ゼロの少女と食べる男 (零牙)
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PROLOG-THE FIRST PART 『始まり』の始まり

初めまして、零牙という者です。
SS初心者で、初投稿です。
文才と時間の不足で、投稿は2、3週間……下手をすると1ヵ月に1回になりそうです。
暇な時にでも読んで頂けば幸いです。


 透き通るような青空、ゆっくりと流れ行く白い雲。

 

 日差しは暖かく、足もとに広がる草原を渡る風が心地良い。

 

 ただ散策するだけでも誰もが心穏やかな時が過ごせるだろう。

 

 

 

 

 

 ――ぽっかりと開いた、春の爽やかな景観ブチ壊しな大穴なんぞ無ければ。

 

 

 

 

 

 

 ここはハルケギニア大陸、トリステイン王国にある『トリステイン魔法学院』。

 

 

 

 

 

 ――物語はここから始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   PROLOG-THE FIRST PART 『始まり』の始まり 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『使い魔召喚の儀式』。

 

 トリステイン魔法学院の生徒は2年生に進級する春、この儀式で『使い魔』を召喚する。

 神聖な儀式である為、一度呼び出した『使い魔』は変更する事はできない。

 また、『使い魔』の能力は呼び出した『主』の能力にある程度左右される為、生徒にとっては一大イベントである。

 召喚された己の使い魔にそれぞれが一喜一憂し、他の生徒が召喚した使い魔に感心・嫉妬・苦笑する。

 

 

 

 そうして残るはただ一人。

 

『ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール』。

 

 ここトリステイン魔法学院において、彼女の存在は有名である。

 

・家柄……トリステインでも有数の名門貴族『ラ・ヴァリエール家』の三女。

     系譜をたどれば祖先は王家に連なる。

・容姿……桃色がかったブロンドの髪、鳶色の目に透き通るような白い肌。

     控え目に表現しても『美少女』と言えるだろう。

・体格……同年代の少女の平均と比べると、身長は低め・体重は軽め・体型は幼め。

     ――数年後に期待。

 

 しかし彼女が有名なのはそんな理由ではなく……

 

 

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール!

 

 何処かにいる我にふさわしき使い魔よ! 

 

 始祖ブリミルの導きに従い、我が声に応えよ!」

 

 

 

 緊張した表情で

 

 誰よりも気合を込めて『サモン・サーヴァント』の呪文を唱え

 

 渾身の力で杖を振るった結果は

 

 ――突然の爆発と先の大穴であった。

 

 

 

(なんで爆発するのよっ……!)

 

 

 

 爆発で生じた砂煙にむせながら、今まで何千回繰り返したかもわからない言葉を心の中で呟く。

 

 ――そう、彼女の唱える魔法の結果は常に『爆発』。

『魔法が使えない魔法使い(メイジ)

 これこそ彼女が学院において、その名が知られている理由である。

 

「ゲホッ、やっぱりこうなったかっ……!」

「ゴホッゴホ……まぁゼロのルイズだしな……」

「『ゼロにふさわしい使い魔なんていません』ってブリミルの答えなんじゃない?」

「いや待て待て、実はあの穴の底に何かいるんじゃないのか?」

「いたとしてもあの爆発だ、召喚された瞬間に死んでるって!」

「おい、さすがに『1回目で成功』に賭けた奴はいないだろ!?」

 

 周りの生徒達が一斉に囃したて、笑い合う。

 

「うるさいわよあんた達ぃっ! そして人をダシに賭けなんてするなぁっ!」

 

 怒りと悔しさで顔を真っ赤にして怒鳴るルイズ。

 しかし笑い声が止む気配は無い。

 握り締めた拳を震わせ、笑っている生徒の方へ思わず飛びかかろうとしたその時、ポンと肩に手が置かれた。

 

 

 

「落ちつきなさい、ミス・ヴァリエール。 魔法とは、心を静めてこそ初めて成功する物ですよ」

 

 

 

 頭髪が少々寂しい感じのする眼鏡の中年の男がルイズをなだめる。

 

「皆も笑うのを止めなさい! 他人の失敗を揶揄し笑うなど貴族のする事ではありません!」

 

 シンと静まり返る生徒達。

 それでもまだクスクスと笑う生徒がいたが、男からの視線を受けて真顔になる。

 

「さぁミス・ヴァリエール、もう一度です。 今度は少し肩の力を抜いてみましょう」

「はい! ありがとうございます、ミスタ・コルベール」

 

 コルベールと呼ばれた男は微笑みながらうなずくと、再びルイズを見守る。

 

 

 

 彼はここトリステイン魔法学院の教師である。

 故にいつも魔法に失敗するルイズの存在は気に掛かっていた。

 

 授業中は決して不真面目などではなく、むしろ熱心に受けている。

 魔法について調べているであろう彼女を図書館で何度も見た事もある。

 『爆発』の1点さえ無ければ優秀な生徒なのだ。

 

 だからこそ、この召喚の儀式には成功してほしいと願っているのである。

 

 

 

 誰一人として言葉を発しなくなった草原で、先程よりも肩の力を抜き静かに集中するルイズ。

 そして再び使い魔召喚の呪文、『サモン・サーヴァント』を唱えようとして

 

 

 

 ――不意に後ろを振り返る。

 

 

 

 その視線の先にはコルベールと生徒達しかおらず、何人かの生徒が彼女の視線を追い振り向くが先程となんら変わりのない風景しかない。

 

 小首をかしげつつ、向き直るルイズ。

 改めて気を落ち着け、大きく息を吸い込み

 

 

 

 今度は弾かれた様に辺りを見回す。

 

 

 

「どうかしましたか? ミス・ヴァリエール」

 

 さすがに不審に思い、コルベールが声をかける。

 

「……すみません、何か聞こえたような気がしたので……」

 

 杖を持たない左手で耳を押さえながら答えるルイズ。

 しかしコルベール自身は何も聞こえなかった。

 他の生徒もまた同様らしく、互いに顔を見合わせ首をかしげている。

 

「そうですか……私には何も聞こえなかったのですが……」

 

 だがルイズに嘘を言っている様子は無い。

 

「ミス・ヴァリエール、もしかして先程の爆発が原因では? 一番近くにいて何も影響が無かったとは思えません」

 

 

 

 確かに先程の耳をつんざく大音響、至近距離に居たルイズの耳が正常に機能していない可能性もある。

 

 

 

「気になるのでしたらしばらく静かな所で休んでみては。 儀式も明日改めて行っても構いませんよ?」 

 

 

 

 コルベールがそう言った直後、周囲の生徒がざわめきだした。

 

 

 

 (おぃっ! まさか『1回目でコルベール・ストップ』か!?)

 (しかも『退学』でなくて『延期』!? 少し甘過ぎじゃないのか?)

 (『10回』くらいは待つと思ったんだが……)

 (ちょっと! これって『ストップ』じゃなくて『休憩』でしょ?)

 (まさか! 『コルベール・ストップ』で『延期』、これで決まりだ)

 (ちぇっ、みみっちい賭け方しやがって……)

 (でもその倍率はそんなに高くなかったろ? じゃあ胴元の手元にほとんど残るんじゃないか?)

 (親の丸儲けかよ……)

 

 

 

 どうやら生徒達はルイズの召喚が成功か失敗かを賭けていたようだ。

 ……ほぼ全員が失敗に賭けていたのは当然と言えば当然の結果なのか。

 しかも配当を増やす為に、『挑戦回数』や『延期や留年などの結果』等の条件を付けた者がほとんどである。

 

 

 

「はぁ……」

 

 大きく溜息をつくルイズ。

 『使い魔召喚』は進級時には必須――というよりは成功して当然の事。

 このままでは留年……いや、今までの自分の魔法の実技の成績を考えると下手をすると退学も有り得るのでは。

 

 これまでそんな生徒が存在したという話は聞いた事が無い。

 

 ――となると『学院史上初』という不名誉極まりない結果になる。

 

(冗談じゃないわ!)

 

 もし仮にそうなってしまったら……

 ……あの厳しい父、母、そして長姉にどんな目に遭わされるか想像するだに恐ろしい。

 

 

 

 

 

 ――そしてあの優しい次姉はどんなに悲しむだろうか……。

 

 

 

 

 

 例え失敗しても何度でも挑戦させてもらうつもりだったのだが。

 

 

 

 (何なのよ、あの『声』は……)

 

 

 

 二回目の『使い魔召喚』の寸前、ルイズは『声』を聞いた。

 

 一度目は言葉ですらない声の欠片。

 だが二度目は途切れながらだが確かに言葉が聞こえた。

 

 

 

 

 

   ≪……イライ……カ≫

 

 

 

 

 

 今まで何千回と魔法に失敗してきたが、こんな事は初めてだった。

 

(なんだってこんな時に……)

 

 もう一度溜息をつき、ぼんやりと空を見上げる。

 ――続きは明日にしてもらって、今日は部屋でゆっくり休もう。

 そう考えたルイズはコルベールに伝えようとして

 

 

 

 

 

 (『こんな時』?) 

 

 

 

 

 

 

 ――何かが心に引っ掛かった。

 

 

 

 

 

 

     『我にふさわしき使い魔よ!』

 

 

 

 声が聞こえたのは呪文を唱えた後。

 

 

 

     『我が声に応えよ!』

 

 

 

 声を聞けるのは呪文を唱えた自分だけ。

 

 

 

 

 

 ――ならば

 

 

 

 

 

 ――あの声は自分に『応えた』声なのではないか。

 

 

 

 

 

「我が声に応えし者よ!」

 

 

 

 突如ルイズの声が響き渡る。

 ざわついていた生徒達は何事かとルイズを見る。

 

 

 

「我と契約し、我が使い魔となれ!」

 

 

 

 

 

 誰一人ルイズの行動が理解できず、先程とは違う静寂が漂う……

 

 がしかし、それもつかの間

 

 

 

「――ぷっ」

 

 

 

 誰かが小さく噴き出したのを合図に、再び生徒達が一斉に笑い出す。

 

「ヴァリエール、何を言ってんだぁ~?」

「がんばれルイズ! あと9回!」

「さっきのは空耳だって!」

「ミスタ・コルベール! ゼロのルイズが幻聴に話し掛けてまーす」

「おい、ゼロのルイズ! 今更祈ってどうするんだよ!」

 

 

 

 ――やや俯いて目を閉じ、胸元の杖を両手で握り締める。

 

 

 

 祈るような姿でルイズはじっと『声』を待っていた。

 

 

 

 

 

(へぇ…)

 

 

 

 その様子を皆とは違う視線で見ていた一人の女生徒がいた。

 

 

 

 ――名を『キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー』。

 

 燃えるような赤い髪と褐色の肌を持つ、隣国ゲルマニアからの留学生である。

 同年代の少女達の平均よりも若干重めの体重は、平均より高めの身長とその豊満なプロポーション故だろう。

 

 

 

 トリステインの人間に在りがちな気位の高さと、公爵家の娘という貴族としての誇り。

 それらを持っているからこそ『ゼロ』と呼ばれる事を嫌い、言われれば激しい感情でぶつかっていく。

 無視しようとしても知らず眉間にシワが寄り、険悪な表情となる。

 

 それがキュルケのルイズに対する認識である。

 

 国境を挟み領地が隣接している事もありラ・ヴァリエール家とフォン・ツェルプストー家は浅からぬ因縁が有る。

 事有るごとに口論をし、またある時は自分と彼女の大人と子供程違う体型を比べてからかったりもした。

 

 そんな「犬猿の仲」とでも言うキュルケだからこそ分かる。

 

 ――今のルイズには周囲の言葉は聞こえていない。

 表情もやや緊張気味だが穏やかで、そんな事に気付かない程集中しているのだろう。

 

 先程の行動もルイズには何か確信有っての事か。

 『何かが聞こえた』というのも関係あるのかもしれない。

 

 

 

(後でこれを使ってルイズをからかおうと思ってたんだけど……)

 

 ふとキュルケは自分のポケットの中の1枚の紙片の存在を思い出す。

 

(……ひょっとしたら化けるかも)

 

 擦り寄る己の使い魔である火蜥蜴の頭を撫でながら微笑む。

 

 

 

 

 

 静観している者、我関せずと本を読む者もいたがそれは極少数。

 笑い騒ぐ生徒達や、鳴き暴れるその使い魔達でその場は騒然としていた。

 

 そんな混乱を治めるべきコルベールもルイズの奇行に一瞬呆気に取られてしまい、生徒達を静めるのが遅れてしまった。

 この現状では、先程の様に自分の一喝で収拾するのは困難だろう。

 

(ならば、まずは彼女をこの場から遠ざけなければ!)

 

 いくら気丈に振舞うあの少女でも、今のこの場の空気には耐えられぬだろう。

 このままでは彼女の心に大きな傷が残る。

 そう思い、この場で罵声と嘲笑の矛先となっている少女に声をかける。

 

「ミス・ヴァリエール!」

 

 

 

 

 

 周囲の喧騒は聞こえない。

 聞こえるのはいつもより大きく、そして短い間隔で刻まれる自分の鼓動だけ。

 

 ルイズは静かに目を閉じたまま待つ。

 

 …

 

 ……

 

 ……… 

 

 そうして数秒か数分か十数分か。

 どのくらい経ったかはわからない。

 

「ミス・ヴァリエール!」

 

 ふと耳にコルベールが自分を呼ぶ声が届く。

 恐らくは儀式を中断させる為だろう。

 

 ――もしくは終了か。

 

 いずれにせよ、立会いの教師の呼び掛けを無視して儀式を続ける事は、生徒である自分には不可能だ。

 

 

 

 ――あの声は単なる自分の勘違いか。

 

 

 

 そんな思いが脳裏をよぎり、溜息をついた――

 

 

 

 

 

 

 

 ――その直後。

 

 

 

 

 

   ≪……イライ……カ≫

 

 

 

 

 

 待っていた『声』が聞こえ、今度は息を呑む。

 

(勘違いでも、幻聴でもなかった!)

 

 歓喜で胸が一杯になり、笑みが零れた。

 興奮で叫びだしたい衝動を必死に抑え、早鐘の様な動悸を落ち着ける。

 

 僅かながら平静を取り戻し、そして聞こえた言葉の意味を考える。

 

(……『イライ』……『依頼』って事?)

 

 その正体は不明だが、ルイズに応えた『ナニカ』はルイズの言葉を自分への依頼と受け取った様だ。

 

 

 

 ――ならば彼女に選択の余地は無く、その答えは既に決まっている。

 

 

 

 一度大きく、ゆっくりと深呼吸をする。

 

「ミス・ヴァリエール!」

 

 再びコルベールの声が耳に届く。

 

 だがここで止める訳にはいかない。

 自分の呼び掛けに応えてくれた『ナニカ』が存在する。

 今のこの機を逃して、次もその『ナニカ』が応えてくれるという保証は無い。

 

 

 

 ――そもそも自分には『次』が有るとは限らないのだ。

 

 

 

 だからこそ今――この場、この時、この瞬間に。

 

 彼女は精一杯の大声で『ナニカ』に『依頼』する。

 

 

 

「そうよ! 私の使い魔になりなさい!」

 

 

 

   ≪………………ツカイマ?……≫

 

 

 

 やや戸惑いを含みながら繰り返される『依頼』。

 少なくとも即断で拒絶される事は無かったようだ。

 

 ……しばしの沈黙。

 

 

 

   ≪…………イイダロウ≫

 

 

 

(やったっ!)

 

 承諾の意を示す返答に、心の中で歓声を上げて両の拳を握り締める。

 

 ――これなら『サモン・サーヴァント』は成功するはず!

 

 張り切るルイズだったが、続く『ナニカ』からの言葉は――

 

 

 

「……『ホーシュー』……? ……って『報酬』!?」

 

 

 

 ――完全に予想外だった。

 

(何よ、どういう事!? 報酬を要求する使い魔なんて聞いた事無いわよっ!)

 

 厳密に言えばまだ使い魔ではないのだが。

 そして厄介なのがその『報酬』。

 

 

 

(……『ロッパ・コーク・リード』って何よ……!)

 

 

 

 見た事も聞いた事も無い未知の物だった。

 

 

 

(秘宝? 秘薬? マジックアイテムとか美術品とか……食べ物、土地の可能性だってあるわよね……)

 

 色々考えるが、見当もつかない。

 

(もしかしたら東方の『ロバ・アル・カリイエ』の物? 語感も何となく似てるし……)

 

 しかし結局の所、ルイズの『依頼』に対する代価がその『報酬』ならば是非も無い。

 

 

 

「わかったわ! それで良いわよ!」

 

 

 

 自分でも手を尽くすつもりだが、いざとなれば実家に援助を申し出る考えだった。

 幸いにもヴァリエール家は『公爵』の爵位を持つトリステインでも有数の名門貴族。

 大抵の事は何とかなるだろう。

  

 ……『ナニカ』の気が変わらない内に…… 

 

 ……これ以上の『報酬』を要求されない内に……

 

 そう思って慌てて『サモン・サーヴァント』を唱えようと集中するルイズ。

 

 

 

 ――故に彼女は聞き漏らした。

 

 ――『ナニカ』が呟いた最後の一言を。

 

 

 

 

 

 

「ミス・ヴァリエール!」

 

 ルイズの肩が、不意に叩かれる。

 

「ミ、ミスタ・コルベール! なな、何でしょう?」

「先程から呼んでいるのに気付いていない様子だったので」

「っ!? ……えっと、す、すみません!」

 

 慌てて頭を下げ謝るルイズ。

 『聞こえていたけど無視しました』とはさすがに言えない。

 

「それに何か独り言も聞こえたのですが……本当に休まなくても大丈夫ですか?」

 

 心配そうなコルベールの言葉に、勢いよく顔を上げる。

 

「大丈夫です! だからもう一度やらせてください!」

 

 必死に訴えるルイズの目には、他の生徒達に対する負の感情は見られない。

 この様子なら大丈夫だろうとコルベールはそっと安堵の息を吐く。

 

「……わかりました、許可します」

 

 喜んですぐにでも呪文を唱えようとするルイズに釘を刺す。

 

「ただし! 身体の不調を感じたら必ず休憩する事。召喚の後は『コントラクト・サーヴァント』を行わなければいけませんから」

 

 

 

 

 

 『コントラクト・サーヴァント』――『サモン・サーヴァント』で召喚した生物を使い魔とする儀式である。

 

 

 

 

 

 『サモン・サーヴァント』を詠唱すると、使い魔となる生物の前に光のゲートが現れる。

 生物がそのゲートを通れば召喚は成功となる。

 その後、『コントラクト・サーヴァント』によってその生物は正式に術者の使い魔となるのである。

 

(『声』が聞こえたんだし、完全な失敗じゃない! 成功すればきっとゲートを通ってくれるはず!)

 

 ――ただ一つ心配が。

 

(『コントラクト・サーヴァント』を失敗したらどうしよう……)

 

 

 

 もし仮に召喚された生物が小動物等のか弱い物だった場合、ルイズの失敗魔法の爆発で死んでしまう可能性がある。

 

 『召喚直後に使い魔を爆殺』。

 

 ……間違い無く前代未聞の事件となるだろう。

 

 

 

(ちょっとの爆発でも死なないくらい頑丈な奴なら良いんだけど……)

 

 ゆっくりと深呼吸しながら『ナニカ』の事を考え、先程の遣り取りを頭に浮かべる。

 そして呪文を唱えようとして――

 

 

 

 ――『コントラクト・サーヴァント』――

 

 ――『使い魔』――

 

 ――『声』――

 

 ――『報酬』――

 

 

 

(……っ!?)

 

 

 

 いくつかの事象が突如繋がりある一つの予想を導き出し、そしてその予想は自信と期待を彼女にもたらした……

 

 

 

 

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール!

 

 我が依頼を聞き届けし者よ! 

 

 始祖ブリミルの導きに従い、我が前に姿を現せ!」

 

 

 

 

 

 興奮を抑えられない表情で

 

 一度目よりも気合を込めて『サモン・サーヴァント』の呪文を唱え

 

 勢いよく杖を振るったその先に……

 

 

 

 ……光る鏡のような物が現れた。

 

 

 

「やったぁ!」と歓声を上げようとした――その瞬間。

 鏡のような物からおびただしい量の光が噴きだし――

 

 

 

 

 

     「なんでよぉーーーっ!!!」 

 

 

 

 

 次にルイズが感じたのは

 

 己自身が後方に吹き飛ばされるほどの衝撃を伴った

 

 一度目を上回る程の爆発だった。




次話もプロローグですが、早ければ今日中に投稿します。
タイトルで『ナニカ』はあっさりバレるとおもいますが一応伏せてます。
ストックはほとんど無く、あと2回分。
とりあえず、1巻分が終れるようにちまちまと続けていこうと思います。
気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。


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PROLOG-THE LATER PART 終わりから『始まり』へ

最終話、最後の会話のシーンをイメージしながら少しアレンジしました。


 

 

 晴れ渡る蒼穹、遠く彼方に漂う雲の峰。

 

 照りつける灼熱の太陽、熱砂を含む焼けつくような風。

 

 際限無く広がる大地には生命の姿も無く、遥か遠い地平線まで乾いた砂の荒野がただ続くのみ。

 

 

 

 

 

 ――そんな場所にその人影はあった。

 

 

 

 

 

 ここはどこにでもある名も無い砂漠。

 

 

 

 

 

 ――物語はここで終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   PROLOG-THE LATER PART 終わりから『始まり』へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その人影は若い男女の二人組のようだが、その格好は実に奇妙だった。

 

 男の方はつば無しの帽子をかぶり、コートを着用。

 直射日光から体を守るという点では間違ってないだろう。

 丸いサングラスも目の負担軽減には良い。

 

 

 

 ……しかし、荷物が何も無い。

 

 

 

 その手にもその背にも、荷物らしき物が見当たらない。

 例え短期間でも、砂漠を行くのなら水や食糧は必須であり、休息には日差しと風を防ぐテントも必要だろう。

 

 何かの乗り物に積み込んでの移動とも考えられるが、乗り物はおろか運搬用の動物の影も形も無い。

 

 ……そもそも、『今』は簡単に砂漠を越えられる乗り物が有るにも関わらず、徒歩で砂漠に居る事自体が奇妙なのだ。

 

 

 

 そして女の方――顔立ちや背恰好からまだ少女のようだ――は奇妙より異常と表現するべきだろう。

 

 例えどんなに暑くとも、砂漠では肌の露出を避ける服装が常識だ。

 砂漠の強烈な太陽光による日焼けは、もはや火傷と同等である。

 

 ……にも関わらず、少女はその白い肌のほとんどを陽光にさらしていた。

 

 身に付けているのは金属のような鈍い光沢を放ち、下着とも水着とも取れる必要かつ僅かな部分のみを隠している物だけだった。

 そして装飾品であろう同じ材質の首飾り・腕輪・脚輪のみ。

 靴すら履かずに、素足で焼けた砂の上を歩いている。

 

 砂漠よりも酒場に居た方がよっぽど自然に感じる格好だ。

 

 

 

 そして最も奇妙な点は。

 

 延々と砂漠に刻まれたその場所までの彼らの行動の軌跡。

 

 

 

 ――それは男の靴跡のみで、少女の足跡は存在しなかった。

 

 

 

 

 

 少女が前方を歩く男の背に話し掛ける。

 

 

 

「次の世界にもこんな砂漠があるのでしょうね」

 

 そう言って右手でそっと自分の右側を指し示す。

 

 

 

   ≪ブン≫

 

 

 

 微かな音がして、そこには手の平程の大きさの黒い長方形の『何か』が現れる。

 

「あなたは砂漠がよくお似合いです」

 

 少女が男に話している間、黒い『何か』は音も無く徐々に大きさを増していく。

 そしてちょうど一般的な扉と同じくらいの大きさになった。

 

「お友達にお別れを言わなくてよろしいのですか?」

 

 そう問われた男は、少女に背を向けたまま初めて口を開く。

 

「いいさ。 また戻ってくる」

 

「でも……戻って来られた時彼らは――」

 

 

 

 ――ザァ……と熱く乾いた風が二人の間を吹き抜ける。

 

 

 

 少女の言葉はその風にかき消されてしまった。

 しかし男は聞かずともわかっているのか振り返りもせず、答える事もしなかった。

 

 

 

 そして少女の体に異変が起こる。

 

 

 

 右手首の辺りから、少しずつ体が大小様々な大きさの光の粒子となり、宙に漂い始めた。

 それらはシャボン玉のように風に乗り、上空へと浮遊する。

 

 その変化が遅れて頭部に現れても、少女は驚く事も慌てる事もしなかった。

 ただ、その端整な顔立ちに始終浮かんでいた優しげな笑みが、ほんの一瞬憂いを帯びる。

 

 

 

「いつも1人で……寂しくはないのですか?」

 

 

 

 そんな少女の問い掛けにも男は沈黙したまま。

 

「その中は“無”です。 お気をつけて………」

 

 変化は変わらず止まらず。

 ついに少女の体は跡形も無く消え去り、僅かに光の粒子をその場に残すのみとなった。

 

 

 

         ――また――

 

 

 

        ――時の彼方で――

 

 

 

     ――お会いしましょう………――

 

 

 

 最後の粒子が耳元を通り過ぎ、空へと浮かぶ時。

 男の耳にそんな言葉が聞こえた。

 

 

 

 結局男は一度も少女の方を見ようとはしなかった。

 少女との別れは既に何度も経験しているからか。

 そして少女の言う『時の彼方』での再会が約束されているからか。

 その顔からは何も読み取れない。

 

 しばしの間その場に立ち尽くした後、無言で振り返り無表情のまま歩を進める。

 

 

 

 ――そんな男がありありと驚きの表情を浮かべたのは、黒い扉の様な物に向かい合った時だった。

 

 

 

 大地に垂直に立つ黒い入り口。

 その中は暗黒。

 砂漠の太陽の光すら中を照らす事は叶わない……

 

 

 

 そんな暗黒の奥に、光輝く鏡の様な物があったからだ。

 

 

 

 

 少女の言葉通り、その中は“無”なのだ。

 そんな物が『有る』はずがない。

 

 『時間』も。

 

 『空間』も。

 

 『生命』も。

 

 『光』や『闇』でさえも存在しない。

 

 

 

 

 

     ――なぜならそれらは、

 

 

 

     ――これから『創る』のだから。

 

 

 

 

 

 

 楕円形の鏡らしき物。

 それを見つめる男の頭に声が響く。

 

 

 

   ≪…………………………! ………………! ………………!≫

 

 

 

 何かを必死に訴えているようだ。

 

 ――今まで何度も経験した『助けを求める声』。

 こんな時、男の言うべき言葉はいつも決まっている。

 

 

 

「……依頼か?」

 

 

 

 しかし返事は無く、男はもう一度呼び掛ける。

 

 

 

「……依頼か?」

 

 

 

 …

 

 ……

 

 ……… 

 

 やはり返答は無い。

 

 男は左手をコートのポケットに突っ込み、何かを取り出した。

 

 

 

     カリッ

 

 

 

 指先に摘み、咥える。

 

 

 

     コリッ

 

 

 

 噛み砕き、飲み込む。

 

 

 

     ゴクリ

 

 

 

 繰り返すこと3回。

 そうして4個目を口へ運ぼうとしたその時。

 

 

   

   ≪……コエニ……コタエシ……! ……ケイヤクシ……ワガ……ツカイ……!≫

 

 

 

 再び響く声。

 先程よりは聞き取り易いが、それでもまだ不鮮明だ。

 

 

 

 ――以前も似たような事があった。

 

 耳から入る声ではなく、頭に響く声。

 それは途切れがちで、しかし必死に助けを求める声。

 

 依頼人は天使の少女。

 その背には一対の翼、その額には一本の角。

 

 何故か生まれた世界から別の世界に迷い込み、男に助けを依頼した。

 

 

 

 ……ふと男は、あの時力を借りたとある人物を思い出す。

 

 あの数奇な生い立ちと、逃れられない宿命と、そして……

 

 

 

 ――全てを見通す奇跡の目を持つ一人の少女を――

 

 

 

 

 

 

 男にしては珍しく、ほんの僅かな時間感慨を抱いていたが、改めて声に応える。

 

「……依頼か?」

 

 今度はさほど経たずに返答が聞こえた。

 

 

 

   ≪……ソウヨ! ……ワタシノ……ツカイマ二……ナリナサイ!≫

 

 

 

「……使い魔?」

 

 聞きなれない言葉に思わず繰り返す。

 

 男の記憶では、使い魔とは『魔法使いや魔女の護衛や雑用をこなす存在』だった。

 とある依頼で出会った魔女はそんな物は連れていなかったが。

 

 

 

 しばし思案する。

 

 

 

 次にやるべき『仕事』は既に決まっている。

 重大かつ重要で、壮大な『仕事』だ。

 

 ――だが、急務という物でもない。

 

 多少開始・完了が遅れても特に問題は無い。

 

 加えて、様々な依頼を受ける『冒険屋』にとって護衛や雑用は手慣れたものだ。

 

 

 

「……いいだろう」

 

 

 

 男は依頼を受諾した。

 そして依頼の確認の次に必要な事は――

 

 

 

 

 

「……報酬は600億リドだ」

 

 

 

 

 

 報酬の取り決めだ。

 

 

 

   ≪……ホーシュー……? ……ッテホーシュー!?≫

 

 

 

 驚き、慌てふためく声が聞こえる。

 額が額だ、当然の反応である。

 600億リドもの法外な要求をされて顔色が変わらない者など、この世界中で居たとしても五指に余るだろう。

 

 

 

   ≪……ワカッタワ! ……ソレデイイワヨ!≫

 

 

 

 その言葉を聞いた男の表情は、やや癖のある長めの前髪とサングラスで分かり辛いが、その口には笑みが浮かぶ。

 

 

 

 

 

「悪いが………『異世界』からの依頼は高くつく」

 

 

 

 

 

 

 

 

   ≪……ワガナハルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール――≫

 

 

 

 またもや響いてきた声と共に微かに『鏡』の光が強まる。

 

 

 

 

 

 

 男は黒い入り口の前に立ち、右の掌を鏡の様な物に向ける。

 右腕が一瞬震えたかと思うと、突如掌から光が放たれる。

 束ねられ、凝縮されたその光は物理的な破壊力を有し、ただの鏡であれば打ち砕くだろう。 

 

 だが光は反射される事も破壊する事もなく、そのまま『鏡』に吸い込まれていく。

 

 

「……これが『ゲート』か」 

 

 

 そう判断した男は『鏡』の方へ――黒い入り口へ足を踏み出そうとして――

 

 

 

 

 

   「……」

 

 

 

 

 

 ――しばし立ち尽くす。

 

 

 

 

 

   「さて…」

 

 

 

 

 

 左手がコートのポケットから小さな何か――ネジを取り出し口に咥える。

 

 

 

 

 

   「仕事を始めるとするか」

 

 

 

 

 

 男は“無”へ踏み入り、そのまま『ゲート』をくぐる。

 

 男の姿が『ゲート』の中に完全に消えて間も無く、それは霧散する。

 

 “無”への入り口も音も無く消滅し、その場に残ったのは男の靴跡のみ。

 

 それさえも砂漠に吹く風と、それと共に舞い上がる砂によって風紋と化した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日、一人の男が姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ――男の名は『ボルト・クランク』。

 

 

 

 

 

 

   時に怨嗟と畏怖の声と共に……

 

   時に感謝と賞賛の言葉と共に……

 

   時に羨望と憧憬の眼差しと共に……

 

   時に信頼と友好の呼び掛けと共に……

 

 

 

   世界中の人間から、或いはそれ以外の種族から。

 

 

 

   その男はこう呼ばれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ――『世界一の冒険屋』――

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 




プロローグ『EAT-MAN』版でした。

『EAT-MAN』は好きな作品の1つです。
これが連載されていた時はまだ学生でしたが、掲載雑誌を立ち読みしてコミックを買おうと決めた初めての作品でした。

途中の回想エピソードは『RAY』とのコラボから。
「『ゼロ』と『(れい)』」ってのも考えたんですが、話を思いつかず敢え無く断念。

予想以上の人にご覧頂いているみたいで嬉しいかぎりです。
お気に入りの登録もありがとうございます。
早速タグについてご指摘を頂いたので、修正・追加をしました。

次話は今週中に投稿しようと思います。
気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。


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ACT-1 召喚成功

この話でストック終了。次話は作成中です。


 

 

 

 ――『コントラクト・サーヴァント』。

 召喚した生物を術者の正式な使い魔とする儀式である。

 

 ――『使い魔』。 

 主と契約し、主を守る存在。

 その為にか、契約時に『人語を解し話す』等の特殊能力を得ることがある。

 

 ――『声』。

 さっきの『ナニカ』とは、まだ『使い魔』でない――『コントラクト・サーヴァント』で契約していないにも関わらず普通に会話(?)ができた。

 つまり元々『人語を解し話す』事が出来るという事だ。 

 

 ――『報酬』。

 『ナニカ』はこちらの呼び掛けに報酬を要求した。

 ただの獣では持ち得ない知能があるからこそだろうし、その話し方も人の様に理知的だった。

 

 

 

 それらは連なって、閃光の様に彼女の心で瞬く。

 

 

 

 

 

(……わたしの使い魔は、高位の幻獣かもしれない!)

 

 

 

 

 

 ――『人語を解し、人の様に知能を有する生物』。

 

 確かに幻獣もそう言い表せるだろう。

 だがもっと単純かつ身近な生物が存在する。

 

 しかし、少女にその生物を連想しろというのは酷な事だろう。

 

 ……何故なら今までの『使い魔召喚の儀式』ではただの一度も前例がないからだ。

 

 

 

 ――『人』の言葉を話し、『人』と同じ様な知能を有する生物。 それすなわち……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

   ACT-1 召喚成功 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 背には硬い大地と柔らかい草の感触。

 目の前には透き通るような青空、ゆっくりと流れ行く雲。

 

 自分が仰向けに倒れていると自覚した瞬間、視界が涙で滲む。

 

 

 

(……失敗したんだ……)

 

 

 

 失敗する事に慣れ、心の中で半ば諦めていたいつもならば、なんとか平静を保っていられただろう。

 今度こそ成功だと自信を持ち、幻獣かもしれないと期待した。

 故に今回の挫折感・悔しさは今まで以上の物だった。

 

 潤む目から涙がこぼれる。

 

 その一滴が呼び水となったのか、今まで少しずつ澱の様に胸の奥に蓄積されていた絶望と悲しみが、堰を切った様に止め処なく溢れ出す。

 

 

 

(……やっぱり……わたしは……『ゼロ』なんだ……)

 

 

 

 決して人前では弱みを見せたり涙を流したりしない彼女だが、それも限界だった。

 自暴自棄になり、思う様その胸の内の感情を涙と共に吐き出そうとして大きく息を吸う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1度目を上回る砂煙にむせながら、期待通りの爆発に生徒達は地面に倒れたままのルイズに声をかける。

 

「がんばれ、ルイズ! あきらめるな!!」

「そうだ! あと8回だ!!」

「まだやれるだろ!? せめてもう1回!!」

「いや、無理はするな! 今日はもう休んだ方がいいぞ!」

「そうだそうだ! ミスター・コルベール! 続きは明日に!!」

「いやいや、残念ですが退学に!」

「立てっ! 立つんだヴァリエール!」

 

 

 周りの生徒達からの様々な言葉。

 ……しかし彼女を思う言葉は皆無だった。

 

 

 

 ――全ては己の娯楽と利益の為に。 

 

 

 

 そんな光景を、赤い髪の少女は冷ややかに見つめながら、使い魔であるサラマンダーの喉をくすぐる。

 そんな光景を、青い髪の少女は全く意に介さず、使い魔であるドラゴンに寄り掛かり静かに本を読み続ける。

 

 突如吹いた一陣の風。

 

 赤い髪の少女は髪を乱されて、咄嗟に手で押さえる。

 青い髪の少女は読んでいた本のページを次々に捲られ、眉間に皺を寄せる。

 

 そしてサラマンダーとドラゴンは、その風の中にそれぞれが気になる匂いを感じ取り、のそりと風上の方を見遣る。

 

 

 

 ――その方向には未だ砂煙が漂う穴があった。

 

 

  

「……ねぇ、ヴァリエール気絶してるんじゃない?」

 

 一人の生徒が先程から身動きしないルイズを見て呟く。

 

「『召喚失敗の爆発で気絶』!! 予想通りだ!」

「やった! 私なんか『5回以内で』を付けてたのよ」

「おいあまり騒ぐな! 目を覚ましたらどうすんだ!!」

「おぉーい、起きろルイズ!」

「あ! お前汚いぞ!!」

「いや~、一応まだ授業中だし起こさないと」

「そうそう、あれはサボって休憩してるだけさ」

「そうはいくか! ミスター・コルベール!!」

 

 儀式の中止を求めて立会いの教師を呼ぶが、呼ばれた本人は何かをじっと考え込んでいた。

 

「よし、まだ終わってない!」

「いつも通り『ゼロのルイズ』って呼べば言い返すだろ」

「冗談じゃない! そんな事させるか!」

 

 起こそうとする生徒の口を、そうはさせじとルイズの『気絶』に賭けていた生徒が塞ぐ。

 結果あちらこちらで何人かの揉み合いが静かに起こる。

 

 そしてなんとか拘束を免れた一人の生徒が大きく息を吸う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……何故だ?)

 

 

 

 立会いの教師として、ルイズの召喚を見守っていたコルベールの頭の中に疑問が生じる。

 

 

 

 『サモン・サーヴァント』を唱え、『ゲート』の出現が確認されれば召喚はほぼ成功である。

 詠唱だの魔力の制御だのはこの時点では無関係だ。

 

 ……しかし失敗例が無いわけではない。

 だがそれはもう一方の『ゲート』側――使い魔候補の生物に原因があるとされている。

 

 ――例えば高い知性もしくは魔法に関する抵抗力を持ち、『サモン・サーヴァント』が拒否・拒絶された場合。

 ――例えば他人の使い魔であったり何かの守護獣であったりと、既に何らかの契約を交わしていた場合。

 

 そんな場合は何も召喚されず、『ゲート』は消滅する。

 それでも再度の召喚では別の生物が使い魔として選ばれるので特に問題は無い。

 

 

 

 今回の儀式では『光の噴出』という異例の現象ではあるが確かに召喚の兆候があった。

 それからの『爆発』という事は、今までの失敗例とはまた別の事例なのではないか。

 

 ――ならば何故か?

 

 彼には『ゲート』自体が爆発した様に見えた。

 召喚の負荷に『ゲート』が耐えられなかったのだろうか。

 だが、今年だけでも小さな蛙から幼生とはいえ全長6メイルのウィンドドラゴンすら召喚されたのだ。

 

 彼女の魔法は小動物の召喚にも耐えられないくらい虚弱なのか、或いはウィンドドラゴン以上の生物を召喚しようとしたのか。

 

 

 

 

 ……ふと我に返る。

 

 

 

 周囲の生徒達が静かに揉めているという奇妙な状況に一瞬呆気に取られるが、問題の少女の状態が目に止まり己の迂闊さに歯噛みする。

 

 常日頃から様々な研究をしている為か、気になる事があるとついその考察に没頭してしまう。

 今回もルイズが爆発からしばらくたっても未だ起き上がってない事に今更ながらに気付いたのだ。

  

 

 

 急いでルイズの様子を確かめようと踏み出す直前、彼女の名を呼ぶ為に大きく息を吸う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――三者三様の思考に基づく行動、『大きく息を吸う』事が期せずして同時に行われた為に生まれた一瞬の静寂。

 

 故にその言葉は何の障害も無く、その場の全員の耳に流れ込んできた。

 

 

 

 

 

 

 

        「……いる……」

 

 

 

 

 それを発したのは一人の生徒。

 他の生徒と同様に召喚を済ませ、ルイズの召喚失敗を笑い、『気絶』に賭けていた為声も出さず周囲の喧騒を見物していた。

 ただ彼は、他の生徒よりも召喚失敗の爆発跡に最も近く且つ最も風上に位置する場所に立っていた。

 

 突如吹いた一陣の風。

 

 視界の端で未だ浮遊していた砂煙が途切れ、一瞬穴の底が垣間見えた。

 そこに、砂・土・石以外の何かの存在が有ったのだ。

 

 

 

        「……な、何かいるぞぉーーーっ!」

 

 

 

 皆が呆然とする中、その生徒の言葉に真っ先に反応したのはルイズだった。

 最初の呟きを耳にした瞬間体がバネ仕掛けの様に勢いよく起き上がり、次の叫びが響く時には既に穴に向かって駆け出していた。

 十数歩の距離を一息で駆け、多少は収まったとはいえ未だ粉塵晴れやまぬ穴の淵に立つ。

 そしてその勢いのまま底を覗き込む。

  

 しかし、風下である彼女からは穴の底までは見通せない。

 仕方なくさらに身を乗り出そうとした時、足元の淵が崩れバランスを失する。

 

「きゃっ……」

 

 反射的に前のめりだった体を元に戻すが、逆にのけぞる様な体勢で穴の底へ滑り始める。

 何とか止まろうと滑る足に力を込めるが、今度はその反動で体が前方へ投げ出されてしまった。

 

「……くっ……」

 

 穴の底に叩き付けられる事を覚悟をして、目を硬く閉じ歯を食い縛り衝撃に備える。

 

 

 

 しかし感じた衝撃は思った程ではなかった。

 

 穴自体がそれ程深くはなかった事と。

 

 

 

 ――自分の体の下から感じられる地面以外の何かの感触のお陰だろう。

 

 

 

(成功したんだ!)

 

 目を閉じたまま大きく深呼吸をして逸る心を落ち着ける。

 

(私の使い魔だ!)

 

 うつ伏せた体の前面で確かめられるその存在が、とても頼もしく誇らしく思えた。

 

 

 

 ――しかし、大丈夫なのだろうか?

 

 召喚時に起こった爆発に加え、決して重くはないとはいえ、たった今自分が下敷きにしてしまったのだ。

 

 

 

 ……いや、そもそも。

 

 

 

 『私の使い魔』はどんな『幻獣』なのか……

 

 

 

 

 

 視界が晴れない今の状況では、体で感じる感触から判断するしかないのだが。

 

 ――温もりを感じる獣毛ではない。

 ――ふわふわな羽毛ではない。

 ――冷たい鱗ではない。

 ――湿った皮膚ではない。

 

 

 

 『布』――幻獣を含む動物には本来持ち得ない人工の物。

 

 

 

 その事を疑問に思った時、再度吹き抜けた一陣の風。

 それは今度こそその場に残った砂埃を全て空へと散らす。

 

 『クレーター』と称するにはやや小さく浅い。

 『穴』と呼ぶにはやや大きく深い。

 

 その底でルイズは、自分の『使い魔』をはっきり目の当りにする。

 

 

 

 ……とりあえず、辺りが血の海でない事から外傷はないようだ。

 そして同時に先程の疑問が解ける。

 

 

 

 

 

 『布』――正しくは『服』を着た『人間』が仰向けに横たわっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ここハルケギニアには『亜人』と呼ばれる種族がいる。

 

 一言で要約すれば『人間と同じ様な姿をしている人間ではない生物』である。

 曖昧な定義だが、それ故にその種類は千差万別。

 

 人間より遥かに巨大な身体と力を持ち、人間を好んで食する人間とは似ても似つかない化物。

 身体の一部、もしくは大部分が人間とは異なる生物のそれであり、その生物の能力を有する者。

 耳の形が少し異なるだけで人間とほとんど変わらぬ姿を持ち、しかし比較できない程の寿命と魔力とで人間と争ってきた美しき敵対者。

 ――等々、枚挙に遑が無い。

 

 その『使い魔』を始め彼女は『亜人』だと思った。

 姿形が『動物』ではなく『人間』に見えたからだ。

 しかしやや大きな体躯と見た事の無い服装ではあったが、その手足・耳等は人間の物と変わらず。

 

 

 

 ――つまり召喚したのは『人間』、しかもお世辞にも上品・清潔とは言えないその服装から判断すると……

 

 

 

「……私が召喚したのは『人間』……しかもただの『平民』……なの?」

 

 

 

 しばらくその場に座り込んだまま呆然としていたルイズは、上から覗き込んでいた生徒達が半狂乱となって騒いでいる事に気付く。

 

「……嘘だろ?」

「ヴァリエールが召喚したっ!」

「あの『ゼロのルイズ』がぁ!?」

「これは何かの間違いだ!」

「……えっと……じゃあ賭けの結果は『成功』……って事?」

「なんだそりゃ!?」

「オイオイ、冗談だろ!? 誰が『成功』になんて賭けるかよ!」

「そうよね――って事は胴元の総取り?」

「ふざけんなっ! 俺がいくら賭けたと思ってるんだっ!」

「えぇ~、新作のアクセサリー買おうと思ってたのに~!」

「俺なんか流行りのマジックアイテム、彼女に約束してたんだぜ……」

「……そんなの有りかよ……」

 

 

 

 力無くうずくまる者――

 悲壮の表情で天を仰ぎ見る者――

 叫びながら髪を掻き毟る者――

 怒鳴りながら地団駄を踏む者――

 虚ろな目をしてへたり込む者――

 

 嘆きが、呻き声が、罵詈雑言が辺りを漂う中。

 

 その男はしかと大地を踏みしめ雄々しく立っていた。

 

 眩しそうに、しかし喜びを湛えた眼差しで。

 

 蒼天へと伸ばした己が手を見つめ。

 

 ゆっくりと、しかし力強く拳を握る。

 

 ――小声で始祖ブリミルに感謝を捧げながら……

 

 

 

 この一連の動作を冷ややかな目で見ていたルイズは、今回の賭けの胴元であろうその少年の顔を心の中の『いつか闇討ち・爆殺リスト』に刻み込む。

 ――余談だが、この『リスト』には隣接した領地からの留学生である一人の女生徒の名前が殿堂入りを果たしている。

 

 

 

 

 

「ミス・ヴァリエール」

 

 

 

 静かに、しかしはっきりと名を呼ばれルイズは立ち上がり振り向く。

 

 

 

「ミスタ・コルベール……」

 

 

 

 蠢く生徒達を分けて近づいた教師に無駄と知りつつ、それでも一縷の望みに縋って嘆願する。

 

「もう一度……もう一度召喚させてください!」

 

 ――幻獣なら完璧だった。

 ――動物なら何でも良かった。

 ――例え鼠でも蝙蝠でも烏でも蛇でも。

 

 ――『人間』の使い魔なんて聞いた事が無い。

 しかも『平民』――もしかしたらさらに下層の者の可能性も有る。

 

 ラ・ヴァリエール家の三女である自分に相応しくない。

 

 さっきの召喚は今までの魔法とはまったく違った。

 今度やればきっと普通の使い魔が召喚できる気がした。

 

 

 

 ――しかし。

 

「それは認められない」

 

 それは言葉少なに却下される。

 

 

 

「周知の事だが『使い魔召喚の儀式』は神聖な儀式だ、一度呼び出した『使い魔』は変更する事はできない」

 

「……で、でも! 『平民』を使い魔にするなんて聞いた事がありません!」

 

 それでも背後に横たわる『人間』を指し示しさらに訴える。

 そちらに一瞬目をやり、再びコルベールはルイズの目を見つめながら続ける。

 

「これは伝統なんだ、ミス・ヴァリエール」

 

 ゆっくりと底に向かって下りながら言葉を続ける。

 

「私も長年教師をしているが、『平民』を――『人』を使い魔にした事例は確かに見た事も聞いた事もない」

 

「……うぅ」

 

 ルイズの口から落胆の声が漏れ出る。

 

「図書館に残る記録にも私の知る限りでは記されてはいない」

 

 彼が図書館利用回数が多い教師の一人である事をルイズは知っている。

 ならば彼の言葉は正しく、少なくとも学院の記録については皆無に等しいのだろう。

 

「今回の貴女の召喚は正に前代未聞であり、恐らく学院史上初となるでしょう」

 

 予想通りの不名誉な結果に顔をうつぶせ、肩を落とす。

 そのまま歯噛みし、悔しさに体を震わせる。

 

 

 

「――ですが」

 

 

 

 底に着き、ルイズの前に立ち尚も続けるコルベール。

 

 

 

「その評価は未だ白紙のままです」

 

 

 

「……え?」

 

 コルベールの言葉の意味が分からず、怪訝な表情で顔を上げる。

 

 

 

「『使い魔』とは召喚してそれで終わりという物ではありません」

 

 咎めるでもなく責めるのでもなく、ごく普通にルイズに向き合って普段の講義の様に説く。

 

「『主』と『使い魔』、どちらかの命が尽き契約が切れるその時までに何を成したか。 それこそが『使い魔』の――さらには『魔術師(メイジ)』の評価となるのです」

 

 

 

 呆れられたり蔑まれるのを覚悟していた。

 しかし、予想だにしなかった言葉にやや呆然となるルイズ。

 

「あなたが人を使い魔にした『最初の魔術師(メイジ)』になるのか、それとも『最初で最後の魔術師(メイジ)』になるのかは分かりませんが――」

 

 言葉を切り深呼吸を一つ。

 その真面目で真剣な表情が穏やかな柔らかい笑顔に変化する。

 

「『学院史上初』という称号を誇れるような主従となってください」

 

 そして未だ呆然としているルイズの肩に手を置く。

 

「そして使い魔の召喚成功おめでとうございます、ミス・ヴァリエール。 貴女達のこれからの活躍に期待しますよ」

 

 

 

 

 

「……あ――」

 

 

 

 

 

 ルイズは『人を召喚した』という事に驚き混乱していたが、『召喚した』――つまり『魔法に成功した』のは間違いない。

 

 一人の生徒の今までの努力が遂に実った。

 教師としてこれほど嬉しい事はない。

 

 

 

 ……しかし、問題が無い訳ではない。

 

 

 

 ――『人』の使い魔。

 

 

 

 今まで見た事も聞いた事もない、学院の記録にも存在しない一大事。

 

 そもそも相手は自由意志を持つ一人の人間だ。

 いくら神聖な儀式の結果とはいえ、使い魔の契約に賛同してくれるのか。

 

 

 

 『今までの生活から隔絶し、この先の未来を強制し、それを魔法による契約で縛り付ける』

 

 

 

 ……どう考えてもすんなり了承してもらえる筈がない。

 だが妙案がないわけではない。

 

 

 

 彼には『コントラクト・サーヴァント』で表向きには使い魔となってもらいつつ、実際は彼女の護衛や従者として仕えてもらう。

 使い魔相手に報酬など前例の無い事だが、そもそも今回の召喚自体が前例の無い事、問題はあるまい。

 幸いにも『ヴァリエール家』はトリステインでも有数の名門貴族、それなりの額の報酬を支払えるだろう。

 見た感じ普通かもしくはそれ以下の平民の男性だ、金額次第で了承してもらえるかもしれない。

 

 

 

 ――ここで彼は、その考えとその考えに至った己に嫌悪感を抱く。

 

 

 

 『金や権力で平民を無理矢理従える』

 

 

 

 それこそ彼が嫌う貴族としての在り方の一端ではなかったか。

 

  

 

 貴族が平民に交渉を持ち掛けたとしても、平民にとっては貴族が持つ金や権力や魔法を恐れて結果的に命令や恐喝と変わらない場合が多い。

 貴族相手に平民が対等もしくは上位から交渉するには別の『力』が必要となる。

 

 例えば『財力』、例えば『人望』、例えば『技術』。

 だがそれらを持つ平民は極々僅かだ。

 

 しかも今回は召喚されてしまった後だ、事後承諾となってしまう。

 召喚された男性には儀式のやり直しが出来ない以上、使い魔になってもらうしかない。

 

 

 

 ……実は、正確には儀式のやり直しは可能だ。

 

 

 ただそれには条件がある。

 『使い魔との契約が切れた時』。

 この唯一の条件を満たした時のみ『サモン・サーヴァント』が再び詠唱可能となる。

 

 ――ここで問題となるのは『契約が切れた時』。

 この場合は使い魔の死を指す。

 『違う生物を召喚する為に喚びだした生物を殺す』。

 その様な貴族どころか人として有るまじき行為は学院では許されない。

 

 そもそも神聖な儀式の結果の使い魔を、故意に殺そうとするメイジはまず存在しないだろう。

 ルイズのやり直しを求める先の言葉はとっさに口から出てしまった物で、そんな意図が無い事は分かっている。

 

 

 

 ――魔法が使えない。

 

 その事で今まで馬鹿にされながらも諦めず、勉学に励み、努力を続けた彼女が初めて魔法を成功させたのだ。

 きっとこの召喚には何か意味があるはず。

 

 貴族として。

 

 そして教師として。

 

 自分も尽力せねばなるまい。

 

 

 

 未だ実感が湧かず呆然とするルイズを前に、コルベールはそう固く決意する。

 




 プロローグ2話だけの作品が、1週間で閲覧のべ1600人以上、お気に入り登録25件。
初投稿なので多いのか少ないのかはよくわかりませんが、当方の予想の10倍以上です……
 ご覧頂きまして、本当にありがとうございます!

 もうストックがありませんので、皆さんに忘れられる前に作成・投稿したいとおもいます。
 目指せ1週間以内、がんばって2週間以内……

 気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。


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ACT-2 喚ばれた男

1週間以内と思って努力はしたんですが、完成が日曜日に。
しかも投稿してたら日付が変わってしまいました……


 

 

 

 

 

 ……それは少女が幼い頃から欲していた物だった。

 

 本来一般的な『貴族』の家系に生まれれば当たり前の様に得られる物。

 

 『魔法』を習得する過程で自然と親や家庭教師といった大人から与えられる物。

 

 

 

 ――だが、少女は違った。

 

 

 

 只の一度も『魔法』は成功しなかった。

 

 どんなに勉強しても、どんなに練習しても、その努力は報われなかった。

 

 

 

 ――まだ『貴族』の誇り・義務・信念も理解できぬ子供の時から。

 ――ただただそれが欲しくて。

 

 

 

 成長した今でもその想いはずっと胸の奥底にあった。

 

 小さいけれど、それでも失敗する度にはっきりと自覚できるぽっかりと開いた『穴』。

 

 いつかは埋まると思いつつ同時に絶望視していた心の『空白』。

 

 

 

 

 

 

 

『そして使い魔の召喚成功おめでとうございます、ミス・ヴァリエール。 貴女達のこれからの活躍に期待しますよ』

 

 

 

 

 

 

 

 ――そこに先のコルベールの言葉が、静かに収まる。

 

 

 

 

 満たされた胸の内から熱いものが込み上がり、少女の目から雫となって零れ落ちる。

 

 

 

 ――それはささやかな幼い願い。

 

 ――それは子供の時に誰もが持つ大人への要求。

 

 ――それはつまり『祝福』と『賞賛』。

 

 

 

 

 

 

 

 

     ――『ワタシマホウガツカエタヨ』――

     ――『スゴイデショ』――

     ――『ワタシヲホメテ』――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ACT-2 ()ばれた男

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女の目から流れる涙。

 

 それは今までの涙とは違った。

 

 

 

 少女にとって、涙とは常に冷たく、暗い負の感情と共に有った。

 

 幼い頃に故郷の屋敷の中庭にある『秘密の場所』で……

 魔法学院の寮の自室のベッドの上で……

 先程の2度目の爆発の後目の前に広がる大空の下で……

 

 

 

 悲しくて、悔しくて、何もかもがどうでもよくなって……

 

 

 

 しかし今は違う。

 

 両の目から止めどなく溢れる熱い雫。

 

 締め付けられるような苦しみは無く、温かい何かで満たされた胸の内。

 

 

 

 ――そして少女は思い出す。

 

 人は嬉しくても泣けるんだ……と。

 

 

 

「ミス・ヴァリエール! 大丈夫ですか!?」

 

 目の前で呆然と立ち尽くしていたルイズが、その呆然とした表情のまま涙を流し始めたのだ。

 泣き喚くでもなく、泣き伏すでもなく。

 ただただその頬を涙で濡らす。

 

 あまりに唐突な出来事に、訳が分からず慌てふためくコルベール。

 彼の言葉に救われた故の涙なのだが、彼には知る由も無い。

 

 

 

 声を掛けられた事に気付いたルイズは、制服の袖で乱暴に涙を拭う。

 

「大丈夫です、ミスタ・コルベール! ありがとうございます!」

 

 そう答えた彼女は涙目ながらも、コルベールが今まで見た事が無い晴れやかな笑顔を見せた。

 

 安堵の溜息と共に、コルベールも微笑みを返す。

 

 

 

 

 

 1度咳払いをした後、真剣な教師としての表情でコルベールはルイズに語りかける。

 

「……さてミス・ヴァリエール、本来なら続いて『コントラクト・サーヴァント』を行ってもらうのですが……」

 

 ちらりと彼女の背後に目を向ける。

 そこには未だ倒れたままの『人』の姿があった。

 

「先も言った様に今回の召喚は前例の無い結果です。 事は慎重に運ばなければなりません」

 

 ルイズも気を引き締めたのか、講義を受ける時の様に真面目な表情でコルベールの話を聴く。

 コルベールも視線をルイズに戻し、言葉を続ける。

 

「事情を説明し、『彼』に納得してもらい、同意を得てから契約する事とします」

 

 『彼』がどこから召喚されたのかはわからない。

 使い魔召喚の『ゲート』と知らずにか、それとも不可抗力か。

 いずれにせよ、その結果を理解せぬまま召喚されたに違いない。

 

「これからの貴女達の関係性を良き物とする為です。 まずは『彼』の回復を待ちましょう」

 

 

 

 

 

 『サモン・サーヴァント』で召喚される使い魔は、召喚者と同じ属性である生物が選ばれる。

 それ故か、基本的に使い魔と召喚者の仲は良好である。

 

 だが一説に因ると、その原因は契約時の『コントラクト・サーヴァント』。

 使い魔となる生物に親愛や信頼の感情、忠誠や服従の意思を植え付けているからだとも言われている。

 

 この説の真偽はともかく、使い魔が主を害する事はほとんど無い。

 

 

 

 では、使い魔が『人』であった時はどうなるのか。

 ――まったく同じだという保証は無い。

 

 

 

 仮に現在の何も知らない・理解していないまま『コントラクト・サーヴァント』で契約し、無理矢理使い魔とした場合。

 

 後程事情を説明し、『彼』に納得してもらい、同意を得られればそれこそ最善の結果だろう。

 

 ――だがそんな物はこちらに都合の良すぎる幻想だ。

 

 現状は人攫いの賊共と何が違うのか?

 そんな事をしても『彼』の怒りと恨みを買うだけだ。

 そしてその矛先は、真っ先に主であるルイズに向けられるだろう。

 

 使い魔の契約を破棄しようとするかもしれない。

 

 使い魔と召喚者の契約が切れる条件は『使い魔の死』。

 ――そして『召喚者の死』だ。

 

 珍しい話だが、身近に全く存在しないわけではない。

 召喚者が病や事故、戦争で早世する事もある。

 

 そして使い魔が幻獣の類だった時は、召喚者よりも寿命が長い場合もある。

 今回の儀式であればタバサという少女が良い例だ。

 彼女の使い魔はウィンドドラゴン、しかもまだ幼生。

 どちらの寿命が長いかなど誰の目にも明白だ。

 

 早世だろうが老衰だろうが『死』に違いは無い。

 

 ――例えそれが『殺害』に因るものであろうとも。

 

 それがコルベールの今考えられる最悪の結果である。

 

 

 

 

 

 ルイズの為に色々と気を揉んでいたコルベール。

 そんな彼にルイズは胸を張って答える。

 

「問題ありません、その事なら『彼』から承諾を得ています!」

「……え?」

 

 彼女と彼女にしか聞こえなかった『彼』との話の結果など、彼にとっては寝耳に水だ。

 

「ですので、今ここで『コントラクト・サーヴァント』を行います!」

 

 そう言うとルイズは背後に横たわる『彼』と向き合う。

 

 

 

 実の所彼女は焦っていた。

 

 ――『サモン・サーヴァント』が成功した今なら、『コントラクト・サーヴァント』も問題無く成功するに違いない。

 ――時を置けば、またいつもの『ゼロ』に戻ってしまうかもしれない!

 

 そんな言い様の無い不安に襲われる。

 

(急げ! 早く! 今なら!!)

 

 

 

 

 

「待ちなさい、ミス・ヴァリエール」

 

 静止の声と共に再びルイズの肩にコルベールの手が置かれる。

 

 振り返るルイズの焦燥は傍からでも見て取れる。

 そして彼女の想いも。

 

 それがわかるからこそコルベールもゆっくりと諭す。

 

「承諾を得ているといっても、意識の無い状態での契約は『彼』に失礼ですよ」

「……はい……」

 

 そう言われ、ルイズも渋々頷く。

 

「それに『コントラクト・サーヴァント』は大なり小なり相手に負担を強います。 『彼』本人の体調も確認してからにしましょう」

 

 続けてふと気になった事を尋ねる。

 

「ところで先程『承諾を得ている』と言ってましたがいつの間に?」

「……あの、えぇっと~……」

 

 言葉を濁し目を逸らすルイズ。

 コルベールの呼び掛けを無視していた時だ、なんとなくばつが悪い。

 

「1度目を失敗した後に声が聞こえてきて……」

「ふむ……」

 

 そういえばあの時のルイズはしばらく様子がおかしかった。

 あれはそういう事だったのかと納得する。

 やはり『人』の召喚は通常の召喚とは勝手が違う物なのだろう。

 そう独りごちる。

 

 

 

「さて、他の皆を解散させてきます。 貴女はここに居てください」

 

 そう言ってコルベールは穴の底から地上へ移動する。

 

「皆さん! 今日はこれで解散とします! これからの時間はそれぞれ使い魔との交流に充ててください!」

 

 本来なら授業が無くなった事で生徒達から歓声が上がりそうなものだがまったく無い。

 それどころか「あぁ……」とか「……ぅう」とか呻き声を漏らしながらもぞもぞと動き出す。

 魔法で空を飛ばず、ほぼ全員がよろよろのたのたとよろけながら学院へ歩いていく。

 

 その様子を見ていたルイズは最近トリステインで流行っているという本を思い出す。

 死者が蘇り墓から抜け出し、腐りかけた体を引き摺って人を襲う――そんな内容だったはずだ。

 

 

 

 

 

 改めてルイズは『彼』と向かい合い、その側にしゃがみ込む。

 そして気を落ち着かせた状態で初めて『彼』の姿を確認する。

 

 

 

 まず目を引くのがその長身だ。

 横になった状態なのではっきりしないが、190サント以上もしくは2メイル近くはあるだろう。

 服の上からでは分かりにくいが体格は普通もしくは細身で、太っているようには見えない。

 

 黒いズボンに黒い靴。

 デザインはシンプルで装飾などはない。

 靴は体に合ったかなりの大きさで、ズボンを見る限り脚は長い。

 

 その長身のほとんどを包む足首近くまである大きなコート。

 くすんだような色合の暗い緑色に染められ、やや厚めで丈夫そうだ。

 しかしこの暖かい春の陽気では、暑いと感じてしまうのではないだろうか。

 両胸と両サイドに大きめのポケット。

 サイドのポケットには中に何か入っているらしい膨らみがある。

 

 上半身にはベルトの付いた見た事のない形のベスト。

 黒に近い暗い青色で、コートよりもさらに分厚く感じる。

 その下には白いシャツ、そしてマフラーなのかストールなのか、細い帯の様な布が見える。

 

 首元にはベストと同じ色の筒型の何か。

 ……小物入れだろうか。

 

 両手には指部分がない黒いグローブ。

 手首や指の周りに白い縁取り。

 甲部分には補強の為か金属のプレートがあり、装飾の様な飾り気のない紐が巻かれている。

 

 頭にはコートと同じ色とデザインの帽子。

 鍔は無く、頭部を覆うのみ。

 貴族が被る、鍔が大きく広く羽飾りがある帽子とは対照的だ。

 

 『彼』の着ている服全てに言える事だが、今まで見た事の無いデザインと材質だ。

 例の『報酬』の事もある、やはり東方の人間なのだろうか

 

 その帽子から溢れ広がる女性の様に長い髪。

 後髪は広い背の中程まで届く真っ直ぐだが、前髪はやや癖があり目元付近まで伸びている。

 殆ど白と言っても過言ではない薄い薄い金色。

 ――ルイズにはまだ幼い時に家族で行った海辺の砂浜が思い浮かんだ。

 ――そしてハルケギニアの東方に広がる砂漠地帯の砂もこんな色なのだろうか。

 

 やや面長に見えるその顔にはその長身と共に目を引く物がある。

 ――それはメガネ。

 メガネ自体は珍しい物ではない。

 ここ魔法学院の教師や生徒の何人かはメガネを掛けている

 

 『彼』の掛けているメガネは黒いのだ。

 だが『つる』や『縁』が黒いのではなく、『レンズ部分全体』が黒い。

 

(これじゃ何も見えないんじゃないの?)

