ひぐらしのなく頃に 決 【影差し編】 (二流侍)
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Episode 『記憶の記録』 
◆プロローグ


注意:この作品は『ひぐらしのなく頃に』の二次創作です。オリジナルキャラは多用しないつもりではありますが、作品の関係から主人公や両親といった主人公の関係者にオリキャラを用います。予めご了承ください。

この作品は『ひぐらしのなく頃に 決 【訳探し編】』の続編となっております。前回の話を踏まえた話もありますので、先にそちらを見ていただくことを推奨します。


◆始まりの追憶

 

 ……深い。

 肝を冷やされるような悪寒によって苦しめられ、次第に通常の感覚はどんなものかさえ失ってしまいそうになる。叫ぼうとしても口は縫い合わされたかのように開くことさえままならない状況。まるで見えない拘束具でも付けられたようで手足さえも満足に動かすことが出来ない。

 ……ここは地獄なのか天国なのか。それとも……奇跡を信じての現世か。現世なら水の中……が一番近いかもしれないけど。

 そして自分はその証拠をみつけることが出来ない。悪寒に動かせない手足。周りは溶け込むような黒と紫の景色。たった3つだ。それ以外の状況が見当たらない景色だった。どちらが上で下かという概念さえ怪しいもので、行ったこともないのに宇宙にいるようだと考えてしまう。

 突然胸の痛みが全身を襲い、そのせいで声に出来ない悲鳴をあげたくなる。刃物で刺されて、穴を広げようとかき回される感覚は今まで感じたこともない痛み。意識を持っていることが嫌と感じてしまうほど痛みがひどく、そしてそれ以上に気持ち悪さを感じていた。何故、何度もこの痛みを感じていることだろう。定期的に襲われてきて、すぐに止む。これではゆっくり寝ることが出来ないというもの。

 なぜこんなに痛むのか、考えなければいけない。

 記憶は断片的なものでしかない。それも蜃気楼のようにはっきりした鮮明さを失っていて、遠い昔のように思えるあの日の出来事が消えかかっていた。それでも頭の中で見える情景を1つ1つ自分の中で問いかけては、答えを導き出す。

 前原君との喧嘩も。

 園崎さんの症状も。

 古手さんの諦観も。

 竜宮さんの努力も。

 北条さんの不安も。

 ……綿流しが終わっての翌日も。

 曖昧な中身を僕は必死に思い返し、そして結果として分かるだけの概要に苦悩する。

 そのたびに拳を握りたくなる。どうして自分は何もできなかったのかと。

 全てにおいて自分は失敗していたような気がした。前原君の失踪、あれが全てだったような気がする。波紋は起きたら徐々に広がっていくように。事態は予想していたよりも大きくなっていった。

 そしてもう1つの波紋として起こった第二の失踪。園崎さんの失踪。

 2人を探そう。そう言いだしたのがきっかけで、捜索が行われることになった。でもそこで起こったのは発見ではなかった。そう、オヤシロ様とは関係ないところでの事件。竜宮さんたちの遺体を目撃してしまったことだ。そして慌てて、逃げて……何者かによって撃たれた。これが全てだった。

 なら、どういうことか。胸の痛みのおおよその理由がわかる。そして同時に淡い希望が無くなったのが分かった。天国か地獄の二択。でも部活で悪さをしたから、天国はあり得ないのかもしれない。

 未だ混乱しているにも関わらず、昔の楽しかった日々にフッと笑みがこぼれる。

 本当に、楽しくて……あっさりとした人生だった。

 約16年間の僕の人生。終わってしまったことにグダグダと文句を垂れても仕方ないのだけれど、後悔はなかったのだろうか。輪廻に導かれるままに、新たな生を受け入れられるのか。

 

「……そんな訳ないよね」

 

 気持ちよりも先に言葉が出てしまっていた。

 ……きっと、違う。人生を悔やんでいる。そうに違いない。ただそれを誰かに向けてぶつけたり、解消したりすればいいのか分からないからこのような判断になるのだ。だからこそ、分からないからこそもう一度……もう一度あの時に戻りたい。

 みんなで笑える日々を、バカ騒ぎ出来る日々を取り戻したい。

 そう願った時、見つめていた遠い視線の小さな1点が変わったことに気づいた。星のような小さな光。

 淡く輝くそれはこの落ち込んだ世界に反発するかのよう。やがてそれは真ん中から明るさを増して、広がっていった。黒から白へ。変わりゆく景色にようやく思い出される。それは昔、雛見沢に越してすぐに夢で見た光。それと同じような光だと分かったのだ。

 そして聞こえてくる――――あの声。

 

『あなたは選ばれた。さぁ、あらたな駒としてこの惨劇に挑みなさい。篠原孝介』



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■影差し編【Ⅰ-Ⅰ】

彼は彼女を救おうとした

だけどあなたは死ぬ

彼女は彼を救おうとした

だけどあなたは死ぬ

彼らはあなたを救おうとした

だからあなたは救えない



Frederica Bernkastel



「うわああぁああぁあ!!」

 

 湧き上がる恐怖は狂気へと駆り立てていた。悲鳴を上げながら布団を蹴りとばしていたことも気にしない。ジッとはしていられない感覚に、身体を震わすことしか出来なかった。神経質になった五感は張りつめていて、環境音さえ聞き逃そうとしない。些細な違和感でも気づけそうだ。

 視線を素早く動かして部屋にいることを確認する。……誰もいない。自分の部屋。

 部屋の片隅には引っ越したばかりでダンボールが積まれている。窓の近くに置いた机の上には本が積まれている。それ以外には何もない。つまり誰も、隠れる場所なんてないと言うことだ。

 落ち着いて……そう自分に言い聞かせる。

 じりじりと焼けつくような日差しが差し込んできて、部屋の中は乾いた暑さが部屋全体を包む。

 だけど、それとは違う理由で背中が汗ばんでいることが分かっていた。まつげまで伸びた前髪も、べったりと張りついていて気持ちが悪い。

 

「なんで……ゆ、夢?」

 

 条件反射だった。

 咄嗟に胸を抑える。だが、不安とはよそに何も跡や穴のようなものはない。それでも不安は消えることはない。何度も何度も自分の身体を触って確かめる。頭に胸に腕に太もも……部位を全て調べては何もないことに軽い安堵を覚える。それでも不安を消し去るには不十分なのだが。

 そして思う。起きて早々何をしているのだろうか。

 何で僕はこんなことをしているのか、と。

 

「どうしたの!?」

 

 大きな音を立てて入ってきたのは母さんだった。それはそうだろう。僕が村中に響かせんばかりな悲鳴を上げていたのだから。

 どうやら母さんは朝ごはんを作っていたようだ。エプロンを身に着け、手には野菜を切っていたのであろう包丁がある。

 そう、包丁。

 それを理解したとき、得体のしれない何かが僕の中で暴れだした。それを気持ちにするのは難しく、喚きたい衝動だけが生まれている。

 駄目だ。目の前で叫ぶわけにはいかない。

 咄嗟に口元を手で抑える。抑止となったその手は、僕の中の物体が静まるまでずっと抑える事になっていた。もししてなかったら叫んでいたことだろう。肩で息をし、少し目に涙を溜めた状態で数秒。

 ようやく落ち着いた。そう思って手を放す。もう暴れだすことはなかった。

 母さんはそんな自分を見て、動揺している。

 

「孝介、どうしたの? 顔が真っ青よ……」

「え、いやその……」

「うん?」

 

 言葉がまとまらない。僕自身もよく分からないまま感情を押し殺していたのだから。

 

「……夢、夢を見たから」

「夢?」

「そう……」

「夢ってどんなの?」

「胸を撃たれて――――」

 

 そのあとが続かない。続きの言葉を言おうとして、口元を開いて、固まってしまった。

 記憶をもう一度確認してみる。確かに自分は逃げ回り、何かを見て、泣き喚きそして……死んだ。殺されたのだ、たった一発の銃弾で。あまりにもあっけなく。

 そう、そこまでは分かっていた。震えあがってしまうほど怖いという感情が、自分の中で渦巻いていたことも分かっている。

 だけど何故? 誰に? が分からない。

 先ほど見ていた鮮明な夢であったはずなのに、今起きてみた夢を思い返してみようと思うと靄がかかったように思い出すことが出来なかった。夢は過去の記憶の整理から生まれるごちゃまぜのもの。ならこの記憶も過去に起こった出来事であろうか。

 どちらにせよ本当なら喜ばしいことである。怖い思い出なんて記憶から消えればいいのだから。

 でも今回は違う。忘れてはいけないような気がしてならない。思い出さなければならないと考えてしまうのだ。それがあまりにも恐ろしい出来事だったとしても。

 

「それで……」

 

 何度も同じ台詞を吐いていた。……やはり、その先が思い出せない。

 悔しくて仕方がない。どうして忘れてしまったのか。

 

「孝介、少し落ち着きなさい」

 

 優しい声で呼びかけられる。今の自分は一体どんな顔をしていたことだろう。難しい顔をしていたことは分かるが。

 母さんは何も言えない自分のことを心配してくれたようで、包丁を机に置いてから手を頭の上に置いてくれた。唐突な出来事に、心臓が一瞬だけ飛び上がっている。

 母さんは面白おかしそうに笑いかけながら、僕の頭を撫でてくれた。

 

「悪い夢を見たのね。なら、無理に思い出すことはないわ」

 

 優しげに諭してくれるが、どうしてもそれだけでは納得がいかない。

 

「違う。悪い夢じゃないんだ」

「悪い夢じゃないなら、現実とでもいうの?」

「現実とはまた、違うんだけど……その……違和感というか……」

「孝介。違和感なんて一時の気の迷いよ。それに不安を覚えていたらあなたの精神が持たないわ」

「……そんなこと」

「本当に思い出したら、その時は相談しなさい。それまでは気にしないでいくこと」

「……」

 

 やはり僕の身を案じてこうやって説明されると、どうしても反発が出来ない。

 昔から泣いていた時や辛かった時によく起きた口喧嘩だ。その時も母さんにこうやって頭を撫でられながら、諭されるやり方に負けてしまっていた。

 本当ならもっと怒るべきなのかもしれないけど、どうやっても思い出せない以上、ぐぅの音も出せない。とにかく、今は母さんの言うとおり違和感が気の迷いであることを信じるしかない。

 早鐘のようにバクバクと心音を立てていたのだが、ゆっくりとリズムを刻むようになるまで、何も言わないようにしていた。

 言える頃には、朝の大切な5分間を消費していた。

 

「そう、だよね。悪い夢だと信じるよ」

 

 そう、夢。

 恐怖に怯えることはない。恐れることはないのだ。

 ……なのかもしれない。

 

「そう、孝介がそう言ってくれて良かったわ」

 

 母さんはようやく立ち上がると、包丁を持ち直して朝食を準備しに戻ろうとしていた。

 

「さてと……今日から学校よ。ちゃんと朝ごはんは食べて早く準備をしなさい」

「はは……そうだね。山口先生って、遅刻した人に厳しいから」

 

 先生の場合は廊下に立たされることだってあり得そうだし。

 

「山口先生って前の学校の先生でしょ? まだ寝ぼけてるの?」

「え?」

 

 母さんは困ったようにこちらを見つめてくる。

 寝ぼけていたつもりはなかった。前の学校と言っていたのだが、僕は何を勘違いしているのだだろうか。それさえ理解できていなかった。

 

「あれ? 僕って……」

「私たちは引っ越したのよ」

 

 引っ越し……?

 また考える時間が必要だった。確か、昨日は学校に行ったはず……いや、違う。確か転校の手続きをするために行ったんだ。そう、その時も思い返していた。学校が変わったことを一か月前に聞いていたことを。緑豊かでのどかな場所であると。

 引っ越し場所。それは看板で見た――――

 

「雛見沢……」

「そうよ。今日からは雛見沢分校で勉強するのよ」

 

 何故だろう。その言葉を聞いた時、これはありえない事ではないかと思ってしまった。

 



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■影差し編【Ⅰ-Ⅱ】

 朝の登校では周りを見渡すことの連続だった。村の緑あふれる景色、舗装されていない道路やまばらに置かれた電燈。村人も農業に勤しんでいる姿を何度も見た。ここでは会社勤めという人たちは小数派になるようだ。その分村人同士の交流が強いようで、行く先々で仲良く喋っている姿やカップルらしき姿を見ていた。

 友達……出来るかなぁ。

 あれだけの仲の良さを見せつけられると、ここから介入出来るかどうかが分からない。やはり都会っこと話の内容も変わってしまうのだろうか。

 何はともあれ、最初が肝心であることには変わりないだろう。目立つ必要はなくとも、友達は1人でも出来ておきたい。……性格上、量より質を選んでしまう人だし。

 肩掛け鞄を担ぎなおす。目の前の教室のドアを前にして、気合いを入れているのだ。

 ドア越しからでも聞こえる騒がしい教室を目の前に緊張していた。先ほど出会った茶髪の女の子といじわるだった男の子カップル。あの二人もこの学校の生徒だろうし、というより同じ年に近いと思えた。あの子たちなら、仲良く出来るかな。

 

「……」

 

 不思議だ。正直不安で仕方ないのに何でだろうか。上手くいくような気がする。とりあえずこのままいても仕方がない。好印象を与えるためにも、笑顔で対応していくことが大切だ。

 鏡が無いから出来ているかどうか分からないけど、目元を上げて、口角を上げればそんな感じになるはず。そう思って優しい表情を作った自分は一息ついたのち、ドアを開けた。

 

「かかりましたわね!!」

「へ?」

 

 笑顔の後の明るい挨拶。これが上手くいく秘訣だと信じていた。

 なのに嫌なフラグを立てられた気がした瞬間、立ち止まった自分の目の前に突如チョークが――――

 スコーーーン!!

 

「いったぁ!!」

 

 僕の額とチョークから良い音を発した。チョークなんてただのカルシウムの塊だと思っていたのに当たってみるとめちゃくちゃ痛い。もしかしたら後で痣が出来てしまいそうだ。

 思わず、膝をついてしまって自分の身体の状態を確かめる。外傷は額だけだし、他はないけど……。

 しかし何でこんなことをされたのだろうか。しかも初めて会ってこれから仲良くしたいという人に。

 

「何で……」

 

 いきなりの仕打ちに少しショックを隠し切れない。転校初日にこんな仕打ちにあうなんて、今後に不安を感じてしまう。もうこんな事ないと思っていたのに……。

 蹲る僕の視界に細い足が近づいてきたのが分かる。床に転がったチョークを拾いながら、面白みのなさそうに挑発をしてきた。

 

「あら、今日はいつにも増してお間抜けですわね? これはフェイクのためだったのでそこまで威力を求めていませんのに」

 

 威力って何さ威力って……。というよりこれで序の口なら、ラストは陥没してしまう威力とでも言いたいのだろうか……。こんな悪戯をする奴は一体誰なのだろう。

 痛む額を手でさすりながら主犯の姿を確認する。だが顔を上げ、相手が僕よりだいぶ年下の女の子だと知ったときは思わず驚かざるを得なかった。

 

「女の子……?」

 

 金髪に見えるショートカットの髪にカチューシャを付けた女の子。夏にあった薄い緑の制服と黄色いネクタイが悪戯好きな性格である彼女によく合う。明るい雰囲気を醸し出していた。時折見せる犬歯も彼女の行動的な性格だという物的証明に見える。

 ……静寂が訪れる。クラスの中で気まずい雰囲気が流れていた。

 唖然としてしまう僕。そして、そんな彼女も僕と同じように口を開けている。

 

「圭一さんではありません事?」

「誰? 圭一って……」

 

 まさかの人違いなのか。いや、それなら僕に謝るべきではないのだろうか。そしてそもそもこんな事をしてはいけないのではないだろうか。

 思わず文句を垂れそうになる僕を止めたのは後ろから聞こえる扉越しの会話だった。

 

『だから、圭一君が開けるべきだよ』

『へ! 今回は全部回避してやるぜ!』

 

 意気揚々とそんなやり取りの後、ガラガラと教室に入ってくる者がいた。

 みんなの視線が一斉にドアの方へと向けられる。当然自分もそうで、振り向けば朝見かけたカップルがいた。

 扉を開けた男の子の方は開けて早々柔道の構えをして、来るべき被害に対しての構えを見せていた。

 ……きっと、あの人が圭一という人なのだろう。

 数秒の間。シュールな時間が流れている。ようやく構えを解いたと思ったら、次の行動は誰かに向けた賞賛だった。

 

「……おぉ、何もねぇ! 沙都子の奴、ようやく自分の罪を理解してやめるようになったか」

「ねぇ、圭一君」

「お? どうしたレナ?」

「目の前の子……」

「――――おい! そいつって!」

「今日の朝見かけた人かな、かな」

 

 どうやらこの男の子は圭一君というようだ。同じクラスの生徒という事で間違いはない。そしてレナと呼ばれた女の子も机まで鞄を置きに行こうとしているので、クラスメートになるはず。

 ……そもそも違うクラスが存在するのかが不明なんだけど。

 とりあえずまだ展開に追いついていない。分かることはこの状況で一番の中心人物は一人しかいないことだけ。

 

「ええっと……」

 

 やはり誰という疑問がこの教室で渦巻いていた。みんなからの視線が矢のように刺さってくる。

 何か言うべきなのはわかってはいるのだけれど、このような事態を招いていてしかも転校生。大人数と喋るのがあまり得意ではない僕からしたら、恥ずかしくて発狂してしまいそうだ。

 笑顔だ。笑顔になろうと考えるのだけれど、今やれば攻撃を受け視線を浴びて喜ぶただのMにしか見えない不思議。

 どうしよう。こんな状況になるなんて考えてもいなかった。いや、考えられてもそいつの頭はどうなんだって思われそうなんだけど……。

 

「篠原さん、こんなところにいたのですか!? 何をしてるんですか!?」

 

 初めての登校をしただけです。それがこんな公開処刑に巻き込まれるなんて予想していなかったです……。

 というより新たな登場人物、今度は一体誰なのか。

 圭一君を押しのけて入ってきたのは青い髪のショートの女性だった。手には出席簿、大人びた細長い体躯、優しげでありながら厳しい一面を見せそうな瞳。

 そして何より大人がここにいるという事を考えたら、結論は一つしかない。

 

「せ、先生……」

「全く、今日は話があるので先に職員室にきて下さいと言ったはずですよ?」

 

 そういえば昨日────詳しく言えば引っ越しの日に学校行ってそんな事言われたような気がする。すっかり忘れていた。どうやら中々に大切な話だったようで、先生の顔は厳しい顔つきに変わっている。

 これはすぐにでも謝るべきだろう。忘れていた僕の失態であるのだから、そう思って素直に頭を下げる。

 

「ご、ごめんなさい……」

「……もう、次からは気を付けてくださいね」

 

 そして、と言葉を繋いだかと思うと僕に向けていた目線はレナさんたちへと変わる。

 

「これはどういう事なのですか?」

 

 やはり現状の違和感に気づいたようだ。というより気づかない方がおかしい。

 僕の額を指さして、先生は事の経緯を説明するように言った。それはそうだ。このようなハプニングがあれば先生が気になるのも当然の事だろう。いじめの現場にも見えかねない状況に、圭一という人も軽く狼狽しているように見えた。

 

「お、俺じゃねぇぞ! そいつは沙都子がやったんだぜ」

 

 首謀者と誤解されたくない彼は沙都子さんのせいだと言い張る。

 どうやら先ほど名前出された沙都子というのは少女のことで合っていたようだ。

 実際間違ってはいないのでみんな何も言えない。もちろん沙都子さん本人も。

 

「そうなのですか? 北条さん」

「……はい。私がしましたわ」

 

 素直に頭を下げて、自分の失態を認める沙都子さん。いや、北条さんというべきだろうな。

 それから先生が軽く注意をしている。当然だ、いくら小学生だとしてもやっていることは軽視出来るものではない。これからはさせないようにするためにも、今ここでしっかりと注意をしておくべきだろう。

 

「人を傷つける行為は許されることではありません」

「ほ、本当は違う人にやってもらう予定でしたわ」

「それは理由になっていません。他にする人がいるということさえいけないことなのです」

「……はい」

「分かりましたら、まずはやることがあるでしょう?」

 

 あえて明言をしないあたり流石先生というべきなのか。

 北条さんはすたすたとこちらに近づいて僕に頭を下げてきた。

 

「本当にすいませんでした」

「え、あぁ……」

 

 いきなり謝れてはこちらとしても気まずいというものだ。実際みんなが見ているのだ。今は僕の言動について注目をしている。ここで断れば一体みんなからどんな評価を受けるのだろうか。嫌な奴か、はたまた心の狭い人間か。そんな評価はされたくない。

 そもそもまだ知り合ったともいえない少女に頭を下げさせるの辛いのがある。

 この対応に対する答えは一つしかなかった。

 

「別に……いいよ。そこまで大きなけがをした訳じゃないんだから」

「それでも私はひどいことをしてしまいましてよ?」

「自覚があるようならいいよ。なら次からはしないように……気にしないで」

「……ありがとうございますわ」

 

 今度は頭を下げることもなく、笑顔でこちらを見てくれた。そちらの方がこちらとしても気が楽だ。

 ……みんなも安心してくれているようだし。先生もこのやり取りを見てよいと思ってくれたのだろう。

 僕の背中を軽く叩いてきたと思うと、そのまま先生は教壇の前まで歩く。クラスメートはいつの間にか各自席に座り始めていた。

 

「はい、じゃあ朝礼を始めましょうか! みなさんおはようございます!」

「「「おはようございまーす!!」」」

「今日は新しく来た転校生を紹介しますね! もうみんな分かるとは思いますがここにいる――――」

 

 その時廊下側からベルだろうか、カランカランと鐘のような音が聞こえた。

 



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■影差し編【Ⅰ-Ⅲ】

「本当にあの時は困ったんだぜ!」

 

 前原君がアスパラガスの肉巻を箸で掴みながら、僕に北条さんのトラップについて熱く語ってくれる。まるで自分の伝説でも語るその様が彼の北条さんに対する気持ちが伝わってきそうだ。

 聞き手に回りつつ、卵巻きに手を付けうんうんと話を聞き入っていた。

 自己紹介も終わった昼休みだった。

 一通りの名前を覚えたのはいいけど、こんなにも積極的に話し掛けるメンバーとは思っていなかった。もう少し下手に行くと思っていたものだから、これが田舎と都会の違いなのかと驚いてしまう。

 ……いや僕としては積極的に来てくれたら話しかけやすいし、まぁ嬉しいのだけれど。

 メンバーとしては園崎さん、竜宮さん、北条さんに古手さん。そして前原君というメンバー構成だ。これがいつもいるメンバーらしい。どういう基準で集まったのかはよく分からないけど、いつの間にか出来たようで。

 園崎さんはこのグループのリーダー的存在。いや、クラスの委員長をしていることから的ではないのかもしれない。その活発的かつ積極的な姿勢は僕とは真逆の性格と言える。みんなのムードメーカーといっても過言ではないのだろう。僕を食事に誘ってくれたのも彼女である。

 竜宮さんはおしとやかでとても家庭的だ。そしてさっき前原君とお似合いですよ、と言ったら顔を赤くするというかわいらしさもある。本当に裏のない素直な性格だと思えた。そんな彼女は自分で作ったとされるお弁当を手にして、みんなにおそそわけをしている。

 それに古手さん。まさに人形みたいな不思議な雰囲気と愛着さが見える。前原君曰くかなり出来ると言っていたけど、何が出来るということなのか意味が分からない。そういえば古手さんが昨日あっていたと言ってた。あったような、なかったような……どうだっただろう。そんな彼女は現在ニコニコと明るい笑みを見せて北条さんとしゃべっている。

 こんな個性的なメンバーと転校初日から出会えるなんて……予想だにしてなかった。いや、何か最初から出会ってしまう運命だったとさえ思える。最初のチョークを受けた瞬間から。

 そんな事考えている時にも竜宮さんは大きな包みを開けていて僕にサツマイモの煮物を勧めてくる。まぁ『まるで五重塔!?』と思うくらい大きすぎるし、もとよりみんなにあげるつもりだったのだろう。数に余裕がある。遠慮なくいただいて、竜宮さんの料理に思わず舌鼓を打っていると、前原君の話し相手は園崎さんに変わっていた。

 

「それにしても沙都子ってなんであんなトラップを仕掛けられるんだ?」

 

 前原君はいつも北条さんのトラップを受けているという。時には夏場であっても、バケツを頭からかぶってびしょ濡れということもあるらしい。本当によく身体が持っているものである。これで不登校にならないのは、一重に彼の信頼が窺えるものだ。

 園崎さんがまさにそれ、と指を突き出しながら同意した。

 

「それは確かに思うね。あたし達も時々手伝う時もあるけど、なんでこんなところにって思う事がいっぱいあるしさ。全く、沙都子には驚かされてばかりだよ」

「をーほっほっほ!! 私の知恵を用いれば、クマをあしらう事も造作もないことですわー!」

 

 確かにそれは凄い。クマさんがかわいそうに思えるほどだ。理不尽に攻撃を喰らうのだから。

 思わず苦々しい表情をしたくなることもサツマイモの甘味に消されていた。大学イモのような甘い味覚にほっこりとさせてしまう。

 

「しかし沙都子。教室のドアに画びょうを仕掛けるイタヅラ。やめてくれよな?」

「何を言いますの圭一さん。あれくらいのトラップを避けられなければ私のトラップを受ける資格なんてありませんわー!」

「……いや別に受けたくて受けているわけではないんだがな」

 

 前原君が分かりやすくため息をついている。彼は穏便な形をご所望のようで、確かに扉に画びょうは度が過ぎた遊びにしか聞えない。彼女自身はそれは序の口でしかないと言いたいようだけど。それを信頼ととるべきなのか、微妙なものだ。

 そんな様子を見ているとトントンと指で肩をたたかれた。誰だろうと思うよりも前に、何だろうだった。竜宮さんがこちらをじっと見てきてる。何かを確かめるような、純真な眼。しかしその後言葉を続けてくれない。何か言いたげなのはよく分かるのに。

 なんだか視線を合わせるのが辛くなってきたからはずそうかと考えていた時だった。

 

「ねえ孝介君。孝介君って○×県から来たんだよね? 茨城県じゃなくてさ」

「あ……う、うん」

 

 なぜに茨城県限定?

 

「雛見沢に来たことは?」

「え? 一度もないよ」

「本当に?」

「そ、そりゃあまぁ……嘘を言う必要はないからね」

 

 思わず首を傾げようとした。彼女がここまで聞いてくる理由も見つからなかったし、彼女自身も確信めいた発言でもなさそうだから。それに、まずこれを聞いてきてのその後の発言が分からない。

 もしかして以前に出会ったことがあるというのだろうか。

 それは次に前原君が聞いてくれた内容から察することが出来た。

 

「レナ。なんでそんな事を聞くんだ?」

「うーん……。どこかで孝介君を見た事があった気がするかな、かな?」

「見た? 僕を?」

「うん。話したりもしたような気がするんだけど……」

 

 そんな事あっただろうか? 自分の中の記憶に問いかけてみてもそれらしい返答が返ってこない。でも竜宮さんは確かにあるという。ぼんやりと、おぼろげなものではあるがそんな気がすると。これをデジャブとするなら、過去の出来事がないと起きないはずだし……。

 これはどういうことなのだろうか?

 

「……レナはどうしてそう思うのですか?」

 

 ここで今まで黙っていた古手さんが問いかける。その口調は真剣だ。今までのようにおぼけた調子ではなく、人生相談されたときに思わずしてしまいそうな真剣な面持ちであった。

 竜宮さんは顎に手を当ててその理由を考えた後、ゆっくりとその理由を口にする。

 

「分からない。多分、他の人と勘違いしているんだろうなあ」

「あ、おじさん知ってるよ! 世界で11人くらい似たような人が――――」

「そんなにいねぇよ! 3人だ3人!」

「ありゃ? そうだっけ?」

「あはは。それだと同じ顔の人でサッカーが出来るね」

「…………そうですね」

 

 古手さんにとって外されたくない話題だったのかもしれない。

 彼女は少し声のトーンを落としてそういってから、ハンバークを口に含んで苦虫と共に噛み締めていた。

 

「……でもあたしもその気持ちわかるなぁ」

 

 園崎さんがこのまま沈黙の状況になると予測したためか、そのような言葉で話を繋げようとする。

 

「なんだ魅音。お前もどこかで会った気がするのかよ?」

 

 その言葉に隠された意味をくみ取るかのように前原君も話を合わせにかかっている。

 なるほど、このグループの関係がよく見える会話である。誰かが悩ましげに思うときは、気づいた誰かがカバーをし、それにみんなが合わせていく。これがこのグループの結束力というやつか。園崎さんがムードメーカーとしてみんなから尊敬されているのも分かる気がする。

 

「いやぁ、あたしはそんな感じじゃないんだけどね」

「何だよ? 会ったことないってなら、何に共感したんだ?」

「おじさんはね。ただ孝ちゃんが他とは逸脱した何かを持っているような……そんな気がしたんだ」

「ははは、なんだそれ?」

「それは飛躍して考えすぎだよ……」

 

 僕はふつうの中学進んでいたし、なにより今まではみんなに目立たないように過ごしてきたような人だ。そんな人が逸脱した何かを持っている訳なんてないだろうに……。

 

「翼が生えるとかそんなモノあるわけないじゃねぇか」

「いや、園崎さんが言いたいのはそんな直接的に分かることじゃないと思うよ……」

「じゃあ満月にオオカミになるとかか!?」

「それも何か違う」

 

 前原君はこの世にそんな存在がいると思っているのだろうか。

 

「私が言いたいのはもっと曖昧なものだからねぇ。言葉では説明しづらいなぁ」

「だから……僕はそんなのはないよ。別に特別なことをしてきたわけでもないんだし……」

「まぁ、それはおいおい分かるだろうねぇ」

「え、どういう事?」

「体育があるのは知ってるかな? かな?」

「うん。午後からあることは聞いてるよ」

 

 確か体育は担当となる先生がいない。つまり体育での条件としては外に出て、自由に遊ぶというのが条件という超ゆるい授業内容である。自習と似たようなものだ。運動が苦手な僕にとってはありがたい話だけど。どうしよう、グラウンドの隅っこで蟻の数でも数えていようかな。

 

「実はその時に私たち部活メンバーはみんなと一緒になってゲームをしようと思うんだよ」

「部活?」

 

 部活の単語が出てきたのか理解が出来なかった。思わず繰り返して呟いただけだった。それだけのつもりだったのに――――

 

「お、食いつきたね!」

「え? 食いついてきたって――――」

「知りたいなら教えてあげよう! あたしたちの部活は古くから伝わる武勇、そして伝説を考慮し応用を重ねたもの! その試行を繰り返されたものは全世界において最高の形となって具現化された!」

「私たちは常に弱者、強者に分かれ、その至福か絶望かに一喜一憂する! それこそが本当のスリル、本当の興奮というものですわー!」

「はう~! みんなで楽しく遊んだあと、レナが全員おっ持ち帰りぃ~!!」

「……つまりみんなでゲームをして、そして敗者にはきついお仕置きが待っている。そんな部活なのですよ。にぱ~☆」

「……はぁ?」

 

 思わぬ連携に口を開けっ放しにしていたことに気づく。

 えー……古手さんの適格かつ要点をまとめた説明のおかげで理解が出来たのだけど、それでもなんで今部活なのかは分からない。というよりそれが何を意味しているのだろうか。僕と関係がある話なのだろうか。頭を悩ませていると、隣に座る人からの手助けを頂けた。

 

「まだ分からないか? 孝介?」

「ごめん。まだ分からないよ」

「つまり! 体育の時にみんなでゲームをしてその中で敗者を決めよう! ――――そんなところだろ?」

「流石圭ちゃん! 分かってるねぇ」

「伊達に一か月くらいお前らと付き合っていないからな」

 

 なるほどそういう事か。だったら理解は出来る。みんなに罰ゲームが適用されるから、今回は部活という名目が使われているのだろう。

 

「つまり、僕にも同じように部活に参加してもらうことで、僕に何かしら特別なものを感じ取れると同時。楽しむことも出来ると言いたいの?」

「ザッツライト!」

「へぇ……」

 

 なるほどなるほど。それで部活を使ったのか。よく分かったと思わせるためにも、首を縦に振っておこう。……さて。

 

「因みに棄権ってあり?」

「もちろん。別にいいよ」

「はぁ、良かったぁ! 僕あまり運動を――――」

「……その代わりこれ着て、今日一日中いてもらう」

「――――したいんだよね! うん。いやあ最近動いてないから、これはいけないなぁって思っていたんだよぉ、くそぅ!!」 

「そうなの? 別に無理しなくていいんだよ?」

 

 ならその手に持っているナース服を片付けて……。

 

「まぁ、着たくないとか言って拒否権を発動した場合、強制的に実力行使で着させるから注意してね」

「ガッチリと逃げ道を防がれたような気がする!」

「そりゃあそうだよ。人は戦争で背中を向けた瞬間は死を意味するんだから」

「そんな極限の状況じゃないのに……」

 

 園崎さんが不気味に笑っていて恐ろしいので、とりあえずそれを片付けてもらうようにお願いをする。これは半ば強制的じゃないか……、みんなよくやるようになっているよね。女子は良くても男子にとって恥ずかしいことこの上ない。

 

「どうせあいつらだ。きっと恐ろしい罰ゲームを提案してくるに違いないぜ……」

 

 横から前原君がそう耳打ちをしてくれる。

 

「え、僕みんなをあまり知らないけど――――そうなの?」

「……お前、これまでのことを見てきて十分理解出来ただろ!?」

「はぁ……」

 

 そういわれて今日起きた出来事についてを簡単に思い返してみる。

 ・北条さんにチョークをぶつけられて、額にダメージ

 ・前原君から聞いた北条さんのトラップ地獄

 ・竜宮さんの常人ならざる巨大弁当

 ・園崎さんがどこからともなく出してきたナース服

 

 ……おかしい。たった6時間だけの情報量としてはお釣りが出るくらい多いな。

 

「そういう事だ。気を付けた方が自分のためだぜ」

「で……でも、みんな共通の罰ゲームだよ? 部活関係者ならまだしも、僕らには優しいんじゃない?」

「それチョコレートよりも甘い考えだぞ……」

「2人とも、何話しているのかな? かな?」

「「なんでもありません」」

 

 ハモってしまったから余計違和感だったような気がした。

 

「そうなの? なら良かった」

「あれ?」

 

 てっきりこういうことについては何かと追及してきそうなのに、いやにスッと引いてくれた。

 それよりも、竜宮さんはそんな事を気にせずに、自分の世界に入っているようだ。頬を赤らめているし。……一体何を妄想しているのだろうか。

 

「今日は圭一にメイド服、孝介君に幼稚園の制服を着せてからお持ち帰りしてぇ! 家であんな事、こんな事。はぅううはぅうう!!」

 

 鼻血が出てるのに周りを気にしない竜宮さん、マジ凄いです……。

 

「どうした孝介? まるで倒産寸前で悩んでいる人みたいだぞ?」

「恐怖っていう言葉をよく知れたような気がするよ……」

「今日は孝介さんがいますし、グレードアップした罰ゲームを希望ですわー!」

「ふっふっふ。それはいいねぇ、今日ね実は新しいコスを手に入れたから試したかったんだよ。……男のコになってもらうために」

 

 そうか、僕のために……そうか……。

 僕は静かに肘を机に置き両手で額を当てて、絶望した表情をみんなに見せないように必死になるしかなかった。

 

「ごめん。僕が甘かった……」

「分かってくれて助かるぜ……」

 

 だがな、と前原君は僕に顔を上げるよう励ましてくれる。

 

「それは俺たちが負けた時の話だ。負けなければどうってことはない!」

「ま、まぁそうだけど。勝てる可能性が……」

「そんなのやってみないと分からないだろ! 希望は簡単には捨てちゃダメなんだぜ!」

「……そ、そうだよね!」

 

 こういうときこそ気持ちを強く持つことが大切なのだ。前原君の言うとおり、まだまだ勝負は分からないはず……。

 

『ねぇ、次の時間どうなるかなぁ?』

『体育でしょ? 園崎さんがみんなでやるって言ったもん。前のサッカーみたいだったらいいね!?』

『あれは凄かったよね! 突然ボールが消えたり、燃えたりするし、刺客がいて拘束行為が発生するし、ゴールにはよく分からないけど透明な壁があって入らないもんねぇ!』

『透明な壁を突破するために用いたあれも凄かったよね!』

『爆発したしね!』

『今回はどんなのが出るのかなぁ?』

『楽しみだねぇ!』

「「……」」

 

 近くのグループから聞こえてきたそんな内容。その内容を聞いたうえで僕は前原君に目で訴えかけた。さぁ、この場合に前原君はどう対処する……。

 

「すまん。安易な励ましは注意するべきだったな……」

「ですよねぇ」

 

 あはははと向こうでは盛り上がりを見せている中、僕らはお通やモードに突入していた。

 何? ボールが消えたり、燃える? 刺客? 透明な壁? 最終的には爆発?

 おかしい。僕の知っている国民的サッカーはそんな事一つも起きてくれない……。

 

「まぁ、いいよ。僕たちは素手で軍隊を倒しにいくようなものだったんだ……」

 

 ズーンと絵にかいたような青いオーラを放っていると、流石に園崎さんたちにも気づいてくれたようだ。みんなはとっくに食べ終えた後始末をし始めながら僕たちに話しかけてくる。

 

「どうしたんですの? まるで窮地に追い詰められて絶望している人のような顔をしましてよ?」

「実際そんな気分……」

「はい?」

 

 訳が分からないという表情を見せている中、カランカランとこの昼時間が終わりを告げましたよという合図があった。

 



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■影差し編【Ⅰ-Ⅳ】

「じゃあ今日も体育はみんなで遊ぶことにするよー!」

 

 クラス委員長でもある園崎さんの一言でみんなが半円を描くように集まる。体操服は学校から指定を受けていたもの。女子は体操シャツにブルマー、そして男子は同じ白地の体操シャツにハーフパンツといったものだ。本当なら転校して間もない自分も買った新品の奴が今日着こまれているはずであったけど、引っ越す前の中学と同じ形式。そのまま流用している。だから新品の綺麗さはないのが少し残念でもあり、着心地の良さを感じている。夏場の暑さも体操服の薄さに和らいでいるような気がした。

 ハーフパンツにシャツを入れなおしていると、園崎さんが今回のゲーム内容を説明していた。

 

「今回は古くから日本に伝わりし伝統『おにごっこ』! それをあたし達は最先端の情報を網羅し、工夫させたものを利用させてもらうよ! 時は戦国! 武田と上杉の争いのごとく、長く、そして熱くさせるものである!」

「御託はいいぜ。一体何やるんだよ?」

 

 先ほどまで死人の面から立ち直っただろう前原君が園崎さんに省略を求めていた。炎天下の下で説明を受けるのは、校長の話並みに苦痛なのである。

 そんな文句を言っているのに園崎の笑顔は崩れない。その余裕は言われることを予期していたのか、それとも迫りくる未来に対して何か楽しいことでもあるのか。何はともあれ、園崎さんは腕を振り上げて、今日の部活の内容を発表した。

 

「今回は……ケイドロをするよ!!」

『おぉー!』

「何か異論はある?」

 

 みんなは盛り上がって今回行われるゲームについて闘志を煮えたぎらせていた。隣と握手をかわしているもの。内々に作戦を話しているもの。女の子を眺めながら涎を垂らしているもの。

 とにかく各自で然るべきときに向け、行動をとっていた。

 ……その中に加われない僕だけは空気の読めないクラスメートでしかない。

 どうしようもないということで、手を挙げて園崎さんに質問をする。

 

「あのー。ケイドロってなんでしょうか?」

 

 一瞬だけ静まり返る群衆。

 その言葉にまず反応してくれたのは園崎さんじゃなくて隣にいた古手さんだった。

 

「……簡単に言えば泥棒役と警察役に分かれ、鬼ごっこをするのですよ」

 

 鬼ごっこぐらいなら小学校の時にやっていたこともあって理解が出来る。

 

「警察は追いかける、泥棒が追いかけられる側になりますわ。まず泥棒が逃げる。これは鬼ごっこと同じルールですわ。そのあと警察が追いかけて、泥棒にタッチ。これで泥棒は捕まった事になりましてよ?」

「捕まった泥棒は牢屋っていうエリアに収納される。時間内まで泥棒が逃げ切る、もしくは泥棒全員が捕まってしまったらその場でゲーム終了! だけど泥棒には捕まった泥棒……つまり収納されている仲間泥棒をタッチすることで、その仲間泥棒を助けることが出来るんだよ!」

「あぁ……なるほどね」

 

 ここまで聞いていた分には理解が可能だった。本当に簡単に言えばこれは多人数の鬼が付いたようなものと考えればいいのだろう。

 

「因みに警察は泥棒を捕まえるためにはタッチを二回連続でしなければならない。それが今回の特別ルール」

「あ、うん。大体ルールは分かったよ」

「物分りがいいねぇ」

 

 基本は鬼ごっこと変わらないのでそこまで頭をひねる必要はない。もし分からないような事になれば、その時には近くの人にルールを聞けばいい。それでも分からない場合は感性のままとやらだ。何とかなるだろう。

 だからそのような反応をしたのだ。

 

「よし、じゃあ4人一組になって2人ずつのペアを作ってー」

 

 言われた通りに近くの人たちとグッパー(グーとパーで2つのグループに分けるもの)でペアを作った。因みに僕はグーだ。グーかパー、それぞれが同じメンバーを集めてグループを招集する。

 互いが互いを観察している。普通の遊びでもそうだけど、こういう場合戦力差が偏ることがあるのだ。さて、こちらは誰が仲間になるのやら……。

 

「よ! 孝介!」

「前原君! 同じなんだね!」

「おお、頑張って勝とうな!」

 

 どうやら勝ちにいく気は満々のようだ。その瞳には炎が渦巻いている。その意気込みは勝ちにより近づけることが出来るだろう。

 確かにここまで来たんだ。これ以上弱気になる必要はない。体力はなくとも、機転でカバーしていくしかない。……それよりも、他に誰か同じグループはいるのか。部活メンバーが1人でもいれば、それだけ戦力の分析が楽になってくる。

 周りを見渡してみると、こちらに近づいてくる一人の少女がいた。

 

「……みぃ。圭一と篠原と同じグループなのですよ」

「お、梨花ちゃん! 同じだな!」

「よろしくね、古手さん」

「……みんなで勝つのです。ファイト、オーなのです」

 

 にこやかに笑って古手さんは場の空気を和ませた。しかしこうなると部活メンバーの中での敵対勢力はおのずと分かってくるというもの。場は2つの勢力に分岐していた。

 敵グループは園崎さん、竜宮さん、そして北条さんという中々に恐ろしいメンバー。園崎さんは意気揚々と拳を打ち合わせているし、北条さんは指をいじっている。竜宮さんは……まだかぁいいモードから抜け切れていないのかポワポワとしている。とにかく活発的に行動する面子が向こうに行ったと言ってもいい。

 特にこの場での北条さんの罠ほど頼りになれるものはないだろう。敵となってしまった今では脅威以外の何物ではないのだが。

 

「おーや孝介さん? 私を見つめてどうしまして? それほどまでに私を警戒なさっているのですか?」

「ははは……。何があるか分からないから……ね」

「大丈夫ですわ! 痛みは一瞬にしてあげますわよ!」

「うん、罠にひっかかるのは当然の事なんだね……」

「孝介さん。私のは罠ではなく、トラップですわー」

 

 あまり変わらないような気もするのだけれど、彼女なりのこだわりという事だろうか。とにかく彼女はチームの工作員として行動するだろう。迂闊に行動しようものなら、火矢が飛んでくるかもしれない。いや……サッカーの出来事を考えれば更に脅威があるのかもしれない。

 

「…………大丈夫なのですよ。僕たちはきっと勝つのです」

「え? そうなの?」

「……ボクには秘策があるのですよ。にぱ~★」

 

 何かよく分からないけど秘策と言うもので僕たちは勝利をすることが可能のようだ。しかしそれを見過ごすメンバーなのだろうか。しかも、内容を教えてと言っても笑顔でかわしている。情報漏えいを防ぐためなのだろう。だからこそ情報の正確さが分からない。可能性がどれほど高いのかが分からないのだ。

 ……まぁ、ここは様子を見るということでいこう。

 

「はぁい! じゃあグループの中から代表者を決めて、じゃんけんで警察か泥棒決めるよー」

「誰が行く? 誰か立候補はいますか?」

「……代表者は圭一でいいのですよ」

「よっしゃ! 任せとけ!」

 

 みんなも異論はない様子。

 向こうはどうやら園崎さんが代表者のようだ。まぁここはそんなに重要ではないはず。心理戦的なものを掛ける事もなくふつうにじゃんけんを行っての結果は勝者前原君だった。

 

「……じゃあ俺たちは泥棒にするぜ」

「あたし達は警察だね。奇数だからこっちが一人多くなっちゃうけど、まぁいいよね。――――さて、決まった事だし、さっさと始めるよ! 因みに今回の罰ゲームはコスプレをしてもらうから! …………よし、始め!」

 

 さらっと罰ゲームの内容が言われたけど、さっきのコスプレではないことを祈ろう。

 僕たちは一斉に散り散りとなって警察の場から離れる。グラウンドという狭い場所と、校舎の裏も使えるからどこに隠れようか。そんな中たまたま前原君と同じ逃走ルートだったので、走りながら前原君に気になった事を尋ねる。

 

「前原君。さっき泥棒にしたけど、何か根拠はあるの?」

「ん? ああ、あれは沙都子対策だよ」

「北条さんの?」

「そうだ。あいつが泥棒になった時、困るのはトラップだ。警察は泥棒を捕まえないといけない以上、そのトラップに突っ込まないといけない。そうすれば犠牲者は多数確定だ。逆に警察だと泥棒を追いかけなければならないから罠の意味が薄くなる。だから俺はあえてトラップを仕掛けにくい警察側にさせたんだ」

 

 凄い、たった短時間でそこまで考えて結論を出していたなんて。流石部活メンバーと共に過ごしているだけの事はある。

 

「んじゃあ俺はこっちの道にするから」

「あ、じゃあ僕は近くで隠れられる場所を探すとするよ」

 

 僕は運動が苦手だ。多分走り回るよりかは隠れてその場をやり過ごす方が性に合っている。

 

「そうか、じゃあお互い生き残ろうな!」

「うん」

 

 そんな時警察側が動き始める掛け声が聞こえてきた。本格的にこのゲームの開始という事には違いない。僕は近くの草藪に身を潜めることにした。

 

「よし、しばらくここで待機だ」



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■影差し編【Ⅰ-Ⅴ】

「……暇である。とても、暇である……」

 

 ちょいちょい移動を繰り返し、校舎近くの草藪に隠れてからどれくらい経っていたのだろうか。時間を知りたくても、周りに時計が存在しない。それに今どうなっているんだろう。グラウンドの隅に位置するこの場所ではあまり時間確認も状況把握もできない。敵さんも茂みに入っているとは思っていないようだし、かき分けてくるということもない。それも時間の問題ではあるのだろうけど。

 ……未だに見つからない場所として隠れるべきだろうが、好奇心もあって動き出したいし……全く困ったものである。

 隠れ始めた当初よりも周りのガヤは少なくなってきた気がする。警察側も、泥棒側も喚いていたのに、今はセミの鳴き声の方がよく聞こえるようになっているのだ。

 それってつまり、状況としてみんな捕まったという事なのだろうか。となれば泥棒の人数が減っている分、マークされる数が増えてしまうのも道理。この場所を探していないと警察側も人海戦術で探し当ててくることだろう。となれば移動するのも策としてありか、いやむしろやるべきなのかもしれない。

 周りに警察がいないことをちゃんと確認したのちに、草藪から出る。出来れば最初にみんなが探していて、なおかる状況を逐次確認できるような場所……グランドやグラウンド真ん中にある収容所が見渡せる場所を探す。そんな都合の良い場所が存在するか、非常に疑問なのだけれど。

 あまり移動に時間もかけられない。辺りにある場所を探してみれば、校舎横に小さな倉庫が存在していることに気が付いた。

 もしかしたら、あそこなら警察側もチェック済みとして探しに来ないかも。それに換気用に木製の格子がついた窓もある。グラウンドの様子も眺められそう。

 そそくさと移動を開始する。幸いにして警察側はグラウンドの向こう……校門付近を重点的にチェックしているようで、反対側に位置するこちらには目が回っていないようだ。もしかしたらチェック済みだからということで、気にしていないのかもしれない。

 こっそりと入ってそそくさと閉める。音をたてないようにするのも大変だ。

 中は思っていたよりも閑散としているものだった。スコップにクワといった農具用品に、バケツやジョーロといった小物ばかりが至る所に置かれている。綺麗に並べられたものではなく、近くに置いたっということが分かるように扉そばに沢山物が置かれていた。間違えたら蹴ってしまって音をたてそうだ。

 広さとしては人が20人くらいは収納できそうなほどのスペースがある。窓は1つしか存在しないし、とにかく近くの物をどかして泥棒側の捕縛状況を見てみたい。窓は自分より頭1つ分くらいあるし、170くらいの高さなのだろうか。

 とりあえず足元にある物に注意しながら、爪先立ちで外の様子を眺めることにしてみた。そして見てから絶句する。

 

「……」

 

 まさかの絶望的な状況だった。確か僕たち泥棒は集まった時に確認して7人ぐらいいたような気がする。それが今この場で視認できるだけでも5人。僕を除けば他に逃げているのはたったの1人ということになる。しほぼ捕まっている状況に驚きを隠せない。

 そして何よりも驚いたのはその中に古手さんもいることだ。古手さん、始まる前に秘策があるのですよ、にぱーとか言っていたのに。これではやっちゃった、てへッとなってしまう状況ではないのか。

 

「大丈夫かなぁ……」

 

 そして収容所の警備にあたっている人は2人だ。竜宮さんと北条さんという勝てる見込みのない相手である。たぶん人数が多くなったので、屈強な2人が残る事になったのだろう。その目には逃がしてたまるかという闘争心が見える。

 因みに収容所の周りには地面の色が明らかに変わった箇所がいくつか存在していた。それはつまり、そういうこと。

 

「あれが落とし穴なのか、それともフェイクなのか……」

 

 分かりやすいから見える親切設計なのだが、明らかに別の罠が仕掛けられていそうで怖い。それが北条さんの策略なのかは知らないし、どれだけ相手の先を読んでいるのかは知らないけど。

 その時警察側に動きが見えた。竜宮さんが何か北条さんに耳打ちをしたのだ。何か作戦でも思いついたのだろうか。次の一手が気になる中、北条さんが取った行動は演説である。

 

「圭一さん! 私のトラップを恐れていらっしゃいますの?」

 

 手をメガホンのようにして、彼女は見えない相手に言葉をぶつけていた。

 

「そうですわよね? このままだと私たちの負けですわ。でも他の皆様が助からない。罰ゲームを受けますのよ? 圭一さんはみんなを犠牲にして勝ちを望みますの? はぁ……私は失望しましたわ……」

 

 ……いつの間に捕まった人も罰ゲームを受けることになっているのだろうか。隠れていた時にこっそりか。ほんともう……誠に遺憾である。

 そんな心のツッコミをよそに北条さんは嘆かわしいとばかりに両手で顔を覆っていた。

 

「圭一さんはそんな肝っ玉の小さい人間だなんて……。私の勝負から逃げるなんて」

 

 よくもまぁ、あれだけのトラップを仕掛けておいて言えるよねぇ……。

 明らかに前原君をおびき出そうとしているのが分かる。全くもう少しおびき寄せる言葉を考えるべきだ。釣りだって魚を釣るときには餌が必要だというのに。それさえも不十分なこの演説。前原君はきっと計算してくれるに違いない。きっと自分たちの勝利を計算して、

 

「へっ! 誰が逃げるかよ!」

 

 逃げてほしかった。

 前原君は僕とは反対側、グラウンドの奥の茂みに身を潜めていたようだ。そこから飛び出しての決め台詞。なんとまぁ……愚かしいことを。

 収容所のみんなが騒然としている。なぜ来たのだ、逃げればいいのだとそんな言葉が羅列していたのだが、前原君はそれを一言で一蹴した。

 

「俺は仲間を裏切らねぇええぇええ!!」

 

 一蹴と共にイノシシのように、一直線に駆け抜けようとする前原君。その姿に迷いは存在していない。

 そして他の警察は前原君を追いかけようとしなかった。止めに入ろうとしたり、邪魔しようともしない。もしかしたらそのような手筈になっているのか、それともこの前原君の勇士を見たいと思ったのか。……まぁ単純に考えたら空気読んだだけか。

 ただ猛然と進む前原君。そんな姿を仁王立ちで立つ北条さん。

 みんなが注目するこの一勝負。一騎打ちはどちらに軍配が上がるのか。真っ直ぐ進む前原君の先には落とし穴が存在する。そこさえ抜ければ収容所のみんなを解放でき、時間的に泥棒側の勝利といえる。つまりこれが勝負の行方を左右することとなるのは明白だった。そう思えば、思わず生唾を飲んで見守ってしまう。

 勢いを止めない前原君。そのままだと落とし穴にはまってしまって、捕まってしまうのか。

 

「残念ですわね圭一さん。この勝負私の勝ちですわー!」

「どうかな? どうせお前は俺がこの落とし穴を親身に受け止め、別の場所に移動すると考えているのだろう。そして実はそこに穴を仕掛けている」

「……」

「つまり! 俺はこのまま真っ直ぐいけばいいんだ!」

 

 心理戦の押収。

 今の説明通りだと目前に迫る変わった地面の色も進んでいくはずだ。だが、そこで驚くべき行動を彼は取る。色が変わった地面に対して、前原君はジャンプして飛び越えようとしたのだった。

 

「な、なんですってー!?」

「だがそれもフェイク!! どうせお前はこの俺の考えも読んでいる事だろう。つまりお前は二つに穴を用意している! ならばそこを超えていけばいいんだぁ!」

 

 前原君と北条さんの裏の裏を読みあう戦いは時間が長く感じられた。そこだけ世界が止まってしまったかのよう。軍配が決するその瞬間、ジャンプしている彼の雄姿を目に焼き付けられそうだ。

 

「残念だったなぁぁああああああ!?」

 

 ……そして瞬間の感動は、前原君の姿と共に消えてしまった。

 ズボッという音。前原君は落とし穴にはまってしまった。しかも足だけというわけではない。身体全体が消えてしまうという落とし穴という可愛いレベルを超えたものだ。悲鳴だけが聞えるのが空しさを強調させているように見える。

 そして一瞬にして見えなくなってしまった前原君を、高笑いで今回の勝負に勝利したことを告げる少女がいた。

 つまりは、そういうことである。

 

「をーほっほっほ! 圭一さんの考えなんてスプーン一杯の水くらいの浅さですわー! 私のトラップを潜り抜ける事なんて出来なくてよー!」

 

 そして更に追い打ちをかけるためか、北条さんは前原君が先ほど落とし穴と予想していた場所に近づく。そこを足踏みして落とし穴がないことを証明した。

 ……前原君本人は見えないけど、まぁそこは愉悦というやつなのかもしれない。勝者は高らかに語る権利があるだろうし。つまり前原君は完璧に手のひらで遊ばれただけという事だ。

 

「これで後は孝介君一人だね!」

「さぁて! 孝介さんも圭一さんのようにトラップでからめ取って差し上げますわ―!」

 

 捕まった圭一君を抑えながら大声でそう宣言する北条さん。どうやら僕だけしか残っていないようで、みんな僕の事を血眼になって探すことだろう。今更になって、この場所の危機感を覚えた。確かにこの倉庫はチェック済みで調べられることはないかもしれない。

 でも、もしここをもう一度見ていこうというヤツが出ればどうだろうか。そうなればこの場所は袋小路になっているため、一発でアウトになる。逃げる場所の確保をすべきかもしれない。そう思えたのだ。

 今は前原君の後処理にみんなが夢中になっている。確かに警察側と距離が近いのだけれど仕方ない。

 

「移動しないとな……」

 

 爪先立ちを止めてゆっくりと足を動かす。目線は下にして、散らばった小道具に注意していく。

 とりあえず扉を開けるときもゆっくり開けないといけないな……。

 ……そしてそう思っていて、周りに気を配れなかったのが原因なのかもしれない。扉近くにスコップが立てかけられていたのにそれを気にしていなかった。スライド式の扉、入るときとは違う扉で入ろうとしたのが間違いだった。開けようとしたとき、スコップが横に倒れる姿を視界に捉えてからようやくその間違いに気づく。

 だけどもう遅かった。慌てて掴もうとした僕を嘲笑うかのようにスコップは音を立てて落ちてしまった。

 

『からーーーん!!』

「……」

『なんか音聞こえたよ!』

『孝介さんじゃない?』

『あそこの小屋だ!』

 

 一斉に騒がしくなる警察側。そりゃあそうである。

 さて、今外に出れば確実に警察と追いかけっこが始まることだろう。そうなれば体力のない自分が追いつかれて捕まって、泥棒側の負けとなる。

 ……となれば、ここでやるべき事は一つだけだと僕は扉に手を掛けた。そのまま誰かが開けようとするのを両手と体重を使って全力で押さえる。何度か力が加わるのだけれど、それもしばらくの間だけだった。

 後に向こうから話声が聞こえてくる。

 

『あれ、ここって鍵かかっていたっけ?』

『倉庫だしね。もしかしたら鍵かけてるのかも』

 

 もしかしたら、ここを訪れなかったのは倉庫だから鍵がかかっていると思っていたからなのだろうか。でも今はそんなことどうでもよい。みんなが勘違いをしてくれている。それが重要なことであって、このまま上手くいけばやり過ごすことが可能かもしれない。

 そんな儚き希望を抱いていたのに、委員長の一括によって希望も潰えることとなった。

 

「みんな騙されないで! 孝ちゃんはここにいるから!」

『そうなんですか?』

「ここは確か農具が置かれていた場所だよ。ここは学校が始まる前に開けてもらう事は先生に聞いている。なのに今は開いていない」

『単純に開け忘れじゃないんでか?』

「その指摘はもっともだけど、あたしは今日知恵先生が開けている姿をちゃんと確認した! これはおかしい事だねぇ。つまり!」

 

 いきなり強い力で引っ張られて惜しくも少し開いてしまった。その隙間から園崎さんの不敵に笑う顔が覗かせていた。

 

「孝ちゃん見っけぇ!」

「あぁ!?」

 

 ばれてしまった。

 こんな時のための隠し通路という出口がもう一つありますよ、なんて親切設計にはなっていないし、どうすればいいのだ。

 全体重を使って扉を抑えながらも狼狽える間に、続々と集まってくる警察陣営。ドアを引っ張る力が強くなってきて、もはや非力である僕の力は負けかけていた。隙間は徐々に広がっていく。

 

「孝介さん! これで終わりですわー!」

 

 更に北条さんの参戦。当然だ。これで園崎さんたちの勝利となりえるのだし、ここで加わってくることはおかしいことではないだろう。

 徐々に開いていく扉からニョキっと出てくる魔の手からかわしていこうとすると余計に力を入れることが出来ない。

 時間は一体何をしているのだ。早く鐘を鳴らしてくれー!

