空飛ぶ にわとり -The Flying Chicken- (甘味RX)
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プロローグ
Act1 - 僕の上司を紹介します


 覚えているのは、無機質な室内と鼻を突く消毒液の匂い。

 そして部屋に負けず劣らず人の体温を感じさせない気配のする幾人かの人。

 

 なんの衣類も身につけずぼんやりと床に腰を下ろしている人たちは揃いも揃って無表情で、自分もまた彼らと同じように、ただ何の意思もなくそこに在った。

 

 霞に支配された頭でゆっくりと顔を上げると、この部屋の中でただひとり、立って自分たちを見下ろしている人がいた。

 青っぽい服と、茶の髪と、赤い目。その三色がやけに印象に残った。

 

 彼が小さく何かを唱えると、一番向こうにいた人が黒い光に包まれて消えた。

 だれも悲鳴なんてあげないからなんの音も無い。

 

 ひとり、またひとり。

 彼が何かを唱えるたび、あの黒い光に消されていくのを自分たちは生気の無い目で眺める。

 

 ひとり。

 

 ひとり。

 

 カタ、と指先が震えた気がした。

 しかし自分はなんの思考力も持たず、ただなんとなく、静かな表情で消え行くものたちを見送る彼を見ていた。

 

 やがて隣にいた人がまた音もなく消えた。

 

 レンズ越しの真っ赤な目がひたりと自分を捕らえる。

 

 

 そのとき、また指先が震えた。

 今度は収まる事無く、それどころか震えは全身へと広がっていく。

 

 「―――ア」

 

 喉の奥を締め上げられたような空気が口から抜けていった。

 

 ひどくなる震え。

 頭がすぅっと冷えていき、目から液体が零れ始める。

 

 心臓を握りつぶされるようなこの感覚を恐怖と呼ぶのだとこのとき俺はまだ知らなかったけど、ただ何か漠然と、抗わなくてはいけないと感じた。

 

 じゃないと、

 

 (消えてしまう)

 

 

 「ぅああアァアああぁア!!」

 

 目を逸らすことも出来ず直視していた赤い目が、驚いたように丸くなった。

 その間にも喉から吐き出される悲鳴がわんわんと部屋の中を反響して、自分のものでありながら耳が痛くなる。

 

 「うぁあああん! アアアー!」

 

 震え、泣き喚きながらカタカタとおもちゃのように首を横に降る自分に、立ち尽くしていた彼の、あの黒い光を出すために軽く前に出していた腕が下げられていく。

 

 そして下ろされた腕とは反対の手が、ゆるゆると顔を半分覆った。

 

 呆然と見開かれた目や、握り締められた拳が何を表すのか、このときの自分にはわからなかった。

 だけどその後、かすかに、かすかに歪められた表情がとても気になって、俺は押さえきれない震えをそのままに、青い服の端に手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー! 大佐、大佐っ!」

 

 捜し求めていた人の姿を資料室の最奥で見つけて、場所を忘れて大声で呼びかけた俺に大佐は目もくれないまま ぶ厚い本を投げつけた。

 

 見事 顔面に当たった本をなんとかキャッチしてから、ずきずきと痛む鼻に手を当てる。

 なんでこっち見てないのに当てられるんだろうとかそんなこと今更だ。大佐だからだ。

 これはひそかに軍内での合言葉と化している。だって大佐だから。(ちなみに派生系として「陛下だから」も存在している)

 

 投げつけられた本の表紙にちらりと目をやったが、俺にはタイトルからして理解が出来なかった。

 きっとページをめくれば専門用語でぎっちり書き込まれた眩暈がしそうなモノが出てくるに違いない。

 

 だから中は見ずに手渡そうとすると、大佐は指で軽く本を指した。

 どうやらこれは自室に持ち帰って読む分らしい。

 

 本を抱えたまま脇に立っていると、ようやく大佐が本から目を離してこっちを向いた。呆れたような赤い目が見える。

 

「そんなバカみたいに叫ばなくても聞こえてますよ。資料室では静かにしてくださいね」

 

 時間差で届けられた入室時のお説教に俺は情けなく眉尻を下げた。

 

「だって大佐ぁ、陛下が大佐のこと探して来いって言うんですよ。しかも三分以内ですよ、とうに過ぎちゃいましたよ、カップメンじゃないんですから無理ですよ……」

 

 しかもこんな広い城でどこにいるかも分からない人を探せなんて無茶だ。

 いや、でも、大佐だから目撃証言は取りやすかったけど。

 

「早く行かないと俺が陛下のひまつぶしに付き合わなきゃいけなくなるんですよぅ」

 

「いいじゃないですか付き合ってあげれば」

 

「それすなわち陛下と俺が遊ぶ、じゃなくて、陛下が俺で遊ぶ、だからイヤです!」

 

「ハイ静かに」

 

 パンとまた本で額を殴られる。今度は軽くだったけど。

 その本をまた受け取って、腕に抱えたさっきの本に重ねてからまた大佐に向き直る。

 

「陛下の相手が出来るのは大佐しかいないんですから~……。俺もう陛下の遊び道具になるの嫌ですよ」

 

「あの人なりの愛情表現なんですよ。受け止めてあげなさい」

 

 人にあらゆる無理難題を押し付けるのは本当の愛じゃないと思います。

 俺はスーパーマンじゃないから城のてっぺんから飛んだりとか出来ません陛下。けっこう新しい愛され記憶に思わず遠い目になる。

 本気で飛ばせるからあの人は怖い。そのあと自分も飛ぶし。無傷だし。

 

「今度は素潜りとかさせられたらどうするんですかぁ」

 

 かの人はまた別の本を手にしていて、目はずらりと並んだ文字から離れない。

 

「大佐~」

 

 しつこく情けなく大佐の言葉を待ち続けていると、短い溜息が聞こえてきた。

 手にしていた本は今度は顔面を打つことはなく、俺が抱えた本の上に重ねられた。

 再び赤い目がこちらをとらえる。

 

「……大佐…?」

 

 神に祈る気持ちで赤い目を見つめていると、顰められた表情がほんの少しだけ緩んだ。

 

「少しくらい待たせておきなさい。子供じゃないんですから、彼だってそれくらい平気です」

 

「だって三分って」

 

「そこからもう からかわれてると気付きませんか。このだだっ広いところで、どこをどうしたら三分で人を見つけられます?」

 

 なんとなく予感はしました。

 脳裏にえらくさわやかな顔で笑う陛下の姿が過ぎる。

 自分で認めたら終わりな気がして考えたくなかったけど、大佐に言われたならもう認めざるを得ない。

 

 どんよりと鬱なオーラを撒き散らしていると、また腕の中に本が積まれた。

 

「もうすぐ終わります。そこで待っていなさい」

 

 告げられたその言葉を何度か頭の中でくりかえして、俺はようやく理解した。

 いきおいよく顔を上げると、赤い目はすでにそらされてまた本棚に向かっていたが、ゆっくりと意味が脳にしみこんでくるにつれて自分を取り巻いていた影が一気に晴れていくのを感じた。

 

 それは、つまり、一緒にいてもいいということだ。

 影ではないキラキラとした何かが湧き上がってくる。

 

「は……はい、ハイっ!」

 

 おもわず声を上げると即座に本が一冊飛んできて額に当たった。

 

「し・ず・か・に」

 

「………………はぃ」

 

 今のは角が当たって本気で痛かった。

 額をさすりながら本を抱え直して、静かに、大佐の横で待機する。

 しかし表情ばかりはどうしようもなく、嬉しさがそのまま顔に出てしまう。

 

 ああ、でも、

 

 うっとうしいと言われる事は数あれど、どこかへ行けと言われた事はなかった。

 とはいえ大佐公認で近くに居ていいと言われることは中々無いからかなり貴重だ。歌い出しそうな気持ちで笑みを深める。

 

「まったく、どうして、あなたは……」

 

 ふと耳に届いた呟きに顔を上げると、忌々しげともいえる顔をした大佐。

 赤い目が苦く歪んでいる。

 

「大佐?」

 

 呼びかければツイとそらされた赤。やがて深い溜息が聞こえてきた。

 

「なんで私についてまわるんですかね……」

 

 そんな資格はないでしょう。

 

 暗い色を落とした赤がそういった気がした。

 俺はその言葉にしばし目を丸くする。

 

 そしてまた、笑った。

 

 

 

 

 服のすそを掴まれた彼は今度は驚きに目を見開いて、それからひどく不器用な顔で笑った。

 

 今なら分かる。

 あれは人が、俺たちが、後悔と呼ぶ感情。

 

 

 

 

 

「大佐、俺けっこう幸せだと思います」

 

 唐突に過ぎった思いをそのまま口に出せば、うさんくさげな視線と共に、なんですか気持ち悪い、と戻ってくる。

 とっさに返そうとした言葉をひっこめて、代わりに少し声を上げて笑った。

 

 俺は幸せだし、あなたが大好きだから、そんな顔をしなくても大丈夫なんですよ。

 

 でもそれを言ったら譜術のひとつかふたつ飛んでくるだろうから、とりあえず今は言わないことにして、どんどん積み上げられていく本を抱え直した。

 

 




初期称号『カーティス大佐 直属部下』
大佐の部下だけど、第三師団じゃないんです。
彼は大佐専用 パシリ 小間使い。



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Act2 - 私の部下を紹介します

ジェイド視点


 長い通路を歩きながら、手にした書類の中身へ簡単に目を滑らせた。

 問題がないことを確認して、視線を上げる。

 

 そして緩めていた足取りを速め己の執務室へ向かおうと一歩足を踏み出したとき、

 

「ぅひィあ゛ー!!」

 

 ……聞こえてきたこの上なく情けない悲鳴に、ジェイドは盛大な溜息を吐いた。

 

 

 

 宮殿から一直線に伸びた道を少し歩けば声の正体がすぐ明らかになる。

 とはいえ皆も慣れたもので、あれだけの悲鳴が響き渡っても誰一人としてとんでこない。

 相手から気付かれない程度の位置でジェイドは足を止めた。

 

「なんっで攻撃してくるんですかー!」

 

「戦闘訓練だからに決まッッッてんだろうがぁ!!!」

 

 男は持つ剣の切っ先を相手に向けて力いっぱい怒鳴る。あれは兵への剣術指導を担当する教官だっただろうか。

 

 一方怒鳴られた青年は、剣を胸に抱えるようにうずくまっている。涙目、で済めばまだ可愛いものだが彼はすでに号泣していた。

 

 頭痛がしてくるような気持ちでこめかみを押さえる。

 我が子の失態を見るというのはこんな思いなのだろうかとアレを手元に置き出してからよく考えるようになった。

 

「だって切れるんですよ! 刺さるんですよ! 危ないじゃないですか!!」

 

「じゃあお前が持ってるソレはなんだソレは!」

 

「剣です」

 

「これも剣だよ! 剣士が剣でビビってどうする!」

 

「……だって当たったら痛いじゃないですか」

 

 ぼそりと零した彼に、いよいよ耐えかねたらしい教官が剣を振りかぶる。

 悲鳴を上げつつも器用に避けた彼を遠いところに眺めていると、傍を通りすがったメイドたちの、リックも顔だけならねぇ、という溜息交じりの呟きが聞こえた。

 

 確かに顔だけならば彼はなかなか女性受けする整った顔立ちをしている。

 それは本当のところ彼がというよりも彼の“元”がと言ったほうがいいのかもしれないが。

 

 しかしその長所を埋め立てて山になるほどの短所が女性たちが彼をそういう対象に見られない原因だろう。

 

「おい、こら、逃げんなビビリ!」

 

「ににににげなきゃ切れるじゃないですか!」

 

「迎え撃てよ!」

 

「無理です!」

 

 臆病だなんて言葉はとうの昔に通り越して、もしかするとああいう習性の生き物なのかと思わずにはいられないほど、臆病な青年。

 

 いやそれともそれが模造品ゆえの劣化なのか。

 

 そんな考えが過ぎったところで脳の奥にジリッと焼けるような感覚が走る。

 

 あれはジェイドにとっては忌まわしい存在だった。

 当然だろう。あれは罪そのもので、あれが周りをうろつくたびに、それを突きつけられるのだから。

 お前は逃げられやしないと。

 

 忌まわしい。しかしそれならわざわざアレを傍におかず、目の届かないところへやればいいのだ。

 最初のように。

 

 遠い記憶を思って、ジェイドは目を細めた。

 

 

 

 

 あのとき自分は、目の前で泣き叫ぶアレを“処分”することができなかった。

 だが己の中の変化を深く掘り下げることが嫌で、あれを人に任せたきり、仕事に没頭した。

 

 おそらく考えたくなかったのだろう。

 変化を認める事、それは過去の罪を認めることだったのだから。

 

 そんな微かな波紋を感じ取ったらしい、人の感情の機微に聡い幼馴染は、それを好機と取ったのだろうか。めったに見ない真剣な顔で切々とジェイドを説き伏せた。

 

 否が応にも罪と向かい合わせにさせられたときに零れたのは苦笑で、そのあと脳裏に浮かんだのは自分が処分できなかった最後の模造品だった。

 

 彼が生きられるように取り計らってやってくれと口にしたのはもはや無意識のうち。

 言ってしまってからジェイドは様々な事に驚いた。

 

 まずそんなことを口にした自分に。

 次に、生きられるように、という言い様に。あれはただの物に過ぎない。

 

 最後に、呼べる名がなかったという事実に。

 

 内心の動揺を押し隠しながら、かいつまんだ説明をすると幼馴染は意味ありげに笑った。

 お前はそのレプリカを消せなかったのか、とやたら愉快げに言った彼をいぶかしみながらも肯定すると、ことさら上機嫌に幼馴染が口を開いた。

 

 「おまえ、それは殺せなかったって言うんだよ」

 

 消せなかった。

 殺せなかった。

 

 それは些細な違いだった。

 しかし、己にとってはとてつもなく大きな違い。

 

 「そいつが生きてるって、お前は認めちまったんだ」

 

 

 “物”が“命”に変わった日、

 

 ジェイド・カーティスは生物フォミクリーを自らの手で封じた。

 

 

 

 

 

 意識を現在へ引き戻したジェイドは、顔面ぎりぎりのところで相手の剣を受け止めている逃げ腰の青年を改めて見やる。

 

「リック」

 

 聞こえるか聞こえないか、そんなラインの声量だったはずだが、彼は勢いよくこちらを向いた。

 そしてジェイドの姿を見つけるとパッと表情を明るくする。

 

「ジェイドさん!」

 

「ぅおっ!?」

 

 彼は交差していた相手の剣をすばやく撥ね退けると、己の剣をさやに収めて走りよってくる。

 突然の事に対応し切れなかった男は弾かれた勢いのまま 後ろに倒れ込んでいた。

 

「今から本部に戻るんですか?」

 

「ええ。進めたい仕事がありますから」

 

「じゃあ俺も戻ります!」

 

 顔いっぱいに浮かべられた笑顔の裏に必死なものを感じ取り、ジェイドはにっこりと笑ってみせた。

 

「訓練から逃れたいんですね?」

 

「……そんなこともあったりなかったりします」

 

「本当いつまで経ってもビビリですねぇ。せっかくだから根性叩きなおしてもらったらどうですか?」

 

「叩きなおして強くなる鉄ばかりじゃないんですよ!? べっこんべっこんにヘコむだけで剣にも鍋にもなりゃしない鉄だってあるんですよっ!!」

 

 笑顔が一転泣きながら訴えてくる彼に、このまま置いていくのも面白そうだと思考をめぐらせる。

 そこでふと視界の端に入ったのは、座り込んだままの男の姿。

 

 完全に萎縮しきった様子でジェイドを見る男にちらりと目を合わせると、一度大きく体を震わせて下を向いた。

 しかしそれを見下す間も嘲笑する間もなく、きんきんとした叫び声が割り込んでくる。

 

「ジェイドさんジェイドさんジェイドさんー!!! お願いしますから一緒に行かせてくださいぃいい!」

 

「……あっちが正しい反応なんですよ? 分かってます?」

 

 手で片耳を塞ぎながら呆れたように呟くが、目の前の青年からは「ぅへ?」という間の抜けた声が返ってきただけだった。

 ジェイドは深い深い溜息を吐いて、くるりときびすを返した。

 

「ま、いいでしょう。行きますよ」

 

「あ、え、……っはい!はい!ハイぃ!」

 

「うるさい」

 

「はい!」

 

 間抜け顔が今度は阿呆みたいな笑顔になって後ろを歩き出す。

 それを肩越しに見やって、ジェイドは少しだけ笑った。

 

「あれ、ジェイドさん、なんかご機嫌ですか?」

 

「ええ、まあ」

 

 中々どうして、まんざらでもない、この生活。

 

 

 

 

 

 

 何月かぶりに見た模造品は、やはり脅えていた。

 それなのにこちらの姿を捉えた瞬間、光を見つけたような顔で笑ったものだから、ジェイドは本当に、本当に、観念するしかなかった。

 

 認めた過去は決して優しいものではなかったが、仕方が無い、そのずっと蓋をし続けていた罪と顔をつきあせよう。

 しかしそれを清算するには まだまだ時間がいるのだろう。長期戦は、望むところだ。

 

 「私がまた顔をそらさないように、あなたには見張ってもらわなくてはなりませんね」

 

 目の前の、罪そのものといえる存在へ静かに語りかけると、理解は出来なかったのだろうが、ただ雰囲気を感じ取ったらしい彼がすこしだけ、頷いた。

 

 膝をついて、座り込んでいる彼と視線を合わせる。

 よろしくおねがいしますよ、と呟けば、何がおかしいのか彼はまた笑った。

 

 「じぇ、ど」

 

 世話をしていたメイドたちの会話で覚えたのだろうか、たどたどしい発音でジェイドの名を呼んだ彼は、最高の光を見つけたように、笑った。

 

 

 

 

 ああきっと本当に忌まわしいのは、人の心がひとつではないことだ。

 ただ、この心でざわめいている忌まわしさを凌駕する感情につける名前を、私はまだ知らない。

 

 




(※重ねて申し上げますが各種スピンオフ作品の発表前に書き始めた話のため、それらの設定は反映されていません。空飛ぶにわとりTFC時空のパラレル設定としてご覧下さい)



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外殻大地編
Act3 - キムラスカまでお願いします


 

 

「へ? バチカル、ですか?」

 

 腕に抱えた山のような書類の束を落とさないように気を配りながら、俺はあまりよろしくない脳みそから何とか地図をひっぱりだした。

 なんでまた両国の緊張感がピークに達しているこの時期に、わざわざ敵国へ向かうのだろうか。

 

「こんな時期だからこそ、ですよ」

 

「はぁ」

 

 ああ今心読まれたとかそんなことはもう気にしない。大佐だからだ。

 

 自分のデスクに腰を下ろした俺の上司は、眼鏡の奥の赤い目をきらりと光らせた。こういうときの大佐にあまり良い予感はしない。

 

「マルクトは平和条約締結に乗り出します」

 

「和平ですか、良い事ですねぇ」

 

「あちらに親書を届ける役目は、中立的立場にあるローレライ教団の導師イオンにお願いすることにしました」

 

 一応大佐の手伝いをしている身として、そういう話が出ている事は聞いていたが、そこまで大詰めの段階だとは知らなかった。

 やけに明るく話す大佐を不思議に思いつつものほほんと返事をする。平和、すばらしい言葉だ。

 

「それでですね」

 

「はい」

 

「私が陛下の名代として同行します」

 

「えぇ!? 大佐行っちゃうんですか!? で、でもバチカルまでならそんなにかかりませんよね。早く帰って来てくれますよねっ」

 

 大佐は実力もあるし陛下に信頼されているから、とにかく仕事が多い。

 グランコクマに置いてけぼり、には確かに慣れているが、それでも寂しくないわけじゃなかった。

 

 まぁその間はイヤというほど大佐の代わりにピオニー陛下の面倒を見なくてはいけないから忙しいが。あの人はどうして出入り口を完全封鎖しても脱走できるんだろう。

 

「俺 待ってますからっ、絶対元気に帰って来てください!」

 

「ははははは、何を言いますか」

 

 にっこりと音が聞こえてきそうな笑顔だった。

 

「あなたも行くんですよ」

 

「……俺もですか!?」

 

 驚いた拍子に書類が落ちそうになって、慌てて抱え直そうとしてデスクに突っ伏す。

 大佐はそこから一番上にあった書類の束を抜き取った。ぺらぺらと中身を流し見ながら、呆れたような溜息を零す。

 

「私としてはなんで行かない気だったのかが物凄~く不思議ですねぇ。あなた誰の部下ですか?」

 

「政治の場にご一緒させていただく機会が少なかったんで……今回もそうなのかと……」

 

 俺の仕事は大佐の手伝いだから、大佐が行くところならおおむねついていくが、政治関係の場となると留守番を言い渡される事が多い。

 大佐いわく、黙っていられるならいいがいつもの調子でビビられてはマルクトの恥、だそうだ。反論できないのでそういうとき俺はおとなしく留守番をしている。

 

「今回はあなたも一緒です。用意が出来次第すぐ発ちますから、準備をしておくように」

 

「あ、はい。……バチカルまで親書を届けに行くんですよね?」

 

「そう言いませんでした?」

 

 大佐のお供といえばまず戦場。デスクワーク以外に与えられる仕事もほぼ戦場。または現地調査(魔物だらけ)。

 そんな心臓によろしくない職場から束の間の脱出。

 

 平和な任務。最高だ。

 

「じゃあ俺たちは平和の使者ってやつですね!」

 

「まぁそういうことです」

 

「平和、平和の使者! いいですねぇ!いい響きですねぇ!」

 

「ええそうですね」

 

 おそろしく重い書類の山さえ軽くなった気がした。

 

 このとき浮かれ舞い踊る俺を見る大佐の笑顔がいつも以上にうさんくさいことに気付かなかった、それが最大の敗因かもしれない。

 

 

 

 

「そこの辻馬車! 道をあけなさい!」

 

 タルタロスのブリッジ。

 涼しい顔で立つ上司の足にしがみつきながら、俺は涙目で叫んだ。

 

「大佐の嘘つきー!」

 

 平和、もとい和平に行くんじゃなかったんですか。なんで俺たち盗賊団とカー(?)チェイスしてるんですか。

 メインモニターの端に映った辻馬車が急いで避けるのが見えた。

 ああ、ごめんなさい一般の人。悪いのは俺じゃないんです、この無茶な大佐なんです。

 

「別にいいじゃないですか! 今じゃなくていいじゃないですかぁ!」

 

「せっかく見つけたんだから捕まえておきましょう」

 

 せっかくってそんな簡単な。

 和平に行くついでに盗賊団も捕縛しておこうかって、お醤油買いに行くから塩も買っていこうってのとはワケが違うじゃないですか。

 

 さっきは正体不明の第七音素がどうとか言っていたし、どうも不吉な感じがする。平和じゃない和平交渉の道中なんて俺は嫌だ。

 

「和平交渉に行くっていうなら俺達も平和に行きましょうよ! 平和が一番ですよ!」

 

「嫌ですねぇ、すでに平和だったら和平交渉なんて必要ないじゃないですか」

 

 何か今この上なく不穏な言葉が聞こえた。

 いや、言葉自体はもっともだ。確かに平和じゃないから和平しに行くに違いない。

 だけどその言葉の裏にもっと深い意味が潜んでいるような気がした。

 

「た、大佐。俺たち和平に行くんですよね? それだけですよね? べ、別に危ないこととかないですよね!?」

 

「はっはっは」

 

「大佐ー!?」

 

 白々しい笑い声を上げる大佐に詰め寄るより先に、けたたましい警戒音が艦内を揺らした。

 

「橋が爆破されます!」

 

 てきぱきとした大佐の指示がブリッジに響く。

 ついでにそれを掻き消すくらいの声で、爆発ですよ危ないですよ死んじゃいますよと泣き叫んでいたら大佐に蹴り飛ばされました。

 

「少し頭を冷やしなさい。大丈夫です、死にません」

 

「はぃいい……」

 

 きっぱりと断言する大佐の静かな声に、俺は少し安心する。

 とりあえず場違いにもジェイドさんカッコイイと男惚れ出来るくらいの余裕は出来た。そして大佐には物凄くうざそうな顔をされた。

 

 気を取り直して、譜術障壁を張る手伝いをするため空いていた椅子に座った。

 出発前に叩き込まれた知識を引っ張り出しつつ目の前のパネルを叩いていく。

 

 いつもは素人の俺が下手なことするよりはるかに安全だと専門の操縦士の方々に任せっきりなのだが、なぜか今回は必要最低限の操縦の仕方を覚えるように言われた。

 お忍び任務で乗員数が少ないからだろうか。補欠はいるに越したこと無いのかもしれない。

 

「譜術障壁 展開!」

 

 船員の誰かの、いつもより硬い声が聞こえた。

 とはいえタルタロスの性能は普段お世話になっている俺たちが一番よく知っている。船内にさほど緊迫感は無い。

 

 だけど、だけど、

 

「やっぱ怖いです大佐ぁーッ!!」

 

「ハーイハイ、うるさいですよー」

 

 心の準備も整わないままに、タルタロスは爆炎を上げた橋のほうへと突っ込んでいった。

 

 

 




▼リックは称号『平和の使者?』を手に入れた!



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Act4 - ぶらりエンゲーブ途中下車の旅

 

「すみません! 長めの茶髪でキレイな赤い目をした一見人が良さそうだけど笑顔は意地の悪そうなマルクト軍人を見ませんでしたか?」

 

 こう聞いたら一発でした。

 

 

 教えてもらったローズ夫人邸に向かって歩きながら、泣き言を零す。

 ちょっと下艦に手間取っている間に先に行っちゃうんだもんなぁ。

 

 和平交渉の途中、親書受け渡しのため立ち寄った村エンゲーブ。

 ここはとてものどかな農村だと聞いていたのだが、どうも空気がぴりぴりしている。殺伐とした農家の方々なんて恐ろしいことこの上ない。

 

 食べ物にまで作る人の苛立ちがうつってしまいそうだ、と俺は思ったが、さっき収穫をしていたおばさんにおすそ分けしてもらったトマトはとても美味しかったので、あまり関係ないらしい。

 

 後は元々みなさん優しい人なのだろう。

 ただちょっとだけ気に掛かることがあって、ちょっとだけ殺気が漏れているだけかもしれない。

 俺としてはちょっとの殺気でもかなりびびるので早く温厚な皆様に戻って欲しいところだが。

 

 通り道にあった飼育場にいたブウサギになごみながら、すぐそこに見えてきた家へ足を進める。

 やっぱりブウサギは可愛い。でも食用だと思うと少し切ない。

 

 ああ、どこかで陛下におみやげを買って行こうと思っていたけど、へたなものよりもブウサギを一匹つれて帰ったほうがよっぽど喜ぶ気がする。

 だけどそうしたら名前をリックにされてしまうかもしれない。嫌ではないけど、微妙だなぁ。

 

 つらつらと考え事をしながら、目の前に迫った玄関に手を伸ばす。

 

 しかし俺が触れるより早くノブが勢いよく回ったことに気付いたのは、がつんという鈍い音と鋭い衝撃が脳天を突き抜けてからだった。

 

 

 

 

 

 『へぇ、これが』

 

 興味津々と自分を覗き込んでくる青の目。

 

 不快ではない無遠慮さを滲ませたその人間に、どうしたらいいか分からなくて、俺は青い軍服の後ろに隠れた。

 

 しっかと背中にしがみつくと、触れていなければ分からない程度に体が揺れる。

 俺がしがみついたり、後を追ったりすると、彼はそういう反応をした。いま顔を見上げれば、きっとこういうときにいつもする怒ったような硬い表情があるはずだ。

 

 思えばこのときの俺たちはお互いに分からない事だらけだった。

 手探りで初めての感情につける名前を探していた。

 

 青い目の人間はそんな彼を見てひどく嬉しそうに口元を緩め、次にまた俺を見た。

 そして今度は視線を合わせるようにしゃがむ。

 

 自然と体がびくついたが、気にする事無くまじまじと俺を眺めた人間は、ニカッと太陽みたいに笑った。ふいに全身の力が抜ける。

 

 『決めた、お前の名前はリックだ』

 

 そうして俺は、真っ赤な光と、真っ青な太陽を見つけたんだ。

 

 

 

 

 

 

 はっと目を開けてまず飛び込んできた青い瞳に、俺は一瞬 自分がどこにいるのか分からなくなった。

 

 だけど次に薄茶色の長い髪が見えたから、陛下またサボりですかと口をついて出そうになった言葉を飲み込んだ。

 よく見れば瞳の青も陛下のものより柔らかい。ていうか、女の子だった。

 

「大丈夫ですか?」

 

 心配そうに俺を覗き込む女の子を見返しながら、俺は数度おおきく瞬きをした。

 

 何が起きたんだろう。

 とりあえず分かるのは激しく額が痛いということだけだ。

 

「俺、どうしてこんなとこで寝てるんだっけ……?」

 

「あ、その、それは、私たちが」

 

 女の子は少しだけ顔を赤くして慌てはじめる。

 可愛いなぁなんて見当違いのことを考えつつ上半身を起こしながらめぐらせた視線の先に、俺はあざやかな命の色を見つけた。

 

 赤だ。赤い髪。真っ赤な髪。

 大佐の目と同じ色の、髪。

 

 それにひそかに見惚れつつ、目の前の女の子に意識を戻す。

 彼女が説明してくれたところによると、中からあの赤い髪の彼が思い切りよく扉をあけたところに、ちょうど俺がいたらしい。

 間の悪さは天下一品だと昔大佐に言われたのを思い出す。

 

「それでかぁ。どうりで額がおそろしく痛いと思った」

 

「本当にすみませんでした。ルーク、あなたも謝りなさい」

 

 赤毛の彼は突然の言葉にびくりと身を震わせた。

 痛いくらい真っ直ぐな青が、揺れる翠を見据える。

 

 すると先ほどから何かの形に開きかけていた口が引き結ばれ、怒ったように顔が歪んだ。

 

「なんでオレが謝るんだよ」

 

「あなたが開けた扉が当たったのよ」

 

 ああ。

 

 自分の中で何か ぱちんと弾けた。

 なるほど、そうか。自然と口元が緩んでいく。

 

 泣きそうに怒鳴る。

 視線は鋭い、けどずっと見ているのは俺の額。

 ひらきかけて閉ざされる言葉。

 

「ルーク!」

 

 咎めるように名を呼んだ女の子を制して、俺はすくっと立ち上がる。

 服についた砂や草を適当に払ってから彼と目を合わせ、出来うる限り明るく笑ってみせた。いま俺も陛下みたいに笑えていればいいなと思う。

 

「俺、根性とか勇気はないけど体は丈夫なんだよ。いっつもバカやっちゃって譜術とかバンバンくらってるけど、それと比べればこれくらいなんてことないし!」

 

 きっと彼も、ジェイドさんと同じ、不器用な優しい人。

 

「だから、気にすんなよっ」

 

 必死に言い募ると、あっけにとられたように俺を見ていた彼がふと表情を崩した。

 

「……そーかよ」

 

 あいかわらず仏頂面だけど、すこし、すこしだけ耳が赤い。不機嫌そうな目が俺の額を見て、すぐに顔ごとそらされた。

 それはとてもへたくそな、「ごめんなさい」。

 

 どこか既視感を覚える反応ににやけていると、布越しの手の感触。

 驚いて見ればあの女の子が申し訳無さそうに俺の額に触れていた。

 

「ごめんなさい、連れがあんな態度で。ああ……少し切れてるわ」

 

 そっと傷に手をあてがった彼女がなにやら譜歌を唱えると、さっきまであった額の痛みが嘘のように引いていく。

 

 彼女は第七音譜術士なのか。へぇ。

 感心する頭の裏側で、なにか思い出さなきゃいけない事があったような気がして考えをめぐらせるも、これといった情報が出て来ず、まぁいいかと疑問を投げ捨てる。

 

「ありがとう、二人とも本当に良い人だなぁ。大佐とはおおちg 」

 

 

 

 

「……おい、あんた生きてるか?」

 

 どこからともなく飛んできたエナジーブラストによって再び地面とお友達になった俺を見下ろす二人の視線を受け、俺は泣きながらただ一言、慣れてますから、と呟いた。

 

 

 





「どうしたんです? ジェイド。いきなり窓の外に譜術なんて……」
「いやぁ、なんでしょうねぇイオン様。突然撃ってみたくなりました」



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Act5 - チーグルの森ってどこですか?

 

「大佐、散歩いってきていいですか?」

 

「構いませんよ。迷子にならないでくれれば」

 

「こんな小さな村で迷子になんてなりませんよ。やだなぁ大佐ってば~!」

 

 

 やがて静かに閉じられた扉。

 

 その向こうに消えた背中を思いながら、ジェイド・カーティス大佐はコーヒーを飲む振りをして少し口元を隠した。

 

「なりそうだから言ってるんですけどねぇ」

 

 

 

 

 

 

 うららかなエンゲーブの昼下がり。

 聞こえてくる農家の方々の声の掛け合いやブウサギの鳴き声にホッと息を吐く。

 

 少しくらい殺伐としていても農村本来の暖かな雰囲気は変わらない。

 平和だ。俺こういうとこに住みたいよ。

 

 宿屋の前を通りかかったところでふと昨日の二人組のことを思い出す。

 厳しそうで優しそうな女の子と、不器用で優しい赤色。

 

 そういえば、名前は聞かなかった。まだこの村にいるんだろうか。

 

「また会えるといいなぁ」

 

 

 土や太陽の匂いに癒されつつ あてどもなく歩いていると、視界の端に見知った姿を見つけて足を止めた。

 木や建物の陰に隠れるようにしながらも、自然な動作で外れへと向かって歩いているその姿は、確か。

 

「導師さま?」

 

 タルタロス内部ではずっと導師さま専用とした一室にいらっしゃり、エンゲーブでは俺がローズ夫人邸に着いた時にはすでに借りたお部屋にお戻りで、朝は俺より早く起きてどこかへ……と何かと間が合わず、実質お会いしたのは初めにタルタロスに乗艦されたときだけだったが、たぶん間違いはないだろう。

 

「あー、やっぱり導師さまじゃないですか! お散歩ですか?」

 

 声をかけると、導師さまは驚いたようだった。びくりと肩が揺れる。

 

「あなたは……ジェイドの」

 

「部下です! リックといいます。のどかですからねぇ、やっぱり散歩したくなりますよね」

 

「え、ええ。そうなんです、息抜きに」

 

 心なしかぎこちない笑みを浮かべる導師さまに、内心首をかしげる。

 

「お散歩ですよね? じゃあ俺も一緒に行きますよ」

 

「いいんです。少しだけですから」

 

「いえ、ここで導師さまを放ってって何かあったら、大佐に怒られるよりも先に俺がイヤなんですっ」

 

 なんだか分からないがこの人は放っておいたらいけない気がする。

 要人だからじゃなくて、大事にしたいというか、守ってあげたいというか、故郷のおばあちゃんに対する気持ちというか……。いや、俺はおばあちゃんいないから分からないけど。

 

 力いっぱい主張すると、導師さまは困った顔で目を泳がせる。

 戸惑いがちに口を開いた彼は、悪戯が見つかった子供のように苦笑した。

 

「……すみませんリック。散歩というのは嘘なんです」

 

「嘘、ですか?」

 

 目を丸くする。

 

 導師さまでも嘘をつくことがあるんだなぁなんてちょっとした親近感を抱いていると、導師さまが本当の目的を話し始めてくれた。

 

 食料泥棒。チーグル。

 エンゲーブの人達が殺気立っていたのはそれが原因だったのか。

 だから教団の者として確認をする義務があると導師さまは言った。

 

「僕はチーグルの森へ行かなくては」

 

「じゃあ俺もそこにお供します!」

 

「魔物が出ますよ?」

 

 ………………。

 

「ぉおおオおおお供します!! どこへなリと!」

 

「声が裏返ってますが、本当に大丈夫なのですか?」

 

「はいそれはもう!」

 

 無意識ながら剣を持って出てきた自分を褒めてやりたい。これで丸腰なんて言われたら俺は泣く。

 剣があっても泣きたいくらいなので、きっと恥も外聞もなく泣く。

 

「じ、じゃあ早く行きましょう 導師さま。出発時間になったら大佐にバレちゃいますから」

 

 驚いたように俺の顔を見上げる導師さまに、引きつった笑みで返す。

 せめて導師守護役のタトリン奏長に言ってはどうかと提案したが、きっと止められるだろうからと首を横に振られた。

 

 本気で俺一人なのか。俺一人で導師さまの護衛をするのか。大丈夫か俺。

 

「……止めないんですね。いえ、同行していただくにしても、あなたはジェイドの部下だ。彼に報告してからでないとまずいのでは?」

 

 確かに、勝手に導師を連れ出したのがバレたらと考えるだに背筋が寒い。きっと言い訳する間もなくタービュランスだ。

 

 だけど。

 

 ちらりと導師さまを窺い見る。心配そうな深緑の瞳。

 もし俺が大佐に報告したらまずいのは彼だろうに、導師さまはそれ以上に俺の立場を心配しているらしかった。

 

 零れそうになる弱音を押し込めて、拳を握る。

 

「大丈夫です。だって大佐に言ったら導師さま、もう絶対タルタロスから出してもらえませんよ」

 

「では、もう一度だけ聞かせてください。止めないのですか?」

 

「……俺、義務とかそういうの分かんないけど、たぶん導師さまがやろうとしてるのは大切な事なんだろうと思います。だから俺も一緒に行きゅます」

 

 ああ最後噛んだ。

 

 格好はつかなかったけど言葉は本当なんです。

 魔物が出る怖い森に一人で行こうとするくらい、導師さまが真剣にやろうとしてること。

 よく分からないけどそれはきっと、俺が大佐のお説教に耐えるだけの価値がある事だ。……怖いけど怖いけど怖いけど。

 

「ありがとう、ございます」

 

 はじめてちゃんと見る、導師さまの笑顔だった。

 うずまいていた不安がやんわりと薄らぐ。

 

 へへ、と笑い返すと導師さまもまた笑みを深くしてくれる。

 落ち着く笑顔。この人には幸せに笑っていてほしいと思った。

 

「じゃあ行きましょうか導師さま!」

 

「リック、チーグルの森はこっちですよ」

 

「……はい」

 

 大佐、俺は導師さまをしっかり守れるのでしょうか。

 

 

 

 



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Act5.2 - 森の中心でSOSと叫びます

 

 道中、魔物に出会うたび、俺は恐れながら導師さまを小脇に抱えて逃げるという戦法を取り、なんとか目的地までたどり着いた。

 

 このまま魔物を避け続けていけるかと期待が過ぎるも、人生そう上手くはいかなかった。

 

 

 大佐、チーグルの森に入った早々、俺たちピンチです。

 どこからどうみても魔物に囲まれています。

 

 唸り声を上げて姿勢を低くしている数匹のウルフ。

 

「ど、導師さまは俺の後ろに!」

 

 たいした魔物じゃない。簡単に蹴散らせる。

 

 自分の実力と照らし合わせてそう結論付けつつも、守らなきゃいけない存在がある緊張で剣先が震えてしまう。

 

「……リック、大丈夫ですか?」

 

 あまりの震えっぷりに導師さまが心配そうに声を掛けてくれた。

 大丈夫か大丈夫じゃないかといえば かなり大丈夫じゃないが、それでもやるしかない。

 

「大丈夫(だと思いたい)です! まかせてくださ、ぁヒィぃいい!!」

 

 突如 飛び掛ってきた一匹のウルフを死に物狂いで弾き飛ばす。

 俺いいよって言ってないよ、言ってないよね。なんでいきなり来るんだよ。止めてくれよ。

 

 大佐がいたら鼻で笑われそうな言い分を脳内で繰り返すも、今の俺はそれがバカな言い分だと気付かないくらい動揺していた。

 さっきのを皮切りに次々と攻撃をしかけてくるウルフたちに向かって剣を振り回す。

 

 ええとええと対多数の場合は一体ずつ確実に仕留めて、いやでも護衛任務のとき優先するのは要人の安全だから隙を見て逃げるのがベターで、ああだけどこれじゃ逃げられないし。

 

 思考がぐるぐると回り、どんどん体捌きがおろそかになっていく。

 

 俺が導師イオンを守らなきゃいけないのに。

 ああ、神様、ローレライ様、ジェイドさん……!

 

「前に跳んでください!!」

 

「!」

 

 導師さまの、優しい声の鋭い指令。

 それが脳を突き抜けた瞬間、俺は考えるより先に地面を蹴っていた。

 

 視界の端に、地面から突き上げる強い光が見える。さっきまで俺がいた場所だ。

 受身をとって身を起こしたときには、すでに光は消え去り、ウルフは陰も形も無かった。

 

「すごい」

 

 そういえばローレライ教団の導師は特別な譜術を使う、と大佐に聞いたような気がする。これがそうなのか。

 

「大丈夫、でしたか?」

 

「は、はい! ありがとうございます! でもすごいですね導師さま、あれだけの魔物を一瞬で倒すなんて」

 

「いえ……。それでは、行きましょう、か」

 

 はい、と返事をしようとしたとき、導師さまの体が ぐらりと傾いだ。

 

 寸の間 体が硬直する。

 

 それから抱きとめようと慌てて腕を伸ばしたが、小さな体は俺の指先をかすって、地面に倒れ込んだ。

 

「ど……っ」

 

 すっと全身から血の気が引いていく。心臓が高鳴る。

 助け起こさないとと思いつつも体が動かない。

 

 俺が固まっている間にも自力で上体を起こした導師さまへと、半端に伸ばしかけていた腕を留めていると、走りよってくる人の足音が聞こえた。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 現れたのは、赤い色。

 その自分にとっては世界の意味にも等しい色に、弾かれたように正気を取り戻した。

 転びそうになりながら、導師さまにすがりつく。

 

「すみません導師さま、すみません、ごめんなさい!!」

 

 知らなかったなんて言い訳にもならない。

 だって譜術が負担になることは知らなくても、体が弱いことは知っていた。それで術を使わせたなら同じだ。

 

「俺のせいですぅううう!」

 

 すがりついた上に泣き崩れる俺を見て導師さまがおかしそうに笑う。

 

「大丈夫ですよ、少し疲れただけですから」

 

「だけど導師さまぁ!」

 

「ふふ……ところで、あなた方は確かエンゲーブにいた……?」

 

 肩で息をしながら顔を上げた導師さま。

 つられるように同じ方向を見やり、目を丸くした。

 

「あ」

 

「お前」

 

「あのときの」

 

 赤い髪の少年と、青い目の女の子。

 再会というには早すぎる遭遇に、お互い呆気に取られた顔で動きを止めていた。

 そして俺はさっき正気を取り戻させてくれた赤色の正体を知る。あの赤か。

 

「リック、お知り合いですか?」

 

「あ、昨日ちょっとだけ話したんですよ」

 

 聞きながら立ち上がろうとする導師さまに手を貸そうと俺が動くより先に、正面に立っていた赤毛の彼がすこしぞんざいに導師さまの手を引いた。

 

 やっぱり優しい人だ。

 昨日の勘が外れていなかったことを嬉しく思ってひそかに笑む。

 

 導師さまの後ろにひかえて会話を聞いていたところによると、赤毛の彼はルーク、青い目の彼女はティア・グランツさんと言うらしい。

 

「いや、ていうか、神託の盾騎士団の方ですか!?」

 

「え? ええ」

 

「そ、それは、俺、もとい私、昨日は大変失礼を!」

 

「あ、だ、大丈夫です。気にしないでくださいっ」

 

 こっちの勢いにつられて、彼女も慌て気味に手をぶんぶんと横に振る。

 中間管理職さながら頭を下げあう俺たちに、呆れ顔のルークが口を開いた。

 

「つーかオマエはなんなんだよ。なんでここにいんだ?」

 

 翠の瞳が俺を捉える。

 

 彼の疑問はもっともだ。怪訝そうな二人の視線に顔が引きつる。

 だって導師さまとこんな森で二人っきりなんて、誘拐犯と思われても仕方ない。

 違うんです、連れ出したのは俺だけどお互い同意の上なんです。いや、これじゃ駆け落ちみたいだ。

 

 突然の問いに完全に思考がストップした俺の代わりに、ルークの問いに答えてくれたのは、穏やかな笑みをたたえた導師さま。

 

「彼はリック。僕の護衛役として同行してくれているマルクト軍の兵士です」

 

「兵士ぃ?」

 

「そ、そんなうさんくさそうな目で見るなよ」

 

 あからさまな反応を示すルークに少し落ち込む。

 確かに軍人としての出来はあまり、かなり?よろしくないかもしれないが、俺にだって軍属として生きてきたプライドというものが……

 

「開いた扉も避けられないであっさり気絶したやつが軍人だとか言われてもなぁ」

 

「はい! 返す言葉もありません!」

 

 ああなんか目からしょっぱい水が流れていく。

 大佐、俺いつか立派な軍人になりたいです。

 

 

 

 

 一匹のチーグルを見つけたはいいものの、導師さまを連れて行くことに難色を示すグランツ響長。

 

 当然の反応だろう。俺だって導師さまのやりたいことをさせてあげたいとは思うけれど、本当なら彼女と同じ事を言いたい。やっぱりお連れするべきではなかったんだろうか。

 

 黙り込み視線を交わす俺とグランツ響長を見上げて不安そうにする導師さまに、助け舟を出したのはなんとルークだった。

 連れて行こうという彼の提案をグランツ響長はやっぱり反対したけれど、強気なルークの言葉に、流れが少しずつ導師さまに向いてくる。

 

「それに、青白い顔でぶっ倒れそうなやつと、魔物に死ぬほどビビってるやつ。こんなヤバイやつら ほっとくわけにもいかねーだろ」

 

 最後、思わずというように零れたそれに目を見開く。感動した。やっぱり、やっぱり、ルークは優しいやつだ!

 

「あ…ありがとうございます! ルーク殿は優しい方なんですね」

 

「だ、誰がだよ!?」

 

「ルーク、導師さまだけじゃなくて俺の心配までしてくれるなんて!」

 

「アホか! そりゃ二人いりゃそうなるだろ!」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴るルークに導師さまと二人で詰め寄る。

 なんだか分からないけど、傍にいるとなんとなく嬉しい、なんて、ルークは大佐みたいだ。

 

「本当にありがとうございます、ルーク殿!」

 

「ありがとうルーク!」

 

「あ゛ーもう! うるせーうるせー!!」

 

 どかどかと荒く歩き出したルークの背を見ながら、俺は導師さまとふたり、上機嫌に笑った。

 

 



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Act5.3 - 朝以来の再会です

 

 ああ、今日はきっと厄日だ。

 またはピンチの大安売りをしているに違いない。

 

 眼前に迫った大きな爪を剣身で受けて、ずしりと掛かった重さを感じた時、心底そう思った。

 

 とっさに全身で力を込めるも間に合わない。ライガクイーンは、俺を剣ごと、たやすく吹き飛ばした。

 

「リック!」

 

 盛大に地面を転がって倒れた俺に導師さまが叫ぶ。

 

「おい! 大丈夫か!?」

 

 攻撃の合間に距離をとったルークからも声を掛けられた。

 だが打ち所が悪かったのか、すぐに起き上がれない。

 

「だ、大丈夫、気にするな……ちょっと、走馬灯が見えるだけだ……」

 

「それヤッベェから! 絶対ヤベェから! オマエもう大人しくしとけよ!」

 

 一応見た目は二十五歳で軍人なのに、ルークに心配されているのは情けないかもしれない。

 だけど攻撃が効かないんだ、どうにもならないじゃないか。

 

 ルークだって今は何とか頑張ってるけど、あまり戦い慣れしているようには見えない。

 そうしないうちに押され始めるだろう。相手はライガクイーンだ。

 

 俺たちに勝てるわけがない。

 

 そう考えた瞬間、剣を握る手が緩んだ。

 頭のどこかで責めるような警鐘が鳴っていたが、無理やり思考に蓋をする。

 

「冗談じゃねぇぞ! なんとかしろよ!」

 

 ルークの焦りがみえる怒声が聞こえた。

 

 俺に、勝てるわけがないんだ。

 

 全身がこわばっていく。

 目が勝手に閉じてしまいそうになった。

 

 そんなとき。

 

「なんとかして差し上げましょうか」

 

 戦闘の喧騒にも紛れずにぴんと空気を揺らした声に、俺は泣きそうなくらい安堵した。

 

 

 

 

 

 ていうかもうちょっと泣いた。かなり泣けてきた。

 

 体が動かなかったのが嘘みたいに勢いよく跳ね起きて、声のしたほうを振り返る。

 そこに見慣れた立ち姿を見つけて俺は今度こそ泣いた。

 

「た、た、たい、た、た……!」

 

 朝から会っていなかっただけなのに、ずっと離れていたような錯覚にとらわれる。

 

「大佐ぁ!」

 

 むせび泣きながら駆け寄ると、大佐はにっこりと笑顔を浮かべて――

 

「ぅげぶっ、」

 

 綺麗な右ストレートをお見舞いしてくれた。

 

 戦闘の緊迫感も何もかも吹っ飛んで、ルークもグランツ響長も果てはライガクイーンさえ凍りついているのが視界の端に見えた。

 

「何すんですか大佐ー!?」

 

 だけど俺はといえばそれどころじゃない。

 殴られた頬を押さえながら言うと、大佐は殴った手をピッと振って眉を顰めた。そんな仕草もかっこいいけど、こっちは結構痛いです。

 

「あなたこそ何をやってるんです、頭を冷やしなさい」

 

 大佐の言葉に俺はぴたりと動きを止める。

 

「資料に載っている難易度ではなく、目の前の敵を見なさい。相手の特徴だけを思い出しなさい。行動は、属性は、弱点は?」

 

 淡々とした声。

 頭に上っていた血がさがり、ようやく全身を巡りはじめたような感覚。

 

 ぐっと剣を握り直してライガクイーンを見据えると、大佐が少し笑ったような気がした。

 

「あれは、本当に“勝てない敵”ですか?」

 

 そして思ったとおり、背中から届いた声は笑みを含んでいた。

 俺も少しだけ口の端を上げる。

 

「……いいえ!」

 

「結構」

 

 背後でうずまく音素を皮膚で感じながら、俺は再び地面を蹴った。

 

 

 

 

「なんか後味悪いな」

 

 零されたルークの言葉に、俺はそっと剣を収めた。生還を喜びかけた気持ちが風船のようにしぼんでいく。

 確かにライガクイーンは子供を守ろうとしただけだ。

 

「……でも、やらなきゃやられるよ、ルーク」

 

「まぁ……そうだけどよ」

 

「優しいのね。それとも甘いのかしら」

 

 納得できない様子でぼやくルークに、グランツ響長が言う。

 

 だけど、やるとかやられるとか「殺す」という言葉を使えなかった俺も、ルークと同じくらい甘いのかもしれない。

 

 殺すのはいつだって怖い。

 だけど死ぬのは、もっと怖い。

 

「リック」

 

「はいっ!」

 

 条件反射で背筋を伸ばして返事をすると、いつのまにか真っ赤な目がこちらを捉えていた。

 大佐は少し眉を顰めて何かを言いかけたけど、すぐに口を閉ざして呆れたように首を横に振った。

 それも細くて長い溜息付き。

 

「た、大佐?」

 

 恐る恐る呼びかける。

 すると大佐はさっきまでの表情を手品みたいに笑顔で隠した。さっきの顔も気になるけれど、これはこれで悪い意味で気になる。

 

 この顔は、よろしくない!

 

「唸れ烈風、大気の刃よ、切り刻め。――――タービュランス」

 

 にっこりと告げられたそれと周りで急速に高まり出した音素。

 俺は泣きながら笑みを浮かべた。

 

 ごめんなさいジェイドさん。

 

 

 

「……お、オイ、そいつ……」

 

「問題ありませんよ、すぐ起きます」

 

 術の名残のつむじ風に髪を揺らされながら地面に突っ伏す。ルークのひきつった声といつもの大佐の声が耳に届いた。

 

 怖いから気絶したふりをしていようかなんて浅知恵を働かせようとした俺のすぐ脇で、こつりとブーツの音。

 し、下は地面なのに! 土なのに! なんでブーツが鳴るんだ!(大佐だから!?)

 

「リック~? 起きてますよねぇ?」

 

「……ハイ……」

 

「結構。ではこんなところまで無許可で導師を連れ出した責任をどう考えます?」

 

「…………大変、重大な、こと、だと、思います……」

 

「ですよねぇ。もう一発タービュランスいきますか?」

 

「ごごごごゴメンなさいジェイドさんスミマセンごめんなさぁい!!」

 

 急いで起き上がって土下座をしていると、俺の目の前に飛び込んできた小さな影が庇うように両手を広げた。

 

「ジェイド! 違うんです、僕が頼んだんです!」

 

「導師さま……」

 

 優しさに じんと目の奥が熱くなる。

 袖で荒く目元をぬぐって、俺は導師さまを丁寧に押しのけた。

 

「お、俺が無理について行くって言ったんですよ! お止めしなかったのは俺の責任です! 導師さまは悪くありません!」

 

 向かい合い、俺なりに精一杯 説明すると、大佐は軽く肩をすくめた。

 

「大事には至らなかったようですし、臆病者なりに、イオン様を守ろうとしたようですからね。まぁ進歩でしょう」

 

「大佐、じゃあ……」

 

「あなたへの処分は さっきの一撃で勘弁しておいてあげます」

 

 そう言って、大佐は ほんのちょっとだけ気を抜いた柔らかい笑みを浮かべた。

 朝から張り詰めていた気持ちと恐怖が一気に弾け飛ぶ。

 

「ジェイドさぁーん!!」

 

「さてイオン様」

 

 飛びつこうとした俺を片手で抑えて、大佐が導師さまに向き直った。

 

 それから始まった導師さまへのお説教。

 いや、俺の処分が済んでも、導師さまがお説教されちゃ意味が無いです。

 

 でも口を挟む隙が見つからず右往左往していると、ルークがお説教を止めてくれた。

 それでまた俺と導師さまがキラキラとした視線を向けたら、やっぱりルークは少し耳を赤くして盛大に顔を顰めた。

 

 ルーク、優しいし、大佐相手でも物怖じしないし、すごいなぁ。

 

 

 

 チーグルの森の出口で、突然マルクト兵に囲まれた。

 もしかしたら導師さまを勝手に連れ出した件でやっぱり怒られるんだろうかと一瞬肝を冷やしたけれど、兵たちが囲んだのは俺ではなく、ルークとグランツ響長だった。

 

「大佐!?」

 

「そこの2人を捕らえなさい! 正体不明の第七音素を発生させていたのは、彼らです」

 

 大佐の指示が飛ぶと同時にすばやく二人を拘束した兵たち。

 そんな光景を遠いところに見ながら、俺は大佐の言葉と、過去の記憶を脳内で反芻した。

 

 

 『正体不明の第七音素を発生させていたのは――』

 

 

 “さっきは正体不明の第七音素がどうとか言っていたし”

 

 “彼女は第七音譜術士なのか。へぇ。”

 

 

 ………………。

 

 

 

 『正体不明の第七音素』

 

 

 

「あっ!!」

 

「もしかしなくても忘れてましたね?」

 

 



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Act6 - タルタロスの車窓から

 

「ルーク・フォン・ファブレ。お前らが誘拐に失敗したルーク様だよ」

 

 …………!!!

 

「公爵子息さまとは存じ上げず大変なご無礼をぉおお!」

 

「あのファブレ公爵のご子息ですか」

 

 光の速さで土下座しようとした俺の頭を大佐は見もせずに片手でがしりと掴んで止めると、何事も無かったみたいに会話を続けた。

 

「……さすが、慣れてるぅ」

 

 そんなタトリン奏長の呟きがひっそりと部屋に響く。

 ところで今ので首が痛いです大佐。

 

 

 

 

 

 二人に簡単な説明をし終えたあとに部屋を出ようとする大佐を慌てて追いかけようとすると、大佐が突如足を止めた。

 勢いあまってぶつかりそうになったのを何とか堪える。

 

「リック。あなたは彼らにタルタロスを案内してあげてください」

 

「あ、はい」

 

 俺が敬礼したのを見てから、大佐は部屋を出ていった。

 ドアが閉まる簡素な音が響いて部屋の中に微妙な沈黙が下りる。

 

 ふと視線を感じて見れば、じっとりとした奏長の目。

 

「タ、タトリンそうちょ、」

 

「……チッ、お邪魔虫が……」

 

 いつもの声から数段低い呟きにビクッと肩を震わせる。

 その直後、お二人の、艦内を歩いてみようかという話が聞こえてきた。

 

 すると奏長は即座に身をひるがえして、とても愛らしい声で「私がご案内しま~す!」と満面の笑みを浮かべた。

 

 さっきの声とのギャップが凄まじい。

 ……あ、そうか玉の輿……なるほどお邪魔虫……。

 

 一連のつながりに納得しつつ隅っこで小さくなっていると、部屋を出ようとしたルーク、もとい公爵子息さまが俺のほうを振り返った。

 

「? なにしてんだよ。オマエ、案内してくれんだろ?」

 

 俺も行っていいんですか。

 なんか涙が出そうなのはその優しさのせいか、それとも彼の向こうで俺を睨んでる奏長への恐怖からなのか。

 

「ぜひお供させてください! 公爵子息さまっ!」

 

 だけど涙ぐみながらもこう言えたんだから、優しさのおかげかもしれない。

 

 

 

 

「あなたは、ただの兵士ではないのね」

 

 案内の途中。

 おもむろにグランツ響長にそう言われて、目が丸くなる。

 

「へ? いや、すごい下っ端ですよ」

 

 宮殿の庭掃除をやるぐらい底辺の兵士だ。正直にそう告げると響長が首をかしげた。

 

「だけど……それにしては大佐と親しそうだったわ」

 

「親しそうですか!? そうみえますか!? そうだと嬉しいですねぇ!」

 

「それで、もしかすると将軍なのかと思って」

 

「あ、いえ、俺は大佐の直属部下なんです」

 

 だからこそ大佐の手伝いが出来るわけだ。

 ただの下っ端なら雑務で会うことはあれど、こうして大佐の後をついて回るなんて出来なかっただろう。その点ではこの称号にとても感謝している。

 

「あの眼鏡の直属ねぇ、ご苦労なこった」

 

 それまで俺たちの会話を傍観していた公爵子息さまが、疲れたような溜息交じりに言った。

 今までの二人のやりとりを考えれば、そう思うのも無理はないと苦笑する。

 

「いえいえ、確かに怒られたり譜術をくらったり、戦闘でオトリにされたり研究の実験台にされたりと大変ですが、大佐の傍で働けるのは嬉しいですよ」

 

「……それ、本当に嬉しいか?」

 

 もちろんです。そうに決まってます。本当です絶対です。

 

「目ぇ泳いでんぞ」

 

「本当です!」

 

 ちょっと涙声になったなんて気のせいです。

 

 確かに大佐は普段ああだけど、あんなだけど、あんなんだけど、本当はすごく優しいんです。

 そういえばその事を一朝一夕で信じてもらえなさそうな辺りも、彼は大佐に似ているかもしれない。

 

 

「あっ、ここを出ると甲板になります。風が強いので、響長も公爵子息さまも気をつけてください」

 

 外に出る扉の前で俺がそう言うと、なぜか公爵子息さまが顔を顰めた。風に当たるのが嫌なんだろうか。

 じゃあもう少し室内で見て回れるところを、と頭の中にタルタロスの地図を浮かべたところで、彼は仏頂面で頭をかきむしりながら、あのさ、と言った。

 

「はい?」

 

「その“公爵子息さま”っての止めねぇ? 長ったらしくてウゼーんだけど。 ルークでいいよ」

 

 その言葉に俺は目を見開いて、それから情けなく眉尻を下げた。

 

「えぇええ……」

 

「なんだよ、文句あんのか?」

 

「……いや、文句っていうか……だって……」

 

 彼は公爵子息。俺は下っ端兵士。

 

 軍という強烈な縦社会で生きてきた俺は、目上の人間を前にすると本能が絶対服従を言い渡す。

 そんな俺に対して彼を呼び捨てろとは群れのリーダーに吠えろというようなものだ。

 

 煮えきれない態度でモゴモゴと口を詰らせていると、目に見えて苛々してきた彼が叫び声を上げた。

 

「だーっ!! めんどくせぇ! じゃあ命令だ!めーれー!」

 

「命令ですかぁ!?」

 

「とにかく公爵子息さまーは止めろ! 命令なら聞けんだろ!?」

 

 確かに、命令といわれれば聞かないわけには行かない。

 だけどなぁ。やっぱりなぁ。まずいかなぁ。

 

 迷っているのがバレたのか、翠の目がギッと俺を睨む。

 

「る、ルークさん! ルークさんで!」

 

 さすがに呼び捨ては勘弁してください。

 

 彼もそのあたりは俺の立場を考慮してくれたようで、仕方ねぇなぁとばかりに肩をすくめた。

 

「では、ルークさん! 甲板に出ますよ!」

 

 あとは敬語も止めろと言われないうちに、俺はわざとらしいほど明るく扉を開けた。

 

 

 

 甲板には大佐と導師さまがいた。

 

 巻き込んでしまった事を詫びる導師さまに、せめて話を聞かせてくれれば、とルークさんが溜息を吐く。

 

「つうか、マルクトの連中がキムラスカに来てなんで戦争が止まるんだっつーの」

 

「あ、それはですねぇ、俺たちが陛下からの親書を、」

 

 続いて呟かれたソレに答えようと笑みを浮かべて指を立てる。

 すると背後から聞きなれたコンタミネーション音。

 

「おやリック随分 頭が重そうですねぇ軽くしてさしあげましょうか?」

 

 ひと息で言ってのけられた言葉と同時に笑顔で突きつけられた槍。俺は弾かれたようにホールドアップの姿勢をとる。

 そうでした。機密事項。

 

「ったく、なんなんだよ……」

 

「それには僕の存在も影響してるんです。だからジェイドも慎重になっているんですよ」

 

 導師さまが言葉を継いで、意識が俺たちから逸れたときに、口ぱくでジェイドさんゴメンナサイと伝えて、ようやく槍は離れていった。

 何食わぬ顔で横に並んだ大佐がルークさんたちに届かない程度の声量で話しかけてくる。

 

「常日頃からネジが一本抜けてるとは思っていましたが……とうとう一般人に国家機密を漏らすほど壊れましたか?」

 

「すみませんすみませんすみません……いや俺だってまさか口を滑らすとは……」

 

 確かに色んなところでバカはやるが、これでも軍人だ。今まで任務に関わる事をうかつに喋ったりしたことは無かったのに。

 大佐のいうとおり壊れたんだろうか。頼めば大佐が直してくれるかななんて怖すぎてシャレにならない。

 

「……なんか、ルークさんの傍だと気が緩むみたいなんですよぉ……」

 

「しっかりしてくださいよぉ?」

 

 冗談めかした笑顔が返って怖い。

 

 気をつけます、と青ざめた顔で頷いた。

 

 そのまま恐怖から逃れようと視線を遠いところに持って行ってしまった俺は、怪訝そうに僅か首をかしげた大佐に気付く事はなかった。

 

 



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Act6.2 - 明日は「グリフィンの爪先から」をお送りします

 ずっと扉横に控えておとなしく話を聞いていれば、平和なはずの任務の裏から わんさか出てきた不穏な色。

 その明かされた暗黒面に驚いたのはルークさんより響長より、

 

 俺だった。

 

 

 

「せせせせせせ戦争とか大詠師派の邪魔とかなんですかソレ聞いてませんよ!!?」

 

「なんでお前が一番動揺してんだよ!? いや、っつーか何でお前が知らないんだ!?」

 

 ルークさんが驚いたように怒鳴るが、そんなの俺が聞きたい。

 説明を求めて向けた視線の先で大佐がわざとらしく肩をすくめた。

 

「言ってませんでしたかねぇ」

 

「言ってませんよ! 大佐の嘘つき!!」

 

「嘘はついてませんよ。平和の使者というのも――まぁ間違ってはいませんし」

 

 正解もしてないじゃないですか。

 

 そうだ、よく考えたら有り得ない。

 だって俺が引っ張り出される任務っていうのは、ほとんどが戦闘を想定されたものばっかりだったじゃないか。

 いや、まぁ兵士だから当たり前なんだけど。ああでも今回こそはと思ったのに……。

 

「なんで言ってくれないんですかぁ」

 

「言ったら面倒くさいからですよ、こんなふうに」

 

 さらりと言ってのけた大佐に俺は肩を落とす。

 やっぱりわざと黙ってたんですね……いや分かってたけど。そういう人だし。

 

 

 大佐が何事か指示を出すと、副官のマルコさんは足早にどこかへ行った。

 

 残された俺と大佐は二人きり、通路で立ち尽くす。

 目の前にはルークさんたちがいる客室の扉があった。

 

 軍人らしくぴしりと立つ大佐の脇で、だらしなく後ろの壁に身を預けた俺は横目で様子を伺う。

 売り言葉に買い言葉のようではあったが、さっき自分よりずっと年下の人間に躊躇なくひざまずいた上司は、すでに何事も無かったような顔をしていた。

 

「大佐って、妙なところでマジメですよねぇ」

 

「おや。私はいつも真面目なつもりですが?」

 

 にっこりといつもの笑顔。

 

 たとえ頭を下げなくても、ルークさんが政治的にどうこうする事は無いと分かっていて、何パーセントかの“もしも”のために膝を折った大佐。

 誰に言っても光の速さで否定されるけど、俺は、実はジェイドさんは致命的なほどマジメなのではないかと思う。

 

 大佐にとっては嫌な事を思いださせる存在でしかないはずのレプリカを(俺を)、殺さないどころか、こうして今まで面倒みてくれている辺りがマジメだ。

 責任感が強すぎるのか、はたまた究極の完璧主義者なのか。

 

「リック」

 

「はいっ」

 

 突然名を呼ばれて意識を引き戻すと、大佐はなにやら考え込んでいるようだった。

 赤い目を眇めて目の前の扉を見ている。

 

「あなたはルークをどう思いますか?」

 

「ルークさん、ですか?」

 

 問われて、脳裏に赤をえがく。

 こういうとき大佐は考えを纏める手段として俺を利用する。

 返答の内容はあまり関係ないようなので、深く考えず正直に彼の印象を口にした。

 

「我侭かもしれないけど、良い人だと思いますよ。傍にいると落ち着くし」

 

 自分が持っている政治力を微妙に分かってない節はあるけど、貴族の人ならあんなもんだろう。まだ若いし。

 

「後これは言ったら怒られると思うから内緒にしてほしいんですけど、……ルークさんって十七、八歳ですよね?」

 

「それくらいでしょうね」

 

「だけど俺、ルークさんと会話してると、たまに小さな男の子と一緒にいるみたいな感じがして、おもしろいんですよ」

 

 こんなこと知れたら殴られそうだけど、彼と話していると、自分が少しだけお兄さんになれたような気がしてくる。

 実質的十歳の俺が言うのもなんだけど。

 

 そこで赤の双眸がじっとこちらを捉えていることに気がついた。

 どうかしたのだろうかと真っ直ぐ見返していると、その瞳がふと苦く揺らぐ。

 

「……まさか、ね」

 

 ぽつりと独りごちた大佐の顔は、当たって欲しくないことに気付いたときのソレで、俺は掛けようとした声を思わず引っ込める。

 

 そのあとは言葉も交わさないまま、何かまだ考え込む大佐の横顔を見つめていたが、目の前の扉のノブが回る音を聞いて俺は再び開きかけた口を閉ざした。

 

 

 

 

 いつだってどんなときだって凛と立っていた大佐が、その小さな箱から溢れた光を浴びて苦しげに膝をつく。

 

「まさか、封印術!?」

 

 響長の声をどこか遠くに聞きながら、俺は全身の血がザァッと粟立つのを感じた。

 

 剣を抜くと同時に床を蹴り黒獅子ラルゴに飛び掛る。奴は少し虚を衝かれたように目を見開いた。

 

「ジェイドさんに……っ何すんだぁ!!」

 

 思いきり上から切り下ろすが、相手が動揺を見せたのはあの一瞬だけだったようだ。

 すぐさま手にした鎌を振りあげて、剣を受けた動きで俺を後ろに弾き飛ばした。

 

「くっ、」

 

 受身を取って素早く起き上がった俺が目にしたのは、視界いっぱいの真っ赤な炎だった。

 

「ご主人様たちをイジメるなですのーッ!」

 

 炎の裏からミュウの声。

 

 あれ、これ俺焼かれる位置だ。

 

 そう気付いた瞬間、頭に上っていた血が一気に下がった。

 情けない悲鳴をあげて四つんばいのまま転がるように後ろに退避する。

 

 炎は前髪を掠めて止まり、皮膚を撫でる熱気が消えたところで、俺はようやく恐怖を実感した。

 ぼたぼたと涙がこぼれる。

 

「怖かった…本気で怖かった…」

 

 加熱調理された自分の未来を一瞬想像するくらい怖かった。

 冷たい壁に背を押し付けてへたり込んでいると、頭上から降って来た溜息。

 

 視線を上げればそこには呆れ顔の大佐がいた。

 

「何やってるんですか? 行きますよ」

 

 いつもの四割り増しくらい呆れている大佐は、手にした槍をコンタミネーションで収めると、すいと身をひるがえした。

 

「……まったくビビリのくせに無茶な事をしないでください。あなたはああいうとき行動に予測がつかないので、気が散ります」

 

「え、あ、ハイ、すみません……?」

 

 言うが早いか、足早に先の通路の様子を見に行ってしまった大佐の後姿をしばし呆然と眺める。

 いつになく早口だった気がする。かといって怒られたわけでもなさそうだ。

 

 もしや、もしやすると、ちょっと心配してくれたんだろうか。そうだと嬉しいなぁ。

 にやにやとしながら正面へ向き直った先で見つけた光景に、少しへこんだ。

 

 血溜りに伏すラルゴと、青い顔のルークさん。

 

 ああそうか、そうだった。

 俺達は今とてつもなく絶望的な状況にあるんだった。

 

「……ルー…」

 

 …ク、さん。

 

 倒れたラルゴを見て信じられないように俯く彼に、俺はまた、掛けようとした言葉を喉の奥に封じ込めた。

 

 

 

 

 

 

 艦橋を目指して出た甲板は魔物だらけだった。

 

 その絵面に軽い眩暈を覚えて本能的に扉を閉めようとしたが、それは横からすばやく挟まれた硬い軍靴に阻止される。

 

 口元をひきつらせて見上げれば、いいからちゃっちゃと行きましょうね、と笑顔で語る大佐。

 ユリア様、俺の隣に893、いや、ヤクザがいます。

 

 

 そして幾度目かの魔物との戦闘の最中、俺は気づいた事があった。

 

 やっぱり大佐の動きが鈍い。

 

 それでも俺よりはるかに強いけど、いつもなら避けている攻撃を避け切れていない感じがする。

 譜術の感じもなんだか、いつもの容赦ない雰囲気が無いというか、まぁやっぱり容赦はないんだけど。

 

 でももしかして封印術って俺たちが思う以上に辛いものなんじゃ……。

 

 大佐、と呼びかけようとした俺の言葉は、やっぱり届く事は無かった。

 なぜならそれは音になろうとした瞬間悲鳴に変わった。

 

「うわ゛ー!!」

 

 肩の辺りに硬質な爪の感触、大きな羽音、遠くなる地面。

 俺はなぜかグリフィンに捕獲されていた。

 

 なぜかって言うか気を抜いたせいなんだけど、それにしたって何でこんなことに。

 

「大佐ー! 大佐ー!! 大佐……っジェイドさぁああん!!!」

 

 その涙声の絶叫に少し離れたところで戦っていたみんなが上を向く。

 驚くルークさん、慌てる響長、すごい馬鹿にした顔で肩をすくめた大佐。え、ちょっ、その反応は酷くないですか。

 

 だけどその後すぐ詠唱に入ってくれた大佐に感動していると、ふと大佐が眉を顰めたのが見えた。そして詠唱を途中で止める。

 

 もうだいぶ高度が上がってしまった。

 口パクで何か伝えてくる大佐の言葉を読み取ろうと目を細める。

 

 えぇと、

 

 『その高さだと もう どの譜術も届きそうにありません』

 

 ……そうですか。

 

 『だから』

 

 だから?

 

 

 早く早くと次の言葉を待つ俺に向かって、大佐はすっと右手を掲げると――

 

 『グッ☆』

 

 輝かしい笑顔で親指を立ててみせた。

 それが下向きじゃなかったのは俺にとって救いなんでしょうか。

 

 いや、ていうか、ぇえええええ!

 

「ぐ、グッ☆じゃないですよグッ☆じゃ!! ちょっ、大佐!? たいさー!」

 

 もがく俺をよそに肩を掴む爪はびくともしない。

 そしてどんどんタルタロスから離れていくグリフィン、遠くなるタルタロス、遠くなるみんな、遠くなる大佐。

 

 

 俺、リック。

 見た目は大人、中身は十歳。

 

 本日通算三度目のピンチです。

 

 




偽追加会話『リック離脱』

「おい、連れていかれちまったぞ!?」
 ほとんど豆粒と化したグリフィン(+リック)とジェイドを交互に見て慌てているルークに向けて、ジェイドは白々しい笑顔で肩をすくめた。
「あれくらいなんとかしますよ。死にはしないでしょう、たぶん」
「たぶんかよ!」
「このままタルタロスにいるよりよほど安全です。あの子は悪運だけは強いですからね」



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Act7 - アニスさんといっしょ

 

 現在地上んメートル(考えたくない)

 

 どこへ向かっているのかも分からないけど、何だか爪を離してくれないグリフィンに俺は今 必死の説得を繰り返していた。

 

「タルタロスを襲いに来たんだろ! じゃあ職場はあっちだろうが! お前は職務を放棄してもいいのか!? ちなみに俺はよくないぞ!」

 

 俺がいたからってどうなるものでもないかもしれないけど、調子が悪そうだった大佐たちを残してこんなところで悠長に空なんか飛んでいられない。

 

 ていうかただでさえ無理やりくっつき歩いてかろうじて一緒にいられてる感じなんだから、早く戻らないと本気で大佐に見捨てられる。

 今俺が焦っている主な理由はどっちかっていうとソレだった。

 

「とにかく降ろしてくださいお願いします!」

 

 俺は今日も胸を張って低姿勢です。

 

 言葉が通じるのかすら怪しい相手へ繰り返した懇願が聞き届けられたのか、あるいはあんまり騒ぐからうっとうしくなったのかは定かじゃないが、グリフィンは今までしっかと掴んでいた肩を突然離した。

 

 やった、と思ったのも束の間。

 ここどこでしたか。空の上です。

 

「ッジェイドさぁああ~ん!!!」

 

 空中に涙と悲鳴だけを残して、俺の体はまっ逆さまに落ちて行った。

 

 

 

 

 

 

 奇跡、奇跡だ。

 ユリアのご加護か、じゃなかったら呪いでもなきゃ有り得ない。

 

「助かった……!」

 

 きっと俺に大佐の呪いが掛かってたんだ。ありがとうジェイドさん。

 森の木にくの字に引っかかったまま、俺は空の譜石帯に向かって両手を合わせた。

 

 葉の隙間から空を仰ぐと、上のほうでグリフォンが旋回しているのが見える。

 あの高さから落ちたんだとすれば、生きてるのは本当に奇跡、いや呪いだ。

 

 木から降りてすぐに全身を確認したが目立った怪我はない。剣もある。

 

 だけどここはどこだろう。

 

 辺りをぐるっと見渡して、俺はまた少し泣きたくなった。

 

 

 

 

 魔物に出会うたびに全力疾走での逃亡を繰り返しながら森を抜けて、やっと出た平原でもまた魔物から逃げ続け、走りすぎて胸焼けがしてきたころ、

 俺は人影を見つけてふと足を止めた。

 

 距離が縮まり姿形が明確になってくるにつれて、すっかり折れていた心が生気を取り戻していく。

 

 あれは、あれは!

 

「タトリン奏長!!」

 

 大平原に立つ一人の少女の背中に呼びかける。

 俺は彼女がビクッと体を震わせたのにも気付かず駆け寄った。

 

「げ、アンタ」

 

 振り返った奏長は嫌そうに顔を歪めたけれど、そんなの気にならないくらい俺は今 見知った人と出会えた事が嬉しい。

 目の前の小さな体に泣いてしがみつく。

 

「奏長ー! そ~ちょー!! 俺すんごい怖かったんですよぉぅう!!」

 

「なんでリックがここにいるわけぇ? 大佐たちと一緒じゃないの?」

 

「それはもう、かくかくしかじかで何か俺だけグリフィンに捕まってー!」

 

 大佐たちは無事なんだろうか。今更ながら心配になってくる。

 奏長はそんな俺をぐいぐいとひっぺがしながら、軽く頭を抱えた。

 

「う~、ワケわかんないんだけど~、つまりはぐれたってこと?」

 

「そんな感じです……ああもうタトリン奏長でもいい会いたかったー!!」

 

「てめー“でも”って何だ」

 

 ごめんなさい声が怖いです。小刻みに顔を横に振る。

 

 やがて奏長は大きく溜息をつくと、先を歩き出した。俺も慌ててそれに続く。

 

「あの、奏長?」

 

「大佐たちとはカイツールで合流することになったから、一緒に連れてってあげる」

 

「本当ですか!?」

 

「だってアンタ一人だと頼りないし、しょーがないじゃん」

 

 奏長は不服そうに頬を膨らませたけど、それが形ばかりのものだとすぐ分かる。

 だってそういう不器用な優しさを持っている人の傍に、俺はずっと居たんだから。

 

「ありがとうございます! 奏長は、優しいですねぇ」

 

 思ったままに言葉をこぼすと、彼女は一瞬目を見開いたけど、すぐにいつもの顔になった。

 

「そ! アニスちゃんは優しいんだよーだ! だからカイツールに着いたら、そんな優しいアニスちゃんに案内料ちょーだぁい?」

 

「……で、でも俺 薄給で……」

 

「じゃあ大佐におねだりしてきて」

 

「殺されますよそんなん!!」

 

 確実に弁解の余地なくタービュランスだ。

 

 即行で拒否した俺を見て 舌打ちをひとつ零し、これだから庶民は、と吐き捨てた。金持ちじゃなくてごめんなさい。

 俺が小さくなっている間に彼女はさっさかと歩き出す。

 

「リック! おいてくよー」

 

「あっ、アニスさぁん! 待ってくださいよぉ!」

 

 そんなこんなで、二人旅です。

 

 

 

 

 アニスさんから聞いたところによるとフーブラス橋が先日の大雨で落ちたそうで、少し離れた場所にある浅瀬から対岸に渡ることになった。

 

 転ばないように気を使いながら、一歩一歩踏みしめて進む。川として考えれば穏やかな流れだけどやっぱり歩くには少しきつい。

 俺達はまがりなりにも軍人だから体力はあるけど……。

 

 ちらり、と隣を歩くアニスさんの様子を伺う。

 いくら軍人でも彼女はやっぱり女性だし、何よりまだ幼い。

 

 でも泣き言ひとつ言わず(いや、歩きづらいとか冷たいとか文句は言ってたけど)歩いている。

 俺は視線を、その背中にあるぬいぐるみに向けた。

 

「トクナガには乗らないんですか?」

 

「別にこれくらい平気だもん」

 

「トクナガって、ひとり乗りなんですよね」

 

「……何が言いたいわけ?」

 

「いえ」

 

 軽く返しながら俺は流れの強い場所を足で かきわけて、前に出た。

 

「なんでもないです」

 

 そして振り返り、アニスさんに手を差し出して微笑むと、彼女は少しバツが悪そうに顔を顰めたあと、そっと俺の手を取った。

 

 

 

 カイツールまでは、もう少し。

 

 

 




偽スキット『ねぇリック大丈夫?』
ルーク「なぁ、あの、リックだったか? アイツ生きてんのかなぁ」
ジェイド「ま、大丈夫でしょう。臆病者ほど最後まで生き延びる人種はいませんよ」
ルーク「……ほんとかよ」



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Act7.2 - 馬鹿な子ほど、可愛いですか?

ジェイド視点


 

「なぁ」

 

 セントビナーを出たところで、ふとルークに声を掛けられた。

 お互い確実に好感を抱いてはいないだろうに、どういう風の吹き回しかと思いながらも返事をする。

 

「なんです」

 

「あいつ今どうしてんのかな」

 

 そう言われて過ぎるのは鼻水を垂らした子供の顔。

 たしか昔にもそんな馬鹿がいたが、いま思い出すのは別のバカだ。ジェイドさんジェイドさんと頭の痛くなる幻聴が聞こえる。

 

「おや、随分 あの子を気に掛けてくれてるんですねぇ。あまりのバカっぷりに ほだされましたか?」

 

「ち、ちっげーよ! つーかアンタが気にしなさすぎなんだろ!? あいつ部下なんじゃねーのかよ!」

 

「部下ですよ。残念ながら」

 

 事あるごとに脅えて泣いて、手綱を引くのにひどく苦労する部下だ。

 あれでも落ち着けさえすれば中々使えるのだが。

 

「じゃあ もっと心配しろよ。し、死んでたら……どうすんだよ」

 

「だから前にも言ったでしょう? 臆病者ほど最後まで生き延びます」

 

 さらりと告げれば、ルークは顔を顰めて黙り込んだ。

 

 例の一件で、人を殺す、あるいは死ぬ、ということが引っかかっているのだろう。ひとつ息を吐いて歩みを再開しようとしたジェイドの横に、今度は別の青年が並んだ。

 その青年、ガイは後ろをゆっくり歩いているルークを気にしながら、話しかけてくる。

 

「だれの話だ?」

 

「タルタロスで はぐれた私の部下の事ですよ。どうやら気にしてくれているようです」

 

 肩をすくめてみせると、ガイは少し驚いたように相槌を打った。

 まぁ、あまり人に懐かなさそうなあの公爵子息だ。珍しいとでも思っているのかもしれないが、アレはどちらかというと犬猫やチーグルに近い。

 だいぶ懐かれていたようだし多少は情が移ったのかもしれない。

 

「しかし はぐれたって言っても、あの状況じゃ……」

 

「普通は助からないでしょう。ですが、結果としてタルタロスからは脱出していましたからね。大丈夫だと思いますよ」

 

「結果として?」

 

「敵のグリフィンにどこかへ連れて行かれました」

 

「いや、それは、ダメってことじゃないか?」

 

 苦笑するガイを見返して「そうですか?」と首をかしげた。あのときの状況では、タルタロスに留まるよりよほど安全だっただろう。

 それには同意したものの、手段として道徳的にどうかと唸るガイに笑みを返す。

 

「ルークにも言いましたが、あの子はとにかく臆病です。そして臆病だということは、つまり生存本能が強いということなんですよ」

 

 そう簡単に死にません、と言い切ってみてから、

 改めてリックのことをつらつらと考えて少しだけ眉を顰めた。

 

「……もしかしたら、群れから離れたストレスとパニックで、寂しさのあまり死ぬかもしれませんねぇ……」

 

 ああ、あながち否定できない。時たま予想がつかないくらい馬鹿なことをやらかす子供だから。

 

「ちょ、旦那。ちょっと待ってくれ。……あんたの部下なんだから、その人は軍人だよな?」

 

「軍人ですよ」

 

「群れから離れたストレスとパニック?」

 

「寂しさのあまり」

 

 真顔で頷いてみせると何やら苦悩し始めたファブレ家の使用人を横目で見ながら、どこにいるとも知れないバカな部下の事を考えて、ジェイドは少し溜息を吐いた。

 

 

 

 



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Act8 - カイツールで会いましょう

 

 

「……月夜ばかりと思うなよ」

 

 少し後ろでやりとりを見ていた俺は、その低い呟きにびくんと肩を揺らした。

 自然と体が小さくなる。俺が犬だったら今は確実に尻尾が足の間に入ってるだろう。

 

 戻ってきたアニスさんに恐る恐る声を掛けようとしたとき、響いたのは優しい声。

 

「アニス。ルークに聞こえちゃいますよ」

 

 この声は、と顔を上げた先には導師さま。

 

 そしてその後ろ。

 茶色の髪と青い軍服、そして何より赤い瞳を見つけて、大きく目を見開いた。

 

「きゃわ~ん!アニスの王子さまぁ!」

 

 俺のご主人様ーーー!!!!

 

 

 

「だいざぁあああ! うわああ! だいっ、だいざっ、だいざー!!」

 

「ハイハイうっとうしいですよ元気にしてましたか?」

 

 大佐は大号泣でひっつこうとする俺の額を片手で抑えながら、にっこり笑ってそう言った。

 

 なんかもう貶されると同時に心配されてわけがわかりません。

 だけどもういい。嬉しい。とにかく嬉しい。

 

 とりあえず抱き付くのは諦めて軍服の裾を軽くつまむことにする。

 すると心底うっとうしそうな顔はされたけど、振り払われはしなかった。いまのところ。

 

 そのままぐすぐすと鼻をすすりながら大佐の脇に控えて話を聞いていれば、アニスさんは魔物との戦闘でタルタロスから落ちていたらしい。それであんなところにいたのか。

 

「もう少しで心配するところでしたよ」

 

 晴れやかな笑顔で告げた大佐にアニスさんが、ぷぅっと頬を膨らませて「最初から心配してください」とぼやく。

 それをまた笑顔で受け流した大佐が突然俺を振り返った。同時に俺が掴んでいた裾がピッと引き抜かれる。あ、鬱陶しさの許容時間が過ぎたんですね……。

 

「心配といえば、リック。ルークがあなたのことをずっと心配していましたよ」

 

「ず、ずっとじゃねーだろ!?」

 

 暇そうにやりとりを聞いていたルークさんが、弾かれたように顔を赤くして怒鳴る。

 

 俺はといえば、感動していた。

 そろりこちらを窺い見たルークさんが少しうんざりした顔になったのも気にしない。目がきらきらと輝くのが自分でも分かった。

 

「ルークさぁん!!」

 

「心配なんてしてねぇからな!」

 

 勢いよく背を向けたルークさんに、なおかつ「ありがとうございます」「嬉しいです」「感動です感激です」と詰め寄っていると、向こうで大佐やアニスさんたちと会話をしていた人がしげしげと俺たちを見てくるのに気付いた。

 

 金色の短髪で、空のような目をした青年。

 そういえばこちらはどなた様だろう。タルタロスの船員ではなさそうだ。

 

 疑問が顔に出ていたのか、彼は「ああ」と頷いて人好きのする笑顔を浮かべた。

 

「俺はガイ。ガイ・セシルだ。ルークのところで使用人をしている」

 

「あっ、お、俺は、リック。マルクト軍の兵士で……ジェイド大佐の直属部下、です」

 

 しどろもどろになりながら自己紹介をする。

 だけどガイはそれをからかうでもなく、俺の緊張を解くようにまた笑った。

 

「よろしくな、リック。あと敬語じゃなくていいぜ、俺はただの使用人なわけだしな」

 

「……じゃあ、えぇと、ガイ。よろしく」

 

「ああ」

 

 顔を見合わせて、二人でへらりと笑う。

 なんかガイっていいやつだ。

 

「にしても、ジェイドの旦那の直属か」

 

「ガイはルークさんの家の使用人」

 

 確認しあってから ほんの少しの沈黙がおりて、俺たちは遠くを見る目で空笑いを浮かべた。

 

 大変だなぁ。

 

 お互いな。

 

 声にならない会話を交わす。

 ああ、なんか身にしみるシンパシー。いってみれば俺も使用人みたいなもんだし。

 陛下はちゃんと部屋の片付けしてるかなぁ。

 

 使用人ふたり、肩を落としてしみじみと溜息を吐いた。

 

 

 

 

 突如として襲い掛かってきた六神将、鮮血のアッシュをしりぞけたのは、ルークさんの師匠?のヴァンという人だった。

 響長はなぜかその人に敵意をあらわにしたけれど、彼はただ誤解だと言って、落ち着いたら宿へ来るように俺たちへ言った。

 

 ルークさんはその人をとても慕っているらしく、短い時間しか一緒にいなかったけど、その中でも見た事が無い顔で笑っている。

 

「よく頑張った、さすがは我が弟子だ」

 

「……へへっ!」

 

 その姿は、なんとなくだけど大佐を前にした俺みたいだ。

 助けてくれてありがとう、と素直に告げるルークさんは微笑ましい。自然と口元が緩む。

 

「物騒ですねぇ」

 

 宿のほうへと消えたヴァン氏の背中を眺めていると、隣に並んでいた大佐がぽつりと零した。

 

「何がですか?」

 

 大変なごやかな光景だったじゃないですか。

 

 意味が分からず聞き返すと、大佐は無言で俺の腰のあたりを指差した。

 示されたままに視線を下げれば、俺はいつのまにか右手を腰に下げた剣の柄に添えていた。

 

「え、あれ!? うわぁ、嫌ですね、なんだろ」

 

「…………」

 

 完全に無意識だ。おかしいな、特に何もなかったのに。六神将に会ったからまだビビッてるのかな。

 俺が真剣に首をかしげていると、大佐の赤い目が すいと細められたのが分かった。

 

 こういう大佐はすごく心臓に悪い。

 若ボケが末期で手の施しようがないとかそんな話じゃないですよね?

 

「た、大佐?」

 

「……さ、行きましょう」

 

 にこりと笑みを浮かべて歩き出した大佐。

 それを少し呆然と眺めてから、慌てて後を追った。

 

 

 えぇっ。

 俺、本当に若ボケなんですか?

 

 



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Act8.2 - おいでませコーラル城

 

 やっと大佐と再会できて安心してたのに、今度は軍港が六神将に襲われて整備隊長さんが誘拐されて、俺達はコーラル城に行くことになった。

 

 いや、うん。

 整備隊長さんは心配なんだけど、

 

「……本当に入るんですね」

 

 目の前には、女の人のすすり泣きとかピアノの音が聞こえてこないのが不思議なくらいの廃城。立っているだけで涙がちょちょぎれそうだ。

 

「嫌ならここに残ってもいいんですよ」

 

 大佐がさらりと告げて俺の横をすり抜けて行った。

 

 その言葉に一度辺りを見回す。

 カラスの鳴き声。海から吹くしけった風の反響音。

 

 俺は急いで大佐を追いかけながらわめいた。

 

「こんなとこにひとりでいたら余計怖いじゃないですかぁ!」

 

「じゃあ頑張ってください」

 

 うう。怖い。

 

 

 

 

 

 

 薄暗い城内。

 

 ビビる俺に引っ付かれるのが面倒な大佐がすでに「私の後ろに立つんじゃない」オーラを撒き散らして、すたすたと離れたところを歩いているので、俺はルークさんの傍をキープしていた。

 

「ぎゃー!!」

 

「バッカ、ただの魔物だろ」

 

 目の前を過ぎっていた小さな影に悲鳴を上げてルークさんの背中にしがみつくと、ルークさんは呆れたように背後の俺をかえりみた。

 

「だだだ、だけどルークさん……」

 

「あーもう、しょーがねーなぁ年上のくせに」

 

「そう言うわりには、まんざらでもなさそうだけどなぁ」

 

「ガイ!」

 

「はいはい」

 

 睨まれたガイが楽しげに肩をすくめる。

 

 彼らは主従関係だっていう話だけど、とてもそうは見えない。まるで普通の親友同士みたいだ。

 そのあとガイが俺たちから離れたときに、俺はちらっとルークさんに聞いてみた。

 

「ガイと仲良いんですね」

 

「あ? ああ、まぁな。ずっと屋敷に軟禁されてたから、年近いやつってアイツくらいだったし」

 

「へぇ……」

 

 事情はよく分からないが、ルークさんは七年前、マルクト帝国に誘拐されかけたときのショックで昔の記憶がなくなってしまったらしい。

 

 直接関係ないとはいっても、自分の国のことだから複雑だ。

 大佐もそのことは知らなかったようだった。よく考えたら大佐が知らないってちょっと珍しい。

 

 考え込んでいると目の前をまた過ぎた魔物の影に、俺は再び悲鳴を上げた。

 

 

 

「なぁ、なんでリックのやつを今回の旅に同行させてるんだ?」

 

 前方を歩くガイのそんな言葉が聞こえて、俺は内心まったくだと頷いた。

 そんなハタから見れば至極当然の意見に、問いかけられた大佐が首をかしげる。

 

「なぜですか?」

 

「……見てるとなんか気の毒なんだよ」

 

 それは俺がさっきから魔物に遭遇するたびに悲鳴を上げているからだろう。

 同情的なガイに対して、大佐はなぜか愉快そうに低く笑った。

 

「あれでも、頭さえ冷やしてやればそこそこ使えるんですよ。リック」

 

「ぅへい!? はい!」

 

 まさか呼びかけられると思わなかった俺は声を裏返しながら返事をする。

 そんな俺を見て大佐はにっこりと笑い、優雅に俺を指差した。

 

 いや、俺の、後ろを?

 

 反射的に後ろを振り返ると、そこには大きな腕を今にも振り下ろそうとする石像型の魔物の姿。

 

「うわ……っ!」

 

 驚くルークさんの声を遠くに聞きながら、ふいに頭が真っ白になった。

 

 

 隣にいたルークさんを突き飛ばす。

 剣を抜く。

 

 剣の腹で硬い腕を受け流し、同時に魔物の胸元へ滑り込む。

 

 そして、下から上へ、一気に切り上げた。

 

 

 地に伏してただの石像になった魔物を見下ろして、かちん、と剣を鞘に収める。

 

 

 後ろでガイが小さく口笛を吹いた。

 

「すごいじゃないか」

 

「あれさえなければねぇ」

 

 バカにした溜息と共に押し出された大佐の言葉に、ガイが「へ?」と声を上げるのを聞きながら、俺はゆっくりと大佐たちのほうを振り返った。

 

 ぼたぼたと滴る涙。あとちょっと鼻水。

 

「なんでいきなり戦わせるんですかぁ!!」

 

「いきなりじゃないとビビるからですよ」

 

 恐怖で笑う膝をそのままに怒鳴ると、大佐がひょいと肩をすくめた。

 その隣でガイが苦笑している。

 

「なるほどな。一応 戦えるわけだ」

 

「ええ。というか、あれで剣技がなければただのニワトリです」

 

 ……チキンってことですね。

 にこやかにそう言った大佐の姿に涙が止まらない。

 

 本当に酷い人だ。

 

 分かってたけど。

 

 



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Act8.3 - 誘拐と、女嫌いと漢と幼女

 

 

 目の前にそびえる巨大な音機関。

 それを見たとき、なんだか頭の後ろのほうがざわついた。胸に妙な感情がうずまく。

 

 嫌な感じじゃないけど、嬉しいわけでもない。それは懐かしさに近かった。

 

 苦々しく揺れる大佐の赤い目が、俺を見た。こっちも信じられない思いでその顔を見返す。

 

(ジェイドさん、これは、)

 

 そんな声にならない呟きを彼は汲み取ってくれたらしかった。

 大佐は一度眉を顰めてから、姿勢を正して口を開く。

 

「……まだ結論は出せません。もう少し考えさせてください」

 

 俺の動揺に配慮するように、それは幾分しっかりとした声で告げられた。

 その声に少し平静を取り戻す。

 

 あれが何か、俺にはなんとなく分かった。なんていうか勘だ。

 

 だってもうアレがある意味 俺のお母さんみたいなもんじゃん。

 でもこれは同機種なだけかな……じゃあ叔母さん?

 

 ああ、めずらしく難しい事を考えようとするから どんどん思考がそれていく。

 

 

「うわっ――……やめろぉっ!!」

 

 何とか思考を本題に戻そうと四苦八苦しているところに響いた悲鳴。

 

 驚いて顔を上げると、ガイが自分の体を抱えるように震えていて、尻餅をついたアニスさんがいて、みんなが呆然とガイを見ていた。俺も同じく。

 少しすると落ち着きを取り戻したガイがアニスさんに謝罪をしたけれど、二人の間には不自然な距離がある。

 

 

 ガイから女性恐怖症の原因うんぬんについての話を聞いた後、歩き出してから俺はおもむろにガイの後ろから肩を叩いてみた。一応そっと。

 

「ん? どうした?」

 

 笑みを浮かべて振り返ったガイ。俺は目を丸くする。

 

「男は平気なんだな」

 

「……リック。おっまえなぁ、実験かよ?」

 

「あ、いや、そんなことは……あ~……ある、かな?」

 

 背後がネックなのか調べようと思った、っていうのは紛う方なく実験なんだろうな。

 正直に頷くとガイが溜息を吐いた。ごめん、俺 大佐に感化されてるのかもしれない。

 

「背後からでも何でも、男は平気なんだよ。ああなるのは女性だけだ」

 

「そっか……念のため聞いてみるけどソッチの人じゃないんだよな?」

 

「ソッチでもコッチでもないっての!! 俺は女性が大好きだよ!」

 

「声高らかに言い切った!」

 

 いっそ清々しいぞ。漢の鏡だな。

 ただ響長とアニスさんの白い目には気付かないふりをした。

 

 し、仕方ないじゃないですか俺たち男の子なんだから!

 

 

 

 

 やっとの思いでコーラル城のてっぺんについたと思ったら、ルークさんがさらわれてしまいました。

 

 皿割れた、なんてどうしようもないシャレを過ぎらせている場合ではありません。

 ルークさんが、ルークさんが、

 

「ルークさんが さらわれてしまいましたー!!」

 

「二回も言わなくていいですよ鬱陶しい」

 

 少し前を走る大佐がこっちを見もしないで吐き捨てる。

 あれ、俺一回目 口に出したかな……。

 

 ともかくさらわれたルークさんを追って、俺達はさっき通ったばかりの道を大逆走していた。

 大佐の言葉で例の音機関のところへ向かっているのだが、すごく不安だ。

 

 みんなが無言で走り続ける中、こそっと大佐に話しかける。

 

「大佐、ルークさん大丈夫ですかねぇ」

 

「まぁ殺す気は無さそうでしたから。さっきもそう言ったでしょう」

 

「はい……でもルークさん、ルークさんホントに大丈夫で、」

 

「うざい」

 

 一刀両断ですか。

 

 

 

 

 

 

 ガイの攻撃をかわした六神将らしき人が去っていくのを見届けてから、音機関の中に横たわるルークさんに駆け寄った。

 大佐がなにやらパネルを操作すると、放たれていた光が消えて、ルークさんが体を起こす。

 

「ルークさん、大丈夫ですか?」

 

「大丈夫なもんかよ……」

 

 無理もないけど機嫌は悪そうだ。

 しかし彼の体に目立った異変は見受けられず、ほっと息を吐く。

 

 

 そのあとは結局、また同じ場所に逆々戻りすることになった。

 

 途中、このまま帰りたいです、と泣き言を零したら、俺の相手が大分めんどくさくなってるらしい大佐に例のイイ笑顔で「ひとりで帰れ」と言われました。もう敬語ですらないんですねジェイドさん……。

 さらに、「ああ人質を見捨てて帰るつもりですか それはそれは後ほど良い悪夢が見られそうですねぇ」と追い討ちをかけられ、俺は完全に退路を断たれてしまった。

 

 いや、人質の存在は忘れていなかったし、本気で帰りたい気持ちも(0.00001ぐらいしか)無かったんだけど、あまりにもばっさり切られてさすがに少しヘコんだ。

 ユリア様、俺の上司は今日もきびしいです。

 

 

 

 そして現在。

 六神将のアリエッタさんと交戦中……なんですが。

 

「うわあああん! ばか ばか ばかーッ!」

 

 その声にびくりと身をすくませた瞬間をフレスベルグに殴り飛ばされる。

 

 地面を滑るようにしながら、何とか体勢を立て直した場所で詠唱していた大佐が、ふぅと溜息を吐いたのに俺は再び身をすくませた。

 

 分かってます。言いたいことは分かってるんです。

 だけど、どうしてもダメなんですよぅ。

 

 半泣きの俺の視線を受け取った大佐は仕方ないというようにまた息をついた。

 

「リック、泣き言は後で聞きます。アリエッタの声に動揺するのも結構ですが、とりあえず死なない程度になさい」

 

「はいぃい……」

 

「…………、ガイと一緒にライガの動きを止めてください。その隙に私が譜術で仕留めます」

 

「! はい! 了解です!」

 

「あなた命令されると活き活きしますねぇ」

 

 だって命令されると落ち着くんです!

 もしも大佐に「自由に生きろ」なんて言われた日には泣き崩れられる自信があります。

 

「どこかのバカそっくりですよ」

 

 え、それは、どちらの?

 

 

 



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Act9 - 連絡船キャツベルトで行く、

 

 

 海原を一望できる大窓のある、操舵室を模した一角で、俺はひさしぶりに大佐と二人きり。

 いろいろあったけどやっとバチカルに行けるんだ。

 

 イミテーションの舵をきゅるきゅると回しながら、後ろにたたずむ大佐を笑顔で振り返った。

 

「穏やかな海ですねぇ」

 

「はい」

 

「心が洗われますよねぇ」

 

「ええ」

 

「暇があったら泳ぎたかったですねー」

 

「そうですね」

 

 しかしジェイドさんは考え事をしているようで、さっきから何を話しかけても「はい」「ええ」「そうですね」しか返って来ない。

 俺としては無視されないだけでも嬉しいから構わないけど、やっぱり例の音機関(たぶんフォミクリー装置)のことを考えているんだろうか。

 

 ……ジェイドさんは考える事が多くて大変だなぁ。

 

 俺なんかはどうせ考えても米粒ひとつの案も出ないし、どう頭を動かしたらいいのかも分からない。

 だけどジェイドさんはなまじ頭が良いもんだから、いつだって何かを考えてしまうんだろう。たまには頭も休めたらいいのにと思う。

 

 きゅる、とまたひとつ舵を回して、俺はちょっと口を閉ざした。

 顔の向きを正面に戻せば陽に照らされて光る海が見える。

 

「大佐」

 

「はい」

 

「ちょっと、展開が怒涛のようだったんで聞きそびれてたんですけど、」

 

「ええ」

 

「やっぱりタルタロスのみんなはダメだったんですよね」

 

「そうで――……、」

 

 機械的に繰り返されていた返事が、はじめて調子を崩した。

 背中に視線を感じながら俺はまた舵を回す。きこ、と錆びた金属の音がした。

 

 俺だって軍人だ。

 生存率とかその可能性の低さとか、気付いちゃいたけど。

 

 短い溜息が耳に届く。

 

「ええ。しっかりとした確認は取っていませんが、おそらく生存者はいないでしょう」

 

「そうですか」

 

 俺は正式な第三師団じゃないけど、大佐の後をついてまわってる関係で結構 顔をあわせた。一緒に話したりご飯食べたりしたこともある。

 もちろん良い奴ばかりじゃなくて嫌な奴もいたし、仲が良くない奴もいたけど、それでも顔見知りが死んでしまうのはやっぱり変な気持ちだ。

 

「でもなんか、実感ないです。みんな死んだなんて」

 

「あなたは艦橋の惨状を見る前に離脱しましたからねぇ」

 

「へ?」

 

 そうでしたっけ?

 

「いやー、空中遊泳は楽しかったですか?」

 

「そ、その件はもういいでしょ!?」

 

 この調子だと帰った後 陛下に報告されかねない。

 『マルクト兵 グリフィンにさらわれ一時行方不明も奇跡の帰還』の見出しが躍る号外がグランコクマ中にバラまかれる恐ろしい未来を想像した。

 

 何とか未然に食い止めねばと必死に大佐へすがりついていると、聞こえてきた足音。

 会話を止めて舵の向こう側にある階段に目をやった。

 

「なんだ、お前らかよ」

 

「ルークさんっ!」

 

 覗いた赤い色に、目を輝かせて身を乗り出す。

 俺が犬だったら確実に尻尾が大回転しているだろう反応を見て、ルークさんが少し照れ臭そうに顔を顰めた。

 それを見て俺は、これ以上無いくらい口元を緩める。

 

 ああ、やっぱり、ルークさんは大佐に似てるなぁ。

 

 

 

 

「あなたはいつか、私を殺したいほど憎むかもしれませんね」

 

 怪訝そうに戻っていったルークさんの背中を見送ってから、舵の模型を背に体育座りで座り込んだ。

 

 冷たい金属の音をさせて、眼鏡を押し上げた大佐。

 その奥にある真っ赤な目は、今は光の反射に隠されて見えない。

 

 とても頭の良い上司の考えは俺にはまったく読めないけれど、とりあえず、浮かんだ思いをそのままに、ぽつりと零す。

 

「俺は、ジェイドさんのこと好きですよ」

 

 何にもわかんないけど、それだけは確かです。

 

 ジェイドさんはほんの少しだけ驚いたように目を見開いた、ように見えたけど、俺が一度まばたきをした後にはもういつもの大佐の顔だったので、見間違いかもしれない。

 大佐は例の人を小ばかにする溜息を吐きながら肩をすくめて、首を横に振った。

 

「それはどうも。いやはや、嬉しすぎて寒気がしますねぇ」

 

「えぇえええええ」

 

 ……やっぱり、見間違いだ。

 

 

 

 

 ケセドニア、マルクト領事館前。

 時折おそいくる砂煙に口内を侵食されつつも、なんとかにっこり笑って右手を顔の脇に掲げた。

 

「えー、こちらが世界の流通拠点ケセドニアです!」

 

 マルクトの人と大佐やヴァン謡将が話をしている間、俺はルークさんに観光ガイドよろしく街の説明をしていた。

 とはいってもルークさんが望んだわけではなく、単に俺がやることがなくて寂しいから勝手にしてるんだけど。

 

「このオールドラントのありとあらゆる物はどれも必ず一度はケセドニアを通ると言われるほど、マルクト、キムラスカ、どちらにとっても肝心カナメ、絶対不可欠なくっちゃならない大事な街で、」

 

「オールドラント」

 

「そう! オールドラントのありとあらゆる物はどれも必ず……」

 

 笑顔で続けて、はたと後ろを振り返る。

 そこにはうさんくさいほど輝かしい笑顔の大佐。

 

「どこ話してたか分かんなくなっちゃったじゃないですかぁ!!」

 

「何で私に言うんです? リックのミスでしょう。私はただなんとな~く、最初のころに出てきた単語を後ろからこっそり言ってみただけですよ」

 

「うわああん“なんとなく”超不自然ー!!」

 

 

「……えーと、マルクトからキムラスカへ輸出される農作物や薬草はな?」

 

 俺が大佐に詰め寄って泣いてる間に、後ろではガイが丁寧にルークさんへの説明を続けていた。

 

 



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Act9.2 - 二泊三日ケセドニアの旅

 

 

 俺達は引き続きケセドニアにいます。

 

 泣き喚く俺の声とか大佐の笑い声とか、ケセドニアの説明をするガイや響長やルークさんの話し声とか、いろいろ収拾がつかなくなってきたころ、領事館で話を終えたヴァン謡将の「では」という声に場はようやく収まりを見せた。

 

「私はここで失礼する」

 

 アリエッタさんをダアトの人に引き渡さなくてはならないから、とのヴァン謡将の言葉にルークさんがすぐ嫌そうな声を上げた。

 一緒に行こうとねだるルークさんをなだめるヴァン謡将。

 

 そうか、あの人とはここで別れるのか。

 

「…………」

 

 ほっと息をつき、はたと我にかえる。

 俺なんで安心してるんだろう。

 

 それと同時にまた手が剣の柄に伸びかけていたのに気付き、慌てて引っ込めた。

 やっぱり重大な任務中だしイレギュラーな事が多いしで緊張してるのかな。

 

 首をかしげていると、隣に立っていた大佐とふいに目が合った。すがめられた赤い目に、少しあとずさる。

 

 だけど大佐は何も言わないでまた顔の向きを正面に戻してしまった。

 な、なんなんですか……。

 

 

 

 

 避けきれない砂が頬を殴っていくのはさておき、天気は快晴。

 アスターさんの屋敷の前、花壇のへりに座りながら俺は空を見上げて恍惚と息をはいた。

 

「いー天気だなぁ」

 

 平々凡々とした時間が何より愛しい。

 こうしていると、グランコクマを旅立ってからの盗賊団と追いかけっこやらチーグルの森での大ピンチやらタルタロス襲撃やらが夢のようだ。夢じゃないのが本当に残念です。

 

 大佐たちは今アスターさんに音譜盤の解析を依頼しに行っている。

 俺はといえば、自主的にここでお留守番だ。偉い人 苦手なんだもん。

 

 そんなわけで愛する平和を心行くまで満喫していると、俺の少し向こうに立っている人を見つけた。やぁ、気付かなかった。

 

「こんちはー、良い平和びよりだよなぁ」

 

「へ!? え、ああ、……はぁ」

 

 挨拶をすると、その人は何故だかやたら驚いたけど、そのあと微妙に動揺を引きずりながらも頷いてくれた。

 

 年のころは、俺の見た目よりはずっと年下。中身のほうよりはちょっと上くらいだろうか。

 

 あざやかな緑の髪。

 そして何より顔の上半分を覆う仮面が、他の些細な印象を押し流している。

 

「俺ね、いま連れ待ってんの」

 

「へぇ」

 

 いやしかし個性的な仮面だ。一度見たら忘れられないな。

 

「だってさ、お金持ちとか偉い人とかに会うの緊張するじゃん?」

 

「さぁ」

 

 そんな噛み合ってるような噛み合ってないような会話を続けていた俺たちの間に、突如割り込んだ硬い声。

 

「リック!」

 

 顔を向ければアスターさんの屋敷のほうから駆けてくる大佐たちの姿。

 俺はびょこんと勢いよく立ち上がった。待ち人きたる!

 

「大佐!みんな! おかえりなさいー!」

 

「リック、ゆっくりとこちらに来なさい」

 

 大佐は槍を構えたまま、赤い目を厳しく細めて言った。みんなもなぜか戦闘態勢を取っている。

 

「へぇ? なんでですか?」

 

「……ああもうこれだからアホは……! 何でもいいからこっちに来なさいと言ってるんです!!」

 

 え、あれ、なんか今さりげなく酷い事言われた?

 

 みんなの剣幕にビビりつつ、さっきまで話してた少年をかえりみる。

 すると彼もなぜか目を真ん丸く(いや、見えないけど。雰囲気だけど)させ呆然と俺を見て、何やらボソボソと独りごちていた。

 

「そうだ そういえばコイツ……あー、えぇえと……まぁいいや。……その音譜盤を渡してもらうよ!」

 

 言うが早いか少年はガイに襲い掛かる。

 ふいをつかれたガイはとっさに腕を盾にして防御したが、その後すぐ苦しげに膝をついた。

 

 な、何だ? 何なんだ? どういうこと?

 あまりに突然の展開に、ガイと少年を交互に見て目を白黒させる。

 

 そして再び少年を見た。

 

 緑の髪に、仮面。

 はたと脳裏を映像が過ぎる。

 

 唸る海風、廃れた城内、例の音機関、さらわれたルークさん。

 

 『振り回されて ゴクロウサマ』

 

……あっ、

 

「ここで諍いを起こしては迷惑です、船へ!」

 

 大佐は立ち尽くす俺の腕をがしりと掴んで走り出した。関節が逆方向に曲がりかけて内心悲鳴を上げる。

 自分の足で走り始めたのを見て手を離した大佐のじっとりとした視線を受けて、背中に浮かぶ嫌な冷や汗を感じながら、そろっと俯いた。

 

 

 

 

「なんで気付かないんですか」

 

「ごめんなさい」

 

 



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Act9.3 - 終点はバチカルです

 

 

「差し上げますよ、その書類の内容は全て覚えましたから」

 

 襲撃、襲撃、また襲撃。

 嫌な展開の連続でとっくにガタが来ていた俺の理性は、

 

「ムキー!! 猿が私を小馬鹿にして!」

 

 その瞬間 見事に限界をむかえた。

 

 

「ジェイドさんをバカにすんなー!!!」

 

 

 そう叫んで、宙に浮く変な人に涙目で指を突きつけると、ぎょっとしたような視線がみんなから注がれる。

 だけど俺はこのとき本当にいっぱいいっぱいで、その事にすらろくに気付かなかった。

 

 いや、そもそも正気だったら六神将にこんな態度取らなかっただろう。後で考えたら卒倒ものだ。

 

 しかし残念な事に、このとき俺は正気じゃなかった。

 ジェイドさんの前に進み出て、六神将ディストを睨みあげる。

 

「何ですか、貴方は?」

 

「うっさい!いいからジェイドさんの悪口いうな ハゲ!」

 

「ハゲてませんよ! 何ですその相手の特徴を掴まない罵倒は! 幼稚園児ですか!?」

 

「ハゲ! おかめ! 変態!」

 

「だーかーらーぁ!!」

 

「ああ、最後のは的を射ているかもしれませんねぇ」

 

「アンタがそれを言うか」

 

 後ろから聞こえてくるジェイドさんとガイの声も何のその、頭に上りっぱなしの血は一向に下がってこない。

 すっかり椅子の上に立ちあがっていたディストが、痺れを切らしたようにダンッと椅子を強く踏みしめた。

 

「というか、貴方 ジェイドの何なんですか!」

 

 夫の浮気相手を問いただす妻のように叫んだディストに、俺のこめかみも引きつる。

 

「お前こそジェイドさんのなんなんだよ!!」

 

 さっきは親友だとか言っていたけど。

 

 ディストなんて名前 聞いた事無いじゃないか、と思ったところで、ほとんどジェイドさんの過去を知らない自分に気付いた。

 聞いたとしてもそれはゼーゼマン参謀総長やピオニー陛下からのもので、ジェイドさんの口から聞いた事は、まず無い。

 

 分かってた。分かってたさ そんなん。

 分かりきった事だけど、あらためて気付くと言葉に出来ないミジメさが体中を渦巻いた。

 

「っジェイドさんはなぁ!」

 

 新たに浮かんできた涙をそのままに、俺は鋭くディストを睨んだ。

 

「確かに底意地悪くて陰険で悪魔のようかもしれないけどなー! 優しいんだ!! 頑張ったら皮肉に混ぜつつ一応褒めてくれんだぞッ!!」

 

 褒めてくれる、というところに反応したらしいディストが表情を歪めた。

 

「こっちだってジェイドに褒めてもらったことくらいありますよ! ……たぶん。それに、一緒に研究だってしました!」

 

 研究。

 今度は俺がぐっと言葉に詰まる。

 

「どうです? 貴方のような凡人じゃジェイドの手伝いも出来ないでしょう?」

 

「て、手伝いくらい出来る!!たぶん」

 

 お茶くみとかお茶運びとか差し入れとか。

 

「お前こそ、うたた寝してるジェイドさんとか見た事あんのか!?」

 

「う、うたた寝……」

 

「そうだ! 鬼のような仕事の合間とかで、たまにな!」

 

 二年に一回くらい。

 

「いつもかっこよくても中身がアレなせいでプラマイゼロなところを、うたた寝してる時はマイ部分が見えないからすごく綺麗なんだぞ!!」

 

 どうも見た事がなかったらしく、ディストが悔しげに唸っている。

 優勢らしい雰囲気を感じて、ここで一気に畳み掛けようと俺は拳を握った。

 

「それに性格のほうだってアレだアレだというけどな! まぁさっきも言ったけど、ジェイドさんは本当に優しいんだ!

 優しいって言ったらルークさんも優しいんだぞ! 俺がジェイドさんに怒られるとこっそり慰めてくれるんだ! 元が意地っ張りだからものすごく分かりづらいけど慰めてくれるんだぜ!!

 それに俺は過去じゃない今のジェイドさんをいっぱい知ってる! 最近通ってる酒場とか、わりとお気に入りの譜術とか、好きなカレーの味付けだって知ってるぞ!

 

 どうだ!!」

 

 胸を張り相手を指差しながら勝ち誇る。

 その先でディストが「……くっ」と うなだれたのを見て、俺は笑顔で後ろを振り返った。

 

「やった!勝ちましたよ!! ジェイドさ――」

 

 

 勝利の結果、

 

 俺は公爵子息とマルクト軍大佐に秘奥義を持って海に叩き落されました。

 

 



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Act10 - 王都バチカル、到着

ジェイド視点


 

 

「広いですねぇ! 大きいですねぇ! バチカル、バチカル!これが! あっ、天空客車! うわー俺はじめて見た!」

 

 目を爛々と輝かせて落ち着きなく歩くリック。

 

 いくら一般兵といえど、まがりなりにもグランコクマからの使者があれだ。

 後ろを歩いていたジェイドは軽く笑いながら気持ちばかり距離をとった。今更他人のふりも出来ないから、本当に気持ちだけだが。

 

 いや、しかし、あれがアホなのは自分の責任じゃない。

 ブウサギを心から愛するあの男の影響だと内心で言い訳をしていると、すぐ脇を歩いていたガイがふと苦笑した。

 

「リックも喜んでんなぁ」

 

 彼の視線の向こうには、同じように興味津々と街中を見回すルークの姿。

 ああ、と相槌を打って、ジェイドは笑みを浮かべる。

 

「ていうか、あいつ片田舎の出とかじゃないよな?」

 

「正真正銘グランコクマ育ちのはずなんですけどねぇ」

 

「あの馬鹿でかい街にいて、今更バチカルで驚くか?」

 

「おや~ガイ、詳しいですねぇ。グランコクマに来た事がおありで?」

 

「……卓上旅行が趣味って言ったろ?」

 

 そういう事にしておきましょうと肩をすくめて、再びリックに視線を向けた。

 相変わらずチョロチョロと歩き回っている。

 

「あの子はきっと大きな街というだけで楽しいんですよ。十歳児ですから」

 

「はははっ。リックだって、いくらなんでもそこまで精神年齢ひくかないだろー」

 

「いえいえ、十歳児ですから」

 

「……へ?」

 

 呆気に取られた様子のガイを笑顔で一蹴して、歩く足取りを速める。

 背中に不思議そうな視線を感じながら、ジェイドはまたひとつ、肩をすくめた。

 

 本当に十歳児ですから、ねぇ。

 

 

 

 

 とりあえず、親書をバチカルへ届けるという任務は果たした。

 後はどういう展開になるか、静観するほかない。

 

 ふぅ、と溜息を吐く。

 

 そして一人用というには過分すぎる寝台に、なぜか我が物顔で寝転ぶ部下を半眼で見やった。

 

「リック、いつまでここにいる気ですか。貴方にも専用に客室が与えられているでしょう」

 

 リックはぎくりと身をこわばらせると、恐る恐る起き上がり、寝台の上に正座する。

 

「だって大佐、あんな部屋 落ち着かないですよ。家具はどれも一級品だし、ベッドは物凄く大きいし、きらびやかだし……」

 

「それは私のところに来ても同じでしょうが。だいたい三十五歳の男の部屋に外見二十五歳の男が入り浸っている絵面の気色悪さを考えなさい」

 

「ジェイドさん酷いぃい!!」

 

 相手をするのが面倒になってきた。

 煌びやかな椅子に腰を下ろして、これまた高価そうな机に向き直る。

 

 皮膚に刺さるすがるような視線を感じて、ジェイドは溜息と共に言葉を押し出した。

 

「好きにしなさい」

 

「は……ハイっ! はいジェイドさん! 俺おとなしくしてます! 絶対おとなしk 」

 

「うるさい」

 

「…………はい」

 

 いつしかこんなやり取りに慣れ始めている自分に苦笑したい気持ちを抑えて、机の上に報告書を広げた。

 

 

 リックは言葉どおりしばらくは大人しくしていたが、やがてぽつりぽつりと他愛ない雑談をし始めた。

 

 とはいっても返事はしていないから、ほとんど独り言だ。

 それでも構わないらしいリックの話は、そのうち今日の出来事についてになっている。

 

「ナタリア殿下はお綺麗でしたねぇ! なんだかテキパキしてて格好よかったですし!」

 

 今日という日についてジェイドが思うのは、とりあえず親書を無事に届けられた事と、王との謁見でこのビビリが卒倒しなくて良かったという安堵につきる。

 

 あと、とリックが前置きした。

 

「シュザンヌ様、優しそうでしたね」

 

 耳の端でぼんやりと話を聞いていたジェイドは、ふいに穏やかになった声に、少しだけ視線を滑らせた。

 そこにはいつもどおり、何が嬉しいのかニコニコと笑っている子供がいた。

 

 母、という存在は、“彼ら”には存在し得ない。

 

「……嫌ですねぇ。あなたにもちゃんといるじゃないですか、母親のようなものが」

 

「へ? だれですか?」

 

「今ごろブウサギを愛でているであろう例のアレです」

 

「あれですか!?」

 

 あの男も一応 皇帝なのだが、彼はそれをちゃんと認識しているだろうか。微妙な反応を見るに怪しいところだ。

 

 しかしジェイドとしても、あれが皇帝なのかと問われて即座に頷けるかといえば、少々、自信が無かった。

 

 

 

 

 夜も更けて、部屋の中にはジェイドがペンを走らせる音だけが響いていた。

 寝台の上ではリックが眠たげに舟をこいでいる。

 

 絶え間なく動いていたペンが止まった瞬間と合わせるように、リックの頭がひときわ大きく揺れた。

 

 ぐ、と息が詰まる音が聞こえて、すぐに何やら唸りながら目を擦りだした子供を視界の端に見ながら、ジェイドは静かに口を開いた。

 

「ヴァン謡将のこと、どう思いますか?」

 

「はひ? じぇーどさん? なんれふか?」

 

「……眠いのは分かりましたから少しだけ会話を成立させてください。ヴァン謡将ですよ。純粋に貴方から見た彼の印象で結構です」

 

「そうですー……ねー……」

 

 話している間に寝てしまいそうだが、それならそれでいいかと急かすことなく返事を待つ。

 

「こわいです」

 

「怖い?」

 

 ようやく戻ってきた答えに、ジェイドは少し目を見開いた。

 

 確かに、彼がヴァン謡将に好意的ではない様子はあったが、行動を共にしていた限りで、恐怖を感じさせるような出来事はなかったはずだ。……腹の底はどうあれ。

 

「何が怖いと思ったんです?」

 

「わからないです。自分が、ホントにあのひとをこわいと思ってるのかすら、よく、わかりません~……あのひと、怖いですか?」

 

「いや、聞かれても分かりませんよ」

 

「ですよねぇ~……」

 

 へらりと笑って、リックはいよいよ布団に倒れ込んだ。

 すぐさま聞こえてきた寝息に苦笑する。このへんで限界らしい。

 

 

 机に向き直り、ペンを握る。それを紙に押し付ける直前、ジェイドはふと目を細めた。

 

「怖い、か」

 

 子供の戯言だ。

 何の証拠にも、判断材料にも、ならない。

 

 しかしジェイドはなぜか彼の言葉を頭の端に引っ掛けてから、報告書の作成を再開した。

 

 

 

 そしてリックにベッドを取られたという事実にジェイドが気付くのは、もう少し先だった。

 

 



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Act10.2 - アクゼリュス救援隊、出発です!

 

 

「そういうわけで私はアクゼリュスへ向かいますが、どうしますか?」

 

「は?」

 

 二度目の王様謁見に耐えられる自信がなく城の前で待っていた俺は、出てくるやいなや開口一番そう言った上司の笑顔を見返した。

 

「え、は、いや、そういうわけでとか言われても俺、え?」

 

「物分りが悪いですねぇ」

 

 大佐が ハーやれやれと肩をすくめた。

 ……今の俺が悪いんですか?

 

 直後、何事もなかったかのように説明を始めてくれた大佐に、ようやく自分がからかわれていた事に気付いた。い、いつもこれだ!

 

「――ということで、親善大使としてルークが、同行者として私たちがアクゼリュスへ向かうことになったのですが、貴方はどうしますか?」

 

 今度はちゃんと説明をしてくれた大佐は、最後にさっきと同じ言葉を付け足した。

 

 どうしますか?と。

 

 

 親書に救援について書いてあったって事は、大佐のアクゼリュス行きは最初から決まっていたんだろう。

 しかし途中までこの和平交渉の裏事情すら知らされてなかった俺は、当然ながらそれを知らなかった。

 

 上司から任務内容を聞かされてない以上、俺の兵士としての仕事はここまでだ。

 “バチカルに親書を届ける”は確かに達成したのだから、このまま報告書を預かってグランコクマに帰る事も出来る。

 どうする、というのはそういうことだろう。

 

 渡された選択肢を少し頭の中でぐるぐる回す。

 そして、俺はキッと顔を引き締めた。

 

「大佐と、ルークさんが行くというならお供させて頂きたいと思います」

 

 そう返した俺に大佐は、おや、というように

 ほんのちょっと目を丸くして小首をかしげたが、すぐいつもの笑顔に戻った。

 

「で、本音は?」

 

 引き締めたばかりの顔は、あえなく歪んだ。

 

「……超怖いんですよぉおおお!!!」

 

「まぁそうだろうとは思いました」

 

 

 

 

 廃工場へ向かう途中に立ち寄った港で、背後から突如 響いた怒声に、俺はびくりと身をすくめた。

 

「兄の仇っ!!」

 

 瞬間的に全身を覆った緊張がほぐれたときには、すでに大佐が見知らぬ男を槍の柄で跳ね除けた後だった。

 

「兄さんは死体すら見つからなかった、死霊使いが持ち帰って皇帝のために不死の実験に使ったんだ!」

 

 どっくんどっくんと心臓が高鳴る。

 お、落ち着け俺。 大丈夫……大丈夫……アレは大人でしかも男じゃないか……。

 

「なんだアイツ、馬鹿じゃねぇの?」

 

 ルークさんの声を遠くに聞きながらようやく呼吸を落ち着けた俺が顔を上げると、すぐさま細められた赤と目が合って、今度は違う意味で大きく身を震わせた。

 

 そうだ俺。上官守らなくてどうする俺。

 いくら大佐の方が強いとはいえ体がすくんで動けませんでしたとかマズすぎる。

 

「あ、あの、大佐……も、もも、申し訳ありませ……」

 

 恐る恐る進み出ると、大佐は心底呆れたような溜息を吐いた。

 職務怠慢で怒られるかと思いきや、赤の目は明らかに違う事を物語っていた。大佐の言わんとすることに気付いて俺は殊更小さくなる。

 

 あれは、あなた本当にどうしようもないですねぇ、の目だ。

 

「あなた本当にどうしようもないですねぇ」

 

「ホントに言われたーぁ!!」

 

「いい加減 ソレを直しなさい。こんなこと戦場では日常茶飯事です、一々固まっていては死にますよ?」

 

「頭では分かってるんですけど……」

 

 ぼそぼそと小声で話し合っていると、前から聞きたかったことがあるんだけど、というルークさんの声に、俺達はパッとそちらへ向き直った。

 

 

 

 

 そしてバチカル廃工場。

 全体的に薄暗い中には、皮膚に張り付く嫌な湿気と廃油の臭いが立ち込めていた。

 

 天空客車から降りるが早いか、俺は一番近くに居たガイの腕をすばやく掴んだ。

 

「おい、リック?」

 

「ガガガガガガイ手ぇ離さないでくれよっ! なっ? なっ!?」

 

 振り返ったガイが二の句を告げる間もなく、さらに強くしがみつく。

 いつものことだけどもうプライドどころじゃない。

 

「……あ~、旦那?」

 

「いりません」

 

「即答かよ! うう……何が哀しくて男の手を引いて歩かなきゃなんないんだ……」

 

 そう言わずにお願いします。

 だけどガイは良い人だから、そんなことを言いつつも振り払いはしなかった。

 きっと大佐だったら一も二も無く叩き落とされてるんだろうなぁ。自分で考えてちょっと哀しくなる。

 

 

 廃工場内を少し進んだところで突如 現れたのは、なんとナタリア殿下。

 

「見つけましたわ」

 

 ゆったりと微笑んだ彼女を、皆は驚いて、俺はガイの左腕にへばりついたままぽかんと眺めた。

 

 どうやら付いてくるつもりらしいのだけれど、当然というか何というかみんなから反対されナタリア殿下は不服そうにキリッと眉をつり上げた。

 

「その頭の悪そうな神託の盾や 無愛想な神託の盾や、臆病そうなマルクト兵士より役に立つはずですわ!」

 

 言いながら彼女は、アニスさん、響長、そして俺、と順繰りに指差す。

 

「返す言葉もありませんねぇリック」

 

「はい大佐! ぐうの音も出ません!」

 

「……いや、そこは元気よく頷くところじゃないだろ」

 

 ガイの静かな突っ込みは、場の喧騒の中にそれとなく流されていった。

 

 

 

 

 歩き続けるうちに、さすがにちょっとここの雰囲気にも慣れてきた。

 俺はようやくガイから離れて歩きだす。

 

 廃工場というだけあって、中はあちこちガタが来ていた。

 今にも壊れそうなダクトの上や、高めの段差を通りながら、俺はふと前を行くナタリア殿下に駆け寄った。

 

「ナタリア殿下、ちょっと道きついですけど……大丈夫ですか?」

 

 彼女を覗き込むようにしながら話しかけると、なぜか不満げな視線が向けられて、少し後退る。

 

「な、ナタリア殿下? どうしました?」

 

「だーかーらっ、敬語は止めてくださいまし! あと“殿下”も!」

 

「すみませっ……じゃなくて、えぇええと、ごめんなさい! いやゴメン! だけど呼び捨てってのは本当に勘弁してくださ……してくれ、よ!」

 

 しどろもどろになりながら何とか修正を試みるも、染み付いた下っ端 精神はそう簡単に消せそうもない。

 

「ダメです、ちゃんとナタリアと呼んでくださいな」

 

「で、でも、だって……。………………~~っ、ジェイドさぁん……」

 

 救いを求めて視線を送ると、大佐は めんどくさそうな顔をしたものの、ふぅと溜息をついて助け舟を出してくれた。

 

「まあ敬語についてはリックに改善させるとしても、彼は一般兵です。王族に対して敬称なしというのは厳しいでしょう。さん付けくらいで妥協してあげてはどうですか?」

 

「……仕方ないですわね」

 

 渋々ながら頷いたくれたナタリア殿下、もといナタリアさんに涙目で詰め寄る。

 

「ありがとうございますナタリアさん~!!」

 

「敬語!」

 

「ありがとうナタリアさん!」

 

 ぴしゃりと指摘され、慌てて言い直す。ダメだ慣れない。

 だけど敬称だけでも付けさせてくれて本当に良かった。王家の人に対して呼び捨てタメ口なんて俺の心に悪すぎる。

 

 

 前を見れば誰よりも張り切っているナタリアさんの背中。

 後ろにいる大佐たちは、何やらぼそぼそと話しているようだった。

 

「お守り役は大変でしょうねえ、同情します」

 

「あんたはお守りしないって口ぶりだなぁ……」

 

「はっはっはっ、当然じゃないですか。謹んで辞退しますよ。私はもう臆病な十歳児で手一杯ですから」

 

「はぁ?」

 

 怪訝そうなガイの声を聞きながら、前列で俺はひとりビクッと体を震わせた。

 

 



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Act11 - 我らザオ砂漠 横断部です

 

 

 降りしきる雨の中、対峙する二人。

 

 その寸分違わぬ姿を見て、俺は微かな電気のようなものが背筋を駆け抜けていくのを感じた。

 

 反射的に隣に立つ大佐を仰ぎ見る。

 けど、大佐は見られていることに気付きながらも、ただそっと眼鏡を押し上げただけだった。

 

「……あいつ、俺と同じ顔……」

 

 薄い硝子の裏に隠れた赤い目を思っていると、聞こえてきた呟きにハッとルークさんのほうへ向き直った。

 彼はいまだ呆然と地面に座り込んでいる。

 

 俺は、だいぶ迷ってから、ルークさんの傍に駆け寄った。

 

「ルーク、さん」

 

 彼の隣に膝をつき、手を伸ばす。

 

「……気持ち悪ぃ」

 

 肩に触れる直前、聞こえてきた呟きに俺はぴたりと動きを留めた。

 気付いていない様子のルークさんからそっと手を引き戻す。

 

 背中に赤の双眸を感じながら、俺は引き戻した手を、ゆるく握り締めた。

 

 

 

 

 廃工場を抜けて、俺達はザオ砂漠を目指すことになった。

 

 微妙な空気の流れる道中、みんなから少し離れた位置を歩いているのは俺と大佐。

 

「ジェイドさん」

 

 前を行くみんなの話し声をぼんやり聞きながら呼びかける。

 するとすぐに、なんですか、と淡々とした大佐の返事が戻ってきた。

 

 口を開きかけて、閉じる。

 

「……なんでもないです」

 

 代わりに零れたのは頭にあった疑問とは全然違うものだった。

 

 静かに俯いて、じっと自分の手を見る。

 

 心を揺らしているのは はたしてルークさんの言葉なのか、それとも、彼の肩に手をやる事が出来なかった自分自身、か。

 頭に靄が掛かってるみたいに、答えが出ない。

 

「リック」

 

「はっ、はい!?」

 

 考え事の最中に突然呼びかけられ、慌てて大佐のほうを見た。

 大佐は俺のほうを見てはいなかったけど、いつになく真剣な顔で、正面を睨んでいた。

 

「これはあなたの足りない頭で考えてどうなるものでもありません」

 

「……はい」

 

 情けない考えをめぐらせていたことなんてお見通しらしい。がっくりと肩を落とす。

 

 続けて、だから、と溜息交じりに零された声に、俺は そっと大佐を窺い見た。

 

「あなたはいつもどおりアホみたいに彼の周りをチョロチョロしていればいいんです。余計な事は考えるんじゃありません」

 

 少し、ほんの少しだけ、困ったように。

 苦いものを噛み締めるように、表情を歪めたジェイドさんに、目を見開く。

 

 俺は泣きそうになるのを堪えて笑った。

 

「はい、大佐」

 

 まったくもう、この人はいつだってそうだ。何でもかんでも背負い込まなくていいのに。

 でも、それで少しでも彼の気持ちが軽くなるなら、俺は出来る限りいつもどおりでいたいと思った。

 

 

 

 

 真上から照りつける日差し、砂から照り返す太陽光、照り付けられて鉄板並みの熱を帯びた砂から発せられる熱気、日差し日差し日差し……。

 そんなところを歩き続け早数十分、俺たちの口数はさっきとは違う理由で少なくなっていた。

 

「ナタリア、大丈夫かい?」

 

 ふいに響いた気遣わしげなガイの声に顔を上げると、少し青い顔をしたナタリアさんが慌てて背筋を正したところだった。

 

 アクゼリュスの人たちのことを思えば、と強がる彼女を大佐がいさめる。

 確かに救援に向かうはずの俺たちが救援される側になってしまっては本末転倒か。

 

「じゃあ響長は俺の影に、遠慮なく入ってください!」

 

「え、でも……その、リック?」

 

「どうぞ!」

 

 戸惑う響長を前に元気よく返事をした俺を見て、大佐はやれやれと言わんばかりに首を横に振った。

 

「まぁそういう気の利いたセリフを言えた事は褒めてあげますが、ティアだって自分以上に倒れそうな人に言われても困ると思いますよ」

 

「何を言うんですか大佐! 俺はものすごく元気です!」

 

「それは真っ直ぐ歩けるようになってから言いなさい」

 

 照りつける日差し、熱された砂からの照り返し、そして辺り一帯をあますことなく覆う熱気、日差し日差し日差しの中、俺の足取りは生まれたての小鹿でした。

 た、確かに体はちょっとブルブルしてるかもしれないけど心は健康です!

 

「……ちょっと待てよ、なんで俺はひさし扱いにならねぇんだ?」

 

 ふと訝しげな顔でそう零したルークさんを、「背が低いからじゃないか」とガイが一蹴する。

 

 ルークさんはどうやらそれを気にしていたらしい。

 この暑さも手伝ってか語気 荒く拳を握り、今に伸びると自分に言い聞かせるように叫んだ。

 

「大丈夫ですよルークさん。ルークさんならきっと今にバチカル城もびっくりなくらい大きくなりますよー」

 

「お前は俺を何にする気だ!! つーか全体的にでかくなりたいなんて言ってねぇ! 背だけでいいんだよ背だけで!」

 

 怒鳴りながら俺に詰め寄ったルークさんが、ふと真顔になった。

 そしてまじまじと俺を見たかと思うと、信じられないというように表情が歪む。

 

「いくつだ!」

 

「いちおう二十五歳ということで……」

 

「年じゃねー! 背!背だよ! 身長!」

 

「い、一メートル七十七、です」

 

 ガンという音が聞こえてくるような顔だった。

 暗黒色の何かがルークさんの頭上に立ち込める。

 

「ひゃくななじゅう、なな……?」

 

「ル……ルークさん?」

 

 俯いて呆然とするルークさんをそろりと覗き込む。

 するといつになく据わった翠の目が俺を睨んだ。心なしか涙目だ。

 

「オマエもう俺の半径三メートル以内に近づくな!」

 

「えぇええ! そんな、ルークさぁん!!? なんでですかー!?」

 

「うるせえ!!」

 

 足取り荒く歩き出してしまったルークさんを慌てて追いかける。

 

 

 泣きつく俺と怒るルークさんの声がぎゃあぎゃあと入り混じる中、大佐とガイが後ろで ぼそりと呟き合った会話は、俺たちのところまで届く事はなかった。

 

「くやしかったんだな……」

 

「まあ六センチ差があれば気付きそうなもんですけど、固定観念って恐ろしいですねぇ」

 

「リックのやつ気が小さいし、何となく背まで小さく見えてたんだろうなぁ……」

 

「実際いつもビビッて体小さくしてるから、あまり真っ直ぐ立つ事ありませんしね」

 

「並んで立つ事も少なかったしな」

 

 

 そして俺がルークさんに半径三メートル立ち入り禁止令を取り下げてもらうのには、それからしばらくの時間を要した。

 

 ……よ、よよよよかった……許してもらえて……!

 

 

 

 

 落ち着きを取り戻したパーティには、またしても静寂が広がっていた。ただ太陽のきらめきだけが嫌になるほど饒舌だ。

 暑さから少しでも気を逸らそうと何か思考をめぐらせようとしたところで、脳裏を過ぎった優しい緑色に、俺は肩を落とした。

 

「導師さま大丈夫かな」

 

「そうだよね、イオン様……」

 

 アニスさんも心なしか沈んだ声で同意する。

 同じダアトの人なのに、モース様も六神将も味方じゃないなんてあんまりだ。

 

「おそらく平気ですよ。あの様子じゃ殺される事はまず無さそうですから」

 

 この暑さから一人隔絶されたような涼しい顔で大佐が言葉を継いだ。

 あくまでも表面上が、だけど。腹の底はどんなものやら、考えるだに恐ろしい。

 

 俺は出来る限り大佐の様子を頭から締め出して、導師さまのことに集中した。

 

「だけど急がないと、導師さまが怖くて泣いてらっしゃるかも知れないじゃないですか!」

 

「あっはっはっは。そんなまさか、あなたじゃないんですから」

 

「導師さまぁー……」

 

 木の枝でつんつくつんつくと突付かれて泣いている導師さまの映像が脳裏を過ぎる。ああ、六神将め導師さまになんてことを。

 考え事で気を逸らすどころか気分はズドンと落ち込んでいく。

 

「う~、でもホント、早くイオン様を見つけないと」

 

「大佐が言ったように命の危険はないと思うけど、心配だわ」

 

 みんなの話し声を聞きながら俺は太陽浮かぶ空を見上げて、溜息を吐いた。

 

 どうかご無事でいてください、……イオンさま。

 

 

 



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Act11.2 - 我らザオ遺跡 探検隊、ですか?

 

 一度はオアシスにたどり着いた俺達は、また砂漠を歩いていた。

 ザオ遺跡?というところにイオン様がいる?という、六神将のアッシュ?からの情報?によって。

 

 なんでこうも疑問符だらけかというと、情報を仕入れてくれたルークさん自身がいまいちよく分かっていないらしいからだ。

 

「それにしても、誰かの声が聞こえる、ですかぁ」

 

「な、なんだよ。疑ってんのか?」

 

 隣を歩いていたルークさんがギッと俺を見た。

 だけどどことなく不安そうな翠の瞳に、そんなわけないと笑顔を返す。

 

 例の身長騒ぎがあった後くらいから、ルークさんはちょっと俺に気を許してくれたようで、こうしてたまに隣を並んで歩いているようになった。

 

 それで嬉しくてしばらくニコニコ笑ったままルークさんを眺めていたら「なんだよ! こっち見んな!」と顔を真っ赤にしたルークさんに怒られました。ごめんなさいホントに嬉しくて。

 

 俺はこれ以上機嫌を損ねる前にと慌ててさっき考えていた事を口にした。

 

「いえ、あの、俺にもそういうのあったなぁと思って」

 

「……ホントか?」

 

 そっぽを向いていたルークさんが目を丸くして振り返る。

 

「はい、大佐じきじきの戦闘訓練の最中なんかに、よくお花畑の映像とセットで聞こえてきました」

 

「お、おまえソレ絶っ対ちがうぞ!」

 

「綺麗な川もありましたねぇ……」

 

「まずいって! マジでヤバいって! 幸せそうな顔すんなよ!」

 

 うっとりと遠くを見る俺の肩を掴んでルークさんが前後に激しく揺する。

 

 対岸にいたあの愛らしい女性はもしかしてユリア様だったんでしょうか。そういえばそのお隣では銀糸の髪が綺麗な女の人が手を振っていたなぁ……誰とか達をよろしくねと言われたような気が……あれは誰だったんだろうなぁ……。

 

「おい!リック! 帰って来い!! なぁってばー!」

 

 俺は結局ジェイドさんに後ろからドツかれるまで、戻ってこなかったらしい。

 

 

 

 そして何とか体中の水分が乾燥しきる前にザオ遺跡につくことが出来た。遺跡の中は外より格段涼しくて、快適といえば、快適だけど。

 

「どうして遺跡ってどれもこれも薄気味悪いんだ……。なんか砂だらけだし暗いし怖いし……」

 

 俺がぶつぶつとぼやいていると、大佐が芝居じみた口調でおや、と言った。

 

「あなたに怖くないところなんてあるんですか?」

 

「ないです」

 

「さすがに即答はどうかと思いますよ」

 

「だって無いですよ! 俺が安心できるのは大佐の傍くらいのもんです!」

 

 恐怖でヤケっぱちになりながら怒鳴るも、すぐにハッと口を押さえる。

 しまった、なんてことだ。大佐相手に口答えしてしまった。だって怖くて。いや、今度は違う方向で怖くなったが。

 

 これはタービュランスか、フレイムバーストかと肝を冷やしながら横目で様子を伺う。

 

「………………」

 

「……大佐?」

 

 きっとあの怖い笑顔があるはずだ、と思っていた大佐は、真顔のままツカツカと歩き続けていた。心なしか歩調が早い。

 一瞬呆気にとられたものの、俺も急いでスピードを上げて大佐の脇に並ぶ。

 

「ちょっ、大佐、大佐?」

 

 しかし大佐は俺に目もくれない。

 

「なんなんですか! 急に黙らないでくださいよ! そ、それはそれで怖いじゃないですか! 大佐! 大佐~ぁ!」

 

「馬鹿がうつるからよらないでもらえますか?」

 

「えぇええええ!?」

 

 なんで突然 罵倒されてるんですか! 俺なにか……したといえばしましたけど!

 

 そのあと、長いコンパスを存分に生かして歩き去る大佐を走って追いかけ、泣きながらすがりついた俺を笑顔で蹴り飛ばした大佐はもういつもどおりで、ちょっと安心した。

 

 

 

 

「いちいち口出しするな、俺が親善大使なんだぞ!」

 

「これはこれは失礼しました。“親善大使 殿”」

 

 大佐がそう言うと、ふん、と荒い足取りで先に行ってしまったルークさんの背中を眺める。俺は小さく溜息をついて目を細めた。

 

「俺、あんなふうになりたいなぁ……」

 

「そうですねぇ、もしその願いがかなった暁には貴方の上司は変わりますからそのつもりでお願いします」

 

「ぎゃあ大佐っ!!」

 

 完全に独り言のつもりだった呟きが思いがけず拾われて、びくっと飛び退いた。

 続けて、あんな部下冗談じゃないですよ、と吐き捨てた大佐に体が縮こまる。

 

 い、いや、確かに軍属と思うとアレかもしれないですけど……。

 ……ホントに大佐とルークさん相性悪いなぁ。

 

「ち、違うんですよ、あの態度っていうか、自信っていうか、そういうのが羨ましいなっていう話で」

 

 未だ自分に自信をもてずにいる俺は あの暴力的なまでの赤に憧れる。

 

 こういうことを言うとまた、情けない、と怒られるんだろうなと肩を落とした俺の耳に届いたのは、浅い溜息だった。

 

「あなた達は足して二で割ったらちょうど良くなりそうなんですけどねぇ……」

 

 へ?

 

 

 

 イオン様は、ザオ遺跡の深部にある妙な扉の前にいた。

 その両脇を固めているのは三人の六神将。ああなんかすごい矛盾した感じになった。

 

 えーと、まあいいや、三人の六神将で、一人は大佐に封印術をかけた黒獅子ラルゴ、俺たちを呼び寄せた鮮血のアッシュ、そしてあの時の仮面の子だ。緑の髪の彼をアニスさんはシンクと呼んだ。

 

 流れを見るに戦うしか無さそうだ。

 剣を正面に構えたまま、俺はそろっと大佐を窺い見た。

 

「あのぅ、大佐、すごく今更なんですけど」

 

「なんですか?」

 

「俺たち七人ですよね」

 

「そうですね」

 

「向こう、三人ですよね?」

 

「数も数えられなくなりましたか?」

 

 前を見据えたままの大佐がにっこりと笑う。俺は全力で首を横に振った。

 

「いやっ、そういうわけじゃないんですけど! ……あの、あの、これは……いわゆる袋叩きというヤツでh 」

 

「勝てば官軍です」

 

 真顔に戻ってさらりと言った大佐に、思わず涙がちょちょぎれる。うあぁああ。

 

「シンク良いヤツなんですよ大佐ぁ。だからあまり酷い事は~……」

 

「まったく、何を持ってそう判断するんです?」

 

「なんか傍にいると落ちつきますっ!」

 

 言ったら大佐に鼻で笑われました。

 

 ほ、ホントなんですって!

 

 

 



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Act12 - これは綻びなんでしょうか

 

 

「イオンさま~! ご無事でホンットによかったぁー!」

 

 俺が大号泣ですがりつくと、いつもどおりちょっと苦笑された。

 そしてすみません、と言い掛けて、はたと言葉を止めたイオン様はなぜか目を丸くしていた。

 

「イオンさま?」

 

「いえ……ふふっ。心配してくれてありがとうございます、リック」

 

 だけどすぐに笑みを深めてそう言ってくれたイオン様に、したたる涙と鼻水をそのままに俺も笑顔を返す。

 イオンさまに何事もなくて本当に……、

 

「あ! 六神将に木の枝でつつかれたりとかしませんでしたか!?」

 

「はい、大丈夫です!」

 

「そうですか! それなら良かったです!」

 

 

「……たいさぁ、あれ止めないといつまでも続くと思いますよぉ私」

 

「アニスがツッコんであげてください」

 

「ヤですよ~、いちおうイオン様も楽しそうですしぃ」

 

「じゃあガイに任せましょう」

 

「俺か!?」

 

 

 

 

 ひとしきり会話も落ち着いたころ。

 何はともあれ無事イオンを救出できた、と安堵の息をついたガイの言葉をアニスさんが継ぐ。

 

「心配したんですからー」

 

 ぷぅっと頬を膨らませたアニスさん。

 冗談めかしてはいるけれど、心配していたのは本当だから、アニスさんは少し怒ってもいるみたいだった。

 黙っていなくなっちゃいけませんよぅ、と人差し指を立てる姿はまるでイオン様のお母さんみたいで、思わず口元が緩んだ。

 

 そして怒られたイオン様は、しゅんとしてまた謝罪の言葉を述べる。

 僕のために、と俯いた彼に「全くだ」とルークさんが声を上げた。

 

「ヴァン師匠が待ちくたびれてるぜ」

 

 場の空気が嫌な感じに凍りつくのを感じて身をすくめる。

 反射的に咎めようとしたアニスさんの言葉をイオン様が再度 謝罪で遮ったことによって、なんとか場は事なきを……得た、と思う。

 

「ルークはルークで色々事情があるのさ」

 

 まだ不満そうなアニスさんをガイが宥める。

 俺は一度 前を歩くルークさんの揺れる髪を見てから、アニスさんに向き直った。

 

「そうです、アニスさん。きっとルークさんは、え~と、ちょっと口が滑っただけですよ!」

 

「いやそれじゃダメだろリック! 結局 本音ってことになるんじゃ……」

 

 ガイに慌てて訂正され、俺もびくっと肩を跳ねさせた。

 

「え、あっ!? あ、えーと、いや! 違います! 違いますアニスさん! そうじゃなくて、きっとついうっかり思ってた事がペロッと出たんですよっていうか……!」

 

 いや、これもダメか?

 

 あたふたと言いつくろっていると背後から冷気が流れてきた。

 肩越しに小さく振り返れば、逆光で眼鏡輝く大佐がいて、心臓がひっくり返りそうになる。

 

「黙って聞いてればさっきから貴方は何なんですか? フォローがしたいんですか? 状況を悪化させたいんですか?」

 

「いいい、いちおうフォローがしたかったです……」

 

「どうせやるなら ちゃんとやりなさい。まったく、助けたいんだか貶めたいんだか良い人ぶりたいんだか真性ダメ人間なんだかも分からない中途半端なフォローは聞いていて不愉快です」

 

「そっ……なっ……ぐっ……うわあん!!」

 

「旦那! 明らかに口喧嘩 慣れしてないヤツにマシンガン嫌味は止めてやれ!」

 

 あれでいてしっかり軍人気質な大佐はこういう事にわりと厳しい。

 いや、やるなら徹底的に、はある意味学者としての考え方なのかもしれない。

 

 何にしても優柔不断には容赦がなかった。

 うう、大佐にはオールドラントが落っこちても勝てる気がしない。

 

 

 だけどルークさん、ほんとにどうしたんだろう。

 たしかに元々口は悪かったけど、こんなことを言うような人じゃなかったのに。

 

 それを不思議に思いながら、俺は少し首をかしげた。

 

 

 

 

 山あり谷あり、砂漠あり六神将ありで、ようやくケセドニアについた俺達の前には、やはりまた山があった。

 例の頭痛がするとかで少し前から様子がおかしかったルークさんが、突如響長に剣を向けたのだ。

 

 不幸中の幸いなのか切りつける前にルークさんが気を失ったから響長に怪我はなかったけど、ルークさんの意識がまだ戻らない。

 

 

 ケセドニアにある宿屋の一室で、俺達はルークさんが起きるのを待っていた。みんなの話し声をどこか遠くに聞きながら横目で大佐を窺う。

 

 俺は、一応自分のことでもあったから、フォミクリーに関する本や書類には一通り目を通した。

 誰もいないときにこっそり見ていたはずだけど たぶん大佐にはバレてたと思う。

 

 その中にいつだったか、完全同位体についての資料を見つけた。しかし当時自分にはあまり関係ないからと流し読みだったのが悔やまれる。

 ていうか中身が難しすぎて正直よく分からなかったんだけど、声が聞こえたり体を操られたりっていうのは、きっと完全同位体だからなんだ。

 

 ルークさんと、あのアッシュってやつが。

 

「あのルークにそっくりな男に関係あるのでは?」

 

 ちょうど思考に割り込んだナタリアさんの声に俺はハッと意識を引き戻した。

 いつのまにかみんなの間でも話が進んでいたらしい。

 

 きっともう全部分かってるはずだ。

 だけど大佐はやはり、何も言わなかった。

 

 ガイが苛立たしげに詰め寄ったけど、それでも大佐は何も言わない。

 

 

 きっとあの二人は完全同位体で、

 声が聞こえるのも動きを奪われたのもそのせいで、

 

 そして、

 

 どちらかがオリジナルで、

 どちらかがレプリカなんだ。

 

 

 今一度目だけで大佐を見やる。

 

 

 推測は、できたけど。

 でも、ジェイドさんが何も言わないなら、俺も何も言わないです。

 

 大佐の隣に所在無く立ち尽くしていた俺は、情けなく眉を下げながら、口を真横に引き結んで少し俯いた。

 

 




導師さまからイオンさまに呼び方が変化していることに自分で気付いてないリックと、気付いたイオンさま。



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Act13 - 中継、こちらデオ峠です

 

「砂漠で寄り道なんてしなけりゃよかった」

 

 ルークさん節が今日も絶好調(?)なんです、が……。

 

 

 険悪な空気をさらりとスルーして先に行ってしまった大佐を慌てて追いかけ、横に並んだ。

 ほぼ廃道のわりに歩きやすい道を進みながら、ちょこちょこと後ろを振り返る。

 

 そこには一団から少し離れて不機嫌そうに歩くルークさんの姿。舌打ちをしたのか表情を歪めた彼を見つめて、俺は目を細めた。

 

 なんだろう。

 ルークさんずっと苛々してるというか、余裕がないというか。

 

 ――いや、あれは、焦ってる?

 

(なぜ?)

 

 ぱしり、と脳の裏側に走る何かを感じた。

 だけどそれは本当に微々たる感覚で、俺が過ぎったものを正確に認識する間もなく、消えた。

 

「気になりますか?」

 

 大佐の静かな声を聞きながら、ぼんやりと考える。

 

「気になるっていうか。なんか、俺ああいう感じ知ってるような気がするんです」

 

 漠然とした何か。心の奥のほうでうずく記憶。

 知っているはずなのに、思い出せない。

 

「分かる、のか、……なんというか、」

 

 そのもやもやとした気持ち悪さに眉を顰めた。

 

 緩くかぶりを振って、肩に圧し掛かる嫌な感じを振り払う。

 そして気を取り直すついでに改めてルークさんのほうを見た。

 

 あの気持ちを知っているかどうかはさて置いても、ここ最近のルークさんは本当に様子がおかしい気がする。

 

 彼は優しい人だ。そりゃ、世界を知らないがゆえの不遜な言動も多かったかもしれないけど、ああいう意図的に誰かを傷つけるような事は決して言わなかった。

 

 ここに来て、何が彼を追い詰めているのだろうか。

 

 内心 首をかしげながら脇にあった木の幹に手を当てると、そこでぎょろりと動いた両の目玉。

 

 トレントさんいらっしゃいました。

 

「ぅいへぁぎゃぁああああー!!」

 

 峠に木霊する俺の悲鳴。前や後ろを歩いていた皆がびくっと身をはずませた。

 

「木が! 木が! 目が! たいっ、大佐! 大佐ーぁ!」

 

 震える右手で剣を構えながら、左手で大佐の軍服の端っこを掴んで大泣きしている俺に、大佐が盛大な溜息を吐く。

 

「……あなたたちが本っ当に足して二で割れたらいいんですけどねぇ……」

 

「え!? な、なんですか!?」

 

 俺の左手を即行払い落とした大佐は、なんでもありません、と呆れ顔で言って詠唱を始めた。

 

 にしても、こここ怖かったぁ!

 

 

 

 

 峠の途中で休憩中。

 俺は荷物から出した水筒を手に、低い岩に腰掛けるイオンさまに駆け寄った。

 

「大丈夫ですか?」

 

「はい……すみません、リックも」

 

「俺は平気です! みんなみたいに大切な任務とかありませんし」

 

 兵士としてみんなを守る、っていうのはもちろん大切な任務だけど、偉い人ならではの重圧や責任とは一番遠いところにいる。そういう意味では下っ端は気楽なんだと思う。

 

 とはいえ あまり大きな声で言うと大佐に怒られそうだからちょっと声を潜めて言うと、イオンさまが少し笑ってくれた。

 それに安心しているうちに布を湿らしに行っていたアニスさんが戻ってきたので、俺は一礼してイオンさまの傍を離れた。

 

 

 そして皆から少し離れているけど周りの様子を確認しやすい場所にいる大佐のところへ戻ろうとして、ふと足を止めた。

 

 さらに離れた場所にひとり、ぽつんと座っているルークさん。

 

 さっき響長が何か話しかけていたようだけど、あまり時間の経たないうちに戻ってきた彼女はどこか哀しげで、それ以上に憤っていたようだった。

 何の話をしたのか聞ける雰囲気でもない、けど、ルークさんが響長にどういう態度を取ってしまったのかは何となく分かった。

 

 ルークさんは何かに焦っている。

 

 だけど俺にはそれ以上どうしようもない。

 ああ、俺も大佐みたいに頭が良ければ、なんとか出来るのかな。

 

 さんざん迷ったあげく、俺は荷物袋からもうひとつ水筒を取り出した。

 

 

「ルークさんっ」

 

「…………なんだよ」

 

 鋭い視線に身がすくむ。ま、負けるな俺。頑張れ俺。

 

 しかし近くで見るとさらに、ルークさんの余裕のなさが分かった。やっぱり様子がおかしい気がする。

 

「――だいじょうぶですか?」

 

 無意識のうちに口をついて出た言葉。

 言ってしまってから俺ははたと口を手でふさぐ。

 

 なんだ、俺、なんでこんなこと言ったんだ。

 

 言っておきながら自分で慌てるも時すでに遅く、ルークさんの顔があからさまに歪んだのを見て心臓が凍りつく。

 

「……お前まで説教に来たのかよ?」

 

「い、いえっ、あの、ルークさん」

 

「あーもう! うるせーなぁ! 向こう行け!」

 

「…………はいぃ」

 

 がくりとうな垂れて、俺はその場を離れた。

 

 さらに怒らせてどうするんだよ俺。

 い、いや、まだチャンスはあるはずだ。もうちょっとしたらまた話しかけてみよう。

 

 決意新たに拳を握ったところで、気付く。俺、あれ、水筒。

 

 手の中でしっかりと存在を主張する水筒に、再び肩を落とした。

 くぅ、渡しそこねてた。

 

 遠くから様子を見ていたらしい大佐が鼻で笑ったのが聞こえないのに聞こえた。あの動作は絶対そうだ。

 

「こ、今度こそ、今度こそだ」

 

 ちゃんとルークさんとお話ししてみせる!