 

 そう思ったルイズは、『彼』が口に何か咥えている事に気付く。

 まるでパイプを吸うかの様に咥えられているのは……

 

 ――金属製の小さなネジだった。

 

(どうして? どうしてネジが口に? 東方ではパイプじゃなくてネジを吸うの!?)

 

 混乱する彼女の頭の中で、東方の『エルフの居る恐ろしい所』というイメージに『変な風習のある所』というイメージが加わる。

 

(こんなの咥えてたら契約できないじゃないの………………ぁ……)

 

 

 

 

 

 ――ここで彼女は重大な事を思い出す。

 

 

 

 

 

 ――『コントラクト・サーヴァント』。

 召喚した生物を術者の正式な使い魔として契約する儀式である。 

 呪文を唱え、自分の魔力を生物へ伝える。

 その魔力によって生物には『使い魔のルーン』が刻まれ、正式に使い魔となる。

 

 その魔力の伝達方法が口移し――要はキスなのだ。

 

(えぇ!? じゃっ、じゃあわたしこの人とキスしなくちゃいけないのっ!?)

 

 頬が一気に紅潮する。

 その頬を両手で押さえながら慌てふためく。

 先程の涙とは違う熱さが顔全体に広がっていた。

 

 知らなかった訳ではない。

 通常なら特に気にする事ではなく、全く問題は無いのだ。

 動物にキスなら幼い頃にやった事はあるし、生涯のパートナーである使い魔となる生物なら尚更気にしない。

 

 ……だが相手が『人間』となると話が違ってくる。

 

 ――ルイズは家族以外の男性とのキスの経験が無い。

 ――つまり今回の『彼』との契約がファーストキスとなるのである。

 

 少女にとっては一大事。

 先とは違う理由で、コルベールに再度召喚のやり直しを頼もうかと本気で思ったくらいだ。

 だが言った所で一蹴されるのは目に見えている。

 非常に残念だが、最早諦めるしかない。

 

(うぅ……)

 

 顔を朱に染めつつ涙目で、非が無いとは理解してはいるが目覚めぬ『彼』を睨む。

 と、ここでファーストキスの相手になるだろう『彼』の素顔が気になった。

 どうせするなら美形相手に越した事はない。

 

 

 

 黒いメガネを取ろうと『彼』の顔に手を伸ばす。

 

(あれ? このメガネ……)

 

 触れる程近づいて初めて分かったのだが、黒い部分は完全に光を遮断しているのではなく、透けて見えるようになっているようだ。

 閉じられたままの目がぼんやりと見えた。

 

 

 

 

 

     カリッ

 

 

 

 

 

「えっ?」

 

 微かな音が耳に入り思わず視線を移す。

 少し前まで口元にあったネジが無い。

 

「あれ?」

 

 視線を戻すとぼんやりと暗く透けるメガネの向こうから、こちらを見詰める目。

 

 

 

「……」

「……」

 

 

 

 しばしお互い無言で目を合わせたまま動かぬ2人。

 

「……」

「きゃっ」

 

 『彼』が体を起こそうとしたので、ルイズは慌てて近づけていた体を離す。

 

「……」

 

 やはり無言で、地面に座り込んだ格好で動かない。

 その傍らに立ち、動揺を悟られぬように深呼吸をするルイズ。

 

 

 

「……あ、あなたは誰?」

 

 緊張しつつも『彼』に尋ねる。

 

「……」

「あなたは誰っ!?」

 

 尚も無言の『彼』にむっとして語気を荒くする。

 

「……」

「……っ!?」

 

 それでも無言で身動き一つしない『彼』を怒鳴ろうとしたその時。

 

 

 

 

 

     「……ボルト……」

 

 

 

 

 

「え?」

 

 返答があった。

 『彼』は座り込んだまま顔だけをルイズに向ける。

 黒いメガネで表情は分からないが、その口は微笑んでいる……ように彼女には思えた。

 

 

 

 

 

 

     「……ボルト・クランク……冒険屋だ」 

 

 

 

 

 

 




 ご覧頂きまして、ありがとうございます。
なんとか2話目が完成しました。
苦労したのがボルトの描写。
これは完全に自分の主観かつ予想に基づく物なんですが……

コミックのカバーやイラストで髪の色が微妙に違う!

初期では灰色だったんですが、今回は後期のイラストを参考にしました。
あと、首元のアレは本当に何なんだ? 1度も言及されてないし使用されてないし……

それから、「サングラス」についてはルイズ達には未知の物としました。
「ゼロの使い魔」は実はまだ全巻よんだ訳ではないのですが、少なくとも誰かが「サングラス」を掛けている描写は無かったと記憶しているので……

 次回は幕間的な話を挟もうと思います。 ……出来るだけ早めに。

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。


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ANOTHER STORY “MOLE”

今回の話は、コミック15巻を元に編集・捏造して作られています。


 

 

 ある時、『男』は1人の男と出会い名乗りあった。

 

 『マーカス』という男は仲間達と傭兵のような事をやっていると話す。

 

 仲間達のコードネームを考え、その名で呼び合っているという。

 

 『男』にも勝手にコードネームを付け、仲間になれと誘う。

 

 『男』にしてみればそれはコードネームというより子供じみたニックネーム。

 

 

 

     ――センスの無いネーミングだ――

 

 

 

 マーカスは会う度にその名で呼び、しつこく勧誘する。

 

 『男』はいつも勧誘を断り、しかしその名で呼ばれる事は拒絶しなかった。

 

 

 

 

 

 ――これは歴史の裏側、知られざる物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ANOTHER STORY “MOLE”(モール)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後の世に『惑星間戦争』と呼ばれた戦いがあった。

 宇宙空間を隔てた戦いは長期化し、互いの星は疲弊した。

 そしてこの戦争はお互いの本星同士で戦う事はなく、戦場となった星では数多くの命が犠牲となり、破壊された大地には難民が溢れた。

 この状況を打開すべく、一方の星で画期的な装置が開発された。

 

 ―Moving

 ―Of

 ―Limited

 ―End point

 

 宇宙空間にトンネルを開けるように、惑星間の距離であろうと瞬間移動を可能にする一対の巨大な装置。

 

 通称“MOLE”(モグラ)

 

 装置の片側を敵地に設置すれば、移動に時間や燃料が掛からず、効果的な奇襲が可能となり、安全な撤退・補給が実現する。

 これこそ正にこの戦争を終らせる突破口となるだろう。

 軍隊に発表した研究員達はそう思った。

 

 ……しかし軍隊がこの装置を採用する事はなかった。

 

 

 

 開発当初は軍隊が装置の片側を敵地へ運ぶ予定だった。

 しかし戦況が悪化し、最前線がすぐ近くの星まで及んでしまっている現在、装置を運ぶ輸送船の建造が間に合わないのだ。

 

 ――そして昔から語られる寓話の中に、こんな話が存在する。

 

 

 

 『猫の被害に怯える鼠達が何とかしようと話し合う』

 『ある鼠が猫の首に鈴を付ける事を提案する』

 『満場一致で決定、鳴り止まぬ拍手喝采の中、1匹が呟く』

 

 ――じゃあ誰がやる?――

 

 

 

 戦争が長期化した今、互いにスパイを使った情報戦も刻一刻と続けられている。

 “MOLE”が開発された事も恐らく敵本星に伝わっているだろう。

 そんな状況で、『直径50メートルを越える巨大な装置』を『最前線を越えて』『敵本星に設置』する。

 ――とても成功するとは思えない。

 

 

 

 2メートル近い長身に、シャツ、ズボン、靴、コート、革手袋にサングラスを黒一色で統一した怪しい『男』。

 そんな『男』がその研究所を訪れたのは、折りしも議会でこの計画に投入する資金が否決された頃だった。

 

 偶然『男』の『能力』を知る事となった研究員達は色めき立つ。

 

「これなら“MOLE”を敵地に送れる!」

「しかし……あんな得体の知れない男に託していいものか……」

「このまま使わないと本当の“MOLE”(モグラ)になっちまう」

「地下で眠らせておくよりはマシだろう」

「ああ……誰も期待しちゃいないがな……」

 

 だが『男』には敵本星に行く手段が無い。

 研究員はこの事を国に報告し、その問題を解決してもらう事にした。

 そしてこの報告を最後にこの研究所は閉鎖された。

 

 明朝『男』の前に爆発音と共に現れたのは――

 

「よお! 奇遇だな」

 

 あのマーカス率いる『マーカス義勇兵隊』の一団だった。

 

 

 

 もう一方の“MOLE”を守る為に偽の情報を流し、自身が囮となって敵を引き付ける。

 敵のゲリラ隊が攻撃する中、マーカス達の用意した船に乗り込み慌しく敵本星へ出発した。

 

 

 

 

 

 『難民を救う為にこの戦争を終らせる』

 だからこそ国からの依頼を受けたというマーカス。

 

 彼に拾われ或いは導かれそして守られているメンバー達。

 彼に全幅の信頼を置く全員が異論の有ろうはずが無かった。

 

 隊の紅一点、オレンジの瞳の『オレンジ』。

 巨漢の防壁『ダム』。

 メカに強い『ドライバー』。

 腕力自慢の『ブル』。

 寡黙な『サイレント』。

 銃を扱えば世界一の『ブロウ』。

 

 彼らは全員同じデザイン・材質のコートと帽子を身に付けていた。

 

     ――センスの無いネーミングだ――

 

 『男』は以前と全く同じ感想口にする。

 

 

 

 そんな彼らの談笑や休息を、戦争が許さなかった。

 

 

 

 離陸時に船に取り付いていた特殊工作ロボットが攻撃を開始したのだった。

 メンバーが脱出ポッドに避難する中、逃げ遅れた仲間を救う為に命を落とすマーカス。

 近くの星に不時着するも敵の追撃は続く。

 “MOLE”を破壊する為に現れた敵軍が進攻する。

 

 戦火を逃れ、身を寄せ合って生きている難民達のキャンプごと。

 

 そしてダムが仲間を庇いその巨体を壁とし……

 ブロウは敵の銃火に身を晒しながらも己の役割を全うする。

 

 オレンジは“MOLE”を作動させる小型ジェネレーターを守ろうとするが、ジェネレーターと共に敵に捕らわれてしまった。

 『男』とサイレント、ブル、ドライバーは難民が乗って来た船でオレンジを追い敵星へ向かう。

 

 

 

 ジェネレーターを取り戻そうとオレンジが……

 取り戻したジェネレーターを『男』に託しブルが……

 退路を確保しようとして敵軍に追いつかれたサイレントとドライバーが……

 

 皆が皆マーカスの遺志を継ぎ、諦めず、『男』に希望を繋ぎ、そして力尽きた。

 

 

 

 ――それは無駄ではなかった。

 

 

 

 

 

 敵軍の前に突如巨大な物体が――“MOLE”が姿を現す。

 『男』がジェネレーターを組み込み、“MOLE”を起動させる。

 

 慌てふためく敵軍の前に、惑星間の超長距離を飛び越えた軍隊が進撃を開始する。

 虚を衝かれた敵軍と、万全の状態で敵中枢に一斉攻撃を仕掛ける軍隊。

 もはや結果は火を見るより明らかだった。

 

 

 

 これにより、“MOLE”は『惑星間戦争終決』と共に歴史に刻まれる事になる。

 

 

 

 

 

 しかし、『マーカス義勇兵隊』と『男』の存在はそこに無い。 

 

 ――これは語られる事のない物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が回復して、まずは口に咥えていたネジを飲み込んだ。

 

 そして目を開けると、青空を背にこちらの顔を覗き込む少女。

 

 

 

「……」

「……」

 

 

 

 しばしお互い無言で目を合わせたまま。

 しかしいつまでも倒れたままでいる訳にはいかない。

 

「……」

「きゃっ」

 

 体を起こそうとすると、少女は慌てて体を離す。

 地面に座り込んだ格好で状況を確認。

 

 『ゲート』をくぐった瞬間、激しい衝撃を感じた。

 その結果、しばし気絶していたらしい。

 体は多少痛むものの、外傷も無く特に問題は無い。

 

 

 

「……あ、あなたは誰?」

 

 傍らの少女がやや緊張した声で尋ねる。

 

 

 

 ――それを聞いてふと考える。

 

 『ここ』には自分を知る者はいない。

 どんな名を名乗っても損得は無く支障も無いだろう。

 

 

 

 ……だが。

 

 

 

『我がマーカス義勇兵隊には習わしがある』

『仲間が死んだ時、そいつの身に付けていた物を皆でわけるんだ』

 

 

 

 あの日。

 不時着した星でブルから渡されたマーカスの帽子。

 そして今の自分が身に付けている物は、埋葬時に他のメンバーから譲り受けた物。

 

 ――ならばやはり『あの名』を名乗ろう。

 

 

 

「あなたは誰っ!?」

 

 

 

『こいつはネジを食っているからボルトって名付けた』

『ボルト・クランクってフルネームはどう? 私考えたの! 似合ってると思わない?』

 

 彼らから譲り受けた最初の物。

 

 

 

 

 

    「……ボルト……ボルト・クランク……」

 

 

 

 

 

 それから次に譲り受けた物。

 

『仕事をしろボルト。 仕事はいい。 仕事は人生を充実させる』

『いや……俺にとっては人生そのものだ』

『義勇兵を名乗ってはいるが俺は単に冒険をしたいだけなんだ』

『人生は冒険……仕事も冒険……』

『仕事の種類や名前は何だっていい……』

『お前もそうだろ? ボルト……俺とお前の生き方は同じのはずだ……』

『定職を決めるのが嫌なら俺がお前の仕事を決めてやる』

 

 

 

     『“冒険屋”ってのはどうだ?』

     「……冒険屋だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それにしても……

 

 『ボルト』は内心苦笑する。

 

 

 

 

 

     ――センスの無いネーミングだ――

 

 

 

 

 




終盤に、ボルトに『名前』と『職業』を言わせる為だけ(・・)に、15巻の内容を強引に圧縮して作りました。
そして原作をご存知の方はわかると思いますが、最重要人物の『アリス』の存在を完璧に無視しています。
彼女のエピソードも加えてうまく纏められる自信がありませんでした……
しかしボルトという人物の『名前』と『職業』そして『服装』に関して話を作るなら、15巻の内容は多少の無茶をしてでも入れたかった自分の苦肉の策です。
今回の話でそれが成功したかどうかはわかりませんが……

17巻の後記で作者の吉富先生が
「いつか『EAT-MAN』の世界の年表を作ってみたい」
と書いてましたが、これはその年表の最初に書かれる最古の出来事でしょう。
『冒険屋ボルト・クランク』の誕生の話ですから。
……年表見てみたかったなぁ。

次回は普通に物語を進めたいと思います。
気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。


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ACT-3 交渉

一休みしてから仕上げ・投稿のつもりがいつの間にか寝入ってしまいました……
やっぱり炬燵で横になったのはまずかったか……


 

 

 『貴族は土地を治め、平民は税を納める』。

 

 貴族は平民と違い、土地の所有が許されている。

 

 そしてその土地の名前が『姓』となる。

 例えば『ラ・ヴァリエール』。

 例えば『フォン・ツェルプストー』。

 

 

 

 ――では今ルイズの目の前にいる男、『ボルト・クランク』。

 

 

 

 『姓』を名乗った、つまりは『貴族』という事。

 『人間』を召喚した事は問題だが『貴族』を召喚したとなれば大問題だ。

 そうなるとこれはルイズとボルトの問題ではなく、下手をすれば『ラ・ヴァリエール家』と『クランク家』の問題となってくる。

 

(……ど、どうすればいいの……)

 

 

 

 彼女の『コントラクト・サーヴァント』はもう少し先のようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ACT-3 交渉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボルトの格好は一見しても『貴族』とはとても思えない。

 しかし貴族がお忍びで出歩く為に、平民に身をやつす事は希にあるのだ。

 領内の見回り、窮屈な生活の息抜き等々。

 

 昔当時のトリステインの王が、城下で給仕の娘に恋をするという逸話も残っている。

 その王からの贈り物は、娘の子孫が代々家宝として今も受け継いでいるらしい。

 

 自称『貧乏領主の三男坊』が市井に混じり世の不正・悪事を解決する『暴れん坊王子』は、昔から平民に人気のある物語だ。

 実在した王族をモデルに作家や吟遊詩人が話を作り、今でも語り草となっている事をルイズは知っている。

 

 目の前のとてもそうは見えない男も、変装した『貴族』ではないとは言い切れない。

 

 

 

 そして新たな疑問。

 

(……『ボウケンヤ』って何……?)

 

 それは名前と共に告げられた言葉だった。

 

 

 

 そんな困惑するルイズを意に介さず、ボルトはゆっくりと立ち上がる。

 

(……ぅわぁ、高い……)

 

 150サントを少し上回るだけのルイズと長身のボルトとは頭2つ分以上も差がある。

 隣に立たれると、正しく見上げる高さとなる。

 

「……お前が依頼人か?」

「そ、そうよっ!」

 

 言葉通り『上から』の問い掛けに若干苛立ちながらも、口には出さなかった。

 後々それが問題になると困るからと思っての事だが、わずかに滲み出る不機嫌な表情は隠せなかった。

 

 

 

 ――口角が上がり、口元が笑みを形作る。

 

 ――背筋に寒気を感じた。

 

 

 

 ボルトはただ単純に笑っただけかもしれない。

 しかし彼女からは眉は前髪に隠れ、目は『黒いメガネ』に遮られている。

 口しか見る事ができないその笑みが、仮面の様に作り物めいて『怖い』とさえ思えた。

 

 

 

 

 

「あぁ、良かった。 気がつかれましたか」

 

 背後からの声に内心安堵しながらルイズは振り向く。

 コルベールが下に降りてきていた。

 ルイズの隣に立ち、ボルトに会釈する。

 

「私はここトリステイン魔法学院で教師を務めているコルベールと申します」

 

 成人男性として決して背が低いわけではないコルベールも、ボルトには及ばない。

 

「……ボルト・クランクだ」

 

 それを聞いたコルベールは一瞬顔を強張らせるがすぐに穏やかな表情に戻る。

 彼もその可能性に気付いたのだ。

 

「色々とお聞きしたい事、お話ししたい事はあると思いますが、報告がてらここの学院長を交えてと考えてますので、ご同行をお願いしたいのですが……」

 

 今回の前代未聞の召喚を学院長はまだ知らない。

 単純に時間の節約になるし、問題が発生した時も学院長の知識、助言は解決に繋がるだろう。

 

「……あぁ、構わない」

 

 『黒いメガネ』の位置を片手で上げながらボルトは答える。

 

 

 

「では、こちらへ……」

 

 平静を装いながらもコルベールは未だ警戒を解いていない。

 杖を握り魔法を使えるように、体をすぐに動かせるように。

 

 その原因はボルトだ。

 

 無造作に立っているように見えて、その実隙が無い。

 その身から漂う雰囲気は明らかに戦う者が持つそれだ。

 『平民』にしろ『貴族』にしろ、只者ではないだろう。

 

 用心するに越した事はない。

 

 

 

 揃って穴から出るとまだ外には生徒が残っていた。

 

 赤い髪と青い髪の少女。

 

 赤い髪の少女はルイズに笑いかけ手を振る。

 当の本人は嫌そうな顔をして目を逸らす。

 青い髪の少女はただ黙って見ているだけ。

 

 学院の方へ歩いて行く一行――正確にはボルトに4対の視線が注がれる。

 少女達だけでなくその使い魔達までもが、彼が城の様な建物の中に消えていくのを見送っていた。

 

 

 

 

 

 ここ『トリステイン魔法学院』の学院長を務めるのはオスマンという老メイジ。

 白く長い髪とひげを持ち、百歳とも三百歳ともいわれる人物でオールド・オスマンとも呼ばれている。

 

 そんなオスマン氏は学院本塔の最上階にある学院長室で、現在進行形で折檻中だった。

 ちなみに『される方』である。

 

 『している方』は彼の女性秘書のミス・ロングビル。

 直接的と間接的のセクハラの報復に、うずくまる上司を無言で蹴り回している。

 

 このセクハラと報復は、ここまでは割とよくある日常茶飯事だった。

 ――それはそれで問題ではあるが。

 

 この日違ったのはミス・ロングビルが放った蹴りのかかと部分が、オールド・オスマンの臀部のあるポイントに突き刺さった事。

 ――背中のかゆい部分にやっと手が届いた、少し痛くて少し気持ち良い感じ。

 そんな微妙な感じに思わず「ぁふん」なんて言葉がオールド・オスマンの口から漏れたのだ。

 

 それを聞いた女性秘書は日頃のストレスもあったのか薄い笑いを浮べ、さらに力を込めて蹴り回す。

 うずくまる老メイジも次第に痛覚が麻痺し始めた。

 

 

 

 お互いに開いてはいけない扉が開きかけていた為か、いつもなら気付く足音と気配に気付かなかった。

 

 

 

 軽いノックの後、学院長室の扉が開き――

 

「失礼します、学院長。 お話が……」

 

 ――1秒後に閉じられた。

 

 

 

 

 

 コルベールが学院長室の扉を開いた瞬間、彼は自分の目を疑った。

 

 ――あの普段は理知的な顔のミス・ロングビルが見た事もない笑みで、複雑な表情のオールド・オスマンを蹴っていた。

 こんな場面を、前途有望な少女と遠方からの客人に見せても良いものだろうか……否、良い筈が無い!

 

 扉を開けて1秒後に閉め、そのまま無言で3秒間。

 

「学院長は今お忙しいようです。 ここまでご足労頂いて申し訳ありませんが、下の応接室へ行きましょう」

 

 ルイズとボルトに振り向いたコルベールは、広い額に汗を滲ませながら嘘くさい程の笑顔で告げる。

 ルイズはコルベールの体で中の様子は見えなかったようで、彼の変な態度に疑問を持ちながらも頷く。

 ボルトは相変わらず表情は見えないがそれでも異を唱えなかった。

 

 

 

「あっ!」

 

 階下へ降りる途中で突然ルイズが声を上げる。

 

「ミスタ・コルベール! 私ちょっと野暮用が……」

 

 つい口に出たが我ながらなんて馬鹿な事をと気付く。

 これから教師と使い魔の男と自分で、行うのは自分のこれからを定める極めて重要な話し合い。

 ――その本人が不在でどうするのか。

 コルベールは眉間に皺を寄せる。

 

 慌てて今の言葉を撤回しようとするルイズ。

 

「ミス・ヴァリエール、『野暮用』という事は短時間で終わると判断してよろしいですか?」

 

「……え? あ、はい大丈夫です! ありがとうございます!」

 

 予想外の許可の言葉に一瞬呆気に取られる。

 しかし直ぐに立ち直り、礼をした後階段を駆け下りる。

 

「私達は先に応接室へ向かいます。 あまり遅れないように」

 

 その背中に声を掛け、小さく溜息をつく。

 

 

 

「……色々大変そうだな」

 

 

 

 まさかの労いの言葉に驚いて振り向く。

 背後のボルトの口元には小さく笑みが浮かんでいた。

 そういえば学院長の扉を開けた時、彼は確かに背後にいたがその身長差から中の様子は丸見えだった筈。

 苦笑しつつも礼を言い、再び応接室へ案内する。

 

 

 

 

 

 途中出会ったメイドの少女にお茶の用意を頼み、2人は応接室に辿り着く。

 そこは国内外の貴族、時には王族を迎えるに足る部屋だった。

 内装や調度品の装飾など、豪勢でしかし派手になり過ぎないような造りなっている。

 

 コルベールがボルトに席を勧めると、2人に少し遅れて先程の黒髪の少女がお茶を運んできた。

 少女の淹れるお茶の香りが部屋を満たす頃、ルイズが多少慌てた様子だが無事に応接室へ入ってくる。

 少女が退出し、全員がお茶に口を付ける頃にはルイズの呼吸も整った。

 

 コルベールの視線を受け、ルイズは緊張した顔で頷く。

 

「――では始めましょう」

 

 

 

 

 

「改めて自己紹介を」

 

 ソファーに座ったまま軽く礼をするコルベール。

 

「私はコルベール、ここトリステイン魔法学院で教師をしております。 そして……」

 

 隣のルイズもコルベールに倣って礼をする。

 

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールです」

 

 やや緊張した声で名乗るルイズの紹介後にコルベールが補足する。

 

「今回、使い魔召喚の儀式であなたを召喚する事になったのが彼女です」

 

 2人の視線が対面に座るボルトへ向かう。

 かなり大きめに作られたソファーだが、長身の彼が座ると丁度良い大きさのようだ。

 

「……ボルト・クランクだ」

 

 それを聞きコルベールは深呼吸の後、まず確認しなければならない事を問う。

 

 

 

「ミスタ・ボルト、貴方は……『貴族』……なのですか?」

 

 

 

 コルベールは真剣な表情で、ルイズは息を殺して、ボルトの返答を待つ。

 しばしの沈黙が部屋を支配する。

 

 ――くっ。

 

 やや俯き加減で座っていたボルトが微かに笑う。

 

「……何を以ってそう判断したのかは知らんが……そんなご大層な肩書きを持った事は無い」

 

 ほぅと2人が揃って息を吐く。

 

「いや、失礼しました。 貴方が『姓』を名乗っていたので……」

 

 コルベールが額の汗をハンカチで拭き取りながら答える。

 ルイズもあからさまにほっとした表情で肩の力を抜く。

 とりあえず『ラ・ヴァリエール家』と『クランク家』という貴族間の問題の可能性は否定された。

 

「俺が『居た所』ではこれが普通だ」

 

「あなたが『居た所』って?」

 

 少し気が楽になったルイズが思わず聞き返す。

 

「『ここ』に来る直前は砂漠に居た」

 

「砂漠ってあの『サハラ』!? じゃあやっぱり貴方は『ロバ・アル・カリイエ』の人!?」

 

「……驢馬? 何の事だ?」

 

 若干興奮気味に問うルイズだが当然のようにボルトには心当たりが無い。

 

「ミス・ヴァリエール、『ロバ・アル・カリイエ』はこちらが便宜上そう呼称しているだけで、実際に東方に住む人達に聞いても通じませんよ」

 

「あ! そうですね……」

 

 ハルケギニア大陸の東方には広大な砂漠地帯『サハラ』が広がっている。 

 その砂漠のさらに東方は一括りに『ロバ・アル・カリイエ』と呼ばれている。

 ほとんど情報も無く、未だ謎のままの土地だ。

 

 

 

「失礼、話が逸れましたがそろそろ本題に入りたいと思います」

 

 そうコルベールに言われ、ルイズも居住まいを正す。

 

「ミス・ヴァリエールは、『あなたが使い魔となる事に同意している』と話していたのですが」

 

「あぁ、そんな『依頼』を受けた」

 

 再び緊張して答えを待つ2人に、ボルトはあっさりと認める。

 召喚の時は声だけだったので、ボルトがこうして面と向かってはっきりと了承の意を示した事にルイズは胸を撫で下ろす。

 

「こちらからも確認しておきたい」

 

「はい、なんでしょう?」

 

 

 

「……『報酬』の件だ」

 

 

 

「――あ」

 

 しまったと言わんばかりに声を漏らすルイズ。

 そんな彼女にコルベールは詳細を求める。

 

「どういう事ですか? ミス・ヴァリエール」

 

「あ、あの……さっき言った『声』が聞こえてきた時に言われてたんですが……」

 

 立て続けに予想外の出来事が起こってしまい、話すのを忘れてしまっていたのだ。

 

「ミスタ・コルベールは『ロッパ・コーク・リード』ってご存知ですか?」

 

「『ロッパ・コーク・リード』? はて、聞き覚えがありませんが……」

 

「『ロッパ・コーク・リード』じゃない」

 

 その言葉に2人がボルトに向き直る。

 

 

 

「……『600億リド』。 ――(かね)だ」

 

 

 

「ろっぴゃく!?」

「おく!?」

 

 2人が驚きの声を上げる。

 ――が、しばしの沈黙の後お互いに顔を見合わせ呟く。

 

 

 

「「……『リド』?」」

 

 

 

「…………」

 

 

 

 ――通貨が違ったようだ。

 

 

 

 

 

 その後、双方の話の擦り合わせる事で『600億リド』は『600万エキュー』に相当すると分かった。

 しかしその要求が膨大かつ法外な事に変わりはない。

 

「何よそれ!? 足下見るのも大概にしなさいよっ!」

 

「ミスタ・ボルト、さすがにその額は非常識では……」

 

 ソファーから立ち上がり声を荒げるルイズと渋面のコルベール。

 それをあまり気にした様子もなくさらに言葉を続けるボルト。

 

「もう1つ確認だ。 その『使い魔』とやら、期間はいつまでだ? 何かの目的達成までか?」

 

 そう問われ言葉に詰まる2人。

 

「……」

「……」

「……」

 

 

 

 誰も言葉を発する事なく、しばらく沈黙のまま時間が過ぎる。

 

 

 

「……『一生』よ……」

 

「……正確には『どちらかの命が尽きるまで』です」

 

 ぽつりと呟いたルイズの言葉を補足するコルベールだが、言った本人がその無意味さに気付いている。

 

 それを聞いても何も反応しない。

 少なくとも表面上は無表情のまま抑揚の無い声のボルト。

 

 

 

「最後だ。 『ここ』での相場は知らないから聞きたいんだが……」

 

 

 

 前髪と『黒いメガネ』の上部の隙間から、今まで隠れて見えなかった鋭い目が2人を見据える。

 

 

 

 

 

「……人1人の『半生』――いや、『命』の値段はいくらだ?」

 

 

 

 

 




通貨に関しては『1万リド=1エキュー』で計算しています。
判断材料としては『RAY』と『EAT-MAN』のコラボ作品でボルトが飲み屋で酒を飲んで3000リド支払ってたので『1円=1リド』。
『ゼロの使い魔』で『500エキューで平民一家4人が不自由なく暮らせる』とあったので『1エキュー=1万円』。
……あまりつっこまないでもらえると助かります。

次回は幕間的な話を予定しています。
前と違って、もっと軽めの話ですが。

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。


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BREAK 賭博黙示録

break―名詞『小休止、休憩』動詞『壊す、壊れる』


 

 

 それが見えたのは偶然だった。

 

 

 

 コルベールに連れられ応接室へ向かうその途中。

 窓から見えた外の風景。

 『アレ』を見た瞬間怒りで頭に血が上ってしまった。

 お陰でつい馬鹿な事を口走ってしまう。

 

 ――これから人生の行く末を左右する話し合いだというのに。

 

 だがコルベールは許可してくれた。

 ならば急いで終わらそう。

 そう思いながらルイズは階段を駆け下りていく。

 

 

 

「あの馬鹿をせめて1発ブン殴ってやる!」

 

 

 

 さっき見えた『アレ』――つい先程『いつか闇討ち・爆殺リスト』に追加した男子生徒の顔を思い出しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   BREAK 賭博黙示録

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その少年は『本屋』と呼ばれていた。

 

 本が大好きで、常日頃から図書館に通い、片時も本を手放さない内気な少年。

 ――という理由ではなく。

 

 明るい性格のお調子者で、事有るごとに周囲の人間に賭けを持ち掛け、その胴元を買って出る。

 つまり賭け屋(Bookmaker)、転じてbook-maker(本屋)である。

 

 そんな彼が学院の中庭の片隅に独りでいた。

 今はコルベールに告げられたように、使い魔との交流の時間。

 だが彼は先程召喚した使い魔そっちのけで――

 

 歌う、笑う、にやける。

 走る、歩く、跳ねる。

 回る、踊る、転がる。

 

 ――狂喜乱舞していた。

 

 

 

 彼は今日の使い魔召喚に向けて一月前から準備を進めてきた。

 高位の幻獣や強い生物を召喚する為に……ではなく。

 

 大きな『場』を用意する為に。

 

 標的はあの『ゼロのルイズ』。

 学院で知らない者などいないという知名度。

 だからこそ何かあればすぐに周囲に広がる話題性。

 そんな『成功の可能性ゼロ』な彼女が何を召喚するのかという関心度。

 

 

 

 間違い無く多額の賭け金が動く大きな大きな『場』になるだろう。

 

 

 

 だが全員が『失敗』に賭ければ胴元としては大損だ。

 ならば『失敗』の状況と賭け率を細かく分けて、配当金に差を付ける。

 

 その為に他の生徒達にそれと無く話を振って、どうなるかの予想を聞く。

 定番の『回数』の他に、『気絶』だの『コルベール・ストップ』だの予想が多かった状況を用意する。

 そうして賭け率の微調整が終わったのが1週間前。

 参加者を募ってみると希望が殺到、対応に追われた。

 1口5エキューという決して安くはない設定にも関わらず、複数口賭ける者もいた。

 

 

 

 そうして『本屋』主催の『場』で過去最高の盛り上がりと過去最高額の賭け金が動いた今回。

 

 ――結果は『成功』。

 

 ――大穴も大穴である。

 

 今彼の手元には貴族の息子の小遣いにしても多すぎる金額があるのだ。

 奇行の十や二十は仕方ないだろう。

 

 

 

 そうして『本屋』は突然懐に転がり込んできた大金の使い道を考えていた。

 

「そうだ、キュルケに何かプレゼントしよう!」

 

 彼もまた、美貌と抜群のプロポーションを持つゲルマニアからの留学生キュルケに憧れている男子生徒の一人だった。

 

 恋多き彼女の周囲には恋人のような男子生徒が何人もいる。

 そんな奴らに差を付け、一歩でも二歩でもキュルケに近付く為には奮発しなければ。

 

 

 

 

 

 ――キュルケともう1人――

 

 

 

 

 

 無意識に頭に言葉が浮かんだが、興奮した彼は気付かなかった。

 

 

 

「――そうだ、今度の虚無の曜日に食事に誘うのはどうだろう? 街で一緒にプレゼントを選ぶというのも……」

 

 ああでもないこうでもないとぶつぶつ呟きながら計画を立てる彼の背中に声が掛かる。

 

「ねぇ、ちょっといいかしら?」

 

 まさかと思って振り向くと、そこには一瞬前まで想っていた対象である少女がいた。

 

「や、やぁキュルケ、僕に何か用かな?」

 

 動悸を抑えられず、声が上擦りながらも平静を装う。

 そんな『本屋』を流し目で見ながらポケットから1枚の紙片を取り出し、彼に差し出す。

 ただそれだけの動きが艶かしい。

 

「これをあなたに渡そうと思って……」

 

(まっ、まさかあれは恋文!? 来た! 僕にも遂に春が来たっ!!)

 

 震える手でゆっくりとキュルケから紙片を受け取る。

 そこにはただ一言簡潔に書かれていた。

 

 

 

 

 

     『成功 20倍 5口』

 

 

 

 

 

「…………………………ぇ?」

 

 

 

 間違い無く自分の筆跡で書かれた言葉だ。

 

 途端に頭から冷水を叩きつけられた様に感じた。

 先程とは違う意味で動悸がさらに早まり、手も震えだす。

 

 脳裏で、積まれたエキュー金貨の山の半分強が崩れていく。

 そして春と夏を通り越して秋が来たかのように、木の葉が舞い落ちる。

 

「……は……ははは、す、凄いじゃないかキュルケ。 見事に大穴的中だ……」

 

 なんとか取り乱さずに答えられたと本人は思っている。

 そして深呼吸で何とか落ち着きを取り戻す。

 まだ懐には山の半分近くが残っている。

 それだけあれば当初の目的にはまだ余りあるだろう。

 

「ど、どうかな? 今度の虚無の曜日に僕達の勝利を祝って一緒に街で食事でも……」

 

 若干顔が引き攣りつつも笑顔でキュルケを誘う。

 

「あら、素敵な話ねぇ」

 

 そう言って魅力的な笑顔の後、考えるキュルケ。

 その視線が『本屋』の背後に向けられる。

 

「あらタバサじゃない。 どうしたの?」

 

 

 

   ざわ‥

 

 

 

 気付くと鳥肌が立っていた。

 

 そしてゆっくりと振り返ると1人の少女がこちらに歩いて来る。

 

 小柄な体にその身長よりも大きな杖。

 青い髪に青い瞳。

 今年ウィンドドラゴンを召喚した女子生徒で名が確か『タバサ』。

 無口で無表情、それこそ『本屋』と呼ばれてもおかしくない程いつも本を読んでいる。

 そんな少女が2人の前に立つ。

 

 

 

   ざわ‥

         ざわ‥

 

 

 

 今ここには3人しかいない。

 ――筈なのに何故かざわめきのような音が聞こえる。

 

 

 

 ――キュルケともう1人――

 

 

 

 そうだ、もう1人だ。

 

 あと1人――『成功』に賭けた奴がいなかったか?

 

 

 

「これ」

 

 

 

 言葉少なに二つ折りの見慣れた紙片が差し出される。

 

 

 

         ざわ‥

               ざわ‥

   ざわ‥   

 

 

 

 これは全身を巡る血の音か?

 もちろんそんな音聞こえる筈はない、ただの幻聴だ。

 

 ふと気付けば受け取ろうと伸ばした右手が妙に深爪していた。

 いつの間にか長く尖っていた、自分の鼻と顎が視界に映る。

 目を閉じ2、3度軽く頭を振ると、そんな幻覚も消えて右手も鼻も顎もいつも通りだ。

 

 先程と違う意味で震える手で紙片を受け取り、両手でゆっくりと開く。

 

 

 

 

 

     『3回以内に成功 50倍』

 

 

 

 

 

 がくがくと膝が震える。

 疑う余地も無く、自分の文字だ。

 しかもまだ続きがある。

 額に脂汗を滲ませながらもはや痙攣していると言っても過言ではない、文字に重なる右手をどかす。

 

 

 

 

 

     『3回以内に成功 50倍 10口』

 

 

 

 

 ぐにゃぁ~~~っ。

 

 そんな音を立てながら視界が歪む。

 

「あら、タバサ凄いじゃない!」

 

 そんなキュルケの声を聞きながら『本屋』は膝から崩れ落ちた。

 脳裏には、冬の雪山で凍りついた自分と残っていたエキュー金貨の山が奈落へ落ちていく絵が浮かぶ。

 

 そしてそこで意識が途切れた。

 

 

 

 

 

 そこへオグル鬼の様な形相でルイズが走ってきた。

 今の彼女なら、コボルトも回れ右の後全力疾走するだろう。

 

「あら、ヴァリエールじゃない。 どうしたの酷い顔して」

 

 そんなルイズを笑いながら声を掛けるキュルケ。

 

「……げ。 何でここにツェルプストーがいるのよ」

 

 嫌そうな表情で答えたルイズはキュルケの側にもう1人居る事に気付く。

 

「えぇっと……タバサ……だっけ?」

 

 キュルケと一緒の所を何度か見掛けただけで面識はあまり無い。

 小柄の自分よりさらに小柄な少女が無言で頷く。

 他にも色々キュルケに言いたい事は有ったが今の自分には時間が無い。

 

「ねぇあなた達、この辺で私で賭けをやらかしていた男子生徒が居なかった?」

 

 キュルケはタバサと目を合わせた後自分の背後を指差す。

 

「彼の事?」

 

 

 

 そこには真っ白に燃え尽きた感で座り込み、目も虚ろな男子生徒。

 ――あの口から漂っている白い靄みたいなのは放っておいても大丈夫なのだろうか。

 肩には彼の使い魔だろう鴉が止まり、ルイズ達に向かって甲高く一声鳴く。

 傍から見るとホラー小説によくある死体を啄ばもうとする鴉だ。

 

 窓から見えた時は踊っていたのに、あまりの変わり様に拍子抜けしてしまう。

 こんな状態の彼を殴る気も起きなかった。

 

「ねぇヴァリエール、今度街に行く時は私にも声を掛けなさいよ。 美味しいクックベリーパイを奢るわよ」

 

 仇敵とも言える彼女が自分の大好物を奢ると言う。

 ……毒でも盛るつもりだろうか。

 

「……ツェルプストーからのお誘いなんて、今日は槍でも降るのかしら」

 

 訝しげな顔で棘の有る言葉のルイズに、キュルケは笑いながら返す。

 

「そうかもしれないわね、あなたが魔法を成功させる日ですもの」

 

「……くっ……」

 

 いつもならこちらからも言い返すのだが、今は余裕が無い。

 急いで応接室へ向わなければ。

 

「所で『コントラクト・サーヴァント』は成功したの?」

 

「うるさいわね、これからよ!」

 

 もう何を言われても無視して走ろうと踵を返す。

 

 

 

()()()

 

 

 

 突然普通に名を呼ばれ、思わず振り返る。

 

 

 

「召喚おめでとう」

 

 

 

 ――それは今まで見た事が無い柔らかな微笑みだった。

 

 自分をからかう笑いではなく、男子に媚を売るような笑顔でもなく。

 ごく普通の少女としての、自然な微笑みだった。

 

   

 

 思わず言葉に詰まり、無言で再び背を向ける。

 そのまま深呼吸を1回。

 

 

 

「…………ありがとう…………」

 

 

 

 小声で呟き、一気に走り出す。

 微笑んだままキュルケはその背中を見送った。

 

 

 

「素直じゃない」

 

 そんな2人の行動を無言で見守っていたタバサが呟く。

 

「ところでタバサ、あなたはどうして『成功』に賭けたの?」

 

 気恥ずかしさからか、キュルケがやや強引に話を変える。

 

 キュルケは『成功』すればそれはそれで良し。

 『失敗で延期』とかになっても「あなたを信じて賭けたのに」と後でからかうつもりだった。

 しかしルイズとあまり面識の無いタバサが『成功』に賭けた理由が分からない。

 

「いくら何でも『サモン・サーヴァント』くらいは成功すると思った」

 

「じゃあどうして『1回で成功』にしなかったの? 『100倍』だったのに」

 

 キュルケの言う通り、どうせ賭ける奴もいないだろうと『本屋』は『成功』部分は適当に設定していた。

 『成功 20倍』『3回以内で成功 50倍』『1回で成功 100倍』のたった3つである。

 そして実際2人以外に賭ける生徒は存在しなかった。

 

「……さすがに1回で召喚は無理だろうと思った」

 

「あっはははは!」

 

 事も無げにそういい切ったタバサの肩を叩きながらキュルケは大笑い。

 

「痛い」

 

「あなたも結構言うわね! そうだ、あなたのウィンドドラゴンもっとよく見せてよ!」

 

 

 

 連れ立って去って行く少女達の背中に向って、鴉がまた甲高い声で鳴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   『彼は出会った者の

    財産・未来・良心を喰いちらかす

    この世でもっとも性悪な魔物……

 

    ――ギャンブル――』 Silver & Gold 第4章38節『地獄に堕ちた勇者』より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ざわ‥ ざわ‥
 福本先生の作品が好きです。
『アカギ』に『カイジ』、大好きです。
(Silver)(&)(Gold)』も好きです。
億越えポーカーとか兆越え麻雀とか熱いです。

 今回引用した言葉は、福本先生の作品の中で個人的に1番好きな言葉ですね。
「倍プッシュだ……!」とか「死ねば助かるのに………」も好きなんですが、これがギャンブルの真理かなと。

 ……そう思っているんですが、今度出る新作の「モンハン」とか「サムスピ」とか気になるんですよね……



 先週はお気に入り数が倍になったり、アクセスが2000越えたりして驚きました。
どうもありがとうございます! ……バグじゃないですよね?

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。 


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ACT-4 条件と契約

厳密にはもう日付変わってしまってますが、今の所なんとか週一で更新できてます。
これがこの先も続けられるかは不明ですが……


「……人1人の『半生』――いや、『命』の値段はいくらだ?」

 

 

 

 静寂が部屋に満ちる。

 

 誰も口を開かない。

 

 

 

 ――答えない――

 

 高額な値段を言えば、報酬がその金額になるだろう。

 

 

 

 ――答えられない――

 

 低額な値段を言えば、自分達の『命』もその金額になるだろう。

 

 

 

 ――答えてはいけない――

 

 そもそも『命』は金に換えられない。

 

 

 

 ならば法外とはいえ己に値段を付ける事は感謝こそすれ、怒る事はないのだが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ACT-4 条件と契約

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コルベールもルイズも口を閉ざしたままだ。

 

 ボルトの言う事は理解できる。

 これからの一生を使い魔として生きろと突然言われ、普通は簡単に承諾できるはずがない。

 だからそれ相応の対価を要求されるのは仕方ないだろう。

 

 しかし納得できない。

 いかにルイズが公爵家の娘とはいえ、600万エキューという大金はそう簡単に用意できる物ではない。

 

 しかしコルベールはこれをある意味僥倖と感じた。

 

 先程彼が考えていた妙案通りではないか。

 あの時点では『平民と交渉しようとしても、平民にとっては命令や恐喝と同義となる』為に躊躇われた。

 しかしボルト本人から契約前提での提案だ。

 何とか報酬額で折り合いがつけば解決できるのではないだろうか。

 

 

 

 そして次にボルトに興味が移る。

 

 ――この男は何者だ?

 

 見た事も無い服を着て、ハルケギニアの通貨を知らない。

 やはり『ロバ・アル・カリイエ』から召喚されたのだろうか。

 

 立ち居振舞いからして戦いの経験がありそして恐らくかなり腕が立つ。

 着ているコートは、所々穴や傷が有り確かに綺麗とは言い難い。

 しかしそれらは日常生活でできるような傷ではない。

 傷と一緒に血や焼け焦げた痕跡も見て取れる。

 それに、『依頼』に対して『報酬』を要求する。

 

 ――彼は傭兵ではないか?

 

 彼からは微かに火の秘薬――火薬の臭いを感じる。

 火薬の臭いのする場所は?

 採取する所・作成する所……そして使用する所だ。

 戦う者と火薬の組み合わせ。

 間違い無く戦場を知る者の証だ。

 

 そして自分達貴族を前にしても物怖じせず堂々とした態度。

 恐らく戦場で指揮する貴族にも同じように接していたのではないか。

 それが許されるという事は、その力を認められていたという事。

 

 戦場の残り香を漂わせる程。

 貴族に認められる程。

 

 彼は数々の戦場で戦い、そして生き抜いてきたのだろう。

 

 共に戦い倒れた仲間があってこそ、そして相対し殺してきた相手あってこその今の自分。

 それらの『命』の合計が『600万エキュー』という金額なのか。

 

 それとも戦場で散る筈だった自分の死に場所を奪った代償なのか。

 

 それともこれから先戦場に赴き戦い、稼いでいただろう報酬の要求なのか。

 

 

 

 コルベールの自他共に認める悪癖がまた出てしまう。

 

 ついボルトの事であれこれ考え込んでしまっていた。

 

 隣で立ったままだった少女の手が固く握られ、尚も力を込められ震えだしている事に気付かず……

 

 

 

 

 

「……無理よ」

 

 

 

 ルイズの口から漏れ出た言葉が、沈黙を破る。

 

「そんなお金用意できないわよ……こっちの都合で召喚してしまった事は申し訳ないと思うけど」

 

 俯いたままで呟くような小声で続ける。

 

「どうしてあなたなのかはわからないし、やり直しもできないし……」

 

 ボルトもコルベールも口を挟まずただ耳を傾ける。

 

「だからあなたにはどうしても『使い魔』になってもらいたい……」

 

 淡々と言葉を紡いできたルイズ。

 ここで顔を上げ、ボルトを見据える。

 

「――なのに600万エキュー!? 冗談でしょ!? 子供のわたしがそんな大金もってるわけないじゃない!!」

 

 急に声を荒げテーブル越しにボルトに詰め寄る。

 

「ここで土下座して頭を下げて頼めば安くしてくれるの!? だったら今ここでやってあげるわ!!」

 

「ミス・ヴァリエール、少し落ち着きなさい」

 

 さすがに興奮しすぎと判断してコルベールが押し留める。

 

「それとも最初から引き受けるつもりは無くて、断る為の口実!? だったらやらなくてもいいわよ!!」

 

 両手をテーブルに叩きつける。

 上に乗ったままのカップが大きな音をたてるが気にせず扉を指差す。

 

「あんたなんかこっちから願い下げよ! さっさと出て行きなさいっ!!!」

 

 そのまま俯く。

 手を置いたままのテーブルに雫が落ちてくる。

 

「……最初に引き受けるなんて言わないでよ……期待させないでよ……」

 

「ミス・ヴァリエール……」

 

 彼女の今までの人生で今日ほど感情の起伏が大きく、そして多かった日はなかっただろう。

 半日も経たない内に、喜怒哀楽の感情と気持ちが目まぐるしく変わっている。

 本人も気付かないうちに精神的な疲労とストレスが溜まってようだ。

 

 

 

 

 

「――誰が引き受けないと言った?」

 

 

 

「――え……?」

 

 今まで無言で聞いていたボルトが口を開く。

 

「俺が約束を守らないと思ったのか? 心外だな」

 

 ルイズは目に涙を浮かべたまま顔を上げる。

 先程は見えた鋭いボルトの目は隠れていた。

 

「そういう事なら条件がある」

 

「条件?」

 

 コルベールも緊張の面持ちで次の言葉を待つ。

 

「まず報酬は600万エキューだ。 これは変わらない」

 

「――っ!!」

 

 思わず言い返そうとしたルイズをコルベールが無言で抑える。

 

「今この場でなくても構わない。 後々用意できてから払ってくれ」

 

「……」

 

 そうは言うが、例え彼女の実家である公爵家を頼ったとしても10日やそこらで用意できるかも怪しいものだ。

 困惑顔の2人に構わずボルトは先を続ける。

 

「何なら有る時に少しずつでも良い。 お前が死ぬその時までに600万を払ってくれ。 ――『どちらかの命が尽きるまで』なんだろう?」

 

 ボルトの口元が笑みを形作る。

 

 ――長期に渡っての小額ずつならば何とかなるかもしれない。

 そうルイズは考える。

 

 ただ1つ気になった。

 

「でも何でわたしが先に死ぬ事になってるのよ。 どう考えてもあなたが先じゃない!」

 

 ――ふっ。

 

「………………あぁ、そうだな……そうだった……」

 

 微かに笑いながらボルトが続ける。

 

 

 

「それから『使い魔』になるとはいえ報酬が不完全なら『仮』だ、犬猫みたいな扱いや理不尽な要求は御免被る」

 

「……そんな事しないわよ」

 

 むっとした表情で答える。

 

「それから最後に1つ。 場合によっては他の『依頼』を受ける――つまり仕事をさせてもらう」

 

「ふーん……はぁ!?」

 

 これにはルイズも驚く。

 

「ちょっと待って! それって主人の側を離れて別の人の手伝いをするって事!?」

 

「あぁ」

 

「『あぁ』じゃないわよ! 『使い魔』が主人を放っといてどうするのよ!!」

 

 ルイズの言い分は至極尤もだ。

 『使い魔は主人を守る』。

 それが『使い魔』の重大で一番の役目だ。

 

 ――まさか面と向って役目放棄を宣言されるとは思わなかった。

 

「それが嫌なら今すぐ報酬を支払って正式な『使い魔』にしてくれ。 ……『ゴシュジンサマ』」

 

 ボルトの口元が再び笑みを形作る。

 

「……くぅ~っ!」

 

「無闇やたらに受けたりはしない。 お前の安全を確認してからで、必要なら報告をするさ」

 

 『許可を得る』――ではなく『報告をする』。

 主人の威厳もあった物ではない。

 

 

 

「……条件は以上だ。 これでも良ければ今日からでも『依頼』を実行しよう」

 

 そう言ってボルトはルイズの返答を待つ。

 

「ミスタ・コルベール……」

 

 ルイズは念の為に教師であるコルベールに確認してみる。

 

「私は……問題無いと思います」

 

 ルイズに向って頷く。

 最善……とは言えないが充分次善の展開だろう。

 条件付とはいえ、相手が『使い魔』になってくれるのだ。

 

 

 

 

 

 

 深呼吸して、やや顔を赤くしながらボルトの前に立つ。

 ソファーに座るボルトと目線はほぼ同じ高さだ。

 

「わかったわ。 今から『契約の儀式』をするから」

 

 さらに深呼吸。

 

 そして漸く覚悟を決めたのか、目を閉じて手にした小さな杖を振る。

 

 

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。

 

 五つの力を司るペンタゴン。 

 

 この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

 

 

 

 『コントラクト・サーヴァント』の呪文を唱え、杖をボルトの額に当てる。

 

 そしてゆっくりと顔を近づけ――

 

 

 

 ――互いの唇が重なる。

 

 

 

 自分の口からボルトへ魔力が流れていくのを感じる。

 薄く目を開けると、黒いメガネ越しにボルトが驚きの表情をしているのが分かった。

 

 恐らく5秒にも満たない僅かな時間だった。

 

 紅潮しながらもゆっくりと唇を離す。

 

 

 

 

 

 ――ファーストキスは甘いお茶の味と。

 

 

 

 

 

 ――鉄の様な血の……

 

 

 

 

 

 突然ルイズは眉をひそめて口に手を当てる。

 そして自分のカップに残っていたお茶を一気にあおる。

 

 

 

「あ、あんたぁっ! そういえばさっきネジを口にっ!!」

 

 

 

 ――もとい。

 

 

 

 

 

 ――ファーストキスは甘いお茶の味と血の様な鉄の……ネジの味がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




やっと『コントラクト・サーヴァント』終了。
原作1巻に換算すると10ページ分も進んでません。
……何とかがんばります。

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。

最後を少し変更しました。
こっちの方が文章やストーリーの流れ的に良いかなと。


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ACT-5 報告

……お久し振りです。
3週間振りの投稿です。
遅くなってしまって申し訳ありません。


 

 

 

 ――少女は気付いているだろうか?

 

 

 

 彼女が幼い頃より何百、何千と繰り返してきた『失敗』。

 

 常に『爆発』という結果と共に有った『魔法』。

 

 結果的に最後には成功した『サモン・サーヴァント』も1度目は『爆発』だった。

 

 

 

 先程行われた『コントラクト・サーヴァント』。

 

 何も生じず何も起きない。

 

 しばらくすれば使い魔のルーンが彼に刻まれるだろう。

 

 『他の生徒達の時と同様に』。

 

 つまり今度こそ完璧に魔法が成功したのだ。

 

 

 

 ――だが、当の本人はというと。

 

 その事に気付いているのかいないのか。

 

 片手に4杯分くらいの量が減ったティーポットを持ったまま。

 

 ほぼ真上を向くかのようにして、豪快に2杯目を一気に飲み干している所だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ACT-5 報告

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 始めは『血』だと思った。

 

 

 

 ルイズは『血』の味をよく知っている。

 

 爆発に巻き込まれ、口の中を切る事はよくある事で。

 馬鹿にされる事が悔しくて、唇を噛み締め出血するのも珍しい事ではない。

 

 鉄錆にも似たあの味は、残念ながら何度味わっても慣れるという事はなく慣れたいとも思わない。

 

 

 

 ボルトと『コントラクト・サーヴァント』をした時、まずお茶の味がした。

 2人共さっきまで飲んでいた物だから問題は無い。

 

 次に、微かに鉄の味を感じた。

 だから直感的に『血』の味だと思った。

 

 自分は痛みを感じてない。

 ならばボルトの『血』だろうか。

 以前読んだ物語で、勢い余って唇が歯に当たり出血してしまうという場面があった。

 しかし学院の廊下や往来の曲がり角でぶつかった訳ではなく、ゆっくりと唇同士を合わせただけで出血する筈が無い。

 

 ならば何故?と思ったルイズの脳裏に何かが引っ掛かる。

 

 ――『口』――

 

 ――『鉄』――

 

 

 

(……あ)

 

 

 

 

 

 ――こんなの咥えてたら契約できないじゃないの――

 

 

 

 

 

 ……つまり『鉄のような』ではなく『鉄その物』だった。

 

 

 

(そういえば……)

 

 空になったカップを手にしたままふと思う。

 

 ――あの『ネジ』はどこに行ったんだろう?

