの割れ目に食い込むピチピチな半ズボンごしにそっとおさえた。

 

《まぁた、あの渋ちんジジィか――スキに待たせとけ》

「えー。いいんですかぁ?」

 

『成美』は、ヘッドセットの具合をなおしながら、不満げに。

 

《ここは貧乏人には(エン)のない料理屋なんだよ!どッから(まぎ)れこんだんだか!》

 

 この店では、少年給仕たちの耳に、密閉型のヘッドセットが強制的に付けられている。来客の商談や密談などを盗み聞きできないよう、という配慮だ。

 唯一、客がオーダー用のボタンを押している間だけ、会話が聞き取れるしかけとなっていた。通常は精神鎮静用の静かな|室内楽が、ヘッドセットに流れているだけ。しかしどういう訳か、『成美』のヘッドセットの片方は頭上のネコ耳から集音マイクとなっており、いろいろな会話が、彼の耳に否応なく流れこんでくる……。

 

《だーかーら!それは提出書類をバック・デートさせて対応させると言ってるだろ!そんなに急がれても、最近は中央の官僚どもがコンプライアンス(法令順守)だ、ナンだ(うるさ)いんだよ!……黒塗りの書類を増やすなってな!》

 

《このまえ手に入れた“ウサギ”がODで(オーバー・ドーズ)死んぢゃってさぁ……買って大損、飼って大損。おまけに、最近は専門処理業者も高価いのね。アルカリで溶かすんだって。それに戸籍を抹消するのも一苦労だとか……》

 

《もっとあの企業の評判を落とせ!品質偽証でもなんでもいい!重箱の隅をつついてでもアラを探せ!身売りを余儀なくして、(やす)く我が祖国(くに)の手に落ち、技術を吸えるように!それがこの国の“社会の木鐸(マスコミ)”とやらの役目だろうが!》

 

 通奏低音のような(ささや)きと(ひび)き。

 暖められた食器がカチャカチャとふれあう陽気な気配。

 ときに抑えた(しの)(わら)い。

 秘めやかに、グラスの擦れ合う音。

 

 卓の周囲には、盗聴防止の設備が張られると言うが、このネコ耳だけは別らしい。いつのまにか免疫が出来たが、みな結構キワどいことを話している。

 資金洗浄。人身売買。贈収賄(ぞうしゅうわい)に、派閥(はばつ)天秤(てんびん)。売国行為に、犯罪の()み消し。

 こんな細工をするのはイツホクの差し金か?と思うが、すぐに彼は一蹴する。あの()っさいオーデコロンのヒンソーなオッサンが、こんなスゴい高級料理店に力を及ぼせるハズもない。

 

《『成美』!ナニしてる?「翡翠(かわせみ)」の(テーブル)にイエニ・ラキとロースト・ビーフ!まだ19時だぞ?しっかりしろ!マウ・レン(いそげ)!》

 

 ぴしッ!と尻に差し入れられたプラグ・テールから弱い電撃。

 

 メゾン・ドールの少年給仕たち。通称“ビェルシカ(リスっ子)”――尻が割れるほどピチピチの半ズボンから立ち上がるフサフサのシッポ、それに卓と卓を休みなく動き回る姿から、そう呼ばれている――には、階級があった。その小隊長ともいうべき存在が“サヴァ”で、いま『成美』にカツを入れたのも同い年の、その少年だ。

 

「痛ッ!……非道いなぁ」

《そのあとは、「五色鶸(ごしきひわ)」の卓でオーダーとってくれ。金曜(かきいれ)だ、気合い入れろ?》

 

 いそいで「青鷺」にまわり、客のイタズラを愛想笑いで受け流し、「雷鳥」のお爺さんに手を添えて水の入ったクリスタルのコップを渡して嬉しそうな顔をされ、「翡翠」でラキにミネラル・ウォーターを絶妙な割合で注ぐ。

 

 あちこちに、真珠とポケットチーフと金鎖。

 革の手袋にコルサージュ。ステッキと毛皮のマフ。

 煌めきと、囁き。微笑に、憐憫。苦渋や、哀惜。韜晦(とうかい)に、衒張(てらい)

 頭が呆ッとなるような、高級品の怒濤(どとう)と、(いわ)くありげに交錯する視線。

 

 あの『領収書つき晩餐』の再来だ、とあたまのどこかでチラチラ思いつつ、薄暗い照明が拡がる重い空間で、談笑や請願の響き。あるいは好色な視線をかいくぐり、それこそ栗鼠(ビェルシカ)のように、忙しく――ただし、何よりも落ち着いて、品良く、パレット片手に店内を泳ぐ。そして彼らはそんな中、彼らは独自の手話とアイコンタクトで、来賓情報のやりとり。

 

 “鸊鷉(へきてい)の客、ヤらしぃー。チップもナシだよ”

 “へへ、ボクのほうは当たり。今晩お持ち帰りされる予定”

 “山翡翠(ヤマセミ)の成金に注意!サドっけがあるぞ!”

 “『恵娜(えな)』、今晩どぉ?ボクと”

 “ワルい。今日は『成美』を誘ってみたくって”

 “えー。あのカタブツ?ムリだって”

 

 その『成美』は、中央省庁の若手キャリア候補らしき青年たちが、女の子数人を(はべ)らせ居座る、めんどくさい卓の給仕を終え、管制塔ちかくのイオニア式な柱の影で、手首に留められたカフスの具合を直してから、ふぅ、とひたいの汗をふく。

 近くに佇立する、金ぶちの装飾枠を巡らせる鏡が、そんな彼の姿をしたり顔に(うつ)して。

 

 細いストラップの付く、エナメルに照り映えた、子供靴のような店内履き。

 靴とのコントラストを考えた純白のハイソックス。

 完全に脱毛された生足。

 前述したピチピチの黒い半ズボン。

 そして肩が膨らみ状の半袖となった、パール・シルクのブラウス。

 華奢(きゃしゃ)な鎖骨がみえるほど、ギャザーで大きく胸もとが開いて。

 (一点でも料理がはねた染みがついたら、すぐに着替えるレギュレーションだけど、いまところは――大丈夫!)

 おまけに首には、カラー付き蝶ネクタイ、手首に白のカフス……。

 

 シルク地な蝶ネクタイの色は、階級をあらわしている。

 赤や緑、茶、灰が一般(色によってサービス価格と内容に差があり)。

 黒がその上。

 フロアのエリア統括は、金。

 しかし、なぜか『成美』は、階級表にない「濃い蒼」。

 

 ――よし……乱れ、なし。

 

 その赤いシルクを照り輝かせ、『成美』が「五色鶸(ごしきひわ)」の卓に行くと、五人ほどのアラサーに、さっそく半ズボンや胸、(くび)すじなどをサワサワと()でられ、粘着され、(なや)まされる。

 

《かわいいタマタマぁ。ツブしちゃいたいくらい》

《お店に言って、「お持ち帰りする?」》

《いくらなんだろ?“赤色”なんてあったっけ?》

《あーおチンポ舐めさせてあげたい》

《アンタの実家の名前出せば、一発じゃないの?》

 

 もちろん、聞こえないふりをしてオーダーを取り終え、だれがナメるか!と憤慨(ふんがい)しつつ、管制塔(コントロール)に、それでも値の張るコース料理をつげる。あんなお姉サマ方でも財布は潤沢らしい。なんの仕事をしてるやら。

 

 『成美』は執拗(しつよう)にさわられた股間を、(おのれ)の手で存在の確認をするように()でる。

 確かな膨らみ。しかしいまでも、不思議な困惑と違和感が、つきまとう。

 客の粗相で濡れたパレットを交換するため管制塔まで帰投し、5分の休憩(レスト)をもらった彼は、店内の楽屋裏で、アヌスに差し込まれたプラグに気遣いながら、スケベ椅子状態になっている、ビェルシカ専用のピンク色なビニール・スツールに腰かけ、ふぅ、と息をつく。

 

 想いはまたしても、数日前の、あの妖しい夢にたどりつく。

 

 あの日、自分にすり込まれた防衛用の疑似人格。

 態度を豹変させたダンス教師との自動格闘。

 そして、店飼いのカチ込み部隊に制圧されたあとに見た夢。

 

 ――いや、あれは本当に“夢”だったのだろうか……。

 

 

 

 

 コンバス・ケースで受けた調教の重苦しさ。

 快楽責めの拷問。ケースのガワわを隔てた往来での強制オナニー。

 

 気がつけば、いつのまにか自分はホテルのベッドに寝ており、泥のように重たい身体を起こしてみると、いつのまにかピンクのベビードールを着せられて。

 ハッ!と気付き、これまたいつの間にか履かされていたフリフリのショーツに赤面する間もなく、それを引きおろして焼印を押されたチンポの上を確認すれば……。

 

 ――ない……そんな。

 

 脱毛されて白々となめらかな肌には、火傷のあとはおろか傷ひとつなかった。

 

 ナンジェリーを脱ぎ捨てる気力もなく、クィーン・サイズの豪華なベッドから這い出ると、姿見の前に佇立する。

 確かにいつもの自分――とは微妙に言い切れない……ような。

 顔つきが、心なしか柔和になっている気配。

 身体つきも、どことなくナヨっとして。

 なによりピンクのランジェリーが、薄暗い部屋を背景に、おそろしいほど似合ってしまっている。

 ベビードールごしに仄見える、うす紫なレースのショーツも、それに等しく。

 

 ――あ……店に行かなきゃ。

 

 晩方から、本店でウェイターをしろと言われていたのを思い出した『成美』は、ランジェリーのストラップがよぎる肩をうごかすほど大きなため息をつきながら、夕暮れの街を見下ろそうと、力の入らない手で、大窓の遮光(しゃこう)カーテンを開けた。

 

 ――!……ッ!

 

 あふれんばかりの光が、スイート・ルームに流れ込んだ。

 新鮮な、蒼みがかった陽光。

 すべての事象を(さら)し、淫猥(いんわい)気怠(けだる)げな妄想(もうそう)なぞ一瞬で吹き飛ばしてしまう朝の光。

 しばし呆然と、『成美』は50Fのこのフロアから、青空の下、活動を始めたばかりとみえる街の拡がりをながめる。

 部屋に備えつけの、ルイ王朝風な書き物机にのる複雑時計の針は、「土曜日」の「日中」八時半、「満月」をしめして。

 

 ――土曜日……ですって!?

 

 女言葉のまま、ゴブラン織りの椅子にくずれおちた。

 投げ出した象牙のような生脚。

 カーテンから漏れた光が、艶めかしく照り映えて。

 両わきに、すこし違和感。

 ソッと触ると、何となく痛い。まさか……。

 

 ルーム・コミュニケーターが鳴った。

 自動的に回線がつながれ、『成美』、起きたかとイツホクの声。

 

《09時から店のウェイター講習だ。フロントに車回すから、準備しろ》

 

 

 

 ……結局、あのあとの顛末を聞かずじまいのまま“奉仕給仕”の教育を受けて、七つのヴェールの残幕を、新たなダンス講師から血の汗がでるほど徹底的に仕込まれた。首輪とプラグから流された電撃の数は、ひょっとしたら三ケタに届いたかもしれない。そして、もはや自分が、なんでこんなことをしているのかもおぼろげなまま、シッポをつける道具をアヌスに入れられ、ウェイターをしている。

 

 もう、修錬校のこともよく思い出せない。

 

 もう、何もかもどうでもいい。そんな気分。

 

 ネコ耳のカムから“サヴァ”の命令。

 

《『成美』。お気に入りのビンボー爺さんが御退店(おかえり)だ。お見送りを》

「あ、はぁい」

 

 フロアにもどると、卓から老人――といっても六〇を過ぎたか、どうか――が、杖を手に、幾分(いくぶん)ふらふらと立ち上がっていた。たしか傾けたのは、コニャック・ソーダを2~3杯だけだったハズだが。

 今宵(こよい)もようやく熱を帯び始め、時間的に来客が一瞬途絶える、空白期のエントランス・ホールまで案内し、クローク係からわたされた、信じられないほど重い革のコートを、歳のわりには頑丈そうな相手の背中に着せかける。

 

「おっと」

 

 酒が脚にきたのか老人はヨロけ、『成美』の肩に腕をまわす。

 そのまま、胸の開いたブラウスの中に手を差し込み、中をまさぐって。

 

「あん♪」

 

 まだ“夢”の余波が残っているのか、乳首を弄られた彼は、思わずそんな反応。

 クローク係が、ヤレヤレといった風に首をふり、その場をはなれていった。

それを横目で確認すると、この老人は声をひそめ、

 

「気をつけたまえよ?『九尾』。この料理店《みせ》は――挽肉機だ……」

 




※キャビアを食べるとアッチのほうが元気になるという説から。

 実際に珍歩もイスタンブールでドナウ・デルタ物を飽食し、
 チソチソが元気になって困りました……。
 (でもイクラのしょうゆ漬けのほうがぶっちゃけ美味いです)


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041:涼子社長のこと、ならびに店の少年たちのこと

 えっ、と思うまもなくコートを着た老人の姿は、しっかりとした足取りでエントランスホールを横切り、衛士が両サイドに(ひか)える入り口の大扉に、消える。

 

「ドウシタ?『成美』。アノ爺サン、何カシタカ?」

 

 クローク係のハッサンが、もう一組の客を送り出したあと茫然自失(ボンヤリ)している彼に近寄り、さりげない手つきで尻尾の生える尻をサワサワと。

 

「何カ、アッタラ「テオ」に言ワナキャ、ダメダヨ?」

 

 もうすでに「何カ、アッテ」るんですが、と思いつつ、『成美』は、うわのそらでハッサンの手をのがれ、

 

「ありがと――大丈夫だから」

 

 そうは言いつつ、『九尾』と呼ばれたショックが、頭を離れない。

 

 ――()()()()()()()()()()

 

 あのジイサンの所属は?探査院?あるいは――最悪で憲兵隊?

 自分が “所有物” と言われた記憶が、黒メガネたちのイヤミったらしい抑揚と一緒によみがえる。 登録財産が、減価償却(げんかしょうきゃく)()ないまま行方不明になったら、そりゃ捜索活動がおこされるだろうな、といまさらながらに彼は認識の甘さをおもい()った。

 

 ――だが……まてよ?

 

 彼の思考は、フト立ち止まり、

 

「ハッサン、この店ってサ?わりと、その、権力(チカラ)を持ってるんだよね?」

「チカラ?」

「ホラ、ある程度、公的な支配からのがれていたり、融通(ゆうずう)が利いたり……」

 

 アァ、そのコト?と、この中東系事象面の男は好色な視線をネットリと彼の体に這わせ、毛深くゴツい手腕をまたもや彼の背中にネットリとまわし、光沢感のあるブラウスの上から撫でさすりながら、

 

「ココハ、セーフヤ宮殿ノ要人タチガ使ウ料理屋ダカラネ。タトエバ、()()アレバ、死刑判決受ケタ人デモ、拘置所カラ出シテ、(やと)エルヨ?」

「宮殿や……たとえば探査院にもムリが効く?」

「探査院?……ハ、()カラナーイ。ケド、コノ国ノ政府ヤ、警察ナラダイジョブ。ボクモ、人タクサン殺シテ、無期イワレタケド、ケームショカラ出シテモラッテ、オッケーイ」

 

 そりゃ単に鉄砲玉として飼われているだけじゃないのか、と彼は映画で見た知識を流用しながら首を傾げる。しかし、かなりのムリが効くらしいのは、分かった。

 

「……『成美』、イイ子」

「なんで?」

「フツー、ボクガ「人コロシマシター」言ッタラ、理由キク人ホトンドネ」

「そりゃ、人にはサ、いろいろあるから……」

「ンーー!ナルミ!ヤパリKAWAII!」

 

 いきなり彼は抱きしめられる。

 香辛料臭い体臭が『やっぱり違う事象面の人なんだな』と実感。

 

「はいはい……」

 

 店のフロアにもどり、担当についた来客を営業スマイルで接待する。

 だが『九尾』と言われたショックがなかなか去らない。空のフルートグラスを2,3倒してしまい割れなかったから良いようなものの、中身が入っていてそれを “お客様” の方にコボそうものなら懲罰のムチ打ちが待っている。中にはそれを目当てにワザと少年たちのミスを誘い、自らムチを少年にふるいたがる御婦人のお客様も多いとか。

 

 ――『瑞雲』では精神棒。『メゾン』では7本鞭、か。

 

 平身低頭で詫びる『成美』に、この客は()っぺたへのキスで勘弁してくれたが。

 

 会話のさざなみ。

 あちこちからの談笑。

 洗練された料理の匂い。

 思わせぶりな視線。

 好色な口もと。

 

 そんな空気の中を、うわの空で接待し、あちこちに空しく媚びをふりまく。

 

 最後に「五色鶸(ごしきひわ)」の卓を回ったときだった。

 あれだけかしましかった(テーブル)は、静かになっている。

 料理を荒らした皿を前に、ポツン、とアラサーのお姉ぇさまだけが(ひと)り、()ヒートを前に残されて。

 

「なにか、ご注文をお受け(たまわ)りしま……」

 

 そこまで言った『成美』の言葉は、うつむく顔を涙目で上げられ、尻切れに。

 乱れた髪と、ヒクつく細い肩が、痛々しさを倍加して。

 

「いかが……なさいました?」

「べつに。タダのケンカ別れよ。みんなアタシほっぽって、帰ったわ」

 

 反応しようとしたところで、危うく腹筋に力を入れる。

 オーダーボタンが、押されていない。

 『成美』は、あくまで聞こえないふりで、

 

「なにか、お加減が悪いようでしたら、おクスリ、お持ちいたしますが?」

「そっか……アンタたち、このボタンないと、話せないんだったっけネ。店に飼われている、アワれなお稚児(ちご)サンたち……」

「お邪魔でしたら――これで」

「まって!」

 

 いきなり“お姉さま”が身を乗り出し、『成美』のブラウスを引っつかむ。

 

「どう――なさいました?お客さま」

「あの、アタシ、ダメな女で!部下のみんなに、愛想(あいそ)ツカされて!」

「お客さま。申し訳ありませんが。オーダーボタン、押して頂きませんと……」

 

 そのとき、いきなり“お姉さま”の感情が崩壊した。

 美人よりな顔をクシャクシャにし、肩を震わせながらしゃくりあげると、鼻を垂らした半泣きな必死さが、大音量のインカムボイスに。

 

《もうズゴじ……ゴゴにいでぇぇぇええ!!》

 

 圧倒された『成美』は、耳ジンジン、頭クラクラとなりながら、ほかの視線もあるので卓を囲むパーティションの入り口を屏風でふさいだ。本来はブースの中で、少年と老年が乳繰り合うための目隠しだが。

 

「いったい――どうされました?」

 

 それから『成美』は肩を震わせる彼女の、いままで通ってきた人生行路を小一時間ほどタップリ聞かされるハメになった。

 男の子を望まれていた実家。その期待を裏切らないよう、いい幼年校、いい中等校、いいパブリック・スクール、いいコレッジ……。

 

 一部上場の企業に入社し、グループを任されるまでになったはいいが、内部の社内風土をマスコミに叩かれた結果、企業体力の低下、株価の下落。バランス・シートの悪化に外部事象面への身売り。最後に身売りした先のトップダウンによる、大規模な人員整理(リストラ)

 

《でね……そこから奮起(ふんき)して、私たちだけで小さな会社を作ったのよ。はじめのウチはうまくいってたんだけど……この不景気でしょ?》

 

 不景気という言葉に、『成美』は食いつく。

 ふいに、『牛丼』と『山茶花(さざんか)』たちのことが。

 

「……やっぱり、景気はキビしいですか」

《キビしいなんてモンじゃないわよォ!》

 

 いつのまにか、すすり泣きは怒りにとってかわり、彼女はOLスーツのジャケットを脱ぎ捨て、クリーム地なアッパーのボタンがキツそうな胸を、さらに反らし、残ったKRUGのビンテージ・ボトルをラッパにする――が、もう入っていなかったのか、舌先でボトルの口をなめ、ダン!と18世紀作のマホガ二ー・テーブルに叩きつけた。

 

《アナタも――気ぃつけなさいよォ?この世の中はネ、弱みィ見せたら、とことんシャブられるんだから!》

 

 そう言うや、マスカラの滲んだ視線を虚ろに、ガックリと背を丸める。

 

《みじめなモンよ……女なんて。あの子たちのお給料払うため仕事とろうと(マクラ)までして……裏切られて。あげく、あの子たちにまで悪く言われて。棄てられて。世話ァないわ。結局バカな女なのよ!わたし……理想ばっか高くて、現実見てなかったアマちゃん、ってワケ。あとは“絶望”がのこるだけね。死に(いた)る病じゃなくて、倒産に(いた)る病、ってコト。》

 

 やや(しばら)く、彼女はうなだれていたが、やがて、フッ、と肩をゆらし、すわったような(うら)みがましい上目(づか)いで、

 

《アナタは良いわよね……そんなかわいいルックスで、苦労もナニも知らないんでしょ!?こんな高級な料理店で、()び売ってさァ》

 

 ――うわ、カラみ酒……。

 

 彼はヒキつつ、精一杯の愛想笑いで、

 

「そんなイイもんでもないですよ?それなりに、苦労もあります」

《どこが。どうせヒヒ爺ィどもに色目つかって、手術で()()()()()()()()やって。イイ生活してンじゃないの?ワかってンだから……ラクな商売よね》

 

 ドクン、と『成美』の心臓が鳴った。ギリリと一度、奥歯が食いしばられ、

 

「――いいか姉ェちゃん」

 

 『成美』は自分が卓《テーブル》に身を乗り出し、相手の目をハッタと(ニラ)みつけるのに気づいた。

 聞きなれない、低い声。

 酔って熱をもった相手の瞳に、(サッ)、とおびえが(はし)る。

 

「この世の中ッてェのはナ?(クソ)で出来てンだ。100あるうちの、99がクソだ」

 

 うぇぇぇ、ナニ言ってるんだ自分は、と『成美』は心中(フル)えつつ、しかし口は止まらない。

 相手を睨みつける眼に、ますます(すご)みをこめ、

 

「そうサ!それが、この()()()()の現実だ……だがな?99のクソを(しの)いだあとに、1の!そうサ、たった“1”の、イイことが待ってるんだ!そして、その“1”で息継ぎしたあとは――また99のクソを乗り越えてゆく、それが人生だ。()()()は今、どれくらいクソを乗り越えた?59か?78か?それとも……()()()?自分の理想に踊らされ起業した挙げ句、いちいちクソを乗り越えられずピーピー言ってる阿呆(アホ)なメス餓鬼(ガキ)が、絶望だと?……ワラかすな!」

 

 『成美』の口が、驚きに見開いた相手の瞳に一喝(いっかつ)する。

 次いで、苦々しげな(ささや)きで、

 

「……ホンモノの“絶望”なんか!知らんクセに……」

 

 やや久しい沈黙があった。

 

 当の『成美』はパニックのまま。

 しかし、やがて彼女は、何かを(はら)ったように愁眉(うれい)を晴らし、

 

《……そっか……そうよね……》

 

 ようやく落ち着いたのか、化粧の崩れた笑みをうかべる。

 

《みんな……そうやって生きてるんだもンね……》

 

 フゥゥッ、と彼女は泣き終わったあとのような、()()()()()()

 しかしその顔は、なにか愁眉(しゅうび)を開いたとでも言うように晴れ晴れとして。

 

 もう帰る、と彼女は身支度をはじめた。

 女の身じろぎが、艶めかしい香りを立ちのぼらせる。

 化粧室の場所を『成美』に聞いたあと、ヴィトンのハンド・バッグから、ハイコレと名刺をさしだす。

 【(株)レディース・アドバイザー・社長 伊都宇(いとう) 涼子】

 彼も、腰につけた小振りなワニ革の黒ポーチから、営業用のカードを。

 

《フフ……『成美』クン、かぁ……》

「涼子さん……ステキなお名前です」

《またまたァ――やっぱ、お口がウマい子は、ダメね」

「自分は――」

 

 背筋をのばし、そう言ったところで、いきなり候補生時代のクセが出たことに気付き、もう何がなんだか分からず、混乱しながら、

 

「いえ、わたしは――営業口調など、決して。そんなつもりじゃ」

 

 あっけにとられた彼女は、次にプッ、と笑いをもらし、

 

《どうしたの?キミ。ぜんぜんソレっぽくない》

「ボク、いえ自分は……すべての事象に対し「真摯(しんし)であれ」と(こいねが)ってます」

 

 また、あの口調がよみがえり、冷静に彼女を見据える。

 しばらく涼子は、彼をマジマジと見たあと、

 

《なんだろう……なんか。いまキミが一瞬、ものすごい“いい男”に見えた》

「そんな。ボクはいつも……イイ男のつもりデスヨ?」

《フフっ、貴方(アナタ)がもうすこし大人だったら、恋しちゃってたカモ?》

 

 彼女はそう言いつつ席を立ち、化粧室に向かう。

 『成美』は(なんとかなった)と安堵の深呼吸。

 そして、独り残った五色鶸の卓でうつむき、自分の中に語りかけた。

 

「おい、居るんだろ?」

 ……。

「どういうつもりだよ!」

 ……。

「なぁ、マジな話、いったいボクは、どうすりゃイイんだ!?」

 ……。

 

 ヘッドセットをむしり取る。

 封印のシールが、はじけ飛んだ。

 営業時間中、これを取ると罰金扱いとなる。耳にまとわりついていた通奏低音が、ひきむしられ、店内のナマの音を伝えた。

 

「なんとか言えよ!」

 

 通りかかったロップイヤーのビェルシカが、驚いた顔で、そんな彼を見て。

 しかし応えは、無かった……。

 

 自腹でハイヤーを呼び、驚く涼子をエントランスから送り出した『成美』は、控え室に行くあいだ同僚の冷やかしを受けた。

 

「なに。一見客のためにワザワザ「お供(ハイヤー)」呼んだって?しかも自腹で」

「イチイチそんなことやってたら、キリないよ?」

「バカ。()()()()()()サマは、それぐらいするんだよ」

 

 ウサ耳やネコ耳のビェルシカたちが、『成美』の周りを寄ってたかって。

 

「見てたぞォ『成美』。キミに年増趣味があったとはな」

「『キルン』!どうだった『成美』のお相手?美人だった?」

「悪くはなかったね。三十路(みそじ)半ば?スタイルもバッチリ」

「いーなー。コッチなんか今日はジジィの相手ばっか」

「ボクもだよ。さんざチ〇チンいぢられて、チップも無しサ」

 

 さまざまなケモミミをつけた少年たちの、ヤンヤな雑談。

 そのとき、監督役の『サヴァ』がメガネを光らせ厳しい声で、

 

「『成美』ィ!無断でヘッドセット取ったな?罰金か、ペナルティ残業だぞ」

「あ……じゃ残業で」

 

 フン、と金の蝶ネクタイをした『サヴァ』が去ってゆく。

 

「あの、『成美』ィ……?」

 

 そのとき、ネコミミの少年がひとり、彼に話しかけてきた。

 

「今日、どうかな?“放課後”が空いてたら、ボクの部屋に」

 

 話しかけてきたのは『恵娜(えな)』だった。

 どちらかと言うと目立たない、要領の悪いビェルシカ。

 何だかんだで仕事を押し付けられ、いつも明け方まで残業をしている。

 

 仕事あがりのことを、少年たちは『放課後』と言っていた。

 普通なら中学や高校に通う年ごろの少年たち。

 あるいは学校生活に、いまだ憧憬があるのかもしれない。

 おぉう、と周りのビェルシカがおどろいて。

 

「なに?“ザイル”の告白?」※

「ヤめときなよ。『成美』は特別製サ。オマエなんか手に負える相手じゃない」

「オマエ御主人様いるんだろ?大丈夫なのかい」

「知ってる?コイツ一級・航界士候補生だったんだぜ。それをなんでか」

「クタばるのがコワくなったんじゃネェの?だいたい――」

 

 ドカッ、と殴るような音がして、発言者は床に崩れる。

 ヤレヤレと数人の少年たちが、この口の悪いイヌ耳を搬出して。

 イヌ耳を殴りたおした大柄なヒョウ耳が、

 

「そんなヤツほっといて、オレんトコ来いヨ『成美』。SALONがあるぜ」

 

 どうだィ?と横ヤリの中、必死めく『恵娜(えな)』の顔。

 蝶ネクタイの色も様々なビェルシカたちが、ワクワクと成り行きを見守って。

 

「――あぁ、『恵娜(えな)』。いいともさ?」

 

 この『成美』の言葉に、今までニヤついていた少年たちの顔が(えっ!)と驚いたようなものに代わる。

 

 しまった!!と露骨な空気。

 

 自分が先に誘うんだった!との後悔の色がアリアリと。

 通りしなの、毛皮を羽織ったひとりの“パピヨン”ですら足をとめ、お尻に刺さる “プラグ” の具合を直しながらちょっと驚いた風。

 

 『成美』は『恵娜(えな)』のほうをむき、

 

「キミ、この店には、たしか長いんだよね?」

「ウン……在籍(ざいせき)だけなら」

「ちょうど良かった。メゾンのこと、イロイロ教えてよ」

「ンだよ『成美』ィ。オレの方がいろいろ知ってるぜ?」

 

 ヒョウ耳が未練がましく『成美』の手をとる。

 

「いろいろ教えてやんよ?」

 

 すると、まわりの少年たちが、

 

「金払いがいいマダムの落としかた、とか?」

「この前のオバサン、有印私文書偽造罪でツカまってたぢゃん」

「マンコをナメるのも大概にしておかないとな?」

 

 少年たちの笑い。あとは“大喜利”になってしまい、まとまりが無い。

 

 

 深夜も2時を過ぎると、この先は『パピヨン』たちの時間だ。

 通常のフロアとは短い階段をへだてた、さらに一段上の中二階ともいえるフロア。

 高級公子が手練をつくし“太い客”を手厚くもてなす。

 それぞれのパピヨンのヘルプ担当となったビェルシカが、ペルシャの舞姫のような衣装を着て、客とパピヨンにかしづき、奉仕をする風。

 グッと静かになったメゾンの店内で、何かしら淫靡な気配が漂い始める時間。

 (テーブル)などの整理をしている『成美』の耳にも、あちこちでチュパ音が。

 

 いつまでもフロアをウロついていると、ヘルプで呼ばれかねない。

 ヤバ気な気配に『成美』はさっさと控え室に行って、この忌々(いまいま)しい衣装(いしょう)と肛門を犯すプラグ・テールをサッサと脱ぎ捨て、『恵娜』との待ち合わせ場所である従業員用出入り口に向かう。

 

 そこに待っていたのは、V12エンジンを積んだ一台の赤い車だった。

 自動運転仕様のオープン・トップな名車――GTB-4。

 




※メゾン・ドールでは、責任を共にする相棒のことを
 「バディ」ではなく「ザイル」と呼びます。


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042:『恵娜』のこと、ならびにこの社会の格差のこと(前

 『成美』が近づくとウェーバーのキャブが深呼吸し、やおら猛獣のような(うな)り声をあげる。

 入り口に詰めていた店の警備たちが、なんだ!?と一瞬顔を上げるが、見知った車なのか、すぐに通常の業務にもどった。

 

 驚きに目をむく『成美』を見て、運転席に座った『恵娜(えな)』が得意げにアクセルを吹かすと、すぐにそれは咆哮(ほうこう)へと変わる。

 

「ガソリン・エンジン!!――どうしたのサ?この車」

「ご主人さまのコレクションだよ。ちょっと借りたんだ」

「えー大丈夫なの?いったい何ギニーするんだコレ」

「スイス・フランで6000万ぐらい、だったかな?」

「うっわ!排気(あっ)っつ!!……燃えたりしないよね?」

「昔は、みんなこんな感じだったらしいよ?さ、乗って」

 

『成美』がドアを閉めるや、V12エンジンは強力なトルクを発生させ、リアタイヤを空転させる。激しくテールを一度振ったのち、ふたりのビェルシカをのせた流麗な車体は弓の(つる)を放たれたようにメゾンをとびだした。

 

 磨かれた車体の上を、街の灯がすべってゆく。

 信号をドリフトし、テールを滑らせながら――右に、左に。

 

 やけに荒い運転をする自動運転システムだな、と運転席をみれば、なんと『恵娜』が直接ドライブしている。

 華麗なクラッチワーク。回転数をあわせ、二度、三度。小気味よくエンジンをうならせたかと思うと、そのたびに“シート脇から突き出た棒”を巧みに操作。映画のシーンではおなじみたが、実際に人が操作するのを見るのは初めてだ。

 

「ずいぶんと運転が忙しそうだね!」

「なにがァ?――あぁ。コレ?」

 

 目のまえにフラフラと軽自動車がでてきた。

 クラクションとともに、優先権を主張する信号(コード)が発信され、軽自動車は強制的に車線をあける。

 

 『恵娜』はまた“棒”を動かした。

 

 と、エンジンがまた一段と声を高め、力強いトルクをのせた加速を開始する。

 老夫婦のおどろき顔が、アッという間に彼方になって。

 運転席で彼は『成美』の方を見て哄笑した。

 

 自動制御のゴミ収集車。

 一般人の乗るワンボックス。

 古い型の高級セダン。

 

 みんなクラクション、優先主張、パッシングでどかしてゆく。

 たまにガンとしてゆずらぬ黒塗り(リムジン)がいるが、そんな車は左から抜いて。

 

 初めて乗るオープンカー。

 厚手のコートを着てきて良かったと思いながら革のシートに座る『成美』だったが、すぐにその考えを訂正する。

 『恵娜』がハデに回すエンジンの熱に加え、ヒーターをかければ十分に温かい。

 冬でコレなら、夏は地獄ではないだろうか。

 

 高速のゲートをぬけると、いよいよこの車は本領を発揮しはじめた。

 路面の補修が行き届いていない一般道にくらべ、バターのようにナメらかな高速の道。足もとを過ぎるセンターラインの流れが早くなり、頭上の照明は次々と飛ぶように飛び去って。

 横Gを感じさせるほどのループを何周もかけあがると、広大に(きらめ)く都市を眺めわたしながら、二人をのせたフェラーリは夜の中を疾走する。

 照明が少なくなり壁面も強化ガラスの防音壁から低いガードのみとなり、夜の街がよく見渡せる。まるで本当に星の海を走っているよう。

 電装系の計器ロストを想定した胴着(胴体着陸)訓練での経験から、『成美』は車のスピードを210km/hと見積もった。

 風の轟音が、スゴい。

 

 ――こんな(ふる)い車で……!

 

 少しばかり彼はキモを冷やしつつ、運転する同僚の横顔にキ印でも浮かんでいないかどうか(うかが)う。

 

「どうだい!スッとするだろ!」

 

 『恵娜』は、そんな彼の視線をチラリと受け、

 

「タマには()()()()()()()をしなくちゃ!」

「意外だなァ!キミって、そんな一面あったんだ!」

「は!ボクなんかまだカワイイほうだぞ?「赤」ネクタイの『ワーニャ』なんかガソリンエンジンのバイク自前で持ってて、湾岸を300キロでトバすとか。この前の土曜日、パピヨンの『エリカ』様とベイサイドで競争(バト)ったらしいよ?警察(ポリ)が途中で入って、結果はウヤムヤらしいけど!」

 

 『恵娜(えな)』は(メゾン)での“しんねりムッツリ”がウソのように明るくハキハキと(しゃべ)る。いつもコレくらいないら、店でも一段低くはみられないのではないかと『成美』は残念に想う。

 キミもなにか乗ればいいのに!と、そんな彼は明るく助手席に話しかけて、

 

「航界士候補生だったなら貯めこんでるだろ!?――イイ店《ショップ》を紹介するよ!」

 

 『成美』は車のコンソールを見る。

 正直、もうメーターや警告灯を気にしたくはない。

 

 HUDや、3D計器。

 神経に直接告知されるエマージェンシー。

 緊急通信や、ウィング・メイトの悲鳴。

 翼をもがれ、悶えながら墜ちてゆく機体。

 

 でも……。

 

「そうだなぁ……自転車ァ!?なんか、イイかも!」

 

 それを聞いた『恵娜』が、また高笑い。

 

「運動不足解消、ってわけ?でもあんま筋肉つけちゃうと、キラわれちゃうよ!?」

「だれにィ!?」

「ダレにって――モチロンお客様さぁ!人気のない高級公子は、ミジメだよ?」

 

 ふっ、と『恵娜』が真顔になると“棒”を操作して、エンジン回転数をさげた。

 速度がみるみる落ちてゆき、やがて100km/hほどに

 会話がグッとしやすくなる。

 だが、ふたりのあいだに言葉はとぎれて。

 

 彼方に灯りの見えない区画があった。

 まるでポツンと穴が開いているよう。

 (そら)の石炭袋《コール・サック》。話題にはちょうどいい。

 

「あの場所って、なんだろ?ずっと前に聞いたことあるけど、はぐらかされたんだ」

 

 どら?と『恵娜』は身をのりだし、ついには立ち上がる。

 ワッと『成美』は血相をかえ、

 

「おぃおぃ!ハンドル!ハンドル!!」

 

 はぁ?と相方の間延びした声。

 

「もう自動運転modeだよ……」

「あ……」

 

 言われてみれば、たしかに。

 対して運転手役も「なんだ」というようにシートに座りなおし、

 

「“議員法”で電力停められている地区じゃんか」

「なにソレ」

「あそこの地区で当選した議員が、国の発電方式について政策実行したのが裏目ったのさ。最近の電力事情のアヤうさはキミも知ってるだろ?こんなバカ議員を国会に送った有権者は同じバツをうけるべしと、電力事情がヤバくなった時に選挙区は優先して送電をキられるんだ、っと」

 

 『恵娜(えな)』はシートを倒すと、頭の後ろで腕を組み、※

 

「寄りかかる先をまちがえると、タイヘンなんだ……ウチの店だってそうだぞ?“パピヨン”にも派閥(はばつ)があってね。頼り先のパピヨンが左遷(させん)されたり、最悪ドール(人形)(人形)にされると、下にいたビェルシカも居場所をなくすのさ。そうなったら……」

「そうなったら?」

「店をかわるか、ご主人様をみつけて飼っていただくか。それとも契約人形(マネキン)になって自活するか――あるいは下層の労働者にでもなって、ガンで苦しむしかない」

 

 『牛丼』や『山茶花』、それに涼子社長から聞いた「不景気」という言葉。

 生きてゆく、ということの重みと大変さを、最近ヒシヒシと感じる。

 

 ()()()()()でゴザい、というだけで、自分は世間を“舐めプ”していなかったか。あるいは知らずに態度が出てなかったか。

 

 ――クラスのみんなから引かれていたのは、当然だったのかもしれない。

 

「ボクもさ?」

 

 『恵娜』はシートを起こし、

 

「頼りにしていた先輩が、パピヨンの階級をはく奪されちゃって。下にいたみんなはバラバラになったよ。店(メゾン)で残れたのは、ボクだけ。ちょっと前はボクだって、売れっ子だったんだよ?」

 

 『成美』は自分と歳があまり違わないようにみえる目の前の少年をマジマジと。

 

「キミ、いつからビェルシカやってるの?」

 

 轟音をたててエンジン駆動のバイクがカッとんでゆく。

 時間差をおいて、モーター駆動の白バイが回転灯だけまわし、ヒルのような無音さで追走していった。

「いつって……小学生の頃から、かな」

「その、いろんなことさせられたり?」

「いろんなことって?」

「いや、その」

「……」

 

 『恵娜』は自動運転modeを切ると、棒を操作。

 たちまち車は獲物を見つけたケモノのように、猛然と突進を開始する。轟然たるエンジンの咆哮のもと、

 

「あぁ!そうだよ!」

 

 棒を動かし『恵娜』はさらに加速。

 狂気めいたものを感じるのか、追越車線を走る前の車が次々に進路をゆずる。

 

「いろんなコトをしてきたさ!小学生のうちから親を養ってきたんだ。はじめてお尻に入れられたのは〇学3年の時かな。ボンデージ衣装を着させられ、ヨダレを垂らしたバーコードおやぢ()()(なぶ)られたのさ!」

 

 さらに彼は棒を動かす。

 エンジンは高らかに詩《うた》い、彼方にあったテールランプがあっという間に近づくや、ウィンカーで車線を譲りはじめるそのわきを無理やり抜いて、バックミラーに消してゆく。

 

「危ない橋も渡ったなァ!事象面タンカーから密輸品の荷受け。みんなこっちが子供だと思って憲兵隊すら油断したんだ!」

「怖くなかったのかい!?」

「こわい!?」

 

 すでにその目には狂気めいたものが浮かんで。

 まさかコイツ、双極性障害じゃあるまいなと“航界心理学”の講義を思い出そうとするハシから『恵娜』は面白そうに、

 

「コワがってるヒマなんてないよ!――だってさ?そうしなきゃ生きていけなかったんだから!」

「……」

「けっこうキタないこともやったよ!?賄賂!密告!裏切り」

 

 ドリフト気味に車線変更。

 生ガスが添加して、ハデなバック・ファイア

 

 ()()()()()()()()!?バックミラーをちらっと見て。

 追いすがってくる地味なシルバーのセダンだ。

 棒を動かしさらに加速。

 

「食うか、食われるかだモン!」

 

 アクセルを踏み込み、引き離しにかかったとき、後ろのセダンが豹変した。

 いきなり天井からパトランプを生やし、サイレンとスピーカーから路肩に寄せて停止するようガナりたてながら、ふたりの乗るフェラーリに追いすがる。

 

 『恵娜』の唇がくやしげに歪んだ。

 

「ちィ!ポリかよ!!」

 

 彼は棒を操作してギアを落とし、エンジンの回転数を上げて戦闘態勢にうつる――しかし助手席の『成美』をチラ見して、何を思ったかエンジンを緩め、アクセルペダルから脚をはなし、スピードをおとした。

 

「だめかぁ……ハンディ(負い目)積んでるんじゃ、勝てないや」

 

 がっくりと肩を落とし、ウィンカーを出して路肩に寄ろうとする。 

 

「あ――ちょっと待って」

 

 ふと「成美」は肩掛けカバンのなかを探り、パスケースを取り出すと腕をのばし、後ろのハイビームに掲げてみせた。

 

 魔法のように、サイレンと回転灯が止んだ。

 がなりたてていたスピーカーも、沈黙。

 覆面がフェラーリを一気に抜き去り悔しげに彼方へときえてゆく。

 助手席の警官が一瞬、『成美』をニラんだような。

 あとには――ふたたび星の海。

 

 しばし『恵娜(えな)』は呆然とするが、やがて喜びを満面に、シートでムチャクチャに飛び跳ねて、

 

「スゴイすごい凄い!――なにやったのさ!?」

「べつに。まえに先輩がやってたのを、思い出してね」

 

 まさか本当に警察に効くとは思わなかった。

 あの褐色の温かみと、豊かな柔らかさ。

 それに無遠慮でガサツで、それでいて母性にあふれた瞳を思い出して。

 

 もう、ずいぶんと手の届かぬ彼方になってしまったが。

 

「たすかったァ。いやバトっても良いと思ったんだけど、『成美(キミ)』乗せてるだろ?気が引けていつものハンドル(さば)きは出来ないだろうし免許の点数も少ないし、どうしようかと……」

 

 やがてフェラーリは高速を降り、高層マンション群の林のなかに入ってゆく。

 そのうちの一棟にある駐車場で、車は止まった。

 マーキングの場所で停止すると床面がパレットになり、ターンテーブルへ。そしてそのまま運ばれ車ごとエレベータに載り、フロントまで上昇。

 一見してデザイナーズマンション風。ところどころ嫌味にならない程度にレトロな味付けなのは、さすがだ。

 

 フロントで車を降りると車体は立体自動車庫に格納され、人間は格子縞のロビーを歩き、高層階専用のグラス(展望)・エレベーターで昇ってゆく。

 下界がGとともに遠ざかり、どこへともしらぬ高みへ、

 圧倒されっぱなしの『成美』だったが、ついたフロアの静かな廊下を歩き、『恵娜』に導かれた部屋に入ってさらに驚く。

 

 

 




※後世のフェラーリ社が出した改装レプリカということで、ひとつ。


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042:            〃         (後

 

 なにか住宅店のショールームのような印象の広さだった。

 

 10畳20畳では利かない高い吹き抜けをもったリビング。

 縦に長い、アール・デコ調のシャンデリア。

 螺旋階段状の小さなエスカレーターが、その印象を補強して。

 

「……これ、『恵娜(えな)』の部屋じゃないだろ」

 

 正確にはネ、とワルびれる風もなくこの同僚は、

 

「ご主人さまの持ち家のひとつさ。保守をかねて借りてるんだ」

「なにやってるヒト?」

「貿易関係の会社とか……かな」

 

 『成美』は【帝盟商事】とロゴが小さく入った、チェリーニ風なマントルピース・クロッ(暖炉時計)クを見つけた。

 ずっと前に見たニュースで、なにか大型ミサイルがらみの贈賄(ぞうわい)に名前が出ていた……ような。

 

 ――最近は頭が働かなくなってこまるなぁ……。

 

 彼はくやしげにくちびるをゆがめた。

 思考の“切れ”が、悪くなっている感じ。

 記憶力が、在校時にくらべて(ゆる)んでいるような。

 

「どうしたの?」

 

 彼のしかめ面に『恵娜』が反応する。

 

「いや――べつに」

 

 そう言って彼は浮かびかかる“いやな記憶”を(はら)いのけた。

 部屋の印象にまぎらわそうと周囲を改めて見まわし、

 

「ふぇぇ。相当なものだねぇ?さッすがMaison d'orの常連さん」

「本当の常連は、こんなモンじゃないんだってサ。なにせ国や宮殿の[調達]部署にいて、付け届けでウハウハだったり、エセ宗教法人を経営してで無税の寄付金がガッポガッポだったり、野党議員で他国からの工作資金がらみな政治献金で、金庫番を2~3人抱えても追いつかないとか――個人レベルじゃ、とてもとても」

 

 すました顔で、聞きかじったような情報を得意げに披露する同僚の少年。

 『成美』はグラスが乗ったパレット片手に店内を泳いだ時の会話、その断片を思いだす。ミサイル受注案件の贈賄(そでのした)など、罪がないレベルかもしれない。

 

「――でもさ」

 

 部屋を見まわしているうち、キッチンに去った同僚の背中に『成美』は、

 

「スゴいとこだねぇ。あちこちに見える高層マンションの中身がこんなになってたなんて」

「あはは。こうなっているのは、ごく一部だよ」

 

 即席ビーフ・ティーの匂いがしてきた。

 たしかにこの深夜にコーヒーはエンリョしたいところだ。

 やがて熱々のカップをふたつ持ってきた『恵娜』は、一方をさしだして、

 

「ほかの高層マンションは管理組合が破綻(はたん)したり、修繕(しゅうぜん)積立金を払えなくなった老人ばかりで、ココはそんな貧乏老人を強制的にどかして、各部屋・各階をブチ抜きにリフォームしたんだって。いま“墓標(ぼひょう)”とか呼ばれてる大多数の高層マンションも、あちこちのデベロッパーに目をつけられてるから、そのうちみんなこーなるよ」

 

 渡されたビーフ・ティーを『成美』はソッとすする。

 今晩はフロアが急がしすぎて“(まかな)い”を食べそこね、晩ゴハンは客が残したキャビア・サンドイッチとシュリンプ・カクテルの残骸(のこり)だった彼の胃に、それは有難くしみわたり、からだを温めてゆく……。

 

「……追いたて受けたジィさんバァさんは?」

「生活保護住宅じゃないの?それでこの国の支出をふやして財政破綻させるのが、某国の目的とか、ナンとか」

「陰謀論かぃ?つまんな」

「じっさいアチコチで老人たちのデモやってるのは事実だし。そうだ――面白いものあるよ?」

 

 『恵娜』は、カップをもったまま、広い部屋を歩いてゆく。

 やがて一本の支柱で足をとめ、彼を手まねいた。

 よく見ると、その柱の一部分だけコンクリがむき出しになっており、奇妙なことに露出した部分が額縁(がくぶち)で飾られている。ホスト役は、部屋の周囲の灯りをおとし、額縁の部分を浮かび上がらせるようにして、

 

 ここはね――と彼はすこし声をひそめ、

 

「いま話したような老夫婦が、立ち退き(こば)んで焼身自殺した部屋の部分なんだ……さいわい部屋は半焼で済んだけど、ふたりは焼け死んだって。それからさ……この部屋、ときどき足音がしたり、扉が勝手にひらいたり……そして見て?このガクブチの中」

 

 古風な額縁で囲まれたコンクリートの柱に、黒い模様が浮かんでいた。

 

「よく注意して。何かに見えない?」

 

 『成美』は眉をしかめて顔をよせる。

 言われて見れば、くるしむヒトのようにも見えて。

 

「そう、焼け死んだ老婆が苦しそうな、恨めしそうな(かお)をして……ここは構造材だから、削るわけにもいかず、ご主人様は逆にこうしてお酒の余興(さかな)に……」

 

 『成美』は憤怒(いかり)表情(かお)(ニラ)みつけてくる焼け跡を一瞥し、

 

「ボクは、むしろこんな晒しモノにして(たの)しんでるキミのご主人様がコワいよ」

 

 ガシャン!と遠くで何かが倒れる気配。

 そして。ひきずるような足音……。

 ふたりの少年は顔を見合わせる。

 

(コノ家ハ――(わし)ラノ……儂ラノ)

 

 ソレっぽい、かすかな(しわが)れ声。

 

 だが、すぐに『成美』にはピンときた。

 いそいそと身づくろいと整える。

 バン!と開けられるリビングの扉。

 対して、彼は優美に一揖(いちゆう)する。

 

 フン、という男の声とともにパッと明るくなる照明。

 

「なんだ、ツマらん。バレてたのか――意外と度胸あるね」

「ご主人様ぁ!?きょうは会議とか言ってたのにぃ」

 

 甘えたような、スネたような『恵娜』の声。

 

「なんだぁ?ふたりでなにかイケないコトでも、しようとしてたのかィ?」

 

 現れた男は三つ揃えのスーツを着た、年齢不詳の男だった。

 キ〇グスマンのような眼鏡と頭髪の分け具合。

 肌に妙な照りがあるところを見ると“クロノス”でも常用しているのかもしれない。

 男は、冷蔵庫から出した炭酸水のペット・ボトルをひねり、

 

「で――そちらの可愛い子は、どなたかな?」

「紹介するよ、ボクの友達の『成美』くん」

 

 ボハッ!と炭酸水が吹かれ、ゲホゲホと男はむせる。

 鼻から流れ出た水を手近なタオルで吹きつつ、

 

「『成美』って、あの?Maison d'orの?」

 

 悠揚(ゆうよう)せまらず、『成美』は男のまえに進み出て、航界士風のあいさつ。

 

「お初にお目にかかります、サー。自分は名乗るほどのものでは――」

 

 一連の口上がおわり片膝立ちのまま顔を上げると、男がさりげなくスーツのズボンごしに“チンポジ”をなおすのが見えた。

 

「よくやったぞぉ、エナ!()()()()()()だ」

 

 自分のビェルシカをなでなでしながら、この男は感激を絵に描いたように、

 

「まさか、()()『成美』クンが!わが隠れ家にきてくれるとは……」

 

 男は携帯を取りだすと、宙空に待ち受け3D(ホロを浮かべた。

 そこには恥ずかしげな微笑をうかべる、ローマの少年奴隷な少年。

 

 ――あの時の写真だ。

 

 龍ノ口を見のがす条件で引き受けた撮影会。

 恥ずかしい衣装の数々。屈辱的なポーズ。

 酌姫。バニー。ボンデージ。和服。ポニー・ボーイ。

 思えばあの夜から――“転落”が始まった気がする。

 

 ――まったく!先輩があんなトコで飲んだくれなきゃ、こんなことには!

 

 ふと傍らを見ると『恵娜』のビミョーな表情(かお)

 そんな同僚に向かい、この男は、

 

「ナニをしてる『恵娜』!シャンパンだ!!グラスふたつ持ってこい!マウ・レン(いそげ)!」

「あの、銘柄(ラベル)は……」

 

男はソファーにすわったまま、ムニムニと『恵娜』のほぉをつねり、スタッカートな口ぶりで、

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

「あれは――ボクの誕生日にって……」

 

 男はうるさそうに、

 

「ンなもん、また買ってやる。SALONでもなんでも。ハヤくしろ?」

 

 恨みがましいような目つき。

 ノロノロとした動きで『恵娜』がキッチンに消える。

 そのあいだ、低い卓の向かいからシゲシゲと見つめられ間がもたない『成美』は、さり気なく男の仕事内容を聞く。

 

「ほう、わが生業(なりわい)に御興味でも?」

 

 クラシカルな太縁のメガネをはずしガラス拭きでレンズを磨く男に、『成美』は真っすぐ思いをぶつけた。

 

自分は航界士候補生あがりで学力テストや適性検査、界面翼機動考査にあけくれて、世間にはまったくうとい事、店でアルバイトをするようになったが、世間の動きを知らなすぎること。友人とも話が合わず、ひとりハブられていた事、などなど。

 

 こういった相手には、思い切って素直に接したほうがいい結果を得られることを、彼は短い接客業のあいだに早くも学んでいる。

 

 ふぅむ、と男はソファーの肘かけに寄りかかって頬づえをつき、

 

 

「ま、そりゃァminor detai(些細な問題)lさね。そのうちイヤでも分かってくる」

 

 そう言うと、男は最近自分の仕事で起こった小話を何篇か披露する。

 

 話してゆくうちに興がノったらしく、アヤうい儲け話や、マスコミと結託して利権に邪魔な議員をおいおとした小細工。有力な官僚とグルになった、濡れ手に粟のひと仕事まで。

 それを拝聴しながら『成美』は、どうもこの社会は「持てる者(ハヴズ)」と「持たざる者(ハヴ・ナッツ)」の落差が激しいと感じざるをえない。

 

 ダイヤのすき間を縫って、自分専用の展望車つき特急列車を仕立てることができ、株価操作はおろか係累(身より)のない少年の誘拐(ゆうかい)・強制人形化など、多少の犯罪を黙認されている階級があるかとおもえば、残飯でできた定食を日々の食事(かて)とし、六価クロムに汚染された土壌にたてられた、雨漏りしがちな国営バラックに家族ギュウ詰めで住み、トラコーマや疥癬(かいせん)、それどころか盲腸になってすら満足に医者にかかることができない階層もある。

 

「なんで、いつからこんなに格差が出来たんでしょう?すこし前までは、だれでも医療保険が使えて電気も行き渡っていた、平等な社会だったのに」

「まぁ、並行世界から移民が来てからだね」

 

 ズバリと『恵娜』の飼い主は言い放った。

 

「ヤツらは自分の資力と技術をバックに、この国の行政機関やマスコミに食い込んでいったからな。それまでのヌルいシステムを功利一辺倒ですべて打ちコワし、ラディカルかつドラスティックなものにしてしまった……」

 

 『成美』はカップに残ったビーフ・ティーを含む。

 

「だがね?ヤツらによって作られた“ソデの下”が効く社会になったからこそ、大きなビジネス・チャンスも出てきたんだよ。なんでも杓子定規に法律で縛られない、悪平等もない、努力したヤツがチャンスを(つか)む、刺激的で自由な社会だ。おもしろい世界だぞ?」

「そんなモンでしょうか……」

 

 それって単なる弱肉強食の世界じゃ、と彼は疑問におもう。

 『牛丼』や『山茶花』のような者の(なみだ)で成り立ってるような社会だ。

 

 ――そりゃ能力(チカラ)とコネのあるものにはいいだろうけど……。

 

 不満そうな顔をする彼に、この男は微笑し、

 

「まぁ、キミもいずれは分かるよ。おぉい!ドラツキィ(まぬけ)!シャンパンはどうした!」

 

 盆を捧げた『恵娜』が、しずしずと奥から出てきた。

 ウッ、と『成美』は心ひそかにおどろく。

 

 この男に奉仕するときの格好だろうか。

 

 裸体にガーター付きのストッキング。

 二の腕までの、中指にひっかける黒レースの長手袋(グローブ)

 オ〇ンポのかたちをそのまま模した、薄い黒革のキワどいショーツ。

 色をおなじくするスケスケなベビードール。

 その下にカップレスのブラと、ギャザーに縁取られた胸にピアス付きの乳首。

 胴を女性のようにくびれさせる、薄革製の黒いウエスト・ニッパー。

 

 首には(メゾン)で使われるバニーガールタイプの蝶ネクタイ。

 ただしカラーは、彼の値段(プライス)である茶色(ブラウン)ではなく――金色(ゴールド)だ。

 おしりにも、()っといシッポ(テール)・プラグをハメて。

 うすく化粧をしたのか、すでにどこから見てもフェロモン全開な男の娘の(すがた)

 彼が頭に載せるヘッド・ドレスを見たとき、ふと『成美』は愛香を思いだす。

 

 オイオイ、お客さまを待たせて、自分だけそんな格好をしてきたのか?

 

「だって……」

「だってじゃないだろ。『成美』クンだってカワイイ格好をしたいよねぇ?」

「いえ、ボクは……そんな経験ありませんので……」

「ホウ?こいつのような衣装を着たくない、と?」

「ボク、初めての経験で……お店(メゾン)のビェルシカ勤めるのが精一杯で」

「そうかい?あ!シャンパン開けて来やがったのか……小僧(マーリシク)め!」

 

 オドオドとした目つき。

 店にいるときの、『恵娜』の目だ。

 

「まぁ、いい。あとでタップリおしおきだぞ!?」

 

 さァ『成美』クンに差し上げろといわれ、ツプツプと泡のたつフルート・グラスが彼の前に置かれる。ついで“ご主人さま”にも。

 

「すまんねぇ。コイツ店でも気が効かないでしょ?しばらく仕事が忙しくて行っていないが。そういや『成美』クンのカラー(プライス)は、何色かな?やっぱり“金”(ゴールド)かい?」

 

 蝶ネクタイの色を問われているらしいと気付いた彼は、

 

「否《いぃえ》、蒼色(濃いあお)をつけさせられてます」

 

 蒼?と『恵娜』に手渡されたシャンパンを含みながら男は(まゆ)をひそめる。

 

「普通の青じゃなくて、蒼色(濃いあお)?……小僧(マウシク)、そんなのあったか?」

「彼は、ぼくとちがって特別なんです。お客は取りません」

「あぁ……ウラ価格、というわけか。フフン――そんな子がいま、私の手中に転がり込んで」

 

 男は、目つきを粘液質なものに変えながら、

 

「『成美』クン。バレリーナとかはどうかな?あるいはボンデージ衣装とか。ちょっと着てみてくれないか?ちょうど買ってきた新品があるのだ」

「そんな。ボクなんかには、似合いませんよ――屹度(きっと)

「着てみてくれるよねェ……!?」

 

 いよいよ本性を男は(あらわ)す。

 と、そのとき『恵娜』が、ボソッと、

 

「シャンパン、(ヌル)くなっちゃうよ……」

「おぉ!そうだそうだ、タマにはいいコトを言うな小僧!酔っていた方が、恥ずかしさも薄れて衣装を着やすいんじゃないかな。ささ、グッと()りたまえ」

 

 『成美』はフルートグラスのステム()をつまんだ。

 薄金色の液体が、泡を盛んにたてて。

 

「でも仕方ないよね……」

 

 死んだような目で、もはや『成美』を見ずに『恵娜』がつぶやく。

 

「食うか、食われるかだモン……」

 

 覚悟を決め、一口、二口。――グッと飲み込んだ。

 

「いいぞぉ?いい飲みっぷりだ、さ、グラスを干して?注いであげよう」

 

 甘いような、(カラ)いような液体を飲み干す。

 そして相手が差し出すボトルの下にグラスを持っていこうとしたとき――。

 

 卓が90度持ち上がり、いきなり彼の額を打った。

 部屋の照明が次第に暗くなってゆき、やがて真闇に。

 どこか遠くで『恵娜』と男の言い争う声。

 

 引っぱられるように、彼の意識は沈んでゆく……。

 

 

 

 

 

 




 ※重ね重ね念押しさせていただきますが、文中のアレは決して当方の趣味ではありませんので。くれぐれも、お間違えのなきよう。


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043:強制女体化手術のこと、ならびに“生理欲求処理器”のこと【18禁版】

 なんだろう。

 身体が、おもい。

 寝返りすら、うてない……ッ。

 まるで重金属が血管に詰まったよう。

 くちびるが、()れているような違和感がある。

 その口も、何かを強制的に咥えさせられているような。

 長い髪の毛がジャマだ。顔を動かすたびサラサラと、ほおを撫でる。

 

 ――えっ……ウソ!

 

 気が付くと、身体を大の字に、冷たく硬い台の上で拘束されていた。

 

 ――ナニ……ナニこれ! 

 

 オエッ!と()()()(くわ)えている棒のような物をはき出そうとするが、全然できない。

 咥えた棒から延びるベルトが頭の後ろに回り、固定されている感覚があるのだ。

 しかもその棒から柔らかいモノが口のなかに伸び、ノド奥まで犯す気配。

 身体をゆすると胸が痛い。しかもそれがフルフルと動く、ような。

 妙にせまい視界を精いっぱい下までおろせば、ふたつの山。

 頂きには、ツン、と尖った乳首が勃起(ボッキ)して。

 山のふもとの両脇に、ふとい管が刺さる。

 鼻にも、なにか異物の感覚が。

 アタマが(ぼぅ)ッとして、何も。

 一体どうなって――。

 

 うすいエメラルド色に微発光する天井。

 そこから、レーザー光が延び、自分を拘束する(かせ)を照射。

 電磁マグネットの通電が切れる音がして、手首と足首の抵抗がなくなる。

 

 ――()ッたたた……。

 

 おなじ姿勢を長いこと続けていたのだろう、腕や脚を曲げようとすると、激痛が。

 固まった関節をいたわりつつ、うすいクッション状となっている緑のビニールが貼られた長い作業台から、おそるおそるといった風で、彼は上半身をもたげた。

 なにはともあれ自分の口腔(くち)をノド奥まで犯す、この忌々(いまいま)しいモノを外そうと後頭部の留め金を探る。

 

 耳が隠れるほど長くなった髪がジャマだ。

 

 カツラじゃ?と思ってイライラ引っ張るが、頭皮がグングン痛いだけ。

 ようやく留め具をさぐり当てると、寂しい金属音とともに黒いベルトは外れ、下に垂れたそれを使ってゆっくり引きぬこうとするが――できない。

 

 ――なによ……これ。

 

 とりあえず安定した姿勢をとろうと完全に上半身を起こしたとき、尻にも猛烈な違和感。まるでゲシュタルト・スーツを着せられたときにハメられるプラグの何倍も長いものが、自分のアヌスどころか直腸の奥まで届いているような気味がある。思わず肛門の括約筋を緊張させたとき――ズクン!

 

 ――おごぉぉォォ。

 

 下腹部に甘い(シビ)れが(はし)り、全身をふるわせた。

 無意識のうちに尻をはげしく前後させ、感覚をむさぼる。

 思わず叫んでしまうが、どんなに頑張ってみても声は出ない。

 咥えさせられた棒にある穴から、ヒューヒューと息が漏れるだけだった。

 

 ――ふんんn……ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!

 

 覚悟をきめ、嘔吐(おうと)するいきおいで、思い切って棒を引き抜いてみる。

 と――自分の口から、肌色をした、信じられないほど長いシリコン素材とみえる筒が、ズルルルルゥゥ……ッ!唾液とともに吐き出される。

 

 歪んだ二叉の男根めくデザインは、気道を塞がないつくりらしい。

 禍々(まがまが)しいその形状が、吐き出すおりに、悶絶(もんぜつ)をともない七転八倒。

 

 ――うえぇ……。

 

 二、三度。苦しみながら、えづいて。

 ゼーハーと肩で息をしてしばらく苦しんでいたが、ようやく人心地つくと、改めて身をもたげ、自分の姿をチェックする。

 

 手や腕は、テラテラと光る黒いラテックス風味な、うすいピッチリとした長手袋で二の腕まで(おお)われていた。その手首には、(あか)い革製の手枷(てかせ)が、小さな南京錠で留められ、マグネット拘束用の部材が薄暗い室内の光に(にぶ)く輝いて見える。

 

 黒曜石めく光沢をはなつ、そんな(おのれ)の手で、ふっくらとふくらみかけな形をする自分の胸を(ソッ)、と触ってみた。

 

 作りものであれ、の(こいねが)いもむなしく、()むと二つなる丘の奥にあるシコリが、それぞれに鈍痛を()び、その感覚が無慈悲な現実をはこんでくる。

 

 頂きには、品の良い乳輪と乳首が、かぎりなく自己主張。

 処女峰である、うすピンクな乳輪。

 けなげに()つ乳首を、すこしサワサワしただけで甘痒(あまがゆ)い、それでいてシビれるような小波(さざなみ)が胸全体に伝わってゆき、思わず全身をもどかしく、また物欲しげに身体をくねらせ、身(もだ)えさせてしまう。そしてその動きが、尻穴を無慈悲に穿(うが)ち、直腸の奥まで占拠する道具の違和感と干渉し、今まで感じたことが無い妖しげな興奮をよんで彼を(あぶ)りたてた。

 

 ──(あっ……!)

 

 大きな高まりが自分を包んだかとおもうと、下腹部がキュン……ッ!

 甘いような波が押しよせる、自分をもみくちゃにするのを感じる。

 

 ──オシッコ漏らしちゃった……。

 

 なんとか始末しなくては。

 乳房の脇に刺さった、ふとい留め置き(シャント)カテーテルを引っかけないよう身体を動かすと、脚も、太ももの半ばまで手と同じようなラテックスで覆われているのが分かった。足もとはハイヒール形状で紅く色づけされており、足首にも同じような紅革(あかがわ)足枷(あしかせ)がクロームの拘束環を光らせ、まるで心を折るようにキッチリと巻きついて。

 

 作業台のふちを廻るステンレスな冷たさ。

 それを、うすいラテックス越しに太ももの裏で感じながら腰かけた時、はじめて彼は作業台の横に大きな鏡があるのに気づいた。

 

 その大鏡をじっと眺め、彼は凝固(ぎょうこ)する。

 

 

 知らない“少女”が――そこにはいた。

 

 

 耳が隠れるほどのショート・ボブに伸びた黒髪。

 長いまつげと、マスカラ。ごく僅かなアイシャドウ。

 鼻孔には、なんと家畜めくクロームの“鼻輪”が下がって。

 それが触れる、真紅に染められたグロスの照りを()せたくちびる。

 うすい長手袋をはめられた黒い指でこわごわ触るが――まちがいない、自分の口唇(くちびる)だ。

 

 赤地に黒の首輪には、何かの番号とコードが彫られたチャーム。

 そして首輪を起点にして、革のハーネースが、リングを介し、起伏の幼い上半身を、ヒシ形に交差しつつ、淫猥(いんわい)に縛りあげて。とくに初々(ういうい)しい乳房を、これでもかと残酷に(くび)りだしている。

 鏡の中の少女が、そんな胸をカテーテルに注意しつつ、両わきからソッと持ち上げると、情けなくも(かな)しそうな面差(おもざ)しを浮かべるのが見えた。

 

 次いでその顔が、ハッ、何かに気づいたように。

 

 与えられてしまった乳房(むね)と、(みだ)らな口唇(くちびる)。それに家畜めく鼻輪の、あまりといえばあまりな(みじ)めさに注意を奪われていたが、一番大事なことが、そのとき思い出されたのだった。

 オズオズと鏡を向いたまま“彼”は肢体をまさぐった。

 

 大鏡のなかの“少女”が彼の方を見つつ、(おのれ)の黒い腕を(みずか)らの身体にはわせ、下腹部を下にたどる……と、肉こぶのような無毛の恥丘を割ってハーネースが喰いこむ股間をさぐるのが見えた。

 

 ――あぁ……。

 

 “少女” の面差(おもざ)しが、哀しげに(ゆが)む。

 長いまつげを震わせ、黒い瞳が閉じられた。

 うすくチークが刷かれた瑞々(みずみず)しい(ほお)に涙が、ひとすじ。

 やがて、それは(おさ)えた嗚咽(おえつ)に代わり、かよわい肩をふるわせて。

 

 ――なんで……なんで。

 

 ハーネースが(いまし)める、二つの丘に挟まれた肉襞。

 そこに見慣れた『男性自身(おチンチン)』は無かった。

 あくまでムッチリとした感触のなかにツルンとした造形。

 こんもりとした二つの肉丘と――二つの襞。

 

 ――そんな……そんなのって。

 

 もう一度。

 確認のため、さらに中指を細い革帯(ハーネス)の下へ()いて潜らせ、自らグニグニと(おか)してゆけば、弾力的な抵抗を受けながらも二つの襞の奥へ、指はドンドン入っていってしまう。併せてやってくる不思議な官能のさざなみ。

右手の中指を動かしつつ、左手は哀しい本能にあやつられ、(おのれ)の乳房を思わず揉()んで。

 

 ――ダメ……っ!

 

 半ば禁忌(きんき)に、半ば(おそ)れに指を引き抜けば、それは早くも(みだ)らに糸を引くのが見えた。

 

 女の哀しさに。

 そして気持ちよさに誘われるように。

 無意識のうちに、『成美』は愛撫を再開する。

 

 さりげなく左手が己の乳房をソフトに、感触を確かめるように(さす)る。

 オズオズと反対側の中指も、ふたたび “おまた” をいじろうと股間に吸い寄せられて。

 

 ツルツルとした人形のような股間に(きつ)く食い込むハーネースの下に、無理やり指を再度くぐらせたとき――偶然!

 彼の指は硬くシコった“女の肉芽(クリトリス)”を探りあてた。

 

 ビクン、という今までに無い身体の震え。

 その刺激の激しさに『成美』は驚く。

 

 体を激しく|戦かせたとき、カテーテルに強く触れてしまい――痛い。

 細い眉をしかめ、管の元を目線でたどってゆくと、薬液パックをいくつもブラさげた点滴棒があった。

 

 ・【ヨガールアナル点滴静注液5mg】

 ・【マゾニナールA・静注タイプ洗脳液】

 ・【豊胸/豊尻用・浸透型エストロゲン剤:パイジリデカン】

 

 どこかで見たようなクスリの名前。

 なにか不吉な印象と、汚らわしい心持ちも、(あわ)せて。

 

 ――(どこで見たのか()()……)。

 

 (うつ)ろな表情(かお)のまま。またも無意識に、お(また)をさぐろうとした“少女”は、電子音が鳴り、扉のロックが解除されるような硬い響きを聞いて、あわてて手を引っ込める。

 蝶番がきしみ、カツカツとヒールの足音。

 その背後から複数の気配が、ズカズカと入ってくると、

 

「あぁ、ホラ。やっぱり起きてた――さ、馴致(じゅんち)服に埋め込んで」

 

 感染症を防止するためだろうか。

 全頭式のガスマスクをつけた女の声が、同じマスクをつけたガタイのいい背後の二人に命令する。伝声管から洩れ出た声が無機質に、

 

「もう時間、ないんだから」

 

 どこかで似たような台詞を聞いたような――と思う。

 そばで、彼は男の一人が、彼自身の”秘所”となった部分に喰い込んでいたハーネースのロックを解き、下腹部にガッチリと食い込んでいたブーメラン状の皮革ショーツを脱がせる。

 

 ぬろろろろぉぉぉ……ッ!

 

 バラの香りがするローションとともに、彼の尻から驚くほど長いディルドーが引き抜かれる。

 

 ――あハァぁぁ……ッ!

 

 抜き出された恐るべき長さの凶悪なディルドー。

 あんなモノが自分のなかに入ってたなんて!と『成美』は怖ぞけをふるうが、当の性具は“まだまだ犯し足りないぜ”とでも言うように、施術台の上でイボつきの胴体を無念にクネらせる。

 

「さぁて この次は、コレよ?」

 

 それにかわって、内側に3本の突起――太い数珠(じゅず)状のモノと、男根を模したモノと、ほそい透明なチューブと――が生えた貞操帯を、ガスマスクの女が無理やり挿入、装着しようと迫った。

 さすがに『成美』は恥ずかしさのあまり、作業台のうえであとずさりし、(あらが)おうと細腕をまえに突き出した。

 

「イヤ!――やめて!」

 

 そう言ってから、彼は自分の台詞と、なにより声の変わりように愕然(がくぜん)とする。

 ガスマスクの女は、それに気づいたのかフフッ、短く笑い、両側から抑えられた少女の胸わきに刺さるカテーテル・シャントを、(いと)おしさすら感じる手つきでソッと抜くと、

 

「──女体化手術(オペ)と洗脳の効果は、上々のようね……」

 

 紅い血が流れ、すぐさま止血処置された。

 女の手が、邪険にハーネースをズラすと彼の恥丘を確認する。

 そこには何かの文様が、惨たらしくもクッキリと刻まれ、自己主張している。

 

焼印(やきいん)のあともケロイド状になっておさまってるし。この痕にステキな蝶々(ちょうちょ)刺青(いれずみ)をしてあげるわね?あなたは特S級だから、モルフォ蝶を刻まれるのよ。ステキだわァ……」

 

 ――焼印……。

 

 そこで『成美』はハッと気付かされる。

 

 そうだ!思い出した。

 自分はあの楽器のケースに入れられ、雑踏の中をアヌスをヌラヌラと、あの忌まわしいギア仕掛けのディルドォで犯されながら運ばれたのではなかったか。

 そして――思い出すも憎い“銀髪(シリブロォ)”の手によって、秘所に焼印を……。

 

 『成美』は自らの股間を見る。

 そこには肉の盛り上がりとなった、紋章めくヤケドの痕が。

 力なく自分の身体を確認する彼に向かって、この女は冷たく宣告するように、

 

「いきなり身体をメス化すると、精神(アタマ)がオカしくなっちゃう()もいるのよ。だから強制認識デバイスをつかって、日常を演出し、徐々に男の子から女の子へ……そしてメス人形へと馴致(じゅんち)するってワケ」

 

 いままで自分は何をしていたのだろう、と『成美』はおもう。

 

 強烈なトルクを発生させるエンジンの印象。

 銀河鉄道のように夜を疾走するイマージュ。

 豪勢なマンション。貧富の差。人の恨み。

 シャンパン――毒。

 

 なにか淡い夢のような印象の連なり。

 明瞭(ハッキリ)とは、思い出せない。

 

 ――あれが夢……これが現実?。

 

貴方(アナタ)、焼印すえつけたら失神しちゃったでしょ?その間にSTAGE-1の女体化手術を進めて、いまはもう半分女の子なのよ?まだ乳房(オッパイ)は成長とちゅうだし子宮(ヒステュラ)は移設してないけど、ショック避けるため、だんだんと精神調教もかねて本物(モノホン)の“お人形”にしてあげるから」

「女の子……」

 

 言われても、いまひとつピンとこない。

 すべての記憶が幾重にも重なり合い、おぼろな輪郭しか浮かばないのだ。

 

「あらあら。おクスリ効きすぎたかしら。あれからアナタはずっと眠り続けて、脳教導と一緒に女体化手術を受けていたのよ?ようやく変化にもなれて、意識を覚ましても大丈夫だと判断したから、こうして現実を知らせてあげるんじゃないの。しっかりなさい」

「女体化……手術?」

「そうよ?貴女(アナタ)はもうオンナの()なの。もうオンナの……正確に言えば、()()のセリフしか、口に出来ないのよ?そういう風に、しちゃったもの。強制暗示と、脳教導、それに意識外・馴致(じゅんち)で、ね?」

「声が……」

 

 きれいなトーンの声音(こわね)

 『成美』がとまどう気配を聞き、アハハと女が全頭マスクの中で笑うと、あたりまえでしょ?と一蹴する。

 

「お似合いの声に、してあげたもの――さ、早く。内覧会まで時間ないわ」

 

 後半は、うって代わってもとの冷たい声で男たちに命令する。

 

「まって!あの、あの」

「はァ?まだナニか?」

 

 “女の子初心者”は、蒸れた下半身の圧迫に気付いて焦る。

 

「あの……お、オシッコ……」

「チッ!これからハメる調教用C・ベルト(貞操帯)排尿(はいにょう)機能あるから、すこしガマンなさい!」

「ダメぇっ――でちゃうぅぅ!」

 

 チッ!とするどい舌打ちの気配。

 

「このメス餓鬼……しかたないわね。アレ、持ってきて」

 

 男の片方が命令を聞いて出て行く。

 そのあいだに、残った片方が、“少女”の腕を背中がわで強引に合わせる。手枷と、そして(ひじ)を新たに連結し、一つに(まと)めあげられたその部位を、長い黒革の三角形状をした袋に差し入れ、さらに袋にズラリと付いたハトメをつかい、手先から(ひじ)へ、肘から肩へと、順に編み上げてゆく。

 

「うんッ!……ウンッ!……うん……ッ!……あはぁ……っ♪」

 

 ハト目をひとつ、またひとつ編み上げ、拘束されてゆくたび、吐息のような声が出てしまう。柔肌(やわはだ)に革が食い込んでゆくたび、はずかしいメスの匂いが漂ってくる。

 寡黙な雰囲気の中、(なめ)した革の気配と、作業する男の体臭がたちこめて。

 手荒い仕事に身体を()すられながら、その臭いを嗅いだとき、なぜかこの“少女”は乳首をさらに()たせ、モジモジと太モモをこすり合わせた。

 それを知ってか知らずか、ガスマスクの女が、

 

「ねぇ――女の子になった気分は、どぉ?」

「……」

「これからとっても気持ちイイことが待ってるのよ?」

「……」

「いえ、まだ完全じゃないわね。もっとエッチな肢体にならなきゃ」

「……」

「そして、そのうち貴女(アナタ)も “月のもの” に苦しむの……」

 

 女は、拘束作業中の“彼女”に歩みより、キツく閉じて抵抗する(また)を割ると、奥の蜜をすくって、嫌がる“(とりこ)”の目先に差し出し、指で(みだ)らな糸を引いてみせた。

 

「あらぁ?もうこんな媚態(びたい)さらして……生意気ねぇ!」

「……(あぅぅ……)」

「エッチだこと……仕方ない子ねェ」

「……(そんなぁ……)」

「こうすると、女はイッてしまうのよ?ホラ!……ホラ!」

 

 ひゃん!と『成美』は痙攣し、施術台の上ではねた。

 可愛い口元からヨダレがたれ、身体は微妙な媚態(こび)をみせて。

 そして心ならずもトロン、とした目となるのに自分ながら気づいている。

 

()いわ。馴致は(うま)くいったようね。無駄口(むだぐち)は叩かないタイプのメス奴隷に調整したの」

 

 幼いふくらみかけな胸を、毒々しいマニキュアをした指が邪険に持ち上げたとき、はじめて彼女は「痛い!」と抗議の悲鳴をあげた。

 

「アナタの痛い、はね?もっとシテ、の意味なのよ……今にそうなるわ」

 

 鏡越しに、ガスマスクの女と、かつて少年だった「存在」は、(もだ)したまま視線を交わす。

 (おび)えたような相手の瞳を確認し、女はきわめて満足げに、

 

「えぇ、そうですとも。そうなるよう、アタマの中も改良しちゃったもの……」

 

 扉が再び開き、電動台車のモーター音が近づいてきた。

 それとほぼ同時に、腕の拘束作業もようやく終わった。

 強制的に胸を突き出す格好が、情欲の処理具となった感を、さらに(アオ)って。

 鼻輪にリードがつけられ、メス奴隷の哀れさが、いや増しとなる。

 

「遅いわね!ナニやってるの。さ、「おまる」持って来てあげたわよ」

 

 緑色の手術用ドレープをかけた台車が、“少女”の前に()えられた。

 男が二人、両側からシルクのような太ももをを拡げ、押さえ込む。

 昇降モーターで台車のユニットが高くなり、ドレープをかけた処理部が、焼き印の痕も生々しい、無毛な少女の秘部に接する。男がドレープをさり気なくずらし、出来たての秘部周辺と同時に隠すように。

 

「あっ!」

 

 思わず 『成美』 は腰を引いて小さく叫び、イヤイヤと(あらが)う。

 だが鼻輪のリードが邪険に引かれ、そんな“彼女”の身勝手な動きを(ゆる)さない。

 しかし尿意が引いていったのか、少女の表情から切迫感が無くなってウットリと。

 次いで「ペチャペチャ」と、肉感的な音が“できたて”の()()から、かすかに。

 

「イヤ!こんな――あふ……ッ!」

「フフフ。この()ったら。興奮して、乳首、こんなに()たせて……イヤらしい」

 

 ツン、と突き立つボッキ乳首を女がクリクリと邪険に。

 (ヒネ)りあげられた、少女の身体がビクビクっ!可憐に震える。

 

「あらあら、もう()っちゃった?――コレは将来が楽しみねぇ」

 

 そんな児戯(おふざけ)の間にも、下半身の音は()まない。

 

「あっ!イヤっ!……もうやだ!……なに?これ!――なんですの?」

「フフフ。知りたい?」

「お願い……もうやめ……あハァぁ!……ッ」

 

 『成美』の()()()()をマスクごしに眺めながら、この女は愉しそうに。やがて頃はよし、と見たかサド的な目つきのまま、手術用ドレープを一気にはぎ取る。

 

 台車の上では――。

 

 バイタル維持システムにつながれた女児の生首。

 それが“少女”の秘部にうずめていた顔をあげ、ニッコリほほ笑んだ。

 

「イカガデスカ?オ姉サマ――アタシ、上手ニナッタデショ?」

 

 アタマを鈍器で殴られたようなショック。

 

 フワフワとした思考のまま、(いまし)められた姿で(あらが)おうとするも、調教された女児の生首は、口唇(くちびる)と舌でたくみに“少女”の肉芽を守る包皮をめくりあげ、“本体”を上下の幼い唇ではさむと、あらわとなった敏感な女の(さね)を小さな舌先を使い、テテテテ……とつつきはじめる。

 

(イヤ)ッ!……()ッ!()ッ!アァァァ……ッ!」

 

 今まで感じたことの無い快感の波が、全身を荒々しく駆け巡る。

 (あらが)えない女の(さが)としての狂奔。

 禁欲が我慢がはじけた、悦楽の末の飛沫(しぶき)

 腰を激しく前後に、下品に、淫らに。

 見栄も、恥じらいすらも無く。

 

 ――イクっ!……いくゥゥゥ……ッ!

 

 いやおうなしに目の前が、ホワイト・アウト。

 とたん『成美』の意識は、凶悪な快楽のなかに……沈む。

 

 



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044:出勤したくないこと、ならびにFloor Fauntleroyのこと

 ――まぶしい……。

 

 『成美』は頭をもたげた。

 

 糊の効いたシーツの気配。

 観賞植物の緑の匂い。

 遮光カーテンから洩れる、白熱して輝く日差し。

 

 ――え……なに?

 

 『成美』が我にかえってみれば、そこはいつものホテルで、自身はクィーンサイズのベッドに横になり、カーテンの隙間から漏れる陽光の直撃をうけながら微睡(まどろ)んでいるのであった。

 

 調教役の高笑い。

 非情な“おまる”の記憶。

 女体化された体を縛めるハーネースの感触。

 

 力の入らない腕でうつぶせからノロノロと身体をもちあげる。

 上掛けをどかし、なんとかベッドの上でアヒル座りに。

 もはや見なれた感のあるスイートルームの寝室。

 真珠色(パール)なシルクのパジャマ。

 全身をみたす泥のような倦怠(けんたい)感。

 奇妙な静寂。

 

 観葉植物の大ぶりな葉の上では、一匹のスカラベ(黄金虫)

 ヨジヨジと動いて、まるでこちらを(うかが)うように。

 頭をかこうとして髪が短いのに気付く。

 

「そんな!」

 

 思わず声に出し、愕然とパジャマの前をあけると、小ぶりだが形のよい乳房が無かった。

 

 ――ウソ!……なんで!?

 

 パジャマの下をおろすと、()()()()()()()()が。

 ゾワリ、と『成美』は二の腕に鳥肌をたてる。

 身体も硬く、素肌も柔らかみが感じられずに――下品だ。

 もつれる脚を酷使してベッドからまろび出て、ヨタヨタ壁の姿見に向かえば、()()()()()()()自分の(すがた)

 

 いたたまれない。

 なにより胸が無いのが寂しかった。

 こんなジャマなもの……取れないか()()、と『成美』はチ○ポを根元から汚いものを触るようにつまみ、引っぱった。

 

「痛ッたたたた……」

 

 ハッと、そこでようやく()は我にかえる。

 

 ――ナニしてるんだ、自分は。

 

 物事の境界が、なにかハッキリとつかめなくなっているような。

 昨日の自分は、なにをしてたか。

 なにか思い出したくもない記憶が水死体のように浮かびかかるのを、自我の防衛本能が押しもどす。

 

 かわりに頭をよぎるのは、夜の高速を疾走する印象。

 ワックスの効いた真紅のボディを滑る街の灯。

 猛獣の咆哮じみたエキゾースト。

 

 そうだ、と彼は思いなおす。

 

 昨夜は同僚の(ふる)いスポーツカーに同乗して、夜の湾岸高速を疾走したのではなかったか。そして彼のフラットで怪談チックな遺物を見て、それからえーと、たしかシャンパンを飲んで……。

 そこで店のことに思い至り(出勤時間は……)とみれば時刻は早くも夕方を示している。

 身体がダルい。寝すぎたせいだろうか?

 関節が、無理に拘束されていたかのようにミシミシとする。

 今日は店に出たくないな、と心底思ってしまう。

 

 物憂げに『成美』は寝乱れたベッドを回りこんでスリッパひとつで部屋を横切り、窓際にむかう。

 はぁ。とため息ひとつ。

 部屋の大きな窓に下がる遮光カーテンを、意を決しザッと引きあける。

 

 ――!

 

 爆発したような光。

 

 痛む目を酷使し、細めたまぶたをジリジリ開ける。

 午後遅くの陽光に照らされた都市の連なり。

 視界の果てまで、眼下に拡がって。

 すこし離れたところに屹立する『浅草120』。

 

 ――酔っぱらって訪問先で寝ちゃって、ココまで運ばれたのか……?

 

 情けない。今晩『恵娜(えな)』に合わせる顔がないや。

 あの“ご主人さま”が運んでくれたんだろうか。

 そのとき、身体から(かす)かに石鹸の匂いがするのに気づく。

 肛門にも心なしか違和感が。

 サッ、と彼は蒼ざめる。

 

 ――まさか……。

 

 部屋のコールが鳴った。

 

 マズい、と『成美』は現実に返って唇を噛む。

 午後イチにある“七つの舞い”のレッスン、寝過ごして参加できなかった。

 怒られるんだろうな、と思いつつ下界を見下ろしたまま「はい」と(こた)える。

 

「『成美』か――身体の具合はどうだ?」

 

 フロア・マネージャー長の声。

 奇妙なことに怒ってはいないようだった。

 

「すみません……すこしダルくて。それに午後(アフタヌーン)レッスン、出れませんでした」

「マァ仕方ないナ。明日は大丈夫そうか?」

「えぇ……たぶん」

「週末は本番が控えてる。しっかりな?今晩はビェらずともいいから、代わりに『フロア・フォントロイ』になってもらうぞ?」

「ハァ?ボクがですか!なんで?」

 

 絶句する『成美』に相手は通話口の向こうから二ヤついた気配で、

 

「出勤は――いつもより1h早くこい。時間になったらクルマを回す」

 

 そういうや相手は通話を切った。

 

 けだるい午後遅くのスィート・ルーム。

 さっきより、少しだけ鬱になる。

 

 【Floor Fauntleroy】

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だいたいは人気のあるビェルシカやパピヨン一歩手前な少年が、なかばお披露目をかねて、ちょっとエッチな衣装で各テーブルを周り来客のご機嫌取りをする。基本的にテーブルについたりウェイターをしなくても良いので、楽といえばラクだ。

 

 ――けれど……。

 

 気難しい客や、好みの煩(うるさ)い客。ワザと突っかかる嫌味な常連も多いと聞く。

 なかには泣きだしてしまう少年すら。

 それがまた萌えるといわれ、人気急上昇になるとかで、もうワケがわからない。

 しかし、それ以前に『成美』は今夜の指名に、なにか“含み”めいたものを感じる。何なのかは彼自身にもまだ見えてこない。だが、それは複数の方面からの思惑を(はら)んでいるような気配。誰かからのあてつけのような……あるいは店から試されているような……それとも……。

 

 迎えのリムジンに乗って店に行くと、肌寒い手術室めいた場所で全裸にされ、まず血液と尿検査、それに性病のチェックをされた。検体を提出すると今度はCTを撮られる。ついで直腸と尿道の触診。

 

「なんです、コレ」

 

 微妙なところをワセリンの効いたゴム手でいぢられながら、もはや慣れた感のある『成美』はそれでも不平を言う。

 

「フフフ、そう不安そうな顔をするな。お前が健康であるというエビデンスを“告知”せねばならん」

 

 終わると、すこし変わったアナル・プラグが挿入されて。

 

「くぅ……っ……」

「これはオマエを守るためだよ?突っ込んでくる礼儀知らずがいるかもしれんからな?」

「さ――こちらへ」

 

 別の男が、術衣を着せられた『成美』をうしろが丸見えな姿のまま廊下を引き回し、こんどは暖房が効いた、すこし毛皮と香水の匂いがする部屋へと導く。

 そこで二人の中年女に引き渡された彼は、奪衣婆(だつえば)じみた手つきで術衣をはぎ取られると全裸のまま採寸され、3D(ホロ)を撮られたあとは老練な二対の目で全身の品定めをされる。

 

「ふん、アヌスはブリーチされてるわね。感心感心」

「お面もイイわ?「パピヨン」として人気も出るでしょ」

「おチンポの大きさが今ひとつなのは残念ねぇ」

「あら姉ぇさん、このサイズのほうが万人ウケよ」

 

 なるほど、この五十路(いそじ)とも見えるふたりは姉妹らしい。

 ()きおくれのオールドミス、といったところか。

 続いて彼女らは物騒なことを言い出す。

 

乳首(ちくび)にピアスは?」

「聞かされてないわ?(タン)のほうがイイんじゃなくて?」

「ダメよあんなの!おしゃぶりの時、チッとも良くないって」

肋骨(アバラ)も抜いていないのねぇ。ボディはイマイチ」

「即効性のおクスリで、どうとでもなるわよ」

「ワイヤー・コルセットでシメましょうか」

 

 あの、とさすがにいたたまれず、

 

「ボク、ピアスなんかしません!あんな女の子みたいな」

 

 老姉妹は口を挟んできた少年に一瞬、あっけにとられ顔を見合わせるが、

 

「ナニよ!高級公子(くるちざん)風情(ふぜい)が!」

「ナマイキねェ。キ〇タマにピアスしてやろうかしら」

 

 雲行きがアヤしくなった『成美』は(アワ)ててシオらしく、

 

「イエ、あの……ボクなにも聞かされなかったから……」

 

 ふたたび顔を見合わせる老姉妹。

 気弱になった“彼女”に機嫌をなおしたか、

 

「そぅ、なにも知らされてないの?」

「きっとアレよ?――将来のご主人様の横やり」

「それとも非公式なオークションかも!」

「アリえるわね、この()なら!」

 

 そして彼の方を向き、この老怪なふたり組は、うって変わって親切げに

 

「イイ?()()()絶対に飼い主様に逆らっちゃダメよ?」

「お客さま()()()()()()、ご主人さまだと思ってね」

「……」

「さもないと「人形倉庫」に直行だわよ」

「あるいは強制メス奴隷手術かも」

「もっと酷いと――地下の電気炉行きに」

「ひぃぃぃぃ……鶴亀(つるかめ)鶴亀(つるかめ)鶴亀(つるかめ)

 

 いっとき勝手に盛り上がったあと、この老姉妹はふたたび職務にもどる。

 

 3Dのデータを使って『成美』の衣装合わせ。

 あらましの組み合わせが整ったあと、本物の衣装を地下の自動倉庫から呼び出して、彼に着付ける。

 

 露出の大きい、赤いイヴニング・ドレス。

 ウェストはコルセットでイタいほど締め上げて。

 光沢が艶やかな、黒いサテンの長手袋。

 

「うなじがキレイだし、品のいい仔《コ》だから……

                二重パールのネックレスにしましょう」

「これから従順な“パピヨン”になるんだもの。

       ダイヤが全面にはまる首輪型のチョーカーよ!お姉ェさま」

 

 そこでまた老姉妹はひと悶着。

 

 黒い長手袋に生えるプラチナのブレスレット。

 二の腕には、金の蛇が幾重(いくえ)にも巻きついて蒼玉(サファイア)の眼(まなこ)を光らせる。

 

 うすく化粧――あくまで少年らしさを(うしな)わないように。

 ルージュやアイシャドウなど、ケバい装いはご法度なのだとか。

 

 ――もうなるように成れ……でもコネだけは、見つけておかないと。

 

 デビューは20時と決まった。

 

 その間に彼は、座学でビェルシカ(リスっ仔)とは違う一段上の接待法を教えられる。

 やがて時間が来て楽屋裏の入り口に導かれた彼は、店の艶めいた気配にゾクリと身をふるわせた。

 この重いビロードの釣帳(とばり)をくぐり出れば、永遠に後戻りできなくなるような――そんな予感。

 

 わずかな(おのの)きを強いておさえつけ、『成美』はピンヒールの一歩を踏み出した。

 

 



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045:「Oдержимость」のこと(Ⅱ)、ならびに航界士たちの黒歴史のこと(前

 演奏されていた曲が吐息のように、しりすぼみに途絶える。

 

 次第に暗くなる店内。

 期待が高めるための間が――暫し。

 

 カッ!

 

 一本のスポットライト。

 そこに白いショールを婀娜(あだ)に背中側から両肘にかけた『成美』が登場する。

 

 (しん)、とした沈黙。しわぶきひとつしない。

 ただ彼は、闇の奥からいくつもの凝視が自分に注がれるのを、痛いほど感じて。

 悠揚(ゆうよう)(せま)らず尻をふりたて、まるで胸があるように歩くのは、首輪めいたチョーカーの肌ざわりが夢の中でメスだった感覚を深層心理によみがえらせたものか。高いヒールをたくみに履きこなし、ゆっくりとステージに近づいてゆく――()びを含んだ気怠(けだる)いまなざしで。

 

 まるで男のふとももを撫でさするように、サテンの長手袋でマイクスタンドを軽く愛撫し、流し目ぎみに闇を見わたすと、

 

「こんばんわ、皆さま……お初、お目にかかります」

 

 ムーディな調子で、すこし声を(うる)ませて。

 ただし――やりすぎは、禁物。要注意だと彼は心する。

 

今宵(こよい)一晩、皆様のお相手をさせて頂くことになりました“フロア・フォントロイ”の『ナルミ』と申します。以後――お見知りおきのほどを」

 

 優雅に、一礼……すると、まばらな拍手。

 試されている!と『成美』は即座に理解した。

 もう自分のネームバリューはあるのだと、どこかでナメてかかっていなかったか。これは心せねばなるまい。

 

 と――闇の奥から、

 

「でェ?ボウヤは、ナニができるんだィ!」

 

 無遠慮な声が飛んだ。

 同じ方角から別な声が口々に、

 

「まさかオシャブリだけってコトぁ無ぇよなぁ?」

(ケツ)にGMB-(γ)の86でも突っ込まれてヒィヒィいうだけだろ!」

「スペードのエースが彫られてンだな!ブラッキィ(黒人)の極太がお好みかい?」

「シャブるのはママのオッパイじゃないんだぜ?大丈夫かよ!そのお口は」

「客どもの要求を拒否ったら()()()()()()()ってわけだなァおい!」

 

 ()ィッ!――叱ィィっ! 

 闇のあちこちから、非難と怒りの呟き。

 超・高級店のフロアがちょっとした騒ぎに。

 

(なんだ?下司がまじっているのか!)

(無粋な!一体どうなっているんだ――フロア長!)

 

 そんな中、「GmB-(γ)86」という単語を聞いたとき、『成美』の脳裏に、あたかもフラッシュバックするいきおいで、蒼天に多重起発する事象面攻撃用・広範囲型破砕爆弾の“青白い業火”めくイメージが脳内いっぱいに広がる。

 自分では見た記憶がない大型戦爆(戦闘爆撃機)の翼下に、緑色な本体とステンシルで記載された黄色いロット番号がまざまざと。

 

 そして “縄屋の娘と結婚” というスラング。

 要は軍法会議による “絞首刑” というイミなのだが、なぜかそれを『成美』は胸がつぶれるほどの懐かしさで聞く。

 

 ――ようし……!

 

 自身でも不思議なほど意気込みが湧いてきた。

 背筋がのび、根拠不明の自信が胸をみたす。

 やがて彼の口は、本人の意思とは無関係な、おどけた口ぶりで、

 

「おやおやァ?今宵(こよい)のお客様は――ずいぶんと元気な方々がいらっしゃいますねぇ」

 

 ドッ、と客席が湧いた。

 それは明らかに先ほどの無粋な客への当てつけだった。

 いいぞ!の声。

 そして拍手――次第にフロアを圧して。

 余裕しゃくしゃく、『成美』は両腕をかかげ、それを抑えると、

 

「このお口は――大丈夫か?と申されました」

(かすかな笑い)

「もちろん。シャブるだけが取り得ではないつもりですが何か?」

(闇のホールからの爆笑。拍手。口笛)

 

 笑いのうずが収まるまで待ってから、

 

「お耳汚しに、マクラとして先ずチョッと懐かしいお話を致しましょうか」

 

 彼はスポットライトのせいで、何も見えない客席を見渡す。

 これは!とそのとき初めて気づいた。

 

――Oдержимост(憑依)ь。

 

 自分をコクーンに格納しようと迫ってきたイサドラとの戦闘で。あるいは失意の涼子社長に喝を入れた、防衛用の人工自我。

 知らないうち己に洗脳注入されたこの第二人格に、『成美』は当座の勢いを任せようと決めた。考えようによっては便利な “状況処理器” だ。ゲームでいえば自動戦闘機能のような。もっとも、こんどは何を言い出すのかと半分ヒヤヒヤではあるが。

 

 ややあって――。

 

「もうだいぶ前のことになりますが……」

 

 『成美』の口は、おもむろに回顧口調でしゃべりだす。

 つい、いまは無い長い髪を払う仕草までしてしまいながら、

 

「東方・事象面軍団に所属する独立武装偵察ユニットとして、第47強攻偵察連隊というグループが、その名を轟かせておりました……」

 

 オイ、何をいってるんだアイツは!?と驚きの声が闇のどこかで。

 

 ()ッ!――叱ぃッ!

 あちこちでふたたび制止の声。

 

「方面軍の命令などどこ吹く風。彼らは現場の状況と推移から、常に最適な判断を下し、“耀腕”と戦いつつも新たな回廊を切り拓いて、人類に少なからずの貢献を果たしたのです……」

 

 “成美”は闇を見わたす。

 ついで幾分、悲嘆(かなしみ)の色をまじえて、

 

「しかし――その成果とはうらはらに、横紙やぶりなこの戦闘ユニットは中央軍集団と宮殿の怒りを買い、最終的には解団処分を受けてしまいました。構成人員は降格人事、または不名誉除隊とされ、彼らの大部分は自由航界士となり、網化世界(リゾーム)のあちこちに散っていったのです……。

 

 思わせぶりな幾拍かの沈黙。

 

 まるで“成美”自身も、その処分を糾弾するかのように。

 やがて、ささやくような声でマイクに語りかけ、

 

「中央の処断(やりかた)に納得できない一部の歴戦な航界士たちは、ある要塞化したターミナル回廊を占拠し立てこもりました。coup d'État(クー・デ・ター)を起こし、独立系の網化都市を創ろうとしたのです。しかしそこも、宮殿親衛軍と武装憲兵隊三個大隊の圧倒的な物量をもちいた包囲戦により、陥落……」

 

 フロアはもはや声もない。

 『成美』は(そんなことがあったのか)と、もはや自分の口が勝手に喋るのに任せたまま、

 

「防衛戦に生き残った航界士たちは、かつてアルジェ紛争で決起したフランス外人部隊・第一外人落下傘連隊(1er REP)よろしく武装を放棄したあと、静けさが支配する包囲の中、この歌を斉唱して粛々と投降していったと云われています――そして1er REPと等しく第47は永久欠番とされ、今日に至っているのです……」

 

 ホールは水を打ったように静まり返った。

 

「それではお聞き下さい――彼らの歌を。Édith Piafで「Non, je ne regrette rien(いいえ――私は悔やまない)」※

 

 さすがはMaison d'orのお抱え楽団。

 あ・うんの呼吸で編曲イントロが流れはじめる。

 

 ダンスのレッスンと共に受けていたボイス・トレーニングがギリギリで役にたった。当座の付け焼刃にはなる、かもしれない。

 

 「わたしはちっとも悔やまない。

  わたしはちっとも悔やまない。

          またやり始める――ゼロから」

 

 こんな意味の歌詞を、やや及ばずながら彼は歌う。

 途中、闇のどこかで低く唱和する一団があった。

 ちょうどヤジが聞こえた方角だ。

 

 緩やかな行進曲を想わせる古渡りのシャンソンを、至らないビブラートを効かせ、どうにか彼は歌いきった。弦の震えがおさまると、「まぁ、どうにか及第点だな」というような拍手。

 

 ――ちぇ、やっぱり難しいや。

 

 『成美』は照れとホロ苦さを味わって。

 それでもホールの雰囲気が通常にもどったので、来客たちはホッとした気分を味わっているようだった。

 

 パッ!と天井の灯火が生き返り、目の前の卓のならびが見渡せるようになる。

 

 ――うわ……っ!

 

 『成美』は内心ギョッとする。

 意外なほどの満員なお客さまたち。

 それが皆、自分のほうを向いて。

 

 ヤジの聞こえた方向を覗うと、鋭い目つきをする老若を取り混ぜたゴツそうな男たちが6名。こちらをチラチラと見て何事か話している。

 

 耳につけられたイヤリングから指示がとんだ。

 

《『成美』、各テーブルをまわってご挨拶だ。当然お触りもアリだからな!?》

「そんなぁ!聞いていませんよぉ」

《イイからやれ!マウ・レン(はやく)!》

 

 えー?と思いつつ彼は、手近なテーブルから順々に、しぶしぶ愛想わらいを振りまいて。

 

 ――とたん……。

 

 いきなり赤いイヴニング・ドレスごしにアナル・プラグからのクスリで勃起しつづける“おチンポ”が触られまくる。

 尻がタッチされ、撫でられ、揉まれて。

 平らな胸をまさぐる骸骨のように骨ばった手。

 なかには露骨にアヌスを触りに来てプラグにガードされると、鋭い舌打ちを響かせるな老婦人も。

 

 (テーブル)をめぐり――シャンパンを注ぎ――膝の上に抱かれ――キスをうける。

 脂ぎった賛辞に微笑み――胸を揉まれ――卑猥(ひわい)小話(チステ)に恥らってみせて。

 

 あっという間に『成美』のイヴニング・ドレスは、来客の手脂と、酒と、口紅と、涎でヘロヘロになってしまった。おまけに客のひとりに怖ろしいほど巧みな青年がいて、クスリで不感症にされていたにもかかわらず、不覚にも達せられてしまう。精がドレスの表地に滲むそのあとを老人たちがこぞってナメようとしたので、余計ヒドいことに。

 

 いじられすぎた人形のようにドレスも心も、なかばボロボロとなって、さらに卓を巡ろうとしたときだった。

 奥のほう、あのヤジを飛ばされたテーブルの傍らで、担当についたふたりのビェルシカ――バニー姿とアオザイ服――が客の足もとで正座させられているのが見えた。

 

 カッ!と“成美”の頭に血がのぼる。

 

 ――またアソコのテーブルは!

 

 ヨレヨレになったドレスの“お召替え”の指令を無視して『成美』が卓に近づくと、囚われの身であるビェルシカの『桔梗(ききょう)』と『クリス』が涙目で近づく彼を見上げた。

 

「よぅ――カマ野郎」

 

 一番若いチンピラ風なひとりが、ショット・グラスを手に『成美』を嗤う。 

 

「ようやく来やがったか。遅ェぞ」

「一体そのふたりが何をしたというのです!」

 

 “成美”はその若造をハッタと睨みすえた。

 チンピラは、意外な彼の迫力に少々鼻白みながら、

 

「あ?テメェ、なんだその口の利き方は。オレたちゃ客だぞ」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 低くドスの効いた、まるで別人の声がビシリと。

 出た、と『成美』本体すら久々の表層現出にたじろぐ。

 Oдержимостьの本領発揮。

 

「ンだと手前ェ!」

伍長(コォポラル)ーーそこまでだ」

 

 卓についていた最年長とみえる老人が、片手をあげ、若者を制した。

 すこし背格好がリヒテルに似た、大柄な人物。しかしその面差しは長年の試練をくぐり抜けてきたものか、深いシワが疲労の色も交え刻まれている。

 

「すまなかったな、キミ。他事象での暮らしが長かったものだから――しかし」

 

 この老人は周りを見回し、忌々しげに唇をゆがめるとシワをさらに刻み、

 

「久々に育ちの国に帰り、高級料理店だと聞いて来てみれば、ソドムの館ときたものだ。外象人(移民)に資本を握られたマスコミのおかげで男と女の離間が進み、男はバチャ・バジ(男色)、女はレスボス(同性愛)流行(はやり)とくる。根太の腐った官僚機構に侵食される政権。横行する不正。どうなっとるんだ――いや理由(わけ)は分かっとるのだが……」

 

 話の途中から“成美”は聞いていなかった。

 老人の顔をマジマジと見つめたとき『成美』の脳裏にひとりの少年の顔が浮かび上がる。

 彼はすぐさま理解した。

 

 自分の中にいる“人格”が、かつての従卒に出会ったのだ。

 

(隊長!――たいちょう!)

 

 航界機関士見習いの徽章をつけ、クリップボードを抱えて自分の後ろをちょこまかとついてきた黒髪の小学生。童顔をほてらせて、難しい指示に懸命についてこようとした小さな姿。ドジばかりやらかし、危うくて見ていられなかった“小僧”。

 

『――トゥコ!装備品のチェックは済んだのか!?』

『――トゥコ!火器担当に根回しは!?』

『――また遅刻したな?トゥコ!もう全員(そろ)ッてるぞ!』

 

 今見れば、その黒髪もすっかり薄くなり、ほとんどが白髪と化しているではないか。

 

 ――トゥコ……トゥコ!

 

 唇がふるえ、いきなり“成美”の目から涙があふれでた。

 締め付けるような胸の痛み――そして切ないほどの無常感……。

 





https://www.youtube.com/watch?v=XsKgXZHofRo
(音楽著作権切れてるから大丈夫ですよ……ね?)


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046:              〃                (中

 

 “成美”は、わずかに蹌踉(ヨロヨロ)とした足取りで老人に近づくと、シワだらけな額に醜くのこる火傷(ヤケド)のあとをなでた。

 

 攻撃を受け、電源を喪い大混乱状態となった前線基地で、この小僧が過熱したSTGのタービン部に頭をぶちあて、大火傷をおった名残だ。昏倒した小柄な身体を背負い、警備兵や整備士、パイロットたちが右往左往するなか、炎上する基地を背景に懐中電灯をくわえ、人ごみを突き飛ばしながら救護所まで全力疾走した時の地獄のような光景が“成美”の脳裏にうかぶ……。

 

 席にいた取巻きがザワつき、その中のひとりが、

 

「おいメスショタ風情(ふぜい)が!客にむかって失礼だろうが」

「ナニ慣れなれしく触ってクレちゃってんの?」

コロ()っそ!このクソ餓鬼」

 

「……いいんだ――ほぅっておきなさい」

 

 老人は、殺気立ちザワつく配下を制して、

 

「小僧、いくつになった?」

 

 これには“成美”も苦笑せざるをえない。

 泣き笑いで涙をふくと、足もとに正座するビェルシカふたりを一瞥(いちべつ)し、

 

「『桔梗(ききょう)』に『クリス』。ココはもういい、ご苦労だった――あぁ、それからコントロールにな?“エグリ・ビカヴェール”を3――いや4本、()()のツケで。山鶉(山ウズラ)のフィレ、それに血と脂身の詰まった赤腸詰が入荷してたな。あれをひと(かご)だ」

 

 正座にシビれた脚をフラつかせながら、少年たちが去ってゆく。

 さて、と腰に手を当て一座を眺めおろした“成美”には、一種みょうな風格が備わって。不思議な気迫に卓についていた荒くれ共も、すくなからず気圧される雰囲気。

 

「で――諸君らは、いったいドコの田舎から出てきたんだ?」

 

 オイオイ、あんまアオんなよと『成美』は“成美”の口ぶりに気が気ではない。

 この上、またスタジオのような乱闘沙汰は、ゴメンこうむりたいところだ。

 

「はぁ?人気オカマだからって、ナメてンのかよ」

「オレたちが生活保護で養われてるからッて、差別じゃねぇの?ソレ」

 

 フン、と“成美”は鼻を鳴らし、ギロリと、

 

「トゥコ!部下の(しつけ)が――ナッとらんな、えぇ?全くナッとらん!」

 

 老人の顔が、不意に愕然(がくぜん)とするのが見えた。

 対して周りのイカつい兄キたちは、ンだとこの野郎と掴みかからんばかり。

 

「隊長サンよ、どうする?――このガキぃ、シメますかィ?」

 

 軍用セーターを着たレスラー崩れのようなひとりが、凄みを肩から煮え立たせて席を立った。頑丈そうなアゴが食いしばられたようにグキグキとうごき、ブッソウな視線を放射する。

 「馬鹿野郎」と老人は小さな声でそれを座らせ、なぁ小僧と“成美”の方を見て、

 

「もっと声を聞かせておくれ。オマエの声は、昔の知り合いに良く似てる。もう少し声が枯れればそっくりなくらいにな?あぁ――コレだけでも来てよかった。ささ、もっと喋っておくれ」

 

 老残をさらす、かつての部下。

 しかし“成美”の目には、いつまでも仕様のないヤンチャな少年兵のままなのが、『成美』には分かった。

 

 いつまでもデキの悪い――可愛い――自分の従卒……。

 

 “成美”の口調が、また一段と低く。そしていとおしげに、あるいはどこか面白がるような口ぶりになると、

 

「そうか――トゥコ、お前も老けたナァ……“部隊伍箇条”!まだ覚えとるか?

 

    ひとつ、誠意に(もと)る勿れ!

    ひとつ、言行に恥ずる勿れ!

 

       ……この二項が全然守られてはおらんではないか!()()()が!」

 

 “うつけ”と罵られた老人の顔が、呆然としたものになる。

 まるで感情の真空地帯。

 やがて――疑念と、驚きと、喜びと。

 それが、いそがしい信号機のように代わる代わる表出して。

 

「あ……あ……」

 

 ワナワナと口もとをフルえさせ、言葉も幼児返りさせた老人は、

 

「隊長ドノ?……隊長ドノ――なの?」

 

 次いでその目から、大粒の涙がボロボロとあふれ始めた。

 

 これには“成美”もガマンの限界だったらしい。

 かすかに震える声を力づくで懸命に押しとどめ、あっけにとられる周りの兄サンたちをザッと眺め渡し、

 

「皆様には失礼かと存じますが、(よそお)いを替えろとの指示が来ております。申し訳ありませんが、一旦失礼致します――あぁ、ワインと(さかな)がきたな?何だソレは?ふん、ガーリック・バゲットに(シシ)肉のパテか。あとの品も急ぐように司令塔(コントロール)に言ってくれ!」

 

 泣きたくなる情動を抑えつけるためか、料理を運んできたバニー・ボーイにワザと荒々しい口調で怒鳴りつけると、老人のほうを極力見ないようにしながら(テーブル)をはなれ、ヒールを履く足取りも荒々しくバックヤードに去ってゆく――。

 

「見てたぞぉ『成美』!よくやった」

 

 “楽屋裏”に戻ると『桔梗』と『クリス』、それにフロア統括が両手を広げて彼を迎えた。手すきなビエルシカや、着飾ったパピヨンでさえも。ただし後者は、幾分の嫉妬と警戒混じりに。

 

「オーダーした品に関しては、こちらが負担しよう……どうした、目ェ赤くして。やっぱりコワかったのか」

「なんでもない。統括(チーフ)、安定剤をくれ――それと服の着替えを」

「なんだって?……安定剤だ?」

 

 フロア統括をする少年の目つきが慎重になる。

 

「キミに関しての“投与”は厳しく制限されている。声もヘンだな――風邪か?」

 

 なんでもない、と “成美” は全裸にされ、身体を清められながら、用意された華麗なオートクチュール風のイブニング・ドレスをしかめ面をして断わった。

 フロア統括の打って変わって渋い顔。

 

「これを着るように、上層(うえ)のほうから指示がだな……」

「う~ん、あれがイイな。ほら前に3Dカタログで見た、ナポレオン時代の士官服」

 

 会話に疲れ腹も()いた彼は、ちょうど(テーブル)から下げられて戻ってきた無傷な「オマール海老(エビ)のシャンパン蒸し」を素っ裸のままヒョイと一匹つまむ。そして同じキッチン・ワゴンに載っていた、半分ほど残るSALONをノドを鳴らし、グビリ、ひとくちノドを鳴らして」

 

美味(うめ)ェ――そうだ、店内の乱闘にそなえてサーベルのついたヤツがいいな」

「おまえ……『成美』?だよな」

 

 ひとりのパピヨンが、薄気味悪そうに彼を凝視して。

 シャンパンボトル片手に、二匹目の大ぶりな海老にオーロラソースをつけ、舌をだし上から美味そうにむさぼる“成美”に、一同は声もない。

 

(大丈夫かよ、コイツ。急に横柄(おうへい)になりやがった)

(なんか……キャラ、違くね?もしかして遠隔(リモート)洗脳された?)

 

 少年たちの間で交わされる目くばせ。ヒソヒソ声。

 

 士官服の件は、上層(うえ)から却下された。

 “成美”も我を張り、すったもんだのあげく折衷(せっちゅう)案でルイ王朝時代の小姓(こしょう)姿に。

 クリーム地に金色の刺繍が横溢するタイトな上下に、ヒザまでの絹靴下。

 見た目には、なるほどフェミニン(女性的)に見えなくも無い。

 

 とりあえずサッパリした姿で、客席に愛想を振りまきつつ件の(テーブル)に戻ってみれば、飲み食いしているのは壮年や若者の軍人崩れな印象の連中ばかりで、老人の姿が見えなかった。

 

「トゥコは――どうした?」

 

 「伍長」と呼ばれていた若者が、口のはしにワインをにじませ、“成美”をジロリ見上げてウサん臭さそうに、

 

「まァたメかしこんで来やがって……オマエさぁ、あの()()()の何なの?」

「あのオイボレの“児娼(こしょう)”とか」

 

 軍用セーターの中年が、(あぶら)の汁をほとばしらせながら血腸詰をブシュッと食いちぎり、純白のテーブルクロスに新たなシミをつくる。

 

「……いや、ちがうな。半世紀ぶりに日本(ココ)に戻ったとか言ってたモンな」

 

 別の一人が、追加でオーダーしたのか大振りな肉のロティを銀のフォークで襲いつつ、口いっぱいにほお張った不明瞭な言葉でモゴモゴと、

 

「でもよぉ。老いボレたよナァ少佐も。オレらもソロソロ見切りィつけなきゃ」

「“少佐”つッても、()()()の少佐だから。実力は、たいしたコトねぇ」

「でも人脈(コネ)はモノホンだからナ?――気をつけんとヨ」

 

 勝手なことを言いつつ、早くも赤ら顔で“血”を飲み食い※1する男達は、もはや悪鬼の相だった。

 

 酔って(かせ)が外れたのか、隊長への服従も敬意も、そこには見られない。

 上着を脱ぎ、セーターの袖をまくると、腕には空挺部隊の刺青(いれずみ)

 ひとりは音をたてて骨をしゃぶりつつ、横目でワインの残量に余念がなく。

 ハデなゲップは、領収書つき晩メシの黒メガネふたり組を思い出す。

 

 ――コンなやつらと……トゥコは。

 

「爺ィさんか?なら、中庭の方に行ったぜ」

「シャブるンなら今のうちかもヨォ」

「――どんな味すんだろ?」

「ヨセやい!久しぶりのマトモなメシが不味(マズ)くならァ」

「糖尿だから甘口のシャブリ、とか?」※2

 

 下品な爆笑を背中で撥ねのけ、フランス窓から中庭に出ると――居た。

 ベンチでひとり、コートも着ずに独りうなだれる風。

 

「――トゥコ」

 

 ソッと呼びかけると、力なく項垂(うなだ)れていた頭が持ち上がり、“成美”のほうを見る。しかし、また下を向いてしまう。彼が近づくとその姿のまま、

 

「隊長……ホントに隊長なの?」

「――そうだとも言えるし、そうでないとも言える。どした!ションボリして」

「……ホント隊長なんだね。まだ信じられない。生まれ変わりか……考えたことも無かったな。でもそれなら、なんでもっと早く来てくれなかったのさ!?」

 

 老人の口調は、すっかり従卒時代のそれに戻ってしまっていた。

 それを“成美”は、どこか心に懐かし嬉しく聞きながら、

 

「これは僥倖(ぎょうこう)なのだ。本来は――出会うはずなど、なかった」

「そう。でも良かった……すこし、元気がでた。いや逆かな?コンナ姿、見られたくなかったという気持ちも半分。だから、さっきまでは飛び上がるように嬉しかったけど――よく考えてみれば、恥ずかしくて複雑な気持ちだな。自分でも心の整理がつかないや」

「恥ずかしい、だと?」

「ボクの人生は、失敗でしたよ……失敗だった」

「アビィースィニィー(説明しろ)ニェ」

 

 老人は肩をちょっとすくめ、

 

「この歳になって根無し草。保証人がらみで破産して。その罰で探査院の年金剥奪されて。とどめに女房と死に別れてね。政務局の半端(ハンパ)仕事してるケド、仕事である若い連中の世話をしようにも職が無い。健康保険も、貯金も、それどころか明日の保証もないんだ。お先マックラさ」

「……ふぅむ」

「今日は、たまたま(ふる)い知り合いに会ってね。この料理店のプライム招待チケットをもらったんで、若い()にイイとこみせようと連れて来たんだケド……」

「それでか。このクソ高価(たか)い料理屋に、あの風体(ナリ)でよく通れたなと思った」

 

 トゥコは腕をのばし、情けなそうに自分の格好を見た。

 もとは上物のハリス・ツィードと思われたジャケットも、いまや持ち主と同じように生地が()り切れ、ほつれ、ところによっては芯地が顔をのぞかせている。

 

「……いっそ素直に宮廷公務員にでもなっておけば良かったと思うよ」

 

 ハ!と“成美”は一声(ひとこえ)、嗤い、

 

「30年以上、上司におびえながら振り子のような人生を送り、最後は小金を持った死体になるのが成功といえる人生か?どうだ、エェ?」

「……」

「お前は “生きながら死ぬ” ことにガマンが出来たのか?その覚悟があったか?」

「……」

「オレには(おそ)ろしくて、とうてい出来ん」

「……」

「微々たる国民年金をもらう80歳まで管に(カテーテル)繋がれながら半死半生で生きて、最後は汚物扱いをされて。死んで周りからホッとされるのが本望か?それで “生きた” と言えるのか?――アァ!?」

「……でも。でも、イマが……あんまりミジメで」

 

 ホロホロと、老人は落魄の涙を流す。

 “成美”は(くら)い夜空をあおいだ。

 

 星はおろか、月さえ見えない。

 遠くに、紅く明滅するのは官制飛行船の航空灯だろうか。

 

「……トゥコ。航界士と、ソレに関わるものはベッドの上で死ねない可能性が高いと、アレほど言ったろう。それどころか!()()()(ひとや)()()()()()場合もあるのだぞ」

「……」

「その代わり、魂の代償として目も(くら)むような光景を目の当たりにしなかったか?人生数回分の興奮と、スリルと、そして何より感激を味わったのではないか?」

「……」

 

 どこかで盛大な拍手。クラッカーの弾ける音。

 パーティでもやっているらしい。

 喧騒から隔絶された寂寥(せきりょう)たるこの中庭に、悽愴(せいそう)の気はいや増しに漂って。

 

「人生を失敗しただと?」

 

 “成美” は、さらに言いつのって、

 

「ダレが失敗と決めた?ダレが成功と決める?」

「……」

「そんな権利が、そもそも人間にあるのか?」

「……だって」

 

 ブスリとそれだけ呟いて、老人はまたも肩を落とす。

 “成美” の胸に、また涙がこみあげてきた。

 

「トゥコ――トゥコ。オレの可愛い出来(ソコ)ない――オレのただひとりの弟子……」

 

 お前のチカラになれたらなぁ、と彼は老いたる少年従卒を抱いた。

 だがその腕に、幾星霜を(けみ)したその大柄な身体は冷え切って、涙のでかかる“成美”を現実に引き戻し、(あわ)てさせる。

 

「ダメだトゥコ!こんなトコに居てはいけない――さぁ中に入ろう」

「アイツらとは、いまは一緒に居たくないんだよぅ」

 

 老人はイヤイヤとダダをこねた。

 “成美” は、そんな元・部下をあやすように、

 

「大丈夫だトゥコ。べつのこぢんまりした席を用意させるよ。それからオマエのこと、いま前線で活動する航界士の現状なども、ゆっくり話してくれ」

 

 彼に支えられながら、老人はフラフラと立ち上がった。

 そして明るい “人生の喧騒(さわぎ)” のほうへ、フランス窓を通り、もどってゆく……。

 

 

 

 




※1:エグリ・ビカヴェールは「雄牛の血」の意(ワインの飲酒を見たトルコ軍の誤解から)。
   つまりこの連中は「血の名前なワイン」と「血腸詰」と「血税」を貪るというわけです。

※2:モチロンご存知かとは思いますが、「シャブリ」は辛口な白ワインの名前です。
  (魚貝類にあわせると美味ですね!)


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046:              〃                (後

 イオニア式柱頭(ちゅうとう)を持つ柱の陰にあるちいさな二人席。

 本来は、悖徳の愛をはぐくむカップルのための、(ひそ)やかな(テーブル)だろう。

 そこに元・隊長と元・部下は、居心地わるそうにコソコソと座った。

 “成美”は通りがかりのチャイナ・ドレスの照りを魅せるビェルシカを呼び止める。

 エッ!と少年は驚いて、

 

「フロア・フォントロイがこんなトコでナニして……」

 

 アイシャドウが少々ケバい印象の、フェミニンな体型をした少年が目をむいた。それを彼は「シッ!」と制し、

 

「いいから『紅狐(べにギツネ)』、『恵娜(えな)』を呼んでくれ」

「ハァ?――あいつは今日、公休だけど?」

「ちッ……ようし『紅狐』、統括には居場所をナイショで「牡蠣(かき)のシチュー」と、それに白ワイン……そうだな、シュタインベルガーを頼む。あと安定剤があったら、それも」

「安定剤?なら――ボク持ってるよ?」

 

 少年は深い切り込みの入ったスリットをよせ、赤い裏地に映える綺麗(きれい)な太ももをあらわにすると、そこにガーターベルトで留められたポーチから小さな錠剤のPTPシートを取りだし、二錠ぶん折り取った。

 「サンキュ」と手を差し出す“成美”に、彼はヒョイと薬の乗る手を引っ込め、

 

「当然、タダってコトはないよね?」

 

 小悪魔っぽい表情をよせて――微笑(にっこり)

 

「う……分かったよぅ。なんだ?」

「ボクの代わりに、その人の相手が終わったら、カササギの(テーブル)をヘルプしてよ。今大変なんだ。PTAの役職ババァなんだけど、これがマタしつこくて。おまけに妙なテクもってる。お給仕と愛想笑いに、安定剤が必要になるくらい」

「それでクスリ持ち歩いてたのか。なら2錠ってのはボってるだろ。6錠だ」

「4錠」

「いいよ――それで。シチューは大盛りにしてくれ?」

 

 アイ・サー、と『紅狐』が機嫌よく去ってゆく後ろ姿を見おくって、しまった、(やす)かったかと『成美』の方は後悔する。

 水無し用の鎮静剤を飲み込む彼に、元・部下は感慨深げな顔をして、

 

「オレの好物と好きな銘柄を……ホントに隊長なんだナァ」

 

 クスリが間に合ってよかった。

 老いた元・部下と昔話などはじめたら、もらい泣きしてしまうかもしれない。

 

「――さ、話してくれ」

 

 彼は覚悟をキメて椅子によりかかる。

 腕組みをし、時代を経てきた相手を看て。

 

「オマエが今日と言うこの日まで、どんな人生行路を歩んできたかを、な?」

 

 老人の顔に、躊躇(ためら)うそぶりがみえた。

 眉根が深く刻まれ、薄くなった白髪頭が幾度も傾いで。

 やがて、

 

「オレの……いやボクの話はいいよぅ。忘れたいコトばっかりだし、ツラい記憶をくりかえしたくない。【(ツラ)い過去は反芻(はんすう)するな】。隊長のコトバだったよね?」

「う……そうか」

 

 考えてみれば、相手のほうが「認識時間」の長い“年上”なのだ。

 自分は『命の恩人』とはいえ、いくぶん敬意をはらうべきかもしれない。

 

「そんなコトより、隊長が行方不明になった後をはなすよ。そっちの方が知りたいだろ?」

「いくらかは知っている。部隊が解散となったことも――グラッドのヤツが殺されたコトもな」

「スゴい!隊長が死んでから十年は経ってるのに……あぁ、そうか。まだ転生してなくて天使のままで空から見てたんだね?」

「……まぁ、詳しいことは企業秘密、というか“(おきて)”で話せん。来世があると知ったら、みんな騎士か魔法使いにでもなるべくトラックの前に飛び出るからな」

「すごぉ~い……」

 

 歳に似合わぬ子供のような讃嘆。

 

「だが、そのあとだ。“奉天”が封印されてから……いや、暦でいうと栄暦(グロリアス・エイジ)***年以降のことが分からん」

 

 ――“奉天”?

 

 『成美』がピクリと反応する。

 なんで、人工自我ふぜいが“あの機体”を知ってるんだろう……。

 

「あぁ、ちょうど沖縄動乱があったころだな。強襲揚界艦がダース単位で事象侵略をかけてきたときだ。だいぶボクちの仲間がKIA((戦死))ったなぁ。おかげでボクも特進で中隊長さ。攻撃でズタズタになった部隊のね」

「おまえが!」

 

 “成美”の胸に、暖かい()()()がひろがって。

 まるで自分の息子の出世を喜ぶ父親のような。

 

「そぉかぁ、よくガンバッたな?」

「べつに。そんなに嬉しくもなかったよ。仲間が死んでの、繰りあがりだから」

「それで?どうなった」

 

 老人は肩をすくめる。

 

「沖縄事象面は()られたよ。今じゃ日本の占有事象面はすごく小さいんだ」

「とられたって……あそこのエリアまるまるか!?」

「あそこはいま相手国が占領した国の再教育・労働キャンプ島になってる――みんな死に損さ。政府の“なんとかスクール”の一部がしっぽ振って敵に情報流してるんだもン……そんなコワい顔しないでよ」

 

 “成美”はメゾン・ドールの天井を見あげ、絶句する。

 

「なにをやってるんだ……クソが」

「ま、その大部分は停戦合意のあと、相手国に表敬訪問に行ったとき、ナゾの航界機事故で全員死亡……いや親玉が残ったな。ウワサじゃ自分の行状消すために、事故を装って派閥全員消去したとか。死人に口なしってヤツ。そしてその子分が、いまや事務次官補やってる。隊長も知ってるハズだよ。ボクたちの物資を横流ししていた()()()さ」

 

 カッ!と“成美”の胸に、火のような怒りが走った。

 ギョロ眼の、小ずるそうなネズミ顔をした若い官僚の姿がうかぶ。

 

 それから二人はいろいろと話し合ったようだった。

 

 ・探査院関連、とくに前線航界士に関連する、意味不明な予算の減額。

 ・それにともなう前線基地の閉鎖。

 ・人員の削減。かわりに増加する、他事象面人材の政府内スタッフ起用。

 ・新型航界機に関する設計開発局の統廃合。

 ・一部の国を相手とした“不平等条約”の締結。

 

 『成美』が聞いた不景気うんぬんよりも、話のスケールが大きくなってきた。

 なるほど、こんな事をやられたのでは、国が傾くのもうなづける。

 

 料理が来た。

 

 湯気のたつ皿をまえにして、元・部下の目が細まる。

 「さぁ、食え」と、元・隊長の父親めいた微笑。

 老人は、おそるおそるといった風にスプーンでひと匙を口に運ぶ。とたん老いたる舌はメゾン・ドールが抱える料理人の腕に(うな)った。

 

「こりゃァ、美味(ウマ)い!」

 

 づついてふた口、み口。

 ホフホフと舌のヤケドに注意しつつ、涙ぐみながら、

 

「なるほどなぁ……金持ちの連中が、こぞってココに来るわけだ」

 

 食べている間は、ムズかしい話はナシだった。

 ふたりは昔の思い出に花をさかせる。

 伸るか反るかの大勝負。オッカナビックリの撤退戦……。

 

 やがて元・少年の胃袋も満足し、そろそろ白ワインがまわり始めるころ、愚痴はふたたび湧きおこり、

 

「官僚(ヤツ)らはサ?国がどうなろうと、自分の組織が守られればイイと思ってるんだ。事象面間の経済戦争に負けつつあるんで、相手国の組織の一部にくっつこうと一部の省庁が運動してるって」

 

 “成美”は首をかしげる。

 

「なにが目的なんだろう?――政府は。いや宮殿か?」

「さぁネ。最近はコノ手のレストランも増えて、国内がエラく“ソドムちっく”になってら。男女離間工作っての?それが進んで男はショタに。女はレスボスに。おまけに高額な“生口”の輸出もふえてるみたいだよ?」

「SEIKO?」

「性奴隷用に仕込んだ人間、または人間を材料にしたアンドロイド――ドール(人形)とも呼ばれてるけど」

「航界士用のドロイドじゃなくてか?」

「ちがくて。完全にアッチのお愉しみ用。日本人は、高値で売れるらしい」

 

 顔をしかめ、HENTAIどもが、とトゥは手をヒラつかせて。

 

「……なんで日本人が?」

「肌のキメがどうとか――征服欲を、満足させるとか」

「まさしく。ヘンタイどもの考えるコトは、分からん」

「コレに関しちゃ、国家間の商取引はおろか、国際的な入札も行われてるんだ。 “市場” と書いて『スーク』ってよばれてるけど。超高級・性奴隷専用の新作品評会を兼ねた“セリ市”だね」

「国は対策をとらんのか?」

「首相級があつまる国際会議ですらスークの期間はひらかれない……わかるだろ?」

 

 “成美”は絶句する。

 『成美』のほうは、図書館でみた『タチアナ』のSM撮影会を思い出した。

 あそこで警察に通報していたら、どうなっていただろう。

 

「この店だって……」

 

 トゥコはイスから身を乗り出して、柱の影から、(みだ)らな夜の衣装で着飾った少年たちが、卓の間を遊弋(ゆうよく)するのを観察する。

 

 正面の席では、パニエ付きなラメのレオタードを着た少年が、老婦人にタマタマをなめられていた。“作りモノ”の()()()()をかすかに立て、トゥコと視線が合うと、さりげにウィンク☆彡。

 

 ヤレヤレと首をふりつつ、老人は身を引っ込めると、

 

「昔ァ、名の通った超一流のレストランだったんだ。ボクもチケットをもらった時は、喜んだモンさ?」

「うん」

「でも、いまじゃ宮殿・首都圏では右に出る店がない、超一流の奴隷あっせん高級料理店とか。ここの産は「CRU・メゾン」といって値段がハネあがるんだって。さっき聞いたんだ」

「市場ってのは、どのくらいの頻度で開かれるだろう?売り先は?」

 

 “成美”の口をインターセプトして『成美』が聞く。

 『タチアナ』の売られた先が知りたかった。

 何とか彼女を、助けられたら。

 

「なに?隊長も、もしかして買おうと思ってる?なーんて。いまのそのカッコウ、探査院の潜入捜査か何かでしょ?」

 

 ムッハー!と変にやるきを出しつつ、

 

「売り先も残念ながら知らないよ。ココは貧乏人には、雲の上のそんざいらしいや」

「俺の知っているコネで、生きている連中は――あるいはツカえそうな組織は?」

 

 “成美”がふたたびコントロールを取りもどし、トゥコに聞く。

 うぅん、と老人は腕組みをして、メゾンの高い天井を見上げた。

 

「ムズかしナァ。あれから日本事象面は、(いや)、日本だけでなく世界は、ホントいろいろあったんだよ……」

「まさか……全滅。ってことはないよな?」

 

 昔の航界士たちだろうか?

 ふいに、いろいろな顔や姿、機体が『成美』の脳裏に浮かんで。

 

「あれだけの男たちが……みんな?」

「えぇと、GRU……は民営化か。ゾンダー・アインザッツ・コマンドスは市民団体とマスコミにつぶされたし……」

 

 結局、トゥコが挙げたのは以下のユニットの一部だった。

 

 ・第2外人航界士連隊の一部である「GBU」

 ・第400ブランデンブルグ航界旅団

 ・第36辺境事象面山岳猟兵師団

 ・第13網化事象面強行偵察航界団

 ・ネオ・アメリカ情報省特殊探査グループ

 ・第7騎兵航界団

 ・英国SBABS

 

「あとは、知らない。いまでも隊長の名前を出せば繋がるのは、コレくらいじゃないかなぁ。もっとも信じてもらえるかは、別だけど」

「そいつらに一報入れてもらえないか。あとで文面を書く」

 

 向かいの席で(あえ)ぎ声があがりはじめた。

 すぐさま、卓に装備されているボィス・キャンセラーがはらたき、無音のなか、客のヒザの上で半裸になった少年の上下運動。

 あたかも二人に見せつけるように、パーテーションの扉をオープンにし、張り型をつけた老婦人がドヤ顔でドレスの上に少年の精を散らして。

 

「世界はゆるやかな崩壊に向かっているというわけか……」

「時代だよ隊長――世界が爛熟(らんじゅく)して、腐臭を放っているんだ」

「愚者の群れが賢者を圧倒し国を迷走させ、独善的な理想に(いん)する者が(じぶん)自慰(オナニー)を他人に強要する。つまるところは(めしい)(あした)す世の中、か」

 

 ()()()()()()()()サ、と老人は肩をすくめ、

 

「いくらナゲいたって、ボクらじゃ仕方ない」

「抵抗しようとするものは居ないのか――クソが」

「居るとすれば、ボクたちのような存在じゃ?だから時代に排斥(はいせき)されるんだよ」

 

 うぬぅ、と“成美”は腕組みをして。

 

 彼方で、なにか騒ぎが持ち上がっている。

 あの『伍長』の怒鳴り声も、かすかに。

 

「ヤツらだ……」

「ボクはもう行くよ。あいつらを省営団地におくらないと。文章は?」

 

 まて、と“成美”はテーブルに備え付けのメモとペンを取り、なにやらキリル文字で書き始めた。

 

「……『キュービィ』?おもしろいW/N(ウィング・ネーム)だな」

「『()()』だ。コイツの本当の名前だ」

 

 メモを読み終わったトゥコはテーブル越しにマジマジと見つめてきた。

 

「本当かい、そんなことって――あるのか」

 

 あえぐような、老人の声。その眼差しは、ある種の(おそ)れを含んで。

 

「でもサ、じゃぁ――」

 

 叱ッ!と“成美”はトゥコを制して、

 

「コイツはナ、もしかしたらオレたち航界士の“切り札”になるやもしれん」

 

 遠くの騒ぎが大きくなった。

 チッ!と老人の舌打ち。

 

「アイツら……」

 

 シワが、苦々しげに深く刻まれる。

 どぅれ、と“成美”が面白そうに席を立った。

 

「――またまたウデの、見せ所かな?」

 

 結局、“成美”の華麗なワザが披露されることはなかった。

 店の衛士に囲まれ、大立回り寸前の酔っぱらった兄キたちを、彼は当意即妙なウィットや、航界士だけに通じるホロリとくるようなスラングで丸め込んだあと、老人と一緒にていねいに店の外へと送り出すことに成功する。

 最後にはすっかり『成美』のファンになって。

 

「あばよぅ!ナルミちゃん!」

「フェミショタはキライだが、おめぇは別だァ!」

「いつか一緒に飛ぼうゼ!」

 

 店を出るときには、彼らは本来の“気のいい連中”に戻っていた。

 

 ――衣食足りて礼節を識る、か。

 

 彼らは虐げられすぎていると“成美”は想う。

 腹が美味いものでみたされ、一杯機嫌ともあれば、ねじけた心も和らいで、本来の地金が輝きだす。錆び汚れ、地に墜ちてしまった彼らだが、本来は黄金なのだ。

 

 一度抱擁しあい、名残惜しげに分かれた老人が、アヤしげな足取りの兄キたちを引率してゆく。今日は借りが出来たなぁ、とフロア統括が背後から声をかけた。

 

「お前が一級候補生だってホントなんだな」

 

 そして前に出て、フラフラと遠ざかってゆく一団の背中を見送りながら、

 

「あんなチンピラ航界士()()たちを手玉にとって」

「ボクは――なにもしてませんよ」

 

 “成美”はそっけなく返す。

 

「彼らの理性が戻っただけです。世が世なら、あの連中だって前線指揮官どころか探査院の役職クラスなんですから」

 

 

 ♪(ひゃ)ァァク()ン――――百ァァク年ン――――百ァク年ン、生きて

    ()ェェン()ン――――千ェェン年ン――――千ェン年ン、飲んで※

 

 “成美”からお土産にもらったボトルを最後に振り回し、古強者(ふるつわもの)の一団は、歌声をだんだんと小さくしながら、街灯がわびしく照らす、とおい曲がり角に消えていった。

 安定剤が効いていなかったら、もしかして涙を流していたかもしれない――そんな気分のする()()()()だった。

 

「やり切れんな……まったく」

 

 そのとき、フロア統括が“成美”の背後に向かって一礼する。

 

 ――だれだ?

 

 彼が振り向くと、各層のフロアを総合して指揮するジェネラル()マネージャー()が、太鼓腹を包むベストから下げた時計の金鎖をもてあそびつつニコニコと。そして手あかのついた決まり文句で、

 

「『成美』クン、キミに良い知らせと悪い知らせがある――さて?」

「悪い方から聞きましょうか?」

 

 今夜は、もう今さらナニを言われても驚かない気分の彼だった。

 

「悪い知らせは……キミが今週末の金曜に予定していたデビューが中止になった」

 

 なんだ、と『()()』は拍子ぬけする。

 

「ぜんぜん問題ない。むしろいい知らせじゃないですか。それじゃ――」

「そしていい知らせは……」

 

 GMは彼の言葉をさえぎると、もったいをつけ、ニヤニヤと含み笑いを一拍分。

 

「キミの評判があまりに大きくなりすぎてね。デビューである“七つの舞い”を観たいと申し込みが殺到しとるのだよ。ウチのハコじゃとても収まりきれん。そこでだ!舞台を歌劇座の大ホールに移してだな、(ノイエ)ベルリン()フィルハーモニー()管弦楽団()の演目のひとつとして行うことにキメたのだ。指揮はモチロン、名手ソウダッケで。当然“舞い”の伴奏も新ベルリン・フィルだよ?」

 

 クラッ、と彼の意識がゆらぐ。

 自分のストリップ・ダンスが……あの名指揮者ソウダッケのタクト(指揮)で!

 

 ダニューブ川を流れる愚者の船、という文句がチラチラ浮かぶ。

 価値の転倒、ココに極まれりだ。

 

 あぁっ!こんなトコにいた!と、そのとき声がかかった。

 

非道(ひど)ィよ『成美』ぃ!いつまで経っても来てくれないじゃないか」

 

 乾いた視線は『紅狐(べにギツネ)』のふくれ(ツラ)をとらえる。

 

「お客サマ、だいぶお待ちなんですケド!?」

「ほんと、やり切れんな……まったく」

 

 彼はガックリと肩をおとす。

 

 

 

 

 





※古いポーランドの民衆歌の珍歩アレンジverです。
 (著作権に抵触せず)


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047:ビェルシカの1日のこと、ならびに高級公子のこと(前

 “七つのヴェールの舞い” の「お披露目」が延期になり、生活のリズムがすこしラクになるかと思いきや、現実はなかなか厳しかった。

 

 明け方ちかくまで「メゾン」で接待をしたときは、東雲(しののめ)(あお)さを彼方に望みつつホテルに帰り、午後おそくまでベッドの中に。

 全身に泥が詰まったような感覚で目覚めた後は、気怠(けダル)くベッドを抜け出すと部屋の角に位置するバスルームに行き、ブラインド二面を開放して、午後の都市を眺めながら(ぬる)めのジャグジーで5分ほど、タイマー付きの()()()()をかます。

 

 たぶん部屋がモニターされているのだろう。その最中にルーム・サービスが勝手に入ってきて、遅めのブランチを置いてゆく。風呂上りにはテーブルの上に湯気の立つ料理が用意されているという寸法だ。

 

 なにか……どんどんMaison d'or(メゾン・ドール)の術中にハマってゆく感触。

 しかし。

 先述したように、彼自身にも一応のもくろみはある。

 

 当分、ここでウェイターの真似ゴトなどをしつつ、雲海探査の企図が延期、または計画廃棄にならないか、おりを見て瑞雲の仲間に連絡をとり、様子をうかがう。

 

 もし、探査院が計画をあきらめないようなら、ビェルシカの『成美』として顔を売り、お客の中で地位が高く顔の広い者をみつけ、コッソリどこかの企業にモグりこむ算段だった。最悪、探査院からの追跡がしつこいようなら――日本事象面(ベース)からの脱出を考えてもイイ。

 

 ノドの奥に妙にカラむ不思議なホワイト・ソース。それがタップリとかかったサーモンのムニエルを平らげながら、そんなことを『成美』はボンヤリ夢想している。だが、いまこの瞬間も監視するであろう見張りをどうするか?新しい身分証は?日本を脱出する場合、外貨の両替、なにより査証(パスポート)はどうするか?――などとは考えない彼だった。経験不足なせいか、どうも肝心なところでツメが甘いということを、彼自身はいまだ気付かない。

 

 口中に残るブランチの味をペリエ(天然炭酸水)で清めるころ、待ちかねたように入電。

 

「『成美』、今日は金曜日(かきいれどき)だ。忙しくなるぞ?ところで『牛若(うしわか)』が都合で来れなくなった。今日も“Floor Fauntleroy”イケるか?」

「えーまたですかァ……Papillon(パピヨン)候補にやらせればイイじゃないですか」

「オマエだってパピヨン候補だろうが」

「ゼッタイに()です!」

 

 このごろは、いっぱしのコトを言うようになった彼である。

 

 なにせパピヨンの登竜門とされているあの役は、客からイジられることハンパない。そのクセ時給は同じだというのだから、パピヨンに興味がない彼にはなんの「(ウマ)み」もないのである。また彼は自分の人気がソコソコ出てきて、店もホクホクらしいことを感づいている。少しぐらいワガママ言ってもバチは当たらないだろうと判断していた。

 

「そう言うなよ。手当てなら、少しぐらいハズんでもいい」

「……すこし?」

「う~ん、インセンティブ(歩合報奨)なら、考えてもいい。ただし(ホカ)にはナイショだぞ」

 

 詳しくは店で、といって担当は連絡を切った。

 ヤレヤレ、と『成美』はペリエをグビリ。

 そしてこのごろ妙に柔らかくなった自分の肌を、シルクのガウンの上から(さす)る。

 

 15時にスタジオに入り、サロメ姫のマネ事。

 新BPOとのコラボということで、新しい男のダンス監督は気合が入っていた。

 

 ジャンプはもちろん、重ね着した衣装のヴェールの動かし方やヒダの作り方、果てはわずかな手のしぐさ一つに到るまで容赦(ようしゃ)なくチェックが入り、怒声がとぶ。

 練習をすればするほど“七つのヴェールの舞い”は奥が深いのが分かった。今ではちょっと面白くなり始めている。少なくとも女装してHENTAIどもの相手をするよりは、ずっとイイ。ただし最後にフルチンになるのを除けば、だが。老指揮者ソウダッケは、その時どんな顔をするのだろうか。

 

Нет(ダメ)!!Нет(ダメ)!全然違ウヨ!――ソレジャ伝ワラナイ!!」

 

 バミった位置にぴたりと「パ」を収めたが、“ミーシャ”のダメだしが飛んだ。

 ヒザに手をつき、肩であえぎながら眩しそうにロシア人監督の指導を聞く。

 

「ナルミ!キミならモット出来ル!ソノ才能(さいのう)ガ泣イテルヨ!?ジャンプ→パは、モット叙情的(じょじょうてき)ニ!!衣装ノ()ラギをシッカリ頭ニ入レテ計算シテ!!ロシア語デ考エテ!」

 

 ――戦闘機に乗るんじゃないんだけどな……。

 

 そんな練習を、陽がトップリと暮れるまで。

 『成美』がヘロヘロになって、点滴(クスリ)なしでは動けなくなるまで。

 

 体力回復用のシリンダー・ベッドに入れられ約1時間。

 シリンダーから叩き起され、リモ(リムジン)で店に移送されて夜の装いを整えれば、もう20時をはるかに過ぎている。

 

 そのまま、フロア・フォントロイとして客席に挨拶。

 卓をまわり、お客のご機嫌をとり、(さわ)られ、(いじ)られ、(なぶ)られて。

 

 衣装を着替え、料理の余りモノで小腹を満たし、再出撃。

 客と険悪になったビェルシカの間に入ることもあれば、(メゾン)での居心地を良くするため、さらに一般フロアで接待するパピヨンたちのヘルプにも。

 あくまで下手に出て、彼等のプライドと客の印象を傷つけないように……。

 

 もし、パピヨンたちを敵に回せば大変だった。

 ロッカールームのイヤがらせはもちろん、テール・プラグにタバスコを塗られ、悶絶しかねない。そんな例をニ、三度『成美』は見てきた。

 

 私服をかくされ、(メゾン)(みだ)らな衣装のまま毛皮(コート)を羽織り帰寮する最中、暴漢に襲われたビェルシカ。

 ハイヒールの内側に皮膚浸透性のモルヒネを塗られ、昏倒した隙に犯された見習いの少年……。

 

 いまのところ自分は(うま)くたちまわっていると『成美』は思う。

 瑞雲校でハブられた苦い経験から教訓を読みとり、すべて目立たないように、下手(したて)に下手に動いて。

 

 “楽屋裏”でバニー・ガールからメイド服に着替えさせられていると、ビェルシカの『サイモン』が呼びにきた。

 

「『成美』!『ナオミ』さんが呼んでるよ。ヘルプに来てくれって」

「うげぇ……?」

「じゃ、たしかに伝えたからね!?」

 

 そういうや、そそくさと『サイモン』は去ってゆく。

 

 ――パピヨンの『ナオミ』……。

 

 黒人の血が入ったこの高級公子(クルチザン)は、(メゾン)でも1,2を争う人気のパピヨンだった。

 もうひとり、ロシアの血が入った『アナスタシア』とは“犬猿の仲”……とは言わないまでも、互いに水面下で競い合い“竜虎相打つ”の感がある。表向きは双方ともプライドがあるのか波風は立てないが、派閥の駆け引きがすごいと聞いていた。

 

 瑞雲校で言うところの、龍ノ口が仕切っていた『北組(ノルド)』とザハーロフが管轄する『南組(ソゥード)』の関係を、『成美』は思い出している。人が集まればドコにでも似たような構図が生まれるんだナ、と彼は半分ウンザリして。

 

 着替え終わったのが地味なメイド姿でよかった。

 宮廷ドレス姿など着付けられていたら、目も当てられなかっただろう。

 

 おそるおそる、といった感じで『成美』はフロアの(きざはし)を数段あがり、さらに高級なエリアへと進む。下の一般エリアとは違い、ここはグッと静かな印象だった。

 

 ひそやかな(ささや)きで構成される会話。ふくみ笑い。

 遠慮がちなシルバー(カトラリー)の食器と触れ合う音。

 毛足の長い絨毯が、その音すらも吸い取ってしまうような。

 照明もグッと落ちて、互いの卓を見渡すことも困難なほど。

 まるで――そう、深海の秘めやかさ。

 

 ここはパピヨンたちの世界だ……。

 

 「レバノン」のテーブルに2人のビェルシカをヘルプに(はべ)らせ、三人の老婦人を『ナオミ』は接待していた。

 このフロアでは、テーブルの名前が地名や場所になっている。店内が薄暗くて見通せないが、遠く「ビザンティオン」の卓には『アナスタシア』がやはり同じようにヘルプを従え、賓客に奉仕しているのだろう。

 

 ――ここは一つ、クラシカルにいくか……。

 

 都合6人の視線を受け止めながら『成美』は覚悟を決めた。

 いつもの通り、航界士候補生風に左足(さそく)(かろ)く引き、身をかがめて一揖(いちゆう)

 

「尊敬すべき『ナオミ』様」

 

 彼はあくまで控えめに、才気走らないよう注意しながら、

 

「お()びにより参上(つかまつ)りました――『成美』に御座います」

 

 三人のうち二人の老婦人は、ちょっと顔を見合わせ莞爾(ニッコリ)とする。

 

「あら――イイじゃないの」

貴方(アナタ)ね?一級候補生の。よく辞めてきたわねぇ」

 

 残る一人は厳しい面差しをゆるめることなく『成美』を()めつけた。

 

「航界士なんて!あんな死にたがりの愚か者たち!」

 

 不意に、老婦人には似合わぬ意外な激しさで呟くや、

 

「アナタが任官拒否者でなかったら、このテーブルには近寄らせませんでしたよ」

 

 メガネをかけた彼女の意外な剣幕にも『ナオミ』は動じることなく、

 

「ま、民陳(ミンチン)サマ。彼も(おのれ)の路の誤りに気付いて、ココに居るワケですし」

「ホントウに。来年になったら、ウチの省で航界士制度を抜本的にあらためます!」

 

 『ナオミ』は『成美』のほうをみて、

 

「分かったろう?このお方は文化(ぶんか)省の副大臣であらせられる。くれぐれも失礼のないように。その気になれば、探査院などにも影響力を行使できるのだからね?」

「そこまでは……もともとあそこは宮殿の管轄ですし」

 

 老婦人は権力を示された照れを、飲むフリをするティーカップの影にかくした。

 次いで、残る二人のうち片方が『成美』のメイド服を見てちょっと不満げに、

 

「それにしても衣装が地味ねぇ。もう少し見栄えのするのは無かったの?」

「うん。少なくともこのフロアに来るときは、もう少し着飾るべきだね――彼らのようにサ?」

 

 『ナオミ』は(テーブル)わきに片ひざを付いて控える二人のビェルシカを示す。

 ひとりは光り物で全身を飾るペルシャの“酌姫(サーキー)”めく装い。

 もうひとりは、古代エチオピア王朝の王女をイメージした衣装。

 

 うす褐色な肌をした美貌な少年は、白い歯を見せ、悪戯っぽく笑いながら、

 

「それとも――ボクの卓のヘルプでは、そんな必要はないと思ったかな?」

 

 しまった、発想が逆だったかと『成美』はヒヤリとする。

 だが、こういうときに彼のアタマはよく回った。

 あくまでゆるやかに、ふたたび一礼すると幾分つよい口調で、

 

「ボクにだって――プライドがあります!」

 

 ホゥ、とすこし『ナオミ』の瞳が光る。

 だが、相手が何か言い出すまえに『成美』は素早くあとを継いで、

 

「いくら着飾っても『ナオミ』様のまえで自分がくすんで見えるのでは――余りにミジメではないですか。そこは、ご斟酌くださいませんと」

 

 褐色のパピヨンは瞳の光をすぐに消し、フッと短く(ワラ)う。

 

「まったく。キミもなかなか口達者だねェ。もうすこし初心(ウブ)な仔だと思ったんだが……ボクの派閥には、キケンかな?」

 

 あら――イイじゃないの。と最後まで黙していた老婦人が、

 

「なかなか、見所があるコだわ。もっとも――貴方(アナタ)ホドじゃないケド?」

 

 そう言って高級公子(クルチザン)(ほお)に軽くキス。

 

 あとは、巧くいった。

 

 おそるべき通過儀礼をどうにか無事に済ませた『成美』は、一団のなかでは一番下手に出て、あくまでパピヨンや先輩ビエルシカの引き立て役にまわる。自分が知る面白おかしいウワサ話や、少しコワい話など。適度に先輩たちからも、ワザと叱られてみせて。

 

 やがて“管制塔(コントロール)”から「お着替え」を命じられたのをしおに、この剣呑なフロアから退出した。

 

 階段を下りるときヒザがガクつく。

 彼は自分がいかに緊張していたのかをはじめて()った……。

 



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047:            〃             (後【18禁版】

 その日の仕事が終わったのは、26時もかなり回っていた。

 

 数度の“お着がえ”をへて、最後は振り袖をまとわされ奉仕をつづけた『成美』は、ポックリを履く足もともあやしくフラフラになりながらバックヤードに戻ると、スチール製の細長いロッカーが並ぶ、開放された(ひかえ)区画(エリア)にゆき、ビニール地なソファーの座面を鳴らしてグッタリと座りこむ。

 

 背中のお太鼓や、はさまれた詰め物がジャマだ。

 なによりキュウキュウに締め上げられた帯が苦しい。

 まるでボンデージ・スーツの革製ウェスト・ニッパーめいて。

 

 浮かびかかる不吉な記憶を封じ込め、数百ギニーはすると言われた西陣織(にしじんおり)の帯を手荒(てあら)にほどき()てると、前身頃をハの字全開に開け放ち、うすピンクな腰巻に黒い貞操帯が透けるまま、しどけなく足を投げだした。

 

 顔に、血の気がもどってくるのがわかる。

 耳のなかに、こめかみに、心臓の鼓動(ビート)がトク・トクと。

 

 絹の照りを魅せる赤い裏地を背景に、白足袋を履く素脚の生々しさ。

 

 早上がりのパピヨンたちが――これも様々な衣装で――そんな彼にむけ、各人各様の視線を投げかけて。

 

 ――警戒

   ――侮蔑

     ――敵意

       ――嫉妬

         ――追従

           ――憐憫

             ――そして欲情……。

 

 

 えッ!?と思ったのはその時だった。

 チリチリと音が近づいて、きわどいメイド服姿の少女が、うなだれた暗い視線で目の前の通路をよぎってゆく。

 

 ――愛香!?

 

 一瞬、喜んだものの、彼女はイツホクについて出張中のはずだった。

 涼子社長のようなピン・ストライプのビジネス・スーツをキメて、イツホクに続きリモの後部座席に乗り込むのを正体不明の胸苦しさとともにメゾン・ドールの車寄せから見送ったのを覚えている。

 人ちがいか、と脱力しつつ、

 

 ――あんなJKめいた仔が……。

 

 (おマ○コ)(アヌス)ろ、場合によっては尿道(ユリスラ)までズップリと淫具を挿入され、ラビア(小陰唇)に鈴付きのピアスまでされているかと思うと痛々しい。

 そして、そのJKの横顔を見たとき――ふと彼はイヤな記憶が甦りかける。

 

 あの娘はココにいてはいけないような……。

 なにか非道なことが行われたような……。

 そもそもドコで見かけた子だろう……。

 

 記憶をたぐろうとするも、今夜はもう頭が飽和状態だった。

 いさぎよく未練(みれん)を捨て、ソファに寄りかかる。

 はしたなくも、大股(おおまた)びらきで。

 

 高価な振り袖を脱いで衣装担当のオバさんたちに渡し、呼んでもらったハイヤーでワタのように疲れた身体をホテルの部屋に運んだ彼は、シャワーでほんのり色づいた素肌にパール色なシルクガウンを羽織(はお)り、壁一面のガラス窓に(おのれ)裸体(はだか)を映しつつ、眼下にひろがる夜景を眺めわたした。

 

 彼方をまた、航界機の航空灯がよぎってゆく。

 それは先日の椿事を、彼に思い出させた。

 いつの間にか注入されていた“防(Oдер)用自(жимость)我”……。

 

 どうやら生身の人間の記憶を「加工」して、作成されたような気配。

 実在の人間と情報を細部にわたってやりとり出来るのが、その証拠だ。

 ハナシの感じから、相当古い人格データをつかっているらしい。あの老人が少年だったころに隊長なのだから、生きていればかなりの歳だろう。

 

 それが完全な一個人の自我ではなく、加工されたモノである証拠には、死後の出来事まで知っている(らしい)ことが挙げられる。

 

 ――“奉天(ほうてん)”のことを知っていた……。

 

 それどころか、『九尾(きゅうび)』という名前まで。

 

 彼は窓に映った自分を凝然(ジッ)とみつめる。

 どこかオカルトめいた薄気味わるさ。

 自分の知らない自分が、都市夜景の爛熟な(かがや)きを背景に、闇の奥からこちらを見返してくる感覚。

 

 おそるおそる、丁寧(ていねい)な口調で問いかける。

 

「ねぇ。アナタは――いったい誰なんです?」

 

 返事はない。

 

 生マジメそうな少年が、緊張した顔をするのを観るだけ。

 『成美』は、とりあえずホッとする。

 ここで自分の口が勝手に動き、ひくい声でしゃべりだしたら《オシッコちびる》に有り金を全部賭けていい。

 

 ――Oдержимостьとの意思疎通は、できないものだろうか。

 

 彼は界面翼の話を思い出す。

 自分の翼は自分では見えない――雲海の中を除いては。

 

 おそらく、なにか契機(きっかけ)がないと、現出しないのだろう。

 自分のピンチ……あるいは(えん)のある人物との接触?とか。

 

 はぁっ、と彼は窓際の革ソファーに腰かける。

 

 ――今日は疲れたァ……。

 

 明日は休みたい――でもダメか。

 “舞い”のスタジオレッスンもある。

 イサドラの代わりのダンス教師が、マトモな人でよかった。

 

 ――そういやあのサド女教師、ドコいったんだろう……?

 

 鉛のように重たい身体を立ち上がらせ、フラフラとベッドに倒れこむ。

 音楽でも聴こうと手探りでヘッド部にある機器を操作すると、手元がくるったのかアロマテラピーのスイッチにでも触ったらしい。

 

 かいだことのない穏やかなハーブの香り。

 かすかに部屋をただよい、『成美』の鼻腔をくすぐって。

 やがてゆるやかに天井が回りはじめ、彼は背中から(ねむ)りに墜ちてゆく……。

 

 ――……。

 

 ――……。

 

 ――……。

 

 ――あ……まただ。

 

 

 ()せかえるような、革の匂い。

 ジジジジ……と秘部を苛むモーターの振動。

 身体の深層(おく)からゆっくり(あぶ)られるような、せつない(もだ)え。

 

 胴体(どう)をギッチリと砂時計のように締め上げる、ウェストニッパーの気配。

 頭はスッポリと革のふくろで(おお)われ、そのうえ目隠しまでされているらしい。

 口には丸い球を(くわ)えさせられ、あえぎ声も満足に出せない状況。

 

 (かぶ)せられた革袋に通気口は空いているのか、妖しく(よど)んだ空気の臭い。

 どこかで奴隷を()(さいな)むのか、ムチの音と嬌声。

 あるいは別の方から、肉の焦げる気配――絶叫めく女の悲鳴。

 

 ――そうだ、ワタシもお(また)に焼き印を……。

 

 もぢもぢと無意識な内股歩きは、よけいピンク色めく情欲の淫火を(あお)る。

 

 と、(くび)のうしろに圧迫感。

 

 幅広の首輪を巻かれ、そこから延びる(くさり)()かれているらしい。

 チャリチャリと(つめ)たい、胸のうちを(かな)しく冷やしてしまう様な音が、被せられた革袋ごしに硬い空間を響くのを(かす)かに聴いて。

 腕は、後ろ手にひとまとめにされて拘束された格好と思えた。

 合わせられた手の甲側で、自分の尻を恐る恐る()でてみる。

 

 ――えぇ……ッ!?

 

 信じられないほど肥大化され、ムッチリとした感覚……。

 まるでタップリとシリコンでも注入されたような。

 わずかに突き出たアナル・プラグも、肉感的にされた尻のヴォリュームに負けぬよう、よほど野太いものをズップリと奥まで挿入されている気配が。

 

 ――そんな……そんなぁ。

 

 ピンヒールらしきものを履かされ、硬い廊下をヨロヨロ歩く緊張感。

 それが、秘部をよぎって上に締め上げる、ハイレグらしい股革(またかわ)の内側に突き出た責め具をイヤがうえにも認識させ、愛液に濡れた太ももをヌラヌラと()り合わせて歩くたび、花弁のしこりを熱くさせてしまう。

 

 あッ!と『成美』は硬い床(石畳?)を踏みそこねてヨロけた。

 身体がふれ、危ういところで立ちなおるが、その拍子に自分の胸がユサリ、と()る確実な重さをもって主張したのに気づかされる。おまけに根元がくびられているのかジンジンと、痛(カユ)い。

 

 ――おちついて。深呼吸三回……これは、ただの夢()()()……。

 

「ホラ、急ぎなさい!」

「ナニよろけてンの!」

 

 左右から腕を取る女の声。

 ピッ、と蜜壺に挿入された器具から、よわめの電撃。

 

 あァッ!とふたたび崩れ落ちかけるが、両わきを掴む腕が許さない。

 それが細い指で握られるため、二の腕に食い込んでとても痛いのだ。

 爪先立ちのようなピン・ヒールをムリヤリ立たせると、首輪が邪険に引かれる。

 

 また(くさり)の音。

 廊下らしい空間に、冷酷な反響をして。

 

「この()も、すっかりメスになったのねぇ」

「パピヨンにするって聞いてたンだケド?」

「ヒヒ爺ィの一人が、どうしても!!ってね」

 

 エナメルの感触がある手袋が、『成美』の豊乳(おっぱい)(しぼ)りあげた。

 

 ――!オォォォォ……ォ!

 

 悲鳴を出そうにも、口に(くわ)えさせられた丸い玉が、それをゆるさない。

 ただかろうじて、(かな)しい鼻声を、抗議にあげるだけ。

 玉からは苦い汁のようなものが滲み出し、それが苦しさを倍化させる。

 

「――早くなさい?」

 

 両わきの声とは別に、首輪を引く鎖を鳴らされて()ッとする冷たい声が。

 

「今月中に馴致を終えなければ、つぎの課程に移れないのだから」

「ネェネェ。この()、よくアタマ狂わせずにココまで来ましたねェ」

「本当、こんなに早くメスに()えられたら、フツーの男の娘は発狂してしまうのに」

「……洗脳用のプログラム、バージョンが上がったのよ」

 

 鎖を引く方から、くだんの(つめ)たい声がそれに応えて、

 

「本人の中では、自分はメゾン・ドールの人気ビェルシカを()っている設定のようね。それで自意識の崩壊を回避してるの。そうプログラムに誘導させたのよ」

「まさに “ウツシ世ハ夢、ヨルノ夢コソ、マコト” ですわね……」

「この仔もカワイソーに。もうじきオッパイ、ブルブルさせてご奉仕かぁ」

 

 さ。今日はココよ、と先のほうで声がしたかと思うと、古いフェルトの匂いがする重い扉が開かれたような空気の流れ。

 邪険に背中を押され、フラフラと空気の動かない空間に(みちび)き入れられる。

 そのまま、貞操帯用のトイレめくモノを(また)がされ、脚を折り曲げて拘束具を連結されると、天井から下げられているらしい鎖に首輪を(つな)がれる感触。

 

「ほぉら、ご対ぃ面ぇえん」

 

 革の袋が手荒く引かれ、目隠しがはずされた。

 瞳孔を刺激しないよう、赤い灯の充ちる小部屋だった。

 美事なボディに仕上げられた自分の身体。

 正面の大きな姿見で、マジマジと『成美』は決定的に見せつけられる。

 

 むねが丸く明いた、黒革のレオタード。

 そこから(くび)り出されるかたちのよい巨乳。

 ウェーブがかった長い髪の奥に光る(ひとみ)が、哀しげに光って。

 黒い口枷(ギャグ)(くわ)えさせられた(みだ)らに赤い唇――そして首輪。

 いかにも男好きのする、淫乱な身体つき。

 それをヒシ型に縛め、胴体(どう)は残酷に8の字型へ(くび)れさせる装具。

 一部のハーネスは容赦(ようしゃ)なく、お股の秘部にくい込んで。

 

 両わきに(はべ)る、金髪と銀髪のベリーショートな女たちが、そんな『成美』の胸をネットリと()みしだき、哀れな “メス奴隷候補” の情欲をいっそう(あお)りながら、

 

年齢(トシ)のわりに“Curvy”(ボン・キュッ・ボン)にしちゃいましたけれど、お客様の希望ですから」

「なら仕方ないよねェ?どうせ性欲便器(トイレ)になるんだモン。どうかし、らッ!」 

 

 マニキュアを整えた細い指が、固くシコった乳首をつまんで、ひねり上げる。

 

「――――!!」

 

 鼻声の哀しげな悲鳴。

 あぁ、ゴメンゴメン。と、わざとらしく銀髪な片方が『成美』の口から、ユルユルとボールギャグを外し、鏡ごしに流し目線を “彼女” に合わせつつ、ヨダレまみれなその器具を、ピアスが穿(うが)たれた長い舌でコレ見よがしに丁寧(ていねい)()めとる。

 

 『成美』の耳の中、高ぶる心音に合わせ、ズキズキとうずく乳首の痛み。

 

 ――夢……じゃない。いったいどういうコトなの?なんで、髪がこんなに……。

 

「おいしい……(メス)人形『成美』の味ね」

 

 ナニか喋ろうと思うが、のど元で意思が消えてしまう。

 口は動くものの、声を出す気力が萎えてしまう。

 

 そして――その口唇(くちびる)……。

 

 ボッテリと肉厚にされ、まるでダッチワイフのような。

 なによりツヤツヤとした真紅のグロスが、品下っている印象。

 アタマの悪そうな、まるでSEXのことしか考えていないトロンとした表情(かお)になっているのは、濃い目な化粧のせいだろうか。

 

 金髪が、いかにもワザとらしく、

 

「あら……こんな巨乳(オッパイ)ちゃんにされている割には、なにかサビしそうねェ」

「ワかった!お飾りがナイからだよ!アタシ準備しよッと」

 

 銀髪が、すこし視野から姿を消していたが、やがてステンレスのワゴンを押して現われた。台の上には注射器(シリンジ)と茶色の小瓶。筆。そしてトレイには針のような器具と、コンドームのパックめいたものが2枚。

 

 既視感めいたものを感じる。

 あのときは――残酷な焼き印だった。

 

「今度は……いったい、なにを……」

 

 ふるえる声で“彼女”にされた『成美』は、うす笑いを浮かべて手術用のゴム手をはめる銀髪の仕草を見守る。

 金髪が、メスとなった『成美』の女核(さね)を、同性をなぶる女特有の嗜虐的(サディスティック)な手つきで筆の先を使い嬲った。ただでさえ勃起している乳首が、さらに(しこ)り勃って。

 

 そんな哀しい女体の(さが)を思い()り、扇情的にふくれた紅唇を噛みしめて『成美』が打ち寄せる快楽の小波(さざなみ)に耐えていると、つぎに彼女は茶色の小瓶から、別の筆の穂先に数滴たらし、勃起した乳首に黄色な液体をソョソョと塗り伸ばしはじめる。

 発情した雌臭にまぎれて漂うヨードの匂い。

 

「さ――デキた」

 

 使い捨てマスクをした銀髪が、針を片手に目を細める。

 

「いつも恥知らずにボッキし続けなきゃならないように、根もとからピアスしてあげるネ?安心して。お股にも、そのうちつけてあげるから。でもメス人形であるコトを自覚させるンだから、麻酔は無しだョ?」

 

 アタマがクラクラして何も考えられない。

 後ろから金髪が『成美』の体を押さえて。

 

「ウゴくと……取り返しがつかないヨ~?」

 

 銀髪は容赦なく針を近づけ、たわわとなった『成美』の乳房(オッパイ)、その右側の勃起乳首(ボッキちくび)に突きたてる。

 

 ヒギィッ!という“(おんな)”にされた少年の、哀れな悲鳴。

 

 だが、痛いのはここからだった。

 反対側にブツッッ!と音を立てんばかりに針が(とお)る。

 頭の中に電気を通されたような、金属的な感覚。

 

「あッ!がァァァァァァァ……ッツ!」

 

「もっと可愛く()きなさいよ!」

 

 怒鳴り声がして、厳しいムチが背中に一度、二度。

 

 シャァァァァァァァァァァァァァァ――ァ……ァ……ァ。

 

 黄金(こがね)色の飛沫が、黒いハーネスが食い込む秘部からほとばしる。

 

 あとは、何をされたのかも分からない。

 半ば失神状態のまま施術はつづき、気が付けば『成美』の乳首には、メス人形の証であるチタンのリングが冷たく、哀しく輝いて。

 

 ――あぁ……。

 

 正面に据えられた姿見は、拘束された少女のみじめな姿を映しだす。

 豊かな胸に、リング状のピアスは、その哀れさをいっそう加味した。

 涙がひとすじ、メス化された奴隷人形(スレイブ・ドール)のほおを伝って。

 

「ワタシ……これからどうなるの?」

 

 鏡ごしにギロリ!と邪険に(ニラ)むベリショなふたり。

 上役らしき長い黒髪も、ヒュン、とムチを一振り。

 ヒッ、と小動物のように身をすくめた『成美』は、

 

「あ、あの……哀れなメス人形の『成美』は、これからどうされるのでしょうか?」

 

 宜しい、と黒髪は満足げにムチ先をテロりと舐め、

 

「どうもこうも無いわよ。今しばらくは、まだ夢を見ててもらうわ。オマエの身体が仕上がったとき、専用コンテナで西ノ宮に運ばせるの。そこで玩具(オモチャ)に成り下がって……あとは、そうねぇ……飽きられたら、本当の“お人形”サンにでも、造り替えられるのかナ?」

「本当の “お人形” って……」

「もうしばらくは、「作りモノ」の身体で、ビェルシカしてなさい、ってコト!」

 

 ドヤ顔で金髪が腰に片手をあてる。

 銀髪が、その肩にしなだれかかり、

 

「アナタは“パピヨン()”なのかしらネ?」

「それとも真面目(マジメ)な“航界士候補生”?」

 

 体内を犯す淫具に、スイッチが入った。

 

 微妙な強弱の刺激で、銀幕(かがみ)の中の少女は、恥じらいの表情(かお)で、登り詰めてゆく。

 金銀の両方から、施術されたばかりのピアス付き乳首を吸われ、コロがされ。

 やがてその鋭い疼痛が、次第に甘美さを交えて自身を責め立てる有様に、彼女はイヤイヤと髪を振りみだしつつ。

 

 やがて波の高まりが訪れ、メス化されたアタマの中に火花が(はし)って。

 

 ふたたび――世界は白い無に()たされた。 

 

 

 

 

 

 

 



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048:パピヨンの派閥のこと、ならびに消えた4日間のこと

「おい『成美』!時間だぞ!!」

 

 どこか遠くで声がする。

 

 あたまがボンヤリとして、何も考えられない。

 鎮静剤の泥を全身に詰め込まれた……ような。

 

「アラームまで消して、ナニやって――それ!」

 

 入ってきた者は、あおむけで寝る『成美』のももを叩いた。

 

 ビクン!