 

 水筒を荷物袋に収めながら、俺はかげりはじめたお天道様に向かって決意した。

 

 ……あれ、さっきまでお日様 ちゃんと出てたのに!?

 

 

 

 

 もうすぐデオ峠を抜けようかというとき、襲いかかってきたのは六神将 魔弾のリグレット。

 

 今度は一対七だしやっぱりこれは袋叩きというものだと思うんだけど、勝てば官軍、勝てば官軍と大佐の言葉を必死に自分に言い聞かせた。いや、でも、やっぱりどうだろう……。

 

 

 最後に響長の譜歌をくらったリグレットは、苦しげに膝をついたものの、すぐ立ち上がって後ろの崖の上へ飛び上がった。

 そして銃の先をルークさんへと突きつけると、彼女は響長の名を呼んで、続けた。

 

「……その出来損ないの傍から離れなさい!」

 

 出来損ない。

 その言葉の意味を俺がちゃんと把握するよりも早く大佐が叫ぶ。

 

「やはりお前たちか! 禁忌の技術を復活させたのはっ!!」

 

 がんと頭を殴られたようだった。透明だった線が一気に繋がって、その姿を浮き上がらせる。

 

 禁忌の技術。フォミクリー。

 ルークさん。アッシュ。レプリカ。オリジナル。

 

 できそこない。

 

(ああ、なんてこった)

 

 ルークさんが、レプリカ。

 

 

 いや、俺は分かってたはずだ。

 体を操るなんてレプリカ側から早々出来るはずがない。

 

 だからアッシュがオリジナルなんだって、俺は薄々気付いていた、はずだ。

 

 足元がぐらぐらと揺れている気がした。

 そして思わず頭を押さえた俺の耳に届いたのは、ジェイドさんの声。

 

「冗談ではない!!」

 

 らしからぬ荒げられた声に、はっと顔を上げた。

 そこには激情をあらわにした赤い瞳。俺はとっさに彼の腕を掴んだ。

 

「ジェイド、さん」

 

 どきどきと心臓が高鳴っている。

 だってこんなふうに怒る彼は、俺だってめったに見ない。

 

 ジェイドさんは俺をその赤い目に映すと、ふいに肩の力を抜いた。

 一度目を伏せて深く息を吐いたあと、ゆっくりと瞼を持ち上げたジェイドさんは、もういつもの大佐の顔だった。

 

「――失礼、取り乱しました」

 

 落ち着いた声で言った大佐に俺もほっと息をつく。

 それと同時に大佐の腕を掴んでいた俺の手がスパンと振り落とされたのに心底安堵した。よかった、いつもの大佐だ!!!

 

 

 それに安心すると同時に、ちょっとだけ切なくなる。

 

(あなたがそんなに悔やむ必要は、ないんですよ)

 

 他の人がどう思うかは分からない。これはきっと、俺が大佐の傍にいる人間だからそう思うんだ。大佐が楽になれるならそれでいいって、思ってしまう。

 

 どこかの誰か、この技術で不幸になってしまった人には、こんな考えは本当に怒られるかもしれない。

 

 ねえ、だけど、大佐。

 俺はやっぱり思ってしまうんですよ。

 

 フォミクリーという技術を生み出してしまった事に、貴方がそこまで責任を感じる必要なんか、無いんですよって。

 

 思うけど、思うんですけど、どうしてもその一言を言えないビビリは俺です。

 だってレプリカやフォミクリーの話は大佐にとって禁句だから、どうしてもうかつなことは言えない。

 

 

 ……いくじなし。

 

 俺の、いくじなしー!!

 

 

 





偽スキット『まったくもう!』
アニス「あーもうお坊ちゃまはワガママだし、リックはなにかにつけて一々ビビるしー!!」
ジェイド「ああ、アニス。あの子をあまり怒鳴りつけないでやってください」
アニス「うわ、大佐がリック庇った。めっずらしー」
ジェイド「リックは小さな……特に女の子に怒られるのが苦手なんですよ。まぁ得意な人もいないでしょうけどね」
アニス「ふぅん……ていうか、それって私がお子さまってことですか!?」
ジェイド「いえいえ、言葉のあやです」
アニス「ぶー」
ジェイド「と、いうわけで、よろしくお願いしますよ。私も一々相手するのが本っ当に面倒くさいんで」
アニス「……本音そっちですか?」
ジェイド「いやいや。ハハハ。まさかそんな、当たり前じゃないですか」

今度からもう少しリックに優しくしてあげようと思った。
(By.アニス)


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Act14 - アクゼリュスは大荒れの模様

 

 アクゼリュス内部の惨状に眉を顰めていたガイが、ふと俺のほうを見て目を丸くした。

 

「へぇ、さすが軍人。こういうところではあんまりビビらないんだな」

 

 俺はガイの空色の瞳をまっすぐ見返して、言った。

 

「怖くて死にそうですが何か」

 

「ごめん俺が悪かった」

 

 

 

 

 

 怖い。

 

 こういう災害現場での任務は何回かやったけど、それでも慣れるもんじゃなかった。もう一回言う、何度でも言う、怖い。

 

 余裕が無さ過ぎて表情が止まっていたらしく、ガイが勘違いして感心してくれたけど本音を言ったら何か心から謝罪された。それはそれで切ないものがあるけど怖いもんは怖い。

 

 脅えるかたわら、俺はルークさんの様子を横目で伺った。

 デオ峠で見せた焦りは少し収まっているようだったけど、なんだかぼんやりしていて、やっぱり様子はおかしいままだ。

 

 声をかけようかと何度も思っては、止めた。

 

 だってルークさんはレプリカだった。

 同じレプリカの俺が何をどう言えばいいっていうんだ。

 

 俺はぐっと唇を噛み締めて、足早に大佐の隣へ向かった。

 

 

 

 あらかた見てまわったアクゼリュスの状況は、とても酷いものだ。瘴気に侵された人達があちこちにいる。

 ここにいる軍医さんたちの手ではとてもじゃないが間に合わないだろう。今ナタリアさんや響長が必死に治療を手伝っている。

 

 ……レプリカが元素の結合を第七音素だけでされてるなら、俺にも第七音譜術士の素質ってないのかなぁ。そうしたら手伝えるのに。

 

「大佐」

 

「無理です」

 

「は、早いです! 早いですよ大佐! せめて最後まで聞いてくださいっ!」

 

「まあ絶対出来ないとは言いませんが、第七音素はろくに訓練もしてない者が扱えるほど簡単なものではありません」

 

 今は諦めなさい、と言う大佐に俺は肩を落としながら頷いた。

 確かに第七音素どころか譜術のひとつもまともに使えないんだから、一朝一夕で出来るはずないか。

 

 うう、マルクトで譜術使えない兵士は本当に肩身狭いよなぁトニー。

 タルタロスで死んだのであろう、同じ兵士仲間だった青年を思い浮かべる。……がんばろう……譜術修行……。

 

 

 とりあえず荷物運び等 出来そうなあたりから手伝いつつ、俺達はいよいよ取り残された人がいるという第十四坑道へ行く事になった。

 でも途中で第七譜石が見つかったとか見つからないとかで響長は別行動になっちゃうし、なんとなく心細い。

 

 あ、でも先遣隊の皆さんは先にいるのか。

 そう思うと同時にヴァン謡将の姿がザッと脳裏を過ぎった。

 

 うっかり剣に伸びかけた手を留めて、慌てて首を横に振る。

 

 ヴァン謡将が何だっていうんだ。

 ルークさんがあんなに信頼してる人じゃないか、大丈夫。大丈夫だ。

 

 自分に言い聞かせながら、坑道の奥へとまた一歩 足を踏み出した。

 

 

 

 第十四坑道の奥は外にもまして酷かった。取り残された人達が息も絶え絶えに倒れている。

 息を飲み、固まった足を叱咤して倒れる人に駆け寄った。しかし相手は意識があるかも怪しい。声を掛けても反応は鈍い。

 

 どうしよう。治癒術が使えるナタリアさんは別の人のところに行ってるし。

 グ、グミ食べさせたら……トドメだよな。重病人に突然グミはマズイよな。ダメだな。

 

 水ってどうしたっけ。

 ああ、上に置いてきたんだ。くそう俺の馬鹿。

 

 ぐるぐると考え込んでいると、上のほうがにわかに騒がしくなった。

 

「……様子がおかしい」

 

 大佐はそう呟くと、すぐに「見てきます」と続けた。身をひるがえそうとする大佐に慌てて駆け寄る。

 

「大佐、俺も行きます」

 

「私ひとりで大丈夫です。あなたはここに待機してください」

 

「……はいっ」

 

 心細さで返事にも力が入らない。

 だけど何とかキリッと顔を引き締めて返事をした俺を見て、大佐は少し頷いてから来た道を引き返していった。

 

「お気をつけて!」

 

 去る背中にそう声を掛けて、その後ろ姿が見えなくなるまで見送る。

 

 

 そして大佐が完全に見えなくなってから、俺は肩に入れていた力を一気に抜いた。(勝手に抜けたともいう)

 

 言われるままに残ったけど、どうしよう。やっぱり怖い。

 

 魔物すらいないほど濃い瘴気の中なのに、つい腰の剣に手が行く。

 無機質な柄に触れていると少し鼓動が落ち着いた。

 

 ……と、とりあえず病人の様子を……。

 

 そう思い足を踏み出しかけたところで、視界の端で動くものを見つけてそちらを見やると、坑道の奥に進んでいくルークさんとイオンさまの背中が見えた。

 俺はこの場所と二人を何度か見比べて、数秒のうちに海より深く迷ってから、二人の後を追って走り出した。

 

 だってルークさんなんか様子おかしいし、イオンさまは体弱いし。

 あの二人はほっとけない。

 

 せめて誰かに言っていければよかったけど、みんなかなり散って看病をしていたので、それが叶わなかったことを心の中で詫びる。主に大佐に。

 ごめんなさい大佐ごめんなさいホントごめんなさい。二人に追いついたらすぐ一緒に戻ってきますから。

 

 

 ルークさんたちが行ったほうへ走ってみると、そこにはぽっかりと開いた扉の形の穴があった。なんだこれ。

 不思議に思いつつも急いでそこへ飛び込む。

 

 

 目の前に広がった広大な光景に一瞬目を疑うも、少し先に二人の姿を見つけて駆け寄った。

 

「ルー、クさん! イオンさ、まっ!」

 

 短い距離とはいえかなり全力で走ったので息が切れる。追いついた俺を見てイオンさまが目を見開いた。

 

「リック」

 

「二人共どうしたんですか こんなとこまで!」

 

「それは、あの……」

 

 イオンさまの目がちらりと動く。ソレを追って俺も視線をずらせば、そこにはまず、ルークさん。

 彼は俺を見て、なんだ着いてきたのか、と言ったけど特に咎めはしなかった。

 

 そして次に、

 

「ヴァン……謡将?」

 

 二人を先導するように歩いているのは、まさしく彼だった。

 すでに触れていた剣の柄を強く握る。

 

 ああ、なんでまた俺はこんなことしてるんだ。だけど何故か手は剣から離れない。

 仕方なくそのままヴァン謡将を見ていると、彼は一瞬だけ俺のほうを見たけど、何も言わずにまた前を向いて歩き出した。

 

 な、なんなんだろう。

 

「まぁいいや、お前も来いよ」

 

 緊張しきりの俺の耳にルークさんの声が割り込んだ。

 目をやると、ルークさんはひどく機嫌良く笑っていた。

 

「ど、どこへ、ですか?」

 

「それは分かんねーけど……とにかく俺は英雄になるんだ!」

 

 英雄。突然出てきた言葉に目を丸くする。

 

「俺が、アクゼリュスを救うんだ」

 

 俺が返す言葉をさがしている間に、ルークさんはそう言葉を続けた。

 

 アクゼリュスを救う?

 

 隣のイオンさまと顔を見合わせる。

 どうなんだろう、出来るのか。でも今までそんな話一度も。

 

 疑問を目でイオンさまにぶつけると、彼も分からないようで首を横に振った。

 

 うぅうん、と唸る。

 

 早く二人を連れて帰らないといけないけど、でもヴァン謡将が二人を連れて行くべきだと判断したなら、所属国が違うとはいえただの兵士である俺はそれに従うべきだ。

 

 だけど、さっきから頭の奥がすごくきしむ。

 本当にこのままついて行っていいのだろうか。

 

(いいやっ、何を疑ってるんだ、俺は!)

 

 ルークさんがこんなに信じてる人なんだから……大丈夫だ。きっと。

 

 また自分に言い聞かせ、俺たちは不思議な建物の中をどんどん下へと進んでいった。

 

 

 



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Act14.2 - 風は勢いを増しています

 

「さあ“愚かなレプリカルーク”、力を解放するのだ!」

 

 

 背筋が、ぞくりと粟立つのを感じた。

 

 

 あふれ出した力。

 その直後、皮膚の表面に掛かった圧力を感じた瞬間、俺はとっさに隣にいたイオンさまの腕を引いた。

 

 そしてあっけなく吹き飛ばされた俺たちの体が後ろの壁にぶつかって止まる。

 

 ぐ、と短い呻き声が自分から零れたのが分かった。

 体を押さえつけていた衝撃波が消えて、ずるりと地面に落ちる。

 

 抱え込んだイオンさまを潰さないように肘でなんとか自分の体重を支えながら、俺は不謹慎ながらもちょっと笑い出したい気持ちになっていた。

 

 だって、庇えた! とっさに庇えた!

 俺の体にしちゃ上出来だよ!

 

 大佐が聞いたら、おそろしく低い目標ですねぇ、なんて呆れられそうだけど。

 ていうかミュウ庇えてない。庇いきれてないよ俺。ごめんミュウ。

 

 だけど、進歩だ。

 

 零れかけた笑いは体の痛みに止められた。

 思わず再び呻くと、イオンさまが焦ったように俺の名前を呼んだ。

 

「リック! ……ルーク! ヴァン、止めてください!」

 

 飛び出そうとするイオンさまを残った力で抱きとどめる。

 危ないですよイオンさま。ていうかなんか俺も危ない。背中が恐ろしく痛いし、息がすえない。

 

「リック、離して……横になってください! リック!」

 

 思考半分お花畑だけど、イオンさまを止める腕だけは緩めない。

 ぼやける視界に映るのは、動揺しているイオンさまと、向こうにルークさん。

 

 そして、ヴァン謡将。

 

 目があったほんの一瞬。

 その冷たい青は、何も映してはいなかった。

 

 俺は今までずっと無意識に感じていた恐怖の理由に気がついたと同時に、あらためて実感する。

 

 あのひとは、怖い。

 

 くずおれるルークさんの姿と、ルークさんに似た怒声を聞いたのを最後に遠くなる意識。

 ああなんか物凄くやばそうなんだけど、イオンさまだけは、守らないと……

 

 やがて、視界が途切れた。

 

 

 

 

 ずパンッ!

 

 

 平手打ちで目覚める朝はあまり清々しくないと思う。

 ……ていうか、ていうか、

 

「本気でイッタいんですけど大佐ぁあああ!?」

 

「おや、生きてましたか」

 

「生きてますよ!」

 

 なんか背中痛いけど。

 

 反射的にそう言い返すと大佐は、ふぅと息をはいた。

 息と同時に赤い目から少し厳しさが抜けた理由を俺が察するより先に、大佐はにっこりと笑って告げる。

 

「ならイオン様を離しなさい。二人そろって死にたいですか?」

 

 ごめんなさい死にたくないです。

 

 そこで俺はイオンさまを抱え込んだままだったことに気付いた。

 慌てて腕を離すと心配そうな緑の目が俺を見るも、すぐそれる。

 

 今の状況が会話どころじゃないということに俺もようやく気付いた。

 

 崩れゆく壁、落ちる地面、揺れる世界に、響く譜歌。

 大佐に言われるままに俺もイオンさまと一緒に響長の傍まで行く。

 

 そこにはすでにみんながいて、ルークさんがガイに抱えられていて……あっ、良かったミュウも無事だ。

 

「…………」

 

 ていうか、ていうか、ていうか、

 

「俺たちどうなっちゃったんですかー!?」

 

「死ななかったら後で説明してあげますからとりあえず黙りなさい」

 

「はいっ!!!」

 

 なんかもう頷くしかない。

 じくじくとした背中の痛みをそのままに、泣きながら正座した。

 

 た、大佐、おれ頑張ったんですよっ!!

 

 

 



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崩落編
Act15 - 気付いたら そこはクリフォトでした


 

 

 あっというまだった。

 

 

 壁が崩れて地面が崩れて、さっきまであった街がひとつ消えた。

 あっと、いう間だった。

 

 ていうか今自分が生きてるのが不思議なくらいだ。響長の譜歌がなかったらと思うと、ぞっとする。

 なんて奇跡……いやこれはもう呪いだ。大佐の呪いだ。呪術だ。そうでもなきゃ俺たち全員生還とかありえない。

 

「ううう、ありがとう響長……ありがとうジェイドさん……」

 

「……何考えてたんだかはあえて聞きませんが、まだ安心するのは早いですよ、リック。ここは瘴気だらけだ」

 

 大佐の言葉に改めて辺りを見回す。

 

 立ち込める紫色の霧。一面を満たしている同じ色をした液体。これは瘴気の海なんだと本能的に理解した。

 そして何より目を引くのは、付近に転がる多数の死体。もう嫌になるほどある絶望感がさらに煽られる。

 

 ひとりくらい生き残りはいないのかと思うけど、様子を見て回っていたナタリアさんが辛そうに首を横に振ったから。

 

 全滅、の二文字が脳裏を過ぎった。

 タルタロスのときのおんなじだ。生きてるのは、俺たちだけなんだ。

 

 呆然とそう思ったとき、ふと微かな音が聞こえた。

 

「いたいよぅ……父ちゃ……」

 

 全員の目が一斉に同じ方向を向く。

 

 この場所は瘴気が深くて、ほんの少し離れた場所も見えにくい。

 紫色の中に目を凝らせば何か固まりが海に浮いているのが分かった。

 

 ひと。それと、子供だ。

 

 板切れのようなものに子供が乗っていて、その上に覆いかぶさるようにして大人がひとり……死んでる。

 

 助けに行こうとしたナタリアさんを、これは瘴気を含んだ海だからと響長が制した。

 二人は、せめて、とこの位置から治癒術を掛けようと言う。

 

 苦しげな声をあげる男の子。

 助けなくちゃと頭が叫ぶけど、体は一向に動かない。

 

 無意識のうちに握っていた剣の柄が、手の震えを通じてかちゃかちゃと耳障りな音を立てた。

 

 たすけなくちゃ。

 

 思えば思うほど手の震えは増していく。

 助けなきゃと思うけど、でも、だって、俺、俺は、

 

「おい! まずいぞ!」

 

 ガイの声にびくりと顔を上げる。

 見れば男の子が乗っている板が、ゆっくりと沈み出していた。

 

「かあちゃ……たすけ、て……」

 

 俺、は。

 

 

「―― しにたく、ない」

 

 ほとんど音にならない声が、喉から零れた。

 

 言ったと同時に目の奥が熱くなる。

 じわりと浮かんでくるものをそのままに、俺は深く俯いた。

 

 一瞬だけ全ての音が消えて、やがて悔しげなガイの呟きが空気を揺らす。

 

 震えはもう、おさまっていた。

 

 みんなの話し声を耳の端に聞きながらも、顔が上げられない。

 ぐっと拳を握り締めて目を閉じていると、突然体が前方へ吹っ飛んだ。瘴気の海に落ちるギリギリのところに根性でしがみつく。

 

「ジッ、ジジジジェイドさんオレ落ちる! ここで蹴られたらオレ本気で落ちますからっ!!」

 

 地面にひっついたまま振り返れば、俺を蹴るために振り上げたのだろう足を戻しながら眼鏡を押し上げる大佐の姿。ほぼ地面から見上げる186センチはかなりの迫力だ。

 

「人の話を聞いていないからです」

 

「へ?」

 

「タルタロス。行きますよ」

 

 要点のみにも程がある二言だったけど、伊達に大佐の直属部下じゃない。さっき何となく聞こえていた会話と総合してなんとか理解した。

 

「リック」

 

「あ、はいっ!」

 

 先に歩き出していた大佐が、途中で少し振り返って俺を呼んだ。

 慌てて起き上がってその後を追う。

 

 わざわざ足を止めてまで名前を読んでくれた嬉しさで、俺は不謹慎にも少しだけにやけてしまったけれど。

 

 

 

 

 世界はいつも、気を抜いた傍から今の状況が最悪だと思い知らせてくれる。

 

「俺は悪くねぇ……! 俺は、悪くねぇッ!!」

 

「――艦橋に戻ります。ここにいると、馬鹿な発言に苛々させられる」

 

 大佐が身をひるがえす。

 そして俺が声を掛けるより早く、その背中は扉の向こうへ消えてしまった。

 

 い、今更だけど俺の根性なし……。

 大佐に何か言ってあげられたなら、と溜息を吐きながら戻した視線が、すがるような翠の瞳と交差した。

 

 嫌な痺れが全身を突き抜ける。心臓が大きく跳ね上がった。

 

 だって、俺、あの目を知ってる。

 あれは。

 

(オレ、だ)

 

 気付いた瞬間、全身の毛が一気に逆立つような寒気が走った。

 

 『 おにいちゃんのにせもの! 』

 

 びくりと体が震えた。

 一歩あとずさる。

 

 ( だって、“おなじ”なら )

 

 息が、詰まった。

 

「あ……」

 

 

 ( “ お な じ ” な ら ぼ く で も い い じ ゃ な い か )

 

 

「――っ大佐!」

 

 這い上がってくる過去が怖くて。

 

 俺はそのすがるような翠の瞳から慌てて目を逸らし、逃げるように中へ駆け込んだ。

 

 

 

 

 転がり込むように艦橋に入ると、大佐は鬱陶しげにこちらへ視線を向けて、少し、目を見開いた。

 たぶん、ろくに走ったわけでもないのに俺がみっともなく息を荒げていたからだろう。

 

 でも動悸がおさまらない。呼吸が落ち着かない。

 ぜぇぜぇ言いながら壁を背もたれに立ち尽くす俺を赤い目が捉える。

 

 抑えていた涙が溢れ出しそうになって、顔を歪めた。

 

「う、ジェイドさぁん……」

 

 情けない声で呼ぶと、ジェイドさんは呆れたように溜息をつく。

 そしてふいと視線を逸らした。

 

 うぅうう、こんなときでもやっぱりジェイドさん。

 

「背中」

 

「え?」

 

 こうなるともういっそアッパレですとか考えていた俺は、突然の声に驚いて顔を上げた。

 聞き間違いかと思ったけど、一度逸らされたはずの赤が少しだけこっちを見る。

 

「動く時、ずっと背中を庇っていたでしょう」

 

「あ、は、……はぁ」

 

 確かに超振動の余波で壁に叩きつけられたやつがズキズキいってるけど、特に致命傷でもなんでもないので俺は曖昧に返事をした。

 

「イオン様をお守りしたときのものが痛むなら、後でちゃんとティアかナタリアに治してもらいなさい」

 

 大佐は言うが早いかまたふいと背を向ける。

 けど、俺はしまりのない顔で笑いながら、ふるふると震えていた。

 

 まったくもう、ほんとに、もう……!

 

 

「ジェイドさぁーん!!」

 

「やかましい」

 

 

 





偽会話イベント『治療中』
ナタリア「まあ、こんなにくっきりと靴底型の痣が! ヴァン謡将もなんと酷いことを……」
リック「……え、あ、……う、うん。そっ、そうだね……そうだよねぇ……うん……」

ごめんなさいヴァン謡将。
(By.リック)



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Act15.2 - あなたはいったい誰ですか?

 

 全員が集まっている艦橋には、ずっと重苦しい空気が流れていた。

 その原因の一端は進めども進めども変わらない景色だろう。

 

 広がる紫、紫、紫。

 うう……すごい気がめいる。ただでさえ気分が重いのに。

 

 

 『 俺は悪くねぇ! 』

 

 あれからというもの、ルークさんの顔が見られない。

 だって、俺、違うんだ。

 

 いや、俺も確かにあのときのルークさんの言葉を哀しく思った。

 腹が立つっていうんじゃなくて、ただ無性に悲しかった、けど。

 

 逃げ出した原因はソレじゃない。

 

(俺はルークさんに、昔の自分を重ねたんだ)

 

 どうしようもなかった自分。

 決して間違いを認めなかった俺。

 

 あのときのルークさんの目にあのときの俺が重なって、わけがわからなくなるほど怖くなって、結果、逃げ出した。

 

(……うっわぁ……)

 

 ちょっとでも気持ちを整理しようと話を纏めたら余計落ち込んできた。

 勝手に過去の自分を押し付けたんだと分かってるけど、ルークさんの目を見たらまた思い出しそうで怖い。

 

 情けない。怖い。謝らなきゃ。怖い。

 奥にしまい込んだ記憶を否応なく引きずり出すあの目が、怖い。

 

 入り混じる思考の中、結局、話しかけるどころか顔も見れずに今に至ってる。

 

「…………」

 

 溜息をつこうと深く息を吸い込んだとき、いつのまにかこちらを向いていた赤い瞳に気付いて、驚きのあまりはきかけたソレを ごぎゅっと飲み下した。

 

 ばくばく弾む心臓を押さえながら大佐を見返す。

 

「た、大佐? 何か……」

 

 真顔で俺を見る大佐が何かを言うより先に、静まり返った艦橋にはナタリアさんの声が響いた。

 

「私たち以外は誰も生き残ってはいませんの?」

 

 紫色の外を眺めながら、悲痛な顔でそう言ったナタリアさん。

 みんなも表情を暗くして会話を続ける。

 

 やがて、暗いを通り越して青くなった顔のイオンさまがぽつりと呟いた。

 

「……僕の責任です」

 

 イオンさまは、僕が安易に扉を開かなければ、と悔やむ。

 それを聞いたあと、俺は大佐の隣でおそるおそる手を上げた。

 

「あ、あの、俺も ごめんなさい……じゃなくて、すみません」

 

 ずっとそれどころじゃなくて言えていなかったけど、あの場にいたというなら俺も一緒だ。

 

「本当に、すみませんでしたっ」

 

 軍仕込みの角度と勢いでみんなに深々と頭を下げる。気持ちとしてはもう土下座したい。

 

 だ、だって俺 兵士なのに。

 二人を守らなきゃいけなかったのに。

 

 そのまま頭を上げられずにいると、上から大佐の溜息がふってきた。

 

「まぁ貴方にルークないしヴァン謡将が止められたとは思いませんよ。というわけで元から大して期待してなかったんで構いません」

 

「うわあい」

 

 ありがたいけど なんか涙が止まらないです大佐。

 

 タルタロスの床に滴る液体を眺めつつ、最近は室内でも雨が降るんですね陛下…なんてささやかに現実逃避していると、またふってきた溜息。

 

「いつまでそうしている気ですか。さっさと頭を上げなさい」

 

 正直ミスティックケージを覚悟していたのだけど、上目遣いにちらりと盗み見た大佐はただ呆れたような顔をしていただけだった。

 

「……申し訳ありません、ジェイド大佐」

 

 今一度謝罪を口にしてから、俺は顔を上げた。

 

 大佐の呆れ顔はやっぱり変わらないけど、赤の厳しさがほんの少し和らいだと思うのは、俺の幸せな勘違いなんでしょうか。

 

 

 

 

そのあと、計測器や響長の指示で、なんとかユリアシティという街に辿り着く事が出来た。

 

 これでひとまず瘴気障害の心配はなくなったらしい。

 でも一生ここにいるわけにはいかないから、やっぱり何か元の場所へ戻る方法を探すしかないんだろう。

 

 つらつら考えながらも、今一番頭にあるのはルークさんのことだった。

 

 あんな態度を取ってしまった以上、いつもどおりってワケにはいかないし、まず俺自身が彼の目を見られないのでは話にならない。

 

 吐きかけた溜息を飲み込んで、俺は後ろの足音に耳をそばだてた。

 ルークさんの重く引きずる足音と、響長のしなやかで確かな足音。

 

(…………ん?)

 

 眉を顰める。

 さっきまでは聞こえていたそのふたつの足音が、なんか、消えてる?

 

 思わず振り向くと、足音どころか二人そのものがいなかった。

 いつのまに! いや、俺が考え事してた間か!

 

「あ、あの、大佐……ルークさんと響長が」

 

「二人とは少し離れましたよ」

 

 足を止めてしまったルークさんを気にした響長が促しに戻った、と大佐に聞いて、はぁ、と曖昧な返事をした。

 そのまま後ろを気にしながら少しの間歩いたけど、一向に追いついてくる気配のない二人に、俺はゆるゆると足を止めた。

 

「……二人とも、来ないですね」

 

 情けなく眉を下げて言った俺を、大佐は立ち止まってちらりと見たけれど、すぐにそらされた。

 

 そしてまた歩き始めた大佐の背中と後ろを何度か見比べて、俺は静かにみんなから離れ、今来た通路の逆走をはじめた。

 

 大佐は、何も言わなかった。

 

 

 

 少し走って戻ると、すぐにルークさんたちを見つける事ができた。

 だけど状況が明らかにおかしい。

 

 まずそこには、三人のひとがいた。

 

 膝をついてうなだれるルークさん。

 呆然と立ち尽くす響長。

 

 最後に、ルークさんを見下ろす、赤い髪の……。

 

 その人が手にした剣をルークさんに向けて振りかぶる。

 ざっと頭から血の気が引いた。

 

 反射的に剣を抜いて、飛び出す。

 

「やめてアッシュ! 止めてっ!!」

 

 響長の悲鳴のような叫び声。

 

 

 気づいた時には、アッシュの剣はルークさんを背に庇った俺の剣まであと数センチのところで止められていた。

 苛立たしげに息をついて剣を鞘におさめたアッシュを目前に、俺は構えた剣を下ろす事もできないまま、固まっていた。

 

 心臓が痛いくらい鳴っている。

 怖いのに、激しい緋色から目が逸らせない。

 

 今まで何度か遭遇する機会はあったけど、こうして正面きって顔を合わせるのは初めてだ。

 

 赤。赤だ。

 だけど大佐の目とも、ルークさんの髪とも違う。

 

 全てを焼き尽くす圧倒的な存在感。

 これが六神将 鮮血のアッシュ。

 

 これが、ルークさんの。

 

「――被験者(オリジナル)……」

 

 呆然と呟くと、アッシュが怪訝そうに眉を顰めた。

 

 後ろで響長がルークさんを診ているのが気配で分かったけど、俺は動けないままだ。

 ただもう剣を持つ手はだらりと降ろしている。

 

 

 そのうち騒ぎを聞きつけたみんなが戻ってくる足音を聞いて、ようやく正気を取り戻した。

 

 だけど頭の奥のじりじりとした感覚だけは、しばらく消えることはなく、しこりのように心の中に残っていた。

 

 



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Act16 - ユリアシティにて

ジェイド視点


 

「うわー、すごいですね大佐!」

 

 壁に背を寄りかけて封印術の解除に集中していたジェイドは、その明るい声を聞いて面倒くさそうに顔を上げた。

 手すりから身を乗り出すようにしてユリアシティを見渡していたリックが、満面の笑みと共にジェイドのほうを向く。

 

「外殻大地とか魔界とか、なんかもうオールドラント童話の世界ですよ! すごすぎて信じられませんよねっ!」

 

「ですがこうして目の当たりにした以上、どれだけ途方もない話でも信じるしかありません」

 

 静かに言って返すと、彼は一瞬動きを止めて、それからまたすぐにユリアシティを振り返りはしゃぎだした。

 

 街のデザインから材質まで、初めてみるものに漏れなく食いついているリックを、ジェイドは少しの間冷やかな視線で眺めていたが、やがて痺れを切らしたように溜息をつく。

 それを聞いてリックがびくっと肩を揺らした。

 

「……リック」

 

「は、はい?」

 

 ぎこちない動きで振り返った部下を見て、ジェイドはまた溜息をついた。

 

「テンションが空回りしていますよ」

 

「そ、そんなことありま、せん、よ」

 

「はい声。自覚があるなら早々に止めなさい、鬱陶しい」

 

「…………はい」

 

 リックはがくりと肩を落としてジェイドの隣に座り込んだ。

 そのまま陰鬱なオーラを撒き散らして黙り込む彼に、この短い時間で三度目になろうかという溜息を吐く。

 

「アッシュに何か言われましたか」

 

 ティアの一喝の元に、不服そうな顔をしながらもルークをティアの家まで運んで行った青年を思い浮かべつつ、当てずっぽうに問うもリックはゆるゆると首を横に振った。

 

 いつからか、この子供の様子がおかしいのは間違いないのだが。

 

 ここ最近で起こった出来事を頭の中でさかのぼる。とはいってもあまりに色々ありすぎて、どれが原因なのやら。

 全ての相乗効果だろうか、と思いかけたところで、ふと気付く。

 

「ヴァン謡将、ですか?」

 

 確か彼はルークやイオン様と一緒にヴァンと接触したはずだ。

 すると案の定、リックは大げさなくらいビクリと身を弾ませる。

 

「分かりやすいですねぇ。で、何を言われたんです? ビビリだ阿呆だ根性無しだアリンコだと苛められましたか?」

 

「……そんなような事はひとっつも言われてないはずなんですけどなんか泣きそうになってきました」

 

 リックは、うう、と情けなく呻いた後、ふいに自分の膝を抱える腕に力を込めて俯いた。

 

 それをいぶかる間もなく、独白のような声が耳に届く。

 

「大佐、前にバチカルで、俺に仰いましたよね。ヴァン謡将をどう思うかと」

 

 リックはいつになくかしこまった口調で話し出した。

 あのとき大分寝ぼけていたようだったが、覚えていたのか。

 

「重ねて申し上げます」

 

 座り込む彼を見下ろして、眉を顰める。

 

「あの方は、恐ろしい」

 

 それは、まさに大佐に対する部下の態度だ。

 そうして思考と自分の間に壁を作らなければ、耐えられないとでも言うように。

 

「寒気がするほど真っ直ぐな目をしていました。あの目に俺達はうつっていなかった。まるで景色を見るみたいに俺やイオン様やルークさんを見るんです」

 

 リックがきつく拳を握り締めたのが見えた。

 

「壊れるパッセージリングも崩れ行くアクゼリュスも、あの人は真っ直ぐ見ていました。あの目が、俺は、……とても怖かった」

 

 剣の柄を握り締めて震える子供から、ジェイドはすいと視線を外した。

 そして硝子越しに見える紫色の空を見ながら、呟く。

 

「……まぁ、彼は貴方とは相容れないかもしれませんね」

 

 七年も弟子として育てたのだ。情のひとつもわきそうなものだが、ヴァンは迷いなくルークを切り捨てた。

 

 何が目的かは知らないが、あれを覚悟と人は呼ぶのだろう。

 そしてその覚悟というやつは、リックには到底理解できないものであるはずだ。

 

「ジェイドさん」

 

 つきかけた四度目の溜息を飲み込んだジェイドの耳に、微かな声が届いた。

 

「“俺たち”は、居ちゃいけなかったんでしょうか」

 

 その言葉に再びリックへ視線を戻す。

 

 ここからは頭頂部くらいしか見えないが、きっとこの足りない頭で恐ろしく足りない事を考えたのだろうと見当をつけつつも、少し驚いていた。

 

 彼自身が今まで気にかけたこともなかったような“存在意義”を揺るがせるほどの、何か。

 威厳だのオーラだのと安っぽいことを言うつもりはないが、あのヴァンという男には それがあるというのか。

 

 個の意思すら吹き飛ばす、強烈な、何かが。

 

「…………」

 

 体を小さくして震えるリックを今一度見やって、ジェイドは浅く溜息をついた。正真正銘 四度目の溜息だ。

 

「貴方たちが存在してはいけないというなら、フォミクリーを生み出した私も産まれるべきでは無かったんでしょうね」

 

 おもむろに、しかしわざと相手に聞かせるようにして呟けば、リックが勢いよく顔を上げる。

 とうに泣いていたらしい彼は その涙の量をさらに増やして、ぼたぼたと号泣し始めた。

 

「なんでなんでなんでそんな事言うんですかジェイドさんー! ダメですよ! ジェイドさんはいなくなっちゃダメですよぉおおうおう!!」

 

 うっざ。

 

 足にすがり付いて泣き喚くリックを素早く振り払って、背を向けた。

 

 

 ユリアシティ。

 幻想的でありながらどこか無機質な印象を受けるこの街をその目に映しながら、まだ背後で泣き続ける部下に溜息をつく。五度目だ。

 

「まったく、それならそんな似合わない事を言わなければいいんですよ」

 

 そう言うと、少しの間のあとに「はい」と戻ってきた返事は情けないことこの上ない声色だった。先ほどの感情を押し殺した物言いは見る影も無い。

 

 本当に、まったく。

 馬鹿は馬鹿らしくしていてもらわないと。

 

(私まで落ち着かない)

 

 

 通算六度目の溜息は、ほんの少しだけ柔らかいものとなった。

 

 



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Act17 - アッシュと、いっしょ

 

 

「……こいつは失礼」

 

 

 ガイが怖い。

 

 

 

 

 あの後タルタロスに物凄く頑張ってもらって、俺達はなんとか無事に外殻大地へ戻る事が出来たわけなんだが。

 

「どうしよう大佐、ガイが怖い……」

 

「二回も言わなくていいですよ」

 

 いやだから俺一回目は口に出してないです。

 ああでももういいや今更だ。合言葉は“大佐だから”だ。魔法の呪文だ。大佐だからだ。

 

 ともかく、アニスさんと並んでムードメーカーなガイが、アッシュと合流してからというものずっと怖い。

 それだけでこんなに空気が重くなるとは思わなかった。良い人は大切にしないとダメだとこのとき心底思った。

 

 大佐がしばらくアッシュに協力すると言うので必然的に俺もベルケンドへ同行することになったけど、こんなに重たい雰囲気のままベルケンドまで行くのか。

 

 気まずすぎて着く前にリアル神経衰弱になりそうだが、とりあえず大佐と一緒だから今後についての心配はあまりしていない。

 

 ただ気がかりなのはユリアシティに置いてきたルークさんのことだけど、あの目を見なくて済むんだとどこか安堵している自分もいた。

 

 情けない。静かに溜息をはく。

 

 そこで俺は、向こうの操縦席に座るアッシュの姿を窺い見た。

 

 行きと帰りで違う赤がそばにいる違和感。

 そして初めて出会ったオリジナルという存在に、さっきから妙な緊張が体中を縛っている。

 

 でもこれは、チャンスかもしれない。

 

 目の前の操作パネルを睨みつけるように悩んだ末、俺は小さく拳を握った。

 

 

 

 

 操縦の合間、アッシュが休憩に出たのを見計らって、俺も適当な言い訳を艦橋に残し彼の後を追った。

 ……大佐の視線がものすごーく怖かったけど、この機会を逃したらもう聞く事はできないかもしれない。

 

 決死の思いで飛び出して、少しすると揺れる赤を視界に捉えとっさに声を上げた。

 

「アッシュ!」

 

「――あぁ?」

 

「あ、あっしゅ、さん」

 

 うう、眼力に屈した。

 不機嫌そうに振り返ったアッシュの鋭い翠の目に腰が引ける。

 

 だ、だけど聞きたい事があるからこれ以上は引けないぞ。引きたいけど、引けないぞ!

 

「あ、その、あ~っと……オ、オリジナルから見たレプリカってどういうものなんだ!?」

 

 聞いてしまった。もう後戻りは出来ないぞ俺。

 死刑台に乗った気持ちで返答を待ちながら俯いた。怖くて顔は見れない。

 

「……最悪の模造品だ」

 

 やがて降ってきた言葉。

 とっさに耳を塞ぎたい衝動に駆られたけど、もうそうしても何の意味もない。

 

 ただ、ああ、と思った。 ( おにいちゃんのにせもの! )

 

 固まった俺をアッシュは一度訝しげに見たけれど、すぐに身をひるがえして先へ行ってしまった。

 

 

 揺れる赤い髪が見えなくなっても、俺はその場で立ち尽くしていた。

 自然と下へさがった視線は無機質な床を映しながらも、どこも映していなかったかもしれない。

 

 さっきの言葉が意味を伴ってじわじわと自分に染みこんでくるにつれて、俺はようやっと表情を歪めた。

 目の奥は熱くなったけど、涙がこぼれる事はなかった。

 

 最悪の模造品。

 

 そりゃそうだ、そうに決まってる。

 

「……最悪じゃん、俺……」

 

 当然の事だったんだ。

 ああもう、あのときの馬鹿な自分を張っ倒したい。

 

 俺はタルタロスのエンジン音だけが響く廊下にがっくりと倒れ込んだ。うう……意外と冷たくて気持ちいい……。

 

 

 そのままうっかり寝てしまい、のちにジェイドさんに力の限り踏まれて起きました。

 

 ぐ、軍靴って痛いんですよ!?

 

 

 

 

 ベルケンド、レプリカ研究施設。

 俺達はそんな名前だけで胃が痛くなりそうな場所にきていた。いや、それは俺と大佐だけか。あ、アッシュもかな。

 

 とりあえずレプリカ関係で痛いところがある組は、わりと言葉すくなだった。

 あとはイオン様もどこか気落ちした風だし、ガイは相変わらずだしで空気はどこまでも重い。

 

 それだけでも胃痛どころか胃に穴が開きそうな心持ちだっていうのに。

 

「ジェイド・カーティス! いや……ジェイド・バルフォア博士!」

 

 どうしてこう次から次へと嫌な事が起きるんだろう。

 

 大佐の呪いが変な方向に走っているんだろうか。

 またはいっそ全部吐いて楽になってしまえという刑事さん、もといユリア様の思し召しか。

 

 俺はみんなの少し後ろで両手を組んでさりげなく目を瞑りながら、早くおわれ早くおわれと心の中で祈った。

 

「私は自分の罪を自覚していますよ」

 

 そろりと目を開けて、窺い見たあの人は淡々と言葉を続けていた。

 

 ジェイドさんは決して許しを請おうとはしない。優秀すぎる彼の頭脳は、それが無駄なことだと判断してしまう。

 どんなに謝ったって、生物レプリカの存在はなかったことにはならないと、知っている。

 

 強い人だ。

 泣きたくなるほど。

 

 

「……あんたがフォミクリーを生み出したから、ルークが産まれたってわけか」

 

 憤るようなガイの声にハッとして口を開こうとすると、すぐに赤い瞳に制される。

 

 スピノザと話しているときからこうだ。

 とっさに口を挟みかけると、見計らったようにあの赤が俺を刺す。

 

 何も言うな、ということなのだろう。

 なにか言えば俺のこともバレてしまうかもしれないから。

 

 そして俺は、何も言わないまま口を閉ざす。

 

 

 

 

 みんなの会話にあまり入らなくても済むような位置をキープしていると、隣を歩いているイオン様の顔色の悪さに気がついた。

 

「イオンさま、本当に大丈夫ですか? 最近ろくに休めてないから、疲れが出たんですかねぇ」

 

 こっそりと話しかけると、青い顔で俺を見上げたイオン様がぎこちなく笑った。

 

「すみません、ほんとうに大丈夫です。……ところで、リック」

 

「はい」

 

「あなたは、驚かないんですね。ジェイドがフォミクリーの発案者だと聞いて」

 

 ぎくんと跳ねかけた肩を無理やり押さえ込んだ。

 

「ああ! まぁ、なんというか~」

 

 笑ってごまかそう。

 高鳴る心臓を騙し込んでへらりと笑みを浮かべる。

 

「知って、いたんですか?」

 

即行でごまかしきれなかった。

 

「いや、その、えぇええ~と」

 

「リック?」

 

「…………まぁ、そんな感じです」

 

 引きつりそうになる笑顔のもと、俺は曖昧に頷いてみせた。

 幸いというか前にいるみんなには聞こえていないようだし、イオン様には“前に少しだけ話を聞いていた”ということにしておいた。

 

 すると何か考えるそぶりを見せたイオン様の、揺れる瞳が俺を捉える。

 

「リック、あなたは、」

 

「はい?」

 

 とりあえず危機を脱した安心で気を抜きながらゆるく微笑んで首を傾げると、何か言いかけたはずのイオン様は少し顔をうつむけた。

 

「……いえ、なんでもありません」

 

 にごされた言葉を不思議に思いつつも、いつのまにか大佐たちとの間がだいぶ離れていたことに気付き、俺はイオン様の手を引いて慌てて後を追った。

 

 

 



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Act17.2 - お前はいったいなんなんだ!

ルーク視点


 

 ワイヨン鏡窟を目指しベルケンド港に向かっているみんなが、途中の平原で休憩をとっているのを、俺はアッシュの目を通してぼんやりと眺めていた。

 

 どことなく静かで、どことなく重さを感じさせる空気。

 その原因は、普段みんなの間を取り持つ役割をしていた仲間の不在か。俺を待つといってベルケンドで別れたガイの姿が脳裏を過ぎる。

 

 アニスがなんとか明るい声を出しているけれど、どうしても沈黙が痛い。

 あとそれらしい原因といえば、あいつが静かなせいだろうか。

 

 視界の端に映る青年を見やる。

 

 いつも笑うか泣くか叫ぶかとにかくやかましい男が、静かなんだ。

 まあ相変わらずジェイドの後をついて歩いて怒られてはいるから、当社比でだけど。

 

 そこで思い浮かぶのはタルタロスでのリックだった。

 

 『オ、オリジナルから見たレプリカってどういうものなんだ!?』

 

 俺の事を言っているのかなと思ったけど、どうも様子が違った気がする。

 ああ、そういえばリックが比較的 静かになったのは、あれからのような……。

 

(おい、屑。あいつは何なんだ)

 

 突然響いてきた声に驚いて意識を外へ戻すと、さっきまで視界の端にいたリックが限りなく真ん中にきていて、重ねて驚いた。

 

(え、あ、リックのことか?)

 

(名前なんざどうでもいい)

 

(どうっ……。……マルクト軍の兵士だよ、ジェイド直属の部下)

 

 そう返すと、アッシュの声はなぜかぴたりと止んだ。

 

(……死霊使いの直属、か)

 

 やがて零された声は俺に向けられたものではなく独白のようで、返事をしたものかと悩んでいると、ふいに視界が動いた。

 

「隣、大丈夫?」

 

 気付くと、木の根元に腰を下ろしているアッシュの前に、リックがいた。なんてタイムリーな。

 

「勝手にしろ」

 

「そっか」

 

 アッシュのぞんざいな返事もほとんど頭に届いてない様子でリックが隣に座る。

 そのまましばらく、気まずい時間が流れた。

 いや、アッシュはいつもどおり不機嫌だし、リックは心ここにあらずの状態なので、気まずいのは俺だけみたいだけど。

 

 どうしよう何か喋れってアッシュに促してみようか、なんて俺がすっ飛んだ事を考え出したころ、唐突にリックが口を開いた。

 

「なぁ、アッシュ……さん。ガイが行っちゃって、寂しい?」

 

「そんなわけあるか!」

 

 開口一番アッシュの逆鱗に触れたリックは、いつもだったら即座に脅えて謝るんだろうに、このときはただ遠い目をして「そっかぁ」と相槌を打っただけだった。

 

 アッシュとビビリ無しに会話なんて、何か変なもの食べたのか、よもや熱でもあるんじゃないのか。

 俺がそんなことを疑っている間にも二人の会話が続いていく。

 

「アッシュがルークじゃなくなって、七年だよな。七年って、短かったか? 長かったか?」

 

「お前、斬られたいのか」

 

「いや そういうんじゃないんだけど」

 

「……なんだ」

 

 考え事をしているせいで普段のビビリ脳がいまいち働いていないらしい。

 あまりに手ごたえのない反応に、アッシュも一旦怒りを引っ込めたようだ。

 

「俺は、十年かかってようやくこの程度なのに、七年で“生きてる”世界に放り出されるってのは、どんだけなんだろうなぁ。どんだけ、怖いんだろなぁ」

 

 これは俺のことだ、と漠然と思った。

 

 ぼんやりとしたままリックは言葉を続けた。

 

「でも俺には七年の短さ以上に長さがもっと想像できないんだ。七年は、長いのか」

 

「…………」

 

「“これまで”の自分が突然無くなるって、どんな気持ちだ? 突然“生きてた”世界が壊れるのってのは、どんな気持ちなんだ?」

 

 泣くでも、表情を歪めるでもなく、リックはただぼんやりと呟いた。

 

 何を言っているのか、俺には全然わからなかったけど、ただ少し離れたところにいるジェイドがその赤い目をすがめているのが見えた。

 

「……知るかよ。俺に聞いてばっかりいないでテメェの頭で考えろ。じゃないと一生分からねぇぞ」

 

 アッシュはそう言って立ち上がった。

 出発の号令を掛けに行くのだろうと思いつつも、俺はもう視界に映っていないリックの事が少し気がかりだった。

 

 

「あのひと達は、どんな気持ちだったんだ」

 

 離れていく背中に届いた微かな声。

 それはすでにアッシュに向けられてはいない。

 

 その自問のような呟きが、いつまでも耳の奥に残っていた。

 

 

 



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Act18 - 未成年(中身)の主張です

 

 たくさん考えた。

 

 ヴァン謡将の目を見てから。

 アクゼリュスの崩落を目の当たりにしてから。

 ルークさんから目をそむけてから。

 

 これまで考えもしなかったようなこと。

 前から考えていて、でも答えが出なかったこと。

 

 考えて考えて考えすぎて、ちょっとした知恵熱を出して大佐にスプラッシュで冷やされるくらい考えた。(いつか聞こうと思うのだが俺の味方識別(マーキング)はどうなっているんだろう)

 

 

 色んなことを、たくさん、考えた。

 でも答えが出た事は何もなかったけど、ひとつだけ、気付いたんだ。

 

 『 ―― 俺は悪くねぇ! 』

 

 俺があの赤に抱いた既視感の正体に。

 

 

 

 

 

 港の入り口で突然足を止めた俺を、みんなが振り返る。

 その視線を一身に受けて震えだしそうになる足を押しとどめて、顔を上げた。

 

「あの、俺」

 

「リック?」

 

 イオンさまが不思議そうに首をかしげるのを見ながら、混乱する頭から言葉を拾い上げていく。

 

「ずっと考えてたんです、ルークさんのこと。ルークさんの気持ち。なんで俺が……」

 

 そこで一度ぐっと息を飲んで、続けた。

 

「なんで俺が、知ってるような気がするのかなって」

 

 誰かの気持ちなんて分かるはずが無いのに、デオ峠やアクゼリュスでの彼に近いものを感じた、その理由を。

 

「やっと思い出したんです。あれは、マルクト軍に入る前の俺だ」

 

 あのときはルークさんの目的も分からなかったし、なにぶん昔のことで、ずっと思いだせずにいたが間違いない。

 

 

 俺は生まれたあと、大佐のはからいで城内の一室を与えられ、ただぼんやりと日々を過ごしていたけど、最初に見た赤い瞳だけは忘れられなかった。

 

 とても辛そうな顔で自分を見た人。

 世話をしてくれていたメイドさん達の会話を漏れ聞いて、つたないながらも自分の中にある情報と一致させていき、彼が“ジェイド”というのだと知った。

 

 少しして、あの赤が自分を迎えに来てくれた。

 

 そこで太陽みたいな青と出会って、俺はもう少し人間らしい生き方を始めたものの、ジェイドさんやピオニー陛下はとても忙しい身分の方で。

 

 広大な城の中。

 俺はまた日々をぼんやり過ごしていた。

 

 だけどあのときと違い、大切な光に出会った俺の中には確かに自我が芽生えていた。

 

 いや、でも、自我は最初からあったのかもしれない。怖かったのとかジェイドさんのこととかは覚えているわけだし。じゃあこのときのものは、自我というより、自立心だろうか。いやいや閑話休題。

 

 

「メイドさんは慌しく働いている中で、俺、ひとりでボケッと突っ立ってて。自分の存在がないみたいに周りだけで進行していく時間が、怖かったです」

 

 みんなにこんな話をしても訳がわからないだろうに。正直俺だって何を話してるかよくわかってない。

 

 だけどジェイドさんは、その赤い瞳でまっすぐ俺を見ていた。

 さらに言うと先頭に立っていたアッシュもこっちを見ているのだが、視線が鋭くてものすごく怖い。

 

「ええと、だから、“何もすることがない”って、“何かしなくちゃいけない”より怖かったんです!」

 

 色んな緊張が高まって涙目になりながら声を上げると、アッシュがギュッと眉間の皺を深めた。ひぃ。

 

「……で、お前は何が言いたいんだ」

 

 思わず身構えた俺の耳に届いたのは、とりあえず必殺技じゃなくて言葉だった。体の硬直を少し解く。

 

 そうだ。言わなきゃ。

 

「お、俺、それを、思い出して。そうしたら気付いたんです、……あの人はずっと言ってたんだ」

 

 

 『 俺は親善大使なんだぞ! 』

 

 

 あの人は、ルークさんはあれしか方法を知らなかった。ああするしか知らなかったんだ。

 

「理解できるとか、出来ないとか、そういうことじゃなくて、大事なのはそこじゃなくて」

 

 ルークさんの取った行動は、きっと良くないものだったんだろう。

 

 気持ちはちゃんと伝えなきゃいけない。

 相手は、なにもかもを察する事はできないから。

 

 でも、彼が何を伝えたかったのか、俺はようやく気づく事が出来た。

 全てを察する事はできないけど、もし気付いたなら、受け取らないと。

 

「こっちに来て、目を見て、話して欲しい。悪い事をしたなら、ちゃんと怒ってほしかったんです」

 

 受け取りたいと、思った。

 

「そんな気持ち、俺知ってた。感じた事がたしかにあったのに、なんで忘れてたんだろう」

 

 ただ生きているのが怖かった。

 ただ生きていることで、時折窓から見えるジェイドさんの背中がどんどん遠くなっていくのが、とても怖かった。

 

 だから少しでもジェイドさんに近づきたくて俺は軍に入ったんだ。

 

 忘れていた、大事な最初の気持ちをかえりみると同時にまた気付く。

 ルークさんにとってのヴァン謡将は、俺にとってのジェイドさんと一緒なのだと。

 

 そう思うと目の奥がじわりと熱くなった。

 

「俺っ、ルークさんに……」

 

 

 言いかけて、ふと言葉を切る。

 ルークさんに、どうする気だ。

 

 謝るのか?

 (だって寂しいとかそんなのちゃんと言ってくれないと分かんないよ)

 

 謝らせるのか?

 (だけど俺 あの人から目を逸らした。言葉にする機会をあげなかった)

 

 

 違うだろう。

 そうじゃない、俺達に必要なのは。

 

 

「大佐っ、俺、ルークさんと喧嘩してきます!!」

 

 

 子育てで一番大事なのは会話です。

 というわけでもういっかいチャンスをください神様。

 

 俺たちがあのときしなきゃいけなかったのは、ちゃんと喧嘩をすることです!

 

 

 力いっぱい言い切った俺に、大佐は冷やかな目を向けた。

 

「無駄足かもしれませんよ」

 

「それでも、行きます。ぜったい喧嘩してみせます!」

 

 折れそうになる心を叱咤して言い返すと、大佐はすいと身をひるがえした。

 

 慌てて後を追いかけたアニスさんが、いいんですか、と大佐に言っているのが聞こえる。

 大佐は何も答えなかった。

 

「リック、本当によろしいんですの?」

 

「はい! ……じゃなかった。あ、ああ! 気にしないで行ってくださ……くれよ!」

 

 未だにナタリアさんへの敬語なしに慣れていない俺に彼女は呆れたように笑って肩をすくめ、荷物の中からいくつかのグミを手渡してくれた。

 回復役がいないのだから怪我には気をつけるようにね、と言って、まだ少し心配そうにしながら先に行った大佐の後に続いて歩き出した。

 

 そういえばアッシュもすでにいない。

 別れを惜しみたいとは言わないけどこれはこれで哀しいものがあるなぁ。

 

「リック、気をつけてくださいね」

 

「あ、はい、イオンさま」

 

 ほんのり寂しがっていた俺を察してかイオンさまも声を掛けてくれた。

 そして去り際、ルークをお願いします、と呟いた彼に、俺は強く頷いて見せた。

 

 まかせて、ください。

 

 

 

 誰もいなくなったその場所で、俺は一度 深呼吸をしてから、みんなとは違う方向に向かう船があるところへと走った。

 

 目指すはアラミス湧水洞。ということで、まずはダアト港まで行かないと。

 

 先にベルケンドを発ったガイの姿を探してみたけれど、あの人のいい後姿は見当たらない。

 もしかしたらまだいるかと思ったのに……。

 

 ダアト港行きの船の前でひとりたたずむ。

 

「…………」

 

 大佐もいない。ルークさんもいない。

 そんでもってガイまでいない。

 

 これって、あれ、俺、すごい寂しい。

 

 いや、いやいやへこたれるな俺!

 寂しくて死にそうなくらいなんだ!

 

 さ、さびしいくらい……。

 

 …………。

 

 

 

「ジェイドさぁ~ん……」

 

 俺は早くもへこたれそうです。

 

 



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Act18.2 - 迷子のあの子を捜しましょう

 

 いやぁ大変な船旅だった。

 

 突然の嵐に見舞われたかと思えばその嵐の原因が実は謎の巨大イカ型魔物のせいで、まさかそいつに船を沈められそうになって船長と一緒に戦うはめになるとは思わなかった。

 

 あそこで船長のマグナムパンチがなければ今ごろ俺も海の藻屑だったところだ。ありがとう船長。

 

 

 海ありイカあり山ありで、ようやくたどり着いたアラミス湧水洞。

 その入り口で見つけた人の良さそうな後姿に、俺は全速力で飛びついた。

 

 突然の衝撃を受けてとっさに剣を抜きかけたガイは、背中にへばりつく俺を視認するとぎょっと目を丸くした。

 

「リック!? お前なんでここに、」

 

「アホかお前なんでこんな行動早いんだよ! フットワーク軽すぎるんだよ このナイスガイ! まったくもう寂しいだろやっと会えた!!!」

 

 ガイの疑問に答える余裕もなく一気にまくし立てる。

 あまりの安堵にこれまで保っていた他国の人に対する最低限の礼儀もかなぐり捨てた俺だったが、怒る事無くむしろ慰めてくれたガイに涙が止まらない。本当にいい人だ。

 

「……で、どうしてここにいるんだ? ジェイドの旦那はどうした?」

 

 体育座りですすり泣く俺の頭を撫でながら、ガイがもう一度聞いてくる。

 

 もはや俺はガイに二十五歳と思われてないようだ。扱いがすでに幼児仕様。

 いや合ってるけど。中身はそうだけど。

 

「ジェイドさんは、いない。俺だけで来たんだ」

 

「そりゃまた珍しいな。どうしたんだ?」

 

「……ルークさんを、待ちに来た」

 

 言って、ず、と鼻をすする。ここまで本気で寂しかったんだよ。

 

 すると中々戻ってこない反応を不思議に思って顔を上げると、ガイは目を皿のように見開いたまま固まっていた。その顔を見て今度は俺が目を丸くする。

 

 ずっと一緒に旅をしてきたけど、ガイの“素の反応”というやつを見たのは初めてかもしれない。

 別に普段が嘘っていうのじゃない。ガイは本当に優しいやつだ。

 

 だけどどこかでへだてられていた皮一枚が、今この瞬間、無くなっていた。

 でもその皮っていうのは、人が円満に生きていく上で必要な礼儀や常識なんだと思う。誰もが持っている、だけど少し色の違うガイの皮。

 

 何も言わないガイを見上げて、俺は言葉を続けた。

 

「俺もルークさんが戻ってくるのを待ちたい。それで、ルークさんとケンカをするんだ」

 

「……喧嘩ぁ?」

 

 そこで初めてガイの表情が崩れる。

 ガイはそのまましばらく呆気にとられたように俺を見ていたけれど、やがて、顔一杯でくしゃりと笑顔を浮かべた。

 

 初めてみる本当の笑顔。子供みたいな笑い顔。

 俺の顔も自然と緩んでいく。ああ、やっぱり、ガイにはそういうのが似合う。

 

「喧嘩ってお前、ハハッ、そっかそっか!」

 

 ガイはすごく嬉しそうにそう言って、座り込んだままだった俺の手を引いて立たせてくれた。

 俺達は二人で顔を見合わせ、にかりと笑いあう。

 

 

 (さぁ、あの小さな子供を迎えに行こう。)

 

 

 



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Act19 - 湧き上がるこの気持ちを知っていますか

 

 アラミス湧水洞の深部で、ガイと一緒にルークさんを待ち続けていた俺は、やがて暗がりの向こうからやってくる鮮やかな赤を見つけたとき、反射的に顔を俯けてしまった。

 

「ようやくお出ましかよ」

 

 嬉しそうにそう言って前に進み出たガイの後ろに立ち尽くしたまま、ぐっと拳を握る。

 

 心臓がばくばくと音を立てていた。

 あわせて頭のてっぺんから血が全て下がっていくような錯覚を覚えながら、ただみんなの会話を聞く。

 

 

「今更名前なんて何でもいいだろ。せっかく待っててやったんだから、もうちょっと嬉しそうな顔しろって」

 

 もしもルークさんの目が変わっていなかったら。

 あのときの自分を思い起こさせる色をしていたらと思うと、怖い。

 

(……違う、だろ、俺)

 

 彼を待つと決めたんじゃなかったのか。

 ここまできてまだ怖気づくつもりなのか。

 

 震える手を強く強く、握り締める。

 

「……うん、ありがとう」

 

 そのとき、耳に届いた声に、俺はふと目を見開いた。

 とっさに少し顔を上げると、そこには久しぶりに見る気がする、ルークさんと響長の姿。

 

 短くなった赤い髪が、なんだかとても“らしく”見えて、硬さが消えた表情が、なんだかすごくすっきりしていて、

 

 翠の瞳が、柔らかくて。

 

 俺は目の奥から込み上げてくるものを感じながら、今度こそしっかりと顔を上げた。

 

「ルークさぁん!」

 

 涙声で名を呼ぶと、まん丸になった三対の目が一気に俺のほうを向く。

 だけど構わずそこに立ち尽くして、ぼろぼろと泣きながら言葉を続けた。

 

「ルークさん、おっ、オレっ、俺を、オレを殴ってください!!」

 

「は?」

 

 ルークさんが、呆気にとられた声をあげる。

 隣の響長もぽかんとした顔で俺を見ていたが、唯一先に話をしてあったガイだけは苦笑していた。

 

「殴ってください! おもいっきり! さあ早く! そのあと俺がルークさんを殴りますからー!」

 

「お前も殴るのかよ!!」

 

「ルークさん、俺たちがしなきゃいけなかったのはケンカなんです!」

 

 あいにく背景に夕陽はないけれど、男二人の喧嘩といえば殴り合いです。陛下がそう言ってました。

 そう怒涛の勢いでまくし立てると、ルークさんはふいに表情を暗くした。

 

「……俺にお前は殴れないよ。だって悪いのは、俺なんだ。殴られなきゃいけないのは俺だけなんだよ。だから、」

 

「ルークさん!」

 

 彼の言葉を遮って、俺は何度も首を横に振った。

 そういうことじゃない。そうじゃないんだ。だって。

 

「俺たち、どっちも間違ってたんです」

 

 揺れる翠を真っ直ぐ見つめて、俺は呟いた。

 

「違う! 俺だ、俺だけだ。お前らは何もしてないだろ!」

 

「“何もしなかった”。それが間違いだったんだと思います。……俺も、ルークさんも」

 

 言葉を交わしながら、気付けばルークさんも泣きそうな顔になっていて、俺は釣られてさらに泣きそうになるのを堪えながら、目元をぐいと袖で拭った。

 

 彼から目を逸らした俺。

 罪から目を逸らした彼。

 

 あのときの俺たちは、どちらも、間違っていたんだ。

 

「そういうとき本当は何をするかといえば、ケンカなんです。俺達は喧嘩をしなきゃいけなかった」

 

 どちらも正しいとき、どちらも正しくないとき。

 そんなふうに、心の整理をつけなきゃいけないとき、人は喧嘩をする。

 それは答えを出すためじゃなくて、分かり合うためにするんだと、俺は陛下から聞いた。

 

「だから俺を殴ってください。俺も頑張ってルークさんを殴りますから!」

 

「いや……そこで頑張る必要はないと思うけど……」

 

 複雑そうに手を宙に浮かせていたルークさんは、やがて表情を崩して、泣きそうな顔で笑った。

 

 それはとても不器用で、とても、彼らしい笑顔だった。

 俺も泣き顔を無理やり変えた情けない顔で笑う。

 

「ケンカって、両成敗なんですよルークさん」

 

「うん」

 

「だから頑張って喧嘩して、最後にジェイドさんに怒ってもらいましょう。ちょっと……物凄く怖いけど……」

 

「うん」

 

 二人で頷きながら笑いあう。

 視界の端に、ガイと響長も微笑んでいるのが見えた。

 

 そして俺は深く息を吸い込んで、ずっと言いたかった言葉を、口にした。

 

「おかえりなさい、ルークさん」

 

「……うん」

 

 照れ臭そうに笑みを深くした彼を見て、俺はまた少し泣いた。

 

 

 

 

 結局ルークさんがどうしても出来ないと言うので、喧嘩はやらずじまいで俺達は出口に向かって歩き出した。

 

 正直ちょっとほっとしてる。だって引き受けてくれたとしても俺にルークさんが殴れていたかどうか。

 でも男は殴り合いをしないと仲直りが出来ないって陛下は言ってたし……。

 

 いや、とにかく仲直り(?)は出来たんだから、もう喧嘩はしなくても大丈夫だろう。うん。

 

「リック」

 

「あ、ルークさん。なんですか?」

 

 声を掛けられて考え事を打ち切ると、すぐ隣を歩いていたルークさんが微妙に気まずそうな顔で頭をかいている。

 口の中でもごもごと何事か呟き、数十秒の間の後に彼はそろりと口を開いた。

 

「……え、と、俺は、本当の公爵子息じゃないから……その、ルークでいい。敬語もいらない」

 

「あっ、じゃあルーク俺大佐に『あまり遅れたら置いて帰りますからね』って言われてるしあの人そう言った以上本当において行く人だと思うからなるべく早く追いつきたいんで急ごうぜ」

 

 ゴヅッ。

 

 無言でミュウアタックくらいました。

 

「切り替え早すぎだろ!!?」

 

「だ、だってルークさんが良いって言ったんじゃないですかぁ!?」

 

 涙目で地面にうずくまりつつも敬語に戻すと、ルークさんはちょっとバツが悪そうに顔を背けた。

 

「……や、さっきのでいい。敬語じゃ、なくて。ルークで」

 

 どことなく顔を赤くしながら小さな声でそう呟いた彼を、見返した。

 

 ああ、この人ちゃんと変わってきてる。

 ルークさんは……ルークは、歩き出したんだ。

 

(じゃあ俺は?)

 

 視線を地面に落として、考える。

 

 地につけた手をぎゅっと握り締めた。

 ルークや先を歩いていたガイ達が怪訝そうに俺の名前を呼ぶのが聞こえる。

 

(変われるんだろうか。俺も。)

 

 脳裏に始まりの赤が過ぎった。

 

(ジェイドさん)

 

 

 一度強く目をつぶって、それから、ゆっくりと瞼を押し上げた。

 

 立ち上がってみんなの顔を見回す。

 三人は様子がおかしい俺を、少し心配そうに見ていた。

 

 優しい人たち。

 

 ジェイドさんや、ピオニーさんたち以外にも、優しい世界を持っている人がいるんだと俺に教えてくれた。

 世界は怖いばかりじゃないと、俺に気付かせてくれた、人たち。

 

「ルーク、ティアさん、ガイ」

 

 ぐっと顔を引き締める。

 

「言わなきゃいけないことがあるんだ」

 

 少しでいい。ほんの少しでも、いいから。

 

 ジェイドさん。

 俺は、変わりたいです。

 

 

 




さりげに響長からティアさんへ呼び方チェンジ。

アッシュの目を通してベルケンド港でのアビ主一世一代の告白は聞いていたけど、まさか喧嘩って話からいきなり「殴ってください」になるとは思わずうっかり動揺したルーク。


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Act19.2 - カミングアウト、イン、アラミス

 

 

「俺、レプリカなんだ」

 

 

 口にした瞬間から、襲いくる色んな恐怖と緊張に表情を硬くしながらみんなの反応を待つ。

 少しの間、場にしんと静寂が流れた後、ルークが困ったように笑った。

 

「別にいいんだぜ。そんな気を使って嘘つかなくても……」

 

「おいおい、慰めるにしたって見当違いじゃないか?」

 

 続けてそう言ったガイも、笑いながら宥めるように俺の肩をぽんと叩く。

 慣れない緊張の連続で段々とガタがきはじめた脳が超高速で混乱を始めるのを感じながら、どうにか信じてもらおうとガイの手を落として改めてみんなに向き直った。

 

「嘘じゃなくて! え、えと……だからっ、俺は本当にレプリカで! 大佐に作ってもらったんだけど面倒みてもらったりして、グランコクマで十年経ってジェイドさんはカレーはどちらかというと辛口が好みなんだけどかといって甘いものが苦手なわけでもないらしくパフェみたいなのもたまに食べてるんですよ!!!」

 

「リック! 落ち着け!!」

 

 顔を真っ赤にしてゼェハァと息をつく俺の両肩を掴んで軽く前後に揺するガイの横から、ティアさんが静かに俺の顔を覗き込んだ。

 

「……本当なの?」

 

 どこまでも真っ直ぐな青の瞳。

 それはヴァン謡将と同じ色。だけど彼女の目は、あの人とは違った。

 

 “俺”を見てくれている青。

 

 ぐっと唇を噛む。

 言葉を待ってくれているみんなの顔を見ながら、脳裏を過ぎるのはずっと昔。

 あまり俺の行動に干渉することのなかったジェイドさんが、ただ唯一 告げた言葉。

 

 『 自分がレプリカだということ、フォミクリーのことは、誰にも言ってはいけません。いいですね 』

 

 このときまだ赤ん坊同然だった俺は、その意味をよく分かっていなかったけど、

 それでも彼がとても真剣に言ったから、それは守らなくてはいけないことなんだと思った。

 

 少し時が経って、意味を“本当に”理解してからは、なおさらその重要性を感じた。

 その言葉の重さを、忘れてはいないけど。

 

「……はい。俺は十年前、ジェイドさんがおこなったフォミクリー研究の一環として作り出されました」

 

 ごめんなさいジェイドさん。

 

 でも俺、はじめて話をしてみたいと思ったんです。

 この優しい人たちに嘘をついたままでいるのは嫌だと、ちゃんと本当のことを話したいと、思ったんです。

 

 

 

 それから、ジェイドさんに作られて、今まで面倒を見てもらっていたことなんかをざっと話し終えると、驚いて息をつくガイとティアさんの間でルークだけはなぜか納得したように、それでアッシュにあんなこと、と呟いているのが聞こえた。

 

 そのことに首をかしげるより先に、ガイが「そういえば」と言うのが耳に届いたので、はたとそちらを向く。

 

「俺も不思議だとは思ってたんだよな」

 

 じっとこちらを見る空色の瞳に、思わず数歩 あとずさる。

 

「な、なにがだよガイ。俺なんかボロ出してたか?」

 

 そうだとしたら大佐に怒られる。

 

 ばれるような事はするなとあれだけ言われていたのに。いや、たった今レプリカだって暴露しておいてなんだけど。

 

「ああ、いや、旦那がさ。リックのこと“あの子”っていうだろ?」

 

 脅える俺を見て、ガイがからりと笑った。

 

「見た目二十代半ばの男に向かって妙な言い方するなって思ったんだよ。まぁ確かにジェイドよりは年下だろうしと思って、一応納得してたんだけど、そういうことだったのか」

 

 ガイは最後に、そんなわけで別に怪しいところがあったわけじゃないから気にするな、と付け足した。

 

 大佐からしたら俺はまさしく十歳児だからなぁ。

 いつか一人前に扱ってもらいたいと思わないでもないけど、そうするにはまず一人前の兵士として戦えるようにならなきゃいけないので、微妙なところだ。

 

 それにしても、と隣を歩くガイと、少し後ろを歩くティアさんを窺い見た。

 俺がレプリカだと知っても、ルークと同様に二人は何も変わらず接してくれている。そう思うと胸の奥がじんわりと暖かくなるのと一緒に顔も熱くなった。

 

「にしても、ルークのやつ、なんか感じが変わったな」

 

 赤くなっているであろう顔をごまかすために慌てて俯いた俺の耳に、ガイの呟きが届く。

 確かにそうだ。前を歩くルークをちらりと見やる。

 

 ガイの言うようにちょっと後ろ向きすぎてる感はあるけど、今の赤には少し前までの暴力的な気配がまったくない。

 代わりに、柔らかくなっただろうか。前よりも優しい赤。

 

 昔の“ルークさん”だって俺は好きだったけど、でも、今の“ルーク”のほうが、なんだか良い感じだ。

 

 彼らしくなったというか、たぶん、これがルークの素なんだろう。

 ずっと色んなものでガチガチにコーティングされていたけれど、きっとこっちが元々の“ルーク”なんだ。……ほんと、今ちょっと後ろ向きになりすぎてるみたいだけど。

 

 まあ後ろ向き加減ならどっこいどっこいだ。

 全力でバック走人生は俺だって負けてない。

 

 それに、ルークには。

 

「ガイがいるじゃない、理解してくれる人が」

 

「キミもいるしね」

 

 思考に割り込んだ優しい声に、俺は口元を緩めた。

 

 ルークには、見守ってくれる人がいる。

 なら、いつか絶対前を向けるはずだ。あの綺麗な翠の瞳で。

 

「それに、お前もな。リック」

 

「…………へ?」

 

 突然の言葉に驚いて顔を上げる。

 そこで柔らかく細められた空色と青色がしっかりとこちらを捕らえていることに気付いて、俺はまた血が上にのぼっていくのを感じた。

 

 何か言おうと思っても、口は金魚のようにはくはくと空気をはむだけで、何も音にはならなかった。顔を真っ赤にして俯いた俺を見て、二人がまた笑ったのが見えた。

 

 

 そして話している間に少し離れてしまったルークを追ってまた歩き出した二人の背中を眺めていたら、ふと思った。

 

「ガイとティアさんって、ルークのお父さんとお母さんみたいだ」

 

 今度 驚きの声を上げたのはティアさんだった。

 へ、とか、え、とか上ずった声が場に響く。

 

「わ、私そういうわけじゃ……!」

 

 慌てるティアさんの隣では、なぜかガイが苦笑していた。

 そんな二人の反応を不思議に思いながら、俺はなんとなく思い立った事を口にしてみた。

 

「そうすると、俺のお父さんってジェイドさんかなぁ」

 

 いつぞやベルケンドでアニスさん達が話していたことを思い出す。

 ルークの父親はジェイドさんか、って話になったけど、フォミクリーをかけたのはヴァン謡将だから、ヴァン謡将がルークの父親ってことになるんじゃないか、ってことだったっけ。

 

「……ジェイドがお父さん、ねぇ」

 

 俺の言葉を受けて、ガイが渋い顔で唸った。

 

「でもさっきの話からするとリックは正真正銘、大佐に……作られた、わけだから、そうなるのかしら」

 

 つくられた、のところだけちょっと言いづらそうにしながら、ティアさんが続ける。

 俺は理論からフォミクリーからジェイドさんの手によるものなワケだから、やっぱりジェイドさんなんだろうか。

 

 ジェイドさんが父親。

 考えたらニヤリと口元が勝手に弧を描いてしまい、慌てて引き締めた。

 

「んじゃー、そうなると母親は誰なのかねぇ」

 

 作られた云々を気にしていない俺の様子を見てから、ガイが愉快げに笑ってそう言った。

 

(母親……)

 

 脳裏をザッと過ぎる、ブウサギに囲まれた例のイイ笑顔。

 

「いやいやいや」

 

「リック?」

 

 即座に首を横に振る俺を不思議そうに見たティアさんに、何でもないとちょっと引きつった笑みで返す。

 そう?と首をかしげてまた前を向いたティアさんの後ろを歩きながら、俺は少し考えた。

 

 ジェイドさん。ピオニーさん。

 お父さんとか、お母さんとか、そういったくくりにはやっぱり出来ないけど、大切な人たち。

 

(どうしてるかな)

 

 陛下は、いつもどおり仕事をサボって大臣たちを困らせているだろうか。

 でもアクゼリュス崩落の件もあるし、そんなにゆっくりは出来ていないかな。部屋はちゃんと片付けてるかな。

 

 大佐。

 大佐は、どうしてるだろう。

 

 あの人の性格からして本気で俺をおいてグランコクマに帰ってそうだ。

 ルークにも言ったことだけど改めて考えてちょっとヘコむ。

 

 

 湧水洞を抜けたら、……寂しいけどルークたちにお別れをして、急いで大佐を追いかけよう。

 それで俺の存在を忘れられる前にグランコクマに戻らなくちゃ。これが冗談ですまないあたりがなお哀しい。

 

 哀愁に満ちた溜息をつきながら、俺は少し走ってルークの隣に並んだ。

 短い間だけど、少しでも長く近くいっしょに居よう。

 

 

 先に見え始めた光に、目を細めた。

 

 もうすぐ出口だ。

 

 

 



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Act20 - みんなで一緒に歩きましょう

 

 アラミス湧水洞の出口を抜けて、降り注ぐ光のまぶしさに今一度目をすがめた。

 

 やっと出られた、と伸びをするガイやルーク、目の上に手を当てて眩しげに光をさえぎるティアさんたちを見ながら、俺は情けなく眉尻を下げた。

 

 もうお別れなんだ。

 

「……あの、」

 

 どう切り出そうかと迷いつつ出した声は、光の向こうからやってくる人影を見つけた瞬間に途切れた。

 

 目と口がパカッと間抜けに開くのを自分でも感じる。

 俺が固まったのに気付いたみんなも同じ方向を向いて、やはり動きを止めた。

 

 あれは、あれは……。

 

「ああ、よかった。入れ違いになったかと心配していました」

 

 金茶の髪。真っ赤な目。青い軍服。

 

 間違いない、間違いない!

 ジェイドさんだ!!

 

「も、もしかして俺を迎えに!?」

 

「イヤですねぇそんなわけないじゃないですか」

 

 こちらを見もせずガイのほうを向いたままそう切り捨てた大佐に、俺はがくりと肩を落とした。

 

「……ですよね」

 

 ううう、分かってたけど、ジェイドさんだ……。

 

 やるせなさやら安堵やら、複雑な気持ちで ぼたぼたと地面に落ちる自分の涙を眺める。久しぶりに浴びる太陽光がなんだかすごく目に染みます陛下。

 

「私は、自分の意思で出て行った人のことなんて知りませんよ」

 

 うなだれる俺の頭上から降ってきた言葉に、べっこりヘコみかけていた心が止まる。

 だって今、大佐の言葉が柔らかかった。

 

 これは、褒めてくれてるときの、声。

 

 勢いよく顔を上げるも、大佐はすでに後姿で、ガイたちと何かを話している。

 

 大佐はなんて言った。

 自分の意思。

 

(じぶんの意思?)

 

 そういえば、俺、大佐に真っ向から逆らってまで自分で“こうしたい”と思って動いたの、初めてだ。

 

「……ジェ……っ」

 

 ぶわりと視界がにじむ。

 そして、それはもう吹き飛ばす勢いで大佐の背中に飛びつく。(でもさすがというか吹き飛ばなかった)

 

「ジェイドさぁん! 好きですー! 大 好 き で す ー !!」

 

「あーハイハイ分かってます分かってます」

 

 大号泣しながらそう叫ぶと、ルークたちが一斉にぶはっと噴き出した。

 

 一級ホラーを見たような顔の彼らに俺は残念ながら気づく事なく、俺の額をガッと掴んで引き剥がそうとしつつ、棒読みで返事をする大佐に全力でへばりついていた。

 

「ところで人の話 聞いてました?」

 

「え?」

 

 

 

 笑顔の大佐からタービュランスをくらった後、もう一度現状についての説明をしてもらった俺は、どこかの絵画よろしく絶句した。

 

 だってナタリアさんとイオンさまが軟禁で、そのせいで戦争が起きそうでと色々大変で大変なんだけど、とりあえずナタリアさんとイオンさまが、大変だ!

 

「二人が泣いてらっしゃったらどうしましょう大佐ぁ!!」

 

「だから前も言いましたけどね。 ええ、もう一度言いますよ。あなたじゃないんですから」

 

 冷めた視線で真っ直ぐ前を見ながら言う大佐。

 しかし俺の脳裏にはすでに、木の枝でつんつくつんつく突付かれる二人の姿が描かれていた。あああ、モースめ何てことを。

 

 

 そんなわけで一同ダアトへ向かう事になった。

 

 なりゆきとはいえルークたちと離れずに済んだし、大佐にも置いてかれないで済んだし、……ただナタリアさんとイオンさまのことは心配だったけど、俺は比較的上機嫌だった。

 

「リック」

 

 パーティの後方を弾むように歩いていた俺に、ふとガイが声を掛けてきた。

 

「ん~?」

 

「お前 機嫌良いな……。いや、ていうか、お前がよくこの状況でビビらずにいるなぁ」

 

 ガイは笑顔の俺を不思議そうに見て、それからツイと視線を前方へうつした。

 そこには絶対零度の風吹きすさぶ笑顔を浮かべる大佐と、しょんぼりと肩を落としているルークの姿。

 

 先ほどに引き続き、どうやらまた何か言われたらしい。

 アラミス湧水洞で再会してからというもの、道中ずっとあの調子だった。

 

「なぁ、適当なところでジェイドを止めてやってくれよ」

 

 心配げな顔をしたガイは、手を軽く前に合わせて「頼む」と続けた。

 その姿に、やっぱりガイはルークのお父さんみたいだ、と思いつつ、俺は歌い出しそうな気持ちで笑みを深める。

 

「アレは大丈夫だよ」

 

「ん?」

 

「大佐の声がとがってないもん」

 

「……そうかぁ?」

 

 俺の笑顔と大佐の背中を何度か見比べて、ガイが怪訝そうに首をかしげた。

 

 でもこれは本当に大丈夫だと思う。

 確かに機嫌としてはあまりよろしくないかもしれないけど、最悪じゃない。

 

 幾度となくあの絶対零度を受けた俺が言うんだから間違いないはずだ。ちょっと泣きそうだとかそんなことない。

 

「あとはもう大佐イコール嫌味っていうか、嫌味で意地悪じゃなきゃ大佐じゃないってくらい大佐と嫌味は表裏一体だから声が尖ってない以上あの嫌味はライフワークとか軽口みたいなモノなんであんまり気にしなくても嫌味が元々だかr 」

 

 

 タービュランスくらいました。

 (本日二度目)

 

 

 

 苦笑するガイに引き起こされながら、ちらりと大佐とルークの背中を見やった。

 

 大佐が本当にルークのことを見限ったならば、きっと会話すらしない。

 だから大佐が嫌味でも言うってことは、まだあるはずなんだ。

 

 “ルーク”を諦めていない部分が、どこかに。

 

 

 俺はまた少し、笑みを浮かべた。

 

 



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Act20.2 - なのにあなたはダアトへ行くの!?

 

 俺達は今、ローレライ教団の本拠地、ダアトに来ている。

 囚われの身となったナタリアさんとイオンさまを救出するためだ。

 

 

 ……しかし俺は何故か、教会内の図書室にて本を片手にぼんやりと机についていた。

 

 気持ちばかり開かれたまま一向にページが進まない『誰にでも出来る やさしい譜術』が、よりいっそうむなしさを引き立てている。

 

「…………」

 

 おかしい。なんでこんなことになってるんだ。

 全く頭に入らない文章を睨みつけながら、俺は少し前の記憶をなぞる。

 

 ダアトについて、アニスさんとも合流できて、さあいよいよ突入だというときになったところで、大佐は突如俺に残れと言った。

 

 もちろんごねた。

 いや、正直戦うのは怖かったから行かずに済むなら行きたくなかったけど、みんなが行くのに俺だけ残るっていうのは寂しすぎる。

 

 何でですかどうしてですかと泣きながらすがりつく俺に、それはもう寒気がするほど輝かしい笑顔を浮かべた大佐が言った。

 

 『目立ってはいけないってときに一々ビビってギャアギャア騒ぐ人連れて行けませんから』

 

 ほんと、もう、とても綺麗な笑顔でした。

 回想を終えたと同時に机につっぷして無言で泣く。

 

 最初は偉い人が使ってるとかで貸切だったんだけど、少し前にそれが解かれたようだったので、俺はまだほとんど人がいない図書室にてこうしてみんなを待ってる。寂しいです大佐……。

 

 ただ待っていると、どんどん不安になってくる。

 ナタリアさんは大丈夫だろうか。イオンさまは具合悪くしてないだろうか。

 

 そもそも、みんなは無事に二人の元へたどりつけるんだろうか。

 

 導師派や中立の人たちもいるとはいえ、神託の盾騎士団本部なんて、俺たちにしてみれば敵だらけじゃないか。

 

「…………はぁ」

 

 マイナス思考の無限ループを少しでも脱却しようと本を読み出したものの、状況はあまり変わらなかった。

 

 結局ほとんど読めなかったそれを閉じて、つっぷした顔の向きを変える。

 そこには適当な本棚から持ってきた何冊かの本が出番のないままに積まれていた。

 

 その中に一冊だけフォミクリーについての本が混じっているのに気付く。これはもちろん無機物に対する方法が書かれた一般的なものだ。

 

 それをぼんやりと眺めながら、俺は小さく溜息をついた。

 

 

 生まれてから最低限の常識を覚えるまで三年。

 大佐を追いかけたくて、兵士になるための研修に一年。

 兵士になってまた三年。

 それで、大佐の直属部下になって、三年。

 

 なんだか怒涛のように過ぎた十年間だったけど、俺はちっとも変わっていない気がする。

 

 生まれたときから?

 

 違う、あのときから。

 

 『 おにいちゃんの ――― 』

 

 ぎゅっと眉間に皺を寄せた。

 

 アラミス湧水洞で変わりたいと思ったことは嘘じゃない。

 

 でも、この十年で、どれだけのことが出来たんだろう。

 それに十年かかっても進歩のない俺が、今更、変われるんだろうか。

 

「……ルークは変わったよ」

 

 ぽつりと呟く。

 

 彼も本当はまだ変われてはいないのかもしれない。けど、変わろうとしている。

 俺はこのまま足踏みしてるだけなのか?

 

 

 そこまで考えて、ぐったりと机に体重を預けた。

 やっぱり、ひとりって寂しいです、ジェイドさん……。

 

 このままだとどんどんおかしな方向に思考が流れていきそうだ。

 俺は限界を感じて、本を元の位置に返してから図書室を出た。

 

 さらにひろいホールを通り抜けて教会の外に出る。

 出入り口の大きな扉の前に立ち尽くし途方にくれていると、門番の兵士さんたちにちょっと心配された。うう、おかまいなく……。

 

 

 いよいよ涙がちょちょ切れてきた俺の後頭部に、突如鈍い衝撃が走る。

 

 それが中から思い切り開かれた扉が当たったのだと気付くのに時間は要らなかった。いやだってこれすごいデジャブ。

 勢い良く地面につっぷした後、俺は違う意味で涙を浮かべながら後ろを振り返る。

 

 そこに大好きな赤い瞳と、大好きな赤い髪を見つけて、これもまた違う意味で泣いた。

 

「おかえりなさいルーク、ジェイドさぁああんっ!!」

 

 歓喜のあまり抱きつこうとして大佐に額を押さえられたところで、その後ろから現れた綺麗な金と優しい緑に、俺は涙が枯渇しそうだ。

 

「ナタリアさぁんっ! イオンさ、ま ぉグッ」

 

「急いで逃げますよ。感動の再会は後にしなさい」

 

 全力でお二人に詰め寄ろうとした俺の首根っこをすばやく捕まえた大佐が淡々とそう告げるのを、半分の思考で聞いた。もう半分は、なんだか久しぶりにお花畑へ片足をつっこんでいる。

 

 あ、ユリアさま……。

 

 

 

 

 第四石碑の丘までたどり着いたところで、俺はようやっと首周りの拘束を解かれた。

 酸欠でぐらぐらしながらも、あらためてナタリアさんとイオンさまに向かい合う。

 

「おっ、おふたりとも、ごっ、ご無事で、よ、よかっ……!!」

 

「……僕らは無事ですが……」

 

「まぁ、顔が紫色ですわよリック」

 

 言いづらそうに苦笑したイオンさまの隣、言葉を続けたナタリアさんが小首をかしげた。

 

「どうしましたの?」

 

「いえもう本当にお気になさら……気にしないでくれ」

 

 途中できらりと鋭くなったナタリアさんの目に気付いて慌てて敬語を外す。ずっと補給できなかった酸素と運命の再会を果たしただけなんです。

 斜め後ろでたぶん他人事のような笑顔を浮かべているのであろう大佐を脳裏にえがく。

 

 ふ、と短く息をはいてから、笑みを浮かべたアニスさんが口を開いた。

 

「またこのメンツがそろったね~」

 

 ちょこっとだけ俺への助け舟でもあったようなタイミングに、彼女に向かってひっそりと両手を合わせると、すぐさまあくどい笑みと共に手が金という意味の形に作られたのに肩が下がる。だ、だから俺、薄給で……。

 

「ユリアの預言に関わる者、各国の重要な立場の人間……偶然ではないような気もいたしますわ」

 

「若干重要でもなんでもないただの兵士とかただのビビリとかただのヘタレとか混じってますけどねぇ」

 

「超ピンポイントー!! うわあぁんもうみんなして俺のことイジメて全くもうホント帰って来てくれてありがとうー!」

 

 いじめられてる事さえちょっと嬉しい俺はなんなんだ。あの図書室で一人きりが本気で寂しすぎたのがいけないんだ。

 

 にぎやかな話し声を聞きながら、俺はそっと涙を拭ってみた。

 

 

 



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Act21 - ジェイドとあいつ

少し戻って、オラクル本部進入組から

ルーク視点



 

 神託の盾(オラクル)本部。

 周囲の様子に気を配って歩きながら、俺はちらりと後方を歩く青い軍服をうかがった。歩調を緩めてそいつの隣に並び、おそるおそる声を掛けた。

 

「なぁ、ジェイド」

 

「なんですか」

 

 淡々と返された言葉を聞いて、そういえば前にもこんなことがあったなと考える。

 タルタロスであいつとはぐれた後だ。ティアの言葉じゃないけど、あのときとは本当に色んな事が変わった。

 

「あのさ、なんでリックを置いてきたんだ?」

 

 ここへ突入する前に、消滅しそうなほど泣き崩れていた男を思い出しながら問うと、ジェイドはいつもの人を小ばかにする顔で肩をすくめた。

 

「八割方言葉どおりです。この状況であんなの連れて歩けませんよ」

 

「ハハ……」

 

 言葉、というのはぐずるリックに寒気がするほど良い笑顔で告げていたアレだろう。俺はまったく関係ないのに逃げ出したくなったほどだ。

 

「え、え~っと、じゃあ後の二割は?」

 

 途切れかけた会話に焦って、俺は適当に言葉を継いだ。

 実のない問いだと一蹴されるかと思いきや、ジェイドはふと真顔になって息をついた。

 

「一応、信託の盾の総本山ですからね。これはあなたにとっても、でしょうが……どうも鬼門のようですから」

 

 彼にはめずらしいぼやかした物言いに、何の事かと必死に頭を働かせる。

 考えの末に、脳裏にちらついた人影があった。

 

師匠(せんせい)が、いるかもしれないから?」

 

「ええ」

 

 即座に返された肯定に思わず目が丸くなる。

 

 しかし、俺にとっても、というところから考えてヴァン師匠に行き着いたが、よくよく考えればなぜ師匠がリックの鬼門なのだろうか。そういえば師匠が一緒のときはなぜか隅のほうにいたような気もするけど。

 

 なんだか、よく分からないけれど、

 ジェイドはジェイドなりにリックを心配してるんだろうか。

 

「ああ、この話本人にはしないでくださいね。ジェイドさんが俺のためにーとか舞い上がられるとウザイんで」

 

 ……心配、してるんだよな?

 

 

 

 

「グランコクマに行くんですか!?」

 

 突然きんと響いた声に、俺は慌てて過去へ飛ばしていた思考を引っ張り戻した。

 見ればリックが目を爛々と輝かせてイオンに詰め寄っている。そのあとすぐジェイドに首根っこ掴まれて回収されていたけど。

 

「やっと帰れるんですねぇ大佐! 長かった、長かった! ピオニー陛下! フリングス少将! ゼーゼマン参謀総長! 俺の愛するグランコクマー!!」

 

「やかましいですよ」

 

 頬を紅潮させて涙ながらに叫ぶリックの首根を掴む手を、ジェイドが笑顔でキュッと引く。同時に聞こえてきた、ぐえっという短い悲鳴。

 

 そんな二人のやり取りを見ながら、俺は静かに息をはいた。

 

 確かにただの上司部下にしては砕けた関係だとは思ったが、こうして見ている限りでは、“フォミクリー発案者とレプリカ”なんて構図はちっとも浮かんでこない。いや、そうそう浮かばれても困るけど。

 

 ……事実を知った上で見れば、リックの態度については分からないでもない。

 自分を(嫌な言い方だが)つくってくれた人、なわけだし、そうするとやけに懐いているのも頷ける。

 

 よく分からないのはジェイドのほうだ。

 これまでの様子を思い起こすかぎり、ジェイドは生物フォミクリーを生み出した過去の自分をかなり嫌悪していたようなのに、その嫌な記憶の集大成ともいうべきレプリカであるリック(俺もか)を、どうして傍においているんだろう。

 まぁ傍に置いてるというか、近くにいるのをギリギリ許容してるという感じだけど。

 

 ともあれジェイドのほうは、リックという存在をそんなに気にしてはいないらしい。

 報われないなぁアイツ、とジェイドに引きずられていく男を遠い目で見やった。

 

 

 

 そしてダアト港を経由し、俺達は一同グランコクマへ向かっていた。

 正確には、戦時中 要塞都市と化すグランコクマへ安全に入るために、ひとまずローテルロー橋へ。

 

 波に揺られるタルタロスの艦内。

 俺たちしか乗っていないこの中では、普通の旅路同様、持ち回りで例の任務が課せられる。

 

「……ん~……」

 

 仁王立ちで、目の前の簡易キッチンを睨みつける。今日の食事当番は俺だった。

 

 悩みに悩んだ末、思い至ったある計画。

 俺はぱっと顔を輝かせて紙にいくつかの料理名を書き上げていったが、ある部分に差し掛かったとき、ペンが完全に動きを止めた。

 

 唸りながら、また悩んで、悩んで、考えた末。

 紙とペンを手にして給湯室から走り出る。

 

 

 そのまま馬鹿広い艦内を探し回り、ようやく見つけた目当ての人物は甲板で休憩中だった。

 手すりを軽く掴んで、外を流れる風景を見下ろしている後姿に声を掛けた。

 

「ジェイド!」

 

「おや……ルーク」

 

 振り返ったジェイドはいつもの仮面みたいな笑顔で俺を見た。

 俺はずかずかとその目の前まで歩み寄って、真っ赤な目を見返す。

 

「なあジェイド! リックの好物ってなんだ!?」

 

 握りこぶしを作りながら開口一番そう問うと、ジェイドは一度目を丸くして、それから呆れたように鼻で笑った。

 

「なんですか? 突然」

 

「えぇえと、ほら、俺みんなにすげぇ迷惑かけたから! その、小さなことだけど、食事当番のときくらいみんなの好きな料理を作ってあげたいなって思って」

 

「いいえルーク気持ちだけで大変結構ですからとにかく食事のときくらい食物を作ってあげてください」

 

「俺、料理するっつったろ!? 石版作るとか言ってねーだろ!? なんだそのコメント! あーもう悪かったな下手で!!」

 

「自覚があるのは良い事ですよ」

 

「うるせぇ!!」

 

 反射的に怒鳴り返してそっぽを向いてしまったが、すぐに当初の目的を思い出し、少し振り返ってジェイドのほうを見た。

 

「……ティアとか、ガイとか、みんなの好きなもんは知ってたんだけどさ。リックが好きなもの、って俺よく考えると知らないんだ。ずっと一緒に旅してたのに」

 

 どれだけ思い返しても、浮かんでくるのはビビッてるアイツや、死ぬほどビビってるアイツや、俺がちょっと声を掛けてやっただけで何かとても嬉しそうに笑うアイツ、だけで。

 

「前の俺、知ろうともしてなかったから。……ほんと何も知らなくて。分かるのは、とりあえずジェイド、みたいな」

 

「居酒屋のように言わないでくれますか」

 

 だってリックといえばジェイドというか。

 するとジェイドはひとつ溜息をついてから、指で眼鏡を押し上げた。

 

「まぁ、教えても構いませんよ」

 

「本当か?」

 

「最低限、食物の形にしてくれれば」

 

「しつこいよ!!」

 

 肩をすくめて口を開こうとしたジェイドに、俺は、待って、と言って用意しておいた紙とペンを取り出した。

 準備を整えたこちらの様子を目の端で見やってから、ジェイドが今度こそ口を開く。

 

「サーモン」

 

「うん」

 

「トウフ」

 

「うん」

 

 こくこくと頷きながら、俺は言われたものを必死に書き取っていく。

 

「カレー、クリームパフェ、エンゲーブ風パスタ」

 

 文字を書いていた手が、止まる。

 

「あとこれは最近ですが、チキンとエビも好きになったみたいですね」

 

 それに食物としてではありませんがブウサギも好きです、と付け足しているジェイドの顔を、まじまじと見返した。

 

「……どこかで聞いた事があると思いませんか?」

 

 しょうがないですね、と声が聞こえてきそうな苦笑だった。

 

「まったく、趣味嗜好が主体性に乏しいんですよね。そろそろ“自分”の好きなものを探してもいいと思うんですが」

 

 そう言うジェイドの声が、なんだか柔らかくて。

 これ以上ないくらい目を見開く俺に彼はめずらしく気付かずに、笑った。

 

「あなたの作ったものなら何でも喜びますよ、あのバカは」

 

 

 なんだ、ジェイドはリックを気にしてないんじゃない。

 

 ともすれば寄りかかりきりになってしまいそうなアイツをけっとばして、後ろ向かせないように、無理やり歩かせて。

 ジェイドはジェイドなりに、自分が生み出した存在を見守ってる。

 

 二人の、見た目以上にずっと不器用な関係が、少しだけ見えた気がした。

 

 

 

「だから世間一般で料理と呼ばれるものをお願いします」

 

「ほんとしつこいなお前!!」

 

 



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Act22 - 目的地は、雪の街?

 

 ローテルロー橋へ向かうタルタロスの艦橋で、簡単な操作以外は特にやることがない(ありていに言えばヒマな)俺達は雑談に花を咲かせていた。

 

「男は黙ってタルタロスだよな!」

 

「ですのー!」

 

「えぇ~、じゃあリックは?」

 

 少し離れた操作席から身を乗り出して俺を振り返ったアニスさんに、俺は一瞬言葉を詰まらせた末、恐る恐る口を開いた。

 

「お、俺もどちらかといえば……タルタロスのほう、」

 

「プリンセスナタリア号だよね?」

 

「ハイもちろんですアニス様!!」

 

「様!?」

 

 全開の笑顔で頷いた俺を隣の席にいたガイが驚愕の顔で振り向く。

 

 聞くな。なにも聞くな。頼むから。

 彼女には逆らっちゃダメだって俺の中の第七音素が全力で訴えてるんだ。

 

「……脅してやるなよ アニス」

 

「だって面白いんだも~ん!」

 

 緩衝材的にガイとアニスさんの間にいるルークが軽く制すると、アニスさんは両頬に指を当ててとても愛らしい笑顔でそう返した。泣きながら肩を落とした俺の背をガイが同情するように叩いてくれる。

 

 すると、ふと声のトーンを不思議そうなものに変えて、「ていうか」とアニスさんが首をかしげた。

 

「ルークがリック庇うんだ」

 

「……は!?」

 

 突然の言葉に、ガタンと音をさせて椅子からずり落ちかけたルークが顔を真っ赤にしてアニスさんを見やる。

 

「なにが、なっ、なんだよ、ソレ!」

 

「そ、そんなに驚くことじゃないじゃん!? いま私のほうが驚いたよぅ!」

 

 アニスさんは心臓に手を当てて言ったあと、一度呼吸を落ち着かせてからあらためて口を開いた。

 

「だって前のルークだったら絶対ありえなかったし……やっぱ髪切った効果?」

 

「お、オレの一大決心 髪効果で済ますなよ! これはケジメっつーか……」

 

「あーもう。そうじゃなくて、つまり、“なんか仲良くなった?”ってことッ!」

 

 いよいよ真っ赤になったルークの動きがびしりと固まったのを見ながら、俺はといえば、顔が緩みっぱなしだった。

 

 やっぱりなぁ。

 やっぱり、ルークは優しいやつだ。

 

 アニスさんが言ったように、少しでも前より……な、仲、良くっ、なれてるなら、嬉しいなぁ。

 

 仲良くなる。なんて夢のような言葉だろう。

 

 そっぽを向いてしまったルークと、にやける俺を見比べて肩をすくめたアニスさんは、気を取り直すように隣に座るティアさんへ向き直った。

 

「ティアは? プリンセスナタリア号だよねっ!」

 

「わ……私は、トクナガのほうが……」

 

 消え入るような声で呟かれたソレは、俺にはほとんど聞き取ることが出来なかったけど、ただ大佐がわざとらしく咳払いをした後、ティアさんが慌てたように息を詰めたのは分かった。

 な、なんて言ったんだろう……。

 

 

 ためしに聞いてみようか、なんて思ったとき、突如船体が大きく揺れた。

 

 そして揺れがおさまったのを感じると、俺はハッとして立ち上がった。軍で叩き込まれたマニュアルが波のように頭へ押し寄せてくる。

 こういうトラブルが起きたときに動かなきゃいけないのは下っ端で、つまり俺だ。

 

「あ、お、俺っ、確認してきますっ!」

 

「私が見てきます。異常があったとして貴方の頭じゃどうしようもないでしょう」

 

「すみませんその通りです!」

 

「ま、一応ついて来て下さい」

 

 俺に出来るのはまさしく“確認”だけだった。

 故障があったとして、オモチャのような簡単な譜業ならともかく戦艦を直せる技術はないし。だから情けなくも大佐にご足労願うしかない。

 

「俺も行く!」

 

 音機関の修理なら多少は手伝える、と名乗りを上げたガイとも一緒に、俺達は三人で異常個所の様子を見に行った。

 

 

 パネルに出たエラーメッセージを元にたどり着いたのは機関部。

 

 修理は出来ずとも壊れているかどうかくらいは分かるので、俺も一緒に点検をする。

 とりあえず致命傷ではないみたいだ。軽くもないけど。

 

「どう?」

 

「まぁ……動かない事はない、っていう感じだな」

 

 ガイにスパナを手渡しながら聞くと、そんなちょっと不安な返事が戻ってきた。

 うぅん、と唸りながら、伝声管から艦橋のルークたちへ状況を伝えている大佐を振り返る。

 

 応急処置でなんとか動きそうだと言う大佐に、顔のすすを払いながら立ち上がったガイが、出来ればどこかで修理したほうがいい、と声を上げた。たしかにこのままローテルロー橋を目指すのは心もとない。

 

 思案するような間の後に、向こうから返ってきたのはティアさんの声だ。

 

『停泊可能な港で一番近いのは、ケテルブルク港です』

 

 大佐が一瞬だけ、動きを固めたような気がした。

 

『じゃあそこへ行こう。いいだろ、ジェイド』

 

 続けて響いたルークの声。

 それに対し、いつも朗々と流れ出る大佐の声がめずらしく詰まった。

 

「……まぁ……」

 

 そんなイエスともノーともつかない返事に、俺は後ろでこっそりと苦笑する。

 

 大佐はあまり自分のことを話してくれないけど、代わりというように陛下はよく色んな事を話してくれた。

 その話の中によく出てきた。ジェイドさんの故郷で、陛下が一時疎開していたという、雪の街。

 

 それを確かケテルブルクといったはずだ。

 

 大佐の口からはただの一度も聞いた事がない。

 帰省したという話も、俺が生まれてからはまったく聞いていないと思うから、そのへんを考えると大佐はあまり故郷には帰りたくないんだろう。

 

 だけど「行きたくないから」で進路を変えさせる人じゃないし、状況を考えても行かざるを得ないということでの決断だろうが、その本当に珍しい煮え切らない態度に、またすこし苦笑を深める。

 

 ……大佐には悪いけど、俺は正直なところ大佐の生まれ故郷を見られるということで、ちょこっとわくわくしていた。

 

 



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Act22.2 - 初めましてケテルブルク

 

 やってきました、銀世界。

 目の前に広がる光景に俺は目を輝かせた。

 

 すごい、ここが大佐の生まれ故郷なんだ。

 雪国っていうのは陛下から聞いていたけど、こんなに綺麗なところだとは思わなかった。そういえば雪っていうやつは冷たいけど温かくて、大佐によく似ている。

 

 小さなころの大佐はこのへんで遊んだりしたのだろうか。

 いやいや、このへんかもしれない。

 

 そんなことを考えてきょろきょろと辺りを見回しながら蛇行していると、大佐にキュッと服の首根っこを引っ張られて、俺の体はあえなく引きずられていった。

 

 ああ、もうちょっと、もうちょっとジェイドさんの故郷に浸らせてください……!

 

 

 知事邸に向かって歩き進めるうち、街の人の話がちらほらと耳に入ってくる。

 そしてその中でも多いのが、バルフォア博士とネイス博士についての話だった。

 

 やっぱりジェイドさんは頭が良いんだなぁと誇らしい気持ちになる反面で、首をかしげる。

 

「バルフォア博士とネイス博士というのは……大佐と?」

 

 同じように不思議に思ったらしいティアさんの声が聞こえたのと同時に、つかまれていた俺の首根っこが解放された。

 俺は重力そのままに地面にしりもちをついてギャッと声を上げた。だ、だって凍ってて冷たい上に硬くなってて痛いし。臀部をさすりつつ立ち上がる。

 

 ティアさんの問いに答えたのは、大佐ではなくてイオンさま。

 

「ディストですよ」

 

 ほがらかな笑みを浮かべながら告げられたそれに、俺は痛みも忘れて目を見開いた。

 

「はぅあ! ディストが天才!?」

 

「ディストがジェイドさんと同郷!!?」

 

 アニスさんと俺、驚くポイントは微妙にずれていたが、どちらも驚愕の事実には違いない。ただ俺の言葉に大佐が少し顔を歪めたのが見えた。

 

 聞けばアニスさんのトクナガを作ったのはディストであるそうだ。

 トクナガの構造はすごいから、それを作ったのがディストなら、確かにあいつも天才なんだろう。

 

 ……て、ていうかジェイドさんと同郷ジェイドさんと同郷ジェイドさんと……。

 

「悪いやつじゃないんだけど、いいやつでもないんだよね~。二言目には大佐の話しかしないし……あ、そのへんちょっとリックに似てるかも」

 

 大佐とディストが同じ出身ということにひそかにショックを受けていた俺は、アニスさんの言葉にがばっと顔を上げた。

 

「冗談じゃないですよアニスさん! 何で俺があんな大佐に害なすハナタレと!! あの人出てくるたび大佐に構ってもらっててずるいんですよ! どのへんが似てるって言うんですかぁ!」

 

「なんていうか、そのへんが」

 

 握りこぶしをつくって力説しながら詰め寄ると、アニスさんの呆れたような視線が戻ってくる。いや、俺とディストなんてちっとも似てないじゃないか。似てないに決まってる。

 

 そこへ苦笑するガイの声が続く。

 

「……あれ、構ってもらってるっていうより、イジメられてるんじゃないか?」

 

「バカだから区別がついてないんです。あぁ、言われてみると似てますね。あの貶しても貶してもヘコたれないあたりが」

 

「大佐まで!?」

 

 かの人にまで肯定されて、俺はほんのり泣きそうだった。

 

 に、似てませんよ!!

 

 

 

 

 ようやくたどり着いたケテルブルク知事邸の中には、想像していた以上に若い綺麗な女の人がいた。

 その眼鏡をかけた知的な容姿は、どことなく大佐の女性版のようだ。いやはや不思議なことに面立ちまで似ているような。

 

「お兄さん!?」

 

 まぁオールドラントには三人のそっくりさんがいるというし……。

 

「お兄さん!? え、マジ!?」

 

 ほらルークだって驚いて……お兄さんって……。

 ………………。

 

「おにいさん!??」

 

「反応おせぇよ! ……いやっ、つーかお前も驚くのかよ!?」

 

「だだだだってルーク俺ジェイドさんがお兄さんとか知らっ、えええぇー!!」

 

「驚きすぎ!! 落ち着け!」

 

 両肩を掴まれて前後に揺さぶられる。

 

 最終的に大佐の蹴りで微妙に落ち着きを取り戻した俺に向かって、当の大佐がひとつ溜息を吐いた。

 

「てっきりこれも陛下から聞いていると思っていたんですが」

 

 陛下づてに俺が大佐の昔話を聞いていた事はとうにお見通しだったらしい。

 それはもう大佐だから驚くことでもないけど、妹さんがいらっしゃったというのはまだ衝撃だ。

 

 いや、待て、そういえば。

 

「……とにかく綺麗で可愛くて美人で愛らしい女性がケテルブルクにいるんだと、アホみたいに語られたことがあるような……」

 

「それです」

 

 だけど大佐の妹さんとは聞いた事がないと思うんですが陛下。あれ、ねぇ、陛下。

 そして聞くや否やこの上なく輝かしい笑顔になった大佐が怖い。ごめんなさいピオニーさん、俺いらんこと言ったかもしれません。謁見の間に炸裂するフレイムバーストが瞼の向こうに見えた気がした。

 

 

 大佐の妹さん――ネフリーさんは、女性だからか大佐よりは柔和な印象を受けるけど、やっぱりというか雰囲気なんかはジェイドさんによく似ている。

 そのせいか初めて会った気がしなくて、相手は知事なのに俺にはめずらしくあまりビビらず人見知りもしなかった。

 

 新しく知る事が出来たジェイドさんの事や、ジェイドさんと同じ瞳に気持ちをやわらげつつ、俺達はネフリーさんが手配してくれたホテルに向かった。

 

 

 そしてたどり着いた先で、せっかくほぐれた気持ちが物凄い勢いで硬くなる。

 ホテルって、ホテルってここなのか。

 

 豪華絢爛きらきらお金持ち使用、ケテルブルクホテル。

 

 自分でお金払うから安宿に行かせてくださいと言いたい気持ちを必死で堪える。だ、だってせっかくネフリーさんが用意してくれたのに。

 観葉植物の陰に隠れてきらびやかな世界に脅えていると、ルークが突然「あ」と声を上げた。

 

「おれ、ネフリーさんとこに忘れ物したー」

 

 俺も行こうか、というガイの言葉を振り切って、足早にホテルを出て行ってしまったルークを少しの間みんなでぽかんと見送った。

 しかしこの人数でロビーに溜まっているのも迷惑なので、とりあえず先に部屋へ行っていようと皆でエレベーターのほうへ向かう。

 

 ルークの忘れ物ってなんなんだろう。忘れるようなもの持ってたっけかな。

 首を捻りつつ、ルークが出て行った扉のほうを眺めていると、ふいに背中を押された。

 

 突然の事にたたらを踏みながら振り返る。

 後ろには、俺を押し出したなごりで軽く腕を上げたままの大佐がいた。

 

「す、すみません! すぐ行きます!」

 

「ルークと一緒に行ってきなさい」

 

 もたもたしていた事を怒られたのかと慌てて荷物を手に取った俺を制するように、大佐がそう言った。呆気にとられて目が丸くなる。

 

「でもルークは一人でいいって言ってましたよ。ついてったら怒るんじゃ、」

 

「行きなさい」

 

「……大佐?」

 

 だが、いつになく真剣な赤い瞳に、俺はそれ以上なにも言えず頷いた。

 様子の違う大佐が気になりつつも、先を行ったルークを追って走り出す。

 

 

 

 

 

 

 

「聞く権利、というものが存在するなら、……あなた達にはそれがあるんでしょう」

 

 遠ざかる背中を見やりながら、ジェイドは苦いものを湛えた面持ちで、そっと眼鏡を押し上げた。

 

 





偽会話イベント『そのころレプリカーズ』
ルーク「おまえなんでついてきてんだよ!!」
リック「知らないよ!」
ルーク「なんだそれ!」


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Act22.3 - 銀世界の その夜に

 

「ルークさん、お一人でと……」

 

 知事邸の私室に入るや否や、当然ながら俺の存在に気付いたネフリーさんが眉根を寄せた。

 そういう顔すると大佐に本当よく似てる、なんて見当違いのことを考えてから、ハッとして首を横に振る。

 

「すっ、すみません! 俺、外に出てます!」

 

「おいコラ待て! じゃあお前なんのためについて来たんだよ!!」

 

 身をひるがえしてドアノブに手をかけた俺の首根っこをルークがガシリと掴んで止めた。

 だんだん俺を止める時に首根っこ掴むのがデフォルトになりかけているという事実に衝撃を受けつつも、大佐の言葉を思い出して動きを止める。

 

 大佐は、俺にルークと一緒に行けと言った。

 それにはきっと何か意味があるはずなんだ。

 

 おそるおそるネフリーさんのほうを振り返る。

 でも呼ばれても無いのに一緒に話聞かせてくださいとか図々しすぎるだろ俺。いや、でもジェイドさんが。でもネフリーさんが。

 

 あっちとこっちのバルフォアさんの間で俺が混乱しているのを見かねてか、ルークが「あの」とネフリーさんに声を掛けた。

 

「こいつ何かの秘密をべらべら喋るようなやつじゃないんで……その、一緒じゃダメですか?」

 

「ルーク……」

 

 俺がいつかのタルタロスでルークに国家機密を漏らしかけた男だということはとりあえず忘れておこう。

 

 でもネフリーさんは依然渋い顔だった。

 そんなにルーク以外に聞かれちゃ困る事なんだろうか、とこっちも不安になってくる。

 

「お願いします、ネフリーさん。リックも一緒にいさせてやってください!」

 

 なお頼んでくれたルークに感動していると、ふとネフリーさんが動きを止めた。

 彼女が目を丸くして俺を見る。

 

「……リック?」

 

「は、はい」

 

 大佐と似た瞳でまじまじとこちらを見つめてくる様子に動揺していると、やがてネフリーさんは納得したように息をついた。

 

「そうですか……あなたが、リックさんなんですね」

 

 ああ言われてみれば特徴がそのままね、なんて呟きながら、自己完結してしまいそうな彼女の様子に、俺は慌てて拱手した。

 

「あの、俺のことご存知なんですか?」

 

 するとネフリーさんは楽しげに微笑んで、ひとつ頷いた。

 

「貴方の事もピオニー陛下からのお手紙によく書いてありますもの」

 

「ピオニーさん!」

 

 突如現れた大好きな青の名前にびかりと表情を輝かせた俺を、隣のルークは不思議そうに眺めていた。

 そういえばアラミス湧水洞で、ずっと大佐に面倒みてもらってたとは言ったけど、陛下にも目をかけてもらった事なんかは説明してない気がする。

 

 無事グランコクマに帰れたら陛下のこともちゃんと紹介したいなぁなんて考えていると、ちょっと哀しげな顔になったネフリーさんがぽつりと呟いた。

 

「ではあなたも、レプリカなんですね」

 

 陛下が手紙でどこまで伝えたのかは分からないけど、たぶん彼女は全てを知っているんだろう。

 

 俺はただ一言、はい、と返した。

 

 それを聞くとネフリーさんは一度目を伏せたけど、すぐにその瞳をのぞかせて、俺とルークを順番に見やった。

 

「……では、リックさんもご一緒で問題ありません」

 

 

 そして、ゆっくりと彼女は話を始めた。

 

 

 俺やルークにしてみれば、ずっとずっと昔の話。

 とおいとおい記憶の中の、すべてのはじまりの話。

 

 フォミクリー。

 ネビリム先生。

 

 レプリカ。

 

 

 とつとつとした話し声をどこか遠くに、だけど一言たりと聞き逃さないように耳をそばだてて感じながら、脳裏に赤をえがく。

 

 ああ、あなたは、俺達にこれを聞かせたかったんですね。

 

(ジェイドさん)

 

 俺は二人に気付かれない程度に、少し、俯いた。

 

 

「でも本当のところ、兄は今でもネビリム先生を復活させたいと思っているような気がするんです」

 

「……そんなことないと思うけどな」

 

 ネフリーさんの言葉のあとに続いたルークの小さな否定の声に弾かれるように、俺はいきおいよく顔を上げた。

 

「大丈夫です!」

 

 湧き上がるままに気持ちを押し出せば、それは思いのほか大きな声になってしまって、目を丸くしてこっちを見る二対の視線にちょこっと逃げ腰になりつつも、もう一度声を上げた。

 

「ジェイドさんは、大丈夫ですっ!」

 

 だって俺は、あの後悔に満ちた赤を知っている。

 ネフリーさんは少しの間驚いた顔をしていたけど、ふっと表情を緩めた。

 

「そうですね。杞憂かもしれない」

 

 そしてルークと俺の顔を今一度 見て、またゆっくりと目を伏せた。

 

「……それでも私は、あなた達が兄の抑止力になってくれたらと思っているんです」

 

 彼女の言葉を聞きながら、思い出すのは俺を迎えに来てくれた赤のこと。

 罪から目を逸らさないように見張っていてほしいと、気が抜けたように笑った赤色を、俺は今でも忘れてはいない。

 

 

 

 知事邸からの帰り道。

 さくさくとした雪の感触を足の裏に感じながら、俺達はしばらく無言のまま歩いていた。

 真新しい雪をまたひとつ踏んだところで、先に声を発したのはルークだった。

 

 彼が、はぁ、と緊張を解くように溜息をつく。

 

「今日の話、お前も知らなかったのか?」

 

 翠の瞳を見返しながら、俺はざっと記憶を探って、頷いた。

 

「詳しい話は、ぜんぜん。ネビリムさんは名前だけ何度か」

 

 大佐たちの私塾の先生だった、というくらいしか知らなかったけど。

 はぁ、と今度ついた溜息は二人同時だった。

 

 空を見上げれば、寒い地方であるせいか星がよく見える。

 またたくそれの向こうに、幼いころのジェイドさんの姿を思い描いた。

 

 別に、落ち込んでるわけじゃないけど。

 

 複雑な気分であることは確かかもしれない。

 今の物も過去の物も、いろんな思いが混ざり合って、体の中をうずまいている。

 

「あ、つーか、さ」

 

 めずらしく黙り込む俺を気遣ってか、ルークが声のトーンをあげて切り出した。

 

「なんか色々あって言い出すきっかけ無くしてたけどさ。お前も、オレのこと待っててくれたんだよな」

 

 一瞬なんのことだろうと考えて、すぐに気付いた。アラミス湧水洞での話だ。

 

「オレ、アッシュの目を通して見てたけど、嬉しかったよ。……ありがとな」

 

 はにかむように笑いながら言ったルークに、俺は言われた言葉を何度も頭の中で繰り返して、ようやく脳が理解した瞬間には顔が真っ赤になっていた。

 

「な、なんですか今更! あはは、もう、いやだなぁルークさんったら!!」

 

「口調が前に戻ってんぞ」

 

 呆れたように笑みを浮かべるルークを見て、俺もようやく肩の力が抜けた気がした。

 気持ちを返すように、微笑んでみせる。

 

「……俺も、ありがとう。ルーク」

 

「な、なんだよ。俺は何もしてねぇぞ」

 

 今度 動揺したのはルークのほうだった。

 言うほうはあんなにさらっと言えるくせに、まだ言われることには慣れてないんだと思うとなんだかおかしかった。

 

「したよ。した。すごくした。ものすごくした」

 

「そんな言うなよ! ハズいだろ!!」

 

 慌てるルークを見て、あはは、と笑うと軽く後頭部を殴られた。

 ちょっとおおげさに頭を押さえてうずくまりながら、再びルークを見上げる。

 

「ほんとありがとうな」

 

「リック、だからやめろって……」

 

「ジェイドさんのこと、信じてくれて」

 

 言葉を切って俺を見返してくる翠の瞳を正面から受けとめて、俺はもう一度笑った。

 

 

「俺すごく嬉しかった。だから、ありがとう」

 

 

 

 





偽会話追加イベント『ネフリーさんとお話中』
ネフリー「子供の頃の兄は、悪魔でしたわ」
リック「そんな! 確かにジェイドさんは未だに悪魔のようかもしれませんけど、悪魔は悪魔でも優しい悪魔さんです!!」
ルーク「悪魔自体を否定してやれよ!」


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Act22.4 -(動き出す、思い。)

 

「私は一生、過去の罪に苛まれて生きるんです」

 

 

 

 

 ルークと、いつの間にか付いて来ていたミュウを先に部屋に帰して、広いロビーに今は俺と大佐のふたりだけ。

 もう少し離れたところにはフロントの人間もいるはずなのに、外の雪に音を喰われたかのような静寂が広がっている。

 

 息をする事すらはばかられる空気の中で、俺はそっと視線を床に落とした。

 

 

 ホテルへ戻った俺とルークを迎えたのは、俺を送り出した張本人である大佐だ。

 そう思うとルークの行動は最初からバレていたのだろうと思うが、そのことは教えていなかったから、ルークが気の毒なくらい驚いていたのが少し申し訳ない。

 

 

 隣にたたずむ青い軍服は動かない。

 だけど頭のてっぺんに僅かながら視線を感じて、俺は眉を顰めた。

 

 責めても構わないのだ、と。そう語っているこの沈黙が無性にやるせなかった。

 

(いつになったら、貴方は俺を しんじてくれますか?)

 

 どうすれば、大好きだという言葉をありのままに受け取ってくれるだろう。

 こういう形で受けた生を、運命を、最初から恨んでなんていないのに。

 

 むしろ、俺は。

 

 ひとつゆっくりと息を吐いて、顔を上げた。

 そのまま隣を向けば、俺の視線はすぐ赤の双眸と交差する。

 

 どんな恨みの言葉も受け入れようとばかりに静かな色をした赤に、俺はくしゃりと表情を歪ませた。

 

(いつになったら、あなたは、自分を ゆるしてあげられますか?)

 

 あれだけ頭が良いのに、反面どうしようもなく不器用な人だと思った。

 すごく嫌味で、いい加減で……真面目で、優しい人。

 

 そして赤の瞳が怪訝そうに歪む。

 

「なんであなたが泣きそうなんですか」

 

 理解に苦しむとばかりのその表情に、俺はめずらしく眉をつり上げて大佐を睨んだ。

 まったくもう、本当に、どれだけ伝えてもちっとも伝わりやしない。

 

「大佐が、不器用だからですっ」

 

 軽く怒鳴るように言ってから、涙ぐんだ目元を袖でぐいぐいと拭って、もう一度 大佐としっかり目を合わせた。

 

「……そうしたら俺だってそうじゃないですか」

 

 決して消えない罪を犯したというなら俺も同じだ。

 

 自分のやらかしたことを忘れるつもりは無い。だけど辛いばかりじゃ、辛すぎるじゃないか。

 一生罪とにらめっこを続けるなんて、あんまり哀しいじゃないか。

 

 いや俺はどうあれ、ジェイドさんがずっとそうして生きているのは、寂しい。

 

 でも、そう言ってもきっとジェイドさんは聞き届けてくれないだろう。

 だから今は何も言わない。余計な口は挟まない、けど。

 

「俺はジェイドさんのこと、大好きですからねっ!」

 

 レプリカの生まれたきっかけも、犯した罪も、全部ひっくるめての今の貴方が好きなんです。

 そんな気持ちを全部込めて、握りこぶしを作りながら大佐に詰め寄る。

 

 すると案の定、額をがしりと押さえられて、それ以上近づけなくなってしまった。

 いつもどおりの反応に涙していると、大佐の溜息が聞こえた。

 

「……勝手になさい」

 

 視界の端に見えた大佐は、困ったように顔を顰めていた。

 いわれた言葉の意味を読み取って、目をきらりと輝かせる。

 

「はっ、はい! はい! はいぃ!!」

 

「やかましい」

 

「はぁい!」

 

 もどかしい時もあるけれど、俺は元気です。 もとい、諦めません。

 俺はぜったいに諦めません!

 

 

 

 

 そして一夜明けて、昼間のロビー。

 

 寝起きの気だるさを吹き飛ばそうと思い切り背伸びをすると、すこし頭が覚めたような気がした。

 

 さっきタルタロスの点検が済んだとネフリーさんが伝えにきてくれたので、俺達はいよいよグランコクマ……の前にローテルロー橋へ向かうことになる。

 

 ネフリーさん、また会いたいなぁ。

 いつか休暇をもらえたら、そのときはケテルブルクに来ることにしよう。

 

 そんなことをつらつら考えていると、ふと違和感。

 

 出発まで束の間の時間を各々 雑談や、いまだ残る眠気にあくびなんかをして過ごしている中で、ふたつの赤の姿が見えないことに気付き辺りを見回した。

 

 すると少し離れたところに二人の背中を見つけて、何やら話している様子に首をかしげながら歩み寄る。

 

「もし話したときには、キツーイお仕置き、これも分かりますね?」

 

 だが近づいて最初に耳に届いた言葉に、もはや条件反射でびくりと身を固めた。

 

「あ、ああ」

 

「はい、ですの……」

 

「結構です。あと、」

 

 顔を青くしながら頷いているルークとミュウを見ながら、声を掛けようかちょっと迷っていると、突如振り返った大佐にぐんと襟首を引かれた。

 

「どうしても話したくなったらコレに話しなさい。サボテンか何かよりはましでしょう」

 

「は、話がまったく見えません大佐ぁ!!」

 

 涙目で首をぶんぶんと横に振る。

 だが説明は為されないまま、大佐はポイッと俺を投げ捨てて颯爽とみんなのところに戻っていってしまった。

 

 立ち尽くすルークを呆然と見上げる。

 

「ルーク、何の話だったんだ? サボテンと俺の優劣がどう関係あるんだ?」

 

「いや、あー、なんつーか、ごめん」

 

 ルークが片手を顔の前に立てて謝罪する。もしかしなくても俺はとばっちりだったか。

 わけのわからない展開に動揺していると、ふと照れ臭そうに頭をかいたルークが口を開いた。

 

「……要するに、なんかあったらリックに相談相手になってもらえ、ってことだよ」

 

 言うが早いか脇をすりぬけてみんなのほうへ歩いていってしまったルークの背を見送って、俺は考える。

 

 俺が、ルークの相談相手になれるとしたら、

 それはものすごいことなんじゃないだろうか。

 

 だって、それって、まるで。

 

(ともだ……)

 

 考えかけたところで、はっとして首を横に振り、両頬を軽く手で叩いた。

 俺、なに自惚れたこと考えてるんだ。

 

 自分の立場を思い出せ、リック一等兵。

 

 

 気持ちばかり顔をひきしめて、先を行った二人の後を追った。

 

 

 





スキット『恋人は……?』より偽追加会話
ルーク「へっくしゅ! さみーさみー、腹がさみ~」
ガイ「はぁ……どうして観光地の女性はみんな大胆に近寄って声をかけてくるんだ……」
リック「♪じぇっいどさんが ジェっイドさんで、ジェイドさ~ん~~~♪(※)」
ナタリア「…………この顔ぶれだと、そういうことは本っ当に期待できませんわね……」

※ジェイドさんのうた。
 歌/リック
 作詞/リック
 作曲/リック
 編曲/リック


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Act23 - ただいまグランコクマ!

 

 タルタロスをローテルロー橋に着けて歩くことしばらく。

 

 「疲れちゃったからおんぶしてぇ☆」とアニスさんに輝かしい笑顔で背中に飛び乗られたり、便乗して「足痛くなってきちゃったー☆」とか棒読みで言った大佐に押し潰されたりしつつ、たどり着いたのはグランコクマ 一歩前を象徴するテオルの森。

 

 ようやく見慣れたものとなってきた景色に俺はほっと息をついた。

 ここまで来れば庭も同然、勝手知ったる故郷の一部だ。自然と足取りも軽くなる。

 

 そんなわけで俺がめずらしく先頭切って森へ入ろうとしたとき、

 

「何者だ!!」

 

「ぅわハイぃ!」

 

 前方から響いた怒声に思わず背筋を伸ばして敬礼の姿勢をとった。

 

 だってこの腹式呼吸な硬い声。

 ごめんなさい教官と続けたくなるのを堪えて見れば、二人のマルクト兵士が警戒心もあらわにこちらを睨みつけていた。

 

 ああ、この短い人生の半分以上を軍属で過ごしてきたものだから、軍隊仕様の喋りには反射的に絶対服従体勢を取ってしまう。だって俺下っ端。

 

 落ち着いてみれば彼らと俺の階級は同じのようだったが、かといって強気に出ることも出来ずあたふたする俺の横から大佐がすいと前に出た。

 

「私はマルクト帝国第三師団師団長ジェイド・カーティス大佐だ」

 

 りりしいですジェイドさん、と頭の中で男惚れすることは忘れない。

 

 とりあえず完全不審者ではないという事は分かってもらえたようだが、大佐はともかく後ろで控える俺たちについてはまだ微妙らしく半分不審者だ。

 渋るアニスさんとルークに対して彼らは、これが罠とも限らない、と重々しく首を横に振った。

 

 状況は着々と本格的にまずい方向へ向かい出しているらしい。

 このテオルの森にしたって、いつもならこんなところに見張りの兵士なんて居ないのに。

 

「皆さんはここで待っていて下さい」

 

 久しぶりに戻れた故郷のぴりぴりした空気に眉を顰めたのも束の間、そんな大佐の声を聞き、俺は慌てて兵士のひとりに詰め寄った。

 

「俺、ジェイド・カーティス大佐直属部下のリック一等兵です!! ダメですか!? 通れませんか!?」

 

 いま己を駆り立てるのは「またおいてかれる」という恐怖だ。ダアトの二の舞は絶対避けたい。何がなんでも避けたい。

 

 だがこちらの焦りとは裏腹に、兵士さんたちは笑みを浮かべながら顔を見合わせて、その後に俺を見た。

 

「存じております、お通りください」

 

 階級は変わらないけど、大佐直属という豪勢な肩書きゆえに敬語を使う彼ら。

 あまりにあっさりと出た許可に俺はぽかんと目を丸くして、二人を見返した。

 

「……あの……俺、知られてるんですか?」

 

「ええ、もう、有名ですから」

 

 再び顔を見合わせた兵士二人の何か含みのある笑顔。俺なにで有名なんですか。

 

 色々と不安になりつつも、とりあえず付いて行けるということは素直に喜んでおく事にした。

 ずりぃ!と怒ったルークに土下座する勢いで謝って、いってきますとみんなに一言かけてから、俺と大佐は一人の兵士さんの後についてテオルの森へと進んだ。

 

 

「あの、大佐……俺はなにで知られているんですか?」

 

 気になっていた事を、前方の少し離れた兵士さんに聞こえないように小声で話しかけると、大佐はいつもの人をバカにする顔で肩をすくめた。

 

「毎日毎日飽きもせず些細なことに脅えてあれだけの悲鳴を上げてればねぇ。有名にもなるんじゃないですか?」

 

 それとまあ顔だけは無駄に良いですし、とどうでもよさげに付け足されたフォローに涙しつつ、俺は懐かしの景色を噛み締めるように歩いた。

 

 大佐と一緒で嬉しいけど複雑な道のりです。

 

 

 

 

 そして。

 そして。

 そして。

 

「~~~……っ!」

 

 帰ってきましたグランコクマ!!

 

 流れる水の音に耳がじんと痺れる。

 俺が感動に目を輝かせて拳を握っているうちに、さっさと先へ進んでしまった大佐を慌てて追った。

 

 今度は置いていかれないように歩調を調節しながら、辺りを見回す。

 そしてここを出発したときと何も変わらない見慣れた町並みに、自然と口元が緩んだ。

 親書届けの旅がなんだかとんでもないことになってしまったけど、ようやく戻ってこられたんだ。

 

「グランコクマ~グランコクマ~、やっぱり良いですねぇグランコクマ!」

 

「あなた段々陛下に毒されてきてませんか?」

 

「だってグランコクマですよ! 大佐だってグランコクマ好きでしょう?」

 

「この短い時間に五回も連呼するほどは好きじゃないですねぇ」

 

 瞳のキラキラをそのままに笑顔で詰め寄ると、大佐は俺の額をぐいっと押して遠ざけた後、軽く息をつきながらそう言った。

 

 でも俺は知ってる。大佐もグランコクマが、マルクトが好きだってこと。

 そうじゃなければ誰があんな書類の山脈と格闘するものか。だって大佐だもの。

 

「うぃへへへ」

 

「気持ち悪いですよ」

 

「だってジェイドさぁん、グランコク…」

 

「はいはいはいはい。嬉しいのはもう分かりましたからそれ以上は結構です」

 

 

 そんな感じでずっと大佐にうざがられつつ、たどり着いたグランコクマ宮殿。

 ほとんど毎日通っていた見慣れた建物が今日ばかりは輝いて見える。

 

 途中すれ違う兵士という兵士、メイドさんというメイドさんが、魔王でも見たような驚愕っぷりで大佐を眺めていたが、まぁそれはそれ。彼らの内心は推して知るべし。

 だがその直後すぐに納得したような顔になったのはやはり「大佐だから」というやつだろう。正直俺もジェイドさんなら閻魔大王をミスティック・ケージで倒して地獄の底から帰って来れそうな気がしている。

 

 ひやりとした通路を歩き、階段を上る。

 現れた謁見の間入り口を前に、興奮ではちきれそうな心臓を押さえて息を飲んだ。

 

 扉が、開く。

 

 

「よっ。ひさしぶり」

 

 そんな、久しぶりに会うピオニー陛下はいつもどおりに笑っていた。

 はぁっと息を吐いて、俺は思い切り地面を蹴った。

 

「ピオニーさ、ガふッ!」

 

「ただいま戻りました、陛下」

 

 己で掛けたGと素早く掴まれた襟首が超クラッシュ。

 

 嫌な音がした首とか腰とかはさておき、襟を掴んだ張本人ジェイドさんが涼やかに告げた言葉を聞いて、ようやく玉座の周りに控える他の兵士や大臣たちの姿に気付いた。

 

 あたまをひやしなさい、と大佐の声ならぬ声が聞こえた気がした。そうだよ俺一般兵。

 慌てて背筋を伸ばし敬礼の姿勢をとった俺に、控えていたゼーゼマン参謀総長が苦笑するのが見えた。

 

 そして陛下が。

 

「いつもどおりでいいぞ、リック。……よく帰ってきた」

 

 いつもどおりの陛下の、いつもどおりのピオニーさんの笑顔。

 ソレを見て涙腺が一気に崩壊する。

 

「ぴっ、ぴおっ、ピオニーさぁんんー!!」

 

「あぁ泣くな泣くな。ジェイド、お前もごくろうだったな」

 

 言葉は“陛下”のものだったけど、その声色は間違いなく“ピオニーさん”だった。

 柔らかな語調にジェイドさんも幾分緩やかに微笑んで返す。

 

「ええ、残念ながら死に損ないましたよ」

 

「ハハッ、まったくだ。さて早速だがジェイド。色々と説明してもらおうか」

 

 その言葉を合図に友人としての対話を打ち切り、二人は皇帝陛下と大佐の顔で目を細めた。

 

 

 

 

 全ての話を終えて、謁見の間は静まり返っていた。

 どれもにわかには信じられないことばかりだからだろう。みんな思案するように顔を見合わせている。

 

 ダアトのヴァン謡将。バチカルのルーク。超振動に、パッセージリング。

 アクゼリュスの降下。クリフォトの存在。ユリアシティと、秘預言。

 

 それでもってセントビナーが危ないんですなんて、大佐が言うんじゃなけりゃ誰も信じやしない。

 陛下がもはや感心したように溜息をつきながらこめかみに指を当てた。

 

「現にアクゼリュスが崩落してなきゃ、よく出来た童話だと笑い飛ばしてやるんだがな」

 

「本当は怖いなんとやらですか? ですが、信じていただかないことには話になりません」

 

「まあ待て。信じないなんて言ってないだろ」

 

 陛下は周りの臣下たちを見回し、険しい表情を一転、勝気な笑みを浮かべて声を上げた。

 

「他の客人が到着次第、話を詰めようじゃないか」

 

 みんなが強く頷いて、各々やらなければならない事をするために、一旦 場を離れていく。

 

 俺も何か、と思い大佐に指示を仰ごうとしたところで、ふと陛下が満面の笑みを浮かべた。

 

「やっぱりな、ジェイドが死ぬはずないんだよ。こんなやつ殺したって死ぬもんか」

 

 大佐が生きていると信じていたのは陛下だけ、というネフリーさんの言葉が脳裏によみがえった。

 肩をすくめる大佐の横から、授業中の生徒のように手を上げた。

 

「陛下、陛下! 俺のことは?」

 

「……お前はちょっと死んだかなと思ってた」

 

 酷いよ陛下!

 

 うなだれた俺に、陛下は玉座を立って歩み寄ってくると、「わりぃ わりぃ」と笑いながら嬉しげに頭を撫でてくれた。

 ああ帰ってきたんだなぁ喜びを噛み締めていると、では、と“大佐”の声で切り出された会話にハッとして大佐のほうへ向き直る。

 

「リック。あなたはフリングス将軍と一緒にルーク達を迎えに行って下さい」

 

「りょ、了解しました!」

 

 そうだった。感動の再会は後だ。

 俺たちにはまだ、やらなきゃいけない事があるんじゃないか。

 

 ぴしりと敬礼を返してから、急いで謁見の間を飛び出した。

 

 

 今行きますから待っててください、みんな!

 

 

 



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Act23.2 - こんにちは新たな問題

 

 宮殿前まで飛び出すと先の広場に整列する少数名の兵士の姿が見えた。

 その先頭に立つのは、きらきら光る銀の髪。

 

「フリングス少将!」

 

 走りよりながら呼びかけると、振り返った彼は朗らかな笑みを浮かべた。

 

「リック」

 

「あのっ、俺も少将に付いてみんなを迎えに行けって大佐が! お久しぶりです お元気でしたか!?」

 

 よく大佐や陛下と交流を持っている方だという事もあって、幾分普段の偉い人ニガテ症候群はなりを潜めているけれど、それでもやっぱり上官だ。

 そんなわけでやはり緊張しながら脈絡のない台詞を吐いた俺に、少将は笑みを深めて敬礼をしてくれた。

 

「はい。貴方こそ、無事でなによりです」

 

 はっとして俺も敬礼を返しながら、温かい再会をじんと噛み締める。

 大佐、フリングス少将は今日も良い人です。

 

「ではリック一等兵。私たちは客人の顔を知りませんので、確認のため同行願えますか?」

 

「はいっ!」

 

 他の所属である俺が付いて行きやすくなるように部下たちの前で改めて指示を出し直してくれた少将の気配りに感謝しつつ、隊の端っこにひっそり混じる。

 

 自身、そんなに気にしてはいないが、三年前いきなり大佐直属に抜擢された一般兵の俺を快く思わない人もいた。

 

 いや、抜擢当初こそそんな意見が多かったけど、その後のこき使われっぷりを見て今は同情してくれる人の方が増えた。

 それでもまだ気持ちの奥のほうにくすぶる何かがある人もいるようだ。

 

 正直、正直なところを聞こう。本当に羨ましいのか。

 雨の日も風の日も一日一度は必ず譜術で吹っ飛ばされるこの生活が本当に羨ましいと思うのか。

 

 いやいやいや、俺はジェイドさんと一緒にいられるならば、例えフレイムバーストの中、スプラッシュの中、タービュランスの……。

 

「リック?」

 

「……いま行きます! ハイ行きますとも!」

 

 そっと目頭を押さえながら、俺は先を行く小隊を追って走り出した。

 やったね陛下! 明日はロックブレイクだ!

 

 

 

 

 だが陸側の出入り口についたところで、息を切らせて駆けてきた伝令の兵士が、他の兵士が今ルークたちをここへ連れて来る、という事を知らせてくれた。

 

 ていうか不審者を捕らえたからという話だったけど、それはルーク達のことで間違いないだろう。どうやら迎えに行く前に動き出してしまったらしい。

 ただ待ちくたびれたからと行動を起こす人たちじゃないから、きっと何かがあったんだ。

 

 入り口すぐのところにある橋で小隊と一緒に待機しながら、そわそわ落ち着きなく前方の様子を窺っていたらちょっと少将に苦笑いされた。

 

「不審者という段階なら兵たちも早々危害は加えないし、捕らえた者の中に死者がいるという情報も伝わっていないのだから、大丈夫ですよ」

 

「で、でも怪我はしてるかもしれないじゃないですか。微妙に死なない感じの大怪我とか! そしたら伝令の兵士さんは連絡くれますか!?」

 

「……どうでしょう……?」

 

 苦笑の色を一層濃くした少将から視線を外し、再びルーク達が来るであろう方向を眺めた。

 そしてずっと長く感じられた十数分の時間を経て、ようやく見えた赤色に、俺は目を輝かせた。

 

 興奮で顔を真っ赤にしてはくはくと金魚のように空気をはむ俺を少将が笑顔で振り返る。

 

「彼らで間違いないかい?」

 

「はい! ルークですっ!」

 

 距離が縮まるにつれて、その後に続くみんなの姿も視認できた。

 

 ああ、ナタリアさん、アニスさん、ティアさん。

 イオンさま、ミュウ。

 

 ガ……、

 

 

 やがて目の前までやってきた仲間たち。

 その中の、ぐったりとしている一人の姿に、俺は勢いよくルークに詰め寄った。

 

「そっ、葬儀の準備を ―――!?」

 

「いや死んでないから! 落ち着け! オマエことあるごとに動揺しすぎだよ!」

 

 ガイを支えているルークから全力でツッコまれて少し我にかえる。

 確かにガイに目立った怪我はない。気を失っているだけのように見えた。

 

 それでもまだ焦りまくりの俺を宥めるように、少将の手が肩にぽんと置かれる。

 

「ジェイド大佐から、あなた方をテオルの森の外へ迎えに行って欲しいと頼まれました」

 

 そう言った少将はまた緩く苦笑を浮かべて、その前に森へ入られたようですが、と付け足した。

 

 ティアさんの話を聞くと、森の入り口でマルクト兵が殺されたらしく、それを追って森へ不審者の追跡に入ったらしい。

 

 みんな意外と行動派だ。俺なら早々に逃げていただろう。

 ……兵士として失格にも程があると分かりつつも怖いものは怖い。

 

 

 そして肝心のガイについて。

 いつかシンクが掛けたカースロットというダアト式譜術が発動したらしい。

 

 しかももうかなり悪化してしまったようで、イオンさまは陛下への謁見はせず、ガイの術を解いてくれるという。

 

 体弱いのに大丈夫なのかなぁというイオンさまへの心配と、今現在カースロットに掛かっているガイへの心配が少しばかり胸の内で喧嘩した。でもイオンさまじゃないと解けないっていうし。

 

 葛藤は消えないけれど、とりあえずルークからガイを受け取った二人の兵士の内の

一人に変わってもらって、ガイの体を支えた。意識の無い人体の重みがなんだか不安だった。

 

 イオンさまと、護衛だから一緒に残るというアニスさんと一緒に、ガイを連れて宿へと向かおうとしたとき、ルークも慌てて前へ進み出た。

 

「俺も一緒に……っ!」

 

「……ルーク」

 

 それを遮ったイオンさまは、いずれ分かることですから、と辛そうに話を続けた。

 カースロットは決して対象者を意のままに操れる術ではない、と。

 

「元々ガイに、あなたへの強い殺意がなければ攻撃するような真似は出来ない。……そういうことです」

 

 その言葉を受け止めて驚愕に目を見開くルークに、解呪が済むまでガイに近寄ってはいけないと言い残し、身をひるがえしたイオンさま。

 

 俺は呆然と立ち尽くすルークと、イオンさまの背中を何度か見て、その後に同じように双方を見比べていたアニスさんと顔を見合わせた。

 でも一緒にガイを支えてくれていた兵士からの困ったような視線を受けて、とにかくガイを何とかしなくてはとルークに背を向けて歩き出す。

 

 背後に城下の散策を進めるフリングス少将の気遣わしげな声を聞きながら、俺達は宿の中へと入っていった。

 

 

 



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Act23.3-はじめまして 初めての、

後半にルーク視点


 

 宿屋の一室。

 ガイをベッドに寝かせた後、もう一人の兵士は部屋の外に待機しに行ったが、俺はイオンさまのご好意で室内の扉脇に控えていた。

 

 解呪の準備をするイオンさま。

 

 窓の外。

 

 それを手伝うアニスさん。

 

 窓の外。

 

 ぐったりと眠り続けるガイ。

 

 窓の外。

 

 

「……リック」

 

「なんですか? イオンさま。あ、俺も何か手伝えることがあれば……」

 

「いえ、あの、リック」

 

「はい?」

 

 なぜか苦笑するイオンさまに首をかしげて返すと、それまで会話を聞いていたアニスさんが拳を握ってわなわなと震えだした。

 

「さっきから動きがウーザぁあいー! もールークが気になるならここはいいから早く行きなよぅ!!」

 

 人差し指を突きつけつつ怒鳴るアニスさんはもう少ししたらトクナガを投げそうな勢いだ。

 俺はびくりと身をすくませて、精神安定剤がわりに右手を剣の柄にそえながら目を泳がせた。

 

「そ、そんな、ものすごく気になるってわけじゃないです」

 

「じゃあ一呼吸おきにチラチラ窓の外みないでよー」

 

「オレ目なんて開いてません!」

 

「嘘つくならつくでもっとマシなこと言わんかい!!」

 

 自分よりずっと小さな女の子に凄まれて泣きながら首を横に振る俺。

 

 そこでイオンさまが、「あの」と控えめに会話に割り込んだ。

 穏やかな笑みを浮かべる彼が言う。

 

「ここは大丈夫です、アニスもいてくれますから。だからリックはルークの様子を見に行ってください。僕からお願いします」

 

「イオンさま……」

 

 優しさに込み上げた涙をぐいと拭って、俺は身をひるがえした。

 部屋を出て、扉を閉じる寸前にイオンさまに向かって小さく敬礼をする。

 

「俺いってきます! ガイのことよろしくお願いします! ちゃんと蘇生してあげてください!」

 

「はい!」

 

「いやだからガイ死んでないってば」

 

 元気よく頷いたイオンさまの隣で半眼のアニスさんが ぼそりと呟いた声を最後に、扉が閉まる。

 外に控えていた兵士さんにまた敬礼をしてから、一気に走り出した。

 

 

 宿を飛び出して、きょろきょろと辺りを見渡す。

 

 目に届く範囲にあの赤色はない。

 少し考えてから、港のほうに向かって地を蹴った。

 

 ここから素直に歩いて行ったならたどり着くのはそのあたりだ。

 そしてルークはまず間違いなく、道なりに素直に歩いていっただろう、とこの旅の中で掴んだ彼の性格を考慮してそう結論付けた。

 

 そうでなくてもいきなりあんな話になって、放心状態だったはずなんだ。きっと裏道とかには入ってないと思う。

 

 

 確実にミュウは一緒だろうし、他にもたぶん誰かがルークに付いてる。

 深くて綺麗な青の瞳が脳裏を過ぎった。きっと、彼女が。

 

 

 見慣れた町並みを走り抜けて、港のほうへ渡る橋の手前まで行き着いたとき。

 視界に留まった赤色に、俺はとっさに足を止めて声を上げた。

 

「ルーク!」

 

 驚いて振り返ったルーク。

 そしてティアさんと、ミュウ。

 

 やっぱり一緒にいてくれたんだと安堵を覚える反面、頭をフル回転させて言いたい言葉をつないでいく。

 

「ガイはっ、ルークのこと嫌いなんかじゃ無いんだからな!」

 

 力いっぱい言い切ってからルークの傍まで歩み寄って、丸くなった翠の瞳を真正面から見つめた。

 

「そりゃガイは良い人だけど、すごい良い人にだって腹立つことくらいあるだろうし、嫌になったこともあるかもしんないけど、それでもガイはルークを――!」

 

「……リック、リック。 いや、その、なんつーか……」

 

 必死に喋る俺の言葉を遮って、ルークがなぜか気まずそうに頬をかく。

 その不可解な仕草に今度はこちらの目が丸くなった。

 

 ルークはしばらく視線を泳がせたあと、恥ずかしげに頬を赤くして俺を見た。

 

「それ、もうティアに言ってもらった」

 

 小さく零された言葉。 頭が真っ白になる。

 ……いや、え、……は?

