太陽と月のハイタッチ (黒樹)
しおりを挟む

太陽を持つ者の平穏な日常

何をしたいのかわからないほのぼのとする予定の見切り発車。


 

 

青い空。白い雲。温暖な気候と優しい風に体を預けながら目を閉じ、日向ぼっこをする。とある高校の中庭の一角でベンチに座して勉強の疲れを癒していると足音が訊こえた。風の音、鳥の囀り、生徒達の喧騒から隔離された世界に侵入する野良猫。–––もとい、学園のマスコットと呼ばれる可愛い女の子。その子が僕の隣に腰を下ろす。

 

「おはようございます、叶多先輩」

「おはよう小猫ちゃん。まぁ、といっても昼だけどね」

 

駒王学園一年生、塔城小猫。彼女は学園の人気者にしてその愛らしい容姿から絶大な人気を誇る生徒の一人だ。男女問わず魅了する小さな体躯は年下らしく可愛らしい。

そんな彼女とこうして僕がお昼を共に出来るのも、偶然が重なった結果だ。僕は一般的な生徒だし特異体質を除けば何処にでもいる平凡な男の子なのだ。イケメンでもなければ秀才でもない、天才でもなく、少し変わった男の子。

 

昼食の時間、こうして二人示し合わせたわけでもなく、天気の良い日は外で会う。何か特別な話をするでもなく一緒にご飯を食べてちょっとした雑談をする。本当にそれだけの関係だった。

 

今日も小猫はお弁当と大量のお菓子を片手に僕の隣にいる。もぐもぐと無言で食べ続ける。普段から寡黙なこともあって、食事中はその姿を眺めるだけの生徒が多い。それに対してちょっかいを出す生徒もいるが。

 

「…今日も愛妻弁当ですか」

「グレイフィアが毎日作ってくれるからね」

 

正確には妻ではないのだけど。いやまぁ、毎日家事をしてもらっている上に一緒に住んでいるので通い妻ならぬ事実婚というかとても曖昧な関係で不確定なのでなんとも言えない。付き合っているとも言えるし付き合っていないとも言える。

 

「そういえば兵藤君に彼女ができたんだって」

「あの、変態と名高い人ですか」

「うん。不思議なこともあったもんだよね。僕が女子なら願い下げだよ?兵藤君は今後チャンスがあるとも思えないし、今回を逃したら一生彼女できなさそう」

「辛辣な評価ですね」

 

兵藤一誠という生徒がいる。他の約二名様合わせて変態三人組と呼ばれる忌避される者達だ。平気でエロ本を学校に持ち込むわ、下衆な会話をするわ、覗きはやるわで全女子生徒に嫌われている。一部の男子では勇者と揶揄されている辺り、彼らは彼女を作ることを諦めてしまったのかもしれない。

そんな変態三人組が同じクラスに全員いるので、情報が手に入りやすく聞きたくないのに聞いてしまったわけだが、今年一番のビッグニュースに教室が騒ついたのを覚えている。

 

昼食を食べ終えた小猫が膝の上に乗ってきた。僕を背凭れにしてぽりぽりと持参したクッキーを食べ始める。膝の上に乗った女子特有の柔らかい感触と人とは思えない軽さに最初は困惑したものだが、最近は常日頃というか日常になってしまっている。

最初は本当にただ近くで食事をしているだけだったのに、いつの間にかお姫様は僕の膝の上がお気に入りになってしまった。

 

「…先輩も食べますか?」

「そうだね。一枚貰おうかな」

「…あーん、です」

 

小猫が口元に運んでくれるクッキーを一枚咥える。ぽりぽりと咀嚼しながら僕は小猫のお腹に手を回していた。後ろから抱っこしているような形になり、まるで恋人同士だと思われがちだがそんな事実は一切ない。これも心許してくれた小猫だからこそできることであり、僕もまた恋愛感情といったものは持っていなかった。

 

「これは美味しいね。紅茶が欲しくなる」

「そう言うと思って持ってきました」

 

水筒からコップに中身を注ぐ。すると温かく湯気を保った紅茶がコップを満たした。それを貰って一口飲む。

 

「そろそろ時間だね」

「そうですね。教室に戻りましょう」

 

これが僕と小猫の日常だった。

 

 

 

 

 

 

三種類の人間がいる。学校が終われば、部活に励む者、早々と帰宅する者、寄り道をして学生気分をエンジョイする者。その中で僕は二番目であり、三番目でもある。今日発売の新作ゲームを購入し上機嫌の僕は夕暮れに染まる帰路を急いでいた。早く帰ってプレイしたい。そんな一心で半ば早歩きになってしまう。

信号に止められ逸る気持ちを抑えたり、大通りで人混みを掻い潜り、大きな公園をショートカットする。急がば回れとはよく言うがそれは本当によく言ったものだと思う。

 

「一誠君、お願いがあるの」

「な、なにかな?夕麻ちゃん」

 

偶然近道をしようとした公園で兵藤と黒髪の女の子がデートをしている場面に遭遇してしまったのだ。思わずUターンして茂みに隠れた僕を褒めてやりたい。時刻もさることながらデートは終盤、このままホテルにゴールインすることがなければそろそろお別れだろう。覗くつもりはなかったがこれは不可抗力だ。

出て行くわけにもいかないし……と、適当な言い訳を考えている間にもその女の子は願いを口にした。

 

「……死んでくれないかなぁ?」

 

少女の声音が何処か愉しげに弾んでいる。夕暮れに笑む姿は誰しもが見惚れるもので、言葉そのものはあまりにも残酷だった。

 

悲報。兵藤の彼女は普通ではなくヤンデレだった。

 

思わずそんなタイトルをつけてクラスメイト諸君に送信してやろうと思ったが、その間にも再起動した兵藤が訊き返していた。

 

「……え、ごめん。なんて言ったのか訊こえなかったんだけど」

「だから、死んでって言ったの」

 

やっぱり訊き間違いじゃない。ヤンデレ確定したところで事の成り行きを見守ることにして、野次馬根性を全開でワンシーンも見逃さんとその後の展開を見守る。

すると彼女の頭上に光の槍が出現し、それは瞬く間に消えた。……そう錯覚した時には、兵藤の腹に光の槍が生え、その生え際から赤い液体が零れ落ちていた。

 

「なんだ、よこれ……」

「あはは!まだそんなこと言ってるの?あなたを好きになるなんてありえないでしょ。バッカみたい!!」

 

嘲笑う少女の声が夕暮れの公園に響き渡る。

膝から崩れ落ちた兵藤はそのまま倒れてしまった。

 

「さて、用も済んだしさっさと帰ろうかし…ら…?」

 

少女の背中に烏の濡れ羽色の翼が生える。バサリと一振りすると宙に浮かび、物陰に隠れていた僕と目があった。その姿をなんと綺麗なんだろうと見惚れてしまったのもあって見つかったことに気づかなかった。つまりは逃げ遅れてしまったわけである。

 

「あら、見られていたのね」

 

その少女がパサパサと翼をはためかせ僕の前に降り立った。まるでゲームやアニメで見る堕天使のような姿、しかしそれでいて美しい体躯や容姿に気を取られているうちに一言言葉が漏れた。

 

「……綺麗だ」

「ふふ。あはは。あの現場を見てそんなこと言えるなんて中々面白い人間ね、あなた。わかってるじゃない。人払いの結界を張っていたのに入ってくるなんて普通の人間じゃないのかしら?」

「え、まぁ、僕は特異体質でして」

「そう」

 

頰に触れる堕天使の少女の指先、嫋やかな指が頰を撫でた時、少女もまたほろりと涙を流していた。

 

「……あぁ、あったかい。まるで、主に……殺すのは惜しいわね。いいわ、特別に見逃してあげる」

 

僕の頰に両手を添えてうっとりとした表情を見せる堕天使、そして楽しそうに頰を撫で回した後、頰にチュッと唇を押し付けて翼を大きくはためかせ飛び立つ。

 

「そうだ。あなた、名前は?」

「大空叶多、だけど……」

「もうすぐ悪魔が来るわ。残念だけど、此処でお別れ。私、普段は街外れの廃教会に住んでるから遊びに来なさい。今度はもっといいことをしてあげるわ」

 

伝えたいことだけ伝えて堕天使は去って行く。自分の名前すら名乗らず、満足そうに微笑む姿は何か特別な物を見つけたようなそんな幸福に満ちたものだった。

 

しばらく、非現実的な光景に呆然としていると兵藤が倒れた近くの地面が紅く輝き始めた。悪魔、その一言が脳裏に過ぎり僕も慌ててその場を立ち去るために走り出した。

 

 

 

 

 

僕は悪魔を知っている。堕天使を知っている。天使を知っている。それを知ったのは駒王学園に入る少し前、とある山中で倒れていた女性を拾ったのがきっかけだった。

 

「ただいまー、グレイフィア」

「……おかえりなさい、叶多、心配しましたよ」

 

僕を出迎えたのは腰を超えてもなお伸びる銀髪の髪を揺らす美人な女性。すらりとした体躯でありながら、豊満な胸を持ち、スカートが隠すお尻の形まで整ったナイスバディ。裸になれば女神も逃げ出すような艶やかさを内包した、美し過ぎる女性だ。まったくなんでこんな人が僕の家にいるのかと今も本気で疑っている。

 

彼女の名はグレイフィア。我が太陽であり、月であり、生涯を捧げると誓った愛しい女性。彼女のことを多くは知らないが、僕はそれでも満足しているし、命だって懸けられる。

そんな彼女も僕に心を許し、体を許し、生涯を捧げると誓ってくれる。

相思相愛、そう言っても過言ではない間柄。

 

なのに何故だろう。彼女は、悪魔、堕天使、天使、非日常と関わることを良しとしない。だから、僕が何と出会い生き延びて帰って来たのかを知り得ているのかもしれない。彼女の顔は不安と焦燥の入り混じった、とても臆病で泣きそうな顔だった。

 

「……叶多、今日変わったことはありませんでしたか?」

「く、黒い翼の生えたお姉さんに会いました」

「あぁ、やっぱりなのですね。あれほど気をつけるようにと……いえ、過ぎてしまったことは仕方ありませんね」

 

彼女はどうも悪魔や堕天使といった非日常の存在を僕から遠ざけようとする。それも彼女が悪魔に追われ殺されそうになって逃げて来た。という話に関係があるのだろうけど……僕にはまだ、何も教えてくれない。

表情を変えずに僕に説教をするあたり年季が入っているというかなんというか、堂に入ったその様を見ているとまるで忌避することが起きてしまったかのようで、なんとなく申し訳なくなる。

 

「……わかった。僕が悪かった」

「では、ペナルティですね」

 

それは僕らが一緒に生活する上での合言葉。どちらかが相手を不快にさせたりするようであれば、ペナルティと言って互いに罰ゲームをするのだ。早い話が相手にお願いを一つだけ叶えてもらえるというもの。もちろん、それは合意の上で成り立つものであって、強要していいものではない。

 

「……今日は、一緒にお風呂に入ってもらいます。ご飯は全て食べさせあいます。もちろん夜は、寝かせません」

 

それじゃあ願い事は一つではなく、三つだが。

 

「文句があるのですね。なら、言い換えましょう。傷心の私を慰めてください」

 

–––それが僕と彼女の日常だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

翌朝登校したらクラスメイトが生きていた件

 

 

 

行ってきます。そう誰かに言える幸せをあなたは知っているだろうか?何の変哲も無い幸福は、持ってない者にしかわからないだろう。当たり前という言葉が些細な幸福を阻害する。だから、僕は毎日、グレイフィアに感謝することを忘れなかった。まだ愛しているという言葉を口にするのは気恥ずかしいが、それくらいは言ってやりたい。

 

帰りを待つ人がいる幸せをあなたは知っているだろうか?それを忘れるのは簡単だが、思い出すのはいつも後悔してからだ。そうならないために僕は一つ、約束をした。

 

『悪魔や堕天使の事に首を突っ込まない』

 

そう、グレイフィアと約束したのだ。

 

 

 

約束をした朝、僕はいつものように学校へ登校した。死んだクラスメイトのことは残念だがそれはそれ、俄然せずに無難に普通の幸福な生活を送るべく、いつも通りを演じてみせる。

席へ鞄を置くと花瓶を一つ取り出し、今朝道端で取った彼岸花を一輪差して兵藤の机に置く。せめて弔うことが出来なかった代わりに花を添えてやろうと僕は黙祷した。

 

–––次の瞬間だった。

 

「何してんだ大空、嫌がらせか」

「社会的にも肉体的にも魂魄的にも死んだクラスメイトの魂よ安らかにと願うのはいけないことかな?」

「いや、死んでねーよ。朝から縁起でもないこと言うなよ。夢のこと思い出しちまったじゃねぇか」

「……あれ?何で生きてんの?」

 

振り返れば、兵藤一誠が何食わぬ顔で立っていた。

 

僕は確かに見たはずだ。兵藤一誠が堕天使に殺される姿を。思わず自分のシャツを捲って首筋を確認すると、昨夜グレイフィアに付けられた甘噛みの跡がくっきりと残っていた。……夢じゃない。

でも、いや、だって……じゃあ、兵藤は何故生きているんだ?

 

「……じゃあまさか幽霊!?」

「人をどうしても殺したいみたいだな。……や、待てよ。どうしてお前が俺の夢の内容を知ってるんだよ」

「兵藤が美少女に殺される夢でも見たんじゃない?」

 

何が起こっているのか分からず適当に答える。だけど、兵藤が生きているという事実が気になる。あの時確かに死んだはずだ。

 

「じゃあ、俺が死ぬ時見たのは……」

「天使様がお迎えに来たんだよきっと」

 

迎えに来たのは堕天使だけど。そう思っていたのに兵藤はまた訳のわからないことを言う。

 

「あぁ、確かに天使というか……おっぱいに抱かれて死ねたのは最高だったかもしれない」

「ソウ。ヨカッタネ」

「リアス先輩に抱かれて……夢なら覚めなければよかったのに!」

「もうそのまま死んでればよかったんじゃないかな」

 

おっぱいかどうかはともかく、グレイフィアの腕に抱かれて死ねるなら共感するが、なるほど憧れの存在に抱かれて死ねるなら僕もそう思わないことはない。ただ兵藤の考えとは少し違うだけで。

しかしまぁ、夢じゃなきゃ兵藤は死んでるんだが、そういうツッコミは要らないのだろうか。いやそもそも夢ではないのかもしれない。

 

「なぁ、突然で悪いんだが昨日の事覚えてるか?」

「昨日の事って?」

「俺に彼女が出来たって話」

「最初は耳を疑ったね。まさか兵藤に彼女ができるなんて」

「……やっぱりお前は覚えてるんだな」

 

あれだけ自慢するように触れ回っていたら嫌でも話を訊いてしまうというものだろう。昨日、彼女が出来たと散々自慢して変態三人組の残り二人を煽りまくった挙句、裏切り者と囁かれていたのを忘れるわけがない。

 

「じゃあ、やっぱりあれは夢じゃなかったのか……」

 

兵藤が生きていて、夢だと錯覚してしまったのは当然の摂理だと思う。兵藤はブツブツと呟きながら仲間達のところへいつものように戯れに行った。

 

 

 

 

 

「……なるほど。死んだと思ったクラスメイトが生きていた、と」

 

お昼休みにいつものベンチへ行くと小猫が待っていた。可愛い後輩はもそもそとドーナツを食べながら僕の話を訊いてくれる。本当ならグレイフィアに相談したいところだが、此処は学校彼女はいない。

 

「……先輩も中々特殊な人ですよね」

 

どうしてそんな結論に至ったのか小猫に言われて首を傾げる。そんな僕の様子に気づいて後輩は補足してくれた。

 

「普通は覚えていなくて当然なんです。証拠となる記憶を消されてるんですから」

「小猫ちゃんは僕の話を信じるの?」

 

荒唐無稽な話を持ち込んだのは僕だがいつもの無表情を崩さず、真面目な顔をして小猫は僕を見上げてきた。世間一般的には上目遣いと言われるであろうその視線は何処か別のところを見ているようにも感じる。

 

「そもそも叶多先輩はどうして私にその話を持ちかけたのですか?」

「小猫ちゃんがオカルト研究部なんて顔に似合わない部活に所属してるからでしょ」

「…そうですね。そんな話をした気がします」

 

安堵したように瞳が細められる。どうして小猫がそんな顔をしたのか僕にはわからなかった。

以前、雑談をした際にだが『何の部活をしてるの?』という質問をしたことがある。意外にもオカルトとか非科学的な名前が出てきた上に学園で話題の美少女らしからぬ所属先に覚えていて、彼女に相談を持ちかけたのだ。

その似合わない後輩といえばドーナツをぱくついていて、一つ食べ終えるとペロリと指を舐めた。そして、ジィッとこちらを見て慌てたようにハンカチで手を拭き直した。そういうところが可愛いのだこの後輩女子は。

 

「それで覚えている理由ですけど。三種類あります。意図的に消されなかったか、それとも消す必要がなかったか、そもそも効かなかったかの三つです」

「兵藤が記憶を失っていなかったの理由としては二番目の回答かな。僕は一番」

「……どうしてそんな結論に至ったのか心当たりがあるんですか」

「兵藤は死んだと思われて当然だよね。僕の場合は気に入られちゃったから殺されずに済んだって理由があるし」

 

僕がそう答えると小猫の視線は不機嫌そうに歪む。

 

「その兵藤一誠という男の人はともかく、先輩は堕天使に気に入られちゃったんですか。……はぁ」

「そうじゃなきゃ殺されてたよ。そこで残念がらないでくれないかな?」

 

そう思っていないとは信じたいけど、まさか死んでくれとか言わないよね?と小猫に目で訴えると彼女はまたドーナツを取り出して咥える。困った先輩です、と雰囲気だけで語られた。

 

「先輩もおひとつどうぞ」

「あ、ありがと」

 

スタンダートなオールドファッションドーナツを貰うとその穴を見つめて、問題点に戻る。まるであの時の兵藤のように穴を開けられたドーナツを見ていると不思議な気分になった。

 

「でも、確かに見たんだよ。兵藤が死んだのは」

「……どうあっても殺したいんですね」

「いや、嫌いとかそういうのじゃないよ?僕は兵藤に興味ないし、興味のない人間を嫌いになんてならないだろ?」

 

ドーナツの穴を残して食べるくらいに難しい問題だ。思い当たる節がないわけではないのだが、それを言うと全てが非科学的に解決してしまう。

超常現象と言ってしまえばそれまでだが、僕自身それを宿しているから一概には否定できない。

 

「問題はどうして生き返ったのか、誰が生き返らせたのか。その辺りかな」

 

あの堕天使の言葉が本当なら、悪魔があの後現れたことになる。これ以上グレイフィアを怒らせるような要因を作りたくなかったが為に退散したが、一眼くらい見ておけばよかったか。

 

「流石にオカルト研究部にもそんな黒魔術とかないよね?」

「…………いえ、まさか」

 

何かを隠すように小猫はドーナツに夢中だと言わんばかりに貪り始めた。

 

「本当に誰かを生き返らせる術があるとして、先輩は誰かを生き返らせたいですか?」

 

ふと思い出したように小猫がそんな事を訊いてくる。

 

「……いや、今は幸せだからいいよ。別に」

 

小猫にもしもの話をされて、僕はふと思い出す。

 

「そういえば兵藤が死際にグレモリー先輩の腕に抱かれて死ぬ夢を見たんだって」

「……そうですか。その人は幸せですね」

 

長い付き合いで気づいたことだけど、小猫は濁したい話がある時は食べ物に夢中な振りをするのだ。今もほら、ドーナツを頬張って会話を区切ろうとしている。

 

あの後現れたのがリアス・グレモリーというこの学園の二大美女の一人だとすれば、彼女が悪魔ということになる。グレイフィアは学園にも人ならざる者がいるから気をつけろと言っていたし、積極的に関わるのはやめたほうがいいのかもしれない。怒らせて夕食が粗末になったり、一緒にお風呂とか添い寝とかエッチなこととかお預けくらって実家に帰らせてもらいますなんてなったら死活問題だ。

 

堕天使に関しては「遊びに来なさい」という命令形だったし、一度くらいは顔を見せないとまずいような気がする。そういう理由であればグレイフィアは赦してくれる…かなぁ。

 

「まぁ、そのうち遊びにでも行ってみるよ」

「……先輩。やめておいた方がいいですよ」

「どうして?」

「機嫌を損ねて殺されたりしたらどうするんですか」

「行かないって選択の方が機嫌を損ねる気がするけど」

「ダメです」

「大丈夫だって。もしそうなったら奥の手使って逃げるから」

「先輩の足じゃ逃げ切れないと思います……」

 

不安そうな後輩の頭を撫でる。すぐに不安そうな顔が恍惚とした表情に変わり次第に撫でられる感覚に身を任せる小猫の髪を梳いてから、僕は自分の首にある首輪に触れた。

 

「これを外せば僕の真の実力が解放されるのさ」

「そういう厨二発言は身を滅ぼしますよ」

 

首輪、と言っても人間用のチョーカーだ。見た目は黒い皮にアクセントとして月の形のアクセサリーが付いている男がつけるには不相応の可愛らしい品で、これには魔力封印の効果があるらしく大切にしている。もしこれをしていなければ、今頃学校ではぶっ倒れたり死んだりする人間が後を絶たなくなるだろう。これがないと大切な人の側にもいられない。

世間一般的に訊けば厨二発言と思われるので、小猫もあまり信じていない様子だ。

 

「……そういえば部室に呼び出されているのを忘れてました。今日はこれで失礼します、叶多先輩」

 

旧校舎へ歩いていく小さな背中をなんとなしに眺めていた。

 




※グレイフィアが悪魔だとは知っていますが、学園内の悪魔については誰が悪魔かは主人公は知りません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

それは一種の修羅場

教会に行くとみせかけてぇ……。


 

 

 

何もないまま一週間が経過した。一応、グレイフィアに相談してから教会に向かおうと思ったのだ。思ったのだが切り出すのが怖くて一週間何もなし。相手から接触してくることもなかったので問題はない、いやなかったのだが……。

 

「ふふ、来ちゃった」

 

–––僕の目の前に堕天使が舞い降りた。

 

学校の帰路に待ち伏せるように現れた堕天使は優雅に翼を広げると翼を折り畳み消す。舞う濡羽色の黒羽根が幻想的で思わず魅入ってしまったが、問題はそこじゃない。何故か堕天使の方から遊びに来てしまったことだ。

妖艶に、されどあどけない可愛さというものを称えて微笑む彼女を見るにかなり上機嫌なのだろう。

「ふふ、来ちゃった」とか恋人のじゃれあいみたいなことを言っているが、要約すると暇だから遊びに来たとかそういうのだろう。ボンテージ姿なために周囲の視線が気になるが、人の気配すらない。

 

「お久しぶりです……名前を教えて貰ってもいいですか?訊いてないんで」

「あら、私ったら言ってなかったわね。レイナーレ。呼び捨てにしてくれると嬉しいわ」

 

堕天使レイナーレ。堕天使さんの名前はレイナーレというらしい。

 

「ところで今日はどうして?」

「人を探してたんだけどあなたが見えたから思わず降りて来たのよ」

 

探していたのは別の人らしい。

 

「金髪のシスターなんだけど見てないかしら?」

「僕は見てないよ」

 

そんなに目立つのなら、覚えているだろう。

そういえば兵藤がここ最近様子が変だが……。

 

「まぁいいわ。此処で会ったのも何かの縁だし、カナタ君とデートしましょう」

「えっ」

「都合が悪いのかしら?」

「デート、と言われても……僕には一応、恋人がいまして」

「……いえ、そうよね。あなたにそういう存在がいないはずがないものね。ならいっそ殺してそのポジションを……」

「ちょっと待とうか!?」

 

物騒なことを言い始めたレイナーレを置いて携帯電話で連絡を取る。相手はもちろんただ一人、グレイフィアである。コール音が数回鳴り終わらないうちに通話状態になる。

 

「あの、グレイフィア……?」

『今、堕天使と一緒にいるでしょう』

「はい。それでデート……いえ、一緒に出掛けることになってしまったのですが」

『この私がいながら、堕天使とデートをすると?』

「じゃなきゃグレイフィアを殺す、と言ってまして……」

『わかりました。そんな下級堕天使如き塵にしてあげましょう』

 

レイナーレも物騒だったが、グレイフィアも違わず物騒なことを言い始めた。

 

「出来れば穏便に済ませたいんだけど」

『……つまり、私に我慢しろと?私の大切な人が他の女とデートするのを黙って見ていろと?では、もし私が他の男とデートしたならば叶多は我慢できますか?』

「天上天下唯我独尊を持って叩きのめしてやります」

『ええ、そうですね。まったくもって同感です』

 

クスクスと小さく笑う音が訊こえ、しかしそれもすぐに溜息に変わった。

 

『……叶多が堕天使や天使に好かれやすいというのはわかっていましたが。今回だけですよ』

 

漸くお許しを貰えて、愛してると囁けばぷつっと通話が終了した。大丈夫だよね?怒ってないよね?出来れば、電話越しに身悶えして顔を真っ赤にしていてほしい。

 

取り敢えず、増えた懸念と片付いた問題を抱えてレイナーレに向き直る。ボンテージ姿で住宅街をうろちょろする女性というのはやはり通報案件ではないだろうか?

 

 

 

 

 

ボンテージ衣装を清楚な女の子という感じのワンピースに着替えたレイナーレと街を歩く。突発的に始まったデート故に何の準備もなく、機嫌を損ねないか心配する僕の手を握り楽しそうに歌を口ずさむ彼女は本当に上機嫌だった。

 

「ねぇ見てカナタ君、クレープ屋があるわ」

「じゃあ、食べる?」

「カナタ君は甘い物は好き?」

「そりゃあ人並み以上には」

 

最近はオカルト研究部後輩のせいで甘い物は毎日のように食べている。そうでなくとも、グレイフィアがお菓子を作ってくれるので市販品は殆ど食べないが、手作りなら何度も口にしている。

屋台に並びクレープを二つ買うとレイナーレに一つ渡す。暫く歩きながら二口ほど食べるとレイナーレが自分の持っていたクレープを差し出してきた。

 

「カナタ君、はいあーん」

 

レイナーレが選んだのはチョコバナナクレープだ。躊躇したものの甘い物には抗えず、一口貰うことにして食べさせてもらうとチョコバナナの安心するベストマッチ感が口内に広がる。

 

「カナタ君、そっち私にもちょうだい」

 

対して僕が選んだのはストロベリーとラズベリーのミックス。ほのかな甘みと酸味がクリームの重みを帳消しにしてくれる素晴らしい一品だが、僕も言われてレイナーレに食べさせると彼女は髪を手で抑えて甘噛みするようにクレープに噛み付いた。そういう姿を見ていると何故だか学校の後輩、小猫を思い出してしまう。

 

「うん、美味しい」

 

御満悦の表情にクリームが付いている。僕はポケットからハンカチを取り出し鼻についたクリームを拭ってあげる。すると顔を真っ赤にして俯いてしまうレイナーレ。

 

「あ、ありがと……」

 

羞恥心からかそれから先は喋らなくなってしまった。お互いに無言で歩きながらクレープを食べる。ようやく食べ終えてレイナーレ姫が次に目移りしたのは女子らしいアクセサリーを扱っている店だ。

 

流されるまま店内に連れ込まれ、レイナーレは僕の首を見て首を傾げる。

 

「そういえばカナタ君って出会った頃からそのチョーカーしてるけど、他のはないの?」

「別に好きでしてるわけじゃないよ。ただ必要だからしてるだけで」

「じゃあさ、その三日月のエンブレム変えてみたら?」

「んー。三日月のエンブレムにも意味があってね。これは月の女神様の呪いの証なんだ」

 

そもそも三日月のエンブレムは後付けでチョーカーに付け足した物であるが、それはもう一人の僕の感性によるものなので勝手に変えると僕が機嫌を損ねる結果になる。僕も割と気に入っているので変える気はない。

 

「月の女神様ねぇ……。まぁ、そういうことにしておきましょう」

 

今度はレイナーレに似合うアクセサリーを探す。どうやら彼女は僕とお揃いのものが欲しいようで似たようなチョーカーばかりを探し出すと試着してみる。

 

「どう?私、カナタ君のペットみたいじゃない」

「そこは普通に似合ってるか聞こうよ」

「リードを付けて散歩というのもいいわね」

「絶対にやらないからね」

 

妄想が爆発しかけているレイナーレが隣のペットショップに駆け込もうとしたのを止めて嘆息する。本当に出会った当初のテンションがおかしな方向に変化していてついていけない。

 

次に彼女が目をつけたのが洋服店だった。これなら少しはおとなしくしてくれるだろう。そう思っていた時期が僕にもありました。

 

「ねぇ、カナタ君こっちに来て」

 

レイナーレに呼ばれて試着室の前に行く。すると試着室のカーテンの隙間から腕が伸びて僕の腕を掴み、そのまま試着室の中へと引っ張り込まれてしまった。

倒れ込むように試着室の中へと入ると彼女に抱き止められたお陰で転ぶことはなかったものの、人の肌とは思えない柔らかくて温かい感触に顔を包まれ、咄嗟に伸ばした手が彼女の腰に回される。

なんとなく何が起きたか予想でき、顔を離すとやはりレイナーレの腕の中にいた。どうやらさっきまで顔を埋めていた場所はレイナーレのたわわに実った果実らしく、その果実は黒い布に覆われている。

 

……下着姿のレイナーレがそこにいた。

 

上下ワンセットの黒下着を身につけ、妖艶に微笑む様はまるで誘惑するかのようで……思わず見惚れてしまうのは仕方ないことだろう。

 

「どう、興奮する?」

「……それは、まぁ」

「じゃあ、買おうかしら」

 

仮にも堕天使、誘惑ならお手の物なのだろう。その後も普通の服などを物色して気に入った服(主に僕の判断)を購入して、何処からか現れた堕天使の少女に袋を持たせる。運んでおいてと命令すると堕天使の少女はすぐに荷物を持って消えた。

 

「楽しいわ。ふふ、こんなに満たされたのはいつ以来かしら」

 

やがて僕の腕に腕を組ませて歩き始めたレイナーレはそう言った。

 

「堕天した時以来ね」

「そういえばレイナーレって元は天使、なんだよね?」

「ええそうよ。昔はこれでも真面目な天使だったのよ?」

 

でも、と続けて……。

 

「天使はくだらないことで堕天する。……本当に天使なんてくだらないわ。神に見放されてもこうして生きてるんだもの、色々と人生損をした気分になるわ。こうしてあなたと出逢えたのも私が堕天したから、って考えると悪いことばかりじゃないし」

 

鼻が付きそうな距離でレイナーレは見つめてきた。彼女の瞳に映る僕はちっぽけな存在に見えて、だがレイナーレにとっては少し大きな存在へとなりつつあるようだ。

 

「正直、もうアザゼル様とかシェムハザ様とかどうでもいいわね。私は私の崇拝し敬愛し恋慕する相手を見つけたことだし、まぁ保険としてあの力を手に入れておくに越したことはないわ」

「ん。何の話?」

「こっちの話だから気にしないで。目的は変われどやることは同じ、そういう話よ」

 

含み微笑むレイナーレが何をしているのかは知らないが、というか知ることさえグレイフィアが許してくれはなさそうなので敢えて訊かない振りをする。

適当に歩いていると公園に辿り着いた。噴水のある綺麗な公園だ。

 

「あら、あれは……みぃ〜つけた」

 

そこには先客がいた。片方はまるでシスター服のようなものを着た女性、もう一人は駒王学園の制服を着た男子生徒。兵藤が金髪の少女とデートしているのだ。

 

「随分と楽しそうね、アーシア」

「っ、レイナーレ様!?」

「なっ、おまえ……!それに大空!?」

「あー……うん。なんていうかごめん」

 

兵藤の彼女と僕がデートして。兵藤は他の女の子とデートしていて。とんでもない修羅場が形成されてる気がして謝ってみたが、兵藤は一度殺されてるし破局しているのかもしれないと考えれば謝る必要はなかったのかもしれない。

レイナーレを見た兵藤の表情が恋人を見るものではないので、僕の早とちりだったのだろう。まるで親の仇でも見るような目でレイナーレを睨んでいた。

 

「そいつから離れろ大空!」

「元カノに酷い態度ねぇ。他の男と歩いているのに嫉妬もしてくれないのかしら」

 

返す言葉と同時に腕を組む力が強くなる。離さないと言わんばかりの締め付けに僕は直立不動で対応する。

 