 

 彼はムチ打ちの痛みの感覚に、背を反らせながら目覚める。

 サッサとお逝き!という、女の声。

 まだ耳のなかに明瞭(ハッキリ)(のこ)って。

 

 ユルユルと現実が戻ってくる……。

 

「ちょっと。なにこの匂い、愛液(ラブジュース)()ッさ。オマエ女でも連れ込んだの?」

「蝶の夢……パピヨン……候補生……」

「おい!ってば!?」

 

 脇に腕を回され、むりやり上半身を起される。

 しばし呆然。

 だが、カプセルのふちに汗ばんだ手をかけた、その冷たさが“現実”を呼ぶ。

 いつのまにか『成美』は、ダンス・レッスンが激しかった時に使われる疲労回復用シリンダーに入っていた。

 

 なんで?と思うより先に彼はシリンダー用の術衣をはだけ、あわてて自分の胸をさぐる。

 

 ――!!

 

 無い。

 あれほど量感タップリだった自慢の乳房(オッパイ)が――無い!

 

「えっ!――えっ!?」

 

 気味の悪い、底知れぬほどの喪失感。

 なにか大事なものを“()()()()()()()()()()()”ようなイメージ。

 

 ピアスされた乳首のうずき。

 秘部やアナルに挿入された淫具のバイブ。

 ムチをふるわれた背中の甘美をともなう痛み。

 まるで(すべ)てがは夢(うそ)であったかのような、寒々と空虚(うつろ)な印象。

 そして股間には……。

 

 気味の悪い、シワだらけの袋。

 そしてソーセージのできそこないが“したり顔”でプルン、と。

 

 “作りモノの身体”

 

 そんな畳句(ルフラン)が、頭の中を延々とグルグルまわる。

 あの女の(つめ)たい声。

 ゾッとする含み嗤《わら》いと(あわ)せて。

 

「作りモノの……カラダ?」

 

 発作的に、彼は自分の手首に、ギリリと噛みついた。

 しかし、なぜか痛みは少なく、アゴに力を込めても現実感がとおい。

 

「おい!……だめだコリャ。衛生士(メイデーック)!」

 

 騒然とした雰囲気の中で『成美』は、むせかえるような女の臭いに()ちたカプセルから引っ張り出され、衛生士に伴われやってきたメゾン・ドールに常駐する医師の診断を現場でうける。

 腹上死スレスレな心筋梗塞と、料理がノドにつかえた時の気道確保がもっぱらなこの老医師は、ラム酒臭い顔をよせペンライトで『成美』の瞳孔をジゲシゲと調べる。

 やがて間ノビした声で、

 

「たんにィ、現実把握がぁ、ウマくいかなかった……んぢゃろか」

 

 集まった野次馬は次々に、

 

存在識失調(ヴァーティゴ)?」

解離(かいり)性人格障害!?」

自己隠滅(じさつ)願望?」

 

 老医師は“ゲッぷ”をいちど洩らすと、

 

「そんなぁ、大層(おおげさ)なモンぢゃ……ないテ」

「――というと!?」

「寝ぼけたぁ……ンぢゃよ」

「……」

 

 なーんだぁ、と(かこ)みが脱力する。

 

 メソン・ドールのジェネラル・マネージャー。

 野次馬で集まった店の衛士やビェルシカたち。

 それにエントランスのテオまで。

 集まった一群が、ひとしく苦笑い。

 

「さぁサ、仕事に戻ったもどった!」

 

 白手袋の手を打ち鳴らし、マネージャーが解散を宣言する。

 

「今日も忙しくなるぞ!東欧事象面の通商団が、ご利用だ!」

「――ンだよ、ヒト騒がせな」

「タノむぜ。ナルちゃん……」

 

 冷やかし半分、心配半分な眼差しが交錯するなか、『成美』は、どこかフラフラしたままシャワーを浴びせられ、衣装部隊のオバちゃんたちに、手荒な勢いで身体を清められた。

 ついで衛生士から強壮剤の点滴。

 その点滴棒を転がしつつ、念のため付けられた監視役のビェルシカと共に、メゾン・ドールの簡易医療室まで裏通路を歩いてゆく。

 簡易医療室、といっても侮れないらしい。

 その気になれば、脳外科手術も楽勝だというウワサだ。

 

 ――あ……!。

 

 一瞬、歩みがとまった。

 廊下の角。その暗がり。

 きわどいメイド服を着た例のJKが見えた、ような。

 相変わらず暗い顔つき。なにかを気にするような足どり。

 うなだれた姿勢のままワゴンを押し、巨大な荷物用エレベーターの中に消える。

 

 思い出した!

 

 巨大なコントラバス・ケースの中で受けた調教。

 息苦しいラバーの気配と、全身拘束から受ける禁断の快楽。

 尿道とアヌスの甘い(うず)き。

 密閉された調教用コクーンの蓋ごしにみた、平穏な女子高生の日常。

 

 ――けっきょく、あの()は……。

 

「どうした?」

 

 立ち止まった彼に、監視役の『エリカ』がズボン吊り(サスペンダー)の具合を直しながら、

 

「やっぱり、カラダの調子、ワルいかィ?」

「いまの娘さ――見た?女子高生っぽいメイド」

「はぁ?」

 

 アフリカ軍団の服装(コスプレ)をする『エリカ』は砂漠色な略帽のひさしをチョィとあげ、

 

「……見なかったけど、べつに珍しくもない。バイトだろ?」

「え。メゾン(ここ)って、バイトなんか()ってるんだ……」

「凄い時給いいからな、このミセ。応募倍率も高いんだ」

「風営法なんかに引っかからないの?」

 

 フッ、と相手は半ズボンから出るハイソックスに包まれた脚で、『成美』を軽く蹴るマネをして、

 

「面白いコトいうねェ。第一、ここの得意先はドコだい?」

「あ……」

 

 そういえば、と思う。

 この前の夜に接待した中年男は、警察官僚あがりの議員ではなかったか。おまけに先日の夜にお相手したおばさんは、文化省の副大臣だ

 

 それに、と相手は声をひそめ、

 

「ココ、いろんなウワサをされてるからな。一般の生徒を雇って(メゾン)のキレイな側を見せて、悪い風評の露払い役にしてるらしい。『ほ~らまともな料理店ですよ』ってな具合。バイト料はいい。賄《まかな》いも美味い。制服もシャレてる。でもね……」

「でも?」

「めぼしをつけたカワイイ()は、サ?通いから住み込みにして……おっと」

 

 行く手からパピヨンのふたり連れ。

 古代ローマのトーガと、剣闘士(グラディエーター)の出で立ち。

 手をつないで、仲睦まじそうに。

 片方が、点滴棒を引く彼に気づき、

 

「あ!『成美』じゃん。さっき倒れたんだって?」

「ダメだぞ?健康管理も給与のウチだ――『エリカ』!ちゃんと送って行け?」

 

 恐縮です。以後気を付けます、と一礼する『成美』。

 かかとを打ち鳴らし、直立不動の『エリカ』

 パピヨンふたりは、『成美』が転がす点滴棒から下がる薬液パック。そのラベルを見てニヤリと互いにイミありげな目くばせ。

 

「そうだ、キミの踊り仔デビュー。今週末だったよね?観に行きたいなぁ」

「でも金曜夜だろ?我々は――とてもダメだねぇ」

 

 そして彼らはフィと『成美』に顔を寄せる。

 そして、ここからが本題と言わんばかりにヒソヒソと、

 

「ねェ……遠からずキミならパピヨンになるだろ。もう打診はあった?」

 

 (いいえ)、と彼は首をふる。

 すると、パピヨンの片方がさらに声をひそめ、

 

「そうか。なら、だ……どうかな?ウチの派閥《グループ》に」

「グループ、というと?」

「ボクたち『アナスターシャ』の派閥なんだ。もちろん『エリカ』もそうさ」

 

 監視役の少年は、アフリカ軍団の徽章が下がる胸を自慢げにそらせて。

 どうだろう?とパピヨンたちの問いに、不意にあの女の声がかぶさる。

 

 

  『アナタは“パピヨン()”なのかしらネ』

 

         『それとも真面目(マジメ)な“航界士候補生”』

 

 焦点不明(アン・フォーカス)の胸苦しさが襲ってきた。

 存在意義(レーゾン・デートル)の根本に関する悩み。あるいは“実存”の不安定さ。

 ()()()()()()()()、いまでも時折ジクジクと彼を痛めつける。

 

「……考えさせてください」

 

 『成美』は辛うじて、そう応える。

 高級公子(クルチザン)ふたりの問い。しかしそれは本人たちが戯れに発した以上の重さを、彼に与えていた。

 

「いまのところ全くわかりません。そもそも“パピヨン”になるかどうかも」

 

 すると、雰囲気が一転した。

 

 気を付けて判断しろよ?と本性をあらわしたような低い凄み。

 冷たい目つきが、それにくわわる。まるで仮面をはいで下の素顔をみせた如《ごと》く。

 見目の良い少年たちにしては前科(まえ)があるような、極印(ごくいん)を打たれた類《たぐい》の表情(かお)

 

「中立は、ナシだ。道の真ん中を歩くものは――両方から()かれるぜ?」

「もちろん、この話はココだけのナイショだ。いいな?」

 

 そういって二人は念を押すように、いちど(うなず)いて去ってゆく。

 

「モッタイないナァ……パピヨン様じきじきのお誘いを」

 

 高級公子(クルチザン)たちが遠ざかってから『エリカ』はあきれた声で、

 

「グループに入りたくても、入れないヤツだっているのに」

「ふぅん。その“入れなかった”ビェルシカは、どうなるのさ?」

 

 べつに。と『エリカ』はつまらなそうに肩をすくめ、

 

「ただ後ろ盾《だて》がないワケだろ?パシリに使われるか、店のトレード(放出)材料になるか。まぁ不安定な立場なんだ、コレが」

「たくさん居るの?そういうひと」

「1/3ぐらいかな、完全なフリーは」

 

 以前、煮たような質問をしたことがあったなと『成美』は記憶のリールを巻く。やがて(そうだ!)と思い出し、

 

「『恵娜(えな)』は?『恵娜』はグループに入ってる?」

「……だれ?」

 

 えっ、と彼は詰まるが、

 

「そうだ、ほらフェラーリ乗ってるヤツ。ガソリン車の」

「あぁ!あのカゲの薄いヤツか。彼なら系列店へ出向したよ、土曜日に」

「系列店……遠いの?ココから」

 

 サテね、と『エレナ』は興味なさそうに肩をすくめ、

 

「もう戻ってこないんじゃない?出向ってコトは――そういうコトさ」

 

 医療室につくと『成美』は監視役の助けを借りて、診察室わきに並べられているストレッチャーのひとつに横になった。

 

 硬い。背中が痛い。

 休憩エリアの安出来なビニール・ソファーのほうが、まだ寝やすいくらいだ。

 結局背もたれをおこした姿勢にストレッチャーを変化させ、寝るのはあきらめる。

 

 気のせいか、身体が熱い。

 心臓も心なしかドクドクと心拍を高めて。

 カゼか?と思うが、あの汚らわしい肉棒(おチ〇ポ)がヤケに元気だ。

 アナル・プラグを入れられてないせいか、なんとなくお尻がモノ淋しい。

 そのうえあろうことか無い乳房を、ひそかにさぐってしまう始末。

 

「フロア統括が1時間の特別休憩をくれるってサ。それが終わったらフロアに出て、今日はフォントロイを()れだって」

「……またぁ?今日やったばっかなのに?連チャンじゃんか」

「今日?まだこれからだろ。それに昨日のフォントロイは『野菊』だったぞ?」

 

 相手の言葉に違和感がある――というか全く噛み合わない。

 そういえば、だいたい自分は金曜の仕事を終えて、今日は土曜で公休のハズ。

 

 なんだ?と診察室のカレンダー時計を見た『成美』の動きが、止まる。

 

 ――火曜日……19時。

 

 視線をクギ付けにしたまま、背後の『エリカ』に

 

「ねぇ……きょうサ……何曜日、だったっけ?」

「ハァ?火曜だろ。シリンダー呆けでもしたかィ?――どうした変な顔して」

 

 前に回り込んだ軍装姿のビェルシカは、怪訝な風に『成美』を見やった。

 

 たっぷり15秒の沈黙。

 

昨日(きのう)ってサ……ぼく――出勤してた?」

「居たんじゃない?こっちもヘルプで忙しかったから、イチイチ覚えてないよ」

「じゃ、日曜は?日曜は店に出てた!?」

 

 オィオィと『エリカ』はうんざり顔で、

 

「キミはスタジオでダンスの特訓だったじゃないか。おとといは「『成美』連れてこい」ッて、お客さんたちからブーブー言われ往生したんだぞ!?あぁ、そう考えれば昨日はそんなコト言われなかったから、出勤だったのかも」

 

 『成美』は()ッとする。

 

 土曜の明け方から火曜の晩の今まで、()()()()()()()()()

 たしか自分はホテルのベッドで寝ていたはず。

 そう、軽音楽を聴こうとスイッチをヒネったら、アロマテラピーの空気が出たところも、シッカリと覚えている。

 

 彼はストレッチャーから起き上がると、窓にちかづき、例によって少ししか開かない窓枠から外をみた。

 

 まちがいない――夜だ。

 

 都市の騒音に交じって、晩方の空気が匂う。

 1日にわたり交通機関や人の行き交った後の気配。

 痛めつけられ、擦り切れ、汚された空気の匂いだ。

 

「1時間後、衣装合わせだってよ――『成美』!?」

「あぁ……ウン」

「忘れンな!?」

 

 そう言って『エリカ』は医療室を去ってゆく。

 

 あとには、納得のいかない“パピヨン候補生”が独り。

 憮然とした表情(かお)で、窓ぎわに残されて……。

 



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049:おチンポ・ブラのこと、ならびに魅惑の舞姫『成美』爆誕のこと(前

 

 ――やっぱり、ほんとうに時間は経っていたんだな……。

 

 “七つのヴェールの舞い” を仕上げながら『成美』は思ったものだった。

 

 教わったことのない4枚以降のパートが、ちゃんとできている。

 一つ一つの動きが正確に――しかも()()()が効いて。

 “ミーシャ” 先生の手拍子も、心なしか明るく弾んでいる。

 反面、自動人形(オートマタ)のように自分の体が動くのが気持ち悪い。

 

 とうとう自分のアタマがイカれ“短期記憶”をポロポロ取りこぼすようになった?

 

 ――それとも……。

 

 次に浮かんだ考えは、あやうくジャンプのタイミングを狂わせるところだった。

 ターンをしながら、しばらくこわばった表情がとれない。

 軸がブレ、すかさずダンス教師の(げき)がとぶ。それでもザワザワとする胸騒ぎ。

 

 ――あの“強制(Oдерж)憑依(имость)”が……。

 

 意識を乗っとり身体を動かして、この数日をすごしたのだろうか……。

 

 自分が動いているところを直に見た者には会えなかった。

 “ミーシャ”先生も用事があり、ここ日・月・火と弟子に監督させていたとか。

 ではその弟子は……?といえば、すでにモスクワに帰ったという。

 疑心暗鬼を(いだ)いたまま数日がすぎるなか、“七つのヴェールの舞い”にも磨きがかかる。

 

 そしていよいよ問題の金曜。デビューの晩となった。

 

 レッド・カーペットが敷かれた歌劇座の周囲は、招待客のリムジンやマスコミ。

 物見高い野次馬や、にわかファンが群がる。

 携帯端末のフラッシュや、発光グッズがまたたき、歓声とともに揺れて。

 そんな有象無象を足もとに踏まえ、ゴシック様式の壮大な建屋は、忍耐強い怪物のようにライトアップを受けている。

 

「どうだい、えぇ?――あそこで踊るんだぞ?」

 

 マスコミから逃れるため、目立たないようリムジンではなくワンボックス・カーを使った一行。そのスモークを張られた後部座席から、『成美』は華やかな歌劇座を彼方に望んだ。

 

「興奮《エキサイト》してくるじゃないか――んぅ?」

 

 ジェネラルマネージャーは、『成美』の顔をみて満足げにほほ笑んだ。

 その『成美』といえば、このハンプティ・ダンプティを地で行く男の向かい側に座り、仏頂面(ぶっちょうづら)で遠くの華やかな群衆を見物している。

 

 ――なんでこんなザマになったんだか……。

 

 すこし前までは、期末考査におびえるフツーの候補生だったのに、いまや娼婦めく白い毛皮と香水にフンワリと包まれ、革張りの後部座席に収まりかえる姿。そして上役であるジェネラルマネージャーに、身体を包む毛皮の合わせ目から指輪が食い込むポッチャリした手を差し入れられ、ピッチリとしたショーツからプックリとふくらんだタマタマを愛おしそうにサスサスされても、抵抗はおろか、(イヤ)そうな顔ひとつできない。

 

 そして最近、さらに恐ろしいことには、その自分のタマタマが日ましに(けが)らわしいモノに思え、夢の中の胸でユサユサしていた乳房(オッパイ)が恋しくなってきてしまうことだった。

 調教用の装具にキビしくEカップの根もとを(いまし)められ、残酷にも(くび)りだされて敏感にされた女の証。いまでもビリビリと甘い感覚が艶かしくされた身体を(はし)るようで、無いはずの女陰が熱く潤んでしまう気配。

 

 もっとも……乳首ピアスだけは、奴隷めいたミジメさに心が打ちひしがれ、哀しくなってしまうのでカンベンだったが。

 

 歌劇座からすこし離れたところに、時代に打ち棄てられた小さな博物館といった印象の建屋があった。

 干からびたツタが(おお)う、背の高い塀で囲まれた古めかしいその建屋の「屋内車庫」とみえる穴倉にワンボックスカーが入ると、驚いたことに中は秘密のトンネルとなっており、天井のナトリウムランプの連なりが、まっすぐ歌劇座の地下駐車場に続いている。

 

「へぇ……」

「いろいろ使い道があるのさ、この通路には」

 

 ハンプティ・ダンプティの意外に暗い顔。

 このトンネルの、表ざたにできない歴史を語っているような。

 

 車をおりると、護衛役のコワい兄サンたちにはさまれ、ふだんは観客が絶対に目にしない歌劇座の裏エリアを安出来な業務用カーペットの臭いを吸いつつ、どこか夢うつつな気分のまま薄暗い通路を歩んでゆく……。

 

 ――えっ!?

 

 『成美』はいきなり足を止める。

 うしろを歩いていた護衛がぶつかりそうになり、

 

「なんだよ。急にとまるな!」

 

 どうした?の監視の声に、しばし凝然と。

 

 一瞬、洞窟の奥めく彼方のくらがり。

 金髪と銀髪のふたり連れが見えたような……。

 

 やがて(もだ)したまま首を振る。

 おそらく等身大の興行ポスターでも貼ってあったのだろう。

 

 楽屋裏の控えエリアで、『成美』は若い女性の衣装担当二人に、まるで汚いモノでも扱うような手つきで、ヴェールを着付けさせられた。

 

 まずは最初の四幕につかう、濃度(こさ)のちがった薄物(うすもの)を重ね着して。

 初心さを失わない、それでいて煽情(せんじょう)的な舞台用のメイク。

 そして光沢感のあるガーター・ストッキング。

 ジャンプの効く特殊なトウ・シューズ。

 爪をヤスリで整られ、マニキュア。

 肌を美しく魅せる薬剤(クスリ)を静注。

 

 なにか身体がスースーして、落ち着かない。

 現実の世界まで、自分がまるで本当の舞姫にでもなったよう。

 

 舞台のほうでは、先に行われている演目に、手拍子や哄笑がわきおこり、だいぶ盛り上がっている様子だった。コミカルな曲が伴奏され、スポットライトが派手に乱舞するのがわかる。

 

 あのアトに出るのは――気おくれするなぁ、と思わずポツリ。

 

「なに、()っているのかな?」

「マリオネットでございます」

 

 着付係のリーダー役側が、ぶっきらぼうに応える。

 

「イサドラが、風刺コミック(チステ)の演目を」

 

 へぇ、あの変態ダンス教師が、と『成美』は、鼻で嗤う。

 そして彼女のムチ遣いを、淫夢の女たちと比べながら、

 

現役引退(リタイヤ)してたんじゃなく、まだ踊れるんだ」

 

 えぇ。と着付け係りの片方が無表情なまま全身をつかって、グイ!と力の及ぶ限りに『成美』のコルセットを締め上げて。

 

 アふぅン!と思わず漏らす『成美』の吐息。

 

 それを聞いたもう片方は意味深な薄笑いを浮かべると、さらに彼の体を美しく(いまし)め、矯正しながら、

 

「そう。()()……一応は」 

 

 まもなく、大盛況のうちに演奏は終わった。

 

 ステージの幕がユルユル降りると、真っ白い人影が楽屋裏にあらわれる。

 付き人に邪険な手つきで首輪を引かれ、ぎこちない動きでコトコト近づいて。

 

 一糸まとわぬその姿。

 ほんの一瞬、『成美』はギクリとするが――何のことはない。

 等身大の、マリオネットだ。

 

 ――自律型の球体間接人形《ベルメール》か……はじめて見たな。

 

 無機質な。それでいて、なんとなく艶《なま》めかしい印象。

 この感覚は、どこからくるのか。

 

 イサドラの姿は見えない。

 あんなコトがあった後だから、こちらを避けているのだろうと彼は考える。

 無理もない。人を勝手に拉致(らち)ろうとしたんだから。思い出しても、ハラがたつ。

 

 存在感のある等身大の人形が、ぎこちなく傍らを歩いてゆく。

 

 人形が通りすぎしなに何となくコツコツ、と『成美』は(すべ)らかな固い肌を指でハジいたとき、いきなり人形の首が180度、ぐるりと回転する。

 そこで見た顔に彼は思わずギョッとした。

 

 それは――あのイサドラを模した面差しそのものだった。

 

 無表情な顔が、ふいにカクカクと揺れる。表面は柔らかい素材で出来ているのか、()り返った口もとが、パクパクと、なにかを訴えるように動いて。

 

「ホラ――行くよ!」

 

 ナースの格好をした付き人が、人形の首に電気ロッドめいたものを当てた。

 ピョィ!と白い木偶(デク)は跳ね上がり、頭を垂れる格好でコツコツ・コトコト。ふたたび控え室の方に去ってゆく。

 

 ――趣味悪いな。あんな “サド女” をまねた人形なんて……。

 

 各種の配線や配管が天井にむきだしとなる、そして様々なポスターが貼られた通路の奥に消えてゆく“人形”の後ろ姿を見送っていると、入れ替わりにナヨナヨとした中年の男がセカセカ、パタパタ忙しそうにやってきて、

 

「ナルミちゅわァァん!――どォなのよぉォ~調子わァ?」

 

 八の字に口ひげを生やし、ピンクのシャツに金ネックレスという、興行担当の主任がモミ手をしながらスリよってくる。前をくつろげたシャツから胸毛が。そこに麝香の匂いが強く、濃く香って、クサい。

 

「聞いたわよ?体調不良だなんて。ダメよ!ちゃんと自己管理しなきゃ」

「大変恐縮です……おさわがせしました」

 

 ペコリと頭を下げるのを見て、この中年男は「んモゥ、あいかわらずマジメなのねぇ」と吐息をつきながら一歩距離をおき、ヴェールの着付けを確認。(ひだ)をチョイチョイと直し、量感(ヴォリューム)を増す。

 

「ウン……悪くないわね。チョットごめんなさい」

 

 そう言うや、『成美』の(まと)うヴェールの(すそ)をめくり、ナマ下半身を確認。

 

「えッ!ちょっ!」

 

 

 あわてて前をおさえる『成美』の抗議をよそに、この興行主任は、

 

「んモー!ナニやってんのヨ! “おチンポ・ブラ” !してないじゃないの?」

 

 彼は、すこし前に片方の女性からわたされた(ひも)パンのようなものを取り出し、

 

「まさか、コレ……ホントにつけるんですか」

「そうよぉ!ワーニャ!アンタが居ながら、ナニよコレ!」

 

 申し訳ありません、と着付けていた女の片方が、ボソッと呟いた。

 

「またアンタは!そんなに(オトコ)()がキラいなの?お仕事なのヨ?しっかりしてちょうだィ!アンタがビアンだろうがナンだろうが、関係ナイの!」

「……以後気をつけます――さ、『成美』サマ、これを」

「高級なシルクですよ?肌ざわりもイイですから、ご安心を」

 

 女たちは、性器をかたどる、うす紫の“おチンポ・ブラジャー”を差し示した。

 

「いや、高級とかそういう問題じゃ……なくてぇ……」

 

『成美』は心底イヤそうに、その小さなランジェリーをマジマジと見つめる。

 

「衣装の切り替えがある、五幕からでヨクないですか?」

「そうしますと、その。お……ブラに」

「汗と、おタネ(精液)の匂いが染みこまず、不評だそうで」

 

 女たちは顔を赤らめ、しどろもどろに。

 そして手に持ったそれを、指で形を整え、呆れ顔の『成美』に押しつける。

 不意にマネージャーの耳に付けたカムが光り、このオトコは姿勢を正す。

 

Ovdje(はい) Andrić(アンドリッチ).……dobra veče(お晩でございます)r……da(ハイ)……da(ハイ)

 

 東欧事象面言語の、重く、圧力のある暗いイントネーション。

 

「はい、スソまくって上げてますから。サーシャ、つけてあげて」

「え……じぶんで履けますよぅ」

「ダメ。コツがいるの。演舞中に脱げてきたら、致命的ですよ」

「そう……()()()()()()()()()()()()()

Ne(いえ)Ne lažem(ウソなどは).……da(ハイ!)!da(ハイ!)!Naravno(もちろんで)!……dobro(結構ですな)da(はい)da(はい)

 

 そう言いつつマネージャーが、件の下着(ランジェリー)を『成美』の手からひったくる。

 

 おどろく周囲の者たちを尻目に、Doviđenja(ではまた)と通話を切ると、胸ポケットのハンカチで汗をぬぐいつつ、サスペンダーで吊るチャコール・グレイのズボンから赤いヴィクトリノックス(万能ナイフ)を取り出し、ハサミを引き出すと小指をたててランジェリーに少しだけ――あくまでホンの少しだけ、微妙な切れ目をいくつか入れた。

 

 着付け係のビアンたちが驚いた顔をして。

 

「――そこまで、するんですか!?」

「このコって、いったい……」

「他言は無用よ?ワーニャ、サーシャ!さ、はやく付けてあげて。ホラ馬鹿(ばか)!もう前奏曲《プレリュード》、鳴ってるじゃないの」

 

 マネージャーの言葉通り、スラヴ系の重く、秘めやかな低弦(ていげん)のメロディが、まるで何かを誘うように、ゆるやかに。ちょっと聴きにはチャイコか、リムスキー・コルサコフの曲調(おもむき)で。

 

 ――スゴい。

 

 『成美』は舌をまく。

 さすがは新ベルリン・フィル。

 位相《いそう》の(そろ)った低弦が、まるで生き物のように。

 

 ひそかに息づき、

      脈打ち、躍動し、

        ホール全体をうねり

             ――そして圧倒する。

 

 こりゃ自分も負けてはいられないと、おチンポブラで『成美』は “(ふんどし)を締め” なおした。

 

 タマタマにピッチリとする、シルクのそれを付けると、すこし調子が狂いそう。

 でも、もう泣き言など言ってられない。

 

 闘いのはじまりだ。

 

 モーター仕掛けで幕がゆるやかに開いてゆく。

 なかば、うずくまる形(ポーズで、それを『成美』は肩で聞いて。

 

 

 ……舞台中央。

 

 

 フット・ライトの照度が上がってゆき、それとともに興奮が。

 タマタマが、はやくも汗ばんできて、おチンポ・ブラの感触をつたえる。

 

 やがて、ソリストの集合体が(かな)でる、まるで音符の一つ一つが「生の躍動」(エラン・ヴィタル)を織り成すモノ凄い出だしが『成美』を包みこみ、(いざな)う。

 

 ゆるやかに……

 

 彼はトゥ・シューズで、すこし震える一歩をふみだした。

 



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049:              〃              (後

 ――まずはadagio……やや措いて、adagiettoへ。

 

 空気の流れを意識して……花弁が舞うように……。

 フットライトに、まとうヴェールを幻惑させるよう曄かせながら。

 

 しわぶきひとつ無い空間で、客席はすべて闇。

 まるで舞台に、世界に、孤立しているような気分。

 この世はみんな書き割りで、(じぶん)が意味なく(ひと)り芝居。

 勝手に喜び、勝手に苦しみ。存在どころか性別も不明で。

 都合でねじ曲げられ、かたち作られた人生の(みち)ゆき。

 あげく自分は、こんな舞台で薄物をまとい、踊る。

 得た知識は(くら)すぎて、とても胸に収まらない。

 

 ――と、ここでコケティッシュに(色っぽく)、っと。

 

 あの性悪な調教師に、肥大させられた乳房を(さいな)まれた記憶。

 その淫靡な苦痛と、秘めやかな快楽が、思わず表情(かお)()る。

 それが来客の琴線に触れたようで、ほぉ、となる雰囲気。

 

 軽くターン、そしてジャンプ。

 

 舞台の仕掛けもあり、特殊効果でふわりとうかんだヴェールが波打つ。

 その奥に、例のおチンポブラ。

 チラり、とわずかに見える配慮も。

 

 ステップ、ターン、ステップ。

 

 胎内に仕込まれた、バイブの記憶。その被虐感を、漂わせ。

 口唇(くち)を、ものほしそうに半ば開き、客席に、等しく流し目。

 ひとしく軽やかに、舞台はしへ――まるで己の内面に観客を誘うように。

 

 曲が一度盛り上がり、華麗にヴェールの(ひだ)をつくり、跳躍。

 

 一枚目を大きく伸びあがって客席に投げると、残ったヴェールの(つぼみ)に消える。

 

 

 ホゥ……っ、という緊張感の解けたタメ息と気配。

 

 暗闇(やみ)のホールをヒタヒタと充たした。

 

     ――――――――――――――

 

「まッさかこんなところで、()びィ売ってやがったとは、な……畜生!」

 

 暗く落ち込んだ客席で、ヒソヒソと囁き声がする。

 食いしばった歯の隙間から葉巻臭い息を洩らし、憎しみを込めて。

 

「追加手当も、ボーナスも、パーですからねぇ……」

「まぁいい、どうせこの後は、下着をゲットした運のいいヒヒ爺ィの“一夜妻”だ」

「犯されて、アンアン言うところ、観てみたいもんですね」

「本人は、自分の行動が引き金たァ、知らされてネェんだ。イイ気味よ」

「けど……本院は、どうするつもりですかね。切り札なくして」

「しるか。オレらは、証拠映像さえ持ち帰れば、それでチャラだ!」

 

 ()ッ!()ィッ!と周囲からの声。

 

     ――――――――――――――

 

 四幕目を終え、いったん幕が下りる。

 観客の目から守られた瞬間、たまらず『成美』は滝のような汗でヒザをついた。

 気管が拡張されたように痛み、視界がガクガクとふるえて。

 星――というか原子めいたモノがキラキラと目のまえを舞う。

 

 すぐさま、酸素吸入処置。

 さらに即効性・強壮剤注射。

 身体の各所にアイシング。

 シューズの種類を交換。

 使った筋肉に軟膏が擦り込まれて。

 

 化粧に気をつけて汗を払われ、椅子に座ったまま着替えさせられる。

 投げ出した(あし)に、(また)なしのハーレム・パンツが履かされた。

 踊り手の魅惑をます、各種の装身具も、新たに。手早くセット。

 ターバンが巻かれ、鳥の羽で注意深く留めて。

 まるでF1のピットのように周囲でヒトが目まぐるしく。

 

「スゴかったわよぉナルミちゃん!上出来ぢゃないの!!」

 

 興奮を押し殺したヒソヒソ声でオカマの興行主任は、

 

「いい?最後に「おチンポブラ」客席に投げるの、忘れないようにネ?」

 

 付けられた大ぶりのイヤリングを揺らし、『成美』は、なんとかうなずく。

 頭の中は、もう次の演舞のことで、いっぱい・いっぱい。

 こんなとき、大ぶりの乳房がないのが(サビ)しくて味気ない。

 

 ――アレさえあれば、もっと魅惑的だったのに……。

 

 ふと、そんなことを考えた自分に『成美』は思わず舌打ち。

 なにを考えているんだ――ボクは!

 

 

 後半の幕が、あがった。

 

 

 (がく)()にあわせた妖艶な舞踏のなか、一枚、また一枚と、曲が終わる間際に、彼はヴェールを漆黒な客席へむけて投げる。

 フワフワとそれは闇に白く(ただよ)い、やがて何かに手荒く引かれるように、消えてしまう。

 腰に巻いたコインの装身具をジャラつかせ、裸体まぎわの『成美』は、あくまで(みだ)りがましく。

 

淫奔な表情《かお》で。

小悪魔的な仕草で。

扇情的な踊りを妖しく舞いながら、

 

 ――マズい……これ最後まで()つかな……。

 

 照明が、ヴェールの襞が目の前でフワフワと踊った。

 弦楽器の音が、盛大にビブラートがかって聞こえる。

 すでに意識がトビかちになり、もはや自動人形(オートマタ)状態。

 音楽は、残酷にも彼に、更なる媚びと跳躍を求めて。

 

 ――もう限界!

 

 そう思ったとき、目当てのシンバルが一度、高らかに。

 まさに救援の合図めいて、それは彼の耳に響いた。

 訓練された手は「おチン〇ブラ」のひもに掛かり、シュルリと抜き出すと、最後のフィナーレに合わせ、渾身(こんしん)の跳躍を魅せつつ、その円弧の頂上で、客席に向かい投げ入れる。

 

――どうだ……ッ!

 

 フワリと着地。

 蠱惑的な嬌態(しな)をつくり、笑みを。

 

 

 音楽が、()んだ。

 

 

 ポーズをとり、舞台先端で凝固する彼の目の前で、カッ、と客席照明がつき、盛装した満員の観客が、驚くほど視界いっぱいに展開する。

 

 ――こんな人数の前で……!?

 

 

 ワァッ!という怖いような歓声と拍手。

 その片隅では、なにか騒ぎがおこっていた。

 かれの「おチンポブラ」をめぐり、正装した老人たちが争っているのだ。

 読者諸氏は、60,70絡みな老人の真剣な殴り合いを、ご覧になったことがあるだろうか。

 ちょうど開場したての古書展で、目当ての書店が出品する棚に殺到した老人たちが獲物を奪いあい、ネコパンチを繰り出して血眼になり応酬する、あの図である。

 老人斑の浮いた数人が、『成美』の投げたランジェリーに蝟集するが、そのうちいくつにも引き裂かれ、ちりぢりになってしまった。

 

 あぁっ、という声。

 周囲からは、揶揄(やゆ)と口笛、大哄笑。

 ブラァボォォォウ!の叫びも、あちこちで。

 チリヂリになってしまったオチンポブラを手にうなだれる老人たちに、どこからか、

 

「バァ~カ!」

 

 の一声。これが会場全体に、割れんばかりの拍手をよぶ。

 

 その予定外のひと幕をかりてようやく呼吸《いき》を整えた『成美』は、どうにか笑顔をうかべ、フルチンのまま舞台正面へ。

 

 するとスタンディング・オベーションとでも言うのか、来賓(らいひん)たちが、我もわれもと立席し、惜しみない拍手を送ってくれている。

『成美』は舞台を右に左に、優雅なあゆみで笑顔をふりまき、悠揚(ゆうよう)迫らず一揖(いちゆう)すると、残った一枚のヴェールを舞台から拾い上げ、腰に巻いた。

 

 すると、今度は一転、(なげ)きとブーイング。

 

 えっ、と『成美』は一瞬とまどう。

 しかし“スイッチ”が入っている彼は、即座に理解し、アドリブで、

 

 ――取るの?そんなに見たいの?

 

 とジェスチュアすると……またもや、盛大な拍手。

 えぇ、ままよと、彼は一挙にヴェールをはぎ取る。

 すると客席は一気に最高潮に。

 

 これを最後と舞台のへりをフルチンで、ランウェイをあるくヅカモデルのように、スカした歩き方をしたまま挨拶。さらにハッキリとした熱狂が湧き起こり、彼の火照った全身に、花束や、色とりどりな紙テープ。札束を留めた「おひねり専用」ゴム製マネークリップの雨が降り注ぐ。

 

 ――あぁ、ナニやってんだろ……自分。

 

 満場の観客の歓声と注視をうけて。

 ニコやかに、黄金の腕輪がはまる双腕(もろうで)を観客席にさしのべて。

 チンコふりつつドヤ顔で闊歩(かっぽ)して。

 

 しかも恐るべきは、このチンコを丸出しにする露出の開放感と背徳感が、クセなるかもしれないほど気持ちがいいと言うことだった。

 

 (注:作者は、ちがうぞ……)

 

 得意げに舞台の端まできたとき、ハッと彼は一転、顔色を変える。

 まだ青く、硬い体つきに、肌もあらわなカクテルドレス。

 そこに真珠を幾重にも(まと)った、女子の二人組。

 

 『シモーヌ』と『アドリーヌ』。

 

 秘めやかな百合のひとつがい。

 こちらの方をハッタと見つめ、

 柄つきのオペラグラス片手に凝固して……。

 

 ――ヤッば……!

 

 『成美』は最後の意志を振り絞り、つとめて冷静をよそおうと、最後に投げキッスをしながら舞台のそでに転進する。

 

 危ういところでリクライニング・チェアが間に合った。

 ドサリと倒れこんだところに点滴と、クールダウン。

 仰向けにされた楽屋の天井が、クラクラと揺れて。

 ワーニャが下腹部の遺精を事務的な手つきで拭く。

 投げたときは夢中で気づかなかったが、射精()った「おチンポブラ」渡しちゃったのか、と『成美』は、カァッと熱くなる頬を、渡された濡れタオルで、おさえる。

 

()かった!()かったわよぉナルミちゅぁぁぁん!もうサイコー!!!111」

「……おやりになりますね。やっぱタダの“男の()”では、ないのですね」

「これでパピヨンの仲間入り確定だな」

「タイヘンだぞぅーこれから……序列あらそいとか」

 

 そんなガヤガヤした和やかな雰囲気が、ふと、一瞬にして白けた。

 投げ交わされる言葉が失速し、冷たい気配があたりを支配する。

 固い靴音。パイプ煙草の匂い。

 

「ふぅむ……まさか、ここまでとは、な」

 

 なんだ?とひたいに載せられたアイシング・パーツを『成美』がずらすと、一団を監視する位置で、正装をした白髪の男が大樹のようにガッシリと立っていた。

 

 メソン・ドールのマスター。イェジェヌ・ドヴロスキー・クジェチ。

 

 カマーベルトに下がる金鎖をたどり、懐中時計を引き出したこの初老は、ハンター・ケースを開けて時刻を確認するや、

 

「ふむ、まだ40(ヨンマル)ある。『成美』、立て。来賓(きゃく)に引き合わせたい」

「――来賓?」

「多少のムリでも、(うべな)ってもらう。なにせ、上客だ」

「店長!このコ疲れてるンですよ?」

 

 興行主任の抗議を、白髪の男は冷酷そうな薄い唇をゆがめ一蹴する。

 

「はやくしろ?強壮剤でもコカインでもかわまんから活を入れろ!それと小僧の、そのキモい化粧は――落とせ!」

 

 冷徹に、白髪の男は醒めた目で一団を睨みわたす。

 まるで汚いモノでも見るような目つきで。

 やがて、フン、と鼻で嗤い、

 

「あくまで“少年らしさ”が、我々(メゾン)の『売り』だからな」

 

 それだけいうや、楽屋裏をしずかに去ってゆく。

 

「ン!ナニよ、もう!」

 

 介助を受けながら、ポータブル・サウナで身体を茹《ゆ》でられ、二人がかりでマッサージを受けつつ、『成美』は、同級生二人の驚いた顔を反芻(はんすう)する。

 

 ――なんで、あんなところに。

 

 イライラと腹を立てるが、そういえば『シモーヌ』の父親が、探査院の “ある分野” に関する納品業者の元締めというウワサを思い出した。オープントップなアストン・マーチンの後部座席で、これ見よがし通学路を下校する光景も、ついでに。

 

 メイクでゴマかせただろうか?

 ただし口紅と目もとのほかは薄化粧だった。

 最悪、思いっきり身バレしたかもしれない。

 

 特攻錠のようなものを飲まされ、ようやく『成美』のフラフラは収まった。

 全身をアヌスの穴まで拭かれ、サッパリしたあとに微香性のローションを塗られて、またビェルシカの姿にもどった『成美』は、ネコ耳ヘッドセットとテール・プラグを装着・挿入されたのち、金時計片手に苛々していたクジェチに案内され、いよいよ歌劇座の奥の院たる“ロイヤル・サロン”へと足を踏み入れた……。

 

 緋色の壁掛けが圧迫感を催す広間。

 秘めやかな空気と、ゆるく退廃した気配。

 

 どことなくナフタリン臭いのは、あちこちで老人にしなだれかかり媚態をみせる、毛皮をまとった少年たちのせいだろうか。

 

(ビェルシカだ……)

(ビェルシカ風情(ふぜい)が……なんで?)

(あたらしいパピ?)

(イヤだな。あんなの来たら、またボクのお客、へっちゃうよ……)

 

 メゾン・ドールとは毛色の違った、歌劇座の高級公子(クルチザン)

 そんな少年たちが、ヒソヒソと。

 

 クジェチは、そんな囁《ささや》きの中を意に介さず、とある奥まった個室の前で立ち止まるとネクタイの具合を直し、咳払いを一度してから扉をノックする。

 

「――入れ(アントレ)

 

 中世の修道院を思わせる小広間(事実、建材はすべて運ばせたらしい)。

 その一間に三人の男が、赤ワインの入ったクリスタル・デキャンタが載るテーブルを中心に、座していた。

 

 中年初期から、初老にわたる男たち。

 

 ひとりは、サテン・ドールのイツホクだった。

 下座に占位してなにかと世話をやく風。

 もう一人は、宮殿勤務用外衣を背もたれにかけた、ヤサ男風のカイゼル髭。

 最後の一人は、筋肉質な身体を仕立てのいい三つ揃いに包んいる壮年。

 

 ……いや、もう一人いた。

 

 一座から離れ、重厚な格子のはまった窓から、外をうかがう大きな背中。

 

 ()()()を思わせる、その気配……。



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050:官僚たちのこと、ならびに師弟対決のこと(前

 うひぃぃぃぃっ!

 

 ……というのが正直な第一印象。

 

 ――メイクを落とされて、ほんッッッッとうに、良かった……。

 

 『成美』は心の底からおもう。

 舞台化粧のまま修錬校・教官と対面したら、舎監にオナニーを見つけられた候補生どころの騒ぎではない。おそらく恥ずかしくて、いたたまれなかっただろう。このビェルシカ・スタイルでさえ身の置き所がないのに。

 

 火照(ほて)った顔で小部屋を見渡すとき、かつて自分が師事した大柄な教官が、みょうになつかしく――また遠い存在に思えて。

 

 その『リヒテル』といえば、いまどき見たこともないガッシリとした古めかしいノーフォーク・ジャケット。(ひと)り、この軽やかな正装者の一群が集う小部屋で浮いている風。表情もどこか超然と、周囲を睥睨(へいげい)して(はばか)らない。

 そしてこの大柄な灰色羆(グリズリー)は、『成美』にむけた視線を彼の表情(かお)と、アナル・プラグに連結する腰から上に立ち上がった大きなフサフサのリス尻尾とに、時間をかけてタップリと行きつ戻りつさせた(のち)、ネコミミ・ヘッドフォンから、

 

《ずいぶんと――変わった格好を、していますね》

 

 ヒョイと銀色な眉毛をあげ、強烈なジャブをはなつのを忘れなかった。

 

《お店では――人気者と聞きましたが?》

「うぅ……」

 

 プラグを喰いしめるアヌスを、キュッと緊張させ、

 

「それは……そのぅ」

 

 ソワソワと、『成美』は身をよじらせる

 まるで、口頭(こうとう)試問官の一団を前にして、回答に詰まったときのよう。

 各人各様の視線が、自分を(なぶ)るように見つめるのを感じて。

 

《それは、もう。『成美』クンは、これからが期待できる“イチ推し”ですから》

 

 クジェチが、場を取りつくろおうとするのか、先ほどとはうってかわり、慇懃(いんぎん)な中にも尻尾を振らんばかりの勢いで、

 

《これもみな、探査院の皆様方のおかげかと。宮殿の方のごひいきも並々ならぬものですからなぁ。いい人材も、融通していただいており――》

「調子にノるんじゃネェや、予算未達(みたつ)の二流店長が!」

 

 イツホクが、見たことのない凄味をはなち、ギロリとひと(ニラ)み。

 すると、どういう具合か。叱られた犬のように、クジェチが(しお)れる。

 

 ――スゴい……。

 

 ネコミミを通していない、(じか)の音声。

 もちろん『成美』は、あくまで聞こえないふり。

 曖昧(あいまい)で、ぎこちない愛想笑いを浮かべながら、二人のやりとりを見守る。

 

 イツホクは、メゾン・ドールの店長より、格が上なのだろうか……?

 

 あのチンピラ寸前の飄々(ひょうひょう)としたユダヤ人が、この場ではまるで我が王国のように、支配者然とふるまっている。対する周りの男たちも、あたかも腫れ物にでもさわるかのように。

 そしてその人物(イツホク)が、『成美』の方を一瞥(いちべつ)したかと思うと、

 

「あーァ、このガキが“ワケアリ”と知ってたら、手ェ出さなかったのにナァ」

「すると、この個体。『土鳩(どばと)』は……返却して頂けるので?」

 

 えっ、と心ひそかに『成美』は驚く。

 カイゼル(ひげ)が、デキャンタから自分のグラスにワインを注ぎつつ、

 

「なにぶん、こちらも元手がかかっているもので――」

「モトデかかってンのは、コッチもご同様でさぁ!」

 

 すかさずイツホクが刺々(トゲトゲ)しく反応する。

 カイゼル髭も負けずに、

 

(むさ)い話ですが、いかほど?探査院(われわれ)は、補填しますよ?」

「いや、ゼニはどうでもイインだが――出資者の一部と、チョィとヤバい関係になっちまって。コッチの方を、権威(ちから)づくで何ンとかしてくれンなら、ネ」

「……どちらを?」

「丘の上ホテル」

 

 うっ、という微妙な沈黙が、部屋に訪れる。

 

 イツホクは卓上の鈴をとりあげ、優雅に鳴らした。

 もちろんそれはスタイルで、中には何かの電子的なデバイスが仕込まれているに違いない。小さな胴体に針穴のような稼働シグナルが明滅する。

ややあって、小部屋にノックの音。

 扉が開かれチリチリと音がして、青い髪をしたメイド姿の少女が入ってきた。

 

 ――!!

 

 あの娘だ……。

 心の動揺を、危うく押し隠すことに『成美』は成功する。

 部屋に漂い始めた、ほのかな彼女の匂い。そして哀しげな雰囲気。

 彼は横目を使いつつ、はじめて至近距離でさりげなく彼女を観察した。

 

 大型コントラバス・ケースに偽装した、移動型・強制調教機(コクーン)

 ギッチリとその中に封入され、全身を侵され(あえ)ぎながら、フタ一枚(へだ)て目にした女子高生の一群。

 その彼女等の中でもいちばん可愛かった子が、いまや髪をうす青く染められ、きわどいメイド服を着せられて。

 

 それだけではない。

 

 サテン地なメイド服の胸を中から押し破らんばかりに、乳首の浮きも露骨となった見覚えのない巨乳。(ツヤ)やかな光沢の上にポッチリとした影を浮かべ、さらにはその周りに乳首を穿(うが)つリングの模様も。

 

 そしてチリチリと寂しげに鳴らす音。

 

 やはり彼女も、愛香とおなじく前と後ろに非道(ひどー)なディルドー(洒落てしまった^^)をズップリとハメ込まれ、さらには剃毛(ていもう)された“お股の唇(小陰唇)”にピアスを施術され、チリンと鳴る恥鈴(ちりん)を取り付けられているのだろう♪

              (・・・って酔って書くとイカんなw

 

 ――(ヒド)い……。

 

 と思う間もなく、奴隷メイド化された元・女子高生は背後に「S'il vous pl(どうぞ)ait」と小さな声をオズオズとかけた。

 毛皮をまとった高級公子(クルチザン)たちが、来客の人数分はいってくる。イツホクはメゾン・ドールの店長を「オマエは用済みだ」と言わんばかりにアゴで下がらせ、かわって少年たちに向かい愛想よく、

 

《さぁサァ。お好きな方に、ご奉仕しなさいョ?皆サマ地位のあるお方だ。()()りみどり、スキになさい。そのかわりチャンと、お相手するんだよ》

《へへ、ボクこのヒト取っぴィ》

《じゃぁ……ワタシは、このお方に》

《えぇっ、じゃぁ……》

 

 残った一人が、オズオズと『リヒテル』の方に向かいかけるが、灰色羆(グリズリー)のひと(ニラ)みに足をすくめる。

 チッ、と鋭い舌打ちが小部屋にひびき、

 

《またオマエか、『竹丸(たけまる)』。毎回、毎回アブれやがって、これはあとでお仕置きが必要だな。それとも “下水口” に、いくかァ?ぇぇ?》

《イヤぁっ!ヤですぅ……お(やかた)様ァ》

 

 とたん、小部屋に忍び込むシラけた気配。

 交錯する冷たい視線と小動物めいた哀願。

 

 あるいは半泣きのクルチザンに哀れを覚えたか。

 『リヒテル』は、鼻で大きくひとつ息をすると部屋を数歩あゆんで、クッションのついた肘掛けイスを(キシ)ませ己が巨体を収める。それを(ゆる)しの合図と受け取ったか、『竹丸』は泣き顔をホッとゆるめると、『リヒテル』が座るイスの脚にしなだれかかり、恭順(きょうじゅん)姿勢(ポーズ)

 ほかの少年たちも、思い思いのスタイルで賓客(おきゃく)のそばに(はべ)り、座はすこし(やわ)らぎと落ち着きをみせた。

 カイゼル(ひげ)がきわめて興味深そうに、

 

《『()()』も――このようなコトをやるのかね?》

《いぇ男爵、めっそうもない。『()()』クンは、まだビェルシカですから。ただのお運びサンで。言ってみれば、お(サワ)りアリのバニーガール、(いや)バニーボーイ、かな?まぁ――(まれ)には、さっきのような踊り子のマネごともやりますが》

 

 イツホクの言葉に、()ッと『成美』の全身が、羞ずかしさに。

 

 ――やっぱりアレを見られてたんだ。

 

 ガン!と頭にタライが落下してきたような感覚。

 奈落(ならく)があったら、速攻で隠れたいレベルだ。

 常連客にこそ喝采(かっさい)を浴びたが、修錬校のお堅い教官方には、どう受け止められただろうか。おそらく単なる醜態(しゅうたい)、あるいは重大インシデントと映ったのではないだろうか。

 

 自分たちの生徒が起こした、風俗的な不祥事(ふしょうじ)

 始末書モノでは済まない、探査院きってのスキャンダル。

 

 しかしこの時どうしたことか、『成美』は夢の中で施術され・造られた女の秘部が、キュっと締まり、恥知らずにも(うる)んでしてしまうのを感じる。

 

 観られてしまった!という被虐感。

 

 乳枷(チチかせ)により(クビ)りだされた巨乳の、悩ましくも気怠(けだる)い重さ。

 ピアスを(ほどこ)された乳首の(うず)きと、甘い恥辱も、(あわ)せて。

 太ももを、無意識のうちにモヂモヂとすり合わせる。

 

「マネごとだなんてトンでもない!」

 

 テーブルの下で脚の間に正座される高級公子から、股間に軽い愛撫(あいぶ)を受けつつカイゼル髭が、

 

「アレはまさしく!――まさしく芸術だったじゃないか!」

 

 そう言ってから、スーツの男や『リヒテル』の冷たい視線に出会い、気まずそうに口をつぐむ。さらには、撫でさすられていた股間をビクビクっ、と(わず)かにフルわせて。

 

「彼は――いや“彼女”?は、どうしたいのかな?」

 

 沈黙を保っていた三つ揃えのスーツ(スリーピース)を着る中年が、イスに深く腰をかけ、脚をなかば投げ出す格好で指を組み、そのおくから『成美』を見据え、理知的な口ぶりで呟く。

 

()()()()()も、確認してみないことには」

「うッ。そ、そうだ――な……ゥクッ!」

 

 周囲から目の届かない影でズボンのチャックを開けられて、担当の公子にコッソリ()()で後始末をされていたカイゼル髭は不明瞭(あやふや)な声で応えた。

 

「本人の意志は……だいじだな。ウン」

《実際のところ。彼は、この後どうなるんです?》

 

 スーツの男が、カイゼル髭を白い目で見ながら音声を注文(オーダー)モードに切り替え、『成美』の耳にも届くようにして、

 

《この子たちのように、奉仕用の高級公子にするのか、あるいは、なにか別の目的があるのか。“西”の贈答品とするには、あまりに値がハネあがっているようですが? “『世阿弥(ぜあみ)』グループ” のところにでも送って、さらに磨きをかけてもらう算段でも?しかしそれだと、かなりの物入りとなりますが……》

 

 イツホクは効果を高めるためか、微妙な一拍。

 そして、一団を見回してニヤリとするや、

 

《お分かりに、ならないと?》

《いえ、皆目(かいもく)

《 “アイドル” にする!という選択肢もアリですよ、みなさん!》

 

 いきなりサテンドールのマネージャーは、高らかに宣言するような身振りで、

 

《この子の美貌(びぼう)、芸の吸収才能、身体能力の高さ。パフォーマーとしては、うってつけでサァ。修錬校には、ネコに小判かもしれませんゼ?(おっと、失礼)ちゃんと予算をかけたプロモートと、サポート。それにウチの後押しがあれば、それこそ “金貨に埋もれて目を覚ます” のも十分アリですなァ》

 

 呆気にとられる一団をよそに、イツホクは、かたわらに控えていた青髪メイドに棚からコニャックを取らせると、自分のスニフター・グラスに注がせて香りを(たの)しんだのち、気取った手つきでチン、とリッド()をしてサイド・テーブルにおく。

 

偶像(アイドル)不在の不景気な、社会不安の横溢(おういつ)する時代閉塞(へいそく)のこの世の中で。パッと花がひらいたように、世間(せけん)を明るくするのも、文化事業としてアリですテ……売れますよォ?この子は。いやマジなハナシ。これは商売人としての、直感ですがネ……》

《はぁ……そんなものですか》

《舞台やシネマ。共感情報野にリンケージした露出とパフォーマンス。各方面ともコラボする、最高にリッチで、パワフルな展開をお約束、ってワケ。おたくの修錬校(がっこう)の名前を出してもいいスよ?最近はどこも、バジェット(予算)がキビしいって話じゃないですか……()()()()()でしょうが》

《……》

《聞けば、粗末な扱いしてたらしいですねェ。訓練だ、試験だ、戦闘だと。なるほど “プチ家出” したくなる気持ちも、わかりますテ。()()()()()()

 

 イツホクは、『成美』が身の上ばなしで(しゃべ)った情報(ネタ)を、針小棒大(おおげさ)にヒケらかす。

 

《おおかた、修錬校の格をあげる手駒と、ベンリに使ってたンでしょう》

 

 三人の男たちは虚を突かれたように、一瞬鼻白んだ。

 やがてスーツの男がふたたび『成美』の方を向き、改まって、

 

《キミは――どうしたいのかね?修錬校に戻るか、ココにいるか》

「……」

《この子たちのように、時には性的奉仕をする高級公子になって、一時的にでも優雅な生活をしたいと言うのかね?あるいは本気でアイドルになれるとでも?》

 

 男たちの、圧力をもった沈黙と視線。

 それが一身に自分に集まるのを感じ、『成美』は少したじろぐ。それにカイゼル髭のこちらを見つめる視線が、ピチピチなズボンの股間に集中しているので、いかにもやりづらい。

 

《航界士候補生がいいか。それとも、パピヨン候補生がいいのか……》

「ボクは――」

 

 またもや彼は入校試験の時、口頭試問官の前で感じた緊張を「心的構造」そのままに思い出しながら、いちど大きく息を吸って、

 

「ボクは――ただ。その、()()()()()()()()です」

 

 その一言は、清澄な水面に放った小石が精密な同心円を描いてゆくような効果を、この古風な小部屋に与えた。

 

 男たちは、顔を見合わせる。

 スーツ姿が、またもヤンワリと、

 

《死にたくない、とは……どういうコトかな》

 

 

 

「――盟神探湯(くがたち)65B……」

 

 

 ボソリと呟いた、この一言。

 それは「小石」が「岩」になったぐらいの効果があった。

 ザワリ、と一団が動く。

 



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050:         〃         (後

             


「なぜ、知ってるんだね?彼は!」

「ナンでしょうか?65Bというのは。当店に……なにか関係が?」

「コチラの話だ!()()()()どの、いったいこの子は――」

 

 上級大佐とカイゼル(ヒゲ)に呼ばれた『リヒテル』は、眉をわずかにひそめ、

 

「男爵……言葉は、もっと丁寧(ていねい)に選ぶものだ」

 

 あぁ、ご心配なく。と、イツホクは()れた口調で、

 

「さっきもご説明しましたが、この子のつけてるヘッド・セットは、一般の会話をキャンセルする仕組みになってましてネ。お客サマは、当店自慢のビェルシカが行う、最高の給仕(サーヴ)を受けながら、安心して御商談がおできになるって寸法で……」

 

 なるほど、考えられているという訳だネと『リヒテル』が皮肉な口調で。

 

「そんなことよりも!問題は、なんで、この子が、知っているか――ですよ!」

「ウチの責任じゃないよ?情報管理は、徹底してるし!」

 

 はやくも「組織防衛」の本能をみせたものか、責任論の気配を感じたカイゼル髭が、保身のために見苦しくも予防線を張る。

 

 『成美』は目の前の(いさか)いを聞きながら、あくまで聞こえないフリをした。どうせ、そのうち本当に聞こえないのか、試される質問が飛んでくるだろう。ミエミエなんだよと思いつつ。しかし『リヒテル』が、なんと “上級大佐” とは。言葉の勢いからして予備役という感じではない。リタイヤしたヨボヨボの爺さんだとばかり思っていたのだが。今見ればどうして、錬成校とはまったく別の雰囲気ではないか。まるで研ぎたての鉈《ナタ》のような……。

 どういうことだと『成美』は無表情を保ったまま、忙しく可能性を取捨する。

 

 ――やはり、この世界どこまでも信用できない。

 

 目の前でひとしきり盛り上がった言い争いが収まったあと、『リヒテル』が、

 

「それで――なぜ、キミはそのことを知って居るんだね?」

 

 ―― ホ ラ 、お い で な す っ た 。

 

 『成美』は、聞こえないふりをして営業スマイルのまま、男たちを観察する。

 

 股のあいだにひざまずいたクルチザンの頭を撫でるカイゼル髭。

 奉仕をしようとやっきになる担当の少年を、ヤンワリと押しとどめる三つ揃え。

 そして――こちらを()っと窺う、修錬校の灰色羆《グリズリー》。

 

 その(ヒグマ)が、さらにたたみかけ、

 

「誰から聞いたんだね?盟神探湯(くがたち)作戦のことは……」

 

 ここに至って『成美』は、修錬校・教官を演じていた、この老人の評価を一段下げざるをえない。まさか教官が、こんな汚い “引っかけ問題” を出してくるなんて。しばらく姿を見せない時期があったのは、本業の方が忙しかったから……?そう考えると、図書館でコッソリ観た映像も本物かどうか疑わしくなってくる。

 

 ――わざわざ用意した映像を自分に見せるための、入念に仕込んだブラフ?あるいは思想誘導の、ワナ?いったいこの爺さんの正体はなんだ?上級大佐だって?……日本国政府?あるいは宮殿側の組織?所属はどこなんだろう?やはり情報系だろうか……?

 

「応えては、くれないのかね?」

「上級大佐どの。“注文モード”にしなくては、彼の耳に届きません」

 

 『リヒテル』はため息をつき、卓上のデバイスを起動させると、

 

《どうなんだね?》

「先々週のスポーツ新聞に出てたんですよ。雲海探査実行――か?って」

 

 手を叩いたイツホクの嗤い声。ヤレヤレと首をふって。※

 それに三つ揃えは渋い顔をしながら、

 

《ふむ……情報源は、明かさない、か》

 

 このままでは、おそらく龍ノ口に嫌疑がかかってしまうだろう。それを避けるため、『成美』は秘書官を使うことにした。さんざヒトの肛門をオモチャにした罰だ。

 

「宮殿側の秘書官に、知り合いがいます。知り合いと言っても顔見知り程度ですが。その人から、教えてもらいました」

 

 宮殿?とこんどはカイゼル髭が興味を示す。

 

「誰だね?それは」

「……」

《男爵。ボタン、注文ボタンを》

「えぇ、まだるっこしい!そのネコのようなイカれた耳を取りなさい!」

「……」

「モシェル君!?」

《あぁ、『成美』?イヤー・デバイスを除装。取りな》

 

 オズオズといった風を演技して、『成美』はネコ耳をはずす。

 すると意外に緊迫する小部屋の気配を、直に感じるようになった。

 

「よし、改めて聞こうか。どこの秘書官から聞いたのかね?」

 

 いくらなんでもミラの名前を出しては不味い、気がする。そこで彼は適当に思い浮かんだ部署名を口にした。

 

「えぇと、たしか宮殿官房・第三部の第さん――」

 

 カイゼル髭が、突然激しく咳払いして、『成美』の後の言葉を打ち消した。

 

「分かった分かった、もういい!つまり、オマエは高級公子になりたいわけだ。おチンポしゃぶりの奴隷にな!そのうちメス化処置を受けて()()()()金持ちの愛玩品に――」

 

「男爵……」と、いきり立つカイゼル髭を三つ揃えが制止するまえに『成美』がいくぶん声を高め、

 

「自分は!」

 

 気が付けば、思わず叫んでいた。

 焦点を結ばない腹立たしさ。形の見えない物への怒り。

 

「自分は、その……ただ、死にたくないだけです。死ぬにしても、()()()()()()()()()()()()()()()。実験動物のモルモットみたく、都合で勝手に殺されたくはないです。65Aの搭乗員たちだって!殉職(じゅんしょく)理由をねつ造され、そのため遺族には遺族年金どころか保険金すら――」

 

 あぁ、モシェルさん?と『リヒテル』が素早くここで口を挟んだ。

 

「彼と、二人きりで話がしたい。よけいな盗聴(ジャマ)が入らない場所で」

「あいにく今日は金曜でしてネェ……歌劇座の個人サロンなら、支配人にハナシ通しますが?」

「いや、安全な外で話がしたい」

「はァ?またまたァ」

 

 イツホクの小狡(こずる)そうな(わら)いが、うさんくさげに、

 

拉致(らち)られたら、タマったモンじゃありやせんヤ。この子は今や当店「手中の(たま)」ですからナ?……しかし東のルーフ・バルコンなら……この寒空だ、今晩はダレも使っとらんでしょう。まァ、そこでなら」

 

 『リヒテル』は、黙ってうなずいた。

 イツホクは、(かたわ)らの少女メイドに向かい、

 

「《『雪乃(ゆきの)』?聞いたな――案内して差し上げな》……」

 

 屋上ちかくのバルコンは、テニスコート2~3面ほどの広さだった。

 周りをぐるっと庭園に囲まれる立地のためか、冷え冷えとした夜気は、街中にしては新鮮に感じられる。

 夜中の2時だというのに彼方から聞こえる旧市街の喧噪(さわぎ)は絶える気配がなかった。外側をめぐる外象系資本の高層建築にも灯火は多く、エネルギーが(ほしいまま)に消費されている気配。各方面の庇護(ひご)もあるためだろう、総じて、この一角は国家電力規制法の及ばない不夜城となっている感がある。

 

 歌劇座の立地で、このバルコンを使い豪勢なパーティーを行えば、望遠を使った連中の羨望(せんぼう)をよびおこすにちがいない。同時に出席者の虚栄心はくすぐられ、加えてそれがまた劇場の宣伝になるという、二重、三重の効果を狙った場所とも考えられる。そんなバルコンだったが、今はライトも落とされ、露天用のイスや机も片隅に寄せられて、閑散とした気配。

 『雪乃』がバルコンの入り口まで先導し、一礼して去ってゆくと、師弟ふたりはつめたく人気のない人工庭園へ脚をふみいれた。合成植樹の陰でむつみ合っていた少女メイド二人が、近づく大小ふたつの影を見て、コソコソどこかへと消える。

 

「さて――話を聞かせてもらいましょうか」

 

 『リヒテル』の言葉に、『成美』は借りモノであるポロ・コートの襟をたて、寒々と彼女らを見送りながら、幾分ふてくされて、

 

「……ハナシって、なにをです?」

「すべて、ですよ?」

「すべて?」

「そう。君が、ここに至った理由、居る理由、そして今後の考えと、その理由」

「今後?――まだ、なにも決めてません」

「まだ、ねぇ?」

 

 『リヒテル』は、(くら)い夜空を仰ぎ、

 

此処(ココ)がどういうところか、()って居ますかね?肉を(ひさ)ぎ、魂を売る場所ですよ?口先だけで年端もいかぬ子供たちをつれこんで、依頼主の好みのまま、多種多様(いろいろ)に施術し、調整し、梱包して、倒錯者のもとに送り届ける!まったくもって嘆かわしい。君ともあろうものが!こんなところで!」

 

「では、雲海調査の件は、ナシになるんですか?」

「それは……関係各所と調整すれば、あるいは可能性が……」

 

 ホラ、そうやって、と『成美』はイツホクのような(あざけ)りを見せ、

 

「けっきょく探査院だって、肉を売っているじゃないですか!それが性的なものか、あるいは書類の見栄え的なモノかの差でしかないでしょう。汚い思惑がからむだけ、探査院のほうがまだイヤらしいですよ。なんです?予算のカタに候補生の命って。べつにボクは命が惜しいワケじゃありません――そりゃぁ、コワいのは確かですけど――ただ、犬死にはイヤなんです!」

「……」

「予算、予算言ってるヒトたちだって、ひと皮むけば、倒錯者じゃないですか!宮殿の司政官や中央省庁のキャリアが、パピヨンといかがわしいコトやっているの、ココでたくさん見ましたよ!でもそこに嘘や謀略は無いですよね?性的な欲望のほうが、まだ素直で罪がない!」

 

 『リヒテル』がヒョイと眉をあげ、

 

「では、ここで高級公子になるというのですか?他人の……を(ねぶ)るのが生業(なりわい)の。まさかあの女衒(ぜげん)の「アイドルになる」なんてヨタ話を、信じているワケじゃないでしょうね?」

「そこまで堕ちちゃいません!」

「ほう、堕落しているという認識はあると?ソレを聞いて少し安心しました」

「もうボクは何を信じていいか分からないから、ココにいるんです!正直、探査院なんて必要なんですか?既得利権と打算で、成り立っているだけじゃないですか!」

「私のパスで閲覧した映像データを、見なかったワケではないでしょう!世界は崩壊に向かい、歩みを早めているのです!それを――我々の手で、食い止めねば」

「そのデータが“真”である保証は!?」

 

 それに対し、「フフン」と(ひぐま)が笑うだけの一拍。

 

「……ここまでくると【エ コンセンス ゲンテ(万人の同意による論証)ィウム】でしてね。神の存在の証明と大差ありません。信じてもらわなくては。疑うことは、もちろん大切です、ただし独我論に陥ってはいけません。多方面から、検証すること。だが、その検証場所として、ここはあまりにふさわしくない。いずれにせよ人類は、ヴェスヴィオ火山の上で踊るわけにはいかないのです!」

 

「じゃぁ、ドコならふさわしいんですか!」

 

 『リヒテル』は、だまりこんだ。

 ()っと『成美』を見つめていたが、やがてこんどは瞳の力を落とし、

 

「そう、だれもそんな場所を提供できない……()()()()()()()()です」

 

 大柄な(ひぐま)は、遠くを見つめ、何事かを想うように。そして一転、声低く、

 

高級公子(クルチザン)になる前に、奴婢(ぬひ)(さが)を植え付けられる前に!一度だけ修錬校に戻ってらっしゃい。そして自分の翼で、もう一度だけ、飛びなさい……」

「また耀腕と戦えというんですか!?」

()()()()()()()()()()!と、こう言っている」

 

 ――好きに……。

 

 『成美』の脳裏に、蒼い空と、輝くばかりに純白な雲の絨毯(カーペット)

 それが、ある種の憧憬と、締め付けられるような懐かしさをもってうかぶ。

 

 神聖で、静謐。そしてどこまでも清浄な、世界……。

 

 『リヒテル』は、そんな彼の心の動きを読んだか、重々しく頷いて、

 

「君には性を玩弄(がんろう)するクルチザン(高級公子)ではなく、翼を(つかさど)アルチザン(職人)になって欲しかったんですがねぇ」

「いろいろ事実を知ると、武器を(もてあそ)パルチザン(非正規戦闘員)になるかもしれませんよ?」

 

 『リヒテル』は硬い表情で、『成美』をまじまじと見やった。

 どこかそれは、見慣れない(ケモノ)を凝視する風。

 

「そうなったら探査院(われわれ)と敵対するだけです。そして私は、テロリストを許さない――絶対に!」

 

 『リヒテル』は(きびす)をかえすと、硬い靴音を立てて出口に向かいながら、

 

「『成美(なるみ)』となるか、『九尾(きゅうび)』にもどるか……よく考えてから、決めなさい!」

 

 

 バン!と音を立てて扉がひらかれた。

 そして開けっ放しにしたまま、『リヒテル』の姿は消える。

 

 

 

 

 

 





※主人公が『リヒテル』の「ワナ」に間抜けにもハマったのをイツホクは嗤《ワラ》ったワケです。


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051:スラム地区のこと、ならびに利権に群れる『顔役』のこと

「準備できたか!?」

「あっ、ハイ……」

 

 アイシャドウとマスカラ、それに付け睫毛(まつげ)の具合を、目のまえの鏡で確認。

 リップの輪郭(りんかく)とチークが()()()ないかをチェックしてから、『成美』は、背後からのせっかちな問いに応じた。

 

「時間かけやがって……ホンモノのメスみてェだな」

 

 高級な化粧台から『成美』が振り向いたとき、さらに文句を言おうとしたマネージャーの言葉は、尻すぼみにノドの奥で消えてゆく。

 

 ひとりの淑女(レディ)が、そこにはいた。

 微妙に露出の残る、フェミニンな高級ブラウス。

 その光沢のある生地を透かし、黒く微かに全身を()い縛る、調教用のハーネス。

 清楚だが、妖艶。そして背徳的な、空気を発散して。

 サテン・ドールの親玉は、一拍、気圧(けお)されたように、

 

「――悪ィ……オマエは、もう一人前のメスだな……」

「そんな……」

 

 言葉のキーが、いくぶん高い。

 声帯に、暫定(ざんてい)的な高音処置をされている。

 喉頭鉗子(こうとうかんし)の気持ち悪さ。思い出しただけでもゾッとして。

 

 イツホクは、手持ちのクラッチ・バッグから、金剛石(ダイヤモンド)幾重(いくえ)にも(めぐ)らした幅広なチョーカーを取り出すと、無骨な仕草で首輪代わりに『成美』の(おとがい)へと巻いて、ハート型の小さな南京錠で留める。

 

 ピチン、と鳴る金属的な音。

 

 あたかも“メス奴隷”の性根を心に封じ込めるかのように響く。

 きれいに整えられたピンク色の爪先が、貴石の輝きをたどった。

 プラチナ・ブロンドの、ボブスタイルなウィッグ。

 位置情報も兼ねる、ピアスで穿(うがた)たれた耳に下がる大ぶりなイヤリング。

 胸に付けられた、精神調教用のB.B.(バイオ・バスト)が、肩にズッシリと重い。

 Fカップは、あるだろうソレをユサリと持ち上げ、位置をなおす。

 

()れたもんだよなぁ、一ヶ月か、そこらで」

「――そう?」

 

 鏡の中で、派手なルージュを掃いた少女が、どことなく気怠(けだる)げな面差(おもざ)しで。

 その口唇(くちびる)も、来週中に手術し、ぼってりと性的なモノに変えるよう、なかば強制的な打診を受けているが、『成美』はさすがにためらっている。もしその処置を受ければ、どさくさに(まぎ)れ、声帯(せいたい)も一時的ではなく恒久的な手術をされて、永久に女らしい声となってしまうだろう。もっとも、声帯と唇だけで済めばいいが……。

 

 サド女たちによる夢の中での調教は、現在も続いていた。

 

 明晰夢をはるかに超えた、物理的な刺激のある夢。

 いまでは自分の身体の方に、性別的な違和感を感じるまでに。

 なにかのクスリをコッソリと入れられているのか、身体は常に(ダル)く、世界は妙に現実感から遠く、心も不思議とフワフワして定まらない。

 

 ――あぁ、もう……肩が()()()

 

 バイオ素材の胸をイライラと、また持ち上げる。

 皮膚との接触面に仕込まれた感覚素子が、本体の胸にも性的な刺激を強いるのが悩ましい。腰まわりも同じ素材でメリハリのある尻にされ、内側からチロチロと、情欲のとろ火で(あぶ)り立てられている。

 

 そんな下半身は、薄手な革のタイト・スカートでピッチリと包みこまれ、照りのある(なめ)した革のすそからは、スラリと延びる網タイツに包まれた脚。

 化粧台の前から慣れた仕草で12cmのヒールを動かして立ち上がると、護衛と監視を兼ねる元レスラー二人が、両側から毛皮のコートを着せかける。

 

 まて、とサテン・ドールのマネージャーがそれを押しとどめ、

 

「――ホラよ」

 

 手ずれのある、茶色い革の包みを『成美』に差し出した。

 予感とともに、持ち重りのするそれを受け取り、フラップを()ね、中の金属を抜き出す。

 いつだったか、手慣れた調子で弄んだ、中型の自動拳銃。

 保革油とガンオイルの香りの中から、尾部をゾロリとのぞかせて。

 

「今日の相手は、おそらくチトやっかいでな?」

「これを、わたしに……どうしろと?」

「ナニ、好きにしたらイイ。オマエのOдержимос(防衛自我)тьに任せてくれ」

「は?」

「そう、眉を顰めるな。せっかくの美人が、台無しだぜ」

 

 滑動(スライド)を引くと、9mmのカートリッジが複列(ダブル・カーラム)弾倉(・マガジン)の中に鎮座して。

 

 ――あぁ……。

 

 なぜか知らないが、そのとき『成美』は、得も言われない安心感を覚える。

 銃把(グリップ)を手にした時の、シックリと来る感じ。

 そして重さ。

 まるで旧友に、ふたたび巡り会った、ような。

 

 『リヒテル』との会見から、もう一週間以上には、なるだろうか。

 そのあいだ、単独の外出は許されず、「サテン」と「メゾン」のふたつのドールを、運転手付きの黒塗り(リムジン)で行き来する日々。なぜか出勤まえには、必ず地下ボウリング場のようなところに連れて行かれ、大小火器の練習を、イヤというほどさせられて。

 それも、毎日1~2時間。

 撃ったカートリッジの総量は、そうとうなものになるだろう。

 いま着ている大きなパフ肩付き長袖ブラウスの下は、薄型の消炎プラスターが何枚も貼られている。ブレスレットを()める両手首のあたりは、とくに。

 

「さ、下を脱げ」

「……はい」

 

 夢の中で受ける調教のせいか、命令は絶対という意識。

 ムチの痛みと共に擦り込まれ、最近では拒否できなくなっている。

 薄革のタイト・スカートを、それでもモジモジしながら脱ぐと、

 

「いいねぇ。その恥じらいが、イイ」

「……お(たわむ)れを」

 

 スネてみせる風情も、われながら堂に入ってきたと『成美』は思う。 

 タイト・スカートの下は、太ももと尻を包むB.B。さらに上からガーターベルト。ブラウスの(すそ)をめくると、身体を幾重にも錯綜し、(いまし)める調教用ハーネスの一部が。

 

 イツホクは、コルセットから続く股間を締め上げるハーネスに、かわった形のホルスターを接続すると、『成美』から受け取った拳銃をそこに収める。スカートを履けば、婦人の下半身ラインを模した脚に埋もれるかたちで、いちおう拳銃の在処(ありか)は分からなくなる。

 金属製の銃からくる、ズシリとした感覚。

 数歩ヒールを鳴らすと、なんとなくナヨナヨとした歩みになってしまう。

 

「“お館サマぁ”もっと軽い()ないんですか?こんな……」

 

 『成美』は、店でイツホクの呼び名と強制されるそれを、少なからずの()びを含んだ物言いで口にし、おねだりをする。いつのまにか、この口ぶりも違和感がない。そんな自分をイヤだなと思う気持ちも――すでに希薄(きはく)となって。

 

「その重さは、オマエをメスにする(かせ)だ。さ、もっと歩いてみナ」

 

 綺麗な歩き方のレッスンは、血の出るほどやらされている。

 高いヒール特有の歩行方法。失敗するたび、イザベラにイヤというほど尻を叩かれて。

 しかし教わった歩き方で数歩あゆむと、敏感な部位にときおりハンマーが当たり、発情して内またとなって(おのれ)の胸を()みしだきたくなってしまう。

 

「うん、ちょうどイイな。女らしさが出て」

 

 イツホクは、無情にもそう言い放つと、

 

「スカートのポケットはスローテッドになっている。(すそ)には隠しジッパー。ヤバくなったら、上から横から……まァどっちでもいい、銃を抜いてオレを援護(えんご)しな」

「どうやって……こんなんじゃ素早く抜けませんよ」

「オレに聞くなヨ。イサドラの時は、あんなスゲぇ動きをしたじゃねェか」

「ご覧になってたんですか!?」

「サ、いま13時か。悪かったナ、早起きさせて。うまくいきゃ、開店前に戻ってこれるゼ。営業が終わったら「悦子(えつこ)のカイロ」に連れてってやる」

 

 イツホクは、セレブに有名なカイロプラティックの店を口にすると、重い毛皮を着せかけられ、ハンド・マフと帽子に身体をうずめた『成美』の小動物チックな可愛い姿を満足げに見やる……。

 

 リニアではない、六輪ホイールタイプのストレッチ・リムジン。

 見た目はいいが、不整備道路には乗り心地が最悪だった。

 イツホク一行の車列は、進んでゆくにつれ舗装(ほそう)の荒れた地区に入り、大きな段差を乗り越えるたび革のシートの上で身体が跳ねる。

 ガタガタのアスファルト。瓦礫(ガレキ)だらけの路面。

 うらぶれた建屋が並ぶ、その路上では、あちこちにドラム缶で木切れを焚いて暖をとる、ボロで着ぶくれた人影。

 

「このあたりも、むかしァ栄えてたんだがナ」

 

 イツホクが手元の紙資料から目を車窓の外に移して、

 

「行政が下手(へた)ァうちやがって、俗に言う“スラム”んなっちまッた。そのうえ“貧困ビジネス”の利権集団や、自称“市民団体”が触手のばして、いまじゃ当の政治屋連中も、手が出せネェ」

「……」

 

 人形の形をした木片を小脇にかかえる、汚れたボサ髪の少女が、磨かれたリムジンと、その中で着飾った『成美』が、ゆっくり道をゆくのを呆然と眺めている。

 ドロを落とせば器量よしとも思える、その金髪娘の視線を、いたたまれない思いで受け止めつつ、

 

「……どうにかならないんですか」

「なにが……この地区か?」

 

 イツホクは、手にした資料から目をはなし、ウザそうに車外を一瞥して、

 

「票につながらねぇコトを、政治屋がやるとおもうかィ?」

「そうなんですか?」

「ソウなんですよ?」

「……」

「良く覚えときナ。それに、こんな『社会保障除外区域』にこそ、コロがってる(うま)みってモンもあるわけさ。結果的に、貧民共もトクしてる。これから行くのも、その関係だ。モチロン、そッからくる利益(アガリ)の一部は、政治屋センセーに献金の名目でキッチリお支払いしてッから、三方ともに文句ナシ、ってワケ」

「……はぁ」

 

 リアウィンドウを(へだ)て、少女と『成美』。

 二人の視線が不思議とからみ合う。

 路上の瞳は、いつまでもリムジンを見送っていた。

 

 やがて車は公民館の廃墟のような、大ぶりな建物の前で止まる。

 何かの爆発跡を想わせる、なかば半壊した建造物。

 しかし驚いたことに、車寄せには、ベントレーだスチュード・ベイカーだと高級車が車寄せに並び、タチの良くなさそうなガタイのいい黒服が、それぞれの車を守るように(たたず)んでいた。

 アタッシェ・ケースを手に仕事モードに移ったイツホクは、オー・デ・コロンを香らせ身を乗り出し、さりげなく『成美』のほおをムニムニとつねると、スーツの具合を確かめ、護衛に囲まれて車外に出る。

 

「さ、ついたゼ。不用意な動きィ、すンなよ?攻撃動態検知の防衛レーザーが、アチコチにありやがるからナ?」

 

 『成美』はふくれっ面でコンパクトを出し、ほおの化粧を確認しながら、

 

「そんな電力、このボロ屋にあるんですか?」

「それと、よけいな会話も禁止だ。タノむぜナルちゃん」

「キューちゃんから、ナルちゃん……か」

「あンだって?」

「……コッチの話です」

 

 半壊した建物に一歩足を踏み入れると、そこは別世界が拡がっていた。

 規模こそ幾分小さいものの、メゾン・ドールに劣らぬほど豪勢なエントランス。

 天井画は、なんとミケランジェロの傑作のミニチュア版だ。

 家主の趣味は、良いらしい。

 

 入り口には、あたかも内陣と外陣を隔てるように金属探知器のゲートが設置され、周囲にはSMG(短機関銃)を持つ男たちが。

 当然、『成美』は鳴りまくり、イツホクと離され、ボディ・チェックを受ける。

 サワサワと青年の担当者から身体をなで回されたとき、相手は調教用ハーネスに気づいたらしい。困惑した顔と手つきが、オズオズとしたものに。

 それに気づいたか、鼻のゆがんだ格闘技選手くずれのような中年が、

 

「なにやってやがる!(クソ)メス相手に、ンなんじゃダメだ!貸せ!」

 

 邪険に腕を(つか)み、ハーネースが(いまし)める身体を触る。

 そこではじめて、『成美』が男の娘であることに気付いたらしい。

 ゴツい顔が、みるみる赤らみ、汗が噴き出て青年と同じように手つきが怪しくなる。

 革のタイト・スカート越しに股間を触られたとき、

 

「――あん♪」

 

 いたずら心を起こした『成美』は、上気した顔とあえぎ声。

 そして(うる)んだ瞳と、物欲しそうな半開きな唇を相手の視線にぶつける。

 触られるたび、喘ぎ、(もだ)えていると、相手の股間(こかん)がズボンの下でみるみる固く(みなぎ)るのがわかった。なぜか征服感をおぼえ、さまざまな媚態(びたい)で相手の劣情を高めて(たの)しむ。

 

「いーなー、辰蔵。代わってよ」

「バカいうな!これもお勤めよ……」 

「ふつう、スカートの下には、いろいろ隠されるモンだが」

「ばか。コイツのエロピッチリっぷりじゃ、そんなスキはねぇだろ」

 

 見てくれに比例して、教養の低そうな会話が『成美』の周囲を飛び交う。

 お館サマはなにを、と趣味の悪い指輪のはまった毛むくじゃらの太い指に(なぶ)られながら、助けを求めるようにチラ見すると、こちらもニヤニヤ、そんな椿事(ハプニング)を楽しむ風で。

 

「これは、これはイツホクの――」

 

 赤い絨毯(じゅうたん)の続く奥の方から声がした。

 数人の護衛に伴われ、人影らしきものがユサユサと近づいてくる。

 『成美』を囲む男たちが、見事なさりげなさでサッと離れた。

 

 ――うぇ?

 

 これほどまでに太った男を、『成美』はナマで見たことがなかった。

 良く歩けるな、と思うくらいの肥満度。

 まるで鏡餅(かがみもち)に手足をつけたよう。

 脚が折れないのが不思議なほどの、その男は、やはり他事象面出身なのだろう、日本人なら、とっくに透析(とうせき)か、複製臓器のお世話になっている。そして、そんな体型でも形になっているスーツは、仕立てた職人の腕の確かさを語って余りあった。

 

「最近は“イタチの道”で、てっきり愛想尽かされたかと。そちらのお嬢も――」

 

 そこまで言って、この男は、周囲の稚児趣味なボディ・ガードの反応から、『成美』の正体に気付いたらしい。

 

「いや“ミズ”も、どうぞコチラへ。あぁ、コートはそちらに。おい、お預かりしろ――辰蔵、もういい。下がれ……」

 

 奥まった会議室に入ると、すでに円形のテーブルについてた強面の一群が、ギョロリと新参の二人を睨む。その本職な威圧感は、ちょっと(スゴ)い絵面だ。

「顔役」風な男たちの背後には、ボディー・ガードらしき者がそれぞれ、位置を占めて佇立(ちょりつ)する。

 いつか昔、どこかで。こんな光景に出会ったような。しかしいろいろ非常識な体験の記憶に押し流され、もう思い出せない。

 イツホクが空いている椅子に座ると、迎えに来た肥満男も座について円卓は埋まり、全員(そろ)ったことを知らせる。

 

 微妙な空気があった。

 

 顔役の男たちはおろか、背後に佇立するボディ・ガードたちも、イツホクの後ろに占位する『成美』をチラチラと気にする様子。

 議長である肥満男は、そんな全員の空気を察してか、にこやかに、

 

「さて――会議を始める前に、そちらのカワイイ“ミズ”に自己紹介を願おうかね?さもなきゃ……会合にならんでしょうで」

「知ってる!この前、メゾンで“七つの舞い”を()った子だろ?」

 

 比較的若めな、まだ大学生の気配が残る出席者が、いきなりしゃしゃり出て、

 

「アレぁ、サイコーだったな。ナマで見れた奴は、ラッキーだよ」

 

 顰蹙(ひんしゅく)まじりの沈黙。

 あれ?と周囲を見回す若者。

 場の雰囲気を救うべく、『成美』は一拍、双腕(もろうで)をひろげ、

 

「お集まりの皆様には、お初、お目にかかります。当方は名乗るほどのものでは御座いませんが、『成美』とお心にお留め頂ければ、これに勝る幸いは――」

 

 優雅に一礼したとき、あぁ……まただとの想い。

 形をかえ、場所をかえ、自分は同じようなコトばかりを演じている。

 しかも恐るべきは、その舞台がだんだんと品下(しなくだ)ってきていることだ。

 この延々と続く、果てしない下降螺旋(かこうらせん)

 

 ――どこまで()ちるんだろう。

 

 フッ、とルージュを履いた口元に密かな自嘲(じちょう)のため息を浮かべたとき、全員の視線が、ハートマークになるのを、『成美』は早くも根付いてきた“女の直感”で悟る。

 

「イツホクの。こりゃ会議にならんぞ。なんでこんなの連れてきた?」

「いえネ、コイツをちょいとデビューさせてみたいと――こう」

「なに?ダンス(踊り)で?」

「いえ、アイドルで」

 

 一団から、失笑の気配。

 

「このご時世に、か?裏アリの企画なら乗らんでもねぇが……」

「苦労してつくったって、ナァ……?」

「んだ、みんなコピられッ(ちま)う。ソレこそイミねぇ」

「あとで、この子の販促3D(ホロ)をお見せしますヨ。したら評価もかわるでショ」

「そうだな――まずは、ツマんねぇ方を、片づけちまうか」

 

 集まった男たちは、自分の抱える組織の目下の問題点を、持ち寄った資料で検討してゆく。

 ときには、利益が重複する組同士でモメる一幕もあったが、議長役の肥満男の采配(さいはい)で、落とし処に落着してゆく。

 しかし、聞いている『成美』には全く理解できない。

 いや理解できないのではない、納得が、いかないのだ。

 

 “善意”の再分配。

 予算の“しかるべき”執行。

 遊休資産を“保持者処置”の手口によっての再利用化。

 省庁担当者の“個人事情”を勘案(かんあん)する随意契約(ずいいけいやく)化。

 

 口では大層なことを言っているが、国の予算から、あるいは一般大衆から、(カゲ)日向(ひなた)に、いかに金を引っ張るか。これしか語られていない。

 

 つまるところは、

 

 大手広告代理店とグルになった、募金サギ。

 第三セクターの創設と、予算がダダ漏れの恣意(しい)的計画。

 高齢資産者への取り込み詐欺(サギ)や、背乗(はいの)り。()()()失踪(しっそう)」処分。

 高級官僚や宮殿役員の個人的性癖(せいへき)を突いた、規約の無効化と予算の拡充。

 

 ――組織だナンだとエラそうなこと言って。なんのことはない、ヤクザのシノギに関係する縄張りの()り合わせ。それに鉄砲玉の人材や、弱みを握った宮殿司政官、あるいは日本国政府・高級官僚の融通(ゆうずう)じゃないか。

 

 

 漏れたエンジン・オイルのように、延々とアトをひく議論。

 いかに予算を引っ張るか。

 いかに美味い汁を吸うか。

 議論はそれに尽きていた。

 

 急に『成美』は醒めた。

 

――こんな連中の手駒になるために……遺伝子手術?メス奴隷?

 

 培養した子宮を腹に留め置きされ、ホンモノの乳腺で胸をふくらまされ、骨格を改変されて。銭ゲバどもに、良いように使われるのか?

 

 しかも“悪”の手先として。

 

 円卓の対面で、また何か言い争いがはじまった。

 雲海飛行船を使った純金(インゴッド)の密輸に関するものらしい。

 いっぱしに「原価」だ「利益率」だ「損益分岐点(そんえきぶんきてん)」だと、マフィア風情が熱くなっているのがワラえる。言い争いが激高レベルになるや、肥満男がオイオイとあきれたように、

 

「いい加減にしたまえナ――見ィ、ナルミ嬢もアキれとるぞ?」

 

 ふたたび全員の視線を浴び、すかざず『成美』は営業スマイル。

 たちまち場の雰囲気はなごみ、とりあえず問題は先送りされ、議題は次にうつる。

 

 ――ナニやってんだろ。こんなところで……自分は。

 

 愛想笑いを引っ込め、(また)のあいだで汗ばむ拳銃の具合をなおしながら、『成美』は粘性のある思索にただよう。考えは、事象面すべてのことに向けられていた。

 

 

 あっちもこっちも

 ひとさわぎおこして

 いっぱい呑みたいやつらばかりだ

      羊歯の葉と雲

         世界はそんなにつめたく暗い。※

 

 

 表も裏も、どうしようもなく(きたな)い。

 これが社会か。これが世界か。

 こんなのを救うのが、探査院?

 航界士は――無駄死にじゃないか……。

 

 イツホクの後ろで立つ『成美』のイライラ感が、つのる。

 ピンヒールで立つ脚が痛い。

 ときおり、付けられたバストがピクピク痙攣(けいれん)するのが腹立たしい。

 目線だけでとなりをみれば、仕立ての良いスーツを着たガタイのいいアニキが、上半身をビクともさせず、片方の脚をフラミンゴのようにコッソリ曲げ伸ばし。『成美』の視線に気付くと、ヒョイと眉を上げて見せた。

 

 ヒールの傷みが我慢できなくなったころ、ようやく打ち合わせは終わり、会議室にホッとした気配がながれる。

 

「さて――別室にシャンパンを用意してある。おまちかねの上映会と、イこうじゃないか――あぁ『成美』嬢は、せっかくだから、お召し替えを。いいな?ご主人」

「構わないス。ナルミ?行ってきな」

 

 豪華な別室で、『成美』はメイドたちに手伝われ、純白のイヴニング・ドレスに着替えさせられた。舞ってもらうかもしれない、という理由でハイヒールも脱がされ、同色のトゥ・シューズを巻かれるとリボンで可愛く留められる。

 中指で引っかけるタイプの、腕までおおう黒い長手袋。

 ウィッグも変えられ、同じプラチナ・ブロンドの、髪を結い上げたモデルに。

 大きく空いた背中から見える、身体を縛めたハーネスが、逆にエロチシズムを醸して、護衛役につけられた男たちに好評をうける。

 拳銃のホルスターもいったん取り上げられ、さらに目立たない物にされて再び下腹部に装着された。

 

「お前ェがチンコの下に銃隠してるなんざ、最初からワかってたのサ」

「透過タイプの走査機があるからなァ」

「そんなぁ!……なら、なんで身体検査なんか」

「サワりたかったんだろ?係が」

「役得だもんな……俺たちもサワってイイか?」

 

 ダメよ!とメイクを担当する年かさの婦人が、男たちを一喝。

 

「お化粧、クズれるじゃないの!なにかあったらトリマルキオに言うからね」

(ちぇっ……ババァ)

「あンだって!?」

 

 さいごに、鏡を彼女に見せられた『成美』は絶句する。

 

 ――これが……わたし?

 

 知らない他人が、鏡の中から驚いたように見返していた。

 時代物のシネマの中から抜け出てきたような、風貌。

 自分でやったら、こうはいかない。

 宮殿の愛姫めくも、それでいて高等娼婦のような、どこか危うい雰囲気。

 

「そのイヤリングもセンスないから、別のにしたいけど、外せないから」

 

 残念そうに年かさの女性がそう言って、己の技術の出来映(できば)えを、確認する。

 

「いいわねぇ、ご主人持ちは。エステに装身具」

「超高級マンション。それも専用庭つき屋上階」

「高価なおクスリも撰びほうだいですものねぇ」

 

 エロティックな制服を着せられた周囲(まわり)のメイドたちに羨望の声を浴びせられ、鏡の中の美少女は、少しとまどう面差しで。

 

 「さ――イクぜ?」

 

 護衛役に手をとられ、トゥ・シューズの具合を試しながら立ち上がる。

 通路に敷かれた毛足の長い絨毯を、背筋を伸ばし、優雅な歩みで、スキあらば豊かな尻を触りたがる護衛たちにはさまれ進んでゆくと、行く手の両開きな大扉から、“七つの舞”の最終楽章が漏れ聞こえてきた。

 護衛たちがヒソヒソと口々に、

 

「おめェの演舞(ダンス)、そうとうなモンだってナ?親方が驚いてたぜ」

「親方って?どなた?」

「議長さ。トリマルキオ親方」

「あぁ……さきほどの」

 

 あの“歩く鏡餅”ですか、とは流石(さすが)に言わない。

 

「すでにサ、始まってるってよ?壮絶な取り合いが」

「なんの?映像ソフトの版権でも?」

 

 小首を傾げた『成美』の問いかけに「ヤレヤレ」と護衛たちは、視線をハートにしながら笑いあう。

 そして一人は、けしからん事にドレスごしの乳房をつつきながら、

 

「おめェ自身の、取り合いだよゥ」

 

 両扉の前で、まつことしばし。

 やがて、シンバルの音。

 長いため息ひとつぶんの静寂。そして――割れんばかりの拍手。

 

「はぃ……はい、諒解(りょうかい)です。オイ、今だ。入れ」

 

 護衛たちが扉をゆるゆると両側から引き開ける。

 中は真闇。

 恐る恐る、舞台の最初のステップのように、部屋に足をいれる。

 

 転瞬、スポット・ライト。

 

 間髪をいれず、闇の中から、おぉう……というどよめき。

 幾重もの閃光。シャッターの音。

 照明が切り替わり、輝かんばかりの緋色と金が主張する、豪華なホールが目前に展開した。

 拍手が、さらに盛大になってゆく。

 

 先ほどとは、うって変わった雰囲気。

 居並ぶ顔役たちと、その配下。さらにはボディーガードの周囲を、派手な女たちが巡って。

 イヴニング・ドレスの片裾をひろげ、『成美』が優美に一礼した時だった。

 自分を囲む輪の外側に佇むイツホク。その背後で、閃き。

 

 ――日本刀!?

 

「あぶない!」

 

 『成美』は高い声で叫ぶと、日本刀を大上段に振りかぶる男に“自動的に”突進する。

 初撃を、イツホクは辛うじて避けた。

 しかし、下からすりあげる次撃で、肩を切られたらしい。

 

 悲鳴と、物が壊れる音。

 重い肉がぶつかり合う気配。

 人の群れが散ったあとに、さらに斬撃を加えようとする若者に、『成美』は恥も外聞もなく、ドレスのスカートになかに手を突っ込み、拳銃を抜こうとする。

 

 ――チッ!

 

 銃のハンマーが、ドレスの裏地に引っかかった。

 若者は目を血走らせ、目標を『成美』に変えると、横殴りに斬りかかってくる。

 どうにかスカートから抜いたものの、初弾を薬室(チャンバー)に送るヒマがない。

 一瞬――日本刀が畳のように大きく。

 その刃紋の具合までもがよく見えるように。

 

ガッ!とすさまじい音。

 かろうじて、『成美』は銃身を盾に刀身を受けることができた。

 しかし、かよわい腕では圧倒され、ジリジリと頭上から刀を押し付けられる。

 半ば白目を剥いた若者の口から、ケモノのような咆哮(ほうこう)

 

 そのとき、横合いから重量級のアニキたちが突進してきた。

 タックルを受けた若者は壮絶に吹っ飛んで昏倒する……。

 

「フテぇ野郎だ、殺せ!」

「まて!」

 

 シャンパン・ボトルを振りかぶった黒服を、肥満男(トリマルキオ)が鋭く制する。

 

「まず背後(ウラ)を吐かせてからだ。(バラ)すのは、いつだってできる」

「へぇ……おい、拘束して地下につれてけ!」

 

 両腕をとられ、ガックリと頭を垂れて足を引きずられながら、裏口の暗闇に暗殺者が消えてゆく。

 サンキュ☆とばかりイツホクがスーツの襟をなおし、ウィンク。

 そのあまりの似合わなさに、『成美』はクスクスと笑わざるをえない。

 

 フン、と肥満男は表情を改めると、

 

「さぁサ、みなサン。予定外の余興でしたが、続けましょうか?」

 

 合図を受けたボックス席の演奏者たちが、軽い音楽を(かな)ではじめた……。

 

 

 




※宮沢賢治「政治家」より


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052:この社会の裏のこと、ならびにイツホクのこと【軽18禁版】

 薄雲に(かす)んだような日差しが、西の空に架かっていた。

 

 あの少女が、また見えないかなと『成美』はリムジンの窓ガラスにベッタリ顔をつけ、ゆっくりと過ぎゆく通りを観察するが、残念ながらスラム街区の(さび)れた路上に人影はなく、寒々とした気配だけが、うらぶれた通りに()ちている。

 

「なんでェ?なンか珍しい物でもあるンか」

 

 なぜかブスッとした声で、イツホクが。

 それに対して『成美』も、知らん顔のまま、無表情な声で、

 

「いえ……ただ、ヒトが居ないな、って」

 

 あぁ、と中年男はツマらなそうに、

 

「いまは、ちょうど配給の時間だァ。みんな飯盒(はんごう)もって並んでら」

「そう、ですか」

「……お()ェもまじってみるか?貧民どもの列に」

「イイかもしれませんね」

「あァ?」

「あんなヒトの生き血を(すす)るような連中に混じるより、貧乏した人たちに混じった方が、よっぽどセイセイしますよ!」

「そうか。じゃ、この車ァ降りな?降りて自分の身体と胃袋で、ホンモノの『貧乏』の何たるかを()るがイイや!」

 

 売り言葉に買い言葉。

 カッと『成美』の頭に血が上る。

 

 ――上等。

 

「えぇ、そうしますよ!リモ(リムジン)、停めてください。降りますから」

 

 いきなり『成美』はドアのノブを引き、荒れた路面のために徐行状態のリムジンから降りようとする。しかしロックがかかっているのか、頑丈そうなドアは開かない。躍起になる『成美』の背後からイツホクが間延びしたせせら笑いで、

 

「ぁ~ほ、お前ェみたいな金ヅル、逃がすワケねぇだろ。「イカナル時ニモ備エヨ」ってナ。考えの浅い阿呆なガキぃ、こんな地区で放流してみな?サイアク明日には剥製(はくせい)ンなって、応接間の置き物になってら」

 

 『金ヅル』、という言葉が胸に刺さる。

 

 グふぅッ!と、不覚にも『成美』は、くやし涙をにじませて。

 まるで心の急所を突かれたように、感情がとまらない。

 肩を震わせ、嗚咽(おえつ)に耐えるが何ということだろうか。

 でも、こんなときですらマスカラの具合が気になって。

 そんな自分が――たまらなくイヤで。

 

 イツホクも、これにはとうとう音をあげ、まるで駄々をこねて泣く新妻の“涙攻撃”に辟易(へきえき)した風に、

 

「ワぁった、ワぁった――はいはいワルぅござンした……まったく。お前()()一体ナニに(イラ)ついてンだか。ソウダッケのサイン会に間に合わなかったのは謝らぁ。体調不良で、まさかトンボ帰り食らうとは思わなかったから」

「そんなんじゃアリません!」

 

 コンパクトを取り出した『成美』は(なみだ)をこらえつつ、それでも目もとを気にしながら。しかし、あふれる無念さは抑えきれず、わたしは――と紅い唇をゆがめて、

 

「わたしは――航界士、っていうのは……もっと、こう、崇高(すうこう)な使命を負っているものだとばかり……思ってました……世界を、この事象面を、救うんだと……でもなんです?コレ。救うはずの世界は、表もウラも、腐りきって……お金や自分たちの、お下劣(げれつ)な欲求のことばかり」

 

 車窓に映り込んだ自分の顔を見るのがイヤで『成美』はシートにうつむき、

 

「わたし――わたしたちが命、を張る価値、なんて……」

 

 あとは言葉にならない。

 しばらくは、半ばメス奴隷にされた“彼女”の、声を抑えたすすり泣きがつづく。

 ややあってイツホクは、あのなぁ、と大きなため息をつき、

 

「お前ェ……どこまで「お嬢サン」なんだァ?学校の仲間はヤクや金塊、株式投資に手ェ出してなかったンか?“お下劣”な欲求や本能に従って動いてただろうが。ガキどもが扱う「ヤバいブツ」の受け渡し場所は、だいたい街頭の人混みの中と聞いてるが。あるいはテーマ・パークとか」

「……」

「みんな学校時代から、セコセコ処世術学んでるてェのに、お前ェはナニしてた」

 

 ナニしてた、と改めて言われると、『成美』は戸惑う。

 

「……テスト勉強」

 

 これがイツホクの爆笑を呼んだ。

 リムジンの車内で、耳に響くほどひとしきり笑う。

 笑ったあと目尻をぬぐい、乱れたオールバックを神経質に胸ポケットから出したコームで整えながら、ふくれ面の『成美』を見て、

 

「なァるほど、お前ェは……あの錬成校(がっこう)の「虎の子」らしいや」

「そんなんじゃ、ないです!」

「昨日もナ?お前ェを返せと、探査院の下部組織に属する女のお偉いさんが、エラい鼻息で乗り込んで来やがったが、データぁ照会したら、コイツがナンと新五反田の会員制・SMクラブの常連でよ?男子○学生相手にプレイする違法な店なんだが……そのこと突っ込んだら、コソコソ逃げてきやがった――サービス券、1ダースばかせしめてナ。おまけにコイツが地元の父母会(PTA)の役員で、さらには公共放送で自分の番組持っている教育評論家とキたもんだ。さっそくウチの強請(ユスり)先の仲間入りってワケ」

 

 ――もう……。

 

 話を聞いた『成美』は、リムジンの天井を仰ぐ。

 

 ――ドコもかしこも……マトモな人物は、いないのか。

 

「そんなに固く考えなサンな。この世は互酬性(ごしゅうせい)で出来てンだ。魚心あれば水心。ベトナム事象面の謂いじゃないが『食べたければ台所へいけ』だ。金があるトコには銀蝿(ぎんばえ)がタカる。歴史上そうでなかった時代は、無ェ。もっとユルく構えなよ。この先モタねぇぞ」

「でも――正義は?」

 

 『成美』は必死に言いつのる。

 

「理不尽に奪われ、犯され、殺された無辜(むこ)の涙は?誰が(あがな)ってくれるんです?」

「――あぁ、あの会議の中身、かァ」

 

 イツホクはツマらなそうに手をヒラヒラさせ、

 

「老いボレ共は老い先みじけぇから、詐欺(サギ)って戸籍や金奪って社会に還元しろとか?貧乏人は、カネで釣って、臓器プラントの代わりにしろと?あんなのは、チンピラ共の論理だ。じきに“宮殿憲兵隊”が処分してくれるッて。じっさい――あの会議はナ?」

 

 と、ここでイツホクは声をひそめ、身を乗り出し、マスカラの(にじ)んだ『成美』の目を、胸から抜き出したポケット・チーフで、やさしく拭きながら、

 

「……法執行機関に、チンピラ共の動静や、買収されている役人、議員を密告()すための、情報収集会議だ。デブのトリマルキオですら、事実をしらねェ。知ってンのは、あそこにいた『顔役』の一部だけ。代わりにコッチぁ、ある程度のお目こぼしもらうって寸法よ」

「……お目こぼし?」

「ヤバい新薬の人体実験役として、処刑前の死刑囚を製薬会社に融通し、代わりに認可前のクスリをもらうビジネスだったり“人形”素材確保のため、名家から処分をタノまれた不良(むすめ)の一石二鳥な偽装誘拐(ぎそうゆうかい)だったり――マ、いろいろ」

 

 『成美』の頭がクラクラする。

 

 もう、ナニがナニやら。

 個人の存在なんて、羽毛のように軽いんだな、と実感。ウラのカラクリなんて、知らない方が良いのかもしれない。

 もしかすると、例の雲海降下実験に参加するはずだった自分も、なにかの深遠な歯車と繋がっていたとも思えてくる。しつこく探査院が、計画を(うなが)してくるのも(うなず)ける、ような。

 

 ――だとすれば……。

 

 『リヒテル』なんていう、あの得体の知れない“上級大佐”なんて、一番に信用ができないことになるではないか。何も知らない自分を、中途半端な情報でアヤつって(えつ)に入ってるアヤしげなジジぃ。口ではソレらしい事を言ってはいたが、はたして本心は、どの程度か。

 

 強固な、基礎的な「立ち位置」が、欲しかった。

 コレだけは『絶対確実』といえる、第一歩が。

 さもないと、この泥沼めいた世界の中では、いつまでもフラフラと心が(おび)えて、精神衛生上きわめてよろしくない。

 

「いったい、この社会って……なんでそんなに……」

以前(まえ)ァそうじゃなかったらしいぜ?おもに“並行移民”が入ってきてから、なんだと。好き勝手やり始めたのが」

「並行移民、って、外象人が?」

「あぁ。ヤツら妙にプラグマティズムの塊だから。「ネオ・構造主義」の権化、みてェな?あ、お前ェにァ、難しいかァ?……ツマるところ、宮殿のヤツらときた日にゃ、ヒトをタダの『要素』としか見てねェ……ま、それがコッチとしても、商売に都合いいンで、文句ァ言えねぇが」

 

 ずいぶん昔の記憶のようだが、ホンのすこし前に見た、新聞の号外。

 それが、リニア・トラムの臭いとともに、まざまざとフラッシュバックする。

 

【日本国政府 王宮と政務を統合】

 

 なぜか『成美』はゾッとする。

 昔、衛生の授業でみた、劇症型の溶連菌(ようれんきん)が身体の中に入り込んだような、そんなイメージ。溶かされ、ズタズタにされた組織の映像。たしかあのときは、吐いてた男子候補生も居た記憶がある。女子候補生は「女は血を見慣れているのよ」とかいって、男子を小バカにしていたが……。

 

 取り返しの付かないことになりそうな――そんな予感。

 このトレンドが勢いを増すと、自分の存在など風前の灯火になりそう。

 

 豪奢な毛皮を羽織らされているのに、なぜか肩先が冷える。

 援助を求めるさきは――無いのか。

 

 『リヒテル』は、ダメ。

 秘書官の『ミラ』も、宮殿側だけに、おそらくアテにはならないだろう。

 サラや龍ノ口は、利用される側だ。

 校内女医は……おそらく利用する側に使われるコマだろう。

 

 “モラトリアム”先が、どこかにないものか。

 

 やはりイツホクの『サテン・ドール』とクジェチの『メゾン・ドール』。このふたつのドールを利用するしかないのか。ビェルシカとして社会勉強し、金を貯め、どこか遠くに逃げる。あるいは力のある客とウマいことコネをつけ、目立たない企業に就職する……。

 

 いつの間にか車の振動は無くなり、リムジンは整備された普通の工業地帯を走っていた。浮上型の黒塗りが、音もなく追い抜いてゆく。

 信号機は、馴染みのある3D(ホロ)となり、ようやく普通の世界に帰ってきた気分。

 手元が確かになったので、化粧のくずれを直そうと『成美』はコンパクトをあけ、ふと、

 

「そういえば……」

 

 と、気になったことをイツホクに(たず)ねた。

 

「さっき、お館サマは『お前()()、一体ナニに(イラ)ついて』って、言ってましたけど。お館サマは――いったい何に、イライラしてるんです?」

 

 イツホクは、半ば呆れ顔で『成美』の顔をマジマジと。

 

「お前ェ……妙なトコで(さと)ィな」

 

 対して“メス奴隷”候補生も、

 

「お館サマを気遣うのは、ビェルシカのつとめですから」

「ハ!こころにも無ェことをマァ」

 

 この中年男は、唇をゆがめ苦笑して、

 

「なんでもねぇよ……チョイと薬が、効き過ぎたダケさ」

「おクスリ?」

 

 小首を傾げ、媚びを売るような仕草。

 コケティッシュに――ちょっと唇を尖らせて。

 ハッと『成美』は気付く。

 いつのまにか、自分は女の仕草を使っている……。

 おもった以上に、精神調教は進んでいるのかもしれない。

 

 イツホクは、そんな彼をニヤリと横目に、

 

「今日、あの会議にお前ェを連れてったのはヨ?もちろんプロモーションのイミもあるが、会場の注意ィ引きつけ、オレを狙いやすくするためサ。前々から、オレを(バラ)そうとする(ウワサ)があったんでナ。イサドラのヤツも木偶(デク)にしちまったし、アイツの親族のカラミもあって、いろいろ手ェうたねぇと、ヤバく――」

「イサドラ?人形、って。じゃぁ、アレ……」

 

 楽屋裏を、コトコト去っていった白い球体間接人形。

 みょうに(なま)めかしい、そして人間くさい仕草。

 電気ロッドでシバかれたときの、(ウラ)みがましそうなガラスの眼。

 

「なんだお前ェ、聞いてなかったンか。まぁイイ、んで案の定、引っかかってきやがった。ポン刀(日本刀)使うなんザ時代錯誤(アナクロ)もイイとこだが、条件起発洗脳の人間にはアレぐらいしか使えネェから。ホントならこの手の場合、対人レーザーが作動して来客の不穏な動きにオートで対処するハズなんだが……作動しなかった」

 

 イサドラのショックで『成美』はマネージャーの話を半分も聞いていなかった。

 イツホクも、それは分かっていたようだが、自分に言い聞かせるように、先を続ける。

 

「考えられるのは、ふたつ。ひとつは、あの会議のメンバーの誰かが依頼を受け、本気(マジ)でオレを消そうとしたか。もしかしたら会議の役割に気付いたヤツがいるのかもしれねェ。んでもって、もう一つは――お前ェだ」

 

 いきなり自分を話題にされ、『成美』は球体間接人形の幻影から()める。

 

「わたし?――いや、ボク、ですか」

 

 むりやり男言葉を使ったが、それがこんどは全身に悪寒を走らせた。

 違和感と、嫌悪感。

 ここにも、洗脳教育の気配が。

 そうさ、とイツホクは『成美』のアゴを、クィと持ち上げ、

 

「オレが消えれば、お前ェを自分のモノにできる……そう考えるヤツが、少なからず居るってワケだ。じっさいトリマルキオにも言われたよ。べらぼうな金額でな」

「なんで……」

「自分好みに調教したいんだそうだ――あのヘンタイ趣味が」

 

 “モラトリアム”先に、サテンやメゾンを使うというのも、アヤうくなってきた。

 気が付けばメス顔にされ、濃いメイクを(ほどこ)されたあげく、表情は痴呆めいて、淫らに。そして肉感的な紅唇のはしからヨダレをたらし、太った男の腹の上で、肥大化した胸をゆすらせ、よがり声を上げている……そんな情景が浮かび、またもや『成美』はブルッと身体をふるわせる。

 

「メス奴隷にされるだけなら、まだカワイイほうだぞォ?モノホンのシッポやケモノの毛皮移植されて獣人もどきにされたり、生きた家具にされたり、観賞用のキメラにされて、大型水槽の中で飼われたり……いろいろキリがねェ」

「そう……ですか」

「どうだィ、ここらでアキらめて、おれン(トコ)の、専属メスにならねぇか?」

「お館サマのお店、って?」

 

 微妙な一拍。

 そして、やおら重々しく、

 

「オレは“サテン”と“メゾンの”――実質的な店長だ」

 

 じっとりと湿った(ひとみ)が、値踏みするように『成美』を見据えて。

 リムジンの車内に、俄然、緊張の気配が濃くなった、ような。

 ホウキとチリ取りを持って、店の玄関前を掃いていた第一印象。それが大きくゆらぐ。

 

「うそ――なんで」

「身の安全のために、そうしてる。いま店《メゾン》でエバっている連中は『お飾り』サ」

 

 イツホクは、(せき)を切ったように語り始めた。

 

 ユダヤ人としての、自分の貧乏な出自。

 差別され、イジめられていた少年時代。

 迫害された青年時代と無実の罪の逮捕。

 社会に対する(ウラ)み。そして反逆と復讐。

 

「結局サ?ナニはおいても、どんな(きたな)いコトをしても――勝てば官軍よ」

「……」

「成り上がろうと思ったナァ。だってそうだろが?コッチはナニもしてねぇのに、警察やマスコミ、ゲスな「その他一般」どもは、みんなグルんなって、タタきやがる。あン時の飢えと、みじめさと。寝ていても夜中に起きるほどの煮えクリかえるような怒りは、いまだに忘れられねェ」

 

 気が付けば、イツホクの瞳の中にも青白い炎が煮えていた。

 いつのまにかオールバックの中年男は、自分だけの世界に没入している。

 

「オレは決心した……ビッグになる、ビッグになって、オレを踏みつけた奴らをビビらせ、そしてポリや公安、それに検事はモチロン()()()のクソ共すらも!アゴで使い、足もとに()いつくばらせてやる……じゃぁビッグになるにャ、どうすッか?――そうさ。カネだ。『目標価値』を達成するための、『基底価値』。目的のための手段、ってヤツだ……そしてある程度までは成功した。ねたみを買わないよう、目立ってドジを踏まないよう、ウラから糸を引いてな?宮殿の銭ゲバ。日本政府のクズども。野党のポチ……そうさ、成功したんだ……それが、いまじゃどうだ?逆転してやがる……まるで……むかしの……」

 

 最後の方は、聞こえない。

 対面型である目の前のシートを凝視し、ナニやらブツブツとつぶやいて。

 中年男の両手は、関節が白くなるほどグッと組まれている。

 うひぃ、と『成美』は心中おぞけをふるい、

 

  ――触らぬ神に祟りなし、だ。

 

 毛皮のコートの具合をなおし、車窓を流れる風景に見入るフリをした。

 折しも、ようやく車列は都市部に入り、管理された街並みと磨かれた車が行き交うようになっている。

 街を行く人々の服も、穴の空いた毛布を巻き付けたものではなく、キチンとしたものに。

 気付けば、もうクリスマスの月だ。

 赤と白のイルミネーション。

 この前まで、木の葉が散っていたと思っていたのに……。

 

 ふと『成美』は妙な懐かしさを感じる。

 よくよく見れば、車は昔住んでいた寮の近くを走っていた。

 

 夕暮れの風景。

 行き交う人々。

 

 それらが、このリムジンに装備された防弾ガラスの車窓で隔絶され、流れてゆく。

 補習がおそくなった時に使った牛丼屋が潰れ、ラーメン屋が居抜きで入っていた。

 宝飾店の看板が新しくなり、自分のように真っ赤な唇の女性が頬笑んで。

 信号機がひとつ増え、根本には枯れた花束が何本か。

 ゲーム屋は相変わらず『閉店』セール。

 大音量でポップスをかけるスクーターの暴走族集団が、渋滞のノロノロ運転のなかをスリぬけてゆく。

 その時、『成美』は、歩道のヒトのながれに違和感を感じた。見れば、杖を突いた老人が、大儀そうにトボトボと歩いてる。

 

 ――老人?

 

 憲兵隊払い下げのヨレヨレなコートに、片手杖。

 背中を丸め、コンクリートとガラスが空高く覆う街並みを、まるでブルブルと、足もとも覚束(おぼつか)ないように、ゆっくり、ゆっくり……廃品回収車のように進んでゆく。

 

「停めて!」

 

 反射的に『成美』は叫んでいた。

 だが、ストレッチ・リムジンなので、当然、ドライバー・エリアに彼の声は届かない。

 

「お願い!停めてよ!」」

「うるせぇなァ……外に出すワケねぇだろうが」

 

 それにも構わず、『成美』はリムジンの窓をバンバンと叩く。防弾仕様Ⅲ-4(sp)の頑強なシュペル・カーボネイト。

 タイミングがメス奴隷“候補生”に味方した。

 信号が赤になり、車の流れは停まる。ウインドウを下げようと、整えられた爪先が豪華な内装のスイッチを操作するが、分厚い窓は動かない。

 

「おい、ヤメな……ヤメろ!」

 

 かたわらの歩道を“老人”がゆく。

 イツホクが、運転席に向かってだろうか、何かを指示した。

 とたん、リムジンのジェネレーター音が上がり、窓の騒音を消し去る。だがいきなり車の騒音が上がったため、かえって注目を引いた。

 車道に停車する、珍しい形のリムジン。その窓がドンドンと鳴るのに気付いたか、老人は力のない瞳を『成美』が必死に叩く窓に向ける。

 

「先輩……龍ノ口センパイ!」

 

 かたや、美麗に着飾った高等娼婦の装い。

 かたや、うらぶれた年金生活者のような、やつれきった影。

 

 ふたつの認識が、互いを確認したようにも思えた。だがしかし、それは『成美』の願望だったのかもしれない。スモークの濃度があがり、やがて真っ黒に。

 青信号となり、リムジンがゆっくりと動き出す。

 動きを止めた“老人”の顔が、街の雑踏にまぎれ、ゆっくりと遠くなってゆく。

 

「ナルミ……手ン前ェ……!」

 

 いきなりイツホクは、『成美』の首に巻かれた幅広のチョーカーを手荒につかみ、窓側から車の奥に引き戻した。ノドを圧迫された“奴隷候補生”は、ひとしきり咳き込む。その上から正上位で覆い被さるように、

 

「どういうつもりだ!コンのクソ野郎が!」

 

 女衒(ぜげん)の本性を出したイツホクが、眼を炯々(けいけい)と光らせ怒気もあらわに、押さえつけた『成美』の肩を手荒く揺さぶる。いままで抑えていた会議でのイライラを、このとき一気に噴出させたように、

 

「アマくしてりゃ、ツケあがりやがッて!もゥいい!今夜の営業ァ、キャンセルだクソが!手前ェを完全に“メス”にしてやる――悦子の“工場(こうば)”へ車ァ、回せ!」

 

 怒りのあまり、震える声でカムをつかい運転席に。

 畏れのあまり肩をすくめる『成美』の頭上に、

 

《 “工場” ですか? “店” でなく?》

 

 戸惑ったような声が、車内の隠しスピーカーから流れた。

 

「そうだ、二度と言わせンな!コイツを最終施術して!(たの)しんで!通りのウィンドウに飾って……飽きたら“市場(スーク)”にかけてやらァ!」

「そんな……ボクは、いえワタシはただ……」

「もう四の五のいわせねぇ!イボつきの極上メス穴掘って!肛門(アヌス)も調教して!アタマの悪そうなデカ乳房(パイ)つけて!歯を抜いてフェラ専用の口にして!三人がかりで後ろから前からヒィヒィ言わせてやる!覚悟しろ牝ブタ野郎が!……いやまて!……まて!――まてェッ!!!!」

 

 いきなりイツホクは、自分を制止するかのように叫ぶや、狂人のように頭をふり、歯を食いしばってトーン・ダウンし、うつむく。

 そして――次に顔を上げたとき。

 まるで絵に描いたような悪人(づら)が笑みを満面にして、

 

「いい演出(コト)ォ、おもいついたぜェ……」

 

 爛々(らんらん)とする狂気じみた瞳が、おびえる “少女” を射た。

 

 



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053:奴隷の「先験的統覚」のこと、ならびにテストのこと(前【軽18禁版】

 

 入電する外国語の音声通信に、イツホクは上機嫌で、応えていた。

 ときおり相手からの会話に、笑い声すら混じる。

 中年男はオールバックな髪を撫でつつ、同時に、スラヴ系言語の特徴である子音が長々と続く、聞きようによっては美しいシラブルで、早口に何ごとか込み入ったようにも思われる指示をとばす。

 狂気じみた眼は、あいかわらずチラチラと。となりで(おび)える“メス奴隷候補生”を、まるで値踏みするように()て。

 

 その『成美』は、リムジンの茶色な革張りシートの席上、ある(あきら)めにも似た自暴自棄な感情にひたされつつ、草食動物的な受け身で、女衒(ぜげん)の視線を感じていた。

 

 

 ――もう、疲れた……。

 

 

 あらゆる事象が、()(かお)(さら)して目の前に展開した、今。

 こうなれば、(おんな)にされるのも仕方ないかなとも思えてくる。

 (つや)やかな長い髪と、扇情的な化粧。

 おおきな乳房と、曲線のある、なよやかな身体。

 はしたなく(よだれ)をたらす秘部からは、むせかえるようなメスの匂い。

 

 そんな存在。

 

 意味ありげな(うる)んだ眼差(まなざ)しのまま“殿方”に「ご奉仕」するだけの肉奴隷。

 

 ――()()()……。

 

 こんな事象面に生まれたのが、運のつきかも。

 もともと、いいように(もてあそ)ばれるだけの“存在”だった。

 心からの喜びも、悲しみも、振り返ってみれば、まざまざと感じたことは無い。

 かろうじて遺伝子的な繋がりのある親に「家を出て寮のある学校に行け」と言われたときも、弟を専属で可愛がりたい気配を発する両親と、その弟に対する負い目から、ハァそうですかと了承しただけ。

 だれも、自分など必要としていない――目をかけてくれない。

 打算的な、もくろみのある場合を除いては……。

 

 けれど、(おんな)になれば……?

 ()っと『成美』は、己の胸を()む。

 バイオ素材のウラに付けられた疑似感覚素子が、ウイッグに仕込まれたデバイスを通じて脳に疑似信号をおくると、(ひそ)やかな甘い切なさを()んで。

 

 ――だったら、いっそ……大切にされたい。

 

 (いつくし)しまれ、愛され、そのうえで犯されたい。

 優しくされ、淫らなことをされ、メチャクチャにされたい。

 大事に想ってくださる殿方と――人生を歩んでゆきたい。

 

 ――でも……。

 

 そこで、また『成美』の胸に疑念がよぎる。

 

 “メス”にされた自分は、はたしてそこまで大切にされるだろうか。

 (けが)され、蹂躙(じゅうりん)され、暴行され。

 いいように使われたあげく、飽きられて。

 まるで使用済みの避妊具(コンドーム)のように、棄てられる……。

 そのイメージは、いまよりも数段ひどく。そして(かな)しい。

 

 ――飽きられ、棄てられるだけなら、まだいい。

 

 もう遠い記憶のようになってしまったが、図書館で見た、あの映像。

 人形化され、展示され、永久に恥辱のなかで固化される意識。

 あるいは、使役されるだけの(あわ)れな木偶(デク)

 

 つややかな球体関節人形の、硝子(ガラス)眼球(めだま)

 その奥に囚われ、封じ込められた――自我(エゴ)

 

 ――人形化されたイサドラの自我意識は、どれくらい残ってるのか……。

 

 意識?と『成美』はわれ知らず、また小首を傾げた。

 認識や判断。

 考え方。

 ()()()()()

 

 そもそも、なんで『自分』は、こんなに“メス”に成りたがっているのか。

 豊満な乳房を、“いさらい()”を装着(つけ)られ、面差(おもざ)しすらも、変えられて。

 (みだ)らな予感と快楽を、いつのまにか(こいねが)うようになってきて。

 ほんとうに、この淫らな欲求は、(おのれ)の物なのだろうか。

 いつのまにか快楽漬けにされ、あるいは洗脳され。

 男言葉が、気持ち悪いと思うまでになって。

 考えてみれば、この変遷ぶりは異常だ。

 なにか別の意志が、働くような。

 あれは……何と言ったか。

 

  ――だめ……思い出せない。

 

 人の心をあやつるシステムがあることを、誰かから、教わったような気がする。

 感謝情動?モード?そんな単語が、切れ切れに浮かんで。

 

 白手袋に包まれた人差し指を、かるく曲げ、(あか)い口唇で、(くわ)える。

 うつろな眼が、おぼろにされてしまった過去を探すよう、凝固して。

 だが、あと少しで記憶にたどり着けそうに思ったとき、男にしては神経質そうな細い指が、いきなり『成美』の胸に延び、ブラウス越しに手荒くモミしだく。

 

「あッ、イヤ!――痛い!……」

 

 女性(おんな)の官能に(あぶ)られ、『成美』は耐えられず身悶(みもだ)えした。

 ショーツが、すこし濡れてしまったような、そんな感覚。

 

「フフフ……こりゃァ、試験問題を、すこし難しく、しなきゃならねェか?」

 

 謎のような事を言い、イツホクは先ほどとはうって変わった満足顔で、艶やかなブラウスを、やさしくなでた。触られるたび『成美』の身体には微かな電流のようなものが(はし)り、それがさらに(あや)しい感情の(たか)ぶりをよんで、この“メス奴隷候補生”の身体を切なげにくねらせる。背中をやさしく撫でられ、そしてつよく抱かれたい。そんな欲求。

 

 ――こんなコトをしていては……ダメ!

 

 だが、そうは思いつつも、身体は意識を裏切り、どん欲に快楽を(むさぼ)ろうとする。

 なんて、はしたない(カラダ)!と悔しい思いで『成美』は心中歯がみして。

 そんな考えを見透かしたか、この女衒(ぜげん)

 

「ふン――ダメ、ダメ、ダメ。いくらアガいたッて、あの三人にかかっちゃ」

「……三人」

 

 おぼろになってしまった過去とは裏腹に、主任調教師の冷たい瞳。そして調教を補佐する役目の金髪と銀髪の性悪な二人組が、驚くほどハッキリと。

 彼女たちの漂わせる香水。

 そして振り下ろされるムチの、甘い(うず)きも、それに加わって。

 

「なんで……夢の中じゃ。それじゃ、やっぱり……」

 

 慄然(ゾッ)とする『成美』の心に、さらにイツホクは氷のくさびを打ち込むように、

 

「お前ェは、もうとっくに、何度も女になってるンさ。男のチンポを、美味(うま)そうにほおばる映像(ホロ)を、あとで観せてやろうか?おしゃぶりも、ノド奥でカリ首の張った亀頭をしごくのも、(たく)みンなったって、ヤツらのお墨付きだゼ」

「そんな……」

 

 頭から血の気が引き、イツホクの声すらもどこか遠くに。

『成美』はリムジンの豪華な革シートに、フラフラと力なく身体を寄せた。

 

()()()()が……そんなことまで」

「オドロくこたァねェさ。お前ェはもともと“メス”の素養が十分なんだ。奴隷に……愛玩人形に、されることがお前ェの運命なんだヨ――さ、着いたぜ」

「え?ココって……」

 

 悦子の “工場” と思いきや、そこはメゾン・ドールの裏手にある車寄せだった。

 喧嘩(ケンカ)沙汰や刃傷(にんじょう)沙汰。

 愛玩人形“素材”の搬入・搬出。

 あるいは腹上死が出たときなどに、コッソリ使われる勝手口。

 玄関には、黒服が数名。それに愛香が、いつもよりキワどいメイド・ドレスを着せられ、扉わきに控えている。ミニスカートから覗く性具、それに網タイツが、いかにも寒そうだ。

 

「いいか……よく聞きナ」

 

 俄然(がぜん)、重々しい声音(こえ)でイツホクはシートの革を鳴らし、身体をねじ曲げて身を乗り出すと、『成美』をマジマジと見つめ、

 

「お前ェは「テスト勉強」に集中してたと言ったな?――イイだろう。ただし現実世界じゃ、教科書なんざ屁の役にも立ちャしねェ……よぅし、ならテストだ。()()()()()()()()な。現実世界から出題される“問題”さ。学校のテストじゃ失敗しても追試か、最悪、留年がイイとこだろ?だがな、現実じゃァ、失敗(ミス)れば、即、破滅につながるコトも、あるンだゼ?お前ェが果たしてこの先、()っていけるかどうか。その(うつわ)と度胸とを、試めしてやらァ」

「一体なにを……」

 

 ()る緊張を伴った、沈黙。

 

 イツホクは、わざとジらして、なかなか答えない。

 耐えきれず、『成美』はアップにセットされたプラチナブロンドの髪を、気もそぞろな手つきで撫で付けて。

 いいか?と、このユダヤ人は一拍おいてから、

 

「今晩――お前ェに、ある重要な客の接待をやってもらう……エルジェーベトの間でな?ホゥ、顔色が変わったな。いいぞォ、そのとおり。()()()重要な客だ。ここでお前ェは、一対一で接待するワケだが――もし!お前ェが男の娘だとバレるようなら!テストは失格。女としての馴致(じゅんち)が不十分と判断し、ソッコーで“悦子の工場”に連れていって、最終的な女体化手術をしてやる……メスフェロモンたっぷりの、そりャぁイヤらしい身体にな?」

 

 ダイヤを巡らす首輪代わりなチョーカーの下で、『成美』の喉が鳴った。

次いでイツホクは、ジットリと、まるで『成美』の身体を(なぶ)るように上から下まで眺めわたすと、

 

「だがもし、バレなかったら?あまつさえ、お前が犯されでもしたら……」

「そんな!」

「手術は取りやめにしてやる。お前ぇのために培養している子宮も、瞳の色を変えるための新しい眼球(めだま)も、Eカップの宝乳(おっぱい)も!みィんな、破棄(すて)てやる。いいや、それどころか!」

 

 と、ここでオールバックの中年男はニヤリと嗤い、

 

「なんでも好きな希望をかなえてやる。金塊(インゴッド)?――イイさ……値上がり確実の投機的格付債(ジャンク・ボンド)?――イイさ……サテンとメゾンの店の支配権?――イイさ……ただ、もしも!」

 

 爛々(らんらん)と光る眼が『成美』を射る。

 口の端からかすかに泡がのぞき、この男の狂気が(ほの)見えて、

 

「重ねて言うが、もしも!お前ェが男として、バレるようなら!」

 

 女衒は、自分の言葉の効果が相手に十分浸みわたるのを待ってから、

 

「有無を言わさず!培養カプセルに放り込んでやるぜ!」

「……」

「そして六ヶ月後には、一風変わった高級公子のデキあがり、ってワケだ」

「……」

「そこに、おチンポが有るか無いかは……落札者の好み次第だがナ」

「……ひどい」

「つまり、そう言うこった!段取りァ、ウチのスタッフに通してある!けど身支度についての手助けは、ナシだ!ぜんぶ自分でやンな。とうぜんだよなァ?テストなんだから。だがオレも鬼じゃァねぇ!特別に “愛香” をつけてやる。助言が必要ならアイツから聞け。だがこうなると――いいか、忘れるな?『一連託生』あるいは『相互責任』って寸法よ。お前ェが男としてバレた場合、愛香にも相応のペナが行くことを忘れンな!?」

 

 イツホクはリムジンのブ厚いドアを開ける。

 冬の夕暮れの清澄な空気が、情念にドス黒く煮えたリムジンの車内にヒタヒタと流れ込んでくる気配。

 

「そんな……あんまりです」

 

 力なく呟くも、イツホクの黒い背中は悠然(ゆうぜん)と店に遠ざかる。

 

 ハァ……と『成美』は、眩暈(めまい)をおこしながら小さく、かぼそいため息をつき、毛皮(ファー)を羽織った肩を落とした。

 

 




だんだんヤバくなっていきます……。


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053:          〃             (後【軽18禁版】

 

「お話は――うかがいました」

 

 愛香は、施術用ベッドに『成美』をうつむけの姿勢で寝かせ、身体にビッタリとへばりついているバイオ・パーツを、特殊なリムーバーを使い「除装」してゆく。

 頭に装着されていた重いウィッグのロックが外され、慎重に下ろされた。

 スースーと涼しく、霧がかかったような頭の中が、急に明晰(ハッキリ)とする気味がある。まるで思考をジャマされ、知能を引き下げられていたような。

 

 そう――今回の試験。

 なにがなんでも合格を認めさせねば。

 そんな想いが、改めてヒシヒシと身を包んで。

 

「でも、これは……カンタンな話では、ないかも知れません」

 

 愛香はキラリとメガネを光らせて。

 

「え?」

()()()()()()()()()()()()()、というのが気になります」

 

 彼女の口からそう言われると急に不安となった『若梅』は、心細そうに身を乗り出した。

 

 

「なんで――どうして?」

「つまり、わたしにも責任の一端を負わせ、『成美』さまに負い目を感じさせようという意図(いと)を感じます。『成美』さまが落第することに、お館サマは絶対の自信があるような……」

「汚い手を使ってくる、ということ?」

「いえ。お館サマは、基本的に賭け事にはズルをされない方です。でも……」

 

 薬用ローションを使い、愛香は『成美』の全身を、押し延ばしてゆく。

 以前に比べ、みょうに柔らかになった肌。

 マッサージが、これほど気持ちいいとは。

 

「キレイ……」

「え?」

「いえ……なんでもありません。さ、あお向けになって」

「え!……前は、いいよぅ」

「ダメですよ!?さ、チャンとあお向けになって!」

 

 いきなり口調をかえる愛香。

 しぶしぶと『成美』は施術台の上で寝返りをうち、おチンポを両手でかくす。

 店専属の整体師にやってもらうのとは違い、彼女だと、どこか気恥ずかしい。

 

「ナニやってるの?『成美』!」

 

 愛香の檄が飛んだ。

 

「チャンとポーズとって!お姉ちゃんゆるしませんよ!?」

「うぅ……」

「そう……いい()ね……」

 

 愛香は、あくまで事務的に。それでも手つきは、どこか(いつく)しむように、かいがいしく薬液を塗り込んでゆく。

 絶妙の強弱とリズムが、ローションの()()()に倍加され、ほそい指先から伝わって、全身の気脈と、ツボとをたどってゆく。

 しかし、不思議なことになぜかチンポは勃起しない。むしろ気持ちよくなればなるほど、(からだ)の奥底に埋没してゆくような……。

 

 ほおがポぉッと熱い。

 天井を見上げる視界がクラクラする。

 そして自身の身体が、サクラ色に染まってゆく。

 そんな恥ずかしい状態になるのが『成美』にはわかった。

 おまけに、それはけっして薬液効果のためだけではないことも。 

 敏感になった胸を、()()()を。愛香が乳首(ニップル)への愛撫と並行して揉みほぐす。

 

「あっ、チョッ――と!」

「ダメよ!動かないで……()()()()()に、任せなさい」

 

 あぅんッ!と『成美』は思わずよがり声を漏らした。

 豊かな乳房(オッパイ)が揺れないのがもどかしく、歯がゆい。

 それに下半身についている“モノ”が汚らわしく――ジャマだ。

 

 ――ジャマ?

 

 太ももを、リンパの筋に沿って、ゆっくり――ゆっくり。

 微妙な強弱を付けつつ、グィッ、グィィィィ……ッ、と。

 時としてその指は、ヌリュン!と、うらすじやアヌスの辺りを探って。

 『成美』の全身が、思うままに翻弄(ほんろう)され、トロけ、()()()()()してゆく。

 

「ホラ、もっとチカラ抜いて……お姉ちゃんの指を信じなさい?」

「おねぇチャン、って。わたしより年下でしょ?」

「さぁ……どうかしら」

 

 しばらくローションのピチャピチャ音が満ちる、沈黙。

 だが、その空白は――妙に、重い。

 

「……なにをご用意、致しましょうか?」

「何って?」

「今夜の、あなたの衣装(よそおい)のこと」

「あぁ、そっか……極めて重要な客、って言ってましたよねぇ」

「……そうね」

「相当な権力者だったり?」

「おぢいちゃんかしら……なら古風な衣装もイイわね」

「古風、って?」

打掛(うちかけ)とか、いっそ十二(ひとえ)とか」

「そんなもの。ストックにあるの?」

「このお店の財力を、甘くみては不可(イケ)ません……そうねぇ」

 

 彼女は施術台に装備されているデバイスを操作し、かたわらに等身大の3D(ホロ)を浮かび上がらせた。驚いたことに『成美』自身が、裸体(ハダカ)のまま、誘うような表情(かお)とポーズを取って立っている。

 気恥ずかしい感情が表に出るまえに、愛香はシステムを操作し、

 

「こんなのは、どう?」

 

 色打掛(いろうちかけ):青:友禅(ゆうぜん)・照会番号B203659-1

 識別番号とともに、『成美』の裸体は一転、絢爛(けんらん)たる和服姿に変貌する。

 目も覚めるような、鮮やかな青と金。

 房付きの懐剣や、末広。筥迫(はこせこ)

 引きずるスソと、色物の掛下着からチラ見える、白足袋。

 ぼってりとした(あか)い唇に、小首を傾け、シナをつくる面差(おもざ)し。

 キツいアイシャドウに色ボケしたような目つきが扇情的に。

 花魁(おいらん)を連想させる、純正日本調の艶姿。

 

「いいけれど……これで大丈夫かしら」

「大丈夫って?」

「エルジェーベトの間って、宮廷風の洋広間なんでしょ?ミスマッチというか」

「……そうねぇ」

「それに相手の方が、ソノ気になってくれないと……」

「じゃぁ、バニーガールにでもしてみる?……ポチっとな」

 

 不満そうに愛香は、映像を変える。

 

 ボーンの付いた、正統派の固いバニーコート。

 メリハリのついた身体を、ウェストでギッチリと8の字にくびられた姿。

 ソバージュ系のウィッグが、目新しい。

 

「うーん……」

「じゃぁ。黒革(エナメル)の、ハード・ボンデージ系?」

 

 ますます不満げに手もとを操作すると、これまた(なま)めかしい感じの衣装が。

 淫具や、淫鎖、ピアス。全身を縛めるハーネス。

 まるで、夢の中で受けている調教・馴致の再現だ。

 

「……やだ、こんなの」

「でしょう?それにお金持ちだったら、こんなの見慣れてるかもネ」

 

 手元のデバイスで、愛香はポンポン画像を変えてゆく。

 そのたび『成美』の衣装は、様々に変化して。

 

 前世紀ロシア事象面の宮廷衣装。

 古代ペルシャの踊り子。

 中世修道院の尼僧服。

 スペインの舞姫。

 和の比丘尼。

 

 ふと、彼女の手が、とまった。

 

 等身大の映像は、一個のウエディング・ドレス姿を映し出している。

 ふたりは、しばらくそのホロを、声もなく見つめて。

 

「……これにする?」

 

 愛香が、画像から顔を動かさずに、『成美』に。

 そのこえは、どこか願望(ねがい)を含んでいるようも聞こえて。

 

「でも……お誘いモードじゃ、ないですよね」

「初花を手折(たお)るのが趣味のおぢーちゃんなら、イケるかも」

「あー。なぁる……」

「それに、エロ系ウェディング・ドレスなら、いっぱいあるわよ?露出は少ないけど、フェチっぽいのとか。キッチュなのとか。ほら」

 

 画像がかわり、フェチな光沢や道具立てがアチコチに付いた、結婚式で着るには、かなりというか、だいぶ気恥ずかしいドレスを『成美』の3Dがまとう。オプションで大きなヴェールとブーケを持たせると、その印象はだいぶ薄れ、清楚に。

 出来上がった画像を、愛香と『成美』は()っとながめた……。

 

 かかりつけの医療スタッフが呼ばれ、改めて『成美』の身体をバイオ・パーツで、ふたたび肉付けしてゆく。

 尻まわりを豊かにさせた反面、愛香の希望で、乳房(むね)は、初々しさを演出するため、以前の爆乳よりすこし控えめに。

 

 医療スタッフが退出すると、つぎに着付師たちが呼ばれ、衣装が何万着もストックされている、店の地下に備えられた広大な自動倉庫から、呼び出しコードに対応するドレスと付帯装具一式が、せり上がってきた。

 着付師は見事な連携プレーで、符丁(ふちょう)のような会話をつかい、ウブな処女らしくなった『成美』の身体を、さらにブライダル・インナーを使って整える。

 

 コルセットで、ウエストを細く締め上げられるのも慣れてきたな、と身体を手あらく揺すられながら『成美』は自嘲的に想う。はかされたロング・ガードルのクロッチ部にスリットが開いているのは、何のためか……。

 

 バッスル型のパニエで、半ば透けたスカートをふくらませ、白いハーネースで、光沢のあるドレスの上から、さらに乳房を強調するごとく(いまし)める。

 白いチョーカー。手甲型の絹手袋。

 

 メイク担当が呼ばれ、若々しい(おもむき)が『成美』の面を(いろど)った。

 今回は口唇(くちびる)も深紅ではなく、初々しいピンクのグロスを愛香が選んで。リップ・ブラシの小さな刷毛(ハケ)が丁寧に動かされ、唇が艶々とピンクに輝いてゆくのを、彼女は自分のことのように真剣に見まもる。

 

 妙に大ぶりなイヤリング。指先に、口唇と同色のネイル。

 セットされたウィッグが慎重にかぶせられ、ダイヤのティアラ。最後に、ヴェール。

 豪勢なブーケを持たされて、『成美』は椅子からようやく立ち上がる。

 おしまいにドレスの(すそ)具合をなおされ、完成した若い花嫁姿。

 それを愛香が見上げたときだった。

 ふと、彼女の眼に、みるみる涙が吹きこぼれる。

 ハンカチを出そうとするも間に合わず、ほおにつたわるひと筋。

 

「『成美』……ナルミ……」

「愛香、サン――」

「……ね。お姉ぇちゃん、って言ってみて?」

「――おねぇちゃん」

「……もう一度……」

「お姉ぇちゃん」

「もう一度!」

「お姉ェちゃん!」

 

 もう一度――もう一度――もう一度!

 

「お姉ぇチャン!」

 

 ぐふぅッ、と愛香が背中を丸め、肩をふるわせ嗚咽(おえつ)する。

 

 ある粛然たる空気が、部屋には流れた。

 すすり泣きだけが伝わる中、沈鬱な気配に充たされて。

 着付師ふたりとメイク担当も何事かを察するのか、ハンカチで目尻をおさえる姿。

 だが、そんな清澄な一時(いっとき)も、コーディネイト・ルームの両扉を乱暴に開けるイツホクによってモノの見事に台無しにされる。饐えたオーデコロンの臭いが神聖な気配を跡形もなく吹き飛ばし、

 

「準備できたンかァ!……んぉう、『成美』?」

 

 ブーケを手に、オズオズとイツホクの方を向く花嫁。

 続く、「チッ、化けやがったな」という舌打ち混じりな独りごと。ついには何故かブスッとした声で、

 

「……ナニやってやがンだ。お客サン、おまちかねだぞ」

 

 啼泣する愛香の背を名残(なごり)惜しく抱いてから、『成美』はイツホクに連れられ、後ろ髪を引かれるように部屋を出た。

 

 中年男の後に続くと、通りすぎのスタッフがニヤニヤと、あるいは眼を丸くして。

 

(アレって『成美』?化けたなぁ……)

(いよいよパピヨンに?)

(ひょえぇ……ヤるもんだねェ)

(なにあの格好?もしかして一足飛びに“輿入れ”?)

(だとしたら、飼い主ダレだろ)

(いいチョイスだなぁ。SMチックにエロいようで、それでいて品もある)

(ボクも、はやくご主人様欲しいな……)

(アレ、ウチの二流店(サテン)のマネージャーだろ?なんでこんなトコに?)

 

 高級公子やビェルシカ、手すきのコンシェルジェ。果てはその日の料理長まで。

 ウワサを聞き駆けつけたか、ハッサンの低い口笛。

 あまりに恥ずかしいので、ヴェールがあるのを幸いに、高いヒールに気をつけながら、静かに(うつむ)いて歩みをすすめる。

 それが、また一層の“しおらしさ”と気品をよび、『エルジェーベトの間』に向かう業務用・裏通路で行きあった人々の、(もだ)した賛辞を得てやまない。

 

「あの……」

「なんだ」

 

 なぜかイツホクは、不機嫌に。

 

「今夜のお客さん、って、お金持ちの老人なんですよね?」

「“重要な客”と言ッたろうがヨ。テストは……もォ始まってら」

 

 店の表廊下の赤絨毯(じゅうたん)に出ても、『成美』の注目はつづいた。

 あちこちで、カメラの気配。

 見とれるエスコート役の彼氏をつねるイヴニングドレスも珍しくない。

 

 やがて建物を宙でつなぐ渡り廊下をすすむと、あたりは森閑(しんかん)とした雰囲気になってゆき、二人はついに、槍を手にする西洋鎧の衛士二人が、両開き扉の脇を守る『エルジェーベトの間』にたどり着いた。

 

「いいか、お客さんの言うことは、絶対だからな?」

「なにを命令されても、ですか?」

「ナニをされても、だ!」

 

 首をふったイツホクの合図。

 片方の衛士が頑強な手甲で、扉の真鍮部を二度、間を開けて叩く。

 もうひとりが高らかに、

 

(ひぃ)サマ――御入来です」

 

 扉が両側から開けられると、中から何かが燃えるような、(よど)んだイガらっぽい暖かさが吹き寄せてきた。

 『成美』は踏むのも怖い敷物をブライダル・シューズであゆみ入り、ヴェール越しに(おそ)るおそる中をうかがう。

 

 聞きしにまさる広間だった。

 近世の富裕な王族の私室ですら、これほど豪勢ではないだろう。

 絵画や彫刻。重厚な調度品。

 壁には大きなマントルピースがしつらえられ、なかでは(たきぎ)が赤々と燃えている。燃焼の気配まじりに暖かく澱んだ気配は、このせいだったかと納得。

 

 間接照明だけが使われ、ほの暗い気配に充たされている広間だが、女性の秘部を確認するのは苦労しても、高級品が識別できないほどではない。それが証拠に壁の大画が『サルダナパールの死』であることは容易に()て取れる。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 うす暗がりの中、衣擦(きぬず)れの音を細やかに立て、『成美』はソロソロと、泳ぐように部屋を歩んだ。

 

 ブーケを持つ手が、汗ばむ。

 ヴェールがチラチラと、ジャマだ。

 問題の老人は、どこに居るのだろうか。

 

 と――暖炉から少し離れた場所にある、猫脚(ネコあし)のついた大きな一人用ハイバック・ソファーに、シャンパン・クーラーが()った小卓を(かたわ)らにして、長い脚が投げ出されているのが見えた。

 

「――ご主人サマ?」

 

 『成美』は怖じるように、ソッと語りかける。

 反応はない。

 うす闇の中、炭の軽く爆ぜる音にまじり、蒼古たる大きな柱時計の振り子が立てる、規則的な息づかいが聞こえるだけだ。

 

「もし――もし、ご主人サマ?」

 

 すると、バタリと脚が大儀そうに動き、やがて、ソファーから人影がフラフラ上半身を起こすと『成美』の方を振り向く。

 

 ヴェールごしに見ても、まちがいはない。

 

 “瑞雲” 練成校チューター。龍ノ口のやつれた姿が、そこにはあった……。

 

 



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054:復活せる偶像のこと、ならびに候補生の矜持のこと(前

 

 ――うっひぃぃぃぃぃぃぃぃぃィィィィィイイイイッッ!!

 

 心拍数上昇。

 発汗、規定値突破。

 自我認識限界線(デカルト・ライン)・抵触。

 警告。ヴァーティゴ(存在識失調)域、突入。

 CFITに向け一直線のヤバい状況

 通常なら、ここで機体から副交感系のサポート。

 だが、もちろんそんなモノは、望むべくもない………。

 暖炉の炎の色で看る、ヴェールごしの龍ノ口先輩。

 これでバレたら、本当に(メス)奴隷にされてしまう。

 イツホクのニヤつき――コレだったのか。

 強制・女体化手術のイメージ。

 子宮。乳房。口唇。女陰。

 黒革に、ラテックス。

 

 心臓のバクバクが止まらない。

 

 一歩間違えれば手術台に直行という恐怖。

 さらに怖いのは、そんな事態(こと)を心のどこかで()()()()()自分。

 華麗・豪奢(ごうしゃ)な衣装をまとい、セレブ達に(ぬか)ずづかれる高等娼婦(クルチザン)(あで)やかさ。 

 エスタブリッシュメントの権力をかさに、チヤホヤされる印象(イマージュ)

 だが、それには少なからずの代償が必要になるだろう。

 遺伝子手術。物理的施術と思考馴致。強制改変。

 だがその苦痛すら、いまは甘美に思えて。

 

 調教師の(つめ)たい視線と、空気を切り裂くムチの(こえ)

 

 サージカル(医療用)・ステンレスの輝きが自分を浸食し、切り刻む印象

 ()ッとしながら、せめて動悸(ドキドキ)だけでも(しず)めようと、指輪をはめられたふるえる指で、ダミーの乳首ピアスがシルク生地の上からでも丸わかりな、(オンナ)らしい柔らかな胸をおさえる。

 

 『成美』の酸欠気味な頭に、イツホクの妙に自信ありげだった顔がうかぶ。

 あの脂ぎったオールバックが、値上がり確実のジャンクボンドを(つか)んだときのような、してやったりのイヤらしい笑い。

 

 卒然(そつぜん)と『成美』の中で、反抗心が湧き起こった。

 あのクっサいオーデコロンと、テカらせたオールバックのムカつきも、(あわ)せて。

 

 ――ちくしょう、なにがオーナーだ、女衒(ぜげん)屋が。

 

 あの(ぜに)ゲバの好き勝手になんかさせるもんかという負けじ魂。

 鎮静剤を静注されたように、波騒いでいた『成美』の胸は(にわか)に静まりかえり、雲間(うんかん)から月が出たごとく頭が()え渡るのを感じる。

 口中に含んだミントの香りがする深呼吸ひとつ。

 胸の中も涼やかに、戦闘態勢を整えて。

 

 ヴェール越しに相手を()れば、やつれた面と研ぎ澄まされた気配。

 こちらの動揺など、まるで知らぬげに超然と広間のどこかを眺めている風。

 なぜか『成美』はイラッとする。

 

 出所(でどころ)不明の、その(いら)立ちを定かに見据える(すき)(おのれ)に与えず、どこか黒ネコめいた(ひそ)やかな歩みで今宵(こよい)の珍客に近づくと、すくなからずの誘惑を含んだ笑みを投げかけて。

 

「いかがなさいましたの?――そんなにコワいお顔で……」

 

 施術の効いた女声で()びを含ませそう言うや、するり、龍ノ口のふところに潜り込み、相手の手首を持つと、(いまし)められた自らの乳房(オッパイ)に誘った。

 

 先手必勝。

 相手のイマージュ(印象)が固まるまえに、女としての自分を()りこんでやる。

 たわわな胸を揉みしだかせる格好で、航界士時計を巻いた気のない手首を動かしていると、ふと、ミラの――宮廷秘書官の顔が遠くにうかぶ。

 

 熱のない相手の態度を、着火させようとする(おのれ)の仕草。

 プライドを賭けた、女としての――意地。

 彼女も、こんな心持ちだったのかなと『成美』は今にして思い当たる気味で。

 

 (ひそ)かな懺悔(ざんげ)

 

 龍ノ口は中途ハンパな姿勢で立ち上がろうとするも、不自由な片足が耐えきれなくなったものか、『成美』の身体をいいかげんにふりほどくと張られた革を鳴らし、もとのソファにドッと身を落とし込んだ。

 

 全音符ふたつ分の、ながいため息。

 

 

 ――沈黙。

 

 

 広間に据えられた、

 

     背丈の倍ほどもある柱時計が奏でる、

 

             ゆったりとした振り子の伴奏。

 

 先輩チューターの気のない素振りに業を煮やし、『成美』は相手の琴線をさぐるべく、コケティッシュな媚びを含んだ女声で。

 

「今宵のご主人様は、なんだか難しそうなお方ですこと……」

「……」

「お待たせしてしまったのが、イケなかったのかしら」

「……」

「ごめんなさいね?マネージャーから、ずいぶんステキなお客サマがいらしたと聞いたので、装いに(とき)を費やしてしまいましたの……」

「……いや、ついさっき来たばかりさ」

 

 ふぅん。

 

 そのわりには、『SALON』のボトルが2本。

 空いたシャンパンクーラーの脇に死物と化して。

 ブリンのうえにクリームとキャビアなカナッペが載る、織部(おりべ)の皿。

 それも、食い散らかしのまま。

 

 龍ノ口は、傍らの小卓にのるボトルからシャンパングラスに泡を注ごうとする。だが「S」のエンブレムがついた緑のボトルからは、もはや何も出ない。

 

「飲み過ぎは――お身体に(さわ)りますわ」

「料理屋に飼われる女が、それを言うかネ」

「そんな――ヒドい……」

 

 『成美』は、あからさまな非難をこめ、

 

「この良夜(あたらよ)――わたくしは、貴方だけの女ですのよ?」

 

 ツン、と背をそむけ数歩、自分のチューターから離れる。

 手近にあった大理石のキューピッド像を腕輪を(キラ)めかせて撫でながら背後をうかがうが、龍ノ口に、特段のうごきは、ない。

 

「もう、お()むになってしまわれて?お酒――おすごしになりすぎですわ」

 

 ヘッ、と自虐的な気味を含んだ一拍が湧く。

 

「たかがシャンパン2本で撃墜(おと)されるほど、堕ちてねぇヤ」

 

 龍ノ口は、チェアに立てかけたあった片手杖を取るや、フラフラ立ち上がると『成美』に歩み寄る。マズい。やり過ぎたか、とヒヤリとするまもなく、龍ノ口は『成美』にちかづき、顔を寄せると、

 

「ガキが――あんまナメんな」

 

 おぉ怖い、と『成美』は、なかば(あざ)ける。

 しかし、内心では自分の(ひる)むことのない自動的な反応に驚いて。

 これも、メス奴隷としての洗脳の効果だろうか。

 

「でもそれだけ元気なら、わたくしも身拵(みごしらえ)えした甲斐(かい)があるというもの」

「よせやい。酒が不味くなる……と、もうねぇか」

「佳いではありませんか。お酒なんて――もう十分」

 

 『成美』は相手の首に、うでを巻き付けて、しなだれかかる。

 おいおい、この反応はなんだと思うまもなく、己の口は勝手に動き、ささやいて

 

(きょうは……大丈夫な日、なのよ?)

「ネイガウスに――言われたのか」

 

 予想に反し、龍ノ口の言葉に蒼い炎があった。

 殺意にも似た気配に驚いた『成美』は、ツイと身をはなす。

 いつだったか、校舎裏で目の当たりにした感情の爆発。

 それがふたたび相手の瞳に(あらわ)れ、ひととき広間の暗がりを照らすかと疑われた。

 これも“進行性の脳障害”のためなのか。

 

「ヤツに言われたのか……誘って、相手をしろと!用済みになった航界士・候補生くずれを!なぐさめてやれと!」

「まって――まってよ」

 

 さすがに『成美』はあわてて“素”の態度で、

 

「ハナシがゼンゼン見えないんだケド!?なによ、いきなりキレて!」

「ネイガウスに言われたんじゃないのか!」

「ダレよ!ねぃごぅす?って」

「店に来たんだろ?こう、クマのようにデカい、頑丈作りな初老のジジィだ」

「あぁ……『リヒテル』のことか」

 

 

 

 し ま っ た ァ ァ ァ !!!!!!と、冷や汗。

 

 

 言ってしまってから『成美』は全身の毛を――脱毛されているが――逆立てる。

 手術台と、レーザーメスが近づいてきた印象。

 無影灯のもとで、オンナにされた裸体を、白く、なよやかに……。

 内からの情欲の(うず)きに、恥ずかしい(つゆ)をにじませて。

 

 だが、そんな『成美』の心配も杞憂(きゆう)の勢いで、

 

「ホラみろ、あのクソ(ひぐま)、やっぱり来てンじゃねェか」

「え?えぇ、他のお客サマと御一緒にネ。なんでも――大事な話とか」

 

 先輩がニブくてほんっっっと良かった。

 その先輩はといえば、

 へぇェえ?と、面白くなさそうな声で、柱時計の方を見ながら突っけんどんに、

 

「オレのハナシでもしてたんだろ、チューターを馘首(くび)にしたあと、どうするか、って」

「……クビに、なったんですか?」

「あぁ。こないだ盛り場で、ヤクザ相手にケンカをしたのがバレてな。もうすこしで相手をシメてやれたのに」

 

 ――ウソつけ、この。

 

 『成美』はゲンナリする。

 自分がいなきゃ、用水路に浮かんでたかもしれないのに。

 そもそもこの先輩があんなところで大立ち回りしなきゃ、自分だってこんなイカれポンチな格好をせずに済んだのだ。

 

「お仕事のハナシらしかったですよ?市場(スーク)がどうとか」

「スークぅ?なんだそれ」

 

 やっぱり龍ノ口は知らない、か。

 

 ドサクサにまぎれ、聞いてみたが大学生の情報網でも引っかからないらしい。

 それに考えてみれば、この広間は盗聴されているだろう。

 迂闊(うかつ)だった。

 ヘタに(ヘン)話題(ネタ)を、フらないようにしなくては……。

 

 黙然(もくねん)とする龍ノ口。

 あいかわらず、ゆったりと合いの手をいれる柱時計。

 広間に什器として置かれた年代物の像たちは、こちらを窺う。

 森閑とした気配は、過去の亡霊を呼び覚ますような。

 壁のサルダナパールは、末期(まつご)の寝台から、ニヤリと(わら)って。

 

 過去の怨念や呪いが漂うような『エルジェーベトの間』。

 その蒼古(そうこ)たる沈滞が耐えられず、『成美』は創ったような明るさを使い、

 

「りひて……ねいがぅすサマが集まられたお席でのことですか?」

「……」

「皆さま、むずかしいお顔をなさってましたけど」

「……」

「わたくしは、お仕えするときは耳を封じられ、お話は聞こえませんので」

「……」

「申し訳ありませんが、どのような方がご参集なさったかも、秘匿義務(ひとくぎむ)が」

 

 ふぅん。と、龍ノ口は、広間をぐるっと見回してから、

 

「ま、イイや……おい嬢ちゃん、酒だ」

「イヤですわそんな。仕事帰りのサラリーマンみたいな」

「そうさ。教官から、サラリーマンになれと言われたよ。嗤《ワラ》えるゼ」

「アラ。おつとめに?」

「誰が地べた()いずる勤め人なんか!クソ面白くもない。おまけに推薦されたのは、航界機製造部門を持つ企業の、下請けの、そのまた下請け会社さ。それに看たトコ、ブラックどころか “カオス企業”と来やがる!」

「まぁ……そんな」

「でも『このご時世、仕事があるだけでも有り難いと思え』だとよ」

「……キビしいんですのね」

「そりゃぁそうさ。知り合いの先輩女子候補生なんだが、食い詰めて風俗に沈んだと聞いていたけど、このまえ街で禿デヴが乗る「ブガッティ」のオープンカーな助手席にいるとこ見つけたゼ。そんなことする人じゃ、なかったんだけどな……ま、貧すれば鈍する、というか」

 

 『成美』は前もって教えられたとおり、用事のあるときは使えと言われた小卓の小鈴を、マニキュア輝く指先で取って涼やかに打ち振った。

 耳に下がる大ぶりのイヤリングから反応がある。

 このイヤリング。やけにゴツいとおもったら。

 

《こちらコントロール、フロイライン》

「ワインの赤を。ヴィンテージものが、佳いわね」

《マデラ酒で、イイのが入ってますが》

「イヤよ。そうねぇ……シャンベルタンもので、グラン・クリュ。それもヴィンテージ物を見繕(みつくろ)って頂戴(ちょうだい)

《ご予算は》

「知るモンですか――ツケは店長に回しなさい!」

《えっ……いいんですか?》

「それと、マリアージュする(さかな)をね。よくって?」

《……本当に大丈夫でしょうね?足がでると……》

「いいから言うとおりになさい!マウ・レン(いそいで)!」

 

 ダン!と苛々、ヒールを床に踏みならす。

 鈴を放るように小卓に措いたあとは、フン、と辛気(しんき)くさい気配を祓うようにヴェールをゆらして首を振る。

 被るかづきは小波(さざなみ)のようにうち震え、ほの暗い広間に光沢を(はし)らせて。

 

「へぇ。姉ェちゃん、たいしたモンだ」

「なんですって!?」

「いえ……その……ゴニョゴニョ」

 

 『成美』のヴェールごしな、ひと(ニラ)み。

 龍ノ口が萎縮(いしゅく)する気配。

 もともとこの先輩が、あんなところで「ストリート・ファイト」などやらねば、自分がこんな苦境におちいることはなかったのだ。

 

 ――ほんとにモウ、余計な手間ヒマかけさせて!