 だがそんな思いは届くことはなく。

 

「もう……無理ぃ……!!」

 

 遂に開け放たれた扉。そこから続々と入ってくる警察。防がれる逃走経路。

 突破口なんて存在しない、まさに八方塞がりであった。

 端っこまで追い詰められた僕は何とか身をよじりつつも最後の抵抗、説得を試みる。

 

「こ、こんな形でいいの!? もっと堂々とした戦いにしたくないの!?」

「ごめんねぇ、孝ちゃん。おじさんたちはただ純粋に勝利を得たいだけなんだからねぇ」

「会則二条。一位を取るためにはあらゆる努力をすること!」

 

 説得、失敗。泥棒側終了のお知らせです、はい。

 手をわなわなと動かして近づいてくる園崎さんを見つめながら、敗北を理解していた時だった。

 

『みんな逃げてぇ!』

 

 そんな言葉と共に騒がしくなる外。その音は僕だけでなく北条さんたちを戸惑わせるものとしては十分だった。倉庫の中が一瞬静まり返る。それを打ち破ったのは偵察にいった警察グループの1人だった。

 

『収容所のみんなが逃げてる!』

「どうしてですの!? まさか! 収容所の中に生き残っていたモノが!?」

「そんなはずない! あたし達はちゃんと捕まえていたはずだよ!?」

 

 突然の事態に付いていけない様子のみんな。僕もそのまま固まってしまっていた。

 

『竜宮さんだ! 竜宮さんがみんなにタッチして解放している!』

『何で!? 竜宮さんって警察だよ!?』

「確か今日のレナさんは牢屋の監視役を自分から――――まさか!」

 

 その言葉にこの場にいるみんな気づいた。竜宮さんは警察側じゃなくて元から泥棒側のグループだという事に。今まで追いかける事をせず、牢屋の監視役をしていたのは泥棒にタッチ出来なかったから。今まで黙っていたのは唯一のチャンスを狙っていたという事か。そしてそれが今だったから、みんなを解放している。

 今全員が解放されてしまっては警察側の敗北はほぼ決定的だろう。見事な策略としか思えない。そうか、これが古手さんの言っていた策略というやつなのか。

 人数が奇数だからこそ出来たフェイクである。まさに敵を騙すならまず味方からというやつだ。

 

「み、見事に騙されてしまいましたわー!!」

 

 北条さんが頭を抱えて悶絶していた。時間もないし、何より出し抜かれたのだ。彼女だからこそ、そのショックは計り知れないものだろう。寝耳に滝と言えるかもしれないものだ。

 ショックを隠し切れず棒立ちになってしまっているみんなをよそに、外から前原君の言葉も聞こえてきた。

 

「レナ! 最後は俺だ。頼む!!」

 

 どうやら残りは前原君だけ。竜宮さんもすぐにタッチしてその場を逃げる――――

 

「ごめんね圭一君」

 

 何故か竜宮さんが謝っている。会話内容だけにその状況は更に理解が不能だった。

 

「……おい、なんで逃げるんだよ! おい!」

「……みぃ。かぁいそかぁいそなのです」

「な、なんだよ」

「私ね。圭一君のあんな姿や、こんな姿を見たいんだぁ!」

「い、いやどうして!? どうして俺だけが!」

「……圭一。今日の罰ゲームルールをよく思い出すのですよ」

「ま、まさか……」

「……ボクたちが勝っても収容所に残っているものは罰ゲームなのです。それに今回の罰ゲームはコスプレなのですよ、にぱ~☆」

「はぅう! 圭一君のかぁいい姿が見られるよう!」

「ちょっと待てえええええええ!?」

 

 ……とりあえず前原君は不憫で仕方がないという事だけは理解できる。竜宮さん、一歩間違えれば犯罪者として摘発されてもおかしくないようなことを言っているよ。……本当にもう、

 

「孝介さん。タッチですわ」

 

 僕も同じことされるのかなぁ……。

 へたり込んでいる僕をよそに、この戦いの終わりを告げるベルがこの学校中に鳴り響いた。

 



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■影差し編【Ⅰ-Ⅵ】

 放課後を告げるベルが鳴り引いたときの喜びをどう表現すればいいだろう。長年待ち続けていたものがようやく手に入れた喜び? 長い間苦痛から逃れられるという安堵感? 何はともあれ、長かったという言葉だけは僕の中で大きなものとなっていた。

 僕たちは帰路につく。僕よりも年下の子供たちが駆け回り、家に帰る姿を後目に、自分の衣装を少しでも隠そうと腕で身体を隠そうとする。女子女子していると言われても仕方ない。

 まぁ、どうしても隠しきれない部分が存在するのだけれど……。

 園崎さんの提案によってみんなで帰ることになった。それ自体は嬉しいものである。だけど、服装の関係上から今はとにかく恥ずかしい。というよりみんなは慣れているのだろうか。服装を着込んだはずの前原君や北条さん、園崎さんは身体をのけ反らせている。

 いち早く友達を作りたい僕への配慮だと思っているけど、村人の視線から耐えられるかな……。

 

「なんでこんなのがロッカーに入っているのさぁ……」

 

 そう愚痴らずにはいられない。園崎さんのロッカーには何が詰まっているのだ。取り出してみんなに配るほどの容量が掃除用具箱程度のロッカーに詰まっているとでもいうのだろうか。

 とにかくこれからはあのロッカーの中身に注意していく必要がありそう……。

 そう思いながら、生ぬるいそよ風に身震いをした。ぴちぴち幼稚園服では太ももを隠しきれないのだ。今までジーパンとか長ズボンを使用していたためにひやっとする感覚になれていない。

 思わず己を抱くように縮こまってしまう姿を竜宮さんは逃してくれなかった。

 

「はぁあああううぅううぅぅ!! 孝介君かぁあいいよ! かぁあいいよー! おっもちかえりしたいぃ~!」

「ちょ、ちょっと待って!? 落ち着いて!」

「はぁうううう!!」

 

 かわいすぎるせいなのか、何度も頬ずりされる。顔を潰されそうな勢いで。

 ま、摩擦熱で熱いっす……。

 鼻息は馬のように荒く、村人が勘違いしたら警察を呼ばれるそうな勢いだ。そんな不安をよそに竜宮さんは手をぶんぶん振って興奮を体現していた。そこまで僕の姿がかぁいいのだろうか……。

 

「レナ! 少しは大人しくしていろよ!」

「圭一君のメイド服もかぁいいよぉ!」

 

 聞く耳持たないとはまさにこのことだろう。すでに僕のもとを離れた竜宮さんはみんなの一歩先で小躍りしている。彼女の頭の中は今どうなっているのか分からないけど、とりあえずみんなも遠巻きに見ていることだし合わせるにしておこう。

 彼女を置いて、話は昼休み後のケイドロの話になっていた。

 

「それにしてもよく警察の人たちを説得出来たねぇ、梨花ちゃん」

 

 ドS女王のモデルになりそうな危ない黒タイツを履いた衣装の園崎さん。それでも顔色一つ変えずに着こなしながら古手さんを褒め称えていた。当の本人は背中のランドセルを担ぎなおしながら、いつも通りのスマイルを浮かべている。

 

「そうですわ! 普通ならばれてしまいましてよ!」

 

 悪魔をイメージとした羽根つきコスプレ衣装を着こなしている北条さんも便乗する。

 僕も正直今回の策略に関して知らないことが多いから、ぜひとも聞いておきたい。一体どうしてこんなダマしが成功したのだろうか。

 

「4人一組なんだからレナがどっちに行ったのか分かっている警察側もいたはずだろ? そいつらを懐柔したのか?」

「……二人とも沙都子と魅ぃのコスプレ衣装を指定できるといったら黙ってくれたのですよ、にぱ~☆」

「あー……ね」

「何があーね、何だ?」

「いやぁ……別に。ただ思い当たった節があっただけの話」

 

 そういえば衣装着替えてみんなに披露という時に、同じ屈辱を受けていたにもかかわらず園崎さんと北条さんの衣装を見て拝んでいる人がいた。

 目に涙を浮かべていたし、何の宗教団体かなーと思っていたけど、多分その人たちの事を言っているのだろう。

 

「あっはっはっは! 今回は見事に梨花ちゃんにしてやられたという訳だね」

「本当ですわ……。見事にこんなものを着せられまして非常に……」

「……作戦勝ちなのです」

「ガチな勝負だけにねぇ」

「魅音。お前は負けた側だろ」

「そういう圭一さんも一応負けた人なんですわよ?」

「違うぜ沙都子。お前たちの方が試合として敗者なのは事実。一応結果として俺は勝っているのだから、負の烙印を押されたのはお前の方なんだぜ?」

「うぐッ……確かにそうですわ」

 

 あんなに前原君との戦いで勝どき的な発言をしていたから、そのショックは僕たち以上に大きいのかもしれない。落ち込んでいる北条さんを見て、誰もが何かしら慰めの声を掛けようとしていたときだった。

 

「はあぁぁあああううぅうう!!」

 

 一瞬の出来事とはこのことだと思った。瞬きの余地もなく、光の速度で抱きつかれた北条さん。竜宮さんは頭上にハートマークを大量発生させながら、頬ずりをしてかぁいいものを愛でている。

 

「かぁいいかぁいいかぁいいよー! 沙都子ちゃんだけはおっ持ち帰りー!」

「い、痛い! 痛いですわー!」

「そんな痛がる沙都子ちゃんもかぁあいいよー!」

「おいレナ。流石にやりすぎだぞ!」

「はぁううう。私たちの邪魔はさせないよぉお!」

 

『スパパパパーン!!』

 

 何かが響いたと思ったら、前原君は三メートルほど吹き飛ばされていた。

 気付かないうちに前原君が綺麗なベリーロールと共に顔から床をぶつけてしまうのだから、こちらとしては何が起きてしまったのか聞きたいぐらいだ。口を開けっぱなしにしていたことを忘れてしまうくらいに。前原君は大丈夫なのだろうか。大の字にうつ伏せで倒れ込んだまま動かない。とりあえず頭から出ている煙は土煙だと思っておこう。

 横にいた園崎さんは頭を掻きながら、僕の方をチラチラと見てくる。

 

「あー。孝ちゃんたちは初めてだよね?」

「初めてって、この……パンチ?」

「パンチ……だと思う」

「そうなんだね?」

 

 疑問形にしたのはわざとじゃない。実際僕の目では竜宮さんの繰り出した技がパンチによるものなのか、キックによるものなのか理解できなかったからだ。

 それは園崎さんも同じようで、

 

「あたし達も理解出来なくてねえ……。とりあえずこれをレナパンって言ってる」

「レナパン……恐ろしい技だね」

 

 未だのびてしまっている前原君を見ながら、その高威力に唾を飲みこんでしまった。

 これは竜宮さんが落ち着くのを待つほかないのかなぁ、なんて思っていたら古手さんがおもむろに口を開いた。

 

「……僕たちはこっちなのですよ」

「そうですわ。私たちはこちらなので、離してくださいまし!」

「はぁうぅう………。もう少しだけさせてよぉう」

「レナ……。少しは落ち着きなって」

「ぶぅ…………」

 

 ぶぅたれている竜宮さんに僕は苦笑いをしていた。彼女は何故前原君のときに聞いてあげられなかったのだろうか、と。

 ようやく解放してもらった北条さんは赤くなった頬をさすりながら、もう片手でこちらに手を振ってくれる。

 

「それではみなさんまた明日お会いましょう、ですわ」

「……また明日なのです」

「うん。またね」

 

 僕たちも行きたいのだけれど、前原君が起きてくれないと放置になってしまうからなぁ。

 

「はぅう。楽しみが1つ減っちゃったよう……」

「また今度だね。レナはいつもそうなんだから」

「私はいつもこんな感じだよー!」

「あっはっは……そうだねー」

 

 呆れ気味に園崎さんは相手をしている。辺りは夕暮れに向けてオレンジ色に染まりつつある。こうやって周りを見れば自然ばかりの場所も綺麗に見えるものだ。都市だった頃にはこんな風にオレンジに染まる世界なんて少なく、影が多いから。

 

「孝ちゃん」

「ん? どうしたの?」

「そのさ……どうだった? 今日初めての学校だったと思うけど」

 

 園崎さんが躊躇いがちではあるが、そう聞いて僕の反応を期待していた。彼女としては普段の学校生活を見せたことで僕がどう感じたのか純粋に気になっているのだろう。委員長という立場もあるかもしれないけど。

 正直困惑ばかりの出来事ではあった。いきなりチョーク飛んでくるし、お弁当の取り合いとかに発展してるし。今まで考えたこともなかったことばかり。だからその気持ちを一言でまとめることにした。

 

「その……刺激的だね」

「あ、やっぱり? そう思う?」

「そう思うってことは園崎さんも感じているの?」

「そりゃあね。毎日が何をしでかすか、起きるか分からないんだもん。そのたびに酷い目にあうものさ」

「確かにそうだね。今日だけでも体感出来たよ」

「……結構こういうの、人を選ぶと思うんだ」

「え?」

 

 神妙なものいいにそう聞き返してしまう。

 

「ほら? こういうのを都会の子は、アホのやることとか……馬鹿ばっかりとか。そういう目で見られることもある……かもしれないからさ」

「うーん。確かにやることなすこと自由すぎるところは、そう思うかも」

「あーやっぱりそうかー」

 

 彼女としても思う節はあるようで。そんな感じで軽く落胆しているようにも見えた。

 

「私としてはこれが楽しいから続けているんだけどねぇ」

「僕もそう思うよ」

「あれ? 孝ちゃんは良い意味で受け取ってくれるの?」

「うん。なんかそう思うべきだと分かるし、それに……」

「それに?」

「……ううん。なんでもない」

「ありゃま。おじさんを信用してないのかな?」

「そういう意味じゃないよ。ただの自分の妄想だから」

「そういうのはレナだけにしてよー。1人でも手一杯なんだからぁ」

 

 確かにその通りだ。

 クスッと笑いながら、僕らはただ静かにひぐらしの声を聴いていた。

 ……因みに前原君は約一時間ほど伸びていたため、帰れたのは夕方も落ち始めたのはのちの話です。



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■影差し編【Ⅰ-Ⅶ】

「そうか、そいつは良かったなぁ!」

 

 父さんがシチューを口にしながらも僕が友達出来た事について顔をほころばせてくれた。隣に座る母さんも両手を合わせて自分のことのように喜んでくれている。

 ……それにしても良かった。帰ってきたときに見せてくれた母親の表情はもうない。まずいじめを想定されるとは思ってたけど、無表情のまま受話器に手を掛けられたときは焦った。本当に勘違いから友達を警察に引き渡すところだったし。

 いつも着込むの服装に感謝しながら、惣菜を口に入れてる。ほうれんそうのお浸しのポン酢醤油が口の中で味と共にスッとした癒しを与えてくれていた。

 

「ところで孝介? 本とかの整理は出来たの?」

 

 母さんがそんな事を言いながら、目線を二階へと向けていた。

 確か昨日そんな事を指摘されたような気がする。引っ越し初日に、段ボールひと箱分の中身を簡単には仕分けている。棚に突っこんだのみ。それ以上のことはしていないけどそれで不十分……のようだ。渋い顔しているし。

 

「ただ本を突っ込むだけじゃなくて、ちゃんと整理しなさい。今日見たらばらばらだったじゃない」

「いやぁそんな事ないよ。ちゃんと理解出来てるし」

「引っ越してきたばかりなんだから綺麗にしておきなさい。すぐに散らかすんだから」

「そうだ。母さんのいう事はもっともだぞ」

「あなたもよ。全く……」

 

 注意されてしまったからには仕方がない。少し憂鬱に感じつつも、頭を縦に振っておこう。

 

「食べ終わってからやればいい?」

「そうね、それでいいわ」

 

 妥協という形なのだが、母さんはニコリと笑って自分の場においてあるスープを手に取っていた。

 

「それにしても、孝介は変わったなぁ」

「え?」

「昔のお前は友達のことなんて全く喋らなかったじゃないか。それが今日は沢山。いやぁ、変わったなぁって」

「そう……かな? まぁ、確かに言う必要がなかったのはあるけど」

「もっと無愛想というか距離を取ろうとするやつだったからさ。父さんも心配していたんだよ。いやぁこれは安心だ」

 

 無愛想と言われたけど、本当にそうなのかは自分の中であまり実感としてない。今まで通りのつもりで今日は色々なハプニングがあったから喋ろうとしただけだし。父さんたちには昔の自分がそう見えていたのか。

 

「母さんもそう思っていたの?」

「え? そうね。確かにそういった節はあったのかもしれないわ」

「曖昧だなぁ。お前が気にしていたことなのに……無愛想とかさ」

「孝介も色々あれば変わるわよ。仏像じゃないんだし」

「ま、変わってくれることはいいことだしな」

「……そんなに変わったかなぁ?」

 

 ここまで言われると、前回までの自分が悪いみたいに聞こえてくる。そこまで酷かったかなぁ……。

 

「あはは。別に悪いように言っているつもりはないさ」

「そう? そうとしか聞こえないんだけど……」

「孝介はもっと自信を持ちなさい。大人になれたと言えるわ」

「とはいうけど……まぁいいや、ごちそうさま」

「あら、話はまだ続いているぞ?」

 

 別に僕がいなくてもいい話だし、何より僕には2階へ行って本を片付けないといけない。

 

「……孝介? シチューに混ぜたカキをたべな」

「逃げる!」

「あ! 子供じゃないんだから!」

 

 母さんに言っていた通り、2階に上がっていった僕が待ち受けていた任務がある。棚に並んでいる本たちが僕を呼んでいるのだ、早く片付けてほしいと。

 ……正直追いかけられると思っていたんだけど、襟首を掴まれることはない。

 話声から察するに、父さんが母さんを宥めてくれたようだ。おかげで何もお咎めが無い、本当にナイスです父さん。とにかく部屋に入ってしまったらこっちのものだ。ゆっくりと出来るし。

 

「孝介! ちゃんと片付けなさいよ! じゃないと明日はカキフライだからね!」

 

 流石に全て丸く収めることが出来なかったようで母さんからそんな忠告が飛んでくる。

 

「あんな食べた瞬間クチュってなるような奴の何がいいんだろう……。本当に」

 

 生き物を食べているような気がしてたまらないのに、あれのどこに人は食用として考案したのだろう。本当にその人には一度じっくりと話し合ってみたいものだ。きっと今の自分なら論破できる自信がある。

 

「……なんて、言ってても仕方ないか」

 

 元より片付けをやると言っていたのだから、やるべきだろう。時間はかからないと思うし、本の入れ替えをしていると昔見ていた本とかで楽しめるかもしれない。

 実際に本棚近くに落ちていた本を手にする。『グリム童話全集』……こんなものも買っていたな。

 これを皮切りにどんどんしていこうか。まずはこの拾った本を入れて、本棚から本を取り出して、当てはまる項目を探して、そこにはめ込んで、それから本をまた出してっと………………。

 

「実際にやると疲れるな、これ……」

 

 まだ開始1分で音を上げそうになった。あと9割も作業が残っているというのにこれではいけない。

 これも綺麗にするため、とりあえず1つ1つ本に対してテンションを上げてやっていこうか。これが記念すべき4冊め、みたいな感じで。

 

「……あれ?」

 

 そう思ってすぐの5冊目だ。紫色の表紙を飾るシンプルなデザインで古びた本である。確かに自分は昔の童話とか竹取物語のようなが昔話が好きだった。でも、この表紙はそのどれにも当てはまらない。つまり見たことがないのだ。

 これは母さんのものなのか。でも表紙には名前も書いてないし……。栞をはさむための紐まで付いている。何かを書くためのメモ帳か何かかな。それがここにあるのも不思議ではあるが。軽くページをめくってみてっと……見慣れた文字だ、なになに。

 

『今日はカレーがおいしかった。たまには父さんのカレーというのもいいものである――――』

 

 日付を見ると、昨日の事を指している。西暦は書いていないけど、曜日も日付もあっていた。確かに昨日はカレーだった。父さんが男の料理がどうたらこうたら語りながらご飯を食べた記憶がある。

 しかしこれを書いたような記憶はない。もしかしたら去年の事を書いているのだろうか。

 続きを読んでみる。

 

『僕たちは今日雛見沢に到着した。感想としては驚きの連続だ。ドが付きそうな田舎だった事が最初の印象といえるだろう』

 

 ページをめくる。

 

『その中で不思議に思った事もある。それは学校に行って教科書などのテキストを確認して、父さんと離れていた時に出会った少女の事だ。彼女の名前は古手さんといい、かなりおとなしめでお人形のようなかわいらしさがある少女だった』

『でもそれは最初だけだった。最後に見せたあの絶望に見える暗い表情。彼女は一体何者なのか少し気になってしまった。どうせ明日は僕にとって最初の転校日。今後仲良くなっていく過程で聞いていけばいいのだろう』

 

 ふむ、とりあえず頭の整理を行おう。

 ……これはどうやら今までの事を書いているようだ。それはこの雛見沢、そして昨日食べたカレーの内容から察するに確かな情報であることは間違いない。だけど、である。何度も言うように僕はこんな日記を書いていない。というよりこの本の存在さえ知らなかったのだ。

 どうしてこの本が僕の日常を綴っているのか、それが分からなかった。

 まだ続きがある。しかしそれは今日の出来事であり、前原君たちと出会った経緯が書かれていた。

 

『今日は前原君、園崎さん、竜宮さんと出会った――――』

 

 部活の内容、自己紹介の事、それらを読み進めていくうちに今日の情報と相違があることに気が付いた。

 

「北条さんのやり取りがない……」

 

 それだけではない。自己紹介での緊張感を書いているのだが、僕はそんな経験をしていない。更に僕たちが起こした部活内容はケイドロというものだった。しかしここで書かれている部活内容はトランプ、しかもじじ抜きという変わった種目のものである。

 いくつかの食い違い。これは何を意味しているのか理解が出来ない。

 

「どういう事なんだろう? これは僕の日常ではない?」

 

 大まかな形――――例えば部活をしたことなどは典型などだが、そこは近似している部分がある。確かに部活をしたことはそうだし、それに昼休みで盛り上がったことも確か。それでも細かな部分が違う。部活の内容、時間帯、昼休みでの対応などなど。内容が違う。

 つまり今までの僕を表していて、実は違う僕を書いている……とか。

 

「…………はは。バカバカしい事考えるようになったな。僕って」

 

 そんな事あり得るわけがない。僕は今ここにいるのだし、そんな事ありえないはず。

 もともとオカルトなどは信じるたちではない。何かしら……そう、同性同名でそんな人がいたという事なのだろう。その人がこのような本を書いて、それをたまたま受け取った。そちらの方がまだ現実性がある。……多分。

 とりあえずページを見ていく。それから先は未来の事が書かれていた。そう思うと更に信憑性が無くなるというものだ。日常的な事ばかりを記載している。特に部活内容、部活メンバーと楽しくやっていた。といった明るい話をつらつらと長い間自分の感想を踏まえて書かれている。どうやら友達と一緒にいるのに、疎外感を覚えていたこともあったようだ。そんな気持ちも書かれている。

 20ページくらい読み進めたところで時計を確認した。細かく書かれた文字量的にまだまだありそうだと感じたからである。

 明日もあるし、そろそろ整理を再開しないと……とりあえず次で終わらせよう。

 

『今日は前原君が来なかった』

 

 その言葉が今までと違った内容であることを証明した。

 

『なぜだろう、最近はそのようなことが多く、部活も顔を出さない。話によれば最近前原君はバットを持ち出して夕方素振りをしているとの話も聞いた。それは一体どういう事なのだろうか?』

 

 最後疑問形にしているのだから、何か困った事と考えていいのか。それとも何か分からないことでもあったのか。その前原君とやらが部活に入っていることだってありえそうだし。

 

『そんな中、大石さんという刑事に出会った。彼はオヤシロさまのたたりの実行犯が園崎さんを中心としたグループによるものだと言ったのだ。話を聞く限りその言葉は信憑性も高く、園崎さんもその真意を答えてくれそうにない。園崎さんたちは僕が見てきた日常ではありえないぐらいみんなを楽しませる存在だ。そんな人が事件を起こすとは考えにくい。でも僕はひと月も一緒に過ごしていないのだ。もしかしたら裏ではそんな事を――――』

『信じたくはない。前原君が言っていたように仲間を信じる気持ちを持ちたい。だけどその前原君がこうやって休んでいる。それはつまりどういう事なのだろうか……。僕には分からない』

 

 どうやら何かをきっかけに僕の心が揺らいでいてここに書くしかできなかったようだ。オヤシロ様のたたりというのは何の事なのだろうか。そういったことも彼には聞けなかったようで。

 前ページにもそのような記載は一切されていない。ここより前はおよそ一週間分の空白がある。ただ忘れていただけなのか。それとも、

 

「何かを黙っていたか……」

 

 僕は一息ついてからページをめくろうとした。

 

「孝介? 順調に進んでいる……」

「あ」

「……ほー」

 

 まずい、何もしていないことがばれてしまった。

 一度本を棚から取り出してしまっているのだから、先ほどよりも汚くなっている。説得不可能説教不可避。母さんの眉間が小刻みに震えているのは最近のダイエット方法であると信じたい。

 

「楽しそうに本を読んでいるのね? 母さんとの約束も忘れるくらいの……!」

 

 やっぱり怒ってますよね。とりあえず、今読んでいる本を閉じておいてっと。

 

「え、えっと! あの、その…………ごめんなさい」

「……」

 

 母さんはそのまま黙ってこちらに来ると、僕が手に持っている本を取り上げてきた。どうやらこの状況の原因をこの本であると理解したようだ。まさにその通りである。理解の早さは流石としか言いようがない。

 

「たく、さっさとやるって言っていたのに本を読んでいたら駄目じゃない。とりあえずこの本は没収よ。ちゃんと整理整頓したら返してあげる」

「はい……」

 

 何も言わせない威圧感で僕を納得させると、ため息をついてその本を自分のポケットに入れた。それを取り返すにはどうやらここにある本をどうにかするしかない。

 黙って作業をしよう、やはり無心になる必要がある。

 

「もう明日にしなさい」

「え、何でさ?」

「孝介、今何時だと思っているの?」

「えっと……。なんだ、まだ11時――――」

「もう、でしょ?」

「……はい」

 

 母さんの言いたい事が分かった。どうやら僕はかなり読みふけっていたようだ。そりゃあ半分くらいしか進んでいない僕の状況に怒りたくもなるものだ。

 時計から目を離して苦笑いで母さんの意図を理解したと見せようとする。

 

「分かった。今日は大人しく寝ているよ」

「そうね。今日は寝なさい、ついでに言うと明日はカキフライね」

「嘘! そんなぁ、鬼ぃ!」

「約束を守らない方が悪いのよ」

「うぅ……」

 

 布団の中にこもってしまおう。母さんが出ていくのを音で聞き分けながら1階へ下りたと分かると、さっそく先ほどの出来事についてを考える。

 前原君が疑心暗鬼になってみんなのそばから離れていくという話。あの後どうなるというのだろうか。僕という主人公は迷っていたのは手に取るように理解出来る。そこから先、彼は誰かに相談しようと思わなかったのか。実際僕もあのような状況に立たされたらどうなるのか。よく分からない。

 ……それにしても日時と場所、更には名前まで一緒という偶然。あれだけオカルトは信じないと言っていたけど、僕の中には少しばかりの不安は残っていた。

 



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◆Tips【Ⅱ-Ⅰ】

◆忘れられた日記(5)

 

5月18日

 

 何故か今日はおかしなことが起こった。別に何か大きなことがあったわけでもない日常の中、いきなり校内放送で自分の名前を呼ばれたのだ。クラス中の視線を感じる中、驚いてしまったのは他でもない自分。

 自分が呼ばれる理由なんてない。というより何もしていないのだから呼ばれる理由なんてないのだ。

 多分何かしらの勧誘か何か、そう思っていたのに、だ。

 行ってみたときに、そんな楽観的な考えはなくなっていた。というのも、険しい顔を一層険しくしたような面持ちの担当の教員が席に座っていたからで。

 そして向かっていった言葉がこうだ。

 

『お前、カンニングしただろ』と

 

 いきなりで笑いそうだ。だが、先生の瞳は至って真剣そのもので……何故というよりは一体全体何がどうしてそうなったのかが分からない。状況を知りたいのだ。

 そして先生が言うには誰かがカンニングペーパーを使って自分が見ていたということを教えたようで。それを確認するためにも、呼んだっというわけだ。

 俺はもちろん否定した。やってない、と。どう考えても根拠がないのだしそれが本当だとしたら監督者の責任もあるはずだ。やってないとはいえ。

 ……なのに俺の言葉をちっとも聞こうとしない。その反論なんてもうデータにて確認済みといった感じでスガスガしい態度をこちらに見せてきた。もとからこの先生は嫌味を吐くことであまり良く思ってなかった。その先生ということでもイラッとしたし、言っても壁に言っているような反応に怒りだけを感じていたような気がする。

 あの時は必死に自分を抑えていたし……誰かがお前の行動を見たんだ。そんな事言ってばかりで俺の意見よりも目撃者の話を優先していて。

 結局俺はその後一時間ほど尋問に近い形で自白を誘導されていた。他の先生も擁護して欲しいにも関わらず、誰もが遠巻きに見てるだけで何もしてくれそうにない。

 塗れ衣を着たくない俺も認める気はなくて。

 お互いの平行線はずっと平行のままであり、どちらかが折れる。なんて事は無かった。

 

 先生は最後に『お前はずっと無愛想だから何を考えてるか分からない腹黒だからな』と言われた。

 お前に言われたくないわっと言うツッコミをしたかったぞ。

 ……というより誰がそんなことを呟いたのだろうか。勘違いのせいでそんなことを言われた罪は重いぞ……。

 

 今日はそんな霧がかかった状況で帰ってきたのだ。

 何故だ。なんでそんな事が起こるのだろうか。

 分からない、理不尽に近い。

 イライラするのでもう寝よう。

 



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Episode 『”あ”る事情』
■影差し編【Ⅱ-Ⅰ】


「何とか出来るかぁあああ!!」

 

 次の日の昼休みまで時間は進む。

 というよりこの日の大きなイベントはそれぐらいしかなく、朝は至って平凡な授業を受け続けていたといえるだろう。

 しかし昼休みになって、聞いた言葉がまさか前原君の怒号だとは思わなかった。心臓をわしづかみにされそうな大声にみんなが目を丸くする。そんな中、前原君は自分の大切なエネルギーであるはずの弁当に文句を垂れていた。

 

「なんだよ、出張って……! 俺が一人で弁当を作れる訳がないだろうがぁああ……」

 

 目の前の風呂敷に怨嗟を送り続ける彼に何かあったのは一瞬で分かる。

 ……というより前原君は弁当を作らなければならないようで、それでまぁ出来なかった。そんな予想がここまでの発言だけで理解できる。未だに弁当箱を開けないのもその理由として当てはまりそうだ。

 

「何を怒っていますの……て」

 

 前原君の隣。あまりの大声に耳を塞いでいた北条さんが前原君の弁当箱のふたを開け、固まり、そして自身の箸を伸ばし、異形のぶつをその端で掴みとっていた。

 持ち上げて僕らに見せてきたのはまるで食品名を予想出来ない。名探偵といえど、これほどまでに黒く揚げられては判断も出来ないだろう。

 黒い細長いものを遠巻きにしながら、北条さんは前原君に物の正体を求める。

 

「人参を炒めようとして完成した黒焦げ」

 

 黒焦げでももう少し赤みがあってもいいのではないのだろうか。

 北条さんは更にゴミの量販店から1つを取り出す。

 

「……。じゃあこちらは……?」

「魚を焼こうとして出来たへなへなな魚」

「というより生……いいえ。それより、これはなんですの……?」

「ご飯を炊こうとして出来た、通称黒団子」

「「「…………」」」

 

 みんながみんな、何も言えずに前原君の壊滅的ともいえる料理スキルに愕然としていた。自分のことでもないのに、まるで捨てられた子犬を見るかのような目でみんなが前原君を見つめる。

 

「そ、そんな表情しなくてもいいだろ!?」

「だって……これはかわいそうになるほどだもん」

 

 僕だってこうなるまではいかない。というより何故こうなるのかを聞きたい。

 

「くっそぅ……こんな調子で3日も耐えられる訳がないだろうがぁああぁあ!!」

「3日だって!? そりゃあ圭ちゃんに白骨化しろって言ってるようなもんじゃないか!」

「圭一さんに防腐剤が必要ですわね」

「俺は間違っても防腐剤なんていれやしねぇよ!」

「圭一くん、まず防腐剤は食べられないからね?」

「わかってるよ!」

 

 どうやらこの調子を3日間続けないといけないようだ。これだけ見て分かる。無理だと思う。

 

「……圭一の母親にカレーみたいな日持ちのするやつを置いてもらっていないのですか?」

「いや……それは俺が大丈夫だと適当に答えてしまったばっかりに」

「自業自得ですわね」

「身から出たさびだね」

「もういい! 分かってるから、俺のせいだって!」

 

 一応万人の食としてカップラーメンがあるとしても、それは朝と夜しか出来ない。昼はお湯を沸かす場所がない以上、カップでは食べられない。それはつまり中学生という成長が大きく反映される時にそのエネルギー源がないという事だろう。

 放課後は部活もあるのだから死活問題である。

 

「大変だなぁ……」

「そう言いながらハンバーグを口にしやがって……嫌味なのか!?」

 

 イッツベリーデリシャス。

 

「ですけど流石にここまでの料理スキルとなれば困りものですわね……」

「……ダメダメの烙印なのですよ」

 

 北条さんと古手さんの追い打ちにへの字とさせる前原君。

 

「べ、別にこいつはレシピがないからだ。それに時間が無かったから出来なかっただけで、本当ならもっとうまく出来るはず!」

「いや、レシピなくてもこれはないと思うんだけど……」

「そんなことはねぇ! 数学だって公式があれば解ける俺だぞ!」

「説得出来てない!」

「いやいや、レシピさえあれば俺だって料理店ぐらいの味は出せるさ!」

「へぇ、なら今日の弁当は圭ちゃんの実力ではないと?」

「お? お、おぉおうともさ」

「なら明日見せてもらおうじゃない?」

「あ、いいですわね」

「は?」

 

 前原君が石像のように固まる。自分が招いた事態に対して頭が回っていないようで。その間にも計画はとんとん拍子で決まっていきそうだ。

 

「明日はみんなで料理対決といかない?」

「料理対決かな? かな?」

「そう。ルールは簡単。明日各自で料理を作るんだよ。それを昼休みに見せ合いっこ、及び味見をしてもらって誰の弁当が食べたかったかを投票するんだ。もちろん自分に投票するのは禁止だよ」

「へー」

「……」

「あれぇ? 圭ちゃん、顔が青ざめているようだけど、何かあったの?」

「そ、そんなことはねぇよ!」

 

 売り言葉に買い言葉。何故乗ったんでしょうね……。

 部活メンバーとなった者の宿命なのか。それとも引くに引けない背水の陣的な状況だと思ったのか。それともただのマゾか。まぁ最後はないと思うけど。

 

「俺がやっちまったら軽く優勝しちまうからな! そんなことしてもいいかなって思っただけだ!」

「なんと自分を追いつめる」

「ほほぅ……圭ちゃんは優勝が可能だと」

「も、もちろんだ」

 

 嘘に嘘を重ねる前原君はもう後には引けない状況である。みんなも大会の結果がどうなるかなんて分かっているだろうに、意地が悪い。

 とはいえ自分としても止める理由は存在しないし、むしろ僕としてはやっていきたい大会ではある。

 

「大会というからには当然罰ゲームも存在するよ!」

「優勝者じゃなくて敗北者にあるって……相変わらずの部活クオリティーだな」

 

 というより1人をターゲットに出来た大会なのだから、そうなるのは確定的ではあるよね。

 

「優勝者は愉悦が贈与されるんですわー」

「ははは……罰ゲームにならなきゃ大丈夫だぜ……」

「圭一君、何か言ったかな?」

「いや、優勝しないとな、と言ったところだ」

「よーし、今回は頑張れそうだ」

「お? 孝ちゃんやる気出てるねぇ?」

「まぁね。今回は暴れるようなことはなさそうだし」

 

 僕はこういう運動しない方が性に合っている。内向的と言われてしまうかもしれないのだが、やはり体力を必要としないものはありがたい。

 それに料理は引っ越す前にはよく作っていた。両親がいないときに自分で作っては食べていたのだから、そのノウハウがここで生きてくる。

 全盛期に比べると衰えはあるかもしれないけど、きっとみんなを驚かすような料理を作ることが出来るだろう。

 園崎さんには悪いけど、僕は今唯一といっていい見せ場に、正直心のうちで燃えている部分がある。部活として頑張れる部分がようやく到来、というわけだ。

 

「で、他には異論ある?」

「私は異論はありませんわ!」

「……僕の特別料理でみんなを認めさせるのですよ」

 

 みんなのテンションも部活モード。戦う前にすでに士気は最高潮といっていいほど上がっている。僕も今回はそのノリに乗れた。前回は全く乗り切れていなかったので、ちょっと嬉しい。

 

「これは負けられませんわね……」

「私もいつも作ってるからこそ、頑張らるよー!」

「ふっふっふ。みんな甘いねぇ。こういう時に評価されるのはギャップってやつなんだよ」

 

 女子だからという所もあるのだろうか。その意気込みはすでに全国を目前にした青春少女たちといっても過言ではない。

 北条さんや古手さん。そして今回の優勝候補でありそう竜宮さんもいる。そしてあまり作る姿を見せていない反面、その実力が未知数であるダークホース園崎さん。

 それだけでも胸が踊りそうになる。一体どんな勝負になるのか。

 足りないものはないし、これ以上追加することは出来立てのハンバーグに砂糖くらい無意味な存在だ。

 

「決定! じゃあ戦いのため今回は部活休みにして明日のために、諸君尽力を尽くしてほしい!」

「「「おぉ!!」」」

「お、おお……」

 

 みんながちゃんと手を挙げていたのに、前原君は3秒くらい遅れてその手で賛同しないといけなかった。

……うん? そういえばいつの間に部活に入っていたのだろうか。なんて気にしたら負けなのかもしれない。とにかく自分も参加することに変わりはないのだから。

 



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■影差し編【Ⅱ-Ⅱ】

「明日は何で勝負をするべきなのだろう……」

 

 帰り道、僕は明日の勝負のための食材探しに来ていた。といっても僕には遠くへ行くための手段としてはこの足しか存在しないので……。だから園崎さんと竜宮さんに近くでやっているスーパーみたいなのは無いかを聞いて近場の店までやってきたのだ。

 聞いた話では僕たちの帰り道とは逆、北条さんたちの方が近い所に肉屋や八百屋みたいな場所があると。そこが雛見沢にて営業しているという情報だった。実際に見れば村の中の唯一の出店なのだ。漏れる明るさや声かけで分かるとも言っていた。

 実際に目にして分かる。確かに村の現状を知れそうな店舗の数だと言えた。流石はというべきなのか村の集落である。家などが一列に並んでいる中に店が置かれている他、店を閉めている場所もちらほらと。人も少ないし、過疎化した商店街みたいな状況――――いや、商店街よりも規模が小さいのだからもっとひどいのかもしれない。とにかくあまり誇れるほどの大きさでは無い。

 

「新鮮さが命だよな……」

 

 あまりこういう場所で買い物をしたことがないので、新鮮さを保障してくれるのか分からない。

 遠目から見たところでは大丈夫そうには見える。とにかく細かいところは店前で判断するほかない。

 戦うのだからやはりみずみずしい野菜や、血色のよい肉を使う事は最優先事項と考えていいだろう。例え竜宮さんたちに技術で負けていたとしても、食材選びにて勝つ。少しでも出ている杭はきっちり打っておこうという作戦。……小遣いが足りれればの話だけど。

 店の前におやじさんが威勢よく2人のおばさんに声掛けを行っているのを眺めていた時、

 

「おや? 孝介さんも食材を買いに来まして?」

 

 見たらこちらに笑顔と共に光る犬歯をのぞかせている人がいた。そんな気軽に話かけて、そして犬歯をのぞかせる少女は僕の知りうる限り1人しかいない。

 

「北条さんも勝負のために?」

「もちろんですわ! 食材選びには事欠きませんわよ!」

「流石だね……」

 

 素直に敵対する相手を称賛していた。事前情報として聞いたところ、古手さんと北条さんは二人で生活をしているという。よく2人で切り盛りできるとか、お金の件はどうなるか云々は置いとくとしても、そういう話イコール家事をこなしている事になる。となれば食材選びだってそれなりの知識を持ち合わせているはずだ。……少なくとも僕と同等、いやそれ以上か。

 やはり子供であってもそういった家事スキルは大人、いや大人より上かもしれない。

 油断できない相手である事は間違いないようだった。

 

「そこまで警戒しなくても大丈夫ですわよ? 孝介さん。どうせあなたと私では蟻と像ぐらいの力量がありますわ」

「ずいぶんな言われようだね……因みに前原君は?」

「あれはノミですわ」

「あはは……地味な邪魔さなのはよく分かったよ」

 

 北条さんには僕のことを知らないからそう比較しているのだろう。まぁ、思春期の男子が今日まで家事を担当した、なんてことを考える方が少ないだろうから。だけど、油断は己の敵となり敗北へつながる。僕の場合は勝利への唯一の方法でもあるのだ。ギャップ評価を狙うためにも、ここはグッと我慢しておこう。

 

「お2人とは経験と修羅の数が違いますわよ。数が」

「どうして料理で修羅の話が出てくるのさ……」

「そりゃあただの料理対決、なんて甘い考えはありませんことよ。敵に塩を送るという言葉がありません?」

「おっほう。冗談がお上手なことで」

「そうですわねー。砂糖でもよろしくてよー?」

 

 あれ、純粋に料理対決出来るかどうか自信がなくなってきたぞ。これはお弁当箱じゃなくて金庫でも持っていくべきなのかも。……じゃなくてだ。

 

「純粋に勝負出来ないのかな……」

「純粋という言葉は部活の会則表にはありませんわ」

「え? 会則表なんてあったんだ」

「問題をそちらにするとは、中々面白い返しですわね……」

 

 コホンと彼女は、脱線しかけた話を元に戻そうとした。

 

「とにかく私たちにとって敵でもなく、脅威でもありませんと言いたいのですわ」

「なるほどなー。脅威でも、敵でもない……か」

「……流石に自分からやりたいと切り出しただけはありますわね」

「ん?」

「その顔には余裕が見られますわ。ある程度の経験は積んでいるとお見受けしますわ」

 

 いや、単純に料理対決が出来ないと言われた時点でめっちゃ焦ってるんだけど……逆に変な誤解から正解を当てられてしまったか。

 

「まぁ、それでも勝つのは私ですわー!」

「ははは……そうだね。とりあえず穏便に行こうよ」

「だから孝介さん、穏便は――――」

「会則表にないんだね、分かるから」

「……そうですわ」

 

 ぷくーっと頬を膨らませて言わせてもらえないことに、軽くいじける北条さんはどこからどう見ても子供だ。料理も出来ると言うし、目上の人のようにも見えるけどこういうところは可愛らしいものだと思えた。朝のイタヅラももしかして前原君に気にして欲しいという、愛情の裏返しというやつなのかも。

 そんな彼女の評定を行っていると、彼女の背中越しからひょっこりと顔を出したものがいた。

 

「あ、古手さん」

「……みい。沙都子、ジャガイモを買ってきたのですよ」

 

 手にした満杯の買い物袋をぶらぶらと揺らしながら、北条さんに確認を要求する。無言でそれを受け取り軽く中身を確かめる北条さんを置いて、古手さんはこちらに首をかしげてきた。

 

「……孝介もここで食材を買いに来たのですか?」

「うん。僕だって、料理スキルぐらいはある事を証明しないとね!」

「……そうなのですか」

 

 因みに『ぐらい』という単語に力を入れてしまったのは仕方がないと言わしてもらおう。

 そんなことを気にする様子もない2人は買い物袋をひっさげ、確かめ合うように頷き合っていた。こういうので理解しあえるとは、やはり信頼関係は確かなのだろう。

 

「キャベツも買ってくれましたわね。ありがとうですわ、梨花」

「……抜かりはない、なのですよ」

 

 キャベツにジャガイモ。今聞いた段階での食材ではなにを作るかなんてわかる訳がない。ポテトサラダなら、弁当としてあまり日持ちのよくないものだし……。

 もちろん古手さんたちもそのことを理解しているうえで話を進めているのだろうな。

 敵に塩を送るなら……なんて甘い考えはよしておこう。本番までのお楽しみというやつだ。

 

「で、他にはお肉がありましてよ?」

「了解なのです。それでは行ってくるのですよ」

 

 古手さんは北条さんに買い物袋を託したまま、先ほどまで活気よく営業を行っていた肉屋の方に走り出した。先ほどのおばさん2人も買い物を終え、与太話へと展開させていた。

 持ち直した北条さんはふぅと一息つく。動く気配が感じられないので、

 

「北条さんは一緒に行かないの?」

「へ?」

「ほら、場所も近いし僕も行こうと思ってたからさ。一緒に行った方が……」

「え、えぇ、私はここで待機しないといけませんので……」

 

 急に狼狽してたどたどしくなるので、僕は疑問に感じていた。

 

「何でさ?」

「その……それは……」

「ん?」

 

 遠くから2人のおばさんがこちらにやってきた。与太話も終わって、家での家事作業に移るためなのだろう。家族分の野菜、肉を詰め込んだ袋を手に持ち、2人は明るい調子のまま北条さんの横を通ろうとしていた。

 その時である。

 北条さんは息を呑んだかと思えば、自分から引くように一歩後ろに下がっていた。それは王様が渡る道を開けなければならない兵士のような姿。低姿勢な姿がそこにはあった。

 そして急に動き出してしまったせいか、袋からジャガイモ1個が袋から漏れて主婦たちの足元に転がってゆく。こつんと小さな音を立てると共に、おばさん2人の会話も止まってしまった。

 静寂の中、目線を泳がせながら彼女は早めの行動に移ろうとしていた。

 

「も、申し訳ありませんわ……」

 

 頭を下げて素直に謝る。そこまでする必要があるのだろうかと疑問に思うくらいの深々と。

 僕はてっきり北条さんが過度に気を使っているだけだと思っていた。だから次には「いいわよ」と主婦たちがにこやかにジャガイモを拾ってくれるのだとばかり考えていたのだ。

 ……しかし僕の予想は大きく外れることとなる。

 

「あら、こんにちは。今日は買い物?」

 

 2人はにこやかに挨拶をしてきた。挨拶よりも先に拾ってあげろよとか、問題はそこではない。目線である。相手は僕に向けて挨拶をしてきた。顔も固定、目線も固定。そこに1つおかしな矛盾が存在する。

 

「あ、あの――――」

「いや偉い子ねぇ。自分で買い物するなんて」

「私の息子にも見習わせたいわー。本当」

「そうよねー。この”男の子”はしっかり者で嬉しいわー」

 

 何だこれ。

 

「ほ……」

 

 思わず声を掛けようとして、出てくる言葉は霧散してしまう。北条さんは諦めきったように足元に落ちたジャガイモを眺め続けている。分かり切っているから、無視をしろと強く訴えかけられた気がした。私はあのジャガイモだけを見てればいいのだ、と。

 まるでこの場所に北条さんなどいないかのように……、2人は僕だけを見続ける。

 

「全く、うちの子にも見せてやりたいよ」

「そうねぇ。でもまぁ、いいわよ。『何も起こさない子』てだけで十分よねぇ」

「そうねぇ。『親は子に似る』ていうのだから困るわよねぇ。あなたみたいな子は優しい親がいるのでしょうねー。誰かのところと違って」

 

 何を話しているのか僕には分からない。今日、昨日という短いスパンなのだからそれは当然の事だろう。だがその言動が北条さんの事を傷つけている。僕はその事だけ、北条さんの姿を見て感じ取っていた。握りこぶしを固め、苦痛に耐える姿が痛ましい。

 ふいに湧き上がる疑念と憤慨は僕の中で渦巻き続けた。

 

「そ、その……!」

「ん? どうかしたのかしら?」

「えっと……」

 

 言い方や態度があるのではないのだろうか。僕はそう注意したかった。

 ……だけど相手が大人ということもあって、それを言葉にすることを気にしてしまった。もしかしたら変な噂をたてられるかもしれない。力でやられてしまう可能性だってある。自信もない。それに母さんたちにも風評被害を受けてしまうかもしれない。そんなことを頭の中でよぎってしまったのだ。それらが口にチャックをかけてしまっていた。

 何も言えずに考えあぐねていると、誰かに袖を引っ張られた。

 

「古手さん……」

「……みい。言わなくていいのですよ」

「でも……」

 

 明らかにいじめている現場を目撃しているというのにそれを黙っていろというのだろうか。

 しかし古手さんの目はそんな感情になっている僕を押さえつけるだけの意思と……悲しみのこもった目をしていた。

 

「梨花。私は大丈夫でしてよ」

 

 北条さんは強がって笑って見せた。その姿が逆に辛さを誇張していてこちらとしても居た堪れない。

 僕は主婦たちに軽く一礼だけすると北条さんに笑いかけた。正直自分が笑っていいのかは分からないけど、彼女が笑っているのだから同じように笑って見せないと。

 

「じゃあ帰ろうよ。せっかくだもん、家まで送るから」

「べ、別にそこまでいたしなくても――――」

「ならお言葉に甘えるのですよ。にぱ~☆」

 

 古手さんが北条さんの言葉に喰ってかかり、急いで手を北条さんの元に行くとその腕を引っ張ってきた。

 僕も北条さんの言葉を聞いていないかのように、半歩遅れる形でありながらもその後を追うような形で歩いて行くことにする。

 



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■影差し編【Ⅱ-Ⅲ】

「さーて、もうすぐ晩飯時だけど。2人とも時間は大丈夫?」

 

 夕焼けが綺麗に木々の葉を紅葉とさせている時間帯となっている。2人は家族がいないのだし、今から帰っても家庭作業が残っているのだ。洗濯や掃除に料理……子供には負担が大きいことだろう。

 先ほどのおばさん2人が見えなくなったときを見計らって僕はそう聞いていた。

 

「……別に気にしなくていいのです」

「そう? 仕込みの時間とか取らなくても……」

「仕込みならとっくに終えているのですよ、心配は無用なのです」

「そうなんだ。流石に手馴れていることだけはあるね」

「……にぱー」

 

 古手さんが余裕の笑みを浮かべている1つ奥。一緒に並んでいるのにも関わらず、心ここにあらずと言った表情で歩き続けている北条さん。うつむいて歩いており、何とかしてあげたいんだけど……どう言葉にすればいいのか悩んでしまう。やはり先ほどのやり取りに尾を引いてしまっているのだろうか。

 

「……圭一は……どうなっているのですか?」

「え?」

 

 全く聞いていなかった。前原君の何について聞いてくれたのだろう。

 

「……今頃きっと包丁持って慌てふためているのですよ」

「あ、あぁ。そんな事はないと思いたいんだけど……ってか物騒な想像だね」

「事実なのですから、仕方ないのです」

「確かに包丁の使い方さえ分からないような感じだったけど……」

「……沙都子もそう思います?」

「え? え、えぇ……そうですわね。今日の昼ごはんの様子を見ればそう思いますわね」

 

 今日見た料理レベルはとてもじゃないけど不安を取り除く事は出来ない。もしかしたら今頃火事を起こしてしまうのではないのだろうか。この村に消防車の存在ってあっただろうか。山火事も起きそうで大惨事……まぁそれは心配しすぎなのだろうけど。

 僕も北条さんに何か質問してみようかな。

 

「前原君って晩御飯とかどうしているのかな?」

「そうですわね……。きっと圭一さんの事ですわ。意地でも料理をして失敗しているのが目に見えますわよ。カップ麺という妥協は致しませんわ」

「だろうねー。なんか無理して料理しようとして火事でも起こしていそうで怖いよ……」

「孝介さん。それあながち間違えでもないと思いますわ」

「え?」

 

 冗談八割のつもりで言ったにもかかわらず、相手は笑うどころか神妙な表情で僕の意見に賛同してきた。それってつまり、本当に可能性があるということなのだろうか。

 料理で家事を起こすというのはよくあるけど、火元をしっかりと見ておけばそんな大きな事態に発展しないはず。前原君だって小学生でもないんだから、それぐらいの危険察知能力はある……と思いたい。冒険心が強すぎるのが難点ではあるし、楽観的でもある。多少の出来事に鈍感であり、料理の知識は皆無。

 …………。

 

「そう……だね。確かに前原君ならやりかねないかも」

「ですわね」

 

 こんな風に思うはずはないと思ってたんだけど。

 

「……不安なら圭一の家に行こう、なのです」

「え、今から?」

「……そうなのです。いきなり圭一訪問なのですよ」

 

 僕の発言から気持ちをくみ取ってくれたのだろうか。古手さんは僕ら2人と引き留め、そう提案してきた。

 

「賛成ですわ。どうせなら圭一さんのお間抜けな姿でも見て嘲笑ってやりますわ!」

「でも来た道とは逆だけどいいの?」

 

 僕は前原君の近くなので困ることはない。朝だって一緒に登校することがあるくらいに近くに住んでいる。だが2人の家は今歩いている道から察するに学校を点対称とすれば真逆の位置と言えるだろう。今も道を引き返さないといけないし、時間はかかることは間違いない。

 そうなれば夜遅くなるし、歩くのにも大変だろうしと、2人とも大丈夫なのだろうか。

 

「別に構いませんわ。私たちの心配には及びません事よ」

「古手さんは?」

「……みぃ。ボクも大丈夫なのですよ」

「そう? 無理してない?」

「無理なんてしていませんわ。それとも、孝介さんは私たちをそんなひ弱な小学生だとお思いで?」

「別にそこまで思ってないけど」

 

 小学生であることには間違いないのだし。

 

「大丈夫ですわ。体力なら自慢がありましてよ?」

「そうなの?」

「時に山登りをするんですわよ? 2人で」

「それは凄いぃーていうか何のために?」

「……沙都子はいつもトラップを仕掛けに行くんですよ」

「うん。何のために?」

「それは言えないですわ」

「うん? どうして?」

「それは言えないですわー!」

 

 ……とにかく二人とも帰りに歩き疲れるということなど無いと言いたいのかな。トラップの話云々を置いておくとすると。

 まぁ流石にいつも部活をしているだけのことはある。それに田舎だから車といった交通機関を使わないこともあるのかな……それを入れても体力の差を感じてしまう。悲しいものだ。

 

「なら、そうしようか。前原君の家知らないから、先導よろしくお願いするね」

「お任せあれ、ですわ!」

 

 先導を買って出てくれた北条さんが先に進んでいくのを眺める。ちょっとだけ元気が出てくれたのだろうか。その歩みには覇気が感じられる。

 

「良かった……」

 

 あれが北条さんらしいし、見ていてこちらも元気になれそうだ。

 

「……みい」

「うん? 古手さん、どうかした?」

 

 古手さんは僕の顔をじーっと見るだけで何も言ってくれない。何か気になったことでもあったのだろうか。少しだけ疑わしいといった表情が見え隠れしてそうでしてないようにも見えるけど……。

 しばらくしても、変わる事が無かったので僕の方から話題を振ってみようとする。

 

「うーん。何か僕の顔についている?」

「……さっきは黙ってくれてありがとうなのです」

「へ?」

 

 いきなり感謝をされたのでそのような声を上げてしまったのだが、すぐに北条さんの件についてだと理解した。別に僕へそのような言葉をかける必要などない。あれは古手さんが止めてくれたからこそ黙る事が出来たのだから。

 それに自分は声を出すことを恐れてしまっていた。行ってしまえば後に引けない。そんな気持ちになって臆してしまった自分に感謝される所以はない。

 だからこそ感謝されると逆にこちらが恥ずかしかった。

 何かしないと身体がむず痒いので、髪の毛を弄らせてもらう。

 

「そんな……あれは古手さんのおかげであって、僕が感謝されるようなことはないよ」

「……そうですか?」

「でも、何であんなに北条さんは腫れ物に扱うような対応をされているの? 何か理由があるんじゃないの?」

「……」

 

 どうやら気まずい事を聞いてしまったようだ。それは古手さんの苦い顔から簡単に分かる。

 

「……ごめん。聞くべき内容じゃなかったね。さっきの質問は無視して」

「……沙都子はとても辛い思いをしているのです。そして耐えて耐えて、耐え続けているのです」

「耐え続けている……か」

「それを理解してほしいのです」

 

 いつも一緒に住んでいるからこそ、古手さんは北条さんの一番の理解者であるのだろう。そして唯一の親友でもある。

 だからその痛みは古手さんが一番知っている。あの時目に宿していた悲しみの原因はそれが大きい。

 まだ小学生なのに、そんな苦渋をいつも感じながら生きていかないといけないこの状況。

 どれほどの固い想いで戦わないといけないのだろう。精神的に追い詰められる感覚。

 強い、それが僕の感想だった。

 

「……篠原は沙都子の友達でいてくれますか?」

 

 しっかりと見据えてきた古手さんはそれが確かな約束であってほしいという思いがありありと見える。正直今の僕は知り合ったばかりで友達と呼べる資格なんて無いのかもしれない。

 だけどそれが北条さんの苦しみを少しでも和らげ、そして古手さんの悩みを吹っ切らせる原因となれるのならば、形のないものであっても約束をするべきである。

 

「うん。僕で良ければ」

「……本当ですか?」

「うん」

「嘘……つかないでほしいのです」

「嘘じゃない。今度からは北条さんの友達でいられるようにするさ」

「…………」

 

 やはり何か彼女のためになれないのだろうか。黙る古手さんの目には何か葛藤しているような、暗く、そしてすがる気持ちが見え隠れしているような気がした。

 だが、その事を問いただすことは出来ない。そこまで空気を読めない自分ではないのだ。

 

「2人とも、何を致しましてー?」

「……みぃー! 少しお話をしていたのですよ!」

 

 先ほどの会話を北条さんに悟られないためなのか、明るく振る舞いながら古手さんは北条さんのもとへかけていった。

 

「あんなに幼い2人なのに……」

 

 僕はあんな風にはなり切る事なんて出来ない。お互いの事を案じている2人は真の友人なのだろう。

 本当に……あんな友人が欲しかった。

 

「……?」

「孝介さーん! 何しているのですかー、おいていきますわよー!」

「あ、ちょっと待って!」

 

 2人が先行く姿を僕も必死になって追いかけることにした。

 ……一応いっておくけど、体力ないからって立ち止まってしまったなんてことはなかった。なかったから。

 



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■影差し編【Ⅱ-Ⅳ】

「はぁ……前原君の家って結構大きいんだ……」

 

 僕は瞳を大きくしながら感嘆の声を上げていた。

 この村では寒村であるためか、家が点々と散布しているし、なによりその家一つ一つは木造建築である。僕らの通う学校だって木造――――さらには改築しての学校なのだから、やはり田舎という域を超えていない。

 そんな村の状勢と打って変わって前原君の家はコンクリートを用いて出来た近代的な建物であった。もちろん僕の家だって最近建てられたためにコンクリートの壁である。しかし大きな違いとして、敷地の大きさが存在していた。ここ1つでここらへんの田んぼ一個分はありそうな大きさ。

 

「相変わらず圭一さんの家は大きいのでびっくり致しますわー」

 

 同じように驚いている北条さん。もしかして、前原君のお父さんはかなりのお金持ち社長か何かなのだろうか。でもそれならこんな田舎に住む理由が見当たらないし……。

 車庫を見ても車はない。どうやら本当に両親は出かけてしまっているようだ。

 ドアの前まで来た北条さんはノックしようと構える。

 

『うおおおおおお。すげえ! 燃えてる。燃えているぜ! これぞ漢(おとこ)の料理だぁ!!』

 

 ……が、北条さんの動きはドアを叩く寸でのところで止まった。みんなが一同に黙ってしまう。

 顔を合わせて互いの思いを読み取る。どうやらみんな同じような心境に至っているようだ。

 今の叫び声は前原君であることに間違いない。家にいるというのは証明されたのだが、嫌な感じしかしない。

 不安、それは鼻から伝って焦げ臭い匂いのせいで大きくなっていった。

 

『だ、だが……これはちょっと燃えすぎじゃないか――――てうわあぁああやべぇ!! 天井が、天井が燃えちまうぅ!!』

「大変ですわ二人とも! 急いでいきますわよ!」

 

 北条さんがガチャリと大きく扉をあけ放つ。この際、鍵がかかっていることを気が利いているのか、ただ不用心なだけなのかは関係なかった。北条さんの後続で侵入し、靴を履き捨てる。北条さんは我先に台所と思しき場所を探す。家が大きいゆえに部屋数が多めに見える。どこがリビングで、どこが台所なんだろう。

 立ち込める煙はすでに廊下の天井も隠そうとしていた。本当にまずい状況であるのは間違いない。でも、前原君はこの緊急事態に対する処置を知らないはず。慌てふためく声だけが唯一の救済の声だと思っていた。

 北条さんが冷静に判断し、前原君の声と煙を頼りにして台所の場所を当てた。1つの扉を開ければ、そこには腰の引けた前原君と物凄い勢いで燃え盛っている火が見えた。火は小学校の修学旅行で見たキャンプファイヤー並みにゆらゆらと家を焼こうとしている。

 

「うわ! 本当にまずい!」

「梨花! 濡れたタオルをお願いしますわ!」

「了解なのですよ。にぱ~☆」

 

 古手さんはこのような事態でも笑顔を崩すことなく買い物袋を置くと、その場を後にする。何故あそこまで冷静……彼女の心臓はダイヤモンドで出来ているのだろうか。

 いや、それだと衝撃に弱いことになるから違うか……。

 

「孝介さんも手伝ってくださいまし!」

「あ。あぁごめん!!」

 

 何を悠長に表現について考えていたのだろう。自分も十分危機感を感じていないじゃないか。

 とにかく燃え盛っている火に直接触れるのは無理だ。何とかガスの元栓を止め、供給を絶たないといけない。

 すぐに帰ってきた古手さんの手には絞ってあるタオルが握られていた。大きめにあるタオルは酸素を絶つために使うのだろう。受け取った北条さんは鍋に蓋をするような形でタオルを敷く。なるべく遠くから、それでも確実に敷いていけたことは北条さんの丁寧さ、冷静さがあったおかげだ。

 僕も出来ることをしないといけない。

 

「前原君! ガス栓はどこにあるの!?」

「そ、その下にある棚の中だ……」

 

 良かった。コンロの近くにあるなんてないと思ってたけど、燃え盛る火の下にあるなら近くに行っても大丈夫だ。それに前原君がちゃんとガス栓を知っていたことにも感謝しないと。

 その情報を聞きつけ、すぐにガスの元栓を探す。真正面に存在したガスの元栓を勢いよく閉めてすぐさま退避。どうなるかと思っていたのだが、僕らの適切な対処が火の怒りを鎮めたようだ。

 3人のコンビネーションで大事になる前に、防ぐことに成功したようだ。もし前原君の家に来なかったらと思うとゾッとしてしまう。あれに直接水でもぶっかけそうだし……。

 やる事は1つしかない。落ち着き、これ以上の被害が出ないと分かった瞬間、北条さんは目を参画にしてまくし立てていた。

 

「圭一さん! 危うくこの家を調理することになりまして!? 一体何やっているのですか!」

「い、いや……お、俺は野菜を炒めようと油を引いただけで、」

「炒めるだけなのに油をフライパンに並々注いでいまして!?」

「だってレシピにはこんがり炒めて完成って書いてあったんだぞ!? そりゃあこんがりさせるためには油しかねぇじゃねぇか……」

「安直すぎますわー……!」

 

 歯ぎしりをしながら、あまりの無知さに北条さんが手をわなわなと動かす。

 

「わ、悪い……ここまで大きなことになるなんて思ってなくてよ」

「少し予想すればできますわ! 私たちがいなかったら圭一さんは真っ黒くろすけですわ!」

「ぐぅ……」

 

 前原君は危うく放火になりかけてしまった事に少しばかりの後悔の念はあるようだ。

 それでも北条さんは許すつもりが無い。未だマシンガンのように叱り続けている。

 

「だから圭一さんは料理スキルなんて無いと思われるのですよ!」

「……すまん」

「そんな言葉で許されるとお思いですの!? ちゃんと知識を持ってから動かないと間違えれば人を殺めてしまいましてよ?」

「それは……」

「これからはちゃんとしてくださいまし! レシピなんかで何とかなると思っているから――――」

「もうその辺にしてあげようよ。前原君ももう反省しているし。あんまり言うのもかわいそうだよ?」

 

 十分反省しているようだし、これ以上言っても前原君を追いつめるだけだ。

 これからしっかりとしてくれればそれでよい。そう思っての発言だった。

 

「孝介さんは甘すぎますわ。こういう時はビシッと言わないといけませんのよ!」

「でも……そこまで……さ」

 

 あまり口にできなかった。正直北条さんの言い分も分かるし、今回のような幸運が続けて起きるはずもない。だけど、このまま前原君と北条さん関係が悪化するのも嫌だと思っていた。これで前原君が委縮してしまって北条さんのことを避けるようになってはいけない。

 だからこそ、苦い顔になりつつも僕は北条さんに向かって笑いかけた。

 上手く言葉に出来ないからこそ、それで伝わればいいなと思ったのだ。

 

「……あ」

「ん? どうしたの?」

 

 北条さんがいきなり黙ってしまったので、僕はそう聞いていた。

 

「…………いいえ。たく、仕方ないですわ。今回は孝介さんに免じてこれぐらいにしといてあげますわよ……」

「本当に悪かった!」

「これからは監修が必要ですわね」

「そこまでか!」

「いや、そう言われても仕方ないと思う」

「……はぁ」

 

 ため息交じりになりつつもそう言って前原君への説教を終える北条さん。まるで母親が子供に叱るような姿である。

 

「それで圭一さんは何か作る事が出来まして?」

「い、いや……」

 

 そんな微妙な返答をすれば言葉にせずとも失敗していることが分かる。そしてこれ以上火元を任せられる気がしていないことも。

 北条さんはまたも大きなため息を尽いて、買い物袋に向かっていくと食材を取り出していった。今日買ったであろう肉やジャガイモを取り出して食卓の上に並べていく。

 

「……何してんだ、沙都子?」

「圭一さん。包丁や鍋借りますわよ」

 

 有無を言わせないスピードで調理をし始めようとする北条さんに、手伝おうと立ち上がる古手さん。フライパンは先ほどの影響で使えそうもないので、代わりに鍋を用いるようだ。ちゃんと鎮火していることを確かめてから、またも作業のためにガス栓を捻ろうとする北条さん。

 ここまでくれば前原君にも何をしようとしているのか分かったようだ。

 

「な、何で沙都子たちが料理を作るんだよ……」

「あまりにも不憫で、仕方なく……仕方なくですわ。私がお手伝いしようと思いましてよ?」

「……このままだと勝負があまりにも面白くないのですよ、みぃ~」

 

 酷い言われようだ。そんな言い方だと前原君は素直に受け取れないかもしれないのに。

 

「お、俺は敵に塩を受け取るつもりなんかない……」

 

 やはり拒否。前原君はこういう時には真っ向勝負が好きだから仕方ない部分はあるけど。

 

「そのプライドで家を燃やされてはこちらが困りますわよ……。梨花、ジャガイモを取ってくださいまし」

「……はいなのです」

 

 見事な包丁さばきで野菜などを細かく処理していく北条さんに、それを受け取ったり、炒めたりして調理をしていく古手さん。

 2人の息はぴったりだ。瞬く間に食材が綺麗に料理のための具材へと変貌していく。そのスピードは熟年の主婦でさえも舌を巻きそうな程であった。

 流石に自分たちが優勝候補だと豪語していることだけはある。

 

