ロクでなし魔術講師ととある新人職員 (嫉妬憤怒強欲)
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第1話 とある新人職員/セシリアから見て彼は…

【聖暦1853年・アルザーノ帝国・学研都市フェジテ】

 

 アルザーノ帝国の南部、ヨクシャー地方にある学研都市フェジテ。

 

 立ち並ぶ建物の造りは鋭角の屋根が特徴的な古式建築様式でまとめられ、重厚で趣深い町並みを演出している。その一方で、他所との交易関連においては魔術的な素材や物品などが主で、人の出入りも活発であるため、必定、常に国内流行の最先端を行く——新古の息吹に満ちた町だ。

 

 そのフェジテの北地区には、敷地を鉄柵で囲まれた壮麗な威容がある立派な建物、アルザーノ帝国魔術学院がある。

 

 アルザーノ帝国魔術学院は今からおよそ四百年前、アルザーノ帝国が時の女王アリシア三世の提唱により、巨額の国費を投じて設立した国営の魔術師育成専門学校だ。今日、大陸でアルザーノ帝国が魔導大国としてその名を轟かせる基盤を作った学校であり、常に最先端の魔術を学べる最高峰の学び舎として名高く、魔術を学ぶ者にとっては憧れの聖地とも呼ばれている名門校である。

 

 

 

 

 

 

 白い寝台と薬品棚が並ぶ学院の医務室にて。

 一人の女性が、体調を崩してしまったのか、寝台に横たわって診察を受けていた。

 その女性は十代後半から二十代前半の間で、腰まである柔らかなプラチナブロンドの髪を三つ編みにした、線の細い、いかにも儚げな印象の美女である。

 

 室内の椅子に腰掛け、女性を診察している方は、二十代前半あたりの若い男性で、柔らかな鳶色の髪をカールにし、眼鏡をかけている。その長めの前髪と野暮ったい黒縁の眼鏡が青年の素顔を衆目から隠しているが、目鼻、顔立ちが整っているのが分かる。黒のスラックスと白のシャツに黒のベスト、黒の手袋……紳士が着るような服をきっちり着こなし、その上に簡素な白衣を羽織っている。

 

「……」

 

 青年は服越しに聴診器のチェストピースを当てる場所を変えて、息を潜める。

 なんとも言えない沈黙を挟みつつ、心臓の音が正常に動いていることを確認して、イヤーピースを耳から離した。

 

「ふう……血圧、脈拍、心音に異常は見当たりません。とりあえず今のところは落ち着いたようです」

「有難うございますクリストファー先生、おかげで大分楽になりました」

 

 診察が終わり、女性は青年に感謝の言葉を述べる。

 

 青年の名はクリストファー=セラード。

二ヶ月前からアルザーノ帝国魔術学院に赴任している新人教員だ。とは言っても、担当するクラスはなく、基本は医務室に在中するのが彼の仕事だ。

 

 この学院にはセシリア=ヘステイアという若くして第四階梯に至った法医師がいる。例外的に公的な立場で法医治療を一般人に施すことを許されている、法医術研究の大家であるヘステイア家の出身で、法医呪文や魔術薬学に関する造詣や腕前は学院随一である。

 

 

 そんなエリート兼天才がいるのになんで補佐とはいえ追加する必要があるのだろうか?

 

 そう思っていた時期がクリストファーにはあった。

 

「ですが内臓機能が安定するまではしばらく横になっていてください」

「い、いえ私には今日の仕事が……」

「駄目です。先程吐血していたばかりの貴方を仕事に復帰させるのは無茶だというのは貴方にもわかるはずですよ。セシリア先生?」

 

 

 実はクリストファーが診ていた女性、彼女こそこの医務室に勤める法医師セシリア=ヘステイアだった。彼女は確かに法医師として高い技量を持つが、生まれつきほぼすべての内臓が弱い虚弱・病弱体質だった。それも頻繁に吐血する程の。

 

 クリストファーが着任した時も、セシリアが突然血を吐いて倒れ、初日早々に彼が治療をすることになった。その後もそれが毎回デジャブのように繰り返され、今となってはそれが日課となっている。

 

 というか初日から診察の相手、殆ど彼女じゃね?

 

「お仕事が大切だと思う気持ちは分かりますが、無理は禁物です。ちゃんと寝て安静にしていただかないとぶり返しますよ」

「で、でも。医務室を預かる身として、休んでばかりでは……ゴホッゴホッ」

「ほら、言ってる矢先に」

 

 棚から清潔な白布を取り出し、再び吐血したセシリアの口元をそれで丁寧に拭く。真っ赤な血で染まった布をゴミ箱に捨てると、今度は白い清潔な掛け布団を彼女に掛ける。

 

「とにかくセシリア先生は寝ててください。仕事もせずに眠るのは気が引けるでしょうが、貴女の場合は仕方がない。仕事のことは自分にお任せを」

「いえそんな、悪いですよ」

「自分は貴方の補佐をするためにここにいます。無理して仕事をさせてまた倒れてしまえば、それは自分の責任になってしまいます」

「うっ……」

「それに、自分の手に負えない患者が来た時、頼りになる貴方が動けなかったらいったい誰が治療するんですか?」

「た、頼りになるって……」

 

 真剣な表情で言うクリストファーにセシリアは反応に困り、思わず顔を赤らめた。

 

(うぅっ……そんな言い方ズルいですよ)

 

 慇懃無礼な態度を取るクリストファーに押し切られ、セシリアは「あー」とか「うー」とかしばらく唸っていたが、やがて「はぁ…」とため息を吐き、眉を寄せて、少し困った様子で笑う。

 

「……分かりました。それではお言葉に甘えて少し休ませてもらいます。私が起きるまではここをお願いしますね」

「承りました」

 

 そう言ってクリストファーはお辞儀した後、セシリアから離れて、仕事机の上にある診察記録などの書類を整理し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

(クリストファー先生…少し変わった人なんですよね…)

 

 セシリアは布団を深くかぶりながら、その隙間から覗くようにクリストファーの後姿を眺める。

 

 二ヶ月ほど前から自分の補佐についた彼のことが、セシリアには今ひとつ分かりかねていた。

 アルザーノ帝国魔術学院に通う生徒や講師には程度に差はあれ、魔術に情熱を注いでいる者達だ。嫌々この学院にいるものは見かけない。

 

 その中で、この男が魔術を見る目はどこか冷めているように感じた。

 治療するときもそれ以外のときも魔術を必要最低限しか使わない。その殆どは魔術に頼らない普通の治療法をとって治している。先程診察に使っていた聴診器も、なんの魔術的な加工も施されていない一般の町医者が使っている代物だ。

 本人曰く『法医師じゃない自分が些細な怪我に一々法医呪文を使ってしまえばいずれ患者は治癒限界を迎えてしまう。そんなことで未来ある生徒たちに後遺症を残してしまうのは愚の骨頂。なら非常時以外は一般の医術で充分だ』とのこと。

 そこには生徒や他の講師たちにはある熱がない。

 

 どこか効率を重視していながらも生徒のことを考えている彼の言葉には、セシリアは随分と驚いたものだ。

 

 日々魔術の研鑽に励んでいる学院の者たちの中に、反感を抱いているのがいるが、それでもそれで的確に仕事をこなしているため誰も文句が言えない。

 

 実際彼が赴任してからはセシリアが一日に吐血する回数が日に日に減りだしており、その上彼から自分に対して下心のようなものが感じない。セシリアとしては彼が補佐についてとても助かっている。

 

 魔術学院の教員にしては異色の魔術師であるが仕事ができ、頼れる異性。それが偽りないセシリアの評だ。

 

(……まあ、無愛想なところがあるのが玉に瑕なんですけど)

 

 思わずクスリと笑っていると……

 

「……ん? どうかしましたか?」

「ッ!??」

 

 向けられる視線に気づいたクリストファーがセシリアの方を振り向く。

 

 まさか気づかれるとは思ってもみなかった。

 

 彼と視線が合った瞬間、セシリアの心臓が一気に跳ね上がり……

 

「ブゴバハァアアアッ!?」

 

布団の中で盛大に吐血した。

 

 

「……なんでさ?」

 

 

 

 

――――――新人教員は今日も朝から忙しい。

 

 




 セシリアの治療を終えた後、胃を痛めたクリストファーは大量の胃薬を口に運ぶのであった。



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第2話 ロクでなし講師来る/彼から見た魔術決闘

 寝台と布団が血で真っ赤に染まり、殺人事件のような有様になってから数時間が過ぎる。室内備えの時計は既に十二時を過ぎ、昼休みの時間。

 再び治療を受けた後のセシリアは今は血色が良く、新しいシーツに取り換えた寝台の上で寝息を立てていた。

 

……先程まで三途の川を渡っていた時とは大違いだ。

 

「ふぅ……」

 

 午前の一仕事をようやく終えたとクリストファーは息をつき、椅子に背を預けて寛いでいると、医務室の扉がガチャリと開かれる。

 

「痛ぇ……マジで痛ぇ……」

「……ん?」

 

 全身引っかき傷と痣だらけ、ズタボロとなった青年が、涙目でゾンビのようによろよろと入ってきた。その姿を見てクリストファーは思わずぎょっとする。

 

「すんませーん、怪我したんで治療お願いしまーす」

 

 年は十代後半から二十代前半の間。黒髪黒瞳で長身痩躯であり、目鼻立ちは整っているがそれを台無しにして余りある怠惰な目付き。仕立ての良いホワイトシャツに、クラバット、黒のスラックスというかなり洒落た衣装に身を包んでいるのだが、この男はこの服を着るのがどれほど面倒くさかったのか、徹底的にだらしなく着崩している。

 

 一目見ただけで真面目とは縁遠いと思わせる空気を纏っていた。正直、左手の手袋がなければこの男が講師であるとは誰も分からないだろう。

 

 

 というか……

 

「……あのすみません。誰ですか貴方?」

「ん?あぁ、えー不本意ながら本日から約一ヶ月間、二年二組の担任を勤めますグレン=レーダスと申します。以後お見知りおきを」

「はあ…自分は医務室に勤めるクリストファー=セラードと申します。こちらこそお見知りおきを………貴方でしたか、今日から赴任する講師というのは……」

 

 クリストファーも自己紹介する。

 目の前にいる男の名はグレン=レーダス。大陸でも屈指の魔術師であるセリカ=アルフォネアの推薦で、一か月前に突然辞職したヒューイの後釜として今日から赴任することになった非常勤講師である。

 

「不本意ながらということは自分の意志で来たわけではないという事ですか?」

「俺はなりたくはなかったんすけどね。この学院にセリカっていう偉そうな女がいるでしょ。ガキの頃からそいつの世話になってたんだが、急に仕事しろとか言い出しやがったんすよ。それでやりたくもねえこんな仕事をさせられることになったんすよ」

「……それはそれは」

「あーそれよりチャチャッと治療してください。これから昼飯食いに行くんで」

「……かしこまりました」

 

 グレンの微妙に丁寧じゃない物言いを気にせず、クリストファーは丁寧に応じて治療に当たる。

 何処に仕舞ったかな、と思い出しながら棚を探って、湿布用の布とハーブやらをすり潰して練り込んだ薬を取り出す。それを痣になった部分に貼り付けるようにして上から包帯を巻いて抑えた。

 

「はい、終わりました」

「あれ?【ライフ・アップ】かけないんすか?」

「その程度の痣やひっかき傷なら塗り薬ですぐに治りますので必要ありません。何分自分は法医師ではありませんので治癒効率の調整は難しいのでそれでご勘弁を」

「あー、まぁ、そりゃそうだよな……闇雲に法医呪文をかけるだけでは後遺症が残ってしまうケースもあるしな……」

 

 あまり魔術に対しての熱がないのか、クリストファーの説明に納得したグレンは片眉を上げて興味深そうに質問してきた。

 

「……しっかしオタク、魔術師としてのプライドねえの?」

「プライドだけでは患者にかかる負担が軽くなりませんので」

 

 そう返すと、『なんかどっかの誰かに似ているな』とグレンがブツブツと呟き出したが、クリストファーは気にせずに、仕事机から診察記録の用紙を取り出す。

 

「ところで差し支えなければ何故そのような怪我を負った経緯を教えて頂けないでしょうか? 診察記録にそういったのも記入しなければならないので」

「着替え中の女子生徒たちにリンチに遭いました」

 

 ……。

 

 一瞬、医務室内に沈黙が走る。

 

「は?すみません。今なんて?」

「いやだから女子更衣室に間違えて入っちまってリンチに遭ったんですって。いやぁ、まさか昔と違って、男子更衣室と女子更衣室の場所が入れ替わってたなんて知らなかったっすよ」

「……」

 

 あまりにもアホらしい理由に、クリストファーは頭を押さえて無言になってしまう。この学院でラッキースケベを実現させることができる講師はグレン一人だけだろう。

 

「しっかし、最近のガキ共は発育が良いな……一体、何を食ったらあんなにすくすく育つんだ?……一人発育不良なのもいたけど」

 

 と、当の本人に聞かれたら命を落としかねない恐ろしいセリフをグレンが呟いていたが、聞かなかったにし、診察記録に聞いたことをありのまま記入する。

 

「それじゃ治療ありがとうございましたー」

 

 グレンは最後に礼を述べ、「メシだ、メシ」と呟きながら退室し……ようとしたところでピタッと止まって振り返り……

 

「ここ、サボリ場にしていいっすか?」

「出入り禁止にしますよ?」

 

 

 しょうもない質問をしてきたグレンに、クリストファーはピシャリと敬語ながらも素っ気なく返した。

 

 『チぇッ、なんだよ』と舌打ちしながらも、今度こそグレンは退室する。

 

 

 

「……念の為、胃薬飲もう」

 

 

 その背を見送ったクリストファーはなんだか胃がキリキリと痛くなってしまい、昼飯を食べる前に、薬棚にある胃薬に手を伸ばすのであった。

 

 

 

 

 

♢♦♢

 

 

 

 それから一週間、グレン=レーダスについてあまりいい評判を聞かない。

 

 初日最初の授業に大遅刻した挙句、授業内容は初っ端から自習という怠慢。それを二組の生徒に咎められ、渋々と授業自体はすることになったが、その授業の内容は間延びした声で要領を得ない魔術理論の講釈を読み上げ、黒板には判読不能な汚い文字を書くという、やる気が一切ないグダグダとしたもので、最低最悪なもの。それからありとあらゆる授業がいい加減で投げやりに行われ、それが日に日に悪化してきているという。

 

 その話からこの学院に関わる全ての人間達が等しく持っているはずである魔術に対する情熱、神秘に対する探究心という物が、彼にはまるでないようだ。

 

 故にこの一週間で彼と二組の生徒達、他の講師達の間には凄まじいまでの温度差が生まれ、余計な軋轢が生まれている。

 

 

 そして、その日の最後の授業となる第五限目に事態が急変した。

 

 

 

(何やってんだ。あいつら……)

 

 

 その向こう、等間隔に植えられた針葉樹が囲み、敷き詰められた芝生が広がる学院の中庭にて、二年次生二組の担任を受け持っている非常勤講師グレン=レーダスと女生徒が互いに十歩ほどの距離を空けて向かい合っていた。

 

『なぁ、この決闘どっちが勝つと思う?』

『さあな、あの講師あんまりいい評判聞かないけどあのアルフォネア教授、イチ押しの人だからな……』

『なんかこの決闘は黒魔の【ショック・ボルト】の呪文のみで決着をつけるみたいだぞ?』

 

 二組のクラスの生徒達や、他の野次馬達がザワザワしながら二人を遠巻きに取り囲み、そこはさながら即席の闘技場のようだ。

 

(……生徒と講師との魔術決闘ね)

 

 魔術師の決闘。それは古来より、連綿と続く魔術儀礼の一つである。魔術師とは世界の法則を極めた強大な力を持つ者達だ。呪文と共に放つ火球は山を吹き飛ばし、落とす稲妻は大地を割る。彼らが野放図に争いあえば国が一つ滅びる。

 

 そんな魔術師達が互いの軋轢を解決するために、争い方に一つの規律を敷いた。それが決闘である。心臓により近い左手は魔術を効率良く行使するのに適した手であり、その左手を覆う手袋を相手に向かって投げつける行為は、魔術による決闘を申し込む意思表示となる。そして、その手袋を相手が拾うことで決闘が成立する。

 

 決闘のルールは決闘の受け手側が優先的に決めることができ、決闘の勝者は自分の要求を相手に一つ通すことができる。

 

 

(そして手袋を投げたのは……あの女子生徒か)

 

 グレンと向かい合っている女生徒、純銀を溶かし流したような銀髪のロングヘアをサラッと流している少女は、二年次生二組の生徒システィーナ=フィーベル。

 魔導の名門である大貴族『フィーベル家』の令嬢で、座学・実技ともに高成績を誇る学年トップの秀才。

 そして、生真面目すぎる性格と口うるさいこともあり、『お付き合いしたくない美少女』『説教女神』『真銀(ミスリル)の妖精』『講師泣かせのシスティーナ』などというあだ名で有名な、良い意味でも悪い意味でも扱いに困る生徒だ。

 魔術を神聖視している節があり、形骸化された魔術儀礼に過ぎない魔術決闘を古き伝統として重んじている。

 

 そんな彼女が決闘の相手という事は、グレンという男の素行に業を煮やした彼女が、グレンに手袋を投げつけて決闘を申し込んだ。

 

 そしてグレンに対する要求の内容は―――『真面目に授業をすること』。

 

(……まあ、そんなところだろう)

 

 この勝負でどちらが勝つのかにまったく興味がなかったが、今日は医務室に殆ど人が来ず、上司もいつものように寝台で休んでいる。書類仕事も大体終わり、暇を持て余していたクリストファーはその決闘を見届けることにする。

 

 

 

 

「《雷精の紫電よ》――ッ!」

 

 ついに、決闘の火蓋が切られた。

 

 システィーナはグレンを指差しながら呪文を唱えた刹那、システィーナの指先から一条の雷光が放たれる。

 彼女が唱えた呪文は黒魔【ショック・ボルト】。

この魔術学院に入学した生徒が一番初めに手習う初等の汎用魔術だ。微弱な電気の力線を飛ばして相手を撃ち、その相手を電気ショックで麻痺させて行動不能にする、殺傷能力を一切持たない護身用の術である。

 

 一節詠唱は《雷精の紫電よ》、三節詠唱は《雷精よ・紫電の衝撃以て・撃ち倒せ》。

 基本的に呪文の詠唱は三節で行われるが、略式詠唱のセンスさえあれば一節による詠唱も可能である。

 これにより、【ショック・ボルト】の撃ち合いの勝敗は、いかに相手より早く呪文を唱えるかの否かの一点に集約される。

 

 一節詠唱で放たれた輝く力線が真っ直ぐグレンの胸元へ飛んでいき――グレンは得意げな顔でそれを受けた。

 

「ぎゃぁあああーーッ!!!」

 

 バチバチと派手な音を立てて感電するグレン。びくんッと身体を痙攣させ、あっさりと倒れ伏した。

 

「え?」

 

 システィーナは指を突き出した格好のまま硬直し、脂汗を垂らした。決闘を遠巻きに眺めていた生徒達もこの結末にざわついている。

 予想を斜め上にいく結末に誰もが唖然とする中、回復したグレンは立ち上がる。

 その後、『卑怯だ』『これは三本勝負』『五本勝負』とグレンによるグレンの為の特別ルールによって、再び決闘が始まったのだが何度やってもグレンの呪文よりもシスティーナの呪文が早く完成し、システィーナに一発も【ショック・ボルト】は当たることは無かった。

 作業のように行われたその決闘で地面に大の字で痙攣しているグレンは一節詠唱ができないことがわかった。

 あれこれと言い訳染みたことを言うグレンだが、決闘はシスティーナの勝ち。システィーナの要求をグレンは呑まなければならないのだが。

 

「は? なんのことでしたっけ?」

 

……この男、決闘での約束を反故にしやがった。

 

 それに当然の如く腹を立てたシスティーナが食って掛かるものの、グレンは『俺、魔術師じゃねーし。魔術師のルールとか引っ張ってこられても知らねーし』という言葉を残し逃亡。

 だが、まだ身体にダメージが残っているらしい。グレンは何度も転びながら、それでも高笑いだけは一人前に走り去って行く。

 

 

 そして……

 

「すんませーん!感電した上に転んでしまったんで治療お願いしまーす!」

「なんでさ……」

 

真っ直ぐ医務室にいけしゃあしゃあと来た。

 

 もはや、呆れるしかない。

 

 

 

 また胃がキリキリと痛くなりだしたクリストファーは、グレンに効果はあるが途轍もなく沁みる塗り薬を渡して医務室から追い出した後、大量の胃薬を口に運ぶのであった。

 

 

 

 




とある法医師「……私、出番ない!?」Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン



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第3話 魔術の価値観/放課後の帰り道

血文字で『出番欲しい』とダイイングメッセージを残して倒れた法医師。

注)死んではいない


 授業がある時間帯、いつも通り医務室で一応上司に当たる法医師の看護と薬品の調合をしていると、珍しい生徒が気分が悪いから休ませてくれと医務室に来た。

 

 生徒の名はシスティーナ=フィーベル、三日前に非常勤講師グレン=レーダスを決闘で打ち負かした女生徒だ。

人一倍生真面目で、魔術に対して掛け値なしの情熱を注いでいる彼女は、いくらあのダメ講師が授業をやらないとはいえ、何の理由もなく教室を離れたりしない。

 

 だが詳しく訊ねるのは憚れる。ちらりとしか見ていないが、彼女の瞼が赤く腫れていた。

 

(……あのダメ講師、またなにかやらかしたな)

 

 しばらくして寝台から起きたシスティーナが早退すると言い出したため、彼女の親友であり、家族も同然の間柄の女生徒にそのことを伝えに、クリストファーは魔術学院東館校舎二階の最奥にある二年次生二組の教室に向かった。

 

(……またあの男と顔を合わせなきゃならないのか)

 

 

……ああ、胃が痛い。

 

 

 

 

 

 例の決闘騒動でグレンがシスティーナに散々に負かされた末、彼女との約束を反故にしたという話があっという間に学院中に知れ渡り、瞬く間にグレンの評判は地に落ちた。三日経った今では、彼が廊下を歩けば、周りにいた生徒や講師達は、ヒソヒソと『ロクでなし』、『ダメ講師』、『最低な男』などと陰口を叩くようになっている。だが、グレンは周りの雰囲気を意にも介さず、自分のペースを貫き通していた。

 

……その図太い精神には特にシビれないし憧れない。

 

授業態度も改めず、今日も今日とて怠惰に惰眠を貪っており、生徒達に至っては諦めて各々で教科書を開いて勉強に打ち込んでいた。

 

 そんな中、それでもめげずに一人の女子生徒がグレンへ質問を持ち掛けるも、辞書と引き方を教えるだけという怠慢。もう愛想も尽きていたシスティーナも熱意ある学友がおざなりにあしらわれるのを許せず、前に出たのだがそこで再び問題が発生した。

 

”魔術って、そんなに崇高なものなのかね?”