 

 そう思うと、いっそう腹だたしく、情けない。

 

「あの、お嬢ちゃん?」

「『成美』――と、お呼びなさい?」

 

 “彼女” は怒りが収まらぬまま。

 静かに、かつ相手を()めつける様な口ぶりで。

 

「え……」

「なぁに?その不満そうな顔は……」

「いえ。あの、『成美』、サマよぅ?」

「なんでしょうか」

「アンタ、お店の “姫” なんだよな?」

「姫って、なによ?」

「あ……」

 

 ヤバい、という龍ノ口の表情。

 地雷を踏んだともとれる「やっちまった感」が相手から漂う。

 

「まさか……そうなんだ。自由意志・偶像(アイドル)高等酌婦(クルチザン)

 

 “候補生くずれ”は目を白黒させて『成美』をマジマジと見つめる。

 

「はじめて見た……というより、ネイガウスが、ここまでしてくれたのか……一体幾ら、経費をかけた?というよりオレにまだ、その価値が……あるのか」

「ナニをぶつぶつ言ってるの?アナタはアナタじゃないの!?」

 

「『成美』……さん」

「ナニよ」

「その、失礼だが、お(かんばせ)……拝見させて、もらえないだろうか?」

 

 一瞬、今宵の酌姫(サーキー)は絶句する。

 ややあってから、ようやく決心がついたように、

 

「――えぇ……よくってよ」

 

 ()()()()()()()わね、と『成美』は身構える。

 しおらしく“彼女”は顔をよせ、己の胸を抱きしめて、自身を鼓舞した。

 

 だいじょうぶ。

 

 (おんな)としての容姿《すがた》の自信は、ある。

 心臓のオーヴァー・レヴが、再開した。

 

 ――勝負。

 

 己の戦慄(わなな)きを(さと)られないよう、あくまで威厳を保ちつつ、

 

「さ――ご覧なさいな……今宵(こよい)の貴方の“(かこ)()”を」

 

 龍ノ口の震えるような指が、『成美』の(かづ)面沙(ヴェール)を、おずおずと持ち上げる。

 

「――あぁ……」

 

 




すいません。
仕事がいそがしくて……。

更新が遅いな~と感じたら珍歩のヒをご参照方。


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054:          〃            (後

 貴石を幾重(いくえ)にも飾る、首輪めくチョーカー。

 

 それが――最初に見えたはずだった。

 

 初々(ういうい)しいピンクに染められた(つや)やかな口唇(くちびる)

 白いほお。そして品のよい鼻筋。

 長いまつげ。

 その奥の、アイラインに縁取られる、(ひとみ)

 整えられた眉毛に、セットされた艶やかな髪。

 金剛石(ダイヤモンド)のティアラが、ヴェールに隠れて。

 

「――いかがでしょう?」

 

 龍ノ口が、息をのむ気配。

 やがて、ようやく絞り出したような声で、

 

「……きれいだ……とても」

 

 その言葉は、『成美』の耳に、心地よく響いた。

 付けられてもいない女陰と、乳房の(うず)きがよみがえる。

 かろく、(おのれ)の身を、内から(あぶ)るように。

 甘く全身を湯のように包む、ムチの痛みの快楽も(あわ)せて。

 

「そ――そう?おきに召して……なによりです。」

 

 面沙(ヴェール)がとりのけられると、古色蒼然の気味を横溢(おういつ)させた『エルジェーベトの間』の意匠も、さらによく分かるようになる。

 什器ひとつひとつの、驚くばかりな存在感。

 時代を(けみ)した、もはや静物(せいぶつ)とはいえぬ生物(せいぶつ)たち。

 

 ラファエロ

 ミケランジェロ

 おまけにマルセル・デュシャンすら※ 

 

 偶然手に触れるチェリーニの小物。それすらどこかホンモノくさい。

 そしてなにより我がチューターの、あらましも。

 

 やつれたような龍ノ口の面差(おもざ)し。

 無精髭(ぶしょう)と、削げた頬。荒れた肌。

 目の下のクマと、歳に似合わないシワ。

 その度合いは、学食で観たときより、荒廃の度合いを昂進(こうしん)させて。

 

 擦過傷と打撲の跡。

 ()()()のものだろうか。

 面沙を除いたのに、先輩チューターの上ずったような反応は変わらない。

 それにいっそう自信をえた『成美』は、SMチックなウェディング・ドレス、その豊かな胸の下で組んでいた腕組みを解くと、おもむろに相手の頬へ、おそるおそる整った指をすべらせた。

 

 ――しばらく見ない間にやつれたなぁ、先輩……。

 

 そのとき急に愛おしさのようなモノが湧き出て心がしめつけられ、思わず胸に抱きしめたくなってしまったのは、どうしたわけだろうか。

 

「アキれた……若いのに、このすさみよう!」

「……」

 

 恨みがましいような眼が、『成美』を見上げる。

 

「なぁに?そのフテ腐れたような表情(かお)は!ホントにもう……」

 

 調子(ノリ)は、分かった。

 いまや自分は、この広間を()べる王女だ。

 臣下は、目の前で座り込む()()()()()()()()()()()()()()がただ独《ひと》り。

 今までの貸しを取り立ててやるということで。

 この店を、“臣下”を、佳いように遣い、今宵(こよい)は愉しんでやる。口調(ことばつき)語勢(いきおい)は、あのサドっ気のある宮廷秘書官のものを借りればいい……。

 

「チャンと食べてる?バランスのいい食事しなきゃ……」

「……」

「野菜とかもとらなきゃダメよ?せめて野菜ジュースでも」

「……」

「適度な運動と睡眠。お酒ばっか呑んで、うたたねしてるでショ!?」

 

 恨みがましいような眼が、『成美』を見上げ、

 

「あーもーホっといてくれよ!」

 

 龍ノ口が、ついにキレた。

 

「アンタはオレの寮の管理人か!言うことがソックリだぜ!……です」

「羨ましいコトですわねぇ?」

 

 『成美』はすかさず反撃。

 

「――寮母さんから、後輩から、教官から、みんなに(おも)われて。大切にされて」

 

 ふたたび豊かな胸の下で腕を組むと、ふと、どこか遠くを見るように、

 

「わたしは――両親にすら、棄てられたクチですから」

 

 ウッ、とヤサぐれた元・候補生は言いかけた言葉をのみ込んでワキをむく。それに追い討ちをかけるかのごとく“一夜の女王”は、

 

貴方(アナタ)は恵まれているわ。貧民救済のスープの列に並ぶこともなく、ワタシみたいに性的奉仕の職につくことも、ましてや実験用の素材にされることもない」

「……でも、航界士という未来を(とざ)されたよ」

「それがナニか?」

「オレにとっては!欠くべからざる将来だった!!!」

 

 沈黙。

 

 柱時計の、規則正しい振り子の重々しさ。

 重苦しい思考にからみつくように、一拍。一拍。

 

「ひとつ聞きたいわ」

「……なんです」

「貴方は、なんで航界士になろうと思ったの?」

 

 

         * * *

 

 

「なんで航界士になろうと思ったか、だってェ?」

 

 もはや、完全に緊張のほぐれた、控えの間だった。

 順番待ちの候補生は、思い思いの姿勢でリラックスしている。

 ひとり、最後の犠牲者である『若梅』をのぞいては。

 

 『二番星』が、サモワールの隣においてあった、大ぶりなビスケットジャーを丸抱えに、中のクッキーを荒らしながらサクサク、モグモグと口を動かしつつ、

 

「そりゃぁ、『九尾』サン、愚問(ぐもん)、ってヤツっスよ」

「――ほぅ?」

「なんつっても、この試験に出れば、それまで手前(てめ)ェがやってきたコトすべてチャラにして、そのうえ成績カサ上げしてくれる、ってンですから」

「……破格の待遇(たいぐう)だな」

「校長のウスノロが、いやにネコ撫で声で勧めてきゃがるンで、なんかあるナとは思ったけど。でもヨ?これほどヤバいとは」

「ふぅん……ほかのみんなは、どうだ?」

 

 『九尾』の問いかけに、そばに居た “水天宮” の制服を着た候補生は、

 

「自分は、所属校の名誉のためですかね。やはり特典がいろいろありましたが」

「オレもだァ」

「ボクも」

「言うに及ばず」

 

 あとは黙したまま、同意のような視線。

 

 ヤレヤレ、と『九尾』は控えの間の交差ヴォールト天井を仰ぎ、ため息をつく。

 どいつもこいつも――算盤(そろばん)ずくってワケか。

 そして家門の犠牲となる者が、約一名、と。

 『九尾』は椅子の上でヒザをかかえ身体を小さくしている『若梅』を見やる。

 

 モニターでは、相変わらず事象震が荒れ狂い、耀腕が一本、ダラダラと地上を探っていた。

 奇妙なことにグラス・ドームの観客や歓声は、すでに画面に映らない。

 合間に演じられるランジェリー・チアの演舞や芸人のコント。ショートアニメなどがOAされることもなくなった。

 ただ、橙色の静脈をうかべた薄紫の腕を思わせる電光が、墨を流したような雲間(うんかん)から、閃き、瞬き、延び、かつ縮みしているのを、広角ぎみに映しているだけ。

 

 沈黙の中、柱時計の音だけが広間を()って……。

 

 

        * * *

 

 

 しばらくは、『エルジェーベトの間』に振り子の音が聞こえるだけだった。

 場所をうつし、二人は小卓を挟んで座っている。

 マントルピース奥の(たきぎ)が一度()ぜ、瞬間、広間をあかるく照らし、そしてふたたびあたりは薄暗がりとなる。

 やがて龍ノ口は『成美』の問いかけに、重い口を開いた。

 

「なんで、航界士に、って?」

「えぇ」

 

 薪《たぎぎ》が、また爆《は》ぜる音。

 火の粉がマントルピースのうえにおかれた小立像(クサンティス)まで飛んだ。

 

「そうだなぁ……はじめのころは、自分で自分を限界まで試すのが好きだから、と思ってた。でも、なんか違うんだよな。単に、外の世界を観たいってワケでも……ない。しかし自分の存在理由(レーゾンデートル)であったことは確かだ。そのハシゴをはずされた。さて、じゃぁこれからどうするか」

「……」

「……練成校のチューターを(クビ)ンなってから、よく考えたよ。幾晩(いくばん)も、幾晩も」

 

 龍ノ口の目に(くら)い炎が灯る。

 だがそれは、いつか観た、学食での陰惨(いんさん)な色合いを伴ってはいなかった。

 かわりに、どこか乾いた諦観(あきらめ)の色合いをみせて。

 

「ウォッカのボトルをコートに突っ込んで。夜の街を足の向くまま、フラついて」

「……」

「あるいて、あるいて、いっそ自分なんか、このまま擦り切れちまえ、ってぐらい、あるいて。気が付けば、世界は蒼くなって……」

 

 誰もいない横断歩道の点滅。

 翼を喪った自分を嘲笑う鴉の群れ。

 エンジンを吹かす新聞配達のバイク。

 明け方の風に吹かれて足下に転がる空き缶。

 

 自分が潜り抜けてきた心象風景を、龍ノ口は淡々と語った。

 

「そして――ある晩のコトさ」

 

 とうとう煮詰まってな、と(ささや)くような声で。

 それは、まるで自分に言い聞かせるように、

 

都市(まち)の夜景、見おろせる高台にいったンさ。ふところに自決用のナイフを抱えてな。前の晩に、寮で砥石をつかって。カミソリみたいに研ぎ上げたヤツだ……」

 

 振り子の音が、粘ついたように響く。

 大ぶりな姿見の柱に据えられた真鍮の天使像。

 ニヤリ、と醜悪(しゅうあく)(わら)いを洩らした。ような。

 

「あぁ。もともと、どこかでヒッソリと頸動脈をハネ切ろうと考えていたんだが、その高台に立ったときは“もう、いっそこのまま”と思ったね。で、脚が動くまま、フラフラと断崖(がけ)のふちへと進んだ……」

 

 足もとから彼方にむけては、宝石をぶちまけたような都市の灯り。

 あたりは墓場の土塊(つち)のような、湿った腐臭。

 木々の鳴る音。ほおを切る冷たさ。

 唇のひび割れ。身体の節々の痛み。

 耳鳴り――こめかみをヒクつかせる脈打ち。

 世界から完全に孤立してるという、ノド元に突きつけられた事実。

 

「……でもな、やっぱり死ねネェんだ」

 

 龍ノ口は、遠い眼のまま、大きく吐息をついた。

 

「あの一歩は……無限の隔たりがあったナ。認識と、存在との。それに……」

 

 ややひさしい沈黙。 

 先が待ち望まれた『成美』は、それに?と続きを(うなが)す。

 

「それに、そんなことしたら完全に“航界士失格”の烙印(らくいん)を押される気がしてサ」

「航界士――失格……」

「吹き上げてくる風がコートを通して、やたら寒かったのを覚えている。おまけに持ってきたウォッカのボトル、一本カラにしても酔いがホロリともこねぇんだ」

「……」

「そのとき、どこか――ほんとうにどこか遠くから、真夜中の鐘が鳴るのが、響いてきてな」

「真夜中の鐘?」

 

 

 あぁ、と元・候補生はうなずく。

 

「それは透明な、寂しい音色……ちょうど東欧事象面にある教会の鐘みたいな」

 

 『成美』は眉を(ひそ)める。

 よく磨かれてた、ピンク色をする自分の爪を見つめながら、

 

 ――真夜中の鐘だって?

 

 幻聴だ、と“彼女”は想う。

 除夜の鐘さえ、クレームでほとんど消えた昨今、真夜中に鐘を鳴らすなんて酔狂な教会が、今どきあるはずがない……。

 

「それ聞いたら、なんか胸ン中が、急にガランとして。すっかり軽くなって。今までのモヤモヤがウソのように、せいせいした気分になっちまった」

 

 エルジェーベトの間を、ふたたびび振り子の音が支配する。

 “神聖な凝固”ともいえるひととき。

 龍ノ口の(かた)りに、広間の陰影(かげ)に佇む什器たちも聞き入る風。

 

「それで……どうなさったの?」

 

 それで、だって?と、ここで不意に元チューターの自虐的なわらい。

 

「どうもこうもねェさ。寮の部屋に帰って暖房を入れたとたん、身体の奥からアルコールが湧き出て来やがって、バタン・Qさ。翌日の試験も間に合わずだ。これで留年も決定。ただし、もう一年続ける学費はないときた」

「まぁ……そんな」

「本当なら、イチかバチかの勝負に出る手段があったんだがな。」

「どんな、手段ですの?」

 

 答えを知っていた『成美』だったが、あえて先を(うなが)す。

 キッ、と(まなじり)を強め、悪戯(いたずら)っ子をたしなめるような調子で、

 

「きっと、アブない手段なんでしょ?」    

「詳しくは、機密事項で話せないが、どエラい作戦(オペラシオン)さネ。それに自分も参加するはずだったが、肝心(かんじん)のパイロットが……()()()()逃げちまった。散々おじけづいていたから、ヤバいなとは思ってたんだが」

 

 ……イラっ。

 

 しかし洗脳調教の成果か。

 “彼女”は、どうにかそれを押し沈め、まぁ!と、いちおう驚いたような顔をしてみせる。ブルって云々(うんぬん)の下りは、むかッとくるが、まぁその通りなので仕方ない。

 かわりにツンケンした口ぶりで、

 

「その子が、そんなに怖がるだなんて!よっぽど危険な作戦だったんでしょ!?」

「ん?……あぁ、そりゃまぁ。危険っちゃキケンだが、航界士には付きもンなリスクだ。それほどたいしたモンじゃない……それなのに……あの野郎」

「あなたの趣味に!お付きあいするその子もイイ迷惑じゃないの!」

 

 さらに声のトーンが高くなる。

 

「そんな無理強(むりじ)いして!その子の気持ちになって、考えたことあって!?」

「……」

「みんながみんな、貴方(あなた)のように好戦的ではないのよ!?」

「う……ん」

「すこしは後輩のことも、考えてあげなくては……」

「え……まぁ、な」

 

 そこで、ふと(後輩?)と表情(かお)を怪訝そう改めて、

 

「あれ……オレ、貴女(アンタ)にパイロット役のコト話したっけ?」

 

 




便器のアレです(w)


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055:肯いの口づけのこと、ならびに運命の鐘は鳴ること(前【軽18禁版】

 

 ――またやった!

 

 『成美』は内心、激しく自分を叱咤(しった)する。

 ウィッグの載るアタマを、ポカポカ叩きたい。

 

 ――なにやってんのよ()()()!死んぢゃえクソばかァ!

 

 龍ノ口は、そんな『成美』の方にマジマジと顔を寄せる。

 眉をしかめ、目を細めると、

 

「オマエ……もしかして」

 

 その時、広間に真鍮板を(たた)く音が響いた。

 

 ゆるやかに扉が開けられ「失礼いたします」とオズオズした声。

 ふたりが入り口を見やると、ダイニングワゴンを押した人影。

 近づくにつれ、恥鈴(ちりん)の音も明瞭(はっきり)と聞こえてくる。

 

「ご注文の御品(おしな)――御届けに参りました」

 

 ――助かった!

 

 『成美』は、ツィと龍ノ口のそばを離れ、来室者のほうに歩み寄る。

 ワゴンを押して入ってきたのは――愛香だった。

 『エルジェーベトの間』に合わせるためか、いつものきわどいメイド服ではなく、ある意味さらに扇情的な、古代ペルシャの舞姫を想わせる薄物(うすもの)(まと)わされて。

 

 身体のあちこちに穿(うが)たれた、金色のピアス。

 金粉で描かれたボディ・ペイント。

 各所のピアスを繋ぐ淫鎖。

 

 肢体(からだ)を動かすたび、暖炉の火に様々な意匠が幻想的に(きら)めく。

 透け絹からチラチラほの見える愛香の姿態(すがた)に龍ノ口の注意が向くと、なぜか『成美』は嫉妬を感じてしまい、そんな情動(こころ)をふりはらおうと、さりげなくワゴンの上をチェックする。

 

 モノポール・ワインの名品と――見たことのないジビエ。

 濃いソースが併せてある見た目。なんの肉だろう。

 不意に、なんの脈絡もなくイメージがうかぶ。

 

 ――人肉。

 

 どこからきた連想だろうか。

 ふと、『成美』の脳裏に、あの日の光景がよみがえる。

 複座型タイプの偵察系スーパー・クルーズ航界機。

 滑走路はずれの墜落現場。

 二人の候補生の――遺骸。

 

 ワゴンの上に、イメージを等しくする血の気配。

 

「おォ!……スゲェ「赤」が、あるじゃねぇか」 

 

 龍ノ口は、コトン・コトンと片手杖を鳴らして近づくや『LA TACHE』とエチケット(ラベル)のあるボトルを手に取る。

 一丁前に、ヴィンテージ・ワインの知識はあるらしい。

 

「――お開栓()け致します」

 

 さりげなく愛香がボトルを受け取り、ふたりをソファーに座らせると、ワイン・オープナーを慣れた手つきで器用に扱い、たちまち年代を感じさせるコルクを開け、「どうぞ」とナプキンで包み、優雅な手つきで龍ノ口に差し出した。

 『成美』は、生理的な拒否感から、ソースのかかった料理を遠ざける仕草。それを横目に()たのか、コルクの匂いを嗅いでいた龍ノ口は、

 

「その皿は――下げちまえ。昔のイヤな記憶が出てくる」

如何(いかが)いたしました?お好みに、合いませんでしたか?」

 

 愛香の怪訝(けげん)声音(こえ)が『エルジェーベトの間』に漂う。

 

「イヤ、貴姫(アンタ)所為(せい)じゃない。前にナ?――こんな席で言う事じゃないが――事故の現場を、想いだしたもんで」

 

 ふたたび脳裏にチラつく、イツホクのニヤつき。

 まさか、とは思うが……いや、あの人物なら、やりかねない。

 この高級店に関しては、いろいろ後ろ暗いウワサを同僚のビェルシカたちから聞いていた。

 

 自家発電用GT(ガス・タービン)(・ジェネレータ)わきにある、意味不明な大型電気炉。

 明け方、店がハネたあとに徘徊する白い影。

 人数のあわないビェルシカやパピヨン。

 犠牲者を運ぶ、専従の拉致班。

 

 地下の食肉工場で働かされる少年たちの(ウワサ)は、してみると本当なのだろうか。

 この奇妙な宴がハネたあと、イツホクが()()()()をして近づき「じつはお前ェの喰った肉は……」などと(ささや)いて(わら)(かお)が楽々と想像できる。

 

 ――ひょっとして、高価(たか)いワインをオーダーした腹いせかな?だとしたら、意外にセコいというか“器”が()ッさいというか……。

 

 いやいやいや、そんな馬鹿な、と『成美』は妄想にストップをかけた。

 

 人肉なんて、料理に供されるハズがない。

 そもそも、こんな突拍子もない連想が普通に浮かんでくるほど、自分はどうかしてしまったのか。(いや)、どうかしているのは周囲で、自分は本能的な自己防衛のために一時的な同化をしているだけとも考えられる。

 

 己の埒外に“非常の存在”を自覚する昨今。

 内的な自己幻影を掘り下げれば、自分の人生経験にない激情の奔出。

 錯綜(さくそう)した感覚を統合しようにも、精神的な調教を受けたバイアスのためか、抱懐(ほうかい)し、まとめあげた印象がポロポロと(てのひら)からこぼれおちてゆく。

 

 不安定な情状性と、それを取り囲む不安定な環境。

 自分を熔解し、「メス奴隷」という鋳型(いがた)に流し込み、『高額商品』として再構築しようとする、出所不明の意志。

 金銀細工が充ちる、蒼古たる空間。

 妄想(シメール)を(なぶ)る“境界”の不明瞭な複合者(シーメール)。

 

 ――その境界とは……。

 

 男の(せい)と女の(さが)であったり。

 一般人と航界士であったり。

 そして、生と死であったり。

 

 とりとめのない連想を(もてあそ)んでいると、シャンパンボトルを回収していた愛香が装身具を鳴らしてさり気なく近寄り、手書きのメモを見せた。

 

 

 青インクのペンで書かれた金釘流の書体――イツホクのものだ。

 

 

【22時迄に“()()()()”相手にキス()()()。でなきゃ、強制メス奴隷化手術(オペ)

 

 

 ――そんなぁ!

 

 

 『成美』は、ほの暗い広間の中、絶句する。

 装った(おんな)皮膜(ひまく)が滑り落ち、心臓の鼓動が耳の中でおそろしいほどに。

 天鵞絨(ビロード)の性的な(なめ)らかさにの裏に潜められた、(なめ)し革の苛烈な調教と強の心象(イマージュ)が制が、精神に施された仮想性器の(うず)きと共に、脳裏をよぎる。

 

 この広間の一幕が盗撮されているのは、何となく察せられた。

 おそらく、ネムい展開に業を煮やした店側が“テコ入れ”をかけてきたのだろう。

 柱時計を見ると、ワザとのように意地悪く、長針がギリリと動いて。

 

 2130時。

 

「どうした。何かあったのか?急にそんな顔して」

「アラ。イヤですわ。(おんな)の顔色を、(ぬす)み見たりして――さ、おひとつ」

 

 『成美』は辛うじて表情(かお)をとりつくろう。

 渡されたメモを折りたたんで、ふくよかな胸もとにしまいワゴンの上に用意された新しいグラスを龍ノ口に持たせると、年古(としふ)りた液体をゆるやかに、すこしばかり注ぐ。龍ノ口がスワリングをすると馥郁(ふくいく)たる気配が辺りに拡がり、周囲(まわり)に居ならぶ時代を経た静物(もの)たちの羨望(うらやみ)を喚び起こすかのよう。

 さすがに酒に汚くなった龍ノ口の唇も、厳かにグラスの縁をむかえる。

 

 吐息と、ゆるやかな笑み。

 

「――くそ!……っ」

「お気に召しまして?――さ」

 

 追加でグラスに注ぐ際、龍ノ口の目が、『成美』の胸もとに挟まれた紙片に留まった。

 

「店からかイ?何だって」

「――べつに」

 

 『成美』はさりげなく(かわ)した。

 

「わたしがお客さまのお気に召さなくば“ペナルティ”って話ですわ」

「そんなことは、ないさ」

 

 どうだか、と『成美』はボトルを置いてソファーを立つと、広間を()ねたように数歩あゆみ、ジビエの皿を下げてゆく愛香の背中を見送ってから、ツィと龍ノ口の方に向きなおる。

 褐色の豊かなバストを何となく懐かしく思いだしつつ、己のバストをドレスの上から、できるだけ(なま)めかしい演出で(もん)んでみせ、

 

「この胸だって――お客サマには、もの足りないのではなくて?」

「よせやい。おおきな()は、食傷ぎみなんだ」

 

 サラ先輩のことだ、と『成美』はさすがにピンとくる。

 またも(イラっ)と来るが、ふたたび「怒り」は洗脳教育によって水をかけられたのだろう。頭をもたげた感情はたちまち消え去り、代わり生まれた悪戯(いたずら)心が幾分かの揶揄(からかい)を露骨な調子で声にのせ、

 

「おやおや――贅沢(ぜいたく)なコト……これは彼女サンに是非(ぜひ)とも御注進(ごちゅうしん)しなくては」

 

 柱時計を見れば、はやくも5分が経過している。

 なにやら女性ホルモンとレーザー・メス。それに培養された子宮が近づいてきたような気配。

 

 ――なんとか話、盛りあげて。自然にキスにまで持ってかなきゃ……。

 

 どうにかそこに至る道筋をつけようと貴重な時間を費やして考え、かえって(アセ)ってしまい、とりとめのないことになってしまう。

 煮え立つような頭のすみで(ミラ宮廷中尉とキスをしておいて良かった)と心底思った。ファースト・キスの相手が男だなんて、いかにも洒落にならない。

 

「……ネイガウスさま、と仰ったかしら?『リヒテル』とお名乗りの、あの大きな殿方。よほど地位のあるお方ですの?」

「ネイガウスが?まさか」

 

 ハッ、と龍ノ口は、ソファーの上でふんぞり返ると、手をヒラつかせ一蹴する。

 

「ただの非常勤講師さ。オレがチューター()()()錬成校の」

「ずいぶんと位の高そうなお方に見えましてよ?すくなくとも……()()()()()

「昔ァ雲海のなんたら、ッて忌み名になるほどのW/N(ウィング・ネーム)だったらしいが、いまじゃタダのショボくれた爺サンだよ。奥さんも早くに亡くなり、先日に息子さんも亡くなって、(ふる)い市営団地に独りずまいらしいがね」

 

 なるほど。

 龍ノ口は知らないらしい。

 すくなくとも、あの晩の印象は“ショボくれた爺サン”という風ではなかった。

 冷徹、沈着、そして有能無比。

 現役バリバリの上級大佐、しかもシネマに出てくるような「目的のためなら手段を正当化する」冷徹な情報将校のたぐいにすら見えたものだが。

 そういえば――と『成美』は頭を忙しく動かしながら言の葉を継いで、

 

「――航界士のお話になったとき、(おっしゃ)ってましたわ。『ウチには()いチューターが居た。今まで自分が見た中でも五本の指に入るくらい、って」

「……」

「こうも仰ってましたわ『理想が高いため、希望と現実のギャップを認められない。これがもう少し経験を重ねれば、それなりに見えてくるものもあるが、如何(いかん)せん、彼もまだ(おさな)い』と――まさか、貴方のことでは?」

 

 性悪そうな表情を浮かべる大理石のキューピッド。そのほおを、ひとさしゆびで弄そぶ素振りをしていた『成美』は、振り向いたとき、ギクリと身を震わせる。

 

 龍ノ口の瞳に、先ほどの蒼い炎がふたたび灯っていた。

 

「やっぱりネイガウスに――そう言えと仕込まれたな。あぁ?」

 

 低い、凄味を帯びた震え声。

 あの日。学食で感じた危うさ。

 また相手の情緒不安定が貌をのぞかせたようだった。

 このいそがしいのに!といい加減『成美』もイライラして、

 

「先ほどから!一体――なんのことですの?」

「ヨめたぜ……今夜の、このワケわからん一席」

 

 龍ノ口は片手杖を取り、ヨタヨタ『成美』に近づくや、(すさ)んだ顔をよせ、

 

「街中歩いてて、ネイガウスの名前でリムジンに引っ張り込まれたときァ、いったい何ごとかと思ったが……この茶番のためだったんだな!えぇ?」

 

 『成美』は、いきなり手荒く腕をねじり上げられる。

 

「痛い!」

 

 女の身体を引き寄せられたとき、腕に()めたブレスレットがハジけ飛び、手近な台に落ちると、純金特有の、硬く、澄明な音をたてた。

 

「無礼な!お放しなさい!」

「ヤツに何て言われた!ここで懐柔しろとでも?」

「なんのコトです、放して!」

「諦めて通勤電車に乗れと因果を――」

「いい加減に――なさい!」

 

 エルジェーベトの名を冠する広間に、(おのれ)の物とも思えぬ(りん)とした一喝が響く。

 本人が驚くまもなく、『成美』の体はまたしても勝手に動き、『システマ』めいた身ごなしで龍ノ口の拘束を振りほどくや、手甲タイプのウェディング・グローブをはめた手で、盛大に龍ノ口の横っ面を張りとばす。

 

 乾いた銃声のような、小気味の良い音が広間に響きわたった。

 

「なんですか!――女々(めめ)しい!」

 

 龍ノ口の恨みがましい目を、狭窄(きょうさく)された(ウェスト)に手を当て、ハッタとにらみ据え、

 

「考えてもご覧なさい!ここはメゾン・ドール。それも最高ランクである『エルジェーベトの間』ですよ?こう申してはナンですが、一介(いっかい)の――えぇ、そうですとも。一介の候補生“くずれ”である貴方(あなた)ご自身の説得に使われるような場所だと、お考えですか!」

 

 一呼吸措いてから、『成美』は斬りつけるような勢いで、

 

「思い上がるのも――大概になさい!」

 

 柳眉(りゅうび)を逆立てた(まなじり)でキッ!と『成美』は龍ノ口を()め付ける。

 

 森閑とした『エルジェーベトの間』。

 振り子の音にくわえ、ときおり暖炉の薪が()ぜ鳴る。

 

 ほの暗い雰囲気に押し包まれ“候補生くずれ”はソファーに座り込み、見るも(あわ)れな有様。

 

 

 

 やや久しくして、ようやく『成美』は人心地がつく。

 いまのひとときの行動は、またもやまるで自分のものではなかったような。

 またアレが出たのかな、と畏れつつ“彼女”も、ゆるやかにワインの載る小卓を挟んだ対面のソファーに座すと威儀をあらため、

 

「ごめんなさい。つい――キツい(こと)()に」

「……いや、いいんだ」

 

 対する龍ノ口は、自嘲(じちょう)的に唇の端をゆがめ、

 

貴女(アンタ)の言ったとおりさ。こんなザマになっても、自意識過剰な自分がいる……ホトホト、イヤんなるよ」

 

 そんなコトありません、と『成美』は、遅ればせながら取り繕うように、

 

「あなたは、尊敬されたチューターでした。それだけでも立派です。脚の怪我がなければ、超一流の航界士となったに違いありません。チューターの方々って、みんな素晴らしい方々ですのね」

「……どうかな。クズ野郎だって、居るさ」

 

 『成美』はちょっと小首をかしげ、考えをまとめるようにして、

 

「わたしがココに来るまえ……ひとりの少年候補生に会ったのですが、その子も自分のチューターには、ずいぶん助けられたと言っていました。感謝しています、とも。なんでも雲海の深度探査が、ドウとか」

「……え?」

 

 龍ノ口の目に、また生気が灯る。

 

「あとは、ご自分のお身体を大切に、あまりムチャをしないで。こう言って――」

「そっ、そいつ!今ドコにいます?」

 

 元・チューターは熱に浮かされたように、ソファーから身を乗り出した。

 

 口の端が、手が。

 わなわなと震え、視線もあやうげに。

 それでも目は僅かな希望を見いだしたように輝いて。

 『成美』は引き気味になりながらも「お前の目のまえに居るだろうが!」と言ってやったらどんなに痛快だろうなと心の端でクスっとしながら、

 

「さ、さぁ?なんでも特殊な仕事に、ついているとか……」

 

 まぁ、少なくともウソは言っていない。

 次いで『成美』は、念のためダメを押すように、

 

「練成校にもどることは、おそらく出来ないとも言ってましたわ」

 

 ヒューズが切れたように、ガックリと龍ノ口は、ふたたびうなだれる。

 ふと、その視線の先に何かをみつけたらしい。拾い上げたのは留め金が外れた黄金のブレスレットと、小さな紙片だ。

 

 ――しまった……!

 

 『成美』は胸を押さえるが、もうあとの祭りだった。

 さきほど龍ノ口と争った時に、挟んでいた胸から落ちたらしい。元・チューターは座ったままそれらを拾い上げると、折りたたまれた紙片を開き――『成美』を見て、ちょっと怪訝(けげん)そうな顔をした後、柱時計を見る。“彼女”もさりげなく相手の視線を追えば、無情にも長針は50分を過ぎていた。

 

 ――おしまいね……。

 

 洗脳され。

 肉体を改変され。

 煽情的な装いをほどこされ。

 

 そして(みだ)らな衣装をまとわされる(じぶん)の姿が目に浮かぶ。

 男だった自分は完全に消え、あとには物欲しげな媚笑をうかべ、さもしく性をねだり、イヤらしいヨダレを垂らした腰をくねらすメス奴隷の(さが)だけが(のこ)るのだろう。かくなるうえは最後の出会いとなった今宵(こよい)、かつての先輩に別離(わかれ)の言葉をかけておくのも悪くないと思われた。

 

「お気になさらないで。龍ノ口さまは――強く生きてくださいまし」

「オレの名を……さすが名店、なんでもお見通しなんだな」

「それと、先のように激情にかられては、イケませんよ?」

「……」

「感情にかられて自暴自棄にならないように」

「……」

「貴方は強く生きていって下さいまし」

 

 元・チューターは何事か考えるように、紙片と、壊れたブレスレットを『成美』に差し出す。渡し終えたあと、ソファに座るヒザの上に両ひじをおき、組んだ手の上にアゴをのせて上目づかいのまま黙然(もくねん)と“彼女”を凝視した。

 

 微妙な数拍。

 

 ややあってから、かすれたような声で、

 

「航界士の資質、って――何だか知ってるかィ?」

「……なんです?急に」

「いかな困難な状況にあっても(あきら)めない、ってコトさ」

「ならば――わたしは航界士失格かもしれませんわね」

「そしてもうひとつ……判断保留(エポケー)と“個的直感”を重んじることだ」

 

 二人の視線が奇妙な状態で(から)みあい、(もつ)れる。

 

「えぇと……アンタの名は何だっけ?」

「『成美』、ですわ」

「そうか。だがあえて直感を重んじて『迷いの姫』とでも呼ばせてもらおうか」

 

 暖炉で、(たきぎ)がひときわ激しく爆ぜ、火の粉を舞わせる。

 柱時計の、ゆったりした振り子の音が、ヤケに耳に付くように。

 

「……姫さまは、その雲海探査とか言ってた候補生と連絡がつくんだよな?」

「いえ、そんな。すこし前のハナシですから――」

「つ!く!よ!、な!?」

「そんな……」

「そして姫さまが頼めば、その()()()()()()()()……そうだな?」

 

 凝固したような沈黙。

 振り子の()が、手術台へ至る搬送機のように正確な(おと)を刻む。

 

「どうでしょうか。わたしには……」

「いいや、アンタなら――()()()()()だ!」

 

 龍ノ口は、片手杖無しでソファーから懸命に立ち上がると、ふるえる脚を踏みしめ、『成美』の方へと向かう。その瞳には先ほどの(くら)い情念めいた蒼い炎は無いものの、それに代わり奇妙な、ある決然とした輝きがあった。

 

「航界士、ってのは「成る」ものじゃない、「呼ばれる」ものなんだ。それが運命的なものか、あるいは資質からくるものか。資質だとしたら、先天的な物か、後天的な物か。そんなことは、しらん。ただ言えるのは、そこに「()()()()()()」は――無い」

 

 龍ノ口を(おそ)れるように『成美』もソファーから立ち上がると、数歩後ずさる。

 だが元・チューターはヨロヨロと歩み寄ると、『成美』を捕まえるやドレスの肩をつかみ、自分の方へと力強く引き寄せた。そして(おのれ)の“一夜妻”の(かんばせ)を熱にうかされたような瞳でマジマジと見つめる。

 

 『成美』の胸は妖しくとどろいた。

 

 全身をめぐる血が、カッとあつくなり、うっすらと汗をかいて。

 それどころか夢の中でつけられた女性自身が(ジュン)と熱く(うる)み、子宮もキュゥゥっ、とシビれて何かを欲しがるような。

 相手の声が、フワフワした『成美』の脳に直接説教するかのごとくに響く。

 

「下界で(クサ)るか……神に至る未知の扉を(ひら)くか。その差は黄金(きん)汚泥(どろ)以上のひらきだぞ!」

「でも――死の危険が、ありますわ」

 

 ようやく“姫さま”は上ずった媚声(こえ)でそれだけ辛うじて返した。

 

「惨めな犬死(いぬじに)の可能性すらも!」

「生きながら地獄を味わう危険に比べれば、羽毛のように軽いさ」

 

 元・チューターの腕の中で、『成美』は手折られた花束のように萎れきった風情で無防備な横顔をさらす。

 

「――あなたの、その熱情(パッション)は、ドコからくるのかしら?」

「――自分でも、この殉教(パッション)めいた行動原因は分からない」

 

 龍ノ口は熱っぽい眼差しで(ささや)いた。

 

 興奮した荒々しい男の気配。

 女性(おんな)を時に激しく、時に優しく導く印象。

 きびしく、そして甘美に(しつけ)られてしまう予兆。

 

 ――()ッ……また。

 

 『成美』の胸のドキドキが、また高まってゆく。

 ショーツが、ちょっと熱く湿ってしまったような感覚。

 

「たぶん「呼ばれている」からだろう。ソレに抗うことは、ヒトには出来ない――許されていない。ボーイ・ミーツ・ガールなんて廉価(やす)っぽいものじゃない、ボーイ・ミーツ・タスク(使命)だ!」

 

 ゴクリ、と長針が59分を示す。

 振り子のセコンド、その一刻、一刻が、まさに方寸(こころ)を刻む。

 龍ノ口の熱い身体が、『成美』のなよやかな肢体をきつく抱いて放さない。

 自分の言葉の効果が浸透するのを見極めんとするためか、男がしばらく(もだ)す。

 

「さぁ、応えてくれ!雲海探査の約束を!」

「わたしは――そんな……」

 

 柱時計の箱が、奇妙な“うなり”を生じ始めた。

 『成美』の頭が、錯綜(さくそう)し、様々なイメージが沸騰(ふっとう)するように浮かぶ。

 

 瞬間的な生と、緩慢な死。

 望みすくない希望と、確実だが(ぬる)い絶望。

 

 白い雲海――ピンクの奉仕部屋。

 界面翼――鈴付き乳首ピアス。

 リダクション――洗脳媚薬香水。

 悪霊――子宮内避妊器具。

 ゲシュタルト・スーツ――調教用ハーネス……。

 

 幾重ものフラッシュ・バックに、龍ノ口の声が鞭打つ。

 

「さぁ!」

 

 柱時計の唸りが高まる。

 窒息するような頭の中。降参するように『成美』は、(つい)に叫んだ。

 

「わかりました!雲海探査を――伝えますぅ!んうッ」

 

 龍ノ口が、『成美』の口唇(くち)を荒々しく情熱的にふさいだ。

 

 まさに――そのとき。

 

 柱時計に備わる捨て鐘の旋律が鳴り響く。

 緩やかに調(しら)べが昇降し、精緻な演奏を行い、やがて重々しく鐘を打ち始めた。

 その数、十(たび)

 

 どこかでパーティーでもやっているのか、湧き上がる盛んな拍手の気配……。

 

 

 

 





注:古い慣習ですと時計は時鐘の最終鐘がその時刻(たとえれば、11時ジャストは11番目の鐘が鳴ったそのとき)らしいですが(19世紀の文献による)、ここでは分かりやすく“捨て鐘”メロディーの鳴り始めが時刻ピッタリであるとしました。


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055:         〃              (後

 

                 * * *

 

 同じような振り子の音が響く『控えの間』

 『九尾』は心虚(こころうつ)ろに、あの夜を考えた。

 

 先輩からキスをされたときの、身体がフワフワとした感じ。

 本当に精神を女にされてしまったのかと危ぶまれたものだが。

 

 ふたりで協力してソファーの位置を変え、マントルピース前に。

 肩をならべて座り、暖炉の炎に見入ったひととき。

 不思議な充足感。

 龍ノ口と自分は、人生の様々な局面をいろいろと語り合った。

 あくまで『成美』が「雲海探査候補生に伝える」というスタンスでだが。

 そして――瞬く間に時間は過ぎる。

 まるで『エルジェーベトの間』だけ、(とき)の流れが異なるかのように。

 

 一人を除いて、ダラけきった候補生たちが思い思いに過ごすなか、『九尾』は“奉天”と名づけられた自分の特殊な乗機に想いをはせていた……。

 

                 * * *

 

「雲海探査には、探査院・司法特例機が使われる……」

 

 重々しい声で、龍ノ口は炎から目を離さず、呟いた。

 『成美』は、前に学食で教わった機体を思い出そうとするが、脳裏(のうり)に浮かぶのは、『ゾーロタ』や『シリブロ』といった、あの金銀の調教役と、それを使役する黒髪の調教師が浮かべる、酷薄(こくはく)な笑みばかり。

 心ひそかに『成美』は、ドレスの下で(いましめ)められた身体を冷たくする。もしかすると操機のウデも、だいぶ鈍っているかも知れない。

 

「“彗星”ってんだが……これが43(特攻)型の試作機(改)でね」

 

 ――そうだ……“彗星”だ。

 

 三面図が、どうにか思い出せた。

 

 ひと昔まえの、超高々度を戦域とする衛星軌道用・戦爆機めいた姿。

 乗員はタンデム。

 界面翼のシステム・コントロールも、それに同じ。

 しかし、いくら二人がかりとはいえ、今の自分が、ヒョイと乗って、満足に動かせるとも思えない。横で黙然(もくねん)と炎を見つめる先輩に、多大な迷惑をかけてしまう。そんな無様(ぶざま)なマネは、できない。なにより自分の誇りがゆるさない。

 

 ――“奉天(ほうてん)”を。あの旧式機を、もういちど動かせたら……まだ自分には、その資格があるかもしれない。

 

 “彗星”とはベクトルの違った“奉天”の雰囲気

 

 ブリコラージュされたような、不格好な外装。

 そのうちに秘められた、暴力的な戦力。

 コクピットの一種異様な雰囲気。

 コンソール・パネルが匂わす、実戦機のスゴ味。

 

 ――完全武装したら、どれだけの威容(すがた)になるのだろうか。

 

 目のまえの暖炉で、よじり、燃え上がる炎を見つめるうち、だんだん自分の中で“たぎって来る”モノがあるのを、『成美』は、しぶしぶながら認めざるをえない。

 不覚にも、唇の端に笑みすら浮かんでしまう。

 それを見たか、龍ノ口が「よぅし」とばかり、

 

「イイ(かお)に、なってきたな――一時は、どうなるかと思ったが」

「え?……ゴメンなさい、聞いておりませんでしたわ」

「いや、スマン。こっちの話だ」

「この部屋は監視と録音がされています。めったなコトや、ある種の固有名詞は、出さない方がいいと思いますよ?」

 

 ふぅん、と龍ノ口は、『エルジェーベトの間』を見回す。

 

「なんか辛気(しんき)くさい広間だなぁ……博物館の広間か、玄室の中みたいだ。高価そうなモノばかりってのは認めるが……過去から亡霊が、そこいらの暗がりから立ち上がってきそうだぜ」

「イヤなコト言わないでくださいよ……」

「金持ちの趣味は――ワかんね」

 

 『成美』は、龍ノ口の耳もとに口を寄せ、ひそひそと

 

「ここに並ぶ、ラファエロや、レンブラント。全部ホンモノらしいですよ?」

「!ふぇぇぇ……どッから、そんなカネ出てんだか」

 

 やや久しい沈黙。

 幾拍か、経ってから、

 

「なぁ、『成美』サンよ」

「はい」

「ココは、()()()()のいる場所じゃないぜ」

「このお店が、わたしに相応(ふさわ)しくないと?」

「そうじゃない――この『世界』が、だ」

 

 龍ノ口はソファーの上でウン、と伸びをして、首を鳴らし、

 

「言わんでも分かるだろ。こんな国、飛び出してサ?もっと広い世界が待ってるぜ」

「どうですか。ホントにここよりマシな事象面が、あるのかと……」

「ま、ナニをもってマシとするか、だな。考え方次第だ。安全があって、水がタダで、医療保険が完備されてて、法規が行き届いてて、女王のクソったれだなんだと叫んでも「不敬罪」すらないこの国じゃ、逮捕すらされない……」

「先にも申し上げましたが、この部屋は――」

「街を歩いてても、狙撃屋にドタマ吹ッとばされるコトもなきゃ、催涙ガスで吐くことも、ゲバ棒や自爆テロで血まみれになることもない」

 

 調教のためか、もはやおぼろになってしまった図書館での記憶。

 もしや、この先輩も、あの(ひぐま)に映像を見せられたのだろうか。

 

「――平穏で――安全で。いいじゃないですか」

 

 そうか?と龍ノ口は一拍措き、

 

「だがな、せっかく男に生まれたからにゃ……こう、荒れていても自由な世界を、大股で歩いてみたくもなるじゃないか、えェ?」

「モノ好きな。わざわざアブない目に遭いにいくなんて」

「雲海降下の件、タノんだぞ……()()()()()()()()に、よく伝えろ!」

「……その子が聞いたら、多分コシ抜けなんかじゃない!と、憤慨(ふんがい)しますわ。貴方が暴力的過ぎるんです……そうだ」

 

 『成美』は、ふと『リヒテル』の言葉を思い出した。

 

「どうした?」

「まえに『リヒテル』さま……ネイガウス様がいらしたとき、ボ……わたくしに言ってくださったんです。修錬校を見学に来ないか、って」

 

 アブねぇ、と『成美』は冷や汗をかく。

 どうも、このチューターのそばに居ると、つい油断して候補生だった頃の地金(じがね)がでてしまう。

 

「へぇぇ、あのジイさんが、ねぇ……?」

「つきましては、来週の火曜日。お店は公休となりますので、その時に……」

「わかった、そう伝えとくよ。成程(なるほど)、あのオイボレ(ヒグマ)も、準備着々というワケだ」

「なんのことですの?」

 

 こちらの話さ、と龍ノ口はカラとなったワインのボトルから、未練気(みれんげ)に最後の二、三滴を注ぎ落とす。

 

「もう一本、オーダーいたします?」

「いや――いい」

 

 キッパリと龍ノ口は断った。

 そしてグラスに残った紅い液体を、背を反らして干すや、タン、とステムが砕けんばかりの勢いで小卓に措くと、

 

「グズグズになった体調、できるだけ元に戻しておかんと。明日からジム通いだ」

「それがよろしいと思いますわ」

「いつ、お呼びがかかっても、イイように、な」

 

 龍ノ口は、柱時計を一瞥し、次いで自分の腕時計のダイヤル(文字盤)を凝視して驚く。

 

「うぇ……!オレの時計、止まっていたよ」

 

 雲海の磁性に合わせて手動巻きなのか、あわてて龍ノ口は自身の古ぼけた航界士用・腕時計のリューズを巻く。

 もう帰る。と彼は立ち上がり、16世紀の金銀細工に無造作なかたちで引っかけてあった、自分のボロボロな憲兵隊用コートを取った。

 

「十分な栄養――そして睡眠、運動ってヤツだ」

「よいことですわ。是非ともお願いしますね」

「ふん!見てろよぉ?」

「コントロール・お客サマお出かけ。用意を」

《諒解――フロイライン》

「暖炉に中毒(あた)ったのかな……アタマ痛いや」

 

 『成美』が帳場と交信している傍らで、龍ノ口は天井まで届くフランス窓にコツコツ、ヨタヨタと歩み寄り、掛け金を外すと、両開きの取っ手を押し開いた。

 ゴウッ、と窓枠が鳴り、風鎮(ふうちん)を付けたレースのカーテンが、裳裾(もすそ)を思わせる形で柔らかくふくらむ。

 清冽な空気が流れこみ、暖炉に()だった頭をスッキリとさせた。

 『成美』も思わず風の吹いてくる大窗(おおまど)の方を向き、眼を細める。

 

 ――あぁ……。

 

 そのどこまでも純粋な、胸を洗い流す一陣。

 まるでほんとうに“未来圈”から、透明な、清潔な風が吹いてきたかのよう。

 そのままバルコンに姿を消した龍ノ口の声が、間延びしたカタチで、

 

「おぉい、『きゅ……姫サマよぉ――来てみぃ?」

「なんです?」

「月が……スゴいや」

 

 『成美』も声に誘われ、大窗(おおまど)を経て広い露台へと、ヒールを鳴らし、歩み出る。

 とたん、冷冽(れいれつ)な光に染め上げられ、己の(まと)うSM風味なウェディング・ドレスそのものが発光するかの如く、照り(かがや)いた。

 冬の空気に身体が冷えるが、実は月光が冷温を持っているためとも怪しまれる。

 

 おりしもの微風に、まるで白い花が夜に揺らぐかと見まがう姿。

 己の肩を抱いて身体を温めようとしたとき、自身の腕にはめたグローブの白い輝きに魅せられ、腕をのばし、斯かる容子(ようす)にまんざらでもなく見入って。

 その効果の出所は、と夜空を見上げれば、月が、いつもの数倍の大きさで皎然(こうぜん)と宙空に架かるのを観た。

 

 ――あぁ。

 

 すぐに『成美』はピンとくる。

 

 かつて、宮廷秘書官とともに、フリゲート艦に搭乗したときの記憶。

 あのときは「蒼を背景の白」だった。

 このたびは「黒を背景の白」。

 素早く周囲の空域に眼を(はし)らせれば……いた。

 

 かなり大型の航界艦。

 航空灯を明滅させ、闇に紛れるように浮かぶ姿。

 夜の魔都が発する通奏低音に併せ、切れ目ない遠雷のように、微かな重低音が轟いて。

 

「すげぇなぁ……フリゲートか?モービー・ディック級くらいはあるな」

 

 龍ノ口の声音は、まるで子供がはしゃぐように。

 吐く息が、言葉と供に、白く天に昇ってゆく

 そして、いかにも嬉しげな勢いで、

 

「こりゃ幸先がイイぞぉ?」

「さいさき?――何のです」

「雲海探査の作戦行動に、サ?いい景気づけだ」

「そうかしら?」

「そうさ!」

 

 夜空に向かって大きくそして『成美』の方に目をやった龍ノ口は、そこでようやく“彼女”の白花めく娟容(すがた)に気付き、はじめて息をのむ。

 

如何(いかが)――なさいましたの……?」

 

 それに応えず、無言のまま杖を突き、真顔で歩みよる龍ノ口。

 相手の様子を看て、知らず『成美』は数歩、引きながら、

 

「どうなさいまして?――(イヤ)、こわいですわ」

「キレイだ……」

 

 龍ノ口の口から、青年のもてる純粋な祈りにも似た語勢で、言葉が洩れた。

 若い胸の内から湧いた、混じりけのない真情(まごころ)吐露(あらわれ)。その響き。

 それが(おんな)ごころを強制的(むりやり)に植え付けられた『成美』の心をゆさぶる。

 

「――そんな」

 

 それだけ言うのがやっとな“彼女”は、皓々(こうこう)たる月下、()ねたように傍らを向き、(ひそ)かに頬をそめる。しかし、冴え冴えとした冬の空気を貫き、冷光を投げかける玉玦(つき)は、そんな彼の偽容(いつわり)を宥さない。

 

 すでに真夜中も近い、この露台(バルコン)という“小世界”。

 二人きりとなった青年と“精神的乙女”は、黙然(もくねん)と相手の瞳を見つめ合う。

 

 悠揚(ゆうよう)迫らず龍ノ口は、自身の褐色な“お相手”で修行を積んだものか、小憎らしいほど落ち着いた手つきで『成美』の腰を抱き寄せるや、服の下でボンデージ・ハーネースにきつく縛められた“彼女”の胸を反らせ、その瞳を覗きこんだ。

 無理な姿勢を取らされたことで、『成美』の女体を錯綜(さくそう)するハーネースは締め上げられ、下腹部に挿入されたディルドーをより一層深く食い込ませ、微妙な刺激をあたえる。それが表情に、ひと刷毛(はけ)蠱惑(こわく)を添えるのに『成美』自身は気付かない。

 

 近づくふたりの(かお)

 魅せられたかの如く、互に相手を見入る。

 

 皎々(こうこう)と降り注ぐ冷光に包まれ、あたかも二個の大理石像と化した彼等は、あふれる想いを胸に、凝固して動かなかった……。

 

(龍ノ口、センパイ)

 

 『成美』が観念したように目を閉じ、そう呟きかけた、その刹那。

 

「――誰だ」

 

 龍ノ口は、不意に身体を離し、いま来た大窗(おおまど)の方を(ニラ)む。

 『成美』も視線を追ってギョッとした。レースのカーテン越しに、黒い煙のようなモノが、ボンヤリと(たたず)んでいる気配。

 不埒な闖入者。あるいは下賤の気配もてる無粋な精霊(ジン)

 

「あの……」

 

 震えるような、か細い声がその影から伝わる。

 

「お邪魔して、申し訳ありません…… “お供”が参りました」

 

 なんだ、と『成美』は脱力する。そしてなぜかイライラと、

 

「愛香さん……驚かさないでください」

 

 つられて龍ノ口もいささか興ざめしたように脱力し、

 

「あぁ、さっきの白拍子か。くそ……それに何だ?“おとも”って」

「御自身の寮までお送りする「リモ」のことですわ」

 

 わきから『成美』がコッソリと。

 

「りも?」

「リムジン。庭園の外で、お待ちしております」

「いらんよ――そんな。ジジィじゃあるまいし」

「申し訳ありません。弊店にも、体面というものがありますので……」

 

 と、こんどは愛香がレースのカーテン越しに若干のふるえ声で、

 

「『エルジェーベトの間』を御利用のお客さまが、徒歩でお帰りなどされましたら、弊店の沽券(こけん)に関わるのです」

 

 ふぅぬ、と龍ノ口が口をへの字に腕組みをした折、広間の柱時計が、ふたたび捨て旋律を流しはじめた。その時、彼はふと表情をあらため、腕組みを解くと、

 

「ほら!この鐘の音。コレだこれ!」

 

 聞いてくれ、と言わんばかりに片腕を、街の方へと差し延べる。

 深夜に至っても、ますます加熱するような、旧市街の騒音。

 ひくく唸る獣のような、都市の息づかい。

 大型戦闘艦艇の稼働音も、併せて。

 

 いったい何を、と口に出しかけた『成美』だが、不意に耳を澄ます。

 

 ――あ……。

 

 鐘が、鳴っていた。

 

 遙か彼方から、(おごそ)かな余韻(よいん)をもって。

 粛然と――また隠然と。

 よく聞けば、そこには或る種の鎮魂と哀訴、さらには慰撫の気配すら、あわせ含まれるようにも感じられる。耳朶(じだ)に届くその響きに『成美』がブルッと身体を震わせたのは、おそらく寒さのためだけではなかっただろう。

 

「ほんとうだ……でもどこからだろう、いえ……でしょうか」

「客間の柱時計、鳴ったよな?時間的に深夜0時か。航界艦の八点鐘にしては、鳴らし方がヘンだ。それとも戦闘艦艇は、こうなのかな?」

「さぁ?愛香さん!お姉ぇさま、コチラへ――ほら、聞こえます?この鐘の音」

 

 沈黙。

 ややあって、カーテン向こうの舞姫は、わずかに否定の首をふったように思えた。

 

「いや――ちがう。艦の方向からじゃない」

「じゃぁ、どこから……?」

 

 陰々(いんいん)たる鐘は、無限の余韻(よいん)もて、月の皎々(こうこう)たる夜空に微かな響きを立て続けた。

 いつまでも――いつまでも。

 

 やがて、どちらからともなく露台(バルコン)の二人は、顔を見合わせた。

 次いで、申し合わせたように、まるで凶事から逃れるがごとく露台から広間に入る。大窗を締めて鍵をかけたとき、なぜか二人は、ホッと息をついた。

 今宵の主客とホステスは、不吉なものから追われるように、いそいそと『エルジェーベトの間』から逃れ去る……。

 

     ――――――――――――――

 

 暖炉の火のおちた『エルジェーベトの間』だった。

 

 すでに冷えが、古い什器のそこかしこから立ちのぼり始めている。

 薄暗い雰囲気のなかで、愛香は気のない手つきで小卓の上を片づけながら、先ほど観た景色を反芻(はんすう)した。

 

 バルコンの上で、じっと見つめ合う、青年と『成美』。

 

 その光景を目の当たりにしたとき、彼女の中に湧き上がってきたのは、覚えたことのない怒りと、そして哀しみだった。

 

 大事なモノが汚されてしまうような焦り。

 そして――何よりも戸惑い。

 

 もうすこし愛香の中に、自分を省察する余力があれば、その感情には少なからずの嫉妬(しっと)が混じっていることに気付いたはずである。

 だが、そんな彼女の惑乱(わくらん)も、次の瞬間、霧散してしまう。

 

 レース越しに観る二人の姿。

 その背後に、それぞれ光の羽根めくモノが延びているのを看たからだった。

 

 何度、(まばた)きしても、その姿は変わらない。

 月光を浴び、(かたみ)に黙し、相手に見いる天使たち。

 

 レース文様の加減かと、カーテンを動かしたとき、青年の方から誰何(すいか)を受ける。口調には、せっかくの逢瀬(おうせ)を邪魔されたような、まぎれもない非難の色があった。

 穢処(わいしょ)の住人たる(おのれ)が、聖なる者たちの行為を邪魔してしまったような、悖徳(はいとく)感。

 そんな心の痛みも冷めやらぬうち、鐘の音に騒ぎだす天使たち。

 バルコンに誘われるが、出て行く気はしない。

 ()かる神聖な舞台に、自分は立つ資格が無いと、感じられたからである。

 

 鐘の音などきこえなかった。

 聞こえるはずが無いのだ。

 世俗に汚れた、自分には……。

 

 茫然(ぼうぜん)と、以上のことを考えながら、心虚(こころうつ)ろなるままに、のろのろと片付けをしていた愛香だったが、不意に()っと暗がりを(ニラ)む。

 

「どなたです!」

 

 視野のはし。

 そこに一瞬、黒い老人の姿が、佇立(ちょりつ)するような気配を彼女は感じる。

 骸骨のような、()せさらばえた黄色い貌。

 闇にくっきりと、浮き出ていたような。

 だが、いま真正面から観れば、視線の先に人影など居ない。

 

「誰ですの!?――出ておいでなさい!」

 

 愛香は声を(はげ)まし、(りん)と言い放つ。

 

 しかし、暗がりには古びた什器たちが立ち並ぶほかは、動くものの気配はない。

 ただ、振り子のセコンドだけが、規則正しく薄闇(うすやみ)を縫いつづけている……。

 来客が去った後は、入り口を守る衛士もいない。

 コントロールと連絡を取るイヤリングも、いまは外してしまっていた。

 

 総毛立つ身体をなんとか抑え、愛香は残り物をワゴンにのせると、足早に広間を後に、そして『エルジェーベトの間』の納骨堂のように重い扉を――(とざ)す……。

 

     ――――――――――――――

 

 龍ノ口をリムジンまで送り届け、フロント係のハッサンといっしょに去りゆくテール・ランプに深々と礼をした『成美』は、何回目かの既視感(デジャビュー)に大きくため息をついた。

 壊れたレコードのように、いつまでも同じ演目を()っているような。

 あるいはレールのポイントが故障し、いつまでも同じ線路を走っている印象。

 

 ――うまく切り替わらないとしたら、その場所はどこなんだろう。

 

 やはり、雲海探査しかないのかと、ふたたび大きく息をついたとき、ハッサンがドレスの腰に手を回してきた。そして、香辛料(カレー)臭い体臭を漂わせながら『成美』の耳もとに、

 

「店長ガ、オ見送リ終ワッタラ、店長室ニ来イッテヨ?」

「店長?イェジェヌさんが?」

「ソノ後、ドウ?ボクト……」

 

 ハッサンの手が、『成美』の胸に延びる。

 そのまま、無遠慮に胸をひともみ、ふたもみ……。

 

「そんな!ハッサン、やめてよ」

「ボク、優シクスルヨ?ダカラ『成美』ダイジョウブ」

「そう言う問題じゃ……」

 

 この時、近くの監視システムに付随するスピーカーから、ボソリと一言。

 

《……ハッサン。早く連れてこい》

 

 中東系の男はブルッと体を震わす。

 そしてイソイソと店の方に『成美』をせき立てた。

 

 『成美』は『成美』で、新たな不安が生まれる。

 いまの声。

 

 ――イェジェヌのものじゃない……イツホクだ……。

 

 不吉な予感が、頭をよぎる。          

 

 

 

 




う~む。
やはりぺダンチックな回になると、皆様敬遠するのか反応がニブくなるような。
さ!次から「弩エチー」な章ですよ!
(本当はエロなんて書きたくないけれど、読者様のために涙を――涙を――涙を――呑んで書きます)


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056:夢魔の現出のこと、ならびに残酷な夜会のこと(前【ちょいエロ版】

サァ!
いよいよヤベー部分に入ります。
女性の読者は(居ないと思いますが)御退出願いますw


 

 

 店長執務室に入ると、まずパイプ煙草の香る、甘く暖かい空気に包まれた。

 

 天井から下がる、大ぶりのシャンデリア。

 壁一面に並ぶ、マウントのついた革装丁の古書。

 一財産は優にしそうな、革張りのソファー。テーブル。

 そして、例によって気配を消したまま、彫像のように(たたず)む黒服たち。

 

 アンティークな大机のむこうではイェジェヌが、これも時代を感じさせる、幾重(いくえ)にも(びょう)が打たれた大きな革張りの椅子にもたれ、眼を細めて一定のリズムで手を動かしている。よくよく見れば、手の先にある白い塊は長毛種の、たぶんペルシャ猫だ。おきまりのゴツく下品な指輪までもが、灯りに(きらめ)いて

 

 ――どこの悪党のボスだよ……。

 

 雇われ店長ふぜいが、と『成美』の心に浮かびかかる笑み。

 それを必死にかみ殺していると、ハッサンが、周囲に居ならぶ黒服のうち、二人に両腕を取られ、もがきながら隣室(となり)へと連行されてゆく。

 『成美』に取り成しを求めるような、切迫した目線――しかし、何も出来ない。

 間にフェルトの入った重厚な扉がしまる寸前、なにやら暴れる音と悲鳴が聞こえ、次いでパタリとドアのノッチが鳴り、静かになった……。

 

 弛緩(ゆる)んだ空気が、ピリッとなる気配。

 

「ご苦労だったな、『成美』――きわめて……満足な演出(デキ)だった」

 

 シャンデリアの照度が、すこしばかり落ちた。

 すると、部屋の空いた床面に3D(ホロ)がうかび、『エルジェーベトの間』で行われた、半ば喜劇的な一幕が、早回しで展開される。

 

 龍ノ口と自分のキスシーン。

 

 そこで再生は通常となり、自分の行為が店長室の黒服たちに晒されて、あたかも羞恥プレイのように。

 

 口づけを交わしたまま、動かぬ二個の像。

 鐘のメロディと、時鐘が鳴る間の沈黙。

 火照った頬に、おもわず『成美』は手をやって。

 その女らしい仕草に微笑を誘われたものか、イェジェヌは満足げに、 

 

「“ミカエルの鐘”が鳴りだす、本当にギリギリだったな。おかげで、だいぶ(もう)けさせてもらったぞ?」

 

 一瞬なにを言われたのか、分からない。だがすぐにハッと思い当たって、

 

「もうけた?()けの――対象にしたんですか!」

 

 絶句する花嫁。

 片手を初々しく口にあてて。

 

 なにか真っ白なものを、土足で踏み荒らされた心象。

 あるいは胸の中を、汚い手で(なす)られたような。

 

 目つきをいくぶん厳しいものにして“店長”を(にら)みつければ、ヒザの上の白ネコが、大きなアクビでそれに応える。

 

「なにをそんなに怒るのかね。コトに及んだワケでもなし――しかし実際のところ、それが会場にいた我々の大いなる不満だったが、ね」

 

 3Dは、二人がソファーを動かすところで停められた。

 ハッと、あることに気付いた『成美』は、

 

「映像は――これだけですか?」

「いや?君らが『エルジェーベトの間』を出るまで録画済みだ。なにせ、あそこの備品は……すこしばかり高価な代物でね。失礼かとは思ったが、監視の代わりに」

「ボクたちがバルコンに出たときの映像って、あります?」

 

 気の()くあまり、口調が航界士候補生に戻っていた。それが女声のままなので、シまらない事この上ない。

 『成美』の言葉にイェジェヌが、アゴで黒服に向け合図する。

 ふたたび映像が立ち上がると、二人がバルコンで何やら周囲を見渡し、落ち着かなげに耳を澄ますところまで流れる。

 さらに『成美』は豊かな胸をわななかせ、

 

「音声!ゲインあげて。ノイズ除去(スケルチ)Offで!」

 

 都市の騒音が、ザラついた音色で一層騒がしく。

 どこかで学生のような集団が騒ぐ声。

 遠くを集団走行する暴走族の音も。

 あとを追いかけるサイレン。

 あの時の自分たちの声。

 

 《いや――ちがう。艦の方向からじゃない》

 《じゃぁ、どこから……?》

 

 ゴォッ、というような都市の通奏低音。

 鐘の音は――聞こえない。

 がっくりと『成美』は肩をおとした。

 

「どうだ。満足かね?」

「……えぇ……有り難うございます」

 

 3D(ホロ)は消え、薄暗かった照明が、勢いを盛り返す。

 

「話を戻すが――なるほど、その言葉づかい。やはり男の気配が、残っておる。まだメスには成りきれぬと見えるな?」

「いえ、そんな……。申し訳ありません、むかしの知り合いに会ったので、つい」

「そこが足りない!と、こう言うのだよ」

 

 イェジェヌが、一呼吸おいてから自分の下アゴをなでる。

 粘着質な雰囲気。まさしく――悪の幹部めいて。

 そして、ややあってから言葉を加え、

 

「なるほど。その――「接吻(キス)」という第一の任務は達成できた。しかし“女”としての魅力が欠如していた為に、暴行事案を誘発するという事象は、惹起(じゃっき)せるを(あた)わなかった」

 

 周りの黒服たちの包囲が、ジリッ、と狭まる雰囲気。

 なにを言ってる?と『成美』の頭が理解できないでグルグルする。

 だが本能では(さと)るのか、毛穴からイヤな汗がじわり、と。

 

 ――役人クズレか?コイツ……もって回った言い方しやがって。

 

 アタマの中で、そんな声も。

 たぶん、相手のキッチリとした7/3分けから来た印象だろう。

 

「ゆえに、物理的な『女体化手術』は先送りするも、精神的な“脳教導”の追加処置は、必要不可欠であると、こう判断せざるを得ない……」

 

 凝固する部屋の雰囲気。

 にらみ合うメゾン・ドール“雇われ店長”と、パピヨン“候補生”。

 

 ネコが――ひと啼き。

 

 それで均衡がくずれた。

 周りの黒服が、また二人ばかり進み出て、『成美』の肩と腕を奪う。

 

「痛ッ!ちょっと卑怯(ひきょう)だぞ、そんな!」

「ふむ。やはり思った通り、もう一段のメス化が必要なようだね」

 

 ハッサンが拉致された扉が、ふたたび開いた。

 笑みを浮かべた店長をのぞく全員の視線が、そちらを向く。

 

「このさい、物理的な女体化手術(オペ)も、並行したら如何(いかが)かしら?――店長」

「あぁ、教導長――ご苦労だった」

 

 扉の奥から鉄サビまじりの生臭い空気が漂ったかとおもうと、上気したような面差しで一人、(おのれ)の長い黒髪を手で()きながら悠然(ゆうぜん)、プラスチックの長い靴ベラ片手にあらわれた。

 微妙にしなる、その得物をヒュンヒュンと鳴らし、得意気(とくいげ)に、

 

「あの()ブタは始末しておいて頂戴(ちょうだい)

 

 つけつけとそれだけ言うや、長身の女は黒髪を苛立たしげに後ろへはねあげ、長い靴ベラをカーペットの床に投げ捨てると、それに代わり腰のホルスターから、乗馬用ムチをゆっくりと抜き放つ。

 命令をうけて黒服が数人、女が出てきた部屋へと影のように動いた。

 

 『成美』は、驚きのあまり声も出ない。

 

 全身にピッチリと張り付く、ラテックス・スーツ。

 赤と黒のコンビネーションとなったそれが、シャンデリアの灯を淫猥(みだら)に照りかえし、革装丁の古書がならぶ、この執務室のアカデミックな雰囲気に、いかにも似つかわしくない。

 

「さて、そろそろアタシのホンキ、見せてあげましょうか――仔ブタちゃん?」

 

 夢の中で見た女が、長い髪の隙間(すきま)から冷たく頬笑んでいた。

 上目づかいにムチを()める舌ピアスが、キラリと光って。

 

「まさか――そんな」

 

 『成美』の目の前で、視界がぐらぐら()れる。

 頭を一発、どやしつけられたかのよう。

 悪夢が、文字通り現実となって目の前に立ち現われたときの反応をしろといわれても、絶句と凝固のほかにとる手段はない。

 そんな哀れな“仔ブタ”に、この女はダメを押すように、

 

ゾーロタ()!……シリブロォ()!」

 

 奥の部屋から、これまた見覚えのある二人組。

 こちらも、うすい(ワラ)いを浮かべ、思わせぶりに登場する。

 

「やっと会えたわね――みてなさい?こんどこそアンアン言わせてあげる」

「チ○ポのコトしか考えられない、ミジメな性奴隷に、ネ」

 

 ハタチ前半な、年かさの少女たち。

 調教メニューの選定に、アレコレとはしゃいで。

 そんな彼女たちを制しつつ、黒髪の教導長は、

 

「あら――気付いてなかったの?貴方(アナタ)いままでに何度も、現実にアタシたちの調教を受けてきたのよ。そのたびに腰ふって。ヒーヒーよがっちゃって。はしたない(あえ)ぎ声、ここにいる黒服のみなさんに聞かせたかったわぁ」

 

 冷たい瞳が顔を寄せ、『成美』の心をヒンヤリとした手でかき混ぜるよう。

 かぁつ、と赤くなる頬を、またも手で抑えたとき。

 

 ――ハッサンの、モノだろうか。

 

 ラテックス・スーツから、興奮した女の体臭にまじり、(かす)かに血の匂い。

 ()っとして、身をはなす。

 

「まずは、その残っている「男の子」を、蹂躙(じゅうりん)してやるわ――ゾーロタ!アタッチメントを頂戴。シリブロ、その仔ブタを()いて!」

 

 銀髪が、『成美』のウェディング・ドレスに手をかけた。

 

 ――脱がされる!

 

 抵抗しようと『成美』が身をよじったその時。

 教導長は、ラテックスの胸元からクロームの笛を取り出すと、唇にあてた。

 音色は無かった。

 だが、『成美』の身体が暖かく、トロンとする気配。

 

「メス奴隷候補生・*8-***。命令――(ひざまず)きなさい」

Oui(ハイ)……Oui, mon capitai(大尉どの)ne」

 

 口が、自然と動いた。

 ドレスの裳裾(もすそ)が花開くよう、留意した身ごなしのまま、あくまで優雅に『成美』は膝立ちになると、うなだれ、合掌して恭順(きょうじゅん)の意を示す。

 

「メス奴隷候補生・*8-***。命令――四つんばいに!」

「……Oui, mon capitaine」

 

 哀しげに『成美』は、ユルユルと従順に体位をかえ、イヌのように従う。 

 シリブロと呼ばれた、やはり全身をラテックス・スーツ(おお)う銀髪のほうが、ウェディング・ドレスのスカートや、その下に装着された“バッスル”をはずし、彼のお尻からショーツを引き下ろすと、ガーターベルトとストッキングのみの下半身に。

 

 ピンク色をしたツヤツヤの肛門。

 そこにズップリとハメこまれた、宝石付きの極太アヌス・プラグ。

 甘ボッキした若茎(チンポ)は、度重なるホルモン投与のためか、すっかり小さくなって。

 しかし、それでも自己主張をしようというのか、健気に鈴口からカウパー液の糸をタラタラと引いている。

 

 最終的に“メス奴隷候補生*8-***”は(あわ)れにも、面紗(ヴェール)額飾り(ティアラ)。首輪と手枷(てかせ)足枷(あしかせ)。それにストッキング脚にハイヒールだけの姿になり、ボンデージ・ストラップで縛められる擬似(ダミー)女体(フィメール)()き卵めく身体を、店長室に集う満座の注視にナヨナヨとさらした。

 

 周囲に居ならぶ、ゴツい兄キたち。

 黒メガネ越しの、ギラついた視線。

 

 “その気がない(ノンケ)”武闘派のクールを自称する黒服たちまでもが、無表情をよそおいつつも、ズボンの前を硬く突っ張らせて。

 

 (オス)たちの体臭と暗い情念が、部屋に色濃く漂うようになった。

 

 気が付けば金髪のゾーロタは、大ぶりな張り形(ディルド)のついたラバー製タンガを、恍惚(ウットリ)とした苦悶を浮かべ、銀髪のシリブロにグイグイ・くちゅくちゅと挿入されているところである。

 

 (つや)っぽい、メスの性に満ちた(うめ)き声。

 美しく(しか)められる細い眉。濃い目なアイシャドウの(まぶた)

 ローションと、そしてわずかに愛液の匂い。

 

 黒髪の教導長は、そんな下役を慰めようと、金髪に歩み寄り、舌を相手の口腔(くち)に侵入させて、共にピアスを穿たれた相手のそれ()と互いにからめ、くすぐりあい、快楽のツボをさぐりあう。

 

 ――くるっ○てる……みんなどうかしてるよぅ!

 

 そんな『成美』の必死な想いをよそに、呼吸(イキ)を上げながら金髪(ゾーロタ)は、ようやく装着した凶悪な張り型の具合をガニ(また)でなおし“候補生”のほうを見て、獲物を前にした舌なめずりをもらして。

 

「命令――しゃぶりなさい」

 

 ――いやだ……イヤだ!

 

 全力で拒否しようとはするが、彼の火照った身体は、うすく汗をうかべ、小さな鈴口からは、まるでこれから起こる出来事を期待するかのように“おちんぽミルク”がトプッ♪とみじかく吐かれ、それがシャンデリアの灯に、美しく(キラ)めいてしまう。

 

「Oui, mon capitaine……J'accomplirai(よろこんで) mon devo(服務)ir avec(いたします) plaisir.」

 

 口唇(くち)が、物欲しそうな女の声音(こえ)で、そう応えるや、表情筋は彼の意志をうらぎって嬉しそうにほほえむと、(()って……♪)と言わんばかりに情感たっぷり上唇を舐めあげる。

 

 『成美』が、どうぞ、とばかり「あ~ん……」とヌメヌメした口をあけると、

 

「んふぅー♪」

 

 ニッコリ鼻息を荒くし、金髪(ゾーロタ)は張り型を、ゆっくりと『成美』の口腔に、差し入れた。

 喉頭鏡(こうとうきょう)に使うゲル麻酔でも塗られているのか、ノド奥まで苦もなく犯されて。

 それを見た教導長は、してやったりの満足そうな表情(かお)と声で、

 

 「どう?()()()もなく、易々(やすやす)とノド奥までオトコのモノを呑み込めるでしょう……?アナタ、覚えてないかもしれないけど、もうずいぶんとお客様のくっさい()チンポ、美味しそうにしゃぶってきたのよ?アナタのお口、絶品だって“お墨つき”が付いてるんだから。“フェラ人形”にされたら、スゴい値がついてしまうわねぇ、きっと」

 

  ――!そんな……。

 

 一瞬頭が真っ白に。

 嫌悪感から『成美』が反射的に片手を金髪の太ももに当て、ディルドを口から押しのけようとしたとき、長い黒髪をひるがえして厳しい声が飛ぶ。

 

「命令!――手を下に!自己(セルフ)拘束(バインド)!」

 

 すると、腕は降ろされ、まるで本当に床に拘束されたごとく両手・両ひざは根を生やし、“ワンワンスタイル”のまま動けなくなってしまった。

 

 完全なる隷属下。

 

 やがて金髪も、(おのれ)の躰に挿入()れた前後のディルドに刺激が欲しいのか、『成美』の髪をワシづかみにするや、()れた動きで上下、左右――正転、逆転と。

 信じられないことに、それにつれて彼の舌も自動的に、まるで(にせ)チンポを愛おしむように舌を使い、ネットリと愛撫を始める。それが金髪にも伝わるのか、彼女は目をとじ恍惚(トロ)けた表情(かお)

 

 おしゃぶりをしているうち、『成美』の下半身も、物欲しげにクネりはじめる。

 胸に付けられたバイオ・バストが物足りない感覚を()んで。もしホンモノだったら、まちがいなく乳首が勃起してしまっていただろう。

 

  ――こんなおチンポなんてイヤ……おマ○コ付けられたい……クリ○リスを剥かれて……クジられて……後ろからケモノのようにズップリ犯されたい……」

 

 「ホホホホ……ホホホホ……お前の心は、もう完全にメス堕ちしたようね。」

 

 黒髪のあざけりが、『成美』のアタマを掻き乱す。

 

 「男のクセにこんなものを(くわ)えて喜んでいるなんて!イヤらしい仔!」

 「ちぇぇ……お口()はお姉ぇサマかァ、じゃぁアタシは、っと♪」

 

 銀髪(シリブロ)は『成美』のアヌスを犯しているプラグを、ぬッ、ぬぬぅッ……と抜き出し、彼の視界にドサリと放り出す。口を淫猥(みだら)に使役されながら『成美』が横目にしたそれは、信じられないほどの太さと長さをした凶悪なプラグだった。

 

 ――あんな大きなモノを、ワタシのお尻に入れてたなんて……非道(ヒド)い!

 

 次いで銀髪は、いつのまに装着したか、これも自身の股間からそそりたつディルドーの亀頭に、毒々しい赤さのマニキュアを照り輝かせながら、イヤらしい手つきでローションを塗りたくると、ソッ、と柔らかくほぐれ切ったアヌスに押し当てる。

 

「おごォぉ(ヤメてぇ!! 

 

「うン!」

 

 ――アツ――!

 

 銀髪はズン!と一気に侵入するや、ヌメヌメ、ずりゅずりゅと抽挿(出し入れ)を開始する。

 

「いいわぁ……貴女(アナタ)たち……美しくってよ……」

 

 教導長はキツいアイシャドウの奥から凜冽とした流し目で3人の痴態を眺めやる。

 

(※注:このあとあまりにエチーかつ悖徳的な場面がつづき

         本作品の“品性”を下げるため、300ページ分割愛)

                         

 ラテックス・ボンデージ(すがた)の女たち。

 強制的に玩弄される、フェミニンな少年。

 壁一面な革装の書架と、スーツの男たちが居ならぶ衒学的(ペダンチック)な執務室で展開される、悪夢のような光景。

 金と銀の女たちに、顔と尻とをはさまれ、(なぶ)られ、犯される。

 

 口唇(くち)を、紅舌(した)を。

       ピンクのアヌスを。

   感覚器を装備する、人造の乳房(オッパイ)を、

     咽喉(ノド)柳腰(こし)(ひかがみ)

           そしてなによりムッチリしたダミー・ヒップを。

 

     淫猥(みだら)に――リズミカルに。

 

 黒髪は冷ややかな笑みを浮かべ、乗馬用の鞭を手に三人の動きを監視しつつ、ときおり『成美』はもちろん、動きの鈍ったや金髪・銀髪にも、執務室の空気を鳴らしてようしゃのない活をいれ、哀れな悲鳴をあげさせる。あたかも女王のように悠然とこの場を支配する風。

 

 その光景に、周囲の兄キたちもすっかり気圧され、愛液によどむ広間の中、声もなく三人の痴態を凝視する。ある男は(黒ビールにカシューナッツってサイコーだよね、などと思いながら・・・すいません、飲んでますwwww今日は護衛艦“いずも”の一般公開で疲れたのだ)

 一部の“若い()”は爆発寸前らしい――(いや)、すでに暴発した者もいるのか。部屋には塩素臭い香りがただよっている。

 

 ――あ……。

 

 『成美』の脳裏に甦る、地下墓所(カタコンベ)の迷路。

 その果てで宮廷秘書官と観た、ヒラ祠祭と侍童。

 禁じられた行為の光景が、まざまざと浮かぶ。

 まるで自分が侍童にされ、淫らな愛撫を喜んでいるような、そんな錯覚すら。

 

 ヒュン!とまた鞭が鳴る。

 

「イくんじゃないよ『成美』!許しもなくイったら――“お仕置き”だからね!?」

 

 すると……。

 ネコが、大あくびするや、イェジェヌの膝の上で()()をひとつ。

 お気に入りの場所からトン、と飛び降り、座の中心たる三人に近づく。

 やがて四つん這いのまま前後を犯される『成美』に、ひと啼き。

 ついで金髪・銀髪から受ける前後の責めにつられフラフラと触れるおチンポを、ねこパンチ。

 さいごに前腕でつかまえて、そのザリザリの舌でペロリと亀頭(チンポ先)を。

 

 くるしい……もうダメ、とガマンを重ねていた“候補生”に思わぬ伏兵の攻撃。

 

 ――あぁ……ッ!

 

 『成美』の精がはじけ、若い“ほとばしり”が白く宙を舞った。

 

 同時に金髪(ゾーロタ)も「んほぉぉぉ!」と牝叫(めたけ)びをあげ、果てる。

 彼女の張り型から、あたたかい液体が『成美』の口腔(くち)に放たれた。

 なまぐさい臭い。それとは別に、苦い味。

 

 ――薬品……?

 

 考えが、ドンドンまとまらなくなってゆく。

 

 「いぐっ!いぐっ!いっ、くぅぅうぅッッ――!」

 

 カン高い声で銀髪(シリブロ)も、舌だしのアヘ顔のまま『成美』のなかに脳波とリンクした機械仕掛けの射精を爆発させた。

 

 熱くたぎる欲望が、びゅっ、びゅるっ!と『成美』の胎内に放たれた感覚。

 下半身がトロけ、ほんとうにオマ〇コに射精されたような被虐感。

 だが、不思議なことに、それは一抹の幸福なイメージも伴って。

 黒髪の勝ち誇ったような声が、どこか遠くに。

 

「ホホホ……そうよ?どんなに強がっても、メゾン・ドール仕込みの強制洗脳・女体化プログラムには誰も(あらが)えないの。オマエはもう立派なメスなの。これからデザイナーズ・ヴァギナ(マ〇コ)を遺伝子移植され、おおきなオッパイブルブルふるわせて、イヤらしいキューヴィー(ボン・キュッ・ボン)肢体(からだ)にしてあげるわ」

 

 ようやく疑似精液まみれのディルドを、ズろォっ、と口から抜くことをゆるされた『成美』は、疲労のたまった舌の根で、

 

ほんはぁ(そんなぁ)……ひゃへふぅ(イヤですぅ)……」

 

 えほっ、と白いものを口の端から垂らす『成美』

 教導長は、そんな彼の乱れた髪を愛おしげになでると、

 

「ザンネンねぇ……でもダメ。アナタにはもう相当のオファーがあるんだから」

 

 慈悲を請うような“メス奴隷候補生”の眼差しを、彼女は冷然と撥ね返しつつ、

 

「でも、そのまえにお前は男の娘として晩餐会に出て“最後のご奉仕”をするのよ?それが(オワ)わったら、エッチなことしか考えられない哀れなメス人形に仕立ててあげるわ……」

 

 多くの者が“どすグロい欲望”のまま、声もなく佇立する執務室に、艶やかな照りを魅せる黒髪の哄笑は、ひときわ高く響きわたった。

 

 



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056:        〃            (後【ちょいエロ版】

 広壮な館の入り口で、二個の人影は歩みを停めた。

 

「――ここなの?」

「さぁ?でもそうらしいよ。招待状には、少なくともそう書いてある」

 

 若い魔導師は、ボアがついた冬用のマントをゆすると、たもとから封蝋(ふうろう)のついた巻紙を取り出し、遠くの灯りに透かし見た。

 よこから、毛皮をまとう、金髪の可愛らしいニンフがのぞきこむ。

 ()ペンで書かれたような、仰々(ぎょうぎょう)しい書体と大きな朱印(しゅいん)

 下の方に、判読不明なサインが二種。

 

「場所も――間違いない」

「それにしては人影が……ないわねぇ」

「たぶん、ぼくたちが遅れたからだろう――扉も閉まっている」

 

 魔導師は勇を鼓し、背丈(せたけ)の3倍は優にある両扉に近づく。

 中央部にある聖獣が咥える“いぶし銀”なノッカー。

 それを規定どおりに間を措いて鳴らした。

 

 待つこと(しば)し。

 

 やがて重々しい音をたて、片側が、ユルユルと開かれる。

 とたん「ヒッ」とニンフは毛皮のしたに(まと)薄衣(うすぎぬ)を、ちょっと()らす。

 なぜなら中から灰色のゴーレムが、迷惑そうな顔を(ヌゥゥッ……)と突き出したので。

 

「なんの――ご用ですかィ?」

「あの、ぼくたち。今日の夜会に招待されて来たんですが」

 

 ゴーレムは仏頂面(ぶっちょうづら)で、新参者ふたりを値踏みするように上から下まで()め付ける。ややあって、

 

「もう、入場の刻限は――とうに過ぎております」

「特別招待状あるよ?ハイこれ」

 

 渡された巻紙をぞんざいに拡げたゴーレムは一瞥(いちべつ)し、すぐに突っ返すと、

 

「刻限は、とうに――」

「そんなこと言わずに。さぁ……ホラ」

 

 闇の中で、大ぶりの銀貨が()れる音。

 

「……こちらへ」

 

 しぶしぶといった風に、ゴーレムは扉を開けたまま背を向けた。

 魔導師とニンフは顔を見合わせ、フフッとわらう。

 

 灯の落ちた寂しいエントランスホールに靴音を響かせつつ、ゴツいテール・コート(燕尾服)を着た筋肉のかたまりについて歩いてゆくと、ようやく行く手から(にぎ)やかに談笑する気配が()れ聞こえてくる。管や弦の音色(ねいろ)も、同時に。

 

「どうぞ」

 

 宝石をはめ込んだ腕輪をひからせ、ゴーレムが扉を押し開く。

 とたん――。

 いきなりゲインを上げたように、圧力を持つ歪んだ騒々しさが、シャンデリアの(まぶ)しさと連れ立って、ワッと扉の向こうから押し寄せてきた。

 

 第一の間は、テニスコート6面分はあるだろうか。

 天井の高い広間に、様々な異形をした群衆。

 半獣神や女神。低いモーター音を鳴らしつつ絨毯(じゅうたん)()うヘビ女に、ハイレグ衣装の妖精。カボチャ提灯(ちょうちん)を小脇に抱えて闊歩(かっぽ)するホムンクルスも居れば、酒類のエリアに蝟集(いしゅう)する、中間管理職の気配が抜けぬドワーフたち。

よせばいいのに原価管理だ、受注予算だ、などと。

 

 老若の“騎士”や“戦士”。

 あるいは“巫女”や“魔女”。

 

 広大なホールの(かたわ)らでは、正装した少年たちが室内楽を奏でるが、それを圧する勢いで、威風(いふう)を払う者、(みだ)りがましい者、おどろおどろしい者()渾然一体(こんぜんいったい)となり、狂乱の騒ぎを繰り広げ果てしがなかった。

 

「うわぁ……」

 

 ニンフが茫然としていると、入り口にいたバニー・ボーイ姿の少年たちが、エナメルの靴に付けられた鈴を鳴らして近寄るや、うやうやしく、そして優雅な物腰で、

「お待たせいたしました閣下。ならびに姫様(ひぃさま)外衣(クライナ)を――お預かり致します」

 

 ふたりが身軽な姿に変じ、狂騒の会場をオズオズ歩き出そうとしたところで、緋色の肩衣(かたぎぬ)をイキにかけたローマ風の胴鎧(どうよろい)姿な一人の剣闘士が近づいてきた。

 

「よぉ、坊主(ボウズ)!遅かったやないかィ」

 

 初老の剣闘士は、若い魔導師のやせた肩を遠慮(えんりょ)無くバンバン叩きながら、すでにかなり“入って”いる赤ら顔で、

 

「開宴宣言の場に居ないよって、来んかと思とったぞ」 

「ヴォロネツ閣下!お久しぶりであります。遅刻して、危うく入れないところで」

「んう?入り口に、受付け居たやろ?」

「いえ、無愛想なゴーレムが――」

「あぁ!?オマエら正面から来たのか!良く入れたナ?」

「へへ、ちょっと握らせまして」

「プッ。アホやなぁ!」

 

 剣闘士は、ヤレヤレと言うように首をふり、

 

「今夜のような非公式な会合は、裏口が基本やぞ?覚えとかなアカン」

「そんな……ボクの20ソルド……うぅ」

「ところで――お連れの可愛いニンフは、どちら?」

「え、あぁ。シモーヌ・南部・マキシム嬢。あの“丘の上ホテル”の一人ですよ」

 

 これは!と剣闘士は、一度のけぞり、最敬礼。

 

「名だたる『財界の名花』のおひとりに拝謁(はいえつ)の機会を(たまわり)り、光栄至極」

 

 初老の剣闘士は、なぜか航界士流の挨拶で、魔導師の彼女を迎えた。

 

「そんな名花だなんて……」

 

 浮かびかかる微笑を必死に噛み殺しつつ、ニンフは、となりの魔導師に、

 

「ワタシに、この剣闘士サマは紹介してくださいませんの?」

「おっと、そうだった……こちらは“勇者”ヴォロネツ・ヴィエニャフスキ閣下」

「閣下は、よしてぇな。今宵(こよい)(きょう)が、醒めてまう」

「これは失礼、改めて――剣闘士“勇者”ヴォロネツ」

「ゆうしゃ?」

 

 ニンフの問いに、そうさ!と若い魔道士は、まるで自分のごとく自慢げに、

 

「省内でも有名なパワハラ上司が居てね?部下を鬱病(うつびょう)にしたり、セクハラの挙げ句、妊娠させて責任取らず自己都合退職させたり、気に入らない部下を閑職(かんしょく)にとばしたり、やりたい放題だったんだが、コイツを辞職に追いやって、全省から感謝されたんで、そう呼ばれているんだ」

 

 (フル)い話を、と初老の剣闘士は、剣の柄頭(つかがしら)()でて苦笑する。

 

「あンときァ、若かっただけや。それより坊主の方が、最近は『稟議書(りんぎしょ)の魔術師』とか言われて、ノシてるらしいやんけ」

「ボクは、まだ若いですからね」

 

 ふんぞりかえる“魔術師”に“勇者”は哄笑(こうしょう)する。

 

「言うわ、ハハハハハ!!……よし!おいで。ここでの作法を、教えたる」

 

 室内楽の演奏が、()んだ。

 

 周囲(まわり)から、気の無い、短い拍手。

 タクトを振っていた少年が背骨の曲がったゴブリンに手伝われ、演奏ブースのとなりにある黒天鵞絨(ビロード)(おお)いを外す。現れたのは、雛段(ひなだん)状に並べられた少年たち――の“首”だけ。

 傍らのパイプオルガンめく三段の鍵盤とストップが並ぶ演奏者席に、杖を突いた老人がヨロヨロと座ると、キーを二、三度おして。

 すると、視線を(うつ)ろにした少年たちの首が口をひらき、キレイな単音を発した。

 

 なんです、アレ、と魔導師。

 

「ん?あぁ、バイオ・オルガンや」

 

 勇者は、物の怪や天女、戦士たちがオルガンに集まり始める流れに逆らうように歩きながら、珍しくもなさそうに、

 

余剰(あまり)モンの美麗な男児(ガキ)ィ集めて声帯(せいたい)、改良しぃ、首だけにして並べ、楽器にしとる。言うなれば生体、いや声帯オルガンやな。なかなかに――人気がアルで?」

 

 そのオルガンのほうで、ちょっとした騒ぎが起こった。

 

「お願いします!ボク、まだ声が出ますよ?ホラ、アーアー、あぁ……っ!」

 

 見ると、ひな壇から電球を抜くように生首がひとつ、交換されるところだった。

 何故(なぜ)か今度は周りから、やんやの拍手。口笛。

 

「お慈悲です!どうか。たまたまノドが……」

 

 あとは声にならない。

 送気パイプのコックを閉じられ、維持ユニットごと、絨毯の床に投げ出される美貌の生首。顔面を涙でクシャクシャにして。

 

 そのとき、一人の中世ドレスを纏った老婦人が、おもむろに生首へ近づくと、ゴブリンに合図。すぐさま犬の胴体を模した搬送装置が運ばれ、生首と接続される。

 生気を取り戻した少年の首は、しかし、新たな恐怖にゆがんだ。

 老婦人の従者にまくり上げられた、幾重にも(ひだ)のあるスカート。その中へ嫌々をしながら強制的に押し込まれて。

 やがておこる、老婦人の恍惚(こうこつ)たる(うめ)き……。

 

『では――ここでコノ仔たちの(こえ)を、お愉しみください。曲目は……』

 

 タクトを振っていた少年の合図で、老演奏者は骨張った指を、キーのうえに(はし)らせる。見かけによらず、敏捷(びんしょう)で、繊細(せんさい)な指づかい。

 少年たちの声帯が、美しいハーモニーを(かな)で始めた。

 

「……いろいろと、スゴいわね」

「まだまだ。こんなもンじゃないデ?たぐい(マレ)なるニンフさん」

 

 老“勇者”ヴォロネツはオルガンの()から遠ざかるように、広間の中央でそびえる葡萄酒の噴水を迂回(うかい)して、なみ居る奇怪な者たちをよけながら奥へと向かう。

 

 次の間に近づくにつれ、ムチの鳴る音が、聞こえてきた。

 広間に入ると空気が、数度上がったような、感触。

 (よど)んだ熱気は、あつまった来賓(らいひん)たちのものだ。

 だが群衆の数にしては、すこし静かすぎる。

 薄暗い広間は、奇妙な緊張を内包して。

 

「なんですの?――コレ」

 

 ()ッ!()ッ!とニンフの声に、あちこちから(いさ)める声。

 よくみれば観客は、ほとんどが巫女や尼僧、女騎士にサキュバスといった、老若を問わずの女性ばかり。そんな群れの視線は一様に、奇妙な腕木をもつ柱が据えられた舞台の中央に集められている。

 薄地の黒いロング・グローブをはめられる両腕を、まとめて頭上で拘束され、ガーター付きストッキングの脚を拡げたかたちで「人」の字に固着されている、ウサ耳を付けられたひとりの少年。

 背後にはムチを握り、調教役の記号満載な衣装をつけた年増の女。

 

「ホラホラ、もっとイイ声で()いて御覧(ごらん)!」

「あぁっ!お慈悲(じひ)を!お慈悲をぉっ!」

 

 ボーイ・ソプラノな少年の顔が、せつなげに美しく歪む。

 

 一本ムチではなく、握りから枝分かれした、皮膚を傷つけ(にく)いタイプのムチが振られ、ピンクに上気した少年の肌の上でハデな音を立てる。

 すでに前のほうも折檻(せっかん)されたらしく、ウェスト・ニッパーで(くび)れる腰より上、それに薄い黒革のビキニ・パンツを履かされた(また)は、みみず腫れで真っ赤になって。

 

 打たれ、身をよじるたび、首輪に付けられた鳴りものが触れ合い、(すず)やかな音をたて、それを()しとするのか蝟集する御婦人たちの眼がギラギラと。ややもすれば濃い紅に彩られた口もとの(はし)から、抑えようも無い嗜虐的な笑みが浮かんでいる。

 

「アヌスを見たいわ!その子のアヌスを見せて頂戴(ちょうだい)!」

 

 とうとう年増のエルフが、でっぷりした腹をゆすらせ、叫んだ。

 

 ステージ上の調教師は、髪を払って汗を耀(かがや)かせつつ、足もとにひれ伏す侏儒(こびと)道化師(ピエロ)に命令し、絞首台にも似た柱の根本を思わせぶりたっぷりに回す。

 

 歪んだ劣情を(はら)む、中年(オンナ)たちの沈黙。

 ヒリヒリとした緊張が、暖房の効いた広間の空気に濃厚(たっぷり)()ちる気配。

 少年のうしろには尻を割ってリング状の道具がハメ込まれ、ア○スの具合を衆目に曝している。

 

「さぁ!週間奴隷(ウィークリー)に最適だよ。供回(ともまわ)りにするもよし、臥所(ふしど)で奉仕させるもよし!」

 

 ステージ脇にある、仮装大賞を思わせる表示版が、音と共にジリジリと上がってゆく。アッという間に最低落札価格を突破し、さらに高額に……。

 

「シモーヌ、まだ見てゆくかい?――ボク、お(なか)空いたよ」

「えぇ……先に行ってて。落札価格を見ておきたいの」

 

 気ぃつけるンやで?、と勇者がポツリ。

 

「オナゴ独りウロウロした挙句(あげく)、気付いたら“鑑賞する側”から“鑑賞される側”になっとったりするからナ?ここじゃ珍しくないコッチャで」

 

 えっ……?というニンフの不安そうな声。

 薄笑いを含んだ老勇者の言葉が、それにつづき、

 

「全身を革でコーティングされ、テーマ・パークに飾られて。彼氏は新しい彼女と目の前を通るケド、部屋を飾るディスプレイ人形にされたアホな元カノが必死にアピールしようとしても、彼は新しいお相手に夢中で気付かない……よくあるハナシや」

「……やっぱり一緒に行きます」

 

 色違いで統一された広間を二、三過ぎる。

 そこで若い魔導師は、今夜の隠されたテーマにようやく気付いた。

 エドガー・アラン・ポーの「赤死病の仮面」に準拠した部屋のつくり。

 鮮血にまみれた仮装をする幽霊役が、どこから出てこないかと注意しつつ。

 

 やがて三人は、山場を越えて一息ついたといった雰囲気のダイニング広間にたどり着く。

 

 その光景を見た魔導師とニンフは絶句し、思わず互いに手を取りあった。

 

 いくつもの大テーブル。

 中央には、決まってマイセン調の極めて大きな皿が。

 異様なのは、その上に目の周囲だけを隠すヴェネチアン・タイプのマスクをつけたギリシャ風に半裸の少年たちが、赤い玉の猿ぐつわを口にハメられ、ひくめのスケベ椅子にヒザをつけて座る格好でのけぞるように胸を反らせ、手枷を巻かれる腕を、背後に位置する大皿の固定環に金の鎖でつながれている……。

 

 肌の色も、髪型も、それぞれに異なる彼ら。

 

 そして、等しく生体手術で整えられたものか、少年たちには豊かな乳房が備わり、アヌスには、これも一様に蛇口付きの太いプラグが、ずっぷりとねじ込まれているのが痛々しい。

 

 若い二人が怖れおののくのをよそに、大テーブルをゆるゆると巡りつつ、黒いロングドレスと引っ詰め髪。それに角ブチメガネの『家令』然とした、肉体のメリハリも豊かな30手前とも看える女が、指揮棒の代わりとでもいうのか、恐ろしく長い銃剣(バヨネット)を振りまわしながら、配下のアラビア風な衣装をまとう酌女(しゃくめ)たちに(ゲキ)をトばしていた。

 

「さぁさぁ!オークションが一息ついたら、

   また御客サマが大勢いらっしゃいますよ?

     前菜(オードブル)補充(ほじゅう)どぉ?ソース・サーバーの容量は?

       ポリアンヌ!シャンパン・グラスのタワーが少し歪んでますよ。

        セーラ!何しているの。早くマグナム・ボトル用のクーラーを!」

 

「精がでるの――バヨネッタ」

「……おやまぁ、ヴォロネツさま!」

 

 家令は剣闘士にイソイソと近づくと、優雅に一礼。

 男も胴鎧(どうよろい)の緋色な肩衣をうしろに()ね、鷹揚(おうよう)に応え、

 

「どうやら今夜も、繁盛(はんじょう)しとるようやな」

「おかげさまをもちまして……でもお珍しい。このような性肉(せいにく)市場の(うたげ)などに」

 

 家令は、次いでフィと声をひそめ、

 

「そういえば。よろしいのですか?初音(はつね)さまの事」

「なぁに。丁度いい余興(よきょう)やろ?果ての「黒の間」で、いいオブジェになっとる」

「おそろしい――御方ですこと」

 

 しばしの形式的な文句を交わした後、家令が仕事にもどり、ふたたび三人のパーティーとなった一行は、広間にある料理を物色しはじめた。

 今度も勇者が料理の選び方を指南する風。

 

「エェか?まず皿の状態を吟味(ぎんみ)する!好評だった皿は、周りに並べたオードブルも、ソースもすくない。補充されるイマが、見極めどきやで!」

「ソースが少ないって、どこにソースがありますの?」

 

 魔導師とニンフは、覚束(おぼつか)なげに周りを見回す。

 ダイニングの広間に残っていた来客が、そんな彼女の言葉を聞き、初々しい新参者ふたりに好ましげな微笑みを投げかけて。

 

 三人は、テーブルにひと皿ずつ据えられた大皿、さらにその上で、恥ずかしげに苦悶(くもん)する女性的な姿にされた少年たちを、ゆったりした足取りで広間をめぐりつつ吟味する。

 

「ほー。今夜の“儀豚(ギトン)”は、粒選(つぶよ)りヤのぅ。来てヨかったで」

「ギトン?」

 

 早くも皿の上の料理をソワソワと物色しながらニンフが尋ねる。

 

「せや。今夜のような(うたげ)に狩り出される儀式用の“いけにえ”やな。エゲつないコトを、ぎょーさんされるよって――見てみぃ」

 

 どこから取り出したものか勇者は、プレゼン用のレーザー・ポインターを手にすると、ひとりの少年を指し示し、輝点を浮かべる。

 

 まるで妊婦のようにふくらんだ腹。

 乱暴に扱われたあとのある乳房。

 少年の周りに残る、さほど手を付けられたとも思えない料理。

 マスクごしからも、涙にウルんだ眼が分かる。

 

「料理が残されとるやろ?不味かったんやな。スープもゼンゼン使われてナイ」

「あの……スープって?」

 

 ニンフの問いに、男は少年の股間に手をのばすと、尻にはまるプラグのコックを開いた。

 シャバシャバと、黄金色の液体が流れ出る。ボールギャグを(くわ)えさせられた少年の表情が、すこしホッとするように。

 かすかに漂う、オニオンを含んだコンソメの香り。

 しかし無情にも、すぐにコックは締められる。

 

「な?腹の中に、スープ仕込んどる。言うとくケド「直に」やないデ?ちゃァんと細長い大容量のビニールを肛門から十二指腸まで這わせ、その中に入れとるんや。そして――」

 

 勇者は、少年のオッパイを(しぼ)った。

 ラー油めいた香辛料オイルの(したた)り。

 

「さすがに胸は作りものや。けど見てみぃ?料理がイマイチなさかい、乳房も手荒く使われボロボロや。ちなみにこのチチは感覚素子が仕込まれてて、ちゃんと快楽なり痛覚(つうかく)なりをコノ仔の脳に送る仕組みになっとる」

「そんな――この子のせいじゃないのに」

「まぁ“儀豚”ちゅうんは、そう言うモンや。そしてソースやけどな……」

 

 勇者は、テーブルにセットされていたリモコンを押す。

 天を向いた少年の若々しいチンポから、緑の液体が流れ出す。

 ちょっと彼は手の甲に受けてそれを()め、

 

「サボテンソースや。ケド味が――こなれてナイ。不評を買うも道理や。おそらく皿ごとに作り手がチガうんやろナ……たぶん料理人の選定試験もかねとると診た」

「それも、ビニールが?」

「仕込まれてたり、仕込まれてなかったりや。コッチは、(じか)の方が人気あるデ?」

 

 

 さて、そうなると一番の“当たり皿”は……。

 

 

 剣闘士は、マスクの奥から中に詰まった料理を排泄させてくるよう哀願する少年たちの視線を冷酷に無視して、眼をつけた中央のひと皿へと確信的な足取でむかう。

 

 まず大皿からして、美事だった。

 繊細な絵付けが(ほどこ)され、しかも破綻(はたん)なくデザインされている。

 周囲の料理は、あらかた平らげられ、さまざまに並べられたソースをスプーンやパンで丁寧(ていねい)にすくった跡まで。

 その皿の上で拘束される少年といえば、キメの細かな褐色(かっしょく)の肌をもち、そしてお決まりでもある銀色の髪。共通の赤いボールギャグに、鼻輪まで着けられている。

 (よそお)いは、ほかの少年と同じだが、ヘッド・ドレスの代わりに、ただひとりだけ、月桂冠(げっけいかん)

 

 ニンフが、おそるおそる少年の乳房を揉む――何もでない。

 

 くぅぅぅ……と少年の切なそうな声。

 

 勇者が、大皿に備え付けのリモコンを押した。

 しかし――品よくそそり立つチ◎ポからは、ソースが流れることは無かった。

 そして、そんな少年のほうは、今度はリモコンが押されるたび、ビクン、ビクンと体をふるわせ、大ぶりのイヤリングを煌々(キラキラ)と揺らし、下半身をモジつかせて鼻声でイヤイヤをする。

 

「なんだ、ソースもカラかぃな――おーぃバヨネッタ!?」

 

 勇者が、とおくの家令に身振りで伝えると、やがて彼女に指示された酌女(しゃくめ)がふたり、大きなダイニング・ワゴンに料理数品を載せイソイソとやってきて、一人は大皿に料理をならべはじめる。そして、もう一人は――。

 

「よぉ見ててみい」

 

 男の言葉に若い二人が見守る中、酌女はダイニング・ワゴンの下段にあるタンクからホースを延ばし、アナル・プラグの蛇口にセット。その根元にある耐圧のガラス・タンクには、内側に湯気のしずくを浮かべた、どうやら粘性のあるらしい白いスープが見える。

 彼女は電動ポンプのスイッチを入れるや、移送コックをひねった。

 

「!!!!!!!」

 

 声帯に手を入れられているのだろうか。

 少年の甲高い、女性めいた鼻声の悲鳴。

 

 どぷッ、どぷッと音をたててダイヤフラムが動き、少年の体内に、温かい、ドロドロした液を吐き出してゆく。アナルプラグに繋いだカテーテルが、ビュルビュルと()れうごいて。

 ボールギャグに口を塞がれた少年は、艶々(つやつや)した光沢のある赤い玉を口唇(くち)にメリこませ、さらに甲高い鼻声で苦悶(くもん)の悲鳴をあげた。

 

 ゆっくりと褐色の腹部がふくらんでゆき、スープを(はら)んだ身体は、(つい)にはまるでホンモノの妊婦のように。

 はげしく身をよじり、単なる「料理の容器」と仕立て上げられた少年は、快楽とも苦悶ともつかぬ感覚に翻弄(ほんろう)され、褐色の肌に脂汗をうかべつつ、幅広な首輪につけられた黄金色(きんいろ)の鈴を、コロコロと涼やかに鳴りひびかせる。

 

 ついで、乳房にも薬味が補充され、妊婦としてリアルさを増すと、最後にこの酌女(しゃくめ)は、1000mlの巨大なシリンジを、ある種の微笑と共に、ワゴンの保温部からとりだした。

 

 顔色を変える魔導師。

 ニンフの眼の輝き。

 そんな若いふたりを見る勇者の微苦笑。

 

 だがその時、胴鎧をまとうこの初老の剣闘士は、ふと酌女の肩越しに誰かを認めたらしく顔色を変えた。

 相手の様子に気付いた魔導師が視線を追うと、弓を背に負う女神が、大皿に拘束され、盛り付けられた少年たちを、ひと皿――ひと皿。マスクに隠された顔も含め、吟味して回っているような姿が。

 

 大皿の(かたわ)らをいそいそと離れた勇者は、相手に近づき、失礼ながら、と言葉つきも改めて、

 

「誉れ高き第三王女の専属秘書官殿と、お見受けいたしますが――」

 

 かしこまった様子で、女神に、悠揚(ゆうよう)せまらず一礼。

 狩りの女神は、いくぶん硬い顔で、それに応じる。

 

 二人が、何ごとか話しながら大皿に戻ってくると、酌女が、ちょうどシリンジをカテーテルに連結し、もう片方の先を、少年の鈴口に埋め込まれたネジ山へ取り付けるところだった。

 その刺激が生殺しなのか、美少年の甘えたような鼻声。トロンとした目つき。

 

「珍しいですな。こんなところに御光臨(こうりん)とは」

()()()()()()が、まさか出ていないかと……心配になって」

「うへぇッ!いや失礼。まさか“儀豚(ギトン)”ではないでしょうナ?」

「さすがにちがう……とは思いますが」

 

 そんなやりとりの傍ら、シリンジの用意を終えた酌女が「宜しいですか?」とでも言うように、小首を傾げ、装身具を鳴らす。

 

「ドャ――いや、どうだねシモーヌ()()、やってみては」

「いいんですか!?」

 

 ニンフの顔が、(くら)(よろこ)びに輝いて。

 

 やがて、酌女から渡された真紅のソースが充ちるシリンジの重さと、何よりその熱さに驚きながら、彼女は教えられたとおりプランジャーを押し、ドロドロとした濃厚なソースを、非情にも強制的に屹立させたシンボルをへて、少年の膀胱(ぼうこう)へと、送り込んでゆく。

 

 撃たれた仔鹿のような――(あわ)れな悲鳴が、ひと声。

 

 少年の腰が、まるで射精するがごとく、スケベ椅子の上で前後に激しく動いた。

 ボールギャグに縛められ、のけぞらせた顔が、苦悶に震える。

 

 しかし――ニンフは、無情にも手を(ユル)めない。

 

 教わったよりも幾分早めに、プランジャーを押し続けて。

 600mlを超えたあたりで、さすがに酌女は制止した。

 それでもニンフは手を止めず、あろうことかプランジャーの勢いを増す。

 少年(容器)の身もだえを見た魔導師が、あわてて彼女の手を抑えた。

 異様な輝きをみせるニンフの目と、かすかにヨダレの(にじ)む口もと。

 

 魔導師とニンフの間で、ちょっとした(いさか)いがおこる。

 それを勇者は年かさの落ち着きをもって、まぁまぁとなだめながら、

 

「いいかね?まずはギトンを――少しラクさせてやろう」

 

 そう言うや菜箸(さいばし)をつかい、並べられた料理を小皿の上に少しばかり取ると、勃起する少年のチ○ポから、リモコンで真っ赤なソースを流し出す。そして、ホレとフォークを添えて、魔導師に差し出した。

 

「さて、次はワシ――わたしの番だ」

 

 そういうや、皿の横に鵞ペンよろしく立てられていた大きな鳥の羽根を、少年のアソコにそよがせる。

 魔導師に怒られ、ふて腐れていたニンフの眼が、ふたたび輝きだす気配。

 鈴口やカリ首をいぢめていると、当然ながら、少年がせつなげに、腰をモジモジさせて。だが尿道に仕込まれているストッパーは、そんな勝手を許さない。

 ついには乳房をゆらし、甘い鼻声をあげ、媚態(びたい)をさらすようにおねだり。

 

 頃はよし、と看たか勇者はリモコンを操作する。

 一度、二度――そして三度。

 少年の腰が、ガクガクと震え、やがて穂先からは、薄()()()()のソースが、びゅるっ、びゅるっ――と、ほとばしった。

 

「コレやがな!――通は、このソースをイワさなアカん!」

「――では、みなさん。どうぞお(たの)しみを」

 

 少年が汗を流しながらグッタリとうなだれるのを横目に、冷酷な眼をした女神は、背負う弓の位置を直しつつ美麗な大皿を離れる。

 

「や、もう行かれますか?」

「もしや、この子かと思いましたが違いました。人前で粗相(そそう)をするような情けないタイプではありませんもの。それに――」

「それに?」

「なにより捜す相手は、()()()()()()()()()()()()

 

 優雅に一礼し、宮廷秘書官は去ってゆく。

 その背を見送りながら勇者は(……ッハ!)と密かに嘲りめいた嗤いをみせ、

 

「宮廷秘書官でございとは言うても、まだまだアオいのォ」

「……どういうことです?」

 

 魔導師の問いに、勇者は「見てみぃ」とレーザー・ポインタを、大皿でうなだれる少年、その耳の後ろにあてる。

 

 わずかに染め残した白い部分が――そこにはあった……。

 

 

 

 

 




ー次回予告ー    (ナレーション:千葉繁さん希望)

ムチの唸りが、炎呼ぶゥゥゥ!
ついに!最終のメス化調教を受けるに到った主人公。
嬲られ、責められ、己を見失い、情欲に彷徨う魂。

だが!そこに現われた事象面の扉。
果たして!彼の行く末はぁぁぁッッ!

次回!『玲瓏の翼』(18禁版) 第057話!
「最終調教のこと、ならびに航界士『ホスロー』のこと」

――あらためて少年は問う。
『成美』?『九尾』?Qui suis-je?(ボクは、誰?)
                  


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057:最終調教のこと、ならびに航界士『ホスロー』のこと(1【18禁版】

 

 

 

 時間は――やや戻る。

 

 それはこの狂気の夜会に料理の容器として供される初めから……。

 

 

 

 

(…………はぁっ)

 

 己の身を貪りつづける騎士や巫女(みこ)

 勇者に、魔導師。それに魔女や半獣身。

 

 こういったパーティの参加者の波が、彼方の広間でオークションが始まったことにより、いったん去ると、『成美』は口にハメられた赤いシリコン・ボールのすきまから、ようやくホッとため息をついた。

 

 体中がうずく――そして妖しいまでに、熱い。

 下半身がウズウズと、()()()()昂ぶりを見せている。

 

 ダレかにメチャクチャにしてほしい。

 手あらく無慈悲に蹂躙してほしい。

 ()()()を手折ってほしい……。

 

 

 首輪に仕込まれたプラントから血流に流れるクスリのせいか。

 興奮が――それも性的な、どろんとした仄暗(ほのぐら)い興奮が、止まらない。

 ダウナー系と見え、グッタリと火照(ほて)る身体と並行し、頭の中はピンク色の情動に占められて、まるで温かいゲルに包まれたような色ボケ感が被虐めいた妄想を連れてくるので、背徳的な情動がいやがうえにも昂進される。

 

 思い起こしてもゾクゾクしてしまう。

 

 あれだけの人数が自分の身体にタカり、露骨に好色な視線を向け、思うままに玩弄(がんろう)し、そして性的な“おさわり”で欲心を満足させ、粘液質(ねんえきしつ)な――極めて粘液質な笑みを浮かべたという事実。

 

 自分は、

 

 (すか)され、韜晦(とうかい)され、吟味(ぎんみ)され、搾取(さくしゅ)された。

 (さと)され、篭絡(ろうらく)され、洗脳(せんのう)され、改変(かいへん)された。

 (なぶ)られ、浸食さ(しんしょく)れ、陵辱さ(りょうじょく)れ、蹂躙さ(じゅうりん)れた。

 (なげ)かれ、蔑視(べっし)され、欲情さ(よくじょう)れ、羨望(せんぼう)された。

 

 ご婦人方の眼の輝き。

 少女たちの残酷な手わざ。

 つけ爪や、マニキュアに彩られた指が、いくども通りすぎた。

 

 青年華族たちの好奇心。

 倦怠(けんたい)糊塗(こと)された老人の欲望

 ゴツい指輪が()められた毛深い手や、ヤニに染まった爪が、値ぶみした。

 

 むせ返るようなお化粧。あるいは女の体脂(あぶら)のにおい。

 中年や、初老が好む、しつこい香りのオーデコロン。

 その隙間から洩れただよう、古い蝋燭(ろうそく)のような(クサ)さ。

 

 『成美』は、市場の(うたげ)に参加させられる前のコトを、いささかの嫌悪感を感じぬままふり返る。

 

 

 ――…………。

 

 

 金髪(ゾーロタ)に髪をわしづかみされてチンポをノド奥まで突きたてられ、強制的にしゃぶらされ。

 銀髪(シリブロ)に背後からオッパイを揉まれ、ケモノじみた動きでアヌスを蹂躙され。

 

 思うままに口腔(くち)とアヌスを犯されて。

 

 同時に射精を受けたときの、どうしようもない被虐(マゾ)的な、暗い情念めいた性の興奮。

 そしてそのとき浮かんだ考えは……。

 

 いっそ本物の女に――メス奴隷にされて、メチャクチャに(なぶ)られたい、と(こいねが)う想い。

 

 そんな自分が(たま)らなくクヤしくて、否、悔しいとも思わずに受け入れている自分に驚いて、心のどこかに辛うじて残った本来の彼自身が“肉の容れもの”にひとすじ、涙を流させる。

 

 凌辱(はずかしめ)られ、いたぶられ、洗脳のあげく、

 泥のように疲れ果て、昏睡(こんすい)ともいえる眠りのあとに覚めたとき……。

 

 

 

 いつのまにか彼は、毛布を敷かれた(オリ)のなかに入れられていた。

 暗い照明の、カビくさい空気。

 音の完全に遮断(しゃだん)された、耳に圧迫感のある、静寂な空間。

 気がつくと、向かいの犬用と見える檻のなかにも、なにか動く気配がある。

 

 眼を()らせば……。

 銀髪に褐色(かっしょく)の肌をした、同じ年ごろの、フェミニン(女性的)な少年。

 黒革のタイトなパンツ一枚に、首輪で床に(つな)がれた(すがた)

 なよやかな、扇情(せんじょう)的ともいえる体つきに、()()()なくしなだれる風情(ふぜい)

 そして、殺処分(さっしょぶん)寸前の野良犬を思わせる、()れたような眼差し。

 

 おそらく、同じような境遇の子なのだろう。

 自分よりも女性化と洗脳が進んでいるのかもしれない。

 ちょっとカワイイ、品のある仔だなと疲れた心にも()()()()(はし)る。

 

 「……やぁ」

 

 片手を上げて合図。

 と、向かいの少年も同時に気弱そうな笑みを浮かべ、おなじ仕草で。

 

 ――!!!

 

 落雷を受けたような衝撃。

 

 あわてて自分の身体をチェックする。

 フヨフヨとした女体めく手触(てざわ)りと、(ぬめ)のような光沢(こうたく)を放つ肌。

 何よりその皮膚(ひふ)が、カフェオレ色になっていることにアセって。

 染められ、女性的にセットされた銀髪は、復元処置されているらしく、撫でつけても、カキむしってもザワザワと元通りに。

 

 

【ホホホホホホホホホホホ……ホホホホホホホホ……】

 

 

 夢野久作の登場人物めいた女の(ワラ)いが狭い独房(どくぼう)に響くや、カッ!と天井の照明が、力をとりもどす。

 

 照度が上がったことで、(おのれ)のみじめな姿は、より鮮明(ハッキリ)と分かるようになる。

 褐色になった自分の二の腕や太もも。くびれた腰部。

 オズオズとした手つきで触れていると、

 

【……それはタンパク質に浸透(しんとう)作用する特殊な電磁的染料だから、チョットやソッとでは、落ちないワヨ。ご愁傷(しゅうしょう)サマ】

 

 女の高らかな台詞が、勝利宣言をするような勢いで。

 

 嘲りをふくんだ声と共に自分の身体が熱くなるや、皮膚が白人のようになり、あるいは黒人のようになり、はては豹柄(ひょうがら)となり、そして――もとの褐色に戻った。

 

「そんな……なにコレ」

 

【いま()いている、その革パンティを脱いでご覧なさい?】

 

 同時に、腰まわりを留めていたロックが外れる。

 脱ごうとして、ウッと手が止まった。

 パンティの裏には、ふといディルドが内むきに突き立ち、それが(おのれ)のうしろを深々と貫いている気配。おかげで腹の中が、ヤケに重たいような。

 

 奥深くまで、ズっぷり穿(うが)たれたソレを、困惑(こんわく)した手つきでジワジワ抜いてゆくと、オドロくほど長い男根がミチミチと淫猥な音を立て、ぬるルルぅぅッッ……と出てきた。

 

【ホホホホホホ……アヌスを触ってみるのヨ――どうしたのサァ早く!】

 

 うながされるまま、ポッカリと口を開けているらしい肛門をオズオズ触ると……。

 

 ――なにか……ヘンだ。

 

 ビニールのような……プラスチックのような……。

 まるで柔らかい合成樹脂のような手ザワり。

 

【脱いだパンティのディルドを嗅いでご覧?――大丈夫、臭くないから】

 

 言われたとおりにすると、なるほどローションのような匂いしか、しない。

 

 そこではじめて『成美』は、自分の消化器官が完全に洗浄され、代わりに特殊なシリコンで出来た長い袋を、肛門から胃の手前まで這わされていると説明された。

 

 下腹部を充たす違和感。

 

 彼は、あらめて自分の身体にされた細工にアキれる。そして同時に、ドコまで堕ちてゆくんだろうかと己の運命に震撼(ふる)えた。

 

【あなたは、モウ人間じゃないの。単なるメゾン(お店)の“備品”なのよ……(いいえ)、タダの備品じゃない】

 

 おもわせぶりに、一拍()く声。

 

【ダレもがヨダレを流す……美貌のオナニー・人形(ドール)、その素材ねェ……】

 

 シンナリ、ベッタリ。

 言い含めるような声。

 

 ――備品?

 

 目の前の大鏡に映る、全裸で独房の床に鎖で繋がれた、少年とも少女ともつかぬ人物の(スガタ)

 オズオズとした眼差しが、自分ながらミジメったらしく、腹立たしい。

 

【これから最終の拷問・調教にかけてアゲル……(たの)しみにしてらっしゃい……?】

 

 声が途切れ、ややしばらくして――。

 

 ゴーレムに扮した男たちがあらわれ、手荒く独房から引き出される。

 連行された、医療室めく部屋。

 そこでビニール製のメイドの服を着た少女たちに身体を洗浄(あら)われた。

 

 バイオ・パーツで人造の乳房を装着され、Bカップに。

 手あらく揉んで、『成美』のヨガり具合を看て、脳への感覚接続を確認。

 抗ってもムダだと心底タタキ込まれた彼は、(おのれ)の体の中にふたたび火を燈す淫らな情感に形ばかり(あらが)いつつも、従順に、されるがままに。

 

 首すじに、針の太い注射がもつズッキリとした重く特有の痛み。

 やがて針が抜かれシャント状態にされると、それを覆うように銀色の鈴がついた幅広の首輪が慎重な手つきで巻かれた。

 (おとがい)の下まであるそれを装着されると、顔は上向きのまま、ほぼ固定されることになる。

 同時に足首と手首にも、黒革の拘束具がいくぶん(きつ)めに南京錠で固定された。

 

 カチリ――というロックの音。

 

 それが『成美』の心に哀しくひびく。

 次いで、やけに華やかな開宴前の広間に運ばれると、ゆるやかな抵抗もむなしく、高価(たか)そうな大皿の中央に備わる低い“スケベ椅子”に座らされ、ヒザ立ちから腕を背後に伸ばし盤面に手をつく姿勢を強いられると、手枷と足枷を皿面に繋がれた。横から見ると、ちょうど⊿の形に。

 

 舞姫の(よそお)いをした、さらに位の高い女が三人。メイドの少女たちのあとを引き継いだ。

 

 貞操帯めくアタッチメントをムリヤリ履かされ、ディルドと一体になったノズルを目の前にチラつかされたあと、己の身体にヌップリと時間をかけ、ぐぃっ、ぐぃっと淫猥(いんわい)にハメ込まれる。

 

 次いで白い液体を満たした透明なタンクが、キリ、キリ、キリ、と車輪のキシみをたてるキッチン・ワゴンで持ち込まれた。温度のあるものらしく、上の空間には湯気が玉となって。

 

「なんです…それ」

 

 かすかな不安をまじえた『成美』の小さな声に、

 

「ホワイト・ポタージュよ」

「アナタのなかに、タップリ射精してあげるの」

「キミの腸のなかに特殊樹脂のフクロを這わせた理由(ワケ)がコレ」

 

 フフフッと声を合わせて笑う三人の女。

 おもわず彼は『領収書つき晩メシ』の黒メガネ二人組を連想する。 

 タンクから延びる(くだ)ダイヤフラム(ポンプ)を介し、彼のアヌスにハメられたディルドにカチカチッ、と接続された。

 

「ココロの準備はイイ?」

「とってもキモチいいわよ?

「ソレ、女の子みたいに射精されちゃいなさい?」

 

 コックが開かれるや、熱いモノがドクンっ・ドクンっと脈うつように『成美』のなかに放たれて、ドロドロな液が(はら)を充たしてゆく。

 

「あぁぁぁぁ……ッ!」

 

 しかし、静注されるクスリのせいだろうか。

 

 恍惚(こうこつ)被虐(ひぎゃく)と――一抹(いちまつ)の幸福感。

 性的な興奮がとんどん高まり、同時に腹部が膨張(ぼうちょう)をはじめて。

 気付いたときには、身体が妊婦のようにふくらんでいる。

 

 心音が、耳元でうるさい。

 頭が。こめかみが。

 ズキズキと脈打ち、口の中が熱くかわく。

 

 ボッキした乳首を持つBカップの乳房。

 その乳首のくちに、大ぶりのシリンジから延びる太い針つきのカテーテルが取りつけられた。

 舞姫たちが口々に、

 

「これは、とぉっっっても高価な調味料なのよ?」

「アナタはオッパイをシボられるたんびに、感じながら吹き出しちゃうの」

「フェロモンをたっぷり出すように、おクスリも血液のなかに点滴しておいたから」

「あなたがお相手をするお客様は“目”と“舌”と“鼻”と“情”を同時に刺激されるという寸法ね」

 

 シリンジが押され、ソースが注入されると、乳房は彼に甘い痛みをもたらしながら、みるみる膨張(ぼうちょう)してゆき、ついにはFカップほどにも肥大して。

 

「くふぅぅぅ……ッ!」

 

 舞姫の一人が、貴石を象眼した、目の周りだけを隠すヴェネチアン・タイプな青銅のマスクを、彼に装着。

 次いでもう一人が、チンポの根もとに赤いシリコンの玉がついた器具を見せびらかし、彼の口もとにユルユルと差しだした。

 

「はぃ、あ~んして……あぁ~ん……」

 

 血管を浮き立たせる黒く野太いチンポを、彼の口唇(くちびる)を割って無理やりノド奥までハメこみ、根もとの赤い玉を噛ませたあと、玉から延びる二本のベルトを後頭部でキツく連結してしまう。

 

 ――おごぉ……。

 

 のどチンコの奥まで達し、『成美』は苦しさに身もだえする。だがどうしたことか、身体は火照ったように反応し、記憶の中の“おまんこ”奥が濡れる感触。

 

 次に彼の耳朶(みみたぶ)に、これも高価(たか)そうな重いイヤリングを下げた。すると、それはスピーカーにもなっているらしく、そこから先ほどの声が、

【ホホホホホ……さァ、こんどは貴方には、すこしキツいわよ】 

 

 最後の舞姫が、ワゴンの保温スペースらしき下段から、馬用の浣腸器めいた、乳房に使われたものとは比べものにならない、スバラシく巨大なシリンジを、口もとをだけをおおう面紗(ヴェール)越しにもわかる、いかにも邪悪な微笑みでヨイショと取りだす。

 

 手の空いた舞姫が手もとのリモコンを操作すると、『成美』のボッキが見る見る始まってゆき、完全に上向いたところを見計らい、もう一人が、カテーテルに麻酔入りのローションを塗るや、彼の戸惑いなどオカマイもなく、尿道口にスイスイと挿入して。

 

――!!!!!!!!……!!!!

 

 逃れようと暴れる“備品”の柔腰。

 それを両側からおさえる舞姫たちの腕輪が、シャラシャラと、(すず)やかに。

 

 ついに尿道の奥に(カテーテル)が届くと、バルーンがプクッ。拡がる気配がして、ザンコクな器具は固定された。

 やがて、亀頭の先である“鈴口”からわずかに顔を出すネジ山に、シリンジから伸びるカテーテルのさきがクイクイとねじ込まれると、すべての用意は調(ととの)った雰囲気。

 

 舞姫三人の、嗜虐的な、ホノ暗い微笑。

 まるで邪悪なスリー・カードのように。

 

 やがて「お覚悟(かくご)!」との声。

 それとともに、シリンジのプランジャーがジワジワと押された。

 ほどなく、火傷しそうなほど熱いソースが、尿道を逆流して腹部の奥に……。

 

 ――!!!!!!!!!!

 

 全身の神経が、逆ナデされるような感覚。

 首輪に付けられた鈴が、暴れる下半身につれてコロコロと鳴る。

 調味料を入れられたボッキ乳首のFカップも、タプタプとハゲしく揺れて。

 

 不自由な悲鳴をあげ、身(もだ)えし、涙目で舞姫たちに慈悲(じひ)()う『成美』。

 しかし哀れな性少年の膀胱が満タンになるまで、プランジャーを押す手は、容赦(ようしゃ)することが無かった。

 

 (うふぅ……)

 

 ようやくカテーテルが外された。

 不自由な口で責めを耐え忍んだために呼吸困難。

 『成美』はやさしく汗を拭かれながら、グッタリと目を閉じる。

 各種の料理を(はら)んだまま、大皿上で藝術的な拘束を受ける美しき“備品”。

 

 大皿をとりかこむ蠱惑的な装いの女たちはヒソヒソと、

 

(なんて(うるわ)しいのかしら……)

(いったい、お幾らで“落札”になるのかしらネェ?)

(あぁ、コチラまでオカしくなりそう)

 

 三人はあたりを(はばか)りつつ、互いに薄物ごしの身体を撫であい、ひそかに慰め合いをはじめる。

 たちまちクチュクチュという音と、上気する気配。舌のしゃぶりあいと(オンナ)淫液(モノ)の匂い……。

 

 



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057:           〃             (2【18禁版】

 

 

 青銅のマスクの下で涙目になった『成美』が一息ついて、周囲に気を配る余裕がでると、こんどは隣の大皿でチョッとした騒ぎが起きているのがわかった。 

 

 かさ高な首輪のウラでシャントが痛いため、あまり動かせない不自由な首を何とかミリ単位で動かし、マスク越しに横目にすれば、その皿では、やはりひとりの少年が、拘束された皿の上で、ボール・ギャグの隙間(すきま)から泣き叫んでいる。

 こちらもまたアヌスを拡張され、そこに太いソーセージを幾本も、まるでショット・ガンにワッズ()装填(そうてん)するように、一本、また一本と仕込まれてゆくのだった。

 皿の傍らには、まだ“未装填”のソーセージが、山と積まれて。

 そして“弾詰まり”をおこすたび、薄笑いを浮かべた舞姫や酌女たちが、若い女特有のザンコクさを発揮して、少年の腹をモミほぐし、再度、ヌルんッ!ヌルんッ!と仕込んでゆく光景。

 

 「貴方(アナタ)は幸運だったわね」

 

 自分が()る豪華絢爛たる大皿を担当する舞姫たちが、手をやすめて『成美』に向かい異口同音に、

 

「内臓破裂でコワされちゃう仔もいるのよ?」

「このまえの仔なんかとうとうオカしくなっちゃって」

「アレは可哀そうだったわねェ。とうとうフタなり人形にされちゃって」

「結局、産業廃棄物あつかいで焼却処分されちゃったみたい……」

 

 

――…………。

 

 

 そして現在(いま)

 

 取り澄まし、着飾った品性下劣な「鶴光でオマぁ~」な賓客の波が去り、ようやく『成美』はホッとため息をつくと、せまい視野から、ひといきついた華麗な広間の光景を、眼球の動きだけをつかい、ながめわたす。

 

 大皿の上で、だらしなく弛緩する『肉欲の容器』と化した“備品”たち。

 店にとって都合の良い、性的な嗜好(しこう)を植え付けられた、さまざまな少年。

 クスリのおかげでボッキを強制されつづけ、いまやソースでテラテラとする幾本もの若い竿。その亀頭は、はた目にも痛そうなほど充血して。

 

 ちかくで、すすり泣きの声がする。

 

 見ると、例のソーセージを腹に仕込まれた大皿だった。

 お客様に(うま)くサーヴ出来ず、賢者のナリをした愛人を(かたわ)らにするデップリとした中年ギルド・マスターから、ステッキで腹をやたらと(たた)かれていたのを思い出す。

 当然、いったんは周囲から止めが入ったものの、どうやら相当な権力者らしく、最後はヒヤヒヤと見守る舞姫や酌女のもと、されるがママとなって。

 いま見れば、ヒリ出せなかったソーセージが、ようやく下まで降りてきたのか、便意に苦しみ、アブラ汗を流して。しかしアヌスには、サーヴ用のシャッターがガッチリとハメ込まれているので、いくらイキもうとも“備品”の粗相は許されない。

 

 それに対し、『成美』の中は“大も小も”そして乳房の中までも、モノの見事に“完売御礼”となっていた。

 仕込まれたホワイト・ポタージュと、周囲に並べられた料理用のソースは絶賛されて、手ひどく扱われる事もなかったが、その代わりに幾度も追加の「注入」を受け、悶絶を繰り返したものだったが。

 いまでは身体の中に熱い白濁ソースを注がれるたび、せつなく、もどかしい感覚が芽生えてしまうありさま。

 

 オークションの前に余興で行われた審査会では、料理の出来映え、容器の美麗さの点で“金賞”を受賞し、銀色に染められた頭上に月桂冠(げっけいかん)を載せられ、祝福された。

 まるで――ひとりのマゾ奴隷の誕生を言祝(ことほ)ぐように。

 

 ふと、『成美』は初めてゲシュタルト・スーツを装着された時のことを思い出す。

 あの時も、女医の手によって貞操帯で後ろをズップリと犯され苦しんだものだが、やはりそのうちクセになっていたような。

 今また“尿道”を開発され、歪んだ嗜好(このみ)を隠し持つ来賓(らいひん)たちの前で、あられもない姿を(さら)す今。

 事態は進行の度合いを増し、ヘンタイ度のレベルも昂進している。

 

 ――状況の()()()

 

 (おのれ)明瞭(ハッキリ)と変わらない、あるいは変わろうとしないかぎり、同じような道すじを、人はグルグル歩んでゆくのか。惰性(だせい)のまま、果てのない下降螺旋(らせん)漫然(まんぜん)と降りてゆく、その行き着く果ては……?

 

 彼方で行われる演奏を中継するため、“少年が侍る大皿の広間”に設置された巨大なタンノイ(スピーカー)から「BWVの90番」※という少年の声。

 やがて、古楽器の室内楽とともに生体オルガンの“演唱”がはじまる。

 

 ――もう少し……ゆっくりできそうかな。

 

 モジモジと、『成美』は拘束されるスケベ椅子の上で前立腺のあたりに力をいれ、尿道のカユみと、そしてアヌスの(あま)痛い違和感と、たたかう。

 だが、そんなはしから期待を裏切り、背後より会話が近づいてきた。

 

「――エゲつないコト、ぎょーさん、されるよっテ――見てみィ」

 

 今夜のイベントに遅れた集団だろうか。

 最初の盛り上がりが過ぎたこの時刻に客人が入ってくる気配。

 場()れした中年男の説明口調に、ときおり若い男女の声が混じって。

 

 うしろの大皿でシャバシャバと、液体が受けポットに流される音。

 かすかに漂う、オニオンスープの香り。

 

 やがて一行が視野のとどく範囲にやってきたとき、『成美』の目は青銅マスクの奥で見開かれる。

 

 どこかで見たようなニンフ。

 まだ硬いつぼみのような身体に、露出の多い妖精の衣装を張り付かせている。

 

 工事中の校舎で、クラスメイトと“触りっこ”をしていた光景。

 高級車(アストン・マーチン)のオープンカーで気に入りの女友達と下校する姿。

 “七つのヴェールの舞い”でオペラグラス片手にこちらを凝視していた(かお)

 

 ――シモーヌ!……うんンン……ッ♪

 

 回想がとぎれたのは、自分の乳房を彼女がおそるおそるといった風を装い、露骨に爪を立てて()んだからだ。

 そこには、()()()()()自分より優美と見えるオッパイを付けられた彼に対するイラ立ちと嫉妬、なにより破壊欲求が含まれている。 

 彼氏と思われるツレの勇者は、大皿に備えつけのリモコンを押した。

 

 ――あぁ……っ!

 

 尿道を刺激されるものの“タンク”は、とうに空だった。

 前立腺をムダに刺激され、スケベ椅子の上で二度、三度、はしたなく腰をふり、身体を駆けめぐる快楽から逃れ(あらが)うように、イヤイヤを。

 初老の男は、まったく仕方ないなという身ぶりで、

 

「なんだ、ソースもカラかぃな――おーぃバヨネッタ!?」

 

 やや久しくして。

 

 キリ、キリ、キリ、と……微かな(キシ)みが、彼方から近づいてきた。

 その音の正体をイヤというほど知る『成美』は全身に鳥肌をたてる。

 今宵(こよい)――幾度目だろうか。

 

 今度は酌女(しゃくめ)がふたり、あの悪魔のワゴンを押して。

 バイタル・センサーが、すかさず身体の緊張を察知。

 首輪のプラントから薬液を注入し、彼の面差しはトロンとしたモノ欲しげな痴呆顔に。

 

 ひとりが大皿の残り物をかたずけ、新たに前菜や料理がならべる。

 そしてもうひとり、『成美』のアナル・プラグにワゴンからのびた管を、わざとのように手荒く接続すると、チャキリ!冷酷な音をたてロックして。次に事務的な手つきでスイッチが入れられ、ダイヤフラムのコックがひねられる。

 

 ィィィィンン……ドプッ!――ドプッ!――ドプッ!――!――!

 

 ――あぁぁぁぁっ!……うんっ♪……うんっ♪……うんっ♪……

 

 下腹部は、ふたたびスープで満たされてゆき、擬似チンポをノド奥まで呑みこまされた口をボール・ギャグで淫猥に塞がれている『成美』は、たまらず鼻にかかった甘いよがり声をあげた。

 

「……ふぅぅぅん……ぅぅぅうん♪」

 

 身悶えにつれ、首輪の鈴がコロコロと鳴り響き、大ぶりなイヤリングがキラキラと輝く。

 

 射精を受けたような困惑。

 征服されてしまった被虐感。

 

 ふたたび小波のようにヒタヒタと彼を押し包む。。

 そして、今また子を孕んだようにふくらんでゆく腹部。

 ボッキ乳首(チクビ)から、新たにソースを注入され、妊婦めいたその容(すがたは完全となった。

 

 ――あぁ……また。

 

 ガックリと『成美』はうなだれた。

 心まで犯す変態的な“しかけ”に、がんじ絡めな形とされてしまった自分。

 まるでメゾン・ドールという巨大なクモの巣にとらわれ、糸を巻き付けられた(パピヨン)のように。

 さはあれ、そこに彼は一抹の倒錯的な甘美が、自分の中を侵食する気配があるのを否めない。

 不思議な充足感。まるで――ようやく()()()()()に、なれたかのごとく。

 

 だが、つぎに酌女が巨大なシリンジを手にするのを見て『成美』の心は絶望に打ちひしがれる。

 

 ――イヤ、お願い!もうそれだけは……堪忍(かんにん)

 

 オマエは団鬼六の小説に出てくる登場人物かよと、心のどこかでセルフ突っ込みしつつも、『成美』は妖艶な緊縛婦人のように、ナヨナヨと力なく(あらが)って。

 

 しかし――ホンモノの絶望は、その次にまっていた。

 

 フイと初老の男が視界をはずれたかと思うと、やや離れたところで、

 

「失礼ながら――(ほま)れ高き第三王女の専属秘書官殿と、お見受け……」

 

 

 

 

 

 

 陽がかげるように『成美』の視野は暗くなる。

 

 

 

 

 

 

 ――まさか……。

 

 もし、かさ高な首輪でアタマを固定されてなければ、絶望のあまりグラグラと揺れていたことだろう。

 鈴口にカテーテルの取り付けが進行しているのも、もはや気にならないほどに。

 

 聞き覚えのある声……。

 

 それが、初老の男と何事か会話を交わしながら近づいてくる。

 やがて――狩りの女神『ディアナ』のコスプレをしたミラ秘書官が、大皿の中央に飾られた自分を、(もだ)したまま、()ッと見すえた。

 

 ヒッ!と身体を硬くし緊張するが、意外にも相手からの反応はない。

 永遠とも思える、十数秒……。

 わずかに自信をつけた『成美』は、それでも心持ちヒヤヒヤと彼女を観察する。

 

 すこし、()せただろうか。

 面差(おもざ)しが――とくに、ほおの部分に、わずかな陰影(かげ)が。

 ひと刷毛(はけ)の“スゴ味”を加えたような(かお)が『狩りの女神』に相応(ふさわ)しい。

 

 対して勇者が、いかにもな“()び”をみせながら、

「珍しいですな。こんなところに御光臨とは」

「……」

「市場の競りに――ご興味が?」

「じつは……知り合いの子が、出ていないかと……心配になって」

「うへぇッ!?――いや失礼。出品者に、お知り合いが?」

「いえ」

 

 微妙な一拍。

 

「まさか“儀豚(ギトン)”ではないでしょうナ?」

 

 ミラの顔が、自分の顔に寄せられるのを見て、『成美』は、蝶型の青銅マスクで目もとのみ隠される顔を、拘束される姿勢がゆるすかぎり引き反らせた。

 

「さすがにちがう……とは、思います……が」

 

 ネコのように細められる、ミラ秘書官のまなざし。

 

 心臓のバクバクが止まらない。

 形を変えた、究極のかくれんぼ。

 

 反対に、ふと、いまここでバレたら、どんなことになるだろう、と予想する。

 ミラは、どんな顔をするだろうか。

 驚きのあとに来るものは……。

 

 失望(ガッカリ)……?

 侮蔑(さげすみ)……?

 嘲笑…(あざわらい)…?

 憐憫(あわれみ)……?

 

 それとも……ほかの何か?

 

 フルえる胸のうちに高まってゆく、耐えがたい羞恥(しゅうち)の感情。

 もし、肌を褐色に染められていなかったら、顔を火照らせ、一発でバレていただろう。

 勇者は、酌女が巨大なシリンジを手に、注入の機会を待っていることに気付き、

 

「ドャ――いや、どうだねシモーヌくん、やってみては」

「いいんですか!?」

 

 悦虐(えつぎゃく)の暗い影をともなった笑みが、同学年の女子生徒に浮かぶ。

 そういえば、コイツは“フェムタチ”だったな、と『成美』は準備室の記憶をサルベージする。と、身構えるまもなく、渡されたシリンジを抱え込むや、このニンフは抑えきれない(クラ)い微笑を辛うじて()み殺し、恐ろしい勢いでプランジャーを押し始めた。

 

「――!!!!!!!!!!!」

 

 ボールギャグに(いましめ)められた、高音な鼻声での叫び。

 固縛された美麗な大皿の上で『成美』は、あらん限りの力で(もだ)え苦しむ。

 

 (あぁ……っ――!)

 

 膀胱(タンク)の壁に、水鉄砲ならぬ「お湯鉄砲」よろしく、直接、ソースが当たっているのがわかる。

 

 シモーヌ 

 お前の頭の中は 不思議なことだらけだ。

 お前はレスボスの匂いがする。

 お前は男をいたぶる獣の匂いがする。

 お前は嗜虐(サド)の血をたぎらすサデイスティンの匂いがする。

 お前は処女の涙をよろこぶエルジェーベトの気配がする。

 お前は嫉妬の厳爪(つめ)を突きたてる。

 お前は……。※2

 

 逃避反応か、そこまで自動的に浮かんだ連想は、やがて膀胱が限界に近づいたことで、断ち切られた。酌女があわてて止めに入っていなければ、内臓破裂の憂き目を見ただろう。

 

 朦朧(ボンヤリ)とした頭のどこかで、若い男女が言い争う声。

 限界を超えた容量を注入された『成美』は、初老の男の慈悲だろうか、少しばかり大目に尿道を開放してもらう。

 赤いペースト状の美しいソースが、おチ○ンポの先からユルユルとながれ、料理にかけられた。

 

 しかし――そのあとが、不可(イケ)なかった。

 

「さて、次はワシ――わたしの番だ」

 

 そう言うや男は、おもむろに皿の端に立てかけてあった大きな羽を取ると、赤い涙をにじませるように見えるおチンポの本体から、先端から、ウラすぢから。ソフトに――ソフトに、愛撫を始めた。

 

 鈴口、カリ首――ふたつの宝玉。

 

 (あぁっ!イヤぁっ!――そんな!)

 

 いままでとは違った、超音波振動のような痺れ。

 スケベ椅子の上で尻は激しく前後に揺れ、タプタプと香辛料入りの乳を淫猥(みだ)らにゆらし、またしても『成美』は鼻にかかった甘え声を洩らしてしまう。

 快楽を貪るように、はしたなくも腰を使い、首の鈴をコロコロとかろやかに鳴らしつつ、アナルのプラグを食い()めて。

 

 不意に、若々しい竿(さお)の縛めは解かれた。

 

 登りつめた『成美』は、ビュルっ!ビュるぅぅッ!と、二度、三度。

 尿道が痛むほどの信じられない絶頂とともに、ソース混じりの精液を、ハワイ島の溶岩のごとく、激しく噴出する。

 

 あまりの快楽に揺さぶられた全身が毛穴と言う毛穴を、ぜんぶ開いたように。

 膀胱に貯められた赤いソースは、精液と混じり薄ピンク色に変わってた。

 それを剣闘士は満足げに見やり、

 

「コレやがな!――通は、このソースをイワさなアカん!」 

 

 サウナあがりのように汗を流しながらグッタリと腰を折る、その頭上から、突き放したような声が、冷水のごとく()()()に降りかかる。

  

「――では、みなさん。どうぞお(たの)しみを」

 

 力なく上半身をもたげると、青銅のマスクごしに、女神が放つ氷のような視線と出会う。

 

「や、もう行かれますか?」

「もしや、この子かと思いましたが……人まえで粗相(そそう)をするようなタイプでは……」

 

 声の温度が、さらに数度下がる気配。

 

「それに、捜す相手は――褐色(かっしょく)の肌では、ありませんもの」

 

 きびすを返し、ディアナは去ってゆく。

 

 初老の勇者や若い男女が、何か言っていた。

 しょせん女だとか青いとか。

 だが、『成美』の耳に、その会話は届かなかった。

 

 《()()()()()()()()()()()()()()()()()……》

 

 いまとなっては“元カノ”になってしまったであろう彼女の、去りぎわの言葉。

 それが、この美麗な“容器(いれもの)”の胸に、ふかくヒビを入れていた。

 

 『成美』は、まざまざと知覚する。

 

 身体が。存在が。意識が。崩壊してゆくイマージュ。

 細かくブレる視界。

 鼓動にあわせ、乱暴にズームイン/アウトを繰り返されるように、グングンと、周囲のモノの大きさが、大小に切り変わって見えた。

 

 ――もう、候補生じゃない……ボクは……わたしは(モノ)なんだ……便利に使われるだけの、あさましい淫具(モノ)……。

 

 

 

 

 




※:J.Sバッハ:カンタータ『畏怖すべき終焉、汝等を拉し去る』(訳:珍歩
※2:Remy de Gourmont (1858-1915)の「Les cheveux」のもじりです。


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057:           〃             (3【18禁版】

 

057:           〃             (3

 

 

 それからは、「なに」を、「どう」されたかは、わからない。

 気が付けば、『成美』は、両腕を頭上にしたM字開脚。

 あられもない姿で拘束されたまま、リフターらしきもので吊されて。

 ひとけのない、タイル貼りのうす暗い廊下を進んでゆく。

 

 キリ、キリ、キリ……。

 

 車輪の(キシ)みが、こめかみに刺しこむように響く。

 完全に自分が“備品”へと洗脳されてしまった心象。

 マスクのせいで見えない視界外の局部が、熱をもって潤む。

 装着する人造(つくりもの)の胸も、乳首が痛いほど勃起(ボッキ)して。

 

 どこかで悲鳴。

 

 断続的な、力のある鞭の音。

 古風な電話のベルが、とおくで鳴っている。

 延々と続く灯りの一部が、かすかにチラついて。

 彼方のT字路に、ストレッチャーを押す白衣の一群……。

 空気がヒンヤリするように感じるのは、自身の裸が火照っているせいか。

 

 背中から、声がかかる。

 

「ずいぶんと、お(たの)しみだったようね……3人も相手にして」

「――へぁ……?」 

 

 口を犯すボールギャグは外されていた。

 だが長いこと装着されていたため、アゴや舌がしびれ、まともに言葉が出ない。

 ダラしないフェラ顔のまま、廊下をすすむマヌケな姿。

 ヨダレが胸に垂れ、苛立たしく、そして恥ずかしい。

 口唇が熱をもったように()れ、ぷっくりと。

 感覚が戻りつつある口腔をさぐれば、舌にまでピアスをされた気配。

 おまけに口の中が、いままで感じたことのない変な味が。

 ノドにも、ゲル状のようなモノがカラんで。

 

()かったこと、貴方(アナタ)、相当な値がついてるわよ……」

 

 またうしろからの声。

 

 ――だれ……?

 

 あたまがボンヤリして、なにもかんがえられない。

 

「イイもの、観せてあげましょうか……」

 

 リフターが、少し停まり、本来行くはずだった廊下のT字路を、逆に進む気配。

 廊下ですれ違う、聴診器を首からさげた白衣の中年たちが、ニヤニヤと見下ろしてくる。

 重い扉を開いたとき、そこは宴のハネた夜会の会場だと分かった。

 

 いまだ空気に残る、人の気配。

 香水の残り()や、料理の油。香辛料の匂い。

 老婦人のアンモニア(尿もれ)臭や、年かさな紳士の加齢臭。

 時として、精液や、嗅ぎなれた愛液の気配も。

 

 物欲と、劣情と、打算と、はたまた安寧(あんねい)と。

 それら思惑(おもわく)の残り香が渾然一体(こんぜんいったい)となった、欲望・劣情の残滓が漂う人肌にナマぬるい、そして(はかな)げな雰囲気。

 

 防火用の非常扉から入ったところは、「緑の広間」だった。

 

 うち捨てられた羽根扇(はねおうぎ)、白手袋。

 なせか赤いヒールの片方だけが。

 紙吹雪や紙テープ。クラッカーのなごり。

 酌女(しゃくめ)面紗(ヴェール)や、アナル・プラグと連結したバニーガールの尻尾(シッポ)らしきものまで。

 

 それらを踏みつけ、あるいは避け。

 『成美』は恥ずかしく吊るされた格好のまま――。

 

 “赤”の広間を通り、

           “白”の広間を横切り、

                      “紫”の広間を抜けた。

   そして、

       最後の“黒”の広間……。

 

 定石(じょうせき)通り、森閑(しんかん)とした広間の壁面には、深紅(しんく)の巨大なステンドグラス。

 むき出しな石張りの床へ、斜めに鮮血めく光彩を投げかけて。

 

 その巨大な血と闇との(あわい)に、何かがある。

 目を凝らせば木馬がポツンと設置されていた。

 

 リフターを(キシ)ませ進んでみると、上にはヒザを曲げ、腕を後ろに拘束された姿の黒い人影。(びょう)のならびが目立つ木馬は、チェスタフィールド調のソファー、その肘掛(ひじか)け部分を連想させる。

 木馬の背からは、垂直に黄金のポールが突き出て、馬上の人影を固定していた。

 

 ――人間……!?

 

 一瞬、『成美』はゾクリとするが、すぐにラテックス(ゴム)製の人形と分かった。

 鼻の隆起の以外は、わずかに顔の凹凸を模した頭部。

 呼吸口が、どこにも見当たらないことが人形と判断した理由だ。

 鏡面仕上げのようにテカらせた身体。

 ところどころに鮮血色を映して。

 

「どう?――美しいでしょう……」

 

 ゆっくりと規則正しい音とともに、背後からの声。

 (かたわ)らでは、黒檀(こくたん)で出来た巨大な柱時計が、重々しい振り子を鳴らしている。

 だが、セコンドを刻む音が――みょうに間のびして聞こえるのは気のせいだろうか。

 

「これを、コウすると……面白いのよ?」

 

 背後で、電子音が一度。

 

 すると、黒く()り輝くゴム人形が、拘束された木馬の上で、ミリミリと、微妙な身じろぎをする。しだいに動きは(もだ)えるように、ボディを数センチ単位で(ツラ)そうによじって。その動作は、どうみても生物が苦悶する(すがた)

 

「――へんえ”ん(にんげん)……?」

 

 えぇモチロン、と上機嫌に背後の声。

 

「この子はネ?調子に乗りすぎたの。だからご主人様に、バツを受けているのよ」

「……」

「彼女は、昔アナタがやったのと同じように、身体に管を通しているわ――それも、気管までね。だから彼女、お尻の穴で呼吸をしているの。そして視覚や聴覚はもちろん、頭部にも直接、奴隷教育用のプログラムが流れて……もう一週間になるかしら。どうやら順調な仕上がりぐあいみたい」

「!!ほぁんは(そんな)!」

 

 ――あんなところに、一週間も!

 

 『成美』の悲鳴まじりな驚きに、大丈夫よ、と背後の声が笑いをふくみ、

 

「筋肉は衰えないよう低周波で動かしてるし、それにパルスの(ハリ)で、全身のイヤらしいツボというツボ、いつも刺激されてるの。()()()なんか、もうトロトロよ?」

「……」

「知能も性格も、それどころか肌の質感や、性器の具合。おまけに人間だったころの『初音』とかいう下賤(げせん)な名前すら忘れ果てて……このラバー・モールドから鋳出されれば、完璧な愛玩品(バービーちゃん)の出来上がりというワケ――どぉ?素敵(ステキ)じゃなくって?」

 

 聞くほどに恐ろしい説明を、背後の声は、淡々(たんたん)とした調子で語る。

 

 だが――どうしたことだろうか。

 

 目の前の残酷な光景に、『成美』は、有りもしない乳房の先端がとがり、下腹部の割れ目が(うる)んでしまうような気配を感じている。タイトなゴムの鋳型(いがた)の中で、ゆっくりと自己を“性玩具”へと強制変容されている女性への羨望(うらやみ)――あるいは嫉妬(ねたみ)めく感情。

 回らない口で、この“備品”が、なにか応えようとした、そのとき。

 

 巨大な柱時計が、うなり始める。

 

 やがて、あの聖ミカエルの旋律が、このたびはやけに重々しく、()びたような音色をもって、陰々(いんいん)と鳴りはじめた。

 調子がやむと、輪をかけて滅々(めつめつ)とした時鐘が、ひとつ――またひとつ。

 それにつれ、文字盤の下にある小窓がひらき、黄道十二宮を模したものか、一つ鐘が鳴るごとに「羊」「牛」「双子」の黒ずんだ銀色をしたミニチュアがあらわれて、ゆっくりとレールを滑ると、反対側の小窓へ消えてゆく。

 最後の「魚」が姿を消し、これで終わりかと思われた、次の瞬間。

 

 “13番目”の鐘が鳴った。

 

 ――え……?

 

 小窓から、なにか出てきた。

 観れば、ベルと大鎌を持ったガイコツが、小窓から現われると、レールの途中で止まる。そして精巧にもM字開脚で茫然と見上げる『成美』の方を向き、ガイコツの腕が、ふられた。

 

 ベルが――正確に13回。

 

 チリリ……チリリ……チリリ……と寂寞たる印象で。

 鳴らされたあとは、ふたたび反対側の小窓へと消えてゆく……。

 

 そのあとは、すべてが、止まった。

 

 光の血潮が差し込む、漆黒の間。

 木馬に拘束されるゴム人形の赤い照り(かがや)き。

 重々しい振り子を凝固させた柱時計。

 まるで、黒檀(こくたん)の巨大な(ひつぎ)めいて。 

 空気さえもが停止するような、呪縛する空間と化した、無音の広間。

 黒いラバー人形がいちど大きく痙攣して――動かなくなる。

 

 

 

「ふん、なによ――悪趣味ネェ……」

 

 背後の声が、めずらしく動揺をみせ、

 

「さ、いくわよ……貴方(アナタ)の天国に、連れてってアゲル」 

 

 先ほどのT字路をすぎ、しばらく行くと、通路の両側にいくつもの扉がある区画に入った。

 うしろの人物が、そのひとつの扉を開けると……。

 

 なかは、漆黒の部屋。

 

 小窓から洩れ落ちる深紅の光。

 中央には、先ほどと同じくチェスタフィールド調の革ソファーめく木馬。

 そして丸みをおびた木馬の背中からは、大小あわせて二本の突起(ディルド)

 横腕が二本突き出る金色のポールが、ひくい天井までのびて。

 何のことはない、あの「黒の広間」の、ミニチュア版だ。

 

 ヴェネチアン・マスクの視野外左右から、(つや)やかな黒サテンのマントをまとい、ふたつの人影がヒールを鳴らし、悠然(ゆうぜん)とあらわれた。

 

 もはやおなじみとなった感のある二人組。

 金髪の『ゾーロタ』。

 銀髪の『シリブロ』。

 

「おまえたち!あとは、頼んだよ」

 

 背後からの声に、彼女たちは異口同音(いくどうおん)として、

 

「おまかせ下さい、コマンジュ(隊長)

「あとは我らが、この仔ブタを」

 

 スッ、と背後の気配が、薄暗がりに溶けるように。

 

 金髪(ゾーロタ)がマントをひるがえし、赤い裏地を見せつけながら腕を上げるのを見て、まるでピアノのカバーのようだなと『成美』がボンヤリ考えている間にリフターのモーター音が伝わると、体がM時開脚のまま、ジワジワと持ち上げられてゆく。

 

 ――え……?ちょっと……。

 

 銀髪(シリブロ)が、冷酷な薄笑いをうかべ、木馬の上へと『成美』の身体を誘う。

 下にはもちろん、黒々とした禍々(まがまが)しい突起がふたつ。

 

「ムリ!ムリれすムリ!」

「あらァ、どこが無理なのかし、ら!」

 

 金髪(ゾーロタ)が、『成美』のヴェネチアン・マスクを()ぎ取った。

 視野が一気に広くなり、部屋の造作が良くわかるように。

 それと同時に、自分の身体も。

 

「あぁ……っ!」

 

 『成美』は、(おのれ)の身体をみて悲鳴をあげる。

 

 もはや、褐色(かっしょく)に染められた身体では、なかった。

 

 少年の身体ですら、なかった。

 

 (あぶら)()りをふくんだ(なま)めかしい白さ。

 ナヨナヨとした柔らかみに包まれた身体。

 驚くほど豊胸された双のふくらみと、その頂に勃起(ボッキ)するシコりきったピンクな乳首の生々しさは、どう()ても作り物ではない。

 さらに白い連山を超えて、その奥を覗き見れば、先ほどまでソースを来賓(らいひん)にサーヴしていたオチ○ポは跡形も無く、代わりにふっくらとしたツルツルの恥丘が、お股のワレ目から淫露を(にじ)ませているではないか。

 しかも、その恥丘にはモルフォ蝶が、あたかもこの個体は、

 

「調教済み・納品可」

 

 ということを証すがごとく、その美しい羽根を誇らしく拡げていた。

 

 ――こんな……こんなことって!

 

 悪夢が、とうとう現実に追いついた……追いつかれてしまった。

 

 黒の広間で覚えた“淫らに濡れる感覚”が、現実となって目の前に(あらわ)れる。

 それが、本当に自分のオマ〇コからの淫汁(よだれ)であったとは……。

 

 乳首のボッキが、もどかしかった。

 熱くシコってそれをクリクリとなぶって欲しい。

 巨乳にされたバストを激しくモミしだき、いぢめて欲しい。

 

 そんな『成美』は、自分が全体、どんなメスにされたのか見てみたくてタマらなかった。看れば肌はツルツルに脱毛され、無機質的な光沢が全身を(はし)り、まるで本当に人形(ドール)にでもされたかのよう。

 

 過去に仄聞したウワサ話。

 実際に見た無残な光景。

 そんなものが一気に脳裏に浮かび上がって。

 

 すると、そんな“彼女”の心根を察したかのように、

 

「鏡をご所望かしら?……ナルシストさんねェ」 

 

 ごらんなさい、と金髪に示された台車付きの古風な姿見。

 アンティークらしい、銀幕もくすんだその大鏡に見事なフチ飾りに囲われて、『成美』の眼は己の変わり果てた姿に愕然(がくぜん)と見ひらかれた。

 

 豊かに結い上げられた金髪。

 煽情的なアイラインに彩られた哀しそうな眼。

 品のよい鼻筋

 そして、ボッテリとした深紅の口唇。

 

 赤い首輪には、幾つもの環が冷たく輝いて。

 

 両わきから、彼女は女たちにオッパイをグニグニと揉まれる。

 待望の感覚に、不覚にも『成美』は軽くよがり声をあげてしまう。

 それが身体の奥にゆらぐ淫火を、さらに煽りたてるようで、せつない。

 

 シコり切った乳首の根元に――すでに穴が開けられていたとみえ――なんなく飾り輪を通すと、冷たく輝くその輪に小ささのワリには重みのある金色の鈴を取りつけた。

 

 余韻のながい、澄んだ音。

 

 ズッシリとした感触が、麻酔もなく乳首ピアスを施術された時の夢を喚びおこす。恥じらいや、戸惑い。なによりその激しい苦痛も、いっしょに。

 

 ――そんな。それじゃアレは……現実?

 

 キメの細かい、シミひとつない肌。

 見るからに柔らかそうなふたつの丘。

 その豊乳にくらべ驚くほどくびれた胴。

 

 なよやかなヘソを過ぎれば……。

 

 安産型と言ってもいい、ムッチリとした腰つき。

 折り曲げられ拘束される、肉感的な、ボリュームのある太もも。

 

 あまりな肉体改造のされように、もはや半ば諦め、脱力しながらイヤイヤと『成美』は首をふった。

 

うほへふ(ウソです)ふぉえは(これは)……うほへふ(ウソです)!」

 




休日だし台風だしやることないんで更新。
シャンパンが切れたので買ってきます。 

壁|ノシ


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057:           〃             (4【ヤベー版】

 

 絶望的な『成美』の魂からの叫び。

 それを(あざわら)うかのように、銀髪(シリブロ)は、

 

「キャハハ。ザ~ンネン♪ウソぢゃないんだナァ~これが」

「証明に、ちょうどイイものがあるわよ?……ほぅら」

 

 金髪(シリブロ)の操作で、部屋の空間に、あの夜のように3D(ホロ)が立ち上がった。 

 

 意識を失った少年。

 ふくみ笑いを浮かべる金髪と銀髪のボンデージ・スーツをきた(ビッチ)たち。

 両側から支えられ、少年は前面がグラス状となった、シリンダーの中へと安置され、様々な電極コードやカテーテルを身体に接続、あるいは淫猥(みだら)に挿入される。

 

 前面のモニターが、つぎつぎと悪魔的な施術内容を浮かべた。

 

 プロラクチン管理プラント埋設。

 各種の受容体作動薬(アゴニスト)投与。

 大量の女性ホルモン。

 細胞の融合剤。

 神経手術。

 

 さまざまな、見ようによっては残酷な文字列。

 少年の睡り顔をおおう、硬度の高そうなグラスの表面をよぎって。

 

ひょん(そん)……()……」

 

 自分の面差(おもざ)しが、髪が、体つきが。

 長いタイムスパンで、柔らかいものに変化してゆく。

 

 顔つきも、いつのまにかフェミニン(女性的)で、コケティッシュなイメージに。

 だが、培養した子宮らしい、うすいピンク色な臓器が自分の下腹部に安置されるのを観るにおよんで『成美』はとうとう吐き気をもよおした。次いで、画像は容赦なく恥丘のしたに造膣された部分をアップにし、『デザイン・ヴァギナ』(遺伝子培養:性技用肉襞(にくひだ)・増加タイプ)と、字幕をながす。

 

 “彼女”は力なく、自分の豊かにされた下半身を()る。

 安産型にされた造形のなかには、仔を(はら)むための子宮と、男を悦ばせ、その精を(しぼ)り取り・(むさぼ)るための特に設計された“高機能”ヴァギナが収められてしまったという事実。

 昏睡させられているあいだに、(おのれ)の淡い茂みが、レーザーを使って無毛にされるシーン。

 女医の神経質そうな手が執拗に器具を(はし)らせ、とうとう(ぬめ)のような光沢をはなつ恥丘にされて。

 

 ほどなくして手術室めく場所からシーンが転換し、日本間のような一室。

 

 相変わらず昏睡する『成美(じぶん)』。

 どういうわけか、髪を和風にセットされ、花かんざしで飾られて。

 着せられた緋色な着物のまえをはだけられ、白い布団に寝かされる(すがた)

 白足袋をはかされた生々しい脚と下腹部を、障子の薄明かりに冴え冴えとうかべる。

 

 そこへ、押さえきれぬ喜悦を浮かべて入ってくる一人の矮人(こびと)

 テロップは“人間国宝・刺青掘り師:青竜氏”と浮かべる。

 

 やがてこの奇怪な“傴僂(せむし)”の彫り師は、抱えた道具箱をキチンと畳のへりに沿って置き、やがて眠り続ける『成美』の下腹に覆いかぶさると、可憐な“おまた”に息を吹きかけんばかりの勢いで眼を近づけ、丹精込めて細かく針を操ってゆく。

 

 ひと針――ひと針――。

 

 まるで(おのれ)の情念を(すみ)と併せて注ぎ込むように、白い(きぬ)めく彼の恥丘にむかい、無残にも幾色もの顔料を、妄執の念を借りて注ぎ入れる有様。

 斯かる作業の間にあって、出っ歯の口もとは法悦(ほうえつ)じみた笑みを浮かべ、その目は純真な子供のように燦爛(きらきら)と輝いて。

 

 長い時間をかけ……。

 

 とうとう、この傴僂は一匹の(ちょう)を、その清らかな(はだえ)の下に封じ込めることに成功する……。

 

 彼女は(おのれ)の下腹部をあらためて情けない思いで眺めた。

 昏睡しているあいだ、出っ歯の彫り師に、出来上がったモルフォ蝶の彫り物を頬ずりされ、ヨダレの浮くブ厚い唇でキスをされるのを観たときは、おぞ気と悔しさで涙がにじんで。まるでこの身が徹底的に(ケガ)されたような。

 

 とどめに、シーンの最後に浮かび出た字幕は、『成美』を一番の絶望へと叩き込む。

 

 なよやかに変化した肢体。

 それを、まるで人魚姫のようにシリンダーからユルユルと引き出される姿。

 定着液まみれのまま、安らかに睡るその美女を映す3D画面の(はし)に文字が立ち上がり、

 

 【After 6 month】

 

 ――そんな……!

 

 愕然とする。 

 さきほどまで、広間で大皿にかざられて辱めをうけていたはずなのに。

 自分は6ヶ月も眠らされ“メス化”処置を受けていた?

 ありえない。

 いや、でも……それでは、この呪われた肢体(カラダ)は……?

 

 それに、と“彼女”の胸は正体不明の悲しみに包まれる。

 

 ――なんだろう。なにか大事な約束を、反故(ほご)にしてしまったような……。

 

「どうやら……気にいってくれたみたいねェ」

 

 金髪が、底知れぬ思惑を秘めて莞爾(ニッコリ)と微笑みながら

 

「それじゃぁ――試してみましょうか?」

 

 銀髪が、尻を乗せる鞍部から突き出た二本の黒い突起(ディルド)に対しゴム手をハメて、なにかのローションらしきものをチューブから手にとってなじませると、イヤらしい手つきで音を立ててそれらをしごく。

 

 「りゅッ、りゆっ、りゆつ」という、イボのついたその凶悪な張り型を愛撫する音が、暗く秘密めいた部屋に。

 おもわせぶりな銀髪(シリブロ)の強弱をつけた指づかいと、見上げる目線。

 

 サッ、と『成美』の顔色がかわる。

 

 ――あんな大っきなモノを、わたしの“なか”になんて!