「す、すげ~……」

 

 そんな様子を眺めている前原君。このままでは2人に申し訳ないと思ったので、横で座ってみているだけの前原君に声を掛ける。

 

「ほら、僕たちも出来るだけの事はするよ」

「え、俺たちがなにをするんだ?」

「お米を研ぐとかあるでしょ?」

「え、お米って研ぐとか言う過程が必要なのかよ!?」

「……あのねぇ」

 

 どうやら前原君は本当に調理できないようだ。もしかしたらお米を水に浸すことも分かっていないかもしれない。いや分かってないだろうけど。

 これは将来、料理が出来る奥さんを貰わないと後で困るだろうなぁ。……竜宮さんみたいな人をさ。

 苦々しく思いながら、お米を炊くぐらいは自分でやろうと動き始める。

 

「じゃあ前原君は食器とか並べといてくれる? お米とかの下準備は僕がやっとくし」

「お、おう……わかった」

 

 僕に言われた通りに動き始める前原君。僕はテキパキと作業を進めている北条さんの横でお米を研ぎ始めた。

 僕の予想していた通り、前原君はお米を研ぐという事を忘れていて水は並々と入れられていた。水は真っ白だし、このままではお米はおいしく炊き上がらない。とりあえず1回水を捨てることから始めないといけない。

 

「相変わらず圭一さんには困らせてもらいますわね……」

 

 横から落胆に似た、しかし楽しそうな言葉が聞こえた。まさか楽しそうに聞こえるとは。まるで、

 

「お母さんみたいだね。世話好きっていうか」

「をーほっほっほ! 私はただ圭一さんと楽しく、部活対決が出来ればそれで構いません事よ! まぁ、今回貸しを作っておくことで、のちに倍返しにしてもらいますわー!」

「ははは、相変わらず考えていることは部活なんだね……」

 

 それでも前原君のことを気にかけているのだから、彼女なりの優しさがあるのだろう。

 

「……本当の事を言うと、沙都子は圭一の事が、心配で心配でたまらないのですよ、にぱ~☆」

「梨花!? 何を根拠にそんな事言っていますの。そんな事ありませんわー!?」

「あ、顔赤くなっている」

「ち、違いますわ! これは梨花が変な事言いますから怒っているだけですわ!」

 

 必死に誤魔化そうとしているのがバレバレなんだけど、北条さんは頑として認めようとしない。そんな表情を見て笑っている古手さんはとても楽しそうだった。

 もしかしたら古手さんって結構なSなのかもしれない。この段階だけではまだはっきりしないけど。

 

「おいお前ら。食器の並び終えといた、」

「今取り込み中でしてよ!(パチン!)」

「え――――ま、待てっ! 何で天井からタイヤがああぁあああ!!」

「……圭一。勝手に盗み聞きとはいけない子猫さんなのですよ、にゃーにゃー」

 

 前原君は訳が分からぬまま、仰向けに伸びてまった。とりあえず役目を果たしてくれたし、このままにしておこう。

 



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■影差し編【Ⅱ-Ⅴ】

 先ほどから前原君がスプーンでカレーライスを差したり、抜いたりを繰り返している。行儀が悪いと指摘したいのだけど、前原君の不満顔はそれ以上に指摘するべきところだろう。

 

「前原君。さっきの件についてはもう気にしたら負けだよ」

「……いや、気にするだろ!」

 

 おでこに付けられた冷えたピタッとするものを指差しながら、自分のけがについての問題点を挙げていた。

 

「そもそもだ! タイヤなんてあぶねぇだろ!? 俺だから良かったものの……」

「あ、そこは良かったんだ」

「家族に当たるよりましだっていう事だ!」

 

 仕掛けたであろう隣の少女は、嬉しそうにカレーライスに喰らいついている。その姿は愛らしいというか、苛立たしいというか……とりあえず前原君の不満を募らせるだけの笑顔はそこにあった。

 古手さんも対岸の山火事みたいに遠巻きで見ているし、本当に気楽だよなぁ……。

 前原君は至極真っ当な不満ごとを口にしていた。

 

「……たく、なんで俺の家までトラップが仕掛けられているんだよ……」

「をーっほっほっほ! 私のトラップは辺境の山だって川にだって存在しますことよ! 今後お気をつけなさいませー!」

「安心して眠る事が出来ないじゃねぇか!」

「大丈夫ですわ。流石にトイレまでは仕掛けていませんことよ? トイレには」

「精神が削れそうだぜ」

「大変だね前原君も」

 

 僕の家はまだ出来立てだし、きっと何もないと信じたいなぁ。いや、すでに引っ越す前から仕掛けられていた可能性もある。そもそも立地した土地自体にトラップがしかけられたりなんてことも。

 ……今後の対策方法について模索しないといけなくなった。

 軽いため息をついていると、前原君が僕の後ろにある掛け時計を見やりながら尋ねてくる。

 

「そういえば孝介? 家族には晩飯の事はちゃんと説明しているのかよ?」

「うん。電話で簡単に説明しといたから、大丈夫だよ」

 

 母親からは「あっそう」との一言。そんな素っ気ないと何か悲しい。忙しそうだったし、何かしていたのだろうか。

 

「なんか悪いな」

「へ?」

「ほら、わざわざおにぎりの作り方教えてもらった上に、寂しい食事に同席してくれてさ」

「悪いですわね。寂しい食事で」

「ははは……いいよ、別に。おにぎりはすぐに教えられるし、家族のことなら心配もない。昔から外食とかで1人の時もあったぐらいだし」

 

 それに独り身の寂しさはよく分かっているつもりだ。どうしても夜ひとりで食べることは味気が無いというもの。それにレストランといった雰囲気で誤魔化すことも出来ないし。

 逆にこういったみんなで晩御飯を食べる機会が少ない。だからこそこのような機会はもっと増やしていきたいなと思っていた。

 

「何か礼をしないとな。世話になりっぱなしだし」

「そんな、悪いよ……」

「そうだ! 孝介、今度一緒に隣町に行かないか?」

 

 前原君の提案に少し驚いていた。確かに行きたいとは思っていたけど。

 

「思い立ったが吉ってやつだ! 俺のお気に入りの場所があるんだよ。そこで一緒にデザートを食べようぜ!」

 

 前原君は言い出したら止まらない節がありそうだ。でもデザートは好きだし、断る必要もない。

 

「うん。ならみんなで行こうよ」

 

 みんなで隣町まで遊びに行く。これは楽しいことになりそうだ。近所迷惑にならないように、みんなを制御する自信ないけど。

 

「い、いや。俺たち二人で行く……」

「え、何で?」

「そりゃあ…………な?」

 

 急に言い淀んだかと思えば、遠慮がち苦笑いをする前原君。察するに僕と2人きりで行きたいよりも、他のメンバーと一緒にしたくないようだ。

 でも何でだろう。何かまずいことでもあるのだろうか。

 

「圭一さん。いかがわしいお店に孝介さんを誘おうというのなら、止めてくださいまし」

「え、そうなの?」

「私たちを誘えない理由なんて、簡単に推測できますわ。全く、何を考えていますの?」

 

 先ほどまで聞き手だった北条さんが呆れ、ジトッとした目で前原君の今後に忠告をしていた。

 どうやら北条さんには前原君が何をしたいのかおおよその予測が出来ているようで。

 それを聞いた前原君がスプーンを置いて反論する。

 

「そんな訳ないだろ!? 俺はちゃんと孝介の事を考えて行動しているだけだ!」

「……圭一は孝介を悪の道へ誘惑しようとしている悪い猫さんなのですよ」

「違うな! 俺はただ漢(おとこ)としてのあるべき姿を孝介に教えようとしているだけなんだぁ!! いいか孝介、漢を知るにはこの俺、前原圭一を差し置いて誰がいると思う? 否! 俺以外いない! 孝介は少しばかり内気すぎるし、このままでは世界と渡り歩く事なんて不可能! だから誘おうという俺の優しさがお前らには見えないのかぁ!?」

 

 ヒートアップした前原君が食事中に立ち上がってそう熱弁していた。というよりみんなの事を指して己の何たるが不足しているかなんて言っている。お行儀が悪い事この上ないと言いたいところだけど、今回は僕の性格などを考えた上での発言なのだろう。とりあえず話を合わせておくのが無難に済みそうな解決策だと判断した。

 

「あはは……。それはありがとうね」

「孝介さん。正直に迷惑なら迷惑と言っていいのですわ」

「いやまぁ世界を渡り歩くまでは考えていないけれど、とりあえず僕のためを思っての行動だって言うのは分かったから」

「そうだ! だから一緒に行こうぜ、孝介」

「はいはい」

「はいは一回だ!」

「別にそれぐらいいいじゃない。行くことに変わりないんだし」

「……ま、お前がそう思うならオーケーかな」

 

 前原君は満足したように座りなおすと、自分の前に置かれた料理にがっついていた。

 落ち着いてくれて何よりで、とりあえずいつ行くかなんて話はまた今度にしておこう。今のままだと今からなんて言いそうだし。

 

「……そういえば、篠原は今回の料理対決、なにを考えているのですか?」

 

 古手さんが先ほどの話は収束したと思って別の話題に触れてきた。

 

「うーん。まぁサバの味噌煮とか考えていたんだよねぇ。前簡単だけど作ったことあるし」

 

 ……ん? 何かそのことで忘れているような……。

 

「圭一さんはどうでもいいですけど、孝介さんは未知数ですからね。警戒するにこしたことはありませんわー!」

「おい! 俺はどうでもいいのかよ!?」

「当たり前ですわ。何故私たちが圭一さんの心配をしなくてはならないのですか?」

「ふ。今日おにぎりを握れるようになった俺様のスキルさえあればこんな勝負」

「梨花、福神漬けありませんか?」

「……みぃ、冷蔵庫にあると思います。取ってくるのですよ」

「話聞けよ!?」

「圭一さん。カレーというのは煮込めば煮込むほどおいしくなりますわ」

「……だから何だよ」

「圭一さんは逆で煮込めば煮込むほど……いえ、なんでもありませんわ」

「おい今何言おうとした目線逸らすな耳を塞ぐなー!!」

 

 相変わらず黙るという言葉を知らないようだ。食事時ぐらいは古手さんみたいに落ち着いて食べて欲しいものだ。しかし、先ほどの会話に出てきた福神漬けだがあるのだろうか。どう考えても冷蔵庫にあるとは思えないし、そもそも食材が冷蔵庫に保存されているかも怪しい。

 …………ショクザイ?

 

「お前には絶対まけねぇからな!?」

「取ってきてくれてありがとう、ですわ」

「だから話を!」

「あああぁぁあ!?」

 

 思い出した。今、思い出してしまった。

 

「……忘れていた」

「な、何がだよ……」

「食材……」

「は?」

 

 前原君は意味が分からないようで、そう聞き返してきた。

 でもそんなの関係ない。まさか、まさかである。こんな失態をしてしまうとは。

 

「な、何ですの? 孝介さん。食材って?」

「食材を買い忘れたぁ……!!」

 

 すっかり忘れていた。本当何呑気に食卓を囲んでいるのだろう。明日試合だと言うのに食材のしょの部分でさえ買えていないではないか。……この表現どうなのかよく分からないけど。

 と、とにかくだ。北条さんの出来事があったとはいえ、重要な勝負の下準備を怠ってしまうとは……。これはまずい、非常にまずいことになった。

 僕の呟きを受けて、北条さんが対策はないのかと救済の道を一緒になって考えてくれる。

 

「た、対策と言っても……もう店閉まってる」

 

 時計を見れば8時を超え、8時半を迎えようとしていた。ここらへんのお店事情を考えると、閉まっている可能性は高いだろうし、スーパーまで買いに行こうものならお隣の町まで出かけないといけない。買い足しは出来ない。

 

「家には食材がありません事?」

「あるとは思うけど、確か今日の朝、母さんが『残り物フェアする』って言ってたからね……」

 

 母さんは3人暮らしに対して、作りすぎてしまう時がある。

 良く食べる3人ならいいのだけれど、残念ながら食べれるどころか小食で残してしまうメンバーなのだ。余る事は当然として母さんも考慮してくれる。

 だからこそ週に一度くらいの頻度でそのように作りすぎてしまった料理を処理するという日がある。それが『残り物フェア』だった。

 ――――そして行われる時の冷蔵庫の中身は空っぽであることが多い。

 結論として僕には作れるものが限られてくるのだ。いくら慣れているからとはいえ、食材の限定された中でアイデアを講じられるほど、僕のスキルは上達していない。

 

「どうしよう……」

 

 そうなればやはり家の中にある食材で勝ちに行くしかないのだろうか。でも残り物フェアしている時に、冷蔵庫の中に残っている食材なんて……しかも気にしていた鮮度も捨てないといけない。

 この勝負に勝ちたいと願っていたのに、本当発狂しそうになりそうだ。

 

「ずいぶん悩んでいるようだが、大丈夫か?」

「前原君」

「食材がない……か。まぁ大丈夫だ孝介! お前ならこんな逆境、きっと乗り越えられる!」

「あははは……。そう……だね」

「圭一さん。軽率な発言は控えたよろしいですわー!」

「あ、そうなのか?」

 

 前原君は楽観的さを見ると、きっと食材に対しての重要性も理解出来ていないんだろうな……

 自分でもわかるひきつった笑いで誤魔化していると、ふいに頭の上に何かが乗るような感覚があった。

 

「…………古手さん?」

「みぃ。かぁいそ、かぁいそなのですよ」

 

 手で頭を撫でられながらそう言ってくる古手さんに複雑な思いで見つめ返すしか、今の僕は出来なかった。

 ……本当、どうしましょう。

 



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■影差し編【Ⅱ-Ⅵ】

 僕は完全な立ち直りが出来ないままグダグダと時間を使ってしまい、気づけば帰らなければならない時間がやってきた。北条さんたちから有益なアドバイスを得られることもなく、本番を迎えなければならないことに軽くショックを受けている。もっと気を付けるべきだった、本当に。

 食器を洗ってくれるという前原君の好意に甘え、僕らは食器をそのままに外に出た。いくら前原君も食器を片づけることは出来るだろうという考えで、軽く冷やかしつつも安心はしていた。

 そして今は北条さんと古手さんを向き合っている。理由は送り迎えについてであり、

 

「本当に家まで送らなくても大丈夫?」

 

 ここからの帰り道は逆なのでここで別れる場合の話をしていた。

 

「私たちの心配には及びませんですわ。ちゃんと帰れますので」

「……それに篠原には明日の対決を頑張ってもらわないといけないのですよ。にぱ~☆」

「あはは。そうだね……」

 

 早く食材の在庫を確認しないといけないのは事実である。もしかしたら空っぽで手持無沙汰のまま学校に登校しなければならない、なんてことになりかねない。

 まあそれよりも北条さんたちの危険を考えなければいけないことなので、言ってはいなかったんだけど。

 

「それでは孝介さん。ごきげんよう!」

「さよならなのです」

「うん。今日は本当にお疲れ様」

 

 2人ともお辞儀をして僕から背を向けていった。

 

「さて、僕も帰ろう、と」

 

 帰って大体20分かかるとして、家に帰ると大体9時くらいになるだろうか。

 駆け足で帰ろうか、なんて軽い肩掛け鞄を担ぎなおしていると、

 

「おぉ孝介。まだいたのか?」

 

 前原君が玄関口から顔を出していた。と思うと、いつもは使わないサンダルを履きながらこちらまでやってくる。すでに帰っていると思っていたのだろうか、その表情は少し意外そうに見える。

 

「うん。まぁすぐに帰ろうと思っていたところなんだけどね」

「ちょうどいい孝介。少し話がしたいんだ」

「え?」

 

 いきなり前原君からの提案。何故今になって言ってくるのだろうかが分からず、少し黙ってしまう。

 北条さんがいないからなのか、それとも何か思い出した用事でもあったのだろうか。

 何も分からなかった僕はとりあえず首を縦に振った。

 

「ここじゃ悪い。歩きながら話そうぜ」

「わかったよ」

 

 そう切り出して僕を置いていく形となりながら前原君が僕の帰り道を先行していく。

 前原君のサンダルのペタペタと立てる音と、物静かになった雰囲気はどことなく騒がしい部活に比べて不思議な気分になる。歩いてしばらく、話は自分から振ることになった。

 

「それで……話って何?」

 

 明日の料理対決の件なのだろうか。もしかして何か細工に協力してくれ、なんて。

 だが彼が発した内容は僕の予想をはるかに裏切るものだった。

 

「沙都子の件だ」

「うん? 北条さんがどうしたの?」

「お前が転校する前の出来事なんだけどさ。前にみんな一緒に村めぐりをした時があったんだ」

 

 北条さんに、村めぐり。

 そんな言葉を今聞いて前原君が言いたいことのおおよその想像がついた。そして理解できる。

 何で前原君は今の今まで僕に喋ることを躊躇ってしまっていたのかを。

 

「いろんな場所を見た時、村人に遭っていたんだよ。だけどその時さ、村人……いや、主に大人たちなんだけどさ。あいつだけがのけ者にされてるような気がしたんだ。具体的には言えない、なんていうか冷ややかな目で見ているって言えばいいか?」

「それって……」

 

 彼が言おうとしている事は今日あった出来事と全く同じなのではないか。

 

「沙都子は気にしないそぶりで対応していたが……きっと強がってた」

「うん」

「きっと辛い思いをしているに違いない。魅音やレナもそう言っていた。だが、俺たちが正直になってなんて言っても沙都子の事だ。強がって、気にしないでくださいまし! なんて言うと思う」

 

 園崎さんも竜宮さんも気づいていたんだ。

 ……考えれば当たり前か、僕でさえ引っ越して間もない自分でさえ気づくのだから。気づいて、みんな黙っている。それはどうしようもないことなのか。家庭の環境というのは大体わかる。おばさん2人組の話から察すれば特に親の影響なのかもしれない。

 しかし、これは全て憶測。本当にあっているか分からないし、間違えていれば北条さんに失礼。

 だから僕は遠回しに前原君に理由の説明を求めることにした。

 

「なんで、北条さんはそんなことに?」

「村人から嫌われている。これ以外に考えられないさ」

「そもそも、何で嫌われることになったんだろう……」

「そうだな。これはレナに聞いた話なんだが――――」

 

 今からおよそ五年前に起こったこの村にて大きな問題となった出来事があった。

 雛見沢を水没させて出来るとされる政府が立てたダム建設の話。そして、村人がそれに対する反発運動である。政府の目的としてはダムによる電気供給のようだが、村一つを潰してダムが作られる内容に村人は猛反発。園崎家、そして公由家を代表にした反対派は鬼が淵死守同盟を立ち上げて、過剰ともいえる反発運動が起こっていた。それが村全体の意向でもあるかのように。

 ……しかし村全体が反対と言っていたわけではなかった。

 政府から提示してきた条件や住宅提供に対し、その条件を飲もうと考えた賛成派も存在していた。その代表格が、北条家。そう、北条沙都子の親御さんにあたる人である。北条家を筆頭に賛成派も村の会合で大暴れ。村の派閥と共に大きな亀裂を呼んだ話でもあった。多勢が少数を飲み込もうとする、異端と思うのは当然のことで。

 当然ながら園崎家から北条家は村の裏切りものとして扱われてしまうようになった。

 だが反対派も後に引けない。そんなの別に構わないと対抗していたのだが、

 

「反対派にとってまずい事態が起こったんだ」

「まずい事態?」

「沙都子の両親が事故死したことだ」

「事故死って……」

「旅行中に崖から落ちた、という話だ」

 

 反対派の核となっていた存在だったため、北条家が居なくなってしまってから反対派は鳴りを潜めるしかできなくなったらいしい。手のひらを返し、反対派の中に入るようになってしまう。

 賛成派はオヤシロ様のたたりで殺されたのだと言われたそうだ。

 

「オヤシロ様って?」

「この村に存在する神様らしい。古手家にある神社。祭具殿……だっけ? 確か、それがオヤシロ様を崇拝している場所だそうだ」

 

 結局賛成派によってダム建設は取りやめになったらしい。しかし今でも反対派の中心人物だった北条家は憎き対象としておかれ、

 

「子供である北条さんにもその影響が出ているって事?」

「あぁ。だから沙都子はみんなから無視されているんだ。あいつには関係ないんだがな。遺恨ってやつなんだろう」

「クラスの子はそれでも仲良く接してるよね?」

「子供はこんなこと知らない、というか沙都子の素性を理解しているからな。邪見にする理由がないのさ」

 

 親といった村の年上ばかりだよ、嫌がられているのは。前原君はそう吐き捨てた。

 

「関係ないのに……。北条さんはそんな辛い思いをしながら、ずっと……」

「あぁ。お前にはこの事を知って欲しかった。これからも仲間として一緒になってもらいたいからな」

 

 仲間としての不安、そして自分が何も出来ていないことへの葛藤。

 それが前原君は自分に対しても言い聞かせているのかもしれない。自然と足取りは重くなってしまった。

 

「沙都子には支えてくれる人が必要なんだ。それが誰なのかは、具体的には言えない」

 

 だが……、そう言って前原君は僕の顔をじっと見つめてきた。それ以上は目で教えてくれる。

 

「それが僕って言いたいの?」

「多分だ。可能性の話だから、断定は出来ない」

「そんな可能性だけで判断するのはどうなの? 実際自分には何も出来ないだろうし」

「違うよ。孝介」

「そうかなぁ」

「お前は優しい。凄い優しいんだ。まぁ、俺が思うぐらいなんだからそうなんだろうぜ。……そしてあいつはまだ、優しさを教えてもらえていない。気持ちに安らぎを与えてくれる優しさを。ずっと耐え続けている苦痛を少しでも和らげる存在が必要なんだ。空気を入れ続けたらパンクするしな。息抜き役としてはお前が最適なんだ」

 

 僕は黙ってしまった。会って間もない人物の重要なキーパーソンとなっている自分。

 そんな重責を僕は担ぐことが出来ることが出来るのだろうか。

 

「……孝介、足が止まってるぞ?」

「え?」

 

 言われて気づく。足が止まって、考えこんでしまっていたようだ。

 

「悪いな――――迷わすような発言しちまって」

「ううん。前原君は北条さんのことを思っているってことがよく分かるよ。羨ましい位だよ」

「はは。沙都子は俺の仲間だ。その事実は変わらないさ。だから楽しい思い出をたくさん作ってやりたい。……孝介も手伝ってくれるか?」

「うん。それは出来るよ」

「お前は今まで通りにすればいいと思う。あくまで俺の評価だがな」

「あはは、ありがとう。北条さんを変に意識せずに気にかけてみるよ」

 

 北条さん。君は仲間からこんなに想われているんだ。僕がいなくても、きっと気づいてくれるはず。

 そう思って、僕は笑った。月が昇る夏の夜に。

 



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◆Tips【Ⅱ-Ⅱ】

◆刑事たちの会話

 

「……そんな馬鹿な!?」

「間違いありません。これが証拠の書類です」

「貸せ!!」

「え、ちょっと!?」

「本当かよ……マジかよ……」

「どうしました? 二階堂さん」

「……」

「二階堂さんってば!」

「やっぱりよ。さとっちゃんが新しい現場の様子を見に行ってくれ」

「はぁ……別に構いませんがいきなりですね。もしかして、その書類が何かのきっかけとなりましたか?」

「分からない。だが、これで犯人の特定はかなり絞られてくる」

「本当ですか!? 良かったじゃないですか! さっさと仕事を終わらせましょうよ! 今マラソンで注目が集まっているのに、自分たちはこんなところで仕事なんですから。全く、休みをくれってもんですよねー」

「…………」

「……何か、まずいことでもあったんですか?」

「さとっちゃん、この事件をそんな程度で捉えたらだめだ」

「え? そんなにでかい話になってるんですか?」

「こいつは意外にでかい山になるかもしれない、富士山級だ」

「そ、それはいくらなんでも盛りすぎじゃあ」

「嫌な予感がよく当たるのは俺の性分でな」

「……」

「お前、雛見沢大災害を知ってるか?」

「そりゃあもちろん。あのでかい問題は今も話題になってますし」

「今回はそれを調べる必要がありそうだ」

「えっと……関係が分かりません」

「しかし信じたくない! 何故そんなことをしなくてはいけないのだ!?」

「……二階堂さん、らしくないですって」

「…………。悪い。俺もよく分かってないまま感情的になってたな……謝る」

「別に構いませんよ。先輩は情に厚い男だって知ってますから、表情には出しませんけど」

「そんなにはっきり分かるか?」

「そりゃあもうはっきりと。でも珍しいですね」

「さとっちゃん。今回の事件は結構面倒になるぞ?」

「それは捜査でですか? それとも”そっち”という意味ですか?」

「…………どっちもだ」

「まぁ……そう言われるのは薄々わかってましたよ。富士山級ですし。じゃあ、俺はこれで」

「ちょっと待ってくれないか。さとっちゃん」

「どうしましたか?」

 

「お前に一つ。頼みがあるんだ―――――」

 

 

――――――――

 

◆研究者たちのログ

 

1984年 ◆×月 ◆×日

 

今回の試験にて、動物がCタイプへ暴走。ただちにこれを止めた限り。以下、今後の課題。

・脳の感染の疑いが大きい以上、これを抑制、管理出来るような薬品を考案する必要あり

・試験日はいつにするか、話し合いの余地あり。9月上旬が望ましい

・サンプルを採取したく、出てきた現場への調査をするべきか

・過去の研究を継続させるためにも、最深部へ入る必要あり

・……全てが完了した後の被験する場所についても話し合うべきである

 

××県山内研究所 開発総責任者

嘉山 仁

 

――――――――

 

◆北条という男

 

「くそ! また外れよって!」

 

ガシャン! 

 

「いかさまちゃうんかぁ!? こうやれば直るんとちゃうんか!」

「お、お客様! 困ります! 当品での乱暴はお控えください」

「あぁ!? そりゃあお前さんらがわいを騙してお金を巻き上げようと目論んでいるからだろうが!」

「ご、誤解です! そんなこと一切しておりません!」

「じゃあ何で、このスロット外れてばっかりなんじゃい!」

「で、ですから!」

「さっきから適当なことばっか言いよって! もっとはっきり言えや、ボケ!」

「ですから!!」

「もうええわ! わしゃあ二度とこんな店来ることは無いからのう!」

「お、お客様!」

「あぁ! むしゃくしゃする! 金も無いし、一体どうしたもんかい……」

「…………そういや、ここの近くにあったなぁ」



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Episode 『対決』
■影差し編【Ⅲ-Ⅰ】


「では第一回! 部活動主催、ガチンコ料理対決を行う!」

 

 園崎さんの言葉を合図に、クラスで地震が起こりそうなほどの歓声があがった。まるで誕生日パーティーでも行われるような勢い。クラスメートもノリというものをよく分かっているようだ。

 昼休みであることを良いことに、各々が言いたいことを騒ぎ合っている。先生から叱られるという考えも毛頭ないようだ。

 自分もそのノリに合わせないといけないのだろうが、少し乗り遅れ、その間にも話は進んでしまっていた。

 目の前に置かれた六つの弁当を指差しては誰が作ったものかを宣言している園崎さんは実に楽しそう。それに他のメンバー。自分が勝っていると思っているのだろうか、その目には自信が見えている。それぞれ相手の弁当を凝視しては自分の弁当を見比べる。そんな視線の交差が行われていた。

 そして観客であるクラスメートも料理を見つめている。

 

「さて、一通り紹介したところでルールを説明するよ! 今回のルールは至ってシンプルでみんなに食べてもらって、見た目、味からどれが一番食べてよかったと思えるかに投票してもらうよ」

「見た目も判断基準なのか?」

 

 前原君が手を挙げ、みんなが思ったであろう質問をしてくれる。

 

「そりゃあそうだよ圭ちゃん。見た目もおいしそうじゃなかったらダメだからねえ!」

「なるほどな。見た目も採点基準か……」

「な~に? 圭ちゃんはそこに力を入れたってこと?」

 

 意地悪く前原君を見つめる園崎さん。多分言葉だけで、実際は前原君のことを出来ていないものだと考えているに違いない。

 

「私たちは投票しないのかな、かな?」

「あたしもそれは考えたんだけどねぇ。みんなは投票無しにした方がいいと思うんだよ」

 

 園崎さんがそう言うけど何か深い意味などがあるんだろうか。

 もしかしたらただの気まぐれかもしれないけど、一応聞いてみることにする。

 

「ん? そんなのただの気まぐれに決まってるじゃないか」

 

 僕の予想通りの答えだ。

 いつも園崎さんは気まぐれで色々してくるからなあ…………ん? まだそんなに日が経っていないのによく分かったなー。

 

「どうしたの? 孝ちゃん」

「いや、別に」

 

 園崎さんと出会って数日しか経っていない。確かにその間、たくさんの遊びやゲームをしてきた。

 でも……僕は園崎さんがそんな人物だと確定するような行動を見てきていない。

 それだけ園崎さんのキャラが強いということなのだろうか。まぁそうなると前原君とかは滅茶苦茶個性があるといえそうだけど。

 

「どうしました、孝介さん?」

 

 気づかないうちに顎に手を当てて考えていたようだ。いつもと違ったポーズにみんなが気になっているようで。それが不思議、もしくは考え事をしているのだと感じたのだろう。

 北条さんがそのように言って、僕の様子に対して疑問を抱いていた。

 

「あ、ごめん。ちょっと考えててさ」

「なんだ? 勝利するための方程式でも考えていたのか?」

 

 一瞬でも考えていない内容なのだが、今の状況的にそれで話を通した方が変に探られないで済むだろう。

 

「うん。まぁそんなところ」

「はぅ~。今日の孝介君、張り切ってるよー」

「ははは……。まぁ今回は……ね」

 

 正直食べ物が無かった時点で、多少テンションは下がっている。

 昨日の一件は片付くことが出来なかったのだが、それを言っても園崎さんたちには通用しない。

 それどころか負け犬の遠吠えと考えられてしまう。そうやって弄られるのも嫌だったから僕は黙って頷くことにした。

 

「そういうレナも自信ありそうに見えるねー!」

「うん! みんなに喜んでもらえると考えると楽しかったし!」

「魅音はどうなんだ? お前が弁当を作るなんて聞いたことがないが」

「あっはっはっは! それは蓋を開けてみてのお楽しみってやつだよ!」

「……ボクたちも負けないのです。昨日は朝早くから頑張ったのですよ」

「そうですわね! 昨日は誰かさんのせいで早起きしないといけませんでしたし!」

 

 僕と前原君は心当たりしかないので苦笑いしか出来ない。

 

「よーし、じゃあみんなの意気込みを聞いたところで!」

「あ、聞いてたんだね。意気込み」

「はいはーい! みんな静かにしてぇ!」

 

 手を叩いて、温まった場を一旦仕切ろうとしていた。園崎さんは続けて片手をあげると、僕らを一通り見渡した。

 

「じゃあ先鋒は誰がいく? 出たい人は手をあげてもらおうか」

 

 先鋒というのはその後の基準となりやすい。つまりよくも悪くも影響の差が出やすいというものだ。

 となれば出る者は必然的に自信のあるもの、多少の経験を積んでいるものとなりやすい。

 だからこそ、彼女が手をあげたときは「やっぱり」と口ずさんでしまった。

 

「レナが行く!」

 

 幸先よく立候補したのは今日の優勝候補No.1。この大会自体を一番楽しんでいる様子の竜宮さんだ。彼女は手を何度も上げ下げしている。

 みんなの表情をさっと見るが、誰もこの状況に焦りを感じていない。やはりみんな分かっていたことのようで、それはギャラリーに対してでも同じだった。

 

「よし、じゃあ箱を開けてもらおうか」

「レナはね、みんなに食べてもらうために色々作ってきたよ~!」

 

 箱を包んでいた紐を解き、綺麗な三段式の重箱を開けると周りから感嘆の声が漏れていた。それは喉を鳴らしたくなるような匂い、そして色とりどりに置かれた料理が並べられている。唐揚げに、卵焼き、そしてタコさんウインナーなど、このままピクニックに行きたくなるような、そんな弁当だ。ごはんもおにぎりにしていて、みんなが食べやすいようにと彼女なりの配慮が光っている。

 序盤から圧倒的だ。竜宮さんの力は分かっていたからこそ、ライバルとしてふさわしいもの。

 

「さぁ、みんな食べてー!」

「「「はい!」」」

 

 みんなが箸を手に取り、好きな物を漁っていく。反応としては上手い、おいしいといった料理の味についてをキチンと評価しているようだった。

 

「俺たちは食えないのか?」

 

 前原君も竜宮さんの弁当を食べたくて仕方ないようだ。

 

「一口くらい食べてみたいんだが」

「圭ちゃ~ん。今回は対決なんだから、相手の弁当を食べたらだめだよ」

「いや、でもこれは上手そうだぜ……」

「圭一さんの場合、そうやって味付けに細工をしそうですわー」

「そんなことしねぇよ!」

「味の付け方を間違えそうだしねぇ。偉いものが出来そうだね」

「お前ら俺をバカにしすぎだろ!?」

 

 3人のやり取りを後目に僕はギャラリーの表情を見ていた。

 竜宮さんは凄い。やはり安定感というか、慣れていることが今まで通りのやり方でいこうと考えたのだろう。正直それは上手くいっているし、子供にとって親しみやすい味としてよいと思う。

 だけど子供たちには食べることはしてもがっつくまでには至らない。つまり今まで通りなのだ。

 今回の竜宮さんは対決というのに、あまり普段と代わり映えしないのが特徴。だからこそ意外性が感じられないのだ。それではどうしても評価として入れにくいものがある。

 今回それが吉と出るか凶と出るか。非常に悩ましいものだった。

 

「みんなー! 食べてくれたー?」

「とってもおいしかったです! 満足っす!」

 

 あっという間に無くなった弁当の中身を見ながら園崎さんが言った。

 

「中々に良い先陣を切ってくれたねー。さぁ、次は誰がいく?」

 

 部活メンバーは誰も挙げずに、少しの間があった。みんなも注目する中、数秒が経過。互いが互いを見つめ合う。

 次に出るのは正直怖いものだ。安定感のある竜宮さんとのタイマンをしないといけない今、勝つ自信がある者でないと出にくい。自分の食べ物はどっちにしても後出しじゃないといけないのだけど、他のメンバーも出しにくいことは間違いないだろう。

 相手の手札が分からない以上、安易に竜宮さんと対決しその後で大目玉喰らうなんてこともありうるのだから。

 誰が出て、どんなものがあるのか。……なるほどガチンコ対決であることは間違いないようだ。

 無言の心理戦が場を占める中、ついに手を挙げる者が現れる。

 

「……次は僕が出番なのです」

 



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■影差し編【Ⅲ-Ⅱ】

「ほう、次は梨花ちゃんかい?」

「……そろそろ出番だと思ったのです」

「いいねぇ。そういう積極性、嫌いじゃないよ」

「……魅ぃは積極的なのですか?」

「さぁね。計画的なのは間違いないけど」

 

  ニヤリ顏とニコニコ笑顔。その2つは互いの牽制、そして素性を知ろうとさえ疑ってしまいそうになる。それほど2人の間に和みといった雰囲気はなく、みんなその様子に少しの恐怖さえ感じていた。誰かが喉を鳴らし、事の成り行きを見守ってしまうほど。

 当然、僕もその1人だ。

 みなが注目する中、先に口を開いたのは園崎さんだった。

 

「さて、この好評の後の挙手。そしてその余裕、よほど自信あるようだね」

「……みぃ。僕はただ早く食べて欲しいだけなのですよ」

 

 絶対嘘だとみんな分かっている。それは鬼ごっこのとき、竜宮さんとの協力によって生み出されていた奇策によって証明されているのだから。だからこそ、この自信を裏付ける何かが存在するはず。

 ……それが何かは知らないけど。とにかく何かあるのだろう。

 

「じゃあ早速開けてもらおうか!」

 

 古手さんはゆっくりと箱を開ける。竜宮さんが重箱だったのに対して、古手さんのは至ってシンプルな弁当箱、普段学校に使うようなモノだ。

 みんなが見守る中、古手さんは両手を使って丁寧に開ける。

 

「こいつは凄え……」

 

 隣で前原君は驚きの声を上げている。僕はそこまでいかなくても、目を見開いたのは事実。

 それは『和』をイメージさせる代物だ。今が旬とは言えないのだが、その和に置いて絶対的存在を誇っているタケノコと冷めていても固まることなく、ふっくらとしたご飯を混ぜて出来ていた炊き込みご飯。見たものを凝視させ、よだれが出てきそうな甘い匂いを効かせている豚の角煮。ほうれん草のお浸しは、弁当の単調な色彩に一つのアクセントとして添えられている。それがまた絶妙な位置に置かれていて、食べて見たい! そんな気持ちにさせるものだった。

 古手さんの弁当、外だけでは大したものではないかと思えるのだが、逆だ。

 外が地味だからこそ、中のインパクトが生まれてくる。ギャップ、彼女はそれを狙っていたというのだ。まさに弁当を作る上で、誰がヒーローかを知っている上でチョイス。弁当の重要性を熟知したものしか出来ない芸当。

 まさか、こんなところでお目にかかるとは思わなかった。

 

「孝介、大丈夫か!?」

「あ、ごめん。あまりの事に茫然としてしまったよ」

 

 してやられた。ここまで完璧なものを見せつけられるとは。これは思わぬ天敵出現といっていいだろう。今なら正直に言える。この戦い、勝てる要素が少なすぎる。

 

「……早速食べてほしいですよ」

 

 古手さんに催促されながらみんなが箸を使って食べに行く。誰もが迷わず、食材に手をだし咀嚼。

 数秒の、試食タイム。そこまではまだ良くて、問題はそのあとに起こった。

 豚の角煮を口にしていた男の子がいきなり涙を一筋流しだしたのだ。

 

「…………さん」

「え?」

「懐かしい味だよ~!! うわーん! お母さん、お母さ~ん!」

 

 食べていない僕らは愕然とするしかなかった。いきなり泣き出し、中学さえ入学していない子がそんなこと言うのだ。口が開いたまま塞がることのない僕らを置いて、みんなが口々に感想を述べる。

 

『ダメだ。この味知ったらもう……うああああぁああん』

『涙が、涙が止まらないよおおおおぉ!』

『これが、親の味なんだね……』

 

 みんなが嗚咽を漏らしながらも、箸の持つ手が止まることはない。それどころかスピードは増しているように見えた。僕らは驚くしか出来ず、ただただ泣き崩れて食べる彼らを眺めるしかなかった。

 ……まぁ正直に言えば古手さんは弁当に一服盛ったのではないのだろうかなんて思ったけど。

 これは竜宮さん以上の好感触(?)。なるほどようやく古手さんの意図が分かった。

 おふくろの味というのは長い間口にしないことでその効力は跳ねあがっていく。母親という調味料、そして懐かしいという自己暗示が隠し味となり弁当は真の姿となる。

 ただし、長いことあけすぎては逆効果になることも然り。なぜなら相手は中学を出ていない子供たち。まだ味についてを身体に取り込んでいない部分があるのだ。

 だからこそのこの順番。ピクニックのような夢の時間を覚ますかのように突きつけられた大切な味を思い出させ、そして感動する。まさかここまで計算しつくされての行動だったなんて……。

 そして何よりそれを生み出すタイミングと運と技量。全てを兼ね備えた安定感を持つ彼女だから出来たこと。

 

「流石古手さん。僕たちの出来ないことを平然とやってのける」

「……みんな喜んでくれて僕はとっても嬉しいのですよ、にぱ~☆」

 

 ギャラリーの反応を見て大満足の古手さん。これは相手の心を揺さぶった弁当になったことだろう。大きく優勝に手を掛けることが出来たといっても過言ではない。

 

「さぁて、この後に誰がやるんだろうねぇ」

「このあと……か」

「孝ちゃん。そういうってことは手を挙げるのかな?」

「いや僕の出番はもう少し後になるね」

「へぇー。様子見ばっかりだと後で痛い目見るかもよー?」

 

 そう言う園崎さんは立候補をしないんだもんなぁ……。

 

「じゃあ次は、俺が行くぜ!」

「え!?」

「どうした?」

「いや、ちょっと驚いただけ……」

 

 満を持して出てきたのが前原君とは、意外でしかない。しかも古手さんの後とは彼がダメだというレッテルを張られることになりかねないと思うのだけれど。

 それはみんなも同じようで、いきなりの表明にどよめく観客たち。それとは対象的に参加者女性人は口の口角を上げていた、

 

「へぇ? ここにきての登場。……何か裏があるの?」

「そんなものねぇ! 男ならここでビビることなく、ただ突き進むのみ!」

「勇敢と愚策は紙一重ですわ」

「……僕は楽しみなのですよ、にぱー」

「俺はこんなところで負けないさ!」

 

 その一言で子供たちが更に沸いて盛り上がっていた。やはりヒーローのような立場になっている彼に楽しみな部分が存在するのだろう。僕とは大違いで少し悲しいくらいだ。

 前原君は不慣れに結ばれていた固い型結びの紐を解き、弁当箱の箱を開く。

 

「という訳で紹介しよう。これが俺様の弁当だぁ!」

 

 片手に握られた箱のふたを勢いよく開けた。中に期待しているギャラリーは確認すると、途端に疑問符を浮かべることになってしまう。首を傾げ、その食材を口にした。

 

『お、おにぎり?』

 

 飾りもない、色つけもない食材。そう、今回前原君が勝負の引き合いに出してきたのは誰もが一度は握ってきたであろう、あの三角型のおにぎり×5だった。しかもノリもつけていない。塩だけのおにぎり。

 一体何を企んでいるのだろうか。みんなが懐疑的な目で見つめる中、前原君はみんなを呼ぶ。

 

「さぁ、みんな食べてくれ!」

 

 前原君がそう勧めてきても誰も手を伸ばそうとしない。それはそうだろうと思う。これはみんなの知恵と経験、そして何よりお弁当をいかに美味しくさせるかで評価を決める料理対決。なのだから、料理としては納得のいく一品を作っていない前原君の作品に困惑してしまうのだろう。そしてなにより他の2人の差を感じてしまっているのか、審査の人たちの反応は薄く客観的に見れば勝敗が決してしまっているように見える。それが食べる意欲の問題にもつながり、みんな手を付けていないのもあるのだろう。

 前原君はどう思っているのか。

 横目で前原君の様子を見て、思わず表情に驚いてしまった。

 笑っているのだ。このような反応を期待していたのだろうか、前原君の表情には焦りといったものが微塵もない。

 

「前原君、まさかこれを狙っているの?」

「まぁ見てろ。これが俺のやり方だ」

 

 前原君は数歩前に出て、みんなの注目を浴びてから話し始めた。

 

「みんな。もしかして俺のおにぎりにがっかりしているのか?」

 

 前原君の質問に対して、みんな何も言えない。それは無言の肯定と受け取っていいのだろう。

 

「それはそうだ。なんせ前二人は俺と違って、凄いものを作ってきて、お前たちの舌を満足させたんだからな」

『そ、それは敗北宣言ってことですか?』

「いや、違う!」

 

 そこで前原君は立ち上がった。身振り手振りを使って更にその演説に協調性を持たせていこうとする。

 

「あえて、俺はおにぎりにした! みんな知っていると思うが、俺は料理について全く知らない。みんなに比べ、著しく下回っているだろう。だが、それは俺だけに言えることなのか? 俺だけがこうも下手くそであり続けていたのか? いいや、違うな。誰もが右も左も分からない状況から学び、経験したからこそ、今のスキルは身についたのだ!」

 

 言っていることは最もだ。だけどそれを言ってしまうと、竜宮さんたちの努力が認められ、もっと評価に差が開いてしまいそうなのだが……

 

「俺は初めて料理をしたんだ。因みにお前たちは初めて料理したときはなんだ? カレー、卵焼き、まさかハンバーグか? そうだ、俺たちはそれぞれに違う料理だが、初めての料理という部分で同じだ。だが……その時の味はどうだったんだ? 一生懸命苦労し、ようやく作り上げたその料理は本当においしかったか? そう、あまりおいしくなかったと思った。もしくはそれがおいしいと感じていたはず……。誰だって失敗を経験をしたはずさ。カレーだったらジャガイモの大きさが疎らになって、卵焼きなら上手くまとめられず、ハンバーグなら歪な形になってしまっただろう」

 

 その言葉にみんなの頭がゆっくりではあるが上下に動く。

 

「決しておいしいとは言えなかったはずだ。だが! 味では無い何かを俺たちはその時、手に入れていたんだ!」

 

 重要な場面なのだろう。前原君が胸に手を置いてその言葉を口にした。

 

「それは……達成感だ!」

『達成…………感……』

「形が悪くても、火が通ってなくても、味がおかしくても! みんなは必ず『この料理は自分で作ったんだ!』という達成感があったはずだ! それが何よりの勝利であり、なつかしき思い出となる。さて、話が大きく逸れちまったが本題に移そう。俺が何故おにぎりにしたのか? それはお前たちに最初に感じた気持ちを取り戻してほしいからだ! 料理が出来るようになってから、お前たちは日々当たり前のように料理しているがそれは違う! 今まで……そうこのおにぎりなどを通過点にしたからこそ、お前たちは料理が出来るんだ。その思い出を無くさせないために、俺は作ったんだ」

 

 前原君は自分の弁当を持ち上げみんなに見せるように前に突き出す。

 

「さぁ食べてくれ! そして感じてくれ! 今までの思いと、それまでに失ってしまった、初めての味を!」

 

 ようやくギャラリーに動きがあった。1人の男の子が形の整っていないおにぎりをゆっくりと観察し、そしてためらいがちに一口かじった。

 少しの静寂はみんなが反応に期待している表れなのだろう。それは裁判の判決前の静けさ並みに静かで緊迫した空気。ゴクン、そう喉を鳴らして呑み込んだ彼はゆっくりと口を開いた。

 

「……塩辛い」

 

 みんながため息に似た吐息を出す。この勝負決まった、そう諦めかけていた時に食べた人の口から「でも……」と言葉をつづけた。

 

「懐かしい感じがする……。ずっと昔に僕が作ったおにぎりもこんな感じだった。塩の配分を間違えて、悩んでいたっけ」

 

 そう言いながら黙々と食べていく男の子を見て、ようやくみんなも食べようと動き出す。それぞれがおにぎりに手を伸ばし、崩れそうになりながらも分配し、そして落ちないように気を付けながら食べていく。

 そして漏れる感想は今までとは違ったものだった。

 

『本当だ。親近感を感じさせるような味だ……』

『おいしいかどうか分からないけど、心に響くおにぎりだ』

 

 みんなが前原君のおにぎりをそう評価していた。懐かしい味という言葉に惑わされて、おいしいかどうかを判断する基準をぼかしている。前原君は自分の口をおかずとして、みんなの心を満足させることに成功したようだ。

 竜宮さん、古手さんの後に続いたのもなんとなく理解できる。料理を完璧にこなせる2人だからこそ、その裏で失敗を続けていった経験が存在する。

 それを証明するためにやったのだと、そうしたかったのだろう。なんという策士。

 

「流石圭ちゃん。みんなの心をがっちり掴んだねぇ」

「へ! これぐらい。俺様が本気を出せばこんなもんだぜ」

「…………圭一は口先の魔術師なのです」

 

 口先の魔術師、まさに彼にはピッタリの二つ名である。前原君は口で相手の心を掴むのが得意のようだ。こればっかりは技量以外でも勝負できるのだと納得せざるを得ない。

 

「さぁて、おにぎりだから、早く試食は終わった! 次はあたしの出番だね」

 

 ようやく司会進行の役を務めていた園崎さんがその重い腰を上げた。

 僕が注目しているのは風呂敷で包まれた弁当、すなわち園崎さんの持つ弁当だ。その大きさはこの部活メンバー1といっていい。まさにブラックボックス、パンドラの箱。開けて何があるのか分からない。

 さて、どんな弁当が出るか……

 

「聞いて驚け、見て驚け! これがおじさんの料理だぁ!」

 



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■影差し編【Ⅲ-Ⅲ】

 開けた瞬間に目では中身、そして耳では光り輝くSEが入り込んできたような気がした。

 それほどまでに彼女の作った弁当には今までとは一線を越えた力の入れようがあった。観客どころか僕も前原君も感嘆の声を上げて、園崎さんが作った料理を褒め称える。

 

「これは……かなりのお金がかかっているね」

「伊勢えび、鯛の焼き物に里芋などなど! 今回はおせちを料理さしてもらったよ!」

「おい、魅音! これ誰かに作ってもらっただろ……!?」

「そんな訳ないじゃ~ん」

「ま、マジか……」

 

 前原君の言いたいことは全くだ。何せ今まで作ろうとはせずに、誰かに作ってもらったシンプルな弁当という日も少なくなかったのだ。彼女は料理については興味ないと思っていてもおかしくない。

 だがそれはもう覆された。今ここにあるのは、とても料理がちょっとできますよレベルではない。

 園崎さんはかなりの実力者、それが証明された瞬間であった。

 

「あたしは園崎家の跡取りになるんだよ? 料理が出来なきゃ駄目だからねぇ。当然、私が作っているよ!」

「園崎家ってそんなに凄いの?」

 

 園崎家の事情とやらがあるのか分からず、素直に竜宮さんたちに聞いていた。

 

「うん。魅ぃちゃんのお家は雛見沢で一番大きな家なんだー。つまり雛見沢で一番偉いのかな、かな!」

「更に色んな店や企業にも関わりを持ちましてよ。鹿骨市の市長も園崎さんの一家ですわ」

「……魅ぃは凄いのですよ、にぱ~☆」

「……だがこれは予想外だぜ」

「裁縫なんかも魅ぃちゃんは出来るんだよー」

 

 そうか、そこまで凄い人ならこの量とそして素材の良さは納得が出来る。ダークホースと思っていたけどこれは違う。優勝候補の一角を担っていた。やはり彼女も口だけで勝利を願ってはいないということであろう。しかしギャップというものがあるよねー、意外や意外。

 みんなも園崎さんの自信作に嬉々として箸を伸ばして、口にしてはそれぞれが感想を言っていく。評価なんて聞かなくても分かるくらい、単純明快だった。

 

『うわぁ、伊勢えびなんて初めてだ。凄い柔らかーい!』

『これは上手いよー!』

 

 批判の要素なんてあるのだろうか。素材、そしてそれに併せ持つ技量も存在する彼女の作品はすでに一級品の料亭レベルのものだ。もし自分も同じように素材で勝負をしていたらと思うと、最悪な事態しか想像できない。

 しかし何故ここで園崎さんが一手を投じたのか、ようやく理解出来た。彼女は単に下手な前原君の後で評価の修正を加えたのではない。むしろ、それ以上の結果を望んでいる。

 普通の弁当であれば、こんな間に入れてしまうと他の味に負けてしまっていた場合に味による評価は一切望めなくなるのは必須。微妙に勝っていても、その評価は前の弁当と同等、もしくは以下に考えられがちなのだ。人は過去の作品を良く感じてしまいがちであるから。その後の味にさえ、低い基準として見られる危険性だってある。

 ――――だが間に入ったのがインパクトの大きい弁当だったら? そして納得の料理だとしたら。

 答えは明確。全作品に対する評価の塗り替えだ。

 インパクトは大切だと僕でさえ分かる。見る者を引き込ませられれば、その味に対しての評価も上昇する。すなわち、その味が忘れられないのだ。そして過去の作品がそれよりも劣っているのではと記憶の味に疑念を持ってしまう。今までの作品が薄れてしまうのは当然のことながら、後の基準が園崎さんのものへとシフトする。

 彼女はそれを狙ったのだ。

 これは意識せずとも起こってしまう心理的現象。ギャラリーの無意識を狙ってとしか思えない。

 さらにおせち料理といいながら、このメンバーで一番大きな量を誇っている。みんな今までの試食に加えて、このでかい量だ。そろそろ満腹感で至福を感じているはず。

 これからの評価は自然と下がってしまいがちになるこの状況で、この一手。頭脳、心理、技術で攻めてきたまさにトライアル。流石雛見沢を統率している園崎さんと言わざるを得ない。

 料理対決といって、手を抜くようなそんな甘いことはしない。

 

「さぁて。私の料理は終了!」

 

 あっという間に平らげられた弁当を片付けながら、僕らの方を見やる園崎さん。その表情にはしてやったりといった自信を全面に見せつけていた。

 

「相変わらず魅音には気が抜けねぇぜ」

「あ~れ圭ちゃん? 私のことを舐めてもらっちゃ困るねぇ」

「うるせーよ。ただ……ちょっと見直しただけさ。そう、ちょっとは女の子らしいところがあるなーって」

「へ?」

 

 彼女は一瞬目を丸くし、二度ほど瞬きをした後に顔を赤くさせる。

 

「な、何言ってるのさ! もう、圭ちゃんらしくない……」

「何顔赤くしてるんだ?」

「あ~! もう赤くなってないよ!」

「は? どう見ても赤いんだが、なぁレナ?」

「圭一君……そこは察してあげるべきかな、かな?」

「何を?」

「鈍感ですわね」

「……鈍感なのです」

「何で俺が責められるんだ!?」

 

 前原君がおどおどしているのを良いことに先へ進めようと手を叩く園崎さん。

 ……因みに何を察してあげるべきかは気づいてあげるべきではあると思うけど、こればかりは本人が気づくべきだろうと思う僕であった。

 

「じゃあ次はどっち行くのかい!?」

 

 そう、もう残されているのは僕と北条さんの2人だけである。どちらが先に手を挙げるか。それだけの話である。

 ギャラリーはすでにお腹に手を当てている人もいるし、このタイミングを逃すほかないだろう。

 

「僕が行く」

 

 手を上げて自ら名乗り出る。北条さんはただじっと僕を見るだけで止めようとかはしてこない。

 

「ようやく出たね、孝ちゃん。今までの戦いかたを見て、勉強できたかい?」

「うん。僕も自分なりに計画は立てているから」

「この状況……孝ちゃんも理解出来てるとは思うけどね」

「うん。だからこそのこれさ」

 

 とはいっても昨日考え付いたものだから上手く高評価を貰えるかどうかは怪しいものだけど。みんなが、僕の持ついつも使う肩かけ鞄とは別のクーラーボックスに注目をしていた。

 僕の弁当はまだ登場していない。みんなが並べて弁当の評価をさせる中、僕だけは見せずにいたのだ。みんなも何故か、そしてこれからどうなるかを注目してくれている。

 圭一君のように言葉で上手くいくとも思えないし、園崎さんみたいに計画もない。竜宮さんたちみたいに技量もない。

 だからこそ、ここは意外性で攻めさせてもらう。

 

「みんなの気持ちは分かってるよ。もうたくさん食べて、お腹いっぱいになったと思う。どうかな?」

『まぁ、多少は……だいぶ満足はしてますね』

 

 まだ食べられる。それは僕の出てくるものもまだ食べられますよという彼らなりの優しさなのだろう。だけどそれも腹八分目には達しているはず。

 だからこそ、ここは別腹というやつを利用させてもらう。

 

「メインの後には……デザートが定番だよね」

 

 園崎さんが「へー、そう来たんだ」と軽く舌を巻いてくれた。みんなも納得したように頷いている。

 その反応を僕は待っていた。

 

「ここで、僕が持ってきたのはクレープ! 本場北海道から生み出された厳選された牛乳を選び、作られた一品だよ」

 

 みんながその言葉を聞いて喜びの声を上げる。やはり先ほどまでの料理と比べ、すぐに食べやすくそして暑い今日だからこそ冷えたもの。

 子供たちはおやつといったものが好きだからこそ、このラインナップ。

 

「良かった。本当に……」

 

 みんなの盛り上がりを見て安堵のため息を出さずにはいられない。

 正直本当にどうしようか悩んだものだ。なぜなら冷蔵庫を開けてみれば、キュウリ一本に、ゼリーや加工製品が並べられて、食材がほとんど存在しなかったのだ。

 そんな中で唯一の光明を見出してくれたのは牛乳であった。

 母さんと父さんもあまり牛乳は飲まないというのに、この前安かったと買ってしまったという牛乳。それが僕にクレープなら良いんじゃないかというひらめきを与えてくれて。時間も少なかった僕にしてはクレープはすぐに出来るものとして画期的なアイデアであった。

 正直多少の不安はあった。まず弁当を用意しないし、みんなの弁当と比べ見劣りする点は否めない。

 まさに蓋を開けてみてのお楽しみという奴なのだ。

 だからこそみんながこうやっておやつ感覚で食べてくれることが嬉しく、これは上手くいったと思える。

 

「イチゴやパイナップル……色々なフルーツを入れてやがる」

「まぁ、残り物でこういうのしかなかったのも事実なんだけど」

 

 因みにパインは缶を使ってしまう事態になっていたりしているのは黙っておこう。

 

「ターゲット層が子供だからこそ評価されそうな作品だね。これは面白いなぁ」

「デザート……料理としてそれはいいのか?」

「別に評価されるなら問題ないさ。それに、ルールで弁当にしろとは言ってないからねぇ」

「そんなこと言ったら圭一さんはただの握り飯ですわよ」

「なんだと! あれは俺様が手塩にかけて作り上げた逸品なんだぞ!」

「をーほっほっほ! 確かに塩は掛けすぎましたわね。ですけど、おにぎり程度に逸品なんて表現が大げさでして?」

「そ、それは言っちゃいけないぜ……事実なんだけどよ」

 

 前原君の苦言も聞きつつ、僕は口の周りにシュークリームを付けたギャラリーに聞いてみる。

 

「どう? みんな」

『かなりおいしい!』

『いっぱい食べたからここで甘いものってありがたいよね~』

 

 みんなが口々に感想を述べてくれているのだが、これは予想の範疇。僕がこの順番だと判断したからこその評価だった。

 

「孝ちゃんもやるね。まさか他方向で攻めていくなんて」

「ははは、何とかなったってところかな」

「うん? 狙ってないの?」

「まぁ、正直に言えば……」

 

 この事情を知っているのは北条さんや前原君だけ。知らなくてもいいことはある。

 手軽さのクレープということもあって、みんなすぐに食べ終えた。観客の評価は今のところ分からない。だけど僕なりに努力したし、何より満足してくれたようなので良かったと思える。

 

「さーて。大詰めとして沙都子ちゃんが残っているわけだけど?」

「えぇ。そうですわね」

「結構な自信顔だな。かなり素晴らしいものが出来ていると、そうなんだな?」

 

 前原君がハードルを上げに掛かるのだが、北条さんが見せた表情に動揺は無い。

 

「当たり前ですわ。必ずみんなの舌をうならせてみせますわー」

 

 その言葉を聞いてギャラリーが期待の目をしているが、僕には一抹の不安がある。

 確かに最後は全ての逆転をするにはもってこいの順番である。それが上手くいけば、全ての評価をひっくりかえせる。まさに北条さんが好きな順番であると言えるだろう。

 しかしここまでに並べられた料理でみんなは食べつくした気がしているのだ。それを覆すとなると、かなりおいしいものを提供しなければならない。

 それに上手いこと説得しないと、味の肥えた舌にどう影響するか。

 

「私は今回、これで勝負致しましてよ!」

 

 そう言って見せてきたのはエビシュウマイ、春巻きなどの中国料理を基本とした作品となっていた。

 基本的に弁当箱の大きさによって、収容されている具材は少ないのだが、それにしても、配置のバランスが絶妙だった。同じ色に見える春巻きとシュウマイなのだが、そこは間に赤いチンジャオロースを加えたエビチリが、その欠点をカバー。その配色の良さを際立させている。八宝菜などを加えられたりと、栄養バランスも怠った様子は見当たらない。

 まさに先ほどの自信も頷ける弁当だった。

 

「では、皆様試食してくださいませ!」

 

 そう言ってみんなに試食するよう促すが、みんなからの反応が薄い。

 予想通りといったところだが、まだ食べ物を口にしていない北条さんはお腹の調子まで考えられなかったのか、ひどく困惑している。

 

「どういたしまして?」

「え、えっと……ここにきて……ね」

 

 北条さんは確かに料理においてミスを犯してはいない。八宝菜や、春巻き、更にはシュウマイなんて中々素人が作られるものじゃない。そう、みんなに比べると料理の腕は上かもしれない。凄いなんて事は一発で分かる。だけど……やはり順番が悪かった。

 元々中国料理には揚げ物や、ソースなど、いわゆるコッテリ系が多いのだ。それを5人もの料理(デザート付き)を食べた後に、見せられても、ちょっとしんどいものがあると言うものだ。言えばコース料理を食べつくしたのに、更にメインディッシュが来てしまったと同じ。

 それが北条さんのミスだ。出すなら2番手、もしくは最初が高評価を得られたというのに。

 

「……そ、それは」

 

 みんなから「少し油っこいものはきついかも……」と言われて、ようやく自分の勘違いを理解してしまったようだった。

 

「それでも食べてくださいませんこと? 食べればわかりますわ!」

『で、でも……』

『結構、腹に来てて……』

 

 みんなが言っていることはまさに僕が危惧していた事だ。この状況を覆せるほどの戦略を北条さんも考えつかないようで。北条さんが俯いて、己の敗北を悔しげに認めてしまっていた。流石の竜宮さんたちも声掛け出来ずにいる。

 誰も、何も言えずにいる。これは仕方ないことだ。そう思うしかない。

 残念だけどもう無理だと思っていた誰もが諦めていた時。

 

「……なんだ、どういうことだ? 俺はとってもうまそうに見えるんだけどな?」

 

 前原君だ。1人だけこの状況の理解が出来ていないのか、そのような発言をして北条さんの真横に立つ。

 

「圭ちゃん、本当に理解出来ていないの?」

「何がだ?」

 

 料理経験以前の話というのもそうだけど、今回は前原君は僕たち料理を食していない。だから食べやすい、食べにくいというものの内容も分かりにくいのだろう。

 解らないでもない感想ではある。しかし、今ここで言っても仕方ないはず。

 

「俺にはここにあるのは食べるに値する料理が並んでるぜ」

 

 みんなが手を出していないのを感じた前原君は迷う事無く北条さんの料理を食べていく。

 

「……うん。上手い! 流石、伊達に2人で暮らしていることはあるぜ! 沙都子」

「ど、同情なら受け付けませんわ……」

「いいや、これは敵としてではなく、前原圭一として感想を述べているだけだ。見ろ、この春巻き! 匂いは嗅ぐだけで、しつこくない、あっさりとした適量の油でカラッとサクッと揚げられているのが分かるぜ。食べてみれば……なんだと!? 中には柔らかくジューシーに焼かれた豚肉や今もなお、その味を失う事なく主張しているタケノコが同じ大きさに詰まっていて、味を醸し出すために醤油を適量加えたところがさらなる食欲をそそらせている! ……ああ上手い! この衣のサクサク感!」

 

 誰かが「そ、そうなんですか?」と尋ねる。それを聞いた前原君は嬉しそうな顔つきに変わり、大きくうなづいた。それが何故こんなおいしいものを食べないのかという意図にも見える。

 竜宮さんたち含め、僕らはみな唖然としていた。何故いきなりこのような話をしてきたのか、と。

 そこで思い出したのが昨日の話。

『沙都子は俺たちの仲間だ。その事実は変わらない。だから楽しい思い出をたくさん作ってやりたいんだ』

 ……もしかして前原君は北条さんの料理に手助けをしようとしている。

 