「大空、そいつは危険だ離れろ!」

「そうかなぁ?そんなに悪い子じゃないよ」

 

僕から見たらレイナーレはちょっとエッチなお姉さんだ。過去に兵藤一誠という人間を殺した経歴があれど、僕に害があったわけでもない。僕は他人の評価は気にしないタイプだ。

兵藤が言っていることは理解出来るのだが、だからそれがどうしたというのだろう。僕からしたら兵藤という人間を殺したことに何かを言うつもりもない。きっとそれが間違ったことであっても。

 

「アーシア、こっちにいらっしゃい。今日の儀式はまだ終わってないのよ」

「……レイナーレ様、私は……」

「今日の儀式さえ終わればあなたは解放される。私は癒しの力を得られる。互いにとって良い関係でしょう?何を拒むのかしら」

「でも、私は……あのようなことをする人達の言うことは信じられません!」

「私だって改心したのよ?困ったわねぇ」

 

何があったのかまるでわからないが、シスターの少女が忌避することなのはわかった。隣でほのぼのと相手に聞こえるように呟くレイナーレはパッと組んでいた腕を解き、その身を転身させる。それは露出強のボンテージへと衣装を変え、翼をはためかせるとアーシアという少女に近寄り……それを兵藤が阻んだ。

 

「悪魔の駒に成り下がった身でよくもまぁ生きてられるわね。その拾った命を大切にしなさいな。今度は見逃してあげる」

 

暗に邪魔するなら消す、と言っているレイナーレを前に兵藤はその手に籠手らしきものを具現化させた。完全な売り言葉に買い言葉、戦闘態勢への発展である。

 

「誰がアーシアを渡すか!」

「何かと思えばただの【龍の手】じゃない。そんなもので勝てると思ってるの?」

 

瞬く間にレイナーレが光の槍を出現させ、投擲すると兵藤の足を貫く。その一撃だけで兵藤は膝をつき、四つん這いになって荒い呼吸を繰り返す。

 

「イッセーさん!」

「アーシア、あなたが大人しくついてくるというのならその男は生かしておいてあげる」

「……ダメだ、アーシア、行くな」

 

アーシアという少女が膝をついた兵藤の隣に膝をついて、見たこともない淡く優しい光を手に宿して傷口に翳すとその傷が塞がっていく。治療が終わった後で少女はゆっくりとレイナーレの元へ歩み寄った。

 

「そう。いい子ね。というわけだからカナタ君、デートはおしまい。少し名残惜しいけれど、今日のところは帰らせてもらうわ。今度会うのを楽しみにしてる」

「待て……!アーシアァァァァァ!!!!」

 

昼下がりの公園に兵藤の絶叫が響いた。煩い。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼は彼女となりて

そのままサクッと進んでもよかったけど、レイナーレ視点で進めることにした。


 

 

 

真夜中、悪魔が私の居城に乗り込んで来た。神器【聖母の微笑】をアーシアの中から譲り受ける儀式の途中、奴らは私の居城を土足で踏み荒す。

あともう少しなのに。私があの人を癒す力を手に入れて、アーシアは自由を手に入れる。それで全てが終わるはずだった。

 

それも全て無駄な足掻き。邪魔が入ったけど無事にアーシアから神器を譲り受ける事ができ、予想はしていた通りアーシアの意識は薄れゆくばかり、その身体を抱えて兵藤一誠は教会の地下を抜けて外に出る。あいつの仲間がはぐれ神父達をボコボコにする中、私も目的は達成したとばかりに地上に戻ることにした。

 

割れたステンドグラスから月の光が射す。朽ちた教会の片隅で兵藤一誠とアーシアは何やら話をしていた。起き上がれず力なく横たわるアーシアに向けて兵藤一誠が何か励ますような言葉を掛けている。まるで映画のワンシーンのように映る光景を私は端から見つめていた。やがて意識を保つ事が難しくなったのかアーシアは眠りに就いた。

 

「アーシアァァァ!」

「煩いわね。寝た子が起きちゃうでしょう?」

「おまえ……!木場と小猫ちゃんは!?」

「死んでないわよ。肌に傷をつけた報いはいつか必ず受けさせるけど」

 

地上に出る時、あの騎士の一撃を掠めたおかげで私の肌には一筋の切り傷がついた。一生残ったらどうしてくれようか、と思うが今の私にはこれがあるのだ。アーシアから譲り受けた神器を使い、腕に翳すとたちまち傷は癒され消えていく。本当に凄い力だ。これがあれば私は貧弱な彼の傷を癒す事ができる。人間っていうのは弱っちぃから守ってあげなくちゃ。

 

「それじゃあ私は行くわね。もう二度と会うことはないでしょうけど、サヨナラを言っておくわ」

 

ひらひらと手を振りながら、翼を再展開する。再び空に飛び立とうとしたところで、あいつは吠えた。

 

「待てよ!おまえは絶対に許さねぇ!逃がすかよ!」

「……はぁ。うざい男は嫌われるわよ、知らないのかしら?」

 

あいつが神器を具現化する。襲い掛かってきたのでひらりと躱して光の槍を放った。見事にあいつの足を貫いてあいつは地面に腰を落としてしまう。これでもう立ち上がることはないだろう。

 

「まだだ……!こんなの…アーシアの痛みに比べたら!頼むよ神様、いや……悪魔が祈るなら魔神か?誰でもいいや。せめて、一発だけでもあいつを殴る力を」

「まさか、立ち上がった?バカな全身が内側から焼けて痛いはずなのに!」

 

–––BOOST!!

 

あいつの神器の倍加が発動した。

 

「たかが1が2になったところで……」

 

–––BOOST!!

 

二度目の倍加。それはあの神器ではあり得ないはずだった。

 

「……おまえのそれは一体?なんなのよ!?」

 

形状が変化している。それに暗くてもよくわかるくらいに赤い。緑の宝玉が手の甲の中心に輝いている。

 

–––BOOST!!

 

三度目の倍加が発動した瞬間、私は恐怖を感じてあいつに背中を向けていた。

 

「逃がすか!」

 

あいつの方が一歩早く、私の腕を掴む。翼を羽ばたかせ逃げようとしたけど握力まで軒並み上がっていて腕が軋むような感覚がした。後ろに引っ張られた瞬間、私の心を絶望が満たした。

 

「吹っ飛べぇぇぇ!!」

「なっ、とま–––」

 

最後まで言い切ることは出来ず、あいつの拳が私の顔面を強打した。

 

 

 

 

 

気がつけば私は誰かに引き摺られていた。教会の中へ連れ戻される中、私はぼんやりとした頭で考える。私はどうしてここにいるのか。気絶していた意識が未だ朦朧とする中、教会の祭壇の前に放られる。

 

「……部長、連れて来ました」

「朱乃、目を覚まさせてやりなさい」

「ふふふ、わかりましたわ」

 

突然、冷水が浴びせられた。軽く溺れそうになりながら私は噎せて朦朧とする意識がはっきりと戻るのを感じた。周りを見渡せば悪魔達が私を囲っている。逃げ場などない、この体では逃げることもできない、万事休す。

 

「初めまして、堕天使レイナーレ。私はグレモリー家次期当主、リアス・グレモリーよ」

 

私の前に立つ紅髪の女がそう名乗る。

 

「まさか、滅殺姫か……!」

「これが何かわかるかしら?」

 

その手からひらひらと舞い落ちるのは黒い羽だ。カラスのものではない。あれは私と同族の堕天使の羽。それが三種類。私の部下達のものなのは見ただけでわかった。

 

「言っておくけど、あなたを助けには来ないわよ?見たらわかるでしょう?」

「何が目的でこんなことを……!」

「あなたは私の大切な眷属を傷つけた。それ以外に理由が必要かしら?」

「邪魔をしたのは、おまえ達が先のはず!」

 

私は自分の脅威を排除しただけだ。あれが突っかかって来たから退けた。ただそれだけの話。私は悪くない。

 

「でも、あなたよね?イッセーを殺したのは」

「それは上司に言われて仕方なく!」

 

危険だから消せ。そう言われて従っただけなのだ。兵藤一誠という神器持ちの少年を殺したのもそう。じゃなきゃ、そんな面倒なことはやらない。そう説明するのも無駄だろう。

思えば私の役割は損なものばかり。どうして私がこんな目に遭っているのか。

 

……会いたい。

 

ただ一目でいいから、あの子に会いたい。

 

私はその一心で必死に命乞いをした。

 

「一誠君助けて!本当は殺したくなかったの!言われたから仕方なくなのよ!」

「……夕麻ちゃん」

「ほら、その証拠にまだ一誠君に買ってもらったシュシュも持ってるの!」

「……部長、頼みます」

 

それは決別の言葉だった。

 

「ねぇ、嘘でしょ……?やだ、助けて……!」

 

あいつと入れ替わるようにあの紅髪の悪魔が私の前に来る。

 

「まだ死にたくない!私は彼ともう一度」

「さようなら。地獄に消えなさい」

 

腕を振りかぶり、全てを消滅させる魔力が放たれようとした刹那–––

 

 

 

「ちょっと待ったぁぁぁ!」

 

 

 

廃墟と化した教会に訊きたくてやまなかった声が響いた。

 

「カナ、タ君……?」

 

悪魔達が振り向いた先にはカナタ君がいた。ずんずんと歩いて私と悪魔達の間に割って入る。私の前に立って庇うような姿勢を見せた彼の背中は大きく、それだけで私の心が温かくなった。

 

「大空がなんでこんなとこに!」

「……叶多先輩」

「イッセー、小猫も知っているの?」

「……はい。先輩とはよくお昼ご飯を一緒に」

 

そんな会話を繰り広げる悪魔達を無視して、カナタ君は私の前に屈むと私の頰を両手で挟んだ。ちょっと腫れてるね、青痣になってる、とか言って優しく撫でてくれた。あの神器よりも温かく涙が溢れそうになる。

 

「大空叶多君ね。少なくともここには人払いの結界が張ってあるはずだけど、どうやって入って来たのかしら?偶然というわけでもないわよね」

「人払いの結界?あー、認識の外に出してしまうってやつ?それって最初から目的地がその場所だと意味ないんじゃない?」

「確かに明確な意思を持っていれば、一般人でも迷い込むことがあるわね……それであなたはその堕天使のなんだと言うのかしら?」

「うーん。どうだろうね?」

 

わからないと、カナタ君は首を傾げた。

 

「僕はただ堕天使の魅惑に引っかかった愚かな人間かもしれないし。でも男なら当然のことだよね。そういう意味では僕はレイナーレを好いてるのかもしれない。少なくとも、殺されると困るってのは考えるまでもないけど」

「……珍妙な乱入者ね」

「今度は僕から質問したいんだけどいいかな?」

 

ええどうぞ、と紅髪の悪魔が質問の許可をした。

 

「殺すなら、僕が貰っていい?」

「それはできないわね。危険な堕天使を生かしてはおけないわ」

「レイナーレは多少口が悪いけど、悪い子じゃないよ」

「じゃあ、あなたは今後彼女が何かをした場合、責任が取れるのかしら」

「それは誰に対しての責任なのかな?」

「彼女の行動で被害を受けた人に対して、かしら」

「そう?僕はてっきり君のテリトリーで目障りな事をされた損害について、と思っていたんだけど」

 

あ、図星?とカナタ君が嗤う。それに対して高慢なはずの紅髪の悪魔は不敵な笑みを見せるばかり。

 

「……そうね。私情もあるわ。私の大事な下僕を弄んだ罪、そしてさっきの命乞いを聞いたでしょう?あの堕天使はまだイッセーを弄んでいるのよ。あなたもそうに違いないわ」

 

違う、と私は叫べなかった。

反射的に声が出そうになったけど、その前に彼が口を開いたから。

 

「グレモリー先輩だっけ。命乞いの効率的な方法って何か知ってる?相手の情を買うことだよ。そりゃ君達には彼女の命乞いが人を馬鹿にしているように聞こえたのかもしれないけど、レイナーレが兵藤を弄ぶ為にそんなことを言ったとは到底思えないよ」

「堕天使はそういうものよ。あなたにはわからないでしょうけど。小猫、彼を此処から引き摺り出してちょうだい」

「……わかりました。部長」

 

白い髪の悪魔の少女がカナタ君と対峙する。

 

「…叶多先輩、外へ行きましょう」

「小猫ちゃんはどっちの味方なの?」

「…私は部長の眷属です。でも、私は叶多先輩の味方です」

 

私を遠ざけて守ろうと言うのだろう、白髪の悪魔は手を取ってと言わんばかりにカナタ君へ手を伸ばした。

 

「味方ね。小猫ちゃんの気持ちは十分わかった。だけど、僕はその結果を望んじゃいない」

「…それが答えですか。わかりました」

 

カナタ君が拒み、白髪の悪魔が彼の隣に並ぶ。

 

「…ごめんなさい、部長。私は先輩の味方です」

「小猫、あなたまで!?」

 

驚いたことに白髪の悪魔は主人を裏切った。私を認めたわけではないけれど、カナタ君を信じているのだろう。ちらりと私を一度だけ見下ろした目には「叶多先輩に感謝してください」と書いてあるような気がした。

 

「ところで兵藤、君はレイナーレをどうしたい?」

「どうって……」

 

不意にカナタ君があいつにそう質問をした。

 

「殺したいのかそうでないのかはっきりしなよ。兵藤はどうして欲しいのか言葉にしていないだろう?まさか曖昧なまま生殺与奪を他人に預けるの?」

「でも、そいつはアーシアを!」

「傷つけた。それで君を殺したことに関してはどう思ってるの?」

「それは……」

「兵藤、君はこうして生きている。悪魔になって前の暮らしと比べてどう?結果論だけなら、君に不都合なことは一つもないだろう」

「……」

 

ついには言葉で相手を黙らせてしまったカナタ君、そこに紅髪の悪魔–––御主人様が割って入る。

 

「あなたの言い分はわかったわ。でも、やっぱり堕天使をそのままあなたに引き渡すことはできないわ」

「平行線だね。じゃあ、仕方ない。一つ勝負をしよう」

「勝負ね、まぁ殺し合うよりはいいかしら」

 

まるで最初からそう決めていたようにカナタ君は提案した。

 

「単純な力比べだよ。一対一の対戦形式。勝負は簡単、戦意が喪失するか負けを認めるまで闘う。できれば僕の相手は男がいいんだけど。女の子相手だと加減が難しいから」

「大した自信じゃない。私の眷属に敵うと思ってるのかしら」

 

賭けは成立した。

そこでカナタ君は首のチョーカーに手をかける。

 

「先に謝っておくけど、ごめん–––」

 

外したと同時に光が爆ぜ、廃墟となった教会を満たす。

思わず腕を翳して光を遮り、発光源のカナタ君の方を見た。

 

「–––私の勝ち確なのよね、その賭け」

 

光が晴れた先には少女がいた。白を基調としたワンピースに紺色のショールのようなものを羽織っている。女神のような法衣にも見える衣装を押し上げるように存在する双丘、その谷間や鎖骨は露出している。衣装から伸びた白く華奢な腕や足は指先にまで嫋やかで見るもの全てを魅了するかのよう、一言で表すならばそれは女神のような完成された美貌を持っていた。薄く朝焼けのように青みがかった銀髪は腰まで伸びており、愛らしい顔に収まる瞳は青空のように透き通った青。

 

堕天使、女である私が見惚れるほどの絶対的美貌はこの世のものとは思えない造形で、そこにいないカナタ君の姿を探した時、私は彼女の持っている見慣れたチョーカーに気づいた。

 

「さぁ、始めましょうか。私があなた達に敗北を刻んであげるわ」

 

その少女は、圧倒的な魔力と絶望、希望を振り撒く女神のように無邪気に微笑んでいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神器発動

視点は叶多♀へ。


 

 

 

太陽が沈み、月が昇る。

太陽の魔力が月の魔力へと変化する。

男と女が入れ替わり。

呪いと祝福が私を創り出した。

 

呪いと祝福は表裏一体。それは誰の言葉だろうか。

それを体現したのが私だ。

『力』という祝福を手に入れ、『性の反転』という呪いを受けた。

 

しかし、呪いというには程遠い。私はこの姿を割と気に入っている。容姿が優れているのがポイント高い。女性特有の生理現象が起こったりもするけど、それも一種の勉強になった。女の子に生まれなくてよかったと思う。

 

 

「あら、どうしたのかしら?早く始めましょう。夜更かしは美容の大敵よ。もちろん、そういう営みは別だけど」

 

目の前で固まってしまっている悪魔達に冗談めかして声をかける。何やら嫌悪感のする視線が私を見ている気がするが敢えてスルーしておくことにした。

 

「…叶多先輩、ですか?」

「それ以外に誰がいるというの?」

「…先輩って女の子だったんですか?」

「違うわよ。今は生物学上『女性』だけどね」

 

男に付いているあれはないし、男についていない果実は実っている、この身体から製造されるのも卵子。生物学上『女性』と言っても過言ではないどころか、生理現象も女性のそれなのだから。ただ健全なる肉体に精神が引っ張られがちなのは否めないけれど。

 

惚けている小猫の顎に手を添えて見つめ合う。

 

「でも、私が好きなのは女の子よ。ふふ、食べちゃいたいくらいに可愛いわね」

 

そのまま小猫を抱き締めると「ふにゃ」という情けない声が胸元からした。嫌そうに捥がくので仕方なく離してあげると、その表情は絶望に染まっていた。

離れた小猫の身体はゆっくりと倒れ、膝をつくと四つん這いになる。

 

「……理不尽です。この世界は、理不尽ですっ」

 

何やら苦しそうに胸を押さえて、涙目の小猫は膝を抱えて蹲る。

 

「まずは一人」

 

塔城小猫は戦意喪失。

続いて、私に不快な視線を向ける男を睥睨する。

 

「学園の女子生徒の気持ちを代表して、兵藤君は死になさい」

 

パチンッ、と指を弾くと兵藤の身体が氷の棺に閉じ込められる。もちろん、無理に剥がそうとすれば皮も一緒に捲れて悲惨な事になる。具体的には筋繊維が剥き出しになり、血をダラダラと垂れ流し、やがては失血で死ぬ。

 

「小猫!? イッセー!? いきなり不意打ちなんて卑怯よ!」

「どうせ物の数には入らないわ。それよりどうする?まだやる?私としては日頃のストレスを発散するいい機会だから、もう少し楽しませて欲しいところだけど」

「一対一のはずでしょう」

「いいじゃない。細かいことは気にしないで。むしろあなた達にハンデをあげてるのだから感謝して欲しいくらいだわ」

「くっ……まさかこんな隠し球を持っているなんて誤算だったわ」

「お互い様でしょう?貴女には貴女の打算が、私には私の勝算があった。まさか卑怯だなんて言わないわよね?力量を測り間違えたのは貴女なんだから」

 

確実な勝算を持っていたのでしょうけど、そもそも小猫には真実を教えていたのだから隠していたなどと戯言は言えない筈だ。本当にお互い様ねと言いたくなる。

 

「次は誰かしら?別に全員で来てもいいのよ」

「……これ以上は無意味、と言いたいところだけど」

 

この状況でも冷静に判断したのか、グレモリー先輩は側にいた木場祐斗に目配せをする。

 

「部長の望み通りに」

 

次の瞬間、木場の姿が搔き消える。死角から剣を携え襲い掛かってきた彼を迎え撃つ。

 

「神斧リッタ」

 

顕現した戦斧を一振りして、振り下ろされた剣ごと叩き斬る。剣は砕かれ木場はそのまま吹き飛び壁に衝突して崩れ落ちた。

 

「神斧…リッタ…ですって!?」

「あれは……」

「何を驚いているのかしら。神器なんて珍しいものでもないでしょう?」

「大戦時代、ある人間が使用した伝説の神器の一つ。かの者の魔力は天使、堕天使を魅了し、魔王や堕天使幹部ですら相手にならなかったと言われている人間が使用していた神器よ」

 

グレイフィアが外では絶対に出すな、そう言っていた意味がようやく理解できた。

 

「能力そのものは二天龍に劣るけど、本当に厄介だったのは所有者。かの者は全ての種族の頂点に立つ者と言っていたけど、本当に人間を超越した化け物と言われていたわ」

 

神斧リッタは後世に残るほどの歴史を刻んでいた。

故にその所有者である私は、持っているだけで災厄に巻き込まれる。

グレイフィアにはそれがわかっていた。

つくづく隠し事ばかりするグレイフィアに今度問い詰めておくことにする。

 

「私、女の子を傷つけるのは趣味じゃないの。そろそろやめにしない?」

「部長、彼女もそう言ってますしここは……」

「ええ、そうね。引き出せるものは引き出せた。それで良しとしましょう」

 

拍子抜けする終わり方ではあるけど、第一の目的は達成された。私も暴れ過ぎるとグレイフィアになんて言われるか怖いのでいい落とし所だろう。

倒れた眷属を回収するグレモリー先輩、その手伝いの合間に姫島朱乃が私の方へやってきた。

 

「少し、お窺いしたいことがあるのですがよろしいですか?」

「何か用があるなら手短にお願いするわ」

「あの神器、いつ頃から発現できるように?」

「そんなの子供の頃からずっとよ」

 

あれなくして私は語れない。神斧リッタは産まれながらの相棒。

ずっと一緒にいてくれた、という意味ではグレイフィアより長い付き合いだ。

 

「まぁこっちの姿は本来の力じゃなくて、歪めた結果だから昼間の方が強いのだけど」

「それで本気ではないと?ふふ、本当に面白いお方」

 

姫島先輩は妙に喋り易い。聞き上手というか、年の功と言ったら失礼だけど学園でお姉様と言われるように年上の立ち振る舞いというのが出来ていて素直に尊敬できる。

 

「私の勝ちでいいわね」

「それは仕方ないわ。だけど、貴女は何が目的なの?」

 

勝利宣言にグレモリー先輩は問い質そうとする。

何が目的、と言われても……。

 

「レイナーレが目的。それ以上でもそれ以下でもないわ」

 

堕天使という存在は欲に溺れた天使の末路。ならば、その男性が好むような体つきをしているレイナーレを欲しいと思ってしまうのは世の摂理である。ただでさえ彼女は魅力的な容姿をしていて、それを殺すなんて勿体ないとは思わないのか。知らない仲なら知らないふりをしていただろうけど、そうはいかないのが私というもの。

 

「さて、それじゃあ敗北を宣言して貰いましょうか?」

「負けを認める。今後一切その堕天使に関しては何もしないわ。これでいい?」

「ダメよ。私の前に跪きなさい」

「くっ、貴女ねぇ……!」

 

お怒りのグレモリー先輩の肩にポンと姫島先輩が手を置く。

 

「部長、潔くいきましょう」

「何を笑っているのよ!人ごとだと思って!」

 

まぁ、私の趣味の範囲内ではある。冗談だけど。

 

「本当、酷い顔ね。可愛い顔が台無しだわ」

 

あちらが喧嘩をしている間に私はレイナーレの元に戻り、その手からアーシアの神器を奪って発動させる。すると淡い緑の光がレイナーレの顔の青痣を癒した。

 

「女の子の顔を殴るなんて酷いやつよねぇ」

「……カナタ君、なのよね」

「ええそうよ。まぁ色々事情があって……そういう話はまた今度。帰りましょう」

「帰るって……」

「私の家に。私の枷を外したんだもの、その代償は身体で払ってもらうわ」

「それって……カナタ君の家にいてもいいってこと?」

「まぁ成り行きだし仕方ないんじゃない」

 

いやもう本当にグレイフィアを説得する手間を考えれば億劫になるけれど、このままサヨナラバイバイは私の精神的にとんでもない負荷が懸かる。主に良心の呵責によって。

 

レイナーレを助け起こすと未だ冷凍されている兵藤を指弾き一つで解放して、私は神器を放り投げた。もちろん、リッタなんて投げたら受け止めきれず悲惨なことになるのでアーシアの神器を。

 

「兵藤君、受け取りなさい」

「わっ、ちょ、何すんだよ!?」

「アーシアの神器よ。弱って眠っているあの子に返しておいてちょうだい」

「えっ、アーシアは……」

「死んでないわよ。何を勘違いしているの?」

 

元々、レイナーレは安全に神器を取り出す儀式をしていたのだが、妙な邪魔が入って余計な負荷がアーシアを蝕んでしまったために死んだように眠っているだけだ。微かに呼吸音が聞こえるし、胸の起伏がゆっくりと上下しているのでまず間違いないだろう。

 

「さぁ、帰りましょうか」

 

遠慮がちなレイナーレの手を握り締め廃墟を後にした。

 

 

 

 

 

「……帰りたくない」

 

枷をもう一度する事で私は僕に戻る。夜の時間だから、好きな方に戻れるがやっぱり気持ち的に男性の僕は僕を選んだ。しかし、あちらの僕は少々自信家で傲慢なところがある故に大胆な行動ができるものの、こちらの僕はそうもいかないわけで……今となっては僕は厄介事に首を突っ込んだ結果を恐れていた。

 

確実に『枷』を外したことはグレイフィアにバレているだろう。それにレイナーレを連れているとくれば更に不安の種が増える。しかし、連れて来てしまったものはしょうがない。

 

「た、ただいま……」

「お帰りなさい叶多。ところでこんな時間に何処をほっつき歩いていたのか何か言うことは?」

「……ご、ごめんなさい」

「ええ、何をしていたかわかっていますよ?グレモリーに接触した挙句、力を解放し、あまつさえ堕天使を助けて家に連れ帰ってくるなど正気の沙汰とは思えませんね。私達の愛の巣に堕天使を入れるなど」

 

……あぁ、やっぱり怒ってる。玄関には淑女然として立っているが無表情に激怒しているグレイフィアがいた。パジャマ姿が可愛いなとか思う隙もない。

 

「まさか、家に置いておくつもりで?」

「……だ、ダメ?」

「……はぁ。ダメとは言いませんが。元のところに返して来なさいと言っても聞かないでしょう。まったくあなたは」

 

呆れたようにそう言ってお説教が始まった。

 

 

 

–––二時間後。

 

 

 

正座して足の感覚すらなくした僕がいた。同じく正座させられたレイナーレもプルプルと震えている。

わかる。わかるよ。こういう時のグレイフィアは怖いから。

まぁ彼女の声は綺麗で何時間でも聞けるから別に苦ではないけど。足の方の感覚がない。

もう立ち上がる気力すら失くした僕にグレイフィアは漸く結論だけを言ってくれた。

 

「その堕天使を家におくことは許可しますが一つだけはっきりさせておきましょう」

 

レイナーレが家に住む許可は出た。もうこれ以上に懸念することはないだろう、と安堵していたらグレイフィアはレイナーレに僕が聞くのも恥ずかしい質問をさらっとしてしまう。

 

「堕天使レイナーレ、あなたは叶多を愛していますか?」

「あ、愛って、そ、そんなの……」

 

いや、出会って数日だよ。そんなわけない。レイナーレは頬を赤くして狼狽えて、その姿を見てグレイフィアが呆れたような表情。

 

「悪魔は重婚が可能です。だから、そういうことにも私は理解があるつもりです。助言の一つでもしましょうか。叶多は本当にこちらから告白するまで何もしないヘタレ野郎なので積極的にいかないといつまで経ってもそのままですよ」

「え、でも……」

「私が正妻。それは譲りません」

 

何故だろう。二人が見つめ合っている。

僕だけが蚊帳の外で何が起きているのかわからなかった。




今回の設定。
女性化するとSっけが目覚め感情も昂ぶる。
普段は温厚な分、その差は著しく現れる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

事後処理

久しぶりに書いたので矛盾点があるかも知れません。
ご了承ください。


 

 

 

「……あぁ、やっぱり普通にいるんですね」

 

翌日のお昼休み、いつものベンチに来た小猫がそう言って僕の隣に腰掛ける。何処か安心したような様子でお弁当を広げながら、チラチラと此方の様子を窺い見ては、サンドイッチを口に運ぶ。

いつも通りの光景に僕も愛妻弁当を広げ、冷めても美味しい弁当の味に舌鼓を打った。

 

「いるよ。学校あるんだし」

「私は先輩が逃げたのではないかと、そう思ってました」

「なんで?」

「積極的に未知の存在を避けているようでしたので」

 

積極的に避ける、とはまた面白い表現だ。

 

「僕としては堕天使や悪魔に興味はあるんだけどね。彼女がどうにも忌避しているから僕も従っているわけで、嫌いというわけじゃないんだけど。まぁ面倒ごとは御免かな」

 

あくまで小猫とは良好な関係でいたい、と伝えると要領を得ないようで小首を傾げられた。

 

「先輩は私が何であってもいいと?」

「悪魔だろうが堕天使だろうが種族が違うだけでしょ」

「では、それ以外の何かだったら……?」

「それ言うと小猫ちゃんって純粋な悪魔でもないよね。あの姫島先輩もだけど」

 

僕が感じたままを言うと、小猫の瞳が驚きに見開かれた。

 

「わかるんですか?」

「なんとなく、違和感みたいな感じかな」

 

最初は『有名人のちょっとしたオーラ』みたいな感じだと思っていた。その感覚を肯定するかのように学校の有名人達からは特殊な気配を感じていた。生徒会のメンバーも、やはり生徒会に選ばれるだけあって独特な雰囲気があるというか、やっぱり僕なんかと違って特別なんだろうと思っていたのだが……。

 

「生徒会の人達もひょっとして悪魔だったりする?」

「……先輩にはいつも驚かされますね」

 

どうやら僕の感じていた煌めきとやらは、人ならざるものの気配だったらしい。

 

「で、話を戻すけど。小猫ちゃんと姫島先輩から感じるのは悪魔だけの気配じゃないっていうか……あまり比較対象がないから自分でもよくわからないんだけど、違和感があるってだけで、完璧に理解できているわけじゃないんだ」

「そういう特異体質の人間は多いですから。でも、やっぱり先輩は例に漏れて特異体質なんですね」

「あはは……知らない方が幸せってこともあるかもね。だけど僕は、僕って存在を割と気に入ってるんだよ」

 

ベンチから後ろを振り返れば校舎が目に入る。教室では何も知らない一般人達が学生生活を謳歌している姿が目に映った。友達と談笑し、絆を深め合う、そんな光景が。裏では悪魔や堕天使などの超常の存在が蔓延っているとも知らず平和な世界を生きている。僕はその合間でゆらゆらと揺れる陽炎のように過ごしていた。

きっとあの光の中では手に入れられなかった幸せがある。グレイフィアとレイナーレ、二人と知り合うこともなかっただろう。そんな未来僕は要らない。はっきりと断言する。

 

「僕自身深く関わるつもりもないけれど、でも知っているのと知らないのとでは違うからね。僕は知れて良かったと思ってる。まぁ実際僕の体質を考慮すれば、知らないわけにはいかないんだけど」

「そんな先輩に部長から伝言です。放課後、オカルト研究部に来るようにと」

「……それって拒否権ある?」

「まぁ、先輩がどうしようが先輩の勝手ではありますけど、私の立場を考えるなら拒否はしないでほしいです」

 

そんなセンチメンタルに浸っていると小猫は容赦なく自分の要件を伝える。此処に来たのもリアスグレモリーから伝言を預かってきたようで簡単に伝えると、自分の昼食を美味しそうに食べ出した。本能に忠実な後輩だ。

更にはあの時、味方をしてもらった手前、断れないときた。実に策士である。そういう事情も踏まえて、あの赤髪の美人先輩は小猫に伝言を託したのだろう。

 

「これは一本取られたね」

「オカルト研究部の部室に叶多先輩を招くのは初めてです。楽しみです」

「んー。でも、今日は予定があるんだけど」

「何の予定ですか?」

「レイナーレの日用品とか色々買い物に行かなきゃいけなくて」

 

いくら可愛い後輩の頼みといえど、先にした約束を破るなど僕には到底できない。先約があるのだ。昨日の件もあってかグレイフィアも楽しみにしているしドタキャンしてみろ死ぬぞ。

 

「では、今日じゃないならいいんですね」

「こっちの都合に合わせてもらうことになるけど」

「いえ、先輩にも都合が合わないのは仕方ありません。此方から無理を言っているわけですし」

「そう言ってくれると助かるよ。じゃあ、多分明日には日程が決まるはずだから」

「はい。先輩、お気をつけて」

 

いつもの昼食会はこうして何事もなく終わった。

 

 

 

 

 

 