 

 いつもなら罵倒されようが文句を言われようが、飄々とした態度を変えず無視を決め込むのがグレンという男なのだが、一体、何がその男の心の琴線に触れたのか、何故か今日はシスティーナの言葉に反応したのだ。

 

 その後、システィーナが当然のように魔術の偉大さを自分なりに弁論する。

『魔術とは世界の起源、構造、支配する法則。魔術はそれらを解き明かし、自身と世界の存在意義に対する疑問に答えを導き出し、人が高次元の存在へ進化するための手段。神に近づく行為であり、偉大で崇高な物である』

それは、言わば神に近づく行為。だからこそ、魔術は偉大で崇高な物である、と。

 

 だが、それに対しグレンは、今度はそんな魔術がなんの役に立つんだと来た。

『魔術は人にどんな恩恵を齎すのか。医術は人を病から救い、冶金技術は人に鉄を与えた。農耕技術、建築技術と、『術』の名を付けられた物の多くは人の役に立つが、魔術のみは人に何の恩恵も齎さない』

何の役にも立たないなら実際、それはただの趣味。苦にならない徒労、他者に還元できない自己満足。魔術は要するに単なる娯楽の一種である、と魔術を無価値と貶める。

 

 彼の指摘にシスティーナは何も言い返せないでいると、突然グレンは自らの主張を改め、その口より新たな言葉を発した。

 

 

“あぁ、魔術は凄ぇ役に立つさ――人殺しにな”

 

 それからグレンは次々と魔術の闇について説明しだした。学院の生徒たちが習う魔術、魔術関連における戦争の数々など、何かを憎むような表情をしながら語っていった。

 

 

 魔術を神聖視しているシスティーナは、最後まで食い下がったが結局何一つとして反論できず、涙を流しながらグレンを引っ叩いて教室から出て行った。

 

 

 

 

 

「……それで、更にグレン先生も自習と言い残して教室を去ったと?」

「は、はい……」

 

 

 肝心の講師が不在の静まりきった二年次生二組の教室で、クリストファーは綿毛のように柔らかなミディアムの金髪と、大きな青玉色の瞳が特徴的な少女、システィーナの親友であるルミア=ティンジェルにシスティーナの早退を伝えた後、先程までに起こった出来事を聞いていた。

 

 席について教科書を開いている生徒達は、グレンとシスティーナのやり取りに思うところあったのか、暗い表情で俯いている。

 

「あ、あの…クリストファー先生」

「……ティンジェルさん、何でしょうか?」

「先生は、どう思いますか?」

「グレン先生の言っていたことですか?」

「はい」

 

 お通夜にも匹敵する沈黙の中、ルミアは前々から気になっていたことをクリストファーに訊く。

 

 クリストファー=セラード、二か月前から学院に赴任している新人教員。担当するクラスを持っておらず、現在医務室に在中している彼は一般的な医術にも精通している。その実力は本物で、治療系の魔術を使う機会はとても少ない。そのことからグレンとは違うベクトルで魔術に対する熱意がないと言っていい。

 

 魔術学院において異端の存在である人物がいったい魔術をどういう風に捉えているのか。グレンとシスティーナが魔術における価値観についてぶつかり合った今を逃して訊く機会はないだろう。

 

 しばしの間を置いてクリストファーは己の見解を語り始めた。

 

「確かにグレン先生の仰ってた通り、魔術による戦争、犯罪。魔術で多くの人が死んでいることぐらいは知っています。ですが、そういった面があるというだけで人殺し以外に役に立たないというのは流石に極論すぎますね」

「じゃあ、先生はシスティーナの方が正しいと――――」

「残念ながら、逆に彼女の真理を追究する学問だという意見も極論過ぎると思いますがね。自分から言わせれば魔術そのものに善悪をつけるなんてナンセンスですね。摩訶不思議な力とはいえ、所詮は利用するだけの道具だというのに」

 

 クリストファーの発言に、教室がどよめく。魔術は道具であると断言した先の魔術は人殺しに役立つ宣言にも劣らない、魔術学院に勤める教員としては異端な持論だ。

 驚く生徒達に構わずクリストファーは続ける。

 

「薬は難病を治せる特効薬にも簡単に命を奪う毒薬にもなる。どちらになるかは作る人間の目的次第。それは魔術も同じ理屈です。魔術をどう扱うかは使い手の判断によって大きく変わります。真理を追究するのも、人殺しに使うのにも。方向性は違えどどちらも魔術を道具として使っています」

 

 確かにクリストファーの見方はある意味間違っていない。魔術を何らかの目的を達成するための手段と見なせば、あらゆる場面において魔術は道具として使われていると言ってもいいだろう。

 

 だからルミアや生徒達は言い返すことができない。システィーナのように盲目的に魔術を崇拝しているわけでも、ましてグレンのように暗黒面だけに焦点を当てているわけでもない。両側面を見た上で割り切っているのがクリストファーだ。

 

「要するに魔術は世界の真理を探究する学問ではありますが、同時に強大な力を併せ持っています。それを使えるだけで自分がなにかの特別な存在だと過信し、それ以外の一般人を家畜や泥人形のように見下す人でなし共が自身の欲望を満たすために魔術を悪用して大勢の人々が日々犠牲になっているのもまた事実です。それだというのに、グレン先生はそういった魔術の暗黒面や危険性しか見ようとせず、フィーベルはそれについて見て見ぬ振りをし、魔術の華々しい側面だけを宗教国家の狂信者のように神聖視して、世界真理などと言う耳に心地良いことだけを追い求める……どちらも子供だ」

 

 

――――特に魔術を教わって一年しか経っていない素人が全てを悟った賢者を気取っているのなら、甚だ考え違いも良いトコロです。

 

 

「「……」」

 

 ぐうの音も出ない、とはこの事だろう。クリストファーの意見を聞いた全員が発言しようとしない。いや、発言できない。それが事実であるが故に。

 システィーナのように魔術を神聖視している自分たちにも向けられているかのような辛辣な発言に歯噛みするクラス中の生徒たちを無視して、クリストファーは告げる。

 

「納得しろとまでは言いませんよ。ただ、理解はしてください。魔術とは無色の力であり、道具です。あなた方が学ぶその力は、自身の意思次第で誰かを傷つける危険だってあります。貴方がたが真に立派な魔術師を目指しているのなら、それを努々忘れずに己を戒め続けてください。それが、力を使う上で背負うべき責務だと自分は思います」

 

 クリストファーは最後にそう締めくくって、教室を出て行った。

 

 

 

 

♢♦♢

 

 

 

 数羽の烏が鳴き声を上げながら空を飛んでいく。

 

 

 今日の仕事を終えたクリストファーは、鞄を持って樹木と鉄柵で囲まれる魔術学院敷地の正門を出る。

 フェジテの表通りにさしかかると、いつものように空に浮かぶ幻の城――フェジテの象徴たるメルガリウスの天空城が視界に飛び込んで来た。

 延々と緩やかな下り坂の先へと続く大通りは空に視界が開けており、彼方に浮かぶ天空の城の全容を仰望できる。夕暮れ時、緋色に美しく染まる天蓋が、その荘厳なる城を黄金色に燃え上がらせ、その偉容をより一層映えさせているようだった。

 

―――それがクリストファーには鬱陶しくて仕方ない。

 

 今は夕方なので、昼間ほどではないが、前方の表通りにはそれなりに人が行き交いしている。その中に、学院で一番よく顔を合わせる人物を見かけた。

 

「おーおーねーちゃん。なかなか可愛いじゃん」

「これから俺達と遊びに行こうよ」

「そーそー、退屈はさせないよ?俺等女の子を悦ばすのは自信あるからさ♪」

「これから俺たちと飲みに行かねえ?」

「あの、すみません…結構です…」

 

 表通りの隅で、明らかにヤンチャしているような五人の若い男がセシリアを囲んでナンパしていた。通りかかる人は巻き込まれたくないのか、視線を下に向けて避けることに専念している。

 

……せめて詰め所にぐらいは通報してやれよ。

 

 上司の危機を見過ごせなかったクリストファーは歩を進める。

 

「まぁまぁそんな嫌そうにしないでさ。俺等と一緒に行こうぜ?」

「まだ後何人か友達いるからさ。君みたいな美人が来るって知ったら喜ぶだろうし♪」

「遠慮すんなよ」

「いや、本当にそういうのいいんで…」

 

 セシリアは何度も丁重に断るのだが男達の方はしつこい。しびれを切らした一人の男がセシリアへと手を伸ばす。

 

「あんまり聞き分け悪いとさぁ、いくら紳士な俺等でも怒るよ?……黙ってついて来い」

「い、痛ッ!? だからもうホントにやめブゴバハァアアアッ!?」

「「「ええええええ!?」」」

 

 男の手がセシリアの腕をギュッと力強く掴んだ瞬間、いつも通り彼女は盛大に血を吐いて倒れるのであった。そして吐き出された血の塊が掴んだ男の顔と石畳に飛び散っていて殺害現場のようになっている。それに通行人たちは立ち止まってギョッとなっていた。

 

「目が!! 目がぁぁぁ~~~!!」

「何これ!? 何なのこれ!? 腕掴んだだけで血を吐いたんだけど!?」

「ハァ、ハァ、ハァ…あっ、お婆ちゃん…久しぶり……」

「おい、なんか三途の川渡ってるぞ!」

「やべえよ、これ俺たちが殺したみたいになってね!?」

「ふざけんな!俺ブタ箱は勘弁だ!」

「そもそも声かけようって言ったのおめえだろ!」

 

 彼女の虚弱体質を知らないチンピラたちは、傍から見れば自分達が誤って人を殺してしまったかのような状況に大慌てである。その騒ぎように周りの通行人たちが集まりだし、人だかりができた。

 

(……そろそろ治療しないとマズいぞ)

 

 見苦しい責任の擦り付け合いを始めたチンピラたちに呆れ返ったクリストファーは溜息を吐きながらも『失礼、通してください』と言って掻き分けるように無理矢理体を押し込んでいき、人だかりの間をすり抜ける。

 

 

 と、その前に………

 

「おーい、警備官さーんこっちで人が倒れてまーす(裏声)」

「マズイ!もう来やがった!」

「人殺し―(裏声)」

「違う!俺は悪くねえ!」

「おい、とにかく逃げるぞ!」

「目がぁぁぁ~~~!!」

「うるせえ!いつまでも喚いてんじゃねえよ!」

 

 倒れた上司を治療するため、取り敢えず邪魔な連中を追い払うことにしたクリストファーが物陰から上げた芝居に、チンピラたちはまんまと騙され、盛大な勘違いをしたままその場から一目散に逃げ出す。

 

 完全にチンピラたちの姿が見えなくなったのと入れ替わりに、転がったセシリアに駆け寄ったクリストファーは手持ちの鞄から薬瓶を取り出した。蓋を開け、ゆっくりと中身をセシリアの口へ注ぐ。それから十秒も満たない内に彼女の悪かった顔色に赤みがかった色が戻った。

 

「う……うう」

「お加減はいかがですか?」

「あ、あれ? なんでクリストファー先生がここに?」

「その様子だと意識の方に問題ありませんね。跡がついていますね...少し触ります」

 

 セシリアを現世へ引き戻したのを見て周囲の人間はホッと安堵し、蜘蛛の子を散らすように解散する。クリストファーは野次馬たちに見向きもせず、ただ彼女の治療に専念するのであった。

 

 

――――――――。

 

―――――。

 

―――。

 

 

 

 無事に(?)吐血騒動が収束した後、クリストファーは治療したセシリアを背負い、夕暮れ時の道を歩いていた。

 

「あ、あのすみません…危ないところを助けていただいた上に送っていただいて……」

「これも仕事ですからお気になさらず。それよりしっかり捕まらないと危ないですよ」

「い、いえッ、お気になさらず! ちょ、ちょうど夕日が見たいと思ったので…!」

 

 背負われているセシリアは、肘を張って空けた隙間に通した足の膝裏の部分を大きくがっしりした手で支えてもらい、両手を肩においてあまり密着しない姿勢をとっている。……まさか学院では自分の助手を務める男にここまでしてもらうとは思ってもみなかった。

 医務室で診察してもらう時とは接触する部分が違うこの状況に、彼女は頬を若干赤く染めながら顔を伏せている。心臓もいつもより鼓動が早くなっており、気づかれまいと誤魔化すのに必死だ。

 

 

 周りを見ると、遠巻きに婦人たちが『あらあら』と微笑ましく二人を見ている。一見すると『リア充爆発しろ』状態なのだが、クリストファーはというと…

 

「此方であっていますか?」

「え?」

「ですから、帰り道は此方であってますか?」

「あッは、はい…」

 

真後ろの位置にいるため表情は窺えないが、いつもの淡々とした口調で喋っている。

 

 新聞部の学内ランキングでは『守ってあげたい儚げな美人ランキング』で常に首位を独走している美人な上司を背負っているというのに特に変化はなかった。……コノヤロウ、実はそっち系なんじゃないのかと疑いたくなる。

 

 自分に対して下心がないのはいいが、なんか自分だけ恥ずかしがってるのがバカみたいじゃないかとセシリアは『むぅ…』と頬を膨らませる。

 

 それも束の間、クリストファーは振り向きもせずに歩きながら口を開いた。

 

「ところでセシリア先生……実は先生にお尋ねしたいことがあるのですが……」

「は、はい…なんでしょうか?」

「セシリア先生は何のために魔術の研鑽を勤しむのですか?」

「えっ?」

 

 唐突なことにセシリアは戸惑う。何故自分にそんなことを聞くのか尋ねると、クリストファーは数時間前に二年次生二組の教室で起こったことを説明した。

 

「はあ、そんな事が……」

「それで先生はどういう目的で魔術師としての位階を高めようとしているのかと…」

「それは………」

「勿論単に気になっただけなので無理に話す必要はありませんが……」

「………」

 

 クリストファーの問いを真摯に受け止めたセシリアは、しばしの時を考え込む。

 彼が二組の生徒たちに言ったことは冷たい言い方だが正しい。医術も、そして魔術も、結局ソレそのものが悪であるということはない。ただ、使う者によって善にも悪にもなり得てしまう……要するに、何物も使い様ってことだ。そして、それを使うからにはそれ相応の責任が伴う。

 彼は上司である自分にそれを伝えた上で、魔術をどう使うつもりなのか聞いているのだろう。

 

「そうですね……他の人達が何を思って魔術の研鑽に励んでいるかはわかりませんけど……私には果たしたい目的、というよりも叶えたい夢があるのです」

「夢…ですか?」

「クリストファー先生は法医呪文(ヒーラー・スペル)が元々が軍用魔術の一種だったということは知っていますか?」

「はい………」

 

 クリストファーは黙ってセシリアの言葉に耳を傾ける。

 

――――――法医呪文は様々な法的関係上、世の中の『施療院』には出回らず、一般の人が治療を受ける場合は個別に大金で雇った魔術師に頼る必要がある。

 数少ない例外はヘステイア家のように研究を進める過程で施術対象の患者を必要とする法医術研究の大家だけだが、それでも患者にいちいち守秘義務を守らせるための各種書類手続きや一般医の紹介文が必要で、それなりに高額の治療費がかかるなどハードルが高い。

 ほんの一部の特権階級だけしか法医治療を受けられない現状を憂いているセシリアは、将来的には平等に治療を受けられる『法医院』を設立することが夢である。

 そして、その夢を叶えるため、彼女は法医術の研鑽をしつつ、魔術に関する法律などを学び、講演会を通してその考えを広め、魔術師としての位階を高めて魔術学会での影響力を得ようとしているとのことだ――――――

 

「誰でも平等に魔術による治療を受けることができる医療施設………ですか」

「勿論、徒労に終わるかもしれないというのは分かってます。けれど、それでも、私はその道を進み続けます………」

 

 きっぱりとセシリアは言う。

 

 魔術を真の意味で人の力にしたい、それは分かる。だが現実はそんなに甘くない。

 そもそも、魔術は秘匿されるべきものだという思想が、大多数の魔術師達の共通認識であり、魔術の研究成果が一般人に還元されることを頑として妨げている。先ずその認識を改めさせないかぎり、セシリアの考えを快く思わない者が大勢いるだろう。

 

 夢を叶えるにしてもその道のりはあまりにも険しすぎる。だが彼女はそれを承知の上で、敢えて困難な道を突き進もうとしている。

 

「やはり……セシリア先生は魔術師の中ではかなりの変わり者ですね」

「むう、馬鹿にしています?」

「いえ、寧ろ逆です」

「えっ?」

「魔術師としてはどうかは分かりませんが、貴方は医者として、人としてとても立派ですよ」

「り、立派だなんて………そんな大袈裟な………」

「その道がどんな茨道であろうと、先生は誰かのためにその力を使おうとしているのです。そんな貴方に魔術師のプライドや神秘の秘匿云々で何か言うつもりもないし、言わせるつもりもありません。自分はそんな貴方のような人、嫌いじゃありません」

「……………」

「? どうかしましたか? 急に黙りこんで」

「いえ………クリストファー先生って、たまに意地悪ですけど優しいところがあるんですね」

「…それは褒めていますか?」

「ご想像にお任せします」

 

 さも当たり前と云わんばかりのクリストファーの真摯な言葉に、セシリアは褒めているのかけなしているのか分からないことを言うが、その表情には向日葵のような微笑みを浮かべ、僅かに頬を赤く染めていた。

 

 

 それきり特に会話はなく、やがて大きな屋敷が見えだす。

 

「あ、先生。私、家があそこですので後はもう大丈夫です」

「そうですか。ですが、念の為もう少し前のところで下ろします」

「大丈夫ですよ? もう近いですから」

「万が一のこともあります。一応、気をつけてください」

「ふふ、クリストファー先生って意外と心配性なんですね?」

「普段からあんなに吐血してれば心配もしますよ」

「むう……やっぱりクリストファー先生は意地悪です」

「なんでさ………」

 

 門の前まで辿り着くと背負っていたセシリアを下ろし、顔を合わせる。唐突な(本人主観で)謂れのない非難を浴びせていたが、彼女はなぜか機嫌よく微笑んでいた。

 

「それでは、お気をつけて」

「ふふ……はい、気を付けます」

 

セシリアはそう言うと、パタパタと小走りする。

そして門を開けたところで、くるり。三つ編みを尾のように翻して、彼へと振り返った。

 

「今度は私に聞かせてくださいね。クリストファー先生が何の為に魔術を学んでいるのかを」

「……いつかは話します」

 

 クリストファーの短く、低い、淡々とした返事。

それを嬉しそうに受け止めて、セシリアは機嫌よく『それじゃクリストファー先生、また明日』と言って家の中へと姿を消した。

 

 

 

 

「………『何の為に魔術を学んでいるのか』、か」

 

 クリストファーは先ほど、セシリアが言っていたことを胸中で反芻した。その表情はどこか陰りを感じられる。

 

 

「残念ながら……俺には貴方みたいな殊勝な心掛けは持ち合わせていませんよ」

 

 クリストファーはそう呟いて右手に嵌めている黒い手袋を外す。

 

 その下の細長い手には火傷の跡があった。

 皮膚がひどく焼け爛れており、血色が殆どない。とても生者の腕とは思えないほど不気味だ。

 

 火傷を負った腕の調子を確かめるようにクリストファーは手を閉じたり開いたりする。

 

 

「俺と貴方とでは住んでいる世界が違いすぎる」

 

 