「更に見てみろ! このシュウマイを! まるで店で出されるような形が整っていやがる! 水蒸気に含まれた甘みを俺の鼻でも感じるぜ。まさにシュウマイにとって大切な要素を兼ね備えているのが傍目で見ても分かっちまう。凄ぇな、頭に乗せているグリンピース、今までなんでこんな物をと思っていたが、これって華やかさを生み出すためなのか。……ん、安定のおいしさだ! 中に味が溜まった汁が詰まっていやがる。これはもう店で売っていたら迷わず買っちまう代物だな」

『そ、そんなにおいしいんですか?』

 

 またもやギャラリーの声が聞える。

 

「あぁ、敵に塩を送る形になってしまいそうなんだが、沙都子の料理は上手い。格段に上手い! それを食べないお前たちはよほど口の中が満足しているってことかぁ……」

『そ、そうじゃなくて。ただ、もうお腹がいっぱいになっただけです』

「それがどうした!? 料理対決は満足度もそうだが、何より重要なのはなんだ!? 上手いと唸らせるための味付け、匂い、装飾、統一性……全てを合わせてこの料理対決は意味を成す」

『確かにそうですけど……』

「それをお前たちは油っこい、もう満足だからという言葉で沙都子の料理に手を付けないでいこうとしている! それは失礼なことだと、何故わからないのだ!? お前たちはたくさんの犬を飼ったら、捨てられた可愛らしい柴犬を捨てていくというのか!」

『……』

「これはガチンコ料理対決だ! ただ食してないからという理由で勝った優勝なんていらないからな! 俺は正々堂々勝負がしたいだけだ!」

 

 相変わらず的を射ているようで、何かが違うような気がする。

 なぜなら味付け、装飾など、それら全てを総合して満足度ともいえるのだ。当然満腹感を考慮しての話も存在している。だから前原君の言っていることは少しおかしいというのに。

 それでも前原君の説得には何か心を動かすような魔法があった。いつの間にかみんなが手に取って食しようと試みているのだ。それが正しいかのように、彼の言葉を信じ、食べ物を口にしてみる。

 

『これ…………おいしい。結構油っこいと思っていたけどそんなに強くない。むしろすっきりとしているくらいだ』

『これならいけそうだ』

 

 ようやく食べ始めたみんなに嬉しそうな表情をする北条さん。もしかして。そう思って僕も出場者ながらも春巻きを口にしてみた。

 やはり……薄目に味付けがほどこされている。それは一見ちゃんと作っているのかと疑いたくなるのだが、醤油を強くしすぎず、素材の味で勝負する。それをカバーするだけの技量を北条さんには持っていたようだ。正直に言えば、かなりおいしい。

 もしかして北条さんがここまで出さなかったのは、中国料理というこってり概念を消し去る自信があったのではないのだろうか。

 ……まぁ、それは北条さん自身しか分からないけど。

 

「さぁーて、これで全ての料理が出揃ったわけなんだけど! みんなー! 紙は持ってるー?」

 

 北条さんの料理も終え、ようやく園崎さんがまとめに入る。園崎さんの言葉を合図にみんなは事前にもらっている正方形に切り取った紙をポケットから取り出した。

 そこに誰のお弁当が一番おいしかったかを書く。その票の数で一位を決めるのだ。

 

「みんなー書いたらこの箱に入れてねー!」

 

 竜宮さんが机に置いたのは投票箱と書かれたアルミ製の箱。投票箱のように、ちゃんと口も存在するし、まぁ間違えることなんて滅多に起きないだろう。

 

「……それなら僕たちは退出するのですよ」

「え? どうして?」

「楽しみは最後に取っておくもんだぜ。それに、俺たちがいたら書き辛いかもしれないだろ?」

「あ、そっか」

 

 それはそうかもしれない。目の前に評価すべき相手がいると中々書きにくいものだ。

 だったらここは一旦教室を出る方がみんなのためになるのだろう。

 

「じゃあ私達は外で待っているから、終わったら報告よろしく!」

 

 園崎さんが立ち上がり、それをきっかけに部活メンバーも立ち上がる。

 そのまま後ろから聞こえる相談・雑談などのざわめきを残して、僕たちは外に出た。

 



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■影差し編【Ⅲ-Ⅳ】

体調を崩して更新より一日遅れてしまいました>< 報告も出来ずにすいません。


「ふぅ……結構緊張したぜ」

 

 前原君をしんがりとして、一列に出て行った僕らは前原君の働きを労いつつ退出した。出て行ってから背中にもたれてくつろごうとしている限り、前原君も相当頭を働かせていたようである。

 

「今日は俺にとって色んな意味で勉強になったよ……」

「ははは、お疲れさま」

「圭一君、今日はいっぱい喋ったもんね」

「ていうより圭ちゃん。おにぎりで戦おうなんてよく思ったねぇ」

「純粋な勝負だったからな。俺が出来るモノがあれしか無かったんだよ。……でもこれからはもう少し料理について学ばないといけないなぁ」

「……ファイト、オーなのですよ、圭一」

 

 これからの前原君の料理に変化があればいいなと思うけど、そんなに作る機会もないだろうしなー……。

 

「とにかく疲れた! 暫くは作れそうにない」

「早速諦めているし……」

「うるさい! 俺にもタイミングって奴があるんだよ」

「圭ちゃんの場合、そのままやめてそうだけどねー」

「何をー」

 

 みんなが雑談モードに入っている中、1人だけ未だ喋っていない者がいた。

 その者は先ほどの部活のことについて異議を申したいのだろう。口をへの字に曲げ、眉を歪めているのがこの喉かな雰囲気に似合わない。

 それはみんなも感じていたこと。前原君はみんなが笑っている中、1人仏頂面になっている彼女に声を掛けていた。

 

「沙都子? 何さっきから黙っているんだ?」

 

 前原君が何気ない調子で聞いてみると、当の本人は少し慌てるように彼から目線を逸らしていた。

 手を後ろに回して、躊躇いつつ。それはまるでやましいことがあって母親に打ち明けられない子供のようだ。聞かれた後も、しばらく彼女の口が開くことはなかった。

 何か言い淀んでいる姿に、竜宮さんが助けてあげることにする。

 

「もしかして、さっきの圭一君のことについてかな? かな?」

「えっと、それは……」

「別に責めるわけじゃないから、言ってみたらどうかな?」

「そうだぜ。沙都子がだんまりなんて、明日台風でも来てしまいそうだ」

「じゃあ……どうしてですの?」

 

 前原君は何を言っているのかを察しているようで、少し口角を上げながら沙都子の想いを代弁していた。

 

「俺が勝手に演説したことについて不満があったのか?」

「そうですわ。部活ではあるまじきことでしてよ」

 

 確かに部活において、あのような状況下での前原君の行動はよろしくない。

『会則第二条 一位を取るためにはあらゆる努力を行う』

 理念に基づけば、確かに前原君が行ったことは部活の意に反していることだろう。その意味を含み、北条さんは疑問に感じているのだ。それは至極当たり前のことだし、前原君は指摘されることを予想していたはずだ。

 さて、前原君はどう答えてくるのか……

 

「なんだ、そんなことか」

「そんな事ですって?」

「答えは簡単だぜ」

 

 そう言った北条さんの目が驚愕と言わんばかりに開かれる。

 

「お前は勘違いしてる」

「な、何が違いますの!? 会則二条では一位をとるためにあらゆる努力を、」

「そこだ。沙都子はそこから間違っているぜ」

「ど、どういう意味でして……」

 

 前原君は立ち上がり、沙都子に言い聞かせるようにゆっくりめで語りかけてくれた。

 

「沙都子は一位になるためにあらゆる努力をしなくてはならないと思っているだろう? 確かに俺たち部活メンバーは時に卑怯な手を使ってでも一位をとることを目的としていた」

「そ、そうですわよ、だからこそ!」

「でもそれはやるべきこと……そう、条件を満たした時のみ適用されることなんだぜ」

 

 見ればみんなもにっこりと笑って北条さんを見つめている。みんなの気持ちも同じ、だから前原君の行動を止めなかったのだ。当然自分も同じ気持ちである。

 でも北条さんだけは理解出来ていない。それは彼女が一番純粋と言える所以かもしれなかった。

 

「条件……?」

「あぁ。今回の料理対決においては……例えばの話だが、卑怯な手を使うとするなら魅音の料理に塩を大量投入とかだな」

「圭ちゃん。考えることが甘いね。あたしなら砂糖にするよ。味の変わり方が違うから」

「ははは、そうだな!」

 

 話が逸れてしまいそうなので、僕が咳払いをさせてもらう。

 

「あぁ悪いな。それでも俺たちは味を変えることはあっても、味そのものを無くすということはしないってことがいいたいんだよ」

「今回は味を変えられるなんて手は出なかったけどね」

 

 正直そんなことされてもいいように警戒していたんだけど徒労に終わったというわけである。

 

「味そのものを無くさない……」

「みんなのために作ったんだもん。やっぱり無くしちゃうなんてことはしたくないから」

「その通りだ。……だから俺たちはみんなに食べてもらいたかったんだ。それは部活でも一緒。楽しんだ上で勝つために努力をする。そしてみんなが勝利出来る対等な条件だからこそお前の言う愉悦を感じる事が出来るんだぜ? どんな状況でも、どんな場面でも、な」

 

 その言葉を受けて、北条さんは俯いてしまった。それでも前原君の言葉は止まらない。

 

「それにこの料理対決には見た目ではなく、味で勝負したいものだっているんだぜ。そいつらと比べられない、なんて事になりたくはないからな」

「……僕のお袋の味は誰にも負けない自信があるのです」

 

 確かにあれは異常ともいえる反応でした……というよりやっぱり一服盛っているとしか思えない。

 扉を開けたあと、古手さんの元にゾンビのように這い寄るクラスメートの姿が目に浮かびそうだ。

 ……妄想はとりあえず保留で、それよりも前原君が北条さんの肩に手を置いていた。

 

「だから気にする事なんて無い。むしろ、これで勝利した方が沙都子を打ち負かしたって勝利に浸れるからな!」

「……」

「あれぇ? 圭ちゃん。何勝手に1人で勝利宣言してるのかねぇ?」

「そうだよ、握っただけの前原君が」

「……そうなのです。みんなはボクに投票しているのですよ」

「梨花ちゃんだけじゃないよ~! 私はみんなに負けない自信があるよー!」

 

 僕含め、みんなが勝利は我だと騒ぎ始める。誰もが一歩も引かずに自分の勝利を明言している中、ようやく北条さんが重い口を開けてくれた。

 

「……そんなことさせんませんわ」

「ん? 何か言ったか、沙都子?」

 

 前原君が聞き返したと思うと、間髪入れる事なく北条さんはキッと顔を上げて断言した。

 

「圭一さんのおにぎり如きで、私の料理を負かそうなんて、そんな事させませんわー!」

「その意気込みはよし! だが、料理が終わっているこの時点でもはや勝敗は決しているも同然。俺の勝利は揺るがねぇぜ!」

「をーほっほっほ! なら圭一さんの敗北は決定ですわね!」

「何をー!」

 

 北条さんの瞳に輝きが増したような気がする。前原君との会話で調子を取り戻してくれたようだ。こういうところは北条さんも気持ち的な部分で助かっていることだろう。

 北条さんと前原君の2人の言い争う姿を眺めていると、隣から肩を叩かれ、そっと耳打ちをされた。

 

「はぅ~、沙都子ちゃんがもとに戻って良かったかな、かな」

「うん、そうだね。やっぱり前原君はみんなを元気づけるのが上手だよ」

「良い意味でも悪い意味でもねー」

「園崎さん」

 

 園崎さんは苦笑で2人の様子を眺めながら僕たちの会話を傍聴していたようだ。

 

「沙都子ちゃんはああじゃないと」

「だね。あれぐらいの元気があった方が僕も嬉しいよ」

「まぁそうだね。あのこともあるからさ、元気があってくれた方が嬉しいんだよ」

「あのことって……」

 

 もしかして北条さんが村人で疎外を受けていることの話なのだろうか。

 そう思っていたのだけど、園崎さんの口から漏れた言葉はまた別の問題だと思った。

 

「沙都子ちゃんは多分、今も想っているんだろうね、きっと」

「え?」

「魅ぃちゃん」

 

 竜宮さんが不快感を表情に出していた。ここで言うべきものでもないと言いたげなその表情に、園崎さん自身も失言であることに気づく。

 

「あ、あはは! 孝ちゃんもその時になったら分かるさ」

「何かはぐらかされた気がする……」

「そんなことないって。ほら、圭ちゃんがこっちに向かって何か聞いてきてるよ」

 

 前原君のもとへ駆け寄る園崎さんはどことなく駆け足に見えた。

 



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■影差し編【Ⅲ-Ⅴ】

「さて、投票も無事終了したし、結果発表に移ろうと思う!」

 

 園崎さんの発声にみんながどよめく。教卓の前に立つ園崎さんが高らかに手を上げると、椅子や机に各自座っていたクラスメートも腕を突き上げ、歓喜をあげていた。

 何せ待ちに待ったといえる結果発表なのだから、期待に胸を膨らませるのは当然だろう。アルミ製の箱に入れられた紙は集計済みらしくて、その結果は園崎さんしか知らない。票の操作などの不正は行われないように、みんなでその様子を眺めていたから不正もないだろうし、とにかく結果がどうなるのか知りたかった。

 

「では早速1位――――の前に2位からの発表にする!」

「あ、2位からなんだね」

「確かに1位を先に発表してしまうと興ざめだもんな」

 

 机の上に座っていた前原君が納得したように頷く。

 

「もう一度確認するけど、罰ゲームは1位の人からの命令だからね」

「……了解なのです」

「誰が罰ゲームを受けるのかな?」

「まるで自分だけは違うみたいな言い方だね」

 

 確かに竜宮さんの料理にはそれほどの自信があるのかもしれないけど、さてはて結果はどうなるのやら。園崎さんはみんなの顔を一人ひとりじっくりとみていくと、何も書かれていない黒板を強く叩いた。

 

「2位は…………竜宮レナ!」

 

 その瞬間、竜宮さんが椅子から立ち上がって喜んだ。

 

「はぅ~! やったかな、かな!」

「どうやらみんな。日頃慣れ親しんだ味だったから評価は高かったようだね。レナが2位も納得出来るよ」

『実際おいしかったのもありました』

 

 誰かがニコニコさせながら理由を述べてくれることを竜宮さんは「ありがとー!」と感謝していた。2位という結果は彼女的に好印象であるようだ。まぁ、罰ゲームなど受けるよりも上位に入っていることの方が嬉しいだろうから。

 その後も園崎さんの発表は続いていく。

 

「その次は……北条沙都子!」

「え!?」

 

 発表受けて、北条さん自身が驚いている。まさか自分がこんな順位になるとは思わなかったのだろう。

 

「ほ、本当ですの?」

「私が嘘つく理由なんてないからねー。ほら、みんなの感想を聞いてみなよ」

『油っこいからなんて言ってたけど、味は誰よりもおいしかったよ。ほんと、食べれないなんて言ってごめんなさい』

『最初は竜宮さんと思ってたんだけど、味勝負だったからかな。やっぱりおいしかったのは素直に北条さんだった』

「みなさん……」

 

 他のクラスメンバーの評論を受けて珍しく感極まっている北条さんであった。

 

「さぁて、これからもどんどん言っていくよ~! 時間ないし」

「確かに結構時間経ってるからね」

 

 試食含め、昼休みの時間はもうほとんどない。みんながスムーズに進めてくれたからこそ、この後はポンポン進めていかないといけない。

 

「えーっとね――――」

 

 その後続いていく発表で名が出たのは、4位園崎さん、5位前原君だった。

 お互いに奮闘はしたのだけれど、やはり上位に比べると何か見劣りするモノがあったようだ。

 感想を聞いていると、味という点で子供は影響を受けやすいのがよく分かる。高級食材を使ったとしてもやはり世界の狭い舌では味の区別が出来ないようだ。親しみやすい味を求めるべきだったと悔やむ園崎さんは次の戦いに向けての意気込みを語っていた。

 因みに前原君は5位だったことに対しては温情の部分が多いようだ。流石に料理というにはほど遠いけど、努力していたことについては認めての……という人が投票したようだ。

 

「くそ! 流石にノリを巻くべきだったか……」

「いやそういう意味でもなかったと思うよ?」

「まぁ圭ちゃんにはこれからも分からないことかもしれないし」

 

 残ったのは2人。

 僕と古手さん、この2人だけの状況。園崎さんが最下位を言わずに1位を先に言うと言ったとき、古手さんがトコトコとこちらに歩み寄ってきた。

 

「……みぃ。勝負なのです」

「あーうんそうだね……」

「どうしたのです? もう悟ったような顔をしてますわよ?」

「ははは……だってその通りだし」

 

 北条さんが首をかしげているが、園崎さんは僕の顔を見て腹を抱えて笑っていた。

 

「あっはっは! 孝ちゃんは諦めが早いねぇ」

「こんな状況で笑えるわけないじゃないか!」

「何さ。あれだけ自信があったのに、ここにきて弱気かい?」

「うぅ……もういいから早く発表してよ……」

「はいはい。1位は梨花ちゃんだよ」

 

 分かり切っていた話である。あれだけのインパクトを残してなお勝ち目があるとは思えなかった。

 古手さんはこちらに来たかと思うと頭を撫でてくれた。

 

「みぃ。かぁいそかぁいそなのです」

 

 上から目線の慰めにしか見えない行為は自分の心を癒してくれるどころか、深く掘り下げてくれたような気がした。

 

「結構接戦だったからねー。ほとんど票は変わらなかったしねー」

「本当に?」

「だーかーら。卑屈にならないでよぉ、実際そうなんだからさ」

「そうだぜ。勝負に敗北はつきものだ」

「あーあ。やっぱり味を付けられないのがきつかったか……」

 

 その後みんなに聞いて回ってみると、やはりその部分が大きかったようで。その他にも評価しづらい微妙な点が多かったという。まずデザートという点でどう評価していいのか分からないし、味の差を感じにくいのがあったという。

 みんなより努力をしている部分が少なくみえたのも評価として低く見られてしまったようだ。

 それと違って古手さんは懐かしの味でみんなの心をしっかり掴み、なおかつ母親の味という身近に評価できる素材を使ったことが勝利を招き入れたようだ。

 竜宮さんとは良い勝負していたのだけれど、やはり食べなれたものよりは新鮮な物に目を引かれやすい子供は古手さんの料理がよりよく見えたようだ。

 

「どうやら梨花ちゃんは味という評価で圧倒的だったらしいからね。ま、負けてしまったのは仕方ないよ」

 

 園崎さんもそう評価して古手さんを褒めていた。いや、僕を慰めてくれたのか?

 

「しかし私が3位だなんて……」

 

 北条さんが茫然と結果を受けきれていないようで、前原君が肘で北条さんの肩をつついていた。

 

「なんだ、ショックなのか?」

「当たり前ですわ。1位、悪くて2位を考えていましたのに」

「よく言うぜ。さっきまで最下位かも、なんて弱気吐いてたのに」

「う……それとこれとは別ですわ」

「はう~。沙都子ちゃんもお疲れ様」

「ま、試食したとき沙都子の味には勝てないと思ってたけどな」

「圭ちゃん。いくらなんでも、おにぎりで勝とうなんて無理あるから……」

「みぃ。残念なのですよ、沙都子」

「梨花ぁ。それは嫌味ですの?」

 

 勝者である古手さんからの言葉に北条さんもかみつく。

 とにかく良かった。楽しそうにしている北条さんは先ほどのような陰鬱としたものはない。この間に自分も北条さんの評価を褒めておこう。きっと喜んでくれるはず。

 

「北条さん、おめでとう」

「孝介さん。最下位ですのに嬉しそうですわね……」

「確かに少し悔しいけど、でもこればかりはね。北条さんもちゃんと部活で勝てたんだから、良かったと思うよ」

「ま、まぁ? 私も朝早く起きて準備したんですからこれぐらいは出来て当然ですわ」

 

 顔を赤くしたようで、誤魔化そうと顔を下に向ける北条さんはいかにも子供らしい逃げ方だと思った。

 

「偉いね、北条さんは」

 

 そう言いながら、手を頭の上に置く。僕なんて朝のちょっとした時間で作ったものなのに、北条さんみたいな上級者でも準備を怠っていないのだ。取るべくして取れた上位、ということなのだろう。

 少し俯いていた彼女だったが、手を置いた瞬間には少しビクつかせていた。

 

「あ、ごめん。気に障った?」

「いえ、その……」

 

 身体全体で反応したその仕草にやりすぎたのかもしれない。もしかしたらあまり慣れていないことなのかも。親がいないということだし、もしかしたらそうなのかもしれない。

 しかし、嫌な態度を示そうとはせず自分のされるがまま、頭を撫でられることに抵抗はしなかった。

 

「…………にぃに」

「え?」

 

 北条さんは何か言ったような気がしたのだが、小さな声で聞き取る事が出来なかった。

 

「どうしたの? 北条さん」

「いいえ、その……あの、ありがとうございます」

「あぁいいよ。僕も昔母さんによくやられたことをしただけだから」

「……そうですか」

 

 そのまま黙りこくってしまう彼女が少しおかしくて笑ってしまう。

 

「な、なぜ笑いまして!?」

「いや、いかにも深刻そうに事態を重くみてそうだから」

「そうだねぇ、孝ちゃん。自分も今の立場を考える、という意味では一緒のはずだけど?」

 

 忘れていたとは言わないけど、やはりそれ言われると辛い。周りを見ればすでに臨戦態勢。目に眼光を宿して、いつでも抑えつける準備は出来るよと手をわなわなと動かしていた。

 

「罰ゲームの内容は一位の人が最下位に罰を与える……だよね?」

「さて、梨花ちゃんは一体何をご所望なのかねぇ!」

 

 僕の不安をあおるかのように、園崎さんはわざとらしい口調で古手さんに尋ねる。さてはて優勝者さんは一体何を望むのだろうか。もしかしたら神社の清掃なんて頼まれるのかも。いや、それよりも賽銭箱に有り金全部おいていけ的な恐喝もありえる。

 

「……みぃ。やってもらいたいのはたった1つなのです」

 

 ちょっと間を作ったかと思うと、古手さんは北条さんの肩を叩いた。

 

「……沙都子と一緒に買い物行ってもらうのです」

「…………え?」

 

 意外な発言に耳を疑ってしまった。何か物凄く簡単な罰ゲームを言いつけられたような……。それは他の4人も感じ取っているようで、古手さんに再度の確認を取っていた。

 

「おい、そんなんでいいのか?」

「……構わないのです。沙都子には今日買い物を頼んでいるのですが、荷物が多くなりそうなのです」

「なるほどね。荷物が多くなりそうなのを孝ちゃんでお願いしようと」

「……その通りなのです」

「えっと、それってどれくらいなので?」

「……にぱ~☆」

「う~ん。笑うだけじゃなくて正直に言って欲しいな~」

 

 まさかこんな事態になるなんて誰が予想していたのだろう。買い物に付き合わされる。それ自体は構わないのだけれど、荷物がどれほどのものなのか、部活として執り行われていく以上、厄介なことしか考えられない。

 北条さんの方を横目で見てもそれは同じであった。

 

「それは……遠慮なしで?」

「……当たり前なのです」

「了解ですわ。梨花は今日は家に帰ってゆっくりしてくださいまし」

 

 なるほど、古手さんはこうやって楽をしようというのか。確かに買い物は大変だし、今日行くとなると――――て。

 

「え、今日なの?」

「今日スーパーに行きますわ」

 

 ……うん? すーぱー?

 

「えっと、スーパーってここらへんにあるっけ?」

「ないね、近くにはないよ」

「えーじゃあどこまで行くのでしょうか……」

「それは――――」

 

 その言葉を聞いた瞬間、明日は全身筋肉痛で登校しなければならないのかと悲観的になってしまった。



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■影差し編【Ⅲ-Ⅵ】

「では、これも持ってくださいませ! それと、これもですわ」

「あの、それはこの惨状を見ての判断でしょうか?」

「孝介さん。私が聞いてるのはたった一言ですわよ?」

「はい……」

 

 落としそうな袋の山を抱えなおしながら小さく嘆息する。顔が隠れそうになるくらいの大きさ、通称マウント富士の量を腕で支えながら、北条さんに荷物を乗せてもらった。今回は小さな食品のおかげでバランスを取る必要はないけど、重みが増したことだけで心が折れそうだ。

 今は大丈夫だとして、帰り道はこれを持って帰るんだもんね……。

 私ごとを気にもしてくれない北条さんは次から次へと、僕に買うものを要求しては荷物持ちをさせていた。流石にお金までは強要はしてこないけど。

 

「そして、これを買ってくだされば、今日のところは大丈夫ですわ」

 

 新たな追加。うん、このセリフを聞いて何回目だろうなぁ……。気を緩まさせてからの下げ方は流石の罰ゲームといえそうだ。肉体的にも精神的にも追い詰めてくるね。

 

「では、帰りますわ。孝介さんはそのままキープでお願いいたします」

「これ以上動いたら落ちそうなんだけど、どうしよう?」

「落ちてもまた拾えばいいだけではありませんこと?」

「ほほほー……」

 

 にこやかなのにさらっと毒を吐くよねーこれ崩したらどんな悲劇が待っているのか分かっているだろうにー。しかも小物が多いから拾うの大変そうで、本当に意地悪なことに頭が働くこと。これからも北条さんのことは気を付けないといけない。

 ……それにしてもこれだけの量を買う事が出来るなんて。多少は自分のことを考えてのことだとは思うけど、安い商品を量や質をきっちりと考えて購入しているし、北条さんは買い物上手なのかもしれない。

 

「やっぱり買い物情報とかしっかり把握しているの? これだけの量、中々そろえられないよ」

「そうですわね。朝はチラシの確認とかよくしますわ」

「これだけの量を手軽な感じで買ってたし、やっぱりそういうのをしてるとは思ってたよ」

「情報は大切ですわ。トラップでもそう。これからは相手の情報は気にするべきですわー」

 

 積まれた手荷物のせいで北条さんの姿が分からないけど、多分得意げな顔をしているんだろうな。

 

「助言痛み入りまーす。本当に抱えることになると思ってなかったので」

 

 最初の方は手で掴んでいた方が楽ではないかと言っていたのだ。どうせそれほどまでの物ではないのだろうと。そんな楽観的に捉えていたら、あれよあれよの間に荷物を掴みきれなくなったのである。

 

「罰ゲームなんですもの。あまりにも簡単でしたら、意味がないですわ」

「うぅ。それでもこれはきつい……」

「先の分も考えての購入もありますので、非常に助かりますわ―」

「ついでに僕が落とす未来を考えてくれると非常に助かりますわー」

「……ならもう1つ買ってもいいですわよ?」

「すいません」

 

 これ以上は商品と商品の隙間から覗いて歩くことさえできなくなってしまう。視界の悪さを正直に言わせてもらうと、素直でよろしいといった返答をもらった。北条さんも流石に僕の現状を理解してくれるようだ。まぁ見えなくて歩けない、といったハプニングがあったら困るだけなのかもしれないけど。

 

「後は家まで運んでくだされば結構ですわ」

「あー……これは苦行だなぁ……」

「ほら、さっさとしてくださいまし!」

「はいはい!」

 

 足音がどんどん遠くなるような気がする。並行して歩いてくれると思ったのに、まさかの先行である。一応隣町のここ興宮では舗装された道路なので、敷き詰められた石の地面を目印にしながら歩く。とりあえずこれで真っ直ぐ歩いているつもりだ。

 

「孝介さん! 早く!」

「そんな無茶な……」

 

 こぼれる悲痛な呟きを聞かずに指示を飛ばしてくる北条さん。

 

「孝介さん! 荷物が落ちそうですわ!」

「とっとと!」

「孝介さん! 危ないですわ!」

「今度は何――――ってわ!!」

 

 ついに山と積まれた荷物が瓦礫のように崩れてしまう。商品に気を取られていた僕は並べられたバイクに気付かず、横から体当たりする形でぶつかってしまう。条件反射で態勢を整えようとした手は荷物から離れ、バイクのサドルを握る形で掴もうとしていた。

 幸いなことにバイクは倒れなかった。しかし食品、道具などがぶちまけられて派手な音を立ててしまう。

 

「あー……最悪だよぉ」

 

 そもそも何で歩道の真ん中にバイクを駐輪しているのかが分からない。全くこんな場所に置いた人の気が―――――

 

「おいあんちゃん! 何やってるんじゃ! ああん!?」

「へ?」

「こっちじゃこっち!」

 

 腕を掴まれて強引に引き寄せられたかと思うと、目の前にリーゼントが現れた。

 

「は、はい!」

「お前さん、俺さまのバイクに何傷つけとんじゃこらあ!」

 

 どうやら面倒なのにからまれてしまったようだ。これは大変なことに。

 

「あ、あのぉ……」

「とりあえずこっち来いこらあ!」

 

 駄目だ、取り合ってもらえそうにない。襟首を掴まれたまま、店の壁側まで連行され、そのまま壁にたきつけられる。背中が痛いけど今はそれどころではない。目の前にはもっと痛いことが起きそうな予感しかしなかった。

 別にバイクを傷つけていないはず。しかし相手には商品をぶちまけ、少しでも汚したことが気に食わないようで。何とか弁明しようとしたけど、そもそもこういう人にはどう対処をすればいいのか分からなかった。

 口をわなわなと動かすだけで、言葉を出すことが出来ない。

 

「はっきり喋れや!」

 

 そのせいか、ヤンキーの怒りは更にヒートアップすることになる。

 

「え、えぇと……」

「ちょっと! 待ってくださいまし!」

「あぁん!?」

 

 北条さんが慌てる僕を見かねたようで、助け舟を出してくれた。しかし、相手は既に沸点が振りきれて頭から湯気が出そうな状況。説得に応じてくれるのか……。

 

「確かにバイクにぶつかったことは認めますわ! しかし、そちらも歩道のど真ん中に駐輪していらしてよ。私たちが悪いと考えるべきではないと思いますわ!」

「うっせぇ! こっちは高い金払って買ったこ・う・きゅ・う、バイクなんだよ! お子様が買うようなおもちゃじゃねぇんだ!」

「で、ですが!」

「うるせえんだよ!!」

「ひぅ! う……」

 

 相手が面倒に思ったのか、僕から離れて標的を変えた。蛇に睨まれたカエルになってしまった北条さんはなすすべもなく持ち上げられる。

 

「おらおら! さっきの威勢はどうした!?」

「うぅ……」

「ちょっと、彼女は関係ないじゃないか!」

「黙れや!」

「そんなことしてて黙ってるわけないだろう!」

 

 とりあえず彼女を助けないといけない。そんな気持ちしかなかった。

 北条さんの胸倉を掴む手を振りほどかせようと、震える足で相手を蹴る。

 

「いってぇ!!」

「北条さん、大丈夫?」

「げほ、がは……」

 

 むせている北条さん。かなり強く締め上げられたようで、喉元を抑えて苦しんでいる。

 北条さんは肩を震わせていた。目も見開いているようだし、やはり先ほどの威圧にやられたのかもしれない。それでも彼女はヤンキーを見続けている。屈してはいけないとばかりに、強い意志だけは失っていなかった。

 その姿を見て、ようやく自分の弱さに気付いた。

 僕が招いたこと、それを北条さんに任せるなんて違う。そう思わせてくれた。

 身体を奮い立たせ、北条さんとヤンキーの間に割って入った。目的はただ一つ、標的を僕に向けさせることだ。

 

「無抵抗の子供に手を上げるな、このリーゼント野郎!」

「あぁん!? 俺様のアピールポイントだぞ、ごらぁ!」

「自分がバイクにぶつかったんだ。責めるなら僕にしろ!」

「こ、孝介さん……」

「いい度胸じゃねぇか! おらよ!」

 

 一瞬何が起こったのか分からなかった。気付けば床に転がっていて鼻が硬球をぶつけられたかのように痛かった。

 

「孝介さん!」

「おらおら! もう一発行くぞ! いいのかぁ!?」

 

 痛み、響く僕の身体にうめき声を上げるだけが精いっぱいだった。

 相手はそんなこと気にせず、腹を蹴ってくる。

 お腹の中身がかき回されたようだ。正直意識を手放した方が気が楽だと思わせるほど痛い。

 更に相手のターンは続く。肩、腕、足、手のひら……。身体の部位を徹底的に壊していくような攻め方に身体を縮めるしか防御策が思いつかない。寸でのところで意識が残っているのに相手の悪意を感じてしまいそうだ。

 

「おいおいおいおい! その程度かぁ!?」

 

 まずい、口の中は血の味で満たされてしまっている。こんなの、感じたこと無い痛みだ。気絶してしまえば死んでしまいそう。

 ……。

 ……本当に、そうだっけ?

 

「やめて! やめてくださいまし!」

「うっせえ! こっちは大人の礼儀ってやつを教えてるんだよ!」

 

 北条さんが悲痛に叫んでいるけど、それに応える声を上げることさえ出来ない。流石に周りに人だかりができているようだ、視界がぼやけてはっきりとは見えないが、雑音が大きくなったのが分かる。

 

「うぅ……」

「おら! 早く何か言えや!!」

「僕の……せいだ…………北条……さんは関係……ない!」

「そうかよ!」

 

 もう一発受けたような気がした。

 

「……にぃに! にぃにい!」

「あぁん、こいつは兄貴なのか。糞みたいな兄貴を持つと大変だ、な!!」

 

 また腹だ。蹴られているのは自分なのに、もうどこか遠い自分に感じてしまっている。

 アニメや小説ならここでかっこよく相手を倒しているんだろう。でも、これが今の僕だ。本当に無力で笑えそうになる。所詮、こういう場所でいいようにやられる人でしかないのだ。

 

「やめて、もうやめてぇぇえええ!」

「おら、意識飛ぶには――――」

「その辺にしたらどうです?」

 

 連続的に攻められ続けた暴行が止んだ。それだけはすぐにわかった。

 

「あぁん!? ……てめぇ。何様のつもりだ?」

「うーん。あなたのレベルに合わせての下種な名前は持ち合わせていませんね」

「あん、馬鹿にしてんのか!? なめてんのか!?」

「あらら? 怒らせてしまいましたか? まぁ激情するだけの猿だと思っていたんですけど、訂正しましょうかね。猿よりも知能が低いようです」

「なん――――」

「……いい加減にしないと、この街の人間が黙っていないですよ?」

「あん?」

「あなたの行動は周りの人達に迷惑です。突出させるのはリーゼントだけにしてください」

「んだと」

「私は構いませんよ? この多勢を相手にあなたがどこまでやれるか、興味がありますので☆」

「…………」

「……うじうじと情けない。どうするんですか?」

「……ちッ」

 

 何の会話をしているのだろうか。そんなことを最後は考えていたような気がする。ようやく訪れた安心感に必死に繋いでいた意識を手放してしまったようだ。

 誰かが近づく姿を最後に、僕はゆっくりと暗い世界に落ちていった。

 



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◆Tips【Ⅱ-Ⅲ】

ここから本当に新作となりそう(前までは違うサイトで公開していたので、本当の意味での新作です!)


◆忘れられた日記(6)

 

5月20日

 

人の噂は75日と言うが、これほど待ち遠しいと感じたことはない。

何で俺がこんな目に合っているのかさえ、分からないからだ。

自業自得ならまだ納得がいくし、言い訳も出来る。

今回はそれさえも出来ない。

カンニングなんてしていない。

それなのにみんなが囃し立ててはこちらの事をゴミでも見るかのように目を細めている。

何も言い返せない。何を言えばいいのだ。

俺はしてないとでも? そんなことしてもあいつらがどう思うかなんて分かり切っていること。

そもそも昔からこういう事に関しての対処が苦手なんだ。

お願いだから黙っててくれ。お願いだから無視しててくれ。

 

 

――――お願いだから、75日経ってくれ。

 

――――――――

 

◆鬼さんだれだ 手の鳴る方へ

 

 

だれかさんが だれかさんが

だれかさんを 見つけた

 

小さい罪 大きい罪

醜い罪 見つけた

 

鬼さんだれだ 手の鳴る方へ

すました耳には かすかにしみて

呼ぶ音すでに 聞こえない

 

鬼はたった1人で 大笑い

血まみれ人形 壊したよ

狂気に見えた その鬼も

涙流せば みな同じ

 

そんな鬼 貴方なら?

 

――――――――

 

◆古手家の言い伝え

 

 今回の調査によって分かったのは古手家のオヤシロ様の生まれ変わりについて。そもそもオヤシロ様とは何かについて説明しておく。

 まずオヤシロ様は最初から存在していなかった。古くから存在する雛見沢は鬼が淵村と呼ばれ、かつて鬼が住んでいたと言われていた。しかし鬼は人を喰らう存在であり、食べた、食べられる死体などは鬼が淵沼に捨てられて骨さえも食糧とされた畏怖されるべき怪物。ゆえに鬼が淵沼は地獄に直通する場所として呼称されていたようだ。

 そしてそのせいもあるのだろう。人と鬼の関係は村の中、周辺の村でも上手く馴染めず、時として過激な行為を受けてしまうことがあったと言われている。亀裂は生まれ、互いに手を取ることはないかと思われていた。

 そんな時に現れたのが、1つの存在『オヤシロ様』なのである。人か鬼かどちらかと言われているのだが、具体的な証拠がないので、あえてオヤシロ様とだけ呼んでおこう。

 ……オヤシロ様が行ったことは多く語られていないが、鬼と人との関係を良く思わずに行動を起こしたと言われている。説得をしたのかもしれないし、武力に訴えてしまったのかもしれない。どちらにせよ、互いに手を取りあうところまで結びつけた存在がこのオヤシロ様なのだ。

 以降、鬼と人は共棲を果たすことが出来るようになり、完全な和解とまではいかなくとも、その第一歩を紡いだ重要人物。その功績は後世に語り継がれ、次第に神格化を果たし、神様として崇拝されるようになったと言われている。こうしてオヤシロ様は雛見沢を見守る神様として象徴とされた。

 村の怒り、罪を受け止める神様がオヤシロ様。その心の広さは世界中の海よりも広いとされているのだけれど、一方では村のためにと慈悲の無い祟りを起こすともいわれている。時には嵐を起こし、農業に多大な被害を与えたり、厄災を起こして人の過ちを責めたりしているのがそれにあたるようだ。

 そうしてオヤシロ様が全ての起因とされ始めたとき、雛見沢の村人たちは怒りを鎮めるためにと生け贄となる腸(わた)を河に流すことになった。それが後の綿流しである。怒りを鎮めるためとはいえ、人の内臓を抉り取る行為はいかにオヤシロ様の力が偉大であったかが窺える話である。

 そして神様に言い伝える神社でいう巫女の存在がいるように、オヤシロ様に対して巫女の役割を果たす存在が明確化されるようになる。それが古手家、今の雛見沢の御三家である。古手家の一族はもともとオヤシロ様の子孫、もしくは生まれと言われている。オヤシロ様の巫女は代々引き継がれており、綿流しのときには実際に布団から綿を腸(わた)と見立て、取り除く行為を担う。そうしてオヤシロ様への生け贄の儀を雛見沢の代表として執り行うようになっているのだ(昔は本当に腸を取り除いたとも言われているが、詳しい内容は不明)

 さて、事前情報を提示したところで本題に移ろう。オヤシロ様の子孫と呼ばれる古手家ではあるが、これにまた言い伝えが存在する。古手家にはオヤシロ様の血筋が流れていることから、ある程度の力が内包していると言われている。それが何かは当事者でない私にはわからないのだが、その力が強ければ強いほど、生まれ変わりとして考えられるようだ。そしてそれは偶発的なものではなく、ある一定の基準を満たすことが条件とされている。

 8代連続第一子が女の子であること。これが条件で、その8代目の女の子はオヤシロ様の生まれ変わりとも言われているようだ。その力はオヤシロ様の力を受け継いでいるとも言われている。もし七代目まで来て第一子が男だった場合の村からの圧力を考えると、7代目の人がかなり悲しい運命を背負っていると思えて仕方ない。実際に噂で男の子を事実上消してしまうという話さえ上がるほど、女の子への期待、執着があるようだ。

 歴代の中では6代目まで第一子が女の子であったという記録もあり、実際に上手くいったという話はまだ上がっていない。現在においては7代目まで第一子とされ、次生まれる子がもし女の子であればそれはオヤシロ様の生まれ変わりであろう。村人としては我が子のようにかわいがり、そして崇拝することに違いない。

 次生まれる子こそ、オヤシロ様の生まれ変わりでありたいと願うのは古手家だけではないだろう。

 



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Episode 『北条悟史』
■影差し編【Ⅳ-Ⅰ】


「こ……す……こう…………こうすけさん!!」

 

 長い夢から覚めた時はいつもろくなことがない。

 まずは身体。体中が動きたくないと悲鳴を上げ、筋肉を引っ張られるような感覚は一瞬で涙目に。

 次に思考。頭の中では色んな記憶と情報が錯綜しているのか、はっきりとしたイメージが湧かない。確か街中で暴行を受けたはずなのだが、その意識さえ曖昧になっていた。

 最後は状況。自分はどうやら病院まで運ばれたようだ。深く沈むベッドと見慣れない白い天井がそれを物語ってくれている。ほかに行くあてもないから。気にするならここがどこの病院だということだろうか。

 全体を通して分かったこと。とりあえずろくな目に合わなかった結果がこのざまだということか。

 そして夢から目覚めさせてくれた声が一体誰のものか。それはすぐに分かる。

 

「孝介さん! 良かったですわ……」

「……北条さん」

「本当に……良かった……」

 

 嗚咽を堪えきれずしゃくり上げる彼女はずっとベッドにしがみつき、傍にいてくれたようだ。

 時間にして一体どれくらいなのかは分からないけど、感謝よりも申し訳ない気持ちが先行してしまう。起き上がることさえ出来ないまま、目だけはしっかり合わせる事にした。

 

「えーっと、ごめん。なんだか、心配させてしまったようで……」

「全くですよ。私が来なければ一体どうなっていたことやら……」

 

 呆れているような声に少し驚いた。落ち着いていて、少しお嬢様のような喋り方の人だったからだ。北条さんじゃない別の人、更に言えば部活メンバーでもない。どうやら北条さんとは反対側に立っているようだ。医者かナースなのか。

 しかし顔を向ければ見慣れた人だったことに、驚いた顔から追加で口を開いてしまう。

 

「え? 園崎さん?」

「ピンポーン。その通りでーす」

「え……本当に?」

「あら? 女性に疑いをかけるなんて、いけない男性ですね」

 

 親指と人差し指で丸を作ってこちらに見せてくる園崎さん。しかし、先ほどの声というか口調から彼女だとは思わなかった。というよりいつもと服装が違う。

 いつもなら履いているのはジーパンや長いスカートだったのに、今回は膝を出すスカートというちょっと都会っぽい服装なのだ。それにファッションを気にしているのか、上の服装も夏に合わせた涼しげな白いハイネックにしているし、髪型もお嬢様結びでまとめている。確かに髪の色や瞳は同じように見えるのだが、何というか、園崎さんが急に変わったので違和感を感じさせた。

 これが俗に言う高校デビューとかのやつなのか。……でも、卒業もしてないし何デビューなんだろう。お見舞いデビューなんて新ジャンルすぎるし……。

 

「うーん……」

「……ぷ、あはは! そんな変な顔をしないでください」

「え? あ、あぁごめなさい……」

「病人をからかうのはこれぐらいにしましょうか。私は園崎ですけど、姉さん……魅音ではありません」

「え……姉?」

 

 ナンノハナシデショウカ?

 

「……どうやら魅音さんは双子の姉で……」

「はろろ~ん。私は妹の園崎 詩音と言います。よろしくお願いしますねぇ。篠原さん」

「え、あ……へ?」

「あら? 少し混乱しています?」

「いや、そんな話全く聞いていないから」

「あ~お姉なら隠しそうですし」

 

 知らなかった。いや、妹がいるという事実も驚きだけど、何よりもこの人は園崎魅音さんに比べてその……女の子らしいと言うべきか。おしとやかさがあって、先ほどのファッションのこともそうだけど気質も良さそうに見える。

 

「へぇ~。確かにこれではやられてもおかしくないですね。むしろボコボコにされなかったのが不思議なくらいです。とても力があるようには見えませんし」

 

 そして……結構ド直球に言いますね。心に剣を突き立てられたようで思わず涙を流しそう。

 

「……あれ? もしかしてそっちには耐性はないんでしょうか?」

「うぅ……弱くてごめんなさい……」

「あ、あはは! ……ごめんなさい。てっきりお姉の友達と聞いていたので慣れていると思っていました」

「それ言い訳になってませんわよ?」

「でも納得してしまうよ……」

 

 あの園崎さんと友達というのだから否定をしきれない悲しさ。確かにあそこは部活の存在を知ってれば分かることだもんね。似たような人だって部内にいるわけだし。

 そしてメンタルもパワーもない僕には不釣り合いな場所なんだろうなー。そんな気にさせてくれる一言である。

 

「はぁ……」

「1人で落ち込まないでください!」

「あちゃー。まずいことをしてしまいましたかね」

 

 園崎さんが自分の手を合わせながらあははと笑っている。こういう笑ってごまかそうとしてしまうところは園崎さんと同じである。やはり姉妹という話は嘘ではないのだろう。

 学校ではきっと互いに……ってそこで気になる所があった。

 

「そういえば園崎さんって園崎さんと同じ学校に行ってないよね?」

「孝介さん。それでは2人のどちらを指しているのか分かりませんわ……」

 

 うん。僕も言っていてようやく気づいた。

 

「えーっと。詩音さんって魅音さんと同じ学校に行ってないよね?」

「えぇ。そうですよ? 私は町の私立で授業を受けているんです」

「へー。だから学校で見ないんだ」

「何でですの? 普通一緒に受けさせた方が家庭的にも楽ではなくて?」

「何で……ですか?」

 

 顎に指を当てて考え込む彼女。理由を考えないといけないことでもあるのだろうか。思い出すなんてこともないだろうに。何か複雑な理由があるのだろうか。……しかも気のせいか、彼女はどことなく怖い表情に見える。別に唇を尖らせ、眉を潜めているだけに見えるのだが、どことなくそう見えたのだ。ただ窓から差す光から生成された影がそのような錯覚を生み出しているだけなのかもしれないけど。

 

「詩音さん?」

「あぁ、すいません」

 

 ようやく何を言うべきかまとまったようだ。詩音さんは指を上に立てて、僕たちに言い聞かせるような少し自慢げな様子で答えてくれた。

 

「それはお姉とは学力が違いますので」

「サラッと魅音さんをバカにしてる気がする……」

「結構傷つく一言ですわよね……魅音さんがいなくて良かったですわ」

「ま、まぁ魅音さんは僕と同じ2年生だし。これから勉強すれば……進学も夢じゃないよ」

「孝介さん。あなたなりのフォローのつもりでしょうけど魅音さんは中3ですわ」

「うそぉ!? 中3!?」

 

 今日一番の衝撃、ここにあり。思わず身体を起こして聞き返してしまった。

 いつも前原君と同じドリルをやってたりするからてっきりそうかと思っていたのに、園崎さんが1つ上だなんて。これは園崎さんの将来が不安になること間違いなし、である。

 

「そういうことです。お姉は私と同じ場所にはいられないんですよ」

「は、はぁ……まぁ、そういうならそうなんでしょうね」

「それで納得してしまいますのね」

 

 だって否定出来ないんだもん……。

 

「お姉ももう少し勉強が出来ないと。園崎家当主としての威厳がなくなります」

「威厳ならあるよ……。えーっと…………悪知恵は働くし」

「間を開けた割にフォローできてませんわ」

「すいません。言った割に思いつかなかった」

 

そういう北条さんだって目を逸らして、納得できるフォローが見つからない様子。実際問題、勉強が出来ていないことは前原君に教わっている姿から理解出来るし、それは後に困るといわれても仕方ないことなのだ。

 互いに擁護してよと雰囲気を作っている中、詩音さんはおかしそうに笑うのだった。

 

「あはは。やはりお姉の周りには面白い人が多いようです」

「どういうところがですわ……」

「それは言わなくてもいいと思いますので」

 

 一体先ほどまでの会話で何が分かったのだろう。正直園崎さんが実は年上でしたという事実しか判明していないのだけれど……。

 とにかく詩音さんには会話の中で感じ取れるものがあったようだ。頭が切れる人なのかもしれない。それにそういった情報をはっきりと告げずに曖昧なままにしておこうとする。こう、何か表面上を取り繕っているように見えて、その本心を見せないようなことをしていると言えばいいのだろうか。演技的で魅音さんと違ってそういうところは姉妹として似つかないものであると思えた。

 ……そして何故だろう。そう思えた瞬間、一種の嫌悪感を彼女に感じてしまった。

 

「どうしましたか?」

「いや……その、詩音さんって少し変わってるなーって」

「そうですか? それは心外です」

「え?」

「孝介さんも似たような気がしますよ?」

 

 サラッと言われた一言。うーん……やはりそりが合わないというべきか、少し苦手な気がしてしまう。

 

「さてと、私はそろそろお暇しますね。お姉が来ても面倒なので」

「それってどういう意味なんですか?」

 

 そう聞いても微笑むだけで何も答えてくれなかった。

 

「迎えが来ましたね。じゃあ帰りましょうか。お姉には秘密でお願いしますね」

「詩音さん。あの時は助かりましたわ。本当に、ありがとうございます」

「別に謝れるようなことはしてないですよ。沙都子ちゃんが無事で何よりですし。それにそこにいる間抜けさんに現実とは厳しいものだと伝えられました」

「うぐ……」

 

 痛いところを言われてぐうの音も出ない。それを面白おかしそうに笑った後、「それではお2人でごゆっくり」と、変なメッセージだけを残して彼女は病室を後にした。

 その後に車のタイヤが砂利を踏み渡る音が聞こえる。どうやら彼女は誰かに迎えに来てもらっているらしい。本当にお嬢様みたいな優遇さに、魅音さんもそんなときがあるのかと疑問に思っていた。

 

「全く……最後の言葉は不要ですわ……」

 

 俯きがちに呟く北条さんは僕のベッドの隣に置いてある椅子に腰かけた。じっとこちらを見てきて何かを強く訴えてきたかと思えば、次には目を細めて咎めるような目になった。

 

「孝介さんも。あのような行動は不要ですわ。今後はああいう突発的な行動は控えてくださいまし」

「でも、ああしないと……」

「それで怪我をして心配しなければならない身になってください!」

「えーっと、はい……」

「本当に……偶然病院へ運んでくださる監督がいたから良かったものの……」

「監督?」

「孝介さんは反省してくださいまし」

 

 疑問に対する答えは返ってこない。

 反論を許さない彼女の忠告は身に染みた。友達を助けるつもりでやってしまったのだが、結果的には逆効果になってしまう。力なきもの、口で解決せよ。ということなのかもしれない。今後は反省しないといけないだろう。

 北条さんはそれでも言い足りないのか、口はまだ閉じてくれない。次に言われるのは家族への配慮とかだろうか。

 

「……それでも」

「うん?」

「その……嬉しかったですわ」

 

 今まで叱られていたために、意外な一言に対して何も言えない。北条さんは少し前のめりになりながら、しっかりと伝えようとしてくる。

 

「こんなこと、昔の頃にしかなくて、その、久しぶりに守ってもらえて」

「あはは……。かっこいい騎士みたいな人じゃないけどね」

 

 しかも負けたし。

 

「そ、そういうことではありませんわ……」

「あぁ……何かごめん」

 

 冗談のつもりで言ったのだが、あまりにも深刻そうに北条さんが言ってくるので思わず謝ってしまった。本当に自分の身のように心配してくれたのだろう。気持ちとしては凄く嬉しい。

 

「とにかく私は感謝をしたいのですわ! あの時の荷物の件もありますし」

「ありがとう。そう言ってもらえたらやってよかったと思えるよ。……それにありがとう」

「え……?」

「あれがあったおかげで自分もやらないとって思えたからさ」

 

 怖いことがあっても立ち向かうこと。彼女はそれを見せてくれて、自分に1つの行動を起こさせてくれた。それが結果としてこうなってしまったとしても良かったと思えるのだ。

 もともと自分が蒔いた火種なのだったから、北条さんがけがをしなくて済んだことがそれである。

 

「でも荷物は最後まで運べませんでしたね」

「あーそれは」

 

 忘れていたけど罰ゲーム執行中であったのだ。それが達成出来てないとなるとみんなにも示しがつかないと言うものだ。一体どうしたものか……。

 

「まぁ荷物の件は仕方ないですわ。もう終わってしまったことですし」

「す、すいません……」

「……孝介さん。だけど罰ゲームとして足りませんし……1つ、我が儘を言ってよろしいですか?」

「ん? どうしたの?」

 

 提案をしておいて、言葉にするのをひどく迷っている北条さん。何度もこちらを見ては察して欲しそうな目で見てくるのだけれど、何を求めているのか分からない上、躊躇う理由も分からないので何も言えない。

 お互いが上手く読みあえない状況かが続き、10秒ぐらい経ってからようやく北条さんが希望の内容を口にした。

 

「その……孝介さんのことを2人でいる時はにぃにと……呼んでもよろしくて?」

「え?」

「その、我が儘なので嫌でしたら構わないのですけど」

 

 嫌か嫌じゃないかと聞かれたら別に構わないといったところではある。罰ゲームとしては優しいとさえ感じてしまうほどに。

 ただ素朴な疑問があった。

 

「それは……どうして?」

「……」

 

 悲しげな瞳の奥底には堪えきれない痛の感情が渦巻いているような気がした。

 理由は彼女自身の過去があるのかもしれない。それは村で起きた彼女の疎外させられた寂しさからくるものなのかもしれないし、それか何か別にあるのかもしれない。

 とにかく彼女には口にしたくないほど、強い苦渋をしているということだけが前原君の言葉と共にはっきりと伝わってきた。北条さんの辛さ。こんなに幼いというのに、それを隠そうとしているのも痛々しく思えてしまう。

 北条さんの家に親はいない。相談できる相手もいない。古手さんはいるけど、親近感としてはどう考えても親より劣ってしまうものだ。だからこそ、こんな風に呼んでみたいのかもしれない。

 何故自分かは分からないけど、彼女には何か当てはまるものがあったのだろう。

『沙都子には支えてくれる人が必要なんだ』

 前原君が北条さんと別れて暫くした去り際に言っていたあの言葉。

 それは今なのかもしれない。自分には相談できるような経験もないし、力になれるような強さもない。……でも、話だけは聞いてあげられる。辛い思いを共有することが出来る。

 それがこういう形であるというのなら、迷うべきところではなかった。

 

「それは、その……」

「ごめん。別に言わなくてもいいよ」

 

 以前したように僕は腕を伸ばして北条さんの頭を撫でた。今度は震えあがることもない。

 ぎこちないであろう撫でられ方に何も文句を言わずに、北条さんは黙っていてくれていた。

 

「分かった。にぃにと呼んでもいいよ。それで北条さんが喜ぶのならね」

「よろしいのですか?」

「もちろん。北条さんと近しい関係になれた気がするからね」

「あ、ありがとうございます……」

 

 頭を撫でているためか、彼女の顔は下を向き続けていた。

 



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■影差し編【Ⅳ-Ⅱ】

いつから水曜更新だと錯覚していた。


 それから暫く経っただろうか。北条さんと2人でぼーっとしている時間が続いていた。

 理由としては話すネタが無かったというのがあったけど、それ以上に何か気恥ずかしさがあったのだ。変に意識しすぎなのかもしれない。

 そう思っていた僕だけど、北条さんがどう思っていたかまでは分からない。ずっとこちらにつむじを見せるかのように俯いていたからだ。表情も見えないし、何を考えているのかは分からないまま。

 そんな状況は約5分くらい続いていたような気がする。時計の針、夜でも夏のセミがけたたましく鳴いているのをバックに流れゆく時間はゆったりとしていた。

 そんな時間が消えたのは廊下から踏み荒らすような足音が響き渡った時。室内と廊下を繋ぐ扉が大きく開け放たれ、そこから迫真な顔でこちらに駆けよる姿がこれから騒がしくなることを確信させた。

 

「大丈夫か!? 隣街で暴力に合ったんだろ?」

 

 肩を掴まれて強く揺さぶられる。こういうときこそ落ち着きが欲しいのに、彼には持ち合わせていなかったようだ。

 脳がかき回される前に止めてもらおうと前原君の手を掴む。

 

「あの、う、うん。前原君とりあえず、落ち着いて……」

「そうだよ圭一君。孝介君が困ってるよ」

「あ、あぁ。悪い……」

 

 良かった。前原君以外にも部活メンバー全員が出向いてくれたようだ。それに後ろには初めて見る男性が立っている。多分白衣を着ているし、医者だろう。この時間にいることも考えれば当然か。

 ……それにしても狭き村の噂はニュースよりも早いようで。まだ一日も経っていないというのに、みんな来てくれるとは。この情報の早さは村だからこそといえるものだろう。

 

「どう孝ちゃん。お身体の具合は?」

「え、あぁ……うん。まぁ大丈夫、かな?」

「本当か? 何か変に隠してないか?」

「何で隠す必要があるのさ……」

「それなら大丈夫だと考えて良さそうですね。孝介さん」

 

 そのように言って笑う白衣の男性はこの病院の医者の方なのだろうか。

 白衣の男性は部活メンバーに道を開けてもらうに言いながら、こちらまでやってきた。そのまま綺麗に腰を45度曲げたかと思うと、営業のような決まりきった口調で自らの説明をしてくれる。

 

「私は入江 京介と言います。この入江診療所の院長を、そしてあなたの怪我を診たものです。よろしくお願いしますね」

「はい。えっと、ありがとうございます……」

「ご両親には連絡をしておきました。母親の方がすぐにやってくると言っていましたよ」

「あ、そうですか」

 

 そりゃあそうか。子供が暴力沙汰にあったとなれば飛んでくるに違いない。時間帯も夜だし、子供が帰ってこないと、不安にさせただろう。母親が荷物をひったくっている姿をイメージしていたら、先ほどの入江先生は違う人に話を振っていた。

 

「沙都子ちゃん。さっきもやりましたが、もう一度診察をさせてください」

「え、またですの?」

「はい。落ち着いてはいると思いますが、一応確認しておきたいことですので」

「わ、分かりましたわ……」

 

 何かあったのだろうか。もしかして夕方の恐喝で何か外傷を受けたのだろうか。

 不安な様子を感じ取ってくれたのか、北条さんは慌ててこちらに説明をしてくれた。

 

「気になさらないでくださいまし。これはいつもの定期検診なんですのよ?」

「……沙都子が元からやっていることなのです」

「元から?」

 

 古手さんからの保証もある。

 それだからといって安心していいのかが分からないけど、とりあえず待っていても問題はなさそうだ。

 北条さんが軽く入江先生に会釈をしてから共に廊下へと消えていく。2人の背中を最後まで見守っていた僕たちだが、消えたとなると会話のネタは自分の方向へと向かう。

 

「……それで孝ちゃん。様態の方はどうなの?」

「この通り、まだ痛いところはあるけど、別に大きなけがじゃないから……」

「顔にあざが出来てるのに、そんなこと言っても説得力ないぞ……」

 

 あざが出来てるのか、やっぱり強烈な一撃を喰らわされたことには違いないんだな。それに今までやられたことないから簡単にのびてしまった。そんな自分が情けなくなりそうである。

 竜宮さんが自分の顔に触れながら、不安そうに覗いてきた。

 

「はぅ。本当に大丈夫?」

「大丈夫だよ。そんなに痛いところは……」

「強がってないよね?」

「ま、まぁ多少は強がらせてよ……」

 

 今は見えないかもしれないけど、もっと痛くなる箇所や、痣が出てくるかもしれない。

 そんな不安をいった所でみんなにやってもらえることはないし、そもそも自分が望んでやったことなのだから。この怪我も仕方ないものだと思っていた。

 

「……篠原は強がりなのですよ」

 

 古手さんがそう言って僕の頭を撫でてくれる。必死に腕を伸ばして撫でてくれるのは嬉しいけど、別に偉い偉いされるようなことしたっけ。

 

「そうだ。私たち花を持ってきたんだ!」

 

 そう言って竜宮さんは一旦廊下に出て、すぐに花束を持ってきてくれた。花の名前は知らず、誰かが判断して選んでくれたのだろうか。赤や黄色といった暖色を用いた色とりどりの花ではある。

 ……とまぁ凄く考えてくれたのだろうけど、自分としては困惑しかない。

 

「別に入院するって言ってないけど……」

「まぁそうだよねー」

「ん?」

「いやなぁ。噂では暴力団グループにぬいぐるみで特攻した挙句、顔が破裂して、かなりの重傷を受けたってきいたからさ」

「……もはや尾ひれや背びれで増えた内容じゃないよね、それ」

 

 情報を垂れ流すにしても限度があるだろう。というより垂れ流した人出てきて欲しい。これから常識という問題について議論するべきである。

 村の情報網は伝達力はあるけど正確性は皆無のようだ。

 

「とにかく良かったぜ。大きなことじゃなくてさ」

「大きなものさ。痣は数日残るだろうから……」

「痛いのかな、かな?」

「そういう意味じゃないんだけど、流石にみんなに気を使わせそうだからさ」

 

 みんなにことあるたびに「大丈夫」なんて声を掛けられることが想像できそうだ。噂のこと込みで。

 学校に行くとしてもガーゼでもして隠す方がいいのかもしれない。

 

「いっつもみんなに気を使っている孝ちゃんがそれを言うのかねぇ」

「気なんて使ってないつもりなんだけど……。まぁそういうことだよ」

「とか何とか言って学校に行かないで済むようになることを望んでいたりしてな」

「そ、そんなことないよ!」

 

 むしろ学校に行きたいくらいだ。こんなところでゆっくりするのも悲しいくらいなのに。

 

「ま、安心していいと思うよ! 監督がさっき聞いた話だと、入院までの重傷じゃないからさ」

「え? 監督?」

 

 監督なんて人がどうして自分のことについて話しているのか、最初聞いたときはそう思っていた。

 どういう意味か分からないでいると、園崎さんは思い出したかのように頷いていた。

 

「あぁ、そういえば説明してなかったね」

「監督はさっきの入江先生のことだよ」

「……雛見沢ファイターズ。野球の監督をしてるのですよ」

「へー」

 

 あの温厚そうな人がそんな監督みたいなリーダーシップを取るなんて思っていなかった。……いや、逆にだからこそやってもおかしないのかもしれない。

 しかし雛見沢ファイターズというのはまたありきたりというか、何も捻っていないような名前である。もう少し雛見沢を象徴するようなネーミングセンスでも良かったような気がする。

 その雛見沢ファイターズについていくつか聞いてみると、どうやら村中の子供だけではなく、一部ではあるが興宮の子供も交じって参加している小さな野球チームのようだ。理由としては村の人数だけでは足りないとか何とか。

 実際やっていることは練習試合ばかりで公式戦といった本格的な大会は行わない。簡単に言えば遊ぶために集まった集団のようだ。だから練習もほとんど行わずに週一とかその程度。まさに軽く運動するためにその機会をこういうことで解消しようという目的なのだろう。

 

「因みに私たちもやってるんだよ?」

「え、嘘!?」

 

 そんな会話の中でのカミングアウト。まさかそんな、野球という種目で女の子がやるなんて。

 いつもグラウンドで見てたのは男子ばかりだったから、そんな風に園崎さんたちみたいなのが参加していることに意外だと感じた。

 

「あー! そんな言い方してぇー!」

 

 そして、そんな対応をしてしまった僕に少々ムカッとした園崎さんが口をへの字に曲げていた。

 

「いやぁ、その意外というか、驚きというか」

「あんまり変わってないよ。その言い方だと」

「というより酷くなってる気が……」

「いやいや。そんなつもりじゃあ」

「ぶーぶー! 一応これでも4番なんだぞー!」

「何だと!?」

 

 その言葉を聞いて先ほどまでだんまりを決めていた前原君が喚く。

 

「流石にそれは男としてどうなんだ……。っていうか村の男どもは!?」

「あっはっは! 私より上手い人がいないからねぇ」

 

 確かに園崎さんは運動神経は良いと思える。でもだからといって力があるであろう男子たちはそれに負けてしまうというのはいかがなものか。

 前原君と偶然顔を合わせ、同時に互いに同じような感情を持っていることを感じていた。

 

「あ~……悲しい話だ。ってかお前が自分で言ってるだけじゃないのか?」

「え~! 流石にそれはあたしでも考えてなかったよ!?」

「それはひどすぎるかな……圭一くん」

「流石に男どもが黙ってないだろ? 4番は男のロマンなんだぜ? な?」

「いや、なって言われても」

 

 そんな話聞いたことないです。

 

「ふーん。なら今度見に来てよ」

「は?」

「実は今週の土曜に隣町のグラウンドで練習試合があるんだー」

 

 竜宮さんが足りない情報を補ってくれた。つまり見に来てくれということなのだろう。

 確かに予定は今のところないし、どうせ昼間に行われるだろうから帰りが遅くなることもないだろう。自分としてせっかく誘ってくれた話ではあるし、行ってみたい気はしている。

 ……試合に出るなんてハプニングが無ければ、だけれど。

 

「……でも魅ぃ。大丈夫ですか? 次の試合で?」

「いいんだよ。今回の試合でおじさんの技術をみせてやるんだからさ」

 

 古手さんは何か引っかかることでもあるのだろうか。細かい理由は教えてくれず、園崎さんと2人だけしか分からないような会話で口を紡いでしまった。

 話が続かないと思っていたけれど、そこから前原君が気になることを口にする。

 

「それって隣街でやるんだよな?」

 

 この雛見沢ではやらないことを前提とした質問だった。確かに、村にそこまで大きな野球グラウンドがあったとは思えない。雛見沢分校にあるグラウンドも広さはあってもラインとか整備されていないし、場所がないという意味合いで前原君は断定しているのだろう。

 その答えは前原君の隣にいた竜宮さんが答えていた。

 

「うん。興宮の小学校近くのグラウンドで行われるんだよ」

「なるほどな……」

「何がなるほどなのかな?」

「まぁレナ。こっちの話ってやつだよ」

 

 そう言ってこちらをチラッと見てくる。目配せなのか、それさえも分からず首を傾げてしまう。一体何を考えているのだろうか。

 前原君は納得したように、何度か頷いたかと思うと、園崎さんの方に向き直る。

 

「分かったぜ、こっちも都合が良いからな。それに仲間の合戦となりゃ行かない訳にはいけないし」

「合戦ってそんな大げさな……」

「うーん。実際結構目立った試合になりそうなんだけどね~」

「へ?」

「まぁ、それは当日までのお楽しみってやつだよ」

 

 園崎さんが卑しげな笑い。

 ああいう笑みは悪い考えが浮かんだときにしかしてないし、何か変な計画でもあるのだろうか。とにかく部活のような野球は名前だけのドッジボールが行われるのは勘弁してほしいと願うばかりだ。

 

「……篠原は来られるのですか?」

「うーん。明後日となると用事は無かったと思うし」

「……みぃ、試合には出れないんですか?」

「いやそれは流石に無理だよ。元気だったとしても」

 

 確実に足を引っ張る自信があります。っていうか足どころかみんなの身体全体引っ張ってそうだけど。

 

「それは残念だね~。実は孝ちゃんをピッチャーとして投げてもらおうなんて考えてたのに」

「うん。公開処刑、無理だよ」

「まず匙じゃなくてボールを投げようと考えろよ……」

「だってまず緊張で腕が振れなさそうだし……」

「でも観戦してくれると嬉しいな」

「まぁ……それは別に大丈夫だよ」

 

 応援なら任せてほしい。昔から応援することには慣れているのだから。

 園崎さんは多少不満げだ。僕が試合に出ないということを知って面白みがなくなったのかもしれない。でも、僕が試合に出ればそれこそ面白みが無くなると思うので訂正はしないでおく。

 

「なら今度は土曜日、一旦学校に自転車を持って集合! でいい?」

 

 みんなはそれでよいとばかりに手を上げている……が、自分だけはその反応が出来ない。

 

「あぁ……僕自転車なくて」

「え!?」

 

 引っ越してからというもの必要とせず買いに行くのを忘れていた。今までは親の車に便乗して移動していたこともあってあまり考えていなかったのだ。まさかここで使わないといけない場面が出るとは思わず、ため息しか出ない。

 

「孝ちゃん、因みに2人乗りは出来る?」

「うーん……確かに北条さんの時はやってたけど、あまりしたくないなぁ、慣れたことじゃないし」

 

 どうしても慣れたものではない。北条さんの時だって自分が漕ぐことになったけど、ふらついてあぶなっかしいと北条さんに指摘されたぐらいだから。

 

「慣れてないのか……友達がいなかったのか?」

「酷!? 違う違う! えっと小学校の頃から自転車を持ってたんだけど、中学上がる前に自転車を壊してしまって……」

「それでそのままになってたと?」

「まぁ必要としてなかったから」

 

 村のどこかに自転車屋さんなんて……あるわけないか。ゲーム屋さんでさえないのに、都合よくあるわけがない。やはり村という場所はこういうところで不憫になってしまう。

 

「こりゃあ困ったねぇ……孝ちゃんが持ってないとは」

「これからのために買った方がいいと思うよ?」

「うん。そうだね、今日の帰りにでも相談してみようと思う」

 

 流石に自転車を買いたいといって渋ることはないと思う。これからだって使えるものだし、両親も忘れているだけだろうから。

 それでもすぐにというわけにもいかない。何せ買っもらうからすぐお金頂戴……なんてことは出来ないだろうし。両親にも予定がある。

 

「あはは。気持ちだけにして、みんなは先に行って後から合流でも――――」

「なら、私の車に乗りますか?」

 

 そう言って新たな可能性を見出してくれたのは先ほど噂していた入江先生だ。更に言うと後ろにはあ北条さんの姿もいる。どうやら検診を終わらせてここに来たときに話を聞いた、というところだろう。

 その申し出に思わず身体を前のめりにしてしまう。

 

「いいんですか!?」

「私も試合に向かうので、それで良ければご一緒に」

「そりゃあありがたい話だね! 孝ちゃん、是非乗せてもらいなよ」

「すいません。それは嬉しいんですけど、その、大丈夫ですか?」

 

 初めて見知った人と車で同席なんて、少し気を使わせてしまいそうだったからだ。

 そんな失礼かもしれない質問に対しても、入江先生は「気になさらないでください」と言ってくれた。

 

「車に乗ってもらうぐらいどうってことありませんよ。それに、話し相手が出来ると考えるなら安いものです」

「じゃあお言葉に甘えて……」

「良かったな! 孝介」

「それじゃあ孝ちゃんは現地集合ということでいい?」

「うん」

 

 思わぬ助け舟によって、僕も土曜日に楽しみが1つ増える事が確定したのだった。




はい、というわけでエイプリルなので更新前倒しという嘘を付くことにしました!(遅いけどw)


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■影差し編【Ⅳ-Ⅲ】

  そんな色んなことあって、試合当日!