 

 

 

 

 

「ぐぅっ……!」

 

 くぐもった呻き声に目を向けると、ボルトが左手を抑えながら痛みに耐えているようだった。

 

「『使い魔のルーン』が刻まれているだけよ。 すぐ終わるわ、大丈夫……だと思う……多分……」

 

 歯切れの悪い言葉だがそれも仕方ない。

 小動物にも大した影響を与えないとはいえ、人間相手の『コントラクト・サーヴァント』は『サモン・サーヴァント』と同様に前代未聞なのだ。

 ボルトとテーブルを挟んだコルベールを見ると、彼も不測の事態に備えて立ち上がっていた。

 ルイズももしもの時は、直ぐに部屋を飛び出し助けを呼べるように身構える。

 

 

 

 その緊迫感は、ボルトが無言で大きく息を吐き俯いていた顔を上げるまで続いた。

 それを見て、ルイズとコルベールも緊張を解く。

 

 余談だが、ルイズは純粋にボルトの身を案じての緊張だった。

 しかしコルベールは万が一、痛みで激昂したボルトが襲い掛かった時の為にも備えていた。

 何しろ相手は傭兵、ルーンの痛みを敵対の証と誤解されては堪らない。

 杞憂に終わって良かったと息を抜く。

 

「……大丈夫?」

 

 彼のような体躯を持つ男が呻き声を上げる程の痛みを予想して、恐る恐るルイズが問う。

 

「……あぁ、もう痛みは無い……」

 

 そう言いながらボルトは左手のグローブを外す。

 その甲には、文字にも見える紋様があった。

 

「これが『使い魔のルーン』とやらか?」

 

「そう……だけど」

 

 見た事もないルーンに戸惑うルイズ。

 それに興味を持ったらしく、コルベールも覗き込む。

 

「ほぅ、珍しいルーンですな。 失礼、記録させてもらいますよ」

 

 ポケットから取り出したメモに、ボルトの左手のルーンを簡単にしかし的確に記録する。

 

「さて、私は学院長に色々と報告がありますので、学院長室へ向かいます」

 

 記録したメモを手に、コルベールが2人に話す。

 ……さすがにもうあの異常事態に出くわす事はないだろう。

 先程の契約の件も含めて、1度報告をしなければ。

 

「こちらの応接室は今の所使用する予定は有りませんので、このままここで話されて構いません」

 

 後は2人の、主従としての問題だ。

 良きにつけ悪しきにつけ、一生続く関係なのだ。

 これは自分の口を出す事ではない。

 

「それでは――あ、そうだ」

 

 退室しようとドアノブに手を伸ばした所で何かを思い出す。

 

「……ミスタ・ボルト、不躾なお願いで申し訳ないのですが……」

 

 振り返り、すまなさそうな表情でボルトに『お願い』を口にする。

 

 

 

「その『メガネ』、よく見せてもらえませんか?」

 

 

 

 ボルトから手渡された『メガネ』を受け取り、外観を色々な角度から観察。

 掛けたり外したり、視界の違いを確認。

 時折「ふむ」「ほほぅ」と呟く。

 その表情には、未知の物に対する好奇心が満ちている。

 

 ちなみに、その間ルイズはボルトの素顔をじっと見ていた。

 細めかつやや吊り目で、その瞳は髪と同じ薄い金。

 

(……ま、まぁ悪くないんじゃないかしら)

 

 自分のファーストキスの相手として、取りあえず(外見だけは)及第点を付けてみる。

 

 

 

「ありがとうございました、お返しします」

 

 満足したのかボルトに『サングラス』――名称をボルトから教えられた――を返す。

 

「それでは、失礼します。 何か有りましたら、学院長室か図書館に居ると思いますので」

 

 そうして退室してドアを閉める……前に。

 

「――ミス・ヴァリエール、ちょっとこちらに……」

 

 廊下からルイズを呼び出す。

 

「――? はい……」

 

 心当りのない彼女は首を傾げながら、ボルトを1人部屋に残し廊下に出る。

 

 

 

 

 

「――『人間』の使い魔――じゃと……?」

 

 学院長オールド・オスマンは自室でコルベールから報告を受けていた。

 重大な報告という事だったので、大事を取って秘書であるロングビルには退室してもらい、学院長室には今は2人だけだった。

 

 ちなみに、今回コルベールは入室前にノックをし、返事と許可の声を待ち、5秒程経ってドアを開け、中を覗き異常が無い事を確認して入室した。

 中に居たオールド・オスマンとロングビルが『例の事』には触れなかったので、無かった事にするという事を暗黙のうちに理解した。

 

 当初オールド・オスマンは機嫌が悪かった。

 コルベールが入室した時。

 

「なんじゃね? ミスタ・コールタール……」

「オールド・オスマン! 重大なご報告が有ります!」

「……」

 

 ここ最近の中では会心の作だったボケを、見事なまでにあっさりと無視されたのだ。

 不満顔でロングビルに退室を促し、やる気の無い表情で鼻毛を抜きながらその報告を聞こうとした。

 

 だがその態度はコルベールが口にした次の言葉で一変する。

 

 

 

「……『サモン・サーヴァント』で『人』が召喚されました」

 

 

 

 驚きの表情で思わず先の言葉が零れる。

 咳払いをしながら姿勢を正す。

 

「……して、召喚者は誰じゃ?」

 

「ミス・ヴァリエールです」

 

「なんじゃと? 『あの』ヴァリール嬢が!?」

 

 二重の驚きで思わず机から身を乗り出す。

 彼女の噂はオールド・オスマンの耳にも届いているようだ。

 

「やれやれ、成功したらしたで厄介なのを召喚したものじゃのう」

 

 椅子に背を預け溜息を1つ。

 

「オールド・オスマン、同じく『人』が召喚された前例をご存知ありませんか?」

 

 コルベールに訊ねられ、「ふむ」と呟いて目を閉じる。

 

「……無いのぅ。 獣人なら希に有るらしいし翼人も過去に1度有ったらしいがの」

 

 百歳とも三百歳ともいわれるオールド・オスマンの記憶にすら存在しない。

 今回の彼女の召喚は、『学院史上初』という枠にすら収まらないかもしれない。

 

「――で? 其奴はすんなり『契約』に応じた……なんて事は有り得んのう」

 

「はい、不平不満は有りませんでしたが、『600億リド』の対価を要求されました」

 

「『ロッピャクオクリド』……なんじゃ、それは?」

 

 訊ねるオールド・オスマンに、苦笑しながらコルベールは答える。

 

「お金です。 『リド』は彼――召喚された男性が居た所の通貨で、『1エキュー=1万リド』だそうです」

 

「つまり『600億リド』は『600万エキュー』か……」

 

 眉間に皺を寄せ、溜息をもう1つ。

 

「また随分とふっかけてきたもんじゃ」

 

「私もミス・ヴァリエールも抗議しましたが、『ここでの命の相場いくらだ』と言われて閉口するしかありませんでした……」

 

「成る程、確かにの……ならどうしたんじゃ?」

 

「それが無理ならと条件をいくつか提示されました。

 ・600万エキューは分割でも可

 ・『使い魔』ではなく『人』としての待遇を

 ・『使い魔』以外の仕事を他から受ける事を容認

 以上3点を了承する事で『契約』に応じてもらいました」

 

「……やれやれ、本当に厄介じゃのう……で」

 

 椅子に預けていた体を起こし、目を細める。

 

「その男……何者じゃ?」

 

 普段のとぼけた態度からは想像できない老練な雰囲気に、思わずコルベールは思わず息をのむ。

 

「……ぇえっとですね、

 ・名は『ボルト・クランク』、ただ貴族ではない

 ・身長は約200サント

 ・見た事も無い材質とデザインの服を着用

 ・召喚直前は砂漠にいた

 ――それからこれは私の予想ですが、彼は『東方』の傭兵だと思われます」

 

「ほう、傭兵とな。 それでその根拠は?」

 

 髭を撫でながら興味深げに先を促すオールド・オスマン。

 

 

 

 コルベールは、ボルトが召喚されてからルイズとの契約に応じるまでの間に、自分が気付いた色々な事柄を伝える。

 『通貨を知らない』、『見た事も服装とその傷・汚れ』、『立居振舞の隙の無さ』、『火薬の臭い』、『依頼と報酬』、『貴族に対する態度』……そして。

 

「『サングラス』という物をご存知ですか?」

 

 目を閉じ腕を組み、問われた言葉を頭の中で繰り返す。

 

「……いや、無いのぅ……」

 

「彼が掛けていたので『東方』の物だと思うのですが、一言で表せば『黒いメガネ』で……」

 

 コルベールは自分のメガネを指で触れる。

 レンズ部分に爪が当たり微かに音を立てる。

 

「ここが黒いのです」

 

「……それ、見えないと思うんじゃが……」

 

 怪訝な表情で呟く。

 

「私達のメガネの様に視力矯正用のレンズではなく、黒いガラスでできています」

 

 予想通りの反応に、苦笑しながら説明を続ける。

 

「何の意味があるんじゃそれ……?」

 

 表情を変えず問うオールド・オスマンに、コルベールは手に取り観察した事を思い出しながら続ける。

 

「最大の利点は『自分からは見えるが、他人からは見えない』事です」

 

「ほう……」

 

「自分の視界は多少薄暗く映りますが、他人からは黒一色で余程接近しないとこちらの目は透けて見えません」

 

 ――それはつまり。

 

「――戦闘時や交渉時に多大な効力を発揮します」

 

 

 

 敵と対峙した時に人は、当然敵を『見る』。

 剣等で攻撃する時には攻撃箇所を『見る』だろうし、別の狙いが有れば一瞬でも『見て』注意を払うだろう。

 もちろんそれを逆手に取っての虚撃も有り得るが。

 

 ――もし相手から視線が見えなかったら。

 

 どこを狙っているか、何かを狙っているのか分からない事は戦いを多少でも有利に運べる。

 そしてこれは交渉時にも言える。

 

 『目は口程に物を言う』という言葉通り、相手の目を見る事でそこから様々な情報を得る事が可能だ。

 目や眉の形で感情を、視線の動きで思考や動揺を推測出来る。

 

 それが出来なかったコルベールは、ボルトとの交渉は非常にやり辛い物だった。

 

 

 

「戦闘に関して言えば、『太陽を背にした相手との戦い』、『閃光による目眩まし』等の効果を和らげる事もできるかと」

 

「『夜目を鍛える』……なんて事も有りそうじゃな……」

 

「――っ! 成る程……」

 

 オールド・オスマンは椅子に背を預け本日最大の溜息。

 

「……何にせよ、わしらは彼と敵対するつもりは無いし、彼も『契約』に応じたからには事を構えたりはせんじゃろ」

 

「はい」

 

「それでも警戒されん程度には気に止めておいて欲しい」

 

「分かりました」

 

「それからヴァリエール嬢の方も気に掛けといてくれんかの? ど~もお主の話を聞く限り一筋縄で行く相手ではなさそうじゃからの」

 

「……そうですね」

 

 2人で顔を見合わせ苦笑する。

 

 

 

 

 

(ふむ、となると……『アレ』も『サングラス』だったんじゃろうか……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その頃応接室にて。

 

 

「……ねぇ、わたし聞きたい事があるんだけど」

 

「……何だ?」

 

「『召喚前』にわたしに話し掛けたのはやっぱりあなた?」

 

「……あぁ」

 

「あの時『召喚前』に『報酬』を要求したわよね?」

 

「……そうだな」

 

「それって『契約期間』を知らなかったって事よね?」

 

「……もちろんだ」

 

「……じゃあもし契約が例えば『1年間』とか『1週間』とかでも『600億リド』を要求したって事?」

 

「……」

 

「……ねぇ」

 

「……」

 

「……ちょっとなんで黙るのよ……」

 

「……」

 

「あんた! こっち向きなさいよっ!」

 

「……」

 

「こらぁ無視するなぁ~っ!!」

 

「……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 仕事がきついです……
 ノルマが厳しいです……

 3月に入って帰宅しても疲れて寝る。
 休日も寝るかストレス発散で外出か。
そんな感じでほとんど作業が進まず、3週間も空いてしまいました……
申し訳ございませんでした。

 ちなみにどんだけ疲れていたかというと……



 先週の木曜から金曜に変わった頃の地震に、熟睡してて気付きませんでした……



朝起きて家族に地震の事を言われてもきょとんとして。
てっきり勘違いかちょっとの揺れをオーバーに言ってるんだと判断。
起きたのがギリギリだったので急いで出勤すると、職場で皆が話題にしていてポカーンとして。

 あれって震度3か4近くあったらしいですねぇ。
 しかも瞬間でなく結構長い時間揺れたと。

……寝てました。
違和感すら感じませんでした。
大丈夫か? 俺……

 3月はこんな感じですので、次話は4月になるかもしれません。

見捨てず、気長に待ってて下さい。

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。


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ACT-6 会話

前回の投稿から1ヶ月も経過してしまいました……
やっと完成しました。
仕事が忙しかった事と、話を分けようかどうか迷って色々修正したりしてました。
申し訳ございませんでした。
結局1話分で投稿してますので、少し長めです。


 

 

 

「――ミス・ヴァリエール、ちょっとこちらに……」

 

「――? はい……」

 

 応接室を退室する直前だったコルベールに呼ばれ、ルイズは廊下へ向かう。

 

 そしてドアは閉じられ、ボルトは独り部屋に残された。

 

 外で話すという事は自分には聞かせられないという事。

 まだ多少警戒されているらしい。

 

 ただ待つだけでは退屈なので部屋の中を見て回る。

 

 やはり調度品や装飾品は高級な物ばかりだった。

 ただ純金や宝石を散りばめるといった派手な外見ではなく、さり気無くもしくは落ち着いた感じの印象の品で纏められていた。

 

 それらを前にボルトは思案する。

 

 しばし物色したがやはりこの部屋の物ではまずいだろう。

 何がいつ無くなったか調べれば直ぐに分かってしまう。

 そしてこれだけの高級品だ、色々と問題になるだろう。

 

 振り向いてテーブルに目を向ける。

 そこにはティーポットとカップ。

 それなりに良い物だが、この部屋の物には及ばない。

 ならばこれをとも思ったが、人数分あったカップが減るのは変だろうしポットが無くなるのはもっと不自然だ。

 

 何か適した物はないものかと軽い溜息。

 

 

 

 ――彼は少し、空腹を感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ACT-6 会話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくして部屋に戻ったルイズは、室内で立っていたボルトの全身を改めて眺める。

 

(……確かに普通の平民には見えないけど……)

 

 廊下でコルベールに言われた事を思い出す。

 

 

 

 

 

「傭兵……ですか?」

 

「えぇ、その可能性が高いと思います」

 

 ドアが閉じられ、応接室から隔絶された廊下で話す2人。

 それでも用心の為か、心持ち小声で話すコルベール。

 

 

 

 『ボルト・クランクは傭兵かもしれない』

 

 

 

 そう聞かされたルイズは、顔に浮かぶ嫌悪感を隠そうともしなかった。

 一般的な傭兵のイメージは『粗野で粗暴で金に汚い』。

 そのほとんどが食い詰めた者やならず者。

 そして報酬次第で敵にも味方にもどちらの陣営とでも契約するので、貴族や正規の兵士からは嫌われている。

 酷い場合は敗色濃厚になると、あっさりその契約すら無視して戦場から逃げ出す者もいるのだ。

 

 もちろん中には力無き平民の盾となって戦う者だって存在する。

 だがそれが少数派だという事もまた事実だ。

 

 

 

「しかし、あまり心配する必要は無いと思いますよ」

 

 ルイズの表情からその考えを察したコルベールは続ける。

 

「彼は恐らくは実力も伴った人物です。 契約を反古にする事は無いでしょう」

 

 ――一流の傭兵は実力と信頼を両立させる者。

 自身の予想から考えられる人物像についてルイズに話す。

 しかしルイズは表情を変えずに呟く。

 

「……性質の悪い詐欺師みたいに大金を要求してきましたが……」

 

「ははは……まぁ、交渉の能力も込みという事で……」

 

 これにはさすがに反論できず、苦笑するしかない。

 

「結果的に彼は『使い魔』となってくれました。 ならばきっと、あなたの力となってくれる筈です」

 

「そうでしょうか……わたしにはまだよく分かりません」

 

 ルイズにとってボルトの印象は当初悪い物ではなかった。

 何しろ自分の召喚に応じてくれた人物なのだ。

 

 だが先の交渉の席でその好印象は相殺され、現時点ではむしろ若干マイナス。

 嫌悪感――とまでは言わないが、苦手意識を持ってしまった。

 

 そう言ったルイズにコルベールは笑いながら答える。

 

「知る為の時間はまだいくらでもありますよ。 彼はこの先死ぬまで、常に貴女と共に在るのですから」

 

 ――『主と共に過ごし、主の為に生きる』。

 それが『使い魔』という存在だ。

 

「――ですがまずは『使い魔』としてではなく、一人の人間として彼と話をしてみて下さい。 お互いを理解し合う為には会話は大切ですから」

 

 そう言ってコルベールは小走りで学院長室へ向う。

 そして一人廊下に残されたルイズは溜息の後、応接室のドアを開けた。

 

 

 

 

 

「……どうした?」

 

「えっ!?」

 

 応接室に飾られていた小さな花瓶を手にとって眺めていたボルトに声を掛けられ、ルイズは我に返る。

 どうやら中に入って、思った以上に考えに没頭していたようだ。

 

「『契約』も終わった。 これからどうするんだ?」

 

「……えぇっと……」

 

 

 

 ――ミスタ・コルベールの言った通り、まずは話をしてみよう。

 

 

 

 まだお互いに名前くらいしか知らないのだ。

 それに先程の交渉の時には聞ける雰囲気ではなかったが、少し気になった事もあるのだ。

 

「……じゃあとりあえず座って」

 

「……」

 

 手にしていた花瓶を置き、無言でソファーに座る。

 そして改めて向かい合うルイズとボルト。

 相変わらず『サングラス』で目は見えず、何となく話しづらい。

 

 深呼吸の後、小さくそれでいて少々わざとらしい咳払い。

 

「……ねぇ、わたし聞きたい事があるんだけど」

 

 

 

 

 

「――はぁ……」

 

 思わず漏れる溜息。

 顔を上げて見れば、対面の男は露骨に顔を背けたまま。

 その態度にルイズはむっとする。

 

 だが既に彼女自身は納得していた。

 こちらの要求も『依頼』としては非常識な代物だ。

 だから結果的に非常識な『報酬』も、『依頼』に見合う物だと自身に言い聞かせた。

 ……例え『契約期間』を聞かずに提示された額だったとしてもだ。

 

「……よし、この話はここまで! もっと他に話さないといけない事もあるんだから」

 

 そう声を上げて宣言。

 話題と場の雰囲気を強引に打ち切る。

 そうでないと当初の目的である会話が進まない。

 

「名前はさっき名乗ったわよね? ここトリステインでも有数の由緒正しい公爵家、『ヴァリエール家』の三女よ」

 

 ――公爵とは貴族に与えられる爵位の1つであり、その第1位である。

 旧い家柄を誇り広大な領地を治める『ヴァリエール家』は、貴族としては王族に次ぐ地位を持つと言っても過言では無いだろう。

 

「今まで何処の貴族に仕えていたかは知らないけど、これからは『ヴァリエール家の使い魔』としての行動を意識して欲しいわ」

 

 その言葉を聞き、ボルトはゆっくりと顔を向ける。

 

「……貴族に雇われた事は有っても仕えた事は無い」

 

「え? そうなの?」

 

(あれ? ミスタ・コルベールの予想と違う?)

 

 そう思ったルイズはさらに続いた言葉に驚愕する。

 

 

 

「依頼が有れば請けるだけだ。 お前達が言う平民からだろうと王族からだろうと……な」

 

 

 

「嘘!? 王家からの依頼!? 直々に!?」

 

 テーブルに手を置き身を乗り出しながら問いただす。

 

「あぁ。 何度かな」

 

 『サングラス』の位置を指で直しながら、誇るでも無く淡々と答える。

 しばし呆然とした後、ゆっくりと無言で背後のソファーに体を預けるルイズ。

 

 彼女の認識では王族が直接傭兵を雇うなんて事は有り得ない。

 そんな得体の知れない人物よりも、信頼・実力・家柄を持つ貴族や近衛の騎士が周囲にはいくらでも居る。

 王家と直接関わり合える平民なんて御用達の商人ぐらいだろう。

 

 だが自分の『使い魔』となった目の前の男は王族から『依頼』されたと言う。

 ――しかも何度も。

 

(……何者なのよこいつ……)

 

 

 

「こちらからも聞きたい事が有る」

 

「な……何をよ」

 

 ボルトの言葉に思わず身構える。

 交渉の時もこんな感じで『報酬』の件を切り出された。

 今度はどんな事を言われるやら……

 

「『使い魔』としての仕事というのは、『護衛』という事で良いのか?」

 

「……え? あれ? 言ってなかったっけ?」

 

 予想と全く違う基本的な質問に拍子抜けする。

 だが確かに『使い魔』になるならないで話し合ってて、詳しい説明はしていなかった。

 

「そうよ、『使い魔』は主人を守る存在よ。 それが1番の役目!……なんだけどねぇ……」

 

 冷やかな視線で抗議の意を訴える。

 

「どこかの誰かさんは、主人を1人で放っておくなんて言ってるんだけどなぁ~……」

 

「……」

 

 視線の先の張本人は意に介した様子は無く、表情に変化は無い。

 諦めたルイズは小さく息を吐いて、言葉を続ける。

 

「それから、『使い魔』は主人の望む物を見つけてくるのよ。 例えば秘薬とかね」

 

「……秘薬?」

 

「特定の魔法を使う時に使用する触媒よ。 硫黄とか、コケとか……」

 

「ほぅ……」

 

「……見つけてこれるの? 秘薬の存在すら知らないのに」

 

「何が何処にあるのか分かれば採ってくるさ。 そういう『依頼』も何度も請けた」

 

 疑わしそうなルイズの言葉に、全く変わらないボルトの態度。

 

「火山の火口付近とか、オーク鬼とかが居る森の中に行かなくちゃ採れない物かもしれないのよ!?」

 

「『オーク鬼』とやらが何かは分からないが……問題無いだろう」

 

 採取地の危険性を説明するルイズに、相変わらず動じないボルト。

 

(こいつのこの自信はどこから来るのよ!)

 

「わかったわよ! 必要になったら遠慮なくお願いするわ!」

 

「あぁ、そうしてくれ」

 

(なんなのよこいつは!)

 

 ティーポットに残っていた冷め切ったお茶をカップに注ぎ、口にする。

 味も香りも温度同様に失われていたが、苛立たしい気持ちを多少は落ち着かせる事が出来た。

 

「……それだけか?」

 

「それから、『使い魔』は主人の目となり、耳となる能力を与えられるわ」

 

「どういう事だ?」

 

「『使い魔』が見た物は、主人も見る事ができるのよ」

 

 「ほぅ」とボルトが興味深げに声を上げる。

 

「『感覚の共有』という事か……で? 見えるのか?」

 

 そう問われ、ルイズは目を閉じて意識を集中させる。

 ――何も見えない。

 

 杖を取り出し、両手で握り締めつつさらに意識を集中。

 しばらく「むぅ~!」と唸っていたが、諦めたのか脱力しつつ一言。

 

「何も見えない」

 

「そうか、残念だったな」

 

「あ、もしかして『サングラス』の所為で真っ暗なんじゃ……」

 

「……掛けてみろ」

 

 そう言われ差し出された『サングラス』。

 サイズが大きくて掛ける事は出来なかったが、それを通してみても視界は多少薄暗くなっただけ。

 納得いかない表情をしながら、『サングラス』を返す。

 

「きっとあなたが人間だからよ。 他の生き物なら問題無いんだから……」

 

 原因は自分じゃないと言い聞かせる。

 

「――で、『視覚』と『聴覚』だけか?」

 

「え? 何が?」

 

 『サングラス』を掛け、位置を微調整したボルトが問う。

 意味が分からずに聞き返すルイズに説明をする。

 

「共有される感覚だ。 他のはどうなんだ? 『嗅覚』とか『触覚』とか……」

 

 言葉を切り、わずかに顔を下に向ける。

 前髪と『サングラス』の上部の隙間からルイズを見る目が覗く。

 

 

 

「――『味覚』とかだ」

 

 

 

「無いんじゃない? 聞いた事が無いし」

 

 あっさりと返答する。

 

「言ったと思うけど、『使い魔』って大体動物とか他の生き物が選ばれるのよ? 草とか虫の味とかわたし知りたくないわよ!」

 

 その味を想像したのか、うげぇと声に出し渋面しながら舌を出す。

 それを聞いたボルトは口の端に薄く笑みをうかべ、『サングラス』を上げながら呟く。

 

 

 

「――そうか、それは良かった……」

 

 

 

 

 

 ――余談だが。

 

 後日ルイズは『味覚の共有』が無くて本当に良かったと心の底から喜び。

 余計な能力を与えなかった始祖ブリミルに、感謝の祈りを捧げる事になる。

 

 

 

 

 

 

「失礼します」

 

 応接室のドアがノックされる。

 入ってきたのは3人にお茶を用意した黒髪のメイドの少女だった。

 そしてルイズの顔を見るなり驚きの声を上げる。

 

「え? ミス・ヴァリエール? まだいらっしゃったんですか?」

 

「……何よ、居ちゃ悪かったかしら……?」

 

 突然のメイドの少女の言葉に不機嫌そうに答えるルイズ。

 それを聞いて慌てて否定する少女。

 

「いいえ、違います! 私はポットとカップを取りに来たんです。 もうお話は終わって誰も居ないと思ったので……」

 

 「申し訳ございません!」と深々と頭を下げながら謝罪する。

 

「分かったわ、もう顔を上げて。 ポットとカップは下げても構わないわ」

 

「はい!」

 

 安堵の表情で応え、片づけを始める。

 

「ところで、まだこちらにいらっしゃるんですか?」

 

 カップを持ってきたトレイに乗せながら少女が尋ねる。

 

「……ねぇ、もしかして貴女はわたしをここから追い出したいの……?」

 

 ルイズの考えは邪推に近いのだが、こうも訊ねられると仕方ないだろう。

 「とんでもないです!」と深々と頭を下げながら否定する。

 

「ただ……」

 

 少女が頭を下げたまま、そっと視線を部屋のとある一点に向ける。

 

「もうお夕食の時間になってましたので……」

 

「あ」

 

 釣られて顔を向けて時間を確認したルイズの口から思わず言葉が漏れる。

 確かに時計は夕食の始まりの時刻を既に過ぎている事を示していた。

 食が細い者ならば食べ終わっている頃だろう。

 

「……しまった、すっかり忘れてた」

 

 額に手を当てぼやくルイズ。

 

「……今から行けば良いだろう」

 

「――『貴族は魔法をもってしてその精神となす』。 ここトリステイン魔法学院のモットーよ」

 

 ボルトの言葉を受けてソファーから立ち上がり、とうとうと述べる。

 

「教えるのは魔法だけじゃなく、貴族たるべき精神・知識・在り方。 そして食事の礼儀作法も例外じゃないのよ。 つまり……」

 

 ボルトから顔を背け、そっと呟く。

 

「多少遅れるならともかく、今から食堂に行くなんてみっともないのよ………」

 

「……」

 

「あはは……」

 

 無言のボルトと苦笑する少女。

 

「どちらにしても今日は早く休むつもりだったけど、何か少しはお腹に入れたいわね。 食堂でパンくらい貰えるかしら?」

 

「はい、じゃあ食堂まで一緒に来て頂けますか?」

 

 ポットとカップを乗せたトレイを持ちながら話す少女。

 

「ありがとう。 そうだ、貴女名前は?」

 

 学院で特定のメイドとここまで言葉を交したのは初めてかもしれない。

 未だ少女の名前も知らない事に気付いたので、何となく聞いて見た。

 先を歩く少女が可愛らしい笑顔で振り返る。

 

「はい、シエスタと申します!」

 

 

 

 

 

 食堂でシエスタから籠に入ったパンと大皿に乗ったフルーツを受け取った2人は、今はルイズの部屋へ向っている。

 

 トリステイン魔法学院は全寮制で、ルイズは当然女子寮に部屋を持つ。

 『使い魔』は主人と同室が基本だが、その大きさや棲息条件により校舎の外で過ごす物もいる。

 

 ルイズも思い悩んだが、さすがに外に居ろとは言えないので部屋へ連れて行く事にした。

 その際「……変な事考えないでよ」と釘を刺した時、

 

 

 

「――ふっ」

 

 

 

 と無言で笑い捨てられたのは正直怒りと殺意が湧いた。

 もっともだからといって襲われるよりはよっぽど良いのだが。

 

 大皿を運ぶボルトを従え、籠を手にルイズは自分の部屋の前に着く。

 まずドアを細めに開け、中を確認する。

 『使い魔』とはいえ、初めて異性を部屋に入れるのだ。

 まず部屋を片付けていた事を確認してから中に入り、籠をテーブルに置きながらボルトに入室を促す。

 椅子に座り早速パンに手を伸ばすが、ボルトは大皿をテーブルに置いてそのまま立っていた。

 

「どうしたの? 食べないの?」

 

「悪いが先に休ませてもらう。 どこで寝ればいい?」

 

 そう問われたルイズは息を呑む。

 体が硬直し伸ばしたままの手も停止する。

 

(しまった……忘れてた!)

 

 部屋には天蓋付きのベッドが有る。

 もちろんそれはルイズのベッドで、ボルトに貸すつもりはない。

 そして同室はともかく同衾なんて論外だ。

 硬直したまま視線を部屋の一画に向ける。

 

 そこには大量の藁が山となっていた。

 

 今日召喚する『使い魔』の寝床として用意していた物だ。

 だがここで寝ろとは言えない。

 それこそ彼が拒否した『犬猫みたいな扱い』だろう。

 

 ルイズの視線を追ってボルトも藁の山に目を向ける。

 

「……」

 

 無言で、しかも表情が見えないのでその感情も分からない。

 少なくとも喜んでいないのは確かだ。

 

「そ、それは動物用に……あ、あの違うの、あなただから、その、それにしたんじゃなくて……」

 

 慌てて何とか誤解を解こうとして、焦ってしどろもどろになりながらも説明する。

 当の本人は藁の山へ足を進め、それを見下ろす。

 

「これで十分だ」

 

「えっと、だから……え?」

 

 驚くルイズを他所にボルトは山を崩し藁を広げ、形を整える。

 そして簡易的なベッドの様になった所で、その上に横になった。

 

「その……本当に良いの?」

 

「野宿よりはましだ。 あぁそうだな、贅沢は言わんが枕とシーツと毛布が欲しい」

 

 寝転がったまま片手を上げて応えるボルトに、ルイズはとりあえず胸を撫で下ろす。

 

「……わかった、明日には用意しておくわ」

 

「ベッドは必要になれば貰った『報酬』で自分で買うさ」

 

 そう言って組んだ両手を枕に、黙ってしまう。

 しばらくして規則的な呼吸音が聞こえてきた。

 それを見てルイズはふと呟く。

 

「……『サングラス』……掛けたまま眠るのね」

 

 

 

 

 

 パンとフルーツを少し食べ、残った分はテーブルにそのままにしておく。

 元々2人分で用意してもらった物で、ルイズだけでは食べきれなかったからだ。

 少しお腹が膨れた事で眠気がしたのか、大きなあくびを1つ。

 いつものように寝る為に着替えよう――としてふと気付く。

 

 今この部屋に居るのは自分だけではないのだ。

 

 『使い魔』とはいえ、異性が存在する所で着替える事に迷ってしまう。

 だが横になったボルトからは規則的な呼吸音が聞こえる。

 『サングラス』で確認できないが、当然その目は閉じられている筈だ。

 意を決して制服と下着を脱いで、ネグリジェを頭からかぶりベッドに入る。

 そして指を弾くと、今まで部屋を照らしていたランプが消え、月明かりが窓から差し込むのみとなる。

 

 大きく息を吐き、1日を振り返る。

 

 ――召喚。

 ――交渉。

 ――契約。

 

 色々あったが、『終わり良ければ全て良し』だろう。

 なんと言っても魔法が成功したのだ。

 

「うふふ!」

 

 満面の笑みで目を閉じ、そのままゆっくりと夢の世界へ。

 明日からは今までとは少し違う日常を期待して……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイズが寝入って半時程経った頃。

 ボルトがゆっくりと体を起こす。

 部屋を見回し、テーブルに目を留める。

 

 そこには籠に残ったパンと大皿に乗ったフルーツ。

 

 その中から『1つ』を手に取り、誘われるように月の光が差し込む窓の方へ歩く。

 

「……ほぅ」

 

 窓を音も無く開き、夜空を見上げると思わず感嘆の息が漏れる。

 

 

 

 ――そこには赤い月と白い月が輝いていた。

 

 

 

「……酒が欲しいな」

 

 窓枠に腰掛け、2つの月を見上げたまま手にしていた物を口へ運ぶ。

 

 

 

 

 

 柔らかい光が照らす部屋は、ボルトが立てる音とルイズの静かな寝息以外に音は無く。

 

 テーブルの上には、『籠に入ったパンとフルーツ』が残されていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 先月は仕事がきつかったです……
 増税前の駆け込み需要が……

 今月はその影響か仕事自体は少し楽になりました。
 ノルマが先月よりさらに厳しくなりました……

体力的にも精神的にも日々磨り減っていく感がありますが、今の所何とか大丈夫です……

これもストレス発散にゲ○センやスロ○トが貢献しているからでしょう。

 逆に増えたりもしますが……
 行かなければ、この話ももっと早く完成したという可能性は否定できませんが……

次話は今月中には投稿したいですね。
もしかしたら少し短めになるかもです。

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。


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ACT-7 洗濯

 お久し振りです。
 またしても前の投稿から約1ヶ月が経過してしまいました……
 『早くて1週間、遅ければ1ヶ月』と気長に構えて頂ければ……


 

 

 

 ――夜が明けた。

 

 

 

 朝になり、太陽の光が窓から差し込む。

 ルイズの部屋も例外無く光で満ち溢れ、眠りの世界からの帰還を余儀無くされる。

 

 先に覚醒したのはボルトだった。

 陽光で明るくなったとは言え、まだ早朝であるにも関わらず藁の山から体を起こす。

 無言で立ち上がり、服に付いた藁を払う。

 

『野宿よりはましだ』

 

 昨夜ルイズに言った言葉は嘘ではない。

 1つの村・街・国に留まらず、放浪の冒険屋であるボルトは野宿も少なくない。

 岩を壁に木陰を屋根に。

 草木を枕に大地を寝床に。

 都会の喧騒ではなく、日の出と鳥の囀りで目覚める朝も悪くはない。

 

 しかし、雨風を凌げる場所の方が落ち着けるというのも本心だ。

 ただ寝心地は今一つだったのか、首を左右に傾けコリを解す。

 

「……ん……」

 

 人の気配を察したのか、部屋の主であるルイズがベッドの上で毛布に包まったまま身じろぐ。

 もぞもぞと毛布からゆっくりと手を伸ばすと、傍らの籠を指差す。

 

「……それ……洗っといて……」

 

 その手はまたゆっくりと毛布の中へ戻る。

 そして毛布をまた頭から被り、陽光を遮断し目覚めを拒否する。

 ボルトがその籠を見ると、昨日着ていたであろう制服や下着が入っていた。

 

「……」

 

 籠を見下ろしたまま無言で佇む。

 ちなみに彼は洗濯が出来ないわけではない。

 基本旅人の様な生活なので、自分で洗濯する必要が有るからだ。

 だが今回問題なのはそれが『女性の下着』という点。

 

 一見しただけで高級そうな生地と意匠。

 当然だが『そんな物』の洗濯の経験は無い。

 今着ている物は彼にとって特別な物だ。

 洗濯時には丁寧に洗うようにしてはいるが、果たして同じように洗って良いものか……

 

 

 

 しばらくしてボルトは籠を抱えて部屋を出た。

 そして未だ誰一人として動く者の無い女子寮の廊下を、靴音を響かせ歩いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ACT-7 洗濯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぅ……んん……」

 

 息苦しくなったのか毛布から出した顔に容赦なく日の光が降り注ぎ、ルイズは目を覚ます。

 

「ふぁああああああああ~~ぁ」

 

 ベッドから体を起こし、大きなあくびをしながら伸びをする。

 眠い目を擦りながらベッドから降りて着替え始める。

 ネグリジェを脱ぎ、下着を付け、制服を着る。

 ここまではいつも通りだった。

 

「……水が無い……」

 

 毎朝メイドが洗濯物を取りに来て、同時に顔を洗う水を置いていく。

 どうやらいつもよりも早くに目が覚めてしまったようだ。

 

「……はぁふ……眠い……」

 

 顔を洗ってないせいかぼんやりしたままの頭で、椅子に座りテーブルに突っ伏す。

 そしてそのままうとうとしてしまう。

 

(……ん……何か忘れ……て……る…………気が…………す……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   『……ボルト……ボルト・クランク……ボウケンヤだ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「使い魔っ!」

 

 叫び声にも似た言葉と共に、髪を振り乱しながら勢い良くテーブルから顔を上げる。

 

「そうよ、使い魔! 昨日わたしは召喚したのよ!」

 

 立ち上がり改めて自分の部屋を見回すが、肝心の『使い魔』の姿は無い。

 そうして気付いた事は3点。

 

 

 

 1『誰も居ない、誰かが居た形跡だけが残る藁の寝床』

 2『消えた大皿』

 3『行方不明の洗濯物』

 

 

 

 まず昨日の出来事が夢ではなく、自分は間違い無く召喚に成功したという事の証拠の1番。

 確かにボルトは昨夜ここで寝ていた。

 

「まったく、どこ行ったのよ……」

 

 ふと気に掛かった2番。

 別々だったパンとフルーツが同じ籠に入っていた。

 フルーツを乗せてた大皿はどこに?

 

 そして3番。

 始めはメイドが取りに来たと思った。

 だが鍵を開けた記憶が無いので、メイドは部屋の中には入れない。

 ボルトが開けた可能性があるが、それなら同時に置いていく筈の水が無い。

 いつもより時間が早いし、そもそもメイドはまだ来てないのではないか?

 

 ここまで考えて、朧気ながら思い出した事がある。

 

「……わたし……誰かに洗濯を頼んだ気がする」

 

 いつもの時間に来たメイドだと思ったのだ。

 だがメイドではない。

 そして同室だった人間が居らず、洗濯物が無い。

 

「……わたし……あいつに洗濯を頼んだ……?」

 

 

 

 ――自分の下着を。

 

 

 

 ルイズの顔から血の気が引く。

 

「……わたしの下着を……あいつが洗う……?」

 

 下着を洗う。

 

 当然下着を見られる。

 見えなければ洗えない。

 

 当然下着を手にする。

 触らなければ洗えない。

 

 先程引いた以上の血流が流れ込み、ルイズの顔は真っ赤になる。

 

 脳内にボルトが自分の下着を手にする様子が映しだされる。

 

 

 

 ――以下ルイズの妄想――

 

 ボルトはルイズの下着を手に取り、穴が開く程見詰める。

 両手に持ち目の前で前面を凝視する。 

 持ち替え背面を見回す。

 頭上にかざし、下方を観察。

 胸元付近に下ろし、上方から内側を――

 

「――ちょっと待って」

 

 彼女が頼んだのは洗濯。

 

 当たり前だが、洗濯の必要性があるソレは前日着用していた物で。

 

 ソレは、多少なりとも『汚れている』いる訳で……

 

 

 

 

 

「やめてぇ~~~~~っ!」

 

 

 

 

 

 紅潮したままで頭を抱えつつ振り乱し、大声で叫ぶ。

 

「どうかしたか」

 

 混乱の只中、その背に声が掛かった瞬間ルイズの体は硬直し、暫し微動だにしなかった。

 やがて、古いゼンマイ仕掛けの様にゆっくりと振り向く。

 

 そこには当の本人であるボルトが、木桶と水差しを手に立っていた。

 

 

 

「ぁ、ああぁあんた、えっとその、わたしあんたにさっきそのえっと……」

 

 赤い顔を見られないように俯きながらしどろもどろに尋ねようとする。

 

「――洗濯か」

 

「そう! わたし頼んだのよね? えっと……終わったの……?」

 

 簡潔に答えるボルトに恐る恐る確認を取る。

 

 

 

「さぁな」

 

 

 

「――はぁ?」

 

 

 

 全く予想外な返答に呆気に取られる。

 そのお陰で顔色が平常通りに戻ったのは幸いだった。

 

「洗い場を探していたら、昨日のメイドに会った」

 

「昨日の? あぁ、『シエスタ』だっけ」

 

 笑顔で振り返る黒髪の少女が頭に浮かぶ。

 

「悪いが女物の洗濯は経験が無いんでな。 仕事で毎日洗ってると言うので頼んだ」

 

「え!? じゃあ洗濯は……」

 

「終わったらいつも通り届けるとさ。 その代わりにこの水運びを引き受けた」

 

「――よ、良かった……ほんとに良かったぁ……」

 

 事の顛末を聞いたルイズは、大きな安堵の溜め息と共にテーブルに手を置き脱力。

 

「何だったんだ、さっきのは」

 

「あぁーもう何でもないの、気にしないで」

 

 気が抜けてしまい、投げ遣りに答える。

 

「それからお前に伝言だ」

 

「え、わたしに?」

 

 上げた顔の前に水差しが差し出される。

 

 

 

 

 

「『昨日の夕食みたいに、今日の朝食は遅れないようにしてくださいね!』――だとさ」

 

 

 

 

 

 改めて簡単に身支度を整え、ボルトを伴い部屋を出る。

 同時に隣室の扉が開き、赤い髪の美少女が出てきた。

 

「あら、おはようルイズ」

 

「……おはよう、キュルケ」

 

 爽やかに微笑みながら挨拶されて、嫌そうな顔で返すルイズ。

 それもその筈、自他共に認める仇敵のキュルケである。

 

 国境を挟んで隣接する領地出身である仲の悪い2人が、奇しくも女子寮でも隣同士になっていた。

 

「ところで、そちらがあなたの使い魔?」

 

 ルイズの後ろに立っていたボルトに視線を送る。

 

「……そうよ」

 

「本当に人間なのね。 すごいじゃない!」

 

「……」

 

 無遠慮に頭の先から爪先まで何度も見回す。

 しかしボルトは別に気にした様子も無く無言のまま立っている。

 

「初めまして、ミスタ。 あたしは『キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー』。 キュルケと呼んで下さいな」

 

 軽く会釈するその仕草だけでも隠そうともしない色香が漂ってくる。

 

「――ボルト・クランク。 ボルトで良い」

 

「――あら、クールな方ですのね」

 

 自分の自慢のプロポーションを目の前にして平然としているボルトをそう評する。

 

 大抵の男は彼女の顔を見た後は、視線は胸に移る。

 その豊満な胸は、制服であるブラウスには収まりきれない。

 無理矢理収める為ボタンを1つ2つ外しているので、その魅惑的な谷間が常に露わになっている。

 下手をすると端から胸しか見ていない輩も存在するのだ。

 

 今現在、その胸を凝視――と言うよりも忌まわしげに睨みつけている人物が傍らに居るが、それはさて置き。

 

 女性は視線には敏感だという。

 特に彼女の様に、女性としての魅力に絶対の自信を持ち、誇り、武器としているのなら尚更である。

 

 だからこそキュルケにはボルトの目が見えずとも分かった。

 彼が『彼女の一部』ではなく、『キュルケ』という人間を見ている事に。 

 

 

 

 ――それが少し悔しくもあり。

 ――それが少し嬉しくもあった。

 

 

 

 そうやって話していると、キュルケの部屋から真っ赤で巨大なトカゲが出てくる。

 大きさはトラ程もあり、その尻尾の先には大きな炎が燃えている。

 

「う……これって、サラマンダー?」

 

 悔しそうに尋ねるルイズ。

 

 

 

 ――サラマンダー。

 

 別名『火トカゲ』。

 『使い魔』としてはかなりの高ランクに分類される幻獣である。

 『サモン・サーヴァント』の時に、ボルトの事を幻獣と思ったルイズとしては多少――否、かなり羨ましい。

 

 

 

「そうよ、あたしの『使い魔』。 『フレイム』って名付けたわ。 『火』属性のあたしにぴったり!」

 

 口から微かに火を吐き出すその火トカゲの頭を撫でる。

 

「しかもこの尻尾! ここまで鮮やかで大きい炎の尻尾は、間違いなく火竜山脈のサラマンダーよ! ……ってあら?」

 

「あ、ちょっと……」

 

 その火トカゲがゆっくりと歩きだし、ルイズの横を通りボルトの前で足を止める。

 そしてコートの裾やポケットに入れたままの袖口を、ヒクヒクと嗅ぎながらその周囲を回り――やがて自分の頭や首を擦り付け始めた。

 

「……」

 

 ボルトの方は驚きもせず跳ね除ける事もせず、されるがまま。

 

「……あんた、何懐かれてんのよ」

「……珍しいわね、初見でこの子にここまで好かれるなんて」

 

 その様子をルイズはやや呆れながら、キュルケは感心しながら見守る。

 しかしキュルケは何かに気付き、ボルトの側に立つ。

 

 女性としては高身長のキュルケだが、ボルトに比べると頭1つ分も違う。

 彼女は自分の使い魔と同じ様に、その目線の高さにあるボルトの肩口や胸元にやおら鼻を近づけ嗅ぎ始めた。

 

「ちょっ!? あんた! 何してるの!?」

 

 突然の奇行に驚くルイズ。

 慌てて引き離そうとキュルケのマントを掴む。

 だがその前にキュルケは自分から身を離す。

 

「……硫黄……?」

 

「え?」

 

「『火の秘薬』の臭いがする。 フレイムが気付いたのはこれね」

 

「ねぇ、どういう事?」

 

 

 

 ――火竜山脈。

 

 キュルケがフレイムの棲息していたと推測する、6000メイル級の山々が連なる長大な山脈である。

 トリステイン王国の南東部に位置する『ガリア王国』。

 その南部を東西に走り、東の一部は『宗教国家ロマリア』との国境にもなっている。

 

 地面は赤い岩肌と黒い溶岩石から成り、至る所で溶岩流が噴出している。

 その為硫黄も豊富に存在している。

 フレイムにとっては馴染みのある臭いだ。

 

 

 

「――だから彼に懐いたって訳」

 

「へぇ。 ――で、それは分かったけど……じゃあ何であいつからそんな臭いがするのよ」

 

「……さぁ?」

 

 2人同時にボルトに目を向けるが、ボルトには答える気が無いようで無言のままだ。

 足下では相変わらずフレイムがじゃれている。

 

 

 

 

 

「所でルイズ」

 

 ボルトからルイズに視線を移しキュルケは尋ねる。

 

「今朝はどうしたのよ。 朝早くに部屋を出て行ったと思ったらさっきは絶叫してたし」

 

「あっ、あれはその……」

 

 まさか聞かれるとは思ってなかったルイズは返答に詰まる。

 

「部屋を出たのは俺だ。 洗濯を頼まれたんでな」

 

 横からボルトが答える。

 

「洗濯? もしかしてルイズの?」

 

「あぁ、制服と下着だけだったが」

 

「あっ、こら!」

 

 ルイズが慌てて言葉を遮ろうとしたが既に遅かった。

 これを聞いてキュルケが見慣れた表情を浮べる。

 ――からかう時の意地が悪い笑みだ。

 

「あらヴァリエール、使い魔とはいえ殿方に自分の下着を洗わせるなんて良い趣味してるわね~」

 

「違うわよ! 寝惚けてメイドと間違えたのよ!」

 

 必死に弁解するルイズを見て面白そうに笑うキュルケ。

 そして笑いながらボルトに尋ねる。

 

「で? この子の下着を見たご感想は?」

 

「ちょっと!?」

 

「……高そうだったな」

 

「ん~、それだけ? なんかこう……柔らかかったーとか、まだ少し温もりが残ってて興奮したーとか」

 

「何言ってるのよ! 大体脱いだのは昨日の夜だから温もりなんて無いわよ!」

 

「……下着を手にして喜ぶ趣味は無い」

 

「あら、そう?」

 

 そう言ってキュルケは隣で騒ぐルイズのスカートの裾を摘み、少し持ち上げる。

 

「やっぱり男性的には身に付けている所の方が良いかしら?」

 

「きゃあぁぁーっ! 何するのよキュルケっ!?」

 

 実際は見える筈は無いのだが、過剰に反応するルイズ。

 紅潮しながら必死でスカートを両手で抑える。

 そんな光景を前にボルトはきっぱりと言い切る。

 

 

 

 

 

「子供の下着を見て喜ぶ趣味も無い」

 

 

 

 

 

 その言葉に対する反応は対照的だった。

 

 顔を背け思い切り噴き出すキュルケ。

 顔から血の気と表情が一瞬で消え去ったルイズ。

 

 

 

「――ね、ねぇボルト、ルイズは何歳だと思う? ……ぷ……」

 

 しばらく咳き込んでいたキュルケが、笑いを堪えながら問う。

 

「10……いや、12か13か」

 

 そう口にした直後、軽く素早い足取りが背後から聞こえた。

 そしてボルトの背中に衝撃が加わる。

 密かに後ろに回り込んだルイズが跳び蹴りを放ったのだ。

 

 本当は股間を蹴り上げるつもりだった。

 しかしフレイムが邪魔だったのと、長身のボルトの股間を狙おうとすると位置が高すぎて、自分の方が転びそうだった。

 だからこその渾身の跳び蹴りだったのだが、悲しいかなその体格差ではボルトに与えた衝撃は僅かにたたらを踏む程度だった。

 

 くっきりとした足形を背負いながら振り返るボルトに、ルイズは憤怒の形相で声を張り上げて反論する。

 

 

 

「――この馬鹿使い魔っ! わたしは『16』よっ!」

 

 

 

 先程とは違う意味で顔を赤くしているルイズの視界の片隅では、キュルケが腹を抱えて大笑いしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




 投稿ペースが遅い所為もありますが、それにしても話が進んでません
 10話も投稿して、決闘シーンどころか朝食シーンにも至れていない……

 今回は朝食まで終わらせるつもりだったんですが、何故か洗濯で話が膨らんでしまったので。



 ――ボルトの洗濯(没ネタ)――

①下着(使用済)と水(お湯可)を用意します。
②「いただきます」
③能力発動!
④下着(洗濯済)と水(汚れ含む)の出来上がり。



 ……②の部分を想像すると、恐ろしく犯罪的かつ変態的なので没に。

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。 


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ACT-8 朝食

久し振りの投稿です。
もはや月1作品と化している感じが……


 

 

 

 トリステイン魔法学院で中心にあり最も高い建物である本塔。

 

 その廊下を奇妙な一行が歩いている。

 

 

 

 先頭にはラ・ヴァリエール家の三女、『あの』ルイズ。

 朝から隣室のキュルケと一悶着あったのか機嫌が悪い時は時々あるが、今朝はまた格別だった。

 

 眉間に深い皺を寄せ、前方を睨む様な目で見据えて。

 肩を怒らせ、苛立ちをぶつけるかの様に廊下を踏み締め。

 時折鋭い眼光を後方に注ぐ。

 常日頃から貴族たらんと行動している彼女にしては、非常に珍しい事ではある。

 

 

 

 その後ろを行くのは恋多き留学生『微熱のキュルケ』。

 

 またルイズを遣り込めたのか、こちらは上機嫌だった。

 しかも時折噴き出し、思い出し笑いを必死に堪えている。

 その度に前方のルイズが尋常ではない視線を向けるのだが、全く意に介さない。

 寧ろその度に楽しそうな笑顔を返すのだ。

 

 

 

 次に進むのはキュルケの使い魔『フレイム』。

 

 先頭のルイズがやや早足で歩行している為、フレイムも遅れまいと通常よりも速い速度での移動となる。

 短い手足を忙しく動かし、その巨体が走る様子はかなりの迫力である。

 

 

 

 そして最後尾は謎の男。

 

 その見上げる長身に見慣れぬ服装。

 彼の名は周囲の生徒達は誰も知らない。

 しかし、その存在は既に知れ渡っていた。

 

(おい! あれが!?)

(あぁ、あの『ゼロのルイズ』の使い魔だ)

(あの噂は本当だったのか……)

(でもどう見ても人間にしか見えないんだけど……亜人?)

(……それがどうも本当に人間みたいよ?)

(嘘!? 人間の使い魔なんて聞いた事ないわよ!?)

 

 あちらこちらから聞こえてくる言葉を気にもせず先行する2人と1匹の後を追う。

 長身故にその歩幅は大きく、その歩みは大きくゆったりとしていた。

 

 

 

 食堂へ続くこの廊下は、朝食時の今は本来なら大勢の生徒達で賑わっている。

 だが全ての生徒達が廊下の両端に避けている為、この3人と1匹の一行は無数の視線の中無人の廊下を行くが如く食堂へと向う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ACT-8 朝食

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ここで待ってなさい」

 

 食堂近くに着いた時、ルイズは後方を振り返りボルトを睨み据えながらそう告げる。

 そして食堂に入り、そのまま近くの厨房へと続く入り口へ足音高く歩いていく。

 

「じゃあフレイム、また後でね」

 

 ボルトと共に廊下に残ったキュルケが己の使い魔に声を掛ける。

 きゅるきゅると鳴いた後、フレイムはそのまま何処かへ歩いて行く。

 

「ここ『アルヴィーズの食堂』は基本的に入れるのは貴族だけで、使い魔は別の場所で餌を貰うの」

 

 使い魔に手を振り見送りながらキュルケは話す。

 

「多分ルイズは平民である貴方の席と食事を用意しに行ったんじゃないかしら。 さすがに同じ食卓で同じ料理ってのは無理かもしれないけど」

 

「……」

 

「それにしても――」

 

 無言のボルトの横で、キュルケはまたしても噴き出す。

 その回数は今朝のボルトの発言から既に20を越えている。

 

「これまで『大人の女性』じゃなくて『少女』として扱われる事は何度も有ったろうけど、まさかルイズも『子供』扱いされてるとは思ってなかったでしょうね」

 

 そう言って飽きる事なく笑い続ける。

 

 

 

「邪魔よツェルプストー。 いつまでも入り口近くで突っ立ってるんじゃないわよ」

 

 いつの間にか戻ってきたルイズの不機嫌を隠そうともしない声。

 

「あらお帰りヴァリエール。 ごめんなさい、気付かなかったわ」

 

 そう言って片手を頬に当てながら腕を組み、溜め息をつく。

 

「あたしってどうも人より視界が狭いみたいなのよ、主に『下方向』になんだけど。 自分の足下とかよく見えなくて困るのよねぇ」

 

 その視界不良の原因である『モノ』が先の腕を組んだポーズの所為か、さらに大きさを強調されてルイズの目の前に存在している。

 それ故にルイズがその『モノ』に向ける視線には尋常でない殺気が込められていた。

 彼女が視線で人を殺せるならその目前のキュルケだけではなく、その余波だけでこの廊下は『元』生徒達で構成された屍山血河の惨劇の場となっていただろう。

 

 

 

「邪魔」

 

 

 

 無表情が常の青い髪の小柄な少女タバサ。

 そんな彼女が珍しく僅かに苛立ちを滲ませながら、火花を散らすルイズとキュルケに言い放つ。

 朝食の時間に遅れそうになるのが健啖家の彼女には許せなかったようだ。

 

「あらタバサ、おはよ」

 

「おはよう。 ――2人共皆の迷惑」

 

 そう言われルイズとキュルケは周囲を見回す。

 間も無く朝食だというのに、入り口付近の小競り合いだった為に他の生徒達が食堂に入れず、遠巻きにして飛び散る火花を避けていた。

 

 余談だが、下級生や気の弱い女生徒はルイズの視線に怯え、男子生徒の大半は思わぬ眼福を得てにやけていた。

 

 お互いに顔を見合わせ、一時休戦としたのか壁伝いに移動し入り口を空ける。

 そうした事で恐る恐る生徒達は食堂へと移動し始めた。

 

 

 

「こほん」

 

 わざとらしい咳払いの後、ルイズは左手を腰に当て右手の人差し指を傍らに立つ使い魔の鼻先に突きつける。

 ――もちろん実際には背丈が圧倒的に足りないのでそんな意気込みで。

 

「いい? ここ『アルヴィーズの食堂』は本来――」

「あぁそれならあたしが話したわ」 

 

 苦虫を噛み潰したような顔で背後のキュルケに振り返る。

 

「だからあなたが彼の席と食事を用意するように厨房に言いに行ったんでしょ?」

 

「……むぅ~……」

 

 ルイズは朝の発言の意趣返しも含めて、盛大に恩着せがましく言ってやろうとしていた。

 ところがキュルケに話の腰を折られ、言葉を盗られ、散々である。

 

「……こっちよ、着いて来なさい」

 

 不機嫌な顔のまま食堂へと歩いていく。

 楽しそうなキュルケと、無言で無表情のままボルトが後に続く。

 

 

 

 こうして見事に失敗したかに思えたルイズの『意趣返し』。

 

 ――しかし実はまだ『次』が用意してあったのだった。

 

 

 

 

 

 ――『アルヴィーズの食堂』。

 

 トリステイン魔法学院の中心に位置する本塔の1階。

 そこで全ての生徒と教師がここで食事をする。

 その為学院で最も大きな部屋の1つとなっている。

 

 中に入ると真っ先に目に入るのは3卓の長大なテーブルである。

 1卓でも100人は優に座る事ができるだろう。

 身に付けたマントの色によって座るテーブルが決まっているらしく、どのテーブルも同じ色のマントの生徒が席を埋めていた。

 それぞれが自由に席に着き、周りの生徒達と談笑している。

 頭上は吹き抜けになっており、天井との間には中階部分がありそこは教師達の席となっているようだ。

 

 その全てのテーブルにはいくつもの燭台のロウソクに火が灯され、色鮮やかな花が飾られ、実に華やかである。

 そして用意されている料理も鳥のローストを始め、パンにスープにパイ、フルーツにサラダにワインと朝食とは思えない程豪華な物だった。

 

 

 

 ルイズが――正確にはボルトが食堂に足を踏み入れると中にいた生徒達が一斉にどよめく。

 その体に感じられた低い声の波に、思わずルイズは気が引けてしまう。

 

(や、やっぱり平民を入れるのはまずかったかしら……)

 

 だが微かに耳に届く言葉を聞くとそういう類のどよめきではないようだ。

 

 

 

(おっ! あれが例の……)

(ぅわぁ! やっぱり人間だ!)

(……でかいなおい)

(しかし本当に『ゼロのルイズ』が召喚したんだな)

(――なぁ。 そういえば例の賭けはどうなったんだ?)

(そうそう! 『召喚成功』に賭けた人なんていなかったんでしょ?)

(……胴元の総取りか)

(他の学年からも参加者いたらしぜ。 『本屋』の奴、笑いが止まんないんじゃないのか?)

(――それがいたんだってよ、『成功』に賭けた奴。 しかも複数口!)

(俺も聞いた!)

(大赤字で『本屋』が廃人になってたってさ)

(そういや今朝はまだ見てないよね……)

(あ~ぁ、俺も『成功』に賭けときゃ良かったな……)

(……)

(…………)

(………………)

(……そりゃ無理でしょ)

(うん、無いな)

 

 

 

「……なんか不愉快な話が聞こえるわね……」

 

「……ぷ……くく」

 

 改めて気分を悪くしたルイズの背後で、二重の意味で笑いの止まらないキュルケだった。

 

 

 

 ルイズは中央のテーブルのやや端寄り、まだ空きの目立っていた一角の内の1つの席へと移動する。

 そこにしばらく立ったままだったが、不満顔で振り向く。

 

「ちょっと、椅子くらい引いてちょうだい。 気の利かない使い魔ね」

 

「……」

 

 言われて無言のまま椅子を引くボルト。

 礼も言わずに腰掛けるルイズに声が掛けられる。

 

「……あの、ミス・ヴァリエール……」

 

「あら、ちょうど良かった」

 

 腰掛けたまま後ろを向くと、そこには何かを両手で持ったシエスタがいた。

 

「それはその辺の床に置いといて」

 

「えぇ!? でも……」

 

 そう言って不安げな顔でルイズとボルトの顔を交互に見る。

 

「良いから! こいつは平民なのよ?」

 

「……はい、わかりました……」

 

 そう言われ、ルイズのやや右後方の床、ボルトの足下近くの床に『何か』を置く。  

 そして「失礼します」と頭を下げた後、申し訳なさそうな顔でボルトにも礼をして去って行く。

 

 彼女が置いて行った物――それは1枚の陶器のスープ皿だった。

 やや大きめで浅めの皿の中にはスープが入っていた。

 ただそこには肉の欠片はおろか、野菜屑すら入っておらずとてもスープとは言えない代物で、純粋に『液体のみ』だ。

 そして皿の端には表面のほとんどが焦げた小さなパンが乗せられていた。

 

 意地の悪い笑顔でルイズは後ろに立つボルトに言い放つ。

 

「聞いたと思うけど、使い魔は本当なら外。 でもわたしの特別な計らいで中で食べられるんだから、有り難く思いなさい」

 

 

 

 

 

「……ねぇヴァリエール、気持ちは分からなくも無いけど、流石に大人気ないと思うわよ?」

 

 わざわざ向かい側の椅子に座ったキュルケが呆れたように呟く。

 

「いいのよ! 主人を不愉快にさせる無礼な使い魔は本当ならご飯抜きなんだから!」

 

 その場に立ったままのボルトの足下に視線を移す。

 どう考えても『犬猫みたいな扱い』だが、今朝のあの発言は流石のルイズも腹に据えかねた。

 

「そ・れ・に! わたしは『12か13の子供』らしいから、『大人気ない』のも当然でしょ!?」

 

 ふん!と鼻息も荒くルイズはボルトやキュルケから顔を逸らす。

 そんなルイズを見たキュルケはテーブルに頬杖を突いて溜め息を突く。

 

「……そういうのが」

「大人気ない」

 

 いつの間にかキュルケの隣に座っていたタバサが後に呟く。

 

 

 

 

 

『偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ。 今朝もささやかな糧を我に与えたもうたことを感謝します』

 

 祈りの言葉が唱和されて、食事が開始される。

 

 ルイズは多少溜飲が下がったのかすっきりした顔で食べている。

 向かい側のキュルケは隣の男子生徒と話す事の方が主になっている。

 隣のタバサはその細い小さな体の何処に入っていくのかと思える程の量を口にしている。

 特に大鉢に盛られたハシバミ草という苦味のある草を使ったサラダは人気がないのか、彼女1人で専有しているが不平は出ていない。

 

 そんなテーブルの横の床にボルトは胡座を組んでいた。

 左手で皿に乗ったパンを取り、右手で皿を取りそのまま口を付けゆっくりと飲み干す。

 パンに付けて食べる為だったのか、スプーンが無かったからだ。

 左手にパン、右手に空になった皿を持った状態で暫し考え込む。

 

 ルイズはあれからこちらを見ようともしない。

 どうやら自分に与えられた食事は本当にこれだけのようだ。

 

 

 

 ――まぁ、用意されても困るのだが。

 

 

 

 そうして『片方の手』の物を口に運ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ――ガリ――

 

 

 

 

 

   ――ボリ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 背後から妙な音が聞こえる。

 

(そんなに硬いパンだったのかしら……)

 

 ルイズは少し気になった。

 先程厨房へ行った時に偶然近くに居たシエスタにこう言ったのだった。

 

 

 

「私の使い魔用の食事を用意して! 何も入ってない薄いスープと炭みたいに焦げたパンで良いから!」

 

 

 

 腹いせに思わず酷い内容が口から出てしまったが、いい気味だと思った。

 

(……そりゃ確かに周りと比べると背とか……む、むむむ胸とか、ち、小さい、のかもしれないけど――)

 

 そんな事を考えるとまた少しずつ腹立たしくなってしまう。

 ナイフとフォークを持つ手に力が篭もる。

 

(――いくら何でも、『10歳』は無いでしょうっ!)

 

 握ったままだった両の手でテーブルを叩く。

 それが思ったよりも大きな音を立ててしまい、ルイズは自分で驚く。

 

 そうしてやや俯き加減だった顔を上げると、周囲の生徒達の雰囲気がいつもと違っているのに気付いた。

 

 皆こちらを――というより自分の後方を見ている。

 それも呆然とした表情で。

 タバサもサラダを口へと運ぶ途中で固まっている。

 

 ただ正面に座るキュルケだけは眉間に皺を寄せ、ルイズに非難の視線を向けている。

 

「……ねぇルイズ。 彼はあなたの使い魔だから、私達は部外者だし口出ししても結局はあなた達の関係性の問題だと思うの」

 

「何よ、言いたい事があるならはっきり言いなさいよ!」

 

 歯切れの悪い彼女の言い方につい声を荒げるルイズ。

 溜め息をついてルイズの後方を指差し、答えるキュルケ。

 

「いくら『使い魔』でも彼は『人間』なのよ? そんな事をさせるのは『貴族』としてというか、同じ『人間』としてどうかと思うんだけど?」

 

「わ、わかったわよ……」

 

 ――どうせこちらの料理を物欲しそうにじっと見てたんでしょう。

 

 そう見当をつけて、目の前にある鳥のローストの腿部分をナイフで切り取り、フォークで刺す。

 そうして軽く咳払い。

 椅子から立ち上がらずに、体だけ動かしフォークに刺した肉を差し出す。

 

 

 

(――あれ? でも『サングラス』しているあいつの『物欲しげな目』が、何で皆は分かったんだろ?)

 

 

 

 ちなみに『硬い感じの妙な音』はこの時もずっと断続的に続いている。

 

「はい、特別にこれをあげるからそんな物欲しそうな目をしない……で…………ょ…………?」

 

 そうして自分の予想の斜め上を行く背後の光景に絶句する。

 差し出したフォークが手から零れ落ちる。

 

「…………な…………な……なななななぁ…………」

 

 その信じ難い光景に、頭の中が真っ白になり言葉がうまく出て来ない。

 空になった左手でテーブルのワイングラスを取り一気に飲み干し深呼吸。

 そして椅子から立ち上がり改めて大きく息を吸い込む。

 

「何やってんのよあんたはぁーーーっ!?」

 

 思わず右手のナイフでその異常な光景の創造主を指し示し、可能な限りの大声で怒鳴りつける。

 もちろんテーブルマナーに真っ向から喧嘩を売る行動だがそんな事は気にしていられなかった。

 

 彼女の使い魔は相変わらず読めない表情で食堂の床の上に胡座を組んでいる。

 そして『左手に持ったパン』はそのままに。

 

 

 

 ――『右手に持った皿』を口に運んでいた。

 

 

 

 その大きさは既に半分以下になっている。

 先程からしていた『硬い感じの妙な音』は彼が陶器製の皿を『食べる音』だったのだ。

 

 怒鳴られてルイズに顔を向けるボルト。

 しかしその手は止まらず、またも皿を持つ手を持ち上げる。

 

 ――口を開け、

 ――皿を齧る。

 ――咀嚼して、

 ――嚥下する。

 

 普通の人間が行う一連の行動。

 そこに何の違和感も存在しない。

 

 それだけにその対象である物の異常性が際立った。

 

「――ぅ」

 

 1人の女生徒が手で口を塞ぎ、そのまま席を立ち走り去る。

 何人かの生徒が口や胸を押さえながら後に続く。

 

 そんな周囲の状況に構わずに彼は『食事』を続ける。

 

「ちょっと!? もう止めなさいっ!」

 

 怒りと焦燥の声でそれを制止しようとするルイズ。

 それを聞いてボルトは手を止める。

 口に残った物を飲み下し、胡座を解き立て膝の姿勢になる。

 そこからゆっくりと立ち上がる。

 

 

 

 ――その前に。

 ――一際大きく口を開く。

 

 

 

 

 

   ――ガキン――

 

 

 

 

 

 やや甲高い音と共にルイズは右手に軽い衝撃を感じる。

 

「……ん?」

 

 右手に視線を移すと数秒前にボルトに突きつけていたナイフの『柄』が手の中に有った。

 ついさっきまで有った筈の『刃』は、まるで初めからそうだったかのようにどこにも存在しなかった。

  

「……ぇ……?」

 

 ボルトが立ち上がりざまナイフに顔を近付けていたのは見えた。

 その際口を開いていたのも見えた。

 だが肝心の瞬間は瞬きをしていたのかはっきりとは見えなかった。

 

 しかし考えられる事実は1つしかない。

 

 だからといって直ぐには信じ難い。

 ここの食堂で使われているナイフは、熟れた果実の様に齧り取れるような粗悪品ではないのだ。

 

 

 

   ――ガキリ――

 

 

 

   ――ゴキリ―― 

 

 

 

 目の前に立つボルトからは先程とは違う金属製の音がしている。

 ならばもはや疑いようが無い。

 

 ――この使い魔が皿と同じようにナイフも『食べた』のだ。

 

 呆然とするルイズを尻目に、右手に残った皿の欠片を口に咥える。

 そしてその欠片をガリボリと音を立て食しながら、外へと通じる扉へ足を進める。

 

 その少し開いた扉の隙間から中の様子を伺う顔があった。

 タバサの使い魔のウィンドドラゴンである。

 近付いたボルトの顔をじっと見詰める。

 その巨体が邪魔で外に出れないボルトも無言で相手を見る。

 

「きゅい?」

 

 その相手が何かに気付き視線を逸らす。

 逸らした先にはボルトの左手、今だ持ったままだったパンがあった。

 そして今度はそのパンから視線が動かない。

 

「……」

 

「……」

 

 ボルトがウィンドドラゴンの鼻先にパンを差し出すと、器用にその大きな口にパンだけを咥え込む。

 そして完全に口の中にパンを収容した途端、動きが止まる。

 慌ててその場から離れながら咳き込み始めた。

 どうやら予想以上に焦げ部分が苦かったようだ。

 

 そうしてボルトは悠々と外へと歩き出した。

 

 

 

 

 

「……ねぇルイズ。 さっきはあなたにあんな事言っておいて、こんな事聞くのはどうかと思うんだけど……」

 

 未だ呆然としたままのルイズの背中に声を掛けるキュルケ。

 ルイズは呆然とした表情のまま振り返る。

 

「……彼って『人間』? 『亜人』じゃなくて?」

 

「……あいつが『亜人』だったんなら昨日のわたしの心労は半分以下だった筈よ……」

 

 大きな溜め息と共にそう呟く。

 

 いつもなら多くの生徒達の談笑で賑わう食堂内、その一角だけは奇妙な静けさが残存していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回の食堂での話は、かなり昔から妄想していた場面の1つです。
――相変わらずそれを文章で表現するのは難しいです。

それから作成中は気付かなかったんですが、なんとボルトの台詞が無い。

まぁ原作でもほとんど話さない回もあったんで、問題無いかと……
これからも彼の台詞は『必要最小限以下(・・)』で作成しようと思います。

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。


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ACT-9 授業

前回の投稿から一ヶ月以上空いてしまいました。
約5週間……
今までの最長(最遅?)記録更新です……


 

 

 朝食もそこそこにルイズは足早に食堂を後にする。

 とりあえず目の前にあった皿を空にしただけだ。

 味も分からなかったし、食べた気など微塵もしない。

 

 そんな事より、今は一刻も早く食堂から離れたかった。

 

 ――先のボルトが引き起こした混乱。

 

 その原因が『ルイズが使い魔に皿を食べるように強制したから』と認識されたからだ。

 周囲の生徒達から非難の目を一斉に向けられる。

 『食事が不味くなるような事をさせるな』的な視線と『いくら使い魔とはいえ、人間相手に何て事を』的な視線。

 下手をすれば明日からは『外道のルイズ』とか『非道のルイズ』とか呼ばれそうな雰囲気だった。

 

(冗談じゃないわよっ!)