 クリストファーのその呟きを聞いたものは誰もいない。

 静寂と虚しさが漂う中、彼の傍にある街灯にとまっていた烏が鳴き声をあげながら飛んでいった。

 

 




とあるロクでなし講師「……あれ? 俺の出番は?」

次回には登場します。



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第4話 招かれざる客

 今日から学院の教授陣や講師達は、揃って帝国北部地方にある帝都オルランドで開催される帝国総合魔術学会に出席するため学院からいなくなり、それに合わせて学院は五日間休校になる。

 

 本来なら守衛を残して学院は蛻の殻になるはずであったのだが、例外が存在している。

 一ヶ月前に退職した講師ヒューイ=ルイセンに代わり、非常勤講師グレン=レーダスが担当することになった二年次生二組。彼らのクラスだけ授業が遅延しており、休日中のこの五日間も補講として授業を行うことになっている。

 

 その頃には既にそれまでいい加減過ぎる授業を行って来たグレンは、どういう心境の変化か、その姿勢を一変させていた。とはいえ、彼自身の性格や人間性が変わったわけではなく、単に真面目に教え始めただけだ。それも教本には載っていない、生徒達があっと驚き眠気など覚えていられないほどに有意義な授業内容である。

 それからというもの、覚醒したグレンの質の高い授業に他クラスからも人が集まり、十日経つ頃には立ち見の生徒まで出始めた。学院の講師の中にはグレンの指導から学ぼうとする者も現れ、グレンはダメ講師から一躍時の人となりつつある。

 

 これまで学院に籍を置く講師達にとっては、魔術師としての位階の高さこそが講師の格であり、権威であり、生徒の支持を集める錦の御旗だった。だが、学院に蔓延する権威主義に硬直したそんな空気は一夜にして破壊された。まさに悪夢の日だった。

 

……閑話休題。

 

 そういうわけで休日でも二組以外の何人かの生徒たちがグレンの授業目当てで二組の教室に集っていた。

 

 

 

 だが、人気者になっている当の本人はというと………

 

「うぉおおおおおおお!? 遅刻、遅刻ぅうううううううッ!?」

 

学院へと続く道中を叫び声をあげながら全力疾走していた。ポケット内にある時計の針は授業開始時間を過ぎていることを示している。正真正銘の寝坊による遅刻だった。

 

「くそう! 人型全自動目覚まし時計が昨夜から帝都に出かけていたのを忘れてた!」

 

 パンを口にくわえ、必死に足を動かし、ひたすら駆ける。

 

「つーか、なんで休校日にわざわざ授業なぞやんなきゃならんのだ!?だから働きたくなかったんだよっ! ええい、無職万歳!」

 

 とにかく遅刻はまずい!遅刻したら小うるさいのが一人いるのだ。今は一刻も早く学院に辿り着くのが先決である。上手く行けば、なんとかぎりぎり間に合うかもしれない。グレンは居候しているセリカの屋敷から学院までの道のりをひたすら駆け抜けた。表通りを突っ切り、いくつかの路地裏を通り抜け、再び表通りへ復帰する。そして学院への目印となるいつもの十字路に辿り着いた時。グレンは異変に気づき、ふと、脚を止めていた。

 

「……っ!?」

 

 人っ子一人いない。朝とはいえこの時間帯なら、この十字路には行き交っているはずの一般市民の姿が見当たらなかった。辺りも夜の森みたいにひどく静まり返っており、違和感がありすぎる。

 

「こいつはまさか……」

 

 周囲の要所に微かな魔力痕跡を感じた。

 これは人払いの結界だ。この構成ではわずかな時間しか効力を発揮しないだろうが、結界の有効時間中は精神防御力の低い一般市民は、この十字路を中心とした一帯から無意識の内に排除されるだろう。

 

 『なぜ、こんなものが、ここに?』という疑念と共に湧き上がる、危機感がちりちりとこめかみを 焦がすような感覚。グレンは感覚を研ぎ澄ませ、周囲に油断なく意識を払う。そして、グレンは十字路のある一角へ、突き刺すように鋭い視線を向けた。

 

「出てきな。そこでこそこそしてんのはバレバレだぜ?」

 

 すると――

 

「ほう……わかりましたか? たかが第三階梯(トレデ)の三流魔術師と聞いていましたが……いやはや、なかなか鋭いじゃありませんか」

 

空間が蜃気楼のように揺らぎ、その揺らぎの中から染み出るように男が現れた。ブラウンの癖っ毛が特徴的な、年齢不詳の小男だった。

 

「まずは見事、と褒めておきましょうか。ですが……アナタ、どうしてそっちを向いているのです?私はこっちですよ?」

「……………………別に」

 

 グレンは気まずそうに自分の背後に出現した男へと改めて振り返る。

 

「ええーと。一体、どこのどちら様でございましょうかね?」

「いえいえ、名乗るほどの者ではございません」

「用がないなら、どいてくださいませんかね?俺、急いでいるんですけど?」

「ははは、大丈夫大丈夫。急ぐ必要はありませんよ?アナタは焦らず、ゆっくりとお向かい下さい」

 

 噛み合わない男の言葉に、グレンは露骨に眉をひそめた。

 

「あのな……時間がないっつってんだろ、聞こえてんのか?」

「だから、大丈夫ですよ。 アナタの行先はもう変更されたのですから」

「はぁ?」

 

 

 

 

 

「そう、アナタの新しい行先は……あの世です」

 

「――っ!?」

 

 一瞬、グレンが虚を突かれた瞬間、小男の呪文詠唱が始まった。

 

「《穢れよ・爛れよ・――」

 

(や、やべ――ッ!?)

 

 場に高まっていく魔力を肌に感じ、グレンの全身から冷や汗が一気に噴き出した。先手を許してしまった。警戒を怠ったつもりはないが、これほどまでに問答無用の相手とは予想外だった。こうなればグレンの三節詠唱ではどんな対抗呪文(カウンター・スペル)も間に合わない。

 

(しかも、あの呪文は――)

 

 とある致命的な威力を持つ、二つの魔術の複合呪文。しかも極限まで呪文が切り詰められている。呪文の複合や切り詰めができるのは超一流の魔術師の証だ。

 

 

「――朽ち果てよ》」

 

 小男の呪文が三節で完成する。その術式に秘められた恐るべき力が今、ここに解放される――

 

 

 

 

♢♦♢

 

 

 

 クリストファーは赴任して二か月しか経っておらず、準備が間に合わなかったということで学会には出席しないことになっており、その代わり、万が一のことがあっては困るということもあり、その間のみ医務室の管理を任されていた。

 

 

 その日の午前10時30分、8時頃には既に学院に到着し、医務室に待機しているクリストファーは、1人医療器具の手入れをしていた。

 

 手荷物の黒カバンの中にあった大小さまざまな手術用のメスと鉗子は砥石で研ぎ、注射針は内部などを水で洗って、アルコールで消毒する。そして、それらを机に並べ、陽の光に当てて乾燥させていた。 

 他にもブラッシング洗浄、浸漬洗浄、チューブ洗浄などを入念に行い、長い時間を経てようやくすべての器具の手入れが終ろうと――――

 

「ん?」

 

―――していたところで、妙な違和感を覚えて動きを止める。

 張り詰めた空気を肌で感じ、手にしたメスから視線を離して窓の方へ向けると、そこで彼の視界に何かが映った。

 

学院敷地のアーチ型の正門前を覆っていた見えない壁のようなものが硝子の如く割れる光景を。

そして割れた箇所を通り道に、複数人の黒装束の男達が学院の敷地内に踏み込む様を。

 

「…なんだ?」

 

 正門に張られていた壁は学院側から登録されていない者や、立ち入り許可を受けていない者の進入を阻む結界だった。学院を取り囲むように張られたそれがどれほど高度な魔導セキュリティなのかは、クリストファーも理解している。

 

 だが、数人がそのセキュリティを難なく攻略して侵入してきた。

 これはただ事ではない。

 嫌な予感がしたクリストファーは、生徒たちがいる二年次生二組に向かおうと医務室を出る。

 

 だが―――

 

「なんだよ。まだ職員が残っていたのか」

 

 右に曲がると、そこには守衛の恰好をした男がいた。

 後ろ髪が白髪に混じっている黒髪、左頬の大きな傷跡、少し顎鬚が生えている40代後半といったような風貌の男だった。まるで小馬鹿にしたような嘲りと憐れみが入り混じっているような、そんな目をしている。

 

「……誰ですか貴方は?」

「ん?誰って、俺はここの守衛だが―――」

「嘘ですね。この学院の守衛はこの時間帯、正門前のすぐ隣に据えられている守衛所で待機しているはずですし、自分は貴方の顔を見たことがありません」

「ありゃ? もうバレちまったか。あの弱っちい連中相手だと上手く騙せてたのになァ……」

「もう一度聞きます。いったい貴方はどこの誰で何が目的ですか?」

「おいおい、質問は一つずつにしてくれよ? まったくせっかちな坊やだな。心配せずとも質問の答えは順を追って説明してやるよ」

 

 クリストファーは男に尋ねると、偽の守衛はニヤリと口を歪める。その強面な外見と裏腹に飄々としており、僅かに殺気を出していた。

 

「まず、俺がどこの何者か? 俺の名は《魔弾》のヴラム。世間で言うテロリスト、帝国の女王にケンカ売る『天の智慧研究会』に所属しているおっかない魔術師の1人だ」

「なっ…『天の智慧研究会』!?」

「まだ半信半疑の様だな?ならその証拠にホラ、この洒落たマークを彫ってるだろ?」

 

 そう言って偽の守衛―――《魔弾》のヴラムは袖を捲る。

 その腕には『天の智慧研究会』のトレードマークである、蛇が絡みついた短剣の刺青が彫られていた。

 

 『天の智慧研究会』

 アルザーノ帝国に蔓延る最古の魔術結社の一つ。魔術を極める為なら何をやっても良い、どんな犠牲を払っても許されるといった思考を持ち、蹂躙を愉しみ、虐殺を好む外道魔術師達の組織である。《大導師》という謎の人物を指導者に、歴史の中で常に帝国政府と血を血で洗う抗争を続けてきた最悪のテロリスト集団、魔術界の最暗部。

 

「そして、次に何が目的でここに来たのか? 答えは簡単。組織の命令でこの天下に名高い魔術学院は俺たちが占拠しに来た。既に俺の仲間があの弱っちくて可哀想な守衛サンを全員始末したあと、厄介な結界をブッ壊して入ってきている頃合いだ。ちなみにこの服はあいつらより先に潜入するために守衛の1人から頂いたものだ。変装のために簡単な変身魔術を使ったんだが………あの連中、たいしたことないな。まったく気がついてなかったよ」

(なんてことだ………)

 

 ヴラムの仲間というのは、先程門をくぐってきた例の男たちの事だろう。

 クリストファーは嫌な予感が的中してしまった事を悟り、ヴラムからゆっくりと後ずさった。

 

「………ここにいる生徒たちはどうするつもりですか?」

 

 やけに冷静な事を聞きながら、クリストファーは更に一歩後ずさる。だが廊下の壁に背がぶつかってしまい、逃げ場がなくなる。

 

「心配せずともガキどもの皆殺しは計画に入っていない。逆らわなければ危害を加えることはないよ」

「なら――――」

「だが、ガキどもを解放するつもりはない」

「なっ…!?」

 

 

「せっかく卵とはいえ活きの良い若い魔術師達が大量に手に入るんだ。ここでの用事が済んだからハイさよならなんてつまらな過ぎじゃないか?…それに組織にはガキどもを実験材料にしたいって言ってる連中がいるしな。心配せずとも髪の毛一本も無駄にせずに惨たらしく有効活用させてもらうよ」

(外道が……)

 

 こらえ難い悪寒と共に、クリストファーは目の前の男に生理的嫌悪感を覚える。

 

 

「だがまあ、お前はある意味幸せ者だよ。なんせこれから自分が死ぬ理由を知りながら苦痛なく死ねるんだからな」

 

 そう言ってヴラムは懐からエングレーブのような刻印が刻まれた回転式拳銃―――魔銃ペネトレイターを取り出し、話のシメを行った。

 

「さて、少し話が長くなっちまったが大体の筋書きはこうだ。『由緒正しきアルザーノ帝国魔術学院は、世界最強の魔術師セリカ=アルフォネアが不在の間に無様にも極悪非道のテロリストに襲撃を受けました。そして気づいた時にはすでに遅く、学院にいた未来ある子供たちは皆連れ去れて実験材料にされてしまいました。彼らには助かる方法なんてものはなに1つありませんでした』とさ!」

 

 

 クリストファーの鼻先に向かって、話が終わると同時に引き金を引いた。

 

 

 

 

 

 

 しかし、弾丸は放たれなかった。

 

「なっ……」

 

 ヴラムは、手に痺れるような痛みを感じていた。引き金を引いた筈の指が空しく虚空を引き絞る。銃は空中に跳ね上げられ、そのまま目の前の男の手元に納まったではないか。

 

 ヴラムが引き金を引く瞬間、クリストファーが足の動きだけで銃を蹴り上げたのだ。上半身には何の動きも見られなかった為、ヴラムはその攻撃を全く予測する事ができなかったのだ。

 

 銃を手にしたクリストファーが、その銃口をヴラムの眉間に突きつける。

 

 

「助かる方法ならあるさ――――――殺られる前に殺る、それだけだ」

 

 そう言ってクリストファーは開いた手で眼鏡を外し、前髪を掻き上げてセンター分けのような髪型にする。

 

「さっきは馬鹿みたいにベラベラと目的を喋ってくれて本当に助かったよ。おかげでわざわざ拷問して情報を聞き出す手間が省けた」

「―――ッ!」

 

 そこに存在したのは、ほんの数秒前までとはまるで別人のような雰囲気を纏った、右目の上辺りにひどい火傷の跡がある一人の男。

 ヴラムは思わず固まってしまっていた。銃口が恐ろしかったのではない。それを突きつける男の目を見てしまったからだ。

 

 全てを呑み込む、いや、全てを破壊しつくしそうなオレンジがかった金色の瞳が、暗く深く、そしてギラギラと赤く輝いている。それは憎悪と憐れみと蔑みを混ぜ合わせて、全てを自分自身に向けたような色をしている、そんな目をしていた。平和ボケした坊ちゃん達が通う学院の職員の目ではない。ましてや今まで殺してきた騎士や宮廷魔導士の中にもこんな目をしたものはいなかった。一体今までどんな生き方をすればこんな目になるというのだ。

 

 だが、そんな事は正直どうでもいい。何にせよこのままでは殺される。それだけが確実に理解できる現実だった。

 

「ら、《雷―」

 

 ヴラムは口を開き、呪文詠唱を開始する。放とうとしているの魔術は黒魔【ライトニング・ピアス】。

 指さした相手を一閃の雷光で刺し穿つ、軍用の攻性呪文だ。見かけは【ショック・ボルト】とそう大差はない。だが、その威力、弾速、貫通力、射程距離は桁外れであり、分厚い板金鎧すら余裕で撃ち抜いてしまうほどだ。術に内包されている電流量も【ショック・ボルト】とは比較にすらならず、なんの魔術的防御も持たない普通の人間ならば、触れただけで感電死するだろう。そのシンプルな外見からは想像もつかない恐るべき殺戮の術だ。かつて、戦場から弓や銃はおろか鎧の存在価値すら奪った術だった。

 

 因みにペネトレイターは、その存在価値のなくなった銃を魔導技術の踏襲による徹底的な改良を施し、弾薬に自動的に付与される【ライトニング・ピアス】などの殺傷性の高い魔術攻撃を早撃ちで射出できるようにしている。

 

 それを使っての狙撃、連射、装填しながらの呪文詠唱による攻撃などといった戦法で数々の魔導士達や騎士たちをことごとく打倒し、いつしかヴラムは《魔弾》という異名が付いた。

 

 だが、シンボルであるペネトレイターはクリストファーに奪われた。

 

 ならばと、他の魔術師の様に一節詠唱で起動させようとするのだが………

 

「おっと」

「――ガボッ!?」

「誰が魔術を使っていいって言った?」

 

クリストファーの動きは速かった。ヴラムが呪文が完成する前に瞬時に距離を詰め、銃口を彼の口の中に突っ込んだのだ。

 詠唱を物理的に中断させられ、引き金を引くだけで簡単に人の命を奪える武器がゼロ距離で自分に向けられている。そして得体の知れないクリストファーの双眸に睨まれているというこの状況に、ヴラムは脂汗を垂らしながらガタガタと怯えてしまっていた。

 

「マ、マヘ!マッヘクヘ!」

「ダメだな。一度銃を抜いた奴が、結果、相手の方が強かったからと言って見逃してもらおうなんて都合が良すぎじゃないか?」

「タ、タノフ!」

「それにこれでも俺は怒ってるんだよ。貴様はあいつらを実験材料にするだの惨たらしく有効活用するだの公言した。これ程不快なことがあるものか」

「ワフカッハ!ホフノジョフハンダ!」

 

 口に銃口を突っ込まれながらも必死の形相で命乞いを始めるヴラムだが、クリストファーは聞く耳を持たない。

 

「貴様らみたいな人でなし共はいつもこう思ってるんだろ? 『魔術という強力な力を使える俺たちに敵う奴なんて誰もいない』、『俺達は特別だ』、『俺達は最強だ』、『俺達は安全だ』、『俺達は絶対に死なない』とな。今のこの状況でもそう思える試してみようか?」

 

 そう言ってクリストファーは、銃の引き金に力を込め始めた。ゆっくりと、死を与えるまでの時間を楽しむかのように。

 

 だがその指の動きが、一瞬だけ止まった。

 

「そうそう、せっかくだからさっきお前が言っていたセリフをそっくりそのまま返すよ」

「―――ッ!?」

「確かこうだったかな?『お前はある意味幸せ者だよ――――なんせこれから自分が死ぬ理由を知りながら苦痛なく死ねるんだからな』」

 

 乱暴でいて果てしなく冷たい、氷の刃のような口調でクリストファーは淡々と告げる。

 

「散々殺してきたんだろ? なら一度くらい自分が死ぬ経験もしておけ」

「―――ッ!―――ッ!」

 

 引き金に力がこもる。ヴラムは抵抗しようと両手を振り上げるが、全てが遅すぎた。

 

「――――死ねよ、クズが」

 

 バアン!

 

 銃声が廊下を鋭く響き渡る。どこまでも。どこまでも遠くへ。

 

 

 ヴラムの後頭部は、口の中で銃口から放たれた一閃の紫色の光線によって吹き飛ばれ、真紅の血飛沫と脳髄の混じったものが絨毯が敷かれた廊下に飛び散った。

 

 そして、ヴラムだった死体は糸が切れたように床に転がり、頭に空いた大きな穴からドロリと大量の血が床に零れ出して絨毯に染み込みだす。 

 

 クリストファーの顔と銃を持っていた手にも返り血が掛かっていたが、クリストファーは特に拭おうともせず、虚空を見つめる。

 

 

 

「……さて、招かれざる客達を盛大にもてなすとするか」

 

 それからクリストファーは広がってきた血溜まりを気にせずに、他の天の智慧研究会の外道魔術師達が向かった場所――東館二階の二年次生二組の教室の方へゆっくりと歩を進める。

 

 

 その歩みと共に彼の右の袖が黒く滲み始めた。

 それは見ようによっては泥か瘴気のようにも見え、渦を巻くように規模を広げて、徐々にクリストファーの体を浸食して呑み込もうとしているかのよう。クリストファーが動く度にうねうねと動き、決して体から離れることはない。

 

 やがてどす黒い影の様な固まりに形を成し、彼の全身をローブで覆い隠すように纏わりついた。

 

 

 

 

 

 

 

 一方、街の広場では、かなりの人がざわついていた。

 

「う…っ」

「こりゃひでぇ…」

「警備官はまだ来ないのか?」

「こんなの…人間のやる事じゃないわ…」

「ああ…一体だれがこんな事を…」

「ママ、あれ何?」

「こら!、見てはいけません‼︎」

 

 街の人達は亀甲縛りの小男―――キャレルを見ながら、縛られた彼に同情する者や軽蔑している者がいた。

 

 

 

 



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第5話 スネーク・ハント(前編)

グロ注意。
4話を一部修正して襲撃犯の人数を増やしました。





 烏たちが群れを成して空を羽ばたいていた。

 

 ここしばらくは気持ち良いを通り越して恨めしいくらいに青色しかなかったフェジテの空を、白から灰へとグラデーションを描く雲が徐々に侵食していく。

 やがて紗を引いたような薄い雲から、暗幕のように重い雲に変わっていき、アルザーノ帝国魔術学院を照らす日差しを遮っていた。

 

 

 

「ち――何が起きた!? 一体、何がどうなってやがる! クソッタレが!」

 

 樹木と鉄柵で囲まれる魔術学院敷地の正門前にて。

 血を流して倒れていた守衛たちが既に息をしていないことを確かめたグレンは、激情に駆られて思わず地面を叩いた。

 自身を襲った小男キャレルを返り討ちにしたグレンは一応学院関係者であるにも関わらず学院の結界に弾かれてしまう。

 

「……結界の設定が変更されてやがる。面倒臭ぇことしやがってッ!」

 

 幸か不幸か、この事態の下手人が展開した人払いの結界は効いているらしく、周囲には誰もいない。彼らは落ち着いて状況を整理してみることにした。

 

 

 

 遅刻寸前であったグレンを襲ったキャレルを返り討ちにし、嫌がらせに裸にひん剥いたときに判明したこと。

 その男の腕には短剣に絡みつく蛇の紋――あの忌むべき組織の紋章が彫られていたのだ。

 天の智慧研究会。それはこの帝国に蔓延る最古の魔術結社の一つ。彼らの言葉通りに活動する外道魔術師たちの巣窟であり、その常人と相容れぬ思想ゆえに歴史の中で常に帝国政府と血を血で洗う抗争を続けてきた最悪のテロリスト集団、魔術界の最暗部だった。

 

「だが……連中、何が目的なんだ? なんのためにこの学院を?」

 

 天の智慧研究会が何が目的で学院に侵入したのかがわからない。一瞬魔導書や、博物館の封印倉庫に収められている魔導具や魔導器などが目的と思ったが不自然なくらいに静かすぎる。

 

 

「くそ……連中があの馬鹿共なら、町の警備官じゃ手に負えん……対抗できるのは宮廷魔導士団くらいしかない……あぁクソッ! セリカの奴、早く出ろってんだ!」

 

 グレンは半割りの宝石を耳元に当て、何度も魔力を送っている。これはグレンの育ての親である大陸最強の魔術師セリカ=アルフォネアと直通で会話ができる通信用の魔導器だが、彼女が応じる気配は一向にない。

 

「ちくしょう、こんな肝心な時にッ!」

 

 グレンは悪態を吐きながら乱暴気味にその宝石をポケットに突っ込み、セラは苦笑交じりにため息を吐く。

 

 そして懐から一枚の割符を取り出し、見つめる。

 一応は返り討ちにしたキャレルが持っていた消費付呪型の魔導具、要するに使い捨て。それを使え一度結界内に入れることは出来ても、黒幕を倒すまで学院から出ることはできない。

 敵の戦力が未知数。その中に一人で飛び込むのは自殺行為以外何物でもない。

 なら、帝国宮廷魔導師団の到着を待つのが最善だが、到着までにどれほどの時間がかかるのだろうか。

 

 勝手に動くことは危険と思ったグレンは今からでも警備官に連絡しようと思った瞬間。

 

 

 パリィン!