 

 入江先生と電話にて予定を決めたときに、学校で待ち合わせることになった。時間は朝の9時集合で、いつもの登校より遅め。乗せてもらうといこともあるので一足先に着いておこう……と思っていたのだけれど、着いてみれば入江先生の方が早く。車の中で待機してもらっているならまだしも、こんな快晴の中外に出て待ってくれていたので、少し申し訳ない気持ちになってしまった。

 先生にとっては気にすることではないと思っているのだろうけど、とりあえず頭を下げておかないと。

 

「すいません。今日はお世話になります」

「あ、孝介さん。おはようございます、身体の調子はどうですか?」

「あはは……。まぁ一応無茶だけはしないようにしています」

 

 適当になっては我が部としての恥、という勝手な自論を持ち出して今週の部活動も観戦ということにしていた。おかげで罰ゲームをかい……じゃなくて前原君が受けてもらえる事になってとても嬉しかったです。

 

「そうですか。もう少しすれば走り回っても支障がないと思うので、それまでは我慢してくださいね」

「母さんからも同じようなことを言われました」

 

 病院から迎えに来てもらったときも、家に帰った時も、寝る前も学校行くときも帰ってきたときも。鳩じゃないんだから、そんな記憶に植え付けるようなやり方は勘弁して欲しかったぐらいだ。

 急がば回れ、そんな忠告は聞き飽きたと言ってもいい。

 

「じゃあ助手席に乗ってください」

「はい」

 

 入江先生が先に運転席に乗り込むのを確認してから自分も助手席に乗せてもらう。

 扉を開ければ冷気が顔に当たり、涼しげな空気が心地よさを感じさせてくれた。外と違って、クーラーが使えると言う事だけでやはり車は良い物だと実感できる。

 シートベルトの着用をしながら、エンジンキーを回している先生に質問をすることにした。

 

「みんなとは後で合流ですか?」

「そうですね。試合の場所で直接集合ということにしていますので、その時にみんなと会えますよ」

「みんなこんな暑いのに、よく自転車で出かけますよねー。本当にすごいや」

「篠原さんは出かけるのが嫌いなんですか?」

「いや、そうじゃなくて、単純に体力がなくて……」

 

 恥ずかしながら自分は外で遊ぶということに縁がなかったものなので、もやしっ子と言われても仕方がないほどである。

 そんな話をすると入江先生も笑ってくれた。

 

「私も体力はないですよ。でも医者として助言すると、少しは運動しておいた方がいいですからね?」

「都会育ちには少し辛いものがありますよ、ははは……」

 

 サイドブレーキを使ってようやく車が動き出した。自分の車と違ってエンジン音を喚かせることなく車に少し感動しつつ、静かに隣町へと向かっていく。入江先生は慣れたハンドルさばきをしながらも、先ほどの会話についてを質問してくれた。

 

「篠原さんは都会出身なのですか?」

「はい。ここに比べると、都会ですね」

「確かにここはのどかな場所ですからね。どうですか? 慣れましたか?」

「一応は。みんな優しいですし、何より楽しいです。ここに来て良かったと思えるくらいに」

 

 村の人たちには、頭に包帯を巻いていると「大丈夫?」、「いつごろ良くなるの?」なんて声を掛けてもらったぐらいだ。まるで自分の子を心配するような態度に温かい気持ちになれる。

 でも、だからこそ北条さんにしたことが意外にも感じてしまうのだけれど。

 

「それは良かった。村の良さを分かってくれるのは少数ですからね……」

「そうなんですか? こんなに人と触れ合える村なのに……」

「それをよしと思わない人もいるんです」

 

 確かにこういう場所にいると気苦労が絶えないなんて人もいそうで、人付き合いに猫被って付き合う人なんて特に疲れがたまってしまそう。自分はそんなことせず素でいるからそう思わないのだろうけど。

 

「孝介さんがそうではないようなので安心しました」

「入江先生も都会出身か何かですか? 東京とか……」

「別に先生を付けなくてもでいいですよ。もしくは監督でも構いません。都会でもないですよ。生まれや育ちは町といった方が良い場所でした」

 

 それでもここより田舎でもないということは否定しないようだ。まぁここ以上となると山の中でしかないだろうけど。

 後先生は言わなくてもいいということもあるので、入江と呼び捨ては出来ないし入江さんと呼ばせてもらおう。

 

「医者はここからやり始めたんですか?」

「いいえ、もっと別の場所でもやっていましたよ。小さな村のところでも検診に行った事だってあります」

「えっと、入江さんはどうして雛見沢に越してきたんですか?」

「ははは。仕事の関係ですよ。上手く行かずにどうしようかと悩んでいたときに誘いがあったんです。ここで働かないかって」

「へー……そうなんですか。じゃあ先生も長い間村にいたという訳ではないんですね

 」

 

 慣れ親しんでいるようにも見えたし、てっきり村の出身かと思っていたぐらいだ。

 

「でも、あなたに比べると長い方です。色々ありましたからねぇ」

「色々って? ……やっぱりダム建設のことですか?」

「それが一番印象的ではありました」

 

 懐かしそうに笑う先生なのだが、少し悲しげな表情にも見える。それがダム建設の異常さと悲しさを全て物語っているような気がした。医療関係でもダム建設中のことであれば色々とあっただろうから、ダム建設では村全体にとって大きな分岐点の1つであったことは間違いない。

 

「先生もあの時に居合わせていたんですか? 村の会合とかに」

「雛見沢が消えてしまうかもしれないという話ですからね。私もその場にいましたよ」

「その……北条さんの家が対抗したことも……?」

「あぁ……その話ですか」

 

 寂しそうな表情に、唇を噛んでいる。そんな姿を見ていると、入江先生は取り繕うかのような早口で、自分の意見を述べてくれた。

 

「北条さんは仕方なかったんです。代表格として祭り上げられたというのも事実ですし、何よりご両親が強気な性格で前に出ていたのがありました」

「その……両親は亡くなったんですよね?」

「えぇ」

「事故で亡くしたというんですが、実はオヤシロ様の祟りなんて噂もあったようで」

 

 その話を耳にしていたのか。そんな風に驚いた様子で運転中にも関わらずこちらを一瞬見てきた。

 返答を無言という形で返すと、入江先生は冗談ではないという体で話を進めてくれた。

 

「そうですね。そんな噂はあります」

「あぁ……そうですか」

「孝介さんはどうしてそれを?」

「前原君から、そんな話を聞いていてどうなのかなって」

「……私個人としては祟りなんてありません」

 

 はっきりと言う先生の唇は少し震えているように見えた。と同時に山道に入るためか、日差しを遮る森が車内の明るさも変えてしまう。森の中へ移り変わる景色は今までの空気を一変させるような気にさせた。そのまま少しだけお互いの発言を待つ時間が続く。

 入江さんが、吐息と共に言葉を吐き出す。どうやら入江さんからは僕からの質問を、僕は入江さんの理由を求めていた。どっちが折れるかまでとはいかなくて、譲り合いの精神から生まれた空気だったようだ。

 

「それでは……沙都子ちゃんが可哀想じゃないですか」

「え?」

「彼女は何もしていないんですよ? ただ親がこうされたからと非難を受け、親が亡くなる事件が起きれば悲しまれずに祟りなんて言われて……。彼女が一番不幸な目に合っているのは誰の目から見ても明らかです」

「入江さん……」

「その呪縛は今でも根強いている。それを祟りのせいにするのは違います」

「そう……ですね」

 

 長い間北条さんを見てきたからこそ、言える言葉。その言葉は何よりも強く、そして心に来るモノがあった。

 

「お兄さんのこともそうですよ」

「え?」

 

 お兄さん? 北条さんにお兄さんがいるなんて初耳だった僕は、そんな声を出していた。そしてそんな言葉を聞いて、自分が知らなかったことを察してくれた入江さんは僕に聞こえる大きさで呟いていた。

 

「前原君はそこまでは言わなかったんですか。いや、知らなかったのかもしれません」

「そういえば……北条さんは僕のことをにぃにって……」

「そうですか。……お兄さんは悟史くんって言うんですよ?」

 

 もしかして、暴力を受けていたときに僕のことをそう呼んでいたのは重なることがあったのかもしれない。それに2人きりではそう呼びたいと言ったのも彼女が兄の存在を自分で埋め合わせをしたいのかもしれない。

 

「悟史……さん」

「彼も、失踪したんです。沙都子ちゃんを1人置いてしまって」

「失踪……それは神隠しか何かなんですか?」

「祟りにしてみせるならそうでしょうね。彼も綿流しの数日後に失踪したので」

 

 綿流し、確か雛見沢で行われるイベントの1つで村一番の盛り上がりを見せると言われていたやつだった。しかしそんな楽しいイベントでもあるはずなのに、北条さんは辛い思い出しかない。

 山道を越え、興宮に入る中、車の中での話題は暗い話が続いていた。

 

「沙都子ちゃんは1人で抱え込みすぎなんです。私も養子にすることまで考えるほどです。いや出来るならそうしていることでしょう」

「そこまで……だったんですか?」

 

 彼女の見た目からは全然そんな風には見えなかった。むしろ部活で生き生きとしている。みんなの前で歯を出して笑って見せたり、無邪気な笑みで楽しそうにしていたりしていた。

 でもそれが全部ウソなのかもしれないと、入江さんは遠回しに伝えてきた。1人辛い悲しみを耐えて耐えて、ずっと孤独にいることに慣れてしまったのかもしれないと。ずっと夢の中では家族といる幸せな時間を過ごしているのではないか、そんなことさえ自分の頭の中によぎっていた。

 

「最初の頃は特に。今は容体も落ち着いてきたんですが、それもいつ……」

 

 入江先生はそこで言葉を濁してしまう。やはり先生としては幼い少女に耐えきれる現実ではないということを理解しているのだろう。それは中学に上がって数年の僕にだって分かること。

 きっと親の想いになって考えているはず。悩みをずっと聞いて、それでも気丈に振舞おうとしている彼女を間近で見続けた入江さんだからこそそんな心配をしてしまい、そして辛いと思っているのだ。北条さんは無事に友達と過ごせているのか、本当に楽しい日々を過ごせているのか。

 そんな気持ちになって心配される北条さんは……とてもうらやましいと思えた。

 

「北条さんは、強いですよ。僕なんかよりもずっと強い」

「そう信じたいんですがね。やはり不安になることがあります」

「例え北条さんに辛いことがあっても、みんなが……部活メンバーが助けてくれると思います」

「部活メンバー……ですか」

 

 入江さんもメンバーについては知っている様子で聞き返してくれた。

 

「はい。強くて頼もしい部活メンバーがいますよ。北条さんはみんなを心から信頼していますし。きっと孤独だと感じることは絶対にありませんよ」

「……まるで自分は違うみたいな言い方ですね?」

「流石に自分は越してきたばかりの身ですから。僕はそう思っていても北条さんがそう思っているとは思えないです」

「そんなことはありませんよ。あなたが倒れていた時もずっと傍にいたのは沙都子ちゃんですよ?」

「あはは……情けなくてすいません」

 

 本当に部活メンバーなら機転を利かせてあんな場面でも乗り越えていただろう。自分だからこそ、あんな仕打ちを受けてしまい、そして他の人に迷惑をかけてしまう。

 自分でもわかるほどの弱さだ。

 

「情けなくなんかありません。本当に立派です」

「そうですかね……自分ではわからないものです。本当にみんなを見てると、ちっぽけな感じがするので……」

 

 躊躇いがちにしか笑えない自分に入江さんは笑わず、代わりに意外なことを言ってきた。

 

「篠原さんは……悟史くんに似ていますね」

「え?」

「そうやって謙遜するところ、仲間への信頼。それに……優しいところです」

「優しいかどうかは微妙ですけどね……」

 

 優しいことがどうなんて分かったことではないのだから。強さもない自分にそう評価されることがむず痒さを感じていた。

 

「いえ、その友達を大切にする気持ちは優しいから出来るんですよ。悟史くんもそうでした」

「悟史さんってそれなのに失踪したんですね」

 

 とても北条さんを置いて勝手に失踪したとは考えにくい。それなら誘拐にでもあったといった方が納得できそうなくらいだ。実質自分なら家出なんて怖いことが出来そうにない。

 

「…………そうですね」

 

 そんな気軽な気持ちで聞いてみたのに、入江先生の態度は明らかに違った。

 

「彼は優しすぎたんです。1人で全部抱え込んでしまったから……」

「……それが失踪した理由なんですか?」

 

 入江さんはそこで黙ってしまう。後になって分かる。だって自分が聞いた内容は悟史さん自身になってみないと分かるはずがない内容であるのだから。入江さんに聞いても困らせるだけなのだ。

 でも、そういうことさえも入江さんは言わない。自分の中で迷っていて、まるで何かを隠しているようにも見えた。

 車は目的地に着いて止まる。それでも入江さんが黙ってしまっていることが耐え切れず、こちらから話を終わらせようと、言葉を選んだ。

 

「まぁそういうことは、今言っても仕方ないですよね――――」

「孝介さんには、そうならないで欲しいと願うばかりです」

「え?」

「さぁ場所に着きましたし、今日は楽しくやりましょう」

 

 入江先生は車のキーを抜いて先に外に出てしまう。外を見れば、雛見沢ファイターズの面々はすでに準備体操をしているところだった。



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■影差し編【Ⅳ-Ⅳ】

「よっしゃー!」

 

 前原君の叫び声がグラウンド中にこだまする。試合は中盤、スコアはこちらが0点に対して相手は1点。まさに投手戦と言える内容だといえる試合運びだ。

 前原君は土を軽く足で払いながら相手に向かって、バットを向けた。失礼な行動そのままに、相手ピッチャーに向かって喚く。

 

「ばっちこーい!」

 

 構えなおしながら叫ぶ前原君に、園崎さん含めベンチ一同ため息である。北条さんがツッコミというよりも、馬鹿に仕方なく教えるといった様子で前原君に教えてあげる。

 

「圭一さん。それは守備をするときに掛ける言葉でしてよ?」

「何!? そうなのか!?」

「圭ちゃーん。とにかく打ってねー」

「任せろー!」『ストライーク!』

 

 そうやってガッツポーズしている間にワンストライクを取られているんだけどね。前原君、せめて相手投手を見ないと……。

 

「卑怯だぞ!?」

「審判がプレイを宣言しているんだし、こっちが悪いよ」

 

 そうしている間にも相手投手は近くにあるロージンバックを手にしてニヤリとしている。余裕そうな表情で、まるで敵になっていないとでも言いたげな含み笑いである。

 それだけ見れば非常に腹立つ行為ではあるけど、相手もそれだけの自信と実力があるので何も言えない。今の今まで相手を空振りにとってきて、しかも力半分といった様子。そんな状況で僕たちの方からがみがみ言っても負け犬の遠吠えにしかならないからだ。

 

「相手の投手が凄いよね……あれ何? どう見てもリトルで見れる球じゃないよ……」

 

 相手は確かにストレートだけを投げてくれている。しかし、そのストレートにみんな対応出来ない。稲妻のようなスピードで走る球に誰もバットに当てる事が出来ないのだ。

 そうこうしている間にも前原君はツーストライクと追い込まれている。

 

「あっちには助っ人として甲子園経験者の投手がいるんだよ」

「えー。何でそんな人が……」

「何かねー。ライバルチームに負け続けているという話を聞きつけて元出身者としていても経ってもいられなくなったようでさ」

 

 それが本当なら、確かにあの球と自信は納得できる。それに周りにもカメラを構えている人がいるくらいだし、かなりの大物であることは間違いないのだろう。

前原君はそんな相手にも臆する事なく、短く持ったバットを振り抜く。それでもボールよりも下を振ってしまったバットはむなしく空を切っていた。

 

『三振、バッターアウト! チェンジ!』

「えーっと……三振……と」

 

 因みに僕はマネージャーとしてスコア表を書いていた。入江先生に誘われて始めたのだけれど、ほとんど三球三振。数本だけフライやゴロといった感じ。目新しい内容を書き込めないことに今回の試合の絶望さを物語っていた。

 

『監督……もう6回裏です。このままだと……』

 

 ライトを守っていたチームメイトが監督もとい入江先生に策を願っている。先生も先ほどから何もしていない訳でもない。相手の癖や球筋といったヒントを得ようとじっと観察していたことを自分は知っている。それでも今まで何も助言出来なかったということはそういうことなのだろう。

 

「そうですね。このまま何も出来ないのはまずいですね……」

 

 この回も何も得られない。そんな感じでため息を付いていた。

 

「何がまずいんですか? 相手は甲子園出場校なんですから、打てた方がおかしいというか……」

「篠原さん、スコアを見てるのなら分かると思いますが、ヒットの数は何本か分かりますか?」

「えーっと。0、ですね」

「それを完全試合と言いましてね。フォアボールもないですし、誰も一塁を踏めていないんですよ」

 

 確かにいくら相手が相手だとしても悔しいものである。でも、数本のまぐれで当たっていることだってあるし、相手も流石に変化球といったこともしてこない。もしかしたら一本が出るかもしれないと自分は考えていた。

 でも野球をよく知る先生はそう思っていないようだ。苦笑をし、困ったように手を組んで考えていた。

 

「どうしたものか……。スタミナもありそうですし、何より制球力があるのが厄介です」

 

 個人的には野球を細かく知っているわけではないので、先生が何を言っているのかさっぱりだ。制球力というのは、やはりあると厄介なのだろうか。

 とにかく厳しい相手である、ということだけが自分の中で分かること。

 どうにかしてチームのためにアドバイスをしてあげたいところなのだけれど、余計なひと言は更に場を混乱させてしまうだけだ。鼓舞も出来ないだろうし、黙っておくのが正しい選択であろう。

 

『ファイターズのみなさん。早く守備についてください』

 

 審判から催促されてしまい、またも策が練られぬまま試合は続きそうだ。園崎さんがマウンドで軽くため息をついているのを見ながら、ポジションであるセカンドにつこうと隣でグローブをはめている前原君に尋ねた。

 

「やっぱりバットに当てるのは難しいの?」

「実際に立てば分かるぜ。あれは160キロ出てる」

「そこまで飛躍した嘘つかなくても……」

「体感的な意味でだ。全く、容赦がないぜ。まさか甲子園級の投手を出してくるなんてな。全く球を飛ばせる気がしねぇ」

 

 飛ばせる気がしない……か。やはり球に当てるとなると力が必要だろうし、この回で前原君が倒れたのは何気に痛いことだったのかもしれない。

 

「うーん。だけど球が飛ばせないとなると……」

 

 部活でなら相手チームに……例えば投手へ揺らがせる言葉攻めをするとか。精神的に追い詰めれば何か変わる……とかなんとか言って。でも相手が相手だし、流石に自重しないといけないだろうなぁ。

 

「何だ孝介? 何か策があるとか言うのか?」

「え、あぁううん。流石にやってはいけないことだなぁって思ったからさ」

「……そうか」

 

 瞬間前原君が残念そうな顔をしていたような気がした。もしかしたら僕が考えていたことを言ってほしかったのかもしれない。

 言い直すということも考えてもいいが、どうせ言っても

 

「圭一さん。少し時間いいですか?」

 

 北条さんが僕らの会話に割り込む形で話を振ってきた。

 

「どうした?」

「とりあえず向こうまで歩きながらでも話せる内容ですから」

「了解。じゃあ孝介、俺たちは言ってくるから、華麗な守備を期待しろよ」

「さっき悪送球して1点献上した人が言うセリフなのかな?」

「それは言うなって!」

「あはは。当然応援してるよ、頑張ってね二人とも」

 

 そう言って送り出す。二人はそれぞれポジションへ向かいつつもグローブを使ってひそひそと話していた。一体何を北条さんは狙っているのだろうか。

 じっと見つめていると、それはやがてニヤニヤに変わっていた。何か良くない企みが考えられたのではないかと思わせる表情だ。部活を一緒にしているからこそ分かる表情。

 

「よっしゃー! それで行くから、しまっていくぞみんなー!」

 

 何がそれで行くのかみんなは分からないまま、とりあえず前原君の掛け声に合わせて手を上げる。とにかくこの回を凌がなければ意味がないのだ。ここでもう一点入れられることがあれば負け確定である。

 

「園崎さん、頼みましたよ」

 

 隣に座る先生がそう言って、状況を冷静に見続けている。信頼の証なのだろうか、言葉とは裏腹に表情は柔らかく、温かい。

 そんな園崎さんの投げる第一投。甲子園級と比べれば遅い球かもしれないのだが、気持ちが入った良いボールだと思えた。三振を取ることはない打たせて取るピッチングで今まで抑えてきたのは今回も出来そうである。

 

「ここまできっちり抑えてますから大丈夫だと思いますよ。でも園崎さんって運動神経いいんですね」

「えぇ。園崎さんは雛見沢ファイターズの大黒柱的存在ですから」

「やっぱり打撃でもいつも打てているんですか?」

 

 今日は流石に厳しいだろうけど、他の日では当てられているんだろうか。

 

「えぇ。園崎さんに北条さん、それに竜宮さん。みなさんしっかりと打ってくれます」

「竜宮さんは今日は久しぶりと言っていたんですけどね」

 

 彼女はやるより見る方が楽しいと言っている。今回は人数の都合上出てもらっているけど。

 

「孝介さんも次に試合があるなら出てはどうですか?」

「え? それはちょっと……」

 

 みんなのように綺麗にスイングできると思えないし、チームの勝敗が掛かっているというプレッシャーにも耐えられそうにない。

 守備だってエラーするのが当たり前だろう。

 

『よっしゃ、まずは1アウト!』

 

 前原君が自分の方向にふわりと浮いたボールをキャッチして叫んだ。みんなもそれを見て腕を天に突き上げて

 この回も無事に終わりそうだと安堵していると、

 

「悟史君も最初はそんな風に言ってました」

「え?」

「自分は出来ないだろうからといって遠慮していたのです」

 

 入江先生は僕が何も言わないことを確認してからそのまま続ける。

 

「でも彼はやってくれました。するとどうでしょうか、練習では三割を打てるコンパクトなバッターになれました」

「三割って……練習のときだけですか?」

「試合になると緊張で打ててなかったですね」

「それは駄目なんじゃ……」

 

 思わず突っ込んでしまったことに対して、入江先生は2アウトを取る園崎さんのガッツポーズを見ながら首を振った。

 

「そういう意味じゃありません。それでも、悟史君はやってくれた、ということです。嫌になる事なく、楽しそうにのびのびと」

「……」

「何事もチャレンジですよ? やってみないと分からないことばかりですから」

「そう……ですね」

 

 納得するべきなのだろう。やるべきなのだろう。そう思うのは本当の話だ。

 ……でも、以前それをやってしまって取り返しのつかないことがあったような気がする。遠くもない思い出にそんなことをしてしまって、そして後悔をした。もうあんな想いはしたくない、そんな気さえしてしまうのだ。何かと言われれば、あやふやで言葉に出来ないのだけれど……。

 園崎さんが最終回を迎えるための全力投球を見ながら、僕が言えたことは一言だけだった。

 

「考えておきます」

 

 その一言が今の言えること全てだった。

 



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■影差し編【Ⅳ-Ⅴ】

  審判のチェンジコールと共に、みんなが安堵と共に帰ってきた。ツーアウトまでは安定していたのに、最後のアウトを取るまでに打者を3人迎えるはめに。

 やはり疲れが出てきたのだろう。1、3塁からサードにライナー性の打球が出たときは思わずベンチから立ち上がってしまっていた。そのボールがもしサードのミットに収まらなかったら負けが確定してしまっていたことだろう。あの投手から2点以上は望めそうにないし。

 マウンドで肩で息を付かせる彼女。打たせて取るピッチングをしてくれた園崎さんも、最後に疲れを見せつつのマウンドで終えてくれた。ベンチに戻るとタオルを顔に置いて、ぐったりと脱力していた。そんな姿に僕が出来ることは労いの言葉を掛けることだけだった。

 

「お疲れ様」

「あはは……流石に少し疲れたよ」

「ずっと投げ続けているんだもん。良く投げ抜いたと思うぐらいだ」

「……篠原なら2回ぐらいでばてそうなのです」

 

 1回でばてないと言ってくれる古手さんに優しさを感じそうだ。

 

「次はレナの打席だね」

 

 その次は誰だっけと思っていたとき、審判から一時休憩のコールがかかる。どうやら誰かの指摘に応じて、グラウンド整備を行うことになったらしい。トンボを用意してグラウンドを整備しようと動き回る相手チームの子供兼スタッフを眺める事になった。

 公式的な大会でもないために、そのようなことまで考慮する必要があるのかも怪しいが、逆に言えばそういう緩さが公式じゃないのかもしれない。

 

「……圭ちゃん。これは何かの作戦なのかい?」

 

 タオルを外すことなく、この状況を耳で悟った園崎さんは前原君にそう尋ねていた。

 

「いやぁ俺には何のことかさっぱりだぜ? 勘繰りすぎじゃないのか?」

「圭一くん。さっき審判の人に話し掛けてたもんねー」

 

 審判に話しかけたことについては本当のことなのだろう。そのことについて隠そうとせず、表情でその判別をさせてくれた。

 時間稼ぎ……ということなのだろうか。それにしては穏便なやり方である。

 

「孝介、少し来てもらっていいか?」

「うん? 何か作戦でもあるの?」

「お前にはとっておきのことをしてもらいたいからな、付いてきてもらわないと」

「とっておきって?」

 

 自分は試合に出るわけでもないのに、何かすることでもあるのだろうか。

 

「いいから。……必要なことなんだ」

「必要ねぇ……」

 

 説得か何かかもしれないけど、それを言わないあたり、穏便なやり方で済むのかが怪しい。別に止めるつもりとかは無いのだけれど、大きくなって収集がつかないなんて事態が起こらないことを祈るばかりだ。

 

「大丈夫だって。相手チームを壊滅させるとかはないから」

「そこまでのことは考えてないよ」

 

 みんなも興味深々といった感じで内容についてヒントを得ようとする。前原君に色々と詰め寄っては何をするかという直球的な質問ばかりしていた。それに対して、前原君は答えを見せてくれない。

「それはお楽しみ」なんて曖昧な答えで全てをかわしていた。

 北条さんと2人で話していたこともあるのだから、トラップとかそういう話になるだろうか……。なんてあらぬ噂さえ立ち上がる中、水筒の水を飲みほした前原君は自分の肩を叩いて活動の開始を伝えてくれた。

 

「早くしないとあいつが戻ってきちまう」

「あいつ?」

「それは付いて来てからのお楽しみだぜ」

 

 前原君が意気揚々と先導して導いてくれる。グラウンドの一旦外に出たかと思うと、そのまま近くに置かれていた豆腐のような形のトイレへと向かう。いや、正確に言えばトイレが近くに見える隣の木や茂みの後ろに隠れるように待機することになっていた。しかしグラウンド近くというのは何故こうも清潔さがないだろうか。中に続く前の道は地面の土で汚れていて、壁は白いゆえに風化した姿をありのままに見せていた。でも今はそんな場所の解説についてはどうでもいいことだろう。

 トイレで何か仕掛けるのだろうか。そんな自分の予想に反して、前原君が立ち止まって姿勢を低くする。

 

「……何してるの?」

「しッ! 黙って見てれば分かるぜ」

 

 詳細な作戦も伝えられていないのに、分かると言われても何も納得が出来ない。怪訝な表情をするしかなかった自分を見てくれないことに、更に口を曲げようとしていたところで前原君は口角を上げていた。

 

「よし、来たぞ」

「……え? あれって……相手チームの……」

「そういうことだ」

 

 今日一番の注目を浴びている投手の姿であった。時間が出来たので、用を足しに来たのだろうか。試合中に見せた余裕顔をそのままに、口笛までつけているのだからある意味舌を巻きたくなる。園崎さんを見ればそうなのだが、炎天下であっても涼しげな表情でいられるところを見ると、体力も相当あるように思えるからだ。

 でだ。こうやって隠れるようにして、相手チームの様子を眺めることに何か意味があるのだろうか。そう思っていると、前原君がその投手を指差して説明してくれた。

 

「あいつは亀田っていうらしいぜ」

「ふーん……よく知ってるね」

「魅音からの情報だからな」

「それで、何をするの?」

 

 僕の問いかけに答えてくれない。そのまま亀田さんはグラウンドに戻ろうとしているのを見て数秒。タイミングでも見計らっていたのか。

 そこで前原君はもう一度歩き出したかと思うと、亀田さんのところまで歩いていった。背中越しに伝える事になった前原君は相手に物怖じすることなく呼びかけた。

 

「おい、確か亀田って言うよな」

「うん? お前は、相手チームで叫んでた……」

 

 両者対面。相手側も喚いていた人だという認識で覚えてくれていたようだ。すぐに警戒心を露わにし、こんな場所でどうしてといった顔をしている。それに正面からではなく後ろから。

 前原君はその表情を笑い飛ばしながら、何もしないと証明するかのように両手をひらひらとさせていた。

 

「ちょっとな。お前と交渉がしたいんだよ」

「は? 交渉……?」

「そうだ」

「なんだ? サインなら後でまとめてやってやるさ。そんな交渉なら別に――――」

「まぁ簡単に言うと、俺たちに勝たせろという話をしに来たんだ」

「は?」

 

 自分もそうだが、亀田さんは口を開けて『お前は馬鹿か?』と言いたげな怪訝さで前原君のことを見ていた。

 

「お前……何言ってるんだ?」

「だから試合に勝たせてほしいんだよ」

 

 まさか直球で伝えてくるとは思わなかった。いつもの部活スタイルならもっと計画的なもの。伏線を張っていきなりズドン! みたいなやり方が前原君たちのやり方だと思っていたからだ。

 遠回しに伝えず、いきなり強気な姿勢に相手もどう対応していいかを迷っていた。

 その間も腕組みで堂々としている前原君、それどころか歯を見せて挑発しているのだから、勝つための確固たる証拠を握っているのだろう。

 グラウンド整備の指示が耳の中で飛び交うなか、亀田さんが軽く鼻で笑うのが見て取れた。

 

「ふざけるな。俺が何でそんなことしないといけないんだ」

 

 当然の対応だ。何もメリットも提示されていないのに相手が応じるわけがないだろう。

 それに対して前原君は大げさに肩を動かしていた。

 

「駄目か?」

「悪いな。冗談は試合の喚き声だけで頼む」

「お前のことは聞いてるぜ。プロデビューを約束された投手だってな」

 

 まさかの高校生相手にお前呼ばわりする前原君です。

 

「それがどうした?」

「そう警戒するなよ。……そういえばお前って以前に取材を受けていたそうじゃないか」

「そうさ。暇なお前たちと違って忙しいんだからな」

「その時にお前はこう言ったよな? 好きな食べ物は肉といった油っこい物だと甘い物は口にしないと」

 

 そこで亀田さんの表情から余裕が消えてしまった。今のところ特段おかしな箇所はなかったはずなのに、まるで心中を知られたかのような表情だ。

 それでも亀田さんは強気な想いは抜け落ちていない。警戒心を残したままの彼は口を一度強く閉めてから、大きく開く。

 

「そ……それがどうした?」

 

 焦る亀田を諌めるように手で制止をかける前原君。それだけで分かる。何かを握って、それを交渉材料にしようとしていることに。

 

「孝介!」

「え、何?」

 

 唐突の招集。木の後ろで気配を消していたというのに、何を今から求めるのだろうか。

 木陰の涼しさを抜けて日光の暑さに目を細める。急いで駆けよれば、肩に手を置いて前原君は歯を出して笑ってきた。

 

「孝介、お前の好きな物はなんだ?」

「え? 何でそんな話に……」

「いいからさ。何だ?」

「まぁ……大学芋が好きかなー」

 

 甘くて、最初は固くも中はフサッとしたあの感触。そして口の中に広がる甘味がおいしいのだ。

 ありきたりな答えしかもっていなかった僕に、前原君は大きく、何度も頷いていた。明らかに過剰表現である。

 

「そうか! 甘いのが好きなのか!」

「うん? 別に甘いのが特別好きかは……」

 

 何で甘いことを強調してきたのか分からずに、前原君にそう言いかえしてしまう。

 亀田さんは相変わらず表情を強張らせているだけである。何も言えないところに彼の想いを感じ取れるような気がする。

 

「パフェとかはどうなんだ?」

「え?」

「パァーフェ」

 

 ……あ、そういうこと。

 

「そりゃあ好きだよ。もう食べちゃいたいくらい」

「馬鹿かお前はー食べ物なんだから当たり前だろぉ!」

「あーそうでした。ごめんごめん」

 

 じゃれ合う僕らを亀田さんは腕組みをして見ている。胸中にあるものを必死に抑え込もうと腕に力を入れているけど、表情だけは変えない様にと努力をしていた。

 

「あのソフトに盛り付けられたクリームがおいしいんだよねぇ」

「そうだぜ。まるで美少女のような可憐さに、トッピングという衣服を装飾して魅せるのがパフェの特徴だもんなー」

「ええっと……さ、最後にイチゴをちょこっと乗せる辺りに儚さ……なのかな、それを感じるもん」

「儚さよりは耽美にさせるものとして完璧なんだよなぁー」

「お、おぅふ?」

「まずあのパフェに使われるグラスに様式美を感じるんだよなぁ」

「……」

 

 段々前原君の会話に付いていけなくなってきたぞー。当の本人はもう自分の世界に陶酔しきっているんだけど。

 

「正直パフェって人生なんだよな。盛り付けられていくところがまるで人生の軌跡になっているようにとさえ思えるんだ。……まずはホイップクリーム、あれは生まれた瞬間の綺麗な姿に思える。柔らかい触感はまだ無垢な気持ちを忘れていないものの暗喩になってるんだ。そして経験というフルーツが盛り付けられていく。そこにまるでため込むように、色付けされていく姿はそのパフェを大人への美しさへと変えていくんだ。そして自分の軌跡を証明するかのように、一つのソースが垂れる。そこには色んな経験を総称した人生のタイトルでもあるんだ。そして他にもゼリーといった他人の関係性を含めているような気がしているんだ」

「ほほー」

 

 何故パフェだけでそんな言葉がポンポン生まれるのだろうか。人生と結び付けられる辺りにセンスを感じてしまいそうになる。もうなにか宗教でも立ち上げればそれなりの信者が集まってくれるのではないだろうか。それぐらいに彼の言葉には迷いがなく、流暢な言葉使いであった。

 とりあえず聞き入るしかない自分と違って、亀田さんは何かを共感したように何度も小さく頷いていた。自分では隠そうとしているような小さな微動なのだが、こちらから見れば大きなものでしかない。

 

「そんなパフェのことを……亀田は嫌いなのか?」

「え……あ、あぁ。俺は油っこいのを、肉を食うのが好きだからな」

「嘘はよくないぜぇ、亀田さんよぉ」

「なに……?」

 

 亀田さんは緊張からか唾を飲みこんで次の前原君の言葉を待つことになる。

 前原君は亀田さんを指し、とどめとばかりに宣言する。

 

「お前の情報は知ってるんだ! お前はファミレスで焼肉なんか食べずにパフェを頬張っていることをな!」

「あッ!?」

「亀田さんよ……しかも御用達のお店まで構えてるらしいじゃないか。その名前を教えてやろうか……」

「ま、まさか……!」

「エンジェルモート、だろ?」

「うわーーー!!」「あれ? 聞いたことあるぞー?」

 

 エンジェルモートってパフェをメインに出すところなのかな。いや、今はとりあえず置いておこう。

 畳み掛ける前原君の言葉に亀田さんは顔を歪めていた。がっくりと膝を地面に落とし、手を天に仰いで悶絶していたのだ。まるで心理戦で相手の手のひらで踊らされたことを知ってしまったようだ。

 術中にはまるとはまさにこのこと何だろうなと思っていると、前原君はまだ攻勢に出ていく。

 

「そこで愛でるようにパフェを眺めているお前の姿を……見た事があるんだぜ」

「やめろぉ!! 俺のいめーずぃがぁ!」

「野球少年のようなあつーい奴がそんな可愛らしい趣味を持っているのは異端と思われるわなぁ?」

 

 なるほど、炎天下で投げるような野球少年がグラスを撫でて、イチゴを幼女を優しく見守るかのように観察しては頬張る。なんてイメージはないかもしれない。

 

「ぐッ……みんなに隠し通せていたことなのに……」

「大丈夫だ。まだ誰にも伝えていない」

「ほ、本当か……!」

 

 縋り付く亀田さん。必死になる彼はもう道がないとばかりに前原君に頼ろうとする。必死に、求めるかのように。前原君の服を強く握って、逃げないで欲しいとさえ見えてしまう。

 何でだろう……その姿はとても辛いものだった。

 

「言っただろ? 俺は交渉したいんだ」

「だ、だが。それって……」

 

 試合に負けろ。口には出さずとも内容についてはそう言われていた。確かに亀田さんはこの回に二点を失えば僕らの勝ちではある。しかし、亀田さんは即答できない。出来ずに頭の中で自分の迷いを顔にさらけ出し続ける。それは己のプライドがあるからこその葛藤なのだろう。

 それも計算に入っている前原君はばっさりと言いのけた。

 

「名誉とプライド。お前ならどっちを捨てるんだ?」

「あぁ……」

「ったく。ここまで決めかねると、俺は両方を捨てさせることをしないといけないかもなぁ」

「な……!」

「考えても見ろ。今日はプロのやつを観に来た野次馬も多い。そんなところで俺が大々的に声を出せばその後はどうなるか……予想がつくだろ?」

「あぁ……確かにこのメンタルだと投球どころじゃないだろうね……」

 

 ストライクを入れるどころじゃないだろう。頭から試合のことなんてどうでも良くなってしまうことは今の状況を見ればよく分かることだ。

 だからこその交渉。説得と言わないのは、これは彼に選択肢がないぞということを言うための発言なのか。

 確かに、そう思えばそうかもしれない。

 

「ぐぅ……なら一択しかないと言うのかよぉ! うわーーん!」

「だから交渉してあげてるんだぜ? 両方か、片方だけか?」

「くそぅ……くそぅ……!」

「……ねぇ、前原君」

 

 でも、何かが嫌だと思った。

 




遅れてすみません><
ちょっと交渉パートが長くなったので、次に続くことにしました。


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■影差し編【Ⅳ-Ⅵ】

 目の前で嘆く亀田さんを見てそう思う。相手に同情したというのもあるかもしれないが、それ以上に前原君に反対気味だったのがあったのだ。正直このやり方は前原君の得意分野かもしれない。でもこれは説得ではなく脅しにしか見えないのだ。弱気者に選択権なんてない。そんな結論を良い気に思いながら見る奴はただ愚か者にしか出来ない。そして自分は……愚か者なんてなりたくない。

 

「前原君。別にそこまで言わなくてもいいんじゃないかな?」

「……」

「亀田さんを苦しませるだけならもういいよ。十分やったと思うし、これ以上しなくてもいいと思う」

「最後まで徹底的にしないといけないことは部活で感じたはずだぜ?」

「別にここは部活じゃないから」

「もしかしたら負けるかもしれないぜ? お前は試合で負けてもいいと言うのか?」

「負けたいとかは思わないよ。ただ……これは卑怯を通り越した何かにしか見えくて……。相手が苦しんでいる姿を見るために僕はここにいたんじゃないよ」

「都合が良すぎる話だぜ。まずは相手の戦力を削るのが常套手段じゃないか」

「もっと穏便なやり方もあると思うんだよ、勝手な希望かもしれないけどさ……」

「ふーん。ならお前がやってみてくれ」

「え!?」

 

 試すかのように前原君が自分に説得してみろと言ってきたのだ。実際にやってみろと言われてもどのようにすればいいのか……。そんなのが分かっていれば、こんな言い回しもしなかったし、もっと自分で発言している。

 それをしないと言う事はそういうこと。自分に自信がないということなのだ。前原君はそれを理解してくれなかったというのだろうか。

 

「出来ないのか? それとも何か理由があるのか?」

「えっと……」

 

 言い淀んでいるのには当然理由がある。でも、それを言った所で前原君に反論されるのが目に見えている。口で前原君に勝てる気がしないのだ。

 どうしようかを迷っていると、前原君は微笑んで、部活のルールを語ってくれた。

 

「……会則2条。1位を取るためにはあらゆる努力をすることが義務付けられている、だぜ」

「え?」

「何の努力もなしに言い包ませようなんて甘い考えはないよな、孝介?」

 

 努力もなし……それはつまりただ文句だけ言っても意味がないということを言っているのだろう。しかし僕が言っても良い方向になるか、そこに不安を感じているのだ。

 亀田さんはこちらを求めるように見てくる。自分のことを味方と思い、前原君よりも恐ろしいことはないと踏んでいるのだろう。実際そうだから強気な姿勢は出来そうにない。

 

「亀田さん……」

「た、頼む! 秘密にしといてくれ!」

 

 懇願するような目で見ている。確かに僕には公開するようなことをしないし、それで脅そうとも思わない。それは彼が望む通りにすればいいと思うからだ。

 ……でもだからこそ、自分は言わずにはいられない。

 

「その……辛くないんですか?」

「何?」

「そうやって自分のたった1つのことを隠して、やりたいことを制限されて、辛くないんですか?」

「……それは」

「別に好きな食べ物のことじゃないですか。それが一般人とは違っていたとしても」

「お前とは立場が違うんだよ」

 

 立場。そう言われて頷きそうになる。確かに自分はそう言われれば何も言い返せないような気がするのだ。簡単に跳ね返されそうで、助けてほしい。

 そう思って前原君を見ると、僕をじっと見つめて確かめていた。もっと自分の深層にある部分を見せてみろ。そう目で強く訴えかけているように見えるのだ。とても手助けしてくれる様子ではない。

 どうなっても知らないからね。そう心の中でぼやきつつ亀田さんに言わせてもらった。

 

「だからこそです。僕と違ってあなたはもっと自信を持っていいと思うんです」

「何?」

「僕にはあなたと違って野球が出来るわけでもないし、力も有名さもない。それはあなたが考えているように自由なのかもしれません。しかし、だからこそ僕にはそれを肯定する力もない。あなたと違ってそれを常識とする力がないんですよ。でもあなたにはそれがある。認めさせる力が手にあるじゃないですか」

「……」

「どう……ですかね?」

「そうだぜ。孝介、良く言ったな」

 

 前原君ウンと頷いてきて、こっちに歯を見せて笑いかけてくれる。そしてその目を見て確信する。彼は僕に言わせようとしたのだ。僕自身の想いをしっかり伝えられるか。それを前原君は確かめようとしたのだ。

 前原君はしっかりと伝わったのかもしれない。ここは俺に任せろ、そう言っているような目が証拠なのだろう。同じように頷き返して前原君のために一歩脇に避ける。

 会話のバトンを受け取った前原君は亀田さんの前に立つ。

 

「お前は自信を持っていいんだ」

「だ……だが、俺は……人気を失う事が……」

「馬鹿野郎!!」

 

 いきなり前原君は亀田さんを殴った。もう一度言う。右のストレートで容赦ないパンチを繰り出したのだ。

 

「えぇ!?」

 

 咄嗟の出来事に目を丸くすることしか出来ない。

 悲鳴も上げることが出来ない亀田さんは顔面から思いっきり地面にぶつかっていた。思いっきりぶつけてとても痛そうだ。

 でもお構いなしとばかりに前原君は喚く。

 

「お前はいつからそんな小物になっちまったんだ!?」

「ぐッ……」

「お前は漢だろ!? たった1つのレールさえ壊せない奴がこれからの人生を切り開ける訳がねぇだろうが!?」

「い、イメージは大切なんだ……!」

「まだ殴り足りないようだなぁ!」

「何だよ! お前に俺の気持ちが分かるかよ!? 俺にはみんなからのイメージに怯え続けないといけないんだよ!」

「ならそのイメージをお前色に変えてやればいいんだろ!」

「……え」

 

 亀田さんへの強い想いを前原君はその手から、肩を掴むことで伝えようとする。何度も力強くゆすり、自分の言葉を、一言一言亀田さんの救済の言葉であるかのように断言し、救済への言葉にしていた。

 それに感化されたのか、亀田さんも自分の過ちに気づいたかのような目になっている。これが前原君の力なのかもしれない。

 

「お前が開拓者になるんだ! 野球という暑苦しいスポーツの成功の裏には、輝かしいパフェの希望の糧があったからだと!! そうすることで世界中の野球少年の可能性を広げられる。お前は未来ある子供たちに新たな選択肢として残してやることが、出来るんだ!」

「俺が……」

「そうだ! 誰にだってレールのはみだし者は否定される! 常識の外とされ、阻害され、自分の想いを封じ込められそうになる! しかし乗り越えてきたものはそれを発明家や改革者となり、己の道が正しきものへと変えられるのだ! そう、お前もそれは変わらない。お前自身が変わり、人の認知を変えてやるんだ。それは確かに難しいことだろう、しかし! 最初を超えればそこにあるのは何だ!?」

「な、何だよ……」

 

 倒れている亀田さんが上半身を捻って前原君を仰ぎ見る。肩を置いて、前原君は愛しみの持った目で断言した。

 

「パフェさ……パフェなんだぜ」

「ッ!?」

「お前はそいつと一緒にいたいはずだ。一晩中喋りつくして、一日中見つめ合って……おやつの時間に食したいはずだ。甘く、優しいそいつをお前は愛でたいはずだ。なら答えは1つだろ?」

「俺が……新たな未来を……切り開けというのか?」

「出来る。きっとそいつの自由を……縛られている鎖を壊すことが出来る。だって」

「お前は…………パフェを愛してるから」

「俺が……」

「世界は残酷さ。例えパフェが無くたって世界は無情にも回り続けるんだからな。だが、お前は違う。お前にとってパフェが無いのは世界の停止、世界の色はモノクロに変わるんだ。だから世界を動し、そして色を作れ! パフェを……お前自身を救うんだ! お前の、その愛で! その気持ちと共に!!」

「俺は……俺は、パフェを愛してる!!」

「その意気だ!」

「くそぉ、こんな事さえ気づかなかったなんて……すいません! 俺が、俺が間違っていましたぁあああ!」

「あぁ、ああ! いいんだよ。誰にでもミスはあるもんさ」

「……」

 

 えーっと何この会話。今他の人が見れば訳が分からないだろう。何せ自分でさえそうなる経緯が全く理解出来ないから。とりあえずパフェで新たな開拓をしていくということだけは分かった。別に共感は出来なかったけど。

 あまりの出来事に開いた口を閉じていないことを気づくぐらい呆気にとられていた。

 前原君はポケットから3枚の紙切れを取り出した。緑色と白いラインが入っていて、細かな文字が書かれているようだが、何かのチケットなんだろうか。

 

「ここにエンジェルモートのチケットが3枚そろっている」

「それは……! まさか、一般人が手にすることは出来ないという期間限定のプレミアムイベントの招待券!? それを3枚も……!」

「これを俺とお前と、後ろの奴と一緒に行こうと思う。因みに今日だ」

「ん? そんな話を全く聞いていないのですが」

「お、俺なんかが一緒に行っていいのですか……!?」

 

 そして無視ですか。……ねぇ寂しいんですけど。

 

「但し条件がある。俺たちだって断腸の想いでこのチケットを渡すんだ。それなりの対価が欲しい」

「そ、それは……」

 

 亀田さんは理解したのだろう。それが先ほど言っていた勝負事に関係していることを。

 先ほどの余裕顔はどこへやら、葛藤を見せる彼の表情はもはや苦痛を見せていた。

 

「そうか、お前の愛はその程度か……。俺たちにそのパフェへの情熱、そして開拓への第一歩を見せてくれるものかと感じていたのだが……」

「違います! だって、それをすればチームメイトを裏切ることに……」

「試合はまたあるだろ? だがこのチケットは期間限定、しかも今日しかない。分かっているだろう? お前ならこのチケットがいかに入手困難の代物であるかを」

「ぐぅ……!」

「正しい世界を見つけるんだよ。パフェ世界は……お前を待っているんだぞ?」

「…………分かりました」

「交渉成立だな」

 

 段取りは後に来る奴に頼む。そう言って前原君はこの場を後にしようとグラウンドへと足を向けた。慌てて後を付いていこうと背中を追うと、

 

「待ってください!!」

 

 そこで亀田さんの必死の呼び止めがかかる。

 

「お2人をどう呼べばいいか教えてください! 俺に新世界への切り口を示してくれたあなた方は俺の救世主なんです! せめて呼び名だけでも!!」

「俺か、俺は…………Kだ」

「K……そしてあなたは!?」

「えぇ!?」

 

 まさかあだ名とは……ってか前原君も言ってやれ、みたいなドヤ顔で僕を見てきている。

 ど、どうすればいいんだろう。てか何で前原君はKって呼ばせようとしたんだろう。

 

「早く!」

「えっと……その……僕もKで」

 

 孝介のKです、はい。それぐらいしか思いつかなかったので。

 

「2人の……K」

 

 適当な呼び名のはずなのに、心に刻み込むように何度も復唱する亀田さん。何もしていないはずなのに、凄い羨望のまなざしを向けられてどう反応すればいいのだろうか。

 そんな迷いを見せていると、前原君が僕の肩を抱いて宣言した。

 

「そう、俺たちは2人で1つのK……DualKさ」

「D……K……!」

「じゃあな。また後で会おうぜ、エース……いや――――先駆投手(パイオンピッチャー)

「DぃKぇえええ!!!」

 

 叫び続ける亀田さんの姿をとりあえず優しい目で見てあげることで終わらせた。

 



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■影差し編【Ⅳ-Ⅶ】

4月28日~29日の出来事

10時~ o(○`・д・´○)ノバイトェ……
20時~ |*・д・)ノ  ただいま~♪
21時~ φ(・_・”)
00時~ _(:3」∠)_ スヤァ……
03時~ ( p_・)~゚
05時~ ( ゚Д゚)アライヤダ



「――――こうして3人のKは出会った。運命の巡りあわせなのか、それとも既に神様から決められていたのか。それは神のみぞ知る世界なのだが、ここでは感謝すべき出来事であるのは間違いない。……あの後の俺は憑き物が落ちたようだった。今までの辛さが嘘のように消え、球筋にも迷いがなくなっていたことが分かるんだ。投げた瞬間分かったんだ。俺は変わった、と」

「そうだぜ。お前は変わることが出来たんだ」

「それを試したくて何度も投げたかった俺はフォアボールを選択した。どうせ相手は自分の球に一振りでもさせることは出来ない。だから安心し、自分の力を試しつつ満塁にした。そして気づく。やはり手に握るボールに力が入っていたのを。これならプロに行ける、そしてまだ足りないことがあると」

「あぁ。そしてお前は気づいたんだ」

「それは、全力だ。俺は小中相手に手加減をしていた。相手チームを格下だと舐めて己の限界さえも超えることを忘れていた。日々進化、その過程をしなくなっていた俺はようやく気付いた。それもこれもDKのおかげだ。ありがとう」

「ヘッ、俺たちは既に仲間だろ?」

「Kぇ……」

「……。ねぇ、いい加減パフェ食べない?」

 

 目の前に置かれたパフェをスプーンで撫でている亀田さんにそう尋ねた。うっとりとさせていた彼はそれを言われて口を尖らせている。先ほどまで見せていた威勢と自信はどこへやら、このエンジェルモートにたどり着いてからそれらは失われつつある。

 隣に座る前原君もテーブルに案内されてから女の子のメイド服に注目して、その人の魅力についての考察をしてくれたし。本当になんだろう、肩身の狭いというか、何と言うか……。

 

「Kさん! そんな冷たい言葉を掛けるなんてひどいっす!」

「じゃあ話を続けたいの?」

 

 当たり前じゃないですか、そう言いたげなウルッとさせた瞳にとりあえず先を進めるようにどうぞと手を差し出す。

 

「そして最後は全力を使った。そう、見せる一級は至高の球であれ。だからこそ、俺は甲子園優勝を目指す球を投げて」

「……で、キャッチャーが捕れなくてサヨナラ暴投負けになったんだよねぇ」

 

 彼が話しているのは自分の活躍のように思われるが、ただの試合の内容である。

 結果として言えば彼が暴投を起こして終わったという何とも歯がゆいものであった。彼が放ったボールはバットも当たらず、キャッチャーをのけ反らせる球であった。

 転々とするボールを眺めている相手チームメイトに、感動を噛み締めるかのように天を仰ぐ亀田さん。そして”何故か”塁にいた自分のチームメイト全員が走っていたことが大きな原因だった。ホームベースを2人目が踏んだ時に、審判がサヨナラ勝利を告げて終わった。

 これがあのDK事件からの事のてん末である。スカウトも見ていたということもあって、やる気のない、舐めたプレイが出来ない。だからと言って勝ってしまうと前原君との約束を果たすことが出来ない。そんな彼に出来た行動は、自分の後輩キャッチャーを使ったものであった。捕れない剛速球を投げれば、それは相手キャッチャーも責任を問われてしまうこととなる。つまり彼1人の責任になりにくく、仲間のチームメイトも最後くらい全力を使いたかったと言われたら、簡単に騙すことが出来る。

 更にギャラリーの目からは「あれだけの余力を残せたのか」と思わせることが出来る。

 自分の地位を落とすことだってしない。そして何より……パフェが待っている。

 彼は迷わなかったようだ。因みにアイデアを出したのは他でもない北条さんでーす。

 こういう内容……ばれないように上手くやるスタイルが何とも彼女らしい。

 

「どうですか、K! これが俺の考えた伝記っす!」

 

 Kと呼ばれた前原君はうんうんと頷いている。何か納得ように見えるのだが、それがどうしても師弟関係のそれにしか見えないのだ。年齢的に師弟は逆でありそうなのに。

 そして自分はKさんと呼ばれている。「同じKならあなたは先生のような存在っす!」なんて言われて許容しましたよ、はい。で、前原君のことは師匠のような存在らしい。

 師匠は亀田さんの言葉を飲み込んだように頷いて、そしてはっきりと告げた。

 

「甘いな」

「な!? あれだけの言葉を用いても、まだ俺たちの凄さを伝えられていないのですか!?」

 

 意外でしかないようで、机に手を付けてこちらに顔を寄せる亀田さん。前原君はその頬を平手打つ。

 

「Kぇ……」

「馬鹿か貴様は! 何で俺たちが凄いなんて言うんだよ!」

「だって、俺は1人でも多く、DKの素晴らしさを伝えたくて……!!」

 

 そこが違うんだぜ。前原君はそう言って亀田さんのどこが間違っているかを指摘する。

 

「俺たちは認めてもらうんじゃない。認めてもらってこその俺たちだ」

「……ッ!!」

「分かるか! 人は己を評価は出来ないんだ。出来るのはいつも他人だ、世界だ! だからこそ認めてもらうために努力をする。自分の欲求のためではないんだ!」

「俺は……! いつの間にか自分の保身のために動いていたのかぁ……!」

 

 悔やんで何度も机に叩きつける。がたがたと揺れてパフェが危ないと感じたのだけれど、それは前原君が腕を抑えることで何とかなった。

 前原君は亀田さんの目をジッと見つめて言う。

 

「気付いたならそれでいい。肝心なのは、今なんだぜ……?」

「Kぇ……」

 

 もう何度目だろう、このKという言葉。

 

「お前はこれから変わればいいんだ。とりあえず、今からゆっくりパフェを味わおうぜ。伝記については追ってみっちりしごいてやる!」

「はい!」

 

 ……という訳でようやくここに来た意味のあることを考えてくれた。とりあえず注文したパフェは既に手渡されているし、早く食べないと上に乗っかっているアイスやらが溶けてしまう。

 亀田さんのようにスプーンを撫でることはしないので、普通に食べながら店内を見渡していった。初めて来た場所ということもあって、中々お目にかかれない場所であることは間違いなかったから。

 一見すれば洋風を模したレストランや喫茶店のような雰囲気を醸し出しているこのエンジェルモート。店員がメイドであることから多少の違和感があるかもしれないが、立地された場所も街中にあるような場所なので、合法的な場所であることは確かである。