 

 処理速度が一気に低下した頭で、今の状況を考え、理解した瞬間。

 

 今度は顔が真っ赤になった。

 自分でも分かる。耳まで熱い。

 

「ル……」

 

「……リック?」

 

 気遣わしげに俺の顔を覗きこんできたルーク。

 

 俺はその真っ赤な頭を、平手でべちりと叩いた。

 

「なにすんだよ!?」

 

「ルークの大馬鹿フォンファブレ!! ナニもカニもあるかよ!」

 

「はぁ!?」

 

「俺すっげぇ色々考えたのに! ……すっごい心配してたのにー!」

 

 ここに至るまでの葛藤やら苦悩やらが今となっては全部恥ずかしい。

 いつになく真面目な顔で街中を全力疾走してきた自分が泣くほど恥ずかしい。

 クリフォトがあったら入りたいほどいつになく恥ずかしい。

 

 ていうか俺がルークを慰めようと思ってたってことが何より恥ずかしかった。

 な、な、なんだよ、なぐさめるって。オレのくせになんてナマイキな。

 

 ぽかんとこっちを見返すルークと、目をぱちくりさせるティアさんやミュウの視線に耐えかねた俺は、頭痛がするほど熱くなった顔を俯けて全速力でルーク達の横を走り抜けた。

 

「お、おれ、先に謁見の間に行ってりゅから!!」

 

 ああもうまた噛んだ。

 

 今にもぐるぐると回り出しそうな目玉を必死に開いて、壮麗な水音が流れる街中を走り、背後から聞こえてくる俺を呼び止めるような声を振り切った。

 

 ていうか俺ルークのこと叩いちゃった。どうしよう。

 大馬鹿フォンファブレとか言ってファブレ家もろとも敵に回したかもしれない。

 

 さっきとは違う方向で嫌な汗を浮かべつつ、戻る事も出来ずに そのまま一気に宮殿の中へと飛び込んだ。

 

 

 

 

「あんた達か。俺のジェイドを連れまわして帰しちゃくれなかったのは」

 

 開口一番に炸裂した陛下節。

 呆気に取られた顔で固まったルーク達を見ながら、玉座の脇に控えた俺はじんわりと苦笑した。

 いやぁ、やっぱり陛下だなぁ。冷や汗が出るほど陛下だなぁ。

 

 さっそく陛下道を突っ走ろうとする陛下を寸でのところで大佐がいさめて、話はやっと本題に入った。

 

 やっぱりセントビナーは危ないらしいとか、それなのにマルクト軍は動けないとか、キムラスカからは事実上の宣戦布告を受けたとか。

 

 聞いているだけで気分が陰鬱になってくるような話がたくさん降ってくる。

 本当に戦争が始まってしまうのか、と俺が諦めにも似た溜息を零しかけた時。

 

 俺たちに行かせてください、と上がった声。

 

 助けにいかせてくれと必死に頼み込むルークとナタリアさんの姿に、緩く拳を握った。

 

 ルークはもうアクゼリュスのときとは違う。

 変わって、行くんだ。

 

(みんな)

 

「……俺の大事な国民だ。救出に力を貸して欲しい」

 

 玉座を立ってルークの傍まで歩み寄った陛下はめったに見ない真面目な顔でそう言った。

 

 そして議会を召集するからと陛下は後の事を大佐に任せて、謁見の間を出て行った。

 

 

 その後に続き部屋を出ようとするみんなの後に俺も続こうとすると、大佐がふと振り返った。

 

 目を丸くして立ち止まる。

 何かやらかしただろうか、さっきルークに無礼を働いてしまった件だろうか、と不安になっていると、真剣な表情を浮かべたジェイドさんが俺を見た。

 

「あなたはここに残りますか?」

 

 その言葉に、俺はすでに丸くなっていた目をさらに丸くした。

 だけど深い赤の奥にある意図を読み取って、眉を顰める。

 

 ルーク達は今から、住民を崩落から救うためにセントビナーへ行く。

 でも俺の元々の任務は、バチカルまで親書を届ける間の護衛。

 

 ただ親書を届けた後も大佐やルークが行くならば、と同行していたが、こうなってくると元々の任務とはかなり方向性が違ってしまう。

 

 無理に着いてくることはない。

 この途方もない大きな流れから反れるなら今なんだと、赤い目が言っていた。

 

 でも、大佐。俺、前にも言ったじゃないですか。

 

「俺も行きます」

 

 口元を緩めて、噛み締めるようにその言葉を口にした。

 

「大佐や、ルークや……みんなが行くなら、俺も、行きます。今更、部外者だなんて言わないでください」

 

 めずらしく強気な顔で笑って見せれば、大佐はわずかに苦笑して、あとは何も言わなかった。

 

 すいと身をひるがえして外へ向かった背中。

 それを少しの間目で追いかけてから、俺も後を追って歩き出した。

 

 揺れる金茶の髪を静かに眺める。

 

 いつか俺がいった言葉を、貴方は覚えているだろうか。

 

 

 ( 大佐 俺けっこう ―― )

 

 

「幸せだと、おもいます」

 

 

 だから、ジェイドさん。そんな“チャンス”は俺には必要ないんです。

 

 小声で呟いたそれは少し前を歩くあの人には届かない。

 とりあえずそれでも構わないかと、力の抜けた情けない笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

*****

 

 

「ルーク」

 

 宮殿から出ようとしたとき、掛けられた声に反応して顔を上げると、二階にある謁見の間正面の踊り場から身を乗り出すピオニー陛下がいた。

 気付かず先に行ってしまった仲間を少し見てから、ルークは足を止めた。

 

「えっと、何ですか?」

 

「あいつのこと頼むな」

 

 ピオニーはそう言ってにかりと笑う。

 何の事かと慌てて考えて、まず浮かんできたジェイドの姿を打ち消した。彼のことをいうには少々言い方が砕けている。

 

 どちらかというと、子供か何かを頼むような。

 

 あ、と声を上げかけて代わりに思い当たった名前を口にした。

 

「リックのことですか?」

 

「ああ。俺やジェイド以外で、あんなに懐いてんの珍しいからさ。臆病すぎてちょっと面倒かもしれねぇけど」

 

「それはもう」

 

 即答すると、ピオニーは「うはは!」と皇帝らしくない軽い笑い声をあげてから、ふと柔らかな笑みを浮かべた。

 それはどこか兄のような顔で、ルークは僅かに目をみはった。

 

「あいつさ、俺にしてみりゃ弟分……つか、甥っ子みたいな感じなんだわ。ジェイドのやつもあれで結構可愛がってるしよ」

 

 だから、とピオニーが続けかけたとき、一度閉まったはずの入り口の扉が軋んだ音を立てて開いた。

 そこからひょいと顔を覗かせたのは今話題に上っていた張本人。

 

「ルークなかなか来なかったから、む、迎えに」

 

 先ほどの一件が気まずいのか、はたまたルークに怒られると思っているのか、微妙に挙動不審なリックをまじまじと見つめてから、ルークはピオニーに返すように笑った。

 

 そしておもむろにリックの肩に勢いよく腕を回して、ピオニーを振り返る。

 

「大丈夫です、任せてください」

 

 驚くリックを無理やり抱え込んだまま、ルークは目の前の扉を押し開けた。

 同時に外から入り込んできた太陽の光が、二人の子供を照らす。

 

 

「―― 俺たち友達なんで!」

 

 

 

 

 

 一拍遅れであたりに響いたリックの言葉にならない叫びを残して、開いた扉はすぐ、微かな音を立てて閉じた。

 

 そしてピオニーは満足げにひとつ笑ってから、己の為すべきことをするために、宮殿の奥へと戻っていった。

 

 





▼リックは称号『ともだち』を手に入れた!
パシリじゃない。部下じゃない。レプリカじゃない。
初めての “ともだち”


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Act23.4 - いってきます答えを探しに

 

 ガイの様子を見るために宿へ向かう道すがら、大佐の少し後ろを歩きながら、俺は熱に浮いた頭で前を行くルークの背中を眺めていた。

 カースロットは殺意がなければ云々という話についても言及しなければいけないせいか、歩く姿は普段よりぎこちない。

 

 だけどこっちは正直その件についてさほど心配をしていなかった。

 ここまでの行動を見てる限り、今のガイがルークを殺そうとすることはない気がするのだ。

 

 どんなに演技が上手い人間だって、嫌いな人間に対するときは仕草やら雰囲気やら、どこかに違和感は現れる。

 俺はビビリだから、人が怒ってる気配なんかに気付くのはわりと得意だけど、ガイにはそういう兆候は全くなかった。ていうか、どちらかといえばアッシュといたときのほうが怖かったなぁ。

 

 ガイの絶対零度を思い出して軽く身震いをしてから、意識を元々考えていた事柄へと引き戻す。

 

 そうだ。ルーク。

 さっき宮殿でルークが。

 

 『 俺たち ―― 』

 

 思い出すだけで顔が熱くなる。

 

 き、聞き間違いじゃないよな。

 または俺の向こうにブウサギがいたとかってオチでもないよな。

 

「……ともだち」

 

 ちいさくちいさく口に出してみると、それはすごく胸が躍る言葉だった。

 

 何度かそれを口に中で繰り返して、ふひ、と締まりのない顔で笑った俺の後頭部を、いつのまにか横にいたジェイドさんが軽くひっぱたいた。

 

 はっとして口元を手で押さえるも、すぐ緩んでいく。

 

 友達。

 俺とルークは、ともだちなんだ。

 

 やはり今にも舞い踊らんばかりの俺に、ジェイドさんはもう呆れたように笑って肩をすくめただけだった。

 

 

 

 だが、宿ではそんなお花畑気分を吹き飛ばす衝撃の新事実が俺を待っていた。

 

「あなたが公爵家に入り込んだのは復讐のためですか? ガルディオス伯爵家、ガイラルディア・ガラン」

 

 淡々と告げられた大佐の言葉に、ご存知だったって訳か、と静かに返事をするガイ。

 すっかり固まっていた俺は、それを聞いて弾かれたようにガイが座るベッドの端にへばりついた。

 

「伯爵さまっ!」

 

「……は?」

 

「今まで! 数々の無礼を! お許しくださいぃいい!!」

 

「い、いいよ! いいから! 気持ち悪いし!!」

 

 青い顔で首を横に振るガイ。

 そしてばっと寝台から離れて土下座しようとした俺の襟首を大佐がすばやく掴んで止めた。

 

「私、なんだか既視感を覚えるんだけど……」

 

「……あー」

 

 微妙に動揺した声でぽそりと呟いたティアさんの言葉に、顔を赤くしたルークが、ばつが悪そうに頬をかいたのが視界の端に見えた。

 

 ところで今ので首が痛いです大佐。

 

 

 

 

 ガイの話を聞いて俺は、ほらね、と言う代わりにルークをみて微笑んだ。

 

 

 結局イオンさま共々みんなでセントビナーに向かう事になった俺達は、ついさっきグランコクマを出た。

 懐かしい町を再び離れることに寂しさもあるけれど、また帰ってくるんだからと自らを奮い立たせる。

 

 いま前のほうでガイと何か話しているルークの顔にはまだ若干の不安が滲んでいたが、さっきよりはずっと和やかだ。

 それに、信じているからこそ心配になることもある。ルークはもう大丈夫だろう。

 

 ひとつのことに安心すると同時に、浮かぶのは別の苦さ。

 僅かに眉尻を下げて、ルークとの会話を終えたばかりのガイの腕を後ろから引いた。

 

「リック? どうした?」

 

「いや、あの、ガイ……あのさ」

 

 歯切れの悪い俺を見てなにやら察してくれたのか、自然な動きで列の後ろに下がってくれたガイは本当に良いやつだと思う。

 

 そして俺たちが最後尾。

 先をゆくみんなと少し離れたところで、あらためて「どうした?」と聞きなおしてくれた。

 

「き、聞きたい事があるんだけど」

 

「ああ、なんだ?」

 

 浮かべられたさわやかな笑顔に一瞬ひるむも、意を決して口を開く。

 

「やっぱり家族を奪われたら、許せないか?」

 

 すると向こうが意表をつかれたように真顔になったのを見て、やっぱり聞くんじゃなかったと後悔した反面、ちゃんと聞けと僅かな理性が俺を責める。大きく息をのんだ。

 

「奪った相手は一生憎いか? 許せないのか? ……ああいや違う、許せない……もの、なんだよな」

 

 混乱気味に言葉を吐き出す。

 アッシュに被験者の気持ちを聞いたときから進歩がないのが丸分かりだ。

 

 こんなこと、聞かれた相手はさぞ困っているだろうと恐る恐る顔を上げる。

 

「そりゃ……」

 

 だが何やら言いかけたガイは、ふとその口をつぐんだ。

 

 そして。

 

 ぽん、と俺の頭頂部を過ぎた暖かな重み。驚いて見上げると、彼は静かに笑っていた。

 

「いくぞ、リック」

 

 微笑みながら俺の肩を軽くたたいて、先を歩き出す。

 俺は叩かれたところにそっと手を当て、前をゆく背中を見つめた。

 

 我知らず瞳がきらきらと輝く。

 

 

 ジェイドさん、俺、おかあさんと呼べる人をみつけました。

 

 

 




偽スキット『ガイラルディア・ガラン・ガルディオス』
リック「ガイの本名すごいなぁ、えぇと、ガイラルd 」
がちっ
ガイ「……噛むの早いなぁ」
リック「だって長いんだよ! ガイラルディ…なんだって?」

ガイ「ガイラルディア・ガラン・ガルディオス」
リック「ガリラルリ、ガラ……」
ガイ「いや言えてないから」

リック「もう一回言ってくれ」
ガイ「ガイラルディア・ガラン・ガルディオス」
リック「ガリラレデ…」

ガイ「いやだから、ガイラルディア・ガラン・ガるッ、 」

噛んだ。


《b》偽スキット『ガイラルディア・ガラン……』《/bb》
リック「ホド出身 元マルクト貴族 現在 公爵子息護衛剣士ガイ・セシルことガリラルデ……ルデウス華麗に勝利! ……でどうだ?」
ガイ「やっぱ言えてないぞ」

もう元がなんだったのかすらよく分からん。(By.ガイ)

オラクル騎士団 導師守護役 所属アニス・タトリン奏長 勝~利。


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Act24 - 大暴走 イン セントビナー

 

 セントビナーにあるマルクト軍基地。

 俺たちがそこへ駆け込んだときには、マクガヴァン元元帥とそのご子息のグレン将軍が口論の真っ最中だった。

 

 住民を逃がすべきか留まるべきかということで意見が真っ二つだったようだが、ピオニー陛下から勅命が出ていることをルークに聞くと、街を離れる事に反対だったグレン将軍は渋々ながら了承した。

 

 おもいきり顔を顰めているくせに、大佐が指示を出すとすぐに頷いて動き出した彼が俺たちの横を通り過ぎるとき、俺が明らかにぶすくれたまま敬礼をすると、グレン将軍もまた嫌そうな顔でさっと敬礼を返して、部屋から出て行った。隣で大佐が小さく溜息をつく。

 

 お互い舌すら出しそうだった様子に、父である元帥が軽快に笑い声を上げる。

 俺はその声を聞いて、はっと表情を引き締めた。

 

「お、おひさしぶりです、マクガヴァン元帥!」

 

「もう元帥ではないと言っておるだろうに。いやそれにしても久しいのう! 前会ったときよりだいぶ大きくなったか?」

 

「あの、俺六年前くらいからサイズ変わってないです」

 

 そして元帥と最後にお会いしたのは一年前な気がします。

 かつての名将に大変、大っ変失礼だと思うが、これはもしや、ボ……?

 

 そんな不安を持って見上げた上司はいつもの顔で笑っていただけだった。元帥がまた笑い声を零す。

 

「まぁまぁ、大きくなるのは体だけじゃないとな。それではわしも街の皆に避難の話を伝えてくるわ」

 

 それだけ言うと、元帥は御年に見合わぬ機敏さで、息子同様に部屋を飛び出していった。

 

 告げられた言葉の意味を理解できずに目を白黒させていると、ティアさんの「私たちも手伝いましょう」の声が耳に届いて、俺も急いで身を翻らせた。

 

 

 騒然とする町並みの中を歩きながらふと横に並んだアニスさんが、こちらを見上げて、めずらしかったね、と零した。

 

「なにがですか?」

 

「リックが上官に態度悪いの」

 

「ああ」

 

 グレン将軍とのことを思い出して、俺は表情を歪めた。

 確かに彼も上官だからああいう態度を取るのはわりと心臓が凍る思いなのだが、それでもあれを崩さない訳は一応ある。

 

「あの人はジェイドさんのこと嫌いですから」

 

 すねたように呟くと、今度はアニスさんが「あぁ」と納得したように苦笑する。

 その顔から、俺はふいと目をそらした。

 

「だから俺もあの人きらいです」

 

 そらした視線を、空から、地面へ。

 うろうろと落とした先で、歩くスピードに合わせて過ぎて行く花壇。

 

 咲き乱れる色とりどりの花を見ながら、俺は不服げに口元を尖らせた。

 

「……でも、あの人は嫌いだって気持ちを真っ向からぶつけてくれるから、そのへんはジェイドさんのこと嫌いな人たちの中では、……いいと思う」

 

 グレン将軍は、良くも悪くも真っ直ぐな人だ。

 だけど正直に認めるのが少しばかり歯がゆくて、きらいだけど、ともう一度 最後に被せた俺をみて、アニスさんはちょっと意地悪く笑う。

 

「グレン将軍が大佐に感じてるのもそんな気持ちだよ~、きっと」

 

 そしてそう言われてしまえば、俺はもう必死に作っていた渋い顔を崩して、情けなく眉尻を下げるしかなかった。

 

 

 

 

 みんなに的確な指示を飛ばす大佐。

 それを受けて動くみんなと、ルーク。

 

 アクゼリュスのときの姿は見る影もない。

 時折大佐に聞きながら、でも自分で考えて、頑張って動いているルークの姿を見つめる。

 

 そうして寸の間物思いにふけっていると、すぐに大佐から檄が飛んできて、慌てて子連れのお母さんの手を引いて外へ誘導した。

 

 そうだった。ルークが動くようになったからって俺が動かなくなってどうするんだ。

 街の人間を全て避難させるには誘導側の数が絶対的に少なすぎるんだから、頑張らないと。

 

 

 今いる人材をフル活用して作業を続けること、はや数時間。

 まだだいぶ人は残っているけれど、それなりに流れが落ち着いてきたころのことだった。

 あいつが現れたのは。

 

「ハーッハッハッハ! ようやくみつけましたよジェイド!」

 

 世界一空気の読めない男が来た!!

 

 街の中で誘導をしていた俺は、外へ促そうとしていた住民を慌てて呼び止めた。

 

 一旦奥へ戻ってくださいとみんなを門から遠ざけてから、戦闘の気配を感じ取るや飽きずに震えだした己の手を握り締め、門の外で奴と対峙する大佐たちのほうへ向かう。

 

 だけど外の大佐たちと中の俺との間を阻むのは、あのでっかい奴。

 意を決して、例のへんてこな譜業兵器の横を通り抜けようと、そっと足を踏み出した。

 

 その間ディストと会話をする大佐の、昔からあなたは空気が読めませんでしたよねぇ、の言葉に密かに頷いてみる。いや、昔は知らないけど。

 

 ちなみに向こう側からは俺の姿も丸見えだ。少し視線をずらせばディストもすぐ気づくだろう。そのせいか、ルークが少しはらはらした様子でこっちを見ている。

 大佐が気を引いてる間に向こうに行かないと。

 

「それよりそこをどきなさい」

 

「へえ? こんな虫けら共を助けようと言うんですか?」

 

 抜き足、差し足、忍び足。

 もうすこし、もうすこしでみんながいるほうに……!

 

「ネビリム先生のことは、諦めたくせに」

 

 瞬間。

 

「……お前は、まだそんな馬鹿な事を ――!」

 

 ばちり、と己の中のどこかがショートしたような音が聞こえた。

 

「ふざっけんなぁー!!」

 

 気付けば自分が居る場所が譜業兵器と門の壁のあいだであることも忘れて叫んでいた。

 しかし状況のまずさを認識できないくらいに、頭には血が上っている。

 

 とりあえず向こうで大佐が何ともいえない顔でこめかみを押さえているのと、ルークたちが慌てているのだけは見えた。

 

 だが構わずに、浮く譜業椅子に座るディストをびしりと指差した。

 

「ジェイドさんは変わった! 変わろうとしてるんだよ!」

 

「……毎度毎度、本当に何なんですか? 貴方は」

 

「それをお前が邪魔すんなよ! ジェイドさんを好きなお前が、邪魔すんな!」

 

 俺の存在に気付いたディストが、大佐に向ける視線とは正反対の冷たい目で見下ろす。

 ぎゃんぎゃんとわめく俺の声を聞いて、やかましげに顔を顰めた。

 

 そしてはたと何か考え込むように顎に手を当てたかと思うと、さらに眉間の皺を深めて俺を見る。

 

「ああ、思い出しましたよ。あなたジェイドがおかしくなる直前に作られていたレプリカですね」

 

 さっき以上に嫌悪感の増したディストの目を真っ向から睨み返す。

 

 正直いえばこのとき、俺の頭に言葉の意味は入ってきていなかった。

 脳にあったことと言えば、ジェイドさんジェイドさんジェイドさんルーク、ジェイドさんジェイドさん、くらいのもので。

 

 だから向こう側のどよめきも、すっかりまったく、これっぽっちも気付いてなかったんです。

 

「ジェイドさんは変わったんだ!」

 

「変わる? ネビリム先生を忘れる事が変わるということなら、私は認めませんよ」

 

「うるせー! おまえなんかブウサギに蹴られて全治三週間の怪我しちまえ!」

 

「中途半端な優しさが かえって怖いですよ!! そこまでいったら死ねくらい言いなさい!」

 

 ちょっと青い顔で椅子のひじ掛けを叩くディストを見上げる視界が、徐々ににじんでいく。

 

 ルークだけじゃないんだ。

 ルークが変わったことで、みんなが変わりだしてる。

 

 みんなみんな。

 ガイも、ティアさんも、……ジェイドさんも。

 

「せっかく変わろうとしてるジェイドさんの傍に、変われないヤツがいて足ひっぱったらダメなんだよ!」

 

 ぼろぼろと零れるものをそのままに再びディストを睨み上げる。

 

「わ、私は……ジェイドの足なんて、引っ張ってません!」

 

「ちげぇよオマエがどうとか知るかよ俺の話だ!」

 

「いつからあなたの話になったんですか!?」

 

「なんか途中からだよ!」

 

 そこで一度ぐいと目元を拭ったが、またすぐにあふれ出してきた。

 

 だって、ルークだけじゃないんだ。

 ジェイドさんだって変わろうとしてる。頑張ってる。

 

 俺だって。

 

「……かわりたいんだ」

 

 ジェイドさんとルークの傍に、いたいんだ。

 

「だけどこのままじゃダメなんだよ! 足手纏いなんだ! 俺もっ、オレも、変わらないと」

 

 ちがう。

 変わりたい。変わるんだ。

 

 俺も、変わりたいんだ。

 

「だから、だからっ ―― うわあんチクショウこのハナタレディストー! ばーかばーか! 分かれよ!」

 

「んなななななぁんですってー!? 誰がハナタレですかこの小者レプリカー!!」

 

 ディストの雄叫びに反応するように動き始めた譜業兵器。

 

 ここまでくると俺もやけくそだった。

 腰に下げた剣を引き抜いて、目の前のへんてこロボットに切りかかるべく、思い切り地を蹴る。

 

「だぁりゃああ!」

 

 

 

 

 どよめく数名の仲間と、驚かない数名の仲間。

 そのどちらの反応にも納得して、ジェイドは軽く目を伏せた。

 

 視界が瞼の裏に消える直前、ただ緑の髪の子供だけは、驚きながらもどこか腑に落ちたような顔であの珍妙な譜業と切り結ぶ子供を見つめていた。

 

 そして今の状況の頭の痛さを改めて認識してから、再び瞳に世界を映す。数舜前と変わらぬ光景がそこにはあった。

 

「ちょっとちょっとっ! リックもレプリカってどういうことなワケ!?」

 

「……言ってませんでしたかねぇ」

 

 混乱したように声を上げたアニス。

 当の本人はそれどころじゃないようなので、代わりにさらりと答える。

 

 そしてめずらしく自分の意思で無鉄砲に飛び出していった臆病者の姿に溜息ついて、自分の周りにスプラッシュの構成を作り上げながら、ジェイドはすいと手を掲げた。

 

 




>さらりと答える。
いや、答えになってないし。(By.アニス)


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Act24.2 - 俺でも できるもん

 

 気付くと、俺の周りではみんなが戦っていた。

 

 ナタリアさんの弓がへんてこロボの足のジョイントに亀裂を入れ、動きが乱れた隙を狙ってルークが攻撃を仕掛ける。

 あたりに響くのはティアさんの譜歌で、続くように攻撃をしているのはガイとアニスさんだ。

 

 俺はなにをしていたんだっけ、と熱くなっていた頭が徐々に平静を取り戻して行く中、周辺で高まり出した音素を感じて、俺はへんてこロボの頭のてっぺんに突き刺していた剣を引き抜き、跳び箱のように手を付いて後方へ跳んだ。

 

「スプラッシュ!」

 

 その声が耳に届いたのと、俺が地面に着地したのはほぼ同時だった。

 背後から大きな物に水が叩きつけられる音が聞こえる。

 

 正面に、こっちの様子を伺っている不安げな住民たちの姿が見えた。

 

 誰も怪我をした人がいなさそうなことを確認してから後ろを振り向くと、そこではあのへんてこロボがバチバチとショートしながら、その場に倒れ伏すところだった。

 

 あいつがいたのはちょうどセントビナーの門の中間。

 巨大な譜業兵器の重量を受けて、象徴的だった街の門がオモチャのように崩壊していく。

 

 いや、まって。ちょっとまって。

 さっと顔が青ざめる。

 

 当然ながら門は積み木製じゃない。

 たくさんのレンガで出来たそれが、今、落ちてくる。

 

 そして俺がいるのは門のすぐ傍だ。

 

「ィイヤァアアー!!」

 

 右手に剣だけ握り締め、全力で街のほうへ退避した。

 すぐ後ろからごすんごすんと嫌な音がしたが振り返らずに走りきる。

 

 そして地面に思い切りスライディングをしたところで、俺は肩越しにそろりと門のほうを窺い見た。

 まず分かったのはレンガが落ちてくる範囲はとっくに出ていた事だ。逃げすぎだった。

 

 次に、遠くに消えて行く例の浮遊椅子。彼に対して己の取った言動を思い出し、今更だが背筋が冷える。

 どうもあの人が相手だとストップがきかなくなってしまうなぁ。それはきっとあの人もジェイドさんが好きだからなのだろうと思う。

 

 はぁと息を吐いて立ち上がりながら、スライディングのせいで土まみれになった服を払う。

 持ちっぱなしだった剣を柄に収め、住民の皆さんに向けて(色々気まずかったので)へらりと笑ってからみんなのほうへ向かって歩き出した。

 

 指令も状況も立場も無視したあの行動を大佐にどう謝罪すべきか、やはりタービュランスだろうかと肝を冷やしつつ足を三歩進めたところで、地面が、ぐらりと揺れた。

 

 また地震だ最近ほんとうに多いなぁ、なんて見当違いのことを考えたのも一瞬で、俺が今歩いてきたばかりの場所が激しい揺れと音を伴いながら割れていくのを見て、零れんばかりに目を見開く。

 

 崩落の二文字が脳裏を過ぎった。それはもう何回も過ぎった。

 

 まだ街の皆さんがいらっしゃるのに、と戻りかけたときには、幅跳びではどうにもならないほどの亀裂が俺と街の間に横切っていた。

 

 アクゼリュスの光景を思い出す。

 

 助けられるかもしれなかった子供。

 助けなかった自分。

 

 助けられなかったんじゃない。

 俺は自分の意思を持って、“助けなかった”んだ。

 

 だって、俺は。

 

(しにたくない、から)

 

 跳べと急かすのは変わりたいと願った気持ち。

 目を瞑ってしまいたいと思うのは俺。

 

 その真ん中で地面同様にぐらぐらと揺れる。

 

 変わりたい。怖い。変わるんだ。怖い。

 それはルークの目を見る事が出来なかったあのときの葛藤とよく似ている。

 

 震える足に力を込めた。

 

 でも変わるって決めたじゃないか。

 いま変われないやつがいつ変わるんだよ。

 

 ばこん、という音が耳に届く。

 

 そりゃ、全てが劇的に動くわけじゃないけど、ここで足を踏み出せばきっと、なにかが変わ……、

 

 ……ばこん?

 

 

 気づいた時には、体の角度は斜め四十度。

 

「ひ……ッ!?」

 

 すっかり考え込んでいた俺は崩落の範囲が広がっている事を全く分かっていませんでした。

 

 足元をぎりぎり支えていたレンガのひとつが、揺れに耐えかねて外れた音。

 さっきのばこんの正体に思い至りつつ、脳内を巡るのは走馬灯。らんらん、らんらららんらんら……、

 

「リック!」

 

 耳に届いた呼び声に、はっと我に返った。

 

 下にはどこまでも真っ暗な魔界。

 落ちたら当然、助からない。

 

 再び上げかけた悲鳴を飲み込んで、俺は死に物狂いで岸壁にしがみついた。

 そしてむき出しになった地層を全力で蹴り上げ、陸に上がる。火事場の馬鹿力ってこれを言うんだ。

 

 亀裂脇の地面にはいつくばって、涙目で息を荒くしている俺のところに駆け寄ってきた仲間たち。

 視界の端に見えた青色の軍服に迷わず飛びついた。

 

「大佐ー! 大佐ーぁ!! 怖かった! すんごい怖かった! 走馬灯で大佐が観音様みたいな笑顔を浮かべて俺の頭を撫でてくれててさらに怖かったです!」

 

「それは走馬灯じゃなくて妄想です」

 

 心底冷えた真顔でそう切り捨てた大佐は、腰元に抱きつこうとする俺の顔をアイアンクローで押さえながら疲れたように溜息を吐く。

 

「……いっそ落ちていたほうが静かで良かったかもしれませんねぇ」

 

 今からでも遅くありませんがと続けた大佐のわりと本気な感じの声色にびくりと身をすくめたのも束の間、対岸のみんなを心配げに見ていたルークが怪訝そうに首をかしげた。

 

「だけどジェイド、焦ってたじゃん。さっきリックの名前呼んだのお前だろ?」

 

 あっけらかんと告げられた言葉に大佐の動きが止まる。

 

 俺はそれを聞いて、さっきの声を思い出していた。

 落ちかけたとき、俺を呼んでくれたあの声は確かに、このひとのものだった。

 

 そう気付いて、ぱぁっと顔が明るくなる。

 

「ジェイドさん……! 俺のこと心配してく ぅいだだだーァ!!」

 

 両こめかみにばっちり決まったアイアンクローの指が一気に力を増した。槍使いの握力は半端じゃない。

 

 俺が久方ぶりに綺麗なお花畑に足を踏み入れている傍らで、マクガヴァンさんたちが、とルークの荒げられた声が聞こえた。

 飛び降りて譜歌を歌えばと提案するティアさんの言葉を聞いて、大佐は俺をぺいっと投げ捨ててから彼女を制した。

 

 

 ……あ、おひさしぶりですユリアさま……

 ところでそちらの銀髪の美しい女性はどなたなんですか……?

 

 

 



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Act25 - カツ丼ひとつお願いします

 

 セントビナーに取り残された住民を助けるために、ガイの提案からシェリダンへ行くことになった。

 そこでは浮力機関を使った飛行実験をおこなっているらしい。

 

 音機関が空を飛ぶなんて信じられないけど、さっき空飛ぶ椅子で逃げた奴のことを考えるとあながち無茶でもないような気がして少し複雑な気分になる。

 

 シェリダンに向かうためにはタルタロスまで戻らないといけない。

 そんなわけで俺達は現在、足早にローテルロー橋へと向かっていた。

 

 イオンさまがちょっと辛そうなのが心配だったが、残された住民たちのことを考えるとあまりペースを落とすわけにも行かずにただ眉尻を下げる。

 

 俺が背負ってもいいんだけど、そう言ったところできっと彼は首を縦には振らないだろう。

 彼もまた儚げなようで、その実けっこう頑固だと知ったのはこの旅の中でだ。

 

 とりあえず気だけは配っておこう、と一人ひそかに頷いてから、ふと気付く。

 

「……な、なん、です、か?」

 

 左右から突き刺さるじっとりとした二対の視線。

 そして苦笑しつつも決してこちらを見ないガイ、ちょっと心配そうなティアさん、あからさまに目を泳がせるルーク。

 

 場に満ちる妙な空気に動揺しながら後ろの大佐を振り返るが、大佐はいつもの笑顔で「あぁあんなところに小ぶりなオタオタが」なんてわざとらしい事この上ないオタオタウォッチングをしていた。

 

 なんだ。なんなんだ。脳がエラー音を発しながら、懸命に動いているのが分かる。

 このどうあっても逆らえない女性陣二名にこんな目で見られるような何を俺はしたんだ。

 

「水臭いですわよ、リック」

 

 ナタリアさんがちょっと怒ったように腕を組んで俺を見た。

 そんな動作すら優雅に映るのはやはり王族の気品というやつなのだろうか。

 

「どうしてわたくし達には言ってくださらなかったのです! ティアもガイも知っていたのでしょう?」

 

「な、何がですか?」

 

「はい敬語っ!」

 

「ごめんなさい!」

 

 テイクツー。

 

「……なにがだよ?」

 

「ちゃんと説明してよねっ」

 

 だがそれに答えたのはナタリアさんではなく、右隣にいたアニスさんだった。彼女もめずらしく怒った顔をしていて、俺は殊更慌てた。

 オ、オレなにかよっぽどのことを……。

 

「リックもレプリカって本当なわけ?」

 

 思考が止まる。

 

 そしてチッチッチッチッ、と時計針の音が頭の中を駆け巡り、言われたことを一文字ずつ三回くらい繰り返して、

 

 最後に、チーン、と小さな鐘がなるような音がした。

 

「えぇええええー!?」

 

 勢いよく己の頭を両手で押さえた俺の脳内には、なんで、という言葉。

 

 なんでバレたんだ。

 なんで俺どこでそんな。

 いやそもそもなんで俺アニスさん達には言ってなかったんだっけ。

 なんでなんで。

 

 ぐるぐると大混乱な俺をさすがに気の毒に思ったのか、アニスさんは幾分柔らかい声で「しょうがないなぁ」と言って息をはいた。

 

「リックは頭いっぱいで気付いてなかったかもしれないけど、セントビナーでディストが言ってたよ」

 

「な、なにを……!」

 

「なんか思い出したーって。『あなたジェイドがおかしくなる寸前に作られていたレプリカですね』とかなんとか」

 

 ディストのまねをしながら台詞を再現したアニスさんの様子と、その内容を受けてわずかながら心臓が落ち着きを取り戻す。

 

 そういえばそんなことを言っていたかもしれない。そうだ、“俺”にしてみればそれは特別なことじゃなかった。

 だから俺は、それを“隠さなきゃいけない相手”がいたことをすっかり忘れていたんだ。

 

 事の次第を把握して、あらためて襲い来る冷や汗。

 後ろを振り向けません陛下。

 

「しかもルーク達は知ってた風だしさ、大佐は大佐で『言ってませんでしたかねぇ』だもん、腹も立つって。私たちにもちゃんと説明してよね」

 

 やっぱり大佐のほうは向けない。

 俺はちょっと俯いてから、ナタリアさんとアニスさん、イオンさまを見た。

 

 ごめんなさい。やっぱり俺は、みんなにちゃんと話したいです。

 

 『 誰にも言ってはいけません。いいですね 』

 

 俺はまた約束を破ります。

 ごめんなさい、ジェイドさん。

 

 本当に、ごめんなさい。

 

 最後に一度、強く目を瞑った。

 

 

 ルーク達にはアラミス湧水洞でレプリカだと話した事を先に、そしてそのとき話したことを同じように説明すると、アニスさんが短く息をはいてから半眼で俺に詰め寄ってきた。

 

「ねぇ、リックもアッシュのレプリカだとか言わないよね」

 

「まさか! どこも似てないじゃないですか」

 

 どことなく据わった瞳にちょっと後ずさりしながら首を横に振る。

 髪の色も目の色も、残念ながらどこも彼らと符合するところはない。俺が作られたのは十年前だから時期も合わないし。

 

「じゃあ大佐のレプリカとか?」

 

「そんな怖いことないです」

 

「もしこれが私のレプリカだったらすぐに抹消してます。いやぁ、アッシュの気持ちが分かりますねぇ」

 

「ええ!?」

 

 ずばりと切り落とされる口調に思わず大佐を振り返ってしまった。

 しかしそこにはやはりいつもの笑顔。今はそれが無性に怖いです。

 

「じゃあじゃあっ、実はガイのレプリカだったり!?」

 

「俺か!?」

 

「もう何一つ情報が かすってないですよ!?」

 

 すっかり傍観者のつもりでいたらしいガイが突然の指名に目を見開く。

 その脇で俺はぶんぶんと何度も首を横に振っていた。

 

 するとアニスさんは少しほっぺたを膨らました。

 

「だってここ最近ホント色々ありすぎぃ! もうなんでも有りな感じなんだもん」

 

 与えられる情報量の多さに疲弊していたのは何も俺だけではなかったようだ。アニスさんはどこか拗ねたような口調でそう言った。

 

「……俺のオリジナルはマルクトの兵士だったそうですが……」

 

「なんだ、つまんないの」

 

「アニスさぁん!?」

 

 拗ねた女の子の愛らしい顔から一転 ツバでも吐きそうな悪人顔になった彼女にすがりつく。すみません、ロマンとかドラマとか無くてすみません。

 

 それでもってアニスさんに払いのけられつつ、オリジナル俺ってそれはないだろう、とアニスさんに苦笑するガイを視界の端に見やった。

 

 

 あのとき。

 グランコクマを出てすぐに切り出した俺の問いに、ガイは答えなかった。

 

 彼の静かな笑顔を思い出す。あれはきっとアッシュの言葉と同じ意味なんだ。

 

 『 ―― じゃないと一生分からねぇぞ 』

 

 聞く事は大事だ。

 でもこれは聞いてはいけない事なのかもしれない。

 

 人に委ねてはいけない、答えなのか?

 

 思わず眉を顰めた俺の横で ちらついた青色。

 不思議に思って目を向けると、いつのまにやら隣を歩いているのは大佐だった。

 

 猫のように跳んで逃げそうになる足を必死に押さえつけて、ついでにばくばくと弾む心臓も押さえる。

 

 そうだ。レプリカだってみんなに言ってしまったんだった。

 あれだけダメだって言われていたのに。

 

 みんなに話したことに後悔はないけれど、彼の反応が怖いことに変わりはない。

 おそるおそるジェイドさんを見上げ、俺は所在無く身をすぼめた。

 

「あの、ジェイドさん、俺……」

 

「…………」

 

 すると彼は少し妙な顔になって、それから何拍か置いた末に、俺の額をべちんと叩いた。

 

 ああやっぱり怒られるのかと涙目で額を押さえたが、その後に続くはずの罵詈雑言がいくら待っても降って来ない。

 顔を上げるとそこにはすでに大佐の姿は無く、前を歩く後姿だけが見える。

 

 少しの間その背中を呆然と見つめていたが、すぐにはっとして彼の後を追った。

 

 

 ……お、怒られなかった、のかな?

 

 

 



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Act25.2 - シェリダンで待ってます

 

 藁をも掴む思いで行き着いたシェリダン。

 だがこっちはこっちで、なんだか大変な事態になっていた。

 

 俺たちが到着する少し前に、例の飛晃艇(アルビオールと彼らは呼んでいた)が操縦士ごとメジオラ高原に墜落したという。

 それを聞かされた瞬間、浮遊機関、操縦士、セントビナーの皆、のどれを今心配すればいいのかとかなり迷った。

 

 だが不幸中の幸いか、浮遊機関さえ戻ればなんとか二号機の都合が着きそうだった。

 ただしタルタロスの部品と引き換えに。

 

 何だかんだと長い付き合いだから別れる寂しさはあったけど、タルタロスがそんなすごい音機関の役に立つんだと思うと少し誇らしい。

 

 そういうわけで一行はメジオラ高原へと向かった……わけだけど。

 

「ほれ新入り! そこのボルト取って!」

 

「はいっ!」

 

 ところ変わってシェリダンのドック。

 

 俺は今、技術者の皆さんに全力でこき使われています。

 またもやお留守番です。

 

 ドックの端から端まで動き続ける傍ら、アンタどんくさいねぇ、とタマラさんの愉快そうな声が聞こえた。

 その目の回るような忙しさにもう訳も分からないままハイすみませんと声を上げて、思い浮かべるのは少し前の事。

 

 

 

 

「あなたはここで二号機を作るお手伝いをしてさしあげなさい」

 

 魔物の巣窟か怖いなぁなんて考えていた俺に大佐が告げたのはそんな言葉だった。

 確かに怖いとは思ったけど置いてかれるのはもっと嫌だ。

 

 一緒に行きますとめげずに駄々をこねた俺に、大佐は小さな子供に言い聞かせるようにゆっくりとこう言った。

 

「全員で行って、その間に六神将が手を回してきたらどうするんです? 貴方には手伝いと同時に、イオン様の護衛をしてもらいます」

 

 ぐっと息を飲む。

 

 大佐がイオンさまにタルタロスの案内を任せたのは、今が一刻を争う事態であることと、メジオラ高原が危ない場所だからだ。

 リスクを二者択一して、どちらかといえば安全である、という理由で彼をここに残すんだろう。

 

 そう、危険に変わりは無い。

 確かにイオンさまを一人残して行くのは心配だった。

 

 己の役目は分かったが、やはりこういう状況で置いていかれるのは寂しい。

 それとなく落ち込む俺を見て大佐は肩をすくめ、重要な任務だと思いますが、と呟いた。

 

「私たちが浮遊機関を持って帰れたとしても、アルビオールが出来ていなければ本末転倒ですし」

 

「はい……」

 

 書類の上で重要でもそうじゃなくても、与えられる任務は任務。

 なので俺はあまりそういうことでモチベーションが変わるタチではなかったが、おそらくそれを知った上で言っているのであろう大佐は、ふとさわやかな笑顔を浮かべた。

 

「それと正直な話、バランスを考えても剣士三人は要らな、」

 

「うわーーー!!!」

 

 誰しもうっすら気付いていながら今まで誰もが言わなかった禁句を言ってのけた上司は、今思えばうじうじしてる部下の相手がめんどくさくなってたんだと思います。

 

 

 

 そっと涙を拭いつつ、意識をドックへ引き戻す。

 

 手にしたスパナを作業中の技術者の方へ手渡してから、また雑用を求めて走り出そうとした俺は、はたと体の向きを変えて、入り口近くの木箱に腰掛けたイオンさまのほうへ走りよった。

 

「イオンさまっ。本当に休憩室のほうにいなくていいんですか? 体は……」

 

 宿で休んでもらいたかったが、彼を守るという俺の名目上あまり目の届かない場所では意味が無い。

 なのでせめてドックの脇に設けられた休憩室に、と言ったが、彼は静かな口調ながら、ここにいると譲らなかった。

 

 俺の言葉にイオンさまは緩々と首を横に振った。

 

「大丈夫です。僕こそ、作業を手伝えなくてすみません」

 

「い、いえ」

 

 むしろ俺の心臓が止まってしまうから手伝わないでください。

 騒音と怒号とオイルの臭いが行きかうドックの中に居てもらってるだけで申し訳ない気持ちなのに。

 だけど、なんだかイオンさまの言葉に確固たる意思のようなものがあって、休養を強く勧める事は出来なかった。

 

 そう考えて、俺はふと気付いた。

 なんだがイオンさまも少し変わった気がする。

 

 最初会ったときはもっと儚い感じだったけど、今はなんだかハッキリしたというか、クッキリしたというか……。

 

「僕のために……リックまで残ることになってしまいましたね」

 

 少ししゅんとしたような声に俺は慌てて思考を止めて、首を横に振った。

 そして地面に膝をついて、木箱に座るイオンさまと視線を合わせ、笑う。

 

「イオンさま、大佐はこういうとき、理由のない指示は出さないんですよ」

 

 覗き込んだ緑色の瞳はとても澄んでいた。

 

「だから俺がここに残されたってことは、俺はこの場所でやらなきゃいけないことがあるんです。それはきっと、イオンさまを守ることや、イエモンさん達のお手伝いをすることなんだと思います」

 

 俺がそれを出来るって、大佐が考えてくれたってこと、なんです。

 

 自分に自信は無くても、ジェイドさんの言葉は信じられる。

 だから俺はここで出来ることを精一杯やってみせよう。

 

 寂しいからと小さくなってるだけじゃ、何も動かない。変われないんだ。

 

( ―― 不安は変わらず胸を打つけれど。)

 

 みんなを信じて、俺は、今の俺に出来る事をしよう。

 

「だから、頑張ります!」

 

 イオンさまは少しだけ驚いたように目を丸くしたあと、とても綺麗に笑ってくれた。

 がんばってください、と優しく告げられた言葉に俺もまた笑う。

 

 体を大事にしてくれるのも、応援してくれるっていうのも、イオンさまの立派な任務だと思った。

 だってほら、彼が幸せそうに笑ってくれるだけで、俺はこんなに嬉しい。

 

 

「おおい!新入り! 何しとる!」

 

「あっ、はい!」

 

 背中に掛かったイエモンさんの声に、俺はイオンさまに一礼してから急いで手伝いに戻る。

 指示された部品を手にイエモンさんの元へ向かうと、彼はそれを手に取りながら、ちらりと俺のほうを見た。

 

「お前さんは、本当にあの人らが好きみたいだの」

 

 浮かべられた ほがらかな笑みに俺は一瞬ぽかんと目を見開き、それから、これ以上ないくらい口の端を引き上げて、笑った。

 

 

 



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Act25.3 - これは予感ですか

 

 アルビオール二号機はほぼ完成。

 後は浮遊機関を取り付けるだけ、という段階まで持ち込んだところで、見計らったようにドックへ飛び込んできた人がいた。

 

「イエモン爺ちゃん、みんな!」

 

 息を切らせながらも嬉しそうに笑った青年に、ドック中の人が歓声を上げた。

 みんなが口々にギンジ、というのを聞いて俺も彼の正体に思い至る。

 

 彼が飛晃艇ごとメジオラ高原に墜落したという操縦士だ。

 

「あの!」

 

 ギンジさんが飛び込んできた入り口近くにいた俺は、思わず彼に詰め寄った。

 だが言いたい事が多すぎてうまく言葉にならない。

 

「オレッ、か、ふゆっ、みんな……ッ!?」

 

「あっ、おいらを助けてくれた人達の仲間さんなんですね! ハイ見ての通りピンピンしてます、浮遊機関もこのとおりです! 皆さんも後からすぐいらっしゃいます!」

 

 とりあえず動揺しきりの俺の言葉を正確に読み取った彼はすごい人だと思います。

 心配だった全てのものが無事に帰ってきたことを知って、俺は深く安堵の息をつく。

 

 ギンジさんから浮遊機関を受け取ったアストンさんが急いで二号機のところへ下りて行くのが見えた。

 俺も手伝わないと、と足を進めかけたところで、背後から力いっぱい扉を閉めるバンという音がした。

 

 驚いて振り返ればそこには待ちわびていたみんなの姿。

 ぱっと瞳を輝かせて駆け寄ろうとしたが、すぐに様子がおかしいことに気付いて首をかしげる。

 

「大佐?」

 

「リック、ガイと一緒に扉を押さえていてください」

 

「は、はい!」

 

 突然の言葉に条件反射のように頷いてから、急いでガイの隣に並んで扉を両手で押さえつけた。

 

「おい、ガイっ?」

 

 どういう状況なんだ、と聞こうとした俺の声に、タマラさんの「なんの騒ぎだい」という声が被る。

 返された説明は、キムラスカ兵に見つかってしまったという大佐の一言だったが、その文字数に見合わず事態はおおごとだ。

 

 この緊張状態のキムラスカにおいてマルクトの人間は存在だけで起爆剤だろう。同じキムラスカやダアトのみんなは大丈夫でも、俺と大佐はまずい。しかも今は誤解を解くだけの時間もないときている。

 

 木箱の中にでも隠れたい気持ちでいっぱいだったが、遠慮なく叩きつけられる扉を押さえていてはそうもいかない。

 男二人がかりなのにこれだけきついとは、外はいったい何人がかりだっていうんだ。通りすがりのラルゴでも参戦してるっていうのか。

 

「ルークー! 大佐ーぁ!」

 

「おおい早くしてくれ! 扉が壊される!」

 

 俺の涙声とガイの懇願を受けて、ティアさんが二号機の状態を問う。

 ついさっきまで作業を手伝っていた俺は心の中で、ばっちりです、と頷いた。さすがシェリダンの職人さん達。アルビオールは素人目にも惚れ惚れする出来だ。

 

 腕力では支えきれなくなってきた扉に背中を当てたとき、ドックの中心でルーク達と話すイエモンさんが「よし」と胸を張ったのが、見えた。

 

「外の兵士はこちらで引き受けるぞい」

 

「そんっ……!」

 

 思わず身を乗り出そうとしたところで扉が叩かれ、俺は慌ててまた背中を押し付けた。

 

 口々に自分たちに任せて行けというみんなは、とても晴れ晴れとした顔をしている。

 背筋に走る悪寒に無理やり目を瞑って、俺とガイはすばやく扉から離れた。

 

 後は頼みます、とルークの声。

 二号機の待つ作業場へ下りるリフトの上で、ぐっと拳を握る。

 

「みなさん! ぜったい、絶対に無事でいてください!!」

 

 徐々に下がって行くそこから、めいっぱい体を前のめりにして叫んだ。

 挟まりますよ、と大佐が俺を後ろに引く。

 

 完全に上の様子が見えなくなる寸前、肩越しに振り返ったイエモンさんが、少し笑った気がした。

 

 

 準備を完了した二号機に走りよりながら唇を噛む。

 

 しなないで、とはいえなかった。

 だって口にしたら、その言葉に預言ごと呑まれてしまいそうで。

 

「くそ……」

 

 体に渦巻く重ったるいものが、やけに不快だった。

 

 

 アルビオールの中では、ギンジさんの妹のノエルという女の子が待っていてくれた。

 だけど女の子であることを感じさせない職人の顔で、彼女もまた微笑んだ。

 

「兄に代わって皆さんをセントビナーへお送りします」

 

 セントビナーへ向けて動き出したアルビオールの中。

 窓の外を流れる空をどこか遠くに見ながら、肩を落とした。嫌な予感がまだ消えない。

 

 辛気臭い溜息をつく俺にジェイドさんがちらりと目を向ける。

 

「……いくらこの状況下とはいえ、兵士がそうそう民間人を手にかけることはありません。貴方も兵なら分かるでしょう」

 

「それは分かってるんです、けど」

 

 しかも彼らはただの民間人じゃない、あのシェリダンの技術者だ。

 この状況だからこそ、わざわざ戦争で不利になるようなまねはしないだろう。

 

 なら、なんでこんなに胸が騒ぐんだ。

 

 黙りこくった俺を見て、大佐は小さく溜息を吐きながら肩をすくめた。

 

 

 




今じゃない。けど予感。遠い未来の恐怖。


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Act26 - 芽吹いたものはなんですか

 

 セントビナーは、まさに間一髪というところだった。

 

 全員がアルビオールに乗り込んだのを合図にするように、地面は硬い音を立てて沈み始める。

 救出した住民の方々を、纏め役のグレン将軍と共に広めの空き部屋へ案内した。元帥はみんなと一緒に艦橋のほうへ行っている。

 

「一時避難が可能な場所に着いたらお呼びします」

 

 住民たちをどうするかはまだ決まっていなかったので、俺はグレン将軍にだけ静かにそう伝えた。

 だが部屋を出る直前、声を掛けられて振り返ると、彼はひどく渋い顔をしていた。

 

「いつも以上に馬鹿な顔だぞ、リック一等兵」

 

 グレン将軍はそれだけ言うと、呆気に取られた俺を残し勢いよくドアを閉めた。どのみち閉めるつもりだったにも関わらず軽く締め出された気分なのはなんでだろう。

 

 すっかりとじた扉を前に、バツの悪い思いで後頭部をかいた。

 そして細い溜息を吐く。

 

「俺が考えてどうなるもんでもない、かぁ」

 

 いつか大佐に言われた言葉を思い出して、軽く頬を叩いた。

 

 そうだ。俺の足りない頭で考えてどうなる問題でもない。イエモンさんたちを信じよう。

 

 それでもって俺が今やらなきゃいけないことは、身にならない心配じゃなくて、……皆さんの案内が完了しましたと大佐への報告だ。そうだった。まずい、こんなところで途方にくれてる場合じゃない。

 

 ノエルが頑張ってくれてるのか、艇内はさっきから揺れが酷い。

 体に掛かるGに耐えながら、全力で艦橋へと急いだ。

 

 

 

「わかんねーよ! ガイにも、みんなにも!!」

 

 ほとんどなだれこむように俺が艦橋へと飛び込んだとき、耳に届いたのはルークの泣きそうな声だった。俺はとことん間が悪い。

 

 ルークはこちらに気付く事無く、背を向けたまま肩を震わせていた。彼は、アクゼリュスを滅ぼしたのは俺なんだから、と矢継ぎ早に叫ぶ。

 どういう流れなのかはさっぱり分からないが、ほとんど混乱状態のルークの姿に眉尻を下げた。

 

「ルー……」

 

「ルーク! いい加減にしなさい!」

 

 とりあえず落ち着いてもらわないと、と名を呼ぼうとした俺の声に被って艇内を揺らしたのは、聞き慣れた声の、聞き慣れない怒声だった。

 

 めったに声を荒げない大佐の一喝に、ざわめいていた空気が静寂を取り戻す。

 

「焦るだけでは何も出来ませんよ」

 

 続けられた言葉はまるで俺のことも含めているようで、思わず瞑目した。ついさっき、予想外の相手にそれを気付かされたばかりです。

 

「リック、セントビナーの皆さんは?」

 

 そこで突然向けられた水に、はっとして目を開いた。

 大佐は変わらずこっちを見てはいなかったが、俺が戻ってきたの気付いてたのか、と内心少し驚く。でも大佐だからなぁ。

 

「あ、と、みんなちゃんと部屋に案内しました。グレン将軍がついてくれてます」

 

「分かりました」

 

 そう言ったあと一拍の間を置いて、大佐はユリアシティへ向かう事を提案した。どうやらセフィロトのことを聞きにいくらしい。

 

 置いてけぼりになっている俺に気付いたガイがこっそりと耳打ちしてくれたところによると、このままだと瘴気の海に沈んでしまうというセントビナーを何とかしようという話だとか。

 

 それでさっきの剣幕なのか、と納得した俺の耳に届くのは、切々と言い聞かせるような大佐の声。

 

「ここにいるみんなだって、セントビナーを救いたいんです」

 

 少しして、ルークの「ごめん」という小さな声が聞こえた。

 

 大佐の後姿を見つめて、俺は目を細める。

 脳裏を過ぎるのはついさっきの出来事。荒げられた彼の声。

 

 ふ、といつのまにか詰めていた息を吐いた。

 

 驚いた、というのが正直なところなんだと思う。

 萎縮するより、焦るより先に、俺は驚いていた。誰かを叱るジェイドさんに。

 

 よく失敗して怒られたり注意されたりはするけど、ああいうふうに“叱る”大佐は、俺だって……

 

 ―― ああ、でも、一度だけ。

 

 一度だけ、あんなふうに叱られた事がある。

 

 なんでもないはずの右頬が、ちり、と炙られたように熱を持った気がした。

 俺は強く目を伏せてその感覚を受け流す。

 

 『 ねえ、なんで、ジェイドさん。なんで、あのひと達は ――― 』

 

 耳の奥で、誰かの泣き声が、反響していた。

 

 

 

 

 ユリアシティでは、テオドーロさんがみんなを待っていてくれた。

 

 崩落したセントビナーの人達はこの町で受け入れてくれるらしい。

 案内役のユリアシティの人がみんなを奥へ誘導していく中、元帥が、お世話になります、とテオドーロさんに頭を下げていた。

 

 不安げに歩いていく住民たちの流れを見守っているとき、ふと視線を感じて顔を上げる。

 そこには俺の大好きな真っ赤な瞳があった。

 

「大佐?」

 

 彼は少しの間まじまじと俺の顔を眺めたかと思うと、その赤い目の厳しさを僅かに緩めた、気がした。

 

「……いつものバカ面ですね」

 

 ぽつりと呟き、点検終了、とでも言わんばかりに頷いて、何事もなかったように視線を外した上司を、今度は俺が目を丸くして眺める。

 

 思い出すのは、いつかの言葉の続き。

 

 『あなたはいつもどおりアホみたいに 彼の周りをチョロチョロしていればいいんです』

 

 ジェイドさん、

 それは、

 

「ルーク、あまり気落ちするなよ」

 

 突如響いた言葉に顔を上げた。

 気がつけばいつのまにか住民の皆さんの姿は無く、最後に残った元帥が、足を止めている。

 

 

 そして。

 

 肩越しに振り返った彼が微笑みながら告げた言葉に、目を見開いた。

 

 

「……元帥も何を言い出すのやら」

 

 そう言って肩をすくめ、私も先に行きますよ、と早足に歩き出した大佐。

 去り行く背中を見つめて、ちょっと呆気に取られる。

 

「大佐が照れてますよ、めずらしい」

 

 半ば呆然と呟く俺を見て、ガイが愉快そうに笑う。

 

「図星らしいぜ。結構可愛いトコあるじゃねぇか、あのおっさんも」

 

 ホントだぁ、と続けて上がったアニスさんの笑い声を聞きながら、俺は未確認生物を確認したような気持ちで恍惚と頷いた。

 

 厳密に言えば照れてるのとは違うかもしれないけど、まあ近いだろう。なんにしても珍しい。

 

「いやぁ、こんなジェイドさんをピオニー陛下に見せてあげた、 」

 

 

「お、おい、意識はあるか?」

 

 ちょこっと引き気味なガイの声に、俺は床に突っ伏したままこくりと頷いて見せた。

 今日のフレイムバーストはまた一段と良い切れでした。

 

「……こんなに遠いのに当たるんだから、すごいなぁ」

 

「……お前はお前で慣れたもんだな……」

 

 離れたところを颯爽と歩く大佐を見て、上半身だけ起こして肘をつきながら呟くと、いっそ感心したように相槌を打ったガイをちらりと目だけで見上げてから、俺は焦げ臭い前髪をかきあげた。

 

 元帥は言った。

 年寄りには気に入らない人間を叱ってやるほどの時間はない、と。

 

 ……ねえジェイドさん、それは、

 

 それなら、

 

 

(あのとき俺を叱ってくれたことを、俺は少しうぬぼれてみてもいいんだろうか。)

 

 

 そっとみんなから隠すようにユリアシティの冷たい床に押し付けた頬は、

 

 しんじられないくらい、熱かった。

 

 

 



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Act26.2 - ひよこは夢を見ますか?

 

 テオドーロさんの待つ会議室へ向かう。

 俺はまだ顔が熱いような気がして恥ずかしく、のたくさと最後尾を歩いていた。

 

 ユリアシティの町並みを歩くのは二度目だ。

 当然ながら建物はなにも変わっていないけど、中の人たちは前より少し、落ち着かない空気を纏っている。

 絶対だった預言がくつがえったんだから当然か、とどこか他人事のように納得した。

 

 俺あんまり預言と近い生活してなかったからなあ。

 

 別に大佐や陛下に止められていたわけではないが、詠んでもらってもしもレプリカがどうのとか出たら、と思うと自然に足は遠ざかった。

 

 だから一大事には違いないけど、自分に思うほどの動揺はなかった。

 ていうかもうルークはレプリカだったし地面は落ちるしその下に町あるし、今更そんなんで驚いていられない。頑張れ俺の心臓と精神。

 

 遠い目で胸を押さえた先に、グレン将軍の姿を見つけた。

 住民の避難はあらかた済んだのだろう、時間を持て余したように立ちつくしている。

 

 そこで少し足を止めた。

 すると向こうも俺に気付いたようで、ふいに目が合う。

 

 気まずさとか、照れ臭さとか、ちょっと不本意だとか、色んな苦さが頭の中を駆け抜けたけれど。

 

 俺は彼に向かって、深く頭を下げた。

 

 やがて頭を上げた後に見たグレン将軍はとんでもなく微妙な顔をしていたが、たぶん俺も似たような顔になっているんだろうと思った。

 

 あからさまに気持ち悪そうな表情の彼だったが、それでも、俺に向かって簡単な敬礼を返してくる。

 

 それを見届けた後はすぐに身をひるがえして先を行くみんなの後を追いかけた。

 足早に床を蹴る俺は、多分おそろしくヘンテコな顔だったはずだ。

 

 まぁ、マジメなんだよなあ。あのひとも。

 

 ……認めるのはちょっとくやしいけど。

 

 

 

 

 会議室の前まで着いたところで、俺はみんなに向かって軽く片手を上げた。

 

「じゃあ俺はここで」

 

 表で控えていようと体の向きを変えかけた俺の首根っこが、ぐいと引っ張られる。

 ぎゅえ、と地面に落ちたチュンチュンみたいな声が喉の奥から絞り出された。

 

 服と首の間に手を挟んで気道を確保しながら背後をかえりみると、思ったとおり大佐の姿。何事かと疑問符をとばしながら赤い瞳を見据える。

 

「大佐?」

 

 すると彼は、くいと片眉を引き上げた。何度も言うようだが、大佐のそんな仕草は本当にかっこいい。

 

「部外者あつかいするなと言ったのは誰ですか」

 

 だが大佐は静かにそう言って、俺を掴んでいた手を放し、身をひるがえして会議室の中へ入っていった。

 その背中が消えた扉を半ば呆然と眺めていると、ガイにぽんと肩を叩かれる。

 

「一緒でいいってよ」

 

 さわやかな笑顔を浮かべて横を通り過ぎていったガイもまた部屋の中へ消えた。

 一緒って、それって、つまり。

 

「ほら、早く入れよリック」

 

 少し楽しげな声になったルークに背中を押された。

 ほとんどルークの力で会議室の中に足を踏み入れてから、ようやく目を輝かせる。

 

 それは、俺も一緒に話を聞いていいってことだ。

 みんなと、ルークや大佐と一緒でいいってことだ!

 

「ジェイドさぁぁああ、ぎゅっ」

 

「ハイおとなしく座りましょうねー」

 

 例によって例のごとくジェイドさんに抱きつこうとした俺の頭頂部に、コンタミネーションで出てきた槍の柄がクリーンヒット。当たるまで見えないこの動きはさすがですジェイドさんでも痛いです。

 

 頭部の痛みとさっきから引きずる幸福感に涙しながら、会議室の冷たい机に突っ伏した。

 

 

 大佐の太鼓判(?)をもらって初めて同席する政治の場。

 だけどその内容は一兵士にはあまりに途方もなさすぎて、俺はほとんど聞くだけだったが、それでもなんとなく嬉しいものだった。

 

 だってすこし“仲間”になれた気がして、というと、またジェイドさんに「思考が十歳児ですねぇ」なんて失笑されそうだけど。

 

 そうはいっても唯一の使用人仲間だと思っていたガイもマルクト貴族だったし、この錚々たるメンバーの中にジョブただの兵士が混じるにはかなりの勇気がいるのだ。

 

 でもジェイドさんがいいって言ってくれたから俺はほんのすこしだけ、自信を持って控えめに、同席させていただいた。もう全力で控えめに。

 脳の奥から、自信を持つ場所が違うだろうと陛下のツッコミが聞こえた気がしたが、俺にはこれが精一杯だ。

 

 

 そして肝心の話の内容。

 さっきも言ったが、これは本当に途方もないものだった。

 

 ローレライの鍵とか、最近おなじみのセフィロトやパッセージリング。

 そこにアルバート及びユリア式封咒、シュレーの丘に第七音素……。

 

 いやいや、混乱する段階はもうとっくに過ぎたんだリック。

 全部おとなしく受け入れることにして、今はセントビナーを救える手立てが見つかったことを喜ぼう。

 

 ちらりと視界の端に見やった大佐は、静かにテオドーロさんの話を聞いていた。

 この旅の中、大佐はいつだってそうしていた気がする。

 

 彼は、なんで自分がこんなことを、と思ったりはしないのだろうか。

 

(それとも、まだ思っているんですか? ジェイドさん)

 

 自分の責任だからと、罪だからと、貴方は考えているんですか。

 ぜんぶ背負うのが当然だと思うんですか。

 

 真っ直ぐな赤色の瞳をうかがって、俺は目を細めた。

 

 そのとおりだと大佐は言うかもしれない。

 あたり前だと世界も言うかもしれない。

 

 ねえ、でも、ジェイドさん。

 

「ちょっとくらい、俺のことも……」

 

「なんか言った?」

 

 いつのまにかこっちを見ていたアニスさんに小声で問われ、俺は慌てて首を横に振った。

 首をかしげる彼女にひとつ苦笑を返して、また熱くなりだした顔を隠すために少し俯く。

 

「…………」

 

 動揺に目が泳ぐ中、机の上に立てた肘。

 その手の上に頬を乗せた。

 

 

 

 ピオニー陛下。

 俺はいつのまにか随分ナマイキになってしまったんでしょうか。

 

(頼ってくれたら、なんて)

 

 

 それこそ恐れ多すぎて、口に出来ない。

 

 



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Act26.3 - シュレーの丘と青い春

 

 シュレーの丘。

 いちおうマルクト領だけど、ちゃんと来るのは初めてだ。

 

 立ち込める瘴気のせいで景色は どんよりと歪んでいたが、本来は晴れの日にピクニックでもしたくなるような気持ちの良い丘なんだろう。

 そう思うとこの地面にも沈んで欲しくない、けど。

 

 そんな事をとつとつと考えていた俺は、ふと目の前の光景を見やった。

 

 ティアさんに反応して動いたというパッセージリングを前に、あれやこれやと話し合っていた大佐たちは、今ルークに事を委ねている。超振動でヴァン謡将がかけた暗号部分だけを削るらしい。

 

 呼吸を整えているルークに目をやってから、俺はそっと大佐に話しかけた。

 

「あの、大佐。俺も何か手伝うことは……」

 

 すると彼は輝かしい笑顔でこちらを向いて、言った。

 

「そのまま十回ほど足を後ろに動かして、上唇と下唇が絶対に離れないようにしていなさい」

 

 邪魔だから後ろに下がって黙ってやがれってことですね大佐!

 

 言葉のすがすがしいほどの切れ味になぜか安心しつつも滴る涙。

 俺イズア役立たず。

 

 そしてルークは作業に入ったらしく、隣の大佐が細かく指示を飛ばし始める。

 

 

 こんなんじゃジェイドさんに頼ってもらうなんて夢のまた夢か、とがっくり頭を下げたところで、視界に小さな生き物の姿を見つけた。ミュウだ。

 足元あたりでぴこぴこと揺れる青い耳をほんの少しの間ながめてから、俺も顔を上げた。

 

 視線の先には、凛と立つあの人の姿。

 今はルークの作業を静かに見守っている。

 

 足元にはミュウの気配。

 一心にルークの背中を見つめている。

 

 

 俺とミュウは、あまり話さない。

 それは別に仲が悪いとかじゃなくて、ただ、あまりに“近い”から。

 

 俺とミュウは似ていて、似ているから近すぎて、言葉が意味を持たないんだ。

 だけど分かる。何を考えているのか、どんな思いで、背中を追いかけるのか。

 

 ルークを。ジェイドさんを。

 

 だから俺達はほとんど言葉を交わさないけど、それでも、伝わっているものはあると思う。

 絆なんてたいそうなものじゃない。追いかける者のシンパシー。

 

 足元にたたずむ小さな水色をちらりと見下ろして、微笑んだ。

 そしてみんなに気付かれない程度に溜息を吐く。それは自嘲に近かったかもしれない。

 

 だって、最初はただ、側にいられれば良かった。それだけで構わないと思っていたのに。

 いつからこんなにワガママになったのかなぁ。

 

 

 きっと“ルークさん”に影響されたんだ、なんて、ちょっと責任転嫁をしてみたら、作業中のルークがくしゃみなんかしたものだから俺はえらく肝を冷やした。こ、これで失敗したら俺のせいか?

 

 そんな不安が脳裏を掠めるも、特にミスには繋がらなかったようだ。ほっと胸を撫で下ろす。

 

 そして一生懸命パッセージリングを調節しているルークの姿に、俺はふと自分の手を見た。

 第七音譜術士になりたい、とまでは言わないけど、せめて譜術のひとつも使えるようになりたいなぁ。

 

 ずっと焦がれるばかりで真剣に譜術を覚えようとはしていなかった。

 でも、少し頑張ってみようか。

 

(……前に、)

 

 進んでみようか?

 

 

「やった、やったぜ!」

 

 再度考え込んでいたところに響いた声に、びくりと顔を上げる。

 すると満面の笑みを浮かべたルークがティアさんに飛びついているところだった。

 

 なんだか見てはいけないものを見た気がして恥ずかしいけど、ここで顔をそらすのもまた恥ずかしい気がしてごまかしついでに俺も笑みを浮かべる。

 

「と、ところで大佐! どうしたんですか?」

 

「…………落ちますか?」

 

 え、どこへ?

 

 寒気のする怖い笑顔を浮かべた大佐だったが、真剣に慌てる俺を見て、やがて深く深く心底呆れたような溜息をついた。

 

「パッセージリングの操作が無事完了しました」

 

「あっ、ああ!」

 

 その言葉を聞いてぽくんと手の平に拳を打ち付ける。

 

 そうだ、そのためにここに来ていたんだっけ。

 ついさっきまでは認識していた事だったのに色々考えていたらみんな頭から飛んでしまっていた。

 

「瘴気に脳がやられましたか?」

 

「……ちょっと、その、考え事を……」

 

 バツの悪さに目を泳がせながら呟くと、ふいに大佐が赤い目をすがめた。

 怒られるか、と冷や汗を流しつつその顔を見返してへらりと情けなく笑う。

 

 すると大佐はふぅとひとつ息をついて、肩をすくめた。

 

「大した考え事じゃなさそうですね」

 

「俺的にはけっこう大した考え事でしたよ!」

 

 とっさに弁解するも信じてもらえたかは微妙なところだ。しかも考えていたことを説明しようにも内容が内容なので出来ない。

 

 あなたの役に立ちたいんですなんて、こんなビビリのままじゃ言えないし、譜術のプロフェッショナルな大佐に譜術使えるようになりたいんですというのも恥ずかしい。剣の達人にテーブルナイフの使い方聞くようなもんだ。

 

 そんなわけで何も言えずに押し黙っていると、悪い知らせが飛び込んできた。

 

 このセフィロトはルグニカ平野を支えていたらしい。

 それが無くなった今、同じ地域にあるエンゲーブも危ないというのだ。

 

 あの村で出会った人やブウサギの姿が脳裏を過ぎる。

 思えば俺の旅はあそこから始まったんだ。なのに、崩落なんて。

 

 外殻へ戻ってエンゲーブの皆さんの避難を、というナタリアさんの言葉にみんなで頷く。

 

 

 そして外へと歩き出そうとしたとき、ルークとティアさんが足を止めていることに気がついた。

 なんだろう、と思った俺が戻るより先に二人も歩き出してしまったから、聞く事はできなかったけど。

 

 ただティアさんの顔色が少し悪いような気がして、首をかしげた。

 

 





スキット『シュレーの丘の由来は……?』より偽追加会話
リック「だいじょぶか?」
ガイ「あ、ああ。ていうかお前あの話聞いてよくビビってないなぁ」
リック「ゴースト系の魔物は怖いけど怪談は平気なんだ」
ガイ「……ワケわからんが意外だな」
リック「だって魔物は襲ってくるけど幽霊は見えないじゃないか」
ガイ「いやまぁ、そうだけどな」
リック「ハハハ。あとは、身近に幽霊より怖い人がいるから!」
ガイ「……ああ……」

幽霊はタービュランスもフレイムバーストも撃たないし、槍も投げてこないじゃないですか。
(By.リック)



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Act27 - ビビリは戦場へ行きます

 

 外殻へ戻ってすぐ、目に飛び込んできた光景に愕然とした。

 アルビオールの窓にビタッと張り付いて、震える手で眼下の惨状を見下ろす。

 

 なんで、なんで、なんで。

 

「どうして戦いが始まっているのです!?」

 

 ナタリアさんの言葉が艇内に響く。

 そうだよ、戦争を起こさないためにもってみんなみんな頑張って、ルークやナタリアさんだって、あんなに頑張っていたのに。

 

 額をガラスに押し付けたまま、じわりと涙が浮かんでくる。

 それがいよいよ零れようかというときに突如後頭部を殴打された。

 

「むぶぉっ」

 

 当然ながらガラスに顔前面を打ち付け、痛む鼻を押さえながら肩越しに後ろを振り返る。

 

「うう、ひぇいろさぁん……」

 

「何 情けない顔をしてるんです」

 

 なんだか最近怒る手段に打撃が増えてませんか。少し前はもっと間接的というか、術系が多かった気がする。いや、まぁ、術も容赦なくもらっているので当社比には違いないけど。

 

「頭を冷やしなさい、泣いている暇はありませんよ」

 

 そう言って大佐は身をひるがえした。

 そしてみんなの話し声を聞きながら、俺は少し落ち着いて考えてみる。

 

 あたまをひやせって、そういうことだ。

 ぐいと目元を拭う。

 

 そうだよ、諦めてる場合じゃない。

 事が悪い方向へ運んでしまったからこそ、やらなきゃいけないことがたくさんある。戦争が始まってしまったというなら、今度は一刻も早く止めないと。

 

 俺がめげてる間にもみんなはどんどん前を向いて歩き出して行く。

 気づいた時には、対崩落のエンゲーブ組と、対戦争のカイツール組に別れて行動することに決まっていた。

 

 ああもう俺のバカ。俺のアホ。俺のオタオタ。

 慌てて会話に加わろうとした俺の動きを見計らったように、大佐がこちらを向く。

 

「リック、貴方もエンゲーブに同行してもらいます。キムラスカの説得に行くのに、マルクト兵が混じっていては火に油でしょうから」

 

「あ、はいっ」

 

 とっさに敬礼を返すと、大佐はすぐみんなのほうに向き直ってしまう。

 

 結局、またジェイドさんに何とかしてもらってしまった。

 教えてくださいユリアさま。頼りになる人間ってどうやってなればいいんですか。俺レプリカだから分かりません、なんて言い訳は、とてもじゃないが通じそうに無い。

 

 ……俺、ビビリだから分かりません……。

 

 そう正直に言ったところで、返ってくるのは呆れたような溜息だろうか。

 

 

 

 

 エンゲーブへは、ジェイドさん、ルーク、ティアさん、俺、で向かった。

 

 そこでローズさんに話をつけた結果、ケセドニアまで避難することになったのだが、とてもじゃないが全員アルビオールに乗る事はできない。何回かに分けるといっても限度があるだろう。あまり時間もないし。

 

 なので老人や女性、子供以外の体力がある男性陣は、護衛の下に徒歩でケセドニアを目指す事になった。

 

 そんなわけで俺達は徒歩組の護衛に付くのだが、俺は後方の駐留軍の方々に混ざろうとみんなに背を向けたとき、襟がグッと引かれた。チュンチュンが木にぶつかったような声が喉から漏れる。なんだろうすごくデジャヴだ。

 

「こ、今度はなんですか」

 

「あなたには先頭に立ってもらいます」

 

「せんとう!?」

 

 戦闘に出てもらいますでも 銭湯に行ってもらいますでもなく、先頭。

 しんがりをやることはあれど、先頭に立てと言われたのは初めてだ。

 

 目を白黒させる俺を見据えた大佐が、にっこりと笑う。

 嫌な予感が背筋を突き抜けた。

 

「敵の気配とか怖そうな物の気配にだけは鋭いでしょう、リック。悲鳴は一切上げずにそういう気配だけ察知してください」

 

 確かに、確かに 俺は敵の気配には人一倍敏感だ。ビビリだからだ。

 風や草のそよぐ音の変化をそういうときだけは感じ取れる。

 

 もう一回言うけどそれは俺がビビリだからで、

 つまり怖いのが嫌だからそうなってるわけなのに、わざわざビビるために怖い場所へ行けと。

 

「あの、それはちょっ……」

 

「いやぁ頼りにしてますよ臆病者!」

 

 念願早くも叶い、ジェイドさんに頼ってもらえた。

 頼ってもらえたんだが……何か……違う気が……。

 

 拭いきれぬ複雑な思いをそのままに、俺は子鹿の歩みで前へ進み出た。

 

 

 



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Act27.2 - ルグニカみんな旅

 

 一日目。

 危険察知係に任命された俺。

 

 やってくる兵士の気配にビビり、魔物の気配にビビり、飛び立つ鳥にビビり 突風にビビりもうなんか話しかけられてビビり。

 悲鳴を上げかけては背後のジェイドさんに臀部を蹴り飛ばされ、心身共に疲れ果ててきたころ、ようやく今日の野営地に到着した。

 

 

 焚き火の傍にぐったりと座り込む俺をルークやティアさんがそれとなく心配してくれたりして、その優しさに涙ぐんでいたとき、一人のおじさんがこちらに近寄ってきた。

 

 民間の人たちは少し離れたところに寝場所を確保しているはずなのに、何かあったんだろうか、と緊張疲れした頭で考える。

 

 おじさんはニコニコと人好きのする笑顔を浮かべて俺たちを見回し、大佐の姿に目を留めた。そして大佐がタルタロスに乗っていた事を聞くと、彼は言葉を続けた。

 

「乗組員にマルコという兵士はおりませんでしたか?」

 

 タルタロス、乗組員、マルコ。

 ばらばらに現れたキーワードをぼんやりとつなぎ合わせる。

 

 マルコ。……マルコさん。

 ジェイドさんの副官。

 

 彼のほがらかな笑顔が脳裏を過ぎり、それが目の前のおじさんと被ったことを不思議に思った直後、最後の記憶が出てきた。

 

 マルコさん。

 タルタロス。

 

「あいつは私らの自慢の息子なんです!」

 

 そうだ、彼は。

 

 思わず口をつぐんだ俺とは反対に、朗々と言葉を紡いだのは大佐だった。

 惑いなく事実を読み上げる横顔を見上げる。

 

 

 マルコさんがタルタロスで亡くなったという事を知ると、おじさんはひどく肩を落として帰っていった。

 

 それをやるせなさげに見送ったルークが声を上げる。彼は預言のせいで死んだも同然ではないかと。

 

「……アクゼリュスと同じじゃないか! リック、おまえだって、マルコさんと知り合いだったんだろ!? いいのかよ!」

 

 突如向けられた問いに俺はびくりと身を震わせた後、ルークを見返した。

 その泣きそうに歪んだ表情に釣られて俺まで情けない顔になってくる。

 

「お、俺は、……その」

 

「ここで苛ついても何にもなりません」

 

 言葉を濁した俺に助け舟……では、ないのかもしれないが、大佐が話を打ち切ってくれた。

 

 漂う微妙な空気の中、もう“懐かしいもの”へ変わってしまった笑顔を思い出す。

 それから一度空を仰いで息を吸い、自分に気合を入れてから、ジェイドさんのほうへ向き直った。

 

「あのっ」

 

「なんですか」

 

「マルコさんはいい人です…でした、よ」

 

 過去形に言い換えるのが少し寂しい。

 

 でも彼はジェイドさんのことをすごく尊敬していてくれた。

 大佐がおっしゃるならば、と結構 無茶なことだって笑顔で引き受けた人だから。

 

「だから、怒ってないとおもいます。大佐のこと大好きだったんだから、笑ってくれてると、たぶん」

 

「……念のためお聞きしますが、慰めようとしてる気ですか?」

 

 赤い瞳の白い目に耐えかねて視線がふらふらと泳ぐ。

 

「いや、そんな、たいそうなものでは無いんですが、……似たような意図です……」

 

「心の底からウザイので即刻に止めなさい」

 

「えぇええー!」

 

 俺もあまり一般常識には詳しくないですけど、それ慰めようとした人間が言われる事あんまり無いってのは分かります。

 

 さめざめと泣きながら膝を抱えた俺を見て、大佐がひょいと肩をすくめた。

 

 

 

 

 二日目。

 この日もなんとかキムラスカ兵とかち合う事なく野営地にたどり着いた。

 

 だが度重なる緊張に引きつづき衰弱気味だった俺は早々に寝入った。

 

 持ち回りの火の番が来るまでは仮眠できることになっているものの、仮眠どころか熟睡中だった俺。

 夢の中で大佐と追いかけっこを始めたところで、突如衝撃がわき腹を襲う。

 

 霞む目を凝らすと、木に寄りかかっていた俺の体がいつのまにやら横倒しに。

 その脇の木に体を預けて目を伏せている大佐の姿に、自分が蹴り倒されたことを知る。

 

 ほ、ほんと なんなんですか最近。

 わけがわからず目を白黒させて辺りを見回す。

 

 すると離れたところで火の番をしているルークの背中が目に入った。

 今はルークの番なのか、と思ったところで、小さく膝を抱える彼の肩が少し震えていることに気がついて目を丸くする。

 

 上司の意図を察して、俺は後頭部をかいた。

 そして、おそらく狸寝入りをしてるのだろう彼を肩越しに見やる。

 

「……様子見て来いって素直に言えばいいのに」

 

 呟き終わるが早いかもう一回蹴飛ばされました。素直じゃない人だなぁと苦笑する。

 

 

「ルーク」

 

 抑えた声で名を呼ぶと、ルークは驚いたように振り向いた。

 俺だと気付いて少し安堵したように息をついたものの、まだ表情はこわばったままだ。本当にどうしたんだろう。俺としても心配になってきた。

 

「……座るか?」

 

「あ、うん」

 

 進められるままにルークの隣に腰を下ろしたが、広がる静寂に、何か喋らなくてはと冷や汗が浮かびかけたとき、ルークが口を開く。

 

「あのさ、リックは怖くないのか?」

 

「なにが?」

 

 聞き返すとルークはひと息、言葉につまった後に震える声で言った。

 

「人を殺すこと」

 

 そしてまたぎゅっと己の膝を抱えたルークは、隣で眠るミュウを撫でながら続ける。

 

「おまえ戦闘のたびにビビって泣いていちいち大騒ぎするだろ?」

 

「ご迷惑おかけしてます」

 

 これでも前よりはいくらかマシになった。

 

「でも……盗賊とか、斬るじゃん」

 

 ルーク、本気で忘れてるかもしれないけど俺だって軍人なんだよ。こんなんだけど兵士だ。任務の中でそれなりに人を斬ったりする。

 斬ったり、なんて言うといくらか聞こえがいいけど、要するに。

 

「殺すこと、怖くないのか?」

 

 人を斬る嫌な感触が手の中によみがえる。

 その手を強く握り締めた。

 

「怖いけど」

 

 すごくすごく怖いけど。

 

「俺は、死ぬほうが、怖いから」

 

 他人の命と自分の命を天秤にかけた。

 そうしたら俺の天秤は、あっさりと自分のほうに傾く。

 

「だって死にたくないんだ。そうしたら、やるしかない。死ぬより怖い事なんてないじゃないか」

 

「……そっか」

 

 ぽつりと呟いたルークは、揺れる火を見つめて小さな子供のように目を伏せた。

 

「死ぬのも、怖いよな。俺だってそうだから殺すんだと思うけど。でも……やっぱ、ころしたくないな……」

 

 祈るように吐き出された言葉は、近いようで途方もなく遠いところにある気がした。

 

 でも、その願いはなんとなく優しく響いて、俺は不思議な気持ちになりながらルークと同じように火を見つめる。ジェイドさんの目と同じ、真っ赤な色をしていた。

 

「俺はよくわかんないけど、ルークはそれでいいんじゃないかなぁ」

 

 零れた呟きに根拠はなかったかもしれないが、それは紛れもなく本心だったと思う。

 

 

 

 

 三日目。

 ここまでくると緊張もしすぎてよく分からなくなってきて、ちょっとしたランナーズハイ。

 

 だけどここまで来ればケセドニアまであと少しだ。

 それを心の糧にビビり続け、三度目の野営地までこぎつけた。

 

 

 今の火の番は俺とティアさん。

 

 ティアさんはあまり口数が多いほうじゃないから、自然と静寂が長くなるけど気まずくはない。それは静かだけど優しい雰囲気を彼女が纏っているからだと思う。

 痛くない沈黙はなんだか落ち着くものだった。

 

 そっと目を伏せている姿を盗み見ながら思い出すのは夕方のこと。

 前回の野営のときに足を痛めたと来たミリアムさんが、今日ティアさんに治療のお礼を言いにきたのだ。

 

 女の人なのにアルビオールに乗らなかった彼女は、旦那さんと息子さんをアクゼリュスで亡くしたのだという。

 

 『どうして謝らせてくれなかったんだよ!』

 

 『謝罪はご自由ですが、時と場所をわきまえてもらいたいですね』

 

 そのときの大佐とルークのやりとりを思い目を細める。

 大変な事態のはずなのに、俺の気持ちはどこか温かかった。

 

「ティアさん。ルークと大佐は、優しいですね」

 

「え?」

 

 突然声を掛けられたティアさんが目を丸くする。

 覗いた青の瞳を見返して、俺は微笑んだ。

 

「俺ふたりみたいになりたいです。ふたりみたいに、やさしくなりたい」

 

 ティアさんも最初は驚いた顔をしていたけど、徐々にその表情が緩まっていく。

 そして少し首をかしげて、俺の言葉に、ええ、と柔らかく相槌を打ってくれた。

 

「“言わなくちゃいけないこと”を言ってくれるのはいつも大佐なんです。辛いとことか全部引き受けて、わざわざ憎まれ役になるんですよ」

 

 俺はそれがたまに酷くもどかしいけど、やっぱり誇らしくもある。

 

「それで、俺たちが“言えないこと”を言ってくれるのはルークなんです」

 

 また、ええ、と静かで優しい声が合間に混じるのがとても心地良くて、俺はまた笑った。

 

「俺とか臆病だから、ダメだと思ったらもう何もいえなくなるけど、『なにか出来る事はないのか』って、『このままじゃ嫌だ』って」

 

 ルークは、俺たちが言いたいけど言えないことをいってくれる。

 それこそ小さな子供みたいに、こんなのイヤだって叫んでくれる。

 

 ああ、俺は、ふたりみたいになりたい。

 俺の大好きな人みたいに、優しくなりたい。

 

「なれるわ、きっと」

 

「はい」

 

 二人で顔を見合わせて、微笑みあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 離れた場所で、木の幹に背中を預けたジェイドはふと目を開けて、空を仰いだ。

 木々の向こうに見える紺の空を見やりながら、そっと息をつく。

 

「……それなら私は、あなたが羨ましいですよ」

 

 

 どうやったらそんなに真っ直ぐに、人を慕えるものなのか。

 

 

 ぽつりと零したジェイドの声は、誰の耳にも届くことなく、木の葉のざわめきに融けた。

 

 

 



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Act28 - ケセドニア再会記

 

 ようやく着いたケセドニア。

 キムラスカ兵と接触することも、大した怪我人を出すこともなくここまで来れて本当に良かった。

 

 安堵と緊張しすぎた疲労感がないまぜになった息をついていると、まとめ役をやっていてくれた村の男の人が二人、俺たちのほうに近づいてきた。

 

「みなさん! ありがとうございます!」

 

 そう言って彼らは手に持った袋を大佐に渡す。

 ちらっと見えた中身はどうやら道具類のようだ。しかもなんか貴重そうな物が多い。

 

 彼らが嬉しそうな笑顔を浮かべて大佐やティアさんと握手を交わしていくのを、誇らしい気持ちで眺める。

 どうです皆はすごいでしょう!と誰彼 構わず自慢して歩きたいくらいだ。(でも実行したら間違いなくタービュランスが飛んでくるからやらない)

 

 みんな無事で良かった、と呟くルークと顔を見合わせて二人で少し笑い合う。

 するとふいに俺たちに掛かった影に何事かと視線を向ければ、大佐たちと話していた男の人が、満面の笑みを浮かべて右手を差し出していた。

 

「助かったよ。ありがとう。 本当に、有難う!」

 

 呆然とする俺たちの手を向こうから取って、俺とルーク、順番にがっしりと握手を交わしてくれた男の人たち。

 

 最後にふかぶかと頭を下げた彼らがケセドニアのほうへ歩いていく背中を見ながら、俺達はまだ立ち尽くしていた。

 やがてゆっくりと顔を見合わせる。

 

「……はは」

 

「……ハハハ」

 

 お互いに肩のあたりを軽くこづきあう。

 

「な、なんだよルーク、顔真っ赤だなぁ」

 

「おまっ、おまえもだろ」

 

 しまりのない口元を袖で隠しながら、目を泳がせた。

 だってあんなふうにお礼を言われるのなんて初めてだ。

 

 俺はビビリだから、こういうふうに“頑張った”こと、今までなかった。

 だから、頑張って、お礼をいわれるのは本当に本当に初めてだったんだ。

 

 でもルートを決めてくれたのはルークだし、みんなを纏めてたのはジェイドさんだし、敵の牽制は駐留軍の人たちがやってくれた。

 ひとりでやったわけじゃない。俺のしたことなんて微々たるもんだ。たくさん怖い思いもした。

 

 なのに、さっきお礼を言われた瞬間、なんだか体も心もすごく軽くなった。

 ふわっと自分が浮かび上がるようなあんな感覚も、はじめてだった。

 

 ルークと二人で、にへにへと妙な笑いを浮かべていたら、様子を見ていたジェイドさんとティアさんまで顔を見合わせたかと思うと、ジェイドさんは軽く肩をすくめて、ティアさんは微笑ましげに、小さな苦笑を零した。

 

「ま、よく頑張りましたね」

 

 緩められた赤色と静かに告げられた言葉に俺が固まっているうちに、ルークは照れ臭そうにしながらも「みんなが助けてくれたおかげだよ」と返す。褒めても何もでないとちゃかした大佐に笑い声を上げるルークとティアさん。

 

 そんな光景を視界に留めつつも、俺は茹だりそうな頭で幸せを噛み締めていた。

 

 じぇ、じぇ、じぇいどさんがほめてくれた。

 もしかすると、頑張るってすごいことなのかもしれない。

 

 そう思うとビビリ続けた戦場横断も無駄ではなかったような……

 ……いや、出来ればもうやりたくないが。

 

 

 

 そのあと街中でカイツールに行っていたはずのナタリアさん達と出くわして、俺達は揃って目を丸くした。

 聞けば唯一戦いを停戦に持ち込める責任者のアルマンダイン伯爵が、大詠師モースとの会談のためにケセドニアに来ているらしい。

 

 戦場横断なんてお互い無茶なことをやるなぁと一介の兵士である俺は思う。だ、だって普通やらないだろ。そもそも怖いし。

 

 でもいざってときにそういう無茶な判断が下せるってすごいことだ。

 大事なとき、ビビってばっかりじゃ何もできない。

 

 誰も、助けられない。

 

「ルーク、リックも、怪我はしなかったか?」

 

 考え込んでいた俺の思考に入り込んできたさわやかな笑顔と空色の瞳。

 背後にキラキラ輝く後光が見えた気さえした。

 

「ハイ、おかあさん……!」

 

「そうかそりゃ良かっ…え、おか、え?」

 

 しまった、つい。

 一瞬白くなったガイに慌てて何でもないと首を横に振る。

 隣で大佐が「あぁ最適ですねアレより」と愉快げに呟いたのが聞こえた。脳裏を過ぎるはまたもやブウサギに囲まれたイイ笑顔。

 

 正直ピオニー陛下はお母さんてガラじゃなさすぎると思います。

 お母さんは子供に「見てみたいから青色ゴルゴンホド揚羽とってきてくれ三日以内で」とか言わないんじゃないでしょうか。

 

「中身はただのガキ大将ですからねぇ」

 

 心を読んだような大佐の相槌を含めて少し遠い目になる。

 俺 口に出してない、口に出してないです。でもそこはやはり大佐だから。

 

「ですよね~」

 

 とりあえず全開の笑顔で気付かなかったふりをしてみた。

 

 世の中には突っ込んじゃいけないこともあるんだ。

 なんとなくそう悟った俺は今日、少し大人になった。

 

 

 



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Act28.2 - ひよこ一歩前へ

 

 『偽の姫に臣下の礼を取る必要はありませんぞ』

 

 『唱師アニス・タトリン。ただ今を以って、あなたを導師守護役から解任します』

 

 色んなことを一気に起こすのがここ最近のハヤリなんだろうか。

 

 どれもこれも起きる時は突然で、なおかつ怒涛のようにやってくるから、俺は毎度足りない頭を必死に動かすハメになるんだけど。

 

「皆さんも、アニスをお願いします」

 

 

……そろそろオーバーヒートしそうです。

 

 

 イオンさまはダアトに帰っちゃうし、ナタリアさんは元気が無いし、アニスさんもどことなく落ち着かないしティアさんは考え込んでるし、

 女性陣のおしゃべりが無いとまるで灯が消えたようで、釣られるように気が滅入ってくる。しかもみんな俺ではどうしようもない悩みばかりだ。ガイのように元気付けてあげる事も出来ない。

 

 それでもってケセドニアまで崩落しそうだなんて、ああもう俺どうすれば。

 

 

 ケセドニアを無事に魔界まで下ろすため、大佐の案でパッセージリングを操作しにザオ遺跡へ向かおうとしていた俺たち。

 

 途中で入ったアッシュ通信でオアシスにも寄る事になったようだけど、ケセドニア出口にて足を止めて綺麗な笑顔で俺を振り返った上司を見て、俺もにっこりと笑った。

 

「お留守番ですか?」

 

「やあ理解が早くなってくれて助かります」

 

 ぼたぼたと涙を滴らせつつ、そんなめっそうもありません、と震える声で返す。

 こう何度も置いてかれればいくら俺でも展開が読めるようになる。

 

「貴方はここでアルビオールの到着を待って、エンゲーブの方々の避難等、ノエルの手伝いをしてあげなさい」

 

 淡々と指示を出す大佐の声を聞きながら、口を開きかけては閉じた。

 そして全ての説明を終えたジェイドさんが、面倒くさそうに俺を見下ろしてくる。

 

「……あ、の」

 

 連れてってくださいって全力でごねたい。砂だらけの地面を転げまわって泣きつきたい。

 

 だってグランコクマで留守番するのとは訳が違うんだ。

 あそこは“安全”だった。でもここでは、なんの保障もない。

 

 “安全じゃない”この場所でジェイドさんや皆と離れるのは怖い。

 

 『 俺がここに残されたってことは、俺はこの場所でやらなきゃいけないことがあるんです。 』

 

 ぐっと唇を噛んだ。

 だけど、俺は。

 

 (みんなを信じて、俺は、今の俺に出来る事をしよう。)

 

 うつむけていた顔をいきおいよく上げる。

 たぶん眉は八の字になってるだろうし、泣きそうなのを堪えてるから口だって曲がってて、とてもじゃないが凛々しくとはいかない。

 

「……オレ、待ってます」

 

 だけど俺は、イオンさまに言ったあの言葉を、嘘にしたくないから。

 

「だ、だからみんなっ、がんばってください!」

 

 声は裏返りまくりで上司たちを戦地へ送り出す言葉としてはかなり迫力不足だったが、それくらいは許容してほしいところだ。

 

「…………」

 

 おそるおそる見上げた大佐は目を丸くしていた。

 真っ赤な瞳は少しの間まっすぐに俺をみすえ、やがて小さく息をつく。

 

 そしてほんの少しだけ、笑った。

 それは苦笑に近かったけど、なんだか柔らかくて、今度は俺が目を見開くことになった。

 

「頼みましたよ」

 

 笑みと共に告げられた言葉に一瞬耳を疑い、もういつもの完璧な笑顔に戻った大佐を見返して、キラリと表情を輝かせる。

 

「は、はははい! りょ、りょうかっ、了解しまちた!」

 

ああもう噛んだ!

 

 だけどそんな事すぐにどうでもよくなるくらい嬉しい。

 大佐が俺に任せてくれたんだ。

 

 

「俺 頑張ります、ジェイドさん!」

 

 ケセドニアを出たみんなの背中を見えなくなるまで見送って、ひとり拳を握った。

 

 



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Act28.3 - 国境線 教室

 

 みんなを見送り、頑張るぞと気合を入れた数十分後。

 俺は同じ場所で途方にくれていた。

 

 そうだよな、頑張るったってな。

 

「アルビオール~」

 

 頑張るべき場所が来てなきゃどうしようもない。

 エンゲーブの先に到着した人たちはもう案内されて避難場所へ行ってしまっているし。

 

 そのまましばらく立ち尽くしていたんだけど、出入り口を見張ってる兵士さんの視線が痛くなってきたので渋々移動する。

 ケセドニア内ならどこに居たってアルビオールには気付くだろうから、散歩でもしてようか。

 

 出鼻をくじかれて微妙にテンションが落ち込みつつも、とりあえずマルクト側に戻ろうと現在封鎖中である国境線の真ん中に立つ酒場のドアを開けた。

 

「あ」

 

「おや、アンタ」

 

 入ってすぐ、目に入ったのは酒場の隅にたむろしている三人組だった。

 その中のひとりである女性が俺に気付いて目を丸くする。

 

 通行料がどうのという話で彼らと揉めたのはついさっきだ。

 すっかり忘れていたけど、そりゃ来るときにいたなら戻るときもいるか。

 

 ええと、だけど、何ていう名前だったかな。

 翼、なんとかの翼。

 

 後ろ手に扉を閉めながら考える。

 

「え~……えぇえと、あの、あれだ、密告の翼!」

 

「漆黒だよ」

 

 脇にいた海賊みたいな格好をした人が呆れながら訂正した。確か彼はヨークと呼ばれていただろうか。

 

「まだここに居たんで…居たのか?」

 

 敬語を使ったものかと迷う。

 でもいちおう彼らは盗賊団で、俺はマルクトの兵士だし、あまり下手に出るのは良くないかもしれない。いや、怖いから上手にも出ないけど。

 

「そっちこそ。坊やたちはどこかに行ったんだろ、アンタ置いてけぼりかい?」

 

「ちちちちがうやい! 断固違う! 置いてかれたんじゃないもんね! 俺は別の仕事を頑張るのっ!」

 

「……そ、そんな涙目になることないじゃないの」

 

 ちょっと困ったように言いながら、覗き込んでいた手鏡をぱちんと閉じる。

 そして女性、ノワールは俺を見てふと首をかしげた。

 

「別の仕事があるって言うわりには、さっき暇そうな顔してたねぇ」

 

「それは、その、別の仲間が到着するまではやることなくて」

 

 だから散歩でもしようかと思ったのだと正直に告げると、彼女は「ふぅん」と軽く相槌を打って紅色の口元に笑みを乗せた。

 

「急ぎじゃないなら、ここにいたらどうだい」

 

「ノワール様、良いんでがスか?」

 

 そう言って手品師みたいな格好をした小男、ウルシーがノワールを仰いだ。

 まぁやる事はないけど、顔見知りでも盗賊団と一緒っていうのは怖いような気もする。

 

「ちょろちょろと往復されるほうが迷惑さ、憲兵にバレちまうからね。分かったらそのへんで大人しくしておいで」

 

 不本意ではあったけど、ここは本当に困ってる人が通るとさっき聞いたから、そう言われると心苦しい。

 考えた末に彼らとは少し離れた場所にあるカウンター席に腰を下ろした。

 

「お前さん、ただの兵士だろ。あんな仰々しい連中によく付き合ってられるもんだよ。この隙に逃げちまえばいいのに」

 

 からかい混じりに言ってきたヨークに、俺はムッと眉をつり上げる。

 

 公爵子息、皇女、主席総長の妹さん、導師守護役に元マルクト貴族、マルクト軍の第三師団師団長、そしてさっきまでいたローレライ教団の導師さま、という、確かに時折 泣きたくなるほど仰々しいというか神々しい顔ぶれには違いないが、その言葉は聞き捨てならない。

 

「付き合ってるんじゃなくて俺が必死に付き纏ってるんだよ! ちょっと気を抜いたら捨てられそうなこの状況の怖さが分かるか!」

 

「……よく分からんが悪かった」

 

 さらに呆れ顔で腕を組み直したヨークと入れかわりに、ウルシーが俺の顔を覗きこむ。

 

「なんでそんなに付いて行きたいんでがスか?」

 

「そりゃ、大好きだから。今回だって泣いたほど付いて行きたかった」

 

「泣きたいほど、じゃないのか」

 

 泣き済みだ。ヨークの突っ込みに背中で語る。

 

「……だけどあの人が頼れるような部下になりたいから、俺も頑張ることにしたんだ。でもいざ頑張ろうと思ったら頑張る場所が到着してなくて」

 

 勢いばかり空回った結果の今の脱力具合。

 溜息をついた俺を、ノワールがまた手鏡をいじりながらチラリと見た。

 

「アンタの首の上に乗っかってるのは飾りかい?」

 

 ぱちっ、と手鏡を閉じる軽い音。彼女はカウンターの上に乗り出して距離をつめると、人差し指で俺の頭を指差す。

 

「え、えぇ?」

 

「戦争の起きてる今、手が欲しい場所は五万とあるんだ。それならこんなところでグズグズしてないで、仕事のひとつも探しに走り回ってきたらどうだい」

 

 マニキュアのついた爪で軽く額をこづかれる。

 突かれた場所を押さえながら、呆然と彼女を見返した。

 

 ピシャリとした言葉。

 それはしっかり自分の足で立ってきた人の声だった。

 

「まあ言われた事だけこなすってのもありだよ。余計な行動は嫌がられる場合が多いしねぇ」

 

 だけど、と彼女は言う。

 

「本当に頑張りたいと思うなら、自分の頭で考えて動いてみるのも良いんじゃないのかい」

 

 本来の仕事に差し障るほど大層なことじゃなくていい、

 ほんの小さな事でいいんだと、ノワールは大人の女性の顔で笑った。

 

 そして気付く。

 俺、変わりたいとか言っといて、やっぱり大佐に頼ってたんだ。ジェイドさんの命令に。

 

 言われたことをこなして、例えば何か悪い事が起きたとき、その責任は“言った人”に降りかかる。それは大抵の場合が上司で、つまりはジェイドさんに。

 

 俺はずっと自分が“責任”を被るのが嫌だっただけなんだ。

 

 

 ……頑張るって思った以上に大変なことなんだなぁ。

 

 ノワールをちらりと伺い見る。

 盗賊団の人たち。だけど、さっきより怖くなくなっていた。

 やり方は悪いのかもしれないけど、彼らは俺よりずっと強く生きてる。

 

 

 ぎゅっと拳を握ったところで、上空から聞き覚えのある音が響いてきた。

 他の譜業には出せないこの風を切る音は。

 

 俺はすぐさま表情を輝かせて立ち上がった。

 

「アルビオールだ!」

 

 勢いよく扉のほうに向かいかけ、途中ではたと彼らのほうを振り返る。

 

 兵士が盗賊に言っちゃダメなことだろうという自覚はあるから、気まずい思いに少し舌の上でもごもごと言葉を転がしたけど、意を決して口を開いた。

 

「仲間が着いたから、手伝いにいってくる。でも俺、今度からはもっとちゃんと、自分で考えて動いてみるから、その、」

 

 ああ、まぁいいや。

 この戦時中だし、兵士も賊も無礼講だ。

 

「色々ありがとう」

 

 三人がきょとんと目を見開いたのが見えた。

 

「……それじゃ!」

 

 急ぎ足で外に出て、すぐさま扉を閉める。

 わりと大きな音がしてしまって、慌てて辺りを見回したが、傍に兵士の姿は無かった。

 

 扉に背を押し当てて安堵の息をつく。

 するとその向こう側から、聞こえてくる小さな会話に気がついた。

 

「ああいう助言みたいな事、めずらしいですね、ノワール様」

 

「なんか段々ウチの子供たち見てるみたいな気持ちになって、ついねぇ」

 

「アイツかなりいい大人でがしたよ」

 

「……そうなんだけどさ」

 

 不思議そうに息をつくノワールの声を聞いてから、俺はそろりと酒場前から離れた。

 街の人にアルビオールが下りた方向を尋ね、そちらに向かって走りつつ、冷や汗を拭う。

 

 

 女性の勘って、あなどれない。

 

 

 




ノワールの言う「ウチの子供たち」はナム孤島で養ってる子供達の事。
リックの中身は十歳児。ノワール様大当たり。


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Act28.4 - 見えた迷い

ガイ視点


 

「アンタ、なんでリックを置いてきたんだ?」

 

「なんだか聞き覚えのある質問ですねぇ」

 

 パッセージリングの操作を終えた俺達は、大地が無事に降下するのを見守るため未だセフィロトに留まっている。

 雑談に花を咲かせるみんなの意識がこちらからそれている事を確認して、ひとり操作盤の傍に立つ男の傍に近寄った。

 

 俺の問いに、ジェイドは少々呆れたように首を横に振る。

 

「別に第七音譜術士でも特別な知識があるでもないですから。戦力は足りてましたし、まあぶっちゃけ邪魔ですので」

 

 いつもの笑みを浮かべてそう言ったジェイドを横目に伺って、肩をすくめた。

 この旅を始めて間もないころなら、そんなものかと納得していただろう。

 

 だが例えなりゆきでもこれだけ行動を共にすれば、色々と気付いてくる。

 

「これは俺の勝手な推測なんだが」

 

「どうぞ」

 

「ケセドニアにはノエルが――アルビオールがあるからじゃないのか?」

 

 もし俺達が降下に失敗したとしても、アルビオールがあればこの大陸から脱出できる。命は助かるだろう。

 

「はは、私がそんな慈悲深い人間に見えますか」

 

「それがなぁ、見えないんだよ」

 

 でしょう、と笑う男を見返す。

 リックのやつがキレイだキレイだとよく口にする赤色の目から、何らかの感情を読み取る事はできなかった。隠す事にかけては拍手してやりたいほどそつない奴だ。

 

 ひとつ溜息をはく。

 

 そう、ただそれがリックの安全を確保するためだというなら話はもっと簡単だったのたが、どうも解せないところがある。

 

「見てる限り、アンタにとってアイツはどうでもいい存在じゃない。それは分かる。だけど、大事に庇護するような相手でもないんだろ?」

 

 普段から蝶よ花よと面倒を見ているなら話は別だが、ジェイドはむしろあの臆病さを矯正するために、わざと危険な場所に放り込んでいる節さえある。

 

 今更、危ないからと安全なところへ置いてやったりするだろうか。

 

 

 第一安全とはいっても、ノエルが間に合わなければそれまでだし、逆に一緒に来たとしても、こちらにはティアがいる。もしものときは彼女の譜歌に頼れば最悪自分たちだけでも助かる可能性はあった。

 

 要するに、あそこでわざわざリックを残す意味がないんだ。

 

 エンゲーブの人達の避難なら、アスターが十分人手を集めてくれる。

 彼が手伝う強い必要性はない。それはジェイドも分かっているはずだった。

 

 何から何まで理詰めで動いて、無駄な指示を出すことがない男が時折見せるちぐはぐな言動に違和感を覚える。

 

 彼を相手にしているとき、それこそ父親みたいな顔で背を押しているかと思えば、ここぞという時に距離をおく。

 

 そんなふうに目の前で突然かかる鍵に、無意識か意識か気が付いているのだろうか。

 リックはリックで普段うざいほど付き纏ってるくせに、肝心な時すがる手を引っ込めている気がする。

 

 

 ザオ遺跡に入ってすぐ、前来たときとは取り巻く状況が随分変わったというティアの言葉に、筆頭としてヴァンのことを持ち出した後、ジェイドが小さく零した言葉を思い出す。

 

 それはほとんど音の形を成していなかったから、動いた唇を読めたのは偶然だった。

 

 ( あのこ も )

 

 

 近いような遠いような、奇妙な関係。

 手を伸ばしかけては、突き放す。

 

 この感情を表に出さない男が何を考えてるのかなんて検討もつかないが。

 

「きっとアンタが思うほど、あいつもいつまでも子供じゃないぜ」

 

 徐々に、だけど確かに前へ進み出した二人のレプリカを思う。

 

 子供の成長はいつだって、俺たち大人が考えるよりずっと早いんだ。

 でもそれは、当人達の思い描く速度よりは、ずっと遅いのかもしれない。

 

 

 

「……言われなくとも」

 

 長い静寂の後、ため息と共に押し出された苦味を帯びた呟きに気付かないふりをする。

 彼は立ち上る記憶粒子を眺め、やがてゆっくりと目を伏せた。

 

 

 




それは“チャンス”



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Act29 - 一難去って難乱れ打ち

 

 体を芯から震わせるような地響き。

 徐々に大きくなる揺れを感じて、いよいよだ、と息を飲む。

 

 崩落が始まった。みんなは間に合ったんだろうか。

 エンゲーブの方々の避難も済み、アルビオールの傍で共に待機していたノエルと顔を見合わせる。

 

 緊張で力の入らない両手を動かし、なんとか胸の前で組んでみせた。もうこうなると祈る相手は神様じゃない。

 

「ジェイドさんジェイドさんジェイドさん……」

 

「効きますか?」

 

 わりと必死に彼の人の名前を唱える俺を見て、ノエルはちょっと苦笑気味に言う。

 

 祈るって信じることだ。

 そして俺が信じているのは、不特定多数の神様より、ローレライより、始祖ユリアより。

 

「もちろん! ジェイドさんの呪いの効力は絶大なんだよ!」

 

「あ、ご加護じゃないんですね……」

 

 うん。呪い。

 

 

 

 大地がゆっくりと魔界に着水したのを確認したら、どうも気が抜けたらしく、いつのまにか眠り込んでいた俺をノエルが明るい声で揺さぶる。

 

「そろそろ皆さんが帰ってくると思いますよ。お迎えに行きましょう!」

 

 半分寝ぼけていた頭が、皆が帰ってくる、の一言で一気に覚醒した。

 降下が始まってしばらくしても誰かが戻ってくる様子がなかったので、きっと完全降下するまで様子を見ているんだろう、という話になったんだった。

 

 降りたのを確認してザオ遺跡を出たなら、もう着く時間らしい。

 もつれかける足を必死に前後させて、アルビオールから正反対の位置にあるザオ砂漠側のケセドニア出入り口を目指す。

 

 

 そして目的の場所が見えてくると同時に、砂漠の向こうから来る人影にも気がついた。

 

 俺はすぐさま表情を輝かせて強く地を蹴り、見えた青色の軍服に向かって走る。

 

「ジェイドさーん!」

 

 そのままの勢いで飛びつこうとすると視界の端で大佐の右腕がぴくりと動いたのを見て取り、無意識のうちに額に掛かるであろう圧力を察して動きを止めた。

 

 しかし、いつまで経ってもアイアンクローも鋭いニーキックも跳んでこない。

 そうなるとかわされて地面にスライディングという展開になるのだが、大佐は避けてもいなかった。

 

 広がるのは視界いっぱいの青色と、不自然な沈黙。

 

 俺は抱きつこうと伸ばしていた両腕をしばらく漂わせたあと、所在無く引き戻し、静かに姿勢を正した。

 おそるおそる盗み見た大佐はなんだか渋い顔をしている。

 

「え、えぇっ~…と……」

 

 背筋をじわじわと上る気まずさに視線を泳がせたところで、突如おもいきり肩を叩かれた。あイタ。

 

「いやーリック!ノエルも大丈夫だったのか! 待っててくれたんだなー! 大変だったろごくろうさん!」

 

 そこはかとない棒読みでそう言ったガイが、そのままの勢いでスポーツマンのように俺の肩を抱いて無理やりぐるんと180度方向転換させる。

 

「色々あったけどちゃんとルークがパッセージリング操作してくれたし、こうして外にでたら無事 ルグニカ大陸も降下したし、いやあ良かったなー、ああ良かった」

 

「……お、おう」

 

 いつだってさわやかな男のいつにない勢いに押されて歩いていこうとしたところで、大佐がはっとしたように、申し訳ないがまた飛んでもらえるか、とノエルに言った。

 

 気になることがあるという大佐の姿に、ちょっと嫌な予感がする。

 アニスさんも言ってたけど、ジェイドさんがこういうってことは、きっと良くないことがあるんだ。

 

 そうして皆でアルビオールに乗り込んだときには、もう大佐はいつもどおりで、俺もさっきの奇妙なぎこちなさの事はすっかり忘れてしまっていた。

 

 

 

 

「パッセージリングが賞味期限か……」

 

「耐用限界な」

 

 大佐の説明を聞いて呟く早々ルークに半眼でツッコまれる。そうだった耐用限界。

 

 それが具体的にどういう事なのか、考え出したらものすごく怖いところに行き着きそうだったので早めに思考を止める。

 考えて何か実になるなら話は別だけど、俺の場合ただ結果しか浮かんできそうになかったし。

 

 みんなはどうしたものかと話し合っていたのだが、ちょっと途中で歯切れが悪そうに切り出したアニスさんの提案で、イオンさまに会いにダアトまで行くことになった。

 

 

 イオンさま、今どうしているんだろう。

 無事なんだろうか。ヴァン謡将の手が回ってないといいなぁ。

 

 不安はたくさんあったけど、脳裏にあの柔らかな緑色を描いて、俺はちょっと微笑んだ。

 

 

 





サブイベント『セシルとフリングス』
リック「敵同士でありながら愛し合う二人……いいですねぇいいですねぇ! こういうのが愛ってものですよね大佐!」
ジェイド「あなたそういうの好きですね」
リック「そりゃもう! 素晴らしいじゃありませんか! 愛とか平和とか!」
ジェイド「そんなもんですか」
リック「ああもう、大佐は枯れてますー! だから結婚出来ないんですよ!」
ジェイド「……否定はしませんが、あなたに言われるとものすご~くイラッとしますねぇ」

ごめんなさい調子乗りました。
(By.リック)


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Act29.2 - ダアトよいとこ一度はおいで?

 

 みんながみんな敵じゃないと分かっているが、襲撃され続けた旅ゆえに、申し訳なくもダアトにあまり良い印象がない俺は、ルークの後について恐る恐る教会内を進んでいた。

 

 いや、良い思い出がないのはダアトというより信託の盾の制服なのだが、見慣れたアニスさんやティアさんの制服は落ち着くものなのでそのへんは曖昧なところだ。

 

 イオンさまに会いに行くと思えば、となんとか怖さを紛らわせていたのだが、たどり着いた部屋に彼の姿はなかった。

 

 どうしたものかと室内を見回していると、ふいに響いてきた足音。

 

 ちゃんとした許可を貰ったわけじゃないから見つかったら不審者+侵入者で怒られるどころじゃない。みんなで慌てて隣の部屋に飛び込んだ。

 

 俺とルークで念のため軽く扉を押さえながら、弾む心臓をそのままに息をひそめる。

 

「……気のせいだったか」

 

 なんだか聞き覚えのある声だと思ってアニスさんに視線を送れば、彼女は苦い顔で頷いてくれた。

 唇の動きだけで、モース、と返してくる。

 

 そりゃダアトの人なんだからダアトにいるよな。

 考えれば当然の事態ではあったものの、出来れば会いたくない人には違いなかった。気付かれなければいいなと静かに溜息をつく。

 

 だが続けて聞こえてきた声に、大きく目を見開いた。

 

「それより、大詠師モース。先ほどのお約束は本当でしょうね」

 

 そう多く会ったわけでもないのに強烈に脳裏に染み付いている。

 

 何であいつがこんなところに…いやもとい、奴も六神将。モース同様ここにいてもおかしくない顔なんだった。

 まさかヴァン謡将まで出てきたりしないよな、なんて嫌な汗を滲ませかけたとき。

 

「協力すればネビリム先生のレプリカ情報を……」

 

「任せておけ」

 

 ネビリム、という名前に、反射的に上司の姿を見やった。

 赤い目はじっと声のする扉を眺めている。

 

「…………」

 

 俺は開きかけた口をすぐ閉じて、みんなに見えないよう僅かに顔を俯けてから、眉間に皺をよせた。

 

 少し、目を細める。

 

 

「おい、リック? モース達行ったから、俺らもイオンのところに行くぞ」

 

「……えっ、あ、うん!」

 

 ガイに目の前で手をひらひらと振られてハッとし、俺は慌てて扉の前から退いた。いつのまにか向こうに人の気配はない。

 

 部屋から全員が出て行くのを見届けて、最後に扉を閉めてから続く。

 

 そのまま後方を歩きながら、前を行く大佐の背中を見つめて、俺はまたちょっと俯いた。

 

 

 

 

「イオンさま! ご無事でよかったです! ヴァン謡将に誘拐されそうになったりしませんでしたか?」

 

「はい、大丈夫です」

 

 再会したイオンさまは別れたときと変わらず、柔らかな笑顔を浮かべてくれた。

 

 大丈夫とはいっても色々前例があるから心配だなぁ。本当に困ってると言われたら優しく笑ってついて行ってしまいそうだ。

 そう思うとやっぱりアニスさんが傍にいてあげたほうがいい気がするけど。

 

 

 セフィロトの暴走について、秘預言に詠まれてないか調べてくれたイオンさまが、詠み終えた瞬間がくりと座り込んだのに、アニスさんと二人慌てて駆け寄る。

 

 秘預言にはアクゼリュス崩落と戦争についてしか記述はなかった。

 もう秘々預言とか出てきても驚かない自信はあるけど、現状としては困ったことにそんなモノ無いらしい。

 

「だってルークが生まれたのは七年前よ」

 

 絶対だったはずの預言に生じた矛盾。

 

「ユリアの預言にはルークが、レプリカという存在が抜けているのよ」

 

 それは一体、何を表しているんだろう。

 

 俺の頭では到底考えの及ばない大きすぎる問題にかるい知恵熱ならぬ知恵頭痛を感じたとき、清閑な礼拝堂に似つかわしくない荒い足音が近づいてきた。

 

「見つけたぞ、鼠め!」

 

 現れたオラクル兵がそう叫ぶが早いか素早く動いた大佐たちに釣られて、うっかり俺も飛び出してしまった。

 剣の柄で兵の一人の腹を殴りつけて昏倒させてから、はっと我にかえる。

 

「う、うわあどうしましょう大佐!?」

 

「衝動で犯行に及んだ殺人犯ですか貴方は。とりあえず殺してはいないんですから捨て置きなさい」

 

「はい……」

 

 出来るだけ優しく床に寝かせて、そっと両手を合わせた。

 ごめんなさい。普段なら俺間違ってもこんな動きは出来なかったんですが。

 

 ちょっと、考え事をしていたせいかもしれない。

 

 また胸の中に立ちこめかけた気持ちを、何度も首をふって振り払う。

 そして強く床を蹴りあげて、みんなの後に続いて走った。

 

 

 走って走って、たどり着いた町の出入り口には、すでにたくさんの兵が待ち構えていた。その中心にはモースの姿が見える。

 強行突破をしようと大佐が詠唱に入った瞬間を見計らったように、辺りに響いたのは本日二度目の声だった。

 

「抵抗はおやめなさい、ジェイド」

 

 またこんな大変なときに、と振り返った先の光景に息をのむ。

 アルビオールで待機しているはずのノエルが、ディストの譜業椅子に乗せられて浮いていた。

 

 それを見た大佐が詠唱を解くと、傍にいた兵が剣を突きつける。

 

「いいざまですね!」

 

 高笑いと共にそう言ったディストに、大佐は「お褒めいただいて光栄です」と肩をすくめただけだったけど、奴相手だとなぜか異様に短くなる俺の気はそこでふつりと切れた。

 

 ディストのほうにびしりと人差し指を突きつける。

 俺どうかしてたと後悔するのは毎回、事が終わった後だ。

 

「てんめジェイドさんに剣つきつけさせるとはどういう了見だ ハナタレー!」

 

 そのときジェイドさんが頭痛を堪えるように眉間に指を置いたのと、他数名が「あーあ」というように空を仰いだのが見えた。

 

 ディストは俺の言葉に顔を歪めると、苛立たしげに腕を組んだ。

 

「うるさいですよ劣化レプリカ2号! ノミの心臓は交換したんですか!?」

 

「そっちこそうるさいな現役だよ!」

 

「力いっぱい言う事じゃないぞー……」

 

 反射的に怒鳴り返せば苦笑するガイの突っ込みが耳に届いた。

 だが届いたと認識できたのは正直 頭が冷えた後のことで、その瞬間はほとんど聞こえてはいなかったが。浮遊椅子の上で意識なくぐったりしているノエルの姿もまた火種だ。

 

「つかオマエ女性に対してなんたる扱いを――!!」

 

「リック?」

 

 だが、そのとき空気を揺らした冷えた声に、俺の頭も一気に冷える。

 見なくても大佐が完璧な笑顔を浮かべているのが分かった。

 

 頭に冷水どころじゃない、瞬間冷凍だ。

 自分のやらかした事を理解するにつれて冷や汗が溢れる。

 

「しーずーかーに、しましょうね、リック」

 

「…………はい」

 

 虫の鳴くような声で返事をした俺の正面、青い顔のディストが目に入り、なんだかしょっぱい気持ちで瞑目した。

 

 

 そうか、お前もか……。

 

 

 




絶対零度のあの笑顔が怖いのは一緒。


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Act30 - 幽閉 イン ザ バチカル

 

 バチカルに着いた早々、ルークとナタリアさんは連れて行かれてしまい、俺達は牢に入れられる事となった。

 

「武器は取り上げられたとはいえ、譜術を使えるジェイドとティアも一緒くたとは、舐めてんのかね」

 

 手抜きなのか何なのか、同じ牢に放り込まれた俺たちの顔ぶれをぐるりと見回して、ガイが少し苛立たしげに息をついた。たぶん二人のことが心配なんだろう。

 

 「あたしだって譜術使えるよー」とアニスさんがガイの言葉に抗議したが、そういうわりにどうでもよさげな彼女も疲れたように溜息を吐く。

 怒涛、怒涛の展開で今度は幽閉とくれば、さすがにへこたれたくもなるはずだ。

 

「そうですね。ノエルを人質にしているゆえだとは思いますが、どうも舐めてるというより、こちらはこちらで余裕がないだけの気もしますねぇ」

 

 それを前提にした上で大佐は、譜術で脱出できないことは無いが、こちらも和平を望む以上あまり手荒な事をするわけにはいかないと肩をすくめた。

 

「ひとまず機を待ちましょう。……ところでリック。いつまで床に転がっている気ですか?」

 

 ひんやりと冷たい石畳に頬を押し付けて丸まっていた俺は、虚ろな目で大佐を見上げた。

 

「大佐……ルークとナタリアさん、大丈夫でしょうか」

 

「明言は避けます」

 

 だがルークは預言を辿るために処刑されてしまうだろうと言ったのは少し前の大佐だ。

 それにナタリアさんだって、本当でなかったとしても世間的に偽王女だってことにされてしまったら、偽証罪とか何とかで最悪の場合ルークと一緒に処刑なんてことになるかもしれない。

 

「ああもうどうしましょう大佐! ルークが、ナタリアさんが、うう、ルーク! ナタリアさん! ルタリクさぁん!」

 

 最後なんか混ざった。

 

 頭を抱えてごろごろと床を転がり出した俺を、足でガツンと止めた大佐が深く深く溜息をはく。じめっとした牢屋の中は溜息のオンパレードだ。俺含め。

 

「ここで心配しても何にもなりません、少し頭を冷やしなさい。こんなときこそ得意の雑談なりなんなりしていたらどうですか?」

 

 その言葉に動きを止めて、再び床に力なく伸びた。

 

 見上げれば赤色の瞳。

 そこでいつもなら完璧スルーな俺の雑談にジェイドさんが付き合ってくれるつもりらしいことを察して、暗い気持ちにサッと光が差し込んだ。

 

 すばやく起き上がって目を輝かせる。

 雑談。雑談。なにか雑談。ジェイドさんの気が変わってしまわないうちに雑談。

 

「えっと、あのっ、牢屋って寒暗いですね!」

 

「まぁ牢屋ですからね。快適にはしてくれないでしょう」

 

 めんどくさそうな顔は相変わらずだけど、返事が戻ってくるというだけで嬉しい。

 俺はさらに明るい笑みを乗せて、ちょっと身を乗り出した。

 

「ですよね、冷暖房 音機関 完備で天蓋付きベッドなんていったら牢屋じゃなくなっちゃいますね。ルークとナタリアさんはどんな部屋にいるんですかねぇ。それで牢屋もせめてじゅうたんだといいですよね。でも二人はきっと高級じゅうたんに慣れっこでしょうね、公爵子息と王女さまですもんね。そういえば喉渇きましたね。二人も喉渇いてないですかねぇ。あっ、それと、」

 

「……分かった、分かりました」

 

 耐えかねたというように瞑目しつつ眉間に皺を寄せて、「止めろ」のジェスチャーで顔の前に手を出した大佐に、ぴたりと動きを止める。

 

「無理に話題を変えなくていいから好きなだけ心配しててください」

 

「ルーク~……ナタリアさん~……」

 

 それを合図にしてまたうなだれた。

 この状況じゃ何をどうしても二人のことが気になってしまう。

 

 そんな俺を見たガイが少し気を緩めた顔で苦笑したのが見えた。

 

「弱ってんなぁ」

 

「脳内構造がほぼチーグルだから群れで行動してないとダメなんです」

 

 ほっといたら死ぬかもしれませんね、と淡々と付け足す大佐の声を聞きながら、牢の鉄格子に寄りかかる。

 

 ああ、もう、誰でもいいから助けにきてください。

 それで、とにかくルークとナタリアさんを助けてください。

 

(お願いします、どこかの救世主さま)

 

 瞼の裏に涙が浮かんでくるのを感じてまたひとつ息をつく。

 そこで、ふと、さっきまで聞こえなかった音がするのに気が付いた。顔を起こす。

 

 内容までは聞き取れないけど、何かを話している声。

 その後に誰かが歩いてくる足音が通路に響いてきた。

 

 兵士の見回りだろうか。

 だけどなんとなく焦りの見える歩調に、みんなで顔を見合わせる。

 

 俺の祈りが届いたのではという期待と、純粋に怖いという不安を胸に、近づく足音の主を待つ。

 

 やがて俺たちのいる牢の前で荒く足を止めたのは。

 

「こんなところにいやがったか! この屑共が!」

 

 剣を片手に仁王立ちで怒鳴り声を上げた赤毛の青年に、俺は目をきゅっと丸くした。

 そのまま一拍の間をおいてから、勢いよく大佐を振り返る。

 

「た、大佐! 本当に救世主が! 悪人顔の救世主さまが!」

 

「ああ本当ですねぇ、悪人顔の」

 

「お前には言われたくないぞ死霊使い(ネクロマンサー)っ!」

 

 俺の言葉にいつもの笑顔を浮かべながら頷いた大佐に、アッシュが剣先を突きつけてまた怒鳴った。

 それに大佐が笑みを深めて首をかしげる。

 

「おや、こんな心優しい軍人を捕まえて何を言いますか」

 

「そうだぞアッシュ…さん! それは聞き捨てならない! ジェイドさんは中身はどうあれ顔は世の奥様がたを虜に出来る穏やか好中年だ! 中身はどうあれな!」

 

 

 エナジーブラストもらいました。

 

 

 ぶすぶすと煙をあげて突っ伏す俺をよそに、アッシュは突然、一太刀で鍵を壊して牢の扉を開けた。

 その剣を鞘に納めて、眉間に皺を寄せる。

 

「ぐずぐずしないでとっとと行け!」

 

「ちょ、ちょっとぉ。行けって言われてもどこ行けばいいワケ?」

 

 慌てて拱手したアニスさんの質問に、アッシュは殊更不機嫌そうに顔を顰めた。

 俺は起き上がりながら、眉間の皺がクセになりそうだなぁとどうでもいいお節介をする。あとこういう短気なところはルークと一緒かもしれないと思った事は、どちらに知れても怒られそうだ。

 

「やつらはナタリアの私室にいる! 分かったら間に合わなくなる前に行け!!」

 

 そう言った後アッシュは事細かにナタリアさんの部屋までの道順を教えてくれた。

 アッシュが良い人なんだか何なんだか、俺はあと少し量りかねてます陛下。いや、良い人なのか?

 

 とにかくみんなで牢から出たところで、アッシュがティアさんに譜歌で兵を眠らせろと言った。

 それというのもアッシュ自身がモースからの頼まれ事だとうそぶいてここへ来たからで、このまま出口へ向かっても捕まるだけだということらしい。

 

 ティアさんは少し迷って、大佐のほうに向き直った。

 

「でも大佐、いいんでしょうか。あまり手荒なことは出来ないと先ほど……」

 

「いいんじゃないですか? 私達を逃がしたのはアッシュで、譜歌を歌えと指示したのもアッシュですから」

 

 その輝かしい笑顔に、全員が一瞬固まる。

 つまり「ぜんぶアッシュのせいにしちゃえ☆」ってことですね大佐!

 

 当のアッシュは少しひるんだものの、すぐ気を取り直して眉間の皺を復活させた。

 

「好きにしろ。その代わりお前らちゃんとナタリアを……」

 

 だがなにやら言いかけて、また口を閉じる。

 そして微妙に気まずそうに「いいから急げ!」とさっきとは違う言葉を吐き出した。

 

 俺とティアさんが首をかしげる横で、なぜか大佐とアニスさんがニヤニヤと笑っていた。

 

 



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Act30.2 - 三年越しの宿題

 

 没収された武器はすぐ見つかった。

 

 手に戻った剣の重さに、ほっと息をつく。使いたくはないけどやっぱりあると落ち着くものだ。

 でも牢の入り口あたりでぞんざいに置かれていたところを見ると、こちらもジェイドさんの言ったとおり余裕がなかったのかもしれない。

 

 前にバチカルへ来たとき、耳にした噂話といえば大抵がナタリアさんのことだった。

 国民のことを一番に考えてくれる良い王女様なんだと、民間人も兵士も嬉しそうに話していたのを思い出す。

 そのナタリアさんがこんなことになって、思った以上に身内の動揺も深いんじゃないだろうか。

 

 俺だってジェイドさんが……えぇと……本当は槍使いじゃなかったとか言われたら……。

 ……いや、別にそんなに驚かないな。もう十分すぎるほど強力な譜術があるし。なんか例えが悪かった気がする。

 

 とにかく大好きな人が生きるか死ぬかの騒ぎになったとしたら、とてもじゃないが気もそぞろで、任務どころじゃないだろう。それが俺たちへの中途半端な処置に繋がっていたのかもしれない。

 

 

 アッシュは譜歌の余波を食わないように一人で先に出て行ったのだが、罪人部屋の外にはすでに彼の姿は無かった。別に合流するつもりはなかったらしい。

 

 やっぱりよく分からない人だなぁ、と二転三転するアッシュへの印象を抱えながら、とりあえずティアさんの譜歌で兵士達を眠らせながら、教えてもらったとおりナタリアさんの部屋に急いだ。

 

 そしてそれと思しき部屋の前でもう一度譜歌を歌って貰ってから中へ入ると、呆気にとられた顔のルークとナタリアさんがいた。

 でもナタリアさんはなんだか顔が青ざめていて、俺はみんなの後ろで少し眉尻を下げた。

 

「間に合ったわね」

 

「ティア! みんな! どうしてここに!」

 

 二人に泣いて抱きつきたいところだったが、感動の再会は後回しだ。

 急いで逃げよう、とみんなが身をひるがえしかけたとき、ナタリアさんの制止が響く。

 

 インゴベルト六世陛下に会ってちゃんと真意を聞きたいんだと、彼女は震える手を握り締めながら言った。

 

 ナタリアさんは強い女性だと思う。だけど、やっぱり女の子なんだ。

 

 こんな状況、怖いに決まってるのに。

 

「……危険だけは覚悟してください」

 

 眉を顰めた大佐の言葉にはっとする。

 

 ティアさん、アニスさんは神託の盾の人だから、一時拘留はされてもそう大事にはならないだろう。ガイだって元々はファブレ家の使用人だし。

 

 しいて言えばマルクトの人間である俺と大佐は怪しいが、差し迫って危ないのは、預言の件があるルークと、偽王女疑惑のナタリアさんなんだ。

 

 それでも行くと二人が言うなら、俺が怖いから早く逃げようなんて言えるわけがない。強めに拳を握って、自分に気合を入れた。

 

 今の俺が出来ること。ナタリアさんとルークのお手伝いをすること。

 

「俺、がんばるよ」

 

 ノワール。

 あのときの助言、きっと活かしてみせるから。

 

 

「何してるんですか。行きますよ、リック」

 

 背後から掛かった声を聞いてみんながとっくに部屋を出ていた事を知り、慌てて後を追った。

 

 

 

 

 謁見の間の下に広がる大広間。

 すべての兵士が床に転がって眠りこけている光景に、舌をまく。ティアさんの譜歌ってすごい威力だ。

 

 それでもきっかけがあれば起きてしまうとの事で、なるべく慎重に長い階段を上ると、謁見の間の前で大佐が俺を振り返った。

 

「あなたは、ここで見張りをお願いします」

 

「はいっ。了解しました」

 

 返事の声はちょっと控えめに。

 

 そして扉の向こうへと消えたみんなの背中を見送ってから、静かに扉脇に控えた。

 見張りだって立派な任務だ。任されたことを精一杯やればいい。

 

 だけど、さすが王宮の豪華な扉だけあって中の声がちっとも聞こえてこない。

 

 どんなことになってるんだろう。

 でも直に会って話せば、いくらなんでも分かってくれるはず……だと思いたい。

 

 ナタリアさん、大丈夫かなぁ。

 

 そわそわと剣の柄をいじっていると、ふと誰かがこちらに向かってくるのに気付いた。

 まさか兵の誰かが起きたんじゃ、と一気に跳ね上がった鼓動を抑えつつ、剣に手を掛ける。

 

 ここは絶対通さないぞ。通さないったらな。

 だだだだからこっち来るなよ。頼むよ、なぁ。

 

 そんな祈りもむなしく一直線に走ってくる人影に、内心悲鳴を上げながら剣を抜きかけたとき、あれ、と首をかしげる。

 

 あの見事な赤色の髪は。

 

「アッシュ?」

 

「中々来ないと思ったら何こんなところで油売ってやがるッ!!」

 

 二段飛ばしで階段を駆け上がってきたアッシュにそのままの勢いで胸倉を掴まれた。

 え、ま、待ってたんだ?

 

 それなら罪人部屋を上がったところで待っててくれたら良かったのに、とここで言える勇気は俺にはなかった。

 

「ナタリア…っあいつらは!」

 

「い、今 この中でインゴベルト陛下と」

 

 言い終えるより先に舌打ちをしたアッシュが、扉に手を伸ばす。

 そこで自分が見張りを任されていたことを思い出し、慌ててそれを遮った。

 

「ちょ、ちょっと待て! ここは通せな……っ」

 

「退け!」

 

「おぅわっ」

 

 業を煮やしたアッシュが俺もろとも扉を押し込む。

 そして両開きの扉が音を立てて開き、俺はそのまま背中から内側へと倒れこんだ。

 

「ル……アッシュ……」

 

「リック?」

 

 逆さまになった視界に、ことさら青ざめたナタリアさんと、赤い目に俺を映した大佐の姿が見える。

 

「大佐~。アッシュが……」

 

 おそらく情けない顔になっているだろうと思いながら泣きつくと、大体事情を察してくれたらしい大佐がひとつ息をついた。

 当のアッシュは転がった俺に構う事なく、つかつかとみんなのほうへ歩み寄り、すばやく剣を抜いた。

 

「せっかく牢から出してやったのに、こんなところで何してやがる!」

 

 やっぱりアッシュの性格が掴めないけど、とりあえず今は助けてくれるようだ。

 自分がここを食い止めるというアッシュに一喝されて、心配そうなルークとナタリアさんも渋々場を離れた。

 

 とにかく今はバチカルを出なきゃならない。

 

 みんなで急いで走る中、俺は話し合いの内容を聞く事はできなかったけど、暗い顔のナタリアさんを見ればそれだけで結果は十分わかってしまった。

 

 なんでだろう。なんでみんな迷うんだろう。

 別に本物とか、偽物とか、どうだっていいじゃないか。

 

 

 『お、俺、……ルークじゃないから……』

 

 『私、本当の娘ではないのかも知れませんのよ』

 

 『だってそうだろ。俺が生まれたからこの世界は繁栄の預言から外れたんだ』

 

 

 どうして、“そんなこと”で悩むんだろう。

 

 

 『 お兄ちゃんのにせもの! 』

 

 

 瞬間、脳裏に鮮やかによみがえった声に、眉を顰めた。

 

 

 途中ペールさんや白光騎士団の方々、町の人達の手を借りて追っ手から逃げながら、俺は頭に掛かる靄の意味を考えていた。

 

「待て! その者は王女の名を騙った大罪人だ!」

 

 中心街に差し掛かったところで、現れたのはゴールドバーグ師団長だった。

 彼のことも止めようとする市民の人達に、逃げて、とナタリアさんが必死に声を上げたけど、みんなは頑として道を開けようとはしなかった。

 

 ナタリアさんが王家の血を引こうが引くまいがどうでもいいんだと彼らは言う。

 

 本物も、偽物も、どうでもいい。

 同じ言葉を使っているのに、俺とは全然違うことを言っているような気がした。

 

 なんでだろう。

 

「ええい! うるさい、どけ!」

 

 ゴールドバーグが国民に剣を振るう。

 

 なんで。なんで。

 

「やめろ!」

 

 耐えかねたように、ルークが前へ飛び出したのが見えた。

 ルークが危ないと思うのに、体が動かない。

 

 なんで。

 

(―― ああ、だから、オレは)

 

「キムラスカの市民を守るのが、お前ら軍人の仕事だろうが!!」

 

 高らかに響いた怒声にはっと意識を引き戻すと、そこにはアッシュがいた。ルークも無事だ。

 

 内容はよく聞こえなかったけど、アッシュが何かを言うとナタリアさんの表情が少し明るくなったのが見えた。

 その次はルークに向けて、ドジ踏んだら殺す、とちょっと剣呑なことを怒鳴る。

 

 ルークは不満げに「けっ」と吐き捨てたけど、そのあとすぐに「お前こそ無事でな」と付け足した。そんなやりとりに俺も少し笑って、アッシュを見る。

 

「ありがとうアッシュ…さん」

 

「…………」

 

 戻ってこない返事と、僅かに揺れた背中に、笑みを深めた。

 そしてようやく定まりかけているアッシュへの気持ちを、正直に述べる。

 

「お前 悪人顔なのに良いやt 」

 

「もろとも切られたくなかったらさっさと行け」

 

 





リックのADスキル『アッシュを苛付かせる』が絶賛発動中。
AD Skill Effect! AD Skill Effect!

>それなら罪人部屋を上がったところで待っててくれたら良かったのに
アッシュがいなかったのは、白光騎士団その他もろもろにナタリア達の脱出を手伝うよう手回ししていたからです。


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Act30.3 - イニスタ湿原の葛藤

 

 バチカルを出たものの、ザオ砂漠は崩落してしまった。

 アルビオールのない今、現在残る唯一の退路であるイニスタ湿原。

 

 そんな湿気と暑さが嫌な感じに入り混じる場所を、俺達は進んでいた。

 

「……リック、手を離しなさい」

 

「だだだだってジェイドさん! さっきの魔物見たじゃないですか!」

 

 さっきから大佐の服の端っこを掴んで小さくなりながら歩く俺に、溜息をついた大佐が呆れたように言った言葉を盛大に拒否する。

 

 あんな怖そうな奴がうろついてるなんて聞いてない。

 というか、ジェイドさんすら驚くような薄ぼけた魔物の話を俺が知るわけない。

 

「大佐、あたしの持ってるラフレスの花粉、リックに渡しましょうかぁ?」

 

 前を歩いていたアニスさんが、手にした小袋を掲げて揺すった。あれはさっきの魔物が嫌いな花の花粉だそうだ。

 

「いえ。どうせ肝心なときに『落としました!』なんて有りがちな展開で終わるのが見えてますから」

 

「ジェイドさぁん~!」

 

 未来を見てきたような話ぶりに服を握り締めたまま泣きつくと、ガイやルークの笑い声が聞こえてきた。

 

「ははっ、いつでもどこでもリックはリックか」

 

「あいつもよく飽きずにビビるよなぁ」

 

 な、と水を向けられたナタリアさんが、少しだけ口元に笑みを乗せたのが見える。

 滴る涙をぬぐいつつ、そのことに内心ほっと息をついた。

 

 無理もないけど、ナタリアさんはバチカルを出てから前以上に元気がない。

 みんなあの手この手で元気付けようとしている中、俺の情けないビビリ姿ひとつでちょっとでも笑ってくれたなら良かった。

 

 いや、でも怖いのは良くないけど。

 あんなどう考えても敵わない魔物、怖すぎる。

 

 

 

 

「……ジェイド! 休憩!」

 

 湿原をだいぶ進んだところで突然ガイが上げた声に後ろを向くと、立ち止まっていたらしいナタリアさんがはっとこちらを振り返ったところだった。

 

 道中も度々後ろ、バチカルのほうを見ていたナタリアさん。

 そんな彼女をよく気に掛けていたのは、この顔ぶれ切ってのお母さ…フェミニストのガイだ。

 

 でもガイだけじゃない。みんな心配していた。

 ルークもティアさんも、アニスさんも、きっとジェイドさんも、もちろん俺も。

 

 バチカルの、人達も。

 

「バチカルのみんなはキムラスカの王女じゃなくて、ナタリアが好きなんだよな」

 

 噛み締めるように言ったガイの言葉に、俺はゆっくりと空を仰いだ。

 

 王女じゃなくて、ナタリアさん。

 本物とか偽物じゃなくて、みんなナタリアさんが好きなんだ。

 

 ナタリアさんっていう、ひとりの優しい女の子が。

 

「……あの、俺も、月並みだけど」

 

 みんなの話の合間に割り込むのは少し気が引けたけど、恐る恐るの拱手付きで声を上げれば、みんなと、ナタリアさんの潤んだ瞳が俺のほうに向いた。

 ごめんなさい何でもないです、と言って逃げたい気持ちを押さえつける。

 

「俺が知ってるのは王女さまじゃなくて、ナタリアさんだから、王女さまかどうかは関係ないから……その、俺もナタリアさん大好きですから!」

 

 なんだか話が繋がってないけど、拳を握り締めて詰め寄れば、ナタリアさんはきょとんと目を丸くした後、目元を指で拭いながら柔らかに微笑んでくれた。

 

「それに、陛下がどうしても拒絶するならマルクトにおいで。キミなら大歓迎さ」

 

 続けられたガイの言葉に、今度はナタリアさんの顔が真っ赤になる。

 なんか関係ないのに俺までちょっと赤くなりそうだった。

 

 女性への言葉にはうとい俺だけど、これだけは分かる。

 ガイって、きざだ。

 

 

 

 

 そんなこんなで少し元気を取り戻したナタリアさんに、安心してまた湿原を進み始める。

 俺は後方を歩きながら、とにかく笑ってくれてよかった、と笑みを浮かべた後、ふと真顔になって俯いた。

 

 自分と、バチカルの人達との違いに、ほんの僅かでも気付けた気がしたから。

 

 

 正直言えば、ぴんとこなかったんだ。

 

 自分が自分でしかなかった。

 自分の存在が揺らぐことなんてなかったから、二人がなんで悩んでいるのか、分からなかった。

 

 

 動きの鈍い頭に酸素を送るように、短く息をつく。

 

 アッシュにレプリカが最悪の模造品だと聞いたとき、多少なりと分かったつもりだったのに。

 

 俺はすぐ忘れる。

 俺はルークやナタリアさんが悩む理由が解らない。

 

(こんなだから、オレは)

 

 あのとき、“間違って”しまったんだろうか。

 

 『 お兄ちゃんの にせもの! 』

 

 

「リック」

 

 鼓膜を揺らした呼び声に、急いで意識を引き戻す。

 

「あ……はい、大佐」

 

 いつのまにか横を歩いていた大佐を見て首をかしげる。

 さっきの休憩で幾分落ち着いたから、もう服を握ってはいない。

 

 特に怒られるようなことは無かったはずだが、と怒られる前提で考えているのもまずい話だろうか。

 

「瘴気に続いて、今度は湿気に頭をやられましたか?」

 

 だが大佐はどこか揶揄するような笑みを浮かべてそう言った。

 

「いきなり何言うんですか、ひどいなぁ」

 

「いいえ。どこかのバカがいつになくバカな顔をしてたんで、きっとバカなことを考えているんだろうなと思いまして」

 

 いつになく滑らかにすべりでる言葉を聞いて、俺は曖昧に笑った。

 性格的なものなのか、あんまりこういう笑い方は得意じゃなかったけど、今はこれしか出てこない。

 

「そんなことないですよ。やだなぁ、大佐」

 

 ちょっと歩調を速めて、弾むように歩きながら俺は元気よく角を曲がった。

 

「ハハ、俺ほんと何も、」

 

 肩越しに大佐のほうを振り返ってそう言った後、おもむろに顔の向きを正面に戻す。

 

 真っ黒でつやつやとした毛並みが、視界いっぱいに広がった。

 やあ、素敵な毛皮ですね。

 

 

「……ぅいひぃあぁああ!!」

 

 例の魔物の出現により、強制的にジェイドさんとの会話は途切れた。

 ああ、どさくさに紛れて助かったような全然助かってないような……。

 

 

 

 

 もうすぐ湿原を抜けられる。

 度重なる逃走劇にぐったりと歩いていた俺の肩が、ぽんと叩かれた。

 

 緩慢な動きで振り返れば、そこにはきれいな深緑色の瞳。

 

「ナタリアさん? どうしました?」

 

 ぽろっと言ってのけてから、敬語を使ってしまったことに気付きとっさに口を押さえた。そんな俺を見たナタリアさんがいつもの強気な目で腕を組む。

 

「リック」

 

「……はい」

 

 じゃない、「ああ」だ。またしても。

 これはお説教だろうか、と眉尻を下げる。

 

 だがナタリアさんは何故か、してやったりというように微笑んだ。俺の鼻先にぴしりと人差し指を突きつける。

 

「私は本当の王女ではないのですよ」

 

「ナタリアさん、それは……!」

 

 どれだけ慰めようと思っても、そればかりは一朝一夕で心の整理がつく問題じゃないはずだ。

 やっぱりまだ落ち込んでるのでは、と身を乗り出した俺を手でそっと制して、彼女は笑った。

 

「ですから、ナタリアさん、は止めてくださらない?」

 

 その悪戯っぽい笑顔に目を丸くして、それからゆっくりと笑みが浮かんできた。

 俺達は最後尾にいたから、足を止めてもすぐには気づかれない。

 

 向かい合い、改めて目を合わせる。

 やっぱり強いなぁ、“女の子”は。

 

「ナタリア」

 

「はい」

 

 二人で顔を見合わせて、また笑った。

 

 

 そうだよな。

 俺にとってナタリアさん…ナタリアはナタリアだ。

 

 ルークとアッシュだって、

 

 

 そう考えた瞬間、ぴくり、と指先が痙攣した。

 

(……ルークとアッシュだって、なんだ?)

 

 合わせて体全体を取り巻いたのは、それまでずっと流れていた木の葉が川べりに引っかかったような、奇妙な感覚。

 

 

「リック、いきましょう」

 

 呆然と手の平を額に当てた俺の耳に届いた穏やかなナタリアの声に、はっとして笑みを浮かべた。

 

「うん」

 

 しっかり元気を取り戻した様子の彼女に安堵して、その華奢な背中を追い歩き出す。

 

 

 ただ脳裏を過ぎった矛盾の意味に、気付かないふりをして。

 

 

 





リックがこれまでレプリカだ偽者だの悩みにわりとノータッチだった理由。

ナタリアの偽王女騒動についても、リックが心配してたのは「ナタリアさんの元気が無いこと」についてだけで、彼女の心情なんかはいまいち分かってなかった。


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Act31 - ベルケンドの悪夢

 

 湿原を抜けて、たどり着いたのは俺にとって二回目のベルケンド。

 

 そういえば一回目のときは、

 ルークがいない。ガイが怖い。ジェイドさんがフォミクリーの発案者だってスピノザに暴露されてしまう。ガイが怖い。ガイがルークを追うために抜けてしまう。

 

 などなど色んなことがあったっけ。あれ、ガイが怖いって二回言った?

 

 まあ何はともあれ、今度は何事も無いといいなと空に願いをかけてから数分後のこと。

 

「本当にこのまま行くんですかぁ?」

 

 俺は大佐のナナメ後ろを歩きながら、震える声で問うていた。

 

 

 情報入手のためにスピノザを絞り上げるべく第一音機関研究所に向かった俺達は、その入り口でオラクル兵に呼び止められた。

 早々に見つかったと一瞬肝を冷やしたが、どうも様子がおかしいと思ったら、話を聞くに兵士はルークのことをアッシュと勘違いしているらしかった。

 

 ヴァン謡将が“アッシュ”を呼んでいるとのことで、絶好の機会だからこのまま連行されてしまおうという大佐の言葉に、きゅっと胃を締め付けられたのがついさっき。

 

 

 迷路のような研究所の中を兵士に挟まれて進みながら、声を潜めて問いかけた俺に、大佐が少し眉を顰めた。

 

「……そうですねぇ」

 

 ちょっと悩むような語調に、あれ、と目を丸くする。

 俺がビビった事を言うといつもウザイで一刀両断または無視なのに。

 

「しかしここまで来ると、もう後戻りはできません。出来るだけ後ろで控えていなさい」

 

「あ、はい。そうですよ……ねぇ」

 

 一も二もなく返ってくると思った言葉が気持ちばかり濁されたことに内心首をかしげつつ、曖昧に相槌を打った。

 

 それにしてもヴァン謡将とは、アクゼリュス以来だ。

 

 隙あらば剣に伸びようとする手を必死に押し留める。

 この状況で剣なんか触ったら俺たちを挟んでいるオラクル兵に切り捨てられそうだ。そこで「違うんです精神安定のためなんです」という言い訳が通るかは非常に怪しい。

 

 やがて、ある扉の前で先頭の兵士がきちりと背を正した。

 

「ヴァン主席総長、失礼します!」

 

「入れ」

 

 中から聞こえてきた声に、びくっと肩が震える。

 こ、こわくない。こわくないぞ俺。がんばれ俺。ああやっぱ怖い怖い怖い。

 

 そして扉が開かれると同時に、ルークとティアさんがその中へ駆け込んだ。俺たちもその後に続いて室内へ足を踏み入れる。

 

 先導していた兵士が出て行くのを、視界の端に見送る。できれば一緒に出て行かせてもらいたかったがそうもいかない。

 

「兄さん! 何を考えてるの!? セフィロトツリーを消して、外殻を崩落させて……!」

 

 必死に言い募るルークやティアさんの言葉を一蹴して、ヴァン謡将は言う。

 

 ユリアの預言に頼っていては人類は死滅する。ローレライを消滅させれば、この世から預言は消える。

 外殻崩落で死んだ人類は、レプリカで代用させればいい。預言に縛られた世界はいらない、と。

 

「馬鹿馬鹿しい!」

 

 苛立たしげにそう吐き捨てたガイに、ヴァン謡将がひたりと視線を合わせて、笑った。

 

「では聞こうか。ガイラルディア・ガラン・ガルディオス」

 

 俺が一度も言えたことのないガイの長い本名を口にした彼が、

 ではホドを見殺しにした人類は愚かではないのか、と聞くと、ガイが僅か言葉に詰まる。

 

 それを見てまた口元を歪めたヴァン謡将が続けた。

 

 かねてからの約束。

 ガイの家は代々ヴァン謡将の家の主人で、ホド消滅の復讐を誓った同士だと。

 

 みんなの視線がガイに集まる中、ふと俺が控えている扉の向こうから物音が近づいてくる事に気付いた。

 

 なんだろう。こっそりと扉に耳をつける。

 どうも聞こえてくるのは荒い足音のような……。

 

「うっわ!」

 

 その瞬間に扉が開き、そこに顔を寄せていた俺は扉の動きに従い、見事に脇へスライドした。尻餅をつくのだけは何とか回避して壁にひっつく。

 

「アッシュ!」

 

 俺の声に驚いてみんなが振り返った中、ナタリアが上げた名前に驚いて俺も顔を上げた。アッシュ?

 するとバチカルで別れたアッシュが、殺気もあらわにヴァン謡将を睨みつけている。

 

「待ちかねたぞ、アッシュ」

 

 それを一切介せずにヴァン謡将はアッシュへ手を伸ばした。

 計画のためには彼の超振動が必要なのだという。

 

 だがアッシュはすぐさま断って、それならレプリカを使えとルークを顎で示す。

 ルークに一瞥もくれることなく、ヴァン謡将は言った。

 

「雑魚に用はない、あれは劣化品だ」

 

 心臓が脈打つ。かぁっと頭に血が上っていく。

 

「あ……っ」

 

 勢いよく顔をあげた先に、あの青い目が、見えた。

 

 それはこちらを向いていたわけじゃない。

 だけど、指先まで凍りついたように動かなくなった。

 

 強く手を握り締める。

 

「その言葉、取り消して!」

 

 ティアさんの声が聞こえる。

 

(俺も、言い返さなきゃ)

 

 ルークをバカにすんなって言い返さなきゃ。

 そう思っても、体はいっさい動かない。

 

 

 ヴァン謡将の、どこまでも真っ直ぐな青の目。

 それはティアさんの青によく似ていると同時に、全くと言っていいほど違った。

 

 まだ短い人生の半分以上を大佐の傍で軍属として生きて、世間一般に悪人といわれる人間をたくさん見てきた。暗い濁った眼を、たくさん見たんだ。

 

 だけど彼の目は違う。

 どこまでも真っ直ぐ、透明で、――怖い。

 

 

 俺は結局なにも言えないまま、うつむいた。

 

 

 



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Act31.2 - 発覚と疑問の間で

 

「主席総長のお話は終わった。立ち去りなさい」

 

 切り捨てるようなリグレットの言葉に、これ以上交渉の余地がないことを察してゆっくりとみんなが部屋を出て行く。

 それでもまだ後ろ髪引かれるようだったルークが目の前を通り過ぎていくのを、扉脇に控えたまま見送った。

 

 気を抜いたら我先にと逃げ出しそうな足を押さえつけて、決してヴァン謡将のほうを見ないようにしながら、みんなが部屋を出終わるのを待つ。

 

 反対側には、同じように待ちながら鋭くヴァン謡将たちに気を配る大佐がいた。俺の役目も本来はそれなのに、怖くて見れないとか情けなさすぎるけど。

 

 だって俺いま見たら十中八九、震えが、

 

「リック。先に出なさい」

 

「……は、」

 

 恐怖で固まっていた頭が、突然の指示に対応できず疑問符を飛ばす。

 こういうときしんがりを務めるのはいつも兵士の俺だ。

 

 ああでも相手が相手だし、もしなんかあったら俺じゃどうしようもないか。

 

 いつもより余計に時間をかけてそう答えを弾き出すと同時に、慌てて「はい」と返事をして、すでに他の全員が通り過ぎた扉を俺もくぐろうと身をひるがえした。

 

「バルフォア博士」

 

 そのとき。

 響いた低い声に、ぎしりと動きを止める。

 

 肩越しにおそるおそる振り返れば、背を向けていたはずのヴァン謡将が同じように肩で振り返り、大佐を見ていた。

 

 大佐が眉を顰めたのがみえる。

 するとヴァン謡将は、皮肉げに薄く笑った。

 

「――あなたもいつまでそんなつまらぬ実験体のひとつを連れ歩いているのか」

 

 心臓が、一瞬だけ止まったような気がした。

 

「……さて、いつまででしょうね」

 

 それに感情を一切見せない口元だけの笑顔で返したジェイドさんは、では失礼、と丁寧に言ったあと、すっかり止まっていた俺の首根っこをがしりと掴んで部屋から出た。

 

 扉が閉まったところで、ぱっと手を離される。

 つんのめりながら体の向きを直して、ジェイドさんの少し後ろを歩き出した。

 

 そしてひとつ息をつく。

 

(気付かれてたんだ)

 

 薄々感づいていた。あの俺やルークを映さない瞳の理由。

 ヴァン謡将はあのときから知っていたんだ、俺もレプリカだって。

 

 そして、

 

 あの人はレプリカを嫌っている。

 

 

 

 

 研究所の外に出たところで、アッシュはイオンさまに言われて俺たちを助けに来てくれたのだと聞いた。どさくさでまた離れてしまったけど、心配させたと思うと少し胸が痛い。

 

 そのあとアッシュは、俺達に渡すものがあるから宿屋まで来いと言い残して先に行ってしまった。

 

 ここで渡してくれればいいのに、と思いつつも、とりあえずアッシュに話を聞かないことにはどうしようもなさそうなので、ゆっくり宿へ向かうことにする。

 

 

 大佐と俺は、みんなの少し後ろを歩いていた。

 

「それにしても……」

 

 ちょっと横目で大佐の様子を窺いつつ、俺は首をかしげる。

 

「どこでバレたんでしょうねぇ。俺あの人がいるときはヘマやってないですよ。多分」

 

 断言できないあたりが哀しいところだが、おそらくフォミクリーと繋がるような言動はとらなかったと思う。

 それに大佐は少し考えるそぶりを見せたあと、眉根を寄せた。

 

「最初から、ですかね。あの調子だと」

 

 俺達と顔をあわせるより前に知っていたんだろうという大佐に、おもわず目を丸くする。

 

「えぇ、なんで」

 

「貴方は一度、表でやらかしているでしょう」

 

 ため息混じりの言葉と、ついでにここ最近の考え事と繋がることを指摘されてぐっと詰まる。

 

 耳の痛い限りだ。目に見えて肩を落とした俺に、ジェイドさんがまたひとつ、でもさっきよりは幾分か柔らかい溜め息を吐いた。

 

「あのとき、すぐに緘口令は敷きましたが、少しでも人の目に触れた以上 情報は洩れるものです」

 

 はい、と力なく返事を零す。

 

「洩らした本人は何も分からなくとも、入るところに入れば気付かれるでしょう。この場合は、グランツ謡将ですか」

 

 彼は元々有機レプリカの存在を知っていた。

 おそらくどこかであの時の話を聞いて、リックがレプリカだと検討を付けたのだろうと大佐は言う。そしてそれは大当たりだったわけだ。

 

「普通の兵士のままだったならまだしも、私の直属部下ですから。一応調べてみたらオマケがついてきたってところでしょうね」

 

「オマケですか」

 

 まあ俺は完全同位体というわけでもなく、ただのレプリカに過ぎないから、情報としてあってもどうこうするレベルのものじゃなかったのだろう。

 

 そしてヴァン謡将がレプリカを必要としていながら嫌悪していることに気が付いてから、ぼんやりと頭の中をめぐっている疑問があった。

 

 イオンさま。

 

 ヴァン謡将はイオンさまのことも同じように“映さなかった”。

 彼は普通の人のはずなのに。

 

 レプリカだっていう以外に、ヴァン謡将の琴線に触れるようなことがあったのかな。

 しかし特別思い当たる節もなく、俺はそのことを再び疑問として頭の奥に押しやった。

 

 

 

 

「リック、おまえはいいのか?」

 

「え?」

 

 途中、歩調を緩めて俺の脇に並んだガイが、わりかし真剣な顔でそう言ったのをぽかんと見返す。

 とりあえず今のが、夕飯のメニューがあげだし豆腐に決まったけど、に続く言葉でないことは分かるが。第一俺トウフ平気だし。

 

 こちらが理解できてない様子を察したガイはすぐに言いなおしてくれる。

 

「俺を信用してもいいのかってことだよ」

 

「あ、ああ」

 

 さっきガイがヴァン謡将の回し者かどうかで軽く揉めたことを言っているらしい。

 

 あのときも言っていたように大佐は立場上一応疑うけど、これまで一緒に旅をしてきたんだから、ちゃんとガイの事は分かってるはずだ。

 

「だから大丈夫だって本気じゃないし! 儀礼的にって言ってただろ、ジェイドさん」

 

「は?」

 

 そう軽い調子で笑って返したら、今度はガイが呆気にとられていた。

 そして呆れたように溜息をつかれる。

 

「ジェイドがどうじゃなくて、お前に聞いてるんだよ。あのとき何も言わなかったからどうなのかと思って、一応な」

 

 なるほど、と納得したあと、顎に手を当ててちょっと考えた。

 

「ガイが今ここで剣抜いて『死ねー!』って切り掛ってきたら怖い」

 

「そうだな、それはお前じゃなくても怖いと思うぞ。つか、そんなことしないしな……」

 

 がくりと肩を落として額を押さえたガイを見て、眉間に皺をよせながら頭をかいた。

 

「なら怖くないし、ガイは優しいから平気だ」

 

 なんてったってようやく見つけた、お母さんと呼べる男だ。

 

「なんか答えになってないと思うが……ま、いいか」

 

 結局俺は彼が望んだような返答を出来なかったようだが、そう言って苦笑したガイはいつものガイだったので、とりあえず良かったなぁと安堵の息をついた。

 

 



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Act31.3 - 夜に願いを

 

 ベルケンドで唯一の宿屋にたどり着いてみると、ロビーで待っていたアッシュの隣にたたずむノエルの姿に気付いた。

 無事だったのか、と嬉しげに笑みを浮かべたルークに続いて、俺も彼女に詰め寄る。

 

「うわぁ良かったノエル~!」

 

「リックさん」

 

「ディストにいじわるされなかったか!?」

 

 慌ててそう尋ねた俺に、後ろで大佐が呆れたように息をつく。

 自分を二十五歳だと思いたいならせめて「危害は加えられなかったか」と聞けということだろう。すみません、とっさのことで。意地悪はないよ俺。

 

 するとノエルはくすりと笑って「大丈夫です」と言った。

 

「あの人、私が気がついてそうしない内にどこかへ行ってしまいましたし、その間もなんだか『ごめんなさいごめんなさい』ってぶつぶつと……」

 

 何も知らない彼女にしてみれば確かにおかしな話でしかないだろうが、続けられた説明に俺はぎこちない笑顔で「へぇ」と頷くしかなかった。

 

 そうだな、絶対零度のあの笑顔を見た直後だっただろうからな。

 正直俺も笑い事じゃない。あれは本当に怖いんだ。いや、その笑顔の後が怖いというのか。

 

 

 聞けばアッシュに助けてもらったのだというノエルは、大丈夫という言葉どおり怪我をしている様子もなく元気そうだった。

 アルビオールの飛行機能を封じられてしまったのは残念だけど、とにかく無事で良かった。

 

 そんなこんな話をしていると、ふとアッシュが一冊の本を取り出して、大佐に手渡した。渡すようイオンさまに頼まれた物だという。

 

 その本をざっと見た大佐が、少し驚いたように目を見開いた。

 

「これは創世暦時代の歴史書……ローレライ教団の禁書です」

 

 同時に学者としての好奇心も刺激されたのか、言いながらも赤い瞳は文字を追っている。

 俺は傍に立つアニスさんのほうを向いて首をかしげた。

 

「禁書って、あの借りられないやつですか?」

 

「それは禁帯でしょー、規模が違うよ。禁書は教団が有害指定して回収しちゃうんだもん」

 

 禁書。それでアッシュはあの場で渡してくれなかったのか。見張りのオラクル兵もいたしなぁ。

 

 イオンさまはその禁書を大佐に渡せば外殻降下の手助けになると言っていたらしい。

 それを聞いて、大佐はそのまま何ページか軽くめくった後、ぱたんと本を閉じた。

 

「読み込むのに時間が掛かります。話は明日でもいいですか?」

 

 大佐が読めなければお手上げなんだからみんな反対する理由はない。

 今日のところはこの宿に一泊することになった。

 

 

 俺達はいつものように男女別で二部屋を取り、アッシュは自分で別に部屋を取った。

 

 集中して禁書を読めるように大佐ももう一部屋借りたらいいのでは、という話も出たけど、お金のこともあるし、第一それくらいで集中できなくなったりしない、と当の大佐に一蹴されてしまった。

 

「後はそうですね、あなた達さえ騒がないでくれれば大丈夫ですよ」

 

 そのとき綺麗な笑顔を浮かべてやけに明るい声で言った大佐に、俺とルークは玩具のように何度も頷いた。

 

 でも本当に騒いだところで、大佐は気にしないんだろうと思う。

 いや、怒るのは怒るだろうけど、真剣に研究やら書類やらをいじっている時の大佐の集中力はすごい。周りの音なんて大した障害にはならないはずだ。いや……怒るけど。

 

 

 そして、夜も更けた部屋の中。

 断続的に聞こえてくる紙をめくる音。

 

 真っ暗な室内には小さな音素灯がひとつ煌々と輝いている。

 それの明かりを借りて剣の手入れをしていた俺は、ふと手を止めて顔を上げた。

 

 そこには黙々と机に向かうジェイドさんの背中がある。

 

「ジェイドさん、まだ寝ないんですか?」

 

 剣身を拭う布を小袋の中にしまいながら、すでに眠っているルークとガイを起こさないように小声で問いかけた。

 

 俺も先に寝ていいと言われたのだが、剣の手入れを口実に今まで起きている。

 やらなくてもいいような細かい所まで整えて時間を稼いでいたのだが、いよいよ手を掛けられる場所がなくなってしまった。

 

「ええ。これを今夜中に読み終えないといけませんから」

 

「そうですか」

 

 よく本を読みながら返事が出来るなぁと真剣に感心しつつ、諦めて剣を鞘に収める。さすがにこれ以上磨いたらすりきれそうだ。

 

 そして手入れ道具と剣を脇において、ぼふりと寝台に寝転がった。

 ちゃんと洗濯されたシーツの香りが眠気を誘う。

 

「……俺にも、ジェイドさんの手伝いが出来れば良いのになぁ」

 

 本に集中している時は聞こえないだろうことを承知の上で呟いた。

 

 いや、無駄話じゃなければ返事はしてくれるし、その内容も問いに合った正確なものだけど、集中しているジェイドさんは言うなれば高性能な自動応対音機関なのだ。この間は返事だけで、記録はされない。

 

 ふぅと溜息をつく。

 

 そう、手伝えたらいいけど、現実は厳しく、本の中身は俺にはチリほども分からない。

 

 ごろんと横向きに転がって、音素灯の中に浮かぶジェイドさんの背中を眺めた。

 少しずつ意識がぼやけてくるのを感じる。

 

「そうしたら、」

 

 瞼がゆっくりと重くなっていく。

 

「……そうしたら、ジェイドさんが大変なの、少しは……」

 

 少しは、違うんだろうになぁ。

 

 俺がもっと、賢かったら。

 オレがもっと、もっと。

 

 ――もっと。

 

「……ジェイドさん」

 

 

 

 

 

 

 三つ目の寝息が聞こえ始めた部屋の中、机に向かっていたジェイドが振り返る。

 そして一番この机に近い寝台に、布団も掛けずに転がって間の抜けた顔で眠るリックを見た。

 

「気持ちだけで十分ですよ、おバカさん」

 

 すっかり夢の国へと旅立った子供は、その柔らかな声と表情を、知らない。

 

 



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Act31.4 - 新たな目標ゲットです

 

「おい、リック! もうみんな起きてんぞ!」

 

「うえっ!?」

 

 朝。

 

 ジェイドさんの作ってくれたクリームパフェを食べる夢を見ていた俺は、頭上から響いたルークの声で飛び起きた。

 寝癖のついた頭を手で押さえながら、寝台の脇に立つルークに向き直る。

 

「お、起こしてくれればいいのにルーク!」

 

「俺だってそう思ったよ!」

 

 するとちょっと顔を赤くして怒鳴り返してきたルークに、彼も寝坊したらしいことを知る。

 

 見渡せば部屋の中には俺とルークとミュウしかいなかった。

 一応軍で生活してきた身として、いつもならこんなことはなく早朝起床なんだけど、昨日はジェイドさんが禁書を読み終わるまで待ってようと思って遅くまで起きてたから、寝過ごしてしまったんだ。それにしたって軍人として不覚すぎる。

 

 

 どたばたと準備をしてルークと一緒に部屋から飛び出ると、宿のロビーにはすでにみんなが揃っていた。

 

 脳が溶けるんじゃないか、お前は口が曲がるんじゃねぇの、なんてアッシュと言い合うルークの隣で、俺は所在無く大佐に会釈した。

 

「ヒラ兵士が重役出勤とは、いやはや……」

 

 肩をすくめて鼻で笑った大佐の言葉に返す言葉もなくうなだれる。

 うう、いっそ「いい身分ですね」とか言い切ってほしい。変に濁されるとよけいダメージが大きいです。

 

 

 気を取り直してみんなで大佐の話を聞くと、そもそも魔界の液状化の原因は地核にあるということだった。

 だけどユリアの預言やプラネットストームの稼動に伴う問題で、ユリアシティの人々はそれを改善しようとすることはなかったんだとか。

 

 だけどイオンさまがくれた禁書には、その改善策が書かれているらしい。

 

 セフィロトのほうはなんで暴走しているのかよく分からないので、とにかく液状化のほうをなんとかして外殻大地を魔界に降ろすしかないだろう、と大佐は言った。

 

「もっとも液状化の改善には禁書に書かれている音機関の復元が必要です。この街の研究者の協力が不可欠ですね」

 

 禁書の表紙を指でなぞりながらそう結論を出した大佐に、俺はほうっと息をつく。

 

 本当に一晩であれを読破してしまったんだ。

 途中脇から覗き込んだりしたけど、俺は理解の前に読めすらしない。……いや、読めはするのだが、本当に読めるだけで意味なんかさっぱりだ。正直言うと難しい専門用語が多くて読めさえしないところも多かった。

 

 やっぱりジェイドさんはすごい、と一人で目を輝かせて拳を握る。

 

 

 その後、アッシュがインゴベルト陛下のことを「父上」と呼んだことでルークに驚かれアニスさんにからかわれ、怒って出て行ってしまったりしたが、俺達はガイの提案でヘンケンという研究者を捜すことになった。

 

 

 そして第一音機関研究所。

 

「へえ、それじゃこの禁書の復元はシェリダンのイエモンたちに任せるか」

 

「イエモンだと!?」

 

 そこにいた科学者のおじいさん達、通称『ベルケンドい組』は、通称『シェリダンめ組』と呼ばれているらしいイエモンさん達とライバル関係にあるらしく。

 

 最初は渋った彼らだが、ガイが言葉巧みにそれを煽った結果、協力してくれることになった。

 本来ファブレ公爵側であるはずのベルケンド知事も彼らが説得してくれて、情報が漏れないようにしてくれるという。

 

「め組……」

 

 シェリダンで別れたイエモンさん達の姿が脳裏を過ぎった。

 どうしてるだろう。無事でいるかな。

 

 ずっと考えないようにしていた心配が再び頭をもたげた瞬間を見計らったように、後頭部をぱしりと叩かれた。

 

 音は軽いのに痛いこの平手。

 頭を押さえて振り返ると、そこでは大佐が叩いた手の位置もそのままに立っていた。

 

「は、はい」

 

「何も言ってませんよ」

 

 とっさに頷いた俺に呆れた目を向けて、大佐は身をひるがえした。

 今の一撃を持って、言おうとしたことを俺が理解したのを感じたらしい。

 

 先を行く大佐の背中を見ながら、軽く自分の頬をはたいた。

 今の俺が考えてどうなることでもない、だ。

 

 

 

 

 研究所の外に出たところで、俺はひょいと手を上げる。

 

「あの、俺、アッシュさがしてきます」

 

「え、なんで」

 

 先頭を歩いていたルークが振り返って不思議そうに首をかしげた。

 

「作戦会議するなら一緒のほうがいいと思うし……」

 

 敵か味方か微妙によくわからないアッシュだけど、今のところ目的は同じみたいだし、何より昨日の様子を見る限りヴァン謡将とは本当に繋がってなさそうだった。これを一時休戦とみていいなら彼も一緒で問題ないだろう。

 

 そんなわけで探して知事邸まで連れてくる、というと、ガイが明るく笑って賛成してくれた。

 

「いいんじゃないか? そろそろ話も纏まったことだし、もう呼んでも怒りゃしないだろ」

 

 もし間に合わずに話が終わってしまったら先に宿へ戻っているからそこにアッシュも連れてきてください、という大佐の言葉を受けてから、俺はみんなと別れてベルケンドの町並みにくり出した。

 

 

 

 

 にしても、どこいったんだろう。散歩に行くと言っていたけど。

 

 まあこの臆病な性格と、日々執務から逃げ出す陛下のおかげで、隠れる場所や人を見つけるのは得意だ。数分も捜せば人目につきにくい街角にたたずむ緋色を見つけた。

 

「アッシュ!」

 

 思わず駆け寄ろうとすると、すっとこちらを見たアッシュの目が、鋭く俺を突き刺した。

 

「…さ、ん……」

 

 その翠のきつさに、思わず足を止める。

 ほうけながら付け足した敬称が、頼りなく空気にとけた。

 

 少しの間、奇妙な沈黙が降りる。

 

「なにか用か」

 

 だけどそう言って溜め息をついたのは、いつもの不機嫌なアッシュだった。

 先ほどの静電気が走るような感覚の余韻をまだ首の後ろに感じつつ、今度はゆっくりと彼に歩み寄る。

 

「ぅえと、さ、作戦会議するから、知事邸まで……」

 

 少しうろたえながらも一緒に来て欲しいという旨を伝えた俺をその翠に映しながら、アッシュは苦いものを噛み締めるような顔で、目を細めた。

 その表情を見て俺は、ああ、と手の平に拳を打ちつける。

 

「大丈夫だよ、アッシュ…さん」

 

「……あ?」

 

「父上っていうの確かに顔には似合わないと思うけど別に照れる事はないと思うしぅわーー!!」

 

 真上から力強く落とされた銀に輝く剣身を慌てて避けた。

 

「ば、抜刀すんなよ!」

 

「黙れ滓がッ!!」

 

「ルークはクズで俺はカスか!?」

 

 目にも留まらぬスピードで剣を抜いたアッシュが、その抜き身の剣を手に切りかかってくるので、俺は涙目で全力疾走しながら逃げ続ける。

 

 変な顔してるから、まだアニスさんにからかわれたの気にしてるのかと思ったんだけど、もしかして本当に気にしてたのか!