 

 濡れ衣にも程がある。

 確かにあのパンとスープを用意させたのはルイズだ。

 だが『パンを食べずに皿を食べる』なんて誰が予想できただろうか。

 

(一体どういうつもりよ! あの食事の内容に対する当てつけのつもり!?)

 

 ルイズはボルトを探し出して問いただすつもりでいた。

 

(返答次第では今度こそ蹴り上げてやる!)

 

 その時運悪く彼女と擦れ違ってしまった男子生徒が、何かを感じ取ったのか一瞬体を痙攣させた後前屈みになる。

 辺りを見回して異状が無い事を確認すると、首を傾げながらも額の脂汗を拭い去る。

 

 

 

 ボルトが出た扉から外へ出る。

 

 そこは中庭の一画。

 朝食を終えたのか、何人かの生徒が居た。

 皆それぞれ自分の使い魔を連れている。

 どうやら彼らが来た方向に使い魔の餌場があるようだ。

 根拠が有る訳ではなかったが、彼女は何となくその方向へ足を運ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ACT-9 授業

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは壮観と評すべき光景だった。

 

 目の前には多種多様の生き物が集合している。

 それぞれが餌を食したり休んだりと思い思いに過ごしている。

 契約の影響なのか種の違う物同士で会話らしき交流も行っていた。

 それどころか、本来であれば捕食する・される関係である物でさえ、混乱や騒動を起こす事なくこの空間に存在しているのだ。

 

 そんな餌場からやや離れた木陰に、彼女の使い魔がいた。

 昨夜の藁の山の上と同じように、組んだ両手を枕に横になっている。

 その横にはまたしてもキュルケの使い魔であるフレイムが共に寝そべっていた。

 

「ねぇ」

 

 声を掛けるが反応が無い。

 もしかしたら目を開けたのかもしれないが、『サングラス』で分からない。

 代わりに傍らのフレイムが目を開け顔を持ち上げる。

 

「ちょっと! 起きなさいよっ!」

 

 今度は動きが有った。

 ボルトはゆっくりと上体を起こし、片手で支える。

 

「――どうした。 食事は終わったのか?」

 

 そんな変わらない口調が彼女を更に苛立たせる。

 

「『終わらせた』のよ! あんたの所為でゆっくり食事なんて出来なかったわよ!」

 

「――俺の所為?」

 

 心当たりが無いとでも言うような返答にルイズの苛立ちが増大する。

 

「あんたがお皿なんか食べるから、わたしが無理矢理食べさせたなんて思われたのよ!? 大体どういうつもりよ! あの食事に対しての当てつけ!?」

 

「……確かに量が少なかったな」

 

 相変わらずの他人事な言い方に彼女の怒りが募る。

 

「あんたがわたしの事『子供』なんて言うからよ! しかも言うに事欠いて『10歳』ですって!? 今までで最大の侮辱だわっ!」

 

「……俺もそこまで幼くはないとは思ったんだが……」

 

「じゃあ何であの時言ったのよ!」

 

 今のボルトの体勢なら、踏み込みながらならばその顔を標的にする事も可能だ。

 怒鳴りながらもルイズは気付かれないように右足をやや後方に引く。

 その理由の如何によっては……と密かに構える。

 

 

 

「――お前自身が自分の事を『子供』だと言ったからだ」

 

 

 

「…………はぁあ?」

 

 

 

 思わず半開きになった口から声が漏れる。

 『貴族』たらんと、ひいては『淑女』たらんと努力している彼女にそんな心当たりは無い。

 

「少し幼く見える人間が『子供』と自称するなら、その可能性もと思ってな」

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! わたしそんな事言った覚え……は……」

 

 

 

 

 

   ――なのに600万エキュー!? 冗談でしょ!? 『子供』のわたしがそんな大金持ってるわけないでしょう!!――

 

 

 

 

 

「――あ」

 

 

 

 

 

 言った。

 確かに言った。

 

 だが正直あの時は頭に血が上っていたので、意識して言った訳ではない。

 片手で顔を覆い、大きく溜め息。

 最大の侮辱と憤慨していた発言の一因が、不用意な己の言葉だったとは思ってもみなかった。 

 

「……あれは『領地経営をしていない・経済的に自立していない』という意味で『大人ではない』という事を伝えたかったのよ……」

 

「……そうか」

 

 そう言うとボルトはゆっくりと立ち上がり、コートの砂を払いながら歩き出す。

 

「え!? ねぇどこ行くのよ!」

 

 慌てて追い掛けるルイズ。

 黙ったままボルトが指差す方を見ると、使い魔を連れて生徒達が移動していた。

 いつの間にかそれぞれの主が迎えに来ていたらしく、周囲は閑散としている。

 どうやら休憩の時間が終わり、授業開始が近いらしい。

 

「待ちなさいよ。 あんたわたし達が行く教室の場所がわかるの?」

 

 ルイズが目の前の大きな背中に問い掛けると、その歩みが止まる。

 

「はぁ……次の授業は使い魔も一応顔見せって事で出席するように言われてるの。 付いて来なさい」

 

 ボルトを足早に追い抜き、先導する。

 しばらくお互い無言で歩いていたが、おずおずとルイズが声を掛ける。

 

「ねぇ……さっき食堂でお皿とか食べてたけど……その……口の中とか大丈夫なの?」

 

 本来ならもっと強い口調で問い詰める予定だったのだが、自分にも非が有ったとなると、その問い方も柔らかい物となる。

 顔を合わせ辛いのか完全には振り向かず、肩越しに視線を送る。

 そんな彼女に対して、ボルトは何も言わずただ舌を出しただけだった。

 

「――っ!?」

 

 一瞬馬鹿にされたと思い激昂しかかった。

 だがここ半日で何となく理解した彼の性格からして……

 

「……あぁ、そういう事……」

 

 傷も無いその舌を見て納得する。

 

「――『無傷・大丈夫』――って言いたいのね……違った、言いたくないのね」

 

 面倒くさいなぁ……と溜め息。

 

 

 

 

 

 ――余談だが、昔彼と共に仕事をした男達が、彼の事をこう評した事がある。

 

『アイツは先に言えばいいことを後回しにするヤツなんだ』……ドライバー

『“ワケは後で話す”も言わない』……ブロウ

『説明するのが面倒なだけさ』……サイレント

 

 

 

 ――閑話休題。

 

 

 

 

 

「――ところで……」

 

 歩きながらまたもや肩越しに視線を送る。

 今度はボルトの更に後方。

 校舎の陰から頭だけ覗かせ、こちらを覗く青い『ナニカ』。

 ボルトが横になっていた時から視界の隅にチラチラとそれは見えていた。

 気付かれていないつもりなのか、視線が合うと陰に引っ込みまたゆっくりと頭を出す。

 

「……『アレ』……タバサの使い魔よね……」

 

 ウィンドドラゴンの幼生。

 しかしその全長は6メイル。

 どう考えても隠密行動には向かない。

 

「あんた何かしたの?」

 

 ボルトに視線を移し問い掛ける。

 

「外に出る時パンをやった」

 

「ふ~ん…………待って、パンってまさか……!」

 

 キュルケのサラマンダーに続いてよく懐かれるわねぇ――なんて思った直後に思い出す。

 ボルトがその時所持し得るパンとは1つしかない。

 

「朝食のだ」

 

 ……当然何処ぞのパン窯の隅でやさぐれてそうな、あの焦げたパンだ。

 どうやっても美味しそうには見えなかった。

 

「……あんた恨まれてるんじゃないの?」

 

 自分が用意させた事は棚に上げて、今度はルイズが他人事のように話す。

 

「お願いだから、食べられたりしないでよ?」

 

(でももしそうなったら新しい使い魔を召喚できるのよねぇ……)

 

 そんな愚にもつかない事を考えながら、教室へ向かうルイズだった。  

 

 

 

 

 

 2人が向かった場所は、ここトリステイン魔法学院では標準的な構造の教室だった。

 

 全体的に半円状になっており、同心円状に段になっている。

 1番下に教壇と教卓、階段状になった段は全部で5段。

 1段にそれぞれ2人掛けの机が5脚有り、教壇を要に扇状に配置してあった。

 

 2人が入った時はほとんどの席が埋まっており、先に着席していた生徒達の反応は様々だった。

 

 振り向いてあからさまに笑い出す者。

 眉間に皺を寄せ不快な表情で口元を押さえる者。

 我関せずと読書を続ける者。

 気にせず歓談を続ける者。

 

 目立つのはキュルケとその周囲の生徒達だった。

 

 彼女は丁度教室の真ん中の机に座っているのだが、隣の席・上段の机・下段の机と周囲は全て男子生徒だった。

 当然皆キュルケ目当てでその場所に座っている。

 積極的に話し掛け、少しでも彼女に関心を持ってもらおうとしている。

 

 そんな集団を横目にルイズは中段の端の机に移動する。

 キュルケが軽く手を振ってきたが無視した。

 彼女を取り巻いていた男子生徒が何事かと振り返るが、相手がルイズだと分かると何事も無かったかのようにキュルケに向き直る。

 

「ここに座れるのはわたし達だけ。 あんたは後ろにでも立ってて」

 

 着席したルイズは傍らに立つボルトに後方を指差しながら言う。

 

「……」

 

 踵を返し、壁際に移動するボルト。

 

 そこも中庭餌場と同様、様々な使い魔が居た。

 この教室にいる生徒の数だけで、小型の使い魔は大抵主人の側に居るので、先程の餌場程では無かったが。

 その使い魔達の視線を集めながら、しかし全く気にせずボルトは教室の隅に立ち、コートのポケットに手を入れたまま壁に背を預ける。

 

 

 

 それから何人かの生徒達が入って来た後、教師が到着し教壇に立つ。

 

 紫のコートと同色の登頂部分が尖った帽子を被った中年の女性で、ややふくよかな頬と体型をしていた。

 教壇から教室を見回し、満足そうに微笑みながら口を開く。

 

「皆さん。 春の使い魔召喚は大成功のようですわね。 このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に、様々な使い魔達を見るのがとても楽しみなのですよ」

 

 そうしてその視線は教室の隅に向けられる。

 

「今年はまた珍しい使い魔が召喚されたようですね」

 

 そこには壁を背に窓際に立つボルト。

 そして外から窓を通して中を覗くウィンドドラゴンの姿があった。

 彼女の言葉はどちらの使い魔を意味するのか……考える間も無く前者だろう。

 確かに『ウィンドドラゴン』も珍しいが、前例の無い『人間』の方が珍しさでは上だ。

 

「『ゼロ』のルイズ! 召喚できないからって、その辺歩いてた平民を連れてくるなよ!」

 

 待ってましたとばかりに、金髪でぽっちゃりとした男子生徒が大声で叫ぶ。

 それに対しルイズは両手で机を叩きながら立ち上がる。

 

「違うわ! わたしの召喚にちゃんとあいつが応えてくれたのよ!」

 

 あの時の『召喚』は偶然だったかもしれない。

 『使い魔召喚』を知らなかったあいつが応えてくれたのは、勘違いからだったかもしれない。

 

 でも交渉して納得して契約してくれた。

 

 その時の『契約』が失敗せず成功したのは奇跡だったかもしれない。

 しかしこれだけは間違い無い。

 

 

 

「――わたしは『ゼロ』じゃないっ!」

 

 

 

 真っ向からからかった生徒を睨む。

 

「……ふ、ふん! たかが平民を召喚出来たからって、何を威張ってるんだか……」

 

 その迫力に押され、若干うろたえながらも反論する。

 そんな男子生徒の制服の袖を、隣の生徒がそっと引く。

 

(おいっ! なんかあの平民、実は『亜人』じゃないかって噂が流れてるぞ!?)

 

「……えぇ!?」

 

 どうやら食堂での一件を知らなかったようだ。

 

 

 

 ――手を打ち鳴らす音が教室に響く。

 

 

 

「はい、お話はそこまで! 授業を始めますよ!」

 

 「ふん!」と鼻息も荒く、しかし言われた通りに着席するルイズ。

 

 そして女性教師――シュヴルーズは重々しい咳払いの後、授業を開始する。

 

「私の二つ名は『赤土』。 『赤土のシュヴルーズ』です。 『土』系統の魔法を――」

 

 しかしルイズはどこか上の空だった。

 

(そうよ、わたしは『成功』したのよ! もう『ゼロ』なんかじゃない!)

 

 筆記用の羽ペンを右手に持ったまま、けれどもそれを使う事無くシュヴルーズの話を聞き流す。

 

(……まぁ、『報酬』なんて頭の痛い問題が残ってるけど……)

 

 そう思いながらそっと教室の後ろに目をやる。

 

 

 

「……んなぁ!?」

 

 

 

 その目に映る光景に思わず声が漏れ、正面に向き直りながら慌てて手で口を塞ぐ。

 

(何やってんのよあいつは!?)

 

 苛立ちと共に強く両手を握り締める。

 その結果、その右手の羽ペンが小さな軽い音を立てながら、筆記用具としての役目を終える。

 

 奥歯を噛み締めながらルイズは再度後ろに目をやる。

 

 

 

 そこには彼女の使い魔に対して控えめに、それでいて嬉しそうに話し掛ける1人の女性の姿があった。

 だが女子生徒ではない。

 その女性はボルトと同じように壁際に立っていたのだ。

 

 ――そう、彼女もまた『使い魔』だった。

 一見すると普通の女性にしか見えない。

 だが床にまで届くその長いスカートの中では何かが蠢いていた……それも大量に。

 

 彼女は上半身が人間で、下半身は蛸の『スキュア』。

 誰が言ったか『蛸人魚』とは言い得て妙だった。

 

 

 

「ゴゴ、ゴールドですか? ミセス・シュヴルーズ!」

 

(ちょっとあんた! こっち来なさいよ!)

 

 

 

 キュルケが突然大声を上げたタイミングで、そっとボルトに声を掛ける。

 小さめな声だったが幸いにも聞こえたようだ。

 

 隣のスキュアに何事か声を掛け、ボルトはゆっくりとこちらに歩いて来る。

 その場に残るスキュアは残念そうに微笑んでいた。

 

(……それにしても、何であいつは他の使い魔にあんなに懐かれ易いのよ……)

 

 と、そこで別の可能性に気付く。

 

(……まさか……キュルケのサラマンダーとか、タバサのウィンドドラゴンとか……全部『雌』なんじゃないでしょうね……)

 

「どうした」

 

(シィーーーッ!)

 

 普通に話し掛けてきたボルトに、人差し指を立てて口に当て声を落とすように指示する。

 

(とりあえず立ったままだと目立つから、そこに座って!)

 

 言われてボルトは机の横に腰を下ろす。

 それを横目で確認した後、小さなそれでいて怒気を含んだ声で話す。

 

(……あんた、主人が真面目に勉強してるって時にナンパなんて、どういうつもり!?)

 

「向こうが話し掛けてきただけだ」

 

(なんでよ!)

 

 と言ったものの、授業中でも使い魔同士の交流は多少は許されている。

 あのスキュアも同じ『亜人』と思って話し掛けたのかもしれない。

 

「さぁな。 『水』の匂いがすると言っていた」

 

(『水』? 『火の秘薬』の次は『水』?)

 

 流石にキュルケのように直接嗅ごうとは思わないし、『水』の匂いと言われてもさっぱり分からない。

 

(あんた心当たり有るの?)

 

「今朝顔を洗った。 それから水差しを運んだ」

 

(それは関係無いと思う……)

 

 

 

「ミス・ヴァリエール!」

 

「は、はい!」

 

 突然名前を呼ばれ慌てて正面を向くと、険しい表情のミセス・シュヴルーズがこっちを見ていた。

 

「自分の使い魔相手でも、授業中の私語は慎みなさい」

 

「すみません……」

 

 項垂れるルイズを他の生徒達が小さく笑いあう。

 だがミセス・シュヴルーズの次の言葉に全員が凍り付く。

 

 

 

「ではミス・ヴァリエール、あなたに『錬金』の実技をしてもらいましょう」

 

 

 

 他の生徒達より少し早く我に返った先の生徒が大声をあげる。

 

「ミセス・シュヴルーズ、やめといた方が良いと思います!」

 

「どうしてですか?」

 

 先程のぽっちゃりした生徒とミセス・シュヴルーズが話している間、ルイズは無言で考える。

 

 

 

 ――『錬金』。

 『土』系統の基本魔法。

 『様々な物質を他の物質に変化させる』魔法である。

 この効果はあらゆる物に発揮される為、汎用性は極めて高く、貴族・平民問わず生活に密接に関係している。

 早い者は1年生の時に習得している魔法だ。

 

 当然の事ながら、ルイズは使えない。

 いや、成功した事が無い。

 

 ミセス・シュヴルーズはルイズに教えるのはこれが初めてで、その事は知らないようだ。

 クラス全員が反対すれば、ミセス・シュヴルーズも別の誰かを指名するかもしれない。

 

「どうかしたのか?」

 

 そんな事を考えていると、横から声が掛かる。

 どうやらよっぽど深刻な表情をしていたようだ。

 

 だが今自分の横に居る彼を見て、自分が言った言葉を思い出す。

 

 

 

 

 

 ――「――わたしは『ゼロ』じゃないっ!」――

 

 

 

 

 

「やります、やらせてください!」

 

 席を立ち、教壇へ移動するルイズ。

 

「やめろぉ! 『ゼロ』のルイズ!」

「考え直せ、ヴァリエール!」

「総員耐衝撃体勢!」

 

 叫ぶ者、机の下に隠れる者、堂々と教室を出る者。

 

 そんな事を意に介さず、教壇上のミセス・シュヴルーズの横に立つ。

 

「ミス・ヴァリエール。 錬金したい金属を、強く心に思い浮べるのです」

 

 無言で頷き、真剣でそして緊張した表情でルイズは手に持った杖を振り上げた。

 そしてそっと机の横で座るボルトを見る。

 

 

 

 ――ボルトには自分の魔法に関する事は話していない。

 

 無論彼女が意図的に避けたからだ。

 初めて成功した魔法――『サモン・サーヴァント』と『コントラクト・サーヴァント』。

 それによって手に入れた、どちらかが死ぬまで自分と共に在る『使い魔』。

 

 もしそんな彼に『ゼロ』の意味を知られてしまい……

 

 笑われても良い。

 呆れられても構わない。

 見下されるのも我慢できる。

 

 ――『主』としての資格無しと見限られる事が最も恐い。

 

 『コントラクト・サーヴァント』は『主』と『使い魔』を繋ぐ為の魔法である。

 それは『魔力的繋がり』であり、そこに物理的な力は存在しない。

 『主』の元から逃げようと思えば可能なのだ。

 だがもちろんそんな事例は1つとして無い。

 

 しかしここに唯一の例外が存在する。

 

 確かにボルトと『コントラクト・サーヴァント』で『契約』した。

 人間相手だからそうなのか、その後の彼の言動を見る限りそれは『主』に絶対服従を強いる物ではないようだ。

 

 つまりあの時交した『契約』を破棄され、彼がルイズの元から離れる可能性も有るのだ。

 

 それだけは避けたい。

 ここで成功させれば問題無いのだ。

 『召喚』できた。

 『契約』もできた。

 

 ――今までの自分とは違う!

 

(――わたしは『ゼロ』じゃないっ!)

 

 目を閉じ短くルーンを唱える。

 深呼吸の後、目を開け杖を振り下ろす。

 

 

 

 

 

 ――教卓に乗せられた石ころが光り。

 ――その光は瞬く間に視界を覆い。

 ――直後に発生した衝撃は彼女の胸に秘めた『自信』と『期待』と……そして『願い』を粉々に打ち砕いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




すっかり遅くなってしまい、申し訳ないです。
「月一くらいで」と言ってた結果がこんなんです。
「月一詐欺」とか言われそう。

珍しく休みがもらえたので、一気に完成させました。
引き継ぎをミスってなかったか心配で、外出もできず家の中でも携帯を握り締めてました。

世間は夏休みですねぇ……
夏休み中にあと1回か2回は投稿できるようにがんばります。

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。


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ACT-10 告白と考察

今回は3週間。

今月中にもう1話投稿できるかなぁ……

※8/11誤字修正しました。




 

 

 広々とした教室に足音と物音だけが響く。

 

 ここはつい先程まで『土』の魔法の授業が行われていた教室。

 終了時間まではまだ時間が残っているのだが、何故か既に教師と生徒達の姿は無い。

 

 異常な点はそれだけでは無い。

 教室の一部分――正確には教壇付近が見るも無惨な有り様となっている。

 

 教卓は四方八方に散らばり、既に原型を留めていない。

 黒板は斜めに傾き、その板面は割れ目が生じている。

 付近の窓ガラスは割れ、少し離れた地点でも細かい罅が走っている。

 そして床や机等辺り一面煤で黒く汚れていた。

 

 

 

 そんな教室に今存在する人影は2つ。

 

 

 

 この惨状を引き起こした張本人、『ゼロのルイズ』。

 彼女の使い魔、『ボルト・クランク』。

 

 お互いに言葉を発する事無く視線を交わす事無く、黙々と片付けをしていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ACT-10 告白と考察

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――時間を少し遡る。

 

 

 

 事の起こりは『土』系統の魔法の講義中。

 ルイズがミセス・シュヴルーズに促され、石ころに『錬金』の魔法を唱えた。

 『錬金』の魔法をかけた石ころが爆発。

 

 間近に居たルイズとミセス・シュヴルーズは、爆風で背後の黒板に叩き付けられた。

 教卓は石ころと共に粉々になり、破片が飛び散る。

 屋外とは違い閉ざされた空間であった為に、教室の窓ガラスの一部が損壊もしくは損傷。

 

 そして驚いた使い魔達が暴れ出した。

 鳴く、吠える、駈ける、口から炎を吐く、窓ガラスを割り外へ飛び出す、他の使い魔を飲み込む等々……

 ――幸い、飲み込まれた使い魔は直ぐに吐き出されたが。

 

 そんな阿鼻叫喚の大混乱の中、倒れていたルイズが虚ろな表情でゆっくりと体を起こす。

 それを見た生徒達が一斉に大声を上げる。

 

「だからやめろと言ったんだ!」

「どうせ失敗するんだからな!」

「とばっちりはいつも俺達なんだぞ! 『ゼロ』のルイズ!」

「『成功の可能性ゼロ』!」

 

 

 

   ――「ちょっと失敗したみたいね」――

 

 

 

 いつもなら淡々とルイズがそう言った後に、

 

『どこがちょっとだ!』

 

 と生徒全員からの総ツッコミというのがいつもの流れなのだが、今日は違った。

 

 

 

「誰かミセス・シュヴルーズに『治癒(ヒーリング)』を!」

 

 

 

 予想だにしなかったルイズの言葉に呆気に取られる生徒達。

 しかし彼女の傍らの教師が未だ倒れたままである事に気付いた何人かの『水』系統の生徒が慌てて駆け寄る。

 

 

 

 ――『治癒(ヒーリング)』。

 『水』系統の代表的な魔法。

 傷や病を癒す力を持つ魔法である。

 この魔法単体でも効果は有るが、さらに強い効果を得るには『秘薬』が必要となる。

 

 幸いミセス・シュヴルーズは気を失っていただけだったので、生徒が唱えた『治癒(ヒーリング)』だけで目を覚ました。

 起き上がったミセス・シュヴルーズは教室の惨状を見て何が起ったのかを理解した。

 自身の体に違和感は無かったが大事を取って授業は中止する事にした。

 歓声に沸く生徒達を注意した後、事態を引き起こしたルイズには教室の片付けを命じた。

 

 ――ただし魔法の使用を禁止して。

 

 喜びの声を上げながら、もしくはルイズをからかいながら生徒達は次々と教室を出て行く。

 その間ルイズは何も言わず、ただじっと俯いたままその場に立っていた。

 

 そして教室には未だ立ったままのルイズと、未だ座ったままのボルトだけが残された。

 

 顔を上げず振り返りもせず、背を向けたままルイズが呟く。

 

 

 

「…………手伝って」

 

 

 

 

 

 ルイズは教室後方から机を1つ1つ拭いていく。

 その間ボルトは教壇近くに散乱した教卓の残骸を集めていく。

 

「……」

 

「……」

 

 教室には片付けの音だけが響く。

 だがルイズの心中は穏やかではない。

 

 ――自分が『ゼロ』だとボルトに知られてしまった。

 

 恐くて目を合わせる所か視線を向ける事すら出来ない。

 しかしこのまま何も伝えない事は『主』として、貴族としての矜持が許さない。

 

 最前列の机を拭き終わった時、ボルトは使い物にならなくなった黒板の処理に取り掛かっていた。

 そのまま机に両手を置き、しかし前方に顔は向けず伏せたままで意を決して口を開く。

 

 

 

「………………ねぇ」

 

「……」

 

 

 

 返事は無い。

 だが彼の事だ、返事は無くともこちらに耳を傾けているだろう。

 そう思い、言葉を続ける。

 

「――メイジには皆『二つ名』が有るの。 キュルケは『微熱』、さっきのミセス・シュヴルーズは『赤土』……それぞれの系統に関する言葉になるのが一般的よ」

 

 一呼吸の間を置く。

 

「……わたしは『ゼロ』……もう知ってると思うけど、『魔法成功の可能性がゼロ』だからよ……」

 

「……」

 

 ボルトは何も言わない。

 だが作業の音は止まっている。

 

「……生まれてからわたしの魔法は成功した事が無い。 必ずさっきみたいな『爆発』が起きるの」

 

 何回も、何十回も、何百回も、何千回も。

 そして恐らく万を超える回数も。

 

「でも、昨日初めて成功した。 ――『サモン・サーヴァント』と『コントラクト・サーヴァント』。 あんたを『召喚』して、『契約』した時の魔法よ」

 

 この『成功』は分岐点。

 これからはきっと何かが変わる筈。

 

 ――そう思った。

 

「だからきっと他の魔法も成功する。 『ゼロ』なんて呼ばれる事は無くなる。 ――そう思っていた」

 

 『錬金』の魔法を唱えた時。

 

 ――違う。

 

 何かを感じた。

 それが何かは分からない。

 それは『召喚』の時と何かが違った。

 それはいつも通りの――失敗する時の感覚だった。

 だからこそ僅かながら身構え、多少ながら衝撃に備えられた。

 

 右手に持ったままだった布を力の限り握り締める。

 

「――けどやっぱり駄目だった! 結局わたしは『ゼロ』のままだったっ!」

 

 悲鳴のような声が教室に響く。

 深呼吸の後、微かに震える言葉が最後に告げる。

 

「――『魔法が使えない魔法使い(メイジ)』。 それがあんたの『主』で『依頼人』よ……」

 

「……そうか」

 

 息を殺して、彼の次の言葉を待つ。

 

 ――もし『使い魔』を続ける事を断られたら。

 

 懇願すれば……

 それとも報酬を上乗せすれば……

 そんな考えが頭を過ぎる。

 

 ――緊張で早鐘のような鼓動が10回を越える。

 

 ――耐えられず息を吐き、再び息を殺す。

 

 

 

 ……返事が無い。

 

 それどころか作業を再開する音まで聞こえだした。

 

「待ちなさいよ!」

 

 覚悟を決めて彼の決断を待っていたルイズが抗議の声を上げる。

 

「あんた聞いてたの!?」

 

 中途半端に壁に掛かっていた黒板を外そうとしていたボルトの背中に向かって叫ぶ。

 

「……あぁ」

 

 作業の手を止め、口を開くボルト。

 

「だったら――!」

 

 

 

 

 

「――俺には関係無い」

 

 

 

 

 

「…………は?」

 

 思わず言葉が漏れる。

 背を向けていたボルトがゆっくりと振り返る。

 

「俺が請けた依頼は『使い魔になる』。 ただそれだけだ。 依頼人が誰であれ報酬を払えるならば関係無い。 平民だろうと王族だろうと……『魔法が使えない魔法使い(メイジ)』だろうとな」

 

 その言葉は嬉しい反面、彼女の心境は複雑だった。

 彼の言葉は、つまり報酬があれば誰であっても良いという事だ。

 

 ――それが彼女でなくとも。

 

 力無く項垂れる。

 とりあえず『契約』を破棄される最悪の事態は避けられたようだ。

 これからも彼は『使い魔』として居てくれる。

 何も問題は無い筈だ。

 

 

 

 しかしその心は晴れなかった。

 

 

 

 突然ルイズの視界にあった机の盤面に大きな手が置かれる。

 驚いて顔を上げると、いつの間にかボルトが目の前に立っていた。

 

「自分の才能を信じることだ」

 

 ――才能?

 ――この『ゼロ』と呼ぶしかない才能を?

 

 訝しがるルイズは、机に置かれたボルトの手に再び目を落とす。

 

 それは左手。

 グローブが外されたその甲には『使い魔のルーン』がある。

 

「――少なくとも、お前は『ゼロ』じゃない」

 

 それは他ならぬ自分自身の言葉。

 理由はともかく、彼は少なくとも自分を『主』として認めてくれたのだろう。

 

「……ぁ……ありがとう……」

 

 嬉しさと気恥かしさで赤く染まった顔を見られたくなくて、俯いたままでそう呟く。

 

 

 

 

 

「代わりの教卓や黒板はどこだ?」

 

 黒板がなかなか外れず一時諦めたボルトを伴って、ルイズは階段を下りる。

 教材機材を纏めてある部屋が1階に有る為だ。

 この後また荷物を持ってこの階段を上らなければならないと思うと、気分が滅入る。

 

「……聞きたい事がある」

 

 突然後ろから声が掛かる。

 

「……どうしたのよ、藪から棒に」

 

 ボルトから話し掛けるなんて珍しい。

 そう思いながら答える。

 

 

 

「お前の魔法は『失敗』してるから『爆発』するのか?」

 

 

 

 ルイズの足が止まる。

 振り向くその表情にはこれ以上無い程の苛立ちが浮かぶ。

 

「……何言ってるのよ、『爆発』なんていう唱えた魔法と違う結果だから『失敗』なんでしょ!?」

 

 通常の身長差に加え、位置的に下に居る彼女はほぼ真上を見上げながらも睨みつける。

 

「……成程」

 

 『サングラス』を軽く右手で持ち上げながら呟く。

 

「何なのよ、一体……」

 

「いや……」

 

 右手を顔の前に添えたまま話す。

 

「あの『爆発』……あれはあれで何かに利用できそうだと思ってな」

 

「……そうね、今ならあんたが訓練に付き合って(的になって)くれたらきっと狙い通りのモノを『爆発』させられると思うわ!」

 

 顔を引き攣らせながら答え、先程よりも大きな足音を立てて階段を下りていく。

 ボルトもやや足早に続く。

 

 そうして程無く目的の部屋に到着する。

 

「……確かここよ」

 

 そう言って扉を開くと、様々な物が整然としていた。

 中に入ると思ったよりも広めの部屋には手前に教材、奥には機材等が確認できる。

 

「えぇっと、教卓と黒板と……もしかして窓ガラスもなのかしら」

 

 教卓は恐らく2人掛かりで何とか、黒板に至っては単純に人手が足りない。

 窓ガラスはそもそも何枚必要なのか把握すらしていなかった。

 

「はぁ……これって何往復しなくちゃいけないのよ……」

 

 予想以上の重労働の予感に肩を落とすルイズ。

 そんな彼女に再び声が掛かる。

 

「……もう1つ聞きたいんだが」

 

「……今度は何よ……」

 

 あからさまに嫌そうな顔で振り向くルイズ。

 ボルトは入口に立ったままだった。

 

 その表情は『サングラス』に加え、逆光で判別できない。

 

「お前と同じ系統で、同じように『爆発』を起こす奴はいるのか?」

 

 問われたルイズの表情に先程と同じ――若しくはそれ以上の苛立ちが浮かぶ。

 

「……さっきも言ったと思うけど……今まで成功した事が無かったから系統なんて分からないのよ! 本来なら得意な魔法や『召喚』された使い魔で自分の系統ははっきりするんだけど……」

 

 そう言って顔を伏せ、大きく息を吸い肺を空気で満たす。

 

「――あんたみたいな平民が『召喚』されて分からないままなのよ! あんた『何系統』の使い魔なの!? 『火の秘薬』とか『水の匂い』とか訳分かんない!」

 

 そう声の限りに叫ぶ。

 肝心のボルトは「そうか」と言って何事も無かったかのように部屋へ足を踏み入れる。

 

 そしてルイズと擦れ違う時、彼女の耳にボルトの呟きが聞こえた。

 

 

 

 

 

   ――『マイナス』だな――

 

 

 

 

 

 ――今

 

 ――こいつは

 

 ――何て言った?

 

 

 

 無表情でゆっくり振り向くと、ルイズに背を向けたまま部屋を見回していた。

 

「……『マイナス』……? それはわたしは『ゼロ』以下だって事……?」

 

 

 

 ――認めてくれたと思った。

 

 ――他の生徒達なんかとは違うと思った。

 

 ――それなのに……

 

 

 

 突然立っていたボルトのバランスが崩れる。

 

 原因は背後からの膝裏への惚れ惚れするような見事な蹴り。

 さらに素早く2、3歩後退し、稼いだ距離を助走に費やした上での渾身の飛び蹴りを放つ。

 

 朝とは違い、バランスの崩れた状態ではボルトも耐えきれず床にうつ伏せに倒れてしまった。

 

 加害者であるルイズはしばらく肩を上下させる程息を切らしていた。

 そして倒れたままのボルトを涙の滲んだ目で睨みながら、朝の大声を上回る声量で怒鳴る。

 

 

 

「――何が『マイナス』よ、この馬鹿使い魔ぁあああ~~~っ!」

 

 

 

 踵を返した後あっと言う間に走り去ってしまい、部屋にはボルトだけが残された。

 

 

 

「やれやれ……」

 

 そう零した後ゆっくりと立ち上がり、服に付いた埃を払う。

 開いたままの扉を振り返る。

 

「何を勘違いしているのやら……」

 

 『サングラス』の位置を直しながら苦笑する。

 どうやら何気なく呟いた言葉を誤解したようだ。

 

 

 

「――『(5つの系統)(マイナス)(四大系統)』だと思ったんだがな」

 

 

 

 『爆発』というのはどうやらルイズのみの現象のようだ。

 それは他の生徒達――『火』『水』『土』『風』の系統魔法には生じないらしい。

 そして『爆発』は『成功』では無い故に『失敗』とされている。

 

 ――『爆発』という未知の現象。

 例えば既知の現象でもそれを知る者が存在しなくなれば、それは未知となる。

 

 先程聞いていた授業の内容を思い出す。

 今では知る者が存在しない――失われた系統魔法。

 『5-4』の単純な計算問題で導かれる『(答え)

 

 

 

 

 

   ――『虚無』――

 

 

 

 

 

 もちろんこれは只の推測に過ぎない。

 『この世界』、『こちらの魔法』についてはド素人が出した答えだ。

 しかし、ド素人だからこそ『(マイナス)』によって『虚無(残る1)』に思い至ったのだ。

 

 そしてボルトには心当たりが有った。

 

 それは召喚される直前。

 『ゲート』が出現した場所は完全な“無”の世界。

 そんな事が出来る人物が『ゼロ』な筈が無い。

 

「大した才能だ」

 

 そう言って再び部屋を見回す。

 教卓・黒板・窓ガラス多数。

 目的の物は全て見つかった。

 

「さて……」

 

 そう言った口が笑みを形作る。

 

「仕事を始めるとするか」

 

 それは菓子を与えられた子供のようにも。

 獲物を仕留めた獣のようにも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 廊下に響く足音。

 本来そういった行為を注意すべき教師が廊下を息を切らして走っている。

 

 その人物はミセス・シュヴルーズ。

 

 授業を中止した後に、コルベールと話す機会が有った。

 ルイズの事を話すと彼はとても残念がっていた。

 詳しく話を聞いて彼女は驚愕した。

 

 ――ルイズは魔法が使えない。

 

 正確には昨日行った『サモン・サーヴァント』と『コントラクト・サーヴァント』以外は成功例が存在しないという。

 シュヴルーズは慌てて先程の教室へ向かう。

 

 彼女は確かにルイズに魔法の使用を禁止した。

 だが流石に魔法無しで全ての片付けが完了できるとは思っていない。

 魔法を使っても別に咎めるつもりはなかった。

 ただ、魔法のみでの片付けをさせない為に言った言葉だった。

 

 魔法が使えないのなら、例え彼女の使い魔と共に片付けても手に余るだろう。

 

 急いで教室に辿り着き、慌ただしく扉を開く。

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ…………あら?」

 

 

 

 その教室は誰も居らず、教卓も有り、黒板も綺麗で、窓も全てガラスが入っている。

 

「……間違えたかしら……」

 

 そんな筈は無い。

 数時間前の出来事だ。

 

 改めて教室の中に入ってみる。

 

 よく見ると、教卓・黒板は新品だ。

 となると、目に付く窓ガラスも新しい物なのだろう。

 

 ――しかしどうやって?

 

 魔法が使えない少女と使い魔である大柄な男性。

 教卓を持ってきて、黒板を取り換え、窓ガラスを付け替える。

 例え人数が倍でも自分が来る前に終わらせるのは不可能だろう。

 

 不思議に思いながら教壇に立つ。

 

 授業での爆発の名残は、壁や床に僅かに残った煤だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




夏休みも中盤。
そろそろ折り返しですね!
今年は晴れの日が少なくて海や旅行は大変そうですね。

……まぁ自分には殆ど関係ないんですが。

とりあえず、台風が逸れて良かったです。

今回の『考察』部分は、やや強引かつ穴だらけだったかも知れません。
その辺はご都合主義って事でご勘弁を……

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。

※8/11誤字修正しました。


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ACT-11 昼食

『8月中の投稿』に間に合いませんでした……


 

 

 

「♪~」

 

 1人の少女が鼻歌を歌いながら、女子寮の自室から出てくる。

 先程の授業が急遽中止となって生じた空き時間。

 一休みした今、これをどう有意義に過ごそうかと考えながらキュルケは階段を下りる。

 

 そこへ下からルイズが階段を上がってくるのが見えた。

 落ち込んでいるのか、俯きながらのその足取りは重い。

 

「あらヴァリエール、もう片付けは終わったの? あなたのお陰で次の授業までゆっくりできそうよ。 お礼を言わなくちゃね!」

 

 

 

   ――「うるさいわよツェルプストー、そこ邪魔だから退きなさいよ!」――

 

 

 

 てっきりそんな憎まれ口が返ってくるかと思ったが、ルイズは何も言わず階段を一気に駆け上がり始めた。

 キュルケはつまらなそうな顔で傍らを通り過ぎるルイズを横目で見送る――

 

 

 

 ――その直前。

 

 

 

 思わず振り向きながらルイズの左手を掴む。

 

「――ルイズ……あなた泣いてるの……?」

 

「……」

 

 決してこちらに顔を向けようとしない彼女の頬に光る筋が見えたのだ。

 ルイズは右袖で目元を強引に拭い、か細い涙声で呟く。

 

「……泣いてないわよ……」

 

 そんな子供にも分かる嘘を聞いて、キュルケは溜め息をつく。

 

「まったく……年頃の娘が袖なんかで拭くんじゃないわよ」

 

 ポケットからハンカチを取り出し、ルイズの左手に握らせ手を離す。

 

「……」

 

「次の授業欠席するなら先生には適当に言っておくわ。 でも、昼食には顔を出しなさいよね」

 

 そう言って手を振りながら階段を下りていく。

 

 

 

 

 

(……さっきまで教室の片付けをやっていた筈。 そんな所に出向いてからかう暇な奴は、あの頭の悪そうな連中や教師の中にはいないでしょう……)

 

 入学した直後はルイズが涙を堪える場面は日常茶飯事だった。

 公爵家の三女ともあろう人物が魔法が使えない……

 そんな珍事、寮生活で刺激に飢えた貴族の子供達が放って置く筈がない。

 ここがメイジ至上主義のトリステインだから尚更だ。

 

 最近ではそんな事は少なくなった。

 だが周囲の生徒達がルイズへの攻撃を止めた訳ではない。

 ルイズ自身が周りの反応に慣れ、それに耐えれるようになり、そしてある程度諦めてしまったからだ。

 

 そんな彼女が誰も居なかったとはいえ、人目をはばからず涙を流すなんて余程の事だ。

 

(なら可能性が高いのは……)

 

 ――キュルケの脳裏に1人の男の姿が浮かぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ACT-11 昼食

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ~い、ボルト。 探したわよ」

 

 昼食の時間となり生徒達が食堂へと移動する中。

 ボルトは入り口から少し離れた壁に背を預け、両手をコートのポケットに入れて立っていた。

 

 そこへキュルケが笑顔で話し掛ける。

 

 

 

 結局キュルケは空き時間にボルトを見つける事は出来なかった。

 先程『土』の授業が行われた教室にも行ってみたが、既に片付けが終わった後だったようで、誰も居なかった。

 

 ちなみにルイズは次の授業には出席していた。

 ただその表情はいつにも増して暗く沈んだ表情だった。

 前の授業の事でからかわれても、時折一瞥するだけで口を開こうともしなかった。

 

 そうして平穏無事に授業が終わるとキュルケは幾人もの男子生徒からの誘いを断り、1人食堂へ急いだ。

 

 ボルトを見つけられなかったのは、彼が何処に居るか分からなかったからという当然の理由だ。

 そして彼が次の授業に姿が見えなかったのは、授業の行われる教室を知らなかったから。

 

 ――ならば彼がこちらの次の移動先を予想可能ならば、その場所に行く事で彼を見つけられるのではないか?

 

 そう思い、食堂へ向かったキュルケの予測は正しかった。

 

 

 

 名を呼ばれたボルトはゆっくりと顔をキュルケに向けると、壁から背を離す。

 

「……何か用か」

 

「――実はあなたと少しお話がしたくて……お時間を頂けないかしら? もっと静かな所で話したいんだけど……」

 

 自分相手にも全く態度を変えないボルトに、キュルケは笑い掛けながら話す。

 もし同じ言葉と同じ笑顔で誘えば、断る男子生徒は存在しないだろう。

 それ程までに魅力的な誘いと妖艶な笑みだった。

 

「……断る」

 

 しかしそれをボルトはあっさりと拒否する。

 

「あら……理由を聞いても?」

 

 こうも簡単に断られた事に驚きながらも、キュルケは問い掛ける。

 するとボルトは今までキュルケに向けていた顔を僅かにずらしながら答える。

 

「……馬に蹴られたくはないんでな」

 

 要領を得ない答えに首を傾げながらも、ボルトが僅かに顔を向けた方を何気なく見てみる。

 元々昼食時だった所為か、周囲には生徒達が多い。

 しかも、男子生徒からの絶大な人気を誇るキュルケと正体不明の平民男性の使い魔。

 その奇妙な組み合わせに、皆が皆好奇の視線を向けている――その中で。

 

 怒りや怨嗟、嫉妬等の負のオーラを漂わせた一団が在った。

 

「……何やってるのかしら……」

 

 それはキュルケを昼食に誘った男子生徒達だった。

 

 彼らは各々の間で多少の差は有れど、自分達こそがキュルケの恋人として彼女に一番近い存在だと自負していた。

 しかし今日は全員が昼食の誘いを断られ、何事かとぞろぞろと付いて行くと噂の使い魔と何やら良い雰囲気。

 その使い魔に詰め寄る事も考えたが、他の生徒達やキュルケ本人が居る手前離れた所からただ負の念を撒き散らしながら傍観するだけとなった。

 

「――はぁ……ま、ここでも別に構わないんだけど」

 

 呆れながら溜め息を1つ。

 そうして改めてボルトと向き合う。

 

「……」

 

「……」

 

 しばしお互い無言で見詰め合った後、キュルケが自然な動作でボルトの『サングラス』に手を伸ばしそっと彼の顔から外す。

 

「――うん! やっぱり『これ』が無い方が断然素敵よ!」

 

「……」

 

 そんなキュルケからの賛辞にボルトは僅かに目を細めるだけだった。

 ――微かにだが、彼女の態度に違和感を感じたからだ。

 

 キュルケは再び妖艶な笑みをボルトに向ける。

 だが今度はその目は微塵も笑ってなどいなかった。

 

 

 

「……ねぇボルト……さっきルイズが人知れず泣いていたの……」

 

 

 

 『サングラス』を持つ左手とは逆の手――その右手にはいつの間にか杖が握られていた。

 

 

 

「……あなた……何か知らない?」

 

 

 

 『サングラス(邪魔な物)』が無くなった今、彼女はボルトの瞳のほんの少しの動きも見逃すまいと見据える。

 

「……」

 

 しかしボルトは、そのキュルケの鋭い視線を真っ向から受け止める。

 そして再び僅かに目を細め、言葉を返す。

 

「――さぁな」

 

「……」 

 

 その言葉を聞いても変わらず見据え続けるキュルケに、ボルトは肩を竦めながら苦笑する。

 

「何気無く言った独り言を、見当違いな勘違いしたようだったが……」

 

「――ふふ、あの子がやりそうな事ね」

 

 ボルトの目を見て、彼の言葉に嘘偽りが存在しないと判断したキュルケ。

 

 ――あの時見たルイズには着衣の乱れや、暴力・暴行の類の痕跡は無かった。

 

 『そういう事をされた』と考えるのは邪推も甚だしいとは思ったが、どうしても確認しておきたかったのだ。

 もしボルトが動揺したり誤魔化そうとしていたら、キュルケは『ファイヤーボール』の1つや2つ躊躇う事無く打ち込むつもりだった。

 

「……あなたが『女の敵』じゃなくて良かったわ」

 

 心から微笑みながら持っていた『サングラス』を手渡す。

 

「――ねぇ、やっぱり『これ』は掛けない方が良いと思うんだけど……」

 

「……」

 

 少し残念そうに呟くキュルケから受け取った『サングラス』を掛け、口元に笑みを浮べながら位置を微調整する。

 

 

 

 ――ちなみにここまでの一連の流れは、会話が聞こえない外野からはどうやっても恋人同士の仲睦まじい語らいにしか見えない。

 容姿や体格から大人の雰囲気を漂わせる男女の睦物語。

 言葉が聞き取れない分その内容は個々の妄想で補完され、妄想故に際限無く事実とは乖離していく。

 

 ある女生徒は頬を赤く染めながら歓声をあげ、ある女生徒達は眉をひそめ「また違う男を……」等ささやき合う。

 ある男子生徒はキュルケの一挙一動に見惚れ、先の一団は瘴気と称するべきナニカをその身から溢れさせていた。

 

 

 

「あら、ルイズ」

 

 廊下を歩いてきたルイズにキュルケは呼び掛ける。

 彼女は暗く硬い表情で食堂へと歩いて来ていた。

 そのまま背を向けたままのボルトを追い越し、手を振るキュルケの横を通り過ぎる。

 

 やや不満顔のキュルケが振り向くと、ルイズが立ち止まっていた。

 そして俯きながら何とか聞き取れる程の声量で呟く。

 

「……ハンカチ……ありがとう。 ……洗濯から戻ってきたら返すから……」

 

 ルイズの言葉にキュルケの表情が緩む。

 

「あら別に良いわよ、貴女にプレゼントするわ。 これからは身だしなみの1つとしてハンカチくらい用意しておきなさいよ」

 

 キュルケが呆れたような溜め息と一緒に言うと、慌ててルイズが反論する。

 

「わ、わたしだってハンカチくらい持ってるわよ! でも今朝はちょっとドタバタしててつい……」

 

 部屋に戻った時に改めて持ち出したのか、ポケットからハンカチを出そうとする。

 そしてルイズはいつの間にか自分がいつもの調子で喋っている事に気付く。

 まさかと思って振り返りキュルケの表情を確認すると、彼女はにんまりとした笑みを浮べていた。

 うまくのせられてしまったと理解して、顔を赤くしながら軽くキュルケを睨む。

 

「さぁ、早く入りましょ。 お祈りが始まっちゃうわよ?」

 

 そんなルイズを見て満足そうに微笑み、入室を急かす。

 そうして食堂の入り口へと移動する2人。

 

「――で、あんたはどこ行くつもりよ。 ここは平民は入れないって今朝言ったでしょう?」

 

 ボルトも後に続こうとするが、ルイズが急に立ち止まり背を向けたまま淡々と話し掛ける。

 一呼吸の間の後、指先で『サングラス』を少し持ち上げながらボルトは答える。

 

「……少しくらい気の利く使い魔になろうと思ってな」

 

 

 

   ――「ちょっと、椅子くらい引いてちょうだい。 気の利かない使い魔ね」――

 

 

 

 そう言われ、ルイズは朝食の時の自分の言葉を思い出す。

 揚げ足を取られた形になり、苦々しく顔を歪ませる。

 そんな表情を悟られないようにしながら、ルイズは言い放つ。

 

「あんたの食事も場所も用意してないわ! 厨房に行って残り物でももらってきなさい!」

 

 そのまま足早にテーブルへ向かう。

 苦笑しながらボルトに軽く手を振り、キュルケも後を追う。

 

 その場に残されたボルトは、位置的に他の生徒達の邪魔になっている事に気付き、ゆっくりと厨房の方へ歩いていく。

 

 

 

 

 

「あっ、ボルトさん!」

 

 厨房に入るなり、シエスタが駆け寄り深々と頭を下げる。

 

「今朝は本当にすみませんでした!」

 

 いくら貴族(ルイズ)に言われたとはいえ、彼女なりにずっと気にしていたのだろう。

 大声で何度も謝罪する彼女の姿は厨房の皆の注目を集めた。

 

「おぅ、どうしたシエスタ!」

 

 そこへ恰幅の良い中年の男性がやって来る。

 身長はシエスタよりやや高い程度だが、その体格から大柄にも見える。

 

 ここ『トリステイン魔法学院』のコック長、マルトーである。

 太い眉にもみあげに続くあごひげの見かけ通り、豪放磊落を地で行く齢40を越えた男だ。

 その太った体を白いコックコートで包み、高いコック帽と赤いスカーフを付けている。

 厨房を一手に切り盛りしており、その腕は百を優に越える貴族の子弟の舌を満足させられる程確かな物。

 しかし平民であるが故に、貴族を毛嫌いしていた。

 

 シエスタの必死の謝罪の声を聞きつけ、彼女が貴族から無理難題を言われていると思い駆けつけたのだ。

 そして厨房の入り口に見慣れぬ大男を見つけ、険しい顔で見上げる。

 

「……見慣れねぇ顔だな。 アンタ何者だ?」

 

 半ば喧嘩腰の問い掛けに、シエスタが慌てて事情を説明する。

 

「マルトーさん! この人が昨日お話ししていた――」

 

「おぉ!? アンタか、平民の使い魔ってのは! 俺は『マルトー』、ここのコック長をやってる」

 

 一転して晴れやかな笑顔を見せた後、ばつが悪そうな表情で頭をかく。

 

「……今朝は悪かったな。 俺らも貴族の連中に言われると、いくら理不尽でもなかなか逆らえなくてよ……」

 

 シエスタと共に軽く頭を下げる。

 

「……いいさ、気にはしてない」

 

「……そうか、そう言ってもらえるとこっちも助かる」

 

 ボルトの言葉に安堵しながら、再び軽く頭を下げる。

 

 

 

「――で、お前さんボルトとかいったな。 今度はどうした! また貴族の嬢ちゃんに何か言われて来たのか!?」

 

 少し暗くなりかけた雰囲気を明るくしようとしたのか、殊更大声で尋ねる。

 

「……その『貴族の嬢ちゃん』にここで食事するように言われてな」

 

 軽く笑みを浮べながら答えるボルト。

 それを聞いてシエスタとマルトーは嬉しそうな笑顔を見せる。

 

「そうなんですか!?」

 

「そりゃ良かった! また朝食みてぇな物を用意しなきゃならねぇのかと心配してたぜ!」

 

 そう言いながらボルトを厨房へと案内する。

 調理は一段落したのか、中に居るほとんどのコックやメイドは片付けをしていた。

 皆にこやかな表情をボルトに向ける。

   

「その図体じゃ小さいかもしれんが、我慢してくれ」

 

 マルトーはボルトを厨房の片隅に置かれたテーブルに案内し、椅子に座らせる。

 確かにそのテーブルは食堂に置かれていた立派な大きな物とは違い、どうやら食事の用意や、厨房の者が賄いを食べる為の物のようだった。

 どちらかと言えば普通の大きさで簡素な造りだが、ボルトが座るとやや小さく感じられる。

 

「しかしお前さんも災難だな。 使い魔なんかにされてメシも満足に食わせてもらえないなんてな……」

 

 ボルトの肩に手を置き、同情の言葉と共に溜め息をつく。

 

「……だが厨房(ここ)まで足を運んでくれたんだ、今度はあんな物じゃなくてちゃんとした食事を食わせてやる!」

 

 そして周りに居た手の空いていたコックやメイドにてきぱきと指示を出す。

 

「貴族の連中に出す料理の余り物で作った賄い食だが、味は俺が保証するぜ!」

 

 笑いながら誇らしげに胸を張るマルトー。

 そこで今まで無言で座っていたボルトが口を開く。

 

「……折角だが遠慮しておく」

 

「……おいおい何だよ、もしかして貴族の嬢ちゃんに賄い食ったなんて分かったらマズいのか? だったら心配すんな! ここには言い付ける奴なんていねぇよ!」

 

 その言葉に厨房の全員が頷く。

 どうやら大なり小なり貴族に対する嫌悪感を皆持っているようだ。

 しかしボルトは続ける。

 

 

 

 

 

「悪いが……メシが合わない」

 

 

 

 

 

 ――空気が凍る。

 

 

 

 そう感じられる程、一瞬で厨房から音が消えた。

 ボルトに向けられていた友好的な視線が、一気に冷たい非難の視線へと変わる。

 

「――なぁそいつはなにか? 俺らの賄いなんざ食えた物じゃねぇと? 貴族様に出してる同じ料理を食わせろ――とこう言いたいのか……?」

 

 怒りを押し殺した声で、マルトーが尋ねる。

 眉は釣りあがり、その太い腕は拳を握り締めている所為か微かに震えている。

 血の気の多い男性コックの中には今にも殴りかからんとして睨み付けている者も在る。

 

 それもそうだろう。

 ただでさえ平民は貴族に使われる存在。

 『使い魔という名の下僕』扱いされているだろう同胞を少しでも慰め、癒し、元気づけようとしていたのだ。

 しかしそこへまるで貴族待遇を望むようにも取れる発言。

 

 正に一触即発。

 ボルトの返答次第では乱闘も始まりかねないその雰囲気に年若いメイドの何人かは怯えていた。

 

 やがてボルトが口を開こうとしたその時。

 

 

 

 ――ガラスが砕ける音が厨房に響く。

 

 

 

「あっ……す、すみません!」

 

 シエスタの足下の床にはガラスのコップだった物とそれに注がれていた水が散らばっていた。

 

 水を入れたコップを運んでいたシエスタはその場の緊張感に動けずにいた。

 そしてつい手が滑り、落としてしまったのだ。

 慌ててしゃがみ込み、破片を拾い始める。

 

「……」

 

「あ……私が片付けますから……」

 

 するとボルトも席を離れ破片を手に取る。

 シエスタが止めるが、構わず大きな破片を2つ3つ摘んでは左手に乗せていく。

 間も無くほぼ全部の破片を拾い終わり、2人は立ち上がる。

 2人が片付けている間に多少は和らいだ空気にはなっていたが、ボルトに対する敵意に変わりは無い。

 

「ボルトさん、破片はこちらに……」

 

 シエスタが身に付けていたエプロンの裾を摘み上げ袋状にして、中に破片を入れる。

 だがボルトは破片を手にしたまま、マルトーに向き合う。

 

「な、なんだ……?」

 

 表情の分からない顔で上から見下ろされ、思わず半歩後退しながら身構える。

 

 そんなマルトーの態度は気にせず、ボルトは左手に乗せた破片の1つを右手で摘み上げ――

 

 

 

 

 

「――勘違いするな。 歯ごたえのある物しか食わない」

 

 

 

 

 

 ――大きく開けた口へと運ぶ。

 

 

 

 

 

 ガリ

   ガリ

       ゴリ

         ボリ       

             ――ゴクン

 

 

 

 

 

「ぉい……」

「ひぃっ!」

「ぇええ~!?」

「……」

 

 反応は様々だ。

 呆然とする者、悲鳴を飲み込む者、自分の目を疑う者、言葉も無い者……

 

 その後も2つ3つと口へと運び、咀嚼し、飲み込む。

 

 そして遂には拾った破片全てを食べてしまった。

 

 

 

 

 

「……言い直そう。 悪いが……他人とは食生活(メシ)が合わない」

 

 

 

 

 

 ――時間が止まる。

 

 先程と似た状況だが、先程みたいな冷たさは感じない。

 ――というよりは、皆どう反応したら良いのかわからないのだ。

 

 互いに顔を見合わせ、そしてゆっくりとマルトーに視線を移す。

 マルトーは俯いていて、その表情はまったく分からない。

 だが徐々にその体が震えだし、肩が上下し始める。

 

「――くっ」

 

 その俯いた状態の口元から微かに声が漏れたかと思うと……

 

「――ガァッハッハッハッハッハッ!」

 

 突如大声で笑い始めた。

 

「そうかそうか、俺らの早とちりか! そりゃ悪かった! クククク……」

 

 腹を抱えて笑いながら謝罪する。

 そして呆然としていた何人かのコックに指示を出していく。

 

「おい! 少し罅の入っちまったグラスが何個かあったよな!? 全部持ってこい! あとお前が1枚割っちまって、使えなくなった4枚組の皿が3枚残ってたろ! 棚の奥から引っ張り出してこい! それから――」

 

 言われた者は慌てて走り出す。

 それを見て満足そうに頷き、改めてボルトに向き直る。

 

「お前さん変わった奴だな……」

 

「――自覚はしてるさ」

 

「そうか、なら問題は無ぇな!」

 

 そう言ってまた大声で笑い出した。

 

 

 

「……お前さんが『そういう物』しか食えないのは分かった。 じゃあ『水』とか『酒』とか飲み物はどうなんだ?」

 

 改めて椅子に座ったボルトに、再び水を運ぶシエスタを見ながらマルトーが何気無く尋ねる。

 シエスタからコップを受け取ったボルトは、口を付け半分程飲み干す。

 

「……飲み物は問題無い。 そして『酒』は食う事に次ぐ楽しみだ」

 

「そうか、そりゃ良かった! 用意するから待ってろ! 他に何か欲しい物はあるか?」

 

 早速取りに行こうとして踏み出し、肩越しにボルトに希望の有無を確かめる。

 暫し考え込んだ後、マルトーに顔を向ける。

 

「――今朝の『あのスープ』はあるか?」

 

「『あのスープ』!?」

 

 予想外な答えにマルトーは怪訝な顔で振り返る。

 

「……ありゃあスープを作る時の下準備で用意する、野菜や肉を煮込んでダシを取っただけの物だぞ? 味付けも何もしてない――」

 

「――だからこそ素材の味と煮込む者の腕が純粋に反映される。 ……違うか?」

 

 話の途中で口を挟むボルトだが、その言葉にマルトーは目を見開く。

 

「見た目はただの液体だが、何種類もの野菜や肉の味がした。 そしてあれだけ澄んでいて苦味が無いのはアクをまめに取り除いたからだろう」

 

 そしてボルトはマルトーに体ごと正面から向き直り、純然たる事実を感想として口にした。

 

 

 

「――美味かった」

 

 

 

「……」

 

 厨房中の人間が満面の笑みを浮べる中、マルトーはボルトに背を向け肩を震わせていた。

 そして右袖で強引に目元を拭うと、やや鼻声で怒鳴る。 

 

「――シエスタァーッ!」

 

「はいぃ!?」

 

「向こうのワイン棚にアルビオンの古いのがあったな!? ボルトに注いでやれ!」

 

「……っ! はいっ!」

 

 

 

 

 

 ――トリステイン魔法学院内の『アルヴィーズの食堂』に隣接した厨房。

 

 奇妙な訪問客を迎えたある日の昼食時、そこは食堂以上の喧騒と笑顔で満たされていた。

 




……予定では『今回でギーシュと一悶着、次回は決闘!』だったんですが。
何故か厨房ネタが予想以上に膨らんでしまいました。

『決闘』は次回で一気に決着か、次回・次々回の前後編になるかもです。

正直に言えば、戦闘描写なんて未経験です。
現時点で頭の中であれこれ妄想してますが、今までみたいな日常風景でも苦労しているのにそれを文章化するとなると……

――とりあえず、いつものように気長にお待ちください。

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。



※9/3 誤字訂正
……何だ『一色触発』って……


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ACT-12 デザートと騒動

なんとか9月中に投稿できました!
ですが、今回も『決闘』まで行きませんでした……

次回こそ!
今度こそ!