 しかし、お客さんの方が合法的かどうか怪しかったりする。今見ただけでも盗撮が2回行われていたし、メニューを何度も頼んでは店員にデートの約束をしたりと、モラルに反した行為があった。

 店側も困っている事だろう。今日は確かプレミアムイベントであるはずなのに客層がそういう下心が見える人なんだから。

 と、そこで気になった点があった。

 

「そういえばさ、前原君はどうしてそのチケットを3つ持ってたの?」

 

 隣でイチゴをコロコロとスプーンの上で弄んでいた前原君は、さも当たり前かのように答えた。

 

「そりゃあ魅音の力だぜ。ここはあいつの親族が経営している店の1つだからな」

「マジですか」

「嘘付く必要ねぇだろ? じゃないと取れないからな」

「K……! まさか、この店の店主と知り合いなんすか!?」

「ん? まぁ友達の知り合いってことならそうだぜ?」

 

 その瞬間、またもや亀田さんの目つきが変わる。助けを乞うような瞳で彼は見つめていた。

 

「その……非常に言いづらいんですが、お願いがありまして……」

「何だよ? 堅苦しくしなくても俺たちは仲間だ。何でも言ってこいよ」

 

 そう言われてホッとしたのか、亀田さんは安堵の表情で相談する。

 

「その……実は俺、エンジェルモートでのブラックリストポイントが溜まってまして……」

「何それ? そのブラックリストポイントって?」

 

 名前を聞く限り良い意味ではないことぐらいは判断出来るのだけど。

 そんな単純そうな質問に対して、答えたのは亀田さんではなく、Kでも無かった。

 

「当店に来ていただく際には、盗撮、痴漢、わいせつな行為などが禁止されています。でも中々ちゃんと守って下さる人がいないんですよねぇ。だから当店で悪い事を行った際にはポイントを加算しているんですよ」

 

 その人は僕が質問してくれた内容に過不足ない答えをしてくれた。

 

「魅音……!?」

 

 前原君の言うとおり、目の前に見えるその人は緑の髪を束ね動きやすくし、そして何よりメイド服を着ている園崎さんであった。

 そして彼女は前原君をジッと見つめて数秒、考えるような間が存在していた。

 

「……。ハロー圭ちゃん、まさか私の叔父が経営している場所でアルバイトしているなんて思わなかったでしょ?」

「いや、何でお前がここにいるんだろうなぁっとばかりに」

「用はそちらの方なので、ね? 亀田さーん」

「うぐッ」

「当店から追い出されるのはもう少し加算されないといけないですけど、消すことは根本的に不可能なのでご注意をー」

「そ、そこを何とか!?」

 

 一体何をしたのか。彼のことだからパフェに関係することなのだろうけど、プライバシーの関係からか、具体的な話までにはならなかった。

 

「あっはっは! 亀田さんにはもう少し常識を身に着けていただかないとねぇ」

「そんなぁ!」

「……」

 

 ここで確信に変わった。彼女はやはり園崎さんであっても、魅音さんではない。

 

「詩音さん、演技するのはもういいんじゃないですか?」

「え?」「あれま」

 

 2人がそれぞれ意外そうな発言をしつつも違った表情をしていた。1人は何言っているのかこいつはという驚いた表情。そしてもう1人は困ったように少しだけ笑った表情であった。

 

「ありゃりゃ…………どこかでお姉と間違えたところがありましたか?」

 

 詩音さんは途端に口調や声色を変える。いきなりお嬢様のような品のある言葉遣いに前原君は目を点にしていたのを気にせず、僕が会話を繋げることにする。

 

「亀田さんに諦めてもらう時、常識なんて言葉を使うのは魅音さんらしくないと思いました」

 

 それに彼女は「えぇ? どうしようかなぁ?」なんて言って変にごねたり、代わりに条件を要求するのが魅音さんである。きっぱりと諦めろ、そんな少し冷たい感じは出会った当初の詩音さんの雰囲気であった。

 それを伝えると、何度も頷いて納得してくれたように見える。

 

「まぁ、孝介さんがいるからあまり騙す理由もないかなぁ。なんて思ってはいました」

「じゃあ何で咄嗟に嘘付いたの?」

「そりゃあもちろん。村で色々と有名な圭一さんの驚く姿を拝見したかったので」

「村で、かぁ……」

 

 単純明快な理由で、彼女は咄嗟に芝居をしたということらしい。そういう意味では前原君はしてやられたであろう。今も僕と園崎さんを何度も見ている。

 

「マジかよ……魅音に姉がいたなんてな……」

「いや、妹だけど?」

「妹だとぉ!?」

 

 まるで何故こんなにも妹の方が出来ているのか、そんなことを言いたげな驚き様である。

 

「園崎詩音です。いつも姉がお世話になっています」

「出来た妹だ……女の子成分は全部こっちに移っていたとでも言うのか!?」

「それ魅音さんに滅茶苦茶失礼じゃない?」

 

 確かに丁寧な口調や対応は女の子の考える清楚さや気品を感じさせはするけど……。別に魅音さんにそれが欠如しているとは思わない。

 いきなり手をパンと叩いた園崎さんは話の矛先を亀田さんの方へと移す。

 

「一応ですが……亀田さんに聞きます。あなたこのブラックリストの話をどこで聞きましたか?」

「え?」

「これは店内での秘密にされた制度なのですが?」

 

 言われて目線を逸らしている。何かの日記とばかりに目にしたのがそのポイント帳でした。なんて話なのかもしれない。

 亀田さんは疑いを掛けられる前に真実を話す。

 

「仲間に聞いたんだ。そういう噂というか、話があるんだって。……Kも知っていたでしょ!?」

「いや、さっぱりだ」

 

 ここでまさかのさっぱり知らない宣言。これで逆に秘密裏に情報を仕入れていることが増してしまった。

 

「この件も踏まえ、楽しみにしてくださいね」

「ぐぅ!」

「別に何もしなければ大丈夫です。ただ”普通”にしてくださいね」

「……ねぇ詩音さん。そのブラックリストポイント、溜まると実際にどんなことが起こるの?」

「うーん。ここだけだから言いますが、その後のエンジェルモートへの入店を一切禁止します」

「あはは……そりゃあ亀田さんにはきつい話だね……」

 

 こんなに楽しそうにしている人が入店さえ禁止。そんなことなれば亀田さんにとって悶絶ものなのだろう。

 亀田さんの方をちらりと見つつ、とりあえず相談をしてみた。

 

「詩音さん。無理を承知でお願いしたいんだけど、亀田さんのポイント、少しだけ減らすことは出来ないかな?」

「え?」

「Kさん!」

 

 詩音さんは不思議そうに僕を見つめてくる。やはり理由なしにお願いするのも無礼なのかもしれない。そう思って取り繕う形となるが述べることにした。

 

「ほら、こうポイントが溜まってしまうとどうしても恐れて普段通り……は駄目なんだけど、楽しむことが出来ないじゃない? それは改心しようとしている人には可哀想かなぁって」

「そうです! 俺はこれから変わるつもりなんすよ!」

「えーっと。亀田さんは黙ってて」

「ふぁい!!」

「で、どうかな? 強制は出来ないし、ただの相談なんだけど……」

「ふーん……そうですねぇ」

 

 吟味でもするかのような園崎さんの目つき。何か心の内を探るような気がする。

 だが、2度ほど瞬きをしたその目に、先ほどの目つきは消えていた。

 そして園崎さんはこう提案する。

 

「なら、少しだけ付き合ってくれませんか?」



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■影差し編【Ⅳ-Ⅷ】

 そう言われて連れて行かれたのは店の裏手にある細い小道。薄暗く、腕を横に伸ばせば壁をタッチできるこの狭い雰囲気の場所に彼女は案内してきたのだ。ごみ溜めも存在しないし、匂いなんてものは気にならないのだけれど、何かあるのかと思ってしまう。他の2人はまだ店内に残っていて、パフェを頬張っている頃だろうか。

 

「さて、と。ここなら誰も来ないですね」

 

 園崎さんは店内での服装そのままに、自分の方へと振り向いてきた。それをきっかけに自分も立ち止まる。

 

「で、亀田さんの話はどうするかの話をしに?」

「え? あー……あはは、そんな話をしたくて呼んだんでしたね」

「あれ? それが目的じゃないんですか?」

 

 そんな訳ないじゃないですかと言いたげに手で否定してきた。話さえ存在しなかった。誤解させてしまってすまないなんて言いたげな様相に自分も茫然とするしかない。

 

「大丈夫です。その話はまた帰ってからでもしましょう。まぁ善処することだけは約束します」

 

 ここに呼んだのは別の内容である。彼女は今の言葉からそう伝えてきた。

何をしゃべるのだろうか、そう考えている自分に聞かれたのは意外にも単純なものだった。

 

「孝介さん。あなたはいつ雛見沢に?」

「え……」

「どうしてそんなに驚いた表情をするのですか?」

 

 不思議そうに見つめられて、まるでこちらが悪いように感じてしまいそうだ。だから正直に、考えてたことを言わせてもらう。

 

「いや……ここに連れ込んだからてっきり……」

「何です? 卑猥なことでも考えたんですか?」

「ち、違う!」

 

 もっと真面目な話……というよりは誰にも聞かれたくないような質問をされるのかと考えていた。それなのに雛見沢に来た経緯を説明してほしい。すぐにでも答えられる内容、それが店内でも答えられそうな内容であることに疑問しか抱けなかった。

 

「で、どうなのですか?」

「えっと、今月の初めくらいに来た、かなぁ……」

「あはは、自分のことですよ? 曖昧な表現ですね」

 

 変なことを探られているのではないだろうか。これが誘導尋問ではないだろうか。そんな気がしてしまう。それは以前に彼女と話していた時に感じた抵抗と似ていた。

 どうしてだろうか、別に彼女に悪意は存在しないというのに。

 

「どうです? お姉とは上手く付き合えていますか?」

「相手がどう思っているかは分からないけど、まぁそれなりには」

 

 今日だって園崎さんと野球の勝利を一緒に分かち合っていたことぐらいはある。それに部活での関係も悪くない。良好という関係は築けている……だろう。

 

「そうですか。他の方とは?」

「うーん……。別に特には何もないよ。竜宮さんとは行き帰りを一緒にしているし、北条さんや古手さんとも部活で散々いじられているからさ」

「じゃあ別に学校では何事もなく過ごしていると?」

「まぁ……そうですね」

 

 何か先生と個人面談をしているみたいだ。ただ疑問なのは別に彼女は先生でも無ければ、雛見沢分校の生徒じゃないということ。園崎さんはウンウンと感慨深そうに頷いているけど、理由でもあるのだろうか。

 

「村の人達はどうですか? 上手くやって行けてますか?」

「うーん……。どうだろう?」

 

 咄嗟に聞かれて思い出したのは北条さんが村人に対する評価にショックを受けていることだ。実際に自分とは何の関係もなく、僕には良くしてもらっているぐらい。それでも、はっきりと雛見沢の村人に悪い人はいない。そう断言する自信はなかった。

 

「……もしかして北条さんのことで何かありますか?」

 

 そして彼女が自分の心中を当ててきた。思わず口を開けて黙っていると、それが肯定であることを受け取ってくれたようで。

 彼女は「うーん」と呻くように呟くと、続けて雛見沢の状況を説明してきた。

 

「やはりまだ北条家に対してやっていることがあるんですね」

「やはりって……園崎さんは北条さんの家の事情について知っているの?」

「……まぁ、お姉から色々聞いていたので。今はどんな状況なのですか?」

 

 そう聞かれたので、自分は見たこと、聞いたことをそのまま園崎さんに伝えた。

 北条家には相変わらず村の迫害を受けていること、そして古手さんなどから見聞きした話なども踏まえて、とりあえず事実だけを語ることにした。途中で聞かれたことも自分の分かる範囲で答えていく。

 ……そしてそれが終わるころには園崎さんの表情に陰りが差していることに気が付く。まるで当たって欲しくなかった事実を知った。それがはっきりと分かる口元、目であった。

 

「――――ということなんだけど、これで分かったかな?」

「はい。……やっぱり、辛い思いをしているんですね」

「そう、だね。園崎さんから聞いたのってかなり前の話なのかな?」

「はい。最近は連絡を取り合っていなくて……」

 

 でも、園崎さんは北条家で起きた事件の数々を多分知っている。それは彼女の悲しい笑いで理解が出来る。やはり雛見沢にいない彼女でもこういう話を聞いて面白いと感じるわけがないだろうから。

 ……まだ雛見沢が良くなっていない。彼女はそんなことさえ思っているかもしれない。

 

「その……何でこんなこと聞くの? もしかして北条さんのことで何かあったの?」

 

 彼女にそう尋ねた。ここに呼んでおいて話す内容にしてはあまりにも悲しく、ブラックな問題である。だからこそひと気のないこの場所という話で都合がいくが、自分に話をする問題でもない。それなら長い間雛見沢に滞在している前原君に話をすればいいからだ。

 だから気になった。僕に対し、この話でないといけない理由、それがこの話をしていくうちに気になったのだ。

 

「……」

 

 そして園崎さんの答えは“無”だった。何も答えない、誤魔化そうともしない。ただ目を伏せ、この質問だけはされたくなかった。そんな風に感じさせてくれる。

 

「園崎さん……?」

 

 黙る。彼女は顔を背けて、身体全体で嫌という意思表示を見せてきた。何か嫌なことを思っている。でも何に対してが分からない。

 だからこそ、自分も黙るしか選択肢がなかった。黙って、彼女が自分から喋ってくれるのを待ってみるだけ。

 数秒の時間が経つ。

 閉鎖されたようなこの場所に流れゆく音は、道路を渡る車の音と帰宅を急ぐ鳥たちの泣き声のみ。ここにひぐらしは鳴かない。

 

「園崎さん、もう一回聞かせて。どうしてそんなことを聞くの?」

「……」

 

 返答はない。だけど諦めることはなかった。

 

「こんなこと話すってことは、僕だからじゃないといけないことなんだよね?」

「……」

 

 眉一つ動かさない。

 

「もしかして……?」

「…………」

 

 人形のような彼女は、目を閉じた。

 

「…………ごめん。変なこと、聞きすぎたかも……、今のは忘れて」

「……」

「その……怒ったなら正直に言ってくれれば、謝るけど……」

 

 いつの間にか自分の中で抑えきれない疑念を吐き出そうとしていたようだ。彼女が嫌がっているのを目にして、それでもなお聞こうとしていた。いや、本当は気にしてあげたかったと言えばいいだろうか。彼女が嫌がるその背景に、暗い過去を持っているような気がしたから。

 ……でもそれを結局貫き通すことは出来なかった。それは自分の心の弱さなのか、それとも過去に起こしたことへの恐怖心なのか。入り混じった感情を1つの言葉でまとめることが出来ない。とりあえず彼女とは見知ってすぐの関係、深く立ち入ることはよくない。そんな気遣いのもと、退くことを考えただけ。それだけだ。

 

「……は」

 

 そして――――それを彼女は鼻で笑った。それから肩を震わせて高らかに笑う。笑って笑って笑い続けて、自分が困惑してしまうことをお構いなしに笑い続ける。壊れた人形のようにずっと笑い続ける。

 やがて笑い声が治まったかと思うと、彼女は悟ったように悪態をついた。

 

「はぁーあ。やっぱり優しい人でしたね。優しくて、周りのことをいつも考えている聖者のような人です」

「……そ、それはどうも」

「でも、私は好きになれそうにないです」

「え……」

「好きになれないと言ったんです」

 

 彼女はそう言って、こちらに感情の入っていない瞳を向けてくる。

 

「そ、そういう言い方は……駄目だと思う……」

 

 相手に面と向かって嫌い発言なんていけない。ちゃんと言葉の選び方もしないといけない。そう言いたいのだけれど、やんわりとした言い方しか出来ない。それを彼女は大きく頷いて、何回もしてくれた。

 

「そうですね、すいません。私は正直に言わないと気が済まない質なので」

「な、なら――――」

「今日話してよく分かりました。とりあえず付き合って下さってありがとうございます、優しい“だけ”の孝介さん」

 

 彼女が最後に見せた表情、悲しい状況を知り、それをひた隠そうとする必死な姿。

 

「……また、会えたらその時に」

 

 悲壮感を漂わせる彼女は、最後に感情の乗らない綺麗ごとを述べてくれた。

 



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■影差し編【Ⅳ-Ⅸ】

 結局、それから彼女と会う事は無かった。用事が出来たのか、それともただ会いたくないと店内の奥にいるのか、それは分からないままである。出来るなら前者の理由であればいいなんて会計の精算のときにずっと考えていた。レジ打ちもどこか知らない眼鏡の女の子であった。

 

「だぁあああ!! だからパフェを食べるならイチゴは最後だろうがぁ! 最後に甘く、赤い口と赤い果実のキッスを行うことで締めるのが正義だ!」

「いくらKでもそこは譲れません! 柔らかい触感と共に蕩けるような最期を口の中で味わうのが普通でしょう!」

 

 そして、前原君と亀田さんは今もなおパフェのことでずっと論争を行われている。タイトル『最後に口にするモノはなんだ!?』の元、イチゴ派とクリーム派で揉めているという訳である。

 外に出てもその騒ぎは変わらない。耳に入る正義やら、愛やらの単語を聞き流しつつ、自分はエンジェルモートの階段を下りていた。二人と違って段差を気にしながら、一つひとつ下りていく。

 行きは車で移動をしたのだけれど、エンジェルモートに行くということもあって入江先生には先に帰ってもらっている。帰りは前原君と2人で歩いて雛見沢まで……という話でまとまっていて、だからこそこんなに早く切り上げることになった。今は昼の4時ごろ、多分夜になる前には雛見沢に戻れる。

 

「――――孝介」

「……え、ごめん。聞いてなかった」

 

 声を掛けられるなんて、驚いた。亀田さんとずっと話し込んでいたし……。

 

「さっきから様子が変だぜ? 何かあったのか?」

「別に……大したことじゃないよ」

「そういう割には辛い顔してるよな」

「そうかな?」

「あぁ、まるで嫌なことを言われたみたいな顔をしてる」

 

 相変わらず前原君は人の顔というか、状況をよく理解している。「まぁ、そうだね」と言い返せば、前原君は少しの間黙った。何かを気にしているのかと思えば、亀田さんと会話をし始めて、続いて亀田さんが納得したように2度頷いてはそのまま逆の道に走り始めたではないか。

 ……どうやら僕のために前原君は亀田さんを追い出してくれたようで。2人とも自分のせいで別れるというのに嫌な顔1つもしない。それのせいで、感謝よりも申し訳なさが気持ちの中で存在していた。

 

「ごめん」

「気にするなよ。それで、詩音に何か言われたのか?」

「……そうなるよね。誤魔化そうとしても無駄か」

 

 園崎さんのことで悩んでいる事はエンジェルモートに来てからと話してからとでは明らかに違うから分かることだろう。苦しむとまではいかないけれど、困惑していることは確かで、どうプラスなイメージで考えようとしても、鉛のように重い負の感情は消えてくれない。

 

「それで何か言われたのか?」

「……」

 

 しかし、これは自分自身の問題である。北条さんの時と違って変わらないといけないのは自分のこと。それに自分が何について嫌いと思われたのかさえ理解出来ていない状況なのだ。それでは相談もアドバイスもないに等しい。相談しても無駄なことは目に見えている。前原君に変な気を回すだけのことになる。もしかしたら部活のメンバーにもその内容が分かってしまうかもしれない。当然北条さんの耳にも届く。そんなことになれば彼女は自分のことで精いっぱいなのに、自分のことを気にかけてしまうだろう。それでは意味がない。

 まずは自分で解決を模索しないといけないだろう。もう一度自分で探して、変えて行かないといけない。

 

「うーん。そんなに大きなことは言われてないから……だから本当に困ったときには言おうと思う」

 

 正直な今の気持ちを伝えさせてもらう。すると彼は悔しそうな顔で歪めていた。何かを嫌がるようなそぶりに僕は眉を潜めてしまう。

 

「本当にそれでいいのか?」

「え?」

「孝介。俺たちは――――」

 

 そこで彼は口を閉ざして自分から視線を外していた。見る先は自分よりも肩ごしにあるもの。何かあったのだろうか?

 

「おう兄ちゃん」

 

 そう声を掛けられたかと思えばいきなり肩を二度ほど叩かれる。

 

「は、はい?」

「ちょいと聞きたいんじゃが、この道を真っ直ぐ行けば雛見沢っちゅうところに行けるんか?」

 

 そう聞いてきたのは体躯の良い身体に、少し相手を威圧するような鋭い目だった。金髪で後ろに上げられた髪がその人の特徴を表しているみたいで。その人からタバコの臭いがアロハシャツからにじみ出ているのが、それを助長させていた。

 腕っぷしには自信がありそう。それだけは肩を叩かれたときに感じた力強さで分かる。

 だからこそ、少しだけ怖気づいたのが本音であった・

 

「おい兄ちゃん、聞いてんのか?」

「え!? あ、はい。次の交差点を右に曲がった後に、真っ直ぐ行けば雛見沢には辿りつけますよ」

「そうかい」

 

 感謝の言葉もなく、その人は背中を向けてくる。失礼な対応かもしれないけれど、その人とは深く関わりたくないと思っているためか、何も言わずにそのまま見送る形となっていた。

 

「あぁ、後一つあったんやった」

「はい……?」

「こいつしっとるか?」

 

 彼が胸ポケットから取り出してきたのは1つの写真であった。そこには犬歯が良く見える活発的な少女で、それは僕らにはとても見覚えのある人物であった。

 咄嗟に前原君と目を合わせる。前原君は相手の様子を一瞥した後に、小さく首を横に振ってきた。それが意味することは1つしかない。

 

「どうや? 見たことあるか?」

「いいえ、僕は見てません。ね、前原君」

「あぁ。すいませんが、俺たちはその子知りません」

「ま、ここらへんに住んでるものならしゃあないの」

 

 別に怒った雰囲気も見せずに彼は再び写真をポケットに仕舞い込んだ。そのまま自分が説明した雛見沢への道を歩み始めて、そのまま曲がり角で消えてしまった。

 

「……ふぅ」

 

 思わずそう吐息を漏らさずにはいられなかった。いきなり話しかけられたことに対する驚きも然り、そして何より、

 

「……何で沙都子の写真を持っていたんだろうな」

「うん。もしかして北条さんと面識のある人なのかも……」

「俺にはそうは見えなかったぜ?」

「分からないよ。どっちにしてもあの人と北条さんは友好的に関わっているようには見えないね」

 

 想像が出来なかった。彼女が何かに巻き込まれるイメージしか、彼から受ける印象は存在しない。何か嫌な予感がする。そう思うのは僕だけではなく、隣にいた前原君の表情からも受け取れたものだった。

 

「あの人にはもう一度会いたいとは思わねぇな」

「そうだね。出来れば……そういえば、さっき僕に何か言おうとしてなかった?」

 

 僕は先ほどの中断された内容を聞き返そうと思った。今のでうやむやとしてしまったのだけれど、彼は何か言いたかったのだろうか。

 

「……別に、何もないぜ」

「そうなの? その割には真剣そうな表情だったんだけどなぁ……」

「言いそびれちまったからな。また今度話すさ。ほら、暗くなる前に行くぞ」

 

 そう言った頃には、既に街にひぐらしが鳴きはじめて。帰りはゆっくりしながら、無理をしない程度に明日も頑張ろうと思っていた。雛見沢に帰るころには夜のとばりが下りはじめていて、帰れば母さんの自分への様態を気遣えという軽い説教を受けることに。父さんと2人で今日の出来事を語り合って、明日の宿題への予習を済ませて床に就く。

 いつもと変わらない日常で、明日も元気に登校してみんなと部活で盛り上がりたい。また今度、前原君は自分に向けて言ってくれることがあるのだろうか。

 そんな希望を掻き立てながら、僕は明日に向けて瞼を閉じたのだった。

 ……そして次の日、僕たちはあの人のことをもう一度知る事になる。

 




 これにて前編終了。ここからひぐらしのなく頃にでいう後編へと移っていきます! 日常から変わりゆく世界を描ければいいなと思っています! 頑張るぞー、おー!

 そして何と! この『影差し編』にてUAが7777、『訳探し編』にて20000という記念すべき数値をたたき出せました。これもみなさんが見てくださったおかげです! 本当にありがとうございます

 最後に希望を1つ……出来るならでいいので、評価して欲しいです>< 前半の終わりということもあるので希望だけを出しておきます!


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◆Tips【Ⅱ-Ⅳ】

◆研究者たちのログ

 

1984年 ◆×月 ◆×日

 

今回の試験にて、以下の要素が必要であるということが分かった。

 

 前回の記述によって脳への感染があることが分かり、具体的に感染方法も理解した。そしてこれからの研究にて把握したことをここに記述する。

・脳の感染が行われた場合に抑制するものであるが、それに対して感染者の症状するフェロモンの要素で抑制された例を示す。それを錠剤として投与することが出来れば、多くの発症、および調整を行う事が可能であると推測できる。

 細かい内容については別紙1にて記載してあるので、そちらも確認して欲しい。

 

××県山内研究所 開発総責任者

嘉山 仁

 

――――――――

 

◆被害者 解剖記録

 

川で遺体となって発見された被害者に対し、具体的な検視を行った結果をここに記す。

 

・腹部刺傷、及び内蔵の刺傷について

 刃渡り15センチの鋭利な包丁を用いて何度も刺された模様。数か所に渡って刺されており、この段階で既に死亡していたことが判明。被害者の抵抗がなく、他に刺傷がないことから抵抗する前に重傷を受けたか、拘束をされていたかの可能性が存在する。

 

・遺体の衰弱死の可能性について

 前述にて、死因は殺傷によるものであることが判明。このため被害者を遺棄する際には既に被害者は殺害されている。

 

なお、被害者の耳や顔の水による腐敗などが見られないため、遺棄されてから時間は経っていないと見られる。死亡推定時刻は殺傷の様子も合わせ、24時間以内であった模様。

 

――――――――

 

◆福祉児童課相談内容資料

 

対象:北条沙都子

 

家族構成:養父・養母・兄・本児

 

住所:鹿骨市雛見沢○○○番地

 

連絡:電話にて匿名のSOSコールを行う。何度も同じことを繰り返し、危機感を募らせていた。家族のことを喚く内容はいずれも恐怖心からの肥大妄想の可能性があることを留意されたし。

 

内容:家庭内で虐待・精神的苦痛を受けている模様。本児及び兄が対象であり、養母が陰湿な行為を行っている。親としての義務も放棄する場面も存在。

 

対応:通う学校にて事前調査。本児宅にて聞き込みを行い、傾向がみられるのであれば養夫婦に注意。虐待防止組合などに掛け合い、今後注視してもらうよう促す。

 

――――――――

 

◆北条さんのトラップは蜜の味

 

「をーほっほっほ! これは圭一さんの憐れな姿が目に浮かびますわー!」

「……これ毎朝やってるんだよねー」

「当然ですわ。恒例行事としてこれほど楽しい日々はありませんことよ?」

 

 だからといってサンドバッグを仕掛けるなんて。扉を開けたら前原君どんな顔するんだろう……。

 

「はぁ~。相変わらず沙都子のやることには付いていけないわ」

「……でも良かったのかな? 今日圭一くんを置いてきたんだよ?」

「たまにはお灸を据えるのも必要でしてよ! 最近は私たちのことを下に見ている傾向がありまして!」

「いやぁ。北条さんの方が前原君を下に見てるような気がするんだけど?」

「そうですわよ?」

「あ、それ納得しちゃうんだ……」

「……圭一を教育なのです。がおー!」

「あはは……まぁ、圭ちゃんはこういうことに慣れてるし」

「慣れたいと思ってるかが重要だよねー……」

「これで……よし、ですわ! 」

 

 針金がクモの糸のように張り巡らされている。これどういうギミックで取れるのかが気になる。

 

「今回は私の自信作ですわね。まずは画びょうの取っ手を見て、注意を逸らしつつ、圭一さんが扉を開けるとまずは挨拶代りのチョークを避けてもらいますわ」

「そこで避けられる前原君が凄いね……」

「でもそこで待ち受けるのは顔に向けて四方八方にやってくる黒板消しですわ」

「逃げ道を無くす辺りが容赦ない……」

「圭一さんはそれでも伏せてかわしますわね。そこにやってくるのが――――」

 

 このサンドバッグって訳ですか。サンドバッグって顔面直撃させるものでもないはずなのに……。

 

「相変わらず北条さんの罠には驚かされるよ」

「罠ではなくトラップですわ!」

「あ、そうだった。ごめんなさい」

「でも、本当に沙都子は仕掛けるのが好きだねぇ」

「うーん、やっぱりやってて気持ちがいいものなの?」

「それはもちろんですわ! 相手が掌で踊っている瞬間、そしてそれを理解もせずに自信顔でいた人を悔しさに顔をしかめる瞬間。あの瞬間がいいんですの!」

「うん。とりあえず北条さんがどSであることは間違いなさそうだ……」

「そんなことありませんわ。私だって、相手が苦痛に歪むような姿は見たくありませんもの」

「でも、前原君が苦痛に顔を歪めそうだけど……」

「私のは計算をし尽した内容でしてよ! どこで仕掛ければいいか、痛くないかなんて算段は既に頭の中で出来上がっておりますわ!」

「孝ちゃんには難しいかもしれないけど、考えさせられるような内容もあるんだよ」

「へぇ……また今度聞いてみようかな」

「いいですわ! 身体で教えて差し上げますわ!」

「あ、やっぱりいいや」

 

 身体に刻み込まれそうな気がするので、ここは素直に引いておこう。でも、本当に北条さんはトラップに関しては顔を輝かせて喋るよなぁ。彼女にとってやりがいのあるものなんだろう。

 

「魅音にレナ、孝介! 何で俺を置いていくんだぁああああああ!?」

 

 そして今日も前原君は平常運転のようです。トラップはかわせたか? まぁ、それは……その、身体に教えられたんじゃないですか?

 



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Episode 『小さな影』
■影差し編【Ⅴ-Ⅰ】


 昨日出来事から、少しだけ朝日に励まされるような日だった。快晴の今日、雲はなく、空は澄み渡っていて、見るものをホッとさせる。登校するにはもってこいの天候だ。

 そして隣には前原君がいる。ニッと歯を出しては、先ほどから今日の学校の内容について話してくれて、昨日の件については触れない。それは優しさからなのかは分からないけど非常にありがたいことであった。

 

「でだ。今回は俺から提案することで心理戦を絡めたゲームにするつもりだ!」

 

 何度も部活でやられたことへも仕返しを今日は返そうという話をしてくれる。

 僕が「そうなんだ」と相槌を打っていると、向こうから元気のある声で呼びかけられた。

 

「圭一く~ん、孝介く~ん! おはよ~!!」

 

 竜宮さんが手を上げてこちらに歩み寄ってくる。炎天下でも彼女の元気な姿は以前と全く変わらない。

 

「おうレナ! おはよう!」

「おはよう、竜宮さん」

 

 彼女の笑顔につられて、僕らも笑みで返しながら挨拶をした。園崎さんはまだ来てない。

 もう少しだけここで2人と雑談していくことになりそう。

 

「昨日は楽しかったのかな、かな?」

 

 竜宮さんがそう聞いてきた。そりゃあ野球試合の帰りに前原君が「俺たちは約束の楽園(エデン)へ行ってくる」なんて言っていたからね。知らない彼女には何があったのか聞きたいのも当然だろう。一応相手チームの人と関係を持つということぐらいは知っているけど。

 因みに、交渉のために園崎さんと北条さんはどこ行くかも知っている。

 

「あぁ! パフェで新たな信仰が生まれたからな!」

「はぅ~。親交が生まれたってことは仲良くなったのかな、かな?」

「あぁ、バッチリだ! 大切な信者が出来たぜ!」

「えぇ!? 友達は信者なのかな!?」

「ん? まぁ今度会った時には世界をどう染めるかを話し合うつもりだ!」

「何でだろう、物騒な話にしか聞こえないよ……」

「まぁ、竜宮さんの考えは大きく外れてないと思う……」

 

 というか最初の方で会話のねじれが生まれていたような気がする。

 

「それよりもさ。竜宮さん」

 

 言い方の悪さがあったせいか、ムッとした表情で前原君が見つめてくる。それを合掌で謝ってから、首を傾げる竜宮さんに向き直った。

 

「雛見沢の祭りなんだけど、えっと……」

「綿流しのことかな、かな?」

「そうそう、その綿流しのことだけど、部活メンバーで集まると言うことはあるの?」

「あれ? これって圭一くんにしか話していなかったっけ?」

「あの時はぁ……確か俺しかいなくて、孝介が寝込んでいた時だったか?」

 

 寝込んでいた時、それは入院をしていた時の話をしているのだろう。とりあえずこの返し方をするということは部活メンバーで集まって楽しく過ごすということなのだろう。

 ……綿流しのビッグイベントがあるというのは家族の朝食の話題でもあった。孝介はどこで遊ぶのか? とも聞かれて気になったのだけど、やはり部活メンバーでも事前の計画はあったようだ。

 

「やっぱり何かするの?」

「もちろんだよ!! 綿流祭四凶爆闘があるもんね!」

「わたながし……え、何て?」

「綿流祭四凶爆闘だ! 俺も名前だけだが、祭りの屋台をそこら中回ってから戦うというものだ。今までの部活の総合格闘技となったものと思えばいい!」

 

 つまり今まで全敗の僕は死地に立てと言っているわけですね。

 

「圭一くん! 魅ぃちゃんも言ってたけど、今回は人数も増えたから綿流祭六凶爆闘かな、かなッ!」

「お、そうか。確かタコ焼きの早食いとか、射的ゲームとかなんだろ?」

「うん! 全部にコツがあるから、頑張ろうね!」

「うぅ……頑張れるかなぁ……」

 

 相変わらずやることは部活、ということだ。この話の方がよっぽど物騒な話にしか聞こえないし、何より自分の負け姿しか想像できない。

 彼女たちはにこやかに話しながら、自分たちがいつ集まるかの再確認を行っていた。

 

「それで、俺たちが沙都子たちの家に行って合流すればいいのか?」

「梨花ちゃんは綿流しでの舞のために先に行ってるからね。多分いるのは沙都子ちゃんだけかな、かな?」

「古手さんって何かするの?」

「うん! 大切な行事を巫女として頑張ってもらうんだ!」

「ふーん」

 

 やはり神社の近くで行うだけあって、境内にて何かを執り行うのだろうか。そもそも古手さんって神社での跡取り娘的な存在というのは聞いたことあるけど、具体的に何をしているのだろうか。

 しかし、それを聞く前に誰かが別の単語に反応したようで。

 

「なぬぅ!? 梨花ちゃまの巫女服姿を拝めるのかッ!?」

 

 目をクワッと見開いて、竜宮さんに詰め寄り、更なる情報を聞き出そうとしている前原君に対し、竜宮さんは冷静な対応で接していた。

 

「梨花ちゃんは巫女服を着るかな。……梨花ちゃんの巫女服姿……可愛いよぉ!!」

 

 いかん、竜宮さんが妄想でどこか別の世界へと飛び立ってしまっている。鼻血を出していないところは、唯一の救いだ。

 こうなると歯止め役の前原君なのだが……。

 

「おい孝介、綿流しは前日の夜中から席を取っておくぞ! ビニールシート、カメラと三脚、画材とビデオカメラ、後は双眼鏡を持参だッ!!」

「えぇッ!? どんだけ拝みたいの!? ってか前日の夜から集まってたら、疲労で綿流祭六凶爆闘に勝てないから!!」

「いいんだ! 男には、負けられない戦いが、あるんだぜ……?」

「そんなところで全力を使いたくないよ!! 竜宮さん、助けて!」

「はぅううううッ!! 圭一くん! その写真私も買うね!!」

「いいぜ! でも、それなら場所取りに協力してもらうことになる! 具体的な場所だが、まずは色んな角度から舐めるように撮るためにも――――」

「駄目だッ! もう僕の手には負えない状況になっている!」

 

 これが都会と田舎の差なのだろうか。

 なんて密のある話なんだろうか、これが同じ学年の仲間だとは信じがたい。1人は獲物を狙うハンターのように目の眼光が怖いことになっているし、もう1人は鼻血を噴出中。……そろそろ止めないと本気で死に関わりそうな血の量という不安と共に、ただ迷うことしか出来なかった。というより村の人がこれを見たら、恐怖に悲鳴を上げられそうな構図でしかない。

 誰もが新たな展開を待ち望む状況下の時、1人の少女がこちらを見ていた。

 

「あぁ! 園崎さん!!」

「えーっと……あ、あはは……これは一体どういう状況?」

 

 指で頭を掻きながら必死に状況を理解してくれようとしてくれる園崎さんは本当に助かった。

 

「園崎さん! 助けて!」

「いや、助けるべきはレナだと思うんだけど……!?」

「とにかく早くこっちへ来て!」

「はぁ~。圭ちゃんがいながら何でこうなるのかなぁ……」

 

 そんなこと言われたら、前原君が発端ですなんて言えないじゃないか。

 とりあえず2人を落ち着かせよう、そう言い聞かせて、僕が竜宮さんで園崎さんが前原君を受け持つことになる。

 

「りゅ、竜宮さん! とりあえず当日まではその興奮を抑えといて!!」

 

 そして出来ればそのまま興奮が終息してほしいです!

 

「駄目だよぉ!! もうレナの頭の中は梨花ちゃんで一杯だよぉ!」

「そんな精神末期患者みたいな言い訳しないでよ!?」

「はぁううう!!」

 

 両腕をぶんぶん振り回して、興奮を外に発散し、そしてその興奮が僕への暴力へと変換されていた。何度も頭を殴られてめちゃ痛いです。

 何とかしたい。ここで暴れるなと進言したいのだけれど、彼女の声で打ち消されてしまっている。彼女の声はアラームか何かなのかと疑っていた時、園崎さんを目の端に捉えた。

 

「孝ちゃん、そっちは終わった?」

 

 見れば分かることなのに、そんな質問を園崎さんはしてきた。向こうはどうやら前原君を抑えることに成功したようだ。よく見れば前原君が横倒しになっていて、更にはピクピクと脈打つような動きをしている。

 ……一体何をどうすればこんなことになったのだろうか。

 それを聞いてしまえば終わりのような気がしたので、とりあえず園崎さんにも協力を仰ぐことにする。

 

「孝ちゃん、こういうのは無理にでも抑えないと難しいと思うよ……」

「えぇ……でも……」

 

 何をされるか分からない。無理にでも止めようとしたら、いつの間にか地球にキスなんて状況になりかねなさそうだし……。

 

「時には強気な姿勢を見せないといけないよ」

「ま、まぁそうだけど……」

「ファイトだよッ! 孝ちゃん!」

「……って言いながら、竜宮さんと関わるのを回避してない?」

「……あっはっは! 何のことかさっぱりだね!」

 

 ま、まぁ僕が止めると言っていたし、ここは僕がやるべきなんだろう。

 強気に……か。上手く出来ればいいけど。

 

「りゅ、竜宮さん!」

 

 そう呼びかけても彼女はまだ落ち着いてくれない。このまま古手さんのところへ乗り込んで誘拐しかねない興奮。とりあえず、振り回している腕が自分の中での脅威でしかない。

 とりあえずそこを抑えてから話に持っていけば何とかなるのかもしれないと思った僕はその腕を掴んだ。

 

「はぅうう!! 孝介くんでも、この興奮を邪魔させないよぉおおおおッ!!」

 

 瞬間。僕は初めて鳥になった瞬間を味わえた。

 

「……あー。やっぱこうなったかー……」

 

 そんなボヤキが聞こえるのも束の間、背中と地面の衝突。滅茶苦茶痛い中、土煙で目に涙を溜める羽目に。いや、そうじゃなくても涙目になっていたことは間違いないだろう。

 ここまでの事態になってようやく自分が何かされたことを思い出した。同時に頬に痛みを通り越した鈍い感覚が蘇る。

 

「……いたい」

 

 どうやってやられたのかさえも理解出来ない。これが世に言うレナパンというものなのか。……いや、世に言われているのかは知らないんだけど。

 

「ほーらレナ。孝ちゃんが捨てられた子犬みたいな目で見てるよ」

「はぅううぅぅ……?」

 

 そう言われて僕を見た竜宮さんは風船が窄むような言い方と共に、落ち着きを取り戻してくれた。何度も瞬きをした後、僕が殴られたことへの反省が生まれたのか「あわわ、ごめんね!」と駆け寄ってくれた。

 

「レナぁ……別に興奮するのが悪いとは言わないけど、ちょっとは反省した方がいいと思う」

「そ、そうだね、圭一くんと同じ感覚でやっちゃった」

「俺はどうでもいいのかよぉ!?」

 

 何時の間に前原君も動き出していたのだろう。起き上がって、竜宮さんの頬を抓っていた。

 

「はぅうッ! やーめーてー!」

「ったく……魅音も魅音だぜ。俺には説得でいいじゃねぇか」

「あはは! たまには鉄拳制裁も必要かと思ってさ。効いたでしょ?」

「いや、効いたとかそういうレベルじゃないんだが……」

 

 ようやくもとに戻った前原君は衣服についた砂を払いながら苦言を吐いていた。

 そして僕も竜宮さんに手を貸してもらって起き上がる。前原君同様に砂を払おうとすると、竜宮さんが背中を払ってくれた。

 

「ま、落ち着いたというところで。一体何でこうなったの?」

「古手さんが綿流しの時に神社のイベントのことがあるって言ったら……」

「あ~、そういうこと」

 

 流石の察しの良さである。園崎さんは呆れたように笑いながら、地面に置いていた鞄を取り上げていた。

 

「孝ちゃんも気をつけるんだよ。綿流しの時には綿流祭四凶爆闘があるんだから」

「もう……分かってるよ」

 

 絶対にこれ以上の体験が待っている。そんなことは園崎さんが言う前にとっくのとうに分かっていた。しかも、その一味として園崎さんも加わっているのを忘れてはいけない。古手さんに、前原君、北条さんに竜宮さん。こんな人数相手に部活以上の活躍をしろとは難しい話である。

 ……ん?

 

「ってか、俺たちちょっと遊び過ぎてないか!?」

 

 それを原因である前原君が言いますか。そうは思いながらも、事実として時間を掛けすぎたことは否定できない。のんびり歩いて、ゆっくり出来る。なんてことはなさそうだ。

 

「みんな、走るよ!」

 

 園崎さんの掛け声をきっかけにみんなで徒競走が始まった。

 

 

 で。

 

 

「――――ぜぇぜぇ」

 

 学校校舎、入り口にて。

 たどり着いたころには、膝に手を置かないと酸素不足に悩まされそうな状況になっていた。この炎天下の中、自分に体力を求めるとは、みんな僕を殺しにかかっているとしか思えない。相変わらず、頬は痛いし、今日は厄日で決定だろう。

 

「大丈夫、孝介くん?」

「学校には……ついた……からね……」

「相変わらず孝ちゃんは体力がないねぇ。もう少し体力を付けないと」

 

 園崎さんの助言もあまり耳に入らない。学校にたどり着いたおかげで日照りはなくなったけど、クーラーという概念が存在しないここでは暑さ消えず。

 溢れ出る汗を鞄に入れていたタオルで拭いながら、手で団扇のように仰ぐしかなかった。

 

「さてと、それじゃあ俺は行かないとな」

 

 前原君がそう言うのは北条さんのトラップを受けに前の扉へと向かうということで。毎朝のように回避を試みては毎度のこと汚され続けているのだった。

 

「圭一くん、今日は回避できそう?」

「任せとけ! 最近の沙都子の傾向も読めてきたからな」

「……ふぅー。っていうより、今日は遅いから、もうトラップなんてないんじゃない?」

 

 あり得ないだろ、そう言いたげな前原君は扉の前で腕を組む。

 

「まずは足場にトラップはない……と」

 

 1つ1つ、廊下での違和感が存在しないかをチェックしていく。今日は趣向を変えたのだろうか、廊下には何もなく、今回は教室にトラップが幾重にも用意されているようだ。

 前原君も流石にトラップを仕掛けられていないことを訝しんでいた。彼女は注意を逸らすためにも廊下に仕掛けているという人だったために、その違和感は大きい。

 

「やっぱトラップはないんじゃないのかな?」

 

 先生が来たときにはトラップを片付けないといけないのだし、時間ギリギリの自分たちのために待てず、処理してしまったと考えてもいいだろう。

 それはないと首を振った前原君は扉に手を掛ける。

 

「沙都子! ここで安心させようと意味がないからなぁ!」

 

 大きく開け放ち、彼はいつでも来いとばかりに両手を開け広げた。

 僕らも流石にここから北条さんのトラップ地獄が待っているだろうと、前原君のところまでやってきて、教室の中を覗くようにする。

 そこにいたのは……無傷のまま茫然としている前原君だった。

 

「お、おぉ!?」

 

 困惑する前原君。それは当然だろう、何もなく、すんなりと入れたなんて彼にとって転校初日以来なのではないだろうか。やはり先生が来ると見込んで片付けたのだろうか。

 前原君は次の瞬間、ふははと相手を馬鹿にするような笑い方で教室中に響かせていた。

 

「沙都子! お前がまさかそこまで気弱な奴だとはぁ……」

 

 彼の勢いは徐々に落ちていくのが分かる。何かあったのだろうかと3人で顔を見合わせる。前原君はその後も何も言ってこない。

 僕らは教室に入って、それから前原君の顔を見た。口を開き、眉を潜めた姿に、僕らも同じような表情になってしまう。そのまま前原君の顔の方向を見た。

 そこにあったのは北条さんの席、机だった。何もないその場所は、本当に誰もいない。

 

 そう、高笑いをするはずの北条さんは教室にいなかった。

 



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■影差し編【Ⅴ-Ⅱ】

「……沙都子め。俺から逃げ出すとはッ!」

「そんなことはないと思うよ……むしろ助けられたぐらいだし」

「孝介。その発言だが、お前とゆっくり語り合う必要がありそうだ」

 

 語り合う必要はないと思う……。

 

「う~ん。今日の部活は中止だね、こりゃあまた明日だね」

「何だと!? 今日は俺が発案したゲームで勝利する計画がぁ!!」

「あっはっは……そりゃあ明日に持ち越すんだね。もちろん私たちは認めないだろうけど」

「ちくしょー! 沙都子の奴……学校に来たら耳たぶをナンのようにしてやるッ!」

「別に北条さんのせいでもないんだよなぁ……」

 

 僕の苦言に、あーだこーだと言い訳を始めた前原君の口を園崎さんは抑えて、彼女はシーッと指を立てた。一応は授業中、小声で喋らないと、待っているのはカレーの知識(洗脳)である。

 

「でも、沙都子ちゃん。本当にどうしたのかな、かな? 梨花ちゃんも何も言わないし……」

 

 ペンを置いて、北条さんの席の方をみんなで見る。変わらない空白の席。隣の古手さんは前にある黒板に書かれた内容をノートに書き込んでいる。

 北条さんについては知恵先生曰く、体調不良とのことだけど、部活メンバーにはそうは思えていない。そんなことは朝の出来事を考えれば分かることであった。

 しかし、それが何かは分からない。

 古手さんの横顔を見る限り、北条さんが深刻な状況ではないと信じたいのだけど。

 

「確かに古手さんが何も言わなかったのは意外だったね」

 

 もちろん朝の定例行事が行われないと知るや、みんなで古手さんに尋ねた。もちろん北条さんの欠席理由、それだけ聞くつもりで他に脅迫的なこともしていない。

 でも、返ってきたのは、首を横に振って「……気にすることはないのです」と弱々しい答えだった。体調が悪い、家の用事と言う理由を言わずに気にすることはない。それに何か意味があるのだろうか。

 でも、僕らも古手さんに強く言い寄ることは出来なくて、互いに顔を見合わせて席に戻るしか出来なかった。

 

「梨花ちゃん。何だか辛そうだった……」

「だな。いつも沙都子と一緒にいる分、寂しさもあるんだろう」

「ううん。圭一くん、そうじゃないかな。もっと違う、何かを恐れてるみたいだった」

 

 流石の前原君もそれについては分からないようだ。首を傾げ、もっと具体的な言葉を求める。

 

「私も分からない。ただ何か良くないことが起きたということがよく分かる表情だったかな……」

「良くないこと……それって北条さんに関係するって意味で?」

「……分からない」

 

 そう言って、彼女は申し訳なさそうに唇を噛んだ。

 竜宮さんは人のことをよく見るんだけど、その彼女でさえ分からないのか……。

 前原君は腕組みをして考え込む。

 

「やっぱり梨花ちゃんにもう一度聞くのがいいかもしれない」

「圭一くん、それは止めといた方がいいと思う」

 

 竜宮さんが冷静に前原君の発言に対してストップをかける。

 

「何でだよ? 仲間だったら助け合うのが普通だろッ!?」

「言いたいことは分かるよ。でも、今の梨花ちゃんは心の整理が出来ていないようにも見えるから。今は……今だけはもう少し時間をかけて聞くべきだと思うんだ」

「でもよ。苦しんでいるのに、時間で解決してくれるのか……」

 

 竜宮さんは僕のことを見つめ、そして園崎さん、それから前原君と目線を合わせた。

 

「私も……時間で解決しないといけないことがあったから、よく分かるかな。こういう時はあっちから言ってくれるのを待ってあげるべきなんだと思う」

 

 心なしか、彼女の持つペンがギリッと悲鳴を上げた気がした。それは彼女の過去の出来事への悲鳴かもしれない。

 僕たちは先ほど質問をして、一度答えたくないという拒否を貰っている。その時点で、彼女の葛藤に対してもう関わるべきではない。それは彼女のためでもあり、そして何より、これからのためでもあるのだから。

 

「……レナ…………あんたはそうかもしれないけど、あたしはそうは思わない」

 

 だけど、園崎さんが竜宮さんの言葉に対して意見を言う。

 

「魅ぃちゃん……梨花ちゃんは強いんから。きっと後で喋ってくれるよ」

「それは、ちゃんと言えるレナだからの話なんだよ。正直に言えば、理想でしかない」

 

 そこで園崎さんは横目で僕の方を見る。

 

「じゃあ魅音は言った方がいいと思うのか?」

「あたしだってそこまでは言わないよ。でも、何かしらのアプローチをしてもいいんじゃないかなって思うのは本当」

「具体的にはどういったことなんだ?」

「……考えられるのは、実際に梨花ちゃんの家に行ってみるかな? 沙都子ちゃんに何かあったなら、梨花ちゃんも色んなところに行くと思うし……」

「私は反対だよ。そんなことするのは、梨花ちゃんを信用してないから。だって梨花ちゃんは「気にしないで」って言ってくれたもん」

「分かるけど、仲間だからこそ協力したい。あたしはその気持ちを隠す必要は無いと思う」

 

 2人の意見、どちらも譲るつもりはないようで。どちらも自分の正しいと思う考えを持っている以上、この話し合いは平行線をたどるのは目に見えていた。

 正解なんて存在しない。この答えはどちらもYesであり、仲間である証拠だった。

 待つか動くかの違い。

 

「圭ちゃんはどうする?」

「俺は…………魅音と一緒に行くぜ。沙都子が心配なのもそうだが、梨花ちゃんが思いつめている姿も気になるからな」

 

 様子を窺うと言う意味で古手さんのところに行く。前原君は園崎さんの方を見て、頷いて見せていた。

 

「孝介はどうする?」

「僕は……2人が行くなら、その結果を待とうと思う。僕が行っても迷惑をかけそうだし……」

「迷惑って……別にそんなこと思ってないぜ?」

「あはは。でも自分の心の話だから」

 

 おっちょこちょいな自分が一緒に付いていけば、古手さんに気付かれかねない。あくまで可能性の話でも、そういう時によく当たるのが自分でもあるし……。

 とりあえず明日、2人の調査の結果を聞いて、手伝えることがあるなら手伝うで。

 

「今日は二手に分かれるでいいんじゃないかな? 前原君たちも真っ先に古手さんたちのところに向かうんでしょ?」

 

 前原君は僕を見て、その後に北条さんや園崎さんを見る。

 何を考えているのだろうか。言い淀むような雰囲気は出しているんだけど……。

 

「……そうだな。今日はそれで行くしかなさそうだ」

 

 そう言って前原君はシャーペンを持ち直したのだった。

 

 

 

 

 ……部活は園崎さんが言っていた通り、今回は中止となった。古手さんも早めに帰りたいという希望のもと、みんなも早めに帰るということに。

 実際は園崎さんの個人的な理由も含まれた帰宅なのだけど。

 

「圭一くんたち……上手くいってるといいんだけど……」

 

 一緒に帰っている竜宮さんも自分と同じような心配をしていた。

 学校も帰り始めてしばらくした道中、僕らは出来るだけこの話題に触れないようにしていたかもしれない。勉強の話、祭りの話、家族の話。何の関係もない話をずっとしていたような気がする。先ほどの発言も会話が途切れてしまったからのこと。

 

「そうだね。……変なことはしていないと思うんだけど」

 

 周りに田んぼしかない場所で竜宮さんは立ち止まった。僕も数歩歩いたのちに合わせて止まる。竜宮さんは後ろを振り返って古手さんがいるであろう家へと視線を向けていた。

 ……残念ながら全く見えない。

 

「沙都子ちゃんが元気ならいいんだけど……」

「竜宮さん。心配するなら今からでも会いに行ったら?」

「あはは……あれだけ言ったんだもん。引き返すなんて出来ないかな」

 

 彼女はそう言って笑う。

 

「それに圭一くんたちなら何かあった時にすぐ助けてくれるはずかな」

「そうだね」

 

 でも、彼女はそう言っているからには心の中で何か良くないことが起きているという予感はしているのだろう。古手さんから口にしてほしいと言っても、言いだした時にはもう遅くてどうしようもない。そんなことでは意味がないのだから。

 

「北条さんはみんなに助けられているし、きっと大丈夫だよ」

「うん、そうかな……」

「……。……竜宮さん」

 

 竜宮さんがこちらを見てくる。

 

「北条さんって、お兄さんがいたんだよね?」

「え? どうして孝介くんが……」

「前原君からそういう話を聞いたんだよ」

 

 やっぱり、彼女は北条さんのお兄さんのことを知っているんだ。

 入江先生や園崎詩音さんから聞いた名前。失踪した北条沙都子さんの兄。そして僕に似て、優しい性格。そして、失踪。それぐらいが自分が知り得た情報だった。

 

「そう、なんだ……」

「お兄さんって、北条悟史さんだよね? 何で妹がいるのに、失踪したんだろう。こうやって助けが必要な時があるのにさ。…………僕なら何とかしてここに戻ってくるだろうし」

「……」

「どうなの、かな?」

 

 知りたかった。北条悟史とはどんな人物なのか。北条さんは自分のことを「にぃに」と呼んでいた。それほど彼女は兄のことを慕い、必要としていたのだ。

 それなのに、失踪をしてしまう。音沙汰もなく、彼女への書置きもない。

 それは何故なのか。その理由がまだ自分の中で分からないままであった。だから聞きたい。多分学校も同じであるはずの彼女なら何か深い事情を知っているのではないかと思ったのだ。

 ……それに、園崎詩音さんに言われた言葉が気になってしまう。

『優しい“だけ”の孝介さん』、そこに彼女が感じた僕と悟史さんとの大きな違い。それは何なのか。

 

「……孝介くんは悟史くんが失踪したのは自分の意思だと思ってるの?」

「え?」

 

 そこで風が吹く。髪がなびくのも気にせず、彼女は目をスッと細める。

 

「悟史くんは優しかった。それは孝介くんに言われなくてもみんな分かってるよ」

「だから、そうやってみんなに気を使っていたら、段々耐えられなくなったんじゃないの?」

 

 優しすぎた。彼が失踪した理由として入江先生がそう言っていた。

 だから、そう思っていたのだ。

 

「違うよ」

「じゃあ、誰かに何かされたって言いたいの?」

 

 それこそ警察が黙っているわけがない。事件性の話が転がっているのに、拾わないはずがない。でも、ここまで彼のことについての進展が一切ないのだ。

 警察の目を逃れ、北条悟史さんを隠すことの出来る人、そんな人が本当にいるのだろうか。

 

「そうだよ。そして“い”る」

「……もしかして、誰かがやったとか、予想出来るの?」

「オヤシロ様」

 

 断言された。聞いたことのある単語、そして架空の存在。

 

「……あ…………あはは……。冗談なら今はいらないよ……」

「冗談じゃないよ。悟史くんの失踪はオヤシロ様の仕業かな」

「じゃあ何? 北条さんの両親も、北条悟史さんも全部がオヤシロ様のせいだって言うの?」

「あはは! ……だってオヤシロ様の祟りだもん」

 

 何を楽しそうに笑っているんだろう。北条さんの周りで不幸なことが起こったのが全部オヤシロ様のせいだって言っているのに。それを彼女は良かったと考えているのだろうか。

 

「……もし、本当にそうなら、悟史さんはどこへ行ったのさ」

「分からないよ。でも、見つけることは出来ないと思う。だってオヤシロ様に裁かれた人はそういう運命だもん」

「何でそんな断言できるのさ。オヤシロ様なんて、曖昧な存在をさ」

「だって会ったことがあるもん」

「そ、そんな馬鹿なこと……」

 

 あり得ない。神様であるオヤシロ様に会うなんて出来るはずがない。そもそもいないはずなんだから。神様なんてオカルト染みた話を信じる方がおかしい、おかしいはずなのに。

 ……なのに、何で彼女は笑っていられるんだろう。

 

「孝介くんも、やっぱり信じられないんだね」

「当たり前だよ……。そんなことが、」

「今年もおこるよ。オヤシロ様の祟りは」

 

 全身から身の毛がよだつ。彼女から言われた預言のようなものは、誰も望んだものでもない。空想も甚だしい話であるはず。

 今年も1人消えて、そして1人死ぬとでも言いたいのか。

 そして、この場、この時に言われると、嫌な予想しか立たない。

 

「……まさか、それに北条さんが含まれるなんて言わないよね?」

「分からない。だってオヤシロ様はランダムに人を選ぶもん、サイコロで適当に決めて、問答無用で採決を下すから」

「そんな、馬鹿げた話が……あるわけない」

 

 そんな適当な神様がいてはいけない。それはただの……悪魔や鬼でしかない。

 

「あるかどうかはすぐに分かるよ。綿流しの後に」

「……もし、竜宮さんはそれに選ばれたら……素直に受け入れられるって言うの?」

「……」

 

 彼女は僕の質問を無視して、歩きはじめる。表情を見せないように顔を伏せ、ただ黙々とこちらを無視して向かってくる。

 

「ねぇ……」

 

 答えて欲しい。なんで竜宮さんは何も――――

 

「                        」

「……え…………」

 

 彼女は通り過ぎた。そして聞こえる、彼女の反応。

 答えも、反論も、意見も、無言でもない。

 彼女が発していたのは、声を押し殺してもなお漏らす、笑い声。

 嘲笑なのか、苦笑なのか、失笑だったのか……。

 分からなかった自分は竜宮さんの後姿を眺めるしかない。

 僕は、ただ1人残される。

 



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■影差し編【Ⅴ-Ⅲ】

 竜宮さんとこれからどうなるんだろう。

 そんな不安を抱えた次の朝、状況は一変すると思われたかに思えたのに、出会ってみたのはいつもの竜宮さんの笑顔であった。ニコニコして、元気よく、世話好きの竜宮さん。そこに変化がなく、むしろ昨日の竜宮さんがどうしてあそこまで変わってしまったのか。

 そしてもう1人の存在も忘れてはいけない。彼は行きの間もずっと押し黙っている様子だった。というのも、竜宮さんから「どうだった?」と聞かれても「あぁ……」と上の空の答えを返していて……。他のことについて話せば、ちゃんと冷やかしをしてくれるというものだった。

 どうなのかも、どうなったかも伝えてくれない。何か自分で難事件に立ち向かっている様子の前原君は朝の教室まで続くことになった。

 毎日楽しく過ごしていた朝は居心地悪い空間に感じる。

 何か、みんな違うように見える……

 仮面を被ったかのように見えてしまう竜宮さん。そして、自分のことで一杯の前原君。

 おかしい、そう思う自分もどこかでネジが歪んでいるのかと思っていた。そのせいか、見上げる澄み切った空にもどことなく陰りが見える。

 そして、教室に入った。

 当然前原君は前のドアで開けようとする。警戒心などない、それは期待の裏返しであっただろう。

 ……でも結果は悲鳴ではなく、ため息でしかなかった。

 

「お、孝ちゃ~ん。レナぁ~! おはよ~う」

 

 そんな中、園崎さんは入ってきた僕らに対して笑窪を見せてくれた。

 

「おい魅音! 俺にも挨拶しやがれ!!」

 

 元気の良い挨拶につい前原君もテンションの高いツッコみで返す。それだけなのに、少しだけ雰囲気が緩和されたような気がする。

 

「園崎さん、おはよう」

 

 席に座りつつ、彼女が座る席に向き直る。

 

「今日も元気そうだね、園崎さん」

「そういう孝ちゃんは元気がないねぇ? どうしたのさ?」

「え? まぁ、あはは……そりゃあ色々あったし……」

「そんな固い表情してたら、幸運も逃げちゃうよ~?」

「……魅ぃちゃん。昨日の件なんだけど、何か分かった?」

 

 竜宮さんだ。僕らの会話を喰ってさっさと前原君との結果を知りたがっていた。それは友達として心配する彼女の当然の行動。誰も咎めることはなかった。

 

「……なんだ。圭ちゃん、ちゃんと言ってなかったの?」

 

 責めるような目つきになって前原君もたじろぐ。

 

「だって、言える訳ねぇ……。まさか。……」

 

 困ったように僕を見つめてきた。何か僕に関係することでもあったのだろうか……?