それから数日後の放課後、僕は小猫の先導で旧校舎を訪れていた。なんでも木造の旧校舎にオカルト研究部の部室があるらしく、連行されるままに僕はついてきた。床は軋み悲鳴を上げる中、やけに大きな両開きに扉の前で小猫は立ち止まると軽く叩いて中に声を掛ける。すると柔和な女性の声が返事を返した。

 

「どうぞ」

 

多分、そんなニュアンスだったと思う。

小猫が扉を開けて中に入る。その後ろからついて行った僕の耳に入ったのはまず、大量の水音。大量に流れながら何かに弾かれる音はまるでシャワーでも浴びているかのようで、あまりにも突飛な発想に僕は鼻で笑った。そんなわけないじゃないかと。

しかし、そんな僕の耳の感覚を肯定するかのように視界に入ってきた光景は衝撃的だった。

促されて入ったオカルト研究部の部室には一枚の仕切の白いカーテンが引かれ、その向こうでは女性のシルエットが浮かび上がっており、シャワーを浴びていたのだ。因みにだがこの学校にはシャワー室もあり、部活動後に使う生徒も多いのだが部室内にはまずない。なんなら旧校舎には絶対にない。そう言い切れる。

その不可能を可能にしたのが、無理に持ってきたようなバスタブだった。そんなものが有ればシャワー室など作れよう。というかむしろ無理に使ったのかも知れない。

 

「朱乃、タオル」

「はい、部長」

 

カーテンの向こうから伸びた手に姫島先輩からタオルが手渡される。影はカーテン越しに揺らめき、やがて服を着るような衣擦れの音が僅かに響いて、終わったのかシャっと音を立ててカーテンが暴かれた。

 

「待たせたわね」

 

因みにだが、この間、部室にいた兵藤一誠がカーテン向こうの音に聞き耳を立てて影すら透かさんばかりに目を見開いていたことを追記しておく。

 

「あら、どうしたの?座って頂戴」

 

立ち尽くしている僕を不思議そうに見て、グレモリー先輩が着席を促す。なんというかあの時と違った雰囲気に面食らいながら、僕はソファーの上にちょこんと座った。隣にはさりげなく小猫が座る。

 

「……そうね、まずは何から話すべきかしら」

 

いざ対面したところでグレモリー先輩はそう言って思い悩む。横から差し出された紅茶を啜ってはほっと一息、まるで実家のように寛ぐ姿に僕の毒気も抜かれる。

 

–––思ったよりも普通だな。

 

グレイフィアからはあまりグレモリーに関わりすぎるなと散々口を酸っぱくして言われた。それを踏まえて話し合いの場に顔を出したのだ。曰く、これは必要なことなのだと。衝突や厄介ごとを避ける上で、必要な犠牲とはよく言ったものだ。若干、前日のグレイフィアは少し不機嫌であまり賛同的ではなかったのだから。

 

「そうね、あの堕天使は元気かしら?」

 

僕もグレイフィアに倣って警戒しているとグレモリー先輩から思わぬ言葉が出た。

 

「悪魔が堕天使の心配ですか?」

「あなたが思っているようなことではないわよ」

 

廃墟でのグレモリー先輩の言動とは違う一節の言葉が出てきて、思わず面食らうとそうではないと彼女は否定する。あぁ、どうも警戒しているのはあちらも同じらしい。

 

「別に普通ですよ。家では料理の勉強をしてます」

「堕天使が、料理のお勉強……」

 

それほど衝撃的なことであったらしい。

グレモリー先輩は戦慄している。

 

「また何か企んでいるというわけではないのよね?」

「企んでいる、といえば企んでますね」

 

滋養強壮の料理を作って夜の生活に精を出したりとか。

最初は遠慮していたものの、最近は身の危険を感じる。

 

「……もういいわ。なんとなく、あの堕天使の家での様子が目に浮かぶようだから」

 

よほど衝撃的な事実であったのだろう、それ以上は堕天使について詮索しなくなった。人間といちゃいちゃする堕天使の姿をあまり見たくはないらしい。

 

「危険性がないのは理解したわ。あなたの言った通り、アーシアは無事だった。何よりもアーシアの言い分もあることだしね」

 

そう言ってグレモリー先輩が側に目を向けると、いつぞやの金髪のシスターがにっこりと笑う。どうも、と僕は意味もわからず会釈を返す。

 

「はぁ、それで僕を呼び出したのってレイナーレの様子を聞くだけじゃないんですよね?」

 

きっとグレモリー先輩の目的はそれだけではないはずだ。真剣な話し合いのはずなのに隣で呑気に菓子食ってる小猫を見下げて、僕は嘆息して話を促す。

すると待ってました、と言わんばかりにドヤ顔でグレモリー先輩は言った。

 

「ええ、その通りよ。大空叶多君、貴方私の眷属にならない?」

 

実にいい笑顔だ。僕も笑顔を返す。

 

「全力でお断りします」

「人を辞めることにも色々とメリットはあるのよ。寿命だって延びるし、今よりもっと強くなれる。なんなら眷属としての仕事全面免除でもいいわ!」

 

何故か、グレモリー先輩は引き下がらなかった。

悪魔の甘言とはまさにこのこと。

 

「それにあなたと大切な人というのは種族的に寿命が違うでしょう?それほど悪い話ではないと思うのだけど」

 

何処まで調べたのか、グレモリー先輩はそう宣った。

人間の寿命というのは儚い。

悪魔や堕天使と比べて、とても短い。

きっと人間のままでは、生涯を共にするなんて無理だ。

そんなのわかり切っている。

 

「悪魔になるなって大切な人から言われてるので。それに僕、もう殆ど人間じゃないんですよね」

 

僕は首にあるチョーカーの月のアクセサリーを指先で弄った。

 

「あの力を受け入れた代償か、僕の寿命は人間のそれじゃないんです。はっきりとしたことはわからないですけどね」

 

寿命が延びたというよりは、成長が止まってしまったような感覚だ。だからきっと、この先老いることはない。けれど、不老不死ではないだろう。なんとなくそういう気がするだけだけど。

 

「意志は固そうね。わかったわ。でも、一つだけお願いがあるの」

 

諦めがついたのか、グレモリー先輩は勧誘を止める。それほど固執していたわけでもないようだ。

 

「オカルト研究部に入りなさい」

 

そして、また別の勧誘だ。

 

「オカルト研究部って悪魔だけが所属しているんじゃないですか?」

「通例ではね。でも、今回は特例よ。貴方みたいな行動の読めない人を放っておくとこの地域を管理する私の立場が危ういのよ」

「管理、とは随分なものいいですね。此処は日本の領土だと記憶していますが」

「表では一応、駒王学園の理事長の所有物よ」

「……?あぁ、なるほど。この学校も悪魔のものなんですね」

 

驚愕の真実、駒王学園は悪魔が運営していたらしい。

 

「話が早くて助かるわ」

「でもやっぱり広い目で見ると日本の領土では?」

「それが裏社会というものよ」

 

実に難しい話だ。だけど、その裏に関わるなってのがグレイフィアの願い。それを無碍にすることなど僕にはできない。その日常を守るための犠牲も必要上のものであるのなら、彼女もとやかく言わないのであろうが。

 

「所属だけ、なら」

 

こうして僕は客人としてオカルト研究部に入部することになったのだ。僕の細やかな幸福を守るために。




多分、ライザー編が終わるまではやるかもしれない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

フェニックス

前半です。


 

 

 

「いい天気だねぇ……」

「そうですね、先輩」

 

ぽかぽかと陽気な太陽の下で気怠い声が漏れる。

いつものようにベンチで待ち合わせて、弁当を平らげた後はひなたぼっこが日課となっていた。

腹が膨れて満足した身体に、春の陽光。

猫が日向で昼寝をするのも頷けると、猫の気持ちを代弁する。

実に昼寝日和だ。

 

「教室に戻りたくなーい」

「同感です。ずっとこうしてたいです」

 

小猫も僕の意見に賛成のようで、目を瞑りながら春の陽射しを一身に受けていた。やがて、力の抜けた身体が傾きぽてっと体当たり。僕の肩が占有されるに至る。

後輩女子の柔らかな感触。動いたらシャボン玉のように壊れそうで動くことが憚られる。僕は脱力しながら受身で受け入れていた。

 

「放課後もこうしてませんか、叶多先輩」

「んー、別に予定もないからいいけど」

 

日が暮れるまでには帰らないとグレイフィアの機嫌が悪くなるが、逆にそれまでなら普段は自由な時間だ。約束の一つでもなければ、あの二人は基本的に僕の学校生活には関与しない。しかし、それは前までの話。オカルト研究部に所属することになったと言ったら、毎日事細かに放課後の様子を知りたがった。変なことされてないかだとか。

レイナーレ自身、グレモリー先輩達に殺されかけたこともあっていい顔はしなかったものの、あの人達に僕をどうこうするくらいの力はないと考えているらしく、心配に留められてはいるがいつ爆発してもおかしくない。

愛情の裏返し、と取ればそれも仕方ないことではあるが。

 

「小猫ちゃんはオカルト研究部行って、眷属の仕事ってやつをしなくちゃいけないんじゃないの?」

 

オカルト研究部の主な活動は『ボランティア』という名目の地域貢献とされている。悪魔への願いを聞き入れ、それを叶えることで対価を得ているらしいのだが、要は何でも屋みたいな感じらしい。それが悪魔として、オカルト研究部の活動内容なのだ。だから、僕は参加できないしする必要もないのである。本当に名前だけ在籍していて、オカルト研究部にはあまり立ち寄っていない。更に言えば小猫と話すくらいしかやることないので行く意味もあまりない。

 

「今日は来客があるそうで、お仕事はお休みです」

「ふーん。客、か……」

 

十中八九、裏の関係者と見た。

 

「やっぱり悪魔かな?」

「はい、部長の婚約者だそうです」

「婚約者って良家のお嬢様かよー」

「そうですが?」

「あー、そうだったねー」

 

グレイフィアもレイナーレもグレモリーがどうのと話をしていたから、そんな気はしていた。別に忘れていたわけじゃないよ、うん。

 

「まぁ、その件で部長は生理前みたいにピリピリしているので、実を言うとあそこにいるのも嫌なんですよね」

「上司に対する不満がぶちまけられている。って、それ言っていいの?」

「私は叶多先輩に弱みを握られたことになりますね。どうしますか、先輩?」

「弱みの種が弱すぎて脅迫にも使えないよ」

 

話の流れからして僕に文句を言えと。

遠回しの要求に後輩の強かさが目に染みる。

あぁ、それとも征服されたい欲でもあるのか。

飼い慣らされたい猫、みたいな。

現実的には飼い慣らされたい猫なんていないと思うけど。

 

「–––と、いうわけで先輩には放課後オカルト研究部についてきて欲しいです」

「わぁ、不自然なほど長い前振り」

 

一瞬、かよわい部分を見せたかと思えばこれだ。

気まぐれな猫のように転身が早い。

 

「因みにその婚約者の男ですが。女癖が悪いらしく、嫌がる部長の太股に手を這わせるなど、淫行を躊躇いなくやるようで」

 

これは思った。小猫の貞操が危険だと。

 

「って、嫌なんだ」

 

婚約者といえど恋愛関係ではないのだろう。悪魔には純血を重んじる思想があるらしく、純血の悪魔同士での婚約が重んじられているとかなんとか。グレモリー家のお嬢様も大変らしい。

 

「成人するまで話を待つように説得したり、先延ばしにしているらしいです」

「つまり、婚約破棄したいと」

「有り体に言えばそうですね」

「言い切っちゃったよ」

 

他人の家庭事情に首を突っ込むほど無粋ではないので、どうしようもない話だ。

 

 

 

 

 

 

その日の放課後、僕は逃げる間も無く小猫に捕まった。この後輩にして吐気を催す来客らしく、逆に興味が沸いてきたほどだ。覚悟を決めればむしろ面白そうではある。

裏門で捕まり、グラウンドを横切って、旧校舎へ。

木造建築の校舎に足を踏み入れると、不思議と落ち着く古臭い匂いが鼻腔を擽る。

無機質なコンクリートよりも、僕は此方の方が好きだ。

風情がある、のかな?

そういうところが好きなのかもしれない。

 

「やぁ、叶多君」

 

相変わらず無駄に荘厳な扉の先にあるオカルト研究部の部室を訪ねると、木場祐斗が片手を上げて挨拶をした。あの笑顔に騙された女子生徒の数知れず。

 

「ちょうどいいところに来たわねカナタ」

 

その笑顔と同じくらい男子生徒を虜にした笑顔が振り撒かれる。

グレモリー先輩が、満面の笑みで出迎えた。

その背後であらあらうふふと笑む影、姫島朱乃。

そして、ソファーには兵藤一誠とアーシア・アルジェントという名のシスターが揃って座っていた。

僕も小猫とソファーに座る。

 

「確か前に来たのは、小猫ちゃんが仕事の時でしたかしら?」

「えぇまぁ来る理由もないので」

「もっと気軽に来てくれていいんですよ。うふふふ」

「いや、本当に理由ないんで」

 

何故か来て欲しい姫島先輩の誘いを受け流すと、彼女もまた雰囲気をがらりと変えた。揶揄い半分だった雰囲気が微笑みの裏に隠される。

 

「では、今日はどういった用事で?」

「小猫が嫌うグレモリー先輩の婚約者を見物に」

「あらあら、そうですか」

 

何割増しか姫島先輩の微笑みが深くなり、瞬く間に僕の分の紅茶が出される。

これを飲みに来る、っていうのもいいのかもしれない。グレイフィアの腕には劣るけれど。

 

 

 

妙に距離を詰めてくる姫島先輩と小猫に翻弄されながら待っていると、その瞬間はやって来た。

 

部室内に突然、光が溢れた。

原因は床に現れた、煌々と光を放つ魔法陣。

そこから火が吹き上がり、ホスト風の男性が現れる。金髪スーツの頭悪そうな感じの男、もう一人の“僕”いや“私”ならそんな評価を下すだろう風貌の悪魔だ。

まるでマジックみたいだな、と珍妙な感想を抱いているとその男は開口一番にこう言った。

 

「–––ふぅ、やはり人間界は空気が不味いな」

 

実に横暴な態度で自信家、僕の嫌いなタイプだと一発でわかる。僕の興味もすぐに逸れて、膝の上でもそもそとお菓子を食べている小猫に視線を移した。いつ乗ったんだい君?

僕も嫌ではないので文句はないが、兵藤の方は血涙を流さんばかりに此方を睨んでいる。その場所を代わって欲しいと言わんばかりの視線の横で、兵藤の目移りに気づいたアーシアが少し不満そうに膨れる。

ははぁん、なるほど。アーシアは兵藤のことが……珍しいこともあったもんだ。本人のモテたい願望はよく知っているが、まったくそれに気付いていない状況に呆れるやら、だけど僕の口から伝えることでもないので見守らせてもらうことにする。

 

「そう思わないかリアス」

 

登場と共にグレモリー先輩に話を振った男はソファーに乱暴に座る。自然な風を装ってグレモリー先輩の隣に。その横からそっと無言で姫島先輩は紅茶を出す。

 

「え、えーっと、部長、その人は?」

 

突然、現れた男を指差して兵藤が疑問を口にする。

どうやら兵藤はまだ知らなかったみたいだ。

それをいい機会と見たのか、グレモリー先輩が嫌悪感を仄めかす口調で紹介する。

 

「この人は私の婚約者よ、イッセー」

「えぇ、婚約者!?」

 

かつてないほどのショックが兵藤を襲った。

グレモリー先輩の婚約者、その名をライザー・フェニックス。悪魔の名門フェニックス家の三男、純血の上級悪魔。と言われても悪魔の事情に詳しくない僕や兵藤では殆どどうでもいい話だ。

兵藤が気にしていることと言ったら、ソファーに座って一番にグレモリー先輩の髪や肩に馴れ馴れしく触れていることで、そちらに目が釘付けになっていることだ。

グレモリー先輩は負けじと手を払ったが。

 

「でも、前から私言っているわよね。あなたと結婚する気はないって。それに人間界の大学を卒業するまでは好きにさせてくれる約束だわ」

 

何処で拗れたのか婚期が早まってしまったらしい。グレモリー先輩の主張はその一点張りで、乗り切ろうとしている。

 

「おいおい、俺たち悪魔の未来にとって大事なことなんだぜ。サーゼクス様や君の御両親だって御家断絶を危惧してるんだ」

「ええ、いつかは結婚するわよ」

「じゃあ、俺と–––」

「でも、今すぐではないし、相手も私が決めるわ」

 

きっぱりと言い放つグレモリー先輩の剣幕に、ライザーと呼ばれた男が押される。優男っぽかった雰囲気がチッと一度舌打ちしただけで軽減する。

 

「……あのなぁリアス、俺もフェニックス家の看板を背負った悪魔なんだ。そんなことを言われて黙って引き下がるわけにはいかない」

 

不機嫌そうな声色で、グレモリー先輩の眷属達を睨む。

 

「態々君のために人間界に出向いて来たが、こんなところから早く帰りたいんだよ。わかるか?」

 

彼の言い分は、どうして人間界に拘るのかとグレモリー先輩に説いているようでもあった。

続け様に語るわ、ライザーの言い分だ。

 

「この世界の炎と風は汚い。炎と風を司る悪魔としては堪え難いんだよ」

 

ガスで燃える炎、穢れた風、あぁ確かに人間界の空気や炎は汚いのかもしれない。実に納得できる理由で頷ける。昨今は環境汚染が問題にされているからか、その本質も悪魔が見抜いているのか。ライザーの言い分も筋が通ってないわけじゃない。

冥界の炎や風がどんなものかはわからないが、人間界は確かに酷くなりつつある。もしこのまま深刻化すれば、人が住めなくなるという話題もあっただろう。

それほど深刻に捉えられなくて、人類の一割も気にしていないだろうが。

僕もまたそれほど気にはしていなかった。

 

そんなことを考えていたからか、次の言葉は妙に耳障りだった。

 

「俺は君の下僕を全部燃やし尽くしても、冥界に連れて帰るぞリアス」

 

随分と挑発的で野蛮な言葉。

ふとした拍子に膝上の小猫を抱く腕に力が入る。

グレモリー先輩の眷属である小猫達も僅かに気を引き締めたようだった。

張り詰めた空気、ピリッとした緊張感。

その中で、ライザーの炎が煌々と燃え上がる。

 

「てめぇ、さっきから黙って聞いてれば部長に失礼じゃないか!」

 

そんな中で一番先にキレたのは兵藤だった。

 

「なれなれしく髪に触ったり肩を抱いたり羨ましいことをっ!」

 

本音駄々漏れの説法に張り詰めた空気が霧散する。

今、存在に気づいたのかライザーの視線は訝しげだ。

 

「誰だおまえ?」

「俺は兵藤一誠、部長の兵士だ!」

「ふーん、あっそ」

 

聞いた割には興味なさげである。

いや、駒を聞いて興味を失くしたのか。

その言葉が兵藤を刺激したのか、彼はがなりたてる。

 

「おまえこそいきなり現れてなんなんだよ!」

「いきなり……ね。おいリアス、説明してなかったのか」

「聞かれていないことを説明できないでしょ」

「しかも俺のことも知らないようだが。転生者か?それにしても知らないものか?」

 

いや、僕もライザー・フェニックスという名前は知らない。悪魔や堕天使で警戒するべき相手の名前をそこそこグレイフィアに教えてもらったが、そんな名前は聞いた覚えがない。

 

「落ち着きなよ兵藤、君がいくら喚いたって何も変わらないんだから」

 

キーキーと煩くなってきたので僕も介入せざるを得なくなる。やれやれと重い腰を上げるが、膝の上には小猫、物理的には腰は上がらない。座ったままの体勢で僕は顎を後輩の頭に乗せた。腕を肩から回して、前で結ぶあすなろ抱きである。

 

「グレモリー先輩は結婚したくないなら、御両親を説得するべきじゃ?」

「えぇ、そうね。それができれば苦労はしないわよ」

 

逆にそれが出来ていたのなら、今の状況は出来上がっていないだろう。実に滑稽な提案だったと思う。

 

「それならレーティングゲームはどう?」

「何言ってんだよ大空、おまえは知らないかもしれないけどレーティングゲームは成人した悪魔がするゲームで部長は……」

「でも、このゲームを代理戦争に見立てて身内で争うって聞いたことがあるけど。あくまで公式戦に成人していない先輩は出られないだけで、非公式なゲームならできるんだよね?」

 

聞き齧った程度の知識ではあるが、少し無粋ではあったか。

まず提案してみたが、どう考えてもグレモリー先輩が不利だ。

 

「まぁグレモリー先輩にとっては不利過ぎるから、良策とは思えないけど–––」

「それよ!」

「……えっ」

 

心なしかグレモリー先輩の瞳が輝きを取り戻した。

 

「おいおい正気か?悪いが君の下僕じゃ、俺の可愛い下僕には勝てないぞ。まさかこの面子が君の下僕全員だと言うんじゃないだろうな」

「そのまさかよ、ライザー」

 

おいまさか、本当にこの人数で挑むつもりかこの先輩。

相手の力がどの程度かわからないが、無謀という言葉が浮かんだ。

はっきり言って、ライザーだけでも相手にならないだろう。

おそらく、今のレイナーレ一人でもグレモリー先輩の眷属達は完封できる。

そんな確信があった。

 

「まぁいい見せてやろう」

 

ライザーがパチンと指を鳴らす。すると再び魔法陣が輝きを放ち、大量の悪魔達が転移されて来た。

 

一言で表すなら、そう。『ハーレム』という言葉がぴったり当て嵌まるだろうか。ライザーの眷属は全員女性、それもロリから大人のお姉さんに至るまであらゆる属性が完備されているかのようなタイプ不一致。『十人十色』と書いて、『ハーレム』と呼ぶようなそんなくだらない考えが脳裏を掠めた。

 

「……なぁ、リアス。君の下僕君が俺を見て号泣してるんだが」

 

よりどりみどりの女の子達に囲まれているライザーを見て、大号泣している兵藤の姿を指差し、初めて余裕そうな表情が変わる。戸惑い気味悪がっているように見える。

 

「あの子の夢、ハーレムなのよ……」

 

グレモリー先輩は残念な子を見る目だ。

 

「ほう、じゃあ……」

 

ライザーが手招きをすると一人の女性が寄っていく。あからさまに抱き締めると顎をくいと持ち上げて、いちゃらぶちゅっちゅとキスを始めてしまった。舌が絡む濃厚なやつ。

 

さしものグレモリー眷属もぽかんとした表情でその光景を見た。

グレモリー先輩は呆れ、姫島先輩は表情一つ変えず「まぁ」と溢し、小猫は咥えていた棒状の飴をガリっと噛み砕いた。木場は壁で腕を組みながら視線を逸らし、兵藤は血涙を流さんばかりで、アーシアは驚愕に目を見開きながらも手で顔を隠し、指の隙間からしっかりと見ているのだ。

 

濃厚なキスが終わると、ライザーと眷属の女の二人の間に銀色のアーチが。

夜でもないのに、僕の中の私がぶるりと身震いした気がする。

 

普通、人前でする?

 

「ライザー様わたしもー!」

「あ、ライザー様わたしも!」

「おいおい、しょうがないな」

 

何処かの国で行われたという監獄実験という言葉が頭を過った。

どうやら彼女達に羞恥という概念はないらしい。

ライザーという男一人にメロメロである。

次々と、キスを繰り広げていった。

 

「ライザァァァァァアア!!!!」

 

そんな光景を見せられて、兵藤の何かがぷつりと音を立てて切れた。神器を発動し、赤い籠手で殴り掛かる。

 

「随分と無粋なやつだな。おい」

 

ただ一言、そう命じただけでライザーの眷属の一人、棍棒?を持った女が前に出る。襲い掛かってくる兵藤の腹を打ち据えて、その勢いのままに天井へと放り投げた。天井にぶつかった兵藤は跳ね返り、重力に従い落ちてくる。

 

「い、イッセーさん!」

 

倒れ伏していた兵藤は無事だったようで、痛みに打ち震えながらも手をついて立ち上がろうとする。そんなところにアーシアが駆け寄り、神器で傷を癒そうとした。

 

「おいおい、あいつは俺の下僕の中でも一番弱い兵士だぞ。その程度でどうにかできると思っているのか?」

 

さっき兵藤を叩きのめした女性、彼女の実力は棍棒を操る技量と人間を少し超えた力にあるのだろう。人間でも剣道の達人クラスなら善戦くらいはできる。そんな印象だった。あくまで武術を経験しているクラス、それに比べて兵藤は一般人に等しい。

唇を噛み悔しがるのも、無理はない。

あいつは一般人から悪魔になって、ろくに戦う術を習ったわけではないのだから。

 

「ちくしょう…俺だってそれくらいわかって…」

「そうだね。自分が弱いってわかっただけでも大きな収穫だと思うよ」

「大空……?」

「フェアじゃない。フェアじゃないんだよこの勝負。人数的にも、グレモリー先輩にまず勝ち目はない」

 

とうにわかり切った答えを口にすると、グレモリー先輩もバツが悪そうな顔をする。

 

「まずライザーを相手にするだけでも勝ち目がないのに、眷属全員を相手にしていたらより一層勝ち目なんてなくなる」

「ほう、リアスおまえの眷属にも中々理性的なやつがいるじゃないか」

「あれ、私の眷属じゃないわ。人間よ」

「あ?なんでそんな奴が此処に……」

 

僕という異常性に気づいたライザーが眉を潜め、怪訝な顔を向けて来た。

 

 

 

–––その時、黒い何かが窓ガラスに突っ込む。

 

 

 

「カナタ君!!」

 

二階の窓を破って侵入して来た黒い羽を持つ彼女は、僕を守るようにライザーと僕の間に割って入る。室内に舞い上がる黒羽はひらひらと舞い落ちて、幻想的な光景を生み出した。

 

「チッ、堕天使が何故此処に……」

 

ライザーの眷属は臨戦態勢、武器を各々構え、ライザーも炎を纏う。

 

「次から次へと……」

 

頭痛がするのかこめかみを抑えるグレモリー先輩はぼやいた。

これまた間抜けな表情をしているのは、グレモリー眷属だけだ。

 

「カナタ君大丈夫酷いことされてない!?」

「いや、大丈夫……」

 

突然乱入して来たレイナーレの焦燥ぶりを見て、どういうことか察する。彼女は大量に悪魔が転移してくる気配を察知して、僕の危機だと勘違いしているらしい。その手に握られた物騒な光槍が証左だ。

 

「おいリアスどうなってる!」

「どうもこうも私は手が出せないわ。あの堕天使は彼のものだもの」

 

動揺しているライザーをおちょくるのが楽しいのか、口元の笑みを堪えながらグレモリー先輩は言い放つ。此処はおまえの管轄だろう、とはライザーの弁だ。

 

「リアス、堕天使を野放しにさせておいてるなんて君の御両親やサーゼクス様に知れたら不味いんじゃないか?ん?」

「そうかもね。でも、私にはどうにも出来ないのよ。そういう約束だから」

「チッ、なら俺がやるだけだ!どうせはぐれ堕天使、冷戦状態の今こんな薄汚い羽が一人消えても文句は言えないだろう!」

 

煌々と炎が燃え上がる。ライザーの手に真っ赤な炎が出現した瞬間、腕を振るうことで放たれる。直線上にいる小猫なんてとばっちりのいい迷惑だろう。

炎が到達する僅かな間にレイナーレが此方に振り返る。

彼女なら迎撃可能だ。炎を払うくらい、なんてことない。

 

「いいよ、僕がやる」

 

だけど、今の僕はレイナーレを「薄汚い羽」呼ばわりされてキレていた。

小猫を下ろして、炎の前に僕は飛び込んだ。




次回は別の人の視点です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

先輩と堕天使と銀髪メイド

小猫視点です。
誰の視点でするか迷った結果、迷ったまま書いちゃった変かもしれませんが。




 

 

 

「か、叶多先輩……!?」

 

私の目の前には轟々と燃え上がる炎、その炎に巻かれているのは私の大切な先輩だ。彼は迫り来る炎に飛び込み、大切な人を庇うように後ろに押し出した。堕天使はただその炎を見つめていた。

 

「あ……」

 

炎の中には真っ黒な人影が浮かび上がる。まるで蜃気楼のように歪め大きくなったように見えた先輩の姿を見て、私は意識が眩むような思いだった。

影はただ苦しむ様子もなく、炎に耐えている。

悲鳴を上げられないのか、微動だにしない。

そんな姿を見ているうちに、私は叫んだ。

 

「部長…!」

「大丈夫よ、カナタ君なら」

「い、いくら先輩が常識外れとはいえ流石にこの炎では!」

「むしろ不味いのはこの後かな」

 

助けを求めた部長ではなく、私の縋るような思いに答えたのは救われた堕天使。今は炎に巻かれている先輩と同居しているあの憎き堕天使が何を言っているのか、私には判らない。

こうしている間にも先輩は丸焼けになってしまう。そう思っているのは私だけなのか、部長達はただ燃え上がる炎を見つめているだけで何もしようとはしなかった。

ようやく口を開いた部長は、火の熱に当てられてだ。

 

「ライザー、熱いわ火を消しなさい」

「おいおい、人間の心配はしないのかよ。まぁ俺もあれが死のうがどっちでもいいが」

 

そんなやりとりの後、ライザーがパチンと指を鳴らす。

いや、鳴らそうとした瞬間、代わりに床に落ちたものがあった。

 

「あれは……大空の?ってことは!」

 

月のエンブレムが付いたチョーカーだ。叶多先輩がいつも着けているもの。それが転がったのを見て、イッセー先輩は喜色を浮かべて炎を見つめる。大方、また美女の姿になる叶多先輩を見たいのだろう。

こんな状況でも下衆めいた発想ができるイッセー先輩のお花畑思考に嘆息しながら、私もまた炎の中を見つめた。それでも叶多先輩は動かない。どうしたのだろうか。

 

–––まさか本当に死んだんじゃ。

 

ぞっとして身体の芯が冷えていく感覚を味わいながら、私は奇妙な現象を体験していた。

部屋の温度が上がっているのだ。

触れば一瞬で炭化してしまいそうな炎だ、まず普通の人間は生きていられまい。

私も触れればどうなるかわからない。けど、なんとなく叶多先輩は生きていると確信できた。

温度が上がって、制服のシャツが肌に張り付くほど汗をかいた時、その確信は本物になる。

 

 

 

「–––ぬるい」

 

 

 

炎の中から、声が上がった。

叶多先輩の声だと判別するのに時間は掛からない。

その声にライザーは仰天したように目を見開く。

 

「バカな、普通の人間が生きていられるはずはないッ!?」

「残念ながらカナタ君は普通の人間じゃないんですー、べーっだ」

 

挑発的に舌を出して堕天使がライザーを煽った。

自慢げなのは、先輩が身内であるからか。

 

コツ、という床を叩く靴音。炎の中の人影が歩き出し、ライザーの方に歩いて行く。その姿はいつもより大きく見えた。炎のせいでそう見えているかも知れないが、私はその中身の重圧に声が出ない。

きっと周りも同じだったのだろう。炎に包まれた人間が歩く間、誰も動けず声も出さなかった。ライザーの前に立った時、初めて炎は吹き荒れて掻き消される。それも、圧倒的な重圧によって。

 

「おやおや、室内で火遊びなど。建物に引火したらどうする気ですか?」

 

炎の中から現れたのは、叶多先輩を20cm程高くした偉丈夫。上半身は裸で、筋肉は隆起し、普段の姿からは考えられないほど逞しい姿で髪は無造作に伸びている。

 

「悪いことをしたら御免なさい。常識ですよ。よもやそんなことすらできないのですか?」

 

大男が小男を叱りつけるような、そんな光景だ。

あのライザーですら、叶多先輩の前では無力。

ようやく開かれた口からは、彼への返答ではない。

至極真っ当な質問だ。

 

「おまえは何者だ?」

「人間だ」

 

叶多先輩の答えは、何処かおかしい。

何処にこんな人間がいるのか。

昼は大男、夜は美女。

性別の概念は彼にあるのだろうか。

 

「それよりさっきの謝罪がまだですが」

 

叶多先輩の声によって本題に戻される。さっきの話と言われて、数秒考えていたようだがライザーは特に考えるでもなく言い放った。あの叶多先輩に対して不遜な態度を貫く。

 

「はっ、薄汚い羽と言ったことを怒っているのか?その堕天使が薄汚い羽っていうのは事実だろう。言って何が悪い」

「反省の色が見えないな。ならば」

 