 

 

 

「――美味かった」

 

「……本当にこんなんで良かったのか?」

 

 結局ボルトが昼食として食べたのは、『グラス・4個』、『皿・大小7枚』、『スープ・2杯』、『ワイン・1本』。

 マルトーからしてみればワインはともかく、グラスや皿は使えなくなった物だしスープは昼食用の下準備の物。

 ボルト自身が望んだ物であり、彼の『食生活』を考えれば仕方ないのだが、料理人としてはすっきりしない。

 

「あぁ、また腹が減ったら寄らせてもらう」

 

「なんだぁ? 晩飯はどうすんだ?」

 

「……ここに来る前にちょっと『つまみ食い』していたからな。 夜は大丈夫そうだ」

 

「……そうか」

 

 そうしてボルトは椅子から立ち上がり、厨房をぐるりと見回す。

 

「何か手伝える事はあるか?」

 

「ん? どういう事だ?」

 

 ボルトの考えが分からず聞き返すマルトー。

 

「昼食の礼をと思ってな」

 

「おいおい……あんな食事で対価を要求する気なんて更々ねぇぞ?」

 

 心外だとばかりに腕を組み顔をしかめる。

 しかしボルトは口元に笑みを浮かべる。

 

「……これが俺のやり方だ。 気にするな」

 

 マルトーはその顔をしばらく眺め、頭を掻きながら大きく息を吐く。

 

「やれやれ、仕方ねぇな……おぅい、シエスタ!」

 

「――はぁい、何ですか? マルトーさん?」

 

 小走りで厨房に来たシエスタにマルトーは背後に立つボルトを指差す。

 

「今からデザートの配膳だろ? ボルトが手伝いたいらしいからこき使ってやれ!」

 

「本当ですか!? ありがとうございます! ちょっと待っててください!」

 

 喜色満面で駆け出すシエスタと対照的に渋面のマルトー。

 

「……納得行かんか?」

 

「まぁ……な。 お前さんからの申し出だが、ガラクタ押し付けといてこっちの手伝いもさせるってのはな……」

 

「ワインとスープも美味かった」

 

「そりゃあワインは少し古めのだったがあのスープは……」

 

 振り返るマルトーに、ボルトが上方からだが正面に向き直る。

 

「……俺はこんな『食生活』なんでな、野菜や肉の味が味わえる事はまず無い」

 

 言葉を切り、『サングラス』を軽く持ち上げながら続ける。

 

「久し振りに堪能させてもらった。 今まで口にしたスープの中で5本の指に入る物だった」

 

「ぉ……」

 

 ボルトからの惜しみない賛辞に思わず言葉を失うマルトー。

 そこへ準備を終えたらしいシエスタが、食堂へと続く入り口でボルトを呼ぶ。

 

「ボルトさん、お待たせしましたぁ! お願いしまぁーす!」

 

「……また今度ご馳走してくれ。 楽しみにしている」

 

 そう言ってシエスタの方へ向かう。

 その場に残されたマルトーが振り返ると、厨房の全員が満面の笑みだった。

 

「ぉ……お前らまだデザートの配膳は終わってないんだぞ!? 手の空いてる奴は片付けに回れぇ!」

 

 隠し切れない笑みのまま、指示を飛ばす。

 そしてそれに従う者も、嬉しそうな顔のまま動き出した。

 

 

 

 余談だがこの日から10日程後、味にうるさい何人かの生徒達が最近の食堂の料理――特にスープに関して意見を交換していた。

 

「――最近味が変わったよな?」

「そうそう、味付けが変わったとか目新しい材料が入ってるとかじゃなくてさ!」

「なんかさ、こう――味に深みが増した……感じ?」

「毎回ちょっと楽しみよね!」

 

 ――1人の使い魔の影響だと彼らは知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ACT-12 デザートと騒動

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ふぅ」

 

「……よく食べたわねぇ……」

 

 昼食を食べ終わったルイズの隣の席で、キュルケが呆れた声で呟く。

 普段なら男子生徒の隣で食事をする彼女が何故かルイズの隣に居た。

 

 ルイズは午前の授業が終わっても空腹は感じなかった。

 食べるつもりは無かったのだが、ただついいつもの習慣で足が食堂へと向かっていたのだ。

 あの時キュルケに促されテーブルに着き、目の前の料理から立ち昇る湯気と香りを感じた瞬間に空腹を自覚した。

 

 思えば朝食は『あの騒動』の所為で、何をどのくらい食べたのかすら記憶に無い。

 その所為で夢中でいつも以上の量を食べてしまっていた。

 

(……ぅ。 ちょっと食べ過ぎたかしら……この後のデザートは遠慮しとこうかな)

 

 そう思いながらキュルケの隣の席にちらりと目を向ける。

 自分より小柄で青い髪のメガネを掛けた少女が、自分以上の量を食している。

 今は誰も手を付けていなかったハシバミ草のサラダを手元に寄せて平らげていた。

 

(……タバサはあんなに食べて大丈夫なのかしら……)

 

 食後のお茶を手にしながら感心する。

 

「食べた量だけちゃんと育てば良いわね~『どこ』とは言わないけどさ。 背とか『他の所』とか~♪」

 

 やや上半身を逸らしながら、言葉と体の一部分を強調して楽しそうに喋るキュルケに苛立ちながらも黙殺する。

 反対側のタバサの手も口も動きは変わらずだが、心なしか眉間に皺が寄っている。

 

 

 

「……所でルイズ、ちょっと確認したい事があるんだけど……」

 

「……何よ藪から棒に」

 

 先程とは打って変わっていつになく真剣な表情で尋ねるキュルケに、ルイズも若干身構える。

 

「あの時自分の部屋に戻ってきたでしょ?」

 

「……えぇ、それがどうかした?」

 

 

 

 ――『マイナス』――

 

 ――『涙』――

 

 ――『ハンカチ』――

 

 

 

 色々と思い出されてその複雑な心境から、キュルケから目を逸らしながらカップに口を付けお茶を含む。

 

 

 

 

 

「あなた――ボルトに襲われたりしてないわよね?」

 

 

 

 

 

「――っぶふぅ!?」

 

 

 

 

 

 思ってもみなかった質問に、含んだお茶を盛大に噴き出す。

 幸い含んでいたのは少量だった為、周囲への被害は最小だった。

 

「ゲホゴホ……な、何を……!?」

 

「だって……ねぇ? ――若い男女……少女が主で男が従者で……人気の無い教室……泣きながら部屋へと走り去る少女……」

 

「な……ちょっ、ちょっとぉ……!?」

 

 キュルケが事実を端的に並べていく。

 何故か彼女が言うとそこには『何か』があったんじゃないかと妄想してしまう。

 ルイズは顔を真っ赤に染めながら慌ててキュルケを止めようとする。

 タバサも若干頬を赤くしながらも食事を続けるが、その速度は目に見えてゆっくりだ。

 

「……ねぇルイズ、壁際に追い詰められて無理矢理唇を奪われたりとかされてない?」

 

「ぁああぁあ、あんたっ!? 昼間っから何サカってんのよ! されてないわよ!」

 

 椅子から立ち上がり、怒りと羞恥の赤面状態で怒鳴るルイズ。

 そう言われ、珍しく前言撤回するキュルケ。

 

「……そっか、そうよね……ごめんなさい」

 

 しかし次の瞬間にはキュルケはいつもの――からかう時の笑みを浮べる。

 

 

 

 

 

「――貴女は『奪った』方よねぇ?」

 

 

 

 

 

「――んなぁ!?」

 

 

 

 

 

 突拍子もない言葉に紅潮したまま固まるルイズ。

 タバサも完全に食事の手を止め、キュルケの次の言葉を待つ。

 周囲の生徒達からは驚きの声とざわめきが漏れる。

 

「――ってあんた達! 聞き耳立ててんじゃないわよ!」

 

 硬直から回復し、興味津々の聴衆を威嚇するルイズ。

 そしてキュルケを睨みながら食って掛かる。

 

「キュルケ! あんたも事実無根で適当な出任せを――」

 

「ひとぉつ」

 

 キュルケがルイズの鼻先に人差し指を突きつける。

 言葉を遮られ、ほんの少し落ち着きを取り戻す。

 

「貴女が主で、彼――ボルトがその使い魔。 これは間違い無いわよね?」

 

「……そうよ」

 

「ふたぁつ」

 

 ルイズの返答に満足そうに頷くキュルケ。

 さらに中指を立てて言葉を続ける。

 

「『コントラクト・サーヴァント』も成功して、彼には使い魔のルーンが刻まれた」

 

「当然よ!」

 

 胸を張り、自信を持って答える。

 「『コントラクト・サーヴァント』も?」「本当に成功したんだ……」といった呟きが聞こえる。

 どうやら『サモン・サーヴァント』のみならず、『コントラクト・サーヴァント』にも成功したという事は半信半疑の者達が存在したようた。

 一々その呟きにも睨みを返すルイズ。

 

「みぃっつ」

 

 そんなルイズに気にも留めず薬指も立てるキュルケ。

 そして一層笑みを深くする。

 

 

 

「『コントラクト・サーヴァント』の儀式には――契約にはキスが必要だって事……貴女は彼に事前に伝えた?」

 

 

 

「――ぅ」

 

 

 

 言葉に詰まる。

 そんなルイズを見て聴衆は『否』と判断する。

 

(じゃあヴァリエールの方が……)

(あの男に無理矢理……)

(……ぅわぁ、大胆……)

 

 彼らの脳裏には『ボルトに壁際に追い詰められるルイズ』という妄想が破棄され、『ボルトに馬乗りになり迫るルイズ』という妄想が新たに浮かぶ。

 どちらにせよやや過激な想像だが、2人の身長差を考慮するとそういう場景になってしまうだろう。

 

「で、でもミスタ・コルベールもその場に居たし、抵抗している所をむ、む無理矢理って訳じゃないわよ!」

 

「じゃあ不意打ち? どちらにしても『奪った』事に変わりは無いわよね~」

 

「ぁぅ……」

 

 文字通り閉口するルイズ。

 崩れるように着席し、赤い顔を隠すかのようにテーブルに突っ伏す。

 

「……契約の方法がキスなんて、誰が決めたのよ……」

 

「『始祖ブリミル』でしょ? 文句なら彼女に言いなさいよ」

 

 呻き声を上げるルイズにキュルケはお茶を飲みながら素っ気無く答える。

 

 

 

「――そうそう、ボルトの事だけど」

 

「――っ」

 

 何気無く切り出したキュルケの言葉にルイズが体を震わせる。

 

「何があったかは知らないけど、彼は『独り言を貴女が勘違いした』って言ってたわよ?」

 

「……何でそんな事知ってるのよ……」

 

 僅かに顔を上げ、小声で尋ねる。

 

「彼から直接聞いたのよ。 貴女が食堂に来る前に」

 

 涼しげな表情でそう言ってお茶を飲み干す。

 その横顔を見ていたルイズは再び顔を伏せる。

 

「貴女が何をしたか何を言ったか知らないけど、彼は別に気にしてるようには見えなかったわよ?」

 

「……」

 

「そんなに気に病むんなら、まずは彼に謝って誤解をした独り言をちゃんと説明してもらいなさいな」

 

 伏せていた顔をゆっくりと持ち上げるルイズ。

 

「謝るなんて……なんで使い魔相手にそんな事を……」

 

「何言ってるのよ、逆よ逆。 『使い魔相手』だからこそでしょ?」

 

 納得行かないといった表情の顔を向けるルイズに、キュルケは真剣な表情で言葉を紡ぐ。

 

「これから先彼との主従関係は一生続くのよ? 今からそんなわだかまり残してどうするのよ」

 

 空のカップをそっと受け皿に置く。

 

「それに彼は『人間』なんだから、それこそ人生の伴侶並に気を使わなくちゃ」

 

「は……伴侶は言い過ぎなんじゃないの?」

 

 微かに顔を赤らめながらキュルケに抗議するルイズ。

 それに対してキュルケは笑みを浮べながら答える。  

 

 

 

「あら、使い魔との契約は『どちらかが死ぬまで』――つまり『死が2人を分かつまで』よ? ある意味伴侶みたいな物でしょ、貴女の場合は特にね?」 

 

 

 

 

「失礼しますミス・ヴァリエール、デザートです!」

 

 昨日と今日で聞き慣れた感のあるシエスタの声と共に、目の前に空の皿が置かれる。

 

「あ……わたしはデザート……は……」

 

 『要らない』という言葉は喉で止まってしまう。

 皿に置かれたのは切り分けられた『クックベリーパイ』。

 ルイズの好物である。

 

「お茶の御代わりはいかがですか?」

 

「あ……お願い」

 

 空のカップにお茶が注がれる間、ルイズの目は皿のパイに釘付けだった。

 

「……どうしよう……」

 

 彼女が悩む理由は単純明快、好物という事もあるが純粋に美味しいのだ。

 城下町にある菓子の専門店等で売られている物のような上品な味ではない。

 だがここで作られる家庭的で素朴な味も気に入っている。

 どちらが上というのではなく、個人の嗜好とその時の気分に左右される程度の差異だ。

 

「あらルイズ、食べないの? 代わりに食べてあげましょうか?」

 

 横から笑顔でキュルケが口を挟む。

 その横のタバサも無言で、しかし期待に満ちた目でルイズを見詰める。

 

 

 

 ――さて、『別腹』という言葉がある。

 

 使い方としては『甘いものは別腹』、『例え満腹でも、食べたい物・美味しい物だと食べる事ができる』という意味だ。

 もちろん『別腹』という内臓器官は存在しない。

 

 満腹状態の時に『食べたい物・美味しい物』を見ると脳から分泌されるホルモンの働きで、胃が内容物を小腸へと送り出す。

 これにより胃が余剰空間――『別腹』を作りだし、満腹状態からでも更に食べる事を可能にするのだ。

 

 ルイズがクックベリーパイを目の前にして悩んでいたその間に、ルイズの体は『別腹』の準備を完了していた。

 ほんの少し前まで胸焼けを感じる程だった身体が、好物を前に垂涎寸前までになっていた。

 

 

 

「こっ、これはわたしの分よ! 自分の分を食べなさいよ!」

 

 思わずパイの乗った皿を抱え込むように2人の視線から庇う。

 

「ケチ。 太ったって知らないわよ?」

 

 シエスタからお茶の御代わりをもらいながら、キュルケが呟く。

 タバサも不満そうな顔で順番を待つ。

 

「もう……食い意地が張ってるんだから……」

 

 自分の事は棚に上げ、1口サイズに切り分けたパイを口へ運ぶ。

 

「ん! 美味しい!」

 

 パイの食感とベリーの味を存分に味わい、ご満悦なルイズ。

 そんな彼女の視界の端を、ティーポットとパイが並んだ銀のトレイをいくつも乗せたやや大きなワゴンを押す自分の使い魔の背が映った。

 

「――っんん!? ゴホッ! ガハッ!?」

 

 喉に詰まりかけたパイを慌ててお茶で流し込み、椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がる。

 

「ちょっとあんた! ここで何やってんのよっ!?」

 

「……給仕の手伝いだが……?」

 

 呼び止められ振り向いたボルトが、『見て分からないのか』的な口調で説明する。

 

「そんなの見れば分かるわよ! 何であんたがそんな事してるのか聞いてるのよっ!」

 

「あの、ミス・ヴァリエール、これは――」

 

 先を行っていたシエスタがボルトに駆け寄りながら口を開くが、ボルトが片手を軽く上げそれを止める。

 

「これは昼飯を用意してくれた厨房の連中への礼だ」

 

「何それ? 厨房が料理を用意するのは当然でしょ?」

 

 ルイズは腰に手を当て、ボルトを見上げながらも睨みつける。

 そんな彼女に変わらぬ調子でボルトは続ける。

 

「俺は他人とは食生活(メシ)が合わないんでな。 わざわざ別に用意してもらった代価だ」

 

「忘れないでよ!? あんたはわたしの――『ヴァリエール家』の使い魔なのよ!? そんな『メイドの手伝い』なんてみっともない事はやめなさい!」

 

「――お前こそ忘れるな」

 

 怒鳴るルイズに対して、ボルトの方も『サングラス』を指先で持ち上げながら有無を言わせない口調と態度で言い放つ。

 

 

 

「これは俺が受けた『仕事』だ。 そういう『条件』だった筈だが?」

 

 

 

「……ぐ……」

 

 そう言われればルイズは黙らざるを得ない。

 悔しそうに顔をしかめるルイズを後に、ボルトはシエスタを促し配膳の手伝いを再開した。

 無言で椅子に座り直し、ルイズは再びパイを口に運ぶ。

 

「……ん」

 

 大好きなクックベリーパイだが、何故かさっきまでの風味は感じられなかった。

 

 

 

 

 

「なあ、ギーシュ! お前、今は誰と付き合っているんだよ!」

「誰が恋人なんだ? ギーシュ!」

 

 テーブルの中央部近く、男子生徒が何人か集まっていた。

 その中心には金色の巻き髪の男子生徒が居た。

 フリルの付いた明らかに制服とは意匠の違うシャツを着ていた。

 

「付き合う? 僕にそのような特定の相手は居ないのだ」

 

 そういって椅子から立ち上がりながら、シャツの胸のポケットに挿していた薔薇の造花を手に取る。

 

「――薔薇は多くの人を楽しませる為に咲くのだからね」

 

『おぉ~』

 

 周りの生徒達の口から漏れたのは喚声とも感心の声とも取れる物。

 彼らはその答えや一挙一動に注目していた。

 故に、その『ギーシュ』と呼ばれた生徒が立ち上がった拍子に、そのズボンのポケットから何かが零れ落ちた事に気付かなかった。

 

 

 

「――あら?」

 

 その小さな小壜を見つけたのはシエスタだった。

 片手で握ればすっぽりと隠れてしまう大きさで、中で紫色の液体が揺れている。

 壜の蓋は蝋によって閉ざされ、何処かの貴族の家紋が押されている。

 

 前方の金髪の生徒が立ち上がった時に彼女の足元に転がってきた。

 その瞬間を目撃した訳では無いが、落とし主は彼だろう。

 

「失礼します、デザートをお持ちしました」

 

 彼の席にパイを置いた後、拾った小壜を差し出す。

 

「あの……先程こちらを落とされませんでしたか?」

 

 その生徒は一瞥すると苦々しく顔をしかめる。

 

「これは僕のじゃない。 君は何を言っているんだね?」

 

 そう否定しながらも彼はチラチラとシエスタに目配せをする。

 だがそれにシエスタは気付かず、小壜を手にしたまま困惑していた。

 

「そうですか、申し訳ございません。 こちらの方から転がって来たものですから」

 

「そんな『香水』は知らないよ、もっと向こうから転がってきたんじゃないかい?」

 

 目配せを続けながらやや口早にシエスタに告げる。

 それを聞いた1人の生徒が首を傾げる。

 

「……『香水』……それ『香水』なのか? ギーシュ、お前何で中身を知ってるんだ?」

 

 あからさまに顔を強張らせる『ギーシュ』と呼ばれた生徒。

 そして周囲の生徒達がざわつき始める

 

「てっきりワインかと」

「俺は魔法薬かと思ったんだが」

「『香水』か……」

「おい、『香水』と言えば……」

 

 ジワジワと核心に近付きつつある雑談。

 ギーシュは、表情を見られぬようやや俯く。

 その顔からは血の気が引いていた。

 

 『香水』の元所有者と現所有者が判明すると、彼にとっては非常に、最悪と言って良い程都合が悪いのだ。

 今この場をどう乗り切るか必死で思案している所へ一筋の光明が差し込む。

 

 

 

「――落とし主はわからないか。 ならこれは俺がいただこう」

 

 

 

 声の主は、ギーシュが視界の端に捕えていた小壜をメイドの手から取り上げる。

 聞き慣れぬ声。

 恐らくはメイドの後ろでワゴンを押していた男の物だろう。

 その男の突然の乱入に雑談は一時停止、追求は有耶無耶になった。

 

 しかし『香水』が他人の手中というのは、最悪の次にまずい。

 なんとか自分で確保せねば――!

 

「――待ちたまえ! ここで拾ったという事は落としたのは貴族。 平民の君達が持っておくのは如何なものか……」

 

 先程の声の主の方へ向きながら、やや強引な説得を続ける。

 

「いや、信用してない訳ではないんだがここは同じ貴族であるこの僕が……あ……ずか……」

 

 振り向いたギーシュはまずその男の長身に驚く。

 そして男の頭部が存在しない事に驚く。

 

 ――否、よく見ると男は真上を向いていた。

 正面しかもやや下方から見ると、首と顎部分しか見えなかったのだ。

 

 更に視線を上に移すと、右手が小壜を摘み、上方に掲げていた。

 そして右手が開かれる。

 

 当然重力に引かれ小壜は自由落下を開始。

 その落下点である男の口は大きく開かれていた。

 

 

 

 ――ゴクリ。

 

 

 

 そしてそのまま一呑み。

 男は何事も無かったかのように元の体勢に戻る。

 

(――あぁ成る程、さっきの『いただく』は『もらう』ではなく『食べる』という意味だったのか……)

 

 半ば放心状態でギーシュは現実逃避をしていた。

 がそれも僅かな時間、我に返ってワゴンを押しながら離れて行く男に怒鳴る。

 

「ま……ままま待ちたまえ! 何て事をしてくれたんだ君は! あれはモンモランシーから僕が――」

 

 そう口にした瞬間、周囲の生徒達が『わぁっ』と声を上げる。

 

「そうか、『香水のモンモランシー』だ!」

「そうだ! あの鮮やかな紫色はモンモランシーが自分の為だけに調合している『香水』だぞ!」

「そしてやっぱり落としたのはお前かギーシュ!」

「――って事は、ギーシュ! お前は今、モンモランシー付き合っている。 そうだな!?」

 

 しまったと自分の手で口を塞いだが時既に遅し。

 完全に元所有者と現所有者を自白してしまった。

 それにより周囲は一斉に騒ぎ出した。

 そしてその騒ぎは徐々に広がっていく。

 

 

 

 シエスタとボルトが配膳を再開すると、1人の女生徒と擦れ違う。

 髪は栗色、ルイズと同じくらい小柄の少女だがマントの色が違う。

 どうやら学年でマントの色が違うらしい。

 その体格からルイズ達より下の学年のようだ。

 

「ギーシュさま……」

「彼らは誤解しているんだ。 ケティ。 いいかい――」

 

 背後から少女とギーシュの声が微かに聞こえる。

 その直後、嗚咽混じりの怒鳴り声と、高く乾いた音が響く。

 それに続き、周囲から歓声が沸く。

 

「失礼します。 こちら――」

 

 シエスタがテーブルにパイを置いている途中で、金髪を縦に巻き後頭部に大きな赤いリボンをつけた女生徒は突然席を立つ。

 そしていかめしい顔で騒ぎの中心へと足音高く歩みを進める。

 

「モンモランシー。 誤解だ。 彼女とはただ――」

「やっぱり、あの1年生に――」

「お願いだよ。 『香水』のモンモランシー。 咲き誇る薔薇のような――」

 

 またもや少女とギーシュの声が聞こえてくる。

 今度は何かが零れるような水音と怒鳴り声が響く。

 再び周囲からどっと歓声と笑いが沸く。 

 

 

 

「――待ちたまえ」

 

 配膳を続けていたボルトの背に声が掛かる。

 ワゴンに手を掛けたまま肩越しに背後に目をやる。

 そこには先程修羅場を演じていたギーシュという少年が、薔薇の造花を手にキザなポーズを取りながら立っていた。

 その後方には多数の物好きな野次馬が事の成り行きを見物している。

 

「――俺に何か用か」

 

「君の奇行の所為で2人のレディの名誉が傷ついた。 どうしてくれるんだね?」

 

 薔薇をボルトに突きつけながら非難する。

 一見様になっているようだが、先程とは違う。

 

 左頬には真っ赤な手形。

 髪からはワインが滴り、フリルの付いたシャツを紅く染めている。

 辺りには猛烈なワインの香りが漂う。

 いつも以上にそのキザなポーズが実に滑稽に感じられる。

 

「そこのメイド! 君もだ!」

 

 次にボルトの後方に居たシエスタに矛を転じる。

 

「君が軽率にも小壜を拾い上げなければこんな事にはならなかったんだ!」

 

 言い掛かりも甚だしいが、シエスタ達平民にとっては貴族の言う事は絶対。

 相手がその子息であってもそれは例外ではない。

 貴族の大人だろうが子供だろうが、呪文を口にして杖を振れば平民は為す術なく負傷し最悪死ぬ事すらあるからだ。

 シエスタも貴族(ギーシュ)の怒りが収まる事を期待して謝る事しかできない。

 

「も、申し訳――」

 

 慌てて謝罪の言葉を口にしながら頭を下げようとしたシエスタの前に、ボルトが立つ。

 さながらその背に彼女を庇うかのように。

 

「……貴族というのはよっぽど暇なようだな」

 

「何ぃ!?」

 

「ボルトさん!」

 

 『サングラス』を持ち上げた指を添えたまま呟いたボルトに、ギーシュは辛うじて保っていた澄まし顔を歪ませる。

 コートの背中を掴みながら、ボルトを止めようとシエスタが声を上げる。

 

「非の無い使用人を咎めるより先にやるべき事があるんじゃないのか? 例えば……」

 

 そう言って皮肉気な笑いを口の端に浮べる。

 

「二股をかけていたあの2人に許しを請う――とか……な」

 

 「そうだそうだ!」「謝れギーシュ!」等高みの見物を決め込んだ外野から野次が飛ぶ。

 

「……くっ……ん? あぁそうか、君は……」

 

 苦々しく周りを見回し、再びボルトを見たギーシュは突然馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

 

「確か、あの『ゼロのルイズ』が呼び出した平民、だったな。 平民に、平穏に事を収めようという貴族の機転を期待した僕が間違っていたようだ」

 

「唯一の証拠品が無くなれば、有耶無耶にして平穏に事を収めるだろうと貴族の機転に期待した俺が間違っていたようだな」

 

 ギーシュの皮肉に空かさず返すボルト。

 外野は手を叩きながら大笑いしている。

 

「……『ゼロのルイズ』の使い魔は貴族に対する礼儀も『ゼロ』のようだな……」

 

 怒りでこめかみをひくつかせながら、言葉を絞り出すギーシュ。

 

「多少なら心得ているさ。 もっとも――」

 

 自分に向けられた怒気を全く意に介さず背を向ける。

 

「――相手は選んでいるがな」

 

 そしてワゴンを押していく。

 その背に向かってギーシュが声を荒げる。

 

「よかろう! ならば君が知らぬ礼儀を僕が直々に教授してやろう!」

 

 俗に言えば『表へ出ろ』『顔を貸せ』。

 この言葉に外野の興奮は最高潮に達する。

 生徒達は基本寮住まいの為、皆娯楽に飢えているからだ。

 こんな面白そうな事はそうそうある物じゃない。

 

 ――がしかし。

 

「断る。 仕事中だ」

 

 周囲からの落胆の野次やブーイングを物ともせず、こちらを睨むギーシュに未だ怯えるシエスタを促し、ボルトはデザートの配膳を続けようとする。 

 

「おい待て、平民!」

 

 1人の男子生徒がボルトの背中に声を掛ける。

 

「……」

 

「今お前は『仕事中だから断る』と言った。 だったら『仕事が終われば受ける』という事だな!?」

 

 無言で振り向くボルトにその生徒は言葉を続ける。

 

「……」

 

「沈黙は同意と見なすぞ! おいメイド! 配るデザートはそれで全部か!?」

 

 突然話を振られ跳び上がる程驚いたシエスタ。

 しかし急いで両隣のテーブルを確認すると、配り終わってないのはここ中央の、2年生のテーブルのみのようだ。

 

「は、はい! このワゴンにある分だけですが……」

 

 色々あった所為か、まだ半分近くも残っている。

 だがそれを聞いて何人かの生徒がにやりと笑う。

 彼らはワゴンに歩み寄り、パイの乗ったトレイをそれぞれ手にする。

 

「デザートまだ無い奴は手を上げろぉーっ!」

「食いっぱぐれても文句言うなよー!」

「さっさと食って見物だぁーっ!」

 

 テーブルの周りを走る彼らを見て、大歓声が沸き起こる。

 

「……『貴族は魔法をもってしてその精神となす』……じゃなかったのか?」

 

 苦笑しながら呟くボルト。

 

「まぁ……こんな雰囲気は嫌いじゃないがな」

 

 どこの町にもあり、何度となく足を運んだ騒々しいが、賑やかで活気のある酒場を思い出しながらゆっくりと歩き、ギーシュの前に立つ。

 

 

 

 

 

「――いいだろう。 その『依頼』、受けよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今までにない馬鹿騒ぎが起こっている食堂がある本塔には図書館も存在する。

 そこには生徒達の騒ぐ声も届かず、静まり返っていた。

 30メイルもの大きな本棚に囲まれた図書館の一区画、教師のみが閲覧が許される『フェニアのライブラリー』。

 コルベールの姿がそこにあった。

 

 昨夜から図書館に篭もって書物をしらべていたが、一般の閲覧可能な本では彼の求める答えは無かった。

 故に移動した『フェニアのライブラリー』で1冊の古書を手に、彼の目は驚愕で見開かれていた。

 

 手にしていた本は『始祖ブリミルの使い魔たち』。

 かつて始祖ブリミルが使用した使い魔達について記述された古書である。

 その中の一説と、彼の手にあるメモ――昨日ミス・ヴァリエールの使い魔であるボルトの左手に現れたルーンのスケッチ。

 

 

 

 ――その内容が完全に一致していた。

 

 

 

「……『ガンダールヴ』……」 

 

 

 

 思わず呟いた彼の言葉を耳にする者は居らず、そのまま埃を被った多くの古書の隙間へと吸い込まれていった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




お読みになって頂いて分かると思いますが、次回が『決闘』となります。

今回も作成中に、ネタが降ってきたり、湧いてきたり……
気付けば『決闘』まで届かず、文章量が過去最長……

次回こそ!
今度こそ!

大体の流れは頭にあるんですが、それを文章にするのに時間がかかります。
また気長にお待ちください。



ここでお礼とお詫びを。

CITRINE様。
情報ありがとうございました。
新作『EAT-MAN THE MAIN DISH』、自分はまだ読んでません。
コミックで出るのを楽しみにしています。

そして。

ニヒル少年様。
以前ご感想にて『復活する』とお知らせいただいていた事に気付きませんでした!
正確には『EAT-MAN』の事だと分かりませんでした!
大変失礼しました……

もちろん、この小説を読んで頂いている皆様にもお礼と、月1更新になってしまっている事のお詫びを。

「ありがとうございます」そして「申し訳ございません」。
これからもよろしくお願いします。

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。


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ACT-13 開幕

……遅くなってしまいました。

恒例となりつつある『月1詐欺』のお詫びに加え、今回は『予告詐称』も……


 

 

 

 ――「――いいだろう。 その『依頼』、受けよう」――

 

 

 

「……『依頼』……だと? どういう意味だ!」

 

 ボルトを睨みながらギーシュが問う。

 周囲の馬鹿騒ぎは未だ収まらず、その問う声をやや張り上げている。 

 

「……どうも何も……そのままの意味だが?」

 

 対してボルトはいつも通りの口調、声量。

 あたふたと慌てているのは寧ろその背後にいるシエスタだった。

 

「ふざけるな! いつ僕がお前に頼んだ!」

 

 先程まで見せていたキザな態度と口調は、今は完全に失われている。

 そんなギーシュの神経を逆撫でするようにボルトの口は笑みを浮べる。

 

「……俺にはさっきの言葉が『喧嘩を売りたいので今すぐ買ってくれ』と聞こえたが?」 

 

「……何ぃ!?」

 

 喧嘩を売ったのは確かだ。

 だが『買ってくれ』などと言ったつもりは無い。

 

「妄言もいい加減にしろ!」

 

「そうか……ならばその売られた喧嘩、買おうじゃないか……ただし、こちらの言い値だ」

 

「……どういう意味だ……?」

 

 訝しがるギーシュに対して、ボルトは指先で『サングラス』を持ち上げながら言い放つ。

 

「時は今夜、場所は使い魔の餌場。 邪魔の入らないように観客、野次馬一切無しだ」

 

「……くっ」

 

 確かにただ『礼儀を教授してやる』なら何時だろうと何処だろうと問題は無い。

 しかしそれではギーシュにとって意味が無いのだ。

 

「……差し詰め『生意気な平民()を今すぐにでも痛めつけたい』、『馬鹿にした奴らに自分の力を見せつけてやりたい』、『あわよくば嫌われたあの2人に自分の戦う姿を見て見直してもらいたい』……こんな所か?」

 

「ぐぬぬ……」

 

 苦々しく表情を歪ませるギーシュ。

 その態度が、ボルトの指摘が図星である事を雄弁に語る。 

 

「……俺はどちらでも構わないが……?」

 

 薔薇の造花を握り締め、歯を食い縛りながら俯きがちの体勢で葛藤する。

 ちょうどその頃、先の男子生徒達がデザートを配り終わろうとしていた。

 それを騒ぎながら見物していた生徒達がボルトやギーシュの反応を見ようと、徐々に視線が集まってくる。

 俯いたまま空の左手を顔を覆うように当てるギーシュ。

 そして拭うようにして顔から外した時には、いつものキザな笑顔が張り付いていた。

 

「――ヴェストリの広場だ!」

 

 右手の薔薇をボルトに突きつけ、食堂中の生徒達にも聞こえるように大声で宣言する。

 

「そこで首を洗って待っていたまえっ!」

 

 食堂中に響く大歓声の後、生徒達は少しでも良い場所で見物しようと一斉に移動を開始する。

 ギーシュはボルトに向かって歩き出し、ボルトと擦れ違う寸前に真横で足を止める。

 

「……この『依頼』の『報酬』は後で請求しよう」

 

「……もし君が無様に広場で転がっていてもまだ命があった時は、その奇跡が君への『報酬』だ」

 

 お互いに正面を向いたまま視線を交わす事無く言葉を交わし、そしてギーシュは足早に去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ACT-13 開幕

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ボ……ボルトさん……」

 

 ボルトのコートを掴んだままのシエスタが呟く。

 

「あ…………謝らなきゃ…………謝らなきゃ……」

 

 魘されるようにただそれだけを繰り返す。

 

「……貴族を怒らせたら……殺されちゃう……」

 

 顔からは血の気が失せ、寒気に襲われたかのように体が震えている。

 

「ボルトさん……どうして……?」

 

 目に涙を滲ませながら問うシエスタ。

 そこへルイズが駆け寄る。

 

「――ちょっとあんた! 何してんのよ! どういう事!?」

 

 怒りと困惑の表情でボルトに問い詰める。

 

「皆して『ルイズの使い魔とギーシュがヴェストリの広場で決闘』とか言ってるんだけど!?」

 

「あぁ、そういう『依頼』を受けたんでな」

 

「はぁ? 何よそれ!?」

 

 まるでそれが何でもない事のように簡単に説明するボルト。

 その答えが理解できず呆れるルイズ。

 

「『依頼』!? 何馬鹿な事言ってるのよ! 平民のあんたが貴族(メイジ)に勝てる筈――」

 

 

 

   ――『彼は傭兵かもしれません』――

 

 

 

 昨日コルベールから聞かされた話を思い出し、続く言葉を飲み込む。

 そうだ、この男は只の平民ではないのだ。

 自ら『貴族だけでなく王族からも雇われた』と言っていたではないか。

 

「あんた……貴族と決闘して勝てるの?」

 

「ミ、ミス・ヴァリエール!?」

 

 シエスタが驚きの声を上げる。

 てっきり自分と一緒にボルトを止めてくれると思っていたのだ。

 慌ててルイズに抗議しようとして……出来なかった。

 ボルトに向かい合うその表情と眼差しは真剣その物だったからだ。

 

「……さぁな」

 

 返ってきた返答は慎重かそれとも無責任か。

 思わずルイズは声を荒げようとしたが、それよりも先にボルトが口を開く。

 

「――そう言えば、『オーク鬼』とやらはどんな奴なんだ?」

 

「……はぁ?」

 

 何の脈絡も無く聞かされた疑問に肩の力が抜けてしまう。

 

「……身の丈2メイル程の豚の顔をした亜人で、人を喰らう化物です」

 

 呆気に取られて答えられないルイズに代わり、ボルトに答えるシエスタ。

 

「そうか……ならその『オーク鬼』とさっきのギーシュとかいう奴ではどちらが強い?」

 

 問われたシエスタは首を傾げる。

 人を喰らう『オーク鬼』も魔法を使う『貴族(ギーシュ)』も平民(シエスタ)にとっては等しく脅威である。

 違いは理性の有無か。

 ……それすらも疑わしい輩も貴族の中には存在するのも確かだが。

 

「……あいつが普段女の子の為に使っている頭を、策や戦術に割けばもしかしたら『オーク鬼』1匹になら勝てる……かも?」

 

「……そうか」

 

 シエスタに代わって、頭を捻りながらも予想するルイズ。

 それを聞いて満足そうに笑みを浮べるボルト。

 

「――つまりギーシュとやらを何とか出来ないようでは、『使い魔』は勤まらん……って事か」

 

「えぇ!? いやそういう訳では……」

 

 飛躍しすぎなボルトの呟きを遠慮がちに否定するシエスタ。

 使い魔に選ばれる生き物は、幻獣や大型の生物だけではない。

 小動物や両生類などの戦う事には不向きな生物が使い魔となる場合もあるのだ。

 しかし、ルイズはその言葉から別の意味を察する。

 

 

 

   ――「火山の火口付近とか、オーク鬼とかが居る森の中に行かなくちゃ採れない物かもしれないのよ!?」――

   ――「『オーク鬼』とやらが何かは分からないが……問題無いだろう」――

 

 

 

 それは『使い魔』としての仕事について話していた時の言葉。

 つまりボルトはまだ『使い魔』としていてくれるという事。

 

(キュルケの言った通り……本当に気にしてないの?)

 

 自然と表情が緩む。

 しかしすぐに2、3度首を振り、緩んだ表情を引き締める。

 

(『あの言葉』を問い質すのも……謝るのも『これ』が全部片付いてから!)

 

 そう心に決めて、ボルトの顔を正面から見据える。

 そして右手の人差し指を突き付けながら言い放つ。

 

「主人から使い魔に命令よ! 『ギーシュに勝ちなさい』!」

 

「ミス・ヴァリエール!? 何言ってるんですか! そんなの絶対に無理です!」

 

 シエスタにはルイズがボルトに『死ね』と言っているように聞こえた。

 ボルトの背後から足を踏み出し、2人の間に割って入ろうとする。

 だがその足はそうする前に止まってしまう。

 朝食の時のような怒りから来る八つ当たりではない。

 そのルイズ自身半信半疑だろうが、それでも『半信』部分には『ボルトなら出来る』という思いが見て取れた。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 指を突き付けるルイズ。

 おどおどとボルトとルイズの顔を交互に見るシエスタ。

 そしてその2人を前に無言のボルト。

 3人の間に沈黙が流れる。

 そして暫しの後、ボルトが楽しげに大きく笑みを浮べ『サングラス』を指先で押さえる。

 

「……引き受けた」

 

 そう言って歩き出し、2人の横を通り過ぎる。

 

「おい、平民!」

 

 そこへ声を掛けたのは、真っ先にデザートを配り始めた男子生徒だった。

 どうやらボルトが逃げ出さないように、見張りも兼ねて待っていたようだ。

 

「話は終わったか? 広場はこっちだ!」

 

 立てた親指で自分の背後を指す。

 

「丁度良い。 道案内が欲しかった所だ」

 

「ほぅ、言うじゃないか……」

 

 こちらに向かいながらのボルトの言葉に、男子生徒は半ば感心しながら振り返り先を歩く。

 

「こっちだ、付いて来い!」 

 

 黙って2人を見送るルイズを、シエスタが問い詰める。

 

「ミス・ヴァリエール! 貴女が『やめろ』と言えばボルトさんだって決闘なんかきっと断ったでしょうに……なのにどうしてあんな事言ったんですか!?」

 

「……」

 

 ルイズはシエスタに答える事なく黙ったまま。

 さらに言葉を続けようとするシエスタだったが、それよりも早くルイズが口を開く。

 

「あいつは――」

 

「――え?」

 

「――あいつは普通の平民じゃないのよ……」

 

 そう呟くと、2人の後を追いヴェストリの広場へ駈けて行く。

 その場に残されたシエスタは困惑の表情を浮べる。

 

「……それは知ってますけど……」

 

 彼女の脳裏には皿やグラスを齧るボルトの姿が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

「……」

 

「……」

 

 食堂・図書館よりさらに上、本塔の最上階に位置する学院長室。

 在室しているのはコルベールとオールド・オスマンの2人。

 先程まではミス・ロングビルも居たが、今は退出している。

 

 2人の間にある学院長の机の上にはある物が存在し、2人はそれを無言で見詰めていた。

 1つはコルベールが図書館から持ち出した『始祖ブリミルの使い魔たち』。

 もう1つは昨日コルベールがボルトの左手のルーンをスケッチしたメモ。

 開かれた本には始祖ブリミルが率いたとされる使い魔の記述がある。

 その一説とスケッチが完全に一致しているのだ。

 

 そもそもこの『始祖ブリミルの使い魔たち』は古い古い文献だ。

 作者不詳、作成時期不明、信憑性不明瞭。

 そんな書物の内容は本来は眉唾物だろう。

 

 ――だが実在が確認された今、その認識は改めざるを得ない。

 

「……『ガンダールヴ』……か」

 

「はい……」

 

 その開かれたページには始祖ブリミルの使い魔4体の内1体――『ガンダールヴ』について書かれていた。

 要約すると……

 

 

 

 ――強力な呪文を用いるが故に詠唱時間が長かったブリミルが、その間自分を守る為に用いた。

 

 ――1000人もの軍隊を1人で壊滅させる力を持つ。

 

 ――並のメイジではまったく歯が立たなかった。

 

 ――あらゆる『武器』を使いこなし敵と対峙した。

 

 

 

「――そんな伝説の使い魔『ガンダールヴ』のルーンが、例の平民の使い魔に刻まれた……と……」

 

「はい……」

 

 大きく溜め息をつき、椅子に背を預けるオールド・オスマン。

 

「……次から次へと厄介事が重なるのぅ……」

 

「どうしましょうか?」

 

 昨夜から図書館で調べていた為、若干疲れの見えるコルベールが尋ねる。

 

「……刻まれたルーンが同じだから彼も『ガンダールヴ』だ――と決め付けるのは早計かも知れん」

 

 目を閉じて思案していたオールド・オスマンは呟くように口を開く。

 

「それもそうですな……」

 

 

 

 学院長室の扉がノックされる。

 

「誰じゃ?」

 

「私です。 オールド・オスマン、ご報告が」

 

 オールド・オスマンが机に置いてあった杖を振ると、扉に掛かっていた鍵が開き扉が僅かに開く。

 

「失礼します」

 

 入って来たのは緑の髪に黄色の目、理知的な顔にメガネを掛けたオールド・オスマンの秘書、ミス・ロングビルだった。

 コルベールは机の前から移動し、オールド・オスマンの正面を彼女に譲る。

 

「ヴェストリの広場で、決闘が始まるそうで大騒ぎになっています。 教師が止めさせようとしましたが、生徒達に邪魔されました」

 

 ミス・ロングビルはコルベールに軽く会釈した後、淡々と報告する。

 

「……暇を持て余した貴族は本当に碌なもんじゃないのぅ……で? 何処の馬鹿共じゃ」

 

 机に頬杖を付き眉間に皺を寄せながら呆れる。

 その歯に衣着せない物言いにコルベールとミス・ロングビルは苦笑する。

 

「1人は、『ギーシュ・ド・グラモン』」

 

「……グラモンとこの馬鹿息子か。 この前も女生徒絡みでいざこざを起こさんかったか? そんな所だけ親父に似らんでええのに……」

 

 溜め息と共に愚痴るオールド・オスマン。

 

「それにしても『決闘』とは穏やかではありませんね。 そもそも『決闘』は禁止されていて、生徒達にも周知の事実である筈ですが……」

 

「それが……」

 

 やや険しい顔でミス・ロングビルに確認するコルベール。

 それに対して彼女は表情を曇らせる。

 

「どうやら相手は平民らしいのです。 生徒達は『禁止されているのは貴族同士の決闘のみ』と言って止めに入ろうとした教師を邪魔したとか……」

 

「何を馬鹿なっ!」

 

 返って来た答えに、思わずコルベールは声を荒げる。

 確かに『平民と貴族の決闘』は禁止されていない。

 だがそもそもそんな物は『決闘』とは呼ばない。

 ――魔法が使えない『平民』と魔法が使える『貴族(メイジ)』。

 どう考えても『見せしめ』や『私刑(リンチ)』と呼ぶべき物だ。

 ここが戦場であるならばいざ知らず、学園で戦いなんて事が可能な者など精々が駐在する衛兵ぐらい――

 

 ――違う。

 コルベールの思考が1つの『例外』に辿り着く。

 そう、今現在ここ魔法学院には『貴族(メイジ)と戦う事が可能だろうと思われる例外』が存在していた。

 それは――

 

「――もう1人は『ミス・ヴァリエールの使い魔』だそうです」

 

 それを聞いたコルベールとオールド・オスマンは一瞬視線を交わす。

 

「教師達は、騒ぎを治める為に『眠りの鐘』の使用許可を求めています」

 

 ――『眠りの鐘』。

 ここトリステイン魔法学院には、学院成立以来の秘宝が収められている部屋――宝物庫が存在する。

 『眠りの鐘』も学院の本塔、学院長室の下の階にある宝物庫の秘宝の1つだ。

 その鐘の音は、耳にした者を抗う事の出来ない眠りに誘うと言われている。

 

「……たかが喧嘩騒ぎに秘宝を使う必要も無いじゃろ。 放っておきなさい」

 

「わかりました」

 

 一礼して退室するミス・ロングビル。

 閉まった扉に向かってオールド・オスマンが杖を振ると鍵が掛かる。

 

「――オールド・オスマン」

 

「――うむ」

 

 残った2人は顔を見合わせ頷く。

 再びオールド・オスマンが杖を今度は壁に掛かった大きな鏡に向かって振る。

 すると鏡が光りだし、その光が徐々に消えていくと同時に鏡には何かが映しだされていく。

 それは対峙する男子生徒と見慣れない格好をした男だった。

 

「こちら側に立っているのが例のミス・ヴァリエールの使い魔で……オールド・オスマン?」

 

 映しだされたボルトの説明中に突然物音がしたので、鏡に向けていた顔をそちらに向ける。

 そこには椅子から立ち上がり、机から身を乗り出したオールド・オスマン。

 その顔は驚愕に満ちていた。

 

「――ミスタ・コルベール」

 

「は、はい」

 

「急ぎミス・ロングビルを追いかけ、『眠りの鐘』の準備をするようにと伝えて欲しい」

 

「えぇ!?」

 

 突然のしかも先の発言を覆す内容の指示に驚くコルベール。

 そんな彼に、懐から大きなやや古びた鍵を取り出し渡しながら続ける。

 

「ただし、こちらの許可するまでは待機を厳命する――以上じゃ」

 

「はい、わかりました!」

 

 そのただならぬ様子に気を引き締め、宝物庫の鍵を手に慌しく学院長室を飛び出す。

 そして1人残ったオールド・オスマンは再び鏡に目を遣り呟く。

 

「……まさか……いや、しかし……」

 

 

 

 

 

 魔法学院は食堂・宝物庫・学院長室等が有る本塔を中心に、正五角形の頂点に位置する5本の塔で構成されている。

 『学生寮』と『水』の塔の間には正門が存在し、そこから時計回りに『学生寮』、『土』『火』『風』『水』と呼ばれる塔となっている。

 ヴェストリの広場は『火』と『風』の塔の間にある中庭で、西側に位置している為日中でもあまり日が差さず今の時季は訪れる生徒は多くない。

 

 ――しかし今日は違った。

 

「諸君! 決闘だ!」

 

 その言葉にヴェストリの広場を埋め尽くした生徒達の大歓声が響く。

 幾重にも重なる人の輪はさながら闘技場のようで、その中心には戦いに赴く2人の闘士がいた。  

 

 薔薇の造花を掲げ、歓声に応えるギーシュ。

 周囲の騒ぎなど何処吹く風とコートのポケットに両手を入れたままただ立っているボルト。

 

 そして熱狂する生徒達の中、そんな2人を冷静にかつ心配そうに見守る者も居た。

 最前列に並ぶルイズ、シエスタ、キュルケにタバサの4人の少女達。

 

 ――あれからルイズはシエスタから事の顛末を聞いた。

 ボルトの勝手な行動に思わず毒づこうとしたが、彼の行動は明らかにギーシュの自業自得な言い掛かりから、シエスタを庇おうとした物。

 そんな事をすればシエスタを間接的に責める事になってしまう。

 故に彼女は頭の中で使い魔とギーシュに罵詈雑言を浴びせる。

 

「……シエスタはその場に居合わせて心配してくれたから分かるんだけど……何で貴女達は居るのよ」

 

 自分の隣に立つ2人を横目で見遣りながら呟くルイズ。

 

「見世物気分ならお引取り願うわよ?」

 

「あら、私だってボルトが心配だから来たのよ? 彼とは知らぬ仲じゃないんだし」

 

 意外そうに反論するキュルケ。

 

「確かにギーシュはキザで女好きのお調子者には違いないけど、彼もれっきとしたメイジよ? 『ドット』クラスの中では上位の腕って話も聞いた事があるわ」

 

 ルイズ同様眼前でギーシュと対峙しているボルトの背中を真剣な顔つきで見守る。

 そう言われてはルイズも口を出せず黙認する。

 

「――興味半分ってのは否定しないけど」

 

「帰れ!」

 

「で? タバサ、あなたはどうなの?」

 

 ルイズの怒号をさらりと流し、キュルケは隣に立つ友人に尋ねる。

 自身の身長より大きな杖と分厚い本を手にしたままのタバサは、ボルトから目を離さずに口を開く。

 

「……気になる」

 

 タバサという少女は普段なら周囲の事には興味を示さず、大抵1人で本を読んでいる事が多い。

 このような群集に混ざる事自体が珍しい事であり、特定の人物に関心を持つとなると尚更だ。

 キュルケもこの変化に驚き、目を丸くする。

 そして何かを察したように優しく微笑む。

 

「そっか……タバサもそんなお年頃なのね……」

 

「えぇ!? ちょっとタバサっ!?」 

 

「タバサは年上が好みか~♪」

 

 そう言いながらタバサの頭を撫でるキュルケ。

 慌ててタバサに詰め寄るルイズ。

 そんな2人に対してタバサは、ルイズには杖を突き付ける事で動きを制し、頭を撫でるキュルケの手をゆっくりと払う。

 

「違う」

 

 言葉少なに、しかしきっぱりと否定する。

 その間も彼女はボルトから目を離す事はなかった。

 

 そしてシエスタだが、はっきり言えば挙動不審だった。

 体を縮こませ、周囲の喧騒に怯え、間近で起こる歓声に驚く。

 だが無理もないのかもしれない。

 今彼女の目に映るボルト以外の人影は例外なく皆貴族なのだ。

 しかも触れ合う程に近い――と言うよりも幾度となく彼女の背に誰かの体が当たり、彼女の腕や肘が誰かに当たる。

 本来ならそれだけで咎められる事もある。

 だが幸いにも周囲1人残らず熱狂している今この場では、傍らの平民の事を気にする者など居ない。

 

「ねぇシエスタ……ボルトの心配は嬉しいけど、気になるなら無理しない方が良いわよ?」

 

 見かねたルイズが声を掛けるが、シエスタはこれを首を左右に振り断る。

 

「いいえ……ボルトさんは私を庇ってくれたんです! 私にはこの決闘を見届ける義務があります。 それに何の力にもなれないけど、せめて応援だけでもしたいんです!」

 

 胸元で拳を握り締め、震える声でしかしはっきりと意志を伝える。

 その言葉を聞き、その目を見て、ルイズは説得を断念する。

 

「……わかったわ、好きにしなさいよ」

 

 そう言って視線を戻す。

 そこでは遂に決闘が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

「やぁ、待たせたようだね」

 

 暫く歓声に応えていたギーシュは、まるで今気付いたとばかりにいつも通りの笑顔でボルトに向き直る。

 

「……あぁ、そうだな。 だがワインの匂いを漂わせながら目の前に立たれるよりはマシだ」

 

 ギーシュの笑顔が引き攣る。

 ヴェストリの広場に来たのはボルトが先だった。

 どうやら先に食堂を出たギーシュは身支度を整えていたようだ。

 頭から浴びせられたワインを拭き取り、シャツを着替える。

 そうしてヴェストリの広場へとやってきたのだった。

 ――もっとも、左頬の手形は完全には消えてはいなかったが。

 

「ふん……とりあえず逃げずにいた事は誉めてやろうじゃないか」

 

「それがお前からの『依頼』だったからな……もっとも」

 

 片手で『サングラス』を軽く持ち上げる。

 

「この後の展開については責任は持てんがな……特に3つ目は」

 

 意図してかせずにか、唇の端を吊り上げながらギーシュの神経を逆撫でする言葉を選ぶボルト。

 既にギーシュの顔に笑みは存在せず、忌々しげにボルトを睨む。

 

「平民風情が! 貴族に盾突いた事を、のたうち回りながら後悔しろ!」

 

 怒鳴りながら手にしていた薔薇を振る。

 その薔薇から花びらが1枚宙に舞う。

 地に落ちた花びらが光ったかと思うと、地面から甲冑を身に着けたブロンズ像が現れた。

 

「僕はメイジだ。 だから魔法を使って戦う。 よもや文句はあるまいね?」

 

「……ほぅ」

 

 ブロンズ像の後ろで誇らしげな笑みのギーシュと、興味深げな声を上げるボルト。

 

「僕の二つ名は『青銅』。 『青銅のギーシュ』だ。 従って、青銅のゴーレム『ワルキューレ』がお相手するよ」

 

 それはギーシュより若干背の高いブロンズ像。

 女性用の騎士甲冑を身に付け、身の丈より長い長槍を手にしていた。

 顔は表情なんて物は存在せず、仮面のように目の部分に穴が有るのみだった。

 

「行け! 『ワルキューレ』!」

 

 ギーシュが指揮棒のように薔薇を振ると、ブロンズ像――『ワルキューレ』と呼ばれたゴーレムはボルトに向かって突進する。

 そして間合いを詰めて手にした長槍ではなく、素手の拳を真っ直ぐに放つ。

 それはとても金属製の物とは思えない素早い動きだった。

 

 だがそれをボルトは難無く交わす。

 右足を引く事で体を半身にし、ゴーレムの胴体目掛けての拳を外す。

 そして同時に軽く右拳を上げていた事で、『回避』の終了と同時にもう次の行動の準備が整っていた。

 

 ――広場に金属を打つ音が響く。

 ブロンズ製のゴーレムが顔部分に右拳を打ち込まれ後方へ飛び、さらにそのままの勢いで2、3メイル地面を転がる。

 その一連の攻防に、一瞬広場は水を打ったような静寂に包まれる。

 

『……ぉ』

『……ぉぉぉぉぉ』

『ぉぉぉおおおおおおおおぉぉぉーーーっ!』

 

 その場にいる全員の口から漏れた声はやがて血の底から響くようなどよめきに、そして始まりの時を上回る大歓声へと変化する。。

 

 

 

 

 

 ――それがこの決闘の開幕を告げる合図となった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ほぼ2ヵ月空いてしまいました……

しかも内容は『決闘』の開始まで。
ちまちまと入れたいネタが浮かび、いつの間にかいつもの文章量。
予定の『決闘』の展開をそのまま追加すると間違い無く今の倍……
仕方なく今回はここまでに。

時間もなかなか取れませんでした。
無いわけではなかったんですが、つい他の事に時間を割いてしまって……
携帯をスマホに変えてその使い方に四苦八苦したり。
とあるゲームの大会に出場したり。

目標は年内にあと1回投稿。

次回こそ!
今度こそ!

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。


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ACT-14 決闘

……え~遅まきながら。

『ゼロの少女と食べる男』を読んでくださっている皆様、明けましておめでとうございます。
昨年末も相変わらずの『月1詐欺』で申し訳ございませんでした。
今年もよろしくお願いします。

予定から4ヶ月も遅れて、やっと『決闘編』です!


 

 

 

 ――『ワルキューレ』。

 ギーシュが『錬金』で造りだした青銅のゴーレム。

 女騎士の姿を模しているが、その意味は無きに等しい。

 単なる術者(ギーシュ)のこだわりと趣向だろう。

 この『ワルキューレ』、実はある程度の厚みを持った中空構造となっている。

 理由は単純に重量の問題である。

 

 ゴーレムに関して言えば、メイジのレベルが上がれば『錬金』で造れるゴーレムは多く、重く、大きくする事ができる。

 そしてゴーレムを操れる範囲、速さ、精密動作性が上がる。

 ギーシュのレベルは『ドット』。

 高くはない速さと精密動作性を上げる為の軽量化、それ故の中空構造。

 ギーシュは耐久性よりも速さを優先させた。

 それでも青銅製で人間大のゴーレムはそれなりの重量。

 

 ――そんな金属の塊をボルトは『素手で』吹っ飛ばしたのだ。

 

 

 

『ぉぉぉおおおおおおおおぉぉぉーーーっ!』

 

 

 

 先程とは違い、自分に向けられた大歓声。

 しかしボルトは何の興味を示さない。

 開始前と同じように無言でただ立っている。

 

 ――と思いきや、コートのポケットには左手しか入れていない。

 右手は何かを持つ訳でもなく、拳を握り構える訳でもなく。

 ただ自然体で伸ばされている。

 その右腕が僅かに動き……

 

 

 

 手首を揺らす。

 右手を外気で冷やすかのように。

 

 

 

(……あ)

(やっぱり痛かったんだ……)

(そりゃなぁ?)