 

ひょんはお(そんなの)……ふひ(ムリ)ふひえふ(ムリです)!」

「そうかしら?大丈夫よ。半年もかけて定着させたオ〇ンコですもの。たぶん」

「そぉれ……そぉれ……そぉれ……」

 

 M字開脚に拘束されたまま、ジリジリと、リフターのアームが下がってゆく。

 ヴァギナとアヌスの高さまでくると、いったん下降が停止された。

 銀髪(シリブロ)の手が、凶悪な性具の位置を調整しつつ、ふたつの(あな)をリズミカルに、そして女が女をイタぶるときの手つきで、念入りにモミほぐして。

 

「ぅん――ぅん――ぅん――ぅん――」

 

『成美』のよがり声にウンザリしたのか、金髪が、

 

「もうそろそろ佳いでしょ?そこまでサービスする必要はなくてよ」

 

 テラテラと、ローションまみれに耀くプラグたち。

 壁面の赤ガラスに映え、上の肉孔(にくあな)を待ち受けるように。

 軽やかな音をたて、ふたたびモーターは鳴る。

 

 ついに、ピトリ、とディルドの先が“女”の入り口に触れた。

 

 『成美』は、改造された哀れな身体をヒッ、と緊張させ、

 

ひゃぇて(やめて)ひゃぇて(やめて)ひゃえて(やめて)エェェェ!」

「フフフフ……ザーンネン♪」

 

 ガチッとロックがいきなり解放。

 ズン、と拘束された体が下がる。

 熱い塊が、いきなり“彼女”の前後をつらぬいた。

 

 ――ッつ!……ア"ッ!カ"ァ"ァ"ァ"ァ"!!!

 

 しばらくは、口が金魚のように。

 パクパクと動かすだけで、呼吸(いき)も出来ない。

 シャ――ッ!と音を立てて失禁した尿(にょう)飛沫(しぶ)き、黒いビニール張りの木馬を濡らす。

 とたん、長いゴムベラ状のムチが、むっちりした尻にスパァン!と鳴り響いた。

 

「オごぉ!」

 

 豊満な乳房を一度、はげしく揺らし“美貌の備品”は、のけぞる。

 

「ダレが()らしてイイって言ったの!ダレが!!」

 

 さらに、もう一発!

 骨盤から改変された豊かな臀部(しり)に、赤い短冊のような跡が。

 

 金髪(ゾーロタ)が、アルコールの香りがするウェスで、木馬と『成美』を拭き清める。

 そのあとで彼女は、鞍部から垂れ下がる均整のとれた『成美』の脚に、(もも)のつけ根までピッチリとおおう、タイツのようなラテックス製と見える黒いロング・ブーツを履かせた。

 足先だけ赤くなっているので、チョッと見には黒いニーハイ・ソックスに、赤いピンヒールを履かされたように。そう――あの初めて目覚めたときの装いで。

 

 さらに彼女は“蝶”を封じ込めた恥丘に、そしてその周りにまで、技巧をこらした舌をソヨソヨと、あるいはネットリと()わせ『成美』の淫火をあぶりたてる。

 

 調教役の女たちによってモルフォ蝶の刺青には交互に幾度も口づけされ、舐め上げられることで、あの出っ歯の傴僂に(けが)された部分が清められるような心持ちに、思わず『成美』はウットリと目をとじる。それを観た金髪と銀髪の、しめし合わせたような(くら)い笑み。さらに責めを加速して。

 

 女の果核(さね)も、巧みな技巧(ワザ)で包皮を舌によって()かれ、経験ゆたかとみえる口唇(くちびる)の責めが代わる代わる襲う。ビリビリとした(フル)えるような快感(エクスタシー)に『成美』は心の底まで(もだ)えて。

 

「ぅくぅぅ……」

「さっきまでソースのボトル代わりにされてたんだもんネェ……おしっこタンク、ゆるくなって当然よねぇ……」

 

 

 

 

 

 ――え……?

 

 

 

 

 

「シリブロ!余計なコト言うんじゃないよ!」

 

 金髪が声高に叫ぶや、『成美』のほおに、強烈なビンタ。

 結い上げられていたとみえる髪留めの(こうがい)が飛び、ウェーヴした髪が肩口まで降りて、ほおを押さえる“メス”を美しく飾った。

 

 床に響く、澄んだ金属音。

 口の中が切れたらしく、唇の端からひとすじ、赤いモノが流れて。

 

「ほぉら。よけいなコト……考えるから」

 

 金髪は、そういうや『成美』に口づけをして舌を侵入させ、傷口や、ピアスを穿(うが)たれた彼女の舌のウラを、レロレロとクスぐり、乳首をイジめて。

 

貴女(あなた)は――キモチいいコトだけ、考えていればイイの」 

 

 頭上で拘束されていた腕も、いったん片方ずつ外され、ワキの下まであるラテックスの黒いロング・グローブをはめられる。これもご丁寧に、指先は爪を模し、赤くなっているデザイン。

 ポールについた枝をワキの下に通し、手首とヒジは、ふたたび背後でまとめて拘束。

 背景の暗さとあいまって、ピッチリとしたラテックスに覆われた腕や脚が闇にぼけ、まるで四肢を切断され愛玩目的のダルマ女にでもされたかのような光景に。

 

「貴女はすでに“レベルD”まで女体汚染されてるのよ?観念なさい」

 

 金髪の無機質な言葉の調子。

 まるで冷たい水が()()()()から浸み込むような気味がある。

 脳髄(のうずい)中枢(おく)に、ヒタヒタと容赦なく入り込んでゆく、ような。

 

「あと戻りは――もうデキないわヨ?」

 

 ふといモノで前後をつらぬかれ、呼吸するたびに鈍痛がはしった。

 しかし、塗られたローションに薬でも混ぜてあったのか、そのうち甘い感覚が“彼女”の全神経をも支配して全身をめぐりはじめる。

 大きな張り形を二つも呑み込んだ肉感的な下半身は、そのムッチリとしたふとももをモジモジと動かし、貪欲にもさらなる刺激を求めるかのように(もだ)(うごめ)いた。

 ゆるゆると動かす身体につれて振れる豊かな乳房も、かたちの見えない未経験の欲求を持ち主に()()()()果てがない。

 

 感心するような、呆れたような声色が、両サイドから、

 

「あらあら。思いのほか、お気に入りのようよ?」

「イヤらしいねコノ娘!もうコシ使い始めてる!」

 

 やがて(はぁっ、)と金髪はタメ息をつき、小声で、

 

(ようやくねぇ。ずいぶん手間ひまかかったわぁ)

(やっぱりアレかな!?航界士の一級候補生、だったから?)

(おそらく――こんなに楽しませてくれた子は久しぶりよ)

 

 謎のような二人の会話も、『成美』には届かない。

 

 ゆるやかに時に激しく。

 突き出た二本の突起(ディルド)が、振動、回転をはじめ、“備品”の胎内を突き動かし、荒々しく侵す。

 

 一瞬、脳内が軽くホワイト・アウト。

 ふわっとエアポケットのように堕ちた。

 

 やがて、また緩火(とろび)(なぶ)られるように高められて。

 頭のなかをかきみだされ、もみくちゃにされるような、恍惚(ウットリ)した被虐感。

 そんなことを、幾度も、幾度も、さざ波のように重ねられる。

 

 だが、一番の肝心なとこで快感は引いてゆき、高みに登りつめられない。

 (なぶ)られ、()らされ、延々とお預けをされるような、もどかしさ。

 身体を拘束する背側のポールも上下運動をはじめ、身体全体を更に責めたてて。

 

 どれくらい経っただろうか。

 

 ――もう……ダメ……。

 

 (みだ)らなグラインドをみせながら、ついに『成美』は――折れた。

 泡立つような“彼女”の頭に、次から次へと淫らな妄想が、浮かんでは消える。

 

 おムチを打たれたい。

 思いっきり乱暴され、嬲られたい。

 乳首だけぢゃなくおマ○ムコにピアスされて、いじられたい。

 お口を××され、××ギナの入り口を手術され真珠をいっぱい××されたい。

 ×××に××してもらって、腰も、もっと細く、お×××も×××してほしい。

 

 戦前の伏せ字のようなことを考える『成美』を見た(ビッチ)たちは、

 

「へぇ。いっぱしなマゾの顔になってるジャン」

 

 シリブロが、シコり()つ『成美』の乳首を、思い切りツネりあげた。

 鈴の音が、ひときわ哀しく鳴り響く。

 

「ひぎぃっ!?」

 

 一瞬、悲鳴をあげる。

 だが、つづいてやってくる甘い感覚に、アヘ顔をさらして、

 

 ――(クヤ)しい!……けど幹事長!

 

 金と銀とが、黒い責め具の傍らで、ヒソヒソばなし。

 

(ふふふ。やっぱ、あのクスリのせい?)

(とうぜん。あれを塗られたディルドー挿入(いれ)られたら、華族の貴婦人だって“よがりブタ”直行よ?――逃れるすべは、ないわ)

(この仔犬チャンも、カワイソーに。ダレが買うのかナ?)

(もう買い手が二人にまで絞られてるらしいの。なんでもケモナーな西の大僧正と、おなじ西の名家の跡取り坊チャンとか。その子も人形(ドール)マニアで、体を付け替えて楽しむのが趣味なんですって)

(ひぇぇぇ……まーたエッチな身体、いぢられちゃうネェ)

(ケモノの皮膚組織移植されて、モフモフ人形にされてしまうかもね)

 

 周囲で、なにやら話が交わされているが、イキたい欲求でいっぱいの『成美』のアタマには、もう何も入らなかった。

 

(あぁ……グジョグジョに濡れた、おマ……………………………………

 

……《コノ間、作品ノ品性ヲ下ゲル為、二〇頁ト十五行抹消ス》………

 

…………ダレをながし、ホイストクレーンを使って木馬からふたたび吊り上げられる。ヴァギナとアヌスから淫猥な音をたててディルドーが抜かれ、床に降ろされると、脚と腕との拘束を、解かれた。

 

「そら。最後の手術台まで、じぶんの足で進みなさい」

 

 とろけた眼差しで、フラフラと『成美』は歩んだ。

 むわっ、と(おのれ)の身体から立ちのぼる淫靡なメス臭にとまどう。

 大きな姿見に映り込んだ自分の容姿(すがた)を“彼女”はふたたび凝視する。

 

 ふたつの豊乳の頂きから下がる大きなリング。

 黒ラテックスの長手袋にピッチリしたロング・ブーツ。

 

 おもわず腕の左右をつかい、豊かにされた乳房と、メス化され、美しい蝶が飾る“おまた”を、オズオズと恥ずかしげな上目づかいで、(うつむ)きがちに隠して。

 

「あらあら。もうすっかり身も心も、女の子ね」

「そんなハズ……ありません」

 

 ようやく舌の感覚をとりもどす『成美』。

 だが、言ったそばから、ピアッシングされ、プラチナ製の飾り輪が下がる乳首をグニグニと愛撫し、情けなくもメスの快楽を(むさぼ)ってしまう。

 

 くやし涙が――ひとすじ……。

 

 ためらいの手つきで“彼女”は、(みだ)らに肥大化された自分の胸を持ち上げる。

 そしてガクガクとふるえる紅い口唇(くち)のはしからヨダレを引きつつ、飾り輪に貫かれた固くシコる乳首を恥知らずにも含み、吸い付き、ピアスの穿(うが)たれた舌で転がし、官能をむさぼった。

 対して、もう片方の手の指は、戸惑いながらも女の秘部を押し開き、中なる指をつかって、先ほどまでイボ付きの野太いディルドに犯されていた(おのれ)の内側を(みだ)らにクジり、気持ちのよい場所を貪欲(どんよく)にさぐる。

 

 ――もうだめ……手が……手がとまらない……。

 

 観念したようにキツく閉じた眼から、また涙があふれて。

 

 そう――イイ娘ね、と金髪が満足そうに。

 

「コレからもォっと、気持ちイイお人形サンにしてあげる……」

 

 身体のうちから、情欲をもたらすピンク色をした淫火に(あぶ)りたてられ、『成美』は我を忘れた。

 悖徳(はいとく)破戒(はかい)――その甘美(かんび)な誘惑。

 “彼女”の正面に立てられた鏡の中。

 そこには、見慣れぬ少女が涙目で、(おのれ)の体を執拗に(もてあそ)び、慰める、あさましい(すがた)が。

 

「くぅぅ……」

 

 二人の調教役がニヤニヤと見守るなか、せつなげに一度、二度、ビクビクっと身をふるわせるや、自身の乳首を肉感的にされた紅い(みだ)らな口唇(くちびる)(くわ)えたまま、『成美』はペタリと床に女の子座りでヘタり込んでしまう。

 

 

 

 

 そんなときだった。

 

 

 

 

 ふと、“彼女”の動きが止まった

 

 最初は、自身の目が信じられなかった。

 フワフワした脳疲労が、自分に見せた幻覚かとうたがう。

 次の瞬間、氷の入った水を、顔面にBukkakeられたように。

 

 視点が変わった先の、木馬の傍ら……。

 二人の調教役からは見えないであろうところに、一人と一個の姿が。

 

 襤褸(ボロ)をまとう骸骨めく姿をした、極めて高齢な老人。

 

 

 そして――手にするのは、血の涙をながす少女の生首……。

 



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057:           〃             (5【ますますヤベー版】

 ――『()()』だ……。

 

 だれに、教えられたわけでもない。

 記憶に、残っていたわけでもない。

 

 本能的な――きわめて本能的な、察知。

 “畏怖(おそれ)”と言う人間が持つ原初の防衛反応の発露(あらわれ)から感じとる。

 

 愛香の妹である、(いや)()()()()オリジナルの、“成美”。

 

 そして――骸骨めく、老人。

 

 つぎに、その防衛反応は『成美』の脳裏(のうり)に一連の過去を、シーン(ごと)に、かつ連想的な繋がりで鮮明な像をむすび喚びおこした。

 

 『ペンギン』の見舞いに行った帰りのトラム。

 廉人(れんと)中尉に引きずられる形で、雲海の降下中に見た“フロイト”。

 あるいは、ミラ宮廷秘書官と出会う直前、カタコンベ(地下墓所)の上屋でみた光の模様。

 

 もはや、意識を()いていた強迫観念的な情欲の陰火は、液体窒素にいきなり漬け込まれたように冷えきり、()()()()も無かった。死神がジワジワと後をつけ、次第に距離をつめてくる、否応なしの皮膚感覚。存在の危機に際し、はじめて発露する根源的な生存本能と防御対応。それらが『女体化・洗脳調教』などという“お遊び”を、モノの見事に木っ端微塵(みじん)としている。

 

 

 凝然(ジッ)と“彼女”は、目の前の幽冥と(ニラ)みあう。

 

 ふと、血の涙を流す“成美”(オリジナル)の眼が、うっすら開きかけているのに気づいた。

 

 ――ダメ!……みては不可(イケ)ない!

 

 だが、そう思うはしから身体は言うことを聞かず、金縛りに()ったように。

 ほそい隙間からあらわれる、血泪をたたえた白目。可憐な小さい唇は、まるで何かを呪詛(のろい)するがごとく、災殃(まがつい)の気配を(はら)んで。

 

 いよいよ少女の目が見開かれようとしたそのとき!

 スキだらけの白い腰背(ようはい)銀髪(シリブロ)の悪意をこめた黒いムチがうなった。

 紅い跡をつけて“彼女”は身をのけ反らせ、結果的に死神から目を離すことに成功する。

 

「ひぎぃ!……ッ!」

「キャハハハ!このメス豚、イキすぎて腰ヌカしてやンの!」

「シリブロったら――さっきも言ったでしょう!あまりキズをつけないで?」

 

 叩かれた『成美』の身体は、電撃を受けたようにしびれを巡らせるが、そのあとは温かい湯をかけ流されたように、内から甘美な切なさと情欲、そして快楽とが拡がって、全身をトロけさせる。

 

「ホラホラほらぁ!シリブロさまの()()()のお味は、どうだい!」

 

 一発、二発――そして三発。

 

 (なま)めく背中を。

 白磁の乳房を。

 豊かな臀肉(しり)を。

 

 顔を(かば)ってうつむきに打たれながら、恐るおそる視野のはしを使って木馬の(かたわ)らを(うかが)えば、もう老人の姿はもちろん、少女の生首もない。代わってそこには、壁に穿たれた絵ガラスからの赤い光をポールが反射するのか、不定型な金色の光が床面の(くら)さに反抗するばかり。

 

 怪異に出遭(であ)った衝撃で、いちど()めた頭はムチでいくら叩かようか、もはや快楽に(おぼ)れることはなかった。だが調教された身体のほうは意識をうらぎり、(さいな)まれれば苛まれるほどに秘部は濡れさかり、大理石(なめいし)の床に恥ずかしい染みをつくってしまう。

 

 これを銀髪は目ざとく見つけたか、ヒュン、とムチの軌道が微妙に変化し、ヘビのようにうねると、『成美』の“お(また)”を直撃した。

 

「いぎぃ、ッツ!?」

 

 ハハッ!と調教役たちは顔を見合わせ嘲笑い、

 

「見た目は()いけど、しまりのないヴァギナだこと」

「いつまでヘタばってんのサ!とっとと立ちな!」

 

 ガクガクと脚を震わせながら、ぶざまに『成美』は立ちあがる。

 下腹部のワレ目から、はしたないヨダレが糸をひいて垂れた。

 それが恥ずかしさに胸と秘部とを両腕でかくし、おもわず内股で前かがみになってしまう情けなさ。

 安定しないピンヒール。

 フラフラと、みじめな想いが情欲の野火のように広がって。

 

「まぁまぁ。()()()が、ずいぶんと物欲しそうに」

「うしろの淫孔(アヌス)も、ずいぶんヨクバリだったよね?」

 

 どんどん熱をおびる体の欲求を、冷え切った頭はブレーカーが効いているように截然(ハッキリ)と無視し、両腕がふさがるシまらない格好ではあるものの、キッ!と『成美』は美しい(まなじり)(けわ)しく、いまこそ二人を(ニラ)みすえた。

 

 ――ヒトの体を、こんなにして!

 

 もはや時系列が入り乱れた記憶の中。

 己の聖水(おしっこ)を呑み吸った少女の生首を想う。

 (あわ)せて声帯だけが目的とされた美貌の少年たちも。

 扇情的なお仕着せと、淫具を強制される愛香のようなメイドたち。

 得意客に際し、媚びと快楽、そして性を(ひさ)ぐ高級公子――それにビェルシカ。

 

 『成美』は(ひそ)かにじぶんの“お股”を撫でさする。

 

 尿道にソースを注入されたおチ○ポも今はなく、代わりに淫汁を垂れ流す淫乱女の秘裂が。

 界面翼の高機動に耐えるように、そこそこ(きた)えられていた胸は、走るのにも気をつかいそうな巨乳(おっぱい)が植えつけられて。

 エースマンの(ケツ)バットに(オビ)え、いつも緊張に引きしまっていた表情(かお)は、鏡を見ずとも色()けにトロンとしているのが自分でもわかる。

 

 ――そのお(しり)だって……こんなにエッチにされて!

 

「あらぁ?一丁前に、反抗的な雰囲気を出してるのねぇ」

「前に、後ろに、おクチ。おチ○ポ三本も、喜んで(くわ)えこんでたクセにぃ♪」

 

 そういうや、シリブロは『成美の』髪を手荒にひっつかむと笑顔のまま、部屋の外へと勢いよく引きずり出した。

 

「イタい!――おねがい、非道(ヒド)いことしないで!!」

 

 ヒッソリした薄暗い通路の両側にならぶ扉の列。

 消臭剤でごまかされてはいるが、安物のカーペットの匂いに混じる愛液の気配。

 

「口の効き方が、なってないねェ?!エロ(ブタ)が!」

 

 ふたたびビンタが小気味よい音を立てて殺風景な通路に鳴りわたる。

 不安定なピン・ヒールが災いし、『成美』は頬をおさえたまま蹌踉(よろ)け、通路の壁に肩からドッとぶつかった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だろ!?」

 

 アオ筋たてて怒鳴るシリブロの背後では、ゾーロタ。

 これも大きな胸の下で腕を組み、うすく冷たい微笑(えみ)を浮かべて。

 

「……」

 

 『成美』は壁に身を寄せたまま、頬をおさえて顔をそむけ、唇を引きむすぶ。

 

 ――ここで、相手の言いなりになったら……すべてが負けだ。

 

 そんな想いが、胸のどこかでヒタヒタと強く主張し、心をつかんで放さない。

 

「どうした!ヨがりすぎて、口ィ効けなくなったのかィ!?」

 

 来な!とこの調教役は、またもや『成美』の髪をつかんで引き寄せた。

 美しく豊かな髪を雑に扱われるのが、なぜか無性に哀しくなった“彼女”は、

 

後生(ごしょう)ですから髪は……乱暴(らんぼう)()して!」

「乱暴だぁ!?あれだけ“乱暴”されて、ヨがってた――クセに!」

 

 シリブロの編み上げニーハイ・ブーツが、対面のドアを蹴り開けた。

 

 ムワッと吹きよせる“行為”の臭い。

 

 汗、愛液、精液。(よだれ)。涙。

 こもり、ない交ぜになった体臭の生暖かさ。

 なにより――(あえ)ぎ声。

 

 小部屋の中央にしつらえた、ラバー製とみえる巨大なマットレスの上では、幾本ものベルトが付いた△の革袋(アーム・バインド)で腕を後ろにまとめ、拘束されたひとりの女が三人の黒人に上から前から後ろから、ガッチリと固められる()()()奉仕(ほうし)を強制されていた。

 

 マットレスの中は液体が充たされているのか、上下、左右にはげしく揺れる彼等の動きがブヨブヨと、なんとなく定まりがない。

ピンク色になった肌を上気させ、懸命に媚びる若い女。

 頭をうごかし……腰をねじり……尻をふって……。

 

「あらあら『成美』チャン。あんなにガンバっちゃって」

 

 シリブロのせせら(ワラ)う声。

 いったい何を、と背後で腕を組む銀髪のドヤ顔をチラ見する。

 そしてしてふたたび前を見たとき……。

 

 ――ヒッ!

 

 『成美』のあたまから、音を立てて血が退いた。

 

 汗やローションにテカる目の前の黒い“円形劇場”。

 一生懸命に體を脈動させ“殿方自身”をほおばっていた女。

 その顔が――極太のモノを口いっぱいに頬ばったまま、動きを休めることなくコチラを見たかと思うと、さも満足げに目を細めて。

 

 ――自分(わたし)……?。

 

 そんなバカなと『成美』は、ピン・ヒールをグラつかせる。

 不覚にも、おしっこジョロロロロ……。

 

 ジョロロロ! ジョロロロ! ジョロロロぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!11

 パイズリするンだ、びゅん! びゅびゅ~ん!

 黒人CHINPOを る~ろ、るろろ!

 マ○コにハメ~て ズババババーーーン!

    (今日はラフロイグです)

 残業で

   もうヘれおえhれ」なんだよぉぉぉ~~~!!111111

・・・シャンパンとウィスキーのハイオク燃料は効きますねlw・・・

 

 脚をピッチリとおおう薄いラテックス・ブーツ越しに、おどろくほど熱い感覚の流れが、モモから足首まで伝って、ヒール周辺にふたつの水たまりをつくった。

 

「またこの()は!」

 

 シリブロが股間に手をまわし、手荒く小淫唇をかき分けヴァギナをくじる。

 

「!――!!」

(あわ)れな()。でも(つら)いのはこれからよ?覚悟なさい」

「やめて……これは――いったい……」

「コレが貴女(アンタ)なんだよッ!ツイさっきまでの貴女(アンタ)!」

 

 もっとよく現実を思い知らせようというのか、シリブロは髪の毛をワシづかみにして『成美』の頭をオラオラ!とゆさぶり、目の前の陰惨な光景を見せつける。

 

「いまさらカマトトぶったところで――もう遅いのよ?」

 

 容赦(ようしゃ)のない、冷ややかなゾーロタの声がダメ押しに、

 

「コレはね?においと感覚を体感できる3Dステージなの。先ほどまで貴女(あなた)が繰り広げた痴態を、臭いも感覚も同調して“侵入思考”的な強さで追体験できるシステムよ?航界士候補生だった貴女なら、似たようなモノは経験済みなはずだけど……」

 

 ――存在識失調(ヴァーティゴ)追体験(トレース)システム!

 

 かつて雲海に沈んだ航界士たちの恐怖(おそれ)狼狽(うろたえ)悔恨(こうかい)憤怒(いかり)――そして悲哀(かなしみ)を、肉体的な痛覚(いたみ)疲労(つかれ)と共に、経験できる共感シミュレーター……。

 

 『成美』は、錬成校に入学時、顔見せ訪問に行った探査院の広報センターで見たものを思い出した。大型の筐体から出てきた選抜の同級生たちは等しく顔面蒼白(まっさお)で、なかにはハッチを開けるや嘔吐(おうと)し失神する者も。抽選から漏れた『成美』は、中に入ることはなかったが。

 

「……貴女(あなた)、この三人の(ふと)チ○あいてに、先ほどまで腰を振っていたのよ」

「もうオマエの身体は、ホネの髄まで淫乱ブタの因子に染まってるってワケ」

「ウソ……ウソです」

 

 ウソじゃない事を思い()らせるのは、ワケ無いわよ?とゾーロタ。

 

「心的負荷をかけないように圧縮格納したあなたの感覚を解凍すれば、ご奉仕した時のことを思い出すもの――でもね?あなたの“飼い主候補”が、()()()()()()は自分用にとっておけと、(キツ)いお達しがでてるの」

 

 豊かなシリに、ムチがまた一発。

 

「ウソだと思うンなら、つぎの扉を開けてみな!」

 

 “彼女”はラテックスグローブでピッチリと包まれた、見覚えのない華奢(きゃしゃ)な手で、(となり)の重い扉を押しあける。

 

 とたんに流れてくる、リズミカルなよがり声。

 もはや嗅ぎなれた感のある()()()()()が。

 

 ピンク色をしたダルな照明が()ちる部屋の中。

 局部を計算高く露出する扇情的なボンデージ衣装に、身体のソコかしこから何かのコード線を()わせる姿で、垂直に立てた四角な枠に拘束された自分が「大の字」なりの形に架かっていた。

 

 脚の付け根の前と後ろには、(みだ)らな性具(オモチャ)が挿入され、リズミカルなモーター音と(あわ)せ、手枷(てかせ)足枷(あしかせ)で留められる不自由な四肢を悶えふるわせて。大きな胸に貼られた低周波・治療器のパットも、ふたつの巨乳を痙攣(けいれん)的に()みしだき、あえぎ声に切なさを加味している。

 

『してぇっ!……モッと、してぇェェェエエエッ!……』

 

 ふいに、拘束する金属の枠と鎖を激しくゆらし、身をよじらせて、上と下の淫口(くち)からよだれを垂らしながらトロンと(うつ)けた目をしたで自分が叫ぶ。

 

 ()ッ!と『成美』の顔が、その(ほう)けた自分の声を、醜態を、目の当たりにして赤らみ、全身からイヤな汗をジワリとにじませ、いたたまれない思いに耐えかねて。

 

 背後でせせら(ワラ)う、金と銀。

 

『おねがィよォォォ……!』

 

 顔をそむけ、『成美』は細い腕のおよぶかぎり勢いよく扉を閉めた。

 

「もうわかったでしょう?あの(ほう)けたイヤしい()()()が、貴女(あなた)なのよ」

「認めて楽ンなっちゃいナ。暗示(あんじ)ひとつでアンタは肉人形堕ちなんだし」

 

「――いやだ」

 

 『成美』はポツリとつぶやいた。

 ギョッとする金銀ふたりの女。

 

「あァ!?」

「こんなのイヤで――」

 

 さいごまで言うまもなく、シリブロのムチが襲う。

 激しくのけ反る、愛玩人形候補生である“彼女”の悲鳴。

 強情なメスねぇ、とゾーロタも呆れたように。

 

――逃げなくては……ダメ。

 

 ゆれる巨乳を片腕で押しつぶし、もう片腕でお(また)を隠しながら、足元のフラつくピン・ヒールで『成美』は、非常口とも思える突き当たりの扉にむけて精一杯のはやさで駆け寄る。女たちの哄笑が背中から追いかけてきた。それを背中で受けながら、渾身の力で“彼女”は身体ごと扉を押しあける。

 

『あぁっ!堪忍(かんにん)!!――ゆるして頂戴(ちょうだい)!』

『フフフフ……そんなことを言ったって、おまえのココはもうぐっしょりだぞ……』

 

 ガクぅッ、と脱力した『成美』の足首がコケ、グッタリとひざをつく。

 

 中には和服姿でひし形に縛られ、宙づりにされた自分。

 ひらいた前身ごろ。そこからのぞく白足袋(たび)をはいた脚は、淫欲にモジついて。

 ふたすじの縄で上下に(くび)られる豪奢な和服の胸が、見るからに往年のマニアをターゲットとした格好……。

 

 結い上げが半ばホドけた頭をかたむけ、相変わらず股間から異音をさせる(すがた)

 上気し、汗ばんだ首筋に(おく)れ毛を張り付かせ、うっとりと半眼にした顔。

 イヤよイヤよと言いながらも、わきに立つ屈強な黒メガネに、濃い目な化粧(けしょう)(ながしめ)で媚びをおくっている。

 やがて、その視線をわずかにこちらに向けるや、蹂躙(じゅうりん)され、奴隷となった己を誇るように、微笑しつつ上唇をゆっくりと舐めた。まるで(……いかがかしら?)といわんばかりに。

 

 ――いやらしい!

 

 またもや力まかせにノブを閉め、次!とばかり、いちばん近くの扉を。

 

 今度は、シルクのシーツを敷いたキングサイズのベッド。

 ピンクのベビードール。

 おなじ(いろ)のシフォンな造花を飾るチョーカー。

 光沢(こうたく)(はし)る波のうえでショーツを片足に引っかけ、うつぶせでヨガる自分。

 やや久しくして、物憂(ものう)げにおきあがると、左手で豊かな髪をかきあげ、ほそ首を飾るチョーカーの具合をなおし、ふと、闖入者(こちら)を観て莞爾(ニッコリ)とするや、右手をひらき、指のあいだに細い糸を耀(かがや)かせる……。

 

 ――くっ、なんてこと!

 

 『成美』は美しく整えられた眉をひそめる。

 自身では気付かないが、扉を開くたび“彼女”の美しさはどんどん増して。

 

 

 ――つぎの扉を!

 

 窓から流れ込む朝の光。

 

 背もたれの大きな籐イスに、真珠の長いネックレスを幾重にもかけて全裸の(すがた)でスラリと脚を組み、悠然と座る姿勢。

 いたいけな美少年たちを周囲(まわり)(はべ)らせ、ペディキュアが輝くゆび先を、そのうちのひとりに丹念な舌遣いで舐めさせて。

 ひとしく首輪を巻かれた少年たちは、幼いチンポをピン勃ちさせて、鈴口からカウパー液をテラテラと滲ませて。

 それが己の魅力の証左であることを悟るのか、よく躾けた飼い犬を愛玩するような手つきで、幼い竿を愛撫する。

 中にはガマンをしきれずに、若い性のほとばしりを溢れさす仔すら。

 

 きわめて満足げな――自分のドヤ表情(がお)

 

 

 ――つぎの扉!

 

 大型犬と繋がる自分。

 交尾の最終段階で、尻合わせとなったスタイルのまま、ふくれたイヌのペニスが膣を蓋するように圧迫し――。

 

 その時の記憶が脳に浸透してきた『成美』は、アツく濡れそぼった股間を思わず押さえ、切なげに身もだえする。

 

 ――つぎ!

 

 笛を差したランドセルを背負う幼い少女のスカートを――。

 

 ――時節がらマズいわよ!!!!

 

 哄笑とともに、シリブロの鞭が『成美』の背中を打った。

 足くびが負け、うつぶせで廊下に倒れこむ。

 顔を上げようとして、ゾーロタが乱れたその髪を踏みおさえる。

 冷酷な眼差しが、かろうじて(おもて)を上げた“彼女”の瞳を射て。

 

「もうわかったでしょう?貴女(あなた)の身体は……()()()調()()()()

 

 そういって金髪(ゾーロタ)は、ゆっくりと次の扉を開ける……。

 

 

 



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057:           〃             (6【残虐版】

 

 

 ほの暗い空気の中、腕を上に、両足を開いて「人」の字に拘束された姿。

 また自分か?――と思うが、拘束されている人物が、すこし小さい。

 足で抑えられた髪の隙間(すきま)から目を細め、

 

 ――愛香……?

 

 彼女の(かたわ)らには、長いナイフをもったパーティードレス姿な淑女(レディ)の人影。

 (サッ)、と『成美』の胸に緊張とイヤな予感が(はし)る。

 

 スソの広く胴体(ボディ)のタイトな、そして肩をあらわにするチャールズ・ジェームス風な装いをしたこの女性は、白い長手袋(ロング・アーム)をはめた手に握るナイフを持ち上げると、愛香が着せられるキワどいメイド服を、とくに力を入れる様子もなく手慣れた調子で紙のように切り裂き、バラバラの破片にしてしまう。

 

「ちょっ――いったい何を!」

「黙って見てらっしゃいな」

「コレから面白くなるのサ」

 

 観る者にレーザー・メスじみた刃の切れ味を思い知らせたそのナイフを、ドレスの女はボロボロなキャミソールを(まと)うだけとなった愛香の身に()わせる。

 ネットリと――まるでB級シネマの演出を思わせるような手つきで、いかにも『下女をさいなむ悪役令嬢』よろしく執拗(しつよう)(なぶ)る格好。やがてこの女は、最後にナイフの“平”の部分をつかい愛香のアゴを持ち上げると、いきなりキス。

 

 そして口づけをしたまま――。

 

 長いナイフを愛香の背にまわすと、いきなり彼女の右肺に突き刺した。

 ゴフッ、と身震いするキャミソールの体。

 腕の動きから、この女がナイフの刃を愛香の体内に刺し込んだまま、むごたらしくも一度ひねるのが分かった。

 それでも女は接吻(キス)を続けてやめない。

 やがてそこから、おびただしい鮮血が吹き出して。

 

「やめろォ!」

 

 髪を踏む足がどいたのを幸い、『成美』は立ち上がるや部屋に駆けこむ。

 濃くただよう、錆びた鉄めく鮮血の気配。

 

 ドレスの淑女(レディ)は、赤く染まったナイフを手に動かない。

 

 拘束されたままの愛香は、長方形の拘束枠からダラリと下がり、断続的に痙攣(けいれん)して。

 大きく開かされた(また)からは断末魔の糞尿がたれ、遺体のイメージを(かな)しく損壊(そこな)っている。

 

 顔面を蒼白にした『成美』は、すぐに傍らの下手人に向き直った。

 実態型3Dとは分かっていても、殴らずにはいられない。

 

貴方(あなた)!よくも――」

 

 『成美』が映像に詰め寄ろうとしたとき、血まみれの白い長手袋にナイフを握る女が、つと背中越しに振りむく。そして一仕事おえた吸血鬼のように、朱に染まった口もとを微笑ませた……。

 

 ――!

 

 視野が細かくふるえる。

 かるい吐き気が一度、二度。

 

 見間違えようもない。

 

 VOGUE誌から抜け出てきたようなドレス姿で、ナイフを握る腕をダラリと下げる、氷のような薄い笑みを張り付かせた女。

 光のやどらない瞳をした自分の目が、己自身(おのれじしん)を無表情に見返していた。

 背後から歩みよる“金と銀”が(あざけ)りの気配をまといつつ、

 

「よく分かったでしょう……?」

 

 冷ややかな声が小部屋につたう。

 

「ね?貴女は命令(オーダー)とあれば、どんなコトだって躊躇(ためら)わずやってのける、従順(じゅうじゅん)なメス奴隷に成り下がったのよ?」

「よく分かったろ?アンタはマン毛一本、マ○汁一滴まで、完璧な奴隷になったんだぜ!?」

 

 しつこいムチが、また一声。

 背中を打たれ、性懲りもなく女の合わせ目がふたたび(うる)んでしまう『成美』。

 その半面、あたまは(かえ)ってキン、と澄みわたり、この事態をどこまでも見通せるように。

 

 沈黙。

 

 口唇(くち)や喉もと、ドレスに鮮血の飛沫(しぶき)を散らし、(うつ)けた顔をして一時停止(ポーズ)した3Dを冷たく見つめながら、『成美』は静かに、きわめて単調な声で、

 

「愛香は――死んだのですか」

「そうよ?貴女(あなた)の手にかかってね?」

「誰が――そのように私に命令したのですか」

「ダレもォ?お定まりの、メス奴隷を従順度チェックする「出荷前検査」だモン」

 

 

「質問をかえます――「出荷前検査」の対象に彼女(愛香)を選択したのは誰ですか」

 

 またもや沈黙。

 

 かわりに背後で、拳銃の滑動体(スライド)を動かす音。

 

 それが――答えだった。

 

 緊張感が俄然(がぜん)高まるなか、『成美』は、ゆっくりとふりむく。

 拳銃を腰だめにするゾーロタと視線を切り結んで。

 

 かたや、調教役二人組。

 かたや、全裸に腕と脚のみ黒ラテックスで(おお)われるメス奴隷。

 薄暗い廊下と相まって、四肢を切断され、ダルマ娘にされた女のイメージが、ふたたび。

 調教役の()ギツネ二人に挑んでいる風。

 

「リップマンを――読んだことがありますか?」※

 

 ハァ?というシリブロの反応。

 

「一度、自分が操られていると知ったパーソナリティーは……二度と――えぇそうですとも。二度と!その(あやつ)り元を、信用しないんですよ」

 

 “金と銀”が顔を見合わせた。

 やがて気の短いシリブロが、HA!と声高に、

 

「なにワケのワかんないコト言ってるんだィ!」

「で、信用しなかったら、どうなるのかしら?」

「わたしは――ココを出てゆきます」

「はぁ?デキると思ってンの?」

()()()()()()()・『成美』。命令……そこでオナニーしなさい」

「Oui……Oui, mon capitaine」

 

 ――そんな!

 

 だが、洗脳され、性具として刷りこまれた身体に命令は絶対だった。

 ほとんど自動的に、『成美』は立ったまま片手で胸をモミしだきはじめる。

 脚の付け根の奥を中指で(えぐ)り、快楽のツボを探り、はやくも|淫靡な音をたててゆく肉壁。

 胸も敏感に反応し、ピアスが飾る乳首を恥ずかし下もなくさらに()たせると、ピンクに上気した肌は、早くも受けいれ体勢を整えたことを証して。

 

 一度、二度。

 

 熱い波が全身をはしりぬけ、ヘタヘタと“彼女”の体はすわりこむ。

 しかし頭だけは、ますます冴えて、彼女らへの憎悪をいや増しに。

 

「よろしい。メス奴隷候補生・『成美』。命令――扉を順番にあけなさい」

 

 イったばかりで力の入らないと思われた身体は、モーター仕掛けの人形のように、無理な姿勢から難なく立ち上がると、廊下にならぶ扉を次々にためしながら歩みをすすめる。

 そんな『成美』のあとを、ふたりの調教役が口々に、

 

「おぉ、(くさ)(くさ)い。発情したメスの匂いが、ここまで漂ってくるわね」

「わたしは――出て行きます」

「アレだけハレンチなコト刷りこまれて、まーだ強がってる」

「わたしは――出て行きます」

 

 いかなる快楽も、胸の内に沸々(ふつふつ)と煮えたぎる憎悪(にくしみ)の敵ではなかった。

 扉を開けるたび、その“ハレンチ”な己の行為を、強制的の目の当たりにさせられるという、変則的羞恥プレイ。

 己の痴態を観せられれば観せられるほど、背後の女ギツネ二匹に殺意がますますつのって。

 自分が愛香を(あや)めたことは、もちろん責任をとらねばならない。

 

 ――だが、まずは……!

 

 この金銀ふたりの糞ビッチに相応の(つぐな)いをさせてから。

 それが済んだら、はじめて悲しんで。悔やんで。自分をのろって。

 そして――巡礼でも自殺でも。何でもできる気がする。

 

 いまはどうやってこの場を(のが)れ、そしていかにして再びここに戻り、この二人を殺すか。それに頭がいっぱいで、とても悲しんでいる余裕など――ない。

 『成美』のそんな気配を敏感に感じたのか、ゾーロタは金髪をかきあげ、

 

「メス奴隷候補生・『成美』。命令――私たちに対する怨恨(えんこん)を抹消し、私たちに感謝なさい」

「Oui, mon capitaine……」

 

 自動的にそう返答した、そのとたん……。

 

 あれほど冷たい炎が燃えさかっていた『成美』の心から、憎悪が消えた。

 愛香を殺してしまった、という後悔と(おそ)れ。それに哀しみまでもが、同時に。

 代わって湧き上がるのは、背後の女ギツネ二匹にたいする、敬意と(おそ)れ。さらにくわえて理由の見えない、あふれんばかりの感謝情動。

 

 似たような感覚を味わっている分、驚きもすくなかった。

 すでにミラ秘書官とのデートで第二王女から経験済みだ。

 

 ――【特定シナプス促進システム】……か。

 

 ニコやかな顔で、『成美』は金と銀とを振りかえる。

 なるほど憎しみの“感情”は消えた。

 だが、目の前の女たちを殺さねばという“意志”は消えない。

 

 “輪郭”を消された殺意。

 “焦点のない”行動要因。

 

 ――へぇ。ヒトの心ってのは、こんな風になるんだ……。

 

 バラバラにされ、無惨に(けが)されたともいえる自分の心を、調教の成果か一種の被虐(ひぎゃく)的な快感で、冷徹に分析する。そして、そんな分析をしている自分を、他人事のように眺める自分がいる。

 

「……ガンコな仔だネェ。いいかげん認められないのかィ」

「メス奴隷候補生・『成美』。命令――現行動を続行しながら宣言をなさい。いまの貴女は――いったい何?」

「Oui, mon capitaine……わたしは……」

 

 意図せず、口が勝手に動く。

 そうそう、と背中でほくそ笑むふたつの気配。

 

 扉を開ける――四つんばいになり、後ろの責めにヨガる自分――扉を閉める。

 

「わたしは……」

 

 扉を開ける――美少年を性具で責め、乳房を吸わせる自分――扉を閉める。

 

「わたしは……」

 

 ふと、そこではじめて立ち止まる。

 

 ――わたし(Qui su)(is-je)て、何?

 

 男?

 女性(おんな)

 候補生?

 メス奴隷?

 店舗の備品?

 殺人もする人形(マリオネット)

 

 自分の存在の不確実さ。

 己を取り巻く世界の不安定ぶり。

 

 身体どころか心まで改変され、それまでの経時的な連鎖から暴力的に切り離された現在。愛香を手にかけ、その上もう二つの殺しまで平然と画策して。

 そんな事象に翻弄(ほんろう)されながらも、どこか離人症のように現実味の希薄な“今”という切断面。存在理由はおろか、『デカルト的な第一歩』すらも奪われてしまった自我(エゴ)

 

「どうしたの?メス奴隷候補生・『成美』。命令――宣言なさい!」

「アンタは、もう『土鳩(どばと)』なんてガキじゃない。『成美』っていう上等のメスなんだよッ!奉仕に快感を感じる“お人形サン”にされたコトを自覚しな!」

 

 ソーロタから投げかけられた『()()』という言葉(ワード)

 そこに、強烈な違和感をおぼえる。

 リダクション・モードが不発に終わった時のような。

 あるいは……。

 湖の訓練で緊急浮上したとき、冷たい水を手ひどく飲んだ時のような……。

 主のいない机に咲く、一輪挿しのイメージが、どこかで。

 

「さぁ、『成美』!宣言なさい。それで貴女(アナタ)の心に仕込んだ拘束(カギ)は完成するわ!」

 

 ゾーロタが期待を抑えきれないのか、珍しく上ずった声でうながした。

 次の扉を開けようとする――だが、鍵がかかっているのか、開かない。

 

「言いなさい『成美』!貴女はもう人間なんかじゃないの!単なる性具……」

 

 ――ちがう……!

 

 そゥら!とシリブロのムチが、豊かなヒップに。

 薄暗い通路に、残響まじりに鳴りわたる。

 切り裂く痛みが、隔絶された快感とともに。

 そしてそれが過去の光景を切り貼りに喚び覚ます。

 

 先輩候補生たちの遺体。

 巨乳上級生の柔らかさと匂い。

 壮大なステンドグラスと地下墓所(カタコンベ)

 

「モウいっちょォ!そらそら『成美(メスぶた)』!ケツが真っ赤になッ(ちま)うよ?」

 

 ――ちがう……ちがう!

 

 取っ手を回し、ゆさぶり、鍵のかかった扉を懸命に鳴らす。

 

 ――ちがう!

 

 トラムの(くろ)い老人。

 ブラン・ノワール組。

 耀腕(ようえん)にかかり散華する機体。

 遠ざかるリムジンの赤いテール。

 フェラーリで夜の街を疾走した高揚感。

 

「もう『土鳩』なんてキタない名前は捨てておしまいなさい!」

「人殺しにぁ、ほかに行き場所なんか有りゃしねェんだから!」

「ちがう!――ちがう!」

 

 まるで何かを振り()()ように、懸命に扉をゆすりつづける。

 

 

 蒼空を背景に雲海から浮かび上がる巨大なフリゲート艦。

 トゥ・シューズのジャンプで流れる汗とフット・ライト。

 

 白い滑空機の編隊と、稚なさが見える幼年校操縦者たち。

 ピンクの部屋でネグリジェをまとい、ベッドで愛玩される姿。

 

 雲海下にダイブ中のコクピットから目撃した骸骨(フロイト)(ワラ)い。

 自らの膣と肛門をも同時に犯すデイルドーを装着し、稚い少年たちを嬲る自分。

 

 

「――『成美』ィ!」

 

 ムチが、今までにない鋭さで振り上げられた。

 

「!」

 

 そのとき――頭の中で、不意にすべての歯車が噛み合った。

 

 どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのか。

 目の前にあった答えに、いまようやく気付いたように。

 ()は胸の中のよどみを晴らすように、大きく呼吸(いき)を吸い込む。

 

 

 

 

 

 

「ボクは――『九尾(きゅうび)』だ!」

 

 

 

 

 

 

 ついに、彼は叫んだ。

 

 声を限りに“彼”は身体の奥底から、うねるように全身の力をこめ、

 

瑞雲(ずいうん)錬成校1016!一級・航界士候補生――『九尾』だ!!」

 

 とたん、ロックが外れ、内側から扉がひらく。

 ヨロヨロと踏み出した足裏が、なにか柔らかい気配を伝えて転びそうに。

 

 (ごぅ)ッ!と緑の気配を含む風が、髪をゆらして吹き抜けた。

 燦然(さんぜん)と輝く光。

 いきなりの(まぶ)しさに目を細めて。

 

 乳房とお股を隠した姿勢で数歩つんのめるように進めば、そこには高原の傾斜地めく光景が、眼前にこれでもかという規模で雄大に展開する。

 

 彼方には、雪を頂いた高山の連なり。

 近くには森林の末端――その切れ目には湖すら見える。

 なにより驚くのは、天空に大小ふたつの衛星が、潮汐力(ちょうせきりょく)の心配をするほどの大きさで浮かんでいることだった。

 

 長い尾をした見たこともない巨大な鳥が、そんな大空を悠然(ゆうぜん)とよぎり、ひと声、鋭い啼き聲をたてて。

 

 ――広域・同時共感型3Dステージ……?

 

 すべてが、おそろしいほどリアルだった。

 五月を想わせる微風の香りに、つい『九尾』は目を細めて深呼吸。

 森の端では、野生馬らしい白馬の一群が、おもいおもいに尻尾をふりながら、こちらを窺っている。おまけになんと、その白馬たちの額には長い角が。

 

 ――ユニコーン……いや、角が二本だからバイコーン、か?

 

 見れば見るほど、アルプスの高原のような。

 どこからか車イスの少女と野生娘。大型犬、それに傭兵あがりの爺さんがパイプをくわえて出てきてもおかしくない風景――ただし、頭上に浮かぶ二つの月と、見たこともない動物たちを除けばのハナシだが。

 

 

 金銀の二人組はどうしたかと見渡せば、姿が見えない。

 傾斜した芝の地面には、小川が流れ、木造の小さな橋がひとつ。

 ところどころに、巨大な岩が、まるで取り残されたように転がっている。

 

 ――ココは……いったい……。

 

 

 

「やっと来やがったな?このクソ阿呆(アホ)が――」

 

 

 

 そばにあった、そんな岩のひとつから声がした。

 えっ、と声のした根元を見る。

 ひとりの男が長い草をくわえながら草の上にひっくり返って。

 曲げた脚を組み、片手に酒瓶をにぎる姿。

 くわえた草の茎は、なぜかイライラと上下していた。

 

「あのぅ……」

 

 見知らぬ男は、مادر جنده(畜生)!と声低く呟くや、プッ、と草を吹き飛ばし、おもむろに組んだ脚をもどす。そして「よッ」と一挙動で起きあがる。

 立ち上がった相手を見ると、なんとゲシュタルト・スーツ。それも見た感じ、ずいぶんと古い型のものらしい。歳は……30代なかばといったところだろうか。

 

 はぁ、と言うように相手は溜め息をつき、腰に手をあて『九尾』をニラむ。

 そこには、拳銃を収めたらしいホルスター。すると前線部隊の航界士だろうか。

 よくみれば、スーツには階級章や、部隊章らしきものが。そして一目でミリタリー・スペックと分かる――ただしずいぶん古風な――携行機材。

 

 ――もしかしたら、助けてもらえる?かも……。

 

 そんな彼の考えをよそに、この人物は、

 

「オマエなァ!作者はエロ苦手だッて言うのに、さんざっッぱら余ッッ計なトコ、ウロウロしやがって……」

 

 イキナリ妙なことを言われた『九尾』は、すこし戸惑(とまど)いながら、

 

「一体、なんのコトで――」

「あぁ、まァいい!ハナシが余計ヤヤこしくなるだけだ!」

「えと……ココって共感ステージの部屋ですよね?」

「あぁ!?」

「……あの、失礼ですが。貴方はいったい……?」

「ホントとに失礼な奴だな!?」

 

 相手は一喝してギロリ、(ニラ)む。

 

「まず手前(てめ)ェから名乗れ!!」

 

 失礼しましたァ!

 と、『九尾』はエースマンに叩き込まれた条件反射で、乳房(おっぱい)股間(マ○コ)を隠していた腕をまっすぐのばし、背筋を反らして直立不動となると、

 

「自分は瑞雲錬成校・一級航界士候補生1016!――『九尾』であります!」

 

 ふン、と鼻で嗤う気配。

 

「やりゃぁ、デキんじゃねぇか……クソが」

 

 挨拶が終わり、自分の秘所をまた隠そうとして、『九尾』は驚く。

 そこには、もはや乳房も、恥丘の茂みもなかった。

 ツヤやかな光沢。渋いカラーリング。

 いつの間にか彼もまた、ゲシュタルト・スーツを装着していたのである。

 

「オレは『ホスロー』……」

 

 上背のある姿がフン、と嗤う。そしてえらくスゴみのあるオーラを発しながら、この男はさらに続けて、

 

「未認可事象面・第47強行探査グループ・第3大隊所属。独立探査級航界士『ホスロー』上級大尉だ」

 

 

 

 

 

 




※ウォルター・リップマン、ね?


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058:航界士の“敵”のこと、ならびに“調教役”たちの末路のこと(前

 

 

 

 たがいに見合ったまま、牽制(けんせい)にも似た沈黙があった。

 やがてしびれを切らしたか、男のほうが背筋を伸ばし、もう一度。

 

「第47!強行探査グループ所属だ!」

「――はい……」

「……第47……だぞ?」

「はぁ……」

 

 ぬぅ、といかにも心外そうな表情(かお)

 そこには次第に「憤懣やるかたない」という色が浮かんで。

 やがて、この“上級大尉殿”は、

 

「キミねぇ?強行探査グループ、それも「第47」といえば、泣く子もダマる……ってもういい。時代は、流れたのだな」

 

 いかにもガッカリな相手に対し、()()()()もとりあえず、

 

「……スミマセン」

 

 やれやれ、と『ホスロー』は手にしたボトルから、ひと口(あお)ろうとする。

だがその中身がとうに空なのは、『九尾』が先ほど確認したとおりだ。

 チッ、と舌打ちの気配。

 

「――んで?どうするんだ、キミ」

「え?」

「もう“あの店(メゾン)”に居るつもりもないんだろ?」

「……はい、サー。もうこりごりです」

錬成校(ようちえん)に、もどるか」

「でも……女の身体にされてしまった今となっては――」

 

 『九尾』は(かな)しげな目で、ひさびさにゲシュタルト・スーツ姿となった己の身体をなでさする。

 とたん、わき上がる、甘い感覚。

 ムチで敏感(びんかん)にされた皮膚に、電流が(はし)るように。

 鏡がないので何とも分からないが、顔つきも(ほお)けたままなのだろう。

 乳房(オッパイ)は消え、代わりにチ○コがあるようだが、今はそれが何かジャマに思えて。

 なにより声が女性のトーンでは、自分が男子である認識が危うくなるばかり。

 それに気づいたのか、ホスロー上級大尉は「しっかりしろ!」と声を荒げ、

 

「キミは『成美(なるみ)』じゃない、『九尾(きゅうび)』だろうが!」

「なんで――わたしの名前を!?」

「知ってて当然だろう!()()()()()()()()。それに自分がコレと認識したら――それが自分なんだ。航界士の、初歩の初歩だぞ!」

「そうか。やっぱり探査院から助けにきてくれたんですね?」

「……」 

「でもわたし――いえボクは……人を……」

 

 心ならずも、すこし涙ぐんでしまう。

 華麗なドレス姿で長いナイフを手に、口を血だらけとした自分の卑貌(すがた)

 『九尾』は首をふり、思い出すのもイヤな情景を、頭から(はら)い落とす。

 

 ――連合警察に自首すべきか……。

 

 しかし愛香の死体は、もう処理されてるかもしれない。

 店の地下にある電気炉。あるいは水酸化ナトリウムのタンク。

 それとも挽き肉機にかけ、残飯にまぜてブタさんたちの飼料か。

 ビェルシカたちから聞いた、メゾン・ドールのうわさ話が脳裏に去来する。

 

 だんだん肩が冷えてきて、自分が殺人を犯したのだという実感がヒシヒシと(おのれ)を押し包む。

 罪の自覚と記憶がないのが、さらに恐ろしい。

 命令とあれば何でもやる人形に成りさがってしまった。そしてそんな自分をよろこんでいる心持ちがあるのは、調教の成果なのだろうか。いまは共感ステージの効果で見えないものの、自分の女陰(オ○○コ)が濡れてしまう感覚が、ありありと……。

 

 ――でも、ヘタに自首をしたら。店の(あに)サンたちに消されるかも。

 

 彼は、自然と可愛らしく小首を傾けて考える。

 ラウンジでの会話を聞くかぎり、メゾン・ドールは警察の上層部にも相当のコネがありそうだった。自分が殺され、それこそドブに蹴落とされても、航界士制度を(ニク)む宗教団体か、グローバリズムに反対する左翼テロリストの犯行にされた挙句、事件は形ばかりの捜査で迷宮入りとされてしまうかもしれない。あるいは女性姿で殺されれば、『行旅死亡人』として闇から闇に葬り去られることだろう……。

 

 ――だけど……その前に、なんとしてもあの二人を。

 

「あぁ、奴等(やつら)かね?ホラ――」

 

 『ホスロー』は、アゴで森のはずれを示した。

 

 悲鳴。

 また悲鳴。

 

 えっ、と声の方を見ると、ゾーロタとシリブロが茂みを散らして飛び出てきた。

 

 その後ろ。

 

 彼女たちを追うように、なにやら奇妙にウネるものがあらわれる。

 巨大なクラゲのような――あるいは透明な軟体動物の集合体のような。

 バイコーンたちが白い尾をゆらし、一斉に逃げ出した。

 マグナス伯爵の使い魔めくその戦車サイズなクラゲは、逃げる金銀に向け触手を延ばし、脚を(カラ)めとるや逆さ吊りに持ち上げる。そして彼女たちを獲物として(くら)い森へ、ズルズルと粘液質なうごきで還ってゆく……。

 

 ――そうか……。

 

 瞬時に『九尾』は納得する。

 おそらく自分を追って共感型ステージに入って来た二人は、ステージが装備する自動排撃システム(A  E  S)にやられたのだろう。その攻撃の具象が「巨大クラゲ」というわけだ。自分と金髪、銀髪の“本体”は、おそらく「強制認識場」を展開した広間の中にでも倒れているに違いない。

 たぶん『ホスロー』はメゾン・ドールとコネクションを持つ探査院の関係者で、店の空き広間を借りて網を張っていたのではなかろうか。性悪な女調教役ふたり組と店との関係が良くわからないけれど、結果オーライのようにも思える。

 

 ラッキーだった、と一息つくも、いま見た幻獣(クラゲ)が脳裏に焼きついてはなれない。

 基本的に共感型ステージの映像は、実在の場所を多重・多角に、積層型・高解像アナログ撮影で作成されるものだと聞いていた。

 ヒトやモノ、カネ。それに物流が潤沢(じゅんたく)に入り用な、超・高密度データ。

 

 ――と、いうことは……。

 

 あのバイコーンたちや、巨大クラゲも、()()()()()()()()()()()()()()()ということに他ならない。

 

 なんです……アレ。と『九尾』は、うわずった声で、

 

「一体ココって、どこをモデルにした共感型ステージなんです?」

「……265.724.838.92の座標軸にある未開発の事象面だ。()()()()()()()()()()()()()。特殊探査グループ内でも一部しか知らない極秘番地となっている……」

 

 溜め息まじりな相手の台詞(セリフ)

 よくわからない。

 しかし、とりあえず理解した風でうなずきながら、

 

「そんな秘匿(ひとく)事項を、なんでわた……ボクなんかに?」

「キミは――もしかしたらウチの大隊所属(カメラート)になるかもしれんからな」

戦友(カメラート)?」

「そう、(テキ)と戦う時、背中を任せられる仲間だ。いまは全然ダメだがね」

 

 ウィンクしてダメだしされ、グッ、となりつつも、

 

「テキ、って?」

「航界士の敵――すなわち()()()()()()()()()()()さ」

「なんです、それ」

「……キミは知らなくていい。まだ、な?たとえば――」

 

 『ホスロー』はボトルを芝に落とし、ホルスターから拳銃を抜き出すと、身体を(はす)にして前傾姿勢の両腕でかまえ、森のはしに狙いを定め、いきなり連射する。

 

 清浄な高原の世界には不似合いな、乾いた銃声が冷たい空気を圧し響き渡り、薬莢(ケース)が連続的に蒼空へと舞った。

 

 山々にこだまする銃撃音を背景に、滑動体(スライド)が後退したままロックされると、男は流れるような動きで空の弾倉(マガジン)を抜き落とし、新しいものを素早く装填(そうてん)、また連射。

 

 『九尾』は、見た。

 

 森のはずれ。

 幻獣が姿を消したあたり。

 ボロをまとった骸骨(ガイコツ)のような、()せ尖った人影……。

 ()ッとする印象。

 

 ――ここまで()いてきた!?

 

「何なんです――アレ」

 

 不覚(ふかく)にも『九尾』の高い声はフルえる。

 『ホスロー』は、彼方に目を向けたまま、声ひくく呟く。

 

「あれがキミにも見えたか……そうか」

「あのドクロが敵ですか?航界士の――わた……ボクたち人類の敵」

 

 へっ、と頭上からみじかく(わら)う気配が降ってきた。

 

「“()()()()”だからといって……“()()()()()”とは限らんぞ?――ま、アレは敵らしいがな」

 

 ――え……。

 

 『九尾』は、その言葉に絶句する。

 冗談ごととは思えない、存外に重い意味が、そこには感じられた。

 出来ることなら、聞かなかったことにしたかった――だが、もう遅い。

 

 自分の横に儼然と佇立し、相変わらず森のはずれをにらむ、二重衛星を背景とした男の姿を『九尾』は不安げに、そして何となくまぶしく見上げる。

 

 (じぶん)の知らない世界で戦う人物……。

 

 その存在がはなつ、強烈な(おとこ)雰囲気(オーラ)ごしに、いまだ行ったことのない事象面(セカイ)(キビ)しい空気が伝わってくる――ような。

 女の洗脳効果のためか、またもや“おまた”が濡れてしまうような、

 

「いや、冗談だ――気にするな」

 

 初心(ウブ)な少年の心に芽生える緊張を敏感に察したのか。

 『ホスロー』は、ぶっきらぼうにそう言うと、草原に落とした酒瓶の口をフッと吹き、執念深くボトルをゆさぶり、ウィスキーのしずくを、舌にふりおとす。

 かすかに漂う放射線障害予防液の臭い……

 

強行探査(おれたち)شعار(格言)に、こんなものがある」

 

 男はウィスキーのしずくが垂れた舌を、口の中で未練(みれん)がましく動かしてから、

 

「神ノ(テキ)ニシテ悪魔ノ(カタキ)――()()()()()()()()()()」 

「……」

 

 あまりに思わせぶり、かつ矛盾した言葉。

 そもそも冗談なのか本気なのか、まったく見えない。

 また相手のセリフには、深く追及されることを拒む調子がほのみえた。

 

 あきらめた『九尾』は、かわりに『ホスロー』が手にする中型拳銃に注目する。

 MOD.83 CAL.9という刻印がある滑動体(スライド)

 イツホクに会った時、みょうな懐かしさを覚えた拳銃と同タイプのモノだ。

 

「ずいぶん古めかしい銃ですね――いまどき金属製なんて」

樹脂(プラ)の“ふにゃチン“なんかに命ぃ託せるか?コイツにゃ昔、ずいぶんと助けられた……」

「わ――ボクも見たことがあるし、使えますよ?」

「当然だろ。コイツを持ってきたのはオマエだし、使える気がするのは、おれが助けてやったからじゃねぇか」

「……え」

 

 何かがおかしい……やっぱり何かがヘンだ。

 

 『ホスロー』に気取られぬよう、『九尾』はさりげない風をよそおい、この世界を見回す。

 

 遠くに移動して草を食むバイコーンたち。

 雪を頂く山のほうから吹きよせる、清浄な風。

 いくぶん力のない陽の光は、青みのスペクトルを帯びて。

 足もとに咲く花も、薫り高い草も、美しいが一風変わった姿だ。

 

 ――気をつけろ……。

 

 この美しい風景が、洗脳のプログラムの一環とも限らない。

 油断させておいて、心的防壁の無防備な部分を突く――ありがちなパターンだ。

 

「うん――その心構えは、正しい」

 

 いきなり『ホスロー』の声。

 振りむくと、なぜか沈鬱な表情を浮かべている。

 例えれば、危なっかしい遊びをする子供を遠くから見守るような大人の風情で。

 

「……つねに周囲にアンテナをめぐらせて自省を重ねるのは、いい心構えだ。だがそのサジ加減が難しいんだな、これが。早いところ「敵」と「味方」を嗅ぎ分けるようになれ。猶予(モラトリアム)される時間は、有るようで無いぞ?」

 

 『リヒテル』を思い出す『九尾』。

 条件反射で湧き上がる、一抹(いちまつ)の反抗心。

 やおら口をとがらせると、

 

「なら――サー『ホスロー』は、味方なんですか?」

 

 不意に、男の厳しい雰囲気がくずれ、破顔する。

 やおら近づくや、ああ……もう!と『九尾』の頭を抱え込み髪をワシワシさせ、

 

「キミはホント可愛いヤツだなぁ。今まで年増の女に言い寄られたコトないかァ?んぅ?」

 

 こんどはサラ先輩の――『デザート・モルフォ』の毛皮(コート)にこもった甘い匂いが、脳裏に。

 大聖堂の慰霊式で抱き寄せられた時の、あのムワッとした温かみ。安らぐような柔らかさ。包まれるような、思いやりのあふれる声。だが、すぐにそれは、

 

「アタシはどうなったのよ!!!!!!?」

 

 と、横から出てきたミラ宮廷秘書官の鋭角的なイメージに流される。

 

「ほらみろ畜生!二人も!!なんか母性本能、直撃しそうなヤツだもんなぁ」

 

 ズバリと『九尾』の心を読んだかのように『ホスロー』が嘆息(ためいき)

 

「若いってイイよなァ」

「サー『ホスロー』だって、お若いじゃないですか?」

「うン?オレはモウ駄目さ。身体(カラダ)だって……」

 

 ――え?

 

 警報のような、神経に(さわ)る音が間欠的に鳴りはじめた。

 高原が、バイコーンが、二重衛星が、風が。急速に現実味を(うしな)ってゆく。

 『ホスロー』が、またウィスキー瓶を逆さにしつつ舌を出して、

 

「気ぃつけろォ?キミの周りは、美味い汁を吸おうとするクズだらけだぞ」

「うまい……しる?」

「自分を強く持て。それだけでどんな嵐でも乗り越えられる……」

 

 目の前の光景が乱れはじめた。

 様々なイメージが、重層的に展開し、消えてゆく。

 最後に、危うい子供を見守るような、『ホスロー』の不安げな表情(かお)が。

 

 そして――すべてが分からなくなる……。

 



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058:          〃           (後

 

 

 ……とおくで、誰かが泣き叫んでいた。

 

 身体が生暖かいゲルに包まれている。気持ち悪い。

 口腔(くち)に――ノド奥に感じる違和感。

 身じろぎしようとしたとき、後ろにも太いモノをズップリと挿入(いれ)られているのに気付いた。目が見えない……苦しい。一瞬あの巨大クラゲのイメージがうかんで、自分はもしかしたら取り込まれてしまったのかもと(アセ)って。

 

 泣きわめく声がだんだんハッキリとなる。

 体のあちこちに繋がり、身体を絡めとるホースやケーブルを取ろうと、『九尾』はヌルヌルする手ざわりで充たされた暗黒の世界で苦しむ。

 電子音が鳴り、身体を包むゲル自体が微振動をはじめた。

 

《緊急――緊急――警報(アラート)06。警報06。被験体のバイタルに異常。これより非常排出(イジェクト)を実施。係員、ならびにスタッフは感染症、および高電圧に注意。くり返します……》

 

 悪夢のような中、そんなこもった声が響いたかと思うと硬質な振動音がつたわり、いきなり身体が持ち上げられる。

 ノドからズルズルと太い触手のようなモノが出てゆき、ゲホゲホとむせた。とたん、ミント臭のあるエアゾルが、喉のおくに噴霧される気配。

 

 ――おげぇ……。

 

 呼吸が楽になり、身体がうごくように。

 悲鳴はますます身近に聞こえるようになる。

 目と口の周りに圧迫感。

 どうやらゴーグルと給気マスクが装着されているらしい。

 むしり取ろうとして、手の可動範囲がせまいことに気づく。

 またもや手枷で、どこかにつながれているのだ。

 身体をかがめ、手の届く範囲まで首を曲げてゴーグルとマスクをむしりとった。

 

 ――う……。

 

 まぶしい。

 耳に装着されていたデバイスも、一緒に抜けてしまったらしい。とたんに悲鳴の音量(ボリューム)が大きくなり、何を叫んでいるのか分かるようになる。

 

「あああああああああああああ!!!!ゾーロタぁぁぁああああああああああアア!!…………………シリブロォォオオオオオオおおおおおおお!!!!」

 

 ながい息継ぎが分かるほどの肺活量いっぱいな悲嘆(なげき)

 なんだ?と『九尾』は力のはいらない上半身を酷使して起き上がり、多少めまいのする目をチカチカしばたくと、まず自分の状況を確認する。

 

 透明なジェリーに充たされた、全身を格納するタイプのシリンダーから、半身を起こした姿勢。ジェリーに浸かったままの下半身には、ブルマ―型の貞操帯をハメられているのが、ゆがんだ液面ごしに分かる。アヌスと尿道の違和感は――たぶんそのせいだ。

 ボディをひし形にイヤらしく(クビ)る、ボンデージ状の紅いハーネースとウェスト・ニッパー。だが胸には、あれほど存在感を主張していた乳房(オッパイ)は無い。

 

 手首と足首にも、おなじ色調の紅い拘束具。窮屈(きゅうくつ)さを感じた(のど)もとをさわってみると、鋲つきな首輪の手ざわりが。

 シリンダーの上半分はグラス・キャノピーのようになっており、全開状態(フル・オープン)のそこからは、床のレベルからだいぶ高い位置ともあって、大規模ICU(集中治療室)を思わせる室内の造作がよく見えた。

 

 しかし……なんというICUだろうか。

 

 ・消毒液の臭いが満ちる空間には、3Dのバイタル・ボードが何種類も浮かんで。

 (それも心電図の波形モニターだけで、両手の指をかるく超える数)

 

 ・ストレッチャーに拘束された、もだえ動く怪しげなラテックスの包みが幾つか。

 

 ・ヒト型をした「たい焼き機」めいた、車輪つき運搬具のように思えるモノ。

 

 ・改造途中と見える女性のボディが中にうっすらと(うかが)えるシリンダーの列。

 

 ・切断した美しい腕――あるいはボディ・ジュエリーを(まと)わされた胴体(トルソー)

 

 ・声帯オルガンのパーツと見える、目を閉じた美少年の生首がならぶ棚。

 

 ・床はパンチング・メタルとなっており、その下は絶えず消毒液が流れているらしい。

 

 すべてがサージカル・ステンレスの輝きを放つ明るさと清潔さで広い空間一面に展開されており、人体を高機能、高精度で管理している雰囲気がヒシヒシと空気を充たしている。

 

 『九尾』は、改めて自分の周囲を確認。

 

 左右には、おなじようなシリンダーがふたつ。

 いずれも空で、中身が搬送された跡だろうか、ジェリーの流れがキラキラと床を引きずられたように続いている。

 跡を目線で辿(たど)ってゆけば、さほど遠くない位置に並べられた2つの人体。その周りを、白衣の一団が囲んでいた。

 

 金髪と――銀髪。

 

 まるでローションまみれのようにテカる全身を、死体のように長々とのばす姿。

 その2体に、黒髪の女が取りすがり、先ほどから何やら泣き叫んでいるのだ。

 泣き咽ぶ女に見覚えがある。

 金銀から「コマンジュ(隊長)」と呼ばれていた人物だ。

 ふいに、その黒髪の女が振りむき、目覚めた『九尾』に気づくといっそう声を張り上げ、彼を非難がましく指さすや、

 

「あぁッ!アイツよ!あの悪魔が――わたしの可愛い()()()()()()()たちを、こんな木偶(デク)にしやがッたのよォォォッッ!」

 

 白衣の一団が割れ、数名が『九尾』のところにやって来るや、ゴム手で彼の拘束を解くと、身体に挿入していた装具などを手荒に抜きはずす。

 身体を(いまし)めるハーネースに付くDリングを使い天井クレーンから吊るすと、そのままゲルの滴を垂らしながら白衣の一団の上空近くに運ばれた。降ろされる途中で紅いピンヒールをはかされ、ゆっくりとフロアに。

 

「ちきしょォォォッォッッ!()ッき(しょ)ォぉぉぉぉォォォっっッッつ!」

 

 すぐ横で(つか)みかからんばかりに暴れる黒髪の女。

 記憶にあった、取り澄ましたような気品は、もはやみじんもない。

 眼を三角に血走らせ、乱れた黒髪を口のはしに噛み、指をカギ状にして。

 周りの制止がなければ、怒涛(どとう)のごとく襲いかかって来ただろう。

 

 黒髪の罵声をよそに、白衣のスタッフは黙々とうごいた。

 首輪付きの赤いボンデージ・ハーネスとウェスト・ニッパー。手枷・足枷。それにピンヒールだけの姿となった『九尾』の身体を突きとばすような手つきで、彼の身体にまとわりついたゲルを荒々しく拭き清める。

 

「うぷっ!ちょっと!痛いです」

 

 相変わらずの女声で『九尾』は抗議する。声帯の拘束も早く解いて普通の声に戻してもらわねば、と考えた。また、あの喉頭鉗子(こうとうかんし)をノドに入れられると思うとゲンナリするが。

 

「ホラじっとしてなさい!」

「これ以上手間かけさせないで!?」

 

 身体を何本もの手とバスタオルで翻弄(ほんろう)されている間、彼はアレほど自分を(もてあそ)んでくれた“金銀”の様子を(ぬす)み見る。

 

 二人は死んでいるのではなかった。

 

 銀髪(シリブロ)のほうは視線をフラフラと、それにくわえて痴呆めいた顔つきで口もとをゆるめ、ニタニタ笑う風情。床に転がった身体をクネクネと意味なく動かし、まるで落ち着きがない。そしてよく見れば銀色の髪はうすくなり、そこに白髪が、かなりの量で混ざっているのだった。

 

 金髪(ゾーロタ)のほうといえば、視線を一点に集中させ――ほとんど凝視(ぎょうし)といっていい――あたかも呪文を唱えるごとく、何やら間断なしに呟いている。

 耳を澄ませてみれば、このような言葉の羅列(られつ)がきこえただろう。

 

『科学的に厳密に分析しようとすればするほど神は逃げてゆくこれは円周率の相互性に他ならない曲線を理解するのは微分であるがそれはあくまで微分でしかないつまり《モデルQ》は存在しない感覚こそ万能の尺度でありヒトはその感覚を上位に引き上げねばならない――※1』

 

 (ワメ)き疲れたか、黒髪の女は二人の手下の身体をゆるやかに撫でさすり、マスカラの流れた目もとの奥から、黙って『九尾』のほうを(ニラ)むだけとなっていた。相変わらず目を硬く凝視させた金髪(ゾーロタ)イミフ(意味不明)な呟きは続いて……。

 

『人間が機械を使用するかそれとも人間が機械を使用されるかは大きな問題ではない重要なのはどのように人間と機械のコミュニケーションが成立しどのように人間が機械の部品になるかと言う事である※2あなたは可能性や有用性について議論しているところがあなたは既に機械の中に存在しその部分を成しているあなたは機械に指を目を肛門をあるいは肝臓を差し出している――※3

 

 『九尾』の身体を拭きつつ、バイタルのデータを取りながら周りの白衣たちが口々(くちぐち)に、

 

「店主の判断は?このビェルシカ、どうするんですって?」

「なにも聞いてない。どうするんだか」

「イサドラさんにつづいて、彼女たちもか……疫病神だなコイツ」

「“剥製(はくせい)屋”送りにしたほうがイイんじゃないの?キミ悪いわ」

「“人形師”のほうがイイわよ。高価(たか)くつくでしょうけど」

「Negative。買い手が、すでについてる。しかも相当な競り合いで」

「うへぇ。ドコよそれ?」

「西のほうとも――奥ノ院とも」

愛玩(あいがん)品か、実験体か――That is the que(ソレガ問題ダ)stion」

「いずれにせよ、我々が関知するべきでない、はるか雲の上のハナシだ」

 

 口々に飛び交う、決して自分に対して友好的ではない会話。

 声の調子に、いちいち敵意とトゲを含んで。

 

 ――まただ……。

 

 『九尾』は堂々めぐりの感覚に、胸をふさがれる。

 前回(まえ)は瑞雲の医療室で、はじめてゲシュタルト・スーツを装着された時だった。

 陰嚢(タマタマ)肛門(アヌス)尿道(ユリスラ)を遠慮なくイジられ、(おか)されて。

 今またメゾン・ドールのあやしげなICU(?)で、身体をいじられている。

 果てのない、悪夢のような環状路線。

 

 ――「分岐(ポイント)」があるとしたら……一体どこに。

 

「さ――どうするの?店長ンとこ連れてく?」

「しかたないよ。このエロ~いイヴニング・ドレスを着せてこいとサ」

「この()にはお似合いね。この前のベビー・ドールだってコワいくらいピッタリ」

「オシリもすっかり開発されちゃってさ?イヤらしい“お道具”をズップリいれられて、アンアン言ってたもんネェ……」

 

 白衣の人間からの、悪意を含んだことば責め。

 『九尾』の頬が、カァッと熱くなり、粘着質に交わされる視線もふくめ、彼の心にグサグサと刺さる。

 

 そのとき、この物騒な人型格納容器がならぶICUの頑丈そうな入り口を開け、入ってきた者がある。折りたたんだ大判のバスタオルと思われるものを腕にかけ、もう片方の手にはクリップ・ボード。

 

 品の良い、整った顔立ち。

 ひざ上のまでの、きわどいメイド・ドレス。

 歩くたびにおまたの奥からチリチリと鈴が鳴って……。

 

 『九尾』は目を疑う。そして何度もまばたき。

 

 間違いない……。

 

 全身の血が、ふたたび暖かく流れはじめる気配。

 それと同時に、今まで自分の心がどれだけ冷え固まっていたか、この時にしてようやく思い知った感がある。

 

「――愛香!」

 

 彼は、そう叫ぶや否や、白衣の者たちの制止をふり切り、囲みを飛び出した。

 履かされたピンヒールがフラつくのも気にせず彼女のもとに駆け寄った時、愛香はフルチンで駆け寄る彼から顔を赤くしてそむけ、手にしたバスタオルをひろげ彼の前をかくす。だが『九尾』は、そんな彼女の仕草はもちろん、自分が全裸である事すら気付かない。

 

 ――愛香だ……間違いない、生きている愛香だ!

 

 『彼女が生きている』という喜びと『自分は殺人を犯していない』という安堵。

 どちらが大きいかを精査するのは、野暮(やぼ)というものだった。

 おどろく彼女を無視し、もういちど目のまえの存在が“実物”であるのを確認すると『九尾』は涙目で、あたりをはばからず、彼女を強く抱きしめる……。

 




※1:珍歩意地郎
※2:ジル・ドゥルーズ『器官無き身体』より
※3:ドゥルーズ+ガタリ『アンチ・オイディプス』より
(ネタをあかせば「ゲシュタルト・スーツ」の理由付けです)

なんか哲学パートに戻ると読者諸氏の反応がニブりますねぇ……。
さ、次からまたエチーな回ですよっ!


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059:思考の女性化進行のこと、ならびに修錬校へ帰還のこと(前

 

 おどろく彼女を無視し、もういちど目のまえの存在が“実物”であるのを確認すると、『九尾』はあたりをはばからず、彼女を強く抱きしめた……。

(前話まで)

 

                * * *

 

 

「そう、彼女を強く抱きしめる……すると、あの()も抱き返してくれる。自分とまったく異なる“宇宙”が!自分を認め、受け入れてくれる……こんな嬉しいことは無いんだ!」

 

 広間の片隅でヒソヒソと語り合う数名の候補生。

 フランス貴族の小姓めいた制服を着た候補生が、アツく語っていた。

 ほかの少年候補生たちは、話半分に聞いている風。

 

「なぁ、分かるだろ?」

「……ハイハイ、と」

 

 この時もう一人、遠くから日本の中世武官風な装束(しょうぞく)の候補生が、

 

「でもサ、これから我々は……ヤバい橋をいくつも渡るんだぜ?」

「だから?」

 

 分からないかナァ!、とこの候補生は苛立たしげに、

 

「自分が殉職(じゅんしょく)したとき、彼女を悲しませたくないな」

「じゃぁ、キミは別れるというのかね!」

「……まだ決めてない」

 

 このとき、少し離れた別の場所から、また声がかかった。

 

「でも確かに、残された彼女も可哀想だな。子供がいるなら、なおさら」

「本職の航界士は、みんなドウしてるんだろう……」

 

 (ひかえ)の間』には、ちょっとした論争が起きていた。

 

 いわく《この試演が終わったら、彼女に告白するか、否か》

 

 ようするに、彼等はヒマをもてあましているのだ――ひとりを除いては。

 

 次の試演の案内もなければ、サモワールを補充するメイドもやってこない。

 茶はあらかた飲み干され、ビスケットに至っては『二番星』がほとんど喰ってしまい、今になって当人は胃のもたれに苦しんでいるというしまつ。

 

 実況中継もいつのまにか無くなり、広間のモニターは、ただ事象震が荒れさかる、鉛色をした天空を映すのみとなっていた。

 会場であるグラス・ドームでの余興(よきょう)や、スタジオからの毒にも薬にもならないトークがOA(オンエア)されることもない。ときおり画面をよぎる耀腕(ようえん)が、次の餌食(えじき)をダラダラとさぐっているのを観るばかりである。

 

「みんな、『S-852(特例保険)』は掛けたんだよな?」

 

 近衛の制服を着た候補生が広間を見まわした。

 そして――ややあって、若干(じゃっかん)の照れをみせながら、

 

「アレは特約でかなり戻ってくるから、自分は、その――彼女との結婚資金にしようと。みんなも彼女に、なんか買ってやるんだろ?」

 

 ヘッ!と『二番星』が、またトゲトゲしく横ヤリをいれ、

 

「オレにぁ、そんなもの居やシねェよ!」

 

 (だろうな)という、みごとなまでの広間の空気。

 

「でも修錬校の方で掛けたらしいから、戻った保険金でカジノでも行くさ」

 

 (このバカが……)という、またもや完全一致な広間の空気。

 

「でもナァ、確かに……」

 

 中世の傭兵隊長のような、飾りのハデな制服を着たひとりが、やがて思い切ったように周りを見まわしながら口をひらいて、

 

「なんかサ?いちどは(あきら)めた命だから、なんか新鮮に感じるよな――わたしもバカやって彼女とケンカ別れしたけど、もう一度やりなおしてみようと考えてる」

 

 オイ!と別の候補生が、目線で次が順番となる幼い候補生の方を示す。

 一瞬、傭兵隊長はバツの悪い顔になるが、ふいに顔を明るくし、

 

「でもサ?これだけ次の案内が遅れてるんだ。もしかして、もう試演はないかも」

 

 パッ、と幼い候補生の顔がもち上がる。

 はずみで、またも大きすぎる制帽のひさしがズッこけて。

 それを持ち上げたとき、ベリショな男の娘めく表情に、おさえきれない生気と喜悦(よろこび)が動くのを()て、広間の少年たちは傭兵隊長に(罪なことを……)と、暗黙の非難を投げかけた。

 

「そ、そういやさ?“耀腕殺し”サンは、彼女居るんで?」

 

 いきなり傭兵隊長から話をフられた『九尾』は、迷惑そうに眉をひそめる。

 

「あぁ……?」

「いやその。“二つ名”を持つ有名候補生ともなれば、やっぱチーレムかな、と」

 

 広間の雰囲気が、こんどは全体で聞き耳を立てる風。

 

 いや、と『九尾』は首をふる。

 『二番星』のオッ!と言うような顔が嬉しそうに――そして追従(おべっか)な口ぶりで、

 

「そうですよねェ?お忙しい身体ですモンねぇ?」

「捨ててきたんだ、そういうの」

「え……」

「彼女とか、そういうの。もう興味ないんだ……」

「えぇッ!勿体(もったい)ねぇ……彼女とデートしてシッポリしたくねぇスか?――ンだよお前ェら!笑うなよゥ……」

 

 必死な『二番星』の物言いに広間がすこし、なごんで。

 それをよそに『九尾』は片頬をつき、過ぎ去った日々の事を考える

 

 ――彼女、ねぇ……。

 

 

                * * *

 

 

 (いい?これでアンタ……私の彼氏だからね!)

 

 “押しかけ彼女”の勝ち気な声が、脳内に当時の勢いそのままによみがえる。

 ミラ宮廷秘書官の、肉食獣めいた爛々(ランラン)たる(ひとみ)の輝き。

 うれしさを必死に隠そうとコワばった、若々しいリップの口もと。

 

――あのデートから、どれくらい経ったのか()()……。

 

 瑞雲校に向かう、三台の車列。

 その真ん中に位置する重厚なストレッチ・リムジンの車内では、『九尾』が本革シートに装備されたマッサージ機能を最大に効かせながら、ドアの内装に付けられたクッションつきのヒジかけ台に半ば身体をあずけ、窓の外を流れる街の光景を、(うつ)ろな眼差しで見入っていた。

 

 シリンダーから強制排出(イジェクト)されたのが昨日の夕方。

 何ヶ月も調教されていると思っていたが、じつは、ほとんどが共感型ステージ内の出来事で、実時間はホンの数週間だった――らしい。

 今日は先日の夜会で約束した瑞雲の訪問に、逃亡防止のためかイツホクじきじきの付き添いで、仰々(ぎょうぎょう)しくもリムジンの車列を従え修錬校に向かうところだった。

 

 

『クルチザンになる前に、奴隷の(さが)を植え付けられる前に!一度。一度だけ修錬校に戻ってらっしゃい。そして()()()()で!もう一度だけ、飛びなさい……』

 

 

 『リヒテル』の――ネイガウスというのが本名だと知った(ヒグマ)の声が、彼の耳の中に何度もこだまする。

 いちど退職した、年金暮らしの貧乏な非常勤講師とみせかけて、じつは権勢バリバリの現役上級大佐――とんだ食わせモノの、(じじ)ィ。

 そう考えると、“瑞雲”はもちろん「探査院」すらもが、メゾン・ドールに負けず劣らずの魔窟に思えてくる。

 

 ――修錬校、ね……。

 

 道路は朝のラッシュ時間を抜け、ようやく空きはじめていた。

 ふと、彼は先輩女子候補生があやつるバイクの後部席(タンデム)を思い出す。

 

 そう。それは、ほんの半年とすこし前のこと。

 

 それまでの自分は、目立たず()えない、フツーの存在。

 彼女いない歴=年齢な、一介(いっかい)の三流候補生だったハズなのに……。

 

 滑走路の終端で見た先輩たちの死体。

 あれから、全てが変わってきた感覚。

 いいえ、と、そのとき『九尾』はふいに感覚を研ぎ澄ませ、

 

 ――もしかしたら……もっと前。

 

 技術査定でインメルマン・ターンをミスった、あのときから……?

 

 輝腕との遭遇戦。

 雲海にうかぶフリゲート艦でのデート。

 アンテナ・マスト先端でイチャついた一幕……。

 

 思い出した。

 

 あのときも、ミラ秘書官に貞操帯のプラグを悪戯(イタズラ)されたっけ。挙句の果てに、こんどは彼女の目前で、膀胱に仕込まれたソースを精液(お情け)と一緒にびゅるる~~って。

 

 ――あぁ。どうかあのときの大皿(プレート)が『九尾(わたし)』って、気づかれてませんように……。

 

 リムジンがトンネルに入った。

 

 規則正しく、トンネル内の照明が車内を滑ってゆく

 (くら)い鏡と化した防弾ガラスの車窓に映る己の(すがた)

 コマ送りのように、浮かんでは消えて……。

 彼は、黙然と自身を見つめる。

 

 金髪に染められ、アップにされた髪。

 ヨーロッパ・スタイルな、やや濃い目の(よそお)い。

 銀色の毛皮袖からスッと延びる天鵞絨(ビロード)の黒い長手袋(ロングアーム)

 その毛皮がつつむ身体は、補正下着とコルセットに縛められる。

 さすがに、これから古巣に向かうのに首輪はマズいので、チョーカーに。

 (ゆる)やかなリムジンの挙動に、耳につけられた大ぶりなイヤリングがゆれて。

 

 ふと対面の座席から、端末を操作しながらイツホクがチラチラと自分の方を窺うのに気付いた。そこに彼は、守銭奴の骨董屋が所蔵品をうっかり(やす)く売ってしまったような、あるいは株式投資で利確をしたのち、その株がさらにグングン上がってゆくのを見るような、後悔の目つきにも似たものを読み取る。それが、いつのまにか身につけた『九尾』のナルシズムを、少なからず満足させて。

 

 ガーター付きの光沢ストッキングに包まれた、メリハリのある脚。

 ひざを合わせ、品よくななめに(そろ)えてしまうのは、もうクセになっていた。

 タイト・ミニな革スカートの奥に、オチンポ・ブラ付きな紫のショーツ。

 メゾンの“影の店長”に(のぞ)けるよう、太ももの角度を計算して微妙に腰かけて。

 

 ――ヒールにも、いつの間にか慣れてしまって……。

 

 まるで(なめ)された革で作られた“(おんな)”という(まゆ)に、自分がヒシヒシと取り込まれ、ギッチリと、有無を言わさず改変されてゆくような――そんな印象。

 繭から出されたとき、そこには……。

 

 ――そういえば……今朝、起きたときも。

 

 なにか(イヤ)な、そして記憶に残らない夢をみて、汗だくで目覚めた0930時。

 

 もの()げに天蓋(てんがい)つきなシルクのベッドからネグリジェ姿のまま素足で滑り出て、大理石の浴室で純金のシャワー・ヘッドから行水をすれば、朝の輝く光にコルセットに締め上げられた胴は、哀しくも8の字なりに、美しく歪められてしまっているのを発見する。

 

 イヤらしく調教され、恥知らずにも淫らに感じてしまう、鋭敏となった肌。

 ワックス掛けの終わった機体のように、キラキラと水玉をよく弾いて。

 尻も、腰つきも、豊かに。からだ全体の雰囲気も、どことなく(おんな)(あぶら)がのったように、ムッチリとしたものに。

 

 不覚にも、浴室に据えられた等身大な姿見に、己の容姿を映して()れぼれとしてしまい、悪戯心(イタズラごころ)で思わず鏡にキスしてしまったことを、『九尾』は心ひそかに顔を赤くして思いだす。

 共感ステージで埋設された仮想子宮が、まだ残っているかのように、(うず)く。

 ヴァギナから、恥ずかしいローションが(にじ)む気配さえ、感覚が鮮明に。

 

 ――敏感になったチクビをコリコリ甘噛みされて……

        大きな白いベッドの上で、やさしく愛されたい。

 

 ――うしろから造りたての“女陰”を激しく突かれ……

        オッ〇イを揺らしながら(はぢ)知らずにアンアン(アエ)ぎたい。

 

 ――そして“お人形”にされてしまったら……

        エッチな服を着せられて、イヤらしい“お道具”を身体に

        挿入されたまま、お服屋さんのショー・ウィンドウに飾られて。

 

        そんな自分を、街なかを()くみんなに蔑まれなから……。

 

 そこまで想像を漂わせたとき、『九尾』はふいに我にかえり、自分の妄想(もうそう)(みだら)らさ、下劣さ加減に唖然(あぜん)とする。

 

 

 ――なんで……こんな……。

 

 思わず美しく整えられた眉根をひそめた。

 嫌悪感が、霧のようにユックリと押し寄せて。

 そもそも、なぜこのような変態的嗜好(しこう)が浮かぶのか。

 

 先日の共感ステージで、自分は『九尾』だと宣言したハズなのに。

 

 顔面(かおおもて)火照(ほて)る。

 体が身(もだ)えし、欲情しているようで悩ましい。

 うしろとまえに挿入された“お道具”も、妙に気になって。

『九尾』は、モジモジとふとももをすり合わせ、艶やかなボディ・スーツ(補正下着)でタイトに締め上げられ、見目よく形作られた胴を、(ツヤ)やかなシルクのブラウス越しにまさぐり――愛撫(あいぶ)して――(ヒソ)かに快感をむさぼる。

 

「だいぶ……ナジんできたようじゃねぇか……」

 

 対面からの声にイツホクを見ると、中年男の目つきが一転、いつのまにかイヤらしい“ヒヒ爺ィ”のソレになっていた。

 見透かされた!と、さらに(おもて)は赤らむが『九尾』は強いてツン、と平静を(よそお)い、

 

「なんの――コトでございましょう?」

「フフフ……それよ、それ」

「えっ……」

「お前ェ、自分のカラダ。変わってきたと思わねェか?」

「それは……あれだけ責めを受ければ……」

「その男好きのするカラダだけじゃネェ……()()()()、ヨ」

「えっ……」

 

 まぁイイ――いずれ(わか)る、とイツホクは思わせぶりな事を言って、いったん口を閉じ、手元のデータに目を落としつつ、

 

「きょうは、あの日のご褒美(ほうび)で遠足としてお前ェの修錬校訪問だが、帰ってきたら新しい調教師と面通しだかンな」

「もちろん――承知しておりますわ?」

「逃亡防止に、お前ェの胎内にゃマーカー挿入してあるし、その化粧は特別製だ。(ウチ)専用にブレンドした薬品(リムーバー)でないと、落ちねェよ」

 

 『九尾』はコンパクトを取り出し、上品なものの、若干(じゃっかん)濃いめな(おのれ)(よそお)いを確認する。

 そういえば今朝の美容担当の女性員たちは、みょうに上機嫌だった、ような。

 

「ッたく。『イサドラ』につづいて『ゾーロタ』に『シリブロ』まで……おめェにゃどんな防衛人格が仕込まれてンだい……」

「……防衛人格?」

「『土鳩(ドバト)』、なんて()えねェ名前(W/N(ウィング・ネーム)ってのか?)だろ?どんな学校生活を送ってたンかと調べさせたら、部活は日本舞踊に、お茶、お花か……モトから上等なメスの素養(スジ)は、あったらしいな」

 

 ウソよ、ウソ!と『九尾』は考える。

 

 『土鳩』は、たしかテニス部だった。

 両手使いのバックハンドからくるコーナー狙いの強烈なリターン・エースが持ち味だったはず。

 いちど、体練のテニス授業でサービス・ゲームをブレイクされたからよく覚えている。

 それに瑞雲には「日本舞踊部」など――ない。

 

 自分の知らないところで、また(よど)んだ力が、巨大なうねりをみせるような。

 操り人形を動かす巨大な“手”が、自分はおろか、イツホクすら包みこむ気配。

 

 彼は、ひそかに肩を震わせた。

 これを影の店長はなんと取ったか、

 

「オドろいたかィ?メゾン(うち)の情報網に」

 

 えぇ。もちろん、と『九尾』はうなずく。

 

 ――そのツカえなさップリに、ね……。

 

「おめェも、もうすぐ()()()になるんだ」

 

 何気ない口調で、イツホクはしれっと、

 

「カラダは大切にな?だから今日は飛んだりするンじゃねぇぞ?もうお前ェひとりのカラダじゃねぇんだ」

 

 奥サマ?と『九尾』はイヤリングをゆらして小首をかしげ、

 

「なにをおっしゃいますの?わたくし――男のコですわよ?」

「じゃぁ、その口ぶりは、ナンなんだい?」

「これは――」

 

 イツホクに言われ、はじめて彼は自分の言葉がおかしいことに気づいた。

 

 言葉だけではない。

 身振りや仕草――モノの考え方も。

 

 むねが、ドキドキしはじめる。

 

 黒い長手袋におおわれた腕を、白い毛皮の奥に差しこんだ。

 光沢のあるシルクのブラウスごしにバイオ・パット付きの補整下着(ボディ・スーツ)で強制的にメリハリを整えられた身体をまさぐる。革のタイト・スカートを履かされるため、オチ○ポの存在を確認できないのがもどかしい。彼の手はひそかに己のFカップをもみしだき、脳にせつない快感をおくる。

 

 『ゾーロタ』と『シリブロ』の最後ッ屁ってトコか、とイツホクは嘆息。

 

「お前ェの思考野に、進行性の女体化・願望因子(いんし)を仕込んだらしい。マァ言ってみりゃ、進行性のある精神的な認識展開ウィルスだ。それが徐々に効いてきてるッてワケさ」

「一体なにを言って……」

「女体化の拒否はできねぇよ?お前ェとは、最初は自由契約だったが、ここまで金をかけたんだ。やめるなら違約金5000ギニーってトコだな。もっとも女になることに喜びを感じるよう、お前ェは洗脳済みなんだ。おあいにくさま」

 

「そんな……あんまりです!」

 

 あまりのことに、彼はヒステリックな甲高い声をあげた。

 声帯に再手術はされず、あいかわらず女声のままで“彼”は非難がましく、

 

「だって!あの夜に男のコだとバレなければ、自由にするって――」

「静かにしねェ。状況が変わったんだ……ウチの店のちからをもってしても、どうにもならねぇほどな。仮付けの(メス)ンなったお前ェを、ある2方面が市場(スーク)で競り合ったのよ。結局、西に本家がある外象系の名家が落札(おと)したんサ。なんでも子胤(こだね)()く、優秀な子宮(ハラ)がほしいんだと。どうしても女の子供が欲しいそうナ。外象の奴らはホレ、女系だからヨ」

 

 驚きのあまり、言葉もない。

 

「安心しろィ。(とつ)ぎ相手は成金風なエロ爺ぃじゃぁなく、外象系・名家の若サマだ。もっとも、コッチも相当のHENTAIらしいが、ナ?」

 

「ちょっと待って……」

 

「お前ェがハメてるその指輪は、その若サマからの贈り物だと。なんでも小さい航界機が一機、楽に買える値段らしいぜ?」

 

 『九尾』は二の腕までおおう黒い長手袋、その左手の薬指に耀く、キツめに嵌められたピンク色な大粒のダイヤモンドを、茫然(ぼうぜん)と眺めた。

 ジワジワと、見知らぬ男から愛撫される印象。

 思わず指輪を外そうとするが、長手袋が邪魔をして――抜けない。

 

 ふひひっ、とイツホクは下卑(げび)たわらいを見せ、

 

「大丈夫だ。いまウチでチャンと、お前ぇの遺伝子つかった専用の子宮を培養してる。半年後には手術して、お前ェのハラに埋め込んでやるサ。したらコマされて、腹ボテになって――ひり出(出産)して――ママになって。お前ェそっくりの可愛ィ赤ン坊に、オッパイをあげるッて寸法だァ」

「赤ちゃん……」

「よかったナァ――()()()()()()?」

 

 冷やかすような、なぶるようなイツホクの口調。

 

 『九尾』の身体がカァッ、と熱くなり、心臓が熱く脈うった。

 汗ばむような気配。理由もなく体がフワフワと、心もとなく。

 思わずモモをすりあわせ、まだ子宮が無いことを味気なく、もどかしく感じてしまうような。

 

「結婚式にァ、よんでくれよ?名家の奥サマ――ウチのいい宣伝になる」

「お式だなんて……そんな」

 

 なにをバカなと思うが、そのはしから衣装はウェディング・ドレスがいいか、それとも白無垢(しろむく)か、色打掛(いろうちかけ)かとウットリ考えてしまう自分に愕然としてしまう。

 

 ――お式は大聖堂がいいかしら。それとも神前?……いいえ!いいえ!

 

 『九尾』は眉をしかめて思いなおし、

 

「いったい、ワタシ――ボクに何をした!ワタ――ボクが入れられたあの変なシリンダーは!一体何なんだ……のです」

 

 ムリをして男言葉を使うが、話してゆくうち嫌悪感にくわえて胸の痛みを感じ、最後はノドの奥で消え、女言葉になってしまう。

 

 なにか自分が、とんでもなく汚いセリフを口にしている印象。

 赤く染められた唇を、悔しげに噛んで。

 上目で、恨みがましくイツホクを(ニラ)む。

 

 よしよしと、この様を見たメゾン・ドールの“裏店長”は、満足げに(うなず)いて、

 

「あのシリンダーかィ?アレはナ?強制・意識改変システムだ。もとは工作員を寝返らせ、二重スパイに仕立てるのが本来の使い方――らしい。店では、高級奴隷に仕立てる調教の仕上げに使ってるがナ。被験者の入るスレイブ・シリンダーの両脇に、マスター/サブ・マスターのシリンダー置いて、並列で意識つないで両方から強制的に被験者の思考を誘導、改変させるンさ」

 

「そんな……ヒドい」

 

『九尾』はイヤイヤと首をふった。

 大ぶりのイヤリングが頬をつつき、隷女に堕ちたいまの境遇を彼に()らせる。

 

「なるほどお前ェは特殊な防衛人格を植え付けられて、洗脳がむずかしくなってるらしい。けど、それも多分きょう明日で変わる――人格が、決定的に。あともどり出来ねぇほど、メス化馴致(じゅんち)がお前ェの脳に根を張ってサ?時限式・洗脳だ。ケッコウ手間ァかかっちまったが」

 

 ――きょう明日……。

 

「本来なら、チッとはオレもシャブってもらうんだが……」

 

 いささかも悪びれる風もなく、イツホクは、ギンギンにテントを張る自分のスーツのズボンを指さして、ドウだぃと言わんばかり。

 

「だが、名家サンも。外象系のコネで同じような機械使えるだろう?ンでもって、お前ェをもう一度走査(スキャン)にかけて、オレが商品に手ェ付けたのがバレでもしたら、(ウチ)の信用問題、ってワケだ」

「そんな……わたしを商品みたいに」

「イマさら、ナニ言ってんだィ!まァ頑固な疑似人格の方は、(とつ)ぎ先のほうで何とかしてもらうサ。向こうのほうが強力なキカイ持ってるだろうから」

 

 植え付けられた、疑似人格……。

 だが、ここで不意に『九尾』の冷静な性格が顔をもたげる。

 

 ――それもウソね……。

 

 『九尾』は長手袋をはめられた自分の指に耀く、婚約の証であるピンク・ダイヤを凝(ジッ)と見つめ、考えに沈潜する……。

 




ハーメルン様はコチラの意図した文字装飾ができるので
非常にありがたいですね。
むかし投稿していた場所では、とうてい望み得なかった仕様です。


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059:           〃             (後

 ――それもウソね……。

 

 『九尾』は長手袋をはめられた自分の指に耀く、婚約の証であるピンク・ダイヤを(ジッ)と見つめ、考えに沈潜する……。

 

(前話まで)  

 

 

 まるで『ホスロー』上級大尉がそばにいるように、冷静さが戻ってきた。

 

 もし探査院が、本人も知らないうちに対・洗脳用とはいえ、現実に人格の改変をおこなっていたら、本当にメゾン・ドールと変わらないことになる。予算(バジェット)の分捕りあいや、打算ずくの無意味な作戦で生徒を危機に陥れることはあっても、そこまではするまい……生徒の人格が変わったり、行動パターンが露骨に変化したとすれば、それはウワサとなって、マスコミが嗅ぎつけ、黙ってはいないだろう。

 “組織防衛”だけにはビンカンな奴らだ。国は亡びても、自分の組織だけ生き残ればいいと思っているにちがいない、と彼は先日の歌劇座で見た小役人を思いだす。

 

 自分が受けた女体化調教なるもの……。

 

 いったいどこまでが現実で、どこからが仮想だったのか。

 イツホクに聞いても、たぶん洗脳効果の減少をおそれ、教えてはくれないだろう。きっとあいまいにされるに決まっている。

 いずれにせよ、すべてが共感型ステージ中の出来事だとしても、あのとき味わった感覚や光景は鮮明で、忘れることはできなかった。

 

 ありがたいのは、犯されている光景や、他人を(なぶ)っているシーン、それに愛香を殺している場面が、ぜんぶ()()()()()()だったことだ。性奴隷に堕ちた状態での主観的な目線は、なにひとつ無い。

 

 ガタイのいい数人の男に四方から嬲られる一幕。

 美少年たちをはべらせた情景や、大型犬を相手にヨがる様子。

 四肢を切断され、ダルマ女用のゴシック・ドレスを着せられ、愛玩(あいがん)される有様。

 花魁(おいらん)の衣装のまま(はりつけ)となり、白々(しらじら)とあらわにされた下半身を責められる淫景。

 

 思い出せばキリがなく、いちいち脳裏に焼きついてイライラするが、タチの悪い映画を見たと思えば、何とかガマンできなくもない……ような。

 

 そして最後に見たあの風景。

 

 清浄な高原。

 幻想めく白馬の群れ。

 悪夢のような巨大クラゲ。

 こちらを(うかが)う骸骨めいた姿。

 二重衛星を背後にして(たたず)む上級大佐……。

 

 ――認識こそ現実。それ以外は、他人がつくったノイズ……。

 

 よし、何とかイケる、とメス化願望の発作じみた衝動を乗り切った『九尾』は、胸の中で安堵(あんど)の息をつく。

 

 そう――これは航界士の、初歩の初歩だ……。

 

 コートの中にコッソリと入れた変装用の黒いサングラス。

 ジットリ(もてあそ)びつつ、彼は心の整理をつけ、ホッと小さく息をついた。

 

――スケルチ(雑音消去)をいれて、判断する。ただ、その精度を常に上げなくては……。

 

 そまで考えて彼はふと、あの老いぼれ(ヒグマ)が力説していたものと、言葉こそ違っているがソックリなことに気付き、クスッと可愛く笑ってしまう。

 

 大ぶりのサングラスを毛皮のポケットから抜きだし、しばらく考えながら漠然(ばくぜん)と弄んでいたが、イヤリングをゆらしておもむろにかけると、具合をリムジンの窓で確認する。

 

「おッそろしいホド似合(にあ)ってるじゃねェか……」

 

 じっと『九尾』を観察していたイツホクは、対面から面白くなさそうに、そして呆れたような口ぶりで、

 

「まるで、ホンモノのハリウッド・スターみてぇだ」

「瑞雲校にもどった時の、変装用ですよ」

 

 サングラスをかけたまま、どぅ?と対面座席に軽くキメて。

 

 万一、知った顔に会っても――こちらが分かるとは思わないが――念のため。

 

 なるべくコッソリと修錬校にもどって、飛行の手はずを整える。ゲシュタルト・スーツを着装するとき、店が身体に仕込んだイヤらしいアイテムも、除装されると見当をつけていた。

 

 そのあとは『リヒテル』に店からの“足ヌケ”の件で相談し、進行性の思考障害も瑞雲のコネでなんとかしてもらう。もしダメなら――預金を引き出して……ほかの事象面へと高飛びする。

 行き当たりばったりだが、仕方ない。それに我ながら少しムシがよく、図々しいような気がしたが(……知ったことではないわ?)と『九尾』は開きなおる。

 

 ――図々(ずーずー)しさこそ、生き延びるカギよ!

 

 いざとなれば金持ちのパトロンを見つけ、少しぐらい身体を任せても良いとまで思っている。共感型ステージのおかげで“お口”や“お尻”の技術(テクニック)にもヘンに自信がついて。

 高飛びと決まったそのときは、雲海降下の件も龍ノ口先輩にはあきらめてもらうしかない。いや、むしろサラ先輩には、そのほうがいいのではないか……。

 

「そう、変装用ねェ……」

 

 イツホクの笑みが、(ひろ)がった。

 

 満面の――笑み。

 だが『九尾』はそこに、なぜか邪悪なモノを感じる。

 ややあって、この女衒(ぜげん)屋は、

 

「お前ェんトコの修錬校からな?じつは連絡があったんだ」

「れんらくですって?――どんな?」

 

 小首を可愛くかしげる仕草が自然に出てしまう。

 あぁ――また、とそんな自分に嫌悪しつつイツホクの方をチロリ、と見て。

 

「お前ェを連れてく場所を、シベリア事象面・専用離床港の「ブヌコボ・(ファイブ)」にしてくれってヨ?あそこにァ、新鋭の航界機ぃテストする専用の試験場もあるとか。お前ェに、なンかヤバいコトさせるつもりだったンだぜ」

「……まさか」

「そのマサカ、よ。チョイ調べさせたんだが、なんでも宝殿(ホーデン)?とかいう、キ〇タマみてェな名前の機体を運び込んだらしい」

 

 ――“奉天(ほうてん)”ね?と『九尾』はすぐにピンとくる。

 

「コイツがな、一部じゃ伝説的なシロモノらしく、ナンでも“()()()()殿()”とか……」

「――え」

「ウワサじゃ、(フル)い「いわくつき」の機体でナ?無敵を誇る代わりに、パイロットの魂を喰うんだと」

「まさか――イヤですわ?脅かそうなんて」

 

 そう応えるはしから、あの機体にまつわるイメージが、次々と。

 跨乗型(こじょうがた)コクピットの床に拡がっていた、茶色い染み。

 あれは、やはり……。

 

「いやマジだって!空技廠(くうぎしょう)の“奥の院”ってわかるかィ?」

「ウワサだけは……」

「外象人の親玉である女王の直轄(ちょっかつ)組織らしいンだが、このヨボヨボのバァさんキモ入りで建造された“妖機(ようき)”とか。もっともこのバァさん、アルツハイマーで歩行器使ってるぐれェなんだと。代わりに航界関係の指揮を()っているのが――」

(らん)の……王女」

 

 キッ、と『九尾』は(まなじり)をけわしくする。

 巡界艦の乗船エリアで、こちらに感情促進波を浴びせかけてくれた張本人。

 なにかが、細い線で繋がりつつあるような……。

 

 ――それでは。やはり人格改造を、探査院は本人の知らないうちにするの?

 

 すこしの間、『九尾は』考えに沈むが、

 (うぅうん!?でもでも!)と、またもや可愛く彼はイヤイヤをして、

 

 

 だとしたら『ホスロー』上級大尉の言葉が分からない。

 『未開発の事象面』

 『()()()()()()()()()()()()()極秘番地』

 

 ――そもそも、『ホスロー』上級大尉って……だれ?

 

「ンだよ、知ってんじゃねェか。とまれ、蘭の王女(コイツ)が見た目は穏やかなんだが、やることが結構エゲつないってハナシでな?だもんで危険を感じた俺ァ、あらためて瑞雲(ずいうん)なんて線香クサい名前の学校を、はじめの予定通りお前ェの遠足場所にしたんさ。どうだィ、ちったァ感謝してくれてもイイんだぜ?」

「……どうも」

「え、それだけかィ?」

 

 不満げなイツホクのふくれツラをよそに、

 

 ――いずれにせよ……。

 

 彼は車窓の風景をニラみながら、自分の直感を信じるだけだ、と覚悟を決める。

 

 

 いつのまにか、リムジンは、『九尾』が見おぼえのある通りを走っていた。

 仰々しい車列が注目を浴びるのか、信号待ちのたびにスモークをはった中央のコワもてな一台が、とくにチラチラ見られる。

 

「それに、だ。感謝される理由は、ほかにもある……」

 

 イツホクの容貌(かお)が、また邪悪さを増してきた。

 ヤな予感に、『九尾』はふたたび胸を重くする。

 

「あのステージは、サイコーだったよなぁ……」

「――ステージ?」

 

 とぼけなさんな、とイツホクは、まるで相手を焦らすように。

 

 車内の奇妙な沈黙。

 

 しだいに修錬校が近づいてきた。

 瑞雲の体操服を着てロード・ワークをする一団を追い抜く。

 と、その一団が駆け足の合図をされたものか、一斉に車列を追ってダッシュ。

 そのありさまを、なぜかひとつ頷いて満足げに見やりながら、ようやくイツホクは口をひらき、まるでリズムをとるように、

 

「魅惑の、踊り子が、繰り広げる――“七つの、ヴェールの、舞い”……」

 

 末世に降臨した舞姫“『成美』”爆誕ってワケだ、と中年男の目は細められ、

 

「つまり……今回は“凱旋(がいせん)報告”ということサ。冴えない候補生だった『土鳩』の」

「それは……ご丁寧(ていねい)に」

 

 ――この姿を見たら、教官たちはどう思う()()()……。

 

 『九尾』は暗澹として考えをめぐらす。

 リヒテルには、ビェルシカ姿を見られてるから、まだいい。しかしエースマンや、あのメガネの女医は。それに、この声……。

 

 早くも“クソの特盛り”だ、“メガ・オカマ野郎”だと怒鳴り声が聞こえるような。

 そんな『九尾』の憂鬱そうな表情(かお)に、ふふッと対面座席の中年男は、まるで何かを期待するような、ふくみ笑い。

 

 錬成校「瑞雲(ずいうん)」の正門が見えた。

 

 昔の駐屯地を連想させるような、赤レンガの門柱。そして立哨(りっしょう)小屋。

 車列の先頭から、ガタイのいい黒メガネが出てきて守衛と交渉を。訪問予定者の確認が済むと、なんのためか瑞雲校に唯一のこるオンボロな対テロ用(セキュリティ)小型戦車(オブイェークト)の『亀ちゃん』がディーゼルの排気も勇ましく姿をあらわした。

 やがて、車列は小型戦車を最後尾として、ふたたび敷地内を進みはじめる。なぜか『亀ちゃん』の持つ37mm砲のレーザー・ポインタが先頭車両に向けられて。

 

 『九尾』は毛皮から、またサングラスをとりだすと決意を秘め、それをかけた。

 

 ――知り合いやクラスメイトには、絶対にバレないようにしなくちゃ……。

 

 すると、ゆるやかに校内敷地を進むリムジンの道路わきから、リスのように生徒がチラホラ見えかくれして、

 

(きたきた!)

(たぶんアレじゃね?)

 

 そういって、スモークの窓に向けて手を振ってくる。

 フフフ……と深まるイツホクのふくみ笑い。

 歓声がして後ろを向くと、

 

「よっしゃぁぁぁ!追いついたァ!」

「カメラもってンだろな!カメラ!()()()()()()()()だぞ!?」

 

 さきほど抜いたロードワークの一団が、腕を振り回しながら追いかけてくる。

 『亀ちゃん』の警笛。なにやらスピーカーで怒鳴る声。

 さらに広がるイツホクの笑い。

 

 イヤな予感が増してゆく『九尾』は、ついに耐え切れず、向かいに座る男に、

 

「あの……なんか注目、浴びてるみたいなんですケド?」

「そりゃぁ第一、貧乏な修錬校にこんな(リモ)が来るんだ。目立つわな」

 

 ですよねぇ?と彼は大きく安堵の息をつく。

 だが次の瞬間――その息は止まった。

 

「そのうえ“女体化”処置を受けつつあって、しかも政治家や財界の人間も行きつけにする一流の料理屋に囲われて、挙句にいまや超人気の舞姫となっている“元”在校生が来るとあっちゃァ、ご学友の皆サンが御注目なさるのも――」

 

 

 あとの言葉は『九尾』の耳に入らなかった。

 

 

 ガン、とまたもや一発どやしつけられたような衝撃。

 対面に座るイツホクの姿が、ズームレンズを激しく回すように大小する。

 なにか喋ろうとするものの、口がパクパクと動くだけ。

 耳の中では小さなジェットエンジンが始動をはじめたように、キーンとなって。

 

 この衝撃は、愛華を殺してしまったと誤認した時より大きいかもしれない。そして、そんな自分を(ナジ)る自分が頭のどこかにいる――と冷静な自分がさらに分析。

 

 無意識に首を激しく動かしためか、大きなサングラスがズッこけ、アイシャドウが(よそお)う魅惑的な目を露出させたまま、『九尾』はあえぐように辛うじて、

 

「なんで……なんでそんなことを」

「“凱・旋・報・告”って、言ったよナ?」

 

いまやイツホクは、ニヤニヤとあざけりを隠そうともせず、

 

「感謝してほしいモンだなぁ。今まで『土鳩』よばわりでお前ェをバカにしてきた連中を見返してやるチャンス!コレを与えてやるってンだ。きょうは、そのエロい体をガキどもに魅せつけ、ヤツらの“今晩のオカズ”になってやンな」

 

 ――勘違いしている!

 

 『九尾』は心の中で悲鳴をあげた。

 一年時のW/N(ウィング・ネーム)は、茶化したものが普通なのに、それを店長は「いじめられていた」と誤解しているのだ――いや、まぁ半分はアタっているが。

 

 「車寄せ」のはるか手前で、静かにリムジンは停まった。

 

「ホラ、みなさんお待ちかねだ」

「え?――うッ……」

 

 彼は絶句する。

 

 見れば、そこは東校舎の翼棟で、4階建てのそこには窓と言う窓に在校生がギッチリと詰まって携帯や撮影機材を手に、こちらを見下ろしているのだった。

 車列の後方で抗議の叫び。

 ロード・ワークの一団が、『亀ちゃん』の応援要請に駆けつけたらしい警備員の一個小隊に阻まれている。

 

 冬の午前中のさわやかな晴天。

 耀く陽光と白く光るアスファルト。

 そのあかるさと、現在の“羞恥の出待ち”ともいえる状況のギャップが、『九尾』には地獄のようなコントラストとなって感じられた。

 

「さぁ、メゾン・ドール専属メス奴隷『成美』!ダンスのお時間だ!」

「イヤですよ!」

「メス化した自分の姿を見られるその【恥の焼印】が、女体脳の定着剤となる」

「それが……目的だったんですね!?」

「うるせェ!メス奴隷候補生・『成美』。命令――いま履いてる靴ゥぬいで、コレに履き替えナ」

 

 イツホクは、シート下の収納スペースから箱を取り出すと、『九尾』に放る。

 空けてみれば、毒々しい光沢を放つ赤いトウシューズが、したり顔に現われて。

 

「そんな!やめ――あッ!あッ!」

 

 彼は口では嫌がりつつも、呪いに操られているようにピン・ヒールをゆるゆると脱ぐや、ピッタリと吸い付くような、そのバレエ用シューズをストッキングが包む足に履き、サテンのリボンを足首にシワの出ないようキッチリ巻いてから美しく蝶結びで留めた。

 

「こんなことって……アタシの恥ずかしい容姿(すがた)……みんなに見られちゃう」

「観念しろぃ。メス奴隷候補生・『成美』。命令――車ァ出て、お前ェをみんなに披露しな。これはプロモーションだ。そのつもりでやりねェ」

「やめて!……後生ですから!!」

「たっぷり踊りを披露したあとは、ストリップ・ショーだ!」

「――あぁっ堪忍(かんにん)!」

 

 身体が勝手にリムジンのドアノブを引く。

 

「ゆるして頂戴(ちょうだい)!」

 

 ブ厚い後部ドアが両開きになると、まず真紅のシューズを履く脚を、思わせぶりなしなやかで外に出した。

 光沢のあるストッキングが陽に照り映え、メリハリを造られた脚の美しさをイヤがうえにも、倍加させて。

 

 ワッ!という校舎からのどよめき。

 『亀ちゃん』のピケット・ライン(制止線)からは悲嘆と「ふざけるな!」との叫び。

 

 スルリと『九尾』はリムジンを滑り出る。

 

 トウシューズの具合を試すように、二歩、三歩。

 陽があるものの、ピリッと寒い空気に毛皮のまえをかき合わせ、大ぶりなサングラス越しに校舎を見上げる。

 『おぉっ』というどよめき。カメラの設定をまちがえた者が焚くフラッシュが、4~50一斉に閃めいて。

 

「どうした『成美』!セクシー度をガンガンあげて、ガキどもをマゾッホにしてやンな。ヤツらを()()()()()にしてやるンだよッ!」

「そんなこといわれても……」

 

 イツホクが焦れったそうにリムジンの座席を移動し、校舎の窓から見えないギリギリの位置までやってくると、

 

「メス奴隷候補生・『成美』!命令――“七つのヴェールの舞い”プレリュード3番!」

 

 リムジンに装備された警告用スピーカーから大音量で楽曲が流れ出す。

 

 全身に、快感の戦慄(せんりつ)(はし)った。

 ご褒美の愛撫(ムチ)を受ける、パブロフ的なイマージュ。

 ピアスとディルドー、それに緊縛の“淫象”が、血管を熱く駆けめぐる。

 表情筋が一転。

 自分でも分かるくらいにイヤらしく、媚びて。

 ルージュの口もとにしまりがなくなり、色呆けた風情。

 

 毛皮の前をあけ、腕を頭の後ろで組み、校舎を見上げる。

 ボリュームのある胸を、はち切れそうに包む艶やかなシルクのブラウス――下に着るボディ・スーツのレース柄も明瞭(ハッキリ)と。

フラッシュの瞬きが一段と増した。

 

 冬の磨かれた陽光が、あたかも壮大なトップ・ライトの如く、

 

 白いうなじを。

 金髪のベリショを。

 ふくらませた豊かな胸を

 ピッチリと張り付くスカートを。

 すんなりと延びた脚を包むストッキングを。

 きゅっと締まった足首に(かせ)めいた、紅いトウ・シューズを。

 

 耀かんばかりな調子で照らし、若い幾多の初心(ウブ)な瞳に焼き付ける。

 

 新ベルリンフィルが奏でたオーケストラの出だし。

 まずは――オーボエの、ソロ。

 

 『九尾』は命令された通りユルユルと、七つの舞のうち、序曲の三番目。アダージェットーアレグロを舞いはじめる。

 

 重い毛皮(ファー)をヴェール代わりにするので、トウシューズと路面状況も相まってバランスの取りかたが難しい。おまけにタイト・スカートなので、即興的なアレンジが必要になる。だが反面、その不安定さが舞いにユラユラと、1/fのような微妙さと“危うさの美”すら与えて。

 

 ゆるやかに――次第に速く、快活に!

 殿方の、シャンパングラスの泡が消えぬ間に!

 毛皮の重さを軸に背をそらし、回転――また回転。

 純金のブレスレットが(キラ)めく長手袋(ロング・アーム)の腕をさしのべ、

 紅い口唇を物欲しげに、あるいは挑発的に舌で舐め、誘う。

 

 ――そう。お兄サマたち……メスにされた(ミジ)めなアタシを見て!その視線でアタシを(なぶ)って!そして淫らな陰核(さね)を……お口と舌でやさしく(いぢ)めて!

 

 ――視姦(おか)して――――視姦して頂戴(ちょうだい)――――ッッッ!!

 

 身体をナヨらせ、かがめ、突きだして。

 薄い革製なタイト・スカートが覆う艶めかしい尻。

 そこに、下着とアナル・プラグの跡をムチムチと浮かびあがらせる。

 校舎に鈴なりとなった顔からは、声はおろか、しわぶきひとつ、聞こえない。

 

 調子を早め――せつなげな表情(かお)で。

 太陽のトップ・ライトが、校舎の生徒(兄サマ)たちが、クルクルと回る。

 

 雲海。耀腕。ブラン・ノワール組の散華(さんげ)

 

 探査院。宮廷秘書官。界面翼。航界機。

 

 慰霊式の王女たち。狂った先輩。作戦計画書。

 

 街角のアリス(少女娼婦)とスラム街の幼女。

 

 洗脳と調教。

      緊縛と――快楽。

            手術(オペ)と奴隷化。

                  結婚と――妊娠。

 

 

 

 

 回転(まわ)っているのは自分?――それとも世界?

 

 

 

 最後の長い跳躍――!

 ザッ、とポワントがすべり、一、二歩ズレた!

 

 ――くッ!

 

 何とか踏みとどまり、

 毛皮を肩に引っかけて、

 崩れたポーズをごまかすや、

 アレンジとして校舎に振りむくと、

 空いた片手で横(ピース)目隠しに、キメポーズ。

 

 『わぁッ!』とも『(ゴゥ)ッ』ともつかぬ、騒擾(とよもし)

 

 今回のフラッシュの閃光は凄かった。

 拍手。時ならぬ嵐のような拍手。

 一丁前に「ブラボォー!」の声。

 

 汗を――とどろく動悸(どうき)を、気合いで抑え、(そろ)えた指に口づけをするや、手のひらを上に向け「ふゥっ」と校舎にむけて投げキッス。

 

 ワァッ!――ワァッ!――!

 

 閃光の嵐。

 休み時間の終わりを告げる鐘を圧しての歓声。

 もう手が着けられない。

 止まっているリムジンから、自分の方にむけ、

 

「ヤルじゃねぇか『成美』!」

 

 いつのまにかイツホクが、リモに備え付けの冷蔵庫から出したラムレーズンのアイス・バーをかじりながら苦笑して。

 

「やっぱ手放したのは……失敗だったかなァ」

「いやだ。結婚式(おしき)のハナシ、ホントなんですか」

「まぁイイや。メス奴隷候補生・『成美』……」

 

 イツホクの顔が、今まで見たことがないほど残虐に歪む。

 まるで、仮面の下から素顔を現わしたかのように。

 

「命令――サングラスを取りな。そして、そこで脱ぐんだ」

「……そんな!非道(ヒド)い!」

 

 抗うすべもなく『九尾』の手は、右肩に引っかけていた豪奢な毛皮を躊躇(ためらい)もなく滑り落とすと、本人の意志にさからい、サングラスに手を伸ばす。

 

「いや!やめて――お願い、お慈悲(じひ)を!」

 

 そのとき――校舎に動きがあった。

 

 えっ、と二人は只ならぬ気配のほうを向く。

校舎の窓に、あれほどひしめいていた顔は、もはや無かった。

 代わりに何やら地響きのような物音が、人の奔流(ほんりゅう)が、建屋全体を揺るがして。

ガサッ!と近くの茂みから、偽装網(ぎそうもう)をはねのけ、ギリー・スーツ(狙撃用擬装服)に大型カメラ機材を抱えた《放送部》と腕章のある二名が立ち上がり、口々に、

 

「候補生『()()』!生徒の一部――いや全部か?がトチ狂った!」

「コッチへ殺到している。早く逃げたまえ『九尾(きみ)』!離床エリアへ」

 

 銃声――また銃声。

 そして怒鳴り声。

 

 ――えっ……?えぇっ?

 

「どう致しましょう――()()

 

 困り声で『九尾』が振りむけば、イツホクは食いかけのアイス・バーを、ボッキした股間にボトリと落としたまま、痴呆のようにアングリと彼を見ている。

 放送部の二人はイライラともどかしげに、

 

「『九尾』!ここは我々に任せて、いそいで!」

「ヤツら発情期のサルだぞ!キミの“舞い”の幻惑が強力過ぎたんだ!さぁ早く!」

 

 『九尾』はトウシューズを鳴らし、とまどいながら歩きはじめる。

 うしろを向いても、イツホクたち一行は何かに呪縛されたように動かない。

 

 ――あ……。

 

 そのとき『九尾』は、この非常時にもかかわらず、駆け足をとめた。

 

 リムジンが、停まっていた。

 そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 構図の――逆転。

 

 いま、ハッキリとポイントの切り替わる音を、彼は耳にする。

 

 それは未来へとつづく確かな道のりのように、彼には思えた。

 フラつく脚に力をこめ、硬いトウシューズの及ぶかぎりの早さで、『九尾』は「離床エリア」の方に向けコトコトと、女の子走りで駆けてゆく。

 

 

 

 




「あぁっ堪忍!」とか
「ゆるして頂戴!」とかは
我々より年代が上の世代の様式美ですねぇ
今はなんて言うんでしょうか……。
「らめぇぇぇぇぇぇ」
も今となってはクラシックな感がありますしねぇ?


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060:師弟融和のこと、ならびに雲海降下決断のこと【BL風味版】

 

 

 

 高価な敷物(しきもの)が延べられたメゾン・ドールのサロン……。

 磨かれたような大理石(なめいし)が続く店内の来客用廊下……。

 

 そんな場所とは違い、錬成校の荒れたアスファルトの道を歩くのは、ソールの曲がりづらい舞踏用の靴(トゥ・シューズ)には辛かった。

 重機が通ったワダチの痕や、ヒビ割れ、こぶし大の石くれ。

 時として舗装(ほそう)剥落(はくらく)し、長い距離で下の砂利や土がむき出しになっている。

 爪先立ち(ポワント)を前提とする足先を緊縛した靴であるのはもちろんのこと、襲われ、強姦(おか)される恐怖ともあいまって、足がふるえる『九尾』は何度も転びそうになる。

 

 ふり向けばリムジンの車列は、はやくも暴徒化した候補生に取り囲まれてた。

 不意に轟くSMG(サブマシンガン)の連射音。

 イツホクの護衛たちが、よせばイイのに威嚇射撃をしたらしい。

 だが米フォート・ブラッグに所属する特殊部隊・第五グループの教官直々(じきじき)に戦闘訓練を受ける上級生の面々は、たちまち黒メガネの一団を殴りたおし、銃を奪って制圧――そんな光景が、乱闘のすきまにチラッと見えて。

 

 神経接着され、ボディ・スーツで固められたパットが暴れる胸を、片腕でつぶすように()れを(おさ)えつつ、『九尾』はコソコソと校舎の影をまわる。

 

 と――ギクリ、彼は身体を固めた。

 

 ゆくてのまがり角。

 骸骨(ガイコツ)のような影が、有名な絵画めく構図で冬の日差しに奥から伸びて……。

 輪回しの少女的な位置にいる『九尾』のこめかみから、ひとすじの汗。

 

 だが、ほかに道はない。

 覚悟を決め、おそるおそる先に進めば――何のことはない、常緑樹の木立が、そのように見えただけなのであった。

 

 ウォォ、とでも言うような雄叫(おたけ)びと暴力的な足音をたて、一群の足音が近づく。空間物理の**は死ね!だの、航界心理のクソ**はアカだ!などという、講師の名前をあげつらう者も。

 

 そのとき、はじめて分かった。

 年末考査も近いこの時期。

 

 ――みんな、この出来事に乗じてひと暴れして、ストレス発散したいだけなのネ……なんてコトかしら。

 

 いい迷惑だわ!?と思いつつサッと腰を屈め、プリプリした尻を植栽(しょくさい)に隠した。

 とたん、すぐそばを颶風(ぐふう)のように一団が走り過ぎてゆく。

 

「いたか!」

Negative(ダメだ)!」

「遠くには行っていまい!――探せ!」

 

 時代劇の追っ手めいたことを口々に交わし、集合・離散してゆく候補生たち。

 思ったとおり、どこかノリノリな勢いで。

 

 ――捕まったら……ドウなっちゃうのかしら……。

 

 レイプ、という考えがチラリと頭に。

 

 服を破かれ、

 素肌(すはだ)(あら)わにされ、

 地面に押したおされて

 脚をムリヤリ拡げられて……。

 

「いやッ!お願い!許して!――いいや妊娠だけはしてもらう――そんな……」

 

 らめぇぇぇ、などと物陰にかくれての独り芝居。

 人造乳房(オッパイ)が主張する胸をモンで。

 ジュルリと涎をたらす自分に、ふと気づく。

 

 ――ナニ考えてるのよ!()()()ったら、もう!

 

 茂みを出ようとした、その時だった。

 

 ――いけない!

 

 前方の彼方から、瞬発力のあるイヤなゾンビよろしく、一集団が校舎から爆発的にあふれ、行く手をふさいだ。

 

「いたぞぉ!」

 

 ワッ、と一群が色めき立つ。

 たちまち血走った目をした十数人の候補生たちに取り囲まれる。

 情報を聞きつけ、その数が数十人、さらに増え、囲みの輪が小さくなって……。

 

――あぁ……とうとう犯されてしまうのね。でも……見ず知らずのHENTAIに、手込めにされるくらいなら、いっそ修錬校(がっこう)のみんなにィィィィ!

 

 『九尾』を囲んだ少年らは殺気だち、血走った視線を交わしていた。

 よく聞けば、一団の中で交わされるヒソヒソ声。

 

(お前が最初にヤレよ)

(イヤだよ、恥ずかしい!おまえ、シロ)

(フざけんな!なんでボクが!!そもそも……)

 

やがて一人が意を決したか、あの!と『九尾』に詰め寄り、

 

「サインください!」

 

 ズルッ、とズッこけた『九尾』。

 そのひょうしに香しい薫りをただよわせる胸もとがチラッと見えて。

 とたん、青春の重苦しい情念をかかえて色めき立つ候補生たち。

 

「あぁッ!ズルいぞ!ボクが先だ!」

「ハァ?『九尾』“()()()”見つけたのオレだし!」

「まて!せっかくのお客サマに失礼だ!」

「キレイごと言ってんじゃねェェェー!」

 

 たちまち殺伐(さつばつ)としかかる一団。

 その数はだんだんと増えてゆく。

 このままでは、本当にヒン剥かれて、陵辱されそうな雰囲気。

 一人の候補生の手が、はち切れそうなブラウスにの胸にかかった。

 すぐさまその候補生は、周りから袋叩きに。

 

 と、遠くで爆音。

 

 たちまち排気音ダダ洩れなエキゾースト・ノイズが近づくと、エナメル塗装の黒いサイドカーが車体ごと瑞雲生徒の囲みを断ち割った。

 

「待て待て待てェ!――総員!そのままァ!」

 

 とたんに紛糾(ふんきゅう)する“群集化”した候補生たち。

 

「龍ッつぁん!邪魔(ジャマ)スンナ!」

「うるさいよ!いいかげんマフラーなおしてよ!」

「どけ!――目障りだ!」

 

 なかば圧倒されつつも、

 

「全員!聞け!この場はオレに仕切らせてくれ」

 

 龍ノ口の一喝。

 しかし半ばタガのはずれた生徒たちは、

 

「いまさら出てきて独り占め!?」

「ザけんな!あんたもう“瑞雲(ウチ)のチューター”じゃないだろ!」

(――殺すぞ!)

 

 これが“元・チューター”のカンに触ったらしい。

 

「ハ!?じゃ手前(てめ)()は、もう“瑞雲(ずいうん)の生徒”じゃなくなるワケだな!?こんなアホ騒ぎおこしやがって!クっっソボケどもが!!尻バットどころか重営倉行きだぞ、たわけが!いったいコレを!どう落とし前つける気だ!」

 

 怒髪天をつくいきおいで、居並ぶ少年たちを睨みつけながら怒鳴る。

 

 

「……」

 

 あれだけ浮き足立ち、騒いでいた少年たちが、一気に勢いをそがれ、シュンとなる。

 

「始末書だけじゃ済まんぞ、阿呆(あほ)ども!瑞雲存亡(そんぼう)クラスの醜聞(しゅうぶん)じゃねぇか!馬鹿面ならべやがって、妄想もいい加減にしろ!」

 

 沈黙。

 ややあって、でもサ!と一団の中からオズオズと不満げな声があがり、

 

「ボクたち、なんだかこの人の(おど)り観ているうち、何かこう、自分を抑えきれないくらいヘンな衝動が……言葉は下品だけど、欲求(ムラムラ)してきて……」

 

 そうだそうだ、と百姓一揆の農民のように各自がヒョコヒョコうなずく。

 コイツみてくれよ、と生徒の一人が隣のヒョロがり眼鏡の首根っこを(つら)まえ、

 

「この二次元オンリーなコイツが、率先して飛び出したんだぜ?なんかヘンだって!おかしいッて!」

 

 ザワザワザワ――ザワザワザワ。

 再び不穏な雰囲気。

 

「いいか?野郎ども――」

 

 龍ノ口は、良くカミソリのあたったアゴをなでながら、

 

「コイツは『九尾』なんかじゃない!『成美』と言ってオレの行きつけな『メゾン・ドール』の踊り子サンだ!男がこんなに可愛くなるか!――この、()()()どもが!」

「ハァ!?龍ッつぁん“メゾン”なんか行く金ぇ、あるのかよゥ」

 

 そのとき、一団の中から反抗的な口ぶりで声があがった。

 龍ノ口は、突っかかってきた小太りの候補生をニラみ据え、

 

「あッッッたりめェだろうが!『エルジェーベトの間』だって使うぞ」

 

 すると、おそらくザハーロフの南組(ミディ)とみえるその1年生は、

 

「ウソ言ってらぁ!あんな高価(たか)いトコ。オレはパパと一緒に入ったことがあるぞ!じゃぁ『エルジェーベトの間』に架かっている大判の絵を言ってみろよ!?」

 

 鼻息荒く、この少年は龍ノ口に向かって挑みかかるように。

 しかし慌てずサワがず、この元チューターは、

 

「……あぁ、あのドラクロワの画のコトか?「サルダナパール王の最後」だ!身のホドぉわきまやがれ!()()()()()が!!」

 

 ズバリ言い当てられ、この1年坊は鼻白んで沈黙する。

 これが、一団に龍ノ口の説明を保証したらしい。

 

「なんだ……『九尾』じゃないのか」

「サングラスかけてるから、分からンかった」

「俺は最初からワかってたぞ!男がこんなに可愛くなるか!」

 

 龍ノ口は腰に手をあてサイドカーの上に立ち、周りを睥睨(へいげい)しながら、

 

「どうする!もうすぐ他の連中も来る。収拾(しゅうしゅう)、つかなくなるぞ!?今ココでおとなしく去ったものには――後日オレが手配し、改めてサインを送り届けるコトとする!生徒番号、名前、所属を書いた紙を、オレのポストに入れてくれ」

 

 えぇっ!と一団から、どよめき。

 

「それホント?――ほんとにサインくれるんだよね!?」

「ウソなんかだったらイヤだよ!?」

 

 ヒナ鳥が親鳥にエサをもらおうと競って(さえず)るような、必死めく少年たちの叫び。

 それどころか!と、龍ノ口は愛車(サイドカー)の上で胸をそらし、

 

「サインに加え、口紅(ルージュ)を使った(ナマ)キスマークを色紙に加えることを『成美』嬢に提案してやる!」

「!!!」

 

 ()()()()たちがクラクラするほどの、強烈な提案。

 彼等は、この刺激性の誘惑に圧倒され、目眩(めまい)いを起こしたように沈黙する……。

 

「どうだろう?『成美』()()

「……よろしいですわ?龍ノ口()()

 

 わぁッ!と一群から叫び声。

 「龍ッつぁん、バンザイ!」の声も。

 

 そのとき、彼方から警笛をならし、銃声と共に近づくピックアップがある。

 荷台には腕組みをして仁王立ちになる騎兵帽の男が荷台に揺られて。

 エースマンだ!と一団から(おのの)きの声。

 

「さぁ、散れ散れ小僧ども。(ケツ)バットがとんでくるぞ!」

 

「――わすれんなよ!?龍ッつあん!」

「――タノんだぜ!?」

「――ポストまだ残ってるんだよね!?」

 

 そんなことを言いながら生徒たちは八方、口々に駆け足で散ってゆく。

 彼方では、いまだに『九尾』を見つけられない生徒の群れに阻まれ、エースマンの車が立ち往生して。

 

「きゅ――『成美』、乗れ!」

「分かりましたわ、サー。きゃッ!」

 

 サイドカーの舟に『九尾』が乗るのと同時に、龍ノ口は自分が着ていた革ジャケットを彼に放るや、大きなモーションでキック・スターターを蹴りこんだ。

 

 轟然(ごうぜん)と甦るフラットツイン・エンジン。

 

 エースマンの車から逃れるように、黒いサイドカーは放たれた矢のように走り出す。

 『九尾』は舟側の座席でふしぎな安堵感に胸をひたされていた。

 まるで落ち着くべきところに、ようやく自分が落ち着いたような。

 なんだろう、と自分の胸の内を精査しようとするが、龍ノ口の荒い運転がそれをゆるさない。

 

 やがて二人を乗せたBMWは校舎のエリアを走り抜け、防爆用の土手を回り、そして離床エリアへと、矢のように走ってゆく。

 

 彼らの目の前に、スキッドマークが錯綜(さくそう)する滑走路が再び広がった。

 

「――なぁ!?」

 

 (みが)かれたような冬の陽光の中。

 龍ノ口が、身を切るような風圧を受けながらも、気持ちよさそうに叫ぶ。

 

「いっそこのまま――ふたりでどっか行ッちまおうか!?」

「――いいかもしれませんわねェ!?それも」

 

 『九尾』は寒さに弱くなった体を丸め、こちらも負けじと叫び返した。

 高めな女の声にされているので騒音に負けず、龍ノ口よりもよく通る。

 

「安アパートでも、借りるかァ!」

「わたしたちの……“秘密基地”ですわね!」

「どっか、給料安いが保証人のいらない仕事でも見つけて!」

「イイですわ!わたしも内職して――お手伝いします!」

 

 それは、美しい幻想だった。

 

 肉体労働で疲れ果てかえってきた自分のチューターを、夕餉のしたくをしている自分が蓋をコトつかせる鍋の様子を気にしつつ、エプロンを解きながら「お帰りなさい……」とむかえる。

 いそいそと晩酌に加えて酒肴(さかな)仕度(したく)

 “主人”役が風呂から上がってきた頃には、心づくしが(すべ)て調っているという段取り……。

 

 もちろん二人とも、そんなことが叶うはずが無いのは分かっていた。

 “大人の手”の入らない、親密な、アジール的な空間。

 実現するべくもない、ささやかな安全地帯。

 夢のまた夢な、ものがたり。

 

 そんな甘っちょろい幻想を浮かべた自分たちを嗤いとばそうと、ふたりの哄笑(たかわらい)が、排気音を圧する勢いで響いた。

 エンジンも彼等の躁病気味な上機嫌にシンクロするかのごとく、絶好調で()える。

 舟の前には風よけがあるが、ジャケットを『九尾』にゆずりセーター姿な龍ノ口の前には何もない。それでも彼は滑走路へ向け、なにかを吹ッ切るような勢いで、アクセルをひねり続けた。

 

「どうだァ!『成美』ィ!あいつァ、なんか言ってたかァ!?」

「アイツってェ!?」

「……『九尾』っていう――オレの一番弟子さ!」

 

 後半はテレたのか、すこし聞き取りづらくなって。

 

「とくに。なにも言ってませんでしたわ!」

「本人サ……納得してるのかなぁ!」

 

 正面から顔をそらし、龍ノ口は舟の方をチラ見する。

 

「それが……イロイロ問題があって!」

「問題!問題だってェ?……問題って、ナンだ!」

「婚約させられたりとかぁ!赤ちゃん、産まされることになったり――キャッ!気を付けて!!」

 

 スリップしたサイドカーの速度が落ちた。

 やがて彼らは、滑走路わきにあるコンクリート製の掩体壕にドロロロ……と滑り込むと、BMWのスイッチを切る。

 

 ――静寂……耳鳴り。

 

 はるか上空を、回転翼の編隊がノンビリとよぎってゆく。

 その背後。蒼空に浮かぶ月が、こちらを意味ありげに見おろして。

 逆光気味な日差しを浴び、目を細めつつ龍ノ口は、

 

「赤ん坊が――ナンだって?」

「それが……」

 

 二人はサイドカーを降り、近くにあったベンチへ向かうと、ならんで座った。

 木材が陽光に温められ、イイ感じで彼等にぬくもりを伝える。

 そこで『九尾』は、『成美』としての今までの境遇(きょうぐう)を語って聞かせる。

 

 ビェルシカ。

 パピヨン。

 市場(スーク)(せり)夜会。

 調教――洗脳。

 

 龍ノ口は合間~~に「くそッ!」とか「変態どもが!」などと(いきどお)ってたが、

 

「――で、きゅ……いやオマエは?どうしたいんだ?」

 

 一拍の沈黙。

 やがて寂しげな横顔をみせつつ、

 

「瑞雲のコネ使って、身体に仕込まれた“お道具”を除いてもらい、メス奴隷としての洗脳進行を止めていただければと思います。これ以上イヤらしい女に、されたくは……ありませんもの」

 

 龍ノ口は暫時(しばらく)、考えていたが、それなら航界機がいいかもしれないと呟く。

 

「リダクション2に移行したとき、自己を強く想うんだ。そして自我だけになったとき、自分についている余計な不純物と思われるものを、(はら)いおとすのさ。物理的な脳障害のオレに比べれば、カンタン」

「ホント!?――それ、ほんとにホント?」

 

 必死に乗りだし顔を近づけてきた『九尾』相手に、なぜか龍ノ口は顔を赤らめ、エサをねだって足もとに近づく雀たちのほうを見るそぶり。

 

 ジットリとした、微妙な時間。

 ややあって、ぶっきらぼうに、

 

「本当さ。ウソなんて――つくもんか!」

「……よかった。うれしい」

 

 思わず『成美』は龍ノ口に抱きついた。

 やや、しばらくして――。

 チューターは顔を真っ赤にして弟子をやんわり引き離すと、ソッポを向いたまま、

 

「……おれの()った移行文言(コード・パス)、まだ使ってるか」

「えぇ、もちろん」

「……そう、か」

「……そうですよ?」

「ならば……()し」

 

 静寂。

 とおくで、なにやらせわしない校内放送の声。

 落ち葉の鳴る音。

 

 彼らは、静かな満足感に包まれた。

 見つめ合ったまま、やや久しく沈黙。

 まるで不思議なエアポケットに、二人して落ちてしまったかのよう。

 

「サングラス、とれよ」

()よ……恥ずかしい」

 

 だが、そうは言いつつも『九尾』は、ゆっくりと大ぶりのサングラスをとった。

 龍ノ口の顔が、よく見えるようになる――と、“『成美』”の胸は、急にドキドキしはじめて、自分でも抑えられない。

 

「やっぱりダメ!――恥ずかしい……」

 

 そういうや“『成美』”は借りたジャケットに顔を半分隠し、気を落ち着けるため大きく深呼吸。

 すると、どうしたことだろうか。

 ジャケットにしみついた龍ノ口の()()()()に体がフワフワと心もとなくなり、よけいドキドキ感が増してしまう。

 

 ――あぁ、もう!()()()のバカ!……なにやってんのよ!

 

 フルフルと首をふる『九尾』。

 大振りのイヤリングが「You、抱かれちゃいなヨ」とでも言うように(ほお)を突いて。

 

 それを見て龍ノ口が気づかったのか“『成美』”の横顔をのぞき込み、

 

「後悔は……しないか?」

「ちょっ!やだ、近いですわ!」

 

 照れを誤魔化(ごまか)すために、ワザと突っけんどんに。そして、

 

「……やってみなくちゃ、わかりません!」

「怖くは、ないか?」

「赤ちゃん産むよりカンタンです!――たぶん」

「……そうかなぁ」

「……そうですわ」

 

 メス化洗脳で強制認識される仮想子宮が、ジンジンと(うず)く印象。

 履かされている紫のショーツも、だいぶ濡れてしまった気配。

 身体に注入された特殊なホルモン剤のせいか、自分でも(メス)の体香が発散されているのが分かった。

 

 ――ヤだ……発情の匂い、出ちゃってる。アタシ……。

 

 “『成美』”は唇を噛むが、自身ではどうにもできない。

 ふと、目の前に顔を寄せる元チューターの赤ちゃんを産む幻想すら。

 不思議と嫌悪感はなく、それどころかある種の切なさが胸をひたして。

 刷りこまれたメスの本能が、目の前の男の“お情け”を欲しがって躰に火を。

 

 瞳を見つめあうふたり。

 まるでその奥底にあるものを確かめようとするかのように絡みつかせる。

 

 ふいに、龍ノ口が激しく動き“『成美』”を抱き寄せた。

 そのまま、無言のうちに彼女を強く抱きしめる。

 驚く間もなく“『成美』”もきわめて自然に、龍ノ口の首もとに頭(こうべ)を寄せていた。

 (かたみ)みの心音を確かめ、()()を確認しあうように(もだ)し、(とき)を凝固させるふたり。

 

 そこれは――清らかな光景だった。

 

 (ちまた)に満ち(あふ)れるたぐいの背徳的な欲望や、邪恋。あるいは破廉恥な要求、“薄い本”の願望や、妄想めいた愚劣さなどは微塵もなく、ただ(しいた)げられた者、運命に(もてあそ)ばれた者どうしが覚える、性別を超えた信頼と愛惜(あいせき)――それに(はる)か高みにまで純化された友情が、あるばかりだった。

 

 “『成美』”の耳もとで龍ノ口が(ささやく)く。

 

「オマエには、済まないと思っている。あるいは巻き込むべきでは――なかったのかもしれん」

 

 それを聴いた“『成美』”は、龍ノ口の胸のなかでワガママな彼女が彼氏に向かってするように、焦れたような仕草で女体化された身をゆすると、フェロモンの香気をさらに出しながら半ば怒ったような口ぶりをもって、

 

「いまさらなんです!そんなこと仰って……非道(ヒド)い方」

 

 そうは言ってみせたものの、『でもイイですわ』とすぐに態度を軟化させ、従順に――今は信じきった女の声音(こえ)で、秘めやかに寄り()うような口ぶりをもってポツリと。

 

貴方(アナタ)の地獄に――お付き合い致します……」

 

 その(いら)えは、ふたりの絆を、さらに強くしたようだった。

 お互いに顔を寄せ、匂いを感じ、相手の温かみを確かめ合う。

 

 冬の陽だまりの中、“ひとときの永遠”を共有するふたり。

 

 どれくらいそのままでいただろうか……。

 

 ややあって龍ノ口は“弟子”を(いだ)く腕を、名残惜(なごりお)しげに(ようや)くゆるめた。

 片足を(かば)いつつ、おもむろに彼はベンチを立つと、彼方に目をほそめ、

 

「それでは、いこうか?」

「……ええ」

 

 何気なく交わされた一連の会話。

 

 これが、懸案だった事案(雲海降下探査)に対する二人の共同意思であり、諦観(あきらめ)であり、最終決断だった。

 

 だが――しかし。

 

 彼等は、()るべくもなかったのである。

 これがふたりを永らく呪縛する事となる、その(おそ)ろしき運命の端緒(はじまり)であることを。

 

 



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061:女医の優しさのこと、ならびに“奉天”との再会のこと

 

061:女医の優しさのこと、ならびに“奉天”との再会のこと

 

 

 『九尾』が老人の警備員に連れられ、久々(ひさびさ)に戻った“思い出”の医療室はギスギスした雰囲気に満たされていた。

 

 床一面に錯綜(さくそう)するドラム・リールや延長コード。

 電源ケーブルの流れは一部窓から外に出て、近くに駐車され(うな)りを上げる電源車につながっている。

 数人の白衣のスタッフが黙り込んだまま、資料(ペーパー)や時計をチラチラと見るトガった雰囲気。例の女医に至っては、机の上にドッカと座り込み、脚を組んで青筋を立てつつ細身の煙草をジリジリと音をさせ、盛大にふかしている。

 

 ピリピリとした緊張が、彼女の身じろぎと共にミリミリする白衣の下のはち切れそうなブラウスの胸ボタンにひとしく。

 

 ノックの音がして、ガラガラと医療室の扉が引き開けられた。

 

 ハッ、と部屋にいた全員が視線を注いだが、警備員に連れられた人物が革ジャケットを羽織ったモデル系な美少女と識ると、全員の興味が雲散する。

 

 フゥ――――ッ。

 長い煙を吐き、ひとつ舌打ちしてから女医は、

 

「ダレだい?その()……」

 

 年金だけでは暮らしていけないと見える老年の警備員を、ギロリと一喝(いっかつ)

 

「いえ、龍ノ口チューターが……その、ココに連れていけと……」

「あァ?(タツ)がァ?」

 

 彼女は老人のボソボソ声に、イライラと声のゲイン(入出力)をあげ、

 

「アイツ!どのツラぁ下げてココまで来たんだィ?」

 

 不機嫌というものを言語化した調子で、また一服。

 そして煙を吹きつつ『九尾』のほうをチラリと見て、

 

「コッチぁ、これから()()()()()があるんだ。部外者は通すなッつったろ!」

「イエ、でも龍ノ口さんが、こちらにつれて行けと――そのゥ」

 

 ペコペコ頭を下げる老警備員。

 チッ、と再び医療室に響く舌打ち。

 

「イキな。もう余所(ヨソ)モン通すンじゃないよ!」

「スミマセン……スミマセン――じゃその、わたしは、これで……」

 

 老人は警帽を取り、禿()げあがった額の汗を拭くとコソコソ退散。

 女医は、その背中を見送りながら(()()()()が)と声ひくく呟きつつ、こんどは『九尾』の方をニラみながらツケツケと、

 

「で?どしたのアンタ。ケガでもした?全体どこのキャバクラから来たんサ」

 

 キャバ嬢扱いされたことで、かえって行動にキッカケが生まれた。

 あの、先生!と彼は数歩あゆみ寄ると、

 

「アタシ『成美』――じゃなかった『九尾』です!」

 

 ――は!?

 

 医療室が一瞬、完全な真空にでもなったかのように。

 

 またもや女医の、ながいながい紫煙の吹き出し。

 マニキュアをした爪がヤニで汚れるのにも構わず、灰皿がわりにしたウェッジ・ウッドのラウンド・ボックスに、口紅のついた吸い差しを「これでもくらえ」とばかりギリリと押しつけ、片目をヒクつかせて沈黙。

 

「……」

「ボク、候補生1016の、なる――じゃない!『九尾』だよ、アタシ」

 

 殺すぞこのクソ餓鬼(ガキ)という相手の迫力に押されながら、必死に彼は言いつのる。最後に女言葉をつけ加えたのは、そうでもしないと自分の発したセリフの嫌悪感に押しつぶされそうになるからだった。

 

 男の荒っぽい文句を使うのが、刻一刻と難しくなってゆく気配。

 

 脳がジワジワと汚染されてゆく想像に、鳥肌をたてる。

 今日中に何とかしなけば、本気で花嫁衣裳を望んだ挙句(あげく)、培養子宮を腹部に入れられて女体化手術を完成されたすえ、洗脳された意識が是が非にでも赤ん坊を産みたがりかねない予感。

 

「ナニいってるのか、分からないんだがね」

 

 白衣のスタッフの一人が、時計を見ながら靴をコツコツ鳴らし、

 

「こっちは君の遊びに付きあっているほど――」

「……まって、みんな」

 

 女性スタッフの一人が彼に近寄ると、首すじをマジマジと見てから、

 

「このコ――『九尾』よ。クビのココに、見覚えのある小さい星型のホクロがあるもの。間違いないわ」

 

 『九尾』も覚えていた。

 こちらがギロチンに拘束され、全方位からのびる手で好き勝手に(もてあそ)ばれているあいだ、その光景をネタに、コッソリと服の上からオナっていた女性スタッフだ。

 

 部屋にいる全員の注目が『九尾』に集まって。

 やがて、白衣の年かさな一人が、

 

「……『九尾』クン――なのか?」

 

 コクリ、と黙ってうなずく時の、恥ずかしさ。

 なによりも――いたたまれなさ。

 医療室全体のおどろき、というより突然あらわれた珍獣を前にしたような反応。

 

「「「「ハァァァァァァァァ!!!!!???」」」」←やった!ラノベ的表現!イェ~♪

 

「うっそ!この子が、あの!」

「その声どうしたの?」

「キレイな肌……」

「ネェネェ、化粧品なに使ってんの?」

「そのアイシャドウいい色~……メーカーは?」

 

 女性スタッフたちから持ち上がる質問を、年かさな一人がマテマテマテ!と抑え、彼を最終的にチェックする。やがて、どうも腑におちんのだがという顔をしながら、

 

「諸君!時間がない――とりあえず作業開始だ!!」

 

 ジャケット、そしてブラウスや補正下着を脱がされ、『九尾』身体の要所~~に神経接着されたパットを外してゆく。たちまち医療室の中央に、白々(しらじら)と恥ずかし気に身悶えする一体の(なま)めかしい裸体が現れた。

 

「女性化……されてる?」

「だいじょうぶ!陰茎(おチンポ)は確認」

「血液検査!そして簡易CT!脳スキャンも!」

「念のため前回記録したバイタル・パターンと照合しろ」 

 

 “ギロチン”より先に、身体を拘束具のついた樹脂製のストレッチャーに、あわただしく固縛される。相次いで採取される検体。

 

アナル(肛門)ユリスラ(尿道)に用途不明の器具確認!」

「男性器の周辺にマーキング!」

「遺伝子手術の準備だな……女性器を植え付けるための」

「耳タブと乳首に施術されたピアス、どうします!?」

「化粧なんざ落としてるヒマないぞぉ!バイタルの確認最優先!」

(あぁ……なんて仔かしら……アタシのおまた、濡れてきちゃう)

(この男の娘にイタズラしたいわ……おチ○ポたべたい……)

 

 すきあらば『九尾』の身体を悪戯(イタズラ)しようとする女性スタッフたちに業を煮やしたか、リーダー格と見える年かさの白衣はとうとう爆発した。

 

「諸君!あと2時間で何とかしないと!来年の賞与(ボーナス)査定に響くぞ!!」

 

 怒声が響き、スタッフの動きにカツが入る。

 『九尾』の身体はストレッチャーごと、即席に設置されたシリンダー型・移動検査筐体(きょうたい)にゆっくりと収容されてゆく。

 

「女性ホルモンの値、スゴいスね」

「脳CTみてみろ……脳梁(のうりょう)オペの準備だ。ここにも手が入って……」

「ろっ骨を狭窄(きょうさく)処置された痕を確認」

「薬剤滲出(しんしゅつ)用のプラント!付随(ふずい)する人工動脈とともに複数個所に発見」

 

 教授――どうします?と、怒りのためか校内女医がいくぶん震える口調で、次々と報告される驚きのデータにメガネを光らせつつ、年かさの白衣に尋ねる。

 教授と呼ばれた男も、顔のシワをさらに深くして、

 

「ハナシには聞いてましたが。これほどの改変をするとは」

「本日中に全部の修正は物理的にムリよ……(ムゴ)いコトを。まだ幼い少年に」

 

 別の場所では、女性スタッフ数人が3Dモニタをチェックしながら、

 

主任(チーフ)!用意した(ゲシュタルト)・スーツ、たぶん合いませんよコレ」

「ウェストがダブダブでヒップ、パツパツね、きっと」

「体形をスキャンして、近似値のGスーツを本院から送ってもらって!バイク便じゃなくヘリコで!」

 

 界面翼機動に関する全ての準備が整ったのは4時間後のことだった。

 

 昼食返上で動いたスタッフたちの腹は、男女問わずグウグウ鳴りわたり、動線は殺伐(さつばつ)と荒くなっている。

 ようやく施術台から解放された『九尾』は、スーツのシャント・ポートから点滴の管を接続されたまま、点滴棒を支えにして身体をうごかし、空輸された借り物のゲシュタルト・スーツをギュッ、ギュッと鳴らしてフィット具合を確かめる。

 

 ビキニの形に(いろど)られた、扇情的なカラーリング。

 ショッキング・ピンクにシルバー・グレーのツートンなデザイン。

 

 『九尾』の今の体型では、女性用しかないのも「むべなる(かな)」だった。

 しかし いまだ女性らしさを残す彼に、そのスーツはムチムチと、恐ろしいほどセクシーにキまって。クレンジングが間に合わなかった化粧がその魅力を倍加し、彼に微笑まれた白衣の男性スタッフ二、三人が“チンポジ”をなおすのが目のはしに留まり、『九尾』の胸に意味不明の勝利感をはこんでくる。

 

「『九尾』、大丈夫?薬液中和剤で血糖値が下がってる……つらいでしょう」

 

 女医が、医療室のベンチに座り込んだ検査疲れの彼を、めずらしく気遣う。

 

「いえ、ダイジョウブですわ――ただ、お口が。おクスリ(にじ)んで、苦くて」

「さ、これを……」

 

 スーツの背中を撫でてやりながら、女医は自分の経験から、電子レンジですでに作ってあったミルク・ティーを運び、彼の口にあてがってやる。

 濃厚な甘さとミルク、それにアールグレイの香りがありがたい。

 食道をつたって温かさが7秒フラットで降りてゆき、キリキリとする胃の痛みをフワッと和らげる。利己的なプラグマティズムの犠牲となり、冷え性気味となった身体が、ユルユルと甦るような。

 

 ゆっくりと、口中を洗い流しながら『九尾』は軽くなった耳たぶに触れた。

 

「いじらないで!――雑菌がはいる!」

 

 女医の一喝めいたダメだしが飛ぶ。

 

「まったく。アンタがいなくなって瑞雲(ウチ)は大騒ぎだったよ。したら今日アンタが帰ってきて飛ぶっていうじゃないか」

 

 女医はジッポーをキン、と鳴らしてくわえた一本に火をつけ、ようやく一息といった風にゆるゆると長いため息を、煙とともにフゥ――っ、とついた。

 

「聞かされたのが数日前だったから、機材等のレンタルやら、人員の手配やら、セキュリティの準備やらで大忙しサ!残り少ない下期予算、工数(こうすう)見積(みつもり)、設備導入の段取り。ネゴしまくってようやく申請が通ったとホッとして、さあ本番となったらヘンタイが侵入してストリップをやったとかで(もしかしてアンタの仲間かい?)学校中がパニックになり段取りメチャクチャ。なんて日だい今日は!」

 

 豊かなストレートの髪を疲れたようにかき上げる女医。

 あのぅと『九尾』はスーツのこぶしをギュッと握りしめ、

 

「アタシの――いぇボクのウワサって、何かお聴きになりました――かしら?」

「なんだぃ?そんなヘンな口の利き方して」

「強制洗脳で、女の子言葉つかわないと嫌悪感で気持ちワルくなるように教育されたんです!――のよ」

「……まーいーや。で?あぁ、ハイハイ貴方(アンタ)のウワサね」

 

 他の白衣のスタッフが、データ整理や機材の撤収(てっしゅう)に追われている中、女医は火の点いた煙草を指揮棒(タクト)のように振りながら、

 

「いろいろウワサはあったよ?」

 

 と――ここでまた一服。

 女医の言葉に()れた九尾』は、相手に顔を近づけんばかりに身を乗り出し、

 

「ウワサ!?ウワサって――どんな!?」

「ちょ、危ない危ない……おまえ、ホント可愛くなったなー」

「……」

「そんなコワい顔しなさんな。まぁイロイロよ?瑞雲(ココ)やめて株のディーラーになったとか、闇市のバイヤーの護衛見習いについてるとか。一番多かったのは、高級料理屋で女装して踊り子やってるってハナシ。ホンっト近ごろのガキどもの想像は、エキセントリックだわ」

 

 ――シモーヌだ……。

 

 やっぱりバレてた、と思う。

 最悪、映像も出回っているかもしれない。

 と……いうことは。

 あの悪夢の夜会。スープとソース容器にされた大皿の上。

 

 アナルと膀胱、開発されて。

 乳房(オッパイ)のソースを母乳のように絞り採られて。

 おチ○ポ撫でられて、びゅるびゅるッて射精して……。

 

 ――まさか、ミラ宮廷秘書官には。バレてないわよ、ネ……?

 

 眼の周りに装着された古風なベネチアン・マスクの効用を信じるしかない。

 きわめて――きわめて心細いなぐさめではあったが。

 

 外から原付の音が数台、響いてきたかと思うと、岡持ちがいくつも持ち込まれ、疲労の空気が濃くただよう医療室に、ようやく生気に満ちはじめる。ただ、それと入れ替わりに『九尾』の迎えがやってきた。

 

「あぁ、ピーターお疲れ様。このコよ。“二滑”(第二滑走路)までおくって頂戴(ちょうだい)

「え?女の子なんですかぃ?てっきり野郎かと」

「説明すると長くなるわ。とりあえずお願い」

 

 ラーメンのどんぶりやチャーハンのれんげ、餃子(ぎょうざ)と玉子スープ、割りばしを持ったスタッフたちと、重苦しくわかれ、ハートを貫く矢がペイントされた借り物のヘルメットを抱えたまま、『九尾』はピーターと呼ばれた案内人とジープに乗り、“亀ちゃん”に護衛されつつ格納庫をめざした。

 

 滑走路の外れにある古いカマボコ型の格納庫前に、見覚えのあるVTOL機が駐まっていた。さすがに機首のマーキングと機体番号は違っていたが、雲海戦で使用されたものと、同型機だ。まだ作戦稼働して間もないと見え、どことなくエッジが効いている。

 

 空技廠の、新型機。

 

 ――ということは探査院が、この活動に一枚噛んでるの……?

 

 またもや汚い大人の都合が臭いはじめる予感。

 気を付けなさい『九尾』、と彼は自戒する。

 何に気を付けたらいいのかは、相変わらず一向に分からなかったが。

 

 ひび割れたホーンを鳴らし、格納庫に車ごと滑り込むと、マクフィー主任整備士が相変わらず何やら怒鳴りながら“若い()”を手荒く指図する声が聞こえた。

 コンプレッサーの騒音と、電源車の呻り。スピーカーがJ-popの(ふる)いナンバーをがなりたてて。

 忙しげに整備員が行き交うが、見た感じアサインされるはずの機体は、どこにも見当たらなかった。

 

 冬の空気に混じるディーゼルの排気と金属の灼ける臭い。いがらっぽさ。

 はくちっ!と『九尾』は可愛くクシャミしてから、

 

「ぐすッ……あの、わたしの乗機って、どこです?」

 

 案内人は(ナニ言ってんだコイツは)という雰囲気で不愛想にアゴをしゃくり、

 

「そこに駐機してるだろうが!」

 

 近すぎて分からなかった。

 目が慣れるにつれ、小山のような機体が自分にのしかからんばかりの威容で鎮座していることに彼は気づく。

 

 ――“奉天(ほうてん)”だ……。

 

 だがそれは、前回と見た感じ、形がまるで違う。

 背面が新たに「こぶ」のように膨らむのは、コンフォーマル()タンク()なのか。

 硬翼の収納ベイが前より雑に組まれ、さらに後付けチックな感じ。

 機首に増設された、得体の知れない器機。

 その場しのぎのブリコラージュ(つぎはぎ)な印象が、ますますつのる。

 ただ、全体的な威圧感は、少しも変わっていない。

 いつでもこちらを始末できる巨大な存在に値踏みをされつつ、()ッと見下ろされているような……。

 

 災殃(まがつい)の気配が増したように想えるのは、例の“人喰(ひとく)い”なるウワサ話を聞いた所為(せい)か。処刑台の印象で戦闘機を造出(つく)れば、あるいは()のようになるかもしれない。

 

「オイコラ!そこォ!!ナニやってやがる!」

 

 いきなり響く怒鳴り声。

 

「勝手に近づくんじゃねぇ!駄ァホ!」

 

 とおくから怒りに任せた歩きで、ツナギ姿の()せ男がやってくると、

 

「機体に触ってねぇだろうな!エェ?」

「大丈夫ですわ、マクフィー主任どの」

 

 初老の男のシワが、疑い深げに深まる。

 

「――!ダレだ……手前ェ?」

 

 あぁ、もう。ナニもかもメンドくさい。

 いちいちまた『九尾』です、と言ってドン引きされるのもイヤだ。

 

 ガタイのいい案内人が説明を始めようとするのを制し、彼は思い切り愛想(あいそ)笑いを浮かべると、

 

「はぢめましてぇ♪マクフィー・主任整備士どの☆彡アタシは『なるみ』――星野なるみ。本院所属・一級航界士候補生でぇす(キャハ。お話は『九尾』から聞いていますヨ?本日は、都合により来れなくなったカレのかわりに飛ぶことになった、愛され上手(ぢょーづ)な乙女座の女のコですぅ。ちなみに今日のラッキー・カラーは青なんだって!どうかヨロシクね?お・じ・さ・ま♪」

 

 マクフィーが目を白黒させるのにもかまわず、『九尾』は口から出まかせ、一気にまくしたてる。

 笑いをこらえる案内人に(合わせてよ!)とばかり、ドンとヒジ鉄を一発。

 

 マクフィーは、横腹をさする案内人を格納庫わきに引っ張ってゆき、

 

「ピーター。あのアホ女、大丈夫か?“奉天(アレ)”に乗せるって、マジかよ」

「本院(うえ)のヤルことァ、俺達には分からんよ。ただ一つ言えることは――」

「なんでぇ?」

「この世の中は――みんな狂ってるッてコトさ」

 

 跨乗(こじょう)型コクピットに座し、ふたたび煩雑(はんざつ)な手続き。

 すこしでも不具合の可能性を減らすための、数えきれないチェック。

 

 ・ヘルメットを装着。網膜パターン、及び生体波を照合。

 ・各バイタル・システムを、PCSに提示。

 ・G・スーツの排泄ユニットと機体の処理システムを連結。

 

 ふと――何のはずみか……。

 

 『九尾』は自我崩壊をおこし廃人化した『ゾーロタ』の(つぶや)きを思い出す。

 

 ・あなたは可能性や有用性について議論している。

 ・ところがあなたは既に機械の中に存在し、その部分を成している。

 ・あなたは機械に指を、目を、肛門を、あるいは肝臓を差し出している……。 

 

 長い長いシークエンス・リスト。

 

 これらを経て、ついにパイロット『九尾』は機体と同化された。

 “奉天”はグライダーの翼めく「硬翼」を展開したままVTOL機に牽引(けんいん)されてゆき、滑走路端につく。

 

 スタート前に、『九尾』はコクピットごしに上空を見上げた。

 雲量1の青空が彼の頭上で、なにか誘うがごとく視界イッパイに拡がって。

 

 各油圧、操作系統、界面翼・創出因子――最終確認。

 そして、オール・グリーンのサイン……。

 

 

 

 

 



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062:番外編・マクフィーの独り言

 

 

「あぁ……行った行った」

 

 マクフィーは、連れ立って離床してゆくニ機を、腰に手をやり、眼を細めて見送った。

 

 ――“奉天”かァ……。

 

 そして、ふと、コチラの視線に気付いたように、

 

「なんだ――ナンか用かい?……あぁ、アンタ読者か。えぇ?あの機体(奉天)はどういうモンかって?」

 

 撫で付けた薄い白髪の上に探査院整備士の略帽を載せた頭を、持っていた「スナッポン」の年季が入ったツイスト・コンビネーション・レンチでコリコリ掻いて、やおら首を振り、

 

「知るかィ!コッチのほうが聞きてぇや……ただナ?PCやスマホのまえにいるアンタらに、ココだけの話で言うけど……ありゃぁ、よくねぇ機体(モン)だぜ……」

 

 彼は、青空の彼方に小さくなってゆく二機連れをしばらく観ていたが、

 

「……マァ来ねぇ、茶ァぐれぇ出すわィ」

 

 マクフィーは、騒音の満ちる整備場に戻ると、コンクリート敷きの広大なエリアで【(プラット)(ホイットニー)・JT-11D・ターボファン・ジェットエンジン】の整備をしていた“若い()”に2~3分ほど指示をくれてから、あなたを整備場の一角、アルミの枠材と透明アクリルで仕切った休憩ブースに導いた。

 

 一見、安出来な温室めいたブースだが、ガチャリ、と扉が閉まると騒音はほとんど聞こえないまでになる。

 かわって耳につくのは、ブースの中央にある電気ストーブの上に置かれたヤカンがシュンシュン鳴る音。オイルの臭い。古い紙の書類の気配。

 

 マクフィーは棚の上にあるコーヒー・メーカーのポットから、ステンレス製のマグカップにコーヒーを満たして、あなたに差し出した。

 

「砂糖とミルクは、そこの冷蔵庫うえのカゴにあるから、好きなだけ使いナ――おっと、そのパイプ椅子はダメだ。若い()が、グリスまみれの(ケツ)で座りやがって。あんたのケツが油まみれになッちまう……こっちの座布団がついたペール缶を使いネェ」

 

 初老の男は、あなたに座る場所を指示すると、自分は棚から、抹茶茶碗――おそらく桃山時代の瀬戸黒・沓茶碗――をとりだし、なんとそこに自分用のコーヒーを注ぐ。

 やがていつもの居場所らしい、整備関係のファイルや帳簿がのった机に椅子をキシませて座ると、両手を使い、ゆっくりと茶碗をかたむけた。

 

 休憩室は、他にひと気がなく、静かだった。

 “若い連中”の休み時間にはまだ間があるらしい。

 

 見わたせば、整備帳や、ファイルの並んだスチールラック、多種多様の工具箱。床にはメンテ中のモーターやバイク用(?)のヨシムラ・FCRキャブ。壁には水着の女性――ではなく、新型機のプロモーション・ポスターや、エンジンメーカーの外事象面風景を捉えたカレンダー。果ては“ビェルシカ”や“パピヨン”といった、アイドル級・少年性奴のブロマイドすら。

 

「ンなに珍しいかィ?整備屋の休憩所なんて、どこも似たり寄ったりだろ?」

 

 マクフィーは、あなたが物珍しげにあたりを見回すのを微笑で見守りながら、

 

「いつの時代だって、どこだって同じさ。オレも視力の関係で航界士ヤメて整備畑に移ってから、もう30年近くになるが、代わり映えしなねぇ風景だ」

 

 30年……ですか、とあなたの応えに、

 

「そうサ……つくづく早ぇモンだなぁ、って思うよ」

 

 マクフィーは、コーヒーを満たした茶碗を、ゆっくりとすすりつつ、

 

「アンタもサ?若ェうちに、いろいろヤッといたほうがイイぞ」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?