 

 

「な!?」

 

 グレンの視線が上がる。間違いなく窓ガラスが割れた音だ。時間が立たない内に、重力に抗うことなく地面へガラスのカケラが落下し、更に粉々になる。

 

 落ちた枚数はそれほどではない。現に窓を見れば残ったガラスは窓枠に嵌められており、穴が開いたことによって放射状に広がった罅が後から続いた【ライトニング・ピアス】によって押し出された形だ。落ちた枚数はそれ程では無い。

 

 グレンの額に冷たいものが走る。

 

 もし、あれが生徒達に向けられたものだとしたら?

 今ので誰かが殺されたのか?

 

 妙な動悸に襲われ、脂汗が止まらないグレンは焦燥に身を焦がす。

 

 

 バアン!

 

「―――はっ!?」

 

 今度は校舎のどこからか銃声の音が鳴り、グレンの耳朶を震わせた。

 

 

――もう四の五のと迷っている暇はない。タイムリミットは既に迫り始めている。

 

 

「ちきしょう、行くっきゃねえのか!」

 

 腹を決めたグレンは割符を結界にかざし、そこに書かれているルーン語の呪文を読み上げる。すると、ガラスが何かが砕けるように門を覆っていた結界に穴が開く。

 

「ええい、なるようになれ!」

 

 その穴を潜ってすぐに正門から金属音が響き渡るが、グレンは振り返りもせずに、焦燥の表情で校舎へと全速力で駆け出していくのであった。

 

 

 

 

 

 

♢♦♢

 

 

 

 

 

 

「おい、ちょっとトイレ行ってくるからここ頼むわ」

 

 東館二階の二組の教室の扉の前にいる黒装束の一人が、残る二人に要求する。

 

「待て、勝手に持ち場を離れるな」

「構やしねえよ。あのロープはそう簡単に外せねえさ。第一、ガキどもの見張りと見回りをする必要ねえだろうがよ」

「しょうがないだろ。あの生真面目なレイクの命令なんだからよ」

 

 学院の魔導セキュリティを破って校舎に侵入した天の智慧研究会の外道魔術師達は、既に二組の教室を制圧していた。

 

 仲間の一人である、都会にいそうなチンピラ風のバンダナの男―――ジンが威嚇で三度も乱射した軍用魔術【ライトニング・ピアス】と、彼の何人もの人間を殺した者だけが放てる本物の殺気に、耐性のない生徒達は恐怖に呑まれてしまった。

 そして、生徒達が怯えて動けないでいる中、リーダー格であるダークコートの男――レイクがルミアを連れ去った後、ジンと他の三人は教室に残された生徒達全員を【マジック・ローブ】で縛り上げ、呪文の起動を封じる【スペル・シール】の魔術をかけ、完全に無力化した。

 

 後はロックの魔術で教室に鍵をかけ、用事がすむまで生徒達を完全に閉じ込めるだけでよかった。

 だがすぐに計画外のことが起こってしまった。

 一作業が終わった後、何を思ったかジンはシスティーナを連れて教室を出ていってしまったのだ。

 その上、生徒たちを拘束している途中で校舎のどこかから銃声のような音が鳴り響き、先行していたヴラムからの連絡が取れなくなっていた。

 それからすぐに通信用の結晶石越しにレイクから『警戒を怠るな』という命令が下ったのだが………彼らにはまったく緊張感がなかった。

 

「俺はあの《竜帝》に逆らう勇気なんかねえよ。命令違反なんかしちまったら確実に殺されちまう」

「それ言えてる。ジンの奴、ホント馬鹿だよな」

「けどよ、流石にトイレ休憩ぐらいで命令違反にはならないだろ?」

「まあ、確かにな…」

「あっ、それなら俺も念の為行っとくわ」

「解った解った…なるべく早く済ませるんだぞ」

「はいはい」

 

 そう言って黒装束の二人が廊下を歩き出し、幅の広い折返し階段を昇って行ったところで二人の姿が見えなくなった。

 

 残された一人が、去り行く背中に呼びかける。

 

「おい、どこに便所があるか解ってるんだろうな?」

 

 しかし、仲間たちからの返事がない。

 

「おい、返事ぐらい……」

 

 自分も階段を昇って呼びかけるが、彼は状況がおかしい事に気が付いた。

 先程二人で向かった筈なのに、三階には一人しか立っていなかった。

 

「ん? おい、あいつは何処に行った?」

 

 金色の髪がツンツンと逆立っている男は消えた仲間の居場所を尋ねるが、やはり返事は戻ってこなかった。

 

「おい、どうした!」

 

 三階の廊下の仲間は全身をカタカタと震わせている。そして、ようやく声を絞り出して答えた。

 

「き………消えた………」

「は?」

 

 近くの窓に背を向けながら、男はなおもガクガクと震えている。

 

「消えたんだよ、こう、何かが後ろを通り過ぎたと思って振り返ったらもういな………」

「おい! 後ろ!」

 

 金髪の男が唐突に悲鳴を叫ぶ。

 等間隔に並ぶ廊下の窓の一つ、仲間の立っている後ろの窓に、黒い人影が映ったのだ。

 室内の何かが反射したわけではない。そもそもその窓は最大限に開かれているのだから。

 

 

 黒い影は、所々破れ千切れた漆黒の襤褸布をローブのように羽織り、身体のラインが見えない。大きなフードを深くかぶって隠した顔は、闇に覆われて明確に見えない。だが代わりに眼と思われる二つの光が松明の火の様に爛々と、そして不敵に赤く輝かせていた。

 

 

―――――その黒い『何か』は、確実に三階の廊下の外側に立っていた。

 

 

 そしてその黒衣の人物が、仲間に向けて素早く腕を振るう。窓際にいた男は振り返る暇も、悲鳴をあげる暇すらも与えられなかった。

 

 ザシュッ

 

「え?」

 

 何が起こったのか分からず、男は呆けたような表情をする。

 嫌な音が耳に入ったのと同時に男の視界がくるくると回りだしていた。

 

「あ、あれ? なん―――で――」

 

 驚くほど鮮やかに宙を飛んでいる。

 その見開かれた目には、頭を失い、噴水のように血を噴き出しながら崩れ落ちる見慣れた身体と、その後ろに立っている黒い影の姿が映り、どんどん遠ざかっていく。

 

 男は気づいてしまった。自分の視界に入るその首だけない見慣れた身体が自らの身体で、自分の首が背後から刎ねられたと。

 

「う――そ――」

 

 そして、男がすべてを悟った時には、男の首だけが まるで栓を抜いた風呂の水のように、頭部から地面の方へと真っ逆さまに吸い込まれていった。

 

 

 

 

「ひぃ!?」

 

 噴き出した血を大量に浴びた金髪の男の口から、意味のない空気が漏れていた。

 

――――――仲間の二人が持ち場を離れて一分しか経っていないんだぞ? その間に二人も消されるってのはどういう事だ。しかもそのうち一人は、俺の前で消されたんだぞ? この学院には俺たちに敵う奴なんかいたのか? そんな話聞いてねえぞ?

 

 目の前の事態を脳が吸収し切るまで訪れる無為の空白、恐怖で身体が硬直して動けないでいると影が揺いだ。

 

「………!」

 

 黒衣の人物のその手には、奇妙な黒塗りの曲剣が握られていた。

 

 帝国の伝統的な剣である細身で先端の鋭く尖った刺突用の片手剣―――レイピアとは違い、両刃の剣で、その刀身が半円を描く様に大きく彎曲している。

 刀身を血が伝い、ポトポトと床に滴り落ちる。

 まるで生者の首を刈り取る死神の鎌のようだ。

 

 

 目の前で仲間の首を刎ねた凶器を見て、男の心臓の鼓動がドクンドクンとだんだんと速くなっていく。

 

「何なんだ……一体何なんだよ、お前…!」

『………』

 

 金髪の男の言葉に黒い影が答える気配はない。

 

 

 

 

………殺される。

 

 短剣の刃先を向けられ、金髪の男はそこでようやく動き出した。呪文を詠唱し、黒衣の人物へ向けて魔術を発動する。

 

「《吠えよ炎獅子》!」 

 

 男がたった一節で唱えた魔術は黒魔【ブレイズ・バースト】。熱エネルギーを圧縮凝集した火球を投げつけ、着弾と共に爆炎を広範囲にわたってまき散らす軍用の攻性呪文。魔術的防御なしに直撃を受ければ、人間など消し炭すら残らない、強力な制圧魔術である。

 詠唱を完成させたのと同時に、左手に赤い火球が生まれ、周囲に熱をばら撒く。それを影に向けてがむしゃらに投げ込んだ。

 

 

 チュドオオン!

 

 

 放たれた火球が直撃する前に影は横に向けて飛び跳ねた。その跳躍力は凄まじく、一蹴りで廊下の向こう側の壁の外側に移動する。

 的を外した火球は影が先程いた場所に激突して、爆音と共に爆裂し、強烈な炎と熱、光が辺りを包み込む。

 

「畜生がッ!!」

 

 金髪の男はすかさず左手を構えなおし、移動した影に再び火球を撃つ。だがこれもかわされた。

 影は跳躍力だけでなく、敏捷性もとてつもなく高かった。壁の外側を駆け巡りながら、次々と投げ込まれる火球を難なくかわしていく。

 

 火球は壁に大きな穴を開け、床の絨毯に火をつけ、やがて廊下全体が黒い煙に覆われた。

 

「クソッ、何も見えねえッ!」

 

 周りを見渡すが、火の手がそこかしこに散乱し、それらが燃える時に出る煙で視界を大きく曇らせる。考えなしに放ったことが仇となり、何処から影が来るのか分からない。

 

「クソックソッ!」

 

 この不利な状況に男は悪態を吐きながら、階段の方へと駆け出していく。

 

 

 自分を殺しに来るのなら、階段を通らなければならない。

 階段の空間は廊下よりも狭い。どんなに素早い動きでもそこでだと前後方向にしか動けない。

 

 

――――なら待ち伏せてギリギリまで近づいたところで確実に仕留めてやる!

 

『とか考えているだろう?』

「は?」

 

 不意に背後から、低く冷淡で、抑揚のない男の声がした気がした。

 

「ぐあっ!」

 

 振り返る暇はなかった。

 声がした方に顔を向けようとした瞬間、金髪の男の体はふいの衝撃に吹き飛ばされる。

 

「ぁ――、っ――――!」

 

 背中から壁に強く叩きつけられ、必死に頭を回転させて見出した策の要である階段から引き離されてしまった。

 

 だが、男の意識はそんなことには向いていない。彼の意識を支配したのは、

 

「ぐぅぅぅ……あ、熱ッ」

 

――全身を支配する、圧倒的な『熱』だった。

 

 

――これは本気でヤバい。

 

 

 すぐ目の前に黒衣の人物がいるのに身体が動かない。全身に力が入らず、手先の感覚はすでにない。

 ただ、喉をかきむしりたくなるほどの熱が体の真ん中を支配している。

 

 

――熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 

 

 叫び声を上げようと口を開いた瞬間、こぼれ出たのは絶叫ではなく血塊だ。

 

「ゴポォッ!?」

 

 せき込み、喉からこみ上げる命の源を思うさまに吐き出す。ごぼごぼと、口の端を血泡が浮かぶほどの吐血が飛んで床を真っ赤に濡らしていく。

 

 

――なんなんだよ、これ? 俺の血か?

 

 

 口からの吐血は打ち止めだが、体を焼き尽くすような『熱』の原因はいまだに活動中。かろうじて動いた手が腹部に向かい、そこにあり得ない感触を得る。

 

 

――嘘………だ、ろ………

 

 鋭い裂傷は腹部を横に通り抜けて、中の内臓が飛び出している状態だった。

 男はその『痛み』と『熱』を錯覚していたのだ。

 

「ぅ…う…ぁ……」

 

 理解した瞬間に急速に意識が遠のいていく。

 さっきまでのた打ち回るのを強要していた『熱』すらどこかへ消え去り、不快な血の感触も内臓に触れる手の感覚も、全ては遠ざかる意識の付き添いとして連れていかれる。

 

 消える意識からの最後の働きかけで少しだけ首を上に動かす。

 眼前、鮮血の絨毯を敷き詰めた床を、黒衣の人物が波紋を生みながら踏みつける。

 

「た、助け……て………」と男は命乞いするが、黒衣の人物は何の反応もただ佇んで自分を見据えるだけだ。否、死にかけている自分をまるで嘲笑っているかのように、人間の目とは程遠い赤い双眸が僅かに歪んでいるように見えた。

 

 

 

 

 なにがどうしてこうなった?

 天の智慧研究会に所属する自分は数多くの敵を殺し、魔術師としての実力も相応に積んできた。

 組織の下っ端とはいえ、そこらの研究者気取りの魔術師共と比べれば、自分は上の段階にいる人間という自負があった。

 だが、まるで今まで魔術を極めてきた自分たちの努力は無意味なものだと否定し、嘲笑うかのように自分の前に立っているこいつはいったいなんなんだ?

 

 廊下で燃え盛る炎を背に佇むその姿は、まさしく『魔界』から来た『悪魔』のようだ。

 

 こんな訳の分からない怪物に自分は翻弄され、腹を裂かれて虫の息だ。

 

 こんな理不尽なことはありえない。

 

 

――――誰か…………俺を……………助け………

 

 

 必死に生にしがみつこうとするが虚しく、男はその意識を完全に闇の深淵へと落とし永遠に目覚めることはなかった。

 

 

 

 

 



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第6話 黒き幻影(シャドウ)

『ふん………他愛ない。このレベルなら大した情報も持っていないな』

 

 黒衣の人物は足元に横たわる男の死体を蹴り上げた。

 容赦の無い蹴りが、男の死体を炎の中へと放り込む。

 

 炎が燃え移り、死体を容赦なく纏わりついていった。

 服が先に燃え、その下の肌と飛び出している臓物は見る間に炎で焼け爛れ、悪臭を放ちながら崩れていく。

 やがて廊下の周りの炎が鎮火し始めた頃には、死体は炎の中に沈み、黒い灰だけがその場に残った。

 

 

 そしてそれは、西館から破壊音が響き渡り、校舎の壁に大きな穴を開けたのとほぼ同時の出来事だった。

 

 

『――――?』

 

 音がした方向を見据える。

 この魔術学院校舎は本館の東西に東館と西館が翼を広げるように、屈折して隣接する構造を取っている。

 

 今、東館にいる黒衣の人物には、空いた穴から西館四階の中の様子が丸見えだった。

 

『ああ、あいつか』

 

 視線の先に複数の人影を確認した黒衣の人物はその様子から大体の状況を把握し、空いた窓から大きく虚空へと跳び上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ…はぁ…」

「先生!」

 

 グレンはシスティーナを救出したが、もう一人のテロリストが呼び出したボーンゴーレムの群れに体力とマナを大幅に持っていかれマナ欠乏症に陥っていた。

 

「い、【イクスティンクション・レイ】はいささかオーバーキルだが、俺にゃこれしかねーんだよな………」

 

 いつもの軽口はどこへやら。グレンは苦しそうに顔を歪めていた。

 

 黒魔改【イクスティンクション・レイ】。

 対象を問答無用で根源素にまで分解消滅させる術である。個人で詠唱する術の中では最高峰の威力を誇る呪文であり――二百年前の『魔導大戦』で、セリカ=アルフォネアが邪神の眷属を殺すために編み出した、限りなく固有魔術に近い神殺しの術だ。

 

 先ほどの破壊音はグレンがそれを使ってボーン・ゴーレムの大群を一網打尽に破壊した音だったのである。

 しかし、分不相応な魔術を裏技で無理矢理使ったため魔力を極端に消耗し、当の本人は危険な状態にあった。

 

「ご、ほ……っ!」

「先生!? だ、大丈夫なんですか!?」

「これが大丈夫に見えたら病院に行け……」

 

 減らず口にもキレがない。

 

 マナ欠乏症を差し引いてもグレンの状態はひどい。全身、傷だらけの血まみれだった。致命傷はないが、傷の数はかなり多い。このまま血を流し続けるのは――まずい。

 

「≪慈愛の天使よ・彼の者に安らぎを・救いの御手を≫」

 

 システィーナは怪我を治す白魔【ライフ・アップ】の呪文でグレンの傷を癒そうとする。しかし、システィーナは運動とエネルギーを扱う黒魔術や、物資と元素を扱う錬金術は得意だが、【ライフ・アップ】のような肉体と精神を扱う白魔術はそれほどでもない。これだけの傷を癒すのにどれだけの時間と魔力が必要になるのか見当もつかない。

 

「馬鹿、やっている場合か…」

 

 グレンが口元を伝う血を拭って無理矢理立ち上がる。その膝は笑っていた。

 

「今すぐ、ここを離れるぞ…早くどこかに身を隠……」

 

 言いかけて、グレンは苦い顔した。

 

「んな呑気なことを許してくれるほど、甘い相手のはずがないよなぁ…くそ」

 

 

 

 かつん、と。破壊の傷跡が刻まれた廊下に靴音が響いた。

 

 

 

「【イクスティクション・レイ】まで使えるとはな。少々見くびっていたようだ」

「――っ!?」

 

 システィーナの顔が強張る。二組を襲った五人のテロリストの中にいたリーダー格、レイクと呼ばれていたダークコートの男だった。

 

 最悪のタイミングだ。グレンはすでに満身創痍。

 おまけにレイクの背後には五本の剣が浮いていた。あれは恐らく、レイクの魔導器なのだろう。すでに起動されて展開している以上、グレンの【愚者の世界】は通用しない。

 

「あー、もう、浮いている剣ってだけで嫌な予感がするよなぁ…あれって絶対、術者の意思で自由に動かせるとか、手練の剣士の技を記憶していて自動で動くとか、そんなんだぜ?ちくしょう」

「グレン=レーダス。全調査では第三階梯《トレデ》にしか過ぎない三流魔術師しか聞いてなかったが……まさか貴様らに六人もやられるとは思わなかった。誤算だな」

「貴様ら?六人? 何言ってんだ? それに内一人を完全に殺したのはお前だろうが」

「とぼけるか……まあいい。ジンに関しては命令違反だ。任務を放棄し、勝手なことをした報いだ。聞き分けのない犬に慈悲をかけてやるほど、私は聖人じゃない」

 

 レイクが指を打ち鳴らすと、背後に浮かぶ剣が一斉に二人に切っ先をむけた。

 

「悪いが貴様らはここから生きて出ることはない」

「………!」

 

 剣を見ると、大量の魔力が漲っているのが判る。魔力を増幅させる回路でも仕込まれているのだろう。思わず冷や汗が出るのは当然の事か。

 

「貴様は魔術の起動を封殺できる――そんな術があるのだろう?あのジンが何もできずに一方的にやられるなどそれしか考えられん。つまりは魔術起動のみを封じる特殊な術、ということだ。ならば、最初から術を起動しておけば問題はない」

「くそッ――」

 