(良い音がしたもんねぇ~) 

 

 目撃した生徒達は皆似たような感想を抱いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ACT-14 決闘

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先の大歓声、実は1割にも満たないが落胆の悲鳴も混じっていた。

 

「ちっくしょ~っ!」

「誰だよ、あんな奴見掛け倒しだ『ギーシュの完勝』で決まりだとか言ったのは!?」

「馬鹿ねぇ、どう見たって多少は腕に覚えがありそうな格好じゃない……」

「だよなぁ? さすがに『一発でギーシュの勝利』は有り得ないって」

「ちぃっ、ギーシュの奴舐めてかかったな!?」

「けど逆にここまで盛り上がって、一瞬一撃で終わったらそれこそ観客全員からのブーイングよ?」

「くそぉ~、ヴァリエールの時の負けを取り戻そうと思ったのによ……」

 

 あちこちから微かに聞こえる言葉に不快な表情のルイズ。

 

「……また賭け!? 昨日の『本屋』とかいう奴が懲りずに仕切ってるんじゃないでしょうね……」

 

 そう言って柳眉を逆立てながら背後に視線を向ける。

 目が合った何人かの生徒が不自然に視線を逸らす。

 

「まったく……人を賭け事のダシにするなんて信じられないわ!」

 

「そ、そうよね~」

 

「……」

 

 憤るルイズの傍らで赤い髪の少女と青い髪が少女が、同時に顔ごと視線をあらぬ方向へ向ける。

 ちなみにこの2人いつの間にやら食堂から姿を消していて、この広場へ来たのはルイズ達よりも後だった。

 ……理由は不明。

 

「そ、それにしてもボルトって思ってたより強そうねっ!」

 

 妙に慌てた口調でキュルケがやや強引に話題を変える。

 隣のタバサも頷いて同意を示す。

 

「動きが綺麗」

 

「うん……」

 

 そう言われルイズは先程のボルトを思い浮かべる。

 予想以上のゴーレムの素早さに、声を上げボルトに注意を促す間も無かった。

 当の本人も動こうとはしてなかったので、殴られると感じたルイズは思わず顔を背けそうになった。

 しかしボルトは最小限の体捌きで避け、そのまま流れるような動きで逆にゴーレムを殴り飛ばした。

 明らかに一朝一夕で身に付く動きではない。

 

「ねぇルイズ。 彼ってやっぱり傭兵みたいな事をやってたのかしら?」

 

 キュルケに問われルイズは返答に詰まる。

 

「――そう言えば『王族から雇われた事が有る』とは言ってたけど、『傭兵だった』とは言わなかったような……」

 

「嘘ぉ! 王族から!?」

 

「……!」

 

 流石に予想外だったのか2人は目を見開く。

 

「こちらに召喚される前は砂漠に居たらしいから、東方の出身なんじゃないかしら?」

 

 ボルトの言った事をを思い出しながら言葉を続ける。

 

「へぇ、東方ねぇ。 珍しいわね」

 

「……東方……『ロバ・アル・カリイエ』……」

 

 興味深げなキュルケと、静かに呟くタバサ。

 さらに思い出していたルイズの脳裏に1つの言葉が引っ掛かった。

 

「あ……思い出した。 自分の事を――」

 

 

 

     ――『……ボルト……ボルト・クランク……ボウケンヤだ』――

 

 

 

「――『ボウケンヤ』って言ってた……」

 

「……ボウケンヤ……?」

 

「……なにそれ……?」

 

 聞き慣れぬ言葉に3人は揃って首を傾げる。

 

「あっ……!」

 

『……!』

 

 そこへ変わらずボルトを見守っていたシエスタの声。

 3人が我に返り再び広場に目を向けると、そこには2体のゴーレムがボルトの前に立っていた。

 

 

 

 

 

「……ほぅ、多少は腕が立つようだな」

 

 自慢の『ワルキューレ』を殴り飛ばされた割には、ギーシュはあまり取り乱してはいなかった。

 そして再び手にした薔薇を振る。

 ゆっくりと立ち上がるゴーレムの横に、花びらが落ちる。

 そして1体目と全く同じゴーレムが姿を現す。

 

「1体で方が付けられるとは始めから思ってないさ。 ……ここまであっさりだったのは正直予想外だったけどね」

 

 やや苦笑するギーシュの前では2体のゴーレムが手にしていた長槍を構える。

 

「……」

 

 その切先を向けられてもボルトの態度は変わらず。

 焦りや気負いも感じられない。

 そんな余裕が面白くないギーシュは唇を歪める。

 

「ちぃっ、今度はさっきのようには行かないぞ! 『ワルキューレ』!」

 

 叫びながら薔薇をボルトへ向けると、2体のゴーレムは同時に走りだす。

 そして1体がボルト目掛けて構えた槍を突き出す。

 ボルトはこれを先と同じく危なげ無く避ける。

 またもや先程の攻防の焼き直しかと思われた。

 しかし今度の『ワルキューレ』の攻撃は拳ではなく槍。

 二者の間合いはやや広く、ボルトの拳では届かない。

 その差を埋めるべく、ボルトは引いた右足を前に踏み込み――

 

 ――その右足で大地を蹴り後方へ跳ぶ。

 

 それとほぼ同時に、しかし刹那の差で遅れて空を切る音が響く。

 体の動きに着いていけなかったボルトの長い髪が数本、新たに造られたゴーレムの振るう槍に断ち切られた。

 

「ひぃ!?」

 

 シエスタの口から悲鳴が漏れる。

 しかしボルトは風に乗るその髪を一瞥しただけで、視線を2体のゴーレムに移す。

 2体共体勢を直し先と同じように槍を構え直す。

 

「よく躱したな。 ……だがいつまで続くかな?」

 

 そして再び2体のゴーレムがボルトに襲い掛かる。

 基本的な戦い方は変わらない。

 1体目が仕掛ける。

 そこで生じる隙をつかれぬように2体目が時間差で攻撃。

 故にボルトは回避に徹する。

 

 回避に自信があるならば、相手の疲労や隙を待つのも戦い方の1つだろう。

 槍を振り回すのにも相応の体力が必要になる。

 そしてそんな物を至近距離で2人が使うとなれば、相当な連携の訓練を経た者達でないと同士討ちの危険が伴う。

 

 ――だが今回は相手が悪かった。

 疲れを知らず、同士討ちを恐れず、例えしても怯まない()達だった。

 

 操っているのは実際は槍なんて物は使ったことのない素人だ。

 何度も攻撃を見ていれば、単調で数種類しかない限られた攻撃を見極める事も可能である。

 現に1度、ボルトは1体目の攻撃を避けそれに反応した2体目の横薙ぎを掻い潜り、先に2体目を攻撃しようとした。

 空振りした所為で態勢が崩れ、槍を引き戻そうとしても間に合わない。

 ――しかし故意か偶然か。

 槍の行く手に1体目のゴーレム。

 広場に金属同士の衝突音が響く。

 1体目にぶつけた反動を利用し、槍が再びボルトを狙い振るわれる。

 そのタイミングはボルトの攻撃とほぼ同時。

 

「……」

 

 それを悟ったボルトは攻撃を諦め、これを回避する。

 そうしている間に1体目が変わらず槍を構える。

 そこに同士討ちに対する不満や恐怖は当然存在しない。

 

「いやぁ惜しかったね、残念!」

 

 口元に薔薇を寄せ、楽しそうに笑うギーシュ。

 ボルトは応えず、ゴーレムの攻撃を避けながら隙を窺い続ける。

 

 

 

「きゃっ!」

「うぉ!?」

 

 何度目かの攻防の時、ボルトの背後で声が上がる。

 肩越しに視線を向けると、人垣の近くまで移動していたらしく生徒達との距離は2、3メイル程しか無かった。

 顔を強張らせる生徒達の前でボルトは後ろではなく、人垣に沿うようにゆっくりと歩を進める。

 

 ――ここで今まで片時もボルトから目を離さなかったギーシュが、一瞬視線を移す。

 その隙を見逃さずボルトは瞬時に行動する。

 

 素早く横に移動、そして一気にゴーレムに接近する。

 術者の意識が離れている所為か、その反応は鈍くボルトの動きに対応できていない。

 ボルトが移動した地点からは、2体のゴーレムが一直線上に並んでいる。

 つまり2体目は1体目が邪魔で攻撃できない。

 走る勢いのままボルトはゴーレムを蹴り飛ばす。

 

「やったぁ!」

 

「ボルトさん!」

 

 ルイズとシエスタが歓声をあげる。

 未だ移動も構えてもいなかった2体目を巻き込みながら地面を転がる。 

 その結果を見届ける事なく、ボルトはギーシュとの距離を詰める。

 

「甘いっ!」

 

 しかし警戒を怠っていなかったのか、そもそも隙自体が誘いだったのか。

 ボルトが接近し始めた時には、ギーシュはそれを認識していた。

 振り向きながら薔薇を振るう。

 散った花びらは2枚。

 その場に新たに2体のゴーレムが現れる。

 姿形は今までと同一、だが手にした装備に差異があった。

 長槍ではなく、ロングソードと言われるような両刃の剣にやや大きめの盾。

 ギーシュの前に並びその盾を前面に構え、ボルトの行く手を阻む。

 

「……」

 

 ボルトが足を止めると同時に、2体のゴーレムは盾を構えたままゆっくりと歩き出す。

 視界の端では先程のゴーレムも立ち上がり、長槍を構えボルトに近付いて来ていた。

 そして2体同時に走り出し、やや遅れて盾を構えた片方のゴーレムも駆け出す。

 前方と左からゴーレム、右には生徒達の人垣。

 迷わずボルトは後方へ跳び、近付くゴーレムから距離を取る。

 緩く弧を描くようにして、速度を上げて迫る2体のゴーレム。

 それに合わせ、ボルトも方向を修正しながら更に後方へ移動。

 

 足を止めないまま、ゆっくりと無手のままの右手を上げる。

 次の瞬間――

 

 

 

 

 

 ――地面を踏む筈だったボルトの左足が、地表を踏み抜き土中に埋まった。

 

 

 

 

 

「……っ!?」

 

 何とか体勢を整え、転倒は免れる。

 しかし、その間に槍を手放した2体のゴーレムに追い付かれてしまう。

 2体のゴーレムはそれぞれがボルトの手首と肩を掴み両側から拘束。

 両肩を押さえつけられ、ボルトの右膝が地面に着く。

 左足は膝下まで土中に在るが、その様子はあたかも捕えられた罪人のようだった。

 

 ふとボルトは気付く。

 弧を描きながら追いかけたゴーレムの動き。

 そしてあの時一瞬外れたギーシュの視線の先はこの辺りだった事を。

 

「罠……してやられたという事か」

 

 

 

「ボルト!?」

 

「ボルトさんっ!」

 

 ルイズとシエスタの悲鳴染みた呼び掛けは、決着を確信した歓声に掻き消される。

 

「――平民にしてはよくやった方だと思うよ?」

 

 決闘開始前のように周囲からの声に応えながら、ギーシュが悠々と歩いて来る。

 そのキザな笑顔からは隠そうともしない優越感が溢れている。

 

「……だがここまでだ。 所詮平民は平民、僕ら貴族(メイジ)にはどう足掻いても敵わない。 理解できたかね?」

 

 そして未だ土中にあるボルトのチラリと目を遣る。

 

「それにしても『ゼロのルイズ』の使い魔は運すら『ゼロ』のようだね。 決闘の最中に『モグラ』の掘った穴に足を取られるとは……」

 

 薔薇を口元に当ててほくそ笑む。

 

「……『モグラ』?」

 

「そういえばギーシュの使い魔って確か……『ジャイアントモール』」

 

「……おっと」

 

 タバサとキュルケの呟きを耳にして、ギーシュは表情を変えないままわざとらしく口に手を当てる。

 

 

 

 ――ジャイアントモール。

 

 巨大なモグラで、その大きさは小さな熊程もある。

 鉱石や宝石を匂いによって探し出す事ができる。

 モグラというだけあって地面を掘る事はお手の物で、その掘り進むスピードは地上の馬に勝るとも劣らない。

 

 

 

「ギーシュ! 貴方まさか使い魔にその落とし穴を――」

 

「何処にその証拠があるんだい? 仮にこの穴を掘ったのが僕の可愛い使い魔ヴェルダンデとしよう――しかし、ジャイアントモールであるヴェルダンデが穴を掘る事の何が悪い?」

 

 ルイズの怒りの抗議をギーシュは平然と受け流す。

 薄い笑みを浮かべながら、大仰な動きで両手を広げながらルイズに答える。 

 

「く……」

 

 確かにそれが悪いならば、魚は泳げないし鳥は空を飛べない。

 悔しいがギーシュの言葉を認めるしかないルイズは口を閉ざす。

 それを満足そうに見届け、ボルトに歩み寄る。

 

「さて……君には『貴族に対する礼儀』を教授する約束だったな?」

 

 嬉しそうにボルトを見下ろすギーシュ。

 「ふむ」と腕を組みながらやや考え込む。

 

「そうだな、まずは食堂での態度と発言を詫びてもらおう」

 

 そして目を細めながら口角を吊り上げる。

 

 

 

「それから僕の靴を舐めた後に額を地面に付けながら、『もう二度と貴族様には逆らいません』と宣言してもらおうか」

 

 

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

 

 余りにも屈辱的な要求にルイズは制止の声を上げる。

 

「それは少しやり過ぎなんじゃないの!?」

 

「やり過ぎ? 彼は貴族に逆らい、2人のレディの名誉を傷つけ、僕を侮辱した。 だが血を流すどころか、怪我すらない状態で放免してやろうとしているんだよ? こんな寛大な処置なら感謝されても非難される謂れは無い筈だが」

 

「そうだそうだ!」

「引っ込め、ヴァリエール!」

「ギーシュ、もうやっちまえ!」

 

「あんたの自業自得でしょうが!」というルイズの至極尤もな正論は、周囲からの野次に飲み込まれる。

 

「……さて聞くまでもないだろうけど、君の答えを聞こうか」

 

 そう問われたボルトは間髪容れずに答える。

 

「断る。 ――お前の靴は不味そうだ」

 

 まさか味を理由に断るとは思ってなかった観衆は、この返答に大爆笑拍手喝采。

 

「いいぞぉ、平民!」

「おいギーシュ、お前の足は臭いとさ!」

「もしかして水虫かぁ!?」

「え~……」

 

「ちょっと待て! 誰もそんな事言ってないだろう!?」

 

 謂れなき中傷に抗議するギーシュの背中にボルトは続ける。

 

「それに……『お前に勝て』と言われたんでな」

 

 野次を飛ばした連中に怒鳴っていたギーシュは口を閉ざし、振り返る。

 

「言われた? ルイズにかい?」

 

「ああ」

 

「やれやれ、彼女も随分酷な事を言うねぇ」

 

 これ見よがしに溜め息をつき、首を左右に振る。

 

「ならば僕が、今以上にはっきりと『平民()』と『貴族()』の力の差という物を示してあげよう」

 

 大仰な咳払いの後、ギーシュは両手を広げ教師のように語り始める。

 

「さて、今この広場には僕の『ワルキューレ』は4体存在する」

 

 ――盾を持つ2体。

 ――先程まで長槍を持ち、現在ボルトを捕えている2体。

 

「とは言え、実質戦っていたのは2体だけ。 しかし――」

 

 言葉を切り、薔薇を振る。

 2枚の花びらからさらに2体のゴーレムが『錬金』によって新たに造られる。

 手にした武装はレイピアと呼ばれる細身の剣。

 それから薔薇を手に構え、やや時間を費やした後に薔薇を振る。

 落ちた花びらからはやはりゴーレムが現れる。

 

 しかしそのゴーレムは他の物とは若干違った。

 身に纏った騎士甲冑は細かい装飾が散りばめられ、手には同じくレイピア。

 そしてその顔は仮面めいた物ではなく、はっきりと目鼻だちが存在した。

 

「――僕は最大7体の『ワルキューレ』を操る事が出来る。 2体相手に苦戦していた君が勝てる道理が無い」

 

 周囲から『おぉ』と驚きと感嘆の声が漏れる。

 

「嘘……」

 

「これは……」

 

「……予想以上」

 

「ボルトさん……」

 

 余りの戦力の差にルイズ達は呆然とする。

 そんな彼女達を横目で見た後、また別の所に視線を移す。

 

「……それに今の僕には『ワルキューレ(女神)』が付いているからね。 負けるなんて事は有り得ない」

 

 その視線の先に1人の女生徒が居た。

 昼食の騒動の時にギーシュに詰め寄った2人目の少女、『モンモランシー』だった。

 よく見れば最後のゴーレムは彼女を模して造られた事が分かる。

 『ワルキューレ』のモデルとされた所為かギーシュの台詞の所為か。

 ギーシュから顔を背けてはいるが、その頬は赤く染まっている。

 

 

 

「――さて、これだけの力の差を見せ付けられて君はどうする?」

 

 そんな彼女を見て微笑み、改めてボルトに向き直りギーシュは問い質す。

 

「俺の答えは変わらない。 ――『お前に勝つ』つもりだ」

 

「……忠実な事は使い魔の鑑だが、これ以上は『言葉』ではなく『痛み』で理解してもらう事になるよ?」

 

 レイピアを手にした1体のゴーレムがゆっくりと構える。

 

「ちょっと待って!」

 

 ギーシュの言葉に、ルイズは堪らず声を張り上げる。

 観衆の輪から抜け出し、2人に近付く。

 

「もういいでしょ、ギーシュ! これ以上やる必要は無いじゃない!」

 

「僕もそう思ったからこその先の提案だったんだが、君の使い魔が頑固でね」

 

「あんたもよ! ……さっきはついあんな事言っちゃったけど、平民は貴族には勝てないんだから負けても恥にはならないわ!」

 

「……」

 

「わたしが何とかして謝罪だけにさせるから! これ以上は軽い怪我程度じゃすまないわよ!?」

 

「……」

 

 ギーシュに抗議した後、ルイズはボルトを必死に説得するが当の本人は無言のまま。

 遂には怒りを露わにして怒鳴ってしまう。

 

「いい加減にしなさいよっ! 一体何が気に入らないのよ!?」

 

 この言葉にボルトはやや俯いていた顔を上げる。

 

「……お前達が勝手に『俺の負け』と決め付けている事……だ」

 

「……へ?」

 

「何ぃ!?」

 

 呆気に取られるルイズと表情を歪ませるギーシュ。

 未だ拘束されている状態でありながらボルトは口元に薄く笑みを浮かべながら続ける。

 

「確かに今この状況は俺には不利。 ――だがそれだけだ。 有利不利なんて物はどんな時でも、些細な事で容易に覆える。 勝敗は決まるその寸前まで不可測だと思え。 そして――」

 

 

 

「――『受けた依頼は遂行する』。 それが『冒険屋』だ」

 

 

 

 先程までの笑みは無く、普段の淡々とした口調ではなかった。

 その言葉に込められた自信・意志・決意。

 そんな目に見えぬ何かに気圧されたようにギーシュは思わず後ずさる。

 ルイズも圧倒され言葉が出ない。

 

「……な、何が『ボウケンヤ』だ、訳の分からない事を! そんな格好で反撃できるならやってみろ! 『ワルキューレ』っ!」

 

「待っ……!」

 

 知らず後退していた足を無理矢理前に出し、ギーシュはゴーレムに攻撃の命令を出す。

 ルイズが止めようとした時には既にゴーレムは走り出していた。

 ボルトの言動に熱くなっていたギーシュだったが冷静な判断は出来ていたようで、その突き出された切先はボルトの左肩を狙っていた。

 

 ここで今まで土中に没していたボルトの左足が一気に跳ね上がる。

 土を蹴り上げながらその足が狙うのは迫り来るレイピア。

 しかし、土中に埋まっていて勢いが殺されたのか両肩を押さえられての無理な体勢だった所為か。

 その蹴りはレイピアを蹴り飛ばすには至らず、その軌道を僅かにずらしただけだった。

 

 そしてそのずれた軌道上にはボルト自身の首があった。

 

「ボルトォーっ!」

 

 ルイズの悲鳴染みた呼び掛けが広場に響く。

 そして次に響いたのは――

 

 

 

 

 

 『レイピアが首を貫く音』。

 『その傷口から血が吹き出る音』。

 『苦痛を訴える声に成らない叫び声』。

 

 

 

 

 

 ――ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ――ガギリ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 硬質な物体同士が擦れ合う――そんな音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……はぁ……?』

 

 広場に集まった者全員が目の前の現状を理解できず、例外無く目を見開き呆然としていた。

 呆れる余りに、開いたままの口に気付いてない者も多数居る。

 

 ルイズも今自分に見えている光景が信じられず、両手で両瞼を無理矢理閉じ何度も擦った後、再び目を開く。

 

「……嘘……」

 

 しかし、やはり何ら変わりない光景にそんな呟きが漏れ出る。

 ボルトの両肩を押さえ付ける2体のゴーレム。

 ボルトにレイピアを突き付けるゴーレム。

 

 

 

 ――そして突き込まれたレイピアの切先を『噛んで咥える事で受け止めている』ボルトの姿だった。

 

 

 

 ――このボルト・クランクという男。

 『近距離から己に向けて撃たれた銃の弾丸』を同じように止めた事が有る。

 それどころか、『遠距離から他人を狙って撃たれた銃の()()()()()()()()()()弾丸を咥え取る』という曲芸のような神業すらやってのけている。

 万全な体勢でなかったとはいえ、切先を止めるくらい造作も無かった事だろう。

 

 

 

「ワ、『ワルキューレ』!」

 

 周囲の生徒達に先んじて我に返ったのは、他ならぬギーシュだった。

 慌てて咥えられたレイピアをゴーレムに引かせる。

 

 ゴーレムを運用する利点の1つに『力仕事』が有る。

 魔法によって造られたゴーレムは当然の事だが人間とは違う。

 例え人間と同じ大きさ・体格に造られても、その膂力は比較にならない。

 重い荷物を軽々と運べるし、巨大な武器を振り回す事だって可能だ。

 

 ……そんなゴーレムが全力で引くレイピアがびくともしない。

 混乱する頭で『引いて駄目なら押してみよ』という名文句に思い至り、今度は全力で押し込ませる。

 『口に咥えた状態』から突き入れてレイピアが動いた場合、先程は『冷静な判断』が回避させた惨劇が起ってしまうのだが、この時ギーシュにはそんな余裕は無かった。

 しかしあたかも物語にある『王を選定する岩に刺さった剣』のように、それでもレイピアが動く事はなかった。

 

「……ど、どうして……」

 

 額に脂汗を滲ませながら、荒い呼吸を繰り返す。

 

 そんなギーシュの目の前で、突如レイピアを持ったままのゴーレムが右に傾いていく。

 慌てて体勢を戻そうと制御するが、今度は左に大きく傾く。

 どんなに制御してもゴーレムの動きは止まらず、徐々に動きが大きくなっていった。

 そしてゴーレムが倒れぬようにたたらを踏み始めた頃にギーシュは理解した。

 

 ゴーレムは勝手に動いていたのではない。

 『動かされていた』のだと。

 原因は当然ボルトである。

 レイピアを咥えたまま顔を左右に振る事でゴーレムのバランスを狂わせていたのだ。

 

 そしてボルトが左に顔を振り、遂に体勢が大きく崩れたそこへボルトの左腕を掴んでいたゴーレムがぶつけられた。

 どうやら焦る余りに、ボルトを拘束していたゴーレムへのギーシュの制御が疎かになっていたようだ。

 その手からレイピアが抜け落ち、2体は重なったまま地面を転がる。

 左半身が開放されたボルトは残るゴーレムを掴まれたままの右腕で体勢を崩し、透かさずその右側頭部に左の回し蹴りを叩き込む。

 同じく制御が十分でなかったゴーレムはあっさりと倒れてしまう。

 

 そうして体の自由を取り戻したボルトは、ゆらりと完全に立ち上がる。

 肩を片方ずつゆっくりと2、3度回し、ギーシュと対峙する。

 

 

 

 

 

「――はへ……はんへひはいひは」

 

 ――口にレイピアを咥えたまま。

 

 

 

 

 

「……何言ってるか分かんないわよ……」

 

 呆然としつつも、ルイズはなんとかそれだけは言う事が出来た。

 

 

 

 

 

   ――『――さて……反撃開始だ』――

 

 

 

 

 

 

 

 

 




昨年1月から投稿を始め、はや1年。
『投稿が遅い』かつ『展開が遅い』というこんな作品を読んでいただき、ありがとうございます。

今回は人生初の戦闘描写でした。
これで良かったのか、大変不安です……
次回で『決着』予定。
頭の中の大体の構想・流れを言葉として、文章として、すんなり表現する事が出来れば良いんですが。

昨年末何気無く寄ったアニ●イトで『EAT-MAN THE MAIN DISH』の1巻を発見して即購入!
いや~やっぱり面白い!かっこいい!
さり気無くマーカス達が登場してたのが嬉しかったです。

次回投稿は今月中……は無理そうなので、来月中……に出来たら良いなぁ……

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。


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ACT-15 決着

……お久し振りです。
前回の投稿から2ヵ月も過ぎてしまいました。
そろそろタグに『月1詐欺』と加えようかと半分本気で考えています……
忙しかった事もありますが、戦闘描写が難しい……
大体の流れは想像してたんですが、途中の展開を何度も修正・変更しました。
そうしてなんとかやっと完成した『決着編』です!


 

 

 ――大道芸に『剣を飲み込む』という芸が存在する。

 

 一説には、その起源は数千年前のインドにあるという。

 読んで字の如く、剣の刃部分を口から挿し込み体内に収めるという物である。

 中には刃部分が引っ込んだり短くなったり等の仕掛けがある剣を使用して『飲み込んでいるように見せている』者もいる。

 

 ――だが、そうでない場合。

 その剣先は実際に口と食道を通過し、胃にすら到達する事もある。

 これには訓練が必要で、素人が軽い気持ちでやれる事ではないしやってはいけない。

 失敗すれば体内を傷付けるだけでなく、食道や胃に穴が開く事すらあるのだ。

 

 そもそもまず『咽頭反射』が壁となる。

 これが一体何なのかと疑問に思った人は口を大きく開け、指先を自分ののど奥に突っ込んでみよう!

 人差し指と中指の2本一緒にがオススメ。

 

 …

 

 ……

 

 ………

 

 ――思わず「オェッ」となったそれが『咽頭反射』である。

 これは気管に異物が入らないようにする人体としては必要な、そして正常な反応だ。

 

 これを日常的に何度も何度も繰り返し、数ヶ月時には数年掛けてこの『咽頭反射』を鈍化させる。

 その後編み針等のような細く短い物を飲み込み、プラスチック・チューブ等のような太く長い物に徐々に変えていき、少しずつ食道の拡張を行う。

 同時に通常は自分でコントロールできない上部食道括約筋の弛緩を自らの意思で行えるようにする。

 これは剣を通す為に必要な訓練なのだ。

 

 他にも食道と胃との境界部分の角度、胃の形状の理解とコントロールも必要となっている。

 とても一朝一夕で出来る『(わざ)』ではないのである。

 

 ちなみに『Sword Swallowers Association International(国際剣呑み師協会?)』という団体が存在し、ここに所属する為には『長さ38cm・幅2cm』の剣を飲み込める事が必須条件となっている。

 さらに余談だが、ギネス記録によると2010年2月8日にオーストラリアの大道芸人が『長さ50.8cm・幅1.3cmの剣』を『同時に18本』飲み込む事に成功している。

 

 

 

 

 

 『――Francis Battalia フランシス・バタリア――

  

  17世紀のイタリアに生まれる。

  生まれた時、その右手と左手にひとつずつ石を持っていた。

  母親からの母乳を飲まず、石を食べて育つ。

  成長してからも彼は毎日4リットルの石を、ビールを飲みながら食べた。』

 

 “THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS ―ワンダフル・キャラクターズ―”

  Henry Wilson & James Caulfield 1821 London

  (一部抜粋・要約)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ACT-15 決着

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今広場は静寂に包まれていた。

 しかしまったくの無音だった訳ではない。

 

 ……閉じ忘れた口から微かに漏れる声。

 ……干からびていく喉を唾液で濡らす音。

 ……絶句する余り、言葉の代わりに途切れ途切れに零れる呼吸。

 

 それにその静寂故に響くのは――

 

 

 

 

 

 ――『噛み折る音』。

 ――『噛み砕く音』。

 ――『飲み下す音』。

 

 

 

 

 

 その男はただ1人で、その場に居る全員の注目を集めていた。

 しかし男――ボルトはその事に緊張するでもなく、喜ぶでもなく。

 ……いや、もしかしたらその事に気付いてすらいないかもしれない。

 今彼の視界に映るのは、時折囀りながら鳥が横切る青い空と、暖かい春の日差しを遮る事無くゆっくりと流れ行く白い雲と。

 

 

 

 そして徐々に己の口へと消えていく、ブロンズ製のレイピアだけだろうから――

 

 

 

「……何言ってるか分かんないわよ……」 

 

 呆然としているルイズにそう言われたボルトは、おもむろに空を仰ぐ。

 ……レイピアを口に咥えたまま。

 

 真上を向いたボルトの口から垂直にそびえるレイピア。

 

(何だ?)

(これからどうする?)

(何をする気だ?)

 

 そんな思いで皆2メイル近い長身のボルトと、さらに上のレイピアに興味津々の視線を向ける。

 

 

     

  

 

   ――バキン。

 

 

 

 

 

 何かが折れるような音が広場に響いたのはそんな時だった。

 

「……?」

 

 誰も何の音か分からなかった。

 周囲の人間と顔を見合わせ首を傾げる。

 そして音の発生源であろう方へ――ボルトの方へ向き直る。

 

 

 

 

 

   ボリ

     ゴリ

 

        ――ゴクリ

 

 

 

 

 

 咥えられたレイピアが僅かだがボルトの口へ沈む。

 そして再び折れるような音が、砕くような音が繰り返される。

 

 

 

「……食っ……てる……?」

 

 

 

 ポツリと誰かが、そうとしか思えない目の前の光景の説明を口にする。

 

 そもそも『朝食時の騒動』が起こったのはテーブルの端付近だった為に、知る者は然程多くはなかった。

 そして『昼食時』は厨房での事だったので、マルトーを始めコック達やメイド達しか知らない。

 故に広場のそのほとんどの生徒達が、今初めて目にするボルトの奇行であった。

 

 ルイズにシエスタ、キュルケやタバサにとっては既知の事実だ。

 驚きは無い……と言えば嘘になるだろう。

 だが既に事実として認識していた分だけ精神的な余裕が存在している。

 

 徐々にボルトの口の中に消えていく剣を見ていると、ルイズには子供の頃の記憶が蘇る。

 

 

 

 ――それはまだ彼女が幼かったある時。

 ヴァリエール領内で催された祭り。

 領内視察と称して珍しく家族で出掛けたとある日。

 春の訪れを喜ぶ祭りだったかそれとも秋の収穫を祝う祭りだったか、記憶に無い。

 

 憶えているのは広場で様々な大道芸を披露する芸人達。

 馬の曲乗り、ハシゴや積み上げた椅子の上で行うバランス芸、ボールや棍棒(クラブ)のジャグリング、ナイフ投げに剣呑み……

 『魔法』なんて物を一切使用しない、修練の果てに身に付けた人としての純粋な『(わざ)』。

 周囲の観客を始め、いつも厳しい公爵夫妻も普段の相好を崩し楽しんでいた。

 時におどけて時に笑いながらの彼らのその芸に、日々の弛まぬ研鑚の跡が見えたからだ。

 

 しかし幼いルイズは、単純に自分も同じ事が出来れば両親は喜んでくれるのではと思った。 

 その日の食事時、手にしたナイフを見詰め思案する。

 目にした大道芸の中で、最近始めたがなかなかうまくいかない魔法の訓練よりも、特に簡単そうに思えたのが――『剣呑み』。

 彼らがしていたように、ルイズも上を向き持っていたナイフを口へと運ぶ。

 

 ――が、そんな事を彼女の家族が許す筈が無く。

 

 父親から怒鳴られながらナイフを取り上げられ。

 母親から叱られながら頭を叩かれ。

 長姉から頬をつねられながら馬鹿にされ。

 次姉から抱きしめられながら慰められ。

 

 ……幼かったとは言え、苦い記憶である。

 

 

 

「うぅ……」

「……ぉぇ」

「げほっ!」

 

 そんな考え事をしている内に何人かの生徒達が口や胸に手を当てて、うずくまったり校舎へ走っていったりと騒がしくなる。

 

(……やっぱり初めて目にする人間にはちょっと厳しいわよね、アレは……)

 

 既に半分以上食べ終わっているボルトに目を向ける。

 余りの光景に、対峙しているギーシュも唖然として攻撃する事すら忘れている。

 

(本当に何者なのかしら、お皿とか剣を食べるなんて……しかも舌とかも怪我してなかったし)

 

 朝食の後教室へ向かう途中、舌を見せるボルトの姿を思い出す。

 その時不意にボルトの言葉も思い出してしまう。

 

「――っ!」

 

 その瞬間ルイズの顔から一気に血の気が引き、足から力が抜ける。

 左手は口を覆うように押さえていた為、無意識に横にあった物を右手で掴み体を支える。

 

「ちょっとルイズ、服を引っ張らな――どうしたのよルイズ! 顔が真っ青よっ!?」

 

「ミス・ヴァリエール、大丈夫ですか!?」

 

 ルイズの異変に気付いた両側のキュルケとシエスタが声を掛ける。

 

(――気にするな、思うな、考えるな!)

 

 俯いたままで瞼を力一杯閉じ、必死に『ある事』を頭から追い出そうとする。

 しかしそれが逆効果となってしまい、余計に頭から離れない。

 

 

 

   ――他のはどうなんだ? 『嗅覚』とか『触覚』とか……――

 

 

 

 額から一筋の汗が流れる。

 それを口を押さえていた左手の指で受け止め、恐る恐る口へと運ぶ。

 

 

 

   ――『味覚』とかだ――

 

 

 

 微かにだが、塩分が感じられる……だけだった。

 いつも通りだ、未知の味なんて感じられない。

 

 そう未知の味、例えば――『青銅』の味……とか。

 

 以前ボルトに話したように、使い魔との『味覚の共有』などルイズは聞いた事が無い。

 ――しかし『それなら安心』という訳にはいかない。

 何しろ彼女の使い魔は『人間』、色々な意味で他の使い魔とは一線を画するのだ。

 少なくとも控えめに考えても『学院史上初』なのは間違いない。

 他の使い魔では大丈夫だったから、同じように大丈夫などと考えるのは楽観的過ぎるだろう。

 

 だが今回に限ってだが、それは杞憂だったようだ。

 あれだけ否定しようとして逆に意識してしまったのに、結局ボルトの味覚と『繋がる』事はなかったからだ。 

 

 体中の力と緊張を吐き出すかのような、大きな大きな安堵の溜め息。

 そして口元の左手と、キュルケの服を掴んでいた右手を胸元で組む。

 

(――あぁ……偉大なる始祖ブリミルよ、『使い魔との味覚の共有』なんてモノを我らにお与えにならなかった、貴女のその素晴らしい英知に心より感謝致します!)

 

 感謝の祈りを心の中で10回程繰り返す。 

 

「……ちょっとルイズ、貴女本当に大丈夫なの?」

 

 つい先程まで真っ青な顔で膝から崩れ落ちそうだったルイズが、今度は一心不乱に祈りだしたのだ。

 事あるごとにルイズをからかうキュルケであっても、思わず心配してしまった。

 

「もう大丈夫よ。 そうね、強いて言うなら……これから先の生涯で味わうだろう食事やティータイムが、これまで同様に楽しめる事に感謝してたのよ」 

 

 ルイズのその言葉に安心しつつも、要領を得ない返答に小首を傾げるキュルケとシエスタだった。

 

 

 

 さて、通常レイピアには『ハンドガード』もしくは『ナックルガード』と呼ばれる部位が存在する。

 これは柄尻から鍔元にかけて複雑な曲線を描きながらも、格子状に組まれている物だ。

 その名の通り持ち手を守る為の物だが、使い方次第ではこの部分で敵の剣を絡め取る事も可能だ。

 だが熟練の腕を要する上に、相手が同じレイピアだった時のみ。

 普通の剣による衝撃にはとても耐えられない。

 

 ギーシュが『ワルキューレ』と共に『錬金』で造り出したレイピアにも『ハンドガード』は備わっている。

 7体目のモンモランシーに似せた『ワルキューレ』のそれは、細やかなで細工で薔薇の花を模した物だった。

 他の2体にも華美な装飾ではないものの、やはり青銅製の物が付いていた。

 例え青銅であっても金属である事に間違いはない。

 剣による衝撃は防げないが、人の力だけでどうこう出来る物ではない。

 

 ――筈だった。

 

 刃部分を食べ尽くしたボルトが、『ハンドガード』部分でその動きを止める。

 その格子部分の幅はボルトの口よりも大きかった。

 

「……」

 

 上を向いたままの状態で右手の人差し指を柄尻に当て、ゆっくりと押し込んでいく。

 当然『ハンドガード』部分が口に引っ掛かり、それ以上入らない。

 しかしボルトが口に入っている部分を噛むと、ぐにゃりとまるで飴細工のように変形してしまった。

 そしてゆっくりと少しずつ『ハンドガード』部分を、口に入る大きさにして柄ごと食べていく。

 そこだけで刃部分以上の時間を掛けて、遂にはレイピアが完全に腹の中に収まってしまった。

 右手を下ろし、上に反らしていた顔をゆっくりと元に戻す。

 

「――さて」

 

 首を2度3度左右に傾け強張りを直す。

 

 

 

「……反撃開始だ」

 

 

 

 そう口にすると、ギーシュに向かって走り出す。

 途中に立っていたレイピアを持ったゴーレムを、擦れ違いざまに右拳を内から外へと横薙ぎに振るい殴り飛ばした。

 拳の外側、小指部分から手首までの部分で打つ『拳槌(けんつい)』と呼ばれる打ち方。

 これなら多少硬い物を叩いてもそれ程痛みは無い。

 ……決闘開幕時に打ち込んだ拳は地味に痛かったようだ。

 

「――はっ!? ちぃっ……!」

 

 その打撃音で我に返ったのか、ギーシュが慌てて盾を構えた2体の『ワルキューレ』を自身の前に並べる。

 

「……」

 

 それを見てもボルトは足を止める所か一気に間合いを詰める。

 そして横蹴りを『ワルキューレ』ごとギーシュを蹴り飛ばすかのような勢いのままで放つ。

 しかし成人男性でも耐えられないような蹴りを、『ワルキューレ』は構えた盾で受け止める。

 ゴーレムの金属故の重量と受け止める事を前提とした構え、そして何より2体はお互いを支えるように立っていた。

 数歩分後退はしたが、それでもボルトの蹴りの衝撃を完全に止める事に成功する。

 その一瞬を見逃さず2体の陰から最後の『ワルキューレ』が飛び出し、手にしたレイピアをボルトへ向けて突く。

 ボルトは蹴りを止めた盾を足場にして後方へ跳び、『ワルキューレ』の刺突を避けつつ距離を取る。

 続けて2度3度後方へ跳びながら、ゆっくりと無手のまま右手を上げる。

 

 

 

 ――そして先程の『剣槌』と同じように横薙ぎに振るう。

 

 

 

 刺突を躱されたギーシュが、並べた2体の『ワルキューレ』の間からボルトの様子を窺った時だった。

 

 ――『白い物体』がこちらに飛来するのが見えた。

 

 咄嗟に盾を再び掲げた『ワルキューレ』の後ろに身を隠す。

 盾にその『白い物体』が当たり、砕ける軽い音がする。

 『ワルキューレ』の隙間から見える『白い物体の欠片』を確認すると、どうやらボルトが投げたのは『皿』のようだった。

 

「やれやれ、食堂から皿をくすねてくるとは……『ゼロのルイズ』は使い魔の躾がなってないねぇ」

 

 これ見よがしに皮肉交じりの溜め息をつくギーシュ。

 しかし当の主従はそれぞれに気になる事があり、ギーシュの言葉を欠片ほども聞いてはいなかった。

 

(……あれ……お皿……よねぇ?)

 

 今は大小様々な破片と化して、地に散らばる白い物体を見てルイズは考える。

 否、口にはしないが広場にいる全員が今同じ思いを抱いている。

 それは単純で根本的な疑問。

 

 

 

   ――『……どこから出てきた?』――

 

 

 

 確かにギーシュの言葉通り、あの皿の出所は食堂に違いないだろう。

 だが破片から推測するに、原形は明らかに人の頭部くらいなら簡単に隠せる程の大皿だ。

 どう考えてもコートのポケットに入る代物ではない。

 ボルトが右手を上げた時は間違いなくその手は空だった。

 その右手を振る過程でいつの間にかその手に握られていたのだ。

 

 そしてルイズにはもう1つ気になっている事がある。

 

(……お皿……おさら……オサラ……何か引っ掛かるのよねぇ、何だったかしら?)

 

 思い出したいのに出て来ない……

 そんなもどかしい思いでルイズは首を捻る。

 

 ――正解は2番の『消えた大皿』。

 

 

 

 ボルトもまた考え込んでいた。

 先程の一投その瞬間。

 自分の体に妙な違和感があった。

 不調……ではない。

 寧ろ体が軽く感じられた気がした。

 単なる気のせいかもしれない。

 ――が、突然投げる皿の材質が頭に浮かんだのはどういう訳だろうか。

 

 

 

 自分を無視して考え込む主従に、ギーシュの顔に青筋が浮かぶ。

 

「僕を無視とは良い度胸だ……それならこっちも勝手にさせてもらおう!」

 

 そう小声で呟くと、右手の薔薇を握り締める。

 右手を握っては開くを繰り返していたボルト。

 その背後で僅かに物音がし始める。

 それには気付かず、ボルトは三度空のまま右手を掲げる。

 

「……気のせいかどうか……分からないなら試してみよう」

 

 そして先程と同じように横薙ぎに振るわれる右手。

 放たれる白い『皿』。

 しかし今度は続けざまに右手が動く。

 

 ――体の外側から内側への逆の動き。

 ――左足から右肩への斜め。

 ――右肩から真下へ垂直に。

 

 1枚目に比べるとやや小さく、大きさが異なる複数の『皿』が飛ぶ。

 

 ――水平に或いは垂直に回転しながら。

 ――直線的に或いは曲線を描きながら。

 ――下降或いは上昇しながら。

 

 様々な軌跡でギーシュに襲い掛かる。

 しかしその眼前で『ワルキューレ』が、文字通りその身を盾にして防ぐ。

 今度の皿は始めの皿に比べて確かに小さめではあった。

 だがやはり右手はコートのポケットに入れられてはいないし、いくら小さめであってもコートの袖口よりも皿は大きい。

 今回の一連の攻防を周囲の生徒達は食い入るように見ていたが、やはり皿はいつの間にかボルトの右手から投じられている。

 そしてその為か、その異変に気付くのが遅れた。

 

 ボルトの背後でゆっくりと動く物があった。

 ボルトを拘束していた物達と食われたレイピアの持ち主。

 3体のゴーレムが動きを悟られぬように起き上がり始めていた。

 当然『遅れた』のであって、完全に立ち上がる頃にはほぼ全員が分かっていた。

 

 ――しかし誰も何も口に出さなかった。

 

 それもそうだろう、今この場にいるそのほぼ全員が『ギーシュの勝ち』に賭けていたのだから。

 『賭けに負ける』確率を自ら引き上げる事をする者などいないだろう。

 故に声を上げたのは『ほぼ全員』に含まれない者達。

 

「あぁっ!」

 

「ボルトさん!」

 

「――危ないっ」

 

「後ろよ!」

 

 ゴーレム達がボルトの背後数メイルまで迫った時、遅れて気付いたルイズ達が警告を発する。

 ばれたなら仕方ないと3体のゴーレムが、背を向けたままのボルトへ向かって一斉に駆け出した。

 ボルトは4投目の直後。

 だが慌てる事なく後ろに引いた左足を軸にして、上半身を回転させる。

 そして同時に何かを投げるように右手を振りかぶる。

 当然ながらその右手には何も握られてはいない。

 

 ――しかしその右手が振り抜かれた瞬間、広場に大きな衝突音が響く。

 

 例えるなら、『分厚い木の板に金属製のハンマーを叩きつけた音』。

 音だけ聞いた者はほとんどがそう表現するだろう。

 ところがこの例えは秀逸であると同時に、根本的に間違っている。

 

 逆である。

 

 『木の板に金属がぶつかった音』――ではない。

 『金属に木の板がぶつかった音』なのだ。

 

『………………』

 

 見ていた者は皆絶句している。

 ボルトが振り向きざまゴーレム達に投げつけた物。

 それは確かに木の板だった。

 ただ馬鹿げているのはその大きさ。

 ゴーレム3体の突進をまとめて阻んだその板は――

 

 ――大きさ『縦・約1.5メイル 横・約4メイル』。

 

 もはや『どこにどう隠していた』という話ではない。

 しかしボルトは動きを止めなかった。

 投げた動作で浮いた右足を前に踏み込む。

 その勢いのままその右足を軸に体を回転、左足での後ろ回し蹴り。

 先程と変わらないくらいの音を響かせ、板はゴーレムごと後方へ飛ぶ。

 

 それを見届ける事なくボルトはさらに動く。

 蹴った左足を地面に下ろすと同時に、その左足に重心を移しながら上半身を捻る。

 

「――フッ!」

 

 一際激しい呼気と共に、捻りを開放しながら横薙ぎに右手を振るう。

 やはり一瞬前には影も形も存在しなかった『何か』が、ギーシュに向かって回転しながら飛んで行く。

 今までと違いその『何か』は大きく重量もあるようで、飛んで来る速度が皿よりも遅かった。

 故にギーシュはその軌跡を自身の目で確認し、迎撃の態勢を整える事が出来た。

 

「――そんな馬鹿のひとつ覚えがいつまでも通用すると思うなぁっ!」

 

 皿と同じように水平方向に回転しながら飛来する『何か』。

 2体の『ワルキューレ』が背にギーシュを庇いながら、手にしたロングソードを大上段から『何か』に同時に叩き付ける。

 

 

 

 ――無数のガラスが一斉に砕ける音が、広場にいる全員の鼓膜に突き刺さる。

 

 

 

「な、何だとぉ!?」

 

 『ワルキューレ』の間から飛散する破片に、背けた顔を腕で庇う。

 腕の陰から『ワルキューレ』が破壊した『何か』を確認する。

 

「――窓……?」

 

 ガラス部分が割れて飛び散り、殆ど枠組み部分しか残っていないがそれは確かに窓だった。

 何の変哲も無い見慣れた窓。

 ギーシュの記憶が確かなら、それは教室の窓ではなかったか?

 そういえば『ワルキューレ』にぶつけられ、今も『ワルキューレ』の上に乗ったままのボルトの靴跡がくっきりと残るあの『板』。

 ……あれもどこの教室にもある『黒板』ではないか?

 

 

 

 ガラスを踏み砕く音。

 

 

 

 気付けば『ワルキューレ』の前には既にボルトが立っていた。

 

「馬鹿な!? 速過ぎる!」

 

 細身とはいえボルトは2メイル近い長身、それなりの体重がある。

 今までの動きを見ていたギーシュにとって、それを感じさせないこの瞬時の接近は異常だった。

 

 周囲の生徒達はおろか、近距離のギーシュですら気付かないであろう事だが。

 ボルトの右手、その人差し指と中指の間。

 

 ――そこには『刃部分のみ』のナイフが太陽光を反射して輝いていた。

 

「ちぃ……!」

 

 慌てて間合いを開こうと、舌打ちと共に後方へ跳ぶ。

 その間にボルトの右手がナイフの反射光を纏いながら2度閃く。

 制御が間に合わなかった2体のゴーレムの頭部が、首部分を断たれ地に転がる。

 

 人型であってもゴーレムはゴーレム。

 例え足が折れようが腕が千切れようが、痛みを感じぬゴーレムは戦い続ける事が可能だ。

 ――術者が万全ならば。

 人の形をした物が首を落とされる。

 それがゴーレムと理解していても、その衝撃的な光景はギーシュを少なからず動揺させた。

 そんな自分の失策に気付いた時には、既にボルトは動かなかった2体の間を駆け抜けていた。

 歯噛みしながら再び距離を離そうとするギーシュと、追いすがるボルトとの間に影が割り込む。

 ギーシュが級友を模して造った最後の『ワルキューレ』。

 飛び込んだ勢いのまま、ボルトに向かって手にしたレイピアを突き出す。

 対するボルトはその切先を、指に挟んだ刃で円を描くようにして逸らし跳ね上げる。

 小さく澄んだ音を立て、レイピアの刃がその中ほどから斬られ宙を舞う。

 

 そして遂にギーシュに追い付いたボルトが、その右手を振るう。

 

「――ぅ……うわぁーーーっ!」

 

 ――速さが違う。

 ――リーチが違う。

 ――武器が違う。

 

 悪足掻きだ手遅れだと理解していても、無我夢中でギーシュは手にした造花をただ愚直に突き出す。

 

 

 

 

 

 回転しながら宙を舞っていた刃が落下し、軽い音を立てながら地面に突き刺さった時。

 広場にはギーシュの首筋に刃を当てたボルトと、ボルトの鼻先に薔薇を突き付けるギーシュの姿があった。

 

 

 

 

 

「――こ、これは……」

「……相打ち?」

「じゃあ……『引き分け』……?」

 

 静まり返った広場のあちこちで囁く声が上がる。

 

(相打ち? 引き分け? まったく……どこを見て言ってるんだ?)

 

 その言葉を耳にしたギーシュは自嘲する。

 例えばギーシュが手にしている物が剣だったならばそう言えない事もないだろう。

 だが現実は薔薇の造花。

 しかも魔法を使おうとするなら詠唱が必要となる。

 そんな悠長な事をしている間に、ボルトは刃を押し込むか滑らせるだろう。

 

 

 

   ――勝敗は決まるその寸前まで不可測だと思え――

 

 

 

 目の前の男は、敗北必至の追い詰められた状態でそう公言した。

 そして現実に今度は自分が追い詰められている。

 ……ならば自分には同じ事が可能なのか?

 

(……いや、無理だな)

 

 この状況を打開できる策も無ければ術も無い。

 正に『詰み(Checkmate)』だ。

 

(そうだ……例えばこれがチェスならば、僕にはやらなければならない事がある!)

 

 相手に『詰み(Checkmate)』を掛けられた時。

 自身の負けを悟り、これ以上の戦いは相手に迷惑を掛けてしまうという考え方。

 そんな時はこう宣言する事が一般的だ。

 

 ギーシュは薔薇から手を離し、両の手を広げたままゆっくりと上げる。

 

「……『投了(Resign)』。 僕の負けだ」

 

 その言葉を聞いて、ボルトは口元に僅かに笑みを浮かべながらゆっくりとギーシュの首筋からナイフを離す。

 離されていくナイフを目で追って気付いたが、当てられていたのは切れる筈のない背の方だったようだ。

 それを確認した途端、ギーシュは安堵の溜め息と共に腰が抜けたようにその場にへたり込んだ。

 

 これ以上ないというくらいはっきりと示された勝者と敗者の構図。

 そしてそれは勝者が『平民(ボルト)』であり敗者が『貴族(ギーシュ)』という、誰も想像だにしなかった結果だった。

 

 

 

 

 

 ――少し離れた校舎の窓を震わす程の、この日最大の喚声が決闘の決着を告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




――以下蛇足という名の補足。

 ・冒頭の『Sword Swallowers Association International』という団体は実在します。
  ただ自分はHPを確認しただけですが、加入条件も上記の通りみたいです。
 ・ギネス記録も存在します。
 ・『THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS』という本も実在します。
  これもネットで確認しただけですが、他にも大勢の変わった人を紹介しています。
  フランシス・バタリアを含め、その人達が本当に実在したかは不明ですが。
  しかし少なくともフランシス・バタリアは芸人のような仕事をしていたらしく、彼を紹介する当時のチラシが現存しているそうです。



以上『決着編』でした!
読んでいただいて少しでも満足できる作品に出来ていれば良いのですが……

次回以降は少し短めの投稿が続くかもしれません。
まずは来月中に出来ればと。
……いつもの如く『月1詐欺』にならないようにします。

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。


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ACT-16 謝罪と考察

……前回投稿から1ヶ月半、相変わらずの『月1詐欺』です。
皆さんゴールデンウィークはいかがお過ごしだったでしょうか?
自分はカレンダー通りでした。



――『日付が何日だろうと、その日が月曜~金曜ならば仕事』。

……カレンダー通りです。


 

 

 

 ――広場に響く喚声。

 

 その中で『歓声』と言えるのはたった1人から発せられた物だけだった。

 

「やったぁーーー!」

 

 体全体で喜びを表すかのように、喜色満面で両手を高々と上げ飛び上がる。

 そして隣にいたルイズの手を取り、何度も何度も跳び跳ねる。

 

「やった、やりました! ボルトさんが勝ちました~っ!」

 

「ちょ、ちょっとシエスタ! 痛いってば……」

 

 ルイズの身長が153サント。

 シエスタの身長は162サント。

 あまり違いがないのだが、『杖より重い物は持たない』と言われる貴族と『貴族の世話から掃除に洗濯に厨房の手伝い』等々学園の雑事を担うメイド。

 その体力・腕力の差は歴然としている。

 

 

 

「それから……ナントナクムカツクカラヤメテモラエナイカシラ?」

 

 

 

 ルイズが虚ろな目をしながら呟く。

 その視線の先にはシエスタの動きと重力の作用によって、『揺れる』というか『弾む』というか、そんな風に表現される彼女には無い『ナニカ』があった。

 否、正確に表現すれば人体構造上は、ルイズにもその同じ『ナニカ』は存在している。

 ただ、その大きさ故に物理的に『揺れる』・『弾む』事が不可能なのだ。

 

「――あぁっ! 申し訳ございません、ミス・ヴァリエール! ついはしゃいでしまって失礼な事を……!」

 

 自分がルイズ(貴族)の手を握っているという事を理解して、慌てて手を離し頭を下げて謝罪する。

 ルイズに咎められたのはそれが原因と誤解したからだ。

 

 そんなシエスタを見てルイズは軽く溜め息。

 先程のシエスタの行動は、平民が貴族に対する礼儀としては褒められる事ではない。

 だがそれだけボルトの身を案じていたという事であり、それだけボルトの勝利を喜んでいるという事だ。

 たまに似たような事をして『ナニカ』を見せつけるキュルケと違って、シエスタには悪意など微塵も無い。

 それが分かっているのでルイズは怒るに怒れない。

 

 そんなシエスタとはルイズを挟んだ反対側。

 赤い髪の少女と青い髪の少女。

 彼女達はギーシュが『投了(Resign)』を宣言した瞬間、同時に無言で力強く拳を握った。

 そして互いに横目で視線を交わし、そっと拳同士を打ちつける。

 

 

 

 ――まるで祝杯をあげるかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ACT-16 謝罪と考察

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(――負けた……)

 

 地面にへたり込んだまま、ギーシュは呆然としていた。

 負ける気など毛頭無かった。

 ましてや自分から負けを認める事になるとは予想だにしなかった。

 圧倒的実力差で自分を下したボルトは、先程と変わらぬ場所に立っていた。

 そして右手の指で挟んでいた刃のみのナイフを口へと運ぶ。

 

 

 

 ――ガキリ。

 

 ――メキリ。

 

 

 

 レイピアの時とは違って、右手の指で少しずつ口へと押し込みながら高く硬質な音を立てて咀嚼していく。

 そんな相変わらずのボルトの奇行をぼんやりと目にしながらギーシュはふと思う。

 

 『――自分はどうなるんだろう?』

 

 血の気が一気に引くのが自分でもはっきり分かった。

 興奮から冷めた頭で思い出してみると――八つ当たりに言い掛かり、侮辱と暴言、誹謗に中傷……

 場末の酒場の安酒で悪酔いしたというならさも有りなん。

 しかしここはかの高名な『トリステイン魔法学院』。

 昼食に出されたワインは最高級とは言えないまでも、平民が気軽に手を出せるような代物でもない。

 

 そして何よりギーシュを最も怯えさせた要因は、拘束したボルトへの刺突を止められたその後の行動。

 『引いて駄目なら押してみよ』とばかりに押し込ませたアレだ。

 あの時は混乱していたが今考えると、結果的には微動だにしなかったが動いていたならば間違い無く致死性の攻撃。

 

(もしかするとあの時の報復が有るのでは……?)

 

 そう恐れる一方。

 

(いや、もしそうならさっきナイフの刃を返す必要は無い筈……!)

 

 自分の考えを否定して気持ちを落ち着かせようとしていた。

 

「……」

 

 そしてふと気付けばいつの間にか食べ終えたボルトが、無言でゆっくりと歩み寄ってきていた。

 

「……あ……あ……」

 

 声にもならない悲鳴を上げながら少しでもボルトから距離を置こうとする。

 しかし腰が抜けたように足に力が入らず立ち上がれない。

 それでも上体を支えていた腕だけで必死に移動するが、長身故の大きな歩幅のボルトがあっさり追い付く。

 傍らに片膝を着き、その右手を無言でギーシュに伸ばす。

 

「……ひぃ……!」

 

 悲鳴を漏らしながら自分の首元に近付くその右手を視界に収め、最後の抵抗とばかりに首を竦めながら強く瞼を閉じた。

 しかし首を握り潰す為と思われた右手が触れる気配は一向に無かった。

 ギーシュが自分の予想とは様子が違う事に、僅かに疑問と安堵を抱き始めた時。

 

 ――乾いた音が聴覚を。

 ――覚えのある香りが嗅覚を刺激した。

 

 恐る恐る瞼を開くと、ボルトの右手はギーシュの眼前にあった。

 その右手の独特な指の形から、先程の乾いた音の正体を悟る。

 

 指を弾く――フィンガースナップとも言われる動作だ。

 

「『――薔薇は多くの人を楽しませる為に咲く』……お前はそう言ったな?」

 

「……え? あぁ……」

 

 突然のボルトからの問いに、思わず素直に肯定する。

 確かに昼食時に自分が言った言葉だ。

 

「……お前の言動に迷惑を被った者がいる。 心を痛めた者がいる」

 

「……」

 

 ――泣かせた少女と怒らせた少女。

 ギーシュの脳裏に2人の顔が浮かぶ。

 改めて考える必要も無い程に、自分の不義理が原因だ。

 

「……どうする?」

 

 諭すようなその言葉に、さっきまでのボルトへの怯えを欠片も見せず答える。

 

「……誠心誠意謝罪する。 そしてモンモランシーとケティに許しを貰うよ……」

 

「――足りんな」

 

「え……?」

 

 返ってきた予想外な言葉に驚くギーシュに、ボルトは軽く肩越しに自分の背後に視線を送る。

 その視線を辿るギーシュの視界に、メイドの少女とボルトの主が映る。

 

「……あぁ」

 

 ――それもそうだ。

 メイドの少女はただ職務を全うしただけだ。

 否、それ以上の親切心からの行動だったに違いない。

 それに対し自分は怒鳴り散らし、怯えさせてしまった。

 

 そして目の前の男の主であるルイズ。

 今まで数え切れない程『ゼロ』と呼び蔑んだ。

 だが現状はどうだ。

 彼女の使い魔に自分は決闘を申し込み敗北している。

 ――『使い魔』の能力は呼び出した『主』の能力にある程度左右されるという。

 それならば彼女の能力は自分に何ら劣る物ではない。

 むしろ上回るのではないか?

 

 ――そして何より。

 そんなメイドの少女を背に庇い、主の命令に忠実に従いそして遂行する目の前の男。

 彼にも随分馬鹿にした言動を取ったものだ。

 しかしその事について一言も非難を口にしていない。

 

(……色々な意味で勝てないな)

 

 立ち上がって服に付いた砂や草を払い、簡単に身なりを整え深々と頭を下げる。

 

「――彼女達『4人』に謝る前に、まずは貴方に謝りたい……今日僕が貴方に対して行った無礼の数々を許して欲しい……」

 

 ボルトは一瞬驚いた表情を見せるが、口元に笑みを浮かべながら立ち上がる。

 そして頭を下げたままのギーシュの肩に右手を軽く乗せる。

 その瞬間ギーシュは肩を震わせるが、ボルトがそれ以上何もしないと気付き神妙な面持ちでゆっくりと顔を上げる。

 そんなギーシュに向かって突き出されたボルトの右手。 

 それを見て今度こそ息を飲んで、知らず歯を食いしばる。

 しかしその右手は拳を作っておらず、軽く握られているだけだった。

 ボルトの意図が分からず、ボルトの顔と右手をギーシュの視線が何度も往復する。

 やっと何かを差し出されていると見当をつけて、そっと右手を下に構える。

 ボルトの右手が開かれ、何かがギーシュの手の平に落ちて来た。

 ところが上手く収まらずこぼれ落ちそうになり、慌てて左手を添えて受け止める。

 

「おぉっとと……え……?」

 

 己の手中にある物を確認して目を丸くする。

 『それ』は今ここに有る筈の物ではなかった。

 見覚えの有り過ぎる『それ』は、目の前に立つ男の行動で消失しそれ故にこの決闘騒ぎに至った物だ。

 

 ――紫の液体で満たされたガラスの小壜。

 間違い無く自分がモンモランシーから貰った香水だ。

 確認と同時に思い出す。

 つい先程ボルトのフィンガースナップの時に微かに香ったのはこの香水だ。

 改めて小壜を確認するギーシュ。

 

「……あれ?」

 

 小壜の蓋は変わらず封蝋によって固められている。

 蝋の表面には恐らくモンモランシ家の物であろう家紋が押されている。

 ――この2点が意味する事。

 それはこの香水の小壜は自分がもらってから『1度も開封されていない』という事だ。

 

(……どういう事だ? さっきの香りは僕の勘違いだったのか?)

 

 いやそんな筈は無いと即座に考えを否定する。

 

 ――モンモランシーから彼女の手作りの香水を手渡されたあの日。

 蓋をし封蝋を施す前に嗅がせて貰ったあの香り。

 忘れる事も間違えるなんて事もありえない。

 

 香水の小壜が今自分の手中にあるのは、食堂で飲み込んだのはすり替えられた偽物だったとすれば説明がつく。

 しかし封蝋に関してはさっぱり分からない。

 

 ――『封蝋』とは手紙や壜等を封印・密封する為の蝋である。

 この蝋がまだ固まらぬ内に家紋を刻印すればそれは差出人の証明となる。

 また封蝋が施された物を開封しようとすると、封蝋を砕く事は避けられない。。

 つまり封蝋がそのままの手紙は未開封であり、同じく壜であれば中身は手付かずである事の証明に他ならない。

 故に例え1滴だろうと封蝋されたまま小壜から香水を抜き取る事は不可能で、砕けた――しかも他家の家紋を押された封蝋を元通りにする事も不可能だ。

 

 足音に気付いて顔を上げると、ボルトは立ち上がり踵を返して歩いていく。

 

(……さっきの『武器(?)』にしても、結局何も分からないままだな……)

 

 その遠ざかる背中に思わず言葉を口にする。

 

 

 

「貴方は……――『奇術師』――だったのか?」 

 

 

 

 ――何かに蹴躓いたかのように、ボルトの体がよろめいた。

 

 

 

 

 

 ――本塔の最上階に位置する学院長室。

 2人の男が大きく息を吐く。

 『物見の鏡』を使いボルトとギーシュの決闘を見届けたオスマンとコルベールだ。

 

「オールド・オスマン……」

 

「うむ」

 

「『使い魔』の彼が勝ちました……」

 

「うむ」

 

「……あの動き、やはり戦い慣れた者の動きでした」

 

「うむ……時にミスタ・コルベール。 お主には見えたかの?」

 

 髭を撫でながら、オスマンが傍らのコルベールに尋ねる。

 

「彼の攻撃に使用した武器――どこからか取り出したようには見えませんでしたし在り得ません。 ……私には突然空中に現れたように見えました」

 

 問われたコルベールが眉を寄せながら答える。

 

「あれこそが『ガンダールヴ』の力なのでは!?」

 

 身を乗り出しやや興奮気味にオスマンに力説する。

 しかし対照的にオスマンは、椅子に背を預けながら冷静に話を続ける。

 

「……ふむ、確かにその可能性もある。 しかし仮にあれが伝説の使い魔『ガンダールヴ』の力だったとしよう」

 

 体を起こし、組んだ両手を机に置きそこに顎を乗せる。

 

「例え戦い慣れた者だとしても『ガンダールヴ』となってまだ1日足らず。 あそこまで使いこなす事が果たして可能なのかのぅ?」

 

「……そういえば」

 

 決闘中に1度考え込んでいるように見えたが、その後はそれまで以上に軽快な動きだった。

 突然の力に驚いてはいたが戸惑ってはいない……そんな感じだった。

 

「……ではあの武器は一体……」

 

「……『ガンダールヴ』の力か、それとも彼の力か……わしにも分からん」

 

 ――しばし学院長室を沈黙が満たす。

 

「ところでこの事は王宮に報告は……」

 

「……ま、必要ないじゃろ」

 

 気の抜けた声で小指で耳の穴を掻きながらと、さっきまでの威厳はどこへやら。。

 

「そんな! 伝説の再来ですよ!?」

 

「――本当に彼が『ガンダールヴ』ならじゃがのぅ……」

 

 詰め寄るコルベールを落ち着いたまま片手で制する。

 

「今の所確たる証拠は彼の左手のルーンだけ。 そんな事王宮に報告したとしても、一笑に付されるのがオチじゃ」

 

 そう言いながら小指の爪に付着した物を、弾いて飛ばす。

 そんな光景を不満気に見ていたコルベール。

 だが次にコルベールを見るオスマンの目は真剣みを帯びていた。

 

「――時にミスタ・コルベール。 彼の主であるミス・ヴァリエールという生徒は貪欲に地位や権力を欲する娘かの?」

 

 何の脈絡も無いように思える問い掛けに、しかしコルベールは即答する。

 

「そんな事はありません。 『ヴァリエール家』の者として、その名に恥じぬよう魔法に勉学にと常に努力しているように見受けられます」 

 

 その答えに相好を崩しながらオスマンは何度も満足げに頷く。

 

「――もし報告を聞いた王宮の連中が興味を持ってしまったら……良くて適当な地位と口実を与えられ主従揃って戦の最前線で駒扱い、最悪主従共々王立魔法研究所(アカデミー)で実験動物扱い……かのぅ」

 

「……確かに。 否定できません……」

 

 己の浅慮を反省するコルベール。

 目を閉じ静かにオスマンは続ける。

 

「わしの考え過ぎなのかもしれん……だが彼女が平穏を望むのであるならば、火薬庫に火種を放り込むような真似は慎もうと思う」

 

 ゆっくりと開かれた目はそのまま正面のコルベールに向けられる。

 

「――故にこの件は他言無用とする」

 

「はい、異論はございません!」

 

「うむ」

 

 コルベールの返答に満足げに頷くオスマン。

 そしてふと思いたったように机に広げられた『始祖ブリミルの使い魔たち』に目を遣る。

 

「……もしあれが『ガンダールヴ』の力だとすると、この本の記述を多少変更せんといかんのぅ」

 

「変更……ですか。 ではどのように?」

 

「――ふむ」

 

 オスマンは机の上のペンを手に取り手近な紙にサラサラと書き綴る。 

 その紙を手渡されたコルベールは書かれた内容を見て苦笑する。

 

「……成る程、確かにこう表現する方が妥当ですね」

 

 コルベールが手にした紙にはこう記されていた。

 

 

 

 ――『あらゆる物を武器として』使いこなし敵と対峙した。

 

 

 

 皿・黒板・窓。

 今回ボルトが使用した物はどれも武器とは言えない代物だ。

 唯一ナイフがそう言えなくも無いが、それさえも何故か柄は無く刃部分だけ。

 だがそれだけで彼はギーシュに勝った。

 

 

 

 ――ならばもし、彼が『武器と言える代物』を手にしたら。

 

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 

 

 同時に似たような仮定に至ったのか。

 先程まで決闘の様子を映し出していた大きな鏡には、無言で考え込む2人が映りこんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




やや短めで申し訳ありません。
同じように2話か3話続いて、『街へお買い物』となる予定です。

……今年中に原作1巻の内容が終わらないような気がします。

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。


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ACT-17 報酬

……えぇ~、お久し振りです……
前回の投稿が5月だったので5ヶ月振りとなります。
随分遅くなってしまいました。
今回タグに『月1詐欺』を追加しました。
とりあえず言い訳は後書きの方で……

長期間投稿してなかったこの作品がまだ皆さんの記憶の片隅に残ってて、今回また読んで頂いているのでしたら大変嬉しいです。



 

 

 

「――あ」

 

 厨房に何かが砕ける音が響く。

 その場に居た者達の視線の集まったその先には、床に落ち割れた皿があった。

 

「す、すみませんっ!」

 

 落としたメイドの少女が慌てて散らばった破片を拾い集める。

 コック長であるマルトーはそれを横目で確認しながら、しかし咎めもせず片付けや仕込みの作業を続ける。

 少女が拾った破片を、壊れ物等の廃棄物を置く所定の場所へ持っていくとそこには既に皿やカップ、ワイングラス等十数点があった。

 

 現在厨房はいつもと違う雰囲気で満たされている。

 皆が皆心ここに在らずといった感じで、作業に集中できていない。

 普段ならそんな状態で仕事をしていればマルトーの叱責や拳骨は免れない。

 だが今日のマルトーはそうしなかった。

 何故なら彼自身何かを気にしながら仕事をしていたからだ。

 その証拠に先の置き場に積まれている内で最も高価な物だったワイングラスは、彼の不注意の結果だ。

 

 いつもと様子が違う厨房。

 その原因はマルトーだけでなく、厨房の全員が分かっている。

 だがそれはこの場の誰にもどうにもできない事。

 だからこそマルトーは何も言わなかった。

 

 

 

 ――ボルトが貴族と決闘する。

 

 

 

 先程厨房に慌てて駆け込んできたシエスタが持ってきた知らせ。

 確かにボルトが(食生活を含めて)只者ではない事は分かっていた。

 しかし貴族と決闘など余りにも無謀だ。

 そして続くシエスタの言葉に皆言葉を失う。

 ボルトは難癖にもならない言い掛かりをつけられたシエスタを庇い、貴族の不興を買ったというのだ。

 その優しさ・男気に感動し、そして何も出来ない自分達を悔やんだ。

 かと言って、シエスタのように貴族に混じって貴族と戦うボルトを応援する勇気も無い。

 そして応援した所で決闘の『結果』が変わらない事も理解している。

 ただその『結末』が少しでも良い物に――ボルトの怪我が少しでも軽傷で終わる事を祈っていた。

 

 

 

 そんな折、突然中庭に続く厨房の扉が勢いよく開かれる。

 驚いて一斉に向けられた視線の先には、荒い呼吸を繰り返すシエスタの姿があった。

 

「シエスタ!」

 

 マルトーを先頭に厨房中の人間が彼女の周りに集まる。

 

「決闘はどうなった!? ボルトは無事かっ!?」

 

 詰め寄るマルトーにシエスタは答えようとするが未だ息が整わない。

 額から汗が流れ、呼吸と共に両肩が上下する。

 ヴェストリの広場から厨房まではそう遠くはない。

 それでもこの様子だと、どうやら全速力で駈けてきたようだ。

 苦しそうな表情はさっきまで考えていた『結果』と『結末』を全員に予感させた。

 

「シエスタ、これを」

 

 メイドの1人が気を利かせて水を入れたコップを差し出す。

 シエスタ無言のまま会釈の後に受け取り、それを一気に飲み干す。

 そして胸に手を当て深呼吸。

 動悸は収まってないが、なんとか話せる状態になったようだ。

 

「ボルトさんが――」

 

 言葉を切り、もう1度深呼吸。

 皆一様に息を凝らして、シエスタの次の言葉を待つ。

 そしてそんな僅かな沈黙の中で、シエスタは破顔一笑。

 

 

 

「――勝ちましたぁっ!」

 

 

 

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 

 

『……はぁ?』

 

 

 

 思わず漏れた皆の声が重なる。

 

 ――勝った?