次の瞬間には、神斧リッタが叶多先輩の手に顕現する。大上段に片手で構えられたそれを見て目の色を変えた眷属が飛び出そうとしたが、それよりも早くリッタは振り下ろされた。

その域は達人や人間のものではない。祐斗先輩とも比較にはならない。圧倒的強者の暴力、力任せな技がそこにあった。瞬きする間も無く振り下ろされた刃を床スレスレで止め、叶多先輩は残心を解かない。

 

「その、斧は……!」

 

ライザーが神斧リッタを見てそう呟いた瞬間、右腕がごろりと落ちた。

傷をつけられるどころか、落とされたことにも気づかなかったらしい。

 

「なっ……!」

 

だが、その傷もすぐに修復する。切断面から炎が吹き荒れて、混ざり合うと結合し不死鳥のように腕が蘇った。

あれがフェニックス家が厄介とされる所以だ。無限に等しい再生能力、それがフェニックス。いくら先輩といえどもあれが相手では分が悪いだろう。

フェニックスの再生能力を前にして、それでも叶多先輩は顔色一つ変えない。

 

「しかし、痛みはあるだろう。ならばそれでいい。貴様に本物の太陽を刻みつけてやる」

 

紳士的な顔で物騒な事を言い始めた。あの先輩がだ。

 

「ふんっ!」

「ぐわぁっ!?」

 

次の瞬間にはライザーの頭にアイアンクローを極めて、腕力の限りに上へとぶん投げた。すると天井を突き破ってライザーは旧校舎の外へ出てしまう。その後を追って、叶多先輩も飛び出した。

 

「ら、ライザー様!?」

「ど、どうしよう!」

「追いかけないと!」

「今すぐ助けに参ります!」

 

ライザー眷属が大慌てで外に出て行く中、堕天使が自分で破った窓から出る。その間際、振り返った。

 

「きっと面白いものが見られるわよ」

「えぇ、私達も追いかけましょう」

「そうですね、部長」

「……ええ、そうですわね。気になることもありますし」

 

私達も連れ立って旧校舎の外に出る。

ライザーの眷属は既に揃っており、空を見上げていた。

 

「部長、あれ!」

 

空にあったのは二つの太陽。白く直視できないそれと、眩く紅い炎の塊。前者がこの世界における普通の太陽で、後者が何者かの手によって作り出した人工物だ。しかも、旧校舎を吹き飛ばす分にはわけない大きさだ。あれが人の力で生み出されたとなると理解し難いものがあるが、あれもきっと叶多先輩の仕業だ。

 

「“無慈悲な太陽”」

 

紅蓮の太陽が動き出す。上空にいるライザー目掛けて、それは射出された。

 

「無駄無駄無駄ァ!俺に炎は効かないぞ人間ッ!!」

「それは自分の身体で確かめてみればいい」

 

グッと拳を握り、先輩は呟いた。

 

「–––“炸裂する傲慢”」

 

ライザーにぶつかった炎の玉が突如、発光する。その輝きはあの空にある太陽と同じく、直視できないほどの膨大な光量で私は手を翳し目を細めることで和らげた。

 

そして、炎の玉が爆ぜた。

 

爆風が周囲を襲った。膨大な熱量を纏った風が軀を撫でる。

その熱さに顔を顰め、堪えた。

光はやがて消え、空を見上げると太陽は焼失していた。

落ちてくる、人の影。

 

ドンッ、そんな音を立てて落っこちたのはライザー・フェニックスだった。その身体の節々からは煙が上がっており、尋常じゃないほどの火傷が身体を覆っていた。

 

「ライザー様!」

 

ライザーの眷属達が駆け寄って行く。

信じられない、といった様子だ。

それは部長も同じで目を見開いて驚愕している。

溢れた言葉は空に溶ける。

 

「まさか、フェニックスを焼くほどの炎なんて……太陽の魔力?」

 

誰が答えるわけでもない。堕天使は素知らぬ顔で、芝生の上に立つ男を見ていた。うっとりした表情、まるで恋をする乙女のような顔だとは部長は認めないだろうがそんな表情で叶多先輩を見ている。

 

「おのれよくもライザー様をッ!」

「おやめなさいユーベルーナ!」

 

激昂した眷属を治めたのは金髪ドリルの少女、彼女だけはライザーに駆け寄らず遠巻きに見ている。少しライザーの傷を見た後で、フェニックスの涙を飲ませようとした眷属達を手で制し、前に躍り出る。一歩一歩先輩のところに歩み寄って行くその足は重い。何かを躊躇しているようだが、最後の一歩を踏み締めた時、ちゃんと顔を上げて見た。

 

そして、ドレスのスカートを摘み一礼する。堂に入ったお嬢様っぽい仕草で。

 

「先程は兄が大変な失礼をしてしまい申し訳ございません。あなた様の名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「叶多様だ。覚えておけ」

「では、カナタ様とお呼びしても?」

「許そう、好きに呼べ」

 

普段の叶多先輩と比べて、傲慢な態度。

何処か“夜の姿”と似ていて、昼の謙遜する彼とは大違いだ。

そんな彼を見上げる少女は、もう一礼して名乗りを上げる。

 

「私はレイヴェル・フェニックスと申します。後日改めて謝罪に伺わせていただきますわ」

 

ただレイヴェルが言ったのはそれだけだった。恨み言も何もなし。あのライザーの妹なら先輩に何か言ってもおかしくなかったが、本当にそれだけ言うと引き下がった。

 

「帰りますわよユーベルーナ、お兄様を連れて行ってください。あ、起こすと面倒なのでそのままで」

 

次々とライザーの眷属達が転移して行く。レイヴェルだけは振り返り、部長へと顔を向けた。

 

「ゲームの日程は後日また」

 

魔法陣が浮かび、少女は冥界に帰って行った。

 

 

 

 

 

 

嵐が過ぎ去った後で私は叶多先輩のもとにゆっくりと近づく。近づけば近づくほど、まるで太陽のように暑さが増す。実際、グラウンドは既に夏の暑さで私のシャツはびっしょりと肌に張り付いていた。

 

「先輩、ですよね……?」

「あぁ、いかにも私が先輩だが」

 

喋り方まで傲慢な態度、そのギャップに思うところがある。

これがギャップ萌えというやつだろうか。

近づくのも苦しいのに、私は足を止められなかった。

もっと近くで見たいと思ったから。

 

「叶多先輩は強過ぎです」

「当然。しかしそれ以上、私に近づくのは危険だ」

「どうしてですか?」

 

もう一歩、距離を詰める。

 

「私に不用意に近づけば火傷ではすまないぞ小猫ちゃん」

 

そんな私に言い放った先輩の言葉は何処か気障ったらしい。

 

「口説いてるんですか?」

「いや、そういう意図はない」

 

距離が限りなくゼロに近くなる。見上げれば先輩の顔があった。いつもと比べて随分と高い。近いようで遠く、逞しい肉体がそこにあって少しだけドキッとする。

 

「……確かに火傷しそうなくらい熱いです」

 

近くにいるだけで血液が沸騰しそうで、肌が焼かれるようだ。

真夏の太陽なんて目じゃないくらい、今は暑い。

それでも私は触れてみたかった。叶多先輩のもう一つの姿に……。

そっと触れてみれば、人の体温。

どうも暑さの理由は彼の魔力らしい。

それを内包している叶多先輩も十分に熱い。

 

「あぁ、やっぱりあったかいですね」

 

姿は違えど、叶多先輩だ。安心した。

そんな確認をしている最中に、彼に襲い掛かる影。

 

「カナタくーん!」

 

広い背中に飛びつく形で抱き着いた堕天使が、そのままぎゅっと首に手を回した。

 

「おやおや、どうしましたか。レイナーレ」

「好きー!」

「私も同じ気持ちですよ」

「もう、カナタ君ったら」

 

突然、いちゃつき始めた堕天使は私を一瞥する。「彼は私のものだから」と挑発するように、此方を見てフッと笑いやがったのだ。

 

どうやら私は牽制されているらしい。

私自身の気持ちも筒抜けというわけだ。

腹立たしいことに先輩はわかってないみたいだが。

 

「それよりカナタ、この暑さどうにかならないの?このままだと熱中症で緊急搬送される生徒が出かねないんだけど」

 

密かに私が燃やす敵愾心の代わりに人目を憚らずいちゃいちゃする堕天使と人間の恋路に矢を投じたのは、パタパタと手で顔を仰ぐ部長だ。さっきシャワーを浴びたのにもう汗だくで、下着が透けて見えていた。

 

「おっと失礼。チョーカーは、と……」

「確か部室じゃない?」

「これですか?」

「あぁ、それだ。すまないなグレイ–––」

 

いつもの首飾りを探す先輩と堕天使の会話に割って入ったのは、いつ現れたのかわからない銀髪メイド。その出現に今気づいた部長達が驚きを露わに距離を取る。

誰も気づかなかった。その異常性がわからないイッセー先輩は呆けたまま……いや、突然現れた銀髪メイドに鼻の下を伸ばしていた。ある意味で大物だ。

 

「グ、グレイフィア!?どうして此処に……!」

 

先輩がグレイフィアと呼んだ銀髪メイド服の女性。

彼女は澄まし顔で答える。

 

「レイナーレが勝手に飛び出した挙句、叶多まで“無慈悲な太陽”を撃ち出せば出てくるのは当たり前でしょう。何か言うことはありますか?」

 

対して、問い詰められた叶多先輩とレイナーレの顔色はみるみるうちに青くなった。あの先輩がここまで恐れる相手に部長達も戦慄して動揺している様子だ。

 

「まぁ、事情は概ね理解しました。レイナーレが早とちりして単独で飛び出し、大方戦闘にでもなったのでしょう?」

「ち、違うのグレイフィア。カナタ君は私のために怒ってくれて……」

「大方、薄汚い羽だのと侮辱されたのでしょう?」

 

まるで見てきたかのようなグレイフィアの発言に二人は黙った。

 

「正直、レイナーレが飛び出したせいで面倒事にはなりましたがこれも遅かれ早かれ起きたことでしょう。怒っていませんよ。それに私も過去の精算をしないといけませんし」

 

二人から視線を離し、グレイフィアが部長を見る。

 

「久しぶりですね。リアス・グレモリー」

「……グレイフィア・ルキフグスなのね」

「もう一年も経てば、グレイフィア・大空といったところでしょうか」

「どうして此処に?」

「理由は察してくださいな。私は今、叶多とお付き合いしてるんです」

「……人間と、お付き合い?」

 

あまりに予想外で斜め上の発想だったのか、間の抜けた部長の声が空に溶けた。

 

「そう。でも、あなた自分の立場を理解しているかしら」

「ええ、痛いほどに理解しています」

「それはちゃんとカナタに伝えたのかしら?」

「…………」

 

グレイフィアと呼ばれた女性から返ってきたのは無言だった。それを見てか、呆れたような表情で部長は嘆息する。長い溜息の後でちらりと先輩に視線を送った。

どうしていいかわからず、先輩はおろおろしていた。

その姿は、チョーカーを着けて元に戻っている。

 

「大空叶多、あなたに大事なことを伝えておくわ」

 

部長は何を言うつもりなのかわからない。でも、確実にグレイフィアという女性に関してのことだろう。それがわかっていてもグレイフィアという女性に慌てる様子はない。瞑目し、ただ告げられるその時を待って–––。

 

「グレイフィア・ルキフグスは冥界でも指名手配されている大罪人よ」

 

白日の元に晒されたのは、そんな現実だった。

 




此処で宣言しておきますがライザー編が終わるまでは描く予定です。
後の話は七つの大罪とハイスクールD×Dを読み返さないと書けないんですよね。
知識が足らず申し訳ない。
勢いと意味のわからないテンションで見切り発車したから……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

捧げる罪

 

 

 

異変に気付いたのは全てが始まった後だった。

毎日のように喧嘩していた友達と、その日は珍しく取っ組み合うほどの大喧嘩。

次第に熱くなっていった口論から、僕達は止まらなくなっていたのだ。

そうして起こった悲劇を今でもよく覚えている。

子供ながらに力任せに突き飛ばした友達が、思ったよりも吹き飛んで机にぶつかって怪我をした。いや、怪我なんて生易しいものじゃない。その子の腕は反対に曲がっていた。死に掛けた。

腕から突き出た骨、流れ出す鮮血、痛みで泣くこともできないその子は微かに呻いた。

見ていた他の子供達が大人を呼び、何があったのかを説明する。他の子供達が指差し、大人が僕を見た時、それが恐ろしくて僕はその場から逃げ出した。

 

走って。走って。走って。

その日は雨が降っていて、転んで水溜りに頭から突っ込んだ。

泥濘んだ道を立ち上がり、ただひたすらに走る。

誰もいない場所へ、森の奥へ駆け込んで。

それから木を殴りつけた。

拳を痛めつけるつもりだったのに、僕の拳は木の幹を砕いた。

僕の手は無傷だ。異常な力に瞠目する。

 

–––おかしい。

 

子供であろうとその異常性は理解できた。自分の身体に何かが起こっている。それが何かはわからないが、その友達を傷つけたショックは大きかった。

 

それから数年して、更におかしいことに気付いた。

僕の周りは異常気象が起こる。

夏は熱中症患者が増えて、冬は雪が瞬く間に溶けた。

スプーン曲げ程度ならまだ普通だ。

鉛筆が簡単に折れる。ボールが潰れる。包丁が曲がる。プールが沸騰する。フライパンが溶ける。

全部、全部おかしい。

 

もっとも最悪だったのは、キレて喧嘩になると相手が傷つくこと。悪循環が僕を壊して、ただひたすらに喧嘩をしては周りを傷つけ始めた。どうせ存在そのものが誰かを傷つけるなら一人も二人も変わらないと思った。全部、全部全部壊して僕は一人になった。そして、最後に残ったのは虚しさだけ。

 

山奥に逃げ込み、ただ一人叫ぶ。

獣のような、咆哮をあげた。

 

 

そうして始まった隠遁生活。

誰もいない人里離れた山奥で僕は生活した。

湖の辺り、山小屋があった。

幸いにも何年も誰も使っていない、痕跡のない建物。

まるで僕のために建てられたみたいだと、思ったのを覚えている。

森に迷い込んだ幼子を帰したこともあった。

他に訪れる者などいなかった。

 

そんなある日、また誰かが迷い込んだ。

血の匂いがした。それに引き寄せられた僕は見た。

湖の辺りに銀髪の女性が倒れているのを。

それを追って現れる悪魔達を。

 

女性は助けを乞わなかった。

それもそうだ、こんな山奥に人などいるはずもない。

だから、彼女は悲鳴をあげないのかと思った。

迫りくる魔法の光を前に、悔しそうに唇を噛んで。

ただ、一筋の涙を流した。

 

–––死にたくない。

 

唇は微かにそう紡いだ。

僕だってこの力を誰かを助けるために使ったことさえあった。だけど、助けた相手は怯えながらこっちに来るなと叫ぶ。僕を“化物”と呼んでは物を投げつけた。

繰り返すのか?–––忌まわしい記憶を。

それでも僕はもう一度、誰かを助けるために。

 

 

 

それがグレイフィアと出逢った運命の日。

僕が生きる意味を初めて知った日だった。

 

 

 

 

 

 

「グレイフィア・ルキフグスは大罪人よ」

 

繰り返しグレモリー先輩が告白する。再度確かめるように言われた言葉を僕は正しく理解した。反論しようとしないグレイフィアを一瞥して事実だと悟る。

 

疑問に思わないわけがなかった。

昔、出逢った彼女は悪魔達に追われていた。傷ついていたし魔力も殆どなく、抵抗さえ出来ない状態だった。その理由を追求するより彼女の側に優先した僕は、ただずっと彼女が自分から話してくれるのを待った。

その結果、明かすことを選んだらしい。

過去の精算とは、こういうことかと推察する。

 

「罪状は?」

「旧魔王派が引き起こした内乱においてグレイフィア・ルキフグスは現魔王のセラフォルー様と対峙し、互角の激闘を繰り広げ、更には多くの上級悪魔を殺害した危険人物よ。特級のはぐれ悪魔認定されているわ」

「勝てば官軍負ければ賊軍か」

 

勝者が正義、敗者は犯罪者扱い。何処の世も同じらしいと僕は悲嘆する。

まさかこんなことを今まで隠していたなんて、夢にも思わなかった。

 

「そんなことで今まで悩んでたの?」

「叶多、私は……」

 

目を伏せて言い淀むグレイフィアの前に立つ。

 

「まさか僕の前からいなくなるとか言わないよね?そんなこと考えてるんだったら怒るよ」

 

未だ顔は伏せられたままだ。

考えていたらしい。

 

「叶多はそれがどういうことかわからないんです」

「わかってるさそれくらい。君といたら悪魔を敵に回す可能性がある。でも、もう無理だよ。グレイフィアを追って来た悪魔を何十人も殺した後だし。同罪ってやつ。僕の罪状は内乱における犯罪者を匿ったってところかな」

 

ねぇ、そうだよねグレモリー先輩と顔を向けると微妙な顔をされた。僕の考えが正しければ僕という存在の突飛な行動を警戒しているように見える。実際、僕はもう既に幾つもの策を練っていた。そしてこれはまだ推測の域を出ないが、グレモリー先輩も現状を利用しようとしている可能性は十分に否定できない。

 

「あのさ、僕にグレイフィアを捨てるなんて選択肢は最初からないんだよ」

 

諭すように言ってから、僕は彼女の肩を抱いた。

 

「君と出逢ったその日から、僕の気持ちは変わらない」

 

グレモリー先輩に向き直る。

僕は今この瞬間、彼女を脅す。

 

「グレモリー先輩、僕には選択肢が三つあります」

「はぁ。そうよね。続けなさい」

 

指を三つ立ててから、またゼロにして人差し指を立てる。

 

「まず一つ目、教会に所属して祓魔師になる」

 

悪魔を狩る神側の使徒だ。戦争をしている三大勢力で人間が多く所属しており、始めに言っておくが悪魔と蜜月をするような僕では既に異端の使徒とされるだろう。

 

「二つ目、堕天使側の勢力“神の子を見張る者”に所属する」

 

はぐれ者の集まりと言われている集団だ。レイナーレの話ではトップのアザゼルという堕天使が神器の研究をしているらしく、高待遇を受けられる可能性がある。何より一番可能性があるだろう。悪魔と一緒にいたとしても。

 

「三つ目、グレモリー先輩の婚約破棄に協力する代償に便宜を図ってもらう」

 

お互いにWIN-WINな関係となるわけだ。

中指、薬指と立てて三つ立った。

小指を立てる。

 

「四つ目、グレモリー先輩達を消す」

「一つ増えてます先輩」

 

目撃者を消す。これに関してはただ言ってみただけだ。現実的ではないし、今の状況が改善されないのでは意味がない。何より無意味に彼らを殺すのは気が引ける。小猫とは仲が良いし。その後輩といえば、僕が四番目の可能性を示唆しても微動だにしなかった。あのグレモリー先輩ですら表情を変えたというのに。

可愛い後輩のことだから、僕にその気がないのを見抜いていたのだろうが。

 

「さぁ、どれがいいですかグレモリー先輩。もし僕を謀れば、旧校舎にいる子がどんな酷い目に遭うか……」

「あなたどうしてそれを–––っていうか、それ脅しよ。わかってる?」

 

腹芸ができなくて、どうやって悪魔と渡り合うか。

僕もそれがわからないほど馬鹿じゃない。

 

「部長、此処は彼の提案に乗るべきでは……?」

「そんなのわかってるわよもう!」

 

姫島先輩に後押しされて、半ばヤケクソ気味に協力関係が結ばれた。

 

 

 

帰路を歩くグレイフィアの足取りは軽い。普段は外で腕を組みたがらないのに、今日は無言で腕を取って絡めてきた。少し早歩きになるところが彼女らしくなくて、思わず僕は笑ってしまう。

 

「……何を笑ってるんですか」

 

不機嫌そうに唇を尖らせる珍しく見せた可愛らしい顔は夕焼けに染まって、頬が赤く染まって見える。自分が浮かれて足取り早くしていたことには気付いていたらしく、何処となく不満げだ。

 

「いや、なにも」

「嘘です。私を見て笑ったでしょう」

「……嬉しくてさ」

「はい?」

「嬉しいんだ。グレイフィアが今まで隠していたことを知れたことが」

 

それでもって、もう一つ。

 

「だって今日、君は初めて笑顔を見せてくれた」

 

僕がグレイフィアと出逢ってから今まで、笑顔を見たことなんて一度もない。いくら時を共に過ごそうと何処か壁があったし、彼女が笑ってくれないのは僕のことが好きではないのではないかと思ったほどだ。

 

「私が叶多を好きじゃないなんて、そんなはずはないでしょう」

 

そう伝えると、返ってきたのは何処か優しく柔和な声。

 

「–––愛してます。惚れ直しました」

 

一言一言大切に紡いで、更に身を寄せて頭を寄せる。

僕の肩に触れた彼女の頭が、擦り付けられる。

 

「でも、良かったんですか。あんなこと言って。もう戻れませんよ」

「やらずに後悔するよりかはいいでしょ」

 

もしグレイフィアを見捨てる結果になっていたら、それを僕は後悔しただろう。

この先に進んで後悔するかもしれないのなら、そっちの方が断然いい。

僕はそう言い切る。前者を選んだ場合、僕は後悔を抱えて生きることになる。そんなのは嫌だった。

 

「でも、あんなこといつから考えていたんですか?」

「あんなことって?」

「悪魔祓いになるとか、堕天使の勢力に与するとか」

「あー、あれ?即興だよ。まさかグレイフィアが魔王に喧嘩売るほどだとは思ってなかったし」

「そんな行き当たりばったりな……」

「でも、何が起きてもグレイフィアと一緒にいるって決めたのは、君と出逢った最初の日から」

 

それだけは違えないようにと願い決めたのだ。

彼女があの日のことを覚えてなくても、構わない。

 

「いきなりそんな不意打ちは卑怯です」

 

珍しい。今日はまた顔が赤くなった。

そっぽを向いて、照れ隠しに腕を強く抱き締める。

私も離さないと。

そう言っている気がした。

 

「あー、ずるい私だけ除け者にして」

 

グレイフィアとは反対側の腕をレイナーレが取って、腕を組む。二人同時に抱きつかれたか物凄く歩き辛くなった。その上、周りからのなんだあいつ?みたいな視線が降り掛かってくる。

 

「う、嬉しいけど少し歩き辛いよ」

 

黒猫が何処かで鳴いた。見れば、十字路を駆けていく。

ポストの上に飛び乗って、此方を見た。

それを見たグレイフィアの足がピタリと止まる。

つられて僕も止まって、レイナーレも止まった。

さっきまでデレデレとしていたグレイフィアの雰囲気が消え去り、黒猫を睨みつけた。

 

「何者ですか?」

『そんなに警戒しないでよー。私はただ挨拶しに来ただけなんだから』

 

赤いポストの上に腰を下ろした黒猫は、のんびりと欠伸をして黄色い瞳を向けてくる。その宝石のような瞳の中心に映るのは僕。

 

「猫が喋った」

『驚いた?』

 

悪魔や堕天使がいる。魔力や神器なんて特殊な力もある。なら、猫が喋るのもあり得ないことではない。そう結びつけると驚きはすぐに薄れ興味が目の前の黒猫に移る。その黒猫はくすくすと笑うように尻尾を揺らして、悪戯が成功した子供のように喜んでいた。随分と上機嫌みたいだ。

 

『私の名前は黒歌』

「はぐれ悪魔ですね」

『私もあなたのことは知っているわよ。グレイフィア・ルキフグス』

 

両者が睨み合う、一触即発の状況にグレイフィアの肩を抱いた。

 

「はいストップ。喧嘩しないの」

「ですが叶多、相手は主人殺しのSS級はぐれ悪魔。危険です」

「それ言うとグレイフィアはそれ以上でしょ」

「……今日の叶多は意地悪が過ぎます」

 

本気で言ってないことがわかっているのか、グレイフィアは拗ねてそっぽを向いた。

 

「グレイフィアが僕の心配をしてくれていることは理解しているつもりだよ。だけど、だからこそ罪人ってだけで黒歌の話も聞かずに遠ざけるのは違うと思うんだ。罪を犯すのだってそれなりに理由はあるわけなんだし」

 

グレイフィアにも理由があったはずなんだ。それならこの黒猫にだって理由がないはずない。

 

『にゃるほどにゃー。道理で白音があなたのことを気に入るわけね』

「白音って?」

 

誰かの名前を呼んだ黒歌はぱちくりと瞬きをする。

 

『あら、やっぱりあの子話してないのね。実の姉が罪人だなんて言いたくないわよね』

 

何処か悲嘆に包まれた物言いが寂しそうであった。

 

『まぁいいわ。それにしてもあなた凄い陽気ね。ゾクゾクしちゃう。流石は太陽の魔力の持ち主と言ったところかしら』

 

黒猫がぽろっと呟いた瞬間、俊敏な動作でグレイフィアが庇うように前に出た。

 

「叶多の何が目的ですか?」

『あえて言うなら、子種かしら』

 

更に庇うようにレイナーレが前に出る。

 

「へぇ、ぱっと出の女が何を言ってるのかしら?」

『だってぇ〜、疼いちゃうんだもん』

「やっぱり危険です。叶多、後ろへ」

 

何やら恐ろしい戦いが始まろうとしていた。だが、女の子に庇われていては男の名が廃るというもの。黒猫に敵意はないことは確かだが、引き下がるわけにはいかなかった。

 

「この変態猫。カナタ君は渡さないんだから」

「ええ、そうです。この淫魔にはお仕置きが必要ですね」

『淫魔って、どっぷり嵌ってるあなた達に言われたくないんだけど』

 

レイナーレとグレイフィアは顔を赤くして、無言で魔力を展開した。

 

「ちょっと待った二人とも。何する気!?」

 

慌てて止める。今にも黒歌に向かって魔力の全力攻撃を行いそうであった。

 

『あははっ、無理にゃん。敵意のないその子の前で殺す気もないくせに』

 

散々、揶揄うせいで僕の疲労はピークに達しそうだ。二人を宥めたら魔力と光の槍を仕舞ってくれる。もし、誰かに見られたら事だが不思議と周りに人の気配はない。この黒猫の仕業か。

 

「何時から叶多を狙っていたのですか」

『別にそういう意図はなかったんだけど。妹を観察してたら、よく話す人間がいて、あまつさえ膝の上に乗ってるじゃない?関係も気になるし、その男が太陽の魔力を持っているなんて知ったら、話してみたくなるじゃない』

「膝?」

 

心当たりが一つしかない。

膝の上に乗るのなんて、小猫くらいだ。

 

「もしかして、小猫のお姉さん?」

『今はそう名乗っているようね』

 

まるでクイズだ。当たったことが嬉しいのか黒歌の尻尾がゆらりと揺れる。

その直後にポストの上から飛び降りて、彼女は数歩進んだ先で振り返った。

 

『大空叶多、あなたには期待してる。今度はベッドの上で蜜月を楽しみましょう』

 

黒猫は軽快な足取りで駆けて行った。




酷いこと。
カナタ♀「さぁ、今日はどんな服を着せてあげようかしら?」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

太陽狂い

とある者の視点でございます。


旧校舎の外、空を見上げれば真っ赤な塊が浮いていた。膨大な熱量はまさしく太陽のようで、フェニックスである私でさえも焦がされるような錯覚を覚えた。驚くべき事にそれを創り出したのは人間の男性だ。

 

「あれは……あぁ、なんて……」

 

–––美しいのでしょう。

 

肌を焦がす熱は、やがて全身に回った。血が沸騰するほどに煮えたぎり、細胞の一つ一つが歓喜するかのように汗を発して、ついには胸まで焦がされる始末、どうしてくれようか。

 

爆ぜる瞬間、眩く発光した姿はまさしく地上から見える太陽と瓜二つで、直視出来ないのが残念だと嘆いた。

 

お兄様が地に堕ちた。

そんなこと、もうどうでもよかった。

私の興味は目の前の男性にしかない。

 

あの“太陽の魔力”を持つ者にしか……。

 

かつて何代か前のフェニックス卿もそうだったらしい。戦場に現れた“太陽の魔力を持つ男”の力に焦がれ、それを血に取り組む事をフェニックス家の命題として掲げて来た。

今も受け継がれるその思想に一番酔ったのは、幼い頃の私。

謳うように語って聞かされた太陽の魔力を持つ男の話に、恋焦がれてしまったのだ。

 

その男性が今、目の前にいると動悸が治らなかった。

 

一歩近づくに連れて、心臓が高鳴る。

一歩近づくに連れて、まるで太陽に近づいているかと思うほど、暑くなって。

一歩近づくに連れて、私の纏うドレスはぐっしょりと汗で濡れた。

 

それでも私はフェニックス。

お兄様の度重なる無礼を詫びなければならない。

いくらこんな姿を見られたくなくとも。

私は丁寧にドレスの裾を摘んで、お辞儀をした。

 

「先程は兄が大変な失礼を–––」

 

緊張で自分が何を言っているかわからない。でも、名誉だけは挽回しなくては。悪印象を与えてはいけない、好印象でこの場を終わらせたかった。その為に仕切り直す。

 

「–––後日、改めて謝罪に伺わせていただきますわ」

 

そう言い切って私は踵を返した。

 

 

 

 

 

 

逃げるように帰った。お兄様は眷属達に任せて私だけ人間界に蜻蛉返り。どうしても調べておかなければならなかったのだ。太陽の魔力を持つ人間の事を。

グレモリー眷属や学校から情報を得た後、また家に帰った私はメイド達に両親の所在を聞いてすぐに駆け込んで行った。

 

「お父様、お母様、お話があります!」

 

来客用の応接間の使用中にノックもせず、私は堂々と侵入する。

普段の私なら、もっと淑女らしくできたのに。

来客があるという事実にも関わらず、私ははしたない真似をした。

見れば、両親含め来客もびっくりした様子で此方を見ていた。

 

「レイヴェル、お客様の前ですよ」

 

お母様に嗜められたが、それどころではなかった。

私は早口に捲し立てる。

 

「ついに見つけたのです!」

「まさか“太陽の魔力”の持ち主か!?」

 

お父様が思わず立ち上がる。

フェニックスにとって“太陽の魔力”はそれほど特別なのだ。

先祖代々からの悲願。

達成する可能性があるのだから。

お父様の興奮も当然というもの。

 

「はい、お父様」

「おぉ、してその者は」

「駒王学園に在籍しております」

「リアス・グレモリーの眷属か!?」

「いえ、人間でしたわ。間違いなく」

 

私達にとって彼の者を眷属にするのは蛮行に値する。しかし、リアス・グレモリーの眷属であらば是が非でもトレードを持ち掛けただろう。それくらいに私達フェニックスの中では神聖化されているのだ。もっとも、二度目に現れた太陽の魔力の持ち主を眷属化しようとした折、悪魔の駒が燃え尽きたことから不可能と言われているが。

 

一通りの情報を話した後で、黙って聞いていた来客の男性が口を開いた。

 

「太陽の魔力……フェニックス家はずっとお探しでしたな」

「これはグレモリー卿。大変失礼を……」

「いや、いい。フェニックスがどれだけ欲して来たかわかっているからね」

 

来客はお兄様と婚約予定のグレモリー家の当主であった。

私も一礼して、御挨拶をする。

 

「と、なれば……まずはレイヴェルを学園に編入させ、仲を深めるのが定石か」

 

お父様の中で計画が組み上がっていく。

その手は既に、私も考えていた。

いきなり“婚約”の話を持ち掛けても、きっと首を縦には振らないだろう。そんな結論に至ったらしい。

私もまた失敗するわけにはいかない。

 

「……太陽の魔力は言い伝え通りかね」

「はい。あのお兄様が太陽に焼かれるほどの高熱、早々出せるものではありません」

 

今や重傷で気絶してベッドで寝ている兄を看護している眷属達を思うと、その威力が窺える。フェニックスを焼くほどの炎、あれは本物だと私の細胞が告げている。

 

「取り敢えず、私は人間界に行く準備を進めて来ますわ」

 

 

 

急いでも編入手続きは一週間の時間を要するらしい。私の中の恋の炎は燃え上がるばかりで、焦燥感ですら起爆剤になってしまう。ついに我慢出来なくなった私は、編入の一週間前から人間界に入り浸る事にした。

どうにかこの暇な時間の潰し方と仲良くなる切っ掛けを掴めないかと模索して、辿り着いたのはグレモリーが根城にしている旧校舎だ。彼女達が橋渡しになってくれるよう、利用しようとしたのだ。