 

「ほ、ほんと大丈夫だよ! そりゃその顔でパパとか言われたらちょっと怖いけどギャア!」

 

「そこで止まってろ! 真ん中からキッチリ両断してやる!」

 

「イイイイヤですー!」

 

 泣いて首を横に振りながら背後のアッシュを肩越しに かえりみていると、前から走ってきたらしい人に思い切り肩がぶつかってしまった。

 

 たたらを踏んで立ち止まる。

 

「す、すみませっ……あれ?」

 

 すぐに謝ろうとその人のほうを向いたが、人影は俺に一瞥もくれることなく一目散に走り去っていく。

 

「……あいつ」

 

 ふと聞こえた声にアッシュを見やると、彼は剣を下げてさっきの人が走り去ったほうを見つめていた。

 

「アッシュ?」

 

「今のやつ、スピノザじゃなかったか」

 

 その言葉に目を丸くする。

 さっきは一瞬のことだったために顔まで確認できなかったが、言われてみればそうだったような……。

 

 かちりと剣身を鞘にアッシュは、スピノザとおぼしき男の走ってきた方向を確認すると、思案するように眉間の皺を深めた後、ふいと身をひるがえした。

 

 いつのまにここまで来ていたのか、そのすぐ先にはベルケンド知事邸が見える。

 そこで邸前にたたずむルーク達の姿を見つけたので、俺もアッシュの後に続いてみんなのほうへと走った。

 

 

 





>もしかして本当に気にしてたのか!
アッシュ的に大変不名誉な勘違い。

ADスキル『アッシュを苛付かせる』
AD Skill Effect!



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Act32 - ダアト・インパクト

 

 スピノザに地核静止計画のことを盗み聞きされたかもしれない。

 誰がどことどう繋がってるのかいまいちよく分からないが、もしヴァン謡将に報告されては一大事だ。

 

 話をした結果、アッシュがスピノザを追ってくれることになったのだが、彼は協力して探そうと言ったルークに「レプリカ野郎と馴れ合うつもりはない」と怒鳴って行ってしまった。

 

 あいつより先にスピノザを見つけてやるんだとむきになるルークをみんなで宥めて、俺達は知事邸で纏まったという予定通り、ダアトに向かうことにした。

 

 そういえば“ルークさん”と大佐も仲良くなかったし、赤と赤って相性悪いのかもしれない。苦笑しつつ、そんな根拠の無い考えをめぐらせる。

 

 

 そんなわけで道中はずっと不満そうだったルークだけど、ダアトについたら きゅっと表情を引き締めた。今までもここで色々あったから警戒しているんだろう。俺もちょっと怖い。

 

 イオンさまに会いに行く前にまずは六神将の動向を探ることになり、ダアト在住のアニスさんのご両親に話を聞いたところ、嬉しい事にみんな出払っているらしい。ひとまずほっと息をつく。

 

 イオンさまを連れ出すなら今しかない。

 すぐに部屋を訪ねると、彼は変わらない優しい笑顔で俺たちを迎えてくれた。

 

「ご無事でしたか!」

 

 心底安堵したように目元を緩めたイオンさまに、自然と肩の力が抜ける。

 

 そこでこれまでの経緯をガイが説明したところ、まだ外殻に残っているセフィロトがタタル渓谷にあるかもしれないらしい。

 そうだとすればダアト式封咒を解除していない場所だから、イオンさまも同行してくれるという。

 

 

 部屋を出てみんなで教会の中を歩きながら、俺はうきうきと弾んでいた。

 

「貴方、イオンさまと一緒だと上機嫌ですね」

 

 いつもの定位置となる、全体の後方ジェイドさんの隣、をキープしていた俺は、その言葉に満面の笑みを浮かべて頷く。

 

「はい! だって、イオンさまの傍って優しくて落ち着くんですよ!」

 

「それは分からないでもありませんが」

 

 大佐はそう言いつつもちょっと不思議そうに眉根を寄せた後、すぐ「まあいいか」というように肩をすくめた。え、なんですか。

 

 

 すると教会を出ようかというところで、ルークにアッシュからの通信が入った。

 

 それによるとスピノザはやっぱり計画のことをヴァン謡将に洩らしてしまったという。い組の人達はシェリダンへ逃げたとのことで、それについては安心だ。

 

「しくじりました。私の責任だ」

 

 だけど響いてきた大佐の言葉に、はっと我に返る。

 

「俺もスピノザが脇通り過ぎたのに捕まえなくてっ! うわあどうしようごめんなさい! 俺、お、おわびに、最近覚えたアマンゴカレーを……っ!」

 

「あーもう落ち着け主にリック! どっちのせいでもないだろ!」

 

 ガイに一喝されて、俺は蚊の鳴くような声で返事をしながら肩を落とした。

 

 捕まえないどころか、アッシュに言われるまでスピノザだと気付きもしなかったんだ。たとえ俺のせいでないにしても立つ瀬は無い。

 

 ああでも落ち込んでる場合じゃない、とにかくシェリダンへ向かわないと。

 

 

 

 

 いつ六神将が来るとも知れない、急いでダアトを出ようと街の出入り口まで辿り着いた時、そこにいたアニスさんのお母さん、パメラさんがアニスさんを呼び止めた。

 

「確か、アリエッタ様を捜していたのよねぇ?」

 

 皆さんがいらしたことお伝えしておきましたよ、とイオンさまに近いもののある穏やかな笑顔でほんわりと伝えられた事実に衝撃する。

 

 六神将だからというのもそうだが、なんというか、俺はアリエッタが苦手だった。

 

 いや、嫌いなんじゃない。

 そうじゃないけど、あの子は、特に。

 

(思い出させるから)

 

 『 お兄ちゃんのにせもの! 』

 

「ママの仇!」

 

 一帯に響いた少女の声に、びくりと身をすくめた。

 とっさに入り口のほうを振り返れば、そこにはライガを引き連れたアリエッタの姿。

 

「ママたちの仇、とるんだから!」

 

 少女らしい大きな瞳を涙ぐませてこちらを睨んでいる。

 俺は思わず数歩後ずさったが、アニスさんにイオンさまを守るよう指示する大佐の鋭い声を聞いて、動きの鈍くなった脳を叱咤し剣に手を掛けた。

 

 だけど、それを聞いたアリエッタが先に動く。

 

「イオン様は渡さないんだからっ!」

 

 ルークとガイを払いのけたライガは、その声に反応するようにざわりと毛を逆立てた。

 次の瞬間、吐き出された雷撃がアニスさんとイオンさまのほうに向かう。

 

「アニスさん! イオンさまっ!」

 

 慌てて剣を抜ききって地面を蹴るも、この距離じゃ間に合わない、とぞっとした瞬間、彼らの前に飛び出した影があった。

 

「イオン様、危ない!」

 

「ママ!?」

 

 直後、響いた悲鳴とアニスさんの声で、俺はようやくそれがパメラさんであると気付いた。

 彼女の体が地面に倒れふす光景がやけにゆっくりと目に映る。

 

 吸い損ねた息が、喉の中で渦巻いたような気がした。

 硬質な音を立てて、構えていた剣の先が石畳に落ちる。

 

 そして、脳がぐるりと混乱するのを感じる。

 

 今のはなんだ。

 俺の知らないこと。理解できない行動。

 

 

「お友達を退かせなさい」

 

 いつのまに回り込んだのか、アリエッタの動きを止めて魔物を止めるよう指示する大佐の声。パメラさんの治療をするナタリアの姿。

 

「イオン様を護れたなら、本望です」

 

 ひどい火傷を負いながらも、そう言って優しく笑ったパメラさん。

 

(どうして、)

 

 

「……思い……出した」

 

 背後から届いたガイの搾り出すような声に振り返ることも出来ず、俺は剣の柄を握り締めて、ただ立ち尽くしていた。

 

 





理解できないもの。
理解しかけていること。

(自分の命より大事なものなんて、ないはずだろう?)


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Act32.2 - 俺ができること

 

 その後、場は一気にせわしくなった。

 

 パメラさんの治療をしながら、急いで部屋へ運ぼうと動くルークたち。

 青い顔でまだ立ち上がれずにいるガイに声を掛ける大佐。

 

 その真ん中で、俺はさっきからなぜか眉間に張り付いている重い気持ちを持て余していたけど、動き始めたみんなを視界におさめて、ぶるっと首を横に振った。

 

 気付けをするように、軽く己の頬をたたく。

 

 『本当に頑張りたいと思うなら、自分の頭で考えて動いてみるのも良いんじゃないのかい』

 

 脳裏に蘇るのはノワールの声。

 

 そうだ、呆けるのは後にしろ、リック。

 何をするべきかを、自分の頭で考えるんだ。

 

 俺は気持ちばかり顔を引き締めて、パメラさんを抱き上げようとしているルークの傍に駆け寄った。

 

 

 

 

 そして今、俺は礼拝堂の扉の前で体育座りをしています。

 

 パメラさんのことはナタリア、ティアさん、ルーク、アニスさんが見てくれている。

 そうなると治癒術も使えない俺は部屋の中にただボケッと突っ立っているしかない。

 

 だからルークと二人でパメラさんを自室へ運んだ後、ティアさんにその旨 言伝を残してこっちへ来た。今の俺ができそうなことはガイの様子を見ることだと思ったから。

 

 ……なんだけど、気まずくて何となく入れずにこの扉前にいる。

 だめじゃないか、とノワールが呆れたように言う声が聞こえた気がした。

 

 はぁと溜息をはく。

 とりあえず礼拝堂の中でなにか話してるのは分かるけど、内容までは聞こえない。

 

 さっきイオン様に言われてアリエッタを偉い人に引き渡しに行った大佐は、その足でガイの様子を見てくると言っていたから、話している相手はたぶん大佐だ。

 

 中には知り合いしかいないのだから気がねすることはないと思うけど、あんな弱ったガイを見るのは初めてだったから、深刻な話題かと思うとどうしても扉を押せなかった。

 

 どうしたものかと膝を抱え直しつつも、そろそろ扉の両側を陣取るオラクル兵たちの視線が痛くなってきた、そんなとき。

 

「リック!」

 

「ぅわあハイぃい!!」

 

 中から名を呼ばれて、思わず返事をしてしまった。この声は大佐だ。

 気付かれてないつもりだったのに。いや、大佐だからか。

 

 突然声を上げた俺をやかましそうに見る兵士たちに、気まずさをごまかすためへらりと笑って会釈してから、そろりと扉を開けて中を覗き込む。

 

 すると、輝かしい笑顔を浮かべておいでおいでと手で示す大佐の姿が目に入った。

 その笑顔にあまり良い予感がしなくて、ひきつる笑みを浮かべながら俺かと自分を指して見せると、大佐はいつもの笑顔で頷いた。

 

 そうなると逃れようもなく、おそるおそる礼拝堂の奥へ足を踏み入れる。

 

 大佐の脇、教壇前の短い階段に腰を下ろしていたガイは、当然ながら俺の存在には気付いていなかったらしく目を丸くしていた。うん、普通は気付かないんだよな。大佐だからなんだよな。

 

 まだ顔色の悪いガイを気にしつつ傍まで近寄ると、突然ぽんと肩を叩かれた。

 

「じゃ、そういうことで」

 

「……はい?」

 

 言うが早いか、ひらりと片手を上げて場を後にしようとした大佐は、途中でふと振り返って、また笑った。

 

「ルークたちが迎えに来るまで貸してあげますよ。くっつけときなさい」

 

「え、ちょっ、ジェイドさっ、大佐?」

 

 だがそれはガイに向けられた言葉だったらしい。

 ガイが何も言わずに苦笑したのを見て、大佐は今度こそ部屋を出て行ってしまった。

 

 扉が軋んだ音を立てて閉じた後、残された俺はすこし途方にくれる。

 

 なんだ。なんだったんだ。

 説明を求めようにも大佐は部屋の外、ガイはまた顔を俯けていて、何か聞ける状況じゃなさそうだ。

 

 とりあえず俺は、ガイの隣に腰を下ろしてみた。

 

 でも無言のまま過ぎていく時間がいたたまれない。

 ガイがいつも気を使って喋ってくれていたから、旅の中でこんなふうに沈黙のままでいることは少なかった。

 

 じんわりと冷や汗が首の後ろに滲む。

 

「あ、あのさ」

 

 目を泳がせながら、俺はなにかきっかけを掴もうと口を開いた。

 

「その、なんていうか、ナタリアの治癒術ってすごいし、パメラさんきっと大丈夫だよ」

 

 自分の声だけが礼拝堂の中に木霊する。

 一向に戻ってこない返事に、また焦って喋り始めた。

 

「ていうか、なんか思い出したんだってな! いや、なんだか分かんないけど、やっぱり思い出して嬉しいことばっかじゃないよな!」

 

 しどろもどろになりながら言葉を紡ぐも、ガイはまだ俯いたまま。

 が、ががががんばれ俺。まけるな俺。

 

「ほらっ、俺なんかさ。さっきアマンゴカレー覚えたって言ったけど、それ覚えるまで山あり谷折りで!」

 

 いや、谷折っちゃだめか。

 

「試作アマンゴカレーと食事用につくった普通のカレー間違えてジェイドさんに出しちゃって! でもまたそれが試作品だったからひどいもんでさ、まあ怒られて、いやちょっと思い出したくないくらい、怒られて……ほんとに怒られて……」

 

 フリジットコフィンは久々だった。

 

 思い出しすぎて自然と遠い目になった俺の視界に、俯いたまま肩を震わせているガイの姿が目に入り、ざっと頭から血の気が引く。

 

「ガ、ガイっ」

 

 また何かやらかしてしまったのだろうかと、あたふたする俺の耳に次の瞬間 届いたのは、空気が勢いよく漏れる音だった。

 

「ぶっは……!」

 

 思わず目が丸くなる。

 泣いているのかと思ったガイは、なぜか口元を押さえていた。

 

 な、なんだよ。

 

 いぶかる俺をちらりとその空色の目に捉えたガイはどう見ても笑っている。込み上げる笑いをかみ殺しながら、今度は片手で顔の半分を覆った。

 

「ぶっ……、は! ははっ! お、おま…うっざ……!」

 

本当になんなんだよ。

あれ、俺、慰めたよね?慰めてたよね?

 

「な、なんだよ! 俺 慰めてるのにウザイとか大佐以外の人に言われたの初めてだよ!?」

 

「ぶはっ、ジェイドには言われてんだ、ハハハッ」

 

 ああ、ついこの間言われた。

 まだお腹を抱えて笑うガイを憮然と見下ろす。

 

「心配してきたのに! 俺もうしらないからなー!」

 

 熱くなる顔を隠すついでに腕を組んでそっぽを向いたけど、ガイは笑い続けている。

 

「ははっ。ハハハ……こりゃ効くよ、旦那」

 

 小さく呟かれた言葉が聞き取れず、眉間に皺を寄せた。

 

「なんか言ったかよ! ていうかいい加減笑うの止めないと俺泣くからな!」

 

「ああ、悪い悪…ぶふっ」

 

 謝るのと同時に再び噴き出したガイに、俺はもう少しちゃんと怒ったほうがいいのかと悩んだけど、まあ笑ってくれるならそれでいいか、とつり上げていた眉をひょいと下げて、苦笑した。

 

 

 





▼リックは称号『ウザい人』を手に入れた!
癒し効果はゼロだけど、なんかウザすぎて色々どうでもよくしてくれる。



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Act32.3 - 俺が探すもの

 

「やあ、もう結構ですか?」

 

「うわあ!!」

 

 いつのまにか目の前にきていた大佐に、ガイと二人で悲鳴を上げた。

 初めての経験ではないが、どうしてこういうとき大佐には足音も気配もないんだろう。

 

 とっさにガイに抱き付いたまま高鳴る心臓に涙目になっている俺と、とっさに俺の肩に手を回してしまったまま目を見開くガイとを見て、大佐はにっこりと笑った。

 

「ジェ、ジェイドっ! おどかすな!」

 

「おや、そんなつもりはありませんでしたが」

 

「アンタ気配がないんだよ!」

 

 やっぱり?

 

 俺の勘違いではないことを改めて確認しつつ、はたと大佐の後方に目をやると、そこには呆れ顔のルークたちが立ち尽くしている。

 

「何してんの、お前ら」

 

 その言葉に、なぜか抱き合っていた俺とガイはぽかんと顔を見合わせた。

 

 あ、あれ?

 

 

 

 

 そして俺達は、ガイが思いだしたという事を聞いた。

 

 失くしていた過去。

 彼の女性恐怖症の、根底にあったもの。

 

「私、あなたが女性を怖がるの、面白がっていましたわ……ごめんなさい」

 

 しゅんとしてそう言ったナタリアに続いて、アニスさんとティアさんも謝罪の言葉を口にする。

 そんな彼女達に、気にしないでくれ、と笑うガイに、俺も涙ぐみながらその肩に手を置いた。

 

「俺も……コーラル城のときは、ソッチの人かと一瞬でも勘違いしてゴメン……!」

 

「そうだな、それは全力で謝ってくれ」

 

 ガイが遠い目で笑みを貼り付ける。

 なんていうかほんとゴメン。

 

 

 それはさておき、他の六神将が来る前に急いでシェリダンへ向かわなくてはならない。

 みんなで足早にダアトの町並みを歩きながら、俺は前を行くガイの背中を見つめて、少し顔を顰めた。

 

 何も知らなかった、といえばそれまでだ。

 だけどそれで済むことばかりでもない。

 

 『やっぱり家族を奪われたら、許せないか?』

 

 グランコクマを出て間もなく、俺はそうガイに聞いた。

 

 そのときですら随分デリカシーのないことを言ったという自覚はあったが、全てを聞いた今、それがどれだけ嫌な問いだったかということを思い知らされる。

 

 傷口をえぐる質問だと知っていて、俺は聞かないと“分からない”。

 自分だけでは分からないと、そう思っていた。

 

 でも、違う。

 

 『――テメェの頭で考えろ。じゃないと一生分からねぇぞ』

 

 続くようにアッシュの言葉がよみがえる。

 

 俺は結局、ビビリでしかなかったんだ。

 自分の頭で考えることが怖いから、ぜんぶ他人に押し付けて、答えまで出させようとした。

 

「……ガイ」

 

「ん?」

 

 足取りはそのままに呼びかけると、彼はいつもどおりの笑みを浮かべて振り返る。

 そして前のときと同じように、俺共々、列の後ろに下がってくれた。

 

 そのことにじわりと熱くなった目の奥を気付かれないよう眉間に力を入れながら、横を歩くガイの顔をまっすぐに見返す。空色の瞳がそこにあった。

 

「俺、……オレさ、その」

 

 自分でももどかしいほど滑らない舌を、ガイはただじっと待ってくれている。

 ゆるゆると、拳を握った。

 

「自分で、考えてみる。いろいろ……うん、色々、まだ、よくわからないけど」

 

 分からないのはお前だ、と脳内で突っ込みを入れる。

 でもここで「なんのことだ」と聞かれても、俺は答える事はできなかっただろう。

 

 それを察したのか、ガイはわずかに目を見開いた後、何も言わずに笑った。

 くしゃりと頭を撫ぜられる。

 

 突然の行為に思わず足を止めた俺を置いて、ガイは先を歩いていった。目を皿のように見開きながら自分の頭に手をやる。

 

 前にも何回か、同じようなことをしてもらった気がするけど、どれも肩を叩くことの延長みたいな軽いもので、こんなふうに褒めるみたいにされたのは初めてだ。

 そういえば、昔の陛下はよく俺の事を撫でてくれた。今ガイがしたのとは程遠い、ぐしゃぐしゃと犬を撫でるみたいな奴だったけど。

 

 ああ、ええと、いや、そうじゃなくて。

 

 さっきまで出かけていた涙が引っ込んで、それと同時に顔が熱くなっていくのを感じた。

 俺は再び、でもさっきより強く、拳を握った。

 

「……よしっ」

 

 とりあえず、第一段階はクリアしたようだ。

 

 

 



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Act33 - この気持ちを人は後悔と呼ぶのですか

 

「あらん、坊やたち」

 

 シェリダンについた俺たちを最初に出迎えたのは、なんと。

 

「お、おまえっ!」

 

 おののいたルークが目の前の三人を指差して声を上げる。

 俺もケセドニア以来の再会に驚きつつ、組織名を思い出そうと頭を捻った。

 

「あーと、えーと、各国の翼!」

 

「漆黒の翼。おまえこの間も間違えたな」

 

 ヨークに呆れた声で即座に訂正されて、目を泳がせながら手の平に拳を打ちつける。ああ、そういえばそんなだった。

 

 聞けば彼らは今アッシュに金で雇われていて、ここへはベルケンドの研究者――ヘンケンさん達か――を運ぶために来たという。

 とばっちりを喰うからアッシュをあまりカリカリさせるなと言ってみんなの間を裂くように歩いてきたノワールが、俺の前でふと足を止めた。

 

「どうだい? 調子は」

 

 そう小声で言って、真っ赤な紅の乗った口元を緩めたノワール。

 俺はちょっとばかり気恥ずかしくて、目を逸らしながら頭をかいた。

 

「……まだ、うまくは出来てないかもしれないけど、がんばってるよ」

 

 がんばるのを、がんばってるよ。

 言葉にしなかったそんな部分も感じ取ったのか、彼女はすいと目を細めて、また笑った。

 

「そうかい」

 

 それは“女”よりも母性を感じさせるような柔らかいもので、俺は思わず目を丸くする。

 だけどそれについて俺が何か言うより先に、三人はさっさと街を出て行ってしまった。

 

「なになに、リック、あの年増となんかあったわけ?」

 

「ケ、ケセドニアでみんなを待ってるときに、ちょっと話を……」

 

 怪訝そうに俺を見上げるアニスさんにそう返しながら、俺は彼女たちが去った方向を呆然と眺める。

 

 さっきの、無意識だろうがまるで小さな子供を見るような笑顔。

 ケセドニアの酒場の外で盗み聞いた会話を思い出す。いや、まさか中身が製造から十年だとは気付かないだろうけど。女性の勘あなどるなかれ。その言葉が再び頭の中をめぐった。

 

 ……ゆ、油断しないでおこう。

 

 

 

 

「にしてもアッシュとルークってイマイチ仲良くないよね」

 

 集会所に向かって歩きながら、アニスさんはそう言って肩をすくめた。

 すぐに「ま、仕方ないんだろーけど」と付け足した彼女に苦笑して返す。

 

「あはは、そうですねぇ。二人とも意地っ張りですから」

 

 まず手に手を取って、なんていうことにはならないだろう。

 でもどちらも根底は優しい人だと思うから、ちょっとしたきっかけさえあれば、どうにかなるかなぁ。並大抵のことではどうにもならなさそうだけど。

 

「へ? あ、うぅん、ていうか、」

 

 するとアニスさんはなぜかぽかんとした顔をして、その後もう一度 言葉を練り直すように首をかしげた。

 そして少し気まずそうに上目遣いで俺を見上げ、ゆっくりと口を開く。

 

「やっぱりお互いすっきりしないとこあるでしょ」

 

「はい?」

 

 俺が返すように首をかしげると、彼女は幾分声を抑えて、続けた。

 

「レプリカとオリジナルだもん。そりゃあ色々わだかまるよねって」

 

「そ、」

 

 そうですね。

 出しかけた言葉が喉元で凍りつく。

 

 ルーク。アッシュ。レプリカ。オリジナル。

 俺。――彼。

 

 頭から、真水を掛けられたようだった。

 その水が自らで作り出した矛盾を浮き彫りにしていくのを、止める術もなく、呆然と見つめる。

 

「ほえ? どうしたの?」

 

 アニスさんに顔を覗きこまれて、俺はびくりと肩を揺らした。

 

「……いえ、いいえ…な、なんでも……」

 

「でもリック、」

 

 浮かべようとした笑みが失敗するのを感じて、俺はとっさに袖口で口元を隠す。

 アニスさんが不思議そうに首をかしげるのが見えた。

 

「顔 青いよ?」

 

 冷や汗が背筋を伝う。

 急速に体温を失くしていく手足の感覚を感じながら、もう一度「なんでもないです」と慌てて首を横に振ると、アニスさんはちょっと肩をすくめてから、前を歩き始めてくれた。

 

 その気遣いに感謝しつつ、おぼつかない足取りで後に続く。

 冷たくなった手を、きつく握り締めた。

 

 ダアトでガイに言ったばかりの言葉を思い出す。

 分からない、と俺は言った。

 

 分からない。違う、俺は……知っていた?

 

 『 どうせ同じなら、ぼくでもいいじゃないか 』

 

 よみがえるのは過去の声。

 そしてその直後、ルークとアッシュ、ふたつの赤が脳裏を過ぎる。

 

 違う。彼らは、違う。俺はそれを知っている。

 レプリカ。オリジナル。

 

 喉が空気を吸いそこねるように、揺れた。

 

(じゃあ、自分と、……彼は?)

 

 すっと頭から凍っていくような感覚を覚えた、次の瞬間、

 

「ぅえふッ」

 

 臀部に衝撃が走り、体が前方へと吹っ飛んだ。

 

 例によって例のごとく顔面で着地してから、俺はガバッと後ろを振り返る。

 そこにはどことなく顔を顰めた大佐がいた。

 

「ご、ごめんなさい……?」

 

「心当たりがなくてもとりあえず謝るのは止めなさい」

 

 一転、輝かしい笑顔になった大佐に内心ひぃと悲鳴を上げる。俺としては真顔よりこっちのほうが怖い。

 

「で? 何をぼさっと突っ立ってるんです」

 

「い、いや、なんというか……」

 

 突然思考の中から引っ張り出されたゆえに頭の中が纏まらず、曖昧な返事をした俺を見て大佐がひとつ溜息をついた。

 

「貴方の心配事はアレじゃないんですか」

 

 言われた言葉に、え、と間抜けな声をあげて、大佐が視線で示したほうを見やる。

 その先には、いつのまに着いたのかシェリダンの集会所があって、ルーク達がその前にいる人と何かを話していた。

 

 それで、その前にいる人は。

 

「タマラさんっ!」

 

 引いた血の気が一気に上がった。

 勢いよく起き上がり、元気そうなタマラさんと、無事に着いたらしいキャシーさんの傍へ駆け寄る。

 

 俺に気付いた彼女が、おや、と声をあげた。

 

「あのときの新入り坊やだねぇ」

 

「はい! あのっ、イエモンさん達は!?」

 

「ああ、みんな無事だよ。兵士くらいなんでもないさ」

 

 その返事に目が輝くと同時に、肩の力が抜けていくのが分かる。

 

 そして言葉どおり、集会所の中には元気そうに喧嘩をするイエモンさん達とヘンケンさん達の姿があった。

 

「イエモンさーん!! みなさんご無事で本当に良かったぁ!」

 

 勢いそのままに飛びつけば、イエモンさんは「大げさじゃのう」と豪快に笑った。

 そのあとすぐ、お年寄りに全力で飛びつくなとみんなに怒られたけど。

 

 ああでも、ぜんぶ俺の思い過ごしだったんだ。そうだよ嫌な予感なんて、たいして当たった事もなかったじゃないか。

 まったく、俺ほんとにビビリなんだなあ。でももうなんでもいいや。良かった良かった!

 

 

「これで杞憂と分かったでしょう」

 

 イエモンさんから引っぺがされた俺に、大佐がやれやれと再び息をつく。

 

「分かったらバカみたいに落ち込まないでください。うっとうしい事この上ありません」

 

「はい! ジェイドさん!」

 

 すがめられた大好きな赤色を真正面から見返して笑う。

 

 さっき俺が考えていたのは、たぶんジェイドさんが思っているのとは違うことだったけど、うっとうしいからでも何でも、気にしてくれたんだと思うとそれだけで嬉しかった。

 

「では肝心の話をしますので、とりあえず大人しくしていなさい」

 

「はぁい!」

 

 

 洗い落とされて、むき出しになったばかりの答えが胸を締め付けるけど、あともう少しだけ、気付かないふりをさせてもらおうと思った。

 

 この身の内で激しく渦巻いている感情を受け入れられるまで、あと、すこしだけ。

 

 

 





答えは、すぐそこにあった。
(ジェイドさん。あなたも、こんな気持ちだったんですか?)



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Act34 - タタル渓谷のレプリカ

 

 シェリダンで振動周波数の測定装置を貰い、俺達はすぐタタル渓谷に向かった。

 

 到着早々、前にここへ来た事があるとか無いとかの話で、ルークとティアさんがアニスさんにからかわれていたようだけど、当のティアさんが“有り得ない”と疑惑を一刀両断していた。

 

 どこか見覚えのある光景だなぁと何となく哀愁漂うルークの背中を見ながら、俺はやんわりと苦笑する。

 

「リック、なにか?」

 

「何でもないです!」

 

 一言も発していないのに、ここしかないというタイミングで振り返った大佐に、俺は反射的に敬礼を返した。

 

 なんとなーくなんとなく、ほんのちょっぴり少しだけ、ティアさんはジェイドさんに似ていると思う。 ……なっ、ルーク。

 

 

 

 

 タタル渓谷は、確かに魔物もいるけれど、それを差し引いてもきれいな場所だった。途中に通り過ぎたセレニアの花畑も神秘的な感じがしたし。

 シュレーの丘がピクニックに行きたい場所なら、たぶん、こういうところが好きな女の子なんかを誘う場所なのかもしれない。

 

 ぼんやりと辺りを見渡しつつも、胸のうちにはしこりのような靄がある。

 ようやく気付いた答えは、信じられないくらいに重い。

 

「あぁあ~っ!?」

 

 前方から突如響いた大声に、俺は吐きかけた溜息をごきゅっと飲み込んだ。

 

 大急ぎで意識を引き戻してみると、そこには目をキラキラと輝かせたアニスさんがいる。そして彼女が指差す先には、青色の蝶々が。

 

 あれは、とアニスさんは感極まったように叫ぶ。

 

「幻の青色ゴルゴンホド揚羽!」

 

「青色ゴルゴンホド揚羽!!?」

 

 その名を聞いて思わず続けざまに声を荒げると、横を歩いていたルークがびくりと振り返った。

 

「なんだよ! 驚くだろ!」

 

「ご、ごめん」

 

 はっとして謝ればルークが怪訝そうに首をかしげる。そして今アニスさんが追いかけている蝶を指差した。

 

「お前もアレ欲しいのか?」

 

「とんでもないです」

 

「……なんで敬語なんだよ」

 

 即答した俺を半眼で見返してきたルークに、力無い笑みを向ける。

 

「いや、アレにちょっと嫌な、思い出が……」

 

 陛下に三日以内で採って来いと命じられ、生息するはずもないテオルの森を泣きながら探し回ったのはさほど昔の話じゃなかった。

 簡単に見つからないから幻っていうんだって知ってますか陛下。まあ知ってるんだろうなぁ。知っててやらせる人だから余計タチが悪い。

 

 遠い目になった俺の様子である程度 察してくれたらしいルークが、ぽんと背中を叩いてくれた。うう、ありがとう。

 

 

 そのとき、ぐらりと足元が揺れた。

 まさに草の根分けて探し続けたあのときの苦労を思い出して眩暈がしたのかと思ったが、どうもそうではないらしい。

 

「きゃぅっ!」

 

 地震だ。ようやくそう気付いたのと同時に、耳に届いた悲鳴。

 するとさっきまでそこにいたはずのアニスさんの姿がない。

 

「アニス!」

 

 ティアさんが崖のほうに駆け寄って行ったのを見て、俺はそのふちに小さな手が掛かっているのを知った。

 何とかティアさんが引き上げようとしているけど、女性が腕力だけで人一人を持ち上げるのは難しい。

 

「ア、アニスさっ……!」

 

 慌てて駆け寄ろうとした俺より先に、動いた影があった。

 そしてあっと思う間にアニスさんの手を掴んだのは、ガイ。

 

 こちらからでもガイの全身がこわばったのが分かる。

 でも、彼はその手を離す事無く、一気にアニスさんを引き上げた。

 

 

 そしてみんながガイに駆け寄っていく中、タイミングを逃して立ち尽くしたままの俺は、ほぅと息をついた。

 

「……すごいな」

 

「そうですね」

 

「ギャア!?」

 

 予想だにしなかった方向から戻ってきた返事に驚いて跳び上がる。

 隣を振り向けば、そこにはさっき行ったものと思っていた大佐が、いつもどおり凛と立っていた。

 

「た、たた、大佐?」

 

「あっちに行かないんですか」

 

 ガイたちのほうを視線で示した大佐に、心臓を押さえながらこくこくと頷いてみせる。

 

「い、いえ。いま、い、行くつもりで……」

 

「そうですか」

 

 そう言って肩をすくめた後、彼はふとその赤い目に俺を映した。

 全てを見透かそうとするような赤に、我知らずまた心臓が早鐘を打ち始める。まさか、俺の中で起こった変化まで気付きはしないだろうけど。

 

 大佐だしもしかしたら、となんとか逸らさずにいた目が泳ぎかけたころ、赤から俺を外した大佐はおもむろにガイを中心に盛り上がるみんなのほうに歩いて行った。

 

「アニスちょっと感動~!」

 

「ガイはマルクトの貴族でしたよねぇ」

 

 きっと国庫に資産が保管されていますよ、と自然に会話へ加わった大佐の背中を眺める。

 

 

 まさかまさか、まだ気付かれはしないだろう。でもいつか言わなきゃいけない。

 あのとき俺を叱ってくれたジェイドさんに、伝えないといけない。ようやく気付けた本当の罪の形を、あのひとにこそ。

 

 そのためにはまずこの感情を言葉に出来るまで飲み込まないとダメだ。

 自分を見つめなおしたルークのように、過去と向き合ったガイのように、罪を抱え続ける、ジェイドさんのように。

 

 俺も。

 

「……できるかなぁ」

 

 考えて即座にへこたれた弱い心をそのままに、俺は一度ふかく溜息をついてから、みんなのほうに足を進めた。

 

 

 





『ミュウウイング習得イベント』より偽追加会話
リック「………………」
ジェイド「リック」
リック「は、はイっ!?」
ジェイド「あれは音素の力を借りたものですから、ミュウが全ての重量を負担しているわけじゃありません」
リック「は、はい」
ジェイド「…だから、やりたいなら行ってきなさい」
リック「……俺、二十五歳ですから……ッ!」

すっごくやりたい。


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Act34.2 - 僕の疑問とユニセロス

 

 引き続き、俺達はタタル渓谷を進んでいる。

 

 『セフィロトはこちらです』なんて看板が出ているはずもないので、ほとんど勘でその入り口を探す中、道のり同様、引き続きの考え事をしていれば自然と足取りは鈍った。

 

 いつのまにか最後尾まで下がっていた事に気づいて顔を上げると、少し前にイオンさまの背中が見えたので、俺はその隣に並んだ。

 

 そしてはたと思い至り、彼の顔を覗きこむ。

 

「大丈夫ですか? イオンさま」

 

 ここにはデオ峠のときほどきつい勾配はない。

 むしろこの手の場所としては緩やかなほうだとは思うけど、それはくさっても軍人である俺が考える緩やかで、体の弱いイオンさまにもそうであるとは言えなかった。

 

「はい。まだ平気です」

 

 だけど俺を見上げてそう笑ったイオンさまは、額に軽い汗こそ滲ませているものの顔色は悪くなく、ひとまず平気という言葉どおり受け取ってよさそうだ。

 

 そのすぐ前を歩いていたアニスさんが、俺たちの会話を聞いて振り返った。彼女が眉をきりっとつり上げて、人差し指を立てる。

 

「でーもっ、辛くなったらちゃんと言ってくださいねイオン様!」

 

「はい」

 

 またくすりと笑みを零して頷いたイオンさまをみて、アニスさんもひとまず安心したように体の向きを直した。

 そんな彼女の背中と、そこで揺れるトクナガを見て俺もひとつ微笑んだとき、ふと脳裏によみがえった疑問があった。

 

 ヴァン謡将がイオンさまのことを“映さなかった”理由。

 

 ベルケンドのときは結局答えが出なくて保留にしていたっけ。

 だけどあのとき出なかったものを改めて考えたところで、やはり答えは出てこない。

 

 いっそ本人に聞いてみたらいいだろうか。

 俺は隣を歩くイオンさまのほうに顔を向けた。

 

「イオンさま」

 

「なんですか?」

 

「あのですね、実は、」

 

 なんかヴァン謡将の目が俺とルークとイオンさまを見てない感じなんですけどどうもあの人はレプリカが嫌いみたいなんで俺とルークは分かるんですがイオンさまはどうして映されてないんですかねぇ

 

「すみません なんでもないです」

 

「そう、ですか?」

 

 聞けるか……!

 

 そんなこと聞いたら訳が分からないどころじゃなくて、ただの変な奴だ。

 寸前で冷静になってくれた頭を再び前方へと向ける。

 

 隣から不思議そうなイオンさまの視線を感じつつ、俺は喉の奥でうぅんと唸って、軽く息をついた。

 

 ま、いいか。

 

 

 

 

 歩いて歩いて、ようやくセフィロトの入り口らしい扉を見つけたと思ったら、その傍には魔物がたたずんでいた。透き通った鳴き声があたりに木霊する。

 

「この鳴き声は……」

 

「ユニセロス!」

 

 大佐の呟きに続いて、拳を手の平に打ちつけながら声を上げたアニスさん。彼女が口にした名前を聞いて、ハッと目を見開いた。

 

「ユニセロス!?」

 

「何か知ってるのかリック!」

 

 ルークが俺を振り返る。

 

「いや! 前に『グランコクマに生息してるから探してきてくれ』と陛下に言われて町中延々と練り歩いた記憶があるだけだ!」

 

「分かった! ごめん!」

 

 それがグランコクマどころかオールドラント中を探してもみつからない可能性のほうがはるかに高いと知ったのは指令を出されてから四日後のことだった。だから幻っていうのはね陛下。ああもういいや。

 

「何かが来るわ!」

 

 ティアさんの声にはたと視界をめぐらせれば、さっきまでいたはずの場所にユニセロスがいない。

 続いて「後ろです」と響いた大佐の厳しい声を聞いたが早いか、俺たちの間をすり抜けた青い影。

 

 すごく大人しい魔物のはずなのにというアニスさんの言葉に反して、ユニセロスからはありありとした殺気が俺たちに向けられていた。

 

「リック! イオンさまを」

 

「はい!」

 

 槍を取り出しながら大佐は俺に指示する。それに強く頷いてから、イオンさまの手を引いて後ろに下がった。

 

「お前ユニセロス探させられたんだろ!? そのときなんか弱点とか特性とかの資料もらわなかったのか!」

 

 慌てて剣を構えるルークが背中越しに発した問いに、元気よく首を横に振る。

 

「陛下が描いた似顔絵いちまい!」

 

「分かった! マジでごめん!」

 

 しかしこうして対面してみれば、これこれこんな感じのやつ、と渡された絵はどう考えても実物と似ついていない。

 

 魔物のデータは任務の関係でよく目を通したけど、軍の資料に記述があるのは実際に戦う可能性の高い魔物が大部分で、ああいう無害でめったに会えないやつのことは書いてないからどのみちダメだ。

 

 ていうかピオニーさん、もしかすると俺はそろそろ怒ってみてもいいんでしょうか。

 

 

 



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Act35 - シェリダンやじ馬ロデオ

 

 あのあと、ミュウの説得でなんとかユニセロスの誤解も解けた。

 ティアさんが瘴気を吸っててどうこう、とも言っていたらしいけど、それはよく分からなかった。見た限り彼女に変わった様子もないし、本当に勘違いだったのかもしれない。

 

 ユニセロスがいた場所のすぐ近くにセフィロトの扉もあって、俺達は無事に振動周波数の測定を終えた。

 

 

 そしてシェリダン。

 

 ルークが観測結果を渡すと、職人のみんなは今タルタロスを改造しているところだとタマラさんが教えてくれた。まだ準備には時間が掛かるからゆっくりしていていいとのことだった。

 

「なあ、ちょっといいか?」

 

 だけど集会所を出たところで、ルークがおもむろに立ち止まり、口を開いた。

 大陸の降下は自分たちだけで進めていいのだろうか、と。

 

 マルクト、キムラスカ両国にもちゃんと話を通したほうがいいのでは。

 そう真剣に話すルークの横顔を見ながら、俺は少し、視線を落とした。

 

(俺にも、ずっと考えている事があるよ、ルーク)

 

 良い機会なのかもしれない。

 そんなことをふと思ったところで、ナタリアが迷うように声をあげた。

 

「……少しだけ、考えさせてください」

 

 外殻降下を協力して進めるためには、インゴベルト陛下をもう一度説得しにいかないといけない。

 最後に、ごめんなさい、と言って場を後にしたナタリアの背中を目で追いながら、口にしようとしていた言葉をひとまず飲み込んだ。

 

 もう少し、考えさせてください。

 

 それは俺の言葉でもあったかもしれない。

 

 

 

 

 ナタリアは一晩だけ待ってほしいと言った。

 

 そして静かな一夜が過ぎ、明朝。

 いつものように男女別でとった宿の中、俺は、扉にびったりと張り付いていた。

 

「……リック」

 

「うん?」

 

 寝台のほうから、ガイの呆れたような声。

 それに生返事をしながらも俺の意識は扉の向こう、ひいては外に向かっていた。

 

 ガイがひとつ溜息をはく。

 

「盗み聞きはよくないんじゃないか?」

 

「だって気になるじゃないか!」

 

 潜めた声で叫んで振り返ると、ガイは苦笑して頬をかいた。

 その脇でイオンさまも似たような顔をしている。大佐は我関せずで例の禁書を読み返していた。

 

「ガイだって、ちょっとは気になるだろ?」

 

「いや! まあ、そりゃ、少しは」

 

 目を泳がせたガイを見てから、俺は再び扉に耳をつける。

 

 今現在、宿の前ではルークとティアさんがなにやら会話中だった。

 もしかしたら、もしかしたら、なんか良い雰囲気になるかもしれないじゃないか。

 そう思うといてもたってもいられず、こうしてやじ馬と化している。

 

「フリングス将軍のときといい、本っ当そういうの好きですよねぇ」

 

「はい!」

 

 おそらく本から目は離さないままで発されたのであろう大佐の言葉に、こくりと頷く。このとき隣の女性部屋でアニスさんが同じように扉に張り付いていたとは、知る由もなかったが。

 

「俺が――なかったら、ナタリアは――と……」

 

 向こう側の不鮮明な音声を聞き取ろうと耳を澄ます。

 

「自分が――なかったら――て仮定は無意味よ」

 

 頼りなげなルークの声と、凛としたティアさんの声に、俺はちょっと苦笑する。

 ううん、あの二人だとそうそう色っぽい展開にはならなさそうだ。

 

 そう考えて体の力を抜いたとき、また、ティアさんの声が聞こえた。

 

「あなたはあなただけの人生を生きてる」

 

 不鮮明な音の中で、それはなぜか、とてもクリアに響いた。

 温度の無い扉にそえた手に、僅か、力を込める。

 

「あなただけしか知らない体験、あなただけしか知らない感情。それを否定しないで」

 

 指の先がじんと痺れた。

 浮かべていた笑みが消える。

 

「あなたはここにいるのよ」

 

 肺の一番ふかいところにあった空気が、音もなく流れ出た気がした。

 

 

 

「おーい、リック。本当にもうそろそろ止めとけよ」

 

 柔らかく いさめるようなガイの声に、俺はそっと扉から耳を離して立ち上がる。

 振り返って、へへ、と苦笑しながら頭をかいた。

 

「ごめんごめん。分かったよ、やめる」

 

「ったく。お前もたまーに俗っぽいんだよな」

 

「だって気になるだろー」

 

 部屋の奥に戻りながら、ガイが腰掛けている寝台の傍にある椅子に座った。

 

「いやっ、だからそりゃ、なんだけど、やっぱりプライバシーとかな、うん」

 

 俺の言葉にガイがちょっとだけどもる。

 うん、やっぱりわくわくしちゃうよね。人間だもの。

 

「でも盗み聞きは確かに悪趣味ですよ」

 

 本から顔を上げたジェイドさんが、赤い目に俺を映して笑みを浮かべる。

 いつもの笑顔だけど、その奥にしっかりと真剣な光があるのを見て、俺はへなりと眉尻を下げた。

 

「……ごめんなさい、ジェイドさん」

 

「ま、楽しいというのは否定しませんが」

 

 後はもういつもどおりに肩をすくめたジェイドさん。

 それに、アンタな、と半眼でつっこむガイと、ほんわかと微笑むイオンさま。

 

 そんなみんなをぐるりと見回して、俺も笑った。

 

 

 ごめんなさい。

 

 ごめんなさいジェイドさん。

 俺もあとすこしだけ時間をもらうことにします。

 

 自分の気持ちに、今度こそ整理をつけるために。

 

 

 



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Act35.2 - 提出日はいつですか

 

 集会所の前に全員が集まった昼過ぎ。

 ナタリアはまだ幾分不安そうではあったものの、それでも昨日よりはるかにすっきりした顔をしていた。

 

 キムラスカの人間として出来る事をやる、と瞳に強い光を宿した彼女の姿にほっと息をつく。

 どうやら吹っ切れたらしい。昨日何かあったのかな。

 

「覚悟を、決めましたわ」

 

 覚悟。

 

 僅かに残る迷いも断ち切るように紡がれた言葉に、首筋を冷たいものが撫でていくような感覚を覚えたが、かるく首を振ってそれを打ち消す。

 

 そして、バチカルへ行こう、と次の目的地を定めたみんなに、俺はひとつ深呼吸をしてから、そろりと手を上げた。

 

「あの」

 

 すると視線が一気にこちらへ集まる。

 そうしようって、決めたんだ。がんばれ俺。

 

「俺 ――……」

 

 

 

 

 

 

「新入り坊や! そこのスパナ取ってちょうだい!」

 

「はい!」

 

 そしてシェリダンのドック。

 俺は今、技術者の皆さんのお手伝いをしている。

 

 なんだかとってもデジャブな展開だけど、前とはちょっと違います。

 

 言われた工具をタマラさんに手渡すと、彼女は作業の手をとめて、スパナで肩をとんとんと叩きながら俺をかえりみた。

 

「だけど本当によかったのかい? あの子たちと一緒じゃなくて」

 

 その言葉に目を丸くした後、小さく苦笑してみせる。

 別の作業員さんが部品をくれと呼びかける声に身をひるがえしながら、タマラさんに向かって頷いた。

 

「はい!」

 

 俺は今回、自分の意思でここに残ったんだ。

 

 

 

 

「俺、ここに残ります」

 

 突然のことにみんながぽかんと俺を見る中、ジェイドさんの赤い瞳がすっと細められる。

 大好きな赤色だけど、いま直視したらせっかくの決断が揺らぎそうで、冷や汗をかきつつ視線をずらした。

 

 その後、まず意識を引っ張り戻したのはルークだった。

 

「ど、どうしたんだよリック」

 

 慌てて俺のほうに向き直ったルークが不安げに言う。

 その様子の向こうにアクゼリュスのことを思い出して俺は、あっと声を上げる。ルークはまた誰かが離れていってしまうのかと思ったのかもしれない。

 

 今度は俺が慌てて、首を横に振る。

 

「ルークちがう! ち、違うからな! 反対だとかそういうんじゃなくて、俺は、その……!」

 

「でも……リック」

 

「だからその俺はえっと、ルークが大好きなんだよ!」

 

「そんなん俺だってお前トモダチだもん好きだよ!」

 

 あれ、話ずれた?

 

「……お前ら、落ち着けって」

 

 混乱しきりの十歳と七歳の間に立ってくれた心のお母さんガイが、俺たちの肩をぽんと優しく叩く。

 

 さっきどさくさで言われたルークの、友達だもん好きだよ、という言葉を脳内でめぐらせて新たな動揺に襲われつつも、一旦 呼吸を置いてから、俺はあらためて口を開いた。

 

「俺、ただの兵士だし、陛下への謁見や交渉でお役に立てることが無いと思うんです」

 

「まあそうでなくても役には立ってませんけどね」

 

「うわーーーん!」

 

 とてもキレイな笑顔で大佐がさらりと告げる。

 それに背筋を正したままぼたぼたと涙を零すと、ガイが「話の腰を折るな!」と大佐に突っ込んでいた。ガイ忙しいな。

 

「それで?」

 

 柔らかい声でティアさんに促されて、俺はぐすぐすと鼻声になりながら言葉を続けた。

 

「俺はみんなに付いて行っても何も出来ないから、だから、俺はここでシェリダンの皆さんのお手伝いがしたいです」

 

 それだけではないけれど、この思いも嘘じゃない。

 このままぼんやりとみんなに付いていくより、今俺が出来る事をしたかった。これは俺が自分で考えてみつけた答えだ。

 

「そのほうが、俺もみんなの役に立てる気がするんです」

 

 短く息をはいて、俺は大佐の赤い瞳を見返した。

 大丈夫。揺らがない。

 

「大佐」

 

 そのまま、一瞬だけ時間が止まる。

 たぶん時間にして三秒にも満たないほどのことだけど、俺は狭いオリの中で肉を持ったままライガと二人きりにされるのと同じくらい精神力を消耗した。

 

 やがて大佐が、眼鏡を押し上げながら、ふっと溜息をついた。

 

「分かりました。リック一等兵、あなたに職人達の補助を命じます」

 

「……はい! 了解しました!」

 

 ぴかりと目を輝かせた俺を見て大佐がもうひとつ息をつく。

 そして僅かに眉を顰めて何かを言いかけたけど、結局何も言わないまま顔をそらされてしまった。

 

 ジェイドさん。

 呼びかけようとした声を寸前で引き止める。

 

 なんのために残ることにしたんだよ、俺。

 

 隙あらば下がりそうになる眉をなんとか引き締めて、精一杯の笑顔を浮かべながらみんなに敬礼をした。

 

「こっちは任せてください!」

 

「……頼んだぜ、リック!」

 

 それにルークも笑みで返してくれた。

 そうして二人で笑いあって、みんなは今度こそ背を向けて歩いていく。

 

 離れていく青い軍服に若干どころじゃない寂しさを覚えていると、最後尾を歩いていたイオンさまが、ふと振り返って小走りに戻ってきた。

 おや?と目を丸くするが早いか、彼は肩で息をしながら俺を見上げる。

 

「僕も、僕のやるべきことを頑張りたいと思います」

 

 いつになく強い光を宿した緑色の目。

 それはいつか、俺がこの街で口にした言葉。

 

「イオン様ー!」

 

 離れたところでアニスさんが呼んでいる。

 彼はその笑みを深めて、それからみんなのほうに帰っていった。

 

 少しの間その背を呆然と眺めていたが、みんなの姿が見えなくなったところで、俺は少し顔をうつむけて笑った。

 

「……そうですね、イオンさま」

 

 俺も、頑張りたいと思う。

 イエモンさん達の手伝いも、自分の中の整理も。

 

 次にみんなが戻ってくるときまでには、どちらも、きっと。

 

 なんとか眉をつり上げて何となく凛々しい顔を作り上げ、俺は再び集会所の扉を叩いた。

 

 

 



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Act35.3 - しまっておいた答案用紙

 

 シェリダン、ベルケンドの職人入り混じっての大仕事。ドックはまるで嵐のようだった。

 

 上を真ん中へ、真ん中を下へのめまぐるしい時間が続き、比喩でなく昏倒した職人が常に二、三人は冷たい床に転がっていたり、少しして復活するとまた作業に戻り、今度は別の人が昏倒しの地獄絵図。

 

 職人という仕事はもしかすると俺たち軍人以上に過酷なのかもしれない、と認識を改める中、俺は今 束の間の休憩時間をめ組のみんなと過ごしていた。

 

「ふい~」

 

 イエモンさんがお茶を片手に背筋を伸ばしている。

 主に作業場で働く彼らと、上のモニター室で働くベルケンドい組さんは大抵休憩も別だ。

 

 たまにはみんな一緒に休憩したらいいのでは、と何も知らない俺は思うけど、ガイから聞くかぎりめ組とい組にはそれなりの確執があるようなので、とりあえず黙殺する。

 

「お前さん、あの子らと喧嘩でもしたのか? ん?」

 

「ぃへ?」

 

 突然の問いに、俺の持っていた湯のみが傾いだ。

 中のお茶が零れかけ、慌てて持ち直しながら改めてイエモンさんのほうを見やる。

 

「なんでですか?」

 

「この前はなんだかんだ寂しがっとったのに、今度はなーんも言わんからのう」

 

 その言葉に、はは、と苦笑を零した。

 前回シェリダンで留守番したとき、イオンさまに頑張るとは言ったし、実際泣き言は言わなかったと思うけど、それでも皆の話はよくした。

 

 ルークは優しいとか、ジェイドさんがかっこいいとか。今考えるとそれは寂しさゆえのことだったのだろう。

 

 そのことに気付いていたらしいイエモンさん達のほがらかな表情にがっくりと肩を落とす。

 しっかりと齢を重ねてきたみんなに、たった十年しか生きてない俺が敵うはずもなかったようだ。

 

 アストンさんがふうと荒く息をつく。

 

「喧嘩しとらんなら何なんじゃ。まったく、若いもんが静かじゃ調子が狂うわい」

 

「いや……ハハ」

 

 笑ってごまかそうとして、すぐ止めた。

 もぞもぞと湯のみを持つ手を揺らしながら、情けない顔で俯いた。

 

「この老いぼれでよければ、話してごらんなさいな」

 

 俺の顔を優しく覗きこんだタマラさんの言葉に後押しされて、顔を上げる。

 脳内でつたなく情報をまとめながら口を開いた。

 

「オレ……前、ある人達にひどいことをしてしまって」

 

 みんなは俺が話すのを静かに待っていてくれる。

 俺から見れば気が遠くなるくらい年を重ねた人たちがかもし出す空気は穏やかで、肩の上にあった緊張がほぐれていくのを感じた。

 

「泣かせてしまったんです。オレは、ずっとそのことが罪だと思ってた」

 

 泣かせてしまった。あの女性を、あの女の子を。

 じん、と右頬が熱を持った気がした。

 

「でもこの間 気付いたんです。ちがうって。オレの、本当の罪は――」

 

 『 ぼくでもいいじゃないか 』

 

 一度目を伏せて、開く。

 喉を圧迫するような重い酸素をゆっくりと吐き出した。

 

「―― もっとひどくて、 ……もっと、残酷なことをしていました。残酷で、傲慢な、思い違いをしていたんです……オレは」

 

 ずっと分からなかった。

 彼女たちの気持ちが、分からなかった。

 

 この旅をしていなかったら、ずっと気付かないままだったかもしれない。

 気付かないまま、この鉛のような後悔も知らず、平々凡々と暮らしていたかもしれない。

 

「それに気付いたらなんだか胸がぐちゃぐちゃして、少し、考える時間がほしくて……その」

 

「ここに残ったのかい?」

 

「で、でもっ! 皆さんを手伝いたいと思ったのは本当です!」

 

 慌てて言葉をそえると、タマラさんが愉快そうに笑って「分かってるよ」と言った。

 それに安堵の息をついてから、ぐにゃりと泣きそうに表情を歪める。

 

 湯飲みを地べたに置いて、うう、と頭をかかえた。

 

「オレ、最低なんです。最悪だったんです。どうしようもない劣化野郎です……」

 

「劣化?」

 

「い、いえ」

 

 思わず口を滑らせた単語に首をかしげたイエモンさんに冷や汗を流しつつ首を横に振った。それから今一度溜息をはく。

 

「ひどい、奴なんです……」

 

 そうしてべそべそと泣き始めた俺を、大佐だったら即座に「うっとうしい」蹴り飛ばしたところだろうが、め組のみんながなぜか声を上げて笑いはじめる。

 

「ふぉふぉ! なにを考えこんどるかと思えば!」

 

「だって、オレ、間違って、どうしようって……」

 

「おや、分からないかい?」

 

 タマラさんが少女のように顔をほころばせた。

 傍に落ちていたボルトをひとつ拾って、俺の手に乗せてくれる。

 

「気付けたってことは、直せるってことだよ」

 

 それだけで進歩なんだと言う彼女に、ぱちくりと目をしばたかせた。

 

 だって気付いたって、気付いただけじゃないか。

 あの子は泣いてしまったし、鈍感だった自分もなかったことにはならない。

 

 分かっていない様子を汲み取ったイエモンさんが、俺の手にあったボルトを取り上げて、やっぱり傍に落ちていた歪んだナットに嵌めるとそれを回した。

 

 だがボルトは完全に嵌ることなく、途中で止まってしまう。

 すると彼は一度ナットを取り、それを小さなハンマーでガンと叩いた。

 

 それから再びボルトを嵌めれば、今度は二つがすとんと噛みあう。

 

「どんな音機関だって故障箇所が分かれば手の施しようがあるわい」

 

 鮮やかな手並みに寸の間目を輝かせるも、はっとして眉尻を下げる。

 

「でも、故障した場所が分かっても、直らなかったら……」

 

「そのときは使える部品をとって次の音機関に使ってやればいい。そうすればそいつは別の音機関の中で生き続けるからの」

 

 ぶっきらぼうに付け足したアストンさん。

 それを見て笑みを零したタマラさんが続ける。

 

「使える部品がなくたって、壊れてると分かればしめたものさ。魚の家や鳥の巣にできるもの」

 

 みんなの言葉がふわふわと自分の中で揺れた。

 古ぼけた湯飲みを、そっと手で包み込む。中身はもうぬるくなっているようだったけど、なんだか温かかった。

 

 波紋を描くお茶をどこかぼんやりと眺めながら、ぽつりと呟く。

 

「壊れたところ、直せますか?」

 

「さあのう」

 

「直らなくても、何かには変わりますか?」

 

「坊やしだいねぇ」

 

 女の子の頬に零れる涙が、すっと脳裏を過ぎった。

 

「後悔は、先に立たないけど」

 

 次に思い浮かべるのは赤色。真っ赤な瞳。

 眩しいものを思うように目を細めて、俺は続ける。

 

「……後には、立ちますかね」

 

 この気持ちを、次の何かに変えていけるのだろうか。

 イエモンさんが顔一杯に笑みを浮かべた。

 

「もちろん。それが若者の特権だからの」

 

 力強い言葉に、俺は浮かんできた涙をぐいと袖でぬぐって、顔をあげた。

 め組のみんなを見返して、俺もめいっぱいの笑顔を返す。

 

「はい!」

 

 するとタマラさんが「ようやく笑ったねえ」と言いながらお菓子を進めてくれた。

 それがちょっと気恥ずかしかったけど、例え俺が外見どおり二十五歳だったとしても、きっと同じ対応をされるんだろうと思った。皆にしてみればまだまだヒヨコだ。

 

 イエモンさんが少し苦笑する。

 

「若いうちは間違いに気付いてもそれを修正できる力がある。だが年を取るとそれも簡単ではないんじゃよ」

 

「偏屈になるんだろうねぇ。間違ってると分かっていても、素直になれなくて」

 

 続けたタマラさんの後に、アストンさんがふんっと鼻をならした。

 だけどその横顔にもいつものきつさがなくて、俺ははたと思い至る。

 

 め組と、い組。

 

 ずっと競い合ってるっていうことは、それだけ長い付き合いなんだ。

 お互いの悪いところも、もちろん良いところも、気付いているに違いない。

 

 だけど一度始めた綱引きはそう簡単には終わらせられなくて。

 

 少し考えて、俺は口を開く。

 

「いつでも喧嘩ができるのはすごい友情なんだぞって、ピオ……俺の名前をつけてくれた人が言ってました」

 

 真正面からぶつかりあうことが出来る相手。

 何度もぶつかりあって、でも離れていかない誰か。

 

「喧嘩ってちゃんと相手を認めてないと出来ないことだから。憎たらしいときもあって、たまに見直したりもして、それも友情のカタチなんだって教えてくれました」

 

 俺はルークとは喧嘩が出来ないでいるけど、それでも……ともだちだと思う。

 一緒にいるっていうのもカタチのひとつで、カタチは色々ある。

 

 め組とい組の関係も、このままでもうひとつのカタチなんだろう。

 

「俺にはめ組さんとい組さん、すごく仲良しにみえますよ!」

 

 そう言って笑えば、イエモンさんは僅かに黙った後、ぷいとそっぽを向いた。

 

「ふん。あいつらと仲良しなんて虫唾が走るわい!」

 

 やっぱりなぁと苦笑する。

 これくらいでどうにかなるようなら、当の昔にもっと違う関係になっていたはずだ。まあでも、このほうが彼ららしくて良いのかもしれない。

 

 みんなにお茶のお代わりを注ごうとポットに手をかけたとき、イエモンさんがごほんと咳払いをした。

 

「わしはもう腹いっぱいじゃ。新入り坊主、残った菓子をなんとかせい」

 

「え?」

 

「上にでも投げ捨ててこんかい」

 

 そう言い残してお茶を飲み干すと、イエモンさんはさっさと改造中のタルタロスのほうに戻って行ってしまう。

 

「素直じゃないわねぇ」

 

 ぽかんとする俺の耳に届いたのは、タマラさんの笑い声。

 

 上。

 ……うえ?

 

 そしてその意味に気づいた時、俺は思わず声を上げて笑った。

 

 いってらっしゃい、とタマラさんの言葉に押し出されて、お菓子の乗った器を手に立ち上がる。

 

 すぐさま昇降機に飛び乗って、上がりきるのも待ちきれず、ぴょんぴょんと跳び上がりながら俺は上階のモニター室のみんなに向けて声を上げた。

 

 

「ヘンケンさーん! イエモンさんから差し入れですよーっ!!」

 

 階下から「こら坊主!」と焦ったようなイエモンさんの怒声が聞こえてきて、俺はまた笑い転げる。

 

 

 

 答えを書いたまま胸の奥にしまいこんでいた答案用紙。

 

 ジェイドさん。

 貴方が戻ってきたら、それを今度こそ渡したいと思います。

 

 

 





サブイベント『闘技場』にて偽追加会話
ルーク「あいつだったら嫌がるだろうなー。戦闘だもんな」
ジェイド「確実に生命の危険がないと分かっていれば意外とやるかもしれませんよ。剣術自体は好きですから」
ルーク「あー。そしたら勝ち進めると思うか?」
ジェイド「そこそこ行くんじゃないですか。でもあの子の戦法はちょっと“守”寄りで、兵士としてはバランスがいいですから」
ルーク「つまり?」
ジェイド「地味です」

エンターテイメントな場ではかなり致命的。


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Act36 - それは“覚悟”ですか

 

 シェリダンでタルタロスの改造を手伝い始めてから、約二週間が経った。

 

 作業はすべて完了して、タルタロスはすでにシェリダン港に運ばれている。

 さすが、め組とい組が共同開発した装置、出来のほうも完璧だ。

 

 後はルークたちを待つのみ、とイエモンさん達と一緒にみんなの帰りを待ち望んでいた俺の耳に、集会所の扉が開く音が届いた。

 

 勢いよく扉のほうに顔を向けて、逆光に隠された人影を凝視する。

 

 こうして期待しては職人さん、郵便屋さん、近所の子供、と肩透かしをくらい続けた俺だったが、やがて複数の聞きなれた声とふたつの赤色を確認して、思い切り床を蹴った。

 

「みんな! ルーク! っジェイドさーん!!」

 

「……うっわ!」

 

「おわぁ!」

 

 先頭切って中に入ってきたルークと、ほぼその隣にいたジェイドさん目掛けて飛びついたのだが、ジェイドさんが俺をさっとかわして脇に避けたのでルークひとりが俺の全体重を負担することになり、それに耐え切れなかったルークが倒れこんだ方向にいたガイも巻き込んで、結果的に三人で床に転がることとなった。

 

 沈黙が広がる中、俺とルークが呻き、下敷きになったガイが声もなく悶絶する。

 

 いつもならここでちょっとへこたれたところだけど、今の俺は色々と最高潮だ。

 ぱっと体を起こし、みんなを見回して満面の笑みを浮かべながら敬礼した。

 

「お疲れ様です! 皆さんご無事で本当に良かった!」

 

「……たった今ダメージ負ったけどな……」

 

 ぼそりと呟いて腰を抑えながら立ち上がったルークと後頭部を抑えて苦笑するガイに慌てて謝ってから、俺はちらりとナタリアに目を向ける。

 

 すると彼女は俺たちのやりとりを見て楽しげに笑っていたので、インゴベルト陛下や平和条約の件は嫌な結果に終わらなかったらしいと安心してルークに経過を尋ねることが出来た。

 

「うまくいったのか?」

 

「ああ! 叔父上がちゃんと解かってくれてさ」

 

 予想通りの答えをくれて嬉しげに笑ったルークと、はにかんだ微笑みを見せるナタリアに、今度こそほっと息をつく。

 

 その後はインゴベルト陛下、ピオニー陛下、イオンさま、そしてケセドニアのアスターさんを交え、ユリアシティに場を設けて平和条約を締結したらしい。会談場所に向かうにあたり、奪われていた飛行譜石も取り返したという。

 

 あたり前の事だけどピオニー陛下も一緒だったんだと思うと、会えなかったことがちょっと残念なものの、その分シェリダンで収穫があったから良いだろう。大収穫だ。

 

「ところで準備のほうはどうなっていますか?」

 

 そこで緩んだ場に目的を取り戻させるように はっきりとした声で告げられた大佐の言葉に、みんなも顔を引き締めてイエモンさんのほうへ向き直った。

 

 俺は事前にイエモンさん達から聞いていた話になるが、地核へはアクゼリュス跡から進入することになるという。

 

 だけど耐久性とか譜術障壁の限界時間とか色んな問題があって、シェリダンを出発してから百三十時間でタイムリミットを迎えてしまう。

 だからかなり急いで事を進めないと、俺たちみんな地核でドカン、なんて恐ろしいことになる。

 

 でも何もしなければどのみち崩落でドカンだ。やるしかないんだろう。

 うう、怖い。どっちも怖いけど、みんなと一緒な分だけ地核突入のほうがマシな気がした。いや、かなり究極の選択だが。

 

 

 

 

「狼煙が上がりました」

 

 集会所の扉から顔を覗かせた整備士の人が作戦スタートを知らせてくれる。

 シェリダン港にいるアストンさんが譜術障壁を展開したようだ。

 

「さあ、見送るぞい」

 

 俺よりずっと勇ましい職人の顔でイエモンさんがそう言ったのを合図に、みんなが動き出す。集会所の出入り口のほうに足を進めながら、俺はちらりと大佐を窺い見た。

 

 いつ言おう。いつ言えるかな。

 いっそのことどさくさに紛れて今っていうのも有りかもしれない。

 

 奇妙な高揚感に弾み出した心臓を抱えつつ、俺は隣の赤色を仰ぐ。

 

「あの……っ」

 

 いざ喋ろうと思った瞬間、前方のざわめきに気付いた。

 そちらに目を向けると、先に集会所を出たルークたちが扉のすぐ外で立ち止まっている。

 

 大佐が鋭く赤を細めて、扉の脇から身を滑り出させたのに続いて俺も外に出た。

 

 

 すると集会所のすぐ前。

 綺麗に伸びた背筋と、女性的でありながらも精悍な顔つきをしたその人物の姿に、思わず息をのむ。

 

 六神将、魔弾のリグレット。

 さらに彼女の両脇には複数の神託の盾兵の姿がある。

 

「お前たちを行かせるわけにはいかない。地核を静止状態にされては困る」

 

 無駄な抵抗は止めて武器を捨てろ、と言うリグレットに、万事休すという言葉が脳内を駆け巡ったとき、まだ室内にいると思っていたイエモンさんの声が屋外から聞こえてきた。

 

「タマラ! やれいっ!」

 

「あいよ!」

 

 その声が響くが早いか、いつのまにそんなところへ回り込んでいたのかタマラさんが飛び出す。

 手にした音機関から兵達に向けて炎を噴射させた。

 

「今じゃ! 港へ行けぃ!」

 

 たじろぐ兵達。その隙を突くようにイエモンさんが俺達に叫ぶ。

 けど、と迷うように言葉を濁したルークの声を遠くに聞きながら、俺は強烈な痺れが背筋を突き抜けていくのを感じた。

 

 それはいつかとよく似た、予感。

 

 内臓をひっくりかえすような衝動に、急き立てられるように前へ出る。

 

「タマラさん!」

 

 ダメです。一緒に逃げましょう。危ないです。

 ぜんぶ喉のすぐ手前にあるのに、ひとつも言葉に変わらない。

 

 口を開きかけては閉じる俺を見て、タマラさんが微笑んだ。

 

「そういえば名前を聞いていなかったねぇ、新入り坊や」

 

 柔らかい声だった。

 まるでいつものお茶のついでみたいな気軽さで彼女は言う。

 

 俺は詰まりかけた息を吸い直して、音を紡いだ。

 

「……リック。リックです」

 

 震える声で継げた自分の名前。

 背後でイエモンさんが楽しげに息をついたのが聞こえた。

 

「良い名前じゃの」

 

「ええ」

 

 イエモンさんの言葉にタマラさんが頷く。

 

 そうでしょう、良い名前でしょう?

 俺の大好きな人がつけてくれた名前なんです。

 無茶なことばっかり言って、仕事もよくサボるし脱走するし、ほんと困ったひとだけど、太陽みたいなひとなんです。

 

 そう言って笑いたかった。だけど全て乾いた口内に張り付いてしまう。

 頭のてっぺんから血が下がっていくような気がした。

 

 俺たちを守るように前に立ちはだかった二人は、もうこちらを見ないままに、笑った。

 

「ルーク、リック、がんばれよ」

 

「孫が出来たみたいで楽しかったわ。 ありがとうねぇ、リック」

 

 そんなこと言わないで。もう会えないみたいなこと言わないでください。

 もっとあなたたちに話したいことがたくさんあるんです。

 

 俺の大好きなひと達のこと。俺のこと。あなた達のこと。

 もっともっと、もっと、俺は。

 

「時間がない! 早くせんか!」

 

 イエモンさんの一喝にびくりと肩を揺らす。

 この二週間ずっと彼らの作業を手伝っていた体は、イエモンさんの指示を認識して、みんなと同じ方向へと勝手に動いた。

 

 だけど一番近くにある街の出口はすでに塞がれていた。

 周囲には一般の人も多くて、大佐も下手に譜術を使うことは出来ない。

 

 動きを止めた俺たちを見逃す事なくリグレットの銃が鳴る。

 それに手元の弓を弾き飛ばされてナタリアが悲鳴を上げた瞬間、視界の端に動いた影を感じた。

 

「邪魔だ!」

 

 ナタリア、と呼びかけようとした声を飲み込む。

 さっとそちらを見ると、リグレットに飛び掛ったイエモンさんが、今まさに払いのけられるところだった。皮膚が粟立つような感覚を覚える。

 

「イエモンさん!」

 

 ルークが叫ぶ。

 

「イエモンさ……っ」

 

 そして思わず傍によりかけた俺を制したのは、今一番危険な状況にあるといえる、二人の声。

 

 あたしら年寄りのことよりやるべきことがあるでしょう、とタマラさんが言う。

 さっさと行けと、イエモンさんが怒鳴る。

 

 どくん、どくんと弾けそうなくらい心臓が脈打っていた。

 

「行きましょう、早く!」

 

 ジェイドさんの声。

 思考とは反対に、体はその指令に忠実に動いた。

 

 身をひるがえして、みんなの後に続き全力で走る。

 

 遠ざかっていく喧騒と、周囲を過ぎる新たな喧騒。

 金属がすれる音と、悲鳴。

 

 頭が、戻れ、という。

 二人のところに戻れと。

 

 だけど体は止まる事無く、ひたすらに前へ進んでしまう。

 

 『良い名前じゃの』

 

 『ありがとうねぇ、リック』

 

 巡るのは、ついさっき聞いたばかりの声。

 

 頭の奥がきしむ。

 吸おうとした息はほとんど外に零れた。

 

(いやだ)

 

 意味を持たない主張が全身を渦巻く。

 だがそれを瞬時に否定したのもまた、俺の声だった。

 

(いやだ)

 

 ダメだ。

 

(一緒に逃げるんだ)

 

 ダメだ。

 

(なんでだよ)

 

 だって。

 

(見殺しにする気か)

 

「……やめろ」

 

 頭の中でふたつの思考が回る。

 どちらも自分の声なのに、片方は自分のものではないような鋭い響きを帯びていた。

 

(嫌だ、嫌だ、最後なんて(最期なんて)いやだ、やめてくれ)

 

 片手で、ぐっと頭を押さえた。

 だけど声は止まることなく、叫ぶ。

 

(嫌だ。嫌だよ。逃げよう)

(みんなで一緒に逃げるんだ)

 

(逃げたい。逃げてくれ)

 

(一緒に、逃げ )

 

「うるさいっ」

 

 押し殺した声を上げ、ひときわ強く地面を蹴りながら、一度きつく目を瞑る。

 

「俺のくせに……我侭言うな……!」

 

 ダメだ、ダメなんだよ、引き返したってだめなんだ。

 俺には止められない。だってあの目は、あの真っ直ぐな目は。

 

「リック」

 

 “覚悟”

 

「……リック!」

 

 少し強く響いた声に、はっと顔を上げる。

 気付けばすぐ隣を走っていたジェイドさんが、険しい顔で俺を見ていた。

 そこに焦ったような色があるのは、この状況の厳しさのせいだろうか。

 

「…………っ」

 

 思えば俺はすっかり混乱していたのだろう。

 だって普段なら絶対出来ないようなことを、横を走るジェイドさんの服の背を、すがるように握り締めただなんて、正気だったらできっこない。

 

「ジェイドさん、オレ、怖いんだ、怖くて仕方ない。だって“覚悟”をした人っていうのはいつだって真っ直ぐな目をしていて、」

 

 敬語で話すことすら忘れた俺を見るジェイドさんの赤い目が揺れている気がした。

 ああでも、きっと見間違いだろう。彼が動揺なんて。

 

 喉で、ひゅっと空気が鳴る音がした。

 

「―― いつだって、臆病者(おれ)の言葉が届かない」

 

 二人の柔らかな笑顔を思い出す。

 

 俺には彼らを止められない。

 止めてはいけないと本能が警鐘を鳴らす。

 

 だって、覚悟をした人間を止められるのは、同じ覚悟をした人間だけなんだ。

 

 

 やがてジェイドさんは すいと目を逸らし、服を掴む俺の手を解いてから、前を向いた。

 

「走りながらあまり喋ると、舌を噛みますよ」

 

「はい、ジェイド、さん」

 

 ほとんど囁くようにそう返事をして下を向きかけた俺の耳に、小さな言葉が届く。

 

「……今は前だけを見ていなさい」

 

 それが何だかジェイドさんらしくなく気遣わしげな声で、俺は状況を忘れて、少しだけ笑った。

 

「はい、大佐」

 

 

 後はみんなの背中だけを見て、ただひたすらに走り続けた。

 二人にもらったいくつかの言葉を、胸の中に響かせながら。

 

 

 



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Act37 - 臆病な子供、育つ心

 

「失策だな、リグレット」

 

「すぐに奴等を始末します」

 

 

「こんな年寄りでも障害物にはなるわ」

 

「仲間の失態は仲間である俺たちが償う」

 

 

 

「行きなさい!」

 

 子供はたった一度、振り返ろうとした動きをすぐに止めた。

 真っ直ぐにタルタロスへ向かって走る背中を見ながら、ジェイドはすいと目を細めた。

 

 

 

 

 ユリアシティ。 

 もう幾度目かになる幻想的で無機質な光景を眺めていたジェイドは、背後から聞こえた足音にひとつ溜息を零す。

 

「皇帝が一人でうろうろしないで下さいよ」

 

「世界の危機ってときに皇帝も何もないだろ」

 

 それに軽い調子で肩をすくめたピオニーがジェイドの隣に並び、手すりに肘をついて階下を見下ろした。

 こうなるとどうせ何を言っても動きはしまい、と釘を刺す事すら諦めたとき、ピオニーがどこか芝居がかった口調で「そうだ」と声を上げる。

 

 少し面倒くさく思いながらもそちらへ視線をやった。

 それを受けて、ピオニーもジェイドの赤い目を覗き込む。

 

「リックのやつ、シェリダンに残ったんだってな」

 

 口調同様、作り物めいた笑顔で告げられた言葉に、眉根を寄せる。

 

 グランコクマでリックの姿が見えない事を尋ねられた時、シェリダンに残ったと伝えはしたが、詳しい話が出来る状況ではなかった。それを承知していただろうピオニーも、当時はそれ以上追求してこなかったのだが。

 

 ええ、といつもの調子で返してみせると、ピオニーはまた無駄に軽い語調で続ける。

 

「結果的に良かったじゃないか。おまえ、聞かれたくなかっただろ?」

 

 “ホドのこと”

 

 言葉にされなかった声が聞こえた。

 先ほどの会議で、ホド消滅の真相は明らかにされた。

 

 直接指示したわけではないとはいえ、それは間違いなく、フォミクリーを生み出した者の罪。自らが作った技術が、どんな惨劇を引き起こしたのか。

 

「…………」

 

「……いつもの減らず口も無しか。肯定と取るぞ」

 

 眉間の皺を深めて黙り込んでいると、ピオニーは先ほどまでの芝居じみた態度を止めて、いつもの気の抜けた顔でふうと息をついた。

 

「正直、今更だと思うがな」

 

 体勢を手すりにもたれるようにだらりと崩したものに変え、頭をかきながら、ピオニーが溜息まじりに零す。

 

「何聞かされても、あいつはお前を憎みやしないぞ。例えば他の被験者や消えていったレプリカたちに一生恨まれるとしてもだ」

 

 そこで言葉を区切ると、彼は笑って続けた。

 

「あいつはお前が大好きだからな」

 

 ジェイドはとっさに開きかけた口を一度閉じてから、再び開く。

 

「私が処分してきたレプリカはほとんどが生まれたての状態です。憎もうにも、彼らは憎悪という感情すら持ち合わせていなかったでしょう」

 

 その中でただ一人、全身で死にたくないと訴えて泣いた子供。

 あのときの泣き声と、普段のバカみたいな笑顔が脳裏を過ぎる。

 

「はぐらかしたな。まあいい、だがな、ジェイド」

 

 笑みを含んだ意味ありげな声に、眉を顰める。

 

「子供はいつまでも子供じゃないぞ」

 

 やけに自信たっぷりに告げられた言葉と笑顔から顔をそらして、またひとつ、溜息をついた。

 

「違う人物にも似たようなことを言われましたよ」

 

 

 頭では分かっている。

 だけどどうしても、自分には子供としか映らなかった。

 

 あれは、いつまでも臆病な子供でしかないと。

 

 『ジェイドさん、俺、怖いんだ』

 

 ――そう、思っていた。

 

 

 

 

 艦橋。

 無言の空間に、ただ音機関を操作する音だけが響き続けている。

 

 かち、とキーを叩く動きを止めて、ジェイドは後方から聞こえる音に耳をすませた。

 そして規則的に聞こえてくる操作音を聞き、すぐ自らの動きも再開させる。今は一刻の時間も惜しい。

 

 だが。

 

 作業を進める手はそのままに思考する。

 艦橋の外には、まだ立て続けに起きた衝撃から抜け出せずにいる子供たちがいる。

 

 ガイもなだめ役としてまだあちらにいるはずだ。

 だから今現在、この場にいるのはジェイド一人になるはずだった。

 

 背後のパネルで作業を手伝うリックが、いなければ。

 

 シェリダンであれだけ似合わない取り乱し方をしていたのだから、間を置かずしてのシェリダン港での出来事が堪えていないはずはないだろう。

 

 それにしてもやけに静かだ。

 そのことに内心首をかしげつつ、口を開く。

 

「とりあえず私だけでなんとかなりますから、向こうにいたらどうです」

 

「いいえ、大丈夫です」

 

 戻ってきた返事はとてもしっかりとしたものだった。

 

 軽く目を見開いて、肩越しに振り向く。

 そこにはめずらしくぴしりと伸びた背中があった。

 

 その隙間から、てきぱきと休まず動く手元が見える。そこに間違いはなく、正確な操作だった。限られた時間の中、使える人間がいるというのは大いに良い事だが……。

 

 拭い去れない違和感を抱えつつ、とにかく準備をとタルタロスのパネルに向き直ろうとした時、視界の端に入ったモノに動きを止めて、再び彼のほうを振り返った。

 

 そこにはさっきと変わらず黙々と操作を続ける背中が見えたが、よく見れば、流れるように指が滑るパネルの上に先ほどから何かが落ちている。

 

 ぼたりぼたりと絶え間なく落ちるソレを見て、ジェイドはふいに表情を緩めた。

 

「……ま、そうじゃなくちゃ、あなたじゃありませんね」

 

「大佐、何か言いました?」

 

 いつもどおりの声。

 ゆるりと目を伏せて、ジェイドはまたパネルに向き直る。

 

「いいえ、何も。ところで“汗”はちゃんと拭わないと、打ち間違えますよ」

 

 絶え間なく続いていた操作音が、一瞬だけ止んだ。

 

 

「……はいぃ~ッ!」

 

 そして一気に震えた声になった返事の合間、布で雑に何かをふくような音が聞こえてきて、ジェイドは静かに笑みを浮かべた。

 

 

 



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Act37.2 - 地核にてお話があります

 

 タルタロス全体の振動が落ち着いたところで、俺は詰めていた息をようやく吐き出した。

 

 地核。

 

 暮らしていた大地が浮いていると知ったときもそれなりに頼りない気持ちにさせられたものだけど、地下は地下でえも言えない圧迫感がある。思うとなんだか息苦しい気さえしてきたが多分これは気のせいだ。ああきっと気のせいだ。

 

「急いで脱出しましょう」

 

 大佐の言葉を聞いて、今度は百三十時間という数字が頭によみがえる。

 だけどそれはほとんど移動で消費したから、現時点での残り時間は……考えたくないがかなり短い。

 

 これで今度こそタルタロスとお別れなんだ。

 ほんの少しの寂しさに、艦橋から出る足が止まる。

 

「リック」

 

「は、はいっ!」

 

 だけど先を歩いていた大佐に呼ばれて、俺は背中を引く感傷を振り払い、みんなの後に続いて甲板へと走った。

 

 そうだ。とにもかくにも脱出しないと、感慨にふけっている間に俺たちまで地核の藻屑と消えてしまう。自分で考えておきながら不吉な未来に寒気がした。

 

 急いで飛び出した甲板で、なぜか立ち尽くしているみんなの姿に首をかしげる。

 彼らの視線の先を追って甲板を見渡したけど、そこに特別な事態は見受けられない。いつもの甲板だ。

 

「いつもの……」

 

 己の言葉を反芻して、ハッと肩をはねさせる。

 

「譜陣がありません大佐!」

 

「ハイよく出来ましたー」

 

 気付くのが遅すぎた俺に大佐は生ぬるい笑みを浮かべて棒読みで言った。

 そして改めて、イエモンさん達が言ってた譜陣がない、と辺りを見回したアニスさんが怪訝そうに呟いたとき、あたりに響いた声があった。

 

「ここにあった譜陣は、ボクが消してやったよ」

 

 緑の髪と、顔を覆う仮面。

 地核に突入する寸前、侵入者がどうとタルタロスが出していた警告を思い出す。

 

「シンク、おまえ」

 

 眉を顰めて零した声に、彼は嘲笑するように口元を歪めて、ちらりと俺のほうを見た。

 ぐっと拳を握る。お前は、お前ってやつは。

 

「っこんなおっきな譜陣ひとりで消したのか! 頑張ったな!」

 

「……何がとは言わないけど絶っっっ対にアンタが想像してる方法じゃないよ」

 

 言った後、気を取り直すように深く溜息をついたシンクは、再びルーク達を仮面越しに睨みつける。

 

「ここでおまえたちは泥と一緒に沈むんだからな」

 

 

 

 

 一対七ってやっぱり袋叩きっていうんじゃないですか、

 

「知りませんよそんなのこっちだって正義の味方じゃないんですから形振り構ってられません」

 

 ……なんてやりとりを大佐とかわしつつ、俺がやっぱり道徳的に微妙な気持ちを抱えているうちに、シンクとの決着はついた。

 

 確かに時間がないのは本当だ。

 このまま共倒れなんかしたら、イエモンさん達に合わせる顔がない。

 

 動きが止まったシンクを見据えて、念のためと剣の柄を握り直したとき、がくりとシンクが膝をつく。

 

 からん、と乾いた音がした。

 見れば甲板で揺れているのはシンクの仮面。

 

 その下に隠されていたのは、とても見覚えのある面立ちだった。

 

「やっぱり……あなたも、導師のレプリカなのですね」

 

 イオンさまのこわばった声が空気を揺らす。

 イオンさま。シンク。同じつくりの容姿。

 

「あなたもって、どういうことだ」

 

 慌てて問うたガイに、イオンさまはそっと言葉を付け足した。

 

「僕は導師イオンの七番目――最後のレプリカですから」

 

 その瞬間、前から抱いていた疑問の正体に気付く。

 だからヴァン謡将はイオンさまのことも、映さなかったんだ。

 

 決して俺たちを存在として捉えない青の瞳。

 

 思い出して軽く身震いをしてから、俺はふと、ジェイドさんのほうを見た。

 きっとイオンさまもレプリカだと前から見当をつけていたのだろう、普段どおりの赤がそこにある。

 

 最後のレプリカ。

 

 自分の手の平に目を落とし、数回握って開いてを繰り返した。

 

 イオンさまは導師イオンの最後のレプリカ。

 俺は、ジェイドさんが作った最後のレプリカだ。

 

 そう、最後だったから、俺は自分以外のレプリカを知らなかった。

 

 シンクが皮肉げに笑う。

 

「ゴミなんだよ……代用品にすらならないレプリカなんて」

 

 知らなかった。この旅を始めるまで。

 分からなかった。

 

 彼に、

 

「そんな! レプリカだろうと、俺たちは確かに生きてるのに!」

 

 ルークに、出会うまで。

 

 俺は手にした剣を床に転がして、ルークの隣まで飛び出した。

 驚いて俺を見るルークの顔を視界の端におさめながら、シンクに向けて首を振る。

 

「違うシンク、違う。俺達は代用品じゃないんだ」

 

「必要とされてるレプリカの御託は聞きたくないね」

 

 彼は確かに俺たちを映しているのに、その目は己を蔑む色をしていた。

 イオンさまと同じ緑の瞳。だけど、イオンさまと違う鋭い緑。

 

 それに負けじと真っ直ぐ見つめ返して、言葉を続けた。

 

「いくら外見や能力が同じでも、代用品になんてなれない」

 

「何が言いたいのさ」

 

 しらけたような物言いに、俺は慌てて頭の中で文章を構築する。

 いやだから、ええとダメだ、纏まらない。

 

「だからそのなんていうか、俺たちはどうあがいたって本物にはなれないんだよ!」

 

「……リック、なんかそれトドメ刺してない?」

 

 背後からぽそりと聞こえてきたアニスさんの声。

 隣のルークも少々混乱ぎみに俺を見ている。混乱したいのは俺だ。

 

「い、いや、違うんですよ!? つまり、その、俺達は絶対オリジナルの代わりになれないけど、オリジナルだって俺たちの代わりにはなれない!」

 

 そこでひとつ区切って、俺は小さく息を吸った。

 

 ずっとずっと、渡すのを引き伸ばしにしていた答えがある。

 それは答えを書いたまま、くしゃくしゃに丸めていた答案用紙だった。

 

 提出する状況は、想像していたのとは少し変わってしまったけれど。

 

「……オレ達は、“違う”んだ」

 

 口にしてしまえば、それは思ったよりもあっさりと胸に馴染んだ。

 ああそうなんだなぁと今更ながらの実感と、ほんのすこしの切なさ。

 

「リック」

 

 驚いたような大佐の声。

 肩越しに後ろを振り返って精一杯の笑みを浮かべる。

 するとジェイドさんはめずらしく、本当に驚いていたようで、赤い目が綺麗に丸くなっていた。

 

 顔の向きを戻して、俺は再び彼に向き直る。

 

 

 ――ずっと、レプリカとオリジナルは同じものだと思っていた。

 俺は彼で、彼は俺であると、一片の疑いもなく信じ込んでいたんだ。

 

 『 お兄ちゃんのにせもの! 』

 

 その驕りが、あんな結果を引き起こしてしまったというのに、それでも俺は気付かなかった。ただ、なぜ泣かせてしまったんだろうかとそればかりを考えて。

 

 でもこの旅で、生まれて初めて自分以外のレプリカとオリジナルに出会った。

 

 ワガママで意地っ張りで、だけど優しいルーク。

 悪人顔だけどわりと世話焼きで、ナタリアには甘いアッシュ。

 

「だからお前は“シンク”なんだよ!」

 

 答えは、ルークがレプリカだと知ったあの日から、出ていたんだ。

 

 

 



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Act37.3 - 地核、脱出

ジェイド視点


 

 差し出されたイオンの手を払いのけて、シンクは地核へと堕ちていった。

 

 彼が消えた方向を眺め、少しばかり寂しげに立ち尽くすリックの背中を一度だけ見やってから、ジェイドは消された譜陣を描き直すべく、ティアとルークに声を掛けた。

 

 

 そして無事に再構築を終えて、アルビオール。

 

 乗り込む直前にティアがローレライと思しき存在に意識を奪われるという、信じがたい事態も発生したが、今更常識だなんだと言い出すのも馬鹿らしい。大体がして人の持つ知識など世界のひとかけにも満たないのだ。

 

 肝心の脱出だが、この分だとぎりぎりながら間に合うだろう。

 油断は出来ないものの、ジェイドがひとまず息をついた頃合を見計らったように、隣から小さく声がかかる。

 

「あの、ジェイドさん」

 

「……なんですか」

 

 とりあえず普段どおりに見える子供の様子を確認して、問い返しながら、脳裏を巡るのは地核での言葉だった。

 

 『オレ達は、“違う”んだ』

 

 自分とオリジナルは同一の存在であると、頑なに信じ込んでいたリック。

 どんなきっかけがあったのかは知らないが、どうやら彼も変わりつつあるらしい。それと同時に、少し前から様子がおかしかったのはそれでか、と内心 納得する。

 

 そんなこちらの思考に気付くわけもなく、リックはいつもの情けない顔で言葉を続けた。

 

「六神将には、どんな目的があるんですかねぇ」

 

「ヴァンではなく六神将ですか?」

 

「ええと、その、ハイ」

 

 あと少しで地上に着く。リックはしかしまだ窓の外に広がっている地核の光景に目をやった。

 

「今までそんなの考えた事もなかったんですけど……でも、なんか、簡単な想いで出来ることではないじゃないですか」

 

 確かに、生半可な覚悟や精神ではこの世界を揺るがす計画に加担することは出来ないだろう。

 そこにはおそらく各々の過去や、預言を憎むに足る理由があるはずだが、正直それは我々の知ったところじゃない。

 

 しかしめずらしく自分の頭で考えた疑問を述べている子供に、そう切り返していいものだろうかとジェイド自身もめずらしく迷ったとき、リックがふと真面目な顔を見せた。

 

「だってシンクは、あんな大きな譜陣を一人でゴシゴシ消すくらい俺たちを止めたかったんですよ。普通やりませんよ。できませんよ。三分の一くらいでヘコたれますよ!」

 

「……それは引っ張ってやらないほうがいいんじゃないか」

 

 奴を思うなら。

 

 さほど広くない艦橋の中、いやでも耳に入る会話に突っ込んだのは例のごとくガイだった。

 いつになく真剣な顔で口にするのがこれでは、まだ成長は遠いかもしれない。

 

 ひとつ溜息をついてから、ジェイドはリックに向き直った。

 

「彼の言葉を借りるなら、己が代用品である事への何か怨恨のようなものだと思いますが、人の感情は一言でくくれるほど単純ではないでしょう。すべて他者の勝手な推測に過ぎません」

 

 その言葉にリックが少し肩を落とす。

 物悲しげに眉根を寄せながら、でも、と呟いた。

 

「シンクは、悪いやつじゃなかったと思いますよ……たぶん」

 

 接触の機会もあまりなかったというのに、随分気にかけたものだと思ったところで、ふと気付いた。

 これが本当だとしたらかなり脱力する事実だ。くいと片眉を上げる。

 

「前……ザオ砂漠のときでしたか。シンクの傍にいると落ち着くと言いましたね?」

 

 突然の問いに目を丸くしながら、リックがハイと頷く。

 なんとなく安心するのだと言う彼の言葉を聞いて、眉間の皺を深めた。

 

「イオンさまの傍にいるときはどんな感じですか?」

 

「なんかホッとします」

 

「もしかするとルークの傍にいるときも、同じような感じですか?」

 

「あっ、ハイそうです。よく分かりますねぇ大佐」

 

 あっけらかんと笑う子供を前に、頭痛がしてくる心持ちでこめかみを押さえる。

 これはまた、なんというか。

 

「あれ、大佐?」

 

 黙り込んだジェイドを、リックが不思議そうに覗き込んでくる。

 その顔を見下ろして、溜息と共に言葉を押し出した。

 

「あなた本っ当に単純ですねぇ」

 

「な、なんですか! なんでいきなりそんな見下した視線なんですか!?」

 

「同属嫌悪の逆ですか……同種意識とでも言うんですかね……」

 

「え、な、なんすかぁ!?」

 

 慌てふためく子供から顔ごと視線をそらして、ちょうど今 魔界まで上がりきった窓の外にうつす。

 

 本来であれば不安を誘うものである紫色の霧が、今度ばかりは懐かしく見えた。

 

 

 




もちろんそれだけじゃないけど、同じ匂いを感じ取るのかレプリカの傍に居ると落ち着く傾向にあるリック。

だけど今まで他のレプリカと接触した事が無かったので、イオンさま&ルークの時点ではその方程式に気付かなかった大佐。
そして外殻大地編のAct6『タルタロスの車窓から』からとなる伏線に、この度めでたくハッと気付く。「……あなた本っ当に単純ですねぇ」



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Act38 - あいつがビビリでジェイドが変で

ルーク視点


 

 アルビオールでの移動中。

 俺はそう広くも無い艦橋の中を、目だけでぐるりと見回した。

 

 角のところにはイオンとアニスがいる。

 地核を出てからずっと沈んだ顔をしていたイオンは、アニスと何か話した後 すこし元気になったようだった。

 

 操縦席にはもちろんノエル。

 シェリダンを過ぎた後から、あまりノエルには話しかけていない。なんて言ったらいいか分からなかったから。

 きっとすごく辛いだろうと思うのに、それでも彼女にはアルビオールを動かして貰わないといけない事が申し訳ない。

 でも今は、ノエルも必死に自分の出来る事をしているんだ。俺が口を挟めることじゃないんだろう。

 

 ティアはさっきナタリアと一緒に備え付けの休憩室へ行った。

 タルタロスのときと違って、アルビオールには休める部屋が少ない。だから普段はみんなこの艦橋で何だかんだ話しているのだが、今はノエルを含めて五人……と一匹しかいない。

 

 ついさっきまで後二人この場にいたのだが、リックが俺たちにお茶を入れてくると簡易給湯室に行き、それを手伝うとガイも出ていってしまった。

 

 

 今更無言が気まずいとか言う相手はいないけど、向こうでアニスとイオンが談笑しているのを見るうちに、ふと頭を過ぎった話題。

 

「なあ、ジェイド」

 

 後部席に座っていたジェイドに、横から話しかける。

 ジェイドは正面を向いたまま、どことなく疲れたように「なんですか」と言った。

 

 こういう素の反応はめずらしいな、と首をかしげつつ、言葉を続ける。

 それは今この場にいないあの男の話だった。

 

「前、ピオニー陛下に、リックがジェイドたち以外に懐くのめずらしいって言われたんだけどさ」

 

 ジェイドの赤い目がそこで初めて俺のほうを向いた。

 会話の続きをうながすような視線に、慌てて声をつなげる。

 

「その、あいつ別に人見知りじゃないっていうか……けっこう懐っこいじゃん」

 

 こうして一緒に旅をしてきた限り、わりと誰にでも好意的であるような印象さえ受けた。本当にめずらしいのだろうか。

 

 するとジェイドはなぜか俺をじっと見る。

 蛇に睨まれた蛙じゃないけど、それに居心地の悪さと恐ろしさを感じた瞬間、ふいと視線がそらされて、かすかな溜息が耳に届く。

 

「あなたを人見知りしなかった段階で気付くべきでしたかねぇ」

 

「……は?」

 

「いえいえ。まぁそうですね、あの臆病さですから」

 

 何かはぐらかされた気がするが、続けられた質問への答えにすぐ意識はそれた。

 ジェイドがやたら優雅な仕草で眼鏡を押し上げる。

 

「確かに人を嫌う事はあまりありませんでしたが、必要以上に近づこうとする事もなかったですよ」

 

「あぁ、ビビリだもんなあ」

 

「ビビリですからねぇ」

 

 相手の身分が上でも下でもとにかく脅え倒しているあの男が、対等な信頼関係を築くのは難しいだろう。まずスタートからして切れない。あいつアレでよく軍人になんかなったなぁ。

 

「……その懐っこさが、あの子本来の性格だったのかもしれませんね」

 

 俺が呆れとも感心ともつかない頷きをついていると、ジェイドから独り言のように零された声にはたと顔を上げる。

 

 だけど俺がその言葉の意味を問う前に、人数分のカップを持ったリックとガイが戻ってきたので、そこで自然と会話は途切れた。

 

 

 

 

 そして向かった先はベルケンド。

 ティアの検査をしてもらうためだ。

 

 正直を言えばこのときの俺はまだ、さほど事態を重く考えてはいなかった。

 念のため。そんな気持ちでしかなかったんだけど、事は思った以上に重大で、深刻だった。

 

 ティアの体には大量の瘴気に汚染された第七音素が流れ込んでいた。

 その原因はパッセージリングだ。

 

 つまり大陸の降下を続ければその分ティアに瘴気が流れ込み、命の保障は出来ない状況になるという。

 

 ティアは強がっていたけど、怖くないわけがない。

 色々話して、最後に少しだけ弱いところを見せてくれたけど、その後はすぐいつものティアに戻ってしまった。

 

 強いって、剣が上手いとかじゃなくて、こういうことを言うんだろう。

 

 心配には違いないし、あいつはもっと弱音はいてもいいくらいなんだけど、そういうところは純粋にすごいと思いながら、二人で医務室を出た。

 

 そうしたら、なんかリックがだだ泣きしてた。後ろでガイやイオンが困ったように笑っている。

 

「リック」

 

 ティアが歩み寄り、リックの前で止まる。

 あいつは滝のようにしたたる涙をぐしぐしと手の甲で拭いながら、ティアを見てさらに泣いた。

 そして虫が鳴くほど小さな声で囁かれる言葉に、俺は後ろから耳を澄ます。

 

「なに?」

 

 目の前にいるティアすら聞き取れなかったらしく、僅かに小首をかしげている。

 するとやはり涙目のまま、リックが顔を上げた。

 

「や、やめましょう」

 

 泣いているせいで盛大に震えている声はやはり聞き取りづらかったが、それでも何を言いたいのかは分かった。後ろのジェイドが眉を顰めたのが見える。

 

「やめましょう、止めましょうティアさん。だめです、ダメですよ、そんなの……」

 

 ぺちん、と柔らかい音が部屋に響いた。

 

 ジェイドを除くみんなの目が丸くなる。当のリックすら泣くのも忘れて、丸くした目でティアを見ていた。

 その頬には、ティアの右手。

 

 ティアは浮かべていた厳しい表情を緩めて、リックの頬に手を当てたまま苦笑した。

 

「ほんとに臆病ね。……私は平気よ、だから泣かないで」

 

 それを聞いて、リックがぐっと涙を堪えて俯く。

 ティアが背伸びをして自分より高い場所にある頭を撫でた。

 

 そしてくすくすと笑う。

 

「もう……あなたのこと軽蔑しなくちゃならないじゃない」

 

 冗談めかして言ったティアに、今度は俺が苦笑いをする。

 リックは軽蔑、という言葉に反応してか急いで涙をぬぐった。

 

「…………はい」

 

 まだまだ涙声だし、情けない顔のままだけど、それでも頷いてみせたリックを見てティアがほっと微笑む。

 

 その向こうでジェイドも、なんだか困ったように口元に笑みを乗せていた。

 まるで仕方がないなと言うようなその苦笑こそめずらしくて、俺はまたひとり、こっそりと首をかしげた。

 

 

 




止めるなんて言ったら軽蔑するところ、とルークに言った直後に「やめましょうやめましょう」って泣かれてしまってもう苦笑するしかないティアさん。


そのとき彼らは『給湯室inビビリとナイスガイ』
リック「なあガイ、カレー茶って……どうだろう」
ガイ「……止めといたほうがいいと思うな、俺は」
リック「そっか」
ガイ「……うん」

リック「トウフ茶は?」
ガイ「いや、茶じゃないしもう」

世界は大佐で回ってる。


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Act39 - すすんでメジオラ・ロード

 

 降下作業を続けるため、俺達はユリアシティの技師さんがみつけてくれたセフィロトの内のひとつがあるという、メジオラ高原に向かう事になった。

 

 やっぱりティアさんの体は心配だけど。

 そう考えてから、ぺたりと自分の頬に手を当てた。

 

 真っ直ぐな青の瞳。

 ヴァン謡将やイエモンさん達のような、痛いほどの強固さではなかったものの、そこにあったのは確かに“覚悟”だった。

 

 たぶん、ティアさん自身も怖いんだと思う。怖くないわけない。

 青は確かに少し、揺らいでいたようにも見えたのに、それでも降下作業を止めるという選択肢を取る気持ちはちっともないようだった。

 

(強い、なぁ)

 

 それに比べて俺は、ティアさん差し置いて号泣だ。自分のヘタレっぷりにまた涙が出る。

 

 いやいや、俺が落ち込んだところで何も変わらない。

 気を取り直して、目の前に広がる大地を映した。

 

 メジオラ高原。

 

 前の時はお留守番だったから、俺にとっては初めての場所だ。

 ダアト式封咒の扉を探して意気揚々と歩き出しはしたが、これが内部はおそろしく広かった。

 

 そうしてまがりくねった自然の道を進む途中のこと。

 

「ティア。これ以上無駄なことは止めろ」

 

 再び俺たちの前に現れたリグレット。

 彼女はティアさんの体のことを知っているようだった。そして、自分の身を犠牲にしてまで守る価値のある世界か、と問う。

 

 ルーク達の行動を阻止にきたのかと思いきや、その語り口はまるで、ティアさんの身を案じているようだった。

 話し終えるが早いか、すぐさま場を去ったリグレットの消えた方向を睨んで、ぐっと拳を握る。

 

 なんで、そんなこと言うんだよ。

 どうしてティアさんの心配なんかするんだ。

 

 だって、あんたは……あんた達が、イエモンさん達を。

 

「リック」

 

 大好きなひとが付けてくれた大好きな名前を呼ぶ、なによりも大好きなひとの声に、俺はそろりと振り返った。

 その先で僅かばかり顰められた赤とぶつかって、泣きそうになるのを堪え、ひとつ大きく深呼吸をする。

 

「はい!」

 

 そして、めいっぱい笑って返事をした。

 

「……まだ何も言ってませんよ」

 

 大佐はそう言いながらも目の端をすこし緩めてから、身をひるがえしてすでに歩き出していたみんなの後に続く。

 俺は、いつもどおりぴしりと伸びた背を見つめて、もうひとつ笑みを深めてから、その後を追って地面を蹴った。

 

 ジェイドさん。俺だって本当は分かってるんです。

 “悪い人”は、同時に誰かの“大切な人”でもあること。

 

 『俺はジェイドさんのこと、大好きですからねっ!』

 

 分かっていても苦くて、苦くても変えられない願いが、あることを。

 

 

 

 どうにか見つけたセフィロトへの扉を、いつものようにイオンさまが開いてくれたのだけど、そのあと彼はまた青い顔で座り込んでしまった。

 

 聞けば病気であるわけではなく、それもレプリカゆえの劣化なのだという。

 

 そんな会話を聞いていた大佐が、ふいに言葉を零した。

 自分が始めた研究がこんな形で広がってしまうのは妙な気分だ、と。

 

 それは妙じゃなくて、辛いっていうんです。

 どれだけそう怒ってしまおうかと思ったけど、大佐の性格上、言葉でいっても分かってくれないだろう。というか言葉で分かってくれるなら、俺はこれほど切ない思いをしなくて済んでいるはずだ。

 

「……アッシュは怒ってると思うけど、」

 

 今までのアレやコレやを思い出してちょっと涙ぐんでいた俺の耳に届いたのは、控えめなルークの声。

 

「俺、マジ感謝してる」

 

 その言葉に思わず目を見開いて、それから、微笑んだ。

 ほら、大佐。俺だけじゃないんですよ。

 

「……ホントは生まれてちゃダメなんだろうけどよ」

 

 だけど今の発言から三秒と経たない内に零されたルークの台詞に、みんなできゅっと眉をつり上げる。

 卑屈反対、と半眼で言ったガイに続いて、俺も身を乗り出しながら人差し指を立てた。まったくもう、大好きを信じてくれないのは大佐だけで十分だ。

 

「そうだぞルーク! そんなこと言ってると大佐のミスティック・ケージが飛んでくるからなっ!」

 

「リック……」

 

 ルークがこちらの勢いを受けて困ったように、でも少しだけ照れ臭そうに苦笑する。

 言ったらもっと照れそうだから言わないけど、やっぱりそういう顔のルークのほうが俺は好きだ。

 

「ちなみにマルクト軍人の家庭内では『言うこと聞かないと死霊使いに改造されるぞ』が我侭な子供への常套句として広まってるんだ」

 

「そうなのか!?」

 

 そうするとどんな子供もぴたりと泣きやむとのことで、どのご家庭でも大変重宝なされているとかしないとか。

 

「おやー、それは初耳ですねぇ」

 

 背後から聞こえた柔らかな声色と、同じ方向で渦巻き始めた強い音素の気配にぎくりとする。

 

「ではご要望にお答えして。――旋律の戒めよ、ネクロマンサーの名の下に…」

 

「たたたたすけてフリングス少将ぉー!!」

 

 

 

 

 

「ん……?」

 

「アスラン、どうした?」

 

「あ、いや、空耳だったみたいだよ、ジョゼット」

 

 

 

 

 

 さすが秘奥義、普段くらっている譜術とは威力が桁違いだ。

 しゅうしゅうと煙を上げて地面に突っ伏しながらも、頭の片隅で「すごいですジェイドさん」と男惚れする。でもちょっと本気で泣きそうです。

 

「ちなみにそれを言い出したのは誰ですか?」

 

 ミスティック・ケージを放った手を胸の前に掲げたまま、輝かしい笑顔を浮かべた大佐を見て、俺はひっそりグランコクマに向けて念じてみる。

 

 ジェイドさんはお見通しみたいですよ、陛下。

 

 謁見の間で炸裂するインディグネイションが、瞼の向こうに鮮明に浮かんで、消えた。

 

 

 

 



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Act39.2 - とまどいメジオラ・ロード

 

「あ、そういえば」

 

 ようやくセフィロト内部に進入して、その中を進む途中ルークがふとしたように俺を呼んだ。歩調を調節してルークの隣に並び、どうかしたのかと首をかしげる。

 

 すると彼は声をひそめて話を続けた。

 

「お前もレプリカなんだよな。戦闘なんかして大丈夫なのかよ。……その、劣化とか」

 

 さっき聞いたイオンさまの話が気になっていたのだろう。

 真剣に俺を見つめてくる翠の目に照れ臭さを覚えながら、顔の前で手を横に振った。

 

「いやいや、ルークだってガンガン戦闘してるだろー」

 

「まあ俺はそうだけどさ」

 

「俺の劣化もルークと一緒で健康にくるものじゃないから大丈夫だよ」

 

「そうなのか?」

 

 ほっと肩の力を抜いて聞き返すルークから、俺はほんのすこしだけ目をそらして、苦笑した。

 

「能力はそんな問題なかったみたいなんだけど……なんていうか、度胸、とか、そんなのが劣化したみたい、な……」

 

 言ってて情けなくなってくる。

 資料や人の話を漏れ聞くかぎり、剣の腕は差異がないようなのだが、怖いもの知らずの熱血正義漢だったというオリジナルに対し、俺はあまりに。

 

 横目に窺い見たルークは、ぽかんとした顔をしていた。

 

「お前も自分が嫌になったりするのか」

 

 え、ちょ、なにそれ。

 

 あからさまにショックを受けた表情だったのか、ルークが慌てて「いや、ジェイドへの態度とかわりと迷いなさそうに見えたから」と付け足す。

 

 ジェイドさんが大好きだということは確かに変わらないけど、その他もろもろ、迷いなんかありまくりだよ、と返すのもまた何か情けなくて、俺は当初の話題へと会話の流れを引き戻しに掛かった。

 

「身体的な劣化とかそういうのは、定期的に大佐に診てもらってるから、異常あったら何か言われると思う」

 

 例としてはとても少ないらしい完全同位体であるルークと共に、俺も前から定期健診はしてもらっているが、今のところ深刻な顔で「やあこれは大変ですねぇ頭が悪い」と言われたことがあるに留まっている。

 

「リックは完全同位体……ってのではないんだよな?」

 

「うん。でも――嫌な言い方になるけど――“現存”してるレプリカの中では俺が二番目に長く生きてるから、それで一応ジェイドさんも気をつけてくれてるみたいで」

 

 まあルークより三年長いだけではあるが、譜業だって製造年が三年違えば故障の頻度も変わってくるから、気にしておくに越した事はないのかもしれない。大佐は元々、念には念をの人だし。

 

 俺の話を聞いてなにやら考え込んでいたルークが、ひょいと首をかしげた。

 

「リックが二番目っていうと、一番目は……」

 

 その問いが導き出す名前に我知らず渋い顔になりながら、みんながこの会話が届かない距離にいることを確認して、口を開く。

 

「ネビリム、さん」

 

 レプリカのネビリムさんが今も生きていれば、の話だけど。

 

 するとなぜかルークが驚いたように目を丸くした。

 

「なんかめずらしいな」

 

「え」

 

「ジェイドが好き…っつーか、あー、尊敬してる人か。えーと、好意的に思ってるもん、リックが嫌がるのめずらしくね?」

 

 鋭い質問におもわず言葉に詰まって視線を泳がせた。なんだかどうも、バツが悪い。

 だけど真横から刺さるルークに視線に、渋々と言葉を紡いだ。

 

「イヤってんじゃないけど……まあ…イヤではあるんだけど……その、」

 

 入り混じる複雑な感情をなんとか取り出して、一番気持ちに近い文章を作り上げようとする。

 

 正直を言えば、好きじゃないんだ。

 被験者のネビリムさんも、レプリカのネビリムも。

 

 だってそのひとの話が出るとジェイドさんは、なんだか悲しそうで、ジェイドさんを悲しませる人だと心が覚えてしまった。

 

 だから好きじゃない。

 だけど。

 

「……嫌いだけど、感謝してる」

 

 ネビリムさんのことがなければ、ジェイドさんはレプリカの研究を続けてなかったかもしれない。そうしたら俺はジェイドさんに会うことが出来なかった。だから感謝してる。

 

「なんだソレ」

 

 疑問符を飛ばしつつ半眼になったルークに、俺はぎくりと肩を揺らして眉をつり上げた。

 

「そ、そういう感じなんだよっ」

 

「ふ~ん……?」

 

 やっぱり不思議そうに首をかしげながらもルークはひとまず納得してくれたらしい。

 まあ言うなれば“右向いたら左だった”みたいな矛盾だし、俺としてもよく分からない。

 

 だけどどうしても複雑な気持ちがあることは確かで、それはあまり口にしたくない類のものだったから、少しルークに申し訳なく思いつつもそこで話題を打ち切らせてもらった。

 

 

 そして無事にパッセージリングの操作も終え、俺たちはセフィロトを後にした。

 セフィロト内部は不思議な明かりが満ちていて視界に困る事はなかったけど、こうして外に出ればやっぱり太陽の明かりは格別だった。

 

 それを味わいつつ伸びをしていたら、みんながもう歩き出しているのに気付いてわたわたと追いかける。

 

 この後は大佐が思いついたという瘴気を何とかする方法が本当に有効かどうかを確認するため一旦ベルケンドに戻るんだっけ、と頭の中の情報を整理していた俺の耳に、驚いたようなルークの声が聞こえた。

 

「あれ……アストンさん!?」

 

 最初は音の響きだけ。

 次に、文字。最後に意味を理解して、勢いよく顔を上げた。

 

「ルークや! 元気か!」

 

 そう声をあげながら近づいてくるのは、アストンさん。

 

 音。言葉。視界。

 全ての情報がようやく脳に届いた瞬間、俺は全力で地を蹴った。

 

「っアストンさぁああん!!」

 

「うおぅ!」

 

 そのまま跳びつけば軽い悲鳴が聞こえてくる。

 少しして、何が起こったか把握したらしいアストンさんが「新入りか!」と口にした。ああ、そういえばアストンさんには俺の名前を教えてなかったっけ。

 

「突然飛び掛ってくるんじゃないわ! お前さん年寄りを二つ折りにする気か!」

 

「ご、ごごごめんなさい!」

 

 怒られてとっさにしがみついていた体を離せば、アストンさんがふぅと荒く息をつく。

 

 本当にアストンさんだ。

 たしかに今目の前で、生きてる。

 

 アストンさんだ。

 

「お、おい」

 

 アストンさんの困ったような声が聞こえたけど、目の前はとことんぼやけていてその表情は分からなかった。

 

「アスッ、アストンさん、アストンさん、ごっ、ご無事でほんとうに、よ、良か……~~っ!」

 

「……若いもんが簡単に泣くんじゃないわい! 調子がくるうじゃろ!」

 

「はい~……っ」

 

 頷きながらもべそべそと泣き続ける俺に、まったく、と言いながら頭をかいたようだったアストンさんの声は柔らかくて、また泣きそうになったけど、瞬間後頭部へ走った衝撃に「へぐ」と変な声が漏れる。

 

「ジェ、ジェイドさん……」

 

「頭は冷えましたか?」

 

 はたかれた場所を押さえながら泣き泣き振り返ると、そこには緩く笑みを浮かべたジェイドさんがいた。

 

 ヘタレていた俺を怒るための打撃だと思ったのに、その笑顔もなんだか柔らかくて、俺は目を丸くする。

 アストンさんが生きていた嬉しさのあまり幻を見てるんだろうか。

 

 そう思うと同時に、告げられた言葉を思い出してはっとした。

 

 頭、頭を冷やす。

 そうだ、まだまだやらなきゃいけない事がいっぱいあるんだから、俺がこんなところでメソメソして時間潰してる場合じゃない。

 

 服の袖で目元をぬぐって、元の位置まで下がる。

 戻る途中でガイとかティアさんが、よかったねというように微笑んだり肩を叩いてくれて、俺はそれに何度も頷きながら改めて再会の喜びを噛み締めた。

 

「アストンさんはどうしてここに?」

 

 そしてティアさんが話の流れを引き戻す。

 

 アストンさんは、何もしないでいるとイエモンさん達のことを思い出してしまうからと、気を紛らわすためにアルビオールの三号機を作っていたという。

 その試験飛行の途中で俺たちを見つけてきたんだと説明してくれているとき、アストンさんの背後にいつのまにか人の姿があった。

 

 スピノザ。

 

 彼は俺たちが気付いた事を知ると、小さく悲鳴をあげて逃げ出してしまう。

 すぐさま追いかけて走り出したのはアストンさんで、みんなもその後に続いた。

 

 だがタルタロスが停泊している場所の近くまで来たところでアストンさんが立ち止まっていた。ルークがとっさに問いかける。

 

「アストンさん! スピノザは!?」

 

「空を見ろ!」

 

 言葉どおり見上げた空に、過ぎていく大きな譜業機関。

 俺はちょこっとだけ、遠い目になった。

 

 ……もしかしてもしかして、懐かしのカー(?)チェイス再びなんでしょうか。

 

 

 

 

 嫌な予想ほど当たるもので、見事な飛行艇チェイスを繰り広げたノエルとスピノザ。

 だけどその途中で、スピノザの三号機が白煙を上げて落ちてしまった。

 

 三号機は頑丈だから無事ではあるというものの、このあたりは魔物が強いから、近くの街に逃げ込んでいるだろうとの大佐の判断により、向かった先はベルケンド。図らずしも当初の目的地に辿りついてしまったことになる。

 

 町に入るとスピノザはすぐに見つかり、ルーク、ミュウ、ガイの手で確保された。

 あまり人目についても何なので、その身柄と共に知事邸へ移動する。

 

 

 そして話を聞けば、メジオラ高原のとき、スピノザはアストンさんに謝ろうと思ったらしい。

 逃げたのは怖かったからで、自分の行動を今は本当に後悔しているという。

 

 大佐はそんなスピノザに瘴気隔離のための研究を任せた。

 彼はヴァン謡将の研究者だから、俺たちに協力するとなれば殺されるかもしれない。それでもやると彼は言った。

 

「ねえ、リックもアイツ信じちゃうわけ?」

 

 つんと袖口を引っ張られて隣を見下ろせば、なんだか厳しい顔をしたアニスさんがいた。目の前で進んでいく会話の脇、ひそめた声で語りかけられる。

 

「だってリック、イエモンさん達大好きだったんでしょ。アイツが殺したような……もんなんだよ。本当に信じるの?」

 

 その言葉に、ちょっと考えてから口を開いた。

 

「確かにイエモンさん達の事があるから俺、あの人許せないけど、許してもいいかなと思います」

 

「なにそれ」

 

 アニスさんの顔が怪訝そうに歪む。

 それを見て、俺は慌てて言葉を続けた。

 

「な、なんか、そんな感じなんですよ。許せないなりに許す、っていうか……」

 

 どうしたことか、思ったほどスピノザに対する悪意はなかった。

 許せないという気持ちはあるような気がするのに、それが膨らむことはない。

 

 どうしようもなく間違って、そして“償いたい”という想いの強さ。

 それを目の前で見てきたからだろうか。

 

 赤色の髪をちらりと窺って、俺は口元を緩めた。

 

「わけわかんないしー」

 

「あはは」

 

 今度は、ぶぅ、と口を尖らせて言うアニスさんの姿に笑みが零れる。アニスさんの感情はとても真っ直ぐで心地いい。

 

 その向こうでスピノザに激励の言葉を残して身をひるがえしたアストンさんに気付いて、俺はさっと敬礼をした。するとアストンさんがにやりと笑って片手を上げてくれる。

 

「……そんな簡単に、信じないでよ」

 

 そのときアニスさんの声が聞こえた気がしたけど、ほとんど言葉としては認識できなくて、聞き違いかと目をしばたかせた。

 

「アニスさん。何か言いました?」

 

「べつに、なにも」

 

 一応聞いてみるが、返って来たのはそっけない返事だけ。

 やっぱり気のせいだったのだろうかと、頭の中の疑問を締めくくった。

 

 

 





(許されるかもしれない、なんて、おもわせないで)


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Act39.3 - ベルケンド、フロム、ワイヨン

 

 残りのセフィロトのひとつはダアトにある。

 そんな研究員さんからの言伝を知事に聞き、みんな休むのもそこそこにダアトへ向かった。

 

 イオンさまも知らなかったというセフィロトは、ダアトにあった譜陣から通じるザレッホ火山にあった。

 今回は目立ったアクシデントもなく、あっさりとパッセージリングの操作を終えることが出来たのだけど、その間中、アニスさんの様子がおかしかったのが少し気がかりだった。

 

 彼女の歯に衣を着せない言動は、そのままアニスさんの真っ直ぐさを現してる。

 見ないふりはしない。だから自分を守る言葉も使わない。いつだって真っ向から物事にぶつかる彼女なのに。

 

(ずっと、目が合わなかったなぁ)

 

 ザレッホ火山……というより今回ダアトに来たときから、一度もアニスさんと視線が合うことがなかった。

 

 らしくない。

 そうだ、そのときのアニスさんを一言でいうなら、まったくもってらしくなかったんだ。

 

 だけどその後、ベルケンドまで戻ってくるころには、もういつものアニスさんだったから安心したけど。

 

「リック~?」

 

「わ。……はい」

 

 思考の真っ只中にいた少女がふいに目の前に現れた。

 寸の間驚きに目を丸くして、それから改めて返事をする。

 

 アニスさんがくいと片眉を引き上げた。

 

「どーしたの。なんか調子悪いとか?」

 

「あ、いえ、ちょっとボーっとしてました」

 

「もぉ。ただでさえおっもーくなっちゃう人達ばっかりなんだから、リックまで深刻な顔しないでよね~」

 

 そう言って腕を組んだアニスさんに思わず笑ってしまう。

 ルークやナタリアは真剣だからこそ落ち込みやすくもあるし、ティアさんや大佐は軍属であるがゆえにまず最悪の場合を想定をする。

 

 そんな中で努めて場を明るくしようと奮闘しているアニスさんやガイ。

 お世話になってます、と内心で二人に手を合わせた。

 

「リック暗くなったらそれこそ空気重いじゃん」

 

 その言葉に俺はまたきょとんと目を丸くして、それからちょっと考える。

 

 瘴気をどうにかする方法を思いつく頭も、ヴァン謡将を退ける力もない俺が出来ること。

 

 それはやっぱり、いつもどおりであることかもしれない。

 俺はなんの力もないけれど、ジェイドさんいわく間抜けな顔で笑うことは出来るはずだ。

 

「……はい! 俺は元気ですよ!」

 

「ん、その意気」

 

 結構、というように頷いたアニスさんと顔を見合わせて、二人で笑いあった。

 

「ところでアニスさん、なんでここにいるんですか?」

 

「さっき遊びに来たよって言ったじゃん」

 

 現在、ベルケンドの宿屋、の男部屋。

 

 ほんとにボーっとしてたんだ、と半眼で俺を見やるアニスさん。

 窓辺のテーブルについていた大佐がいつもの呆れ顔で肩をすくめたのが見えた。

 ……すみませんボーッとしてました。

 

 

 

 

 そして寝て起きたら、ティアさんが行方不明になっていました。

 

 いつもどおりでいようという昨日の思考もなんのその、見事にパニック状態に陥りあたふたと部屋をうろつき回った俺は、最終的に大佐に首根っこを掴まれたところで少し落ち着きを取り戻した。

 

 ……もしかしたら、いつもどおりってすごく難しいことなんだろうか。

 

 研究所の人の話によればティアさんはアッシュと一緒にワイヨン鏡窟へ向かったらしい。突然出てきたアッシュの名前には驚いたけど、とにかく今はティアさんだ。

 

 みんなで取り急ぎワイヨン鏡窟に行くと、すぐにオラクル兵やリグレットと行きあった。

 だけどリグレットは俺たちに攻撃を仕掛けることなく、それどころかティアさんを捜しにきたなら進めと促してくる。

 

 通せというのがヴァン謡将の指示なんだと聞いて、ぎしりと体が固まった。

 ヴァン謡将。ここにいるのか。

 

 決着はロニール雪山でつけると言い残し、リグレットは去っていった。

 

 みんなが先へ進み出す中、大佐がふと俺を振り返る。

 

「……残りますか?」

 

 すがめられた赤の瞳に、ぎゅっと口を一文字に引き結んだ。

 そしてすぐに大佐を見返して拳を握る。

 

「い、いきますっ」

 

 すると大佐は何か言いかけたけど、ひとつ息をついて身をひるがえした。

 

 怖くない。怖くない。

 怖くないったら、怖くない。

 

「……迎えが来たようだ。もう行きなさい」

 

 こわい!

 脳内は0.2秒でくつがえった。

 

 奥にはティアさんと、アッシュ、ヴァン謡将の姿があった。

 俺たちの到着と同時に、謡将に切り伏せられたアッシュが地面に倒れこんでいる。

 

「このまま続ければ兄さんの体だって瘴気でボロボロになってしまうのよ!」

 

 ティアさんが叫ぶ。

 だけど謡将の声は、一欠けらも揺るがなかった。

 

「私は、人類がユリアの預言から解放され生きる道筋がつくならそれでいい」

 

 覚悟。痛いほど真っ直ぐな、青の瞳。

 

 ざわりと背筋が一気に粟立つ感覚に、俺はとっさに剣の柄を掴む。

 握り締めた手は小刻みに震えていた。

 

 あとずさる事すら出来ずに固まる俺を一度見た大佐が目を細めて、再びヴァン謡将に視線を戻す。

 

「フォミクリーは大量の第七音素を消費する。この星全体をレプリカ化するには世界中の第七音素をかき集めても足りませんよ」

 

 レプリカ。第七音素。

 ローレライの消滅。

 

 みんなの話はほとんど頭に入ってこなかった。

 

「お前とは戦いたくなかった。残念だよ、メシュティアリカ」

 

 そしてヴァン謡将が立ち去ったところで、俺はようやく息を吐いて剣から手を離す。なんだか、会う毎に苦手になっていく気がする。

 

 その後アッシュは引き止める間もなく、時間がないとか言ってまたどこかへ行ってしまった。

 

 ヴァン謡将と遭遇した動揺が中々覚めやらずに突っ立っていると、ふいに頭のてっぺんに軽い衝撃を感じた。

 

 大佐に叩かれたにしては軽すぎるそれに目を上へやる。

 そこには黄色の毛並みをしたチーグルが乗っかっていた。

 

「ちょうどいいですから、あなたがもってなさい」

 

「え、は?」

 

 事情を飲み込めず目を白黒させる俺に、ガイが補足してくれる。

 

「ヴァン達がここ引き払っちまうだろ? そうすると誰も来なくなるからさ、つれてってやろうって話になったんだよ」

 

 このチーグルは実験に使われた子らしい。

 頭の上からおろして、目の高さに抱き上げてみる。

 

 みゅう、と可愛い鳴き声がした。

 

「…………あれ」

 

 なんだろう、この微妙な違和感。

 まじまじと彼(彼女?)を眺めてみたが、特に変わったところはない。というかチーグル族の違いは俺には分からない。

 

 分からないんだけど、なんかこう、もそもそする気がする。

 落ち着くような、落ち着かないような……。

 

「リック! いくよー!」

 

「はいー!」

 

 ま、いいや。

 

 そのチーグルを腕に抱き直して、俺はみんなの後を追った。

 

 

 




レプリカと一緒にいると落ち着くリック。だけどスターは体がレプリカ、心はオリジナル。
なんとなく腑に落ちない感じはしているものの、根があほのこなのであまり深く考えない。


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Act40 - ケテルブルクに降るものは

ルーク視点


 

 ワイヨン鏡窟を出た俺達は、ひとまず一番近いシェリダンへ向かった。

 そこでアストンさんに集会所を借りることが出来たので、ちょうどいいと今後の話し合いをすることにした。

 

 集会所に入る寸前、まだ惨劇の名残が立ち込めるシェリダンの町並みを、腕にチーグルを抱いたリックがぼんやりと眺めているのに気付く。

 

 否が応にも感じる重たい空気に、俺も心臓のあたりがちくちくとしているのは分かっていたけど、今の俺たちが街の人にしてあげられるのは、無事に外殻を下ろすことだけなんだ。

 

 逃げるようにごめんなさいと謝ってしまいたい気持ちを押し込めて、リックに声を掛けようと止めていた足の向きを変えかけたとき、俺の横をさっとすり抜けて行った人影があった。

 

 そしてその人物の右足が、目にも留まらぬ動きでリックの背中に当てられた。要するに蹴りだ。

 

 「ウェふ!」と奇妙な悲鳴を上げて顔から地面に倒れるリック。

 見事というべきは、チーグルを抱いた手だけは上に持ち上げていた事だろうか。

 

 赤くなった顔をそのままに涙目で振り返るリックの視線の先に、たった今蹴りを繰り出したばかりの人物、ジェイド。

 

 俺のほうから表情を窺うことは出来なかったけど、ジェイドは、いきますよ、と言ったようだった。それにリックはこくこくと頷いて立ち上がる。

 

「何あなたまでボケッとしてるんですか」

 

「え、あ、うん。 ごめん」

 

 横を通り過ぎるとき、呆れたように告げられた言葉に慌てて返事をしながら、俺もリックの隣に並んで集会所の中に足を向けた。

 

「顔だいじょうぶか?」

 

「な、慣れてる、慣れてるし……!」

 

 問いかけると、そう言いつつも顔面スライディングのせいだけじゃなく滴っているような涙をそっと拭うリックに苦笑を返してから、ちらりと先を行くジェイドの背中を見やる。

 

 確か、ほぼ先頭で集会所に入っていったと思ったけど。

 

 ……もしかしてわざわざ戻ってきたんだろうか。

 

 隣のリックと、前のジェイド。

 二人を交互に見比べて、俺はキュッと眉根を寄せ、首をかしげた。

 

 

 ベルケンドでめずらしく単独行動をしたティアは、自分に瘴気が蓄積されるなら、同じくパッセージリングを使っていたヴァン師匠も同じだと思い、もう一度だけ師匠を説得してみようと考えたらしい。

 

 どれだけ酷い事をしようとしてたって、ティアにとって師匠はたった一人の兄さんだ。そう簡単に敵だと割り切る事なんて出来っこないだろう。

 

 だけどティアは、もう迷わないと言った。

 たとえ師匠と戦うことになっても。

 

 心配だったけど、ティアが決めたことなら何もいえない。

 俺達は次のパッセージリングがある、ロニール雪山に向かうことに決めた。

 

 ワイヨン鏡窟からつれてきたチーグルはアストンさんが預かってくれるという。後でまた群れに戻すなりするとしても、今のところはこれで安心だ。

 

 そういえば去り際に、あのチーグルを見て首をかしげていたリックを、ジェイドがまた目を細めて見ていたけど、なんだったんだろう。

 

 

 

 

 出発前に危険な場所だというロニール雪山の現状をネフリーさんに聞いていこうというジェイドの提案で、俺達はケテルブルクへ寄ることにした。

 だけど知事邸に入るや否や、ネフリーさんが慌てた様子で駆け寄ってくる。

 

「お兄さん! ちょうどよかったわ!」

 

 サフィールという人が広場で倒れて寝込んでいる、という話を聞いて、首をかしげる。

 

「サフィール?」

 

「ディストの本名です」

 

 ジェイドがさらりと零した答えに、アニスが、へ、と驚いた声を上げた直後。

 

「えええぇ!?」

 

 隣から響いてきた叫び声に、俺はきんとする耳を手で押さえた。

 

 全員が目を丸くして音の発生源であるリックを見やる中、いつもなら涼しい顔をしているはずのジェイドすら、なんだか少し驚いたような顔をしている。

 

「なんだよ急に!」

 

 音が反響し続ける鼓膜に涙目になりながら怒鳴るも、リックは何がショックなのか呆然と手をわななかせていた。

 

「サフィールさん!? あいつ、ディストが!?」

 

「……なに驚いてるんですか。陛下から昔の話は聞いていたのでしょう?」

 

「そりゃ幼なじみのサフィールさんの名前は聞いてますけど……っ! ていうか毎日ブウサギで聞いてましたけど!」

 

 ディストがディストが、と うわごとのように呟くリック。

 どうやらサフィールの名前は知ってたようだが、それがディストだということは知らなかったらしい。

 

「じ、じゃあディストがジェイドさんと陛下の幼なじみ……」

 

「それは私としても抹消したい過去なので忘れてください」

 

 おそろしいほどの笑顔でジェイドはそう言い捨てた。

 リックはそれに脅えることすら忘れて、はぁと溜息をつく。

 

「陛下はずっとサフィールサフィールって呼んでたから」

 

 ディストなんて名前出たことなかったぞ、と独りごちるリックに、ジェイドは少し考えるように黙った後、ふっと口を開いた。

 

「まあ、後で話してあげますよ」

 

 飛行譜石を探しているときから律儀にジェイドを待っていたのかとみんなの話題がディストのほうへ向かう。そりゃ倒れもするか。

 するとジェイドは宿屋に寝かされているというディストを叩き起こして、ロニール雪山のことを聞きましょう、と言った。

 

「ではルーク、宿に行きましょう」

 

「……う、うん」

 

 笑顔の迫力に押されて頷けば、ジェイドはさっそく身をひるがえす。

 

 みんながそれに続き、俺も足を踏み出そうとしたとき、動かないリックの姿に気が付いた。

 

「リック?」

 

 声をかけると譜業仕掛けのオモチャみたいに体がびこんとはねる。

 

「え!? わ゛っ! はイっ!?」

 

「いや、なんでテンパってんだよ」

 

 やたらうろたえたリックを半眼で睨んで、ふと気付く。

 

「……あれ。おまえ何か、顔赤くないか?」

 

 首をかしげて覗き込もうとすると、リックはぐりんと顔をそらして、足早に歩き始めた。

 

「い、いや! なんでもないんだ! は、ははっ! ほら早く行こうルーク!」

 

「お前が立ち止まってたんだろ……」

 

 手足が一緒に出る不自然極まりない歩き方のリック。

 そのずっと前を迷いのない足取りで進むジェイド。

 

 両腕を組んで、目だけで宙を仰いだ。

 

「…………ふーむ」

 

 そして名探偵みたいな気分でひとつ頷いた俺の先、ガイがやれやれというように苦笑していたのには、気付かなかった。

 

 

 




ジェイドとリックの関係が変わり始めているのにうっすら気付いて、あれ俺すごいんじゃね、と思ってるルークの傍ら、とっくの昔から見守りモードなパーティの母ガイラルディア・ガラン・ガルディオス。

>「おまえ何か、顔赤くないか?」
「いつか話してあげますよ」みたいなぼんやりした言葉ですら言われたことないのに、突然「後で話してあげますよ」なんて具体的なことを言われたもんで動揺しまくる。
長年の夢、叶いそうは叶いそうでまたうろたえる小心者。


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Act40.2 - 吹雪の中のエトセトラ

 

 しんしんと雪の降るケテルブルクの空気は、とても冷たい。

 その冷たさを持ってしても中々冷めやらない熱い顔をどうしようかと考えながら、俺はみんなの後ろをゆっくりと歩いていた。

 

 『後で話してあげますよ』

 

 知事邸でジェイドさんが言った言葉を思い出す。

 へなりと眉が下がるのを感じながら俯いた。

 

 あとで、だって。

 

 ジェイドさんは確証のないことは言わない。

 そう言ったってことは、本当に後で話してくれるつもりなんだろう。

 

「……へへ」

 

 途方もなく熱いような、それでいてくすぐったいような、

 そんな嬉しい気持ちを抱えて、俺は小さく笑った。

 

 だがほてった心臓は向かったケテルブルクホテルにて、一気にマイナス765度まで冷え込む事になる。

 

「や、やめろ! やめて、死ぬーーー!!」

 

 通路で待つ俺たちの耳に絶え間なく届くのは、ある人物の悲鳴。

 自分の耳をサッと両手で押さえる。

 

 複雑な空気の満ちる通路にて、ルークが部屋のほうを力なく指差しながら俺を顧みた。

 

「……なぁ、あれ止めなくていいのか?」

 

「聞こえません。俺には何も聞こえません」

 

 目を逸らし、首を横に振る。

 背中に複数の視線が刺さっているのを感じつつも、決して振り返らずに目を伏せた。

 

「ジェイドっ、ごめんなさぁああい!!」

 

 部屋の中からひときわ大きく響いた声。

 わずかな沈黙の後、ルークがまたこっちを見た気配がする。

 

「リック……」

 

「きこえません!!」

 

 さらに強く耳を押さえたその向こう、ところでオマエ顔真っ青だぞ、というガイの呟きが聞こえた。

 

 

 

 

 あのあと平然と部屋から出てきた大佐が言うに、今のロニール雪山は地震の影響で雪崩が頻発しているらしい。

 それと奥のほうに強い魔物が住み着いているとか、なんとか。

 

 ああ、強い魔物のことも十分怖いけど今はまるで何事もなかったような大佐が恐ろしい。今回ばかりは内心ディストに合掌する。

 

「なぁ、ディストのやつ、可哀想じゃなかったか?」

 

 ちょうど公園のあたりを歩いているとき、ルークがひきつった顔でぽつりと零した。

大佐は、もうあれの話はいいじゃないですか、と返したけれど、その後思い返したようにふと俺を見た。

 

 もしかして昔のこと話してくれるのかな。

 さっき後でって言ってくれたもんな。

 

「…………」

 

 本当に話してくれるのかな。ほんとうかな。

 でもジェイドさんの昔の話、昔のはなし、むかしのはなし……。

 

「…………」

 

 大佐が一瞬だけ、めずらしく戸惑うように眉を顰めた気がした。

 そのとき「いっそ愛を感じるぞ」とガイにちゃかされて、ひとつ溜息をつく。

 

「奴が勝手についてくるんですよ、迷惑してます」

 

 陛下やネフリーさんと一緒にスケートに行ったとか、そこで転んで突っ込んできたディストを池に落としたとか。

 

 些細な昔話。だけど、初めて聞くことが出来た、ジェイドさんの口から聞くジェイドさんのこと。

 ……今なら自分の半径三メートルにある雪くらい溶かせる気がした。浮かれる俺の前で、ガイとアニスさんがなにやら話している。

 

「ディストには、どうしてそこまでされて、この鬼畜眼鏡についていくのかを聞いてみたいところだな」

 

「うーむ、マゾなのかもねぇ」

 

 そこで二人がくるっと俺のほうを振り向いた。

 

「なぁ、どうしてそうまでされてジェイドについて行くんだ?」

 

「……なんで俺に聞くんだよ」

 

 真顔で問いかけてきたガイに半眼で返す。今のディストの話だろ。

 しかし相変わらず真剣な顔のまま、ガイは俺を真っ直ぐ見つめてくる。

 

「いや、同じかなぁと」

 

「なにが?」

 

「いろいろ」

 

 なんだか腑に落ちないが、街の出口についてしまったことでその会話は途切れた。

 

 あ、そうだ強い魔物……。

 

 

 

 

 どれだけ怖かろうと、先に進めば着いてしまうのが世の常だ。

 そびえたつ山を見上げ、俺はひっそり涙ぐみながら息をついたが、それはすぐに真っ白く冷えて消えた。

 

「さぁ~む~いぃい~! ねえリック、なんとかして温めてよ~!」

 

「え!?」

 

 積もる雪をかきわけて歩く中、自分を抱きしめながら震えていたアニスさんに突如そう言われ、ぎょっと振り向く。

 

「なんとかって、俺、譜術つかえませんよ」

 

「別に譜術じゃなくても何でもいいよ~。もう抱きしめてギュッとかでもいいから~……うーさむ」

 

「……ギュッですか」

 

 この場合俺はどうしたらいいんだろう。あんまり軽々しく男が女の子にしていいことじゃないという情報はある。あるけど、こういうときはどうすればいいのかなんて何にも書いてなかったぞ。

 

 迷う俺を見てアニスさんはふと黒い笑みを浮かべる。

 

「ちなみにアニスちゃんをギュッってすること一分につき五万ガルド払ってね」

 

「俺が払うんですか!?」

 

「乙女のぴちぴちお肌に触れるんだから当然!」

 

 そう言いながらも最後は、にひ、と明るく笑ったアニスさん。

 どうやら俺はからかわれていたらしい。五万ガルドうんぬんはちょっと本気っぽかったけど。

 

 そのとき、ふいに吹雪が強さを増した。

 山の合間を抜けてくる風が甲高い音を立てて響き渡る。

 

「風の音か?」

 

「まるで女の人が泣いている声みたい……」

 

 ティアさんの言葉に、なんか怖い、とアニスさんが身を小さくした。

 言われてみれば、泣き声のようにも聞こえるだろうか。

 

 あらためて耳をすませようとしたところで、気付く。

 目を細めて何かを考える大佐の姿。

 

「どうしたジェイド。まさかあんたも怖いのかい?」

 

 同じように気付いたらしいガイが声を掛けると、大佐は、いえ、と静かにそれを否定した。その様子に今度は俺が目を細める。

 

「……昔の事を思い出しただけです」

 

 昔のこと?とナタリアに聞かれてまた話をすり替えていたけれど。

 俺がじっと見つめていると、大佐はみんなに気付かれない程度にそっと苦笑を零した。

 

 怪談が苦手らしく足早になったティアさんを先頭に、全体が進み始める。

 

 すると横を通り過ぎる間際、半ば睨むように大佐を見ていた俺の頭を、ぽんと軽く叩いていった、大佐の手。

 

 吹雪もなんのそのと熱くなった顔でもって、はくはくと声も出せず空気をはんだ。

 気にするなということらしいが、こんなのされたら黙るしかないじゃないか。

 

「……ずるいですよ」

 

 大佐の手が乗っかったところに一度そっと手を当ててから、俺もみんなの後に続いて歩き出した。

 

 

 足で雪を分けながら、ちょっと考える。

 大佐の言った言葉。昔のこと。

 

 別に確証があるわけでも、なんでもないけど、脳裏を過ぎるものがあった。

 

「…………」

 

 それは、すべての始まりにある、ひとりの女性の名前。

 

 今一度目をすがめて、俺はまた真っ白な雪を踏みしめた。

 

 

 



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Act40.3 - ロニール雪山の決闘

 

 ワイヨン鏡窟で言い残したとおり、リグレットたちはこの雪山でみんなを待っていた。

 

 各々が武器を取り出す中、俺も剣を抜き、イオンさまを背にする場所で構えを取る。

 イオンさまのほうに万が一にも攻撃が来ないようにするのが、俺の役目だ。断じて最前線が怖いからじゃない。怖いからじゃないよ。

 

 そして始まった戦い。

 

 三対六はやはり数としては卑怯だが、おそろしいことに彼らは決して劣勢ではない。これが六神将の力なのか。

 

 どうしよう。

 もしも、もしかしたら、大佐たちが負けるなんて事に……。

 

「リック! 十時の方向に走りなさい!」

 

 弱気になりかけたのを見計らったように響いた大佐の鋭い声。

 びくりと身を震わせて、俺の体は考えるより先に動いた。柔らかな雪の足場を力いっぱい蹴り上げる。

 

「そこで剣身を横にして、上へ!」

 

 え、え、え?

 混乱しながらも言われたとおりに動いていく体。

 

 そして振り上げた剣が、硬質な音を立てて、重たい何かを捉えた。

 

 ……え?

 

 視線を上げればそこには巨大な影。

 黒獅子、ラルゴ。

 

 俺の剣が支えているのは、その得物である大振りの鎌だった。

 ひ、と喉の奥から悲鳴が零れる。

 

「また会ったな、坊主」

 

 タルタロスではお前も邪魔をしてくれた、そう言ったラルゴが口の端を上げた直後、掛かっていた重さがグンと増す。

 歯を食いしばり、慌てて柄を握る手や足に力を込めた。

 

 剣に限らず、直接攻撃を主とする武器で戦う場合、身長や得物自体の重さがかなり物をいうところで、この体格差。

 俺だってそう低いわけじゃないのに、大人と子供ほどにもなる上背の違いを真上から思い知らされる。

 

「…………っ!」

 

 このままじゃ押し負ける。

 ひやりとした寒気が首筋を撫でたと同時に、ふと感じるものがあった。

 

 なんだろう。無性に嫌な予感がする。

 現状によるものだけでなく、じわじわと額に汗が浮かんできた。

 

 なぜか一気に跳ね上がった予感の強さに、とどめを刺そうとするラルゴの鎌が振り上げられた瞬間、俺は無理やり身を引いてその場から飛びのいた。

 

「サンダーブレード!!」

 

 こんな吹雪の中でもよく通る低い声。

 そしてたった今いたばかりの場所に紫色の稲妻が突き刺さった。

 

 掲げていた鎌も要因なのか、直撃をくったラルゴが苦しげに膝をつく。

 

 それを着地地点で呆然と眺めてから、俺はゆっくりと後ろを振り返った。今更ながら手足に若干の震え。

 

「……ジジジジ、ジェイドさん。いま俺のこと、オ、オトッ、オトリ……ッ!?」

 

 視線の先、大佐が清々しいほどの笑顔で首をかしげる。

 

「イヤですねぇ、あなたは味方識別(マーキング)があるから大丈夫じゃないですか」

 

「今、絶対、味方識別ついてませんでしたよね!?」

 

 だって俺ほら、焦げたし。前髪こげたし。

 

 ちりちりになった髪を摘み上げながら しとどに涙を零すも、大佐は「ハハハ気のせいですよ」と肩をすくめただけだった。

 

 というかさっきのオトリっていうより生贄ですよね、と溢れる切なさを感じていると、違う場所からも雪が重さを受ける音が聞こえて顧みれば、リグレットとアリエッタも同じく膝をついている。

 

 しかしまだ立ち上がろうとする三人に、みんなも再び武器を構えたとき、ふいに地面が揺れた。

 しまった、と大佐が顔を顰める。

 

「今の戦闘で雪崩が……!」

 

 雪崩。

 そういえば雪崩が頻発してるとか、なんとか。

 

 ……雪崩!?