 

 

 ため息一拍ぶんの間。

 

「……オレなんざ世間的にはもうジジィと見られる(トシ)なんだろうが、どうにもまだ30・40代なような気がして、納得ができねェんだよ。なァんでオレはこんなに老けてるんだろう、ってサ」

 

 頭上をターボ・プロップ機の金属音が通り過ぎた。

 窓越しに、この老整備長はチラとウザそうに見やり、

 

「ケッ!王宮直属の修錬校だ。ときどきワザと瑞雲(ウチ)の上をフライパスしていきやがる。ウチみてぇな弱小三流校なんざ無視してもイイってのに。最近よそからイヤがらせっつーか、干渉が酷ェんだよな……オレたちがナニしたってんだ……え?『九尾』?アイツがどうしたって?」

 

 アナタは先ほどの女性に見える候補生が『九尾』であることを知らせる。

 彼が、探査院にとって少なからぬウェイトをもつ存在であること。それが、他の修錬校に少なからずの()()()()や警戒を招いていることも。

 

 しかし、この老整備士長は、ハ!と鼻で笑い、一顧だにしない。

 

「アンタ、気ァ確かか?アレぁ(メス)ガキだったじゃねぇか……でもよ?ココだけのハナシ。まだ若ェし、若干アホだが、ありゃ将来()()()になるぜ。オレが保障する……ま、()()()()()()()、の話だがナ」

 

 マクフィーは目じりのシワを深め、少し顔を曇らせて、

 

「もったいねぇよなぁ。あんな女を“奉天”に乗せるなんざ、二重・三重のイミで」

 

 あの飛行機、“奉天(ほうてん)”って、なんです、と読者であるアナタの問い。

 

 マクフィーの沈黙。

 

 場を持たせるために、あなたは(ぬる)くなってしまったマグカップから、コーヒーを一口。意外に真っ当な味が、口中にひろがった。

 やがて、主任整備士長は、微妙な視線をコチラに向け、

 

「マ、あんたらは少し離れた事象面に居るから、イイか……」

 

 そう、独り言のように呟くや、

 

「“奉天”ッてのは――俗称だ。本来の名前は別にあるらしいんだが、記録が秘匿扱いになってて分からん。なんでもずいぶんと(ふる)い機体らしい。アーキテクチャが異様だし、設計理念からして既存の系列から、エラくかけ離れてる……」

 

 と、おっしゃると?というあなたの問いにマクフィーは、

 

「他言無用だが……アレをいじっててどうにも異様な感じが否めん。まるで別の世界の機体をいじっているような、そんな気分になる……笑うなよ?」

 

 笑ったりなんかしません。

 

「そうか?ナラ心強いや……あの機体は、な?」

 

 そういうや、この男はあなたのほうに椅子のキャスターを近づけ、声をひそめ、

 

「“()()()()()()()()()()()()”のキモ入りで作られた大昔の機体で、なんでも当時の法令をすべて無視して創られたものらしい。一説にゃ『エアフォース・ワン』を(しの)ぐ情報統括能力すらあるとか。陰の『()()()()()()()』ってハナシもな。どういうわけか、(しばら)く物理的・電磁的に完全封印(シール)されてたらしいが」

 

 ――詳しいんですね?

 

 駄ァホ!と、あなたに向かい、もはやよほど気安くなった口調で、

 

「コレ調べるのに、エラく()()()橋ワタったんだぜ?王立の中央図書館使ったのが不味(マズ)かったみてぇだが」

 

 女王の肝いりというのは、()()()()()()()()()。でも“懺悔すべきモノたちの女王”ってナンなんです?

 

 ()ッ!()ィィィッ!

 

 マクフィーは(あわ)てたように、

 

滅多(めった)なコトいうんぢゃねェよぅ!!隣国(トナリ)のように“不敬罪”なんてものが存在しない日本事象面でも、この女王に関しちゃアンタッチャブルなのョ。『薔薇(第一王女)のバーカ!』とか『百合(第三王女)のドSブタが!』なんて叫んでも、屁でもないが、こと“懺悔”に関しちゃ、現政権も、いまだ気を使ってるらしい」

 

 ――でも、もうアルツハイマーの“おばぁちゃん”なんですよね?

 

「本人は耄碌(モウロク)しても、築き上げた組織は健在だってコトもある……」

 

 マクフィーは、さらに声をひそめ、

 

「もともと、現女王のアルツハイマーだって、今の二王女が()()()()()()()症状を起こしたってウワサもあるくらいだ。そこに西ノ宮の干渉だろ?さらに、日本政府には隣国から金をもらったロビイスト勢力(スクール)や招きいれた非正規行動細胞がマスコミやネットワークつかって暗躍して、もうグダグダなんだ。いっそオレも、あんたの事象面に逃げ出したいぐらいだぜ……」

 

 ――王女たちと“女王”の関係って、ドウなんです?

 

「そこまでは知らねぇよ……ただ、女王と三王女の間に血縁関係は無い、らしい。しかもその三王女それぞれも、血縁関係が無いとか。これ以上は分からん、知ってても教えられネェ。なにせヤベぇハナシなんだ。もともと並行世界の移民そのものが、いまだ不明な点が多いし。そんな連中が、こんど日本の政府と“政務統合”とかいって国の中枢に食い込んだろ?水と安全がタダな『古き良き日本』は、もうオワったのかもしれねぇ」

 

 ――この世界も、大変なんですね。

 

「あんたの事象面(ところ)に行けたらナァ。こんなヤバくなる仕事ほっぽって、隠居するのに……なんせ年金は82歳からだぜ?しかも月額1万円だと。どないせェっちゅーんじゃ」

 

 ――ヤバくなる仕事……?

 

 マクフィーは、もうすっかりヌルくなったであろうコーヒーを、抹茶茶碗から含んだ。

 

「なんせ人手は少なくなる一方だろ?整備士ってなァ、繊細なセンスと感覚が必要なセクションなのに入ってくる連中は、ガサツな奴らばっかりだ。人手が足りないのを国外事象面から穴埋めしようと政府のバカどもの政策で隣国事象面から研修生いれたら……」

 

 ここでマクフィーはハァっ、とため息をつき、

 

「メモリー・ユニットに整備のノウハウと極秘の機体情報を引き出されてトンズラこかれたよ。さいわい境界ゲートで検挙できて、情報は回収できたから良かったが……それにな」

 

 ――それに……?

 

 いや、()そう、とマクフィーは茶碗のコーヒーの残りをすすり、コーヒーかすが付かないように、すぐさま休憩ブースの流しで茶碗を洗った。

 

 ――なんです?そこまで言って、そりゃないですよ。

 

「……(ワラ)わないと約束するかィ?」

 

 ――ワラうだなんて、そんな。

 

 ふん。

 

 キュッと音を立て、マクフィーは蛇口を締めると、茶碗を棚においてから、

 

「おれぁナ?前にも言ったが航界士、それも大型強襲揚界艦・畝傍(うねび)の所属だったんだぜ?そこいらの航界空母なんかよりもっとハードな、強攻作戦型の戦闘ユニットさ。『事象海兵隊』なんかよりまだ酷ェ。オレの視力が悪くなったのも、その最後の作戦が原因なんだが……まぁそりゃイイ、別のハナシだ……」

 

 もと居た椅子にギシリとすわり、手近にあったトルクレンチを(もてあそ)びつつ、

 

「ある大失敗に終わった航界作戦でな?帰還率は60%を切ったコトがある……全滅一歩手前の大損害さ。オレ自身も、よく帰還できたモンだ。部隊は作戦の続行を断念、転進を決定したその晩のことよ。ガラガラんなった駐機スペースで、オレは甲板員の手伝いをしながら――艦も大損害を受けて人手不足だったンでね――戦闘で疲れた身体にムチうって、使わなくなった予備機材をパレットに積んで「ビシャモン」で動かしていたんだ。轟沈した他の艦の艦載機を畝傍(ウチ)に着艦させることになってな。時間との戦いだった。」

 

 あなたは被害を受けた揚界艦で、目の前の人物が若い姿のまま、奮闘する姿を思い浮かべる。

 

「艦の電力も不足していてな。格納デッキがやたらうす暗かったのを覚えている。ところが……広々としたデッキの片隅で、妙な人影が車座になって座り込んでいるのさ。で、オレは怒鳴った」

 

『ソコでナニしてる!もうじきほかの連中が着艦するぞ!手ェ空いてンなら手伝え!』

 

「ビシャモンに片足でのり、甲板を鳴らしながら走ってゆくと、その連中の雰囲気が尋常じゃない。まるで影のような、3D映像のような……それでも一団の中に、G・スーツを着た北沢編隊長の姿は見えたのさ。なんか――もの凄く青白い顔をしてな」

 

 ストーヴに置かれたやかんのシュンシュン鳴る音が有難かった。

 さきほどから、隙間風でも差し込むのか、みょうにゾクゾクしている。

 

「オレも戦闘でボロボロんなってて、こらえ性がなくなってたんだな。『北沢ァ!母艦、墜とされた飛鳥(あすか)の連中がもうじきやってくる!ボサッとしてンな!……てめぇも手伝え!』ってサ。だが遠くから運搬トレーラーのホーンで呼ばれ、ちょっと眼をはなしたスキに――ヤツら居なくなっちまった」

 

 マクフィーは微笑を浮かべ、

 

「……もう分かったろう?北沢の隊は、その日の作戦で未帰還の中に入っていた。だがその当時は、そんなこともあるもんだなと、大して気にも留めてなかったんだ……ところが、つい最近、似たようなことがあった……」

 

 ――どんな……?

 

 身を乗り出すあなたの問いに、整備士長は、

 

「“奉天”だよ……あの機体だ」

 

 ――あの古めかしい飛行機が?どうしたって言うんです?

 

 うん、とマクフィーは手にしたトルクレンチを弄りながら、応えない。

 しかし、ややあってようやく決心したのか、

 

「航界機は……パイロットと密接に接続するために、各種のバグやウィルスはもちろん、物理的なウィルスの消毒にも気を使わなきゃならないんだ。今回、急な日程で“奉天”のフライトが組まれただろう?最初はロシアの境界と近い『ブヌコボ・Ⅴ』基地が選ばれたんだが、ダメだしくらって急遽、瑞雲(ウチ)の滑走路を使うことになった……」

 

 ――ハナシは、聞いてます。

 

「当然、工程表はキツキツなワケだ。機体の移動、プログラムのチェック、各部動作の点検……結局、薬理的な処置は、一番最後になった……それが昨日の晩さ」

 

 やかんのシュンシュン言う音が、みょうに耳につく。

 

「若いヤツらはこのところ残業させ続きで、もう法定上限一杯だ。しかたなくオレがヤミ勤務で、機体の洗浄に当たることンなった。時間は02時を回ったところサ……コクピットで、オレは消毒作業をしていたと思いネェ」

 

 冷たい空気。

 真っ暗な格納庫。

 わびしいスポットライト。

 ときおり吹く冬の風にガタつく窓。

 ひとッ()ひとりいない、ガランとした空間。

 

 と――どこかで電子起動音のような高周波の(かす)かな響き。

 

「オレはナニげに“奉天”の下を見た……すると……驚くじゃネェか」

 

 マクフィーは、グッとあなたのほうに顔を寄せ、

 

「機体の尾部のほうに、ボンヤリとした人影が見えるんだ……それも何人も。しかも雰囲気的に、全員(ゲシュタルト)・スーツを着装してるっぽいんだよ。手に手にヘルメット・デバイス持ってたからな……しかもエラく(ふる)い型を着るヤツもいやがった」

 

 ――よその部隊のヒト?

 

「そんな時間に居るけェ!それに旧いG・スーツは、オレがガキのころに見たタイプにソックリなんだよ。思わず持ってた薬剤の噴霧ボトル、落としそうになっちまってさ。いいトシこいて、ひさびさにビビッたんだ――正直(マジ)なトコロ」

 

 ――ソレで!?ソレで!?

 

「これが異様な雰囲気でな。じっと見ようとすると、消え(ちま)う。ケド視野のハシを使うと、ヤツらがジッと佇んでいるのが分かるんだ……こう、全体的にオボろな、(くろ)い影たちでな……」※

 

 ――結局、なんだったんです?

 

「知らねェよ!……ただ、こんなこと言ってたな」

 

 ――なんて?

 

『ホスローは……どこにいった……』

 

「ってヨ?しかも声が尋常(じんじょう)じゃねンだ。こう、ほ……す……ローは……ってよ」

 

 マクフィーはトルクレンチをアゴに押し当て、まるで自分に言い聞かせるように、

 

「とにかくヤツらは……あの機体に()()()のある連中だと思う。そしてこの世のモノじゃないってコトも確かだ。雰囲気が、畝傍(うねび)で感じたモノと似ていた……」

 

 きょう、『九尾(あいつ)』がアレに乗らなくてラッキーだったぜ、あのカワイコちゃんにぁ、気の毒だがな……と、整備士長は表情を改め、さ、これで話はオシマイとでも言うように椅子から立ち上がった。

 

「あの機体は、なるべく触っちゃなんネェ。封印されていたのも、多分そこらへんに理由(ワケ)があンだろ」

 

 ドカン!と扉をあけて、ドヤドヤと若い奴らが入ってきた。

 それまで部屋に漂っていた雰囲気は一掃され、生の気配にあふれる。

 

 あなたは急に忙しそうなマクフィーに別れを告げると、休憩ブースの外に出た。

 

 よく晴れた冬の午後。

 思わずぶるっと襟元をかき合わせたのは、吹き渡る風のためか。

 それとも今聞いた(はなし)のせいか……。

 

 

 

 




 筆まかせで何気なく書いてたら、王宮の血縁関係など、作者の私も知らないことがドンドン明らかになって(へぇぇ、そうなんだ?)と思いながら愉しく書きました。

※……ところで視野の端になんか居る、ってありますよね?
 (エッ!?と、そっちの方見ても、誰もいないパターン)


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063:裏切りの翼のこと、ならびに航界士たちの復讐のこと(前【チョイ18禁版】

 

 

 管制塔(コントロール)より離陸許可のコール。

 ブラン・ノワール組たちを喪った、運命の雲海戦。

 もうあれから気の遠くなるような年月(としつき)がたったように思える。

 

 ――現実は……まだ半年と過ぎていないのに。

 

 跨乗コクピットからの刺激が悩ましい。

 アヌスが太めな排泄処理器具を、ズップリと(くわ)えこんで。

 あるはずのない(ヴァギナ)がうずき、仮想設置の子宮口がジンジンと(シビ)れるよう。

 片手を操縦桿からはなして、薄くなってしまった胸をまさぐる。乳首ピアス(あと)の、甘い(うず)きといっしょに快感がジワジワとよみがえってきた。

 天蓋付きのベッド。ピンクなサテンが艶やかに光沢を走らせるなか、許婚(フィアンセ)に優しく支配され、(しつ)けられ、調教され。前と後ろに辱めをうけ、加えてお口を烈しく犯される光景。

 全身を拘束され、洗脳され、“(おんな)”としての仕上げを(ほどこ)されるひと幕……。

 

 結婚、そして妊娠――出産。

 自分の匂いのする、小さな生き物。

 やわらかく、暖かく。なにより生命(いのち)にあふれて。

 小さな爪の生えそろった手が、自分の小指を握りしめる。

 ふと、世界にデビューしたての幼子は、生意気にも()()()などして。

 

 ――赤ちゃんにオッパイ、あげたかったな……。

 

 心のどこかで、そんな『()()』の最後の意識が。

 

《奉天――奉天!?離陸準備よろし?》

「ウ、Oui, mon capitaine!!」

《……》

 

 不意をつかれ、思わず大声になる。

 妄想から『九尾』はいきなり現実に引き戻された。

 おまけにどうしたはずみか、メス奴隷の服従文句が出る始末。

 しかし“航界士・候補生”にもどった彼は、キリッ、と意識を改める。

 

 ――そう、前回はここで推力全開だった()()……気をつけなくちゃ。

 

 彼は前傾姿勢にグッと力を込める。

 豊満な下半身が、肉感的にシートをほおばって。

 G・スーツが、そんな彼の半ば女体化した身体に律儀(りちぎ)な反応。

 シートに備わる拘束具も緩やかにバイブしながらゲル状のアブソーバーを最大拡張。

 くびれ気味のウエストとムッチリ張り出したヒップをガッチリ抑え、ピッチリとホールドする。

 

 《――諒解。滑走・開始》

 

 だが、彼の警戒をよそにVTOL機は事務的にスタートを告げるや、徐々に――徐々に――きわめてゆっくりと、模範的な滑走をはじめた。

 モーターのような(なめ)らかさ。シルクのような加速度。

 ほどなくフワリと二機は大地をはなれ、上昇を開始する。

 ゆるやかに高度をとったあとは、軽くバンクして世界を傾かせる。

 陽光の鋭角な影が、ジリジリとコクピット内を移動して、なじみの気配を加速する。

 

 しばらくぶりの飛行だった。

 

 地面から機体が離れてゆく時の、気持ちよさ。

 まるで汚穢(おえ)の地から、遠ざかってゆくように。

 午後の太陽が、そんな牽引索で繋がれたニ機を祝福するように輝かせている。

 

 ――(かえ)ってきたのね……。

 

 『九尾』は実感する。

 

 “()()()()()()()()()”とも思うが、くぐり抜けてきた状況を考えてみれば“()()()()()()”のほうが正しいのだろう。ヘタをすれば、いまごろハーネースに縛め(いまし)られ、ピアスされた小陰唇(ラビア)から淫汁(ラブジュース)垂れ流しなまま、花嫁衣装のサイズ合わせをしていたかも知れない……。

 

 地平の彼方に浮かぶ首都圏のメガ高層タワー群。

 少し離れたところに、暗渠(あんきょ)となった隅田川に立つ第四電波塔(メガ・スカイラダー(天のはしご))。

 べつの位置に、洒落(シャレ)た形で浅草120階。

 ちょうど一塊(いっかい)の雲が影をおとし、群青色な街並みが大地にカビのように拡がるその場所では、今この時も、異形の性癖と情欲とを求めるエスタブリッシュメントの一群が、そしてそれらを(ひさ)ぐべく改変された“人形たち”が、相手の歪んだ性癖のもとめに応じるまま、(みだ)らに(うごめ)いていることだろう。

 

 ――思い出しちゃう……。

 

 路地裏の下水臭さ。

 キラめくネオンと扇情的なコピー。

 街頭スピーカーからむなしく響く風俗店の宣伝。

 艶かしいピンクの照明にうかぶ、性的な、破廉恥な衣装。

 被虐の欲望に上気した肌がはこぶ、愛液と化粧。それに媚薬(びやく)の臭い。

 思わせぶりな視線と口唇(くちびる)。そこから(つむ)がれる情欲と金銭の駆け引き……。

 成長抑制剤(クロノス)により時を止められた、ロリータ服な少女の微笑。思わせぶりな宗教の街宣車。

 

 意識を現実にもどし、転じてコクピットの周囲をみれば、ここはそういったドロドロしたモノとは隔絶された世界だ。

 

 喜悦(よろこ)びも――

 悲しみも――

 憎しみも――

 憂欝(うれ)いも――

 そして望みすらもない。

 

 生半可な人間の営みを拒絶する空間。

 峻厳で、純粋で。そして永遠に静謐(せいひつ)な世界。  

 

 ボンヤリ呆けていると、曳航するVTOLから入電。

 

 《こちら探査院・強攻探査師団所属SRV-Ⅳ『カロン』、只今より試験空域に移動する。機内レコードをチェック。チャートI/P(インプット)

 「こちら『ポンポコ』――了解ですわ」

 

 何気にそう応えてから気づき、

 

 ――やだ!()()()ったら……。

 

 しかし相手方からは何の反応もない。

 とうやら勘案してくれたらしかった。

 

 ()()は恐ろしい。しばらく使っていなかったW/N(ウィング・ネーム)がスルッと出てくる。

 そういえば『九尾』なんてコールサインを使うのは初めてのことねと思う。『成美』と応えなかっただけでも良しとしましょう、と彼は自分をムリに慰めて。

 

 沈黙のまま、曳航索でつながれた二機は、高度を(かせ)いでゆく。

 

             ――――――――

 

「――聞いたか?『ポンポコ』だと。

「カワイイ声で。いつまでも初年時の気分が抜けないらしい」

女体化(T S)の進行は順調に進んでいるのだろう?勿体(モッタイ)ないな……」

 

 機内には一瞬、同意するような沈黙。

 やがて周りの意思を代表するように、

 

(よろ)しいのですか?本当に――あれだけの逸材を」

「案ずるな。“(ラン)のお方”からも、投棄の許可は頂いている」

「西の方との手打ち、機体の廃棄、流出情報の始末、一石三鳥ですな」

「我々に口出ししてきたネイガウス上級大佐への見せしめのもある。四鳥だ」

「否、あのクソ生意気な“百合”にも、ひと泡ふかせてやれるのだから、五鳥だて」

 

 ここでふと、隙間が生まれ、おずおずとした声が、

 

「あのダイヤ……作戦終了後に回収して宜しいですね?ウチの部署(セクション)の予算に」

「映像の版権は、こっちのものだよ?“(メゾン)”とも話がついている]

 

 静かなしゃがれ声が、これら打算ずくな会話を圧し、

 

()()らも――悪役(ワル)よの」

 

 それに対し、いかにも太鼓もちのような甲ン高い声が応えて

 

「いえいえ、パウヱル次官補どのには、とても。とても」

 

 せまい機内に響く、密やかな笑い声……。

 

             ――――――――

 

 『九尾』は目を凝らした。

 レーダーを確認。彼方に細身の戦略爆撃機が単機。

 どことなく不吉なものを漂わせ、等速で移動している。

 曳航役のVTOL機に連絡。

 

「『九尾』より『カロン』――同高度で平航する爆撃機(ツポレフ)はナンです?」

《こちら『カロン』。今回の監督機だ。これから君には、演技2種を行ってもらう。腕がサビついていないか()()()()だ》

 

 そんな!と九尾は、またも涙目。

 今回は“飛ぶだけ”だと聞いていたのに。

 また「大人のペテン」に引っかかった予感。

 

 ――コレがあるから、探査院なんてものを完全に信用できないのよ!

 

 思わずVTOL機に文句のひとつでも言ってやろうと思ったが、辞めた。

 

 因縁(いんねん)のインメルマン・ターンを含んだ演技2種。

 前回は、この起動をミスって雲海に墜ちかかったのだ。

 今日、奇しくも同じ演技であるこの機動をクリヤすれば、ポイントの切り替えを通過して、同じところの堂々巡りから離脱できる……ような。

 

 ――大丈夫。()()()()()()()()()()()()()()んですもの。

 

 あれがキッカケになればいい、と『九尾』は(こいねが)う。

 

 上は蒼い空。

 下は一面の白い海。

 前方にVTOL機。

 すこし離れた位置に、4発の二重反転ペラを回す細身の高速爆撃機。

 そして――自分。

 

 世界の要素(エレメント)は、これだけ。

 目の前に浮かぶ3D計器やHUD。そんなものすら不要に思えるほどの、簡潔な、そして純粋な世界。

 全神経が己を“実存”させるための本能的な緊張。

 アドレナリンを放出する音まで聞こえるようで、気持ちいい。

 

 頭が――身体中が。

 スキッ、と研ぎ澄まされる感覚。

 

 上空をぐるりと見まわした時とき、月が、はるか高空に架かっているのを見る。

 

 ――あぁ……。

 

 角を持つ、(たてがみ)を風にゆらした白馬たち。

 見慣れぬ形をした(かお)り高い草花。

 上空に浮かんでいた二つの衛星……。

 

 ふと、曳航役VTOL機の所属を思い出した『九尾』は仕返しとばかり、

 

「候補生『ポ……『九尾』より『カロン』へ!質問があります!」

《……『カロン』より『九尾』――質問を、許可する》

「質問!『第47強行偵察師団』ってご存知ですか?」

 

 沈黙があった。やがて、

 

《かつて存在した、特殊偵察航界グループの一派だ……いまは存在しない》

「部隊が発展・改変されたんですか?」

 

 また、沈黙。

 そしてイヤイヤながらといった風に、返答がやってきた。

 

《……部隊は“消滅”した。以上だ、『九尾』》

 

 無味乾燥に無線が途切れる。

 

 ――ちぇ、なによ。

 

 消滅した、って何のこと?と、彼は小首を(かし)げる。

 部隊は結局どうなったのか。ワケが分からない。

 このぶんでは『ホスロー』上級大佐のことなど、知っていても答えてはくれないだろう。

 ナニかあるわネ?とキナ臭い気配を感じつつ、キッ、とツポレフの方を見やる。

 

 VTOL機と、そのツポレフの交信が激しくなった気配。

 おそらく違法なものだろう。“奉天”に備え付けられた後付けチックな、古風ともいえる指針付きアナライザーが反応する。

 スケルチと操作ダイヤルを組み合わせれば盗聴できるのだろうが、雲海戦の前夜、あの一夜漬けで“奉天”のマニュアルを覚えた時、この機能は使わないだろうと判断して暗記をトバしたのだ――残念。

 

沈黙のうちに、小一時間がすぎた。

チャートでは、最大防衛識別ラインのはるか彼方まで来ている。

この先は、いくら飛行しても何もない。

白と青の、永遠の広がりがあるばかり。

 

 ややあって『カロン』から入電。

 

《『カロン』より『九尾』――演習空域到達。これより曳航索を解除する》

 

 『九尾』が諒解(りょうかい)、というのも待たず、VTOL機は索をパージした。

 ブースターに点火してあっという間に加速・上昇し、何かに警戒するように高度と距離をとる。

 

《よし、『九尾』。基礎演技2種――始め(ナウ)!》

 

 指令を聞き、彼は大きく一つ、深呼吸すると還元(リダクション)MODE・1へ。

 とたん、おぼえのある感覚。

 身体に浸み入るガラスの破片。

 キシキシ・ズキズキと体内神経を蹂躙(じゅうりん)する。

 

 しかし――どうしたことか。

 

 『ゾーロタ』と『シリブロ』のムチをおもえば、今回はそれもずいぶんとマイルドに思える。

「マゾヒスティックなメス」という人造の状態に変容した今、痛みは快楽に窯変(ようへん)し、以前と比べて積極的に被虐(ひぎゃく)を受け入れることができた。

 

 ――いいわ……イケる!

 

 さらに還元(リダクション)MODE・2へ移行するため、龍ノ口(センパイ)から直々に譲られた移行文言(コード・パス)をきれいなソプラノで叫ぶ。

 

 とたんに消える、ガラスのイガイガ感。

 

 粉砕され、皮膚を内側から突き破らんばかりだった破片は、スッ、と液状化し、身体は機体と同一になった。

 肉体の感覚が希薄化し、自身が浄化され――そして離脱する。

 

 視点が幽体離脱をするように、ゆっくりと移動。

 

 やがてガックリとうなだれ、G・スーツと自在アームでホールドされた自分の肉体を見下ろす位置に。

 あんな(ムサ)い容れ物に入っていたのか、と心ひそかにゲンナリ。

 解脱状態で自己(エゴ)をみれば……。

 

 ――なによ!……コレ!

 

 まるで小腸のデキ損ないを想わせる、腔腸動物めく生物。

 身体一面に取り憑いて、ウネウネと蠢き、すきあらば彼の自我に食い入り、侵食しようとする。

 おぞけをふるった『九尾』は、あわててパタパタと(おのれ)をはたいた。

 

 すると――どういう具合だろうか。

 

 小腸を思わせるその存在は、雲母(うんも)のように硬化。

 キラキラと、(もろ)くもはがれ落ちてゆく。

 陽光の助けもあるのか、ひび割れ、剥落し、粉砕される“寄生存在”たち。

 叩けば叩くほど、細かい硝子(ガラス)のホコリのように、濛々(もうもう)と雲海に舞い落ちて。

 

 ――いやぁっ!気持ち悪ィ!ナンなのよコレ……。

 

 必死に自身を叩くうち、粉々となった(むし)を、あらかた砕き堕とした。

 

 ――畜生……こんなのがまとわりついてたのか、クソったれめ!

 

 《『九尾』なにをしている。界面翼を展開――硬翼収納せよ》

 

 言われて我に返った彼は、ようやくあらかた寄生小腸をはたきおとして一息ついてから、ウン、と自己をもう一段希薄化する。

 

 周囲に認識を展開。

 

 事象劈開(へきかい)面をさぐり、自分の認識で、機体を支えようとする。

 ここら辺は事象面がおそろしいほどフラットで、なかなか(ひずみ)が見つからない。

 

 ――あった!でも……モロいなこれ。

 

 九尾は事象面のヒビにそって、自分の意識をのばす。

 いってみれば、それは岩登りをするときに適当な割れ目をみつけ、そこで自分の体をホールドして浮かせようとするようなものだ。

 違うのは、身体を浮かせるものが腕力や脚力ではなく、意思と認識力であるかの差に他ならない。

 

 ヨイせ!と、もうヒトガンバり。

 力みすぎて視界が赤く、頭がズキズキと痛んだ。

 

 感覚で、界面翼が3枚しか出せていないのが――何となく分かる。

 これでは巨大な“奉天”の機体を支えるにあたって、とても足りない。

 

 ――くそっ!せめて、あと一枚……。

 

 《『カロン』より『九尾』。(よく)の展開を急げ!2枚と半分しか出ていないぞ》

 

 ――うそぉぉぉ!3枚出てると思ったのに!

 

 いっぱいいっぱいになりながら、彼は認識力を広げようとする。

 どうにか形だけでも4枚だせたところで、すでに脳疲労がMAX。

 ヘロヘロな意識操作で“奉天”の硬翼を後退させ、可変翼めく動きでウィング・ベイに収納。

 界面翼だけとなった機体の動きが、さらにフラフラと心もとなくなって。

 

             ――――――――

 

「大丈夫なのかな、コイツは……“1級”ってホントか?」

 

 機内から、低く失笑する気配。

 

「なんだ?なにか――わたしは可笑しいコト言ったかね?」

「……そうか、君は“あの映像”を観ていないのだったナ」

「と、おっしゃいますと?七つのヴェールの舞いなら……」

「ちがぁう。9.10雲海戦の映像だよ」

「まぁご覧アレ、だ。面白いコトになるから」

「しかし、キミ。それでは当初の目的が……」

「大丈夫。界面翼システムには手をいれてある。(よく)は、形成されない」

「万一にそなえ、先導機にも武装をさせておるぢゃないか」

 

 まぁ見ていたまえ、と座を取り仕切るきわめて高齢の事務次官補は、ふたたび機外の外へまぶしそうに眼差(まなざ)しをむけた。

 

             ――――――――

 

「こちら『九尾』。ただいまより規定機動を開始する」

《『カロン』諒解。機内時間1505、レコード開始……》

 

 ふぅ、と彼は機体の外で意識体のまま、息をつく。

 

 ――よぅし……やるか!

 



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063:           〃           (後

 

 どこか“ヴェールの舞”を始める前に似てるな、と思いつつ『九尾』は口唇(くちびる)を噛む。

 

 なにより精神集中!

 

 まずはゆるやかに上昇、バレル・ロール。

 雲海からの高度を稼いだあと、緩降下しつつ8の字を書くフィギュア・エイト。

 下の円弧で界面翼が苦しげにふるえて。

 x軸方向への転換がおくれ、下限は雲海ギリギリとなる。

 冷たい雲の粒が、カミソリの刃を砕いたしぶきのように意識をかすめて猛然と頬をかすめる印象(イマージュ)

 雲面0でなんとか引き起こし。

 いま耀腕(ようえん)が出たら、ひとたまりもないだろう。

 

 ――あぶねぇ……でも、イイ感じだ。

 

 パワーに“意識”を凝らす。

 “奉天”の何だかワケわからない複雑な各種警報は、無視。

 インメルマン・ターンの予備起動。

 “認識”を最大限に効かせて、ズーム上昇。

 十分に位置を取ったところで、パワー・ダイブ。

 スプリットS(逆宙返り)から順面に移り、急激に引き起こす。

 

 ――ここ……ッ!

 

 認識の転換に耐える界面翼が、フラッターを起こしたように激しく震えて。

 雲海という目標物があるスプリットSに比べて、一面の蒼空に打ちあがってゆくインメルマン・ターンは自我意識の保持と実存の認識が初心者には難しい。しかも上昇中、弧を描きながら正確に機体をロールさせ、次の機動につなげるのだ。

これが普通(なみ)の飛行機なら初歩にあたるのだが、こと界面翼機となると、そうはいかない。

 

 視界一杯の蒼に突っ込んだ『九尾』の“認識”は、はやくも危うくなる。

 翼が一本ちぎれ、消えた。

 

 ――しまった!

 

 重量級の“奉天”は無残にもバランスを崩し、上昇しながら、スピン。

 位置認識のハーケンが飛び、全翼。ロスト。

 再起動しようとするが、翼形成プログラムは、沈黙。

 自動的に還元(リダクション)はレベル1まで引き戻され、感覚は肉体に戻された。

 

 もはや低級物理法則に支配された醜悪(しゅうあく)な金属の塊は、運動エネルギーを使い切ると、石のように雲海に落ちてゆく。

 

 ――はぁ……また落第かぁ……。

 

 こりゃ留年かもな、と機外の光景が“蒼”と“白”、交互に目まぐるしく変わる繰り返される光景を他人事のように眺めつつ、ホロ苦い思いで【非常翼形成】とコンソール(操作盤)にダクト・テープで固定されたボタンへと手を伸ばす。

 姿勢制御スタビライザーが自動シークエンスではたらき、スピンはゆるやかに止まった。

 ウィング・ベイからふたたび硬翼が現れ“奉天”はグライダー状となり、水平飛行に移る。無粋な物理翼がGを受け、ギシギシとしなって……。

 

             ――――――――

 

 「ここだな――もうイイだろう」

 「よし……やりたまえ。悪く思うなよ、()()()()()()()?」

 「硬翼、パージします!」

 

             ――――――――

 

 ー【警報】ー

 

 ウィング・ベイ部の(ひずみ)ゲージ・センサーに緊急アラート。

 なに!?と『九尾』が冷や汗をかく間もなく、右側の硬翼ジョイントがイヤな破壊音をたて()ぎ取られた。

 たちまちバランスを(うしな)った“奉天”は、軸のぶれたロールをうつと雲海へのダイブを再開する。

 

 ――そんな!

 

 片翼だけ残っていても仕方ない。

 機体をゆすぶられる振動の中、反射的に操作盤(コンソール)へと手を伸ばす。

 バランスを取るため、残った片翼も翼納庫(ウイング・ベイ)ごとパージ。

 還元(リダクション)2へ!もういちど集中して創翼を……できない。

 

 ――なんで!!!?

 

 背面から落下してゆきつつ『九尾』は酸欠する頭の片すみでゾっとする。

 彼方に浮かぶ四発の随伴機。

 そこから注がれる、毒のような笑みと視線。

 肉体を離脱した今の彼には、まざまざと知覚されて。

 

 ――まさか……“奉天”の翼納庫(ウィング・ベイ)に工作? 

 

 臨終の人間が、時としてみせる脳の限界高速演算。

 彼は最近己の周囲を取り巻く要素を取捨選択し、推論を組み立てる。

 

 推論は疑惑へ。

 疑惑は可能性へ。

 可能性は必然へと。

 

 ミリ秒の間に精錬(せいれん)されてゆき、航空燃料が爆発炎上するような怒りが彼の意識を蹂躙(じゅうりん)する。

 

 脳の中で、(かせ)が外れるような、なにかが壊れる音がした。

 同時に意識が、ホワイト・アウト

 音がやみ、あとは純粋な、光。

 

 そこから先は、なにもおぼえていない……。

 

 

 ……気が付けば。

 

 『九尾』は独り  翼()

 白海原(しろわだつみ)なる    雲の上

 己の認識    (たの)みとし

 空の青さに  溶け()かん

 

 (そこ)をも()れぬ   雲海の

 いずくかをやに  破裂音

 三度(みたび)響いて   その後は

 森閑(しんかん)となるも  あはれ(なり)

 

 輝くばかりの   (あを)と白

 その光景の   ただ中で

 裸体でうかぶ   少年は

 いまこそ浄福(じょうふく)  得たる(かな)

 

 いざや向かわん 何処(いづく)かの

 人の(けが)れの   ない世界

 向かう処(ところ)は  ただひとつ

 世界の(はて)なる  厳神(かみ)の庭  

 

 彼はいましも   生業の(なりわい)

 縛め(いまし)断ち切り  放擲(なげう)ちて

 迷いの小路(こみち)を くぐり抜け  

 自由の翼を   打ち(ひろ)

 

 

 《フライトNO.**-****『九尾』!》

 

 俗塵(ぞくじん)(まみ)れ    深淵(しんえん)

 

 《『九尾』応答せよ!クソったれ『九尾』!》

 

 野卑(やひ)なる人の子呼ばわりて……。

 

 (……………………………………………あ)

 

 などと土〇晩翠のヘタくそなマネしてる場合じゃない!

 頭の歯車(まみ)が噛み合い、暖かいよどみから彼は胸ぐらをつかまれ、引き上げられた。

 

 ――うひぃぃぃぃぃィィィ!エースマンだ!?

 

 感覚を遠距離(テレ)にして開放すれば、航界機群がこちらに向かってくる気配。

 長距離哨戒機(しょうかいき)と救難機を核として、通常翼タイプの武装した戦闘爆撃機が、つごう6機。

 

 

 すごい贅沢な編成だ……でもなんで……?

 

 『九尾』があたりを改めて確認すれば、

 雲海戦の終わった直後のよう。

 燃焼痕やミサイルの軌跡などが(のこ)って。

 また一度、雲海のはるか深度で爆発するような余韻(よいん)

 

 また心のどこかで(危なかった……)と感じている自分がいる。

 

 “奉天”はいつのまにか4枚の翼を出していた。

 戦闘機動(コンバット・マニューバ)をしなければ、コレで十分イケるだろう。

 

《『九尾』応答せよ!このメガ・オカマ野郎!クソったれオカマ応答せよ!》

《主任教官どの、マズいッスよオープン・Ch(チャンネル)で。差別だナンだと横ヤリが――》

 

 通信に混じり、よこからボソボソ雑音が入る。おそらく副官のものだろう。

 だが、これが“主任教官どの”の怒りにガゾリンをそそいだらしい。

 

《だからどうした!オカマはオカマだろうが!オカマ野郎が!ちがうのかエェ!?この阿呆オカマが!!ったくどいつもコイツもフニャチンの『チキン野郎』な時代ンなっちまったなァ。おぃメガ・オカマ『九尾』!とっとと答えろ!!》※1

 

 アウアウ、と慌てながら意識操作で“奉天”の通信システムOPEN。

 航界機群にコンタクトしようとしたときだった。

 

 (そいつァ――()しといた方がイイナ)

 

 どこからか聞こえたホッほっとするような、懐かしいような声。

 ハッ、とすぐに『九尾』は思い当たる。

 

 衝撃。

 

 彼は、メゾン・ドールの店長室で、悪夢の具現を経験している。

 だが、あの時よりも今回のほうが、驚きは大きい。

 しかし、すぐにそれは子犬がご主人に出会ったような、嬉ションめいた喜びに代わっている。暗迷から陽光の中にいきなり出たような、予期せぬ暖かいおどろき。

 

 ――『ホスロー』上級大尉どの!?

 

 狂喜する彼の意識には構うことなく、古強者の航界士は、

 

 (あのテの脳筋野郎は、テキトーに言うことを聞いておくに限る)

 ――どこです!?どのチャンネルから?……まさか雲海の中?

 

 いいか、よく聞けと、落ち着いた深みのある声が(なだ)めるように、

 

 (オマエが言うことは、こうだ。『自分は硬翼をロストしたあと意識喪失(アンコントロール)でした』これで通せ。さもないと――面倒なことになる)

 ――メンドウ?……って。

 (お前は()()()()()()()()()()()()()()()!……わかったな?)

 

 ゴリ押しするような、そんな声がしたかと思うと、自分の中から何かが出てゆく気配。

 自身がフワッとかるくなるような、不安定になるような……寒空に、着ているものを一枚脱いだ感覚。

  

 (ありがとよ……面白かったぜ――じゃ、またな?)

 

 そんな言葉を最後に、『九尾』は自分がポツンと独り、高空に(のこ)されたのを悟った。

 己が欠落してしまったような心もとなさ。

 いままで覚えたことのない、胸をしめつける寂漠。

 ヒシヒシと自身を押し包み、(かな)しくてやりきれない。

 洗脳で植え付けられた女々しさが、いまだどこかに残っているのか。

 あるいは何か本能的なモノが、ひとつの別離(わか)れを知覚したのだろうか。

 還元(リダクション)MODE・2状態にもかかわらず――(なみだ)が。

 

 戦爆機群が到達し、高速で周辺空域の警戒をはじめた。

 爆装している機体と空対空の装備をしたものが半々に。

 

《『九尾』生きてるか!――クソ出来損ない!生きてるか!!?》

 

 エースマンの怒鳴り声が響く。

 

《クソ死んでたら――クソ承知せんぞ……!!》 

 

            * * *

 

《宜しいのですか?本当に》

《案ずるな。“蘭のお方”からも、投棄の許可は頂いている》

 

 再び、作戦室

 あの制服組の林が、再び。

 

 画面が二つ、大型の3Dで同時進行

 一方はVTOL機

 もう一方はTU-95からの画像だ。

 

 雲海を()く2機と1機。

 この映像がしばらく続いて。

 

《西の方との手打ち、機体の廃棄、流出情報の始末、一石三鳥ですな》

《我々に口出ししてきたネイガウス上級大佐への見せしめのもある。四鳥だ》

《否、あのクソ生意気な“百合”にも、ひと泡ふかせてやれるから、五鳥だて》

 

遭難記録映像の背景から流れる不遜(ふそん)な調子に、視聴覚室の事務方や制服組の顔が、苦々しげに(ゆが)む。かすかに舌打ちの気配すら。

 

《あのダイヤ、作戦終了後回収して宜しいですね?ウチのセクションの予算に》

《映像の版権は、ウチのものだよ?“(メゾン)”とも話がついている》

 

 機内会話の記録に、居並ぶひとりが肩章をきらめかせ、

 

「ダイヤって――なんのことだね?」

 

 すると、部屋のどこかから、

 

「知らんのか?ガラスを切ったり、金銀パールが当たる※2アレだよ」

「……」

「――というのは冗談で、あの坊やがTS改装されて婚約が決まったとき、贈られたんだと」

 

 べつの方角から、ちがう声が、

 

「ピンク・ダイヤの逸品だそうだな」

 

 モニターの近くにいた代将はアゴをなでつつ、

 

「ワシは、西の“あの家門“からの贈答品と聞いたが、情報は合ってるかね?」

「しかり。次期頭首(若ぎみ)が、だいぶゾッコンでいらっしゃるらしい」

「この事がバレたら、西との関係が一気に険悪化すると考えなかったのかなぁ?」

 

 中高年たちのヒソヒソとした会話。

 

()ッ――はじまるぞ?」

 

 “奉天”が貧弱な2枚半の界面翼で規定機動を開始する。

 フィギュア・8で、すでにいっぱいいっぱい。

 雲海スレスレで機体を引き起こし、高度をなんとか稼ぐと、それでも果敢にスプリット・S

 逆落としに再び雲海面で引き起こしてインメルマン・ターン。

 

 画面が停止。

 

 “奉天”にズーム――さらにズーム。

 

「みたまえ――コレだ」

 

 レーザーポインタの輝点が示す先。

 硬翼を格納したウィング・ベイの根元から、何かが脱落している。

 

「マクフィーのヤツは何をやってたんだ!」

 

 整備部隊の徽章をつけた一人の制服組が怒声をあげる。

 タイトスカートの少佐が手元のタブレットでチェック項目を確認しながら、

 

「機体のファンダメンタルに工作された可能性があります。見破(みやぶ)るには非破壊検査でも行わないと……」

 

 再び機体はアンコントロールのまま動き出す。 

 惰性(だせい)で上死点まで登った後、背面から自由落下。

 

 雲海に落ちようとした、まさにその時。

 “奉天”が発光し、いきなり延びた界面翼。

 それが通常の翼の形から、禍々(まがまが)しい変化をみせる。まるで輝腕(ようえん)のように腕状となり、それが四発の二重反転プロペラを持つツポレフの片翼を、痩せさらばえた骸骨のような手で握った。

 

 《メーデー!メーデー!メーデー!当機は――ッ》

 

 機体から断末魔の悲鳴のごとく、データー圧縮自動送信(スキュアーズ)が起動。

 次の瞬間、『九尾』の“耀腕”に握りつぶされ、二基のエンジンが爆散。

 炎と黒煙を上げ、純白の雲海を(けが)しつつ、機体がゆるやかに落下してゆく。

 

 曳航機である『カロン』の判断は素早かった。

 緊急遭難信号と、AAM(空対空ミサイル)パラージ(弾幕)を張り、マニューバを「緊急」モードにして現場空域からの離脱を図る。

 熟練のパイロットらしく、“奉天”の初撃をかろうじてかわし、疑似界面翼を限界まで展開して、機体を(きし)ませながら雲海へとパワー・ダイブ。

 

 だが、そこまでだった。

 

 “奉天”から延びた“耀腕”状の界面翼が『カロン』の胴体部に追いついた。

 曳航役の機体から、正副どちらかのパイロットの悲鳴。

 

 あとは『カロン』のスキュアーズ・データが消えていて、わからない。

 ただ一瞬、『カロン』のコクピットに炎がまわり、それが骸骨の(ワラ)いめく光景となったところで映像はブロック・ノイズに変化して、止まる……。

 

 モニターのもう一方。

 ツポレフの画象は、すでに機体が雲海に落下したらしい。

 窓の外が異様に暗く、ときおり紫電が。

 激しく揺れる機内で腰を抜かし、顔面蒼白な次官補たち。

 なにやら叫んでいるが、マイクが死んだらしく無音だ。

 

 すると、突然。

 

 非常灯に染められたキャビンに、(くろ)みを帯びた数人の異様な人かげ。

 重力加速度をモノともせず、直立に佇んで。

 奇妙なことに、彼等のまとうと見えるのは、年代も様々なGスーツ……。

 

 突然、音声が復活し、ザラついたノイズの奥から、

 

 《――あい……た……カったゼ……パウ ヱルぅ……》

 

 かすれた言葉の切れ端を捕らえたのを最後に画面は暗転し、あとは無音となる。

 

 将官たちは(しば)し、石化したように、何もうつらないモニターを眺めていた。

 

「なんだ……なんなんだコレは」

 

 事務方だろうか。筋金の入っていない耳障りな震え声が、ひとことまじって。

 

 相当な間の沈黙。

 

 だれしも今見た光景を、自分の中で消化しようと必死になっている。

 重苦しい雰囲気を(はら)い、制服組の一人が「そういえば」と、いかにも場を救うような調子で、

 

「第二王女殿下ご自身が“奉天”の封印解除を認めたというのは本当か?」

「書類を通すために作戦二課が使ったフカシだろ?」

「……あるいは」

 

 ややあって、一人の上級大佐(補)が、(あえ)ぐように、

 

「もしや、こうなることを見越して、殿下が()()()を処分するために……」

 

 

 作戦室の雰囲気は、さらに重いものとなった。 

 

 

            * * *

 

 




※1:時局に鑑み不適切と思われる表現がございますが、キャラクターの意思を尊重致しました。
※2:キャンペーン終わったそうです。


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064:光散乱めいた間奏曲(Ⅰ)-α/Ver.Ⅱ【ちょい18禁版】

 

 めずらしく晴れた冬の街は、買い物客の雑踏であふれていた。

 高級百貨店や、高層ホテルが立ち並ぶ繁華街。

 午後の陽光が、幸せそうな人々を特別に照らし、浮かび上がらせるように。

 そんな中、『九尾』は道ゆく人々の注目を、自分が少なからず集めていることに自意識過剰のレベルではなく気付いている。

 

 カップル――カップル――家族連れ――またカップル。

 

 様々な人々が自分を見て、いわくありげに、また思わせぶりに、

 目くばせ。

 ヒソヒソと笑顔で耳打ち。

 微笑――あるいはニラみつけるような敵意。

 

 道をゆきながら、ショー・ウィンドーを歩みを止めずに、ナルっていると思われないよう横目を使い、注意深く『九尾』は(おのれ)の姿を観る。

 

 一級航界士候補生の重苦しい一装制服。

 おまけに腰には、意味不明な装飾した短剣。

 さらに黄色に黒字な《公用》の腕章がダメ押し。

 

 これが、雲海降下調査を数日中に控えた候補生の、特別に外出を許可された格好だった。もし、この姿でヘタに映画館やコンビニでも入ろうものなら、ヒマをもてあました年金生活者が加入し、生きがいとしている『税金の無駄(づか)いを監視する市民団体』とやらに通報され、修錬校に予算減額というペナルティーが課せられる寸法と聞いている。

 

 また――手をつないだ同年代ぐらいのカップルとすれ違う。

 黒ずくめな自分とは、あらゆる意味で対照的に……。

 ひととき、彼らの注目とヒソヒソ声を浴びて。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 なにか自分の居場所を間違えているような――そんな気配。

 いつかの色街を思いだすが、きょうの方が闇のヴェールが無いぶん、いたたまれない。

 ハァっ、とため息。しかし、胸の重さは少しも減らなかった。

 

 ――早いとこ用を済ますか……。

 

 彼は足どりを急がせた。

 

 もし――雲海探査から無事帰投することができたら、次の日がクリスマス・イヴになる計算だ。ゲンをかついで、自分も誰かに贈り物の準備をしようと考えた『九尾』だった。

 

 つまり――是が非でも、帰って来たくなる理由。

 

 俗世間と自分とをつなぎとめる、強固なアンカーが欲しかった。

 (かえ)って来た時の“ご褒美(ほうび)”や“(たの)しみ”、あるいはモチベーションというもの。

 もしかしたら、それが土壇場(どたんば)で生きるチカラとなるかもしれない……。

 そんな想いで『九尾』は雑踏に流されながら、「今日」と言う自分にとってはもしかして残り少ないかもしれない貴重な日の午後を歩いている。

 

 規模の大きなリニア・トラム用ロータリーの隅に、見たことがある古ぼけた軽ワゴンが駐まっていた。屋根につけたスピーカーを使い、車の(かたわ)らに立つヨレヨレなスーツを着た貧乏な大学教授といった雰囲気の男が、遠くを見すえたイっちゃってる視線でマイクをにぎり、何やら熱のこもった口調で(しゃべ)っている。

  

 「見よ――ついにそのときは来た!

 (ことわり)沿()うものと沿わぬものは、神によって()り分けられるだろう。

 (おご)るもの、(しいたげ)げるもの、(むさぼ)るものは、崩壊によって裁きを下される。

 深き(ふち)()とされれば、()い上がる(すべ)は無い。

 審判(さばき)の日は近い――災殃(わざわい)(とき)は近い。

 その時になり慌てふためかぬよう、悔い改めなさい。行いを改めなさい。

 神は()ている――神は()ている」

 

 男の連呼するキーワード。

 軽ワゴンに貼られた『神は見ている』というスローガンに、彼は先日のある光景を思い出し、胃に冷ややかな痛みを覚える。

 

             -・-・-・-・-・-・

 

 “技能審査”から護衛機に囲まれ、ヘロヘロの態で帰投したあの日。

 

 滑走路の灯りが、まるで温かいものに包まれたときのように、全身をつつむが(イヤイヤ最後が肝心)と気を引きしめ、ズシン、と接地してホッと一息。

 タイヤの滑走音が、崩れ落ちるほどに有難かった。

 

 ――かえってきた……。

 

 機体を停止させたあと、しばらく身体はスイッチひとつ、動かせなかったのを覚えている。

 しかし、いつまでも滑走路を塞いでいても仕方ないので残存電力を使いモーターを駆動し、駐機スペースまで自走(タキシング)で来てみると、待ち構えていたらしい武装した憲兵隊・治安処理部隊の一群に、いきなり機体を取り囲まれたのだった。

 

 コクピットを外から開けられ、乱暴に機外へと引きずり出されるや、ただちに手錠をはめられた『九尾』は身柄を拘束され、理由(わけ)も聞かされずに一晩を連合政府・憲兵隊本部の留置場ですごすことなったのである。

 

 吐瀉物(ゲロ)と血の臭う、コンクリ張りの独房。

 何かで執拗(しつよう)に繰り返し引っ()いたような標語。

 あるいは自分の血で書いたようなスローガン。

 そんなものが、独房のあちこちに。

 

 ・万事象の無政府主義者(アナーキスト)よ団結せよ!

 ・聖戦を戦い抜き!弥勒菩薩(みろくぼさつ)をお迎えしよう!

 ・打倒!物質主義!拝金主義!

 ・()()は見ている……。

 

 ウワサに聞く拷問のことを想い、消されない白々とした照明のなか、とうてい納得できないまま一晩中を悶々(もんもん)と過ごしたが、明け方には探査院の中央医療センターに移される。

 

 そこで二泊三日というあいだ、数えきれないほどの検査、あるいは埋設されたバイオ・プラント除去などの手術。三日目の夕方にようやく釈放されると、両側を護衛で挟まれ、タクシーで懐かしのマンション寮に軟禁されたのだ。

 連行される最中、あるいは移送中の車内で『九尾』は、自分がこのような扱いを受ける理由をさんざん尋ねたのだが、いずれも黒メガネの頑強な沈黙に突き当たるばかりで、その理不尽さに彼は憤慨したものだったが。

 

 見覚えのあるマンションがタクシーの窓から見えたとき、彼は長い旅からようやく戻ってきたような感慨を味わう。

 

 裏口から滑り出て、月を見上げた()()()の夕暮れ。

 

 なにか大冒険がはじまる予感に、あの時は胸を躍らせたものだが、現実は予感をはるかに越えたものとなってしまった……。

 

 『九尾』はタクシーのビニール・シートで太ももをコスり、心ならずも性的な余韻(よいん)名残(なごり)()しむように身を密かにくねらせ、まだどこかメス奴隷の気配を(のこ)(おのれ)の身体を()でさすり、(はかな)い情欲を慰めてしまう。

 

 ――こんな事になるって知ってたら……外出なんてしなかったろうな。

 

 ながい髪を掻きあげようとして、もうそんなものは無いことに気づくと、初めてうすく苦笑を浮かべる。

 両ひざを上品にそろえ、優雅に車から降りて空を見上げても、今日の(よど)んだ下界からは月が見えない。

 左右を相変わらず()()()()男に挟まれて、連行されるようにマンションの入り口に進み、寮の自動ドアを開く。

 

 古いカーペットの匂い。

 まばらで貧相なシャンデリア。

 大量生産的なデザインの長ソファー。

 ひとめで模造とわかる背の高い観葉植物。

 

 初めて見たときは、高級そうに感じたマンションのエントランス・フロアも、『Maison d'or』のビェルシカ勤務で目が()えた今となっては、すべてが洗練(せんれん)にほど遠く、どこか(あわ)れで廉価(やす)っぽい。

 

 部屋に入れられ、外側から鍵をかけられて独りとなった彼は、ジェット・バスの準備をしたあと湯の溜まるあいだ、あの日のように全裸となり同じ鏡で確認する。

 

 まだ――どことなしに残る子宮の(うず)き。乳房(むね)の感覚。

 チ○ポがずいぶん小さくなり、体つきもいくぶん丸みを帯びて。

 とくに尻からももの辺りにかけては、ムッチリ具合が色濃くのこる。

 顔つきも、ルージュを刷いたらさぞかし映えるだろうと思われるほどに。

 

 いま目の前の鏡に立っているのは、さまざまな思惑の波に翻弄(ほんろう)され、使役(つか)われ、(ケガ)された成れの果て。まるで湖の(みぎわ)に打ち上げられた、ペシャンコのビニール袋。

 

 鏡の中、裸身(ハダカ)の見知らぬ“存在”が、小さくなった胸の頂に()ッと触れる……。

 甘いさざなみが、全身を(はし)りぬけた。

 

            -・-・-・-・-・-・

 

 演説をしていた男が小休止にはいり、汚い軽ワゴンの中で弁当を食べだしたのを機に、『九尾』はその場をはなれ、近くの高級百貨店に入った。

 ムワッとした香水くさい暖房にむかえられ、一階の化粧品売り場を見渡しながら、吹き抜けのエスカレーターをのぼる。

 階層を断ちわり、各階の断層が一望に開けた光景から目につくのは、やはりカップルや、よそ行きの恰好をした子供連れの家族。

 総じて、しあわせそうな空間にあって、自分の(いか)めしい制服姿が、いかにも黒く浮きまくり肩身がせまい。

 

(あ、航界士の候補生だ)

(いやぁん、KAWAII!――超美形~)

(女の子?……男装してる?)

(どっちかな。公務中?だってサ。なにしてるンだろ)

 

 エスカレーターですれ違う、女子大生ともみえる一団がヒソヒソとはしゃぎながら過ぎて行った。

 複雑な気持ちで、彼は声が遠ざかるのを背中で()く。

 

 彼は婦人用の高級サロン・フロアで降りると、ふと(かたわ)らにディスプレイされる、(ミガ)きたてられたショー・ウィンドウを眺めた。

 

 天井の電飾や様々な反射。

 

 そぞろ歩きに行き交う客が交錯(こうさく)して映り込む大判のガラス。

 

 その奥には、女性用の華やかなイブニング・ドレスを背景にバッグ、小物、宝飾品が並べられて。

 ディスプレイの壁には、着飾ったモデルがファッション・ショーでフラッシュを浴びつつ、キャット・ウォークを征く大判の写真が飾られている。

 

 ガラスという存在を介し、それらと二重写しとなる、第一装制服すがたの自分(いま)

 

 否応なく、彼の脳裏に“イツホクの店”で受けた“洗礼”がフラッシュバックする。

 

 ビェルシカとしての(しつけ)

 七つのヴェールの舞い。

 客の財布を緩めるための媚態(びたい)

 

 ――あるいは。

 

 緊縛された女体に受けた甘美な教え。

 拘束衣装を纏わされ、注入された快楽洗脳。

 金髪(ゾーロタ)銀髪(シリブロ)から受けた恥辱(はじ)惑乱(とまどい)

 

 ――さらには。

 

 市場(スーク)での競りを兼ねた夜会での騒動。

 華やかな大皿上に料理と共に盛り付けられ、ソース・サーバーにされた苦痛。

 次々と(あらわ)れる扉の向こうに現出した、さまざまなに形を変える自分の恥態……。

 

 正直、まだいくらかの不安が残る。

 

 中央医療センターのアクティブ脱洗脳プログラムによって、異性倒錯的な欲求――つまり結婚したい欲望(のぞみ)、あるいは子供を産みたい願望(ねがい)のたぐいは抹消されたと聞いていた。

 

 淫らな衣装をまとい、衆目を浴びたい衝動。

 女体化調教され、同性にレズの手ほどきをうけて蹂躙される妄想。

 さらには、ガチムチの兄貴たちや美少年の群れから執拗(しつよう)(なぶ)られる自分。

 突き出される幾本ものオチ○ポを、嬉々としてノドの奥まで呑みこむ情景。

 あるいは包皮を除かれた(おんな)(さね)を、舌で転がされ、責めぬかれた時の喜悦。

 はては大型動物に“アツ――”される念望(のぞみ)なども、同時に消滅したと信じたい。

 

 ――だけど……。

 

 こうして高級百貨店にきて、ウィンドウ奥に飾られるモデルの等身大写真を見た時、ふと敵愾心(てきがいしん)にも似たものが湧くのは、どうしたワケだろうか……。

 

 自分(ワタシ)の方がキレイだ。という妙な競争本能。

 注目を浴び、フラッシュを()かれていることへの羨望(うらやみ)

 あるいは、彼女が身にまといひけらかす高級品にたいしての嫉妬(ねたみ)

 

 ともすれば、自分がいまだ被虐(ひぎゃく)に情けなく濡れてしまうオマ○コと、恥ずかしげもなく勃起させたピアス付きの乳首を頂にする巨乳を付けられたまま、この百貨店に一糸まとわぬ姿で立たされているような……そんな妖しい陰覬(かげねがい)めいた妄想すら、湧き起こってくる。

 

 帰寮してシャワーを浴びた時の、驚くほど湯をはじいたキメの細かい肌。

 その肌が、みるみるサクラ色に()()()()と染まってゆく有様。

 

 「七つのヴェールの舞い」で浴びた注目と賞賛。

 自分の身体に対する欲望と駆けひき。(あたい)の競りあいと奪いあい。

 

 ――ウッカリすると……。

 

 それは甘美な幻想をともない、彼の方寸(こころ)に妖しげな淫火()(とも)した。

 まるで自分のうちにが「ギュスターヴ・モロー」の絵画に観られる、詩人たちの血を吸い、美しく咲きほこる画面中央の女性のように、あわれな男の犠牲で美貌をいや増す本物のクルチザン()めく心根を植え付けられ、それが胸のなかで妖しい根を()()()()と張ってしまったような……。

 

 だから、そんなおりに、

 

「閣下――なにかお探しですか?」

 

 と話しかけられて、彼が文字通りピョン、と飛び上がったのは無理なからぬことだった。

 

 胸を(とどろ)かせ声の(ぬし)をみれば、売り場の主任とも見える品のよい中年の婦人店員が、ニコニコと笑みを浮かべている。銀鎖や装飾短剣をくくりつけた喪服めく自分の仰々しい姿が、あまりにウィンドウを見つめすぎていたので、いきおい目立ってしまったのだろう。

 

「プレゼントで、お困りですか?」

 

 彼は当初の目的を思いだす。

 

「実は――そうなんです」

 

 とっさに『九尾』は(ドール)で身に着けた、客殺しの困り顔をさりげなく浮かべ、

 

「時間がないので、こうしてコッソリ公務の合間に……ね?」

 

 まぁ、と婦人店員は彼の表情(かお)にアテられたような同情を示すと、次いで秘密を共有するウキウキとした悪戯(イタズラ)っぽい笑みとなり、すっかり打ち解けた風で、

 

「お手伝いしますよ?オバさんに任せて!それでどんな品が――()いのかナ?」

 

 言葉が、声も含めてふつうに(しゃべ)れるようになったのは有り難かった。

 これで少女のままの声や、言葉使いであったとしたら、完全にボクっ()な扱いを受けていただろう。

 

 彼は婦人店員をコンシェルジュ扱いにして、ブランド物の宝飾エリアをめぐり、例のピンク・ダイヤなども見せびらかしつつ、さんざん比較検討したあげくに趣味の良い小品をひとつ選んだ。

 その金額を払うことに同意した『九尾』に、婦人店員はもちろん、いつのまにか彼の風情に惹かれ、周りをとりかこんで品定めに同行、助言をしていた一般客のギャラリーたちも驚く。

 

 ――540ギニー。

 

 タネを明かせば、なんと言うことはない。

 

 あと数日で、金など要らなくなってしまうかもしれないのだ。

 ここが最後の使い時、というところだった。

 

 ほぼ全財産をはたき、店員たちの最敬礼に送られ、またギャラリーたちからメルアドの交換や、晩餐(ディナー)の、あるいは妖しげなデートのおさそい諸々(もろもろ)丁重(ていちょう)にお断り申し上げてフロアをあとにした彼は、早くも夕暮れの色を見せはじめる街に出る。

 

 一日の喧騒のなごりをのこす空気。

 ヒトの生きる脈動と生気。騒擾(とよもし)

 

 『九尾』は、複雑な航界士用の腕時計をチラ見する。

 目的の場所に行くには――まだすこし早かった。

 



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065:光散乱めいた間奏曲(Ⅰ)-β/Ver.Ⅱ・【エロエロ18禁版】

 

 

 ――どうやって時間をつぶそうか。

 

 辺りを見回すと、3Dシネマ館で面白そうなモノやっている。

 たしかメンバーズ・カードが……とカード入れをさぐると……。

 ふと、面白いものが出てきた。

 Maison d'orで接客担当についた、起業したばかりな女性社長の名刺。

 

 ――涼子(りょうこ)サン、うまくやってるかな……。

 

 身銭を切って開いた忘年会で部下に見放され先に帰られたあと、閑散とした特別席で独り泣いていた三十路(みそじ)の女社長。

 

 この不景気に起業して本当に大丈夫なのだろうか。バランス・シート(貸借対照表)が目も当てられないことになっていないかと、「レディース・コンシェルジェ」社なる薄ピンクな名刺をつらつら眺めつつ、他人ごとながら心配になる。

 会社のアドレスを確認すれば、都心から少し離れたところにオフィスを借りているようだった。起業したばかりでは、テナント料もバカにならないのだろう。

 

 『九尾』は候補生の職権を使って自動タクシー(オート)を最優先Modeで呼びつけると、ところどころ夕方の渋滞に捕まりながら名刺の場所にたどり着く。そこは道路から一本入ったところに位置する低層の雑居ビルだった。古めかしい外観の割に空きテナントは少ないらしく、各階に明かりが灯り、窓ぎわには働く人影がチラホラと見える。

 

 年代物のエレベーターで騒音とともに昇ってゆけば、目的のフロアは、いくつかの会社で分割(シェア)されているらしい。

 

 一番面積を占有しているエレベーター正面のエンジニアリング会社は、入り口に人間の受付嬢を配し、キョロキョロと辺りを見回す『九尾』に外交的な微笑を送ってくれていた。

 ガラスごしにカーテンの下がる迷路をさらに行くと、“オリヱンタル工業”とロゴのある何かのメーカーらしきエリアとなり、こちらはアニメのキワどいコスプレをした、妙に(なま)めかしいドール型のロボット受付が、人間と区別するための瞳を緑色に輝かせ、通り過ぎる彼にリアルな微笑と黙礼をおくって……。

 

 ようやくたどり着いたレディース・コンシェルジェ社は、会社のロゴを背景にした無人の受付があり、アクリルの立札がポツンと立ってる。

 

 【いらっしゃいませ。正面の端末からご用件をどうぞ】

 

 さすがに社長を呼びつけるわけにもいかないし、ましてや自分が『成美』であることをバラすことなど、とんでもないことだった。

 おっかなビックリな足取りで正面わきからグルリと外側を回ってみれば、ガラスの壁の向こうに垂らすカーテンや目隠し(ブラインド)の類が足りないのか、一部が欠けて中で働く女性たちが見える。

 

 『九尾』が様子を窺うと……。

 

 携帯で身振りを交え、なにやら懸命に話すもの。

 端末の周囲にキングファイルを積み、ヘッドセットでI/P(インプット)しているオペレーターの列。

 会議室らしきところでは、3Dシステムを立上げ、何かのプレゼンテーションをしている集団も見えた。みな、女性たちが生き生きと忙し気に動き回り、働いている。

 

 会社の周囲を巡り、のぞき見まがいのことをする航界士・候補生はさすがに目立ったのか、とうとう入り口から黒ぶちなメガネをかけた女性社員が一人出てきていくぶんトゲトゲしい口ぶりで、

 

 「あの――弊社(へいしゃ)に、なにか御用でしょうか……?」

 

 しまった、と思うがもうおそい。

 ドギマギして相手をみると……どこかで見た顔である。

 

 ――思い出した。

 

 『五色鶸(ごしきひわ)』のテーブルでシャンパンボトルを抱え込み(しかもSALONの1.5ℓマグナム・ボトル)、こちらのタマタマをナメたいとか、何とか。超・高級店という場所柄(ばしょがら)もわきまえずに、赤ら顔で叫んでいた女性だ。ビェルシカに強制装着される、アヌスに差し込まれたテール・プラグをさんざん(なぶ)ってバイブ(振動)を起動してくれたから、よく覚えてる。

 

 ――こちらは仰々(ぎょうぎょう)しい一装服姿だし、バレる心配はナイだろ……。

 

 そう自信をつけた彼は、遠慮(えんりょ)なく相手を観察する。

 いまの彼女は、耳に3Dタブレットのペンをはさみ、目の下にクマをうかべて。

 そのうえ(ヤス)いファンデは、顔色の悪さと疲れを隠せていない。

 

 ――アイラインの処理も、口紅の趣味もイマイチだなぁ……。

 

 ふと、そんなことを思う。

 

 スカートは座りジワがつき、ブラウスのアイロン線もあやしい。エースマンに見つかったら、精神棒では済まないレベル。年末の修羅場ともあって、おそらく泊まり込みでガンバっているのだろう。

 なぜか、そんな彼の視線に顔を赤くした二十台後半のこの女性は、自分の耳にペンタブが(はさ)まったままなのに気づくと、ますます顔を赤くしつつ、

 

「やだ。ゴメンなさいね?こんな格好で――それで、なにか御用?」

 

 『九尾』はカード入れから、もらった薄ピンクの名刺を取り出した。

 アラ、と自分の会社の名刺に気づいた女性の顔が、メガネの奥で驚いたように。

 

「えぇと――涼子(りょうこ)さん、いらっしやいますか?」

「リョウコ?と申されますと、弊社の社長の伊都宇(いとう)ですか?……申し訳ありません、只今(ただいま)外出しておりまして」

 

 《公用》とある彼の腕章をチラと見やって“上客”の匂いを嗅いだのか、彼女は「わたくし、こういう者で」と自分の名刺を差し出す。なるほど、玉舐めネェさんは『蔵田 |有璃奏(ありす)』というらしい。

 

 『九尾』は名刺を手にマジマジと、あの夜の街で【ロリっ仔の館】とかいうプラカードを掲げていた成長抑制剤に支配される“少女”の(おもて)と女性社員の顔とを、おもわず比べてみる。

 

 

 女が一歩近づいた。

 

 

 とたん、残業続きでシャワーすら浴びてないためか、濃縮された女性の匂いと、デオドラント・スプレーまじりな柔らかい汗の臭いが『九尾』の鼻腔(はな)に押し寄せる。

 

 突然、彼の視界がゆらいだ。

 

 全身の神経を逆なでされるような違和感。

 胸と、股間に異様な気配と鈍痛。

 身体がギシギシとしなり、改変されるイメージ。

 

 匂いによる洗脳スイッチが仕込まれているらしいが、それがどこだかは分からなかった、という脱洗脳プログラムの医師を『九尾』はパニックとなる意識の片隅にチラッと思い浮かべて。

 

 

             ※ ※ ※

 

 

 ――気がつけば……。

 

 

 自分の身体は再び女陰(オマ〇コ)乳房(オッパイ)を付けた『成美』となっていた。

 

 ゆっさりとした豊胸。

 メリハリを帯びた身体の(ライン)

 ちょっと過激なほど(クビ)れた腰。

 ミッチリとした尻まわりや太ももに、均整のとれた脚。

 その量感のある尻たぶを割って、すでに凶悪なほど野ぶといディルドーが二本、いやらしくも深々と挿入されている気配……。

おまけにそれらが直腸と淫裂の中で、それぞれジリジリ、ウネウネとシリコンの本体を震え・回転させ、(おんな)のスイッチを(あぶ)りたてているありさま。

 

 ――そんな!そんな!……なんで!?

 

 突如(とつじょ)、身体の中に炎の勢いで荒れくうるメスの本能。まるで薬液でも静注されたかのように、はしたなくも全身を発情させ、身もだえさせて。

 

「アッ……いやァぁぁっ!?」

 

 身体が火照り、汗が流れる。

 心音が耳の中でうるさいほどに。

 奔馬のような身体の(うず)きに負けた『成美』は、ウェーブのかかった豊かな赤毛をゆらし、心ならずも右手でディルドのハマる(おのれ)のオマ〇コの上、快楽の肉芽(栗とリス)をなぐさめ始めてしまう。

 左手は、(てのひら)にあまるほどのたわわなオッパイをゆさり、持ち上げ、ピアスにつらぬかれた乳首を内なる衝動に()えきれず、(くや)し涙とともに、どぎつい赤に染められた唇にふくむや、はしたなくボッキしたその乳首を甘噛(あまが)みして。

 

 目のまえにいた少年が突然、全裸の美少女になり痴態(オナニー)を繰り広げられるというあまりな光景に、社員である有璃奏(ありす)はメガネの奥でまばたきも忘れたまま、ヘタヘタと通路に座りこむ。

 

 無情にも小陰唇に穿(うが)たれた幾つもの飾り輪。そこに繋がれた小鈴(こすず)をチリチリと鳴らすうち、最初の絶頂が『成美』をわしづかみにした。

 

「そんな!……くるッ!……オ――シィィィーッ!ィエ――。ハァ……ハァ」

 

 いつのまにか洋物AVのような叫びをあげながら、すっかりメス奴隷にもどった『成美』は激しくアクメした。

 呆然とする有璃奏(ありす)社員のメガネ顔。

 そこに『成美』の愛液(ラブ・ジュース)が潮を吹き、彼女をBUKKAKE(づら)にする。

 

 ホホホホホホホホ………ホホホホホホホホ…………。

 

 またもや夢野久作じみた哄笑。

 フロアの中で、テナントの入らないうす暗い一角から響いてくるや、

 

 ヒュッ、パァァァァ……ン!

 

 聞き覚えのある、鋭いムチの一声。

 

 リズミカルに身体を動かしてオナニーをする『成美』が(うつ)ろな顔でそちらを観れば、あの黒髪がニヤニヤと、黒革のボンデージ・スタイルな姿でピンヒールもカツカツと、こちらに向かってくる。

 

「……そんな!」

「あの、アタシ――これで失礼します」

 

 剣呑(ヤバ気)な雲行きを察し、どことなくふらつく足で回れ右して、社内に逃げ込もうとした有璃奏の背中を、間髪いれず容赦のない黒髪のムチが襲った。

 

「いやァッ!」

 

 崩れ落ちる有璃奏嬢。

 タイト・スカートからのびるムッチリとした脚。

 シーム付きの黒ストッキングが眼をひいて。

 

ゾーロタ()シリブロォ()!」

 

 反対側の非常階段のあたりから、同じくカツカツとピン・ヒールの音が響くや、もはや『九尾』の記憶の中で悪夢の権化となっている金髪と銀髪。その地獄ペアが仄暗(ほのぐら)い笑みとともに、ラバーのテカりも印象的な、きわどい衣装(コスチューム)で近づいてくる。

 ジットリと『成美』の方をみるや、

 

「よくも、やってくれたものですわねぇ……」

「お礼は3倍返しだよっ!?でもそのまえに……」

 

 腰を抜かしたようにアウアウとなみだ目で床を()う有璃奏をつかまえると、それぞれ無機物切断型の携帯用電気メスを閃かせ、

 

 びりィッ!

 

 キュー〇ィ・ハニートのように、いきなり服をビリビリに切り裂き、彼女をインナー(下着)だけの姿にしてしまう。

 “着痩せ”とでもいうのだろうか、スーツの上からは分からなかった意外にメリハリのあるボディが、三人の前にさらされた。

 ヒッ、と彼女はあわてて体の前をかくす。

 

「あらあら。ブラとショーツの色がバラバラ?」

「“女子力”とやらも台無しねぇ」

「でもでも!いっちょまえにかわいいコルセットなんか付けてるよォ?おネェサマぁ」

 

 メス奴隷になるブタには、ふさわしくないわねぇ――と黒髪がフロアの床に散らばった女子社員の持ち物から、名刺入れを取り上げた。

 

「あなた、有璃奏(アリス)っていうのねぇ……ブタに相応(ふさわ)しくないわぁ」

「どうせメス奴隷……いえフェラ人形(ドール)かしらね?」

「おネェサマぁ、こんなメス、カタカナの“アリス”で十分だよぉ」

 

 あら、たまにはイイこと言うわね、と女二人から|銀髪はお褒めの言葉。

 タマには、は余計ですゥ!とベリショな銀髪は、ふくれ顔で。

 

「さ――この女を()()()()に仕立てておあげ!」

 

 黒髪の意を汲んだ金と銀は、どこから取り出したか一見、黒革で出来たきわどいヒモ水着のような『アリス』用の衣装を、白々とした裸体をさらけだす彼女の目のまえに掲げてみせた。

 

「――いゃあァァァッ!!!」

 

 だが、叫び声はそれまでだった。

 銀髪の手で首筋に容赦なく注射器が突き立てられ、彼女は意識を保ったまま、ぐたりと為すがままになる。口が酸欠の金魚よろしく、パクパクと動いて。

 

 あぅ……あぅ……。

 

 即効性のクスリが口に回ったか、開いた唇から(ヨダレ)を垂らし、イヤイヤをする“アリス”。

 そんな彼女の両腕、それも両手くび、両ひじを、女たちは背中がわで拘束具を使い、手ぎわ良く合わせてしまうや、さらにその上から執念ぶかくも、三角形に見える黒革の袋を覆いかぶせ、金髪(ゾーロタ)が先端から靴ひものように、ギュッ……ギュッ……と、念入りにしぼってゆく。

 

 銀髪(シリブロ)の方は、コルセットや下着をとりのぞき『アリス』を全裸にしてしまうと、かわりに乳枷(ちちかせ)のついたウエスト・ニッパーを、もはやOLから“タダのメス人形”に変わりつつある女体に、無慈悲な力で巻きつけてゆくのだった。

 こちらもハト目の一つ一つに渾身の力がこめられ、見事なボディである『アリス』の身体を芸術的な8の字にゆがめてしまう。

 しぼられれば絞られるほど、穴の開いた乳枷に乳房(おっぱい)はキビしく(くび)り出され、元々(もともと)豊かだった胸を、さらに大きく魅せ、抜けるような白い小山をほんのり赤く染めてゆく。

 

「ヤダ、この(メス)。チクビこんなにボッキさせてるよぉ?」

「お高くとまっているようで、実はインラン婦人(おんな)とか?」

「はぃ、あぁ~ん♪」

 

 黒髪が、赤い球のついたボール・ギャグを『アリス』の顔のまえに、これ見よがしに差し示した。とうぜん首をふり、ピンクの唇を鎖して、険しい目のまま(こば)むアリス。

 

 フッ、と冷たい目をした黒髪の(ワラ)い。

 すぐさま彼女の意をくんだ金髪(ゾーロタ)は、黒マニキュアを塗った毒々しい指で、勃起した『アリス』の乳首を、女性が同姓を(さいな)むとき特有の残酷さをもって力いっぱいツネりあげた。

 

「!あぉぉぉオ!……」

 

 あまりの痛みに『アリス』が身体をのけ反らせ、力の入らない口で叫んだとたん、巧み(たく)な手腕で彼女はアリスの口唇(くち)のなかに赤玉を収めるや、素早くベルトをまわして頭のうしろで留めてしまう。

 

 (あぁっ……苦しい……っ!お願い……)

 

 そんな目で『成美』に助けを求めるが、彼女のほうはフラッシュの連続めいたエクスタシーの波状攻撃にフロアでへたり込み、渚に打ち上げられた人魚のような姿勢で、おマタとオッパイを必死でむさぼっている。

 

 哀れにも棒つきの足枷で両足を閉じられない状態にされた『アリス』。自販機エリアの近くにあった丸テーブルにうつぶせで拘束され、後ろの孔をまる見えのまま(さら)される格好。

 銀髪がプラスチックの椅子に座ったまま、キュパキュパと音を鳴らしてキツそうな手術用ゴム手袋をハメるや、チューブから何かのクスリをその指にまみれさせ、抵抗する彼女の菊孔(アヌス)をゆっくり、丹念に嬲ってゆく……。

 

 ねっとりと肛門(アヌス)を開発される彼女。

 次第にその肌がピンク色に上気し、玉の汗を光らせるように。

 悲鳴まじりの甲高い鼻息が、しだいに甘い鼻声になるのをサドっ気たっぷりな女たちは聞きのがさなかった。ヒシヒシとボンデージ的な緊縛衣装をすこし前まで普通のOLだった女の肌に食いこませながら、

 

「あらあら――これは思ったより上玉よ?」

「うまく仕込めば、こんどの市場(スーク)でちょっとした余興になりますわね」

「でも、おしゃぶりや腰使いまで叩き込むのには足ンないカモ?」

 

 それはそれでいいのよ、と黒髪は余裕のある笑みをもらす。

 

「落札者には多少のお愉しみぐらい、のこしておいてあげないと……」

 

 そういうや、彼女は何やら別の薬品を塗った、根もとにバルーンが付くアナル・プラグを差し出した。

 血管の文様もなまなましい、極太の凶悪なプラグ。

 

「それ使うの?娘猫チャンの“お尻”には、ちょっとキツいんじゃない?」

 

 銀髪の言葉に自分が何をされるのか分かったアリスは、可哀想に血の気が引いた顔でイヤイヤをする。その首に、やさしく金髪が赤い首輪を巻き、カチャリと尾錠を留めた。

 あぁッ!と驚いた顔を見せる『アリス』の眼にうっすら光るものが浮かう。

 

「ふん、なにが“イヤ”よ!」

 

 そんなカマトトぶった元・OLに反感を抱いたのか、柳眉を逆立てるやテーブルに歩み寄ると、思うさま彼女の肉芽(クリトリス)をつねる黒髪。

 

(ひぎぃ……ッ!?)

 

「ここを、こんなに濡らしておいて!金、銀!!やっておしまい!」

「アラホ○サッサー!」

 

 銀が唇を舐めながらアリスの尻タブを広げている間、金がアナル・プラグにまたもや何かの薬液を塗って。やがて準備(ころ)はよしとみたか、彼女の後ろの“おちょぼ口”にピトリとプラグの先端を当てる。

 

(ふんんんn……ん!!)

 

 むりむりっ……と“おちょぼ口”は入り口を後退させて抵抗するものの、銀髪の巧みな指先とクスリによってほぐされていては仕方なかった。ぬぬぬ、と肛門は口を徐々にあけてディルドーの先端をほおばると、のるんっ!!と一気に咥え込んでしまう。

 

「イぃぃぃ――ッッ!」

 

 あとは、造作もなかった。

 ヌルヌルと凶悪な性具が彼女の尻を犯してゆき、やがてシュポシュポと空気が送られる音。肛門の奥でバルーンが広がり、疑似チンポはガッチリとはまりこんで抜けなくなる。

 

「さて、そろそろ良い頃合ですか」

 

 金髪がどこからか持ち出した、『成美』も見覚えのある巨大なシリンジ。

 オナニーをしていた“彼女”の身体が、あっと言う間に冷えてゆく。

 

 あの悪夢のような夜会。

 

 快楽と便意にまみれ、美麗な大皿の上で上気した肌に脂汗をながして悶えたひとときの記憶。それを、今度はこのうら若いOLで試そうというのである。『成美』の心は哀れみに痛んだ。

 今度はテーブルに仰向けにされる『アリス』。シリンジから延びるチューブが銀髪の手で、豊尻にハマりこんだディルドーの根元にあるコネクターへ(ジジッ!)と金具の音をたてて接続された。

 

「さぁ、いくわよぉ……お覚悟っ!」

 

 ぶっちゅぅぅぅ……っっっっっっっっ!!!

 

 うすわらいを浮かべ、勢いよくシリンジを押す金髪。

 自分がやりたかったと不満そうに指をくわえた銀髪。

 子飼いな二人の調教役たちを、満足げに眺める黒髪。

 

「そんな!そんなに勢いよくだなんて……非道(ヒド)い!」

 

 自分のときの苦しみを思い出しながら『成美』は抗議する。だが彼女の非難など聞く耳をもたず、シリンジは強引に押し続けられて中の茶色いものは優に二ℓ以上、『アリス』の大腸に怒涛のごとく侵入してゆく。

 

 赤い口枷(ボールギャグ)が弱音器となった悲痛な叫びが、フロアに響き渡った。

 

 テーブルの上で、ゆっくりとふくれてゆく彼女の白々とした腹。

 胴がコルセットで(いまし)められているので、おもに下腹部だけふくれあがり、元・OLは鼻で悲鳴をあげ脂汗をながして暴れる。うす暗い共用エリアにテーブルの脚がガタガタと鳴った。しかし「レディース・コンシェルジェ」社からは、誰も出てくる気配はない。ほんの数メートル隔てたガラスの壁の向こうでは、今この時も社員が電話をとり、ミーティングを行い、あるいは端末に向かって忙しそうに仕事をしているのが見える。

 

 やがて、シリンジの中のモノを全部入れ終わると、いったん金髪はシリンジからチューブを外した。そしてプランジャーを引き、こんどはシリンジの中に空気を存分に引き入れるや、次いで仄暗(ほのぐら)い笑みを浮かべつつ再度チューブを接続し、つぎは時間をかけて。まるでジリジリと(たの)しむように注入する。

 

(ふんぐぅぅぅぅぅぅ……!)

 

 今度の方が、先より数倍も苦しいらしい。

 アリスは目を白黒させながら黒革の緊縛衣装をミチミチと鳴らして暴れる。

 

「あらあら、そんなに(よろこ)んでもらえるなんて、嬉しいわぁ」

「ついでにコレもおまけしてあげるネ!?」

 

 銀髪が取り出したのは、イボが無数についたゴーヤーめく凶悪な張り形。

 こんどこそアリスは真っ青な顔でボール・ギャグを噛みしめ首をふる。

 涙が彼女の目じりから流れ、(すす)り泣きが聞こえた。

 

(うれ)し涙まで流してくれるなんて……サービスしがいがあるわぁ」

「おねぇサマぁ!この女、処女膜(ヒーメン)あるよォ!?」

 

 中指でアリスの秘貝を前後に探っていた銀髪が、驚いたように振り返った。

 

「まぁ、それでは記念すべき破瓜の晩ねぇ……素晴らしいわ!」

「――やめて下さい!」

 

 (じぶん)の置かれた立場も忘れ、とうとう『成美』は叫んだ。

 

「初めてが、そんな無慈悲な()()()なんて……あんまりです!」

「そぅお?でもこの子の“お口”はそうは言ってないみたいよ?」

 

 便意に苦悶の表情(かお)を浮かべつつ、みだらな拘束衣装を着せられた元・OLは全身にうすく汗をかきながら、それでもオマ○コはキラキラとヨダレをにじませて。

 

「ほうら、美味しいゴーヤ、食べたぁい……食べたぁい、って」

「……そんな」

 

 黒髪が、ゴーヤの根元にあるバイブのスイッチを入れる。

 ヴヴヴヴヴヴ……ヴ――――……ブウウウウウウウ!

 アリスの目の前で強弱を段階的に強めてみせてから、

 

「まずはこの可愛い勃起した栗とリスに、っと」

 

 肉芽に()っと振動をあてると、便意をガマンするアリスの声が、ボール・ギャグに打ち消された嗚咽まじりの泣き声に。やがてジリジリと入り口を振動でなぶり、小波(さざなみ)のように小刻みに、入れては出しを繰り返し、ついにはメリメリと、アリスの涙と悲鳴も無視して、わずかな血のアブクを浮かべたオマ○コに深々と埋没させてしまった。つぎにウエスト・ニッパーの背中側でダラしなく垂れ下がっていたボンデージ衣装の“おまた”部分を前に回し、バイブをより秘裂の奥に押しこむかたちでグィッ!と食い込ませるように引き上げるやバチリ、バチリと腹部のパーツに連結してしまう。

 

「!――――!!」

 

 なみだにグシャグシャとなったアリスの顔を観て、黒髪と金銀は、互いに顔を見合わせ莞爾(ニッコリ)。そして今度は『成美』の方に視線を向け、

 

「さて?――お相手できなくてごめんなさい?」

「こんどは貴女(アナタ)をたっぷり可愛いがってあげる」

「えっと、コレをこうして、っと♪」

 

 銀髪が早々に傍らからディルドが内向きに二つそそりたつ“貞操帯”のようなモノを取り上げた。そして各々(おのおの)の性具に白濁したゲルをたっぷり塗りつけるや、

 

「うんッ……っ!」

 

 息をあえがせ、よく手入れされた己のパイパンなオマ○コとアヌスに、ズブズブと呑みこませる。

 カチャリ、とカギを留めると、股間から立派なサオがそそり勃つ、男役の出来上がりだった。

 

「シリブロったら、せっかちさんねぇ……」

 

 金髪も(ウンっ!)と小さく悲鳴を上げながら、おなじ淫猥な装具を二つの秘部にズニュリ、ズニュリ挿入させると下腹部からそそりたつ男根を、銀髪のソレと「チュッ」と“かぶと合わせ”。そして、調教役はふたりして粘液質な視線をチロリ、『成美』に投げかける。

 

「あっはは!」

 

 傍観していた黒髪は己の艶やかな長い流れを手で払いながら笑い、

 

「ゾーロタ!おまえも妹分(シリブロ)のこと言えたもんじゃないよ?さ――仕留めておしまい!」

 

 では、と金髪。

 お言葉に甘えましてェ、と銀髪。

 

 力の入らない『成美』を立たせ、前後からサンドイッチに。

 そしてヴァギナを、肛門を、同時に責めてゆく。

 

「あッ……あッ……ムリです!ムリです!ムリです!……ヒィィ――ッ!」

 

 ゴリゴリと音を立てんばかりに猛烈な異物感が否応なく身体の中を侵してゆく感覚。ディルドーの表面につけられた大粒のイボが、これでもかとばかり女に変えられた候補生の敏感な粘膜を責め立て、淫欲をあおり立ててゆく。

 とうとう『成美』は前後から根元まで、金銀に串刺しとされてしまった。

 ゴリゴリと膣壁をへだて、金銀の張り形が当たる感触。たくみにG-スポットを探り当てられると、一瞬、視界がホワイト・アウトする。

 

「サァ!お言い!メス奴隷のマ○コ、きもちイイです、ってね!」

「勝手にイったら『アリス』のウンコ・シャワー浴びせちゃうよォ?」

 

 




さぁ!果たして『成美』は!
ウンコ・シャワーを浴びてしまふのでしょうか。

(も~図書館に通い哲学書を漁って苦心を重ねたパートは
 閲覧がのびずエロパートだけPVが伸びるという現状です。
 酒の勢いを借りて、もはや「やけクソ」→ウンコだけに)





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065:光散乱めいた間奏曲(Ⅰ)-β/Ver.Ⅱ【楽屋落ちエロエロ18禁版】後

 

 

 その『アリス』も便意のガマンが、もう限界らしい。

 ボールギャグを噛みしめた唇をわななかせ、全身に脂汗をかいて、いやらしいボンデージ・スーツに拘束された腹ボテ気味の身体をブルブルと震わせている。

 

 『成美』の方は、ハリもツヤも最高な己の豊かなオッパイを金髪がやさしく愛撫し、首筋をレスボス特有の調子で甘噛みされていた。銀髪のほうは、前後を責められる彼女のエッチなツボを、ペンシル型の高圧パルスでリズミカルにいぢめて果てがない。

 女のツボを()りつくした金銀から嬲られることしばらく。

 もはや完全に“『成美』”となった『九尾』の中で、最後のタガがはずれてしまう。

 

「シテッ!――お姉ェさま!『成美』を!……恥知らずな淫乱人形に……してぇぇぇぇぇぇぇえッ!」

 

 ついに『九尾』は……堕ちた。

 

 愛液のほとばしりが飛沫き、ガクガクと“彼女”の身体が震える。

 同時に『成美』の胎内で金と銀とのディルドーに仕込まれた擬似精液が放たれた。

 身体のなかを無情に、そして暖かく犯してゆく罪の意識――悖徳(はいとく)の想い。

 

 ホホホホホホホホ………ホホホホホホホホ…………。

 

 手の甲に口をあて、哄笑も高らかに黒髪が勝利宣言めいて身をのけぞらす。

 

「イったわね?それじゃ、バツとして、この『アリス(メス)』のウンコを浴びてもらいましょうか……」

「イヤッ!ウンチは嫌ァァア――!!!」

 

 お慈悲を!と叫ぶ『成美』にはお構いなく“彼女”の全身にハーネス状の拘束具がヒシヒシとつけられてゆく。そして最後にはアリスのひりだすであろう予測放物線上に、金銀は両脇から『成美』を押さえ込んだ。

 

「さァァて!It’s show time~♪」

 

 黒髪は『アリス』のおまたに食い込んでいたボンデージ・スーツのクロッチ部をはずす。そしてシュウっ!と、彼女の肛門のなかで広がっていたバルーンの空気を抜いた。

 元・OLの顔が絶望に染まり観念したように目が閉じられる。

 ぬぬぬぬぅぅぅぅっッッ……!と彼女の肛門から、プラグがゆっくりと引きぬかれて。

 それを待ちきれぬように、プスッ……シューッ……と注入された空気が自由の喜びをあげる。

 

「そら、ハデにヒリだしちゃいな!」

 

 プラグの末端がヌプッ!と抜かれるや、一呼吸おいたあと、

 

 ビチッ!!ビジジジジッ!ぶりゅりゅりゅ!……ぷすーぅぅぅ……びちちちちchしちち!!ィィィッ!!!!

 

 茶色い飛沫(しぶき)が『成美』の胸に、首筋に、腹に、襲いかかった。

 

「いやぁぁぁぁぁあっぁ!!お食事中の皆様すみませぇぇえん!」

 

 汚物を浴びて絶叫しながら身もだえする『成美』。

 両側からクスクスと金銀がそれら黄金シチューを彼女の体に塗り伸ばし、あろうことか自分たちも汚物をすくってペチャペチャと食べている。そして直接アリスの肛門からすくい取ったシチューを、『成美』の口に押し込んだ。

 

 ――イヤぁッ!汚い!あたし、とうとうウンチを食べちゃうなんて……なんて屈辱なの!?こんな甘くてホロ苦……い?

 

 ホホホホホホホホ………ホーホホホホホホホ…………!

 

 またも勝ち誇ったような黒髪の哄笑。

 

「驚いた?コレは擬似(ダミー)ウンチよ!カボチャの煮物にココア・パウダーを混ぜて作ってあるの。スカトロAV撮影などで使われるのと同じものなのよ」

「ヒャッハー!ダマされてやんの」

 

 銀髪が茶色い指をしゃぶりながら嬉しそうに。

 金髪も、妹分のほおについた煮物をなめ取りながら、

 

「いくら私たちでも、モノホンの雲古(うんこ)を浴びたくはありませんわ?それに今日の昼、この女に支給された仕出し弁当にグリセリンを混ぜてさんざん下痢(ゲリ)をさせておいたの。ですから腸のなかもキレイさっぱり、というわけ」

「そんな……またムダな知識が……って、そもそもこんなの書いたら、作者の性癖(せいへき)が疑われるんですけど!?」

 

 珍歩(そーだ!そーーだ!!)

 

「アラ!あたし達だって、本当はこんな事、したくありませんのよ!?だいたい大学の授業料払うためにしかたなく“珍歩意地郎”なんてフザけたPN(ペンネーム)の作品に出てるんですから!」

「イイかげんつかれるンだよねぇ……キチ○イのフリもしなきゃなンないしさぁ……」

 

 作者!時給あげてよね、と調教役の金髪(ゾーロタ)銀髪(シリブロ)は画面の向こうからキッとにらむ。

 

「ハイハイ!あなたたち!」

 

 黒髪がパンパンと手を叩きながら、

 

「お話進めるわよ?だいたい作者は今日だって休日出勤してヘロヘロで、ようやく帰宅したと思ったら、シャンパンとブランデーの勢いで、こんなワケわからない展開になってるんだから。これ以上ワガママ言ったら、あたしたちまで人形(ドール)にされてしまいますよ!?」

 

 すると、銀髪がスネたような口調で、

 

「……いいよなぁ、おネェさまは新婚で」

 

 つづいて金髪も自分と『成美』から擬似(ダミー)ウンチをぬぐいつつ、

 

「ラブラブなんですってねェ?夜のご奉仕はラノベ(ここ)での知識、生かしてるのではなくて?」

 

 なっ――バカ言いなさい!と顔を赤くしながら黒髪は、ヒュパァン……ッ!とムチを鳴らす。

 

 すると、その音に導かれたかのように、フロアのうす暗い方から、いやに大型の楽器ケースが、キリ……キリ……キリ……とジョン・カーペンターの映画よろしく自走してきた。

 

「さ、お話を進めますよ!?早く『アリス(その子)』を格納なさい!」

 

 ヤレヤレ、という顔で金髪と銀髪は拘束をといた元・OLを両側から抱え込む。

 悪夢の器械じみた、()()コントラバス・ケースが口をあけた。

 『アリス』の顔から血の気が引く。

 無理もなかった。

 なかにはひとがたにくり抜かれた狭い空間に、ビッチリとしつらえられたカテーテルやバイブ付きのパッド。淫猥な色合いをした数々の責め具。黒く凶々しいフレキのホースやサージカル・ステンレスの(つめ)たい輝き。

 それらが哀れな犠牲者を今や遅しと待ちかまえている。

 

 ヒトを単なるメスに。

 それも淫らきわまりない、

 快楽のことしか頭にうかばない、

 ただの哀れな奴隷人形にしてしまう繭……。

 

おごぉっ(いやぁッ)!?」

 

 しかし金と銀とは容赦をすることがなかった。

 『アリス』を拭き清めてM字開脚に拘束しなおすと、その豊尻を、仕掛け等が満載なコンバス・ケースの座部にある、さらに太いアヌス・プラグへ導いて、ぬぬぬぬぅぅぅッ……と安置する。

 ゆるみきった彼女の肛門は、すんなりそのプラグを呑み込んでしまい、尻は底部の拘束バンドに固定された。

 

「ふんぐぅぅぅっ!」

 

 口枷(ボールギャグ)の奥で『アリス』が悲鳴をあげたのは、またもアヌス・プラグが直腸の奥でひろがった証だろうか。

 

 カチャカチャと拘束されてゆく脚と足首。腰まわり。

 

 塩酸リドカイン(麻酔)のゼリーを塗ったバルーンつき・カテーテルが、滅菌済みの手袋をつけた金髪によって、彼女の肉芽の下あたりにある小さな穴に、クイクイと吸い込まれてゆく。

 

(んぅぅぅぅ――ッッッ!!)

 

 鼻声をつかった弱々しいアリスの抗議と悲鳴。

 最後にビクンっ!とからだが震えて。

 おそらくバルーンがそのとき膀胱(ぼうこう)(ふく)らまされ、バイブの振動が始まったのだろう。

 だが、彼女の身もだえなど意に介さず、黒髪、そして金と銀との悪魔トリオは、鬼畜(きちく)所業(所業)をゆるめない。

 拘束した両腕をコンバス・ケースの所定場所に収めるや、次にゴム手をハメた指に同じゼリーをなすりつけた銀髪の指が、苛々とアリスの前を襲う。

 

「!!!!――!!」

 

 抵抗するものの、たちまちクスリの効果で、二本の指の蹂躙にされるがままとなる元・OL。は腰を振って逃れようとするが、コンバス・ケースの座面に固着された豊尻は、ピクリとも動かせない。

 

「調教場に行ったら、ここもレーザー脱毛しようネェ」

 

 飾り毛をグイと引っ張る銀髪が、手ひどく栗色の茂みをひっぱった。

 

(ヴァギナ)もいろいろ手術して“名器”にしなきゃ」

 

 乳輪と乳首を弱電流とともに(さいな)むイボ付きの回転ローターが双の丘の頂に接着され、勃起チクビを責め立てる。

 やがて――すこし前までごく普通のOLだった彼女は、非情にも恵まれた体(ワガママ・ボディ)をコントラバス・ケースのなかで完全に拘束される。耳には、洗脳・誘導音声が静脈に点滴される薬液効果とシンクロして流れるイヤホンを挿入され、その上から脳波をコントロールするヘルメットがきつく被せられた。

 

 (アナタはマゾ……マゾ……マゾ……)

 (虐められて“おまた”を濡らしてしまうヘンタイ女……)

 (うゥぅン?もはや女ですらないの……そう、人間ですらない……)

 (たんなるマゾの奴隷人形。ご主人様専用の哀れなオナニー・ドール……)

 (イヤらしいオ〇ンコ穴とオシリの穴に、いつも何か容れていたくて仕方ないメス奴隷……)

 

 眼球にモニター型コンタクト・レンズを載せられた彼女は、のど奥まで呼吸用のホースが差し込まれ、声を封じられる。腕のつけ根の拘束がコンバス・ケースの背面に上半身を固定し、首輪がダメを押して。

 そしてとどめには、コンバス・ケースの車輪にクランク仕掛けで連動するディルドーが、彼女の膣に収められる……。

 

 そんな、次々とヒワイな装具が元・OLに襲いかかる光景を目の当たりにして、黒髪にボンデージ・ハーネスを付けられつつある『九尾』は、かつて(おのれ)が“(コクーン)”に封入されたとき受けた拘束が、自分の考えていたよりも相当きびしく、そして容赦の無いものであったことを、このときマザマザと思い知る。

 

 すべての支度が終わると金髪は、ピン・マイクを手にニンマリとした笑みを浮かべて、

 

「それじゃぁ、しばらく我慢してね?このフタがもういちど開いたとき、貴女(あなた)は立派なマゾのメス人形よ……?」

 

「おごぉぉほぉぉ――!!」

 

 ズッ、とパッキンのついたケースの蓋が重々しく閉ざされた。

 バチン、バチン!と音高くリッドが閉じられ、呼吸用のファンがスタート。

 『成美』のほうは、改めてヴァギナとアナルに性具を深々と挿入され、金属の貞操帯でその上から固定された。さらに後ろ手に手錠をつけられ、全裸にボンデージ・ハーネスといった姿を、ふんわりと毛皮のコートを羽織らされて、みじめに歪んだ淫らなボティを人目から隠される。

 

「はいコレ」

 

 アリスが付けられたデイルド―状のボール・ギャグと同じものを『成美』も(くわえ)えさせられ、上からマスクで覆われた。そのあとはイヤホンを耳に装着。

 

「これはアリスちゃんの首輪につけた喉頭(こうとう)マイクと繋がってるわ、猿轡をハメられてもAIが自動翻訳してくれるから、言ってることは分かるハズよ?あの子が苦しそうにしてたら、教えて頂戴(ちょうだい)

 

 コクリ、とうなずく『成美』の耳に『アリス』の声。

 

 (ふーッ……ふーッ……おシリが……おマ○コがアツいよう……あぁイクッ!またイッ、ちゃぅ!ぅぅゥゥゥゥ……ッ!!)

 

 出発の準備は整った。

 

 『成美』も首輪を付けられ、下腹部の振動に耐えつつピンヒールでヨロヨロと歩き出す。

 コンバス・ケースも三人に合わせて自律モードで動き出した。車輪の動きに連動するディルドーの責めに耐えかねて(うんッ……うんッ……くふぅ……ッ!)と『アリス』のよがり声もイヤホンから。

 

 一団がエレベーター・ホールに出たとき、一基の扉が開いて、中からビジネス・スーツをピシリと着込んだ女性が箱からでてきた。

 

 洗練された、冷たい都会の女の印象。

 品のいい化粧(メイク)と装身具――香水。

 

 そこにはいつぞやVIP席で泣きうなだれていた弱々しい印象はない。

 

 ――涼子さん!

 

 責め具に苛まれながら、『成美』は心の中で叫ぶ。

 メゾン・ドールで接待した三十路の美女。

 表面は気を張っているが、そのじつ弱いメンタルをもつ女社長。

 

 だがいま向かい合った彼女は、『成美』からただよう“女のモノ(愛液)”の気配を嗅ぎ取ったのか、かすかに鼻をひくつかせ、その美しい眉をひそめる。

 次いで毛皮を羽織らされた『成美』の下が黒革のハーネスで縛められた全裸であることを、コートの合わせ目のわずかな隙間から見て取ったらしい。それでなくても首輪からのびたリードを黒髪に()かれているのだ。そしてホンの数mへだてた黒い大型楽器ケースの中では彼女の部下が、全身の穴という穴に淫らな装具を挿入され、性をむさぼることしか出来ない恥知らずの肉人形に、いましも改変されている最中なのである。

 

(あぁッ、社長!……アタシはココです!助けてください……アタシ、誘拐されちゃいます……助けて……ッ!メス人形にされちゃうゥゥ!あッ!いやッ!……オッパイが――オッパイが、気持ち――イイィィっッ!)

 

 コンタクトレンズ型のモニターから外の映像を見たのか、ケースの中で『アリス』がはげしく(もだ)える気配。だが、防音と振動遮蔽、なにより調教拘束が完璧なので、彼女の煩悶が楽器ケースのそとに洩れ伝わることはなかった。

 

 涼子社長の眼は『九尾』と扇情的なボンデージ・スーツを着た三人に、等分な形で注がれるや、

 

「――下品ね」

 

 吐き捨てるようにそう呟きつつ、彼女は香水の匂いをフワッ、と引きながら一団のわきを通り過ぎてゆく。自分の会社の社員が目の前の大きな楽器ケースに格納され、調教を受けながら喘ぎつつ、助けを呼んでいるのも知らずに……。

 

 その後姿を見送りながら、エレベーターに入ると、黒髪が、

 

「あの子もイイわね……ひとつ、段取りしましょうか……」

 

 一行は狭いエレベーターにギュウギュウとなって入る。

 

 チン、と音を立て、箱の扉がユックリとしまった……。

 

 

 …………。

 

 

「あの――なにか?」

 

 ハッ、と『九尾』は気づいた。

 あたりを見回せば、そこは前と変わらぬ、古ぼけたオフィスビルのフロア。

 我にかえれば、自分は航界士候補生の制服を着たまま、相手から差し出された名刺を手にボンヤリと佇んでいるのである。

 

「――あ……ぃぇぃぇ」

 

 『九尾』はハンカチを取り出し、汗をぬぐった。

 ほんのひと時のあいだ、因縁のおんなたちに女性化され、なおかつ目の前のOLを奴隷人形に調教していた、などという妄想が恥ずかしく、いたたまれない。

 なにやらショーツ……ではない、パンツも濡れている気配。

 

 ――まだ洗脳の効果が残っているのかな……いやらしい!

 

 『九尾』は、そう考えつつ受け取った名刺をしまった。こうなれば自身の方も、覚悟を決めて出さねばならない……。

 彼から名刺を受け取った女性社員は、

 

「瑞雲校・航界士候補生、しかも[一級]でいらっしゃる……『九尾』さま?当社の社長にご伝言でしたら、何か申し伝えましょうか?」

 

 彼はもう一度、ブラインドの隙間から忙し気に働く人々を眺めた。

 

 いや――もう十分、と彼は思う。

 

 ――みんな、精いっぱい頑張って、なんとか生きてる。

 

 普通の人が見れば、たんなる年末の修羅場だが、そのときの彼には、何か生命(エネルギー)にあふれた、とても好ましい活動(もの)に思えた。そして自分は、そんな営みからも完全に孤絶してしまったことを、この時はっきりと思い知る。

 

「死人が、生きてる人の邪魔をしても悪いし、ね……」

「なにか――?」

 

 相変わらず妙な顔をする女性社員に、

 

「涼子さん――社長殿(どの)に『頑張って』とお伝えください。応援してます、と」

「……ありがとうございます。伊都宇もきっと喜びますわ?」

 

 では、と『九尾』は、ビシリ!

 一分のスキもない敬礼をして相手の女性と別れる。

 

 静かなフロアをエレベーター・ホールに向けて歩いてゆくと、行く手から女性が秘書兼カバン持ちとも見える少女を伴い、何事か(しゃべ)りながらやってきた。

 

 (やりましたね!融資の件)

 (アナタを連れてってよかったわ、あのロリ信金屋が)

 (わたし、ガンバりました!オッパイ大きいのが役に立ったの初めてです!)

 (よく我慢(ガマン)したわね?とりあえずコレで一息つけそう。アトはあの案件が……)

 

 明るい顔でそこまで言ったとき、シャネルのスーツを着るその女性は、行く手の『九尾』に気づくと、決まり悪げに口を閉じる。

 

 ――涼子さんだ……。

 

 驚いた。

 先ほどまでの妄想で見た通りの姿が、少女といってもいいくらいの部下をしたがえて通路からやってくる。

 

 五色鶸で泣いて(カラ)んだ女性の面影は現実の彼女にも見当たらず、ピシリとキメたスーツで戦闘態勢を整えた、やり手のビジネス・パーソンという雰囲気を、全身から発散して。

 

 (しば)し、二人の視線が絡み合う。

 やがて(かた)みに目礼しながらこの時、すれちがった。

 

 (カワイイ子ですね♪社長)

 (――()ッ!!)

 

 そんなやり取りを背後で聞きながら、『九尾』は二人が乗ってきたエレベーターで降り、雑居ビルを後にする……。

 

             ――――――――

 

「ダメぢゃないの(れい)、聞こえてたわよ?きっと」

「てへへ……」

 

 ちょうど奥から疲れた顔をした“玉ナメ(ネェ)さん”が出てきて、

 

「あぁ、社長!ちょうど良かったですね。お会いになりました?いまのカワイイ候補生さん」

「え……あの子ウチに用があったの?何も言わなかったけど……」

 

 眉をひそめた社長は、渡された名刺をみて二度ひそめる。

 

「――航界士・候補生……それも「一級」?あのコが?」

「ご存知の方じゃないんですか?社長を名指しで“応援してます”って」

 

 知らないわ?と渡された名刺をしまいながら、でもヘンね?と首を傾げ、

 

「どこかで会ったような気が……しないでもないの」

 

 しばらくそのまま考えていたが、やがて吹っ切るように、

 

「マァいいか!さ、仕事・仕事!――もうひと頑張りよ!?」

 

            ――――――――

 

 自販機で飲み物を買い、『九尾』は往来にほど近い公園のベンチに腰を下ろした。

 都会の騒音が「ゴウッ」という一大混成となって、たそがれの候補生を包む。

 先ほどのアヤしい幻想の印象は、彼のなかで無水エタノールが蒸発するように退いてゆき、もはやあとかたもない。いまは幾分はだ寒い夕暮れの景色の中で、ポツンと孤独を感じるだけである。

 

 ――いよいよ“銭ゲバ”どもの世界を守るために犠牲となるか……。

 

 いままで通り過ぎてきた試練が、輪索(ワナ)が、危機が。夕暮れの風とともに肩の上を通りすぎてゆく。

 

 メゾンでみた権力者や成金どもの風体。

 少年を食い物とする婦人や年若い淑女。

 ふつうの人間を奴隷人形と化す調教師。

 己の歪んだ妄想を嬲る特権階級の人々。

 

 ――あんなヤツらのために……。

 

 冷えた手を硬くにぎりしめ、彼はこころざし半ばで散っていった者たちのことを想う。

 いまさら身を犠牲にするのに文句は言わない――というか、もうあきらめている。ただ、贅沢な晩餐で肥え太り、唇を脂でツヤツヤさせるブタどものために死ぬのは、残念だった。せめて“死にがい”のある舞台が用意されていれば、少しは違うのだろうが……。

 

 航海士たちの守るものが、命をかけるに値しないクソ社会と分かったいま、味気ない想いを抱えて死んでゆくのかと憮然としつつ、彼は虚ろな眼で公園に沿う通りをながめた。

 

 さまざまな人々が、目の前を通り過ぎてゆく。

 

 学生。

 若夫婦。

 リーマン。

 こども連れ。

 早足の若い女性。

 ジョギングする中年。

 携帯で痴話ゲンカのチャラ()

 そして形を変え老人――老人――老人。

 

 いろいろな人が、いろいろな姿で通り過ぎる。

 思い思いの顔つきで。そして思い思いのスピードで。

 

 自分が雲海に消えても、この営みは変わらずに続くだろう。

 まるで『九尾』などという存在は、最初から居なかったかのように。

 

(あ、ひこーきのりの()()()()()()だ!)

 

 ふと甲高い声が呆然とした『九尾』の横顔に突き当たった。

 声の方を見ると、母親に手を引かれた幼稚園児が、ニコニコしながら彼の方を指さしていた。

 

(ユーくん、ひとを指さしちゃいけません。お兄ちゃんかもしれないでしょ?)

(え~おネェちゃんだよぅ!)

 

 おぼえず『九尾』は『成美』の(かお)で微笑した。

 脱洗脳を受けたとはいえ、抜き去りがたく身体に刷りこまれた蠱惑的な牝の風情。

 

(――ほらぁ!おネェちゃんだァ!)

 

 幼稚園児は、そのままトタトタと公園の茂みに近づくと、小さな花をひとふさ折りとり、失意の候補生に走り寄るや、

 

「おネェちゃん!――ハイ!」

「まぁ……ありがと、ぼうや」

 

 おどろいたことに、フツーに女声が出た。『成美』の声そのままに。

 “彼女”は子供の頭をやさしくなでる。

 

「お名前は?なんていうの?」

「さとうゆーご!すずらんぐみ!ろくさいです!」

「まぁ……おりこうさんねぇ」

 

 幼稚園児は褒められたことに照れたのか、ペコリとあたまを下げ母親のもとに去ってゆく。母親も『成美』にむかい一礼し、やがて親子は連れ立って公園を出ていった。 

 

 手もとにのこる小さなひと房が無ければ、いまの出来事がまた自身の妄想によって作り出した幻覚と『九尾』に戻った彼は考えただろう。

 小さな花は、かぐわしい香りを放っていた。

 

 ――沈丁花……。

 

 ひめやかに、寄り添うような匂い。

 金木犀のような押しつけがましい下品な臭いではなく、あくまでも涼やかな気配。それが彼の硬くしびれたような胸を()つ。

 

 ――そうか……。

 

 じんわりと『九尾』は悟った。

 

 ――なにもこの事象面を守るのは“ゼニゲバ”たちのためじゃない。ああいった無辜の親子を救うために己の命を犠牲にすると考えれば、それでイイじゃないか。どうせ人間なんで100年も生きないんだ。次から次へと現われ――そして、どこかへと消えてゆく。ホンのひとときの時間。むしろ命の使いどころがあるだけマシさ……。

 

 ふいに彼の胸はひろびろと清々しくなる。

 

 どうやら自分は世界の汚い面ばかり観すぎたようだと悟った。いつのまにか、視野がせまくなっていたようでもある。ベンチの背もたれを利用して背骨をのけぞらせ、夕暮れの空を視界いっぱいに見上げて彼はいくぶん早めに“消えてゆく番”となった自分の身を想う。

 

 それは――不思議な感覚だった。

 

 それまでの離人症(りじんしょう)的な、あるいはケチな疎外感とは違う。

 もっと透明で、静謐(せいひつ)で、穏やかな。そして神聖な感じ。

 この世の務めを終えて消えてゆくということが、何故(なぜ)かとても有難いような……。

 

 ポケットに入れたプレゼント。その艶やかな包みをコートの中で()でさする。最初は、この世に(つな)がりを求めるため百貨店で品物を選んだのだが、モウなんだかどうでも良いような気がしてきた。

 

 ただ、自分が死んだら、ぜんぶ貯金は国庫に収納されてしまうだろう。それぐらいなら、やはり全財産を“意中の”相手に渡したほうがいい。

 このように考えれば、やはり今回の行動は正しいワケだ。いや、もしかしたら、心のどこかでは最初からそれを目的としていたのかもしれない。

 

 ――16年という人生だったけど……。

 

 まぁ、いいかと彼は思う。

 

 

 「勝ち組」人生とか「負け組」人生とか、そんなものはない。

 ただ“人生”があるばかりさ。

 

 『九尾』は航界士用の腕時計を見る。

 複雑なダイヤルは、夜の始まりを示していた。

 

 「……いい時間だ」

 

 彼はそう(つぶや)くや、大通りに出ると最優先MODEで自動タクシー(オート)を呼ぶ……。

 



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066:光散乱めいた間奏曲(Ⅰ)-γ

 

 メゾン・ドールを囲む広大な庭園ギリギリまで近づけて、『九尾』は自動タクシー(オート)を捨てた。

 [公務]という文字の腕章をチラリと一瞥(いちべつ)

 これを見てもエントランスの黒服たちは、まだ自分を受け付けてくれるだろうか。ハズそうにも、この腕章はイヤらしいことに安全ピンをシール(封蝋)で止めてあり、留め金をいじれば分かる仕組みとなっている。当然その場合は懲罰だ。しかし残り少ないかもしれない人生の時間を反省房などですごしたくはない。

 

 いつか見た軽自動車のキタない街宣車が、今日も懲りずに神の救い云々(うんぬん)とやらをピーガーと鳴る割れた拡声器から抑揚(よくよう)のない調子で延々と(とな)えつづけている。

 

 ――まだやってんだ……ごくろうさん。

 

 彼は夜の闇の中で苦笑しつつ、漫然と歩む。

 

 あいびき用に暗がりをワザと散在させてると言われる夜の庭園。

 緑の気配が濃く香るヒンヤリとした夜気。

 そこかしこに(うごめ)くひとの気配。

 声ひくいささやき……。

 

 公園の芝生の中をショートカットで横切り、メゾン・ドールの近くまできた時だった。

 

「――失礼」

 

 そんな声がしたかと思うと、左右からいきなり捕獲される。他愛(たあい)なくも両腕を取られたのは、遠くの街宣車の演説に気を取られ、まわりの注意をおろそかにしていたせいだろう。

 両わきを見上げれば、もはや馴染みとなった黒メガネが二人――背後にも一人、いるらしい。

 

「一級候補生『九尾』だな。()()()に近づく場合は確保せよと指令(オーダー)が出ている」

 

 跳ねつく心臓に声がふるえないよう、どうにか抑えながら彼は、

 

「そんな!……きょうは自由行動を許されているはずですッ!」

「単独行動で危険が予測される状況が生じた場合、これを実力で保護せよとの命令だ。これは最優先行動となっている」

「タノむぜ『九尾』くん、キミのおかげで我々はエライめにあってる。こんどキミを“失尾”したら、始末書じゃ済まない」

 

 もう一人が、情けない声を装って、泣き落としに。

 しかし、そんなことでゴマかされる彼ではない。

 

「約束が、チガうでしょう!探査院の“情報部”に問い合わせますよ!?」

 

 と――コレは精一杯のハッタリだった。

 ミラ宮廷中尉とのコネクションは、絶えて久しい。

 

 背後の人間が、何かのスイッチを入れた気配。

 かすかに高周波な電子起動音をたてて。

 まずい、と『九尾』は緊張する。

 

 屈強な男たちの体臭。

 フランス製オーデコロンの香り。

 

 条件反射か、彼の頭は素早くまわった。

 言葉つきを微妙に変えて、上客にしなだれるように、

 

「つまり――単独行動でなければ、OK?」

「……あ?」

「今日、あそこに行くのは渡し物があるからだよぉ?べつに(おど)りにいったり、奉仕したりするワケじゃないのに……ナンだったら上に問い合わせてみれば?」

 

 声音をかえ、(こび)を売るビェルシカのように彼は身をくねらせる。

 気のせいか、また自身からただようフェロモンの気配。

 

 男たちの沈黙。

 

「どぅ?もし、これがリジェクトされるなら――ボクは雲海にはいかないよぉ?」

 

 意識の脱・洗脳処置が終わった次の日。

 中央医療センターから直行する形で、『九尾』は瑞雲(ずいうん)の校長と同道し、探査院の会議室に呼ばれた。

 そこで彼は、正式に『盟神探湯(くがたち)65B』の打診を受けたのだった。

 Tの字テーブルの下端に校長と座り、ほかを各省の高官や歴々が占める中、彼の態度にヒヤヒヤする信楽焼(しがらきやき)のタヌキめいた校長をよそに、切り口上で彼は言ったものである。

 

 1.作戦遂行中の判断は自分が決定すること。

 2.状況悪化の場合は雲海深度に関わらず直ちに転進すること。

 3.降下時間は九○を超えないこと。

 4.作戦決行日までは、()()()()()()()()()()()()()()

                           etc.etc.……。

 以上の()()()()()()を確認して、『九尾』()()ったはずだった。

 

「認められない。上位命令は『キミの安全』だ」

 

 無常に、黒メガネの一人が言い放つ。

 背後の三人目がボソリと

 

「前方42.5m、2時方向。ゴミ入れのわきにかくれている男たちが分かるか?いや!――直接顔を向けるな。視界の(はし)で見ろ……」

 

 細かい測距値を示されたところをみると、黒メガネは暗視装置と各種電子デバイスを兼ねているのだろう。それとも眼球か、あるいは視神経を手術ずみなのか。

 言われたとおりにすると、街灯の光から(のが)れるようにして、物陰に(たたず)む二人連れが(かろ)うじて見分けられた。

 

「キミを待ち伏せてる。人気(ひとけ)のないところで、拉致(らち)って西に送るつもりだ」

「分かったろ?キミは――またしても間一髪だったのサ」

性懲(しょうこり)りもなく“少年奴隷”にされて、女尻にされた腰を振りたくなきゃ、我々と一緒にもどれ」

 

 かァっ、と『九尾』の、いや『成美』の身体があつくなる。

 おもわず股をスリ合わせ、条件反射的に“お情け”をねだるような。

 

 ――この(ヒト)たち、どこまで知ってるんだろう……。

 

 自分が拘束されて調教されたり被虐にアヘ顔をさらす画像。あるいはイヤらしい衣装を着せられ奉仕する映像が、すでに出回っているのだろうか?

 そこまで探査院(あそこ)は、裏世界を使役しているのだろうか。

 そのとき、ふと浮かんだ疑惑。

 

 逆も、また真なり……。

 

 裏社会が、探査院を隷属させている、という図はどうだ?

 さもなきゃ、あんなに豊富に人形の素体を用意などできまい。

 きょうの自分の行動も、ヒョッとして……。

 

「……でもサ?」

 

 彼は(かたわら)らの黒メガネむけて攻勢に出た。

 

「なんでボクの居場所が分かるんだろ?今日の外出が、バレてたってこと?」

 

 黒メガネたちは顔を見合わせる。

 

「ボクのおしりに入れた道具に発信機ついてる?それを辿(たど)られた?」

「暗号処理しているから大丈夫なハズ――だと思う」

「じゃぁ、おおぜいの人員をつかってボクをずっと追けてたの?」

「……そんな大規模な情報系は確認していない」

 

 ホラ、とカマをかけた『九尾』は勝ち誇ったように、

 

「今日のボクの『特例外出』がバレてた。処理された信号の暗号コードをかいくぐってキャッチできてる……ってことはハッキングで()()()()()か、情報コードを復元できる()()()()()()ってことぢゃん!」

 

 男たちはおし黙った。一人がコートの内側からデバイスを出し、イソイソとどこかに連絡を取る。

 

「それにボクは、探査院長官(代理)からじきじきに許可もらったんだ。今日の行動をジャマされるなら直訴(じきそ)しちゃうよ!?」

「聞き分けのないことを言うんじゃない!」

 

 黒メガネの一人がとうとうキレる。

 

「君がヘタにうごくおかげで、どれだけ組織に迷惑をかけているか――わかってるのか!!」

 

 それを聞いた『九尾』は、いったんプィッとフクれてみせる。

 やがて頃合いをみはからい、サビしそうな素振りで、

 

「ねぇ、おねがい……メゾンにいかせてよぉ」

 

 ネコのようにからだをしならせ、ビェルシカ仕込みの経験で素早く三人を品定め。いちばん発言権のありそうな相手のコートにすり寄ると、からだをヨヂヨヂさせつつ相手の胸に「の」の字を書いて物欲(ものほ)しそうな目とくちびるで、

 

「ねぇん、ねぇん――ねぇってばァん……」

 

 うっ、と擦り寄られた黒メガネがタジタジとなる気配。

 黒メガネごしに視線をからみつかせ、相手の「お情け」をおねだり。

 コートの前をあけ、コチラの匂いを相手にマーキングするように。

 

 すりすりすり……。

 

「こっ、コラっ!どこ触ってる……おそろしい(ガキ)だな」

 

 見かねた一人が『九尾』を同僚からひきはがし、もう一人が後ろ手に拘束する。

 

「いやぁん……」

「ダメなものはダメだ!」

「これ以上オマエを野放しにしていたら、こっちのクビがいくつあっても足らん」

 

 すると、スーツのズボンを(さす)られていた黒メガネが、

 

「まぁ……我々が同道する分には」

 

 えぇっ!?と残る二人の驚き顔……。

 

「イイんですか少s……チーフ!?」

殿(でん)……いやコマンダーから、くれぐれも寄せ付けるなと!」

「我々3人では――兵力不足で心もとないとでも?」

 

 うっ、と押しつまるあとの二人……。

 そんなコト言ったってナァ、と顔を見合わせゴニョゴニョ。

 

 結局、黒メガネ3人を従えて、『九尾』は既にどこか懐かしく感じるメゾン・ドールの豪華なエントランスをくぐった。

 あとから分かったのだが、もし『九尾』独りだったら、入れなかっただろう。入店できたのは黒服の一人が持っていた探査院のエージェント用カード、通称“鬼札”のおかげだった。

 

 メゾン・ドールの温かい空気と柔らかい絨毯(じゅうたん)が、あの淫らな衣装を着せられた時の心的構造を、当時のままに運んでくる。

 

(今日のチップ、いくらぐらいかな……)

(あまりオチンポいぢられなきゃイイけど……)

(季節のメニュー、変わったんだっけ。覚えるのメンドクサ)

(きょうもまたあの衣装が支給かな。オバサンばかり寄ってくるからなぁ)

(あの催眠まがいのダンス・レッスン。もうカンベンなんだけど。またやられちゃうのか)

 

 ここでの時間観念は完全にあやふやなもので、自分が通算でどれくらい調教を受けていたのか、まったく分からない。

 条件反射か、自分の肌や秘められた器官が(うず)いてくる、ような。

 広壮なホールに入った時、フロントに居たパンツ・スーツ姿の女性が「お待ちしておりました」とカウンターを回って歩み寄り、ニコやかな笑みをうかべる。

 

「こちらへどうぞ」

 

 ナイフのように研ぎ澄まされた気配を発散する黒メガネたちをしたがえ、『九尾』は見なれない女性の案内で、勝手知ったる豪華な店内をあるいてゆく。

 フロント係や各方面スタッフなどの、もの問いたげな視線。『パピヨン』や『ビェルシカ』たち高級公子の、おどろきを交えたヒソヒソ声。そういったものをかいくぐり、四人は女性受付の後ろについて店の舞台裏ともいえる従業員通用路に導かれ、しばらく殺風景な廊下をあるく。やがてふたたび表舞台の来賓用庭園に出るや、中央に建てられたガラス張りの大きな温室に導かれた。

 

 背の高い扉を開くと、中からムワッとする熱帯性の暖かさと共に、湿った土の匂い。エキゾチックな木々の気配や草の香りが吹き寄せ、色濃く匂う。

 冬用コートの前をひらき、高い天井を仰げば、周囲に生い茂る熱帯性の木々の葉を透かし、ガラス張りの天井から月が小さく顔を(のぞ)かせているのが()えて。

 

 彼方から、葉巻の匂いがだだよってくる気配。

 闇をすかして見れば、赤い小さな火が蛍のように明滅している。

 

 両わきと背後を固められながら『『九尾』は進み、男の影の前に立った。

 そこは小さな広場となっており、このガラス張りな温室庭園の休憩場所ともなっているのだろうか、二、三の木製ベンチも設置されて。葉巻の匂いに混じり、もはや嗅ぎなれた感のある中年臭いオーデコロンの匂いも。

 女性の係員は男の近くに立ち、『九尾』の護衛に対して警戒の配置につく恰好。

 

「――来やがったな……?」

 

 彼方の明かりをすかし、オールバックの中年男が口の(はし)を歪めるのが辛うじて伺えた。

 

「本当は会うつもりなんか無かったんだが……」

「いちおう、ケジメをつけるために参りました」

 

 しかし“影の店長”は、そんな彼の言葉など聞こえなかったかのように、

 

「イサドラ……『ゾーロタ』……『シリブロ』……ハッサン。おまけにお前ェん瑞雲(トコ)の極道どもからボコボコにされたメゾン(ウチ)護衛(ガード)たち……」

 

 指折り数えたイツホクは、ヤレヤレと首を振る。

 

疫病神(やくびょうがみ)じゃねぇか、お前ェは」

「……」

挙句(あげく)に、オレまで狙われるようンなッちまって……」

 

 疲労がにじむ声。

 闇に眼が()れてきたせいか月の光が主張を増し、トップライト気味な空間の薄暗い光景の中、イツホクの顔が、まるで骸骨のように白々とうかんでいる。

 

「そしてナンだ?お前ェが……」

 

 ながいため息ひとつ分の沈黙。

 

「お前ぇが、()()()()()()()()()……?エェ?」

「……」

「耀腕扼殺者(やくさつしゃ)――蒼の殺し屋(ブラウ・アサシン)――アナニー・マスター」

 

 聞いたことのあるような二つ名を、中年男は列挙する。

 最後のモノは意味が分からないが、おそらくウワサに尾ひれがついたのだろう。

 

「シャレんなってねぇっての……ワルい冗談だゼ」

 

 グッタリと、中年の男の肩が落ちた。

 次いで、どこか捨て(ばち)な口調でこの“影の店長”は、 

 

「で?今日はナンの用だ。後ろの兄サンたちゃ、オレを(バラ)しにでも来たかい?」

「いいえ、今日はメゾン・ドールを退店するご挨拶です」

 

 凛、とした『九尾』の声。

 一瞬、影の店長はキョトンとして。次いで、

 

「ハ!」

 

 中年男は手を()ちならした。

 

「アキれたヤツだなぁ……コレだよ。コレだから調子がくるっ(ちま)う」

「自分としての、ケジメです。僕は『成美』じゃない!メス奴隷でもフェラ人形(ドール)でもない!一級・航界士候補生、『九尾』です!」

「わァった、わァった」

 

 少年の生真面目(きまじめ)な口調を耳にして、世故(せこ)に長けた老獪(ろうかい)女衒屋(ぜげんや)は、もはや苦笑を隠そうともせず、

 

「とりあえず、探査院とのパイプが出来ただけでも、ヨシとするさ。それにナ?」

「それに?」

「お前ェのケモミミに細工をして客どもの会話を聞けるようにしたのはオレなんだが……」

 

 えっ、と『九尾』は思う。

 だが心のどこかでは(やはり……)とも。

 

「なんで、そんなことを?」

「お前ェの反応を見たかったから、かな。あるいは――」

 

 そのとき急に真顔になり、遠くを見たイツホクの目が彼方の灯りを受けて(くら)く輝いた。

 

「この(クソ)みたいな世間を知って絶望したときの、お前ェの行動を知りたかったのかもしれねェ」

 

 中年男は、うしろで控える女性係員に首をふって合図する。

 女性は、どこかに向けて短く指図した気配。

 

「にしても――まだまだ甘ェよ」

 

 イツホクはさらに続けて、

 

「探査院から、あのお三方が来た時ナ?お前は初めのうちこそリッパに聞こえないフリしてたが、あの頑丈づくりな爺さんのカマにウッカリ乗っちまったぢゃねぇか。笑わせてもらったが、気ィつけな」

 

 『九尾』はイツホクが手を叩いて爆笑した時の事を思い出す。だがさすがに前後の会話まで覚えてはいなかったが。

 

「気をつけろよ?ヤツぁ――()()()()()()()()()人間だぜ」

「組織に……なんですって?」

「主客の転倒さ。法律屋なんかによくあるだろ?人間のために法律ってなァ、あるもんだ。しかし法匪(ほうひ)どもは、()()()()()()()()()()()()()()。組織も、同じさ」

 

 ここでイツホクは一拍おいてから、

 

「組織ってなァ、ある程度デカくなると――それ自身の力学で動き出す。人間を呑みこんでな。そこに私情や理念はモチロン、正義や道徳すらねェ」 

 

 『九尾』は『リヒテル』に対する漠然とした反感と不安をよみがえらせた。

 

「ヤツって――あの上級大佐のことですか?」

 

 背後の護衛がひとり、イツホクに警告するごとく咳払い。

 

「――おっと」

 

 そこでイツホクは言葉を止め苦笑する。そしてややあってこの女衒屋は口調を幾分冷たくし、言葉を彼の背後に投げかけて、

 

()()()()()も気ィつけな。組織ってナァ、平気でヒトを裏切るぜ?なぁ、『成る……じゃねぇ『九尾』サンとやら。お前ェも考えなおしたほうがヨかねぇか?少なくともコッチの世界に居りゃァ――お、来たようだな」

 

 イツホクは背後を振り向いた。

 この小規模な温室で少しばかり空気が動いたかと思うと、彼方からチリチリ、鈴の音が近づいてくる……。

 



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067:光散乱めいた間奏曲(Ⅰ)-δ/Ver.Ⅱ

 

 

「ホラ、呼んでやったぜ」

 

 イツホクはソファーの背越しに、ニヤニヤとアゴをしゃくる。

 

「そちらのオッ怖(かな)い兄サン方も、若いお二人の邪魔をしないよう、それぞれ遠まきに張ったら如何(いかが)スかねェ?無粋なマネなんかせずに。俺ァ、気ィつかってココで失礼しますよ?ナニせ貧乏ヒマなしってナもんでして。忘年会には、ウチの系列の居酒屋を使ってくれるとうれしい。サービスしとッから――シャンパンを一本つけてもイイや」

 

 そういい捨て、どことなく投げやりに、蹌踉(よろよろ)した足取りで去ってゆく。

 秘書役とも思える美貌の女性は一礼すると、静かに中年男の後を追った。

 

 嗅ぎなれたコロンの匂い。 

 ほんの数日前なのに、はやくも懐かしくおもえる気配が、背後に。

 

 おそるおそる振り返ると、この(たび)は格式ばった黒いメイド・ドレスでキッチリと身を包む愛香の意外にかたい表情(かお)に出会わせた。

 高級使用人だけが着衣をゆるされる、格式のたかい奉仕着。

 バッスルで形を整えた、オーソドックスかつ古風なスカート。

 大きく(ふく)らんだ肩口と、胸を強調する立体裁断。手首と襟元のカラーの白さが印象的に。そしてウェストは、あい変わらず砂時計のようにオソロしいほど(しぼ)られて。

 微妙な光沢(こうたく)(ツヤ)やかな照りをみせる生地は、よく見れば薄い革製なのか。コロンの気配に交じり“なめし薬”の香りが幽かに漂っている。

 全体的に、ともすれば(あや)しい気配になりかかるそのドレスを、シルクかサテンと見える白物(エプロン)や、高級なレースが救っていた。

 

 イツホクに言われた所為(せい)でもあるまいが、黒メガネの護衛たちはスッ、と影のように音もなく後退し、やがて完全に気配を消す。

 やがてこの闇に塗りつぶされた数十m四方と思われるガラスの温室には、あたかも『九尾』と『愛香』の二人しか存在しないかのように……。

 

 黙然と見つめあう、彼等。

 すると、どうしたことか。愛香がフィと冷たい顔をそむけた。

 

 ――えっ?

 

 『九尾』はあわてて数歩。近寄り、彼女の顔色をうかがう。

 

「あ、あのさ――」

「何しにいらしたのです」

                      

 思いもかけない愛香の反応。

 冷ややかに――まるで凍った硝子(ガラス)のように、硬く。

 それは微塵(すこし)(うるお)いも感じさせない、仇敵(かたき)にしゃべるような声で。

 

「ボクは……」

「ここは、もう貴方(アナタ)の来るような(トコロ)ではありません」

 

 お引き取り下さい、と頭上なる月の光にメガネを光らせ、にべもない。

 

 ――洗脳!

 

 一瞬、彼は胃の底をヒヤリとさせて相手を(うかが)う。

 だが、すぐ相手の瞳に意思の力が閃くのを()て、とりあえず息をついた。次に彼は“影の店長”の、みょうにカラむような口調に思い当たってオズオズと、

 

「イツホクから。アイツから何か言われたの?――ね、そうなんだろ?」

「……」

「ボク――いや自分は――()()、ね?」

 

 『九尾』は重々しいコートのポケットから、昼間の高級百貨店で手に入れた小さな包みを取り出した。

 全財産をかけた必殺のアイテム。幼年校から積み立てた彼の預金と有価証券の(たぐい)は、もはやゼロである。

 

 作戦が失敗したら、そもそも金など意味がなくなるのだ。

 丁度いい自分へのケジメだと、なかば自虐的な気持ちで。

 なにより、このプレゼントに自分の運を賭けてみたくもあった。

 受け取ってもらえたら、負に回り続ける運命の歯車。それが逆転する――ような。

 

 

「今日来たのは……キミに、これを受け取ってもらおうと思って……」

 

 リボンのかかった包装を、彼はオズオズと相手に差し出す。

 

 ――あぁ、どうか!

 

 『九尾』は息をつめる。

 

 人生で初めての、渾身の一撃。

 彼自身も信じられない。(じぶん)が、こんなことをするなんて。

 まるでラノベの主人公にでもなったような、そんな面はゆい感覚。

 

 彼の想像では、プレゼントを受け取った愛香がとまどいながら包装をあけ、中身をみて金額を聞き、驚いてから涙ぐんで自分にキスをして――抱き合う、までがワンセットとなっていた。

 

 だが……。

 目の前の少女に、動く気配はない。

 気のせいか一瞬、瞳を輝かせたようにも見えたが直ぐにそれは消えて、差し出された包みに(つめ)たい一瞥(いちべつ)をくわえたあとは顔をそむけ、腕を軽くかかえたままあらぬ方を見る風。

 

 ――え……。

 

 はやくも想像の段取りが狂った彼は、プレゼントを差し出したまま、いまだキスを期待するような間抜けな顔で固まって。

 対して愛香の面差(おもざ)しは能面のように静謐に、焦点をどこか遠くに結んでいる。

 

 凝固した、沈黙。

 

 そんな中、頭上の樹間から差し込む皎々(こうこう)とした月の光は、包みを十字に結ぶリボンの光沢、それを夜目にも美しく輝かせ、喜劇と化しつつある()の一幕の情景を(かろ)うじて救っていた。

 すっかり“ピエロ”となってしまった彼は、泣くに泣けない思いで手元の包みを(こんなものナンでもないサ)とでも言うように、打って変わって雑に扱いながら、なるべく気安い調子をよそおって、

 

「ボク――いや私は、数日後ある重要な作戦に参加するんだ。雲海の……」

 

 ゲホン!ゲホン!と、暗いしげみのどこかで(せき)払い。

 

「……その作戦は、けっこう難しくて。でも参加して帰投した(あかつき)には、ある程度の保証がもらえる事になってる」

「……」

メゾン(ココ)を出てから、いろいろなコトを考えたよ。航界士のことや、生活のこと。自分の未来のこと。でも、いまでも愛香(キミ)のことが気にかかるんだ」

「……」

 

 それでも、相手の沈黙の壁は、厚かった。

 差し出した美しい包みを手に取ろうとする気配すらない

 仕方なく『九尾』は、わざわざ包装料をはらったラッピングを情けない思いで(みずか)ら破る。

 

 現れた天鵞絨(ビロード)の紫なる小箱。

 

 発条(バネ)の効いたフタを開けると……。

 月光のもと、真珠色の純白に(つや)やく台座。

 そこに鎮座する純金とプラチナ――それにダイヤが組み合わさったブローチ。

 月光のもと、まるで自身が白熱するように光を放って。

 

「今持ってるボクの全財産で手に入れたんだ」

「……」

「500ギニー以上したんだよ?」

「……」

「キミが待っていてくれるなら、作戦だってきっと成功すると思うんだ」

「……」

「作戦が終わってボクが還るまで、これを身に着けて待っててほしい」

「……」

「どうかな?それでこんなトコ出て……その」

「……」

「その……()()()()()()()()()()()()!!」

 

 ようやく絞り出した(コトバ)

 引きつったようなノド。それを無理矢理ひらき、あえぐように。

 頬は赤熱するように火照り、あたまの中は熱い炭酸水がわきたつかのごとく。

 

 今度の沈黙は、さらに長かった。

 

 どこかで扉がキシむ音。

 樹間をわたり、夜の冷たい香気が軽く吹き抜けた、ような……。

 

 ふいに愛香が、やや引き()ったような声で、

 

「馬鹿にされたものですわね」

「……え?」

「おハナシにならない――と、こう申したのですよ?」

 

 『九尾』は泣き笑いの顔で愛香を見つめた。

 彼女の言葉が耳を素通りして、まったく理解できない。

 

「わたしが日ごとに(時によっては殿方への“ご奉仕”が果てたあと)着替えるこのメイド(ドレス)……お幾らだかご存知?」

「……」

「35ギニーですわ。奉仕の内容によっては“お情け”(スペルマ)で汚されて使い捨てとなる基本着のこれが2週間分。それで800万円以上。さらに特殊な奉仕服(スレイブ・ドレス)や、装具も加えるとなると、1100ギニーは楽に届きますのよ?」

「……」

「ネイルサロンや、エステ、化粧品。(スキン)ケアに“奉仕者用”マッサージ。殿方や淑女を悦ばせるための、インストラクターがついた各種の特殊なトレーニングやエクササイズ……」

「……」

「専用のシャワーやジャグジー。バイタルを維持・管理するのが目的の、()()()()()()ウィンドー付きの休憩台(クレードル)。それらを含めますと、いったい幾らになりますことやら」

「……」

「お分かりになりませんの?わたくし、一般航界士の安手当などでは、とても(まかな)いきれない女ですのよ?ましてや候補生だなんて――()()()()()()!」

 

 (ことば)を継ぐうち次第に激してきたのか、愛香は(ひとみ)に炎を、(くちびる)に毒をふくませ、

 

「よくもまぁ、廉価(やす)く値踏みしてくれたモノものですわねェ!この(ワタクシ)ともあろう者を!チョッと可愛いからと目をかけてあげたら、ツケ上がって。えぇ、思い上がりも(はなは)だしいですわ!――どうせ、どこぞの安アパートで、ミジメったらしい生活(くらし)を強いるのでしょう?」

「……」

「口にするのは放出レーション(軍用食)か、半額シールを貼られた惣菜店の見切り品。マッサージはおろかジャグジーすらもない、トイレと一緒になったようなお風呂や、電気代を気にしてのエアコン。質の悪いカーテンや品のない安出来の家具!温調すら入ってないウォーター・ベッド!アンティークですらないテーブル・ウェア!――たまりませんわ!!」

 

 話せば話すほどに愛香は激し、(まなじり)険しく柳眉(りゅうび)をつりあげる。

 だが何かに思いあたったのか、ふと顔色をやわらげ、

 

「――あぁ、もしかして私の作り話を聴いて、同情したとか?」

 

 アッはは、と愛香は手を打ち鳴らして笑いくずれた。

 

「おッかしい。あんなのウソに決まってるじゃないの。“場の雰囲気”を盛りあげようとしただけよ……どう?感動的だったでしょ。演技が(うま)いのは、アナタだけじゃなくてよ?」

 

「そんな――」

 

 『九尾』の口は、ようやくそれだけ動いたようだった。それを見た愛香は、(はす)っ葉な、やさぐれた(あざけ)りを口のはしに浮かべ、

 

「さァ、そんな縁日で売ってるような()ッすいガラクタ引っ込めて、さっさと自分の居場所におかえりなさい。そしてもう二度と来ないで!アナタみたいな貧乏(クサ)いストーカーが一番イヤなのよ!」

 

 苛々(イライラ)とヒステリックな声が、闇の空気を震わせた。

 

(あぶら)(クサ)いけどお金をたくさん持っている、そして真珠をいれた()()()()で(と、ここで彼女はニンマリと(みだ)らな声をだし)コリコリと私のマンコを、おしりを、イヤらしく責め立てて、奴隷となったメスの(よろこ)びを、()()()()()与えてくださる(たくま)しぃぃい、オジさまたちのほうが、数百倍、数千倍アナタよりマシだわ!!」

 

 カッ!と彼女は赤いヒールを踏み鳴らす。

 足首を(いまし)めるストラップについた黄金(きん)の南京錠がゆれて。

 

「サァ、さっさと出てお行きなさい!不心得(ふこころえ)ものが!」

「……」

 

 ムッツリとうつむく『九尾』の沈黙。

 それを見た愛香の癇癪(かんしゃく)が、またも爆発した。

 ドレスと同じく革製と見える、薄手の白い手袋がはまる腕を出口に差し伸べて、

 

()()()()()()をバカにして……無礼な!もうその()()を二度と見せないで!!」

 

 最後は、(なか)ばヒステリックな怒鳴り声で、

 

()()()()()()()()()()()!!」

 

 喝然と響いたあとは重い沈黙が、このガラスの建屋を圧して。

 

 いかなる仕組みか、不思議と『九尾』は表面上の平静を保つことに成功した。

 男としてのプライドが成せるワザか。

 それとも今まで経た経験が、曲がりなりにも彼のうちに甲羅(こうら)をつくったのか。

 あるいは、あまりの出来事に、感覚が凍ってしまったのかもしれない。

 

 心は、冷たく――硬く――澄明になってゆき、

 まさかこんな“腐れブタ”を相手にしていたとは、と自嘲(じちょう)の気すら()かない。

 眼差(まなざ)しの先は、もう愛香を見ていなかった。

 かわりに在るのは(はる)かなる蒼空――そして雲海の、神々しいまでの輝き。

 

 だが――この胸の(シビ)れはなんだろうと『九尾』は考える。

 冷たい鋼線(ワイヤー)で胸をかたく、かたく巻かれるように。

 

 彼は視線を転じ、手にした哀れなブローチを観る。

 拒まれた美しい宝飾品は、あいかわらず月光に悲しいほど()えていた。

 

「そう、か……」

 

 (おのれ)方寸(こころ)の具現たる、そのブローチがはいった小箱を、音を立てて彼は鎖(とざ)した。

 沈鬱とした青白い闇の中、柔らかいその音は意外に大きくつたわった。

 

 ややあってから――。

 

 『九尾』は(シビ)れたような胸を押しひらき、深呼吸した。

 そして天鵞絨の小箱を固く握りしめる。

 次いでやおら腕を振りかぶると、声を限りにして、

 

「わが“想い”の滅ぶるがごとく――この想いの“(あかし)”も共に亡ぶるべし!」

 

 そう叫ぶや彼は渾身(こんしん)の力をこめ、小箱を闇に放擲(なげう)った。

 肩とヒジと、そして何より胸の痛み。

 こめかみがビクビクと脈打つ感覚。

 

 期待したガラスの砕ける音はしなかった。

 それどころか葉擦(はず)れの音すら立たない。

 彼の“想い”は文字どおり闇に吸いこまれ――消えた。

 

 決然、(きびす)を返し『九尾』は高級奉仕用ドレス姿の少女に背を向ける。

 

 ふと――。

 背後に愛香が(しの)(わら)いをもらす気配。

 最初は、きわめて(ひそ)やかな調子で。

 次いでささやかに――そして次第に明瞭(ハッキリ)として。

 やがて勝ち誇るがごとく、一種(そう)的な高揚(たかぶり)を伴い、このガラスの建屋に鳴り響く。

 

 最後は哄笑(こうしょう)となった彼女から(のが)れるかのように、彼はガラスの扉をよろめき出た。

 

 愛香の嘲(あざわら)いが、どこまでも自分を追ってくる。

 

 足早に――見方によっては満身創痍(まんしんそうい)の態で、高貴な衣装をまとった来客はもちろん、廊下のパピヨンやビェルシカ、エントランス・ロビーのスタッフたちが驚きに目を丸くするなか、『九尾』は(メゾン)の扉を押し開くと、磨かれた玄武岩の幅広な階段を、脚の(もつ)れるまま駆けおりた。

 

 火照った(ほお)

 煮えたぎった思考。

 外界の冷気は刺すように彼を包む。

 頭がグルグルと回り、目が焦点を結ばない。

 いくつものイルミネーションが丸い形のまま視界を乱舞して。

 

 神経に触るカップルの笑い声。

 なにかのレーザー光が闇を一直線に。

 リニア・トラムの警笛と、危険を内包した叫び。

 ガソリン・エンジンで走るバイクがスターターをかけて。

 

 卒然、世界は乱反射して、粉砕(くだ)かれた“少年”に襲いかかった……。

 



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068:銃撃戦のこと、ならびにミラ宮廷秘書官の退場のこと

 

 

「あぶない!」

 

 どこかでそんな女性の声がした。

 ()けた鉄の臭いが、鼻先をかすめた印象。

 とぉくで響く、「手持ち式削岩機(ドリフター)」の連続したハツり音。

 爆竹が、あちこちで炸裂して――爆竹?

 

 突然、彼は後ろから突き飛ばされ、ハデにコケる。

 つぎに上からドサッ、とイイ匂いのする柔らかいものにのしかかられた。

 チューン!という体のそばで何かが勢いよくかすめる音。

 

 次の瞬間。

 閃光、轟音。

 あまりの大音量に一瞬、思考がマヒしてしまう。

 クラクラと星が舞うなか、のしかかってきたものは俊敏に立ち上がると、むりやり『九尾』の(えり)くびをとって引き起こす。

 

「!!――!!!」

 

 なにか言っているようだが光に目がくらみ、耳もよくきこえない。

 だが嗅覚は――匂いの記憶は、鮮烈だった。

 必死めいた気配もよく伝わって。そして何より生存本能が、

 

 (――死ニタクナケレバ急ゲ!)

 

 身体のうちから鳥肌まじりに非常モードでせきたてる。

 

 手を引っぱる相手におくれまじと、ワケも分からぬまま、彼はコケつまろびつ走りだした。

 周囲で交錯するレーザーポインター。

 茂みのあちこちで見え隠れする都市型迷彩の人影。

 

 彼方で自動タクシー(オート)が急に進路を変えるや、こちらに突っ込んでくる――と、間髪をいれず背後で対戦車(アンチ・マテリアル)ライフルめいた轟音と爆風がして、モーター・ユニット部にとつぜんドカリと大穴が開き、火を噴いたかと思うと急激に進路を変えてちかくの電柱に激突・擱座(かくざ)した。旧式のマグネシウム・超電導バッテリーが、まばゆい閃光を派手に噴きあげたかと思うと、次の瞬間、盛大に燃え上がる。

 

「!!!!――!」

 

 手を引く者がふり向き、『九尾』の頭をつかんで低くさせた。

 これが間一髪!

 横あいから火花のようなものが悪意をもって頭上をかすめ飛んでくる。

 

 ――曳光弾(えいこうだん)

 

 ふたりの動きに(カツ)がはいった。

 この非常時。

 『九尾』の視野には、すべてがペキンパー映画のごとく、ゆっくりと流れる。

 案内者は何かのピンを抜くと、火線の流れてきた方角に投げつけた。

 アスファルトと擦れあう金属音がスキップしながら遠ざかる。

 

 爆発音。

 ヒトの吹ッ飛ぶ気配。

 悲鳴と、怒声。それに合図。

 背後からの援護射撃が、それに続いて。

 

「!**キミだわ――ク*が!」

 

 案内者は短機関銃(SMG)より一回り小さい個人用防衛小火器(P D W)、その発射モードを3点バーストにして着実に、そして恐ろしいほど巧みに制圧射撃を繰り返す。

 

 キン!と言う音とともに弾が尽きた。

 

 カラになったマガジンをコートのポケットに入れたのは証拠や痕跡を残さぬためか。

 よく看れば銃からも薬莢が飛んでいない。

 

 ――ケースレス・カートリッジ!

 

 案内者は流れるように予備を取り出すと、送弾口に差し込んで。

 ()れた動きで遊底(ボルト)を動かし初弾を送り込むや、また連射。

 

 羊飼いの出すような、抑揚のついた鋭い口笛。

 

 闇を切り裂いて二度、三度。背後から。

 それを“安全確保”と受け取ったか、姿勢を低くする『九尾』の背をバシバシと叩いて、移動を合図。

 

 コルダイト火薬と緊張と女物のコロン、そして何より死の匂い。

 

 身をひそめ、あたりを窺いつつ、互いに安全を確認しあいながら。

 ふたりは物陰づたいに、騒音の(ちまた)から落ちのびてゆく。

 

 どれくらい来ただろうか……。

 

 『九尾』の聴覚もようやく復活したころ。ふたりは息を切らせながら、メゾン・ドールよりだいぶ離れた場所にある小さな公園の、丸いトンネル型をした遊具の中へ底に溜まった砂を蹴散らして駆け込むと、ノドをあえがせながら身をひそめた。

 

 銃が発散する硝煙の臭いが濃く漂う、せまい空間。

 案内者のコロンの匂いを嗅ぐのは久しぶりだ。

 しばらくはゼーハーと、ふたりの苦しそうな息。

 

 呼吸がおちつくころ、相手の影が手にした銃のマガジンを抜き、残弾を遠い街灯の明かりでチェックするのが見えた。

 するどい舌打ち。

 ついで銃の連射にしびれたのか、利き手を忌々(いまいま)しげグーパーしてから、

 

「――アっキれたわねぇ……」

 

 向かいでうずくまる彼女は、次にその手で自身の髪の乱れを気にしてうしろに撫でつけながら、忌々(いまいま)しげな口調でズケズケと、

 

「アンタみたいに、ゆく先々でご丁寧(ていねい)に全部の地雷を踏んでいくヒトって見たことないわ。デキのわるいラノベじゃあるまいし!」

 

 開口一番、怒り声でそう言うや、すぐに脱力しグッタリと肩をおとす。

 

「ウチの部局がどれだけ苦労したか、分かってる!?」

「そんなこといったって……」

「はっ!ソンナコトイッタッテぇ、か!」

 

 うつむいたまま、バカにしたような口マネで。

 

 『九尾』の目が慣れると、コートの前を開けた案内者の重武装っぷりが分かるようになった。

 ダブル・π(パイ)スラとなったスリングが×字になってよぎる身体の前面。そこには、手榴弾用のDリング。ブラ下がっているのが防御用手榴弾ひとつだけということは、他の3つは投擲ずみなのだろうか。

 

 左手に便利なように、右肩口のあたりに拳銃用の予備弾倉。

 同じく右腰には手にしたPDW用の予備マガジンが並んで。

 反対側に拳銃のホルスター。戦闘用ナイフ。手錠ケース。

 

 つまりは本気モードの――ミラ宮廷秘書官。

 

 ふと、相手の掌がすりむけているのが見えた。もしかして自分に覆いかぶさったときに、路面に手をついてケガをしたのかもしれない。

 

 『九尾』は、コートのポケットから小型のアルミ・ケースに入ったファーストエイド・キッ(救急箱)トを取り出して彼女の手を取ると、相手が驚くヒマも与えず小型の容器に入った消毒液を霧吹き、傷口を洗浄。幅広の滅菌パッドでおおう。

 

「……そういうトコだけマメねぇ。いつも持ちあるいてんの?」

「規則ですから」

 

 手当がおわっても、彼女は手を引っ込めなかった。

 

「?」

「はい」

「え?」

「あるんでしょ?」

「なにが?

「なにがって!プ・レ・ゼ・ン・ト」

「え?」

「え?ぢゃないわよ!500ギニーも出してマント留めにも使える女物のブローチ買ったんでしょ?当然 “ 彼 女 ” である私のモノよね?だから――はい」

 

 はやく頂戴(ちょうだい)よ!と言わんばかりに彼女は、ひらいた手をグィとさらに前へ。

 う、とさすがに『九尾』はつまる。

 まさかそんなところまで情報が伝わっているとは。

 

「――どうしたの?さぁ!」

「あれは、そのぅ……ムダになってしまいまして」

 

 自分でもワケのわからない説明を、しどろもどろに。

 

 アホだ、とおもいながらも、どうしようもなかった。

 こういうところがダメなんだなと、この非常時に自分を罵倒して。

 ところがミラは意に介する風もなく、またも「ハ!」と嗤い、

 

「プレゼントする相手を間違えるから、そんなコトになるのよ」

「え……」

「だいたい、()()()()のドコがいいワケ?」

 

 彼女は狭い空間のなか、『九尾』の方に身を乗りだした。

 硝煙の臭いの奥から、ふたたび懐かしい彼女の気配。

 

 スカイラウンジの送迎コンコース。

 あるいは雲海上のフリゲート艦で。

 互に身を寄せ合った、あのひと時。

 

 彼女は、豹のような爛々(らんらん)たる瞳を復活させ、

 

「身分?――だったら私のほうがダンゼン上だし」

「女らしさ?――私だって負けてないわ」

「オッパイの大きさ?――ホルモンで大きくした胸がナニよ」

「料理のウデ?――フグを含めた調理師免許、持ってますケド?」

「あなたへの愛?――()()()()()()()()より、私のほうが……」

 

 あなたを愛シテル……と最後の方はしりすぼみに。

 対して『九尾』の注意は相手のセリフの別の部分をとらえた。

 

 “あんな女”……“あんな重そうな女”……。

 

 彼は土管状なトンネルの冷たい丸みに背中をぐったりと預ける。

 

 一世一代にふりしぼった勇気。

 それを手ひどく裏切られた(くや)しさが蘇ってきた。

 間抜けなザマが、すべて筒抜けだったという訳だ――彼女には。

 

 まさか自分がストリップまがいな“七つの舞い”を終えたあと、ステージの上でフルチンのまま、ドヤ顔で大歓声に応えていた事や、大皿の上に拘束され、膀胱(ぼうこう)と腸に腹ボテになるほどソースを仕込まれて、料理といっしょに美しく飾られたことまで、本当は知っているんじゃなかろうなと首すじのあたりをヒヤヒヤさせつつ、

 

「じゃぁ、さっきの――見てたんですね」

 

 彼は、男たち三人の黒メガネを思い出した。

 あれが中継器となっているなら、自分のピエロっぷりも100%そのまま彼女に伝わって、たっぷり笑われたアトというワケだ。まったくいたたまれない。

 

 ふくれっ面で『九尾』はブスっと、

 

「……さぞ面白かったでしょうネ」

「なにがよ」

「私が入れあげた子がトンでもない代物で!手ひどくフラれたザマがです!」

 

 微妙な空白。

 ややあって、彼女は(はぁっ……)とため息をついて。

 

 倦怠をふくんだ沈黙。

 とおくの街灯が投げかけるとぼしい明りで、ミラは『九尾』のかおをマジマジと見る。彼もまた声もなく“自分の彼女”の面差しを見かえした。

 

 不思議なことに、そこにはいつか彼をドキリとさせた“高潔な美”が、まぎれもなく浮かんでいる。

 

 何かを言おうか、言うまいかと逡巡している顔つき。

 ()ッと“彼氏”の瞳を見やって。

 

 やがて――言わないことに決めたらしい。

 

 ふいにこわばった表情をゆるめ、脱力する。

 ついで顔を寄せるとそのまま不意打ちに、軽くキス。

 しかもオデコに。まるで悪戯(いたずら)っ子に「ダメよ?」と口づけをするかのように。

 

(ゆる)すわ――アナタ、まだまだお子チャマなのね」

「なっ!ボクがどうして子どもなんです?」

 

 フフッ、と余裕の笑みをみせ、

 

「いろいろ経験つんで、少しはカシコくなったかとおもったんだケド。まだまだねェ……でもそこがカワイイんだから、アタシも救われないワケだわ……」

 

 ヤレヤレというように首をふると彼女の匂いが、また。

 

「ね、教えてよ。なんであの()は良くて、私じゃダメなわけ?」

「ダメってことはないけど……」

「じゃぁ、なんでよ?」

「だって。ミラ宮廷中い……」

「あァ!?」

「いや、ミラは……」

「よろしい」

「怒らないでね?」

「場合によってはオコるわよ、そりゃ」

 

 う……と相変わらずな彼女の勝手さに振り回され、しばし絶句しつつ。

 ようやく“彼氏”は意を決して「あのね?」と口をひらき、

 

「なんかサ?怖いんだ……まるで闇の中の黒い豹みたい」

 

 相手の反応をうかがいながらオズオズと、

 

「眼だけをランランと光らせてサ?こっちを観察してるカンジ。なんのために観てるのか、ソレがまた分からないからコワいんだ。利用価値ともとれるし、単に珍しいネズミを捕まえたから(ナブ)ってるとも思えるし。あるいは将来を見越した布石(ふせき)あつかいかも。ボクへの愛?――ホントにそうなの?」

 

 ミラの顔に驚きがうかぶ。

 しばらくしてから、こんどはゆるゆると苦笑いめいたものが浮かべ、「まいったワネ」とでもいうように。

 

「アキれた……そういうとこは、ホントにスルどいのね。航界士の本能?」

 

 折り曲げた指を唇でかるく噛み、なにごとか想うようだったが、

 どうせ、あと数日でアナタは居なくなるカモだから、言ってあげましょうか、と汗のひいた身体をコートで包みなおし、

 

「あなたが言ったこと、すべて本当よ。利用価値、物珍しさ。将来に向けての投資……」

 

 でも忘れないで、と彼女はいそいで後をつづけ、

 

貴方(アナタ)への愛も、ちゃんとソコには入っていたわ」

「……」

「今日まで姿を見せなかったのは、アナタの前に出す顔が無かったからよ。あれだけ雲海探査を忌避しろと言っておきながら、けっきょく探査院はアナタにパイロットをさせるハメになって。わたしの力不足だわ。本当にゴメンなさい……」

「……」

「情けないわね。けっきょく私のチカラなんてこの程度。アナタをダシにして敵対勢力を炙りだし、根こそぎにするくらいしかできない。アナタは探査院にずいぶん貢献(こうけん)してるのよ?知らないところでネ。さっきも言ったけど、ワナをぜんぶ踏んでくれるんですもの。何かお礼がしたかったけど――もうダメね」

「そんな……イイですよ」

 

 急にしおらしくなるミラ。

 こうなったら、男としては相手を元気づけるしかない。

 『九尾』はワザと明るい口ぶりで、

 

「それに。どうコロんでも、結局こうなったような気がします。ボクって間抜けだし、人に助けられてばかりで。だけどそんなボクでも、最後に好きって言ってくれる人に会えてよかった」

 

 沈黙。

 

 この(たび)のそれは、ちょっとはかり知れないほど、重い。

 

 はるか彼方でタイヤの悲鳴。

 モールスのような、意味ありげなクラクション。

 上空をゆく回転翼の響き。あるいは飛行船の重低音。

 都市の夜の吐息のをおもわせる、さまざまな生業を証す低弦のざわめき。

 

 ふと、彼女は眉をひそめ、顔をうつ向けて耳のインカムに手を当てる。

 表情が一転、ぬきさしならぬほど真剣なものに。

 一瞬、“高潔な美”めく表情が、その(おもて)によりいっそう強くあらわれた。喉頭マイクでも仕込んであるのか、ノド首に手をあて二言、三言なにやら低くつぶやくと『九尾』の方に顔を向け、

 

「……ありがと。やっぱりアナタ、やさしいのね」

 

 良かった、好きになって。といった彼女の言葉。

 そこには、不意に永訣(えいけつ)の響きをふくませている。

 

「ミラ?」

 

 彼女は、ちょっと目元を払ったようだった。

 

「どうやら、お別れの時みたい。残存勢力が、こちらに向かってくる。いま手駒が少ないから、ワタシもちょっとばかし頑張ンないと」

 

 ――ジャカッ!