 どこで見ていた?などと野暮なことは聞かない。遠見の魔術、使い魔との視覚同調、残留思念の読み取り……魔術師にとって情報を収集する手段など、いくらでもある。

 

 だが今重要なのは目の前の問題をどうするかだ。

 

 先程のジンというテロリストと違ってレイクには油断はなく、既に剣を起動されているため【愚者の世界】も通用しない。

 そもそも【愚者の世界】は初見殺し専用のようなもので、優秀な魔術師にはネタが分かってしまえば簡単に対策を取られてしまう。

 

 グレンがレイクに勝てる可能性は限りなくゼロに近かった。

 

「白猫逃げろ。ここにいたらお前は確実に死ぬ」

「でも…!」

「いいから行け!」

 

 グレンがシスティーナをこの場から逃がそうとするが、レイクがそう簡単に逃がす筈はない。

 

「させるか」

 

 浮遊する五本の剣が二人に向かって飛来する。

 

 グレンが【ウェポン・エンチャント】により強化された拳で捌こうとするが全ては捌ききれず、一本の剣がシスティーナへと飛来する。

 

「白猫!」

「…あ……あ」

 

 空を切る音とともに、どんどんシスティーナに迫る剣。

 向かってくる凶器に、システィーナは動けない。

 実戦経験の無いただの魔術学院の生徒に過ぎないシスティーナが咄嗟に動けないのは当然だった。

 

 一秒もすれば、その剣は自分を貫き、死にいたらしめるだろう。

 そんな嫌な想像が、いま形になろうとしている。

 

 

 

 

 剣が目と鼻の先に迫ってきた瞬間――――

 

 

――――視界の隅で黒い風が巻き起こった。

 

 

 突然、目の前でガァンッ――と硬い物同士が打ち合う音が鳴り、火花が散る。

 システィーナの命を奪おうとした剣は、形の異なる剣――黒塗りの曲刀によって落とされていた。

 

「なに………?」

「……え?」

「いったいなにが……?」

 

 グレンやレイク、そしてシスティーナも突然のことで何が起きたのか理解できず、呆然としている。

 

『間一髪、だったな』

 

 多分、投げた本人の声がする方にシスティーナは向く。

 彼女の視線の先――――グレンの【イクスティンクション・レイ】によって右手に空いた空間には、漆黒の襤褸布をローブのように羽織った黒衣の人物が立っていた。

 

 

 

 

 三人は突然の乱入者に動くことができずにいる。まだ空は曇っており、そのフードの下の顔などはよく解らない。人間なのかどうかさえ怪しい。

 

「貴様…一体何者だ?」

 

 長い沈黙を破り、レイクが最初に口を開く。

 その口調には警戒の色が強く籠められており、心なしかグレンよりも黒衣の人物に向き直り始めている。

 

『さて、誰だろうな?』

 

 レイクの言葉にそう答えた黒衣の人物は足音を立てずに歩を進める。

 システィーナの横を通り過ぎ、続いてグレンの横を通り過ぎて、それから数歩進んだところでようやく歩みは止まり、その場で静止。二人を背に、レイクと対峙する形となる。

 

 

「……先生。アレって………」

「あいつは……そんな………嘘だろ」

「せ、先生………?」 

「なんで『シャドウ』が生きている!? あのとき死んだはずだろ!?」

「……ッ!?」

 

 グレンが驚いた顔でそう言うと、システィーナは青ざめた顔で黒衣の人物を見、グレンの後ろに隠れるように後ずさりする。

 

 学徒のシスティーナでも、いや、寧ろ魔術に携わる者ならば知っていて当然の呼び名であった。

 

 

――――シャドウ。

 

 それは、三年前に起こった三百人以上の領民失踪と同じ時期に突如現れた神出鬼没の連続殺人鬼の異名である。

 

 彼の本名や年齢、犯行の動機、そのフードの下の素顔を誰も知らない。

 

 黒いローブをたなびかせ、帝国各地で魔術の探究のためならば他の一切を犠牲にすることも厭わない外道魔術師を多く殺害。

 そこには容赦、手心というものが一切無く、現場に対象の肉片と異常なまでの大量の血だまりを作るその殺し方は、帝国にいる魔術師たちに大きな恐怖を植え付けた。 

 人がやったとは思えない凄惨な手口で死神の如き恐怖を撒き散らすその存在を人々は恐れ、何時しか影そのものを纏っているかのようなその姿に因んで『シャドウ』と呼ぶようになった。

 

 

 帝国政府、特に帝国宮廷魔導士団特務分室はその実力に目を付け、戦力増強の為に捕らえようと何度も試みたが、その都度戦闘になり、あの手この手で逃げられていた。

 

 当時特務分室に在籍していたグレンも何度も戦ったが、魔術に依らずとも戦えるタイプの『シャドウ』にはグレンの常套手段である固有魔術【愚者の世界】で魔術を封殺する手が通用せず苦戦。その度にあしらわれた事からグレンにとっては相性の悪い相手であった。

 

 

 だが、グレンが特務分室を辞める少し前の一年前の嵐の夜、豪雨が降り注ぎ、風が吹き荒れる橋の上での戦闘の末に『シャドウ』は敗北。隙をついたグレンが放った大量の銃弾が『シャドウ』の胸と腹部を貫通して、その拍子に『シャドウ』自身は荒れ狂う河の中へと吸い込まれていった。

 その後調査隊が河を調査をしても遺体が発見されず、あの致命傷の状態で生きている筈がないということですぐに正体不明のまま『死亡認定』されたのだが……………

 

 

 

 

『「シャドウ」か………懐かしい名前だ。あれからもう一年か』

 

 今まで死んでいたと思っていた相手が一瞥してくる。

 

『久しぶりだなグレン=レーダス。まさかこんなところでお前と会うとは思ってもみなかったよ』

「……久しぶりだな、『シャドウ』…テメエ、生きてやがったのか?」

 

『ああ、お前が撃った弾のせいで三途の川を渡りかけた。だがあの程度の鉛玉で俺をこの世界から排除できるほど、俺はヤワじゃない。詰めが甘かったな』

「あれで死なないとか………お前、マジの化け物か」

『だが腹と胸に二発ずつ貫通したときのあれは、本当――――痛かったよ』

「――――っ!」

 

 そのフードの下から灯る赤い眼と言葉から圧のようなものを感じ取り、グレンはゾワリと背筋に悪寒のようなものが奔る。

 それに反射的に体が動き、グレンはふらふらになりながらも、最後の気力を振り絞って帝国軍隊式格闘術の構えを取った。

 

 シャドウはそんなグレンの反応に興味がないかの様に、視線をレイクの方に向けながら淡々と話す。

 

『随分と警戒されたものだな。腕は鈍っているようだが、人間が生まれた時から持っている動物的生存本能は相変わらずのようだ。だが安心しろ。心配せずとも今お前と敵対するつもりはない』

「……てめぇの目的は何だ…?」

『今も昔も変わらない。あえて言うならいつもの掃除だ。お前がそこの小娘を助けている間も学院をうろついていた害虫を駆除してやったんだ。少しは感謝してほしいな』

「なっ――」

「………っ!?」

 

 明確に殺したとは言っていないが、今の言葉からシスティーナは彼が教室に来たあの三人を殺したのだと理解したのだろう。

 それ故の怯えなのか。普段は気強く見せているだけであり、だからこそ自らの弱みを露わとした彼女の姿は一種の小動物のように震えていた。

 

「………そうか、やはりあの銃声は………成程。ヴラムと見張りの三人も殺ったのは貴様か」

 

 目の前にいる『シャドウ』を見て、レイクは納得したように呟く。

 

 ルミアを協力者に引き渡した後、銃声の発生源を探索した時に後頭部が吹き飛んだヴラムの死体を発見した。

 最初はジンを倒したグレンの仕業だと思い、脅威と感じて大量のボーン・ゴーレムを召喚してねじ伏せにかかった。

 だが、東館から爆発音のようなものを聞き、すぐに遠見の魔術で様子を見ると、そこには三人分の血だまりが見えた。火事のせいで完全には見えなかったのだが、あの状況から察するに三人は殺されたのだろう。

 この時レイクはグレン以外にも誰かがいることに気付いた。

 

………最もそれがあの『シャドウ』であったとは全くの予想外であったが。

 

 

 

「貴様があの『シャドウ』ということは、ここへは我々を始末しに来たという事か?」

『だとしたらどうする? あのヴラムとかいう奴みたいに情けない顔で命乞いするか?』

「ふん、私は奴と一緒にしないでもらいたい。たとえ相手が『シャドウ』だとしても私がやることは変わらん」

 

 外道魔術師を殺す『シャドウ』、彼が一年前に姿を消すまでは天の智慧研究会にも多大な被害を与え続けていた。

 その報復として多くの刺客を差し向けたが殆どが返り討ちに遭い、生死不明。明らかになっているだけでも四十人以上、その誰もが敗れる姿など想像もつかなかった凄腕ばかりが切り刻まれ、世間に見せつけるかのように無惨な形で晒された。

 

 

 だが自分は大導師に忠誠を捧げる第二団《地位》(アデプタス・オーダー)クラスの魔術師。負けるわけにはいかない。

 

 五本の浮遊剣がレイクの背後に集まり、切っ先をシャドウのみに向ける。

 

「我々天の智慧研究会、そして大導師様に刃向かった死に損ないが……私がこの手であの世に送ってやる。そこの二人の始末はその後だ」

『…だそうだ、どうする? グレン=レーダス』

「は?」

 

 いきなりシャドウにいきなり話を振られ、グレンはキョトンとなる。

 

『どうやらアレは俺で頭がいっぱいの様だ。ここは俺に任せて、連れ去られたもう一人を助けに行くのが最も得だと思わないか?』

「なっ――!? テメェなんでそれを――!?」

『そんなことはどうでもいい。今重要なのはなんなのか自分の頭をフル回転させてよく考えろ。判断を誤れば死ぬのはお前だけじゃないことは分かってるだろ』

「………っ!」

 

 シャドウに刺すような目を向けられ、グレンが無言で目をそらす。

 シャドウの言うとおりであった。

 

 冷静に考えてみれば、大量のボーン・ゴーレムの多重起動に、召喚術の超高等技法である遠隔連続召喚、そしてあの剣の魔導器――身震いするほどの超絶技巧の数々を披露したダークコートの男は、あのチンピラ男とは比べ物にならないほど格上だ。あんな規格外の魔術師と殺人鬼との戦いの場に残れば命がいくつあっても足りない。戦闘経験のないシスティーナを巻き込むわけにはいかない。

 

 それに、天の智慧研究会が何故ルミアを攫ったのか理由は不明だが絶対にロクなことではない。

 助ける時間が遅れれば遅れるほどルミアを助け出せる可能性が低くなっていく。

 それにこの学院にはシスティーナの他にも生徒たちがいる。

 

 助けが来ない現状、生徒たちの命運は自分に掛かっている。

 

 過去に助けることができなかった人々の無惨な姿が、一瞬グレンの脳裏を過ぎり、ばつが悪そうに頭を押さえる。

 

(くそっ、殺人鬼のくせに説教するとか…ほんと、訳が分からねぇ野郎だ…)

 

 いろいろ疑問があるが、過去の因縁に拘ってばかりではこの状況を打破することはできない。今はシャドウに頼るほかないのだ。

 

「………おい白猫、今のうちに急いでここから離れるぞ」

「えっ!? せ、先生……」

「いろいろ言いたいだろうがアレは別に、俺やお前らを殺しに来たわけじゃねぇ。それにルミアを助けるのがなによりも先決だ」

「あ………」

「分かったらとっとと行くぞ」

『……ああそれと、その死に体だと一度教室で回復する必要があるな。あそこには拘束された生徒たちが大勢いる。いくらそこの娘が回復の面で劣っていたとしても、数で補ってしまえばすぐに済むぞ』

「はいはいありがたい助言どうも! ほら、急ぐぞ。《駆けよ風・駆けて――――」

「……え? なんで詠唱しながら穴に? ちょっ、まっ、きゃあああああ――ッ!?」

 

 システィーナとグレンの二人は右手の穴から校舎の外に出る。

 全身を包む無重力と共に、二人が四階もの高さから落下していった。

 落下中に【ゲイル・ブロウ】を唱えて、落下速度を相殺したのだろう。外から突風が吹き荒れる音が響いてきた。

 

『さて、待たせて悪いな』

 

 二人が廊下を後にし、残ったのはシャドウとレイクの二人だけだ。

 

「ふん、どうせ会話の途中で仕掛けたとしても貴様は対処していただろう? わざわざ好んで魔力の無駄遣いをする必要はない」

『…バレてたか……だがその無駄遣いしなかった分で、果たして俺を殺せるだろうか?』

 

 圧倒的余裕を感じさせるような言葉を返し、シャドウは左腕を前に出し、曲刀を握った右腕を上げて正面に向ける構えを取る。

 まるでレイクを挑発しているようだ。

 

 

 

 

「舐めるなよ怪物……行くぞ!」

 

 

 

 

 



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第7話 スネーク・ハント(中編)

追想日誌の話を少々加えました。



 グレンがシャドウに初めて対面したのは三年前のこと。

 聖暦1850年、グレンがアルザーノ帝国国軍省管轄の、帝国宮廷魔導士団の中でも魔術がらみの案件を専門に対処する部署『帝国宮廷魔導士団特務分室』にまだ在籍していた頃、ある要人の娘を救い出してすぐの任務のことだ。

 

 

 かつての仲間たちと共に与えられた任務の内容は、人里から離れたある古城に隠れるラス=ワーテルロ卿の討伐。

 

 ワーテルロ卿は国内では音に聞こえた超一流の魔術師であった。だが、その正体は人類の進化への貢献と称して“人間の人工的な吸血鬼(ヴァンパイア)化”という禁忌の研究を行なっているS級外道魔術師であった。

 

 吸血鬼は世界真理を追い求め続ける魔術師達の、その最終到達点の一つでもある死を超越した存在『不死者』の中でも高貴とされる存在。“人を捕食する”という本能を持ち、生まれながらに人に仇為す、決して人と相容れない、誇り高き怪物であり、アルザーノ帝国の帝国法では、いかなる理由があろうと即刻処分しなければならないと定められている。

 

 だがワーテルロ卿は自らの探究心のために法を破り、あろうことか領民を片端から誘拐して、自身の魔術研究の素体に利用していた。

 

 攫われた領民の数は三百を超えた時、宮廷魔導士団にその犯行が露見し、グレンたち特務分室が動いた。

 

 生存者なんて、最初から期待できない状況だった。

 

 それでもグレンはまだ生きているかもしれないと、まだ助けられるかもしれないとどこかで期待していた。

 

(クソッ………! クソッ………!)

 

 だが現実はむなしく、既に攫われた領民のほとんどが食屍鬼(グール)へと変えられていた。

  

 食屍鬼はその吸血鬼の“出来損ない”とされる下級も下級。知性は皆無で、不死の肉体を維持するには吸血では足りず、人の肉まで喰らうが、身体が朽ちる速度に再生が追いつかず、どこまでも醜く腐り果てていく哀れな存在である。

 

 ワーテルロ卿の元へ向かうため、城内に溢れるかつては領民だったその異形の存在たちをその手で始末するグレンは精神的に疲弊していった。

 

(ちきしょう………!)

 

 そして、ようやく大量の食屍鬼を踏破したグレンたちはワーテルロ卿がいる研究室に辿り着いた時だった。

 

「ま、待て! わ、私が悪かった。もうこんなことは二度としないから助けてくれ!」

『無理だな』

「じゃ、じゃあ…今までの研究成果を全部渡す!」

『興味がない。今更命乞いしてももう手遅れだ。お前は超えてはならない一線を越え過ぎた』

「た、頼む!」

『……だから今まで弄んできた命の数の分だけ、お前も苦しみを味わいながら――――死ね』

「やめろ………来るな………やめろやめろやめろオオオオオオおおおおお!」

 

 異常なまでに怯えた悲鳴の後に、研究室から複数の忙しい咀嚼音が響き渡る。

 

「うぎゃぁああああああああああああああああああ――ッ!?」

(っ!? な、なんだ今の悲鳴は………!?)

 

 我に返ったグレンたちは何が起こっているのかすぐに研究室の中を入る。

 

「なんだよ………こりゃ………」

 

 研究室の惨状にグレンたちは言葉を失う。

 

「痛い、痛い、痛い!――っ!」

 

 グレンたちの標的であるワーテルロ卿は――生きたまま喰われていた。

 

 身体をロープで縛られ、【スペル・シール】により呪文の起動を封じられたまま天井から宙吊りになって動けないところを、大量の食屍鬼達が群がってその足を貪っていた。

 

「嫌だ嫌だ嫌だシニタクナイ!やめてくれやめてくれ………!」

 

 ワーテルロ卿は泣き叫ぶように悲鳴を上げるが、ワーテルロ卿に実験素体にされ知性の無い生ける屍へと変えられた領民達は耳を貸さずただ肉を食い千切る。

 

 最も本能的な欲求である「食欲」に突き動かされたことによるものなのか、それとも単なる「復讐」によるなのか、あるいはその両方かもしれない。

 

(いったいなにがどうなってやがるんだ?)

『……遅かったな』

「――っ!?」

 

 突然の声にグレンたちは上を見上げる。

 そこにはグレンたちの標的であるワーテルロ卿を天井から吊るし、生きたままその足を飢えきった食屍鬼達に喰わせている張本人である――――黒衣の怪物がいた。

 

『――初めましてだな、特務分室の諸君』

 

 

 

 

 

 

「――せい、――んせい、グレン先生ってばッ!」

「――うおっ!? ど、どうした白猫!? 急に耳元でデカい声出すな!」

「どうしたもなにも、さっきから声かけても全然返事しなかったじゃないの!」

「は? あっ………ああ、悪い」

 

 ふと昔のことを思い出していたグレンはシスティーナの呼びかけに我に返る。

 

 現在グレンとシスティーナは戦闘が行われている西館から脱出し、一度生徒たちがいる東館二階に向かっていた。

 

 西館から響き渡っていた何かと何かが激突する音もそこではもう聞こえない。

 

 

 今のところ敵の追撃が来ていないのは好都合だ。

 今のグレンの状態は、システィーナの【ライフ・アップ】で出血は何とか止まったがまだ傷口を完全には塞ぎきれておらず、いまだマナ欠乏症から抜けきれていない。応急手当ではなく一刻も早く本職の医者か白魔術の専門家に診せる必要がある。

 

「………これもあいつが片付けてくれたおかげか」

「………あの……先生」

「ん?」

「先生は……その、アレと…あの人と知り合いなんですか……?」

「……」

 

 予想外の問いに、グレンは一度沈黙する。

 グレンの過去を、システィーナは知らない。

 宮廷魔導士時代の頃の彼が戦った敵の中でも最も異質と言っていい怪人。

 彼の性質を知る理由を語るには、まずグレン自身の過去を語らねばならない。

 

 だが、今それは必要のないことだ。

 

 しかしこのまま、彼女の精神状態に揺らぎを残しておくのも良しとは言えない。

 考え抜いた末、彼は1度腹に溜まった息を吐き出し――それから問いに対する『答え』を紡ぎ出した。

 

「……昔の奇縁っていうヤツだよ。俺と、あいつは……それよりも着いたぞ」

 

 東館二階の二組の教室の扉の前に着いた二人は、用心しながら、扉の取っ手部分に手をかけようと手を伸ばす。

 

 すると、手が扉の取っ手部分に触れる前に、ガチャリと静かに扉が開かれた。

 

「あれ? あんたは――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 左から、右から、正面から、刃が迫る、迫る、迫る。

 空気を引き裂いて、真空を切り裂いて、刃の切っ先が迫る――

 

『フン――』

 

 ガキン!ガキン!

 

 シャドウは正面から突っ込んできた二本の浮遊剣を振るった曲剣で弾く。

 先に飛んできた浮遊剣を斜め斬りで、次に手首を返すことなく斬り返して続く第二撃の剣を打ち払った。

 

 ガキン!ガキン!