 

 俺がようやく事態を理解して目をむいたときには、すでに視界は真っ白に塗りつぶされていた。

 

 

 

 

 色とりどりの花が咲き乱れる綺麗なお花畑。

 目の前に流れる美しい川のせせらぎ。

 

「俺たちのいた場所はちょうど真下に足場があったんだ」

 

「ってことは、六神将の三人は?」

 

 俺は対岸で微笑む女性二人に大きく手を振った。

 お~い、お~い、お久しぶりですユリアさまー、そのお隣の方ー。

 

「アリエッタたちは谷に落ちちゃったみたい」

 

「……大丈夫。どちらにしても教官は倒さなければならない敵だったんだし」

 

 いつも思いのほか元気に手を振ってくれるユリアさま。

 そのお隣の綺麗な銀色の髪をしたお姉さんも、穏やかに微笑んで手を振り返してくれる。

 

「つーか、おい、リックいなくね?」

 

「まさかジェイド、あいつも谷底に落ちたんじゃ……!」

 

「…………」

 

「ジェイド?」

 

 あのー、いつもお名前が聞けないんですけどー、貴方は……。

 

 

「リック! 生きてますね」

 

「はいジェイドさん!!」

 

 ごばっと勢いよく雪溜まりの中から這い出て敬礼をする。

 

 驚きに目を丸くしてこちらを凝視するみんなと、いつもどおりの大佐。

 それを見て俺は初めてはっとした。俺生きてる。みんなも無事みたいだ。

 

「あれ、六神将たちは?」

 

「や、だから落ちちゃったみたいだけど……リックすごいね」

 

「条件反射か……恐ろしいな」

 

「音素の髄までチーグル魂が染み込んでんだな……」

 

 なぜか切なげな目で俺を見るアニスさん、ガイ、ルークに困惑しながら首をかしげた向こう、大佐が「はっはっは」と軽く笑っていた。

 

 あらためて自分の状況を確認すれば、下半身は丸々、こんもりと積もった雪の中。

 雪崩で落ちたとき埋もれたんだなぁ。凍死とかしなくて良かった。

 

「それより見て、パッセージリングの入り口があるわ」

 

 そこから這い出して、体についた雪を払いながらみんなの話を聞く。

 

 どうやら今回ばかりは雪崩も俺たちの味方をしてくれたらしい。

 こんなに分かりづらい位置にある入り口も見つけられたし、六神将も。

 

 そこに考えが至ったところで、俺はぴたりと雪を払う手をとめた。真っ白な世界の中、真っ暗に覆い尽くされた崖底を見やる。

 こんなところから落ちたら、いくら六神将だって生きてはいないだろう。

 

 ……アリエッタだって。

 

 『ママの仇!』

 『お兄ちゃんの偽者!』

 

 脳裏に響くのは、やけにだぶった ふたつの声。

 浅く吸い込んだ息を吐き出して、小さく首を横に振った。

 

 

 

 ラジエイトゲートとアブソーブゲートを除けば、ここが最後のパッセージリング。

 

 だけどルークがいつもどおり作業を終えたと思ったとき、またも大地が揺れた。

 まさかしくじったのかとルークが不安そうに声を上げたけれど、どうもそうではないらしい。

 

 みんながこれまで連結させてきたセフィロトを利用して、アブソーブゲートのセフィロトから記憶粒子が逆流し地核を活性化させている、と大佐がいう。

 そんなことが出来るのは、ヴァン謡将だけだ。

 

 このままでは彼のいるアブソーブゲートがある大陸以外の地面が崩落するらしい。

 それに地核が活性化すれば振動を中和しているタルタロスも持たない。

 

 急いでヴァン謡将を止めにいかないと大変なことになる。俺たちはすぐにロニール雪山を降りることにした。

 

 だけどここまで無理のし通しで、イオンさまの体力も限界に近い。ひとまずケテルブルクで彼に休んでもらってから、ということになった。

 

「俺たちと師匠……目的は同じ人類の存続なのに、どうしてこんなに遠いんだろう」

 

「被験者を生かす世界と殺す世界。……とても近くて、遠いわね」

 

 帰り際、ルークとティアさんが交わした会話を聞きながら、俺は痛いほど白い雪山を振り返り、目を細めた。

 

 

 あの、真っ直ぐな青の瞳を思い出しながら。

 

 

 



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Act41 - 僕の決戦前夜

 

 ケテルブルクまで戻ってくると、すぐにノエルが俺たちを出迎えてくれた。

 

 申し訳なさそうな顔をしている彼女に、ルークがどうしたのかと聞けば、この寒さでアルビオールの浮力機関が凍り付いてしまったという。

 

 ネフリーさんにも協力してもらって修理をしているが、一晩は掛かってしまうらしい。

 急を要する時ではあるけど、急げば成功するというものでもない。この間に準備をしようとの大佐の提案により、その場は解散することになった。

 

 なにせ、明日挑むのはあのヴァン謡将だ。

 各々考える事や、やっておきたいことがあるに違いない。

 

 離れていくみんなの背中を見送って、俺はひとつ息をついた。

 そしてその息が白くなって空に上るのを眺めた後、よし、と呟き、胸の前に拳を握る。

 

 

 

 

「リック、何やってんだ?」

 

「え? 雪だるま」

 

 ケテルブルクホテルの前。

 

 かけられた声に答えながら振り返れば、たった今ホテルから出てきたばかりのルークが、半眼で俺の手の中にある雪玉を指差していた。

 

「雪だるまぁ? どこがだよ。まだちっちぇーじゃん」

 

「それは作り出したばっかりだからだよ。ルークも出かけるのか?」

 

 他のみんなはあの場所からどこかに行ったけど、ルークだけは一度ホテルに戻るようだったので、俺もそれに着いてきたのだ。

 そこで中には入らず、こうして表で雪をいじくっていたわけだが。

 

 俺の言葉にルークはすこし気まずげに目を泳がせて、頭をかいた。

 

「ああ。ちょっと散歩してくるわ」

 

「そっか」

 

 そのまま、俺が手で丸めた雪玉を転がす音が響く。

 

 歩き出す気配のないルークを不思議に思い、改めて振り返ると、彼はちょっと情けない顔で俺を見ていた。

 

「……結局、お前も巻き込んじまったよな。いいのか? 明日、その、」

 

 言いづらそうにどもるルークの姿に目を丸くして、それから苦笑する。

 立ち上がり、腰を伸ばしながら今度はおもいきり笑って見せた。

 

「そんな顔してると俺みたいだぞー。ルークはリーダーなんだから、胸張んないと」

 

「べ、べつに俺がリーダーってわけじゃ……」

 

「ルークなんだって。だから、あれだよ、あれ。俺は親善大使だぞ!の感じで」

 

「リック! ~っあーもう!」

 

 昔の自分の話が恥ずかしいのか、ルークは顔を赤くしながら怒鳴ると、そのまま照れ隠しのように荒い足取りで歩き出す。

 

 俺はその背中に大きく手を振った。

 

「いってらっしゃーい!」

 

「……おー!」

 

 そしてぶっきらぼうに戻ってきた返事に、そっと笑みを零した。

 “ルークさん”も“ルーク”も、俺は大好きなんだけどなぁ。

 

「さて、続き続き」

 

 手の平サイズになった雪玉に、再び手をかける。

 

 

 

 

 ルークも出かけてしまってから、どれくらい経っただろうか。

 とりあえず雪だるまの胴体が完成して、今は頭の作成に取り掛かっているところだ。

 

 今のところ誰が帰ってくる気配もなくて、みんなどうしてるのかな、なんて思考をめぐらせたとき。

 

「何をやってるんですか、貴方は」

 

「あ、大佐! 見ての通り雪だるまです!」

 

「……それは見れば分かります」

 

 かすかな頭痛を堪えるようにこめかみに指を添えた大佐の姿に、首をかしげる。え、何でですか。

 

 脛くらいの高さになった頭用の雪を転がす俺を、大佐はそのまま静かに観察し始めた。

 どうするべきなのかも分からず、とりあえず俺はそのまま雪を転がし続ける。

 

 こちらに向けられた赤い目が何となく照れ臭い。

 いつも見てるのは俺のほうで、こうして見られることなんて中々ないからだろうか。

 

「リック」

 

 そのとき、ふいに名前を呼ばれて「はい?」と返事をしながら顔を上げる。

 さっきまでこちらを見ていた真っ赤な瞳が逸らされていた。

 

 遠くを見つめるジェイドさんの目が、すいと細められる。

 

「あなたは残っても構わないんですよ」

 

 雪を転がす手が止まった。

 

「これはもう、一兵士が関われる規模の問題ではない。ここで貴方が抜けたとて、誰も責任を問いはしません」

 

 リック一等兵。

 最後に俺をそう呼んで、彼はようやく視線をこちらに戻す。

 

 大好きな大好きな赤色を見据えて、俺はゆっくりと口元を緩めた。

 

「大佐、三回目ですよ。もー何回言わせるんですか!」

 

 軽い口調で返す中、小刻みに震える指先は、雪の冷たさのせいにしてしまおうか。

 

 正直怖い。

 

 落ちるかもしれない大地も、たくさんの魔物が待ち受けるアブソーブゲートも。

 

 ヴァン謡将。

 あの、痛いほど真っ直ぐな、覚悟をたたえた瞳も。

 

「俺はみんなが大好きです。ジェイドさんも、ルークも、みんなみんな大好きです!」

 

 怖い。怖い。怖い。

 

「だから」

 

 だけど。

 

「部外者にしないでください」

 

 ジェイドさんが、静かに俺を見返した。

 俺は精一杯の顔で笑ってみせる。

 

 やがてジェイドさんも小さく笑みを浮かべて、そうですか、とだけ呟くとホテルの中へ入っていった。

 

 ジェイドさんの背が完全に消えるまで見送って、俺はまた雪玉に手をかける。

 冷たさにしびれてきた手にもう少し頑張ってもらい、綺麗な雪の上を転がしていく。

 

 

 最初は、親書届けの旅。

 

 めずらしく俺も政治が関わる任務に同行させてもらったと思ったら、途中で盗賊団と追いかけっこしたりして、結構怖かった。

 

 親書の受け渡しのため立ち寄ったエンゲーブで、ルークと、ティアさんに出会った。

 イオンさまとチーグルの森に行った。

 アニスさん、ガイ、ナタリア。

 

 そしてルークが変わって、大佐も変わって、

 

 俺は、自分の罪を知った。

 

 

 雪の胴体に雪の頭を乗せて、俺はひとつ息をつく。

 冷え切った手を握り締め、しんしんと雪の降るケテルブルクの空を見上げた。

 

「…………ヴァン」

 

 

 全ては、明日。

 

 

 

 



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Act41.2 - 戻る道、進む道

 

 

 そして、一夜が明けた。

 ケテルブルクホテルの前に全員が顔をそろえる。

 

「僕はここで皆さんのお帰りをお待ちしています」

 

 全てを見届ける役目をアニスさんに託して、イオンさまは力強く言った。

 みんなも準備はいいか、とルークが問い、それに一人ずつ頷いていく。

 

 最後にまだ揺れる翠の瞳で俺を捉えたルークに俺も笑みを浮かべて返すと、ルークは一度ゆっくりと目を伏せた。

 

 次に覗いた翠は、確かな光を宿していた。

 

「……行こう、アブソーブゲートへ!」

 

 

 

 

 アブソーブゲート。

 どこのセフィロトにも神秘的な雰囲気があったが、ここはまた桁違いだ。

 

 圧倒されるような迫力に思わず息をのんだ向こう、心細くはないのかと心配するガイとノエルの会話が耳に届いた。

 

「私なら大丈夫です」

 

 それに笑顔で首を横に振ったノエルのほうに、俺もぐいと身を乗り出す。

 

「ほんとうにほんとうに大丈夫か? こわくないか?」

 

「はい。私はここで皆さんのご無事を祈っています」

 

「怖かったら違う場所に行ってても……」

 

「は~いはいリック。そのへんねー」

 

 呆れ顔のアニスさんに腕を掴まれて強制的に引き離された。

 なさけなく眉尻を下げながらアニスさんを顧みる。

 

「えぇー、でも、こんなところで一人なんて俺なら泣きますよ」

 

「大丈夫だってリックじゃないんだし」

 

「というか、リックってなんとなくノエルにはお兄さんぶろうとするよな」

 

 続けられたガイの指摘を受けて、アニスさんが「十歳でしょ、ノエルのほうが年上じゃん」と半眼で俺を見る。確かに俺は十歳でノエルのほうがずっとお姉さんなんだけど、……なんだろう何となく。

 

 そんなやりとりにノエルはくすくすと笑ってから、小さく敬礼をしてくれる。

 

「お気をつけて!」

 

 そして俺たちはいよいよ、アブソーブゲートへと足を踏み入れた。

 

 

 内部は記憶粒子が頭上から降りそそぎ、その様子はまるでケテルブルクの雪を彷彿とさせる。綺麗だな、と状況も忘れてすこし見惚れた。

 

 だけど大地に限界が近づいているのも確かだ。

 さっきから頻発している地震のせいで内部の床も何箇所か崩れ出している。

 

 急がないと、ヴァンの元にたどり着く前に床が崩れて地核までまっ逆さま!なぁんてことに――。

 

「今度はでかいぞ!」

 

 なったりして、という言葉を続けることは出来なかった。

 立っていた場所が砂のようにぐらりと歪む。

 

「っジェイドさぁああんー!!」

 

 すぐに体が重力にそって落下を始め、俺は溢れる涙のみ空中に残して下へ落ちていった。

 

 ああ、なんか、ちょっとデジャブかもしれない。

 タルタロスでグリフィンにさらわれたときも、確かこんなふうに

 

「うぶっ」

 

 びたん、という生々しい音と、体の前面に走った痛みによって思考はまたしても唐突に中断された。

 

「~~~~……っぉ」

 

 しばし悶絶。

 少ししておもむろに体を起こせば、見渡す限り不思議な空間が広がっていた。辺りにみんなの姿は見当たらない。

 

 また迷子?もしかして迷子?

 焦り始めた内心を、ぐっと押さえ込んで立ち上がる。

 

「……どこかで合流できるかも」

 

 視界の範囲には居なくとも、同じ場所にいることは間違いない。

 さっきの痛さ加減からしてそう距離を落ちたわけじゃないだろうから、少し歩けば誰かと行き会うかもしれない。

 

 腰元に剣の存在を確認してから、俺は足を踏み出した。

 

 

 創世暦時代の建造物であるセフィロトは、内部の構造も材質も、みんな不思議な感じがする。

 普通の材質とは違う透明な床を歩きながら、そんな事を考えた。

 

「んん……」

 

 落ちてきたんなら登るべき、なのかもしれない。

 だけど俺は今、下に向かって進んでいた。

 

 きっとみんなは先に進むはずだ。

 どんなことになっても迷わず前へ進む。そういう強い人達だから。

 

 だけど、この道で本当にあってるのかなぁ。

 降りと見せかけて登りなんてこともあるかもしれない。創世暦時代のどっきり発明加減ならありえる。

 

 ほんのり不安になってきたとき、はたと気付いて顔を上げた。

 

「あれ、あそこ」

 

 どういう技術なのか、宙に作られた道たち。

 少し上に見えたその内のひとつに見覚えがあった。

 

 似たような造りだから分かりづらいけど、確かに行きでみんなと一緒に歩いた道だと思う。

 よかった、あれが上に見えるという事は、とりあえず登ってはいないみたいだ。

 

「えぇと、ということはこっちがこうで、こうだから、」

 

 複数伸びる通路の行き先を指でなぞりながら考える。

 

「そっか。あっちに行けば多分下に行けて、それであっちは出口のほうに行っちゃうから、アルビオールが……」

 

 ふ、と浮かんでいた笑みが消えた。

 指差し確認していた手が力なく丸まる。

 

 あっちに行けば、出口。

 

 どくりと心臓が鳴った。

 

 このまま、アルビオールに戻ってしまえば、戦わなくて済む。

 あの青の瞳と再びまみえることなく、全ては終わる。

 たとえ外殻が崩落したとしたって、アルビオールにいれば助かる。

 

 そうだ、そうだよ。

 迷ったからとか言って、戻って、しまえば。

 

「…………」

 

 視線が足元に落ちる。

 そして俺は、キッと視線を鋭くした。

 

 持ち上げた両手を、思い切り頬に叩き付ける。

 

「………………いっ……」

 

 思ったより痛かった。

 やりすぎたようで、じんじんとする頬を涙目で押さえながら、口を一文字に引き結んだ。

 

 そうじゃ、ないだろリック。

 頑張るって決めただろ。

 

 泣くほど怖いのに、どうしてついてこようって思ったんだよ。

 それは。

 

「なかまに、なりたい」

 

 零した声は小さかったけど、しっかりしていた。

 

 仲間になりかった。

 みんなの仲間に俺もなりたいから。

 

 胸を張って仲間だといえる自分に、なりたいから。

 

 

 

 あっちは戻る道。安全な世界。

 こっちは、進む道。みんなのところへ繋がる道。

 

 俺は深く息を吸って、勢いよく駆け出した。

 

 

 



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Act41.3 - 「     」

 

 本当にこのまま進んでいいのか、この先でみんなに会えるのか。

 俺がまた懲りずに不安になってきたころ。

 

「えぇっ!?」

 

 前方から響いた声に顔を上げた。

 このよく通る女の子の声は。

 

「ア、アニスさん! みんな!」

 

 道の先にある開けた場所に立つみんなの姿。

 喜んで駆け寄った俺を迎えたのはなぜか驚愕の視線だった。

 

 ガイが俺の肩をぽんと叩く。

 

「お前、よく無事だったな」

 

「……俺、そんな頼りないか?」

 

 正直なところ自分でもよくここまで来れたと思うが、ここまで真面目な顔で言われると少し切なかった。

 

 

 

「みんな!リックも! 無事だったか!」

 

 そして最後に合流したのは、ルークとティアさん。

 そこで俺の名前だけやけに驚いたように呼んだルークに苦笑が零れる。さっきガイ達にも同じように驚かれたばかりだ。

 

 全員が揃ったところで、準備はよろしいですか、と大佐が言った。

 この先には彼が待っている。もう後戻りは出来ない。

 

 ルークが大丈夫だと頷いた。

 自分が彼を止めるとティアさんが手を握り締める。

 ガイが、これでも元主人だから、蹴りをつけると笑みを浮かべた。

 世界を救うとナタリアが力強く前を見据える。

 玉の輿にのるためにも大人しくしていて貰わないと、とアニスさんがいつものように笑う。

 

「やぁ、みなさん熱いですねぇ」

 

 大佐がいつものように肩をすくめた。

 

「がんばります!」

 

 俺も、笑いながら胸の前に拳を握る。

 みんなを見回して、ルークはちいさく口元を緩めた。

 

「……よし、行くぞ!」

 

 

 

 

 響き渡るパイプオルガン。

 荘厳で美しくありながらも強烈な威圧感を放つ音色は、その奏者によく似ている。

 

「何故お前がここにいる?」

 

 低い声が空気を揺らし、それと同時にオルガンの音が止んだ。

 必要なのはレプリカのルークではなく、アッシュだと、そう告げながら振り返った男の青く鋭い瞳。

 

 極力それを見ないようにしながら、彼とルークの会話に集中する。

 

 レプリカは必要ないと彼は言い切った。

 なら何故自分を作ったのかと、ルークが叫ぶ。

 

 何故。

 

 それは俺には理解できない問いだった。

 何のために生まれたかなんて、考えもしない。

 

 自分はただ自分であるのだ。それ以外に何を考えることがあるのかと、傲慢なまでに思い込んでいた。

 その驕りが誰かを傷つけるなんて、思いもしなかった。

 

 きっと今だって変わらない。

 生きている理由や、自分の存在に悩むルークやナタリアの気持ちは分からない。

 

 だけど、

 

「師匠……いや、ヴァン! あなたが俺を認めなくても、俺は、」

 

 傷つく人がいるということを知ることが出来た。

 ルークが、ナタリアが、アッシュが、教えてくれた。

 それは無駄にはならないはずだと、イエモンさん達が、教えてくれた。

 

「……俺だ!」

 

 少しでもそれを返せたらと思うから。

 大切なことを教えてくれた人の隣に並べたらと、望むから。

 

 俺は今ここにいるんだ。

 

「戯言を……消えろ!」

 

 

 みんなが一斉に動く。

 俺も剣を抜き、前へ走った。

 

 ルークが繰り出した一撃を容易く受け止め、彼が口を開く。

 

「愚か者め。この星はユリアの預言の支配下にある。預言から解放された新しい世界を作らねば、人類は死滅するのだ」

 

 それなら俺の事はどう説明するんですか、とルークが声を上げた。

 預言は絶対ではないのだとみんなが口をそろえる中でも、彼の姿勢は揺るがない。

 

 そして僅かな動きでルークの剣が弾かれたが、続けざまにガイが剣を向け、ルークもまたすぐに続く。

 

 俺も彼の目を見ないようにしながら、ただ刀身にだけ気を向けて攻撃を加えた。

 

 ナタリアの援護もある。もう少しすれば大佐たちの詠唱も終わり、強力な譜術が彼を襲うだろう。

 こればかりは卑怯だなんだと言っている場合ではない。三人がかりで絶えず仕掛けた末、少しこちらが押し始めた。

 

「人はそこまで愚かじゃない!」

 

 ルークが叫んで、ガイと共に強い一撃を彼の剣に打ち込む。

 高い金属音が耳を打って、一瞬 彼の背後に隙が出来る。

 

 俺は剣を握り直し、後ろから振り切った。

 

「潰れるのはお前たちだ」

 

 入る。

 そう思ったとき、空気すら切り裂くような冷たい声が、響いた。

 

「滅せよ、預言に支配された、人類よ!」

 

 瞬く間にルークとガイが払いのけられ、何よりも恐ろしい青の瞳がぴたりと俺を捉える。

 

 それにぞっと身の毛をよだたせた時、皮膚を撫でた音素の波。

 俺はもはや本能で体の前に剣身を立てる。

 

「…………っ!」

 

 次の瞬間、あふれ出した音素が俺の体をいともたやすく吹き飛ばした。

 剣身での防御も相まってそれ自体の殺傷力は無かったようだが、体が盛大に地面を転がっていく。

 

 ぐらぐら揺れる頭を押さえながら付近を見れば、後衛の位置まで弾き飛ばされてしまったようだった。

 少し離れた場所で詠唱をしていた大佐が、横目で俺の様子を確認する。

 

「……、慈悲深き氷霊にて……」

 

 そしてすぐにそらされた赤が朗々と紡ぐ言霊を聞きながら、俺は呆然と座り込んでいた。 気付けば、剣を持つ手が震え出している。

 

 柄と剣身がそれに呼応して出す耳障りな金属音が、遠くに聞こえた。

 すっと頭から熱が引いていくのが分かる。

 

 こちらを捉えた、青の瞳。

 それはやはり何も映していなくて、そこにあったのはただ、明確な殺意。

 

 柄を握る指から力が抜けていく。

 

(勝てる、わけがない)

 

 俺たちが、あの人に勝てるわけがない。

 だってあの目に宿る覚悟は半端なものじゃない。

 

 勝てるわけがないんだ。

 無理なんだ。やっぱり、ダメなんだよ。

 

 みんなの仲間になりたいだとか、世界を救うだとか、そんなの無理だって初めから分かってたじゃないか。

 

 

 どんなにあがいたところで、にわとりは決して空を飛べやしないんだから。

 

 

 全身から、力が抜けてしまいそうになった。

 そのとき。

 

「ジェイド!!」

 

 響いた声に はっと顔を上げる。

 視線をめぐらせれば、剣を手に向かっていくヴァンの姿。

 

 その先には?

 

 反射的に滑らせた視線の先には、あのひと。

 

 大佐はまだ詠唱途中。

 あそこからでは防御が間に合わない。

 

 心臓が大きく脈打った。

 

 誰が止めるにも遠い。

 唯一、割り込める位置にいるのは、

 

 俺。

 

「…………っ」

 

 手が、震える。足に力が入らない。

 その間にも距離はどんどん詰まっているのに。

 

 ダメだ、立て、立てよ。

 

 動け。動いてくれ。頼む、お願いだ、お願いだから。

 

 俺が行かないと、

 ジェイドさんが!

 

 

 

「まずは一人だ」

 

 

 

(――ああ俺はまた、大切な人を守れない)

 

 

 そして、禍々しいほど鋭利な銀色が、閃いた。

 

 

 



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Act42 - にわとりになったひよこ

 

 ぎぢっ、と鋼同士が強くぶつかり合う音。

 

「……ほう」

 

 目の前には、俺が何より恐れていた青がある。

 

 体が震えた。

 心臓の音が脳に痛い。破裂しそうだ。

 

 彼が大佐に切りかかる寸前、俺は振りかぶられた剣の前へ飛び出していた。

 本能はむしろ止めろと鋭い警告を発したのに、それを払いのけたのは、この体。

 

 自然と小刻みになる呼吸の中、交差した剣を支えることだけに集中する。

 

 彼の剣は恐ろしいほどに、重い。

 僅かでも気を抜けば即座に切り捨てられてしまうだろう。

 

 俺の後ろで大佐が詠唱を再開したのが聞こえた。その声が少し硬い。

 

 すさまじい恐怖と、目の前の男が発する威圧感に虚ろになりかける意識を必死に留めて、柄を持つ手に力を込める。

 

 ヴァンが嘲笑うように口の端を上げた。

 

「臆病者のレプリカが、大胆なことをするものだな」

 

 その言葉に息を飲む。

 

 ああそうだ。俺はどうしようもないほど臆病だ。

 自分の命が何より大事で、死ぬより怖いことなんてない。

 

 貴方のように命を賭けられるような覚悟を、知るはずもない。

 

 だけど、だけど。

 俺は張り付いた喉に空気を流し込んで、彼を真正面から、見据えた。

 

臆病者(ビビリ)にだって、守りたいものがあるんだよ!!」

 

 張り上げた声はみっともなく裏返ってしまったけれど、そのとき、痛いほど真っ直ぐな青がはじめて“俺”を映した気がした。

 

 それまではいかにも下らない物を見るようだった目に、光が走る。

 

 お互いの剣は均衡を保ったまま、ヴァンが口を閉ざした。

 無言の青に、自分の奥でずっと溜まっていた何かが、引きずり出される。

 

 『大丈夫ですよ、少し疲れただけですから』

 

 『まさか、封印術!?』

 

 『……気持ち悪ぃ』

 

 『いたいよぅ……父ちゃ……』

 

 『俺は、悪くねぇッ!!』

 

 『最悪の模造品だ』

 

 『私、本当の娘ではないのかもしれませんのよ』

 

 『雑魚に用はない、あれは劣化品だ』

 

 『イオン様を護れたなら、本望です』

 

 『ほんとに臆病ね。……私は平気よ、だから泣かないで』

 

 いろんな人の顔や、声が、頭の中を流れていく。

 

 『ゴミなんだよ……代用品にすらならないレプリカなんて』

 

 『ママの仇!!』

 

 

 『こんな年寄りでも障害物にはなるわ』

 

 『仲間の失態は仲間である俺たちが償う』

 

 

 『良い名前じゃの』

 

 『ありがとうねぇ、リック』

 

 

 助けられた人、助けられなかった人。

 様々な人たちがみせた思いや、覚悟。

 

 それら全てが体の中でうずまいて、

 

 

 『 お兄ちゃんのにせもの! 』

 

 

「…………っ」

 

 あふれ出す。

 

「俺が!」

 

 腕に力を込める。

 さらに強く剣が擦れ合った。

 

「俺がもっと、強かったら!」

 

 すばやく剣を引いて、薙ぐ。

 それを最小限の動きで受け止めたヴァン。

 

「賢かったら!」

 

 二撃、三撃とつなげるも彼はそれをことごとく受け止める。

 ぎりっと歯を食いしばり、正面から思い切り剣を振り下ろした。

 

「バカじゃ、なかったら!!」

 

 甲高い音を立てて再度二本の剣が交わる。

 

 俺が、バカじゃなければ、間違うことはなかった。

 

 “間違った”ということしか分からないなんてことも。

 自分の本当の罪に気付かないなんてことも。

 

(あのひとたちを、)

 

 浅く息を飲む。

 

「あのひとたちを、泣かせずにすんだかもしれないのに」

 

 それはもう、ほとんど声にはならなかった。

 

「……いやなんだ」

 

 開いた扉はもうふさがらない。

 後は言い切るだけだ。

 

「いざってときに自分に言い訳して逃げるのは嫌なんだ。ビビって動けないなんて嫌なんだ。大切なひとを守れないのは、もう、」

 

 刀身を引く。

 

「嫌なんだよっ!!」

 

 そして渾身の力を込め、それを振りぬいた。

 

 またも激しい音を立てて銀が交差する。

 軋みあう剣の向こう、青がふいに真摯な色を帯びた。

 

「……なるほど」

 

 肩で息をする俺とは反対に、呼吸ひとつ乱していないヴァンは、吐息と共にそう呟く。

 

「ならば私も、真剣に相手をしよう」

 

 瞳の青が深みを増したと思った。

 次の一瞬。

 

 剣が上に弾かれ、

 

 がら空きになった腹部に、鋭い熱が、走った。

 

 目の前が赤く染まる。

 後ろで大佐の詠唱が止まったのが分かった。

 

 

 がくんと両膝をつく。

 長い刃は、腹に深々と突き刺さっていた。

 

 指先が震えだす。力が抜ける。

 だけど真っ直ぐに俺を見据える青の殺気を感じて、緩みかけた手に力を込めた。

 

 強く剣を握り直し 下から睨み上げる。

 するとヴァンは、少しだけ笑った。自然と俺の口元も緩む。

 

「――――見事だ」

 

 そしてひと息で剣が引き抜かれ、押さえられていた血液が一気に噴出すのを感じながら、俺はその場に倒れ込んだ。

 

 

「……ぅわああああぁあ!!」

 

 泣きそうな顔をしたルークが向こうから突っ込んでくる。

 ヴァンはすばやく刃から俺の血を払い、身をひるがえしてその剣を真っ向に受けとめた。

 

 それを援護するようにガイが続く光景を、どこか遠くに見ていると、ふいに体の向きが変わる。

 

 背中に温かい腕の感触。

 視界には、カーテンみたいな金茶と綺麗な赤。ああ。

 

「馬鹿か、お前は!」

 

 険しい表情の大佐が開口一番そう怒鳴る。

 

「なぜこんなことをした!?」

 

 真剣な大佐には悪いけれど、俺にはめずらしく敬語を忘れている大佐がおかしかった。

 

 どうしたんですか。いつもの嫌味な大佐じゃないですよ。

 嫌味じゃなきゃ、大佐らしくないじゃないですか。

 

「動くな。今、ティアかナタリアを」

 

「だめ、です、みんな、いそがしいんだか、ら」

 

 ティアもナタリアもずっとこちらを気にしているが、今は前線で戦う人たちの援護で手一杯だ。

 

 だから、俺を気にしちゃダメだナタリア。攻撃が避け切れなくなってしまう。

 ティアさんも、詠唱に集中していいんです。ルークを助けてあげてください。

 アニスさん。アニスさん、泣かないで。

 

 緩々と視線を戻し、揺れる赤色をひたりと捉える。

 

「わ、かってる、くせに」

 

 なんで今みんなが、押されているのか。

 

 どんなに危ない局面でもみんなが的確な行動を取れるのは、いつだって冷静な人がいたからなんですよ。

 

 惨いくらい前しか見せてくれない人が、いたからなんですよ。

 

「あなたが、そんなに、取り乱してちゃ、ダメじゃ、ない、ですか」

 

 いつもみたいに、倒れた人間より目の前の敵に集中しろってみんなを怒らないと。

 

 そんな面倒な役をいつも引き受ける貴方が、時折もどかしくもあるけれど、そんな不器用な貴方が、俺は大好きなんです。

 

「ねぇ、大佐」

 

 すると彼はかすかに目を見開いたあと、微かに溜息をついて、そして困ったように笑った。

 

「まったく……臆病者の、くせに……大した口を利きますね」

 

 浮かべられた笑顔はなんだか痛々しくて、でもそれはとても、人間くさい、笑顔だったから。

 

 今、俯き加減に黙り込んでいる大佐は、やがて彼らの元へ行くだろう。

 いつもの喰えない笑顔を浮かべて、私がいないとてんでダメですねぇ、なんて言いながら、派手な譜術をぶちかましてくれるはずだ。

 

 だから俺は背中に添えられた腕が自分から離れていく前にと、鉛のように重くなった腕を無理やり持ち上げた。

 

 あらためて見た自分の手は血だらけで、このまま触れたら汚れるかなと一瞬ためらったものの、まぁ、役得、または無礼講ということにしてもらおうと(それでも出来る限り丁寧に)彼の頬に手を伸ばした。

 

 声を出そうと息を吸うと、ヒュゥと嫌な音がする。

 

「ジェイド、さん」

 

 触れた頬は温かい。

 ああ、俺はようやく、大切なものを。

 

「――――まもれた」

 

 それが嬉しくて嬉しくて、痛みなんか無くなるくらい嬉しくて、笑えば目からぼろぼろと涙が溢れた。

 嬉しくて泣くなんて、俺はなんて幸せなんだ。

 

 五感が波のように引いていく。

 手の平が頬から滑り落ちた。視界が狭まる。

 

 ジェイドさんが何か言っているのが、かろうじて見えたけれど、

 どうしてだろう、聞きとれない。

 

 なんて言ったんですか?

 ねぇ、ジェイドさん。

 

 ふたたび動いた彼の口は、俺の名前を紡いでいたように見えた。

 それがまた何だか嬉しくて、笑みを浮かべる。

 

 ジェイドさん。ジェイドさん。

 俺もう声出ないけど、聞いてくださいジェイドさん。

 

 

 勝ってください。

 

 

 俺の大好きなひとたちを守ってください。

 俺の大好きなジェイドさんを、ジェイドさんが守ってください。

 

「…………――――」

 

 全ての感覚が消えうせる直前、暖かな何かが顔に落ちてきた気がしたけれど、

 

 

 俺にはもうそれが何かは分からなかった。

 

 



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空白のひとつき編
Act43 - それは僕がおかした罪のはなし(前)


 

 

 帝都グランコクマ。

 

 どれだけ扉や窓を硬く閉ざそうと、またの名を水の都と呼ばれるこの街では、どこからか微かな水音が届く。

 

 絶え間なく鼓膜をくすぐる流れに、執務机に腰を下ろした彼は赤い目を細めて、書きかけの書類から顔を上げた。

 行き場を無くした万年筆の先が、所在無く揺れる。

 

「…………」

 

 そして静寂の満ちた空間にひとつの溜息が零れた。

 

 どこか重いものが詰め込まれたそれと、まるで呼応するように表の水音が一瞬止んだような錯覚を覚えたとき、控えめなノックの音が部屋に響いた。

 

「どうぞ」

 

 すぐに顔つきを仕事用へ切り替えて入室を促す。

 そして間もなく扉を開けたのは、馴染みの顔だった。

 

「よっ」

 

 ガイラルディア・ガラン・ガルディオス。

 人好きのする気安い笑顔を浮かべて入ってきた彼の腕には複数のファイルがある。

 

 おそらくまた誰かに使われたのだろう。

 とっつきやすいがゆえに使われやすくもあるようだが、それをさほど苦に思っていないあたりは、長年に渡る使用人生活の副産物だろうか。

 

 しかし書類届けは単なるついでで、本来の目的は別にあるらしい。

 ガイは執務机の上にファイルを置くと、にやりと笑って告げた。

 

「旦那、ピオニー陛下がお呼びだぜ」

 

 それを聞いて、赤い瞳がうんざりと伏せられる。

 あの皇帝が、また何か思いついたのだろうか。

 

「私は今忙しいんです」

 

「さほど忙しそうには見えないけどな」

 

 まるでさっきまでの様子を見ていたように軽く言うガイに、彼は少し強く溜息をついた。

 

「忙しいですよ。 あの任務に出ていた間の仕事が溜まりまくってるんですから。どうでもいい用事ならリックに、」

 

 言いかけて、彼は はたと目を見開いた。

 それから赤い目を緩々と細めて、苦笑する。

 

「ああ、そうでしたね、彼は……」

 

 水のせせらぎが、やけに哀しく聞こえた。

 また重い沈黙が場に落ちる。

 

 ガイは気まずげに頭をかいた後、静かに向き直った。

 

「ジェイド、」

 

「いえ、悪い冗談です。忘れてください」

 

 しかし彼は掛けられようとした言葉を遮るように首を横に振る。

 そして窓のほうに向けられてしまった赤の視線。

 

 今度空気を揺らした溜息は、ガイのものだった。

 

「……なぁ、もう忘れろよ。あんたがいつまでもそんなんじゃ、可哀想だろ」

 

 顰められた空色の瞳を見返して、彼は微笑みながら再度首を振る。

 

「そうはいきません」

 

「だけどな、ジェイド……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさいもう許してくださいジェイドさぁんんん!!!」

 

「リック泣いてるしさ」

 

「いえいえいえ、何を仰いますか。そんな人間いませんよアッハッハ」

 

 外殻大地降下の騒動から一週間、俺は進行形で大佐に苛められていた。

 

 あのあと、降下が成功したことを喜ぶのもそこそこに、アルビオールでグランコクマに直行することになったという。

 

 それというのも俺が考え無しに飛び出してヴァンにサクッとやられてしまったからで、疲労困憊のティアさんやナタリアにさらに治癒術を使わせ、ルークがちょっとパニックでガイが大変で、グランコクマで俺を医療班に引き渡してもうどさくさで解散というなんとも慌しい別れになってしまったらしい。

 

 ただの一般兵士がおこがましい、と自分でも思うが、大佐にもその旨を笑顔で怒られた。というか怒られてる。

 

 ガイいわく動揺してしまったのが照れ臭いんだろうとのことだけど、本当に照れ隠しならもうちょっと平和なものがいい。せっかく生還したんだから、俺としてはそろそろ忘れて欲しいところだった。

 

「つーかリック、お前本当に仕事してていいのか?」

 

「簡単な事務だけだから……」

 

 さきに述べたとおり、ティアさんとナタリア、そしてマルクト軍医療班の必死の治癒術で腹部の傷はふさがった。でも表面をくっつけただけなので、しばらく動き回るのはおすすめしないとの事だ。

 

 剣身は確かに腹部を貫通していたにも関わらず俺が助かったのは、ティアさん達の治癒術が高度だったことももちろんだけど、経過を診てくれた医療班の人が言うところによれば傷口がとてもきれいだった事にあるそうだ。だから譜術による組織の復元が早かったんだとか。

 

 よくこれだけ綺麗に刺されたもんだ、となぜか俺が褒められたりしたけど、刺した相手を思えばそれも当然だろう。でも恐ろしいほどの実力差のおかげで助かったっていうのは少し複雑だ。

 

「というか、大佐、俺本当にここでいいんですかぁ?」

 

「良いと言ってるでしょう」

 

 そして完全に傷がふさがるまでの間、俺は大佐の事務補佐をすることになった。

 それは一向に構わないけど、場所に問題があるというか、一応快適ではあるから無さ過ぎるというか。

 

「その代わりしっかり働いてもらいますよぉ」

 

「……はい」

 

 俺の口調をまねて返された言葉と、付属の笑顔にこくこくと頷く。

 

 普段、ほとんど陛下専用と化している執務室の大きなソファ。

 恐れ多くも俺はそこで横に、あるいは座りながら、仕事をさせてもらっていた。

 

 とりあえず軽く動けるようになるまで兵士寮に引っ込んでようかと思ったのだが、大佐がここでいいと言ってくれたのだ。

 ほぼ一日中同じ仕事が出来るのは嬉しいが、ちょっといたたまれない。

 

「ははぁ、なるほど」

 

 ガイが意味ありげに呟いて、めずらしく意地が悪そうに笑いながら大佐を見る。

 だけど大佐は書類から顔をあげることはなく、黙殺体勢だ。

 

 少しして、柔らかく苦笑を零したガイが話を本題に戻す。

 

「で、陛下が呼んでるんだけど」

 

「待たせなさい」

 

 一刀両断。

 さすがですジェイドさん。

 

 

 

 

 ガイが大佐の言葉を伝えに出て行ってから数十分。

 

 ちょっと傷が痛んできたような気がする、と俺がぼんやり考えた瞬間、「横になってなさい」と見計らったように響いた大佐の声。

 

 どうして分かったんだろう、いや大佐だから、といつものやりとりを脳内でかわしつつ横になって書類を見始めたのが数分前。

 

 そして現在、俺は意識が朦朧としてきていた。

 いや、改めて死にそうだとかじゃない。眠い。

 

「別に寝ても構いませんよ。それで作業効率を落とすより、仮眠を取ってまた始める方がよっぽどはかどりますから」

 

 おそらくデータから目を離さないまま告げられたのだろう大佐の言葉すら、何だかすこし遠くに聞こえた。

 しかし体はそれを合図にしたように、書類を持ち上げていた腕をぱたりと落とす。いつもならこれくらいじゃ眠くならないから、やっぱり怪我のせいだろう。

 

 落ちる意識と、昇る意識。

 現実と夢の狭間でそれらが交じり合っていく。

 

 ぼんやりし始めた頭で、落とした腕を再び持ち上げ、目の上に乗せた。

 

「……ジェイドさぁん、おれ、今回の旅で痛感したんですよぉ」

 

 ぱらり。書類をめくる音。

 

「俺は、あのひと達にすごく残酷なことをしたんですねぇ。すごくすごく傲慢なことを考えていたんですねぇ」

 

 微妙にろれつが回っていないことにも気付かずに、眠たい頭のまま言葉を紡ぐ。浮かんだのは苦笑だった。

 

「どうせ同じなら僕でもいいじゃないか、なんて、……馬鹿でしたねぇ。同じなんかじゃ、なかったんですね」

 

 自分が口に出して喋っているのか、頭の中で考えているのか。

 それすら分からなくなってきた。少しずつ回転が遅くなっていく。

 

 かち、と万年筆がインク壷に付けられる音。

 

「気付くのが、遅すぎましたよねぇ……ホント、ぼく、バカだなぁ」

 

 そこで初めて、大佐が小さく息をつくのが聞こえた。

 溜息というほどでもない、もっとささやかなもの。

 

「もう寝なさい。傷に悪いですよ」

 

 続いた声の柔らかさに、安堵を覚える。

 

「はぁいぃい……」

 

 それがどれだけめずらしいものかを認識する間もなく、俺の意識は完全に昼下がりのグランコクマへ融けていった。

 

 

 

 

 ほどなく聞こえてきた寝息。

 ジェイドは扉のあたりで立ち尽くす人物に向かって肩をすくめた。

 

「いやぁ、お休み三秒ですね」

 

 入りかけた体勢のまま止まっていたガイが、そろそろと中に入ってくる。

 なんとも間の悪い男だ。まあ、この場で気まずいのは彼だけだろうが。

 

「今、リックのやつ俺に気付いてなかったよな?」

 

「おそらく。随分意識が混濁していましたしね」

 

 あの寝ぼけ具合では、ノブが回る音にも気付かなかっただろう。

 

 なにせ自分の一人称すらごちゃごちゃだったのだ。

 そういえば軍に入る前までは「僕」と言っていただろうか、と懐かしい記憶を呼び起こすジェイドの傍らで、ガイがすっと姿勢を正す。

 

「聞かなかったことにしたほうがいいか?」

 

 賢い青年は、静かな顔でそう言った。

 そうだといえば彼はすぐさま記憶に蓋をしてみせるに違いない。

 

 だが、ジェイドは首を横に振った。

 

「いえ、いいでしょう。本人が特に隠したがっていたわけでもないですしね」

 

 まあ、人生最大の失態だとは思っているだろうが。

 するとガイは何か思い起こすように顎に手を当てた。

 

「リックのやつ、アブソーブゲートで何か言ってたよな。あれと関係あるのか?」

 

「あなたもよく覚えていますねぇ」

 

「それ以外にもちらほらと、思い当たる節があってね。……差しさわりなければ、聞いていいか?」

 

 失言の多い子供だから、それらしいことを漏らしていたとしても不思議ではない。

 なら自分が隠しておく事もないかと苦笑する。

 

 それに、この人のよすぎる男ならあの子にとって問題もあるまい。

 全てを知らなかったころに、憎んでいたはずの仇の息子を許してしまうあたり、根っからの世話焼きに違いないのだから。

 

 半端に持っていた万年筆を置いて、膝の上で指を組んだ。

 窓の向こうに見える青い空を眺め軽く息をつく。

 

「……さて、どこから話しましょうか」

 

 

 それは、連鎖した罪の話。

 

 

 

 



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Act43.2 - それは僕がおかした罪のはなし(中)

ジェイド視点+α


 

 

 無関係の人間に話を聞かれないようにする配慮か、ガイが執務室の扉に寄りかかり、聞く体勢を取ったのを見てから、緩く目を伏せる。

 

 頭の中、ばらばらに浮かぶ記憶を組み立てた。

 始まりはあの日。それはあの子供が、はじまった日。

 

「知ってのとおり あの子はレプリカです」

 

「ああ」

 

「フォミクリー研究の一環で作成した複数体のうちの、ひとつでした」

 

 わざと物のような言い方を選ぶジェイドに、ガイは少し目を細めて、頷いた。そしてふと思い至る。

 

「複数体……ってことは、他にもレプリカがいるのか?」

 

「いえ、今は。リックが最後の一体ですよ」

 

 濁された言葉の向こうに、他のレプリカがどういう末路を迎えたのか察したのだろう。

 そうか、と低く呟いたガイだが、再び顔を上げる。

 

「じゃあなんで、リックは残ったんだ?」

 

「貴方は話が早くて助かりますねぇ」

 

 褒め言葉なのか、それともからかわれているのか、判断に迷ったらしい青年は「そいつはどうも」と軽い返事をした。

 

「あの子はね、泣いたんですよ」

 

「泣いた?」

 

「ええ。感情を知らないはずの生まれたてのレプリカが、大声で泣いて、脅えたんです」

 

 それが研究材料として興味深かったからだと茶化した物言いで続けるも、真剣な顔でまっすぐにこちらを見る空色に、ひとつ息をついて苦笑する。

 

「だからあの子は臆病なんですよ。そう考えると、リックの母親は恐怖という感情そのものなんでしょう」

 

 彼が“生まれた”きっかけは恐怖であったのだから。

 死にたくないと全身で訴える姿が、脳裏を過ぎる。

 

「なんとも、皮肉なことです」

 

「…………」

 

「……話がそれましたね。つまり、彼は元々誰かの代わりとして生み出されたわけじゃないんですよ」

 

 ルークやイオン様のように、代わりであることを望まれての生ではない。

 

「だからなのでしょうね」

 

 ジェイドはそこで言葉を区切り、小さく息を吐いた。

 そして赤の瞳をすいと瞼の裏に隠す。

 

「彼は自分が代用品(レプリカ)だという認識が極端に薄かった。あるいは、“同じ”であるという意識が強すぎたのかもしれません」

 

 だが、被験者はすでに死んでいる。

 そのまま ただリックとして過ごしていたならば、なんの問題もなかったのだろうが。

 

「そこで現れてしまったんですよ。被験者の家族が」

 

 

 

 

 夢。夢を見ていた。

 あのときの夢。

 

 

「おーい、リック」

 

 軍の食堂で、声を掛けられて振り返る。

 すると先輩にあたる兵が、入り口から手招きで俺を呼んでいた。

 

 使い終えた食器を返却口に戻してから駆け寄る。

 彼は、どこか困ったような苦笑を浮かべていた。

 

「なあ、前話したろ? お前とそっくりだった奴がいたって」

 

「はい」

 

 軍生活が長い者の中には、やはり俺の被験者を知っている人がいる。

 

 だけど怖いもの知らずの熱血漢だったという彼と、臆病な俺とでは、たとえ顔が同じでも受ける印象が違いすぎるらしく、本当にそっくりだと笑われるくらいのものだった。

 

 世界にはそっくりさんが三人いるからな、とほがらかに笑い飛ばす先輩方の顔が脳裏に浮かぶ。みんな本当に良い人だ。

 

 

 だからバレたわけではないと思うが、じゃあ何なんだろう。

 内心疑問符を浮かべていると、彼は苦笑いのまま、そっと俺に耳打ちしてくれた。

 

「そいつの家族って人がお前に会いたいって来てんだけどさ、俺、勘違いだって言っとこうか?」

 

 一応別人だと思うって言ったんだけどさー。

 そう言って先輩が頭をかく。

 

「……いえ、いいです」

 

 俺はゆっくりと息を吸った。

 

()()()()()()()

 

 そして、笑う。

 

「……そか?」

 

 不思議そうに首をかしげながらも、それじゃあ、と戻っていった先輩の後姿を見送ってから、俺は身をひるがえした。

 

 

 

 

「自分と被験者は同一の存在であると信じ込んでいたリックは、その家族と面会してしまったんです」

 

 被験者の家族ということは、自分の家族であると考えたに違いない。

 そしておそらくは、そうすることでその家族が喜ぶはずだと思ったのだろう。

 

 よく生きていてくれた。

 そう言って笑ってくれるのだと、何の疑いもなく、思い込んだ。

 

「バカな子ですよ、本当に」

 

 

 

 

 軍の応接室に、彼女たちはいた。

 

 おそらく母親であろう女性。

 妹だろうか、まだ年若い少女。

 

 扉を開けて入ってきた俺を見て、信じられないというように二人が表情を輝かせる。

 

「―――!」

 

「お兄ちゃん!」

 

 母親のほうは、たぶん被験者の名前を呼んだのだと思うけど、どうしてかその部分の記憶は薄かった。

 

 ソファを立ち上がって見つめてくる二人に、俺は笑みを浮かべる。

 ほら、喜んでもらえた。

 

 あたり前だ。だって俺と、彼は、同じなんだから。

 

 どうせ同じなら、

 “僕でいいじゃないか”。

 

 

(今思えば、なんて傲慢な思い違いだろう)

 

 

「母さん」

 

 

 

 

「フォミクリーだレプリカだと思い至るはずもない。だけど彼女達は気付いてしまったんでしょう」

 

 ガイが息を飲んで、眉を顰める。

 

「それが、自分たちの家族ではないと」

 

 

 

 

 次の瞬間、頬に走った痛みがなんなのか、俺はとっさに理解できなかった。

 

 目を見開いて顔を戻せば、目の前には妹らしい少女がいた。

 その向こう、ソファで母親が泣き崩れているのが見える。

 

 わけがわからずに見返した少女も、俺を叩いた手を掲げたままに、泣いていた。

 ぼろぼろと大きな瞳から涙が溢れている。

 

「お兄ちゃんの偽者!!」

 

 わけが、分からなかった。

 頭が真っ白になる。

 

 

 

 

「確かその妹御は年のわりに小柄でした。アニスに怒られたり、アリエッタに叫ばれると必要以上にびくつくのはその影響でしょうね」

 

 

 

 

 その後のことはよく覚えていない。

 

 ただ、少ししてジェイドさんが来て、あの二人に丁重に謝罪して、これは後で知った話だけど、事後処理やら何やらも完璧に済ませてくれたらしい。

 その間、俺はずっと呆けていた気がする。

 

 全てが終わった後の、大佐の執務室。

 

 少しの沈黙の後、あの少女に叩かれたのとは逆の右頬に、鈍い痛みが走った。

 

 脳が揺れるような衝撃に思わずしりもちをついた俺の視界の端に、すいと下ろされたジェイドさんの手が映る。

 

 これも今だから思えることだったが、たぶん、平手だったんだろう。

 拳で殴られてたら、とてもじゃないが意識を保てたとは思えない。

 

 だけどそのときの俺は、叩かれたことすら理解できないまま、呆然と考えていた。

 あの子の言葉を。

 

「ねえ、なんで、ジェイドさん。なんで、あのひと達は、泣いていたんですか?」

 

 あの子の、涙を。

 

「なんで、だって、オレは…ぼくは――……」

 

(おなじ、なのに)

 

 ジェイドさんが目の前で膝をついた。

 そして、叩かれたばかりの頬に、そっと手の平が当てられる。

 

 優しく、添えられた手。

 ジェイドさんは何も言わなかったけど、ただ、辛そうな顔をしていた。

 

 その顔を見て、俺は初めて大変なことをしてしまったんだと思った。

 “間違った”のだと、知った。

 

 でもやっぱり俺は何が悪かったのか分からなくて、

 ただ、あのひと達の泣き顔だけが、いつまでも頭から離れなかった。

 

 

 

 

「正直、忌まわしくもありました」

 

 自らが作り出した過ちが、自分と同じ過ちを犯していること。

 

 形は違えど、人の気持ちを理解できないでいる子供。

 なにが悪かったのか見当もつかないで、立ち尽くす子供。

 

「その直後にあの子を直属部下に回したんです」

 

「それは、監視のためか?」

 

 否定されることを前提にした響きの問いに、苦笑を零して、想定どおりの答えを返す。

 

「いいえ」

 

 これ以上繰り返させてなるものかと思った。

 

 しかしそうして彼を手元に置きはしたが、そのうちに、また違う暗いものが思考を侵食し始める。

 

 出来るのか、と自分の中の何かが問う。

 

 出来るのか。

 出来るのか。

 

 

(感情を解せぬ者が、他の者に感情を教えることができるのか?)

 

 

 それは、漆黒の塊にも、似ていた。

 

 

 



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Act43.3 - それは僕がおかした罪のはなし(後)

ジェイド視点+α


 

 

 そこでジェイドはまたひとつ息をついて、顔を上げた。

 

「リックが何より怖いのは死ぬ事なんですよ」

 

 唐突に変わった会話の方向性に首を傾げつつも、ガイはとっさに言葉をさがしてそれに続ける。

 

「死ぬのは誰だって怖いだろ?」

 

「そうですが、あれの場合は特別です。異常といってもいい」

 

 死への恐怖、生への執着。

 生まれた理由がそこにあるからなのか、リックはひどく死というものを恐れた。

 

 それは到底軍人であるには向かない性質かとも思われたが、ジェイドは()()()()()軍人で在れたのだろうと思っている。

 彼は自分の命を優先するがゆえに、人を殺すことに迷わない。

 

「だから解せないんですよ。どうしてアブソーブゲートであんなことをしたのか」

 

あのときの行動は、それこそ彼自身のアイデンティティを踏みにじるに近いものだったはずだ。

 

 死ぬつもりでヴァンと対峙したわけではないだろうが、それでもその先にどういう可能性が待ち受けているかは想定できただろう。

 

 『大切なひとを守れないのは、もう、嫌なんだよっ!!』

 

 しかし、あの子供の中で何かが変わりつつあるのに、気づかなかったわけじゃない。

 旅の中で少しずつ、少しずつ、雲が形を変えるように。

 

 その後に散った赤を思い出して眉を顰めていると、ガイがふと苦笑を零した。

 

 仕様がないなとでも言いたげな空色が、ソファに間抜けな顔で眠っている子供を映して、それからまたこちらを見た。

 

「忌まわしいとか解せないとか言ってるが、それなら、なんで旦那はリックを連れてるんだ?」

 

 金だけ出してどこか目の届かない場所で暮らさせることも出来たろうに。

 そう言う青年からふと視線をそらし、考えた。

 

 窓の向こうから響く水音が、静寂の代わりに部屋中に横たわる。

 

 少ししてジェイドはようやく口を開いた。

 

「何故……そうですね。理解が出来ないから、かもしれません」

 

 殺したくないと泣くあの赤毛の子供も、死にたくないと震えるこの子供も。

 自分とは正反対のところにいるから。

 

 呟くように言えば、ガイは少し考えるように目を細めた後、ふと笑いを零した。

 

「報われないよなあ」

 

 その言葉にジェイドは視線をやることで続きを促すと、彼は込み上げる笑みを堪えながら、言葉を続けた。

 

「なあジェイド、理解できないってことはないんじゃないか? こいつはずっと言い続けてるだろ」

 

 そして空色の瞳が柔らかく緩む。

 

「バカみたいにさ、何度も何度も、その理由をあんたに伝えてるんだから」

 

 バカみたいな笑い顔が、瞼の向こうに浮かんだ。

 十歳児らしく幼稚なことばで、子供はそれを口にする。

 

「そろそろ信じてやれよ」

 

 ジェイドはひとつ息を吐いて、目を伏せた。

 

「……やはり、分かりませんね」

 

「ジェイド」

 

「分かりません。どうしてあれほどまでこの私を慕えるのか」

 

 目を丸くしたガイに向けて小さく苦笑を浮かべてから、たとえば、と口にした。

 

「笑うんです」

 

 

 

 

 空からふわふわと言葉が降ってくる。

 俺の大好きな、声。

 

「声を掛けただとか、名前を呼んだだとか。そんなささいなことでバカみたいに嬉しそうに笑うんですよ」

 

 体が浮かぶような曖昧な感覚の中、その声だけは確かに響いている。

 優しい赤色が脳裏にちらついた。

 

「それが私には、分からない」

 

 告げられた言葉に、その声と話す誰かが喉の奥で低く笑ったのが聞こえた。

 

「なに、ゆっくり気づいたらいいさ。こいつはアンタを待つのには慣れてるよ」

 

 その言葉に、彼が表情を歪めるのが見えた気がして、深い夢の中でそっと微笑んだ。

 

 「……そうですね」

 

 続いて聞こえてきた静かな呟き。

 

 「時々嫌にもなりますが、教わる事も、あります」

 

 静かで、優しい声。

 

 ああ、この夢が醒めたら俺はまず彼にこう言おう。

 

 俺はあなたが大好きですよ、って。

 めいっぱいの笑顔で、伝えよう。

 

 

 『 お兄ちゃんの偽者! 』

 

 瞬間、暖かいものに浸ろうとする俺を引き止めるように、また夢の中から聞こえてきた泣き声。ぴくりと指先が揺れる。

 

 ごめん。ごめんなさい。

 俺は、あなた達にとてもひどいことをしてしまった。

 

 謝って許されることじゃない。

 分かってる。でも、それでも、いつか。

 

 

 いつか……――あの子に会いにいってみようか。

 

 

 

 瞼の裏に浮かんだ雫が、すっと頬を伝って落ちていった。

 

 

 

 



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Act44 - 僕の好きなもの

 

 引き続き大佐の事務補佐中、いつもの調子で書類の山を持ち上げたら、傷口がバッツリ開きました。

 

 そうしたら、ソーサラーリング化した人間は執務室には要りません、と大佐に怖い笑顔でバッサリ斬られて追い出されてしまった。穴がですか。腹に穴だからですか。

 

 しかし「医務室のベッドは死にそうな奴のもの」を信条にする医務室長は穴が開いたくらいじゃ寝かしてくれないだろうから、傷だけ治してもらったら寮部屋に戻ろうと足を踏み出した。

 

 そんなこんなで俺は今、宮殿にある部屋のベッドの上にいる。

 

 自分でも話が繋がってないと思うが、そのときちょうど遊びに来ていた陛下に、恐れ多いことにこの一室を貸し出されてしまったのだ。

 

 兵士としての生活に慣れたせいか、はたまた生まれつきの性質なのか、豪華な感じがとてもこそばゆい。

 ここまで案内してくれたメイドさんも「なんかリックと高級な部屋って似合わないわね」と面白そうに笑っていたっけ。俺もそう思います。

 

 しかしこんなにゆっくりしてていいのだろうかとベッドに入りながら心配になったとき、思い出したのはノワールのことだった。

 

 今の自分に、できることをやる。

 

 確かにソーサラーリングと張り合うことすら出来ない俺じゃ、大佐の役には立てない。じゃあそんな俺にできることはなんだろうか。

 

 考えて考えて、思い至る。

 そうだ、今の俺にできること。

 

 休むこと。

 しっかり休んで、はやく怪我を治すこと、だ。

 

 そうすれば大佐のお手伝いだって、陛下やブウサギとの追いかけっこだって出来る。

 

 

 ベッドの上で上半身を起こしたまま、よし、と拳を握った。

 早急な仕事復帰のためにも気合を入れて休もうと決めたところで、ふと気付く。

 

 なんとなくこの部屋が懐かしいようなと思ったら、生まれたてのころの俺がいた部屋だった。

 ああだからわざわざここを指定したのか、と陛下の行動に今更ながら納得してから、枕元の本に目をやる。

 

 少ない給料でこつこつ買いためてきた数冊のうち、一番上に置いてある若草色の装丁がなされた一冊の本を手にとって、開く。

 

 もう幾度となく読み返したせいで、頼りなくなってきた紙を丁寧にめくる。

 読んでいる場所を指でなぞり進めていたが、途中でぴたりとその動きを止めて、深く溜息を吐いた。

 

 内容なんてとうに覚えきってしまったのに。

 

 後一歩踏み出せない己の情けなさにまた溜息をついたとき、部屋に響いたノックの音にびくりと身を震わせる。

 

「リック、起きてるか?」

 

 続いた声を聞いて、俺は慌てて読んでいた本を閉じ、布団の中に放り込んだ。

 そして枕元から別の本を取って適当に開く。

 

「ど、どうぞー」

 

 声がちょっとよれたのは仕方ないとして、やがて扉を開いて入ってきた青年になんとかいつもどおりの笑みを向けた。

 

「よう。具合はどうだ?」

 

 さわやかな空色の目を細めて笑ったガイは、軽く手を上げて答えてくれる。

 

 陛下か大佐に聞いてお見舞いに来てくれたのだろう。

 その心遣いと、慣れた顔に会う嬉しさに俺ももう一度笑みを浮かべた。

 

「平気平気。傷はもうくっつけてもらったから、念のため」

 

「そっか、そりゃ良かった」

 

 すると安心したように息をついてくれたガイは、そのあとふいに表情を明るくした。

 あ、と言って手の平に拳を打ち付ける。

 

「お前、なんか食いたいもんとかあるか?」

 

 そして告げられた言葉をじっくり考えて、理解した瞬間、勢いよくベッドから身を乗り出した。

 

「ガイが作ってくれるのか!?」

 

 俺の反応の良さにちょっと苦笑して、彼は続ける。

 

「シェフ並とはいかないけどな。それでよけりゃ」

 

「良い! 良いです! お母さん!」

 

「お……。で、何が食いたい?」

 

 一瞬こちらの言葉に固まったガイだったが、すぐ気を取り直したようにそう言った。

 俺はその言葉に考えるまでも無く答える。

 

「ガイが作ってくれるならなんでも!」

 

 あと少しで拱手もしそうなほど元気よく声をあげた俺を見て、ガイがふと大人の顔で微笑む。

 そして寝台の脇にある椅子へ腰を下ろしたかと思うと、小さく首を傾げた。

 

 細められた空色を不思議に思って俺も視線を返せば、ガイは静かに口を開いた。

 おまえさ、と語りかけられる。

 

「いつも俺らの作ったもん美味いって喜ぶよな」

 

 今度は俺が首をかしげる番だった。

 

「そりゃ、美味しいもん」

 

「ナタリアのも」

 

「……前衛的で美味しい」

 

 あれでいて、いや、ああであるからこそ妙に冒険者精神の高い彼女が、食材節約のため道行くオタオタやらプチプリやら、果てはマンドラゴラまで調理しようとするのを必死というか決死の思いで止めたのも良い思い出だ。マンドラゴラは本気で駄目だと思うよナタリア。

 

「お前、自分で作るのだって俺たちの好物ばっかりだろ」

 

 ガイはちょっと遠い目になった俺に苦笑してから、再び言葉を紡ぐ。

 俺はそれにひとつ頷いた。

 

「みんなが嬉しそうだとすごい嬉しいからさ。……だからガイには大変申し訳なかったと思ってる」

 

 カレーはさておきトウフばっかり出してごめんな。

 嫌な食生活を思い出したのか瞬間表情をひきつらせたガイだけど、すぐ気をとりなおすように咳払いをした。

 

「それも本心なんだろうけどさ、ひとつも好物がないってことはないだろ?」

 

 ガイが柔らかく目を細めた。

 その空色に、そんなことは、と返そうとした声が消える。

 

 サーモン、トウフ、チキン、エビ、リンゴ、イチゴ、チーズ。

 みんなの好きなもの。ジェイドさんが好きなもの。

 

 それが俺も好きだ。

 みんなが嬉しそうに笑うから、みんなの好きなものが好きだ。

 

「お前ももう、自分の好きなもの、見つけてもいいんじゃないか」

 

 だけど、体に優しく響いてくる声に、視線が泳ぐ。

 

 もごもごと口ごもる俺を楽しげに待つガイの姿をちらりと見返し、やがて、ぽつりと呟いた。

 

「……クリームパフェ」

 

 宮殿の豪華な部屋に、それは吸い込まれそうなほど小さい声だった。

 正直口にした俺自身もよく聞こえないほどのものだが、目の前にいる大らかな男はしっかりと聞き取ったらしい。

 

 寸の間嬉しげに笑った後、ふと眉間に皺を寄せた。

 

「それもジェイドが好きだからじゃないだろうな」

 

「い、いやっ! というかまぁそうなんだけど、そうじゃなくて、ええと……」

 

「ん?」

 

 ただジェイドさんが好きだからと言ったら怒られそうな視線に、慌てて言葉を捜す。

 確かにそれも一端かもしれないが、これだけは別にちゃんと、理由がある。それは本当だった。

 

「……昔、一回だけジェイドさんが作ってくれたんだ」

 

 ぽつりと零したそれに、ガイが目を丸くした。

 

 

 

 

 まだ俺がこの部屋で暮らしていたころのことだった。

 確かそのときは陛下もいて、彼は俺の様子を見に来てくれたジェイドさんにこう言った。

 

「お前たまには自分の子供におふくろの味でも作ってやれよー」

 

 今なら色々と突っ込み所もあるが、そのときの俺はただきょとんと二人の姿を見比べるだけだった。

 

「誰が誰の子供で、誰がおふくろですか」

 

 ジェイドさんは顔を顰めてそう答えると、小さな溜息をついて部屋を出て行ってしまった。

 

 俺はジェイドさんが怒ってしまったんだと思って、よく分からないけどオフクロノアジなんかいらないから、と慌てたし、なんで怒らせるようなこと言っちゃうんだ、と珍しく陛下に怒りの視線を向けた気がする。まあ半泣きだったけど。

 

 そしていよいよ号泣しそうになったときに、ジェイドさんは戻ってきた。

 なんだか不服そうな顔をしながら、手にしたトレイを俺の前に置く。

 

 そこには見たことも無いほど美味しそうな食べ物が乗っていた。

 クリームの上にちょこんと乗ったイチゴが、また特別な感じをかもし出していて、俺はすっかりそれに見惚れた。

 

「……食べないなら捨てますよ」

 

 凝視したまま固まる俺に、いつになくぶっきらぼうにそう言ったジェイドさんと、食べたそれの幸せな甘い味が、いつまでも忘れられなかった。

 

 

 

 

 そう考えるとやっぱりジェイドさんが、だから、なのかもしれない。

 それでも店頭に展示されたパフェのディスプレイに人知れず見惚れていたということは、やはり好きなのだろう。まあ薄給だし、さほど執着はなかったから、それ以来食べたことは無かったけど。

 

 それにしてもジェイドさん達以外で、何かが好きだなんて口にしたのは久しぶりだった。

 

「そうか。でも、そりゃ俺には作れないな」

 

 話を聞き終えて、ガイはまた小さく笑う。

 それがどういう意味か聞き返すより早く、彼は続けた。

 

「そうやってさ、少しずつ見つけてけよ。“リック”の好きなもの」

 

 その言葉に、俺はなんだか照れ臭くなって頭をかいた。

 そして熱い顔をごまかすついでに、軽く笑う。

 

「まあ、がんばってみるよ」

 

 ガイがまた、目を細めて笑った。

 

 

 

 

 

 

「ところでリック、何読んでたんだ?」

 

 ぎくりと震えた内心を押し隠し、今表に出ている本をガイのほうに向ける。

 これも最近読んでいる本だから嘘ではないと自分に言い訳した。

 

「魔物辞典」

 

 ガイが、なんでまた、と首をかしげる。

 

 ああ、うん、本当に嘘ではないんだ。

 つい最近買ったそれが、今は愛読書になってる理由もちゃんとある。

 

「もう陛下に騙されないためにそのいちです」

 

 遠い目で、思わず敬語になった俺の向こう、ガイもまた切なげに目頭を押さえていた。

 

 

 



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Act45 - なんてったってマルクト

 

 陛下は、銀のスプーンをぱくりと口にくわえた。

 

 そのまま思案するように唸りながら頬を動かすのを、俺はトレイ片手に待つ。

 やがて口の中のものを飲み込んだ陛下がすいと瞼を持ち上げた。

 

「バラバラにやってくる食材の旨み、ねっとりとした舌触り、鼻から抜ける風味……」

 

 いつになく真剣な顔で呟く陛下。

 

「要すると?」

 

 彼が前にする机に手をついて、少し身を乗り出す。

 そしてドラムロールが聞こえてきそうな沈黙に、ごくんと生唾をのんだとき、陛下はきっぱりとこう言った。

 

「まずい」

 

「やっぱりそうですよねぇ」

 

 俺も味見してそう思った。

 渋い顔の陛下にこくこくと頷いて見せながら、俺はレシピメモに先ほどの感想を書き加える。

 

 

 外殻降下から二週間が経ち、怪我もだいぶよくなってきた。

 

 とはいえ軍人としての通常メニューに戻るにはまだ少し早いそうで、引き続き大佐の事務補佐の形を取っているが、今日のように大佐が外回りの任務に出ている間は陛下の執務を手伝うのが仕事だ。

 

「いろいろ試してるんですけど、うまくいかないんですよ」

 

「つーか臣下(ジェイド)に食わせるカレーを皇帝(おれ)に味見させるんだからお前もいい度胸してるよな」

 

 そしてそれでもなお持て余した暇でもって、俺は新作カレーの構想を練っていた。

 アマンゴカレー(完成品)が大佐になんとなく好評だったので、続いてキルマカレーを試作中。

 

 休憩時間に調理場を借りてカレーを作っているのだが、どうやら怪我のことを考慮してくれているようで陛下は逃げ出すことなく待っていてくれた。おかげで仕事が良く進む。ちょっと怪我万歳。

 

 まずいと断言したカレーを再び口に運び、もごもごと頬を揺らしながら陛下はスプーンで俺を示す。

 

「まずお前の料理には特徴がない。最近カレーだけはましになってきたけど」

 

「はあ。みんなからも同じこと言われました」

 

 なんか間が抜けてるというか、後一歩なにかが足りないと。

 その際「いやあ貴方の人生のようですね」と輝かしい笑顔で告げてくれた上司を思い出し、遠い目になりながら、俺も陛下と面する位置にある椅子に腰を下ろした。

 

 要改良かぁ、と別のスプーンでキルマカレーを口に運んでいると、食べ物の匂いを察したのか陛下のブウサギが足元に近寄ってきた。これはゲルダさまだ。

 

 さすがにカレーは体に悪そうなので、付け合せに持ってきたサラダのほうを少し分けてあげながら、ふと思う。

 

「そういえば陛下、ブウサギにオレの名前は付けないんですか? いや付けて欲しいわけじゃないですが」

 

 このあいだ新しくきた子にはルークと名づけていた。

 法則性はいまいちよく分からないが、陛下は身近にいる人間の名前をつけているようだから、一介の兵士が恐れ多いとは思うが可能性は無きにしもあらずかと思っていたのだが。

 

 すると陛下はまたひとくち頬張っていたカレーを飲み込んだ後、「んー? ああ」と口を開く。

 

「お前の名前はな、可愛いほうのジェイドに子供が生まれたときに付けてやろうと思って取ってあんだ。もうちょい待て」

 

 笑みを浮かべるでもなく、至極当然のように告げられた言葉に、俺は落としかけたスプーンを慌てて握りなおしながら、陛下に詰め寄った。

 

「お、女の子なんですか!?」

 

 陛下がぽけっとした顔で俺を見る。

 

「だれがー?」

 

「ジェイド様が!」

 

「バカだなぁ、あいつは男だろう」

 

「ああもうつくづくめんどくさいなぁー!! ブウサギのジェイド様です! ジェイドさんじゃないです!」

 

「……おまえ最近性格がジェイドに似てきたな」

 

 衝撃の事実と同時に襲いくる混乱に声を上げる俺を、陛下が半眼で見返してくる。

 その後、彼は得意げに笑みを浮かべて言った。

 

「ああ、可愛いほうのジェイドは女の子だ」

 

 大佐の直属部下になり陛下の寝室に出入りできるようになって三年目の真実。

 そうだったのか、と脳内の情報を書き換えていくと同時に、ふいに新たな不安が胸を過ぎる。

 

「じ、実はアスラン様とサフィール様もメスだったとか言いませんよね?」

 

 それでもってネフリー様がオスだったとか。

 その問いに陛下はからからと笑って首を横に振った。

 

「女の子はジェイドとネフリーとゲルダ。後はオスだ」

 

 ひとまずこれ以上頭が混乱することは無さそうで、ほっと息をつく。

 しかしその不安すら押しのけて、三度目、込み上げた不安。

 

 どちらかといえばこっちのほうが重大で切実だ。俺はおそるおそるそれを口にする。

 

「ジェイドさんは、知ってるんですか?」

 

「いや? 言ってない」

 

 戻って来たのは簡潔な返事。

 背筋を伝う冷や汗を感じて、おもわず眉間に皺を寄せる。

 

「陛下、それジェイドさんに知られたらインディグネイションですよ」

 

 それはもう詠唱破棄な勢いで。

 しかし天下のマルクト皇帝は、アッハッハと声を上げて笑いながら続けた。

 

「ということで子供が出来るとしたら、相手はアスランかサフィールか、ルークだな」

 

「陛下お願いだから本当に黙ってください!!」

 

 マルクトが大佐に滅ぼされます。

 

 外回りの任務に出ているはずの大佐が今にもどこかから出てきそうで怖い。だってだって大佐だから。

 

 国の危機を感じて涙目で詰め寄る俺にやはり軽い笑いで返していた陛下が、ふいに「あ」と声をあげた。

 机を立ち、クローゼットを探り出した姿を何事かと眺めていると、やがて彼は大きな包みを持って戻ってきた。

 

「これこれ」

 

「なんですか? それ」

 

「今度ルークたちが来たら渡してやろうと思ってるんだ」

 

 開けてみろと指で示された包みを、不思議に思いながら開く。

 すると中から現れたのは、マスク……スーツ?

 

 おそらくあの旅のメンバー全員分あるのだろう。

 頭からすっぽり被るタイプのマスクのひとつを手に取りながら、そろりと陛下を窺い見た。

 

「……なんですか? これ」

 

 さっきと同じ質問を繰り返す。

 それに陛下はきらきらと瞳を輝かせて、拳を握った。

 

「アビスマンだ!!」

 

「…………なんですか?」

 

 いや、本当に。

 

「バッカだなぁお前! ヒーロースーツに決まってるだろ! なんかこう、胸躍るよなぁ!」

 

「確かに男としてはすごく心踊りますけど……」

 

 昔、宮殿で暮らしていたころ、陛下が持って来てくれたヒーロー物の絵本は楽しかった。それはもう心底楽しかった。

 しかしそんな子供心のときめきと、今目の前にあるこの服とどんな関係があるのだろう。

 

「だからな、あいつらがこれ着て戦ったら、格好いいだろうが!」

 

「…………」

 

 想像してみる。

 

 

 

 バックに広がるルグニカ平野。

 そこに現れ悪事を働く敵。「待て!」なぜか高いところから響く声。

 

 「何奴!」

 

 逆光に映るむっつの影。

 

 「オールドラントの平和を乱すものは、俺たちが許さない!」

 

 とうっ!

 平野に突如出現した高いところから飛び降りる六人。

 

 着地と同時に順にポーズを決めていく。

 

 「俺達の武器は、地位と!」

 

 「謀略と!」

 

 「だまし討ち!!」

 

 ああなんかダメなの混じった。

 

 敵がおののく中、全員が横一列に並び列ごとのポーズを取る。

 

 「正義の使者! アビスマン参上!!」

 

 そして決めの音楽と共に、六人の背後で色とりどりの爆煙が、上がる。

 

 

 

 気付けばぽかぽかと熱くなった頬でもって、俺は手に持った赤色のマスクを抱きしめた。

 

「良い……!!」

 

「だろ!?」

 

 バカふたり。

 大佐がいたならそう切り捨てたことだろうが、残念なことにこの場にはヒーローへの夢に当てられた十歳児と三十六歳しかいなかった。

 

 全員分の衣装を広げて、これが誰、これが誰と熱っぽい説明を受け、俺も興奮気味に頷く。

 しかし包みの底にもう一着、綺麗にたたまれた服があるのに気づき、首をかしげた。

 

「陛下、ひとつ多いですよ?」

 

「ああ、それはお前のだ」

 

 告げられた言葉に、きらりと目を輝かせる。

 

「ほ、本当ですか!? オレの!?」

 

 渡された服を受け取り、どきどきと高鳴る心臓を抱えながら見た。

 

 四角くたたまれた服の色は、黒。

 

「お、おおお、オレ、ブラックですか!? ……あれ? でもそれだとティアさんと被るんじゃ……」

 

 そう思いつつべろんと服を広げ、…………俺は無言で陛下に掴みかかった。

 

「これあれじゃないですか! 『イー!』って言ってるやつじゃないですか!!」

 

 兵士と皇帝の関係も一瞬忘れて胸ぐらを掴む俺に、彼はまたアッハッハと軽く笑う。

 

「お前にいちばん似合うと思ってな!」

 

「ちょっと陛下ー!?」

 

 そしてそのまま、ついでに執務も忘れて言い合った結果、任務から戻ってきた大佐に二人そろってインディグネイションを貰うことになった。

 

 




▼リックは称号『アビスシャッカー』を手に入れた!
「もう“アビス”無くていいじゃないですか!!」


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Act46 - ひとつ!囚人への配給は速やかに

「テイルズオブファンダムVOL.2」より『マルクト帝国騒動記』編、開始


 

「げ」

 

 トレイ片手に現れた俺を見て、“奴”は例の黒い虫でも目撃したように、表情を歪めたのだった。

 配給用の小窓からトレイを差し入れながら、俺は牢の向こうに怒鳴る。

 

「そう言いたいのはこっちだよ! 何でオレがアンタに食事運んでこなきゃなんないんだ!?」

 

「嫌なら来なきゃいいじゃないですか気持ち悪い!」

 

 すると奴が言葉どおり気味の悪そうな顔で怒鳴り返してくる。

 内心の荒れ模様とは反対に、丁重に差し入れまた丁寧に小窓を閉じてしまう体が少し悔しい。くう、染み付いた兵士魂が。

 

「だってみんな嫌がって内部で毎日 配膳役たらい回しだったんだよ!」

 

 俺もそれを今日知った。というか今日から完全復活、仕事復帰だ。

 なのに偶然そのへんを通りかかったらこんなことに。

 

 目の前の牢屋に入っている男。

 

 ジェイドさんいわくハナタレディストこと、自称 薔薇のディストこと、六神将の死神ディストこと、囚人番号A-9643731こと。

 ……サフィール・ワイヨン・ネイスは、その言葉を聞いてなぜか得意げにふんと鼻をならした。

 

「やれやれ。凡人共は私の高貴さに恐れをなしますか」

 

「……なんかうざいから嫌だって言ってたぞ」

 

 それでもって、よしお前もうざいからちょうどいい、と押し付けられたのだ。

 目には目をという方向だったのだろうが、ちょっと切ない。

 

 ディストがくいと眉を引き上げて笑う。

 

「やはりこの私を理解できるのはジェイドだけのようですね! ほらそこのレプリカ! さっさとジェイドを呼んできなさい!」

 

 牢の中から突きつけられた人差し指に、俺はぴくりとこめかみを引きつらせた。

 そして腰に手を当ててふんぞりかえる。

 

「ダメだ! ジェイドさんは仕事してるんだよ!」

 

 ただでさえ忙しいところへ、今はルーク達と旅に出ていた間の仕事が溜まりに溜まって、それはもう大変なことになっているのに、囚人の取調べなんかさせられない。大佐が過労で倒れたらどうしてくれるんだ。

 

「私はジェイドでなければ話しませんよ!」

 

「だから忙しいんだって言ってるだろ! ジェイドさんはすごい頭が良いから、その分 任せられる仕事も多いんだ!」

 

 そう言うと、ディストは一瞬 動きを止めた後、ほうけたような息をひとつ吐いた。

 そしてどことなく嬉しげな顔で咳払いをする。

 

「そ、そうですねっ。彼は私と肩を並べるほど優秀ですから、仕事が多くて当然です!」

 

「それに槍の腕だってすごいし」

 

「やはり譜術は群を抜いていますよ」

 

「すごいカッコイイしな」

 

「格好良い」

 

「…………」

 

「…………」

 

 ほぅっと息をつきながら、だらしなくにやける。

 やっぱり、カッコイイよな、ジェイドさん。

 

 そのまましばし恍惚と思考にふけっていたが、ディストが同じような顔で虚空を見ているのに気付きハッとして首を横に振った。

 

「そ、そうじゃなくて! えーと、だから、ジェイドさんにアンタに会いに来るような暇はないの!」

 

 あれだけ言い合ってた相手としみじみ語り合ってしまったなんて恥ずかしすぎる。

 微妙に熱い顔でもって怒鳴ると、ディストもすぐ我にかえって俺を睨んだが、その顔もやはり赤かった。

 

「だ、だだだ、だから貴方では話にならないと言っているでしょう! いいからジェイドを呼びなさいビビリレプリカ!」

 

「うっさいハナタレディスト!」

 

「キィー! 誰がハナタレですか!!」

 

 がしゃりと鉄格子に詰め寄って癇癪を起こすディストから、怖いのでちょっとだけ距離をとりながら「へんだ!」と言い返す。

 

 

 そのまま喧喧と言い合っていると、収容所の通路に深い溜息が響いた。

 二人そろって口を閉ざし、そちらを向く。

 

「リック。何をハナタレと同じレベルで争ってるんです」

 

 そこには心底呆れた色をした赤色の瞳。

 俺はぱっと表情を輝かせる。

 

「ジェイドさん!」

 

「ジェッ……!」

 

 ディストも一瞬だけ目を見開き、そのあと気を取り直すように咳払いをしてから、すばやく胸を張って笑い出した。

 

「はーっはっはっは! ようやくお出ましですね!」

 

 水を得た魚のような転身ぶりに俺が表情を歪めたとき、大佐の後ろからすいと現れた人影に、ぎょっと目を見開いた。

 

「よーぅ! サフィール!」

 

 収容所には似つかわしくない笑顔でもって片手を上げたのは、天下のピオニー・ウパラ・マルクト九世陛下。

 楽しげに光る海の色をした瞳に、俺とディストは揃って悲鳴を上げる。

 

「なんであなたがここにいるんですか!」

 

「なんで陛下がこんなとこに来るんですかぁ!」

 

 俺とディスト。音は似ていても示す意味は若干違う。

 

 大佐が来たってだけでも恐れ多いのに、まさかの皇帝陛下まで来てしまったのだ。兵士としては悲鳴を上げざるを得ないだろう。

 

 しかし「ここは俺の国だぞ?」と双方の言葉を一蹴した陛下に、若干開き直った感じのする笑顔でもって、是非とも取り調べをしたいと仰るから、と大佐が肩をすくめる。

 

 諦めたんですね、大佐。

 そしてならいっそディストの相手をさせてしまおうと思ったんですね、大佐。

 

 今回ばかりは上司の思惑が察せられるようで、俺はそっと目元を拭った。

 

 

 だが頑なに何も喋らないと言い張るディストの姿に、陛下や大佐達には何か思い起こされる記憶があるようだ。

 

 出会った頃。軟禁された皇子。忍び込む。

 飛び交う単語をぽかんとしながら追っていたこちらを、ふいに陛下が顧みた。

 

「聞きたいか?」

 

 イラズラっ子のような、にやりとした笑みを向けられる。

 俺は慌てて顔の前で手を横に振った。

 

「い、いえ、俺は、」

 

 べつに、と続けようとした声を飲み込む。

 掲げていた手を、胸の前で緩く握った。

 

 小さく息を吸う。

 

「――……き、聞きたいです!」

 

 そして意を決して口にした言葉に、陛下は満足げに「ん!」と笑い、その向こうでは大佐が赤い目を丸くしていた。

 

 怒られるだろうか。それともバカなこというなって流されるだろうか。

 

 胸が緊張に高鳴る中、僅かな沈黙の後、緩められた赤色がしかたがないというように苦笑する。

 それを見た陛下がまた嬉しげに笑みを深めて、ディストへと視線を移した。

 

「おまえ、あの時も憲兵に捕まったんだよな」

 

「そういえばそうでしたねぇ」

 

 陛下の言葉に続いた大佐の声に、俺はきらりと目を輝かせる。

 ジェイドさんの、昔の話、だ。

 

 

 むかしむかし、というほど昔ではないだろうけど、当然俺は陰も形もなく、ジェイドさん達がまだ子供だったころ。

 

 ケテルブルクに疎開してきた陛下に会おうと、ジェイドさんとディストは疎開先の屋敷に向かったらしい。

 どうもそのころはあんなじゃなくて、気の弱い普通の子供だったらしいディストは、屋敷に侵入するためのオトリとしてジェイドさんに使われたのだという。

 

 そこに僅かながら自分の姿を重ね合わせて遠い目になるも、進められていく会話を聞き漏らすまいと意識を引き戻す。

 

 そのころを思い出したのかディストがちょっと涙目で声を上げた。

 

「もう少しで私は収容所へ連れて行かれるところだったのですよ!」

 

「別に痛くもかゆくもありません」

 

 笑顔のままさらりと言う大佐を見て、ディストは少し言葉に詰まった後、ふんと腕を組んだ。

 

「連れて行かれなかったのはネビリム先生のおかげです!」

 

 上げられた名前に、空気が色を変えた。

 軋んだ空間に気付いているのかいないのか、ディストが続ける。

 

「ねぇジェイド、考え直しませんか」

 

 もう一度ネビリムを蘇らせ、あの時代を取り戻そうと彼は言う。

 自分達になら出来るはずだと。

 

 大佐は何も言わなかった。

 その様子を伺った陛下が、静かに口を開く。

 

「サフィール。……ネビリム先生は、」

 

「あなたには何も言っていませんよ!」

 

 しかしディストはそれを遮って、再度大佐を見た。

 

 もう一度ネビリム先生を。

 もう一度、フォミクリーを。

 

「……書類の整理が残っておりますので、私はそろそろ失礼致します」

 

 今度言葉を遮ったのは大佐のほうだった。

 いつもどおりの笑みをひとつ浮かべて、青の軍服が身をひるがえす。

 

 冷たい色をした石で出来た廊下に、カツン、カツンと硬質な音を響かせて、その背中が消えた。

 

「んじゃ、またな! サフィール!」

 

 目を細めて何やら考え込んでいた陛下も、パッと笑顔を浮かべてディストに手を振ってから、大佐が進んだのと同じ廊下を軽い足取りで歩いて行ってしまった。

 

 しんと静まり返ったこの場に、残された二人。

 俺は反射的に後を追おうとした足を引きとめて拳を握る。

 

 人づてに聞いた過去しか知らない俺では、何も出来ない。ここは陛下に任せたほうがいいだろう。

 頭では分かりつつも込み上げる無力感に一度目を伏せた後、俺はギッと半眼で牢の中を睨んだ。

 

「ッバカ!!」

 

「あ、あなたにそんなこと言われる筋合いありませんよ!」

 

 ディストはすぐさま怒鳴り返してきたけど、その後また落ちた沈黙。

 

 

「……はぁ」

 

 やがてほの暗い収容所にこぼれた溜め息は、同時だった。

 

 



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Act46.2 - ふたつ!会話は短く分かりやすく

ガイ視点


 

「わかって欲しいのではないですね。わからないことを話して、戸惑わせたくはなかっただけです」

 

 

 

 

「重症だな」

 

 いつもと変わらぬ足取りで去っていった背中が消えた方向を、目を細めて見ていたガイは、突如として傍から響いた声に肩を跳ねさせた。

 とっさに視線をずらせば、そこには先ほどのガイと同じように、あの男が消えたほうを眺めているピオニーの姿。いつのまに。

 

 ついと動いた青い瞳がこちらをとらえた。

 そして、今のジェイドをどうみる、と問われ、ガイは動き回るブウサギたちの散歩綱を引きながら、首をかしげる。

 

 いつもおかしいといえばおかしい男だが、先ほどはまた少し様子が違った。

 

 考えた末に、驚きました、と率直な感想を返した。

 あの男が自身の感情らしきものを吐露するのは本当に珍しい。

 

 なにやら思うところがあるのか、こちらもめずらしく真剣な顔で考え込むピオニーの横顔を見ていたとき、ふいに思い浮かんだ記憶があった。

 

「そういえばリックにも似たような事を聞かれましたね」

 

 先ほどジェイドは、家族や使用人を失った衝撃についてガイに尋ねてきた。

 詮索というほどではないが、そういうふうに誰かの内面に踏み込もうとするのもそういえば珍しかったな、と今更ながら考えていると、気付けばまたピオニーが視線をガイへ移していた。

 

 真っ直ぐに見据えられた青は、そのままにして続きを促してくる。

 ガイはすぐに言葉を続けた。

 

「いつだったか、やっぱり家族を奪われたら許せないか、とか」

 

 セントビナー救助に行く前、ここグランコクマを出たときだっただろうか。めずらしく向こうから呼び止めてきたと思ったら、そんなことを聞かれた。

 

 今思えばあれは、被験者家族のことを示唆していたのだろう。

 

 あのころ自分と被験者が違う存在だとは認められないまでも、リックなりにその立場を奪ったのだと必死に言い聞かせようとしてたのかもしれない。

 

「あいつ」

 

 ぽつりと零された声に顔を上げると、ピオニーは空を見上げて目を細めていた。

 

「ジェイドのこと庇ったんだってな」

 

「え、あ、……ですね。そのときも驚きましたよ」

 

 あれだけ臆病な男が、あれほど強大な男の前で剣を握った。

 勝った負けたの話ではなく、まず行動を起こしたことに驚いた記憶がある。

 

「旦那が関わっていたとはいえ、よくあの場面で動けたなと」

 

 もう一度言うが、あの本当に臆病な男が。

 するとピオニーは古い記憶をさぐるようにがしがしと頭をかきながら呟いた。

 

「あー、天秤、だったかな」

 

「天秤?」

 

 聞き返せば青の瞳がまたこちらを振り向く。

 

「前にリックが言ってたんだよ。自分と誰かの命を天秤にかけたとき、俺はすぐ自分に傾いてしまうんだってな」

 

 言葉の向こうにリックの情けない笑い顔が見えるようだった。

 

 まあそれも間違った事ではない気がするが、ジェイドをもって異常と言わしめた彼の生への執着を考えるに、その天秤は絶対的なものだったのだろう。

 

 そこでピオニーが名探偵のように人差し指を立ててみせる。

 

「俺が思うにだな、リックは自分と他人の命を天秤にかけたことはあっても、『ジェイドと自分』をかけた事は無かったんだろう」

 

 それはジェイドがあれだけの強さを持っていて、死霊使いという二つ名の陰鬱さとは反対に、死と程遠い場所にいる人物だったからかもしれない。

 ともかくリックは、これまで彼と自分を二者択一する必要がなかったのだ。

 

「たぶん今回、あいつは初めて自分とジェイドを天秤に乗せたんだよ」

 

 天秤がどういう結果を示したのか。

 それは現在の状況がすべて現しているだろう。

 

「リックの“ジェイドさん大好き”は筋金入りだったみたいですね」

 

 これまでの自分をかなぐり捨てるほどに。

 あの男の何がそんなにいいのか正直を言えばよく分からないが、当人がそれなりに幸せそうなのだからいいんだろう。

 

「ああなるともう病気だな。まったく昔からジェイドジェイドと」

 

 あーかわいくない、と肩をすくめたピオニーが、それでも少し満足げに見えたので、ガイは笑いながら「ですね」と返した。

 

 

 

 

 今日は導師イオンよりの使者として、アニスが謁見にくることになっている。前からその予定を聞いていたらしいリックはそれはもう楽しみにしていた。

 

 しかしこちらも例の空飛ぶ譜業博士と予想外のニアミスがあったようで、謁見の間で合流したときにはやたらとげっそりした顔になっていた。

 

「疲れてるなー、リック」

 

「あいつやだ」

 

 並んで待機していたリックに潜めた声で話しかけると、いつになく単刀直入な答えが返って来て、これはよっぽどだと苦笑する。

 傍からみていると彼とディストには限りなく近いものを感じるのだが、だからこそなのか反りは合わないようだ。

 

「……そういえば、その、ジェイドさん」

 

「ん?」

 

 小さな呟きを耳に留めてリックを見やる。

 

「なんか、様子おかしかったか?」

 

 彼は王座の脇で同じように待機している上司にちらちらと視線をやりながら、情けない顔をみせていた。やはりディストの取調べで何かあったのは間違い無さそうだ。

 

「いや、特に変わったところはなかったがな」

 

 いくらか様子が違ったのは確かだが、ひとまずそう言って微笑んでみせる。

 

「そっか……ならいいや」

 

 リックもそれを百で受け止めているわけでは無いようだったが、それでもいくらか安心したように息をついたのを見て、にかりと笑みを浮かべた。

 

「そうそう! ほら、明るい顔してないとアニスに笑われるぞ」

 

 そのとき、唱師アニス・タトリンのご到着です、とタイミングよく響いた声に、リックが表情を輝かせた。

 

 

 

 再会したアニスは変わりない明るい軽快さでガイ達の前に現れた。

 いつものように読み上げの役割を押し付けられたガイへ親書を渡すついでに、無邪気な笑顔でぴたりとくっつく。

 

 いくらかましになったとはいえ突然こられるとまだ対応できない。

 例によって例のごとく悲鳴を上げて飛び退ったガイにからかうような笑みを向けてくる。

 

「なんだ。まだ治ってないんだ、その病気」

 

 それから彼女は隣でそんなガイを見て苦笑していたリックに視線を移し、軽い足取りで駆け寄ると両手を掲げた。

 あの旅の中で培った仲間の絆なのか、はたまた犬とご主人の力関係なのか、それに迷うことなく己の両手をぺちんと当てたリックが嬉しげに笑う。

 

「リック! 手紙では読んだけど、怪我ほんとにもういいんだ!」

 

「はいアニスさん! ご心配お掛けしました!」

 

 アニスが今日くることをリックが事前に知れたというのも、二人が手紙のやりとりをしていたゆえだった。

 

 しばらく怪我であまり動きが取れなかったリックは、読書と合わせてちょっとした文通もしていたらしい。アニス経由でティアやイオンにも自身の無事を知らせてもらったんだそうだ。

 

 ああそういえば、いつかルークに出した手紙の返事がかえってこないと零していただろうか、とぼんやり考えていると、やれやれというようなピオニーの声が耳に届く。

 

「ガイラルディア! アニスの抱擁にいつまでも恍惚としてないで早く読み上げろよ」

 

「まったく、実に破廉恥ですね」

 

「ハレンチ~」

 

「はい! はれんちですねー!」

 

 最悪だ、このメンツ。

 

 アニスと再会した嬉しさでよく分からなくなっているらしいリックまで、笑顔で続けたのがちょっと切なかった。

 というかあの男はハレンチの意味を理解しているのだろうか。

 

 

 親書の内容は、一部教団兵がマルクト軍の反乱分子と結託して、マルクト皇帝を暗殺しようとする動きがあるという警告だった。

 イオンからの報告は以上だったのだが、アニスがグランコクマの街で独自に仕入れてきた話があった。

 

 御落胤。

 

 さっと一人の人間に集まった半眼に、ピオニーが慌てて首を横に振る。

 

「おいおい濡れ衣だ!」

 

 そして御落胤といっても俺の子とは限らないだろうと言うピオニーに、ジェイドが得心したように息をついた。

 ピオニーの父、前皇帝のカール五世もまた彼と同じく、無類の女性好きであったそうだ。どこかに彼の子供がいると言われても不思議ではないとピオニーが続ける。

 

 しかしピオニーが皇帝に即位してから大分経つ。

 たとえば彼の子だとしても、前皇帝の子だとしても、名乗りを上げる時期としてはいささか遅すぎやしないだろうか。

 

 ガイはアニスを顧みた。

 

「それはどこで聞いたんだ、アニス」

 

「グランコクマの商店」

 

 自分こそ本当の皇帝だと言い街の人間から金品を巻き上げているらしい、と聞いて、リックが不満げに眉根を寄せた。

 

「そんなの皇帝じゃないですよ! 真の皇帝はそれこそ自分のお味噌汁の具に困っても、国民のお味噌汁にはワカメとトウフを入れてあげるくらいじゃないと! ねえ陛下!!」

 

「リック、どうどう」

 

「貴方の例えはいちいち規模が小さいですねぇ」

 

 いつにない勢いで拳を握る子供をガイが宥め、ジェイドは肩をすくめた。

 国が大好きな皇帝陛下と、なんだかんだ国を大切にしている懐刀の背中を見て育ったリックもまた、結構なマルクト大好きっ子だ。

 

「ただの詐欺なら気にしませんけど、一応これでもアニスちゃんは、皇帝暗殺計画のことも考えて……」

 

 先ほど金の話には敏感だとガイとジェイドに真顔で言われたことに怒りながら、アニスが早口に告げたとき、ずっと口を閉ざしていたピオニーががばりと顔を上げた。

 

「お・も・し・ろ~い!!」

 

 輝く笑顔と楽しげな声に、途方もなく嫌な予感が背筋を這い上がってくるのを感じて、ガイはなんともいえない表情で自国の皇帝を見返す。

 

 

「……始まった……」

 

 頭痛を堪えるようなジェイドの声が、聞こえた。

 

 

 



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Act46.3 - みっつ!皇帝陛下の御心のままに

 

「最終兵器発動! 皇帝勅命!」

 

 

 

 

 宮殿前ひろばにて。

 

 俺を含めた軍属三人とマルクト貴族一人は、すっかり変装を終えて満足顔の皇帝陛下を前に成す術もない。

 

「大佐……いいんですかねぇ、本当に……」

 

「いいも何も従うしかないでしょう。まったく首に縄つけられる分ブウサギのほうがよっぽどマシですよ」

 

 この短時間で微妙に白くなった大佐が淡々と告げる。

 陛下が相手だと時折押され気味な大佐に、苦笑を返しつつ貴重な反応をほんのりかみ締めた。

 

 にしても本当に本当に、マルクト皇帝自らご落胤探しなんかしていいのだろうか。

 ただでさえ暗殺計画のことがあるのにな、と思っても逆らえない俺はしがない兵士です。

 

 そんな部下の心 皇帝知らず、陛下はうきうきと俺たちを振り返った。

 

「よし。今から俺のことは隊長と呼ぶように。いや待て、アニスはピオくんで」

 

「はい、ピオくん」

 

 アニスさんに向けてにやけた顔で付け足した陛下に、大佐がこの上なく輝いた笑顔でもって続ける。陛下がすぐさま、きもいから止めろ!と身を震わせた。

 

 捜査開始から数分にしてすでに疲れた表情を見せているガイが、なんでもいいがどこから探すのかと進言すると、ジェイドに任せる、という答えが返ってきた。

 大佐はそれを即行拒否したものの、また皇帝権限で押し切られていた。

 

 ……陛下は本当に、本当に、本当に、自分で探す気らしい。

 

 何事もなければいいけど。周囲に満ちる大好きな水音に耳を傾けながら、祈る気持ちで空を仰いだ。

 

 

 

 

 陛下達はまず、アニスさんが御落胤の噂を聞いたという商店へ向かうことにした。

 人手の多い賑やかな街路をゆく中、住民の皆さんもまさかこんなところに皇帝がいるとは思わないのか、特に気づかれることはなかった。

 

「私が御落胤のうわさ話を聞いたのは、あのおばさんです」

 

 アニスさんが、ある商店に立つ活発そうな女性を指差す。

 

「よし、ジェイド。任せたぞ」

 

「わかりました。ガイ、頼みますよ」

 

「また俺かよ!!」

 

 幼馴染の流れるような連携プレーにおいて任命されたガイを、よっマダムキラーとアニスさんがはやすのを聞いていると、ふいに大佐が俺を振り返った。

 

「リック、貴方も人当たりが良いですからガイと一緒に、」

 

 振り返った大佐が目を見開いてギシリと固まる。

 

「……なに満喫してるんです」

 

「え!? あ、すみません何ですか!?」

 

 やがて零された疲れたような囁きに、久々の城下にすっかり舞い上がっていた俺は、名産の食べ物を腕いっぱいに抱えたまま聞き返した。

 

 口に運ぶ直前だったグランコクマ団子アマンゴ味の串を手に、はっとする。

 

「そ、そうですよね……! すみませんオレ気が利かなくて……どうぞ大佐!」

 

「結構です」

 

 しかし差し出したマーボーカレー味は即行で断られてしまった。

 やっぱりいちごサーモン味のほうが良かったか。

 

「……失礼、少々お話を伺っても宜しいですか?」

 

 俺たちがそんな会話をしている間に、ガイはもう店のおばさんへコンタクトを取っていた。

 

 そして聞いた情報をまとめると、御落胤を名乗っていたのは十五、六歳の男の子で、髪の色は陛下と同じだったそうだ。

 グランコクマ団子、最後の一本をもぐもぐと食べながら、俺は首をかしげる。

 

「でも陛、」

 

「隊・長」

 

 すぐさま輝く笑顔で訂正された。

 そんな陛下を半眼で見つつ、俺は口の中の団子をひとつ飲み込んでから仕切りなおす。

 

「……隊長と同じ髪色ってだけじゃ分かりませんよねぇ」

 

 陛下の髪はきれいな金色だけど、色自体は特別めずらしいものじゃないはずだ。

 

 おばさんの語り口では顔も瓜二つとはいかないようだったし、それにその髪色だってまだ見ぬ奥方様に似た場合、違う色でもご兄弟、ということになるから、さほどこだわれる情報じゃない。

 

 

 商店から離れて、みんなで再度、作戦会議をする。

 

 大佐いわくその子が十五歳前後だとすると、確かに前皇帝はご存命だったがもうかなりの御年だったそうだ。

 それに、俺の子だと言ってもおかしくない年だと陛下が続ける。

 

「弟か妹ってのには憧れてたんだが、今更なぁ……。まあ今は弟みたいのはいるけど、」

 

 陛下がちらりと俺のほうを見た。反射的に背筋を正す。

 

「…………」

 

「…………」

 

 そのまま少し沈黙。

 

「……これじゃなぁ」

 

「隊長、オレそろそろ泣きますよ!」

 

 ハッと軽く息をつきながら首を横に振った陛下を涙目の笑顔で見返した。

 

 アニスさんが、兄弟が欲しかったんですか?と陛下に尋ねる。

 いるにはいても世継ぎの問題もあり、世間一般でいう兄弟の関係にはなれなかったのだろう。

 

 「まあな」と頷いた陛下に、アニスさんが私も一人っ子なんで上が欲しかったと笑顔を浮かべる。

 そしてくるりと大佐のほうを振り返った。

 

「大佐には妹さんがいらっしゃいますよね」

 

「はい、ご存知のとおりです」

 

 ネフリーさんだ。

 今度は、そのうち休暇が取れたら会いに行こうかなぁとぼんやり考えていた俺にアニスさんの視線が合わさる。

 

「リックは、まぁ兄弟が居ないのは当然だけど、欲しい?」

 

「そうですねー、あんまり考えたことないです。あ、でもオレの被験者(オリジナル)には妹さんがいらっしゃいますよ」

 

 腕に下げておいた袋から名物プリンパンを取り出しながら言う。

 彼女のことを何気なく口に出せてしまったことに、内心驚きながらも不思議と心は落ち着いていたが、そのとき大佐と陛下がすこし目を丸くして俺を見たのには気づかなかった。

 

「でも別にリックの妹じゃないじゃん。ええと、じゃあガイは……」

 

 流れで話を向けてしまったあと、アニスさんはちょっと口を閉ざす。

 

 彼がホド戦争で一族郎党を亡くしていたことを思い起こしたのか、続ける言葉に迷った彼女の気遣いを包むようにガイが笑みを浮かべた。

 

「ああ、姉上がいた」

 

「……どんな人だったのか聞いてもいい?」

 

「もちろんさ」

 

 そうアニスさんに返事をしたガイは何だかさっぱりとした顔をしていて、無理をしているわけではなく話してもいいと思っているのだと気づかせる。

 当時を思い出したことで辛いこともあるかもしれないけど、胸の奥には確かに優しい記憶も存在しているようだ。

 

 それを嬉しく思いながらも、あまり聞く機会のない家族の話に俺も興味津々と耳をすませた。

 

 聞けば、ガイのお姉さんはすごく厳しいひとだったそうだ。

 勉強、礼儀作法、剣術。両親以上に教育熱心だったとガイが苦笑する。

 

 そのまま育っても女性恐怖症になりそうだなと肩をすくめた陛下に、はは、とガイはまた笑う。

 

「何しろ姉上は子どもの頃のヴァンもたじろがせていましたから」

 

「あのヴァンを!?」

 

 強烈な情報に思わず声を上げてしまった。

 

 ヴァンに子どものころがあったというのも想像つかないが、あの男をたじろがせられる人がいるなんてもっと信じられない。……もし、もしもガイのお姉さんが生きていたなら、もしかしてもしかして、ヴァンを止められたのかもしれません。

 しかしその性格を聞く限り、会えば俺は十中八九「殿方ならシャキッとしなさい!」と根性叩き直されてしまいそうだった。

 

「俺はやっぱりこう、ちょっと知的ではかない感じがいいな。ネズミとか見て『キャー!』なんて……」

 

 そこで陛下がちょっと締まりのない顔で続ける。

 

 ネズミを見てキャーというような女性はまず間違いなく陛下とお付き合いしてくれないと思いますよ、と突っ込もうかと思ったとき。

 

 きゃあ、と若い女性の悲鳴が、突如昼下がりの空気を切り裂いた。

 

 

 

 

 みんなで声が聞こえた噴水広場のほうへ向かうと、二人の男が一人の女性に絡んでいた。

 

 どう考えても素行の良い好青年たちには見えない。

 いやしかし人は見かけによらないし、あれでも家に帰れば花壇の世話を趣味にする心優しい男性かも。

 

「なんだよ姉ちゃん、ぶつかっておいて何も無しかい?」

 

 だが聞こえてきた声は、見かけそのままの言葉でもって俺のささやかな想像を打ち壊した。

 遠巻きに眺めていた俺たちは、状況を察して目配せを交わす。

 

「もてない男の僻みみたいですねぇ」

 

「女性に対してあの態度はありませんよね!」

 

 アニスさんがぼそりと呟いたのに続いて俺も拳を握り締めた。

 お食事に誘うなら誘うで、もっと、しっかり、丁重に、エスコートすべきだ。それを花束のひとつも無しとは男の風上にもおけない!

 

 各々違うほうへ思考を走らせる面々に、助けませんか?とガイの控えめな進言が届いた。 ……そうだった。

 

「そうだな」

 

 重々しく陛下が頷く。そしてびしりと騒ぎの中心を指した。

 

「ジェイド、行け!」

 

「わかりました。さ、ガイ!」

 

「はいはい……そう来ると思ってましたよ」

 

 段々この展開に慣れてきたらしいガイがため息まじりに呟く。

 苦笑を向けようとした俺は、続いて聞こえてきた陛下の言葉にその表情を凍らせた。

 

「安心しろ、俺も手伝ってやる!」

 

 え。

 

「なんのために武器の収集をしてると思ってるんだ」

 

「じゃあ剣術を?」

 

「いや、体術」

 

 ええ。

 

「ま、細かいことは気にするな。 行くぞ!」

 

 意気揚々と飛び出していく陛下。

 その背中を少しの間呆然と見つめた後、俺は頭をかかえた。

 

「ええぇええええー!!?」

 

 どこの世界に、城下の揉め事に(直接的に)首を突っ込む皇帝がいるのだ。

 ぐるぐると思考をめぐらせる俺の肩に、ぽんと大佐の手が置かれる。

 

 涙目で顧みた上司は、諦めろというように無言で首を横に振った。

 

 

 …………はい。

 

 

 



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Act46.4 - よっつ!有事には迅速的確に行動すべし

 

「これでトドメだ! イカスヒップ!」

 

 

 

 

 噴水広場の大立ち回りが終わり、「よっ、マルクト帝国の恥さらし!」と響く大佐の合いの手を聞きながらも、気付けば俺は乙女さながらに胸の前で指を組み、きらきら輝く目で陛下を見つめていた。

 

 身をていして国民を守る。……これだ!

 

「かっこいいです! たいちょおー!」

 

「ハッハッハ、なんなら惚れてもいいぞ。まあ俺は男は嫌だが」

 

 笑う陛下にどしーんと勢いよく飛びついた。

 そしてヒーローに恋した少女のごとく頬を紅潮させながらも、動きだけは軍隊仕込みの体育会系さでがしりと陛下に抱きつく。

 

 そのとき胴に押し付けた頬が感じ取った違和感。

 あれ、と思い陛下を見上げた。

 

「へい、」

 

 すると陛下はイタズラっぽい笑みを浮かべて、口の前に人差し指を立てた。少し離れたところにいる大佐たちにはその動作は見えない。

 とっさに口をつぐんだ俺は、青の瞳を見返して首をかしげた。

 

 ……シーって?

 

 なんだかよく分からないけどとりあえず頷いてみせると、彼はまたニッと笑ってから俺をひっぺがして、助けたお姉さんのほうへ向かう。

 

「お嬢さんにお怪我がなくて何よりです」

 

 ところでお暇でしたらこの後、と流れるようにナンパへと移行しようとした陛下に、当のお姉さんは天然なのかそれともかわしたのか、宮殿前に急がないと、とさっくり言葉をさえぎってみせた。

 

 しかし話を聞けば宮殿前で御落胤を名乗る少年が演説をしているらしいとのことで、どうやらハプニングが思わぬところで本来の目的と結びついてくれたようだ。

 

 いつもの調子で陛下がもてるか否かからいつのまにかガイをからかう話になっているみんなと共に、ひとまず宮殿前へと向かうことにした。

 

 

 

 

「……何故ピオニー九世は愚かにも預言を廃絶に追い込んだのか。すなわち、それは彼が預言に選ばれた皇帝ではないからだ!」

 

 宮殿前には、そこそこの人だかりが出来ていた。

 その中心で声も高らかに弁舌を振るっているのは、商店のおばさんから聞いた特徴をそのままにする少年。陛下よりすこしくすんだ金色の髪が陽に照らされてぴかぴかと光っている。

 

 ……なんか……。

 

 そのとき胸のうちからこみ上げたものを、隣の大佐がさらりと代弁してくれた。

 

「なんだかあちらの方がいかにも皇子然としていますね」

 

「だ、だめですよ大佐! 確かになんとなく陛下より威厳ありますけど、国民から金品を巻き上げるようなお人じゃダメです!」

 

 自分も似たようなことを考えていた手前、少々心苦しさを感じつつも、残ったマルクト兵士魂でなんとか反論する。

 そうだ、たとえ気品たっぷり風格しっかりでもそんなひとが皇帝になるのはうれしくない。

 

「おまえたち! ここで何をしている!」

 

 騒ぎを聞きつけてやってきた憲兵たちが声を荒げて警告すると、少年の傍で控えていた男性がずいと前に出てきて、無礼者、と彼らを怒鳴りつけた。

 

 ガイと大佐によれば、あの男性は反皇帝派のシュタインメッツ伯爵というらしい。

 

 言われてみれば多少見覚えがあるような気がするが、大体がしてふつうの貴族の人が軍に来ることなんかないから、軍で働いている俺と彼に接点があるはずもない。

 

 へえ、と曖昧な相槌を打つしかない俺の耳に、憲兵へさらに言い募るシュタインメッツ伯爵の声が届く。

 

「こちらのお方をどなたと心得るか!」

 

 そこから続いた話によるとあの少年は陛下の兄上であるフランツ様のご子息とのことだが、フランツ様も奥方様もすでに亡くなっていて、間にお子さんはいなかったらしい。

 

 ではフランツ様と誰との子なのか、という疑問より、俺は先ほどからきりきりと痛む胃が気がかりだった。そっと腹部に手を添える。

 だって、だって。

 

「私は帝国より伯爵の称号を与えられているシュタインメッツ家の当主である。何を持って兵士風情が、我が言葉を疑うのか!」

 

 ああ言われると兵士は弱い。というかもう頭が痛い。

 響き渡る叱責に涙目になる俺を見て、大佐があきれたように息をつく。

 

「……なに己を重ねて落ち込んでるんです」

 

「でも大佐、あれは、あれは兵士的にきついですよ……!」

 

 不審者として拘束したいところだけど、相手は貴族。

 貴族と兵士の間に横たわる断崖絶壁はアブソーブゲートより深く、バチカルより高いのだ。

 

 やがて証拠の品とするものを持ち出して、民衆の扇動をはじめた彼らに、アニスさんがこのままだと暴動につながりかねませんと眉をひそめた。

 

 それに陛下は今までの軽さを潜めさせると、大人の顔で笑みを浮かべる。

 

「暴動など起こさせないさ。行くぞ」

 

 ガイが止めようとするのも構わず、陛下は騒ぎの中心へ乗り出していった。俺たちもすぐそれに続く。

 

「皇帝が何故このような場所に……!」

 

 驚くシュタインメッツ伯爵と少年にここは俺の宮殿の庭だ、と先ほど罪人部屋で聞いたのと似たような講釈をする。

 

 いくら自分の宮殿でもふつう皇帝はこんなとこうろうろしないんですよ、とそれこそ説きたくなるのを我慢して俺はまた遠い目をした。

 そこで大佐がまた真顔でぽんと肩をたたいてくれる。はい、諦めが肝心なんですね。

 

「貴公らが持つ、亡き兄フランツの形見、預からせていただこう」

 

「……我が父を亡き者とし、皇帝の座を簒奪した男に証拠の品を渡せるか!」

 

 御落胤だという少年は猫が毛を逆立てるように声を荒げる。

 すると陛下は顎に手を当てて、ふむ、とつぶやいた。

 

「よし、説得だリック」

 

「え!?」

 

 突如としてふられた役目にびくりと肩を震わせる。

 目を皿のように開いて見返した陛下は、至極まじめな顔をしていた。

 

 え、えーと、えーと。

 

「そ、そんなことじゃ立派な皇帝とは言えませんよ!」

 

 いきなり前に出た俺を、彼らはなんだこいつという胡散臭げな目で見る。

 それにまた脳が全力で回転し始めた。段々顔が熱くなってくる。

 

「ここここうていへいかは、かくも懐深く慈悲深く、ワカメとトウフが物をいうんです! こちらにおわすは先の副将軍ピオニー・ウパラ・マルクト九世陛下! 執務からはいつも逃げて隠れてますが逃げも隠れもしません! ぜったいに! メイビー!」

 

「……陛下」

 

「おお、楽しんだ。行ってこいジェイド」

 

 そんないさめるような大佐の声と、満足げな陛下の声が聞こえたのは、俺が説得を開始して三十秒たったころだった。

 

 

 

 

 あの後、ジェイドさんの説得により彼らから証拠の品を預かって、さらに確かな確証を得るためにもフランツ様とあの少年……リース様の髪を音素検査に掛けることになった。

 

 それの結果を待って、三日後に謁見の間にて発表されることになったのだが、その検査をする音素学の権威というのが。

 

「ええ、ええ! 私には分かっていましたよ。私の取り調べはあなたでなければ出来ない、だからあなたはきっと戻ってくると!!」

 

 牢屋越しにきらきらと拳を握る男の姿に、俺とアニスさんは半眼で顔を見合わせた。

 ちなみにガイは証拠の品を参謀総長に渡すため、陛下は罪人部屋に来る直前に宮殿へ強制送還されたため、ここにはいない。

 

 前に立つ大佐の服のすそをちょいと引く。

 

「なんでディストなんですか~。オレ、一日に二回もこいつに会いたくなかったですよぉ」

 

「私だって出来れば一生会いたくありませんでしたが?」

 

 潜めた声で話しかければ、大佐に物凄く輝いた笑顔を向けられて、本能的にすばやく敬礼を返す。

 

 大佐の言った音素学の権威、とはディストのことだったらしい。

 まあフォミクリーを作ったのはディストでもあるわけだし、それも嘘じゃないけど。

 

 それにしても事態が事態とはいえ、ジェイドさんに「あなたの力が必要なんです」と言われているディストがすこし羨ましく、俺はきゅっと眉間にしわを寄せた。

 

 

 



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Act46.5 - いつつ!自分の気持ちに正直になりましょう

 

「シュタインメッツ伯爵、並びにリース様、ご到着です」

 

 

 

 

 謁見の間から聞こえてくる真面目な話し声を聞きながら、扉の外で待機していた俺とガイの耳に、ディストの深いため息が被さった。

 音素学の権威として今回の審議に参加する予定のディストだが、混乱を避けるために今はこうして部屋の外で待機している。

 

「なんで貴方達なんですか。ジェイドはどうしたんです?」

 

「だーかーらっ、……ジェイドさんは忙しいんだって……」

 

 しかしディストは自分を連行するのが大佐じゃないのが不服らしく、じっとりと俺達を睨んだ。

 それに思わず声を張り上げそうになり、すぐに声を潜めて言い直す。俺だってここでこうしてディストといるより、大佐の脇で控えているほうがどれだけ幸せか。

 

 はぁ。

 

 今度はふたつ同時に零れた溜息に、ガイが苦笑する。

 

「ほら、そろそろ出番だぞ。しゃんとしろよ」

 

 そう言ってぽんと肩をたたかれて、俺はあわてて背筋を伸ばした。

 

 中からは大佐が淡々と紡ぐ言葉が聞こえる。

 やがて、ガイラルディア伯爵、と掛かった呼び声に、ガイと顔を見合わせ、小さく頷き会ってから、ディストを引き連れて中に入る。

 

 俺は兵士としてディストの脇についたまま、ガイが数歩前に出てうやうやしく礼をした。

 

「こちらが音素学の権威、かの有名な譜業博士サフィール・ワイヨン・ネイス様です」

 

 現在マルクト軍で拘留中だと大佐が付け足せば、リース様は、そのような犯罪者に証明ができるのか、と声を荒げた。

 

 犯罪者かどうか以前の問題として俺もその点はかなり疑問なんだけど、いや、何度も言うようだがこれでもフォミクリー開発者。技術や頭脳はずば抜けているはずだ。

 

 そのディストによれば、リース様とフランツ様の音素構成と振動数に重なるところはなかったという。

 それがどういうことになるのか俺の頭では一切理解できなかったけど、内務大臣さんが「つまり?」と尋ねると、ディストは至って分かり易く、言い直してくれた。

 

「血縁関係の認められない他人だと言うことです」

 

 それは、だから、えーと。

 

「御落胤じゃない!?」

 

「うん、そうだな。ちょっとしずかにしてような」

 

 じっくり考えた末に弾き出しされた結論に、目を丸くして顔を向けたら、なぜかガイに優しくあやされた。え、なに。

 

 そんな俺を置き去りにして、話はどんどん進んでいく。

 結果を聞き、目に見えてうろたえたリース様がシュタインメッツ伯爵に詰め寄っている。

 

 どうやら騙すつもりではなく、彼は本当に自分がフランツ様の子供だと思っていたようだ。それじゃあ誰が彼にそれを吹き込んだのか。

 

 視線が、ひとりの人物に集まった。

 彼はやけに落ち着き払った様子で、すいと手を掲げる。

 

「落ち着いてください、リース様。どうかこれをお受け取りくださいませ」

 

 瞬間。ぴりっとした感覚が皮膚を走った。

 

 慣れた感じ。

 具体的に言うならば、最近すこし回数が減ったがかつて日課のごとく味わい続けたもの。ジェイドさんと比べればはるかに荒削りだけど、間違いない。

 

「第五音素よ。灼熱の炎となりて、かの者と融合し、その力となれ!」

 

 ――音素の流れだ。

 

 気づいてとっさに剣へ手をかけたが、そのときにはもう、音素はリース少年の体へと急速に収束しつつあった。彼が胸を押さえて苦しげに膝をつく。

 

「おまえはピオニーの傍で爆発するための手駒だ!」

 

 反皇帝派、という言葉が脳裏に浮かび上がった。

 最初からそのつもりだったのだろう、シュタインメッツ伯爵の挙動は堂々としたものだ。

 

「ガイ! リック!」

 

 鋭く名を呼ばれて、はっと意識を引き戻した。

 その隣でガイが「はいよ」と軽く返事をして、非戦闘員の方々を逃がそうと動き出す。

 

「り、了解です!」

 

 俺もすぐに頷いて、掴んでいた剣の柄を離し、駆け出した。

 陛下も早く、とアニスさんが声をかけているのが聞こえる。リース少年のほうは大佐がなんとかしてくれているようだ。

 

 あれ、そういえば。

 

 ちょっとした疑問が胸を掠めたとき、ふいに背後から羽交い絞めにされた。

 

「へ……!?」

 

 驚いて目と首のわずかな動きで後ろを見れば、そこには見慣れた制服。

 マルクト帝国軍の軍服を着た男が、俺を押さえつけていた。

 

「ギャーー!!」

 

 その向こうから絹……もとい厚紙を裂いたような悲鳴が聞こえてくる。

 ディストってどうしたっけ、と考えたのがついさっき。どうやら無事ではあるようだけど、彼の前にも兵が立ちふさがっている。

 

 見れば俺だけじゃなく、アニスさんやガイも同じように捕まろうとしていた。

 いつのまにか謁見の間にはマルクト兵が溢れかえっている。

 

「我らマルクト義勇軍は預言の撤廃に異議を唱える!」

 

「預言をないがしろにする皇帝に、ローレライとユリアの天罰を!」

 

 マルクト兵はマルクト兵でも、彼らは軍内の不穏分子とされる集団だ。

 大佐の杞憂どおり、この謁見の間での発表は皇帝暗殺の絶好の機会とされていたんだろう。

 

 いや、それにしても聞き捨てならない発言があった。

 

「ローレライは分かんないけど、ユリアさまはこんなことで怒らないっつーのぉッ!!」

 

 怒りに任せて顔を上げれば、後頭部への衝撃に合わせて鈍い音と微かな悲鳴が聞こえてくる。

 その直後、回されていた腕の力が抜け、拘束が解ける。

 

 そして俺はぐったりと倒れたその男に向けて、びしりと人差し指を突きつけた。

 

「ユリアさまはいつも元気に手を振ってくださるし、前に一回お花畑の間にある川で俺が溺れてたときも大爆笑しながら助けてくれた優しい方だ!!」

 

「待てリック。それはなんの話だ」

 

「川渡んなくてよかったねリック」

 

 同じく義勇軍から逃れて剣を抜いていたガイがなぜか神妙な顔で言い、アニスさんが微妙に遠い目で笑っていた。

 

 それからすぐ、トクナガを巨大化させたアニスさんは、きりっと眉を吊り上げて、こちらを攻撃しようとしていた義勇軍の兵を睨んだ。

 

「あんたたちに預言がどうこうなんて言わせないよ!」

 

「ほざけ! ネイス博士共々死ね!」

 

 一人の兵が、剣を掲げて一番傍にいたディストに切りかかろうとする。

 それに気づいて俺たちも動こうとするものの、間に合わない。

 

 ああもうこういうとき譜術が使えたら、と思ったところで、ディストと兵の間に割り込んだ影があった。

 

「陛下!?」

 

 ピオニー陛下がすばやく相手の剣を叩き落す。

 それにほっとした瞬間、視界の端にきらめく銀色が見えた。

 

「……今だ、覚悟!」

 

 シュタインメッツ伯爵。すっかり忘れていた。

 彼の手には鋭利な刃。あぶない、とアニスさんの声が響く。

 

 そして、その背にその銀が突き刺さり、陛下が冷たい床にくずれおちた。

 

「ぴおっ……」

 

 とっさにピオニーさんの名を呼ぼうとしたところで、ふと思い出す。

 そうか。そうだった。

 

「ピオニー!!」

 

 俺が微かに安堵の息をついたとき、響いた声が誰のものだったか。

 考えるまでもなく分かって驚いたあと、聞こえてきた詠唱にもっと驚いた。

 

「……天光満るところに我はあり、黄泉の門開くところに汝あり……!」

 

 ひ、と喉から悲鳴がこぼれる。

 しかしこの喧騒に満ちた空間にもよくとおる声は、非情にも続きを紡いでいく。

 

 出でよ、と押し殺した低い声。

 

「――神の雷、インディグネイション!!」

 

 その瞬間、俺は誰とも知れぬ何かに祈った。

 

 ああ思い起こせば十年のこの生涯、わりと一生懸命過ごしてきたけど、やっぱり最期はジェイドさんの手に掛かることになるなんて廻り廻って原点回帰っていう感じだろうか。

 

 うん生まれたてのときに保留にされていたのが今になったと思えば、まあ、なかなか長い延長レプリカ人生だったと思わなくもないが、ないけど、だけどでも。

 

「やっぱ死にたくないですぅううー!!」

 

 号泣しながら頭を抱えて丸くなる。

 だが、いつまで経っても状況に変化はない。

 

 そのうちに、瞼を閉じていても分かる強烈な閃光がおさまったのを感じて、俺はおそるおそる目を開いた。

 

 そこは想像していたお花畑ではなく、ぼろぼろになった謁見の間。

 いるのはユリアさまじゃなくて、倒れ伏す義勇軍の人々。

 

 俺は自分の手をまじまじと見つめながら立ち上がり、ぽむぽむと体中を軽くたたいてみた。どこもなんともない。

 最後に頬をおもいきり引っ張ってみてから、傍らにたたずんでいたガイのほうを勢いよく振り返った。

 

「ガガガガイ! すごいオレに味方識別(マーキング)がついてる!!」

 

「そ、そうか良かったな! でもとりあえず後にしてくれ!」

 

 衝撃に近い感動に目を輝かせていた俺は、そう言ったガイの真剣な顔をきょとんと見返す。

 

「なんで?」

 

「なんでじゃないだろ! 陛下がっ!」

 

 アニスさんや大佐が倒れる陛下に駆け寄るのを横目に見ながら、ガイがもどかしげに怒鳴る。

 

「リック、はやく治療士を呼んできてくれ!」

 

「え? だってピオニーさん、このあいだから服の下に鎧……」

 

「いいから急い……――、え?」

 

 着て、ました、よ。

 消え入るような俺の声が謁見の間にむなしく響く。

 

「…………」

 

「…………」

 

 耳に痛い沈黙のあと、みんなの視線が倒れたままの陛下に集まった。

 そこから少しの間をおいて、陛下がおもむろに起き上がる。

 

「…………ハハハ! おどろいたか、ジェイド!」

 

 そして若干笑顔を引きつらせながら、軽くヤケになった感じの陛下が片手を挙げた。

 

 再び謁見の間に静寂が広がる。こんなに心安らがない静寂はなかなか無いだろう。

 俺の背にも冷や汗が浮かびだしたころ、大佐がゆっくりとした動きでこちらを顧みた。

 

 浮かべられた極上の笑顔。無意識に数歩あとずさる。

 

「知ってましたね?」

 

「だ、だだだだって陛下がシーッて! シーッて!!」

 

 シーッて言うから!

 

 そのあと、低い声で陛下の名を呼んだ大佐に、俺たちは瘴気を封じた今にして魔界にいるような心地を味わうことになった。

 

 

 

 

 あれから数日。

 

 暗殺騒動については、公表はせず緘口令を敷くに留まった。

 預言が読まれなくなってまだ日も浅いし、これ以上 国民を不安にさせる話はないほうがいいのかもしれない。

 

 かくいう俺たちも事後処理でてんやわんやしていたのがようやく落ち着いてきたところで、大佐の執務室でいつものように書類の整理なんかをしていた。

 

 そのとき扉をノックする音が部屋に響く。

 ちらりと大佐に視線を向けると、赤い目は一度俺を見てからまた書類へと落とされた。続く言葉を察して、扉のほうに向かう。

 

「入れ」

 

 そして大佐の声と合わせて扉を開けると、姿を見せたのは元気な桃色。

 

「お邪魔しま~す!」

 

「おや~。アニスじゃないですか」

 

 聞き慣れた声を聞いて大佐もまた顔を上げ、にっこりと笑みを浮かべた。

 あれからアニスさんもグランコクマに滞在していたけど、そろそろダアトに戻るということで大佐に挨拶に来てくれたらしい。

 

 反乱分子の粛清がどうだディストがどうだとこの間のことについての世間話が進む中、先ほど閉めたばかりの扉が再び、かなりの勢いを持って開かれた。

 

「ジェイド! かくまえ!!」

 

 飛び込んできたのはこの国の皇帝陛下。

 

 だけど今は威厳もなにもなく、アニスさんの姿を見つけて嬉しげに笑みを浮かべている。

 ガイに追われていると言っていたけど、今度は何をしたんだろう。またサボリかな。

 

 しばらく俺が怪我で動けなかったから、その間はガイが陛下の見張り……いやいや補佐をしてくれていたのだけど、彼の苦労が察せられるようで俺はそっと涙をぬぐった。

 

 陛下たちが話している間に、開かれたままの扉から通路のほうを覗き込む。

 するとあたりをきょろきょろと見回しながら歩いている金色の髪を見つけたので、彼に向かって無言で手招きをした。

 

 ガイもすぐに気が付いて、こちらに向かってすごいスピードで走ってきたのだが、足音が一切しないのがすばらしい。

 たどり着いた彼をそのまま部屋の中へと招き入れる。

 

「見つけましたよ!」

 

 中でゆったりと会話を楽しむ陛下に、いつもは温和な空色の瞳をくいと吊り上げてガイが人差し指を突きつけた。

 

「貴族院から予算案の書類がまわっているはずです!」

 

 だが陛下はすぐさま「嫌だ!」と首を横に振る。

 

「今日はブウサギたちと戯れる日と決まってるんだ!!」

 

「あ、陛下! あんなところにネフリーが!」

 

 しかし突如響いた大佐の声に、え、と陛下がにやけた顔で窓のほうに走っていく。

 その隙を逃さず大佐が確保命令を出せば、ガイが さっと陛下を捕まえて見せた。

 

 ガイって貴族なんだよなぁと自分に確認を出してしまうほど、その手際は鮮やかだ。かなり命令を聞き慣れてる感がある。ガイって貴族だよなぁ。俺はもう一度自分に確認してみた。

 

 

 そして「ジェイドぉおおお」と断末魔を残しながら、ガイに引きずられていった皇帝陛下を生ぬるい笑みで見送った後、部屋の外に避難していたアニスさんがひょいと顔をのぞかせた。

 

「それじゃ私ほんとに戻るから」

 

「あ、じゃあ街の入り口までお見送りします」

 

「いいのいいの。リックも仕事中でしょ~」

 

 明るい笑みを浮かべて手を振ったアニスさんは、身を翻す直前になって「あ、そうだ」と声をあげて軽い足取りで戻ってくる。

 

 俺の前で背中のトクナガのあたりをごそごそと探ると、やがてそこから出てきたのは、包装された四角いもの。

 

「はい リック! 手紙で頼まれてたやつ!」

 

 ぽんとそれを胸元に押し付けられ、礼を返そうとしたところで、視界の端に大佐の存在を感じてはっとする。

 

「ア、アニスさん! その、大佐、ちょっと、オレ、軍部の外まで送ってきます!」

 

 アハハハハ、と乾いた笑いを零しながら、俺は彼女の小さな肩を押して部屋の外に出た。

 

 後ろ手に扉を閉めたところで、深く息をつく。

 それから改めてアニスさんに向き直った。

 

「ありがとうございます、アニスさん」

 

「……ふーん。やっぱりまだ大佐には言ってないんだ」

 

 半眼で見られて、ぎくりと身を揺らす。

 冷や汗をかく俺をしばらく見つめた後、彼女はひょい肩をすくめた。

 

「ま、いーけどぉ」

 

「はは……すみません」

 

 苦笑を返せばアニスさんはまた笑みを浮かべて、それならちゃんと出口まで送ってってよねーと言いながら歩き出す。

 俺もその後について歩き出し、アニスさんの隣に並んだ。

 

 そして軍基地の出口についたところで、数歩前に出て振り返ったアニスさんがふざけ半分の敬礼をみせる。

 

「ここまででいいよ!」

 

「あ、はい。お気をつけて」

 

「うん」

 

 そう頷いた後、アニスさんはなにやら考えるように目をまたたかせた。

 

「リック」

 

 意味ありげな笑みと共に名を呼ばれ、不思議に思いながらも、はい、と返事をする。

 たたた、と駆け寄ってきたアニスさんが、背伸びをして俺の耳に顔をよせた。

 

「自主練もいいけどさ、そろそろ勇気だしなよっ」

 

「ぅえ……っ!?」

 

 目を見開いておののいた俺にかまわず、今度こそ身をひるがえした彼女は出口の扉に手を当てて、もう一度だけ振り返った。

 

「大佐、頼めばきっと教えてくれると思うけどなー」

 

「そ、そんな恐れ多い! だから剣の達人にテーブルナイフなんですってば!」

 

「……なにそれ。まぁまぁ、アニスちゃんには関係ないし、いーいーけーど~ぉ」

 

 そう言いながらアニスさんはひとつ舌を出して、扉の外に身をくぐらせた。

 

「がんばってね、リック!」

 

 閉まる直前、隙間から顔をのぞかせたアニスさんの笑顔と激励に、俺はあわてて「はい!」と返事をしながら敬礼をした。

 

 微かな音を立てて閉じきった扉。

 その向こうに消えていく足音を聞きながら、さっきアニスさんに受け取った包みを開く。

 

 『誰にでも出来るやさしい譜術(中級編)』

 

 やわらかい字体で印刷された題字を そっと指でなぞり、俺は小さく息をついた。

 

 

 

***

 

 

 

 本来は厳かな静寂に満ちているはずの宮殿の通路を、ずるずると引きずられていく一人の男。

 その男、ピオニーの首根っこを掴んで引きずるガイは、まったくもう、と語気を荒げた。

 

「激務続きなのは分かりますが、やらなきゃいけないことは終わらせてください!」

 

「今日出来ることなら明日でもいいだろうが」

 

「だから明日じゃ間に合わないんです!!」

 

 そう言ってから押し詰まった執務予定を思い起こして、ガイはピオニーを引きずっていないほうの手で頭痛をこらえるように眉間を押さえた。

 

 そのまま少し、ただ人を引きずる音だけが響く。

 そして執務室が近づいてきたころ、ピオニーがふいに口を開いた。

 

「なあガイラルディア」

 

「あと五分ってのは無しですよ」

 

「リックの奴はな、覚悟ってものが分からんらしいんだ」

 

 突拍子も無いことを言い出すことが多い男だが、それにしても唐突過ぎる話の流れと、落ち着いた声色にガイは思わず足を止めて、その襟首を掴む手を離す。

 ばたりと頭から床に倒れこんだピオニーが「いて」と呟くのが聞こえた。

 

 だが服を手で軽く払いながら立ち上がったピオニーは何事もなかったかのように歩き出したので、ガイも慌ててそれを追い、隣に並んだ。

 

「突然なんですか」

 

「いや、なんとなくだ」

 

「なんとなくって……いや、いいですけどね。覚悟というと?」

 

 ピオニー相手に理屈を通そうとするのが間違いなのかもしれない。

 諦めて聞き返すと、彼は考えるように顎に手を添えた。

 

「覚悟、信念、決意。まあ呼び方はどうでもいい。つまりは自分を投げ出してでも叶えたい何か。強い願い。気持ち……そういうもんだ」

 

「それがリックに理解できないんですか?」

 

 口にしてから、そういえばつい最近似たような言葉を耳にしたと思考をめぐらせる。

 御落胤騒動の発端となった日。宮殿前の庭だ。

 

 『私は、人の死というものが理解できないのです』

 

 理解できないとする対象も人物も違うのに、今の流れがひどくそのときと被る。

 

「分からんというんだ、本人はな」

 

 そう言って息をついたピオニーは、まるで手のかかる弟を思うような表情で緩く苦笑してみせた。

 

「そんなはずは無いんだがな。なあ聞くがガイラルディア、覚悟ってのは言葉や頭でするものか?」

 

「……己に強く言い聞かせる意味で口に出すことはあるかもしれませんけど」

 

「ああ、そんなのは考えるもんじゃない。ここでするもんだ」

 

 ここ、と言うときに心臓のあたりをピオニーがトンと拳でたたいた。

 それと同時に、いつのまにか執務室の前まで行き着いていたことに気づく。

 

 ピオニーはそこで一度思い切り背伸びをして、ノブに手をかけたまま、首をかしげた。

 

「それだけでいいのによ、ジェイドもリックもいちいち理屈を欲しがる。あいつら親子そろって融通利かねえんだよ」

 

 そうですねと流れで返事をしかけて、それから今の言葉を頭の中で反芻し、きょとんと目を丸くする。

 そしてガイは、ふわりと口の端を持ち上げた。

 

「親子、ですか?」

 

 笑み交じりのその問いに、振り返ったピオニーが楽しげに目を細める。

 

「親子だろ」

 

 

 ふたりの人間を飲み込んだ扉が、笑うような軋みを上げて、ゆっくりと閉じていった。

 

 

 




『マルクト帝国騒動記』編、終了!


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Act47 - あなたに手紙を送ります(前)

 

 マルクト軍本部。

 

 俺は磨かれた廊下を真っ直ぐに進んでいた。

 こつんこつんと早いテンポで響く足音が人の声のように聞こえる。

 

 こつんこつん。軽快なトーン。

 こつんこつんこつん。ちょっとからかうような、笑み混じりの声。

 

 『自主練もいいけどさ、そろそろ勇気だしなよっ』

 

 こつん。

 

 脳裏に鮮明によみがえった言葉に一旦足を止め、床に映る自分を見つめた。

 そこにいる自分が突然ヒーローみたいになっているはずもなく、いつもどおりの情けない顔だった。

 

 そう。俺は変わってない。

 タマゴから生まれたヒヨコが、すぐニワトリになれるわけじゃないように。

 でも少しずつ歩んでいくことで、ヒヨコがニワトリになれるように。

 

 ぐっと拳を握り締め、長い長い廊下を蹴りあげて、走り出す。

 

 

 そう、俺は今日、勇気を出すんだ。

 

 

 

 

 

 

 お願いしたいことがあって、その日は朝から彼の人の姿を探していたのだけど、いつもならすぐ見つかるはずの背中が一向に見つからなかった。

 

 そんなこんなで名前を連呼しながら軍部の中を駆けずり回っていたら、途中でフリングス少将と行きあい、大佐は譜術用の鍛錬場にいるはずだと教えてもらったのだが、あまり大佐と結びつかない場所名に内心首をかしげるばかりだった。

 

 しかし話を聞けば、少将は俺を見かけたらそこに来るように伝えてほしいと大佐に言伝られたとのこと。

 

 今度は冷や汗が額を伝うのを感じる。

 大佐がわざわざそんな面倒な方法で俺を呼び出すとなれば、あまり良い予感はしなかった。

 

 久しぶりの特別訓練かと逃げ腰になりかけたけど、一度振り絞った勇気が、明日もまた絞れるとは限らない。

 むしろ今日をからぶったらそこで枯渇する感がひしひしとする。

 

 勇気だしなよ、というアニスさんの言葉を自分に言い聞かせながら、それでもやっぱり怖いのでごまかすように全力疾走で、俺は今、鍛錬場に向かっていた。

 

 今日は、今日こそは。 絶対に。

 

 走ってきた勢いで押しあけてしまった扉が大きな音を立てて開ききる。

 肩で息をしながら辺りを見渡せば、いつも数人は譜術の練習をする兵がいるはずの鍛錬場は、がらんと静まり返っていた。

 

「だ、誰も、いない、なんて、めずらし……」

 

 全力疾走が尾を引く呼吸を落ちつけながら、中に足を踏み入れる。

 そのときふいに嫌な予感が皮膚を掠めた次の瞬間、鋭い風の流れが目の前を通過していった。「ヒぃッ!?」と裏返った声が喉からあふれる。

 

 思わず尻もちをついた格好のまま、一気に鼓動を増した心臓を手で押さえて涙目になっていると、先ほどのものが飛んできた方向からカツリと足音が聞こえてきた。

 

「いや~。遅かったですねぇ、リック」

 

「ジェイドさん!」

 

 にっこりといつもの笑顔を浮かべた大佐は、手にしていた厚めの本をもう片方の手にぽんと押しつけながら、俺の目の前まで歩いてくる。

 そして二メートルほど離れたところで足を止めた。

 

「な、な、なんでいきなりタービュランスなんですか!! やっぱりここのところ怪我してたせいであんまり譜術使わないでくれていたのが完治した今に!?」

 

 借金のように積もり積もる特別訓練。利子がトイチで。ああ怖すぎる。

 

 鍛錬場の柱にひっついて泣く俺に大佐は呆れたように肩をすくめた後、ひょいと口の端を上げて笑った。

 ちょっと意地悪そうな、でも面白がってるような、ジェイドさんにはめずらしい子供っぽい笑い方。

 

 なんだろう、と首を傾げるより早く、大佐が口を開く。

 

「そういえばリック。何か私に言いたいことがあったんでしょう?」

 

 俺は勇んでここにきた理由を思い出し、ハッと柱に抱きついていた体をはがして大佐に向き直った。

 その、その、と数回言い淀んだ末、再び拳を握り締める。

 

 勇気だ、リック。

 うつむけそうになった顔を上げ、真正面から大佐の赤い目を見返した。

 

「ジェイドさん、オレに、譜術をおしえてください!!」

 

 とうとう、言えた。

 というか言ってしまった。

 

 まさしく剣の達人にテーブルナイフの使い方を聞くような所業に、いったいどんな失笑が戻ってくるのかと どきどきしながら大佐を見つめる。

 

「ええ。それでは始めましょうか」

 

 そしてあっさりと返された言葉に、俺は目玉が零れそうなほど目を見開くことになった。

 

「……へ?」

 

 ジェイドさんは今なんと言っただろう。

 

 目だけに留まらず、口さえぽかんと開けて固まった俺の前、ジェイドさんは持っている本の背でトンと肩を叩くと、身をひるがえす。

 もしかしたらまたからかわれているのかとも思ったけど、その足が鍛錬場の中心に向かうのを見てあわてて後を追った。

 

 これは、もしかして、本当に、ジェイドさんに教えてもらえる……?