 

 ミラはPDWの遊底(ボルト)をうごかした。

 俄然(がぜん)、緊張感が湧きおこり、ヒシヒシと狭い空間を満たす。

 彼女は『九尾』の腕にポケットから出した銀色のブレスレットを巻くと、

 

「発信機のキャンセラーよ。一応、念のため。イイこと?ここで別れたら真っすぐ寮に帰るのよ?ヘンなトコうろついて、こちらの手数を増やさないでね――さぁて……」

「どうするの?」

「どうもコウも」

 

 フッ、と彼女は不敵な笑み。

 

()れたオトコのために、もうひと仕事よ」

 

 そう言うや、公園遊具トンネルから身を乗り出し、あたりを伺う。

 ふたたび仲間と連絡をとるのか、符丁だらけの呟き。

 あっという間に彼女は見知らぬ世界の住人になったかのよう。

 だが、ふいに一度だけ雰囲気を柔らかくもどすや、

 

「オッと、忘れてた」

 

 ミラは身をひるがえして帰ってくると、『九尾』の唇に短いキス。

 

「じゃね?元気で――というのも、オカしいか」

 

 ニッ、と照れたような表情(かお)

 そしてあの黒豹のような身ごなしで、闇に出てゆく。

 

「ミラ!」

 

 『九尾』の必死なささやきに、ふと彼女は立ち止まり、ふりむいた。

 

「フフッ、ようやく本気で呼んでくれたわね」

 

 それじゃ、と黒い影は、あっと言う間に闇に消えた。

 いつかの光景。

 大聖堂の身廊から身をひるがえし、姿を消した黒豹のように。

 ()れた動作とは思っていたが、まさかこんなコトだったとは。

 

 ミラ!とふたたび呼ぼうとして、彼は唇をかみしめる。

 

 ここはまだ、戦地なのだ。うかつなことをして、彼女の足手まといになってはならない。いくらナンでも、そこまで間抜けになりたくはなかった。

 

  ポツンと残された『九尾』は、腕に巻かれたブレスレットを見る。

 そうだ。自分の居場所は、ここじゃない。

 

 ――ボクも与えられた仕事をしなきゃ……。

 

 なにか胸のモヤが晴れたような思いで“候補生”は(こぶし)を固める。

 たとえそれが――死ぬことであっても。

 

 彼も(そっ)と遊具を出ると、一度、辺りの気配を(うかが)って。

 

 やがて意を決し、遠くの光をめざして走りだす。

 

 

 

 

 




「最終回だ、みんな死んでゆくのだ」と言ったのはトミー芦田氏でしたか。

物語も終盤に近付き、登場人物たちが次々と姿を消してゆきます。
次回、いよいよ『盟神探湯(くがたち)65B』編です。


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069:『盟神探湯65B』作戦のこと、ならびにサラ候補生が気をもむこと

 

 

                 * * *

 

 あれから――ミラ秘書官に会うことはなかった。

 

 静かな控えの間で、()っと『九尾』は考える。

 

 マスコミの忖度によって銃撃戦は“なかった”ことにされていた。

 わずかに、車が放火によって炎上したことがベタ記事で載っただけ。

 その車の写真も、対戦車ライフルで撃ち抜かれ、爆発したたような痕跡(あと)はなく、適当に焼け焦げた軽自動車の不鮮明な写真が使われていた。

 

 瑞雲校長の力を借り、『ミラ宮廷中尉』の名を探査院の秘書官名簿や第三王女近辺の近習リストにあたってもらったが、本院からは“該当者なし”との返答が返ってくる。

 うす暗い校長室で、信楽焼のタヌキから文面のコピーを渡されたとき、『九尾』が即座に考えたのは、以下の5つ。

 

1)校長(タヌキ)のチカラなど全然足りず、ハナから情報を開示されなかった。

2)そもそもこの文章が、瑞雲校の贋作(ニセモノ)である。

3)ミラの所属するセクションが秘匿(ひとく)性の高い部署で、部外者には開示されない。

4)自分に渡された名刺が、そもそも工作用のダミーだった。

 

 ――そして……。

 

5)銃撃戦時の死亡(K. I. A.)により、すでに名簿から抹消された。

 

 彼は、最初のデートで“(ラン)の王女”に謁見した時のことを思いだす。

 

 第二王女の集団に対して、ミラ・アレクサンドラと名乗ったあの口上。

 王女の近習にぶっ叩かれたときの、周囲の違和感のなさ。

 そう考えると“一段(くらい)の低い”第三王女秘書官というのは、間違いなさそうだった。

 

 ――できれば1)か2)か3)のどれかであって欲しい……。

 

 でも――絶望はしていない。

 

 あの日。あの晩。

 

 人生で一番大きな買い物をし、一見客である女社長の幸運を祈り、初めてフラれ、(あがな)った品を放擲(なげう)ち、しまいには銃撃戦に巻き込まれたジェットコースターのような一日のあとに、一度だけ。それも『盟神探湯(くがたち)65B』当日に、ミラ秘書官らしき姿を、遠くに見かけたのだ。

 

 確かじゃない――だけど、そうであって欲しい。

 

 『九尾』は控えの間の高い天井を見上げ、『盟神探湯(くがたち)65B』を、あの運命の雲海大深度探査を思い出す……。

 

                 * * *

 

 

 強襲揚界艦“吉野”は万葉型の旧式二等艦ではあったが、ウェルドックの広さでは定評があった。その広い面積を一杯に使って、一機の大型航界機を中心にキャプタイヤ、各種ホース、ケーブル等が延び、白衣や作業職種別の色ベスト、迷彩服の人々が忙しく動いている。

 

 ケロシンや機械油、放電によるオゾンなどの臭いが充満するその空間で、内科部長と肩書きのあるIDカードを首から下げた目つきのキツい中年の女医が、

 

「ええどすか?このG・スーツのリアクターは東宮サンの安モノとは違いますえ?[生技研]の最新試作型ですさかい。本来ならアンタはんのような候補生風情に支給されるものじゃ無いんどす。気ィつけて扱わんとあきまへんえ?新型の人工筋肉、付いてるぶん、情報逆流も増しますケドな、情報遮断デバイスが種類()ぇ変えて幾重(いくえ)にも――」

 

 はんなりとした嫌味な口調で次から次へとレクチャーされ、辟易(へきえき)気味の『九尾』だった。

 サルコファルガス型G・スーツと呼ばれるそれは、全身にうすく外骨格を貼りつけたような、銅色とも玉虫色ともつかぬ代物で、説明によるとこの一着で航界用連絡機が楽に一機買える価格らしい。 あごの一部と耳のうしろまで隠れる仕様は、うなずくのにも一苦労だ。

 

 実際、三日前からの食事制限。前日からの無菌室生活。

 そして専用ルームの中で、無菌スーツを着用したスタッフ達の助けを借りて、装着するのに六時間以上という手数のかかるシロモノだった。当然、シリンダーから出たあとは外気から隔離され、呼吸補助機のエアを吸うことになる。

 

 文字通りの化け物スーツ。

 全体に、どことなくギーガーをイメージしなくもない。

 そこへ、先に同型のG・スーツを付け終わった龍ノ口が、白い衝立(ついたて)を蹴飛ばして現れた。スーツのスピーカー越しな怒鳴り声。

 

《ハナシなげぇンだよババァ!……ッっきから、外で聞いてりゃネチネチと!》

 

 様々な補器が積まれた大きめのカートを引き、そこから雑多なコードやパイプが延びている。脈動するカテーテルは、人工筋肉の動力補給用か。各種の作動ランプやインジケーター。低いコンプレッサーの(うな)りも、(あわ)せて。

 

《『九尾』!終わったんなら行くぞ》

《はい、サー『()()()()』!》

 

W/N(ウィング・ネーム)で呼びかけられた龍ノ口の唇が、ニッとひきしまり、すこし背筋も伸びたような気がする。表情さえ、いまは上級生らしく自信に満ち、落ち着いたものになっているような。

 

 修錬校に戻ってから数日後。

 

 探査院本部に校長と呼ばれた『九尾』は、目の前のデスクにずらりとならんだ探査院の上級執務官たちから、盟神探湯65Bのメイン・パイロットを打診される。

そこでオタオタする校長(タヌキ)をよそに、切り口上で彼が出した条件は、

 

 一、作戦遂行中の判断は自分が決定すること。

 一、状況悪化の場合は雲海深度に関わらず直ちに“転進(たいきゃく)”すること。

 一、降下時間は九○を超えないこと。

                    (など)(など)(など)……。

 

 そしてもちろん、RSO(航空機偵察装置担当官)は、龍ノ口を任命すること。

 

 だがすべてが承認され、錬成校に帰って、たまたま残務整理のために居た龍ノ口を見つけ、結果をフライングで伝えたときの相手の表情は微妙なものだった。

 不思議なことだが、どちらかといえば、狼狽(うろた)えたようにも。

 しかし今日の龍ノ口――『ドラクル』に、(ひる)んだ様子はみえない。それどころか、静かな諦観にも似たたたずまいを見せている。キレやすいところは、相変わらずだが。

 

 ブツブツと何やら言いながら医療機材をかたづける中年女医の背後から、こちらも通常タイプのG・スーツに身を包んだ『デザート・モルフォ』が赤い目をした顔をのぞかせた。

 

「――はァぃ♪」

 

 そして『ドラクル』が引くカートから延びたチューブをさばいたり、分からないなりにスーツのチェックをする。彼女も“吉野”の護衛群に志願し、対・大型耀腕用に指向性・純粋水爆を弾頭にした防空核ミサイルを抱いて飛ぶのだ。

 

 『九尾』!アンタわかってンだろうね!?と、金色の瞳がニラむ。

 

「ちゃんとこのバカ、連れて帰ってくンんだよ?」

 

 手始めにそういうや、つけつけと、

 

「こないだも、高ッかい香水の匂いつけて明け方に帰ってきたと思ったら、寝言で「ナルミ……」とか言ってるの。もう信じらンない!」

 

 カァッ、と『九尾』の顔が赤くなる。

 龍ノ口の方を見れば、彼はサラと『九尾』に背を向けて。

 

「――ハァ!?」

 

 “女の勘”というものは恐ろしい。

 

「なんで『九尾(アンタ)』までそんな態度とるのサ!……龍ゥ?――アンタこのコまで、その“いかがわしい店”に連れてったンだろ!」

《ちがァう!――逆だ逆!……あ》

「逆ゥ?どういうコトだィそれ!?あ、ってなによ!」

 

 ムキー!と“彼女”はさらに“彼氏”を問い詰める。 

 雲海探査の話が伝わったとき、『九尾』を問い詰めた彼女の剣幕もすごかった。

 どうして龍ノ口を、RSOなどに指名したのか。

 作戦遂行にあたって本当に危険はないのか。

 中央医療院で精密検査の予定日も決まったのに、なんで余計なコトをするのか。

 

 見方を変えれば、その剣幕は自分など眼中に無いことの証左であり、『九尾』は怒られるほどに、やるせないホロ苦さを味わったものだが。

 大丈夫ですよ、と彼はG・スーツからくるぎこちない動きで、心ひそかに憧れていた褐色の上級生をなだめすかし、

 

《先輩に、X’masプレゼントの準備でもしておいて下さい》

「なっ!……なにナマイキいってんだィ!」

《いい加減によせ、サラ》

 

 一転、おだやかな口調で『ドラクル』は彼女をたしなめる。

 

《コイツは俺にチャンスをくれたんだ――最後のチャンスを、な》

「そんなこと言ったってぇ――!」

《これが終わったら……手術でもなんでも受けるよ》

「ホントかィ!?」

 

 パッ、と目の下にクマをつけたサラの顔が明るくなる。

 さらに彼女が何か言おうとしたとき、ディーゼルの(うな)りがして、警笛(ホーン)

 機体周辺の動きに、あわただしさが増してきた。

 

 作業統括長がホィッスルを吹く。

 とたんに緊迫感を増すウェルドック。

 

 専用トレーラーが、各種AAM(空対空ミサイル)ABM(対事象面ミサイル)を装着し終えた護衛機から順に、エレベーター上昇位置まで()いてゆく。

 

 王宮直属部隊にのみ配備が許される、勅許(ちょっきょ)・特種戦術兵器『確定連鎖起発型・指向性事象面中和弾』。その疑似・界面翼ミサイル弾頭を護衛するのが目的の内務省特殊部隊も、ガシャガシャとゴツいブーツで甲板を踏み鳴らしつつ、ウェルドックを撤収していった。

 零号ABMと呼ばれる、かかる物騒なシロモノはといえば、“彗星”の大型ウェポン・ベイに納まっている。

 様々な色の胴衣(ベスト)で識別される作業員も、役目を終えた順に、どことなくソワソワした足取りで待避エリアへと移動して。

 

 ――え……?

 

 『九尾』は目を細めた。

 チタンH鋼の柱の影。

 電源車のわきに、宮廷秘書官の制服が、一瞬。

 

 緊張に冷え切った彼の血が、一気に沸騰する。

 

 ――ミラ秘書官……どの?

 

 自分のせいで彼女を危険な目に合わせてしまったという自責。

 眠剤のちからを借りなければ、眠れなかった数日。

 それが一気にすすがれるような――。

 

 冷たい胸の(しび)れが一気に消え、彼は自分がいかに気に病んでいたを()る。

 

 頭上の電磁カタパルトから、ズシン、と早くも硬翼型護衛群の一番機が射ち出された気配。続いて、二番機……三番機。

 それに気をとられ、一瞬、視線をそらした彼が再びその場所を見れば、もう黒い制服の姿は、ない。

 

 ――あぁ……やっぱり。

 

 また胸にしみこむ、鉛めいた重苦しさ。

 そんな『九尾』の落胆をよそに、褐色の上級生はムチムチなパイスー(パイロット・スーツ)を、先輩の化け物G・スーツにすりつけ、彼氏の感触を覚えておこうとするのか、いつまでも抱きしめていたが、やがて思い切ったように、

 

「――じゃ、()()()ネ?」

 

 涙目で笑ったサラは、『ドラクル』のヘルメットに素早くキス。

 機付き長にうながされ、肉感的な尻を振り立てながら、自機の方へ駆けてゆく。

 ふぅ、と上級生は息をついて『九尾』の方を向き、マイクごしにヤレヤレと、

 

《それでは――我々も行こうか?》

 

 二人は、巨大な“彗星”の前後座席に、医療班、専門整備員たちの総ががりで“据え付け”られる。ホイストを使い、センチ単位の正確さでコクピットに。

 それはまさしく“安置”といったほうが良かった。

 後方の座乗型RSO席に対して、操縦席は跨乗型に換装されており、『九尾』が扱い易いようになっている。

 

 ちょっと見には、人力車スタイル。

 その巨大戦闘爆撃機バージョン。

 

 いつもより大きい多機能ヘルメットを二人がかりで装着され、コンコンと最後に軽く叩かれたあとはコクピットが閉じられて、さらにその上から特殊合金の装甲板で密閉された。裏側の全面モニタが息を吹き返し、デッキの光景を示すとともに3Dワイプで艦外の光景を映し出す。

 

 視界良好。事象震予報〇。

 重力波乱流、及び耀腕出現反応、ともにナシ。

 

 ブリッジの事象観測班は、刻々と状況を知らせてくる。

 絶好の探査日和だった。

 さまざまな航界機の翼に混じり、艦名そのまま、巨大な白クジラめく高速巡界艦(フリゲート)が。

 あの艦上でのデート。

 先ほどの幻影。

 何だかんだで幸せだった日々。

 手からこぼれ落ちたあとに、大事な物って気付くんだなと。

 (いや)、もしかしてあの幻影は“あの世”から自分を迎えに来たのかも……。

 

 巡界艦に見とれる彼を、先輩からの通話が現実に引きもどす。

 

《『九尾』、準備OKか?ウェルデッキからの離床にあっては当初ワイヤ降下。干渉域を抜けたのちに界面翼を起動。展開深度は一○○○を予定。よろし?》

諒解(りょうかい)。降下開始時にカウント・スタート。きっかり九○で上昇に転じます」

《……アワてるなよ?ゆっくりしてってもイイんだぞ》

 

 笑いをふくんだ声が伝わってくる。

 冗談じゃない、と神経につながった各種デバイスを、イライラと動かし確認しながら、『九尾』はムスッとふくれる。

 

 ――こんなのサッサと下降(もぐ)って。上昇(のぼ)って。それでおしまいサ。

 

 機体背面に牽引用ケーブルを付けられ、背中からぶら下げられたような感覚。

 そのまま誘導員のホイッスルとともに天井クレーンでウェルデッキを移動し、黄色と黒のペイント・ラインで囲まれた投下エリアへ。

 管制からの指示。

 

 《パイロット。ギア格納、ジェネレーター一番・二番、スタート》

 

――あーぁ。やーれやれ……ッと。

 

 物理スイッチを操作しながら、こみあげる緊張を、そんな想いでまぎらわせる。

 

「航空灯点灯。IFF(敵味方識別装置)作動。武装(ウェポン)システム、および関係デバイス。セイフティ・ピンの解除を目視チェック。インジケータ・就航モードへ」

 

この数日間、学校の別室に隔離され、本院から派遣された専門技官から受けた講義を正確になぞる。

 

「D/Aコンバータ同調感度、リセット確認。事象面歪率レーダー・作動開始」

 

 ウェルドックから関係要員がすべて退去した。

 

 回転灯とサイレンが鳴り、轟音をたててデッキが減圧されてゆく。

 足元の甲板が、ゆっくりと両開きに口をあけた。

 “吉野”の影となり、(くら)く彩られた雲海が、はるか足もとで渦を巻くのが見える。

 

 地獄の門が、(かお)をのぞかせた気分。

 

 吹き込む気流。

 機外温度計が一気に下がってゆく。

 G・スーツが反応し、わずかに収縮。

 

 《――Tマイナス六○》

 

 官制(コントロール)からの声。

 覚悟を決めてたとはいえ――さすがに怖い。

 口の中が乾きすぎ、オェッと(のど)がえずく。

 

 《『九尾』。そんなに緊張するな。大丈夫だ――(オレ)がついてる》

 

 通信に、後席からの声が割って入った。

 余裕のない『九尾』は、腹立たしげに、

 

「ちぇっ、わかってます。先輩こそ、コントロール乗っ取らないで下さいよ?」

《インメルマン・ターン如きで翼を(うしな)うようなヤツに、スティック(操縦桿)任せるコッチの身にもなれ》

「あの時は、調子が悪かったんです!」

 

《――Tマイナス三○》

 

 ほんとかぁ、と『ドラクル』はわらい、

 

《どうだァ?すこし機動をまかせてくれれば、こっちの腕前を見せてやれるんだがなァ。こう見えても、俺だって昔ァ――》

「ダメですよ?ぜったい。生きて還るんだから。『モルフォ』先輩に責任があります!」

 

《――Tマイナス十五》

 

《アイツは関係ないだろう!もう一人前だ。ひとりで生きていくさ》

「またそんなコト言って……あとで『モルフォ』先輩に言いつけますからね」

《ほほぅ?オマエもやっぱり、アイツが気になるとみえるな》

「なんとでも!ボクは、僕の義務を果たすだけですから!」

《ちぇッ……コイツ、言うようになりやがって》

 

 《――Tプラス六、七、八……おいキミたち。降りるのかヤめるのか、どっちなんだ?》

 

 いけね、と『九尾』は機体の同調に集中し、

 

「作戦名・盟神探湯(くがたち)65B。使用機体“彗星Ⅱ”。機体識別コール「タンホイザー02」。作戦担当者『ドラクル』、『九尾』!」

 

 ひび割れた唇をカサつく舌でなめ、大きく息を吸う。

 

「――降下します!」

 

 

 



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070:『ドラクル』の“翼”のこと、ならびに耀腕襲撃のこと

 

 

 思考同調制御で、機体側からデッキのドラム・ノッチを解放。

 

 ブレーキをリリース(解放)すると、“吉野”の庇護(ひご)から抜け出た“彗星Ⅱ”は、ゆっくりと雲海に向かって降りてゆく。

 機外モニターが雲でおおわれる刹那、上空を乱舞する航界機のなかに、蒼空を背景として女神を想わせる、白く長大な四枚翼……。

 

 「カウント・開始します」

 

 泥水に潜ってゆくように次第にモニターの輝度は落ち、やがて何も映さなくなる。

 

 ここの雲海は特に密度が濃い。有視界飛行は、もう困難だ。

 雲海突入時にリセットした深度計は、はやくもマイナス五○○を示している。

 静止状態で降下しているはずだが速度は1.2。

 機体の水平儀は85度。

 対気計の数値が不安定。

 反面、ヘルメットバイザーに投影される事象面歪率計と存在識レーダーは、雲海がもつそんな()()()()には左右されず。キッチリ速度0、機体は水平であることをしめし、雲海深度の数値を着実に増してゆく。

 

 《OK、干渉域を抜けた。さて、と――それじゃお手並み拝見といこうか》

 

 ついに、来た。

 『九尾』は覚悟をキメる。

 不覚にも、多少うら返った声で、 

 

「リダクションモード・(ワン)、入りィ――」

 

 とたん、体の中を冷たいミミズがはい回るような感覚におそわれ、彼は小さく悲鳴をあげた。普段のG・スーツで感じる、細かいガラス片に満たされる感覚ではない。まるで内側から、何千本もの触手で犯されるような。

 脚から、腕から、股から浸食され、最後に首もと。そして後頭部まで。

 吐き気と気持ち悪さとで半ばパニックになっていると、強制的に完全作用の鎮静剤を静注される。

 

 自動的にリダクションは進行し、モード・2へ。

 

 とたん――それまでの気持ち悪さは、まるでウソのように消え、『九尾』の視線は彗星の上に彷徨(さまよ)う。

 まるでゲームの視線転換のように第三者的に。

 そして可視光から、なにか別の波長で事物を見るかのごとく、あたりは薄黒い乳白色に透き通り、空間の歪みや気流、軋轢(あつれき)、意味不明な重力発生源などが手に取るように分かった。だがうっかりすると、機体からどんどん措いて行かれそうになってしまう。

 オロオロしているうちに元・チューターからの(カツ)がとんだ。

 

 《『九尾』!ナニしてる。自慢の翼を――展開して見せろ!》

 

 思考をコクピット内にもどし、首の後ろ、そして背中に意識を集中すると、彼は周囲の空間に自身の“認識力”を這わせた。

 雲海(ここ)は存在面の密度がカタくて、すこし厄介だ。まるで自分が千手観音にでもなったように、あちこちの空間に意識をのばす。

 

 ――見つけた。

 

 事象面の(ほころ)び――事象劈開(へきかい)面。

 このヒビを手がかりにして機体を支えるのだ。

 

 手順が“奉天”とは異なり、ちょっと勝手がくるう。

 しかし、いまさら泣きごとを言っても仕方ない。

 認識力を最大に、周囲の空間と自分とを同調させるよう、意識に力をこめて。

 

 世界が自分と繋がって影響を与えるということは、その逆も可、という理論を最大限に推し進めた()()()()()

 (おのれ)の認識こそが“正”であることの(あかし)

 

 機体周囲の空間にヒビがはいる――一本、また一本。

 今度はそのヒビを、劈開面に沿い亀裂のように成長させてゆく。

 

 リキみ……。

 もがき……。

 アセり……。

 苦しみ……。

 

 

  さんざん苦労して事象破砕をくりかえし、『九尾』は不完全で、そして()()()な三本の亀裂――界面翼――を何とか創りだした。

 ケーブルの繰り出しは収まり、彗星は危なっかしくも自力で空間に占位をはじめる。

 さらに翼を延ばそうとするが、彼がどんなにがんばっても――もうそれ以上はムリだった。かえって頭が痛くなり、視界がブレはじめる気配。

 

 『九尾』は視線を再度転換させ、機体の上に立つ。

 

 相互主観が可能となる雲海のなかで、初めて視る自分の翼。

 巨大な強行偵察機を支えるには明らかに貧弱な三本の界面翼が、たよりなく周囲の空間に延びている。これが自分の“翼”かぁ、とガッカリ。

 

 雲海深度一二○○。

 事象震警報、なし。

 ただし足もとはるか下で、奇妙な重力の歪みが数をふやしている気配。

 

 ――もしや……?

 

 意識波でRSO席に通信。

 

 ――ワイヤー、切り離(パージ)します。

 《待て待て待て……もしかして、これでオワリ?》

 ――いや、あの。こんなハズじゃないんですけど……テヘ。

 《おいおいおい!もっとラジカルな事象破砕はできんのかァ?ンな調子じゃ六五○○○に届くころにァ日が暮れッちまうぞ?九○フルに使っても降下できるのはイイとこ二五○○○だ。まさかそれでオメオメ帰るんじゃあンまいな?恥さらしが!》

 

 こっちも還元ダイブする!と通信で言いすて『ドラクル』は数分静かになる。やがておどろいた事に『九尾』が浮かぶ機体上面に、先輩候補生があらわれた。

 

 いや“現れた”というのは少し違う。

 

 視覚的には何も見えない。

 しかしそこに確かに()()()()

 表情も動きも、手に取るように分かる。

 いまは腰に手を当て、まわりを睥睨(へいげい)する風――そんな感じ。

 

 ――いやァーまいったな!

 

 通信を介さない、じかのような声。

 これも音声ではない。意識が直接伝わるイメージだ。

 

 ――さすが西ノ宮のヘンタイ共。考えるコトがちがう。システムのアーキテクチャからして外道だ。なるほどR2モードから、西の候補生が還ってこないわけだ……。

 

 彼もまた新型G・スーツの洗礼を受けたのだろう、いかにも辟易(へきえき)した心象。

 それはすぐに、ハロゲンヒーターめくウキウキとした躁的な高揚(たかぶり)に代わって、

 

 ――さぁてイイか?『九尾』。俺が本物の“界面翼”ってヤツをみせてやる。とはいえ若輩、なかんずく候補生の「翼」なんざ、根拠のない自信に支えられた、純粋だが(もろ)くて(はかな)い、硝子(ガラス)のような……それこそ“玲瓏(れいろう)の翼”に他ならないんだが――よっ、と。

 

 『ドラクル』は、意識を肉体のあるコクピットの方にもどしたらしい。

 稼働停止していた後席用ジェネレータの起動音。

 

 “彗星Ⅱ”の機体が、うすく――うすく――白銀色に発光しはじめ、それが次第に強く――強く――まるで伝説の不死鳥(フェニックス)が、再生の喜びに奮えるがごとく。

 

 音が金属的なほど高まるにつれ、二度、三度。

 機体の周囲で空間震が起こり、『九尾』の視野がゆれた。

 つづいて広大無辺な空間いっぱいに、青銅の大鐘を一撃するような、澄み渡った硬質の音が響いたかと思うと、機体の周囲に白銀の光り輝く割れ目が生じる。

 劈開面(へきかいめん)などまるで無視した、力まかせの事象“爆砕”。

 

 身体さえつらぬく勢いの、透き通るような鐘の大聲が、もう一撃。

 事象面に生じたヒビは、一気に彼方まで(ハシ)る。

 これが幾度か繰り返されると、あらたに大きさの異なる六本の巨大な界面翼が機体から延び、強行偵察機の挙動は安定した。

 

 ――スゴい。

 

 圧倒的な迫力に、ただ、ただ『九尾』は息をのむ。

 視野に納まらないほどの規模を持つ、巨大な界面翼。見るからに界破性にすぐれ、どんな事象震にもビクともしそうにない勇姿。

 

でも、と彼はすぐに思い直して首をふった。

 

劈開(へきかい)面に沿わず、事象面を無理やりブッ壊して創る翼かぁ……自分のスタイルじゃぁないな。まぁ、ボクには先輩のようなゴリ押しパワーがないから、こんな形はできないだろうけど)

 

 そこではじめて気がつく。お互い微妙に異なる六本の翼は、よくよく見れば、いずれもひび割れ、ささくれて、どこか(いた)ましい印象を漂わせている。

 

 見棄てられた墓場のような……。

 あるいは、

 栄華を過去にした廃墟のような……。

 

 荒涼。

 悽愴。

 怨情。

 

 こういった概念を脳から抽出して、立体化させたとすれば、まさに。

 不吉な威圧をともない視野いっぱいに迫る、ねじけた界面翼を呆然と見上げていると、背後からハァハァと肩で息をする気配がする。ふりむけば、機体の上で『ドラクル』が、よつんばいになり、苦しそうにあえいでいた。

 

 ――先輩!だいじょうぶですか!

 ――あぁ……なんてコトは……ない。

 

 ほどなくG・スーツからの薬剤サポートで収まったか、ゆっくりと立ち上がると、自嘲(じちょう)の気配を照れかくし気味にのぞかせつつ、

 

 ――くッそ。やはりブランクがあるとキツいぜ。候補生をハズされてだいぶ経つからな。

 ――それでもスゴいですよ、先輩。いえ、サー『ドラクル』。

 ――フン。おだてたって何も出んぞ。むかしは多重・翼面展開といってな、同時に……。

 

 そこで先輩候補生は、頭上を覆う自分の界面翼をあおぎ見て絶句する。

 しばらく凝固した後、やがてうめくような意識波で、

 

 ――これが、いまの俺か……これがオレの“翼”……。

 ――どうしました?サー。

 

 答えはない。

 

 だが、言葉の代わりに先輩候補生の心象が『九尾』の胸に流れ込んできた。細く冷たい鋼線で、胸をギリリと縛られるような、あの感覚。澄明な、ささくれた蒼い荘重さが、ヒタヒタと水のように押しよせる。

 

 ――堕ちたモンだぜ……“瑞雲の六枚刃”も。

 

 金属的な、神経に障る音がどこかで始まった。

 二人の“本体”が腕に巻く航界用腕時計のアラームが、そろって鳴り出したのだ。そのコール音は、本来ならば深度一○○○○を通過していなければならない頃合いを示していた。

 

 タスクを果たそうとする義務感が心理的なショックに打ち克ったのか、龍ノ口は口調をあらため、それでもどこか蹌踉(そうろう)として、

 

 ――さ、意識をコクピットへ。ワイヤーを、パージしてくれ……。

 

『九尾』は電磁ボルトを解放する。

 母艦と繋がっていた安全索(へその緒)が切り放され、これで泣いても笑っても“彗星Ⅱ”は自力航界しかなくなった。

 機体は重錘(おもり)のように、仄暗い空間を一気に降下してゆく。

 

 ――『九尾』。見ての通り、オレの翼は不完全だ。急な乱流に対応できない。おまえの翼でフォローしてくれ。一応タンデム型だから翼圧干渉は考慮されてる――はずだが、気をつけろ?なんたッて、西側の機体だからな。

――不完全なんですか?あのスゴい翼が?

 

 前傾姿勢のコクピットで、『九尾』は拘束されたような首をわずかに後席へ向け、

 

――規模も展開面も、超弩級だったじゃないですか。

 

 ひとつ、長いため息をつくくらいの間。やがて、

 

 ――あの……ゆがんだ破砕面を見たろうが。ねじくれ、ヒビ割れて、()()()()()()()()。つまり今のオレの心性ってのは、あの程度と判断されたワケだ。真性の界面翼ってのはな、『()()()()』。もっと壮麗で、そりゃァ凄いモンだぞ。こっちが畏怖するぐらいさ。

――……。

――なるほど、な。エースマンの言うとおり、オレは指導役失格だった。現にオマエと、こうして飛んでいるワケだから。事象の境界に(あこ)がれ、そのためなら手当たりしだい犠牲とする。イヤ犠牲とすることで、露悪的な自己隠滅をはかろうとしているのか……基底価値と目標価値の取り違え……まわりくどい自己(セルフ・パ)懲罰(ニッシュメント)……。

 

 イミがつながらないブツ切りな意識と、ささくれた感情。

 悲嘆(かなしみ)赫怒(いかり)が、ないまぜに。

 

 二人の間に沈黙がながれているうちに、雲海深度計は一○○○○を超えた。

 

 ときおり、機体は何かに揺さぶられるように激しくふるえる。

 自意識をしっかり持っていないと存在識失調(ヴァーティゴ)におちいりそうになった。

 

 『九尾』の胸のうちに不安がよぎる。ここで先輩がこわれたら、自分一人で“彗星”は手にあまる。雲海面への浮上も、おぼつかないだろう。タンデムの大型機体をソロで機動させるのは、かなりのコツと経験を必要とすると聞いていた。

 

――で、でもホラ、先輩?

 

 刻々と減りつつある作戦時間と深度を見極めながら、

 

 ――ボクだって、この作戦に選ばれたからには、それなりの翼、持ってるって錬成校の上層部に認められていたハズですよ?それが、あんなイジケた、貧弱な、みすぼらしい、どっちつかずの三枚翼しか……。

 

 自分で言って微妙にヘコむ彼だったが、このさい気にしてはいられない。

 

――つまり、です。それだけこの“四三型彗星”とやらが、異常なんですって。趣味の悪いゲシュタルト・スーツ。得体のしれない西側のアーキテクチャー。おまけに先輩――サー『ドラクル』だって、さっき言ったでしょ?候補生の翼はガラスの翼だって。

――……。

――なにより雲海の中ですよ?状況や条件がちがえば、創出する翼だって自然とちがってくるハズです!えぇ、そうですとも。おまけにブランクも長い――一発目からキめようなんて、ムシがよすぎゃしませんか!継続は力なり、努力に欠けるなかれ。教えてくれたのは、サー・ドラ……いえ、()()()()()!アナタのはずですよ!?

 

 話しているうちに、だんだん『九尾』は腹立たしくなり、おしまいの方は自分の指導役を叱るように、勢いにまかせて意識を飛ばす。反面、いがいにキレイにまとまったナと、心のどこかでまんざらでもない。

 

 それに――どうやら効果はあったらしかった。

 

 長い沈黙ののち、雲海深度が一五○○○を超えるころには、あのハロゲンヒーターめく暖かみがホンのすこし、後席からつたわって来た。

 

――ふ、フフフフフ……。

――先輩?

 

 とうとうおかしくなったかと、『九尾』はヒヤリとする。だがすぐに、

 

――ヤレヤレ。たしかにチューター失格だ。ガキに諭されるたァ。だが――いい。

 

静かな満足の気配が、おおきく深呼吸するように。

 

 ――これで(あきら)めもついた。考えてみれば、ムシのいい話しサ。一線に復帰しようなんて。できる事とできないコトの見きわめ。それが指導役の重要な本分なのに、な。『黒刃紋』にも叱られるワケだよ。「貴殿は自分の能力がいかほどと認識するのか。自省せよ!」ってサ。

 ――『黒刃紋』?ってダレです?

 

 それには直接答えず龍ノ口は、

 

 ――オマエ……やっぱり航界士にむいてるよ。

 ――そうですか?ボク自身は、そうはおも――。

 ――もともと航界士になるヤツというのは、世俗との関わりがうすい。人並みのモノに興味をもたず、世間一般の価値観からほど遠いのがふつうだ。仲間もすくなく、ましてや親友などと呼べる者もおらず――モチロン、彼女も、いない。

 

 さいごの方のニヤニヤ感に、はァ?『九尾』は思わずムッとして、

 

 ――ボクだって捨てたものじゃないんですケド!?ザ~ンネンでした!来年は、探査院の舞踏会にだって、デビューするんですから。

 ――なんだ。カマかけたんだが、やっぱいないのか?一部の候補生のウワサじゃ、王宮勤めのスゴい()と付きあってるってハナシもあったんだが。

 

 どこで聞いたんです!?と聞こうとして彼は危うくおもいとどまる。

 

 ヘタに詮索したら鋭い嗅覚で突っ込まれかねない。ただでさえ意識が丸裸なのだ。しかし、考えないようにすればするほど、あのガラスの破片のような宮廷中尉を、あのヒトを寄せ付けない美しさ、あの高飛車なふるまいが脳裏にうかんでくる。彼は心ひそかに、そして真摯(しんし)に祈った。

 

 ――あぁ、神様。どうか彼女が無事でありますように……。

 

 すると案の定、

 

 ――ほう、精神波がゆらぐな。してみると、やっぱり居るのか……王宮勤務?

 ――アレは職務上のつきあいです!僕の好みは、たとえばサラ、いえサー『モルフォ』のような、やさしい……。

 ――やさしい?アレがか?

 

 後席で爆笑する気配。その陽性のおかげで、界面翼の界破性がさらに高まったのか、乱気流じみた事象震に包まれていた“彗星”の挙動がスッ、とスタビライザーが効いたかのように収まった。

 

 ――そうか。オマエ()、ああいうのが好みか。

 

 『九尾』の胸のうちに、大聖堂でのひめやかな光景が去来する。それを機に、二人の間にはふたたび沈黙がおとずれた。

 

 ハデな空震と雷鳴。機体は驚くほど長い間、紫色に染められる。

 気のせいか、『九尾』はそこに黒衣をまとった老人の姿を見たような。

 

 (フロイト?)

 

 ――『九尾』。深度が三○○○○を超える。事象面の存在係数を、第二密度へ変換。

 ――諒解、存在係数変換……終了しました!

 ――翼の展開が、いよいよツラくなるぞ。自己認識の保持!しっかりしろ。

 ――大丈夫ですよ。“彗星Ⅱ”の界破システムがオートで翼面補強します。

 ――ダメだ!雲海の中では自分の直感以外、信じるな!手動でやれ。いますぐ!

 ――ちぇ……諒解。第二密度へ、三、二、一……ナウ!変換完りょ、ウワッ!

 

 ズシン、と一度ショックがあって、機体が高インパクトの揺れを受けた。

 物理法則が微妙に変わる境界面を“彗星Ⅱ”は本機の予測より早く突破したのだ。

 

 ――そんな!

 ――アブなかったな。数秒の差で最悪、翼もがれるトコだったぞ。

 

後席のハロゲンヒーターめく陽気さが一気に放出され、さらに強まる。ふくみ笑い気味の、満足げな心象すら伝わってきた。

 「オレの直感、まだまだ捨てたものではない」という心象。

 

 (このひと、危険を(たの)しんでる)

 

 『九尾』は心密かにゾッとする。

 次の一○○○○mは互いに言葉を交わすことなく過ぎた。

 界面翼の維持に忙しかったのもあるが、二人の間に生じた奇妙なみぞが、さらに深まったためのようにも『九尾』には思える。

 

雷球と空震が満ちるエリアを降下し、

 

   見たことのないフロイトの群れにまとわりつかれ、

 

        変わったかたちのオーロラが吹きつけてきた。

 

 沈降速度はジェネレータを目一杯にしてもガクンと落ち、機体の挙動も不安定になる。それは、まるで大深度世界が“彗星Ⅱ”搭乗員たちを拒み、警告を与えるかにも思えた。

 

 ――『九尾』。深度四五八○○通過。前回の記録では、ココいらで形式未分類の耀腕と、一次接触してる。駆動幽子がモッタイないが翼可変はアクティブを保持。重力歪面探査レンジを最大に。FCS(火器官制装置)の支配権はデュアル(相互)。実存反応に食いつくという研究報告もあるので、生体維持(バイタル)は最低に落とせ。

 

 心拍と体温が下がり、仮死状態ギリギリに。

 肉体との絆を薄めた意識が、さらに明瞭に、澄明になってゆく。

 この感覚、と『九尾』は心ひそかに慄然とする。

 あの作戦で、西の候補生が昇天してゆくのを見送ったときの印象に、すこし近い。

 

 そして雲海深度・五五○○○を超えたあたりで、それは訪れた。

 

 事象面歪率レーダーが警報を発し、“彗星Ⅱ”の搭乗員たちは緊張する。

 『九尾』の背中が熱くなるほどに、後席から狂躁じみた意識が伝わって。

 

 ――さぁて!それじゃいっちょ()ってみるかァ!

 ――先輩……なんだか生き生きしてますね。

 ――そりゃそうさ。見ろ、敵サンのお出迎えだ。

 

 前方に、ひときわ大きい重力源。

 いくら意識をこらしても、真っ暗な穴としか分からない場所。

 そこから(クロ)い煙で出来たような痩せさらばえた数本の腕が、トガった指をワシ形にして伸びてくる。通常空間に出現するものとは異なり、閃光も明滅も見せなかったが――規模も禍々(まがまが)しさも、ケタが違う。

 

 ――耀腕(ようえん)

 

 ヒッ、と『九尾』の体が緊張する。

 すこし失禁したのか、前と後ろのプラグが拡張反応。

 

 ――オーケー、来やがったな?

     解析システム起動。全方位記録開始。

          三号ABM(対事象面ミサイル)――用意!w

 

 後席(RSO)のウキウキっぷりがMAXに。

 

 ――攻撃するんですか?回避・上昇しましょうよォ!

 ――彗星のウェポン・ベイ(武器庫)には“お楽しみ”がいっぱい詰まってんだ!これが使わずにいられるかぃ?――いや、使わずには居られない、という反語的用法……。

 

 ふいにその陽気な気配を冷たい刀身のように研ぎ澄ませた『ドラクル』は、

 

 ――ポン!こっちは火器管制で忙しい。オレの翼はまかせた(便利だなァ西の技術は)耀腕の群れに、ギッチリ寄せてくれ。

 ――こう、ですか?

 ――こうだ、よッ!

 

 機体が、暴力的な挙動で増速し、急降下の姿勢に入る。

 

 

 



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071:“彗星Ⅱ”の本気のこと、ならびに雲海深度九七一五〇の地獄のこと

 

 

 機体が、暴力的な挙動で増速し、急降下の姿勢に入る。

 

 地獄に逆落(さかお)としだと泣きそうになりながら『九尾』は、触れるたびに首もとのあたりでカミソリが(ひらめ)くような先輩候補生の兇々(きょうきょう)たる翼を、機体上面に浮かぶ意識体のまま怖っかなびっくり、死ぬ思いで操った。

 な・に・し・ろ・パワーがスゴい。

 ちょっと意識を動かしただけでもブッ飛んだ挙動をみせる。

 まるで三輪車にF1のエンジンでも積んだような印象。

 おまけに新技術である“空戦補助モード”が実装されており、事象劈開面の乱れと重力バランスの狂いによる界面翼のゆがみを自動で補正してくれる。

 圧倒的なパワーと人類が入手できる最先端の技術。それに武装(ウェポン)

 

 ――こりゃひょっとしてイケる……かも。

 

 だんだんと『九尾』はノッてきた。

 機体との応答性はリニアを超えてシンクロの域に。

 FCS(火器管制装置)を制御するRSO席から『攻撃』の合図。

 軽やかなモーター音が響き、機体下部にある武器庫の扉がひらいた感覚。

 両サイドのサブ・ウェポン・ベイに装備される各三発のABM。そのうち左右の一本ずつが疑似界面翼を展開すると、軌跡を白く輝かせ、前方で待ちかまえる耀腕の群れに挑んでいった。

 

 到着時間が減ってゆき、彼方で閃光。

 だが耀腕群は、さほどコタえた風もみせず、それどころかコチラに気づいて勢力を増したような気配すらある。

 

 さらに二本発射――だがそれも結果はおなじ。

 

 チッ、とどこかで『ドラクル』の舌打ちする気配。彼もまた機体周辺のどこかに居るらしいが、操縦がいそがしくてそこまで“念”が回らない。

 

 彼我の距離は、戦闘速度でみるみる縮まった。

 ドラクルの好戦的な叫び。

 

 ――七時方向に抜けるぞ!コントロールをこちらに!一瞬、翼縮するから、そないだに腕の群れをやりすごす!いいか?機動(マニューバ)ってなァ……こうやるんだ!

 

 彗星は、さらに怖いほどの増速を魅せる。

 思考が措いて行かれそうなほどの加速感。

 

 一瞬!

 

 翼を消した機体は耀腕(ようえん)の指の間を辛うじてくぐり抜け、紙一重でこの重力源をかわす。

 機体をつかもうとして空を切った耀腕の指が、『九尾』の翼をかすめた。

 ほおを冷たい手が撫でる感触。

 

 最大速度を使ってその場を逃れる。

 しかし耀腕は、明滅を繰り返しながら追ってくる気配――はやい!

 

 ――チッ!『九尾』!タノむ!

 ――アィ、サー!

 

 『九尾』は思考操作でスロットルを“レッド”の更に奥。“ブラック”へ。 

 累積30秒しか持たない“最終緊急”モード。

 増速用の創翼ジェネレーターが起動し、界面翼がさらに先鋭化。

 “彗星Ⅱ”は(まばゆ)いばかりの白い光に包まれた。

 

 ビリビリと機体が振動し、キチキチとコクピットのあちこちが鳴る。

 轟音をたてて2基のAK601-K(AE1P)が唸り、界面翼をさらに拡張して翼体そのものを白熱させるかのように(かがや)かせて。

 パワー・ジェネレーターたちは事象面を切り裂き、その咆哮(ほうこう)を広大無辺の“存在空間”に響かせながら、エントロピーの崩壊を促進させつつ壊滅的に切り裂いてゆく。

 

 速度4.35。

 

 それでも沈降率はなかなか増えない。

 事象面のリゾームがもたらす“存在粘性度”が、メーター振り切れで強固なことを知らせている。

 機体の警告(コーション)ランプがあちこち点灯をはじめた。

 (ひず)み計は、物理上ありえない数値を表示。

 

 ナミの航界機なら、とっくに空中分解してもおかしくないところだ。四三(特攻)型“彗星Ⅱ”でなければ、とても状況に太刀打ちできなかったろう。

 

 “人類の叡智”と“自然の猛威”との、「がっぷり四つ」な真剣勝負。

 

 雲海の負荷にあらがい、最新鋭の強行偵察機はカタログデータにも載っていない限界機動を披露して、誇らしげな雄叫びを上げつつ最終的にどうにか耀腕を振り切った。

 

 ――あッぶなかったァ……。

 

 許容時間を25秒ほど過ぎたころ、ようやくスロットルを戻し、『九尾』がホッと息をついた時だった。

 

 ――いや、まだだ!

 

 先輩候補生から2時の方向にアタマをわしづかみにされ、無理やり向けられたような。その視線の先に見たものに「ぅわ!」と彼は絶句する。

 

 ――ははっ……♪

 

 もはや涙目の域すら越えて、ヘンな笑いが出た。

 はるか彼方、見たこともない巨大な重力源が蝟集(いしゅう)している。

 そこから数十本の様々な耀腕が、飢えた気配を丸出しにしてこちらに殺到してくる。その間も機体は身ぶるいしながら、雲海深度計の表示をジリジリと下げて。

 

 ――機内時間、Tプラス八五。深度五九五○○。

 

 『ドラクル』の声が気味の悪いほど沈着になり、何かにむかって吹き込むような調子で伝わってきた。

 

 ――先輩!?

 ――ただ今より勅許(ちょっきょ)・特種戦術兵器の解放準備をおこなう。

 使用機体“彗星Ⅱ”タイプ四三改。識別コード『タンホイザー〇二』。

 パイロット、東宮所属・『瑞雲(ずいうん)』錬成校・候補生『ポン――訂正、『九尾』。

 RSO、王立航界大学三年・暫定復帰候補生、龍ノ口。W/N(ウィング・ネーム)『ドラクル』。

 バイタル・精神波・オールグリーン。

 エビデンス(証拠)としてモニター記録を添付。

 

 テスト・パイロットが、墜落死の寸前まで冷静に機体状況を報告するように。

 『九尾』は上ずったふるえ声で、

 

 ――まさか、アレを……(ゼロ)号ABM、使うんですか!?

 ――いま使わんでどうする。さすがにあれだけの群れは(さば)けない。

 

 瞬間、存在空白帯を通過する。

 機体はエアポケットに入ったようにストンと落ちた。

 

 ――雲海深度六○○五○!耀腕も出たし、もう十分ですよォ!

 ――まだだ!メイン・ウェポン・ベイ解放。ゼロ号射出用意!セイフティ・off!

   予想目標到達時刻……セット。

 ――龍ノ口センパイ!

 

 操舵優先権を主張し、離脱しようかと咄嗟(とっさ)に『九尾』は考える。

 だが……ダメだ。ひとりでこの機体はとても扱えない。

 

 ――軸線(じくせん)合わせぇぇぇ……よォォォそろォぉぉぉ……。

 

 背後では、まるで獲物をまえに舌なめずりするような気配。

 

 あぁ人生終わった、と脳のシナプスが極限まで昂進しているいま、『九尾』のなかで記憶の断片が走馬燈のようにはしる――のだが、考えてみればイイことなんて一つもなかった。

 

 テスト勉強。

 イジめられ嫌われ。

 拷問じみた洗脳と女体化。

 挙句(あげく)のハテに、どハデに振られて。

 強いて言えば、サラ先輩のオッパイに顔をうずめたぐらい。

 

 (なァんだ。たいした一生じゃないや)

 

 そう思うと、みょうにクソ度胸がついてくる。

 そのオッパイも、いま後ろでムチャ振りしている“危険狂”のお手つき済みだと思うと、ヤケクソ感に「ターボ」と「スーチャ」が「ニトロ」もオマケにつけて最大加給(ブースト)

 

 ――あぁクソ!もうどうにでもなれ!

 ――そうだ、その意気だ!発射カウント・ダウン!四、三、二――

 

 あとは、声にならなかった。

 いきなり6時方向から事象面を割って具現化した耀腕。

 回避行動を取る間も与えず、二人の翼に襲いかかる。

 飽和状態の記憶野で、チラッと『九尾』は黒ネコの最後が浮かんで。

 

 衝撃。

 

 界面翼の一本がヘシ折れた。

 機内から各種アラート音の大斉奏。

 

 ――先ぱ……。

 

 機体に瞬間的なインパクト。

 金属が熱を持つときのキナ臭さ。

 身体に響くような崩壊音が断続的に。

 目の前で星が舞い、『九尾』の目の前が暗くなる。

 意識が薄らぐ瞬間、体練の授業で鉄棒の大車輪をやったとき、頭から砂場に落ちたときのような、ノド奥の血の味。

 

 ――ダメだ!気をシッカリ持て!

 

 彼は自分に“喝”をいれる。

 しかし、なにも見えない。なにも聞こえない。

 

 

 

 ベクトルの一定しない、みょうな重力加速度。

 

                  自分がどこかに運ばれてゆくような。

 

    真っ暗な視界をゾウリムシが這うようなイメージ。

                        

              フィード・バックを少し食らったらしい。

 

   脳の奥がズキズキと痛む。

        なにかが極めて――極めて小さな(こえ)で。

 

 ――いや……本当に聞こえる……?

 

      (ささや)き聲。

 

                 ――男?

     ――女?

 

              何を言っているかは、判らない。

 

 そのうち、その“囁き”の数が増え、だんだん混沌としたものになって。

 

 

      いきなりわき腹を、冷たいものになでられた。

 

 首筋に枯れ木のようなものが触れる。

                        有機的な異臭。

 

 

           骨の中央から冷えてゆくような寒気。

 

     鼻のおくに、焦げたような感覚。

 

 

 

 

 

 やがて、体を触られる感覚が増え、ついにはそれらが体の中に入ろうと先をあらそう気配。

 

 もはや混乱の極みとなった状況で――されるがままに。

 遠く――はるか遠くで誰か叫んでいる気がする。

 哀しげな、急き立てるような口調。

 しきりに繰り返される、ひとつの言葉。

 

 ――ポンクン?ポンくん……ぽんくん、って……なんだ?

 

なんだってイイや、と、黯く、冷たく、()えた闇の中で、溶けてゆこうと思った、その瞬間。

 

 ――ひぎぃっ!

 

 下腹部で火花が散った。

 続いてもう一発。

 

 アナルと尿道の激痛で、『九尾』は我にかえる。

 暴力的に認識を引きもどされると、すぐまえに黒い霧のようなモノが(うごめ)いて……いや違う。ミイラだ。(うつ)ろな眼窩(がんか)をもつミイラ状の影が、ゾワゾワと幾体もひしめいている。

 

 ――うわッ!

 

 『九尾』が叫んだとき、黒い霧で出来たようなそれらの群れが、(サッ)、と距離をとるのが見えた。

 “悪霊”という単語が頭の中に(ひらめ)く。

 

 状況を確認。

 ブラック・アウトするモニターが目立つ中、生き残ったメータに目を奔らせて。

 

 機体は黒い霧に包まれて宙づりになり、かろうじて落下が止まっていた。

 装甲が脱落したコクピットの防弾グラス越しに餓鬼の顔がベタ一面、デキの悪い心霊写真のように貼り付いている。

 還元(リダクション)システムも二次モードを解かれ、意識が完全に“入れモノ(肉体)”のなかにもどってしまっていた。

 

 こんな時、どうすれば。

 

――頭の皮膚がシビれる感覚のなか、後席に機内有線で呼びかける。

 

 「龍ノ口先輩――先輩!?くっそ、メィデイ!メイディ!メィデイ!」

 

 遭難をしらせる雲海用通信を叫ぶ。

 息が微妙に苦しい。

 思考がハッキリせず、遭難ボタンを連打する指の感覚すらヘンだ。

 無意識のうちにG・スーツの稼働をチェック。レッドは出ていない。

 エアの供給量を手動でアップ。

 スーツの温調も、同じく。

 

「龍ノ口先輩――センパイ?」

 

 一瞬、血が冷えたように彼は呆然とする。

 

 

 RSO席のバイタル(生体反応)は、フラット(停止)

 

 

 [(オート)(ポイエーシス)(システム)作動中]というマーカーが[緊急]というランプと共に点滅し、生命活動が終わっていることを示して。

 『ドラクル』からの応答は――もちろん無い。

 

 ――第一次アクチュエータ触媒(しょくばい)警告。FB(フライ・バイ)(シナプス)損傷箇所多数。電力槽(バッテリー)45%損耗(そんもう)。γ幽子・放出システム稼働率65%……なにコレ……それに、雲海深度・九七一五○!?

 

 絶望的な、今まで見たことの無いような表示が、次々にならぶ。

 

 雲海の深部。

 “彗星Ⅱ”損壊。

 周囲に蝟集する悪霊(?)。

 そして見たことがない数の耀腕。

 

 『九尾』はグッタリと跨乗型コクピットの中でひれ伏し、脱力する。

 

 ――オワった……。

 

 さまざまな思考の切れはしが酸欠気味な頭の中をグルグルと回って。

 

 (だから言わんこっちゃない……こんな深雲で、無茶な作戦の犠牲になって!)

 

   (西側との取引だァ?知るか!『リヒテル』の爺ィに、うまうまと乗せられてこのザマか)

    (ミラまで死なせて発動した作戦の結果がコレかよ!)

 

             (あーぁ、こんな事ならサラ先輩と、もっと話しとくんだったな……いや待て。かりに今、無事に帰投できたとしても、うしろの戦闘狂と一緒でないんじゃ、怒り買うだけかぁ)

 

(だいたい、なんでこんな事になったんだ)

         (あのクソ耀腕がいちばんムカつく)

 

(両想いの彼女作りたかったナァ……ド派手にふられて!バカか

()()は!)

 

         (尿道とアナル。掘られ損だよ!)

            (せっかくメゾン・ドールから生還したってのに)

 

(こんなことなら、いっそ女の子にされて(とつ)いだ方が佳かったかも……)

 

   (どうせクラスのやつら、オナニー野郎が雲海で死んだって、休み時間に笑い話にするんだろ?ワかってんだ……畜生!)

 

   (サラ先輩は……どう思うかなぁ?やっぱりオレのせいだと考えるんだろうか。龍ノ口先輩が戦死しなきゃ、まだ希望があったのに!)

 

          (クソクソクソ!……よくも!)

 

 死のまぎわに惑乱し、われ先に浮かび上がる重い。

 それが収まると、彼の胸のうちで()る変化が生じた。

 

 あきらめは、胸のなかで過去の“負”な経験を触媒(なかだち)として次第に変質してゆき、逆に意外な強さで憎しみと反抗心を発生させる。

 エタノールの炎めく冷たい怒りが彼自身も驚くほどのいきおいで、血管という血管。神経という神経を通じ、全身に野火のごとくひろがって。

 まるで特攻剤を静注されたように、とめどなくテンションが上がり、それに応じるようにG・スーツも脈動して止まない。

 

 ――もう、どうなったっていい……だがどうせ死ぬなら!

 

        ()()()()()()()()()()()()()()

 

 血走った目で状況を再確認。ミイラを透かして空間を確認すると、まわりに耀腕の元となる重力源が過剰に集まっているのがわかる。

 

――よぅ、し……。

 

 重力源が密集すると言うことは、それだけ事象面のバランスが(もろ)いと言うことだ。つまり耀腕が集まれば集まるほど、状況はこちらに有利と本能的に悟る。

 (相討ちにできるかも……)という“蒼白の勝利”を得る希望が、『九尾』のほおに引きつった薄い笑みをうかべた。

 

 ――さぁて、地獄へ道連れだ……いや、ひょっとしてココがそうかな?

 

 雲海深度・九七一五○の地獄。

 

 再度、リダクション・モード2へ。

 事象面の歪みが、さらに見えてくる。

 

 密集した耀腕は、組みつけの悪い足場のうえに立ち、集団で暴れようとするのに等しい。

 彗星が一瞬機体を希薄化させて、その周囲の空間に、さきほどとは異なった色のヒビを迸らせてゆく。

 様子をうかがっていたミイラたちは一斉に蝟集し、見る間に巨大化してゆく『九尾』の翼に、まるで餓鬼の群れのごとく喰らいついた。

 

 流れこむ感情。

 そのとき『九尾』は悟る。

 

 ――こいつら、喰らいついているんじゃない……()()()()()()()()()……?。

 

 翼が広がれば広がるほど、彼らの嘆恨(なげき)が伝わってくる。

 そして距離をおいて、文字通り手ぐすねをしている耀腕の群れ……。

 そこには完全な隷従関係が成り立ってるようにもみえた。

 

 界面翼をつかまれると情報逆流で脳が()かれる――はずだったが、西側のアクティブ・ターミネータはそれをよく防いでいる。重力源が密集する部分から事象面のバランスをくずそうと、(もろ)そうな部位に認識力を集中させるが、雲海大深度の劈開面(へきかいめん)は意外に粘っこく、割れ目を引き剥がそうとするたび、ゴムのように元へ。

 

 脳下垂体のあたりでひびく警告音。

 

 《第一次電力槽(バッテリー)・放電限界。第二次電力槽へ移行継続。第一~三節・D/Aブレーカー破損。交戦中止を勧告。交戦中止を勧告。》

 

 ――どうする……どうする。

 

 耀腕に次々と翼を絡めとられながら、『九尾』は酸欠状態のアタマで必死に考える。

 どうせなら、やれることをやって――死にたい。

 

 FCS(火器官制システム)をパイロット側へ。

 

 (ゼロ)AB(対・事象面)(ミサイル)が使えたら、と『九尾』はホゾを噛む。

 だが発射許可コードは規則のため、後席(RSO)の死体しか知らないのだ。

 

 もう一度だけ意識を完全に体にもどし、貧血気味の視野でグリーンの照準をヘルメット内に投影されるシーカーに合照。指のうら側にかかるレリーズが心地良い。

 ウェポン・ベイに残った二発のABMを12時方向の重力源に向け発射。

 

 長い航界跡。

 

 彼方で閃光が二回――それだけ……。

 

《第四~六節D/Aブレーカー破損。G・スーツ維持機能低下。薬剤静注(ケミカルサポート)不能》

 

 防御用AIがどんどん突破(ころ)されてゆく。

 エアも心なしか供給がすくない。

 目の前に星のようなものが舞い始めた。

 

 ――ぼくも、もう終わりだ……。

 

 だがタダでは死なないぞ!と『九尾』は最後の意識をふり絞って鉛のような腕を動かす。

 

 プラカバーで囲まれた、コクピット奥の【自爆スイッチ】。

 チカチカと星が舞うまたたく視野の中で自己主張(アピール)をしている。

 

 

 

 ――コイツラ全部、道連レニシテヤル……。 

 

 

 

 黄色と黒のトラ模様で囲まれた、その赤いボタンに彼は手をのばした。

 

 



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072:『九尾』無双のこと、ならびに零号ABM射出のこと

 

 ――『ポンポコ』……『ポンくん』……。

 

 メーター・コンソールの奥。

 

 自爆装置の透明なアクリルカバーは、親指でハネあげたはずだった。

 

 気が付けば、いつのまにか意識がGスーツをはなれて、『九尾』は全裸のまま“彗星Ⅱ”の機体上部に浮いている。

 

 ドロの詰まったようなダルさ。

 視線を動かすのもおっくうなほどの倦怠感。

 候補生のあいだで密かに出回る“裏モノ”特攻錠の離脱症状じみて。 

 

 一瞬、死んだのか?と考えたが、見れば機体が原型を留めている。

 自爆スイッチを押す直前に、失神してしまったのだろうか……。

 

 ――いや……ボタンは確かに――確かに押したはずだ。

 

 現に、「死ね!」とばかり勢いをつけたので、親指の爪が痛い。

 自爆用のシステムが衝撃で不具合をおこし、不発となったに違いないと『九尾』は推論する。

 もうすこしまともな電装の引き回しをしてくれよ、と情けない思いで歯噛みする。予算、予算と騒いでいた探査院の中枢がよみがえってくる。作戦機体である“彗星Ⅱ”まで予算を削られたとは考えたくなかった。

 

 だが、次に浮かんだ考えは……。

 

 まさか――と『九尾』は一蹴した。

 いくらナンでも、探査院がそんなことをするはずが無い。

 

 【自爆スイッチ】が、()()()()()だったなんて。

 

 安っぽい陰謀論めいて、考えるだにバカバカしい。こんな緊急時にもかかわらず被害者意識が丸出しの自分が、哀れでクズで仕方なかった。これも“あの店”(メゾン・ドール)でさんざ神経をすりへらし、やさぐれてしまったせいだろう。

 

 認識を上に向ければ、ほの暗い広大な空間の中、ミイラたちの注意はAIが創りだした疑似界面翼の方に向いており、まるでウエハースを(かじ)るように蚕食(さんしょく)している。幸いにも航界機の本体には関心をもっていないらしい。

 

 ――ポン……くん……。

 

 ふたたび意識が流れてくる。

 先ほどから自分の近くをゆるやかに廻る意識。

 軽やかで、敵意などもなく、それでいて小動物のように怖じた気配で。

 

 ――だれ?……。

 

 その繊細そうな声は、どこかで聞いたことがある、ような。

 頭がぼんやりしていて記憶を辿(たど)れないのがもどかしい。ただ、どことなく……金髪碧眼な少女のイメージが。

 

 ――界面翼の意識……刃物……想いだして……あなた前に……よ…えんを……。

 

 チューニングが合っていないラジオから流れる音声のように、途切れ途切れ。

 それでも何かを必死に伝えたい想いだけは、こちらの神経(アンテナ)に感じとれる。

 

 焼けた髪のキナ臭いにおい。

 金属の焦げる気配は……これは墜落現場の印象。

 ふと首を横に向ければ、顔面を両手で隠したボロボロのミイラ。

 それがすこし離れた空間に、悲壮な雰囲気をまとったまま、漂うのを感じる。

 近いようで、遠い。それでいて、つねに身近に感じられた存在。親しく交われなかった哀しみ。

 

――でも……ブレーカ……解かなくては……三時方向……耀腕……みどりの……根もと……。

 

 (あわ)れっぽい気配が、スッと空間を移動して――遠ざかってゆく。

 考えをまとめようとする間もなく、緊急表示のフラッシュと人工的な女性のエマージェンシー音声が邪魔をした。

 

《第七節~九節D/Aブレーカー破損。離脱せよ――離脱せよ――》

 

 

 「警告します――警告します。

    貴官の乗機は作戦活動・危険領い、域にぃぃい

        は、いりり――マーしーィィゐぃぃ……いいいいいいいいい」

 

 女性の合成音が、警告を発しながら間のびした野太い声となり、とまる。

 ()っとしながら、機体の上で腰をかがめ、四方を、そして彼方を見やった。

 次いで(ささや)きに教えられた方位に意識をこらす。

 

 ――三時方向の耀腕……アレか!

 

 

 それは、壮観な眺めだった。

 

 全周でこちらを伺うのが分かる、黒い煙のようなミイラの群れ。

 そしてさらに奥に控える、重力源の密集体めいた耀腕の集団。

 オイデ……オイデ……をするような仕草でこちらに意識らしきものを向けて。

 

 あの運命の雲海戦。陽動で『黒猫(シャ・ノワール)』ごとまんまとヤラれたその悔しさ。

 そこで、さきほどの声のイメージが合焦した。

 

 ――まさか……オフィーリア? 

 

 植物状態の女性を保管し、航界艦の部品とするために下ごしらえを行う“エイジング・ルーム”。そのチャンバーの中でみた黒猫の変わり果てた姿。長い艶やかな黒髪は剃り落とされ、坊主頭には認識コードが打たれて。その彼女のウィングメイトであり、雲海戦で戦死した北欧系の美少女の姿が、この緊急時にもかかわらず、明瞭(はっきり)と思い出される。

 

 さらに教えられたとおりの方向をよくよく見ると、たしかにエメラルドグリーンに光る一本の耀腕を擁した巨大集団が邪悪な印象で(あおぐろ)い陽炎のごとくゆらめいている。

 

 ――オフィーリアさん?……オフィーリアさん!

 

 だが、もはや返事はない。

 

 目を転じ、『九尾』はコクピット内に拘束される自分を見おろした。

 早くも身体にはダメージが来ている――だが、しかたない。

 いやいやながら意識をふたたび肉体側に移す。

 とたんに襲う、ひどい頭痛。

 口の中に変な味が。

 腐敗臭すら。

 

 もう機動用エネルギーも、残りすくない。

 

 ――これで、最後だ。

 

 自爆装置とは反対側の、コンソール・パネル片隅にある小さなカバーをひらき、赤いノブを引く。さぁて、と唾を飲み込もうにも、ノドが感染症にかかったように痛い。このサルコファガス型G・スーツの開発中に、劇症型・溶血性連鎖球菌の発症が相次ぎ殉職者が続出したという、作戦前の講義で教わった余計な知識が浮かぶ。

 『九尾』はクソっ!と一度つぶやくと、かすれた声で、せいいっぱいに、

 

 「防御(ガード)システム・オールカット!すべての――操作系を――リニアに!」

 

 とたん、突入電流が一気に流れ込んできた。

 後頭部のつけ根を何か所もドリリングされる感覚。

 文字通り電気椅子にかかったように、全身が焼かれる印象。

 

 痛みに絶叫しながら『九尾』は、翼を三時方向にある空間のゆがみに展開。しかし耀腕の群れが、まるで彼の意図を察したようにそれを押しもどす。

 翼を伝って、どす黒いものが波濤のように寄せてくるのが分かった。

 

 ――使役ミイラ!

 

 意識を強く持っていても勢いが強く遮断できない。

 身体が、洗脳調教された時のようにのけ反って。

 必死な操作の中にもチラッと意識の片隅に浮かぶ、過去に見た候補生の死にざまが、幾重にもフラッシュ・バック……。

 

――だめだ、負ける……!

 

 そう思ったとき。

 肛門と尿道に、またもや電撃の激痛。

 カッ、と頭に血がのぼり、殺伐とした感情が全身を支配する。

 

 ――このクソ忙しいのに……ふざける、な!

 

 その「な!」のところに怒りを乗せて、あたかも巨大な太刀をふるうイメージで、ほの(くろ)いモノの浸食が向かってくる自らの光の翼の一本を、他の翼で断ち斬った。

 

 かたちの見えない憤懣(いかり)

 煮えたぎる溶岩のように、頭の中で二次曲線的にわき上がってくる。

 そしてこれが引き金だったように、彼の中で耀腕を(ほふ)ったときの記憶が、どうして今まで忘れていたんだろうと不思議に思えるほど鮮明によみがえった。

 

 一本の巨大な耀腕が、機体下方から襲いかかってきた。

 彼は界面翼を使い、文字通り「ガッシ!」とそれを受け止める。

 

 ――えッ、へへへぇぇェェェ……捕まえ、たァッ!!

 

 雑巾を絞りちぎるイメージで、その耀腕をバラバラに。

 

 さらに、もう一本!

 こんどは火炎放射器の心象をうかべ、盛大な火炎めく事象の揺らぎ。

 炭化させたようなボロボロの状態にして、相手に引導をわたす。

 今度は二匹同時に。だが慌てず騒がず、翼の二本を槍にして。

 

 背中が。“風門”のあたりが、異常に熱い。

 

 そこを中心として、この事象面を破砕する無数のヒビが奔り、光学的な刃物のように、群がり集まる耀腕を空間ごと切り裂いてゆくイメージ。

 臨界に達した怒りが爆発的な連鎖反応をおこし、それが勢いを増せば増すほど、世界を引き裂く力が強まる印象。

 

 憤怒(いかり)と、憎悪(にくしみ)

 破壊衝動からくるカタルシス。

 報われなかった運命へのルサンチマン。

 

 まるでタンボールの箱を引き裂く動作に歯止めがなくなるように、事象面を耀腕ごと、

 

 砕き、        断ち斬り

                   ()ぎ取り         熔解させ

    ねじきり             突き破り

叩き潰し      打ち割り                爆散させ

        変形させ       (なます)にし

                        ――へし折った。

 

 

    討ち(こぼ)ち            砕き捨て  

          斬り伏せ                 

                  握り潰し       刺しつらぬき

     蹴り放し             焼き滅ぼし

           引き千切り            摺り裂き

                   分断し   削ぎ落とし

        ――(エグ)り取った。      

           

 『九尾』は胸いっぱいに哄笑した。

 今までの鬱積を、借りを、この一瞬で解放するような。そんなイメージ。

 そのわらいは、この混沌とした空間いっぱいに響き渡るかと彼自身、理性を遠く離れたどこかで感じている。

 

 “彗星Ⅱ”の状態が完全でないのが、いかにも惜しい。

 翼面形成にエネルギー不足からタイム・ラグがでて、狙いが不正確になる。

 相手を殺るときの打撃感とカタルシスが、いまいちパワー不足だ。

 

 せっかく狩り放題な“自分の戦場”なのに、弾薬(アモ)がすくない感覚。

 それでも彼は手当たり次第な熱狂で、虐殺じみた翼面操作を繰り返す。

 

 ――これが完全な状態だったら、どんなことになるんだろう……。

 

 沸騰するような脳の思考野。

 その片隅で、彼はチラッと考える。

 おそらく居ならぶ耀腕など、鎧袖一触。

 そして龍ノ口先輩が無事で、協力して応戦できたとしたら……。

 それこそ無双どころか“面攻撃”が可能なレベルだったのではないか。

 

 また人の焦げる臭いがして、どこかであの(ささや)き。

 

 

 ――ポンくn……じゅうぶ……このままだと……アナタ……もどレ……。

 

 三時方向の重力源は、この様子を虎視眈々と窺いさぐるかのように。

 やがて件のエメラルドグリーンな耀腕が、まるで挑むかのように立ち塞がる。

 鏖殺(おうさつ)を繰り広げ、なかば精神崩壊状態の『九尾』は、流れるヨダレも気にせぬまま、それでもさすがにちょっと“彗星Ⅱ”の勢いを止めて。

 

 ――ふン。やるッていうのか……上等!!

 

 まわりに展開する事象面のヒビをさらに拡大させ、この耀腕に向かってゆく。

 

 両者のあいだが極限まで縮まった刹那(せつな)

 この耀腕は己の色を輝かせ、まるでフラクタル文様の万華鏡めく広がりで、空間いっぱいに爆発的な膨張をみせる。

 劈開面という劈開面が石英をこすり合わせたときのように(キシ)み、ビリビリと電子を放出して。

 あたまのネジがトんだ『九尾』も、その時さすがに顔色をかえた。

 

 (こいつ!耀腕じゃ……ない?)

 

 わずかに残っていた彼の理性が、異変と危険とを察知。

 

 だが――もうおそかった。

 

 波形が互いに打ち消し合うように、エメラルドグリーンの耀腕と“彗星Ⅱ”の界面翼は規模を縮小させてゆく。最後に残るのは、周囲に待ちかまえる黒々とした腕の群れ……。

 

 ――クソ……。

 

 おびたたしい落胆が、鉛のように周囲から押し包んできた。

 冷や水をかけられたように、彼は“深追い”であったことを認める。

 彼方の耀腕の群れから、パイプオルガンの低音で創った暴風をおもわせる(あざけり)が一斉に。

 

 (こいつら……やっぱり知性が!?)

 

 負ける……と覚悟した、その時。

 

 

 ――よくやった……『九尾』。

 

 

 RSO席から意識が流れてくる。

 

 (だれ?……まさか!)

 

 ――意識を閉じてろ……いま“零号”を強制()()させる。

 

 最大緊急時にもかかわらず、心が光のような喜びに包まれた。

 カタコンベめいた暗いトンネル状の迷路で、先に出口がみえたような。

 助かった!!!!!という思い。

 

 ――センパイ!……先輩!せんぱい!センパイ!

 

 まるで仔犬がはしゃぐように。陽の印象が復活する。

 それにつられて縮小しつつあった『九尾』の界面翼が一瞬、よみがえり、エメラルド・グリーンの耀腕を一部フッ飛ばした。だがそれも相手はすぐに修復する。

 

 ――大丈夫だったの!?――ケガは!!

 ――()()()の事はいい……。

    ただ、(ゼロ)号の安全射圏がわからん。

      まともに食らったら――済まない。

 ――どうなったって同じです!もう保たない!よろしく!

 

 機体下部の大型(メイン・)兵器槽(ウエポン・ベイ)

 そこから、戦闘型航界機が持てる最大級のAB(対・事象面)(ミサイル)が射出された。

 母機と分離すると、複相となった疑似界面翼を展開。

 息を吹き返すや狂奔する空間の重力ベクトルを自動修正。

 やがて猛然と耀腕の群れに飛び込んでいった。

 

 目標到達時刻が減ってゆく。

 二人の眼が、かたずをのんで見守って。

 

 やがて彼方から、地響きのような轟音。

 すぐにそれは連続的な衝撃波となる。指向性の破界面が創られた証。

 

 ――(ゼロ)号の存在面崩壊陣が造られた……衝撃波、くるぞ!

 

 まるで複雑な魔方陣のように、幾何学型をした事象面の破断が複雑な輝線となって全空間に(はし)った。

 

 存在空間がひび割れ、破片が互いに軋みながらゆっくりと、それぞれの存在質量によって“近似因果面”に引かれ、散ってゆく。さながら壮大なステンド・グラスの崩壊をスローモーションで眺めているような、もはや感覚にあまるスケールで意識をつつむ。

 

 瞬間。

 

 全周囲すべてが爆発粉砕したように白熱し、完全にホワイト・アウト。

 

 



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073:空集合的な存在域のこと、ならびに或る別離のこと

 

 

 

 

 辺りは、きわめて薄い玉虫色の薄暮だった。

 機体が回転しつつ、ゆるやかにどこかへと漂流している。

 手術用リニア・ストレッチャーでフワフワ運ばれるような感じ。

 

 ――『九尾』……『九尾』。

 

 呼ばれて彼は、水面にユルユルと浮かぶように思考をハッキリさせた。

 視界は機体上面に浮かんでおり、すぐわきには先輩候補生の意識が。

 ホッ、とため息をつき、力のこもらない視線でRSOを見る。

 

 ――()し。もどったな。大丈夫か?

 ――すこし、フラフラします。

 ――よくやった……よくやった。

 

 『九尾』は、フワッと抱かれる気配。

 温かみと思いやりが、自分の意識をやさしく包む。

 相手から放散されるその心象にクラクラきて『成美』の心的構造がよみがえり、いっそこのまま先輩の胸でずっと眠りたいとすら考えてしまう。

 安アパートで送る、貧乏でも楽しい共同生活の幻想が、一瞬。

 だが、『ドラクル』の妙に落ち着いた声が現実をよびさまし、

 

 ――起発が……零号がつくる崩壊誘因ベクトルが、安全域スレスレだった。けっこう危なかったぞ。

 

 機体の後部を見てみたまえ、と注意を向けられた『九尾』は(ウッ……)とうめく。

 

 彗星のうしろ半分――とくに尾部は、酷いことになっていた。

 空力操舵用の尾翼は完全にもぎ取られ、メイン・フレームが露出している。

 推力口は脱落し、緊急用・イオン翼展開部まで裂け目が(はし)って。

 このぶんでは界面翼に関連するアクチュエーターもダメだろう。コクピットまわりも損傷がひどく、とくに操縦席側にあっては、防弾も兼ねている強化グラス・キャノピーが一部破損している。

 

 生ぬるい感情が一気に吹き飛んだ。

 リアルな状況がヒシヒシと自覚され、肩が冷えびえとする。

 そこで彼は、ある事に気づいてゾッとした。

 

 (じゃぁ……なぜ機体は浮いているんだ?)

 

 思考の波動を読み取った先輩候補生が、うなずく気配。

 

 ――ここは通常事象面じゃない。“Null”だよ。

 ――ヌル……?

 

 はじめて聞く単語。

 

 まわりを改めて見まわすと、玉虫色の薄暮と見えたのは、空間が微妙に発光しているせいだった。まるでオーロラがゆらめくように、さまざまな淡い色合いが均一になる途中をおもわせる色彩変化で、きわめてゆるやかに流動している。

 

 ――事象面の狭間。箱のなかで風船をいくつも(ふく)らませると、どの風船にも属さない透き間ができるだろう?それと同じく、どの事象面にも属さないØ(“空集合”)的な存在域のことだ。我々はNullmenge、略して“ヌル”と呼んでる。

 ――大丈夫なんですか……ココ?

 ――零号ABMの結界創出が複雑系な具合に作用したんだな。通常の物理法則も、ここでは多かれ少なかれ意味をうしなうから……コクピットの時計を見たまえ。

 

 『九尾』は前席の自分の体に近づいた。

 肉体は横向きにガックリと首をたれ生気がない。しかし見あげたことに、マニューバ・デバイスは握ったままだ。

 

 ――航界士『九尾』ハ 耀腕ノ攻撃ヲ受ケマシタガ 死ンデモ 操縦桿ヲ 離シマセンデシタ、か……。

 

 そう思いつつ、ふとメーターパネルにある機内時計のデジタル表示を見たとき、エッと目をほそめる。セコンドの数字が秒の位で行ったり来たりを繰りかえして。どういうこと?

 

 ――この“ヌル”に時間の流れはない。だからキミが心臓を止めていても、心配はない。

 

 言われてはじめて気づき、『九尾』は内股に冷や汗の感覚。

 

 ――どうするんです!……出られるんですか!?

 ――あわてなさんな。()()

 

 悠揚(ゆうよう)せまらぬ先輩候補生の口ぶり。

 まるで今の状況を楽しんでいるかのようにおちつき、澄ましかえって。

 

 いや――待て、と『九尾』はハッと身構えた。

 

 相手から感じる精神波動が、さっきまでとは全然ちがう……!

 ギラギラした気配が消え、まったく別人のようだ。あたかも見知らぬ他人が、先輩候補生のフリをして自分と会話しているような感覚。だが、そこから受ける印象は、あくまで透明で――おだやかだった。まるで本当に死んでしまい“魂”が清められ、俗世の(けが)れが濯がれてしまったように。

 

 霊廟の弔鐘(ちょうしょう)を鳴らすような、寂しい金属音が一声。

 

 あたりの色彩は次第に色を失ってゆき蒼から紫へ――そして紫から藍色へと。

 やがてすっかり暗くなったと思うや、彼方から航空灯を点滅させ、なにかが近づいてくる。

 

 ――センパイ!航界機です!こちらに来ます!

 ――ん?あぁ……そうだな。

 ――救援だ!助かったァ……先輩!?

 ――うん……。

 ――信号弾ですよ!モー、はやく!牽引用ケーブル、まだ射出できますよね!?

 

 所属不明機が、だんだんと接近してくる。

 意外と大きい。そして異形とも思える機影(シルエット)

 だが、それが近づくにつれ、『九尾』の希望はしぼんでいった。

 見たこともないような(ふる)めかしい機体。

 どう考えても被弾痕(ひだんこん)のようなものすら、あちこちに。

 

 ――外板が!どうしたんだろう……なんなのアレ?

 ――たぶん、XFAーDo・335だ。

 

 先輩候補生の感情がこもらぬ声。

 虚ろな視線の気配が、それに添えられながら、

 

 ――実機を見るのは、わたしも初めてだな。第一次・事象面紛争時の試製・戦闘爆撃機だ。界面翼発生ツイン・シンクロ・ジェネレータを載せた、初めての実証機だよ。

 ――大戦機?うわ、あぶない!衝突ベクトルにのってる。回避!

 

 ぶつかる!と意識をすくめたとき、相手は3D(ホロ)のように彗星をすり抜け、無音のうちに彼方へと流れていった。

 『九尾』は、茫然として、なにも考えられない。

 わかったろう?とそれに対し“先輩候補生”の微笑する気配。

 

 ――アレは“ヌル”やそれに類する“超越存在域”で、ごくまれに見かけるモノらしい。存在軸が、すでに“ねじれの位置”になっているので相互に干渉はできないとされる……。

 ――なんなんです、アレ!

 

 “先輩の意識をした何か”は短くため息をつき、

 

 ――公式な名はない。存在も認められていない。言ってみれば航界士の残留思念……かな?ハヤい話が亡霊さ。機体はおろか身体(からだ)を無くしたあとも、航界士(われわれ)は飛びつづけるのだ。

 

 重い沈黙。やがて『九尾』はおそるおそる、

 

 ――悪霊(ズロイドゥーフ)、ですか?

 ――強制憑依とは、また別のものだ、と思う。わたしも良くは知らない。

 

 とかく、雲海の中ってヤツは、なんでも起こりうるのさと相手は突き放したように。

 言われて九尾は先ほどの耀腕戦で自分に話しかけてきた“存在”を思い出した。

 

 (じゃ、あのミイラ。ひょっとして……やっぱり)

 

 ホラ、と“先輩めいたもの”は別のほうを示す。

 またなにか漂う物体。こんどはかなり小さい。

 

 ――なッ……パイロット?

 

 ひと目でおそろしいほど旧式とわかる、西洋(よろい)のようなG・スーツ。

 急に周囲の空間は暗くなってゆき、雰囲気は淒涼としたものになる。

 もし肉体と同調した状態だったら、鳥肌がたっていたろう。

 

 鎧の各部から延びるホースやバックパックは千切れ、ひしゃげている。

 ヘルメットも失われ、長い金髪をザワザワとなびかせて。

 顔までは確認できないが、(ほの)かに白いような気もするところを見ると、白骨化しているのかもしれない。

 

 (それに……毛が逆立つような、この気味悪い雰囲気は……なに?)

 

 完全な静寂の闇をパイロットだけが滑ってゆき、やがて幽冥の奥へと消えてゆく。それにつれ、雪が溶けるように周囲の明るさがもどってきて、こんどはオパールめいた乳白色のまだらな蒼が、あたりをホッとするような気配でみたした。

 

 ――航界士()なったら、この先もっと色々なモノと出会うぞ?世界は、広い。

 ――航界士()なったら、ですよね……。

 ――なんだ?まだ迷っているのかね……まぁ、それもいいか。

 

 迷うことは~若さの特権だ~迷え迷え~♪と。

 

 相手は肉体に戻ったのだろう。

 (RSO)席で工具の音をさせながら、『ドラクル』の()()()()()()()は呟くように。

 

 そして、どれくらいがすぎただろうか。

 

 電子的な警報音。

 機内時間が動き始めた。

 前席のバイタル・システムが復活。

 『九尾』の“()れもの”も心臓の鼓動を再開。

 相手のうす気味悪さもわすれ、彼は純粋に喜びをあらわにする。

 

 ――機内時間表示!時間が――動いています!

 ――認識力システムを起動させたから、そりゃ動くさネ。われわれが“認識”することで世界は動く。時間も、また然り。ここは“彗星Ⅱ”という名の極小事象面だ。初歩だぞ?そんなことも忘れたか。さ、体にもどりたまえ。

 

 正体不明な相手から言われたことにまだ警戒感があるものの、『九尾』は、渋々(しぶしぶ)ながら、少しばかり腐臭の印象がある自分の肉体に意識を潜り込ませた。なんとなく魂が――もし、あるとすればだが――汚れる感覚。

 

 永久(トワ)浄福(ジョウフク)(イタ)ラン、汚穢(ムサ)肉塊(ニク)(コロモ)脱ギ棄テ。

 

 あのとき、天空に意識を消失させた西ノ宮候補生が、そんなことを言っていなかったか。

 

 音声カムが息を吹き返す。

 

「マニュアルは読んでるな?こいつはコクピット自体が、極小の航界機になっている。周囲の空間を見てみろ。私には分からないが――キミなら見えるはずだ。分かるか?事象面のひずみが」

 

 『九尾』は、あらためて周囲の空間をみわたした。

 

「見えるもナニも、全周、劈開面だらけですよ。色が強烈に混ざりあって歪んでるでしょ?眩暈(めまい)おこしそうです」

「そうか……私には……薄みどり一色にしか、見えない」

 

 後席から、ありありと(くや)しさの気配。

 ややあって、気を取り直したように、

 

「キミが、ピンクのイソギンチャクめいた耀腕軍団に立ち向かったときはスゴかったな。『九尾無双』の状態だったよ。まるで――」

「あの……いそぎんちゃく、ってなんです?」

「うん?……もうそんな教育課程になっているのか。教育ソフトも変わったんだな。時代だなぁ……私も歳とるわけだ」

 

 イソギンチャクというのはだな、と先輩候補生は説明するが、そもそも“海”という概念が、彼にはピンとこない。だいたい、あの耀腕の群れはピンク色ではなく、(くろ)かったはず。

 

「そのピンクの触手に、キミが身体を犯されて、乗っ取られそうになったとき、非常の場合はスイッチを入れろと、渡されたモノを思い出してね。リモコンなんだが……」

 

 イヤな予感に『九尾』はおもわず叫んだ。

 

「それ押さないでよ?絶、対、押さないでよ!それ!」

 

 ダレに渡されたんです!!?とダチョウ倶楽部のような半狂乱に。

 コクピットにGスーツごと拘束されているので後ろを向けないのがもどかしい。

 

「秘書官だよ。宮廷直轄(ちょっかつ)の」

 

 カッ、と『九尾』の血が激しくめぐる。

 まるで凍っていた血液が、ふたたび動き出したように。

 心拍が上がったとたん、頭がハンマーで殴られるようにズキズキとする。

 彼は眉をしかめながら、それでも春の日差しにめぐりあった心象で、

 

「もしかして女性秘書官?階級は――宮廷中尉!」

「さぁて?ともかく若い()だったが」

 

 あの銃撃戦を生き延びてくれた?

 やっぱり降下前にみた人影は、マボロシじゃなかった?

 

(……やっぱり!生きてくれた!)

「ともあれ、キミが触手に弄ばれるのは、見ていられなかったから」

 

 一転、『九尾』の中を何かが駆け抜けた。

 ついで、おそるおそる彼は、

 

「先輩――そのとき……意識あったんですか?」

 

 しまった!という露骨な気配が、(RSO)席から伝わってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 納骨堂のような、沈黙。

 

 

 

 

 

 

 

 ささくれたような気まずさが、ふたりのあいだを(つな)ぐ。

 疑心と後悔。非難と贖罪。難詰と釈明。

 形の見えない感情が、周囲の宙域と等しい変動で。

 ややあって“先輩めく相手”は諦めたのか、意を決したようにあっさりと、

 

「あぁ、あったともさ。私は――死んだフリをしていたんだ」

 

 つづいて開き直ったかのような口調で、

 

「本当のコトを言ってやろうか?怖かったんだよ、私は。あの耀腕の群れが。だからキミが戦っているあいだ、自分の翼をたたんでいたのだ」

 

 またァ、と『九尾』は「なにタチの悪い冗談言ってんですか」というノリで、

 

「やめて下さいよ。()()()()()()()()()、そんなことするはずがありません」

 

 また微妙な沈黙。

 

「いいや……事実……そうなのだ……」

 

 やがて後席の存在は、ようやく搾り出したような口調でつぶやいた。

 まるで痛恨の一撃を受けたように、その声はかすれた印象で。

 同時に(しび)れるような哀しみが声とともに背後から流れてきて、

 

「“瑞雲の六枚刃”と呼ばれて、そんな“二つ名”に鼻高々だった『ドラクル』も、ひと皮むけば後輩を盾にする、とんでもないゲス野郎だってわけだ!!」

 

 叩きつけるような感情。

 自己嫌悪と呪詛、それに悲嘆の心象が、ないまぜに。

 

 ふと――機体の動きに変化があった。

 

 なにか別の流れに捕まったように、彗星はゆっくり回転をはじめる。

 機体が断続的に歪み、破断するイヤな金属音。

 衝撃とともに後部スラスターの一部が脱落し、どこかへと消えてゆく。

 

「キミには申し訳ないことをしたと思っている――()()()()()()

 

 警報の電子音が二回、三回。

 二人が耳をすますあいだの微妙な空白。やがて、

 

「最初に言っておこう。私は……さきほど死んだのだ」

 

 言葉の重みを浸透させるためか、ふたたび“先輩候補生”は口をとざす。

 空間が、碧系の色彩を強めてゆく――と、ほどなくそれは炎のような黄色に。

 

「いまキミの後席にいるのは、最新型の(オート)(ポイエーシス)(システム)により再構成された自我(エゴ)さ。これを私は狙っていたのだ……キミを巻きぞえにしてね」

 

 肉体側に意識を近づけているので、相手の感情が読みとりにくい。だが、なにかマズい方向に事態が進んでいる――ような気がする。

 しかし後席の“実存”が龍ノ口であることは間違いない(らしい)ことにホッとしつつ、とりあえずの時間かせぎに『九尾』は親しみを口ぶりに復活させて、

 

「センパイ――先輩が何を言ってるのか、わかりませんよ」

「情報逆流による進行性の脳症だ」

「え?」

「これを止めるには、いちど表層シナプスをリセットして、再構築する。つまり西ノ宮が開発したこの新型自己再生システム(APS)に、一か八かで賭けるしかなかった。私はどうしても――どうしても、これを利用したかったのだ」

 

先輩候補生は逡巡(ためらい)恥辱(はじ)の気配をありありと伝えながら、

 

「いまは、アタマが晴れわたった気分だ……この状態で、ちかごろの自分の行動を振り返ると慚愧(ざんき)の念に耐えん。なんてバカなことを!とね。覚えてるか?秋のはじめに『ホース・ヘッド』たちが、晴天中に出現した耀腕におそわれ、殉職した日のことを」

 

 忘れもしない、『九尾』が初めて死体を間近に見た記念日だ。

 

「あのとき私は、キミを墜落現場につれていったな?責任ある上級生なら――ふつうやらないことだ。機体が二次爆発する危険性や、経験のない若年候補生が心的外傷(トラウマ)を負う可能性を考慮にいれてね。しかし、わたしはつれて行った。キミに、できるだけ悲惨な現場を見せてやれと考えた――なぜだと思うかね?」

 

「候補生の“現実”を知らせるため、ですか?」

「……ちがう」

 

微妙な一呼吸の間。

 

「キミのおびえる顔が見たかったのだ」

「……は?」

「怖がるトコロが見たかったのだよ!キミの!」

 

 いきなり叩きつけるような勢いで、

 

「キミの怖がるさまを見たかったのだ!恐怖にゆがむ表情(かお)(ワラ)いたかったのだ。もっとはやく言えば――()()()()()()()()()!」

 

 ささくれだった口調が一瞬爆発したが、すぐにそれは燃え衰えて、

 

「“基本機動すら満足にできない初心者”が、これから私を追いぬき、知らない世界の扉を(たた)きに行くのを――私は黙って指をくわえ、空を見上げていなければならない」

 

 そんな惨めなザマは(イヤ)さ、と最後は(あざけ)るような気味で投げやりに。

 

 それから、またしばらくは、二人とも無言だった。

 “彗星Ⅱ”が、わずかに震動を始めた。

 あたかも残った力を、航界士たちのために懸命に振りしぼるかのように。

 

「気をつけたまえよ――『九尾』()()

 

 先輩候補生は、この沈黙のあいだ何かを吹っ切ったのか、いまはサバサバした口調で、

 

「つねに目を見ひらき、頭を働かせているんだ。所属不明機と交戦したときの、乗機の不具合を思い出せ。世の中はキミが考えるより深くて広く、そして(きたな)い」

「それは……“あの店(メゾン)”で経験済みです」

「――そうだったな」

 

 ニヤリとした馴染みの気配が後席から伝わる。そして、

 

「それから、今回の公式用探査記録のほかに、耀腕戦の顛末をパイロット側のメモリー・カートリッジに転送しておいた。ネイガウスは、知ってるな?あの人に『黒双刃(くろふたば)』に渡せと伝えてくれ……デカい騒ぎになるかもしれないが」

 

 一瞬、『九尾』は言いよどんでから、

 

「あの」

「なんだ?」

「『リヒテル』教官って――信用できるんですか?」

「ネイガウスが?なぜだ」

 

 改めて言われると、とまどう。

 しかし、あの歌劇座の小部屋で見た羆の態度は、瑞雲校で見かけるそれとはいかにも違い、傲岸不遜、独立独行、唯我独尊な雰囲気を放射して、はばからなかったのも事実なのだ。

 『九尾』はちょっとふくれたように、

 

「あの人――本当に()()()()()()()()()なのかな、って」

「あぁ?ネイガウスは第三次・境界紛争の時に発動された「(あかつき)作戦」で『冥界の灰色熊』と二つ名を獲って畏れられた猛者だぞ?退役して年金生活で貧乏してるが、もとはスゴ腕の航界士だ……でもなぜ?」

 

 しばしのためらい。

 やがて『九尾』は、とうとう口をひらいた。

 

「ネイガウス……『リヒテル』って、現役の上級大佐なの、知ってました?」

 

 一瞬の空白。

 

「なにを馬鹿な……うそだろう?」

 

 相手は一笑に付したあと、『九尾』の“経験”に思い至ったのか、一転、口調を変えて。

 

「メゾン・ドールで会いました。探査院の、ほかのお偉いさんも居て……」

「お偉いさん、って、だれだ?」

「よく分かりません。でも宮廷官房の人が混じっていた、かも?制服組じゃない、スーツ姿のウサん臭そうな人も……」

 

 そんな、と今度は“どうやら龍ノ口と信じて良いらしい存在”が絶句する。

 

「年金手帳だって、わたしに見せたんだぞ――支給口の口座残高すら」

「今回の、この作戦……そもそも初めっから、ナニかおかしいんじゃないかと」

 

 雲海戦でもそうだ、と『九尾』は思う。

 なにか、この一連の出来事が全てリンクしているような、そんな妄想すら。

 龍ノ口はジッと考え込んだ。

 

「だとすると……すこし話は違ってくるかもしれない」

「――というと?」

「思い当たることが多すぎるんだ……」

 

 その先を、先輩チューターは答えなかった。

 『九尾』の方は、膝の抜けたヨレヨレのスーツと、かかとのすり減った革靴の足どりを頭に浮かべる。つぎに歌劇座の豪華な小部屋で見た、堂々たる威圧感をもった姿。退役して年金暮らしの背中をまるめた雰囲気など、毛ほどもない。冷酷無比な、バリバリの高級将校めいたオーラを漂わせる、まるでナタのような気配をもつ見慣れない教官。

 

 龍ノ口と『九尾』は、それからしばらく意見を交わす。

 

 方針がまとまると同時に、なにやら後席でゴソゴソやっていた『ドラクル』の作業も終わったらしい。畜生め、と呟きがもれ、

 

「やっとできた――くっそ、意外に手間ァかかったな」

「先輩?」

 

 いくぞ、と後席から声がかかり、可聴域ギリギリの高音がしはじめた。

 パイロット席の計器類が、次々と生き返ってゆく。

 

 ――あぁ……。

 

 知らない間に張りつめていた緊張がとけてゆく。

 これで助かる、と言う思い。

 ほんの一時間とすこし前なのに、この初期駆動音が、みょうに懐かしく、心強い。

 機内にオイルがうすくただよう気がする。

 気がつけばヘルメットの強化グラスが割れていた。

 ビニールの溶けるような気配は配線がショートし、皮膜でも溶けているのか。

 いずれにせよ、コンソール・パネルに並ぶインジケータの賑やかさは、この悪夢のような場所から通常の空間にもどるための通行手形だ。

 

「いいか?『九尾』。これからキミを切り離す。歪みは見えるな?それにそって緊急自律操縦に修正を加えつつ、この“ヌル”を脱出しろ。あとはキミの感覚のまま上昇(のぼ)ってゆけ」

 

 『九尾』は操縦桿(スティック)に力をこめ、ふと、

 

「え?先輩は――どうするんです」

「まずキミの離脱が先だ」

 

 彗星の発する金属音が大きくなった。

 

 『九尾』は、リダクション・モード2まで急速移行。このさいサルコファガス型G・スーツの気持ち悪さは無視。緊急システムを使って、貧弱な翼を拡げる。

 同じように還元(リダクション)した先輩候補生は、機体背面に立って首をかしげ、

 

 ――うぅん……キミの翼は何から力を得ているのか。先ほどまでとは違って、その……。

 ――ボクは、自分の界面翼機動。肉眼で見たコトないです。

 ――凄かったぞぉ、本番でのキミの翼は。もっと自分に自信をもっていい。ただ、その翼の(みなもと)が“怒り”だとすると心配だな……それは乗り手をも焼き尽くす、諸刃(もろは)の剣だ。

 

 分離の準備は整った。

 

 ――いいか?通常空間に出たら緊急信号を打ち上げるの忘れるな?

 ――諒解しました。

 ――いくぞ?分離用意………三、二、一、イジェクト!

 

 ゴクン!という衝撃。

 

 本体から切り離されると、ひずみの具合がよく見えるようになる。RSO席との“存在干渉”から自由になり、認識能力にジャマが入らなくなった為だろう。つまり――それだけ『ドラクル』の劈開面認識能力は、哀しいながら脆弱という証拠に他ならない。“力まかせ”に事象面を打ち破る強力な翼を持った代償とも言える。

 “彗星Ⅱ”の機上では、そんな先輩候補生の意識が腰に手をあて、分離したコクピットを見上げていた。

 

 機体の恐ろしいほどな損壊具合が、あらためてよく見える。これでよく助かったものだと『九尾』は怖気をふるった。彗星の強固な機体構造がなければ、二人とも助からなかったに違いない。

 

 ――先輩……分離、成功しました!次にどうすればいいですか?

 ――そのまま(おのれ)を信じて上がってゆけ。決シテ迷ウ事ナカレ、西ノ宮流でいえば“莫妄想(まくもうぞう)”だな。抹香クサいのは、性にあわんが。

 ――先輩は……?

 ――本機にのこる駆動関係エネルギーは、すべて前席区画にまわした。“ヌル”からのサルベージは、前例がなく不可能だ。あとはオマエの翼のまま、世界を思うように翔けてゆけ。

 

 言われて一瞬、『九尾』は頭の中が真っ白になる。

 離脱した前席ブロックが“ヌル”の中にあるわずかな力に流されはじめた。

 

 ――え?ちょっ……先輩!?

 ――後輩の危機に見て見ぬふりした卑怯(ひきょう)な自分を……いまようやく(ゆる)せるようになった。この場所からお前を送り出せることは、私の最後の名誉であり、誇りだ。『ドラクル』のW/N(ウィング・ネーム)も、これで満足することだろう……。

 

 

 それは、ゆるやかな悪夢だった。

 

 

 燐光に充ちる広大無辺の空間。

 永遠に喪われてゆく先輩候補生の意識。

 損壊した機体の上に腕を組んで仁王立ちとなり、徐々に遠ざかって。

 自分は、そんな情景を目前にしながら、どうすることも出来ない……。

 

 



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074:『九尾』の決断のこと、ならびに異世界への憧れのこ

 

 

  それは、ゆるやかな悪夢だった。

 

 燐光に充ちる広大無辺の空間で、永遠に喪われてゆく上級生の意識。

 破損した機体の上に腕を組んで仁王立ちとなり、徐々に遠ざかってゆく……自分はそれを目前で見ながら、どうすることも出来ない。

 

――先輩!サー『ドラクル』!あの(ヒト)は、サラ……モルフォ先輩は、どうするんです!?

 

 (ニヤリ)と、もはや手の届かない『ドラクル』が笑うのが分かった。

 

 ――お前からよろしく言ってくれ……気をつけろ?あのジャジャ女、やたらケリ入れてくるぞ。顔面のガードは、しっかりな。

 ――そんな!自分で言うべきでしょ!

 ――お前もそのうち、身を張って後輩を助けるときが来るかもしれん……その覚悟はしておけ!

 

 さらに巨大な力が、分離したコクピット・ブロックをつかんだ。

 そして握りこぶしをあげた『ドラクル』の姿を、あっというまに彼の視界から(らっ)し去る。

 薄明かりの世界からはじき飛ばされ、貧弱な翼をフラフラと展開していたコクピット・ブロックは、無明(むみょう)の闇に放り出された。

 

 ……いや違う。

 

 物理メーターが息を吹き返していた。

 電力が、駆動粒子が、みるみる減ってゆく。

 重力加速度。ヌルでは感じられなかった“実存”。

 フラッターのような微振動と共に、上に引っ張られるような上昇感。

 雲海深度五○○○……四○○○……。

 

 息を吹き返した対気計の針が、ジリジリと上がってゆく。

 ひび割れたコクピットから、大気が吹き込んでくるのが感じられる。

三○○○……ニ五○○……二○○○……。

あたりがうっすらと明るくなって行く。

 エネルギーが心もとない。ジェネレーターが、生きていたら!

 一五○○……一○○○……。

 周囲は、死の世界になじんだ目にとっては白く輝く空間。

 

 五○○……ゼロ!

 

 陽光のまぶしさに一瞬、『九尾』は目を細める。

 頭上には、どこまでも広がる、輝きをともなった蒼色の空……じゃない!

 

 高度計が反転、ダダ落ちしてゆく。

 上昇してるんじゃない、()()()()()()()()()()()()

 

 “認識”を逆転させ、重力を探る。

 界面翼の形状が変化するのを全身で悟った。背面落下から機体を立て直すと、エネルギーがゴソッと減る。足下にひろがる蒼い大地と思ったもの。とおくに浮かぶヨットを見て、本能的に彼は察した。

 

 ――うみだ!まちがいない……これが海……。

 

 メーターパネルが警告音(アラート)とともに次々死んでゆく。

 生き残った計器で、彼は飛行可能な残り時間を素早く演算。あと五分も保たない。

 まわりに陸は見えなかった。

 頼みは、あの大きなヨットだけだ。

 

 着水というのは不時着より難しいと聞くが、本当だろうかと『九尾』は頭をフル回転させつつ機体を操り、針路をヨットへ。

 と――目標の船から閃光が瞬いた。

 時間差をおき、曳光弾が機体をかすめる。

 

 ――武装してる!

 

 よくみれば、あれはヨットじゃない。小型タンカー級の船に帆を装備してる省エネ船!

 『ドラクル』から言われた注意をおもいだす。

 天罰てきめんだ、と自分のうかつさを(ののし)りつつ、緊急信号弾、射出。

 二度目の曳光弾幕と『九尾』が射ち出した事象面共通の救難信号弾が交錯する。

 

 攻撃が、()んだ。

 

 貴重な残り時間で、『九尾』は印象より大きな船のまわりをグルッと一周する。銃座にとりついていた人間が、おおげさに肩をすくめてみせた。船内からワラワラと、乗組員が出てくるのも見える。どうやら民間船でもないらしい。練度のたかい動きで船から内火艇が下ろされるのがチラッと横目に。

 

 時間がない。

 

 彼は覚悟を決めて高度を下げる。

 リダクション・モードを素早く解いて意識を身体にもどし、脱出しなくては。

 マニュアルで「着水モード」を見たおぼえはなかった。多分、このユニットはコンクリート・ブロックのように沈むだろう。それまでに間に合うだろうか。

 肉体を操作して、操縦桿の下にあるスロットから『ドラクル』の遺品であるメモリーを引き抜き、G・スーツの隠しポケットへ。

 

 対気速度をギリギリまで落とす。

 横目に、併走する内火艇の水しぶき。

 耀やく蒼いうねりが足下を奔り、やがて機体は力つきたように、着水。

 

 とたん激しい衝撃とともに、コクピットはもんどり打ち、ハデに水柱を上げながら前転、二度、三度、宙を舞った。

 そこで『九尾』の記憶は途切れる……。

 

 

                 * * *

 

 

 控えの間に、ノックの音が二度、三度。あいだを空け、重々しく。

 

 (さっ)、と候補生たちは緊張する。

 それは完全な不意打ちだった。そんな!という怯え。そして恐怖。

 ライフルを抱えた護衛をともなって現れたのは、先ほどの三十がらみの女官だ。

 

黎明(れいめい)学園付属・幼年校、候補生『若梅(わかうめ)』――“御礼拝(ごれいはい)”の、お時間です!」

 

 きた!……嗚呼、ついに!

 控えの間の候補生たちはサッと緊張。

 全員が、次の犠牲者である幼い候補生を見る。

 

 まるで生まれたての子鹿のように、注目を浴びた年少の候補生は椅子から立ち上がろうとするが、足もとが定まらない。

 青ざめたほお。

 引き結ばれたくちびる。

 それでも所属する錬成校の名誉を汚すまいとするのか、背もたれにかけてあった制帽を震える手で目深に被りなおす。その姿に周囲の少年たちは黯然と心中うなだれて。

 

 反対に宮廷女官は、そんな彼等の姿を冷笑しつつ見やりながら、

 

 「おやおや、こたびの候補生殿はずいぶんとお(わか)いこと。小官は殿下のお言葉として『御前試演は、あとひとたびにて打ち切りとする』とお伝えしたはず。()()()()()()()、構いませんのよ?」

 

 宮廷女官の言葉に、候補生たちは恥をふくんだ視線をオドオドと交わした。

 

 部屋の大型モニターには、あいかわらずの荒天を背景に、耀腕が次の獲物をもとめ彷徨(さまよ)っていた。こころなしか耀腕の動きが、おなじ動作を執拗(しつよう)に繰りかえすようにもみえる。それだけ生け贄に飢えているのか。

気まずい沈黙の中、ギクシャクと候補生『梅若』は女官のまえに進み出た。

 

 こんなお(わか)い殿方を先にイかせるなんて――と、この宮廷女官は今は露骨に(あざけ)りを込め、

 

「年長の候補生さまが大勢おいでになりながら、ねぇ……」

 

 

 

 

 

 『ほんとうに――誰でもいいんだな?』

 

 

 

 

 

 そのとき、広間の片隅で、そんな言葉が発せられた。

 ギクリ、と女官はメガネの奥をほそめ、声の方をうかがう。

 『九尾』はその視線をにらみ返しつつ、悠然(ゆうぜん)と立ちあがった。

 

 

 

 

 「――()()が、出よう」

 

 

 

 

 満身に注目を浴びながら、威風堂々(いふうどうどう)、彼は前に歩み出ると『若梅』の横に立った。

 女官の狼狽(ろうばい)が本格的なものになる。

 アウアウと視線と口もとを動かしてから、

 

「いえ――その。やはり、順番というモノは大事にしませんと、ねぇ……?」

「どうした。さっきと言っているコトが違うではないか?」

 

 『九尾』は自分が、まるで()()()()のような口ぶりになってるなと思いつつ、

 「あと一人。ならばこの子の代わりに、()()出撃()る。それで何の不都合もあるまい」

 

 居ならぶ候補生はポカンとして声もない。

 

 それは『若梅』も同じだった。まるで女の子のような柔らかい顔に、赤く充血した目をまん丸に見ひらいて、突如登場した救い主を、声もなく見上げている。

 

「さ――案内してもらおうか」

「ちょ、ちょっとお待ち下さい、貴官(あなた)。いま……上官に確認して参ります」

 

 そういうや、武装した護衛を引き連れ、あたふたと控の間を出て行った。

 へ!ザマぁ。と、これは『二番星』。

 

「あいつ、絶対“()きおくれ”の(ひが)みババァだぜ――ねェ?『九尾』()()

 

 フッと皮肉な笑みを浮かべる彼を、相変わらず幼い瞳が驚嘆(ビックリ)して見上げながら、

 

「あの……あの……なんて言っていいか、その……」

「オマエにゃ、まだ無理だよ」

 

 『九尾』は『若梅』の言葉を中途でさえぎった。

 

「知ってるか?ボウズ。耀腕に食われたら、その耀腕の奴隷になるんだぜ……」

 

 まるで理解できないように、ベリーショートのクセっ毛が首を傾げた。

 サラサラな髪をワシワシとなでつつ『九尾』は、

 

「それに、オレは耀腕にちょいとばかり貸しがある。そしてなにより――借りもな?」

 

 手を腰にあて、彼は蒼い顔がならぶ広間を見まわした。

 この意味を分かるものは居まい、と尊大に胸をそらせ、複雑で微妙な少年たちの視線をば傲岸(ごうがん)にはね返す。やがて『九尾』は元の椅子にもどると、声もなく居ならぶ面々に背を向け、いまは胸がせいせいしたような顔つきで背もたれを倒すと、満足げに目を閉じた……。

 

 

                * * *

 

 

 彼の着水を救ったのは、インド洋事象面を遊弋(ゆうよく)するモルディブ海軍のQシップだった。

 資源の密輸や、海賊行為を取り締まるのが任務である彼らの全方位レーダーに、まったく突然、機体の輝点(ブリップ)が出現したので、風貌がポパイの悪役まんまなヒゲ面艦長は、相当あせったらしい。

 

「自動近接・対空兵器を使わんで良かったよ」

 

パイプをくわえる口に黄色い歯を見せつけながら、若いころ、武官として日本事象面に駐在したというこの中年男は、病室の『九尾』にニヤついたものだった。

 

 省エネ船が“軍艦”だったのも幸いした。

 熟練のガンナーが、空中でとんぼ返りをうち、すぐさま沈みかかるコクピット・ユニットに、捕鯨砲じみた拿捕用の装備で銛ロープを打ち込み、水没から救ったのである。

 機敏に活動する命知らずの潜水要員。

 最新式の医療設備とスタッフ。

 わざとボロ服をまとう、気さくな船員たちの喋る言葉は分からなかったが、身ぶり手ぶりで十分通じ、それがかえって心を通わせるようだった。

 

 そして、『九尾』がベッドをはなれ、船にも慣れはじめたころ、甲板を半割りの椰子(ヤシ)の実で磨いていた彼の背に、高速巡界艦“南十字星”は、その巨大な陰影(かげ)を落としたのである。

 

 機体の引き渡しについては外交上のちょっとしたモメごとがあったらしい。後にそれは緊急ユニットに残された偵察記録ポッドを日本事象面に持ち帰らせないための、探査院に所属する一派閥が仕掛けた欺瞞(ぎまん)工作の一部であったことが知れた。

 

 着水から二週間後。

 『九尾』は“南十字星”と共に、ひっそりと日本に送還された。

 

 おどろいた事に、機内時間でほんの二、三時間のはずが、現実世界では三ヶ月がたっていた。桜の芽がポツポツ目立ちはじめる光景の中、彼は探査院に缶詰にされ、膨大な数の航界報告書を書かされる。

 

 そして――締めくくりには、尋問めいた取り調べが待っていた。

 

「もう一度訊くぞ?――オレは根が優しいモンでな」

 

 空調のない、密閉された部屋は蒸し熱かった。

 おまけに尋問者のワキ臭がひどい。

 恫喝され、殴られ、床に倒れたところを踏みつけにされる。

 

 壁ぎわでは痩せた長身の男が、われ関せずと言った風でパイプをくゆらして、鉄格子のはまった窓の外を見ていた。削げたようなほお。口ひげ。灰色の瞳に倍加される冷たい視線が、ときおり小太りと『九尾』に、均等なぐあいで向けられる。尋問者は、ネクタイをさらにゆるめると、ワイシャツの袖をまくりあげ、

 

「おまえが、操縦桿下から、抜いた、メモリだ。アレは……どこにある?」

「――知りませんよ、そんなの」

 

 バン!と机が叩かれる。

 卓上の灰皿がおどり、葉巻の吸い殻がこぼれた。首根っこをつかまれた『九尾』の体が、入れ墨の入った太い腕で軽々と引き起こされ、椅子に投げつけられる。

 

「コクピット内カメラは――オマエが抜いているトコを映してンだよ!」

「なにかの間違いじゃ……ないですか?」

 

 『九尾』は、あくまでシラをきり通すつもりでいた。

 先輩候補生の、サー『ドラクル』の遺志(バトン)を、こんな連中に渡したくはない。

 理由のみえない尋問を繰り返されるたび、その決意は強固なモノになってゆく。

 

「着水に失敗したボクは、気づいたら船の中でした……」

「モルディブ海軍の偽装艦(Q・シップ)“ムハンマド”にも問い合わせたが……」

 

 窓際でスカした風に長い柄のパイプを吸っていた長身が、吸い口からくちびるをはなし、柄を『九尾』のほうに向け、うすく微笑して、

 

「なんて言ったと思う?――『クソくらえ』だと。()()()()()?『クソくらえ』ときた。どうやらあの艦には、キミのファンが大勢いるらしい。ほんの数週間でアイドル状態だったらしいじゃないか?キミは。()()()での経験を、生かしたのかね?んン?さぞかし夜は――忙しかったろう。順番待ちの列が目に浮かぶよ」

 

 葉巻の男がイライラと、

 

「監査官どの。なんども言いますが十五分ばかりチョイと席外してもらえませんかねぇ……そうすりゃ、イッキにコイツをゲロさせるんスが」

 

「……十五分、で済むのか?」

 

 窓ぎわの男は、パイプをくわえようとした動作をやめて、目尻にシワを乗せ面白そうに、

 

「どんだけ早漏なんだ、オマエは……さんざん言われたろ?」

 

 黄燐マッチをする、ささくれた音。

 火薬臭いニオイが部屋にながれ、燃えかすが尾を引いて床に投げ捨てられる。

 窓際から身を引き剥がすようにして、この男は中央までもどるや、こんどは長い吸い口を、小太りの男の方にグイと向け、

 

「顔にキズをつけるな。

     精神に負荷をかけるな。

         後遺症がのこるケガをさせるな……」

 

 ――それに、と長身の男は続け、

 

()()()()()()()強姦したことが知れてみろ……数日後には、文字どおり生きたまま挽肉(ミンチ)にされて、貴様はブタの餌だ」

 

 そういうや、目にもとまらぬ身のこなしで、フックを『九尾』の胴に叩き込んだ。

 

「顔はヤめな、ボディ、ボディ」

 

 なみだ目で床に崩れる彼のななめな視界に、男が煙をゆるやかに吐きながら、ふたたび窓の定位置にもどってゆくのが見えた。

 

 吐き気がひとしきり胃のなかを暴れる。

 いきなり暴力をふるわれたことのおどろき。

 だがそれよりショックなのは、自分が『成美』であることが、この物騒な大人たちにバレているということだった。

 

 ひくい視線で見た、掃除のとどかぬ場所のほこりと、葉巻の吸いガラ。頬に感じる床の冷たさ。

 弱電圧にしたスタンガンを手に、探査院から派遣された小太りの係官はズボンの前をふくらませながら粘液質な笑みをうかべ、『九尾』を見下ろしてきた。

 

「だいたい『身体検査もするな』ってなぁオカしかないスかぃ……ホラ小僧、おきろ!」

 

 邪険に引き起こされ、固定された椅子に、またも投げつけられる。

 激痛が背骨と肺にはしり、『九尾』はひとしきり咳きこんだ。そんな彼の苦痛をよそに、この長身の男はパイプから口を放し、

 

「わたしが聞きたいのは――だね」

 

 格子のはまった窓際の定位置から彼の方を向き、

 

「キミ、雲海降下作戦のまえに、女の子と付き合ってたろ?」

 

 ――ミラ!

 

 表情を悟られないように、あわてて彼はうつ向く。

 

「その()の名前を知りたい。あるいは――どこの所属だったか」

 

 彼は、ボウッとする頭のおよぶ限りの速さで考える。

 宮廷中尉は生きているんだろうか……それとも、もう始末された?

 そしてあの銃撃戦は、まだ尾を引いていて、組織間の抗争となっているのだろうか。

 

 葉巻の男が『九尾』の髪をつかんで顔を持ち上げ、

 

「聞かれてんだろ?オラッ!」

「知りませんよ……ボクは」

 

 こいつ!と男が驚いたような笑顔で窓ぎわの長身をふりむき、

 

「いっちょうまえにトボける気ですぜ?」

「あぁ……たいしたもんだ」

 

 いきなり入れ墨の男は『九尾』を憎しみのこもった腕力で壁に叩きつけると、置いてあったカバンの中からゴム製の警棒をとりだした。

 

「これなら、そのキレイな体にキズもつけねぇってモンだ」

「もう一度きくぞ?キミが会っていた女の子の名前だ……」

 

 ジリジリとした沈黙。

 

「ようし、上等だ。ンならその“安産型”にされた可愛いメス尻に聞くまでよ!」

「気を付けたまえよ?その男の下半身は、少女だろうが少年だろうが見境いなしだからな……?」

 

 そして、尋問――尋問。

 電流。低周波ノイズ。物理的な殴打。

 

 二時間後。

 

 外に警備のついた窓のない小部屋。

 その日の取り調べをおえた彼は、引きずられ、投げ込まれた床からユルユル上半身を起こすと、熱を持つ背中と尻とを気にしつつ、作りつけのベッドにうつ伏せの姿勢でゆっくりと倒れ、唇をゆがめて眼を閉じる。

 

 ――クソが……。

 

 たおれた拍子に側頭部をぶつけたせいで、心臓の鼓動にあわせてこめかみがズキズキと痛んだ。嘔吐したときの喉奥のヒリつきも、あわせて。なによりゴム警棒で痛めつけられた尻が燃えるように熱をもち、それが憎しみと、この事象面への嫌悪感をズンズンふくらませていく。

 

 『モルディブ海軍の偽装艦“ムハンマド”にも問い合わせたが――』

 

 頭の中に、壁ぎわでパイプを吸っていた男の言葉が正確によみがえる。すると、まぶたのうらには、すこし前までいたインド洋の広がりが浮かんだ。ホンの短い間だったが、大洋の(キラ)めきと船での生活が、みょうに懐かしく思える。

 

 強烈な陽光。

 生臭い潮風と巨大な魚。

 海、というデカい水たまりの塩辛さ。

 荒くれどもの喧嘩と痛飲。あけっぱなしの笑い声。

 陽射しにペンキの灼ける臭いと、エンジン音のする薄くらがり。

 緩やかなピッチングにバランスをとりつつ、あちこちへの使い走り。用具の手入れ。

 

 Qシップを“南十字星”で離れる日。南十字星の一等航界士に促され、それまで着ていたボロボロのトレーナーとカーゴ・パンツ姿から航界士候補生・夏期礼装に着替えて艦長に挨拶に行った。その時の相手の顔が、彼は今だに忘れられない。

 

 「なんだヨ……急にエラくなっちまって……」

 

 オロオロとヒゲ面男は視線をブリッジにさまよわせ、陽光に赤黒くやけ、潮風がふかく刻んだシワの奔る顔を、首からさげた汚いタオルでやたらとなでまわした。パリッとした一級候補生の制服姿となった『九尾』も、かえって居心地の悪さを感じてしまう。

 

 オレたちのこと、忘れンなよ?と言われた時、彼の方もあやうく涙が流れそうになった。それはヒゲ面艦長も同じだったらしい。敬礼を交わした後は背中を向け、ブリッジを退室するときも、決してふり返ろうとはしなかった……。

 

ベッドで痛む身体をごまかしながら、『九尾』は身体をうごかし、靴下の中に隠したメモリーが肌に当たる(かゆ)みを、さりげなく掻く。

 

 ――べつの世界……か。

 

 うすく目をひらき、視線だけで独房を見まわす。

 日本事象面に帰ってきてから、すべてが窮屈だった。

 尋問が本格化する前に、一度だけ、もと居た寮の部屋に私物を回収するため監視つきで帰ったが、その時のせまさにも彼自身、おどろいたものだった。

 

 ――あんな、モルモットのカゴみたいなとこに寝起きしてたとは、ねぇ……。

 

 先人が遺した、いくつもの引っ掻き傷があるコンクリート打ちっ放しな壁をながめる。

 この前の落書きは見当たらない。灰色一色の、無味乾燥とした光景。

 すると、彼は南十字星から宮廷専用のタワーに降り立った後、白バイに先導されるリムジンの車窓からみた曇り空の街を思い出す。

 

 横断歩道の信号待ちにならぶ無表情な顔。

 統合管理され、整然と動く浮上車や装輪車。リニアトラム。

 磨かれたウィンドウやオープン・テラス、バルコン。無機質な輝きを放つ建材。

 

 ――そうか……この事象面(くに)には、色彩(いろ)が無いんだな。

 

 季節が冬の終わりと言うだけでなく「生の躍動(エラン・ヴィタル)」というものが、ここでは見事と言っていいほど、まったく感じられない。

 

 殺菌され、画一化され、効率化され、規則化された世界。

 懐柔され、去勢され、従順化され、盲目化された群衆――そんな印象。

 

 対して、はじめて見た外の世界の広さ。

 

 野卑な怒鳴りあいと、笑い声。

 眩しいランプの下、手づかみな食事の感触。

 眩暈(めまい)さえよぶような、鮮烈な陽光。

 鋼鉄の船が波を蹴立てて進むときの大きなうねり。

 腹に響くディーゼル機関の鼓動。

 

 モルディブのような海洋型事象面の終端はなく、一方に向かうと、いつの間にか元の所にもどってくると、『九尾』は説明を受けていた。

 

 ――ほかにも、いろいろ変わった事象面があるに違いない。だとしたら……。

 

『九尾』は、ジッとコンクリートの壁を睨んだ。

 

 空に浮かぶ巨大な衛星。

 吹き渡る風。見たこともない形状の山々。

 たてがみを揺らす、二角獣の白馬たち……。

 

 まだ見ぬ世界に対する、渇きにも似たあこがれ。

 

 それがいつのまにか自分の胸にやどり、強固に根付いているのに気づかされた彼は、ある言葉を自然と脳裏に“あの時の声のまま”想い浮かべている。

 

 

 『基本機動すら満足にできない初心者が、これから私を追いぬき、知らない世界の扉を敲きに行くのを、わたしは指をくわえ――空を見上げてなくてはならない。そんな惨めなザマは、イヤさ』

 

 

――あぁ、龍ノ口センパイ。サー・『ドラクル』。

 

 『九尾』は両手で髪をつかみ、うつむいて煩悶する。

 

 「あなたが言ってたのは――このことですか?」

 

 いまとなっては答えを得るべくもない、そんな想いが途方もない胸苦しさとともに心の内を幾度も(なみ)立たせ、いつまでも(しず)まることがなかった。

 

 

 



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075:“放蕩息子”の帰還のこと、ならびに西からの刺客のこと

 

 

 

「候補生『九尾』。今週の寄り道のワクは、使いきってますよ?」

 

 護衛役がイライラとたしなめる声が、背後から。

 

「えぇッ!そんなァ……ほらほら、あそこのコンビニで限定発売の「ちゅぱレロくん」がまだ売ってるよ?」

陰茎(チンポ)型のアイスなど興味ありません。まだ“女体化・洗脳”の影響が残ってるのでは?こんど本式に検査が必要ですね。きょうは早急に帰寮して安全を図れと本部からの指示です。どうも一部で混乱が生じてるらしい……」

 

 尋問と監禁状態から解放されたのは、日本事象面に帰還して一週間ほど後のことだった。

 

 その間に、彼の体重は5キロほど落ちた。

 ややコケた(ほお)。白髪もチラホラ。

 瞳には、いつしか険がやどり、胸には反抗精神と得体の知れない暗い情動が膨らんでいる。

 このおかげで女性的な面影は少しばかり退潮し、“やさぐれた”ような雰囲気となって彼自身としては()()()()でもない気分。ただし、強制浸透ホルモンや各種の施術のおかげで造られた、くびれたウェストや大きめのおしり、ムチムチな太ももなどは相変わらずだったが。

 

 大作戦をこなしたにもかかわらず『九尾』の階級に特段の変化はなかった。

 探査成果が不十分で、なおかつ殉職者が出たからだろうと彼は勝手に解釈している。

 

 そして錬成校は――この“放蕩(ほうとう)息子”を冷ややかにむかえた。

 講義は別室をあたえられ、監視つきの映像授業となり、クラスメイトとの交流は注意ぶかく断たれた。休憩時間に飲みものを買いに行くときも探査院から派遣された監視員(黒メガネ)がひとり、うしろにピタリとつき、ほかの生徒との接触を遮断(しゃだん)する。

 

 最初に護衛役の紹介をうけたとき、『九尾』はすぐにピンとくる。

 

 ――あの晩に会った人だ……。

 

 盟神探湯(くがたち)65B作戦の前。

 メゾン・ドールを訪れて『愛香』に手ひどくフられた夜。

 

 そのとき自分をガードした黒メガネ三人チームのうちの一人。

 あの夜、メゾン・ドールに入ることを許してくれた人物が、奇しくもふたたび自分の専属な護衛となり“何か”からガードをしてくれる恰好。ウワサでは、その時の行動がアダとなり、三人とも譴責(けんせき)処分とされたらしい。そのことを謝ろうと彼は最初に頭を下げたが、この人物は黙って肩をすくめただけだった。

 

「……ずっとそうやって()いてくるつもりなの?」

「指令が出ています」

 

 中年、というには少し若い黒メガネは、無表情にそう言いはなった。

 

「それに――これは()()のためでもあるのです」

 

 陶器を連想させる冷たい面持ちをしたこの大柄な男は、昼間に見れば、以前の“領収書つき晩メシ”をがっついたな珍妙きわまる二人組とはちがい、全身からある種のスゴみを発している。すこし前、この人物のふとした仕草からスーツが広がり、わきの下に吊られた拳銃のグリップがみえた。

 

 なにか質問しても、最低限の受け答え。あるいは沈黙。

 

 やっぱりボクのせいで処分受けたことを怒ってるんだろうな、と『九尾』は相手のぶっきらぼうな対応を、仕方ないものとして受け入れている。

 

 錬成校には見合わない凸凹コンビとなった彼らが廊下をゆくと、すれちがう生徒たちが距離をおき、あたかも「好奇心は旺盛だが怖じやすい草食動物の群れ」が怖いもの見たさに遠くから眺めるような。しかし、それもはじめの数日だけで、あとは汚いものを避けるように無視(しかと)の嵐となる。

 

 『牛丼』はもちろん、『山茶花(さざんか)』ですら目を合わせようとしない。

 あの『エースマン』に至っては白い目で、どこかよそよそしい雰囲気。

 理由を尋ねようにも、黒メガネが他人との会話をゆるしてはくれなかった。もし、これをやぶれば相手ともども重営倉(ブタ箱)だという。『リヒテル』は――いや、あの得体のしれない“上級大佐”殿は『他校に出張中』らしい。本当かどうか、アヤしいところだが。

 

 登下校は、黒メガネが運転するリニア駆動ですらないボロいセダン。

 あらたに指定された寮に帰ったあとは、部屋の外から鍵をかけられ、コンビニに行くにも護衛を呼ばなければならない。しかも――回数を制限されて。

 

 『九尾』は、あわただしく引っ越しをした今の部屋を見わたした。

 

 四畳半ほどの、なかば独房めいた隔離部屋のふんいき。

 窓は――例によって(わく)が少ししか開かず、すりガラスとなっているので満足に外も見えない。探査院のレギュレーションなのだろうか?

 貞操帯が外されたのでトイレはふつうとなったが、なんと風呂トイレが合体したユニットバス。浴槽は泡風呂ですらなく、そのうえベッドは軍用の折り畳み式(コット)で、温調などとは縁遠いシロモノ。

 

 Maison d'orで手配された、都市を眼下にする超高層ホテルのエグゼクティブ・スィート・ルームでの快適な体験と、どうしても比べてしまう。

 

 ジャグジーつきの大きな円形風呂。

 

   革張りの豪華なマッサージ・チェア。

 

      クィーンサイズの温調付きウォーター・ベッド。

 

         ふかふかのガウンと、肌ざわりのよいシルクのランジェリー。

 

 さすがに最後のイメージには(ブルルッ)と頭をふるが、女体化・メス人形奉仕と引き換えだったとはいえ、懐かしく思ってしまうのも事実だった。

 

 ――なんか……一気にあつかいが粗末になったような……。

 

 監視も当然予想されるので、おもいきりくつろげないのが何より窮屈だ。

 

 携帯や情報端末は、最初の帰寮で没収され、「男お○どん」めいた部屋には回線はおろか端末もなく、むかしの仲間に連絡も取れない。それどころか拷問から死守したサー『ドラクル』形見のメモリー・ユニットすら、どんなものが入っているのかすら読みだせない現状。

 

 内容が分からない情報を、得体のしれない相手にわたすのはイヤだった。

 とくに――あの()()()()には。

 明確な理由(わけ)は無いが、みょうな反感が自分を支配している。

 

 修錬校から帰り、リアルで読むものといえば、講義のノートと教科書・参考書。それに部屋に備え付けの本――法華経(ほっけきょう)聖書(バイブル)――が二冊だけというしまつ。出前にいたっては近くの老夫婦が()っている支那そば屋から「ラーメン・ライス」限定という笑えない現状。

 

 パンツ一丁で、ひび割れたどんぶりから、薄い味のラーメンを晩飯にすすりつつ。

 “猪肉(ししにく)の赤ワイン煮込み・ア・ラ・メゾン・ドール”などを(わび)しく思い出しながら。 

 

 ――こんな時こそ、ミラ(あのコ)がいてくれたらなぁ……。

 

 うすいナルトを噛みながら彼は、ひそかに肩を落とす。

 

 あれから、なんの音沙汰もなかった。

 やはり、銃撃戦で死亡してしまったのか。

 貞操帯は外されて、バイブによる連絡も受けられない。

 

 

 王宮と探査院のムチャクチャな作戦。

 東宮と西ノ宮のあらそい。官僚たちの相剋(ともぐい)

 ミラ宮廷秘書官のふるまいと、なぞめいた微笑。

 黒い牝豹のような、しなやかな気配。高潔さにみちた顔。

 白い牙のかわりにPDW。その遊底をうごかし、走り去る最後の姿。

 

 ――強襲揚界艦(吉野)のウェルドックで見たのは……やっぱり幻……?

 

 尋問を受けたとき、長身のパイプ男から、しきりに訊かれた彼女の名前。

 どういう()()()()か、きわめて不自然だ。ウラに何かある雰囲気がヒシヒシと。

 

 気を付けろ、と『九尾』は自戒する。

 

 あやつり人形を操作する(くろ)い大きな手。いまだ自分がその下にいて、すきあらば拘束の糸を垂らされる気配を、首すじの寒さと共にまざまざと感じる。

 

 『九尾』は古いバクロム装の聖書を手に取った。

 『ホスロー』上級大尉の墓参りにも行きたい、と彼はおもう。

 雲海探査のまえは、忙しくて――というのは言いワケで“死”に関連する場所に近づきたくなくて――行かなかったのだが、あの謎めいた豪胆な航界士は、思い出深い「慰霊大聖堂」に奉られているという情報を、フトしたことから彼は得ていた。

 

 イスラムか、ペルシャ系のヒトだろうから、本当は“コーラン”なのかなと、彼は年古(としふ)りたバクラム装の聖書を撫でさする。

 

 ――待てよ?……でもサケ呑んでたよな。んじゃイスラム教徒ではないのか。

 

 なにげなく開いたページをたどれば――。※

 

 

(かうべ)(うへ)(おそ)ろしき水晶(すいしゃう)のごとき蒼穹(そら)ありてその(かうべ)(うへ)展開(ひろが)る。

 蒼穹(そら)の下に()の翼(なほ)く開きて此れと彼とあひ(つら)なる――。

 

 

 なんじゃこりゃ、と『九尾』はいったん厚い本を閉じ、適当に他の(ページ)をひらく。

 

 

*シオンの女輩(むすめら)(おご)り、(うなぢ)をのばしてあるき、

 眼にて(こび)をおくり、しずしずとして歩みゆく 

 ()の足には鈴々(りんりん)として音あり……。

 

 

 本をとじ――ひらく。

 

 

*求めよ、()らば(あた)へられん。

 尋ねよ、さらば見出されん。

 門を(たた)け、さらば開かれん。

 すべて求むる者は得、たづぬるものは見いだし、門をたたく者は開かるるなり。

 

 

 本をとじ――ひらく。

 

 

(にせ)預言者に(こころ)せよ。

 羊の扮装(よそほひ)して來れども内は奪い(かす)むる豺狼なり。

 その果によりて彼らを知るべし。

 (いばら)より葡萄(ぶどう)を、(あざみ)より無花果(イチジク)をとる者あらんや。

 

 

 ――ふン。

 

 『九尾』は聖書をかたわらに置き、目を閉じて()っと考える……。

 

 錬成校にもどって数日。

 廊下(ろうか)をすれちがう同学年の、あまりなよそよそしさから、とうとう監視のスキをついて逃げ出すと、『九尾』は偶然出会った元のクラスメイトにすばやく声をかけた。

 彼女は、この時期にしては珍しい転校生を校舎案内していたらしく、ひとけがない廊下でバッタリ出会ったのだ。

 彼を見失った護衛役は、遠くの廊下でウロウロとしている――ザマァ。

 いきなり彼は二人連れに近づくと、

 

「『ファッジ』……みんなシカトするんだけど、なんでだよ。なんか“通達”でも回ってるの?ボクを無視(しかと)するように、って」

 

 はぁ?と元は同じクラスだった彼女は、緑の髪をした転校生との会話をやめ、スカートをひるがえして向きなおるや、

 

「あんたセンパイ見棄てて単独で帰投したクセに――よくもヌケヌケと!」

 

 えっ、といきなり意表をつかれた彼は、怒り顔をした同級生をギョッとした面持ちで見つめた。

 

「見棄てたって――ダレを?」

「センパイって言えば、一緒に出撃した龍ノ口先輩にキまってるじゃない!」

「え……」

「雲海の探査にタンデム(複座)機つかって、自分だけ逃げてきたンでしょうが!」

 

 『九尾』は絶句した。

 まさか、そんな風に伝わっているとは――それになんで?機密なハズの雲海降下作戦が、いつのまにか公然と知れわたっている……?

 

 

「おまけにナニ?その体つき!アナタ謹慎処分中に『B.L.(ボーイズ・ラブ)Bar』でバイトするのが目的で全身形成の処置を受けたんですってね。あなたが“ネコ”だったって、もっぱらのウワサだったけど本当なんだ?それにずいぶんイイ暮らしをしてるらしいじゃない。パトロンが運転するフェラーリの助手席に乗って、夜な夜な高速トバしたりして」

「あれは!――そんなんじゃなくて……」

 

 彼女は髪をうっとおしげに払い、

 

「ハナシかけないでくれる?……けがらわしい!」

 

 ゴミでも見るような冷たい一瞥(いちべつ)

 転校生をうながし、彼女はその場を去ってゆく。

 遠ざかる女子候補生ふたり連れの背中。

 自分のアタマを指してクルクルまわす『ファッジ』。

 そのとなりで、転校生がチラっと『九尾』の姿を確認するようにふりむいて。

 

 あっけにとられ、呆然と見おくる彼のよこを、廊下をゆく候補生たちがヒソヒソ耳うちしながら通りすぎてゆく。視線にまざる侮蔑を痛いほど感じた『九尾』の中で、もはや馴染みぶかくなった身体の冷えをともなう絶望が、肩から足もとからゆっくりと全身をひろがってゆく……。

 

 ――すべてが、ムダだった。

 

 試験にあけくれて、イイ生徒を演じた毎日も。

 あのメゾン・ドールの屈辱の日々も。

 雲海で先輩を喪った絶望も……。

 

「そんな。なんでそんなデマを……いったいボクがナニしたって……」

「デマが、なんですと?」

 

 頭上から、お目付役の低い声が降ってきた。

 

「営倉行きですよ?わたしの目の届かぬ範囲に行かぬように。今回は見のがします。それと――この廊下は通っては不可(いけ)いけません」

「なぜですか!」

 

 裏切られた思いのまま、ぶすっとした声の『九尾』に、男は廊下の窓から校舎の近くにある小高い丘の連なりを、胡散(うさん)くさげに眺めやった。

 

「外から丸見えの位置にある」

 

 と、この男はボソリと呟く。

 

「命がおしけりゃ――わたしの言うとおりにするんですな」

 

 いきなり監視役は『九尾』の首根っこをひっつかみ、廊下を引き返すと階段ホールへ向かわせた。それが、あの葉巻くさい尋問官と尻肉にひびくゴムの警棒。それに良いように(なぶ)ってくれたメゾン・ドールの調教師たちを連想させ、結果的に引き金となって彼に最後の決意をさせる。

 もう知った事か!とのヤケクソな思い。

 

 ある日の午後――。

 

 映像講義を終えた彼は、決意を秘めて視聴覚教室を出た。

 トイレのフリでお目付け役の目を盗み、校舎の窓から外へ忍び出る。

 内ポケットに入っているのは、『ドラクル』の遺品であるメモリー・ユニット。

 

 目的地は――下級生用・図書館。

 

 電波遮蔽(しゃへい)建屋になっているため、動きのログを見られることはない。

 監視カメラの守備外から個人ブース・エリアに入れば、こっちのモノだ。

 すでに使用予約表をしらべ、図書館に生徒がいない講義時間帯を調べてある。

 

 ――あの“上級大佐”のパスで、メモリー・ユニットの中身を確認すれば、あるいは。

 

 脅迫的な使命感とともに、いつかのようにトイレから図書館に入ろうと茂みを回ったときだった。木立の陰から、見なれない制服を着た女子生徒が彼のまえに立ちふさがる。

 

 ながい緑の髪。

 うすく化粧を刷いた美人。

 大きめの胸と、みじかめのスカート。

 そこからのびる、メリハリの効いた黒ストの脚

 

 ――まえに『ファッジ』が休み時間中、案内していた転校生だ……。

 

 『九尾』は、なんでこんな講義中の時間帯にと不思議に思いつつも、やぁ、と外交的な笑みを浮かべる。

 だが相手は、そんな彼のあいさつなど眼中にない勢いで、いきなりズバリと言い放つ。

 

図書館(ココ)に来たぁ、いうことは、あのメモリー・ユニット。持ってますナ?」

 

 えっ?とまぬけな微笑のまま、彼は固まる。

 つり眼な美少女の手には拳銃“らしきもの”が握られていた。

 らしきもの、というのは他でもない。

 全体が小さく、やたら不格好で、先端には妙なふくらみが付いている。

 

 ――電撃銃(テーザー)

 

 ギョッとして身構える。

 パニクる間もなく彼女は、

 

「出しとくれやす――そうすれば、命だけは助けてあげますえ?」

「なんで?キミ転校生なんだよね?」

「アンタのために、ワザワザこんな田舎(イナカ)に飛ばされたンどす。ほんま、イイ迷惑やわ」

 

 西ノ宮!と『九尾』は身構える。

 

「仏サンさぐるンは趣味やおへん――さっさとお出し」

「いったい何でこんなコトするんだ。銃でオドしたりなんかして」

「うっトコの組織がワヤになってもうて。ちっと手柄たてんとアカンのどす」

「きみのところの組織ぃ?ボクになんの関係があるのさ?」

 

 これがなぜか彼女の逆鱗に触れたらしい。

 目の上を幾度かヒクつかせたあと、

 

「……おしゃべりな()()()()は、キライどすえ?」

 

 相手の銃口が、グッとあがる。

 『九尾』は現状を確認しようと、それでも余裕のあるそぶりで、

 

「またァ。そんなこといって、電気銃(テーザー)?ボクを脅そうと――」

 

 缶コーヒーを開けたような音。

 灼けた鉄の気配が頬をかすめる。

 ミラ中尉を(うしな)った銃撃戦の夜の記憶。

 腹の底が冷えてゆくような、存在の危機感。

 アナル・プラグをハメられていない肛門がゆるむ。

 

 ――電撃銃(テーザー)じゃない……消音器(サプレッサー)を効かせたホンモノの拳銃だ。

 

 頭はフル回転。

 雲海の、メゾンの、そして過去の様々な知識を総動員して彼は推論する。 

 『命だけは助ける』とか何とかいっても、そんな気はないんだろう。内ポケットのメモリー・ユニットを手に入れれば、あとは用済みというのが言葉のはしからチラチラと感じられる。

 

 ――わざわざ西から来た殺し屋、と言うワケだ……。

 

 じぶんと同い歳くらい?それとも成長抑制剤(クロノス)を仕込まれて、見た目とうらはらに実は年増(としま)な、“殺しの(ごう)”を()た専属のエージェントなのか。だが自分だって、そうやすやすと殺られるワケにはいかないと『九尾』はユルみがちな肛門に力をこめる。

 

 『オフィーリア』の、『黒猫』の、『ミラ』の。

 そしてなにより『ドラクル』の遺志を受け継ぐ(じぶん)

 

 ――なら、どうする。武器は?反撃は?手持ちのものでソレっぽいものは?

 

 眼を光らせ、背中から緊張を煮え立たせる『九尾』。

 それを見て、この転校生は“殺し甲斐(がい)”のあるターゲットと診たらしい。わずかに口もとをゆるめ、奴隷候補をいたぶる調教師にも似た気配を発散させ、

 

「そう――ええどすナ。アテは気合の入った殿方が好きどすえ?」

 

 チェッ、殺気をよまれたかと彼は心ひそかに警戒する。そして泡立つような頭で、とぼしい可能性を懸命に考えた。だが、いずれの案も思いつくはしから相手の冷たい瞳にあい、(モロ)くも砕け散ってしまう。

 

 この女子候補生。相当の手練(てだ)れとみえる……マズい。

 

 




※聖書占いですね。


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076:情報の性質のこと、ならびにビミョーな“吉報”のこと

 

 

 

 

「どうして……ボクが、ここに来ることが分かったの?」

 

 とりあえずの時間かせぎ。

 ザッと考えて、いま手持ちで武器になりそうなのは、金属製のボールペンぐらいしか思い浮かばない。ラノベじゃあるまいし銃を手にした相手にはムリゲーだろう。

 

 ハァっ、と女子生徒はため息をつき、腕時計をチラっと見て、 

 

「アンタはんの居場所、トレーサー(発信機)ついてますえ?ドコにいたって丸わかりどす」

「えっ……どこに?」

 

『九尾』は自分の制服をタパタパと探った。

 それらしきものは、着いていない。

 

「アホ。そんなモンで見つかりませんわ。それに図書館の予約状況、つねに監視してますからなぁ?カンタンでしたわ」

 

 あとはアンブッシュ(待ち伏せ)するだけ、と女子生徒は冷たく笑う。

 どことなく大人びた雰囲気がするのは、この場のイニシアチブを完全に掌握した余裕からだろうか。

 

 冬の終わりの、ガランとした木立ち。

 小鳥のさえずりと、落ち葉を焼く匂いがそこにまじって。

 黒ネコが一匹、こちらをチラチラ見ながらゆっくりとよぎってゆく。

 干した布団を叩くような音。遠くでパッカー車(ゴミ収集車)のうなるような響き。

 

 これら平和な光景と、目の前で冷然と銃を構える女子生徒とのアンバランスが、心象的にどこか磨りガラスを引っかくような狂気さで。

 

「さ――時間切れどすな。はよ、しておくれやす」

 

 グイ、と銃が持ち上がる。

 

「分かったよ……」

 

 背に腹は代えられない。

 ブローチを闇に放ったときのように、思い切りメモリーユニットをぶん投げよう。そのすきに相手との間合いをつめて格闘に持ち込む。あとは自分の憑依人格が、何とかしてくれるだろう……。

 

 覚悟を決め、彼は内ポケットからそろそろとユニットを取り出した。

 

 女の瞳が一瞬、喜悦(よろこび)に輝いた。

 だが、すぐにそれは、鉛色の乾いた目つきになり、

 

「――ごくろぅはん」

 

 女が銃を持ち上げる。

 暗いトンネルが、正確に自分の顔を狙うのを見て『九尾』はパニックになる。

 

 ――くそっ!

 

 ユニットをぶん投げるのは諦めた。

 近くの茂みに飛び込もうと、ふくらはぎの筋肉に力を溜める。

 マイクロセコンドに凝縮された思考が、断片のまま幾千にも浮かんだ。

 これが走馬灯と言うヤツか。だが今は、この殺し屋に負けたくないという気持ち。

 

 その――刹那(せつな)

 

 女子生徒の頭が、いきなり消失した。

 後には赤い霧と、舞い散るわずかの肉片……。

 

 たっぷり2秒の(のち)

 

 糸の切れた操り人形のように、手足をあらぬ方向にまげ、女子生徒だった()()はドサリとセメント袋のように崩れ落ちる。

 

「え”……」

 

 思わず声がでた。

 スカートがまくれ上がり、ガーター・ストッキングで包まれた脚の奥。

 肌色のショーツに、みるみる濃い濡れ染みが広がって。

 

 ――狙撃……!?

 

 素早く中腰になり、あたりを見回す。

 だが、死を司る兇手の気配は感じない。

 視線を戻し、中腰な姿勢のまま、信じられない展開にボンヤリとする『九尾』は、ちょっと前まで少女だったものを、乾いた視線で眺めやったた。

 

 ズタズタな首の切断面。

 食道と気道、それにギザギザとなった頸椎。

 白い断層が、あの日の墜落現場でみた死体そっくりに。

 こみ上げる吐き気を、プライドを賭けてガマンした秋の始まり。

 

 しかし――。

 

 あれから数か月。

 晩冬に見る今回は、体に拒否反応が起きなかった。

 胃はむかつきを覚えず、神経にはなんの嫌悪感も感じない。

 それどころか、ペトリュス・ボレルなみに視線は精密に死体を犯す。

 小鳥はうたい、生命の気配を帯びた土は香り、布団を叩く響きは続いて。

 とおくからノンビリと、回転翼(ヘリコプター)の機体が上空をよぎる音。ゴミ収集車の唸りも。

 

 彼は、ゆっくりと死体に近づくと、無機質な標本を観るように観察した。

 銃を握っていた少女の手は、きれいにピンクのマニキュアがされ、訓練を重ねた痕なのか、人差し指の内側が固くなっているのを発見する。

 あおむけのため、いくぶん平らになった胸。

 ペンの刺さるポケットには、エンブレム。

 

 ――どこの修錬校のものだろう……?

 

 (ハス)の花に、法具である“独鈷(どっこ)”をあしらった文様。

 いかにも線香くさい、西ノ宮側らしいデザイン。

 

 なにげなく、『九尾』は死体から胸ポケットのペンを抜いた。

 持ち重りのするそれを仔細にみれば、極小の単発銃になっているらしい。

 

 どうやら訓練を受けた“本職”の工作員(エージェント)めく気配。

 顔はフッとばされて分からないが、ひょっとして成長抑制剤(クロノス)を服用していたのか。安易に格闘などしていたら、ほんとうに命が危なかったかもしれない。

 

 無意識にペンを自分の胸ポケットに刺しつつ、彼は(おのれ)を殺そうとした女を見おろした。

 いまは、制服をまとったボロくずのような肉塊。印象は――ただそれだけ。

 

 ふと、足もとに赤い液のついた玉がひとつ転がっている。

 

 (いや)――よく()れば、それは眼球なのだった。

 おそらく“彼女”のものだろう。

 しゃがみこんで、さらによく観察すれば、眼玉は精巧な義眼で、なかに記録用の高精度カメラを内蔵しているらしい。うすい膜を通して、光学機器特有の雰囲気がうかがえる。

 

 拾いあげて、もっとよく見ようと手を伸ばしたその時――。

 

(さわ)るな!感染のおそれがある」

 

 鋭い語気で制止する声がとぶや、近くの茂みから例の護衛が手勢を引きつれて姿をあらわした。男たちは一様に消音器(サプレッサー)をつけた機関拳銃(スチェッキンⅡ)で武装しており、あたりに油断なく玄人じみた視線を配っている。

 護衛は配下に声ひくく何ごとか命令すると、彼らはどこかに連絡をとる様子。

 

 やがて護衛は首をふりながら、『九尾』にちかづくと、

 

 パァ……ン!

 

 いきなりの平手打ち。 

 

 はずみで彼は横によろけ、力なく尻もちをついた。

 だがそれも豊かな尻のおかげで、あまり痛くない。

 

「フラフラ出歩くなと言ったろう!一歩間違えれば、()()がこうなるところだ!!」

 

 死体を指で示し、仁王立ちとなる護衛。

 頬をおさえ、横すわりな姿で上半身を起こし、うつ向く『九尾』。

 まるでDVを受けた妻が、夫の足もとでナヨナヨと倒れた姿そっくりに。

 

「キミは周囲にとって触発信管のついた爆弾みたいなもんだぞ!かってな行動は(げん)に慎んでもらいたい!」

 

 遠くからパッカー車が、ロー・ギヤのまま、全速で近づいてきた。

 

 やがて、ゴミの臭い一つしない、その古ぼけた車は一団のわきに停まる。

 護衛の配下が、女子生徒であったモノの手足を上下からふたりして(つか)み、左右に数度はずみをつけると、本当にセメント袋のように「せーの」で投入口に投げ入れた。骨の当たる音。新たな血の臭い。

 

 回転盤がうなり、バキバキと死骸の骨を砕きながら呑み込んでゆく。

 

「指令で注意されたコトは、本当だったな……」

 

 路面の冷たさにうながされ、フラフラとイジメられた女のように立ち上がった『九尾』の目のまえで、きれいに整えられた指先をもつ腕が、機械の動きにふるえつつ砕かれ、最後に見えなくなった。

 

「キミは、地雷という地雷をふむキャラだと。この女のまえに二人、瑞雲校内にモグりこんでた西の工作員(イヌ)を片づけたよ。キミが不用意に動いてくれたおかげでね」

 

 イライラした口調で、男は最後にとどめを刺した。

 

「この(イヌ)も可哀そうに。キミがヘタに動かなきゃ――死ぬこともなかった」

 

 自分の言葉が残酷に『九尾』の内面精神へ沁みわたるのを十分に待ってから、護衛はアゴで背後のレンガ作りとなっている古風な建物をしめす。

 

「さ……ホラ。行きたいんだろ?図書館」

 

 パッカー車のテール・ゲートがガラガラと閉められる。

 そこには吹き出しに[ゴミは許さないよ!?]と書かれた可愛いうさぎのキャラ。

 

 護衛の配下がひとり、運転席に手をあげた。

 了解、の合図にハザードが一回。

 少なくとも三人の死体を(はら)んだまま、パッカー車は轟音をたてて、舗装の悪い瑞雲の校内を遠ざかってゆく……。

 

 

 ひと気のない図書館は森閑としていた。

 以前は高齢の司書がひとり、窓口として常駐していたのだが、書庫で孤独死していたのを機に、経費節減のいみもあり、貸出業務と警備をシステムに移管し、完全に無人となっている。

 

 相変わらず暖房に蒸されたようなカーペットと電子機器の臭い。

 護衛は配下にまわりを見張らせ、『九尾』とともに入り口ちかくの室内庭園へと進んだ。雲海戦のまえ。『牛丼』や『山茶花(さざんか)』、『折り鶴』や『花魁(おいらん)』たちが談笑していた場所だ。今となっては、随分昔のことのように思える。

 

 [お勉強は――イイのかよ?]

 

 『早弁』の冷やかし声もいっしょに。

 

 [医療棟だァ?――オ〇ニーだよなァ!Q.B!]

 

 なにも知らなかったあのころ。

 ただ座学と実技をこなしていれば良かった平和な時間……。

 

 歩いてゆく途中、カーペットに点々としたシミを見る。

 

 ちょうどSM撮影会で、『タチアナ』が“バービー伍長”をはじめとする下衆な男たちに責められていた場所だ。彼はおもわず自分が腹ばいで(ひそ)んでいた2Fのテラスを見上げる。光線がちょうどいい具合となって、1Fに立ったままの視線では分かりづらい。タチアナのように仰向けの体位にされれば別だったが。

 拘束され、みじめに嬲られ、女としての辱めを受けながら、コッソリその様を撮影していた自分を、彼女はどう思っていたのだろうか。

 

 警察に通報しようとした自分を彼女は身を挺して助け、現実を教えてくれた。そしてあの盗撮データは、幸いなことにかつての寮から回収できて、いまも手元にある。

 なんとしても“ふさわしい部署”にリークして、下劣なバービー伍長一派をはじめ、あやつり人形を動かす“巨大な手”に一矢(いっし)報いたいと彼は思う。

 

 ――運がよければ、『タチアナ』をすくえるかもしれない、いや、なんとしても機会を見つけて助けねば。それとも……数か月たった今。もう人形(ドール)にされてしまったろうか。

 

 強制奴隷化の手術を受け、口腔(くち)を性器に、ヴァギナに真珠を埋められ、肉襞(ひだ)を都合よく改変されて。

 高価な愛玩人形となった彼女の姿。

 いやらしく女の部位を飾り立てられ、理知的だった彼女の面差しが、洗脳された挙句、トロンと色ボケに、男の精液を貪るだけのミルク人形と化してしまう光景。

 

 ――はやく、何とかしないと……。

 

 だが、そのリーク先がまったく見当もつかない。

 

 『ドラクル』のデータ。

 そして『タチアナ』の映像記録。

 『リヒテル』は――あの得体のしれない上級大佐は、ダメだ。

 本能がそう告げている……なぜかは分からないが。

 

 「どうした――座りたまえ」

 

 護衛は『九尾』にラウンジのソファーを示すと、自分はガラスのテーブルを(はさ)んで反対側に腰かけた。

 

 「死体を見たワリには、意外に(キモ)がすわっているな?」

 

 いいコトだ、と護衛は上から目線で(うなづ)いた。

 『九尾』は人形(ドール)にされた『タチアナ』の想像に勃起しかけた股間をさりげなく直し、ユルユルと座る。

 

「なんだ?C・ベルト(貞操帯)を装着されたのか?」

「いえ、なんでもありません」

「そうか……身ごなしがヘンだったのでね。心配した」

「あれ?」

「なんだ?」

「今日は、ヤケに話すんですね。いつもはブスッとしてるのに……」

 

 『九尾』の言葉に護衛役は苦笑し、

 

「実をいうと、私がキミにそっけなかったのは、遠距離盗聴を心配したためでね。校内では規則で親しくできないし、公用車の中にはレコーダーが仕掛けられている。余計な会話をしてキミからボロを引き出したくなかったのだ。電磁処理をされているこの図書館ならば――その心配はない」

 

 男は、今までとは打って変わってくだけた口調で、

 

「さて――ところで候補生『九尾』。キミにひとつ、吉報がある」

「吉報……ですか」

 

 胡散くさげな顔で『九尾』は相手に対し一瞥(いちべつ)をくれた。もはや“おとな”の言葉というものを、すこし信用できなくなっている。彼は目の前の人物を「ビェルシカの目」で値踏みした。

 

 現場の人間にしては仕立ての良いスーツ。

 ネクタイの趣味も良い。Yシャツも同様。

 「ペリカン」の限定ボールペンに、翡翠(ひすい)のカフス。

 

 ――けっこう“ボレる”客だ。

 

 の目で、品定めをした『成美』の感覚が、奉仕の段取りを組み立てる。

 

 【準一級】のスィート席。

 ビェルシカのヘルプを2人ばかりあてがって。

 少年趣味がないなら、フロアのバニーガールさん達を添えてもイイ。

 シャンパンは「SALON」を頼めるだろう。

 

 辛らつに考えながら、彼は男から言われたセリフを反芻(はんすう)してみる。いままで“いいニュース”と言われた報告で、ロクなものはなかった。それよりも、何とかして内ポケットにある『ドラクル』のデータを、2Fのブースで確認したい。何とかして、目のまえでスカした風情のまま座りこむ護衛を、出し抜くことは出来ないだろうか……。

 

 テーブルの向こうで眼を光らす少年に、男はフッとみじかく嗤い、

 

「興味ないのかね?――あぁ、それと。キミが持っているそのデータの読み出しは、諦めたまえ」

 

 いきなりズバリと、この護衛は核心をついた。

 

「通常の情報リーダーでは読み出せないプロテクトがかかっている。たとえそれを突破したとしても、暗号の羅列だよ」

「……」

「それにおそらく生データを見たとこで、その重要性の判断は、キミにつくまい」

 

 いいかね?こういうことだ、と護衛はテーブルにやや身を乗り出し、

 

「キミが“彗星Ⅱ”から持ち出したメモリー・ユニット。これをいまだ手もとに置いている事こそが重要なのだ」

「……と、いうと?」

 

 男が得たり、と(ワラ)う。

 思わず反応した『九尾』は(しまった)と唇を噛むが、後の祭りだ。

 

「ほぅ、ようやく食いついたねぇ?つまり、そのデータが【どこにも行っていない】こと、そして【誰にも解析されていない】ことが、東と西との、そして東の中でも複雑に絡み合う各セクションの均衡(バランス)を保っているのさ。そして何より――()()()()()()()もね?」

 

 空調機のかすかな音。

 いいかげんクタびれたソファーの座り心地の悪さ。

 もものウラにかいた汗と、ジットリと凝固する雰囲気。

 

 彼の頭は通常生活でのレヴ・リミッター限界まで高速回転し、言われたことを考える。

 

 1)大前提として、“おおきな手”はいくつもあるようだ。

 

 2)“手”同士は、おそらく相剋(そうこく)しあってる。

           予算か、利権か、影響力にしのぎを削って。

 

 3)そして全ての“手”が、現在の均衡(きんこう)を崩すくらいなら、

           ()()()()()()()()()()()とさえ考えている。

 

 4)あるいは、メモリー・ユニットが持つ情報。

           その性格。また希少度が現在のところ未知数――らしい。

 

 こんな中では、情報のいちばんいい引き取り手をさがすのは――困難……。

 

 ――いや、むしろ誰も引き取りたがらないんじゃないのか?

 

 そう考えた彼は「お返し」とばかりゆさぶりをかけた。

 手持ちのカードからスペードのエースを相手に差し出すように、

 

「コレがソレですよ――ホラ」

 

 何気ない手つきでユニットを取り出し、ガラス・テーブルの上にコトリと置いた。

 いきなりの反応に、こんどは護衛のほうがギョッとした表情(かお)

 しばらく空調機の音だけがながれた。

 ややあってから、相手はカスれた声で、

 

「これが……捜索対象:C5-ユニット65b……」

 

 あえぐような声で言ったあとは動かなくなる。

 それを見た『九尾』は切々と、あたかも訴えるように、

 

「この記録は、ボクとサー『ドラ……先輩が、文字どおり自分を切り刻んで、命をギセイにして持ち帰ったモノです。まっとうな引き取り手を、コイツは望んでいます。護衛さんは、その部署(セクション)をご存知ですか?」

 

 『九尾』は相手を()ッと見つめる。

 

 純粋な想いを、彼は視線にこめた。

 ウソいつわりのない、ほんとうの回答を。

 何のごまかしもない“護衛”ではなく、この男()()が持つ答えを期待して。

 

 沈黙があった。

 やがて、ドッと護衛はソファーに背を投げた。

 

「このユニットのために――何人死んだか、知ってるか?」

「……」

「私に言えることは、ただ一つ。()()()()()()()()()()

「え”」

()()()()()()()()()()()。捜索担当グループでもないしな」

「ひどい……」

 

 護衛の男はやれやれと首を振って、

 

「なにがヒドい、だ……ハナシには聞いていたがキミってヤツには驚かされるなァ。こう言っちゃ失礼だが、いままで疫――いや、なんでもない」

 

 うふっ、と『九尾』は(わら)って、

 

「“疫病神”ですか?ありますよ。ボクにむりやりオッ〇〇と、お〇んこ、付けようとした洗脳・調教係が、たしかそんなコト言ってましたっけ。それにあの店の……」

 

 店長(イツホク)も、と言おうとして『九尾』は思いとどまる。

 なぜだかあまり他人には知らせない方がいいような気がしたからだ。

 護衛の男は手をヒラヒラと打ち振って、

 

「……まぁいい、自分の危うい立場が分かったろう。以後は突発的な行動はひかえてくれ――そうそう、話が脱線しすぎて、すっかり忘れるところだったぞ?さっきの吉報の話だ」

 

 男はスーツの前ボタンをかけて姿勢をただし、

 

「おめでとう、一級航界士候補生・『九尾』。このたびの雲海探査の功績を評価して、宮殿より[金枝付[王賜]翼十字章]の授与が決まった」

 

 ふぅん、と『九尾』は口唇(くち)をへの字にする。

 いまさらナンだぃ、という感じ。

 それに何だか、またもや“大きな手”の気配。

 

「勲章ですか……」

 

 しらけた表情が彼の顔に浮かぶのを看た護衛は、

 

「どうした。うれしくないのか。翼十字章だぞ?しかも金枝付き、おまけに“王賜”だ。ここ十年がトコは、授与のない勲章だ」

「先輩と――サー『ドラクル』といっしょなら嬉しかったかもしれません。自分だけもらうのは、気が引けます。それになんだか翼十字章なんて現実感がなくて」

「いやいや、もちろんキミの先輩も受章の対象だ」

 

 と護衛は驚いたようにあとをつづけ、

 

「さらに彼は二階級特進で正式に航界士となることにより、墓所は中央慰霊大聖堂扱いとされた。もうレリーフと遺品は、収められたはずだ」

「え……」

「キミには済まないコトになったが、尋問をうけているあいだに直葬が済んでいるのだ……雲海で行方不明になったものは、葬儀が簡略化されるのが暗黙のきまりでね。このまえのような盛大な慰霊式は特例なんだよ」

 

 ――龍ノ口先輩の……サー『ドラクル』の、墓。

 

 なんだか全然ピンとこない。

 

 それよりも『九尾』は、中央慰霊大聖堂といえば、別に行きたいところがあった。そして自分は墓への供物を買う金にすら不自由していることにも思いあたる。

 彼は、いくぶんテレながら、

 

「なんか……余禄(よろく)とか、あるんですかネ?」

「余禄?」

「お(かね)とか、もらえたりして」

「なんだ?……いきなり(ぞく)っぽくなったな。知らんよ、拝領しに行けば分かる」

 

 ハッ、と『九尾』は、次にあることに思いあたり、

 

「勲章は、百合の殿下(第三王女)から頂けるんですか?全・航界士の長だから、たぶんそうですよね!?」

「なんだ?急に」

「殿下の供回りについていた秘書官のことで、ひとつお聞きしたいことが……」

「さて?直々の声掛けは――許されていたかなぁ」

 

 護衛は首を傾げるが、

 

「――ま、それも行けば分かるだろう……」

 

 



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077:叙勲式のこと、ならびに園遊会のこと

BGMは
【Jean-Baptiste Lully 『Ballet de la nuit』】 をggったあたりで。

You tubeなどで聴きながらお読みください。



 

 19世紀に描かれた“歴史画”とよばれるジャンルの大作。

 その大判な絵画とよく似た壮大な光景を『九尾』は目の前にしていた。

 

 豪華、広壮きわまりない宮殿。

 古風な衣装にて着飾った、王宮の人びと。

 凱旋(がいせん)の報告を、王と臣に披露する遠征軍の司令官……。

 

 ちがうのは自分がその画面の中に入り込み、勲章だらけの豪奢な殿上服を(まと)って陪席する錚々(そうそう)たる大臣や高官たち、あるいは高級秘書官や小姓などといった人々で構成される万座の注目をあびつつ、王女の前から伸びる緋色のじゅうたんを、規則にのっとった歩調であゆむ登場人物(主人公)()()()()となっていることだった。

 

 大礼服と呼ばれる、仰々しさここに極まれりといったデザインの礼服。

 三流校である瑞雲では、いまだかつて誰も纏ったことがない衣装と聞いている。

 

 その暑さと堅苦しさ、なにより重さに耐えつつ、三歩――また三歩。二歩――また二歩。

 礼法にのっとり、面を伏せたまま、静々(しずしず)と王女のもとへ歩みゆく。

 

 うつ向いたまま背後の気配をさぐれば、担当の護衛が部下とともに、これまた随行役の重々しい宮廷服を着せられ剣をささげつつ、仏頂面(ぶっちょうづら)で自分の斜めうしろに付き従う空気が。ザマミロ、と悪戯(いたずら)っぽく『九尾』は胸のなかでクスッとして。

 

 だが、このとき居ならぶ大勢の人びとのなかで、抑えきれぬヒソヒソ声。

 

 (……『成美』?

 

       ……『成美』!?

  

             ……『成美』!!)

 

 ザワザワとした声が、次第に大きくなってゆく。

 

 ――やばい……。

 

 『九尾』は首すじに冷や汗。

 

 もしや“七つの舞い(あのとき)”の映像が、すでに公然と出回っているのでは……。

 瑞雲校の仲間たちにバレたらイヤだな、とも思う。

 フルチ〇のまま、ステージでドヤ顔する自分を知られるのは、なんとしても。

 だが、シモーヌたちの口が軽ければ、もう知れわたっているやもしれない。

 

 そんな彼の逡巡(とまどい)を払うがごとく、床に打杖(だじょう)の音が三度(みたび)

 時を同じくして、謁見する広間が述べられた建屋の両隣なる鐘楼から、高らかに澄んだ音が響きだした。

 慰霊大聖堂の陰々たる響きとはちがい、明るく、華やかな音色が、冬の名残を雲の形に残す青空に吸い込まれてゆく。

 

 ――いけない。集中しなきゃ……。

 

 規定に従い、拝謁者たちは歩みをとめて片膝立ちに平伏する。

 

()えある修錬校――“瑞雲”!……()かる錬成校の所属なるゥゥ、一級・航界士候補生『九尾』ィィィ!――立ちませぇぇぇい……!」

 

 遠方から、王女の(かたわ)らに立つ老侍従が(ふし)をつけ高らかに叫んだ。

 

「苦しゅうない――(ちこ)ぅ」

 

 王女の静かな声が、儀典用の指向性・音響波にのってやってきた。

 あれ、と『九尾』はうつ向いた(おもて)に失望を浮かべる。

 

 ――この声は……。

 

 背後につきしたがう随行役を礼法どおりその場に置き去りにして、彼は単身、玉座の前で佇立する王女の御許へとちかづく。

 

(おもて)をォォ……上げませぇぇェェェ……い!」

 

 朗々(ろうろう)たる老侍従の声が天井のホコリを吹っ飛ばすいきおいで。。

 おそるおそる顔を上げると……謁見用ドレスをまとった“蘭の王女”のやわらかい微笑。

 『九尾』は教わった通り、すぐに顔を伏せてイヤイヤをした。

 この礼法に彼は助けられた。

 なんとなれば失意の表情(かお)を、すぐに伏せることが出来たからである。

 

 ふたたび顔を上げろとの老侍従の声。そのたびに、

 

(なりませぬ!あまりに恐れ多く、お(かんばせ)を拝見できませぬ。どうか――どうか、ご勘弁を!)