 

「そうだね。ここで言ってもどうしようもないね。それなら、梨花ちゃんも交えて話をした方がいい」

「古手さん? でも、彼女は北条さんのことを……」

「だからさ」

 

 園崎さんは言ってからの行動が早い。席に立ちあがって、前に座っている古手さんに近くで呼びかけていた。内容はクラスの賑わいのせいで聞こえないのだけれど、あまり微笑ましいものではないのは分かる。

 最初は古手さんも首に振って、否定を示す。当然だ、今から北条さんのことについて話すと言っているのだから。だけど、なおも園崎さんが手振りで説得を試みていると、渋々という感じではあるが、首を縦に変えていた。

 2人のやり取りが終わったと思うと、こちらに親指で廊下に出るとジェスチャーを受ける。ここでは話しづらい、そう言いたいのは明白だ。

 クラスのみんなから離れるように廊下に出ると、余計に1人いないことへの寂しさを感じさせる。

 

「それで? 喋ってくれるんだよね?」

 

 竜宮さんが扉を閉めつつも、園崎さんに問い詰める。

 

「そうだね……とりあえず昨日見たことについてを言った方がいいね」

「昨日……やっぱり、後を付けたの?」

「あ、そうか。孝介はまだ梨花ちゃんのことを知らなかったか」

 

 僕が古手さんを見ていたことをそう解釈してくれた。

 

「俺たち、結局梨花ちゃんの部屋まで行くことになったんだ」

「え?」

 

 まさかである。あれだけ様子を見るだけと言っていたのに、まさか部屋を覗いていたなんて……。それには理由があるのだろうか。

 

「俺たちも入るつもりは無かったんだが、その……」

「梨花ちゃんがね。部屋の中で叫んでたのよ」

「古手さんが?」

「……ボクも聞かれてたとは思ってなかったのです」

 

 古手さんは苦笑いをしつつ、自分の失態についても笑っているのだった。

 

「それで心配になって見に行ったんだよ」

「そこで沙都子ちゃんの様子を見たって訳なんだね?」

 

 竜宮さんが全てを知ったと言いたげだ。当然返ってくるのは、北条さんがどうなっていた、北条さんが病気になっていた。そんな話になってくるはずだと思うから。

 でも、園崎さんは首を横に振る。

 

「いいや、様子を見ることは出来なかった」

「どうして? まさかいなかったの?」

「そのまさかだよ」

「じゃあ入院したとでも言うの?」

「……そこからなんだよ。あたしが気になっているのは」

 

 園崎さんは目を細め、前原君と自分の2人に対してある確認を取ってきた。

 

「先日の出来事なんだけどさ。圭ちゃんと孝ちゃん……後は亀田さんだっけ? その3人でエンジェルモート行ったんだよね?」

「うん、そうだけど……」

 

 前原君も同じように頷いていた。

 

「そこまでは何もなかっただろうから、いいんだよ。問題はその後。帰り道に誰かに会ったんだよね?」

「え?」

「圭ちゃんからそういう話を聞いたんだよ。そういえば沙都子を知らないかと聞いてきた男性がいたって」

 

 そう言われて、思い出すのは金髪のいかつい男の姿であった。

 

「うん、確かに出会った」

「……そいつ、たばこの臭いとか、金髪とか。そんな特徴なかった?」

「うん……」

 

 段々不安になってきた。彼女のいう事はまさにその通りで、まるで会っていたかのような自信と不満が混じっている。そして何より、隣にいる竜宮さんの顔が青ざめていくのが分かった。

 園崎さんはそこで手で顔を埋める。予感ではなかったこと、それを知らされ、絶望するのがよく分かった。古手さんも隣でスカートを掴んで、園崎さんを励ましている。

 状況が分からない自分に答えをくれたのは竜宮さんだった。

 

「それね、沙都子ちゃんのおじさんなんだ」

「え? 北条さんの、おじさん?」

 

 前原君はもう知っていたようだ。その顔に驚きの顔がない。

 

「おじさんがいたから、北条さんがいなくなったていうの?」

「そうだよ。沙都子はそのせいでいなくなった。梨花ちゃん、そうだね?」

「……」

 

 否定をしない。それが何よりの答えだった。

 

「でも、おじさんなんだよね? それなら、一緒に暮らすということなんじゃないの?」

 

 自分でもそんなハッピーエンドに向かうとは思えない。おじさんに出会った時の印象から察するに、状況はよろしくないことになりそうなのは目に見えているからだ。

 だからこそ、彼がどんなことをしていくのか。それを聞く必要があった。

 竜宮さんは僕の意図をくみ取っておじさんのことについて説明を始めてくれた。

 

「おじさんは以前にも北条さんを引き取ってくれたことがあるんだよ。でも、家庭内で色々あったって話を聞いていて……」

「色々?」

「暴力沙汰とか、そういうこと」

 

 北条さんが昔というのなら、それは小学校に上がる前、もしくは上がって間もない話なのか。それなのに、養父である人が暴行を……もしかして、北条悟史という人も同じような目にあっていたというのだろうか。

 

「ちくしょう! 何だよそれ……!」

 

 前原君がその話を聞いて苛立っているのが分かる。扉に八つ当たりするために思いっきり平手で叩いていた。

 

「それじゃあ沙都子は家族を失ったにも関わらず、更に暴力を受けたということなのかよ……!」

「ううん。実際は沙都子ちゃんには大きな被害は無かったみたい。そりゃあ平手打ちなんてあったかもしれないけど、本当に大きな怪我ということにまでならなかった」

「それは入院をしたら、学校からの報告があるからじゃないの?」

 

 法律があれば、北条さんを守る事が出来る。事実を隠蔽するためにも、目に見えない形で暴行に当たっていた。

 そう予想したにも関わらず、園崎さんは首を横に振る。

 

「違うよ。確かにそれもあるんだろうけど、もっと別で動いていたことがあったんだ」

「どういうこと?」

「悟史の存在だよ」

「……」

「……悟史は沙都子を庇っていたのですよ。何度も叩かれそうになったら、それを守ったのです」

 

 だから、僕が罰ゲームの時に暴行を庇ったことが北条さんにとって、にぃにとなったのか。何度も庇って、力で屈服しない彼の姿を思い返して。

 

「だったら、なおのこと駄目じゃねぇか!」

「前原君……」

「今、あいつはそんな悪党のいる場所に連れて行かれたんだろ!? そして今はあいつを庇ってやれる奴がいない。孤独で耐えている。ようやく手に入れた小さな幸せさえ、あいつには切り捨てないといけないのかよ。そんなの……あまりにもひどすぎるだろ」

「……圭ちゃん、その気持ちは痛い程分かるよ」

「沙都子はそいつの家に住んでて幸せなのか?」

 

 確認するように古手さんに聞く。答えはNOだった。

 

「じゃあ梨花ちゃんと暮らしてて、辛そうな顔をしたことがあるか?」

「……ないと思うのです」

「だったら話は簡単だ。沙都子を救う、それだけの話だ」

「そうだね。沙都子ちゃんが苦しんでいるのをただ黙ってみるなんて見過ごせないもん」

 

 お互いの気持ちを理解しあい、みんなが団結しようとしている。僕だっておじさんの魔の手から救うべきだというのは同じ気持ちだ。

 だからこそ、これから警察に行って事情を話すなんてことをすれば――――

 

「……みんな、落ち着いてほしいのです」

「古手さん?」

「……気持ちは分かるのです。でも、そこで力で解決しようとするのは意味がいないのです」

「え? あ、あぁ……」

 

 戸惑いつつも、前原君はそのように答えた。他の2人も同様に同じように返す。

 彼女は何を意味してそんなことを言ったのだろうか。

 とにかく彼女の気持ちには賛成だ。まずは身近で出来ることを提案することにした。

 

「なら……まずは先生に相談しない? それで先生からアプローチしてもらうとか?」

「あぁ、そうだな。状況を更に詳しく知るためにも、まずは情報を集めよう」

「朝の時間はもう無理だし。とりあえず昼休みに職員室へ行くのはどう?」

 

 みんなで計画を立てていく。

 北条沙都子を助けるため、部活動が始まったのだった。

 



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■影差し編【Ⅴ-Ⅳ】

「……そうですか。話については分かりました」

 

 昼休みになった瞬間、みんなで知恵先生がいる職員室へ駆け込んだ。驚き、慌てる知恵先生も今は冷静で、僕らの話を聞いて、納得したように頷いていた。出席簿の北条沙都子の名前を指でなぞり、苦い顔をそのままにため息をする。

 この反応を見る限り、思い当たる事は1つだけであった。

 

「やっぱり先生も北条さんの状況については分からなかったんですか?」

「えぇ……。私には体調不良と聞かされていましたから」

 

 そう言って古手さんの方を見る知恵先生。騙していたことについて反省しているのか、古手さんはバツが悪い様子。軽く頭を下げて、今の状況をまとめる。

 

「沙都子はおじさんのところにいるのです。今もきっと家にいるのですよ」

「なぁ知恵先生。先生からアプローチをすることで、沙都子の様子を窺うことは出来ないのか?」

「それは出来ます」

 

 断言してくれたことに安堵するのも束の間、「ただ」とお茶を濁すように先生は続けて口を開いた。

 

「今は動けないというのも事実です」

「どうしてですか?」

「北条さんが体調を崩したという話が本当かもしれないという以上、安易な行動をするわけにはいかないのです」

 

 園崎さんがその言葉を受けて、悔しそうに顔を歪めていた。当然と言えば当然の反応である。隣にいた竜宮さんが代わりに、先生に質問を投げかける。

 

「それは梨花ちゃんが言っていたということもあります。この事実を知った以上、先生は沙都子ちゃんに確認をする必要があるんじゃないですか?」

「そうだぜ。確かに梨花ちゃんと別の場所に住んでいるとなると、確認する必要が出てくる」

 

 だが、そのアイデアでも先生は首を縦に振る事はない。

 

「残念ですが、それでは家庭訪問をすることは出来ません」

「どうしてですか?」

「教育の立場では、憶測で行動をしてはいけないからですよ。篠原さん」

「いなくなっていたのに、急に親なんて名乗る事が出来るんですか?」

「一応ではありますが……親権は北条鉄平さんにも存在します。それがあるので、親を名乗ることは出来ます」

「でも、過去に沙都子はおじさんといざこざがあったんだぜ!?」

「過去は過去です。今とは関係ありません」

 

 冷酷な言葉に聞こえなくもないが、知恵先生も教職員という立場では出来ないことが多い。先ほどから言葉の節々には悔しさを滲ませていたし、出来ることなら今からでも様子を見に行きたいのだろう。大人の対応、なのかは分からないけど、これが社会のルールなのかもしれない。

 だが、知恵先生は暫く考えたように黙り込むと、おもむろに机の引き出しから何かを取り出した。

 そこにあったのは少し昔に作られたとされる名簿。しかも住所や電話番号が書かれている個人情報を含んだ名簿であった。先生はそれを何枚か捲ったと思うと、1つの項目で手を止める。

 

「ですが、北条さんに聞く必要はあります。無断で休んだとされる可能性がある以上、直接ではないにしろ確認の義務が教員にはありますから」

 

 自分に言い聞かせるように、そう呟くと、先生は受話器を取って北条さんのいるであろう家に電話をかけはじめた。

 

「沙都子のやつ、無事ならいいんだけどな」

 

 先生が受話器の向こうにいる人物とコンタクトを取ろうとしている中、前原君が北条さんの安否を心配していた。

 

「流石に……大丈夫だと思うよ。いくらなんでも無事かどうかを確かめる状況ではないと思う」

「だがよ。あの野郎だったんだぜ? 沙都子のことを考えてる奴には見えなかっただろ……」

「……まぁね」

 

 ヤクザを身に纏った姿をそのまま見せたといってもいい。確かに間違えたら手を出す人物であることは間違いない。でも、まだ悪い方に考えても2日しか経っていない。

 そんなすぐに北条さんに暴力を振るうとは思えないんだけど……。

 

「それに、やっぱ過去にやらかしたことは変わらねぇんだ。悪い未来が見えるなら、それを先に止めておくべきだ」

「……そうなのです」

 

 古手さんが前原君の言葉に賛同する。どうしてだろうか、その頷き方には力強さが感じられた。

 

「あ、すいません。私は雛見沢分校にて北条沙都子さんの担任教員の――――」

 

 繋がった。

 知恵先生がチラッとこっちを見てから、話を続ける。固唾を飲んで見守る中、先生は今回の北条さんの欠席について、そして今は彼女の家庭環境がどのように変わったのか。

 そのようなことを聞き出そうとしていたのが分かった。やはりこういう仕事に携わっていることが大きいのか、変に刺激しないように言葉を選び、そして丁寧に話を進めようとしていた。

 だが、彼女の努力とは無関係に相手は電話越しからでも怒声を上げている。それは自分たちが先生と距離を空けていてもよく聞こえる程だった。

 内容は簡単だ。

 

「ですから、北条さんに代わって頂いてもらっても――――」

『何でお前さんに言われんといけんのじゃい!? 沙都子は風邪を引いてるんじゃ、それ以上のことが必要なのかぁ!?』

「ですが、教員としては直接言葉を聞きたいんですよ。家庭環境を変わってしまったのもありますから」

『だから大丈夫やっていっとるやろ! 上手くいっとるのに、関係にヒビ入らすのか? 担当さんはよ!?』

 

 そう言われては何も言えない。一応形式上では親子関係なのだ。そして今あるのは、全て仮定の話。全て先生が危惧していた内容だ。

 担当教員として穏便な形で終わらせなければいけないのは、先ほどの様子からヒシヒシと感じさせる。下からいこうとする姿勢が感じさせる言葉使いだ。

 

「……分かりました。では、何かあればまた連絡しますので、今回はここで。お時間を取らせてしまい、すみませんでした」

『おう、分かればええんや』

 

 結局知恵先生はその後2分くらい粘っていたけど、平行線を辿ったまま、何も分からないままで収めるしかなかった。

 一方的に相手が切って電話でのやり取りが終わってしまった瞬間、次に出たのは知恵先生の深い嘆息を漏らしていた。

 

「すみません。何とかして北条さんに代わってもらおうとしたんですけど……」

 

 この一瞬だけで若々しく見えた知恵先生の顔が一気に疲労で老けたように感じてしまう。

 それぐらい、先生にとって精神的にきつかったことなのだろう。誰も、何も責めることは出来ずに互いの顔を見合すことしか出来ない。

 

「鉄平とかいうやつ……沙都子を出したくないってどういうことだよ……!!」

 

 怒りに拳を固めて、知恵先生の代わりに前原君が顔をしかめていた。それは園崎さんや古手さん、もちろん僕も同じで、神妙な顔で事の重大さ、そして不安を感じさせていた。

 冷静に考えていたのはこの中で1人だけ。

 

「知恵先生、あの様子で沙都子に何もなく幸せに過ごしていると思いますか?」

「…………思えないですね。憶測ですが」

 

 1つの間を空けてから、先生はみんなが予期していることを口にする。

 

「――――北条さんは暴行を受けています」

「そんな……」

「彼女に何も無ければ、電話に出すだけであれだけ抵抗をしません。何かやましいことがあったと考えれる以上、その説が一番考えられることでしょうね」

「なら、児童センターに訴えることで対処してくれたりしないんですか?」

 

 児童センター。竜宮さんのアイデアを聞いて、前原君も水を得た魚のように元気になる。

 確かに暴行を受けているというのであれば、親権を無くし、再び古手さんと一緒に暮らすことが出来る。

 

「……一応過去に親から暴行を受けていたという事実があれば、以前の事案から児童センターに家庭訪問をしてもらうことは可能です」

「なら!」

「でも、無理なんですよ」

 

 自分の言葉に喰ってかかるように、知恵先生はその可能性が無い事を断言した。

 何故可能性がないと言い切れるのか、みんなが腑に落ちていない中、その理由を先生は述べてくれた。

 

「北条さんのところでは、以前に暴行を受けたという過去記録はないのですよ」

「は? いや、あれだけ騒がれていたんだからあるんじゃないのかよ!?」

「いいえ。それがないんですよ」

「それはまた、どうしてですか?」

「何度か児童センターに訴えかけ、家庭訪問をしたのはありますよ。北条さんに事情を聴いたこともあるそうです」

「なら、あるはずだろ!?」

「ないんですよ。何度も行って、聞いても……北条さんは暴行を受けていることを否定していたんです」

 

 そこで先生は古手さんの方をまた見る。今度は責めるようなものではなく、悲しみを含んだ辛いものであった。

 その目線を受け、古手さんが状況の説明を続ける。

 

「……沙都子は強くなろうとしたのです。そのために、我慢することが強くなることだと思っているのです。だから何も言わなかったのです」

「だがよ? 痣が出来ていたら子供が脅されていると思って強制的に引きはがすんじゃないのか?」

「……沙都子はそれよりも前に、児童センターに何度も連絡をしたのですよ。内容も同じなのです。ただ……その時は嘘だったのです」

 

 嘘、何故嘘をついたのか。

 みんなの疑問は竜宮さんの口から出された。

 

「何でそんなことをしたのかな?」

「嫌がらせのつもりだったと聞きました。その時はまだご両親も健在の時でした。母親に対しての反抗のつもりもあったんでしょう。しかし、それで信用を失っていたのも事実です」

「だからって……」

「……魅ぃが言いたいことはよく分かるのです」

 

 でもこれが現実、今の状況なのである。古手さんは言い切って、口を閉めた。

 

「何だよそれ、過去は過去じゃないのかよ……」

「それは分かっています。文字通り痛いほどに、分かっています」

 

 どうしようもない。それが分かったような気になってみんなが押し黙っていた。

 北条さん……。

 あれほど明るい笑みを見せてくれて、僕のことをにーにーと呼ぶようになった北条さんはもう見られないというのだろうか。次に会う時は頬に痣を作って、無理に笑って見せようとする痛々しい北条さんの姿なのか。

『それでは沙都子ちゃんが可哀想じゃないですか』

 入江先生が言っていた言葉が蘇る。北条さんを想い、考える入江先生ならこの時でも諦めないのだろうか。それとも、無力な状況であることを嘆き、運が味方するのを待っているのだろうか。

 ……そんなわけない。きっと諦めないはず。そしてそれは自分も同じだ。

 にーにーと呼ぶと言ってくれてから、まだ一度もそう呼ばれていない。たった1つの彼女が見せてくれた我が儘。それをまだ自分は何も果たさせていない。

 なら、どうすればいい。考えなくてはならないのに。

 

「……児童センターも暴行を受けていたことが真実だと知れば動きますよね?」

「ま、まぁそうですが」

 

 園崎さんが確認のために聞いて、先生はそうであることを認めた。

 みんながその真意を確かめたい中、園崎さんの視線は僕へと向けられる。

 

「今日は連絡とかの話があったから、沙都子のところにも伝えないといけない。つまり直接会いに行くことが出来る唯一の方法がそれなんだよ」

「もしかして……」

「……孝ちゃん。お願いしてもいい?」

 

 まさかである。何故自分を選ぶのか、それが分からない。

 それはみんなも同じだった。別に僕が駄目だからという意味ではない。ただ1人で行かす意味が分からない。それならみんなで行ってもいいのではないか。そちらの方が相手に対してけん制が出来るというもの。

 それらの指摘を受けても、園崎さんの意見は変わらない。

 

「孝ちゃんは1人で行くべきなんだ。みんなとじゃなくて、1人で行って、確認する必要があるんだよ」

「何を?」

「……孝ちゃんが、沙都子の心許せる人物なのかどうか」

「心許せるって……それはみんなにも言えることじゃないか」

「違うんだよ。それとは違うモノ……孝ちゃんだって分かってるんでしょ? 自分が悟史に似てるから、だから……」

 

 その後は何も言わない。とりあえず値踏みするような目で確かめてきた。

 また悟史という言葉だ。何故こうも、見たこともない人物に僕は振り回されないといけないのか。そして、頼られないといけないのか。

 とにかく園崎さんは北条さんが最も心を許しているのが自分だと言いたいんだろう。

 そして、相談するには僕1人で聞かなければ意味がない。多人数、しかも心配をかけたくないような面子に出会えば、我慢をしたくなる彼女のことだ。きっと嘘をつくに決まっている。

 だからこその僕1人での訪問。それを言いたいということは何となく理解出来た。

 そして、もう1つ……

 

「で、どうなのかな?」

 

 竜宮さんが不安そうに聞いてきた。

 

「……正直言うと、かなり不安なんだよ」

「そりゃあ相手が相手だしな」

「違う、そうじゃない」

「は?」

「…………」

 

 前原君が首を傾げるが、僕自身もあやふやな感情だ。相手が怖いというのと、1人で行かなければならないという恐怖。怖いのは当然だ。

 でも、それ以外にある。やってはいけない。そんな胸の中にある小さな警鐘が今まさに大鐘と化して鳴り響いているからだ。不明瞭な感覚、これは一体どういうことなんだろう。

 

「孝介?」

「あ、うん……ごめん…………」

「孝ちゃん。別に今答えろとは言わないよ。後で、帰りにどうするか教えて」

 

 期限は放課後まで。それまでに考えなくてはならない。

 僕の……自分の中にある正しい答えを。

 



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■影差し編【Ⅴ-Ⅴ】

 どうすればいいのか。その答えはいつまでたっても自分の中で渦巻いているだけ。

 前原君が目の前で問題の解答を見せてくれている中で、自分は遠い所を見ていた。

 授業がタイムリミットのように感じてしまう。放課後までは後1回の休憩をはさんで2回の授業。

 それが早く感じる。

 問題を解いていない。それどころか、ペンを動かすことさえしなかった。

 

「はぁ……」

 

 ため息ばっかり、本当に何も出来ていない。

 北条さんを助ける。それが出来るかもしれないと園崎さん達は言ってくれた。自分だからこそ出来て、自分にしかないものがあるって。

 他のみんなも同意して、そして僕に託してくれた。

 ……でも、それを僕自身が一番納得出来ていない。

 それは言葉の意味が分からないという訳ではない。自分が出来ることとして北条さんの傍にいてあげて、相談に乗ってあげる。不安が無いかを聞いて、そして事実を元にみんなで助ける。

 それが自分の優しさがあってこその話だということも。

 ……でも、だからこそそれを自分がやるべきことなのかと思ってしまう。

 それは自分でしか出来ないことなのだろうか。自分にあるのは以前園崎さんに言われた優しさ“だけ”。

 そんな自分が出来ることなんて、みんなも出来て当たり前のことである。

 前原君も園崎さんも、竜宮さんも。誰もが出来て……いや僕以上にしっかりと出来るはず。それに先生を頼ることだって出来るはずだ。それが駄目なら警察に頼み込むことだって出来る。自分よりも出来る人、方法が周りにいて、ある。

 ……でも、仲間であるみんなは僕を推薦してきた。

 何故なんだろう。それが今の僕の授業、探すべき答えだった。

 

「どうして……」

 

 やはり出てきたのはそんな気弱な台詞でしかない。

 真っ白なノートはまるで自分の頭を表しているようで、嫌になって外を見ることにした。

 正午を過ぎたばかりの暑さによって生まれた蜃気楼。それがグラウンドに揺らめきを与え、人影をぼやけさせている。

北条さんは外に遊びに行けているのだろうか。それとも家で籠っているのだろうか。

 思い浮かぶのはどちらにしても、楽しそうな笑顔じゃない。

 彼女の嫌がっている顔、辛そうな顔、悲鳴を上げている姿……みんな見たこともないのに、そんな負の感情しか見えてこない。

 もしかしたら、なんて楽観的考えは出来なかった。

 

「痛ッ!?」

 

 唐突にこめかみ辺りに軽い衝撃が走る。チクリとした感触に驚いて、机を見ると、丸めた紙がそこにはあった。

 投げられた先である相手を確認する。

 前原君、園崎さん、竜宮さんが不安を込めた目線で伝えてくる。もう一度紙を見て、それからもう一度3人を見た。

 

「……ごめん。心配かけたみたいで」

 

 3人は何も言わない。目を伏せる者、目を細める者、唇を噛み締める者。全員、何かしらのアクションをしてくれたけど、口を動かす者はいなかった。

 前原君が顎をしゃくって、その紙を開くように指示してくる。

 丸め込まれた紙を開いてみると、前原君らしい大きく、かくついた文字でこう書いている。

『後で話がある。トイレの前に集合』

 用件だけをまとめた、簡潔な文章。

 前原君の方を見やる。彼は既にみんなの問題の解答係へとシフトしていた。何も答えも、見せようともしてくれない。

 時計で確認してみる。授業も佳境を迎えたところで、既に先生は今日のまとめに入っていた。最初確認したときは時間もそれほど経っていないように感じたのに意外で仕方ない。

とにかく休憩時間はもうすぐだ。多分そのときに、二人きりで話がしたいということなんだろう。内容が何かなんて分かり切っている。

 本当に、情けない話だ。何も考えられていない。このままみんなのいう事に「はい分かった」と言うだけの末路しか見えてこない。みんなに言われて、みんなの計画として進めていく。

 それが一番なのかもしれないけど、それじゃいけないような気がする。

 何故そう思うのか、いけないと思っているのか。

 

「今日の宿題です。雛見沢の田んぼや自然、虫たちを見て、一つ、テーマを決めてください。そして感じたことをそのまま、習った漢字を使って記録してくださいね。思った事をちゃんと伝えることは大切です。しっかりと取り組むように。あ、絵日記のようなものでも構いません」

 

 知恵先生が黒板に宿題の内容を書き込んでの総まとめに入っていた。小学生低学年に頭の中でイメージしたことを伝える宿題を与えている。夏休みの自由研究のような課題だと思えた。

 

「余談ですが、日記というのは大昔に存在していたんですよ? かぐや姫の元を作り上げたこと有名な人も日記も作ったほどです。皆さんも、日頃から意識してみるといいかもしれません」

 

 日記……その言葉を聞いて何か思い出すことがある。

 引っ越し初めに見たあの日記。あそこにもそういえば自分と同じような内容が書いてあったはず。

 確か前原君のことを信じたい。仲間を信じる気持ちを持ちたい。なんて言葉を掻いていたはず。

 それはつまり、最後にみんなを信じ切れなかったからダメだったということなのだろうか。その人は一体どうして、仲間を信じ切れずに単独行動をしたのだろうか。

 今になって気になってきたあの日記。不穏な気配、不安な気持ち。状況は違うけれど、あれの通りに事が進んでいるような気がする。

 予言の書というのは違うかもしれないけど……それでも見た方が良いと今になって思う。

 例え嘘でも、例え偶然だとしても……書き手は何を想って、そして何が起こったのか、それを確かめないといけない。

 それが、もしかしたら自分を変えることに繋がるかもしれないから。

 

「はい! それではチャイムが鳴ったので次の授業まで頑張ってくださいねー」

 

 チャイムという名のベルが鳴り響いた。

 そして先生がそう締めくくると、みんなが各自休憩のために動き出す。

 竜宮さんや園崎さんもノートを片付けたりして、自分の時間を作っていた。まるで自分は関わらないように、気を使ってくれているとさえ見えてしまう。

 そんな中、前原君は机の上を片そうともしない。真っ先に1人立ち上がって教室から出て行ってしまう。その間、目線さえ合わせなかった。

 それは多分、僕がトイレに向かうということを見越したことなのだろう。仲間として信頼しているのか、それとも何か違う意味でもあるのだろうか。

 行くしかない。

 そう思うまで、少しの間があった。変な迷いがあった。

 もう一度外を眺める。蜃気楼に包まれる暑さを気にしつつ、遠い場所にいるであろう北条さんの姿を思い浮かべる。

 

「……あれ?」

 

 ここで何か違和感に気付いた。

 先ほどもグラウンドを見ていたのに、何かが違う。揺らぐグラウンドの先を見て、そう思うのだ。

 しかし何かは忘れてしまっている。心あらずにいた自分には先ほどまでの行動なんて覚えていなかった。

 誰かが大笑いしたのか、クラスメートの明るい話が耳に入り、それで現実に戻る。

 今はやるべきことがある。北条さんだけでなく、自分もあんな風に笑えないといけないようにならないと。

 そう思いつつ、僕は静かに教室を出て行った。

 




遅れてすいませんでした……。しかも大きな展開がない場面ですなー。

その間にみなさんに感想や評価もしていただいて……本当にありがとうございました!
じゃあ寝ますw


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■影差し編【Ⅴ-Ⅵ】

お久しぶりとなりました。

コンテストもリアルも落ち着きを取り戻したので、更新しておこう……w


 前原君はトイレの入り口前で待機していた。壁にもたれることなく、仁王立ちで腕を組み、真剣な表情で出てきた僕のことをジッと観察していた。

 口元は授業のときと変わらない。引き締められ、何か言いたいことを抑えている。

 それが何を意味しているのか、今の僕には理解できたような気がした。

 戸惑いながら、手を上げる。

 前原君も同じように手を上げてくれたことにだけで軽く安堵した。

 

「どうしたの。前原君?」

 

 そんなとぼけた口調で笑ってみせる。自分でも滑稽だと思えるぎこちなさ。

 どうしたの、なんてふざけたこと。どう考えてもあれしかないというのに。

 そして彼は単刀直入に切り出してくれる。

 

「孝介。話っていうのは沙都子の件についてだ」

「……うん、だよね」

 

 分かりきっていたこと。だって、今の今までそのことで自分が悩んでいたことは部活メンバーにお見通しなのだ。北条さんを精神的に救出するにはどうしたらいいかも、具体的な算段でさえ、イメージ出来ていない。 

 そのせいか、胸の中にある警鐘は鳴り止むどころか、また大きくなっているのだ。

 なぜか分からない僕には、もう正しい行動が何か分からない。

 

「もしかして、何かアイデアとかを伝えてくれるために?」

 

 ……そして、それについてみんなは不安に感じてくれている。

 手助けして欲しい、答えが欲しい。たとえそれで情けないやつだとしても、だ。

 求めるようになってしまった僕の言い方に、前原君は軽く肩を落している。

 

「孝介、悪いんだがアイデアは……ない」

「そうなの……じゃあ、今からどうやって北条さんを救い出せるか、アイデアを考えてくれるのかな?」

 

 流石は前原君。僕のために彼は力になってくれるというのだ。

 

「孝介……!!」

 

 でも話を切られた。続けて言いたかった自分の口が固まってしまう。

 知恵先生のような諭される言い方ではない。感情を押し殺したような、そんな含みのある言い方が感じ取れる。そして溜めに溜めている何かが、僕には分からない。

 とにかく話を聞こう、そうやって相手に合わせることばかり考えていた。

 

「どうしたの?」

「俺は確かに沙都子の話をしたい。だが、それ以上に…………」

「……それ以上に?」

「孝介。お前の話がしないといけない」

 

 思わず顔をしかめた。前原君の言葉の意味を考えることなく、自分の感情のまま聞き返す。

 

「どうして? 今は僕のことについて話をしても意味がないと思うけど」

「いや、意味はある。大アリだぜ」

 

 むしろその意味しかない、そう言って詰め寄ってくる前原君。

 圧倒されそうな雰囲気に思わず一、二歩と後ずさりしてしまった。その雰囲気は、転向する前の学校で担当の先生に怒られるそれに似ていたからだ。

 

「ど、どうしたの。何か気に障ることでも言ったのかな?」

「孝介、お前はここまでなってもまだ分からないのかよ」

「だから何を……」

「お前のそれが、いけないってことだよ」

 

 指で胸を小突いてきた。

 

「どういうこと? ただ質問をしただけだよ」

「最近のお前、ずっと聞いてばかりだな」

「え?」

 

 それがなぜいけないことなのか。むしろ相手の考えることを理解しようと頑張っていきたいから、聞いていることなのに。

 それなのに、前原君はその対応をよしとしてくれなかった。

 

「孝介。お前は魅音が何で帰りにしてでも待ってくれたのか、分かってるか?」

「それは……きっとみんなも整理する時間が欲しいし、もし何かあっても対策が取れるようにって」

「やっぱりだぜ」

 

 確信めいた言葉に我慢強いと自負していた僕も、そろそろ本題に入って欲しいと思ってきた。

 

「だから何がやっぱり? どういうことなの?」

「孝介、お前は大馬鹿野朗だ」

 

 一瞬時が止まってしまったように感じた。

 何を言ったのか、前原君のことがよく分からなかった。

 

「い、いきなりすぎる一言……変なこと言うね……」

「悪いが真剣だぜ?」

「いやいや……何でいきなり罵倒されないといけないのかな?」

「分からないのか?」

 

 前原君は至って真剣な面持ちであることは分かっている。

 でもだからこそ分からない。なぜそんな言い方をするのか、僕の話をするといってどうして結論がそうなのか。

 質問に対して頷いた僕に、前原君は1つの答えを言ってくれた。

 

「孝介……お前は俺たちを仲間だと思っているのか?」

「え、そりゃあもちろん」

「じゃあ教えてくれ。仲間ってのは一方的にぶつけることで成り立つ関係なのかよ」

「えっと……」

 

 言いたいことは何となくだけど分かる。

 だからこそ腰を折って、しっかりと謝る事にした。

 

「ごめん。みんなにちゃんと相談すれば良かったのは本当かもしれない」

「だからそれが違うんだよ」

「何が違うの。みんなに相談すればそれでいいんじゃないの?」

「……」

 

 いきなりだった。胸倉を掴まれ、一瞬の間に壁際まで寄せられてしまった。

 唐突な行動に目を白黒させていたのに対して、彼は眼前で喚いてきたのだ。

 ……いや、吠えるといった方が正しいのかもしれない。

 それほど彼の言葉には重みが存在していた。

 

「……俺は今までお前に対して教育的指導を行っていなかったが、やるしかねぇようだな」

「え、え!?」

「歯ぁ食いしばれぇええ!」

 

 そして威力のあるパンチが右ストレートとして受けることに。

 本気の一発。吹っ飛ぶことはないがふらついてしまい、そのまま床に崩れ落ちてしまった。

 殴られた頬がジンジンと痛む。

 それと同時に、湧き上がる感情は当然存在していた。

 

「何するの、前原君!」

「はッ! 腑抜けた野郎を更生させようと思っただけだ」

「だからって殴る必要はないでしょ!」

 

 起き上がって掴みかかる勢いで近づいても、彼は一歩も後ずさりすることはなかった。

 冗談じゃない。訳分からないままに殴られてはこちらの身がもたない。

 前原君が何を望んでいるのか知らないけど、とにかく彼が何を想ってここまでするのか知らないとこちらも気が治まることはないだろう。

 

「孝介は何を怒っているんだよ?」

「殴られたこと! 当たり前でしょ!?」

「何でだよ?」

「何でって……そんなの分かるはずだろうに……!」

「分からないなぁ。もう一発殴ってやろうか?」

 

 何でだろうか。前原君は自分のことを全然理解してくれようとしない。

 いつもなら自分が落ち込んだことにすぐに気付いてくれているはずなのに、どうしてなのだろうか。

 分からないけど、それがイラつく原因であることも間違いない。

 

「なんでこんなことするの!? 僕は北条さんを助けたいだけで、何も悪いことをしていないのに……!」

「どうして助けたいんだよ!?」

「それはみんなが計画してくれたんだから当然でしょ!?」

「じゃあ孝介、お前の気持ちはどうなんだ?」

「だからみんなに合わせるんだって……」

「そうじゃねぇ!」

 

 僕の言葉は否定される。

 

「俺たちが決めたことじゃなくてお前自身はどうなんだよ!」

「僕が……やりたいこと?」

「お前はいつもそうだ! 俺たちがやろうとすることばかりに頷いて、お前はそれを一緒に付いていく。それじゃあ人形と同じだ! いいや、意思を持っているはずな分、余計に駄目だな」

「だって……」

 

 僕の気持ちはきっと意味を成さない。だって僕には何の力なんて無いのだから。

 

「僕はみんなのようになれないんだから。みんなに合わせるのが最善なんだよ……」

「俺のように、なりたいだと?」

「前原君は凄いよ。いつも乗り越えようという気持ちがあって、前を向くことを諦めない。だからこそ、その背中を見て追いかけられるんだ」

「……」

「園崎さんも、竜宮さんも、北条さんも、そして古手さんも。全員が全員、己のいるべきところがある」

 

 そう、このメンバーがいれば何も恐れることがない。

 前原君のように状況を変えることも出来ない。

 竜宮さんのようにみんなを勇気づけることが出来ない。

 園崎さんみたいに勢いを作ることも出来ない。

 北条さんみたいに新たな切り口を見出せるわけでもない。

 古手さんみたいにみんなを落ち着かせることが出来ない。

 互いが認め合い、己のやるべきこと、そして居る場所が存在している。

 だから、このメンバー“だけ“で、いい。

 

「僕はそれを見ているだけで充分だから。みんなに背中を見せることなんて、出来ないよ」

 

 みんなが手を繋いでいるその一歩後ろを、僕は歩いていく。

 みんなが話しているその内容を、僕は聞いている。

 みんなが光当たっている場所で……僕は影を踏んでいく。

 

「僕の出来ることは、みんなを信じることだけだよ」

「……」

「それだけ、かな? ごめんね、変な話だったかな?」

 

 全て語った。それを伝えるためにも、前原君の目をしっかりと見つめた。

 そして作っていると分かった笑顔で前原君の言葉を待つことにする。

 さて、どんな言葉で前原君が引っ張ってくれるのだろうか、なんて考えて。

 

「まだだ」

「え?」

 



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■影差し編【Ⅴ-Ⅶ】

 前原君は真剣な表情を崩さずに、拳を前に突きだしていたのだった。

 真っ直ぐに伸ばされたグー。マンガとかで見たことある拳と拳を付き合せるといったあれをしろと言う事なのか。

 何をされるのだろうか。そんな不安がある。

 

「……ほら。孝介、手を出してみろ」

「うん」

 

 とにかく言われた通り、拳を固めて前原君と重ね合せる。

 固く、がっちりとしたモノを手の甲で感じてしまう。

 これで一体何をしてくれるのだろうか。

 

「ほらな」

「…………え?」

 

 前原君に言われて視線を手元に戻し、そして気づく。

 

「お前はまだ怖がってるぜ……」

 

 前原君と違って、自分の拳は震えていたのだった。

 小刻みに震え、真っ直ぐ伸ばすはずの拳は迷いを表しているようにも見えてしまう。

 それが分かって、咄嗟に引っ込めてしまった。

 

「僕は、何も……」

「さっきから何を躊躇っているんだよ。俺たちのことじゃなくて、お前のやりたいことでいいじゃねぇか!」

「そんなこと言われても……!」

「お前は……自分のことをどう思ってるんだよ?」

 

 強く見つめられそうで、前原君と顔を合わせないようにしてしまう。

 そうしないと、中を覗かれそうな気がしたから。

 こんなに前原君のことが怖いと思ったのは、初めてだった。何も知られたくない。

 ……いや、違う……。

 

「僕は……」

 

 そう、僕は前原君を恐れているのではない。

 それは、自分自身。

 壊れないようにと、ただ見たいだけの自分自身がいることを知ってしまうのが、知りたくないから。

 

「きっと――――」

 

 誰もいなくなってしまう。先に行ったのに、振り返れば、そこには誰もいなくて。

 声も無くて、光も無くて、道も無くて……。

 先を見るのが怖くなって、ずっと後ろを振り返ってばかりだった。

 それで、いつしか前に人がいないと、何も出来なくなって。

 それが、いつの間にか“自分”だとうそぶいていた。

 

「嘘、付いて……」

「……」

「そうか…………そうだよ」

 

 自分は、失敗して、取り戻せない未来になる今を恐れている。

 そしてその失敗は他の人と同じ。

 だって、怖いから。1人になるのは、嫌だから。

 間違えたくない、自分のせいで何かを壊したくない。

 それが、自分の気持ちだ。

 

「孝介。お前はみんなとは一歩下がって見ているって言ったよな?」

「……うん」

「だがよ。今も前にいて必死に頑張ろうとする沙都子を、どうやって引っ張ってやるんだ?」

「……え?」

 

 前原君の顔には、心配を取り除かせるような力強い意志を見せてくれていた。

 

「あいつは今、声も光も届かない所で、1人取り残されてるんだぜ?」

「だから、それはみんなが引っ張ってくれるから……」

「まだ分からないようだなぁ」

 

 そう言って彼は僕の胸を小突く。

 自信に溢れたその拳は、先ほどと同じで何かを払拭させてくれる。

 自分を認め、伝えようとしているのがよく分かる。

 不安だった何かを背中から外へと追い出して、彼から強い何かを受け取ったような気になった。

 

「引っ張るためには、あいつからも手を出してもらう必要があるんだぜ?」

「……でも、みんななら」

「違う。孝介だけだぜ」

「それは嘘だよ、みんなだって出来る」

「いや。必要なのは、お前のその優しさだ」

 

 断言された。 

 気恥ずかしい想いを感じてしまうが、先ほどのように目を逸らそうという気持ちにはならない。

 代わりに思ったことを正直に言おう、そう考えられた。

 

「みんなも優しいのに……?」

「違う。不安を打ち明けて、一緒に悩めて、同じように苦しんだり、嬉しがったりする。その優しさが、今のあいつには必要なんだよ!」

「でも、優しい“だけ”だよ。何も……」

「なら優しい“だけ”でもいいじゃねぇか」

「え?」

「お前はお前だろ……その優しさが孝介じゃねえか?」

「……」

 

 驚いて、何も言えなかった。

 自分が駄目だと思っていたところ、それさえも前原君は認めようと言うのだ。

 それがあるからこその、自分。

 自分で自分を認める。

 

「そして俺たちは部活メンバーだ。足りない部分はカバーし合う。当たり前の話だぜ」

「部活メンバー……か」

「沙都子を元の場所に戻してやるんだよ。俺たちのやり方。そしてお前の、その優しさでよ」

 

 前原君が活路を見出して。

 古手さんが落ち着かせて。

 竜宮さんが勇気づけて。

 園崎さんが勢いづけさせて。

 そして、僕は彼女の傍に居る。

 たったそれだけの話。

 前原君は全てを任せた訳じゃない。自分が出来ると思えることだけでいいと言ってくれた。

 信じるだけじゃない。大きな歯車にならなくても、小さな歯車として動かしていく。

 なら出来る。それなら、僕にだって出来る。

 

「…………はは」

 

 不思議なものだ。こんな事に気付かなかったなんて。

 これだけ否定してきた想いも、認めようとしていなかった自分も。

 こうやって考えてみれば、あっさりと出来たものだ。

 そういえば、どこかの小説で書いてあった。

 『辛い』ことは、一歩踏み出せば『幸せ』に変えることが出来るんだって。

 なら、今がその時なのかもしれない。

 前原君は、歯を出して笑って見せてくれたのだった。

 

「……相変わらず、前原君は無理難題を言ってくるよね」

「何だ、部活の罰ゲームより難しいって言いたいのか?」

「……いいや。部活の緊張感に比べたら、簡単に思えるかもね」

「そうだぜ。あれにはいつも何されるか、分からないからな」

「ま、前原君はみんなより、倍気苦労してそうだけど」

「おい、それどういう意味だよ!?」

 

 顔見せ合い、肩を揺らして笑った。

 笑えた。そういう表現が正しかったのかもしれない。

 

「孝介、手を出せ」

「うん」

 

 またも拳を重ね合せる。

 今度は手も震えていない。しっかりと相手の拳と重ね合せた形になれた。

 満足したように前原君は吐息を漏らすと、もう片方の手で親指を立ててきたのだった。

 

「これで男と男の約束が出来たな!」

「はは……そうだね」

「因みに孝介。破ったら部活より重い罰ゲームが待ってるぜ」

「……はい。頑張ります」

 

 変に気負うなよ。そんな事言って前原君は笑っていた。

 

「ま、孝介っぽいけどな」

「そうさせたのは自分のくせに……」

 

 その時、女子トイレの入り口近くで何かが見えたような気がした。

 よく見た事のあるようなスカート。サッと引っ込んだのだが、それでも分かった。

 

「え、竜宮さん?」

「……いない。かな、かなー……」

 

 分かり易いとはこの事かもしれない。

 

「な、何してるのさ……」

「あはは! ちょっと気になったから、ね?」

「ちょっと、おじさんはまだばれてなかったのに!」

「……男と男の約束なのですよ、にぱー★」

 

 入口から続々と登場。まさか全員がこの話を聞いていたとは。

 

「おいお前ら! 何で勝手に話を聞いてるんだよ!?」

 

 そして前原君は知らなかったらしい。

 

「そりゃあ圭ちゃん。『2人で話したいからお前らは来るなよぉ』なんて言われたら聞きたくなるでしょ?」

「うん。ボタンに『押さないで』と書かれてあったら押したくなるもんねー」

「だ、だが。俺たちが来たときはお前らトイレに入ってなかったはずじゃ……!」

「圭ちゃん。世の中には窓っていう便利なものがあってね」

 

 まさか話を聞きたいがために、外から侵入を試みるとは。

 なんというか、その。

 

「執念が恐ろしい……」

「……因みにボクは元からトイレに居たのです。2人と違って無実なのですよー」

「あ、梨花ちゃんずるいよ!」

「そうだよ。一番聞いてたのに!」

「聞いてる段階で同罪じゃぁああ!」

 

 前原君は顔を真っ赤にさせて怒っている。やはり男と男の約束とか言葉にしていたし、聞かれたくない部分もあったのかもしれない。

 既に園崎さんたちから聞かれた時点で、みんなの約束になってしまった。

 

「ま、それはいいとして」

「そんな簡単に済ませていい問題じゃないだろ!?」

「孝ちゃんは何かきっかけが出来たの?」

「うん。色々と見方が変わったような気がする」

「ふーん」

「な、何……?」

 

 園崎さんが何かを確かめるように覗き込んできたのだ。

 そして何度か納得したように頷いたかと思うと、腰に手を当てた。

 

「孝ちゃん。すっきりした顔になったねえ」

「そ、それはどうも……」

「それで沙都子の件はどうする?」

「魅ぃちゃん。今その話をしなくてもいいんじゃないかな、かな?」

「いや、別にいいよ」

 

 竜宮さんは驚いたように目を2,3回しばたたくと、「うん!」と嬉しそうに引いてくれたのだった。

 何か喜ばしいことでもあったのだろうか。

 分からないけど、今は気にしないでおこう。

 

「それで園崎さん。さっきの件だけど、僕が行こうと思う」

「お、孝ちゃんも決心したんだね」

「それと……園崎さんも来てくれないかな?」

「へ?」

 

 園崎さんは意味が分からないようで、首を傾げるのだった。

 

「何でなのよ?」

「それは、その……園崎さんだからさ」

「孝介、それじゃあ理由になってないだろ?」

「えっと……」

 

 今まであまり思ったことを口にしなかったからか。

 上手く説明しないとうっかりと変なことを口走ってしまいそうだ。

 

「園崎さんはこの村の代表と言える家じゃない? だったら今ある現状を見て欲しいんだ。それで、ちゃんと伝えて欲しいんだよ」

「……でも、沙都子は村からは嫌われてるよ?」

「とは言っても、役所だから何もしないということは無いと思うから。それに、園崎さんが言う事に意味があるからね」

「なるほどな。権力には権力でやっていくってか?」

 

 前原君の簡潔な説明が助かった。つまりは、そういうことである。

 

「相手も何度目か分からないからこそ、信じられる話が必要だと思う。そのきっかけを作りたいんだ」

「……みぃ。なるほどなのです」

 

 みんな感心したように頷いてくれる。

 咄嗟に思いついた提案に、説明だったけど思った以上に説得力があったようだ。

 

「どう、かな?」

「……いいよ。そう孝ちゃんに言われちゃ、動かない訳にはいかないねぇ」

「あはは……」

 

 別に僕がどうかは関係ないと思うけど、何はともあれそう言ってくれると助かる。

 

「圭ちゃんたちは放課後、私の家で待っといてくれない? そこでまた会ったことを話して作戦を練りたいし」

「分かった」

「沙都子を救うための第一歩だからね、みんなで張り切っていこう!」

 

 みんなで力を合わせて頑張る。

 その言葉を胸に、各自で出来ることをしていくことをようやく決めたのであった。

 

 

 ……因みに、休憩時間をとっくに過ぎていて、知恵先生に怒られたのはこの後の話待ってたけど……まぁ仕方ないよね。

 



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■影差し編【Ⅴ-Ⅷ】

「――――ここだね」

 

 園崎さんが立ち止まって、ぽつんと孤立して置かれた一軒家を見上げた。それに合わせて自分も見上げて確認してみる。

 二階建ての木造建築。部屋は多くもなさそうで、決して大きくはない。本当に今まで見てきた村の家々と同じ、一般的な家庭であったことは分かった。

 

「北条さんが……ここに?」

 

 名前のプレートを見ると、確かに『北条』と書かれていた。中の様子は見えないが、騒がしい様子はなく静かすぎるのが、逆に不穏感を掻き立てていた。今までのようにひぐらしが鳴いてくれればいいのだけど、今は何故か鳴いてくれていない。

 もしかしたら僕らの緊迫した状況に空気を読んでくれているのか、なんて変な想像さえしてしまいそうである。

 その時、園崎さんが両手を合わせて、気合を入れ直した。

 パァンと乾いた音が鳴り響いたと思うと、

 

「さて、どうしようかね。孝ちゃんがインターホンを鳴らす?」

「……」

 

 正直、どちらでも良いとは思った。インターホンを押すよりも、その後の事で問題が発生しそうだからである。

 北条さんの安否を知ろうと先生が聞いても無理だったのだ。僕らが話しても「知らない」の一点張りで突き通されるかもしれないからだ。

 だからこそ、今回の目的は簡単で状況の把握。それ以上の結果……北条さんを取り戻すといった好転は望まない。

 とりあえず、相手が相手だから怪我だけはしたくない……。

 言葉を待っている園崎さんに挙手をすることにした。

 

「……分かったよ、僕がやる……」

 

 出来れば北条さんが出てくるのを願うばかりだ。それも元気な姿で。それが一番穏便に済みそうな話で、一番可能性の低い話であった。

 園崎さんが僕から距離を置くようにして、2、3歩離れていく。それをしっかりと確認してから、インターホンを鳴らすことに。ピンポーン、今まで聞き慣れた音は屋内で鳴り響いている。

 後は、相手を待つだけ。

 

「……ふぅ」

 

 ここに来て、少しだけ恐怖心が。

 気持ちを落ち着かせないと、そう思ってとにかく深く深呼吸をすることにした。

 近くの溝に流れる川の匂いを微かに感じつつ、扉の先に注目しておく。いつ相手が出てくるか分からないからだ。

 そのためにもいつでも準備万端の状態で待つ。

 ……が、何も反応はない。

 

「あれ?」

 

 念のために、もう一度インターホンを鳴らしてみる。先ほどと同じように屋内でなっているのは確認できた。ちゃんと中の人には伝わっているはずだ。

 それなのに状況は変わらなかった。

 まさか、居留守でも使われているのだろうか。そう思って、真っ先に園崎さんへと振り返る。

 園崎さんも悩ましい顔になっていたのだが、首を横に振った。どうしようも出来ない、そう言いたいのはよく分かった。

 

「誰もいないのかな?」

「分からないね。ただ人はいそうなんだけど……」

「だよね。僕もそう思う」

 

 もう時間にして夕方だ。この時間にお出かけというのもおかしな話な気もする。

 音は確かに聞こえないのだが、家の電気も窓から見た限り、付いているし。

 やはり、面倒だと思って居留守を使っているのだろうか。

 

「すいませーん!」

「ちょッ!?」

 

 園崎さんの突発的な行動にこちらが反応してしまった。まさか叫ぶとは思ってなかったから。

 インターホンから応答しないからといって、いきなりすぎる。

 これではただの借金取りのような押し入り方である。

 

「園崎さん! いくら相手が出ないからって失礼だよ……」

「孝ちゃん。これぐらいしないと相手は出てこないよ」

「全く……」

 

 自信ありありの顔で断言されては、何も言えない。というよりはもう叫んでしまったんだし、時すでに遅し、だ。

 全く、この人らしいというか、何と言うか……。

 

「……魅音さん?」

「……あ」

 

 扉ではない。僕たちが先ほどまで歩いてきた道。

 そこに驚いたのは買い物袋を手にし、その場で突っ立っている北条さんの姿があった。

 僕らもその声を聞いて、首を回す。北条さんの目線は園崎さんに向けられていたのだが、スッとこちらに向けられて更に目を大きく見開いたのだった。

 

「それに、孝介さんまで……!」

「や、やぁ……」

 

 ありきたりすぎるような言葉に自嘲したくなった。

 その後の言葉をどう掛けたらいいか分からず、とりあえず笑って誤魔化すことに。作っている笑みだろうことは多分相手に伝わってしまっただろう。

 それよりも、だ。

 北条さんの様子を見てみて、軽く吐息が出てしまう。

 

「元気……そうでもなさそうだね」

 

 北条さんの様子を見てそう判断する。見た限りでは、外見上の怪我は無いように見える。

 いつものように短パン、シャツといった軽装の上だから分からないけど、少なくとも目に見える箇所はそうだ。見て痛々しい、ということが無かったのは唯一の救いなのかもしれない。

 

 しかし……彼女にはいつも見せていたあの余裕の笑み。そして目に力が無かったことは、何よりショックであった。あの元気さが嘘のようだ。

 疲れ切っている、と言えばいいのかもしれない。そんな単純な言葉では片付かないかもしれないけど、今はその言葉しか思い浮かばなかった。

 不安にさせられる彼女は唇を噛み締めつつ、買い物袋を両手で強く握りしめるのだった。

 

「沙都子、久しぶり」

「お、お久しぶりですわね」

 

 声にも覇気を感じさせてくれない。それに戸惑いも見られる。関わりたくない意思表示なのか、それともただの驚きなのか。どちらにせよ。やはり親子の関係はよろしくない。先生、そしてみんなと話し合っていた内容で間違いはないのだろう。

 園崎さんが僕より一歩前に出て、北条さんに尋ねる。

 

「ねぇ、今何してたの?」

「今は……買い物ですわ」

「買い物……晩御飯?」

「はい……」

 

 チラッと北条さんは自分の家を確認していたのを見逃さなかった。

 

「ごめん。もしかして、おじさんは今家にいるの?」

「…………」

「……いるんだね」

 

 分かり易い反応だとは思った。やはり養父であるべき人は居留守を決め込んでいるようだ。面倒だと感じられているのだろう。

 園崎さんは露骨な舌打ちをして、忌々しいような面持ちで家の方を見つめるのだった。

 

「その……せっかく来てもらったのですけど……」

「大丈夫だよ。僕たちは家の中に入りたくて来た訳じゃないからさ」

「そ、そうなんですの?」

 

 安心感を持たせようとしても、目が泳いでいる。変なところで遭遇したために、不安を感じているのか。

 ……いや、違う。北条さんは何かを知られたくないと思っているんだ。だからこうやって隠そうとしているし、気丈に振る舞おうとしている。

 

 分かる。だってそれは以前の僕だから。

 自分がどうしていきたいかさえも隠し、周りに合わせて自分のやり方を押し殺す。そんな自分で鎖を巻きつけ、鍵を掛けた状態。

 それが分かるからこそ、こちらは笑顔で対応しないといけない。鍵は彼女しか持っていない。スペアも存在しない。やるのは彼女の意思でしかないのだから。

 そう思っていたのに、園崎さんは彼女を縛り上げる質問をしてしまっていた。

 

「沙都子。あんた、おじさんと上手くいっているの?」

「……ッ!」

 

 彼女の身体が強張る。強く握りしめていた買い物袋が一瞬離れそうになっていた。

 北条さんは口角だけを上げて、対応してみせる。

 

「あ、当たり前ですわ。仲良くさせてもらっていますわよ」

「本当に?」

「本当ですわよ。だって、今もこうやって――――」

「じゃあ、何で学校に来ないの?」

「え?」

「最近全然来てない。風邪じゃないんだよね? それに今日の昼に電話した内容も聞いてたけど……」

「そ、そうなんですの……」

「……あたしだって疑いたくないけど。でも、みんな不安に感じてるんだよ」

「……それは、申し訳ないと思いますわ……」

「別にあんたが謝る事じゃない。何で隠そうとしてるの?」

「園崎さん。それ以上言わないで、お願いだから……」

 

 今の園崎さんのやり方だと、北条さんは自分を見失ってしまう。

 みんなとか、仲間とか。そういうのは、自分が見えてこない間は苦しめるだけの材料でしかない。仲間とかでも、多数ではなく一対一で対応しないといけない。

 

「孝ちゃんはいつも甘いんだよ。沙都子は苦しんでいるのは目に見えて分かってるでしょ!?」

 

 強く当たられて、一瞬だけ怖気づいてしまいそうな自分がいる。

 でも……それでも違うと言わないといけない。

 

「分かってるからこそ、追い詰めたら駄目なんだよ……!」

「追い詰めてる、どこが?」

「孝介さんも、魅音さんも。私のことで喧嘩しないでくださいまし。私のことならこの通り大丈夫ですから……」

「なら、正直に言って、沙都子。あんた、暴力を受けてるんだよね? そうだよね?」

「それは……ありませんわ」

「駄目だよ……」

「……やっぱり、脅されてるんだね」

「詩音さん!!」

 

 北条さんが目を大きく見開いて「……え?」と僕の方を見てくる。当然だろう、今まで話していた彼女が魅音ではなく、詩音だと言われたのだから。

 そして園崎さんはというと、こちらを向いて睨みつけている。驚かずに、怒りをこちらにぶつけている。

 やっぱり、彼女も分かっていたんだ……。

 

「やかましぃんじゃ!!」

 

 それは突然だった。

 一軒家の二階の窓からガラガラという音を立てた後の、叫喚。

 それは以前に道案内をした人その人であり、北条さんのおじさんであった。前と変わらず、短い金髪にピアス、そして派手なアロハシャツを着ているのが分かる。

 ヤクザにしか見えないその男は、青筋を浮かび上がらせ、また喚いた。

 

「沙都子! なに、そこで油売っとるんじゃ! はよ家帰って飯作らんか、このダラズ!」

「ご、ごめんなさいですわ……」

「んで、2人も何騒がしくしてんねん! 近所迷惑だという事を分からんか!?」

 

 近所はないはずだし、先ほどはインターホン鳴らしたにも関わらず無視してきた。明らかに相手にも言及すべき点が存在する。

 なのに、怒鳴り散らされた。やはりこの人はこういう部分が短絡的なのかもしれない。

 ただ、確かに相手の言い分も分かるので、ここは穏便に済ませるためにも謝る事にする。

 

「その……すいません」

「あん? おどれ……興宮でおぉたやつか! 何でこんなところにいるんや!?」

 

 まずい。あの時騙していたことがばれそう。

 相手のことだからやたらと突っかかってきそう、そう思っていたのだが。

 

「北条鉄平さんですね」

「あん……誰やね?」

「沙都子の友達です」

 

 彼は眉間を寄せていた顔を更に目を細める。

 明らかに友達を歓迎するようなムードではない。

 

「何じゃ、何でこんなところにいるんじゃ」

「お願いがあります。沙都子を登校させてやってください」

「え……」

 

 鉄平さんは鼻で笑うだけだった。

 

「こっちにも事情あるんや。何でそんなことせんとあかんねん!」

「沙都子はいつも通り登校しているのに、今は登校していないんですよ」

「だから何やね」

「……え?」

 

 園崎さんが驚いたように目を見開いている。

 あり得ないものを見るかのように、彼女は相手を見つめていたのだった。

 そして相手はその事を深く考えずに、当たり前だと主張する。

 

「沙都子が行くかどうか決めるんは親のワシやねん」

「……何……言ってるんですか……」

「ワシらにはワシらの家庭があるんやから、口挟むなや」

「……」

「…………まずい……」

「あんたが、親だって? 笑わせんな」

 

 冷酷となった彼女の目が鉄平さんを突き刺す。それは雰囲気さえ、凍りつかせるもので。

 彼女の雰囲気を察して、北条さんは1、2歩後ずさっていた。

 

「……何やねん。その目は……!?」

「あんたが……あんたのせいでこうなっているのに……!」

「あぁん!? なに訳わかんないこと喚いてんねん!」

「……はは。そうですよね、こんな奴のために、邪魔されるんですね」

 

 彼女は後ろに手を回し、何かを漁っている。

 

「……何してんねん?」

「沙都子、家の鍵を開けて」

「落ち着いてくださいまし……!」

「落ち着いてるから。だから、“こうする他ない”ってことが分かるんですよ」

 

 園崎さんが相手から視線を外さない。

 まるで人を殺すような、そんな冷たい目に、鉄平さんも二階という隔たりがあるにも関わらず狼狽えているのだった。

 

「な、おどれ……! やるってんかい!?」

「なら下に降りてきてくださいよ。それなら助かるんですが」

「……」

「じゃあ、私が行きますよ」

 

 そう言って彼女は進み……数歩歩いたところで足を止めるのだった。

 そして、無表情で首を傾げてくる。

 

「……邪魔なんですが、孝介さん?」



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■影差し編【Ⅴ-Ⅸ】

「お願いだから、こんなことしないで」

「何故ですか? 私は沙都子を救おうとしているんですよ?」

「本当に、そのスタンガンで助けられると思ってるの?」

 

 手に持ったスタンガンはバチバチと音を立て、誰かを襲いたいと火花を散らしているようにも見えた。それを見やり、その後園崎さんは僕を見て歪んだ微笑みを見せていた。

 思わず引いてしまいそうになるのを、奥歯を噛んで踏みとどまる。

 

「助けるんですよ。あいつには常識が通用しないなら、身体で教えるしかないじゃないですか」

 

 もう既に口調は詩音さんそのものだ。だが、ここまでの態度と表情はまるで違う。

 朗らかで毒舌を吐いていても、優しかったあの園崎さんは、今鉄平さんと同じ立ち位置で物事を考えてしまっている。いや、それ以上に酷いかもしれない。

 

「……どいてください」

 

 彼女が先に行こうとするのを、両腕を広げ、通さなかった。

 当然、彼女は僕のことを鬱陶しそうに見つめてくる。その目をしっかりと合わせて、ちゃんと向き合う。

 じゃないと、彼女は僕の話なんて聞くはずがないから。

 

「それをしたらどうなるか、分かるでしょ?」

「因果応報です。これ以上沙都子に危害を加えるならどうなるか……伝えないと」

「それじゃあ鉄平さんと同じだよ」

 

 止めないと、いけない。

しないときっと、彼女は僕たちの想像以上のことをしでかす。力には力では何も意味を成さないのに。むしろ北条さんに余計な火の粉がかかるかもしれないのに。

 園崎さんはそれを理解してくれない。唾を飛ばして、己の感情をさらけ出していた。

 

「私は約束したんです! 沙都子を守るって」

「これじゃあ……守れないよ」

「じゃあどうやって助けるっていうんですか!?」

「……話し合う」

「無理です!!」

 

 スタンガンを目の前で振り回し、俺を退かそうとする。

 目を瞑ってしまう。ただ、足は動かさないように、しっかりとその場で立ち止まった。

 スタンガンは、当たらない。

 彼女は動きを止め、抑えきれない気持ちを吐息として出していたのだった。

 

「優しいだけでは意味が無い! 悟史くんだって……消えてしまったのに……!」

「……園崎さん」

 

 彼女の目には涙は無くても、深い悲しみがあった。そこに彼女の悟史さんという人の想いも詰められている。

 北条さんもだ。見たとき、彼女は苦しそうに胸の前で握りこぶしを作っている。思い出したくない過去。消えてしまった兄のことを想っているはず。

 悟史くんがどんな存在だったか、会ったことのない僕には分かることはない。僕と違って、優しいだけじゃないのかもしれない。立ち向かう勇気があったのかもしれない。

 でも、それでも分かることがある。話を聞いていただけの僕でも分かる。

優しい彼は、きっとこんなことはしない。

 北条さんのことを考えて、きっと両親のことも考えて、みんなが仲良くなれることを考えていたはずだ。諦めなかったはずだ。

 そして、その気持ちは僕だって同じ。

 

「園崎さんが辛い気持ちは誰よりも強いと思う……。でもだからこそ、それを力に向けたら駄目だよ。それじゃあ悟史くんが悲しむと思うから」

「あなたが悟史くんを語らないでください!! 何も知らないくせに!」

「分かるよ。……だって、優しいだけの僕でさえ、今の園崎さんを見るのが辛いんだから」

 

 その言葉で、彼女の動きが一瞬止まる。

 

「辛い……?」

「悲しそうで、絶望していて、何をどうしたら分からないでいて……でも変わりたい、待ち続けたいって思ってる」

「そんなこと……!」

「園崎さんは自分がどうしたらいいか分かってるからこそ、迷ってる。それをやり場のない形で終わらせようとしてる」

「間違っているって言うんですか!?」

「……多分、それじゃあ何も解決してくれない。この状況も、そして、園崎さん自身も」

 

 胸倉を掴まれた。脅しをかけるように、スタンガンをこちらに向けられる。

 

「じゃああなたなら終わらせられると言うんですか!? この状況を、この絶望を!」

「……ごめん。終わらせられるとは、思ってないよ」

「なら――――」

「でも……変えることは出来ると思う」

 

 その一言で、彼女が見せたのは嫌悪だった。

 