 

 だんだん現実が理解できてくると、すぐさま頬が熱くなってきた。

 だってあのジェイドさんに譜術を教えてもらえるなんて、それこそ夢みたいだ。

 

「さて」

 

 まさか本当に夢オチではあるまいかと自分の頬をめいっぱい引っ張っていたところ、響いた声にハッとして姿勢を正す。

 

 ずっとずっと、自分には素質がないと決めつけていた譜術。

 使えればと口先でばかり唱えながら行動に移さなかった俺。

 

 そんな俺が譜術を覚えたいと真剣に考え始めたのは、あの旅の中だった。

 

 第七音譜術士なんて贅沢は言わない。

 それでも、ほんの少しでも出来ることが多くなれば、変われる気がしたんだ。

 

 もどかしい思いをすることが、ほんの少しでも少なくなるかもしれない。

 こんな臆病な俺でも助けられるひとが、ほんの少しでも増えるかもしれない。

 

 ほんの少しでも、ジェイドさんの役に、立てるかもしれない。

 

 深く息を吸って、吐く。

 そして気を引き締めて見返した赤い瞳が、にっこりと笑みを浮かべた。

 

「それでは何でもいいので集めやすい音素で術式を構成してみてください」

 

「…………ええ!?」

 

 生まれたてのヒヨコに「よし、生まれたね。さあ飛んでみなさい!」と言うような展開に思わず叫ぶ。

 

 だって、もっと先に色々あるはずだ。

 今のヒヨコでいうならもう少し成長を待つとか、いや、俺はもう結構 成長してるけど。

 羽の動かし方を教えるとか、いや、どのみち想定してたのがニワトリになるヒヨコだったから飛べないけど。

 何にしても今のジェイドさんはいろんな段階をすっ飛ばした気がする。

 

「い、いきなりそれはちょっと……。もっと基礎的なことから学ばないと駄目なんじゃないですか?」

 

「基礎は、もう十分でしょう?」

 

「え?」

 

 するとジェイドさんは、さっきから小脇に抱えていた本をすいと取り出してこちらに向けた。

 俺はその装丁を見て、あっと声を上げたあと、本を指しながらはくはくと空気をはむ。あの若草色のくたびれた表紙は。

 

「そ、それオレのっ!?」

 

 譜術の、本。

 

 この間アニスさんから中級編を貰ったからあの初級編はしまって……というか隠しておいたはずなのに。いったいなぜそれがここにあるんだろう。

 

 ぐるぐると考え込む俺に、ジェイドさんはまた緩く笑った。

 

「隠し方が本当にお子様ですからねぇ。今まで気づかれてないと思っていたほうが不思議です」

 

「え? ええ? えぇええ!?」

 

 何この衝撃事実。

 同じ寮部屋の兵士仲間に知られるのも恥ずかしいからってわざわざ宮殿の資料室に隠して、木を隠すなら森の中!と自信満々だった今までの俺が今恥ずかしい。

 

「というか本気で隠す気なら私の執務室で読んでる最中に寝るんじゃありません」

 

 そういえば怪我してて執務室のソファで仕事してたとき、ジェイドさんが出かけた隙の休憩時間に読んでたかもしれない。

 うっかり寝ちゃって、でも起きたときにはもう大佐は何食わぬ顔で仕事に戻っていたのでバレなかったんだと思っていた。俺ほんと恥ずかしい。

 

「これだけ読み込んでいるならもう基礎は必要ないはずですよ。後は実践あるのみですかね」

 

 ぼろぼろになったその本に視線を落とし軽くページをめくりながら大佐が言う。

 やがてぱたんと本が閉じられた。

 

「やるからには、容赦しませんよ」

 

 こちらをとらえた真っ赤な瞳が愉快げに細められたのに、目を輝かせて頷く。

 

「はいっ!」

 

 嬉しさに目を伏せる瞬間、その向こうで満足げに笑みを深めた大佐が、見えた気がした。

 

 

 

 

 ……そして俺はその日、久方ぶりにユリア様のいるお花畑に足を踏み入れる事となる。

 

 

 




容赦しないといったら本当に容赦しない。


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Act47.2 - あなたに手紙を送ります(後)

 

 

 あの日、大佐に譜術を教えてほしいと頼んでからすでに何度目かになる譜術訓練。

 大佐は忙しい執務の合間を縫っては俺に手ほどきをしてくれた。

 

 最初のように鍛錬場に誰もいないという事こそ無くなったものの、俺と大佐が現れると皆さんそそくさとどこかへ行ってしまわれるので、訓練時にはやはり貸し切りのような状況となり、俺は大変のびのびとした訓練をさせてもらっている。

 

 そう実にのびのびと。

 

「……おーい、リック~」

 

 上から聞こえてきた声に重たい瞼を持ち上げると、さかさまになったガイの引きつった笑顔がぼんやりと見えた。

 いや、さかさまなのは俺が、鍛錬場のど真ん中に大の字で転がっているからなのだが。

 

「……ガイ」

 

「あ、ああ」

 

「……オレ、今、どうなってる……?」

 

「……正直なところ言わせてもらうと、水気を帯び損ねたオタオタみたいになってるなぁ。まぁとりあえず生きてるみたいで何よりだが……いや、本当に生きてるか?」

 

 水気のないオタオタというと要するにボロ雑巾のようだということだろうか。

 生きてるか、の問いに関しては、胸を張って生者というには今の自分は若干怪しい。

 

 どうして世間一般で天才と呼ばれる人たちがあまり教師にならないのか、この数週間で俺はよく分かった気がした。

 だって合格基準がものすごく高い上に、教え方にも容赦がない。ほんと無い。泣きそうなほど皆無だ。ていうか泣いた。

 

「ガイ、オレ……今日はお花畑でユリアさまにおでん作ってもらったよ……」

 

「そうか、俺はたまにお前を遠~く感じるぞ。一応聞いておくけど味はどうだった?」

 

「……ナタリア的な……」

 

「分かった。悪かった。もう聞かない」

 

 でもお隣にいた銀髪のお姉さんが作ってくれたカレー、すごく美味しかったなぁ。あの味をいつか自分で再現したい。

 

「ところでどうしてガイがここに?」

 

 まだ起き上がるだけの気力がないので、ガイには悪いけど仰向けに寝転がったまま会話を続けさせてもらう。

 するとガイも気にした様子はなくその場に腰を下ろし、ああ、と苦笑を浮かべた。

 

「旦那に仕事上の伝言があって探してたんだよ。そうしたら本部の人がここだろうって教えてくれてさ」

 

 また軍部の女性陣にでも捕まって仕事を任されたのだろうか。

 このとおり根っから人が良い上に、先輩や宮殿のメイドさん達いわく「からかいがいがある」とかでよく色々頼まれているから。

 

 ガイ、ガ、ガル、ガ……伯爵なのになぁと気の毒に思いつつも、そんなガイが俺は好きだった。

 うん。今なお本名覚えられてないけど本当なんだよ。

 

 

 でも大佐に用事があったというガイがまだここにいるということは、大佐はすでに戻ってしまったんだろう。俺の意識がお花畑にとんだ時点で訓練終了だったはずだ。

 

 まずい俺もそろそろ仕事に戻らないと、と思いつつも動かない体に焦っていたら、ふいにガイがしみじみと息を吐いた。

 

「にしてもお前、本当よくしつこくジェイド大好きでいられるなぁ」

 

 こんな目にあっといて、と続けたガイは彼いわく水気を帯び損ねたオタオタのようらしい俺を見下ろして言う。

 ガイの定番の表情となりつつある苦笑気味な空色の目を見返して、俺はそっと笑みを浮かべた。

 

「ガイは、なんでオレがジェイドさんを好きなんだと思う?」

 

 すると空色がきれいに見開かれ、数秒間の沈黙が落ちる。

 

「なんでって」

 

 彼が困ったように首を傾げた。

 リックがイコールでジェイドだったから考えたこともないと顎に手をあてて唸る姿に、またひとつ笑みを零して目を伏せる。

 

 その向こうに想うのは、迷うように顰められた赤だった。

 

「ジェイドさんはさ、オレがジェイドさんを好きなのは、ヒヨコのすりこみみたいなもんだと思ってるんだ」

 

 “最初に見た”“絶対的な存在”に、生きるためすがりついたのを、好意と勘違いしているだけだと。

 

「だからあの人はいつもオレにチャンスをくれる」

 

「……何のだ」

 

 少しかすれたようなガイの声に、瞼を押し上げた。

 そこですごく真摯な色をした目とかちあって、苦笑する。

 

「自由になる、チャンス」

 

 今度かすれたのは俺の声だったかもしれない。

 意味を計りかねたのか、ガイが眉をひそめる。

 

「逃げるなら今だって言うみたいに、変な隙、作ることがあるんだ」

 

 自分の元を離れて、全てを忘れて、自由に生きていけばいい。

 そうすることが出来るんだぞと言うように、不自然に作られる距離。

 

 『あなたは残っても構わないんですよ』

 

 俺はそれがいつも腹立たしかった。

 いつも腹立たしくて、いつだってもどかしくて。

 

「なかなか信じてくれないんだよなぁ」

 

 そして、いつもいつも、哀しかったから。

 

「“さいしょ”はあったのにさ」

 

「リック、」

 

 笑みはそのままに、腕を持ち上げて目の上に乗せる。

 そうすれば真っ暗になるはずの視界には、どうしてか色が落ちていた。

 

 青っぽい軍服と、金茶の髪と、後悔が滲む赤。

 

「“この人のそばにいたい”って気持ちの生まれたさいしょは、別にあるのに」

 

 それは、俺が世界の始まりに見た色だった。

 

 

 しんと静まり返った鍛錬場の雰囲気を感じて、俺はすぐ深く息を吸った。

 その息を吐く勢いで元気に起き上がる。体のあちこちがギシギシしたけど今は無視だ。

 

 そして突然の行動に驚くガイを振り返り、にぱりと笑う。

 

「だからさ、オレ、ジェイドさんが信じてくれるまで言うんだ」

 

 するとガイは緩く微笑んで、小首を傾げた。

 

「……何てだ?」

 

 その問いに俺も笑みを深めて返す。

 

「ジェイドさんが、大好きですよって!!」

 

 ガイが零した小さな笑い声を聞いてから、また冷たい床に倒れこむ。

 

 さっき無理やり起き上がった反動か一気に力が抜けるのを感じたかと思うと、だんだんと視界が狭まっていくのが分かる。 眠い。

 

 ああもう寝ろ寝ろ、と口元に手をあてて笑うガイの穏やかな声が頭上から降ってきた。

 

 許可を貰えば どんと眠くなってくるのが人の常。

 さらに狭まる視界の中、ぼんやりと、ルークに出した手紙の返事が戻ってこないことを思い出した。

 

 届いてないのかな。

 それとも、返事を書くのが照れ臭いのかな。

 

 ねぇルーク。会えたら話したいことがいっぱいあるんだよ。

 

 心配かけてごめんとか、外殻降下成功の事とか、ジェイドさんの好物だからってやり始めたカレー作りだけど、気がついたら本気で趣味に変わってたっぽいとか。

 

 

 いろいろ話をしたいよ。

 ルークは元気にやってるのかな。ちゃんとキノコも食べてるかな。

 

 しっかり、笑ってるかな。

 

 

 きれいな赤色の髪を脳裏に描くうちに、俺の意識はすとんと柔らかな闇の中へと落ちて行った。

 

 

 



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Act48 - ひとつきのおわり

ガイ、ジェイド視点


 

 

「信じてくれるまで、か」

 

 すぴよすぴよと奇怪な寝息を立てながら眠りこける青年を前に、ガイは口元に笑みを乗せて息をついた。

 

「……だそうだ。どうする? 旦那」

 

 そしておそらくリックからは死角であっただろう位置で、柱に背を預けて立つ男に視線を向ける。

 またいつものくえない笑顔で一蹴するのかと思いきや、ジェイドはいつにない真顔でこちらを見やった。

 

 しかしいつだって掴めない男の稀にみる真顔は、へたな笑顔より人間くさく、感情に溢れているような気がした。

 

 僅かに居心地の悪そうなたたずまいもまたおかしくて、思わず小さく声をあげて笑えば、ジェイドもそこでようやくいつものように苦笑して、肩をすくめた。

 

「別に気配を消していたわけでもないのに、これだけ近くにいる人間に気づかないというのは軍人として問題ですねぇ」

 

「おっと。らしい反応になったけど、話はそらさないでくれよ」

 

 遠回りなら十分しただろう。ジェイドも、リックも。

 もうそろそろ真正面から向き合っていいはずだ。第一こっちだって付き合いきれない。

 

「そろそろ観念したらどうだ?」

 

 こんな、不器用すぎる“親子”になんて。

 

 何のことはない。結局リックも不器用なんだ。

 しつこく追い続けているかと思いきや、肝心なところで遠慮する。

 

 さっきの言葉を、ただそのままジェイドに伝えてやればいいだけなのに。

 

 相手が何も言わないのをいいことに肩を震わせて笑う。

 さすがに怒るかと笑いの合間に窺い見たジェイドは、珍しいことにまたひとつ苦笑を零しただけだった。

 

 するとジェイドはおもむろに身を起こし、こちらまでゆっくりと歩いてくる。

 そして眠ったままのリックの脇で膝をつくと、青の手袋に覆われた手の平をすっとその額の上にかざした。

 

 間もなく赤色の譜陣が床に広がり、すぐ融けるように消えた。

 

 譜術に明るくないガイでも見える音素の粒が舞い上がるように空気中に馴染んでいくのを見送ってから、視線をジェイドに戻す。

 

「今のは何をしたんだ?」

 

 譜術訓練の一環なのか、もしやまさかのとどめかと、わりと洒落にならない想像に慌てて見下ろしたリックは、相も変わらず安らかな寝息を立てていた。

 

「いやですねぇ、いくら私でも意識のない人間にトドメは刺しませんよ」

 

 意識あったら刺すのか。

 そう瞬時に考えるも口に出すと自分の首を絞める気がして黙殺する。

 

 ジェイドはハッハッハと軽く笑った後、ふいにその笑みを柔らかいものに変えて、上にかざしていた手をぽんとリックの額に置いた。

 

「ご褒美、ということにしておきますか」

 

「ご褒美?」

 

 ガイの疑問には答えずに、ジェイドは乗せた手を動かして、ほんの僅かにリックの頭をなでると、すぐさま立ち上がって歩きだす。

 

「あ、リックを運ぶのはお願いしますねぇ?」

 

 途中振り返ってそう言ったジェイドの食えない笑顔に、へいへい、と半眼で返事をしながらリックの腕を肩にかけ、立ち上がる。

 

 

 

 ひと気のない軍部の廊下。

 ジェイドの少し後に、リックを担いだガイが続いて歩く。

 

「さっきのがご褒美って、何だったんだ?」

 

 そこで改めて聞き直せば、前を行くジェイドはひょいと肩をすくめた。

 

「譜術訓練終了のですよ。ええ、楽に躾けられる手段だったんですがねぇ。これから不便になります」

 

 一見ちっとも繋がっていない会話に眉をひそめかけて、ふと考える。

 譜陣。楽に躾ける手段。これから、不便。

 

 ぴんと頭の中のとっかかりが弾けたような気がした。

 そしてリックの体を支え直しながら、なるほど、と呟く。

 

「……しかし別に譜術が使えなくたって普通に注意すればいいんだから、訓練は続けられるだろ?」

 

「基本的な事はあらかた叩きこみました。この後は本人次第ですよ。まあ助言くらいならやぶさかでもありませんが」

 

「素直じゃないねぇ」

 

「おや、ガイラルディア伯爵はブウサギ小屋を領土にしたいと?」

 

「わ、悪かった! 俺が悪かった!」

 

 すっかりいつもどおりのジェイドに慌てて首を横に振る。

 

 輝く笑みひとつ残して前を向いたジェイドの後ろ、全力で胸を撫でおろしながら、またリックを抱え直した。

 

 

 

 

「むぉ……ジェイドさぁ~ん~……」

 

「はいはい、ジェイドさんですよーっと」

 

 リックの寝言にガイが笑ってそう返しているのが聞こえる。

 

 肩越しにちらりと背後をうかがえば、リックの口の端から垂れるよだれが服につきそうなのが気になっているらしいガイと、ばかみたいに幸せそうな顔で眠る子供の姿が目に映った。

 

 いよいよよだれが付いたのか軽い悲鳴を上げたガイが四苦八苦している音を背後に聞きながら、ジェイドは小さく笑みを浮かべて、呟く。

 

「観念、ね」

 

 先ほどガイに向けられた言葉を思い返し、息をついて窓の外を見た。

 

「そんなものとっくにしてますよ」

 

 薄い硝子越しに見た空には、おそらくあの子供ならこの目のようだと形容するのであろう、鮮やかな夕焼けが広がっている。

 

 

 

 そして、あの外殻大地 降下の騒ぎから、もうすぐひとつきが経とうとしていた。

 

 

 




空白のひとつき編、終了。


>「いくら私でも意識のない人間にトドメは~」
フーブラス川でのアリエッタの件は華麗にスルーな大佐。だって大佐だもの。


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インターバル
Act48.2 -(第二幕をあげる前に。)


ルーク視点


 

 

 これで全て終わったのだ。

 

 緩く長く続いた地面の揺れがようやく治まったところで、ルークは無意識のうちに詰めていた息をゆっくりと吐き出した。

 

 気づけば先ほどローレライの声が響くと共に起きた例の頭痛も、大地同様の静まりを見せていた。

 

 床につけていた膝を上げながら、その声が告げた言葉の意味を考えようとした時、隣で外殻降下を見守っていたジェイドが素早く身をひるがえしたところで、はっとして目を見開く。

 

「リック……!」

 

 そうだ、終わってはいない。

 まだ何も。

 

 もつれる足を動かして、パッセージリングから少し離れた場所にいる仲間達の元へ走り寄る。

 

 辛そうに表情を歪めたガイの脇から慌てて覗きこめば、そこには横たわる一人の仲間。

 ヴァンとの戦闘の最中(さなか)で散った赤は、まだ生々しくルークの目にも焼き付いていた。

 

 赤く染まった腹部に、両側からティアとナタリアが治癒術をかけている。

 ティアの隣に座り込んだアニスは泣きながら小さな両手でリックの右手を包んでいた。

 

 ジェイドがその頭上に膝をついて、厳しい顔つきでリックの首筋に指を当てる。

 

「なあ、リックは? た……大丈夫なのか?」

 

 助かるのか、と口にしようとして、背筋を伝った寒気に思わず言葉を置き換える。

 

 だがティアは何も言わず、ナタリアは何か言おうと開きかけた口をすぐに閉じた。

 おそらく自分と同じ感覚を覚えたのだろうとルークは纏まらない頭で思う。

 

 何か具体的な言葉を使えば、それを預言が飲み込んでしまう気がした。

 可能性も希望も、全てが真っ黒なものに覆い隠されるような、そんな恐怖感があった。

 

 降下は成功した。

 オールドラントは無事に未来への道を歩き出したというのに。

 

(おまえは、それを見ないのかよ)

 

 脂汗の浮かぶ、血の気の引いた顔を見つめる。

 誰よりも誰よりも、臆病な、臆病だったはずの男。

 

「まだ、間に合う」

 

 そのとき、ずっと黙りこんでいたジェイドがぽつりと呟いた。

 こういう状況で下手な慰めは一切口にしない男の言葉に、ルークは表情を輝かせて詰め寄る。

 

「ジェイド、本当か!?」

 

「そうだ、今ならば、まだ……」

 

「……ジェイド?」

 

 独り言のような囁きだった。ガイが怪訝そうに眉根を寄せる。

 

 感情の読み取れない赤色の瞳に、微かな焦燥感がルークの胸をよぎった。

 しかしそれを打破できる明確な問いかけも思い浮かばず、ただいつもと違うジェイドの姿を見守る。

 

 青の手袋に包まれた手が、ゆっくりと伸ばされていく。

 

 ひどく嫌な予感がした。止めなくてはいけないとどこかで感じているのに、体が動かない。

 ジェイド、と乾いた声が喉から零れる。

 

 指先がその額に触れようとした、瞬間。

 

「う、」

 

 ぴくりと、リックの瞼が揺れた。

 小さなうめき声が耳に届く。

 

「リック?」

 

 アニスが震える声で名を呼ぶも、意識が戻ったわけでは無かったようで、それ以上何らかの反応が戻ってくることはなかった。

 

 そのことに落胆しつつも、まだ彼が生きてるという事実にひとつ息をついたルークが視線を戻すと、ジェイドは伸ばしかけた手を宙に留めたまま目を見開いていた。

 

 今一度 名を呼ぼうか迷ったところで、その手が握り締められたのを見る。

 

 そして、鈍く重い音が、辺りに響いた。

 

 仲間達の視線がひとつに集まる。

 ジェイドが、殴りつけた形のまま床に押し付けた拳を固く握っていた。

 

「……違う、だろう……っ!」

 

 いつになく感情をあらわにしたジェイドの姿に誰も口を開けずにいる中、ルークは考える。

 

 何が“違う”のかは分からなかった。

 

 しかし、先ほどのジェイドの赤い目が、あまり良いものを映してはいなかった事だけは分かったから、先ほどのリックはジェイドを止めたのかもしれないと、漠然と思った。

 あの男のジェイドへのウザいほどの想いの丈を考慮すれば、意識が無い事くらい何でもないような気がしたのだ。

 

 ああそうかお前が止めたのか、とルークがもはや感心する思いで目を瞬かせたとき、俯いていたジェイドが静かに顔を上げた。

 

「大佐、だいじょうぶですか?」

 

 アニスもさすがに心配そうにその顔を覗き込む。

 

 それに答える前に腰を上げたジェイドは、軍人らしくぴんと伸びた背筋で立った。格好いいだろと何故かリックが自慢げに告げる、あの立ち姿だ。

 彼は短く息をついて眼鏡を押し上げる。

 

「ええ。失礼、取り乱しました」

 

 あの食えない笑みこそ浮かべてはいないものの、それはルークにとっても見慣れたと思えるジェイドの姿だった。

 

 同じように考えたらしいガイもすぐに自らの動揺を押さえつけて、大人の顔でジェイドを見やる。

 

「とりあえず外殻降下は成功したが、これからどうする? リックの奴も早くちゃんとした場所に運んでやらないとまずいだろ」

 

「そうですね。……とりあえずアルビオールまで戻りましょう」

 

 言いながら、ジェイドは仲間達を見まわした。

 アニスが袖でごしごしと涙をぬぐう。

 

「ここからだとケテルブルクが近いですが、医療設備を考えると少し遠くなっても一気にグランコクマまで戻ってしまったほうがいいでしょうね」

 

「分かった。リックは俺が背負って行くよ。ルークとジェイドは先頭としんがりを頼む」

 

「分かりました、お願いします」

 

 明確な道を示す言葉が交わされて行き、どこか呆然としていた頭が現実に目覚めていく。

 顔を上げたティアやナタリアも、いつもの力強い瞳で頷いてみせた。

 

「それじゃ、アニスちゃんも今日は先頭行っちゃおうかな」

 

 女の子にこんなキツイ事させるなんて後でリックにお手当貰わないと、と茶化した物言いをしながら立ち上がり、腰に手をあてて目もとの赤いアニスが笑う。

 

 剣の柄を握り、ルークは表情を引き締めた。

 

「……急ごう!」

 

 

 

 

 アブソーブゲートの外でずっと待っていたノエルは、降下成功を祝福してくれた後、ガイに背負われたリックの姿に気づくとすぐにアルビオールを発進させると機内に戻って行った。

 

 その背に力なく身を預けたままのリックをちらりと窺ったガイが、なんだかいつかと逆なんじゃないのか、と軽い調子で言おうとしたのを失敗した、苦い声で笑みを浮かべる。

 

 それを聞いて、グランコクマに着いた時、カースロットに侵されていて意識のなかったガイを他の兵士と一緒に運んだのはそういえばリックだっただろうかと思い出す。ガイは目を覚ました時にイオンからでも聞いたのだろう。

 

 そうだあのときも大変だったんだと、ルークはぼんやりと考える。

 着いてガイの様子を見るなり真っ青になったかと思えば、次の言葉は「葬儀の準備を!?」だ。

 死んでないからと必死に否定したのが遠い記憶のようだった。

 

 死んではいない。

 

 いつかの自分の言葉を、願いのように、繰り返す。

 

「ルーク、大丈夫か?」

 

 かけられた声に意識を引き戻せば、表情を険しくしたガイの顔があった。

 

 アルビオール内の一室。

 リックが寝かされた寝台を見ながら、ガイと共に壁際で立ち尽くしていたルークは、幼馴染の空色の瞳から そっと目をそらした。

 

「……俺のせいだ」

 

 思わず零れた言葉は小さく、寝台の脇で治療に没頭するティアとナタリアには聞こえなかったようだった。

 だがすぐ隣にいる男にはそうもいかない。ガイが目を眇める。

 

「今度そんなこと言ってみろ、本気で怒るぞ」

 

「…………」

 

 やはり潜めた声で返された声は、確かに本気だった。

 だってさ、とルークは口には出さずに心中であの時の事を顧みる。

 

 あのときもっと動けていれば。

 あのときちゃんと間に合っていれば。

 あのとき。考え出せばきりがない。

 

 そんなルークの思考を感じ取ったガイがひとつ重たい息をついた。

 

「そんなのは俺も……みんなも一緒だ。状況的にどうしようも無かったと思っても、悔いはある」

 

 どこかで昔の記憶も重ねたらしいガイの遠くを見る視線に、ルークは再度潜めた声で、ごめん、と口にする。

 

 ガイが苦笑して肩をすくめた。

 

「まぁ俺達はさておき、きついのは旦那だろうよ」

 

「ジェイド?」

 

「思い出してみろよ。リックは“誰を”守ったんだ?」

 

 目を、見開く。

 

 アルビオールに戻った後、ジェイドは引き続き治療を続けるというティアやナタリアに、それで彼女達が倒れては本末転倒だから無理は禁物だと釘を刺し、ルークとガイをその手伝いのためにここへ残して、自分はノエルへの針路の指示や安全確認のために艦橋に残った。

 

 あそこで一度動揺を見せたきり、すっかりいつもどおりに見えた事と、ルーク自身も余裕がなかったことで忘れていたが。

 

「……そうだよな」

 

 とにかく感情が読めない上に、全てにおいてその感情という奴に振り回されない男だから分かりづらいが、辛くないわけはないだろう。

 

 レプリカと製作者という関係の中に、不器用な絆を組み立てていた、二人。

 リックがジェイドさんジェイドさんと鬱陶しいまでに向け続けた想いは、それでも確実に彼らの間に降り積もっていたはずだから。

 

 少なくともこちらは十年という月日を立てて積み上げたそれを無駄に出来るような、諦めのいい男ではないだろう。

 

「頑張れ、リック」

 

 噛みしめるように呟いたそれにガイが柔らかく微笑んだとき、部屋に飛び込んできたアニスが、もうすぐグランコクマに着くよ、と声を上げた。

 

 

 

 

 グランコクマに到着すると、リックはすぐ他の兵士たちに連れられて行った。

 こうなったら後は任せるしかない。ぎゅっと歯を食いしばる。

 

 ナタリアが自分も一緒に行って治療を続けると泣きそうに眉を顰めて言ったが、これ以上無理をしては本当に倒れるとジェイドに却下されたようだった。

 

 肩を落とす彼女に、譜術の国マルクトは伊達じゃない、ここの治療士を信用してやりなさい、と未だに緩むことのない表情のままながらも、どこか気遣わしげに口にしたジェイドは、寝る間も惜しんでリックの治療を続けてくれたナタリア達に精一杯 感謝の意を示していたのだろう。

 

 

 ルーク達にはやらなければならない事が残っている。

 

 例えリックに付いていたとしても何も出来ることのない今、外殻大地降下の計画を実行した者として、ピオニー九世陛下に事の次第を報告するのが最優先事項だ。

 

 頭では分かっていてもやはり落ち着かない気持ちを押さえこんで、ルークは足を踏み出した。

 今の自分に出来ることをするのだと、美しい花の咲く場所でこの髪を切り落としたあの瞬間に、決めたのだから。

 

 謁見の間には、ルーク達が帰還したという連絡を受けた皇帝と他の重鎮達が集まっていた。

 

「まずご報告をと思いましたので、このような姿のままで失礼致します」

 

 ルーク達の出で立ちは、アブソーブゲートを抜けた時のままだった。

 

 そのことに一度うやうやしく礼をしたジェイドが、久しぶりに笑みを浮かべる。

 いつもの笑みにとてもよく似たそれは、ひどく冷たく固まっていると感じた。

 

 ジェイドとの付き合いが長いピオニーならば特にそれを感じた事だろう。

 現に大らかな青の瞳を一瞬だけ歪めたピオニーだったが、すぐに皇帝の顔へ戻る。

 

「服くらい構うなよ。オレとお前達の仲だろう。外殻降下、大義だったな」

 

 皇帝として、それでも目一杯ピオニー個人としての労いを込めた言葉に、ナタリアもほっとしたように微笑んで王族らしい綺麗な一礼を返していた。

 

「……ところで、リックはどうした」

 

 ここにルーク達が入ってきた時から用意していたはずの問いを、そこでピオニーは初めて音に乗せた。

 

 兵士から大まかな情報は伝わっているだろう。

 それに、先ほどジェイドが口にしたように仲間達の姿はまさにあのときのままだ。

 ガイやジェイドの服についた赤黒い染みに、気づかないわけもない。

 

 こちらを真剣な顔つきで見据える青色。

 何から話せばいいのかとルークが逡巡したときには、すでにジェイドが口を開いていた。

 

「ヴァン謡将との交戦中に負傷しました。現在は軍の医務室で治療を受けているはずです」

 

 事実を事実として伝えただけに過ぎないというような、淡々とした声。

 

 それを聞いたピオニーは、一度ゆっくりと目を伏せた。

 肘掛に置かれた手がほんの僅かに揺れる。

 

「そうか」

 

 そして短く息をついてから瞼を持ち上げると、ピオニーもまた情報を情報として受け入れたのだというように、続けてジェイドに降下時の詳細を訊ねた。

 

「予想通り、瘴気はディバイディング・ラインに定着――」

 

 そうしていくつかの専門的な説明が為されたころ、ふいに大扉を叩く控えめな音が謁見の間に響き渡る。

 

 失礼します、と声がして、開いた扉の向こうから姿を見せたのは見知らぬマルクト兵の一人だった。

 

「謁見中であるぞ」

 

 ノルドハイムが顔をしかめて咎めると、その兵は慌てて「申し訳ありません」と謝罪する。

 しかし構わないとノルドハイムを制したピオニーが続きを促せば、兵士は教科書通りのきれいな敬礼をみせた。

 

「その、リック一等兵の事でご報告がありまして」

 

 ルークは部屋の空気がぎしりと強張ったのを感じた気がした。急に高鳴りだした心臓を左手で押さえて、息をのんだ。

 ジェイドが黙ったまま兵を見据えている。

 

「……何だ」

 

 聞き返したピオニーの鋭い視線に少々たじろぎながら、「はっ」と頷いた兵が軽く息を吸い込んだ。

 

 

「治療が終わり、まだ意識は戻りませんが、命に別条無いとの事です!」

 

 

 告げられた言葉が空間に広がって、仲間達が歓声を上げた瞬間。

 

 指先のこわばりを解いて、小さく小さく安堵の息をついたジェイドに気づいたのは、ピオニーとルーク、ただ二人だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―― Bachicul KIMLASCA=LANVALDEAR

28day, Rem, Gnome Rdecan

 

(キムラスカ=ランバルディア王国 バチカル

         ノームリデーカン・レム・28の日)

 

 

 

 開けっ放しの窓から入り込む、意識と世界の境目さえ分からなくさせるような穏やかな風に頬をくすぐられ、ルークはそっと瞼を押し上げた。

 

 そこにある見慣れすぎた屋敷の天井が胸に重いものを積もらせていくのを感じて、仰向けだった体を横にする。

 すると今度視界に入ってきたのは、あの旅の中で随分とくたびれた一本の剣。

 

 役目なく壁に立てかけられたそれを少しの間ぼんやりと見やってから、ルークは結局また仰向けに戻る。

 

 閉鎖された空間。聞こえてくる使用人達のささやき声。

 

 全てを思考から追い出すように強く目を瞑った向こうに、ふと間抜けな笑い顔が浮かんできた。

 意識が戻る前にあの水の都市を離れてしまってから、それっきりの。

 

「あいつ、どうしてっかな……」

 

 ぽつりと零した言葉は部屋の中で巻いた風に乗って流れていってしまう。

 

 

 

 あの混乱から、世界はようやくひとつきが経とうとしていた。

 

 

 

 

 

 



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レプリカ編
Act49 - いま、会いに行きます


ルーク視点


 

 

 連絡船キャツベルト。

 

 頬をなでる風はバチカルの屋敷で受けるさっぱりとしたものとは違い、海から巻き上げられる潮をはらんで皮膚や髪に張り付いてくる。

 

 だがこちらのほうを心地よく感じるようになった自分は、あの旅の中で少しは変われたのだろうか。少なくとも昔のルークなら決してこうは思わなかっただろう。

 

 べたべたして気持ちわりぃ、がいいところだったかと前の自分を振り返り苦笑したところで、足元のミュウがきょとんとした顔でこちらを仰いだ。

 

「ご主人様、皆さんのお手紙読まないですの?」

 

 言われて思い出す。

 父の命令で止められていたという皆の手紙を、ラムダスからひったくるように取って出てきたのだった。一応屋敷を出たところで誰から来たかだけは見たのだが。

 

「そうだ、そういえば」

 

 自分宛の四通の手紙。

 その一番後ろにあったブウサギ柄の封筒を取り出した。

 

「ほらミュウ見ろよ! リックからだ!」

 

「みゅ?」

 

 改めて差出人名を確認して表情を輝かせ、その封筒を空に掲げる。

 

 無事であることは伝達の兵から聞いたものの、色々と慌ただしくて結局 顔を見ることなく別れてしまった仲間。

 最後の記憶が血の気の引いた青白い顔であったからだろう、どうしているかと気にしていたのだが。

 

 封を開けて、おそろいのブウサギ柄をした二枚の便箋を取り出した。

 そして文面をざっと流し見て、あれ、と目を丸くする。

 

 あの男の事だ。

 きっと近況がウザイほどに書き連ねてあると思ったのだが、

 

 その手紙には、

 

 心配をかけたことへの謝罪。

 外殻降下成功を祝う言葉。

 最後にルークの近況や体調を伺う文章。

 

 それらが、わりと簡潔な形で書きあげてあった。

 

「……あのとき頭でもぶつけたかな」

 

「みゅ~、リックさんが痛くしたのはお腹ですの」

 

「いやそうなんだけどさ、なんかこんな落ち着いた文章、イメージに合わねぇっつーか。だってまるで貴族かなんか宛てみたいな……」

 

 言いかけて、ふと気付く。

 

 改めてその便箋をまじまじと見つめれば、そこには何度も書き直したような跡がうっすらと見て取れた。

 その向こうにリックの考えや行動が見えたようで、ルークは思わず苦笑を零す。

 

「そりゃ確かにそうだけど。まったく、アイツ、前っからそういうの気にするのな」

 

 まあリックの性格を考えれば分からないでもない。

 “ただの兵士”が“ルーク・フォン・ファブレ”に(例え自分が本当の公爵子息でないとしても)手紙を送るのは、それはもう並々ならぬ心構えを必要とすることだろう。

 

「バッカだよなぁ リックの奴。トモダチがトモダチに手紙送るのに何も問題なんかねーだろって」

 

 笑み混じりに零せば、屋敷の中でこわばりきっていた気持ちが緩んでいくのが分かる。

 

 ガイとはまた違うが、それでもルークにとっては確かにトモダチと呼べる相手。

 離れていても途切れない繋がりあるという事は、想像以上に良いものだった。

 

 他の仲間たちからの手紙も慎重に開封しながら、ルークは目の前に広がる広大な海に目をやる。

 

「楽しみだな、ミュウ」

 

「はいですの! それにご主人様がうれしそうで、ミュウも嬉しいですの!」

 

 いつものとおり元気よく戻ってきた返事に、うぜぇ、と笑いながら、ひと月ぶりに会えるだろうみんなの顔を思い浮かべた。

 

 同時に僅かな不安が胸をよぎる。

 

 あの旅を共にくぐり抜けた仲間達はどうしているだろう。

 自分が屋敷で死んだように過ごしていた間に、手が届かないほど前に進んでしまっただろうか。

 

 置いていかれて、しまっただろうか。

 

 過ぎった思いに気づいたのかは分からないが、ミュウが「ご主人様?」とその丸い瞳でこちらを見上げてきたので、なんでもないと首を横に振る。

 

「ま、会ってみりゃ分かる、か……」

 

 海の向こう、その姿を表し始めたシェリダン港を前に、ルークは風になぶられる髪をかきあげた。

 

 

 



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Act50 - 変わらないアイツの変わった所

ルーク視点


 

 

 『イオンは、もし被験者が生きていたらどうしてると思う?』

 

 ダアトで、俺はイオンにそう尋ねた。

 

 過酷な旅を乗り越えても、被験者に対する負い目や、劣等感は消えない。それどころか増していくばかりの重圧に不安ばかりが頭をよぎる。

 

 そんなこちらの心情を分かった上で、イオンは少し考えてから、レプリカという存在を世界に知らせるための活動をしたい、と言った。

 

 とても彼らしい答えだと思った。

 だが、だからこそ、自分には真似できそうもない答えだと思う。

 

 誰かの代わりではありたくないと気付いたというイオンの澄んだ目を見ながら、あいつはどうなんだろうと考えた。

 

 そういえばジェイドに作られたレプリカだという話はされたが、被験者についてはあまり聞かなかった。確かマルクトの兵士だったとは言っていた気がするけど。

 

 彼も誰かと同じは嫌なのだろうか。

 己はここに居ていい存在なのかと悩んだことは、ないのだろうか。

 

 リック。

 

 ルークが知る、もうひとりの、レプリカは。

 

 

 

 ティア、ガイ、アニスと共に、アッシュを探して行きついたセントビナー。

 

 先ほど来た時には平穏だった街に、ほんの数時間の間に何があったのか。

 辺りには怒号や悲鳴が響き渡り、あちこちに負傷したマルクト兵が寝かされていた。

 

 何事かと周囲を見渡しつつも、その中に自分より濃い赤色の髪を探す。

 

 そして。

 

「あっルーク! ルークだ! 大佐、ルークですよ! ルーークーーー!!!」

 

「はいはいそうですね。嬉しいのは分かりましたから好きなだけ飛びついてきなさい」

 

 見つけたのは全く別の人間達だった。

 

 気づいたのは同時だったようだが、俺が「あ」と声を上げようとした瞬間には、きらりと目を輝かせた相手の男が盛大に声をあげて千切れんばかりに手を振ってきた。

 

「あ~、大佐だ!? リックも!」

 

 向こうの大声でみんなも気づいたようだ。アニスが二人を指さして叫ぶ。

 

「これは皆さん、お久しぶりです」

 

「ルーク! うわあ久しぶりルーク! ほんとにルークだ! 元気だった? キノコ食べてた? 手紙読んでくれた!?」

 

 久しぶりに会う二人は、ひと月前の記憶とちっとも変わらなかった。

 ていうかお前ちょっとは変わっとけよ。そう零しながらも頬が緩む。

 

 久しぶりに会う変わらない友達は、なんだか嬉しい。

 

 しかしいつまでも再会の喜びに浸っているわけにはいかない。自分たちの目的を思い起こし、はっと二人を見やる。

 

「そうだ、アッシュの奴が来なかったか?」

 

「アッシュ?」

 

 突然飛び出してきた名前にリックはきょとんと目を丸くした。

 

「や、オレはぜんぜん。大佐知ってます?」

 

 見かけていませんね、と返すジェイドに、ですよねぇ、と首を傾げるリック。

 そんなやりとりを見ている内に、ふとささやかな違和感が胸をよぎった。

 

 ひと月前と変わらない。

 変わってないけど、あれ?

 

「なあガイ、リックのやつ、なんかちょっと違うか?」

 

 少しだけ身を引いてガイに耳打ちする。

 すると向こうも釣られて声を潜めながら返事をしてきた。

 

「何がだ?」

 

「いや、なんていうか、そうだな」

 

 あまりに漠然としすぎていて纏まらない疑問を、なんとか形作ろうと言葉を探す。

 

「喋り方が、ちょっと砕けたような気がするっつーか……」

 

 自分で言っておきながら、すぐに「そうか?」と自問する。

 ジェイド相手にタメ口になってるとでもいうならさておき、聞いているかぎり前と違ったところは無い。

 しかし無いと言いきるには、無視の出来ない相違感。

 

「……そうだな。あいつも少しずつ変わってるってことさ」

 

 俺が感じた小さな変化をどう捉えたのか、ふいに穏やかな笑みを浮かべたガイを横目に見た後、その視線をリックに戻して、俺は吐息と共にちいさな相槌を吐きだした。

 

「そ、か」

 

 このひと月で、あいつはどう変わったのだろう。

 俺が屋敷でぼんやりと過ごしている間、あいつは何をしていたのだろう。

 

「それにしてもすごい騒ぎだな」

 

 何かあったのかと問うガイに、ジェイドは軍のケセドニア方面部隊が演習中に襲われたと説明する。

 それを聞きながら、隣で何か資料のようなものを見ていたリックが、ぐにゃりと表情を曇らせた。

 

「はぅあっ!? どこの誰がマルクトの正規軍を襲うんですかっ!?」

 

 どうかしたのかと俺が声を掛けようとするより先に、アニスが驚きの声を上げる。

 少し前ならキムラスカだったのだがとナタリアが聞いたら憤慨しそうな事をジェイドが零したとき、マクガヴァンが慌てて駆けてきた。

 

 大変じゃ、と声を上げる。

 

「フリングスが負傷したという情報が入ったぞ!」

 

 知った名前の不穏な情報に心臓がひやりと冷えたのを感じつつ、それを聞いて表情をなくしたリックを視界の端に見て、ああだからと先ほどジェイドの説明を聞いている際の苦い顔つきの理由を察した。

 リックも同じマルクト軍だ、ケセドニア方面部隊に彼がいることを知っていたのだろう。

 

 フリングスはすでに首都に搬送されたらしい。

 アッシュを探すという目的はあったが、世話になった人が負傷したと聞いたのにそれを無視して行く事は出来ない。

 

 今までのメンバーにジェイドとリックを加えて、アルビオールでグランコクマまで向かう事になった。

 

 

 移動中。

 久しぶりに会った仲間との雑談もままならず、緊迫した空気の流れる艦内。フリングスが心配なのだろうリックは特にそわそわと視線を漂わせている。

 

「なあ、リック」

 

 だが俺には、そんな状況でないことは承知の上で、それでも聞きたい事があった。

 

 話しかけられた事でリックの目に浮かんでいた不安と動揺がとっさに消える。聞きづらさはあったがこの隙にと話を進める事にした。

 

「お前の被験者って、どうしてるんだ?」

 

 唐突すぎる問いに当のリックは目を丸くしただけだったが、ただ何故か奥にいるジェイドが僅かに肩を揺らしたような気がした。

 

 操縦者のノエルと前の座席に座っているジェイド以外のみんなの視線がこちらに集まるのを感じるも、あえて気づかないふりをする。

 

 無神経なのは分かっている。でも俺が知っているレプリカはイオンとリックだけだ。

だからどうしても聞きたかった。

 

 少しの間、俺の顔をまじまじと見たリックが口を開く。

 

「そうだな、オレが生まれた時にはもう亡くなってたみたいだけど」

 

 けろりとそう言ったかと思えば、どした?と逆に問われ、慌てて言葉を続けた。

 

「あ、いや、……リックは――もし被験者が生きてたらどうする?」

 

 イオンに向けたのと同じ問い。

 それにリックはうぅうんと唸りながら少し考えて、やがて気の抜けた苦笑を浮かべた。

 

「お母さんと妹さんを泣かせてごめんなさいって謝りたいけど、被験者の性格を聞く限りそんな事したら殴られそうだしなぁ」

 

 “泣かせてごめんなさい”

 それがどういう意味なのか、リックと被験者の間に何があったのか、尋ねる事は出来なかった。

 やはり聞くべきでは無かっただろうかと今さら迷い出していると、リックがぽつりと呟く。

 

「ああ、でも、殴られてみようかな、うん」

 

 驚いて見返したリックは「一回おもいっきり被験者と喧嘩してみたいな」とそう言って、困ったように、でもどこかすっきりとした表情で笑った。

 

 ああ。こいつも本当に変わってきてるんだ。

 

 ガイに言われた言葉と、自分が感じた小さな違和感をつなぎ合わせる。

 

 おそらく世界が始まった時から変わらない空に、それでも同じ空が来ないように。

 変わらない人間も毎日どこかが変わっていく。

 

 そのことに妙なむずがゆさと、幾ばくかの寂しさを感じた己をごまかすように話を続けた。

 

「そうしたらリックは何やってんのかな」

 

「軍属で変わんないと思うよ」

 

 しかし思いがけず即答されて、今度は俺が目を丸くする。

 

「え、それでも軍人やるのか? ビビリなのに?」

 

「……瞳の真っ直ぐさが痛いよルーク。いや、オレはずっと大佐の傍にいたいからさ、大佐が軍人ならオレも軍人だよ」

 

 当たり前とばかりにリックが言うと、ガタンという音が聞こえた。

 

 見るといつのまにか操舵室から出て行こうとしていたジェイドが、段差で足を踏み外していた。

 何事も無かったように体勢を立て直し眼鏡を押し上げるジェイドの背中から、全員がすぐさま見なかったふりで顔をそらす。

 

 

 え、なに、まさか。

 動揺した?

 

 

 





ふいをつかれたらしい。



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Act50.2 - 彼と彼女に花束を

 

『きっとしばらくの間は会えないと思いますが、お元気で』

 

『え、なんでですか?』

 

『今度ケセドニア方面部隊の指揮を取らせて頂くんですよ』

 

 そんな言葉を交わしたのはいつのことだっただろう。

 

『もちろん。待たせている女性もいますからね』

 

 お気をつけて、と返した俺に、そう言っていつもの柔らかな笑みを浮かべたあの人を、見送った。

 

 

 

 

 

 外は雲ひとつない青空で、耳に届く水音が心地よかった。

 そこに大佐が一定のペースで書類をめくる音が混じって、俺は部屋の整理をしていた。

 

 演習中のケセドニア方面部隊が何者かに襲撃された、という知らせを受けたのは、そんないつもどおりの日々の中。

 

 最初はうまく理解ができなかった。

 少しして、脳裏を過ぎった優しい銀色に、ようやく事態を理解する。

 

「フリングス少将」

 

 書類の束を腕に抱えたまま呆然とひとつの名前を零した俺を、大佐は横目でちらりと見てから、伝令に来た兵士に何か指示を飛ばして、それからまたこっちを見た。

 

「リック、行きますよ」

 

 赤色の瞳が、頭を冷やしなさいと言っている。

 弾かれたように「ハイ!」と返事をして、止まっていた動きを慌てて再開した。

 

 

 そして大佐と共に向かったセントビナー。

 少将の姿を探して落ち着きなく視線を漂わせていると、予想外の人物と嬉しい再会を果たす。

 

「ルーク!」

 

 アブソーブゲートでの一件以来に会うトモダチ。

 

 最後が最後だったからどうしていただろうかとずっと胸にあった思いを矢継ぎ早に吐き出していたら、ルークが「ちょっとは変わっとけよ」と小さく噴き出して笑った。

 

 安心したような笑顔の向こうに違和感を覚えて内心首を傾げる。

 どうも元気がない、ような。

 

 確かに外殻降下成功の裏にはヴァンの死がある。

 

 実の妹であるティアさんはもちろん、剣術の師匠として長年慕ってきたルークや、同じホド出身の幼馴染だったガイにも辛い結末になってしまっただろう。

 

 でもこのオールドラントを救ったという事実もまた確かなものであるはずなのだ。

 そんな偉業を成し遂げたのだから、大手を振って家に戻ったんだろうと微笑ましく思っていたけど。

 

 向こうで何かあったのか尋ねようとしたが、俺より少し早くルークがそうだと声を上げた事でタイミングを逃してしまった。

 

 しかし、アッシュが来なかったか、という問いを受けて、今度はそちらへの疑問で頭がいっぱいになる。

 

 アッシュ。

 そういえば数日前にグランコクマのほうでガイが会ったという話を聞いた。

 六神将に気をつけろ。そんな忠告をしていったらしい。

 

 六神将。

 

 その言葉から連想されたひとりの男の姿と、空っぽになった牢屋。

 

 乗組員全滅、と記された書類の無機質な感触を思い出し、じくじくとした憂鬱さが胃を掠めたのに気づかないふりをして、アッシュの姿は見ていないと首を横に振った。

 

 同じくアッシュを見ていないと答えた大佐は、もし来ていたとしてもこの様子を見ては近づいてこないだろうと言葉を添える。

 

 ようやく崩落の衝撃から立ち直ってきて、混乱の中にも平和を取り戻していたセントビナーの街並みは、負傷したマルクト兵とその救援に来たマルクト兵で溢れかえっていた。

 

 ケセドニア方面部隊が演習中に襲われたのだと淡々と説明する大佐の声を聞きながら、顔をゆがめる。

 そうだ。ルーク達に会えた嬉しさでちょっとぶっ飛んでいたけど、状況は何も変わっていない。

 

 あのひとの姿もまだ見つけられていないし。

 そんな時、いつになく慌てた様子のマクガヴァン元帥がこちらに駆け寄ってきた。

 

「フリングスが負傷したという情報が入ったぞ!」

 

 心臓をわしづかみにされたような、錯覚を覚えた。

 

 

 

 グランコクマまで送ってくれるというルークの言葉に甘えて、俺と大佐はみんなと一緒に久しぶりのアルビオールへと乗り込んだ。

 

 ノエルともひと月ぶりになる。

 話したいことは色々あるのに、どうも喉がつっかえるみたいに言葉が出てこない。

 

 操縦室の片隅に立ち尽くしながら、必死に自分に言い聞かせる。

 頭を冷やせ、思い出せ。いま俺が焦ったってどうなることもないんだ。

 

「なぁ、リック」

 

 胸の不安をなんとか押し込めようとしていたら、ふいにルークに話しかけられた。

 

 そういえばあの旅の中では何かと俺がルークに話しかける事が多かった。

 それはもう「リックウザイ」と傍で聞いていたアニスさんに言われるほど、いつもいつも、ねえルークあのさぁルークと口を開いていたせいなのかは分からないが、ルークに声をかけられると俺は毎回そこはかとなく驚いてしまう。

 

「お前の被験者って、どうしてるんだ?」

 

 そして続けられた質問に、今度は目を丸くした。

 

 前にアニスさんとの会話の流れで少し口にした事はあったが、こうして改めてルークに聞かれたのは初めてだ。

 被験者についての話題はルーク自身も避けていたところだろうし、たぶん俺にも気を使って聞かずにいてくれたのだろう。

 

「リックは、もし被験者が生きてたらどうする?」

 

 それを今聞くということはやっぱり何かあったのかなぁと少し前の疑問にぼんやりと答えをつけながら、今現在、目の前にある問いへの答えを探し、言葉に乗せた。

 

 被験者。そのお母さん。妹さん。

 

 胸を突く痛みはまだ消えないけれど、話す自分に思ったほど動揺が無かったことが少しだけ誇らしい。

 先に立たない後悔は、それでも後の何かに変えていけるんだと、信じることが出来るから。

 

 職人の街で学んだ温かな記憶に思いを馳せ、それからふと窓の外に広がる青に視線を移した。

 あのひとの柔らかな青の目を思い出す。

 

 大丈夫だろうか、と考えた俺は、今思えば心配しながらもどこか楽観していたのかもしれない。

 

 相手をよく知ってるから、優秀な人だからと。軽傷か重傷か、なんて、そんな子供みたいな二択しか頭になかった、俺は、

 

 

「先ほどまで治療を受けていたのですが……もう手遅れだそうです」

 

 

 軍人としても大失格だ。

 

 

 真っ白になった顔色や、この会議室に立ち込める血の臭いさえ無ければ、また何か陛下がやらかしたのかなと釣られて口元を緩めてしまいそうな苦笑を浮かべた彼の言葉に、俺は為すすべもなく拳を握った。

 

 今まで腰を下ろしていた椅子から緩慢な動きで立ちあがった彼は、苦しそうな息をしながら当時の状況について報告をする。

 

 その内容は、にわかには信じられないものだった。

 

「我が軍を襲ってきたのは、キムラスカ軍旗を掲げた、一個中隊ほどの兵であります」

 

「そんな馬鹿な!」

 

 思わず声をあげたルークの隣で、俺も同じ言葉を頭の中で繰り返した。

 それと同時にそんなはずはないと確信を持って否定する。ナタリアがそんなことを許すわけがない。

 

 だが襲ってきた相手を間近で見た彼自身も、あれがキムラスカ軍には思えない、としたばかりの報告を覆すように緩々と首を横に振っていた。

 

 そこでがくりとくずおれた彼を、ルークと一緒に慌てて支える。

 それを見たティアさんが表情を険しくして、ベッドのある場所へ移動をと提案するも、本人が丁寧にそれを断った。

 

 そして、出来る事ならば、と前置きをし、彼は言った。

 

「私を修道院へ、お連れください」

 

 

 俺はずっと自主的に預言を遠ざけていたから、ほとんどこの場所に足を踏み入れる事はなかった。

 だけど何かの拍子に立ち寄ると、何も分からないながらも心地よく思えた澄んだ雰囲気の礼拝堂が、今日はひどく立ち入りがたく感じる。

 

 ガイとルークに支えられてここまでたどり着いた彼はその場で膝をついて、それでも傾ごうとする体をなんとか腕で支えていた。

 

「私はここで生誕の預言を受けました」

 

 でも魔界に落ちるとは詠まれなかったな、と独り言のように付け足した彼は、まるで陛下の悪戯に巻き込まれたときのように少しだけ困った顔で、しかし穏やかに笑っていた。

 

 今まで何度となく見た優しく細められた青も、なぜか今日は見ていられなくて、俺はそっと後ろに下がる。

 

「預言に詠まれていない未来は、こんなにも不安で……自由だったんですね」

 

 ああでも失敗だった。

 視界にあるのはもう彼の銀色の髪だけのはずなのに、その向こうにある表情はまだ俺の網膜に映っている。

 

「もう少しこの世界を、生きてみたかった」

 

 その幻影を消そうと強く伏せた瞼の裏から、大量の何かが零れて頬を伝っていく。

 握り締めたままの拳と、肩が小刻みに震えた。

 

 リック、とティアさんが気遣わしげに名を呼んでくれたのが分かったけど、顔が上げられず、さらに深くうつむく。 修道院の綺麗な床にばたばたと水が落ちる音がした。

 

 それから、やはり襲ってきたのはキムラスカではないと思う、これ以上キムラスカと争いにならないように、と頼む声に、ルークが静かな声で「わかった」と返事をするのが聞こえた。

 

 それを聞きながらまた思い出す。

 

 彼は待たせているひとがいる、と言ったのに。

 

 あの旅の中で出会った、ひとりの女性の姿が脳裏を過ぎる。

 もう少ししたら式の準備をしなくてはならないと はにかんだ笑みを浮かべていた彼の姿を、そこに重ねた。

 

 たくさん頑張って、たくさん辛い思いをして、ようやく幸せになれたはずの、ふたり。

 

(――どうして)

 

 ひときわ強く拳を握り締める。

 

 

 どうして、

 

 世界はこんなにも理不尽なんだ

 

 

 

「あと……リック」

 

 唐突に空気を揺らした自分の名前に、はっとして顔を上げた。

 

「何度、言っても、君は……階級が下だからと、受け入れなかった、な」

 

 笑み混じりにそう言った彼がとても遠くて、俺は歯を食いしばった。

 身じろいだのか軍服の布が擦れる音がする。

 

「最期くらい、名前で、呼んでくれては、どうです?」

 

 いつのまにかルークに支えられる形で、どうにか上半身を起こしていた彼は、俺を見て、たぶん、笑ってくれた。

 ああもう、涙で見えやしない。

 

「……アスラン、さん」

 

 声がひどく震えている。

 俺は思い切り袖で目元を拭ったけど、またすぐに世界は滲んだ。

 

 だけどその向こうにいつもの朗らかな笑顔があるのが分かる。

 それを必死に焼きつけようと目をこらす俺に、彼はまた小さく笑みを零した。

 

「ところで、リック。ずっと、言おうと、思っていたんですが」

 

「なんですか」

 

 ずびっ、と鼻をすする音が情けない。

 

「大佐が、留守のとき。さびしいからってブウサギの、ジェイド様に泣きつくのは、どうかと思いますよ」

 

 ……いつ見られたんだろう。

 そのときにブウサギのジェイドさまから貰った手厳しいヒヅメキックが当たった額に手をやりながら、俺は半眼でアスランさんを見やる。

 

「オレも言おうと思ってたんですけど、やっぱりセシル将軍へのプレゼントにバラの花束はキザですよ」

 

 いつだったか両手に持ちきれないほどの花を買って、彼女に贈るのだと喜々として包んでもらっていた姿を思い出して言うと、アスランさんは心外だというように苦笑した、ような気がした。

 

「そんなこと、ない、ですよ」

 

 そして彼は静かに息をつき、ゆっくりと修道院の天井を仰ぐ。

 

「始祖ユリア。預言を失った世界に……彼女に……、」

 

 

 

――――― 祝福を。

 

 

 

 

 

 

 



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Act50.3 - 変わったあいつのエトセトラ

ガイ視点


 

 フリングス将軍が息を引き取って、リックが深く俯いた。

 

 泣くだろうなとやるせない気持ちで眉を顰めたとき、彼がその場で大きく吸いこんだ息をゆっくりと吐き出し、顔を上げる。

 

 予想に反して、そこにもう涙は無かった。

 先ほどまでの涙の跡も赤い目元もそのままで、しかし強い意思を宿した目に驚く。

 

 修道院の中央に設置された巨大な御神体を真っ直ぐに仰いだリック。

 その軍人らしくピンと伸びた背筋を見るうち、こんな状況ながら少しだけ口元が緩んだ。

 

 ルークに言った言葉ではないが、確かに変わっていっているのだろう。

 

 臆病でよく泣いていたこの子供も。

 今その背を見つめて、何か声をかけようとしていた口をつぐみ、やはり小さく苦笑を零した、不器用なあの男も。

 

 

 

 

「そうか……アスランは逝ったか」

 

 ここに至るまでの報告を聞き終えると、ピオニー九世陛下はそう呟いて僅かに目を細めた。

 

 それに、はい、といつもの淡々とした調子で頷いたジェイドが、ルークを通じて内々に事の真偽をキムラスカに照会するべきだろうと進言する。

 

 これが他人ならば冷たい奴と思うかもしれないが、長くもないが何も知らずにいられるほど短くはなかったあの旅を経た今となっては、らしい態度だと苦笑するしかない。

 

 フリングスが死んだという報告も、今後の行動についての話も、誰かがしなくてはいけない事だ。

 だが大人の顔でそれをこなせるようになるには、皆、まだ少し早い。

 

 ジェイドはジェイドなりに気をまわしているのだろう。

 まあ彼以外では唯一それが出来る自分に度々 説明役が回ってくるのは頂けないが。

 

 おそらく気をまわされている対象の筆頭であろう内の一人ルークは、レプリカだと苛められたならこっちで暮らすか、とピオニーに冗談とも本気ともつかない言葉を掛けられていた。いや、あの人のことだから本気に違いない。そんなことになったら奥方様が今度こそ寝込んでしまう。

 

 ある意味皇帝らしいというかやたら行動力があるので、実行に移さないように気をつけなければと頬を伝う冷や汗を感じながら、視線を横にやる。

 

 筆頭のもう一人、リックは普段と変わらない様子で俺の隣に立っていた。

 よく見ればいつもより少し顔つきが引き締まっている気がしないでもないが、日常の範囲内だろう。

 

「あとはアッシュの件だな」

 

 キムラスカのほうはルークに任せるという方向で決定したらしい。

 

 もうひとつの問題としてあがった名前を聞き、その調査を任されていた身としてはっとリックから目をそらして向き直った。

 

「陛下の推測通り、彼は六神将の生存を知っていました」

 

 そう報告を述べたとき、ふいに視界の端に変化を感じる。

 ティアが何故アッシュを探しているのかとピオニーに尋ねている隙に改めて視線をずらせば、先ほどまでの真顔を一転、笑みを堪えた半端な顔のリックがいた。

 

「何嬉しそうな顔してるんだ?」

 

「へっ? あ、いや」

 

 ローレライの鍵について話すみんなの声を耳の端に聞きながら声を潜めて話しかける。

 リックはぎくりと肩をはねさせた。

 

 そして若干言いづらそうにしながらも、やはり嬉しげに弧を描こうとする口元に手をあてて口を開く。

 

「シンクも生きてるんだなーって、思ったらつい」

 

「ああ、そういやなんか懐いてたっけな」

 

 あまり多くはなかったはずの接触を思い出しながら言って顎に手を添えた。

 理由は分からないが確かにリックはシンクに対してわりと友好的だった気がする。

 

「……アリエッタも……」

 

 そのとき、安心したような息と共にぽつりと落とされた音が聞き取れず、首を傾げた。

 

「なんだって?」

 

「い、いや、なんでも」

 

 リックが慌てたように首を横に振る。

 

 だがそこで、ローレライが最後に伝えてきた声について話すルークが零した

 「栄光を掴む者」の言葉に驚いたことで、自然と会話は途切れた。

 

 

 どうやら六神将に留まらず、ヴァンも生存の線が濃くなってきたようだ。しかし状況を判断するには情報が少なすぎる。

 

 確定できることから潰していきましょうとジェイドが言った。

 マルクト軍を襲ったキムラスカ兵が正規軍なのかどうか、だ。

 

 キムラスカの動向を確認後アッシュを追うようピオニーに指示されたジェイドの後、自分も引き続きそれに協力させてさせてほしいと願い出る。

 

 それを了承して、ピオニーはさっと席を立った。

 いつもはサボってばかりだが、こういう大事なところでは誰より行動が早い。

 

 大臣達に話をつけにいくのだろう。後は頼むと言って颯爽と横を通り過ぎようとしたピオニーが、リックの横でふと足を止めた。

 

 じっと顔を見るピオニーをリックが不思議そうに見返す。

 

「……ふん」

 

 やがてひとつ息をつき、満足げに口の端を持ち上げたピオニーは、その肩を軽くぽんと叩いて謁見の間を出ていった。

 

 なんだったのかと困惑気味なリックと、何も言わずに眼鏡を押し上げたジェイド、皇帝の消えた大扉を見て俺は小さく笑う。

 

 ああ彼らは、確かに家族なのだ。

 

 

 

 

 イオンに手紙を出してくるというアニスと別れ、残りの仲間達はゆっくりと待ち合わせ場所である街の入り口に向かっていた。

 

 道々、やっぱりアッシュに会って話を聞くべきではと悩むルークに、今はキムラスカへの確認が先だと再度分かりやすいところからこなしていく事をジェイドが進める。

 それに続けるようにしてルークに笑みを向けた。

 

「居所のしれないアッシュを探すのも骨が折れるし、バチカルでばったり、ってなことも考えられるしな」

 

 まあ会ったからといって素直に情報をくれるかどうかは、別問題かもしれないが。

 難しいところだと苦笑して後頭部をかいたとき、突如背後から響いた声があった。

 

「大佐! カーティス大佐ですよね!」

 

 聞き覚えのない声が聞きなれた人間を呼ぶのに、ルークやティア共々目を丸くして振り返る。

 

 そこにいた人物にやはり見覚えは無い。

 二十代半ばほどと思われる金髪の青年は、目をきらきらと輝かせてジェイドを見ていた。その目にどこか覚えがあると思い、すぐにそれがリックだと思い至る。

 

 ルークに知り合いかと問われると、ジェイドは面倒くさそうな顔で、ええまあ、と半端に肯定した。

 

「大佐の弟子でカシムと申します!」

 

「弟子にした覚えはありませんよ」

 

 青年、カシムは譜眼の詳細を知りたかったようだ。

 ジェイドの目に施されているというそれは、譜術の威力を倍増させるものらしい。だが同時に難度の高いものであるらしく、ジェイドだから出来た事でもある。

 

 ろくに譜術も使えない人間が施せば確実に死ぬ。

 特にカシムでは無理だろうとジェイドが取りつく島も無く切り捨てれば、馬鹿にされたと思ったのかカシムは息を巻いて、自力で譜眼を施してみせる、と言って去ってしまった。

 

 半ばあっけにとられてその背を見送っていると、ふとその背を険しい顔で睨みつけるリックに気づいた。

 

「リック?」

 

 良くも悪くも敵意というものをまず露わにしない男のめずらしい表情に驚いて声をかける。

 

「……オレ、あいつ嫌いだ」

 

 すると吐き捨てるようにそう言ったリックに、今度こそ驚いて目を見開く。

 フリングス将軍の事があったばかりでいくらか気も立っているのだろうとは思うが、それにしても珍しい。

 

 それを聞きとめたジェイドがひょいと肩をすくめた。

 

「おやおや、何を言いますか。最初にカシムを私のところに連れてきたのはリックでしょう」

 

「え? そうなのか?」

 

「…………」

 

 きょとんとルークに聞き返されたリックが眉間にしわを寄せて黙りこむ。

 

 いつにない反応にルークも困ったように眉尻を下げたとき、さてアニスに追い越されてしまいますね、と話をそらしたジェイドに習い、そうだな行くか、と皆を促した。

 

 会話の流れが変われば後はもういつものように、街並みを見ながら話し始めたルークとティア、リックに、ほっとして笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 街の出入り口でアニスと合流して、アルビオールに乗り込みバチカルを目指す中、ルークに古代イスパニア語を教えておけばよかったなと会話を交わした。

 

「リックは古代イスパニア語って分かるのか?」

 

 結局下手をするとどちらの言葉も混ざって正しい言葉を使えなくなっていたかもしれない、とジェイドが言ったことで話は纏まったが、すこし思うところがあったらしいルークがリックに尋ねる。

 

 突然の問いに驚いたリックは数度目をしばたかせてから「うん、まぁ」と首を傾げた。

 

「ギリギリだけど……一応分かるよ」

 

 軍人として生活しているからには、兵士学校か何かであらかた叩きこまれたに違いない。

 それでもリックが分かるのはなんとなく意外な感じがすると言っては、失礼か。

 

「あー、でもリックだって分かるのに、俺が分かんねぇってのはダセェよな~」

 

 だがそう思って俺がつぐんだのと同じ意味を持つ言葉がルークからぺろりと零れる。

 せっかく言わなかったのにと思いつつも浮かぶのはぬるい苦笑だった。

 

「え、いや、何そのリックでもって。ルーク、あの、オレこれでも軍人なんだけど」

 

「そうだな~。よし、後でちょっと頑張ってみっか」

 

「ねぇルーク? ルークさん? き、聞いてる?」

 

 一人決意を固めるルークの肩を、リックが情けない顔をして、ちょいちょいとつついていた。

 

 

 



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Act51 - ナタリア姫様お久しぶりです!

 

 外殻降下後はじめて訪れたバチカルの街並みを見渡しながら歩く。

 

 視覚的な変化はほとんどなかったけど、耳に入ってくる会話はやはり預言の詠み上げが撤廃された事に対する不安だった。

 やはり大半の人はまだ預言の無い生活に慣れないらしい。ずっと何より身近にあったものだから、当たり前なのかもしれない。

 

 しかしナタリアが決めた事ならばそれに従おうと考えている人も多いようだ。

 ナタリアの国を愛する気持ちはとても大きい。それがちゃんとみんなに伝わっている事をひしひしと感じると同時になぜか俺が誇らしくなって、口元を緩めた。

 

「そういやリック、ナタリアには手紙出したのか?」

 

 そこで前を歩いていたルークがふと振り返って言う。

 その問いに俺は視線を泳がせて肩を落とした。

 

「ルークはさ、ガイ繋がりって事で、なんとかなるかなって思ったんだけど」

 

「うん?」

 

 要点を得ないというように首を傾げるルーク。隣でガイが苦笑している。

 俺はぐっと拳を握り、もう片方の手で顔を覆った。

 

「……ただの兵士がバチカル王城に手紙とか……!!」

 

「……お前、俺宛てのもかーなーり悩んで出したろ」

 

 納得した表情を浮かべた後、半眼になったルークが零す。もちろんだ。

 

 ただの兵士が公爵子息に手紙を出す恐れ多さに悩み(陛下が後押ししてくれた)

 文面に悩み(貴族に宛てるような手紙の書き方を大佐に聞いた)

 どの住所に出せばいいのかを悩んだ(ガイが教えてくれた)

 

 そんなこんなで執筆に二週間を費やしたいっぱいいっぱいな俺が、バチカルの王女様に手紙なんて出せるわけもない。

 

「じゃあナタリアとは一ヶ月前の……ええと、リックにしてみればアブソーブゲート以来かしら。連絡は取っていないの?」

 

「怪我の具合とかも?」

 

 ティアさんとアニスさんに尋ねられて、はいと小さく頷く。

 みんな心配してくれたと聞いていたから、せめて元気になった事だけでも教えたかったのだけど。

 せめてルークからナタリアに伝わればという小さな願いを込めたのだ。

 

「俺もこのひと月ナタリアには会わなかったからなー」

 

「そっかぁ」

 

「今日会ったら元気な顔みせてやれよ。あー、でもナタリア戻ってるかな……」

 

「呼びまして?」

 

 そのとき、タイミング良く背後から凛と響いた声に振り返り、振り返った先で見つけた綺麗な金色の髪に目を輝かせる。

 

 そこで同じように俺に気づいた深緑の瞳から険しい色が抜けて、一度大きく見開かれた後、その表情がすぐ花が咲いたようにほころんだ。

 

「ナタリア!」

 

「まあ……リック! 怪我はもうよろしいんですの?」

 

 このとおり、と両腕を広げてみせれば彼女もまた嬉しそうに微笑んでくれる。

 久々の再会を喜ぶ勢いでナタリアの手を取って笑い合ったその瞬間。

 

「ぅひっ!?」

 

「リック?」

 

 突如奇声をあげて肩を弾ませた俺に、目の前のナタリアが不思議そうに首を傾げた。

 

 集まる視線に「な、なんでもない」と首を横に振ってから、ナタリアの手を離し、肩越しにそろっと自分の背後を見やる。

 

 その先には豪華かつ丁寧に作られた庭があるだけで、人影はひとつも無い。

 だけどでも、今の首筋にぴりっとくる鋭い殺気は。

 

 ……バ、バチカルでばったり? まさかのガイの大当たり?

 

「そういえば!」

 

 俺が滴る冷や汗をぬぐっていると、ナタリアが はっとしたように再び目を吊り上げ、今までなりゆきを傍観していた大佐の胸倉につかみかかった。

 

 キムラスカ王国はマルクト軍に対して軍事活動を起こしてはいない。

 そう言い切ったナタリアを見てやっぱりなと苦笑する。アスランさんの考えは間違っていなかったんだ。

 

 しかしあまり大っぴらに続けられる話では無かったため、詳細についてはインゴベルト陛下の部屋ですることになった。

 

 

 

「私は、マルクトを攻撃するような命令は下していない」

 

「そうですわ。我が国は無実です」

 

 事情を伝えると、陛下とナタリアは改めて、国としての襲撃の事実はないと否定してくれた。

 

 ならアスランさんを襲った集団は何者なのかとガイが疑問を上げると、ずっと何か考えていた様子の大佐が「そのことなのですが」と口を開く。

 

「断定はできませんが、フォミクリー実験による症状に似た事例があるのです。リック、貴方は分かるでしょう」

 

 そう言って僅かに眉を顰めた大佐の赤い目を見ながら、思い出す。

 正体不明の兵士集団は死人のような目をしていたとアスランさんは言っていた。

 

 最初の記憶。無機質な部屋の中。消毒液の匂い。

 

 自分と、自分の周囲にいた人たち。

 その表情。それは、確かに死人のようだったかもしれない。

 

「レプリカ……」

 

 六神将が動いている事を考えるとレプリカで兵士を作った可能性も捨てきれないとする大佐の言葉に、何か思うところがあったらしいルークはそう呟くと少し黙って、それからちらりとこっちを見た。

 

「……俺たちと同じ……?」

 

「う~ん」

 

 俺は曖昧な調子で首を傾げる。

 

 こうしてルークやイオンさま、シンクといった自分以外のレプリカと会った今、元々線引きが薄かった俺は余計に人とレプリカの違いを感じられなくなってきていた。

 人かレプリカかということは、キムラスカ人かマルクト人か、第二音素か第三音素か、そのくらいの大きなくくりの違いでしかない。

 

 もちろん、過去にレプリカである事を笠に着た自分がやらかしたことを忘れるつもりはないけど、被験者と違う存在として生きる分には、そこまでこだわらなくてもいいような気がする。

 

 ああ、だからルークは悩んでいるのかと、そこでようやく思い至った。

 

 イオンさまの被験者はすでに亡くなっている。

 俺の名前と居場所は、被験者のものじゃない。

 

 でもアッシュは生きている。

 そしてルーク・フォン・ファブレは、アッシュのものだった。

 

 ルークは、そこらへんが引っ掛かっているのかもしれない。

 

「お父様。 私をダアトへ行かせてください」

 

 そこで突然、力強くそう言ったナタリアは、あの旅の後ずっと預言のことを考えていたという。

 

 預言に頼ろうとする人たちはまだまだ沢山いる。

 それらをどうしていくのか、預言をどう扱っていくのか、国際的な会議を開くべきだと。

 そのためにはイオンさまの力が必要だ。

 

 インゴベルト陛下は少し考えてから、旅立ちを許可してくれた。

 嬉しそうに「ありがとうございます」と告げるナタリアを見ていると、ふいに微かな呟きが耳に届く。

 

「……ダアトへ行くんだ」

 

 いつもとは違う僅かに沈んだ声。

 それは、アニスさんのものだった。

 

 あらましは手紙で知らせてあるからダアトへ行くのは止めないかと言うアニスさんに、なんだ帰りたくなのか、とルークが目を丸くする。

 

「そうじゃないけどさ」

 

 そう言いつつもやはり気のりしない様子だった。

 

 どうしたのかと内心首を傾げつつ、結局ダアトに向かう事に決定して動き始めたみんなに続いて、足を進めた。

 

 

 



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Act52 - むくむくキノコロード(前)

 

 

 バチカル城を出たところで、広い道の向こうから兵士が一人駆けてくるのが見えた。

 目的はお城か、それとも偉い人率の高すぎるこのみんなの中の誰かだろうか。

 

 しかしその姿が近づいてくるにつれて、あることに気づいた。

 普通のキムラスカ兵じゃない。あの鎧は確か、ファブレのお屋敷を守っていた白光騎士団のものだ。

 

 実際に見たのは一度かそこらだったが、その記憶はどうやら間違っていなかったようで、騎士は真っ直ぐにルークのところまで向かって来る。

 

 やけに慌てているなぁと不思議に思ったが、それもそのはず。

 

 目の前まで辿り着いた騎士が開口一番 発した言葉を聞いて、おごそかな雰囲気だった王城前には、俺の ええぇっという情けない悲鳴が盛大にこだました。

 

 

 ルークの母上、シュザンヌ様が倒れたらしい。

 

 大変恐れ多くも俺が一番最初に“お母さん”という存在を投影した方なだけに心配はひとしおだ。

 ルークはもちろんティアさんもすごく心配して、大急ぎでファブレ邸を訪ねた。

 

 大きな寝台に横になっていたシュザンヌ様は、ルークが来たのに気づくとゆっくりと上半身を起こしたが、顔色はあまり良くない。

 

「……心配をかけてごめんなさい、いつもの薬が切れてしまって」

 

 このいつもの薬、というやつが特別製で、一般流通しているものとは違うらしい。

 今は材料が不足しているせいで作れないのだという。

 

 ルーク達にはアルビオールがあるから大抵の物なら取りに行ける。

 その足りない材料とは何なのかと真剣に尋ねるティアさんに、ラムダスさんは僅かに考えてから、口を開いた。

 

「ルグニカ紅テングダケでございます。ですが、栽培していたセントビナーは」

 

 途切れた言葉の先を察して、俺も小さくあっと声を上げる。

 

 崩落、というより崩壊したアクゼリュスを除けば一番に魔界に落ちたセントビナー。まだ大地を下ろす準備が整っていなかったころだ、その被害も大きかった。

 最近になってようやく人々の生活は形を取り戻してきたけど、商売や流通の状態が元通りになるにはもう少しかかるだろう。

 

 じゃあ今から育てますというわけにはいかないし、どうすればいいのか。

 みんなで考え込んでいると、救いの手は意外なところから伸びてきた。

 

「ルグニカ紅テングダケなら生えてる場所を知ってるですの」

 

 ルークの足元でふわふわと揺れる水色の耳。

 

 チーグルの森の傍にある川を北上したところに、キノコがたくさん生えているという……キノコロード?があって、そこにルグニカ紅テングダケが生えている。

 それがミュウの話だった。

 

 さっそく取りに行こうとみんなで意気込むけど、シュザンヌ様のお顔は浮かない。

 小さな声で、危険なのでは、と零された言葉に、その心中を察して俺は眉尻を下げた。

 

 シュザンヌ様は優しい人だ。何よりルークを大事にしている。

 いくら自分のためとはいえ危ない場所に行くなんてことになったら、それはもう心配で心配でたまらないに違いない。

 でもルーク達だってこのまま彼女を放って行ってしまうなんてことは出来ない。

 

 どちらの思いもむげには出来ないこの状況に、俺の頭がぐるぐると廻り出したとき、声を上げたのは大佐だった。

 

「皆さん、少し冷静に。この方は今すぐ危険という訳ではありません」

 

 そして心配をかけるほうがシュザンヌ様のお体に障るからと、大佐はルーク達のルグニカ紅テングダケ採りを禁止する。

 

 何か本当に優先しなければならないことがあるとき、止めなければならない確かな理由があるとき以外、大佐は誰かの行動や気持ちを無理に制限したりしない。

 

 ダアトに行って預言についての会議、っていうのはもちろん大事なことだけど、モースやアッシュの動きが掴めない今、特別急ぐことはないはずだ。

 

 そんな大佐がめずらしく饒舌にルグニカ紅テングダケ採りに難色を示す様にしばし目を丸くして、やがてふと思い至る。

 

「さあ皆さん、外に出ましょう」

 

 納得がいかない様子のルーク達を促す大佐の声を聞きながら、その後ろで、思わず表情を緩めた。

 

 へへ、とうっかり零れてしまった笑い声。

 ほぼ最後尾を歩いていた俺のそれは誰にも気づかれなかったようだけど、僅か斜め前にいた大佐には聞き留められてしまったようだ。

 

 横目にちらりと俺を見て呆れたように小さく眉を顰めると、締まりなく緩んだままだった俺の頬を、前のみんなには分からないようにさりげない調子で引っ張り上げる。

 

 そうですよねぇジェイドさんそういうところ優しいですもんねぇ。

 あいた、痛い痛い、いたたたたた。

 

 

 屋敷の玄関口(というには豪華だけど)まで来たところで、俺はようやく解放されたほっぺたを撫でさすり、ルークは怒ったように大佐をかえりみた。

 

「ジェイド! どうしてあんな……」

 

「さあ、ルグニカ紅テングダケを採りに行きましょうか」

 

 しかしそんなルークの言葉をさえぎって、例の綺麗な笑顔でけろりと告げられた言葉にみんなが固まる。

 

 嘘も方便。

 やっぱりなぁと笑みを浮かべ、ついでにもう一度頬をさすった。

 

 

 目的地をダアトから一時変更して、向かうはキノコロード。

 

 そう決まった時、アニスさんがなんだか少し安心したように息をついたのを見た。

 ルークじゃないけど、アニスさんは本当に帰りたくないのだろうか。

 

 いや、ダアトにはイオン様がいるんだし、そんなことはないはずだ。

 ああでも前に宮殿のメイドさんが「仕事は好きだけどたまにはバカンスにも行きたい」というような事を言っていた気がする。

 

 シュザンヌ様のことは大変で心配だけど、この機会に息抜きか気分転換が出来るなら、それはそれで良い事かもしれない。

 

「……アニスさん! 絶対にルグニカ紅テングダケ見つけましょうねっ!」

 

「ふえ?」

 

 移動中のアルビオール。

 アニスさんを振りかえり、俺は満面の笑みで拳を握った。

 

 

 



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Act52.2 - むくむくキノコロード(後)

 

 

 ミュウが言った通り、チーグルの森近くにある川を北に上ったところにその場所はあった。

 

 本格的な森の入り口はまだ遠いのに、それでも視界に入ってくる大小さまざまなキノコが、なるほどここはキノコロードと呼ぶに相応しいのだろうと思わせる。

 

 キノコが育ちやすそうな湿気を多く含んだ風を頬に受けながら、みんなで前に進んでいく。

 気を抜いたらぬかるんだ地面に足を取られそうで、慎重に足を出しながら、そういえば、と考えた。

 

 バチカル城の前で感じたあの刺々しい雰囲気は、アッシュのもののような気がした。

 彼は自分のお母さんの不調を知っているのだろうか。

 

 そんなことをつらつらと思いながら上げた視線の先に、周囲の毒々しいキノコの色にも負けない、鮮やかな赤を見た。

 

「……あ!」

 

「アッシュ!?」

 

「お、お前達……!」

 

 思わず指をさして声を上げた俺の隣、ナタリアも名を呼んで驚いた声を上げる。

 キノコロードの入り口らしい場所に立っていたアッシュが、ぎくりとした様子で振り返り、同じく目を見開いた。

 

 そして驚いた拍子に一瞬だけ消えた眉間の皺がすぐいつも以上に深いものに代わる。

 

「こんなところで何を……」

 

 居心地が悪そうな苦い表情でそう言ったアッシュに、シュザンヌ様の薬になるルグニカ紅テングダケを採りに来たのだとナタリアが説明をしてくれた。

 どうやらアッシュも同じ目的でここに来ていたらしい。

 

「じゃあやっぱりあれってアッシュ、さん、だったんだ!」

 

「やかましい滓が。何の話だ」

 

「またカスって言った!! あ、いや、だってバチカル城の近くにいただろ。もー、そんなにナタリアが心配なら一緒にくれば……」

 

 瞬間。

 

 翠の瞳が俺を一瞥して、すぐそらされる。

 

 いつもの怒声も不機嫌そうな睨み顔も、うっかりすると抜かれる剣もない。

 だけど俺は、そこで言葉をつぐんだ。

 

「…………」

 

「…………」

 

 いつになく静かに控えた俺と、今にもどこかに行きそうなアッシュを見比べたジェイドさんが、小さく息をついた。

 でもそれも一瞬で、大佐はまたいつもの笑顔を浮かべてアッシュに向き直る。

 

「アッシュ。聞きたい事は色々ありますが、ひとまず全て後にします。共同戦線を張りましょう」

 

 そうだった。ローレライ、地核、ヴァン。

 アッシュに聞かなきゃいけないことがたくさんあったんだ、と今更ながら思い出すも、今はそれどころじゃないのだ。

 探していないときに限って会えるものなんだなぁと俺はささやかながら世の無常を噛みしめた。

 

 慣れ合う気はない、といつもの台詞で大佐の提案をつっぱねたアッシュだけど、話はそんなアッシュを無視してトントンと進んでいく。

 

 未開の地へ踏み入るわけだから、入り口に連絡役を残しておいて、時間が経っても戻ってこなければ救援を呼ぶのがいいだろうと大佐が言う。

 

「それなら、俺が残るよ」

 

 そこで声を上げたのは、ルークだった。

 

 戦闘のタイプも似ているし、何より自分ならアッシュと連絡が出来る。

 それがルークの考えだ。

 

 まあルークがいいというなら、とガイが渋々ながら了承して、大佐も了解する。

 勝手に話を進められて怒るアッシュ共々、みんなが先に進み出す前に、俺はそろりと右手を上げた。

 

「あ、オレもルークと一緒に残ります」

 

 

 

 

 俺の申し出に大佐はすぐ許可を出してくれた。

 そんなわけでルークと俺、入り口付近で並び立ち、みんなの帰りを待つ。

 

 とはいえたった今出発したばかりだ。

 まだしばらくかかるだろうと独特の雰囲気をかもしだすキノコ達を何とはなしに観察していると、「なあ」と控え目な呼び声が背中にかけられて、振り返る。

 

「……別に俺に気使わなくても良かったんだぞ。いいのかよ、ジェイドと一緒じゃなくて」

 

 すると気まずげに頭をかくルークがいて、俺は思わず笑みを浮かべた。

 

「大丈夫だよ、大佐は分かってくれてるし」

 

「なにを」

 

「いや、色々」

 

「なんだよそれ」

 

 怪訝そうな顔をするルークにまたひとつ笑みを返してから、俺は青紫色のキノコにそっと手を添えて、息をつく

 

「まぁ言っちゃえばガイとアッシュさん……アッシュがいればオレも剣士でダブってるからさ。ていうか前にぶっちゃけ剣士三人はいらないって大佐に言われかけてすんごい怖かったしさ。譜術剣士もどきになっていくらかカラー変わったかな?って安心してたんだけど、アッシュと一緒になるとオレが精一杯つくり上げた個性がまた灰に帰すんだ。アッシュだけに」

 

 とつとつと語りながら頬を滴るものがある事は否めない。

 あの恐怖は今も鮮やかに胸に染みついているのだ。正直俺もそう思うだけにより一層の切迫感がある。

 

 譜術剣士といっても俺に使える術はたかが知れてるのだ。

 ここにアイシクルレインだのエクスプロードだのの上級譜術をばんばん使うアッシュが入ったら、霞むどころか消えてしまう。

 

「ま、まぁ、そうかもしれねーけどさ」

 

 慰めるように肩を叩いてくれながらも否定はしないルークの優しさにそっと涙をぬぐいつつ、俺は少し考えてから、ぽつりと呟いた。

 

「後はアッシュが」

 

「アッシュがどうかしたか?」

 

 見返してくるルークの翠に、アッシュの翠を重ねる。

 冷たくて鋭い色をしていた。首筋に走る電気のような感覚を思い出す。

 

「もしかしてオレもレプリカって知ってるのかなぁ。そのせいか知らないけどオレが傍にいったら何となくピリピリしてたし、あんまり顔合わさないほうがいいかなって」

 

 あれは単に俺がうざかっただけとか、そういうレベルの反応じゃないようだった。

 それにヴァンが知っていたのだからその流れでアッシュが聞いていても不思議じゃない。

 

 ルークが僅かに瞼を伏せて、身じろぐようにたたずまいを直した。

 

「……それは、例えそうだとしても俺のせいだから。お前関係ねーし、あんま気にすんなよ、ホント」

 

 二人揃って青紫色のキノコの前に座り込み、黙りこむ。

 どうにも食用には向かなさそうな色のそれを眺めながら、俺は「でも」と呟いた。

 

「悪いやつじゃないよね、アッシュ」

 

 するとルークも例のキノコを眺めたまま、うん、と小さく返してくれる。

 

「俺も、それは、そう思う」

 

 ルークは優しくて、きっとアッシュも良い人で、なのに俺たちの歯車は何故だかかみ合わずに軋んだ音を立てている。

 

 それはお互いに譲れないものや事が、あるからだ。

 そして、みんな仲良くなれるはずだなんて無責任に言えるほど俺はもう子供じゃない。

 

 だけど、そんな俺にも少しだけ分かることが、ある。

 

「多分あのひと、ルークのこと嫌いじゃないよ」

 

「……なんの冗談だよ。んなわけないだろ」

 

「嫌いじゃないって。ただどんな顔したらいいのか、分かんないだけだと思うんだ」

 

「そうかぁ?」

 

 ルークがちっとも信じてなさそうに言うので、思わず噴き出した。

 馬鹿にされたと思ったのか、じとりと睨まれて、俺は慌てて口元を押さえながら話を続ける。

 

「そ、そうだよ、だって――悪い意味じゃないからな――アッシュって、ルークそっくりだろ」

 

「はあぁ?」

 

「ルークも最初あんなんだったじゃん」

 

「……覚えてねー」

 

「そうだったって! 謝りたいけどどうしたらいいか分かんないって顔、よくしてたもん!」

 

「もんとか言うなよ! うぜーな!」

 

 照れたらしく、そう怒鳴り返しながらもルークの顔は赤い。

 そう、でも“ルークさん”は、よくそんな顔をしていた。

 

 言いたいことがあって、でもプライドとか照れとかいろんなものに邪魔をされて、音にならない気持ちを苦々しく飲み込んでいた、ように見えた。少なくとも俺には。

 

「……だから、アッシュも同じでさ。ただ会話のきっかけとか掴めないだけだよ」

 

「……そうかな」

 

「そうだよ、きっと」

 

 アッシュについての会話はそこで途切れ、それから俺とルークは、このひと月のお互いについての話をした。

 

 ジェイドさんがどうしたとか、ミュウがどうしたとか、そんなたわいない日常の話だったけど、次から次へと話題は尽きない。

 

 目の覚めるような赤色をしたキノコを手にしたアッシュ達が戻ってくるまで、時間を忘れて語り合った。

 

 

 

 

「見つけたぞ、レプリカ」「母上を頼む」

 

 そんな二言とキノコだけをルークに渡して、アッシュは引き止める間も無く俺たちのあいだをすり抜けて行ってしまう。

 

 ぽかんとその背を見送りかけて、彼に聞かなければならないことがたくさんあるのを思い出し、はっとする。

 しかし俺が慌てて後を追おうと地面を蹴るが早いか、強い風に髪をなぶられた。

 

 耳に届くのは風を纏うような独特の駆動音。

 見上げれば見慣れた形の飛空挺。

 

 一瞬、停めておいたアルビオールを盗られたのかと思ったが、よく見ればカラーリングがルーク達のそれとは異なる。

 

 隣のルークが あーそうかと声を上げた。

 

「アッシュが三号機使ってるんだよ。シェリダンでアストンさんが言ってた」

 

「……それにしても行動が早いなあ……」

 

 目を細めて、飛び去っていく三号機を眺める。

 

 まるで一分一秒も惜しいというような行動力だ。

 事情は分からないけどそんな急ぎの用事があるのにシュザンヌ様のためにここへ来たのだろうか。

 

 やっぱり顔つきは怖いけど良いやつなんだよなぁ、とひとり納得していると、大佐はひとつ息をついて、だけどさほど困ってはいなさそうに「仕方ありませんね」と言った。

 

「まあアッシュもこちらも追っているものは同じなのですから、いずれまたどこかで行き合うでしょう」

 

 それより今はシュザンヌ様、という方向でまとまった話と、アッシュに託されたルグニカ紅テングダケを手に、俺たちは再度バチカルに針路をとった。

 

 

 

 そして届けたキノコですぐに薬が調合され、無事シュザンヌ様のもとに届けられた。

 

 ついでにお見舞いをと何食わぬ顔で訪れたはずの寝室で、シュザンヌ様は届いたという薬とルークを見比べ、「あなたまさか……」と優しげな眉を精一杯つりあげる。

 

 恐るべし母の勘。

 あっさりとルーク達が材料を採りに行った事を見破られてしまったが、ルークはそれを探したのは自分ではなくアッシュだと伝えていた。

 

 だからお礼はいつかアッシュがこの家に帰ってきたら言ってやってほしい。

 

 そう告げたルークに、シュザンヌ様は微笑んで「そうね」と頷きながらも、最後にティアさん達やルークにお礼を言っていた。

 

 大佐いわく薬に使うルグニカ紅テングダケは極少量で、今回採ってきた分でしばらくは補えるということだから、その間にセントビナーのほうにお願いしておけば何とかなるだろうという。

 

 安心したところで、みんなは改めてダアトに向かう事になる。

 

 するとそれまで明るかったアニスさんの顔色はまた落ち込んでしまっていた。

 もしかして、もうちょっと息抜きがしたかったのかもしれない。

 

 

 

 移動中のアルビオールで、俺はめずらしく後ろのほうで憂鬱そうに壁に背を預けているアニスさんの隣にそっと並んだ。

 すると不思議そうにこちらを見上げてきたアニスさんに、気の抜けた顔で笑って返す。

 

「アニスさん。いろいろ落ち着いたら、今度グランコクマに来てくださいよ」

 

「なにとつぜん~」

 

 自分でも唐突だなと思う提案に、小さく噴き出した彼女の顔に明るさが戻ったのを見て、へへへ、と笑みを深めた。

 

 今ダアトに行くのをやめることも、もう少し気晴らしに連れてってあげる事も出来ないけど、これくらいならば俺にだって出来ると思う。

 

「たまには仕事抜きで遊んだっていいじゃないですか。そしたら、オレが色んなところ案内します!」

 

 頼りない胸を一生懸命 張って、とんと拳で軽く叩いて見せる。

 今まで冗談を聞いてるようだったアニスさんの大きな茶色の瞳が、そこでくるんと丸くなった。

 

 

 短い沈黙が落ちて。

 

「……ご飯は、リックのオゴリだからね」

 

「はいっ!」

 

 やがてぽつりとそう呟いたアニスさんに、俺は満面の笑みで頷いた。

 

 

 





“アニス・タトリン”なら「経費全部そっち持ちなら行ってあげてもいいよぉ♪」って軽く返さなきゃいけなかった。

それなのに「ご飯おごりならね」なんて言ってしまったのは“アニス”で、“アニス”は本当に本当にほんの少しだけイオンに似た笑顔をする見た目だけは年上の“男の子”に、塗り固めていたものが少しだけ剥がれてしまったんだったり、なかったり。


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Act53 - ダアトの導師守護役

 

 

 ダアトの教会で、イオンさまは変わらない穏やかさで俺たちを迎えてくれた。

 俺の姿を視界に留め、その表情をほっとしたように緩めてくれる。

 

「リック。アニスから話は聞いていましたが、本当に傷の具合は良いみたいですね」

 

 安心しました、というイオンさまに、こんな一兵士のことで心配をかけて申し訳ない思いと、やはりこみ上げる純粋な嬉しさに照れ笑いを浮かべて後頭部をかく。

 

 一度笑みを深めたイオンさまだったけど、すぐに顔色を曇らせて、ティアさんを見た。

 

「アニスから、ティアが倒れたと聞きましたが……」

 

 その言葉にこちらも少し前の状況を思い出して肩をはねさせる。

 ダアトに入った直後、ティアさんが突然めまいがしたと倒れたのだ。

 

 色々とめまぐるしくてすっかり失念していたけど、ティアさんの体に溜まった瘴気の問題は無くなりも消えもしていないのだという事を思い知らされ、はねたばかりの肩をゆっくりと落とした俺に、ティアさんが苦笑して「大丈夫よ」と言う。

 

「イオン様も……ご心配をおかけしてすみません。私なら大丈夫です、問題ありません」

 

 ティアさんはいつものように毅然とした対応をするけど、顔色が良くない。

 とても大丈夫とは思えないとイオンさまが心配そうに眉を顰めた。

 

「そういえばアニスはどうした?」

 

 辺りをぐるりと見回したガイが首を傾げる。

 ティアさんが倒れたときにアニスさんがイオンさまを呼びに行ってくれたのだが、確かにまだ戻ってきていないようだ。

 

 先に戻ると言っていたのだけれどとイオンさまも不思議そうに目を丸くしていたが、すぐ戻ってくると思うからと俺たちは先にイオンさまの部屋に向かう事にした。

 

 どこに行ったんだろう。

 明るく揺れるツインテールを探してざっと視線を泳がせたが、やはり、その姿は見当たらなかった。

 

 

 

 部屋で簡単にティアさんを診たイオンさまが、顔つきを少しだけ厳しいものにする。

 いわく、新たに瘴気を吸わない限りここまで消耗するとは思えないとの事だ。

 

 でもオールドラントに瘴気はもう発生していない。

 プラネットストームにいくらか混じっていたとしても、それは問題ないものらしいのだけど。

 

 ティアさんの体の中にある瘴気を取り除く方法を考えたほうがいいのではとナタリアが提案するも、それはティアさん本人に却下……というか、その可能性はないと否定されてしまった。

 

 確かにあのベルケンドの学者さんが無理だと言うものを俺たちがどうにか出来るとは思えない。

 唯一なんとか出来そうな大佐が何も言わない以上、もどかしい話だけど打つ手なしというやつなのだ、きっと。

 

 そんなとき、ずっと静かに考え込んでいたイオンさまがおもむろに口を開いた。

 

「……あの、実は僕、ティアの瘴気を無くす方法に心当たりがあるんです」

 

 思いもよらないひとからの、思いもよらない言葉に目を見開く。

 集まった視線を受けて、イオンさまは少しだけ言いづらそうにしながら、その続きを紡ぎ始めたのだが。

 

「ただ、それを行うには、僕の――」

 

「イオン様! 大変です!」

 

 盛大な音を立てて開いた扉と、そこから響いた聞き慣れた声に、俺はまた違う意味で目を丸くしてそちらを振り返った。

 

 そこにはさっきから姿の見えなかった、軽快なツインテール。

 アニスさん、とその名を呼ぶより先に彼女は「外が大変なんです!」と再度 声を上げる。

 

「瘴気がばーんと出てきてマジヤバですよぅ! イオン様! 来て下さい!」

 

 あまりの勢いにぽかんとしている内に、アニスさんはイオンさまの手を引いて部屋を飛び出して行ってしまった。

 

 今アニスさんはなんて言っていただろう。

 外が大変? 瘴気がばーん?

 

 ……瘴気がばーん!?

 

「ば、ばばばーんですよ大佐! あっそうかだからティアさんがっていうか、だって瘴気は、ええ!?」

 

「……とりあえず頭を冷やしなさい。まあ、外に出てみれば分かるでしょう。行きますよ、リック」

 

「は、はいっ!」

 

 颯爽と歩き出した大佐の後に続いて部屋を出た。

 腰元にある剣の存在を確かめながら、ちょこっとだけ冷やした頭で考える。

 

 瘴気がばーんってことは、ただでさえ限界に近かったティアさんの体が大変で、ようやく生活が落ち着いてきたはずの国民の皆さんも大変で。

 

 要するに、ものすごく大変なことなんじゃないだろうか。

 

 冷やしてなお、これしか分からない頭では今はどうしようも無さそうだったので、とりあえず大佐に遅れないよう、皆と一緒に一階へ降りる譜陣の上に乗った。

 

 

 譜陣での移動独特の浮遊感と眩しさが消えて、ゆっくりと開いた視界に飛び込んできた光景に、思わず一歩あとずさる。

 

 俺たちを囲むようにずらりと並び立つ兵士達。

 出で立ちだけを見れば信託の盾騎士団のようだが、どうも正規兵ではなさそうだ。

 

 それというのも、彼らを従えている相手がすでに信託の盾の人間ではないからに他ならない。

 

 魔弾のリグレット。

 

 元軍人らしくすらりと伸びた立ち姿でルーク達の前に立ちふさがったのは、ロニール雪山で一度は決着をつけたはずの人だった。

 

「動くな」

 

 リグレットは淡々とした声で短く言うと、銃を構える。

 なんの真似だ、と問うルークに彼女は、今おまえ達に動かれては迷惑なのだと僅かに眉を顰めた。

 

 ああもう瘴気ばーんの件もあるのに。

 

 立て続けに襲いくる非常事態に軽く混乱気味だった俺の頭は、次の瞬間に現れた新たな事態を受け、巡り巡って、平静を取り戻した。

 

 突如現れて、立ち並んでいた兵士を跳ね飛ばしたライガ。

 

「イオン様に何をさせるの、リグレット」

 

 その隣に、小さな女の子の姿。

 

「……アリエッタ」

 

 僅かな呟きは誰にも聞かれることなく、口の中でとけた。

 ついでに、思わず零れた安堵の息も。

 

 本当に生きていたんだ。

 アブソーブゲートに来なかったからには無傷というわけでは無かったのだろうが、今見るかぎりは元気そうだった。

 ただ、泣きそうな顔をした少女は仲間であるはずの女性を睨みつけている。

 

「イオン様に第七譜石の預言の詠み直しさせるって本当なの!?」

 

 仲間割れ、というほどの鋭さではないものの、もめているには違いない。

 その会話を聞いて、ティアさんが驚いたように眉根を寄せる。

 

 第七譜石。惑星預言の詠み上げ。

 イオン様の体では、それに耐えられない。

 

 耳に届いてくる不吉な話に、剣の柄を握り締めた。

 

「ルーク! イオン様はアニスがここの教会にあるセフィロトへ連れてった!」

 

 胃の底に重いものが溜まるようなこの感覚に覚えがあると感じた自分の思考に蓋をして、とにかく目の前の事にだけ集中しようと顔を上げる。

 

 ダアトのセフィロトといえば、この地面がまだ外殻にあったころ。

 パッセージリングの操作をするため、ここにある譜陣から飛んだザレッホ火山。

 

 そういえばあのとき、アニスさんの様子がずっとおかしかった事を思い出す。

 いつだって物事を真っ直ぐに見据えていたアニスさんの大きな茶色の目が、あのときだけは、俺たちを見なかった。

 

 ぶるっと首を横に振る。

 考えるのは後だ。

 

 足止めをしてくれるつもりらしいアリエッタを残していく事は気にかかったが、とにかく二人を探さないと。

 

 

 前と同じ道すじを辿るように追いかけた先、譜陣がある部屋に通じる書庫。

 そこにはアニスさん、イオンさま、そして護送船から消えたモースの姿があった。

 

「アニス、これは一体どういうことなんだ?」

 

「……それは」

 

 問いかけるルークに、アニスさんが口ごもる。

 

 揺れる茶色の瞳はこちらを捉えない。

 地面に落とされたままの視線がさみしくて、アニスさん、と小さく零した呼び声に、彼女の顔がほんの僅かに顰められたとき、荒くアニスさんの名を呼ぶ声が割り込んだ。

 

「裏切ればオリバーたちのことは分かっているな?」

 

 重い重い鎖のように、そう言い放ったモースがイオンさまを連れて隠し扉の向こうに消える。

 ガイが眉を顰めて呼びかけた。

 

「おい、アニス! オリバーさん達がどうしたって言うんだ?」

 

 瞬間、ひどく辛そうに歪んだ茶色の目が、すぐに鋭くつりあがり俺たちを睨みつける。

 いつも肌身離さず身に着けていたトクナガを荒い動作で掴み、彼女はそれを思い切りガイに投げつけた。

 

「うるさいな! 私は、元々モース様にイオン様のことを連絡するのが仕事なの!!」

 

 最後にそう怒鳴って身をひるがえしたアニスさんの背中が、同じく隠し扉の向こうに駆けだす。

 

「ア、アニスさ……っ」

 

 追って部屋に飛び込めば、アニスさんの姿が譜陣に溶けるように消えた直後だった。

 慌てて床を蹴って、飛び込むように譜陣を踏み込み、そして。

 

「もぶっ!!」

 

 つんのめった勢いで、教会の綺麗な床に思い切り体の前面を叩きつけて、止まった。

 転がって悶絶する俺の傍らに膝をつき、譜陣が書き込まれた床を指でなぞった大佐がひとつ息をつく。

 

「駄目ですね、反応しません。ほらいつまで転がってるんですか」

 

「ひぇい……」

 

 大佐が立ち上がるついでに俺の首根っこを掴んで引き起こしてくれる。

 

 打ちつけた顔を押さえながら立ち上がり、うんともすんとも言わない譜陣を涙目で見つめていると、アニスさんに投げられたトクナガを静かに眺めていたガイがふと眉根を寄せて、本体とその背にリュックのように取りつけられた白い袋の間から、何か紙のようなものを取り出した。

 

 手紙だ。ルークがそれを読みあげる。

 

 

 “ザレッホ火山の噴火口からセフィロトへ繋がる道あり”

 

 “ごめんなさい”

 

 

 いつも明るい文字で、明るい言葉で綴られた彼女の手紙を読んでいた。

 でも、細い字で書かれたそれはまるでアニスさんの手紙じゃないみたいで、俺はガイの腕に抱かれたままのトクナガをそっと撫でる。

 

「とにかく今はアニスの手紙を信じて、ザレッホ火山に行ってみましょう」

 

 ティアさんの言葉に頷いて、みんなで急ぎダアトを発つ事にした。

 イオン様が惑星預言を詠んでしまったら、取り返しがつかないことになる。

 

 

 教会を抜けるとき、アリエッタとリグレット、あれだけいた兵士達の姿はすでになかった。

 途中で会ったトリトハイムさんの話では、アリエッタは怪我をしていたから休ませたそうだけど、リグレットの行方については分からないようだ。

 

 それと最初にアニスさんが言っていた瘴気の復活は本当のことらしい。

 

 ルークが教会の扉を開け放って、外に立ち込める紫色の空気が目に飛び込んできたとき、涙目で仰ぎみた大佐はいつもの笑顔で肩をすくめただけだった。

 

 こ、これこそ嘘だったら良かったのになあ……!

 

 

 アルビオールに向かおうとする途中で、街の入り口付近に広がる異様な光景に気づき誰からともなく足を止めた。

 

 不満の声を上げるダアトのひと達の向こう、人の出入りを堰き止めるようにして立ち並ぶ、揃いのボディスーツを着たたくさんの人達。

 

 彼らは一様に死んだような表情を浮かべていた。

 ある種の迫力に半ば感嘆して、ふへえ、と言葉ともつかない声を上げる。

 

 そして、滑らせた視線の先で。

 

 息を飲んだ。

 

「イエモンさん!? そんな馬鹿な!」

 

 ルークの驚愕がどこか遠くに聞こえた。

 

 無数に広がる、死人のような顔をした人々。

 その中にいるとても懐かしい顔をした、人たち。

 

 『良い名前じゃの』

 

 『最期くらい、名前で、呼んでくれては、どうです?』

 

 イエモンさん。

 アスランさん。

 

 頭で考えると同時に、体全体がそれを否定する。

 

 違う。

 違う、と。

 

「以前、レプリカを軍事転用するために、特定の行動をすり込むという実験をしていました」

 

 目眩がしてくる気がした。

 揺らぎそうになる足に力を込めて自分を支える。

 

「標的発見。捕捉せよ」

 

 同じであるからこそ際立つ、致命的なまでの相違感。

 同じでありすぎるから、同じではないと解る。

 

「どうしてだ、どうして姉上がいる!?」

 

 しかし確かに懐かしく親しい者の面影を映す、親しい者ではない“誰か”。

 

「出口方向のレプリカだけを始末してこの場を、」

 

「待ってくれ! そこには俺の姉上が……マリィ姉さんがいる!」

 

 途方もない矛盾と、うずまく想い。

 それは。

 

「……レプリカですよ!」

 

「分かってる! だが……!」

 

 

 それは、なんて。

 

 

 『――お兄ちゃんの偽者!』

 

 

「――リック」

 

 かけられた声に、はっとして意識を引き戻す。

 周囲にはティアさんの譜歌で眠りについたレプリカやダアトの人達が倒れていた。

 

 気づけば目の前には僅かに顰められた赤い色。

 

「……あまり長くは持ちません。行きますよ」

 

「は、はい」

 

 この状況がティアさんが体調をおしてかけてくれた譜歌の結果であることを思い出して、弾かれたように動き出す。

 それを見てまたひとつ息をついた大佐が前を歩き始める。

 

 俺は最後に一度だけダアトの教会を振り返り、すぐその後に続いて駆けだした。

 

 

 



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Act53.2 - 燃えたぎる焔の底から

 

「アニスの狙いはそれかもしれませんねぇ。私達を一気に始末する……」

 

「ジェイドッ!」

 

「冗談です」

 

「ったく……」

 

「――半分は」

 

 

 

 

 むせかえるような熱気。

 

 ぼこん、ぼこんと大きな打楽器を叩くみたいな音を立てて、真っ赤な溶岩が膨らんで弾ける様子を視界の端にうかがいながら、黙々と歩く。赤は大好きだが、これはさすがに遠慮したいものだった。

 

 赤すぎて黒く見えるという奇妙な現象に唸りながら、ずっと眺めていたせいでちかちかする目を伏せ、持ち上げる。

 

 そのとき後ろからちょいと肩をつつかれたので振り返れば、なんだか夕食がトウフフルコースだったときみたいな顔をしたガイがいた。

 

「お、おいリック。ここに来てからえらく口数少なくないか」

 

 俺は潜めた声で話すガイのちょっと心配そうな空色の瞳を一度覗き込み、すぐに顔ごとそらして俯いた。

 

「気にしないで。頼む。本当に。オレは風だ、空気だ、音素だ」

 

「なんだよ、どうしたんだ?」

 

 こちらの口調からしてさほど深刻なことではないと思ったのか、さっきまでの心配の色を消して、苦笑するような声で言ったガイを思い切り振りかえる。

 

 あまりの勢いに驚いて立ち止まったガイの正面、前を行くみんなに気づかれないように抑えた音量で、それでも精一杯に叫んだ。

 

「これ以上大佐の神経を逆撫でしたくないんだよっ!」

 

「へ?」

 

「いま大佐の機嫌が悪い。ものすごく悪い。触らぬ大佐にタービュランスなし、下手な事はしないにかぎる」

 

「そ、そうか」

 

 だいたい雪国出身なんだから暑さが得意なはずないんだ。

 そのうえ軍服ってやつはバカみたいに暑いんだし……正直俺もいま暑い。

 

 そこに来てあのさっきからのやたらと他人を刺激する言動。疑う余地は無い。

 

「とにかくそんなわけで、しばらく大人しくしてるから! たぶん今、オレの一言一句 一挙一動がまずい」

 

「うざがられてるという自覚は大いにあるんだな……」

 

 悲しいかな俺は大佐の逆鱗に触れる事に関しては免許皆伝(発行元ピオニー九世陛下)だ。

 それでも、いつもならほんの十度や二十度うざがられたくらいで諦めはしないのだが。

 

「……、うん……」

 

「うん?」

 

「あ、い、いや」

 

 なんでもないと首を横に振り、ガイが前を向いたのを確認してからひとつ息をつく。

 

 そう、きっと、大佐も悔しいのだろう。

 アニスさんが何かを抱えていたことには気づいていたのに、何もしてあげられなかったことが。

 

 生き物の侵入を拒むような暑さの向こう、

 明るくて真っ直ぐな茶色の瞳と、優しく穏やかな緑の目の無事をただただ祈った。

 

 

 

「ND2019。キムラスカ・ランバルディアの陣営は、ルグニカ平野を北上するだろう」

 

 

 

 ダアトからずっと胸の奥でうごめいていた暗く重たい予感に、気づいていながら。

 

 

 

 辿り着いたその場所。

 モース。数人のレプリカ兵。

 

 アニスさん。

 

 彼らの中心で巨大な譜石に手をあて、朗々と未来の筋書きを詠みあげる、イオンさまの背中。

 

 惑星預言の詠み上げに彼の体は耐えられない。

 アリエッタやティアさんから聞いた話が頭の奥からせりあがる。

 

「これを陥落したキムラスカ軍は、玉座を最後の皇帝の血で汚し、高々と勝利の雄叫びを上げるだろう」

 

 止めなくてはと駆けだしかけた足は、新たに詠み上げられた文節を耳にして、石のように固まった。

 

 じわりと嫌な汗が浮かんでくる。

 これはいつの話だ。遠い、遠い未来。いや違う。

 

「ND2019……最後の、皇帝?」

 

 後一年あたりで皇帝が変わることはあるだろうか。

 考えてすぐ否定する。そんなわけない。

 

 じゃあこれは。

 この預言が示すのは。

 

 太陽みたいな青の瞳が、脳裏をよぎった。

 

 反射的にジェイドさんに目をやればそこには顰められた赤。

 これは彼のことではないと言ってほしかった。しかしその表情を見て、これが近く、ひどく高い確率で起こりうる未来なのだと思い知らされる。

 

 ユリアの預言は、惑星預言は絶対だった。

 

「イオン!しっかりしろ!」

 

 混乱していた頭に響いたルークの声に、俺は我にかえってイオンさまに駆け寄った。

 イオンさまはいつもの優しい音でティアさんを呼ぶ。

 

 自分が消滅するときに、彼女の中の汚染された第七音素を貰って行くと。

 ダアトで言いかけたティアさんを助ける方法というのはそれだった。

 

「ほら……これでもう、ティアは……大丈夫」

 

 柔らかく微笑んだイオンさま。

 俺は地面に膝をつき、ルークに抱きかかえられた彼と視線を合わせるようにして、ゆるゆると首を横に振る。

 

「イオンさま。ダメです、イオンさま、イオンさま」

 

「リック」

 

 そっと差し出された手。

 それを強く握る。小さな手。

 

「あなたは、……強い人です」

 

 緑の瞳が俺を真っ直ぐに見て言う。

 じんと目の奥が熱くなった。

 

「オレは、強くなんてありませんっ。……だって、こんな臆病で、今も」

 

 あなたを、助ける事さえ。

 

 イオンさまが静かに首を横に振る。

 

「あなたは、強いひとです」

 

 繰り返された言葉に何も言えず、喉の奥に詰まったいろんなものを抑え込むように、俯く。

 

 そんな俺を見てまた笑みを深めたイオンさまの瞳が後方に移った。

 とても大事なものを包み込むような優しい仕草で、その手をゆっくりと伸ばしていく。

 

 後ろへ。

 

 アニスさんの、ほうへと。

 

「今まで……ありがとう……。僕の一番……大切な…………」

 

 

 ひとりの少年の体が空にとけるようにして、音もなく、消えた。

 

 反射的に伸ばした手の隙間を、音素の粒がすり抜けていく。

 その瞬間、ふいに全身から血の気が引いた。

 

 倒れそうなほど暑い場所にいたはずなのに、今はひどく体が冷たい。

 伸ばしたきりだった腕を緩慢な動きで引き戻し、握り締めた手の平をそっと開く。

 

 そこに何も存在しない事を認識して、びくりと身が震えた。

 

 だって、それは、いつか見た光景。

 

 無機質な部屋。消毒液の匂い。

 死人のような目をしたたくさんの人々。

 

 隣に並んでいた俺と同じような人たちがひとりひとりと音素に帰り、

 

 そして さいごに おれが

 

 

( き え る )

 

 

「―――― っ!」

 

 脳裏へ鮮やかによみがえった恐怖に、涙の滲む目を強く伏せて頭を抱えた。

 地面に膝をついたまま己を守るように体を小さくする、そのとき。

 

 温かな重みが、頭の上を過ぎた。

 

 全身に満ちていた恐怖感が すっと引いていく。

 

「……あ……」

 

 でも驚いて顔を上げたときにはもうその温もりは過ぎて、モースに怒鳴るルークの少し後ろに並んだ背中だけが見えた。

 

 金茶の髪と、青の軍服と、今は見えない真っ赤な目。

 

 記憶のいちばん奥で俺を消そうとした手は、今ひどく優しかった。

 

「ジェイド、さん」

 

 ほんのすこし口元がゆるんだ。

 そしていつになくぎこちなかったその掌を想う。

 

 あなたはまったく、いつだって不器用だ。

 

 たぶん俺が聞いたら怒りたくなるくらい今更な事を考えていたに違いない。

 湧き上がった笑みを苦笑に変えながら、立ち上がる。

 

 膝のあたりを軽く払ってから背を伸ばし、ふ、とひとつ息をついた。

 

 

 そうだリック。お前が落ち込んでる場合じゃないだろう。

 

 俺が暗くなったらそれこそ空気が重いんだ。

 いつかのアニスさんの言葉を思い出し、目元をぐいとぬぐう。

 

 俺は、俺のやるべき事を頑張ればいい。

 

「……そうですよね、イオンさま」

 

 彼の温かな笑顔が見えた気がした。

 第七譜石を仰いで、泣き笑いのような顔で微笑む。

 

 そしてぐっと胸の前で拳を握り、先に立つ背中に向けて地面を蹴った。

 

 

 

 



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Act53.3 - ダアトの夜の夢

 

 イオンさまがティアさんを。

 アニスさんがご両親を。

 アリエッタが“導師イオン”を。

 

「ママの仇だけじゃない……アニスはイオン様の仇!」

 

 それは誰もが誰かを想ったがゆえの、

 

「アリエッタはアニスに決闘を申し込む」

 

「……受けてたってあげるよ」

 

 ――哀しい結末。

 

 

 

 

 

 アニスさんを探しに行ったルークの背を見送って、俺は長い長い教会の廊下に座り込んでいた。

 とはいっても別にひとりで座り込んでるわけじゃない。

 

 隣三十センチほど空けたところには、大佐が軽く壁に寄り掛かるようにして立っている。

 

 いつもと変わらないすらりとした格好いい立ち姿。

 だけどその赤い目がどこか遠くを見ているのを確認して、立てた膝の間に顔をうずめた。

 

「あなたはアニスを探しに行かないんですか?」

 

 その瞬間を見計らったように響いた声が耳に届くと同時に、大佐が俺をどう誘導したいのかが分かった気がして思わず顔をしかめた。

 ジェイドさんはいつもそうだ。

 

「アニスさんは、ルークに任せれば大丈夫です」

 

 本音を言えば気にならないわけがなかったけれど、ここで少しでも返答に迷えば、すぐさまあの綺麗な笑顔で俺をこの場から引き離してしまうだろう。

 

 なのでとりあえず即答してみせれば、そうですか、という淡々とした返事が戻ってきた。

 また場に沈黙が落ちたのを受けてから、少し考える。

 

 アニスさんは大丈夫だ。

 ルークならちゃんと彼女の弱音を引き出してあげられる。

 俺が行ったらアニスさんは、無理にでも明るくふるまうに違いない。

 

 強いひとだから。

 ビビリでヘタレな俺に心配かけないようにって、強がってしまうだろう。

 

 でも、だけど、ルークは。

 

 そう――ルークなら。

 

 じりっと胃の底が焼けついたような感覚を覚えたのは一瞬で、口を開こうと顔を上げたころには、もうそんな気がしたことさえ忘れていた。

 

 先ほどアニスさんの行方を尋ねに来たルークに大佐が返した言葉を思い出す。

 

 『人間一人になりたい事もあるでしょうから』

 

 アニスさんを探すのはルーク達に任せると、いつもの笑顔でそう告げた。

 でも。

 

「一人になりたかったのはジェイドさんのほうだ」

 

 零した言葉は、俺が思った以上にすねた響きを帯びていた。

 

 これじゃただの子供の駄々みたいだと顔をしかめて閉口し、改めて、今度は出来るだけ落ち着いた音になるように気をつけて口を開く。

 

「今のジェイドさんをひとりになんてしませんよ。だって、さっきの、惑星預言のこと考えてるでしょう」

 

「……何を言うんだか」

 

「分かりますよ、絶対考えてる」

 

 はぐらかそうとしている、というには勢いのないジェイドさんの返事を聞いて、「やっぱり」と口の中で呟いた。

 

 俺はバカだから、ジェイドさんが本当に何かを隠そうとしたならば、それを見破るだけの洞察力も、聞き出すだけの技量もないから、簡単に騙されてしまうだろう。

 だからジェイドさんが本気で俺をはぐらかしに掛かる前に、先手を打って口を開く。

 

「ダメです」

 

「何がです」

 

「……ダメです」

 

 また口調が子供じみてくるのを感じながら、緩々と首を横に振る。

 ジェイドさんの視線が俺の後頭部に落とされるのがなんとなく分かった。

 

 そしてジェイドさんが考えていることも、なんとなく、分かる。

 

「ヴァンのしている事はもしかして間違ってないのかもしれない。あの預言を聞いた瞬間、オレも……ちらっとだけどそう思いました」

 

 結末を詠んだ、預言。

 だけど世界の終わり以上に恐ろしかったのは、たった一年後。

 

 (―― 玉座を最後の皇帝の血で汚し ――)

 

 ぎゅっと一度強く目を瞑った。

 そしてそれを振り払うように顔を上げ、目の前の壁を睨む。

 

「でも、だからこそ、あの方法はオレたちが望むものじゃないです」

 

「……別に私は、今更ヴァンに寝返るとは言ってませんよ」

 

「オレ、頭良くないから、ジェイドさんがウソ言ってるか本当を言ってるかとか分かりません。だけど大好きなひとがどんな顔してるかくらいは、分かるつもりです」

 

 なるべくはっきりとした語調で言い切れば、隣で僅かに口ごもった気配がした。

 ジェイドさんがこうして俺に押し切られてしまう時点で十分変なんだ。そんな彼をどうすれば留められるか、必死に頭を回しながら言葉を紡ぐ。

 

「違う道を探しましょう。戦争とか、レプリカとか、そんなのじゃなくて。だってヴァンと同じような方法を取って、もしも成功したとして……ジェイドさんはそれを忘れない、フォミクリーみたいに」

 

 ずっとずっと、重たいものを背負って生きて行く。

 そういう方法をジェイドさんに取らせてしまった陛下だって同じだ。

 

「オレは」

 

 もしかしたら国民や陛下が助かれば二人はそれでいいのかもしれないけど。

 そんなの。

 

「オレは、ジェイドさんやピオニーさんが辛いだけの方法なんて絶対にイヤです!」

 

 そんなの、俺が嫌なんだ。

 

 全て一気にまくし立ててから、通路に短く反響した自分の声が消えたあたりで、自然と目線が床まで下がる。

 

 ジェイドさんになんて生意気な口を聞いてるんだろう。

 いやでも、これはしっかり言いたかったことで、で、でも怖い。

 

 さぁタービュランスか、アブソリュートかと脅えてたが、いつまで経っても詠唱は聞こえてこない。

 

 代わりに降って来たのは小さな溜息。

 おそるおそる見上げたジェイドさんは、なんだかひどく柔らかく、苦笑していた。あまりにめずらしいその表情に思わず動きを止める。

 

「まったく、……強くなりましたね」

 

 そしてぽつりと空間を揺らした声に、目を見開いた。

 

 今ジェイドさんが褒めてくれた?

 え、聞き違い?

 

「……ジ、ジェイドさん! もう一回! もう一回っ!!」

 

「さーてそろそろアニスを迎えに行きますか」

 

 思わず詰め寄った俺をさらりと受け流して歩き出すジェイドさん。

 勢い余ってまた床に倒れ込んだ俺は、こちらもまた打ちつけた顔を抑えながらよろよろと立ち上がる。

 

 うう、もういつものジェイドさんだ。

 

 だけど颯爽と歩くその背中がさっきよりちょっと元気になったように見えて、良かったなぁとひとつ安堵の息をついた。

 

 それにしても最近 ジェイドさんは譜術を使わないなぁ。

 あ、いや、もちろん魔物とかには使うんだけど、俺に。

 

 すごく喜ばしい事であるはずなのに、どこか空洞の空いたような気持ちに首を傾げて、長い廊下へ足を踏み出した。

 

 

 

 

「私、もう少しみんなと一緒にいて、考えたいんです。私がこれからどうしたらいいのか」

 

 礼拝堂の中からルークと一緒に出てきたアニスさんは、そう言って小さな手を握り締めた。

 

 でも泣いた名残のある茶色の瞳は、アニスさんらしい強い光を映していたから、たとえ乗り越えたわけじゃなくても、彼女はひとまず大丈夫だろうと口元を緩める。

 

 そうして全員がそろったところで、これからの事について話し合った。

 

 事情を知っていそうなアッシュの足取りはつかめない。

 預言の取り扱いについての会議も、イオン様が亡くなったばかりとあってはしばらく出来そうにない。

 

 残るは瘴気の問題。

 そこでアニスさんが、イオン様が詠んだ最期の預言を活用してほしいと声を上げた。

 

 芋づる式に浮かんでくる嫌な記憶をなんとか振り払って、アニスさんが言う部分の預言を思い出す。

 

「聖なる焔の光は穢れし気の浄化を求め、キムラスカの音機関都市へ向かう」

 

 音機関都市といえばやっぱりベルケンド。

 他に手掛かりらしいものも無いし、イオン様が残してくれたものを大事にしたい。

 

 ベルケンドに行く方向で話が纏まって、アルビオールを停めてある場所に向かうため瘴気の立ち込めるダアトの街並みを歩く。

 

 俺が歩く位置は相変わらずの最後尾。

 

 その目の前でひょこひょこと、やっぱり普段より落ち込んだ調子で揺れるツインテール。

 ちょっと考えてから、歩調を速めて隣に並んだ。

 

「アニスさん、ぜんぶ終わったらきっとグランコクマに来てくださいね」

 

 アニスさんの顔を覗き込むように上半身を傾けて、笑う。

 ダアトに来る前にした約束を再度口にした俺に、アニスさんは僅かに目を丸くした後、微笑んだ。

 

「……へへ。もーリックってばさ、気使っちゃってぇ。良い子良い子!」

 

 ぐっと背伸びして手を伸ばしたアニスさんが俺の頭をぽんぽんと撫でる。

 

 どうしても弟扱いなのが少し寂しかったけど、それでも笑ってくれるならいいかと俺もいつもの情けない笑みを返した。

 

 

 



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Act54 - ベルケンド歯ぐるま殺人事件?

 

 

 ベルケンドについた早々、俺たちの目の前でひとりの男性がばたりと倒れた。

 

 ティアさんがすぐに治癒術をかけたけど、その人が起き上がる気配はない。

 間も無くして、緩々と首を横に振ったティアさんに、俺は衝撃で一歩あとずさりながら大佐をかえりみた。

 

「は……犯人はこの中にいたりするんですか!?」

 

「療養中の本の読み過ぎです」

 

 人聞きの悪い、とちょっぴり眉をしかめた大佐が至って真剣な顔で話を続ける。

 

「第一私ならもっと上手くやりますよ。こんな下手をしたら自分に疑いが掛かりそうな状況ではしませんね、絶対に」

 

「あんたが言うとシャレになってなくて怖いな」

 

「おや、シャレに聞こえましたか?」

 

「…………」

 

 半眼で突っ込んだガイにきらきらとした笑みを浮かべながら返す大佐。

 懸命な彼がそっと口をつぐんだ。俺も静かに目をそらす。

 

 そんなやりとりをこなすうちに少し落ち着いた気がする。

 改めて倒れた男のひとに目をやろうとすると、ちょうど向こうから騒ぎを聞きつけたキムラスカ兵が駆けてくるところだった。

 

 するとその兵士は取り乱すでも、俺たちに容疑をかけるでもなく、ひとつため息をついて「これで今日は三人目だ」と呟いた。

 

 話を聞くと、ここ数日、先ほどの男性のように突然命を落とす人が増えているという。

 

 あとこれは確かな調査の結果というより、この兵士さん個人の考えのようだが、ローレライ教団に預言を詠んでもらいに行った直後に倒れる人が多いらしい。

 

 でもそれはおかしな話だ。

 アニスさんが、すでに教団では預言の詠み上げを止めている件を持ち上げる。

 

「いや、この瘴気ってのが出てくる、ちょっと前から再開したみたいだぜ。旅の預言士が各地を回っててね」

 

 亡くなった男性を肩に担ぎあげながら、俺も詠んでもらったぜ、と言う彼に嘘をついているような様子はない。

 とすれば、いったい誰が預言の詠み上げをやってるんだろう。教団の人かな。

 

 その預言士はバチカルのほうへ向かったようだという情報を残して、兵士さんは立ち去ってしまった。

 

「大佐、預言を詠んでもらうのって危ないんですか?」

 

 預言を詠んでもらった後に突然死するという今の話。

 ほとんど教会へ足を運ぶことの無かった俺は真偽を計りかねて、おそるおそる尋ねる。

 

「そんなわけないでしょう。預言と突然死、それ自体は無関係です。 ですが……」

 

 大佐は一度言葉を濁し、しかしすぐに口を開いた。

 

「今のは、フォミクリーでレプリカ情報を抜かれたのかも知れませんね」

 

 実験で、情報を抜かれた被験者が一週間後に亡くなったり、障害を残したりした例があったらしい。それがさっき倒れた人の症状とよく似ているとか。

 

 俺の被験者は確か戦で亡くなったはずだから、レプリカ情報云々は直接の死因ではないはずだけど。

 もしもレプリカが作られたせいで被験者が亡くなったとしたら、被験者の家族や、親しい人たちはどう思うのだろうか。

 

 あまり楽しくない想像に頭が向かうのを感じて、ぶんぶんと首を横に振る。

 

「おーいリック! 何やってんだ、行くぞー!」

 

「え? あ、うわっ、待ってよルーク!」

 

 振り返って手を振るルークの声で、すでに歩き出していたみんなに気づいて、慌ててその後を追った。

 

 

 

 

 辿り着いたのは第一音機関研究所。

 

 今は罪を償うと決めたスピノザが研究をしている場所だ。

 スピノザは自分に負けずに、しっかりと頑張ってるみたいだった。

 

 話の内容は、まず地核の振動について。

 この調子でいくとまた遠からず大地が液状化する危険性があるということ。

 

 瘴気を封じ込めるとしても、パッセージリングを停止させた今となっては前回と同じ手段は使えない。

 やはり根本的な瘴気の消滅を考えたほうがいいんじゃないかというのは、ルークの言葉だ。

 

「それなんじゃが、ルークの超振動はどうじゃろうか」

 

 超振動には物質を原子レベルまで分解する力があるらしい。

 それを使えばなんとかなるのではないかと、スピノザとここの研究員さんは言う。

 

 ルークが超振動を使えば、かぁ。

 そうか。ルークなら何とか出来るんだ。

 

(ルーク、なら?)

 

 ちかりと目の前が眩んだような、気がした。

 

「そういえば先ほどの口振りでは、先客がいらしたようですが?」

 

 一瞬どこかへ入り込みかけた思考が、ジェイドさんの声でまっさらに散らされる。

 大きく目をしばたかせて、オレ今なにを考えていたんだっけ、と首を傾げた。

 

 先客の正体はなんとアッシュだった。

 ひとまずはと諦めた早々に足取りがつかめるというのも不思議なものだ。

 

 アッシュは第七音素の流れとかいうものを調べていて、ここではロニール雪山の情報を見ていたとの話を聞いた。

 

 バチカルに向かったという謎の預言士の件は後にすることにして、とりあえずアッシュを追ってみようと、今度は一路 ロニール雪山に向かう事になった。

 

 

 第一研究所を出て、息つく間もなくアルビオールを目指して歩き出しながら、ふと考える。

 

 さっきスピノザが超振動を使ってはどうか、と提案した時、そういえば大佐が何も言わなかった。出来るとか出来ないとか、いつもなら何かしら結論を口にするのに。

 結局、超振動では瘴気を消すことが出来ないのだろうか。

 

「たい……」

 

 尋ねようと横を見て、そこに彼の人の姿がないことにようやく気付いた。

 慌ててきょろきょろとあたりを見回す。

 

 前方には先を行くガイ達の姿。左右にはベルケンドの人がちらほらと。

 

「……あれ?」

 

 そして重ねて気づき、もう一度前方を見る。

 どこにいても目を引くあの赤の髪が、その中にない。

 

 ルークまでどこに行ったのかとしばし考えて、後ろを振り返った。

 そこには先ほど出てきたばかりの研究所の扉の前で立ち止まり、何やら言葉を交わしている二人の姿。

 

 距離があるので話している内容は聞こえてこない。

 でも口論というほどではないようだけど、あまり穏やかな雰囲気でもなさそうな空気を感じて眉尻を下げる。

 

 駆け寄ろうかと迷ったが、そのときちょうど話が終わったようで、立ち尽くすルークをその場に残した大佐がこちらに歩いてきた。

 

「大佐、あの、ルーク……どうかしたんですか?」

 

「なんでもありませんよ」

 

 前を見据えたままの大佐が切り捨てるようにそう言って、立ち止まっていた俺の横を通り過ぎて行く。

 目の前を流れた金茶の髪を見送って、声をかけるときに持ち上げた右手を緩々と下ろした。

 

「そう、ですか」

 

 行き場を無くした右手をしばし眺めた後、今度は後方のルークに向けて持ち上げ、思い切り振る。

 

「ルークー! 行こうー!」

 

「……あ、ああ」

 

 何故かぎくりとしたように顔をあげたルークが重い足取りで歩き出すのを見届けて、俺は自分自身わけもわからないまま、ひとつ息をついた。

 

 

 



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Act55 - 兵士A(前)

ガイ視点


 

 

 雪の降りしきる山で一番に見つけたのは、アッシュではなく、そろそろ見慣れた顔になりつつある三人組だった。

 

「あらん。坊や達もローレライの宝珠を探しているの?」

 

 そういって手鏡を閉じたノワールとその後ろに続く二人の姿にリックが、あっと声を上げて彼らを指さした。

 

「し……漆黒の……えーと、噂!!」

 

「そりゃあ悪そうな噂だねぇ。そろそろわざとやってないかい?」

 

「翼も前回まで言えてたでゲスよ」

 

 半眼で見られて、リックは心外だというように眉をきりりとつりあげる。

 そして彼にしては目一杯張った胸に右手をあてて言い返した。

 

「わざとなわけないだろ! オレは真剣だ! 真剣に覚えられないんだ!」

 

「……お前それはそれで問題があるな」

 

 少し同情的な語調でヨークが言うと、ノワールもやれやれと肩をすくめ、紅の乗った唇に笑みを浮かべていた。

 

「つーか、なんでお前たちがローレライの宝珠の事を知ってるんだ!」

 

 いつの間にか随分親しくなったんだなとリックと彼らの関係に首を傾げていると、一連の流れですっかり忘れかけていた疑問をルークが持ち上げる。

 

「そりゃあ、アッシュの旦那がうるせぇからな」

 

 外殻降下騒動のときの漆黒の翼とアッシュの契約は、どうやらまだ継続していたようだ。

 彼らいわくルークが宝珠を受け取り損ねたと憤慨していたという。そしてそのアッシュは今、奥で宝珠を探している。

 

「……アッシュを追いかけよう! 今度こそあいつと手を組むんだ!」

 

 言い争いになるのがオチだと思うけど、とノワールが独り言のように呟くのを聞きながら、みんなは前に足を踏み出す。

 

 アッシュが何か知っているかもしれない、という漠然とした手掛かりしか無い以上、少々喧嘩になろうが行かなければならないだろう。当のルークもその気のようだ。

 

 自分もと後に続こうとしたとき、ふと真後ろにいたリックの足音が聞こえてこないことに気づいて振り返る。

 呼びとめられたのか、彼はノワール達の傍で立ち止まっていた。

 

「そういえば名前を聞いてなかったねえ、坊や」

 

「……え」

 

 リックがなぜか驚いたように目を見開いたのが見えた。

 

「ま、知ってるだろうけど、あたしはノワール。そっちがウルシーとヨークさ」

 

「…………」

 

「坊やの名前は?」

 

「え、あ、オレは……リック」

 

「そうかい、リック。覚えとくよ」

 

 彼女は、アッシュの機嫌が良い時など見たことがないが、今は特に悪いだろうからせいぜい気をつけるようにと、

 忠告内容に反して少々愉快げにそう言って、身をひるがえす。

 

 去ろうとする三つの背中を呆然と眺めていたリックだが、近くでどさりと雪の塊が落ちたのを切っ掛けにして、弾かれたように声を上げた。

 

「ノワール!」

 

 ほとんどの音が吸収されていく雪の中、その声はちゃんと彼らに届いたようだ。

 振り返った三人組が不思議そうにリックを見返す。

 

「あの、ええと、ヨークとウルシーも」

 

「なんだよ」

 

 思わず手を貸してやりたくなるようなたどたどしい喋りと泳ぎまくる視線に、小さく噴き出したヨークの促しを受けて、リックはようやく真っ直ぐと彼らのほうを向いた。

 

「ここも魔物出るから、気をつけて」

 

 彼らがこの場所で待機する、と言っていたからだろう。

 察したらしいノワールが自信に満ちた顔で腕を組んだ。

 

「ふふ、みくびるんじゃないよ。腕っ節ではあんたらに敵わなくても、逃げ足で負ける気はないね」

 

「……そっか」

 

 ノワールの言葉を聞き、リックが ほっと息をついて笑みを浮かべる。

 

 まんざらでもないように目を細めたノワールは、一度開いた手鏡をまた閉じると同時に ぱちんと片目を瞑った。

 

「がんばりな。それがあんたの目標だろう?」

 

 そして今度こそ去って行ったその背中を見送る、嬉しそうな困ったような、複雑そうな笑顔のリックの背に声をかけた。

 

「そろそろ行かないとジェイドに置いて行かれるぞーリック」

 

「うわーーーーー!!! ……え? あっ、ガイ待っててくれたのか!? ごめんすぐ行く!」

 

「あ、ああ」

 

 置いて行かれるという単語に脊髄反射で上がったらしいリックの悲鳴に、軽い気持ちでそれを口にした己の心臓がばくばくと弾む。

 

 詫びではないがせめて今の言葉が現実とならないよう絶対みんなに追い付かねばと、妙な責任を感じつつ、遅ればせながら俺たちも後に続いた。

 

 

 

 ザレッホ火山とは真逆の温度で生き物の侵入を拒むこの地にも、例外なく魔物は存在するようだ。

 現れた数体のそれらを前に、剣の柄に手をやる。

 

「グラスルーダとアイスリザードです! 前者は第二音素、後者は第五音素が弱点ですが反対に第四音素は効きづらくなってます! 落とすガルドは基本315ガルドと330ガルド! アイテムが、」

 

「リック、リック待った、ちょーっと待った。……どうした?」

 

 おそらく俺とジェイド以外の全員のものであろう疑問を口にしたルークが、リックの肩をがしりと掴んだ。

 俺とてグランコクマでその様子を見ていなければ同じことをしただろう。

 

「ケガ療養中に魔物の勉強したんだっ!」

 

「なんで」

 

「……もう陛下に騙されないために」

 

 輝く瞳で告げていたリックが静かに遠い目になる。

 仲間たちの間にも納得の空気が流れた。

 

 自分がイオンにディストの件を報告するためグランコクマを出る直前も、ジャバウォックという魔物が会議室にいるから退治してきてくれと適当なことをうそぶかれていた。そこにいるのは魔物ではなく仕事をしない陛下に日々胃を痛めている大臣達だ。

 

 しかしリックの勉強はちゃんと身についていたようで、そのときもしっかり嘘と見破っていた。

 

 そんなウソならみんな気づくだろうと他人は言うかもしれないが、相手はそんなウソに事ごとく引っ掛かってきた男なのでこちらとしてはわりと感無量だった。

 

「ていうかそれどころじゃないでしょーが!!」

 

 リックいわくアイスリザードをトクナガで殴り飛ばしながら上げたアニスの叫びに、皆はっとする。

 

 ……戦闘中だった。

 

 

 



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Act55.2 - 兵士A(後)

ガイ視点


 

 

 

「狂乱せし地霊の宴よ、ロックブレイク!」

 

 情報通りの第二音素を使った譜術で最後の魔物を倒したリックが、剣を納めて安堵の息をついたところで、アニスもトクナガを元の大きさに戻しながら「へえ」と声を上げた。

 

「すごいじゃん。手紙で読んだけど、ホントに使えるようになってるし」

 

「へへ」

 

 療養期間で文通にも目覚めたリックとアニスのやりとりは、あれからこの旅が始まるまで、ずっと継続していたようだ。

 

 アニスもあれでいて筆まめなのでお互い楽しくやっているらしい。

 “自分の”趣味が出来たのだから、リックにとっても良い傾向だろう。

 

 すると奴は一度嬉しそうに後頭部をかいたものの、それをすぐにいつもの情けない苦笑に変えた。

 

「まあ、第二音素の術だけなんですけどね」

 

「うわー! 地味! リックらし~!」

 

「そ、そう言わないでくださいよアニスさん……」

 

 第二音素は地の属性を持っている。

 

 確かに、光だ闇だというよりはリックらしいと思うが、いくらか気にしていた様子のリックが肩を落とし、まじまじと自分の掌を見つめた。

 

「地味なのは分かってるんですけど、それが一番性にあってる感じがして」

 

「その感覚は大事だわ。感じ取れる音素の中にも向き不向きがあるもの」

 

 教え子を褒めるように言ったティアが微笑を浮かべたのに続き、ルークが首を傾げる。

 

「やっぱりジェイドに教わったのか?」

 

 問いを耳にした瞬間、自分の頬が引きつったのを感じた。

 しかし俺がルークを止めるより先に、リックはにっこりと笑って「ああ」と頷く。

 

「大佐直々に手取り足取り、タービュランス」

 

「……は?」

 

 思わず顔を押さえた俺といつもの笑顔のジェイドを除き、みんな意味が分からずに目を丸くする中、いつにない笑顔のリックが言葉を続ける。

 

「失敗するとタービュランス、構成が覚えられないとグランドダッシャー、また失敗してタービュランス」

 

「お、おい?」

 

「タービュランス、タービュランス、グランドダッシャー、たまにスプラッシュ、タービュランス、タービュランス、タービュランス……」

 

「わ、分かった! もういい、もういいよリック!! リックー!」

 

 どんどん遠い目になっていくリックを必死にゆさぶるルークの姿を視界の端に、若干青い顔をしたティアがそろりとジェイドのほうをうかがった。

 

「大佐、どういう教え方を……?」

 

「元々飲み込みは悪くない。単なる根性無しにはスパルタが一番ですよ」

 

 そう笑顔で語るジェイドのスパルタ具合をこの目で見ている身としてリックに同情しつつ、自分は今後とも絶対ジェイドには物を教わるまいと胸に誓い、形ばかりもユリアに祈りをささげた。

 

 

 

 

 ロニール雪山の奥地にあるセフィロト。

 そこにアッシュはいた。

 

「またお前達か」

 

 ノワールの情報通り、いつも以上に不機嫌そうに眉を顰めたアッシュの手には、ローレライの鍵と呼ばれる一振りの剣。

 

 この状況について問いただせば、外殻降下の日から一切接触してこないというローレライが、どうやらヴァンの中に封じられているようだという信じられない話が飛び出してくる。

 

 生きていたヴァンと、捕まったローレライ。

 ローレライを開放するために必要な、剣と宝珠。

 

 僅かながらも情報を掴めたのは幸いだが、事態は深刻だった。

 お前が宝珠を受け取っていればこんな事になりはしなかった、とアッシュが苛立たしげにルークを怒鳴りつける。

 

 ルークが受け取っていないとなると、宝珠はセフィロトを通じてどこかに投げ出されたはず。

 それを六神将に奪われればローレライを開放することは出来なくなり、地核の振動はますます激しくなって、

 

 ……この世界は滅びる。

 

 重々しい現実に皆が眉を顰めたとき、身をひるがえしたアッシュをルークが慌てて止める。

 そして、宝珠を一緒に探そう、と声をかけた。

 

「レプリカと慣れ合うつもりはない」

 

「レプリカだから、お前の助けが必要なんじゃないか!」

 

 二人の言い合いを聞きながら、小さく息をついて目を伏せる。

 どっちもどっちの、お互いさまだ。

 

 アッシュの態度を軟化させるのは、性格や、ここに至るまでの経緯を考えても少し難しい。

 となればルークが頑張って奴に歩み寄るしかないのだが。

 

 ルークがアッシュの苛立ちの原因に気づかなければ無理だろう。

 そんなことを考えながら首をひねっていた俺は、隣でどこか呆然と視線を地に落としていたリックに。

 

「レプリカ、だから」

 

 ぽつりと零れた、小さな小さな音にも。

 ――気づくことはなかった。

 

 

 

 

 宝珠についてはひとまずアッシュに任せて、俺たちは件の預言士を探しにバチカルを訪れることにした。

 だがアルビオールを表に停め、街に通じる長い橋に足を踏み入れたところで、異変に気づく。

 

 せわしなく走り回る兵士達。

 その剣呑な雰囲気に、ルークが近くに立っていた兵士の一人を呼びとめた。

 

「おい、何かあったのか?」

 

「ダアトから手配中のモースを発見して連行したんだ!」

 

 しかし隙をついて逃走されてしまい、今から街を封鎖して捜索するところなのだという。

 まだモースはこの街のどこかにいるのだ。

 

 俺たちも探そう、というルークの言葉に頷いて、足早にバチカルへ駆けこむ。

 

 奴はいわばイオンの仇だ。

 アニスはもちろん、わりと直情型なルークやナタリアが絶対に捕まえると息をまく中に、普段は冷静なティアまで混じっている事は、モースのやらかしてきた事を思えば仕方のないことだろう。

 

 自分も胃の底に煮え立つものが無いといえば嘘になるが。

 

「こんな時ほど、俺たちは冷静に、だな」

 

「そういうことです」

 

 ここで自分まで冷静さを失ってしまっては、いよいよ歯止めが効かなくなる。

 横のジェイドと確認し合いながら、気を落ち着けようと息をついた。

 

「……それにしてもリック、貴方やけに静かですねぇ。ルークと先頭争いぐらいで泣きわめくかと思ったんですが」

 

 ジェイドの声を聞いてそういえばと視線をやると、俺たちと同じくらいの位置を走る男はきょとんと目を丸くした。

 突然話を振られたのに驚いたのか、一度盛大につまづいた後、なんとか転ぶのを回避したリックが言葉を探すように頭をかく。

 

「いや、あの、なんていうか……な、なんなんでしょうねぇ?」

 

「聞き返してどうするんですか」

 

「ま、普段は先頭切って混乱するリックをなだめるはずの、ルーク達があの調子だからな。感情的になるタイミング逃したんじゃないか?」

 

「そうなのか、な?」

 

 曖昧に頷いたリックの肩をぽんと叩いて苦笑してから、さらにスピードを上げていく前方の四人に遅れないように、地面を蹴った。

 

 

 

 

 ようやくモースを発見したのは、バチカルの港。

 街が閉鎖された今、船に乗って逃げることも叶わず、追い込まれたモースが忌々しげに顔を歪める。

 

 もうすぐエルドラントが浮上するというのに捕まってたまるか、と意味の分からないことをうわごとのように唱え、私は正しいと叫んだ。

 

「そうですとも、モース様!」

 

 そのとき、聞き覚えのある声が響く。

 例の浮遊椅子に乗って上空から降りてきたディストが、モースの脇に並んだ。

 

「ディスト!」

 

 リックが声を上げる。

 

 このひと月、半ば担当の看守と化していた彼は、主成分が口論とはいえ それなりにディストとのやりとりも多かった。

 

 脱獄だけならまだしも、護送船の乗組員を全滅させた、という情報が入ってきた時、一番動揺していたのはリックだったかもしれない。

 あまり言葉にはしたことは無かったが、どこか責任のようなものを感じていたのだろう。

 

 精一杯睨み上げるリックとそれを鬱陶しそうに一瞥するディスト。そんな双方の様子を見て、ジェイドが目を細める。

 

「……ディスト。いっそのこと、ず~っと氷漬けにしておけばよかったかも知れませんねぇ」

 

「だ、黙りなさい!」

 

 底冷えのする視線にびくりと身をすくめながらも何とか言い返したディストは、気を取り直すようにモースへと向き直った。

 エルドラントへ参りましょう、と先ほどモースが言ったものと同じ名を口にする。

 

「待てディスト! わしはこの場で導師の力を手に入れる!」

 

 モースの言葉を聞いて、ディストが口元を歪めた。

 嫌な予感が背筋を走る。

 

「それでは……遠慮なく!」

 

 これから何が行われようとしているのか。

 唯一気づいた様子のジェイドの制止も聞きいれられることなく、事は進んでいく。

 

 まばゆい光が辺りに満ちて、思わず目もとを腕で覆い、……そのあとはタチのわるい悪夢のようだった。

 

 変形していくモースの体。

 歪み、ねじれて、膨らんでいく。

 

 原理は己の目と同じだと、ジェイドが言った。体に音素を取り入れる譜陣を刻んで力を上げる。

 

 しかしあれは、第七音素を取り入れる譜陣なのだと。

 

 第七音素の素養のない人間がそんなものを刻めば――。

 

 

 変異してほとんど魔物と変わらぬ姿になったモースはこのままエルドラントへ行くと飛び去り、導師の力を欲しがっていたのだから本望だろうと笑って、ディストもまたどこかに消えた。

 

 

 いつまでも港にいるわけにもいかない。

 天空客車のほうへ戻る道を歩きながら、各々先ほどの出来ごとを考えていた。

 

「第七音素を無理に扱えばどうなるかは、ディストならよく分かっていたはずなのに」

 

 いくら今までのことがあるとはいえ、モースは彼女にとって元上司だ。

 複雑そうな顔で眉根を寄せたティアに続いて、ルークが信じられないというように頭をかく。

 

 人間があんな姿になるなんてどういうことなのかと自問のように零された言葉に答えたのは、ジェイドだった。

 あのように体内に音素を取りこむ技術も、ジェイドが幼いころに考え出したものなのだという。

 

「大佐って、ホント、何でも作ってますね」

 

 アニスがぽかんとジェイドを見上げ、ジェイドはめずらしく自嘲するように口の端を上げた。

 

「時間をさかのぼれるなら、私は生まれたばかりの自分を殺しますよ。まったく、迷惑なものばかり考え出してくれる」

 

 それは俺たちにというより、ほとんど独り言だったのかもしれない。

 しかし大真面目な顔をしたルークが、それは困る、と言った。

 

 いぶかしげに眉を顰めたジェイドに、いつもより少し静かに笑ったアニスがジェイドを見上げる。

 そしてルークの言葉をおぎなうように、ルークもイオン様も生まれなくなっちゃいます、と笑みを深めた。

 

 一瞬目を見開いたジェイドが、やがて僅かに苦笑を零す。

 

「……そうですね。起きてしまったことは変えられない、か」

 

 ぽつりと漏れた呟きに混じる真っ直ぐな音に、この男も変わったものだと、普段はまずジェイドと結びつかないはずの微笑ましさというやつを、非常にめずらしくも覚えた。

 

 あのとおり感情を表に出さない男だから分かりづらいが、外殻降下の旅を経て、良い方向に変化したのはルークやリックだけではないのだと気づかされる。

 

 

 そんな会話が終わって少ししたころ、俺はふと違和感を覚えた。

 ジェイドがこういう話をして一番に騒ぐであろうはずの声がなかった気がする。

 

 目でその姿を探すと、リックは自分たちの少し前を歩いていた。

 

 先ほどの会話が届かない距離ではないはずだが。

 ひとつ首をかしげ、歩調を速めて彼の横に並んだ。

 

「めずらしいな。何も言わないのか?」

 

「え? 何が?」

 

「さっきの、ジェイドの」

 

 声を潜めて告げれば、ぴたりとその足が止まる。

 

「オレが言いたいことは、ルークとアニスさんが全部言ってくれたから」

 

 その瞳でこちらをとらえたリックが、にこりと笑った。

 何故か、つぅっと頬を汗が伝う。

 

「……そ、か」

 

 半端な笑みで頷いてかえせば、うん、と向こうもまた頷いた。

 その子供のような仕草は間違いなくいつものリックなのだが。

 

 なんだ。今の有無を言わさぬ迫力は。

 どうして俺は一瞬たじろいだのか。

 

 それは。

 

 今の笑顔が、まるでジェイドのようだったからだろうか。

 そう、本音も感情も全て隠した、完璧な笑顔。

 

 俺が思わず固まっているうちにまたさっさと歩き出したリックの背を、少しの間、呆然と眺めていた。

 

 

 




物語に関わらない。ただ主役たちの傍らにある兵士A。
最初は、それだけでよかったのに。



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Act56 - 十年目の反抗期(前)

 

 

 預言士を追ってバチカルに来たものの、何だかそれどころではない事態になってしまった。

 ディストと、魔物のような姿に変異したモース。

 

 彼らが口にしていたエルドラントという言葉が何かの鍵なのだろうと思いはするが、具体的に何を指しているのかはさっぱり分からない。

 

 こうなるとモース達の動きについて、イオンさまのいない今、現時点でダアトの最高責任者にもあたるのだろうユリアシティのテオドーロさんに報告しておいたほうがいいという話になったが、例の預言士が本当に人々からレプリカ情報を抜いているのだとすれば、そちらも放っておくわけにはいかない。

 

 やらなければいけない事の多さに若干混乱しつつも、とりあえず中心街のほうに戻ろうと港からの天空客車に乗り込もうとする直前、ルークがここまで来たついでにインゴベルト陛下に挨拶していきたいと言った。

 

 確かに俺のようなただの兵士ならともかく、ルークやナタリアが王都を素通りするわけにはいかないのかもしれない。王族も大変だ。きっと挨拶回りとかお中元とか欠かせないんだろうなぁ。

 

 軍の寮部屋が入れ替えになった際に名物グランコクマ団子を持って隣三部屋を回ったのを思い出しながら、天空客車の外を流れる景色をのんびりと目で追った。

 

 

 グランコクマの宮殿とはまた違うけど、こちらも何度来ても荘厳かつ雄大なバチカル城。

 大扉をいよいよ開こうかという時、ルークが足を止めた。

 

「あ、あのさ、俺一人で陛下に会いたいんだけど……」

 

 突然の言葉に、皆が一緒では不都合があるのかとナタリアが不思議そうに首を傾げる。

 

「……はははっ、馬鹿だなぁ~」

 

 釣られるようにして俺も首を傾げていると、ふいにガイが笑い声を上げた。

 そして、お前は嘘が下手なんだから正直に話してしまえと言って、ぱちんと片目を瞑る。

 

「実はね、ナタリア。こいつはピオニー陛下から私的な手紙を預かってるんだ」

 

「陛下から?」

 

 予想外の名前を聞いて目を丸くした。

 私的な手紙。なんだろう。

 

 陛下の手紙と聞いて思い浮かぶのは、俺が部屋でアニスさん宛ての手紙をしたためている横で、しまりのない笑みを浮かべながら一緒になって手紙を書いていた姿くらいだ。

 

 ついでに言えばすぐに陛下は執務のためにガイに連行されて行き、そのあと少しして気が向いたからと寄ってくれた大佐が、先ほど「リック出しといてくれ」と置きっぱなしだった陛下の手紙をおもむろに開いた三秒後に、この上ない笑顔で握りつぶしていたのだが。

 

「実はここだけの話ですが、陛下はあなたを王妃にとご所望なんですよ」

 

 結局何が書いてあったのかは分からなかったけど、多分アニスさんが読まないほうがいい内容だったんだろう。うん、きっと。

 

 ……うん?

 

 過去に飛ばしていた意識の途中、耳を通り過ぎて行った現在の音。

 それを何度か反芻した後、俺はぱかりと口を開けた。

 

「い、今のほんとなんですか大佐!? ナタリアを、え!?」

 

「もちろんです」

 

「初耳です!」

 

「ええそうでしょうとも。いやぁ極秘だったんですがねぇ、この際仕方ありません」

 

 陛下がナタリアを王妃に。

 その光景を頭の中でめぐらせた末、俺は目を輝かせて、混乱しているナタリアの手を取った。

 

「おめでとうナタリア!」

 

「ありがとうリック……あ、いえ、そうではありませんわ」

 

「かつては敵同士だった国の王子、は年齢的に無理か! そう、王さまとお姫様が結婚だなんて! 二人が平和のかけ橋になるんだよな!」

 

「私にはルークが、でもアッシュもいて、こ、この場合どうなるのでしょう……?」

 

「もつれあう糸と糸。ひとりの女の子をめぐって夕日を背に殴り合う男三人。やがて彼女が選ぶのは……!」

 

 拳を握って、紅潮する頬で熱弁をふるっていると、ぽかりと後頭部をはたかれる。

 やけに軽いなとは思ったものの、当然のように赤の目を思い浮かべて振り返った俺の視界に広がったのは、穏やかな空色だった。

 

 ナタリアに秘密で手紙を渡すように言われているのだと、苦笑しながら告げるガイの目線が他のみんなのほうにそれたのを見てから、数度、ゆっくりと目を瞬かせた。

 

 ガイに はたかれた頭に手をやる。

 しかし“叩かれた”というより“置かれた”に近い柔らかさで拳が当たったその場所に痛みはない。

 

「さあ、ルーク。行きましょうか」

 

 聞こえてきた声にはっとして顔を上げれば、何故か大佐とガイに片腕ずつを固定されたルーク、アニスさん、ティアさんが城の中へ入ろうとしているところだった。

 

 そのあとに続こうと急いで足を踏み出したとき、肩越しにこちらを振り返った大佐がにっこりと笑みを浮かべる。

 

「リックはナタリアと一緒にここで待っていてください」

 

 前に進もうとしていた体を無理に引き止めた反動で軽くつんのめる。

 なんとか体勢を立て直し、目を丸くして見返した大佐は、やはりいつもどおりに笑っていた。

 

「え、っと、はい。了解、しました」

 

 こくこくと数度頷いた俺を確認して、大佐が前を向く。

 そして俺とナタリア以外のみんなを飲み込んだ大扉は、僅かなきしみだけを残して、また外と中の境界線を守るべく口を閉ざした。

 

 その向こうに消えた背中はもう見えない。

 

「……………」

 

 じわりと、腹の奥が熱を帯びたような、気がした。

 

「リック?」

 

「……はひえぃ?!」

 

 いつのまにか目の前に迫っていた深緑色の瞳に、びくりと身をはずませる。

 返事にも悲鳴にもなりきらなかった中途半端な音が零れた。

 

 弾む心臓に手をやりながら改めてナタリアを見返すと、彼女は僅かに首を傾げ、その大きな瞳を不思議そうにしばたかせながら俺を見る。

 

「どうしましたの? なにか、変な顔になってますわよ」

 

「変って……」

 

 ひどいなそれ、と苦笑を浮かべれば、ナタリアがおかしそうに笑い、それを見てまたつられるように笑みを零した。

 

 そうして二人で扉前の階段に座り込んで、「ねえねえ正直なところ誰が好み?」「まぁいやですわそんな……」等わくわくと会話をかわす。

 

 しかし陛下とナタリアについてひとしきり喜んだ後で何だが、今更ながら俺はほんのりと疑問を覚えて内心首を傾げた。

 

 そろそろ相手を探せと大臣さん達に口々に言われたり、街ゆく女性やお城のメイドさんを見かけるたびに口説いているあの人だけど、なんだかんだと未だに(大佐いわく「しつこく」)ネフリーさんを想い続けているようなのだ。

 

 その陛下が、こんなに突然 心変わりをするものだろうか。

 

 うぅんとひとつ唸った末、これもあのアニスさんへの手紙と同じ、いつもの軽い調子の女癖なのかもしれないと結論付けた。

 

 それにしても、陛下とナタリアか。

 ……見てみたかった気もするなぁと考えて、俺は小さく噴き出した。

 

 

 






>「い、今のほんとなんですか大佐!? ナタリアを、え!?」
>「もちろんです」
>「初耳です!」
>「ええそうでしょうとも」

嘘ですから。
(by.ジェイド)


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Act56.2 - 十年目の反抗期(後)

後半にガイ視点


 

 

 あの後、戻ってきたルークに興味津々つめよったところによれば、インゴベルト陛下はアッシュかルークのどちらかで、という意向だったらしい。

 ということはピオニー陛下は玉砕なわけだけど、それでも三角関係か、と切ない愛の予感にひとり頬を赤らめて瞳を輝かせる。

 

 すると隣を歩いていた大佐が呆れたように目をすがめた。

 

「相変わらず他人の色恋沙汰が好きですねぇ」

 

「もー、大佐はまたそういう情緒のないこと言うんですから!」

 

 人差し指を立てて少々自慢げに愛と平和の素晴らしさを説く俺に、大佐は「はいはい」と軽くあいづちを打ちながらケセドニアの街並みに視線を滑らせる。

 

 挨拶に行ったルーク達は、バチカルの城中で、例の預言士がケセドニアへ向かったという情報も掴んでいた。

 まずはその預言士を追う事になり、テオドーロさんへの報告はその後だ。

 

 ケセドニアの人々は、一時期 魔界での生活を経験した事があるからだろう、瘴気の復活にも思ったほど動揺している様子はなかった。あくまで見た限りは、だが。

 

 そんなことを考えた次の瞬間、ふいに道の先からざわめきが聞こえてきた。

 

「あちらに人だかりがありますわ」

 

 行ってみましょう、と走り出したナタリアを追っていくと、国境付近、アスターさんの屋敷の門の前で、ひとりの人を囲むようにたくさんの人間が立ち止まっているのが見えた。

 

 中心に居るその人物が、幾分芝居ががった動作で腕を振り上げる。

 

「預言を求める者はボクと共に来い。そこで預言を与えよう!」

 

 かと思えば、響いてきたのはなんだかすごく聞き覚えのある声。

 人ごみの隙間から見えた姿にぽかんと目を丸くして“彼”を見つめる俺の脇を、預言の詠み上げを止めさせようと通り過ぎたアニスさんが顔を上げて、やはり同じように固まる。

 

「イオン様……じゃない。アンタは、まさか……」

 

 あの個性的な仮面を外した、素顔のシンクがそこにいた。

 

「シンク……やはり生きて、」

 

「生きてたんだなシンク!!」

 

 ルークの言葉と重なるように声を上げた俺を見て、シンクが少し後ずさりながら顔をしかめたものの、すぐ気を取り直すように一度目を伏せてから挑発的な笑みを浮かべる。

 

 大佐が、これで六神将は全員生存確定ですか、と肩をすくめた。

 この分だとヴァンがローレライを取りこんだ事も事実だろうという。

 

「そこまで分かっているなら、真剣にローレライの宝珠を探したほうが…」

 

「うわぁ良かったなあシンク! よく地核から生還できたよなぁ!」

 

「シンク、新生ローレライ教団ってなに? モースが導師ってどういうこと?」

 

「モースはアンタに話してなかったのかい? うらぎ…」

 

「でもあのおっきな譜陣をゴシゴシ消せたくらいだもんな! それを思えば地核だって、」

 

「ちょっと、いいから普通に喋らせてよ! あと消し方アンタが想像してるような方法じゃないって言っただろ!!」

 

 目一杯怒鳴った後、シンクが咳払いをひとつ零す。

 そして周囲に集まった人々に向けて、預言を望むものはついて来い、と声を上げた。

 

 大勢の人がその声を聞いて動き出したのを見て、俺も思い出す。

 シンクが旅の預言士なのだとしたら、預言を詠んでもらいに行った人のレプリカ情報を抜いているのも、彼らなのだ。

 

 街の人をアニスさんが引き留めようとするが預言を求める人々の足は止まらない。

 それでも何とか留めようとするアニスさんの前に、すいとシンクが歩み出た。

 

「アニス、ここは見逃してください。あなたなら分かってくれますね」

 

 それは、俺がいつかやらかしたのと、同じこと。

 

 ただ姿形が同じなだけじゃない。

 自分が“同じ”だということを分かった上で親しい者の仮面をかぶった、他人。

 

「イ……オン、様……」

 

 普通のレプリカと比べても、性質の悪さは段違いだった。

 

「シンクッ!」

 

 言葉を失ったアニスさんを背に庇ってシンクを睨みつけると、彼は愉快げに片眉をあげた。

 

「今のはひどいぞ、シンク!」

 

「そんなこと言われる筋合いはないね。確か、アンタだって同じことをしたんだろ?」

 

 鋭いカウンターパンチに、ぐっと言葉に詰まる。

 ヴァンからの情報だろうか。シンクは大まかながらも俺が昔やらかした事を知っているらしい。

 

 おい、と背後でガイが咎めるような声をあげたのを耳の端に聞きながら、深く息を吸い込んだ。

 シンクにびしりと人差し指を突きつける。

 

「アニスさん泣かしたら絶交だからな! いいのか!」

 

「………………、いや、すきにしたらいいだろ!? あんたと断つほどの友好関係を結んだ覚えもないし!」

 

 シンクは慌てて首を横に振りながら「と、とにかく僕と戦うって事はイオンと戦うってことさ!」と付け足して、たくさんの人々を引きつれてこの場を去って行った。

 

 止めることも出来ずにそれを見送った後、はっとアニスさんを振り返る。

 

「アニスさん、大丈夫ですか?」

 

 イオンさまが亡くなってまだ日も浅い。

 気にしてはいけないと口にする皆に、全然平気、といつもの笑顔で返すアニスさんの顔色は、あまり良くない。

 

 だけど俺の下手な慰めではかえって気を使わせてしまうような気がして悩んでいると、大佐がナタリアの名を呼んだ。

 

「すみませんが、アニスを連れて気晴らしにバザーにでも行って下さい。私たちは預言士に気をつけるようアスターに伝えてきます」

 

 分かりましたとナタリアが頷き、アニスさんを促してバザーのほうに歩いて行く。

 

 大丈夫かなぁと心配しながらそれを眺めていると、二人がそれなりに離れたところで、突然みんなが堰を切ったように話し始めた。

 

「うまいなぁ、ジェイド」

 

「でもダシにされてアニスが怒っていたわ」

 

「責任はジェイドが取ってくれるだろ」

 

 ガイ、ティアさん、ルーク。流れるように進む会話の内容が理解できず、頭いっぱいに疑問符を飛ばしながら呆然とその様子を眺める。

 

「え? あの、なんの話……」

 

 おそるおそる問いかけた俺を、大佐は一瞬まじまじと見た後「ああ」と手の平に拳を打ちつけた。

 かと思うと今一度 俺を見て、数秒間の沈黙の後、肩をすくめて笑う。

 

「まあ、話はだいたいアスターのところで!」

 

 ……説明、面倒くさかったんですね大佐。

 

 

 

 そしてアスターさんの屋敷にて。

 

「これは、バダックの!」

 

「獅子王。黒獅子。それに巨体か。 共通点はあるな」

 

「間違いなさそうですね」

 

 俺は初めて、その衝撃の真実を知った。

 

 

 

 みんなの会話だけでは理解できなかったので、屋敷を出てから改めて問い直したら、ガイがここに至るまでのいきさつを全部話してくれた。

 

 盛大に混乱する頭を軽く押さえながら、よろよろと大佐を見上げる。

 

「ナタリアが娘? ラルゴが、ち、父親? え?」

 

「ええ。どうやらそれで確定のようです」

 

 涼しい表情で頷いた大佐。

 頭痛さえしてくる気持ちで、あまり認めたくなかった事実を、口にする。

 

「…………しらなかったの、オレだけですか?」

 

「当人であるナタリアを除外すれば、そうなりますね」

 

 あっさりと戻ってきた返答。

 そうですか、と零して、俺は静かに顔を押さえた。

 

 そのあと、バザーでナタリアとアニスさんに合流して、今度は新生ローレライ教団の件について報告すべく、ユリアシティに舵を取った。

 

 

 

 

 ユリアシティ。

 これまでの事情を話すと、テオドーロさんは早急に教団の立て直しを計ると約束してくれた。

 

 ついでにモースとディストが口にしていた言葉についてティアさんが尋ねたが、エルドラントが古代イスパニア神話に出てくる栄光の大地を指すものだという事しか分からないと言ったあと、テオドーロさんは少しおかしなことが起きていると眉根を寄せた。

 

 このところの騒動でただでさえ減少気味な第七音素が、異様に消費されている地点があるのだという。

 

 ひとつは第八セフィロト付近の海中。そちらは調査隊を派遣したけれど、そのときは何もなかったそうだ。

 そしてもうひとつは、追跡中。

 

「追跡? 場所を特定するのに追跡というのは解せませんね」

 

 怪訝そうに言った大佐に、追跡と言わざるを得ないのだとテオドーロさんが目を伏せた。

 

 どうやらその“地点”が移動しているらしい。

 しかし第七音素の消費量からして、陸艦や馬車程度の規模ではないはずだと。

 

「現在調査中ですが、海を移動していることは確実ですな」

 

 海を移動するものを船で見つけようとするのはそれなりに骨が折れるけど、こっちにはアルビオールがある。

 とにかく上空から探してみようと、息つく間もなくまた皆でアルビオールに乗り込んだ。

 

 

 

 

 

「ないですねー」

 

 先ほどからずっと、通路にある窓にへばりつくようにして海面を見下ろしているが、それらしいものはまだ見えてこない。

 

 ルーク達は艦橋から探しているため、今ここにいるのは俺と大佐と、数歩分離れたところで同じように海面を探すガイだけだ。

 

「リック」

 

「なんですかー? 大佐」

 

 探していると言いつつずっと後ろの壁に背を預けたままだった大佐が、ふと俺を呼んだ。

 それに振り返らずに答えると、背後から小さなため息が聞こえてくる。

 

「まだのけ者にされたことを気にしてるんですか?」

 

「いやいやー。それは事情も分かりましたから大丈夫ですよぉ」

 

「では、何を不機嫌になっているんです」

 

 そこで俺は初めて後ろを振り返った。

 訝しげに顰められた赤色の目を見返して笑う。

 

「なんですかそれ! オレ別に普通ですよ~!」

 

「気になっていたんですが、この間からやけに明るいじゃないですか。いや、無駄に、ですかね」

 

「そうですか? いつもどおりですけど」

 

 大佐こそどうしたんですか?と目を丸くして首を傾げた。

 

 一度深めた眉間のしわを二度目の溜息と共に解いた大佐が、めずらしく、子供に問うような静かな声色で言葉を続ける。

 

「……貴方、ここ最近 変ですよ。何か、」

 

「はは、いやだなぁ、大佐」

 

 しかしその言葉をさえぎるようにして、俺はすっと目を細めた。

 

 

「――――なんでもないって言ってるじゃないですか」

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 横目にリックとジェイドのやりとりを観察していた俺は、思わず固まった。

 

 もしかしたら初めて見たかもしれない。

 普段の情けない表情が完全に消えた、真顔のリック。

 

 瞬間、ああアイツって本当に美形だったんだとこれまた初めて思い知った。

 真顔が怖い。なまじ顔が整っているから余計に。

 

 恐ろしく長く感じた沈黙だが、きっと十秒にも満たなかったのだろう。

 

「……そう、ですか」

 

 いつにないリックの反応に、あのジェイドすら少しひるんでいる。

 ぽつりと零れた返答のぎこちなさもまた いつになかった。

 

 長い付き合いのはずのジェイドがこれなんだ、俺にだってかなりの衝撃だ。

 何は無くともジェイドさん、がキャッチコピーのリックなのに。

 

 勢いよく凍りついた空間の向こうから、ルークが走ってくるのが見えた。

 

「三人共来てくれよ、なんか動いてるもん見つけたんだ!」

 

「え、ルークほんと!? 行く行くー!」

 

 先ほどまでの真顔がまるで嘘のように、ぱっと明るすぎるほどの笑みを浮かべたリックがルークのほうに駆けて行く。

 

 ありえないものを見た気持ちで大きく目を瞬かせていた俺は、ルークに再度名を呼ばれたところでようやく意識を引き戻し、前を無言で歩き始めたジェイドの表情を窺うことの出来ないまま、その後に続いた。

 

 

 




連載開始から百数十話にして初めて生かされる美形設定。

そして不器用+不器用=の現場が限りなく不安で念のため付いてきたガイラルディア・ガラン・ガルディオス。
そうしたらもう不器用でどうとかの問題じゃなくなった。


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Act57 - ああ憧れのフェレス航路?