 

 という大仰な身振り。

 決まりどおり、都合(つごう)三度目に王女が、

 

()い――苦しゅうない。面をみせい」

 

 このように声がかかった時には彼も心の準備ができ、失望を注意深く隠すことができるようになっていた。

 

 あいも変わらぬ柔和(にゅうわ)な第二王女の表情。

 (おとがい)の二重あご。そして福耳ともあって、平安美人の目もとがパッチリしたVer(ヴァージョン).か東南アジア事象面の石窟寺院に残る壁画を想わせる。

 

 柔らかな声音(こわね)が緊張する航界士候補生の耳をくすぐった。

 

「そち、変わらず息災そうじゃの。こたびの帰還、なによりである」

「は、殿下のおかげさまを持ちまして――」

 

 決まり切った向上をのべながら、彼は不意に気づく。

 

 目のまえに威風堂々、佇立する第二王女。

 

 顔は穏やかにほほ笑んでいるが――眼が笑っていなかった。

 肩から背後から、厳しい気配をオーラのように煮えたたたせて。

 顔つきは以前と同じなのだが、受ける印象が異なるのは……何故(なぜ)か。

 

 相手から漂う雰囲気。そこには優しさなどない。

 あるのはただ、

 

 冷徹。

 峻厳。

 荒涼。

 尊大。

 

 そして――酷薄(こくはく)

 

 『九尾』は、そこにまぎれもない“大きな手”を()てとった。

 妥協のない、数理学的に一本の鋼線めく緊張で成り立つ公式のような。

 だが相手は、そんな彼の印象を祓うかのように、いかにも優しげな声音で、

 

「こたび、そなたに褒賞(ほうび)を授けるは、我らとして欣快(きんかい)のいたりである。東宮も、そなたの更なる精進を期待いたしておると、左様しかと心得よ」

 

 考え事をしていた『九尾』は一拍おくれる。

 

「――ハッ!ありがたき……幸せ。御意、(きも)に銘じましてございまする」

 

 儀典長の合図により、宮殿礼奏隊が祝典序曲を。

 

 王座の奥から、巫女のローブを着た三人の女官があらわれた。

 それぞれ天鵞絨(ビロード)のクッションを(うやうや)しく捧げつつ、歩みも静々と入ってくる。

 

 (いち)なるクッション上には、長剣。

 一なるクッション上には、巻紙。

 一なるクッション上には、小箱。

 

 演奏が()んだ。

 森、とする中、あけ放たれた大窓のならびから、春の鳥の声が。

 

 巻紙を載せた巫女が老侍従の面前にすすむと、この名誉職の老人は封蝋を折り破り、おもむろに巻紙をひろげて年寄りにしては驚くほどよく響く声で、

 

 ・目の前の航界士候補生に[金枝付(王賜)翼十字章]を授けること。

 

 ・候補生のうちでこれを授けられるのは稀有(けう)であり、非常にめでたいこと。

 

 ・東宮における吉祥であり、王宮における今後の政務の弥栄を予見させること。

 

  ――等々が縷々(るる)述べられる。

 

 やがてふたたび礼奏隊が短く一奏して収まりかえる。

 

 『九尾』は侍従長にうながされ、王女の面前にすすみ出た。

 小箱を載せたクッションを捧げ持つ巫女が近づく。

 第二王女は、彼だけに聞かせるようなささやき声で、

 

「サー『ドラクル』のことは残念でした……貴殿だけでも帰投が(かな)い、嬉しく思います」

 

 特定シナプス促進波の効果だろうか。

 グッ、と『九尾』の胸が圧搾されたように詰まる。

 彼は(その手に乗ってタマるか!)と全身全霊をかけて踏みこたえ、

 

「お言葉を賜り、恐悦至極であります。“故翼(亡き者)”も泉下で喜ぶかと存じます」

 

 『九尾』の(いら)えに第二王女は莞爾(ニッコリ)とほほ笑んだ。

 だが笑っていない目が、仮面の奥からのぞくように彼を観察する。

 『九尾』は、まるで丸裸のまま検査機器のまえに立っている心象。

 

「たくましくなりましたね――貴官(あなた)は」

 

 小箱がひらかれ、むっちりと、それでいて象牙のように白々とした手がリボンを広げると、華やかな勲章が下がるその輪を、(こうべ)を垂らす『九尾』の首に下げた。

 

 首の後ろの重み。

 

 それが『九尾』には、先輩の命と引き換えにして得た重さのような気がして仕方がない。あるいは、ややもすれば「自分だけ還ってきた」という“卑怯者の証”めいた重さにも。断頭台の刃が、自分のうなじにのしかかる印象がうかぶのは、そのせいだろうか。

 

 結びに、長剣を捧げ持つ巫女が近づく。

 

 王女は(さや)から刃を抜きはなつと、『九尾』の首、左右の頸動脈あたりに押し当てる。

 冷ややかな(はがね)の感覚がギロチンの印象をつよめて彼をおののかせたのち、ふたたび納刀されると、王女から長剣を受け取った巫女が優美な手つきで彼の腰に()かせた。

 

 巫女が王女の傍らに下がるのをまち、やがて(ころ)()しと(くだん)の老侍従長が、

 

(コト)ハ――成就セリ!」

 

 外象人の古語で叫ぶや、ふたたび礼奏隊の演奏がはじまった。

 (がく)()に乗じ、『九尾』たち一行は、謁見の間からゆるやかに歩みさる。

 

 次の謁見者と入れ替えに、四人の背後で大扉が(とざ)されたとき、はぁっ、と彼らは詰めていた息をはいた。

 「謁見の間」の外で控える大勢の者たちに気づかれぬよう、ヒソヒソ声で、

 

「汗ビショビショだよぉ……」

「それはこっちも同じだ。候補生『九尾』!」

「まったくキミってヤツぁ、ひとを巻き込まずには()かないな!」

「だが、おかげで先日の失態がチャラになったんだ。文句も言えまい」

 

 

 最後の一人は、『九尾』が西の工作員におそわれかけた事案が、かえって工作員を(あぶ)りだせたという結果オーライな功績のおかげで、護衛三人の首のつながった事を話題にした。

 

 ここには盗聴システムが無いのか、普段ぶっきらぼうな大人たちの口が軽い。

 

上層(うえ)の怒りときたら、それは凄かったからな」

「あやうくアリューシャン事象面に左遷(させん)のところだった」

「海霧と寒さにまみれながら、昆布と鰊の漁獲高を報告するだけの日々なんだぞ?わかるか『九尾』クン?しかも暖房手当なしで!」

「まったくな。おまけに水揚げがへったら、コッチの責任になるらしい。そんなに“数字”が欲しけりゃ自分で漁に出てみろと!営業マンじゃあるまいし!!」

 

 護衛たちは口々に文句を言う。

 

「――さ、この後は園遊会だ。われわれも会場に行って、準備しないと」

 

 最後に『九尾』の身辺を警備する護衛が、配下をひきしめる。

 

「おエラいさんたちに混じっての警備だ。難しくなるぞ」

 

 配下の二人は、いったんくつろげた首もとをなおしつつ、そのうち片方が、

 

「知ってるか『九尾』クン」

「なんです?」

「園遊会でな」

「はぁ」

「キミに女神か、ニンフのコスプレをさせて撮影会する予定があるとか」

「――は?」

「キミのファン、なまじ力持っているから、宮殿の儀典部も文句言えないらしい」

 

 えー、と九尾は絶句する。

 

 ――また女装ですか……。

 

 『九尾』はゲンナリする。

 メゾン・ドールと縁を切って、そういった色モノとは関係が無くなったと思っていた。しかし“成美”という鏡像(アイドル)は、一部の界隈に自分でも知らぬうち相当の衝撃(インパクト)を与えたらしい。おまけに女らしい体つきにしたクスリの効果はなかなか抜けず、いちど思い切ってスーパー銭湯に行ったが、周りからジロジロみられ、おまけにウッカリ入ったサウナの上段で、周りをタオルの下で勃起させた兄さんたちに囲まれてしまい往生したのだ。

 

「西側からも、来賓が来ているらしいな。本院の警備連中もピリピリしてる。これもどうやらキミが目当てらしい。向こうの大僧正はじめ、[存技研](存在技術研究院)はもちろんの事、さる華族の名門まで……」

「もー、あっタマきた」

 

 『九尾』はガン!と儀典用長靴(ブーツ)を踏み鳴らし、

 

「こーなったら、いっそのコト、バックれちゃいましょう!」

 

 よし!決定!※と加藤武の身ぶりで(りき)みかえる『九尾』に、

 勘弁してくれ、と護衛たちのウンザリ顔。

 

「そうなったら、こんどこそ我々はクビだよ。しかも懲戒(ちょうかい)扱いで……」

                  

 

 春も間近ではあるが、陽が雲にかくれるとまだまだ寒いこともあり、老人たちの体調をきづかって、王宮に隣接する広大な温室庭園での園遊会となる。

 

 それはさながら、ちょっとした「宮廷絵巻」めいて、見る者の眼前に繰り広げられた。

 

 数百人は臨席するだろうか。

 制服や礼服、あるいは古風な衣装をまとった人々。

 周囲を警戒する騎馬衛士。

 手回しオルガンや、風船売り。

 道化のジャグリングなども交わって。

 

 子供らはコーギーやテリアといっしょに芝生を駆けまわり、大人たち――とくに高官たちや権勢者は――紅茶茶碗やシャンパンを満たしたフルート・グラス片手に、テラスや東屋(あずまや)での名刺交換や談笑、あるいは生臭いウラ取引などを繰り広げている。それは『九尾』の叙勲祝賀会にかこつけて行われた、東と西との非公式な外交会議といってもよかった。

 

 ドレスをまとった老嬢に“引っぱりだこ”となりながら、またもや『九尾』は、アカデミー派の大作絵画に入り込んだ気分を味わう。あるいは20世紀初頭のポショワールか。

 

 おだやかな賛辞と微笑。

 女性たちの人気者になった彼を見る、青年紳士たちの(ねた)み混じりな表情(かお)

 “お行儀”のよい雰囲気に、様々な質問と、当たり障りのない答え。

 

 そして――

 

 あちこちからカメラ越しの視線や、3D撮影機材の気配。

 

「候補生『九尾』どの――恐れ入りますがまたコチラに……」

 

 民間の権力者や、政府高官、制服組への挨拶と愛想笑いに疲れ果て、いいかげん腹の減ってきた『九尾』が、古風な装束をまとう給仕が捧げ持つトレイから、焼きたてのスコーンをツマもうとしたとき、またもや彼は呼び止められる。

 

 見れば、三段に並んだ宮中の人々が古めかしい大判カメラをまえに、中央を空けて待っているのだった。

 しかし、彼は嫌な顔一つせず、園遊会まえに中年の儀典長から鏡をまえにして叩き込まれた“品のある微笑”をうかべ、あちこちからの要求に応える。護衛役の三人は、そんな彼に付かず離れず、さりげなく身辺をガードして。

 

 とくに“西ノ宮の大僧正”が『九尾』にみせた執着ぶりは半端ではなく、彼はいくども礼服の上から、さり気ないそぶりでチソチソを触られる。それを他の者たちまでもが、我も我もと。まるで、ビェルシカに逆戻りしたかと思われるほどに。

 蘭の王女は、男たちに貸しでも作るつもりなのか、そんな状態を微笑み混じりに見て見ぬふりで。

 

 酒もひとしきり行きわたり“ご歓談”もたけなわとなったころ、西ノ宮の大僧正から“一風変わった趣向”として、『九尾』に仮装させるという、気まぐれをよそおった提案が出された。

 

 この提案は、着かざった会場の来賓からから拍手喝さいをもって迎えられる。

 満座が注視する中、不可(いや)とは言えない『九尾』だった。

 

 室内庭園のはずれに設けられた着替え室にゆき、用意された衣装をみたとき、

 

 ――あぁ……また……。

 

 脱力が『九尾』の肩に、のしかかってきた。

 ビェルシカの奉仕着と変わらない、煽情的な装い。

 悪夢の夜会での記憶がフラッシュバックする。

 ちょうど、ミラ秘書官の姿を思い出して。

 

 しかし、そんな彼の落胆をよそに、スゴ腕と見えるふたりの着付け係とボディ・メイク担当、それにスタイリストとメーキャップ・アーティストたちは、寄ってたかって『九尾』を『成美』に、いやそれ以上の美女に仕立て上げてしまった。

 

 バイオ・パーツによる人工の隆起(メリハリ)

 女体を厳しく(いましめ)るボンデージ・ハーネス。

 からだのあちこちに装着された多種多様な性具。

 肌の透けるピンク色薄物をまとい、各種のアクセサリー。

 ペディ・キュアを塗られた脚には編み上げサンダルをはかされて。

 豊かな赤毛のヘアピースを被せられた上からオリーブの冠。背には短弓。

 おまけに喉頭鏡を挿入され、簡易的な手術で、またも声を高音にされてしまう。

 

「さぁ、お尻を出して?」

「え、あの――また貞操帯を?」

「このヒヒ爺ィの群れに貴女(あなた)のようなコを無防備で?」

「自衛のためもあるのよ?なにかあってからでは遅いんだから」

 

 女たちは『九尾』の後ろにアナル・プラグをハメこみ――

                前は女陰(おマ○コ)を模したバイオ・パーツを装着する。

 最後に品のある化粧を()かれ――

    “彼女”の出来栄えを看たスタイリストたちは声も出ない。

 

「いいこと? 貴女(あなた)はこの園遊会のひととき“狩りの女神”なんですからね?」

 

 ココ・シャネルめく初老の監修者が出口に向かう“女神”を呼び止め、耳の後ろに軽く香水をなすりながら、おしまいにひとこと彼に助言を与える。

 

()びず、引かず、顧みず。(りゅう)として、あくまで堂々とふるまいなさい。相手が王女とて、容赦をしてはなりません」

 

 ○斗の拳のような(はげ)ましをもらい“美女”となった『九尾』は勇躍、おもてに出た。

 控え室の外では、護衛の三人が所在なげに佇んでいた。いつものメインな一人は、彼に背を向け、どこかに定時連絡をとっている様子。

 

 悪戯(いたずら)心をおこした彼は、

 

「――まえを、ゴメンなさい?」

 

 そう言い放ち、配下二人の目前を、堂々と通りすぎる。

 やはり。彼等は目の前を通り過ぎる人物が『九尾』だとは気づかない。

 その片方が長い口笛で、短い薄物からチラ見えする彼の○○を冷やかして。

 男たちの熱い視線を背中にあびつつ、即席の“女神”も、まんざらではない気分。

 

 芝生の上を単身()けば、自分の衣装があまりに軽やかで心もとなかった。

 

 ――温室が園遊会の会場でよかった……。

 

 肌の透ける薄物ごしに、自分の肢体を診て『九尾』は思う。

 この格好で外の庭園は、ちょっと寒い。

 腕輪。ブレスレット。耳飾に、アンクレット。

 これら装具を閑雅に鳴らしつつ、歩みも静々と会場のほうに向かいながら、

 

 ――それとも……これも、織り込み済みなのだろうか。

 

 “大きな手”による支配。

 逃れようとした者は……どうなる?

 

 第47強行探査グループ・第3大隊。

 『ホスロー』上級大尉殿の声が耳に残る。

 部隊は“消滅”したと伝えた『カロン』の通信。

 もしや、あの探査ユニットも“大きな手”に……。

 

「いかが致した――そのようなところで」

 

 急に声をかけられ、いつのまにか室内庭園で根を張った大樹の陰で足を止めていた『九尾』は、われに返った。

 

 




※オリジナルは、もちろん「よし!分かった!」です。

これも当初の予定にはないパートで難渋しております。
次から次へと作者も知らない登場人物が勝手に……。


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078:小さな暴君のこと、ならびに西の大僧正のこと

 

 

 

「いかが致した、そのようなところで」

 

 いきなり声をかけられ、いつのまにか大樹の陰で足を止めていた『九尾』は、われに返った。

 

 うろたえ気味に豊かな赤毛(ウィッグ)を掻きあげて声の方を見れば、メゾン・ドールに所属するビェルシカはもちろん幼年のパピヨンでもこれほどの美形はいないだろうと思われる小〇生ぐらいの子供が、ふくらみ袖のついた白いルパシカに革ひものベルト、それに紺の半ズボンといった姿で立っている。

 少年は、ときおり吹く空調の温風に栗毛いろをした髪をゆらしつつ、

 

「そなた『九尾』であろう?――みなの者が、まっておるぞ?」

 

 落ちついた口調に物越し。

 教育の行き届いた品格を感じる。

 着ている服も、いい素材を使ったものだ。

 

 ――たぶん権勢を誇る家門の子弟だな……。

 

「これは――失礼いたしました、閣下」

 

 察しをつけた“女神”は、如才なく一礼。

 しかし女声にされているので、何となくナヨナヨ心もとない。

 着せられた薄物も(みだ)らめいて、この少年の前では気恥ずかしく思えてしまう。

 

 すると、この子供はゆるやかに頷き、

 

「うむ、ウワサどおりの見目佳(みめよ)しぢゃ。みなが()()()()()騒ぐのも()()()()()か」

「恐縮でございます……閣下」

 

 成長抑制剤(クロノス)か?と『九尾』は気を引きしめる。

 風格に妙な重みがある。歳に似合わぬ視線の据え方も警戒の要素に。

 ひょっとすると、外形をいつわった姿をもつ政府の実力者かもしれない。

 

「これ、そのように堅苦しくするでない。(ちん)とて気づまりぢゃ」

 

 そういって、少年は女神の姿をした『九尾』をまじまじと見つめる。

 

 “朕”か、と『九尾』は記憶をさぐった。

 確か西側の華族社会の子供が、そのような尊大ぶった物言いをすると聞いたことがある。英才教育で、将来は中央政界にノしてゆく温室栽培の個体。いずれにせよ“大きな手”と繋がりのあることには変わりない。

 警戒をする彼をよそに、少年は相変わらず女神の姿をした『九尾』をジッとみつめて。

 

「如何なさいまして……?」

「うむ――うむ――」

 

 しばらく相手は沈思黙考するように。

 次いでなにを思ったか、この“小公子”は悠揚(ゆうよう)せまらず歩み寄ると、おもむろに『九尾』の手をひき、いかにも自然に近くの白いベンチへと(いざな)った。そして最初に自然なしぐさでベンチの埃を払ってから“女神”を座らせると、自分は距離をおいてその横に座る。

 

 相手は、しばらく言葉を探しあぐねるようだったが、やがて、

 

「どうぢゃ――“学校”と申すものは、(たの)しいのか?」

「……と、申されますと?」

「朕は、学校とやらに行ったことがない。聴けば同年代のものが集まり共同教育をうけ、たいそう楽しいものだと申すではないか」

「――貴方は?」

「朕は家門の専属教師が分野ごとについてな。すでにバカロレア(大学入学認定)を取って、各方面を学んでおる。哲学はもちろん、ラテン語から――存在生物学から――比較事象面解剖学まで」

「……お忙しそうですね」

 

 忙しい?と小公子は驚いたように眉を上げ、

 

「いやいや、そなた達「候補生」に比べれば、それほどでもない。単に(ことわり)を学ぶだけぢゃ。人間の、社会の、事象面の。それもきわめて精確に、それゆえ冷酷に。俗に申す“帝王学”なるものよ」

「はぁ……哲学ですか」

「そもそも朕は“最大多数の最大幸福”という言葉が好かん」

「ベンサム、ですね?」

 

 『九尾』も、それぐらいは分かった。

 図書館でチラ見して(極めて理にかなっている)とは思ったのだが。

 この小公子は『九尾』の不服そうな顔に、

 

「そなたの言わんとしていることは、分かる」

 

 たしかに理論としては正しい、と一応うべなって見せてから、

 

「しかし(なが)ら、この理論を援用して、己の欲を満たそうとする輩が、この日本事象面には多すぎるのぢゃ……こんな不満は、端数を切りすてるのが眼目の帝王学を学ぶものとして、失格ぢゃがの」

「と――おっしゃいますと?」

 

 目の前の相手は、小さくため息をついた。

 

「それを議論するには、いまは時も場所も、そして何より立場が相応(ふさわ)しくない。だが、この話とは別に、ひとつ言っておく。皆が幸福になるためと称し、平準化を目指して境界のボーダーレス化を唱える(やから)に気をつけよ。彼らは他人に(みずか)らの好む(崇拝といってよい)“自慰”をおしつけ――それが認められぬや、とたんに狂暴となり、事態を破滅へとみちびくのぢゃ」

「……はぁ」

「よいか?“信仰”と“狂信”のあいだは――ただの一歩ぢゃ」

 

 目の前の小公子は重々しく(うなづ)いて、さらに口を開きかけたが……そのときふと、(いか)めしい表情をゆるめ、

 

「そなた……よい匂いがするの?」

「わたしが、ですか?」

 

 『九尾』は自分の二の腕を持ち上げてクンクンと嗅ぎ、纏う薄物も同じように。そしてシャネル似の貴婦人が、己の耳の後ろにつけた香水に思いあたる。

 

「そうではない――もそッと朕の方へ来ぬか!」

 

 うってかわり苛々(イライラ)と我がままになる小公子。

 女神役が自分のほうに尻をうつすと、この小公子は臆面もなく女神の首筋につめたい頬を押しつける。

 (もだ)すこと、しばし。

 

母様(ははさま)の……匂いぢゃ……」

 

 そのままウットリと『九尾』に抱きつき、ヒシとちからを込めて。

 尊大な“小公子”が、きゅうにひとりの子供にかえったよう。

 貴婦人がつけてくれた香水の銘柄が、偶然この子の母親がつけるものと同じだったのだろうか。

 “女神”役の『九尾』は、少年の背をゆっくりと撫でる。背骨の感じが(てのひら)にあきらかな、やせた背中だった。

 

 秒針が、ゆうに回っただろうか。やがて少年は呟くように、

 

「朕は……朕は、母の愛をよう知らん。だいぶ前に泉下にうつられた」

 

 小さな背中をすこし震わせながら、ためらいがちに告白する。

 

「そなたと居ると……居ると……母様といっしょのようぢゃ」

 

 小さな声が、嗚咽を抑えるように。

 しばらくそのままだったが、ややあって、少年はグシグシと目もとをコスり、

 

不可(イカ)ん、不可(イカ)ん。こんなことでは、お祖父(じい)様に叱られる」

 

 栗毛なその頭を、『九尾』はやさしくなでた。そして自分でも驚くほど“母性”が胸のうちに湧きおこっていることに気づく。

 

 もしや――と、一瞬ヒヤリ。

 

 メゾン・ドールの調教で、新たにOдержимост(浸透型・防衛自我)ьを植えつけられたのか。料理屋風情にしては生体改造設備の整った部門をもつ、あの店ならやりかねない。

 

 ――いや……ちがうな。

 

 『九尾』はすぐに否定する。

 いま自分の胸に広がる、暖かく、そしてどこか哀しい心持は“あの料理屋”で植え付けられるような、肉欲を(ひさ)ぐためのメス奴隷に必要な“下卑た心根”とはまったく異なる。いま自分を支配する情動は、言ってみれば高貴な、そして子を想う母のような慈愛に満ちあふれた優しいものだった。

 “女神役”は少年をソッと抱きしめるようにして、

 

「おじいさまは――キビしい?」

「……うん」

(つら)いことが多いのですか」

「勉学や口頭試問が不出来であると、朕を打擲(ぶつ)のぢゃ。(ステッキ)で」

「まぁ!……イケないおじいさまネ?」

 

 黙したまま、コクリと首もとでうなづく気配。

 

「でも。きっと、おじいさまも寂しいのね」

「寂しい?あのお祖父さまが?」

「娘サンを――あなたのお母さまを亡くして、ガッカリしてるのですよ、きっと」

「そうかのぅ……」

 

 話しかけながら、『九尾』は疑問に思う。

 なぜ、()()()()母親が、そのイケ好かないジジィの愛娘(まなむすめ)だと分かるのだ……?

 密かに疑問をうかべる“女神役”をよそに、少年は「ふぅーっ」と、気息をととのえ、名残惜しそうに『九尾』から身体をはなす。

 

()い――大儀であった」

 

 そう言うや威儀をあらため、

 

此度(こたび)は、そなたの叙勲式に臨むつもりは無かった――ぢゃが、家僕から不穏なウワサを耳にしての」

「どのような?」

「――むム……」

 

 小公子は言いよどむ。

 しばらく逡巡(ためらい)するようだったが、やがて、

 

「そなたに(そで)にされた(われ)開陳(ひけらかし)の資格は無いものの、これも何かの(えにし)ぢゃ。やはりそなたが奴婢(ぬひ)になって苦界に堕ちるを見過ごすは、寝覚め()しきゆえ」

「ソデにした――貴方(あなた)を?まさか」

 

 ニコやかな『女神』に小公子はムッとして、腰に巻いた皮ひもに下がるポーチから、

 

「――見よ」

 

 小箱を開けると、大ぶりの輝石をあしらった指輪が鎮座していた。

 見覚えのあるピンク・ダイヤ。

 嫁ぎ先予定の家門から『成美』におくられた、婚約の証。

 

「これは!――じゃあ貴方が!わたしの……」

 

 『九尾』は改めて目の前の小公子を観察した。

 この年齢(とし)に似合わぬ落ち着きぶりは――なに?

 老成した魂だけが、少年の身体を借りているような。

 まさか強制憑依か、洗脳というわけでもあるまい。

 それとも英才教育は、このようにいびつな性格(パーソナリティー)を形作るのか……。

 

「これを突き返されたときは……目の前に影が差したものぢゃ」

 

 『九尾』の凝視をよそに、彼はフッと微笑して、

 

(をのこ)らしく思いを断つのに、ひと月かかってしもうた」

 

 だがもう(ウラ)み言は申すまい、という相手に対し『九尾』は、

 

「そんな、ソデにするなんて。あのときは生死を賭けた作戦を前にしていたから、お返ししたのですわ」

 

 彼は機密事項に触れない程度に『盟神探湯(くがたち)65B』のあらましを告げた。

 恐ろしい耀腕。混沌(ヌル)。そして自分の先輩が、還らぬ人となったことも。

 しかし、目の前の小公子は、それを半分も聞いていないようだった。

 

「では――では――!?」

 

 次第に頬を紅潮させつつ、瞳をキラめかせて、

 

「朕が(イヤ)となり(きずな)を破棄したのではないのだな!?――(いや)(いや)(たぶら)かされぬぞ!?朕の絵姿(えすがた)すら、そなたは踏みにじったと言うではないか!」

 

 絵姿ですって?と『九尾』は可愛らしく小首をかしげる。

 

「そのようなもの――頂いてはおりませんが?」

 

「――なんと!」

 

 そう言って、小公子は絶句する。

 紅潮していた頬は、こんどは色を(うしな)った。

 

「そこまでいたすか――“無礼(ぶれい)院”!」

 

 キリリとくちびるを引きしめた表情(かお)は、すでに為政者の風格を備えて。

 だが、つぎにいきなり家政婦(メイド)を値踏みするような、炯々(けいけい)とした炎を瞳にともすと、若干ふるえを帯びた声で、

 

「では――そなたとの間に、これで何の障壁(カベ)もなくなったわけであるな」

 

 いままで抑制されたものが、一気に少年の内から噴き出したような勢い。

 小さな体が、グィと“女神役”にのしかかって。

 

「その、なんとかという剣呑(けんのん)企図(さくせん)終了(おわ)ったわけであろう」

「あの――閣下?」

嗚呼(あぁ)厳神(かみ)照覧(しょうらん)!やはり大いなる存在はおはすか!家僕に伝え、いそぎ婚儀の支度を整えねば!」

 

 おまちください、と『九尾』は興奮する小公子を押しとどめ、

 

「わたくし――その――おとk……」

()い――()いではないか!なにも(問題)なし!」

 

 ふたたび小公子は、少年のような純粋な熱意で。

 そして、もはや乃公(おれ)のモノだと言わんばかり、いきなり“女神役”にだきつくと、豊かな乳房をけしからぬことに手荒に()みしだく。フライ・バイ・シナプス技術で、愛撫される感覚を直接、脳に送り込まれた彼は、()……と思わず身悶(みもだ)えして切なげな表情(かお)をうかべて。

 

 ――このB.(バイオ)P.(パーツ)

 

 感覚がメゾンのものより鋭敏だ、と『九尾』はひそかにおぞ気をふるう。

 これも西側の最新技術なのか。こんな敏感な感覚器を付けられたまま(なぶ)られたら……ッ。

 

「お(たわむ)れを――閣下、いけませんわ!わたくし――」

 

 声質(こえ)を変えられた所為であろうか。メス奴隷時分のクセが不意にでてしまう。

 ふむ、と少年は分別くさい思案顔をすこしばかり戻すと、

 

「やはりB.P.(つくりもの)ではモミ(ごた)えが無いのう。朕のところに輿入れすれば、美しい乳房(オッパイ)女陰(ホト)とを造って進ぜようぞ?待ち遠しいのう……それぞれ(ぜい)を凝らした飾り輪(ピアス)穿(うが)ち付けてやる。もちろん――子宮(こぶくろ)にもな?」

 

 “女神”は、高まりつつある淫欲に抗いながら、

 

「いったい――なにを仰って……」

「男だろうと女だろうと関係ない!朕は、朕は、そなたを欲しいのぢゃ!」

 

 ずばりと小公子は、目下に宣告するような口調で、

 

「遠からず我が家門に輿入れして、朕の足もとにひざまづき、我が家門の嫁として馴致され、朕を悦ばせるのぢゃ。そして当然のこと子作りに(はげ)んで、そなたに立派な世継ぎを産んでもらわねばの」

 

 そう言って、彼はコリコリとした乳首への愛撫をやすめると、“女神”の手をとり、やさしく指をひろげる。

 

「朕は母の愛を良くしらぬ。だが、そなたなら……朕に、その甘露を降らせてくれるやもしれぬと望みを抱いたのだ。これは過ぎたる願いだろうか?」

 

 あたまを(ボウ)ッとさせた『九尾』は、それを薬指にスルスルと嵌められてしまう。

 

「先も申したが――この品を返されたときは、悲しかったぞ?」

 

 少年は、『九尾』をなかば非難するように、

 

「これは亡き母様の形見でな?そなたはその安らかな思い出までも拒絶し、朕の心を砕いたのぢゃ。今日というこの日も、朕は、そなたの叙勲式に臨むのは本意(ほい)ではなかった」

 

 小公子は一瞬、室内庭園のガラス張りな天井を仰ぎ見て、

 

「だが――イヤなウワサを聞いてナ?心ならずもやって来た。“無礼(ぶれい)院”が、強制洗脳音波を使ってそなたを操り、婚約を強引に(うべな)わせ、成立させるとのハナシじゃ!」

 

 ――え……?

 

「そしていま、(じか)にまみえて経緯(いきさつ)を聞いた上は朕の心も変じた!恨み言を申すでないぞ?そなたの美しさが変えたのぢゃ。朕は今まで望むものはすべて手に入れてきた。地位も、名誉も、奴隷施術した美しき女性(にょしょう)も。そしていまは――そなたを望むのぢゃ!美しい雌奴隷に、メス母にして進ぜようぞ!」

 

 その時だった。

 (カッ)!とした怒りが、“狩りの女神”の満面に注いだ。

 

 女性(おんな)をモノ扱いにする――下種(げす)な輩!

 

 イツホクの、あるいはメゾン・ドールの高級会員の。

 そして何より『タチアナ』を嬲っていたバービー伍長の。

 あの下卑(げび)た欲望が、もうこの少年の心に巣喰っているというのか。

 

 自分が女体化調教を受けていただけに、その苦しみや哀しみを、心ならずも身体を差し出す辛さを知っている彼の怒りは、とどまることが無かった。

 

 なにが帝王学か。なにが哲学か。なにが上流か。

 組織の要枢(なか)にあって、己の欲求のため権力(ちから)(ほしいまま)にする存在。

 すべてに――すべてに――すべてに――わたり。

 下 品 極 ま り な い 連 中 !

 

 『九尾』の本気な怒りを(おもて)から読み取ったか、少年は初めて(ひる)む。

 

 ベンチからフラフラ立ち上がり、ニ、三歩『九尾』から距離をおいた。

 “女神役”も応じて立ち上がると、肩にかけた短弓をゆすりあげ、腰なるダミーの短剣、その柄頭(つかがしら)にて手を添え、あたかも戦陣において戦闘態勢に望むかのように。

 

 またも、彼の口は勝手に動いた。

 

「ずいぶんと品下(しなくだ)りましたね。お行儀(ぎょうぎ)も、悪くなったコト!」

 

 一瞬、少年はあっけに取られるが、女神の口調をうけ反抗的に(ほお)をふくらませ、

 

「なにを――控えい!無礼である!朕をだれと心得る。平民ふぜい――」

「お黙りなさい!」

 

 狩猟の女神の、ムチを思わせる一喝。

 それは、背伸びをした少年の心の臓を打ち、彼を兎のように(すく)ませる。

 

「よいか!女性をモノ扱いなどしてはならぬ!なんじゃ、(なんじ)のような年端(とし)もゆかぬものが、性奴などと!下品な!そのような願望を抱き、口にすることで汝自身の品格を下げているのが分からぬか!()の――うつけが!!」

 

 あうあうと口のはしをわななかせる少年。

 やがて、震えるあごで精一杯の抵抗をこころみて、

 

「でも――でも――そうしないと支配者に成れぬと……」

 

 女神は腰から短剣を抜きはなち、いきなり少年の鼻先に突きつけた。

 

(なんぢ)の思い描く支配者とは何か!

        王道(おうどう)をゆく為政者か!

             覇道(はどう)をゆく圧政者か!

 汝、姿見(かがみ)を改めよ!

    あたら酒池肉林を地でゆき、

      破滅の(うたげ)を繰り広げる亡国の臣そのものではないか!

                      何が性奴であるか!――(たは)け!」

「……」

「汝、ダモクレスの()いを()らぬワケでもあるまい!」

「……」

「なにが“朕”か!(わら)わせるでないわ!」

 

 “女神”からクソみそにけなされ、茫然自失の少年だった。だが本人は、なぜ自分がここまで怒られるのか、理解が出来ないらしい。涙目になりながら凝ッと『九尾』を見つめている。

 

 ――こんな子供にまで、歪んだ“選民(エリート)意識”、植えつけて!

 

 メゾン・ドールでビェルシカ姿のときに聞いた、資産家(コネ)入省と見える若い官僚(キャリア)たちの鼻持ちならない会話が、リアルな現実となって浮かぶ。

 

 ――クソが……!。

 

 胸のムカつきが収まらなかったが、ふと。どういうわけか怒りに代わって出所不明な哀しみの感情が胸のうちに流れこんできた。

 まるで誰かに――必死に謝られている、ような。

 

 それでも冷たい心持のまま、『九尾』は指に填められたピンク・ダイヤのリングを抜くと有無を言わさず少年の手に押しこんだ。目のまえの“小公子”は、掌の上のダイヤを呆然と眺めたのち、とうとう泣き出してしまう。

 

「また――また独りぢゃ……みんな朕を嫌って……居なくなって……母様……母様……」

 

 しゃくりあげ、俯いて涙をポロポロと流す小公子のなれの果て。

 それでも健気(けなげ)嗚咽(おえつ)をこらえようとするのか、ぐふぅッ、と顔をくしゃくしゃにして。

 

 ――考えてみれば、この子も被害者か……。

 

 子供の頃から勘違いした教育を受ければ、とんでもなく横風(尊大)な人間が出来上がるのは当然かもしれない。それが集団生活を経ずに純粋培養され、自省の機会を与えられずに育てば、奴隷メイドの優劣を声高に論じていたあの若い官僚(一種)のようになるのだろう。

 

 言い過ぎたか……と『九尾』も反省し、いや、そもそもあの勿体(もったい)ぶった口上は、どこから来たものか自分ながら心ひそかに首をかしげる。

 

 彼は肩をふるわせる少年に近づくと、ソッと抱いた。

 ちいさな顔が、香水を塗られたくびすじに当たるように、背をかがめて。

 

「母様……?」

「すこし言い過ぎましたね。でも考えて御覧なさい?なぜ貴方(あなた)の周りから、みんな居なくなってしまうの?」

「皆……朕の、わしの言うことを聞かぬのじゃ」

「聞かない、のではなくて、貴方がみんなに聞きたくない事を、嫌がられることを言っているのでは?」

「……」

「皆さんに、やさしくしてますか?」

 

 少年の、キョトンとする気配。

 

「やさしく?――やさしくなどしたらしたら、皆言うことを聞かぬ」

「なぜみんなが貴方の言うことを聞かなければならないの?」

「それは……ちん……わしが支配者として存在せねばならぬからじゃ」

「だれが、そう決めたの?」

「お祖父サマが……」

「ではそのおじいさまが、間違っていたとしたら?」

 

 少年は身をはなし、呆然として『九尾』を見上げた。

 

「そんな……そうだとしたら、朕はもう何を信じてよいか分からぬ」

 

 いいこと?と、『九尾』は噛んで含めるように、

 

「みんなに優しくしなさい。みんなが言うことを聞かなくてもいい。もし貴方が正しいと思ったら、みんなが自然と貴方について来ます。優しくなけば、人の上に立つ資格はありません。“支配者”には成りますな。愛される“指導者”になりなさい。それは()()()()()()()()()()()()ですよ?」

「……」

「あなたには、まだ難しかったですね」

「そんなコトは無い!ち……わしだって、皆と仲良く遊びたい!……あ」

 

 少年は、今の言葉を誰かに聞かれなかったかと、慌ててキョロキョロする。

 『九尾』も釣られて辺りを見まわすや、遠くから黒服の三人が走ってくるのが見えた。チェッ、ばれたかと視線をもどすと、いじいじと少年が上目づかいにダイヤの指輪をいじっている。

 

「もう……受け取ってはくれぬな?」

 

 『九尾』はようやくニッコリと微笑んだ。

 

貴方(アナタ)がみんなと仲良くして、イヤなことがあってもガマンして、物事に率先して苦労をするのです。そうすれば、あなたは指導者として愛されるようになるでしょう。そのときは、その指輪を持って私を迎えにきてくださいね?」

 

 雲間から陽が出るように、少年の顔がゆっくりと明るくなってゆく。

 それはまさしく“ぱぁぁぁァァ……”と擬音がきこえてくるほどに。

 

()し!あい分かった!」

 

 少年は加藤武のポーズをキメて、

 

「ちn……わしは、努力してみるぞ!そうして必ず!そなたを迎えにゆく!」

「でもね?このことは、おじいさまにはナイショですよ?その(かた)の見ていないところで行いなさい」

 

 芝生の上を駆けてきた三人が、息を切らし、

 

「候補生『九尾』!またやりましたね!あれほど!」

「無礼な!ち……わしの連れ合いとなるお方ぢゃぞ!」

 

 今は小公子に戻った少年が、威風堂々、『九尾』と護衛との間に割ってはいる。

 

(おそ)れながら朱雀院の若様かと存じます。失礼ながら、このあと御用を控えておりますので、何卒……」

 

 腰を低くし最敬礼した護衛役の男が、察しをつけて場を収束させる。

 “小公子”は、いかにも寛容な風を見せ付けるように頷き、

 

「承知しておる――そなた達も、御役目ごくろう」

 

 は、と頭を下げる三人から振りむき、少年がウィンク。

 ドウじゃ?こうすれば良いのであろう?とでもいうように。

 『九尾』は心ひそかにズッこけて、

 

 ――ちぇっ、こいつ意外とカルいな……大丈夫かな。

 

 護衛と連れ立ち、彼が遠方(とおく)で楽団の演奏に聞き入る一群の方に向かおうとした時だった。

 

「愛する『九尾』殿よ、いま少し待たれよ!」

 

 少年が追いすがり、しばしの間、耳打ちをする。

 そして『九尾』の首に、自分の胸からはずしたペンダントをかけた。

 

「約束の()()()も兼ねておるのぢゃ!――忘れたもうな!」

 

 そう言って元のベンチのところに戻ってゆく。

 

「アレが朱雀院の若サマか……ウワサと違って、イイ子そうじゃないか」

「ひでぇHENTAIサド坊ちゃんだと聞いたけどなぁ……」

 

 彼方の一団に動きがあった。どうやら『九尾』を認めたらしい。

 演奏がやみ、群集が一斉にこちらを窺って。

 

「あの子には、指導役が必要です。護衛さん、だれかいい方が居ないでしょうか」

「ハァ?あの名にし負う“朱雀院”だぞ?一介の平民の言うことなど」

「そこを何とか……このままではあの子が――」

 

 振り向いた『九尾』の歩みが()ッとして止まる。

 

「イテッ、急に止まるなよ候補生『九尾』!」

「あぁ!アレ!――あれを!」

 

 えぇ?と護衛と配下の二人は振りむいた。

 大きな樹の根元にある白いベンチ。

 その前を、いまや小公子は、決然とした足取りで歩いてゆく。

 

 問題は――その樹の根もと。

 

 夏用のドレスに日傘をさした貴婦人の、半透明な姿。

 前を歩んでゆく少年にむかい(はかな)げな微笑をうかべ見送って。

 そして、その後ろには……。

 

「どうした、『九尾』クン、あの子がどうかしたか」

「見えないの!?アレが!――その黒メガネで!ベンチ周辺をサーチ!!」

「……なにもないな?」

「いや待て、ベンチ周辺が二箇所。異常に気温が低い……」

 

 やっぱり見えないんだ、と『九尾』は観念する。

 夏服をまとう貴婦人のうしろ。

 そこだけ空間が歪んだように(くら)く、あの骸骨めく老人の妖姿が。

 

 トラムの交通事故。

 納骨堂の光の紋様。

 雲海中のフロイト。

 成美の(オリジナル)生首の幻影。

 そして木陰の幽霊。

 

 いずれも死に関係する場所で現われる老人。

 死神――あるいはそれに類するもの。

 災殃(まがつい)の気配を伝える存在。

 

 ドレスの貴婦人が、こちらを向いた。

 そして深々と一礼し、姿を薄くして――消える。

 気がつけば、ミイラめいた老人の不吉な影も見えない。

 

 みょうに冷たい風が、ザッと一瞬、ふき抜けた。

 遠くの園遊会から、『九尾』たちを()ぶ声……。

 

 





次から次へと、書いてゆくうちに知らないキャラが現われて困ります。
しかも後でなぜか不思議と帳尻が合うパターン。
完全に登場人物たちに物語が乗っ取られてます(ハァ……。



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078:         〃           (後

 

 護衛を従えて一団に近づく“狩りの女神”。

 

 『九尾』の耳には、(ひそ)やかな賛美の声が小波(さざなみ)のごとく群衆の間を伝わるのが聞こえた。

 ため息と、羨望。賛嘆。あるいは(よこしま)窺覦(きゆ)と劣情。

 不本意ながらも、ちょっとまんざらでもない気分。しかし一部の貴婦人や少女たちからは、彼の美しさを(おのれ)の存在を危めるものとしてとらえるのか、憎々しげな陰口がヒソヒソと。

 

 満面の笑みをたたえて一番はじめに近づいたのは“西のヤリチン”こと耳成(みみなし)院の大僧正だった。法衣で包んだ2mはある巨体をゆらし“狩りの女神”を、その抹香(まっこう)臭い袈裟(けさ)で待ちかねたように抱きしめる。

 

「おぉ、おぉ……さすがは(わし)の『()()』ドノぢゃ」

 

 抱きしめていた“女神”の身体をいちど離し、(おもて)をシゲシゲと看る。

 

「流麗、高雅、理知にして淫奔。(すべ)ての魅惑がここに……」

 

 サワるだけで勃起(ボッキ)するワイ(まぁそりゃそうだよねby珍歩)……と言いつつ、肉厚な唇をだらしなく緩め、指輪が食い込む曲げた指の甲で『九尾』の頬をいとおしげにさすって。

 

 真珠のティアラが飾られるウェーヴのかかった赤髪の額。

 黄金の首輪が巻かれた白い首筋。

 

 『九尾』は『九尾』で、この六十がらみな巨老の眼差しに「好色」と「冷徹」と。そして何より隠しようもない狂気じみた「残忍」さを看て取る。

 

 アイシャドウと長い睫毛の奥から見返す『九尾』の緊張した視線は、この大僧正の満足げな笑みをさらに倍加させ、まるで美しい珍獣を手中につなげたかのように、

 

「これを愚僧が独り占めできるとは、まっこと冥加(みょうが)に尽きることぢゃて」

「おやおや――これはお手のはやい僧正どのですコト」

 

 落ち着いた声が、背後から近づき、二人の傍らに立った。

 第二王女が、白い園遊会用のドレスをまとい、微笑を浮かべて。

 

「さ、お(たの)しみは今しばらく。今は園遊会の皆様にも、(よろこ)んで頂かなくては」

「コレは!愚僧ともあろうものが――つい地が出てしましたわい……」

「まぁまぁ……ほほほほ……」

 

 好色な舌なめずりをのこし、渋々と大僧正は居並ぶ人々のなかに『九尾』を押し出した。

 もしこの時、僧正の胸の内を(ひら)いて見れば、以下のような脂ぎった独白(モノローグ)が聞けたことだろう。

 

(ふン、楽しみは後に取っておいた方が、歓びも、()()()()と言うものぢゃて……さて、この淫猥ショタ。どうしてくれよう?単に(メス)にするだけでは飽き足らん。もっと(みじ)めな境遇に堕として、蠱惑な衣装を強いて纏わせた全身を、内からどうしようもない情欲(よく)(あぶ)られながら(ワシ)肉棒(もの)を涙ながらに(こひねが)うよう仕向けんと、老若男女(すべて)読者(みなさま)も、満足せんぢゃろうて……ンゥ?)

 

 去ってゆく女神の短いスカートからチラチラする(なま)尻を、巨躯をゆらしつつ頭巾の影より()ッと見つめて。そしてはやくも怒張する巨大ないちもつの位置をさりげなく直しつつ、

 

獣人(ケモ)ショタ化かな?ふふふ……イヤがる意識を保ったまま、下半身をジワジワと(へみ)に?あるいは長毛種の猫少女(むすめ)。胴を切断して人馬も()いか?それとも……いっそ家具にしてやろうかぃ。もちろんアソコは残しての?あるいは置物か。たんに人形(ドール)とするには、芸がなさすぎる。(いや)!(いや)!あまりやりすぎると、まァた『玲瓏の翼にエロは似合いません!』などと読者の皆様にお怒りを受けるから(なう)。まぁ仰るとおりなんぢゃが――難しいコトぢゃて……だいたい“なろう”の――」

「僧正どの――お声、お声が出ていましてよ?」

 

 やんわりとたしなめる“蘭の王女”。

 大僧正はよだれの浮く口元を、あわてて懐の袱紗(ふくさ)でおおう。

 

 “七つのヴェールの舞い”の一部が、楽団によって始まった。

 

 『九尾』は貴婦人の一人からうすいマントを借りうけ、弓矢を高価な茶器のならぶテーブルにさりげない素振りで措くと、楽曲(がく)にあわせ、華麗なステップを踏む。

 

 体に付けられた装具を(すず)やかにならしつつ、ときおり吹く暖かな風に(たす)けられ、“女神”はマントをゆるやかに、そして(たく)みに(ひるがえ)し、扇情的なふりつけで優美な舞をみせる。その実、彼はマントの(ひだ)の影に(たす)けられ、マスカラ(いろど)る流し目の奥で、抜かりなく居ならぶ貴顕を品定めするのをわすれない。

 

 ――ふん……どれもこれも。

 

 と、『九尾』は指先まで行き届いたマイムを華麗に演じつつ、(じぶん)では気付かぬほどの妖艶な媚態を見せつけながら、ともすれば皮肉な目つきになりかかるのを制しつつ、人々を観察した。

 

 男たち、とくに中年~初老のエスタブリッシュメントは、いずれを窺っても欲ボケした顔をさらしキリがない。若い連中は連中でカマー・ベルトの下、タキシードのズボン前を突っぱらかせて。

 

 対して女性陣は女性陣で、なにやら含みのあるアヤしげな目つきでヒソヒソ顔を寄せ合い、自分の舞を羽根扇(おうぎ)ごしに見守っている。

 

 そこはかとなく漂う、レズビアンの馥郁(ふくいく)たる香気。

 

 アレグロなターンの連続。

 そして、開脚した渾身のジャンプ。

 楽団のフォルテッシモと同時に――着地。

 おどろいた。練習(レッスン)もしてないのにピタリと合う。

 習い性というのか、やはり身体は覚えているらしい。

 同時に調教で受けたムチの味と革の縛り心地もよみがえって。

 

 金髪(ゾーロタ)銀髪(シリブロ)

 

 なにより、あの黒髪ロングな女の日本人形めく切れ長な微笑が。

 

 叙情的に余韻を引く最後の音と共に、ひと幕の華麗な舞は終わった。 

 おぉ、と高貴なる一団から、お上品にざわめく気配がユラリ、全体に波及する。

 さすが園遊会に集うような来賓たちは、大げさに賛嘆することはしない。木々のそよぎを想わせる微笑と静かな賛辞。手袋ごしに拍手するこもった音。コーギーが二匹ばかり、人々の興奮にあてられたかのように盛んに吠える。

 

 大きな帽子をかぶった一人の少女が、白い面紗(ヴェール)を降ろしたまま、気を利かせたかのようにタオルを手にして近づいた。

 

「はい、『()()』――お疲れサマ」

「ありがとう御座います……マドマゼル(お嬢さま)

 

 少女が面紗(ヴェール)を上げる。

 悪戯(いたづら)っぽい笑みと青い目が彼を見上げた。

 

 ――シモーヌ……!

 

 よりにもよって、一番会いたくなかった存在。

 

 これでもう“瑞雲”の仲間とヨリを戻すのは、絶望的となったかと瞬時に悲壮な覚悟をきめる。女装すがたの演舞を写した動画フォトを修錬校中にバラ撒かれ、女同士に連れそうトイレでのヒソヒソ話。しまいには、あのフルチンでドヤ顔をした映像も、ウラで流されて。

 

 いまは送り迎えは人目を避け、護衛のセダンでされている。

 これが休憩中は視聴覚室から一歩も出ずに、コソコソ過ごす自分を想像する。

 もともと嫌われていたのだから、たいした差は無いと思われるが、そこに羞恥(はじ)が加わるのは、やはり痛い。『エースマン』の冷たい目つきも、ますますトゲトゲしくなるだろう。サラ先輩は、どうおもうだろうか。

 そもそも自分は、このまま好奇の視線に晒されながら、心も折れないまま無事に卒業できるか自信がない。いっそのこと転校を申請したほうが良いのか。そして――できるなら、W/N(ウィング・ネーム)の改名を……。

 

「大丈夫よ、そんなに身構えなくても――ダレにも言わないわ」

 

 どうだかな、と『九尾』はアヤぶむ。

 

「今日は……ビアンの“お友達”はいかがなさいまして?」

 

 せめてもの反撃に、『九尾』は工事中のエリアで(ぬす)み見した同級生との秘め事を、あてつけに話題にする。あの娘は――なんと言ったか。

 

 ――こちら十五の、あちら十六。

   おんなじ部屋で眠る仲。

   とても鬱とわし九月の夕ぐれ。

   か細い二人の眼は青く、

   頬に苺の赤味さす――   ※

 

「イヤねぇ……女言葉もすっかり板について」

「こっ、これは……そのぅ。声帯(ノド)も、いぢられて……」

「知ってるわ。それに大丈夫よ?貴方が『成美』ってことは、探査院・特秘事項とされたから。もっともそのスジにはバレバレで、きょうの園遊会のように“公然の秘密”ってやつだけど」

「探査院の特秘事項?なんで?」

「版権の問題もカラんでるみたい。ビックリしたぁ、まさか、アナタが」

瑞雲(がっこう)のみんなには、ナイショですよ!?」

 

 登校しずらくなっちゃう、と彼があとを続けた継いだときだった。

 (えッ?)と今度はシモーヌがおどろいた顔をする。

 

「アナタ――瑞雲(ずいうん)ヤメるんじゃないの?」

「……辞めるって、どうして?」

「どうしてもコウしても……」

 

 シモーヌは辺りを気にしつつ、レースの手袋をはめる手でヒソヒソと耳打ち。

 

「だってアナタ、無礼い……“耳成(みみなし)院”サマのお稚児(ちご)サンになるんでしょ?」

「え?っていうか、オチゴサンって、ナニ?――七五三?」

「プ。違うわよバカね。夜のおつとめも果たす男の子のことよ」

 

 それを聞いたとき、『九尾』の脳裏には地下墓地の奥でぬすみ見た助祭と児童の痴態が思い出された。もっともそれは、メドン・ドールでみたドスぐろい光景にかなり上書きされて、マイルドな印象になっていたが、それでも自分がはじめて見た衝撃の行為ということで、忘れがたいものになっている。

 

 過去にくぐり抜けてきた数々の修羅場。

 一歩間違えれば、自分が“性処理道具”にされていたという事実。

 『タチアナ』の、真正な成美(オリジナル)の。

 そしてイサドラをはじめ、あの店で見た様々な光景が。

 

「ボクが……夜のおつとめを?」

「ちがうの?この園遊会だって、そのためのお披露目の意味が……」

 

 シモーヌは、薄物から浮き出ている『九尾』の乳首をツンツンと、美しく整えた爪先でつついてから、いかにも“フェムタチ(男役)”らしく宝○チックな笑みをうかべ、

 

「残念。もっと早くに知ってたら――可愛がってあげたのに」

「冗談じゃない。ボクにそんな趣味はないよ――ありません!」

「そぅ?わたしとしても、ソッチのほうが妄想はかどるわ。ネ?あなたは絶対“責め”の方よ!あのデカい坊さんは“受け”にしちゃいなさい?冬の「例大祭」は、アナタと“無礼院”で作るわ!」

 

 ふんス!とシモーヌは鼻息もあらく、イミ不明なことをまくし立てる。

 

「なんで、あのデカい坊さんを『無礼院』って言うんだい?」

 

 そのとき宮廷付属のメイドが、キッチンワゴンに紅茶のポット。焼きたてのスコーン。それにクリームポッドを載せてやってきた。さっそくシモーヌはスコーンにクリームをつけて襲いながら、

 

「横ヤリ通すのが十八番(オハコ)だからよ。東宮も、なかなか頭が上がらないみたい。ちょっと前、西ノ宮の錬成校で名の通った美形の候補生を、モノにしようとしたらしいんだケド。モノの見事にフられたらしいわ。『蓮華(れんげ)』、とか言ったカナ?そのあてつけに、そのコ。今度の『勅任航界士試験』に出させるんだって」

 

 知ってる?とシモーヌは更に言いつのり、

 

「今度の“御前試演(ごぜんしえん)”なんかヤバいみたいよ?気象庁の話によれば「事象震」の規模がハンパないって。たぶん、出演する候補生はほとんど殺られるってハナシだけど。でもそのかわり鼻先にブラさげるニンジンも相当なものらしいわ……コンドミニアムや、ブガッティのリニア・スポーツどころじゃないって。ま、当然よね。だれも手に入れられないんだもの。でもイイこと?このコトは――ナイショよ?」

 

 『九尾』も、メイドから“トリオ”仕立てのティーカップを受け取った。

 スコーンをメイドから微笑とともに勧められるが、先ほどまで、あれほどあった食欲も、今の話を聞いてゲンナリ吹っ飛んでいる。

 

 ――ここにもまた“大きな手”が。

 

 彼は、遠くで西の事務次官と談笑する第二王女()をながめた。

 あるいはチラチラと好色な目で自分を(うかが)う、坊主頭な西の将校たち。

 

 重くなってくる胃に、アール・グレイの香りと温かみが有難い。

 

「瑞雲のみんなは……なにしてます?」

「べーつに。あいも変わらず、演習と実技試験。そうそう、アナタが居ない間に、4組の『(カラ)電池』と『(ギア)無し』が接触事故おこして退校(リタイア)したわ。それぞれ片腕と腎臓、前頭葉に障碍(しょうがい)。国立の養護科高校が受け皿になって、そっちに移るみたい」

「『牛丼』や『山茶花』は……」

「あの二人は、相変わらずよ。『牛丼』は精神物理のテストが赤点だったらしく、ヒーヒー言ってるし」

「ボクのこと……なにか話題になってる?」

「ぜ~んぜん。みんな自分のことだけで忙しいし」

 

 すでに――自分の手の届かない世界になった感のある日常をきかされ、どこか懐かしい。

 

 数式を並べた電子黒板や、教室にひびく教官の声。

 墜落事故を目撃するまでの、あの退屈な午後の授業は、なんと平和で恵まれていたものだったか。

 幸せなんて、亡くしてはじめて分かるんだな、と『九尾』は口中の苦みを紅茶とともに味わった。

 

 黒い士官ドレスを着た伝令役の女官が足早にやってきて、楽団が控えるステージまで来るよう、第二王女の命令を伝えに来た。

 

「ほぅら、おいでなすった。You,女の子に――なっちゃいなさい?」

  

 お休みの日に呼んでくれたら、ベッドの上で可愛がって ア・ゲ・ル♪と意味深な笑みを()らし、シモーヌがドレスの上からでもわかる尖った肩と薄い尻を見せて去ってゆく。

 

 さらに重さを増す胃のうえに、“朱雀院”の少年から渡されたペンダントの感触を護符としながら、この“女神”は狩りを司るものらしく決然とした足どりで、一団の中でも抜きんでて背の高い大僧正と、蘭の王女が並び立つところへと歩んでいった。

 

 すでに、何事かの申し送りは、できていたらしい。

 一座は『九尾』が近づくのを待ちかねた風。

 

 やがて蘭の王女が彼を伴いステージに立つと、短い口上をひとくさり。

 それは――

 

・昨今の探査院をめぐる状況は、予算や外面環境等、あらゆる意味でキビしい事。

・問題を同じくする西ノ宮から、このたび協力の申し出があった事。

・その外的環境では、4年毎な今春の“事象震”が激烈なものと予想される事。

・『勅任(ちょくにん)航界士試験』の難易度があがり、候補生の損耗(ぎせい)が予想される事。

・そのため褒賞(ほうび)を篤くし、同時に精鋭の候補生による試演を目標とする事。

 

 そして――。

 

・こたびの試演に於ける出場者リストには、瑞雲校『九尾』の名も入っている事。

 

 さすがに最後の口上は、一座に不吉なざわめきを()んだ。

 第二王女は、悠揚(ゆうよう)せまらず双腕(もろうで)をあげ、人々の不安を押し(しず)めながら、

 

「どうか、どうか皆のもの!お聞き召されい――そこで只今(ただいま)、いとも尊き西ノ宮は『耳成院』の大僧正どのより、過分な申し出を頂いた。すわなち、此度(こたび)の事象震に候補生『九尾』をあて、その美しさを死地に臨ませるはいかにも剣呑(けんのん)。それ(ゆえ)東宮からの“永久親善大使”として、()()()()()()()()()()()()()()()()()、西と東との連帯を更なる緊密なものとし、日本事象面における諸々の難局を、あらゆる方面にわたって(しの)ぐという、ご提案ぢゃ!」

 

 おぉ、という一団からのざわめき。

 

 いささか芝居がってはいたが、それはどこかホッとするような、あるいは何かの期待がかっているような雰囲気を、園遊会に集う人々の面にもたらした。

 その半面、一部の華族や武官からは、うつむいた表情に唾棄すべきことを聴いたと言わんばかりな面差しの歪みを見て取る。それはおもに東の貴顕に多いようではあったが……。

 

 いならぶ数百の人々をまえに、蘭の王女は傍らなる女神を“慈愛をこめた”眼差しで見やった。だがメゾン・ドールで“魂の純潔”と引き換えに得た『九尾』の洞察力は、そんな欺瞞(ウソ)を許さない。第二王女の視線に込められたものは、あたかも屠畜場におくられる豚を見るような“哀れみ”。そして、こちらが何も知らされず操られることへの“嘲り”の近似値に他ならないのを彼は分光器にかけるように冷静に解析する。

 

「もちろん、候補生『九尾』には――選択の余地を与えます。『勅任(ちょくにん)航界士試験』に出場し、あたら(はな)の命を散らすか――あるいは西への親善大使となり、栄達の道をすすむか……」

 

 はやくも西ノ宮の坊主頭な侍従たちが、『九尾』が着るべき袈裟を用意しているのが窺える。「最悪の場合」を予想してか、()()()()()()()()()る|コ()()()()()()()()()()すら。

 

「もちろん、(いら)えは明らかですね?――さぁ、その口で皆に宣誓しなさい!」

 

 もの凄い精神的強制波(プレッシャー)が、壇上を支配した。

 『九尾』の首から下げたペンダントが、鳩尾(みぞおち)のあたりで震える。

 

 ――特定シナプス促進波!

 

 王女の二重顎のうえで、唇が(わら)っていた。

 

 

                ★

 

 「よいか?――『九尾』どの」

 

 小公子との別れぎわな言葉を、彼はおもいだす。

 

「わしの愛する人、わしの希望、わしの初めての真実なる友……その方らの第二王女()は卑劣な手練手管を用いて、その方を“無礼院”への生け贄とする算段ぢゃ。さきに(わし)が申したであろう。「最大多数の最大幸福」は(ちん)の……(わし)の好むところではないと」

 

 少年は分別くさい顔で(おのれ)に言い聞かせるよう、ひとつ頷き、

 

「こたびも左様(そう)ぢゃ。そなた独り犠牲となれば八方丸く収まる。西と東、それぞれ互酬(ごしゅう)としてな?だが儂は厭なのぢゃ……それゆえ儂はそなたにコレを授けよう」

 

 小さな当主は、自分の首に下げていたペンダントを外すと『九尾』にかけ、そのまま彼に抱き着いた。

 互いの鼓動を交換し合うような、不思議な満足感に満ちたひととき。

 

「やはり……母様(かかさま)の匂いぢゃ……」

 

 そのまま暫し、動かずに(もだ)していたが、

 

“蘭”(あの女)は特殊な波動を用いて、(おのれ)の意にそなたを沿わせようとするであろう。これはその波動を打ち消す装身具ぢゃ。西でもホンの数家しか持っておらぬ。東の者でこれを持つ家を、儂はしらぬ」

 

 よいか『九尾』どの、と小公子は更にいいつのり、

 

「万難を排し、道をすすんでくりゃれ。そして最後に、ちn――儂のところに嫁ぐのぢゃ。儂は……そなたをいつまでも待っておる」

 

 涙ぐむ少年。

 『九尾』も、静かにうべなった。

 

「若さまも――わたくしとの約定を、お忘れなきよう……」

 

 ささやかなキスが、ふたりの間を結んだ。

 

 

               ★

 

 

 その情景を想い、『九尾』は覚えずほほ笑んだ。

 それを観た第二王女も「事は成就せり」と思ったか莞爾(ニッコリ)として。

 だが彼が微笑したのは――口づけの後に少年が、カァっ、と赤くなったその初心(ウブ)な様を好ましく思い出したからに他ならない。

 

 彼は、低いステージから園遊会に集まった中央官僚や高級将校。華族や、それに連なる人々、そしてもちろん宮殿に関連する有象無象を、どこか尊大な面持ちでながめやった。それはどこか中世の風刺画に出てくる“愚者の群れ”にも似通うように、この()()()候補生には思われた。

 

 ――こんな奴らのために!

 

 候補生(ボク)たちは苦労している!と『九尾』の(おもて)に朱がそそぐ。

 

 既得権益にドップリと漬かり、安寧として日々を送る目の前の人々。

 そんな彼らを守るため、航界士たちは命をささげる必要が、意味が、あるのか。

 

 死んでいった『ホース・ヘッド』や『カマキリ』

 容態が急変し、還らぬ人となった『ペンギン』

 成仏できない『オフィーリア』、そして脳死の『シャ・ノワール(黒猫)

 下劣な欲望の闇に呑まれた『タチアナ』

 『(カラ)電池』と『(ギア)無し』は障碍者に。『牛丼』と『山茶花』は進路に苦しんで。

 いまだ謎めいた『ホスロー』上級大尉。

 そしてなにより――『ドラクル』先輩……。

 

 かくいう自分は、女に――人形(ドール)にされかかり、もはや取り返しもつかぬほど心を犯され(けが)されて、いままた生臭坊主の傍女(はしため)として“ご奉仕”の人生を送らされるところ。すでに、自分という確固とした“実存”すらも危ぶまれて。

 

 様子がおかしいと思ったのだろう。

 第二王女が傍らの秘書官に目くばせ。

 同時に『九尾』の鳩尾(みぞおち)に下がるペンダントの震えが、カユみを帯びるほど激しくバイブする。

 

 もし、()()()()と出会ってなかったら、いまごろは第二王女の申し出を強制的に受諾し、メス奴隷への道を転げ落ちていったことだろう。それでなくても己の中に、あの調教感覚はどんな脱・洗脳処置をうけても消しがたいほど残されているのを実感する。

 

 

 男としての存在意義。

 

 女としての受愛欲求。

 

 候補生としての矜持。

 

 ()()()になった自己。

 

 

 ほんとうの――自分……?

 

 欲望にみちた視線をうけるうち、不意に戛然(かつぜん)とひらめくものがあった。

 

 そうだ、と彼は何でこんなコトに気付かなかったのかと怪しむ勢いで、

 

 

 

 

 

 

――自分は、もはや「男」ではない――「女」でもない――「候補生」であることすら怪しい。ただ、自分の周囲に(うごめ)く汚さに辟易(へきえき)しつつ、それでも最後の時まで、しぶとく生きていかなきゃならないと考えている、『九尾』と、かりそめに名乗る自分。この存在だけは――確かなのだ。

 

 

 

 

 

 

 だれの評価もいらない。

 どんな賛辞も無意味だ。

 ただ歩き続ければいい。

 

 そう考えたとたん、あれほど自分を苦しめていた懊悩(なやみ)は、まるで触媒によって霧散してしまったかのように跡かたもなかった。

 

 深呼吸を三度(みたび)

 『九尾』を自認する“実存”は、居並ぶ人々を見渡した。

 

「――みなさん!」

 

 (りん)とした女性の声が、室内庭園に響きわたった。

 『九尾』は、自分の気迫が一団に浸透するのを注意ぶかく待つ。

 傍らで、第二王女がギョッとたじろぐ気配。

 

 やがて――(ころ)()しとみたか、おもむろに、

 

「航界士は、この世の(ことわり)を明らかにし、人類を共栄共存に導く、その橋渡しとして存在するものであります!決して――決して一部の貴顕の私利私欲や、既得権益の保護のために存在するものではありません!私、航界士候補生『九尾』は!皆さんが日々の安寧のなか、平和に、()()()()()()()()()()()()()()()()()、さいごは平穏の中でこの世を去れるよう、多くの先輩たちと等しく、私もまた、人々の日々の(いしずえ)に――その犠牲になる覚悟であります!どうか――どうか航界士を!ご理解頂きたい!今この時の平穏は、彼等の血のにじむような努力で(あがな)われていることを一瞬――一瞬でよいから、銘記していただきたいのです!……どうか……どうか!」

 

 あとは声にならなかった。

 今までガマンしてきたものが、一気に押し寄せてきたかのように胸が詰まる。

 くそっ、と『九尾』は自分のふがいなさに心の中で地団駄をふんで。

 

 しかし、彼の半ば涙でむせぶ声の代わりに、まぎれもない、真正の拍手が沸き起こった。

 手袋ごしの、お上品なものではない――本物の感情。興奮。賛辞。

 ブラボー!の声さえ、あちこちで。

 

 女神の姿(なり)をした者は、泣き笑いで自分を囲む一団を眺め渡した。

 雲間の間から陽光が地上に降り注いだような、たしかな暖かさ。

 

 もっともそれは半分以上、大僧正への当てつけが入っていたかもしれないが。

 “無礼院”の顔が赤黒くそまり、手にした大ぶりの数珠がはじけ飛ぶ。

 第二王女の顔からは、余裕を含んだ笑みが消えた。

 仮面は()がれ、能面のような面差しが、はったと『九尾』を見すえる。

 やや久しくして人々の歓声もおさまったころ、蘭の王女はおもむろに、

 

「今後――そちと袂を分かつときが来ぬよう、宮殿は切に願うぞ?」

「御意にございます――殿下」

 

 今は涙を祓った『九尾』は、いかにも鷹揚に微笑する……。

 

 

              * * *

 

 

「ふふっ――♪」

 

 『控えの間』で彼はひとり、椅子にダラしなく座りながらほくそ笑む。

 

 ――あの時の王女の顔は、傑作だったな。ざまァみやがれってンだ。

 

 【ひとの感情を弄ぶ“おたふくの白豚”】

 

 これが、蘭の王女に関して、彼がたどり着いた評価だった。

 おそらく今この時も、自分の処遇をめぐり高官たちと議論を戦わせているに違いない。

 なかなか案内が現れないのは、そのためだろう……。

 

 

 





※ヴェルレーヌ「女友達」:Pensionnaires


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079:遺される候補生たちのこと、ならびにサラの怒りのこと

 

 

「今後――そちと袂を分かつときが来ぬよう、宮殿は切に願うぞ?」

「御意にございます――殿下」

 

 今は涙を(はら)った『九尾』は、いかにも鷹揚に微笑する……。

 

              * * *

 

「フフッ――♪」

 

 『控えの間』で彼はひとり、椅子にダラしなく座りながらほくそ笑む。

 

 ――あの時の王女の顔は、傑作だった()。ざまァみやがれってンだ。

 

 【 ひとの感情を弄ぶ、“おたふく”の白豚 】

 

 これが“蘭の王女(第二王女)”に関して、彼がようやくたどり着いた結論だった。

 おそらく今この時も、自分の処遇をめぐり高官たちと議論を戦わせているに違いない。

 なかなか案内役の女官が現れないのは、そのためだろう――好きにしやがれ。

 

 ――あの園遊会が、航界士となる決定的なきっかけだったのか。

 

 『九尾』はザッとその後の記憶を漁る。

 園遊会のあとも、思い出したくもないコトがたくさんあった。

 ほんと、自分はソンするように出来ているなと悲しくなってしまう。

 

 ――いや、違う。決定的なことが、もう一つあったじゃないか。

 

 沈思黙考する『九尾』。

 その目が何事かを思いついたかのように光る。

 

 ――そう、あれは……。

 

 思索の細い糸をつなごうとするが、単調な音が、それを打ち切る。

 『控えの間』で相変わらず存在感をしめす、黒檀製の棺桶めいた柱時計。

 振り子の音が立てる重々しさは変わらないが、もはや候補生たちの耳には沈鬱に響かない。代わって豪華な広間を満たしているのは、ある種の後ろめたさだった。

 

 ためらいがちな気配がオズオズと近づく。

 そして「あの……」と消え入りそうな声。

 

 振りむけば、彼が身代わりになった『若梅(わかうめ)』とかいう若年候補生。

 いまは目の充血もおさまり、『九尾』が見ても嫉妬するほどのプニプニとした若々しい肌に、緊張のあまり紅潮した色をのせて。

 

「あの――なんて言ったらいいか」

「じゃ、何もいうな」

 

 そんな、と少女とも見まがう、この候補生はグッ、とうなだれた。

 とはいえ『九尾』もいまだ女性らしさが完全に抜けていないので、一見すれば女子高の不良先輩と付属中学でパシりにされた生徒に見えなくもない。

 

「ははっ。冗談だよ――バカだな……気に病むことはないサ」

「でも、ボク……あんまり申し訳なくて」

 

 小鹿のように澄んだ大きな目が、()っと『九尾』を見おろした。

 ふと、彼は『若梅』という候補生の体から、嗅ぎなれた匂い。女性に特有の、柔らかな気配と雰囲気を感じる。男だよな?と疑問に思いつつも、残り少ない人生の時間だ。強いてもう、面倒なことは考えまい、と浮かびかかるものを『九尾』は振り払う。

 

「申し訳なくなんかないサ。あとはキミの時間を生きてくれ」

 

 それでも少年は、とまどったような、オロオロした風情で、

 

「なんて、ご恩返しをすればイイか……」

 

 あのな坊主、と『九尾』は大きく息をついて、

 

「恩返し、なんて人間にゃ出来ないんだ――それは一種のバトンさ」

「……バトン?」

「その犠牲を受け取ったものは次の誰かに、その恩のバトンを渡すんだ。オレは、君を助けた――今度は君が、誰かを助けてやれ。世の中は、そういう風に出来てるらしい」

「でも……」

「大丈夫だよ。気にするな」

「勝算は――あるのかィ?」

 

 不意に、べつの方角から声がかかった。

 

 見れば、ナイフを投げつけ、羽目板に突き立てていた候補生が、ゆっくりと近づいてくる。

 年齢は、『九尾』と同じくらいだろうか。

 漂わせる雰囲気に、修羅場をくぐった気味がある。

 

「『九尾』先生に、カラもうってのけ?」

 

 雷酸水銀(起爆剤)のように反応する『二番星』が立ち上がった。

 この“半グレ”めいた候補生は、もはや『九尾』の一番弟子を自認する勢い。

 

「身の程を知れよ?――おめぇ」

 

 そうじゃない、と近づく候補生は首をふり、

 

「気に病むなと言われたって、オレたちにゃムリだよ――なぁみんな?」

 

 「もちろん」「あぁ」「そうだ」と広間のあちこちから異口同音の響き。

 渋面を浮かべる『二番星』の前を悠然と通過してこのナイフを弄んでいた候補生は傍らに立つ。『九尾』は、そんな相手や広間に集う候補生たちを見回して、力のない苦笑をみせながら、

 

「とはいえ。事実、そうだから仕方がない」

「だが、そう言われてもなぁ――『七刃』、だ」

 

 そう言って、傍らに立った少年は手を差し出した。

 『九尾』も握り返しながら、

 

「修錬校“天王宮(てんのうぐう)”の『七刃(なぬは)』だな?――去年の大会で殊勲賞を獲った?」

蒼の殺し屋(ブラウ・アサシン)ほどのネーム・バリューは無いがね」

 

 ふたりの候補生が一瞬、視線を切り結ぶ。

 鋭角的な雰囲気は、双方とも互角。

 ほおの傷が凄みを増しているとはいえ、『九尾』が女性的な分、荒事にも慣れているらしい雰囲気の『七刃』が、ややもすれば押し気味に。たとえは悪いが“縄張りを多く抱える姉御(あねご)”VS新進気鋭の“若頭(わかがしら)”といった雰囲気。

 しかし、ふいにこの“若頭”は気配をおさめ、

 

「龍ノ口さんの事は――残念だった」

「……知ってるのか?」

 

 『九尾』の表情がうごいた。『七刃』はそれにうなづくと、

「出張講師で“天王宮”に来てくれてね……界面翼のブチかましかた、教えてくれたよ」

「そぅ、か……」

 

 あぁ、と『九尾』は想う。

 先輩は――『ドラクル』は、こうして生きた証を(のこ)して()った。

 ならば自分は?いったい、なにを遺せるのだろう。

 彼の煩悶も知らず、多少口ごもりながら『七刃』は、

 

「何とかならなかったのか?安全圏からオレがこんな事を言うのは、クソだと分かっちゃいるが、その」

「どうにもならなかったから、今がある」

「オレが言いたいのは、だな。せっかく龍ノ口さんから――」

「『ドラクル』、だ」

「え?」

「“龍ノ口サン”じゃなくて『ドラクル』それ以外の呼び名は――オレが許さん」

 

 ギロリ、『九尾』は『七刃』をニラむ。

 だが、そうは言いつつも、実のところ心中では(龍ノ口センパイと呼んでいいのは、ボクだけだ)と作戦出撃前のあの日、滑走路での心象を浮かべながら不思議な感情で。

 

「う、分かったよゥ。でだ、せっかく『ドラクル』さんから――」

「サー・『ドラクル』!」

「……サー・『ドラクル』から助けてもらった命を、こんな無意味な“御前試演”で」

「じゃぁ、この子を見殺しにしろってのか?」

 

 『九尾』は椅子に座ったまま、傍らにたつ若年候補生をしめした。

 話題にされた若年候補生は、少女めいた顔をくもらせ、オドオドと。

 

「そうは言ってない!ただココまでクソになった大会なら、『九尾(あんた)』が出撃()るんじゃなくスッパリ中止するよう、この広間を出て我々全員が運動すべきだと――」

 

 『九尾』はゆるやかに首をふった。

 

「分かってないね――分かってない」

「そうだぞ!『九尾』さんの言うとおりだ!」

「『二番星(きさま)』はしばらくダマってろ」

「ンだとコラ!」

 

 ――あぁもう、クソうざい!

 

 『九尾』は椅子を蹴倒して立ち上がり、二人を睨みつけた。

 

「いい加減にしろ!(イヌ)の喧嘩じゃあるまいし。これはオレの闘いなんだ!誰のモノでもない、()()()()()()()()!」

 

 そう怒鳴ってから、彼はゆっくりと広間を見わたし候補生たちの顔を見ながら、

 

「感じないか?みんな……“大きな手”の存在をサ?」

「大きな手って、なんだね」

 

 あの老け顔の候補生が、すこし離れた場所から『九尾』をうかがう。

 

「それはつまり――探査院のことか?」

(いや)。人を恣意(しい)的に操ろうとする強大な権力だ」

 

 だが、そうは言ったものの、『九尾』は先日から別な違和感を感じている。

 もっと何かがあるような。

 もっと広大な――人間の手に負えないほどの、暗く、奥深い……。

 

「ナニが言いたいのか分からん」

 

 広間のかたすみで別の声が。

 その方に顔を向け、『九尾』は硬い表情で、

 

「そもそもおかしいよな?『七刃』の言ったとおり、なんですぐ中止しないのか。今回の件でいえば“あと一人”に何か理由(わけ)があるのさ――それも汚い理由がね。TVの【ソクラテスイッチ】みたいな、精巧に因果の連鎖を仕組まれた」

「どんな理由さ?」

 

 それが分かれば苦労しないよ、と『九尾』も芝居がかって肩をすくめ、

 

()()だってこんなところには居ないはずなんだ……サー『ドラクル』も、きっと生きてたハズさ」

 

 もっとも“()()()”いたかどうかは分からないが。

 

 歩く死人となって街をさまよい、車にでもハネられたか。

 あるいはロボトミーめいた手術が成功し、明朗快活。命令順守、人畜無害な好青年となって役所の片隅に席をもらい、定年まで職場と自宅の振り子のような生活をおくり、何も疑問をもたぬまま、木偶(デク)のような制御された笑みを張り付かせて、ゆっくりと老いていっただろうか。

 

 サラ先輩は、そんな『ドラクル』を観て、どう感じただろう?

 もしや、後悔に一生を費やしたのではないだろうか。

 いずれにせよ、シミュレーション結果はいやな未来しか結像しない。

 

 広間に据えられた黒檀の柱時計は、そんな彼の想いに拍車をかけるように、振り子の音をことさら目立たせるように。

 

 一団の(いた)ましげな視線を無視して『九尾』は椅子をもどし、脚を投げ出して座り込むと、腕組みの向こうにサラ候補生の顔を浮かべる。

 

「――やりきれないなぁ」

 

               * * *

 

「なにが“やりきれない”のかね?」

 

 映像講義のおわった視聴覚室。

 あらわれた護衛に『九尾』は黙って“薄い本”を差し出した。

 ほうほう、とペラペラ紙の音。

 

「上手いものだね……これが私か?ふむふむ」

「――もっと先」

 

 やがて(うっ)と絶句する気配。

 

「……いまの子は、こういうのが流行りなのかね?」

 

 園遊会のすったもんだのあと、修錬校に戻ってみれば、瑞雲の雰囲気が微妙に変わっていた。

 まず、ヒッソリと握手や、サインをねだる女子候補生が増えた。

 彼の講義で使用される視聴覚室入り口の書類箱には、ときおりコッソリと書類用封筒が投函され、中から出てきた“うすい本”には彼と護衛をネタにしたアブない短編マンガのオフセット誌が。

 

 ――シモーヌめ……まさかバラしたんじゃ。

 

 だが幸いにも自分が女装をしてステージの上でヒロインになるというストーリーは見かけず、だいたいが護衛と自分とのカラみで、

 

「フフフ。キミのココは、そうは言ってないぞ?」

 

       だの

 

「ボクのこと、キライになった?」

 

 ……などと、アヤしいセリフのふき出しが。

 

 しかしそんな女子にくらべ、男子候補生のほうは相変わらず風当たりが強い。『先輩を踏み台にして勲章をもらった下種野郎』との評価が定着しつつあるせいだろうか。

 だからそんな折、作戦後に初めてサラと会ったときの感情は、後ろめたさ意外の何物でもなかったのだ。

 

 朝のホームルーム(映像版)が終わった後、新しい貞操帯を受領するため、護衛とともに向かった医療棟。

 

 滅菌タイプの無機質な廊下で、まるで待ち構えていたような、彼女の姿。

 白々とした衛生的な光景の中で探査院の黒マントが、まるで吸血姫のように。

 

 だが『九尾』の眼は、まったく別のところに吸い寄せられた。

 

 セットもいいかげんな、油っ毛のないパサパサの髪。

 化粧水どこのメーカ?と思わず聞きたくなるほどの、乾燥した肌。

 目の下のクマと、やつれた面差し。

 その無表情な顔の奥でひかる、妖蛇のような視線。

 

「よぅ――『九尾』」

「……サー・『モルフォ』……」

 

 フッ、と相手が身をゆらし、一拍(わら)う気配、

 

「ハ!どうしたィ。ヤケに他人行儀じゃないか。それともナニかい?翼十字章を受けた自分に、アタシのような(ヒラ)候補生が話しかけるのは無礼だとでも言うのかぃ?」

「そんな……分かってるでしょ?ボクだって先輩を置いて帰って来たくなかった!」

「でも還って来た!――(タツ)を措いてね」

「説明しようとサラ先輩探したんですよ!?でも会えなくて」

「とうぜんサ!会わないようにしてきたからね!」

 

 叩きつけるような怒声。

 そして一転、女の情念を燃やした低い声で、

 

「――会えば……きっとアンタをコロしてたから」

 

 候補生『九尾』?と心配そうな気配が背後から、

 

「校内医のアポ時間に――」

 

 黙ってて!と彼は憧れだった先輩の方に目を向けたまま背後に叫ぶ。

 

「これはボクとサラ先輩だけの問題だよ!」

「いーィ度胸、してるじゃねぇか……」

 

 『九尾』は、吸血姫めいたサラを刺激しないよう、静かに近づく。

 サラも、ゆったりとした足取りで近づきながらマントの肩を探る。と、つぎに現れた右手には黒い鉤爪(かぎづめ)のようなナイフがにぎられて。

 

「――候補生『九尾』!」

 

 手出し無用!

 サラの方を向いたまま、彼はまたも後ろに手を突きだして歩きだす。

 

 彼女のナイフの射程にはいった。

 双方の歩みがゆっくりになる。

 やがて、(かたみ)に一歩ずつのところで、停まる。

 ひび割れた唇が――あれほど『九尾』が夢想した唇がうごき、

 

「メスの(かお)しやがって。(タツ)を――(くわ)えこんだのかィ?」

 

 その一言で『九尾』は()ッと悟った。

 すべてがマグネシウムを焚かれるように、一瞬にして明るみになった気がして。

 

 ・目の前の先輩は、自分を待ち受けていたこと。

 ・きっかけは、女子候補生の間でひろがるヤオイ同人誌であること。

 ・おそらく彼女は、自分と龍ノ口の関係を疑っていること。

 ・『九尾』=『成美』であることは、たぶんバレていること。

 

 盟神探湯65Bや勲章がらみでないことに、彼は危機感を覚える。そしてうかつにも、その微妙な後ろめたさが顔に出てしまったのを『九尾』は自覚した。

 (しまった)という閃き。

 それがサラの最後の起爆剤となる。

 

「へぇ~え。アタシゃ、NTR(ネトラ)れてたんだぁ……」

 

 彼女はナイフをひるがえすと、研ぎ澄まされた一挙動で、『九尾』の制服から翼十字章の略章を()ねおとす。

 背後でホルスターから銃を抜き出す気配。

 それをチラ見したサラの微笑が、割れた唇から血を流しつつ、物騒な印象の笑みをもらして、

 

「こんなクソみたいなモノのために、アタシがムカついてると思った?」

 

 サラは『九尾』の胸ぐらをグイと掴んだ。

 そして一閃させたナイフを、こんどは“恋敵“のほおに押し当て、

 

「そのカマ(づら)――ハクぅ付けてワルさできなくしてやろうか……」

「ナイフを捨てなさい!」

 

 滑動体(スライド)を動かした音とドスの効いた声。

 へぇ?と横目にしたサラが面白そうに眉をヒョイとあげ、

 

「撃てるのかよ、オッサン――いいぜ……撃ちなよ、ホラ」

 

 鉤爪のようなナイフを『九尾』の首にグッと当て、その姿勢のまま護衛と正対する。

 護衛の男は冷静に銃を構えなおすと、レーザー・ポインタを発光させ、サラの(ひたい)に狙いを定めた気配。

 せまい空間に殺気と怒気。はち切れんばかりな感覚で横溢して。

 

「まって――まってよ!」

 

 炙りたてられたように『九尾』は叫ぶ。

 

「もう大事な人が死ぬのは見たくない!」

「は!ワラかすな。アタシぁお前なんか大事じゃねぇし」

「ドラ――龍ノ口センパイも別れ際に気にしてた。『よろしく言ってくれ』って!」

 

 沈黙があった。

 

 それは一種の“急所”だったのだろう。

 頑なだった心が、一撃を受けたガラスのように崩れる気配。

 張り詰めていたものが一気に切れ、廊下を満たしていたあれほどの緊張は、もはや跡形も無い。

 

 サラの身体が小刻みに震えだす。

 稠密(ちゅうみつ)な金属が、廊下におちて跳ね返る音。

 護衛のコルト(拳銃)から照準光が消え、男が構えをといた。

 

 ほおにポタポタ温かいものがおちる。

 それが彼女の涙と気づくまでに、少し時間がかかった。

 ふわっ、と女の匂いが戻ってくる。

 彼女の体の温かさ。そこに伝わる狂おしい想い。

 

「畜生……畜生……畜生……」

 

 サラは、年下の候補生を手あらく護衛のほうに突き放した。

 自由になった彼が足元を見ると、あの禍々(まがまが)しいナイフが目的を()げることなく、廊下で硬質な光を放って。

 

「センパイ、あの……」

「ちくしょぉぉぉおおおおおおおお!」

 

 瞬間。

 黒いオオコウモリが、眼前で翼を広げたように見えた。

 そのまま、ブーツをはいた肉感的な脚が、格闘ゲームのキャラじみた動きで視界いっぱいにひろがって。

 

 ほおに、車がぶつかったような衝撃。

 

 華麗に廊下の宙を舞いながら――“あのジャジャ女、やたらケリいれてくるぞ。顔面のガードは、しっかりな”という『ドラクル』の遺言。忠告を守らなかったばかりにモルジブで迎撃を受けたことをおもいだしつつ、あぁ……自分って学習能力ないんだな……と。

 

 自嘲感にさいなまれる視界を――両手で銃を保持したまま、あんぐり口をあけた護衛と――涙目のまま回し蹴りを収束させるサラ――やがて医療関係の模型を展示するウインドウに顔から突っ込んでガラスを突き破り、派手な音をたてる自分――跳ね返って廊下に後頭部を打ち付けて倒れ――目から火花がでると同時にガラガラと扉の開く気配……。

 

 これら一連の出来事が凝縮された数秒のうちにおこり、ようやく通常時間の流れに収まってみると、『九尾』は自分が廊下の天井を観ながら大の字にのびているという“非日常”な現実を認識する。

 後頭部が心臓にあわせ、ガンガンと殴られるように。

 おまけに頬がピリピリ、ヌラヌラと濡れている――ような。

 

「ナニやってんだい(うるさ)い――ワッ!『九尾』?どうしたのサあんた!」

 

 校内女医の顔が、いきなりドアップ。

 『九尾』の頬を診ていたが、

 

「ともかく止血を……アンタこれ、遺伝子溶着しないとダメだよ?」

 

 横たわった頭のほうで、蹴り飛ばされたナイフが廊下を滑ってゆく音。

 

「傷害容疑で緊急逮捕!時間――」

「あぁ、タイホでもナンでもしてくれ。いっそ、殺してくれると嬉しいや」

「まって、待ってよ……サラ先輩は悪くない!」

「喋らないで!サラ!アンタがやったのかい?オイそこ()!救急車を!」

エコー()028よりホテル()01、特定保護対象にコード006発生。対応E099を要請!繰り返す――」

 

   ――    ――    ――   ――

 

 かるい脳震盪と皮膚の溶着処置で、『九尾』は三日ほど入院した。

 そのあいだ、サラは傷害の現行犯で緊急逮捕、所轄の留置場へ。

 『寛大な処置を求む』という彼のとりなしもあって、最終的に起訴はされず書類送検で済んだが、瑞雲は謹慎1ヵ月となる。最初は無期限の停学処分だったのだが、入院中の彼が探査院の本院へ、強引に直訴(じきそ)したのだ。

 

 その入院中、『九尾』は意味不明な夢を見続けた。

 

 あのボロをまとった髑髏の夢。

 形も分からぬ亡者たちが、自分にすがり、まとわりつく。

 いったん起きても、また寝るとその悪夢の続きが始まるという偏執。

 

 導入剤を飲んでも効果が無く、かといって無水カフェインを使って起きていれば、深夜臨終を迎えた隣のベッドに黒い影が佇立し、肉体から遊離した影をどこかに引きずってゆくのを観るという始末。最後は強力なクスリをもらい、半ば昏睡状態ですごした四日目の昼近く。

 

 さすがに睡眠満タン状態。

 寝すぎでダルい気分のまま、呆けた面差し。

 しどけなくソファー横座りなっていると、あちこちで携帯のカメラの気配がする。

 しまいにはパジャマのズボンにテントを張った、点滴棒を従えた入院患者が目立つようになり、とうとう病院の警備出動するハメに。退院手続きを済ませた彼が病院のロビーで警備に付き添われたまま待っていると、いつにもまして無表情な護衛が、ようやく迎えにやってきた。

 パッと明るくなる『九尾』の顔。

 しかし、護衛はどことなくムッツリと。

 

「護衛さん。お疲れ様です……」

「……」

 

 返事はなかった。

 

 車に乗り込んだ時、その違和感はさらにハッキリとする。

 あきらかに護衛は、疲労と怒りに満ちた顔をして、口をへの字に曲げて。

 『九尾』は、ほおに貼られた皮膚保護パッドと、表情筋を動かさないための麻酔を気にしつつ、片手を頬に当てながら、ためしに相手が食いつきそうな話題を放った。

 

「いやー参っちゃいました。ホントにいるんですね――幽霊って」

「……」

「ボク、見たんですよ。こう、黒い影が……」

「……」

 

 反応はない。

 そういえば公用車には、会話記録装置があると護衛が話していた。

 

 ――きっとこちらがボロを出さないよう、気にしているのかも。

 

 大きく口を動かしたおかげで痛み出す頬。

 『九尾』は化粧用のミラーをとりだし、大判な絆創膏の具合を確認する。

 運転席からルームミラーでそれを見た護衛の、鼻で嗤う気配。

 

 とうとういたたまれず、彼は、

 

「ボクのほお、ヘンになってません?ブルドッグみたいに垂れさがっているような……」

「継続弛緩薬の効果だ。しばらくガマンするんだな。女顔にチッとは凄みがついて良かったじゃないか」

 

 なにか声にトゲがある。

 また余計な騒ぎをおこしたせいだろうか。でも自分(コッチ)のせいじゃないし……。

 

「その、学校で。あのドタバタ話題になってませんでした?」

「しらんよ。私は()()()()()()()()()()()()

「はぁ……」

「……さ、寮に直行だ。もうプラプラするんじゃ()()()

 

 やっぱり声にトゲがある。

 

「あの……なにか怒ってらっしゃいます?」

「別に。キミの知ったコトではない」

 

 突っ放すような護衛。

 

「(ホラやっぱり怒ってる)」

 

 小声で『九尾』はゴニョゴニョ。

 

 車が信号待ちをして、室内が静かに。

 ウィンカーの音が、いたたまれなさを助長して。

 

「そうだ!」

「却下」

「えー……まだ何も言ってないのに」

「早急にキミを寮へ送り届けるコトとする」

「あの、慰霊大聖堂へ行きたいんですけど……」

「却下。それにアレは形式的なものだと言ったろう。またメンドウごとに巻き込まれては、()()()()()()()()()

「そんなぁ。こんどいつ機会があるか、分からないのに」

「知ったことではない。キミを野放しにすると、コチラが迷惑するんだ!」

 

 護衛の本気な怒声。

 ウッ、と思わず『九尾』は涙ぐむ。

 あいかわらず片頬が動かないな、と考えながら。

 

 凍ったような沈黙の中、いきなり車の無線が喋りだした。

 

ホテル()01よりエコー()028>

「……こちらエコー()028」

<連れてってやれ――以上>

 

あっけにとられたような空白。

やがて「ドカン!」とハンドルを叩きつける気配。

「クッソ……」

 

 あからさまに怒気を放出する護衛に対し、『九尾』は肩をすくめる。

 それに対して護衛は、

 

「いい身分だな!メゾン・ドールは遠隔洗脳の技術でも教えるのか!皆が皆、キミの言いなりだぞ。ご都合主義のラノベみたいだ!」

 

 アクセルをラフに操作し、トルクの太い車はいきなり加速する。

 無線の内容に力づけられ『九尾』は身を(すく)めたまま、おそるおそる、

 

「あのぅ……」

「なんだ!」

「その、ですね。お墓参りのまえに、お供え物を……」

 

 チッ、と舌打ちの気配。

 やがてため息が吐かれて、

 

「……わかった。花屋だな?」

「いえ、その。酒屋さん」

「まったく……あぁ、あそこにコンビニがある。とっとと行って――」

「あの、できればですね?高級ウィスキー希望なので……鷹島屋に」

「はぁ!?供え物だろう!?」

「そう、なんですけど……」

 

 相手からの怒気が高まる。

 とうとう護衛は本気を出した。

 

「調子にのるなよ、小僧……」

 

 しかし、間髪を入れず入電。

 

ホテル()01よりエコー()028……>

「あぁ!分かったよモウ!行きゃイイんだろ行きゃ!」

 

 リヤタイヤを鳴らし車は車線変更。

 そのまま急激に加速する。

 この護衛さんも、感情まかせな行動をするんだ、と『九尾』は心ひそかに驚く。

 10分ほど乱暴な運転が続いた後、渋滞に出会い、ようやく車は静かになった。

 今だ――と『九尾』は思う。

 

「あのう……」

 

 四方を車に囲まれ、行き場の無い護衛の男は大きくため息をついて、

 

「こんどは何だ……」

「その――お金貸して?」

 

 あまりに呆れすぎ、とうとう怒りのメーターがグルッと一回りしたらしい。

 一瞬の空白のあと、護衛は爆笑する。

 狭い車内にひとしきり笑い声を響かせたあと、涙をこすりながら、

 

「だからあの時!カッコ付けて贈り物を投げなけりゃ良かったんだ!」

 

 だって、と『九尾』はプッとふくれ、

 

「あの時は!ああしたかったんです……」

 

 

 

 

 




作者は主人公とサラを仲直りさせるつもりでしたが、彼女としては、やはり許せなかったみたいです。

またも登場人物たちに、勝手に動かれてしまいました。


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080:光散乱めいた間奏曲(Ⅱ)-α/Ver.Ⅱ

 

 

 雲海降下前に訪れた高級百貨店は、その時とは一転、平日ともあって空いていた。閑散といってもいいその光景に自分のふところ具合を連想した『九尾』は、車内の会話を思い出す。

 

「借り逃げは、ゴメンこうむるぞ」

「借りにげ?」

「借りたまま、天国か地獄に逃げ(ちま)うコトさ。今度の“御前試演”でな」

 

 やっぱり言い方がトゲトゲしい。

 言われた彼は、思わずイラッと、

 

「そんなこと!しません。作戦遂行の報奨金と叙勲の副賞が、探査院と王宮より支給されると聞いてますから、問題ないと思います……たぶん」

「いくら」

「報奨金で50ギニー。副賞で100、とか聞きましたケド……」

「……」

 

 護衛は鼻白んだかのように黙り込む。

 たかが高校生の分際で165万円、とでもおもったのか。

 ひょっとすると、自分のボーナスの金額と比べていたのかもしれない。

 しかし『九尾』は、その沈黙を「当てにできない」という相手の意思表示と受け取り、

 

「あの。月末にならないとボクの口座に振り込みが無いらしいので。瑞雲校指定の約束手形、書きます。サイトは100日ですけど――いいですか?」

「分かった分かった」

 

 いくぶん、プライドを傷付けられたかのような声で、

 

「いくらでも、貸してやる……ただし覚えておけ?今後、たとえ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。絶対だ。借りた金を無事に返したところで、互いに微妙な“しこり”は、のこる……」

 

 

 ――やっぱ……カッコつけて捨てなきゃよかったかな?

 

 酒類を販売する地下フロア行きのエスカレーターで、一瞬。ホンの一瞬だけ胸が錆びたような感覚に。

 

 愛香の炯々(けいけい)と光る、刺々しいまなざし。

 鴆毒(ちんどく)を吐くような、あの赤い口唇(くちびる)

 全力で自分を拒否するような態度。

 

 ――アレで良かったんだ。

 

 結局、捨てることで吹っ切れたのだと彼はムリに思いなおした。

 車を降りる直前、用意された一種制服に着替えさせられていた九尾は、喉もとの仰々しい翼十字章をマフラーで隠しつつ、自分自身を納得させる。

 二人は地下フロアにやってくると、客がスカスカの上層とはちがい、スプリング・セールに賑わうデパ地下の独特な雰囲気を見回しながら、

 

「護衛さんは?お酒詳しい?」

「さて」

「(ちぇ。教えてくれてもイイのに……ブツブツ)」

 

 背後にベッタリと位置する黒メガネは、いまだにブスッと連れない態度。

 

 ――無理もないか……。

 

 ミラと別れた、あの銃撃戦の夜。

 

 『九尾』がメゾンに行くことを許可した護衛であるこの男。そしてその部下たちは、あの一件がために減給処分を受けたのだとか。すでに『九尾』というW/Nは探査院でも疫病神扱いに‎なりつつあるという、心外なウワサも聞こえてくる。ふと思いついてミラ秘書官のことについて尋ねてみるも『部署と管轄(かんかつ)が違うので情報は伝わってこない』とぶっきらぼうな返答。

 

 ――いや……まてよ?

 

 でも、それにしては態度がヘンだ。

 園遊会では護衛さんたちと普通にしゃべっていたではないか?

 それに、さきほど男が口にした“再研修”ということば。

 もしや……。

 

 あの、と言いかかる『九尾』より先に護衛の男は、彼をさりげなくガードしながら、中年夫人や子供連れが目立つ人ごみや自動カートを器用にすりぬけ、目指す場所につくと、

 

「酒の売り場はここだな?外から見張っている。なにかあったら呼べ」

 

 それだけ言うと視界が効くすこし離れた場所に占位し、辺りをさりげなく見張る姿勢。それは本当に連れと待ち合わせる姿のように、周囲に溶け込んで違和感がない。さすが、と『九尾』は舌を巻く。

 

 はぁっ、とやるせないまま彼は単身、華やかなボトルの林に突入した。

 壮大かつ蒼古な区画の中で、ワイン・セラーのガラス戸には一本一本に目玉が飛び出しそうな瓶が並ぶ。

 

――え……。

 

 メゾン・ドールで親しくなった同僚たちと仕事が終わった後、ワインセラーから失敬して盗み飲みした『シャトー・ラフィット・ロートシルト』の当たり年Grand Cru 。酔っ払った彼らのうち二人が“69”の体位でふざけだして。それをバニー・ボーイやチャイナミニ。ボンデージ・スタイルの少年たちが互いの身体を“さわりっ子”しながら鑑賞する。堅物で通る『九尾』は、ノーマルの“ご奉仕ショタ・ウェア”のまま、独り、チビチビとグラスを傾けて。

 

 あのとき、美味いとも不味いとも思わなかった“赤い水”

 今見れば、怖いぐらいの値段が。

 

 実際の価格を見るのが『九尾』は初めてだった。

 もともとメゾン()の“メヌ(menu)”には、ワインの値段は書かれておらず、一昔前の岩波文庫のように☆や★の連なりとビェルシカへの“インセンティブ”しか表記がない。おそらく具体的な価値を知らせて少年たちが横流しする危険が増すのを防ぐためだろう……。

 

 シャンパン――シェリーと区画をうつり、ブランデーの次に目指す棚はあった。

 

 ――ウィスキーの場所は、ココか……。

 

 二つの月が浮かぶ蒼空。

 あの高原で“前線”のスゴ味を放つ本職が呷っていた銘柄は……。

 記憶力をフル回転させ、目を棚に並ぶラベルの上におよがせる。

 

「なにか――お探しですかぁ」

 

 近くで作業をしていたクロークを巻く小太りな若い店員が近づいてきた。

 西の出身らしく語調(イントネーション)こそやわらかいが、筋肉質な丸い肩から発散する雰囲気と表情(かお)に、なぜか攻撃的な色合いがある。 

 

身分証(I D)、おます……ありますか?」

「身分証……」

「すンませんが酒類の販売わぁ、当局のご指導で18歳以上と決められてますよッて――決められてマスので」

 

 しまった!と『九尾』は唇を噛んだ。

 まさか年齢制限のことまでは頭に浮かばなかった。

 図星か、と早春セールのためか花をかたどったハデな紙帽子を被らされている小太りの青年は、そんな彼を心なしかニヤニヤと眺めて。

 

 ――自分は18歳だ、と突っぱねようか……。

 

 しかし、女性化・前処置の影響がいまだ色濃くのこるいまの面がまえでは、それも滑稽なだけかと彼は思いなおす。かといってこのままスゴスゴ転進するのは、いかにもシャクだ。

 遠くで黒メガネが異変に気づいたか、こちらを注視している。しかし助けを求めるのは、もっと腹だたしい。

 彼は、くるしまぎれに航界士候補生の制服を示し、

 

「じつは自分、公務遂行中でして」

「いや、それなら公務中の腕章は?こちらも当局のご指導ありますので」

 

 思わず『九尾』はイラッとする。

 

 ――なんでコイツそんな余計なトコに詳しいんだ!

 

 それに、この手の役人風な人間が、このごろ彼は大キライになっていた。

 思わず相手をニラみつけ、

 

「……では、重要な人物への贈り物が、貴方のために間に合わなくなったら、(すべ)ての責任をとって頂けますね!?」

「……よろし。その代わり、貴官の錬成校登録No.控えさせて頂きますさかい」

 

 もはや西の調子を隠そうとしない店員。

 けっこう!と『九尾』も声高に応じる。

 

 売り言葉に買い言葉だ。

 二人の間で火花が散る。

 

 『九尾』は首もとを巻いていたマフラーを、ゆるゆると解いた。

 相手が“航界士マニア”なら、分かることだろう。

 彼の(のど)もとには、いかめしく耀く[金枝付[王賜]翼十字章]。

 

 さすがに一瞬、小太りの青年の眼はギョッと見開かれた。

 そして上から下まで、年下の少年の様をみつめる。

 だが次の瞬間、不思議なことに、この青年の顔は怒気に染まって。

 

「上等ですわ!ホンなら出るトコでましょか!」

「オイ!政次(まさつぐ)!ナニやってんだ!?」

 

 すこし離れた場所で、伝票を整理していたとみえる白髪のオールバックな老人が、ポールペンを手にしたまま近づいてきた。

 

「閣下、なにか問題でも?」

「この()ン、年齢証明出さないんですよ――」

「馬鹿ッ!もうイイから――オマエは向こうで納品チェックでもしてろ!!」

 

 青年は、フテたような顔をして『九尾』の前を去った。

 老人の店員は首をふり、ため息をつきながら、

 

「失礼致しました閣下。すると……ウィスキーを、お探しで?」

 

 クソが!と思いつつ『九尾』もメゾン・ドールの厳しい経験で鍛えたスイッチを、即座に外交モードへと切り替えるや、

 

「重要な方への贈り物なんですが、銘柄が分からなくて。なにかお奨めの品はあります?」

「そうですねぇ……」

 

 これなど如何(いかが)、と老店員が取り出したのは、3Dサイトでもよく宣伝されている銘柄の12年ものだ。

 うぅん、と『九尾』は唸る。

 良い品なのだろうが――なにかありきたりな気がする。

 ひとクセもふたクセもありそうな『ホスロー』のイメージに合ってない。

 

 引っ掛かりのある彼の顔つきに店員はボトルを引っ込め、

 

「好みがうるさいお方?」

「……かも、しれません」

「どんなのがお好みの方なんでしょう?」

「さぁ……三十台なかばぐらいの男性で、航界士で、前線勤務があって……」

 

 老店員はそんな彼の頓珍漢(とんちんかん)な回答に苦笑いして、

 

「ご本人の好みがお分かりにならないと、コレばっかりは、ねぇ?」

「できれば、好きだった銘柄を贈りたいのですが」

「どんな銘柄で?」

「それが……自分もウィスキーにはあまり詳しくなくて……」

 

 メゾン・ドールで『九尾』は一応、一通りの知識は叩き込まれた。

 

 しかし、それはほとんどがカクテルやシェリー、シャンパン。アブサンやラキ、ヴォトカなどのスピリッツ、それに鬱蒼(うっそう)としたワインの銘柄とそれに見合う料理で占められ、ウィスキーは基本的な銘柄しか教わらなかったのだ。そもそもウィスキーを注文する客が、ほとんど居なかったもので。

 

 なにかヒントみたいなのは無いのですか?と店員は眉根をよせ、腕組み。

 

「ボトルの色やラベルのエンブレム――デザインとか」

「びんは透明でしたし、ラベルは手書き風な文字ばかりでした」

 

 まぁ、なんでもいいかと『九尾』は思う。

 

 ――気は心だ。どうせ本人は……。

 

「数字は?書いてありました?」

「え?あぁ……そういえば12とか」

「ふぅむ、12年物ねぇ。しかしそんな品はたくさんあるし……」

 

 ふと、『九尾』はあの二つの月の下で吹きわたった風に、微妙な臭いがあったのを思い出した。

 

「わかった!たぶん薬膳酒でした……臭い匂いがしましたから」

「匂い!どのような?」

 

 目を光らせた老店員の勢いに『九尾』はとまどう。

 あのとき、吹き渡る清浄な風に、幽かに臭ったのだ。

 

「放射線予防液を含んだ匂いですよ」

「と、申されましても……わたくし共のような平民には、なんのことやら……」

「アイラ・モルト」

 

 いつのまにか背後でボソッと黒メガネの声。 

 やはり!と老店員は快心の笑みを浮かべ、

 

「文字だけ。しかも瓶が透明な手書きラベルの12年となるとおそらく!あの銘柄の50度カスク・タイプ。さては相当お強い方ですね?」

「えぇ、だったと思います……」

「ちょうどいい、同じ蒸留所の極上な試飲ボトルが来てる。匂いを嗅ぐだけなら……それとも候補生の方は特例なのかな?」

「もちろん不可(いけ)ません」

 

 またも背後から、護衛の断固たる声。

 

 ワインセラー区の奥、洞窟状になったもっとも高価なボトルを並べる場所から、老店員は半分ほど空になった酒瓶をうやうやしく持ってきた。

 

「これは特別なお客さんにしか試飲に出さないんですが……」

 

 小さなショット・グラスにそそぐと、あの高原の爽やかな空気に混じっていた、ヨード臭い匂いが再現される。グラスを鼻先にもっていった『九尾』は、

 

「これだぁ……」

 

 そう言うや、クピッ、と一口。

 とたん口の中にヨード臭い火炎の狂奔(きょうほん)

 

「うァっ!エホッ!」

「あっ!コラっ!」

「どうです。こいつは40年もので60ギニーほどですが……どうです?そちらのお方も」

 

 この時の護衛の顔こそ見ものであった。

 頬がヒクつき、一瞬、手がグラスに伸びかける……。

 だが、最後は立派に自制が勝ったらしい。

 

(いえ)、自分は……勤務中ですので……」

 

 もの凄い葛藤を浮かべたすえ、断腸の思いがそのまま面に出たなような顔で辞退する。

 

 結局、売り場にあるガラス棚の一番上に鎮座していた同じ40年ものを選び、カウンターの上でプレゼント用にラッピングしてもらう。支払いは、護衛の男が持つ探査院の“鬼札(カード)”で。

 

 よかった――と『九尾』はホッとした。

 ホスロー上級大尉の喜ぶ顔すら、想像できるような。

 

 そんなおり、ふと老店員が、

 

「アイツのこと――許してやってくださいね……」

「だれ?あぁ、さっきの店員サンですか」

 

 老店員は、ちょっと首をふって詠嘆するように、

 

「――アイツもね?、ちょっと前までアナタと同じ“候補生”だったんですよ」

 

 そうかぁ、と『九尾』は納得する。

 道理でヘンにイタいところを突いてくるわけだ。

 

「リタイヤ?されたんですか」

「適正か、最終の試験におちたか、マその辺は詳しく言いたがらないんですけど」

 

 ――ププッ♪ざまぁ

 

 『九尾』は意地悪く胸の中で嗤う。

 あの小役人じみた頭のカタさじゃ、劈開面は見分けられまい。

 だがその(くら)い喜びも、老店員のつぎの一言で雲散してしまう。

 

「貴方の前でナンですけど、そんなにイイもんですかねェ、航界士って」

「……と、いいますと?」

 

 気に障ったら御免なさいよ、と老人は眉間のシワを深め、

 

「けっこう亡くなるって言うじゃないですか。あたら華の命を……」

「ま、まぁいろいろありますからね」

「それにね、来た当初はバックヤードで時々泣くんですよ。悔しがって。オレはここで、こんなコトをしているって……」

「……」

 

 ほかにも初老の店員は、何か言っていたようだが、それは『九尾』の耳に入らなかった。

 ただ“バックヤードで時々泣くんですよ。悔しがって”というフレーズは、耳の中でいつまでも残る。

 

 ――雲海探査が無かった場合の、龍ノ口先輩の未来だ……。

 

 『九尾』は暗然とならざるを得ない。

 

 なぜ、自分は候補生になるのだろうという想いが、ふたたび頭をもたげてきた。

 楽な就職先を提示されたとしたら、自分はそちらを選ぶだろうか。

 

 龍ノ口の命と引き換えに、自分はいまココにいるという事実。

 もらったバトンの活かし方として、細く長く生きるのもありなのか。

 

 安定した職業と必要最低限の収入。

 要するに、明日が保証されている生き方。

 恋愛、結婚、家庭、育児、左遷。あるいは栄転。

 想像の人生行路のなかで、なぜか相手は、愛香となって。

 行きつけのバーの若マダムは、ミラ宮廷秘書官。

 通勤電車と残業。休日出勤と愛香の小言。

 しきりに言い寄るミラとの危うい逢瀬。

 

 ……などと昼ドラまがいの展開が、脳裏に。

 

 覚悟を決めたつもりでも、やはり(あした)を保証された生活に未練はのこる。医療保険や言論の自由、治安機構による安全が、幾多の事象面の中でも抜きんでて恵まれているこの日本という事象面で、リゾーム世界の辺縁が崩壊を始めているとはいえ、自分がその火消し役になる必要があるのか。

 

 ――とはいえ……。

 

 一度、薄皮一枚へだてたウラ側で、信じられないほど汚いことが行われているこの国の現状を観てしまった今は、どこか余所(よそ)の土地に行きたいとも思うのも事実だった――もっとも、命がかかっていなければのハナシだが。

 

「あの――閣下?」

 

 われに返ると、包装を終えた老店員が、不思議そうな顔で『九尾』を見ていた。

 

「ほかに何かお買い忘れでも?」

「いえ――なんでもありません」

 

 手提げ袋にいれた包装済みのボトルを下げて店を出ようとしたとき、先ほどの小太りな店員を遠くに見かける。似合わない菜の花の帽子を被らされ、つまらなそうな風でクリップボードを手に、ケースに入った品の員数チェックをしている姿。

 

 黙って近づくと、青年の傍らに立った。

 青年は固い顔をして、曲げた腰を伸ばすと『九尾』見下ろして迎え撃つ態勢。

 

 しばらく沈黙。

 

 とうとう堪らなくなったか、小太りの青年は、

 

「なにか」

「……ぼくは。ある重要な作戦で最近、親しい先輩を(うしな)いました」

 

 青年の目を見げながら、『九尾』は声低く呟いた。

 

「航界士の任務は、あなたも知ってのとおり危険と背中あわせです」

 

 相手の目がキラッ、と一瞬だけ生気に輝いた。

 だがしかし、それはすぐに鈍重な幕に覆われてしまう。

 

「それが何か」

「あなたは、今でも航界士に追加認定されたら――すすんで職務を受領しますか?」

 

 青年は背筋を伸ばし、『九尾』を尊大に眺めおろした。

 そこには一抹の優位的な微笑すら漂っている

 

「――のぞむトコロや。危険なくして、なんの航界士ぞ」

「死ぬかもしれないんですよ?」

「アホ。やっぱり()ンやな」

 

 相手から氷めいた気配が消え、うすく笑いがもれる。

 

「そこを乗り越えたら、あたらし世界が見れるんヤないかい」

「なんか、殉職したボクのチューターも、同じこと言ってました」

 

 はぁ、と青年はタメ息をつき、

 

「航界士なん言うモンは、みんな似たようなモンや。こんなクソ下らん世界、抜け出しとぉてタマラン」

「安全と安定が保証されているのに?」

「生きながら死んでるようなモンや。生きてるなら、火花散らさんと!エラン・ヴィタール(生ノ跳躍)や!」

 

 青年は、でっぷりとした腰に手をやり、また暫し、瞳を輝かせる。

 

「いっそ代わりたいくらいやで……なんヤの?そのショボクレた顔ぉ!?その大層な勲章は飾りかィ『()()』!しっかりせぇ」

 

 ドン、と背中をどやしつけられた。

 しかしそこには、幾分かの温かみが込められているのに彼は気づく。

 サラ先輩はどうしてるかな、と一瞬思って。

 

「ボクのことを……」

「あたりまえや!ガキで(おッと、スマんの)あんな大層な勲章受けたンは、ココ最近じゃ一人しかおへん!どんなヤツやろ思うとったが……マダマダやの!」

 

 確かに、と言われた『九尾』も苦笑してしまう。

 

「ボクは、全然いたらないようです」

「だが、ワルいヤツやなさそうや!さっきは謝る。スマン」

「そんな……ボクのほうこそ」

「候補生『九尾』――急がないと聖堂が閉まる」

 

 馴れ合いに水を差すように、護衛の男がまたも背後から。

 言われた彼は軽くうなづいて青年に向き直り、

 

「ありがとうございます……もう行かなくては」

 

 なにか少し元気をもらったようで、『九尾』は笑顔になる。

 相手の青年も、それは同じようだった。

 

「気張りや!Zu、dess!」

「ありがとうございます。Braa」

 

 ニッ、と青年がわらう……。

 

 

 

 

 




回想シークエンスも残り少なくなりました。
あと少しで崩壊の始まりです。
どうか彼の最後を見届けてあげてください


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081:光散乱めいた間奏曲(Ⅱ)-β/Ver.Ⅱ

 

 

 百貨店を出た彼らは、護衛が運転するセダンで慰霊大聖堂に向かった。

 

 都市を外れた場所に建つメガ・ゴシック様式の巨大な構造体。かなり離れた場所からでも、その威容をながめることができる。

 かつての雲海戦で慰霊式をおこなった場所。あれから1年と経っていないのに、もうずいぶん昔のことのようにおもえた。

 

 ――すべて変わっちゃったな……。

 

 自分をとりまく仲間も、環境も、そしてなにより自分も。

 大聖堂に至る道中、延々と続いた車内での沈黙のなか、『九尾』は自分の身体にふれる。

 いまだにメス化の影響がのこる体つき。血管に濾過用の血液プラントを設置されているが、なかなか浸透性の性改変ホルモンが抜けない。もしかしたらずっとこのままかもな、と彼はもうあきらめに近い感情を持っている。

 そして――ほおのキズ。

 怒りに燃えるサラ先輩の瞳が、いまだに忘れられない。どうしようもない状況だったことを、いつか分かってくれることがあるだろうか。望み薄だな、と彼はもうどうでもいいような思いで考える。自分を憎むことであの人の心のバランスがとれるなら、それでいい。

 

  黙り込んだまま車の外を眺める『九尾』に、護衛のほうも押しだまったまま、フルマニュアルの車を運転する。

 

 重い空気の中、車は大聖堂にたどりついた。

 武装した入口(ゲート)の衛士に身分証を見せ、敷地内にセダンを乗り入れる。

 彼方で植栽の手入れをしているのは、釈放まぢかの模範囚たちだろうか。

 等しく蛍光オレンジの派手な作務衣に、監督官のような者が一人、ついている。

 

 車から降りると、『九尾』は付随する“礼拝堂を”彼方に眺めた。

 この足もとでは何千、何万柱もの骸骨が、整然と並べられているのだ。鎌を構えた“死を想え(メメント・モリ)”の標語。そういえば、あの意味不明な悪意は、いまだこの足もとに潜んでいるのだろうか……。

 

 磨かれた花崗岩の大階段を昇る。

 

 寒々とした印象すらうける宏大なエントランスに足を踏み入れると入ると、平日の午後おそくともあって、巨大な伽藍(がらん)は人影もまばらだった。

 側廊だけでものしかかるばかりな規模の構造体は、来賓であふれたいつぞやとちがい、ガラガラなだけに広さが幾倍にも増して、心もとないまでにうすら寒く感じる。ちょっと見には、まるで夕日に照らされた神代(かみよ)の巨大な獣の白骨体、その肋骨の中を想わせる壮大さで。

 彼方に喪服を着た子供連れの若い婦人が『九尾』たちより先に来ており、プレートの隅でぬかずいている。余所行きの服をきた子供たちがまわりで騒ぐが、その歓声すら、堂内に雲をうかべるほどのあまりに広壮な丸天井には響かない。

 

 受付担当の堂守りから、航界士の礼拝所は上だと聞かされた彼らは、側廊の隅に並ぶグラス・エレベーターのひとつで100mほど上空へ。微動だにしないシルクのようなスムーズさで上空まで運ばれると、大理石(なめいし)張りの白く耀くフロアにたどり着く。たまたま近くにモップで床を磨く上層の担当員がいたので目的の場所を訊けば、壁面から突き出るガラス板のようなエスカレーターを示され、さらに上に昇れという。しかもそのエスカレーターには手すりがなく、落ちたら100m以上を真っ逆さまというありさま。

 

 足の裏にイヤな汗をかきつつ、護衛とともに『九尾』はゆったりと動くガラス板に乗り、両足の間にゴマ粒のようにうごめく先ほどの子供たちを見つつ、さらなる高みへと向かってゆく。

 

 登るにつれ地上の汚穢をはなれ、空気は静謐に、清浄になりまさってゆく。

 空気が無機質となり、硬く、冷たく。まるで氷の清澄さで身をつつんだ。

 

 静々と、そして延々と上昇してゆく磨かれた踏み板。

 

 わきを見れば、上空にどこまでも延びるような大聖堂の巨大な側面。

 夕日を受け、ゴシック様式の壁面にならぶ像がオレンジ色に染められて。

 その背景、空に立ち上がる雲も南洋事象面を思わせる壮麗な輝きを見せている。

 

 ――“ムハンマド”のみんな、元気でやってるかな……。

 

 ゆるやかな昇りに多少なれ、余裕の出てきた彼は、次いで“南十字星”で帰国したおり、医療センターでヒットさせた検索をおさらいした。

 

 泊まり込みでの検査につぐ検査。

 毎日、数時間もかかる点滴。

 問診と、リハビリ。3時のお茶の食器出し。

 

 ヒマなようで忙しい入院中の空き時間に、入力端子を潰された病院貸与の情報端末で遊んでいると、過去のニュース記事で『コスロー』という名前が目に飛び込んできたものである。 

 

 通信社の記事は短いものだった。

 

 「第四方面軍」所属の『コスロー』()()が、愛機“シーリーン”と共に難関の「東方第149劈開面(へきかいめん)」を突破し、新方面事象への突破口を開いた、というもの。

 

 数十年前のベタ記事であるそこには写真もなく、隣でシャンパンを浴びている24時間レースのウィナー・ドライバーの方が目立つくらいだったが、『九尾』はニュースの発信元がフランスを本拠地とする外信系の通信社であることに気づく。

 

 フランス語でH(アッシュ)は黙字(もくじ)として読まないことが多い。音声翻訳の際に『ホスロー(Khosrow)』が『コスロ―』になったことも十分考えられた。メゾン・ドールから“生還”して検査を受けたときのヒマな時間で探したときは、『ホスロー』の記事はいくら探しても出なかったのだ。

 自分のパスワードではダメだったが、『リヒテル』のものを使うと、当たりがゾロゾロと出てくる。その情報量に、端末を握りしめ思わず小躍りして通りすがりの怖っかないことで有名なナース長に怒られたのも、いまでは彼の中で良い思い出となっている。

 

 

 ・第47強行偵察連隊・第四中隊の勅任航界士『コスロー』少尉。

  若い風貌(かお)が、美しい姿の航界戦闘艇“シーリーン”の傍らで自身に満ちて。

 

 ・第二小隊の指揮をまかされた小隊長『コスロー』中尉。

  気負った硬い顔が、新進気鋭の指揮官めいて装った自信とともに。

 

 ・遭難した仲間の捜索・救助に成功して勲章を受ける『コスロー』上級中尉。

  不眠不休の活動のためか、年齢より老けて見える。

 

 ・耀腕との遭遇戦で擱座・大破した単座戦闘艇“シーリーン”

  擱坐(かくざ)、サルベージされた機体の脇で『コスロー』特務課長のニガい顔。

 

  ニュースの本文では、(いき)なことに「ニザーミー」の(うた)を引用している。

 

    “諸氏はこの物語のシーリーンに

       辛い()()(血)の涙を零されるだろう。

         かの短い生涯はバラのように(はかな)

           青春の中に生命を散らしたのだ”  ※1

 

 ――そして……。

 

 ・新たな専用の搭乗機を受領した『コスロー』大尉。

 

 

 一瞬、その機体が『九尾』は分からなかった。

 

 流麗なフォルム。

 スマートなデザイン。

 航界士なら、誰でもちょっとオッ?と思うぐらいのスマートさ。

 記事の誤植では?――と疑うもコクピット周りが、何となくソレっぽい……。

 

 ――戦術研究所・特別実験機“奉天(ほうてん)”……。

 

 ようやくエスカレーターが上の階につき、ホッとした『九尾』は、アール・ヌーボーチックな装飾に飾られた古風なアーケードやアーチが連なる吹きさらしなテラスから彼方を望んだ。

 

 浅草1200が彼方に見える。

 夕日を受けた姿は、まるで地面に突き立つ槍のよう。

 

「おぉい!アンタらぁ!」

 

 彼方からこのフロアの堂守が声をかけてきた。

 

「あと1時間で締まるよぅ!おがむンならハヤくしなっせぇ!」

「あ、ハァイ――!」

 

 『九尾』は大声で返事をし、教えられた区画へと向かう。

 鬱蒼(うっそう)という雰囲気がにあう、人気の無い小路。

 壁一面にならぶ、A3ほどの引き出し。

 そこに生前名が、重々しい青銅のプレートで鋲留めされて、幾列にもならんでいた。中にはスラヴ系の墓石めいて、生前の面影を石に焼き付けたようなスタイルのプレートもある。

 

「候補生『九尾』――右側を。私はこっちだ」

 

 作戦行動をするようなプロっぽい語調の護衛にうながされ、『九尾』は右列に。

 手分けして探すうちに、とうとう護衛の方が“アタリ”を引き当てた。

 

 静かな緊迫に包まれた護衛の声。

 

 振りむくと、中段の列の一角を、男が黙ったまま示している。

 近づいて見れば『Khosrow』とあるW/N(ウィング・ネーム)

 その下に本名と生年・没年。 

 (ゲシュタルト)・スーツの古めかしさから推論した通り、相当まえの人物だ。

 最終階級として――二階級特進だろう――()()の肩書が。

 最下段にエピグラム(碑文)がビス留めされている。

 

 

 冷厳たる(ひとや)に封ぜられし旅人よ

 

       いつの日かふたたび解き放たれんことを。

 

 

 お決まりの「死」と「復活」への祈り。

 

 

「どうすればイイんだろう……」

「IDカードだ。IDを差し出せば、航界士の“戦友(カメラート)魂”とやらが引き合う」

 

 『九尾』がIDを差し出すと、ピッ、とロックの解ける音。

 プレートが開き、そのまま引き出しのように手前に。そのうごき方が、高速巡界艦の、あの悪夢のようなエイジング・システムを連想させる。

 

 生きながら死せる物を格納する、サージカル・ステンレス。

 死にながら(なお)も記憶に生き続ける者を収める、青銅の碑文。

 

 引き出しに骨壺は入っておらず、代わりに何と――みずみずしい()()の一束。

 

「いまだ、(した)う者がいるとみえる。あるいはかつて慕っていた者というべきか」

「なんで……?」

 

 絶句して声も出ない『成美』に背後の護衛は黒メガネを光らせ、

 

「べつに不思議なコトじゃない。当時ごく親しい間柄だった二人のうち一方が姿を消し、(のこ)された片方は薔薇を送り続けた。やがて本人がその後を追っても、花屋との契約は生きており、決まった時期に想いのよすがを送り届ける。たまたま我々が来たのが、ちょうどその時期だったに過ぎない」

 

 『九尾』は拍子抜け。

 説明されてみれば、なんということはない。

 

 な~んだと思いながら、薔薇の花束のわきに持参した40年もののウィスキーを紙袋から出してソッと置く。

 

 薔薇の花束を背景に、リボンをかけたプレゼントの包装は実に絵になった。

 遺された者の胸に根差した想い。愛惜。悔恨と――慰謝(なぐさめ)

 

 【人々から完全に忘れ去られたとき、はじめて人は死ぬのである】

 

 ――といったのは誰だったか。

 

 プレゼントを置いてかがんだ腰を伸ばそうとしたとき、『九尾』は花束にカードが挟まれていることに気づいた。

 なんだ?と思わず手に取り、二つ折りのカードを開いてみる。

 

 

 “いつまでも貴方(あなた)と共に”

          ――シーリーン。

 

 一瞬、彼の脳裏に鮮烈なイメージがうかぶ。

 

 朝日に輝き、たゆたう黄金の波間。

 髪の長い女性が、波打ち際にたたずむ容姿(すがた)

 一瞬。陣風にあおられ、抱えた薔薇の花束をさらわれて。

 風に舞い、そこに漂う幾万もの薔薇の花弁。

 刹那(せつな)波濤(はとう)は赤く燃えるかと。 ※2

 

 フラッとよろける『九尾』。強烈なイメージに身体をもっていかれる。

 あぶない!と護衛のたくましい腕が、後ろから少年を抱き支えた。

 そして、片手で静かにプレートを押しもどし――墓所を(とざ)す。

 

 ことも無げに男は『九尾』を強く抱きしめたあと、しっかりしろと言うように彼の体をゆする。次いで黒メガネを光らせ、

 

「思った通りだ……まれにトラップじみた仕掛けを(ろう)する者がいる。生者、死者問わず。それも物理的ではなく精神的な。盗人に警戒してのことだろう。ま、死者は静かに(ねむ)らしめよ、というところか」

 

 頭を振って『九尾』は意識をハッキリさせる。

 

 しかし。そうは言われても、いまの強制認識めく精神的なインパクト。護衛のとおり一編な説明ではまったく()に落ちなかい。

 

 彼方からやってきた、あふれるばかりの想い。

 (うしな)った故人への追憶と鎮魂。愛慕と殉死の希望(自分も、もうすぐ)

 それらが(おんな)の情念だけがもつ、底知れぬ()()()と包容で。

 

 自分が女にされかけた強制洗脳時の心的構造。

 

 それがいまだ心のどこかに残っており、墓にまつわる残留思念に共鳴して、ある種の幻影を魅せたのだろうか……。

 

「さ、目的は済ませた――ところでキミの『ドラクル』のところは、いいのか?」

 

 男は『九尾』の背後から問いかける。

 “遺された”候補生は、黙って首をふった。

 第一、()()龍ノ口先輩が死んだなんて、いまだに信じられない。もし墓参りなんかしたら、自分の中でセンパイは本当に死んでしまう。それだけは絶対に避けたいと、彼は心ひそかに恐れていた。

 

 ――自分の中で、センパイは……まだ生きてる。

 

 いまでも道を歩いていると、不意にヒョッコリ。

 片手杖に、あのニヤニヤ笑いを浮かべながら不敵なオーラを漂わせ、ヨゥ、とこちらに挨拶するような気がしてならない。

 

 なんの前触れもなく、涙がこみ上げてきた。

 彼は護衛にそれを見られまいと足早に墓前を去る。

 息をヒクつかせたまま高層階のテラスに出ると、手すりに肘をついた。

 

 すでに陽は没し、砲金色な蒼みのかかった空を背景にして、星が出始めていた。

 視線を下に落とせばかなた背徳の都市が、今宵も獲物を(すす)らんと灯火を明滅させているのが望遠できる――その様は、まるで巨大な生物が、脈動するかのようだ。春の気配を感じさせる艶めいた夜風が、頽廃の都市の仄暗(ほのぐら)い秘密を(はら)み、吹き寄せてくるイメージ。

 

 『恵娜』。イサドラ。金髪(ゾーロタ)銀髪(シリブロ)。ハッサン。

 そして――“オリジナル”の『成美』

 みんな魔都に消化、吸収されてしまった者たち。

 

「候補生『九尾』……」

 

 男の声に、硬い口調があった。

 いそぎ手で眼をこする。

 深呼吸3回。

 

 ようやく落ち着いて振りむく。

 すると、護衛の男が(てのひら)に小箱をのせて差し出していた。

 

「言おうか、言うまいか――いまの今まで迷っていた」

 

 天鵞絨(ビロード)の貼られた、小箱。

 

 控えめに言って『九尾』は愕然とする。

 あの運命の夜。

 身を切る思いで、闇に向かって放擲(ほう)った想いの証。

 それが、まるで悪魔のような“したり顔”をして戻ってきたような印象。

 

「どうして、これを……」

 

 そう言うのが、やっとだった。

 手にすると、記憶にある持ち重りが、かつての心的構造をそのまま蘇らせた。

 蓋を開ければ、プラチナと、ダイヤ――それに24金のアクセント。

 遠い魔都の灯火に、照り煌やいて幻惑を生む……。

 おかげで心のシーソーが不安定にゆれ、いつまでも収まらない。

 

「苦労したぞ、()()

 

 護衛は、どこかあきらめたような、打って変わった調子で、

 

「キミがあの植物園で放り投げた品を「何としても探せ」と上からの命令でな。暗視装置の記録映像に残っていた放物線予測位置から自分が発見したのだが、手もとにとどめるのは、正直かなり覚悟がいった」

「どうして――そんなこと?」

「正当な持ち主のもとに、届けたいからさ」

「ボクには、もう要らないものです」

「もう一度だけ言うぞ?――()()()()()()のもとに、届けたいのだ」

 

 ミラ宮廷秘書官?と首をかしげるが、この黒メガネは知らないと言う。

 それならば……いったい誰?

 

 頭の中で、歯車がいきなり噛み合う気配。

 

 ハッ、と『九尾』は胸を突かれる。

 得体の知れないうすら寒さが、彼方からやってきた。

 そしてそれは、自分が心ない、見当違いのコトをしたという恐ろしさも(あわ)せて。

 

「そんな――まさか、そんなことって……」

 

 

 

 




※1「ホスローとシーリーン」訳:岡田恵美子氏

※2参考:Les Roses de Saadi(サアディの薔薇・作:ヴァルモオル夫人)

 注:これは是非、齋藤 磯雄先生の訳で味わって下さい。

(略)

――結び目は破れほどけぬ
  薔薇の花、風のまにまに飛び散らひ
  海原めざしことごとく去って還らず
  (たちま)ちうしほに(うか)びただよひて、行手は知らね、

  波、ために(くれなゐ)に染み、燃ゆるかと怪しまれけり。

  (略)
  


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082:光散乱めいた間奏曲(Ⅱ)-γ/Ver.Ⅱ

 

 

 愛香の(ののし)り声が、よみがえってくる。

 

 吊り上げられた柳眉。

 炯々(けいけい)とかがやいた瞳。

 風情に似合わぬ言葉。

 

 いまから思えばどこか作り物っぽく、そして何より必死めいて。まるでこちらをワザと怒らせようとしていたような。

 

「あの時、気づけなかったのは――キミの一世一代ともいえる失敗だったな」

 

 護衛は呆然とする『九尾』を一瞥したあと、彼方に(きらめ)くソドムの塔を眺め、

 

「茂みから監視しながら、あぁ、コイツはバカやってるなと思ったぞ」

 

 ややおくれて(くや)しさがふくれあがり、一度、『九尾』は大理石の床をブーツで蹴りつけた。虚ろな空間に靴音が響き、彼自身をかえって嘲笑うかのように。

 

 

「――じゃぁ、護衛さんは!

 

 思わず反抗的な口ぶりとなって、

 

「護衛さんは、スグに分かったんですか!?」

「もちろん。ワリと下手な芝居だったから……」

 

 冷静な回答。

 返しワザで、グッサリとどめの一撃を刺された気分。

 

 夕方の風にイヤな汗をかいた身体を冷やされながら、『九尾』は蹌踉(ヨロヨロ)と脱力した。

 彼方で明滅する魔都の灯りがチラチラとまわり、虚無感を加速させる。

 

 いわれてみれば――思いあたるフシが多すぎた。

 あの愛香が。いきなりあんな乱暴な言葉を。

 

「なんで気が付かなかったんだろう……」

 

 生まれて初めての告白に、自分がテンパっていたから?

 あるいはプライドを手酷く傷つけられて依怙地になったのか?

 闇の温室という慣れない空間で、自分がオカしくなってたのかも?

 

 ――というのは、言い訳か……。

 

 あの当時の自分と今の自分。

 まるで非連続な他人のように思える。

 ひょっとして、女体化洗脳の残滓(のこり)がもたらした副次的な後遺症?

 いやいや、そんなことで自分の失点を、うやむやにすることはできない。

 それともジェットコースターじみた経験が、すこしばかり(おのれ)を成熟させたのか。

 

 だからサ、と護衛はグッと心安いクダけた調子で、

 

「そのブローチ、彼女に持っていってやりたまえよ」

 

 彼は、護衛から渡された起毛状(スェード)の小箱をにぎりしめる。

 そこでふと、ねぇ、と護衛に向き直り、

 

「……なんでボクにここまでして下さるんです?さっきまでは、話しかけても無視していたのに」

 

 フン、とこの大人は鼻で笑い、

 

「前にも言った通り、あのセダンの中は、会話が記録される仕組みだ。それに私のスーツには、いつ撃ち(たお)されてもいいように行動ログと音声が記録される仕組みになっている」

「……」

「だが、この大聖堂(カテドラル)だけは一種の“アジール(安全地帯)”でな。盗聴・盗撮・盗録から自由だ。よって君に事実を話すことができた」

 

 彼方上空を飛行船が航空灯を明滅しながらよぎってゆく。

 ゆっくりと転針。フワフワと彼方へ泳ぎ去って。 

 それを大小のふたりはボンヤリと目で追いながら、

 

「“しなかった後悔”は“した後悔”よりたちが悪い。その後の人生で、いつまでもジクジクと心に刺さる」

 

 キミには、そんな思いを抱えてこれからを歩んで欲しくないのサ、と男は手すりに背中で寄りかかり空を見上げる。視線を追うと、細い三日月が宙にかかって。

 あの晩、すべての始まりとなった“夜の冒険”。

 それを見下ろしていた、白銀の研鎌(とがま)

 

「それだけのために……護衛さんはボクに良くするんですか?」

 

 良くするだってェ?と、この大人は面白そうに、 

 

「ハ!ま、毒を食らわば皿までってね」

「……スイマセン。いろいろと」

「冗談だ――いや半分は事実かな。キミのおかげで色々と面白い経験をする」

 

 そう言って、護衛は非常用通話ジャックに手持ちの端末をつないでどこかに連絡。

 しばらく話が続いていたが、ところどころに『九尾』という単語が入った。

 やがて連絡を打ち切ると、携帯から宙に3D(ホロ)を浮かべて見せ、

 

「キミ、この街区に心当たりは?」

「いえ――はじめて見る場所です」

例の店(メゾン・ドール)の関連施設があったりとかしないのか?」

「分かりません」

「キミの名前を出してアポ取ると()()()から、この場所を指定されたぞ」

 

 住宅街の一軒家とも見える場所の地図が宙に浮かんでいた。

 この前の銃撃戦を思い出し、ブルっと『九尾』は、

 

「……もし、ヤバそうだったら、すぐにズラかりましょうね?」

「彼女にも会わずに、か?」

「もう大切な人をなくすのイヤなんです。護衛サンまで、そんなことにさせたくない」

 

 しばらくの沈黙の後、黒メガネの男はボソリと。

 

「……『邦斎(くによし)』だ」

「え」

「連邦の「邦」に北斎の「斎」。行動時には呼びにくいので“ほうさい”と呼ぶ同僚(ヤツ)もいる」

「ありがとうございます。いろいろと」

「なに、これも任務だ」

「これも?」

「厳密には、リベンジというヤツかな」

 

 護衛役は身体の向きを物憂げにかえ、遠い都市の灯りを眺めながら、もはや薄暗がりになったフロアで独り言のように、

 

「君を見ていると、むかしのアホな自分を思い出すのさ……」

 

 おぉい!もうしめるよゥ!という堂守の声が遠くから伝わってきた。

 

 

 

 車輪走行式のセダンは、優先活動を主張しながら、夕方のラッシュの中、車列をかき分けてゆく。自動運転モードにしないのは、護衛が用心しているためだろう。コントロールをハッキングされ対向車線にでもとばされて、自動ダンプと相撲を取らされてはたまらない。

 

 商業地区からすこし外れた場所が指定座標だった。

 そこへ近づく沈黙の車内からみる外の景色は、どんどん高級住宅街の様相に。

 ふむ、と護衛はいったん車を止め、座席の下からPDWを出して助手席におく。

 

 あ!と『九尾』はその形状(かたち)に眼を見張った。

 

 ミラが使っていたタイプと、同じモデルだ。

 ただし、この男のモノは幾度も修羅場をくぐってきたのか、使い込まれた印象が。

 炸薬弾頭も使える、小口径亜音速カートリッジ使用の個人用防衛火器(P D W)。ミラと別れた夜のあと調べてみると、法執行機関専用の銃器と情報にはあった。本当にこのひとは、ミラが所属していた部署と関係が無いのだろうか……。

 

「くに――」

 

 エ"ホン!と即座に護衛の咳ばらい。

 ヤバい、盗聴されてるんだったと彼は気を引きしめ、

 

「護衛サン……それ、必要なんですか?」

「可能性はすべて考える。バックアップも()んだ」

 

 そう言いつつ、護衛は大きくハンドルを切った。

 バックアップ云々の声が不必要に大きくなる。

 『九尾』はピンとくる。

 もしや、邦斎サンは、呼んでいないのかも。

 

 ――ひょっとして……すべて自分の責任で……。

 

 ミラのことを聞くヒマもなく、車は指定ポイントにようやくたどり着く。

 見ると、そこは一軒の大きなブティックなのだった。

 

 新青山や第二白金にあってもおかしくない、打ちっぱなしコンクリートとガラスづくりな二層の建屋。表にこれ見よがしな格好で停まるのは、フェラーリ250GT。

 

 壁面には、大きなショーウィンドー。そこに華やかなイブニング・ドレスが2~3着。樹脂製のトルソーがまとう形で、ライトアップ展示される意匠。それらを『()()』の肥えた眼は、一見してオートクチュールと鑑定する。

 

 ――このブティック……ただの店ではないような。

 

 あたりの家はみなシャッターを下ろし、さまざまに凝った常夜灯が。

 塀越しにヤシの木や、温室の屋根が見える邸宅も少なくない。

 

「ここですか……」

「イヤな感じだな……候補生『九尾』、念のためココにいろ」

「まって!だれか出てきます」

 

 ブティックの華奢(きゃしゃ)な扉をあけ、ひとりのメイドが姿をあらわし、車中で警戒するふたりに深々と頭をさげる。

 

 うす蒼な珍しい髪はウィッグかヘアカラーか。それとも遺伝子操作まで手がはいっているのか。

 アンティーク・レースめいた頭飾り(ヘッド・ドレス)

 メイド服のボタン留めがきびしい豊かな胸。

 彼女が姿勢を元にもどしたとき「あ」と『九尾』は声を上げた。

 

「――知り合いか」

「メゾン・ドールのメイドです。マネージャーの小使いみたいなことしてました」

 

 たしか『雪乃(ゆきの)』とか言ったな、と『九尾』は記憶を浚う。

 しかし、(かんばせ)こそ一致するものの、身体つきは記憶と大きく異なっていた。いつのまにか、髪の色も変えられてしまったらしい。これも、あの影の店長の趣味だろう。

 

 イツホクがメゾン・ドールを統括する影の店長だということを護衛には黙っておく。なにが災いするか知れたものではない――そんな予感。

 彼はコンバス・ケースの中から見た映像を思い出す。

 あの時の初々しかった女子高生が、いまや目の前でキワどい衣装をまとわされて。

 

性奴女中(スレイブ・メイド)じゃないか。まだ子供だろ」

「えぇ、たしか女子高生……」

「腐った世の中だ――クソが」

 

 めずらしく護衛が感情をあらわに。

 そしてすぐに(しまった)と思ったか、『九尾』の注目に気付くと、あわてて顔を逸らして携帯火器のチェック。

 結局、となりにある妙に大きな規模の駐車場にセダンを駐めて車外に出ると、ブティックの前庭にある門をあけ、彼女の案内で店に入る。

 

 品のいい“プレタポルテ”のスーツやブラウス。

 ハンド・バッグに洋装小物などが並べられた棚。

 なめし皮。ナフタリン。新しいインナー・ウェアの匂い。

 

 有閑マダム御用達の、ちょっと敷居の高いブティックという雰囲気。小規模な経営のわりには結構な金がうごく、いかにも国税の点数稼ぎに眼をつけられそうな店舗だ。

 

 高額(たか)そうな商品が陳列されるなか、短いスカートの中からチリチリと鈴の音を響かせつつ彼女は奥へと進んでゆく。

 その後につき従っていると、『九尾』は彼女がしばらく見ないあいだに、メイド服ごしにも分かるほどメリハリの効いた男好きのする肉体になっていることに改めて気づかされる。

 ムチムチと艶かしい動き。フェロモンの臭い。どういう心の動きか、ふいに反感と嫉妬が、彼の胸にゆれうごいて止まらない。それを鎮めようと、彼はつとめて冷静に、

 

「『雪乃』……さん?」

 

 『九尾』の呼びかけに彼女は(ふく)らみ袖の肩をビクリと震わせる。

 

「愛香はここに居るの?」

「……」

「キミ、女子高生だろ?自分の意志でバイトをしてるの?」

 

 奥の部屋に向かうと見える扉に手をかけようとした彼女の動きが止まった。

 そして、黙ったままうなだれる。

 

()()()に、無理強いされてない?身体を、その。手術されたり……」

 

 背をむけたまま、『雪乃』が、背中をまるめる。

 眼尻を拭いたのだろうか。ハンカチを取り出してかるくおさえた。

 

「ねぇ、何とか言って……」

 

 そう言いかけた『九尾』に彼女は振りむいて涙目な顔を見せると、しばらく迷うようだったが、やがて恥ずかしそうに(もだ)したまま自分の口もとを示す。

 

 精神調教で彼自身が夢の中でされたように、ボッテリと膨らんだ紅い口唇。

 その唇を、彼女自身がゆびで押し広げると……肉布団の奥に、歯列はなかった。

 代わりに、∩字型をした白い合成樹脂の器具を(くわ)えさせられているらしい。

 

 ――まて。何か書いてある。

 

 フェラドール育成具:Ø3.5

 

 よくみると……のど元も、びみょうにふくらんで。

 つまり彼女は非情にも、ながく柔らかいい棒状のモノを呑まされているらしい。

 これでは答えがないのも道理だ。

 そしてその“棒”は、どんな形をしている事やら。

 

 『雪乃』は、店の奥にあった扉をあけた。

 行く手に現われる長い廊下。

 チリチリという音を先導に一行は歩いてゆき、やがて突き当りに位置するエレベーターで地下へ。扉がひらくと、そこは等身大のガラスケースが迷路状に配置された、広大な地下空間となっていた。もちろんガラスケースの一つ一つには、様々な衣装をまとったマネキンが思い思いのポーズで収まって。

 ヒソヒソと護衛が『九尾』に耳打ちする。

 

「ここは“アジール”になってる。やっぱりメゾン(あの店)の付属施設だな」

「『邦斎(くによし)』サン……なんか、ヤバくない?」

「なに、アポを放ったらかす方が信義にもとる。堂々と行くだけさ」

 

 ()じる『九尾』に、護衛は歩きながら手をひらつかせ、肩をすくめて。

 

 部屋の奥に進むにつれ、マネキンの風情に変化がみられた。

 しだいにリアル・ドールっぽくなってゆき、ついにはバニーガールやゴシック・ロリータの格好をされられた生けるが(ごと)き人形たちが、縮尺を大きくしたパッケージのようなガラスケースへと陳列される情景となってゆく。

 

 少年を模した人形もあれば、少女の姿も。

 ある一角には、ランドセルを背負った幼女の人形まで。

 

 それら無機質な人形たちすべてが、どこか淫猥(みだら)な衣装をまとい、微かなほほえみを浮かべ、時の(よど)みの中で凝固していた。

 

「これは――生体人形(ライブ・ドール)?」

 

 新製品のプロモーションなどで使われる精巧な自律人形(オート・マタ)

 高価なロボットがこれだけ集まるのを見て、あらためてメゾン・ドールの財力を思い知る。

 やがて広間の中央らしき場所まで進むと、見覚えのある姿がならんでいた。

 

 ひとりは、ソファーに座ったイツホク。

 今晩は以前のように屈託(くったく)のある顔ではない。

 ブルゴーニュ・ワインのボトルを傍らに、上機嫌で一行を出むかえる風。

 

 もうひとりは、金髪(ゾーロタ)銀髪(シリブロ)の上役である、あの黒髪の女だった。

 一瞬、メイクかと思われるほどのクマが目の下をふちどって、その奥から恨みがましいような(よど)んだ目つきが『九尾』たちを()ッと射抜くように見つめてくる。

 

 さらに「夜の温室」へと『九尾』たちを先導した、スーツ姿の女秘書。

 完璧ともいえるプロポーションの身体を、タイトなスーツに包んで。

 

 そして――最後のひとり。

 

 ふたりの座るソファーのあいだに立ち、恭順な態勢のまま静かに命令を待つ、キワどいメイド服姿の少女。

 

 ――愛香……。

 

「よぅ、よぅ――お見事」

 

 テール・コート(燕尾服)姿のイツホクは、ワイン・グラス片手に飄々(ひょうひょう)と『九尾』たちをむかえた。

 

「みごと“荒波”を乗り越えたらしいじゃねェか。それにリッパな勲章までつけて」

「そちらの護衛さんも――そんな重いものは、お外しになったら?」

 

 ヤワな腰に(さわ)りますわよ?と女秘書の赤い唇から、冷ややかな挨拶。

 『九尾』の背後で、男の気配がザワッ、と動く。

 

 彼は“リッパな勲章”と皮肉げに言い放つメゾン・ドールの店長を見やった。

 以前の印象より、どこか人物的に()()()()見えるのは気のせいか。先日『ザハーロフ』を久しぶりに見た時のイメージと、なにか似通うものがある。

 

 ハッタリと、虚仮(コケ)おどし。

 上げ底めいた薄っペラさ。

 うすいメッキの印象。

 

 自分が低く見られ、さげすまれる雰囲気。それをこのユダヤ人は敏感な“商売人のカン”で悟ったらしい。それでも内心を営業スマイルに押し隠し、()み手をして尻尾を振らんばかりな勢いで、

 

「まずは、ご帰還祝着。フェミニン(女性的)な感じに加え、スゴ味(ほおのキズ)までついて……」

「さすが。アタシのカワイイ子猫たちを木偶(デク)にしただけのことはあるわね」

 

 黒髪が冷ややかな気配で、入ってきたふたりを凝然(ジッ)とみつめる。

 

「ナターシャ……まだだ。まだ、ガマンしな」

 

 棘々(とげとげ)しい口ぶりで呟く彼女を制し、この影のメゾン・ドール店長は、どことなくおもねる口ぶりと目つきで来客を見る。そこに一種、不思議な余裕と優越があるのを感じとった『九尾』は、心ひそかに警戒した。

 

 ――なんだろう……?

 

「さて、『成美』――おっと、いけねェ。『九尾』殿()?」

 

 イツホクは、傍らに佇立する愛香を親指でしめした。

 

「お望みのとおり、()()()()()やったぜ?」

 

 愛香は緊張しているのか、硬い笑みを幽かに浮かべたまま、微動だにしない。

 おそらく飼い主であるイツホクに遠慮しているのだろう。

 これでは打ち解けた話もできない。

 

「彼女と……二人きりにしてもらえませんか」

「ソイツぁ、ムリな相談だ」

「――なぜです!」

「おいおい。ンなコワい(かお)すんなよ。せっかくの美人が台無しだぜ……()()には、なれねぇンだ」

 

 満を持したイツホクのゲス顔。

 

 サッ、と『九尾』の顔色が変わる。

 いやな汗が、首もとからジワリとわいて。

 おそるおそる、彼はメイド服姿の愛香に近づいた……。

 



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083:光散乱めいた間奏曲(Ⅱ)-δ/Ver.Ⅱ

 

「愛香――ウソだよね?愛香」

 

 返事はなかった。

 微笑のなか、視線を結ばない虚ろな目が彼方に投げかけられて。

 背後で広がるイツホクの、臭いオーデコロン混じりなニヤニヤ笑いの気配。

 

「彼女を……愛香を、人形(ドール)にしたのか!」

 

 ふり返ると、女衒屋はグラスに血のような赤い液体を注ぎ、満足げにスワリングさせていた。。余裕しゃくしゃく、立ち上る香りを目を閉じでウットリと嗅ぎつつ、

 

()()ンじゃない。()()()()と希望されたんだァよ」

 

「ウソだ!!」

 

 『九尾』の叫びに、イツホクは茶化すような身振りで胸をおさえ、

 

「オオこわ。傷つくナァ……ウソなもんかィ」

 

 先ほどの腹いせか、さらに芝居がかった困惑(こまり)顔で、

 

「アンタが雲海に潜ったキリと噂が伝わってな?愛香(コイツ)が泣き暮らし仕事にならねぇのさ。ンな時ファッション・ドール用の素体を選ぶ話があったてな。コイツの妹の“生体生首(テート)”が採用されたのさ。それを聞いたコイツが「代わりに(ワタシ)を手術して!」――ってお涙ちょうだいの感動的な寸法さね」

 

「やっぱり……ムリヤリそう仕向けたんじゃないか!」

 

「どこがだよ――まぁイイや。ところが、だ。コイツを最高等級(クラス)手術(オペ)ったはイイが、ファッション・ドールのオーダーそのものがキャンセルんなっ(ちま)ッてな?だもんで新しい買い手がつくまでこの倉庫で保管、ってワケ」

 

 恐ろしい沈黙が訪れた。

 

 『九尾』は自分の顔が信号機のように変わるのを、どこか遠くで自覚する。

 

 交感神経と副交感神経が烈しくマウントを取り合って。

 美しい“愛香”の横顔も、よくみれば毛穴ひとつなく異様なほどに滑らかに。艶やかな、思わず触ってみたくなるほどのみずみずしい皮膚(はだ)最高等級手術(オペ・ド・リュクス)の証か。

 

「で――だ」

 

 イツホクはテール・コートの懐から、一通の封筒を取り出した。

 封蝋はすでに破かれ、封筒じたい幾度もあけられ、くたびれた形跡。

 

「そのお人形さんからァ、お()ェにお手紙を預かっておりましてェ……」

 

 すでにイツホクは『九尾』を『成美』扱いにして。

 あの馴染みのある視姦するような目つきで彼を嬲る。

 

 差し出された手ずれ感のある封筒を、彼は受け取った。そして無情に微笑に凝固する愛香の顔を見ながら、折りたたまれた紙を若干ふるえる手つきでとり出す。もとは花の香が付いた便箋だったのだろうが、イツホクの中年臭いオーデコロンのにおいがうつってしまい、臭いことこの上ない。

 

 彼は、重苦しい沈黙のなか、読みだした。

 

 

愛香の手紙

 

 ――九尾さま。

 

 この(つたな)い手紙がお手元にとどく頃には、、わたくしはもう哀れな性奴用の肉人形になり果てているはずでございます。

 でもどうかご心配召されませぬよう。

 これも私のような穢れた者が(おそ)れ多くも貴方さまのような御方に、分不相応な懸想(けそう)をした、その(むく)いと(あきら)めております。

 

 思えばあの夜。

 九尾さまに、お(あかし)を差し出された時は、どんなに嬉しかったことか。

 またそれを方寸(むね)におさめ、強いて拒絶するときの、どんなに苦しかったことか。

 いま振り返っても、よくぞ(いな)むことができたものだと、我ながら底のない谷のうえを綱渡りしてのけたような、身の(すく)む怖ろしい思いが致します。

 

 貴方さまは、絶対にこちらの世界に来てはならぬお方です。

 金銭と邪欲にまみれた穢らわしい地虫の群れに混じるのではなく、高潔な蒼い空を、どこまでも自由にお飛びなさってくださいまし。

 それがために、わざわざあのような振る舞いを仕出かしました私を、何卒(なにとぞ)お許し下さいますよう。

 

 嗚呼(あぁ)。それに致しましても、あの時。

 貴方さまを口汚く面罵したときの私の胸の痛みを分かって頂けたら!

 これが私にできる貴方さまへの唯一の想いのかたちである事。それを思うときの情けなさ。悔しさ。つくづく、零落した我が家門に降りかかった不運を呪い、またわが身の境遇を口惜しく考えざる〇得ません……。

 

 

 涙のあとだろうか。

 

 

 雫のしたたりがダーク・パープルなインクを溶かし、吸い取り紙を使った(あと)

 端正(たんせい)な細字がふるえ、すこし読み取りにくい。

 『九尾』は便箋の二枚目にうつる……。

 

 

 いいえ――いいえ。

 つまらぬ愚痴(ぐち)を申し、またもお耳を穢してしまいました。

 もとをたどれば、我が家門の浅ましさ故の(ごう)を受けてのことでございましょう。

 

 そして、味気ない奉仕に身を粉にする日々を過ごしていた時でした。

 あなた様が、あの恐ろしい雲海の底に挑まれ、いまだ帰ってこないとの知らせを側聞した時は、本当に心が闇に(とざ)されてしまいました。仕事も満足に手に付かず、使用人としての位階(クラス)を下げられたほどでございます。

 

 そんな折、私の妹である貴方さまのお名前の元になりました、わが妹の愛香が人形(ドール)にされるという哀しい知らせがとどきました。

 心の()り所をなくした私は、それならばいっそと思い、あの子の身代わりを申し出たのでございます。

 

 そうしてジワジワと、執拗(しつよう)につづく日々の苦しい手術に加え、おぞましい処置のおかげで次第にむざんな人形と変じつつある中、有難いことに貴方さまのご生還の報が入ってまいりました。

 

 それを聞きました時、天にも昇るような心地になった半面、自分がしてしまった取り返しのつかぬ恐ろしい決断を()いたことを、ここに告白せねばなりません。と、もうしますのも、その後悔は貴方さまに(おのれ)がいまだ未練(みれん)を抱いていることの証左(しょうこ)にほかなりませんから。

 

 そのときは、もはや涙も取り(のぞ)かれており、鏡の前で来客用の笑みをうかべたまま、ただ心の中で泣くことしか出来なくなっていたのでございます。

 しかしながら、いっそこれで良かったのだ、とあきらめ思うはしから(くや)しさが湧いてくるのは、女の浅ましさというものでしょうか。

 

 

 三枚目の便箋は、すこし文字がみだれ、

 

 嗚呼(ああ)――せめて貴方さまの幸せなお姿を、遠くから拝見したい!

 (かな)うなら貴方さまの家門の使用人になり、幸運な奥様との間にお生まれになった赤ちゃんのお世話を出来たなら!

 そんな益体もない妄想すら、心に湧いてくるのでございます。

 

 

 いま、私の身体には、おそろしいおクスリが巡っております。

 

 

 美しさを永遠に保つ半面、考えをにぶらせ、自分の意思を喪くし、ただ購買主の意のままにされるための“隷従薬(スレイブ・ドラッグ)”でございます。これが終われば、私はまた一段と、イツホク様言うところの『美人形』になるのでございましょう。

 

 あぁ、また処置の時間がきました。

 こんどは口にするのも忌まわしい手術をされるのでございます。

 イツホク様は、手紙を書き続けろと強いて申されます。この手紙も書き上げたのちは手を加えることの無いよう取り上げられてしまうのです……。

 

 

「ここに……手紙を書いたら取り上げられるとありますが?」

「書き直したり、推敲させないようにだよぉ」

「――なぜ?」

「思った通りのことを書いてもらうためサ。変態どものオモチャに改造されてく少女のココロ……ソソるじゃねぇか……」

 

 イツホクは、手にしたワインをひとくちすすった。

 『九尾』は首をふりながらため息をつき、そして手紙の書き手を見た。

 物言わぬ愛香は美しく装われたまま、セールス用の微笑の面をうかべて。

 やがて手にした紙をめくり四枚目の便箋にうつったとき――彼はギクリとする。

 

 

 わたくしわ、とうとう、あさましいおにんぎょうになりました。

 みなさんわ、こんなわたくしを、とつてもきれいだと、いつてくれます。

 だけど、いくらきれいでも こころがなくなるのは かなしくて、くるしくて むねのなかで なきそうになります。

 

 きようは、また おまたのおくに あたらしい おどうぐお つけられました。

 これをいれると とのかたが おなさけをわたくしのからだにそそぎほうだいとなり とつても よろこんでくれるのだそうです。

 

 わたしはいやです

 

 ちつのなかにいつぱい しんじゆをうめこまれ ばぎなをいぢられるたび あたまのなかが まつしろになり、わたくしがどんどんきえていつてしまいます。

 

 

 こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい

 こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい

 こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい

 こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい

 こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい

 こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい

 こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい

 こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい

 こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい

 こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい

 こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい  たすけて

 

 

 さいごの便箋を見るのは、さすがに勇気がいった。

 

 妙にからだが冷える。

 つめたくなったほおに傷がうずいて。

 イツホクの方をチラ見すると、燻製のチーズをかじりながらワイン・グラスの陰で子供のような純粋な笑い。愉しんでいるのだ。こちらの動揺を。

 

 意を決し、ふるえる手でめくると――。

 

 案に反し、まるで印刷されたような正確無比の手書きな字体が、

 

 

 ・執筆用オペレーション・キャラクターが用意されていません

                      (Error code:404)。

 ・当該人格をご利用済みで同様の状態が出る場合は、

           お手数ですが御購入の店舗にお問い合わせください。

 

 

 目の前が一瞬、暗くなった。

 胸が、鉛を呑み込んだように詰まる。

 両脚に力を入れ、かろうじて候補生らしく踏みこたえた。

 そして、もはや単なる容れモノと化した愛香を『九尾』は凝然(じつ)とみつめる。

 

 おもえば紅茶にクスリを盛られるところを、彼女は身を張ってふせいでくれたものだった。一歩間違えれば自分が女体化され、メイド服を着せられて彼女のようにされていたかもしれない。結局、またも自分は返せない恩を受けたわけだな、と『九尾』は考える。

 

 そんな彼を長々とうかがい、抑えていた喜色をようやく解放するころあいとみたか、ナターシャと呼ばれた黒髪の調教長は立ち上がると彼のまわりでトントントンと華麗な足捌きでステップをふみ、

 

「ねぇどんな気持ち!?ねぇ?ねぇ?お気に入りの女の子が、自分のせいでメス人形になっちゃった気分は!?」

 

 もはや“ザ・マ・ぁ”的な嬉しさを隠そうともせず、調教長は軽やかに彼のまわりで即興のタンゴを踊りつつ、

 

 

「あ~ぁ、あ~ぁ、お人形(ハッ!

 

 お人形~になっちゃった♪(マァ!

 

 だ~れか・サンの、せ・い・で(ホッ!