 

「ごきげんようリアス・グレモリー。……あら、どこかお出掛けですの?」

 

転移した先、旧校舎の部室にはリュックに大量の荷物を詰めているリアス・グレモリーの姿があった。それに学校の制服ではなく、ジャージを着用している。私は首を傾げた。

 

「レイヴェル?あなたが何故……あぁ、そういえば転入するんだったわね。私達はレーティングゲームの為に明日から特訓をするのよ。このままだとライザーに勝てないから」

 

なるほど、道理だ。今のままでは、リアスとその眷属達でお兄様に勝つのは至難だろう。むしろ、可能性すらないかもしれない。と、思ったら妙に相手は得意げだ。

 

「勝算はありますの?太陽の魔力の持ち主にフルボッコにされましたが、あれでいてお兄様は公式戦実質無敗。勝ち目があるとは思えませんが……」

「あぁ、それね。大丈夫よ。私達には特訓に付き合ってくれる人達がいるから」

「まさか、サーゼクス・ルシファー様の眷属ですか?」

 

サーゼクス・ルシファー。現魔王様の一人はリアスグレモリーの兄にあたる。その眷属達から直接指導されたとあれば、戦力アップは間違いなしだろう。結局は、本人達の力量次第だが。

 

「いえ、違うわ。グレイフィア・ルキフグスよ」

「なるほど、魔王様に匹敵する旧魔王派の残党ですか」

 

グレイフィア・ルキフグスは現在、カナタ様と生活を共にしているらしい。その他にも堕天使までもが共生しているらしく、その事実を知った時は酷く驚いたものだが、その者に教導して貰えるとならば戦力アップは間違いないだろう。

 

–––しかし、グレイフィア・ルキフグスが行くということは。

 

「カナタ様も参加していたりは……」

「あぁ、あの子も参加するらしいわよ」

「本当ですか!?」

「え、えぇ……」

「私も参加させていただきます」

 

転がり込んだ幸運を利用しない手はないと、私はその話に飛びついた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

不死鳥の少女との再会

二日連続投稿。


 

 

 

「まさか、人間界で特訓とはね……」

 

某県某所の山奥の登山口で僕は感心したように呟いた。此処に来るまで電車で二時間近く要し、更に一時間程歩いてやっと着いたのだ。しかし、それは始まりに過ぎず、山登りという過酷なイベントが待っている。

グレモリー眷属達が一人を除いて勢揃いしており、それぞれ身の丈以上の荷物を持っているが、あれで一週間の物資なのだろう。荷物にしては多い方なのかもしれないが、多過ぎて困ることはないだろう。

 

「合宿地は山の中腹にある山荘よ。さぁ、もう一踏ん張り頑張りましょう」

 

グレモリー先輩の激励に応えるかのようにグレモリー眷属達が山を登り始める。その姿を見上げながら、僕は少し懐かしい気持ちになっていた。

 

「山籠りなんて何年振りかな」

「え、カナタ君山籠りしたことあるの?」

「グレイフィアと出逢う前にね」

「ええ、確かあの時はもっと人里離れた山の奥でしたが」

 

感慨に耽りながら、僕はレイナーレの方を見た。ピクニックに行くというのにレイナーレはお嬢様っぽい白のワンピースを着ていて、靴なんて生足が美しく見えるミュールだ。その姿に少し見惚れながらも、網膜に焼き付けてから思い直す。

 

「登れる?その靴で?」

 

家を出る前に確認しておいたのだが、頑なに可愛い格好をしたがったのだ。

そんなレイナーレとは正反対に、何故かメイド服にブーツというグレイフィアを連れて電車に乗った時の視線といったら、奇異なものを見るようであった。

しかし、レイナーレのその美しさと格好もあって、何処かの社長令嬢とその従者と勘違いしてくれたおかげで風評被害は免れているのだから僕の面子は保たれたわけである。

 

そんな二人を連れて、僕も山登りを開始した。僕の背中には三人分の荷物が入ったリュック、手には英国風の旅行鞄が二つ提げられている。僕が女性には重いものを持たせられないと言い張った結果である。総重量は優に僕の体重並だ。

 

それでもズンズンと傾斜の酷い峠に足を踏み出し、すぐに兵藤に追いついた。

 

「邪魔だよ兵藤」

「…ぜぇ…はぁ…おまえ本当に人間かよ」

「これでも鍛えてるから」

「つか、俺より荷物多くね?」

「細かいことは気にするなよ兵藤」

 

そんなやりとりをして兵藤を追い抜く。

先を歩いているのは、木場だった。

どうやら小猫はまだ先にいるらしい。

グレモリー先輩と朱乃先輩の姿もないことから、二番目は彼だということがわかる。

 

「あれ、もう追いついたのかい?」

「本当は後輩と楽しいピクニックの予定だったんだけど、残念ながら小猫ちゃんが先に行っちゃったから」

「……なるほど、あくまでピクニックというわけだ」

「主役はグレモリーだろう」

 

強さはどれだけあっても困らないが、今回ばかりはグレモリーが主役だ。裏方に徹する僕達の努力が報われるのは、彼ら自身が強くなってライザーを打倒する事にある。

もちろん、報酬の話が十割で善意なんてあったもんじゃない。

そういう意味では気楽な仕事だ。

 

寝惚けたことを言っている木場を置いて、更に前に進む。

すると急に泣きそうな声が僕を引き止めた。

 

「カナタくーん。ぐすっ」

「どうしたのレイナーレ?」

「足痛い」

 

だから言わんこっちゃない。と、グレイフィアが呆れた溜息を吐いた。それに追い討ちをかけられたようにレイナーレの顔色も少し変わる。後悔だけはしているようだった。

 

「此処で靴を出すのは面倒だしなぁ……」

 

山登りの傾斜が酷いこの場所で荷物を広げることは憚れ、代案として浮かんだのは妙案だ。

 

「じゃあ、リュックの上に乗る?」

 

人の体重一つ増える程度だ。

それに相手は女性、それほど重くない。

 

「い、いいの?」

「平気平気。大丈夫だから」

「あ、ありがと。カナタ君!」

 

荷物の上に飛び乗るレイナーレ。その翼で飛べば……とか、無粋なことは言わない。そんな姿を近隣住民に目撃されたら大事件だ。敢えて、僕は黙っている事にした。

 

–––しかし、女性は天使の羽のように軽いとは言うが……この時の僕は調子に乗ったことを後悔した。既に荷物だけで僕の体重と同じくらいあるのだ。いくらレイナーレが天使の羽のように軽いとはいえ、重量オーバーだ。

 

「ほ、本当に大丈夫、カナタ君?」

「うん。大丈夫。ダイジョーブ」

「トランクだけでも持ちましょうか?」

「ありがとうグレイフィア。でも、気持ちだけ受け取っておくよ」

 

此処まできたら、意地でもやり通すのが男ォッ!!

 

 

 

–––とか、言っていた数十分前の自分をぶん殴りたい。

 

結局、汗だくになりながら山荘まで登り詰め、直後には土の上で大の字に寝転がってしまう無様な姿を晒してしまった。格好がつかない格好とは滑稽なだけだったのだ。

 

反省もした。後悔もした。でも、またやる。

いや、後悔すべきは荷物があったことだろうか。

もし荷物さえなければ、レイナーレをおんぶできたのに。

何故か物凄く損をした気分だ。これじゃあ兵藤を笑えない。

 

山荘に辿り着くなり、僕はレイナーレに膝枕をしてもらっていて、それはそれで役得ではあるのだけれど、なんとなく釈然としない気持ちで見下ろす彼女の顔を眺めていた。

 

「カナタ君、どう気分は?」

「ん。控えめに言って最高」

 

レイナーレの太股の柔らかさといったら、それはもう高級品の枕なんか目じゃないくらい柔らかい。そんな桃源郷に突っ伏している僕をグレイフィアが団扇で仰ぐ。

終わり良ければすべて良し、と僕は考える。

髪を梳くように頭を撫でられて、心地良さは倍増した。

 

「それでグレイフィア、グレモリー先輩達の様子はどう?」

「特訓に向かったみたいです。ご覧になられますか?」

「そうだね。悪魔達がどんな特訓をするのかは気になるかな」

 

鍛えるにしても、グレモリー先輩達がどう訓練をするのか初日は様子見を敢行するつもりで着いて来たのだ。

グレイフィアがトランクから水晶のようなものを取り出す。

 

「それは?」

「遠い場所を観ることができる魔水晶です。水晶の中に映像が映ります」

 

便利な魔法の道具もあったもんだと感心していると、水晶にはテレビが切り替わるように映像がすぐに映し出された。どうやら最初は兵藤の戦闘能力を計測するようで、小猫や木場相手に模擬戦を始めたところだった。当然のことながら、兵藤は木場にも小猫にも軽くあしらわれるばかりで勝つ様子はない。最近、戦うことを知ったから当然かもしれないが、動きは素人のそれだ。

兵藤が赤龍帝の籠手なんて神滅具を持っているからこれから先強くなる可能性は高いのだろうが、神器は素人に扱えるほど柔なものではないことは僕が一番知っている。今の僕の状態では、持つのも一苦労だ。使えないわけではないけれど。

 

「技術云々の前にまず体作りかな」

 

基礎能力が低過ぎる。あれでは伝説の神滅具と呼ばれた赤龍帝の籠手でも真価を発揮できないだろう。せめて、この問題が浮上するのがもっと後ならば、兵藤一人でも勝てたとは思うが……。

 

「取り敢えず、お腹減ったし昼ご飯の準備でもしよう」

 

あくまで僕らの仕事はグレモリー眷属の修行のサポートだ。

名残惜しくもレイナーレの膝枕から頭を上げて、昼食の準備に取り掛かった。

 

 

 

 

 

 

山荘の厨房ではなく、僕達が向かったのは野外の川だ。そのすぐ側で乾いた枯れ木を掻き集めて焚火の用意をしていた。他にもBBQ用のセットを設置して、準備はいざ完了、あとは火を着けるだけだ。それが思いの外難しく、悪戦苦闘しながらなんとか枯れ木に火をつけようとしていたのだが、着いたと思ったらすぐに消える。

 

「昔はどうやってたっけ……?」

「太陽の魔力を使ったのでは?」

 

おお、そうだ。だけど、それは必要だったからだ。生きる為に不必要なものを削っていった結果、作業が面倒臭くて魔力を使用したのだったか。今回はアウトドア。目的が違う。遊びに来たのだ。

 

「それはダメだよ。今日はグレイフィアとレイナーレに楽しんでもらわなきゃいけないんだから」

 

グレイフィアと旅行したことは一度きり、その一回だけでレイナーレとは大きなイベントを一緒に過ごしたことはない。なんとなく非日常から離れて、人間なりの日常とかレジャーを楽しんで欲しいのだ。僕は躍起になって着火作業に戻る。

 

グレモリー先輩達の食事はあくまでついで、という事にしておこう。

小猫ちゃんは沢山食べるだろうし、肉は大量に用意してきた。

 

「確かにこういうのもたまにはいいですね」

「カナタ君ありがとう!」

「ちょっ、レイナーレ危ないから、抱き着かないで!」

 

微笑むグレイフィアと首に腕を回して抱き着いてくるレイナーレ、二人の感謝の気持ちに照れながらもその暑さを火種のせいにする。

 

「あ、着いた。あとは火を大きく……」

 

団扇で扇ぎながら、細い枯れ木をさらにくべていく。

炎を大きくしようとした、直後だった。

 

「–––って、おぉ!?」

 

突然、焚き火が大きく燃え上がる。鼻先まで掠めた炎の勢いにびっくりして後退るとそれは人影を作った。それも一瞬のことで、炎が波のように引いていき、黄金に煌めいた。

黄金に煌めいたのは炎ではなく、渦巻くように整えられた金髪。可愛らしくもカジュアルな赤いドレスに身を包んだ、とても可愛らしい少女が一人、閉じていた瞼を開ける。

その姿に見惚れること数秒、炎を消すほどの風が吹いて少女のスカートを膨らませる。–––否、スカートは捲れ上がり少女らしからぬ、黒い下着が姿を現した。

 

「きゃっ!」

 

慌ててスカートを抑える少女が此方を赤い頰で睨め付ける。ただその視線に嫌悪感などなく、羞恥一色に彩られているようで、それが少女の魅力を掻き立てた。

 

「……」

「……見ました?」

 

どう答えたものか返答に困る。

考える間も無く目を逸らしてしまい、その行動が全てを物語っていた。

 

「……なんかごめん」

「あ、謝るくらいなら感想を述べてくださいまし!」

 

謝罪したら罰ゲームを所望された。

顔を真っ赤にしたまま、精一杯顔を逸らしている。

 

「いや、一瞬だったからよく見えてなかったし……」

 

嘘だ。僕の目から伝達させた光景は既に脳という記憶媒体に映像を記録している。少女が履いていた下着は装飾に至るまで細部まで鮮明に記憶したし、そう簡単に忘れることは出来ない。

 

「……まぁ、それならいいんです。あんなところに転移した私にも非はありますし」

「事故とはいえ悪かった。レイヴェル・フェニックス」

 

名前を呼ぶと、少女–––レイヴェルがきょとんと首を傾げた。

 

「私のことを覚えてくださっていたので?」

「君みたいな娘のことを忘れるのは無理があるだろう」

 

金髪縦ロール、世界中を探してもそうはいないだろう。レイヴェルが綺麗なこともあってか、早々に忘れる理由なぞ一つもない。なんというか印象的な子だったのだ。

 

「それで君はなんでこんなところに?」

「私も来週から駒王学園の生徒になるんです。オカルト研究部に在籍することになりますから、合宿に参加するのは不自然なことではないでしょう?」

 

まるで説明口調な理由に頷かされるが、一つ疑問点がある。

 

「ライザーの眷属だったよね」

「もうやめましたわ。今はフリーです」

 

偵察とも思ったが、その必要性すらライザーにはないだろう。今のグレモリー眷属は、いつかは強くなるだろうがまだひよこだ。何よりライザーにとって、グレモリー先輩は格下。偵察なんてやる意味すらない。ましてライザー一人で完封できる相手だ、何を恐れることがある。レイヴェル・フェニックスが偵察兵という線は、すぐに掻き消えた。

 

「じゃあ、僕は君の先輩になるわけだ。よろしく、レイヴェル」

「……はい。よろしくお願いします。カナタ様」

 

僕が差し出した手をレイヴェルは恥ずかしそうに握った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

気になる視線

 

 

 

親睦会と銘打ったBBQが始まった。山盛りに盛られているのは様々な野菜と牛肉を刺した串に、レイヴェルが実家から持って来たという鶏肉の焼鳥串がメインだ。レイヴェルも料理が得意だということで、彼女にも手伝って貰って四人で交代で肉を焼いている。グレモリー先輩達は悠々と食事ができていた。

 

「く〜、うめぇ〜〜〜ッ!!!!」

「ふふっ、そうですねイッセーさん」

 

妙な雄叫びを上げたのは兵藤だ。カルビ、玉葱が刺さった串を両手に頬張りハムスターみたいに頬を膨らませている。その横でまるで子供を見守る聖母の笑みを浮かべているのがアーシアだ。彼女も野菜多めの串を手に食事を楽しんでいた。最初は串に刺した食材に驚いていたようだが、味に慣れると兵藤のサポに回ってしまう。恐ろしいくらいにイッセーラブな女の子だ。

 

「うん。確かにこれは美味しいね」

 

唯一のイケメン木場は鍛錬の後だというのに爽やかに笑って串を上品に食べている。イケメンは何をしても格好良いのか、とても納得がいかない。脂の一つ飛びはしなかった。

 

「本当、連れて来て正解だったわ」

「ええ、そうですね部長。キツイ修行の後に料理をするのは少し、大変ですから」

 

修行の後に料理をすることが憂鬱だったのか、グレモリー先輩と姫島先輩の二人は何処かほっとしたように安堵の笑みを浮かべている。

 

「そもそも僕がその話を受けなくても、拒否権なんてなかったでしょう」

 

どう足掻いても僕の合宿参加は決定事項だ。

グレモリー先輩はオカルト研究部の合宿と銘打ってこの場にいるのだ。

つまり、僕が参加しないのは不自然になる。

もっとも、協力するといった手前、引き下がることなどなかったけど。

 

「……もぐもぐ。先輩の焼いたお肉、美味しいです」

 

しかし、そんな和気藹々とした空気とは別に目の前にはとんでもないフードファイターがいた。お肉の山を抱えている小さな女の子。一見して小柄だが侮ることなかれ。その山とは別にもう既に屍と化した串が三十本転がっている。

小猫だけはいつも通り、マイペースに食事をしていた。

 

「……先輩の……熱いの……いっぱい出てきます……」

 

感想を述べる小猫の唇が脂でてらてらと光って妙に艶かしい。食事風景かどうかを疑いたくなるが、無表情な小猫の口元を拭ってやることで冷静に戻った。

 

「特にこのピーマンの肉詰め……まるごと皮を被っているのに、中はぎっしり肉が詰まっていて、肉汁がいっぱい出てきて……口の中がいっぱいです」

 

普段は無表情なのに、声音だけが乱れている。

何故かいけないことをしている気分だ。

 

「そう。美味しいならよかった」

 

黙々と肉を焼き続ける。僕が好きなハラミとミスジを共有したい。その一心で、とっておきのステーキ二つを追加で焼いていく。僕が食べる予定で買ってきたけど、小猫に食べられるなら本望だと思った。

 

「……すごいお肉です」

「ハラミとミスジ、僕の一番好きな部位だね」

「くれるんですか?」

「まぁ、ハラミとミスジは僕が好きだからいっぱい買ってきたし」

 

まだあるよね僕のハラミとミスジ?

 

 

 

食事が進むと各々好きな串を取って勝手に焼き始める。その頃になって気づいたが、何処かこの食事会は空気がおかしかった。

 

「……先輩、口を開けてください」

「あ、うん。あー……」

 

今も小猫は僕が焼く串や焼き物を目当てに居座っている。最初からそんな風に偏ることは判っていたが、それは他の人達でも例外はないらしい。さっきからずっと周りを窺っていたが、思ったほど親睦会は上手くいってないようだ。

 

アーシアはイッセーから付かず離れずだし、姫島先輩もグレモリー先輩の隣を離れようとしない。木場は会話を振りにいったりもしているがどうも素っ気ないというか。よくいつものグループで一緒に行動するのはわかるが、レイヴェルが輪に入りきれていない。

 

それともう一つ、気になったことが。

 

レイナーレだ。彼女の近くには殆ど誰も寄ろうとしない。グレモリー先輩と姫島先輩と木場が一回、それからアーシアと小猫が何度かレイナーレと談笑をしていただろうか。だけど、違和感に気づいたのはそれが原因ではない。兵藤の反応だ。

兵藤といえば、年中教室内で猥談を繰り返し、覗きという犯罪の常習犯だ。その奴がグレイフィアとレイヴェル相手にデレデレしていたのは理解できるが、レイナーレにだけは近寄ろうとしなかった。アーシアに近づく虫は排除しようとしていた兵藤も、レイナーレとアーシアが話している間は何もしなかったのだ。

 

はっきり言って異常だ。

レイナーレ程の美人に兵藤が反応しないなんて。

 

「どうかしたんですか先輩?」

「いや、ギクシャクしてるなぁっと」

「あぁ、そうですね。……それもしかたないと思いますけど」

 

諦念にも聞こえる、小猫の呆れた声。

どうやらこんな会話でも食べる手を止めるつもりはないらしい。

俄然せずといった様子で肉を平らげていく。

指についた脂をぺろぺろと舐めて、僕の視線に気づいてハッとした様子でハンカチを取り出す。その一連の動作がまるで親に悪戯を見たかった子供みたいで、なんだか微笑ましい。

 

「んんっ。そもそも先輩がおかしいんです。堕天使とも悪魔とも仲良くなる人間なんて、世界中探しても先輩だけです。それに言ってしまえば先輩の家にいるあの二人の関係性も異常ですし」

 

レイナーレとグレイフィアは意外に仲が良い。僕が学校に行っている間に何があったのか、二人は友人のように接している、聞いていた悪魔と堕天使の諍いの話とは大違いだ。

 

「一番顕著なのは兵藤かな」

「どうしてですか?」

「レイナーレだけには近づかないから」

「それもしかたないことかと」

「なんで?毎日あんなにおっぱい連呼してるのに?」

「そのレイナーレさんに殺されたんですよ。イッセー先輩は」

 

なるほど、道理で苦手になるわけだ。

 

「仮にも元恋人だから気不味いんだと思ってた」

「叶多先輩の頭の中はお花畑ですね。羨ましいです」

 

今ものっすごく失礼なことを言われた気がする。

 

「じゃあ、レイヴェルは?」

 

思った以上にグレモリー眷属と関わりのないレイヴェルだけが浮いている状況について言及すると、小猫はまた興味なさそうに肉を食い漁り始めた。

 

「もきゅもきゅ……ごくん。あれはとても危険な匂いがします」

 

あの黒猫みたいに尻尾や耳があれば毛が逆立っているのだろう、威嚇するような視線に小猫の頭を撫でる。

 

「僕としては後輩二人仲良くして欲しいんだけど」

「それはあっち次第です」

 

食欲とレイヴェル、二人を天秤にかけた結果、食欲が勝ったのか小猫はなおも肉を食べ続ける。それにしても凄い食欲だ。こんな小さな体の何処に入っているのか、学園の七不思議の一つになってもおかしくはない。栄養何処行った?

 

「カナタ君」

 

そんなことを思っているとレイナーレが焚き火から離れて駆けてくる。手にはハンカチを持って、その上には銀紙の端が見えている。アルミホイルで何か包み焼きを作ったらしい。

 

「じゃーん、エリンギの包み焼きだよ」

 

包みを開いた瞬間、香ばしいバター醤油の匂いが溢れ出す。一口サイズに切られたエリンギが丸ごと一本分入っていた。

 

「手が塞がっているみたいだから食べさせてあげるね。はい、あーん」

「……っ、あふっ」

 

どうやら小猫が僕に肉串を食べさせるところを見ていたらしく、対抗心を燃やして何かを食べさせたかったらしい。周りの様子など知ったことかと僕の世話を焼きにかかった。

熱々のエリンギに口内を焼かれながら、なんとか咀嚼して飲み込む。

美味しいけど、そのあとが大変そうだ。

 

「どう?美味しい?」

「うん。美味しいよ」

 

調味料のバランスは完璧だ。文句のつけようがない。アルミホイルの中のエリンギがなくなるまで食べさせられた後で、割り箸と包み紙を捨てて、こう言った。

 

「……やっぱりカナタ君の隣は落ち着くわ」

 

とても疲れた様子でそう言って、自分も肉の刺さった串を取った。一度、肉に噛み付いてもぐもぐと咀嚼して飲み込む。側にあったコップに注がれたお茶を飲んで一息。話を続けた。

 

「正直言って不安だったのよね。グレモリーとは確執があるから、嫌な空気にならないかなーとか思ったりして」

「堕天使だもんね」

「そうよ。一人だけ堕天使なの!」

 

一人だけ浮いていると感じたらしいレイナーレの告白は悲壮感があった。

参加者は計十名。悪魔、悪魔、悪魔、悪魔、悪魔、悪魔、悪魔、悪魔、堕天使……と、そこまで並べて気づく。

 

「それ言ったら僕も一人だけ人間なんだけど」

「あ、そっか。カナタ君も一人だけ……ということは、私の仲間ね」

 

実は浮いているのは僕とレイナーレで、レイヴェルは対して浮いてないんじゃないかということに。だけど、それを嬉しいと感じてくれたのかまたレイナーレに抱き着かれた。

 

「もうそれだけで嬉しい!」

 

他のことはあまり気にしていないのか、僕しか見えていないのか。

彼女の頭を優しく撫でて、僕は肉を焼く作業に戻った。

本人があまり気にしていないのだから、気にしても仕方がない。

 

「となると、あとは……」

 

さっきからずっと此方を見ているレイヴェルに目を向ける。視線が交差した瞬間にぱちくりと瞬きをして、さっと顔を逸らされた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

フェニックスの特性

 

 

 

夕方になるとグレモリー先輩と眷属達は帰って来た。夕食は昼の残りの野菜で作ったカレーと牛カツのカツカレー、それと付け合わせのサラダ。食後のデザートにカットフルーツを出したところで、どこからともなくホワイトボードが引っ張り出される。

修行が終わって早々、グレイフィアは容赦なく今回の議題を書き出す。もちろん、この身体を休める時間も有効活用しなくてはならない。今からは座学の時間だ。

 

「さて、まずは皆さんの特訓とやらを見せてもらいましたが……やる気あるんですか?」

 

その第一声が罵倒。それにはグレモリー先輩も困惑した。

 

「当然よ。勝たなきゃいけないわ」

「それにしたって計画が杜撰過ぎますよ」

 

グレモリー先輩と眷属達がやった特訓といえば、兵藤強化計画で主に兵藤を鍛え上げることだった。木場と戦わせたり、小猫と戦わせたり、魔力操作をしたり。しかし、木場や小猫が一人になると基礎能力アップのための筋トレや素振りばかりで、具体的な目標が見えないものばかりだ。積み重ねは大事だが、今必要なのはそれじゃない。

 

「強くなりたいなら、倒れるまで魔力を絞り尽くしなさい、拳が握れなくなるまで打ち込みなさい、剣を握れなくなるまで振り続けなさい。これくらいやらないと短期間では、ライザー・フェニックスに勝てるほど強くなるのは不可能でしょう」

 

それは言われずとも理解しているのか、グレモリー先輩の顔が拗ねたようになる。

 

「だからこその奇策を練る必要があります。リアスグレモリーにはゲームにおいて戦術の勉強をしてもらいますが、その前に講義を一つするとしましょう」

 

ホワイトボードをひっくり返すと、『フェニックスの能力』という文字がデカデカと書かれていた。

 

「まずあなた方がすべきことは、敵を知ることです。攻略法さえ知っていれば随分と楽に試合を行うことができます。本来なら、実力で勝負に臨みたいところですが、今は時間がないため短縮する方向でいきましょう」

「なるほど、弱点を突くわけね。相手のことを知るのがその一歩ということ?」

「ええ、それくらいしないと勝負にはなりませんから」

 

どうやら自力で突破するのではなく、搦手で相手を翻弄する策に出るようだ。グレモリー先輩達が理解したところで、グレイフィアは頃合いを見計らい言葉を続ける。

 

「では、フェニックスの能力については知っていますね?」

「あの尋常ならざる回復力でしょう?致命傷すら、無傷でやり過ごすのよね」

 

もし、そんな能力があるのなら無理ゲーだが、グレモリー先輩の瞳には諦めの一つもない。騒ぎ立てるのは兵藤だ。

 

「それってやばくないですか!?」

「だから、フェニックスに勝つには聖なる力か一撃で消し飛ばせるほどの高火力しかないのよ」

 

それほどの力を使えば死亡判定になるらしく、説明するグレモリー先輩の顔色は悪い。実際、姫島先輩かグレモリー先輩の魔力で消しとばさなければ勝機はないと言っているのだ。

グレイフィアの視線がレイヴェルの方へと向く。憐憫にも似た表情、その口からはとんでもない内容が飛び出した。

 

「しかし、そのフェニックスは不死性故からとんでもないど変態を多く輩出していると聞きます」

「なっ……!」

 

僕は思わず、レイヴェルを見た。頰を真っ赤にして口を噤んで、僕の視線に気づくとぶんぶんと首を横に振った。

兵藤もど変態という部分に反応している。

はっきりわかるのは、多分、兵藤の考えは絶対に違う。

 

「フェニックスの多くが、マゾヒストに目覚めるとか」

「少なくとも私はまだ目覚めてませんわ!」

 

大声で反論するレイヴェルに更に視線が集まる。仮にあの娘がそういう性癖に目覚めたとして、僕には一切の害がないのでどうでもいい話なのだが。

 

「本当ですのよ!」

 

何故か、僕に向かって力説する。

 

「信じてください!」

 

あまりにも見つめてくるものだから、視線を逸らすとレイヴェルの表情が哀しげなものに変わる。このままでもいいのだが少し可哀想な気もするので、視線を戻した。

 

「別にいいんじゃない。人の性癖はそれぞれだし」

「ち、違います。本当に私は普通ですから!」

 

フォローしたつもりだったが、どうやらレイヴェルは納得がいかないらしい。憤りながらも何度も信じてくださいと訴える。その様子が可愛らしくて、いじめたくなってしまうのが僕の悪いところ。さっきまで緊張していたはずのレイヴェルが必死な姿はようやくこの場に打ち解けたようで、安心してしまった。

 

「ごめんごめん揶揄っただけだよ。なんか他人行儀な態度で楽しくなさそうだったから」

 

僕に対して何処か遠慮のある態度を取っていたレイヴェルに対して、僕にできることは多くはない。揶揄った理由を話すとレイヴェルは頰を染めてさっと逸らした。

 

「べ、別にわかってくれたならいいんです……」

 

そんな雰囲気の中でこほんと咳払いが一つ。

 

「では、話の続きですが。あなた方が勝つ最低条件はフェニックスの再生能力を上回る攻撃力を持っていることが前提条件です。これ滅びの魔力があれば、或いは女王の全力で達成できるでしょう。もっともそれを温存した上で戦いを制さなければいけませんが」

 

戦う前から苦戦は必至、かなり分が悪い賭けだ。

グレイフィアの苦言は正しく、グレモリー先輩は静聴している。

 

「リアスグレモリー。あなたが行うことは精密な魔力制御とレーティングゲームに必要な知識を蓄えることです」

「わかったわ」

「女王も同じく魔力制御の訓練を行います」

「了解しましたわ」

「前衛組、赤龍帝、魔剣使い、白猫は叶多とレイナーレを相手に模擬戦です」

「か、勝てる気がしねぇ……」

「はは……同感だね」

「白猫って私ですか……?」

 

次々と指示を出していくグレイフィアが僕の方を見る。

 

「それと叶多、最初はそれを外さないように」

 

首元をとんとんと叩いて、チョーカーを指し示す。

 

「えぇ……」

 

魔力解放していない僕ではほぼ一般人レベルの身体能力しかない。そんな状態で小猫のパンチをまともに受ければ骨折するし、木場の剣に串刺しにされるだろう。

 

「怪我をしてもアーシア・アルジェントがいます。致命傷も回復するでしょう」

 

つまり、死ぬほど痛くても大丈夫と。

 

「先輩、大丈夫なんですか?」

 

心配してくれているのか小猫が不安げな表情を見せる。

不安げと言っても、相変わらず表情の変化は微弱だ。

 

「他人の心配をする暇があれば、自分の心配をすることをお勧めしますよ」

「……私も心配されるほど弱くないです」

 

バチバチと女同士が睨み合う様子に、僕はただならぬ身の危険を感じた。

 

「も、もう話は終わり?」

 

明日からの方針も決まった。

 

「さて、それじゃあ明日に備えてお風呂に入って寝ましょうか」

 

空気を変えようとグレモリー先輩が立ち上がる。そんな主人の『風呂』宣言に反応したのは、正真正銘の変態。

 

「風呂っ!?」

 

–––兵藤だ。

 

いったいその言葉の何処に反応する要素があったのか。

変態ではなく一般人である僕には想像もつかない。

 

「あら、イッセー。もしかして一緒に入りたいの?」

 

グレモリー先輩の頭の中はどうなっているか想像もつかない。

 

「いいんですか!?」

「ええ、他のみんなさえ良ければ」

 

普通の感性を持っていれば、正気を疑う言葉だ。さすがは変態を眷属にしただけあって、グレモリー先輩も頭のネジが数本飛んでいる。悪魔ってみんなこうなのかな?