 

 両刃の刀身が大きく彎曲している曲剣の形状は、彎刀のように斬りつけることと、直剣のように連続して斬撃を加えることを両立させている。また、鎌のように切っ先で引っ掛けることもでき、薙ぎ払う形でも大きな威力を発揮していた。

 

 三方向からシャドウに襲いかかる三本の剣は、達人の技量に匹敵する速さと鋭さでシャドウを切り刻まんとする。

 

 だがシャドウはそれらを右へ、左へとかわし、曲剣で弾いていった。

 

 シャドウはたった一本の曲剣の剣捌きで五本の浮遊剣に対処しつつ、冷静に分析する。

 五本のうち三本の剣は達人の動きをしていたが単調で無機的。それに対して残る二本は有機的な剣撃を繰り出していた。まるでその二本だけは『生きている』ようだ。

 

 

『この動き………さては両方か』

 

 そう、レイクの操る五本の剣は、術者の自由意志で自在に動かせる二本の剣と、手練れの剣士の技が記録され自動で敵を仕留める三本の剣で成り立っていた。

 

「ご名答だ。しょせん手練れの剣士の技を模した所で自動化された剣技は死んでいる。五本揃えた所で真の達人には通用せん。かと言って五本全てを私が操作すれば………しょせん私は、魔術師、やはり真の達人には通用せん。私はこれまで何十人もの騎士や魔術師を暗殺し、三本の自動剣と二本の手動剣の組み合わせが最も強い、と結論した」

『ほう? 質と量の両立か…貴様も魔術師らしくない』

 

 レイクがとった戦法は自動剣と手動剣で互いの短所を補いあうというもの。五本とも自動化して動かすよりもその組み合わせで、隙を見せないようにしている。

 

 そして、この手動剣の動きは素人のものではない。超、とまではいかないだろうが一流の剣技だ。遠隔操作でこの動きができるということは、この男自身も相当の剣の使い手のはずだ。この男に剣を持たせれば、並みの剣士ならば瞬殺されるだろう。

 

 魔術師は肉体修練で練り上げる技術をとにかく軽んじる。精神修練で培う魔術の下に置きたがる。ゆえに、この男もグレンやシャドウとは違った方向性で魔術師から外れた男だった。

 

 

『成程………ならこちらは少し戦法を変えよう』

「なに?」

 

 シャドウが突然曲剣を懐に仕舞い、新しい得物を取り出した。

 

『これで……貴様と互角だ』

「ナイフだと?」

 

 それは『ダーク』と呼ばれる黒塗りの短剣。切りつけるものではなく、狙い撃つことを主として作られた投擲短剣を三本、両手の指の間にそれぞれ挟んでいる。

 

『………ハァッ!』

 

 裂帛の気合いと共に、シャドウが僅かに左腕を振りかぶった。

 

「なっ――」

 

 放たれた短剣の速度は、それこそレイクの浮遊剣に匹敵する。

 それら六本がレイクの咽、心臓、眉間と、急所などの急所目掛けて真っ直ぐ突き進んでいることを、レイクの掃除屋としての鋭敏な判断力は瞬時に察知する。

 

「ちぃ――ッ!」

 

キンッ!キンッ!キンッ!キンッ!キンッ!キンッ!

 

 だがレイクは咄嗟に二本の剣を操作し、レイクの眼前で交差して防いだ。

 

 しかし、シャドウの攻撃はまだ続く。

 

 シャドウは懐から短剣を新たに六本取り出し、廊下内を跳ね回りだした。

 壁にいたかと思えば天井に張り付き、天井から床に張り付いて短剣を高速連射。

 

 短剣が手元から離れればまた懐から新たに短剣を取り出して掃射。それらの作業を繰り返し、前後左右に動き回りながら絶え間なく放ってくる。

 

キンッ!キンッ!

 

 

「くっ――――」

 

 それにレイクの周囲を浮かぶ五本の浮遊剣が反応する。二本の手動剣は腹を盾にし、残る三本はいなし、弾き、防ぐといった迎撃態勢に入った。

 

キンッ!キンッ!キンッ!キンッ!

 

 火花が散り、短剣があらぬ方向に飛んでいって地面と壁に突き刺さる。だが、そのすべてを完璧に捌ききることができず、レイクの身体のあちこちを掠めていった。

 

 レイクはシャドウの俊敏な動きと矢継ぎ早に繰り出される短剣を目で追いながら、五本の浮遊剣で弾くことに集中する。

 対抗呪文を唱える隙が無い。

 少しでも気を緩めれば、確実に短剣に急所を貫かれることを、レイク自身理解していた。

 

 六十本ぐらい短剣が放たれたところで、ようやく連射が止む。黒衣に忍ばせていた短剣はすべて使い切ったようだ。 

 

『まだだ――』

 

 と、ここでパターンが変わった。シャドウは懐の曲剣を再び手に取り、大きく身をかがめて踏み込んでいく。

 

「馬鹿め!≪炎獅子――」

 

 突進してくるシャドウに向けてシャドウが呪文を唱える。

 一節詠唱による黒魔【ブレイズ・バースト】の超高速起動。これができれば、たった一人で一軍とも渡り合えるとされる高等技術である。

 

 灼熱の炎でシャドウを焼き殺す算段だろう。

 

 

 だが――――

 

『馬鹿はお前だ』

 

「!」

 

 赤い眼で睨まれた瞬間、悪寒が奔った。

 レイクは、起動しかけていた【ブレイズ・バースト】の魔術を解除し、即座に屈む。その瞬間、今まで自分の首があった場所を短剣が通過していた。シャドウはレイクの行動を見越していたのか、レイクが詠唱を完了するより先に、床に突き立っていた一本の短剣を拾い上げ、投擲したのだ。

 

 黒い刃を躱し、再び剣を操ろうとして──そして、そこで気づく。シャドウの姿が、そこにないことに。

 

 それは剣士故の直感と言うべきか。

 認識するより先に、レイクの体が勢いのままに右に横転していた。

 

「――――ぐ………!」

 

 左脚を切り裂かれる感覚と共に痛みが走る。真上から襲いかかってきた曲剣は、レイクの咄嗟の行動で切っ先が掠めただけ、だが、決して浅くはなく、傷口から紅が散華する。

 

 完全に不意を突く一撃。意識の外からの攻撃だった。

 

『チッ、外したか』

 

 舌打ちをした黒衣は、レイクの真上をすり抜けて背後に着地する。

 

「おのれ――――!!」

 

 レイクは即座に振り返り、背後に浮遊剣を飛ばすが、そこにシャドウの姿はなく、黒衣はとうに天井へと跳んでいた。

 

 

 

 先程まで剣が激しくぶつかり合う金属音が鳴り響いていた空間に沈黙が訪れる。

 

 

(まさかここまでとは………)

 

 全身傷だらけのレイクは負傷した左脚を抑えながら、内心、シャドウの立ち回りに舌を巻いていた。

 

 たった一本の曲剣で五本の浮遊剣の猛攻をしのぐ剣捌き。更に、近接戦闘は殆ど行わず、黒塗りの短剣を浮遊剣と同じ威力の弾丸として放つアウトレンジ戦法。

 魔術の台頭によって存在意義を失っていたこれらの前時代的な武器により、魔術師であるレイクは追い詰められていた。

  

 それに加え、人間のものとは思えない俊敏な挙動と身体能力。天井に張り付いているシャドウはまるで壁を這う蜘蛛のよう。本当に人間なのかも怪しい。

 

「………貴様はいったいなんなんだ?」

『―――』

 

 シャドウは何も答えない。だがレイクの頬には額から流れ落ちた汗が垂れた。緊張の汗だ。

 

 曇りとはいえ日が沈む前の時間帯に現れた、影に紛れ、闇から外道魔術師を奇襲し、虐殺する殺人鬼。

 これはもう、並の暗殺者でもできる立ち回りではない。

 

――下手をすれば逆に狩られかねない『強敵』だ。

 

「…まぁ、いい。貴様の実力は認めるが、二度目は通用せんぞ?」

『傷だらけの状態でよく吼える。そんな台詞が言えるのはどんな状況でも自分の有利を信じて疑ってない真の強者か、あるいはもっともらしい権威のもとに身を寄せて強くなったつもりになっているただの勘違い野郎だけだ』

「世迷い言を……さっきは油断したが既に貴様は弾切れ、魔術を使う私の方が有利だ」

『………ふん、あくまでも自身を強者と驕るか。まあいい。どうせすぐにどっちかわかる』

 

 雰囲気から次の一合が最後になることを敏感に感じ取り、レイクは五本の剣を浮かせ態勢を立て直すと、身構える。

 

 もうシャドウの手元には投擲短剣はないだろう。ならばシャドウに残っているのは曲剣による近距離戦のみの筈だ。

 

 きり、と空間に緊張が走る。まるでその場の気温が一気に氷点下を振り切ったかのようだ。

 

 その沈黙は無限にして、一瞬。

 

 そして、

 

「――死ね!」

 

 レイクが五本の剣を放つのと。

 

『≪~~・――――』

 

 シャドウがレイクに向かって跳び、なんらかの呪文を詠唱を開始したのは同時だった。

 

「このタイミングで魔術を!? だが、たとえそれが一節詠唱だったとしても無駄なことだ!」

 

 レイクの宣言どおりだった。

 五本の剣が閃光のように翔ける。魔力を流し込んで強化したのか、速度が先程よりも格段に向上している。それに、浮遊剣には熱、電気、冷気の耐性を付与する【トライ・レジスト】が付呪されており、強力な軍用の三属攻性呪文は通らない。この速度で仮に詠唱が完了したころで、魔術による攻撃は通じず、その身を貫かれているだろう。

 

 

 剣先がシャドウの左腕を、右脚を、胸を、腹を、肩に触れる。

 

 あと数秒で、シャドウの身体を深々と刺し穿つだろう。

 

 

 急所には当たらないだろうが――勝負は決した。

 

――かのように思えた。

 

 

『――全てを薙ぎ払う刀剣を》!』

「何ッ!?」

 

 寸でのところでシャドウが呪文を完成させた瞬間、シャドウの左手から激しい紫電が伸び、五本の浮遊剣を奔る。すると、強固な金属でできている筈の刀身は、レイクの意思に反して、粘土の様に形が崩れていき、粒子化して、シャドウの左手へと集まっていく。

 

 そして――数秒後に紫電が収まった時、五本の浮遊剣は一振りの鉈へと形を変え、シャドウの左手に握られていた。

 

「錬金術っ!?しかも【形質変化法】と【元素配列変換】を応用した高速武器錬成だと!?」

 

 レイクはそのあり得ない光景に驚愕していた。

 シャドウが魔術を、錬金術を使ったことにではない。天の智慧研究会に所属しているメンバーならよく知っている高速武器錬成術を、シャドウが使ったことに対して驚愕したのである。

 

 

『終わりだ』

「ッ·····《光の障壁よ》!」

 

 レイクが身を守るために咄嗟に対抗呪文【フォース・シールド】を唱え、魔力でできた光の六角形模様が並ぶ障壁を眼前にて展開する。

 

『無駄だ』

 

 だがシャドウは間髪を容れず、レイクへ獣の如く駆け出しながら鉈を振るった。

 

 放った横薙ぎの一撃は魔力障壁を真正面から叩く。

 

 すると、魔力障壁が厚み三ミリメトラしかない刀身にいとも簡単に紙切れのごとく切り裂かれ、瞬時に砕け散った。

 

 

「!?」

 

 レイクは回避しようとするがシャドウの方が速く既にレイクの懐に飛び込んでいた。

 

――そして。

 

『やはりお前もただの勘違い野郎の方だったようだな』

 

ドスッ────!

 

 

 鋭い物が肉を穿つ鈍い音が鳴る。

 シャドウの曲剣の鎌のような切っ先が、レイクの左胸部――急所を完全に貫通していた。

 

 ぴしゃ、と滴る緋色が飛び散り、壁と床を叩いた。

 

「……ふん、見事だ」

 

 レイクは微動だにしない。直立不動のまま、自分に剣を突き立てた者に賞賛を送った。

 

 不意打ちが卑怯だとかそんなことを言うはずもない。魔術師は騎士じゃない。魔術師の戦いは一対二だろうが一対三だろうが、あらゆる手段と策謀を尽くして相手を陥れ、出し抜き、そして最後に立っていた者こそ正義で強者なのだから。

 

「そうか…………思い出したぞ」

 

 レイクはシャドウの左手にある鉈の意匠を見ながら、何かを納得したようにつぶやいた。

 

「七年前まで、我々の組織が擁している暗殺部隊、掃除屋(スイーパー)に一人、体の半分に火傷を負った少年がいたそうだ。その者は錬成したたった一本の鉈だけで組織にあだなす標的……何十人もの閣僚や騎士、凄腕の宮廷魔導士たちを殺した」

『――』

「無垢な少年のような率直さで敵の懐うちに入り込み、冷酷な狩人のようにその命を奪い取る。その二面性を持ち合わせた彼はいつしか『フランク=イェーガー』と呼ばれ、帝国の魔導士だけでなく同じ組織の人間からも恐れられていた………突然の宮廷魔導士団強襲の際に死んだと聞いていた………が………」

『………で、何が言いたい?』

 

 赤く、憎悪と憐れみと蔑みを混ぜ合わせたような目をするシャドウの問いに、レイクは口の端を吊り上げ凄絶に笑った。

 

「ふっ、今までの殺戮は我らへの復讐のつもりか……馬鹿め……貴様がどう足掻いたところで『天の智慧研究会』を…大導師様の計画を止めることなどできはせんぞ……!特に組織の命令を忠実に実行するだけだった廃人風情ならなおさらな!」

『……遺言にしては随分とありきたりなセリフだな。試験だったら赤点不合格だ』

 

 

 シャドウがそう言った次の瞬間、シャドウの黒衣の内側から黒い瘴気のようなものが溢れ出た。

 

「..ッ!! き、貴様...なんだこれは...!?」

『あれから色々あったんだよ。お前らが想像もつかないようなたくさんのことが………お前を動揺させるためにワザと使った【隠す爪(ハイドゥン・クロウ)】とは比べ物にならない。まだ完全には制御できていないが……とりあえずは手足の様に動かせる。こんな風にな!』

 

 闇の霊気のようなオーラにも見えるそれはまるで無数の手足のように蠢き、既に死に体のレイクの身体に絡みつきだした。

 

「ぐああああああ――ッ!?」

 

 薄れていく意識の中、黒い手足が触れてから体の内側にある魂が割れ砕けたような途轍もない苦痛を感じ、レイクは絶叫を上げる。

 

 

 弄られている。捻じられている。狂わされている。

 

 生命力、魂、マナ……人を人たらしめ、一個の生命として息づかせる超自然的なエネルギー………レイクのそういったモノを、内側から容赦なく破壊しているのだ。

 

 全てが捻じれ狂い、レイクの肉体にも変化が現れる。

 全身の血管が浮き出て破れ、骨が砕け、神経がズタズタに引きちぎれ、腕だけではなくやがて足までが腐り落ちていく。 

 レイクの体内にある膨大な魔力の暴走が肉体の自壊を引き起こしていた。

 

「あ、あがぁ……!!?」

 

 その時のレイクの端まで見開かれた眼は、今自分に起こっていることが信じられないと、感情を表しているようだった。

 

『……お前らは七百年もの間、この世界の真理を解き明かすだのなんだのと、くだらない利己的な理由で次から次へと他人を玩具の様に弄び続けてきた。そして俺のように帰る場所を失った子供達に無理矢理言葉を植え付け、使い捨ての殺し屋に仕立て上げた』

「………が…ガハッ……」

 

 苦悶の表情を浮かべているレイクの口と目、鼻、耳、顔にある穴という穴から血が流れ、もはや絶叫を上げることもできない。

 苦痛の中、レイクの頭にシャドウの言葉が強く響き、焼き付けられていく。

 

『感じるだけの苦痛と恐怖を味わいながら死ね。それが俺への…いや、魔術という「言葉」に寄生するお前らに支配され、全てを奪われた俺たちに対する償いだ…』

 

 そう言ってシャドウがレイクの胸から曲剣を力一杯に引き抜いた瞬間――

 

グシャッ

 

 「ぐぼぉッ…」とレイクから鈍い音と弱々しい声が響き渡り、ダランと身体が下に垂れ、崩れ落ちる。

 

 既にレイクは死んでいた。

 肉が崩れ、大量の血が流れ出て、足や背骨が通常ではありえない方向に折れ曲がった状態でままピクリとも動かない。

 

 これほど汚らしく惨たらしい光景はあり得まい。

 何も知らぬものがこの死体を見れば、人間の範疇を大きく越えた、凶暴で残酷な怪物に殺されたと思うだろう。

 

『お前が何と言おうが、俺はいずれ他の連中やお前らが崇拝している大導師の首を取りに行く』

 

 レイクが聞くことのできなかった台詞を、シャドウは独り言のように低く呟く。

 

『自分たちが寄生していた全てが崩壊していく様をあの世から見届けるんだな』

 

 



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第8話 スネーク・ハント(後編)

 学院校舎から中庭へ出て、並木道を抜けた先にて聳え立つ白い巨塔――白亜の塔。

 そこには、離れた場所と場所を繋いで一瞬で移動することを可能とする超高等儀式魔術を補助する魔導施設『転送法陣』が敷設された転送塔である。

 学院にある転送法陣は帝都オルランドと繋がっており、学院の講師陣は前日にこれを使って早馬で三、四日かかる距離を一瞬で移動した。

 

 誰もいない筈の今の転送塔の近くは無数の石で出来たゴーレムで埋め尽くされている。

 その内部、長く続く螺旋階段を登った先、塔の最上階にある薄暗い大広間の中心で、膝をついて座っているルミアがいた。

 

「どうして……どうして貴方のような人がこんなことを……ッ!?」

 

 転送法陣の上にいる彼女は悲しい顔を浮かべ、涙を目頭に貯める。

 

 少し離れた片隅にいる柔らかい金髪の涼やかな表情をした二十代半ばぐらいの優男。その人物のことをルミアはよく知っていた。

 

「どうしてなんですか、ヒューイ先生!」

 

 何を隠そうこの男、一ヶ月前まで二組の担当講師として教鞭を執っていたヒューイ=ルイセンその人である。

 表向きには一身上の都合で退職、真実は突然の失踪からの行方不明となっていたが、その理由は態々語るまでもない。今この場にいてルミアを出迎えたことが、ヒューイが敵側の人間である証左だ。

 

 静かにルミアの悲痛な叫びを聞いていたヒューイはやがて口を開く。

 

「僕はもとより、王族、もしくは政府要人の身内。そのような方が将来この学院に入学された時にこの学院とともに自爆テロで死亡させる。僕はそのための人間爆弾なんですよ」

「そんな………それじゃあ、ヒューイ先生は十年以上も前からそんな僅かなないかもしれない事の為だけにこの学院に在籍していたってことですかッ!?」

「ええ、僕自身すっかり忘れかけていましたけどね」

「――!?」

 

 明かされる衝撃の事実にルミアは言葉を失う。つい最近まで生徒達から慕われていた人気講師が、その実十年以上前から仕組まれていた人間爆弾だったなんて到底受け入れられないし、こんなことを考えつく人間の正気が疑われる。

 

「ですがルミアさんが入学したことで少々事情が変わりましてね………貴方は少々特殊な立場なので生け捕りになりました。ですので転送法陣の転送先を改変し、ルミアさんを組織の元へと送り届けます。同時に僕の魂を起爆剤にこの学院を生徒諸共爆破することになる」 

「ば、爆破!?」

 

『成程……外に出られないよう結界の設定を書き換えたのはそのためか』

「「っ!?」」

 

 ルミアとヒューイしかいないはずの部屋に第三者の声が響く。

 入口付近に広がる暗闇、その中にいつの間にかいる影法師を見た二人は驚きを隠せない。

 

「貴方は……誰なんですか?」

 

 ルミアは気丈に振る舞いながらも、恐る恐る目の前の人物に素性を問い質すも―――

 

「………そうですか、ということは他の皆さんは『シャドウ』である貴方にやられたということですか」

 

 その答えはヒューイからもたらされた。

 

「え!?」

「ですが妙ですね。それならグレン=レーダスが来てもいい頃合いですが……」

 

 驚くルミアを他所に、ヒューイは冷や汗を流しながら暗闇で赤い目を光らせる影法師――シャドウに問う。

 

『さあな? 今頃見当違いの相手を学院にテロリストを招き入れた裏切り者じゃないかと疑って無駄な時間を取っているところだろう。少し前に危うく殺されそうになったというのに酷い仕打ちだ』

「……ああ、彼ですか………彼にはとんだとばっちりを受けさせてしまいましたか」

『これから学院にいる連中を巻き添えに自爆しようとしている奴がよくそんなセリフを吐けるな』

 

 石を畳のように一面に敷き詰めてできた床を見るとヒューイの足元にも法陣が展開されている。しかし、ルミアのような転送法陣ではなく、なぜかルミアの法陣と連結していた。ヒューイの法陣の術式を読み取ったシャドウは呆れたような目を細める。

 

『…白魔儀【サクリファイス】……己の魂を引き換えに莫大な魔力へと還元する換魂の儀式でこの学院を爆破か。こんな胸糞悪いことをやるのがお前らクズ共の取り柄だったな』

「それは否定しません」

『…にしては転送先の再設定がまだ終わっていないな』

「僕の腕前ではルミアさんの転送するための転送法陣の改変は間に合いませんでした。ですがその法陣は転送用でもあると同時に強力な結界でもあるんです。無理矢理壊そうものならアルフォネア教授の神殺しの術でもない限り…」

『………ふん、調整が終わるまでの時間稼ぎか』

「ええ、あと十分もすれば再設定は完了し、起動します。それと僕を殺しても【サクリファイス】が自動的に発動するので解呪することをお勧めします。最も今取り掛かったとしても間に合うとはとても思えませんが……」

『用意周到なことだ………』

 

 書き込まれた五層構造からなる白魔儀【サクリファイス】は通常なら一層ずつ解呪していくしかない。グレンが来ていれば魔力が足りなくても迷いなく自身の血を簡単な魔力触媒に黒魔【ブラッド・キャタライズ】で解呪術式を書き込み、黒魔儀【イレイズ】で儀式魔法陣を解呪するだろう。

 

 

『だが――俺には俺のやり方がある』

 

 ルミアがなにか叫んでいるがシャドウは完全無視し、ルミアを囲む転送法陣の最外層―――ではなく、その手前の石畳の上を右手で触れる。

 