「無理です。孝介さんがしたところで、何も変わりません」

「でも……お願い」

 

 こうするしかない。園崎さんを落ち着かせるのには、自分から歩み寄るしかないのだ。

 どんなに難しいと言われても、今の状況を変えないと、何も改善されないだろうから。

 園崎さんの手は未だに自分の胸倉を掴んでいる。力は弱まったものの、離してくれることはない。どうすれば彼女を抑えることが出来るか。

 そう思っていた時だ。

 

「……私からも、お願いしますわ」

 

 園崎さんの傍に駆け寄って、頭を下げてくれた人がいた。

 

「沙都子……」

「……」

 

 それ以上は何も言わない。ただの北条さんは園崎さんの服の裾を掴んで必死に訴えかけるだけ。

 北条さんだって辛いはずだ。鉄平さんに暴力を振るわれ、耐え忍んでいる日々から解放されることを望んでいるのは間違いない。

 でもそれ以上に、友達や誰かが傷つけようとする姿を見るのが耐えきれない。

 それがしかも自分のためであればなおさらなはずだ。

 彼女は園崎さんと目線を合わせることなく、ただ目を伏せるだけ。

 それだけで、十分だったのかもしれない。

 次の時には、僕は胸倉を掴まれていなかった。

 

「……沙都子がそう言うなら」

「ありがとうね」

 

 園崎さんは何も言わない。期待の籠っていない目を向けられただけ。

それでも怒りの炎は下火に変わっていたのだった。

 

「……にーにー」

 

 呟くようにして伝えられたその言葉には、期待や不安が込められていた。

 大丈夫だとは言葉で伝えず、頭を撫でることで少しだけでも安心させようとした。

 

「とりあえず、頑張ってみるよ」

 

 その言葉だけを残して、僕はもう一度北条さんの家、そして二階にいる北条鉄平さんへ。

 相手からは自分がどう見えているのだろうか。弱弱しい姿と取られているのだろうか、面倒な相手だと思われているのだろうか。

 

「北条……鉄平さん」

「あ、なんじゃい?」

「……お願いです。北条さんを、縛らないでやってください」

 

 正直な想いを言って、頭を下げた。

 

「はぁ!? 何やねん。ワシが縛ってるとでも言うんかい!」

「北条さんだって、自分のやりたいことがあるんです。それを理解してほしいんです」

「ワシの言う事だけ聞けばいいねん!」

「せめて、学校に行くだけでも……北条さんはいつも楽しみだったんです」

「そんなん知るか!」

「お願いします」

「嫌なのが分からんのかい! このどアホ!」

「お願いします……!」

 

 まるで噛み合っていない会話をしているようだ。キャッチボールをしているだろうに、一向に受け取ってくれず、相手はどこかへ投げ捨ててしまう。

 そんなのは分かっていた。でも、あちらが受け取ってくれない限り、こちらから何度だってボールを投げるしかないのだ。

 法律という力で抑え込むことも考えた。しかし、子供がそのような言葉を用いたって力としては薄く、むしろ変に威圧されてしまうだろう。

 結局、自分の出来ることは、相手が罵倒しようが、酒の缶を投げつけてこようが、必死に願いがかなうようにお願いをするだけ。

 優しさだけなのかもしれないけど、少しでも相手の気持ちが変われば、状況は大きく変わるのだ。

 それを願って、必死に頭を下げる。お願いしますと何度も言う。

 北条さんたちが不安そうに見ていても関係ない。これが、自分が納得するやり方だった。

 ……何分ぐらいそんなやり取りをしていたのだろうか。少しだけ後頭部に缶が当たった箇所が痛んでいたころだった。

 

「あぁ、面倒や!」

 

 痺れを切らしたように、鉄平さんは壁を強く蹴っていた。その次に、「沙都子!」と、僕から話の矛先を変える。

 

「早よ戻って、飯の準備せんかい!」

「……で、ですけれど」

「何を躊躇ってんじゃ! こんな奴、ほっとけばええねん!」

 

 そう言って僕の話をスル―しようとしていた。実際、鉄平さんはもう面倒だと感じているのだろう。このまま家に籠るつもりである。

 北条さんは困ったようにこちらを見つめ、そして小さく首を横に振った。

 

「……で、出来ませんわ」

 

 か細く、頼りない声。でも、それは唯一彼女の抵抗だったのかもしれない。

 

「何やと、このダラズがぁあ……!」

 

 一時の僕への情けで出た、その抵抗。

 それは鉄平さんにとって、最も面倒なことだったようで。

 大きな舌打ち、そして坊主頭を掻き毟るように苛立ちを見せながら、彼はもう一度壁を蹴っていたのだった。

 

「このくそガキが……行かせりゃあいいんやろうが!」

「……え?」

「はよ出て行かんかい、この邪魔モンが!」

 

 そう言って窓を閉めた。乱暴に荒々しく、大きな音を立てた後、急に外は静けさを取り戻したようになった。

 無言のまま、お互いの顔を見合う。

 真っ先に口を開いたのは園崎さんだった。

 

「……これで、沙都子は学校に行ける……と考えていいんですか?」

「……多分」

 

 相手は先生とのやり取りからも、北条さんが学校に連れて行かないことを良しとは思っていなかったのかもしれない。後に面倒事となるなら行かせるしかない……そんな意図もあったかもしれなかった。

僕がやったことで、それがほんの少し早まっただけかもしれない。本当に、ほんの少しだけしか変わっていないかもしれない。

 ……でも、それでも行くことが早まった。みんなと少しでも時間が長くなった。

 それが、今は一番の良かったことなのかもしれない。

 

「これだと、後で暴力が待っていますよ。必ず」

 

 憎しみを込められた目で見られる。相手を激昂させるだけさせて、了承を得させたのだ。

 解決していないと考えても、何もおかしくないだろう。

 

「……いいえ、とても、嬉しいですわ」

 

 そう言って、北条さんは気丈にも笑って見せてくれる。

 

「本当に、大丈夫ですか。無理しなくていいのですよ?」

「みんなと一緒にいられるなら、多少のことは我慢できますわ」

「そうだと、いいけど……」

「孝介さんが言わないままでしたら、私はきっと、学校に行けた頃にはみんなが見えなかったかもしれませんでしたから……」

 

 脅された上での登校。そんな不吉な予感が頭の中でよぎってしまう。

 

「私は、負けませんわ。決して、負けませんわ……」

 

 僕の問いかけに対して、彼女は何度も、そう自分に言い聞かせている。

 そして僕自身も、彼女がこれで少しは救われたと、信じるほかなかった。



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■影差し編【Ⅴ-Ⅹ】

こっそりと投稿。


「なぜですか?」

 

 唐突な質問だったけど、何となくそう聞かれるような気がしていた。

 前原君たちと別れる前、ただ一人「一緒に帰ろう」と提案してきた。それ以上何も言わないけど、それが自分に対して言われていることは分かっていた。察してほしい、それが詩音さんから感じ取れた気持ちだ。

 振り返って、周りのみんなと目で会話をしていた。どうすればいいか、どうしようか。もう見慣れたメンバーでは表情から言葉が読み取れるようになっていた。ただ全員に言えることは否定的ではなく、いるべきかどうかということだ。

 みんなで互いの気持ちを確認し、そして一言、「また明日」という言葉を添えて離れていく。そう、僕と詩音さんで話し合った方がいい。そう判断してくれたのだろう。そして最後まで居残ろうかと迷っていた前原君も「よろしくな」と声を掛けてくれた。それが今までのやり取り。

 そして二人きりになって暫く経った今になってようやく彼女の方から声を掛けてくれた。既に夕日も沈もうとしている夏真っ盛り。暑さが少し和らぐ中で、詩音さんもそれに沿うかのように口調から怒気が抜けていた。あるのは後悔による伏し目と噛み締めた唇だけだ。

 さて、どうしようか……。

 答えることに躊躇いはない。ただその前に確認したいことがあった。

 

「何が……って聞くのは違うかな。北条さんのこと?」

「いいえ。私のことです」

「詩音さんのこと?」

「なぜ私のことが分かったんですか? あの時の私は魅音として接していたはずです」

 

 詩音さんにとっては意外だったようだ。確かにみんなも気づいていなかった様子だったし、彼女にはまずばれないだろうと自信があったのかもしれない。

 

「うーん。やっぱり、似てないって思ってた。あの時かな? おかしいなって思っていたし」

「あの時?」

「ほら、北条さんの助けようとした時に、僕を指名したじゃない?」

「孝介さんに指名した時、ですか?」

「そうそう。本当の魅音さんは僕たちを信じてくれるから。その……何というか、あの時なら黙って託してくれそうなんだよ。何ならみんなで助けようとか言い出そうとするし……」

 

 どうしてかと聞かれれば、具体的な言葉は思いつかない。だけど、もっと周りにも気を配り、もっと心を開いて、周りに説明しようとしてくれると思うのだ。そんな彼女にみんなは喋りたいことが喋れて、聞いてくれると安心が出来ていた。一緒に頑張ろうとなれる安心感。それこそ、園崎魅音さんの良いところ。

 別に詩音さんが悪いといってる訳ではない。詩音さんは同じようにリーダー的素質があっても、前原くんのように前を突き進み、頼りになる。任せたくなるような意味合いが大きい。

 いくら双子だからとはいえ、環境によって変わる本質的な部分を真似は出来るはずがない。人の良い所は違うから良いのだから。

 

「それで気付けるのですか?」

「なんとなく、だけどね」

 

 流石に説得力に欠ける説明だったのかもしれない。詩音さんは悩ましげに何度も頷いては、僕の言葉を聞き入れようとしてくれた。

 

「そうですか……。それなら孝介さんは目ざといですね」

「え、それって良い意味で言ってるの。皮肉にも聞こえるんだけど?」

「さぁ、どうでしょう」

 

 彼女はそれで許してくれたのか分からないが、しばらく見なかった意地悪な笑みをそこで見せてくれた。首を振って、周りの景色を眺めていたのだった。少しだけ心の余裕が出来たのだろう。

 そしてそれが僕にとって嬉しい。先ほどのような張りつめた空気は部活中だけでいいのだ。詩音さんは余裕のある表情で僕を弄ってくれればいい。……まぁ別に弄られることが嬉しいとは思わないけど。

 

「やっぱり孝介さんは聡史くんに似てないですね。聡史くんの方が気を利かせてくれます」

「あはは……北条さんを助けるときに、お願いするだけじゃないって言いたいの?」

「もちろんです。悟史くんならああいう時はしっかりと立ち向かってくれます」

 

 説明するように人差し指を立てた。自信ありげなその説明にくすっと笑ってしまうも、すぐに指摘の内容を思い出して萎縮してしまう。

 

「僕が思いついたのはあれしかなくて。まぁもうちょっとやりようがあったのかもしれないけど」

 

 あの時は必死だったのだ。本当なら詩音さんみたいに、相手に力で教えなければならなかったのかもしれない。昔でいう鉄拳制裁のやり方が正しかったのかもしれない。

 でも、それをよしと思わない自分がいた。傷つくなんて、傷つけるなんて、もう嫌だと考えている。誰かが傷つかないなんて都合の良いことばかり考えて、結局は自分の都合で考えていた。

 それがこの結果だということがどれほどの幸せか。たまたまが重なった偶然。もしかしたらいまここで立っていることさえ出来ていなかったかもしれない。今になって、自分の中でそんな反省会が開かれる。

 

「それなら、次はしっかりと頼みますね」

「あはは……。同じ手は何度も通じないだろうし、相手も納得させないといけないとダメだろうから」

「やっぱり、孝介さんは駄目ですね」

「え?」

「まぁいいです。そういう鈍いことに関しては慣れていますから」

 

 真面目に返したつもりだったけど、何かダメだったのだろうか。彼女が悟史さんに対して苦労していたのは慣れているという発言から分かるけど、それだと僕も鈍いみたいに聞こえる。まぁ確かに、彼女の言葉の真意について気づいているかといわれるとわかってないから、なんとも言えないのだけど。

 

「ごめん。何のことか分かってなくて……」

「それじゃあ謝ってないのようなものです、孝介さん。謝るならこうですよ」

 

 続けて彼女は頭を下げる。そしてその一連が洗練されていることに、美しささえ感じてしまう。彼女がこの村一の権力者の娘であったことを思い出し、そして次になってようやく謝られているのだと理解したのだった。

 

「え、ちょっと?」

「私の方こそ、すみませんでした。あのままだと私はここにいなかった。感情的で何をするか、自分でも分かってなかったです。それほどまでに……自分を見失っていました」

「頭を上げてよ。僕だって感情的な部分で話していたこともあったし」

「それでも、やり方が違います」

 

 そう言われて気休めの否定ができない自分がいた。彼女の言う通り、僕はあの時どんな行動をするかわからない彼女に危機感を覚えていた。もしかしたら、北条さんにトラウマを植え付けてしまうかもしれないとさえ、その時は思ったのだ。そこまでの冷酷さと憤怒を、僕は知っていた。それを否定することなんて、自分には出来ない。

 それに先ほどの忠言もある。安易なフォローは必要ないのなら、彼女が納得し、顔をあげられるように促すことだけが自分に出来ることなのだろう。

 

「まぁ……スタンガン持っていたからね。もしかして前から計画してたの?」

「いえ、あれは護身用でいつも携帯しています」

「あぁ……はは。な、なるほどね」

「正直、あんな形で解決できるなんて、思っていなかったんです。お願いするなんて、あんな奴に絶対に出来ませんでした。それに、それだけじゃ沙都子は救えないって、思ってたんです」

「後のことを考えるとね。僕がやったことも所詮事態を遅らせただけかも」

「私もそう思っていますね」

「はは……そこはフォローして欲しかったなぁ……」

「でも、その時間こそ必要なのかもしれないってあの子の一言で気づきました」

「それって負けないって言葉?」

 

 そこで彼女は顔を上げてくれた。だが、その表情は少しだけ暗い。

 

「はい。沙都子はまだ挫けていない、立ち向かう意志があった。それを無下にしてはいけないって、そう思えたんです」

 

 僕が負けないと言う言葉を信じようとしたように、彼女もその言葉を信じようとしてくれていた。

 そう知った時に、あの時はあれで正しかったのかもしれないと、ほんの少しだけそう思えた。

 

「悟史くんは沙都子を頼むと言いました。もしかしたら、今がその時なのかもしれないですね」

「まだみんなと話し合えることが出来るし、まだ北条さんを支えることが出来る」

「そう、ですね。……そう思います」

 

 まだ、その言葉がどれだけ素晴らしいことか。北条さんも来てくれるなら、話を聞きながら対策を取ればいい。もし頑なに彼女が拒んだのなら、無理に聞き出そうとせず、普段通りにしたらいい。彼女が辛くなって相談してきたときに相手になればいいのだから。彼女の心を開く時間だって必要なはず。

 北条さんだって、いつまでも耐えているだけじゃない。彼女だって僕たちと一緒に学び、遊び、そして楽しみたいのだ。そう、一緒にいたい。

 兄がいない彼女にとって、僕らが友達であり、家族なのだ。そんな僕らに出来ることは彼女の居場所を作ること。それだけのこと。

 

「これからは、詩音さんも一緒に考えてよ?」

「え?」

「悟史君から頼まれてるんだよね。だったらもっと近くで接していくべきだよ」

 

 言っておいてなんだけど、最初は彼女が断るかもしれないと思った。よく考えれば彼女にだって学校があるし、それに僕たちのグループに加わる必要もない。そう、決めるのは彼女なのだ。あの時の僕のように。

 一瞬ぽかんとした顔はそのまま困り顔へと変わり、そして仕方ないと微笑みかけてくれたのだった。

 

「……全くあなたって人は」

「あれだけ北条さんのことを知ったように言ったんだもん。僕らには思いつかないような期待してるよ」

「もちろんそのつもりです。むしろ皆さんでは頼りないのでちゃんと私がリードしていきますよ」

「そ、そうだね。よろしく……」

 

 やばい、このまま詩音さんが部活を牛耳るまである。とりあえず現リーダーでもあり、部長でもあり、何より姉である園崎さんに舵取りをお願いするしかない。

 ……でも、本当に出来るのだろうか。逆に舵とられている姿しか思い浮かばない。

 

「色々と吹っ切れました。ありがとうございます」

「まだ感謝するには早いよ。とりあえず明日だね、重要なのは」

「そうですね。沙都子が来るかどうか。本当にあの人が約束を守ってくれるのかどうか」

「うん」

 

 そう、明日。こんなことがあったからこそ、明日はみんなで普段通りに挨拶や勉強や部活をしたい。

 そのためにも、今日はもう帰ろう。北条さんに元気な姿を見せるために必要なことだ。

 

「じゃあ明日。学校で」

「うん、またね」

 

 明日もきっとうまくいく。そう互いに信じ、力強く帰り道を歩み始めたのだった。

 



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◆Tips【Ⅱ-Ⅴ】

◆忘れられた日記(7)

 

//未記入//

 

最近では、自分が逃げる夢をよく見るようになった。クラスメートに追いかけられて、必死に逃げる夢。今までの友達から逃げているのだ。学校中を永遠に、ぐるぐると。

そういえば、また一人友達に体育館裏へ呼ばれた。

そして「お前とはもうごめんだ」って言われた。その言葉に悔しさはない。

それよりも、もう慣れてしまっている自分がとても悔しい。

 

どうやら、風の噂では俺の悪行はカンニングだけではなくなってきたらしい。盗撮やいたずら電話、他にもいろいろな悪事を働いてるとか言われるのだ。

すべて事実無根の内容なのに、周りはすでに俺=犯人と結び付けている。それを簡単に外すことなんて出来ない。

みんなは俺をやくびょう神か何かと思っている。

自分の何がいけなかったのか。自分はどうしてこんなことになったのか。今日はいつ寝ただろうか。そんなこともわかっていない。何もわからない。

眠れない夜が続くようになってきた。相談することもできない。

自分がこの日記を書いているのも、きっと別の誰かが見ればうそつき呼ばわりされるのだろうか。

 

怖い 目に見えないものに押しつぶされそうになる

 

俺は、何も悪くない。

 

 

――――――――

 

 

◆忘れられた日記(8)

 

9月11日

 

友達と呼べる人はもういないのではないのだろうか。そう思っていた。

もう教室で誰も味方がいない状況、誰も相手にしてくれず、まるでクラス全体の意思であるかのように、俺は隅においやられていた。もう自分は腫物扱い、それが最近の状態だった。

 

そんな中、あの寛二は俺に話しかけてきたのだった。こっそりとだけど、話しかけてくれた。周りの目を気にしているようだったけど、俺に話しかけてきて、心配するなと声を掛けてくれたのだ。

唐突で俺は何も答えることが出来なかった。もしかしたらあの時、声を掛けるべきだったのかもしれない。

 

とにかく明日、明日またあいつに聞いてみようと思う。聞いてみるしかない。

 

 

――――――――

 

 

◆事件レポート

 

今回の事件についてさらに判明した事実についてまとめる。

 

被害者の症状に依存症が考えられたことだ。

 

被害者には人間関係の依存症が考えられ、その理由として所持していた日記がある。その内容には先日の○×川事件の被害者との接点を記した内容が書かれており、事件の関連性があると思われる。

また、日記の内容には事件に繋がる興味深い話として、以前からいじめを受けていたことが判明した。同じ学校の生徒たちの証言では学校で被害者は色々な問題行動を起こしていたと言っており、事件の関連性がないか、ただいま調査中である。

 

 

――――――――

 

 

◆研究者たちのログ Ⅱ

 

1985年 ×月 ×◆日

 

 成分を分析し、今回試薬の完成までこぎつけることが出来た。

 雛見沢の悲惨な事件を巻き起こしたとされる今回の感染症を利用した新たな試薬は見事である。これを利用することで感情の抑制や行動の鎮静化に大きく貢献し、更に時間によって消滅するため、被験者への影響は少ないとされる。空気感染である部分は排除しつつ、適用範囲を直接打ち込む形まで影響力を抑えることにも成功。

 

 今回の試薬を対象に動物実験を行った結果をここに記す。

・鎮静化、および感情の抑制が出来て、なおかつ消滅(67体)

・鎮静化は出来ずとも、影響なく、時間がたって消滅(20体)

・鎮静化、および感情の抑制が出来たが、消滅していない(13体)

・その他(3体)

 結果としては有効性を示すことが出来ている。その他については別紙4を参照。

 今後は人を対象に投与出来るように工夫を行っていく。

 以上である。

 

××県山内研究所 開発総責任者

嘉山 仁

 



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Episode 『兄妹』
■影差し編【Ⅵ-Ⅰ】


「……え、なんで詩音さんがここにいるの?」

 

 次の日となった登校日の初め、学校で最初に発した言葉は挨拶ではなく確認だった。別に詩音さんが来てくれるのは気にしていない。それは僕がお願いしていたからだ。

 だけどまさか放課後ではなく登校時間にもいるとは思わなかった。机もいつの間にか用意されているし、今日から一緒に勉強もしていこうとしているのか。

 

「できるだけ沙都子の傍にと思いましたから。これが一番ですよ」

 

 にっこりと笑う彼女。どうやら彼女の中で学校は乗り物感覚で乗り換えることができるようだ。

 

「いやいや、え、ちょっと!? 無理でしょ!」

「何がですか?」

「気軽に転校できるわけないよ!! ねぇ!?」

 

 今日一緒に登校した前原君たちに意見を求めようとした。反応は三者三様。感心している、笑っている、はたまた頭を抱えている者がいた。ただ、別にそれは僕を支持しようとした反応ではない。

 

「さすが村一番の権力を握ってるだけはある。やることが違うぜ」

「魅ぃちゃんも、このことについては聞いてなかったんだね……」

「はぁ……。詩音、あんたねぇ……」

 

 全員この状況を受け入れた上での反応だった。流石我が部のメンバー、ちょっとやそっとの状況では平常心を失わないようだ。この人たちに同意を求めるのは難しいだろう。

 だけど、他に同意を得られそうな人物がいない。まだ古手さんや北条さんは登校していないようだし、クラスメートもなぜかもう受け入れた雰囲気を醸し出している。まるでいつもと変わらない日常であるかのように。

 

「……あれ? これって僕がおかしいのかな?」

 

 どうしてだろう。なぜか負けた気がする。

 

「大丈夫です。私だって昨日今日で学校を変えることは出来ません」

「あ、だよね。僕の時だって手続きとか、いろいろ必要だったし…………え、じゃあ学校は?」

「有休です」

「それ僕らが使う言葉じゃないよね!?」

 

 正しくはサボり。

 

「大丈夫、かな。詩ぃちゃんもきっと用が済めば帰ると思うし」

「ま、魅音の姉なんだから、多少の不祥事でも驚かないぜ」

「詩音は私の妹だから」

「いや突っ込むところはそっちじゃないと思うんだけど……」

 

 しかしみんなは詩音さんがサボっていることに対しても特に騒がない。みんなはサボっていることに対して特に問題と思っていないようだ。それよりも別のことに関して、前原君が園崎さんに質問をする。

 

「魅音、お前たちっていつから入れ替わっていたんだ?」

「あはは……まぁ、気づくよね。あんなことあっちゃ」

 

 それは朝のことで、僕が初めに竜宮さんや前原君に出会ったときに「孝介、お前いつから気づいていたんだ!?」と肩を掴まれた。すでに二人の中で園崎姉妹入れ替え説が濃厚で、それは日常でも入れ替わっていたのではないかと勘繰っていたのだった。そして二人が今いるこの状況で、前原君は園崎さんに真実について聞こうとしている。

 

「どうなんだ?」

「時たま。私の代わりをしたいとか言うから、それで変わってる」

「じゃあ時々私たちは魅ぃちゃんの姿をした詩ぃちゃんに話しかけてたってこと?」

「そう。今まで黙っててごめんね」

 

 当事者である二人は互いに顔を見合わせる。別に何とも思っていない様子で怒りの感情は見受けられなかった。

 

「だが、何で入れ替わったりしたんだ?」

「暇なんですよ。あっちだと何もないですから」

「まるで俺たちだと何かあるみたいに聞こえるが……」

「そのつもりで言ったのですが?」

「俺たちは見世物だと言うのかよ!?」

「つまりそういうことになります」

 

 にっこりと笑う詩音さんに前原君の悶絶していた。そしてそれを見て、竜宮さんも園崎さんも楽しそうにしていた。よくありふれた日常、昨日望んでいた日常である中で、僕だけは少し違うことを考えていた。

 だって、詩音さんが話していた内容には隠している彼女の真意があったから。それは北条さんのためであるということと、そして聡史君との約束を果たすためであるということ。

 きっと彼女はこっそりと北条さんを伺いたかったのだろう。元気にしているか、そしてみんなと仲良く出来ているかを確かめに、彼女は姉にお願いをして、入れ替わった。

 みんなと一緒にいることはあくまでついでで本命は北条さんなのだろう。それがわかると、ちょっとだけこのやり取りが面白く見えた。

 

「孝介君、何か楽しそうかな、かな?」

「うん。こうやっていろんなことが分かると、楽しいなぁって」

「孝介は見世物だと知って喜ぶマゾヒズトなのかよ!?」

「いや別にそういう意味じゃないんだけどね……」

「それよりも、気になることがあるのですが」

 

 詩音さんはそこで話を切り替える。みんなの注目を浴びる彼女は誰の目にも向けることはない。

 視線は入口近くの机二つ。そこに割り当てられた生徒はまだ来ておらず、空席になっているのだった。

 

「北条さんたちはまだ来てないようだね」

「そう、ですね」

「ったく。最近はトラップが無くて寂しいな。早く来て元気な顔を見たいぜ」

「圭ちゃん、別にトラップ受ける必要はないんだよ?」

「そうは言うが、刺激がないからな……」

 

 確かに刺激がないというのはわかる気がする。遊園地でいえばジェットコースターのように、僕らの中で北条さんの行動はちょっとしたスリルを楽しめる要因となっていたのだ。それがないと、少しだけ物足りないというのはわかる気がする。そしてそれは他のメンバーも同じような気持ちだった。

 

「はいはい! 暗くなっては沙都子に合わせる顔がありませんから」

 

 詩音さんは手を叩いてみんなの陰鬱になりそうな気持ちを切り替えてくれた。昨日言っていた自分がリード

 するという言葉が思い浮かぶ。確かにこういう状況下で頼りになるのは気丈にふるまうことが出来る人物だけだ。

 そう、気丈に振る舞うことが出来るといえば、もう一人いる。

 

「そうだな。悪ぃ、俺が変なことを口走ったせいで雰囲気を悪くしてしまった」

「反省しているのはいいことです。なら圭一さんはこれから沙都子の気が済むまでトラップ地獄に合ってもらいましょう」

「げッ。いくらなんでも身体が持たないぞ、それは!?」

 

 前原君がいち早く調子を取り戻して詩音さんに合わせていた。僕らも二人のやり取りを見て、少しだけ明るさを取り戻す。いつもなら時間がかかってしまうというのに、仲間というのは一人増えるだけでこうも変わるのか。そう感じることが出来た。

 ――――ガラガラ

 和やかになったところで、滑りの悪そうな引き戸の音が響き渡った。それが教室入口の戸が開いた合図であり、来たのかと期待と不安の雰囲気を作り出した。それはクラスにも伝播し、がやがやしていた場も静まり返る。

 

「……みぃ。おはようなのです」

 

 そんな中でスッと入ってきたのは古手さんだ。ランドセルをしょい込み、いつものように登校してきた彼女は俺たちの姿を確認するとにっこりと笑いかけてきた。その表情に僕らも少しだけ期待が高まる。古手さんの笑顔もきっと北条さんと一緒に登校できるからだろうと。

 でも、どうしてだろうか。古手さんはその場から動こうとしない。動こうとせず、入口付近で立ち止まったままだ。耐え切れない様子の前原君が先に声をかけることにした。

 

「おう。おはよう」

「梨花ちゃん、おはよう」

「……おはようなのです」

「なぁ、梨花ちゃん。そこで立ってるってことはあいつも連れてきてるってことだよな?」

 

 前原君の質問に対して、何も答えようとしない。それが不穏な状況であるということは明らかだった。

 今度は僕から聞いてみることにした。しかも今度ははっきりと聞くことにする。

 

「おはよう。ねぇ、古手さん。今日は北条さんと一緒じゃないの? 確か、北条さんの伯父さんから今日は登校させるって言っていたからね?」

「……」

 

 だけど、古手さんは何も答えてくれない。それに入口の方を見つめるだけで、何か話しかけるようなそぶりも見せない。誰かいるのか、それとも誰かいるはずだった場所を見つめているのか。僕の中で考えたくない選択肢が増えていることに気づいた。

 

「……沙都子は、約束の場所にはいなかったのです」

 

 その言葉は弱弱しく、セミの騒音にかき消されそうな声量だった。古手さんにとって、もしかしたら消えてほしかった言葉だったのかもしれない。ただ無感情に、落ち着いてその事実を伝えてくれた。

 

「そんな……」

 

 詩音さんの絶望の声、そして竜宮さんたちの息を呑む音さえ、僕には遠い出来事のように感じてしまった。

 

「……今日は、沙都子は休みなのです」

 

 そう。僕らはこの時になってようやく、あの口約束は何の進展のない口約束でしかなかったということに気づいてしまったのだった。

 



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■影差し編【Ⅵ-Ⅱ】

 放課後になって、僕らは知恵先生から少しだけお話がしたいのですと呼び出された。授業終わり、全く進むことのなかったドリルを片付けた僕らは職員室に向かう。その足取りは重く、いつものように会話があることもない。お互いに気を使ってしまう時間、みんなが下校してしまった放課後だからこそ、重々しい空気はヒシヒシと肌で感じられた。

 

「今日、北条鉄平さんから連絡がありました。『迷惑をかける子供たちを指導してほしい』そう言われました」

 

 知恵先生は僕たちを叱らず、諭すような言い方で内容をまとめていた。あの人の性格上、きっと罵詈雑言を聞き続けたに違いない。先生の少し疲れた顔を見ると、申し訳ない気持ちになってしまう。

 

「ごめんなさい」

「あなた達が北条さんの家に行くことは予想していました」

「そう、ですか……」

 

 先生は僕たちを庇ってくれたのだろう。僕たちが悪さをしていないと信じてくれているから、今も怒っていないのだ。それはすごく嬉しくもあり、そして申し訳ない。これは僕たち……いや、僕が勝手に決めたことだから。

 

「先生、鉄平さんは何か他に言っていたかな……?」

「いいえ、それ以外については触れていません。あとは北条さんの欠席の話だけですから」

「沙都子ちゃんの声は、聞こえましたか?」

「……いいえ」

 

 北条さんの声を聞くことが出来るならいいのに。その時は北条さんがいなかったのか、それとも北条さんが喋れない状況だったのか。北条さんの様子が気になる。

 ――――バンッ!!

 その音に萎縮するほど驚かされた。前に立つ前原君がいきなり職員室の机に叩きつけたのだ。叩きつけたその手は小刻みに震えており、それが伝播するように前原君全体の身体も震わせていた。

 

「くそッ、どうしてこうなっちまうんだよ……!!」

「圭ちゃん……」

「俺たちは、何も出来ないっていうのかよ!」

 

 違う、そうじゃない。前原君は僕を信用して、託してくれた。何も出来ないんじゃない。出来ていたのに、僕に任せたのだ。だから、責任は自分にある。あの時手を上げて行動しようとした、僕自身に。

 

「孝介くん……」

 竜宮さんが僕の肩を叩いてきた。

「なに、そんな心配そうな顔してさ?」

「大丈夫かな、かな?」

「……」

 

 色々な解釈が出来る質問に、僕は何も答えることが出来ない。僕に対してなのか、それとも北条さんに対してなのか、それともみんなに対してなのか……。目の前の光景をもう一度眺める。まるでその場面そのものが目に見えない大きな障害に思えた。

 本当ならここに北条さんがいたはず。古手さんの隣にいて、きっと今みたいに寡黙にならず、会話が飛び交う明るい雰囲気が出来ていたのだろう。

 甘かった。たった一つの口約束で全てが上手くいくなんて考えていた。北条鉄平という人物を信じようとしていたのもあったかもしれない。北条さんの言葉をもっと気に掛けるべきだったのかもしれない。だけど全てがもう遅い。

 この責任は僕にある。どうにかしないといけない。

 

「僕は大丈夫だよ。ちょっと悔しい気持ちはあるけどね」

「そう、なんだ……。詩ぃちゃんは大丈夫?」

「はい。少しは、落ち着きました」

 

 気丈に振る舞おうとした彼女の声は震えていた。きっと昨日のように激高したりしないのは、北条さんのことを信じているからなのだろう。

 

「……詩音はとても強いのです」

「古手さん辛くないの?」

「……みぃ。大丈夫なのです」

 

 みんな大丈夫だと言う。元気だとか、いつも通りとかではなく、大丈夫。言葉とは不思議なもので、大丈夫と言う言葉からじゃプラスの意味で受け取ることが出来ない。

「皆さん。北条沙都子さんは私が責任を持って対応します」

 雰囲気を知ってか、それ以上先生は言及しようとせず、たった一言だけまとめた。でも、助けるや取り戻すではなく、対応しますと言われても気持ちが晴れるはずがない。先生としては精いっぱいの努力をすると言っているけど、それはたぶん、僕がしようとしていたことと何も変わらない。

 それだと、意味がないのだ。

 

「知恵先生」

 

 職員室の扉の方へと首をひねる。そこには目を細めて僕らを眺める校長先生がいた。

 

「はい、何でしょうか?」

「祭りの準備に少しだけ人手が必要だということです。すみませんが、手伝ってもらえないですか?」

「分かりました。少し待ってもらえますか?」

 

 祭りと聞いて思い出す。そういえばもうそろそろ祭りがあったんだっけ。名前は確か、雛見沢祭りだったか。

 

「明日は綿流し祭りか……」

「あ、綿流しだったっけ……」

 

 普通に間違えた。……しかし祭りのこととか、そんな話したことあったかな。すぐに思いついた気がする。

 

「そういえば孝ちゃんと圭ちゃんは綿流し祭り初めてだよね?」

「あ、うん。そうだよ」

「綿流し祭りはうちらの村では唯一と言っていい大規模イベントなんだよ。綿流祭四凶爆闘があるしね」

「え、何その戦闘技?」

「戦闘技じゃない……とは言っても、戦いなのは間違いないんだ。本当なら、みんなでやるんだろうけど」

 

 そのあとに言葉を続けることはなかった。つまりみんなとは村全体という訳ではなくて部活でやるというものなんだろう。前原君もそれを察したのか、それ以上内容について聞こうとはしない。

 知恵先生は話を区切るように椅子から立ち上がる。僕ら一人一人を見ながら、彼女は書類を胸に抱くのだった。

 

「じゃあ、話はここまでにしましょう。くれぐれも、相手の方を困らせるようなことをしないように」

「それは、北条さんの家には行ったらダメってことですか?」

「そういうことです。次はこんな風に諭すだけでは済まない場合もあります」

 

 彼女はそう一言添えて職員室を後にした。残された僕らは互いに顔を見合わせる。そう、どうするかの話だ。

 口火を切ったのは竜宮さんだった。

 

「私は行った方がいいと思うかな。沙都子ちゃんのことをほったらかしには出来ない。このままだと沙都子ちゃんの実が持たないよ」

 

 その言葉に前原君が頷く。

 

「俺もそう思うぜ。きっと沙都子は戦っている。なら、俺たちも協力しないと」

 

 二人とも同じ意見だったことに対して、園崎さんは首を横に振った。

 

「私は……反対だね。今は動くべきじゃないと思う」

「魅音! 動くべきじゃないとか言ってたら手遅れになっちまう!」

「私だって別に待ってろなんて言わない。ただ、今日はやめとくべきじゃないかって思うんだ」

「どうしてかな、かな?」

「確たる証拠、疑わしい証言もないのは本当で、いま私たちがやっていることは憶測に過ぎないってこと。あくまで周りの眼からすればね。そうなると行動していっても敵を作るだけだよ」

 

 知恵先生が動けないように。相手はまだ何か行動を起こしているという証拠や証言はない。それをないままに僕らが動けば、悪いのはどちらか。いくら過去があっても、それは過去であり、今していることとは関係ないのだ。

 それを園崎さんは危惧していた。このままでは私たちに味方してくれるという人がいなくなるということに。

 

「……周りを味方につけるってことですね、お姉」

「そう、署名活動に近いことかな。それを意見書として教育委員会とか児童センターに提出すれば、黙っていることはなくなると思う。以前は駄目だったけど、今度は私たちからも話しかけていくことでプレッシャーを与えるんだよ。だから協力者を集めて、自分たちが行動しやすいようにしてくれるようにすべきだよ」

「それが確実だと言えるなら、私はお姉に賛成です。沙都子はまだ負けてない」

「確かに、このまま行っても難しいのは分かっているが……」

 

 色んな意見が飛び交う。園崎さんの冷静な今後の方針。前原君の仲間への想い。竜宮さんのリスクの考慮。詩音さんの確実性。

 その中で、一人だけ何も発しない人がいた。割り込もうとせず、対岸の火でも見ているかのような無言。それはある意味この空間の中で異質とさえ思えてしまった。

 

「古手さん。古手さんは何か意見とかないの?」

「……」

 

 古手さんの双眸が僕の顔を捉える。まるで不思議なものでも見るかのようなそれは、少しだけ興味がなかったようにも見えてしまった。

 

「……沙都子が助かる方法が考え付かないのです」

「何でもいいんだよ。何ならみんなの意見の中で同意出来るものが一つでもあるならさ」

「……全て賛成なのですよ。でも……ボクは考え付かないのです」

 

 考え付かない。まるで自分は何も分かっていないと言っているようにも聞こえた。

 

「……篠原は、何かあるのですか?」

「僕は、北条さんに会いたいかな。ただ何かをしたいんじゃなくて、悩みを聞きたいだけ。先生の言葉も無視できないし、それしか今は出来ないと思うからさ」

「……篠原は、優しいのです。優しすぎるのです」

 

 古手さんはこちらから背を向けた。それは彼女としての意志なのか。その意図を読み取ることは出来ない。だからと言って回り込んで顔を覗きこむのは何か違うような気がした。

 

「孝介!」

「え、何?」

「村の人たちの協力を得るために色々と駆け回ってみようと思う」

 

 どうやら話はまとまっていたようだ。内容から察するに、園崎さんの意見を採用したということか。

 確かに前原君たちのやり方は昨日とあまり変わらない。それよりは少しでも変化が起こせる可能性があるやり方にしたらいいだろう。僕も園崎さんの意見には賛成だった。

 

「分かった。今から動き出せばいいんだね」

「そういうこと」

「それじゃあ! 今日の部活は誰が一番多くの協力者を得られるかを競争しようぜ!」

 

 部活、それを久しく聞いた僕は少しだけ嬉しく感じた。

 

「圭ちゃん。部長である私を無視して内容を決めるなんて良い度胸だねえ」

「へッ! 魅音はずっと部活活動を停止させてたじゃねぇか。この際俺が一位を取って部長の座を奪い取ってやるぜ!」

「あっはっは、分かったよ。なら今回の罰ゲームはとっておきのものを用意しようかねえ」

「もちろんだ! その方が燃えるし、なかったら身体も鈍っちまうぜ」

「はぅ……本当にやるのかな、かな?」

「新人の圭ちゃんにここまで言われたからねー。部長として引き下がるわけにはいかないね」

「……部長の意地なのですよ」

「でも綿流祭四凶爆闘があるかな。それにこういう時にやるのは違うような……」

「こういう時だからです。因みに私も部員ではありませんが、罰ゲームには協力しますよ」

「それある意味楽だよね……」

 

 みんなの想いを語り、方針が固まると少しだけいつものテンションが戻ってきていると思えた。竜宮さんだけはこの雰囲気は反対のイメージだが、僕らがいつまでも凹んでいては何も出来ない。詩音さんの言う通り、こういう時だからこそ、いつも通りの内容で頑張るのだ。前原君はそれを理解した上で言ってくれたのだろう。

 そして……この部活内容、僕はみんなよりも頑張らないといけない。この事態を起こしたのだから、責任は僕にある。そんな僕が最下位を取るわけにはいかない。

 

「じゃあ今から明日の7時まで。各自で協力者を募ること! 結果は明日校舎前で発表します! 罰ゲームはそうだねえ。祭りに関係する内容で行こうかな」

 

 部活とはいえ、あくまで本質にあるのは北条さんの救出。そのための協力者を募り、大人が動いてもらうようにすること。

 それだけは忘れずに、僕らは部活動を始めるのであった。

 



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■影差し編【Ⅵ-Ⅲ】

※3月11日に追加しました。


「……もしかして、僕は間違えてるのか?」

 

 何だろう。今になって自分のやっていることに疑問を持ち始めた。とりあえず落ち着いて周りを見てみる。

 昼過ぎの時間帯。この時間になると商店の前に人が行き交うと思っていたのだが、予想よりも人が少ない。

 両端に店舗が並んでいる。ただ開いている店舗は少なく、パッと見ただけで三、四軒しかやっていない。それ以外はシャッターが下りているか、まだ準備中の札が掛けられた状態だ。

 暫くすればやり始めるだろうと思って一時間。一向に増える気配なし。そして僕のモチベも絶賛降下中である。

 手元のクリップボードに目を向ける。そこに書き込まれるはずの白紙に溜息が出てしまった。

 

「それにしても、集まらないなあ」

 

 他の場所に移動するのもいいかもしれない。いや、それよりやり方を変えるべきなのかもしれないか。都会と違って署名運動は呼びかけではなく、押しかける方がいいのかもしれない。営業のように一軒一軒回っていく。時間はかかるが効率的なやり方だろう。問題は引っ越して間もない僕がみんなに顔を覚えてもらっているかということか。知らない人には笑顔で接するとしよう。となると営業スマイルが必要ということか……。

 

「……何していますの?」

「いや、スマイルってどうやるのかなって」

 

 口角を上げて歯を見せるようにすればいいのだろうか。

 

「とりあえず、その作り笑いだとドン引きですわね……」

「そうかなぁ……って、え?」

 

 この独特な口調、それにハスキーな喋り方。誰か忘れていたわけではない。ただここにいるなんて思ってもみなかったから、それで気づいていなかったのだ。

 振り返って確認する。そして視線を落とした先に、買い物籠を手に持ち、怪訝な顔で見上げる彼女の姿があった。

 

「北条さん!?」

「化け物でも見たような顔になってますわよ」

「いや、正直かなり驚いていて……」

 

 実際腰抜かしそうです。さっきの姿を見られてしまった気恥ずかしさも踏まえて。

 買い物帰りなのだろうか。彼女は買い物袋をぶら下げ、見上げていたのだった。

 

「もう、しっかりしてくださいまし」

「う、うん……」

 

 それに、見た感じ北条さんは疲れているように見える。憔悴しきったまでは行かないけど、精神すり減らしている感じがする。さっきのところも、いつもの北条さんなら高笑いで僕のことを指摘していただろう。なにやっているんだって。

 姿勢を低くし、顔を覗きこむと、彼女は逃げるように視線を外すのだった。

 

「大丈夫、北条さん。今日も、学校行けなかったようだけど?」

「……」

「やっぱり、叔父さんに止められたの?」

「にぃにこそ、あの後、何もありませんでした?」

 

 手元のクリップボードにある白紙は何も書かれていない。今はそれが変に気を使わせずに済んだことへの安堵となっていた。署名運動をしていたなんて言ったら、彼女は必死で止めることだろう。

 それにいまは叔父さんのことについて触れてほしくないようだ。質問に質問で返したのはそういう意味が強いのだろう。にぃにという言葉も、それが影響しているのかもしれない。

 

「もちろん大丈夫だよ! 僕たちの結束力を舐めないでね!」

 

 偉くしんみりしていたのは伏せておこう。親指を突き出して彼女を安心させようとした。

 

「その……ご迷惑をおかけしました……」

「北条さん……」

 

 それでも彼女は低姿勢のままだ。いや、それより距離を感じる喋り方に不安を感じてしまった。

 友達とは思えない赤の他人とのやり取りのような感情が湧いてしまう。叔父さんに何か言われたのだろうか。いや、きっとそうだ。

 叔父さんと北条さんを力づくでも引きはがさなかったせいである。あの時の選択が間違っていたとは思わないが、僕が少し状況を引き延ばそうとしたからこんなことになったのだ。 北条さんが苦しんでいるのなら、それは僕が招いた結果。

 責任は僕にある。

 

「ねぇ、この後時間ある?」

「え? えっと……」

「少しだけでも。良かったら祭りの準備でも見に行くとかさ」

「その寄り道するなって言われていて……」

「お兄ちゃんのお願いでも、ダメかな?」

「……」

 

 やはり釘を刺されていた。もし破ったらどうなるか、きっと身体で教え込まれているのだろう。そうなればまた学校に行けなくなるかもしれない。

 でも、このままだと彼女が耐え切れなくなるのも確かだ。今でさえ張りつめているのだ。息抜きをしないときっと僕の知らないところで破裂してしまう。それが一番怖い。だから僕も彼女との立場を利用させてもらった。

 

「見て行くだけなら、そんなに時間かからないと思う」

「分かりましたわ」

 

 根負けした様子の彼女は、どこかホッとした表情を見せていたように見えた。

 

 

 雛見沢祭りは初めてだが、一目見ただけで村全体がこのイベントに注力しているか分かった。古手神社の前、皆が集って準備を進めている中で初めに思ったことは、これほど人がいるとは思わなかったことである。失礼な言い方だとは思うけど、村の集会でもこれほどの人の顔を見られることはなかった。まだ屋台の骨組だけが全体を占める。それでも赤提灯の明かり、人々の熱気、そして祭り特有のにおいが伝わってくるぐらい、みんな気合いを入れて準備を進めているのだった。

 北条さんも去年は手伝っていたのだろうか。隣で眺めている彼女を見ながらそう思う。どこか他人ごとのように見ている彼女からは判断出来なかった。

 

「やっぱり。祭り前日だと、とってもにぎやかだね」

「そう、ですわね。とってもにぎやかですわ」

「えーっと。北条さんは祭りの日はいつも何してるの? やっぱり射的とかなのかな。それとも食べ歩き?」

「綿流祭四凶爆闘がありますから、これと言うのはありませんわ。射的はもちろん、食べ物早食い競争や金魚すくい対決とかもしますし」

 

 もちろん綿流祭四凶爆闘について園崎さんたちから既に聞いている。部活メンバーで行うことも知っている。

 だけどこのまま「知ってる」と言えば北条さんが喋ることもなくなる。今はこちらが聞かないと北条さんは喋ってくれないし、もう少し知らないふりをしてもいいだろう。

 

「綿流祭四凶爆闘ってそこまでしんどいものなの?」

「そうですわね。今までやってきたことは練習、明日が本番、そう言えますわ」

「そうだったんだ。祭りの日が本番だなんて聞いたことがなかったよ」

 

 今までも血反吐はくような想いをしてきたのは今日この日のためということか。思い返せばみんなの手のひらで踊り続けていた悲しき記憶しかない。本番になったら内容ももっと過激になることだろう。

 だけど昔やった料理対決とかがどう本番に結びつくのだろうか。出店を出して販売営業をするとか考えられるが、流石にそれはないだろう。いつものことだけど全く予想出来ないのが楽しい。

 

「明日楽しんでください」

 

 その言葉は彼女にとって何気ない一言だったのだろう。自分がどうしているか、それが分かり切っているからこそ出た。もちろん北条さんが悪いわけではない。

 ただ、その言葉は聞きたくなかった。自分は負けない、そう言っていた彼女が選んだのは我慢のような気がしてしまう。戦うのではなく、この状況からただ耐える。そんな気がしたからだ。

 じゃあどうするか、答えは一つしかない。

 

「ねえ。明日のためにちょっと練習しない?」

「え? 練習ですか?」

「そうそう。ほら、僕っていつも部活で負けてばかりでしょ? だから、明日もしみんなと戦うとなると、負けるのが目に見えるからさ。何か、対策をしておきたいんだよ」

「たった一日で皆さんと張り合えるなら苦労はしませんわ」

「負けるにしても、少しでも張り合えるようになりたいんだよ、だからお願い」

 

 北条さんが呆れたように溜息を一つ。そして両手を合わせてお願いすると、北条さんはまた一つ溜息をつくのだった。そして彼女は腰に手を当てた。

 

「練習は今できませんが、必要な知識なら教えることが出来ますわ」

「ほんとう!?」

「例えば、たこ焼きの早食い競争であれば、買い置きを選ぶぐらいは皆さんがよくしますわね」

「ほうほう、なるほど。姑息な手としてそれがあるのか……」

「姑息じゃなくて戦略ですわ……えーっと、あとは……」

 

 北条さんが一歩前に出て、周りを見回し始めた。そして過去にやったことがある出店を指さしては勝負の内容、そしてコツを一つ一つ教えてくれるのだった。かき氷屋の対決では、流し込むように最初は置いておくことや射的であれば当てやすいグッズについて、それぞれにコツがあり、彼女はそれを余すところなく伝えてくれた。

 

「ここまでされれば、そりゃあ勝てないって分かるよ……」

「私たちは勝つためにはどんな手段でも取りますから」

「はは、そうだったね。でもこれ前原君知らないだろうし、明日はひどいことなりそうだなあ」

 

 全てまわった後に僕らは少し人が少ない境内から全体の様子を見渡していた。石段を上った先だと人の声も遠い。だが、それも今日だけの話だ。明日になればここだって人で溢れかえり、周りの音に気を取られるだろう。そして、何よりもみんなと騒ぎ、遊ぶ。

 

「圭一さんが頭を抱える姿が目に浮かびますわ」

 

 北条さんはクスリと笑っていた。最初は笑みもなく、淡々とただ伝える感じで、これはこうすればいい、まるで業務連絡でも伝えるかのような感じで楽しそうに見えなかった。少なくとも話したいという気持ちがなかったといえる。

 だけど、一軒、そして二軒と巡っていくと彼女の口数は徐々に増えていった。最初は内容の補足、次に過去の苦労談、そしてみんなの話。話が増えるとともに彼女の表情も豊かになっていった。いつもの北条さんじゃなくても少し元気を取り戻した気がする。だからこそ、どこか他人ごとのように言ってしまう北条さんに対して、悲しい気持ちになる。

 

「明日、本当に来れないの? こっそり抜けだしたりすれば……」

「私は、明日…………用事が……」

 

 ちょっと気が利かない一言だったかもしれない。北条さんの表情はまた陰りを見せていた。

 

「…そう。ごめん」

「……気を使わせてしまいましたね」

「え?」

 

 北条さんは僕の袖を掴んで、じっと見つめていた。

 

「おかげで元気が出ました。私はもう大丈夫ですわ」

「……ほんとうに?」

「えぇ」

 

 笑っている。歯を見せ、にっこりと、自然ではない作り上げた笑みをこちらに向けていた。

 きっと彼女の言葉には、僕が望んでいる意味はない。耐える、それが彼女の言葉に込められている意味。誰かに頼ることなく、自分で生き抜こうとする。彼女の中で、現状から立ち向かう意志はないのだろう。だから、変わることがない。

 でも信じたい。北条さんだって変わって、自分から立ち向かおうとしてくれることがあるはずだ。今までの楽しかったことがばねになって、反動から立ち向かう意志が生まれる。そうなってくれればいい。

 誰だって急に変わることが出来ない。今日のことだって少しでも北条さんが思い出せればいいと思っていた。これがきっかけで北条さんの中で何かが小さく変わればいいなと。結果としてはまだ無理だったけど、いつか変わると信じている。時間は、あるはずだから。

 

「じゃあ、帰ろうか」

「……はい」

 

 北条さんが付いてくる様子はない。いや、足取りが重く、一歩一歩踏み出すのを恐れていると言っていい。

 またチクリと胸を差す。時間を掛けることへの躊躇い。彼女の表情には、まだ今しか見えていない。なんて悲しく、辛い瞳なんだろう。

 彼女は頭を預けてきて、表情を隠して呟いた。

 

「少しだけ、このままに……してください」

 

 震えていた。少しだけ見せた、彼女の本当の気持ち。

 明日の雛見沢祭りは無理だとしても、いつかきっと変えられる。僕らはそう信じて動いていくしかない。

 今の自分に出来たことは、彼女の頭を撫でることだけだった。

 

 



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■影差し編【Ⅵ-Ⅳ】

 次の日、予定通り雛見沢最大の祭りである綿流しは始まった。この日になると村だけではなく、隣の町や近くの県からも綿流しのイベントのために訪れると聞いてはいた。が、実際目にすれば人の密度に驚かされる。この村に来てから人込みを気にするなんて思いもしなかった。父さんが早めに退勤すると言っていたのも頷ける。これは一見の価値ありだ。

 とはいえ、僕らが集まったのは校舎前。昨日魅音さんが署名活動の結果発表を行うためだ。

 ここに集まったのは僕を五人。竜宮さん、園崎魅音さん、詩音さん、そして前原君のメンバー。因みに古手さんは大切な奉納演舞のために準備中だ。巫女服姿を拝めると、燃えていた前原君が懐かしい。

 北条さんはここにはいない。分かっていたことだけど、やはり辛い。きっと今頃、叔父さんに……。

『少しだけ、このままに……してください』

 あの時何も言わずに撫でた行動は正しかったのだろうか。あの後は無言で手を繋ぎ、帰っただけで何かしたわけでもない。きっと、前原君ならもっと気の利いたことが出来たのだろうなと色んなことを考えてしまう。

 

「孝介君。大丈夫かな、かな?」

「え、あ、うん」

「それは大丈夫そうな返事じゃないぞ、孝介」

「あはは……自分でもそう思うよ」

「一桁しか集められず、今回の勝負に自信がない、こんなところですかね?」

「そんなのではないよ」

「……それで魅音。結果はどうだったんだ」

 

 みんなを騙せるほどの口が回ることはない。前原君や竜宮さん辺りはきっと何かあったのだろうと感付いているはずだ。それでも深く聞いてこないのは気を使ってのことだろう。

 前原君の催促を受けて、魅音さんも結果をまとめた紙を広げる。なぜだろうか、少しばかりご機嫌斜めに見える。

 

「結果発表! 一位はなんと詩音でしたー」

「お姉、なんとは余計です」

「魅ぃちゃん。かなりショックなんだね」

「そりゃあねえ……ってか詩音、あんた興宮まで行って票集めたでしょ!? この人たちの名前、エンジェルモートのブラックリストで見たことあるんだけど!」

「もちろんです。手段は問わない。村の中で競い合うより別の場所、アウェイよりホームを選ぶのは当然ですから」

 

 アウェイの雛見沢よりもホームの興宮。それを言われて納得してしまう。

 恐らく隣町の人たちは署名活動の中身について深く考えることはなかっただろう。悲しい子が家庭内で虐待を受けている。その話を聞けば、誰でも署名しようするからだ。

 だけど、雛見沢ではあの事件を気にしている人も多い。悲しいことだけど、署名に消極的な人がいるのは事実だ。

 本人は意図していないと思うけど、この村にとって北条さんはアウェイだと言えそうだ。

 

「因みに詩音はいくつなんだ?」

「うーん。正確に数えていないですが、恐らく五十行くか行かないかですかね」

「げッ! まじかよ……。流石は隣街だぜ」

「があー! 初参加のあんたに負けるなんて~」

 

 なるほど、それでご機嫌な斜めだったわけか。きっと部長としてのプライドもあったのだろうし、特に実妹に負けるとなると尚更なのかもしれない。勝負ごとだということを忘れれば、喜ぶべきことなのは間違いないのだろうけど。

 悶える園崎さんに対して「魅ぃちゃん、次は誰なのかな?」と次の発表をお願いしていた。

 

「はい、次いこいこ! 二位は私、差は言わないよ。僅差だったけどね!」

「強がってるな、魅音のやつ……」

「あはは。結果の紙を見せないのもばれたくないからだろうね」

「……三位は圭ちゃん。四位はレナだね。それぞれ十四票と十一票っと」

「あら、これは少ないですわね」

「おい! なんで俺たちの時は言うんだよ!?」

 

 二人とも意外に票を集めることが出来ていなかったようだ。やはり雛見沢で集めるとなると、一日だけでは量も限られているようだ。

 

「で、三票の孝ちゃん。覚悟は出来ているんだろうねー?」

「……覚悟は出来ています」

 

 ここにいる人で呼ばれていない人はただ一人、まあ負けると思っていた。北条さんと別れてから頑張ったけど、自分と親含めて三票だし。

 

「三票ですか。思ったより多いことに驚きました」

「褒められている気がしない……」

「しっかしほんと弱いねぇ。孝ちゃんがいつか上位に来るときはあるのかな?」

「努力をしてはいるんだけどね。一応綿流祭四凶爆闘の対策はしてきたつもりなんだけど……」

「ほほぅ。そこまで言うからには一位を取る自信があると見えるね」

「それはそれとしてだ。魅音、罰ゲームには何を考えているんだ?」

 

 先ほどまでとは違って楽しそうな園崎さんに苦笑しつつ、遠くで賑わっているであろう祭りの方角へと目を向ける。今日はとびきりと言っていたが、祭りもあるし楽なものだろう。そんな楽観的に見ているのもあるかもしれない。

 まだ昼と言える時間。とりあえず身を焦がすような暑さと僕のスペックを考えてくれた罰ゲームにしてくれると助かるんだけど……。

 

「あらあらこんな所で出会うなんて奇遇ね。祭りを抜け出して、怪しいことでもしているのかしら」

 

 笑い声で気づいた。眼鏡を掛けた真面目で温厚そうな男性と金髪ロングの女性の二人。女性の方は確か鷹野さんだ。以前お世話になった医療所で見たことがある。今はナース服ではなくて普段着っぽい。あとは綺麗な人だってことと、母さんと同じ職場だってぐらいしか知らないけど。

 男性の方はカメラを構えて一枚撮ったあとに笑いかけてきた。筋肉質な身体だし、アウトドアな写真家なのかな。この狭い村で見たことがないということは別の街から訪れた人だと思われる。

 

「この人は富竹さん。孝介くんは初めてだったよね?」

「みんなは知っているの?」

「うん。時々こうやって雛見沢に訪れて写真を撮っているんだ」

「今日は昼の間に人の少ない風景写真を撮ろうとしていたけど、まさかそこで君たちに会えるとはね。あれ、だけど北条さんは?」

「沙都子はいま別件でいないよ。今日は梨花ちゃんのお手伝いがあるからって」

 

 魅音さんは迷うことなく嘘をついていた。

 

「それで、ここで何しているのかしら? 罰ゲームと言っていたけど」

「部活ですね。ちょっとしたゲームをしていて、最下位の人に罰を与えているところです」

「罰なんて、物騒な話ね」

 

 鷹野さんは満面の笑顔よりは妖艶な笑みでクスッと笑った。やっぱりナースで見ていた時もそうだったけど、美しいというより怪しい雰囲気が印象的だ。隣の男性は不愉快なのか、その彼女を見て口元を小さくゆがめている。

 

「そういう鷹野さんたちは何しているのかな、かな?」

「ちょっとレナ! この二人を見れば何してるかなんてわかるでしょ!?」

「ぼ、僕らは別にそういうつもりで……」

「あら? ジロウさんは違ったんですか?」

「いや、そんなこと……」

 

 さっきから何を話しているのか。具体的な単語が出てこないと分からない。

 とにかく富竹さんは焦っていて、園崎さんはニヤニヤとしていて、鷹野さんは楽しそう。他のメンバーも何か分かったと言うように黙ってその三人を見守っていたのだった。

 

「ふふ。まあ本当のことを言えば、ちょっと約束をね」

「約束、ですか?」

「あなたの母親と会う約束。篠原さんは詳しくは聞いてないようね」

 

 昨日はあまり話す機会がなかったのもあったし、聞いていない。それより午前中は仕事だと嘆いていた。

 

「僕は誘われてないけど、そのあとに雛見沢祭りに行くからね。君たちは?」

「私たちも罰ゲーム執行してから向かいますね」

「そりゃあ良かった。やっぱり綿流し祭りには子供たちの笑顔だと相場が決まっているからね」

「……それと事件も。そうでしょ? ジロウさん」

「鷹野さん、いまここでその話をする必要は……!」

 

 富竹さんが慌てて制したのだが、鷹野さんは黙っていても仕方ないと自分の弁解を述べている。それにもう、僕らには聞こえてしまった。

 綿流し祭で起こる事件。なぜかその意味を考えた時、急に胸騒ぎを覚えた。何より、僕はその話をなぜか知っている。どこかで知った覚えがある。

 頭の隅、もやもやとした中にある一つの言葉。それは事件というキーワードから連想されて出てきたものだ。

 

「誰かがいなくなって、誰かが死ぬ……」

「へえ、篠原さんは知っているようね」

「なんだよ、それ。何かの伝承か?」

 

 前原君は知らないようで周りに説明を求めている。僕も頭の中で出てきた言葉を言っただけで、具体的な中身について説明出来ない。

 他のメンバーを見る限り、どうやら三人は知っているようだ。そして互いの顔色を窺い、諦めたように竜宮さんが話し始める。

 

「……圭一くんは知らないよね? 綿流し祭の当日に起こる事件」

「もしかして、沙都子にまつわる事件に関係があることか?」

 

 前原君の質問に竜宮さんは頷いた。恐らく北条さんの両親の死と兄の失踪のことだ。まさか今日がその日を示していたなんて。

 

「この村では奇妙な事件が起こるようになったのよ。毎年一人死亡・一人失踪する奇妙な出来事。それが雛見沢連続怪死事件と言われているわ」

「毎年……」

「過去四年連続で起きているから今年も間違いないでしょうね。一部ではオヤシロさまの祟りと言われているわ」

「……それは一体、どういう意味ですか?」

「被害者のほとんどが村に敵対した人物なのよ。北条家が何をしてきたか、あなた達なら分かるでしょう?」

「嫌な言い方ですね」

 

 北条さんのことについて良く思っている詩音さんが真っ先に毒づいた。

 

「そんな睨まれても困るわ。事実であることには変わりない」

「……」

「私はむしろいまここに沙都子ちゃんがいないことを危惧しているのよ?」

「……それは、事件に沙都子ちゃんが関わるかもしれないって言いたいのかな、かな?」

「両親に兄と叔母。ここまで連続して何かあれば、独り身の彼女に何かあると考えるのは当然でしょう?」

 

 明らかに雰囲気が一変した。不快な気持ちを露わにするものや眉を潜めるもの、睨んでいるものととにかく悪い意味で表情が変わっているのだった。僕もきっと、同じような顔になっていることだろう。

 そしてそうした張本人であるにも関わらず、鷹野さんは涼しい顔のまま腕を組んでいた。

 

「いい加減にしないか。いまここに居るのは沙都子ちゃんの友達だぞ」

 

 流石に度が過ぎたのだろう。そこで富竹さんが鷹野さんの肩を掴んで止めた。

 

「そうね。ふふ、ごめんなさい。でも私はこういう言い伝えが好きだから、つい気になってしまうのよ」

「あ、あの……」

「さて、私たちも時間だからそろそろ行くわ。じゃあまた綿流し祭で」

 

 僕の言葉を聞こえなかったのか、それとも聞こえなかったふりなのか。どちらか分からないが、彼女は踵を返して祭りとは反対方向へと向かっていく。

 

「沙都子ちゃん。一体どっちになるでしょうね」

 

 鷹野さんが最後に言い残した言葉が耳に残る。聞こえないふりをするべきなのか、それとも聞き入れるべきなのか。それをすぐに判断することが、僕には出来なかった。



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