 

 

 ルークが見つけた海を動く巨大なもの。

 それは戦艦でも、ましてや一角鯨でもなかった。

 

 巨大な廃墟群を背に海を漂うこの孤島は、かつてホドの対岸にあったという。

 活気ある港町にたくさんの人々が生活していた。

 

 フェレス島。

 

 それに間違いないと、ガイが目を見張る。

 しかしホド消滅による津波の影響で潰れたというここの建物は、どれも朽ちて久しいようで、美しかったのだろう街並みは見る影もない。

 

 崩れかけた建物を眺めて歩いていると、ふと耳に音が届いた。

 

 まさかの幽霊かと一瞬身構えたが、どうやらみんなにも聞こえたようで、ティアさんが視線を厳しくして「誰かいるわ」とささやいた。

 

 耳を澄ませる。聞こえてくるのは、小さな泣き声だった。

 するとアニスさんが、何かに気づいたように走り出す。

 

 その先には大きな屋敷。

 

 扉の前に誰かがうずくまっている。隣に何か巨大な影がもうひとつ。

 霞のように掛かる瘴気のせいで見えづらい視界を凝らした。

 

 そうしている内に俺たちもアニスさんに追いついて、その姿がはっきりと映るようになる。

 

 アニスさんの足音を聞きつけた相手がすばやく身を起こした。

 巨大なライガが、彼女を守るように立ちはだかる。

 

「……ここはアリエッタの大切な場所! アニスなんかが来ていい場所じゃないんだから!」

 

 妖獣のアリエッタ。

 

 泣きそうな女の子の叫び声に頭がぐらりと揺れたような気がした。

 眉を顰め、片手でこめかみを押さえながら、どうして今更、と思う。

 

 ずっと小さな女の子の泣き顔や怒鳴る声が苦手だった。

 それは被験者の妹さんを思い出すからで、それでもあの旅の後からだいぶましになっていたのに。

 

 痛む頭に、アリエッタの声が届く。

 

 ここは、フェレス島は彼女の生まれ故郷なのだということ。

 津波で家族を亡くした後ずっとライガと共に生きてきたということ。

 イオン様とヴァンのために、戦ってきたということ。

 

 だけどイオン様はもういない。

 

 被験者である導師イオンも。

 七番目のレプリカであった、あの人も。

 

「仇を取るためにも、アリエッタは負けないから!」

 

 涙の滲む目でそう叫んで、アリエッタはライガに乗り、飛び去って行った。

 それを見送った俺は、鈍い重さの残るこめかみを軽く指で慣らしながら、ひとつ溜息をつく。

 

「リック、どうしたの?」

 

「はいっ!?」

 

 突然かかった声にびくりと身を弾ませて振り返れば、不思議そうに俺を見るティアさん。

 なんでもないと首を横に振ると、ティアさんは「そう?」と小首を傾げて話を切り上げてくれた。

 

 そういえばこの間バチカル城の前でもナタリアとこんなやりとりしたなぁ。

 ここのところそんなに呆けているだろうかと、眉尻を下げて後頭部をかく。

 

 アリエッタの話を聞く限り、どうやらここはヴァンが使っていた施設のひとつらしいので、もう少し調べてみようと歩き出したみんなに続いてゆっくりと足を踏み出したとき、ふと目を眇めてこちらを見ている大佐に気づいて、ぴたりと頭をかいていた手を止めた。

 

「…………、」

 

 俺は一瞬口を開きかけたが、すぐに閉じて視線を泳がせ、やがてツイとそらす。

 気づかなかったふりをしてまた歩き出したものの、きっとばれているのだろうなと、背中に突きささる視線を感じながら瞑目して、また溜息をついた。

 

 本当に溜息で幸せが逃げるというなら、俺の幸せは目下、国外逃亡中だ。

 

 

 屋敷の中に入ると、すぐに大規模なフォミクリー装置を発見することができた。

 大佐いわく、これを止めれば第七音素の減少が少しはましになるかもしれないという。

 

 装置の停止に同意したルークが、これ以上レプリカを増やすべきではないと、俯いた。

 

「レプリカなんて俺一人で……俺達だけでたくさんだ。そうだろ、リック」

 

「え……あ、うん」

 

 反射的に頷いてから、胸に引っ掛かるものを感じて、少し考える。

 

 哀しげな表情。辛そうな声。

 ルークの言葉は、まるで自分の存在が間違いなく在ってはならないものであるように。

 

 レプリカである己の全てが、間違いで、あるように。

 

「……ル、」

 

「やめろ」

 

 ルークの名を呼ぼうとした俺の声に、鋭い制止が被る。

 声がしたほうへ顔をやれば、この場所を目指し階段を降りてくる数体のレプリカ。

 

 ガイの亡くなったお姉さんのレプリカであるという女性が、感情の読めない目で、それでも確かにこちらを睨みつけていた。

 

「どうしてそんなことをする。我々の仲間が誕生するのを、どうして拒む?」

 

 装置を壊す、という話をしていたのを聞いたのだろう。

 自分たちの邪魔をするなと言う彼らの中には、イエモンさんのレプリカもいた。

 

 思わず声をかけそうになって、すぐに困惑する。

 

 だって、なんて呼べばいいんだろう。彼はイエモンさんじゃない。

 痛いほどにそれを分かっている自分が、あの人をその名で呼ぶことは出来ない。

 そんなあの人をどういうふうに見ればいいのかすら。

 

 そう考えた次の瞬間、目を見開いた。

 

「……そっか」

 

 自分にしか分からない程度の小さな声で独りごちる。

 皆の会話を耳の端に聞きながら、ゆっくりと天井を仰いだ。

 

(そういえば、オレ、名前いってないや)

 

 脳裏に浮かぶのは、ひとりの女性と、ひとりの女の子の姿。

 あの人たちも、被験者の家族のひとたちも、こんな気持ちだったんだろうか。

 

 緩々と顔の向きを戻した先で、生まれた以上 被験者に遠慮をすることはないとレプリカが言っていた。

 

 もうほんの半年も前ならば、俺はきっとあちら側だった。

 同じ存在ならばどちらでもいいはずだと決めつけて、何がおかしいのかと首を傾げていただろう。

 

「傲慢なまでの生存本能……と言ってもいいわね。もっとも昔のあなたにはあったものよ」

 

「そしてリックにはありすぎるものです。だから貴方達は足して二で割ればいいと言うんですよ」

 

 ルークに少し彼らを見習った方がいい、と言った後、静かにそう続けたティアさんの言葉尻を継いで、大佐が溜息混じりに零す。

 

 それが出来るなら苦労はしないのだと俺が浮かべようとした苦笑は、突然の爆音と共に激しく揺れ始めた地面によって、うやむやのままに消えた。

 

 

 




強すぎる自己犠牲と強すぎる生存本能。
代替品(かわり)として望まれた者と、代替品(おなじ)であることを否定された者。


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Act58 - 雨のグランコクマ(前)

 

 

 海を漂う孤島の次は、空に浮かぶ大陸。

 

 いい加減頭が痛くなりそうなこの情報過多な感覚は、外殻を旅していたころのものととてもよく似ている。

 胸のどこかに被験者家族の存在が引っ掛かったまま、しかし何も知らずに日々安穏と生きていた己の価値観を、全てひっくり返したあの旅に。

 

 浮かびゆく巨大な塊を見上げながら、俺はどこか他人事のように、そんなことを考えていた。

 

 

 レプリカ達はあの大地を“新生ホド”と呼んだ。

 そしてモースは彼らをそこに迎え入れる約束を交わしていたらしい。

 

 だが新生ホドは、彼らを残して浮かびあがった。

 それが何を意味するのか汲み取れずにいるレプリカ達はレムの塔という場所へ向かうと言う。

 

 そこが約束の場所であるから、必ず迎えに来て下さる、と。

 まるで疑う事を知らない小さな子供のように、それを口にする。

 

 もうこちらには目もくれず屋敷の中に戻って行った彼らの背を見送った。

 

「俺にはモースがあの人達を受け入れるとは思えないけど」

 

 ルークが眉を顰めて、小さく息をつく。

 まあ私なら見捨てますねとすぐに大佐が言葉を繋いだ。

 

 レプリカ情報さえ残っていれば、わざわざ彼らを搬送する必要はない。

 モースはただ、同じ情報を持ったレプリカをまた作ればいいだけだ。

 

「……ある意味、モースは彼らとの約束を破ってはいないんですね」

 

 あの新生ホドには、やがて確かに“同じ”情報から作りだされた“同じ”レプリカが存在することになる。モースにとってはそれが成就の形なのかもしれない。

 

 言葉の意味を掴みかねたらしいルークが首を傾げるその脇で、赤い瞳を厳しく細めた大佐に気づき、はっとして口を閉ざした。

 

「…………、なあ、あの空に浮かぶ島は本当にホドなのか? そうだとしたらあれはヴァンの計画していたレプリカ大地って事になるぜ」

 

 そこでガイの言葉が空気を揺らしたことで皆の意識がそちらにそれる。

 零しかけた溜息を何とか呑み下して、横目で大佐を窺った。

 

 逸れない赤。

 

 真正面から受け止められず、また静かに目をそらし、軽く頭をかいた。

 

(分かってる)

 

 例え元となる情報が同じであっても、そこから作られたレプリカは一人一人が全く違う人間だ。

 外殻大地を巡る旅で知ったこと。俺がおかした罪の発端。

 

(分かって、いるのに)

 

 もうレプリカと被験者が同じだなんて思わない。

 思ってなんかいないのに、胸の中でとぐろを巻く感情が心にもない言葉を押し出そうとする感覚が、先ほどから消えないのだ。

 

「ノエルに頼んで、あの空に浮かんでる島へ行ってもらおう」

 

 これからの行動を定めるルークの言葉が耳に届いて、一度きつく目を瞑ってから、自分の体に動けと指令を出す。

 

 いつもの定位置である最後尾を行こうとやや歩調を緩めて歩き出した俺の横を、大佐が通り抜ける直前、いやに静かな声が耳に届いた。

 

「物騒ですね」

 

 行ってしまった上司の背中をぼんやりと眺めて、意味を考える。

 なんだかいつか同じような言葉を聞いただろうか。

 

「…………、あ」

 

 そこで俺はようやく、左手をいつのまにか剣の柄に添えていたことに、気がついた。

 

 

 

 

 アルビオールで新生ホドに乗り込もうとしたノエルが、激しく揺れる機体を必死に立て直しながら、これ以上は近づけません、と声を張る。

 どういう原理かなんて俺の頭では説明出来るはずもないが、島の周りにはプラネットストームが渦を巻いていた。

 

 外殻を押し上げる力を失った本来のセフィロト。

 しかしヴァンはセフィロトすらレプリカとし、その力を使って大地を空へ押し上げたのだと大佐は言う。

 

 少し距離を取って揺れの収まったアルビオールの窓からプラネットストームを見て目を細めたルークが、あれがある限り近づけないってことか、と悔しげに眉根を寄せる。

 

「仕方ありません。グランコクマに行きましょう」

 

 軍本部にホドの情報が保管されているという大佐の言葉にルークが頷いて、ノエルがアルビオールの舵をきった。

 

 

 

 

 グランコクマ。

 普段は聞いているだけで心が凪いでいく水音も、今は効果を発揮することなく、ただ耳の手前を過ぎて行く。

 

 自分でも持て余す訳の分からない感情に、聞き咎められない程度の溜息を零したとき、いつもは水の音と住民達の陽気な話し声に満ちているはずの噴水広場のほうから、剣呑なざわめきが聞こえてくるのに気付いた。

 

 どうかしたのかと首を傾げた俺たちの脇を、兵士が数名 広場に向かって走り過ぎて行く。

 反対に広場のほうからは、市民の方々が走ってくるところだった。

 

 そのうちの一人の男性が、早く逃げたほうがいい、と俺たちに声を掛けてくれた後、また足早に去っていく。

 

「ただ事ではありませんわね! 参りましょう!」

 

 瞳に強い光を宿したナタリアが、止める間もなく騒ぎのほうへと行ってしまった。

 伸ばしかけた手はむなしく宙をきり、苦笑して俺もすぐ地面を蹴る。

 

 逃げる人々の間を縫って逆走して行き、やがて辿り着いた噴水広場。

 数人の兵士に囲まれた、その中心で、一人の男がうずくまっていた。

 

 男の周囲には音素がひどく荒れた渦を巻いている。

 

「どうなっていますの?」

 

「……あれって」

 

 眉を顰めるナタリアを背に庇いながら、目を細めて男を見やる。

 

「カシム!」

 

 追いついたルーク達の中、大佐があの男の名を呼んだ。

 やっぱりあれはカシムだ。

 

「え、だれだれ? 知り合い?」

 

 アニスさんとナタリアが顔を見合わせる様子に、そういえば前にカシムと会ったとき二人はいなかったっけなとふいに思い出す。

 

 先ほどの俺はあそこに荒れた音素があるということしか分からなかったが、ティアさんはこの様子を見てすぐに、音素の乖離現象を起こしている、と言って表情を厳しくした。

 

「ええ、譜眼でしょう」

 

 大佐がティアさんの言葉を継ぐ。

 しかも第七音素を取り入れたモースと同じように、制御が出来ず暴走しかけているらしい。

 

 せめて他人に迷惑が掛からない場所でやればいいのにと軽く付け足された音に、目を眇めて、まったくです、と小さく零した俺を大佐がちらりと見た瞬間、ナタリアが彼を助けなければと言った。

 

「始末しましょうか。一番簡単な処理方法です」

 

 どうすればよいのかと尋ねたルークに返された淡々とした音を聞いて、ナタリアはカシムも民も助けるのだと、ルークは殺さなくていい時は殺したくないと、それぞれ声を上げる。

 

 その返答を予想していたように、僅かに苦笑を浮かべた大佐が、ティアさんを呼んだ。

 譜歌で音素暴走を止めている間に自分が譜眼の処置を取り除くからと。

 

「 トゥエ レイ ズェ クロア リュオ トゥエ ズェ…… 」

 

 そして、周囲で荒立っていた音素が、ゆっくりと静まって行く。

 カシムの体から力が抜けたのが見えた。

 

 やがて一件落着と周囲の人々や兵士が息をついた中心で、何故かカシムが呆然と手を震わせる。

 己の手を見つめる目は、妙にうつろだった。

 

「目が……僕の目が……」

 

 そこで俺もようやく気付く。

 譜眼を取り除いた代償として、彼は目の光を失ったんだ。

 

 入念な準備と素質を必要とする譜眼を、聞きかじりの知識で施した。

 自業自得だと、それでも責めるようではなく、静かな調子で口にした大佐を、カシムがもう見えない目で鋭く睨む。

 

「こんなことになるなら、どうして大佐はもっと強く止めてくれなかったんですか!」

 

 頭のどこかが軋んだ気がした。

 

「止めましたよ。死ななかったのは偶然です」

 

「うるさい! もっとちゃんと止めてくれれば……」

 

 ぎしりと歯を食いしばる。

 踏み出そうと強く足に力を込めた俺の視界の端に、すっと赤がよぎった。

 

 思わず目を見開いて足を止めたときには、すでに俺の脇を通り過ぎたルークが、思い切りカシムを殴り飛ばしていた。

 

「てめぇは生きてるだろうがっ! 死ななかっただけ、ありがたいと思え!!」

 

 ああ、まただ。

 

 ――軋んだ、音がする。

 

 彼を捕らえに来たマルクト兵に、大佐は自分が身元引受人になると言ってカシムを引き渡した。

 兵士達に連れられて行くカシムを見送った後、それを意外だとガイが目を丸くする。

 

 アクゼリュスの時も、今回も、説明する手間を惜しまなければ、別の結果が訪れていたかもしれないからと大佐が肩をすくめた。

 

「だけどアクゼリュスの時は、俺が悪かったから……」

 

「あなたが悪くないとは言っていませんよ」

 

「わ、わかってるよ」

 

 あの後みんなにこっぴどく叱られたし、とばつが悪そうに頬をかいたルークに、アクゼリュスを崩落させたからではなく、言い訳ばかりで反省をしなかったから叱ったのだと、そう付け足した大佐を見て、ガイが少しからかうような笑みを浮かべる。

 

 ちゃんと自分の責任を思い知った今のルークだから、こうして面倒をみるようになったのだろう、と。

 

 告げられた言葉に一瞬固まった大佐が、照れたように視線を泳がせ、無駄話をしてないで行きますよと身をひるがえした。

 

「はぅあ! 大佐が照れた! めっずらし~」

 

 すぐさま、アニース、と低い声が戻ってきたけれど、みんなはおかしそうに笑い声を上げていた。

 

 

 妙な騒ぎに巻き込まれたが、本来の目的地である軍本部を目指して再度歩き出す。

 

 みんなの後ろ。少し離れたところで黙りこんでいると、隣に並んだナタリアが不思議そうに首を傾げて俺を覗き込んだ。

 

「どうしましたの、随分静かですけど」

 

 透き通る深緑色を見返してちょっとだけ言い淀んだ後、ナタリアから顔をそらし、前を向いて眉を顰める。

 

「……ほっとけばよかったんだよ」

 

「それは あのカシムという人のこと?」

 

 沈黙で肯定を示して、ゆっくりと目を細めた。

 

「あんなやつ。大佐の言うとおり自業自得だ」

 

 ナタリアの表情は俺からは分からない。

 だけど彼女は寸の間 口を閉ざした後、静かな吐息と共に言葉を紡いだ。

 

「そんな冷たい言い方、リックらしくありませんわね」

 

 どこか心配そうなその声に笑顔を返す余裕もないまま、

 

「……そんなこと、ないよ」

 

 俺はただ一言、ぽつりとつぶやいた。

 

 

 



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Act58.2 - 雨のグランコクマ(後)

 

 

 謁見の間には、すでにゼーゼマン参謀総長とノルドハイム将軍の二名が揃っていた。

 その先で、王座にゆったりと腰を下ろしたピオニー九世陛下が、静かな口調で切り出す。

 

「話は聞いたぞ。ホド諸島の一部が消滅したとか」

 

 カシムの件が済んだ後に向かった軍本部でゼーゼマン参謀総長と会い、大佐達はお互いの持つ情報を照らし合わせた。

 

 その末、プラネットストームの防護壁に包まれたあの空に浮かぶ大地は、ほぼ間違いなくホド島のレプリカだろうという結論に行きついたとき、駆け込んできた一人の兵士がホド諸島の一部が消滅したと報告したのだった。

 

 原因は不明、と付け足されたそれに、大佐は思い当たるところがあったらしい。詳細は陛下のところで説明をすると息をついた。

 

 そして今。

 

「レプリカ大地と本来の大地の間に、疑似超振動が発生したのではないかと考えています」

 

「疑似超振動だと?」

 

 陛下の問いに、ゼーゼマン参謀総長が大佐の言葉を継いで、疑似超振動について説明をする。

 

 被験者の大地の情報を抜き取りながら作られているというレプリカ大地。そうするとレプリカの誕生時に、両者が一瞬だけ第七音素を共有するのだという。このときに超振動とよく似た干渉現象が起きる。

 

 早い話が、あの大地は被験者を喰うことで形を為していくのだ。

 

 レプリカ大地を作っているフォミクリー装置はどこにあると思うかと言う陛下に、大佐は一瞬だけ考えた後、エルドラントだろうと断定的に言った。

 

 エルドラント。

 

 宮殿に来る直前、二千年前の文明の一部を掘り返したかのような特殊な技術で、オールドラントの空を響き渡った、モースの声。

 

 自分は新生ローレライ教団の導師だと名乗ったモースは、キムラスカとマルクトが預言をないがしろにした為に世界は瘴気に包まれたと声高に言い放ち、今まで何度も繰り返した言葉を、口にする。

 

 世界を預言のとおりに。

 

 あの浮島、新生ホド―― 栄光の大地エルドラントを中心に、今一度やり直すのだ、と。

 

「大地の情報を抜き取るには、相当の時間がかかります。今ならまだ食い止められる」

 

 大佐の言葉を聞いた末、陛下はエルドラントの件をルーク達に任せた。

 

 そしてキムラスカ、マルクト、ダアトが足並みをそろえて事に立ち向かうため、イオン様が亡くなったことで保留になっていた三国会議を今こそ行うべきだろうと決める。

 

「いつでも日程を空けよう。場所はダアトで構わないのか」

 

「はい、それがいいと思います」

 

 陛下とナタリアが力強い瞳で頷きあい、場は一応の終結を迎えた。

 

 インゴベルト陛下はすでに事情をご存じだ。

 次はテオドーロさんに伝えるためユリアシティへ向かおうかと話すみんなの後に続いて、玉座の奥に悠然と広がる水鏡の滝から目をそむけるように背を向けかけたとき、ふいに背後から声が響く。

 

「リック、お前ちょっと残れ」

 

「……え?」

 

 突然の言葉に目を大きく瞬かせていると、同じように足を止めたみんなも何事かと振り返って陛下を見た。

 

「他の者も疲れているだろう。出発する前に少し宿で休んでからいくといい。 何、すぐ返す」

 

 そう言って、陛下は将軍達にもすいと視線を走らせる。

 

「ああそうだ、皆も下がってくれ。少しの間、俺とリックだけにしてほしい」

 

「これはまた突然、どうしたのです」

 

 ノルドハイム将軍が至極 当然の問いを不思議そうに音に乗せた。

 すると陛下は一度口をつぐんだ後、神妙な顔で「実は」と切り出す。

 

「リックに極秘任務を任せていたのでな、その報告を聞かねばならん」

 

「極秘任務でございますか? 初耳ですなぁ」

 

 朗らかに微笑むゼーゼマン参謀総長だが、彼やノルドハイム将軍にも伝わっていないとなると皆少々気がかりなのか、集まる視線を感じて陛下が息をついた。

 

「本来は誰にも洩らすわけにはいかんのだが……仕方ない。お前達には概要だけでも教えておくか」

 

 眉根を寄せ目を細めた陛下に、誰とも知れず息をのむ。

 音をたてれば弾けてしまいそうなほど張り詰めた空気が立ち込めていた。

 

 そして彼がゆっくりと、唇を開く。

 

「オールドラント津々浦々麗しいお嬢さん方の連絡先を調べて俺に伝えるというこの上なく重要な任、」

 

「ほーなるほどええ分かりましたもう結構です。ハイ皆さーん、ちゃっちゃと出ていきましょうねー」

 

 惚れ惚れするような滑舌でもって切り捨てるがごとく言いきった大佐が二回ほど手を叩いて皆を先導する。

 深刻になって損したと半眼で出ていく人々を見送った。

 

 アニスさんに至っては「軍人なんてそんなもんだよ……」と妙に実感のこもった口調と遠い目で俺の背を慰めるようにたたいて行ってくれた。

 

 

 大扉が閉じた気配を背後に感じる。

 護衛の兵士すら人払いで席を外したこの謁見の間に、残ったのは二人だけ。

 

 短い沈黙が落ち、俺は上目使いに陛下をみた。そしておそるおそる拱手する。

 

「……ご、極秘任務って、オレも初耳なんですけど……」

 

 そんなものを言いつかった覚えは全くない。

 疑問符の散る脳内で、それとも何か言われていたのだろうかと必死に考える。もしかしたら雑談の合間にでもぽろっと言ったのかもしれない。

 

 混乱する俺を見ていた陛下が、ゆるりと笑みを浮かべた。

 

「皆の様子はどうだ?」

 

「へ? え、みんな、ですか」

 

 突然の問いに、それまで巡らせていた思考がきれいに吹き飛んだ。

 まっさらになった頭で新たな答えを探す。

 

 マルクトの皆のことなら旅に出ていた俺より陛下のほうが分かっているだろう。

 ならばこれはルーク達のことを指しているのかと遅まきながら気づき、慌てて口を開く。

 

「えぇと……みんな元気ですよ。アニスさんは、イオンさまのことがあったばかりでまだ心配ですけど、それでもすごく頑張ってるし」

 

「そうか」

 

「ティアさんも、ナタリアも、辛いことはあるのに強くて」

 

「なるほど」

 

「ガイはどんな時だって、ひとを気遣ってあげられるし」

 

「そうだな」

 

「…………あの、陛下?」

 

 相槌ばかりの様子に、真意を計りかねて困惑気味に首を傾げたが、陛下はまだ話は終わっていないとばかり、何も言わずに笑っている。

 

 自分でも無意識のうち、ほんの僅かに言い淀んでから、俺は言葉を続けた。

 

「ルークは、本当に変わりました」

 

「おう」

 

「大佐も、ルークと旅をして変わりました。なんだか少し、雰囲気とか空気とかが、柔らかくなったような気がします」

 

「ああ」

 

「それで、」

 

 ただこちらを見つめる穏やかな青に、一生懸命しまいこんで、それでもなお溢れようとしていた黒い雫が、ようやく、ぽつりと落ちたのが分かった。

 

「それ、で」

 

 真水の中に落ちた泥水のように、包み込まれるように、緩やかに広がっていく。

 吐き損ねた息を止めて、俯いた。

 

「陛下。……ピオニーさん」

 

「ん」

 

 幼い子供のようになってしまった頼りない声で名を呼ぶと、ピオニーさんの短い相槌が耳に届く。

 それを聞いていよいよ顔を歪ませ、くしゃりと前髪ごと顔を押さえた。

 

「オレ、ダメなんです」

 

 呟いた言葉に寸の間 静寂が広がった後、ふいに前方から足音が聞こえる。

 反射的に顔を上げれば、ピオニーさんが目の前に立っていた。

 

 驚いて、それからすぐ、その揺らがない立ち姿に、塗り固めていたものが剥がれおちる。

 一度ぐっと唇をかみしめた。

 

「ダメなんです。あのひとが変わることが嬉しいのに、良い事なはずなのに」

 

 ルークは、大佐を変えてくれた。

 俺では出来なかったことをやってくれた。

 

「辛いっていうか、なんか、ダメなんです」

 

 纏まらない感情をそれでも必死に抑えつけながら口にした俺に、ピオニーさんはまず目を丸くして、やがて緩やかに苦笑する。

 

「くやしいって言うんだよ、そういうのは」

 

 落とされた言葉がじんわりと自分の中に染みていく。

 うれしい。つらい。くやしい。

 

 悔しい。

 

 それは、己の中の隙間にぴたりと嵌まった。

 

「悔しかった、です」

 

 大佐の力になれなかった自分が。

 大佐の力になることが出来る、ルークが。

 

「……悔しい……」

 

 噛みしめるように口にして、その言葉が意味するところに自嘲する。

 

「オレ、いつの間にこんなワガママになったんだろう」

 

 こんなちっぽけな男が、どうやってあのひとの力になれるというのか。

 生意気にも程があるだろう。

 

 分かっている。分かっているけど。

 

 思わず黙り込めば、呆れたような長い溜息が聞こえてくる。

 ピオニーさんはがしがしと髪をかきまわして、まあ座れ、と言いながら床に腰を下ろした。

 言われるがまま正面に正座する。

 

「そうは言うけどなぁ、それを言うなら俺のほうが先なんだよ」

 

 大げさに腕を組んで「先輩だ、先輩」と付け足したピオニーさんは、その言葉を口の中で再度呟き、まんざらでもなさそうに口の端を上げた。

 

「お、いいな。リック、これから俺をピオニー先輩と呼べ」

 

「ぴおにーせんぱい」

 

「……お前 相当まいってんなぁ」

 

 平坦な音でぼんやりと繰り返した俺に、ピオニーさんがそれまでのからかうような色を消して息をつき、改めて俺と向き直った。

 

 彼にしてはめずらしく真剣な顔つきでこちらを覗き込む。

 

「まぁ話を戻すが、ずーっと悔しい思いしてんのは俺だ。俺が何年もかけて出来なかった事を、やったのはお前らなんだからな」

 

「何がですか」

 

「ジェイドを人にした」

 

 零された音に、ふいと顔をそらす。

 

「それは、ピオニーさんとルークがやったんです」

 

「アホか。俺は出来たほころびを是幸いと突いただけだ。あの鉄壁野郎に最初のほころびを入れたのは、お前だろうが」

 

 眼前に突きつけられた人差し指。

 しかし俺は考えるより先に口を開いていた。

 

「ウソだぁ」

 

「お前……ジェイドの言葉は嘘でも信じるくせに俺の言う事は即行 疑いやがって……」

 

 半眼でこちらを睨み、拳で軽く俺の額を小突く。

 痛くはなかったのだが思わず額を押さえ、目を丸くしてぽかんと相手を見返した。

 

 床に手をついたピオニーさんが前のめりになりながら俺に詰め寄る。

 

「いいから聞けよ! アイツに“殺す”ってことの意味を教えたのはお前なんだっての!!」

 

「ピオ、」

 

「ネフリーに出来なかったことを俺がやった! 俺に出来なかったことをお前がやった! で、お前に出来なかったことを、ルークがやったんだ!」

 

 勢いのままに胸倉を掴んでくるその手に、たいした力は入っていない。

 怒っているのではなく、切々と言い聞かせるような口調。

 

「誰がいなくても今のアイツにゃならなかったんだよ! 覚えとけ!」

 

 最後にそう言って、そっと掴む手を外したピオニーさん。

 よれた軍服を直すこともせずに、俺は真っ直ぐな青の瞳を見返した。

 

 じわりと視界がにじむ。

 

「……ピオニーさぁん……っ」

 

 震える声で名を呼べば、彼が小さく頷いた。

 

「だ い す き で す ー !!!」

 

「俺もだー!」

 

 謁見の間の真ん中で二人、がしりと抱き合う。

 

 宮殿の外で哀しい女の子たちの物語が動きだしていたことは、まだ、知らずに。

 

 

 






偽スキット『漢』
ピオニー「ほらもう泣き止め! いいかリック! 男が泣いていいのはな、必死こいて倒した敵が第二形態になったときと、好きな女にフラれたときと、出した手紙の返事がかえってこないときだけだ!」
リック「……陛下、オレ、大佐に内緒でネフリーさんのお返事頂いてきましょうか?」
ピオニー「…………うん……」

陛下はちょっと涙目だった。
(By.リック)


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Act59 - “覚悟”とはなんですか(前)

 

 

 陛下との話を終えた後、急いで合流しなくてはと半ば走るように宮殿を飛び出したが、外に出てすぐ、予想外の光景に足を止めることになった。

 

「あれ、みんな宿にいったんじゃ……」

 

 宮殿の大扉を出るとまず目に入る広い通路の真ん中。

 先ほど別れたはずの顔ぶれが勢ぞろいで立ち止まっている様子に首を傾げる。

 

 こちらもそれほど長く話していたわけではないが、すでに宿についていてもおかしくない程度の時間経過はあったはずなのに。

 

「あ、リック」

 

 俺に気づいたルークが声を上げ、続くように皆も振り返る。

 一気に視線が向いたことに少しおののきながらも、短い階段を下りてみんなの元に歩み寄った。

 

「どうかしたんですか?」

 

 問いかけて見回したみんなの表情は浮かないものばかりで、それぞれ何か話しあぐねるように視線を交わす。

 

 またナタリアのときのように自分だけ取り残されているのだろうか。

 胸にちくりと痛みが走ったのを感じたとき、大佐がガイの名を呼ぶ。

 

 また俺か、と形ばかりの恨みごとを唱えてからこちらに向き直ったガイの様子を見て、とりあえず先ほどの心配が杞憂であったことは分かったが、

 

「……実は、さっきラルゴが来たんだ」

 

 それでもやはり、良い予感はしてこなかった。

 

 

 アニスさんとアリエッタの決闘。

 ダアトで交わされた約束がついに形を帯びたものになってしまった。

 

 場所はチーグルの森で、ラルゴを立会人として行われるらしい。

 

 街を歩きながらガイの説明を聞き、俺はひとつ重い息をついてから、前を行くアニスさんの背中を窺った。

 彼女も確かに軍人なのだと思わせるきれいに伸びた背中が、無性に切なく思えて眉尻を下げる。

 

 するとふいに隣から鋭い二対の視線を感じて、おそるおそる視線をずらした。

 

「なん、ですか?」

 

 そこには細められた赤と、顰められた空色。

 

 じっくりと観察するようにこちらを見る いつにない組み合わせに、俺はサンドワームに睨まれたオタオタのごとき嫌な汗を額に滲ませた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 少しして、ようやく視線を外してくれた大佐とガイが、無言のまま目配せを交わし息をつく。

 それは兵士学校時代、俺の答案用紙を見た教官が「出来てるとは言い難いけどまあ及第点かな」と言うときの顔つきとよく似ていた。

 

 な、なんだ。なんなんだ。

 そのまま、すたすたと俺を追い越して前に行ってしまった二人を呆然と見送っていると、今度は入れ違いにルークが隣まで下がってくる。

 

「陛下への報告、ちゃんと済んだのか?」

 

「え?」

 

 苦笑しているルークに問われた意味が分からず一瞬脳が動きを止めるも、すぐに先ほど人払いをするとき陛下が口にしていたことを思い出して「ああ」と相槌を打った。

 

 今ならば、あれが様子のおかしい俺から話を聞くための方便だったのだと分かる。

 俺はこの間からよほど分かりやすい顔をしているようだ。

 

 だがそれが一番気づいてほしくない人に気づかれずにいるのは、幸いと呼ぶしかない。

 

「おまえも大変だよなぁ」

 

「はは」

 

 慰めるように肩を軽く叩いてくれたルークに笑みを返しながらも、ぎくりとする。

 俺は今、ちゃんと笑えているだろうか。

 

 また歩く流れでルークと離れたところで、胃の重さを振り払うように細く息をはいた。

 ピオニーさんと話して少しすっきりしたが、胸の内を渦巻くものが無くなったわけではない。

 

 でも、これは俺の勝手な嫉妬だ。

 ジェイドさんを変えてくれたことを感謝こそすれ、嫉むだなんて門違いもいいところだろう。

 ただでさえ一刻を争う状況なのに、こんなことでルークをわずらわせるのは嫌だった。

 

 だから気づかれてはいけない。

 

 こんな気持ちは、あっちゃいけない。

 

「…………ふー」

 

 真っ黒な水を硝子の瓶に押し込めるように、小さく小さく溜息をついて、俺はゆっくりと空を仰いだ。

 

 

 

 

 チーグルの森。

 揺れる梢のさざめきを聞きながら、薄い苔に覆われた地面を歩いていく。

 

 最初に来たのはさほど昔ではないはずだが、何だか随分と前のことのように感じた。

 あの人とふたり、この森を訪れた日を思い起こす自分が遠い。

 

 『リック、大丈夫ですか?』

 

 懐かしい声。

 脳裏をよぎった優しい緑に、剣の柄にそえていた左手が揺れた。

 

「ここでイオンと、初めて会話らしい会話をしたんだったな」

 

 思考を同じくするようなタイミングで、ぽつりと言葉を零したのはルーク。

 

 褒められた態度ではなかったとする当時の自分。優しいと繰り返したひとりの少年。

 不思議な奴だったとルークは言った。

 

 聞きながら、そうだろうかとひとり考える。

 

 わがままで、世間しらずで、だけどひとを傷付ける怖さを知っている赤色。

 間違わないわけじゃない、間違って、でも前を向ける翠の瞳。

 

 俺はゆるりと口の端を持ち上げた。

 もしかするとそれは今、少し複雑な色を帯びてしまっているかもしれないけれど、それでも確かな思いがある。

 

「ルークは優しいよ、ずっと」

 

「はは、そういえばお前も変なやつだよな」

 

 本心で断言した俺にルークが苦笑した。

 

 イオンさまは不思議なのに俺が変ってなんだよ、と思わずふきだせば、笑み混じりの謝罪が返ってくる。

 封じ込めた黒いものが少しだけおとなしくなった気がして、内心安堵の息をついた。

 

「懐かしい、とも言ってたよ」

 

 優しい記憶を思い起こしていると、それまで口を閉ざしていたアニスさんも僅かに笑みを浮かべて話に加わる。

 懐かしい。ああそういえば、俺もルークやイオンさまや、シンクと会ったとき、そんなような気持ちだったかもしれない。

 

 それはお互いがレプリカだからなのかと小首を傾げたルークに、大佐が「どうでしょう」と眼鏡を押し上げる。

 

「レプリカ同士が認知し合えるのか……まあ、分かりませんが」

 

 大佐はなぜか一度ちらりと俺を見た。

 

「私は人の生まれ変わりというものを信じてはいませんが、ずっとずっと昔、あなたとイオン様は親しかったのかもしれません」

 

 レプリカだからなどと考えるよりそのほうがいいだろうと続けた大佐に、目を見開く。

 

 科学ではない、“想い”を優先した考え方。

 この旅をする前の彼だったらあり得ない、柔らかな、音。

 

 おとなしくなったばかりの黒い水がまた腹の内で沸騰しかけるのを感じ、慌てて目を瞑る。

 

(静まれ……)

 

 少ししてどうにかそれは治まりをみせたが、無理やり蓋をした反動でほんのりむかついた胸に手を押し当てて、

 

 俺は、本日何度目かになる溜息をついた。

 

 

 



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Act59.2 - “覚悟”とはなんですか(後)

 

 

 森の最深部。

 

 ルーク達がライガクイーンを倒したあの場所に、アリエッタとラルゴはいた。

 その後ろでは彼女と思いを同じくするライガとフレスベルグが悠然とたてがみを揺らしている。

 

「待ちかねた……です!」

 

 今までの六神将としての姿ではない、白を基調とした服を着たアリエッタの大きな瞳に映るのは、強い覚悟。

 

 足がすくむようなその光は、懐かしいというにはまだ生々しく記憶に焼き付いている。

 ヴァンと対峙した時とよく似た感覚に後ずさりしかけた体をどうにか引き止めた。

 

「やるなら、さっさと戦おうよ!」

 

 ここに来る直前まで、ひとりで決着をつけようとしていたアニスさん。

 

 だけど皆だって、俺だってアニスさんをひとりで行かせたりしたくない。

 一緒に行くと皆で口をそろえて、アニスさんも静かに頷いて、そして今こうして全員がこの場所にいるけど、きっと今でもアニスさんは自分の手でぜんぶを終わらせるつもりなんだろう。

 

 確執、因縁、怨嗟、憎しみ。

 

 アリエッタの気持ちをぜんぶぜんぶ受け止めて、終わらせる。

 彼女はそのためにここにいるんだ。

 

 自分は魔物たちと戦うからお前も四人で戦えというアリエッタに、みんなで目配せを交わした。

 

 まず「俺が」と声を上げたのはルーク。それにティアさんが続く。

 最後に、クイーンにとどめを刺したのは私ですからね、とわざと軽い調子で言った大佐が、歩み出た。

 

 決まったかと尋ねてきたラルゴにアニスさんが威勢良く返事をする声を聞きながら、残ったガイ、ナタリア、その腕に抱かれたミュウと共に、後ろに下がる。

 

 自分は戦わずに済んだというのに何故か言いようのない思いが胸の中を渦巻く。

 

 これから始まる戦いが哀しいのか、なんの力にもなれない自分が悔しいのか、それすらもよく分からないまま、俺はただ目の前の光景を見守るしか、なかった。

 

 

 繰り広げられた激しい戦いの末。

 

 ほとんど音も立てずに倒れた、ちいさな体。

 

 

 広がったのは、桃色の髪。

 

 

「ママ……みんな……ごめんね、仇を、討てなくて……」

 

 ずっと抱きしめていたぬいぐるみがその手を離れて、地に転がる。

 ことりと力なく落ちた、体と同じくとても小さな掌が、一瞬何かを求めるように動いた。

 

「……イオン様……どこ……?」

 

 その視線が、見えない影を探すように虚空を漂う。

 ああよく見れば、彼女もきれいな赤色の瞳をしていたんだ。

 

「痛いよぅ……、……イ、オ……」

 

 そしてそのちいさな体は、もう二度と、動かなくなった。

 

 鼓動の消えた瞼の裏から、小さな小さな雫が、頬を伝う。

 

「アリエッタ……ごめんね、あんたのこと大嫌いだったけど、だけど……ごめんね……!」

 

 横たわる女の子の傍らに膝をついて泣く、もうひとりの女の子。

 動かない女の子。泣く女の子。心臓がきりきりと痛んでくる。いけない。

 

 『おにいちゃんのにせもの!』

 

 零れおちる雫が地面をうつ音が聞こえてくるような錯覚を覚えるのと合わせて、ぐらりと目の前が揺れた気がした。

 己の額に手をやって、頭痛を堪えるように僅かに俯く。

 

「ゴ、メ……」

 

 違う、あの子じゃない、あの子は生きてる。

 

 だけど――オレはどこかで、彼女たちをあの子に重ねていた。

 

「敵の死体に泣いて謝るなんてのは止めるんだ、アニス」

 

 無意識に零しかけた過去への謝罪を遮ったラルゴの声。もちろん俺に向けての言葉じゃない。

 顔を上げると、力尽きたアリエッタの体を大切そうに抱き上げたラルゴの姿が目に入る。

 

「ただ可哀想なのは、フェレス島の復活をその目で見られなかったことだな」

 

 独り言のように呟いたラルゴに、本当にそう思うならどうして止めなかったのとティアさんが尋ねると、ラルゴは振りかえらぬまま、激情を抑え込んだ静かな声で、それを口にした。

 

「死を覚悟しても遂げたい思いだったのだ。それを誰が止められる?」

 

 命をかけられるほどの、思い。

 

 がんと頭を殴られたように、意識の揺れが激しくなる。

 数歩後ずさって、背中に当たった木の幹に体重を預けた。

 

 覚悟。

 

 それは俺が嫌いな言葉だ。

 理解の出来ない、言葉だ。

 

 だって、死ぬより怖い事なんてない。

 全てを捨てても成し得たい思いなんて、俺は知らない。

 

( 本当に? )

 

 いつのまにか地面まで落ちていた視線をそのままに、俺は目を見開いた。

 

「リック?」

 

 潜めた声で名を呼ばれ、緩慢な動きでそちらを見た。

 いつのまに傍まで来ていたのか、そこには怪訝そうな赤い瞳。

 

 向こうでルークとラルゴが何かを話しているのがかろうじて分かる。

 同時にいま自分を呼んだのが目の前の彼であることを理解すると、頭の中でまたさっきと同じ声がした。

 

 声は再度こちらに問いかけてくる。

 

( 本当に、知らない? )

 

 知らない。知るはずない。

 だって死ぬのが一番怖い。

 

( じゃあ )

 

 俺は無意識のうちに腹へ手を当てた。

 

( どうして守った? )

 

 それは。

 それ、は。

 

 もう薄い傷跡しかないその場所が、じんと熱くなった気がした。

 

「失いたく、なかった」

 

 半ば呆然と呟いたそれは、もはや意味を成さぬ単なる音であったかもしれない。

 ジェイドさんが訝しげに目を細めて、また俺の名前を読んだ。

 

 失いたくなかった。

 自分がどうなろうと、失いたくなかった、から。

 

 俺は。

 

「リック」

 

 三度目、鼓膜を揺らした少し強い音に、はっとして頭を軽く横に振る。

 

 しっかりしろ。

 アリエッタは、あの子じゃない。

 

「……なんでもないです」

 

 精一杯背筋を伸ばして返事をすると、大佐は何か言いかけたものの、すぐ口を閉ざして息をつき、身をひるがえした。

 

 

「さー、ちゃっちゃと次いってみよー!」

 

 みんなルークとラルゴのやりとりに意識が行っていたのか、俺と大佐の動きに気づいていた様子が無いことに安堵しながらも、明るく振る舞おうとしているアニスさんに小さく苦笑を零した。心配をかけないようにしているんだろう。

 

 変に心配するよりそこに乗ってあげたほうがいいと先ほど皆で決めたばかりだから、俺がしてあげられることは何もない。

 それをほんの少し歯がゆく思いながら、森の外に停めてあるアルビオールを目指した。

 

 覚めやらぬ動揺を、胸の内にひた隠して。

 

 

 

 

 預言会議について、後はテオドーロさんの承諾を取るのみ。

 当初の目的どおり向かったユリアシティに着いてすぐ目にしたのは、震えながら膝を抱えて座り込むひとりの人間だった。

 

 心配したナタリアが声をかけても一向に反応を示さないその人を見るうち、何か妙な感覚が体を取り巻いていく。この親近感にも似た懐かしさには覚えがあった。

 

「……あの、その人もしかして」

 

 俺が言葉を続けようとしたとき、テオドーロさんの部下らしき人がふたりほどやってきた。

 そのうちのひとりが今のひとを連れて奥に戻って行き、ティアさんに気付いたもう一人が足を止める。

 

 今の人は、と尋ねたティアさんに、彼は眉尻を下げて頭をかいた。

 

「レプリカだよ。どうもシェリダンから逃げてきたようだね」

 

 やっぱり、と先ほどの感覚が間違っていなかったことを知るも、

 逃げてきたなどとあまり穏やかではない物言いをルークが聞きとがめると、彼は今の状況について話してくれた。

 

 レプリカが大量に作られてしまった事で次々と問題が生じていること。

 そんな中、生きる術を持たないレプリカ達は、魔物に襲われたり、ひどい虐待を受けている場合が多いということ。

 

 このところの騒動で生物レプリカの存在が周知されてきた今、自分の大切な人が死んだのはレプリカが生まれたせいだと非難する人も増えている、ということ。

 

 確かにそういうケースもあるが、それは本当に一握りだ。

 だけど生まれたばかりのレプリカは何も知らない。何も言えない。

 

 そんなレプリカを今のところはここで保護しているそうだが、まず作られた数が桁違い。

 今後とも全てを受け入れていくことは、出来ない。

 

「食糧だって無尽蔵ではないし、こちらも困ってるんだよ」

 

 最後にほとほと困り果てた様子でそう言って、彼もまた奥に戻って行った。

 

 レプリカ。自分と同じ種族、といえばいいのだろうか。

 みんな色々見解はあるだろうが、俺としてはレプリカへの認識はそのようなところだった。

 

 それが生きるに困り、持てあまされていると聞けばやはり良い気持ちはしない。

 重苦しい沈黙が落ちる中、口を開いたのはルークだった。

 

「俺たちレプリカは、……一体なんなんだろう」

 

 何って人間だよ、と言うアニスさんに、だけど人間の形をしてるだけで、人間として扱われるようには見えないとルークは弱弱しく首を横に振る。

 

 自分達はルークを、イオンさまを、シンクを、俺を、知っている。

 レプリカと人間が何も変わらない事も知っているが、と深く息をついたガイの言葉を継いだのは大佐だった。

 

「大多数の人々にとって、フォミクリーは無機物の複製品を作る技術です。レプリカはただの複製品や代用品だと考えるでしょう」

 

 受け入れる人間が皆無とまでは言わないが、と付け足した大佐の、事実を事実として述べたに過ぎないというような、淡々とした音。聞きなれた響きに眉を顰めた。

 

 彼はいつだって、言い難い、だけどまぎれもない真実を口にする。

 言わなければいけない現実を自らで背負って突きつける。

 

 わざと壊れた器を選んで扱うような様がもどかしくて、咎めようかと口を開きかけた俺より先に動いたのは、ルークだった。

 

「だったら俺たちはどこへ行けばいい?」

 

 収まりきらない、言いようのない気持ちを持て余すように、泣きそうな顔をしたルーク。

 

「どこへ行けばいい? どこで暮らせばいい? 何も出来ない子供と同じ、俺たちが……」

 

 世界中のレプリカ達の痛みを自分のものと感じているような、震える声。

 

 自分はレプリカと人間の違いを深く意識したことはないが、今のルークには“人間”より“レプリカ”のほうが良いのかもしれない。

 これも正直レプリカだなんだというより、同郷者と話しやすい、という雰囲気に近いだろう。

 

 そう考えてルークの肩に手をやろうとしたとき、「ルーク」大佐が静かにその名を呼んだ。

 張り詰めていた糸がほどけたように、ルークが声を荒げる。

 

「俺たちを作ったのはジェイドだろ! アンタは何でも知ってるじゃないか!」

 

 瞬間。

 目の前が真っ赤になった。

 

 ―――封じ込めていた黒い水が、音もなく、噴き上がる。

 

「ルーク! 旦那に当たっても仕方が……」

 

 止めようと声を上げかけたガイの脇をすり抜けて、気づいた時にはルークの頬を殴り飛ばしていた。

 

 周囲の音が止まる。

 反動で倒れ込んだルークは少しの間 呆然としていたけれど、すぐに目つきを鋭くして立ち上がった。

 

 避ける間もなく、今度はルークが俺の頬を殴る。

 

 その力の強さに思わずよろめいた。目の前は ちかちかするし、脳がぐらぐらと揺れていた。

 だけど何とか地面を踏みしめて堪えながら考える。

 

 ルークはいつのまにこんなに強くなったんだろう。

 

 俺だって、軍人なのに。

 頑張って軍人になったのに。

 

(あのひとの近くにいたくて)

 

 溢れそうな涙を感じて目を瞑り、開くと同時にルークを睨みつけた。

 ルークも同じような泣きそうな顔で、再び構える。

 

 そしてもう一度飛び掛ろうと足に力を込めた瞬間、ぐんっと体が後ろに引かれた。

 

 視界の端で揺れた金茶の髪と、鼻先を掠めた香水のかおりに、自分が誰に押さえつけられているかを知る。

 

「ルーク! 止めろ!」

 

 見ればルークもガイに後ろから羽交い絞めにされていた。

 こちらもしっかりと抑えられた関節に身じろぎすることすらままならず、せめてとばかりに目の前の翠を睨んだ。

 

「……っあんたが!」

 

 感情のままに声を荒げると、憤りに満ちていたルークの顔が少し歪む。

 今にも泣き出しそうなその顔も、彼の気持ちも、俺には確かに見えているのに。

 

「アンタがそれを言うなよ! だれより近くでジェイドさんを見てきたアンタが、そんなこと言うな!」

 

 言いながら、自分の言葉を頭で否定する。

 

 分かってる。分かってるんだ。

 これは、誰でもない、俺でもない、ルーク“だからこそ”言える事なんだって。

 

 だけど心から吹き上げた黒い水が、止められない。

 

 『レプリカだから、お前の助けが必要なんじゃないか!』

 

 ロニール雪山で、彼がアッシュに向けた言葉を思い出す。

 強く歯を食いしばった。

 

 レプリカだから。

 本物のルーク・フォン・ファブレじゃないから。

 

 ……それが、何だって言うんだ。

 

 アンタはオレのしたい事を全部できるじゃないか。

 

 あんたはアニスさんを慰めることが出来るじゃないか。

 あんたはジェイドさんの役に立てるじゃないか。

 

「…………」

 

 理性が警鐘を鳴らす。

 これ以上は言ってはいけないと、全身がうるさいくらいに警告してくるのに。

 

「あんた、なんか」

 

 やめろ。やめろ。

 ああ駄目だ、止まらない!

 

 

「――――あんたなんかだいきらいだ!!」

 

 

(ジェイドさんを変えた、アンタなんか)

 

 

 

「リック!」

 

 ぱん、という音と共に、頬に痛みが走る。

 ルークが殴ったのとは逆の頬だった。

 

 いつのまに向きを変えられたのか、気付けば目の前には金茶の髪。

 赤い目は、いつになく厳しい。

 

「…………頭を冷やしなさい」

 

 そう言って身をひるがえした彼が、今度はルークの様子を見るガイのところに向かう。

 

 ぶたれた頬が熱くなるにつれて、全身から力が抜けていく。

 目の前で交わされる会話をどこか遠くに見ながら、俺はただ、立ち尽くしていた。

 

 

 



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Act60 - オトナの気持ち

ジェイド、ガイ視点


 

 

 この幻想的な街ユリアシティの市長テオドーロの自宅であると同時に、ティアの住居でもある建造物の中から歩み出たガイは、左肩を右手でとんとんと叩きながら顔を上げた。

 

 すると視線を滑らせる間もなく、目の前にある通路の端、腰ほどの高さにある柵に軽く体重を掛けて立っているジェイドの姿を見つける。

 僅かに伏せられた瞼の下から覗く揺れのない赤の瞳が、あの男が思考に沈んでいる事を表していた。

 第一目前にある家から人が出てきてすぐに気付かない時点でそれは疑いようもない。

 

 おもむろに足を進め、隣に並んで同じように柵に寄り掛かると、ジェイドはそこでようやくこちらに一瞥をくれる。

 そして何事も無かったかのような、いつもの作りものめいた笑顔を浮かべた。

 

「おや、ガイ。二人の様子はどうでした?」

 

「ルークはティア、リックはナタリアが診てるよ」

 

 正直、怪我と呼べる怪我はどちらにも無い。あるのは頬、お互いの一発ずつだけだ。

 だから今診てもらっているのは実のところ身体ではなく内面のほうなのだが。

 

「アニスは、まあ色々あったからな。ティアの部屋で仮眠を取ってる」

 

 ルークとリックがあの状態ではテオドーロに会いに行くわけにもいかない。

 少々強引ながらも良い機会とみることにして、報告は半日ほど休んでから向かうことになった。

 

 そうですか、とジェイドの軽い返事が耳に届く。

 

「…………」

 

「…………」

 

「………………」

 

「………………」

 

「……………………………」

 

「……ガイ。貴方が言いたい事は分かってますから無言で圧力を掛けないで貰えますか」

 

「分かるか。なら良かった」

 

 一足早く根気負けして眼鏡を押し上げながら零すと、にこりと一見 人の好さそうな笑みを見せたガイに、ジェイドは彼が言われるほど穏やかなだけの青年では無いことを改めて実感する。それでも普段なら押し負けるつもりもさらさら無いのだが。

 

「俺だっていつまでも付き合いきれないってことだよ」

 

 相手にもうはぐらかす気がない事を知ると、ガイは意地悪く笑って言う。

 

 これ以上不器用な遠回りを繰り返すつもりなら いくらなんでも見放してやろうと心に決めたのは、彼らの譜術訓練が終了した日のグランコクマだ。

 まあ本気ではなかったが、今日のルークとリックよろしく一発殴るくらいは、きっとユリアにも許されるだろう。

 

 やがて男はひとつ溜息をついて、口を開いた。

 

「陛下のところで少しはましな顔になったと思ったんですがねえ」

 

「軽くはなったろうさ。だけど結局、根本的なところはリックにしか解決できない。それが分かってるから陛下も必要以上のことは言わなかったんじゃないか?」

 

 “あんたも、俺も”

 続けかけた音を飲み込んで、ガイは苦笑を零す。

 

 本人が乗り越えるべき問題であることは確かだ。

 だがここまでほとんど干渉せずにきた理由を改めて考えると、本当は初めての事態に戸惑っていただけなのかもしれない。

 いくら大人と呼ばれる年齢とはいえ、当然ながらガイもジェイドも子を持った親ではない。

 

 戸惑うに決まっているだろう。

 己がそれを通り過ぎたのもさほど昔の話ではないのに、今度は他人のものを、しかもこうして見守る立場で迎えるなど。

 

「反抗期、か。思えばフリングス将軍の時も、イオン様の時も、静かすぎたんだよなぁ」

 

 いつもなら誰より先に泣きわめく男が、揺れを覗かせたのはほんの僅かな時間だった。

 そう。誰より先に泣きわめくはずだった子供は、外殻大地を巡る旅を経て、感情を抑えることを知ったのだ。

 

 悪い事ではない。こみ上げる想いを表に出さず胸の内にとどめる事は“大人”に必要な技能。

 特に軍という組織の中に組み込まれる存在であるからには、不可欠であるに違いない。

 

 悲しみを行動力に変えて、強く前を見据えたあの目が嘘だったとは思わない。

 しかし。

 

「リックは、辛くても哀しくても、今やらなきゃいけないことのために頑張れるようになった。だけど子供は、突然大人になれるわけじゃない」

 

 かつての、もしかしたら今の自分達さえそうであるように。

 

 ここ最近の感情の揺れの少なさは、たぶん、それがリックの思い描く“大人”だったのだ。

 

 自分の気持ちを押し込めて、辛い時こそ冷静に。

 おやなんだか誰かに似ているじゃないかと思えば、場違いに笑いがこみあげてくる。

 

 そんな、理想の大人というには十倍も百倍も規格外な男を横目で見やった。

 

「あいつがなんであんなふうになってるか、旦那ももう気付いてるんだろ?」

 

 反抗期と、端的に言ってしまえばそれで間違いないだろう。

 だがリックを取り巻くものについて、もっと具体的に表現する言葉があるのに、この嫌味なほど聡い男が気付いていないはずは無い。

 

 水を向けると、ジェイドは苦笑するように口の端を上げた。

 

「はじめての反抗期は、はじめての“劣等感(コンプレックス)”ですか」

 

 劣等感。

 

 それは己の命を何より最優先するくせに、オタオタをも下回る ある意味すがすがしいほど低い自己評価に裏打ちされた、もはや卑屈という枠さえ飛び越えていたリックの腰の低さが、人並み程度に改善されてきたという証だった。

 

 他人をうらやむ気持ちというのは、大なり小なり、誰でも持っているものだ。

 だからこそ人は学べるのであり、上を目指せるのであり、理想の自分を追いかけていける。

 

 嫉む闇だけに囚われてしまう者も確かにいるだろう。

 だがいつかその闇を糧にして前を向ける日が来るなら、嫉妬もあながち悪いばかりの感情ではないはずだ。

 

 赤ん坊が誰に教えられずともふたつの足で歩き出そうとするように、経験で自然と身につけていく、喜怒哀楽以外の心。

 親兄弟や、友達や、仲間の中で、わりと最初のころに知るはずの感情。

 

「あのビビリ具合じゃなあ。前までなら、嫉妬なんてとんでもない!ってとこだったろ?」

 

「そもそも嫉妬という言葉を知っているかも怪しかったですね」

 

 淡々とした声で返せば隣の青年が、そんなまさか、と軽く否定することもなく視線を漂わせたのを見てから、ジェイドはちらりと正面の家屋に目をやった。中では今も二人の少女がふたりの子供に手を焼いているのだろうか。

 

「初めての感情に加えて、まあ、相手と時期が悪かったんでしょう」

 

「ああ。あいつ、ルークのこと大好きだもんな」

 

「嫌う事も、苛立ちをぶつける事も出来ず、……かといって芽生えた劣等感も消えない。ま、あの子の頭じゃ熱暴走も起こしますか」

 

 さらに今は世界の危機真っ最中。

 加えて立て続けに起こる事件に、どちらも精神的な余裕は無かったに違いない。

 

「結果がアレってことだ」

 

 しみじみと口にしてから、ガイは口の端を緩めて後頭部に両手をまわした。

 

「しかし、まぁ、いいんじゃないか?」

 

「リックがですか?」

 

「いや、ルークもさ。 思えば“友達との喧嘩”って初めてだろ」

 

 喧嘩をする、という話だったアラミス湧水洞での一戦はルークの戦意不足で不発だったはずだ。

 残りは元々諍いを好む性質ではないリックの戦意不足で、やっぱり喧嘩と呼べるほどの事は起きなかった。

 

 こんなことでも無ければ、ずっとその延長線だっただろう。

 だが嫉妬と同じく、実を言うと喧嘩もそう悪いものではない。

 

 ぶつかり合わなければ、分からないこともある。

 

 頭の後ろで組んだばかりの手を外して、ガイは隣にたたずむジェイドの背をぽんと叩いた。

 薄い硝子越しに覗いた、リックが手放しで褒める赤の瞳を見返して微笑む。

 

「俺たちは見守ろうぜ。子供同士のはじめてのケンカを、さ」

 

「……いやはや、面倒ですねぇ」

 

 作り物めいた笑みはすでに無く、ただゆっくりと頭上を仰いだ男の横顔に不器用な困惑が見えた気がして、「子育てってのはそういうもんだ」と続けたガイは今度こそ、声を上げて笑った。

 

 

 本当はジェイドも分かっているのだろう。

 今までリックが反抗的な態度を取らなかった、そんな感情を自覚することさえなかった、その理由を。

 

 男は自分の罪から作り出してしまった子供に一線を引いていた。

 

 リックには申し訳ない例えだが、それは期限付きで動物を預る感覚に近かったはずだ。

 最後には離れる存在に、まかり間違っても情を移さぬようにと気を配る、人間のそれに。

 

 そしてリックは自分達の間に横たわる溝に、無意識か意識か気付いていた。

 

 自分が一瞬でも見失えば、男は二度と戻ってこない。

 そのことにどこか気付いていたから、必死に追いかけた。

 

 人ごみで親とはぐれまいとする子供のように、追いかけて追いかけて。

 切り捨てられぬよう、見放されぬよう、あの臆病さに見合わぬ執念で必死に食らいついていたリックは、考えたのだろう。

 

 臆病であるながらに考えて、頑張って、一生懸命 “ジェイドの傍にいられる自分”であろうとした。

 時にそれが的外れで、盛大に空回ったものだったとしても。

 

 

 思考を巡らせていたガイの隣で動く気配がして意識を戻すと、寄り掛かっていた柵から身を起こしたジェイドが、目の前の家に向かってゆっくりと歩き出すところだった。

 

 どうやらジェイドは本当に、これ以上 遠回りするつもりはないらしい。

 安心が半分、随分時間が掛かったなと呆れる気持ちが半分の苦笑を零し、その背中に声を掛ける。

 

「入ってすぐ正面。テオドーロさんの私室にいる」

 

「どうも」

 

 簡潔ながらもしっかりとした返事を聞いて、ガイは改めて柵に手を掛け、先ほどのジェイドと同じように頭上を仰いだ。

 視界の外から、いつ聞いても不思議な音を立ててテオドーロ邸の入り口が開閉した音がする。

 

 そのことに満足して、ひとつ息をはいた。

 

 ルークのほうはティアがなんとかしてくれるだろう。

 俺もそろそろ子離れしないとな、とあの皇帝陛下に聞かれたら笑われそうな事を大真面目に考えながら、残された青年はゆるりと笑みを浮かべた。

 

 





前は反抗なんてしようものなら容赦無く切り捨てられる予感に戦々恐々としてたのが、今こうして反抗期になれたのは、リックがどうというよりジェイドの変化であることを知ってるガイ。

(ちょっとくらい面倒なことになったって、もうアンタはアイツを切り捨てないだろ?)


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Act60.2 - 子供のココロ

 

 

 頬に添えられていた手が離れ、柔らかな音素の光が消える。

 

「終わりましたわ」

 

 寝台に座る自分と向かい合うように簡素な椅子に腰を下ろしているナタリアが、そう言って引き戻した手を膝の上で上品にそろえた。

 

 殴られたときに自分の歯で切れた口内は、先ほどまで息を吸う度つねられるような痛みを主張していたが、さっと舌でそこをなぞるとすっかり元通りになっているのが分かった。

 

 鏡がないので分からないが、もう熱を感じない頬も、きっと何も無かったかのように滑らかな表面を取り戻しているのだろうと思うと、じくりと胸が痛む。

 

 怪我が治るのを憂鬱に思うなんて、初めてだった。

 

 もちろん治してくれた彼女を否定するわけじゃない。自分のために力を割いてくれたことを心の底からありがたいと……申し訳ないと思う。

 嫌なのは、自分に与えられる痛みが無くなったことだ。

 

(大佐も、こんな感じなのかな)

 

 並べるには規模が違いすぎると分かりながらも、そんなことを思う。

 

 あのひとは罪を許されることを望んでいない。

 むしろ責められて然るべきなのだと認識している静かな赤は、俺がずっと見てきたもの。

 

 許されたくない。自らがおかした罪を忘れたくない。

 だから目に見える、あるいは感じる形での枷を残したいのだ。

 

 たとえば殴られた頬の熱さような、分かりやすい“痛み”を。

 

 そこまで考えて目を眇めたところで、ふと先ほどからこの空間が静寂を維持していることに気付いた。

 どちらかといえばルークと似て、気になったことには直球勝負、な彼女が静寂を保つ意味に。

 

 ルークと向かい合っていた時の激情が嘘のように、焦る内心からじわじわと汗が浮いてくる。

 上目使いに窺いみたナタリアは、「納得いかない」という言葉がぴったり張り付くしかめっ面のまま、しかし無言だった。ああ余計怖い。

 

「……なにも、聞かないの?」

 

 そんな時間に真っ先に耐えかねた俺が訊ねると、なんとか平行を保っていた眉が勢いよくつり上がったのを見て、ひ、と小さく悲鳴を零す。

 

「色々聞きたいに決まっています!!」

 

「ごめんなさい!」

 

「敬語っ!」

 

「ごめん!」

 

 詰め寄るような怒声に思わず寝台の上へ後ずさりながら、頭の中で平謝りするための言葉と行動の準備をしたが、その声はすぐに止まった。

 当然続くものと思っていた叱責が突如止んで呆気に取られる俺に、不服そうな顔でじとりとした視線を返すナタリアには、王族らしい雰囲気はない。

 

「殿方同士の喧嘩に女性は口をはさむべきではないと昔ばあやに教えられました。まあそれも時と場合ですけれど、今回は何も言わない事にしましたの」

 

 丁寧な口調は彼女がまごうかたなく“王女様”だということを伝えてくるけど、そう言って小さく微笑んだナタリアは“女の子”だった。

 

「だってリックがルークと喧嘩だなんて、よほど譲れないことがあったのでしょう?」

 

 どうしたのかと心配して、まったく仕方がないと呆れて、だけどいつか元に戻ることを疑わない。

 仲違いの行方を見守るひとりの、普通の女の子がそこにいる。

 

 だけど俺はその笑顔に言葉を返せず俯いた。

 

 違うんだ、ナタリア。そんな大層なものじゃない。

 俺の一方的な、それもセフィロトがあったら入りたいほどバカで勝手な理由なんだ。

 

「……あ、ナタリア、その」

 

「ルークは上ですわよ。治療はティアが行きました。ただ部屋ではアニスが眠っていますから、庭園のほうにいるみたいですけれど」

 

 濁した先を瞬時に読み取ったらしいナタリアが淡々と音を紡ぐのに「そ、そっか」と曖昧な相槌を返す。なんだかこの旅で皆だんだんと大佐に似てきたんじゃないだろうか。

 ナタリアまで本格的に心が読めるようになったらどうしよう、と結構真剣に危惧していると、この位置からは見えない部屋の扉がノックされた音が聞こえた。

 

 はい、と透る声で返事をしたナタリアが椅子から立ち上がる。

 棚の向こうに消えた背中をぼんやりと眺めた。

 

 誰が来たんだろう。まさかさっきの今でルークでは無いはずだ。

 

 ここはテオドーロさんの私室らしいので、もしかしたら本当の家主が戻ってきたのかもしれない。

 預言会議その他もろもろについて話しに行くはずだったのに、自分のせいで予定がくるってしまっただろうから。

 

 つらつらと考え込んでいると、扉が閉まった音がして顔を上げた。

 

「ナタリア? 今の誰だっ……」

 

 続けるはずだった音が自分でも予期せぬところで途切れる。

 席を立った時と同じように、金色の髪と深緑の瞳が戻ってくるものと信じ込んでいた俺の視界には今、

 

 金茶の長髪と真っ赤な目と、対比で目が痛くなるような真っ青な軍服が映っていた。

 

 ついでに言えば俺の顔色もたぶん真っ青だ。

 

「――――――っ!!?」

 

 がたがたん、と盛大な音を立てて寝台の上まで後ずさる。

 

 乱れたシーツを気にすることも出来ないまま、背中が壁に当たったことで必然的に下がる動きは止まったが、鼓動と動揺は右肩上がりで高まりっぱなしだった。

 

 零れ落ちんばかりに目を見開いて、魚のように口をはくはくとさせる俺を見下ろした大佐は、ゆっくりと、さっきまでナタリアが座っていた椅子に腰を下ろす。

 

 一言も発することなく静かに俺を見据えた赤に、上がったばかりの色んなものが急降下していくのを感じたが、ただ心臓だけは相変わらず跳ねあがっていた。

 体温さえ冷えていくような感覚を覚えながら、壁に押し付けた背をはがし、ぎこちない動作で体勢を整える。

 

 結局寝台のど真ん中で正座をする形になったものの、ここから何をどうすればいいのかは全く分からない。

 顔を俯けたまま、膝の上でグッと握った拳はすでに冷や汗でびっしょりだった。

 

「ナ、ナタリア、は」

 

「アニスの様子を見に行きました」

 

 いつもは聞いていて清々しいと感じる淀みのない明瞭な受け答えが、今はやけに心臓に痛い。

 

 相槌すら返すことが出来ず黙り込んだ俺の視界は、皺の寄ったシーツを一面に映しているのに、俯いた自分の頭頂部には今あの赤色が向けられているのだろうということが何故かよく分かった。

 

 経った時間は数秒か、数十秒か。

 

 聞こえてきた息をつく音に俺はぴくりと肩を揺らす。

 溜息と呼ぶには険の無い、それ。

 

「言葉にしなければ、何も伝わりませんよ」

 

 静かな、むしろ優しげと言っていいほど柔らかな響きを耳にして、俺は目の前のシーツのようにくしゃりと顔を歪めた。

 

 それに、はい、と喉の奥から無理やり しぼりだした掠れた声で頷いてみせると、僅かな沈黙の中に、体勢を立て直したのか軍服の布が擦れる音がする。

 

「……とはいえ、それを言う私が手を出しては本末転倒ですね」

 

 何のことかと一瞬 真剣に悩んで、すぐにそれが指しているものに気付いた。

 もう痕も、痛みさえ残っていない。ルークに殴られたのとは逆側の頬。

 

 細く吐かれた息は、今度こそ溜息と呼んでいいものだろう。

 どこか自嘲するような色に目を丸くしたのも束の間。

 

「すみませんでした」

 

 言い訳を潔しとしない彼らしい淡々とした謝罪だ、なんて悠長なことを考えている暇もなかった。

 

 もし木造りのおもちゃだったら首が後ろに取れそうなほど勢いよく顔を上げ、ころりんと落ちそうなほど目を見開いて、ぱっかりと口を開けたまま凝視する。

 

 思ったより近くにあった赤の瞳が、やっと顔を上げたなと言わんばかりに緩く細められたのにも気付かずに、寝台の端に両手をおいて身を乗り出した。

 

「な、なんですかソレ! なんっ、そんなの、違います!! だって悪いのはオレで……オレは」

 

 大慌てで言い募りながら見返した赤は真っ直ぐに俺を捉えていた。

 尻すぼみに消えていった音の端が、自分に戻ってくる。

 

 悪いのは、俺。

 

 そんなときにはどんな言葉を言えばいいのか。

 俺はそれをあの水の都で、あの青の瞳と、目の前の赤に、教えてもらったはずだ。

 

 少し上目遣いに様子をうかがってから、また視線を下げる。

 

「――すみません、ジェイドさん」

 

 ぽつりと空気を揺らした声は、自分でも嫌になるくらい沈んだ音をしていた。

 そんなに落ち込むならあんなことしなければ良かったのに、と責める理性も完全なる後の祭りだ。

 

「言う相手が違うでしょう」

 

「……ごめんなさい」

 

 だけど俺が繰り返したのは、あくまで大佐への謝罪だった。

 

 分かっている。自分は誰に謝らなくてはいけないのか。

 頭では確かに分かっているし、当然あのときの自分が正しかったとは思っていない。

 

 けれど。

 

 ルークにぶつけたあのくすんだ感情も、決して嘘ではなかったから。

 

 それきり黙りこんでしまっていると、椅子が僅かに軋むのが聞こえた。

 身をひるがえす空気の揺れと、離れていく軍靴の足音。すぐにでも顔を上げたい気持ちを押し込めて、ただ、また拳を握り締める。

 

 部屋の扉が痛いほど静かに閉じたのを聞いたところで、震える息をゆっくりと吐き出した。

 

 少しだけ上げた視界に入った椅子には、もう誰の姿も無い。

 脱力した体を壁に預ける。

 

 呆れられてしまったんだろうか。

 

 あたり前だと思った。

 こんな大変な時に、こんな子供じみた嫉妬でみんなの時間を潰している自分には、俺も呆れかえるしかない。

 

 急いで立ち上がって大佐を追いかけて、早くテオドーロさんのところへ行かなくてはと思う気持ちはあるが、どうにも動く気になれず、ぼんやりと虚空を眺める。

 

 そうして数十分が経ったときの事だった。

 

 再び扉が開く音に、緩々と視線を動かす。

 本棚に囲まれた場所にあるこの寝台から、入ってきた人間を一番最初に視認出来る位置へ。

 

 ナタリアが心配して来てくれたのかと考えかけた頭に飛び込んできたのは、金茶と、赤と、青。

 

 まるで数十分前の光景をやり直したかのような状況の中に、ただひとつ、異なる点があった。

 

 颯爽と歩いてきた大佐が先ほどと同じ椅子に腰を下ろす。

 すると同時に少しだけこちらに差し出されたそれに、俺は大きく何回も目を瞬かせた。

 

 真っ白なクリームの上に、ちょこんと乗った真っ赤な果物。

 適当な器が無かったのかスープ皿のようなものに、それでも綺麗に盛り付けられたそれは、まさしく。

 

「これ、まさか……大佐が?」

 

「他に誰がいるんです」

 

 当たり前だとばかりの真顔で差し出されたままのクリームパフェ。

 呆気にとられて固まる俺を、大佐はその赤い目でゆっくりと覗きこんだ。

 

「“食べないなら”」

 

 ゆるりと持ちあがった口の端に目を奪われる。

 それは微笑と苦笑の中間のような、彼にはひどくめずらしい、柔らかな顔。

 

「――――“捨てますよ”?」

 

 『……食べないなら捨てますよ』

 

 偶然の一致なんかじゃない。

 明確な意図を持って発せられたその言葉に、小さく息をのんだ。

 

 ずっと昔。

 幼馴染に囃された彼が不服そうな顔をしながらも作ってくれたのは、今目の前にあるのと同じもの。

 だけど今、それを自分にくれた時と同じ言葉を告げた彼の表情は あの時とまるで違って、でも、同じだった。

 

(覚えて、いてくれた)

 

 彼にとってはもう何年も前の、取るに足らない記憶であったはずなのに。

 

 何も言えずに ぼけっと眺めていた皿が眼前でふらりと揺れたのを見て、俺は慌てて皿を手に取った。

 

 このまま何もせずにいたら本当に捨てかねないと考えてのとっさの行動だったが、大佐は小さく笑って、もう片方の手に持っていたスプーンを俺に手渡した。

 

 反射的に受け取った銀色の食器を手に、寝台の上で皿と向かい合う。

 そっと差し込んでみせれば、白いクリームと柔らかなスポンジはほとんど手ごたえもなく円の上に乗った。

 

 ひとつ、口に運ぶ。

 

 舌に甘い味がひろがった。

 

「――――…………」

 

 赤い赤いイチゴの上に、ぱたりと雫が落ちる。

 一粒落ちれば連鎖するように次々とそれは滴り落ちて行った。

 

 口に半分スプーンをくわえたまま、深く俯いた。

 するとひときわ零れ出した水をどうすることも出来ないまま、短く息を吸う。

 

「ジェイド、さん。ジェイドさん。オレ……ルーク、ルークに」

 

 肺に流れ込んできた空気は甘く、

 

「……ルークに、あやまりたい、です……っ」

 

 ――幸せな、味がした。

 

 気付けば、俯いたまましゃくり上げて泣く俺の頭を、何も言わずにただ髪の流れに沿って丁寧に撫でおろす掌の温かさに、涙は留まることなく落ち続ける。

 

 生涯二度目となるジェイドさんのクリームパフェは、自分のせいで惜しくも少し、しょっぱかった。

 

 

 



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Act61 - となりの緋色(前)

 

 

 ジェイドさんは何も言わず、ただずっと一緒にいてくれた。

 

 そして泣きすぎで咳き込みながらもパフェを完食した俺の嗚咽が、どうにかこうにか治まってきたころ。

 控えめに扉が叩かれる音がして、ジェイドさんが立ち上がる。

 

 棚の向こうにその背が消え、すぐに何か話す声が聞こえてきた。

 小声で交わされる会話の内容はここからは把握できないけど、相手はたぶんナタリアだろう。

 俺はまだ少しぼうっとする頭で、皿を抱えたまま寝台に腰を下ろしていた。

 

 間もなく扉が閉まった気配がしたかと思うと、戻ってきたジェイドさんは今一度 目の前の椅子に腰を下ろす。

 静かな赤の瞳がほんの少しだけ気遣うような色を帯びてこちらを捉えた。

 

「そろそろ時間だそうです。……行けますか?」

 

 このひとがようやく“残るか”ではなく“行けるか”と聞いてくれたことが嬉しくて、また泣きそうになりながら、目一杯 頷いてみせる。

 

 しかし俺はそこで、大事なことを思い出した。

 

「当然ながらルークも一緒なわけですが」

 

 ぎしりと固まった俺の思考を読んだように(実際読んだのだろうと思う)続けられたジェイドさんの言葉。

 

 そう。そうなのだ。

 この旅に俺がいなくても何ら支障はないし、違和感とて欠片もないが、今や色々な事柄の要となっているルークがテオドーロさんとの会談に参加しないわけがない。

 俺が逃げ出さない限り、向かう先には十中八九ルークがいるだろう。

 

 なんて、回りくどく言ってみたものの、要するにルークと会うのが気まずいというだけの話だ。

 

 自分が悪いと分かっているからこそ会いづらいわけだけど、だからこそ、逃げるのもまた嫌だった。

 俺がやらなくてはいけない事は、やりたい事は、すでに決まっているのだから。

 

「ルークに、謝るんでしょう?」

 

 またもここぞというタイミングで響いたのは、柔らかな低音。

 短い沈黙の後、下がりきった眉のまま小さく頷けば ゆるりと細められた赤色に、俺はもう一度頷いた。

 

 ルークにあやまろう大作戦、開始だ。

 

 

 他の皆はすでに外で待っているらしい。

 ひと気のない屋内、大佐の後ろを進みながら、何度も状況をシミュレートする。

 

 さりげなく。いつもどおり。

 会ったらすぐ言えるように、その三文字を何度も口内で繰り返した。

 

 ベヒモスの群れに放り込まれる前のような切羽詰まった顔でぶつぶつと呟き続ける俺に、大佐がちらりと呆れた目を向けたのが分かったけれど、それに反応する余裕さえないまま、玄関の外に足を踏み出した。

 

 すると家を出てすぐのところに見慣れた複数の人影。

 ひときわ目立つ鮮やかな赤色の髪を見つけて、息をのんだ。

 

 先ほどから考えている心得をしつこく己に言い聞かせながら、足に力を乗せた。

 その途中で気付いたナタリアが微笑んでこちらを指さし、続いて皆が振り返る。

 

 そして。

 翠の瞳と交差したのは一瞬。

 

「…………」

 

「…………」

 

 ぶんっと音がするほど勢いよく顔をそらしたのは、同時。

 

「それじゃ、行こうぜ」

 

 身をひるがえして早足に歩き出したルークに苦笑するガイと困ったような顔したティアさんがついて行き、少しの間を空けて同じく苦笑したナタリアが小さく息をついてから歩き出す。

 アニスさんも、やれやれという声が聞こえてくるようなそぶりで肩をすくめると、その後に続いた。

 

 最後に残ったジェイドさんの隣には、顔をそらした事とそらされた事の両方にショックを受けて打ちひしがれる、一人の男。

 

 瘴気を自己発生させる勢いで床に突っ伏す俺の耳に微かな溜息が届く。

 

 今もポケットに手を入れてすらりと立っているのだろう上司は、「リック」と俺の名を呼んだ。

 俺はそれに条件反射で「はい」と答える。

 

「謝るんでしょう?」

 

 つい先ほど家の中でされたのと同じ問いに、はい、と消え入りそうな声で再度頷いた。

 

「ならこんなところで地面に懐いていないで、さっさと立ちなさい。いつものウザいほどのしつこさはどこに行ったんです」

 

 グランコクマの水のごとく、さらさらと落ちてくる音。

 切れ味のよい響きに、沈み込んで行こうとしていた気持ちが止まる。

 

 床に押し付けていた額を起こして――やっぱり涙目のままではあったけれど――ぐっと顔を引き締めた。

 そして無造作に投げ出していた手がゆるく拳を作ったのを見て取ってか、大佐が小さく笑う。

 

「行きますか」

 

「はいっ」

 

 立ち上がり、ざっと服をはらって、その流れで目元もぬぐった。

 するとどこか満足げに目を伏せた大佐は、またすぐに瞼を持ち上げて身をひるがえす。

 

 それに続いて歩を進めながら息を吐いた。

 前を行くジェイドさんに気づかれない程度に、べちんと頬をはたく。

 

「…………」

 

 うまく言葉が出てこない理由、簡単に諦めてしまいそうになる訳には少し気付いていた。

 

 多分俺はまだ揺れている。

 ルークがだいすきだという想いと、未だ胸の奥でうずくまる真っ黒な水の、間で。

 

 

 

 

 

 あやまろう大作戦を決行するためには、まずこのモヤモヤした気持ちを何とかしなければいけないのだろう。

 

「話は分かった。イオン様亡き今、私がこの会議に参加するのが一番だろう」

 

「お父様に知らせなければ。随分時間が経ってしまったけれど、ようやく会議を開けますわって」

 

 しかしこれが「さん、ハイ」の合図で無くなるようなものなら、そもそもこんな事態には陥っていないわけで。

 

「どうなっているの? どうしてレプリカ達がこんなところに」

 

「そいつは化け物だ! 触るんじゃない!」

 

 消したいが、消えない。謝りたいけど、謝りたくない。

 全く正反対の色を胸の中でまぜこぜにしているような感覚に閉口する。

 

「新生ローレライ教団に救いを求めろ!」

 

「預言を遵守しろ!! このまま瘴気にまみれて死ぬのはごめんだ!」

 

「お願いです、もう少し私たちに時間を下さい」

 

 出口のない迷路なんて大層なものでもなく、まるで丸い滑車を一人転がし続ける堂々巡り。

 一体どうすればと、また答えのない問いを自分に掛けて頭をひねる。

 

「瘴気でもう何人も倒れてるんです。その上、レプリカってんですか? 得体の知れない人間もどきがうようよして、俺たちの住処を荒らしやがる」

 

 必要なのはたったひとこと。ああもう、その一言がこんなに難しいなんて。

 謝ることにはそれなりに慣れていると思ってたのに。

 

「人間もどき、か」

 

「ルーク、彼らは気が立っているだけよ。落ち着いて事態がわかれば、」

 

「いいんだ! ……いいんだ……」

 

 どうしよう。どうすればいいんだろう。

 

 俺ルークにひどいこと言った。謝らなくちゃいけない。

 分かっている、分かっているけど、やっぱり胸がもやもやする。あああ。

 

「リック、あなたもあまり気を落とさないで――」

 

「え? あ、はい?」

 

 何か声をかけられた気がして振り返る。

 すると、そこにいたティアさんがなんだか呆気にとられた顔で固まった。

 

 まん丸に見開かれた青色の瞳が、大きく一度、二度と瞬く。

 やがてその細い肩が気が抜けたように緩々と下がった。

 

「……う、ううん。気にしてないなら、いいの……うん」

 

 いつも凛としている彼女にはめずらしい、少し幼さを感じさせる返事に俺も目をしばたかせたが、なんでもないと繰り返された言葉に「そうですか?」と首を傾げて、また前を向いた。

 

「どうやって謝ろう……いや普通に謝ればいいんだけど……」

 

 そして歩みを再開したルークの後に続きながら、またぶつぶつと考え込む。

 

 謝る、謝らなきゃ、あやまりたいけど。

 ……あああぁ。

 

 

 

 

「基本的にひとつの事しか考えられないんですよ。すみませんねぇティア、馬鹿な子供で」

 

「い、いえ」

 

 各地に出現したレプリカ達。瘴気の発生に混乱する国民。

 

 そんな周囲の混乱もなんのそのと完全にスルーして自分の考えに没頭していた俺は、背後で交わされていた苦笑気味の会話にも、やっぱり気付かなかった。

 

 

 



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Act61.2 - となりの緋色(中)

 

 

 バチカル城、謁見の間。

 インゴベルト陛下の御前だと思っていてさえ、どうやってルークに謝るか、ということで俺の気はそぞろだった。

 

 しかし根底に染みついた兵士根性でどうにか聞きとったところによると、街中にいるレプリカ達は、あれでも大分姿を消したのだという。

 

 彼らは一様にレムの塔という場所を目指している。

 ティアさんによると、それは魔界に昔からある塔で、創生暦時代の建造物らしい。そういえばフェレス島に居たレプリカ達もその名を口にしていたっけ。

 

 小さな国が作れそうなほどの数に上るというレプリカ問題に国主として頭を痛めていたインゴベルト陛下は、ようやく預言会議が形になりそうだというナタリアの前向きな報告に、少しだけ表情を明るくした。

 

 これから、新生ローレライ教団への進軍提案を含めた見解統一のための会議を開くので、話が纏まるまでファブレ公爵のお屋敷で待つようにという事だった。

 

 そこに自分も参加させてほしいと願い出たナタリアを除いて、俺たちは城を出た。

 

 

 

 

「私もこの時間を利用して、マルクトの総意を纏めるよう皇帝陛下に進言してきます」

 

 城を出てすぐにそう言ったジェイドさんは、アルビオールはお借りしますよ、と付け足してにっこりと笑った。

 

「あのっ!」

 

 颯爽とひるがえりかけた背に俺は慌てて声を掛ける。

 

「グ、グランコクマに行くんですよね、それじゃオレも……!」

 

「ああ。リック」

 

 肩越しではなく、しっかりと振り返って真正面から俺と向き合ったジェイドさんが、笑みを深めた。

 

「あなたはここに残って下さい?」

 

 言葉の裏に目一杯込められた「さっさと仲直りしろや」という言外言語。

 きらきらきらと音が聞こえてくる気さえする華麗な笑顔に、大きく身を震わせた。

 

 俺がライガクイーンに睨まれたオタオタのごとく四方八方へ視線を泳がせた末、はい、と消え入りそうな声で頷いたの見て、大佐はもう一度にこりと笑ってから、今度こそ去っていった。

 

 気まずいからと逃げるのは許さないということだろう。がくりとうなだれる。

 

 

 そしてファブレの屋敷に入る直前、久々に入ったアッシュ通信。

 話の内容はこちらからは解らないけど、ルークは自分は屋敷に居るから会いたいなら勝手に来い、と言っていた。

 もしかするとアッシュがここまで来るのだろうか。

 

 七年間戻る事の出来なかった、

 おそらく今となっては戻る気もなかったはずの、“本当の”家。

 

「…………アッシュ、かぁ」

 

 俺はくしゃりと後頭部の髪をかきまわす。

 直感と呼ぶには漠然としすぎたものが胸を過ぎってすぐに消えた。

 

 自分自身それの正体を捉える事が出来ないまま時が経ち、燃えるような緋色がファブレ邸を訪れたのは、それから間もなくのことだった。

 

 

 アッシュは予想通りひどく不本意そうな顔で現れた。

 いつもより二本くらいは深い眉間のしわがそれを如実に表していて、俺は思わず苦笑する。

 

「ローレライとは繋がらなかった。やはりヴァンの中に取り込まれ、交信不能にされているんだろう」

 

 宝珠の行方についても、進展は無かったようだ。

 

 ローレライは、セフィロトを通じてアッシュに鍵を流した。

 だからルークが受け取っていないなら、セフィロトのどこかに辿り着いているはずだと言う。

 鍵と宝珠は反応し合うそうだから、見つけ損ねているということは無いはず、であるらしいのだが。

 

 八方塞がりな今の状況を受けてアッシュが苛立たしげに舌打ちをした。

 

「瘴気のせいで、街の奴らも新生ローレライ教団よりだしな」

 

 そういえば街の皆がそういう話をしていたかもしれない。

 上の空で歩いていた間のぼやけた記憶を呼び起こそうと唸っていると、ふいにルークが「瘴気か」と小さく呟いた。

 

 その響きが妙に気になって顔をあげると、思いつめるように落とされた翠の瞳が見える。

 ルーク、と思わず掛けそうになった声は音に変わる前にルーク本人の言葉で遮られた。

 

「アッシュ……超振動で瘴気を中和できるって言ったらどうする?」

 

 ローレライの剣を使って、命と、引き換えに。

 

 初めて聞く情報に戸惑いかけて、すぐ思いなおす。俺はどこかでそんな話を耳にしたことがある。

 

 ベルケンド。そう、あれはベルケンドだ。

 イオン様が残してくれた預言を手掛かりにして向かったあの街の、第一音機関研究所。

 根本的な瘴気の消滅を考えなくてはという話になって、スピノザが提案した。

 

 『ルークの超振動はどうじゃろうか』

 

 物質を原子レベルまで分解する超振動なら、なんとかなるのではないかと。

 それで、俺はそのことをどうして忘れていたのか。

 

 釣り糸を引くように、記憶が甦ってくる。

 確かあのとき、大佐がその事には何も触れずに話題を変えたんだ。

 

 俺はそれを少し珍しいなと思った。そうだ、覚えている。

 話は結局、俺たちの前に訪れたというアッシュのことになった。

 

 それから研究所を出て、ちょっと歩いていたら大佐とルークの姿が見えなくて、俺は後ろを振り返った。

 

 その時、大佐とルークが何か話していた。

 口論というほどではないけど、あまり穏やかでもない空気、で。

 

(あれ、だ)

 

 ルークはあそこで、超振動を使った瘴気消滅の可能性と代価についてを聞いたんだ。

 

「それで?」

 

 思い出したことが全て繋がって、突っかかっていたものがピンと弾けた感覚に瞠目した俺の耳に、アッシュの低い声が届く。

 

「おまえが死んでくれるのか」

 

「お、俺は」

 

 言い淀んだルークが顔をそらすと、レプリカは簡単に死ぬなんて言えていいな、とアッシュが苦虫を噛み潰したように吐き捨てる。

 それを聞いて泣きそうに眉根を寄せたルークが、顔を上げた。

 

「……俺だって、死にたくない」

 

 その言葉を聞いて反射的に拳を握る。噛みしめた奥歯が小さく音を立てた。

 

(じゃあ、なんで悩んでたんだよ)

 

 悩むって事は、つまり、そういうことじゃないか。

 

 アッシュではないけど、ルークがまた自分がレプリカだからどうとか考えていたのかと思ったら、もやもやとした黒いものが胸の内に再燃しかけてくるのに気づいて、慌てて深く息を吸った。

 

 それを倍の時間をかけて吐き出すことで自分を落ちつけながら、俺は器用にもその中に溜息を混ぜる。

 

 こんな状態で、どんな顔して謝ればいいのか。

 謝るどころか下手を打ったらまた喧嘩してしまいそうで怖くなってきた。

 

 

 あれから、何やら五分付き合うのどうのと口論していたルークとアッシュは、どうにか話がまとまったらしい…というかアッシュが折れたようだが。

 

 奥に歩いていく彼らの背中をちらりと見てから、俺はその後に続こうとしていたガイの袖を軽く引いた。

 足をとめて、空色の瞳が視線だけでどうかしたのかと問いかけてくるのに、苦笑を浮かべて小声で返す。

 

「オレ、ちょっとそのへん散歩してくる」

 

 とりあえず、この胸のもやもやがどうにかなるまで頭を冷やしに行こう。

 散歩程度でどうなるものでも無いだろうが、何もしないよりは幾分ましな気がした。

 

 するとガイは少しだけ目を細めた後、にっと笑って頷いてくれた。

 

「夕食までには戻れよ」

 

「うん」

 

 同じように小声で返された言葉に俺も笑って頷いて、静かに後ろへ下がる。

 その動きに気付いて不思議そうに首を傾げたアニスさんには、指先で扉のほうを示して見せた。

 

 アニスさんは何故か納得したようにぬるい笑みを浮かべて、いってらっしゃい、と口の動きだけで伝えてくれたので、それに手を振って返してから、その場を離れる。

 

 そして屋敷を出ると同時に零した溜息は、自分でもわかるほど、なんともいえず、辛気臭かった。

 

 

 

 

 

「っはぁ~……」

 

 深々とついた息がバチカルの喧騒の中に混じっていくのを感じながら、城下町の長く広い階段に腰を下ろした俺は、両膝の間に顔を落とすように俯く。

 耳に残る余韻さえ消えたところで、膝の上に肘を立て、手の上に顎を置いてゆっくりと頭部の重みを掛けた。

 

「オレの気持ちなのに……なんでオレの思い通りにならないんだよ……」

 

 嫉妬というのはこんなに厄介な感情なのか。

 世の中で愛や恋にいそしむ女の子達がこれと日夜戦い続けているのだとしたら、本当にすごいと思う。いや、別に俺のは恋とか愛とは関係ないけど。

 

 そういえば男の嫉妬は見苦しいものだと前に陛下が言ってた。

 だとしたら、今の俺は相当に見苦しい生き物と化しているんだろう。

 

「……あー」

 

 飽きもせずにまた深い溜息を吐きだした。

 

 そのとき。

 

 視界の端を過ぎた、鮮やかな緋色。

 

 気付いた瞬間、今日の俺は明確な意図を持って、その人物の団服の背にあるひらひらした部分を、

 

 

 しっかと掴んでいた。

 

 

 突然の出来事でも階段から足を踏み外すなどという失態は犯さず、僅かなよろめきのみで体勢を立て直した彼が、ぎろりとこちらを睨む。

 

「――迷子だとかぬかしやがったら蹴り落とすぞ」

 

「今日は違うよ!」

 

「じゃあ何だ!」

 

 あからさまに苛々した声と顔で吐き捨てるアッシュに、俺はへらりと苦笑を返した。

 

「……相談に、乗ってください」

 

 

 




アッシュ捕獲。


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Act61.3 - となりの緋色(後)

 

 

 誰かに答えをゆだねる事は止めにしたつもりだけど、やっぱりどうも俺ひとりの手に余るこの事態。

 答えじゃなくていい。ほんの小さなヒントでいいからと思った時、頭に浮かんだのは今目の前でどうにか俺の手を振り払おうと必死な緋色だった。

 

「アッシュさんっ!」

 

「うるせえ滓が! なんで俺がそんな面倒くさそうなものに付き合わなきゃならねぇんだ!」

 

 現在地は長い階段のわりと上の方。絡みつく俺を無理に引っぺがそうとすればもろとも下まで落ちかねない。

 そんな状況とあって、さしものアッシュも動きとしての抵抗は控え目だった。いや、突き刺さらんばかりの眼光と殺気は五割増しだけど。

 

 しかしこのまま持久戦になれば振り払われることは必至だ。

 ここで何の糸口も掴めなければ最悪 俺は今日野宿。こんな半端な気持ちでルークのいるファブレ邸には帰れない、と追い込まれた人間は、とにかく怖いもの知らずだった。

 

「お願いだよアッシュさん頼むよアッシュさん あぁ何かもういいやアッシュ! 本当にちょっとだけでいいから! な? な!」

 

「テメェいい加減に……!」

 

「レプリカのオレといてアッシュが複雑な気持ちするのは分かってるけどさー!」

 

 すると、ふいに振りほどこうとしていた動きがとまる。

 肩越しに振り返ったアッシュは、何だか意外そうな顔をしていた。

 

 その呆気にとられた顔には年相応の幼さが少しだけ垣間見えて、ああこうしてるとルークによく似てる、なんて口にしていたら即座に切り捨てられたに違いない事を考える。

 

「……思っていたほどバカじゃない、か」

 

 やがてアッシュは静かに何かを呟いたけど、すぐ傍に居る俺にさえその音は聞き取れなかった。

 

 聞き返そうかと迷っていた俺の前で彼が眉根を寄せる。

 それはもういつものアッシュの顔だったけど、最初より雰囲気の険しさが薄れている気がした。

 

「あ」

 

 気付かぬうちに腕の力が緩んでいたようで、団服の端が手の中から引き抜かれる。

 

 やっぱり駄目かと諦めの息をついた俺の耳に、どかりという音が届いた。

 反射的に向けた視線の先には、数十センチ離れて隣に腰を下ろした緋色。

 

「こっちはお前らみたいに暇じゃないんだ。さっさと話せ」

 

 そっぽを向いたまま、本当に本当に不服そうに告げるアッシュの姿に、きらきらと涙目を輝かせた。

 

「ぁああっしゅぅうう~……!」

 

「それ以上近寄ったら今度こそ蹴り落とすぞ」

 

 放っておいたら飛びかかってきかねないと判断したらしく、結構本気の語調で言われてしまったので俺は渋々その場に留まる。

 

 そういえば、ルークの用というやつは終わったのだろうか。

 少し気になったけど、ようやく引き止めたのにここでそんなこと聞いたら今度こそ立ち去ってしまいそうだったので、ひとまずその疑問は胸の内にとどめた。

 

 静寂の代わりに街のざわめきが間に落ちたのは一瞬。

 

「なあ。アッシュってさ」

 

 俺はゆっくりと口を開く。

 

「両親とかナタリアとか、つい最近までルークに取られたような形だったわけだろ。それで今、ルークのこと許せたのか?」

 

「テメェは会うたびに人の地雷を踏みやがるな」

 

 低く押し殺した声。横っ面に突きささる視線を感じて冷や汗と共に顔をそらした。

 視線だけを動かして様子を窺うと、しかし何か考える仕草を見せていたアッシュが、短く息を吐き出す。翠の瞳が俺を映した。

 

「赦したわけねぇだろうが」

 

 思いのほか静かな調子で零された音に目を丸くする。

 

 確かに仲が良いというには程遠いけど、ここのところはルークに協力的だった印象があると思ったのに。

 そのことを遠まわしに伝えれば彼の顔が盛大に顰められる。

 

「いきなり何もかも忘れて仲良しこよし、なんて出来るか。御伽噺じゃあるまいし気色悪い」

 

 気色悪いってそこまで言うか、と笑った自分の声。

 それがどこか白々しくて、また落ちた短い沈黙の後、重い溜息を吐いて空を仰いだ。

 

 地の底に堕ちていくようにも、空を貫こうとしているようにも見えるこの王都の片隅で、ちっぽけな俺はどちらに向かえばいいのかまだ分からずにいる。

 

「なあアッシュ」

 

「あァ?」

 

「オレ、ヤなやつなんだよ」

 

 ぽつりと零して青い空に手を伸ばし、掌を握り締めてまた引き戻した。

 膝の上で緩々と開いたそこに当然ながら何もないことを確認して苦笑する。

 

 それからこの現状に至るまでの成り行きを俺がぽつりぽつりと話すのを、アッシュはただ黙って聞いていてくれた。

 やがて全てを話し終えたところで、ひとつ息をつく。

 

「大好きなひと達といるのにどろどろした気持ちが出てくるんだ。頭じゃ良い事だって分かってるのに、変わっていくのが寂しくて、勝手に嫉妬してさ」

 

 改めて言葉にするうちにどんどん自分が情けなくなってくる。

 八の字になった眉で くしゃりと顔を歪めた。

 

「こんなのじゃダメだ。大好きなひとには大好きって気持ちだけをあげたいのに、こんなの」

 

 体を渦巻く、つい最近まで知らなかった黒い感情。

 こんなものを大好きなひとに見せちゃいけない。そんなわけにはいかない、のに。

 

 俯いてきつく拳を握っていると、隣から短く息を吸い込む音がした。

 

「阿呆かオマエは」

 

「へ?」

 

 ズバリと音が聞こえた錯覚を覚えるほど切れのいい発声で一刀両断されて、座っているのにどこか仁王立ちの雰囲気を漂わせたアッシュをぽかんと見やる。

 

「そんなの無理に決まってんだろうが。好意だけで政治が成り立つかよ」

 

「いや、オレ、政治の話はしてない……」

 

 控えめに拱手して告げた言葉も「同じ事だ」の一言に切り捨てられた。

 

「人間が関わり合う以上、どこかには打算が存在する。それは政治の場だろうとガキの遊び場だろうと変わらねぇ」

 

 揺るがない視線を真っ直ぐ俺と合わせたアッシュは、小さな子供に現実を言い聞かせるように言う。

 

 捨てた過去と言い張っていても、やっぱり彼にはナタリアやピオニーさんと同じ、国を治める立場として生まれた者の風格があった。

 無意識に背筋を正して表情を引き締めていたら、ふと険の無い息をついたアッシュが目を伏せる。

 

「もっとも、望むものは人それぞれ違うだろうがな」

 

「望むものって……たとえば?」

 

 アッシュは薄く片目を開けて俺を見たが、すぐにまた閉じて、ふいとそっぽを向いた。

 これは途切れたかと思いかけた会話は、翠がこちらを見ないまま再開した。

 

「金、地位、プライド」

 

 淡々と上げられていく単語ひとつひとつに、俺は頷いて相槌を打っていく。

 

「それから、」

 

 するとアッシュは何故かそこで言葉を切った。

 

 こちらからわずかに窺える表情はひどく居心地が悪そうで、どうかしたのかと首を傾げる。

 間もなく彼が思いきるように息をのんだのが分かった。

 

「喜んでほしい。笑ってほしい。そんな、“想い”だとか」

 

 アッシュには、あまりにも似合わないその言葉。

 思わず目を見開いていると、彼はどことなく赤い顔をこれ以上無いくらい顰めて勢いよく立ち上がり、俺を睨み下ろす。

 

「っだからあの死霊使いに構って欲しいならこんなところでグチグチ言ってねぇで本人にそう言いに行きやがれ滓がぁ!!」

 

「…………は、」

 

 とても性能のいい木づちで、頭をすかんと殴られた気がした。

 

 胸につかえていた黒いものさえ その拍子に吹き飛んだようだった。

 すっと目の前がクリアになる。

 

「オレ、は」

 

 ああ。そうか俺は。

 

 オレはずっと。

 

「ジェイドさんに、相手にしてほしかった、のか」

 

 羨ましいとか、妬ましいとか、ここ最近自分を悩ませていた全ての想いの根っこに、ようやく行きついた。

 とても簡単な感情に、ご大層な理屈をつけて捏ね回して、ややこしくしていたのは俺自身か。

 

 自分でもどんな感情を込めたらいいのか分からないまま、ゆっくりと深く息を吐きだしたと同時にまた気付く。

 

 『 悩むって事は、つまり、そういうことじゃないか。 』

 

 それならさっき感じたもやもやは、嫉妬じゃない。

 あれは。

 

 あの苛立ちの正体は……。

 

 突然階段にくずおれんばかりに脱力した俺に驚いたらしいアッシュがびくりと身を揺らす。

 何だいきなり、と怒鳴る声を聞きながら、喉の奥からこみあげてきた空気に肩を震わせた。

 

「~~~っぶ、は!」

 

「何笑ってやがる」

 

「ははっ、あはは……っいや、アッシュ、オレ知らなかったんだよ」

 

 手で額を抑え、こみ上げてくる笑いを無理やり噛み殺した反動で目尻に浮かんだ涙もそのままに、横目で翠の瞳を窺って言う。

 

「人間って、心配を通り越すと怒るものなんだな」

 

 思えばルークへの暗い気持ちなんてとっくに散っていたんだ。

 ユリアシティで、ジェイドさんが俺のために歩みを止めてくれた、その時に。

 

 だからつい先ほどのもやもやは嫉妬なんかじゃなかった。

 今なら分かる。あれは“もどかしい”と言うんだ。

 

 アクゼリュスを崩落させ、己がレプリカであることを聞かされてから、自分の存在する理由を探していたルーク。

 生きる理由を探して頑張ったり傷ついたりするひと達がいるということを、あの旅ではじめて知ったのは俺。

 

 そう、知ることは出来たけど、やっぱりその気持ちは俺には分からない。

 分からないけど、死ぬ事が生まれた意味だとルークが思っているのかと考えたら何だか腹が立った。

 

 ルークを勝手に殺そうとすんな、ふざけんな。

 要らないだ何だと、じゃあアンタが大好きな俺はなんなんだって、そう思ったら。

 

「なんかもう、腹立たしいやら切ないやら、情けないやら」

 

 そんなこんなでどうしようもなくなった複雑な思いを、俺はとっさに嫉妬とカテゴライズしたのだろう。

 何せ嫉妬でさえ 最近ようやく理解したばかりで混乱気味だったから、立て続けに湧いて出た覚えのない感情をそれと混同したのも無理はない、と思いたい。

 

「あ、ア~~~~……」

 

 そこで目眩を起こした人間みたいに、一度おおきく頭上を仰いでから、座った自分の膝に頭を押し付けるようにして体を縮こめた。

 

「……ッシュ~~」

 

「妙な呼び方するな!」

 

「アッシュ」

 

「あぁ!?」

 

「オレ、ルークが羨ましいままでもいいのかな」

 

 それは顔をほとんど膝につけているせいで、低いくぐもった音となって空気を揺らす。

 

 さっきのは違ったにしても、ルークに嫉妬をしていたことは本当なんだ。

 思っていたより動機はずっと単純だったけど、それでも確かにあの黒い水は存在する。

 

「ジェイドさんに認めて貰えていいなって、ずるいなって思ったまま、」

 

 なあ、だけど。

 それでも。

 

「―――――ルークが大好きでも、いいかなぁ?」

 

 大好きなひとへの想い。

 ありったけの“大好き”の中に、ほんのちょっとだけ塩辛い何かが、混じっていても。

 

 短い沈黙。

 そして。

 

「勝手にしろ」

 

 返ってきたぶっきらぼうな声を聞いて、俺は小さく笑みを零した。

 

「うん」

 

 一度知ってしまったものは消えない。蓋をする事もできない。

 ひとつの想いで埋め尽くせるほど、ひとの心は容易くない。

 

 だけどそう考えた時ちょっと思ったんだ。

 大好きだという想いだけで作れる心がないように、

 

「ありがとう、アッシュ」

 

 きっと、憎しみだけで出来た心も、ない。

 

「……チッ」

 

 自分の膝に押し付けていた顔をずらして横を向けば、ひどく表情を歪めたアッシュがいたが、見かけほど機嫌は悪くなさそうだ。

 そんなことが分かるようになるくらいには一緒にいたのかと思うと少し嬉しい。

 

 そのまま締まりの無く口元を緩めていると、若干照れたらしく素早く立ちあがったアッシュにガツンと頭を横へ蹴り飛ばされた。

 

「リック! テメェはいいからさっさとあの屑と和解しやがれ! あっちもこっちもうじうじしやがってウザイったらねぇんだよ!!」

 

 でもちゃんと手加減をしてくれていたようで、視覚的なインパクトほど痛みは無かった。

 傾いだだけに留まった上半身を引き戻しながら、ごめんごめんと笑って肩をすくめる。

 

 するとさらに眉間の皺を深めたアッシュが、荒い足音を立てて階段を下りていく。

 随分長いこと付き合わせてしまった緋色の背を、俺は笑いながら見送った。

 

 この調子ならきっとまた会えるだろう。

 とりあえずそのとき怒られないようにするためにも、早くルークと仲直りしておかなくては。

 

 くつくつとなお零れる笑いを噛みしめながら立ち上がり、ファブレ邸に戻ろうと身をひるがえしたところでふと足を止める。

 

「…………」

 

 じっくり考えること、数十秒。

 

 俺ははっとして後ろを振り返った。

 

 

「……今アッシュがオレの名前呼んだ!!」

 

 

 





リックは なにかが ふっきれた! アッシュへの なれなれしさが あがった! ▼
アッシュの ストレスが 765 ぞうか した! ▼




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Act62 - 育ったものはなんですか

 

 

「すみません厨房貸してください!!」

 

 ファブレ邸の大扉を叩き開けるや否や、一も二もなく声高らかに叫ぶ。

 

 突然の出来事に複数のメイドさん達共々 呆気にとられて固まったラムダスさんは、しかし素晴らしいプロ精神でもってすぐさま平静を取り戻し、あちらになります、と優雅な仕草でその方向を指し示した。

 

 

 大好きだから。心配だから、怒る。

 

 正反対だと思っていた感情が繋がっていることに“気付いた”のはさっきだけど、考えてみれば自分はずっと前から“知っていた”んだ。

 

 『大佐が、不器用だからですっ』

 

 あれだけ器用になんでもこなしてみせるのにいざってところで不器用な大佐がもどかしくて、心配して心配して最後には怒った。

 何も言わずに姿を消す陛下に、また脱走だと九割方分かりつつも残りの一割はやっぱり心配で、発見してから涙目でどやしつけたときだって、俺は確かに怒っていたのに。

 

 そういえば、ルークとアッシュが……レプリカと被験者が同一の存在ではないと知ったときも、心と頭で理解速度に随分な差があったっけ。

 

 知ってることを知っていると頭が判断するまでにこれだけ掛かるとなると、あれか、俺は古い演算機未満の何かかと思わず苦笑して、手にした野菜をまな板の上に置いたとき。

 

「おっかえり~」

 

 背中にかかった弾むような声に振り返れば、厨房の入り口から姿をのぞかせたアニスさんがいた。

 

「アニスさん! どうしたんですか?」

 

「リック帰って来たっぽかったのに、ちーっとも顔見せないし~。ラムちゃんに聞いたら厨房に立てこもってるって言うから様子見に来たげたの」

 

「立てこも……あ、や、すみません」

 

 半眼でひょいと肩をすくめたアニスさんに、ただいまの一言さえいわずに厨房に直行していたことを思い出し、慌てて謝る。

 

「ま、それはいいんだけど」

 

 さすが公爵邸とあって軍の寮部屋みっつくらいは余裕で入りそうなこの厨房の中ほどに陣取り、調理器具と帰りがけに買ってきた材料を広げる俺の隣まで歩いてきた彼女は、作業台を覗き込むと、手近に転がっていた野菜を手に取って言った。

 

「リックがカレー作ってるの久しぶりに見たかも」

 

「……作ってなかったな、ってオレもついさっき気付いて」

 

 丁寧に下ろした包丁が、とん、と優しい音を立てるのを聞きながら微笑む。

 するとアニスさんは小さく笑って首を傾げた。

 

「ふぅん。タマネギきざむくらいの余裕はできたーってわけだ」

 

「はい」

 

 少しからかうような、アニスさんの久しぶりに聞く明るい調子の声に笑みを深めて返す。

 

「なんか、吹っ切れました」

 

 そして己も久しく出していなかった迷いのない声で言い切れば、今度こそ胸が定まった気がした。

 よし、と小さく呟いて、切り終えた具材をまな板から大きな鍋の中に流し入れる。

 

「ねぇこれ何カレー?」

 

「キルマカレーに挑戦中です」

 

 陛下の意見も参考に色々と工夫しているのだが、未だ食事として出せる味には達していない。だが今度こそはと、ニンジンを握り締めたところでふと思い出す。

 

 ルークがアッシュに話、ってなんだったんだろう。

 結局アッシュには聞きそびれてしまった。

 

「あの、アニスさん」

 

「んー」

 

「オレが散歩に行った後のことなんですけど」

 

 あぁとひとつ溜息まじりの相槌を打って、アニスさんが話してくれた。

 

 ルークはアッシュを両親に引き合わせたかったらしい。

 だけどルークは、それをずっと怖がってもいたとか。

 

 何でと尋ねかけて寸前で思いとどまり、ルークの気持ちをなぞる。

 

 ルーク・フォン・ファブレの居場所や家族はアッシュのものだった。

 本物が戻ってきてしまえば、レプリカである自分は要らなくなるから、とか。

 

 たぶん怖いというのはそういうことなのだろう。

 その感情を俺が知ることは出来ないけど、想像することは少しずつながら出来るようになってきた。

 

(……今度こそ)

 

 ちゃんと謝って、それからちょっとだけ怒ろう。

 嫉妬と履き違えたりしないで、喧嘩にならないように、しっかり伝えなくては。

 

 思いも新たに、ぐっと拳を握った。

 

「ちょぉ、リック お鍋! お鍋焦げてるってば!」

 

「ええ!?」

 

 

 

 

 ただいまの言葉と、今回も試作品に留まってしまったキルマカレーを持参して向かった部屋。

 

 ガイは俺とカレーを少しの間まじまじと眺めて、それからちょっと安心したように苦笑した。

 おかえり、と返された言葉と共に拳でかるく額を小突かれて、俺ももう大丈夫だと言う代わりに笑う。

 

 心配を掛けたお詫び、というにはかなり冒険の香りを漂わせたカレーは、たいそう複雑な表情で「うんまぁ食べられなくはない」と言いながら完食してくれた。

 陛下共々グランコクマでさんざん試食に付き合わされていた彼に「わるいけどこれは食べ物じゃない」と言わしめた初期作を思えばかなりの進歩だろう。

 

 ちなみに今回、厨房で一緒に食べたアニスさんにはすでに的確かつ辛い評価と改良点を頂いているので、このガイの反応と合わせてぜひ次に生かしたいところだ。

 

 大佐に出せるレベルじゃないのは言わずもがな、ティアさんとナタリアにももう少し美味しく作れるようになってから食べてもらおう。

 

 後は。

 

「あいつには、持って行ってやったのか?」

 

「……今から」

 

 見計らったように掛けられた柔らかい音に、笑みを返す。

 ガイに持ってきたのとは別にもうひとつ、手にした器をかるく掲げた。

 

 がんばれよと背中を押す声を受けて部屋を出て、長い廊下に足を一歩踏み出す。

 

 ルークがうらやましいと思う俺は確かにいる。

 だけど、ルークが大好きな俺もまた、確かだから。

 

 もう迷わない。

 

 ファイトだ、俺。

 

 

 

 



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Act62.2 - にわとりは夢を見るようです

 

 

「で、謝れたんですか?」

 

「……まだです」

 

「バカ」

 

 ぐうの音も出ません。

 

 翌日。ジェイドさんを迎えに行ったバチカルの入り口で開口一番の問いを受け、そっと顔をそらして零したノーに返されたいつになく単刀直入な罵倒に、俺は何も言えず肩を落とした。

 

 謝るって決めたし心の整理もついたけど、やっぱりタイミング。

 これがまた一度逃してしまうと中々掴めないものだ。

 

 扉の隙間からこそりと覗き見たルークは、たぶん瘴気中和のことだろうけど、何か考え込んでるようでどうにも話しかけ辛くて、持って行ったカレーは結局近くにいたペールさんと一緒に食べた。

 

「な、なんか朝もやっぱり考え事してる感じだったから、声掛けにくくて」

 

「言い訳しない」

 

「………………はい」

 

 だらだらと伝う冷や汗をそのままに頷くが、なお突き刺さる物言いたげな視線を感じて、グランコクマでの話し合いはどうでしたかと無理やり話をそらす。

 

 するとジェイドさんは、僅かに肩をすくめて息をついた。

 

「ファブレの屋敷で話しましょう。何度も説明するのは面倒ですから」

 

 そう言って身をひるがえした軍服の背を眺めて、ああ、と思う。

 

(やっぱり)

 

 自分はジェイドさんに相手にして貰いたかったんだとアッシュに教えられたとき、さらにもうひとつ、気付いたことがあった。

 

 今までだって――自分で言うのも哀しいが――特別相手にしてもらっていたわけではないのに、どうして突然そんなことを思ったのか。その理由はたぶんこれだ。

 

(やっぱり、怒らない)

 

 思い起こせば今回の旅が始まる少し前からだったろうか。

 毎日のようにくらっていた譜術や槍や蹴りが飛んでこなくなったのは。

 

 打撃のほうは“回数が減った”ということだけど、譜術に至っては本当に、ここしばらく一度も受けていない。

 

「あの、ジェイドさん。聞きたい事があるんですけど」

 

 意を決して声を掛ける。

 立ち止まり振り返った彼はその赤い目に俺を映し、「なんです」と静かに言った。

 

「どうして最近オレに譜術使わないんですか?」

 

「使ってほしかったんですか?」

 

「い、いや! 違いますよ!? 違いますから!! だからそんなおかしい趣味の人見るみたいな目で見ないでください違いますんで!」

 

 真剣な顔で尋ねた俺に、一瞬目を丸くした大佐が眉根を寄せたと思うや否やの発言を必死に否定する。いくらなんでもそのような趣味はないのでそんな微妙に嫌そうな顔しないでください。

 

 これ以上首を横に振っていたらきっと倒れるという寸前で動きをとめ、ちらりとジェイドさんを窺い見た。

 

「どうしてだろうって、ちょっとだけ気になったんです」

 

 ちょっと、の部分は大分嘘だったが、他に言いようもなく、それだけを呟いて所在無く後頭部をかいた。

 

 譜術を使ってほしいわけではないし、怒ってほしいわけでもない。

 だけど今まで当然のようにあったものが突然無くなるのは、なんだかどうにも置いていかれてしまったような。

 

さみしい、ような――。

 

「唸れ烈風。大気の刃よ、切り刻め」

 

「はい?」

 

 思考の切れ間に割り込んできた聞き流せない音の羅列と、感じ慣れた音素の動きにぎくりと身をこわばらせる。

 

「ちょ、いやあの、ジェイドさん、え?」

 

 視界の先で、ジェイドさんが真顔のまま、俺のほうに腕を向けた。

 

「タービュランス」

 

「っ何だか分からないけどごめんなさいぃい!!」

 

 自分の周囲で瞬間的に高まった第三音素に、後の衝撃を想定して頭を抱え、半泣きで身を丸めて蹲る。

 

 だが、五秒経とうと十秒経とうと、一向にそれはやって来なかった。

 

「……あれ」

 

 冷えた石造りの地面から そっと顔を起こす。

 頭は庇ったまま、片方だけ開いた目で周囲を探るが、これといった異変はない。

 

 名残のつむじ風に髪を揺らされることさえない様子に、ようやく現状を得心してそろそろと体を起こした。

 

「びっくりしたぁ。今は味方識別(マーキング)ついてたんですね」

 

 譜術は確かにこちらへ向けて発動したのに何もないということは、今の俺には味方識別がついているのだろう。じゃあさっきのタービュランスは単におどかすためのものか。

 

 もう止めてくださいよ、といつもの調子で泣き言を零そうとしたところで、ジェイドさんもいつもの仕草で眼鏡を押し上げた。

 

「まあ別に今だけじゃありませんけどね」

 

 先ほどから変わらぬ真顔のまま しれっと零された言葉。

 とっさにそれが理解できず、相手の顔を見返す。

 

 その様子を見た彼が僅かに口元を緩めた。

 

「もう外しませんから、戦闘中にこちらの術をかわす心配はしなくていいですよ」

 

 言うが早いか今度こそ身をひるがえしたジェイドさんは、目を白黒させる俺とは正反対に、まったくもっていつも通りの整った重心でまっすぐ歩いていく。

 

「外さないって、え、え!?」

 

 はっとしてすぐ後を追い、小走りで隣に並んだ。

 ジェイドさんはこちらを一度 横目で見たが、すぐにまた視線を前に向けてしまう。

 

 頭はぐるぐると混乱しきり。

 自分でも八の字に下がっていると自覚のある眉で、半ば呆然とその横顔を見上げた。

 

「だってジェイドさん今まで、」

 

 どう続けていいか分からずに閉ざした言葉の先は、おそらく口にするよりも正確にジェイドさんに伝わったのだろう。

 彼はほんの少しだけ苦笑するように口の端を歪めた。

 

「そうですね。貴方のものは……解除している事のほうが多かったかもしれません」

 

 ジェイドさんにとって味方識別の有無がどういう意味を持っていたのか、俺には分からない。でも、多分それも“チャンス”の一環だったんだ。

 

 逃げるチャンス。

 自由になるための、チャンス。

 

 全てを忘れて生きて行く道をあえて選ばせようとするかのようなそれが、俺はいつも腹立たしくて、いつだってもどかしくて。

 

(でも、今)

 

 ジェイドさんはそれを外さないと言った。

 

 もう外さない。

 逃げ出すチャンスは、もうくれない――と。

 

「…………っ」

 

 その繋がりに気付いて、ぱっと顔を明るくする。きらきらと輝く瞳で彼の人を見やった。

 

「ジェイドさぁあああぁあ――!!」

 

「エナジーブラスト」

 

 

 

 薄く煙を立てながら城下の石畳に突っ伏すひとりの男を、バチカルの人々がざわめきつつも遠巻きに避けて行く。

 

 術の発動から約三十秒後、俺は涙目でがばりと身を起こした。

 その勢いに周囲から軽い悲鳴が零れる。

 

「味方識別ついたんじゃなかったんですか!?」

 

「リック。味方識別とは何ですか?」

 

「こ、効果範囲内にいる味方を攻撃対象から外すものです!」

 

 突然、譜術練習のときのような口調で問われて、条件反射で姿勢を正して答える。

 結構、といかにも上官らしい仕草で頷いた大佐は、次の瞬間にっこりと笑った。

 

「あくまで“範囲内にいる味方”を攻撃対象から外すものなわけですから、“攻撃対象が味方”の場合なんら問題ありません、ええ」

 

 語尾にハートマークがつきそうな、それはそれはきれいな笑顔でした。

 簡単に言うけどそんな器用なこと出来るの大佐だけですきっと。

 

 いや。ていうかそれって。

 

「今までと何も変わらないってことじゃ……」

 

「少なくとも混戦状態のときに巻き添えをくう事はなくなりましたよ」

 

 さっぱりとそう言い切った上司に、俺は微笑のまま「ですね」と返すことしか出来なかった。頬をはらはらと滴る涙はきっと気のせいだ。

 

 はっはっは、と物凄く聞き慣れた人の悪い笑い声にはなんとなく安心しながらも目頭を押さえていると、数歩先を行った大佐が振り返らずに足を止める。

 

「ただ、観念しただけですよ」

 

 その穏やかな響きを耳にして思わず顔を上げれば、見慣れた青い軍服の背中。

 肩越しに振り返った彼の顔に浮かぶ、めずらしい笑い顔に目を見開いた。

 

「どこかの子供が二人も自分と向き合おうとしているのに、いい年をした大人がいつまでもメンツにこだわってるわけにはいきませんから」

 

 それはなんだかんだと陛下に言いくるめられた時に見せるものとよく似てる。

 あきらめたような、でもどこか清々しさの覗く苦笑。

 

 “いつもの笑顔”じゃなくて、“ジェイドさん”の――……。

 

 

 

 もう振り返る気はなさそうな歩き方で颯爽と歩いていく彼の七歩後ろを歩く。

 

 この情けないまでに熱くなった顔を、ファブレ邸に着くまでにどうにかしなければと、真剣に考えながら。

 

 

 



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Act63 - 仲直りの仕方を知っていますか?

 

 ジェイドさんと俺がファブレ公爵邸に戻ると、ちょうどナタリアが到着したところだった。

 

 ついでに顔の火照りもどうにか治まったのだが、みんなと一緒に迎えてくれたガイには、含み笑いの小さな声で「なんか良い事あったな」と断定されてしまった。

 そんなに分かりやすい顔をしているだろうか。いや、昨日も今朝も結局ルークと仲直りが出来なかったとヘコみにヘコんでいた姿を見ているからこそかもしれないが。

 

 いつもの表情を取り戻そうとぐいぐいと自分の頬を揉む俺をさておいて、喜んで下さいませ、とナタリアは会議の結果について口を開いた。

 

「プラネットストームを止める方向で合意しましたわ」

 

「こちらもです」

 

 それに頷いた大佐の声を聞きながら、話の繋がりを掴もうと脳内を探る。

 ただでさえ情報過多な現状に加えて、俺自身がここのところ色んなもので頭がいっぱいだったのでそんなことも一苦労だ。

 

 ええと、ああ、そうか。

 エルドラントはプラネットストームの防護壁に包まれているから、このままでは攻めるも止めるもままならないんだった。

 

 実際の協議が行われるのはダアト。陛下たちはもう向かっているらしい。

 俺達もすぐに向かうべく話の進む中、ちらりと視線をずらす。

 

 その先では、ルークがぼんやりと虚空を見ていた。やっぱり瘴気中和のことを考えているんだろうか。

 

「ル、」

 

 俺は眉根を寄せて口を開きかけ、だが寸前で止まった。

 音の無いまま、はくはくと口が動く。目が泳いだ。冷や汗が浮かぶ。

 

 そんな状態で固まっている内に、上の空なルークはおぼつかない足取りで皆と一緒に歩いて行ってしまった。

 その背が屋敷の大扉を潜って外に出たのを見届けたところで、ぶはあと詰めていた息を吐く。

 

「……タイミング……そう一度、逃せば大変タイミング……」

 

「どこの標語ですか」

 

「うわぁ!!」

 

 背後から聞こえた声に思わず飛びすさる。

 

「ジェ、ジェイドさっ、」

 

 豪華な造りの壁に背を押しつけて、いつものことながら全く気配を感じさせない彼の人を見やった。

 呆れたような半笑いで肩をすくめたジェイドさんがくるりと身をひるがえして歩き出す姿に、反射的に動いた体が後を追う。

 

 勢いでたたらを踏みながら隣に並んで顔を見上げると、先を行くルークの背をまじまじと眺めたジェイドさんが「ふむ」と顎に手を当ててこちらを向いた。

 

「ルークは今、心ここに在らず、というやつです」

 

「? はい」

 

「さっき実験してみたんですが何を聞いても『うん』としか言わないんですよ」

 

「はい」

 

「この隙に謝ったらいいんじゃないですか?」

 

「いやそんなおざなりな仲直りはちょっとっ!」

 

 必死に手を横に振る俺に、冗談ですよと笑う大佐の目はわりと笑ってなかった。

 おそらく怖気づいてる俺がじれったいんだろう。ホントごめんなさい。

 

 一度逃したタイミングという名の魚は、巨大だ。

 

 

 

 

「おお、すれ違わずにすんだか!」

 

 そのときふいに前方から響いた、どこか聞き覚えのある声に顔を上げる。

 

「スピノザ」

 

 そこに予期せぬ人物の姿を見つけてきょとんと目を瞠り、隣のジェイドさんを仰いだ。赤い目が僅かにすがめられる。

 

 妙に慌てた様子のスピノザにルークがどうしたのかと尋ねると、彼は少し前、自分のところにアッシュが来たのだと言った。

 

 ごく最近、目にしたばかりの緋色を思い浮かべる。

 

 こっちはお前らみたいに暇じゃない、とか言っていたっけ。

 確かにあれからスピノザのところへ向かったのだとすれば中々の強行軍だ。

 

 そこまで急いで、アッシュは一体どうしたのだろう。

 ちらりと頭をよぎった疑問は、スピノザの言葉によって、すぐに解消した。

 

「超振動による瘴気中和の方法を訊ねてきた」

 

 瘴気の中和。

 昨日ルークの口から聞いたばかりの不穏な単語に身をこわばらせる。

 

「結果を聞くまでもありません」

 

 頼まれるままに成功の計算をしたというスピノザの言葉を継いだ大佐が、眉を顰めた。

 

 ローレライが眠っている今、まず圧倒的に第七音素が足りない。

 例えその問題がどうにかなったとしても、それをおこなった者は。

 

「音素の結合が解けて、乖離し……死ぬ」

 

 スピノザは、重い響きを帯びた声で、しかしはっきりと導き出される結果を告げた。

 第七音譜術士 一万人の命はどうするつもりなんだとルークが大佐に尋ねる。

 

 それもまた初耳だったけど、要するに足りない第七音素を補うためにはそれだけの犠牲が必要だという事、らしい。

 

 大佐はほんの一瞬、俺とルークにざっと視線を滑らせてから「レプリカでしょう」と言った。原子の結合に第七音素を使用しているレプリカならば十分代わりになる。

 

 アッシュは、レプリカ達と一緒に死ぬ気なんだ。

 

 だとすれば彼の行き先は、今レプリカが大量に集まっているレムの塔。

 俺達は急ぎアルビオールに向かって走り出した。

 

「昨日、城下で会ったときはそんな様子なかったのに」

 

 見知った人間が死ぬかもしれないという不安。

 未だ記憶に新しい嫌な焦燥感に、俺が眉根を寄せながら呟いたのを聞きとめて、前を走るガイが肩越しにこちらを振り返る。

 

「なんだ、あの後会ったのか」

 

「うん……」

 

「その時は何も変わったことは無かったんですね?」

 

 ジェイドさんの問いを受けて昨日のアッシュとのやり取りを頭の中でなぞるが、思い当たる節はない。眉間の皺も不機嫌そうな雰囲気もいつもどおりのアッシュだった。

 

 いつもと違ったこと、といえば。

 

「あ。アッシュがオレのこと名前で呼んでくれました」

 

「ッは!?」

 

 言うや否や前方から響いた盛大な音にびくりと肩をはねさせる。

 

 ガイが「それは関係ないだろう」と苦笑を浮かべるより、ジェイドさんが「ああそうですか良かったですねぇ」と流すより早かった声の出どころ。

 

 驚きに目を瞬かせて見返した、その先には、翠の瞳。

 

「……な、なに」

 

 とっさのことに思わず尋ねた声は、しかし直前に喧嘩中だということを思い出してしまったのか、中途半端な淡白さを帯びて空気を揺らした。

 

「…………」

 

 ルークは何か言いたげに口を開きかけて、だけど何も言わずに閉じる。

 

「……べつに」

 

 そして、むすっとした顔でそれだけを言うと、また前を向いて走り出してしまった。

 ルークの背中が遠ざかって行くのを見て唇を緩く噛む。

 

 ああもう、俺は馬鹿だ。

 ただいつもの声で、いつものように返事をすれば良かっただけなのに。

 

 また怒らせてしまっただろうか。深く吸った息をゆっくりと吐いて、じんと目の奥が熱くなってくるのをどうにか堪えた。

 

「とにかく、アッシュを追いましょう」

 

 小さく息をついたジェイドさんの声に顔を上げる。今は俯くな、頭を冷やせと促す確かな響き。

 

「はい」

 

 涙目のまま、それでもしっかりと頷いて、俺は前をにらんだ。

 

 

 





喧嘩をしたことない子供たちは、仲直りの仕方もわからない。




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Act64 - グッド・バイ・ユア・フレンド(前)

 

 

 辿り着いたレムの塔には、すでに大量のレプリカ達が集まっていた。

 

 最低限の知識だけを刷り込まれて生まれてきた彼らの、感情を置き去りにした表情はあまりに無機質で、否が応にも自分が生まれたときのことを思い出す。

 

 消えていく残像。

 

 瞼の裏で浮かびあがった光景に、反射のように揺れた手を握り締め、小さくかぶりを振った。

 奥底から引きずり出される恐怖と同時に感じるのは、レプリカという存在に対する温かな親近感。

 

 限りなく近いところにある記憶と感情が入り混じる奇妙な感覚に、短く息を吐いて鼓動を落ち着ける。

 そして隣でいつの間にかこちらを向いた、眇められた赤の瞳に笑みを返した。

 

 俺が怖いのは“あなた”でも“あなたが起こした事”でもないのだということを全力で知らしめるべく、この際多少ひきつっていても構うものかと、今の自分に出来うる限りの笑顔を浮かべる。

 

「それよりアッシュの姿みえませんね、ジェイドさん」

 

 何がそれよりなんだと聞き返すことなく、苦笑して静かに息をついた大佐には、俺の思惑なんてお見通しなんだろう。

 

 でも実は俺だって、ジェイドさんが思っていたよりずっと真剣に「大好き」の言葉を受け止めてくれていたという事にわりと最近 気付いたのだけど、口にしたらせっかく固定してもらった味方識別を早々に外されそうだったので、とりあえずアッシュ探しに意識を向けることにした。

 

 しかし同じ空間にいて、あの鮮やかな緋色を見落とすことはないだろう。

 本当にレムの塔にいるのかという事実の程はさておき、少なくともこのフロアにはいないように思えた。

 

「アッシュ?」

 

 念のためと僅かに声を張り上げて呼びかけてみる。

 まあ居たとして彼が素直に返事をするかといえば、それもまた怪しいところだったが。

 

「その声……リックかい!」

 

 すると予想外に返ってきた声に、驚いて顔を上げる。

 上に続いているらしい長い階段の途中に知った顔を見つけて目を丸くした。

 

「ノワール!」

 

「ほかの坊やたちも一緒みたいだね」

 

 ちょうどいい、とノワールはどこか焦った様子でおりてくる。

 

 どうしてこんなところにいるのかと問いかけたルークに、自分達はアッシュに雇われているからと言った彼女は、アッシュを止めてくれときつく眉根を寄せた。

 

 やはりアッシュはここに来ていた。

 瘴気を消すためにレプリカ達と心中するつもりだ。

 

「わかった」

 

 それを聞いて重く頷いたルークが、とりあえず昇降機で上へ向かおう、と言いかけたところで、昇降機の扉が閉まり突如として動きだしてしまった。

 

 為すすべもなくそれを見送り、他に上へ行く手段はないかと皆で視線を巡らせた結果、行きついた先には今しがたノワールがおりてきたばかりの、途方もなく長い階段ただひとつ。

 

 曲がりなりにも軍人なので体力にはそれなりの自信があるが、この塔の外観と、頭上遥かにある天井を思い、俺は半ば感嘆の息をひとつ零した。

 

 

 途中でヨークとウルシーに会って、アッシュはナタリアと彼女が愛する国のために、自分を犠牲にしてでも瘴気を消したいのだろうという話を聞いた。

 

「それにしても、こう自殺志願者が多いとイライラしますね」

 

 さらに上を目指して早足で階段をのぼりながら、何かのついでのように零された言葉。いや心中希望者かな、と付け足すジェイドさんの声の裏にある低い響きに、条件反射でびくりと肩をはねさせる。出会い頭にアッシュに譜術のひとつでもぶつけてしまいそうな機嫌の悪さだ。

 

 しかしそれは俺としても少し不思議に思っていることだった。

 

 彼の性格を考えると、命と引き換えでどうこうという話の前に、それこそ死にものぐるいで違う手段を探しそうなものだが。

 

 アッシュはよく、時間がない、と口にしていたらしい。

 言われてみればと、まるで何かに追い立てられるように事を成そうとしていた姿を思い出す。

 

 一体アッシュは、なにをそんなに急いでいるのか。

 

「この装置で昇降機を覆っているガラスを破壊しましょうか」

 

 大佐の声にはたと意識を引き戻す。

 

 階段も、その先にあった作業用リフトも昇りきった先に道は無く、ならばと昇降機を覆うガラスのみを壊して、無理やり乗り込んでしまおうという話だった。

 

「ガイ、出来ますよね?」

 

「そう言われたら、できないとは言いたくないねぇ」

 

 破壊にはその場にあったアーム状の装置を利用する。

 そのために、今のところ機能を停止しているそれの復旧をしなければならない。

 

「オレも手伝う!」

 

 ガイの隣に並び立って装置をみる。

 かなり長い間放っておかれたものだろうに、ざっと眺める限り目立った損傷はなかった。

 

 さすが創生歴時代の音機関。感心しながら、ガイと一緒に細かいところを整えていると、様子を見ていたティアさんがきょとんと目をしばたかせた。

 

「リックって、音機関に詳しかったかしら」

 

 俺は状態をみるために外した装甲の一部を戻しながら、ああ、と口元を緩める。

 

「そうでもなかったんですけど、シェリダンでイエモンさん達を手伝ってて何となく」

 

 思い起こせば、こと音機関においてはあのひと達もジェイドさんに負けず劣らず厳しかったかもしれない。だけどおかげでこうしてガイを手伝えるくらいにはなった。

 

 そう、と相槌を打つティアさんの声。少し哀しげな響きを聞いて、装置に向けていた顔を起こした。

 

「それでガイじゃないけど、譜業とか音機関とか楽しいかもなーって、……ちょっと目覚めちゃいました」

 

 残っているのは辛い記憶ばかりじゃない。

 次のなにかに生かすことが出来るんだと、あそこで教えられたことを思い出す。

 

 そうしてへらりと笑った俺を見て、ティアさんはもう一度、そう、と小さく頷いた。その顔に浮かぶ微笑みに安堵の息をつき、また作業に戻る。

 

「ガイ、こっちはいいよ」

 

「後は動力源だな……ルーク! ちょっといいか?」

 

 中心に浮かぶ充填器をいじっていたガイが呼んだ名前にぎくりとした。

 

 もう手を加えるところなんてどこにもない装置の調節をする振りをして身をかがめ、気付かれないように横目で様子を窺う。

 

 下にいたゴーレムの核を動力に使わせてもらおうという話をガイから聞くルークの翠の瞳をじっと眺めて、声になりそこねた息をひそかに吐いていたら、こちらもまた装置を窺う振りをして来た呆れ顔の大佐に右頬をかるく引っ張られる。

 

 離されたばかりのさほど痛くもない頬に手を当てて、俺はさりげなく視線を泳がせた。

 

 

 

 

 

「よし、これで起動するはずだ」

 

 ルーク達に補充して来てもらった充填器をガイが元の位置に戻すと、装置はすぐに動きだした。

 生き物のように長いアームを正確にガラスに叩きつけ、狙いどおり周囲を覆うガラスだけを破壊する。

 

 そうして昇ってきたばかりの昇降機へ、アーム伝いになんとか飛び移ると、中にはガイのお姉さんや、イエモンさん、アスランさんのレプリカを含めた、複数のレプリカが乗っていた。

 

 地上に自分達の居場所はないと彼らは言った。

 

 そんな彼らにアッシュは、命と引き換えに瘴気を消すことに同意すれば、まだここに辿り着いていない大勢のレプリカに住む場所を与えるという取引を持ちかけたらしい。

 だがレプリカ達はそれを一蹴したようだった。

 

 我々にはホドがある。このレムの塔で待っていれば、モースが新生ホド――エルドラントに、導いてくれるのだから、と。

 

 そして昇降機が最上階に到着する、その瞬間。

 

「ふははははっ!!」

 

 叩きつけるような音。

 雨のように降ってきた銃撃が目の前のレプリカ達を次々になぎ倒していく。

 

 揺れた空気の先から聞こえてきたのは一度聞けば忘れようのない特徴的な声。

 

 

「たとえ何万年待とうと、そのような事はあり得ませんよ!」

 

 

 

 相変わらず空気の読めないやつだと、唇を噛み締めた。

 

 

 

 



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Act64.2 - グッド・バイ・ユア・フレンド(中)

***

 

 

 食事の乗ったトレイを手にマルクト軍部の廊下を歩きながら、あのハナタレディストめ、と顔をしかめて小さく呟く。

 日々の囚人食に、アレが嫌だコレは嫌いだと毎回 文句をつけるあの男は、そういうわりにはいつも完食しておかわりまで要求してくる。

 

 正直なところ本当に嫌いな食べ物があるのか、ただ俺に文句をつけたいだけなのかは分からないが、昨日とうとう堪忍袋の緒を切った俺は、ならば徹底的に好物で埋め尽くしてやる、と方向性の間違った闘志を燃やした。

 

 それゆえ不本意な事にディストの好物を大佐と陛下に訊ねる羽目になったわけだが、甲斐あって今日の食事は完璧だ。二の句も継がせてなるものか。

 

 試合前の選手のようにぐっと拳を握り、牢に通じる扉を開けると、中で慌ただしく駆け回る兵士達の姿。

 

 何事かと目を丸くした俺の耳に飛び込んできた、脱獄、脱走、囚人番号A-9643731ほか複数の単語たちに一瞬呆然として、すぐ我にかえる。

 

 

 言葉にならない何かをいくつか口の中で転がした後、俺は力いっぱい叫んだ。

 

 

『馬鹿ディストーーっ!!!』

 

 

 

***

 

 

 

 悲鳴のひとつも上げずに倒れて行くレプリカ達。

 体のすぐ脇を通り過ぎる銃撃にさえ反応を返せないまま、頭上を仰ぐ。

 

「ネビリム先生を甦らせれば、あなたも昔のあなたに戻るでしょう。先生と共にもう一度あの時代を……!」

 

 奇妙な譜業兵器の隣でいつもの浮遊椅子の上に立ち、口元に薄く笑みを乗せた男。

 熱の入った語り口を遮るように足をひとつ前へ踏み出した。

 

「ディストっ!!」

 

「……お前ですか」

 

 ティアさん達がレプリカを退避させる声を背に聞きながら、こちらを見下ろして眉根を寄せたディストを鋭く睨み上げる。

 

「モースの護送船を襲ったのは、アンタなのか」

 

「そうですよ」

 

「なんで乗ってた人たちまで手にかけた!」

 

「おや、あの中に知り合いでも?」

 

 淡々とした調子で返されたそれに口をつぐみ、短い沈黙の後、ちいさく首を横に振った。するとディストが呆れたような息をひとつ吐いて目を細める。

 

「なら別に構わないじゃないですか。何をむきになる事があるんです」

 

 言葉になり損ねた空気が、ひゅうと頼りない音を立てて肺を巡った。

 ほぼ毎日牢屋の中と外で顔を突き合わせて、口論とも呼べないバカな会話ばかりしていたから、忘れていた。

 

 忘れていたんだ。

 奴と俺とは、進む道を違えているのだという分かりきった現実を。

 

 願っていたんだ。すこしだけ。

 もしかしたら同じ道を歩めるかもしれないなんて、そんな――夢みたいな未来を。

 

「アンタ、馬鹿だ」

 

 渇いた喉の奥から無理やり押し出した声は、微かに震えていたかもしれない。

 

 痛いほど強く拳を握り締める。

 言いようのない激情に顔が歪んだ。

 

「……大馬鹿だ」

 

 

***

 

 

『すみませんでした!』

 

 謁見の間。

 深々と頭を下げた俺に、陛下は「気にするな」と鷹揚に笑った。

 

 頭は上げないまま視線だけでそちらを窺い見ると、玉座に腰を下ろす陛下の脇に控えた大佐が肩をすくめ、優雅な動きで眼鏡を押し上げる。

 

『もともと看守でも何でもないわけですから、いいんじゃないですか?』

 

 しかし怪我が治ってからは ほぼ専任の看守と化していた身として、脱獄を許してしまったこの現状は中々痛いものがあった。

 

 すみません、とまた零せば、隣に並び立つガイがぽんと背を叩いてくれる。

 それで俺がようやく緩々と姿勢を戻したところで、陛下は足を組み直しながら息をついた。

 

『まあ、今回ばかりは看守の責任も問わんがな。むしろ鉢合わせにならなくて幸いした』

 

 その言葉を聞き、分かっているようでいて実は忘れていた事実を思いだす。

 

 ディストはあんなでも六神将だったのだ。例え脱走の現場に居合わせたとして、普通の兵士では止めようがなかっただろう。

 

『そういえば、なんでディストが脱走したって分かったんですか?』

 

 ふと思い立った疑問を口にする。

 

 配膳役さえ軍内部でたらいまわしだったディストなのだ。

 最低限の警備として定刻の見回りこそあれど、それ以外であの牢に近づく人間はあまりいない。いつ逃げ出したのか知らないが、次の見回りまではまだ時間があった。

 

『ああ。実はアッシュが……』

 

 ガイがそれに答えてくれようとしたところで、謁見の間の大扉が勢いよく開かれた。

 よほど急いでいたのかノックもせず駆け込んできた兵士が、伝令ですと陛下に敬礼する。

 

『元大詠師モースを乗せた護送船が何者かに襲われました! モースの行方は不明!』

 

 彼はそこで、わずかに言葉を切った。

 

『乗組員は――――』

 

 

***

 

 

 脱獄くらい、勝手にすればいい。

 護送船や見知らぬ乗組員の安否だって知るもんか。

 

 好きにすれば、どこへなりと行ってしまえば。

 どこか遠くですきなように生きれば、よかったんだ。

 

 あんたがどうしようと俺には関係ない。

 だけど知らせを受けたとき、何も言わず僅かに眉を顰めたピオニーさんの姿と、小さく息をついたジェイドさんの眇められた赤い瞳が、痛みにも似た切なさを伴って、胸の奥に揺れる。

 

「なんでだよ、なんでよりによって……アンタは!」

 

「リック」

 

 俺の名を呼ぶ、泣きたくなるほど落ち着いた声。

 ぐっと口を引き結んで言葉を飲み込む。

 

 ゆっくりと俺の横を通り過ぎていく直前、彼の手が背中に触れたのが分かった。

 宥めるような、ねぎらうようなそれは、丁寧に背から離れて行く。

 

「……今まで見逃してきた私が甘かったようですね」

 

 滲みかけた視界をそのままに俯いて、緩く歯を食いしばった。

 

 ああ、同じ道を歩めないのならせめて、決して交わることのない道の先で生きてほしかった。

 とても強くて不器用なこのひとの前に立ちふさがってほしくは無かった。

 

 あんたには。

 あんただけは。

 

「さようなら、サフィール」

 

 彼の手で決着をつけさせる事を、したくなかったのに。

 

 

 



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Act64.3 - グッド・バイ・ユア・フレンド(後)

 

 

 後方でガイとナタリアがそれた攻撃からレプリカ達を守り、残りの皆でディストの譜業兵器を倒しにかかる。

 

 見た目がどれほど珍妙でも作り手は屈指の科学者だ。多少なりと音機関の知識を得たからこそ、あれがどれだけ精巧に作られたものなのかが分かる。

 兵器と呼ぶにふさわしい破壊力を兼ね備えたそれの、腕の接続部を狙って剣を振るが、こちらの動きを察知したらしく避けられてしまった。

 

 かわしざまに繰り出された大ぶりな攻撃を寸でのところで避けて距離を取り、短く息を吐く。

 ともあれこの攻撃の雑さは幸いだ。おかげで俺も僅かながら、どうにか余裕が持てる。

 

 そこで、先ほどレプリカ達を薙いでいった銃弾のような音素の光線を放つ発射口が、詠唱中の大佐に向きかけるのを見て眉を顰め、さっと左手を体の前に掲げた。

 

「狂乱せし地霊の宴よ、ロックブレイク!」

 

 組み上げた術式に反応した音素の渦が、対象の真下で弾ける。

 

 勢いよく突きあがった岩に押し飛ばされてよろめいた兵器から放たれた光線が何にも当たらずに空気中で霧散したのを確認して、ほっと息をつき、改めて剣を構えなおした。

 

 絶え間なく続くみんなの攻撃を受けて、向こうの動きが徐々に鈍ってくる。

 そうしているうちに背から響いてきたのは、朗々とした詠唱。

 

 周囲にいるレプリカを巻き込まないようにするためなのか、また違う理由なのかは分からないけど、いつもより緻密に編まれた術式が組み上がって行くのが分かった。

 

 そこでふいに自分が前へ出過ぎていることに気付き、ああこれは巻き添えを喰うだろうなと考えかけて、しかしすぐに、もう、その心配がない事を思い出した。

 

「これで終わりです」

 

 戦闘の喧騒の中にあっても真っ直ぐに透る声に、俺は振り返らないまま、ただ強く目を伏せる。

 

「―――インディグネイション」

 

 一気に集束した音素の波が、まばゆい光と共に弾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 足元に転がる残骸。

 小さな歯車をひとつ拾い上げて、眉根を寄せる。

 

「……ばかディスト」

 

 ジェイドさんに哀しい思いさせんなよ。

 言いかけたその呟きは、喉の手前で引き止めた。

 

 決着がつく直前、ディストは自爆装置を作動させ、爆発する寸前で、ルークがディストごと兵器を吹き飛ばした。

 

 爆発を阻止したルークや、空の上で散ったディストに、結果以上の特別な意図はなかったのだろう。

 

 だけど俺は少しだけ目を伏せて、複雑な思いが混じり合った安堵の息をつく。

 そして、大佐が嫌がる、単なるこじつけの言い訳だと分かりつつも、二人に感謝した。

 

 あのひとが自らの手で幼馴染を葬らずに済んだことを。

 

 握りこんだ歯車にじわじわと自分の体温が移っていくのを感じながら、ふと目を細める。

 

 考えたことがあった。

 たとえば、そう例えば俺が昔のジェイドさんの傍にいたとして、ネビリムさんが亡くなったことで、彼がそれまでの彼ではなくなってしまったとしたら。

 

「―――…………」

 

 ここでルーク達と対峙していたのは、俺だったかもしれない。

 

 歯車がまた、ひやりと温度をなくした気がした。

 

 ジェイドさんに聞かれたら意味のない仮定だと一蹴されそうだなと、緩くかぶりを振って苦笑する。ああ陛下にも怒られそうだ。

 

「我らに居場所はないのか……」

 

 そのとき、抑揚無く、しかしどこか呆然としたような声が聞こえて振り返る。

 ガイのお姉さんのレプリカという女性が、静かに俯いていた。

 

 ディストいわく、エルドラントの対空迎撃装置が起動すれば彼らは塔ごと消されてしまう。栄光の大地からの迎えは決して来ないのだ。

 

「だから、取引だと言っただろう」

 

「アッシュ」

 

 どこからともなく現れた緋色は、再度彼らに取引を持ちかける。

 

 考えさせてほしい、と彼女は答えた。自我の芽生えた者たちと話し合うと。

 

 ルークやナタリアの制止も振り切って、自分は行くところがある、戻るまでにこちらの総意をまとめろと言い残し、アッシュはまたすぐに立ち去ってしまった。

 

 すぐ追おうと動きだしたみんなに続く途中、後ろを振り返って頭上を仰ぐ。

 瘴気が立ちこめている今、そこに真っ青な空を見る事は叶わなかった。

 

「行きますよ、リック」

 

「……はい」

 

 急を要する状況の中でもたついていた自分に掛けられるには、ことのほか柔らかい呼びかけを受け入れて、今度こそ身をひるがえす。

 

 手の中の、煤けた歯車をひとつ、ポケットに押し込んだ。

 

 

 

 

 レムの塔を出ると、ノワール達の姿があった。彼らはこれからアッシュをダアトまで運ぶのだという。

 自分達じゃアッシュは止められない、なんとか説得してくれとヨークが顔を顰めた。

 

「あんた達! 置いてくよ!」

 

 ぴしりと空気を揺らしたノワールの声に弾かれたように二人が動き出す。

 

 俺はみんなが話し合っている様子を窺って、そっと輪の中から離れた。

 遠ざかりかけたみっつの背中へ、いつかと同じように声を掛ける。

 

「ノワール、ヨーク、ウルシー」

 

 不思議そうにこちらを振り返った三人の顔を順繰りに見渡して、次にいつ逢えるともしれない彼らに向けて、一瞬だけ現状を忘れて笑う。

 

「いつか、グランコクマに訪ねて来てよ。薄給だしあまり豪華なもてなしは出来ないけど……歓迎するから」

 

 彼らはその言葉に驚いたように目を丸くした。やがてふと微笑んだノワールが、肩をすくめる。

 

「マルクトの兵士が盗賊を招待するのかい?」

 

「オレは兵士じゃなくて、リックとして会うからさ。だからそのときは、ノワールと、ヨークと、ウルシーが来てくれよ」

 

 盗賊団漆黒の翼としてじゃなくて、と付け足せば、ヨークは喉の奥で楽しげに笑って俺を見た。

 

「漆黒の翼。初めて間違えずに呼んだな」

 

「そっか?」

 

 わりといつもちゃんと呼んでいるつもりだったので少々心外だ。

 

 そこで、そろそろ行かないと旦那にどやされる、と早口に告げたウルシーも、「気が向いたら行ってやるでゲス」と気安い笑顔を浮かべてくれた。

 

 離れて行く三人の背。

 その途中、もう一度だけノワールが足を止め、肩越しにこちらを振り返る。

 

「それじゃいつか、アンタもあたし達の城に招いてやらないとね」

 

「本当に?」

 

「特別だよ」

 

 今度こそ背を向けて歩き出したノワール達。

 彼女は、最後にひらりと片手を振った。

 

「がんばりな、リック」

 

 柔らかく背中を押す声に、小さく頷く。

 

 ダアトに向かう事を決めたらしいみんなが動き出すのを視界の端に捉えて、揺れる赤へ無自覚のうちに意識をむけつつ、俺は紫がかった空を見上げた。

 

 

 

 

 

 

「アッシュは何を考えているのだ。何千というレプリカと共に心中するとは!」

 

「レプリカとはいえ、それだけの命を容易く消費する訳にはいかん……しかし」

 

 ふいに、あのひとの事を思い出す。

 俺のことを強いと言った、俺なんかよりもずっとつよくて、優しいひと。

 

「ジェイド。お前は何も言わないのか」

 

「私は、もっと残酷な答えしか言えませんから」

 

 イオンさま。

 あなたはそう言ってくれたけど、やっぱり強くなんかないんです。

 

 ごめんの一言を口にする勇気も持てない弱い俺は。

 

「……俺か? ジェイド」

 

 大切な人ひとりさえ、守れないままだ。

 

 



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Act65 - ラストモアチャンス

 

「そうですね、私は冷たいですから。――……すみません」

 

 

 

 

 ルークの姿が見えなくなったのを確認して、俺はようやく物陰から身を起こした。

 

 橋のようなアーチをえがく二階通路の中ほどに立ち、眼下の景色を見下ろしている大佐の傍へ歩み寄る。

 その足元へ静かに腰を下ろした。何も言わない上司の横顔をちらりと眺める。

 

「オレ、ジェイドさんのこと好きですよ」

 

 そのまま当然の流れのように零せば、赤い瞳がようやくこちらを向いて、怪訝そうに顔を顰めた。

 

「何ですか、いきなり」

 

「いや、なんとなく覚えのある状況だったんで、ちょっと」

 

 すっかり遠い記憶と化しかけた、実のところさほど昔の話でもない光景を思い出す。

 

 キャツベルトで、いつか自分を殺したいほど憎むかもしれない、とルークに告げたときの底の見えない赤色と、今のジェイドさんの目が同じ色をしていたものだから、思わず口をついたのだろう。

 

 小さく息をついたジェイドさんが肩をすくめた。

 

「それを肝心の相手にも伝えていれば、言うことは無いんですがね」

 

「…………」

 

 ぎくりと身を揺らす。しまった、やぶ蛇だ。

 居たたまれない沈黙をごまかす代わりに、取り出した小さな歯車を手の中でもてあそぶ。

 

 自分があえて核心からそれた話をしていることには気づいていた。

 

 この旅が始まってから、良し悪しを問わず本当にいろんなことを思い知らされたけど、動揺も過ぎると表面に現れないなんてことも初めて知ったかもしれない。

 

 妙に頭が真っ白で何も考えられない。

 なのに、胸にこびりつく不安感だけが消えずにある。

 

 煤でざらついた歯車の表面を何とはなしに指先でなぞっていると、ジェイドさんがまた短く息を零したのが聞こえた。

 

 どう転ぶにしても、と前置いて、赤い瞳が俺を捉える。

 

「あなたはここに残りなさい」

 

 突然の言葉に思わず歯車を取りこぼした。

 それを床に落ちる直前で慌てて掴み直してから、目を丸くして大佐を見上げる。

 

「な、なんでですか」

 

 最近は置いていかれることがめっきり無くなったから油断していた。

 思わずうろたえる俺を横目に見たかと思うと、大佐が呆れたような溜息を吐く。

 

「話を聞いていませんでしたか? 貴方もレプリカです、ついて来たら消えますよ」

 

 ああそうかそうだったと納得して、前のように置き去りにされるわけではないという事実に胸を撫でおろした。

 

 しかしすぐに、ぴたりとその動きをとめて眉を顰める。

 

「でも」

 

「なんです」

 

「オレ、まだ謝ってません」

 

「じゃあ今謝ってきなさい」

 

「いやそれはちょっと」

 

「……何なんですか貴方は」

 

 はっきりとしない俺の語り口が面倒くさくなってきたらしい大佐に睨まれ、背を伝う冷や汗を感じながらひきつった笑みを返す。

 

 手の中の歯車を再度ポケットに押し込みながら、だって、と言葉を濁した。

 

 このタイミングで言ったら、まさに今生の別れみたいではないか。

 あまりにもシャレにならない状況だ。

 

「だからっていうわけではないですけど、なんというか」

 

 切り出す言葉に迷いつつ、軽く後頭部をかきまわして腰を上げ、赤の瞳と向かい合った。

 

「オレも一緒にレムの塔に行かせてください」

 

 考えた末に出てきたのは何のひねりもない文章だったが、それを聞いた大佐の目がふいに厳しく眇められる。

 かつりと軍靴の音を響かせて彼が一歩こちらに近づいた。

 

「また自殺志願者が増えるなら、いい加減うんざりするんですがね」

 

 その射るような視線にすぐさま耐えかねた俺は、慌てて首を横に振る。

 

「作業に入る前には下がるつもりです」

 

「本当に?」

 

「もちろんですよ。死にたくないじゃないですか」

 

 この上なく真剣な顔でそう告げれば、ジェイドさんは短く黙った後、顔をそむけて丁寧に眼鏡を押し上げた。

 

「……私は心の底からあなた達を足して二で割れればいいと思いますよ」

 

「え?」

 

「いえ」

 

 なんとなく疲れたように額を押さえるジェイドさんの姿に首を傾げたが、すぐに姿勢を正し、改めて相手に向き直った。

 

「だから、その、もう少しタイミングを計らせてください」

 

 軽く頭をさげれば、大佐がひとつ息をつく。

 

「結局いつものビビリですか。まあいいでしょう、許可します。ただし事が起きる前には必ず退避してください」

 

「はい」

 

 ゆっくり頭を上げると、真剣な色をした赤と交差した。

 

 大佐はその目を僅かに眇めた後、ふいとこちらに背を向けて、また階下の光景に視線を移す。

 俺は少し迷ってからその隣に並び立ったが、咎められることはなかった。

 

「……それと、結局言えなかった、なんて事になったら本当の馬鹿ですからね」

 

 こちらを見ないままの彼がぽつりと零した音を噛みしめて、ただ小さく、はい、と答えた。

 

 

 



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Act66 - レムより永遠に

 

 

「俺……やります。俺が命と引き換えに瘴気を中和します」

 

 

 

 

「お前も行くのか」

 

 話は終わった。結論は、出た。隠しようのない重い空気をそのままに、身をひるがえした皆へ続こうと足をずらしたとき、ピオニー陛下に声を掛けられ、立ち止まる。

 

「事に当たる前には下がらせます」

 

 陛下は「そうか」と言って眉根を寄せ、僅かに肩の力を抜いた。

 

 その意味が、少しだけ分かる気がする。

 俺が同じ道を辿るわけではない事に安堵してくれながらも、ルークの決断と、止めることの出来ない己を悔やむ、様々な色の重なった感情。

 

 馴染んだ顔ともう二度と会える事がないのだと知ったとき、言いようのない奇妙な重みが胸の奥でぽっかりと口を開ける、あの感覚。

 

 どれだけ繰り返しても、きっと慣れることなんかない。

 あんな思いをするのはいやだ。俺だって、ピオニー陛下だって。

 

 誰だって。

 

(…………、)

 

 ふいに、記憶の底に引っ掛かるものを感じる。

 

 反射的にその正体を見極めようと神経を巡らせたとき、こちらに向けられた誰かの視線に気付いた。目立たない動きで周囲を見回す。

 

 俺達以外に人のいない室内で、大本へ辿りつくのに大した時間は掛からなかった。

 思わず名を呼びそうになり、とっさに口元を押さえる。

 

 そこで物言いたげに眉を顰めていたルークは、しかし何も音にすることなく、口を真横に引き結んで顔をそむけてしまった。

 

 勢いよく沈みかけた気持ちをどうにか引き止める。

 仕方がない。自業自得だ、リック。

 

 見えなくなった翠の瞳に名残惜しさを感じながら、ちょうど大佐との話を終えた陛下に向き直る。

 行くんだな、と最終確認のように繰り返された言葉に頷いた。

 

「はい」

 

 たぶんこれが俺の、最後のチャンス。

 

 

 

 

 今まで幾度となく計ったタイミングを改めて計り直し続ける俺を筆頭に、道中のアルビオールでは結局誰ひとり言葉を交わすことなく、時は過ぎた。

 

 辿り着いたレムの塔。

 僅かな稼働音と共に動きだした昇降機の中で、俺はちらりとルークを見た。

 

 汗の滲む掌を握り締める。今しかない。

 “今”しか、ないんだ。

 

「…………ル、」

 

 意を決して顔を上げた瞬間、昇降機が動きを止めた。頂上についてしまったらしい。

 

 そこに変わらずたたずむレプリカ達は、新たに辿り着いた者もいるのか、この間より幾分増えたように思える。

 中には人に追われ奴隷のように扱われながら、ようやく辿り着いたのだという傷ついたレプリカの姿もあった。

 

 こんな扱いを受けても被験者のために消えようというのかという問いに、彼女は僅かに目を細め、被験者のためではないと首を横に振る。

 

 世界中に存在する多くのレプリカが、仲間たちが、住む場所を見つけるためだと。

 

「我らは我らの屍で国を作る」

 

 瞳の中、つたないながらも垣間見えた強い“覚悟”に俺が肩を揺らしたとき、背後で再度昇ってきた昇降機が止まる音がした。

 

「俺がやると言っただろう!何故ここに来た!?」

 

 すると同時に響いた怒声に振り返れば、風に揺れる緋色の髪が見えた。

 アッシュの名を小さく呟いて苦く顔を顰める。ああもう、俺は血統書付きの馬鹿だ。

 

「ここで死ぬのは、いらない方の……レプリカの俺で十分だろ!」

 

「いい加減にしろ! いらないだと!? 俺はいらない奴のために全てを奪われたっていうのか!」

 

 かみ合ってしまった歯車が動いていく。

 加速する流れは、俺なんかじゃ止められない。

 

 肺の奥が焼けつくような焦燥に浅い息をのんだ。

 

「放せっ!」

 

「私はルークの意見に賛成です。……残すならレプリカより被験者だ」

 

 何かに気を取られた拍子にルークに奪われてしまったローレライの剣を取り返そうするアッシュの動きを止めた大佐が、呆然と立ち尽くしていた俺を見る。

 

「リック! 出来るだけ中心から離れなさい!」

 

 はっとして状況を窺えば、昇降機の上にはすでにルークや他のレプリカたちがいた。もう下には逃げられない。

 

「ルーク、やめて!!」

 

 慌ててその場から駆け出した足が、ティアさんの悲鳴のような声を聞いて止まる。

 

 振り返った先、最上階の中心には、赤い色。

 

 駆け寄ろうとしたティアさんをガイが引き止める。

 ありがとう、と零された言葉を聞いて、ガイが苦しそうに顔を歪めたのが分かった。

 

 そのとき。ふいにルークが俺のほうを向いた。

 

 中心と端で、視線が真っ直ぐに、繋がる。

 

 こんなふうにあの目を見るのはどれくらいぶりだろう。

 何だかずっと顔を見ていなかったようにさえ思えた。

 

 彼は俺を映して、何も言わず、ただその翠を僅かに細め――笑った。

 

 へたくそな笑顔だった。

 今にも泣き出しそうな、こわばった笑顔。

 

 なんだよ。心配させたくないならもっと、ちゃんと笑え。

 そんな顔するなら言ってくれ。叫んでくれ。泣いてくれよ。

 

「……ルーク」

 

 ゆっくりと彼が前を向いて、へたくそな笑い顔が見えなくなる。

 残像のような翠色が熱い瞼の裏に残って、消えた。

 

「ルーク」

 

 言ってくれよ。お願いだから。

 

(生きたい、って)

 

 中心へ徐々に集まり始めている光をどこか遠いところで理解しながら、思い切り地面を蹴った。

 みんなの隙間を縫うように駆け抜ける。大佐が驚いたように俺の名を呼ぶのが聞こえた。

 

 そして中心に立つ彼の背中にそのままの勢いでしがみつく。

 突然の衝撃を受けて、肩越しに振り返ったルークが目を見開いた。

 

「ばっ……お前なにやってんだよ! 消えちまうぞ!?」

 

「ルークッ!」

 

 俺はそれに答えず、彼の名を呼んだ。

 

 世界の全てが音をなくしたような錯覚を覚える静寂の中、がくんと膝をつく。

 だけどしがみつく手は離さず、むしろいっそう強くルークの服を握り締めた。

 

 周囲で強さを増していく光に心臓が壊れそうなくらい跳ねている。

 全身が震えた。頭が真っ白になりそうだ。

 

 だけど。

 

「オレ、死にたくない……怖い、嫌だ、怖いよ、死にたくない……!」

 

 張り付く喉を叱咤して、声を押し出した。

 ルークが俺の言葉に弾かれたように顔を歪める。

 

「っ、だったら下がって」

 

「でも!」

 

 その言葉を遮って、叫ぶ。

 

「ルークにも生きていてほしいんだよ!!」

 

 声の残響が、瘴気でくすんだ広い空に吸い込まれて消えた。

 

 短く息をのんだ彼の、剣を掴む手がぴくりと揺れたのを見て、ぐっと眉間に力を入れ顔を俯ける。

 そしてルークのことを言えないような、泣きそうに引きつった出来そこないの笑みを浮かべた。

 

「だってオレさぁ、あんた大好きだから」

 

 精一杯明るく聞こえるように話そうとしたが、声はみっともなく震えていた。

 ああ格好悪いなオレ。表情を苦笑に変えようとして、すぐにそれが失敗だったことを知る。

 

「……だって、オレ達さあ……っ」

 

 どうにか堪えていた大粒の雫が堰を切って続けざまに地面を濡らし、なさけなく歪んだきり戻らなくなってしまった顔のまま、小さくしゃくり上げる。

 

「――――トモダチだから……!」

 

 あんたと一緒に、生きたいから。

 

 零れる嗚咽をそのままにルークの背に額を押し付けた。

 

 そうして気付く。俺だけではなく、ルークも確かに震えていた。

 彼の持つローレライの剣が、共鳴してかちかちと音を立てる。

 

「そんなの」

 

 触れている体を伝って届く、掠れた音。

 

「……俺だって、」

 

 

 やがて頭上から降ってきたのは、この距離でも聞きそびれてしまいそうな、小さな小さな言葉だった。

 

 俺はそれを聞いて、泣きながら、少しだけ笑った。

 なんだよ、言えるじゃないか。

 

 胸に温かいものを感じて、そっと目を伏せる。

 

 

「ルーク」

 

 

 俺がずっと言えなかったのは、たった三文字。

 何より難しくて、どんなことより簡単な、三文字の言葉だった。

 

 ぎゅっと手に力を込め、浅く息を吸う。

 

 

 

 

「ゴ……――――っぐは!」

 

 まさに今というその瞬間。

 

 突然、首根っこをつかまれて思い切り後ろに引っ張られた。

 さらにそのまま投げ捨てられ、体の前面で激しく床をスライディングする。

 

「この面倒な時にだらだらといつまで語らってるんですバカですか」

 

「す、すみませんジェイドさ……いや、えぇ!? ジェイドさぁん!?」

 

 勢いよく起きあがった俺の目の前に立つ彼を呆然と仰ぐ。

 やはりほぼ地面から見上げる百八十六センチの迫力は半端ではないが、今回ばかりは俺としてもさすがにそれどころではなかった。

 

 打ちつけた鼻を押さえて立ち上がる。

 

「ジェイドさんオレ今ルークに謝ろうと! ていうか何かけっこう大事なところだった気がします! 今!!」

 

 わりと。かなり。

 

 詰め寄る俺を見返すジェイドさんは、無感動に眼鏡を押し上げた。

 薄い硝子越しにちらりと向けられた赤に思わず一歩後ずさる。

 

 彼は真顔でひとつ溜息をついた。

 

「感動の友情物語なら結構ですが、愛の心中映画はごめんです」

 

 そう言われて はたと辺りに視線を巡らせてみれば、光に覆われた何人かのレプリカ達が早くも消え始めているのに気付く。

 

 いつのまにと思った次の瞬間には嫌な汗がどっと噴き出してきた。

 色んな事に必死で忘れていた恐怖がまざまざと甦ってくる。

 

「うわー!!!! どうしましょうジェイドさんオレ消えちゃいますぅ!!!」

 

「こっちにきなさい」

 

「は、はい!」

 

 ようやく慌て出した俺に、心底呆れたような息を吐いたジェイドさんが右手で手招きをする。

 その後について、塔の一番端まで移動した。

 

 しかし同じくらいの場所にいるレプリカも何だか消えそうになっているのに気付いて、ここで大丈夫なのかなぁと不安に思いつつ たたずんでいると、ジェイドさんがぽんと俺の肩に手を置いた。

 

「……ジェイドさん?」

 

 さっきとは違う嫌な予感を覚えながら名を呼ぶと、彼はそこで初めて、にっこりと笑った。

 ひ、と声にならない悲鳴が、喉に張り付く。

 

「それではグッドラック」

 

 肩に軽く圧力が掛かったと思った次の瞬間、俺の体はオールドラントの空気の中に投げ出されていた。

 

 

「ッじぇいどさあああんんん!!?」

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 また一人のレプリカが(違う意味で)消えたレムの塔には、ジェイドさーん、ジェイドさーん、と こだまする叫び声が響きわたっていた。

 

「……旦那?」

 

 立ち込める微妙な沈黙の中、ガイは恐る恐るジェイドの背中に声を掛ける。

 

「ここから落としたら、リックの奴もさすがに死ぬんじゃ……」

 

「ここにいてもどの道死にます。思ったより昇華の範囲が広い」

 

 淡々と言ったジェイドが身をひるがえし、元の位置へ戻っていく。

 ついでにあまりの流れに同じく呆気に取られていたアッシュを再び拘束し直すことも忘れない。

 

「大丈夫です。下にはアルビオールもありますし、ノエルが何かの間違いで気付くかもしれない」

 

 何かの間違いが起こらない限り気付かないと思ってるくせにか。

 皆の心にそんな思いが過ぎった空気に気付いているのか否か、ジェイドは軽い調子で肩をすくめた。

 

「あとは自分でなんとかしますよ。あの子は悪運が強いですから」

 

 これはもはや悪運でどうこうできるレベルを超えているのではないだろうか。

 そう思ったところで、ふと気付いた。

 

「アンタもしかして結構動揺して、」

 

「何か?」

 

「……いや」

 

 眼鏡がきらんと光ったのを見て首を横に降った。

 

 このままではリックまで消えてしまうと思っての行動だったのだろうが、なんてタチの悪い動揺の仕方だ。

 ガイが思わず心の中でリックに両手を合わせたのと同じくして、塔の中心でルークはハッと意識を引き戻す。

 

「えぇと……みんな、俺に命をください」

 

 あれコレもう言ったっけか、と思いながら、ルークは改めてローレライの剣に向き直った。

 

 

 




▼ビビリは大事なものを壊していきました……この場の空気です!