「いったい、何を………?」

『まあ、見ていろ』

 

――どんなに優れた代物であろうと人間が作ったものである限り必ず弱点はある。それは魔術も例外ではない。

 

 

「「――っ!?」」

 

 ヒューイとルミアの眼前で、突如シャドウの右手から黒い瘴気が溢れ出した。

 シャドウの能力――――レイクを殺すときに使った闇の力を再び発動したのだ。

 複数の黒い手足へと形を成し、床を這って法陣の周囲を囲んでいく。

 

 だが、黒い手足は法陣自体には直接は触れず、石と石の間の隙間へと入り込んでいく。

 

――転送法陣というのは確かに便利な代物だ。蒸気機関車の実用化がまだ当分先のこの時代、これさえあれば都市間移動を駅馬車や徒歩よりも早くこなすことができる。だが便利そうに聞こえても欠点がある。設定変更に時間がかかっているのはその一つだ。

 

 転送法陣はヒューイが如何に転送法陣のような空間系魔術に関しての天才だとしても、転送先の設定改変を実行するのに半日はかかる。

 そして一番の問題は、敷設に適した土地の霊脈の関係上、世界中のどこにでも自由に敷設できる代物ではない。言い換えれば、土地に張り巡っている霊脈の、特に潤沢なマナが流れる霊絡を通さなければ転送もできないし、転送できる場所も限られるのだ。

 

 

 黒い手足はルミアの座る石畳の裏側――学院の転送法陣と土地に張り巡っている霊脈とを繋げる霊絡を徐々に侵食していく。それはまるで一本の太い糸を内側から腐食し、複数の手で引きちぎっているかのようだ。

 

 そして――――

 

ブチンッ

 

 繋がりが完全に断たれた瞬間、転送法陣の機能にいくつものエラーが発生。法陣を構築する各ラインの魔力路を走っていた輝きが途切れ途切れに弱まっていき、更に浸食は法陣が描かれている石まで進んでいって、結界を維持できなくなる。

 

『さて、これで終いだ』 

 

 やがてルミアの足元のの石畳にビシリとヒビが入った途端魔力路の断線が広がっていき、五層もあった法陣は硝子が砕け散るような音と共に、その力を失うのであった。

 

 

 

 

 

 

「まさか転送法陣をこんな方法で無効化するとは………」

 

 訪れた沈黙を先に破ったのは、ヒューイの声だった。

 黒い手足について未だ理解できていなかったが、ヒューイは今目の前にいる殺人鬼によって計画が完全に阻まれたことを悟っていた。

 

「僕の負けですか………」

 

 計画は阻まれ、己が存在意義さえも奪われたというのに、何故かその声に怒りや憎しみの類は感じられない。

 

 あるのは悲愴。痛々しいほどに感じられる、深い悲しみと……仄かな喜びのみ。

 

「不思議ですね。計画は頓挫したというのに…………どこか、ほっとしている自分がいる」

 

 カチャリ――と首元に鋭い刃が当てられる。

 法陣を破壊した後のシャドウの行動は早かった。

 黒い手足が霧散し、シャドウの中へと戻っていってすぐに懐から曲剣を取り出し、死神の鎌のようにヒューイの首元に添えていた。

 

『あとはお前だけだ』

「な!?や、やめて…やめてください!もう終わったじゃないですか!」

 

 ヒューイを殺す気だと気づいたルミアは止めようと臆せずに叫ぶ。

 

 だが――

 

『はぁ?何寝ぼけたこと言ってんだ。お前たちの前ではいい先生だったろうが奴らに手を貸した時点でこいつは敵なんだよ』

「で、でもいくらなんでも殺すなんて………!」

『死んだ守衛たちの遺族や殺されそうになった自分のクラスメイト達にも同じセリフが吐けるのか?』

「――ッ!?」

『それに余計な情けで怪我をするのは自分だけじゃない。その責任をお前は背負えるのか?』

「そ、それは――」

 

 シャドウの言葉に、ルミアはどう答えれば良いのか分からず言葉に詰まった。

 

『………ふん、口先ばかりで何もできない温室育ちの小娘が、いい加減その口を閉じてろ』

「――きゃっ!?」

 

 そう言ってシャドウが自らの右手をルミアに向けた瞬間、再び右手から複数の黒い手足が伸び出し、ルミアを拘束しだす。

 

「ん――っ!んん~~っ!」

 

 黒い手足がルミアの頭、胴、足に絡みつき、ルミアが拘束から逃れようとするも逃れられない。また口元と目元まで覆われ、今の状況を確認することも声を出すこともできずにいた。

 

『せめてもの配慮だ。こいつの死に様は見せないでやる』

 

 邪魔者の動きを封じたシャドウはヒューイの方へと再び向き直る。

 

「…………最後に一つだけ」

『なんだ?』

「僕は一体、どうすればよかったんでしょうか? 組織の言いなりになって死ぬべきだったのか…………それとも組織に逆らって死ぬべきだったのか? こうなった今でも僕にはわからないんです」

 

 僅かに顔を上げ、天井を見つめるヒューイの顔にはどこか悲愴の色が滲んでいる。

 

『知らん。自分の道も碌に選ばず結局流されるがままに行動したお前の自業自得だ。今更そんなことを悔いても仕方ないだろ?お前がしようとしたことを全部組織のせいにするんじゃない』

 

 手にしている曲剣を後ろに引き、体を捻り、構えを取る。

 掲げられた鎌刃が闇の中で妖しく赤く輝く。

 命を刈り取る瞬間であるからこそ、その刃は一層の輝きを放つものなのだろうか。

 

 

『じゃあな』

「ん――っ!」

 

 このままじゃヒューイ先生が殺される!

 ルミアは口をふさがれながらも我武者羅に叫んだその時――――

 

「チェストォオオ!!」

 

 ガシャアアンッ!

 

『――っ!?』

 

 雄叫びと共に階段へと続く扉が破壊され、破片を飛び散らした。突然のことにシャドウの手が寸でのところで止まった。

 

 

 

「ルミア無事か――ってうええ!?これ一体どういう状況だ!?」

「ん!? んんんん、んれんせんいぇい(え!?その声はグレン先生!?)」

 

 扉を蹴破って乱入してきた人物――――自身の現担任であるグレン=レーダスの声を聞いて、ルミアは声を上げる。

 

『………』

 

 今のグレンの顔色は良くなっている。魔力が大分回復したようだ。

 

 だが来るにしても少し遅すぎた。

 

『………はぁ』

 

 なんだかどうでもよくなったシャドウは曲剣を下ろし、同時にルミアの拘束も解除する。

 

「え?」

「おい、今の黒いのなんなんだ!? それにそこにいる奴は!?」 

『………興が醒めた。もう帰る』 

「はっ!? 今帰るっツったか!? 悪いがテメェにいろいろ聞きてぇことが山ほど――」

『じゃあな。裏切り者をどうするかはお前の好きにしろ』

「あっオイ待て!」

 

 グレンが一歩前へ進もうとする前にシャドウは懐から黒い球体みたいな物を取り出し、床に投げた。

 途端、球体が爆ぜ、黒い煙幕が部屋に立ち込める。

 

「ゲホッ!ゲホッ! おい、ルミア無事か!?」

「ゲホッ、は、はい! 大丈夫です!」

 

 黒い煙が彼らの視界を奪い、程なくして全て階段へと流れていった頃には。

 その場にいた黒いローブの人物の姿はどこにも見当たらなかった。

 

 

 

 

 

 

♢♦♢

 

 

 

 

 クリストファー=セラードという名は、表の世界で活動するための偽名の一つにすぎない。

 彼の本当の名は当の昔、かつての平和な故郷と共に失われた。

 

 北セルフォード大陸の北西端にあるアルザーノ帝国から見れば、南北に延々と延びる”竜の背骨”と呼ばれる超高度山脈帯を隔てて東側に位置する王政国家レザリア王国――その国境付近の南端の麓にて、彼の生まれ育った小さな村があった。

 

 温帯の気候区にあったその村ではハトムギやアブラナなどの食用及び食品加工用の穀物の栽培・収穫が畑で行われていた。

 

 物心つく前に彼の両親は流行病で亡くなり、唯一無二の肉親である姉と二人、そこに十年も平和に暮らしていた。

  

 畑仕事の手伝いをしたり、夕方まで友達と虫取りやチャンバラをして遊び、食事前には神に献身的に祈りを捧げる。それが彼の全てだった。

 

 

 だが聖歴1840年10月、彼の村は突如アルザーノ帝国の魔導兵達の襲撃を受け、そして――――全て奪われた。

 

 

 集落を襲った敵は嬉々としながら魔術を使っていた。詠唱とともに指先から放たれるそれは村を蹂躙する。

 住んでた村が焼かれた。畑も、家も、勿論人も。

 更には炎上した菜種油が彼の右半身の皮膚を焼いていった。

 

 最初に死んだのが誰なのかは知らない。ただ騒ぎがあって、帝国が攻めてきたと大声で叫んでいた人の声が短く濁った悲鳴と共に消えていく。その中には彼の唯一の家族である姉も含まれていた。

 

 余りの痛みに意識を手放す前、炎や雷、悲鳴、怒声、そして村人と姉が燃えた煙の焦げ付くような臭い、それらが村のあちらこちらから耳に鼻に目に飛び込んできたのを今でも覚えている。

 

 

 次に意識を取り戻した時には帝国領内の天の智慧研究会のアジトに運ばれていた。無知で幼かった当時の彼以外にも連れ去られた子供が何人かおり、皆何がどうなっているのかわからないまま外道魔術師達にルーン語を喋らされ、高速武器練成術【隠す爪(ハイドゥン・クロウ)】を無理矢理習得させられた。

 

 【隠す爪(ハイドゥン・クロウ)】

 この術は通常の鋼より圧倒的に優れた剛性・靭性を持たせた特殊鋼材であるウーツ鋼を素材にした武器を文字通り高速で錬成することができる。だが、その術式は術者の安全性を考慮されておらず、深層意識野の使わせ方がデタラメなもので、錬金術に対する圧倒的な天賦のセンスを持つ術者以外が使用すれば、脳内の演算処理がオーバーフローし、自我と思考を奪われ、いずれ廃人と化すという禁呪法に近い代物であった。

 

 

 そんな危険な術を無理矢理習得させられ、彼と他の子どもたち共々、その代償に脳の機能と意識に途轍もないダメージを受けた。

 そして魔術師を殺す訓練を受けさせれられ、更には『天の智慧研究会』に指導者である大導師に対する忠義という行動原理を植え付けられて、ただ命令を忠実に実行するだけの捨て駒の暗殺部隊『掃除屋(スイーパー)』に所属させられた。

 

 あとはレイクが言っていた通り、彼は錬成したたった一本の鉈だけで組織にあだなす標的……何十人もの閣僚や騎士、凄腕の宮廷魔導士たちを殺した。

 無垢な少年のような率直さで敵の懐うちに入り込み、冷酷な狩人のようにその命を奪い取る。その二面性を持ち合わせた彼はいつしか『フランク=イェーガー』と呼ばれ、帝国の魔導士だけでなく同じ組織の人間からも恐れられていた。

 

 

 だが、レイクや他の外道魔術師でも把握できていなかった事実があった。

 

 それは、彼の自我だけは完全には消えていなかったこと。

 術との相性が良かったからではない。

 皮肉にも彼の自我を残すことになった要因は――幻肢痛だった。

 無くした右腕の皮膚が、指先が、右目辺りが痛み、死んでいった家族の痛みと苦しみだけが、いつまでも消えず、今でも故郷で焼かれているかのように疼く。

 

 その尋常ではない痛みだけが、彼の意識をこの世界に僅かに繫ぎ止めていた。勿論そのことは天の智慧研究会に悟られまいと忠実な廃人を演じ続け、命令のままに人を殺す恐怖に耐え続けていた。

 

 最初は仇討ちのつもりだった。だが帝国の魔術師だけでなく罪の無い人間までも暗殺する仕事を繰り返していき、その度に他の子供たちがゴミの様に死んでいくうち、彼の精神は疲弊していった。

 

 

 それでも彼はなんの根拠も可能性もなくとも希望を持ち続けていた。

 家も家族、自らの証明も奪われ、彼に残されたのはこの痛みと『信仰』だけだったのだ。

 この苦行を耐え抜けば必ず祖国が助けに来てくれる。そしていつか、救いの神がこの地獄を終わらせてくれることを願った。

 

 

 

 だが現実の世界は残酷で、どこまでも彼を裏切り続けた。

 

 

 

 

♢♦♢

 

 

 

 それから数時間後、フェジテ支部の宮廷魔導師団対テロ部隊が学院の結界を突破し、今回の事件の事後処理を行っていた。

 

 シャドウは一人、学院の屋上の鉄柵越しに学院の様子を眺める。

 

『全部終わった後に登場とは……役に立たん連中だ…』 

「そう言わないであげなよ」

 

 突然、後ろから声がし、首だけ回して振り返る。

 

「魔術学院は国軍省、魔導省、行政省、教導省とかの各政府機関の面子や縄張り争いがうるさい魔窟だからね。呼ぶとしても迅速に…ってワケにはいかないよ」

 

 そこには白衣に身を包んだクリストファーが静かにたたずんでいた。

 

「はー事情聴取は結構きつかったー」

 

 だが普段の彼とは違い、子供の様なくだけた口調をしている。

 

『誰にもぼろは出していないだろうな?』

「心配ないよ。こういった時のアリバイ作りのために結構練習したからね。それにあの子たちは普段からそんなに君と話す機会がないから”どこか冷めた変わり者”ぐらいしか認識されていなかったし」

『そのほうが効率がいい。あまり相手の記憶に残りすぎれば、いずれ此方のやることに支障が出るからな』

「けどその結果、君がテロリストを学院に招き入れた裏切り者じゃないかってあの《愚者》疑ってたよ?勿論、君が蛇狩りを始める前に打ち合わせた通り、”自分が銃を持った男に殺されそうになった時、突然黒いローブの人物が現れた。ローブの人物が銃を持った男を殺し姿を消した後、自分は見張りの魔術師がいなくなった教室に静かに入って生徒たちの拘束を解いただけで何も悪いことはしてない”ってちゃんと反論したけどね……まあ、しばらくしてセリカ=アルフォネアから連絡が来た時には君への疑いはなんとか晴れたよ」

『それは俺も把握している。わざわざ全快するチャンスを与え、小娘を探す時間を与えたというのに………』

 

――――折角の御膳立てが台無しだ。

 

『まあ済んだ話はもうどうでもいいことだ………それより、いつまでその姿でいる? いい加減変身を解いたらどうだ、”ドリュー”』

「おっと、そうだった」

 

 シャドウにドリューと呼ばれたクリストファーの姿がグニャリと歪みだし、形を変えだした。

 

「やっぱり長く他人の姿でいると変身を解くのをついつい忘れちゃうよ」

 

 色を失い、徐々に躰がどろどろと溶けていく。

 まるで芋虫が蛹を経て、蝶に変わる様に……ぐにゃりと蠢き……形を変え………

 ……やがて、一人の青年の姿を再結像する。

 蝋燭の様に真っ白な肌に草の様な緑色の短髪、瞳孔が縦に裂けた金色の瞳を持つその青年――ドリューはまるで人間に縁どられた別のナニかのようだ。

 

「で、あっちの方はどうだった?」

『ああ。ついさっき”他の連中”から連絡が来た。あのダークコートの男の頭から吸い出した情報にあった例の転送先の場所に幹部クラスが何人かいたらしい。そいつらはまだ殺さず例のマーキングをして泳がせておく方針のようだ』

「………ふうん、ということはその場には組織のリーダーがいなかったか。なかなか一筋縄じゃいかないね。まあ、今回は偶々の状態で幹部をマーク出来ただけでも結果オーライか。………それで、今回の襲撃のせいで予定が大きく狂っちゃったけど、これからどうする?」

『………少し待っていろ』

 

 シャドウは一度赤く光る目を閉じる。それもほんの数秒。

 沈黙が続き、やがて再び目を開いた時、シャドウの目はクリストファーの時のオレンジがかった金色の目になっていた。

 

「ドリュー、俺は次の指示が来るまでまだしばらくここに潜伏する。お前は一度外に出て情報収集に戻れ」

「あの女の子と《愚者》はどうするの?」

「今のところ俺の正体には気づいていない。暫くは様子見だ」

「了解。それじゃあ僕はもう行くよ」

 

 そう言って、クリストファーに化けていたドリューは今度は宮廷魔導師団の制服を着た男へと姿を変え、その場から立ち去っていく。

 

 完全にドリューの姿が見えなくなったところで、シャドウの黒いローブが霧散し、クリストファーとしての姿に戻る。

 

 そのとき、彼の視線が注がれる先には金髪と銀髪の少女二人に挟まれて何か言い合いをしているグレンの姿があった。

 

「………」

 

 中庭にいる彼らの姿を確認したシャドウ――クリストファーは、突然懐からヴラムから奪った魔銃を取り出し、その銃口をグレンへと向ける。

 

(やはり、いっそのことこの場で終わらせようか――)

 

 現在魔銃に込められている金属製の筒――――金属薬莢には【ライトニング・ピアス】が付呪されている。その威力、弾速、貫通力、射程距離の高さなら屋上からでも中庭にいるグレンの後頭部を容易く打ち貫けるだろう。

 

「………いや、今日はやめておこう」

 

 だがクリストファーは引き金を引かず、魔銃を懐に仕舞って屋上から立ち去るのであった。

 

 

 

 

 

 アルザーノ帝国魔術学院自爆テロ未遂事件。

 

 最悪な結末の憂き目を逃れたこの事件は、関わった敵組織のこともあり、社会的不安に対する影響を考慮されて内密に処理された。学院に刻まれた数々の破壊の傷痕も、魔術の実験の暴発ということで公式に発表された。

 帝国宮廷魔導士団が総力を上げて徹底的な情報統制を敷いた結果、学院内でこの事件の顛末を知る者はごく一部の講師・教授陣と当事者たる生徒達しかいない。

 

 無論、全てが完全に闇へと葬られたわけではない。

 

 かつての女王陛下の懐刀として帝国各地で密かに暗躍していた伝説の魔術師殺しや、世界を滅ぼす悪魔の生まれ変わりとして密かに存在を消されたはずの廃棄王女、一年前に死んだはずの連続殺人鬼がこの事件の解決に関わっていた……そのような出所不明な様々な噂がしばらく真しやかに囁かれた。

 

 

 

 だが、人は飽きる生き物、一ヶ月も経てば誰の話題にも上らなくなった。

 

 



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幕間 二つの顔(トゥーフェイス)

――七年前。

 

 そこは阿鼻叫喚の地獄絵図であった。

 

「ぎゃああああああああああ――ッ!?」

「ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい――ッ!?」

「嫌だ嫌だ!助けッ…助けてくれぇええええ!」

 

 有史以来から存在する魔術結社《天の智慧研究会》が保有するとあるアジト。

 今そこは、組織の構成員である外道魔術師たちの悲鳴と断末魔の叫びが木霊していた。

 

「糞が糞が糞がッ!! なんで死なねぇんだ!!」

 

 そんな中、外道魔術師の1人が悪態をつきながら『地面から生えた巨大な植物』に向かって魔術を放っていた。

 

 闇を照らす灼熱の光が『植物』を瞬く間に呑み込み、その一切を灼き尽くさんと燃え盛る。

 だが巨大な蕾を生やした『植物』は傷一つ付かない。

 灼熱の檻を無数の蔦が突破し、外道魔術師たちの元へ迫る。

 

 足元から獲物を絡めとり、棘からその体液を吸い取る。

 蔓の先端からハエトリグサの形をした口が生え、生きたまま捕食する。

 また毒性の花粉をまき散らして、吸い込んだ者のマナ・バイオリズムをカオス状態へと陥らせ、魔術が行使できなくなったところを捕食する。

 

 体液を吸われていく構成員は、みるみるうちに痩せ細り、手足は枯れ木のようになり、肌はしわくちゃになり、髪は抜け落ち……乾いたミイラと成り果て、倒れていく。

 その一方で植物は吸収した体液を養分にしているのだろう。植物の蕾は徐々に大きくなっていき、開花しようとしていた。

 

 肉体に内包する生命力を糧に成長していくその植物にとって、外道魔術師たちはただの養分に過ぎないようだった。

 

 

―――なんなんだよ………なんなんだよいったい!?

 

 帝国軍が襲撃してくるという密告があって迎え撃つ準備をしていたとき、突如地面から飛び出してきた植物相手に魔術がまったく歯が立たない。

 魔術至上主義と歪んだ選民思想にどっぷりつかった魔術師は目の前の惨状を現実だと受け入れるのに時間がかかった。

 

――俺は、逃げるぞ! こんなところで死んでいい人間じゃない!