 

「私はよろしいですよ」

「わ、私もイッセーさんとの裸のお付き合いなら!」

 

アーシアが兵藤にほの字なのはわかる。だが、承諾一つで妖艶にしてしまう姫島先輩もどうなっているんだか、僕の貞操観念がおかしいのだろうか?混浴って実は当たり前だったりするのだろうか。悪魔の中で。

しかし男にとって夢のような状況は、実現しない儚い夢であるからこそ夢なのだ。

 

「……私は嫌です」

 

無慈悲にも小猫の拒否によって、兵藤の夢は儚く散っていく。

 

「じゃあ、この話はなかったことで。残念ねイッセー」

 

膝から崩れ落ちた兵藤に掛ける言葉はなく、元よりこうなることは予想していた筈だが、夢は見るものだ否定はしない。故に勝手に夢を見た兵藤が悪いので、同情の余地もない。

 

「さぁ、行きましょ」

 

ぞろぞろとグレモリー眷属達が腰を上げて部屋を出て行く。

そんな中、ぐいぐいと袖を引く少女が一人。

 

「……先輩も一緒に入りませんか?」

「小猫ちゃん?」

 

ちょこんと握られた服の袖、その指の持ち主である小猫は一向に僕を見ようとしない。一応、恥ずかしさはあるのか顔を見せようとしないので、僕も無理には見ない。勇気を振り絞ったみたいだ。その理由を僕は考えずにいる。兵藤を拒否した辺り、混浴が嫌だと思ったんだけど、どうやら違うみたいだ。

 

「あら、私はいいわよ」

「ふふっ、叶多君もご一緒しますか?」

 

とても魅力的な提案だ。一人で入ろうと思っていたけど、心が揺らいでしまう。グレモリー先輩も姫島先輩も美人だし、小猫は可愛いし、レイヴェルも可愛いし、うちの女性達は綺麗だし。

 

「わ、私も、カナタ様さえよければ……」

 

レイヴェルまでもが了承してしまう。これで一人くらい拒否してくれたら悩む必要などなかったのだが、どうしたものか否定的な人が一人もいない。

 

「なんでおまえだけ……!!」

 

なんでおまえだけ、と言われても条件は同じなのだ。

兵藤は運がなかった……というか、小猫に嫌われていただけで。

了承があるとはいえ、悩む。

このまま女性達とお風呂に入っていいものだろうか。

あんな美人達を相手に冷静でいられる自信がないのだが。

主に身体が正直になりそうで怖い。

 

–––あ、そうだ。

 

 

 

「女同士なら問題ないわよね♪」

 

チョーカーを外した僕–––“私”は誰に囁くでもなく、そう呟いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

湯煙の獣

カナタ♀視点。


 

 

 

山荘には石造りの立派な露天風呂がある。月夜の下、星々が煌めく空の下、景観を楽しめるように造られたそんなお風呂が。春は何処からか桜の花弁が湯船に浮き、秋は紅葉が楽しめ、冬には雪景色を見ながら熱いお風呂に入れるらしい。

湯煙が濛々と立ち込める中、足の裏に組まれた岩の感触を踏み締めて、私はゆっくりと洗い場に進む。温泉の冬のイメージというと日本猿が入浴しているイメージがあるが。

 

「……いえ、エテ公は冬だけじゃなく年中無休ね」

 

どうもこの季節にも現れるらしい。男風呂の壁に氷の棘を張り巡らせ、お仕置きの氷槌を落とす。

 

「ぎゃあぁぁぁぁああああ!!!?」

 

覗き魔を未遂で終わらせたところで、兵藤の悲鳴に反応したアーシアが驚く。

 

「どうしたんですかイッセーさん!?」

「……」

「あっちにボノボが現れたらしいわ」

「ボノボさん……?」

「お猿さんのことよ」

 

もちろん、私やグレイフィア、レイナーレ、後輩達の裸を見ようとした罪は重い。

明日からの鍛錬を倍にすることを決定した私は、何食わぬ顔で椅子に座り、お湯を被る。その背中にふにゅんと抱きついてくる柔らかな感触があった。

 

「カナタ君、背中流すよ」

「いいわよ別に。自分で洗えるし」

「女の子の身体のケアは慣れてないでしょ。ほら、私に任せて」

 

レイナーレが否応なく、シャンプーに手を伸ばす。

そしたらすぐに髪に嫋やかな指の感触が頭皮に触れた。

手つきが優しく、気持ちいいのでされるがまま身を委ねる。

 

「ふふっ、カナタ君の髪、いつ触っても綺麗ね」

「レイナーレの方が綺麗だと思うけど」

 

個人的には、レイナーレの翼と同じ鴉の濡羽色の髪は、とても綺麗だ。そこには世辞も打算もない素直な気持ちだ。本当に彼女が私のもので良かったと思う。

 

「カナタ君に褒められると嬉しいなー。はい、終了。ちょっと待ってね」

 

コンディショナー、トリートメント、と訳の分からない単語が続く。何か美容について説明されているが、それを必要としない私には何がなんだか判らない。乳液に化粧水、レイナーレは次から次へと美容品を出す。

 

「ちょっ、レイナーレ、あ、あははっ……!」

「こら動かないでカナタ君」

「擽った……!」

 

それが済むと今度は身体だ。全身隈なく洗われた。擽ったくて身を捩るとジッとしてと叱られる。

その合間に身体が擦れ合うものだから、男の私ならどうなっていたことか。想像に難くない。

今にもレイナーレを押し倒してしまっていただろう。

お湯を掛けて、泡が流れると私はスッと立ち上がって、

 

「次はレイナーレの番ね」

 

攻守交代、とばかりに椅子に座らせる。さっきの擽ったかったお返しとして、ボディーソープを手に大量につけると胸を鷲掴みにして揉みしだく。

 

「ちょっ、カナタ君!?やんっ、もぉ〜!」

 

そして、身体中泡だらけにさせると、身体が密着して……また私まで泡だらけになる。さっき流したのに、また真っ白になった。まるでアニメや漫画によくある健全な描写のように際どいところが隠れている。

 

「……お風呂場で何やってるんですか、先輩」

 

二人でもこもこになっていると小猫が脱衣所から出て来た。どうやら最後の一人のようで、他のメンバーは身体を清めると既に湯船に浸かっている姿がある。

 

「お風呂場でしかできない女同士の戯れ」

 

男の姿で出来ないことを私は今、満喫しているのだから、それを止められるのは誰もいない。たとえ後輩に冷たい視線で見られようと、元の姿に戻った私の人格が後悔しようと知ったことではないのだ。私のことだし。

 

「でも、小猫ちゃん。あなたどうして遅かったのかしら」

「……先輩にはわからない悩みです」

 

小猫が胸を押さえる。–––否、隠しているようにも見える。身長が小さいことではなく、胸が小さいことがコンプレックスなのか実に可愛い悩みを持つ後輩だ。

 

「そう?私は小さくてもいいと思うけど」

 

私の周りは胸が大きい女性が多いから興味があるのは間違いない。膨らみ掛けのおっぱいとか、小猫のだとなおさら触ってみたいと思うあたり、嘘でもない。

 

「ほ、本当ですか?」

「小猫ちゃんは小さいのが可愛いんじゃない」

 

膝の上に乗せて、抱き締めるのがベストなサイズ。

愛でるのに適していると言っていい。

ロリ巨乳っていうのも見たかったかもしれないが、それでは小猫の可愛さが半減してしまう気がする。

取り敢えず、私は小猫の身体に狙いをつけた。

 

「あの……先輩?どうして、ジリジリと近寄ってくるんですか?」

「膨らみ掛けのおっぱいって一度触ってみたかったのよね」

 

声にならない悲鳴が、夜空に響いた。

 

 

 

 

 

 

後輩を散々弄んだ私は冷えた身体を温めるために、湯船にゆっくりと浸かる。そして、弄ばれた後輩は艶っぽい表情をしながらぐったりとした様子で半身浴をしていた。岩場に上半身をだらりと預けてぶつぶつと呟く。

 

「うぅ……先輩に穢されてしまいました」

 

文句を言う割に小猫は私の側から離れようとしない。グレモリー先輩やアーシアは離れたところで楽しそうに会話をしているが、そこに混ざる気はないみたいだ。

 

「あっちのカナタ君もこっちのカナタ君と同じくらい、えっちなことに積極性があればいいのに。性別の壁がある分、遠慮しちゃうところも可愛いんだけど」

 

その反対側に、レイナーレが座ってぐいっと抱き着いてくる。

 

「それにしても……」

 

チラリ、とレイナーレが視線を何処かに移した。

 

「避けられてるね」

「そうね。避けられてるみたいだわ」

「見られてるのにね」

「そうね。どうしたのかしら?」

 

その先には、一定の距離を保ったまま近づいてこないレイヴェルが一人、此方の様子を時折チラリと盗み見ながら入浴している姿があった。身体を清めている時も、同じ距離を保っている。

 

「仲良くなったと思ったんだけど……」

 

今日一日、グレモリー眷属達と比べたら、レイヴェルと一緒にいた時間が長いのは私だ。それなりに親しくなれたと思ったけれど、実はそうでもなかったようで、遠巻きに見られている感覚がある。

もちろん、男湯の下賤な輩の話ではなくて、レイヴェルからの視線だということは堪忍済みだ。

 

「私が連れて来てあげよっか」

「お願いするわ」

 

もしかしたら、お風呂はゆっくりと浸かりたいタイプかもしれないけど、レイナーレにお願いしてレイヴェルを連れて来てもらう。私から離れたレイナーレは二言話して強引に引っ張るようにレイヴェルを連れて来た。なんだか、遠目に見ると少し戸惑っている様子に見えないこともない。

 

「カナタ君、連れて来たよー」

「ありがとうレイナーレ」

「……」

 

私達の前に来たレイヴェルは無言で私を見つめる。すると何かを決心した様子で、こう聞いてきた。

 

「その……カナタ様は女の方だったんですか?」

 

質問の意図が判らず、首を傾げて質問の意味を考えてみる。

……そういえば、レイヴェルはこの姿を見るのは初めてだったか。

 

「今は生物学上“女性”だけど、私は本来男性よ」

「……つまり?」

 

要領を得ない。この説明では不足だったか。

私は自分にかかっている“呪い”について話した。

 

「反転、ですか……。では、カナタ様は男の方でいいんですね?」

「ええ、そうね」

 

そう説明すると、レイヴェルがほっと胸を撫で下ろす。

 

「良かった……私、女性の方を好きになったのかと……」

 

どんな葛藤があったのか想像もできないが、随分と心労を掛けたようでレイヴェルの表情が綻び、途端に引き締め直す。

 

「いえ、なんでもありませんわ!」

 

慌てて言い繕うが、その意味が判らないほど私も鈍感ではない。私の何処がいいのかさっぱりだが。

改めて、レイヴェルを上から下へ、下から上へと眺めてみる。

服の上からでは判らなかったが、胸も大きくスタイルもいい。

実に男に好かれそうな体つきをしていた。

 

「……あなた、服の下はそんな風になってたのね」

「えっ?」

 

私が男なら間違いなく求婚していた。

戸惑うレイヴェルの腕を掴み、ぐいっと引き寄せる。

 

「綺麗ね。あの男の妹とは思えないわ」

「あの……なにを言って……」

「可愛い、って言ったのよ」

「かわっ……!」

 

褒められて恥ずかしがったのか、お湯による暑さのせいか、頰をほんのりと赤らめるレイヴェルがどうにも可愛らしい。すると横からレイナーレがずいと身体を寄せた。

 

「カナタ君、私は?」

「もちろん可愛いわよ」

 

するりと指先をレイヴェルの胸に這わせる。

鎖骨から、ゆっくりと辿って胸の膨らみを撫でるように下って、それから先端に登頂を果たす。

艶かしい声がレイヴェルから漏れても、彼女は抵抗することもなかった。

どうしていいか判らず、戸惑っている初々しさがいい。

 

–––これってつまりそういうことよね?

 

レイヴェルはされるがまま。

口では抵抗をみせるものの、逃げる気配はない。

 

「カナタ君、いじめると可哀想だよ。そのくらいにしてあげないと」

 

嫉妬しているのか、レイナーレがむぅと頰を膨らませ抗議する。

どうやら彼女も構って欲しいらしい。

 

「……もうちょっと触っていたかったけど、仕方ないかしら」

 

あまりいじめすぎるのも可哀想、というレイナーレの意見には同意だ。

 

「あ……」

 

指が離れると名残惜しそうな声が聞こえた気がしたけれど、深く追及すると後の私が困りそうなのでスルーする。

 

「で、ですが不思議ですね。女になれるなんて……」

「やってみると案外面白いわよ。最初は戸惑ったけど」

「でも、雰囲気違いませんか?まるで別人、というか……」

 

二重人格を疑っているのだろうが、それは違う。

あくまで人格は一つ。それが変質しているだけなのだ。

 

「根っこの部分は同じ人間よ。ただ、心が身体に引っ張られるというか……それで別人に見えるだけで」

「それってつまり……今の記憶がある、ということですわよね」

「ええ」

 

肯定するとレイヴェルの顔が赤くなった。

 

「え、えっと、それじゃあ……カナタ様(女性)が見たり触ったりした記憶は引き継がれると……」

 

ありていに言えばそういうことになる。

レイヴェルは胸を隠すように自らの腕で身体を抱き締めた。

残念、もう既に記憶には焼き付けている。

今更もう遅い。

 

「隠す必要ないじゃない。女の子同士なんだし」

「え、でも、記憶が残って……」

 

困惑して慌てふためくレイヴェルは何処か可愛い。

その様子を眺めて楽しんでいると、グレモリー先輩達がやってきた。

 

「随分と楽しそうね。私も混ぜてくれないかしら」

「うふふ、そうですね部長?」

 

歩くたびに豊満な胸が揺れる二人は適当なところに座ると、最も何考えているかわからない姫島先輩の方がすっと近くに寄ってくる。本当に何を考えているんだか。

 

「あら、私のおっぱいは触らないんですか?」

 

–––本当に何を考えているんだか自分からそんなことを言い出した。

 

「巨乳はグレイフィアので見慣れてるもの」

 

私からすれば、他人の巨乳はグレイフィアの胸の劣化版。

今更、姫島先輩やグレモリー先輩のに触ろうとは思わない。

 

「……叶多先輩、それは私のが小さいという意味ですか」

 

怒ったような口調だが、声音はいつも通り静かに抗議する小猫がずいっと詰め寄ってくる。

 

「わ、私も大きさにはそれなりの自信があったのですが……」

 

何故かレイヴェルがショックを受けているようだが、彼女ほどの美巨乳はそうそういないだろう。

 

「というか、それはどうでもいいのよ」

 

話の流れがおかしくなり始めたのはいつからだったのか、会話をグレモリー先輩がぶった斬る。

 

「この際だから言わせてもらうけど、小猫とは仲が良いのに私や朱乃だけ呼び方が堅苦しいのどうにかならない?合宿も一緒にしてるんだし裸の付き合いもしたことだし」

 

そして、主張したのはとてつもなくくだらないことだ。

 

「なら、リアス先輩でいいかしら」

「リアスでいいわよ」

「私も朱乃と呼び捨てにしてくれてもいいんですよ、叶多君」

 

グレモリー先輩と姫島先輩–––否、リアス先輩と朱乃先輩がそう主張したが、この線だけは譲れない。

 

「それは無理ね。だって、男の私が呼び捨てにできないもの」

 

レイヴェルや小猫はともかく、この二人とは一線を置いておきたいというのが私の本音だ。あと、調子に乗って厄介ごとを持ってきても困るけれど、その場合は今回みたいに対価を要求する。

 

「わかったわよ。それでいいわ」

 

納得してくれたようで、二人はすぐに引き下がった。

 

「さて、それじゃあグレイフィアも上がるみたいだし、もう私も出るわね」

「カナタ君が出るなら、私もでよーっと」

 

一人露天風呂を堪能していたグレイフィアだが、満足したようで脱衣所の方に消えて行くのが見えた。それを追いかけて私とレイナーレも露天風呂を後にすることにする。

ついでに、まだ諦めないしぶといゴキブリに氷塊を落として、男子風呂に叩き込む。

実刑が四回ほど、この短い入浴時間に行われている。

まったく油断も隙もあったものじゃない。

 

「先輩が上がるなら、私も」

「そ、そうですね。十分楽しみましたし、私も上がります」

 

そんな私の後を小猫とレイヴェルの二人はついてきた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

捕まりたい後輩、逃げて欲しい先輩

眠いので寝るという誓いは必ず破られるんだよなぁ。


 

 

 

翌朝から、グレモリー眷属強化計画は本格的に始動した。

手始めに近接戦闘主体の兵藤、木場、小猫を早朝に叩き起こす。

 

「うぅ……先輩、眠いです」

「ごめんね。でも、僕は心を鬼にしないといけないんだ」

「先輩は鬼、です……」

「そんな可愛い顔されても困るんだけど」

 

前日に通達した通り、早朝から特訓を始めることは全員に伝えている。例外があるとすればリアス先輩と朱乃先輩、それからアーシアの魔法戦闘組だが、あちらもグレイフィアによって容赦なく叩き起こされていた。

 

「それで大空、こんな朝早くからどうするんだ?」

 

山荘の外に出たところで、兵藤が口を開いた。これまで一度も文句を言わなかったことは評価するべきだろう。ただ、寝起きだけは悪くて三人には少し手こずることになったが。

 

「別に早起きした意味はないよ。僕はいつもこの時間に起きてるってだけで」

「おい!」

「だけど、本気でリアス先輩とライザーの結婚を阻止したいなら、この程度で弱音を吐いてちゃダメだよ」

「……そうだな。助かる」

「というわけで三人には今から、僕が毎日やってるメニューをこなしてもらいます」

 

ピクン、と三人が反応する。

 

「……先輩がやってる、特訓……」

 

無表情ながらも小猫の瞳がキラキラと輝いて見える。

満を持して、僕はその内容を発表した。

 

「それは……」

「それは……?」

「10kmのランニングと筋トレ」

「「「……え?」」」

 

「それだけ?」と思うのも仕方ないことだろう。他にも色々とあるが、まず基本は体作りだ。山籠り中は他にもやったが最近はそれしかやっていない。

 

「基本だよ基本。昨日、小猫ちゃんの身体を触って確かめた感じだと、その必要はないんだろうけど。兵藤はそんなこと全くしてこなかっただろう」

 

目の端でかぁぁと小猫の顔色が赤くなる。そんな表情もできたんだね。

 

「触って……確かめた、だとッ!?」

 

声だけを聞けば真剣だが、顔面はゆるゆるだ。兵藤は気持ち悪いくらいに鼻の下を伸ばし、口はだらしもなく半開きにして食いついてくる。どんなだったとか、羨ましいだの。

全部、無視した。

小猫の情報は安くない。

 

「君達は悪魔になったことにより、何より悪魔の駒の特性によって強化されている。そして、それは君達の力であって君達の力ではない」

 

僕も魔力『太陽』がなければ無力だ。だから、それに頼り切っていては本当の強さは掴めない。もちろん、後天的な力も自分の力と言っても過言ではないのだが、過信はよくないだろう。

 

「はい。わかったらトレーニングするよ」

「ですが先輩、私達は悪魔です。先輩の言う基本的なトレーニングの量を今更やっても……」

 

人と悪魔では基本性能に差がある。人間にとってはキツくても、悪魔にとってはなんてことない量なのだろう。

 

「そこは考えてるよ。ただ走るのもつまらないからやるのは鬼ごっこ。もし僕に追いつかれたら、罰ゲームを一つ」

「あっはっは、なんだそんなことかよー」

 

バシバシと兵藤が肩を叩いてくる。こういう暑苦しいのは嫌いだ。僕は心の中で兵藤の罰ゲームを確定した。

 

「どんな罰ゲームをするんだい?」

 

今まで黙って聞いていた木場が会話に入ってきた。

特に決めてはいなかったが、僕もやる気になるものがいい。

口に出すのも憚れるが、捕まらなければいい話だ。

逡巡して、ちらりと小猫を見る。

 

「そうだね……小猫ちゃんが捕まったら、一緒にお風呂にでも入ってもらおうかな」

「叶多先輩、昨日と変わってないです」

 

それでは罰ゲームと呼ばないのではないか。と、小猫は自ら申し出たが、この話には続きがあるのだ。

 

「違うよ。男の僕とお風呂に入ってもらいます」

「……お、男の姿の先輩と、お風呂……!」

 

捕まえたらの話だ。本気で小猫が逃げるなら、捕まりはしないだろう。

 

「ふふ、それは僕もかい?」

「木場は素振り千回、兵藤は重りでも持って走ってもらうことにするよ」

 

男同士の付き合いも悪くはないが、僕にそんな趣味はない。

 

「それじゃあ、準備運動は済ませたね。位置について」

 

コースは適当。今からやるのは本気の鬼ごっこ。彼らの勝利条件は僕から逃げ切ることだけ。単純明快なルールだろう。ついでに距離測定の魔導具を腕につけてもらう。指定距離を移動すれば、音が鳴る仕組みだ。

 

「スタート」

 

僕の合図と同時に三人が一斉に走り出す。

その後を追い掛けて、僕も走り出した。

 

 

 

 

 

 

鬼ごっこ開始から十分、流石は騎士と呼ばれるだけあって木場は速かった。ただ走るだけならそれでいい。けれど、今やっているのは森の中での鬼ごっこだ。僕は一番厄介な木場を後回しにして兵藤を追い掛けた。

 

「今の俺なら金メダリストも狙えるぜ!」

 

–––と、兵藤が余裕をぶっこいているが生憎、これはただの鬼ごっこじゃない。

 

「いやー、それはせこくない?」

 

人間の記録に悪魔が参加するのは反則だ。そういう意味で囁けば、兵藤は驚いたように此方を見た。

 

「ゲッ、どうやって追いついて!?」

「残念ながら、魔力は解放してないよ」

 

所謂、手加減というやつを僕はしているのだが、兵藤はあっさり捕まりそうだ。事実、接近して足払いをかけてみたら、兵藤はジャンプをして躱す。

 

「へへっ、そう簡単に捕まるかよ」

「いや、まだ兎の方が手強いよ」

「うおっ!?」

 

空中に逃げるのは悪手だ。野生動物より単細胞な逃げ方に呆れながら手を伸ばし、服を掴み茂みに向かってぶん投げると兵藤は間抜けな声を残して頭から突っ込んで行った。

 

まずは一人。

 

「さて、メインディッシュは最後にして……厄介な木場の方を追うかな」

 

次に狙いをつけたのは木場だ。

上手く森に潜んでいるようだが、僕の敵ではない。

さっきから僕の跡をつけて、様子を窺っている気配がある。

おそらく、それが木場。

離れ過ぎて見失う事を恐れたのか、状況判断としては合格。

でも、この場合はもっと遠くに逃げるべきだ。

 

「あっちに行こう」

 

木場とは反対、山荘の方を目指す。だいぶ兵藤に引っ張られて来たからもう一つの気配の小猫を追うふりをして、背後をつけてくる木場を罠に招き入れた。

ちょうど、大岩のようなものがあってそこで姿を一度消す。

角を曲がった瞬間、見えなくなった僕を追って来たところを捕獲しようという作戦だ。

木場は見事に引っ掛かった。

 

「はい、残念」

「なっ、しまった……!」

 

突然、背後に現れた僕を見て木場は驚くと、参った降参と両手を挙げて示した。

 

「最後は小猫ちゃんか。随分と遠くにいるね」

 

魔力の反応を探れば、5km以上も距離が離れていた。

普通に走れば、小猫は完走してしまう。

 

「このまま終わるのも味気ないし、少し本気を出すか……」

 

チョーカーを外す。

 

 

 

「ふう。こんなものか」

 

僅か数秒、魔力を解放しただけで小猫との距離は僅か数百mまで縮まった。再度、チョーカーを付け直して走り出す。あれだけ膨大な魔力を垂れ流しにしたのだから、小猫の方も僕の接近に気付いているだろう。慌てて逃げ出す魔力反応が一つ、僕から離れていっていた。

 

「逃がさないよ」

 

ジグザグと木々の間を縫うように移動する魔力反応を追うこと一分程、白く揺れる髪が見えた。気配を殺して近づいたからか小猫は僕の姿が見えていない様子、平地を走るのをやめて僕は木々の上に移動する。背後を振り返る小猫は頭上の僕には気づいていない様子だ。

 

「こ、此処まで来れば流石に追って来ませんよね?」

「残念ながらもういるよ」

 

後輩の背後に忍び寄り、タッチしようと手を伸ばす。

でも、そのまま捕まえても面白くないので警告代わりに応えた。

声に反応して一瞬で飛び退った小猫は、荒く息を吐き出すと深呼吸をする。

僕を見て、驚愕するように目を見開いた。

 

「どうして、警戒してたのに……」

「僕って影が薄いらしいから、気配を断つのは得意なんだよ」

 

背後を獲った理由を問われれば、そんな悲しい返答を口にする羽目になった。

 

「魔力もこの状態だと抑えられるからね。いきなり現れた僕の膨大な魔力を探していると、小さくなった僕の魔力は霞んで見つけづらくなるし」

 

人の中に人を隠し、森の中に木を隠す、古典的な手で忍び寄ったまでだ。急に現れた僕の膨大な魔力を察知して警戒していれば、小さくなった僕の魔力なんて霞むというものだ。

 

「さて、チェックメイトだ」

 

ゆっくりと前に僕が進むと、小猫は後退りして逃げる。

その距離はどんどん縮まっていき、背後を見ていなかった小猫は木に背をぶつけて止まった。

僕の手がぴたりと止まる。

もう数ミリ手を伸ばせば、君に届いた。

 

「逃げないの?」

「……先輩はいじわるです」

 

逃げ場を失った小猫はぽてんと地面に座り込み、上目遣いに僕を見上げた。

 

「そんな可愛い顔をしてもダメだよ」

 

そっと優しく頰に触れるように手を伸ばして……ピピピピピピッ、という音が僕を阻んだ。設定しておいた魔導具の音だ。小猫は指定距離を逃げ切ったらしい。

 

「……残念、終わりみたいだね」

「あ……」

「帰ろうか小猫ちゃん」

「……」

「どうしたの?」

 

木の前に座り込んだまま、小猫は立ち上がらない。足を開いて地面につけた女の子座りで僕を見上げている。

 

「……いえ、なんでもありません」

「そっか。怪我でもしたのかと思ったよ」

「ん」

 

と、思ったら小猫は両手を広げて起こしてと要求してくる。

 

「違います」

 

手を掴んだら、拒否された。

 

「なんかごめん」

「疲れました。抱っこしてください」

「ああ、なるほど。そういうことか」

 

後輩の広げた腕の下に腕を通して、抱き上げるように立たせる。

どうやらこれが正解だったらしく、ご満悦な表情ですりすりと頭を擦り付けて来た。

 

「……眠いです」

「じゃあ、帰るまで寝ておきなよ」

 

抱き方をお姫様抱っこに変えて、山荘に向かって歩き出す。

その間ずっと、腕の中からは小さな寝息が聞こえていた。




今日こそは十二時までに寝るんだ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天国と地獄

 

 

 

「おや……?」

 

急ぐ必要もなく、小猫と散歩をして帰れば山荘の前にはレイヴェルの姿が見えた。どうしたのかと思いながら近づくと、帰って来た僕達に気づいてレイヴェルがこちらを見て、パッと華やいだ表情を見せる。

 

「どうしたのレイヴェル?」

「あ、その、これを……!」

 

すぐに駆け寄って来たレイヴェルの手には水筒とタオルがある。普段はレイナーレとグレイフィアが用意してくれており、二人の姿が見えないことから代役としてレイヴェルが派遣されたらしい。

タオルと水筒を受け取って、僕は礼を述べる。

 

「ありがとうレイヴェル」

「は、はい」

「それで二人は?」

「朝食の準備をしています」

 

あの人数の朝食を用意するのは大変だ。道理でレイヴェルが一人で派遣されるわけである。

庭では黙々と筋トレと素振りをしている二人がいて、僕が帰って来たところで兵藤は崩れ落ちるように地面に倒れた。

流石は木場か、剣先がぴたりと空中で停止する。

その動作には、一寸のブレもなく見事なものだった。

 

「おまえおっせぇよ!」

「いやー、ごめん。小猫ちゃんとちょっと散歩してた」

 

少し寝て回復した小猫は途中で目を覚まし歩いて来たので、時間的には一時間ほど遅れている。朝食の時間を考えれば丁度良い時間に帰ってきた事になるが、罰ゲームとして適当に科した筋トレは僕が帰るまでだ。つまり、僕が帰らなければ一日でも二日でも鍛錬をやめることは許されないのだ。

 

「まさかいかがわしいことをしてたんじゃないだろうな!」

「イッセー先輩と一緒にしないでください。……まぁ、私も叶多先輩が求めてくるなら吝かではありませんが」

 

ぽっと頬を赤く染める小猫を見て、兵藤がハンカチがあれば噛みちぎりそうなほど悔しそうな顔をする。そこに僕の意思は介在していない。

 

「そんなことより朝食を食べたら、また鍛錬だよ」

「ご飯……!」

 

朝食、という言葉に小猫が元気になった。

 

 

 

 

 

 

朝食を食べた後、四人が集まる。兵藤、木場、小猫、アーシアの四人が並ぶ中、兵藤がアーシアを心配して声を上げた。

 

「お、おい……アーシアにも戦闘訓練をさせるのか?」

「本当ならそれが一番なんだけど、残念ながらアーシアにそっち方面は無理かな。付け焼き刃にもならないし」

 

アーシアがこっち側に来た理由は別にある、と言うと兵藤は安堵した。

果たして、それは安堵して良い内容かは別だが。

ちょこんと手を上げて、アーシアは疑問を口にする。

 

「あの……グレイフィアさんに言われて此方に来たのですが、私は何をしたら……?」

 

不安に思うのも当然のことだろう。

此方にくる理由については、一切の説明がされていない。

ただ、行け、と言われただけで。

説明は丸投げだ。

 

「簡単だよ。怪我をした人を治せばいいだけだよ」

 

簡潔に説明すれば、そういうことだ。

しかし、兵藤が首を傾げる。

 

「怪我って何する気だよ?」

「兵藤には実戦経験が足りないから、模擬戦をしてもらおうかと思って」

 

そこまで説明したところで、風を切る音と共に黒い羽が舞い落ちて、レイナーレが空から降りて来た。

 

「カナタ君お待たせ。待った?」

「ううん。まだ始まってもないよ」

 

これで全員揃った。

予定通り、地獄の特訓とやらを始める準備は整った。

 

「僕とレイナーレvs木場、小猫、兵藤。全員纏めてかかってきな」

「私とカナタ君の愛の力を見せてあげる」

 

 

 

模擬戦といえど使うのは本物の武器だ。刺せば怪我をするし、骨折もする。そんな中で対峙する木場と小猫だけは僕を心配そうに見ていた。

 

「本当にいいのかい?そのままで」

「叶多先輩……」

 

僕が魔力を解放しないこと状態で戦う事を、不満に思ったのだろうか。二人は否定的な考えだった。小猫は僕がこの程度でどうにかなると考えているのか、不安そうな声だ。

 

「よっしゃあ先手必勝!」

『BOOST』

 

しかし、そんな二人を差し置いて物分かりのいいのか悪いのか、兵藤は神器を発動すると一人踊りかかる。不意をついたつもりなのだろうが僕に殴りかかって来たその速度は、対応できないものではない。

 

「不意を打つなら攻撃を悟らせるな。常識だよ」

「うおっ!?」

 

一歩横にずれて避けると同時に足を置き去りにすると、まんまと兵藤は引っかかってすっ転んで顔面を強打した。

 

「あと足元が疎か過ぎる。体全体を意識するように」

「……あい」

 

地面に突っ伏したままの兵藤は置いておいて、残りの二人に目を向ける。

 

「確かに僕は魔力がないと弱いよ。けど、僕の戦闘経験は間違いなく僕が持っているんだ。ただ弱いだけだと思わない方がいいよ」

「そうみたいだね。これは全力で行った方が良さそうだ」

「手加減無用ですか」

 

ようやくやる気を出したのか、二人がファイティングポーズを取った。木場は魔剣を創造し、小猫は型に沿って拳を握る。その手にはグローブが付けられており、拳の保護がされていた。

 

「–––フッ!」

 

次の瞬間には空気を切り裂き鋼の刃が軌跡を描く。

自慢の速度で接近した木場が、剣を振るったのだ。

 

「おっとっと、ほっ!」

「先輩、覚悟」

 

肌を掠めるように過ぎていく刃を避ける、その間にも小猫が拳を握り締め振りかぶっていた。

–––避ける時間はない。

 

「っと、危ない」

 

その身からは考えられないほど重い一撃を叩いて逸らす。

それに驚いた小猫が一瞬、硬直した。

 

「隙あり」

 

一瞬だけ硬直した隙を逃さずに、彼女の勢いを利用して投げる。しかし、小猫は空中で身を翻すと猫のようにすたっと着地を決めて距離を取る。間髪入れずに木場が剣を振るった。

 

「レイナーレ」

「カナタ君から離れなさい!」

 