 

 

 アタマはカラッポ、

 

      身体はエッチに、

  

          お(マタ)にあるのはデザイン・ヴァギナ。

 

 

 これがホントに超絶品♪(アラ∮

 

 あとは、インラン人格いれられ、ご奉仕マ〇コに早変わり(アン♪

 

 こんなにミジめな、お木偶(デク)にされたの、

 

          いったい、いったい、ダレのせい?(ヨッ!」

 

 

 まるで躍り上がるように、満面の笑みでひとしきりステップを踏んだあと、このコワれかけた教導長は黒髪を乱し、一転、ハッタと『九尾』をニラみつけ、顔を寄せるやドスのきいた声で、

 

「ゾーロタとシリブロの(カタキ)だよぅ……愛香(コイツ)をミンチにしてやろうかと思ったケド、それじゃアタシの気が収まらないのサ。せいぜいHENTAIどものところに売り付けてやるから、覚悟するンだね!」

 

 『九尾』は爛々と光るあいての(まなこ)に紛れもない狂女の(しるし)を看た。

 イツホクの方を窺うと、かれもサジを投げたふうに唇をへの字に肩をすくめ。

 

 九尾は辺りを見渡す。

 

 様々な衣装をまとわされ、無表情に――あるいは媚びるように。

 陳列ケースの中に佇立する少年少女たち。

 大人の打算と欲望のままに、改造され、改変され。

 

 『九尾』はひとつノドを鳴らし、

 

「……一体で、幾らぐらいなんですか?」

 

 ほ?とイツホクは面白そうに、

 

「お買い上げになると?値段は――そりゃイロイロでさぁ」

 

 影の店長は、ペラペラと道化役者の口ぶりで、

 

 

 ・単に置物や機能のない木偶(デク)なら、見目がよくて300ギニー。

 

 ・人格注入タイプや軽作業ができる品だと、その3倍。

 

 ・さらに見目が良い個体は、プラス300ギニー以上。

 

 ・夜のお相手ができる商品は、2000ギニー以上。

  (性技のインストール代は、1テクごとに追加で別途申し受け)

 

 ・加えて見目麗しい美品は最低でプラス300以上。

 

 ・デザイナーズ・ヴァギナ仕様は加えて1000ギニー

 

 

「細部にまで手を加えた芸術品クラスは……いやはや青天井ですなァ」

 

「アンタみたいな貧乏候補生には手ェ出ないわよ。ザマぁ!えぇそう。ザマぁって言ってやったのよ?分かる?頭のいい毒蛇さん?Maison d'o(メゾン・ドール)rの疫・病・神!」

 

 ナターシャは、黒髪をふりみだし、口のはしに泡を噛んで『九尾』をキラキラと見つめる。

 妙に明るい笑顔から漂ってくる荒涼とした気配。

 ささくれた感情が、目にクマを浮かべた仮面のすきまからほの見えて。

 

 イツホクも、いい加減マズいと感じたのか屈強な黒服たちを呼び、なかば暴れる彼女をどこかへと引き取らせた。

 騒ぎが収まってから“影の店長”はふぅ、と息をつき、

 

「ヤツも手塩にかけた“妹たち”が木偶人形になっ(ちま)って、半分“キ印”さ。アワれなもんだ」

 

 まるで人ごとのように呟き、テーブルに載っていたグラスの赤ワインを含む。

 LA T(^)CHE とある白いエチケット(ラベル)

 けっこうなインセンティブがつく銘柄だな、といまの騒動の余波が収まらぬ『九尾』はボンヤリ思う。やがて彼は、ふと思いついた質問を、相手にぶつけた。

 

「愛香は――愛香はいくらなんです?」

 

 心ならずも声が上ずってしまう。

 イツホクは爛れた笑いをみせるや、今度は通販ch社長の口ぶりをマネて、

 

「はぃっ!みなさま。今日ご紹介いたしますファッション・人形(ドール)タイプ:AIKAは――」

 

       ・パーソナリティ任意注入可能

       ・デザイナーズ・ヴァギナ(ミミズ千匹タイプ)

       ・スキン再生可能仕様(ケモナー・コンバーチブル)

       ・労働学習機能付き

       ・48手の性技をインストール済み

       ・オプションで母乳生成システム追加可能

       ・オート・バリアブル・(自動スタイル変形)スタイル

                           ……等、等、等。

 

「わーすごいですねー、でも……お高いんじゃないの?」

「いえいえ、そんなことはございません」

 

 ……などと独り芝居でイツホクなかなか芸が細かい。

 

「――以上の機能を持ちながら!今ならなんと!9980ギニーのご奉仕価格でご提供となっております」

「これはお買い得ですねー」

「それだけじゃァありません。本日はとくべつに!なんと魅惑の着せ替え衣装・三点セットもついて――」

 

 

 あとの寸劇は、彼の耳に入らない。

 

 ――9980ギニー……。

 

 絶望が、頭上から降ってきた。

 『九尾』はクラクラと絶句する。

 超・高級マンションが一部屋、優に買える値段。     

 

 イツホクは、蒼ざめるそんな彼の面差しを至上の(さかな)とするように、目を細め、またワインをひとすすり。

 

「単純に夜のお相手が欲しいなら……イイのがあるぜ?――『雪乃』?」

 

 言われた少女メイドが首輪を押す。

 すると、それが合図だったかのように、遠くからチリチリと音が近づいてきた。

 彼らのまえに現れたのは、『雪乃』と同じような衣装を着せられる、一人の美少女。

 

 ふくよかな胸。

 コルセットで絞られた胴。

 むっちりとした量感のある腰つき。

 うすく化粧を()かれた美しい顔を、ややうつ向きがちにして。 

 チリチリと音をたてるところを見ると、やはり彼女も『雪乃』とおなじく、前と後ろに禍々(まがまが)しくも淫猥(みだら)な“お道具”を強制的にハメこまれているのだろう。

 

「どうだィ、この娘なんか。もっか売り出し中なんだが……」

 

 イツホクのニヤニヤ笑いが、ふたたび。

 ワイン・ボトルの傍らにあったリモコンを動かすと、パニエで広がるミニスカートの奥からモーター音の唸りがして、鈴の()が大きくなる。

 少女はいやらしいメイド・ドレスで包まれた身体を固くし、おり曲げた右手の人差し指を赤い唇で噛み、目をつぶってジッと耐える風。

 

 やがてイツホクはモーターを止めると、

 

「さ、お客様にご挨拶するんだ――『恵娜(えな)』」

 

 『九尾』は、目のまえで恥ずかしそうに(たたず)む少女を凝視する。

 

 ――まさか……そんな。

 



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084:光散乱めいた間奏曲(Ⅱ)-ε/Ver.Ⅱ

 

 

 彼は思わず目をパチパチと二、三度またたかせた。

 

 相手の体つき、面差し、風情。

 どこをとっても非の打ち所がないコケティッシュな少女そのもの。

 夜の高速で忙しくシフト・ノブを動かし、パトロンの持ち物であるフェラーリ365GTB-4を我がもの顔に駆っていたビェルシカの容貌はおろか、そもそも少年の面影すら見当たらない。まるでハナからメゾン・ドールの奉仕用フィメールであったかのように。

 

 彼の混乱をよそに、この少女はコロコロと可憐(かれん)な声で、

 

「お久しぶりでございます『九尾』さま。お元気そうで重畳至極(ちょうじょうしごく)に存じます。その節は――ご迷惑をおかけ致しました」

 

 完全に「メス奴隷」としての洗脳が行き届いた応対。

 慎ましく、そしてたおやかにシズシズと一礼。

 

 ついでおもむろに“彼女”はキワどいメイド・ドレスの前を開け、見覚えのあるボンデージ・ストラップに“改変”された全身をきびしく縛り上げられる、その一端をみせた。

 

 豊かな。それでいて形とツヤ、品のよい盛り上がりを魅せる乳房(オッパイ)

 何より目立つ“頂き”には、痛々しく穿(うが)たれた銀色のピアスと金の鈴。

 

 

「『恵娜(えな)』は……もういつ出荷されて大丈夫な証である“蝶の入れ墨”をしていただきました。前と後ろのイヤらしいメス(アナ)には“お道具”を常に挿入されて落ちないよう、たゆみなくシマリのお稽古(けいこ)をしております……」

 

 つぎに“彼女”はおもむろに、ふんわりと拡がるパニエスカートの前をあげてみせる。

 メリハリを強調した美脚をピッチリつつみこむ、黒いうす手のガーター付きストッキング。その根元はといえば、本来そこにあるはずのオチ○ポはもはや影も形も無く、代わりに初々しいワレ目が蝶の刺青を上に添えて。さらによく見れば割れ目からは“鳴り物”を穿(うが)たれた小陰唇が、ピンク色のバイブを口いっぱい、美味しそうに頬ばっている有様。残酷にも(さね)をつつむ皮は剥かれ、やや上に穿たれたピアスの玉が、ちょうど女の急所をコリコリといぢめる位置に細工をされている……。

 

 次に彼女はクルリとうしろを向くと、スカートの端をベルトに挟みこみ、豊かにされた尻たぶを両手で左右にひろげ、宝石のついた極太のアナル・プラグのハマった情景を披露した。

 トロンと虚けた声と表情(かお)

 なにより物欲しそうな、ボッテリとした紅唇(くちびる)をひらいて“少女”は、

 

「アヌス《うしろ》も調教していただき、とってもじょうずにご奉仕できるよう、(しつ)けて頂きました。はやくご主人様にお買い上げ頂き、この淫乱な身体を存分に味わって下さることを想いますと、『恵娜』は……『恵娜』はモウ、恥知らずにも、タマらずにイってしまッ……いま、すぅぅぅ~~っっッ!」

 

 ガクガクと身体を震わせる『恵娜』。

 

 すると、どこから出したのか傍らに立つ『雪乃』は馬用のムチでビシリと一度、この色ボケした“新米メス人形”の尻を、慣れた手つきで激しく打ち()えた。

 

「あひィィぃぃぃぃぃぃぃ……ンンン!!!」

 

 『九尾』は愕然とする。

 ムチを握る彼女の口もとには、早くも冷然たるうすい笑みが浮かんで。それはどこかあの黒髪の調教長を思わせる雰囲気をも感じさせる。

 さらに身体のバネを使って一発、二発。

 少年だった『雪乃』の身体から、はやくも女の()()の匂いが立ち始めた。それが分かったのか『雪乃』の笑みが、さらに深くなる。

 マウスピースをハメられているはずだが、表向きはまったく分からない。もしやぜんぶ抜歯されてしまったのだろうか。あれほど可憐だった白百合は、メゾン・ドールという毒池の水を吸わされ、その(かんばせ)はおろか体つきまでを妖しく変貌させ、繚乱(りょうらん)たる毒花として華麗に開花つつある――そんな暗い予兆が。

 イツホクはニヤニヤと、そんな情景を満足げに眺めつつ、

 

「むかしの同僚のまえでメス奴隷の挨拶をするのが、そうとうお気に召したようだな?」

(いいえ)っ!『恵娜』は……『エナ』は決してそのような……あひィィィッッ!」

 

 ピシィッ!とふたたび『雪乃』のムチが唸った。

 赤いスジがさらに一条――二条――。

 純白の絹めく柔肌に、みるみる残酷にも増えてゆく。

 

「あぁッ!――ウソですウソです!申し上げます!『恵娜』は『九尾』さまはじめ皆々サマに自慰を見ていただくことがナニより好きなのでございますゥゥゥ!」

 

 チリチリと、もはや手淫(オナニー)を隠そうともせず。呆けた顔をさらしながら、

 

「このあいだも楽器ケースの中に封じ込めていただき、公衆の面前で気をやってしまいました。できたてのオッパイやマ〇コ、おしりのアナをいぢめられるのが大好きな、見さげ果てたアヒッ!あひィィィ――ンンン!!」

 

 『雪乃』が「(うるさ)いよ」と言わんばかりな冷たい表情で、むっちりとした『恵娜』の尻をさらに叩き続ける。

 

「アァァァ――ッ!ネェサマ・ネェサマ・ネェサマァァッ!してぇぇぇッ!もっとしてェェェエェェ――ッッッ!!!」

「やっぱ、お前ェなんぞ『恵娜(えな)』じゃもったいねぇ。『胞衣(えな)』で十分だぜ」

 

 舌打ちをしたイツホクが、手近なリモコンをピッ、とならした。

 

 ブゥゥゥ――ンン

 

 電話ボックスを思わせる、手近なドール用の展示箱のふたが自動でひらく。

 

 なんらかの思考誘導波がおくられたのか、きゅうに『恵娜』は淫欲(よく)(おぼ)れた痴呆貌(ちほうがお)から、理知的な営業スマイルに移ると、箱の中に歩み入り、姿勢をただす。

 2本のデイルドーが植えられたサドルが、股の間からせりだし、そのまま上昇してヌぷッ!ヌぷッ!とコブの段差も露骨に“彼女”をつらぬいてゆく。

 ウッ、ウッ、という『恵娜』の苦しげな身ぶるい。

 けれども微笑は崩さぬままに。

 

 やがて背面から手首に、足首に、胴に、両肩に、首に。

 ピンク色をした拘束リングが背後のボードから半分ずつせりだし、彼女の体の前で合わさった。

 シュッ!と圧空がかかり、グィと“メス人形”のボディは背後のカラフルな化粧板に引き寄せられ、拘束される。

 

 展示箱のふたが、ゆっくりと閉じられた。

 (はな)やかな箱絵と、コピーが踊る飾り文字。

 おもちゃ屋で売っている「お人形」の箱を、そのまま大きくしたような印象。

 その中に格納された『恵娜』は、文字通り“生きるドール”と化して。

 『九尾』はその有様に声もない。

 

「どうだい『成美』――あぁ、イヤイヤ失礼、一級候補生『九尾』どの」

 

 イツホクはいかにも小ばかにしたように、自動梱包された『恵娜』のほうにアゴをしゃくり、

 

「お前ェにクスリを盛ったコイツも、飼い主から愛想つかされ、いまや立派な“奉仕人形”だ」

「……クスリ?」

「コイツの飼い主の部屋にフェラーリで連れられてったろ?そこで飼い主の寵愛(ちょうあい)をお前に取られるんじゃねぇかとシャンパンに、()()を、な?健気(けなげ)なモンじゃねぇか」

 

 イツホクは、まるで工芸品の出来栄えを(はか)るような目つきで、梱包状態の『恵娜』を惚れ惚れとワイングラスごしに鑑賞した。

 

「『成美(おめぇ)』もあと少しで、こうなってたカモなぁ……」

 

 『九尾』は、華やかなパッケージごしに『恵娜』をまじまじと見つめた。

 自分が変態的な施術によってされていたかもしれない姿。

 メゾン・ドールに居た場合の“完成形”がそこにはあった。

 あやうく自分はひとつ前のポイントをギリギリ切り返すことに成功し、危ういところで別の路に進出できたことをあらためて実感する。『恵娜』という美しい少年奉仕者(ビェルシカ)を犠牲にして。

 

 振り返ってみれば、自分はそんな身代わりを犠牲にして進んできたような気がする。

 

 『黒猫』や『オィーリア』。目の前の『恵娜』。ミラ宮廷中尉。

 なにより『ドラクル』。そして――

 

 まるで現代版の“呪的逃走”だと思いながら彼は、表情を微笑に凝固させたまま佇む愛香に力なく歩み寄る。

 

 美しく、気品のある面差しだった。

 あの夜、凄惨な(かお)をしてみせた女性と同一人物だったとは、とても思えない。『九尾』はソッと顔をちかづける。

 

「おっとォ!キスはダメですぜ?――旦那ァ」

 

 イツホクの下卑(げび)た声。

 

「そのメス人形の口唇(くちびる)にゃ即効性の神経毒(ノビチョク)が塗ってありますからなァ」

「!」

「人形となった少女たちは、()くの(ごと)く純潔を守るのですて……」

 

 満足げな女衒屋の声を背中に聞きながら、『九尾』はコートのポケットから護衛の男に渡された小箱を取り出した。

 

(ほら、愛香……)

 

 セールス用の微笑をうかべる愛香の動かぬ(まなこ)にブローチを一度かざしてから、そのきわどいメイド服の胸もとに、留める。

 下がって出来栄えを確認。

 大判のブローチは、かって人であった“人形”の首もとに、()く映えた。

 商品としての見ばえも、グッとあがった印象。

 

(気づいてあげられなくて……ゴメんね?……ゴメン……)

 

 ささやき声で、思わず涙を流しそうになったが彼はグッとこらえる。

 ここはまだ、敵地だ――そんな思い。

 

「ほほぉ……?遅ればせながらのプレゼントですかぃ」

 

 ソファーに座ったまま嘲笑(あざわら)うイツホクに向かい、決然(キッ)と『九尾』は振り返る。

 そのとき、イツホクはギョッとした。『九尾』のまとう雰囲気が不意に激変し、峻厳な威容をはなち、声までもまるで老人のようにしゃがれたからである。

 一瞬、この女衒屋の脳裏に、ミイラのような老人のイメージが浮かんで。

 

「プレゼントなどではない……」

 

 『九尾』は沈黙すること数泊――そして、いきなり爆発する。

 

 

「手付け()()!――560ギニー!」

 

 ぎろりとイツホクを(ニラ)むその眼。

 口に含んだワインを唇から垂らすほど、それは異様なスゴ味を放って。

 

「領収書を――」

 

 そのとき、冷静沈着な声が、『九尾』の背後から発せられた。

 

「領収書を頂いた方が良いのでは?候補生『九尾』」

 

 イツホクと『九尾』。それぞれの背後にバックアップめいて佇む女秘書と護衛役が、(かたみ)に視線で切り結ぶ。

 

 女秘書から殺気が漂い始めた。

 それに応じて、『九尾』の護衛も。

 ジリリ、とパンプスをにじり、女秘書が足元を固める気配。

 それに対し、護衛が無表情のまま、ひそかに拳をグー・パー、する。

 

 俄然高まる緊張が満ちる微妙な数拍の(のち)――ついにメゾン側が、折れた。

 舌打ちをさせ、オイ、とイツホクは背後に身振りで。

 (よろ)しいのですか?と虚を突かれた女秘書一瞬、憤然(ムッ)としたあと、やがて不満げな面持ちで傍らに置いたシュレジンジャーのブリーフ・ケースから用紙を取り出した。

 仏頂面をしたままイツホクは、小声で何ごとか背後に呟く。

 

 差し出された紙に影の店長がペリカンの万年筆でサラサラと書くと、カルチェのライターを涼やかに鳴らした女秘書が封蝋に火をつけ、領収書に垂らす。頃合いをみはからい、イツホクが指輪の印章をそこに押した。炎を消された封蝋の、臭いたなびき。

 

 イツホクは、『九尾』の方に向け、ほらヨと差し出す。

 

「――600ギニーにしといた。おめぇの未払いの賃金と、“七つの舞い”のステージ・マネーだ。少ないのはメゾン・ドール(ウチの店)の損害分。調教役を3人もぶっ壊されたからなァ……」

 

 差し出された領収書を一瞥もせず、『九尾』もまたクールに正面を向いたまま、背後の護衛に背中越しでわたす。

 

「――確認を」

 背後で大判の書類を改める気配。スプレーの音。

 

「金額を確認。本人の指紋を、エビデンスとして確保」

 

 イツホクの渋面がひどくなる。

 

「オレぁ、虚偽(ウソ)()かねぇよぉ」

「では候補生『九尾』。別件で探査院の打ち合わせが。これで失礼しましょう」

 

 護衛は、ありもしない会議のスケジュールを引き合いに出し、“AIKA”の方を、まるで記憶に焼き付けようとでもするかのように凝然(じっ)とうち眺めて動かない『九尾』の制服をひっぱった。

 

「時間に遅れたら、また宮殿の作戦課からクレームですよ?」

 

 なかば『九尾』をせかすように、別れの挨拶もそこそこに済ませると、護衛は“特定保護対象”を守りつつ、見栄えのいい“モルグ”をほうほうの態で脱出した。

 

 車を見わたせる位置までもどると男は辺りを見回し、

 

「エコー028よりホテル01。車両チェック」

【ホテル01、車重増減なし。接近干渉せる対象、および周囲の火器反応なし】

 

 連絡を聞いた護衛の肩から緊張が滝のように抜けるのが傍目にもわかった。

 

「OK……帰ろうか、『九尾』」

 

 心底グッタリした声で、護衛は車のドア・ロックを解除する。首の汗をハンカチでゆっくりと払い、 庇護する少年が後部座席に乗り込むのを確認したあと、もう一度周囲をチェック。

 発見した偽装カメラに向かい――撃つマネをして。

 

 

 

「――イケ好かない男」

 

 モニターの中で、型落ちのセダンがゆるゆると走り出すのを、女秘書は華やかなルージュで彩られた口唇をゆがめ、憎々しげに呟いた。

 

 ヘッ、というイツホクの鼻で笑う気配。

 

「勝負、してみたかったンじゃねェの?綾華(あやか)

「まさか。この貴重な在庫あふれる“ドール・ハウス”で?」

 

 冗談じゃありませんわ店主、と女秘書はそっけなく。

 

「やるのなら、お独りでどうぞ。わたくしが不満なのは、()()()()を――」

 

 と、彼女はここでAIKAを一瞥(いちべつ)し、

 

「あんな、格安な手付けで契約してしまわれたコトですわ!」

「ヘッ、心配すんな」

 イツホクはワインにも飲み飽きたものか、ぐったりとソファーに背をつけ、

 

「まずは考えてもみねェ――相手はあの“()()()・九尾”だぞ?――『無礼院』と『第二王女(蘭のビッチ)』を手玉にしたって、もっぱらな評判の?ここで根に持たれたら、今度はメゾンにどんな災難が降りかかるか分からねェ」

「そうは仰いましても……」

「それに、こんだの“御前試演”は事象震がそうとうヤバいらしい。東西の担当も出場者を“生け(にえ)”よばわりだと。さすがのアイツも、それでお陀仏サ」

「そんなものでしょうか」

「まぁ、予約主が居なくなったんじゃぁ手付けも没収だ。今度こそAIKAを富豪のHENTAI趣味に売りつけてやるヨ。それでナターシャも気が晴れ……」

 

 イツホクの言葉が途切れた。

 

 一点を凝視したまま、呆けた(かお)で。

 

「どうなさいましたの?」

「アレ……アレ……」

 

 女秘書も振り向き、さすがにギョッとしたらしい。

 ファッション・人形(ドール)AIKAの目から、涙がひとしずく――またひとしずく。

 

 あえぐようにイツホクは、かすれ声でパクパクと、

 

「もう、最終処置は――済ませたンじゃ、なかったのかよ」

「あたりまえです。梱包作業中に納品キャンセルを受けたのですから」

 

 女秘書も薄気味悪そうに眉をひそめる。

 “影の店長”は何気(なにげ)にまわりを見回し、ヒッとヘンな声をあげた。

 

 決して明るいとはいえない“ドール・ハウス”の倉庫内。

 陳列される愛玩人形(ラブ・ドール)たちの目が、一斉にふたりを()ィィッ……と見つめて。

 

 幾十、幾百、あるいはそれ以上の視線。

 

 うす暗い空気に漂いだした奇妙な雰囲気。

 そして納骨堂めいた、(こけ)むす石材(いし)の、冷たい匂い。

 気のせいだろうか?

 イツホクは通路の曲がり角に骸骨のような影がチラチラと動くのを見る。

 

 カッ!と女秘書は、パンプスを踏み鳴らした。

 やおら袖口から22口径の小型拳銃を抜き出し、哀れな人形たちにかざす。

 そしてヒステリックじみた声をめいっぱい張り上げ、

 

「いいこと?奴隷人形ども!オマエたちは飼い主様の「性欲便器」にしかすぎないのよ!?感情を持ったり逆らったりしたら、このように撃ち砕いて差し上げますわ!――ごらんなさい!!」

 

 女秘書・綾華は、いまや護衛の本性をあらわし、青筋をたてて小型拳銃の撃鉄(ハンマー)をおこした。

 

「いかな手数をかけた高価な品であっても、不良品ではメゾン・ドールの沽券(こけん)にかかわります!」

 

 そう言って、ゆっくりと小型拳銃の先をAIKAの眉間にむける。そしてサディスティックな色を声に(にじ)ませ、ヒソヒソと元・人間である美麗な人形(ドール)に向かい、

 

(安心なさい?お顔をフッとばしても、身体はオナホールとして再利用したげるから)

 

 よく見ておきなさい肉人形ども!と女秘書は銃をかざし、まわりを見回すやいくぶん声を震わせて叫んだ。

 

 そして、バン!という破壊音が広間に響いて……。

 



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085:人形のこと、ならびに『邦斎』退場のこと

 

 

 

 女秘書・綾華は、いまや護衛の本性をあらわし、青筋をたてて小型拳銃の撃鉄(ハンマー)をおこした。

 

「いかな手数をかけた高価な品であっても、不良品ではメゾン・ドールの沽券(こけん)にかかわります!」

 

 そう言って、ゆっくりと小型拳銃の先をAIKAの眉間にむける。そしてサディスティックな色を声に(にじ)ませ、ヒソヒソと元・人間である美麗な人形(ドール)に向かい、

 

(安心なさい?お顔をフッとばしても、身体はオナホールとして再利用したげるから)

 

 よく見ておきなさい肉人形ども!と女秘書は銃をかざし、まわりを見回すやいくぶん声を震わせて叫んだ。

 

 そして、バン!という破壊音が広間に響いて……。

 

――(前回:084まで)―― 

 

 ハデな音を立て、護衛はセダンの重いドアを閉じる。

 

 メゾンで使っていた防弾仕様の高級なリモ(リムジン)とちがい、モーター・アシストで終端閉鎖しないので、力まかせに閉じた場合、ズシンと車体に響いた。おそらく専用設計ではなく通常の車に装甲を仕込んだだけの、安出来(やすでき)な造りなのだろう。

 

「出たまえよ『九尾』――いい夜だ」

 

 高速のパーキング・エリアで、彼らの車は一息ついたところだった。

 

 護衛にうながされ、頭上でループが幾重にも錯綜(さくそう)する駐車場の外に、先ほどの経験でヘロヘロになった彼が車外に出るとオゾンの気配とモーターの灼ける臭い。それにまぎれヒンヤリと腐葉土が香る春の気配が(かす)かに漂った。

 

 まだ感覚に生々しい、何重にもショッキングな経験。

 いまだ(シビ)れたままな頭を深呼吸でスッキリさせようとしても、周りの磨きたてた車を見渡せば、そこに人形(ドール)を内包した(つや)やかなパッケージがダブって見えるしまつ。

 

「クソ。さっきはヤバかったぞ……」

 

 ため息をつきながら護衛の男はスーツを何やらいじってから、周囲に並ぶ車の生体反応を油断なくチェックするようなそぶりで古ぼけた車体に寄りかかり、

 

「あの女秘書な……たぶん強化体(Закалка)だ。人工的に筋肉の質を変えて神経を補強し、戦闘能力を増している」

「……そうですかぁ?」

 

 いまだ“AIKA”のことを考える『九尾』は、遠くの幸せそうな家族連れを眺めながら気のない声で、

 

「ボクには――フツーにスタイルのいいキャリア・ウーマンにしか……」

「ハ!普通の女性総合職が、あんな強力な殺気を放つもんかね。骨はガラス繊維。体温分布と構成密度から、筋神経の反応速度をあげているのが分かった。動体視力も強化しているはずだ。西の秘匿(ひとく)技術だと聞いていたのだが、あんなところに……なぜだ!」

 

 そうか、と『九尾』はボンヤリしたまま、ものすごく納得する。

 愛玩用の人形(ラブ・ドール)があるのだ。戦闘用の人形(コンバット・ドール)があってもおかしくない。

 あるいは、もっと別の用途も……と考えるが、怖くなったので途中でやめる。

 

「でもまさか、あそこでドンパチってことには――」

「分からんぞ?」

 

 対テロリスト(治安執行)部隊の必須要諦をひとつ教えてやろうか、と護衛はいまだこわばりの取れない(かお)で、

 

「“まず女から殺せ”だ」※1

「……なんですって?」

「男のテロリストだったら、勝負あったと分かれば抵抗しない場合が多い。だが女のソレは――ヒスってナニしでかすか分からん。あそこで闘いになった場合、正直勝てるか自信がなかった。最悪、流れ弾でも受けたら、応急処置のドサクサにまぎれて、キミまで奴隷人形に改造されていたかもな」

 

 そんな……と『九尾』は絶句する。

 

あの店(メゾン)から独立した場所にあるワケも分かるよ。何かあったら“知らぬ存ぜぬ”で切り離すつもりだろう。してみると半・非合法な存在なんだな――いつ“ガサ入れ”くらっても大丈夫なように」

「ボクが……『愛玩人形(ラブ・ドール)』に……」

「ま、()()()()()()()()()()()()()()

 

 護衛は黒メガネを光らせ辺りを再確認すると、こともなげに、

 

「来たまえ――精進(しょうじん)落としだ」

 

 二人は高級車が目立つ広い駐車場を移動し、あかるい建屋のほうへと向かう。

 

 フード・コートのガラス張りなスィング・ドアを開けると、暖房に食べ物の美味(うま)そうな匂いがまじりあう、ホッとする雰囲気が二人をむかえた。

 

 揚げ物や、炒め物の気配。売り場の行列。

 立ち食いソバの香りなど、『九尾』はひさびさに()いだ気がする。

 談笑や歓声。広い厨房で食器の触れ合う音が陽気に響いて。

 

「なんにするかね――?副交感神経に効く、あたたかいモノがいいな」

「自分は……食欲ないからイイです」

「まぁ、そう言うな」

 

 護衛はメニューで迷った挙句(あげく)、湯気の立つラーメン二つを盆の上にのせ、フードコートを見わたせる目立たない片隅に席をとった。時刻は19時をまわり、広いエリアにはそこそこ客が入っているものの混雑というほどではない。おそらく来客の波の谷間にあたるのだろう。それでもあちこちで湧きおこる高笑いや子供の泣き声などで、込み入った話をするには具合がよかった。

 

 あの――と『九尾』が人形のことを聞こうとしたとき、テーブル向かいの男は、

 

「どうした――遠慮せずに食いたまえ。ノビちまうぞ」

 

 天井の照明を油滴の数だけ映しこむラーメンのスープ。

 彼は微妙な心境で見おろす。

 

 ものを食べる気分ではなかった。

 

 見ばえのいいモルグ(死体置き場)から生還して、胸が冷えきっている。

 美しい愛玩人形(ラブ・ドール)に改造され、凝固し、ほほ笑んでいた“AIKA”。

 どこか哀しげな“人形”の眼つきが、いまだに目のまえにチラついて。

 だが、テーブルを挟んでいかにも余裕タップリに麺をすする護衛を見ていると、

 

 

   ぐぅぅぅぅ……ぅ。

 

 

 いきなり腹が鳴った。

 

 ――え……。

 

 彼は自分の身体の図々しさにあきれる。

 あれだけのコトがあったのに、腹が鳴るとは。

 そういえば先日、目の前で女殺し屋の頭が狙撃で吹ッとばされた時も、何ひとつおどろかず、かえって足もとに転がっていた彼女の目玉を興味津々(きょうみしんしん)、観察したのをおもいだした。去年の秋、先輩候補生ふたりの死体を見たときは、吐き気をガマンするのが精いっぱいだったのに……。

 

 自分の心は死んでしまったのだろうか。

 それとも――これも洗脳の後遺症? 

 と、そんなことを彼が考えるうち、またもや腹がなって。

 

 ――えぇ、もう知るか!

 

「いただきます……」

 

 力なくそう言ってから、割り箸を裂き、麺をひと口すする。

 

 

 ――あ……。

 

 

 美味(うま)い。

 

 冷えたような肩に、背中に、たちまち熱エネルギーが回ってゆく気配。

 押し寄せる日常の現実感。

 “実際に存在している”という、手ごたえ。

 

 生きかえる心地に、彼の眼には正体不明の涙すらうかぶ。

 濃いスープが、ひとすすりごとに生の感触を、そして頭の回転を潤滑にさせるような印象。考えてみれば、今日は病院で出された10時のお茶から、なに一つ口にしていなかった。

 

 身体のまわりで立てられる“生者”たちの騒音。

 ペンギンの見舞いからの帰り道。トラムのなかの混雑を、ふと連想して。

 気がつけば『九尾』は、最後のシナチクをどんぶりの中にさぐり、完食してしまっている。

 

 暖かい食べ物が身体はもちろん、精神にあたえる影響は大きかった。

 先ほどまでアレほど虚無にみちていた自暴自棄な考えは、もはや跡形もないほどに消え去り、それに代わって、どうやったら“こんな社会”に反撃できるか、そんなラディカルなコトまで、頭に想いめぐらせている。

 

「さっきは、私の失敗(ミス)だった……すまん」

 

 ポツリ、先に食べ終えていた護衛は彼方を歩いてゆくスーツ姿の男たちを警戒しつつ、それでいてどこか(うつ)ろな気配をただよわせ、そう言った。

 

「キミを、連れてゆくべきではなかった」

「そんなこと……」

 

 『九尾』はレンゲを使って夢中でラーメンの汁をすすりながら、

 

「知っておいて、良かったと思います。()()()()()()でした」

「――そうか?」

 

 ふと、護衛はそんな彼の食いっぷりに気がついて、

 

「どうした?もっとなにか食うか?遠慮するな」

「いえ、もう十分。お情け――身に()みます」

 

 時代劇からひろってきたようなセリフに男はフフッと笑い、

 

「なにか、キミも変わったな」

「えぇ、なんとでも。マヌケっぷりに磨きがかかりましたよ」

「いや、そういう事を言っているんじゃない……」

 

 黒メガネの反射に『九尾』の顔をうつす、中年と呼ぶには少し早いこの男は、

 

「じつを言うとな――先日の“傷害事件”を防げなかった懲罰(バツ)として、わたしはキミの入院中、再研修を受けていたのだ。そして今回の件だろう?キミに取り返しのつかない心的な傷害(トラウマ)を与えてしまった。なるほど自分は懲罰研修を受けてしかるべき二流の要員だと自責の念に駆られていたのだが……どうやらその心配は無かったようだ」

 

 やっぱり、と彼は思う。

 

 ――(ボク)が格好つけたせいで、また邦斎(くによし)サンに迷惑をかけてしまった……。

 

 ほおを探り、いまだ白っぽく残るキズをさぐる。

 完全に消すには、少し通院しなくてはならないらしい。たぶん処置は“御前試演”の後になるだろう。もし、それまで生きていたらの話だが。

 

 またも弱気になりかかるところを“AIKA”の件を思い出し、喝を入れる。

 

 ――自分が殉職したら、あの人形はHENTAIのヒヒ爺ィにでも売られるのかな。それだけは何としても……でも9980ギニーかぁ。億ションが買えるよ……勅任航界士になって、そうとう功績を挙げないと――。

 

 そこで『九尾』は、先ほど聞きそびれていた質問を思い出し、

 

「あの、護衛さん」

「ん」

「あの人形たちって……もとの人間にもどせるの?」

「とうぜんムリだ」

 

 サラっと男は彼の希望を断ち斬った。

 

「身体の組織を不可逆に更新されてしまっているからな」

「でも……でも西側最新技術な(オート)(ポイエーシス)(システム)を使ったら?」

「なにを言ってるのか分からんが、体内物質を半ば無機物に置換(ちかん)されているんだぞ?神でもないかぎり、とても」

「じゃぁ……“AIKA”は、もう単なる人形(ドール)のままなんだ……」

「ま、ていのいい保存死体だ、あきらめろ。もっとも――」

 

 そう言いかけた護衛は、おっと、という風に口をつぐむ。そしてたちまち目前の少年の(おもて)に希望の明るさが浮かぶのをみて心底後悔した顔をして。

 

「なに――なにかあるの?」

「べつに。人形ケースのアレは“腐らないゾンビ”だよ」

「ウソだ!なにかあるんでしょ?」

「……」

 

 護衛はしばらく言い渋っていたが、ややあって“お冷や”を口に含んでから、

 

「あのオールバックの男が、最高の等級(クラス)手術(オペ)したと言っていたが……いいか?あくまで聞いたハナシだぞ?」

 

 コクコク、と目を輝かせて頷く少年にヤレヤレという顔を浮かべ、

 

「この等級の場合、そうとう手間ヒマかけて改造を行うそうだが、恐ろしいことに基本的な記憶野さえも、外付けの記憶媒体に移植するらしい。つまり身体は人形になっても、心――と呼べるかは分からんが、もとの容れものに戻すことはできる、と聞いたことがある」

「人形になった体に、もとの意識をですか!?」

「……そうだ」

「でも!そうしたら愛香はどう思うか」

 

 そこよ、と男は指をたてて彼のほうに示し、

 

「そうやって変わり果てた自分の体を認識させ、悲しむさまを見るのが好きな金持ちが居るらしい。しかもオリジナルの人格を取ってあるので、コピーを注入すれば悲嘆に沈む様を何度でも繰り返せる。それを酒の肴にしてたのしむのだと」

 

 『九尾』の脳裏に、分厚な唇をよだれでテカらせた“無礼院”のニヤつきが浮かぶ。ねちっこく股間をさわる大きな手の感触も、(あわ)せて。

 

 思わず彼は鳥肌をたてて首を振り、(ねば)ついた印象を祓い落とそうとするが、なぜかそこに“蘭の王女”の秘密めいた冷ややかな眼差しも浮かぶのは、どうしたワケか。

 

「悪趣味なハナシだが、しかたない。大陸事象面でおこなわれている、政府の政策に沿わない市民を強制的に労働洗脳したり、特権階級のために一般“人民”を問答無用で臓器工場にするのとくらべれば――なんぼかマシだよ」

「そんな事象面があるんですか」

「悲惨な話、不合理な事実なら、まだまだたくさんあるぞ?」

 

 キミが知らないだけだ、こう言わんげに護衛は椅子の背もたれによりかかる。

 サングラス越しな護衛の凝視に包まれながら、『九尾』は考え込む。

 

 ――愛香は“AIKA”となって、どうおもうだろう……。

 

 

 どちらにしろ、HENTAIどもの手から守りたい。

 ここまで考えた時、ふと『九尾』は立ち止まる。

 

 

 “()()()()――()()()()()()()()()?”

 

 

 偽装ブティックの地下広間でみた人形ケース(ドール・ボックス)の 山。

 安楽な生活のために身をうる『恵娜(えな)』の類。あるいはパピヨン、ビエルシカ。

 第一、西ノ宮の僧正(無礼院)みたいなものを一掃しないと、この社会は変わらないだろう。

 

 過去に映像データでみた様々な光景がうかぶ。

 

 既得権益にしがみつく政治屋や小役人。

 自分のオ〇ニーを他人に強制する「脳内お花畑」。

 イツホクをはじめとした強力な圧力を発生させる(ロビイスト)銭ゲバ。

 

 ――コイツらに一撃を加えるには……どうする?

 

 自然、彼の手はポケットのメモリー・ユニットに伸びた。

 じっとりと、それらを親指のはらでなでさすって。

 

 すこし、間が開いた。

 

 やがて沈思黙考する『九尾』をよそに護衛は大きく息をつくと、

 

「今回の一連で、自分はキミの担当をハズされるだろう。スーツに内蔵されているログ収録器も、さっき止めてしまったしな。たぶん、自分は懲戒――」

「そんなぁ!イヤですよ……そんな」

 

 またも青天の霹靂。

 

「なんで……」

「キミを守るためだ。こんな暴露話をキミが聞いたと本部が知ったら、キミまで危うくなる」

「護衛さんは、だいじょうぶなの?」

「これが大人の役目さ……そして自分のかわりにあたらしく来る要員は、おそらく融通(ゆうずう)の利かないヤツだろう。それはたぶん“御前試演”の時までそれは続く。どうか我慢(がまん)してくれたまえ」

 

 また、自分のために犠牲になる人が――と、彼は暗澹たる思いにかられる。

 ふくれっ面をする少年に、この男は硬い表情をうかべ、

 

「“()()()()()()()()()”覚えておけ?ついでに“命令”もな御前試演は――再来週だっけ?」

「……土曜日です」

 

 おもむろに、護衛の男は黒いメガネとった。

 鋭い金色な眼差し。その奥に、なぜだか温かく感じるものが。

 そしてブスっとふさぎこむ少年候補生の顔をみて、フッとみじかく微笑。

 

「来週には事象震の嵐が――その第一波がやってくると内々で予報が出ているぞ?行きたいところがあれば、それまでに行っておくといい……」

 

 『九尾』は、自分の中に深く沈潜する。

 

 いままでの経験、記憶。そこから要素をくみ上げて考える。

 思考実験し、予想される作用・反作用を取捨と選択。

 それに加味し、過去に見た事象震のすさまじさ。

 なにより、自分が生き延びる確率……。

 

 ――せめて……せめて一撃。

 

 そして彼は――ついに覚悟を決めた。

 打って変わって明るい声で、

 

「今回の事象震、激しいモノになるんですよね」

「……らしいな」

「あっと♪」

 

 『九尾』は、ラーメンの(どんぶり)に添えていた割り箸をカラカラ落としてしまう。

 

 テーブルの下にもぐるとそれをひろった。そしてポケットから取り出した二つのメモリーユニットで護衛のヒザをつつき、相手にわたす。何気ない顔でテーブルに浮かび上がると、椅子に座りなおした。

 

 護衛の金色な瞳が、こんどは呆然と見ひらかれて。

 

「ボク、護衛サンといっしょにいると、なんだかお父さんと居るようで、楽しかったです――なーんて、護衛サンはそこまでのお歳じゃないですよね。そうそう、そういえば……」

 

 とりとめのない話をしながら、喋りとは別に『九尾』は手を動かして候補生手帳へと記す。

 目の前の大人はスーツに仕込んだ録音装置を停止させてと言っていったが、もしかしたらこのエージェントにも知らされていない仕掛けがあるとも限らない。もう自分のために誰かが犠牲になるのはイヤだった。

 

 

 

【やはりこの情報ユニット、邦斎(くによし)さんにお渡ししておきます。

 愛香のブローチを守って、こちらに返してくれた、お礼。

 

 これは、自分と先輩の命を削った結晶です。どうか“良い方向に”役立ててください。

 

 もう自身の判断では誰に渡したらよいのか、わかりません。

 身近な大人で、一番信用のおけそうな人に託すのがベターと判断しました。

 

 もう一つのユニットは、当方の修錬校で女子候補生徒に対し、卑劣な行為を 行っている教官の言動を録画したものです。

 どうか、どうかこの悪辣(あくらつ)な大人たちに、正義の一撃を。

 

 あと、画像の女子候補生を追跡捜査して、助けていただけると嬉しいです。

 W/N(ウィング・ネーム)は『タチアナ』。自分と同じ1年です。

 《brown》(もっとも先ほどの人形たちのように、もう手遅れかもしれませんが)

 

 勝手なお願いですが、もう自分には時間が無いかもしれません。

 何卒(なにとぞ)、よろしくお願い申しあげます。

 

 いままで振り回して、ごめんなさい。

 そして、本当に有難う御座いました】

 

 【追記:この紙は、映像記録のエビデンスとして渡しておきます】

      

          錬成校・瑞雲所属1013 1級・航界士候補生 『九尾』

 

 

 

  最後に、今日の日付を書き込み、指紋を押印。

 

 護衛は革の手袋をつけ、生徒手帳から破り取られた三枚の紙片を再読。

 そしてポケットから出した小さなスプレーを吹きつけると指紋を定着させた。

 

 ――これでいい……。

 

 護衛の処置を見守りつつ、『九尾』はホッとする。

 そして大事に守ってきたものを託してしまうと、彼の胸はガランとしてしまう。

 これで終わった、という感慨。

 

 護衛の方は、なぜか『九尾』から背をむけ、黒メガネを拭いた。

 

 奇妙な、沈黙。

 

 しばらくの(のち)、ようやくそれを掛けなおすと男は『九尾』のほうに向きなおり、胸から出したクロスの薄型手帳に、紙片を大事そうに挟みながら、何ごとか言いかけ、口ごもる。

 

 しばらく逡巡するようすが、傍目にもありありと。

 

 だが――やはり言わないことに決めたらしい。

 腕時計を見てため息をつき、

 

「もうこんな時間か……そうだ、寮が変更になることは聞いているかね?」

 

 え?やった、と気の抜けた喜び。

 邦斎(くによし)が担当を外れるというショックが尾を引いて。

 それでも、落胆を表に出すまいという、妙なプライドと共に、

 

「いまのトコより酷くは……なりませんよね?」

あの店(メゾン)のレベルとはいかないが、ずいぶんマシになるはずだ」

「いつです?」

「分からん。後任の指示に従ってくれ」

「護衛さんとは……その、もう連絡取れないの?」

 

 残念ながらな、と通常の硬い雰囲気にもどった男が席を立った。

 

 『九尾』は相手の分まで空きドンブリを盆にのせ、それを両手に抱えながら、すがるような目つきで頑強な岩を思わせる“本物の大人”を見げる。

 あのホスロー上級大尉とはまた毛色の異なる、ガッシリとした存在。

 

「部局の内規で、担当外の保護対象と個人的な接触を持つことは禁じられているのだ」

「そう……ですか」

 

 うなだれる少年に、男は軽く彼の(ほお)をペチペチと叩く。

 

「強く生きてくれよ、『九尾』」

「護衛さん……ありがとうございます」

 

 うむ、と戦場(いくさば)経験を積んだ男の、重々しい頷き。

 

 

 





※1 映画でも有名な某特殊部隊の教本には、そうあるとか。

終盤に近づき、だんだんと主要キャラたちが去ってゆきます……。


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086:引越しのこと、ならびに“死神”のこと

 

 

 

 護衛の言った通り、翌々日は修錬校を休んで引っ越しとなった。

 

 作業は業者が全部おこない、『九尾』自身は手周りの精密機器や個人端末を持ち出すだけで良かった。とはいえ、私物は軽トラック1台分にも満たぬ量だ。いままで生きてきた証がコレだけかと思うと、ある種の可笑(おか)しさを彼は感じざるをえない。

 調子の悪そうな軽トラのモーター音が遠ざかってゆくのを見送ると、ボロい寮の前でひとり私服すがたのまま、ポツねんと待つことになる。

 

 イツホクに会いに行った次の日の朝。

 彼は引っ越しと護衛の交代をいきなり端末の音声通信で知らされた。

 

「候補生『九尾』か?」

 

 電話口の向こうの、あからさまに敵意のある声。

 

「きみをガードするエージェントに変更がある。二日後に寮も変える予定だから、その日まで修練校を休みたまえ。荷物もまとめておくように」

 

 ――邦斎(くによし)さんの言ったとおりだ……。

 

 探査院の反応がはやい。

 また“大きな手”の見えざる力を感じる。

 あの精悍な護衛は、どこに行かされたのだろう。

 また研修でも受けさせられているのか。まさか左遷されたとか……。

 

「くに……今までの護衛さんは、どうなったんです?」

「とにかく、あまり迷惑をかけるな。手間をとらせるな。ハナシをややこしくするな」

 

 それだけ言って、邪険に通話は切れたのだった。

 

 いよいよ春の気配が感じられるようになった空気の暖かい薄曇りの日。

 ボロい寮の前で、乱れがちな心を手荷物品とともに抱えながら待っていると、黒いミニバンが寮の門に横づけとなった。後部のスライドドアが開き、対面座席となった中からパンツスーツ姿の女性が、

 

「お待たせしたわね、一級候補生『九尾』……乗って」

「コード・パスを」

 

 事前に案内されていた合言葉を彼は要求する。

 ピンストライプのスーツを着た、いかにも有能そうなこの女性はこともなげに、

 

「カラクタレスティカ・ウニウェルサリス――行きましょう、時間を無駄にしたくはないの」

 

 『九尾』が乗ると、車はモーター音も立てずに動き出す。リニア・エレクトリック併用車。法執行機関の所属らしい。

 彼は対面に座る三十路がらみの女性をビエルシカの眼でウィンドウの反射を使い、車外を眺めるフリをしてさりげなく観察する。

 一部のスキもない高級そうなスーツ。

 ブルガリ、カルチェ。小物はみんな高級品だ。

 この女になら“パピヨン”の席に案内させてもいいとイツホクは踏むだろう。

 だが、その装った(すがた)の陰には、まごうことなく組織のエージェントめいた冽さが仄見えているのを、彼の厳しい経験は伝えていた。

 

「ほんと……アナタ女体化処理されてたのね」

 

 『九尾』の観察をよそに、この女性は手もとの端末でなにやら仕事をしながらポツリと。

 

「どういうことです?護衛さん」

 

 あっは、と急に女性の冷たい均衡がくずれ、一瞬()()の表情がうかぶ。

 

「おっかし。ワタシが護衛()()()にみえるの?」

「……そうじゃないんですか?」

「アナタの新しい護衛たちは、これから向かう先の寮に待たせてあるわよ」

 

 護衛()()

 ということは、自分に対しては一人では手に余るということで、とうとう二人あてがわれることになったのか。やれやれ用心されたものだ胸の内で舌打ちしつつ、彼は信号待ちで横ならびに停まった内燃機関のオートバイを観察する。

 明らかに後付けと分かる得体のしれない機器やホースがあちこちから飛び出て、乗り手は相当にカスタムしてるらしい。

 2nd Starと尾部に★入りで描かれたバイクは、信号が変わるや重低音をひびかせてあっという間に消え去った。

 一度、バイクにも乗ってみたかったなぁ、と『九尾』は考えた。

 

 ――そういや車も運転したことが無かった。オープンカーの助手席は面白かったナ。いちど、コッソリ護衛さんに頼んで車通りの無い道を運転させてもらえばよかった……。

 

 そこで、姿を消した『邦斎』のことに思い至り、

 

「いままでの護衛さんは、配置転換ですか」

「まぁ――そうとも言えるわね」

 

 みょうに含んだような言い回しをこの女係官はしてみせた。

 

「ちょっと涼しいところで頭を冷やしてもらうのよ」

「頭を冷やす?どこです、それ」

「組織内の人事異動は、部外秘よ?『九尾』くん。それとも『成美』チャンとお呼びすればいいのかしら?」

 

 『九尾』は一瞬鼻白む。しかしすぐに態勢をたてなおし、

 

「ボクは候補生『九尾』です。それ以上でも以下でもありません」 

「ザ~ンネン♪『成美』チャンのままの方が可愛かったのになぁ」

「よしてください」

「知ってる?女体化処置の効果は、半永久的に残るって」

「え……」

 

 ルージュで彩った相手の口唇に、もはや見慣れた粘着質な笑みが浮かぶ。

 

「アナタはギリギリのところで施術を止められたらしいけど、それまでにさんざん最高級の女体化処置をされたものだから、あと一押しでアナタはメスになっちゃうのよ?血管に埋めた脱ホル・プラントも血流のなかの女体化ホルモン処理しきれなくて、女奴隷のフェロモンが出ちゃってるじゃないの」

 

 すこし前ならこの言葉に動揺しただろう。

 しかし、さまざまな経験をくぐった今となっては、もうブレなかった。

 男でもない、女でもない。

 自分が一級候補生『九尾』だと考えているおのれがいるだけなのだ。

 性別など、ささいな問題だった。

 ましてや、生きるか死ぬかの御前試演が近づいている今となっては。

 

 相手は自分が予想した反応を『九尾』が示さないことに驚いたらしい。微笑を消し、つぎに少しトゲのある言葉で、

 

「つまり――いつでも、性処理道具に早がわりというワケ」

「イマさら、どうでもいいですよ、そんなもの」

 

 ぶっきらぼうに『九尾』は応じる。

 

「どうせもうすぐ“御前試演”で死ぬかもしれないんだし」

「死ななかったら?」

 

 不思議なほどしつこく女係官は言いつのる。

 

「生き残って、そのまま拉致られてオンナの子にされちゃったら?」

 

 相手の瞳の中には、いつのまにか偏執的な光がたたえられてるのを『九尾』は診た。

 ヒザの上に載せた端末をとなりのシートに置き、

 

「……そしてご主人様の赤ちゃんを産んで、安楽に、幸せに暮らせるとしたら――どうする?」

 

 そのとき。『九尾』の脳裏には龍ノ口の、『ドラクル』の最後の姿が浮かんだ。

 あの悪夢のような空間で雄々しくも片腕をあげ、こちらを見送る姿。

 身代わりとなった者から渡されたバトン。託された想い。

 それを裏切るわけにはいかなかった。

 

「ボクは、いえ自分は、航界士候補生です」

「見た目によらず、わりとガンコなのね。アナタが居なくなったら悲しむ人がいるのに」

「でもそれって『成美』としてでしょ?」

「いいえ。あなたを妻にと思っているお方がよ」

 

 あぁ、と『九尾』は脱力して車外の流れを見る。

 なにやら高級住宅地に入ってゆく気配。

 

「西ノ宮の――あの大僧正ですか」

「いいえ、もっと別のお方」

「たしかに『成美』を手もとに置きたがるヘンタイは、大勢いるでしょうね」

「忘れたの?婚約の証まで送ってくれた方なのに」

 

 その言葉に、ハッと彼は女性係官の方を向いた。

 

 ――朱雀院の坊や!

 

 園遊会で我を張った少年を『九尾』は脳裏にうかべる。

 随分とワガママに育てられていたようだが、その後はどうなっただろうか。

 すこしは周りと打ちとけていると良いが。

 

「……あの子が、ねぇ」

「そのお方がね?勅任航界士の御前試演出場を――考え直してくれないかって」

 

 探査院の係官が、こんなことを言い出すのが意外だった。

 西の名家ともあれば、こっそり裏から手を回すことも可能なのだろうか。

 女性の顔は『九尾』をジッとみて、どんな反応も見逃さないとするかのように。

 

「今回の事象震は規模が壮大になる予測だから、そのうちアナタも辞退するだろうと若様は楽に構えていたの。だけど、ちっとも辞退の知らせが無いものだからツテをたぐって、わたしが内々に命を受けてね」

「……」

「若様は、かなりご心配よ?アナタの言いつけも守っていると伝えてくれって言われてたそうだけど」

「……」

「ずぅっとラクな生活ができるのよ?そりゃチョッとばかりアナタのいうヘンタイ的なことはされると思うけど、それくらいなによ。専業主婦で、しかも身の回りのお世話にメイドが何人もつく暮らしよ?アタシが代わりたいくらいだわ」

 

 『九尾』はひとつ、ため息をついて、

 

「人はパンのみにて生きるにあらず、ですよ」

「――なによそれ」

「ボク、いや自分には果たすべき使命があります。いままで借りを散々つくってしまったから」

 

 それからも車中でこの女性係官は『九尾』に試演を辞退するよう手をかえ品をかえて勧めてきたが、彼の方は頑として譲らなかった。とうとうあきらめたのか彼女は、連絡先が記されたカードを差し出し、彼に受け取らせると、

 

「しかたないわね……でも覚えといて?アナタには逃げ道があるってコトを」

 

 ミニバンは、見た目ずいぶんと高級そうなマンションに横づけとなった。

 そこには古ぼけたセダンの傍らに、ふたりの黒メガネが立っている。車を降りて女性係官から引き合わされた『九尾』は唖然とした。

 

 なんと、あの“領収書つき晩メシ”の二人組。

 

 双方、顔を見合わせ、しばらく無言。

 そんな三人をよそに、女性係官は護衛たちに向けて声の調子を冷たくかえ、

 

「じゃ、あとはよろしく頼みましたよ?くれぐれも遺漏のないように」

 

 そして『九尾』に対しては、またも先ほどの口調で、

 

「提案、考えておいてね?」

 

 そう言うやヒールを鳴らし、運転手付きのミニバンで去っていった。

 

 絶句する『九尾』をまえにして、彼らは以前とは違い卑屈な身ぶりでヒョコヒョコ頭を下げる。業務上の横領行為がバレでもしたのか、あるいはハードな“再研修”でも受けたか、まるで人がらが変わったように二人して口数はすくなくなり、つねにオドオドと何かを恐れる風。

 

 二人に前後をはさまれるかたちで案内された部屋は、雲海作戦前に隔離されたところよりも少しマシな部屋となっていた。トイレには、あのビニール張りな木馬型の便器が復活して、どことなく(みだ)らな赤い艶やかさを見せている。だがうれしいことに風呂は格段に豪勢となり、広めの浴槽には、なんとジャグジーまで。おまけに地下には、温水プールつきのトレーニング・エリア。部屋の窓が曇りガラスなことと、サッシが少ししか開かないことは同じだったが。

 部屋の両側にたたずむ黒メガネたちに、

 

「ねぇ護衛さん、自分の前の護衛役の人は――どうなったの?」

「ハッ、分かりません」

「ハッ、分かりません」

 

 いつぞやとは打って変わった応対。

 この質問にすら、緊張した声で。

 

「……さっきの女性係官って、探査院のひとですよね?」

 

「ハッ、分かりません」

「ハッ、分かりません」

 

 ――ダメだこりゃ……。

 

 そして登校してみると、二人の変りぶりはいっそうハッキリとする。

 人ごみには『九尾』を絶対に近づけず、学校でもピタリと身に張りつき、更衣室やG・スーツの着装場所、シャワー・ルーム、はてはトイレまでついてくるしまつ。おかげで“薄い本”を描く連中には、格好の新ネタとなったらしい。

 休憩時間の外出から、あてがわれた視聴覚室の個室にもどってみると、またもや大判の封筒が。中をひらいて出てきた鉛筆書きのコピー本をひらけば、四つんばいにされて前後から挟まれ、嬲られる自分らしきキャラクターが、チンポを(くわ)えながら“よがり顔”を浮かべるページに、彼は苦笑を浮かべざるをえない。

 

 修錬校から帰ると、自分のほかに住んでいる人間は居ないのではと思えるほど人影のないマンション寮に軟禁となる。外出は、人通りの少なくなった21時以降に最大90分だけ。

 

 あまりに接近がヒドいので探査院の窓口に直接苦情をいれると、翌日からようやく距離をおくようになったが、こんどは恨みがましい目で監視されるようになる。

 

 “御前試演”が近くなると、界面翼を創出する実技訓練も厳しくなった。そして、とうとう“御前試演”の一週間まえになると、ときおり予測不能な事象震が発生するようになり、一般の候補生の間で機動中の事故がつづいた。探査院が動き、錬成校全体に飛行中止命令が下りる。

 

 実技が無くなったので講義も取りやめになり、自宅/寮を問わず、すべての候補生たちは待機となった。もちろん、おとなしく命令を守り、自室にひきこもるような候補生たちではない。最後の登校時には、みなこぞって臨時休校の間に愉しむプランを仲間うちと楽しそうに話していた。それを『九尾』は廊下を通りしなに寂しい思いで耳にしたものである。

 

 試演の出場予定者である者は、軟禁されたままとなるらしい。

 しかし、いつぞやのように湿布状のバイタル・コンピューターを付けられることもなく、マンションの建屋内なら、行動の自由が許されていた。とはいえ、個人用の情報端末も没収され、行動の選択肢も限られている。

 

 朝起きると、まずラフな格好のまま1Fまで下りてゆく。

 そしてマンションのロビーにあるソファーから、憂鬱な顔で大窓ごしに外を眺めて。

 

 上空の雲は、鉛色の濃淡をはげしく入り乱せ、荒れくるっていた。

 

 風向・風力は目まぐるしく変わるが、基本的に指向性の暴風なので地上にそれほどダメージはない。ただ上空50m以上は死の世界で、界面アンカーなどない普通の高層マンションは、カルマン渦が発生し、ロビーのモニターで観るニュース映像の中でユラユラと心もとなく微動している。“船酔い”とかいう状態も珍しくないと深刻な顔でAIアナウンサーが告げていた。

 

 監視モニターをならべたエントランスの受付デスクを根城とする二人組から1日分の糧食(レーション)を受領。

 

「おはようございます」

「ハッ、分かりません」

「ハッ、分かりません」

「……」

 

 ご苦労さんと思いつつ、味気ない糧食(エサ)が入ったビニール袋をぶらさげ、部屋にもどって着替えると、試演でのハードな機動にそなえて、ひとけのない地下のトレーニング・ルームに行って走り込み。そのあとは、同じく貸し切り状態の温水プールでラッコのようにプカプカと背泳ぎにうかぶ。

 

 日ごと試験日が近づくにつれ、やはりどうしても“死”を想わざるをえなかった。

 夜半に目覚め、記憶にのこらない悪夢の後味を反芻(はんすう)することも、しばしば。

 ときにはあの女性係官からもらったカードの連絡先にジッと眺めることすらある。

 

 どうしても寝不足気味となるので護衛に睡眠導入剤の処方をもとめたが、界面翼の創出負荷になるのでダメだと拒否られるありさま。

 脳内物質を利用する睡眠導入剤が認識負荷になるなんて聞いたことがない。

 

 ――ちぇっ、イヤがらせかなぁ……。

 

 節電のためか温水とは名ばかりの、照明さえうす暗いプールに浮かんでいると、じぶんがもう保存液に漬けられた解剖用の検体めいた気がしてくる。

 「少女架刑」※1ならぬ「候補生架刑」だな、と『九尾』は唇をゆがめて。

 

 

   ホラホラ、これが僕の死体。

 

   生きていた時の懊悩(なやみ)に満ちた、

 

   あの汚らわしい経験から解放され、

 

   ユラユラと液体に洗われる、

 

   冴え冴えとした顔をした魂の抜け殻……。※2

 

 

 目を閉じても開いても、うかんでくる記憶のきれはし。

 強迫観念のように、しつこく粘ついて去ろうとしない。

 

 

    先輩ふたりの無残な遺体。

 

    天に昇って行った候補生。

 

    奇怪に激変したオフィーリアの顔。

 

    “地下墓所(カタコンベ)”に並ぶ骸骨の群れ。

 

    エイジング・システムに格納された黒猫。

 

    図書館の記録映像で見た、労働教育所の餓死者の山。

 

    雲海の深部でこちらを見送るサー『ドラクル』。

 

    そして自分を殺しにきた、西からの使者……。

 

 

 いつのまにか水が冷たくなり、粘性を増していた。

 プールの照明も切られたらしい。

 あたりは仄暗(ほのぐら)く、なにか生臭い。

 

  ――ひどい、まだ使っているのに……。

 

 身体の動きが、やけに重い。それに、どことなく全身がしびれて。

 

 不意に『九尾』はゾっとする。

 

 ――ちがう!低体温症になりかかっているんだ。

 

 (アセ)りながら、身体をだましだまし動かして、ようやくプールのヘリにたどり着く。

 

 と……ふちに手をついたはずが、ズブリ、と柔らかいものにしずんだ。

 かすかに汚泥(おでい)の腐臭。

 顔に、とがった葉先があたる気配。

 ガラガラとした、気味の悪い鳥の()き声。

 よくみれば、そこはぬかるんだ岸辺であり、光源のわからない微光があたりを照らしている。

 

 匍匐前進(ほふくぜんしん)で前にすすみ、はい上がろうとして彼は(ヒッ!)と絶句する。

 

 自分の足首に、股に、腰に。

 形のおぼろな、亡者めくモノが懸命にしがみついている。

 いつかのように蹴り放そうにも(あし)に力がはいらず重くてうごかない。

 

 しかも身体をねじって良く見れば、しがみついている亡者の後ろ。そのまた後ろ……まるで自分を先頭にした長大な三角形のように“この世ならぬモノ”が連なって。しかもそろって酸欠の金魚よろしく何かを口々に、まるで声なき呪詛(じゅそ)のごとく呟くような顔つきをしている。

 

 奇妙なことに、亡者たちは彼を混沌(カオス)めくゲルの沼に引きずり込むでもなく、自分たちが這い上がるでもなく、ただ彼を(たの)みにかじり付いているかのように見えた。くわえて彼が懸命に這い上がろうとするたび、幽かなうめき(ごえ)をあげて……。

 

 その調子は非難でもなければ、哀惜でもない。

 苦しみでもなければ悲しみでもない。

 たとえれば、重い荷物をようやく(のぞ)かれた者が()らす、安息(やすらぎ)のため息にも似て。

 

 

 だが、そのとき『九尾』は卒然と悟った。

 

 

 ――なぁんだ……コレは病院で見ていた夢の続きじゃないか……。

 

 あのときは、航界機が沼に不時着して、コクピットから出ようともがくところだった。おそらく自分は機体から脱出し、いまようやく岸辺にたどりついたところなのだろう。後ろでしがみつく亡霊たちは、雲海でみたフロイトの出来そこないにちがいない。

 あるいは――自分のコンプレックスや深層心理の具現(あらわれ)か。

 

 そもそもこれが現実だとしたら、恐怖で半狂乱になっているところだ。

 ところが、自分のこの他人事(ひとごと)のような落ち着きと来たら、どうだ?

 

 そう考えると余裕が出て、彼は連なる亡者を見定めてみる。

 

 火炎をあびて溶けたような姿の者。

 腐りくずれ、なかば白骨化するようなもの。

 なかには人間とは到底思えぬ、異形のものすら列に加わって。

 

 

 ありがたいことに、彼方から光がやってきた。

 線路の保線員のように、あかりをゆるやかに振っている。

 

 ――カンテラ?……にしてはボンヤリしてる、か。

 

 近づくと、それは丸い光の玉なのであった。

 そして、それをまるで提灯のようにさげてやってくるのは……あの、髑髏(どくろ)めいた老人。

 

 ――またかよ、もう。勝手にしてくれ

 

 夢のなか特有のあきらめムードで、彼は近づく髑髏を見つめる。

 とうとう数歩の距離までちかづくと、死神は歩みを止めた。

 

 虚ろな眼窩(がんか)が、『九尾』を見すえるように。

 やがて、カクカクと、その顎が動いた。

 

 耳にはなにも聞こえない。

 だが脳裏には、たしかに響いたのである。

 

 

 

 

 

―― (ナンジ)(サイワ)イナル“賢者”ヨ「(イナゴ)タチノ王」ト(タタカ)エ ――

 

 

 

 

 髑髏が「つかまれ」とばかり杖を差し出した。

 自然とそれにしがみつき、『九尾』は身体を引っ張り上げようとする。

 だが――だめだ。亡者たちが重荷すぎるのだ。

 

「ちからが……力がはいらないんだよぅ」

 

 疲れたうでが、杖を取り離す。

 髑髏が身体を小刻みにゆらした――(わら)っているのだ。

 

 ――くっそ……。

 

 ()ッ、と全身に火が(はし)る。

 彼は怒りに身をまかせ、渾身の力で這いあがった。

 骸骨は頷くや、数歩退くと形を(おぼろ)にさせ、その姿を揺らめかせる。

 

 

 傷つけられた側のほおに、硬く冷たい感触。

 汚泥の気配はきえて、塩素の臭い。

 プールのふちのタイルだ。

 

 頭部に血流がもどってくる時のように、次第に視野が明るくなってゆく。気がつけば、髑髏と見えたのは、照明を反射した光がプールの壁に映り込み、あの老人のように見せているだけなのだった。

 

 ただ、身体が冷えていたのは本当だった。

 寒い。全身がふるえ、痺れて力がはいらない。

 調教中、四つん這いのまま首輪で曳かれたように、どうにか彼はヨロヨロと手足で()いずりサウナ・ルームに転がり込むと、(ヒノキ)の香りのする高温の空気で凍えた身体を温める……。

 

 あぁ……。

 

 思わず彼は安堵のため息をつく。

 次の瞬間、その声が、あの亡霊たちの発した語勢と同じものであることに気付いた。

 サウナの中にも関わらず、彼はゾクリと身を震わせる。

 

 夢――と呼ぶにはあまりに生々しかった。

 

 あの岸辺のドロの腐臭も、頬をつついた葉の感触も、まざまざと思い出された。つい先ほどまで自分の魂は還元(リダクション)モード状態のように身体をはなれ、別の場所に行っていたとしか思えないほどのリアルさ。

 

 ――あの死神、なんと言ってたか……。

 

 夢特有の、みるみる熔けてゆく記憶の中、あぶないところで彼はサルベージに成功する。

 

 ――そうだ、イナゴと戦え?だった……か。

 

 イナゴって、あの昆虫のイナゴか?と彼は首を傾げる。

 いや、そもそもどこか微妙に間違っている、ような。

 

 まぁしょせん夢の話だと考えるが、そう思うはしから、なにか重要なことを聞いたのだという本能の警報から逃れられない。

 

 ――そもそもあの骸骨ジジィ……死神じゃないのか?

 

 大鎌を得物とするなら、あの低体温症で魂は刈り取られていたはずだ。

 それを反対に助けてくれた印象。節くれた杖をにぎった感覚すら(てのひら)に残る。

 自分の手を見て、さらに彼はギクリとした。

 生命線にそって、うすく引っかいたような傷がのこって……。

 

 階段状になったサウナを危なげな脚で降り、おそるおそるドアを開くと、自分が這い上がった場所近くの壁を見る。だが、そこにはもう髑髏状の光など反射していない。

 そこで彼はハッと気付く。

 そもそも、この低照度の天井灯から、水面に反射するほどの光量など生じないのだ。

 

 ――じゃぁ、自分の見たものって、あれは……。

 

 サウナの上段にもどり、『九尾』は呆然とした表情で。そして、いまだ女体化ホルモン処置の後遺症を心なしか残すフニフニとした身体――鳥肌の浮いたその皮膚を、彼は心もとなげに幾度もさすった……。

 

 

 




※1吉村昭氏の名品
※2中原中也「骨」の改変

 いよいよ最終回も見えてきました。
 次回、【087:最後の破片のこと】 Don't miss it!


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087:最後の破片のこと

 

 

 

 暗夜の嵐が凄かった。

 

 まるで事象面を掻き乱すように、なま暖かい颶風(ぐふう)が都市を吹きわたり、ビルというビル、高架という高架、路地という路地を縦横無尽に奔り抜ける。

 さきほどまで烈しく降っていた雨の匂い。

 かとおもうと一瞬、それにまぎれる花の香り。

 見上げれば、風のやってくる雲が暴れる暗天には、どこか雷球でも内包しているような緊張めいた気味がある……。

 

 『九尾』は護衛ふたりに間隔をあけて後を追けられながら、傘も持たず春物のギャバジン・コートで夜を彷徨(さまよ)っていた。

 毎夜、人の流れが(しず)まってから許される90分間の自由外出。御前試演に向けて日ましに高まる緊張をなぐさめる唯一の時間。

 今夜は旧市街まで(セダン)で乗りつけて、そこから徒歩での自由散策となった。

 

 

 事象震の暴風が吹き抜けていることもあって、街にひとけはほとんどない。

 誰も通らない横断歩道の明滅。見る者のいないネオンサイン。

 時折リニア・カーがジェネレーターを響かせて通りすぎるだけの世界。

 

 突然、吹き荒れていた風がやんだ。

 事象震の嵐がつくる緩衝地帯に入ったのだ。

 時間が経てば、また反対方向から暴風が吹いてくることだろう。

 

 うってかわり静寂となった夜の光景。

 轟音が急にやんだので、耳鳴りが聞こえるほどだ。

 吹き乱され、荒らされた事物たちが、磨かれた空気の中で街の灯火に輪郭を明瞭(ハッキリ)とさせ、存在感をましている。

 修練校のブーツをはいた自分の足音が、いきなりコツコツと響くようになる。それが見知らぬ町並みに鳴りわたり、まるでこれから(ぬす)みを働く空き巣のような気分にさせ、どこか心やましい気持となって落ち着かない。彼はコートの襟を立て、あたかも防犯カメラの視線から逃れるように身をすくめた。

 

 

 彼方に、おびただしい光を路面に注ぐ建物がある。

 その一角だけ、闇を切り取ったような明るさ。

 『九尾』は、まるで誘われるようにフラフラと近づいた。

 

 すると――それは営業時間を終えた店舗(みせ)のショーウインドーなのだった。

 

 湖畔を模したディスプレイと、富士山をバックにする風景。

 そして――きわどい水着をまとう一体の等身大なマネキン。

 滑らかな、精巧な造形。溌剌(はつらつ)とした表情(かお)

 ただし、みょうに艶めかしい気配で……。

 

 『九尾』は狼狽したあしどりでそのウィンドーから距離をおき、あたかも逃れるように足の向くまま走りだす。しばらくのあと、古めかしい郵便ポストに手を突くと、あれた呼吸をやっとの思いでととのえた。

 

 かすかな吐き気。

 

 鋳物の冷たい手触りが、惑乱(パニック)徐々(じょじょ)(やわ)らげて、胸の中を整流する。しまいに彼は、そのでこぼこした赤い肌に(ひたい)を押し付けて。

 

 ――マズい……今夜はどうかしている。

 

 精神的に不安定だと報告されたら、これからさき外出は禁じられてしまうだろう。

 ポストから額をはなし、すっかり冷たくなったその場所を手でこすって。

 

 空き缶が、派手な音を立てて目の前の道をよぎっていった。

 上空のごうごうという音を背に、葉をつけはじめた街路樹がゆれて。

 

 ネオンをうつす路面の水たまりにさざなみ。

 まるで――“はじまりの夜”のように。

 

 ようやく落ちつくと、彼は自分がどこにいるのか辺りを見回した。

 そこは市街を流れる小さな川のふちで、古めかしいデザインの手すりが(とぼ)しい灯りを受け、どこまでも彼方にのびてゆく光景を見せている。

 チラリ、と彼方に護衛の気配。

 おそらくカラダのどこかにマーカーが付いているのだろう。

 影のようにつかず、離れず。やはり腐っても要員(エージェント)だ。

 

 彼は川岸の手すりをしばらくたどり、ふと川向こうに丘を利用してのびる(ふる)い街並みを認めた。

 まるで書き割りのような、こぢんまりとした街区。

 しかし小さな要塞のごとく、縦横に錯綜しているのが見受けられる。

 

 小さなアーチ橋をわたり、まるで吸い寄せられるように市街の中へと。

 

 湿った漆喰(しっくい)の匂い。

 あるいは木材に塗られたタールの香り。

 錆びた鉄の臭いが血を連想させる。

 

 中欧の迷宮を思わせる、市街構造。

 狭い、入り組んだ路地。

 

 アーケード……。

 石造りの階段……。

 立体交差……。

 

 

 

 意味不明なポスター。

 読めない外象語の囲みの中で――女が微笑して。 

 

 点滅するかぼそい街灯。

 まるで異物の侵入をしらせる――暗号(モールス)のように。

 

 

 

 ふいに現れる無明な陥穽(かんせい)と水たまり。

 それをさけて建物に寄ると、窓辺には時として生活の一部が漏れ見えた。

 

 洗濯物の影。

 石油ストーブの気配。

 3Dモニターの青い明滅。

 なにやら口論しあう一組の男女。

 

 ――いままで自分は何をしてきただろう……。

 

 破れた舗装からのぞく泥濘を避けながら、そんな窓を後にして彼は想う。

 

 ――もう少し別の生き方があったのではないか……。

 

 性懲(しょうこ)りもなく、またもどうどう巡りな想い。

 方々(あちこち)から突き飛ばされ、あるいは引っ張られ、いままでヨロヨロ歩いてきた。

 情けないほど受動的に――あまりに受動的に。

 その時の、状況次第で。

 

 「一本、信念が通っていたわけでもないしナァ……」

 

 思わずつぶやいて、彼は身をすくませる。

 だが、その独り言を聞いたものはだれも居いない。

 なかば焦点を喪った声が、せまい路地の闇に吸い込まれていっただけ。

 

 さまざまな人々の顔が浮かぶ。

 

 思えば、()()()()()()()から、いままで。

 

 まるでもう一人の生を体験したように、濃縮された時間を過ごした。

 

 『黒猫』。『オフィーリア』。

   サラ。校内女医や『エースマン』。

    廉人(れんと)中尉に『サラマンダー』『ウーラン・ツヴァイ』。

    『ザハーロフ』をはじめとする南組。   

     『リヒテル』ことネイガウス上級大佐。

        サドっ気のあるゲイ臭い葉巻のマッチョ。

          リー・ヴァン・クリーフそっくりなパイプ男。

        大聖堂の聖具室で恃童とつるむ中年司祭。   

      “無礼院”。蘭の王女。イツホクや女秘書。

    イサドラ。金髪(ゾーロタ)銀髪(シリブロ)、そして調教長の黒髪。

 涼子社長。『恵娜(えな)』や、その飼い主。 エリアーヌ。

  成長抑制剤(クロノス)に縛られた“少女(アリス)”たち。 

    パピヨンやビエルシカのみんな。  

     トリマルキオ親分。あるいは配下のヤクザたち。

      『シモーヌ』。邦斎(くによし)。マクフィーに、Q・シップのヒゲ艦長。

 

       ミラ秘書官。愛香。そして――龍ノ口センパイ(サー『ドラクル』)

 

 その他、いままで自分が出会って来た人々の姿が、まるで走馬灯のように。

 

 砂まじりの風が、しばらく狭い路地を吹き抜けた。

 『九尾』はジャケットの前を合わせ、壁龕(へきがん)状になった建物の壁に身をうずめて、冬の雀のように首をちぢめやりすごす。

 

 正体不明の白いものが、風に乗り目の前をよぎってゆく。

 近くの街灯が明滅したかと思うと、火花を発して――消えた。

 

 

 ふいに訪れた暗闇のなか、彼は切れた考えをつなぐ。

 それはまるで(おもり)のように、(くら)静謐(せいひつ)な胸のなかを、どこまでも沈降して。

 

 『九尾』という実存がこの世から消えても、まるでそんな候補生など居なかったように、彼らは生活してゆくだろう。

 

 もはや見ることの無い朝。

 嗅ぐことの無い日々の空気。

 取り巻かれることのない騒擾(とよもし)

 それらの中を、たくさんの人たちが、泣いたり笑ったり。

 みんな、それぞれの道を生きてゆく……。

 

 そう考えた時、彼は何だか妙に有難いような、尊いような。

 次いですべての慾得をはなれた、不思議な平安さに満たされた。

 

 『ザハーロフ』や拷問の男たち、それにイツホクすら、もはやどうでもよく。

 どうせかれらは因果応報に、自然と自滅の道をたどり、亡びてゆくだろう。

 

 

 みんな生きて……。

        みんな死んで……。

               みんな生まれて……。

 

 ホンのひと時。

 みんな、かりそめの、輝き。

 

 

 ――あぁ……もし居るとすれば、神様。

 

 

 『九尾』は、見捨てられた谷底のような場所からホンの少し、祈った。

 

 

 

      自分は、どうなってもいいです。

 

      でも、どうか頑張っている皆には――幸いを。

 

 

 

 ふと、まるでその願いが(よみ)されたかのように、辺りは白々と蒼ざめてゆく。

 辺りの造作が明瞭(ハッキリ)とし、己のあしもとに影ができた。

 建築法を無視して建てられたような、雑多な屋並みの谷底から、驚いて上空の闇を見れば――厚い雲が暴風と重力乱流によって引き裂かれ、その隙間から皎然(こうぜん)たる月が、怜気(さとげ)(かお)をみせていた。

 

 ピトリ、と一滴。

 

 仰ぎ見る額に、(しずく)を受けたのは、偶然だろうか。

 

 彼は不思議な厳粛さにうたれながら、見捨てられたような谷底に独り、(たたず)む……。

 

 

 

 背後から靴底が砂利を踏む音。

 研ぎ澄まされた清澄な神経に、それはあまりにも野卑に響き、彼は眉をしかめた。

 

「――候補生『九尾』」

「――90経過した」

「――外出の時間は」

「――もうおわりだ」

 

 二人組が、自由時間の終了をつげる。

 つかの間の自由を得ていた候補生は、ふたたび車を待たせてある通りまで。

 階段をおり、短いトンネルをくぐり、街灯の乏しい、迷路のような区画を抜ける。

 

 急に増えた街の灯り。

 ヘッドライトが、ネオンが、街灯が、様々な光を投げかけて。

 

 せまい路地を出たとたん、吹きつける一陣の風に、思わず彼はヨロけた。

 と、思うと、こんどは反対からの風に身体を持って行かれる。

 吹き返しの風が始まったのだ。

 

 右に、左に。前に、後ろに。

 ベクトルの定まらぬ風に、三人は翻弄された。

 

「――事象震まえに吹く」

「――おきまりの風だナ」

 

 フラフラと川岸まで、まるでピンボールか、パチンコの玉のように。

 

 ――まるで自分の人生のようだなぁ……。

 

 吹きまくられ、ヨロけながら、暗がりに『九尾』はフフッと(わら)う。

 

 主体性がなく、突き飛ばされ、アオられ。

 女体改造されかかり――今また殺されかかって。

 

 でも、と彼は思う。

 

  外乱を受けた時、よろめかない者がいるだろうか。

 「挑戦」と「反応(トインビー)」ではないが、()()()()()()こそが、反応だとしたら?

 

 

 (さっ)、と全身が光に照らされる。

 

 

 『九尾』は、その光を天啓と受け取った。

 もちろん事実は、とおくの車が転回したとき、一瞬ハイビームを受けただけだ。

 しかし彼の中では、いままで闇の中で手探り状態のものが、スッと納まった。

 

 ピンボールの玉は、クギや「ギミック」に左右される。

 それは逃れられない。

 しかし、それは結果論であり、必然だ。

 

 人間は玉のほうじゃない。

 

 そしてピンボールの玉の軌跡は、人生の軌跡にすぎない。

 クギや「ギミック」こそが、自分なのだ。

 

 つまり今を成す『九尾』というものは、様々なクギで成り立っている。

 サー『モルフォ』。ネイガウス。神盟探湯65B。雲海のフロイト。

 『恵娜』。“奉天”。女殺し屋。図書館。愛香。そして――龍ノ口センパイ。

 

 これら外的要因こそが、『九尾』なんだ。

 (いや)もっと正確に言うなら――“『九尾』と思い込んでいる自分”なんだ!

 

 つまり、玉は玉だ。それだけでしかない。

 

 あえて結びつけるなら、外的要因からくる経験が、タマを磨かせ、変形させ、転がり具合に変化を与える。同じ「挑戦」を受けても「反応」が人それぞれ違うのは、それ故だろう。

 

 しょせん――人間。

 

 今という存在は、あくまで単なる仮の状態。

 

 汚れず、清まらず。

 

 迷うも悟るも同じ。

 喜びも、哀しみも。

 富貴(ふき)貧賎(ひんせん)すらも。

 

 ――(くう)(くう)なる(かな)(すべ)(くう)なり。そして航界士が還るのは……(そら)

 

  なにか重い(くびき)から解き放たれ、身軽に、自由になる心持ち。

  リダクション時、ModeⅡに移行した時のように、ザラついていたものが、水のように溶けてしまった。

 忘れていた負けじ魂が、胸のなかによみがえる。

 『九尾』は荒れ狂う上空をキッとにらみつけるや、

 

「いいよ!災殆(まがつい)厳神(かみ)サマ!」

 

 颶風(ぐふう)が巻き起こす騒擾(さわぎ)に載せ、彼はノドが痛むまで叫んだ。

 何ごとかと護衛ふたりは顔を見合わせる。

 

「――狂った?」

「――狂った!」

 

 また彼方から、うねるように暴風がやってきた。

 彼は思う存分に胸をふくらますと、今までのうっ憤をすべて吐き出すように叫ぶ。

 

「ノってやりますよ!――その挑発(さそい)に!」

 

 荒れ狂う暗天のもと、雲間に巨大な紫電の輝きが一閃。

 周囲を真昼の如く照らした、その時。

 

 信じられないことに、三人のすぐそばで、あの“骸骨老人”が佇立して。

 凝ッと彼らを、その光のない虚ろな穴から眺めるように。

 

 閃光は、優に1秒以上あっただろうか。

 

 青ざめた二人の護衛が、白目をむいてバタリと仰向けに倒れる。

 次いで身体を粉砕されるような雷鳴がとどろいた……。

 

 

 

 




さぁ!最終コーナーを立ち上がりました!


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088:別れのこと、ならびに“御礼拝”のこと

 閃光は、優に1秒以上あっただろうか。

 青ざめた二人の護衛が、白目をむいてバタリと仰向けに倒れる。

 

 次いで身体を粉砕されるような雷鳴がとどろいた……。

                        (前話まで)   

              * * *

 

 ドカン!と雷が落ちたような音。

 大扉が蹴られたのか、重量級の扉がゆるゆると開いてゆく。

 

 控の間にいた候補生たちは、今度こそ度肝をぬかれた。

 『九尾』ですら眼をむいて、まじまじとながめて。

 

「……」

 

 入口のところには、先ほどの宮廷女官が衛兵も従えずに独り立っていた。

 一同が驚いたのはそのありさまで、メガネはひしゃげレンズの片玉はなくなり、さらにレンズの無い側の眼は青あざが丸く隈どって。おまけに鼻血がたれっぱなしで、レース付き白エプロンに今この時も点々と赤い斑点が増えている状況。

 

「東宮管轄『瑞雲』錬成校所属・一級候補生――『九尾』!」

 

 ヤケ声で、三十路(みそじ)の中年女官は怒鳴(どな)った。

 

「“御礼拝”の……お時間ですッッッ!」

 

最後はキレたように怒鳴る、扉の片側にムスッと身を寄せ、彼をニラんで待ち受ける。その瞳の色からは『どうせもうじき死ぬんだから、いまはガマンしてやるわよ』と、言わんばかりな気色。

 

 いささか唖然としつつも、『九尾』は椅子からゆっくり立ちあがる。

 襟元(えりもと)の具合をただし、白手袋をはめ、背筋をのばした。

 

 ――いいぞ……。

 

 冷え切ったような気配が、肌にピリピリと。

 だが存外に落ち着いている自身に彼は満足した。

 『蓮華』にもヒケをとっていないのが、ちょっと自慢に思えて。

 満座の注視を意識しつつ、制帽をグッ、と目深にかぶり直し、深呼吸一回。

 そして――ゆっくりと広間をよぎる。

 

 威風堂々(いふうどうどう)。いかにも泰然とみえるように。

 

 手本は『ホスロー』上級大尉。

 本物の“大人”である護衛の『邦斎(くによし)』さん。

 そして……もちろんサー『ドラクル』。

 

 

 黒檀(こくたん)の棺めいた、あの忌々しい柱時計は、緑青(ろくしょう)の浮く歳古りた真鍮の振り子を止め、死物と化していた。まるで「もう乃公(おれ)の役目は終わった」とでもいうように。

 

 レオナルド・ダ・ビンチの描く聖ヨハネは変わらず天を示し、思わせぶりに微笑んでいる。

 

【挿絵表示】

 

 逆にチェリーニの金細工めく天使は(コイツ死ぬぞ……)としたり顔を交えた残虐さを浮かべて。

 

 『二番星』は、ふてくされたようにソッポを向いていた。

 『七刃』が何か言いたげにナイフを逆手にしたまま、凝っと見つめてくる。

 みょうに老けた面構えの候補生は、居たたまれないような面持ちで。

 

 その他、選抜された候補生たちは、一様に沈鬱な顔をして彼を送った。

 『九尾』は傷だらけな宮廷女官の脇で足を留め、控の間をふりむく。

 

 「じゃ、諸君――いくから」

 

 永遠とも思える一瞬が、候補生たちのあいだで共有された。

 (かたみ)(うなづ)き、ほんの短い間の出会いに別れをつげる。

 

「あの!」

 

 そのとき、『若梅』が『九尾』に駆けよった。

 

 「あの……あの……」

 

 あとは言葉にならない。双の瞳に泪があふれると、みるまにしゃくりあげる。

 気にするな、と彼はわざとおどけてみせた。そして栗毛なサラサラ髪をワシワシ()でると、この幼い候補生だけに聞かせるかのように、いくぶん声をひくめ、産毛(うぶげ)が可愛い首もとで、

 

 

「……だがな?覚えておけ。キミが本科の候補生、いや航界士になったとき、身を張って後輩を助ける時が来るかもしれん。そのときは――覚悟を決めろ」

 

 ワッと、『若梅』が“救い主”に抱きついてきた。よしよし、と苦笑しながら彼は自分が身代わりとなる幼年候補生を抱きしめてやる。

 と……この幼い候補生の身体からミルクを想わせる女の匂い。

 

「――頑張りな」

 

 そう言って、『九尾』は何気なく幼い候補生の額にキスをした。

 一連の流れでごく自然と、そんな行為をしてしまってから内心彼は自分に驚いて。

 

 ――なんで……こんなことを。

 

 もしや、女体化・洗脳の余波が、まだ残っているのだろうか。

 自分の中に植えつけられた母性が、少年に対してそうさせたのかと危うい感覚。

 だが、ひたいに口づけをされた『若梅』のほうは顔を赤くし、一瞬呆然と。

 そして次の瞬間、若年候補生は『九尾』にしがみつき、よけいに泣きじゃくる。

 

 構ってやりたいが――もう時間切れだった。

 

 嗚咽する『若梅』を後にのこる者たちにまかせ、自身は血まみれな宮廷女官のあとに付きしたがう。いかなる理由か分からぬが、武装した衛兵は見あたらない。『九尾』はいよいよ控えの間の外に足を踏み出した。

 

 ひんやりとした廊下。あの地下墓所(カタコンベ)の空気に、すこし似ている。

 

 カスケード状の装飾階段を降り、打ちすてられたような見るからに古めかしい広間を通って、(よろい)が両わきに並ぶ通路をよぎった。ダンス・ホール状の鏡の間。あるいは銅版画が等間隔にかざる、射撃の練習にも使えそうな長い廊下。等々。

 処刑場にいたる道は、なかなか変化に富んでいた。

 『蓮華(れんげ)』も衛兵にはさまれ、この光景を見たのかと感慨が深い。

 

 扉。廊下。広間。階段。噴水の枯れたエントランス。

 イコンを飾る舞踏室。石造りの回廊。肖像画の間。

 

 

 やがて、ひときわ背の高い重厚な木製の大扉をひき開けると、宮廷女官は腰をかがめ口上を一声。腫れたほおと、血で詰まった鼻がゆるすかぎりの明瞭さで、

 

「王家御継承・第(さん)位。(さいわい)いなる『百合(ゆり)の殿下』のお慈悲により、こたびは(おそ)れ多くも――おん(みずか)ら御礼拝を御担当あそばされます!」

 

 そう口上し、通路の脇にしりぞく。

 奥を見れば天井の高く薄暗い廊下が、どこまでも続いているような。

 

 重く、密やかな空気と、はりつめた気配。

 古いニスと、木材、そして積み重なった歴史の匂い。

 宮廷女官は目を反らしつつ、さっさと行けという仕草で。

 

 『九尾』はひんやりとした底知れぬ空間に、脚を踏み入れる。

 擦り切れたような絨毯(じゅうたん)の踏み心地。その下は木製のプレートか。

 かたいブーツで歩くと、時おり心もとなくたわみ、ギシギシと鳴った。

 すべてがおぼろなうす暗がりに目を慣らしながら、彼は用心ぶかく進む。

 

 直線と曲がり角で構成されている奇妙な廊下を、『九尾』はいつまでも歩いた。

 

 ところどころに飾られる胸像や甲冑。金銀細工を散らした什器。

 あるいは得体のしれぬ、革と金属で出来た拷問用具を想わせる古めかしい道具。

 

 そして――曲がり角に必ず置かれている、周囲を金細工で飾られた大きな姿見。

 

 だがその鏡はあまりに古く、歪んでいるようで、時として『九尾』は、その大きな四角のなかに斜にかまえたサー『ドラクル』の姿を見るような気がした。

 あるときは『蓮華』の微笑が浮かんだかと思うと『ペンギン』のすがるような眼つきや、淫らに媚びを売る『恵娜(えな)』のイメージが。ときとして、あの剽悍(ひょうかん)な上級大尉の姿が透けるときすらあった。

 

 しかし――いずれも近づいてみれば、汚れた銀幕のむこうには、不安と諦観(あきらめ)が混然となった自分の(かお)を見出すのが常であった。

 

 長い廊下は廊下の天井まで至る大きな両扉で、ようやく終わっていた。

 

 獅子の口が(くわ)える頑丈な手環(しゅかん)を渾身の力で引くと、重厚な木製の扉が音もなくゆっくりと開いてゆく。その奥は、壁に設けられた絵硝子(ステンド・グラス)が極彩色の紋様を数メートル間隔で斜めにさしこませる漆黒の廊下となっていた。歩み入ると、それまでの絨毯の足触りは消え、代わりに静脈の浮いた大理石(なめいし)の固い感触をナイフ付きブーツの足裏に伝えてくる。

 

 とうとう『九尾』は礼拝堂ドームの入り口にたどり着いた。

 

 燦然たる色がふりそそぎ、肺まで鮮やかに染めるような勢い。

 モチーフは、例によってあの鍛鉄細工の絵物語となっている。

 中央の祭壇には誰もいない――いや影のような人物が(うずくま)っている――ような。

 

 光と闇のコントラストが、ここでは奇妙なほど強すぎて、真実を見すえることが難しい。彼が近づくと、祭壇で(ぬか)づいていた人影が、なよやかに身体を起こし、裳裾(もすそ)をさばきつつ、ゆるゆると儀式用・大階段を下りてくる光景。片足が不自由なのか、どことなくギクシャクとした動きに見える。

 

 シックとも豪奢(ごうしゃ)ともとれる王族の礼拝用ドレス。

 それが歩みを進めるたび、ステンド・グラスから差す光のトーンの変化を受け、万象の極彩色に染められて、ドレスを(まと)う者にこの世ならぬ神々(こうごう)しさを付与している。

 

 胸もとの大きな赤いシルク・リボンが印象的だ。

 全体のバランスと調和していないのは、後付けなのだろうか。

 

 額にはティアラを。

 燃えるような赤毛の豊かな髪に、真珠を編み込んだきらめき。

 そして冴え冴えと(しろ)い首には、貴石で出来た蜘蛛の巣めく首飾りが煌く。

 

 伏せられていた面が上げられ、白い(おもて)真紅(しんく)の唇。

 さいごに金色の瞳が、彼を見据えた。

 

  (かたみ)にしばらく黙したまま。

 投げかけるべき言葉を、おぼつかなげに蹌踉(よろよろ)とさがす。

 

 やがて“百合(ゆり)の王女”は、

 

 「久しぶりね。すこし、やせた?」

 「そっちこそ、だいぶ見違えたよ……あの銃撃戦のあと、心配してた」

 「あなたも。なんだかずいぶんと――その」

 

 ステンドグラスの光彩にも関わらず、王女の顔が赤らむのが判った。

 それを悟られまいとするのか、耳朶(じだ)に下がる大粒のイヤリングを曄やかせそっぽを向き、わざとのようなつっけんどんさで、

 

 「ほおのキズ。ご愁傷サマ」

 「知っているのか」

 「えぇ。話は聞いたわ――それより」

 

 ミラは自身の王族用ドレスをちょっとゆらし、全身に煌めきの(さざなみ)(はし)らせると、

 

 「……おどろかないのね?」

 「そんな気がしてた――何となく」

 

 彼の心は、この一風変わった事実を柔らかく受け止めることができた。

 それも道理で、あと少しの後に命が尽きるかもしれない者にとっては、どんなことが起ころうとも、それは“ささいなこと”に過ぎない。言ってみれば、精一杯の強がりである。

 ただ彼は、本当に心のどこかで予感していたような、そんな気もしていた。

 そして、彼女のほうも「そう……」と言ったきり、またしばらく会話がとぎれる。

 

 (ふる)い青銅めくような静寂。

 (ホコリ)が、チリチリ、キリキリと(キラ)めきつつ、二人の間をよぎっていった。

 

 



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089:舞台裏の仕掛けのこと、ならびに決別のこと

 

 

 会話の接ぎ穂を探しあぐねていた『九尾』は、そうだ、とばかり、

 

「ウチの修錬校に『牛丼(ぎゅうどん)』と『山茶花(さざんか)』ってカップルがいる。探査院のどこかで使ってもらえると、うれしい」

「分かりました――担当部署に、検討させます」

 

 ――あ!

 

 イイことを思いついた!と『九尾』は表情(かお)を明るくする。

 探査院の予算なら“9980ギニー”ぐらい何とかしてもらえるかもしれない。

 不確実な作戦に“彗星Ⅱ”なんて高価な機体を投入し、使い捨てにできるのだ。

 もしかしたら――あるいは。

 

「そう!それともうひとつ、頼みが――」

「却下」

 

 第二王女は、にべもなく撥ねつける。

 

「えええ……まだ何も言ってないのに」

「言わなくても分かるわよ」

 

 そう言うや、彼女はドレスに唯一不似合いとみえる胸もとの大きなリボンを、シルクの擦れる音も(なま)めかしく、ゆっくりと。思わせぶりに引きほどいてゆく。

 

 下から現れたのは――あの大ぶりなブローチ。

 

 プラチナと金剛石(ダイヤモンド)。それに一筋の純金が、絶妙なアクセントで。

 それが壁面のステンドグラスに照り輝いて、傲然と存在を主張する。

 

 今度ばかりは、さすがに『九尾』も驚いた。

 なんで……と喘ぐような声をするのが精いっぱい。

 

 “百合の王女”は――ミラは、冷然たる調子で、

 

「間一髪だったのよ?“ウチの(イヌ)たち”が人形倉庫のウラ扉、蹴破(けやぶ)って突入したとき、イケ好かない女の戦闘用サイボーグが、貴方のカワイイ“お人形”に銃、向けてるじゃないの」

「交戦したの!?」

 

 あの人形だらけな狭い空間で、PDWやSMG(サブ・マシンガン)が乱射されたのか。

 ウワサに聞く探査院・治安執行部隊(ラビット・ハンター)が動いていた感じはなかった。

 護衛の邦斎すら知らないバックアップ部隊がウラで展開していたに違いない。

 生き人形たちがボロくずのように銃撃されたのだろうか。

 そんな彼の心配をよそに、

 

「交戦?――まさか」

 

 ミラは得意げな風で、

 

「一瞬で制圧して、状況終了」

 

 そしてこれも問題なく正当な持ち主の手に、と彼女は胸もとの輝きをなでる。

 

 ――ブローチのことで邦斎さんにとばっちりが行ってないだろうな……。

 

 『九尾』は危ぶむが、むやみに護衛の名前を出してヤブ蛇になるのもコワい。

 あの人にはメモリー・ユニットを託してある。巧く立ち回ってもらわないと。

 

 

「それで……“AIKA”は?」

 

 さぁて――。

 彼女は脇を向いてトボけてみせた。

 

「教えてほしければ、貴方“御前試演”を辞退なさい。つぎの者が繰り上げで犠牲になって、それでこのラノベめいた茶番も終わるわ」

「それは出来ない」

 

 言下に『九尾』は否定する。

 栗毛色のサラサラ髪な幼年校坊主。

 自分を恃みに、ふるえてしがみついてきた。

 あの子の希望を、絶対に裏切りたくはなかった。

 

「そ。じゃぁ人形(AIKA)は――廃棄処分ね」

「……好きにするがいい」

 

 サッ、と彼の胸中に冷たい怒りが。

 キズの浮くほおをヒクつかせ、

 

「だがそうなった場合、キミを彼女にした自分は!女を診る目が無かったワケだ」

 

 あぁ!もう!と第三王女は声を荒げ地団太をふむ。

 硬いヒールのような音がカッ!と、大理石(なめいし)の床に響いて。

 

「じゃ、じゃぁ!手をヌイて飛んで、適当なトコで不時着、ってのは?」

「熟練者が機動ログを見れば、本気を出していないことが、まるわかりサ」 

 

 航界士の元締めとも言われる第三王女は、そんなことも知らないのだろうかと、『九尾』は疑問に思う。してみると、実権はほとんど第二王女に握られているのか。まぁ、軋轢の先端に狩り出されて交戦するくらいだから、それもそうかとムリヤリ符合させる。

 

「――そんな」

 

 彼の答えに王女はヨロヨロと、ぎこちない動きで礼拝段の手すりにもたれかかった。

 大きくため息をついた彼女の横顔。

 そこには、あの“高潔な美”が、まぎれもなく浮かんで。

 彼女の不自然な動きを先ほどから目に留めていた彼は、憤りを引っ込め、

 

「どうした――脚が悪いのか」

 

 しばらく彼女は黙然とうなだれた。

 グラスドームに衝撃波が当たる音だろうか。

 低重音の、腹に響くいやな振動。

 

 それに促されたように、やがて彼女は覚悟を決めた手つきでモソモソと、ドレスの前をまくり片膝を(あら)わにしてみせた。

 メゾン・ドールで強いられた女体化経験から、白いガーター・ストッキングに包まれた美麗な脚を彼は予想する。しかし(あに)はからんや。姿をあらわしたのは――毛むくじゃらな、黒い雄山羊の脚だった。

 

「あの銃撃戦でS-マイン(対人地雷)食らっちゃって……」

 

 『九尾』は呆然とする。

 清らかな王族のドレスからのぞく脚。

 黒い毛を横溢させた、黄色い(ひづめ)もてる獣の一部。

 なにか冒涜的な、そして不吉な印象。

 こころなしか、獣臭いような気配すら漂わせて。

 

「義足?――なんでそんな脚を」

「正式な新規の脚は、いま培養中」

 

 こわばった顔で彼女は華麗なドレスのスカートをもとにもどした。

 

「嫌がらせ受けて。暫定的にこんな足、神経接合されちゃったの」

「だれに!?」

「……あなたも知っている人よ」

 

 脳裏に、ポッチャリとした二重アゴの面差しがうかぶ。

 寛容さを糊塗した欺瞞の奥に光る冷徹な瞳も、それに併せて。

 いまは西ノ宮の大僧正とセットで浮かぶまでに堕ちた鼻持ちならぬ存在。

 

「なんで?それに王族でしょ?だいいちキミが前線に立つなんて」

 

 極彩色にそめられた面差しに、フッと自虐的な笑み。

 

「言ったでしょ?わたしたち“三姉妹”それぞれ母親が別なのよ。表面上は平穏にみせても、裏では暗闘がスゴいワケ。わたしを危険な場所に派遣するのも、()()()が“百合の落花()”を望んでいるからよ。薔薇(第一王女)は薔薇で、わたしたちの共喰いを虎視眈々(こしたんたん)とネラってるわ」

「女王さまは……なにもしないの?」

「歩行機に入ったヨイヨイなお婆さんが?いったいなにが出来るもんですか」

「キミは……孤軍奮闘ってワケか」

 

 彼女が自分を引き入れたがったわけもわかる。

 すこしでも信用のできる手駒が欲しいのだろう。

 

 ――自分がエージェント?

 

 しかし『九尾』は心ひそかにおぞ気をふるう。

 彼女が王家の人間だとすら見抜けなかった間抜けな自分が?

 邦斎サンのように黒メガネをかけ、銃を振り回す姿なぞ想像できない。

 

 ――たぶん、イの一番に撃ち(たお)されてオワリだろうな……。

 

 

 接合部が痛むのか、彼女は顔をしかめ、ドレスの太ももあたりをさすり、

 

「最近アナタが“蘭のビッチ”の目論見(もくろみ)をことごとく潰すから、かな~りご立腹よ。この脚も、そのとばっちりなワケ」

「すまない……」

「いいわよ――もう。アナタが謝るコトじゃないもの」

 

 ふたりの間に、また沈黙がおとづれた。

 

『御礼拝はァ……(おわ)りましたかァァァ……』

 

 ふと、遠くで中年男の声が光彩の穹陵に響いた。

 

 司祭か、あるいは神事官か。

 “生け(にえ)”の出撃を促す声。

 広いドームに、その声は妖霊のごとく反響して。

 

 ふたりの顔に、颯ッと緊張が(はし)る。

 

 

 このまま永訣(さよなら)となるのが無性(むしょう)()しい気がした『九尾』は、いささか浮足立った心持ちで、場に似合わぬ磊落(らいらく)さをワザとよそおい、

 

「そういやァ、さ?あの宮廷女官には――なに使ったの。革棍棒(ブラック・ジャック)とか?」

「え?……あぁ、ナックルよ」

 

そう言うや、王女は、ブレスレットのはまるパール・ホワイトの長手袋、その甲のがわを見せた。

 金色に光る、ぶっそうなブラス・ナックル。

 白い地の輝きに、鮮血の紅が光の万華鏡に驚くほど栄える。

 

「やれやれ――手加減してあげればイイものを。可哀想に」

「可哀想なのはコッチよ?」

 

 彼女は声のトーンを変える。

 『九尾』も胸を張って応戦する構え。

 

 ふたりの調子がもどってきた。

 

「だいたいアナタねぇ?アタシが何回、アナタを助けようとしたか、知ってる?」

「へぇ?そのワリには、こっちが尋問受けてるとき、何もしてくれなかったじゃんか」

「はぁ?アタシが手を回さなきゃ、あなたモルディブで失踪の予定だったんですケド?」

「ムハンマドに……工作員が?」

「そんな手間ヒマ、西の連中が費やすワケないでしょ」

 

 現地の軍が持つ潜水艦を使った核雷撃(魚雷攻撃)よ、と彼女はこともなく。

 

「その尋問だって、わざと警備付きの部屋にいれて外部からの干渉を断つのが目的だったんだから。さもなきゃ狙撃屋に頭ブチ抜かれてイチコロよ?護衛つきで瑞雲校にいるあいだ、ちかくにある雑木林の丘で、複数のチーム同士が喰い合う大狙撃戦があったの知ってる?」

 

 『九尾』は邦斎とのやりとりを思いだす。

 

 ――あれは……遠距離狙撃を心配してのことだったのか。

 

「それに、あなたが靴下にメモリー・ユニット隠してるのなんて、監視映像でバレバレだったわ。その映像ラインの掌握戦で何人死んだ事か。王宮での組織闘争、あなたに見せてあげたかったぐらい」

 

 へぇそうかいと気圧された『九尾』はすこし鼻白む。

 

 拷問めいた尋問で、サラの名前を決して吐かなかったことを言ってやろうかと思ったが、このまま第二王女に喋らせ、舞台裏のカラクリを言わせるのも悪くなさそうだった。

 案の定、さらに勢いに乗った彼女は唇のはしに少しばかり残虐な色をみせ、

 

「今回の事象震だって、あと一人で中止になってアナタは助かるはずだったのよ?その一人も、本人は知らないけど半陰陽(ふたなり)の出来そこないだから、内々に始末してくれって華族の某家から頼まれて……おまけにその子がらみで面子(メンツ)傷つけられた西ノ宮法院のエロ坊主とも、ギブテイの内約があったのに」

 

 今度は『九尾』の顔がこわばる。

 

 控の間で震えていた幼年候補生。

 抱きしめたときは、すいぶん柔らかい(からだ)だと思ったが、言われれば納得がいく。

 どうりで変だと思った。同性愛者でもない自分が、あんな行動に出るなんて。

 

 サラサラ髪なクセっ毛の感触。手袋をはめた手に、いまだ新鮮だ。

 身体から匂ったミルクの気配。あれはやっぱり女性の体臭だったのだ。

 

「……ウラでは汚い取引が、イロイロあったんだな」

「そうよ?アナタの思っている以上にね」

「『リヒテル』の――ネイガウス上級大佐の役どころは、なんだったんだ?」

「ネイゴオス?誰よそれ。一介(いっかい)の上級大佐ふぜいに、出る幕なんか無いわ」

 

 知らないのか、と『九尾』は驚く。

 宮殿官房・第三部のカラミは、彼女の所掌外なのか。

 西ノ宮どころか、東宮も伏魔殿じゃないかとなおさら愛想をつかして。

 このぶんじゃ、まだまだウラに何が潜んでいるか、わかったものではない。

 

「とにかく、アナタは今回の一件の最重要人物。かなめ的な存在だったのよ。便利に使わせてもらったわ。アナタみたいな存在は、()()()()()に入らないと、アトがないわよ?」

「言いたいことはそれだけかい?じゃ――()()はいくぜ?」

 

 ――まったく。こんなクソ溜めに自分が居たとはね……。

 

 彼女の言葉を聞いて、いまの今まであやふやだった胸のうちが、こんどこそ完全にスッキリまとまった気がする。自分を取り巻いていた古い世界に三行半(みくだりはん)をつきつけるような、そんなイメージが胸の中で広がった。

 

 ――やはり、ここに自分の居場所は、ない。

 

 白手袋をはめた手を彼は握りしめた。

 首もとの勲章が、まるで首輪を想わせてどうにもウザい。

 シャッキリと背筋が伸び、雑音消去(スケルチ)を効かせたように頭もクリアになる。

 

 急に雰囲気の変わった『九尾』に、ミラもはじめて自分の言いすぎに気づいたらしい。しまった、とばかり女の未練(みれん)を声に載せ、

 

「まってよ!ねぇ待って――いま外がどんな状況か知ってるの?」

 

 宮廷用・礼拝ドレスの裳裾(もすそ)を懸命にさばきながら、

 

「控の間にあるモニターには、アナタたちが動揺するでしょうから、ループした映像を流しておいたけど――猛烈な事象震よ?耀腕が何本降りているか。対撃工法のグラスドームにもヒビが入って観客は全員退避したわ。ねぇ待って?待ってってば!なによ――バカぁッ!!」

 

 ドレスが重いのか、あるいは接合した獣の脚がいうことをきかないのか。

 “百合の王女”は“覚悟を決めた候補生”の動きについてこれない。

 

 半泣きのような叫び声を背中ではね返し、『九尾』は入ってきた方向とは反対の大扉を足早にめざした。重そうな両開きの扉は意外にもモーターじかけで軽やかに動き、うって変わってSUS(ステンレス)とガラスの無機質な通路が目の前に広がる。そこからは上空の模様もうかがえた。

 

 ひと目みて、彼は絶句する。

 

 ――なる……ほど……。

 

 空は、巨大な粉砕機となっていた。

 

 まだらな墨色に染められた雲が、引き裂かれ、押し潰され。

 そのすき間から、いつまでも残る稲妻のような耀腕(ようえん)が地上を未練がましくダラダラと探っている。

 普通の航空機が紛れ込んだら、あの悪魔の腕が出るまでもなく、ベクトルの定まらない指向性の暴風と重力の歪のため、たちまち空中分解の憂き目をみるにちがいない。

 



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090:決意表明のこと、ならびに出撃のこと

 

 空は、巨大な粉砕機となっていた。

 

 まだらな墨色に染められた雲が、引き裂かれ、押し潰され、捩じ切られ。

 そのすき間から、いつまでも残る稲妻のような耀腕(ようえん)が、地上をダラダラと探っている。

 空力で飛ぶ原始的な普通の航空機がまぎれ込んだら、あの悪魔の腕が出るまでもなく、ベクトルの定まらない指向性の暴風と激しい重力の歪のために、たちまち空中分解の憂き目をみるにちがいない。

                              (前話まで)

 

 餓えた亡者のような、執拗性をみせる耀腕。

 雷球をまとった光の腕が、獲物を――犠牲者を求め、(むな)しく宙空(くう)を彷徨う。

 暴風と重力の歪が、雲をねじり、引きちぎり、穴を開ける。

 モニターで見た情景よりも、数段烈しい。

 

 ――ナルホド、こりゃグラス・ドームの野次馬どもが逃げ出すワケだ……。

 

 凄惨(せいさん)ともみえる情景。

 言ってみれば、それは壮大な処刑場に他ならなかった。

 蝟集する耀腕たち。形や色合いもさまざまに。だが気のせいか……それらは、雲海の深部で見たような「意志を持った凶悪さ」に欠けるようにも『九尾』には思えた。耀腕に『天然モノ』と『養殖モノ』の二種があるとすれば、まさに目の前の敵は後者だ。

 

 彼の胸の内で冷たく凝固していたものがユルユルと溶けてゆく。

 ブルっ、と一度。身体がふるえ、唇には“先達たち”ゆずりの不敵な笑み。

 

 ――もしかして……イケる?

 

 諦観(あきらめ)悲嘆(なげき)の決意が、希望(のぞみ)戦闘(たたかい)高揚(たかぶり)へと席をゆずった。

 血が、ゆるやかに動きはじめ、頬が熱く、心臓が高鳴ってゆくのがわかる。

 

()()()『九尾』どの!」

 

 とおくから白衣の医局員と整備兵が走ってくる。

 

(ゲシュタルト)・スーツの準備が出来てます!お早く」

「“奉天(ほうてん)”離床準備、完了!いつでもイケます。でもホントに飛ぶんですか?」

 

 またも強制的にアサインされた馴染みの旧式機――だが、ゲンはいい。

 あの雲海戦のように、万が一があるかもしれない。

 

(ふる)い「いわくつき」の機体でナ?無敵を誇る代わりに、パイロットの魂を喰うんだと』

 

 リムジンの中で聞いた、女衒屋(イツホク)の言葉が、よみがえる。

 こんな時にイヤなことを思い出してしまった。

 

「まぁ……やってみますよ」

 

 でもいいぜ、と彼は思う。

 あの耀腕どもをブッ殺すことが出来るなら、魂のひとつやふたつ、くれてやる。

 

 沈鬱な気配と、消毒液のただよう装具ルーム。

 医療官たちのアシストをうけ、新型のGスーツを装着する。

 微妙に体形の変わった『九尾』用に、特例のオーダーで作られた最新型。

 

 ――あ……。

 

 しなやかに締め付ける感覚。

 体温変化による着心地のなじみが早い。

 アヌスや尿道(ユリスラ)に挿入する排泄プラグもスマートに。

 身体を拘束する印象はそのままだが、心なしが動きがすばやくなった、ような。

 

「気が付いたか?フィルム筋肉によるパワー・アシスト機能が付いている。西側技術・最新型の試作品らしい。防弾機能もあって『(キュー)パラ』はムリだが『.380ACP』ぐらいなら致命傷にはならんとか。西の方の“とある銘家”から御指名で送られてきたと聞いているんだが……正直、われわれも驚いたよ。なにせ直々のご指名だからなぁ」

 

 ユニセックスなカラーリングとデザイン。

 あの生意気な坊やの顔が思い浮かんだのは、偶然だろうか。

 

 そこへノックの音がして礼服姿の候補生が入ってきた。

 手錠と腰縄につながれ、さらに両側を警官が監視している。

 懐かしいようなコロンの香りが、かすかに部屋に漂いはじめる。

 『九尾』に対する傷害罪では刑の執行猶予が付いたものの、保護観察処分とされたサラだった。

 

 テレたような笑い。

 手錠をハメられた手首をかかげてみせる。

 おそらくここに来るまでに何通りものシミュレーションを頭の中でしてきたのだろう。

 作ったような明るさの口調が、それにつづき、

 

「ハィ――この事象震を飛ぶんだって?どッかのガキの身代わりに、サ」

「ええ、そのようです」

 

 そっけない『九尾』の口ぶりから、この女子候補生は“第三王女”とはちがい、状況と立場が決定的に変わっているのをすぐに悟った。そして相手を“年下の候補生”ではなく、一人前の“男”として扱わなくてはいけない事も。

 

「そのぅ――謝っとこうと思ってサ……悪かったな、蹴り、いれたりして」

 

 無意識に『九尾』は頬のキズを指でなでる。

 あの華麗な回し蹴り。恐ろしいほどの威力だった。

 だが、そんな記憶も、いまはどこか遠いものに思えて。

 

「いえ、候補生『モルフォ』の行動は至極(しごく)正当なものです。サー『ドラクル』を連れて帰投できなかったのは自分の落ち度であり――弁明のしようもありません」

 

 冷ややかな口調で『九尾』は応える。

 いまの彼は一級候補生のうえに『金枝付・王賜十字章』佩用者だ。すでに“格”が数段ちがっている。もはや彼女に“サー”をつける義理だてはなかった。

 

「やっぱり――許しちゃくれないんだね」

「……」

「でもだからッて、この事象震を飛ぼうだなんて。罪滅ぼしのつもりかい?(タツ)はそんなの――」

 

 ボクが!と『九尾』は、そこでサラの言葉を強引にさえぎり、

 

「いまここに逃げもあきらめもせず、天覧試演候補生として立っているのは、自分でも信じられません!」

 

 サラをはじめとして、彼は辺りの人々をひとりづつ見つめる。

 なじみ深い、離人症の感覚が戻ってきた。

 周囲から一枚、うすい膜で隔てられたような。

 むりもない。向こうは生者で、こっちは半ば死者なのだ。

 いくぶん声のトーンを落とすと、彼は静かにさきを続ける。

 

「……それはきっとサー『ドラクル』やサー『黒猫』といった、心ならずも先に散っていった候補生や、ボクを支えてくれた、いろんな人たちのおかげだと思います」

 

 急にイラっとしたのは――どうしたことだろうか。

 彼が、その理由(わけ)を己の心中ですばやく検索した結果、目の前の“(ビッチ)”が龍ノ口先輩を気軽に「タツ」なとと呼んだことへの反感、あるいは嫉妬だと探り当てた。

 

 ――“()()”?

 

 あのやさぐれたような、それでいて不敵な笑みが、はやくも或る懐かしさを伴って頭に浮かんで。

 

 片手杖で、ヒョコヒョコ廊下をゆく姿。

 Maison d'or『エルジェーベトの間』。あの23時のキス。

 マフラーのイカれた(ふる)いBMWの轟音のなか、共有された想い。

 “Null(ヌル)”という異界に捕らわれた中、半ば崩壊した“彗星Ⅱ”の上で力強く上げられた腕。 

 

 ――会いたい……。

 

 胸を締め付けるような愛おしさ。

 心が、冷たい水に浸されたように哀しく。

 

 『蓮華(れんげ)』や『黒猫(シャ・ノワール)』の顔が浮かぶ。

 (こころざし)なかばにして散華したものたち。

 あるいは廉人(レント)中尉やQ・シップのヒゲ艦長。

 自分をここまで連れてきた、今も生ける人々。

 

 己の“実存”を支えるもう一人の自分。

 

 それを想像した『九尾』の面差しが、こんどは一転、静かな満足に充たされた。

 邦斎(くによし)に渡したカートリッジ。

 『牛丼』たちや、AIKAの後を託した第三王女(ミラ)

 

 ――もう、思い遺すことはない。

 

「でも……アンタまで、そんな」

「いま逃げたら!」

 

 現世への未練を吹き飛ばすように、またいきなり彼は声を荒げる。

 睨みつけられたサラは、えっ?という顔で今度はすこし怯えて。

 

「いま逃げたら――たとえ物理的な死を免れたとしても、それは死んだも同じです。勝負をして生きたまま死ぬか!死人となって生き続けるか!――(うま)く言えないけど……そういうことです」

 

「候補生『九尾』どの。用意できました」

 

 彼の着付けを手伝いながら話を聞いていた医療官たちが、粛然とした面持ちでG・スーツの装着を終えたことを知らせる。

 

「準備――完了です……」

 

 

                  * * *

 

 

 ドーム外の離床台には猛然とした風が吹きつけていた。

 墨色の濃淡が荒れ狂う、低いところでは雲高200mにもみたない上空には、あらたな獲物の気配を察知したのか、耀腕が蝟集をはじめている。

 

 もはや控の間に待機する義務から解放された“もと・生け贄”たちは、ガランとしたグラスドームを息せき切って駆け抜けると、衛兵の制止もふり切って離床を直接見わたせる外周の展望デッキへと出た。そしてモニターで見た事象震とはケタのちがう荒れぶりに、一同は恐怖し、また絶句する。候補生たちのマントがひるがえり、金モールがゆれ、ある者の制帽は、(くら)い虚空へと吸い込まれていった。

 

「なんだよこれ!どうなってんだ!」

「アイツ、こんな空を飛ぼうってのか?」

「むりよ、こんなの」

「こんなの、むりよ」

 

 最後は双子の候補生が異口同音に甲高い悲鳴混じりな声をあげる

 

 向きをメチャクチャに変える颶風のなか、雷球が空間中に明滅しながら乱舞し、それとは別にセント・エルモの火のような青白い光がいくつも――これは風に流されることなく――(ジッ)と一点にとどまり、鬼火めくゆらめきを見せている。事象面自体に壮大なゆがみが生じて、墨色な空は異様にねじくれて見えた。

 

「見てください――あそこ!」

 

 『若梅』のカン高い、それゆえ暴風の中でもよく通る声が、一同の視線を一点に集めた。

 離床台のエレベータから、ワイヤーに拘束された巨大な一機がせり上がってくる。硬翼は撤去され、雲海戦よりスマートな印象。あのニュース記事の状態に近い。だがそんな折角の流麗なデザインを崩し、かわりにハード・ポイントが目一杯に増設されていた。

 

 落雷が、近くにある吹き流しのポールを直撃し、世界を一瞬、白変させる。

 

 “奉天”のコクピットに管制塔(コントロール)からの通信 

 

《候補生『九尾』!ごらんの通りだ。地上要員は放電現象がはげしく配置ができない。ゼロ高度での界面翼展開を許可する。周辺設備はドウなったっていい。ド派手にやってくれ!》

 

 諒解、とそれに応えつつ手元のコンソールパネルを操作。

 起動シークエンス・リストの第25番から40番までを省略。

 コントロール・バイバスをパラ(並行)で繋ぎ「マルチ・ブーストMODE」へ。

 

 機体は傷むが仕方ない。今この瞬間に耀腕に掴まれないだけでも奇跡だ。このうえ界面翼の反応など見せたら、ヤツら一斉に襲いかかってくるだろう。

 

 ふと、彼は感応ヘルメットのバイザーを意識でズームに。

 ドーム外周をめぐる展望デッキに、控の間に居るはずの候補生たちが礼装をなびかせ、こちらを見て騒いでる。

 

 チッ、と舌打ち。

 

 ――ナニやってんだ、アイツら……あんなトコいたら雷球の直撃くらうぞ!

 

 メイン・ウェポン・システム。セイフティ(安全装置)OFF(解除)

 火器官制システム(F C S)は戦闘用AIとのデュアル。

 D/Aコンバータ、および脳バイパス接続。

 

 3、2、1――解放。

 

 脳に初期負荷が伝わりはじめ、視界が赤く。

 眼をしばたき『九尾』は上空をにらんだ。

 耀腕が、重力波レーダーを使って確認しただけで7体。

 リンク108を使った広域多層面レーダーは、その背後に12体を示して。

 これらがユラユラと、文字通り()()()()を引いて待っている。

 いいだろう、と『九尾』は予想翼形状を最適解にセット。

 

 ――やってやるさ……。

 

 油圧、正常。

 各蓄電槽(バッテリー)、イオン生成デバイス異常なし。

 翼面形成因子、および一時タービン、起動。

 回転安定――二次タービンに移行。流量計確認。

 各インジケーターと計器の指針が順調に規定位置へ。

 

 『黒猫』たちも『ドラクル』も教導団もいない、初めての単機戦。

 

 ――さぁ、こんどはサシで勝負だ!

 

 機体固定アンカーの爆発ボルトを作動。

 いきなりスロットルを「MAX」のさらに奥、「緊急」の位置に叩き込む。

 “奉天”の一次ジェネレータがブラック・ゾーンまで跳ね上がり、轟然と雄叫びをあげた。

 

 いきます!と給気マスクのなかで呟くや手元の安全カバーを親指ではね上げ、R1・モードへ。そして全身にガラスの破片じみた違和感が行きわたるより先に、彼は叫んだ。

 

 龍ノ口(ドラクル)直伝の遷化コード。

 

『リダクション・モード2!VA(行ケ)OULTRE(彼方ヘ)!!』 ※

 全身に激痛。

 眼球のウラで何かが爆発するような痛み。

 電撃をあびたように、身体が仰け反り『九尾』は悲鳴をあげる。

 

 それと引き替えに機体から急展開した界面翼が、地上設備を粉砕しつつ延びてゆく。

 

 

 

 

 





VA OULTRE:ラテン語で「超エテ彼方ニ至レ」の謂いですが、ここは起動語らしく簡潔にしました。

あと3~4話で終わりです。



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091:『九尾』の死のこと、ならびに“奉天”の歴代パイロットたちのこと

 

 

『リダクション・モード2!VA(行ケ)OULTRE(彼方ヘ)!!』 

 

 全身に激痛がはしった。

 眼球のウラで何かが爆発するような閃光。

 電撃をあびたように身体が仰け反り『九尾』は声にならない絶叫をあげる。

 

 体を生きたまま破砕機にかけられたような苦悶と衝撃。

 その犠牲と引き替えに、急展開した界面翼が地上設備を粉砕しながら延びてゆく。

 

                                (前話まで)

 

 

 機体が翼を延ばし切るまえに、上空の耀腕が一気に襲いかかってきた。

 鍵爪をした光の前腕が、中途半端な界面翼をすすろうと先を争う。

 

「――危ない!」

 

 候補生たちのあいだから悲鳴にも似た叫びがあがった。

 それをかき消すように、増設されたハード・ポイントから対耀腕弾・一斉射出。

 暴風に軌跡をなびかせ、1ダースばかりが雲間に向けて延び、次々と炸裂する。

 

 四体の耀腕を消滅させたが、即、真っ黒な雲間から新たに五本の痩せさらばえた光の腕がダラリ、糸の切れた操り人形のように下がった。

 

 対して“奉天”は!?と見れば、細く貧弱な界面翼を懸命にのばし、それが辛うじて機体の浮遊を支えているという、きわめて危なっかしい格好。

 

「あれが……『九尾』サンの翼?」

「まずい、あれじゃタダの餌食だぜ!」

「ダレだよ“耀腕殺し”なんて言ったヤツぁ――期待させやがって」

「ちょっと!そんな言い方ないぞ!!」

「五時だ!五時方向からくる!回避!」

 

 届かない警告とはわかっている。

 しかし、それでも彼らは叫ばずにはいられない。

 

        ――――  ――――  ――――

 

 細い針金のような界面翼の出来そこないを彼方に望む広間だった。

 航界機の周りに耀腕の群れが押し寄せ、機体は木の葉のように嬲られている。

 その様をドレス纏う少女が孤然、大きなフランス窓に双手(もろて)をついて佇立し、ハラハラ見やる(すがた)があった。

 

 ドレスのスカートから洩れ出た雄山羊の(ひづめ)が、カッ!と床を神経質に打ち鳴らす。

 紅で彩られた光沢(グロス)ある口唇がゆがみ、チッと舌打ち。

 

「ナニやってんのよ!――あのバカ――お願いだから――」

 

 彼女の背後で広間の大扉が開かれる音がした。

 水晶のように磨かれた床を踏み、孤然、近づいてくる気配。

 少女は胸もとから出したサテンの手巾(ハンカチ)で、慌てて目もとを(はら)う。

 

「おやおや、ご贔屓(ひいき)は――ずいぶん苦戦しているようぢゃの?」

 

 (シルク)の光沢もてる宮廷衣装の衣擦れもさやかに婦人が一人、供も連れず先の少女に並び立つと、羽根扇を(もてあそ)びながら含み笑いをうかべた。

 ぽっちゃりとした二重アゴが、すずしげに彼方を覗う。

 

「このぶんでは――取りこし苦労だったかの」

「何しにいらしたのです」

 

 少女は、いくぶん温度を下げた声で顔も動かさず、新参の婦人に応対する。

 大窓の硝子(ガラス)の反射を通じて、ふたりの視線は鋭く斬り結ばれた。

 

「なに、チョットした余興をの。時にそなた、脚の具合はどうだぇ?」

「……ワザとらしい!」

「ほんにマァ。口の利き方を識らぬ品下った身内がいると苦労するのぅ」

「まったく、権勢欲に取り付かれた銭ゲバが身近にいると苦労しますわ」

 

 冷徹な瞳が少女を射た。

 そしてきわめて(わず)かな怒気を含め、

 

「雄山羊の脚では物足りなかったかぇ。減らず口をたたく悪しき口は改変手術(オペ)(いぬ)にでも付け換えてやった方がよかったかの?――とはいえ、それもキャンキャンと(うるさ)いか?難儀なことよ」

 

 それはどうも、と少女も負けずに、

 

「口さがないのは、大祖母(おおおや)様ゆずりですので」

「血筋をハナにかけるのも大概に致すが()いぞぇ?つぎに粗雑な言の葉を吐くば、その軆も四肢を斬りとばし“お()(いぬ)”に変じさせ、あが(私の)ホトを慰むる玩具(オモチャ)にして進ぜようぞ――楽しみにしておれ」

 

 少女は不貞腐れたように面をそむけ、目じりをヒクつかせた。

 莞爾(ニッコリ)と二重あごの夫人は彼方に眼をやって、

 

「やれやれ、そなたのご贔屓(ひいき)も、いよいよ末期(まつご)のようぢゃの……」

 

 エッ!と少女が彼方を見れば、大型の戦闘航界機が耀腕に包囲されている。

 

「『九尾』……!」

 

        ――――  ――――  ――――

 

 コクピット外で『九尾』の“意識体”は界面翼を必死に操作しようとしていた。

 

 やはりいきなり還元(リダクション)のレベル2まで持って行ったのがいけなかったのか。

 心臓が時おり停止し、そのたびAEDの衝撃を受けるので、胸を殴られたような肉体の衝撃に意識が引っ張られ意識が散漫となる。界面翼を創出するのに必須の集中力がズタボロだ。

 

 一度は耀腕が翼をつかむが、あまりに界面が細かったのか、とちゅうで情報逆流がちぎれた。

 コクピットの中では様々な警告灯とアラート音が鳴り響き、さらにパイロットをアセらせる。

 

――これは、ヤバい……かも。

 

 ガックリとうなだれ、血の気のないバイザー越しな自分の容顔(かお)をチラ見しつつ、文字どおり機体にまたがる視線で上空を、そしてグラス・ドームの方を見る。

 

 ガッカリしたような候補生たちの顔や、悲劇を見まいと(うつむ)く背中。

 悲嘆にゆがむ視線は――たぶん『若梅』のものだ。

 

 ――くっそ……やっぱり……ダメか……?

 

 〔ソノ 程度 カ〕

 

 ――なに?

 

 この緊急時にも関わらず、彼の意識はゾッ、と冷えた。

 

 何かが頭の中に流れ込んでくる。

 最終関門が!と感応コネクトをパージしようとするも、インジケータはプロテクトにまだ八○%ほど余裕があることを示していた。

 

 〔操舵 ヲ 寄コセ 未熟者ガ〕

 

 ――だれだ!どこから……。

 

 〔汝 ニハ 過ギタ機体ダ 操舵 ヲ 寄コセ〕

 

 ――フロイト!?いやちがう、これは……悪霊?(ズロイドゥーフ)

 

 〔違ぅワョ セカンド――こうするの、ヨ!〕

 

 

        ――――  ――――  ――――

 

 

 “奉天”の界面翼が、身震いしたように一瞬、すべて消える。

 

 やがて、それまでの貧弱な翼とは全くちがう、紫色に発光する禍々(まがまが)しい色合いの悪魔めく翼が、機体を起点にして延びはじめた。

 

「なんだァ!?――何がおこった!!」

「なにアレ!(よく)タイプの分類カタログにないよ!あんなの!」

「初めて見る(かたち)だ。あれが……“耀腕殺し”!?」

 

 まどい騒ぐ候補生たちの目前で状況の驚くべき変化が次々と、まるで壮大な映画のように。

 界面翼にふれた掩体壕(えんたいごう)が、まっぷたつに切り裂かれて吹ッ飛んだ。

 紫に輝くヒビをつかもうとした腕は、瞬間、ガリリと分解され、滅失する。

 

 数を六本に増やした禍々しい紫の翼。

 

 (くろ)い雲間からつぎつぎに現れる耀腕を、冷酷に無双してゆく。

 しかも、おなじ耀腕に二度、三度と攻撃し、きわめて残虐な(ほふ)り方で鎧袖一触、平らげてゆく。

 暗天には今まで聞いたことのない、まるで耀腕の断末魔のような、ひび割れた金属的な轟音がとどろいて。

 

「すげぇ……すげぇよ!!!」

「二体まとめて()った……だと?」

「あっ、また!」

「翼って、あんな使い方できるんだ……」

「なんか……怖いわ」

「怖いわ……なんか」

 

 暴風と、雷球と、空震と、破砕音と。

 それらをない交ぜにした混沌の情景を目前に、うち騒ぐ候補生たち。

 そんな一団のなかで『若梅』は嵐にかき消されそうな声で呟いた。

 

「あれが……本当に『九尾』さんの翼……?」

 

 また一体、耀腕が不吉な色合いの翼に裂かれ、悶えながら消失する。

 

 

        ――――  ――――  ――――

 

――誰だ!出てこい!

 

 前立腺を電撃の痛みにジンジンさせつつ『九尾』はそう叫ぶと、ムダとは知りながらコクピットの中をさぐった。当然、せまい単座の操縦席には自分の(カラダ)しかない。ほかに気配もせず、感応ログを探ってもインターセプトの記録はなかった。

 

 また後ろのプラグに電撃。

 

 カッ!と怒りが炎のように『九尾』の全身をかけめぐる。

 耀腕が一気に蝟集してくるが、それどころではない。

 

 邪魔だ!と(ニラ)みつけると界面翼の一部が束ねたフォークのように変化し、大ぶりな耀腕二~三体を串刺しに、爆散させる。横あいから新たな耀腕が掴みかかるが、こんどは翼が巨大なハサミのように変化して、一度、二度と残酷に切断した。続いて、そのすきに背後から忍び寄るヒドラめく不定形の耀腕が三体。

 

 イライラとした感情を『九尾』が解放すると空間がねじ曲がり・かさね合わさって、挽き臼にかけたよう耀腕をまとめて()りつぶす。

 

 ――ハ!どうだクソぁ!

 

 脳が――視床がオーバー・ブーストをかけられたように熱い。

 感覚が、いつの間にか界面翼の攻撃的な使い方を学んでいた。

 

 いや――思い出した、といったほうが正確だったろうか。

 

 インメルマン・ターンをミスったときのことが、あるいは雲海戦での一騎打ちが。そしてメゾン・ドールという淫肉(にく)坩堝(るつぼ)から生還したのち、随伴機と護衛機を(ほふ)ったときの記憶が、どうして今まで忘れていたのか不思議なくらい鮮明によみがえる。

 

 しょせんは――認識の延長。

 世界と己を取りむすぶ、絆。

 

 耀腕は、翼にしたがい、

     翼は、世界にしたがう。

        世界は、認識にしたがい、

            認識は――。

 

 〔シカシテ……認識ハ?〕

 

 自分の考えでない、ゾロリと違和感のある先ほどの思考が、またもやどこからか頭のなかに囁く。

 だが今は、そんなことを気にしてはいられない。

 

 耀腕は次から次へと襲ってきた。

 

 怒りにまかせ、(あた)るをさいわい無双していると、機銃が加熱して連射が止められなくなる印象が頭のどこかでチラッと浮かぶ。

 

 あるいは、あちこちで電話が鳴り響く騒然としたオフィスのなか、部下に指示をトバしつつ、自分の仕事を猛スピードでかたづけてゆくような……。

 

 いや、静寂に充たされた満員のコンサート・ホールで超絶技巧練習曲(エチュード)を、己の腕のおよぶ限りに奏でている高揚感。

 

 そこで、彼は少し我にかえる。

 

 ――ちがう……この記憶……()()のモノじゃ、ない?

 

 しかしそれは、もはやどうでも良い事のように思われた。

 幽体離脱な視点から、『九尾』は自分の“()れ物”を見下ろしてみる。

 

 肉体はとっくに鼓動をやめ、G・スーツのバイタル・システムで血流を保っている状態。おそかれ早かれ身体も脳も――ひいては意識も亡びるだろう。

 その破滅的な事実が自虐めいたカタルシスを呼びおこし、何故だか無性に気持ちがいい。思考は、さらに自己湮滅(いんめつ)の甘美な桃源へとはこばれてゆく。

 

〔イザ来タレ――7人目ノ、航界士〕

 

 ふたたび頭に、以前とは違う調子で直接そんな印象が響いた。

 

 ――だれだ?

 

〔“奉天”ヲ統ベル次席。W/Nハ……スデニ失ハレタリ〕

 

 ――次席?

 

〔汝ヲ コノ機体ノ一部トスル〕

 

 

        ――――  ――――  ――――

 

「……これは予想外じゃの。あの小僧、またしてもやってくれる」

 

 あとからやって来た婦人はひろげた羽根扇を閉じ、面白くなさそうに呟いた。

 

「どこまでも我らの邪魔をしをるか」

「そうよ!()()()()()()――秘蔵ッ仔ですもの」

 

 ふふ、と二重あごが動き、

 

()()()()()、ときたか。じゃがそれも(おわ)る。これを見ぃ」

 

 婦人はドレスが際立たせるムッチリと豊かな胸元から、レーザーポインタくらいのデバイスを思わせぶりに取り出した。

 

「“老嬢(女王)”から聞いたがの?“奉天(あやつ)”は界面翼創出機能の付いた処刑台なんだと」

「……え?」

「あの坊やが(またが)る機体には、仕掛けがあってのぅ……」

 

 彼方、紫色の界面翼が、また耀腕を一体。

 いかにも無残に、非情に、滅し斃す。

 衝撃波がビリビリと広間の大窓をふるわせて。

 

「もともと()()は、通常(なみ)(ことわり)では稼動(うご)いておらん。駆動するには――魂が要る」

「魂……命ですって?」

「正確に云えば“霊の犠牲”ぢゃ。ために操縦席にはある“死掛け”があっての。必要とあらば乗り手の魂を吸い取るカラクリが用意されておるのよ。限界の動きをすればするほど、その()()()が姫発発動するのぢゃ」

 

 “奉天”は低高度のまま、バレル・ロール。

 そのまま上昇して耀腕の林の中を突っ切った。

 

 再度、対耀腕弾射出。

 空になり、空中投棄されたポッドが直後に落雷。

 不発の一発が誘爆し、派手な花火となって爆散した。

 盛大な火球を背景にミラ王女は振りむいて、

 

「それって……まさか!」

「老嬢から直々にきかされたのよ。くわしい仕組みは聞かされなかったがの。今この時も、あの厄介者の魂を吸わんとて、あの呪われた航界機は狙ぅておるのぢゃ」

「なんで――そんな」

()()()()なのぢゃ、あの“奉天”には」

 

 キッと少女がまなじりを険しくし、年上の王女に飛びかかろうとする。

 

 それをこの婦人はポッチャリ目の体格に似合わぬ俊敏さで体を(さば)いて入れ替えると、少女に軽く足払いをくらわす。

 踏みとどまろうとした少女だったが、継がれた異形な片脚の哀しさ。こらえきれず、横ざまにドゥと倒れた。ドレスのすそからのぞく毛むくじゃらな雄山羊の脚が、この情景に異様さを加味して。いったんは立ち上がろうとする彼女だが、この醜悪な獣の脚との接合部が痛むのか、やおら患部を押さえ、天をあおいで美しい顔をしかめる。

 

 羽根扇を悠揚せまらずひろげた婦人はニッコリと、

 

「ほほほほ。やはり脚を不具(かたわ)にしたのは、正解だったようぢゃの」

「くっ……よくも!」

「あの機体は我ら「外象人」の、切り札なのぢゃ――観ぃ」

 

 ピッ、とポッチャリした手になるデバイスから、電子音。

 

「えっ……」

 

 彼方、耀腕を無双していた紫色の翼が一瞬、震えたかと思うと、あたかも(しお)れるかのごとく、みるみる力を喪い、消えてゆく。

 

「そんな――『九尾』ィ!!」 

 

        ――――  ――――  ――――

 

「なんで!?翼が消えた!!」

「まさか、D/Aコンバータの最終関門を突破された?」

 

 簡易型の観測スコープを手にした候補生が、

 

「空間の歪ゲージは翼の縮退を確認!創翼係数――ゼロ!」

「いや、耀腕との一時接触は、まだ起こってねぇ!」

「じゃぁ、なんでだ!」

「オレが、知るかよ!」

 

 轟々と風が吹き寄せる展望テラスで、ひな鳥たちは罵り騒ぐ。

 どの顔も色を喪い、非常事態に遭った目は血走って、鋭く。

 

「ひよっとして心筋梗塞、それとも脳溢血?」

「心臓ならG・スーツからのサポートがあるだろう。たぶん、後者……」

 

 航界機の非常用サポートが働いたのか、緊急用の界面翼が展開される。

 だが耀腕はそれには興味を示さず、機体の周りをジリジリと覗う風。

 

 

        ――――  ――――  ――――

 

 

 『九尾』ですら、なにが起きたのか分からなかった。

 まるで首根っこを引っつかまれて、後ろに引き倒されたようなイメージ。

 後頭部に衝撃があり、そのあとは――真っ暗に。

 

 

 

 

 

 ()()()()()()()のような、薄暗い虚空(そら)だった。

 ひとすじの小川が、サラサラと音をたてて暗い地面を流れて。

 石敷きの川べりには曼珠沙華(彼岸花)が一面に咲き、自ら赤く発光するよう。

 

 気がつけば、『九尾』は独り、そんな光景の中にたたずんでいる。

 

 時おり、山おろしのように吹く冷たい風。

 G・スーツを貫通して身に沁み、さびしく骨を噛む。

 

 川べりの毒々しい赤にまぎれて、だれの手になるものか。小石が大中小と三つに幾つも積まれていた。その傍らには風車(かざぐるま)が差され、おりしもの寒風にカラカラと哀れな様子で身をふるわせている。

 

 ()かる寂寞(じゃくまく)たる光景のなか、ふと彼が目をやれば彼方に赤い橋が一本、架かっていた。黒い擬宝珠(ぎぼし)に緋色な欄干。どことなく不吉な気色をたたえて。

 

 あぁ、そうかと彼は初めて納得する。

 

 

 ――なぁんだ、自分は死んだのだな……。

 

 

 己の最後が、よく思い出せない。

 耀腕にやられたのかも、機体が崩壊したのかも分からなかった。

 しかし、これがウワサにきく「彼の世と此の世との境目」であることは間違いないらしい。

 

 あっけなかったなぁ、と味気なく思っていると、ふいに黒い人影が陽炎のように立ち現われ『九尾』の腕をとった。

 驚いて引きはがそうとしても、巌としてうごかない。

 病院で騒いでいた死ぬ前日の老人の言葉が突然よみがえる。

 

 『黒い影が――黒い影が(ワシ)を連れて行こうとするんぢゃ……!』

 

 Gスーツごしにもわかる、大きくて硬い、冷たい手だった。

 

 ――痛った……。 

 

 この人影は有無を言わさず彼を赤い橋の方へと引っぱってゆく。

 

「ちょ……ちょっと!痛いぞ」

「オ迎ヱダ 皆ナ 待ッ〒ル」

 

 黒い陽炎のように、とらえどころのない姿。

 しかしよくみると、どうやらそれは恐ろしく古い鎧型のG・スーツ。

 グラブの関節の一つ一つが、柔肌に食い込むのだ。自分のG・スーツのサポートは、もはや喪われたらしい。

 

「待て!おまえは――貴方は、誰だ?」

 

「……參番長(サード)

 

 そんな意識が、わずかに相手から波動のように伝わってきた。

 

 赤い橋のたもとに行くと、同じような影が数体、並んでいた。

 影がうすく、消え入りそうな影もあれば、Gスーツのカラーリングまではっきり分かる者も。

 

「キタリ……漆番長(セブンス)……」

「イザや……供犠の(ミコトノリ)ヲ」

 

 黒い影のおくから視線を感じる。

 

 『九尾』は、それに幻惑されたかのように、橋の入り口にむけ、フラフラと進んだ。

 これは逃げなくてはと思うのだが、脚が、何より身体が()え、どうにもならない。(あやかし)に魅入られた如く、うすら寒い気配に包まれ彼はブルッと身を震わせる。

 

誓約(ちかい)ノ宣言ヲ……」

 

 覚えのある浄福感に彼は包まれる。

 初めての雲海戦で、西の少年が空の高みに昇って行った時のように。

 あっという間に、この世に未練はなくなり、早く行かねばと心が急いてしまう。

 

 ふらふらと彼が、まるで操られるかのように赤い橋を渡ろうとした時だった。

 

「ちょいと待ちなァ!」

 

 背後から、どこかで嗅いだことのあるような、ヨード臭い匂い。

 磊落(らいらく)な印象と“生者”の発する猥雑(わいざつ)な、(けが)れた気配が(にわ)かに辺りを支配し、静謐だった一同の空気はザワっと一度に乱れた。

 

「こいつを(にえ)にするのは、チョっと時期尚早(はやすぎ)じゃねェか」

 

 ふり向けば、あの古参兵めく上級大尉。

 手には見覚えのある40年物のウィスキー・ボトルをラッパにして。

 

「コスロー!ソナタ又シテモ!」

「供犠ヲ成就セネバ 我等ノ“存在意義”(レーゾン・デートル)ハ「無」と成レリ」

「アタイからも お願いスルよ!壹番長(ファースト)」 

 

 べつな声が、割って入った。

 見れば実体と影が半々ほどになった、女性の航界士だ。

 

「コの仔ぁ、モウすこし泳ガセて ソレから“収穫”したホウがイい」

「おっ!ワかってるねぇ、伍番長(ファイブ)

「あンたのタめじゃナイわヨ、陸番長(スィックス)

 

 ちぇ、と上級大尉はラッパ飲みにひと口。

 そして茶目っ気たっぷりに『九尾』を見て、

 

「小僧!モラっといて文句いうワケじゃねェが、コイツは上物すぎるぜェ!水みてぇにスースー入ってッ(ちま)う」

 

(ここでまたひと口)

 

「狐が穴ンなか飛び込むより(はや)いや」

 

 上級大尉は片目をつぶってみせた。

 

 (ふる)い影たちの間で、しばらく討論が交わされたらしい。

 その間、冥い上空を妖しい雲が渦を巻きながらゴウゴウと飛び去ってゆく。

 やがて最古参とみえる煙のような影が、(わず)かにうべなう気配。

 

「良かったナァ、ボウヤ!ホぉら、ボやボやシテっと耀腕(ウデ)に殺られるよ?アンタを()るノハ、このア・タ・シ」

 

 亡霊めく女性航界士は、かれをグイグイ引っ張ると、川のほとりに立たせた。

 

「アバよ――ボウヤ」

 

 ズドン!

 強烈な低掌で突き押し。

 うわっ、と思う間もなかった。

 

 最後に見えたのは、橋のたもとに佇む様々な影たちと、ウィスキー・ボトルを掲げて見せるホスロー上級大尉。

 

 ガラスの破片めいたしぶきと音を立て、『九尾』は落水する。

 いや、水かと思ったのは微分化された存在エーテルめく気配そのもの。

 すぐに強い流れが彼を(らっ)し去り、透明な“何か”が彼の中を満たしてゆく。

 リダクションのMODE2を想わせる内側からの痛みと、全世界との一体感。

 

 

 夢うつつのような状態でもがきながら、彼はいま、(すべ)てから解放されたような気がした。

 

 この世のしがらみというやつ。

 人間関係、組織、将来、もろもろの感情。

 あるいは財産。地位。名誉。富貴に関連するもの。

 これらは()えた臭気を放つ、無用の長物にもおもわれて。

 

 “奉天”が見えてきた。

 

 その周囲では、AI展開の界面翼には、目もくれず、ひたすら『生きた翼』を喰らわんと待ち構える耀腕たち。使役されるはずのミイラは――見当たらない。

 

 認識を、さらに研ぎすますべく機体に接近しようとしたときだった。

 スッ、と事象震も耀腕も航界機も。何もかもがロウソクの炎を吹き消したように見えなくなってしまう……。

 

 



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092: 崩壊する空間のこと、ならびに(うそぶ)く役人たちのこと

 “奉天”が見えてきた。

 

 その周囲では、AI展開の界面翼には、目もくれず、ひたすら『生きた翼』を喰らわんと待ち構える耀腕たち。使役されるはずのミイラは――見当たらない。

 

 認識を、さらに研ぎすますべく機体に接近しようとしたときだった。

 スッ、と事象震も耀腕も航界機も。何もかもがロウソクの炎を吹き消したように見えなくなってしまう……。

 

                          (前話まで)

 

 薄暮にただ独り浮かび、(くら)い川を仰向けのまま、どこかへと流されてゆく感覚。

 いくつもの暗渠(あんきょ)を通り、細流(せせらぎ)を危うく通過し、小さな滝を下った。

 クルクルと淀みをまわり、あるいは何かに引っかかり、まとわりつかれ。

 

 やがて辺りが次第に――次第に――明るくなってゆくと思ったその瞬間。

 爆発的に色彩があふれ、続いてさまざまな幻視(ヴィジョン)が二重三重に透けた状態で、万華鏡のように展開した。

 

 

 見た事もない建築様式の巨大な宝塔。

 

 月が上空にいくつもうがぶ、うすい翡翠(ひすい)色をした空。

 

 あるいは衛星軌道までとどくかと思われるような高層タワー。

 

 巨大な航界艦同士の艦隊戦や、航界機の壮絶な特攻。

 

 星と星とをつなぐ、惑星規模の大廻廊。

 

 

 羽根のある人々が白い外衣をまとい、ゆるやかに宙空を行き交う光景もあれば、()びたように赤い太陽のもと、異形のものが(うごめ)く荒廃した巨大都市も見た。

 

 残留思念体の姿で『九尾』は目をみはる。

 

 ――これは……この機体の――“奉天”の記憶?

 

 ゆらめき、ぶつかり、淘汰しあう様々な事象面の姿。

 

 ほの明るい雲間を、金色の大河となって昇天してゆく善霊たち。

 漆黒の黄泉を腐臭を立てて流れ下り、暗黒に堕ちてゆく悪霊たち。

 

すべてを悟った『九尾』が無意識のまま、その金色のながれに付き従おうとしたとき、ふと何かが行く手を遮った。

 

 目を凝らせば――それは赤ん坊に乳を含ませる若い母親。

 はだけた着物の胸に新たな命を誇らしげに抱き、うつむいた顔に(おんな)の自信と満足とをうかべている。

 栗毛色のクセっ毛を五月の微風にゆらした彼女は、ふと顔をあげ……。

 

 

「――あなた!」

 

 

 『若梅』は嵐の中、ほそい喉の限りに一声、叫んでいた。

 

 どよっ、とドン引きになる雰囲気。

 周りにいる候補生がどよめき、ヒソヒソと。

 

 (――え、ナニ?この子やっぱり女なの?)

 (――だよなぁ。男物の礼装だけど、どうみても女の子だもんなぁ)

 (――けっきょくナニ?ボクっ()?いまどき?)

 (――ラノベでもありえねぇぞ、フツー。)

 

 俄然(がぜん)、注目されたこの(おさな)い候補生は顔を真っ赤にしてうつむくと、デッキの手すりにつかまり、しゃがみ込む。

 

 なんであんなコトを叫んだのか――れっきとした男子だと言うのに……。

 

 ただ一瞬、不思議な幸福感に身を包まれたのも事実だった。

 あの控の間で、優しく抱きしめられ、オデコにキスをされた時のように。

 

 やがて、事象震が今までにない空震を鳴らしはじめる。

 

「オイ見ろ!『九尾』サンの翼が……化わる!」

 

 大音響を立て、空間に光のヒビがはいってゆく。

 

 空いっぱいの大鐘を、目いっぱい乱打されるような衝撃。

 聴覚に感じているのではない。候補生たちの意識に直接共鳴しているのだ。

 

 言われてハッと『若梅』は顔を上げた。

 空間を(はし)る六本の界面翼が、その色を禍々(まがまが)しい印象の紫から清浄な気配の金色に、その数も九本に増やしてユルユルと変化させている。

 

 磨かれたような、清冽な大気。

 颶風の匂いすら、どこか変わったよう。

 しかし遠くからは耀腕の群れが明滅しながら押し寄せる。

 

「九体?十体?……いやそれ以上いやがる!」

「風が……空気が……」

 

 ひな鳥たちの吐く息が一気に白くなる。

 澱んだ雲を断ち割って、玉虫色のカーテンが(くら)い空を駆けめぐった。

 パタパタと大粒の雨に濡れ始めた展望デッキが仰ぎ見る候補生たちの足下をすくって、いきなり揺れる。

 

「地震?――それにオーロラ?」

「界面翼が……」

 

 機体から伸べられた翼に変化があった。

 それと同時に、空間いっぱいの巨大な金属が、同規模のハンマーで続けざまに打ち叩かれるような音。

 

「空が……砕ける!?」

 

 万象はことごとく震え、轟音のうちに(おのの)いた。

 

 九本の翼は、その相を変転、まるで曼荼羅を想わせるように。

 高まる大鐘(おおがね)の音――そして、希薄となる“実存”。アンカーを喪う“世界”。

 一瞬、候補生たちの姿が3D(ホロ)のように透けとおり、感覚すべてがあやふやになってしまう。彼らはおずおずと互いの顔を見合わせ、そして自らの腕や胴、顔をさわり、身体の存在を確認した。

 

 すべてが不確かとなった世界で、翼が虚空(そら)全体を覆ってゆく。

 

 それはもはや“界面翼”ではなく“空間の破砕”そのものだった。

 

 

 

 (つい)に――大きな破片の一片が別の世界へと崩落し、巨大な間隙(すきま)が生じる。

 

 玉虫色に輝く“むこう側”が見え、まだらな光のせめぎあいのようなものが数瞬。

 気のせいか、古めかしい昔の大型航界機のようなものすら。

 

 最初に、その割れ目に吸い込まれていったのは暗雲だった。

 次いで耀腕が一体、また一体と、千切られ・砕け・バラバラになりながら大渦を描き、まるで高粘性の液体が下水に流れてゆくように、捻じ曲げられた物理法則に従って墜ちこんでゆく。

 

 光。雷球、オーロラ。

 宙を舞うカンバンや、破壊された地上設備の残骸。

 へし折れた街路樹。大破した車両。その他、様々なガラクタ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 暴風はさらに強まり、候補生たちは展望デッキから耐激ドーム内に避難する。

 二重の強化ガラスをへだて展開する轟々とした、まるでこの世の終わりのような光景を彼らは(おそ)れることも忘れ、ただ石化したように見守るのみだった。

 

 

 

 やがて――黒雲が消え、空に普通の明るさがもどってきた。

 

 

 

 雲の切れ間から陽光が、地上に二すじ、三すじと差し込む。

 

 

 候補生たちがデッキに出ると、轟々とした生暖かい風のなごりに、吹き散らされた木々の枝葉。大気にのこる雨の匂いは、ちょうど台風が過ぎた後を思わせて。

 

「機体は……『九尾』は?」

 

 たしかな視力をもつ若いヒナたちの視線が、暗めの白金色をした空のあちこちをさぐる。

 

「――墜落音は聞こえなかった!」

「――爆炎も見ていない!」

「交信記録だ!管制(コントロール)にいけば、機動記録が残っているはず!」

 

 候補生たちは礼服をひるがえし、ふたたびドーム内へバタバタと駆け込んでゆく。

 後には、ひとり『若梅』だけが残された。

 

この幼い候補生は見た。

 

 “奉天”が、いくつもの耀腕を吸い込んだ事象面のヒビに、自らも呑まれていったのを。

 そして本能的に理解していた。

 それが破砕された空間を閉じる、唯一の手段であったことも。

 

 正体のみえない感情。

 胸の中いっぱいに拡がり、ひとり『若梅』を苦しめる。

 

「『九尾』センパイ……」

 

 轟ッ、と一陣の風が吹きよせ、デッキに佇む『若梅』のマントを激しくなびかせた。

 

 

        ――――  ――――  ――――

 

()ったよう、ですな?」

 

 展望デッキのさらに上、多層レーダーのメンテナンス・バルコニーだった。

 

 長身の男がパイプに火を点けようと、風の中、長身をかがめている。ターボライターですら、この風の中では役に立たない。とうとうあきらめると、彼は隣に佇立して黄金色に輝く雲の彼方を打ち眺める(ひぐま)のような人物に向かい、

 

「細工は上々でしたなァ!あの小僧――いや失礼“少年候補生”の使命感をアオり、雲海深部探査を受諾させ、さらに“御前試演”に殉職を目的としてアテンドし、結果、登録を抹消するとは。これで西側とも“手打ち”ですな」

 

 コートをなびかせる羆じみた人物の反応はない。

 ただシワの奥の眼が、なにかを羨むように、彼方を眺めやって。

 

 

「惜しむらくは“あのデータ”が行方不明になったコトですな!“別院”の手にでも渡ったらコトですぞ。上院は、改めて貴方に捜索命令を出すでしょう。もし、既にどこかの部局が入手したのであれば、そこの手により粛清が始まるでしょうが――どうなることやら!」

 

 羆の反応は無かった。

 パイプ男は口ひげを撫でてさらに言いつのり、

 

「我々が直接手を下したいものですなぁ!そもそも貴方が、あの候補生の信用を得ていなかったのが誤算でした……失敗しましたよ」

 

 暴風が、普通の風のレベルまで弱まってきた。

 光が。鳥が。みるみる世界は平穏を取りもどし始める。

 その風のすき間を突いて、ぶっすりとした声が初めて反応した。

 

「……作戦活動に支障はなかった。行動計画書にも特記事項で留保の記載がある。稟議書(りんぎしょ)のハンコのならびには、キミのところの課長も顔をだしているじゃないか」

「ま、ともかく――」

 

 パイプ男はあわてて話題を変えるように、

 

「このドタバタで、貴方の公費使い込みは当分ウヤムヤってコトですな。或る意味ザンネンですが、息子さんにかかる高額医療費とも縁が切れて、八方丸く収まったワケだ」

 

 さすがに腹に据えかねたものか、猫背の羆は底力のある声で、

 

「そんな事を言いに来たのかね、中佐。いや――」

 

 と、ここで(わず)かに嘲りを載せ、

 

「“第三部”を(ねぐら)にするコウモリ、とでもいおうか」

 

 ここで長身のパイプ男は、ようやく火皿に点火することに成功した。

 甘いような香りが暴風の名残(なご)りに薄くただよう。

 満足げに一服するや、煙りまじりの言葉で、

 

「えぇ、いかようにも。小官は職務に忠実であれとつねづね肝に銘じております――公務上の横領など考えもつきませんよ。()()()()どの」

「……」

「何を言いに来たのって?えぇ、そうですとも。周りの部局は忘れても『宮廷官房・第三部』は忘れませんぞと言いにですよ。せいぜい横領した分は役にたって頂かなくては。そのための念押しです。だいたいその焦りと(カネ)に対する後ろ暗さを、あの“少年候補生”は敏感に感じ取っていたのでは?ただでさえ候補生(ヤツラ)はカンが鋭い。だから貴重なユニットを――貴方に託さなかった……」

 

 否定はせんよ?と身障者の息子のために身を汚した上級大佐は開き直った(わら)いを見せ、

 

「おそらく部局間スパイの、薄ぎたない気配を悟ったんだろう……」

 

 こんどはパイプ男が鼻白む番だった。

 

 にらみ合うふたりの上空で、雷鳴が二、三度。

 つづいて虚空(そら)と大地をゆるがす空震が数回。

 それで長かった今回の事象震は終わりのようにも思える。

 

 ただし航界機の力によって、むりやり幕引きさせられた事象面の歪みが後々どんな作用を及ぼすか。事象面管理省は大変だろうなと、互いに視線を逸らした二人は、地上設備の残骸を眺めやりながら奇しくも同時に考えた。

 やがてパイプ男は、尖った肩をそびやかしながら休戦の気配を匂わせ、

 

「お互い組織のためでしょう、上級大佐どの。内局監査委員会に足元をすくわれないようにして下さいよ。とばっちり受けるのは、ゴメンこうむりますからな」

「それはこっちの台詞(セリフ)だよ。君のところみたいに、あちこち節操なくプローブ伸ばしていると、そのうち奥の院の「情偵」に引っくくられるぞ」

「そうそう、その「情偵」で思い出した……」

 

 パイプ男は火の消えたボウルをはたき出しながら、

 

「今回の件ですが――どうもウラで老嬢(王女)が直々にカラんでいたらしい」

 

 女王が?と羆は眉毛をひょいと上げた。

 歩行機に収まった老婆を、大柄な男は連想して首を傾げる。

 意思疎通すら困難な、政権運営を“薔薇(第一王女)”に任せきりにしている生ける屍。

 隔離と警護とが物々しく、めったに人前に現われない秘密めいた存在となって。

 

何故(なぜ)。“蘭の殿下(第二王女)”ではなくてかね?」

「そこのところを調べてくれと、ウチの方から依頼が行くはずですよ。なんなら動きやすいように出向命令書を出してもイイと」

「初耳だな――でもなんで宮殿の大元が?そして私に探れと?ゾッとしない話だ」

「それから……“蘭の殿下(第二王女)”ね?」

「うむ」

「貴方の手腕に喜ばれてましたよ。そのうえ御前試演まで西ノ宮の大僧正にヒト泡ふかせられたと“ゴ機嫌斜メナラズ”です。ただ“百合の殿下(第三王女)”は……」

 

 パイプ男は口ひげの奥でニヤリとうすく笑いつつ、

 

「こんどはコチラが荒れるでしょうなぁ。みすみす我々の用意した誘導映像をみせて、こんな空を飛ばせ、お気に入りだった“あの個体”を死に追いやったんだから……」

 

 羆の横顔にはじめて表情らしきものが浮かんだ。

 だがそれは、長身の男が予想していたものとは、おもむきが違ったらしい。

 削げたように痩せた頬を一度ピクリと動かし、はじめて声にわずかな不安を載せ、

 

第三部(ウチ)で用意した認識誘導映像を……あのガキに見せたんですよね?」

「中佐。もう終わったコトだよ――終わったコトだ」

 

 長身の男を(さげす)むように一瞥し視線を彼方にもどすと、この羆めく人物は、

 

「結果がどうあれ『九尾(あの子)』は翔けた。私は――それを誇りに思う」

 

 

【挿絵表示】

 

 

               * * *

 

 

 それから二週間ほどたち、桜の便りがポツポツと届きはじめるころ。

 

 春の移動の季節を待たず日本政府と王宮に、それぞれ更迭と依願退職の嵐が吹き荒れた。

 不可解な死や行方不明者も相次ぎ、行政機関の統廃合もすすむ。

 

 この件に関し、マスコミは表立った事実をベタ記事で扱うのみだった。偏向報道の臭気ふんぷんたるニュース・バラエティー。その“脳内お花畑”なコメンテーターたちすら口を濁したまま特段に話題とすることもなく、気まずそうな顔でスポーツ・ニュースなどにそそくさと話題を移し、いっさいの沈黙を守る。

 

 

 

 そして――1年の歳月が流れた……。

 

 

 

 

 




次回で終わりです。


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093:遺された意思のこと、ならびに新たなる翼のこと

 

 桜の花が朝の光に乗り、ゆるやかに舞っていた。

 

 新設された瑞雲校・付属中等部の開校式に、ポンポンと花火があがっている。

 

 三年から新規転入する『若梅』は、彼方に校舎が見える場所でちょっと足を止めるとスカートをひるがえしてふり返り、こちらを向いてニッコリと微笑んだ。

 

「お話は――これでおわりです。あの事象震のあと消滅した“奉天”をさがすために捜索隊が出ましたが、けっきょく機体の破片すら見つかりませんでした。遺された私たち選抜候補生は、それぞれカタチばかりの試演慰労金をいただき、日常生活にもどっています……」

 

 ここで『若梅』は、心ならずも豊かにふくらみつつある胸を気にするように、ちょっとセーラー・スカーフの具合を直しながら、

 

「えぇと『七刃』さん、『二番星』さん――そのほかあの日『九尾』さんから助けていただいた皆は、連絡を取り合い、いまでもお友達でいます。おたがい競い合ってウデを磨きあい、技術を高めあっているんです」

 

 春の強風が、栗毛色のクセっ毛をゆらす。

 一瞬、桜の花吹雪。

 風が収まったあとに、花弁がひとひら栗毛色の上に。

 また花火の響き――ひとしきり、青空にとどろく。

 

 『若梅』は舞い上がったスカートの具合を気にしつつ、

 

「あの方が、みんなの身代わりとなって出撃してから……私たちは変わりました。とくにあれほど荒れていた『二番星』サンは心機一転。東西対校戦で殊勲賞をとるまでになったんですよ?みんな、もらった命を、時間を精いっぱい有効に使おうと必死です……わたしは、その。まだ……ダメダメですけど」

 

 後ろからガタピシな電動スクーターの音。そしてホーン。

 

「『若梅』さァん!遅いわよ?――またお寝坊?」

「あぁ、『タチアナ』センパイ!……違いますよぅ。ちょっと起きるのが遅れただけです!」

「フフッ。そーゆーのをお寝坊ってゆうのよっ」

 

 バイザーの奥から蒼い瞳が笑う。

 

「しょうもない子ねぇ」

「最近、なんだか身体がダルくって」

「あら、じゃぁ高等部の校内医のところに行きなさい?診てくれるわ」

「えぇぇ……あの先生、なんかコワいですぅ」

「なに子供みたいなコト言ってるの!体調管理も候補生の義務よ?しっかりなさい!」

 

 さき行くわね!とオンボロ電動スクーターは彼方へと走ってゆく。

 外装がビリビリとふるえ、ナンバーなどは今にも落ちそうな車体。

 どうも候補生たちは、(ふる)いものを起こして乗るのが好きらしい。

 

 『若梅』はこちらを向いて、

 

「え、いまの方ですか?――高等部二年の先輩です。なんでも病気療養のため1年留年ですって。あの方も、なにか『九尾』さんと関係があるとか……」

 

 青空を背景に、編隊を密に組んだVTOL機が一度、上空をパスしたあと練習用・滑走路のほうに降りてゆく。今日の祝典に参加する教導隊の面々だろう。

 

「『九尾』さんの殉職公報がでたときは、わたしも泣きました――でも」

 

 ここで『若梅』はパッと顔を輝かせ、

 

「でも、このまえ、風のウワサで聞いたんです――事象面・探査師団の前線探査部隊が“九枚の翼”を放つ所属不明の航界機を目撃したって!……ね?コレってヒョッとして!」

 

 一瞬、『若梅』は目を輝かせるが、すぐにうつむいて、

 

「そりゃ公式には――まだ『九尾』センパイは“奉天”ともども「喪失」扱いになってますけど――でも、もしかしたら……」

 

 最後の方は口の中で呟いて、ふたたびゆっくりと錬成校のほうに歩いてゆく。

 

「……『九尾』センパイを輩出した瑞雲錬成校は、なんと予算倍増!王宮直属となり教官方は“ウハウハ”のようです。規模も大きくなり、このたび中等部もできました……あそこです。ボクは居づらい実家の屋敷をでて、寮のあるこの新設校に転入学することになりました」

 

 そこで、もの問いたげな視線に気づいた『若梅』は、

 

「――え?この妙なカッコウは、なにかって?」

 

 ボッと顔を赤らめ、自分のセーラー服すがたを改めて見やる。

 

 オフホワイトを基調とした、赤いスカーフが映える春服のデザイン。

 肩口を風船のようにふくらませ、反対に胴を絞る19世紀末をおもわせるシルエット。

 少女たちの胸のふくらみを上品に主張する、嫌味のない立体裁断。

 

 『若梅』は重そうな黒いフライト・ケースを手にトボトボと歩きながら、

 

「ん。ヤッパリ似合いませんか?じつはボク、いえ私……女、だった。みたいで」

 

 いえその、と彼――彼女は、すぐにあわてて言いつくろい、

 

「お、オチ**ンはあるんですよ?でもタマタマが、言われてみれば無くて……それまでじっくり他の人とくらべたことなんて、無かったものだから、その……」

 

(おい、あの髪の短い娘、ちょっとイイじゃん?)

(襟のラインが三本……中等部三年かな?あとでしらべてみよっと)

 

 登校する高等部男子候補生たちが、追い越しざまにヒソヒソとささやく。

 そのチラ見がちな“品定め視線”に、『若梅』はツン、とソッポを向いて、ふくらみが目立つようになった胸に、ソッと手をあてながら、

 

「この身体を認めるのに、一年かかりました。変化があったのは……あの事象震のあとからです。今でも『九尾』さんの事を想うと胸がドキドキして、切なくなって……そう考えると私、やっぱり女――なのかな、って」

 

 

「おォい、そこの三年!なにノンビリ歩いてンだァ!」

 

 

 正門の脇で、腕組みをして立つスーツ姿の若い女性が怒鳴り声をあげた。

 ピンストライプの、一見して仕立ての良さが分かる出で立ち。

 豊かな髪をかきあげ、目を光らせ、

 

「あァ?――『若梅』かァ?門が閉まるぞ!シャキシャキ歩けェッ!」

 

「は、はい!サー『モルフォ』!」

 

 そう答えてから足早になりつつ『若梅』は、ふたたび顔をこちらに向け、ささやき声で、

 

「あの人、スゴ腕の女性航界士なんですよ?今は航界大学からコチラにチューターとして出向してマス。転校では、西ノ宮にムリヤリ嫁がせようとする本家と私のあいだを取り持って、ずいぶん骨をおって頂きました。えっ?そう!よくお分かりですね?“無礼院”とかいう、頑丈作りのお坊さんです。はじめてお会いしたとき、ビビっちゃいました……タハハ」

 

 サイズがまだ合わないのか、ブラの具合をさりげなく直しながら、

 

「あと一人“ミラ特別理事”ってのが居るんですけど、これがなぜかやたらと私を目の敵にするイヤな奴で……でも私負けません。いつか私も航界士になって、あの人と翼をならべて飛ぶんです!それが私の――」

 

「ナニやってんだクソがァ!早くしろォ!」

 

 カッ!とヒールを踏み鳴らし、教導官は怒鳴り声をあげた。

 まるで『エースマン』直伝を思わせる喝の入れよう。

 

「ボヤボヤしてッと(ケツ)に精神棒ブチこむぞ!」

「ハ――ハぁィ!」

 

 さすがに『若梅』も焦り気味になる。

 タッ、とローファーを鳴らし、フライト・ケースを反対の手に持ち替え、こちらにウィンク。

 

「――それじゃ、またね?」

 

 そう言うや彼女は磨かれたような青空のもと、門に向かって駆けだした。

 

                      ー玲瓏の翼(『九尾』篇)・了ー



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補遺:皆様に感謝のこと、ならびに蛇足のこと

 

 

 はい!と言うわけで。

 

 これで【玲瓏の翼】(『九尾』篇)は、おしまいです。

 

 皆様におかれましては読了のこと、まことに有難うございました。

 創作者として、これに勝る喜びはございません。

 

(仕事から帰って机で一寝入りしたあと、深夜に目覚めて原稿の手直しをする。

そんな苦しい日々が報われたようであります)

 

 

さて――。

 

 

 「人間」とは。「組織」とは。「世界」とは。そして「神」とは。

 これらが主題となっている本作品は、まだまだ続きます。

 

 しかしながら、某所より18禁認定された事で、開き直ってサービスシーンを取り入れた結果、主人公があまりに“汚れキャラ”になってしまい“主人公たるの資格”を喪うに至りました。そのため続編は、また別の航界士たちによって(つむ)がれてゆくことになるでしょう。

 

 機会があれば、西ノ宮の新技術である“副次化した最新鋭・界面翼”を操るため、探査院の強制で再び女体化された彼――彼女『久美(きゅうび)』が、前後からサンドイッチに嬲られながら、

 

「んほおぉぉぉぉ……!」とか、

「おチン〇ミルク頂戴!」とか、

「濃厚赤ちゃん汁いっぱい射〇()してェェェ!」

 

 などと切なげに叫んだり、

 

「フフフ……(おとこ)陽物(モノ)美味(うま)そうにしゃぶりながら、ウットリした目をしおって。おまけにノド奥で亀頭をシゴくまでになったか……フェラも、だいぶ板についてきおったワイ……」

 

 などと大僧正に言われたり、

 望まぬ妊娠・そして出産後、母性が芽生え赤ん坊に授乳させるシーンを書くことがあるやもしれません。(ホントか!?)

 

 それはさておき、ここで皆さんから寄せられた感想をば。

 

 

 本作に関して寄せられたご意見のなかで目立ったものに

 

『メゾン・ドールのパートが邪魔で目障りだ』

 

 という物がありました。いわく、

「あんな“下劣な”“イヤらしい”“女をバカにした”モノは必要ない!」

 

 ……とのお考えでしょうか。

 

 今回の作品は複数のテーマを内包しましたが、大きな要素の一つに、

 

『主人公が自己を再認識し与えられる者→与える者として成長してゆく』

 

 ……という構図があります。

 少年『九尾』が自己の(カラ)を打ち破り、航界士『九尾』という一段上の人材となってゆくためには、この“汚れパート”が必須であったことを何卒(なにとぞ)ご理解頂きたく。

 

 すなわち、

 

 自己の“存在意義”が“認識”が揺らぎ、()()()()()()()()()()汚猥に満ちる場所で、

 

 ――ボクって何?

 

 という、本源的な問題を“()()()()()()()()”としては()()なのであります。

 

 

 寄せられたご意見のなかで次に目立ったのが

 

『最初の話から取っつきにくい』

 

 というものがありました。ほかの作者様が執筆する作品のように、もっとスイスイ読めるように工夫をしろ!とのご指摘でしょうか。

 

 白状いたしますが珍歩の作品は最初をわざと“取っつきにくく”してあります。

(本人が、これを【バルザック防壁】と呼称しているのは企業秘密)

 生活を削って書いているのだから眼力の高い読者に読んで頂きたい……。

 こう考えるのは、作者のワガママでしょうか。

 

 また『イメージが湧かない』

 

 という親切丁寧なご意見もありました。

 しかしながらこれは、“イメージ”というものは個々に依存するもので、あまりに細かく描写して読者様の想像を阻害したくなかったと言うのが当方の考えであります。

 

 以上のようにして、わざととっつきにくくし、専門用語も散りばめた、読者を選ぶ妙なラノベが出来上がったワケであります。

 

 しかし……終わってみれば、なんと30ものお気に入りがつくという嬉しい誤算。

 珍歩としては大満足の結果でした。

 

 

 

 さぁて、次作投稿の候補といたしましては……。

 

 

★占領され“日本省”となった、この国の未来。病のため余命少ない老人が土地の古い女神と力を合わせて過去にもどり、歴史を修正して元の独立した日本に戻そうとする、第19回〇撃大賞一次通過作品。

 ――『守神の本懐』

 

★オナニーの妄想力を攻撃エネルギーに変換できる高校生(リビディスト(性闘者))たちの校内二大派閥が

 対戦にシノギをケズる、第20回〇撃大賞一次おち作品。

 ――『エリート・オナニスト同盟』

 

★細菌兵器により女性がほぼ皆無になった社会。少年たちは外の世界を夢見た!『玲瓏の翼』と

 サラジーヌ(S/Z)的な位置づけの、

 ――『門の彼方』

 

★指名された人物をトラックでハネ殺して転生させる半・公的組織に属する、女房に逃げられた

 中年ドライバーと、援交・家出JKとのアブない交流を描く、

 ――『転生請負トラッカー日月抄』~撥ね殺すのがお仕事DEATH~

 

★都会に出ていった青年が寂れた地元に久々の帰省をはたし、旧友たちの動向と現実を前にして、そこでひと夏のホロ苦い現実を味わう、

 ――『通り雨』

 

★『玲瓏の翼』続編(これはまだ概略稿)。次回の主人公は『若梅』か、前線部隊に配属された

 新卒航界士を予定→だいぶ話も進み、群像劇となりました。

 

……等々の中から、数日中にどれかを投稿したいと考えます。

 

 

 ところが……。

 

 

 困ったことに、原稿はすべて万年筆で原稿用紙に書いたものです。

 

 ここから、

  ↓

 一太郎(縦書き)に清書。

  ↓

 活字に起こした時の表現を推敲。

  ↓

 一話ずつ次話投稿にコピー。

  ↓

 横書きになったコトによる全体の具合を修正。

  ↓ ↑

  ↓ ↑ (無限ループ)

 プレビュー

  ↓

  ↓

 投稿!

 

 

 ――となり、非常に手間がかかり、話数の間が空くことが予想されます。

 

 もし投稿が1ヵ月以上滞ることがあれば、珍歩のヒをご確認下さい。

 そうすれば、

 「あぁ、バイクで事故ったか」「海外出張?」「なに死んだ?」

 ……等々の報告がされてる思います。

 

 それと、もう一つ。

 

 老婆心ながら、皆さま健康には十分注意して下さいネ。

 健康は10代、20代でしか積み立てられない貯金のようなもので、35をすぎたら後は取り崩してゆく一方です。食生活には特に注意です!カップラーメンばかりでは不可(いけ)ませんよ?100円、200円ケチっても、一発おおきな病気になればアッという間に10万、20万トンでいきます。その時になって後悔しても遅かったりしますよ?

 

 人間の身体というものは――なかなか壊れません。

 でも一回壊れたら――なかなか元には戻らないんです。

 宜しくご自愛くださいますよう。

 

 

 ……などと、最後に余計なことを申しました。平にご容赦を。

 

 それでは皆さま。次作までごきげんよう。

 

 

 

 

 珍歩意地郎 四五四五 拝

 

 

 

 



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