 

 恐怖と絶望へと塗り潰され、虚飾と傲慢さを形にしたような顔つきは見る影もない。

 真理への探究心や大導師への忠誠心よりも生きたいという生存本能に突き動かされ、逃げ出す術を考える。

 

 すると視界の隅に、佇む黒影を見つけた。

 黒影の正体は、黒い外套に身を包んだ年齢不詳、性別不明の人間だ。

 フードを目深に被り、顔には白い仮面をつけている。

 そして、その手には十字の意匠が施された一振りの鉈が握られていた。

 

「おい! そこの掃除屋!」

 

 魔術師は仮面の人物に向けて、引きつるような耳障りな声を上げる。

 

「おまえは時間を稼げ! 俺が逃げる時間を稼ぐんだ!」

 

 掃除屋という暗殺部隊は、攫ってきた子供達を無理矢理禁呪法を修得させ、廃人にした寄せ集めの部隊だ。

 外道魔術師にとって彼らはただの使い捨ての駒に過ぎない。数が減ればまた補充すればいいだけの話だ。どんなに強くても、廃人はただ自分の命令通り囮になってくれればいい、というカスの考えしかもっていない。

 

 だが、組織の命令を忠実に実行するだけの廃人であるはずの仮面の人物は、今回だけいう事を聞かず、微動だにしない。

 

「おい!聞いてんの――」

 

 ザシュ

 

「は?」

 

 魔術師は苛立たし気に胸倉を掴もうと手を伸ばしたその時、腹部から熱のようなものを感じた。

 ゆっくりと見下ろす眼下、魔術師は呆けたような表情で七割ほど裂けた自らの胴体を眺め、遅れて絶叫を上げた。

 

「ぁぁああ! は、腹が、腹がぁあああ!!」

 

 腹部からはとめどなく血が溢れ出し、腹圧に耐えかねて中身がこぼれ落ちそうになっている。震える腕でその中身を腹に戻そうとするが、こみ上げてくる血塊に遮られ叶わない。

 

「……いつも偉ぶってる癖に情けなく喚くんだな」

「っ!?」

 

――なんだ?今コイツ、喋った?

 

 自我を失ったはずの人形が喋り出したことに呆ける。だが、脳内麻薬すら誤魔化し切れない激痛に視界がかすみ、いつしか魔術師の体は床に横倒しになっていた。

 

「俺以外の連中は苦しむことも泣き叫ぶこともできずに呆気なく死んだぞ」

「そんな馬鹿な…ッ!?…ごほっ…お前今まで自我を保って――」

「これはお前のせいで死んでったあいつらの分だ」

 

 魔術師の言葉には耳を貸さず、抑揚のない無機質な口調で仮面の人物はその凶刃を振った。

 そして、それが魔術師が見た最後の光景だ。

 

 斬撃が鮮やかに走り、魔術師の顔を掠めるように横断する。その結果は、

 

「――――――――――――――っががあああぁ!?」

 

 両の瞼を切り裂かれて、永遠に光を失うというものだった。

 

 地に倒れ伏したまま、魔術師は深々と切られた双眸に手で触れる。

 血と涙が混ざり合い、絶叫を上げる口からはとめどなく吐血を繰り返し、腹の中身はそれこそ血と臓物とが全てこぼれ落ちたような欠落感に襲われている。

 

 生きているのが不思議な状態。生きているのが地獄の状態。

 そんな己の姿を、見ることすらできない、いつ死ぬのかわからない瀕死の状態。

 

――恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!死にたくない!

 

 とめどなく押し寄せてくる、絶対的な死への本能からの拒絶。

 それがもはや終わりに手をかけた魔術師の脳を埋め尽くし、鎖された視界が真っ白に染まり、

 

グシャッ

 

 最後に容赦なく頭蓋を踏みつぶされ、外道魔術師の命はあっけなく潰えた。

 

 

 

 哀れな外道魔術師たちの悲痛な断末魔と、悍ましい咀嚼音が木霊したアジトには、仮面の人物一人と動きを止めた赤黒い巨大な薔薇が一輪。

 そこに宮廷魔導士団の礼服を羽織った者達が複数がぞろぞろと入ってくる。

 だが仮面の人物は武器を構えず、殺した魔術師の前で佇むだけ。この場を生き延びようとする気迫がないようだった。

 

「驚いたな。まさか組織に忠実な飼い犬かと思っていた最優の始末屋に、飼い主に牙を立てる意思が残っていたとは………」

 

 その一団の中で、一人だけ身なりのいい紳士服に身を包む男性が仮面の人物の前に立った。

 やせ細った外見から年齢はちょうど四十五歳ぐらい、七三分けのオールバックに整えた白髪混じりの薄い金髪、僅かに尖った耳、白い肌――健康的というのではない白蝋じみた白さ、色素の薄いライトブルーの瞳は知的さと冷酷さを兼ね合わせている。

 その佇まいに隙はない。見る者が見れば、男が雲の上の実力者であることが瞬時にわかる。

 その証拠に、男がさっと手を振れば、巨大な薔薇が地面の中へと潜っていく。姿が見えなくなった直後、後ろにいた魔導士たちは仮面の人物や消えた薔薇にも目もくれず、隊列を組んでアジトの内部を調査し始める。

 

「彼らのことはただの空気だと思ってくれ。我々は別に君を殺しに来たわけではない。本来なら半殺しにしてから連れていく予定だったが、対話ができるとわかった以上、君とは話し合いで事を進めようと思ってね、フランク=イエーガー君………いや、こう呼んだほうがいいかな?■■■」

 

 紳士服の男にフランク=イエーガーと呼ばれた仮面の人物は、無貌の仮面の下で眉を顰めた。

 

――コイツ何者だ?なぜ、俺の名前を知ってる?

 

「心配ない。秘密は守るとも」

「………知った風な物言いだな」

「君の事ならなんでも知ってる。東側の王国で生まれ育ったことや、王国が君達家族にしたこと、関係者達は君の死を望んでいることもだ。その様子だと信じていたものに裏切られて自暴自棄になっているようだな」

「………」

「私は情報には困らない。そしてそれを活かしたいんだ。そこで君を選んだ。我々は助け合える。君に必要なのは聖句や自決用の毒薬なんかじゃない」

「ならなんだ?」

「生きる目的だよ。具体的に言えば”復讐”さ」

 

 

♢♦♢

 

 

 

 

「あれからもう七年か」 

 

 そこはどこかの談話室だった。

 煌びやかな絵画や古めかしい本棚、爛々と中で炎を揺らめかす暖炉、大きな振り子時計、両端が尖った細長い円筒形をしている船の模型、飾られた様々な魔獣の剝製、ソファにブランデーグラスなどといった品の良い調度品の数々が揃えられている部屋で、紳士服の男とは向かい合うようにソファに腰かけていた。

 

「たった七年で、かつては抜け殻だった君が今では強く、賢くなり、誰にも負けない真の強者までに成長した。今でも初めて対面したあの時を昨日のように思い出すよ」

 

 紳士服の男の方は昔のことを懐かしみながら、片手に持つブランデーグラスに室温のブランデーを少量入れ、香りとともに味わっている。

 

「…そんな昔話を聞かせるためだけにわざわざここに呼びだしたのか?」

「相変わらず無愛想な男だな君は」

 

 クリストファーの突き離すような物言いを気にせず、紳士服の男はブランデーを飲み干し、空になったグラスにおかわりを注ぎながら話を続ける。

 

「学院でのことは報告書で目を通した。奴らも同じく教員が殆ど出払っている絶好の日に動いたようだな。狙いはやはりエルミアナ元第二王女……今はルミア=ティンジェルと名乗っていたかな」

「ああ」

 

 数週間前にアルザーノ帝国魔術学院でおこった自爆テロ未遂事件の当事者であるルミア=ティンジェル。

 彼女の正体は現女王アリシア七世の娘の第二王女エルミアナ=イェル=ケル=アルザーノであり、また“異能者”でもあった。

“異能者”とは、生まれながらにして魔術とは別の力を持った人間のこと。それは魔術と違い原因が解明されておらず、帝国で何百年も悪魔の生まれ変わりと差別・迫害されてきた。

 そんな悪魔の生まれ変わりが王室に生まれてしまい、彼女は様々な政治的事情で三年前に流行り病で死んだことされて放逐され、フィーベル家に預けられ、ルミア=ティンジェルとして生きることになった。

 そういった複雑な経緯を持つ彼女の能力を狙って、天の智慧研究会は魔術学院2年次生2組の元担当講師であり、要人暗殺用の人間爆弾であるヒューイ=ルイセンを使って今回学院を襲撃したのだ。

 なお、彼女の転送に失敗したヒューイはそのまま宮廷魔導士団に捕縛され、現在は国軍省の本部で組織に関する情報を引き出すために事情聴取を受けているのは別の話である。

 

「あの娘はいまだ自分の力の重要性に気付いていない。あの調子なら奴の目的成就まであと数年先は手は出さないと思っていたが…………クズ共は相変わらず堪え性がないようだ」

 

 淡々と今回の事件での天の智慧研究会の動きを説明したところで、クリストファーはかつて自分がいた組織の凶行に眉をひそめる。

 自分を廃人にし、捨て駒同然に扱ってきた組織に対して誰だって良い印象は持たない。寧ろ『組織の連中全員地獄に落ちろ』と毒を吐くぐらい憎んでいる。

 

「……成程。君が任務を放棄せざるを得なかった状況だったのは納得だ。今回の計画延期はダーニック含むほかの幹部連中も君を責めまい。確かに例の物の入手は叶わなかったが、彼女が連中の手に渡るのは我々”機関”にとっては喜ばしくない。早めに”鍵”を抜き取られでもすれば我々に勝ち目はないからな。その代わり、あの『竜帝』のレイクを始末し、敵の幹部クラスの連中に関する情報を手に入れることができたのは嬉しい誤算だ。ただ………」

「ただ………なんだ?」

「組織にとってはほんの小さなことでも、君にとっては非常に大きな誤算が一つ生じてしまった。もちろん賢い君なら気づいてるはずだ」

「……俺自身への危険についてか?」

「そうだ」

 

 紳士服の男が言う誤算。

 それは、クリストファーが演じていた連続殺人鬼『シャドウ』が生きていたことを知られてしまったこと。

 一部の民衆から英雄視されていた彼を殺してしまったと思っていた帝国軍上層部は再び捕えに来るだろう。

 さらに、一番の問題が天の智慧研究会だ。帝国軍の情報規制で生存の事実は一部しか知られていないが、帝国政府側には天の智慧研究会の息のかかった連中が大勢いるため意味がない。

 今回は仲間のドリューの擬態で何とか誤魔化せたが、どこかでぼろを出して正体がバレればルミア誘拐を妨害と今までの分の報復として殺しにかかるのは確実だ。

 

 これこそが、今回のスネーク・ハントにおける最大の誤算。

 敵の目的を一時阻止した代償に、政府と外道魔術師たちを相手に再び追われる身となったのは、クリストファーも自覚していた。

 

「それに学院には”魔女”や”愚者”だけでなく、元王女の護衛に”吊るされた男”がいる。奴は君を怪しんで、身元を調べていた。それも鼠を使ってコソコソと」

 

 そう言って紳士服の男は懐から数枚の写真を取り出して、クリストファーに見せる。その写真にはチョビ髭の中年男が街中を歩き回っている様子が様々なアングルで写っていた。

 

「幸い、念の為用意しておいた偽情報で一時は退けたが、もう同じ手が通じるとは思えない。今後新たに人材を送りこんだとしても、学院教員にスパイが紛れ込んでいたと分かった以上、今後徹底的に調べられるだろう」

「………確かに、非常に頭の痛い問題だな。ということは、俺はアンタらにとって替えのきかない存在になったわけだ」

「そうなるな。だから再びチャンスが巡ってくるまで、君たちには引き続き学院に潜入してもらう。これまで以上に慎重に動いてもらうことになるが、こちらでも裏で色々とサポートしよう」

「………わかった。ようやく役に慣れてきたところだ。そのチャンスがくるまで上手くやっておくよ」

「健闘を祈っているよ」

 

 ここでの用が済んだクリストファーは白衣を手に取り、談話室の重厚な扉に手をかけようとする。

 その時。

 

「ああ、そうだ。君に一つ忠告しておくことがある」

「……なんだ?」

「潜入任務で気づかれない以外に最も気を付けるべきは、自分を見失わないことだ。あまり演技にのめり込み過ぎれば、いつか相手を騙してることに罪悪感を覚える。そしていつかどこからが演技で、そこまでが本気か分からなくなり、激しいジレンマに悩まされ………最後は身を滅ぼす」

「………肝に銘じておくよ」

 

 最後にそう言い残し、クリストファーは談話室を出るのであった。

 

 

♢♦♢

 

――アルザーノ帝国魔術学院自爆テロ未遂事件から一月後。

 

 どうも”事件解決の功労者”となったグレン=レーダスは、正式にこの学院の講師として就職することが決まったそうだ。

 それまでは真面目な授業を行うようになったとはいえ、魔術嫌いは変わらぬままだった彼が、何故そのような形に至ったのかは分からない。

 いや、分からないというのは間違いだ。

 現にクリストファーは、何故にグレンが正式に講師となったのかの理由について、その大体を察している。

 

 だが、そこまでだ。

 彼は別段、グレンに強い興味があるわけではなく、彼が学院から去ろうが残ろうがどうなろうと知ったことではない。

 いつの日だったか、彼に助言らしいものを授けたことはあったが、あれは単なる気まぐれも同じだ。2度目があるかどうか、それこそ分からぬものだ。

 

 けれども、あの男はクセはあるがギリギリまで追い込めばそれなりに使い道がある。

 クリストファーほどではないにしろ、魔術に依らない近接戦闘能力の他に、セリカ=アルフォネアが得意とする究極の攻性呪文【イクスティクション・レイ】、魔術のみに傾倒する魔術師たちへの切り札である固有魔術【愚者の世界】、そしてもう一つ切り札を持ち合わせている。 

 今回の襲撃の主犯である魔術結社『天の智慧研究会』は、グレンの教え子であるルミアの誘拐に失敗した。シンボルにしている蛇のように狡猾で卑怯で姑息であるクズ共の集団は九分九厘再び彼女を狙うだろう。

 そうとなれば、あのグレンが黙って見ている筈がない。自ら事件に巻き込まれ注意を引いてくれる。

 

(………まあ、思い通りに動かないのならその時は――)

 

「――ん。クリストファー君」

「ん……? ――あっ、失礼。何でしょうか、学院長?」

 

 考えごとを1度止め、呼び掛けてくる一人の初老の男性――リック=ウォーケン学院長の声に遅れながら応じる。

 

 煌びやかな絵画や古めかしい本棚、磨き抜かれた飾り鎧、ソファーにシェードランプなどといった品の良い調度品の数々が揃えられている、学院長室の奥の机に、腰掛けているリック学院長は、学会から戻って来て早々、今回の襲撃事件の事後処理や、学院理事会への学院講師にテロリストのスパイが紛れ込んでいたことに関する説明などで苦労したようで、普段好々爺然とした表情に疲労感が混じっている。

 

「大分遅くなってしまってすまないね。先月の一件、本当に申し訳なかった」

「学院長が謝罪する必要はありません。グレン先生が戦っているとき、自分は生徒達と教室に籠っているだけでしたから………」

「そのことは気に病む必要はない。学院の守衛もまるで歯が立たない程の凄腕クラスの外道魔術師の迎撃を任せるなど、それこそ大きな間違いじゃ」

(その外道魔術師の殆どを迎撃したのは俺だが………)

 

 あの事件の際、クリストファーが殺人鬼『シャドウ』として外道魔術師達を皆殺しにしている間、予め用意していた影武者ドリューには『クリストファー=セラードはシャドウではない』というアリバイ作りのため、生徒達のいる教室でクリストファーを演じてもらった。一度教室に戻ってきたグレン(とシスティーナ)が『クリストファーが学院にテロリストを招き入れた裏切り者ではないのか?』と疑うという誤算が生じたが、ルミアの護衛として潜り込んでいた宮廷魔導士に掴ませた『クリストファー=セラードは東の国境の激戦で重傷を負い、魔導戦ができなくなり不名誉除隊となった退役軍人』という偽情報と、本当の裏切り者であるヒューイの逮捕によってなんとか解決したのだった。

 

 その結果、グレンとは少々気まずい雰囲気がしばらく続いているが

 

「ところで、君は偶然『シャドウ』に間一髪のところを助けられたと聞いたんじゃが………」

「……自分は連続殺人鬼の姿を見たことがないためはっきりとは断言できませんが恐らくそうでしょう」 

「彼を直接見てどうじゃった?」

「そうですね………しいて言うなら噂通りの怖ろしい怪物だった、でしょうか。それがなにか?まさか学院長も私を疑うというのですか?もうこんなのはウンザリなんですけどね」

 

 クリストファーの目付きが伊達眼鏡越しに若干鋭さを帯び、気付かれない程度に学院長を睨むつけると学院長は首を横に振り、「違う」と否定した。

 

「君を疑うつもりなどないよ。ただ、少し君の意見が聞きたくての」

「自分の?」

「うむ。……クリストファー君、君は件の殺人鬼が過去にどういう輩を殺めてきたのか、知っているかな?」

「どういう輩って……やはり魔術師でしょう?少なくとも一年前までの新聞や近所の方々から聞く噂話では、一般人を襲ったという情報は聞きませんからね」

「そうじゃ、魔術師なのじゃよ。彼が殺害対象として定めているのは。……まあ、正確には人の道を違えた『外道魔術師』なんだがね」

「………」

 

 ここまで話を聞いて、クリストファーはリック学院長の言いたいことに大体察しがついて来た。

 『外道魔術師』と改めたのは、単に件の殺人鬼が見境なく魔術師たちを殺しているわけではないことの証明。

 彼を庇うつもりではないのだろうが、学院長的にはその輩が、単なる殺戮狂ではないと考えているらしい。

 

「魔術の探究のためならば、他の一切を犠牲にすることも厭わない外道魔術師を狙う彼の存在を知る民衆は、当然のごとく彼を恐れ、だがそれ故に外道魔術師を狩り続ける件の殺人鬼に対し、ある種の好感を抱いている者もいたそうだ」

「それはまた……怪物に好感を抱く民衆とは、世も末ですね」

「じゃが彼が生きていたことが世間に知れ渡れば、そういった国民が今後増え続けるだろう。そしてその後どうなるのか……それを想像するのは、そう難しいことではない」

 

 事実、シャドウの出現してから外道魔術師達が魔術を使って起こす凶悪犯罪の年間件数が減少していた。そして、去年シャドウの訃報が公表されて以降犯罪件数がぶり返しかつ急激に増えだし、その結果、この国の民衆にシャドウを殺した政府側に反感を抱く者達が急激に増えている。一時期暴動が起こり、精神系の魔術で強制的に鎮圧されたこともある。

 

 次はどうなるか?

 

 想像するは容易く、だからこそそうなった時にどれ程の被害が出るのかを、学院長は考えていた。

 

「クリストファー君、常日頃から過度な魔術の使用を忌避する君に問いたい。君から見て我々魔術師は――魔術は、忌むべきモノだと思うかね?」

 

 糸目と表わせる細目を開き、普段の好々爺然とした空気は消え、学院の長としてリックは彼に問い掛ける。

 

(何を今さらお前ら魔術師は――――)

 

 クリストファーは出かかっていた本音を隠し、代わりに至極真面目な口調で彼の問いに対する別の答えを、その口より吐き出した。

 

「……そうですね。一般人の中には、そう思う者もいるのでしょう。実際に魔術で家族を失った者たちもいますし……危うく生徒達に危害が及ぶところでした」

「……やはりか」

「ええ。ですが学院長、憎むべきは人を殺した個人であって魔術師という存在ではありません。人間は多種多様、この世に善人や悪人やクズが存在するように魔術師や魔術を簡単に悪と一括りにすることはできるものではありませんよ。それにですね――」

「?」

「力の有り様なんて人間の捉え方次第で変わるものですよ。他者を思いやる心をもって病に苦しむ人々を癒すのに利用すればそれは善なるものとして、逆に道徳心の欠片も持ち合わせない人でなしが自らの探求心や欲望を満たすためだけに他者の命を弄べば得体の知れない悪魔の妖術で、人殺しの道具で、法も道もない忌むべき外法として捉えられます。結局のところ、忌むべきか否かなんてそれを扱う者の行動と周囲の評価で変わるものなんですよ」

「………つまり君はこう言いたいのかの? 儂ら魔術師全員が魔術を真の意味で人の力に役立てればいずれ人々は善なるものとして認めてくれると?」

「まあ、大体そういうことになりますね。もっとも、全員にそう働きかけるというのは口で言うほど簡単ではないのはわかっていますが………」

「………ふむ」

 

 その答えを聞き終えて、張り詰めていた空気を解き、いつもの姿勢へと戻る学院長。

 グレンの次に学園に教員になって日が浅く、周囲からの評価も微妙だが、彼には他の者たちにはない『ナニカ』があった。

 

「それでは、自分はこの後授業の補佐がありますので」

「ん?ああ、もうこんな時間か。時間を取らせてスマンのぅ」

「お気になさらず。では失礼します」

 

 バタン――と重々しい扉を閉めて、白衣の教員が学院長室を出る。

 

 

 

 その数分後、糸が切れた人形の様に動かないクリストファーが医務室に運ばれた。

 二年次生二組の魔術戦術論の授業の際、とんだアクシデントでガラスケージの中にいた毒蛇が脱走。更に恐怖で動けなくなった生徒に嚙みつこうとしているところをクリストファーが庇い、代わりに嚙まれてしまうことになった。

 

(ヤバい。これバレる前に死ぬかも)

 

 

 



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