僕を狙っていた木場に光の槍が降り注ぐ。攻撃を中断して光の槍を迎撃しようと剣を一閃させたが、直後にガラスの割れるような音を響かせて木場の剣だけが砕けた。

 

「なっ!?」

「驚いている暇があったら次の行動だよ」

 

木場が身体を捻って反射的に避けた槍を僕は掴み、無防備な木場の身体に容赦なく叩き込む。

 

「がぁっ!?」

 

もろに一撃食らった木場は、地面に膝をついた。

堕天使の光が身体を焼いて、動けないようだ。

 

「まだです先輩」

 

木場に気を取られている隙に、死角から潜り込んだ小猫が一撃を見舞おうとする。無論、そんな事を許すはずもなく彼女の攻撃を受け流して対応すると、今度は連撃が叩き込まれた。

 

「む、中々、すばしっこいですね」

「だって当たったら痛そうだもん」

「避けないでください」

「嫌だよ死にたくないし、痛いのも嫌だし」

「ならなんで戦うんですか」

「一方的に殴るのを戦うとは言わないんじゃないかな」

 

軽口を叩き合いながら、拳を交わしていく。

しかし、僕は防戦一方だ。

 

「避けるばかりでどうしましたか先輩」

「女の子相手に本気で殴りかかるのはちょっと……」

 

いくら僕でも女の子を傷つける行為は躊躇するため、そんな軽口を叩いている間にもみしみしと腕が悲鳴をあげる。受け流しているとはいえ力の方向性を変えるには相応の力が必要であり、後輩のパンチは本当にやばかった。

 

「恨まないでよ小猫ちゃん」

「な、何を!?」

 

受け流す攻撃にも強弱をつけて、相手のリズムを崩す。

すると小猫はバランスを崩して、大きな隙を作った。

突き出した拳を捻り上げ、地面に押し倒す。

いくら馬鹿力といえども、土につけられ関節も極めれば身動きが取れないだろう。

後輩女子にのしかかるような形で、第一試合が終わった。

 

「くっ。……むぅ、私の負けです」

 

一度、もがいていたが拘束が解けないことを確認すると、観念したように敗北が宣言される。その宣言を持って、僕も小猫の上から退いた。

 

「はい、アーシアさん木場を治療してやって」

「わ、わかりました!」

 

兵藤のことが心配なのか寄り添っていたアーシアとの二人の仲を引き裂くのは心が引けるものの、悪魔にとってレイナーレの光は効果は絶大なので早急な処置が必要だ。割り切って欲しい。

 

「やれやれ、今の君にも負けるなんてね……」

 

怪我を治療されている木場は悔しげに呟く。

その気持ちがあるだけ、彼には向上心というものがあるのだろう。

騎士としての驕りがあったのか、それが解けたような晴れやかな顔をしている。

失敗を活かすタイプだ。

顔も良くて、性格も良いとは、イケメンってこんなやつばかりなのだろうか。

 

「ちっきしょうー、いけると思ったのにな」

 

地面に胡座をかいている兵藤は、なんていうか太々しい。

 

「取り敢えず、反省会ね。君達は自分の何がいけなかったんだと思う?」

 

このまま適当に相手をしていても意味がないので、議題としてそんなことをあげる。

 

「おまえが強過ぎてわかんねぇよ」

「相手が強い、それを理由に逃げるなよ兵藤。敵は選べる状況じゃないだろう」

「それはわかってるんだけどよ。じゃあ、大空は相手が自分より強かったらどうするんだ?」

「え、逃げるけど?」

「いや、俺ら逃げられないんだけど」

 

あぁ、そういえばリアス先輩が軽はずみにゲームをすると言ったからこんな状況になったのだったか。改めて認識すると酷い状況だ。

 

「僕なら大切なものは何をしても守るよ。たとえ刺し違えてでも」

「……なんていうかおまえ本当にやりそうだよな」

 

閑話休題。

 

「兵藤は神器を上手く使うこと。木場は……」

 

それぞれに指針を与えようとして、彼には要求するものがあった。

 

「魔剣出して。自分が一番使う剣。最高傑作と言えるようなやつ」

「いいけど、どうするんだい?」

 

魔剣創造の神器を使い、木場は一本の魔剣を創り出すと僕に手渡した。魔剣を受け取った僕は手の上で転がし、二回ほど振ってみて、水平に構えた。

 

魔剣に向けて、右手を振り上げる。

 

「聖剣エスカノール」

 

魔力を帯びた手刀を一閃、魔剣は真っ二つに破れた。

 

「せ、先輩?だ、大丈夫ですか?」

「え、何が?」

「その…腕…あれ?」

 

僕の腕を掴んだ小猫が優しく手を包み、傷を見ようとして何もないことに気づく。血も流れていなければ、傷もない。目を白黒とさせている小猫が面白くて、そのまま小猫の頬を動物にするように撫でる。

 

「木場は強いよ。神器も汎用性に長けているし使い勝手も良いと思う。だけど、汎用性がいい分、器用貧乏になりがちで魔剣そのものの完成度はかなり低いよね。だから脆い」

「はは……聖剣とは名ばかりでも、これは厳しいね」

「木場がするべきことは剣技を極めるより、神器面の強化だね」

 

木場の強化方針が決まり、次に弄ばれている小猫に視線を向ける。頬擦りしたくなるほど気持ちのいい頬を撫で回しながら、後輩の悪いところを指摘する。

 

「小猫の怪力は脅威だと思うけど、体術ってのはただ単純な剛の体術だけではなくて、もう少し技術的な面、柔術とか極めてみたらいいんじゃないかな」

 

もし小猫の怪力で関節を極められたらと思うと身震いしてしまう。考えるだけで恐ろしい。いや、単純に関節を極めるだけならもう既にマスターしてそうだけど。僕が言ってるのはそういうやつではない。

 

「ちょっと小猫ちゃん、組み合ってみようか」

「え、あ、はい」

 

小猫の華奢な肩を掴むと抵抗するように相手も身体に力を入れる。小猫の方から懐に飛び込んで腰にタックルをかまそうとしたところで、僕は脇に手を入れてひょいと持ち上げた。

 

「あ……んっ……先輩、脇、ダメですっ」

「ごめんごめん。でも、いくら小猫ちゃんの力が強いと言っても持ち上げられたらどうしようもないでしょ」

「わ、わかりましたから早く下ろしてください」

 

無表情ながら慌てた様子の小猫を下ろして、僕はチョーカーに手を掛けた。

 

「さて、自分のやるべきことも見えて来たようだし。–––今からは死ぬ気でかかって来なさい」

 

三人の顔がさっと青褪めた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夜更け

レイナーレ視点。


 

 

数分前まで和気藹々としていた訓練場は、瞬く間に地獄絵図と化していた。

青々と生えていた草は抉れ地面が現れ、木々はその身を手折られ上から半分、或いは根っこから取り除かれている。どっしりと構えるものはその身に裂傷を受け、それでも生命の輝きを失うまいとしている。

破壊地の中心にいるのはカナタ君で、今し方、新たに刻まれた地形の変化の先には無造作に殴られて木々に激突して倒れた兵藤一誠の姿があった。

 

「おやおや、手加減して打ったのにこれも対処できないとは……」

 

威風堂々たるその身体には一つも傷がなく、立派な筋肉が太陽の光を浴びて輝いて見えた。

 

「くっ、これほどまでとは……」

「……全く歯が立ちませんね」

 

辛うじて生き残っている木場と小猫の両名が警戒を保ちながら、必死に相手の様子を窺う。その視線の先にいるカナタ君は二人の警戒した様子にはまるで興味がなく、枝に止まって囀っている小鳥を見ている。

 

それでも思考停止していられないのが今の状況だ。

 

今はとにかく、カナタ君をどうにか倒す策を思いつかなければならない。手札の全てを使い切り、それでも敵わなかった相手にどんな作戦で立ち向かうかが重要になってくる。と、思考を巡らせた時だった。

 

「おやおや、それではまるで攻撃してくれと言っているようなものですよ」

 

一足踏み込めば距離が縮み、接敵した時には拳を振り上げている。スピード随一の木場が小猫を庇うように前に出たが、頑強そうな剣はただの一撃で貫かれる。

 

「聖槍エスカノール」

 

人差し指一本を突き立てると剣に穴が開き、まるでボールのように持っていた騎士も吹き飛ぶ。瞬時の出来事に呆気に取られていた小猫の身体を拳が撃ち抜く。その時間、僅か二秒ほど。これでも手加減している方だ。

 

「けふっ……!?」

 

身体の芯を捉えた打撃は彼女を吹き飛ばし、地面を転がってようやく止まった。あれを本気で撃てば山を砕いて止まっていたところだ。随分とお優しいことである。

 

それでもなお立ち上がるグレモリー眷属達。

きっとこれが見世物ならば拍手喝采は間違いなし。

かれこれもう既に二時間ぶっ通しだ。

そろそろ限界がきていた。

 

「うっ、くぅ……っ!」

 

立ち上がるのがやっと、直後に膝をついて荒く息を吐き出す。

その姿を見ながら、カナタ君は首をコキコキと鳴らしてストレッチをしている。

 

「凄まじいですわね」

 

いつの間にやらレイヴェルも此方に来ていたらしく、途轍もない実力差に感嘆の息を吐いていた。木の枝の上で観戦していた私は地面へと降りて、暇そうな彼女に声を掛ける。

 

「凄いでしょ。カナタ君は」

「凄いなんてものではありませんわ。圧倒的過ぎます」

 

文字通り“必死”なグレモリー眷属と比べて、まるで“児戯”でもしているかのように軽くあしらっているのだ。もしカナタ君が本気を出したなら、攻撃の隙なぞ見当たらないし、防戦一方になってしまうだろう。彼らが攻撃に転じられているのは、カナタ君が本気を出していないからだ。

 

「これでもまだ全力ではないんだけど」

「更に強くなるんですか?」

「うん、もうすぐかな」

 

腕時計に視線を移す。あと数分で正午だ。

 

「……そろそろお昼の時間か」

 

空を見上げたカナタ君が一言告げると、さっきまで生き絶えていたグレモリー眷属達の顔色に希望の色が見え始める。まさかそれが死刑宣告とも知らないで……。

 

「ご飯の時間ですか?休憩です?休憩ですよね?」

「やっと終わった……」

「ふふっ、まだやっていたいようなやりたくないような……複雑な気持ちだよ」

 

そんなグレモリー眷属をカナタ君は晴れやかな笑顔で地獄に叩き落とすのだ。

 

「–––残り一分、死ぬ気で我にかかってこい」

 

この最後の一分間が何よりも辛いことを彼らはまだしらない。

 

 

 

 

 

 

机を覆い尽くさんばかりの料理をカナタ君は美味しそうに食べている。作ったグレイフィアはその食べっぷりを見て嬉しそうに微笑み、自分もまた匙を料理へと運んでいた。

 

「運動した後のグレイフィアの料理は特別に美味しいよね」

「ふふっ、喜んでいただけて何よりです」

 

そんな幸せそうな光景の傍で机に突っ伏する三人の戦士達は、匙を握る力も残っていないのか大量の中華料理を前にどんよりとした空気を発しながら譫言を口にしていた。

 

「嘘だ……剣が……溶けて……」

「あれ?俺死んでないよな?腕も肋も折られたはずなんだけど……」

「デコピン怖いデコピン怖いデコピン怖いッ!」

 

繰り返し何事かぶつぶつ呟くグレモリー眷属達の様子を見て、主人であるリアス・グレモリーが怪訝な顔をした。

 

「いったいどんな特訓をしたのよ……」

「では、お昼からはそちらに参加なさいますか?」

「いえ、結構よ。私にはやるべきこともあるし」

 

詳細が気になったリアスだけど、自分が受けるとなるやあっさりと掌を返して眷属達を売った。心なしかグレイフィアが残念そうな顔をしているようにも見える。カナタ君の勇姿を見学したかったのだろう。実を言うとカナタ君は知らない事だが、時々家事が一段落しては授業中の様子を覗きに行っているくらいなのだ。

 

炒飯、餃子、青椒肉絲、回鍋肉、と平らげていくカナタ君だが、不意に立ち上がって手を伸ばす。その行動に三人はびくりと震えて、椅子を蹴飛ばして戦闘態勢に入る。

 

息もできないほど張り詰めた空気の中、カナタ君が首を傾げる。

 

「なにしてるの?」

「せ、先輩、いま、デコピンしようとしませんでした!?」

「いや、肉団子の皿を取ろうとしたんだけど。みんな食べないの?」

 

その言葉に一番大食いの筈の小猫が、ほっとした様子で答えた。

 

「いえ、お腹は減ったんですが食欲がないというか……むしろ詰め込んだら吐き出させられそうというか」

 

しかし、元気のない後輩の様子にカナタ君も微妙な顔をする。

 

「なら、食後二時間ほど経つまで自主練にする?」

「ほ、本当ですか?」

 

やり過ぎた自覚はあるのだろう。カナタ君がそう提案すると安堵した小猫達は各々匙を手に美味しい料理に舌鼓を打ち、グレイフィアの手料理を平らげていった。

 

 

 

そんな真夜中、死屍累々の地獄を見たグレモリー眷属達は早めの休息を取るために部屋へ帰って行った。一方で、同じく戦闘訓練を施していたとは思えないほどに元気なカナタ君と私達は皿洗いを終えて、各々好きな時間を過ごすことにした。

露天風呂で疲れを癒やし、さぁ寝ようというところで……私は仕掛けることにした。こっちに来てからグレモリー眷属に構ってばかりのカナタ君と何かしたかった。

 

「ねぇねぇカナタ君、少し外を散歩しない?」

「散歩?……まぁ、いいけど」

 

山荘の外に出る。夜風もなく静かな暗闇と森の中、風呂上がりの暑さも負けるようなカナタ君の隣、私はそっと腕に抱き着いて隣を歩く。随分と慣れているのかカナタ君は歩き辛さも表に出さない。

 

「風呂上がりには気持ちいいね」

「……そうだね」

 

ふぁぁ、と欠伸を一つ漏らして眠たげにカナタ君は目を擦る。

悪いことしちゃったかな?なんて罪悪感が芽生えた。

 

「疲れてるよね。眠いなら帰る?」

「んー、大丈夫……。レイナーレとこうしてるのも楽しいから」

 

嬉しいことを言ってくれる。

 

「もう〜、カナタ君ったら〜」

 

頬がくっつくほど身体を寄せて甘えるように頭を擦り付けた。

 

そんな幸せな時を過ごしている最中、不意に何処からか音が聞こえて来る。

何かが裂けるような音。応援する声。誰かの叫び声。

よく聞けば知っている声だ。男性と女性、二人分のそれ。

一つはなんとなく嫌な声、もう一つは……知人と言ってもいいのか、あのぽわぽわした能天気な娘のもの。

 

「なんだろうね?行ってみる?」

 

カナタ君は一度立ち止まり、進路を問う。

このまま進むか、もと来た道を戻るか。

本人は興味はあるものの、特に重要性を感じてはいないようだ。

私に一任したのは、私の意見が聞きたかったから。

私の返事次第でどうするか決まるらしい。

 

「面白そうだから覗いてみましょう」

 

木々の合間を抜けて、声のする方に向かう。

すると何の変哲もない場所に二人の人影があった。

 

「弾けろぉ!」

「頑張ってくださいイッセーさん!」

 

森の中に案山子が一つ。その前にいるのは兵藤一誠とアーシア・アルジェントの二人。逢引きとかそういう雰囲気でもなく、何やら特訓の時のような必死な様子がわかる。ただ釈然としない。

その案山子というのが女物の服を着ていて、それに向かって「弾けろ」だなんて命じているものだから、何事かと思ったのだがあれは私でもわかってしまった。兵藤一誠の行動理念は「エロ」一直線だ。あれもその一つに違いない。

 

「くっ、やっぱりダメなのか……俺にはイメージが足りないのか!?」

「イメージ……そ、それなら私でもう一度試してみるのは……あ、あの時は成功しましたし」

「……ごめんアーシア。手伝ってくれ」

「はい、イッセーさんのためなら私脱ぎます!」

 

人肌脱ぐ、という意味か僅かに頬を赤らめながらもアーシアはそう言う。

実際に脱ぐわけではない。……私の杞憂だったようだ。

 

「行くぞ!」

「はい、イッセーさん!」

「ドレスブレイクゥゥ!!」

 

その杞憂も束の間、兵藤一誠がアーシアの肩に触れると魔法陣が浮かび上がり、某漫画で筋肉キャラが脱ぐ時のように洋服が弾け飛んでアーシアが全裸になってしまった。

 

私はそっとカナタ君の目を塞ぐ。

 

「カナタ君は見ちゃダメ」

「いや、あっちの姿の時に見たのに今更じゃない?」

「今は私だけを見てくれなきゃダメなの」

 

私達には今の状況を冷静に分析する時間が必要だった。あまりの光景に理解が追いつかず呆けているカナタ君の目を塞ぎ、私は大事なところを隠して蹲るアーシアを遠目に見る。

あれも人間における恋愛的観点の大事なファクターなのだろうか?

少なくともカナタ君にあんな特殊性癖はない。

 

アーシアが服を着直したところで、私達は木の影から出た。

 

「よし、今の感覚だ。何か掴めそうな気がする!」

「むしろ僕は兵藤が捕まりそうな気がするんだけど」

 

こんな夜更けに野外で美少女の服を剥く変態。

なるほど、道理だ。

 

「って、大空?と……ゲッ」

 

カナタ君の姿を目視するや首を傾げ、視線を巡らせ私を見つけると嫌そうな顔。私も嫌な顔をする。私だってこの男は嫌いだ。

 

「ゲッ、て何よ」

「……いや、別に」

 

様子がおかしい兵藤一誠を見て、カナタ君は溜息を吐く。

 

「元カノと兵藤、修羅場再び」

「か、カナタ君、私こいつのことなんとも思ってないからね!」

「は、はぁ?そっちから告って来たんだろうが!」

「まだそれ引っ張る気!?」

 

ぎゃあぎゃあと喚き始めるあいつと私、顔を突き合わせた言い争いが始まる。

 

「言っておくけど、私は年齢=彼女いない歴で死んじゃう貴方が可哀想だから付き合ってあげただけで、私なりの慈悲だから」

「誰が生涯童貞だって!?」

「だ、大丈夫です。イッセーさんの童貞は、わ、私が……」

「いやでも人間としての生は結局、生涯童貞だったわけで間違いないのでは?」

 

妙なことを口走り始めたアーシアを完全にスルーして、否応のない現実を兵藤一誠に突きつけたのはカナタ君だ。殺したのは私だけどなんだか気の毒になってきた。

 

「……なんか、その、ごめん」

「謝んなよ余計に惨めだろうが!」

 

謝るな、というなら仕方ない。

私ももう気にしないことにする。

 

「それで兵藤、いったい何をしていたんだ?逢引き……というわけでもなさそうだし」

「ふっ、聞きたいか?」

「客観的に見れば、野外で美少女の服をひん剥く変態にしか見えないんだけど」

「変態は酷いな。この技は素晴らしい技なんだぜ!」

 

兵藤一誠曰く、流し込んだ魔力を膨張させ服を破壊する魔法らしい。そんな説明を淡々と興奮した様子で誇らしげに語る姿はキモくて、思わず私はカナタ君の背中に隠れた。

 

「きもーい」

「テメェもひん剥いてやろうか!」

「助けてカナタ君!」

「それ以上、レイナーレに近づいたら明日の特訓三倍ね」

 

手をわきわきと動かして襲い掛かろうとしてきていたあいつはカナタ君の警告で接近をぴたりと止める。

 

「まぁ、用途はともかく面白いことを考えるね」

 

まさか、カナタ君もあんな風に女の子の服を剥ぎたいのだろうか?

カナタ君がしたいなら吝かでもないけれど。と、新しい一面に頷きかけた時、彼は不意に木の枝に触れると魔力を流し込む。

 

「弾けろ」

 

たった一言の命令を口にすると、木の枝の先にあった葉が弾けるように散った。あの変態が必死こいて会得しようとしていた技を一発で成功させる。流石はカナタ君だ。

 

「使い方によっては武器も、防具も破壊できる。そう考えたらいい技だね」

「あぁ、うん、そうだな。……そういう使い方もある」

 

あれは全く使い方を考えていなかった顔だ。そんな顔をしていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

48時間

短め。


 

 

 

最終日、日が暮れる頃の山の中には沢山の屍が転がっていた。兵士、騎士、戦車、女王、果てには彼らに護られるべき王まで。その傍らには心配そうにあわあわと慌てる僧侶の姿があり、それを作り出した張本人であるグレイフィアは涼しい顔をしてポツンと立っていた。出来の悪い生徒を見るような目で彼らを見渡すと瞑目して宣言する。

 

「これで全日程は終了です。お疲れ様でした」

 

最後の試練、僕、レイナーレ、グレイフィアとの連戦はご覧の通りの有り様だ。三人の誰にも歯が立たず、地面を転げているのが全てを物語っているだろう。

 

リアス先輩は大きな胸を荒い息で上下させ、返す言葉も出ないらしい。そして、そのプルプルと揺れる胸を見る余裕も兵藤はないようだ。動かない屍のようにうつ伏せに倒れている。

 

「さて、会話をする余裕もないようなのでこの後の予定を伝えさせていただきます。夕食の前に汗を流し、その後に食事といたしましょう。明日は丸一日の休養を取ってください。万全の体調でなくては全力を出すのも難しいでしょうから」

「わ、わかったわ。聞いたわね……」

「とはいえ、午前は全て作戦会議に当ててもらいます」

「そうね。身体を休めるだけじゃ不安だもの」

「では、私達は食事の準備をしますからさっさと入って来なさい」

 

ぱんぱん、とグレイフィアが手を叩けば無理矢理身体を起こしてグレモリー眷属達が動き出す。フラフラとした足取りながらも山荘へと向かって行く姿を僕らは見送った。残ったのは、グレイフィア、レイナーレ、レイヴェル、そして僕。

 

「それじゃあ皆行ったようだし、僕達も行こうか」

 

僕らにはまだ、夕食の準備が残っている。

 

 

 

 

 

 

露天風呂から上がったオカルト研究部部員達は一足早くお疲れ様会と、ライザー戦に向けての意気込みを再度語ると早々に寝床に向かってしまった。その後片付けをした後で僕らもようやく一日を終えることができる。

 

時計の針が十二時を報せる少し前、ようやく僕達も露天風呂を堪能することが出来ていた。

 

「ふぅ〜。……ようやく一段落ってところかな」

 

湯船に浸かりながら月夜を見上げる、贅沢なシチュエーションに凝り固まった身体を解すように伸びをすると、手がふにょんと柔らかいものに触れた。そのまま拘束される。

 

「お疲れ様、叶多」

「ん。グレイフィアもおつかれ」

 

僕の腕を抱いたままグレイフィアは湯船に足を入れ、そのまま腰を下ろすと僕の隣に座った。当然のことながら僕の腕は抱かれたままだ。珍しく甘えたモードらしい。

 

「いよいよだね」

「はい。レーティングゲームまであと48時間ほどでしょうか」

「でも、僕達の仕事は終わりだ。約束は果たした。あとはリアス先輩達次第だ」

 

そう。今日で僕らの仕事も終わり、明日は一日中のんびりする予定だ。

 

「……叶多は勝てると思いますか?」

 

普段から口数の少ないグレイフィアが話題にしたのはレーティングゲームについてのこと。教えた手前、勝敗が気になるのは判らないでもないが、実に珍しいことだ。彼女が他人を気にするなんて。

 

「難しいんじゃないかな」

 

だから、僕もはっきりと思っていることを告げた。

 

現状、リアス・グレモリー側が勝利するのは難しい。

その理由はまず初めにライザーがフルメンバーであることだ。レイヴェルの僧侶の駒が一枠抜けたものの、人数だけなら圧倒的差があるといえる。『質』より『量』とはよく言ったもので、個々の実力は高くとも同格の相手が二人もいればまず勝ち目はないだろう。

二つ目の理由はライザー自身にある。あの不死にも近い再生能力は厄介極まりないだろう。決定打たりえるリアス先輩か朱乃先輩のどちらかと兵藤が残っていなければいけないのだ。それも力が温存出来ている万全の状態が好ましい。

 

「リアス先輩側がフルメンバーでライザーと戦えるなら勝機はあるけれど、まずそんな状況に持ち込むのは難しいだろうしね」

 

希望的観測を口にしてみたが、やはり無謀だろう。総合力で負けている。

 

「ですが、可能性ならあるのですね」

「可能性だけならね」

 

そんなことはグレイフィアも判っているのだろうが、他に言いたいことでもあるのか考え込んでしまう。言うべきか言わないべきか迷っているようで、僕もまたそんな彼女の様子に見蕩れてしまう。

 

「あー、二人ともイチャイチャしてるー!」

 

グレイフィアの横顔に見蕩れていると身体を洗い終えたレイナーレが乱入してきた。此方もまた裸を隠そうともしないすっぽんぽんで、小走りに駆ける度に大きな胸がプルプルと揺れる。側まで来るとグレイフィアとは反対側の僕の腕を掴んで湯船に浸かった。

 

「レイナーレはどっちが勝つと思う?」

「ゲームの話?私は判らないかなぁ」

 

ついでにレイナーレにも聞いてみたが、偏った答えではなく意外な回答が返ってきた。

 

「ふーん。意外だね。はっきり負けるって言うかと思ったけど」

「だって、ほらあのおっぱい大きい巫女さん。姫島朱乃だっけ?あの娘が光の力さえ使えば余裕じゃない?」

「ん?」

「あれ、カナタ君気づいてなかった?あの娘、堕天使の血が混じってるわよ。転生元が堕天使なんだろうけど」

 

道理で朱乃先輩の気配に違和感を感じるわけだ。何か悪魔とは違う別の気配を感じていたがまさかそれが堕天使だったなんて……その気配ならレイナーレで慣れていたはずなのに、気づかなかったのは混じっていたからか。でも、朱乃先輩が光の力を使うところなんて一度も見たことはない。どうしてだろうか?

 

「どうして使わないのかしら?」

 

レイナーレも同じことを思ったらしく首を傾げている。

 

「理由があるのでしょう」

「でも、もしその力を使ったのなら、勝率はぐんと上がるのにね」

 

もしそんな力を持っているのなら、大切な人を守るために僕は使ってしまうだろう。そうしないのは使いたくないからか、もしくは使えないのどちらかか。

その辺りをリアス先輩が指摘しないあたり深い事情がありそうだ。

 

「無い物ねだりをしても仕方ないし。別の事考えようよ。それに僕達が気に病むことでもないし」

 

そうして、話題は他のことに。

二人の柔らかな感触に包まれながら、目先のことを考える。

取り敢えずは明日のことだ。

明日一日、だらだら過ごすというわけにはいかない。

なにせこの山荘とは明日でお別れなのだから。

 

「明日は何しようかなー」

 

遊んでいたのも最初の一日だけで、他はリアス先輩達の手伝いばかりだった。明日こそは有意義な時間を過ごしたい。

 

「朝風呂というのもいいですよ」

 

ぐいっと腕を引くように抱き締めるグレイフィア。大きくも形の良い胸が僕の腕を挟み込み、逃さまいとした。

 

「ふふっ、私も賛成」

 

その反対の腕をレイナーレが引っ張る。胸に腕を埋めるように抱きしめて離さない。

 

ポヨポヨ。ポヨポヨ。

両腕が幸せな感覚に包まれて、やや困惑する。

 

「あの……グレイフィア?」

「いいじゃないですか少しくらい。この山荘に来てからイチャイチャするの我慢してたんですから」

 

グレイフィアが人前で甘えてくることは稀だ。だから、この山荘に来てからは特に何もしてこなかったのだが、ついぞ寂しくなって甘えに来たらしい。

 

「それにもうリアス達は眠っていますし、他人の目を気にする必要もないかと」

「んー、確かに久しぶりだね。こんな時間。最近は色々とあったから」

 

寝る時には抱き着いてきたりするけど、それと違った良さがここにある。他愛もない話をしている間に夜が更けて、やっと眠りについたのは午前二時を回った頃だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後輩達の戦争

レイヴェル視点。


 

 

 

期日までもう二十四時間もない。山荘で過ごす最後の朝、私は朝早くに目覚めたベッドの上で焦燥感に苛まれながら、今までの行動を振り返っていた。

 

あの方へアプローチを試みようと参加したこの合宿、どうも成果は著しくない。

 

まず初めにカナタ様の事を深く理解するべく観察や情報収集を行ってみたが、特に好きなものや、嫌いなもの、欲しいものはないらしい。それどころかオカルト研究部の面々はそれほど彼を知らないらしくまともな情報さえ持っていなかった。

 

その結果、弱点を攻めることはやめて私自身をアピールしていく計画に変更したのだが、これもまた不発だ。

 

なにせ彼の周りにはグレイフィア・ルキフグスというグラマーな美女悪魔とレイナーレという魅惑の堕天使がいるのだ。とてもではないが勝てるような戰とは思えない。全てが彼女達の前では霞むばかりだ。

 

というかそもそもの話、カナタ様はオカルト研究部の面々の修行に付きっ切りで二人きりになるようなシチュエーションを作ること自体困難だったのだ。私の涙ぐましい努力は徒労に終わっている。

 

「私ってこんなダメでしたのね……」

 

話し掛ける機会を窺ったり、心を掴むにはまず胃袋からを実践したり、タオルや水を渡したり、色々とやってみたがそのどれもが“良い後輩”程度の活躍で“異性”として意識させるには不十分だったように思う。

最初に下着やら何やらを見られたアクシデントがあったが、もはや遠い過去のようだ。

 

しかし、私からのアプローチだけではなく、カナタ様は時間がない中でも私の事を気にかけてくれたりしているのが判る。料理だって一緒にしたし、話し掛けられたりもした、その程度で喜ぶ私の乙女心ってなんて易いものか。

 

「……って、私が惚れ直してどうするんです」

 

–––私の目的はカナタ様と恋仲になる事だ。決して“良い後輩”で満足してはいけない。

 

「取り敢えず、時間は早いですが起きないと……」

 

誰よりも早く挨拶をするべく、私はベッドから立ち上がった。

 

 

 

「……しかし、早過ぎましたね」

 

部屋から早く出たは良いもののまだ朝の六時。早い人はもう既に起きているみたいだが、オカルト研究部の面々はまだ誰も起きていない。静かな山荘の中を一人歩いてみれば、誰とも会う事なくカナタ様の部屋の前に辿り着いてしまった。

 

「ですが、この時間はなんとも焦ったくて甘美な……」

 

何時間でも待つつもりだが、物には限度というものがある。

流石に部屋の前で何時間も待つというのは変かもしれない。

そう、自己嫌悪していた時だった。

 

「–––あ」

 

背後で小さく驚いたような声がして振り向くと、そこにはジャージ姿の小猫さんがいた。朝早くから彼女も起きていたようで偶然偶々此処を通りかかったらしい。道を譲ろうと廊下の隅に移動するも、一向に去る気配がない。

 

「……焼き鳥娘、先輩に何か用ですか?」

「いえ、別に何も。私は此処を通り掛かっただけです」

「そうですか。ならさっさと行ったらどうです?」

「道をお譲りしますのでお先にどうぞ」

 

バチッ、と二人の交わった視線に火花が散る。

どうやら考えていることは一緒らしい。

この山荘での活動で判ったことだが、この小猫は私と同種だ。

つまりは、恋敵ということになる。

 

「いえ、私は先輩に用がありますので」

「なぁっ!?」

 

牽制しあっていたら小猫さんの方がまるで“先約”でもあるかのように堂々と宣言してきた。しかも、無表情なのに心なしかドヤ顔に見えるのが妙に腹立たしい。雰囲気から勝ち誇っているのが判る。

 

「こ、こんな朝早くからなんですの?」

「一緒に朝のランニングです」

 

道理でおしゃれの一つもせずに朝から男の部屋に行くわけだ。

しかし、それがどうも悔しい。

私もご一緒したいが、カナタ様のペースに合わせられるとは思えず、足手纏いになるのは目に見えている。

そこでマイナス点を出すのなら、行かない方が吉だろう。

私は瞬時に計算して、悔しいながらも我慢することにした。

 

「おはよう小猫ちゃん。あれ?レイヴェルも随分早起きなんだ」

 

そんな一幕の攻防を行なっていると扉が開き、カナタ様が顔を出した。私の姿にも気づくと挨拶をしてくれる。

 