 ――貴族との決闘に?

 ――平民(ボルト)が貴族に勝った?

 

 隣同士の人間が顔を見合わせ、今の言葉が聞き間違いでない事を確認する。

 そしてその意味を理解すると同時に徐々に湧き上がる歓喜と興奮。

 その衝動の赴くまま一斉に声を上げる寸前。

 

「それでボルトの様子はっ!? 怪我は酷いのかっ!?」 

 

 マルトーの言葉に全員が我に返る。

 ボルトが勝ったとはいえ、相手は貴族――つまりは魔法使い(メイジ)だ。

 例え使い手が『スクエア』だろうが『ドット』だろうが、平民にとっては魔法はその悉くが脅威である。

 決闘となれば打ち身・切り傷程度で済めば御の字だ。

 例え勝ったとしても下手をすれば四肢の骨折、或いは欠損も有り得るだろう。

 

 そんな『結末』を思い浮かべて、それぞれが悲愴の表情でシエスタの返答を待つ。

 しかし彼らの心構えはあっさりと裏切られる。

 

 

 

 

 

「え? ボルトさんですか? 怪我なんてしてませんよ?」

 

 

 

 

 

 ――良い意味で。

 

「凄かったんですよボルトさん! 剣や槍をもったゴーレム相手に踊るみたいに攻撃を全部避けたんです! 途中で絶体絶命の場面もあったんですが、私が思ってもみなかったやり方で切り抜けて――って……あれ? 皆さんどうされたんですか?」

 

 夢中になって話していたシエスタは、いつの間にか周囲の呆気に取られた顔に気付き思わず話を止める。

 『平民が貴族との決闘に無傷で勝利する』。

 ボルトはここに居る全員の予想していた『結果』のみならず『結末』すら覆してしまった。

 

「くくく……」

 

 そんな破天荒振りに、マルトーは笑いを我慢できなくなった。

 

「貴族に勝った? こいつぁ愉快だ! 大した奴だぜボルトは! ガァッハッハッハッハッハー!」

 

 その笑いを皮切りに先程上げ損なった大歓声が厨房から一気に溢れ、厨房中の窓ガラスが割れんばかりに響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ACT-17 報酬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 軽いノックの音が学院長室に響く。

 オスマンが杖を振って開錠すると、入って来たのはロングビルだった。

 

「――失礼します」

 

 コルベールが譲ったオスマンの正面に立つと、古びた鍵を机に置きながら報告をする。

 

「『眠りの鐘』を用意して待機しておりましたが、決闘が終わったようなので『眠りの鐘』を返還後宝物庫の施錠を完了しました」

 

「おぉ、すまんかったのミス・ロングビル!」

 

「いえ、構いません」

 

 オスマンの労いの言葉に、急に命じられた事を特に気にせず答えるロングビル。

 

「ミス・ロングビル。 貴女は決闘の様子をご覧になっていましたか?」

 

「はい、始めからではなく使い魔の男性がゴーレムを殴った辺りからですが……」

 

 傍らへと移動していたコルベールの質問にロングビルは答える。

 

「その一撃が決闘の開始のような物じゃったからほぼ最初からじゃな。 して、ミス・ロングビルの目から見た決闘の感想を聞かせて欲しい」

 

「感想……ですか」

 

 オスマンが興味深げに尋ねると、ロングビルは暫し考え込む。

 

「――身のこなしがどう考えてもただの平民ではありません。 それが喧嘩で養われたのか戦場で培われたかまでは不明ですが……」

 

 同意見だと頷くコルベール。

 

「では彼の『武器』についてはどう見えたかの?」

 

「……その、わたくし達の待機していた場所がやや遠目だったのでよく見えなかったんですが……」 

 

 オスマンからの問いにロングビルは言葉を濁す。

 しかしオスマンとコルベールの2人はそれだけで答えが予想できた。

 

「……投げるその直前でさえも、彼の『武器』は彼の手には影も形も確認できませんでした。 気付いた時は既に相手に向かって投じられていたとしか……申し訳ございません」

 

「いやいや、構わんよ。 ここから見えた光景もそうとしか思えん物じゃったし」

 

 困惑顔で頭を下げながら詫びるロングビルを、やんわりと宥めるオスマン。

 その言葉に顔を上げるも、ロングビルの表情は曇ったままだった。

 

「ん? どうしたんじゃ?」

 

 その態度を不思議に思ったオスマン。

 ロングビルは言おうか言うまいか僅かに躊躇したが、おずおずと口を開く。

 

「……あの……これもはっきりとは確認出来なかったんですが……」

 

「ふむ。 気付いたことがあれば何でも言ってみてくれぃ」

 

 オスマンに先を促され、言葉を続ける。

 

 

 

「……使い魔の彼が青銅のレイピアを口にして……その、食べていた……みたいなんですが……」

 

 

 

「……」

 

「……」

 

 ――学院長室に沈黙が漂う。

 

 『遠見の鏡』越しとはいえ、ロングビルと同じ光景を見ていたオスマンとコルベール。

 当然今彼女が言った事象にも気付いていた。

 

 先の2人の考察は『彼がガンダールヴかもしれない』という前提で行われた物。

 だがあんな奇行が『ガンダールヴ』の能力とは思いたくはない。

 となると彼個人の異能、もしくは嗜好という荒唐無稽な話になってしまう。

 その為2人は意識的に話題にする事を避けていた。

 

 ――その考えが実は的を射ているという事を知る者は、ここには存在しなかった。

 

(……どうしましょうか……)

 

(……どうしようかの……)

 

「?」

 

 無言のままアイコンタクトを試みるが、お互いに動揺していた為無意味な行為だった。

 そんな変な様子の2人に、ロングビルは小首を傾げる。

 

 彼らの常識に『剣を食べる男』という物は存在しない。

 片や『伝説のガンダールヴ』。

 『伝説』とはいうものの、その実詳細は今の所『始祖ブリミルの使い魔たち』でしか確認できてない。

 ……もしかすると『剣を食べる』という能力があったのかもしれない。

 

 『常識』と『伝説』を天秤に掛ける。

 そこへ先程の『ガンダールヴは他言無用』が『常識』と同じ皿に乗り、一気にそちらに傾く。

 

「……えぇ~っと、その事も含めて彼に聞きたい事があるんでな。 ミス・ロングビル、すまんが彼に言伝を頼む」

 

 やや苦し紛れではあったが、なんとかそれ程不自然ではない言葉を返す事に成功。

 しかしそんな怪しげな挙動のオスマンを、ロングビルは冷やかな目で見る。

 

「秘書のわたくしがいない隙に、悠々とお仕事をサボるおつもりですか?」

 

「……わしってそんなに信用無いんかのぅ」

 

「何を今更」

 

 オスマンのぼやきに、その言動に普段から振り回されているロングビルが変わらない眼差しのまま言い放つ。

 心なしか傍らのコルベールからの視線も非難じみてきた。

 

「――ゥオッホン。 伝言じゃが、『今度の“虚無の曜日”に学院長室に来て欲しい。 空いた時間で構わないので諸々の事情の説明が聞きたい』――と」

 

「……」

 

「……」

 

 わざとらしい咳払いで誤魔化しつつ、伝言の内容をロングビルに伝える。

 

「……何故この伝言をわたくしが?」

 

 秘書として、学院長の仕事を補佐(監視)するべき彼女が行かなくてはいけない程重要とは思えない。

 

「もし食堂や教室で会えんかったら、寮の彼女の部屋へ直接行った方が手っ取り早いじゃろ?」

 

「それなら確かに他の男性教員よりはわたくしの方が適任でしょう。 ですが……」

 

 そこでロングビルは困惑の表情で言いよどむ。

    

「どうかしたかの?」

 

「つまりその、……ミス・ヴァリエールと使い魔の彼は一緒の部屋……という事なんでしょうか?」

 

「……え? あれ? そう言えば……」

 

 つい普通の使い魔と同じ感覚で考えてしまっていた。

 慌ててコルベールを見ると、彼も驚きの表情で小刻みに首を左右に振る。

 交渉の時はとてもじゃないがそこまで確認する余裕は無かった。

 

 ――という事は、成人男性と年頃の少女が一晩同じ部屋だった可能性がある。

 

 『人間召喚』に続いて『ガンダールヴ疑惑』の騒ぎで、細かい事の確認を怠った結果である。

 徐々にオスマンの顔色が悪くなり、その顔に次第に汗がにじみ出る。 

 

 

「……わかりました。 伝言ついでにミス・ヴァリエールに確認し、問題があるようなら対策を用意します」

 

「――おぉ、すまんがよろしく頼む!」

 

「それでは失礼します」

 

 一礼して学院長室を退室しようとするロングビル。

 その背後からオスマンの愚痴が聞こえた。

 

「やれやれ、次から次に問題が……これでミス・ヴァリエールの貞操関係が手遅れじゃったら――」

 

 大きな溜め息の後に更に続ける。

 

「やっぱり『解任(クビ)』かのぅ……」

 

「――そうですねぇ」

 

 ロングビルが足を止め、楽しげな笑いを浮かべながら振り返る。

 

「きっと、『厳しいようで、娘には甘い』と評判のラ・ヴァリール公爵手ずから『打ち首(クビ)』にして頂けますよ?」

 

 細い指を伸ばして手刀を作り、自分の白い首に当てる。

 

「……笑えん冗談じゃのぅ……」

 

 椅子に背を預けながらのオスマンのぼやきを背に、ロングビルは学院長室を後にした。

 その表情は日々の鬱憤を多少ながらも晴らせたのか、晴れ晴れとしていた。

 

 

 

 

 

「ボルトさぁ~んっ!」

 

 ヴェストリの広場では、近付いてくるボルトを待ちきれずにシエスタが駆け寄っていた。

 

「貴族の方と決闘して勝つなんて凄いです、ボルトさんっ!」

 

「……」

 

 興奮の余り、ボルトのコートの袖を両手で掴み上下左右に振り回す。

 一方のボルトは普段通りの無表情で、されるがままに特に拒絶する様子もなかった。

 そんなはしゃぐシエスタとされるがままのボルトを、ルイズは眉間に皺を寄せながら見ていた。

 

 『ギーシュに勝ちなさい』。

 

 半信半疑だったとはいえ、どう考えても無茶な命令だったと今でも思う。

 

 『受けた依頼は遂行する』。

 

 しかしボルトはやってのけた。

 自身が命の危機に瀕してもその意志を決して曲げる事はなく、拘束された状態でもその気迫はギーシュを圧倒した。

 己の使い魔が命令に従い、そして命令以上の戦果を上げたのだ。

 主としてその働きを存分に労うべきだろう。

 だが『主人』は『使い魔』の帰還を待つものだ。

 『貴族』は『平民』を呼び付け足を運ばせる事が常識。

 そして『年頃の少女』としては『男性』の下に駆け寄るのは気恥ずかしかった。

 

 ……実の所、ルイズは自身が真っ先にボルトに声を掛けたかったのだ。

 

 ところがシエスタに先を越され、かといって後を追う訳にもいかず。

 結局1歩も踏み出せず、あからさまに不機嫌な顔で(一方的に)ボルトとじゃれるシエスタを見ていた。

 

 そんなルイズの右腕に軽い痛みが走る。

 

 痛む箇所に左手を当てながら右を向くと、何かを言いたげなキュルケの視線があった。

 どうやらキュルケの左肘で突付かれたようだ。

 

(忘れてないわ、分かってるわよ……)

 

 キュルケの言いたい事は聞かずとも理解できている。

 自分でも、決闘が終わったらきちんと話し合おうと心に決めていた。

 しかし心の準備がまだ出来ていない。

 そう考えれば、案外シエスタに横入りされた事は悪い事ではなかったかもしれない。

 

(……『マイナス』……か。 わたしはつい『(ゼロ)ですらない』って意味に取っちゃったけど……)

 

 朝の授業の後、壊れた教卓等を補充する為に行った教材機材の保管部屋。

 そこで呟かれたボルトの言葉。

 思わずボルトを蹴り飛ばし、そのまま部屋へ駆け込んでしまって抗議も弁解も何も聞いていない。

 

 

 

 ――少なくとも、お前は『ゼロ』じゃない――

 

 

 

 その少し前に、左手の『使い魔のルーン』を示しながらのボルトの言葉。

 彼は得体の知れない平民の男で――だがルイズの使い魔だ。

 彼女に一生付き従う事になる。

 

 

 

 ――これから先彼との主従関係は一生続くのよ?――

 

 

 

 キュルケからの苦言も思い出される。

 あの『ツェルプストー』の言葉だというのが非常に腹立たしいが、冷静に考えれば正論だ。

 

(……まずは謝罪……か。 キュルケの指摘でしかも平民相手にってのが癪だけど、わたしの勘違いだっていう事なら悪いのはわたしだし……)

 

「――あぁっ!?」

 

 ルイズが「よしっ!」と心の中で決断したその時、広場で嬉しそうにボルトに話し掛けていたシエスタが突然大声を上げる。

 

「忘れてました! 厨房の皆もボルトさんの事心配していたんでした! 私急いでボルトさんの勝利を伝えてきますね!」

 

 慌てて一礼すると、スカートを軽く摘み上げ猛然と走り出した。

 1人広場の中央に残され、しばらくその背中を目で追っていたボルトだったがやがてゆっくりとルイズ達の方へ足を進めだした。

 それを待つ形になり、やや緊張の面持ちのルイズの右腕に再び軽い衝撃。

 

「分かってるわよ!」

 

 その加害者を軽く睨みながら呟く。

 睨まれた当の本人は「あらそう」と口には出さず肩を竦めた。

 そんな仕草にまた苛立ちながら正面に視線を向ける。

 

 

 

 ――つまり『死が2人を分かつまで』よ? ある意味伴侶みたいな物でしょ、貴女の場合は特にね?――

 

 

 

「ぶっ!?」

 

 唐突に、何の脈絡も無くキュルケの言葉の続きを思い出してしまい、思わず吹き出してしまう。

 顔が熱くなり、赤面しているのが自覚できた。

 変に意識してしまい、つい先程の決意があっさりと揺らいでしまう。

 

(……ど、どうしよぅ……!?)

 

 ボルトの歩みと共に緊張が高まり、鼓動が早くなる。

 ――あと5メイル。

 いっそこの場を走り去ろうかと考えたルイズだったが、当のボルトの歩みが止まる。

 

「……」

 

 そして無言のまま体を180°回転させ、広場の方へ引き返していく。

 

「ちょ、ちょっとボルト!? どこ行くのよ!」

 

(……た、助かった……)

 

 慌ててボルトを呼び止めるキュルケと、ほっと胸を撫で下ろすルイズ。

 そんな事を気に止める事なく歩くボルトの行く先には、1組の男女の姿があった。

 

 

 

 

 

 ボルトの背中が遠ざかりはじめると、ギーシュは再びへたりこむ。

 身体的にも体力的にも問題は無いが、精神的にはかなり疲労していたようだ。

 

(……さて、少し休んだら他の3人にも――)

 

 俯くギーシュに近付く足音。

 大方平民に決闘で負けた自分をからかいに来た級友だろうと、暗い気分でゆっくりと顔を上げる。

 しかし予想に反し、目の前には最も会いたくて最も顔を合わせ辛い少女が無言で立っていた。

 

「……」

 

「――モンモランシー……」

 

 咄嗟に顔を逸らす。

 下級生と二股をかけておいて、その後に彼女を模したゴーレムを造り自信満々で臨んだ決闘には平民相手に降参する始末。

 愛想を尽かされても仕方ないだろう。

 そう覚悟したギーシュの顎にモンモランシーの手が軽く添えられ、顔を正面に向けられる。

 

(……そういえば食堂ではワインを掛けられただけだったな)

 

 そう思い、頬に加えられるだろう衝撃に備え奥歯を噛み締め目を閉じる。

 

 

 

「ぅわぁっ!?」

 

「きゃっ!」

 

 

 

 思わず大声と共に座ったままの体勢で無理矢理後方へ体を移動する。

 『頬への平手打ち』と思い込んでいたギーシュが感じ取ったのは、予想外の『首への冷たい何かの接触』だった。

 つい先程のナイフを思い出してしまっての行動だった。

 見開いた目に映る光景は、ハンカチを手に目を丸くしたモンモランシー。

 荒い呼吸を鎮めながら左手を首に当てると濡れていた。

 どうやら湿らせたハンカチで首を拭おうとしてくれたようだ。

 

 余談だが、モンモランシーは『水』系統の魔法を得意とするメイジ。

 『水』系統の初歩的な魔法『凝縮(コンデンセイション)』によって空気中の水蒸気を水に戻し、ハンカチに含ませたのだ。

 

「ごっ、ごめんなさい! 染みたの!? 痛かったの!?」 

 

「……いや違うんだ、大丈夫だよ」

 

 慌てて駆け寄るモンモランシーに、脱力しながら応えるギーシュ。

 再びギーシュの首を、下から覗き込むように確認しながら先程よりもゆっくりとハンカチで拭いていく。

 

「……良かった、どこにも傷は無いのね」

 

「……」

 

 彼女の呟きを耳にしたギーシュはばつの悪い表情をする。

 何しろボルトとの決闘で彼自身が受けた攻撃は無い。

 傷はおろか痣すらないのだ。

 首を終わらせ汗や砂埃で汚れた額や頬を拭ってくれるモンモランシー。

 

「……モンモランシー……その……ごめん……」

 

「……」

 

 そんな彼女に罪悪感を覚えながら謝罪を口にする。

 モンモランシーは無言のまま手を休めない。

 やがて一通り終わらせた後、口を開く。

 

「……食堂であの1年生が出てきた時は、本当にショックだったし頭にきたわ……」

 

「……」

 

 淡々と話す彼女と目を合わせられず、ギーシュは顔を僅かに伏せる。

 視界にあるハンカチを握り締めた手は微かに震えていた。

 

「……でも私をモデルにゴーレムを造ってくれたのは嬉しかったし、あなたがあの男にナイフを突きつけられた時は心臓が止まるかと思ったんだから……」

 

 そのハンカチに何かが落ち、小さな染みが広がる。

 それに気付き顔を上げたギーシュの目に、涙を滲ませた少女が映った。

 思わず体を乗り出し、固く握り締めた少女の拳をガラス細工を扱うかのように、そっと両の手で包む。

 

「――本当にごめんよ……モンモランシー……」

 

「……今回だけだからね」

 

「――っ! あ、ありがとうモンモランシー!」

 

 ギーシュの手の中からゆっくりと手を取り出し、持っていたハンカチでモンモランシーは涙を拭う。

 その最中に手を止め、拭い終わった片目を半分程開きギーシュを見る。

 

 

 

「――次は無いから」

 

 

 

「……き、肝に銘じておくよ……」

 

 春の日差し溢れる暖かな広場で、氷のように冷たい汗が背筋に沿って流れていくのをギーシュは感じた。

 

 

 

 

 

 そんな穏やか(?)な恋人同士の語らいを邪魔する無粋な足音。

 モンモランシーはまだ赤い目のまま振り向いた。

 

「――っ!? あなたはっ!」

 

 その邪魔者の姿を認識した途端、柳眉を逆立て立ち上がる。

 

「何の用!? これ以上ギーシュに危害を加えるつもりなら、私も相手になるわよ!」

 

 そこに立っていたのは、7体のゴーレムを操るギーシュとの決闘に無傷で勝利した男。

 その一部始終を自分の目で見ていたモンモランシーだが、それでもギーシュの前に立ち身構える。

 

 だが彼女が得意とする『水』系統は本来『癒しと心を司る』魔法。

 『治癒(ヒーリング)』に代表されるように、攻撃の為の魔法は多くはない。

 ましてやモンモランシーの二つ名は『香水』。

 香水や『魔法薬(ポーション)』の調合が得手の彼女にとって、戦う為の手段という物はほぼ皆無だ。

 だがそんな事は彼女自身が百も承知で、厳しい表情で相対している。

 しかしその微かに震えている彼女の肩にギーシュは手を置き声を掛ける。

 

「大丈夫だよ、モンモランシー。 彼にそんな事をする理由も無いし、理由も無く力を振るう人じゃない」

 

 「ですよね?」と笑みを浮かべながらも、自然な動きで足を踏み出しその背にモンモランシーを庇う。 

 

「それで、僕に何か御用ですか? ミスタ――えぇっと、ボルト……?」

 

 ――そういえば目の前の男の名を知らない。

 仕方無しにギーシュは決闘中にルイズが叫んだ男の名らしき物で問い掛ける。

 

「……ボルト・クランク。 貴族じゃない、『ミスタ』は不要だ」

 

 コートに両手を突っ込んだままの無愛想な物言い。

 背後のモンモランシーの苛立ちが募るのがギーシュには分かった。

 

「そ、それじゃあボルト、僕に何か?」

 

 不安と不満と不信の気配を背後に感じながら、モンモランシーの態度にボルトが気を悪くしない事を祈る。

 

「あぁ、報酬を受け取りにな」

 

「……報酬?」

 

 予想外な返答に一瞬思い悩む。

 

 

 

 ――……この件の『報酬』は後で請求しよう――

 

 

 

「――あぁそうだった、忘れてたよ……」

 

 しかし直ぐに食堂を出る寸前の言葉を思い出す。

 『自分との決闘を受ける』という依頼に対しての対価。

 確かにそんな約束をした。

 勿論こんな結果になるとは微塵も思ってなかったが。

 そしてギーシュが思考していたその束の間に、後ろの少女の堪忍袋の緒が派手な音と共に千切れ飛ぶ。

 

「報酬ですって!? いくら決闘に勝ったからって図々しいんじゃないの!? 大体平民が貴族にンググーッ!」

 

「あ~……とりあえず落ち着いて、モンモランシー」 

 

 ギーシュを押し退けながらまくし立てる少女の口を、ギーシュが無理矢理塞いで宥める。

 

「この件は僕とボルトが交した約束。 決闘の勝敗の如何に関わらず、僕には彼に報酬を支払う義務がある」

 

「フガーッ!」

 

 例えギーシュの言葉でも腹に据えかねるのか、口を塞ぐ手を振り解こうともがくモンモランシー。

 そんな憤まんやるかたない少女に声を掛け宥めながら、ギーシュは恐る恐るボルトの顔色を窺う。

 

「……」

 

 しかしさして気にした様子もなくボルトが立っている事に、ギーシュは安堵する。

 

「――それで報酬には何を? 僕も貴族だ、君の望む物を用意する!……つもりではあるんだが」

 

 頬を指先で掻きながらボルトから目を逸らす。

 

「実は諸事情で懐が寂しくてね……金銭的要求にはあまり応えられそうにはないんだ」

 

「……」

 

 その『諸事情』はボルトとその主が関係しているのだが、彼ら自身に責任は全くないので言うつもりはない。

 それに言った所で好印象を与える事はないので尚更だ。

 

「……いや、金はいらない」

 

 そう言うとボルトは広場を見回し始める。

 そして目的の物を見つけたのか、口元に笑みを浮かべて歩き出す。

 

「え? えぇ……?」

 

 ボルトの返答とその足が向かう方向に存在する物を見て、呆然とした言葉がギーシュの口から漏れる。

 ボルトの歩みが止まったそこには、レイピアを切られた7体目のゴーレムが未だ立ったままだった。

 

「……」 

 

「……あぁ、ゴーレムかい? それなら新しいのを造るから少し待ってくれないか? 今はちょっと疲れてしまって……」

 

 

 

 ――通常、魔法の発動には3つの要素が必要になると言われている。

 『魔法の杖』、『詠唱』、そして『精神力』。

 『精神力』は魔法を使用する度に消費される力であり、これが足りないと魔法を使用する事が出来ない。

 『精神力』が不足しているにも関わらず無理に魔法を使おうとすると、気絶してしまう事もある。

 ギーシュの場合単純に造るだけなら8体目も可能だろうが、決闘で7体を『造る』・『操る』事でかなり『精神力』を消耗してしまっている。 

 それ故に先の言葉なのだ。

 

 

 

「明日なら君好みのゴーレムを進呈できるよ。 何ならルイズをモデルにするかい?」

 

 からかうように笑うギーシュの言葉に、ボルトは変わらず笑みを浮かべたままの顔をギーシュに向ける。

 

「必要無い。 これで十分だ」

 

「――え? でもそれは……」

 

 ギーシュの言葉を無視しながらボルトはゴーレムの両肩に自分の手を置く。

 このゴーレムはモンモランシーをモデルにしているが、『女騎士』という事で大きさはギーシュの身長よりも大きく造られている。

 それでもボルトの長身には及ばず、その差は約頭1つ分。

 そのやや下方にあるゴーレムの頭にボルトはゆっくりと顔を近づける。

 

 

 

 

 

 ――まるでその額に口付けをするかのように。

 

 

 

 

 

「ちょ、ちょーっと待ちたまえっ!」

 

「えぇ!? そんな……」

 

 ゴーレムとはいえ、自分の思い人を模した物ならば即止めさせるべきだろう。

 この行為は儀式的な何かなのか、それとも真の目的は彼女自身という暗示なのか……。

 もし後者ならばギーシュにはボルトから彼女を護りきれる自信は無い。

 

 そして当の本人は驚きながらも僅かに頬を赤く染めていた。

 本来は平民なんか相手にもしないが、貴族(メイジ)と戦って勝てるとなれば話は別だ、俄然興味が湧いてくる。

 その強さに加え、高身長は男性としての好感が持てる。

 センスを感じられない帽子や、表情が分かり難い『黒いメガネ』は正直感心しないが。

 

(……これってアレかしら。 いつか『私の為に争わないで!』って展開になるの!?)

 

 今し方ギーシュと仲直りしたばかりにも関わらず、年頃の乙女心は自重しない。

 

 

 

 この一連の出来事は当然決闘を見物していた生徒達の目の前で行われた。

 この時、ほとんどの生徒がお財布に痛恨の大打撃を受けて打ちひしがれていた。

 一部の生徒達はボルトの『食生活』を目撃して、口元や胸を手で押さえながら退避していたが。

 それでも彼らは、衆人環視の中堂々と行われようとしているボルトの奇行に騒ぎ始めた。

 憂さ晴らしだろう、野次を飛ばす者もいる。

 

「おいおい……」

「何あれ……?」

「これはあれか? 『俺は銅像しか愛せない』ってやつか?」

「いや違うね! あれは女を生きたまま像に塗りこんで愛でる快楽殺人者だ!」

「ん~、確かにギーシュが造るゴーレムは出来は良いんだよなぁ」

「……って事は、次の標的はモンモランシー……?」

「明日になったらモンモランシーが姿を消して、そっくりの銅像が1体増えてると……」

「ちょっとっ!? そんな恐ろしい話しないでよ!」

「……私の部屋、彼女の隣なんだけど……」

「どっちにしろ変態じゃねーか」

「使い魔が変態なら主も変態か?」

「変態というか『爆発魔法の変人』だな!」

 

 さて当のルイズだが、そんな飛び交う野次には耳を傾けず渋面でボルトから目を離さない。

 その隣のキュルケは苦笑しながら、さらに横のタバサは無表情のまま。

 異口同音……よりはこの場合は『異心同思』とでも言おうか、3人の予想は一致していた。

 

 

 

(まさか……)

 

(もしかしてぇ……)

 

(多分……)

 

 

 

 そんな衆目の中、ボルトの動きは止まらず変わらず。

 ゴーレムの額部分まであと数サント。

 

 そして遂にその唇が触れる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ――その寸前。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ――ボルトの口が大きく開かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




――『ボルト・クランク』ってだけで、最後の展開(オチ)はバレバレだとは思いますが。

前回の投稿の後、少しずつ作成してはいたんですがなかなか上手くいかず……
その内仕事が忙しくなり、忘れてはいなかったんですがあまり気分が乗らず……
仕事が一段落してハッと気付けば夏も終わって秋になり……
流石に半年空けるのはまずいだろうと、なんとか5ヶ月振りの投稿となりました。

今年中に出来れば2話、最低でも1話投稿したいなぁと。
ただ年末は年末で忙しいので、『月1詐欺』になる可能性大……

……たった今コミックの事を思い出して検索したら2巻どころか3巻もっ!?
これは買いに行かねばっ!!

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。


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ACT-18 変化

……こんにちは、お久し振りです。
前回よりは多少早い――と言っても4ヶ月も空いてしまいました……
昨年末には投稿のつもりだったんですが……


 

 

 ――ここハルケギニアに生きる者達が幼い頃に必ず1度は耳にするお話。

 

 それは『始祖ブリミル』の物語。

 今から6000年前、今では『聖地』と呼ぶ地に降臨するブリミル。

 『虚無』という強大な力と4体の使い魔を駆使しエルフ達と戦った――と言われている。 

 ハルケギニアにおける歴史であり信仰の始まりである。

 

 それからもう1つ。

 こちらは伝承や御伽噺ではない。

 例えば泣き止まない子供や駄々をこねる子供に言い聞かせる物。

 「泣く子は夜中に連れ去られて……」「悪い子は山奥に捨てられて……」等々差異はあるものの、肝心な部分は同じ。

 

 ――『オーク鬼に頭から食べられてしまうぞ』。

 

 子供を脅かして躾る為の他愛無い話だ。

 しかし全くの出鱈目という訳でもない。

 

 100年にも満たない一昔前は、森の中の村がオーク鬼の群れに襲われる事はよくある話だった。

 そんな時最も犠牲になりやすいのは、戦う力も逃げる体力も少ない子供だ。

 故に『オーク鬼は人間の子供が大好物』という話が出来たのだろう。

 それが真実かどうかは、検証する人間も方法も存在しない。

 そんな豚に似た顔と醜く太った巨躯の化物の被害は、今となっても年に数件は耳にする。

 オーク鬼は悪い意味で最も身近な亜人と言えるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ACT-18 変化

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――父に怒られながら……。

 ――母に寝物語として……。

 ――祖父と山を歩きながら……。

 ――祖母と暖炉で暖まりながら……。

 

 幼き頃に聞いたであろうそんな話が、ヴェストリの広場に集まった生徒達の脳裏に浮かび上がった。

 『人を食うオーク鬼』を彷彿させる光景が眼前にあったからだ。

 

 その始まりは『ゴーレムの額にボルトの唇が触れ、そして離れた事』。

 この表現は正しいが、しかし真実には少し足りない。

 

 『ボルトの唇が触れた』――これは間違い無い。

 ただしその口は開いていて、触れていたのは唇だけではなく歯もゴーレムに接触していた。

 そして鈍い音と共に『離れた』時にその口は閉じられていた。

 

 

 

 その結果ゴーレムの額部分は欠けていて、そこにはくっきりと歯型が残された。

 

 

 

 ――ガリ。

 ――ボリ。

 

『………………』

 

 騒いでいた生徒達は皆一様に黙り込み、欠けたゴーレムと動くボルトの口とで視線を行き来させる。

 

 ――ゴクリ。

 

 周囲の変化を気にする事なく、ボルトは十数回程咀嚼して飲み込む。

 一呼吸の後ボルトの口元には笑みが浮かび、今度は開いたままの口がゴーレムに向かう。

 

 それからボルトの行動は加速する。

 2口3口と続けて齧り、数回の咀嚼で飲み下しまた齧る。

 瞬く間に額部分が消え、顔・顎・後頭部……と完全に頭部がボルトの腹に収まる。

 しかしボルトの動きは止まらず首・鎖骨部分と胴体部に移りながら、右手でゴーレムの左手首を掴む。

 次に左肩を食べる事で左腕を切り離す。

 そしてまるで骨付き肉を食するかのようにして、手首を持ったまま左上腕部に食らいつく。

 

 ――人の形をしたモノが食べられている。

 無論それは飽くまでゴーレムであり人ではない。

 だがボルトの食べ方が、各々が漠然と思い描いていた『人を食うオーク鬼』と重なる。

 

 ――噴き出る血を。

 ――流れる血を。

 ――滴る血を。

 

 生徒達は在りもしない鮮血を幻視する。

 それが止めとなりほぼ全員が広場を後にする。

 比較的余裕の有る生徒は自分の足で、または余裕の無い生徒に手を貸しながら。

 昼食後という事もあり、精神的にも応えたのだろう。

 肩を落とし足下が覚束ない者が大部分を占めた。

 

 ……もっとも、その一因はまた別に存在するのだがそれは後述するとしよう。

 

 因みにゴーレムのモデルになった少女は始めは呆然としていたが、『自分の顔』が無くなり始めた所で小声で悲鳴を短く発し気絶。

 ギーシュがその倒れる体を慌てて支えて事無きを得た。

 

 現在広場に残っている者の中に当然ルイズ達も含まれていた。

 苦虫を噛み潰しているかのような表情でボルトを睨むルイズ。

 難解な内容の古書を読むかのような真剣な表情でボルトを見るタバサ。

 そんな2人に挟まれたキュルケは実に楽しそうな表情だった。

 

 

 

 基本的に彼女は自分の欲求に素直で、感情の赴くままに行動する。  

 日々をどう楽しく過ごせるかが最大の関心事。

 ちなみに恋愛はそれを満たしてくれる最大かつ最重要項の1つである。

 その点昨日今日は実に充実している。

 人生で恐らく1度しか経験しない使い魔召喚はサラマンダーという上々の結果だった。

 

 そして何より3人の視線の先の『人間の使い魔』――『ボルト・クランク』。

 始めは単純に初めて見る人間の使い魔という興味本位だったが、なかなかどうして面白い。

 その言動から無口な変人かとも思ったが予想以上の強さと、そして若干分かり難い優しさも持ち合わせていた。

 何よりもキュルケが喜んだのは、それに影響されたであろう主であるルイズが見せてくれる予想外の反応だ。

 

 国境を挟んで隣接している『フォン・ツェルプストー家』と『ラ・ヴァリエール家』。

 古くからの因縁によりルイズはキュルケを目の仇にしているが、実はキュルケの方は然程拘ってはいない。

 ただからかい易く弄り甲斐があるので、意図して憎まれ口を叩いているだけだ。

 その所為もあるが、キュルケの知るルイズの表情とは大体が悔しさ・不機嫌・怒り……

 そんなルイズが昨日今日と見た事もない少女らしい表情を見せている。

 ルイズがはにかむ姿なんて物をキュルケは初めて見た。

 

 ――そして影響を現在進行形で受けているもう1人がタバサ。

 

 彼女の1番で、そして唯一の友人を自負するキュルケだが、彼女に関して知っている事は実は多くはない。

 そもそも『タバサ』という名も本人がそう名乗っているので、そう呼んでいるだけだ。

 魔法学院の生徒であるからには貴族の生まれなのだろうが、何処の何という血筋かすらも知らない。

 

 入学当初はその幼い容姿故に何人もの生徒達から好意的に話し掛けられもしていた。

 しかし彼女は全く喋らなかった。

 休み時間にも食事の時間にも、授業中も放課後も、寮の社交場でも、誰とも口をきこうとしない。

 とにかく黙々と本を読む。

 その振る舞いは傍若無人。

 ――正しく『傍らに人無きがごとし』である。

 

 そんな彼女に試合を申し込みあっさりと負けた男子生徒と、キュルケに恋人を奪われた女生徒達の共謀により2人は相争う事になった。

 しかしこの事件をきっかけに互いを深く理解し合い、以後無二の親友同士となったのだった。

 お互いに『トライアングル』のメイジだと分かったのもこの時だ。

 ただそれ以降も彼女の日頃の行動は変わる事はなく、反応を示し口を開くのはキュルケだけである。

 

 ――そんなタバサが初めて他人に興味を持った。

 友であると同時に、姉の様に或いは母の様に彼女を気遣うキュルケはこの事を好ましく思った。

 その表情を見るに、キュルケがからかったように好意や恋慕の情に起因する物ではないだろう。

 だが自分から他人に意識を向ける事すらしなかった彼女が、負の感情抜きの目を向けている。

 自分の世界が広がる事は悪い事ではない筈だ。

 男子生徒が見れば見惚れそうな柔らかな笑みを浮かべながら、キュルケは隣の小さな親友を見ていた。

 

 

 

 ……これは余談でしかもキュルケ本人は知らぬ事だが。

 昨日今日とで『キュルケの年相応の、少女らしい見た事もない笑顔を見た』と、ルイズ・タバサ両名から実は内心驚かれている。

 

 

 

 ――さて肝心のボルトだが。

 あれからペースを落とすことなく未だ食べ続けている。

 既にゴーレムの上半身はボルトの腹に収まった。

 彼女達は目の前で一部始終見ていたのだからそれは間違いない……のだが。

 上半身――つまり頭部・胸部・胴部・両腕。

 いくらゴーレムが中空構造だからと言っても、『人間大の半分』は胃の収容限度量を明らかに超えている。

 体形の変化も見られず、とても丸々上半身分を食したとは思えない。 

 ゴーレムは下半身分がまだ残っているが、変わらないボルトの表情はまだまだ余裕があるように思えてしまう。

 

 

 

 

 

「……やれやれ、彼は一体何者なんだろうね?」

 

 

 

 

 

 ここで起こった決闘を目にした者達その総意であろう言葉。

 それを耳にしたキュルケは声の主に目を向け、そして思わず体を硬直させる。

 

「……?」

 

 自分に向けられた訝しげな態度に、その男子生徒は首を傾げる。

 

「……貴方……誰……?」

 

「……いや、『誰?』と問われても僕には『ギーシュ・ド・グラモン』以外に名乗る名は無いんだが……」

 

 そんな奇妙な会話に、ルイズとタバサもキュルケと同じ行動を取りそして同じ反応を示す。

 

 やや癖のある金髪にフリルの付いたシャツ、手には薔薇を模した杖。

 そんな特徴的な男子生徒――ギーシュ。

 しかしその表情は彼女達が見た事もない、憑き物が落ちたようなすっきりとして晴れやかな物だった。

 彼の後ろには未だ気を失ったままのモンモランシーがゴーレムに抱き抱えられている。

 その体にはギーシュの物であろうマントが掛けられていた。

 

「そんな事より――」

 

 呆然としたルイズ達の顔を見回し、ギーシュは言葉を続ける。

 

「――あのメイドは一体何処へ行ったんだい? 僕はまだ彼女の名前すら知らないんだが……」

 

『っ!?』

 

 その言葉にルイズは目を見開いた後ギーシュを見据える。

 

「――ギーシュ、決闘に負けた腹いせにシエスタに何かしようって事だったらタダじゃ済まないわよっ!?」

 

 吼えるような言葉と共に杖を手に身構えるルイズ。

 しかしギーシュはさして気にもしなかった。

 

「そうか、彼女は『シエスタ』というのか……」

 

「……」

 

「……」

 

 ギーシュの何気無く口にしたような言葉に、今度はキュルケとタバサも無言で杖を握り直す。

 事ここに至って、やっとギーシュは3人の目が剣呑な光を宿している事に気付く。

 

「ちょっ!? ちょっと待ちたまえ君達っ! 何か勘違いしていないかい!? 僕は彼女に謝罪しようとしただけだよ!?」

 

「……はぁ? 謝罪ぃ~!?」

 

 余りに予想外な言葉に呆気に取られる3人。

 タバサでさえも目を丸くしていた。

 

「……謝罪するって事は『自分の非を認めて謝る』って事?」

 

「その通りだ」

 

「その……それは貴族(貴方)平民(シエスタ)に頭を下げるって事よ?」

 

「当然だよ」

 

「……」

 

 ルイズ・キュルケの質問に真顔で答えるギーシュ。

 タバサはさらに目を丸くする。

 

「――そうだ、丁度良い」

 

 そう呟いたギーシュは自身の身嗜みを簡単に整え、直立の姿勢から――

 

 

 

「ミス・ヴァリエール! 今日までの貴女に対する暴言・誹謗・中傷……その総てを撤回し、それに対する謝罪をさせてほしい!」

 

 

 

 ――深々と頭を下げた。 

 

「本当に申し訳ない!」

 

「ぇ……? え? えぇ~!?」

 

 ギーシュの予想だにしなかった行動に慌てふためくルイズ。

 貴族が頭を下げる場面を見た事が無い訳ではない。

 だがそれは、王族や自分の両親に対してだったりと地位が明らかに上の者に対しての物だ。

 同年代から、しかも常日頃馬鹿にされている自分が下げられるとは思ってもみなかった。

 

「ちょ、ちょっと急にどうして……」

 

「……『ゼロのルイズ』」

 

「――っ!?」

 

 ルイズは問い質すがギーシュの言葉に顔を強張らせる。

 

「例えば今まで僕は何度もこの言葉を口にした。 記憶してはいないけど、その回数は百を超えるのは間違いない。 他にも君を侮蔑した行動を数え切れない程取っている筈だ」

 

 頭を下げたままの姿勢でギーシュは続ける。

 

「だが昨日君は『サモン・サーヴァント』・『コントラクト・サーヴァント』の2つの魔法に成功し、『ゼロ』の汚名を返上した」

 

「……」

 

「……」

 

 キュルケもタバサもギーシュの独白に口を挟まず見守っている。

 

「……そして今日僕は君の使い魔――ボルトに決闘を申し込み完敗した。 この結果から鑑みれば、彼を使い魔にした君のメイジとしての力は僕を上回る物なのかもしれない」

 

「――ぅひゅっ!?」

 

 顔を真っ赤にしたルイズの口から妙な声が漏れる。

 魔法に成功してからまだ2日。

 こんな賛辞に対しての耐性はまだ持てていない。

 

「こんな事で今までの君に対する非礼が償えるとは思えないが、けじめを付ける為にもどうしてもこうしたかった……」

 

 もしこの謝罪がからかいや嘲りを含む物だったならば、躊躇無くその頭部に蹴りや踵を打ち込んだであろう。

 だが声とその態度からは真摯さが伝わってくる。

 

「きゅ……急にそんな事言われても……」

 

 助けを求めるように見回すが、生憎と傍らに居るのはキュルケとタバサだけだ。

 

「……」

 

 そしてタバサは当然のように無言。

 代わりにキュルケが心底楽しそうな笑みを浮かべながら答える。

 

「あらルイズ、貴女の好きなようにしなさいな。 許せないならその頭を蹴っちゃっても良いじゃない」

 

 ――ビクンとギーシュの体が一瞬震える。

 

「そうだ、聞いたわよ? 貴女の蹴りでボルトがダウンしたんですって?」

 

「あ、アレは違うわよ!? あれはアイツがわたしの事を……」

 

 ――ガタガタとギーシュが小刻みに震え続ける。

 

「――ってギーシュ! そ……『そんな所』蹴ったりしないから落ち着きなさいっ!」

 

 自分が歯が立たなかったボルトですらダウンしたと聞いて、ギーシュの額から地面へ変な汗が滴る。

 1つの可能性に思い至り、その足はやや内股の状態になっていた。

 ルイズが顔を赤くしながら慌てて弁明して、それを見てキュルケはまた一層大声で笑う。 

 そんなキュルケを横目で見た後、タバサは穏やかな表情で騒ぐルイズに視線を戻した。

 

 

 

「――とにかくっ! 金輪際わたしの事を『ゼロ』と呼ばないならそれで良いわよっ!」

 

 

 

 混乱したその場を鎮めようと大声でルイズは言い放つ。

 これがギーシュには意外だったらしい。

 

「……そんな事で良いのかい? 僕は平手打ちの2つ3つは覚悟してたんだが……」

 

「あんたはわたしを何だと……」

 

 驚くギーシュを睨むルイズ。

 しかし表情を曇らせながら目を逸らす。

 

「……直接何かをされた訳じゃないし、誰から何を言われたかなんて多すぎて一々覚えてないし……あんたが態度を改めてくれたら、わたしの耳に入る『ゼロ』という言葉は確実に減る……ならそれで十分よ……」

 

「……」

 

「……」

 

 陰鬱に顔を曇らせながら呟くような小声のルイズ。

 加害者側だったギーシュは何も言えず。

 タバサは口を開く様子もない。

 だがこの場にそんな空気を好まない人物が1人。

 

「あら。 じゃあ私もルイズに1回頭を下げておけば今までの事は全部無かった事にしてもらえるのね?」

 

 この言葉を聞いた瞬間、ルイズのそのほっそりとした眉根が一気に吊り上がる。

 

「――はぁあ!? 寝言言ってんじゃないわよっ! あんたの場合はわたしに対する言動について1つ1つ地面に額を擦り付けながら謝ってもらうわよ!」

 

「嫌よ、面倒くさい。 大体そんなの覚えてないわよ」 

 

「それから! 戦争でツェルプストーに殺されたご先祖様達と、ツェルプストーに恋人を取られたご先祖様達の分もよ!」

 

「何よそれ……多少思う所もあるけど、戦争なんだし殺し殺されるのは仕様が無いでしょう? それにねぇ……昔の人の魅力不足を私に言われてもねぇ?」

 

「な……なんですってぇっ!?」

 

 大声で言い合いを始めたルイズとキュルケを冷静にギーシュは見ていた。

 以前は完全に外側から見ていた光景だが、今回は内側に1歩足を踏み出した場所に居た。

 だからこそ気付いた事がある。

 

「あれは……もしかしてキュルケは……『わざと』?」

 

 キュルケの発言は、ギーシュには沈んだルイズの怒りを煽る為に思えた。

 現に今のルイズについ先程まであった陰鬱な感情は無い。

 思わず口にして隣のタバサに目を向ける。

 自分よりもキュルケを知る人物――それと単に自分以外は気絶したままのモンモランシーしかこの場には居なかったからだ。

 

 魔法学院入学当初、ギーシュは何人もの女生徒達に声を掛け、タバサもその対象だった。

 しかし結果は返答どころか反応すら無かった。

 これはギーシュに限った話ではなく、他の男女問わず同じ物だった。

 最近になってキュルケとだけ交流していると知った。

 だから答えなんか期待してはいなかったのだが。

 

「……」

 

「……ぁ」

 

 ――ギーシュの方を向き、僅かに首を傾げる。

 

 予想外の対応に言葉が出なかったギーシュを気にも掛けず、タバサはまた未だ言い合う2人に視線を移す。

 

(『分からない』――って事かな……?)

 

 知らぬ内に加速している鼓動を胸の上から押さえつけるようにして、その吸い込まれそうな青い瞳の先を確認する。

 

(……変わったのは僕だけじゃなくて彼女()も……って所かな……)

 

 その原因であろう人物がいつの間にか口角泡を飛ばす2人の傍らに立っていた。 

 タバサがそちらへ歩き始めたので、ギーシュもモンモランシーを抱いたゴーレムを伴いながら歩く。

 

(――それとも僕が気付かなかっただけで、案外キュルケだけは前から変わっていないのかも……)

 

 

 

 

 

 ――ゴリ。

 

 

 

 突然の間近の音に2人が同時に目を向ける。

 そこにはまたも骨付き肉を食すかのように、ゴーレムの足首を持ったまま脛部分を齧るボルトが居た。

 その部分以外は影も形も見えないので、どうやら既にボルトの腹の中のようだ。

 

「……あんたね。 心臓に悪いから『ソレ』少し自重しな――」

 

「あらボルト、お疲れ様! ギーシュじゃ役者不足だったみたいね。 素敵だったわ♪」

 

「ちょっと!? 今わたしがこいつと――」

 

「……ここにその本人が居るんだけどねぇ。 まぁ僕の敗北は揺るぎない事実だし、例え何度やっても勝てる気はしないのも確かだ」

 

「ギーシュ、あんたっ!? だからわたしが先に――」

 

「そうだボルト、実はいくつか聞きたい事が有るんだが良いかい?」

 

「……あぁ構わない」

 

――ゴリボリゴリ……

――ゴクリ。

 

「……ゲフ」

 

「わたしを無視するなぁーっ!」

 

「……」

 

 何故かルイズ抜きで進む会話を、タバサはいつものように1歩離れた場所から見ていた。

 

 

 

「――それじゃあまず1つ目。 あの決闘の『勝ち方』はルイズからの指示かい?」

 

 ナイフを押し付けられた首の部分に手を当てながらギーシュが問う。

 

「……いや」

 

「……わたしはそんな事言ってないわよ……」

 

 ゴーレムを完食したボルトは言葉少なに、ルイズはまだ不機嫌そうに否定する。

 

「じゃあ次は……もしあの決闘の時――」

 

 首に当てた手はそのままに、真剣な目でボルトを見ながらやや顔を強張らせる。

 

 

 

 

 

「ルイズが僕を――『殺せ』――と命令していたらあのナイフの刃はどっちを向いていたのかな……?」

 

 

 

 

『……っ!?』

 

 3人が息を飲む。

 ギーシュの質問に対しての反応だが、同時にその意図に気付いたからだ。

 

 ――それは伝承とも言うべき古くから伝わる話。

 『忠実な使い魔』――否、『忠実()()()使い魔』の話。

 

 忠実すぎるが故に、主の何気無い言葉や頭に血が昇ったままで口にした命令を遂行してしまう。

 時に喜劇、時に悲劇として広く知られた話。

 だがボルトは『ただの使い魔』とは違い、理性も常識も持つ人間だ。

 ルイズ()が口にした言葉が本気かどうかくらいの判断は容易な筈である。

 

 しかし人間の盲信的あるいは狂信的な忠誠心が『理性と常識(そんな物)』をあっさり塗り潰してしまう事がある。

 

 命令に従い貴族と決闘しそして勝利する事ができる『使い魔』。

 主であるルイズが、嬉々として他人に危害を加えようとする人間ではないと認識はしている――つもりだ。

 ――しかし彼女はここ魔法学院に入学してから、ずっと馬鹿にされ罵倒されてきた。

 それら全部を赦せるのは聖人君子くらいだろう。 

 そうでないからこそ、僅かずつでも彼女の心の奥底で暗く濁った澱みとなる。

 もし何かの拍子にそれが零れ落ち、ボルトが拾い上げてしまったら……。

 

『……』

 

 ――これからは自分の言動にそれ程の責任が課せられるのか。

 他の3人以上に緊張した面持ちでボルトの返答を待つルイズ。

 そんな時彼女が『ソレ』に気付いたのは、僅かの差ではあるが昨日今日とで最もボルトとの関わりが長かったからだろうか。

 

(――あれ? もしかして……ちょっと怒ってる……?)

 

「……」

 

 ボルトは黙ったまま右手で『サングラス』を軽く持ち上げた後、簡潔明瞭に答えた。

 

 

 

 

 

     「――俺は『殺し屋』じゃない。 『冒険屋』だ。 『殺し』の依頼は受けない」

 

 

 

 

 

「……そうか、不躾な事を聞いてしまったようだ。 申し訳ない……」

 

 ボルトの僅かな変化にギーシュも気付いたのか、謝罪を口にする。

 この時少女達はボルトの言葉で気になった部分を反芻していた。

 

 

 

(……『殺し屋』……『殺し』……『屋』……)

 

(……『ボウケンヤ』……『ボウケン』……『屋』……)

 

(……『望見』……『冒険』……『冒険屋』……?)

 

 

 

『冒険屋!?』

 

 疑問が氷解した瞬間、少女達の声が重なる。

 

「――『冒険』――危険を承知で行う事……」

 

「……まぁ王族からの依頼なら一筋縄では行かないような物でしょうから間違いではないと思うんだけど」

 

「言葉の意味としては正しいけど、響きで何だか軽く感じるのよねぇ……」

 

「……」

 

「ははは……」

 

 3人が口々にする感想をボルトはただ黙って聞いていた。

 その歯に衣着せない言い方にギーシュの口から乾いた笑いが漏れる。

 

「……どうせなら『傭兵』って言った方が良いんじゃない? まぁ『傭兵』って言葉の印象は悪いかもしれないけど、アンタは外見でも弱くは見えないんだし」

 

(……うん、確かにそれも悪くない)

 

 ルイズの言葉を聞いてギーシュは目の前のボルトを見る。

 表情が少なくてしかも『黒いメガネ』で分かり難く、長身故に威圧感がある。

 しかも強者の風格というか雰囲気というか、ルイズの言葉通りその外見だけでも『只者ではない』と分かる。

 貴族ならともかく、同じ『傭兵』からなら侮られる事は無いだろう。

 

「……生憎と名付け親がいるんでな。 それに……『長い間』使ってるんでこれが性に合っている」

 

 『サングラス』を片手で軽く持ち上げながら、ボルトはルイズの提案を断る。

 

「えぇ~、何それ……『冒険()』ならまだしも『冒険()』なんて聞いた事ないわよ?」

 

「確かにねぇ……」

 

「……」

 

「まぁ本人が納得してそれで良いって言ってるんだから……」

 

 不満気なルイズに、同調するキュルケ。

 無言で会話を見守るタバサに、苦笑しながら宥めるギーシュ。

 

 ――4人からは見えないボルトの上げられたその手の陰。

 彼にしては珍しく、その口元は純粋な笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

     『定職を決めるのが嫌なら俺がお前の仕事を決めてやる』

 

 

 

     『“冒険屋”ってのはどうだ?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あぁボルト、最後の質問なんだが……あ~、その……報酬は何故『あのワルキューレ』を選んだのかな……?」

 

「……『アレ』が1番近かったからな」

 

「え? そ……それだけ?」

 

「あぁ。 それに他のは1度は地面を転がったり首が無かったり……」

 

「は、ははは……そうか、良かったぁ……あぁ気にしないでくれ、こっちの話だから」

 

 

 

(……ッチ)

 

 

 

「ん? 目が覚めたのかい、モンモランシー!?」

 

「……」

 

 

 

 ――返事が無い。

 ――気を失っているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




――『今年中に出来れば2話、最低でも1話投稿したいなぁと』
前話後書きでそんな事言っておいてこの体たらく……
最早確定事項となりつつある『月1詐欺』です……。
月どころか年まで跨ぎ、年中行事を4つか5つ程すっ飛ばしての投稿でした。

そして相変わらず話が進まない……。
こんな鈍足進行な作品をご覧いただき、ありがとうございます。
なのに次回も殆ど話が進まない幕間的な話の予定です……。
もしまだ覚えていてくださっていたら、次話もよろしくお願いします。

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。



※誤字修正
『被害者側』だったギーシュ→『加害者側』


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ANOTHER STORY “エイボーン”

今回『EAT-MAN』のコミックの内容を一部抜粋・要約・偽装・想像して作られています。
ご了承下さい。
『ACT-1』での微細な伏線を回収したつもりです。


 

 

 

 ……さて、今日はどんなお話をしようかねぇ。

 

 そうだねぇ……皆あの向こうに見える山は知っているね?

 

 そう、『竜の山』だ。

 

 あそこには恐ろしいモンスターが数え切れない程いる。

 

 それからたくさんの『竜』も。

 

 そして『竜の山』の山頂には、そんな『竜』達より遥かに大きくて、恐ろしい『竜』が潜んでいる。

 

 『竜の山』の主であり、私達の守り神でもあるんだよ。

 

 皆も1度は聞いた事があるだろう?

 

 ――その『竜』の名前は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ANOTHER STORY “エイボーン”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――トリステイン魔法学院、ヴェストリの広場。

 ここではつい先程まで『前代未聞』の決闘が行われていて、その結果は『空前絶後』な物だった。

 それが終わり見物に押しかけていた生徒達もそれぞれの部屋に戻り、広場はいつもの静寂に包まれている。

 そんな広場に人影が2つ。

 

「――うふふふふふ、笑いが止まらないわね! ルイズ様様だわ」

 

 1つはこれ以上無いというぐらいに上機嫌なキュルケ。

 

「月に1回か2回とか定期的に何かしてくれないかしら? あ、でももう大勝ちは出来ないわよねぇ……」

 

「……」

 

 もう1つはタバサ。

 はしゃぐキュルケを気にも留めず決闘の舞台となった広場を見渡している。

 

「――もぅ、貴女の方が勝ってるのにちっとも嬉しそうじゃないのねぇ」

 

「……」

 

 溜め息混じりにぼやくキュルケ。

 タバサはゆっくりと広場を歩き、時折手にした杖で足下の草を掻き分ける。

 

「……? 何か探してるの? 広場(ここ)はさっきギーシュのゴーレムが粗方片付けちゃったわよ?」

 

「――っ!?」  

 

 キュルケの言葉を耳にしながらも足を止めないタバサ。

 だが何かを見つけたのか小走りで移動し、足下の物を拾い上げる。

 

「え? なになに? 何か見つけたの!?」

 

 キュルケはタバサに駆け寄り、興味津々でタバサの手にしている物を覗き込む。

 

「これは……陶器――皿の破片?」

 

 ギーシュが見逃してしまったのか、まだ残っている物が有ったようだ。

 その原形は破片からして恐らくは皿。

 材質からして自分達貴族が使うような物ではなく、平民が日常的に使う物だろう。

 ボルトはどうやら厨房から平民用の皿を持ち出したらしい。

 

「……」

 

「……」

 

 だが2人はこの使った事もない筈の皿に僅かだが、しかし確かに見覚えがあった。

 残念ながらそれが思い出せない。

 まぁそれも仕方のない事だろう。

 

 

 

 ――『“スープ皿”を食べる』という驚愕の事態を目の当りにしていたのだから。

 

 

 

「――ところでタバサ。 結局どうして貴女はボルトの事気にしてるの?」

 

「……」

 

 ずっと不思議に思っていた事をタバサに尋ねるキュルケ。

 答えないタバサに、しかしキュルケは不満に思わなかった。

 きっと自分にも言えない複雑な事情が絡んでいるんだろうと納得した。

 

 

 

 

 

 ――昨夜タバサはこう伝えられた。

 

 ――『あの男から竜の匂いが微かにする』と。

 

 『竜』――それはハルケギニア最強の幻獣。

 魔法の力を凌駕する火力・生命力を誇り、戦えばまず勝ち目はないと恐れられている。

 

 しかし小型の竜に騎乗して戦う竜騎士隊が各国に存在する。

 タバサはボルトが騎士隊かそれに属する隊に所属していたのかもと予想したが、あっさりと否定される。

 

 ――『あんな匂いの竜が人に従うとは思えない』。

 ――『自分でも見た事が無いくらい永い時を生きた巨大な竜だろう』。

 

 匂いだけでそこまで分かるのかとタバサは問う。

 

 ――『匂いがしたのはあの男の背中――と言うよりは背面全体。 そしてそれはここの部位の匂い』。

 そう答え自らの鼻筋をなぞった。

 

 タバサは絶句する。

 ボルトの身長はおおよそ2メイル。

 鼻筋だけで2メイル以上ならばその竜の全長は50メイルは下らず、100メイルを越えてもおかしくはない。

 

 ……そもそもそこの匂いがするという事は、ボルトはそんな竜の鼻筋に寝転がったとでも言うのか。 

 

 しばらく考えてタバサは明日可能な限りボルトを監視するよう伝える。

 

 ――『きゅい』。

 

 そんな了解の言葉が返ってきた。

 

 

 

 

 

 ――巨大な飛空艇が空を行く。

 

 船体には『リオ商会』と書かれてある。

 最近になってよく耳にする名だ。

 色々な方面に少しずつ進出し、今では手広く商売をしている。

 だが成功者の常とでも言おうか、『黒い噂』は絶えない。

 それが事実はどうかは別として、時に大勢の冒険屋を雇うのもまた事実だ。

 

 その全長100メートルを越える飛空艇。

 小型の飛空艇なら10機は並べられる広い甲板には、30人程の一目で冒険屋と分かる男達が居た。

 

 そんな男達に混じって、異彩を放つ3人。

 

 1人は30代前半になるだろう男。

 派手ではないが上質の布と仕立ての服。

 周囲の冒険屋達とは違い、緊張や気負い等とは無縁の表情。

 この男こそこの巨大飛空艇の所有者である『リオ』。

 その持って生まれた才覚で『表』だけでなく『裏』でも辣腕を振るい、一代で今の『リオ商会』という組織とそのトップという地位を手に入れた。

 

 そしてリオの隣で妖艶な笑みを浮かべる若い女。

 恐らく20代前半、やや長めの艶やかな黒髪と紅い唇。

 防弾性の上下のスーツにブーツを身に付けている。

 スーツは肩から二の腕部分の袖は無く、その白く多少筋肉の付いてはいるが十分に細いと言える腕が露わになっている。

 彼女はリオの情婦や秘書なんかではない。

 他の男達と同じく『リオ商会』に雇われた冒険屋だ。

 先程言い寄る男2人を、裏拳と後ろ回し蹴りで同時に『黙らせた』のを見ていたリオに気に入られたようだ。

 彼女はリオに『ソニア』と名乗った。

 

 彼らの目的は『生きたままの竜の捕獲』。

 『竜』はその強さと神秘性故に様々な伝説や言い伝えがある。

 その内の1つが――『竜の骨で作ったスープは不老不死の薬』。

 しかしリオはそんな話は微塵も信じてはいない。

 効能など二の次、だが間違い無く金になると確信してのこの計画。

 なんと標的には『伝説の竜』とも『守り神』とも呼ばれる山の主すらも視野に入れていた。

 その為の巨大飛空艇と特別捕獲装置、そして大勢の冒険屋なのだ。

 

 そして3人目は。

 その2人の前に座らされ、そしてロープで胴体ごと両腕を拘束された男。

 

 ――『世界一の冒険屋』、ボルト・クランク。

 

 今回の依頼は『リオ商会の計画の阻止』。

 老人達から依頼され、武器だと言われて大小様々な大量のガラクタのような物を差し出された。

 

「懐かしい味だ……」

 

 それを食べながら移動、時間に若干遅れながらもなんとか飛空艇に乗り込んだ。

 しかしどうやらボルトの動きはリオ商会に監視されていたらしく、リオは銃を構えてボルトを狙う。

 ソニアはリオの命令でボルトと対峙。

 にこやかな笑みの彼女を見たボルトには何かが引っ掛かった。

 その一瞬の隙にソニアはボルトの腹部に膝を叩き込み、あっさりと捕縛する。

 

 

 

「――『()の竜』はかつて『ボイヤー』という竜使いが所有し、故に彼が持つ『ボイヤーの剣』にしか従わなかったそうだ」

 

 それはこの国の者なら知らぬ者はいないだろう、歳を経てなお『最高の冒険屋』と称されたボイヤーの伝説。

 ボルトに銃口を向けながらリオは語り出す。

 

「やがてボイヤーは歳を取り、跡取りに剣を託した。 その剣をボイヤーに代わって渡したのが……」

 

「見ろ! 竜だ!!」

「捕獲用意!」

 

 見張りの声と共に冒険屋達が慌しく動き出す。

 

「『ボルト・クランク』……キミだという事になっている」

 

 飛空艇に備え付けられた装置から特殊な金属で編まれた網が打ち出され、体長2~5m程の竜が次々と捕獲されていく。

 

「くっくっ……『彼の竜』が剣ごときに支配される筈が無い」

 

 己の言葉を一笑に付しながら、リオは銃を構えボルトに狙いを定める。

 

「この際キミにはご退場願い、バカげたおとぎばなしを消し去るとしよう」

 

「アタシにやらせて。 好みだから……」

 

 腰のホルスターから銃を抜き、ソニアがボルトに歩み寄る。

 その後ろでは捕獲成功に沸く冒険屋たちが歓声を上げていた。

 そんな光景を横目で確認しつつリオが口を開く。

 

「あぁひとつ忘れていたよ……跡取りは『レイン』という小娘で、冒険屋を志願していたそうだ……」

 

 ソニアは俯いていたボルトの前髪を掴み、無理矢理顔を上げさせる。

 そしてゆっくりと顔を近づけ、その紅い唇をボルトの口に押し当てる。

 

「まだ子供でおとなしい彼女は冒険屋に向いていなかった……という所か」

 

「!」

 

 サングラスの陰でボルトの目が驚きで見開かれる。

 口内に柔らかく生暖かい舌が差し込まれたから――ではない。

 その舌が『固く生ぬるい何か』を口内に押し込んできたからだ。

 ソニアがゆっくりと唇を離すと、彼女の舌とボルトの口に咥えられた『何か』が唾液の糸で結ばれた。

 

「それが最後のネジ……」

 

 今までの妖艶な笑みから一転、少女のような明るい笑みと共に片目を瞑りソニアは言葉を続ける。

 

 

 

「食べ残しはよくないって……8年前も言いましたね」

 

 

 

 ――それはかつてボルト自身の口から出た言葉。

 

 祖父の跡を受け継ぐ為に冒険屋を志し、『竜の山』頂上に残されたという『ボイヤーの剣』を求めた少女。

 しかし既に誰かが持ち去ったのか、頂上の古ぼけた巨大なケースは空だった。

 侵入者に怒り狂う『竜』を前に、少女の流した涙は『恐怖』からではなかった。

 

『ごめんなさい……おじいちゃん』

 

『私がもう少し早く来ていれば……!』

 

 嘆きながら膝から崩れ落ちる少女。

 半ば護衛という形で共に来ていたボルトが彼女に言う。

 

『2つだけ分かった事がある。 お前が本気で冒険屋になりたいと思っている事と……』

 

 ボルトは空のケースに向かって移動し、その隅に残っていた『ネジ』を拾い上げる。

 

 

 

『……食べ残しは良くないって事だ』

 

 

 

 ――それは『昔々』で始めるには新しすぎて。

 

 ――しかし荒唐無稽すぎて『真実』とは思えない『おとぎばなし』。

 

 

 

 

 

「1杯食わされた……」

 

「……!?」

 

 ボルトの雰囲気が変わった事に気付いたリオが顔をしかめる。

 だが次の瞬間、その目は驚愕で見開かれる。

 

 ――カリカリ。

 

 ――ゴクリ。

 

 

 

「――完成!」

 

 

 

 唐突に。

 

 何の前触れも無く。

 

 その場に『剣』が現れた。

 

 リオからは、背を向けたソニアの陰になっていてはっきりとは見えない。

 だがボルトの右側の空間に、突如横向きの『剣』が出現したとしか思えなかった。

 

 ――それは剣というにはあまりにも大き過ぎた。

 

 柄部分だけでも30cm以上で全長は3m近く。

 鍔とも言うべき部分は一見ガラクタのようにも見える物で構成されていて装飾の為か刀身の半ばまで覆い、ケーブルに似た物が何本も出ている。

 刃の幅は10cm程、刀身は完全に露出している部分だけでも1mを越えている。

 

 そんな巨大な『剣』を、ソニアは軽々と左手で握る。

 

「――そのおとぎばなし、まだ終わってないわよ」

 

 肩越しにリオに振り向くソニアの顔には、既に媚びるような笑みは存在しておらず。

 代わりに悪戯が成功した時に子供が浮かべるような楽しそうな笑みがあった。

 

「『レイン』は冒険屋として成長し……竜を狙うワル~イヤツを成敗しましたとさ」

 

 ソニアは右手に『剣』を持ち替え、頭上高く掲げる。

 その大きさと形状、誰がどう見ても実用的とは言えない『剣』だ。

 だがそれもその筈。

 これは戦い(そんな事)に用いる剣ではない。

 

 ――これは『竜を従える為』の『剣』なのだ。

 

『ある人物に依頼された』

 

『――本気で冒険屋になりたいと思っている奴にこの剣を受け継がせてくれ――とな』

 

 そしてソニア――否、レインはボルトを通じ祖父から託された『ボイヤーの剣』を手に、その名を高らかに叫ぶ。

 

 

 

「エイボーン!!」

 

 

 

 ――飛空艇から遠く離れた『竜の山』山頂付近。

 広大な洞窟の中で岩山が動き出す。

 届く筈のない声を聞き、身を起こし翼を広げ大地を蹴る。

 

 1分も経たずに甲板から見える空が陰る。

 リオ商会の飛空艇も巨大ではあったが、エイボーンと比較するのも馬鹿馬鹿しい。

 その背にある片翼ですら飛空艇とほぼ同じ大きさ、その体長は優に200メートルを越える。

 

 対比すれば飛空艇など『少し大きめの玩具』でしかない。

 腕を振るいその車程もある爪を飛空艇に叩き付け、捕獲されていた竜を開放する。

 

「ヒッ……ヒイィ!」

 

 リオの喉からかすれた悲鳴が漏れる。

 

「エイボーンには近付かない事ね。 さもないと……」

 

 エイボーンが身をくねらせ、飛空艇と並行する。

 レインの背後にその視界を覆わんばかりの横顔が広がり、その大きな姿見のようなエイボーンの目には恐怖に慄く自分が映っていた。

 

「――エサにしちゃうわよ」

 

「せ……旋回だ! 旋回しろォー!!」

 

 外聞もプライドの打ち捨て、顔面から色々な液体を飛ばしながらそう喚く事しかできなかった。

 

 

 

 

 

「連中をちょっと脅かしてやろうと思って、あんなヘタな芝居打ったんです」

 

 日が傾きかけた空をエイボーンは悠々と飛ぶ。

 周囲には助けた竜が付き従う。

 

「それにはあなたの力が必要でした……」

 

 両手を重ねて枕にしエイボーンの鼻先で寝転ぶボルトに、レインは少し離れた額部分に立って今回の顛末を語る。

 

「8年も何処をほっつき歩いてたんですか?」

 

「色々だ」

 

 ぶっきらぼうな物言いだが、それが彼の常だと既に心得ているレインは気にせず続ける。

 

「少しは……私の事心配しました?」

 

 気恥かしさを感じながらも、僅かな期待を込めてそう問い掛けるが。

 

「いや……」

 

「8年前は『やめておけ』とか言ってたくせに……」

 

 身も蓋も無い言い方に、拗ねたような落胆の言葉を零す。

 

「さっきだってあなたはわざと私にやられた……そのくらいお見通しですよ」

 

 悔しそうに、それでも笑顔でボルトに指摘する。

 

 

 

「――見事な蹴りだった。 お前とは気付かなかった」

 

 

 

 ――ほんの一瞬、言われた言葉が理解できなかった。

 

「え……だってお爺さん達に聞きませんでしたか?」

 

 そんな筈は無い。

 2人連れ立って乗り込むよりも警戒されないからと皆で計画したのだから。

 

「言った筈だ……『1杯食わされた』とな」

 

 体勢的に見上げるようにして、ボルトはレインに視線を向けながらそう言った。

 結果的に騙された形にはなったが、それはそれで楽しかったというような笑みを浮かべながら。

 

「ア……アハ……」

 

 思わず笑いが漏れる。

 ボルトは相手が自分だからと手加減した訳ではなかったのだ。

 彼は自分の事を『1人の冒険屋』として認識して対峙し、自分は隙をついたとは言え『世界一の冒険屋』に一撃を入れたのだ。

 

「アハハハハハハ!」

 

 そんな勘違いが可笑しくて、その事実が嬉しくて。

 エイボーンと共に空を進みながら、レインは心の底からの笑い声を響かせた。

 

 

 

 ――丁度その頃。

 何人かの老人が躓きながら転びながら、急いで走っていた。

 

「忘れとった!」

「レインが先に乗り込んどるんじゃった!」

「はようあの冒険屋に知らせんと!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……そうしてその女の子は冒険屋になって、お祖父さんの剣と『エイボーン』と一緒に大活躍しました。

 

 めでたしめでたし。

 

 ん? どんな冒険をしたのかって?

 

 それは今度直接――

 

「こんにちは~、皆良い子にしてたかな~?」

 

 ――おや、丁度良かったね。

 

「こんにちは、院長先生。 今日はお客さんも一緒なんだけど」

 

「ん? ここ? まぁ孤児院みたいな施設よ。 昔私もお世話になった時があったから、今でも時々顔を出すの」

 

「今日はここに一緒に泊まってってよ。 1度あなたと飲みたかったの。 ――もちろん『工業用アルコール』なんかじゃなくて普通のお酒を……ね!」

 

「こんにちは~!」

「レインおねぇちゃん久し振りー」

「なぁ、さっき院長先生が話してた『女の子』ってレイン姉ちゃんなんだろ?」

「もっともっと聞きたい!」

 

「こ、こんにちは……」

「すげぇー!」

「でっけぇー!」

「かっこいいー!」

 

「――ねぇねぇ、どうして『そんなの』を食べてるの……?」

「おいしい?」

 

 

 

 

 

   ――カリ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回は以前と同じ『EAT-MAN』の内容を基に作られています。
『EAT-MAN』を知らない方でも楽しんでもらえれば嬉しいです。

……ただでさえ話の進行が遅いのに、今回は幕間的な内容で申し訳ありません。
感想の方でもご指摘いただきましたが、なかなか作成の時間が取れず投稿は『月1詐欺』となってしまっています。
内容の方は、もう少しサクサク進むようにしたいと思います。

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。



今回の地震は自分の所でも『福岡県西方沖地震』が思い出される程の揺れを感じました。
地震や土砂災害で被災された方達や避難を続ける方達への被害がこれ以上広がらない事を願います。
自分も募金という形ですが、出来る支援をしていきたいと思います。


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ACT-19 名前

……お久し振りです。
半年以上も更新せず申し訳ありませんでした。

春から夏と秋を飛ばして既に冬……
『月1詐欺』というより最早『季1詐欺』でしょうか……

皆さんに忘れ去られてないと良いんですが……


 

 

 

「――そしたらボルトさん、そんな身動きも取れない状態なのにこう言ったんです。 ――『勝敗は最後の最後まで分からない』」

 

 

 

『おぉ~!』

 

 厨房にどよめきが満ちる。

 

 時刻は昼食から半時程経過している。

 あと一時程でそろそろ夕食の仕込み等を始めなければならない。

 本来ならば空いた時間を思い思いに過ごすコックやメイド達が、今日は厨房に詰め掛けている。

 ――椅子に座る者、壁に寄り掛かる者。

 ――飲み物を手にする者、軽食を取る者。

 一様にリラックスしつつも軽く興奮しながら注目しているのは、ここトリステインでは珍しい黒髪の少女。

 

 近年希に見る一大騒動となった、『貴族対平民の決闘』。

 その騒動の中心人物の1人であり決闘を目撃した唯一の平民――『シエスタ』。

 

 彼女は今厨房の一角で空の木箱の上に立ち、事のあらましから決闘の流れを語っている。

 余談だが彼女の語りは今まで2度中断されている。

 ボルトの勝利を伝えた直後に請われて決闘の話を話し始めたが、そこへ食堂のテーブルの片付けを終えたメイド達が戻ってきた。

 そこでもう一度始めから話し始めたのだが、暫くすると他の場所で仕事をしていた平民が噂を聞きつけ厨房に押し掛けた。

 恐らく魔法学院で働く平民の殆どがこの厨房にいると言っても過言ではないだろう。

 残念ながら衛兵等どうしても抜けられない者達は涙を呑んだが。

 

 

 

「――そのゴーレムが突き出したレイピアを蹴ったんですが、逸れただけでボルトさんの顔にそのレイピアが向かって……」

 

 本来は料理に使用するのであろう木製の串を手にしたシエスタは、その切先を自分の顔に向ける。

 

「えぇ!?」

「おいおい……」

 

 何度目か分からないどよめき。

 それが静まり皆の視線が集まるのを待ち、シエスタは続ける。

 

「その向かってくるレイピアをボルトさんはこうしたんです……!」

 

 そして一拍置いて、ゆっくりと近付く串を大口を開けて――咥えた。

 

「おぉ!」

「えぇ……」

「そりゃあ無理だろう!」

「シエスタァ~? 別に脚色する事ないのよ?」

「ほ、本当ですよぉ!」

 

 驚きと疑念の声の中、シエスタは大声で真実だと訴える。

 以降ボルトの反撃――皿、巨大な板、窓に関しては同様の遣り取りが繰り返された。

 そしてナイフを使っての攻撃、これをシエスタは態々用意していたナイフを使って演じた。

 もちろん細かい軌跡は記憶してはいなかったので詳細は適当だったが、しかし聴衆は歓声を上げる。

 

「――そして最後のゴーレムのナイフで弾いて、相手の首筋にこう……!」

 

 ――『平民が貴族に決闘で勝った決定的瞬間』。

 その再現を目にした瞬間、厨房が拍手喝采で満たされる。

 あちこちでグラスやコップがやや強めに高い音を立ててぶつかり、その衝撃で中身が持ち手に降りかかるが誰もそんな些事は気にもしない。

 そんな喧騒の中、シエスタは申し訳なさそうに零す。

 

「本当はこの時、降参した貴族の方が何かおっしゃってたんですが……」

 

 離れた場所で呟かれた言葉。

 シエスタにはよく聞き取れなかったのだ。

 だが思わぬ所から解答が得られる。

 

 

 

「――『投了(リザイン)』……だよ。 チェスで使う、自分の負けを宣言する言葉さ」

 

 

 

 食堂に通じる入り口から聞こえたその声を耳にした途端、シエスタの顔が一気に青ざめる。

 全身が震えだし膝から崩れ落ちそうにもなっていた。

 そのシエスタのただならぬ様子に厨房中の人間が振り向き、そして息を飲んだ。

 それもその筈、つい今し方まで『ボルトに負けた貴族』として散々話のネタにしていたその本人が立っていたのだ。

 

「シエスタ――だったかな、良かった。 少し前に厨房に向かったと聞いて、もう居ないかもと思っていたから」

 

 そう言いながら金髪の貴族の少年――ギーシュが無造作に足を前に進めた瞬間、その場に居た全員が動いた。

 男達はギーシュの行く手を阻む壁のように横に並ぶ。

 女達はシエスタを隠すようにその周囲に立つ。

 そしてマルトーは無言で踏み出しギーシュと対峙する。

 

「……これはこれは、貴族様が厨房なんぞに何か御用ですかい?」

 

 怒りと少しの恐れが篭もった低い声に、ギーシュは苦笑しながら答える。

 

「……君達が考えているような事は一切しないよ。 そこのシエスタと少し話したいだけだ」

 

「……」

 

 それでも変わらない態度のマルトーに、ギーシュは懐から薔薇を模した杖を取り出す。

 

「っ!?」

 

 一瞬身構えるマルトーに杖が向けられた。

 ――その持ち手をマルトーの前にして。

 

「その証拠に杖は預けるよ。 そして『彼女に一切危害は加えない』と始祖ブリミルと女王陛下に誓おう!」

 

 2、3度手にした杖とギーシュの顔とで視線を往復させた後、マルトーは硬い表情のまま杖を握り締めそれでも道を譲る。

 それを見て男達も決してギーシュから視線を外さないまま左右に分かれて道を開ける。

 女達も心配そうな表情のままそれでもゆっくりとシエスタの背後へと移動する。

 そして血の気を失って怯え、木箱から降りる事すら忘れてしまったシエスタの前に立つ。

 厨房中の視線を浴びながら、軽く深呼吸をした後にギーシュは予定通り行動に移る。

 

 

 

 

 

 ――そしてその場に居合わせた者は、『平民(シエスタ)に謝罪する貴族(ギーシュ)』という歴史的瞬間を目撃する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ACT-19 名前

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――へぇ、ギーシュの奴ちゃんと謝ったんだ……」

 

 厨房裏の中庭に幾つか用意してあるテーブル。

 そこでシエスタの淹れてくれたお茶を飲みながら呟くルイズ。

 

「はい、始めは私もびっくりしちゃって暫くおろおろしちゃったんですけど……その間もその後も、私が謝罪を受け入れるまでずっと頭を下げられたままだったんですよ」

 

「ふーん……そう、少しは見直したわ」

 

 そうは言うがルイズからしてみればマイナスが多少ゼロに近付いたにすぎないが。

 

「そうね。 人前で謝罪するなんて、貴族は滅多にやらないからそこは素直に感心しても良いと思うわ」

 

 隣に座るキュルケもカップを片手に同意する。

 そんなキュルケをルイズは横目で睨む。

 

「……そうよね、他人を散々馬鹿にしておいて謝罪もしない人間も居るんだし……」

 

「ふ~ん……でも何度も授業で爆発を起こして、謝罪どころか非を認めない人間もいるみたいよ?」

 

「くっ……」

 

 澄ました表情で返すキュルケとは対照的に苦々しく顔を歪める。

 そんな2人に苦笑しながら、シエスタはキュルケの隣の少女に声を掛ける。

 

「ミス・タバサ、お茶のおかわりはいかがですか?」

 

「ん……お願い」

 

 本を読みながらカップを差し出すタバサ。

 それを受け取りながらシエスタは隣のテーブルにも声を掛ける。

 

「ボルトさんはいかがですか?」

 

「……頼む」

 

 1人テーブルに座るボルトから、嬉しそうにカップを受け取るシエスタ。

 ボルトだけが違うテーブルなのには理由があった。

 当初ボルトもルイズ達と同じテーブルに着こうとした。

 

「あんたみたいに図体でかいのが座ったらテーブルが狭くなるじゃない! 向こうに移りなさいよ!」

 

 本来なら1人もしくは2人がお茶を飲むくらいが目的の小さな円形のテーブル。

 ルイズとタバサが小柄なのを考慮しても3人は確かに手狭だ。

 さらにボルトが同席するのは無理がある。

 隣のルイズが追い払ったのは自然な流れだ。

 ボルトは特に不平不満は口にせず席を移動した。

 

 

 

「あ、ボルトさん、今夜お時間はございますか?」

 

 新しく淹れたお茶を差し出しながらシエスタがボルトに尋ねる。

 

「えぇっ!?」

 

「えっ♪」

 

「……」

 

 シエスタの唐突な発言に、ルイズは驚いて、そしてキュルケは何故か楽しそうに声を上げる。

 タバサも手元の本から顔を上げシエスタに視線を移す。

 

「……えぇ!? いや、違いますよ!? そういう意味ではありませんよ!?」

 

 そんな彼女達の反応に自分の言葉がどう勘違いされたか悟り、シエスタは慌てて否定する。

 

「マルトーさんがボルトさんの祝勝会を開きたいので、是非顔を出して欲しいとの事だそうです」

 

『なんだ……』

 

 ルイズの安堵の声とキュルケの落胆の声が重なる。

 

「『夜の賄いを賄いと思えない程豪華にするぜ!』って張り切ってました! ……あ、ボルトさんには取って置きのお酒をご馳走するとも」

 

「ほぅ……」

 

 お茶菓子代わりにボルトのテーブルに転がっているネジを見ながらのシエスタの言葉に、ボルトは笑みを浮かべる。

 そして隣のテーブルのルイズに視線を移す。

 

「……」

 

「……な、何よ急にこっち見て」

 

 意味ありげなボルトの視線に、ルイズがうろたえる。

 

「……一応『ゴシュジンサマ』の許可を貰おうと思ってな」

 

「……いちいち気に障る言い方しないでよね。 ――別に構わないわよ、わたしも予定はないから頼みたい事もないし……」

 

「――だそうだ」

 

「良かった! ありがとうございます! じゃあ夕食の時間に厨房に――」

 

 嬉しそうに話すシエスタの背後で呟く声と興味深げな表情。

 先の言葉に興味を持ったのはボルトだけではなかった。

 

「ふ~ん、『取って置き』ねぇ……」

 

「……豪華」

 

 キュルケとタバサがお互いに顔を見合わせ、その後2人してシエスタの方へ身を乗り出す。

 

「……ねぇシエスタ。 その祝勝会に私達も参加させてもらえないかしら?」

 

「――えぇっと、それは……」

 

 貴族の言葉は多少の無茶でも応えるシエスタでも、これには思わず言いよどむ。

 平民が日頃抱える鬱憤の大部分は貴族が原因である。

 そんな溜まりに溜まった鬱憤の解消に今回の『祝勝会』程最適な物は無い。

 貴族に対する不平不満が愚痴や悪口等となって吐き出されるだろう。

 だがそんな場に貴族が居れば鬱憤の解消どころか溜まる一方だ。

 

「私達は、無理矢理押し掛けた祝勝会で無礼だ不敬だなんて言葉を口にする程野暮じゃないわよ?」

 

「……」

 

 苦笑しながら続けるキュルケの隣でタバサも無言で肯定する。

 

「こんな言い方は貴族の私が言うのは卑怯かもしれないけど――」

 

 乗り出していた体を戻し再び椅子に腰を下ろす。

 そして微笑みながら軽く見上げるようにして、困惑の表情のシエスタに続ける。

 

「――ボルトを応援した同じ『仲間』じゃない。 私達も彼の勝利をお祝いしたいのよ」

 

「――その言い方は確かに卑怯ですね……」

 

 シエスタは困惑の表情のまま、しかし嬉しそうに溜め息を漏らす。

 

「……分かりました、マルトーさんにお願いしてみます」

 

「十分よ。 ありがとう!」

 

「……ありがとう」

 

「わっ、わたしも行くわよ!」

 

 忘れられては困ると、1人蚊帳の外だったルイズが慌てて割って入る。

 

 

 

「……今日はダエグの日。 大丈夫?」

 

 そろそろお茶会も終わろうという時。

 タバサが何かに気付き、シエスタに尋ねる。

 

「あぁっ!? そう言えば……」

 

「忘れてた。 厨房は忙しいんじゃない?」

 

 ルイズとキュルケも慌ててシエスタに確認する。

 

 『ダエグ』とは、1週間を構成する8つの曜日の内の呼び方の1つ。

 タバサの心配は『ダエグ』の翌日が『虚無』だという事。

 ハルケギニアでは『虚無の日』は休日であり、ここトリステイン魔法学院でも授業はない。

 街に行く為に通常より早く起きたり、ゆっくり昼近くまで寝ている生徒もいる。

 その為朝食・昼食は時間を定めずに、食べたい者だけが好きな時間に食堂で予め用意された軽食を取るようになっている。

 

 その反面『虚無』の前日の『ダエグ』の夕食はいつもより少し豪勢だ。

 何より翌日の休日の事を思い、食が進む生徒達の対応にコックやメイドは追われる事になる。

 「そんな忙しい中祝勝会を催しても大丈夫なのか」というタバサの心配だった。

 

「――それがですね、先程先生方から『ほとんどの生徒が体調不良を訴えているので、夕食は明日と同じ方法で』とお話がありまして……」

 

 その言葉にボルト以外の頭には、広場での惨事が浮かぶ。

 

「ふ~ん、アレぐらいでだらしないわね」

 

「ミス・ヴァリエール、アレは仕方ないと思いますよ? 初めて見た時は私も驚きましたから……」

 

「……まぁそれだけじゃないと思うけどね」

 

「……」

 

「ん? 何よキュルケ、何か言った?」

 

「別に何も。 良いんじゃない? お陰でこうやってのんびりお茶できたんだから」

 

 ――そう、本来ならば今は昼食後の授業の時間である。

 ところがどの教室でもほとんどの生徒が体調不良を訴え授業どころではなくなってしまった。

 結局午後の授業は全て中止、全員が自室待機となった。

 しかしルイズ達は自室ではなく厨房へ足を運んだ。

 ギーシュは『謝罪する』とは言ったが、やはりシエスタの安否が気になったのだ。

 ボルトを伴って足早に厨房に押し掛けたルイズ達にシエスタは驚きながらも自身の無事を伝える。

 安堵しつつも事の詳細を求めたルイズ達に、シエスタは話ついでに中庭でのお茶会を申し出た。

 それが冒頭の内容なのだった。

 

「それではボルトさん、夕食の時間に! ……ミス・ツェルプストーにミス・タバサ、あまり期待しないでくださいよ?」

 

「大丈夫よ、駄目で元々なお願いなんだから」

 

「……」

 

 キュルケの隣でタバサも無言で同意する。

 

 その横をルイズは通り過ぎ、ボルトの座るテーブルに向かう。

 ボルトの前に置かれたカップにはまだ湯気の立つお茶が残っており、テーブルの上にも5、6個のネジが転がっていた。

 

「ちょっと! 早く部屋に戻るわよ、一応自室待機って言われてるんだから!」

 

 そうルイズに急かされ、ボルトはお茶を一気に飲み干す。

 そして右手で散らばったネジをかき集め、纏めて口の中へ放り込む。

 

 

 

 ボリ

 

 ゴリ

 

 ボリ

 

 

 

「……あんたのその悪食、なんとかならないの?」

 

 最早見慣れた光景ではあるが、ルイズは渋面をつくって呟く。

 

「……ん~?」

 

 そんな光景を目にして、キュルケが少し考え込む。

 

「……ねぇルイズ」

 

 そんな言葉が後方から聞こえ、ルイズの体は硬直する。

 キュルケがこんな問い掛けをする時、その内容はルイズに不利益・不快感を与える物がほとんどだからだ。

 キュルケ本人がそうと意識するしないに関わらず。 

 

「……なによ」

 

 嫌な予感を抱えながらゆっくりと振り向くルイズにキュルケは真顔で問い掛ける。

 

 

 

 

 

「――あなた、ボルトの事名前で呼んでないの?」

 

 

 

 

 

 キュルケの言葉を聞いて、シエスタとタバサもルイズへと視線を移す。

 ルイズの返答を待つ3人分の無言の圧力にルイズは焦りながら、しかし即答できない。

 

 ――『あんたなんか……』

 ――『ねぇ、……』

 ――『この馬鹿使い魔っ!』

 ――『ちょっとあんた!』

 ――『今わたしがこいつと……』

 

(……あれ……呼んだ事なかったっけ……)

 

 必死に衝撃的過ぎた昨日の出会いから思い出すが、そんな場面が浮かんでこない。

 

「あぁ~ほら、あの時よあの時! 決闘の時に負けそうに――と言うよりも殺されそうになった時に!」

 

 

 

 ――『ボルトォーっ!』

 

 

 

 ボルトの首にゴーレムが持つ剣が刺さるかに見えた時。

 確かにそう叫んでいた。

 

「そうね、確かに私達も聞いたわ。 ……ってルイズ、あなたまさかあの時だけって言うんじゃないでしょうね……?」

 

 ……心なしか3人の視線が非難じみてきた気がする。

 

「――そ、それにしても何か使い魔なんかに気安すぎるんじゃないの、キュルケ!?」

 

「あら、友人相手なら気安いのも当然でしょ?」

 

 露骨な話題転換だったが、キュルケは心外だと言わんばかりの表情で答える。

 

「ゆ、友人!? そんなのいつからよ!?」

 

「今日の昼食前、あなたが来るちょっと前によ」

 

 確かに2人が食堂前で話していたのを思い出す。

 あっさりと即答され、慌てて矛先を変える。

 

「えぇ~っと、ほら! タバサもまだ呼んでないじゃない!」

 

「……ルイズ、ボルトは誰の使い魔なのよ……」

 

 苦し紛れの言葉に呆れるキュルケ。

 しかしそれを聞いて、隣のタバサがルイズからその後ろに座るボルトに視線を移す。

 『サングラス』で見えはしないが、それでもその奥のボルトの目をしかと見据える。

 

「――ボルト」

 

 そう呼びかけ、今度は側に立つシエスタに視線を移す。

 自然とキュルケとルイズの視線も集まる。

 

「わ、私ですか!? 私は今朝からずっと名前でお呼びしてますよ!? ――ですよね、ボルトさん!」

 

「……あぁ」

 

 シエスタの確認の投げ掛けにボルトの短い肯定の言葉。

 そうして全員の視線が振り出しに――ルイズに戻る。

 

「……あの……えぇっと……あぅ……」

 

 ――明らかに自分の反応を楽しんでいるキュルケ。

 

 ――微かに非難するような冷たい視線のタバサ。

 

 ――悲しそうにそして心配そうに見守るシエスタ。

 

 戸惑いながらも振り向いた先には座ったままのボルト。

 『サングラス』付きの無表情で、考えが全く読めない。

 

 

 

 ルイズにとって、身近な男性というのは父親を除けばたった1人。

 ――それは親が決めてしまった婚約者。 

 しかし相手は10も年上、しかも6才の時に会った以降顔を合わせた記憶はほとんどない。

 

 ボルトを召喚してまだたったの2日――正確には1日半くらいか。

 だがその時間は今までで最も濃密な物と言っても過言ではないだろう。

 

 ――泣いて怒って喜んで。

 

 ――叱って叫んで感謝して。

 

 

 

 『今まで誰も知る事のなかった自分の胸中や表情を、この男だけが知っている』

 

 

 

 恋愛感情の有無は別として、意識するなというのは不可能だろう。

 そんな赤面物の事実に拍車を掛けるのが、キュルケのあの一言。

 

 

 

 ――つまり『死が2人を分かつまで』よ? ある意味伴侶みたいな物でしょ、貴女の場合は特にね?――

 

 

 

「……っ!?」

 

 朱に染まった顔を隠す為に思わず俯いてしまう。

 しかし2,3度頭を振ると、僅かに赤みを残しながら勢い良く顔を上げる。

 

(……ただ名前を呼ぶだけよ、それだけじゃない!)

 

 そして静かに深呼吸。

 幾分気分が落ち着き、多少険の無くなった表情で再びボルトと顔を合わせる。

 すると先程は気付かなかったが、彼の口元が微かに歪んでいる。

 

 ……どうやら目の前の使い魔はこの状況を楽しんでいるらしい。 

 

 その事実に苛立ちが募るが、何とか無視して再び深呼吸。

 そして睨むような形相でボルトと相対し大きく息を吸う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ボッ! ……ボル…………ト…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――緊張かそれとも羞恥か、或いは両方の為か。

 その真っ赤に染まった顔を即座に伏せてしまった。

 だが尻すぼみになりながらも確かにルイズはボルトの名を呼んだ。

 

 俯いたルイズには知りようもなかったが。

 

 ――シエスタは嬉しそうな。

 ――キュルケは楽しそうな。

 ――タバサは穏やかな。

 

 そんな表情をそれぞれが浮かべていた。

 

 

 

 暫しの沈黙の後、ルイズの耳に誰かが椅子から立ち上がる音が飛び込む。

 位置からしてそれは呼ばれた当の本人であるボルトと分かる。

 

「……」

 

 無言のまま歩き出すボルト。

 名を呼ばれたというのに何の反応も返さない事に、ルイズの内に先程までの緊張と羞恥に加え怒りまでもが混ざり合う。

 ずっと握り締めていた手を震わせながら、横を通り過ぎようとする足音にそのごちゃ混ぜになった感情を爆発させようとした。

 

 

 

 ――その直前。

 

 

 

 振り上げようとしていたルイズの頭に何かが乗せられる。

 それは決して重くはなく、不快ではない微かな温もりと確かな大きさを持っていた。

 

 

 

「……先に戻るぞ」

 

 

 

 通り過ぎる足音と共に、頭に在った感触は一瞬撫でるように動き離れて行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「――『ルイズ』――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな言葉を彼女の耳に残しながら。

 

 思わず離れていった感触を捕えるように両手で押さえながら、視線で足音を追い掛ける。

 歩いていく使い魔の大きな背を見ながらふと思う。

 

 

 

 ――自分は初めて彼に名を呼ばれたのではないか?

 

 

「ぁ……」

 

 知らず足が動き出し、いつの間にかボルトを追いかけていた。

 

「あ……! あんたには子供扱いするなって今朝も言ったわよ!? 大体平民が貴族の髪を触っても良いと思ってるのっ!? そもそもそんなグローブみたいなの付けたままだと髪が乱れちゃうじゃない! それから――」

 

 そうまくし立てながらボルトと共にルイズは中庭を去って行った。

 

 慌しかった彼女達の退席にも関わらず、残された3人は和やかな雰囲気の中でその場は解散となった。

 それぞれが夜の宴を心待ちにしながら……。

 

 

 

 

 

 ――『虚無』の前日とは思えない程静まりかえった女子寮。

 その廊下を意図せずにだが靴音を響かせ歩くのは、学院長オールド・オスマンの秘書を務めるミス・ロングビル。

 彼女にしては珍しく女子寮に居る理由は、オールド・オスマンからの伝言を伝える事だ。

 

 ――『昼に起きた騒動の詳細を聞きたいので、虚無の曜日に学院長室に来て欲しい』。

 

 急遽中止になってしまった授業の調整等で忙しく、午後にルイズとその使い魔の彼にオスマンからの伝言を伝える事はできなかった。

 夕食時には中階にある職員用の席からそれとなく気にはしていたが、あの傍目にもよく分かる主従は現れなかった。

 

(……という事は他の生徒達と同様に部屋で軽食を取ったのでしょう)

 

 そう判断して現在彼女の部屋の前に辿り着いた。

 扉をノックしようとして右手を持ち上げ、しかし動きを止める。

 そして無言で耳を扉に近づけて中の様子を窺う。

 

(……)

 

 何も聞こえない。

 しかしロングビルは杖を取り出し呪文を唱える。

 

 

 

 ――魔法には『音を消す』という効果を持つ物がある。

 音とは空気の振動であり、その振動が耳へと伝わる事で『音』として認識される。

 『風』の系統である魔法『サイレント(沈黙)』は、対象の周囲の空気に働きかけこの振動を伝わらなくしてしまう。

 自分を対象とすれば周囲からの音は聞こえなくなり周囲の喧騒に悩まされずにすむ。 

 この時『サイレント』は自分が発する音も消してしまう。

 人知れず潜んでいる場合なら良いだろうが、例えば2人以上で居る時には不向きな魔法だ。

 何故なら『お互いの声』も相手に届かなくなってしまう。

 

 ――そんな場合に使われるのが『サイレントプルーフ(防音)』。

 『風』と『土』の2つの系統を組み合わせたライン魔法である。

 術者が存在する部屋の壁・天井・床に『サイレント』と同じ効果を付与する事ができる。

 これなら静かに、そして密かに会話をする事ができる。

 ……だが難点が無い訳ではない。

 

 

 

「――『ディテクトマジック』」

 

 ロングビルが杖を軽く振ると光の粉がルイズの部屋の扉に向かって舞う。

 その光が舞い落ちる様子を少しの間じっと見ていたがやがて溜め息混じりに呟く。

 

「――反応無し。 本当に不在のようですね……」

 

 

 

 ――『ディテクトマジック(探知)』。

 魔法やメイジやマジックアイテム等、魔法に関わる物に広く反応する魔法である。

 魔力に反応する為に、主に魔法がかかっているかどうかの判別に用いられる。

 先の『サウンドプルーフ』は扉も部屋の一部と認識され効果を付与される。

 しかし壁・天井・床と違い、扉は部屋の一部であると同時に独立した1つの物体でもある。

 故に部屋の外からの『ディテクトマジック』に反応してしまう。

 例え部屋の中から何も音がしなくても『サウンドプルーフ』が使用されている事が分かれば、中に居る人間が聞かれたくない会話をしていると公言しているに等しい。

 

 ……つまり今現在『部屋の主が外に居る者に、聞かれては困る話や行為をしている』可能性は低いという事だ。

 

「居ないのでしたら仕方ありませんね……ここでただ待つのも愚策でしょうし、出直しましょう」

 

 軽い溜め息と共にそう呟く。

 

「彼女達には申し訳ないですが、明日時間の空いた時に学院長室に行ってもらいましょうか」

 

 そうして踵を返す途中で、廊下の窓から彼女がよく知る建物が目に入る。

 それは学院長室や宝物庫、図書館や食堂が存在するトリステイン魔法学院の中心に位置する本塔。

 左右を見渡し誰も居ない事を確認すると、その常日頃優美な曲線を描いている口元を歪ませる。

 

 

 

「――折角学院長本人が御目付役を解除しくれたんだ、ちょっと寄り道がてら下見でもしておこうかねぇ」

 

 

 

 そう呟くと、無人の廊下を急ぎ足で移動する。

 その速度は間違い無く来た時よりも速い。

 

 

 

 ――だが先程高らかに鳴り響いていた靴音はせず、無音のまま彼女は風のように姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




相も変わらず展開が遅いです……
作成中に話が膨らみ、予定とは違う内容になってしまいました。

年内にもう1回更新出来たら良いなぁ……とは思っています。

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。


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BREAK 賭博破戒録

……どうも、お久し振りです。
気付けば最後の投稿から1年半も経過してしまっていました。

「あぁ、そういえばこんな小説もあったなぁ」
と懐かしく思っていただいて読んでもらえたら……


 

 

 

「――ねぇタバサ」

 

「――なにキュルケ」

 

 

 

 ――見知った2人の少女がこちらに背を向けて話している。

 

 

 

「噂なんだけど、最近オーク鬼の討伐で新しい方法が密かに行われているらしいの」

 

「どんな?」

 

「要はオーク鬼の群れを前もって用意した落とし穴に落として一網打尽――ってやり方なんだけど……」

 

「……」

 

「……この方法には『囮役』がいるの」

 

「……!」

 

「オーク鬼を巣穴から誘い出して、逃げながら落とし穴がある地帯に誘い込むって方法」

 

「成る程」

 

「――そしてこの『囮役』……『落とし穴の位置は知らされてない』の」

 

「……っ!?」

 

「一定の距離を逃げれば任務完了、報酬の他に討伐数に応じた追加報酬、そして賞金が出る事もあるみたい」

 

「賞金?」

 

「……実はこの討伐、裏で結構な数の貴族達が囮を賭けの対象にしてるらしくてそこからいくらか流れてくるらしいのよ」

 

「……」

 

「落とし穴の深さは浅かったり深かったり、底は槍衾だったり油だったり、単なる穴もあるらしくて仮に自分が落ちても必ず死んでしまうとは限らないという話なんだけど」

 

「……どうだか」

 

「例え平民でも一攫千金が可能、通称――『勇者達の道(ブレイブメンロード)』」

 

「へー」

 

 

 

 ――そして2人が肩越しに振り返る。

 

 

 

「……ところでタバサ。 彼から配当金は受け取ったの?」

 

「まだ。 貸しにしてる」

 

「そうなんだ。 ……ねぇ、『勝負の借りは一日限り』って言葉知ってる?」

 

「返せない場合……」

 

 

 

 

 

 ――とある深い森の中、10人程の男達が居た。

 少年から壮年と年齢は様々。

 共通項と言えば腹側背中側両方に大きく数字の書かれた簡易な上着。

 そして緊張感と悲愴感溢れる表情。

 皆一様に固唾を飲んで、少し離れた大きな洞穴を凝視している。

 そしてその穴から、黒の覆面・黒の法衣の男が飛び出してくる。

 

 

 

『――ぷぎぃイイイイイイイイイイー!』

 

 

 

 直後、洞穴から甲高い耳障りな鳴き声。 

 その場の全員の顔が強張る。

 飛び出してきた男が何をしたかは問題ではない。

 しかしその結果は嫌でも理解できる。

 

 その時男達の前に張られていたロープが緩み地面に落ちる。

 それを合図に男達は我先に走り出した。

 

 

 

 ――その後を怒り狂ったオーク鬼達が追い掛けていく。 

 

 

 

 『本屋』は走る。

 一心不乱に足を動かす。

 耳に届くのは絶え絶えな自分の荒い呼吸と地面を踏み締める足音。

 

 ――そして悲鳴と断末魔。

 

 背後からはオーク鬼に追いつかれたのであろう壮年。

 先行していたが突如仕込まれていた落し穴へ飲み込まれた中年。

 すぐ近くを走っていて不運にもオーク鬼が投げた岩に潰された青年。

 

 ……いつの間にか走っているのは彼だけになっていた。

 

 

 

 

 

 やがて大勢の黒衣の男達が集まった広場に文字通り転がり込む。

 立ち上がる体力も気力も無く、仰向けのまま夢中で酸素を貪る。

 

「Congratulation!」

「Congratulation!」

 

 周囲の黒尽くめの男達が抑揚の無い声で、拍手と共に賞賛する。

 その男達の背後からしわがれた笑い声と共に、身なりの良い老人がゆっくりと姿を現す。

 

「実に見事な走りだった! 観客達にも盛況であったぞ?」

 

 そして『本屋』の健闘を称える拍手をしていた両手を、彼に向けてゆっくりと伸ばす。

 

「――さぁここがゴールだ。 わしの手を取り、その手に栄誉と金を掴め!」

 

 疲労の中に安堵と喜びの表情を含ませ、『本屋』はゆっくりと立ち上がり覚束ない足取りで老人へと歩み寄る。

 

 

 

 ――『本屋()』は鋭い観察眼を持ち、同年代の生徒達と比べても頭の切れる人物である。

 そうでなければ賭けの胴元を個人で数多くこなせる訳がない。

 

 ……しかしこの時彼は肉体的・精神的共に疲弊の極みに在った。

 だからこそ気付かなかったのだろう。

 

 

 

 

 

 ――その老人の眼がどす黒く濁り、何かを期待する暗い笑みを滲ませていたのを。

 ――『ここがゴール』、その言葉の真意を。 

 

 

 

 

 

 老人の手を取るまであと数サント。

 その時突如『本屋』の体は浮遊感に包まれ、視界は光を失う。

 

「ククク……カカカカカカカカ……!」

 

 ――老人の立ち位置がゴールであり、自分はその直前に配置してあった落とし穴に落ちたのだ。

 

 聞こえる筈のない老人の耳障りな笑い声を聞きながら『本屋』は理解する事が出来た。

 本来であれば考える事すら不可能な、深く暗い穴の底へ叩きつけられるまでの刹那の合間に……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   BREAK 賭博破戒録

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ぅわぁあああああああぁあああぁあああぁ~っ!?」

 

 朝陽が差し込むとある少年の部屋から絶叫が響いた。

 文字通り飛び起きた彼は荒い呼吸と共に周囲を見回す。

 

「……夢……だった……?」

 

 少年――『本屋』は額から流れる汗を拭いながら大きな安堵の溜め息。

 寝汗で湿ったベッドから抜け出し、部屋の外に置かれた木桶と水差しを運ぶ。

 

「眠れなかったからとはいえ、読んでた本がまずかったか……」

 

 冷たい水で濡らしたタオルで顔や体を拭きながら呟く。

 彼が読んでいたのはギャンブルを題材にした珍しい小説。

 しかしサイコロやカードといったありふれたギャンブルを取り扱った話ではない。

 

 ――例えば『構造上一見どの方向から見ても正常で、しかし強い目しかないイカサマサイコロ』。

 そのイカサマを逆手に取る為に積み上げられた論理。

 

 ――例えば『通常5枚のカードで作る役の勝負であるサンクをたった1枚のカードで競うワンサンク』。

 その手持ちのカードの情報の一部を敢えて晒す事での心理戦。

 

 夢に登場した『勇者達の道(ブレイブメンロード)』もこの小説からだ。

 ゴール直前の落とし穴も小説と同じ。

 ――ただし小説では、『一度掘り返したような、あからさまに地面の色が違う部分』()()()()()()()だったが。

 

 万人受けはしてはいないが、根強いファンを持つ作品でもある。

 余談だが、詳細は不明だが『Silver & Gold』と同じ作者らしい。

 

 着替えながら確認すると朝食の時間はとっくに過ぎ、急がなければ授業開始にも遅れそうな時間だった。

 『本屋』は深い溜め息と共に、重い足取りで教室へ向かう。

 

 

 

 

 

「……やっぱり『ゼロ』じゃないか」

 

 目の前の惨状に思わず呟く。

 授業が行われていた教室は、ルイズの魔法の失敗で起った爆発で騒然となっている。

 魔法学院に入学してから既に見慣れてしまった光景。

 

 ――しかし今日は、彼女が居た席の隣には見慣れない男の姿が存在していた。

 

「なんで昨日だけ成功したんだよ……」

 

 溜め息と共に零れたぼやきを耳にする者は居なかった。

 

 

 

 

 授業が続行不可能となり、部屋へと戻った『本屋』はベッドに体を投げ出した。

 部屋へと戻る途中で目にした青い髪の少女の後ろ姿。

 背後に位置する自分は見えないだろうに、思わず物陰に隠れてしまった。

 実は今彼女とは顔を合わせ辛い。

 

「……支払いどうしよう……」

 

 理由は単純、賭けの配当金の全額をまだ支払っていないからだ。

 胴元として得た過去類を見ない金額。

 しかし半分近くはその場で賭けの勝者であるキュルケに渡す事となった。

 

 ――そしてもう1人の勝者。

 『タバサ』と名乗る少女には、残った金額と今までに溜め込んでいた手持ち分全て吐き出す事になったとしてもまだ足りなかった。

 寮生活なので日常生活で支払う必要が無いとはいえ、彼のように年頃の少年が街に行っても何も買えないとは苦行に近い。

 そこで残額をそのまま渡し、不足分は暫く待ってくれるように必死に懇願した。

 

「貸し」

 

 ただ一言そう口にし、意外にもあっさりと了承したタバサはキュルケと去っていった。

 この時2人の間でその期限の約束は交されなかった。

 

 ――『本屋』にとってそれは正に僥倖……!

 何故ならこの時の懇願は単なるその場凌ぎ……!

 金策の当ても算段も、そんな物は皆無……!

 

 だがそのお陰で今彼の手元には纏まった金が有る。

 これを元手に増やす事も可能だ。

 ……だがどうやって?

 

 ――『ギャンブル』。

 

 真っ先に脳裏に浮かんだ方法を、頭を振って破棄する。

 ギャンブルの負けをギャンブルで取り戻そうとして、更なる泥沼に沈む人間を何人も見てきた。

 だが他に今の手元以上の金を手にする方法は思いつかない。

 実家からの仕送りが無いでは無いが、それを毎回全額返済に充てたとしても学院卒業までに完済など不可能。

 

 

 

 ――ふと気付けば昼食の時間が迫っていた。

 結局名案も解決策も浮かばず、溜め息の後に重い足取りで食堂へと向かった。

 意図的に移動速度を落としていた為、食堂に着いた時には既に昼食は始まっていた。

 しかし『本屋』は特に気にもせずテーブルの隅の席に座り昼食を取り始める。

 空腹だった所為もあり黙々と食べていたがやがて周囲が騒がしい事に気付く。

 全生徒達が一緒になって食事をしているのだ、それが静かな筈がない。

 

 ――だが今日の騒ぎは明らかにいつもの騒々しさとは違った。

 

 一斉に起る歓声・拍手・笑い。

 その合間は彼の耳には届かないが誰かが話をしているようだ。

 つまりこの食堂に居るほとんどの人間が、何人かの間で交されている会話に注目しているという事。

 

(――へぇ、珍しい事もあるもんだ……)

 

 そんな事をぼんやりと考えながら食事を続ける。

 すると食堂中に響く大歓声の後、生徒達が一斉に移動を始める。

 殆どの生徒が出口へ向かう中、何人かの生徒が彼の方に駆け寄ってきた。

 

「なんだ『本屋』、こんな端っこでメシ食ってたのか!」

 

 その中の1人が興奮状態で話し掛けてくる。

 『本屋』も良く知った男子生徒だ。

 それはつまり『常連客』であり、『カモ』でもある。

 

「知らないのかい? ギーシュが決闘なんか始めやがったんだ、早く仕切ってくれよ!」

 

「何だって!?」

 

 ――『ゴーレムを使っての戦い』。

 ――『軍人の家系』。

 ――『結果的には一人対多数』。

 ――『陣形、指揮次第では或いは上級生相手にも……?』。

 

 一瞬で脳裏にギーシュに関する情報が浮かぶ。

 

「――それで相手は?」

 

「くくく……これが傑作で平民なんだよ、あの『ゼロ』の使い魔さ!」

 

 先程とは打って変わって生き生きとした表情の『本屋』だったが、返ってきた答えにそれが瞬時に凍り付く。

 

「……すまん、やっぱり今回は辞めておく」

 

「えぇ~!? 何でだよ『本屋』、皆待ってるんだぜ!?」

 

 一度は浮きかけた腰が、落ちるように元の椅子に収まる。

 そんな『本屋』の態度に周囲の生徒達は不満を露わにするが、額にびっしりと汗を滲ませる『本屋』のただならぬ様子に渋々口を閉ざす。

 

「……おい、どうする?」

「せっかく前回分を取り返すチャンスなのに……」

「広場見たけど、集まってるのは2年だけじゃないみたいだぜ?」

「決闘も賭けも盛り上がる事間違い無しなんだがなぁ……」

 

 困惑顔の生徒達の中、真剣な表情で何かを考えていた『常連客』の少年が『本屋』に詰め寄る。 

 

「――じゃあさ。 お前がやらないなら、今回は俺が胴元やっても良いか?」

 

「……好きにしろよ」

 

「やったぜ! おい『本屋』、後から胴元やり始めるのは無しだからな!」

 

 実は彼は常日頃から「胴元をやってみたい」と口にしていた。

 別に『本屋』に許可を取る必要は無いのだが、『本屋』が胴元をやれば皆そっちに集まるだろう。

 踵を返して広場へ向かおうとする少年に、周囲の生徒達は心配そうに声をかける。

 

「おいおい……今から色々考える暇があるのか?」

「ギーシュはとっくに食堂出てったぜ」

「間に合うの?」

 

 それを聞いても少年は嬉しそうに笑いながら答える。

 

「――実はギーシュの奴、広場には行ってないんだ」

 

 ――『あれだけ自信満々に決闘を宣言しておいて?』。

 

 生徒達は同じ事を疑問に思う。

 

「広場じゃなくて寮の方へ歩いて行ったから、ワインを拭き取りにでも行ったんじゃないか? 最低でもシャツくらいは着替えて来ると思うぜ?」

 

 そんな答えに皆笑いながら、少年と共に足早に食堂を去って言った。

 

 

 

「……」

 

 

 

 ――そして長大なテーブルにポツンと残された『本屋』は、残った僅かな料理を口に運んだ。

 

 

 

 

 

 特に興味がある訳ではなかった。

 しかし昼食を終えても何かをする気になれず、賑やかなヴェストリの広場の方へ何となく足が向かってしまう。

 その途中で髪の色から性格まで、色々と対照的な2人の少女が視界に映る。

 思わず足を止め、踵を返そうとしたその時。

 

「カァ―!」

 

 甲高い鳴き声が頭上から響く。

 そして羽ばたきの音の後に右肩に軽い重みを感じる。

 そこには昨日自分が召喚し契約した黒い鴉(使い魔)がいた。

 

(……そう言えばまだ名前も決めてなかったな)

 

 そんな事をぼんやりと考えていると、肩の使い魔が短く一声発する。

 

「クァ!」

 

 その黒い嘴で2人の少女の背中を指しながら。

 ――まるで『行け』と言うかのように。

 

 正直気が進まなかったが、今から寮の自室に戻った所で何もやる事が無い。

 遅々として進まない歩みだったが、そんなに遠く離れていた訳でもないのであっさりと2人の元に辿り着く。

 そこで2人が台の上に置かれた1枚の紙を覗き込んでいる事に気付く。

 

 様々な条件が記されていてそれぞれに数字が割り振られている。

 それは『本屋』自身もよく知る物――賭けのオッズ表だ。

 関係無いとは思いつつも好奇心には勝てずつい覗き込んでしまう。

 

「あら、『本屋』じゃない。 今回の胴元は珍しくあなたじゃないのね」

 

「……」

 

「や、やぁキュルケにタバサ。 今回はちょっと思う所があったというか先立つ物が無かったというか……」

 

 やや言葉を濁しながらさり気無くタバサの様子を窺う。

 彼女には前回のルイズの使い魔召喚時の配当金をまだ支払っていない。

 それにも関わらず自分は賭けの胴元の前に居る。

 自分だったら蔑んだ目で見るか、胸倉を掴んで怒鳴りつけているだろう。

 

 ――だというのに、何故彼女達はいつもと変わらない表情なのだろう?

 キュルケに至っては期待に満ちた視線すらこちらに向けている。

 

 予想に反した奇妙な雰囲気に耐え切れなくなってしまい、とりあえず手元にあったオッズ表に目を向ける。

 

(――へぇ、意外に良くできてるなぁ)

 

 『自分ならこう作るだろう』という項目が粗方用意されている。

 『常連』と認識されている少年だ、少なからず『本屋』の作り方を参考にはしているだろう。

   

(俺だったら、ギーシュが『ゴーレム』を錬金できるんだからその数を……)

 

 そこまで考えて、慌てて首を振り思考を無理矢理切る。

 

(いやいや、今の僕にはそんな事をやっている余裕は――)

 

 自分を戒めながら再びオッズ表に目を落とすと、妙にシンプルな項目が視界に映る。

 『本屋』はその部分を確認して顔を引きつらせる。

 内容は簡潔にただ一言。

 

 

 

 

 

 ――『平民の勝ち』。

 

 

 

 

 

 だが『本屋』の表情の直接の原因はそれではない。

 その項目には単純な印が2つ記入してあった。

 

 ――それはつまり『賭けた人物が2人存在する』事を意味する。

 

 ゆっくりと横目で自分の横に居た『2人』の少女を様子を確認する。

 

 キュルケは明るく弾んだ口調で。

 タバサは一見変わらずしかし積極的に。

 

 『平民の使い魔』がどのくらい強いのかを談義している。

 

 

 

(――ありえない)

 

 

 

 これが彼の答えでありこの世の常識である。

 もしこれが『深夜に闇に紛れて寝首を掻く』というのであれば、まだ微かな可能性もあるだろう。

 だが昼日中正面きっての決闘となるとそんな万に一つの可能性も消滅する。

 

 ギーシュの魔法の腕前は知っている。    

 『錬金』に限って言えば『ドット』クラスを越えているかもしれない。

 もし決闘で使い魔が不意打ち気味に距離を詰めても、間違いなくギーシュがゴーレムを『錬金』する方が速いだろう。

 そうなれば、『死なない』・『退かない』・『怯まない』のゴーレムが遥かに有利だ。

 例え使い魔が多少強かろうが、1体倒された所で次を『錬金』すれば良いだけの事。

 複数を『錬金』されればそれで『詰み(チェックメイト)』だ。

 

(――不合理極まりない)

 

 そんな事は『貴族』である彼女達も理解している筈だ。

 

 

 

 

 ――では何故。

 

 ――彼女達はあんなにも『楽しそう』なのか……?

 

 

 

 

 

 ――『不合理こそ博打…それが博打の本質』――

 

 ――『博打の快感』――

 

 ふと『本屋』は好きな小説の一説が浮かんだ。

 この言葉はこう続く。

 

 

 

 ――『不合理に身をゆだねてこそギャンブル…』――

 

 

 

(……昔は俺もギャンブルが『楽しかった』)

 

(勝って金が手に入るからだけじゃない、例えどんなに不利で可能性が低くても自分がこうなると信じた事が実現する所を想像する事も『楽しかった』)

 

(……いつからだ?)

 

(……いつから『楽しむ為のギャンブル』が『金の為のギャンブル』に変わってしまったんだ?)   

 

 

 

 深い思考から抜け出した『本屋』は、昨夜遅くまで読んでいた小説を思い出す。

 『悪辣非道な貴族に挑む平民』の構図は同じ『貴族』としてはやや複雑だが、読んでいて気分が悪くなる程の『悪』ならば話は別だ。

 最後のどんでん返しはいつも愉快痛快だ。

 

 ――そして何より。 

 

 『本屋』は完全にとは言えないが、ギャンブルには『波』・『流れ』が多少は存在すると信じている。

 そして現在、彼の側には彼の胴元人生で最大の大穴を当てた人物達が存在する。

 今なら勝ち馬に乗る事も可能ではないだろうか?

 

 ポケットに入れていた、随分と軽くなってしまった財布を握り締める。

 しかし踏ん切りがつかず逡巡していると、今まで肩で大人しくしていた使い魔がベット表の上に飛び降りる。

 そして一点を嘴で指し示した後に鳴く。

 

「クァ!」

 

 先程と同じように短く力強く。

 間違い無く同じ意味だろう。

 それを使い魔からの真っ直ぐな視線から感じ取った『本屋』は、強張っていた表情を崩す。

 そして口元に笑みを浮かべながらベット表に財布を叩きつけた。

 胴元の少年は呆れながら、2人の少女は軽い驚きの表情でその瞬間を見届けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そして前代未聞・空前絶後の『奇跡』が起こる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これを渡しとく。 遅くなって悪いな」

 

「?」

 

 『決闘』が終わった後、タバサは『本屋』から紙片を差し出される。

 同じ物を持っているタバサはそれが何か知っている。

 これを胴元に渡せば配当金を受け取る事が出来る。

 

「……これ、多い」

 

 受け取っていない配当金と『本屋』の配当金の差額を冷静に計算して指摘する。

 

「ハハハ……良いよ。 利子とか延滞金とかそんな感じだ、貰っといてくれ」

 

「ん、分かった」

 

 苦笑する『本屋』から結局タバサは受け取る事にした。

 

「――おい、何カッコつけてんだこの野郎」

 

「ぐふぅっ!?」

 

 突然『本屋』の体に衝撃が加わる。

 胴元の少年が『本屋』の首に勢い良く腕を掛けたからだ。

 

「そっちはそれで綺麗に手打ちかもしれんが、こっちはお前のお陰で大赤字だってんだよ!」

 

「おぅ、お陰で助かったぜ」

 

 決闘が始まるまでの短時間ではあったが、2年生だけでなく他の学年の生徒達も賭けに参加した為人数は『使い魔召喚』時よりも大規模になっていた。

 勝敗は大番狂わせ、賭けに勝ったのはたったの『3人』。

 胴元がほぼ総取りに近い結果だったのだが……胴元の少年は『本屋』と同じ間違いを犯していた。

 

 ――つまり『大穴枠の倍率』。

 

 『来る筈も無い大穴の設定に時間を割く余裕は無い』と、適当な数字を入れていたのだ。

 『勝ち』に賭けた回収分が予想以上だった事、『負け』の賭け金が常識的かつ良心的だった事。

 これらが重なって、胴元は回収分と今までの勝ち分や小遣いやらでの貯金全てを吐き出していた。

 

「――大体お前が最後に『平民』に賭けなきゃ勝ちだったんだよ!」

 

「俺みたいに借金背負わなくて良かったじゃないか」

 

「正真正銘の素寒貧だよっ!」

 

 胸倉を捕まれ揺さ振られながら、抜けるような空を見上げる。

 

(――楽しかった)

 

 久々に胴元ではなかった所為か、決闘を――ギャンブルを楽しむ事が出来た。

 いつだったかは覚えていないが、昔と同じように。

 

(しばらくは胴元休業だな……)

 

 ギャンブルを楽しむ為だけなら、ポケットの軽い財布の中身を小出しにしていくくらいで十分だろう。

 

 

 

「――まぁアレだ」

 

 尚も恨み言をぶつける相手の肩に手を置く。

 何か反論が有るのかと手と口の動きが止まったのを確認して、イイ笑顔を向ける。

 

 

 

「地道にいこう………………!」

 

 

 

「お前がそれを言うのかよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さて、いい加減お前の名前を決めないとな」

 

 夜になり『本屋』は改めて自分の使い魔と向き合う。

 白い訳でもなく角が有る訳ではなく3本足という訳でもない、よく見かける至って普通の鴉だ。

 

(まぁこれが当り前だ、幻獣やらは珍しくて人間なんがか規格外なんだ)

 

 肝心の名前だが『本屋』は今回のギャンブルを通してもう既に決めていた。

 

「今回のギャンブルは、最初から最後までお前の後押しがあったからこそだったからな」

 

 自信有り気な『本屋』の様子に鴉が小首を傾げる。

 

(あの小説の主人公の名前にしよう!)

 

 

 

 ――極限の状況下で、並外れた度胸と博才と洞察力を発揮し。

 

 ――論理的思考と天才的発想を用いて、強大な相手と渡り合う。

 

 ――それでいて追い詰められた人を見捨てられず、己の利を蹴ってでも救おうとする。

 

 ――良く言えば優しい、悪く言えば甘い男。

 

 

 

「――お前の名前は『カイジ』だっ!」

 

 

 

 

 

『えぇぇ~……』

 

 

 

 

 

「……」

 

 初めて聞こえた使い魔の『声』は、まさかの否定と落胆を込めた物だった。

 

『――だって平常時はソイツどう考えたってクズじゃん』

 

「……それはそうなんだが――って何でお前がそれを知ってるんだよ」

 

『どうせならアカい方が――』

 

「それもどうかと思うぞ? だったら外見に合わせたクロい方が――」

 

『全力で拒絶する!』

 

 

 

   ――しばしのざわざわした討論の末、『テン』という双方納得の名前に決まった事をここに付け加えておこう。

 

 

 

 

 

 




前回の投稿後の年明けから、2度職場環境が変化しまして……
忙しくて文章作成のモチベーションが上がりませんでした。
しかも今回はまた番外編。

(そろそろ1年経過してしまうんじゃぁ……)
何て思っていたらとっくの昔に過ぎてしまっていたのは驚きでした。
その間、一応作りたい内容や展開は考えてはいました。

……作ってみたい別作品的な短編やら中編やらのアイデアも出来てしまったんですがどうしましょう。

これからもまだ投稿は続けるつもりですので、気長にお待ち下さい。
……『年一投稿』にならないようにはしたいです。

気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。


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