「お、おはようございます。カナタ様も朝早いのですね」

「うん。朝運動してからのご飯は美味しいし、朝風呂にも入るからやっぱり良い汗流してからのほうが気持ちいいしね」

「そうなんですか。では、お気をつけて行ってきてください」

「あ、うん。ありがとう」

 

カナタ様と小猫さんの二人が山荘を出て行くのを黙って見ているしか出来ない私は、それでもただでは転ばない。

 

 

 

 

 

 

二人が帰って来たのは朝の七時頃、既に太陽は顔を出していた。並んで走ってくる二人は山荘の前にいる私の姿に気づくと意外そうな顔をして固まった。特に小猫さんの表情は見ものだった。

 

「お疲れ様ですカナタ様」

「レイヴェル?どうして此処に?」

「タオルとプロテインの用意をお待ちしました」

「え、うん、ありがと」

「……」

 

戸惑うカナタ様にタオルとプロテインのセットを渡し、ついでに小猫さんにもセットを渡す。もちろん、小猫さんの分だけ用意しないという意地悪はしない。逆に訝しんでいるようだが知ったことか。

 

「朝食の用意も出来ていますが、どちらを先になさいますか?」

「あー、あの二人寝てるのか……連日朝の仕込みとか色々あったからねぇ」

 

–––と、予想しているが全くの大外れだ。私が二人に頼み込み食事当番を代わって貰ったのだ。

 

先手は小猫さんに取られたが、私にも負けられない理由がある。

朝食やサポートで挽回しようという腹積りだ。

二人きりにはなれないけど、かなりの好印象じゃないだろうか。

 

「取り敢えず、ご飯が出来てるならご飯がいいかな」

 

カナタ様のリクエストに応えて食堂へ移動する。

メニューはご飯に味噌汁に魚の煮付け、それと卵焼き、サラダ。

全て温めるだけの状態にしてあり、温め直すと配膳した。

こんなチャンス二度とないので自然と隣り合わせるように私の席をカナタ様の隣に確保しておくのも忘れない。

人によっては向かい合わせの方が好きらしいけど、私は此方の方が良いと思う。

 

「もぐもぐ……もぐもぐ……ところでこれ全部、レイヴェルが作ったの?」

「はい。腕によりをかけて作らせていただきました。お口に合いませんでした?」

「ううん。どれも美味しいよ」

 

露骨なまでの女子力アピール。料理が上手な女性はモテるという噂を聞き試してみたが、やはり高評価のようで美味しそうに食べてくれる。味は問題なかったようで何より。

 

食事が終わればカナタ様は自分で食器を片付けに行く。皿洗いまでしてくれるから助かるのだが、そこまでしてもらうわけにはいかない。今日はカナタ様にアピールしてもらうのではなく、私が奉仕するのだから。

 

「私が洗いますのでカナタ様はお風呂にでも行ってください」

「そう?うーん。……わかった、ありがと」

 

露天風呂に向かって歩き出した彼を見送り、私も自分の仕事を片付けるべくスポンジを手に取った。

 

 

 

皿洗いを終えた直後、私はキッチンを飛び出す。早歩きで廊下を歩き露天風呂へ。すると女湯の暖簾の前で彷徨く小猫さんを発見してしまった。今日はよく会う日だ。……いや、ほぼ毎日、彼女とはこういう場面で鉢合わせている。その理由は言わずもがな。

 

「あら、小猫さんどうしましたの?」

「あ、焼き鳥娘……」

 

出会い頭に毒舌を吐かれたが気にすることなかれ。

 

「い、いえ、別に……」

 

私の勘が正しければ女湯に入ろうとしていたように見えるが、どうやら躊躇っているようにも見える。

 

「焼き鳥娘はどうして此処に?」

「お風呂に入りに来ましたの」

 

自然に小猫さんの横を素通りして、暖簾をくぐる。

その直後–––。

 

「ちょっ、中には先輩が–––」

 

引き止める声が聞こえた気がしたが、私は無視した。

だって、カナタ様と他の二人が混浴しているのは知っているし。

私の後を追って小猫さんも入ってくる。

その手にはお風呂セット、どうやら目的は一緒らしい。

 

「ほ、本気ですか?」

「ええ、本気です。今日が最後のチャンスかもしれませんから」

 

“後輩”ではなく“異性”として見てもらうための最終手段が混浴だ。あの時はカナタ様も“同性”で効果が薄かったようにも思う、故のリトライを試みる事を私は決めたのだ。少し緊張や羞恥心で心臓がドキドキと鼓動を早めているけど、それも些末な事。

 

服に手を掛けて脱ぎ始めた私を見て、小猫さんも決意を固めたのか自らの服に手を掛けて……サッと全部脱ぎ去った。

 

「ではお先に失礼します」

「–––って、早っ!?」

 

早脱ぎという奇妙な特技を見せた小猫さんに驚愕している間にも彼女は既に準備万端。

一体どんな技を使えばブラを手早く脱げるのか……。

 

「まさかノーブラ!?」

「ち、違います!ひ、引っ掛かるところが少ないだけです!」

「そ、それはすみませんでした」

「胸なんてただの脂肪の塊です。ぽんじり娘に謝られる事じゃないです!」

「無い者の僻みなんて全然効きませんわ」

 

–––と、争っていたのも束の間、ようやく服を脱ぎ終えた私も浴場へと急ぎ出ようとする。

 

小猫さんと競うように浴場へ出ると、既に湯船に浸かっている彼の姿があった。案の定、グレイフィアさんとレイナーレさんの二人に挟まれて満喫している様子。

 

すぐに私達に気付いて……。

 

「二人とも〜、脱衣所で騒ぐのもほどほどにね?」

 

レイナーレさんがそう注意した。

どうやら全部聞こえていたらしい。

 

「は、はい……すみません」

 

露天風呂の熱気なんて気にならないくらい頬が熱くなる。

恥ずかしさに今すぐ消え入りたいが、逃げていられないのが現状だ。

 

「あはは……さてと、僕はもう上がろうかな。二人の邪魔しちゃ悪いし」

 

そう、思っていたらおもむろにカナタ様が立ち上がる。

 

「あ……」

 

湯船を出ようとしたカナタ様を反射的に引き止めようとして手を伸ばしたが、掴む勇気はなく指先が少し掠めてしまったくらい。だけだったというのに彼は此方の様子に気づいた。

 

「二人さえ良ければ、まだいるけど」

 

……本当に意地悪な人だ。私の口から言わせるなんて。

 

「その……わ、私は別に……」

「ま、まぁ……先輩が一緒に入りたいと言うなら……」

「そっかぁ〜。じゃあ、続きはまた今度という事で」

 

今度こそ、カナタ様は出て行こうとする。

その腕を掴み止めたのは、揶揄われた私達だ。

 

「……いや、ごめん。泣くほどショックを受けるとは思ってなかった」

「な、泣いてません。汗です」

「そうです。別に先輩のことなんてなんとも思ってませんから」

 

この後、無事に混浴した私達だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

レーティングゲームの裏側

 

 

 

真夜中の学校に十二時の鐘の音が鳴った。こんな真夜中に僕は旧校舎の廊下を歩いていた。もうリアス先輩達はレーティングゲームを始めた頃だろうか。

そんな時間に僕が学校にいるのは彼女達のゲームの観戦のためだ。外部から魔法にて映像を繋げることもできたのだが、レイヴェルが一人で部室に残ってしまうこともあって、眠いのを我慢して学校に来たわけだ。

 

「カナタ様ですか?どうぞお入りになってください」

 

念の為と思ってノックをすると中からレイヴェルの上擦った声が返ってきた。入室しようと扉に手を掛けて半開き状態のドアの隙間から顔を覗かせると、レイヴェルの他にも何やらダンディな成人男性の姿が……誰?

 

「ご紹介します。此方は私の父です」

「やぁ、噂は聞いてるよ大空叶多君。敢えて光栄だ」

「え?……あぁ、どうも」

「私のことはお義父さんとでも呼んでくれたまえ」

 

対面するや両の手を握りしめられぶんぶんと振られる。

噂、と言っていたが何のことやら……レイヴェルとまともに接したのは強化合宿が初めてだし。と、思っていたら妙に握手が長い。というか全然離してくれない。

言っておくが、僕に男に手を握られて喜ぶ趣味はないのだ。

 

「あの……そろそろ手を離して貰えると……」

「いやぁ、すまないね」

 

そう謝罪して、パッと手を離す。……って、なんでレイヴェルの父親が。そう疑問に思った時、見計らったようにレイヴェルの親父殿–––フェニックス卿が壁に視線を動かした。

 

「まぁ、立ち話もなんだし、ゲームを観戦しながら世間話とでもいこうじゃないか」

 

宙に映し出されているのは此処とは別の場所の映像だ。複数の画面にはそれぞれ眷属達の動向が映し出されており、主に映されているのは王であるリアス先輩とライザーの動向、そして眷属達の暗躍と戦闘だ。まだ遭遇していないのか、誰一人として欠けていない。

 

ソファーに座った僕とフェニックス卿、だがレイヴェルが座らない。気まずさに固まっていると楚々とした流麗な所作で紅茶の準備を始めた。よくできた娘だが、今はどうか早く座って欲しいと切実に願う。

紅茶がテーブルに並べられている間も生きた心地がせず、レイヴェルが準備を終えて間に入ってくれたおかげでなんとか心身の安寧は保たれた。

 

……なんで僕がレイヴェルの父親と対面してるのだろう。

 

「さて、カナタ君。君はレーティングゲームについてどれだけ把握してるかね?」

 

無心になって画面を見つめているとフェニックス卿から声が掛かる。

レーティングゲームについては詳しくは知らない。

チェスを基盤にした実力主義のゲーム、というだけで……その実態はチェスとは全く違う。

王、女王、騎士、僧侶、戦車、兵士、どれも役割を与えられた悪魔達がプレイするものであり、個々の実力に差が出る。

リアス先輩とライザーに実力の差があるように、駒は全て平等というわけではないのだ。

 

「まぁ、概ねその通りだな。だからこそ、戦略が状況を覆す力を持っているのだが」

 

そう。だから、リアス先輩にとってこのゲームは物凄く不利なものである。何故、こんな勝ち目すら薄いゲームで抗おうと思ったのか甚だ疑問だ。

 

「人間で言うところの格闘技みたいなものですよね」

「確かに、見せ物といった意味ではそれに近いな」

 

ボクシング、柔道、レスリング、etc……。

サッカー、野球、その他のスポーツもそれに当て嵌まるかもしれない。

娯楽という意味では、人間で言うところのそれだ。

 

「しかし、レーティングゲームについて君は疎いだろう。そこで私が解説をしようじゃないか」

「ありがとうございます……?」

 

そして、レーティングゲームについては初心者の僕に解説をしてくれるという。

何を解説するのか判らないが。

なんでも聞いてくれたまえ、と言われても……何を聞けばいいか判らないのだが。

そんな期待の眼差しを向けられても困るのだが。

映像の中で、両陣営が体育館を目指しているのに気付く。

 

「じゃあ、あれ。どうして両チームとも体育館を目指しているんですか?」

「あれかい?こういうステージだとあそこは重要な拠点だからね。押さえておかなくちゃならないのさ。特に両陣営の中間地点とも言える場所だからね」

「なるほど……?」

 

それほど重要な拠点にも見えないが、そうなのだろう。

リアス先輩達の実力を考えると、闇討ちが一番効果的な手に見えるが。

先に体育館に辿り着き、占拠したのはライザー陣営。

敵が近づくのに感づいたのか、舞台袖に隠れて待ち伏せるようだ。

 

「さて、リアス嬢の眷属達はどう動くかな……?」

 

遅れて体育館に乗り込んだ兵藤、小猫の二人。

木場と朱乃先輩の姿が見えないことから、裏で別の任務が与えられているのか。リアス先輩のところにその姿はない。ちょうど、映像からもフェードアウトしており、此方からも動向が探れないようになっている。

見ればライザー陣営の数人が何をしているのかも判らない。

 

「まぁ、流石にこの程度気付かないわけがないでしょう」

 

レイヴェルの指摘通り、看破した小猫に観念したのか舞台袖から三人の女性達が姿を表す。

そして、初の接敵と戦闘が始まった。

 

「ほう、随分とやるようだね」

「当然ですわ。カナタ様が御尽力なさってくださったのですから」

 

感心した様子のフェニックス卿に何故か自慢げにレイヴェルが胸を張る。

そこで胸を見てしまうのは男の性か、自然体を装って目を逸らした。

 

「まぁ、あれくらいはやってもらわないとね」

「では、カナタ君はどちらが勝つと思うのかな?」

 

–––そんなの聞かれるまでもない。

 

「ライザーじゃないかなぁ」

「「えぇっ!?」」

 

驚いた声がふたつ。流石は父親と娘、息ピッタリだ。

どうやら二人とも僕がかなりグレモリー眷属に入れ込んでいると思っていたらしい。

それは見当違いだ。

僕はあくまで、冷静に物事を見ている。

そりゃあ、リアス先輩の意思を尊重すれば勝って欲しいところだが。

 

「可能性としては無くはないんだけど、それこそ赤龍帝が覚醒するか……奇跡と呼べるほどの何かを起こすか、かな」

 

現実的には難しいと言わざるを得ない。

 

「では、あれもカナタ君が修練を共にした結果かね」

 

少し目を離した先に何か起きたらしい。フェニックス卿に言われて映像に視線を移すと、女性の服を弾けさせている変態の姿がそこにあったので僕も驚く。

そんな破廉恥な光景も、すぐにレイヴェルに目隠しされて見えなくなってしまうのだが。

 

「絶対に違います」

 

これだけは言っておかねばならない。

あれとは無関係だと。

まさか躊躇なく女性に使うとは思わないだろう。

……これは兵藤の評価を改めねばなるまい。

 

「いや、いいんだ。英雄色を好むとも言うし……」

 

フェニックス卿の表情が何処か満足そうな様子、何やら誤解が生まれているようだ。

 

「もういいや。……レイヴェル、そろそろ離れて欲しいんだけど」

「そ、そうですね……。どうやら体育館から撤退を開始したようですし」

 

全裸の女性二人と戦車の女性一人、ライザー眷属だけを残して二人が離脱する。その直後、体育館を轟音と雷鳴が直撃し、映像越しに耳を劈くような音が耳朶を打った。

 

「きゃっ!?」

 

びっくりして僕にしがみつくレイヴェル。

画面からはとんでもないほどの光、一体何が起きたのか。いや、これこそが結果なのだとしたら、何が起こったのかは想像出来る。

炎のような光ではなく、これは稲妻だ。

誰が打ったのかは想像に難くない。

 

『ライザー様の兵士二名、及び戦車一名がリタイアしました』

 

事務的な声で告げられる敗退者達。

これで僅かに敵の戦力は減ったが、それでもまだライザー側の優勢は覆らない。

 

「大胆なことをするなぁ……」

 

敵の注意を引きつけて、建物ごと葬るとはまさに悪魔の所業なり。

……そういえば、リアス先輩も朱乃先輩も悪魔だ。

此処で悪魔と罵ることは、寧ろ褒め言葉だろう。

 

–––ドカァァァン!!!!

 

その数秒後、先程の落雷とはまた別の轟音が世界を震撼させた。画面が今度は真っ赤な炎で埋め尽くされる。

 

『リアス様の戦車一名、戦闘不能』

 

炎が晴れた先にいつもの後輩の元気な姿がない。

さっきまで一緒にいた兵藤は間一髪難を逃れたのか、一人校庭に倒れ込む形で残っていた。身体は無傷だが不自然に無理矢理倒されたような形で爆心地を呆然と見て……ふと、空を見上げた。その先にいたのは巫女服姿の朱乃先輩とライザー側の女王。二人が睨み合うようにして空を飛んでいた。

 

考えることはどちらも同じ。

だが、どう考えても確実に狩られているのはオカルト研究部の方だ。

多少の犠牲を出しながらも、堅実な方法で数を減らす。

それは、通常のチェスにおいては有効な手法だ。

 

「ゲームだからこその手か」

 

もしこれが命を賭けたものであれば絶対に使わない手を平気で使う。それこそが経験の差であり、やり方の違いなのだ。リアス先輩なら使えない手ならば、予想すら難しかったかもしれない。

仕方ないとは言えないが、此処で既に経験の差が出ている。

 

「あの小猫さんの断崖絶壁の鋼の肉体を火力で貫通させるとは、さすがはお兄様の女王ですわね」

「確かにね。並大抵の攻撃なら受け切っちゃう小猫ちゃんがワンパンって、絶対に当たりたくないなぁ」

「おや、カナタ君でもそう思うかい?」

「ですが、カナタ様に比べたら本当にゴミみたいな火力ですわ」

「ほう、それは実に興味深い」

「いえ、別に僕はそれほど強いというわけでは……」

「ちょっと今度、一発『無慈悲な太陽』を撃ってもらっても……」

「え?」

 

それは誰に。空に?誰もいない場所?言葉の意味が判らず困惑している時だった。

 

「もうお父様ったら、いくらお父様でもカナタ様のあれをくらったら本当に焼き鳥になってしまいますわ」

「はっはっ、だがあれを受け切ったとなれば私は末代まで名を語り継がれるだろう」

 

とんでもない会話が父娘の口から放たれる。冗談かと思いきや、レイヴェルはそれほど冗談が得意ではない。が、フェニックスジョークとして僕は処理することに決めた。

 

 

 

それから次から次へと、敗退した者達が告げられていく。

ゲームも終盤、王と王、そしてそこに駆けつけた兵藤とライザーの一騎討ちが始まった。画面の中で兵藤は懸命に足掻くも、ライザーには傷一つ負わせることすらできない。しかし、確実に兵藤は傷を負う。まるでライザーは遊びだと言わんばかりに手加減を施し、それでもなお兵藤は届かなかった。

ボロボロになって何度も立ち上がる兵藤、それは唐突に終わりを告げる。

 

『リアス・グレモリー様のリザイン宣言を持って、ゲームをライザー様の勝利と致します』

 

ゲームを終わらせたのは、リアス先輩自身の心が折れたから。

彼女自身が敗北を宣言したのだ。

 

「おや、終わってしまったようだね」

 

ゲームそっちのけで僕に話しかけてきていたフェニックス卿がゲームの終了を確認すると、感慨もなくそう言い放った。まるでそうなることは判っていたかのように。

 

「そうですね。じゃあ、僕はそろそろ帰ります」

「あぁ、ちょっと待ちたまえ」

 

特に用も無くなったのでそう告げて退室しようとすると、フェニックス卿に呼び止められる。

 

「実は今日、君に会いに来たのは別の理由があったのだよ」

「はい、なんでしょう」

 

とても真剣な顔だ。まるで今から大事な話があると言わんばかりに。

 

「……そうだね。単刀直入に言おう。大空叶多君、レイヴェルを嫁に貰う気はないかね?」

 

……そんな大事な話を帰り際に言いやがった。

 

「え、お、お父様!?」

 

レイヴェルにも寝耳に水の話だったようで、多少は驚きはしたものの僕と目が合うと恥ずかしそうに顔を逸らした。なんでそんな満更でもなさそうな顔を……。思い当たる節がないわけでもないが。

 

「何故、僕なんです?」

「君と話してよくわかった。君は善性の人間だ。レイヴェルの話の通り、とても面白い人間だし好感も持てる。君ならレイヴェルを大切にしてくれるだろう」

「僕はもう既に両手に花でそれどころではないんですが」

「あぁ、それも知っている」

 

他の女性の影匂わせたが、それも構わないと。

何言ってんだこのオヤジ。そう思った僕は悪くない。

 

「とはいえ君にも悪くない話だとは思わないかい。君の事情については熟知している。君の恋人の事もあらかた調べ上げたさ。リアス嬢はともかく、私はフェニックスの現当主。リアス嬢よりは発言権があるつもりだよ。……いや、彼女の父親と結託して君の彼女の便宜を測ってもいい」

 

–––つまり、フェニックス卿は僕と交渉するつもりらしい。悪魔側からグレイフィア・ルキフグスに関しては何もしない代わりに、レイヴェルを嫁にしろと。……自分でも何を言っているが判らないが、多分そういう事らしい。

 

「つまり、正妻にしろって事ですか?」

 

–––それなら僕は断る。

 

「いいや、愛人でも妾でもなんでもいいさ。なんなら玩具にしてくれても構わない」

 

–––こいつに親の心はないのか。フェニックスが極端にバカなのか。変態種族だというし、娘を愛玩具にされて喜ぶ変態なのかもしれない。

だから、僕が思わず怪訝な目で見てしまうのは仕方ない事だ。

 

「はっはっはっ、いやー娘は君に愛されているみたいだ」

 

どうやらこれも僕の気持ちを確かめる為の冗談らしい。……本当に冗談だったのかは定かではないが。

 

「どうだ悪い話じゃないだろう」

 

確かにグレイフィアの件が一応の終着を見せるのも、悪魔側と多少の繋がりができるのも悪い話ではない。それにレイヴェルを嫁に貰うという点も悪いわけではない。むしろ良い。あの二人の機嫌を損ねなければ。あと僕にハーレムを作る器量さえあれば。

しかし、両手に花という言葉があるように、両手に持てる花は二つだ。それ以上は人間の手には負えない。花束?それは語源とはなんら関係がないだろう。よって、ハーレムは難しいということが証明されてしまっている。

 

「……確かに良い話ですが。僕の一存では決めかねます」

「はっはっはっ、流石に二つ返事で了承してくれるとは思わないよ。そういうわけで、我が娘にチャンスをくれやしないかい」

「チャンスですか?」

「そうだ。来週からレイヴェルもこの駒王学園の生徒だろう。しかし、娘の一人暮らしは何かと心配でね。君が預かってくれるなら安心して私も娘を送り出せるというものだ。……もしその間にレイヴェルを気に入ったのなら、そのまま貰ってくれやしないかとね」

 

……そう、これは厳密に言えばお試し期間だ。悪魔の甘言とはこんなにも恐ろしいのか。クーリングオフできると言いながら、なぁなぁで買ってしまうパターンのやつ。通販の闇。

 

「二人も三人も同じだろう?」

 

–––今更、レイヴェルだけダメだなんて、僕に言う勇気もなければ権利もなかった。




その後、家に帰ったフェニックス卿は秘蔵のワインを一本開けたらしい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

招待状

最近、アプリゲームのデイリー消化だけで一日が終わります。


 

 

 

「–––と、いうわけで何故か同居?することになったレイヴェルちゃんです」

「……」

 

深夜を廻って女の子をお持ち帰りした僕に待っていたのは、無言の威圧だった。何も言われなくても正座してしまった僕の前でただ無表情でいるグレイフィアはなんだか怖い。何が怖いって、美女を怒らせるのが一番怖い。

傍であららー、と呑気にしているレイナーレはこうなることが判っていたかのように椅子に座って傍観している。

グレイフィアは小さく溜息を吐いて、ぼやく。

 

「まったく急な話ですね」

 

寝間着姿で腕を組み、椅子に着席する。その姿は大人の女性の魅力溢れんばかりで本来なら興奮していたところだが、今は別の意味でドキッとしている。

 

「……ですが、悪い話でもないのは確かです」

「と言うと?」

「それなりに悪魔とのコネクションも築けて、問題の大多数は解決するのですから」

 

今、抱えている問題というとグレイフィアの件だ。

彼女の顔を見ると、少し嬉しそうに頰が緩んでいる。

 

「でも、まさかレイヴェル・フェニックスが可愛かったからとか単純な理由ではありませんよね?」

 

–––それもちょっとある。

 

断れなかった理由の一つとして上がるのが、ただ単に可愛かったから。グレイフィア達にダメだと言われたらそれまでだったけど、どうも二人は反対派でもないらしい。まだレイヴェルの運は尽きてないようだ。

 

「あはは、まさか……」

「まったく可愛い子に弱いんですから」

 

仕方ないなという感じでそう言って、

 

「ですが、布団に予備がありませんね。仕方ありません、私のベッドを貸してあげましょう」

 

満面の笑みでそう続けた。

 

「あ、狡い!私がカナタ君と寝るんだから!」

「なら、三人で寝ましょう」

 

名案だとばかりの得意げな表情の二人に反論する余地はなかった。

 

 

 

 

 

 

翌日、僕とレイヴェルは一緒に家を出た。学校への通学路を並んで歩く。レイヴェルは少し緊張した面持ちで付かず離れずの距離を保って、遅れれば小走りについてくる。それが何処か小動物じみていて可愛らしい。

 

「緊張してる?」

「え、あ、はい……人間界の学校は初めてなものですから」

 

恥ずかしげに頬を赤らめて俯き歩くレイヴェルは余所見をしている。危うく電柱にぶつかりそうなところを抱き寄せるように回避させ、その一連の出来事にまた彼女の顔の赤みが増す。

 

「そういえば僕も朝から誰かと一緒に学校まで歩くのは久しぶりな気がするなぁ」

 

基本、小猫とは学校でしか会わない故か、友達が少ないせいか通学帰路を共にする相手はいない。常に誰かが側にいて、学校生活を共にするのは小猫を除外すればいないだろう。そう思うと新鮮な気持ちになる。

 

小さな幸せは学校の玄関口まで。特に何かを話すわけでもなかったけど、少し不安げなレイヴェルにアドバイスというわけではないが少しだけ世話を焼きたくなった。なんというか、後輩は放っておけないというか……妙な愛着が湧いてしまうのだ。それは責任感の芽生えなのか、或いは自己満足か。

それでもやっぱり、僕は僕の幸せをお裾分けしてみることにした。

 

「お昼休みはだいたい中庭のベンチで寛いでるから、暇ならレイヴェルもおいでよ」

 

最初は友達作りに四苦八苦するだろう。……というか、僕は諦めた。だから、気晴らし程度になればいいと思って憩いの間を設けたわけだが、来るかどうかは彼女次第だ。返事を待たずに僕は自分の教室へと向かった。

 

 

 

昼休みはいつも通り定位置のベンチへと向かう。ぽかぽか陽気に何を待つわけでもなく和んでいると近づく気配が約一名、背もたれに体を預けて世界を逆さまに見てみれば、僕と同じ弁当箱を手にしたレイヴェルが妙にきっちりとした姿勢で立っていた。

 

「ん、来たね。まぁ、座りなよ」

「は、はい。失礼します」

 

妙に凝り固まった態度でレイヴェルが隣に腰を下ろす。それを確認してから僕は自分の弁当の包みを広げようとして……ふと、もう一つの視線に気づいた。

 

「あ、小猫ちゃん」

「おはようございます先輩。朝からいいゴミ分ですね」

「……あれ、ちょっと不機嫌じゃない?」

「気のせいです」

 

恨めしそうにレイヴェルと僕を見比べる小猫は、ふと何かを思いついたような顔をする。そうして芝居ったらしく棒読みでこう言った。

 

「……私の座る場所がありませんね。なら、仕方ないですね」

 

直後、躊躇することなく僕の膝の上に腰掛ける。そんな小猫の姿を見てレイヴェルが目を見開いた。

 

「ちょっ、この泥棒猫!?」

「どっちが泥棒ですか焼鳥娘。私の先輩の許婚になっておいて」

 

バチバチと僕の膝の上で繰り広げられる睨み合いに僕は両手を挙げて降参する。逃げてしまいたいところだが、此処は石像と化して巻き込まれないようにするのが吉だろう。

 

「先輩は私の方が好きですよね!?」

「カナタ様は私の方が好きですよね!?」

 

……ダメだった。逃げれないっぽい。

 

気がつけば、周りは包囲されている。

そもそも膝の上はロックされているため、逃げようがない。

 

「どっち……と言われても、ねぇ。許婚ってのは確定したわけではないし」

 

正直な話、恋愛対象として見るかどうかはあまり考えたことがないから判らないというのが答えだ。人柄や人格は嫌いではないが好きよりなのは確かだし他のヒトよりは好ましいと感じる。

なので、禁じ手を使うことにした。

 

「どっちも好きだよ(取り敢えず、後輩として)」

「「……ッ」」

 

顔を赤らめる後輩達。

君達、本当にそれでいいのだろうか?

 

「それよりご飯食べちゃおう」

 

後輩二人がフリーズしている間に弁当を広げる。ご飯とおかずに分けられた二段重ねの弁当箱を開封すると、中には色彩に富んだおかずが綺麗に盛り付けられていた。玉子焼きにたこさんウインナー、唐揚げ、サラダ、ちくわの磯辺揚げ、と並んでいるが大半は健康を考えられた野菜類で占められている。

 

「あー、美味いなぁ。これを食べるために学校に来ていると言っても過言ではない」

「大袈裟ですね先輩。というか、それなら学校に来る意味がないんじゃ……」

「唯一の楽しみだからね。この時間は」

 

可愛い後輩と一緒にご飯を食べるこの時間こそが学校に来る唯一の楽しみ。そう考えると、学園生活も捨てたものではない。

 

「ふふふ……それはいいですが小猫さん、少しはしたないんじゃないかしら」

「気にしないでください。此処、私の指定席なんで」

 

まだ僕の膝の上に座っている小猫をレイヴェルが咎めるが一向に退く気配がない。それもそのはず、昼休みは僕の膝の上に座るのが日課と化している彼女にとって、これは自然なことなのだから。

レイヴェルは恨めしそうな顔で小猫を睨んだが、これ以上の徹底抗戦は無駄だと感じたのか自分の弁当を広げ始めた。

 

「レイヴェルも座りたいの?」

「そ、それは、その……」

 

別に気にしないのだが、レイヴェルは顔を逸らし恥ずかしそうに顔を赤らめる。

しかし、もし学校で二人の美少女を膝に乗せて弁当を食べていたとなれば男子生徒達から異端認定待ったなしだ。

膝は二つあるが、二つともを使用するわけにはいかない。

–––そんなことを考えたが、他人の評価を気にする僕ではなかった。

問題があるとすれば、片膝に後輩を一人ずつ乗せると負担が倍になるということくらいか。昼休みが終わる頃には膝が痺れているかもしれない。

 

「帰ったら座る?」

 

今や一緒に住んでいるわけだし、時間ならいくらでもある。

そう提案すると、レイヴェルは無言ながらも確かにこくりと首肯した。

 

 

 

「そういえばだけど……」

 

弁当も食べ終わった頃、無口な二人に代わり会話の切り口を模索する。

 

「レイヴェルは学校に馴染めそう?」

「は、はい、問題ありません」

「……嘘ですね。さっきはクラスメイトに話しかけられてもろくな返事をしていなかったじゃないですか」

 

自分の嘘をばっさりと切って捨てた小猫をレイヴェルは睨む。余計なことは言うなと言わんばかりに。

 

「う、あ、あれは少し緊張していただけです」

「別に友達を作れとかは言わないけど、程々にね」

 

友達作りに失敗している自分から言えることはないのでそう励ましておく。

 

「そうだ。クラスメイトといえば……兵藤が休みだったな。何かあったの?」

「あの人まだ目を覚さないみたいです。ダメージが酷いらしく」

 

思い出しついでに聞いてみたが、兵藤が学校を欠席していた理由はゲームでの疲労かららしい。特に気にしてもいなかったので軽く流したが小猫は思い出したようにポケットを漁った。

 

「そういえばフェニックス卿から焼鳥娘にこれを預かってきたんでした。どうぞ」

 

と、言って小猫は僕に一枚の封筒を手渡す。それを流れるままにレイヴェルへ。どうして直接渡さなかったのかは深く聞くまい。

レイヴェルは即座に封筒を開封した。中から出て来たのは、小さな招待状のようなものと、一枚の手紙だ。

 

「なんて書いてあるの?」

「どうやらもう片方は結婚式の招待状みたいです。カナタ様宛に。それで手紙には……えっと、その日はカナタ様にエスコートしてもらうようにと」

「ライザーとリアス先輩の結婚式の招待状ね」

 

当然、レイヴェルは親族だし参加するだろう。そのパートナーとして呼ばれているらしい。

 

「先輩は行っちゃダメですよ」

「んー、僕も拒否したいところなんだけどなぁ」

 

小猫に言われるまでもなく全力で拒否したいがそうもいかない事情がある。グレイフィア曰く、婚約は悪い手段ではないし言い方は悪いが利用すべきだと思う。その相手の要望は可能な限り応えておいた方がいいだろう。

 

「当然のことながらリアス先輩は面白くないだろうね」

 

リアス先輩が僕に招待状なんて送るわけがない。彼女自身が拒否した結婚に誰が知人を招待するものか。

 

「さてさて、どうなることやら」

 

このまま終わるはずがない、そんな気がしてならなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。