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Act67 - 生きる彼らが世界を回す

ジェイド視点


 

 

「ひぃどいですよぉジェイドさぁあーん!!」

 

 昇降機で地上階へ降りるや否や、涙と鼻水でずるずるになった顔のまま駆けてきた青年の姿に、ジェイドは思わずずれてもいない眼鏡を押し上げた。

 

 大丈夫だろうと言ったのは確かに己だったが、実際助かる確率は皆無に等しかったと、科学者としての頭が告げていた。

 

 しかしあのまま最上階に残った場合の生存率は、完全なる皆無。

 零と零とを秤にかけて、酸素の重みにも満たない可能性に掛けた。

 

 もし何かの間違いが起こって助かったとしても、そのときは腕やら足の五、六本は当然仕方のない、むしろそれくらいで済んだなら奇跡と呼んで差し支えない状況だと思っていたのだが。

 

「オレ今度こそお花畑に定住するかと思ったんですから! いくらなんでもシャレになりませんよここの高さ!!」

 

「つーかマジにお前なんで生きてんの……?」

 

「そりゃっ、」

 

 引き気味に零されたルークの声を聞き、反射的にいつもどおりの受け答えをしようとしたリックが固まる。

 

 双方見合ったまま数秒の沈黙が流れた。

 やがて、その表情が何かのスイッチを入れたようにぶわりと輝く。

 

「ルーク! ホントに……本当に無事だったんだ! ルーークーー!!」

 

 感極まって勢いよく抱きついてきた外見年齢二十五歳に今更抱く違和感はないのか、リックを無抵抗に抱きつかせたままのルークはむしろ照れくさそうに頬をかいていた。

 

 そんな二人を微笑ましげに見ていたティアが、ふと首を傾げる。

 

「“ホントに”ってリック、ルークが助かったのを知っていたの?」

 

「アッシュに聞いたんです!」

 

 こちらより少し先に降りた存外 世話焼きな緋色の青年は、下で待っていた不安げな顔の子供にルークの無事を教えてやったらしい。

 

「ただなんか最初すごいホッとした顔されました」

 

「そりゃあな……」

 

 ガイが遠い目をして相槌を打つ。

 いくらアッシュとて己の生き死にが関わる重大な作業を終えた直後に他人の墜死体など見たくないだろう。レプリカの場合、死体は残らない可能性が高いが、何も無かったら無かったで微妙な気分には違いない。

 まぁ、あれでいてお人好しのようだから、単純にリックが無事であったことにも安堵したのだろう。

 

 頭の端でつらつらとそんなことを考える傍ら、ジェイドはすいと目を細めた。

 

「リック一等兵!」

 

「はい!!」

 

 階級をつけて低く名を呼べば、長い軍生活の賜か、半ば条件反射で即座に背筋を伸ばして敬礼の形を取ったリックを見下ろす。

 

「ここに至るまでの経緯を報告して下さい」

 

「あっ! そうなんですよそれがもう大変で!」

 

 少しして我に返ったのか兵士の態度を崩したリックが、それでも敬礼はそのままに眉根を寄せた。

 

 

 それから園児級に要点を得ない説明を聞くこと約五分。

 周りの仲間達がすでに雑談等を始めかけている中で、ジェイドはくいと片眉を上げた。

 

「つまり?」

 

「オレが塔から落ちたところに大移動中のグリフィンの群れが通りかかって、そこにうまく乗っかったのは良いんですけど今度はグリフィンが皆でつつきに来るし、結局また落とされちゃって今度こそもうダメだと思ったのに気が付いたら地上でふと見ればオレの体はたくさんの柔らかな何かの上に落ちていて――それで助かったんです!」

 

「……柔らかな何か?」

 

「大移動中のオタオタです」

 

 海と間違うほど見渡す限り広がるオタオタの群れ。

 幻想的でした、と輝く瞳で拳を握ったリックから静かに顔をそらす。

 

「…………リック一等兵」

 

「はい」

 

「自身の状態を報告して下さい」

 

「もうあちこち擦り傷だらけですよ! 色んなところぶつけたし!」

 

「擦過傷と打撲……」

 

 怪我が軽いのならそれに越したことは無いのだが、あまりの五体満足ぶりが腑に落ちない思いをどうにか押し込めて、まあいいかと少々投げやりに結論付けた。

 とにかく無事で何よりです、とジェイドが掛けた大雑把な労いの言葉に、ありがとうございますと嬉しげに笑った青年を視界の端に見やる。

 

 色々と言いたい事はあるが、確かに致命傷となり得る怪我は無さそうだった。

 

 ひとつ息をついてから、取り急ぎベルケンドに向かう事を伝える。

 するとリックはアルビオールもノエルも準備万端だと何故か己のことのように胸を張っていた。

 

 皆が張り詰めていた表情を少しずつ緩めながら歩き出すのをリックと共に見送り、最後尾になったところで二人ゆっくりと後に続く。

 

 途中で、リックがふいに足をとめた。

 

「……空、青いですね」

 

 ぽつりと零された音。

 ジェイドは青年の横顔を一度だけ見やってから、果てなく広がる青へ目をうつす。

 

「ええ」

 

 静かに返された同意に、この空の代償を知る子供はそっと目を細めて、ただ少しだけ眉尻を下げたまま、笑った。

 

 

 




>ここに至るまでの経緯
読まなくてもいっさい問題ないやつ。


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Act68 - きみはうそをついた

ジェイド視点


 

 

「みんなでずらずら来ると俺ガキみたいじゃねぇか」

 

 ベルケンド第一音機関研究所。

 瘴気中和後の精密検査を受けに来たルークは、医務室内に揃った仲間達を半眼で見回し、外に出ていてくれと照れ隠しの渋い顔で唸った。

 

 みんな心配してるんだぞ、と親のように言い含めるガイに、そうだぞルーク、と年長ぶった顔でリックが続く。

 

「そりゃ注射は怖いかもしれないけど、そんなの大佐のサンダーブレードと思えば一瞬だよ!」

 

「この会話の噛み合わねー感じも久々で懐かしいなぁリック」

 

 乾いた笑みを張りつけたルークが次の言葉を探している間に、ジェイドはその妙に自信たっぷりなリックの左頬を背後からつまみ上げた。

 

「何を他人事のように言ってるんですか。貴方も検査を受けるんですよ」

 

「え、なんええふか?」

 

「何でもです」

 

 間の抜けた顔で振り返った青年の頬から手をはなす。

 

 消滅をまぬがれたとはいえあれだけ長くあの場に留まっていたのだから、多少なりと影響が出ていてもおかしくはないのだと、わざわざ説明するのは面倒だったので、ただ何も言わずに軽く後頭部をはたいてやった。

 

 するとこれもある種の慣れなのかそれ以上聞き直してくる事もなく、とりあえず自分に検査の必要があるらしいと理解した様子のリックが頬をかいた。

 

「それじゃあルークの後でオレもシュウさんに診てもらって……」

 

「いえ。検査には何かと時間が掛かりますからね、それだと少々効率が悪い」

 

 ジェイドがにこりと笑みを浮かべた。それを合図にするように医務室の扉が開く。

 そこから勢いよく飛び込んできた研究員は、白衣を華麗になびかせ、瞳を輝かせながらリックの肩を掴んだ。

 

「バルフォア博士が作ったっていうレプリカはキミか!!」

 

「そういうわけで貴方のことは彼らにお任せしました」

 

 仲間達が呆気に取られている傍らでリックもようやく嫌な空気を肌で感じ取ったのか、口元を引きつらせて後ずさろうと足を半歩下げるが、時すでに遅く背後に回っていた別の研究員にがしりとはがいじめにされる。

 

「いやあキミもう十年は生きてるんだってな! そんなサンプル、もといレプリカは初めて見るよ! おもしろそ、心配だ! 研究……検査しようじゃないか!」

 

「科学者の本音が駄々漏れじゃないですか!!! うわあんジェイドさーん! ルークー! みんなー!」

 

 片腕ずつ固定されて引きずられて行くリックを思わず見送りかけて、はたと我に返ったらしいルークが最後尾にいた研究員の一人を捕まえる。

 

「おい、大丈夫なんだろうなっ」

 

 するとその研究員は一度きょとんと目を丸くした後、ほがらかな笑みを浮かべた。

 

「ご心配なく。我々も血の通った人間ですから」

 

「あ……すみません。あの、アイツよろしくお願いしま、」

 

「とはいえその前に科学者でもあるんですがね!」

 

 そんな、ルーク達にしてみれば限りなく安心出来ないものであろう呟きを残して、実験、研究、等の単語が零れる陽気な歌を口ずさみながら、その研究員も足取り軽くその場を後にした。

 

 一騒動去った医務室の中、己に集まる視線と物言いたげな沈黙を感じて、ジェイドは血の気の引いた顔をした赤毛の子供に一瞥をくれて肩をすくめる。

 

 依頼するにあたって彼らの好奇心を突くためにバルフォアの名前を出しはしたが、同時に名乗ったジェイド・カーティスの悪名も十分に承知しているだろう。

 リックとて伊達にいつもジェイドの研究の実験体にされているわけじゃない。行われる作業が危険なものかどうかくらいの判別はつくはずだ。

 

「ま、そう大胆な事はしないと思いますよ」

 

 存在するそれなりの根拠をそんな言葉で覆い隠す。

 その理由はやはり説明するのが面倒だからに違いないのだと、ジェイドはつぐんだ口の裏で誰にともなく囁いて、いつもの笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 数刻後、先に宿へ戻ったのはルークだった。

 検査結果について問われ、血中音素が少し減っているが問題ないそうだと返して笑った顔のぎこちなさに、ジェイドはただ静かに眼鏡を押し上げて小さな息をついた。

 

 その一瞬の思考をいつもの笑みで覆い隠してから、さて、と声を上げる。

 

「今後の動向含め、続きはアルビオールで話し合いましょうか。陽の下で出来る話ばかりでも無いですし」

 

「人聞き悪ぃな!」

 

 慌てたようにジェイドに怒鳴り返したルークの姿に、例え束の間であってもようやく訪れた平穏の気配を感じて肩の力を抜いた仲間たちが苦笑する。

 

「あ、でも大佐。まだリックが来てませんよう」

 

「宿の方に言付けておけば大丈夫でしょう。私が頼んでおきますので、皆さんは先に向かっていて下さい」

 

 それならばと身をひるがえそうとしたガイは、ふいに足をとめて胡乱げな表情でジェイドを振り返った。

 

「まさかとは思うが、嘘の伝言を残してからかおうとか……」

 

「思ってませんよ。回収の手間が掛かるだけです」

 

 淀むことなく言い切れば、空色の瞳が見開かれる。

 

 半分は聞かせるつもりで放ったものであったので、その反応に意地悪く笑みを浮かべてみせれば、赤毛の子供だけでなく、あの子供のことまで頼まれてもいないのに気を揉んでいた根っからのお人好しは、手塩に掛けた木がようやく実を結んだのを見たような顔で、晴れやかに笑った。

 

「“回収”か?」

 

「ええ」

 

 隙あらばあれを置き去りにしていたことさえ、リックの言うところの“チャンス”のつもりであったのか、今となっては正直 己にもよく分かってはいなかった。

 

 追い付くのを待つのは楽には違いないが、いかんせんアレはとにかく要領が悪いし、寄り道も多い。

 待っているより拾いに行ったほうがよっぽど効率がいいと気付いたのだから、仕方ないだろう。

 

「んじゃ、旦那に任せて俺達は行こうぜ」

 

 くつくつと喉の奥で笑いながら今度こそ身をひるがえしたガイに促され、宿から出て行く仲間達の姿を見届けてから、ジェイドは最後尾に続こうとしていた赤い髪の子供を呼びとめる。

 

 不思議そうに振り返ったルークに、静かな笑みを向けた。

 

「悪い子ですねぇ。また嘘をついて」

 

 ぎくりとこちらを見た翠の瞳を見返して、貴方の嘘に私も乗せられておくと肩をすくめれば、ルークはどこか泣きそうに苦笑する。

 

 今は音素の剥離が早まっているはず。むやみに力を使わないようにと忠告すると、ルークは「ありがとう」と囁いた。

 ジェイドは一度、宿の出入り口をちらりと窺ってから再度ルークに向き直る。

 

「このこと、リックは知っているんですか?」

 

「あ……いや。俺が出てくるときはまだあいつ検査中みたいだったから」

 

「あの子にも言いませんか」

 

 その問いを受けたルークは反射的に口をつぐみ、困ったような顔で頭をかいた。

 逡巡を窺わせる短い沈黙の末、翠の瞳が真っ直ぐにジェイドをとらえる。

 

「言わねぇ」

 

 ここ最近の彼には珍しいきっぱりとした物言いに思わず目を見張る。

 それはなぜかと純粋に聞き返せば、ルークは大きく髪をかきまわし、半眼の視線を泳がせた。

 

「……だってアイツ絶対泣くだろ」

 

 若干照れくさそうな様子で、妙に早口に告げられた答え。

 ジェイドは、わずかに息を吐く。

 

「だ、だからとにかくアイツにもティア達にも内緒に――」

 

 そう言ってルークが拳を握った瞬間、軽快な音を立てて宿の扉が開いた。

 びくりと肩を跳ねさせたルークが背にしていた扉を振り返る。

 

 そこから勢いよく中へ飛び込んできた影がひとつ、声を上げた。

 

「ジェイドさーん! ルークー! みんなー! 遅くなりましたあっ!!」

 

「すみませんが入退場時にいちいち人の名前を叫ばないでくれますか?」

 

 そうぞうしく掛け込んできた青年に満面の笑みを向ければ、おもしろいほど反応して急停止したリックが青い顔で敬礼の形を取る。

 結構、と上官らしく頷いてみせたところで、今度こそほっと力を抜きながら歩み寄ってきたリックが周囲を見回して首を傾げた。

 

「あれ、みんなは?」

 

「先にアルビオールに行ったけど……リック、今の聞いてないよな」

 

「何が?」

 

「あー、いや、聞いてないならいい」

 

 安堵に胸を押さえたルークを少しの間まじまじと眺めたリックが、はっとしたように眉尻を吊り上げる。

 

「もしかしてまた皆してオレに内緒の何かがあるんじゃ、」

 

「無いっつーの!」

 

 皆してでは、という言外の補足が、冷や汗を浮かべるルークの横顔から聞こえた気がした。

 それにリックは「そっか」と小さく相槌を打つと、それ以上追及はせずに顔を俯ける。

 

 気付いたルークがどうかしたのかと覗きこもうとしたとき、拳を握りこんだリックが意を決したように顔を上げた。

 

「……レムの塔では結局言いそびれたけど、ルーク、オレあのときは本当、その、ゴメ――っ」

 

 きつく目を瞑り、深々と頭を下げようとした彼の動きと言葉は、その頬にあるものがむにりと押し当てられたことで止まった。

 

 何が起きたのか理解できていない様子のリックが数回大きく目を瞬かせる。

 少ししてゆっくりと頬から離れたところで、リックもようやく視認したであろうそれは、ルークの拳。

 

 ぽかんとした顔で見返されたルークがはにかむように笑った。

 

「ケンカは両成敗、なんだろ」

 

 そして今度はその拳を自身の頬に当てて殴るふりをしてみせる。

 

 何が発端にあったかはもう問題じゃない。

 どちらも殴った。殴られた。両成敗の、痛み分け。

 

 赤毛の子供が、それでいいのだと笑う。

 

「……へへ」

 

 もう一度深く俯いてから顔を上げたリックが、思えば久しく見せていなかった能天気な子供の顔で、バカみたいに嬉しそうに笑う。

 ジェイドは思わず緩みかけた口元を眼鏡を押し上げる仕草で隠し、その上にいつもの笑みを重ねて肩をすくめた。

 

「さて、そろそろ行きましょうか。このままでは三人とも置いていかれかねませんから」

 

「んなまさかジェイドじゃあるまいし」

 

「ルーク」

 

 名を呼べば数歩後ずさって身構えたルークに向けて、すいと宿部屋のほうを指さしてみせる。

 

「先に行っていてください。私はどうやら忘れ物をしてしまったようなので、リックに探させてから追います」

 

「あ、うん、分かっ……え? あれ?」

 

「さあさあ。お気になさらずどうぞ」

 

 素直に頷きかけたルークが言葉の違和感に気付く前にと背を押して促せば、やはり首をひねりながらも、赤い髪が扉の向こうに消えた。

 家具の影に隠れていたチーグルがその背中を追うのを見届けた後、閉じた扉を見つめて息をついた。

 

 浮かんだ苦笑は隠さないまま、視線を横にずらす。

 

 ジェイドはそこで微動だにせず立っている子供の頭に手を置いて、あの皇帝を思わせる手つきで、大雑把に髪をかき回してやった。

 

「上出来です」

 

 手の下にある頭が僅かに揺れる。

 

 ルークがただひとつ気付かなかったのは、話の途中、扉の隙間から一瞬だけちらついた、軍服の裾。

 

「っ…う~……!」

 

 視界の端を横切る大粒の雫を周囲から隠すように、ジェイドは置いた手に少し力を込めてリックの顔を俯けさせた。

 

 

 

 嘘の付き方を覚えたばかりの、嘘が苦手な子供達が選んだのは。

 

 ほんのひと時の、日常。

 

 




いつもどおりを選んだ二人。

レプリカ編は軽くみっつにぶったぎります。
というわけでレプリカ編の『レプリカ編』終了です。



偽スキット『ちなみに』
ジェイド「貴方の検査結果は?」
リック「ぐすっ……あ、血中音素が少し減ってるけど問題無いそうです」
ジェイド「本っ当しぶといですねぇ」


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さいしょのレプリカ編
Act69 - お元気ですかオールドラント


 

 

 ベルケンドからほど近い林の片隅に、心持ちひっそりと停留されたアルビオール。

 

 その操舵室に集結した瘴気中和の大仕事を成し遂げた皆、足すことのノエルと俺は、カップの中で良い香りと共に揺れる紅茶をひとくち飲んで、ほうと息をついた。ちなみに用意したのはガイと俺です。

 

「んで、これからどうする?」

 

 ルークがティアさん特製アップルパイを齧りながら切り出した言葉に、優雅な仕草でカップをソーサーに戻したナタリアが、そうですわね、と小首を傾げる。

 

「ローレライの解放という仕事は残っていますけど、各国とも進軍の準備にはまだ掛かるでしょうし……」

 

「まぁ、ヴァンにしても大陸のレプリカ情報を抜く時間がいるからな。もうしばらく動きは見せないだろうが」

 

 ナタリアの言葉を継いだガイは、アップルパイを切り分けたナイフを丁寧に片づけてから、流れるような動きでアニスさんのカップに紅茶を足す。生来の人のよさに加えて染みついた使用人魂はもはや彼の一部らしい。

 

 ガイが貴族だということを思わず忘れてしまいそうな自分に苦笑しつつ、俺は小皿に乗せたアップルパイをティアさんに手渡し、ノエルに砂糖とミルクの有無を尋ねた。

 そんな俺とガイを軽く見比べた大佐が何やら生温かい笑みを浮かべて肩をすくめる。え、何ですか。

 

「そうですねぇ、とりあえずルークも疲れたでしょう。瘴気の報告も兼ねてバチカルのお屋敷で休養を取ったらどうです?」

 

 ルークの体が今どういう状態にあるのかを、おそらく本人以上に承知しているのだろう大佐の疑問形でありながら有無を言わさぬ声色を受けて、ルークは翠の瞳をそろりと泳がせて頬をかいた。

 

 とはいえ陛下達もすでに会議を終えて城に戻っているだろうから、色々と気を揉んでくれたインゴベルト陛下へ報告に行くのもいいかもしれない。

 

 瘴気の中和、ルークとアッシュの生存、くらいのおおまかな話はすでに伝わっているだろうが、それでも実際に顔を見せに行ったほうが喜んでくれるはずだ。

 となるとピオニーさんやテオドーロさんにも、もう少し詳しいことを書いた手紙を送りたい。

 

 今みんなは無事で、今みんなは元気で、いま、ルークは笑ってますよと教えてあげたかった。

 

 まぁピオニー陛下のほうに関しては俺が言うまでもなく、ちゃんとした報告書に纏めて大佐がグランコクマに送るのだろう。いや、でもそうすると完璧な業務連絡で終わるような……。

 

 皆の様子を書いた手紙もこっそりと別口で送ろうか、なんてささやかな計画を企てていると、ふいにティアさんがアニスさんの名を呼んだのが聞こえて、顔を上げ。

 

 俯けられたその顔を、ティアさんの青い瞳が覗きこむ。

 

「浮かない顔ね……どうしたの?」

 

 訊ねられてちらりと皆を見回したアニスさんは、うん、と呟いてまた俯いた。

 そしていつも歯切れのいい言動をする彼女には珍しく、言いづらそうに何度かカップを持ち直していたが、やがて意を決したように顔を上げる。

 

「あのね、バチカルに行く前に私のことダアトに送ってほしいんだ」

 

「なにか用事?」

 

「うん。さっきルークを待ってるときに、ベルケンドに駐留してる教団員から聞いたんだけど、数日中に慰霊祭をやるんだって……イオン様の」

 

 どうしてもそれに参加したいのだと切なそうに眉根を寄せたアニスさん。

 

 瞬間的に柔らかな緑を頭に過ぎらせた俺の目の前で、良い事を思いついた子供の顔で笑ったルークが、それなら、と声を上げた。

 

 

 

 

 アルビオールを降りてすぐのところにある少し大きめの木に背を預け、絨毯のように広がる芝生に腰を降ろした俺は、立てた片膝の上に置いた紙とにらめっこしながら、その台代わりに使っている本の背表紙をペンの持ち手で、とん、とん、と一定のリズムで叩いていた。

 

 紙が飛ばないよう重し代わりに置いている煤けた小さな歯車が、陽の光を浴びて鈍く光る。

 そこに突然すいと影が差したのに気付いて顔を上げると、軽快に揺れるツインテールが視界に広がった。

 

「やっほーリック。ピオニー陛下に送る手紙書けた?」

 

「あとちょっとなんですけど」

 

 書きたい事が多すぎて何を書けばいいのか分からなくなってきた現状を正直に告げれば、リックらしー、とからかうように笑うアニスさんに俺も苦笑を返す。

 

 イオン様の慰霊祭。

 ルークは、みんなで一緒に行こう、と言った。

 

 その提案に眉根を寄せた大佐を真っ直ぐに見据えて、皆で行きたいんだと強い瞳で繰り返したルークの姿を今一度思い浮かべる。

 

 みんなと少しでも長く、一緒に。

 

 言葉にされなかった思いが耳に届いた気がして僅かに目を伏せたとき、ひとつ息をついてその提案を了承した大佐が出した宿題が、コレだった。

 半分くらいは埋まった紙を見下ろして、にへらと思い出し笑いをした俺にアニスさんが呆れて肩をすくめる。

 

 寄り道をするならこれくらいやっておきなさいと指示されたのは、マルクト、キムラスカ、ダアトの代表者に宛てた報告書の提出。

 

 瘴気に関する難しいデータは大佐が纏めてくれるそうなのだが、他の報告は各自で、とあのいつもの輝かしい笑顔で告げた大佐によって、インゴベルト陛下宛てのものは、何事も経験ということでガイを監督につけたルークが、テオドーロさんに宛てたものはティアさんが、そしてピオニー陛下に宛てる予定の報告書は今、俺の手にゆだねられていた。

 

 内部書類の処理を任されることはあっても、こういうしっかりした形式の物をジェイドさんに任されるのは初めてのこと。

 本当に自分でいいのか出来るのかと慌てふためく俺を見て、大佐は浮かべた愉快そうな笑みを眼鏡を押し上げる仕草に隠して、言った。

 

「どこで三年も働いてきたと思ってるんです、それくらい出来ないわけないでしょう。……あなた誰の部下ですか?」

 

 ルーク達と出会うよりほんの少しだけ前に聞いた言葉が、あのときとは全然違う響きで自分の胸に染み入る。

 

 了解しましたと叫んで敬礼しながらぼたぼたと泣く俺に、大佐が見せたうざそうな事この上ない顔さえ何かもう嬉しかったです。

 

 

 台代わりの本と書き途中の手紙を胸に抱いて立ち上がり、太陽に向けて拳を握った。

 

「ジェイドさんが任せてくれた仕事! オレ絶対にやりとげてみせますーっ!!」

 

「報告書一枚でそんな大げさな……っと、リック、なんか落ちたよ」

 

 紙の端からころんと落ちた金属片を拾い上げてくれたアニスさんが、それをまじまじと見て首を傾げる。

 

「何これ、歯車?」

 

「あ、はい」

 

「何でこんなの持ってるわけ?」

 

 特に高そうでもないし、と付け足された彼女らしい言葉に微笑みつつも、どう説明したものかと悩んで、とりあえずもう一度地面に腰を下ろした。

 

「えー……と、お守り、ですかねぇ……」

 

「なんの」

 

「……………………譜業技術の、上達祈願?」

 

 曖昧にも程がある返答だったが、アニスさんはただ「ふぅん」と相槌を打って、それ以上は何も聞かずに歯車の表面を撫でたり中心の穴を覗いたりしていたが、ふと何かを思いついたようにポケットを探り始めた。

 

 何とはなしにその様子を眺めていると、やがてアニスさんはポケットからリボンを一本取り出した。

 予備のものらしく少し長い、今もつけているリボンと同じ色をしたそれを、彼女は手際よく歯車の穴に通す。

 

 そして端と端を強めに結べば、出来あがったのはささやかな首飾り。

 

「いっちょあがり~」

 

 出来栄えに満足そうな顔で笑ったアニスさんが差し出してくれたそれを丁寧に受け取って、自分の首にかけてみる。

 風に揺れる柔らかなリボンと煤けた歯車が、なんだかとても暖かく見えた。

 

「お守りなんでしょ、このほうが失くさないよ」

 

「……はい」

 

 そうして二人で顔を見合わせて笑ったとき、アルビオールから誰かが降りてくる音が聞こえて見てみれば、だいぶ疲れた様子のルークがこちらに来るところだった。

 それだけで、ああでもないこうでもないと先ほどの俺みたいに手紙と睨めっこをしていたのだろうルークの姿が見えるようで、また小さく噴きだす。

 

「ルークー! 報告書はー?」

 

 まだ少し遠い赤色へ、手を振って声を張り上げた。

 

「頼むからちょっと休憩させてくれって! お前こそどうなんだよ!」

 

「はははオレもまだー!」

 

 

 頭上に広がる青空。しげる草木を揺らす風。

 オレンジ色のリボンと、こがね色の歯車。

 

 視界に映る、鮮やかな赤と翠色の瞳。

 笑いあって目を細める。

 

 あのキルマカレーが、なんだか次はうまく作れそうな気がした。

 

 





▼リック は 装飾品『歯車の首飾り』 を 装備した!

▼譜業力が 3 あがった……気がする!
▼お金への執着が 5 あがった……かもしれない!


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Act70 - 遙かすぎる目標の手前で

 

「まずい」

 

「だーよーなーぁ?」

 

 まぁ出来る気がしただけで完成するなら俺はとっくにカレーの王様だ。

 スプーンをくわえたまま半眼で言いきったルークに同意して、レシピを頭の中でおさらいしながら首を傾げた。

 

 目の前には、宿のキッチンを借りて作ったキルマカレーの試作品。

 

「バラバラにやってくる食材の旨み、ねっとりした舌触り……まじぃ」

 

 二人きりの男部屋。そう言いながらもカレーを口に運ぶルークの、どこかで聞いたことがある評価をノートに書き出す。

 いや、でもひとつ減ったから進歩はしてるのかもしれないが、味に後一歩何かが足りない自覚は十分あった。もうちょっとな気がするんだけどなぁ。

 

 うぅんと唸りながら最後のひとすくいを口に入れたとき、丁寧なノックの音が耳に届く。

 

「準備できてるか? そろそろ時間だぞ」

 

 そして間もなく扉から顔をのぞかせたガイがそう告げたとき、ちょうどカレーを完食したルークが皿の上にスプーンを置いた。

 

「ごちそうさまでした」

 

 顔の前で手を合わせ、二人で声を揃えてそう言ってから、俺達は腰を上げる。

 

 

 ここはダアト。

 

 そして今日は、導師イオンの慰霊祭だ。

 

 

 準備を整えて宿の前まで出てみると、そこにはすでに俺とルーク以外の顔ぶれが勢ぞろいしていた。

 ガイに連れられてきた俺達に気付いたナタリアがちょっとだけ眉間にしわを寄せて、柔らかな仕草で腰に手をあてる。

 

「遅いですわよ!」

 

「す、すみません! 皆さんもうお揃いでしたか!」

 

「敬・語」

 

 間。

 

「ごめんナタリア待ったー?」

 

「ふふ、今来たところですわ」

 

 己の言動を瞬間的に脳内で整理した後、改めて言いなおせば、よろしい、とばかりに一転輝く笑顔を浮かべたナタリアにほっとしつつ、そのままウフフアハハと二人でしばし笑いあう。

 

 敬語を使わないということも頭では分かってるつもりなのだが、こういうふとした時には音素の髄まで染みついた何かがついつい出てしまうらしい。全く無意識で指摘されないと気付けない辺りが困りものだ。

 

「遅れるわけいかないよな。せっかく特別に参加させて貰うんだし」

 

 ルークが苦笑して頬をかく。

 

 この慰霊祭は本来ならば教団員しか列席できないらしい。

 だけど今回、トリトハイムさんのはからいで俺達も特別にそこへ加えさせて貰えることになったのだ。

 

 教会に進む道を皆で歩きながら、空を仰ぐ。

 薄い雲が掛かった真っ青な空。

 

 人にぶつからないように意識の半分は前に向けたまま、もう半分で少しの間 視界に青を移していたが、やがてちらりと目線を落とす。

 

 そしてみぞおちほどの高さまで持ち上げた手の平をゆっくりと開いた。

 まがりなりにも剣士である自分の、お世辞にもきれいとは言えない手。

 

 それを何とはなしに眺めていると、ふいに後頭部に衝撃が走る。

 

 前のめりに倒れ込みそうになった体を何とか立て直して、頭を押さえながら肩越しに後ろを振りかえった。音は軽いのに痛いこの平手。思い当たる人物は一人しかいない。

 

「な、なんで殴るんですか大佐!」

 

「もしかするとまた足りない頭でバカなことを考えているのかと思いまして。ちなみに今考えていた事は?」

 

「え、キルマカレーの調理手順……」

 

「ああまぁその程度でしょうねぇ」

 

 だろうとは思ったんですが念には念を入れて一応殴ってみました、なんて大佐がしれっと笑う。

 何が念だったのかはよく分からないけど、とりあえず殴られた場所から鈍痛がします大佐。

 

 遠い目で患部を撫でさすっていると、ふいに大佐の視線が俺の首元に向けられた。

 赤色の瞳がそこで揺れるオレンジ色のリボンが留めているものを見つけたのに気付いて、ついぎくりとする。

 

 別に内緒にしていたわけではない。

 むしろ俺がこれを拾ってくるのをジェイドさんも見ていたし、その後もちょくちょく取り出してはいたのだが。なに女々しいことしてるんですかなんて怒られたらどうしよう。

 

 だけど内心戦々恐々としていた俺の耳に届いたのは、まったく違う音だった。

 

「いい首飾りですね」

 

 零された言葉に驚いて見返すと、少しだけ目を細めて笑ったジェイドさんは、すくい上げるように指先に乗せた歯車をちょいと弾いてから、身をひるがえした。

 話している間にみんなの背中が結構離れていた事を知って、俺もすぐにその後を追う。

 

 途中、首元で揺れる歯車をもう一度だけ見下ろした。

 

「へへっ」

 

 何やら物凄い御利益が追加されたような気がして、締まりのない顔で笑みを零す。

 いや、ていうかあれかなぁ、呪いかなぁ。まあどちらにしても俺にとっては最強のお守りだ。

 

 俺はまた転ばない程度に空を仰ぐ。

 そして青い空の向こうに穏やかな緑を思い浮かべて、そっと微笑んだ。

 

 色んなことを教えて貰った。いろんな気持ちを教えてもらった。

 だけど、俺を強いと言ってくれたその言葉だけは、やっぱり優しい嘘だったんじゃないかと今も思う。

 

 とはいえそこでひとつ困るのは、自分は彼がそういう嘘を吐くような人ではないと知っている、という事だ。

 

 だから、イオン様。

 

 俺は貴方の言葉を本当にしたい。

 貴方が強いと信じてくれた俺になりたいんだ。

 

 静かに手を添えた剣の柄が、澄んだ音を立てて揺れた。

 

「……にしても、道のり険しいな~」

 

 定めた目標の遥かさを前に思わず肩を落として苦笑した瞬間、突如ふいた突風に巻き上げられた歯車が、べちんと音を立てて俺の額にぶつかる。

 

「~~~っ!」

 

 まがりなりにも金属片。さすがに痛い。

 おそらく歯車型のあざが出来ているであろう場所を押さえた。

 

 そしてもしやと恐る恐る前を行く大佐を窺う。だが特に譜術を発動させた様子はない。

 本当に気付いてもいないらしく、颯爽と進む背中と、首に下げた歯車を順番に見比べて、俺はじっくりと腕を組んだ。

 

 ……やっぱり呪い?

 

 

 



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Act70.2 - はじまりはダイヤモンドダスト

ジェイド視点


 

 

 

 礼拝堂に響く譜歌。

 凛とした歌声に導かれ、周囲の音素が穏やかに流れていく。

 

 だが自分の隣でそんな荘厳な雰囲気をすっかり台無しにして、イオン様イオン様と泣きじゃくる男の姿に、ジェイドはひょいと肩をすくめて口の端を緩める。

 

( ありがとう )

 

 揺れる音素の狭間から、あの少年の柔らかな微笑みが見えた気がした。

 

 

 

 

 

 

 慰霊祭を無事に終えた後、旅立つ前に改めて挨拶をとトリトハイム詠師を訪ねた。

 大扉を開けて中に入れば、ひと気の無くなった礼拝堂の祭壇で祈りを捧げていたトリトハイムがこちらに気付き顔を上げる。

 

「これは皆さん、今日は有難うございました。導師イオンもお喜びのことでしょう」

 

「いや、そんな。こっちこそ参加させて貰って、ありがとうございます」

 

 うやうやしく告げられた謝辞を受け、ルークは照れくさそうに返しながら頭をかく。

 

「この後はどちらへ……おや」

 

 それに微笑んで会話を続けようとしたトリトハイムが、ふいに言葉を途切れさせ、首を傾げた。

 どうかしたのかと訊ねたアニスに、彼は異様な音素を感じるがと眉根を寄せる。

 

 少し考えて、ジェイドはすぐ隣で間の抜けた顔をして立っている部下の首根っこを掴んで引き寄せた。

 

 ふいを突かれたらしく「おうわっ!?」と上がった、やっぱりどこか間の抜けた悲鳴を無視して、その肩に掛かった大きな荷物袋の中から手早く一本の武器を引きぬく。

 

「これの事ではありませんか」

 

 言いながら、脈打つように動く刀身を持った大振りの剣をルークに投げ渡せば、慌てて柄を取ったルークから上がった苦情を黙殺する。

 ルークの手に渡った剣をまじまじと観察したリックが、あっと声を上げた。

 

「いつのまにか荷物に入ってた不気味な剣じゃないですか! オレもう荷整理するたびソレが怖くって!」

 

「あ~、そういえばあの時お前いなかったっけな。メジオラ高原でモンスターの背中に刺さってたやつ拾ったんだよ」

 

 逃げ腰になりながら様子を窺うリックにルークが事情を教えてやっているのを耳の端で聞きながら、ジェイドは入手した時から剣に感じられた第一音素が日に日に強くなっているようだと説明する。

 

「これは……!」

 

 するといつになく驚いた様子で声を上げたトリトハイムは、音の続きを促すように己へ集まった視線を受けて一瞬言い淀んだが、今となっては構わぬかと小さく独りごちて、その重い口を開いた。

 

 この武器は惑星譜術の触媒なのだと。

 

「惑星譜術って、なんですの?」

 

「創世暦時代に考案された大規模譜術です」

 

 譜術戦争の終結に伴い、結局陽の目を見る事はなかったらしいと説明したジェイドの言葉を継いだトリトハイムは、発掘された資料を元に先代の導師エベノスが密かに復活計画を進めていたことを神妙な面持ちで語る。

 そのために必要とされたのが、この剣を含む六つの武器だった、らしい。

 

 どこかぼやけた物言いに首を傾げたルークに、トリトハイムが苦笑を返す。

 

 計画の責任者であった教団員が資料を処分して教団を辞めてしまい、指揮をとっていたエベノスも亡くなったことで、詳しい事は分からないようだ。

 

 んん、と唸ったアニスがふいに顔をしかめて頬に手をあてた。

 

「話を聞いてる限り、それってものすんごい譜術なんですよね。万が一なんですけど、主席総長が手に入れたりしたらマズくないですかぁ?」

 

「それは……」

 

 顎に手を添えて思案するように目を伏せたガイと反対に、翠の瞳を瞬かせたルークがジェイドをかえりみる。

 

「なあジェイド。陛下達の準備が整うまで、もうちょっと時間あるんだよな」

 

「ええ、まあ、微妙に」

 

 目の前の子どもがこれから何を言い出すつもりなのかを察し、少しだけ渋い顔で曖昧に肯定したジェイドに彼は明るく笑ってから、仲間達へ向き直り、剣を持っていないほうの拳を握った。

 

「あのさ、この隙に惑星譜術のこと調べてみないか?」

 

 それがヴァン謡将の手に渡らないようにするも良し、あわよくば自分達が手に入れてこれからの戦力にするも良し、と妙に活き活きと弁舌をふるうルークに、ジェイドとリックはちらりと視線を交わす。

 

 その向こうで、提案に乗りたいのは山々だが、という顔をしたガイが頬をかいた。

 

「でもなぁルーク。インゴベルト陛下への報告とか、色々あるだろ」

 

「大丈夫だよ、ベルケンドで報告書も出したしさ。ひとつ寄り道したならいっそふたつもみっつも同じだろ?」

 

 頼むよと両手を合わせて苦笑するルーク。

 じっと休息を取るより、少しでも何かのために動いていたいのだろう。

 

 やがてひとつ息をついて眼鏡を押し上げたジェイドを見て、リックがそっと笑みを零す。

 

「……分かりました」

 

「旦那?」

 

「不安の芽は摘んでおくに越したことはありませんからね。それに創生歴時代の譜術と言われれば、私も少々興味がありますし」

 

「アンタがそんなこと言うなんてめずらしいな」

 

「これでも研究者で、譜術士ですから」

 

 ガイはなおも不思議そうにしていたが、するとリックがその意識をそらすためか、はたまた久しぶりに戦闘の気配がない目的が単純に嬉しいのか、ぽんとその肩を叩いて陽気に笑った。

 

「まーまーいいじゃないかガイ! 息抜きがてらみんなで行こうよ平和な任務っ!」

 

 何やら後者の気配がひしひしと伝わってくるが、思惑が何であれガイの気が逸れたのは確かだとジェイドが息をついた傍ら、耳に届いたのはトリトハイムとティアの会話。

 

「ならばケテルブルクに行ってみなさい。責任者は亡くなったそうだが、ともすると何か手掛かりが残っているかもしれぬ」

 

「その、責任者だったという方の名前は?」

 

 訊ねたティアに、トリトハイムが小さく頷く。

 

「ゲルダ・ネビリム響士だ」

 

 瞬間。

 ぎしり、と両隣の空気が違う方向に固まったのを、感じた。

 

 短くも長い一瞬の沈黙の末、まず動いたのは右隣に立つ赤毛の子供。

 

「…………や、やっぱ止めるか触媒探し」

 

「は? いきなりどうしたんだ、ルーク」

 

「ほらインゴベルト陛下への報告もあるし……あんまり時間もないし……」

 

「ベルケンドで報告書は出したし、時間はあるってジェイドが言ってたろ」

 

「いや……」

 

 何か隠していると大声で言いふらすようなしどろもどろの弁解を、案の定 察したティアに突っ込まれて、ルークが困り顔でジェイドを仰ぐ。

 

 だがこちらにもそれをからかって話を煙に巻く余裕はなかった。

 予定外のところで予想外の名前を出されて、ただでさえ動揺があるというのに。

 

「………………」

 

 先ほどまでの楽しげな雰囲気もどこへやら、左側から流れてくる、この冷気。

 決してその発信源は見ないようにジェイドはゆっくりと顔をそらす。

 

 そしてらしくもなく背筋を伝う冷や汗のようなものを感じながら、ただ何も言わずに眼鏡を押し上げた。

 

 

 



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Act70.3 - テンダーレッドの心

 

 

 教会から戻る途中、視界の端で飛び跳ねていた青の毛色がふいにティアさんを呼び止める声を聞いて、視線だけをそっとそちらにずらした。

 

「ティアさんに、秘密のおはなしですの」

 

 同じようにその声を聞きとめたルークが不思議そうな顔で何事かと問いかけたが、彼はいつになくしっかりとした口調で、ご主人様には内緒だとまん丸い瞳を精一杯きりっと吊り上げて言った。

 

 あのミュウに珍しく距離を置かれたのが少し寂しいのか、拗ねたような舌打ちを零したルークの肩を、まあまあと軽く叩く。

 

「ふふ、じゃあ少しお話していきましょうか。皆は先に行っていて。私達もすぐ追いつくから」

 

 ティアさんとミュウに一時的な別れを告げ、みんなはまた歩き出す。

 最後にもう一度だけ、離れて行く少女と青い毛並みを窺って小さく息をついた。

 

 ミュウが彼女に伝えようとしている事がなんなのか、気付いたけど、止める気にはならなかった。

 

 ティアさんには知っていてほしいと思ったんだ。

 何も言わないってことは、大佐も多分同じ思いなんだろう。

 

 だけどボロを出す自信しかない俺がこれ以上 行動を起こすのは難しかったし、大佐はそもそも伝えるつもりが無かっただろうから。

 頑張れミュウ、と心の中で声援を送っていると、前でナタリアと話していたアニスさんが肩越しにこちらを振り返った。

 

「ねぇねぇルーク。長旅になりそうならもうちょっと買い物してきたいんだけど、いい?」

 

「あ、うん。行ってこいよ」

 

「やた! 行こっ、ナタリア!」

 

「ええ」

 

 アニスさんがナタリアの手を取って、嬉しそうに笑い合う。

 足取り軽く商店が立ち並ぶ路地へと向かったふたつの背中を見送り、若干さみしくも特に用事のない男四人は、真っ直ぐ帰路へ着くことにした。

 

 アルビオールを目前にしたところで、剣の稽古をしたいという話になったルークとガイを残し、中に乗り込む。

 

 すると笑顔で俺達を迎えてくれたノエルに、今後の目的と、差し当たりケテルブルクまで向かう事を伝えた。

 だから今のうちに休憩行っておいでと、ずっとここで留守番をしてくれていた彼女に感謝しつつ送り出せば、

 

 この操舵室に残ったのは、俺と大佐のふたりきり。

 

 

 

 あれから十数分が経過して、さほど広くもないその空間には、一定の間隔を置いて紙をめくる音だけが響いていた。

 

 扉脇の壁を背に床へ直接 座り込んだ俺は、いつもの後部席に座って何やら難しげな本を広げる大佐の背を一度ちらりと窺って、また自分の手元で広げた雑誌に視線を落とす。

 

 あるページの右上が小さく内側に折ってあるのを発見した。

 そこで特集されている物を見て、ああ確かにこれは好きそうだなと思っていると、ふいに前方から音が飛んでくる。

 

「今度は何を読んでいるんですか」

 

 大佐がそんなことを聞いてくるなんて珍しい。

 思わず雑誌から顔を上げるが、彼の人は前を向いて座ったままで、こちらから表情は分からなかった。

 この間カレー大全を読んでいたからだろうかと内心首を傾げるも、ひとまず問いに答える事にする。

 

「ガイに借りた音機関の雑誌です。ほら、こことかチェックしてあるんですけど、凄くガイ好みな感じの音機関ですよ」

 

 持ち主の嗜好がよく分かって面白い。

 実はそんな本文と関係ないところでも毎回ささやかに楽しみながら読んでいるのだが、同時にガイの音機関の好みをそろそろ完璧に把握してきた自分はどんなものだろう。

 

「いやはや。本当に音機関マニアが増えてしまいましたね」

 

「あ、でもなんていうか観たり集めたりっていうより、作るのが楽しそうで」

 

「そうですか」

 

「はい」

 

 ふつりと会話が途切れ、沈黙が落ちる。

 

 どこかぎこちなさの残る静寂に、まだ話が終わっていなさそうな雰囲気を感じ、雑誌に意識を戻すことはしないでそのまま金茶の髪を見返して首を傾げた。

 

「大佐?」

 

「何か、言いたい事があるんじゃないですか」

 

 小さく呼びかけた俺に返された言葉を紡ぐ、何だかとてつもなく苦い物を噛み潰したような声色にいよいよ困惑する。

 

「いや、無い、ですけど」

 

 怒られているわけではない、ような気はするのだが、その語尾が風前の灯火のごとく小さく消えていったのは仕方ないだろう。

 

 大佐がそこで初めて、肩越しに顔だけでこちらを振り返った。

 深い溜息と共に、訝しげな赤が俺を捉える。

 

「……じゃあいい加減にその真顔をやめてくれませんか」

 

 いつになく疲弊した響きで落とされた言葉。

 一拍ほど間を置いて、俺は音がする勢いで自分の両頬に手をあてた。

 

「…………真顔でしたか、オレ」

 

「ええ」

 

 頭痛を堪えるように額に指を添えたジェイドさんを視界に映し、だらだらと背筋を伝う冷や汗を感じながら己の膝に突っ伏す。

 

 じゃあ原因は言わずもがなだ。分かってる。ネビリムさんの名前を聞いてからだろう。

 

 最近ダメな方向にも馬鹿正直すぎやしないか俺の表情筋。

 ナタリアに対する敬語もそうだが、実感が伴ってない辺りが限りなく問題だ。

 

「い、いつからそうなってました?」

 

 自分の頬を引っ張りながら恐る恐る問うと、ジェイドさんは横目で俺を見て、ご心配なく、と囁いた。

 聞くと、皆といる間やノエルと話すときはいつも通りだったらしい。妙な心配をかける事にならなくて良かったと一安心する。

 

「まぁ女性陣と別れた後から少々怪しかったですが」

 

 しかし付け足された言葉にぎくりと肩を揺らした。

 先ほど表に残ったルークとガイは、もしかしなくても気を使ってくれたんだろうか。

 

 だとしたら申し訳ない事をしたと己の失態に肩を落としていると、溜息ともつかない浅い息を吐いた音が耳に届く。

 

「惑星譜術の資料を探しに行く。それだけです」

 

 不安がる子供を宥めるように、響いた声。

 

 その瞬間、眉尻が情けなく下がるのを感じて、俺はようやく自分が真顔だったことを実感した。

 開いた雑誌の真ん中にぼすんと顔を押しつけて、そのまま口を開く。

 

「ジェイドさんが良いなら、良いですけど」

 

 紙を通してくぐもった声が紡いだ言葉は、ちょっとだけ嘘だった。

 そういう気持ちも確かにあるけれど、いくらジェイドさんが良くたって、ジェイドさんが哀しい思いをするのは嫌だ。

 

 でも、それで俺がジェイドさんを困らせてたら本末転倒か。

 

「…………」

 

 緩々と顔を上げると、大好きな赤と視線が合った。

 そこでいくらか目を泳がせたあと、苦笑交じりにへらりと笑う。

 

 するとこちらを見る赤色が、ほんの少しだけほっとしたように和らいだ気がしたから。

 

 

 俺は今度こそ本気で緩んだ口元を押さえて、まぁいいかと目を伏せた。

 

 

 



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Act71 - 雪の街から

ルーク視点


 

 

 交えた剣を弾かれて、数歩距離を取ったところで、ルークは小さく溜息をついて切っ先を下ろした。

 それを見たガイもひとつ苦笑を零し、刃を鞘に納める。

 

 気もそぞろでまったく稽古どころじゃない。

 すぐ傍に停泊しているアルビオールのほうを横目に見やった。

 

 その強固な装甲の向こうにいる、普段は不必要なほど喜怒哀楽がはっきりしている男の、別れ際には限りなく消えかけていた表情を思い描いて眉尻を下げる。

 

「な、なぁガイ。様子見に行ったほうがいいかな?」

 

「あー……いや、何が原因だか知らないが、リックがああなるって事はジェイド絡みだろ。旦那に任せとけばいいんじゃないか?」

 

 乾いた笑みを零しながらそう言ったガイに、原因は察しの通りのジェイド絡みだと告げるわけにもいかず、ルークもまた曖昧に笑って現状を濁した。

 

 己の赤い髪を一度大きくかき回して空を仰ぐ。

 

 どうして“ネビリム先生”が嫌いなのか。

 いつかそんな話をしたとき、結局リックは詳しく話してくれなかったが、何にしてもあの二人にとってその名前は禁句なのだ。

 だというのに、これから“ゲルダ・ネビリム”が残した情報を探しに行こうとしている。

 

 自分で言いだした事とは言え、真顔になりかけのリックを思いだして頭を抱えたくなったルークの耳に、自分とガイの名を呼ぶ控えめな音が届いた。

 

 反射的に声のした方向へ顔を向ける。

 

「えーと、カレー作ったんだけど、食べる?」

 

 アルビオールの外通路から声同様 控えめに姿を見せたリックが、ちょっとだけ気まずそうに笑っていた。

 

 お前確か今朝もカレー作っただろ、ていうか一緒に食べたよな、また作ったのかよどんだけだよ、とは言わない。

 数少ない趣味なのだから出来る限り付き合ってやりたいと思っているし、今はそんなことよりもあの男にいつもの表情が戻っている様子に、ほっと息をつく。

 

 それに気付いたらしいガイが珍しくからかうような人の悪い笑みを浮かべたので、ルークは慌てて渋い顔を作り直してみせた。

 

「……また試作なんたらカレーじゃないだろうな」

 

「大丈夫大丈夫、今度は普通の」

 

 そう笑ってひらひらと手を振ったリックが、ふと視線を後方に滑らせたかと思うと、また顔つきを明るくして手すりから身を乗り出した。

 

「おかえりなさーい!」

 

 リックに倣って後ろを振り向く。

 するとミュウを腕に抱いたティアがこちらに向かってくるところだった。

 

「おかえり」

 

「…………」

 

 声を掛けると、いつもなら小さく微笑んで返事をするはずのティアが、何故か引き締まった表情でまじまじと見返してきたのに、ルークはたじろいで首を傾げる。

 

「なんだ、よ」

 

「……何でもないわ」

 

 ただいま、と付け足したティアの顔は、何でもないという言葉を素直に受け入れるにはまだ固いものであるような気がした。

 

 だがそこで、ティアさんもカレー食べますか、という能天気なリックの声が沈黙を割り、とりあえずその場はいつもどおりの空気を取り戻したのだった。

 

 

 

 

 ケテルブルク。

 

 久しぶりの再会を喜んでくれたネフリーと少しの間 会話に花を咲かせた後、今回ここへ来た目的を伝えると、彼女は頬に柔らかく手を添えた。

 

 頭の中から丁寧に情報を引き出そうとするその仕草は、どこかジェイドが考え事をするときに眼鏡を押し上げる動作に似ている。

 そんな事がちらりと頭を過ぎり何となくリックの様子を窺うと、やはり同じように思ったのだろう、“ネビリム先生”の話が始まってからずっと渋い顔をしていたリックが僅かに口元を緩めたところだった。

 

 どこまでもジェイドだな、と呆れたような、こうなるともはや微笑ましいような、微妙な気持ちでルークも小さく苦笑を浮かべたとき、ネフリーが口を開く。

 

「ネビリム先生に関する資料は、随分昔にマルクト軍の情報部が引きあげていったと聞いています」

 

 マルクト軍関係ならば、こちらにはジェイドがいるのだから簡単な話なのではないかと思ったのだが、情報部というものは独立した機関らしく、そうもいかないのだという。

 

「やれやれ……陛下のお力を借りますか」

 

 どことなく憂鬱そうに呟いたジェイドに、リックがまた苦く眉根を寄せたのが、見えた。

 

 

 

 ネフリーの好意で今日のところはケテルブルクホテルに泊まることになり、各々が自由な時間を過ごす中、ルークはホテルの外でリックと共に雪玉を転がしていた。

 

 しかしさらさらと零れおちる細やかな白は中々手の平サイズ以上に膨らまず、先ほどから四苦八苦させられている。

 目の前の男が着実に雪だるまを作りあげているものだから、もっと容易く出来上がると思ったのに。

 

 また雪玉になりそこなった雪が手の中でばらりとほどけたのを見届けて、ルークは気付かれない程度の上目使いに前方を窺った。

 

 雪だるまの頭部分を制作しているリックの真剣な顔つき。

 それが存外整っている事に気付いた、というか思いだしたのは、ダアトでネビリムの名前を聞いた後の軽い真顔を見たときだ。

 

(まぁ、男前)

 

 雪だるまを作りあげて行く手つきと、今までの行動を何気なく照らし合わせる。

 

(思ったより、器用)

 

 一般の兵士とはいうものの、ジェイドの傍仕え。よくよく考えると立場もそう低いものじゃない。

 この男を構成するひとうひとつのピースは決して悪くないのに。

 

 そこで顔を上げたリックがにこりと笑みを浮かべた。

 

「コツは雪を最初に強く握りすぎない事だよルーク~」

 

「お前ってこう……なんつーか……おっしいところで残念だよな」

 

「え? 何が?」

 

 これは中心部分のピースが全部ジェイドで埋まってるせいだろうかと、ジェイドが聞いたなら盛大に顔を顰めそうなことを考えつつ、何でも無い、と首を横に振った。

 

「ところでリックってさ、なんでネビリムさんが嫌いなんだ?」

 

 そして代わりに、実は前々から胸にあった疑問を口に乗せる。

 

 リックの手の中で雪玉になりかけていたものが、がしゅりと音を立てて崩れた。

 あからさま過ぎる動揺ぶりに思わず零れたルークの苦笑を見て取ったリックは、ばつが悪そうな顔をして、いつもより大分雑な手つきで髪をかきあげる。

 

 そのまま何も言わずに俯いて雪玉を作る作業を再開したリックを黙って見つめていると、やがて吐かれた小さな溜息が冷たい空気に触れ、白く揺らめいて消えた。

 

「なぁルーク、もしもこんなとき、オレじゃなくてピオニーさんだったらさ」

 

 唐突に登場した第三者の名前を受けて呆気に取られたルークに、まるで気付く余裕もなさそうな様子で雪を睨みつけるリック。

 

「っていうより。オレがネビリム、さん、の事とかちゃんと知ってれば」

 

 リックは最近になって、喜怒哀楽だけじゃない、色んな表情を見せてくれるようになった。

 そうして今も、困ったような、怒ったような、どうにも照れくさそうな、泣きだしそうな。何とも形容し難い表情をしたその男は、迷うようにしばらく視線を泳がせた後、静かに口を開いた。

 

「ジェイドさんは……相談とかしてくれるのかな」

 

 周囲の音を吸い込んでいく銀世界の中に、それはぽつりと浮き上がる。

 

 ルークが思わず目を見張った次の瞬間、リックが怒涛の勢いで雪玉を再形成し始めた。

 

 そしてあっという間にそれを一抱えほどのサイズにすると、前に作っておいた胴体部分の上にそれを乗せ、小枝や木の実で見事な雪だるまを完成させる。形、ツヤ共に申し分ない。何だこの無駄な完璧仕上げ。

 

 リックは最後に自分の体についた雪を手で払い、身をひるがえした。

 

「えーと、リック?」

 

 そのままホテルとは正反対の方向に歩き出した背に恐る恐る呼びかけると、ぴたっと足が止まる。

 

「…………頭冷やしてくるぅっ!!」

 

 言うが早いか弾かれたように走り出したリックを呆然と見送りかけ、かなりの勢いで遠ざかっていく姿に はっとして立ち上がった。

 

「ちょ、ふ、吹雪いてきてるぞー!?」

 

「大丈夫です遠くには行きません!」

 

 なんで敬語。

 

 突っ込む間もなく、その背中は降りしきる雪の向こうに消えていった。

 ルークは半端に伸ばしたままだった手を引っ込めて、代わりに軽く頭をかく。

 

「ホントに大丈夫なのかよアイツ……」

 

「ルーク」

 

「うわ!」

 

 ふいに掛けられた声にびくりと身を震わせて振り返る。

 

「ご、ごめんなさい。そんなに驚くとは思わなくて」

 

 そこには、むしろこちらよりも驚いたらしいティアが、青色の目を丸くして立っていた。

 

 自分の反応を思い起こし、否が応にも熱くなる顔を押さえて、驚きすぎだリックじゃあるまいしと内心独りごちる。もしかしてずっと行動を共にしているせいで似てきてしまったんだろうか。

 

「で、ティアはこんなところでどうしたんだよ?」

 

「…………」

 

 照れ隠しに少々無理やり話題を変えて問いかけると、彼女は一度口を閉ざして、僅かに目を伏せた。

 

「……あなた、音素が乖離しているって本当?」

 

 全ての音を吸い込んでいく雪の街。

 口の中で思わずミュウを軽くののしったルークは、だけど己でも意識することのない、胸の内のどこか奥深くで、

 

 

小さく小さく、感謝した。

 

 

 




知られて気を使われるのが嫌というのも本当だけど、それと同じくらい知っていて欲しいとどこかで思ってしまうのも本当。誰にも知られずに消えて行くのは、怖い。


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Act72 - ピオニー陛下と時々ブウサギ(前)

 

「ガイ、説明をお願いします」

 

「また俺か!」

 

 

 悠然と流れる水鏡の滝、そして幾人かの護衛や重鎮達を背に控えたピオニー陛下は、瘴気中和からここに至るまでの説明を受けて、閉じていた瞼をゆっくりと開いた。

 

「話は分かった……ネビリム先生の情報か」

 

 先代のころの話だから自分にも詳しい事は分からないが、と前置いて、傍にいた兵士にいくつか指示を出す。

 

「とにかく情報部から提出させよう」

 

「有難うございます」

 

 大佐がどことなく苦い顔をしながらも肩の力を抜いたように見えた。

 

 それが思いのほか早く話がついたからなのか、はたまたこの場で陛下に更なる事情を追及されずに済んだからなのかは分からないが、何にしてもネビリムという名前は二人にとって特別なものであるはずだ。ていうかもうこうなると俺にとっても十分特別な名前だよ。

 

 何だからしくもなく舌打ちを零したい気持ちになりつつも、陛下の指示を実行すべく脇を通り過ぎて行った兵士さんにしっかりと敬礼する事は忘れない。ごくろうさまです。

 

「だが」

 

 緩んだ空気を戒めるように響いた低い声。

 戻した視線の先で、陛下がいつもは大らかな青の瞳を鋭く細めていた。

 

「腐っても国家機密だ。ただで渡すわけにはいかないな」

 

 その言葉に息をのんだルークが眉尻を下げる。

 

「どうすれば教えて貰えますか?」

 

「そうだな。ひとつ、こちらの頼みを聞いて貰おうか」

 

「頼み……」

 

「ああ」

 

 陛下は重々しく顔前で両手を組む。

 

「つい先刻のことだ。俺の……」

 

 その切り出しを聞いて はっと目を見開くと、隣でガイが小さく頷いた。

 

 これは、まさか。

 

「――可愛いブウサギ達が逃げ出してしまったらしい」

 

「………………はい?」

 

「やあぁっぱりー!」

 

 呆気に取られるルークの横から身を乗り出して叫ぶ。

 

 すると先ほどまでの表情を一転、からりとした笑顔を浮かべた陛下が、「いや弱った弱った」と大げさな動きで額に手をあてた。

 

「もー陛下また部屋出るときにちゃんと扉閉めなかったんでしょ!?」

 

「過ぎた事は仕方ない! 過去を悔いるより未来のために動くべきだ!」

 

「悔いなくてもいいですけど反省はしてください! 何度目ですかぁ!」

 

 愛くるしい風体をしているが、そう本当に可愛く愛らしいのだが、ブウサギだってもとを正せば魔物。それなりの力を持っているし体も大きい。メイドさん達だけで彼らを連れ戻すのは中々に骨なのだ。

 

「オレやガイがいるときならまだしも~」

 

「まぁまぁ、こうしてタイミング良くお前らが帰ってきたんだからいいじゃないか」

 

 陛下は再度きりっと表情を引き締める。

 

「ちなみに情報は俺のところに届けさせるよう言ってあるからな。ズルは出来んから、しっかりと俺の可愛いジェイド達を探してくるように」

 

 突然の指令が本気か冗談か計りかねたらしいティアさんが戸惑いがちにくれた目配せに俺は深ーく頷いて返した。いつだってこの人は本気です。

 

「頼んだぞ。こうしてる間にも可愛いジェイドが階段から落ちているかもしれないし」

 

「陛下」

 

「可愛いジェイドがもしや厨房で丸焼きにされてやしないかと俺は気が気じゃなくて」

 

「ピオニー陛下」

 

「なんだ可愛くない方のジェイド。あー俺の可愛いジェイド達は無事かな~」

 

「……ああはい分かりました。分かりましたから止めてください」

 

 この短い時間で心底疲れた顔になった大佐がそう言うと、陛下は悪戯が成功したときと同じく満足げに笑みを深める。

 ブウサギ探しを引きうける事を決めると早々に身をひるがえした大佐に、続くアニスさんが肩をすくめた。

 

「それくらいで機密情報くれるっていうんだからいいじゃないですか大佐ぁ」

 

「それ以上の何かを失っている気もするんですがね」

 

 ブウサギ方面から攻められるのがわりと苦手な大佐のたそがれた後ろ姿に苦笑する。

 

「はは……えーと、それじゃあ陛下、行ってきまーす」

 

「リック、お前はちょっと残れ」

 

 その声を聞いて、踏み出しかけた足を無理やり引き止めた。

 反動でよろけながらも肩越しに玉座を振り返る。

 

「え?」

 

「極秘任務、報告、連絡先」

 

「……何で片言なんですか」

 

「そんなわけで人払い頼む」

 

 むだに格好よく片手をあげた陛下に、呆れ顔の大臣や兵士達が慣れた様子で動き始め、御苦労さまです、と同情のこもった視線で俺の肩を叩いて退室していく。

 

「大変ですわねぇ」

 

「リック、頑張れよ!」

 

「え、あ、うん……ありがとう」

 

 ルークとナタリアに励まされた後、人払いの済んだ謁見の間にひとり残された俺は、軽く頬をかきながら、ちらりと陛下を見上げた。

 

「今回はそんなに変な顔してませんでしたよね、オレ」

 

「そうだな、ネビリム先生の話をしてる間やや人相は悪くなってたが、前みたいに妙な顔はしてなかったな」

 

 じゃあ何でまた残らされたんだろう。

 首を傾げていると、玉座を立った陛下が歩み寄ってくる。

 

 そして目の前までやって来た彼はその場に腰をおろし、「まあ座れ」と床を叩いた。どうでもいいけれど何で毎回床なのかと思いつつも言われるままに座る。

 

「お前とジェイドからの報告書は受け取った。目も通した」

 

「あ、ありがとうございます! どうでした!?」

 

「大体よく出来てたけど文章がたまに日記風になるのが惜しいな。あとお前ちょいちょいジェイドとカレーの話とか混ぜるの止めとけ」

 

 読み上げ担当になった兵士が引き締まった空気とこみ上げる笑いの狭間でたいそう気の毒な事になっていたと語る陛下に、俺は両手で顔を押さえてこくりと頷いた。

 

 心底無意識だった。書いたっけかそんなこと。確かにあのとき舞い上がってはいたけれど。ああ顔からフレイムバースト出そう。

 

「まぁ俺は楽しかったからいいんだが」

 

「なにひとつ良くないですスミマセン」

 

「報告書に書けなかった事、あるだろ」

 

「もうホントすみませ……え?」

 

 反射的に顔から手を離すと、眼前の瞳には、間の抜けた表情をした俺が映っていた。

 青色をゆるりと細めた陛下が僅かに首を傾がせる。

 

「お前もジェイドも報告書には書けなかった、大事な話、何かあんだろ」

 

 陛下宛ての手紙は、事前にその中身をあらためられる。

 それを当然の作業だと知っているからこそ、書くわけにはいかない。

 

 だけど伝えたいことがあるのだろうと笑うピオニーさんに、眉尻を下げた。

 

「大佐の報告書に暗号とか仕込んであったんですか?」

 

「そんな面倒くさい仕込みするくらいならハナから俺に話さないぞアイツ。まぁお前らの文面の雰囲気と、今日会った雰囲気と、後は勘?」

 

「それ全部勘って言いません?」

 

 やかましい、と文句を言う陛下が、そのおどけた語調に見合わない真剣な目で俺を映すから。

 ともすると大佐ですら勝てない相手に自分が敵うわけもなく、もう観念するしかないと苦笑して、手紙に書けなかった事をひとつずつ話した。

 

 ルークに残された時間。音素剥離。

 いつもどおりを選んだこと。

 

 全てを聞き終えたピオニーさんが、短く息をついた。

 

 すると同時に伸ばされた手に後頭部を掴まれて引き寄せられる。

 俺が目を丸くする間もなく、ごちりと額がぶつかって、目の前には青い瞳。

 

「辛いぞ」

 

「ハイ」

 

 じわっと目尻に涙がにじむ。

 

「今ぶつかったおでこが辛いっていうか痛いです……」

 

「耐えろ。今話したいのはそこじゃない」

 

「ピオニーさん石頭、」

 

「おぉ皇帝ヘッドをなめるなよ! いいから聞けっつーの!」

 

 継続する額の痛みに涙目のままながらも、どうにかこうにか表情を引き締めて背筋を伸ばした。

 

「辛いぞ、“いつもどおり”」

 

「…………」

 

「出来るのか」

 

 先ほどから変わらぬ真剣な顔つきのまま、僅かに眉を顰めて問いかけてくるピオニーさん。

 俺は今度こそぽかんと目を丸くして、それから、この上なく締まりない顔で笑み崩れた。

 

「はい」

 

 無茶言うし、無茶させもするし、人をからかってる時は全力で楽しそうだし嘘情報で三日三晩テオルの森をさまよわせたりも…うん、するけれど。

 

 ピオニーさんも、ジェイドさんも、ルークも、みんなも。

 いざってところでやっぱり優しいから、俺はこの人達が大好きなんだ。

 

「オレとルークは大丈夫です!」

 

 泣いても笑っても今日が今日でしかなくて、明日が明日以上の意味をもたないのなら、“何も知らない俺”は間抜けな顔で笑ってやると決めた。

 それが何の力も持たない俺の、だけど多分、なによりも大事な役目。

 

 実行に至れるようになるまでは随分掛かったけど、と苦笑する。

 

「――どうやら、本当らしいな」

 

 すると口の端を上げて笑った陛下の額がようやく離れて、ぐしゃぐしゃと雑に髪をかきまわされた。

 

「ったく。お前が前回あまりにも似合わない面してたから、この俺まで柄でもない気を回すはめになっただろうが」

 

「ご、ご心配おかけしました……」

 

 丁重に土下座した俺の頭をぽんと叩いた陛下が、後の気がかりはジェイドだな、と溜息混じりに呟く。

 

「間接的とはいえネビリム先生のこと調べてるようなもんだろう? 一応あいつのこと見といてやってくれるか、リック」

 

「はあ、それはまぁ普段の生活と変わりませんからいいですけど」

 

「ああそうだったな! よし頼んだ!」

 

 ぐっと親指を立てて俺の肩を叩く陛下に「分かりました」と頷いた。

 

 

 さて、そろそろ皆の手伝いに行かなくては。

 腰を上げる俺に対し、陛下は床に座ったまますっかり見送り体勢だ。しょうがないなぁと気の抜けた笑みが零れる。

 

「それじゃあオレも行きますね。ブウサギ達を捕まえたらまたここに来ればいいですか?」

 

「いや、俺今から部屋戻るからそっちでいい」

 

「了解です」

 

「リック」

 

 ひとつ敬礼をして身をひるがえそうとしたとき、名を呼ばれて振り返った。

 陛下が真剣な顔で俺を見る。

 

 

「この際だし次から麗しい女性達の連絡先も本当に集めてきたらいいんじゃないか?」

 

「何がこの際なんですか!!」

 

 




対ナタリアorピオニーは比較的ツッコミに徹するリック。

リックは“ネビリムさんが嫌い”というよりか“ジェイドさんを哀しませる話題が嫌い”なだけなので、口でいうほどネビリムに悪い印象は持ってない。
ただ大佐にとって特別な存在であることに少し羨ましさは感じてる。


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Act72.2 - ピオニー陛下と時々ブウサギ(中)

 

 

 謁見の間を出て真っ直ぐに階段を下りて行くと、ちょうどみんなも探索から一旦戻ってきたところだったようで、中心にはすでに数匹のブウサギが集められていた。

 

 これはもしかしたら、すでに片がついてしまっただろうか。

 手伝いそびれたかと慌てて駆けおりた俺に気付いたルークが顔をあげる。

 

「リック! 報告もういいのか?」

 

「え? なにそ、…………うん! もう完璧! 問題なし!」

 

 まずい、本気で忘れてた。

 これは陛下じゃないけど本当に連絡先集めしておかないといつか俺は盛大にボロを出す気がする。いや、正直やりたくはないが。

 

「そ、それは大丈夫なんだけど。もしかしてそっち終わっちゃった?」

 

「いや、あと一匹だけ見つかってなくてさ。だいぶ探したんだけどなー」

 

「そっか。えーと、ネフリーさま、ゲルダさま、アスラン様サフィール様、ルーク様……は部屋にいるって言ってたから……」

 

 集まったブウサギ達をざっと見回し、一匹ずつ指さし確認。

 

「あ、ジェイドさまがいませんね」

 

「今の一瞬でそれが分かるリックが怖い」

 

「ハハハ何をおっしゃいますかアニスさん。オレの背中に突きささる視線と冷気以上に怖いものなんてありませんよ!」

 

 その名前を口にすると決めた時点から俺はもう大佐のほうを振り返れません。

 だから大佐の前では極力ジェイドさまの名前を呼ばないのが常なんだけど、“探す”となるとそうもいかない。とりあえずお花畑に行く心の準備だけは決めた。

 

「それにしても、おかしいなぁ。いつもそんな分かりづらいところに隠れる事はないんだけど」

 

 それゆえジェイドさまとのやりとりは基本が追いかけっこなのだ。

 頭をかいた俺に、ティアさんが不思議そうに首を傾げる。

 

「それらしいところは一通り探したと思うけど……」

 

「どこかでお昼寝に入ったのかなー。ジェイドさまー! どこですか~!!」

 

 大佐の視線が痛くて仕方ない。瞼の裏に浮かぶような絶対零度の笑顔にどうにか耐えて、声を張る。

 

「ジェイドさまー! ジェイドさまー! ジェ~イ~ド~さ~ま~っ!!」

 

 まあ呼んで出てくるようならすでにメイドさん達が捕まえてるだろうが、試してみるに越したことはない。

 というかこうなってくると軽くヤケだ。どうせお花畑行きなら全力でやり遂げておこう。

 

「いないんですかー!! もう、ジェーイードーさ、」

 

 壮麗な宮殿の廊下に響きわたる硬質な音。一瞬のうちに近づいたそれが間際で途切れる。

 

「ま、ぉフッ!!」

 

 そして、俺の視界に、星が散った。

 

 床に転がってしばしの悶絶の末、よろよろと上半身を起こした俺の目の前。

 つぶらな瞳を吊り上げたジェイドさまが、苛立たしげにヒヅメを床に打ちつけていた。

 

「~~~ッ……ちょっ、」

 

 今しがた起きた衝撃の光景を脳内で反芻する。

 

「い、いつの間に三角跳びなんて身につけたんですか!? ……ていうか何でオレ蹴られたんですか!!」

 

 片手でじんじん痛む額を押さえ、もう片方の手でジェイドさまを指さして俺が涙目のままかえりみると、ゆるく眉根を寄せた大佐は苦い顔で眼鏡を押し上げた。

 

「それの気持ちが分かるというのも非常に心外なんですが、多分ウザかったんじゃないですか?」

 

「え? 何が……」

 

「名前を呼ばれたのが」

 

「呼んだだけでですか!?」

 

 乙女心は理不尽なものなんだといつだったか陛下が言っていたような気がするが、それってこういうことだろうか。

 

 

 

 

 

「いやいや、そりゃ傑作だったな」

 

 すべてのブウサギを連れて向かった陛下の私室。

 

「笑いごとじゃないですよ~……」

 

 額の見事なヒヅメ模様についての説明をするや、足元のジェイドさまを撫でながら愉快そうな陛下に肩を下げた。

 

 それで、と大佐が淡々と話を切り出す。

 

「資料は?」

 

「気の早いやつだな。ほら、これだ」

 

 手渡された大きな封筒の中から書類の束を抜いてざっと目をすべらせた後、大佐は小さく息をついて首を傾げた。その動きに沿って金茶の髪がさらりと流れる。

 

「欠落個所が多いようですが」

 

「知らない間に何者かが持ち去ったらしい」

 

 「ディストですか?」そう問いかけた大佐と、「多分な」静かに頷いた陛下。俺は服の下で揺れる歯車を、少しだけ意識した。

 

 かろうじて残されていた資料には、ネビリムさんのことや、惑星譜術の詠唱文。

 あとはロニール雪山の地図なんかがあったらしい。なんでも、触媒に反応する譜陣があの山奥にあるんだとか。

 

 最終的にはそこへ向かうにしても、すべての触媒を集めてからのほうがいいだろうと大佐は言った。

 ついでにどこに触媒があるのか、なんていうのも書いてあれば話は早いのだろうが、まぁそこまでトントン拍子に進むわけないかと俺が一笑したとき。

 

「ああ、ふたつは所在についても触れられていますね」

 

「……なんでですか!?」

 

「貴方のその反応が何ですか」

 

 いや、だって、そういう秘密道具の在り処は謎なものなんだろうと思ってたから。

 

「どうやら、その触媒は――」

 

「あの……すみません」

 

 そのとき、ふいにティアさんがめずらしく会話を割って拱手した。

 

 何か音が聞こえないかと首を傾げた彼女の言葉を聞いて、目を細めた大佐が短い沈黙の後に頷く。

 音素の干渉音のようだと言われて、俺も周囲の空気に意識を向けた。言われてみると、確かに何かしら音がしているような……。

 

「音素爆弾だったりして?」

 

「か、勘弁してくださいよぉ」

 

 からかうように大げさな身振りで言ったアニスさんに、少し前のご落胤騒動を思いだして苦笑する。そう何回も宮殿のなかで音素爆弾がどうこうなんて事態になるのはさすがイヤだ。

 

 にしても、どこから聞こえてくるんだろう。

 陛下の部屋はいろんな物が散乱してるからちょっと探しにくい。

 

 もー、だから片づけて下さいって言ってるのに。

 とりあえず隅に溜まっている私物群を見てみようと腰をかがめた。

 

 

 瞬間。

 

 背後から響いたヒヅメの音。

 大きめの何かが、ガスッと音を立てて膝裏にぶつかった衝撃。

 

 

「……お、おい、大丈夫か?」

 

「…………かろうじて……」

 

 ……確かにいつもどおりの俺でいたいとは思ったけど。

 ねえユリアさま、ここまでいつもどおりなことないと思いませんか。

 

 重力と人体の構造のもと、干渉音もかき消すくらい盛大な音を立てて山と積もる私物群の中に倒れ込んだ俺は、微笑と共にちょっとだけ泣いた。

 

 

 




ジェイドさま秘技、全力ひざかっくん。


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Act72.3 - ピオニー陛下と時々ブウサギ(後)

 

 

「リック、怪我はない?」

 

「はい大丈夫です慣れてますから……」

 

 若干遠い目でそう返事をしてから、手を貸してくれたティアさんにお礼を言って立ち上がる。

 そして足元で何やらご機嫌ナナメなジェイドさまに、為すすべなく眉尻を下げた。

 

 あれか、やっぱり俺の存在自体がうざいという事なのか。

 いやコレばっかりは自分の意思じゃどうしようもないだろうと思いながらも機嫌を直してもらう術を脳が自動で模索してしまうのは名前のせいかなぁ。どうにも弱い。

 

 そんなこんな考えながら俯けていた顔を上げる。

 すると俺の前に立ったまま、少し視線をさげて黙り込むティアさんの姿に気付いた。

 

「ティアさん?」

 

 何か考えているらしい様子の彼女を覗きこむ。

 そこでようやくこちらを見たティアさんの青い目が俺を捉えて止まった。

 

「あの、ちょっとごめんなさい」

 

「え?」

 

 首に微かな衝撃。

 がくんと膝が抜ける。

 

「……やっぱり。そこから音がするわ」

 

「どうやらあの剣からのようですね。譜術封印で一時的に音素の動きを止めましょう」

 

「すみませんティアさん!! オレ今なんのツボ突かれたんですか!!?」

 

 先ほどと同じ場所へうつ伏せに転がった俺は何事もなかったかのように進行しかけた会話へ無理やり割り込む。指先さえぴくりとも動かないのがすごく怖いです。

 

 はっと目を丸くしたティアさんが慌てて傍にしゃがんで俺の背に手を添えてくれた。

 

「ご、ごめんなさい。リックが倒れたときに音が強くなった気がしたものだから……」

 

 状況を再現しようと思ったらしい。

 ところで倒れた振りではダメでしたかという言葉は、今更なのでさっきのアレどういう技なんですかという問いと共に飲み込んだ。

 

「その剣はマクガヴァンじーさんが退役するときに気を利かして置いていってくれたヤツだな」

 

 みんなの後ろからひょいとこちらを覗き込んだ陛下が、干渉音を放っていた剣を見て言う。ああそうか、陛下は武器集めが趣味だからなぁ。ていうか俺さっきはかなり危なかったんじゃないか。倒れたとき刺さらなくて良かった。本当に良かった。

 

 今になってドキドキと鼓動を早くする胸を抑えていると、隣であきれ顔の大佐が眼鏡を押し上げる。

 

「陛下……武器も雑貨も一緒くたに置いておくのはいかがなものかと」

 

「執務室に怪しげな研究薬を放置してるお前に言われたくないぞ」

 

「いやですねぇ。私はうっかり誰かが使ったら面白いなーと思う物しか置いてませんよ」

 

「そうですよ陛下! 剣は刺さるともしかしたら死んじゃうかもしれないけど、大佐の研究薬は尋常じゃないほどツライ効能だけで命には関わらないです!」

 

 床に倒れ込んだままそう主張すると、ルークはすごく物言いたげな顔になった後、「まあお前がいいならいいけど」と呟いた。え、何が?

 

 ひとつ咳払いをしたルークが気を取り直すように剣を指差す。

 

「ジェイド。これって惑星譜術の触媒じゃないのか?」

 

「……そのようですね。資料の中に、触媒となる武器が対でマクガヴァン家に保有されていたとありますから」

 

「せいや!」

 

「あっティアさんちょっと待、ッぇぐハ」

 

 真剣な話し合いをBGMにティアさんから気付けの一撃を貰う俺。ティアさん今ごきっていった、ごきって。あ、でも動く動く。

 

 元通りになった体を慣らしながら立ち上がると、大佐が俺の肩に掛かる荷物袋をぽんと叩いた。

 そして、さっき俺が倒れたときに干渉音が強くなったというのは、この中にある触媒と反応したからだろうと肩をすくめる。

 

 触媒ってあの怖い剣か。

 それにしても今目の前にあるこの剣はだいぶ雰囲気が違って、禍々しさが先に立つアレとは正反対の神聖な感じがした。

 

「ジェイドさん。コレも触媒ってことは、やっぱり持っていかないとダメなんですよね?」

 

「まぁそうなりますね。陛下、これをお借りすることは出来ますか?」

 

 大佐の言葉に少し考えるそぶりを見せた後、にやっと笑った陛下にほんのりと嫌な予感が走る。

 

「そこの可愛いお嬢さん達におねだりしてもらえたら貸してやるよ」

 

 明らかに面白がっている様子を見たナタリアが、半眼で「そういうのをセクハラと言いますのよ」と陛下を睨んだ。

 俺はといえば、即効で的中した予感に苦笑するしかない。

 

「まったくもう陛下ってばまたそういう冗談言って、」

 

「じゃあ野郎共もやれ。ほらリックさっさと」

 

「……あれ!? 冗談じゃないんですか!?」

 

「なに言ってんだ、俺はいつだって本気だろ」

 

 そうでした。

 

 やると言ったからには、とにかく、絶対に、とことん、やる人だ。

 

 いつに無い真剣さでもって真っ直ぐにこちらを見据えてくる青。

 普段の執務も同じくらい真剣に取り組んでくれたなら、大臣さん達の胃薬の量も少しは減るんだろうにと目頭を押さえつつ、与えられた指令を脳内で反芻する。

 

「おねだり、ですよね」

 

「ああ」

 

「……ど、土下座とか有りですか?」

 

「俺をどれだけしょっぱい気分にさせるつもりだ。何だ! あれか! お前の言動パターンは対ジェイド用のみか!!」

 

 そう言われても、泣いてすがってへばりついての懇願ならばなんかもう自信があると言ってもいいほど実行してきたが、おねだりと言われるとさっぱりだ。

 ぴんと来ない表情のままの俺を見て短く溜息をついた陛下は、悩むほどのことじゃないだろうと人差し指を立てた。

 

「貸してくれってのを可愛く言うだけだ、出来るだろ?」

 

 ああ、なるほど。そう言われれば何となく分かる。

 

 とりあえずやる事は分かったけど、それはそれで難しいというか何というか。

 だけどこれはやらないと引っ込みがつかなさそうだ。うーん。可愛く……。

 

「ぴっ、ピオニーさぁん?」

 

「うんうん。なんだ? リック」

 

「剣を貸してくれたらオレすごく嬉しいー……んですけど~……」

 

 ひきつる頬でどうにか満面の笑顔をつくり、こんな感じだろうかと小首をかしげて見せる。

 

 陛下がにっこりと笑った。

 

「よし最っ高に気持ち悪いな。次」

 

「やらせといて!!」

 

 

 




だから声と体はまごうかたなく二十五歳の男なんだってば。


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Act72.4 - 陛下のおくりもの

 

 

 その後、女性陣の活躍でどうにか剣を借りることが出来た。

 次はマクガヴァン元帥のいるセントビナーに向かう旨を話し合いながら部屋を後にしようとした俺達を陛下が呼びとめる。

 

 大佐が嫌そうな顔で振り返った。

 

「何です、今度は花嫁探しでもさせるつもりですか?」

 

「違うっての」

 

 なんのかんの言いながらも陛下がネフリーさんを想い続けている事を多分誰よりもよく知っているだろう実兄ジェイドさんからの痛烈な嫌味を受けて、さすがにブウサギ関連でからかい過ぎたと感じたらしい陛下が少し控えめにそれを否定した。あ、良かった間一髪です陛下。多分もうちょっとでフレイムバーストでした。

 

「渡すものがあるんだよ。ほらコレだ」

 

「ちょっと陛下! 投げないでくださいよっ!」

 

 ぽいっと俺のほうに向けて投げられた小さな袋をどうにか受け取った。

 まったくもうとぼやいた俺に軽く笑って返した陛下が、いいから開けてみろと促す。

 

 言われるままに袋を開けて、中に入っていたものを取り出した。

 

 きれいなデザイン。

 手の平サイズの長方形。

 

「これ何ですか? カード?」

 

「はぅわっ! それはぁ!!」

 

 背伸びして俺の手元を覗きこんだアニスさんが瞳を輝かせる。

 

 その様子に笑みを深めた陛下が、ケテルブルクにあるメガロフレデリカというスパの会員証だと補足した。

 アニスさんいわく、貴族御用達の会員制高級スパだとか。

 

 喜ぶ女の子達とは反対に、隣でじっとりと半眼のルークに気付いて首を傾げる。

 

「ルークは嬉しくないのか?」

 

「嬉しくないっつーか喜べないっつーか……」

 

「ま、男はそんなもんだよな」

 

 肩をすくめてそう相槌を打ったガイに、でもジェイドさんは好きだって、と返すと「旦那はまぁなんというか」と濁された。あれか、これも大佐だからってやつなのか。

 

 というかそれ以前の問題として、俺には分からない事があった。

 

「スパって、何?」

 

 翠の瞳がきょとんと丸くなる。

 

「え? 何って……あー、そっか。お前ずっと軍人だったんだもんな、知らないか」

 

「そもそも一般市民にはわりと縁遠い施設なんだよ、ルーク」

 

 納得顔になったルークに、使用人生活の長かったガイが苦笑してささやかな訂正をいれる。

 

「簡単にいえば温泉が一緒にある宿ってところだ」

 

 温泉付きの宿。俺の頭で想像できる限界を超えた存在に、しかしほんのりと夢が膨らむ。

 控えめに目を輝かせた俺をちらりと見たガイが小さく噴きだした。

 

「機会があったら寄ってみるのもいいかもしれないな」

 

 そう言ってぽんと軽く撫でられた頭に手を添えて、俺は感動のまなざしでガイを見上げる。

 

「うん、お母さん……!」

 

「……ああ、もう母でも祖母でも好きなように呼んでくれ」

 

 やけくそなのか諦めたのか、遠い目をしたガイに改めてわしわしと髪の毛をかき混ぜられた。いやごめん。何かもう俺の中でイメージが定着してしまっていて。

 

 そこで陛下が何やら、傍にいたメイドさんに合図を送る。

 

「それはブウサギ達を探してくれた礼だ。んで、こっちが餞別な」

 

 するとさっと身をひるがえして一度部屋の外に出ていこうとしたメイドさんが、すれ違いざまに俺と目を合わせてちらっと浮かべた苦笑がなんだか意味深だった。

 

 だがその意味を深く考えこむより前に大きな包みをかかえて戻ってきたメイドさんは、それをうやうやしく机の上において、小さく会釈をしてから下がる。

 

 なんだろう、あの包みどこかで見たような……。

 

「ルーク。開けてみろ」

 

「は、はい」

 

 指名されたルークが恐る恐る包みを広げていく様子を、後ろから覗きこむようにして皆が見守る。

 嫌な予感がするのか少し離れたところに無言で立つジェイドさんの隣で、この妙なデジャブの正体について首を傾げて考え込む。

 

 そんなに昔の事じゃない気がするんだよなぁ。

 包み、包み……包みの、中……?

 

 …………。

 

「あ」

 

 俺がぽくんと拳を手の平に打ち付けたのと、包みの中を見た皆がぎしりと動きを止めたのはほぼ同時だった。

 ルークが、音がしそうなほどのぎこちなさで荷の中を指さす。

 

「これ……何、ですか?」

 

「アビスマンだ!!」

 

「アビスマンだよルーク!」

 

「だから何なんだよソレは!!」

 

 陛下と二人で拳を握って力説すれば、混乱のあまりか軽く涙目になったルークに怒られた。

 苦笑したガイが、子供向けの劇に出てくる正義の使者だととりあえずアビスマンの説明をしてあげている。

 

「これがその衣装ってのは分かりましたけどぉ~……」

 

「なぜ私達にこれを?」

 

 餞別、と言われて高価なものを期待していたらしくダメージが大きそうなアニスさんと、心底怪訝そうな顔をしたティアさんの問いかけに陛下は満面の笑みで胸を張る。

 

「だってカッコイイじゃないか!!」

 

「ただの貴方の趣味じゃないですか」

 

 しばし二の句も告げずにいた様子の大佐がようやく口を開いて、眉間に皺を寄せたまま眼鏡を押し上げる姿に陛下は肩をすくめる。

 

「分かってない。お前分かってないなジェイド。正義のヒーローは男の夢だろ!」

 

「夢です大佐!」

 

「バカふたりが はしゃいでいる分には構いませんが、そこに私達を巻き込まないでください」

 

 笑顔のままふつふつと音素を渦巻かせる大佐の後ろで、ガイが所在なさげにびくりと肩を震わせたのが見えた。うん、やっぱりちょっとは夢だよな。俺たち男の子だもんな。

 

「何だよ、きたるべき決戦衣装にでもすればいいじゃないか」

 

「哀憫の眼差しを一身に受けての最終決戦はご免です」

 

 すみません陛下、俺もそれはちょっと。

 シンクあたりにすごい目で見られそうだ。

 

「まぁ受け取るだけはタダだ!とりあえず持ってけ持ってけ」

 

 目配せで指示を受けて、前にどれが誰のか教えて貰った俺が、とりあえず微妙な顔のみんなに一着ずつ配る。

 

 そうしてすべてを渡し終え、いつか何かの拍子には着てもらおうと心に決めながら空になった包みを畳もうと伸ばし掴んだ手に、ふと重い手ごたえが伝わった。

 俺が貰った例のやつはすでに寮部屋にしまってあるから、もうここに残っているものは無いはずなのに。

 

「おっとリック。もうひとつ入ってるのあっただろ」

 

「は、はい。なんですか?これ」

 

 中にあったものを手に取って広げる。

 それは前見せてもらったときには無かった、新たなヒーロースーツだった。

 

「ちょっと遅れたが、この間ようやく出来あがったんだ」

 

「……まさか、これって」

 

 陛下が口元に笑みを浮かべる。

 俺はうるんだ目で彼を見つめ返した。

 

「ッピオニーさ、」

 

「そう! アッシュの分だ!!」

 

「…………アッシュのぶん!!?」

 

「ああ! アッシュの分だ!」

 

 きらきらと輝く瞳をした陛下の二度の肯定に俺の期待が粉々に打ち砕かれる。

 いや、確かによく見たら衣装の首のところにアッシュって書きなぐってあった。

 

 分かってただろうリック。シルバーとかそんなカッコイイ色が自分に来るわけないって分かってたじゃないか。涙声だとかそんなことは断じてない。

 

「今度来たら渡してやろうと思ってるんだがな。それともお前ら会ったら渡しといてくれるか」

 

「お願いします! 陛下直々に渡してやって下さい!」

 

 ルークが心底必死な顔で頼みこむ。

 ただでさえ複雑なアッシュとの関係をこっぱみじんに烈破掌するのは避けたいらしい。

 

「ん? そうか」

 

 それについてはあっさり引き下がった陛下が包みの中にアビスシルバーの衣装を収めたところで、大佐が「さて」と軽く手を打ち合わせる。

 

「要件は済みましたし私達はそろそろ行きましょう。進軍の準備にまだ掛かるとはいえ、時間は無尽蔵じゃありませんからね」

 

「だな」

 

「はい。それじゃ陛下、またちょっと行ってきまー……」

 

 身をひるがえそうとしたところで、背中に鋭い衝撃。

 あえて言うなら固い小さなヒヅメにものすごい勢いで蹴り倒されたような。

 

「リック、なんてゆーか……生きてるぅ?」

 

 背中の上のずっしりとした重みと、ブヒッという誇らしげな鳴き声を聞きながら、俺は床に突っ伏して涙目のまま微笑んだ。

 

 もう、好きにしてください。

 

 

 

 

***

 

 

 

 賑やかな子供たちが去って、すっかり広くなった私室の中。

 足元でジッと彼らが消えた扉を見つめているブウサギの首筋を撫でてやる。

 

「大丈夫だ、元気に帰ってくるさ」

 

 だからその時はまた背中にパンチのひとつもお見舞いしてやれ、とあの子供が聞いたなら顔を青くしそうな言葉をひとつ与えて、ピオニーは『ジェイド』と書かれたネームプレートを軽く指で弾き、静かに笑ってみせた。

 

 

 




可愛いほうのジェイドさま不機嫌の秘密。
いたらいたでウザイけど、姿が見えなきゃそれはそれで気になる。


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Act73 - 三分の一くらいの複雑な感情

 

 

 セントビナー、マルクト軍基地。

 出迎えてくれた元帥に活き活きと敬礼を向ける。

 

「マクガヴァン元帥! お元気そうでなによりです!」

 

「ほっほ、わしはもう元帥でないと毎度言うとろうに。ジェイド坊やが言い続けとるからかお前さんも直らんの」

 

 目配せを向けられた大佐が何食わぬ顔で肩をすくめたのを見て、また少し笑った元帥は、そのふわふわの白いひげを撫でながら楽しげに首を傾げた。

 

「いやしかしリック、またちょこーっと大きくなったようじゃなぁ」

 

「いえ、あの、だからオレもう体の成長自体はとっくに止まって……」

 

 困惑する俺に、ただ穏やかな笑みだけが返ってくる。

 

 そして「さて」とひとつ話を切った元帥が、大佐やルーク達をぐるりと見回し、空気を軍人のものに切り替えた。俺も自然と背筋が伸びる。

 

「またえらいことになっとるの。セントビナー駐留軍も最低限の警備を残して、兵を向かわせる手はずを急ぎ整えておるが」

 

 静かに眼鏡を押し上げた大佐がそれに頷く。

 

「ええ、よろしくお願いします。しかし今日の我々はまた別件でして」

 

「ほう?」

 

「あっ! そういえば元帥にお土産があるんですけど、」

 

「あなた空気の読まなさが陛下に似てきましたねぇ」

 

 うきうきと荷物袋を降ろそうとしかけた体勢のまま固まって身を震わせる。すみませんお土産のこと思い出したら嬉しくなってつい。

 冷や汗を浮かべつつかえりみると、大佐はチーグルを追い払うように手を振りながら、いつもの笑みを浮かべた。

 

「ああ。もういいのでそのまま続けてついでに説明もしてください」

 

 はい、と冷や汗の名残もそのままに返事をする。ちなみに説明役を逃れたガイはちょっと嬉しそうだった。しまった。絶対ガイのほうが説明上手いのに。

 

 とりあえずお土産を元帥に渡したらすごく喜んでくれて、締まりなく照れ笑いをしていると後方で大佐が細長ーく息をつく音が聞こえた。

 だが振り返ろうとした瞬間に、説明、と一単語で促され、半ば条件反射のように背筋を伸ばし元帥に向き直る。

 

 そして道中で大佐から聞いた触媒の名前を思い起こそうと頭をひねった。

 確か陛下のところで借りたのが聖剣ロスト、セレ、スティ……だから、えーと。

 

「あの、ま、魔槍? ブラッド……ペイン? っていうのを」

 

「はい心底不安そうに言わない」

 

「ハイ振り返って確認しな~い」

 

 輝く笑顔のジェイドさんと、半眼かつ半笑いのアニスさんからの流れるような教育的指導にびくりと肩を揺らし、急いで顔の向きを正面に戻した。

 

「そっ、それをちょっとの間だけ貸してもらいたいんです!」

 

「魔槍ブラッドペインじゃと? どうしてまたそんなものを」

 

「えぇええとぉ」

 

 どこからどこまで話せばいいものだろう、と事の起こりから記憶を探る。

 

 メジオラ高原でルーク達が拾った剣。トリトハイムさん。惑星譜術と触媒。

 それで。

 

 『ゲルダ・ネビリム響士だ』

 

「――…………」

 

「いやなんか惑星譜術っていうすごそうな譜術使うのにいるそうなんだけど! それがそうらしいそうなんだよ!! な! リック!?」

 

「え!? あ、そ、そうそうそうなんですよ! なぁルーク!」

 

 怒涛のごとくまくしたてながらバシバシと肩を叩いてきたルークに、はっとして俺も勢いで話を合わせ引きつる笑みを浮かべた。ついでにルークに目で平謝りする。ごめん俺また表情消えてたんだな。

 多分後ろにいるみんなにはこっちの顔まで見えなかったはずだが、それにしてもバカ正直にも程があるだろうと自分の表情筋を内心で罵る。

 

 目の前にいる相手はさすがにごまかせなかったろうと、恐る恐る様子を窺ったが、元帥はどうやら違うことに気を取られていたようだった。

 

 惑星譜術の触媒と聞き、それならいいが、と神妙な様子で呟いている。

 

「何か引っかかることでもあるんですか?」

 

 その歯切れの悪さをやはり不思議に思ったらしいティアさんの問いかけを受けて、少し考えるような沈黙の後、元帥は静かに口を開いた。

 

 譜術士連続死傷事件。

 

 俺も前に何かの資料で見た記憶があった。まるで魔物だったと、元帥は語る。

 次々と譜術士を襲い、討伐に乗り出したマルクト軍の一個中隊を壊滅させた。犯人は、たった一人の譜術士だったという。

 

 そして元帥はマクガヴァン家が保有する例のふたつの触媒を使って、その譜術士をどこかへ封じたそうなのだ。

 封じるしか手が無いほど、そのひとは強かったんだろう。……世の中にはまだまだ怖そうな人がいるんだなぁ。

 

「まあとにかく、危険な武器じゃから扱いには気をつけるんじゃぞ」

 

「じゃあ貸してくれるんだな?」

 

 表情を明るくして訊ねたルーク。だが元帥はそこで、少し首を傾げた。

 

「ただ、あれはもう息子のグレンに譲ったものでなぁ」

 

 その言葉を聞き、今度は自覚して眉根を寄せた俺に、アニスさんが「あーあ」とばかり苦笑を浮かべたのが見えた。

 

 

 

 グレン将軍は今、市街地の視察に出ているという。

 

 戻るのをずっと軍基地で待っているのも何だし、息抜きやら買出しやらも兼ねて、グレン将軍を探しにみんなでセントビナーの街並みへ繰り出した。

 

 各々わりと好きなようにばらけて歩く中、俺はいつもどおり大佐のナナメ後ろあたりの位置を維持しながら、ぐるりとセントビナーを見渡した。

 立て続く世界の危機にも負けず、着実に生活を取り戻していく街の姿は、見ているほうもなんだか明るい気持ちにさせてくれる。

 

 こんなふうにゆっくりとセントビナーを回るのは久しぶりな気がした。

 この間は、まぁ、それどころではなかったから。

 

 柔らかな銀色が脳裏をよぎる。

 

「そういえば、これはただの独り言なんですが」

 

 歩調を緩ませかけた俺の耳に届いた呟きに、はたと顔を上げる。

 そこで少し離れてしまった青い軍服の背中を見つけ、すぐに足取りを速め、隣……よりやや後ろに並んだ。

 

「ジェイドさん?」

 

 レンズ越しの赤い瞳を覗き込むと、真っ直ぐに前を見据えたまま、大佐は少しだけ口の端を上げた。

 

「カシムは今、セントビナーに住んでいるそうですよ」

 

 その言葉に思わず目を見開く。

 妙なばつの悪さを感じつつ、俺は半眼でそろりと視線をそらした。

 

 

 



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Act73.2 - 捜索依頼ふたたび

ルーク視点


 

 

 復旧が進む街の中、数人の兵と共に壊れた橋の様子を見ていたグレン将軍は、こちらの姿に気付くと心底面倒なものを見つけてしまったというように顔を顰めた。

 

 かと思えば隣に立つリックも、ネビリムさんの話をしている時とはまた違った珍しい不機嫌顔だ。表情に反し、体はきっちり敬礼姿勢をとっているのが奴らしいが。

 

 あれ、もしかしてこの二人、あんまり仲良くないのか。

 

 今更ながらそんなことに気付いて、ルークはさほど昔でない記憶を探る。

 だがセントビナーに来るときは何だかんだと余裕がないことが多くて、リックがどんな様子でいたのか、いまいち覚えていなかった。

 

 グレン将軍がいくつか指示をとばすと、揃った敬礼をみせてから周囲の兵が散開する。

 そしてひとつ息をついてからこちらに向き直ったグレン将軍が眉根を寄せながら発しかけた言葉は、「あ」とルークの隣でふいに上がった声に遮られた。

 

 殊更 眉間の皺を深くして睨み下ろすグレン将軍もなんのその、マイペースに荷物を探ったリックがやがて取り出してきたものに、仲間達はそれぞれ苦笑やら溜息やらを零した。

 

「……なんだコレは」

 

 グレン将軍はそれを見て寸の間 固まった後、小さく聞き返した。

 うん、まあ、普通そういう反応になるだろう。

 

 だがリックは至って平然と(むしろ誇らしげに)それらを掲げる。

 

「差し入れのオタオタぬいぐるみとグランコクマ団子エビアップル味です」

 

「いらん」

 

「ちょ、何でですか! 元帥は喜んで受け取ってくれましたよ!?」

 

「よその基地へ勝手に妙なものを増やすな!!」

 

 つい先ほど訪ねたマクガヴァン元帥のところでも同じようにその二品を渡していた光景を思い出し、ルークも力なく笑みを零す。

 

 確かにマクガヴァンさんは本当に喜んで受け取ってくれていたけど、それはあくまでもマクガヴァンさんだからだ。孫がくれたどんぐりを微笑ましく取っておく祖父の心意気だ。

 

 というかなんでグレン将軍も同じチョイスで行けると思ったんだアイツ。

 まぁ仲良くないはずの相手にも、しっかり差し入れ持ってくる辺りは本当にらしいと思うが。

 

 ひとしきり言い合った後どうやら根負けしたらしいグレン将軍は、オタオタぬいぐるみとグランコクマ団子エビアップル味を腕に抱え、疲れたように話を戻した。

 

「それで、何の用だ?」

 

「あ、えーと。ちょっと魔槍ブラッドペインを貸してもらいたいんだ」

 

 宥めるようにリックの背を叩きながら、ルークは若干忘れかけていた本題を口にする。マクガヴァン元帥にはすでに話を通してある、とジェイドが言葉を添えた。

 

 すると一瞬渋い顔をつくりかけたグレン将軍は、はたと思い直すように口を引き結ぶ。

 そうして彼は不本意そうながらも、どことなく困り果てた様子で、「それならば」と息を吐いた。

 

「貸すのは構わないが、代わりにひとつ頼みごとを引きうけてほしい」

 

「頼みごと、ですか?」

 

 ティアの問いにグレン将軍は周囲をちらりと窺ってから、少し抑えた声で答える。

 

「実は先日、父が飼っていたブウサギが散歩中に逃げ出してしまったんだ」

 

「アウグストがですかっっ!!?」

 

「うわ、食いついた」

 

 勢いよく身を乗り出したリックの姿にアニスが半眼で呟く。

 詰め寄られたグレン将軍は心身共に若干引き気味になりつつも、深く頷いた。

 

「ああ。しかも街の外に出て行ってしまってな。幸い、父にはまだばれていないが……」

 

 アウグストというそのブウサギは、現在ルーク達が所持している聖剣ロストセレスティをピオニー陛下に献上したとき、代わりに頂いたのだという。

 ただペットが脱走したという話にしてはグレン将軍がやけに気を揉んでいると思ったらそういうわけか。

 

 ひとり納得するルークの隣で、リックがいつになく深刻そうな顔で自分の服の胸元を握り締めた。

 

「そんな、まさか、街の外なんて……」

 

「な、なんかまずいのか?」

 

 その雰囲気に押されてこちらも少し焦りを覚えながら問い掛ける。

 物憂げに眉を顰めたリックは、己の記憶に思いを馳せるように、その揺れる瞳を細めた。

 

「アウグストはお散歩好きで好奇心旺盛だけど、ちょっとドジっ子なんです」

 

「ドジっ子」

 

「あまり運動神経が良くないんだ」

 

 視線で説明を求めたアニスにグレン将軍が淡々と解説を加える。

 そんな二人の会話にも気付かず「一匹で街の外になんて出たらどうなるか!」と嘆くリック。どうでもいいけどアイツさっきから整った顔の無駄遣いっぷりが半端じゃない。

 

 グレン将軍がひとつ咳払いを零す。

 

「……その上、どうやら外で魔物の血が目覚めてしまったらしくてな。街にも近寄ろうとしないので、捕獲が難しい」

 

 ましてやマクガヴァン元帥に内密に事を運ばなければならないとなると余計だ。あまり人を動かすわけにもいかない。

 

 そこまで話を聞いたところで、ルークはひくりと口の端を引きつらせた。

 だからまあ要するに、そういうことだ。

 

「ブラッドペインを貸してくれる代わりに、俺達にそのブウサギを捜せって?」

 

「うむ」

 

「またブウサギかよ……」

 

 隣で肩を落としたガイが手の平で顔を覆う。自分達はそのうちブウサギ捜しの達人になれるんじゃないだろうか。

 この短期間に二度目となる捜索依頼に脱力しつつも、それで大事な家宝を貸してもらえるならいいかと腹を決める。

 

 振り返って視線を交わした皆からも、まあやってみようか、という苦笑が返ってきた。ちなみにルーク達のそんなやりとりの横では、ジェイドが無言でリックの背を蹴り飛ばしていた。

 

 引きうけることを伝えると、グレン将軍は相変わらず厳しい顔つきながらも、どことなくほっとしたように敬礼をする。

 

「アウグストは赤いリボンをつけているから、見ればそうと分かるはずだ。頼んだぞ」

 

 

 

 まだ視察が終わっていないというグレン将軍とはあの場で別れ、先ほど辿ったセントビナーの道のりをそのまま戻りながら、ルークは溜息をついた。

 

「捜すとは言ったものの、本当に見つかんのかな~」

 

 前回の宮殿内に限定されたブウサギ捜しですらそれなりに手こずったのだ。

 それが今度は街の外。捜索範囲は無限大。……ちょっと言い過ぎか。

 

 すると隣を歩いていたリックが、先ほどジェイドに蹴られたらしい場所をさすりながら苦笑した。

 

「まあまあ。きっとすぐ見つかるよ、みんながいるんだし」

 

 ルークはそこで、ふと、足を止めた。

 気付いたリックが数歩先で立ち止まり、こちらを振り返る。

 

「……そーだな、みんないるよな」

 

「? うんうん。みんながいるもんな」

 

 不思議そうに首を傾げながらも、笑って頷いたリックの顔を見据え、言葉を返そうと開きかけた口をすぐに閉じた。

 確かに言いたいことがあるはずなのに、うまく纏まらない。

 

 そうこうしているうちに、買い足す道具の確認をしていたアニス達に呼ばれたリックが、荷物袋と共に前のほうへ駆けていってしまう。

 

 その背を眺め、未だ形にならない妙な違和感に眉を顰めていると、いつのまにか傍に来ていたガイにぽんと肩を叩かれた。

 リックとのやりとりを見ていたのだろう、ゆったりと笑みを浮かべたガイが首を傾げる。

 

「どうした?」

 

「いや、なんか……」

 

 がしがしと頭をかく。正直自分でもよく分からない。

 なんでもないはずの会話に、違和感を覚えた。少し前なら気にも留めなかったはずの、音の中に。

 

「なんか、な」

 

 先ほどの響きを思いだして、ルークは不満げに顔を顰めた。

 

 

 だって、“みんながいる”なんて。

 

 あいつが、まるでそこに自分は含まれてないみたいに、言うものだから。

 

 

 




べつに今に始まった話じゃなくてリックの物言いはずっと“そう”だったのを、“ルークが”聞き流せなくなったというだけの変化。



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Act74 - 森をかけるブウサギ(前)

ガイ視点


 

 

 身をかがめて草むらを覗きこんでいたガイは、その奥になんの気配も察せられないことを確認して、ひとつ息をついた。立ち上がって腰を伸ばすついでに周囲を見回す。

 

 鬱蒼とした、というほどでもないが、中々根気の入った樹木が生い茂る、セントビナーから程近い森の中。

 魔物にもテリトリーというものがあるので、外に飛び出したからとそうそう行動範囲は広げられないだろう、というなんだか魔物博士と化しつつあるリックの言葉により、手始めにこの森を捜索することになった。

 

「みんな、あんまり遠くに行くなよ!」

 

 このあたりにはさほど強い魔物はいないはずだが、念のためお互いの声が届く範囲以上には離れないことにしてある。

 

 そう声をかけるとどこかから「はぁいガイ先生~!」とからかい調子のアニスの声が聞こえた。

 「ハーイ先生~」と続いて上がった語尾にハートマークでも付いてそうな悪ノリ三十五歳の返事に遠い目になりながらも、あちこちから全員の返事が聞こえてきたことにとりあえず安堵する。

 

 ああ、いや、全員ではなかったか。

 

 上がらなかった約一名の声の主をちらりと見やった。

 すぐ傍の草むらの隙間から覗く、鮮やかな赤い髪。

 

 きっと先ほどから続いているのだろう考え事で、頭がいっぱいなのに違いない。

 思わず小さく笑ってから草むらをかきわけ、そこで眉間にしわを寄せながら、なぜか草むしりをしているルークの隣に屈み込んだ。

 

「で、リックがどうしたって?」

 

「うわぁっ!!」

 

 面白いくらい驚いたルークが、目を丸くしてこちらを凝視する。

 そして思考に没頭していた自分に気づいたか、ばつが悪そうに頬をかいた。

 

「……や、まだなんか、うまく言えねーんだけど」

 

「ははっ。そんなの気にするなよ、うまく言えることのほうが少ないんだから」

 

「なぁガイってたまにひどくね?」

 

 肩を落として じとりと半眼になったルークに、慌てて「いやそれがお前の良い所でもあるぞ!」と力強く付け足した。

 必死に慰めようとするガイの姿に、ルークは冗談だよと苦笑を浮かべてから、纏まらぬままの素直な言葉をぽつぽつと落とし始める。

 

「アイツさ。“仲間”って言わないよな」

 

「そう、だったか?」

 

 首を傾げて、リックの言動を思い返してみる。

 だがそれはガイでさえ、言われてみればそんな気もするが、という程度の意識しかなかった。

 

「“みんな”って言うときも、なんか、他人事みたいで」

 

 どこか、拗ねたような声が耳に届く。

 ここ最近はとんと聞くことが少なくなっていたその響きに、ちらりと横を窺い見る。

 

 その先で予想通り不満そうな顔をしていたルークが、がしがしと髪をかきまわした。

 

「別にあえて言うようなことじゃないのは分かってんだけど、あー、ちくしょ、なんつーのかな~!」

 

「うんうん。大体伝わってるから落ち着け落ち着け」

 

 脳が情報処理の限界を訴え始めたらしいルークに苦笑しつつ、ガイもあらためて思考を巡らせる。

 

 まあ、クセの強いメンツだ。仲間という言葉を改めて口にする機会は元より少ない。

 だが友達だ恋愛だと何かにつけては明るくはしゃぎまわるあの男がその単語を口にしないというのは、確かに不自然なことかもしれない。

 

「……アイツが俺達のことを仲間だと思ってないとか、そんなんじゃないってのは分かるんだ」

 

 己が覚えた違和感の輪郭をなぞろうとするように、ふと目を細めたルークが呟く。

 

「むしろ、」

 

 そうして何事か続けかけたが、その先はまだうまく纏まっていないのか、代わりとばかりに押しだされた小さな溜息。

 じっと地面を睨むルークから静かにそらした目を伏せて、微笑んだ。

 

「それだけ分かってりゃ充分だろ」

 

 ルークが感じている思いを表現する言葉を、ガイはおそらく持っている。

 

 だが、それは他人の口から伝えられるものではなく、自分で見つけ出すものだということも、知っていたから。

 それ以上、何も言わずにまた笑みを深くしながら瞼を押し上げた。

 

 そしてルークのほうへ視線を滑らせて、固まる。

 

 丸くてでかいシルエット。つぶらな黒の両眼。真っ赤なリボン。

 

「ガイ?」

 

 不思議そうにこちらを向いたルークにはやはり何も言わずに、というか言えずに、ガイはそっとルークの隣を指差した。

 

「は? 何……」

 

 示されるまま振り返ったルークが、ギシリと動きを止める。

 

 荒々しく地面に打ち付けられるヒヅメ。

 ぶひ、と響くは何やら剣呑な色を帯びた声。

 

 双方見つめあったまま、経過したのは十秒か、二十秒か。

 

「居たぁーーーーっ!!」

 

「ルーク! た、立て! かわせ! 急いで!」

 

 アウグストらしきブウサギを指差して叫ぶルークの首根っこを掴んで引っ張る。

 直後、丸い巨体が鋭い風を残しながら今までルークのいた場所を通り過ぎた。

 

 そして直線上にあった木に勢いそのままの突進を仕掛ける。

 ごづん、と鈍い音のあと、大木がぐらぐらと揺れて木の葉をちらした。

 

 二人で呆然とその光景を眺める。

 

 大したダメージもなさそうに軽く頭を振ったアウグスト(仮)が、つぶらな目を吊り上げてこちらを睨んだ。

 口の端を引きつらせ、立ち上がったルークと共に後ずさる。

 

「お、おい、ガイ。本当にアイツなのかよ!?」

 

「いや、確かに赤いリボンをつけちゃいるが……」

 

 今目の前で鼻息荒くヒヅメを打ちつけている姿は、野生のブウサギ以上の迫力だ。

 どうにも自信を持てないでいるうちに、騒ぎを聞きつけた仲間達が集まってくる。

 

「おや、見つけましたか」

 

 最後に悠々と歩いてきたジェイドの後ろから顔をのぞかせたリックは、騒ぎの中心となっている赤いリボンのブウサギを見て ぱっと表情を輝かせた。

 

「アウグスト! こんなところに!」

 

 その言葉にルークと顔を見合わせる。

 やっぱりこれがそうなのか。頬を冷えた汗が伝った。

 

 そして意気揚々と近寄ろうとしたリックを諌め、よく見てみろと促す。

 アウグスト(確定)は ぎらりとした目でリックを睨んで、ひときわ強くヒヅメを打ちならした。

 

 するとリックが雷にうたれたように数歩後ろへよろめく。

 口元を手で覆い、うすく涙を滲ませた目を細めた。

 

「アウグスト、なんて、凛々しい顔つきになって……! やっぱり冒険は子供を大人にするんですね……大事に育てるばかりじゃダメなんだなぁ……」

 

「ちょっ、成長を噛みしめてる場合じゃないってばリック!」

 

「あれ見ろ! 荒武者の眼光だぞ!?」

 

 アニスと二人で左右から必死に訴えるも、感動に浸っていて気付く様子のないリック。

 

 その姿が、突如視界から消えた。

 

 そして次の瞬間。

 リックがいたはずの場所を、アウグストが疾風のように走り抜けていく。

 

「うわっ」

 

 腕をかざして土煙から目を守りながら視線をめぐらせれば、離れた草むらからリックの足が突き出ていた。とりあえず無事らしい。ルークが慌てて救出に向かっている。

 

「すごい勢いですねぇ」

 

 走り抜けていったアウグストの背を眺め、ジェイドが涼しい顔で呟いた。

 どうやらリックはジェイドに蹴り飛ばされたようだ。ブウサギに轢かれるのと、軍仕込みの蹴りで二メートル少々吹っ飛ばされるのと、一体どちらがマシなのかはガイには分からなかったが。

 

 思わずアウグストの背を見送りかけていたナタリアが、はっと表情を引き締める。

 

「そうですわ、追わなくては!」

 

「……そ、そうね!」

 

 有言実行と駆けだしたナタリア。

 なにやらうっとりと頬を染めていたティアもまた、我に返って地を蹴った。

 

「ルーク……お、お花畑で、ユリアさまと銀色の髪のお姉さんがカレー作ってたよ……?」

 

「リック! しっかり!!」

 

 そして草むらに突っこんだまま目を回していたリックが、ルークに引っ張り出されて意識を取り戻す。うん、取り戻したはずだ、多分。

 

 ジェイドはその様子をちらりと窺って、「さて、我々も行きましょうか」と肩をすくめた。

 

 




走り去るアウグストのぷいぷい揺れるおしりと尻尾の可愛さにうっとりしていたティアさんです。


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Act74.2 - 森をかけるブウサギ(中)

ガイ視点


 

 

 普段なら、木々や魔物が息づく微かな気配のほかは静謐な空気に満ちているのだろう、この森の一角は、今。

 

「そっち行ったぞナタリアッ!」

 

「逃がしませんわ!」

 

「アウグストぉお~~っ!!」

 

 ……ひたすらに騒々しいざわめきに満ちていた。

 駆けまわる王族二人と兵士一人を眺めながら、ガイはひとつ苦笑を零す。

 

 発見から はや数十分。標的は想像以上に手ごわかった。

 

 アウグストはこちらを試すように、一定の範囲内で、付かず離れずの距離を保ちながらずっと逃げ回っている。

 しかも逃げ一辺倒かと油断をすれば、弾丸と見まごうような容赦のない突進に襲われるのだ。

 

 ナタリアとルークの間を華麗にすり抜けて、その先で威風堂々と胸を張るアウグストの姿に思わず目が遠くなる。あれは人間でいうところの仁王立ちだろうか。

 

「数多の死線をくぐり抜けてきた老将軍みたいなたたずまいになってるなぁ」

 

「グレン将軍が頭を抱えるわけね……」

 

 少し前から同じようにあの戦いを傍観しているティアも、ガイの呟きを拾って苦笑した。

 そりゃ小規模編成での捕獲を諦めたくもなるだろう。とりあえずドジっ子の称号は返上だ。

 

「……あの、譜歌で眠らせましょうか?」

 

 背後から飛びかかったリックが鋭いヒヅメキックを額にくらって倒れ込んだところで、ティアはこれで幾度目かになる提案を口にする。

 すると髪や服に葉っぱやら何やらを引っかけたままのナタリアとルークが、ぐりっと勢いよく振り返った。

 

「もう少しだけお待ちになってティア! これは私達が、自らの手で為すことに意義があるのです!」

 

「ああ! 俺は絶対にあきらめない!」

 

 この状況じゃなきゃ良いこと言ってんのになぁー。

 心中で零した思いはすぐ再開した追いかけっこの喧騒に紛れて消えた。

 

 そんな二人に「がんばってくださーい」と他人事みたいな声援を掛けているジェイドは、とっくの昔に手頃な木の幹に寄り掛かって見物体勢だ。

 少し前まで頑張っていたアニスも、今はジェイドの隣に座り込み、ぱたぱたと手で自分をあおいでいる。「うは、三人共よくやるなぁ」と半ば呆れたような半眼を向けていた。

 

 まあリックの場合はもはや慣れだろう。普段から数時間に及ぶブウサギとの鬼ごっこを繰り広げている男だ。

 ルークとナタリアはあれでいて負けず嫌いなところがあるし、こうなるとちょっとやそっとじゃ諦めない。

 

 あの三人がアウグストを捕まえるのが先か、心折れてティアに譜歌をお願いするのが先か。

 結論が出るにはまだ掛かりそうだと、走り回る彼らを見てガイはまた苦笑を深めた。

 

 そのままぼんやりと、先ほどのルークとの会話を思い起こす。

 

 仲間、と。

 それだけの言葉を口にしないリックに今まで違和感らしいものを抱かなかったのは、多分、出会ったときからずっと“そう”だったからだ。

 

 確かにこの旅で、ルークと同じようにリックも変わっていった。

 いっそ感心するほど臆病だった一人の男が、世界を見て、人と触れ合って、誰かのために立ち上がる心を知った。

 だが改めて考えてみると、その中でただひとつ(ジェイドに関してを除き)一貫して変わっていないように思える事がある。

 

 リックの、自分に対する評価、だ。

 

 先のルークとの喧嘩。

 その要因の一辺が見込み通りのルークへの劣等感ならば、まったく変化がないわけではないのだろうが……。

 

 薄く眉根を寄せて、目をすがめる。

 

「おやおや、考えごとですか?」

 

「ぅお!?」

 

 突如隣から聞こえてきた からかい調子の声。

 びくりと肩をはねさせて声のしたほうを振り向けば、ジェイドがいつも通りの顔で微笑んでいた。

 毎度のことながら気配がしない男だ。心臓あたりを手で押さえながら横目にジェイドを窺った。

 

 そして少し声量を落とし、呟く。

 

「……ルークがな、言ってたんだよ。リックは仲間って言葉を使わないって」

 

「なるほどなるほど」

 

 わりと神妙なトーンで向けた話題に返ってきた適当すぎる相槌に、ガイはじとりと半眼になって肩を落とした。

 

 ああ、なるほど、あんたは全部お見通しか。

 ちょっとばかり引きつる笑みを零してから深々と溜息をついたガイをちらりと見たジェイドが、小さく笑った。

 

「貴方も難儀な性格ですねぇ。ほっとけばいいじゃないですか、どっちも」

 

「いや、そうは言ってもなぁ……」

 

 思わず渋る言葉を返したガイに、ジェイドはふと口元に乗せた笑みをからかうようなものへ変えた。

 

「きっとガイが思うほど、二人共いつまでも子供のままじゃありませんよ」

 

 それは、いつか己が口にしたのと同じ音。

 ほぼそっくりと返されて、ガイはしばし瞠目した後、くしゃりと笑った。

 

「ははっ。俺もまだまだ過保護のばか親か」

 

「まぁ甘やかすのは貴方の役目ですから、いいんじゃないですか?」

 

「そりゃどうも」

 

 くつくつと込み上げる笑いを喉の奥で噛み殺しながら、今も繰り広げられているアウグストとの攻防戦に視線を戻した。

 

 するとルークが単独で目標を追っている構図に、おやと目を丸くする。

 いつのまにやら、他の二人の姿が見えない。ヒヅメキックに倒れたリックをナタリアが介抱しているのだろうか。

 

 しばらく逃げ続けていたアウグストが、そこで鋭くブレーキを掛けて身をひるがえした。また突進を仕掛けるつもりらしい。

 だがそんなアウグストを見て、ルークがにやりと口の端を上げた。

 

「今だ!」

 

 その声に呼応して、ルークの正面、アウグストの背後の草むらが揺れる。

 

「アウグストっ! そろそろお家に戻らないとみんな心配するだろ!」

 

「今度こそ観念してもらいますわよ!」

 

 いつから潜んでいたのか、そこで颯爽と立ちあがったのは、額に未だくっきりとヒヅメの跡を残したまま、凛々しい顔で拳を握るリック。

 続いて、アウグストを中心に三角形を作りあげるような位置の草むらから、王女の威厳と輝きを放ちつつナタリアが立ちあがる。

 しかし二人揃って持ち前の資質の使いどころを明らかに間違えているのが少々気がかりだ。

 

 今じゃない、それ今じゃないだろうとぶつぶつ呟くガイの隣で、三人の布陣を見たジェイドが、単純だが効率のいい方法だと口の端を上げて笑う。

 

 アウグストを中心にした三方向へ陣取る形。

 このままアウグストが動きを止めるなら、三人掛かりで捕獲。誰かに突進をしようとアウグストが走り出したとしても、背にする位置にいる誰かが捕獲することが出来る。

 

 なるほど。勝率の高い手段だ。

 とりあえず自分達の手で捕まえられればルークやナタリアは満足するだろうから、後は振り払われる前にティアに譜歌で眠らせてもらえばいいだろう。

 

 さすがに戸惑った様子で耳を揺らしているアウグストを前に、ルークが勝ち誇った笑みを浮かべて声を上げる。

 

「どうだ見たか! 俺達のチームプレイ!」

 

 さりげなく“俺達”と“チーム”を強調したルークだったが、何ひとつとして気付いた様子のないリックから輝く瞳で「すごいやルーク!」とてんで狙い外れの声援を送られていた。

 これはもう、ルークには根気よく頑張ってもらうしかないだろう。なにせ相手は大ベテランだ。何のとは言わないが。

 

 三人と一匹が、しばしの間 無言で睨みあった。

 

 そして、先に動きを見せたのはアウグストだ。

 意を決したようにルークのほうへ視線を定め、ヒヅメを強く地に打ち付けた。一か八か、ルークの横を抜けることにしたらしい。

 

 アウグストが地面を蹴ったのを見計らい、ルークが叫ぶ。

 

「今だ、リック!!」

 

「ああ!」

 

 丸い背に飛びかかろうと駆けだしたリック。

 その勢いのいい出足が、すかん、と硬質な音を立てて何かに引っ掛かった。

 

 次の瞬間。誰からともなく「あ」と声が零れる。

 目から入ってくる映像が妙にゆっくりと流れて見えた。

 

 軽く宙を舞ったリックの体は、直前までの勢いも相まって転がるように前方へと吹っ飛び、アウグストの横をすり抜けて、目を丸くしたまま固まっていたルークを巻き込んで――――。

 

 三秒後、周囲に響き渡った騒音と悲鳴に、ガイは思わず顔を押さえて空を仰いだ。

 

 

 



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Act74.3 - 森をかけるブウサギ(後)

ガイ視点


 

 

「……テメェこらリックーーー!!」

 

「ごめんルーク! ほんとゴメン!!」

 

 二人が地面に転がったまま騒いでいるうちに、アウグストはまた一定の距離をとって仁王立ち(?)でこちらの様子を窺っている。

 そこに小さく苦笑しながら歩み寄っていったティアは、二人の傷の具合をみてやりながらリックを見て首を傾げた。

 

「どうしたの? つまずいたように見えたけど……」

 

「あ、そうなんですよ。何か固いものに足が引っ掛かったみたいで」

 

 木の根や石の感触ではなかった気がするんですが。

 

 不思議そうに言って立ち上がると、先ほど自分がつまずいた辺りの草むらを覗き込んだリックが目を丸くする。

 

「あれ?」

 

「なんだ、なんかあったのか?」

 

 後頭部をさすりながら立ち上がったルークが隣から覗き込み、あれ、と同じような声をあげたのが聞こえたが、こちらからはあまり様子が分からない。

 どうかしたかと問い掛ければ、リックはかしかしと頭をかきながら、今度はこちらに見えるように生い茂る草をかき分けた。

 

「……剣?」

 

 葉の隙間から ちらつく鈍い光。

 そこには、独特な造形をした一振りの剣らしきものが、ひっそりと突き立てられていた。

 

「まあ。どうしてこんなところに剣が」

 

 ナタリアが頬に手を添えて首を傾げる。

 

 何もここは未開の地というわけじゃない、冒険者も盗賊も通るはずだ。

 だが、きっと、そんな人間達が打ち捨てていったものではないのだろう。漠然とそんなことを思わせる、妙な存在感のようなものがその剣にはあった。

 

 しばらくまじまじと地に刺さった剣を眺めていたかと思うと、すごいことに気付いたように瞳を輝かせたリックが手の平にポンと拳をうちつけた。

 

「もしかしてコレ、惑星譜術の触媒だったりしませんか!?」

 

「はぁ? なんでだよ」

 

「だって六つの武器のうち、元々は二つもマクガヴァン元帥のところにあったんだし、もうひとつくらい近くにあっても良さそうな気がしないか!」

 

「そ、そう言われると、何となくそんな気もしてくるな……」

 

 正直なにも根拠にはなってないはずだが、嬉しげなリックの勢いにほだされたらしいルークが納得顔で頷いている。

 

 まあこれはこれで微笑ましい光景だろうかと釣られて絆されかけたガイは、ふと、先ほどからジェイドが沈黙を守っていることに気が付いた。

 いつもならこのへんで、ライフワークに近い嫌味のひとつも飛ばしていただろうに。

 

「旦那?」

 

 かえりみると、ジェイドは思案げに眉根を寄せていた。

 

「妙ですね」

 

「リックがか」

 

「いつもどおりは妙とは言いませんよ。あの剣のことです。とりあえず共鳴が起きていないので触媒ではないんですが」

 

「それを早く言ってやれ!!」

 

 言うものの、ついあの二人に届かないように声を抑えてジェイドに詰め寄ったガイに、この会話が聞こえていたらしいアニスが、ばか親だなぁ、と呆れ混じりの半眼で呟いたのが分かった。いや、でも、あの喜びようを見れば自然とこうなるだろう。

 

 しかしジェイドはこちらを見ることなく、静かに目を眇めた。

 

「……異様な音素が」

 

 ぽつりと落とされた、呟き。嫌な予感が皮膚をかすめる。

 

「とりあえずちゃんと見てみようか」

 

 そのとき耳に届いた声に、ガイは急いでルークたちを振り返った。

 するとリックはあの剣の柄をしっかりと掴み、今まさに引き抜こうとしているところだった。

 

 少し離れたところでなりゆきを見守っていたティアの剣を見つめる眼差しが、ジェイドと同じく訝しげに揺らいでいるのに気付けば、いよいよ胸の内に奇妙な焦りが生まれる。

 

「――リック!! ちょっと待っ、」

 

「え?」

 

 駆け寄ろうと踏み出した足が第一歩目で固まった。

 掛けられた声に反応して振り返った拍子のこと。それはさくりと軽い音をたてて、呆気なく抜けた。

 

 あっさりと、リックの手におさまった剣。

 

 ジェイドが頭痛を堪えるようにこめかみに手を添えたのが視界の端に映った。

 いや、でも、何事もなさそうだし取り越し苦労だっただろうかと、少し楽観的に考えたガイをあざ笑うがごとく、事態は動き出す。

 

 ちりりと首筋を焼く嫌な気配を感じたと思った、その時。

 

「リック、剣を離しなさい!!」

 

 ふいに表情を険しくして声を荒げたジェイドが、コンタミネーションで槍を取り出す。

 リックは指示が届くと同時に、ほぼ無意識だろう、いつもながら見事な条件反射で剣を投げ捨てていた。

 

 皆から少し離れた位置に斜めに突き刺さった刀身が軋んだ音を立てて揺れる。

 

 その揺れが、不自然に止んだ。

 

≪――――我は妄執。叶わぬ願いに捕らわれ彷徨う御霊≫

 

 明確な“音”ではない。

 どこか身の内の一番深いとこから響いてくるようなそれは、しかし確かに“言葉”だった。

 

 刀身から溢れだした黒い霧が、見る間に形をとって大きく膨れ上がっていく。

 頭上に広がる木々が みしみしと悲鳴を上げる音。

 

 空を仰ぐように巨大な影を見上げたガイは、ひくりと口元を引きつらせた。

 近くでアニスが呆然と「……マジでぇ?」と呟いたのが聞こえる。

 

 本当に、マジかよ。

 思わず心中で繰り返した。

 

≪汝は我が望む、我を断ち切る剣たり得る者達か?≫

 

 魔物とも、人型ともつかないまた別の強大な異形へと変貌を遂げた、先ほどまで剣であったはずの その“何か”は、静かにこちらを見下ろす。

 腕か、はたまた触角と呼ぶべきなのか、形状の違ういくつもの剣を持ったそれらが重々しく頭をもたげていく。

 

 どう考えても、話し合いで、などという穏やかな流れじゃない空気の中。

 

 きっちりとした戦闘態勢はそのままに遠い目をしたジェイドが、乾いた笑みで涙を滴らせているリックに向けて、ぽつりと呟いた。

 

「あなた本当にいらんことしかしませんねぇ」

 

「オレも今、心の底からそう思ってたとこです」

 

 

 




▼ソードダンサーが あらわれた!
▼リックは 『いらんことしい』の称号を 手にいれた!!


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Act74.4 - 一難去る前にまた一難(前)

ルーク視点


 

 

 軋みとも雄叫びともつかない音を上げ、これから戦いが始まるのだと知らしめるがごとくその“何か”が大きく剣で虚空を薙げば、幾本かの樹木が積み木細工のように吹き飛んだのを見届けてから、一応剣を構えてはいるもののどうしようもなく遠い目をしたルークは、傍に立つリックに問い掛けた。

 

「……おい博士、あれ何ていう魔物だよ」

 

「……博士? いやぁ……どの魔物辞典にも軍の資料にも、あんなの載ってなかったけど……」

 

 まあ聞いておいて何だが、当然だろう。

 むしろあんなのが辞典に載るほど当たり前のように生息していてたまるものか。

 

 剣が喋って、黒い霧が出てきて、かと思えばあの姿。

 ジェイドでさえ何も言わないところを見るとコレは、ていうかどう考えてもアレは。

 

 一瞬。重い沈黙が横たわる。

 

「っおまえ幽霊とか平気って言ってたじゃん!! なんとかしろよ!」

 

「オオオオオバケは見えないから平気なんだって言っただろ!? あれ明らかに目に見える危機だよ!!!」

 

「ふたりともっ! そんなことより! めのまえの戦闘にしゅうちゅうしてっ!!」

 

 なぜか目尻に涙を滲ませたティアに、そこはかとなく覚束ない呂律でもって怒られ、そのいつにない勢いに二人で慌てて謝りながらそちらへ向き直ったところで、ひくりと口元が引きつった。

 

 まさに集中していなかった罰が当たったのか、いやこれから当たるのか。

 気付けば目前には、剣を携えた“何か”の腕、そのうちの一本が、自分達に向かって振り下ろされようとしている光景があった。

 

 すっかり警戒を解いてしまっていたこちらの剣はだらりと地に落ちている。すでにどうするにも間に合わない状況になっていた。

 というかあれズルくないか。こっちにはどこが正面かも良く分からないのに、攻撃は全方位なんて、死角の捜しようがないだろう。

 

 そんな現実逃避に走っている間に剣身が鋭く空気を裂く音が耳に届き、さっと息をのんだ。

 

「おいおい、よそ見してる余裕はないだろ、っと!」

 

「ほんとほんとぉ!」

 

 刃が細木のように自分達を薙ぎ払う直前。

 

 跳び込んできたガイが素早くルークの首根っこを掴み、同時にアニスを乗せたトクナガがリックを小脇に抱え上げて、勢いそのままに、こちらからしてみれば後方へと跳び退った。

 

 斬撃の風圧が鼻先をかすめたような気がして、ルークはひやりと肝を冷やす。

 危うく二人揃って真っ二つにされるところだ。しかもあんな言い合いが原因で。

 

 ナタリアが弓で奴の気をそらしてくれたのを確認してから手を離したガイが、ぽんとルークの肩を叩いて「油断するなよ?」と微笑む。

 ルークは少々気恥ずかしい思いで頬をかいてから、しっかりと剣を持ち直した。

 

「とりあえず、あんまり深く考えないことにしよう! おし、そうするぞ! 行こうリック!!」

 

 色んなことをごまかすためにあえて景気良く声を張りながら、少し後ろにいるはずのリックに語りかける。

 

 だが、いくら待っても返事が戻って来ない。

 不思議に思い振り返ると、そこには剣を正面に構えたまま、小刻みに震えつつ、ひたすら首を横に振るリックの姿があった。

 

 おい、まさか。

 

「……お前ここにきてビビリとか、」

 

「だってアレどう考えても無理だよ勝てっこないよ!! ていうか今 剣が顔すれすれでブワッて! ごわって!!」

 

 リックの両目からそれこそブワッと涙が溢れかえる。

 何だコレ。いや、少し懐かしいやりとりな気もするが、どう考えても今はその懐かしさを噛み締めていられる状況じゃない。

 

 傍にいたアニスがトクナガの手でぐりぐりとリックの頭を抑えつけながら怒鳴る。

 

「てゆーか何で今さら!? ここ最近はあんまりビビらないですんごいキッチリ戦ってたじゃん! ディストのときとかー!!」

 

「そのときオレどうかしてたんですっ!!」

 

 トクナガの動きに沿ってぐらぐらと頭を揺らしながら、わっと両手で顔を覆って乙女のように泣くリックの背を、苦笑を浮かべたガイが「いやそんな力いっぱい言い切らなくても」と撫でてやっている。

 

 そんな怯え倒す姿を見ているうちに、ふと思いついた。

 

「そうだ、それなら後衛やれよ。譜術覚えたんだろ?」

 

「うわルーク甘っ」

 

「な、何がだよ!!」

 

 提案するや半眼で呟いたアニスの言葉に反射的に言い返してから、ティアの言うとおりとにかく目の前の戦闘に集中しようと身をひるがえした。

 

 途中で肩越しにリックを振り返って声を張る。

 

「援護! 頼んだぞー!」

 

「……っう、うん!!」

 

 どこか呆気にとられていた様子だったリックが、心なしか頬を紅潮させて頷いたのを見届けて、ルークは隣を走るなぜか微笑ましげな顔のガイを怪訝そうに見やってから、共に剣を構えた。

 

 

 

「狂乱せし地霊の宴よ、ロックブレイク!」

 

 リックの術で奴が少し体勢をくずしたところに流影打を加えたアニスは、相手が間もなく立て直したのを見てとり一度大きく距離をとった。

 そして見慣れない後衛位置に立つリックの隣に着地すると、やや据わった目でギッと睨みつける。

 

「リック~! ほかに何かドカーンとアイツを倒せる譜術ないの!?」

 

「そ、そういうのは大佐の担当でお願いします!」

 

 アニスも本気でリックにそんな芸当を望んでいるわけではなく、ただ普通の生き物と違って息を乱すわけでもない敵(何せ例のアレだ)を相手に、先の見えない戦闘を続けるストレスの発散ついでに怒鳴っただけのようだが、返ってきた即答に片眉をあげて首を傾げた。

 

「でもロックブレイクだけーってわけじゃないでしょ?」

 

「まぁ、あとひとつだけ、ある事はあるんですけど……」

 

 視線を泳がせたリックが空笑いで頬をかく。

 そういえばロックブレイク以外の術を使っているのはまだ見たことがない。

 

「ほえ? じゃあそれも使えばいいじゃん」

 

「いや、でもそれ上級譜術で、オレにはまだ難しいっていうか、どうにもこうにも、練習をもうちょっと、なんというか」

 

「いいからぐだぐだ言ってないでやってみなさい。でないとどれだけ経っても出来るようになるわけないでしょう」

 

 どこから聞いていたのか、少し離れたところからでもしっかりと届くジェイドの声が、ためらう言葉をぴしゃりと遮って告げる。

 

 とっさに姿勢を正したリックが横目でそろりとジェイドを窺った。

 手にしていた槍の柄を肩にあてたジェイドが、それはそれは整った笑顔を浮かべる。

 

「駄目で元々です。自主練習中に術を暴発させてテオルの森から本部に担ぎこまれた人間にはそもそもひとかけらも期待していませんから安心して盛大に失敗してきなさい」

 

「ジェイドさん……もう忘れてやってください……」

 

 はたはたと涙を滴らせつつもとりあえず決心はついたのか、リックは精一杯 眉尻をつりあげて、両手を正面に構えた。

 

「い、いきます」

 

 譜術のことはあまり分からないが、周囲の空気が動くのが何となく感じとれた。

 上級術というだけありその流れも中級術のロックブレイクのときより大きい、ような気がする。

 

「――大地の咆哮、其は怒れる地竜の爪牙!」

 

 差し出した手の先に淡い黄色の譜陣が広がった。

 その光景に、おお、と声が零れる。そういえばリックが術を使うところをまじまじと見るのは初めてかもしれない。

 

 強い視線で奴を見据え、狙いを定めたリックが、深く息を吸いこんだ。

 

 気の波が勢いよく高まっていく。そして。

 

「グラン ごっ、」

 

 ……噛んだ?

 

 



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Act74.5 - 一難去る前にまた一難(後)

ルーク視点


 

 

 ぽひゅんと音が聞こえてきそうな呆気なさで、集まっていた気が散れていく。

 それを確認した後ふと視線を戻せば、リックが地面の上にうずくまっていた。

 

 一応見た目には大の男が、極限に身を縮こめようとしているその図はわりかしシュールだ。だが、まぁ、顔あたりからじわじわと土に浸透していく水分を見れば、その内心は推して知るべしか。

 

 そんなリックを尻目にいつもどおり完璧なサンダーブレードを決めたジェイドが、小ばかにするような笑みと共に肩をすくめた。

 

「詠唱を噛む人が援護なんて出来ませんねぇ。ほら、さっさと剣を抜いてください」

 

「はいぃ~……」

 

 こうなればもう諦めざるを得ないだろう。涙ながらに剣を抜いたリックに苦笑してから、ルークも改めて表情を引き締めた。

 

 すると戦いの場に閃く銀が増えたことを喜ぶように、奴が雄叫びめいた音を立てて、誘うがごとく己の剣で虚空を薙いだ。

 その場にあった木がひとつまた呆気なく倒れたかと思うと、そこから転がるように飛び出してきた影に目が丸くなる。

 

「アウグスト!?」

 

 リックが慌てて名を呼ぶ声が聞こえた。

 

 アウグスト。そうだ、それどころじゃなくてすっかり忘れかけていた。

 おそらくずっと木陰から様子を見ていたのだろうが、突然の事態でさすがに驚いた様子のアウグストが一目散に走り去ろうとする。

 

 だが、奴にとってはもうすでに、視界の中で動くもの全てが“標的”だったらしい。

 剣が大きく振りかぶられるのを見てとり、間に合わない、と心臓をひやりとさせたその瞬間。

 

 何もないところでつまずいたアウグストが、景気良く前方に吹っ飛んだ。

 

 切っ先が尻尾すれすれのところをあえなく空ぶる。

 ドジっ子万歳。全員が心の中でグッと拳を握った。

 

 ごろごろと転がって行ったアウグストがその先で軽く木にぶつかって止まる。

 

 安堵の息をついたのも束の間、木の根元ですっかり目を回しているアウグストに歩み寄った奴が改めて剣を掲げた。

 怪奇現象は相手がブウサギだろうと容赦無しか。頭を抱えたい気分で駈け出そうとしたが、それより早く、双方の間に割り込んだ者がいた。

 

「リック!」

 

 あいつ本当にブウサギとジェイドに関しての行動力は尋常じゃない。

 

 思わず足を止めて感心してしまったものの、すぐに真正面からぶつかり合うことの危険に頭がいく。援護に向かおうと地を蹴るも、一足早く、剣がリックの頭上へ振り落とされる。

 

 金属がぶつかり合う嫌な音が高々と響いた。鈍い色をした火花が、ちかりと光る。

 

「う……~~~っ、りゃあ!!」

 

 普段はどちらかといえば技巧派の剣士であるリックだが、この状況では技術も何もあったものじゃない。めずらしい力技で叩きつけられた強大な刃を受け流した。

 人間相手なら、そこで一旦 距離を取るなりアウグストを逃がすなりする隙も生まれただろう。だが、相手はあくまで、例のアレだった。

 

 剣を持った別の腕が、立て続け様、悪夢のように閃いた。

 

 それに気付いて急ぎ剣を構えなおしたリックを視界にとらえ、ルークはハッとある事に気付く。

 

「おいリック! 剣!!」

 

「え? ……うわぁっ!」

 

 手元を見たリックが顔を青ざめさせて情けない悲鳴をあげた。

 

 断裂剣。

 なんて、技名っぽく纏めてる場合じゃない。

 

 おそらくさっき受け流した瞬間だろう、リックの剣は中程のところで見事に両断されていた。

 まだ短剣としてなら使いようはありそうだったが、正直 長さが違えばそれはまったく別の武器だ。剣士がまさに付け焼刃の短剣使いになったからと太刀打ち出来るような敵でもなかった。

 

 出来たての短剣もどきを手にあわあわと眉尻を下げるリックの隣に滑り込み、向けられた斬撃をどうにか弾く。

 

「ル、ルルルルークッ! 剣が一刀両断で真っ二つに!!」

 

「あぁもうややこしいから一か二かハッキリしろ!」

 

 ちゃんとした剣が手元に無いせいですっかり動転しているリックとブウサギ一匹を背にかばい、ここからどうしたものかとルーク自身も混乱気味に考え込んでいると、ふいに空気の流れが変わった。

 

「よそ見をしていていいんですか?」

 

 そして響いてきた声に、リックが勢いよく顔を上げる。

 釣られて見やれば、鮮やかに光る譜陣を展開させたジェイドの姿が、奴の背後にあった。

 

 その口元がゆるりと弧を描く。

 

「――イグニートプリズン!」

 

 ジェイドお前この距離でソレは、と脳裏を過ぎった罵声にもなりきらない何かが喉の奥でつぶれる。視界の端に、おなじく口元を盛大に引きつらせているリックが映った。

 いや、自分達は問題ないのだ。あまり近いと視覚的にいくらか恐怖感を覚えるとはいえ、味方識別がついている。

 

問題は。

 

「ジェイドさんアウグストがぁあぁ~!!」

 

 焼きブウサギ一丁上がりぃ、と景気の良い料理人の声が聞こえた気がした。

 大慌てのリックがとりあえずアウグストに覆いかぶさって庇う。

 

 だがそこはジェイドだ。術は周囲の木々まで延焼させることもなく、奴の回りだけを一気に焼きつくした。

 

 立ちのぼる煙の合間から奴の様子を窺おうと目を細める。

 そこでまた緩々と頭をもたげようとしている姿を見つけ、これでも動くのかと顔を顰めて剣を再度構えたとき。

 

「まだまだ行くよぉ!」

 

 煙の向こうから跳び出してきた大きな影。

 勝気な笑みを浮かべるアニスを背に、奴の正面に降りたトクナガが、勢いよく地を蹴り上げた。

 

「十六夜天舞~っ!!」

 

 技を確実に当てたアニスが少し距離を取って着地する。

 そこでいつの間にか奴を囲むようにティア達が陣取っていることに気付いた。ルークも柄を持つ手を改めて、奴を見据える。

 

 そして、静寂。

 やがてそれを破ったのは、軋むような音と共に身の内に響いてくる言葉だった。

 

≪我の妄執、ここに断たれり。我はただの剣になりさがろう≫

 

 幾本もの剣を携えた腕達が、静かに地に落ちていく。

 

≪礼を言う。……強き者達よ≫

 

 ふいに和らいだ声色に思わず目を見張った次の瞬間、その“なにものか”は靄のように空に解けて、消えた。

 

 奴がいた場所に、僅かな音を立てて一振りの剣が倒れ落ちる。

 

 再度訪れた静寂の後。

 誰からともなく零した深い溜息が、重なり合って場を満たした。

 

「お、おわったぁ~……」

 

「いやぁ……色々と肝が冷えたな」

 

 地面に座り込みながら心底疲れた声で零したアニスに、剣を鞘におさめたガイが苦笑する。

 

「そういえばリック、アウグストは大丈夫?」

 

 心配そうなティアの問いにハッと目を丸くしたリックが、ずっと抱え込むように庇っていたアウグストを見やった。

 ルークも横から様子を見ると、すでに目は覚めていたらしく、その腕の間からはつぶらな黒い瞳が窺えた。

 

「怪我もないみたいだ」

 

 安堵の息をついたリックが、丁寧にアウグストの頭を撫でながら顔を覗き込む。

 

「アウグスト……君が無事で、本当に良かった……」

 

 きらきらと光る何かが、背後に飛び交っている錯覚を覚えた。

 絵本の王子様よろしくアウグストと見つめ合う姿に、こいつホント顔は良いのになぁと遠い目になる。

 

 このブウサギに対する積極性を人間にも適用してくれていたなら、今までの心労やら何やらの八割くらいは減っていたはずだ、と思っているかは知らないが、傍でジェイドがものすごく微妙な顔をして眼鏡を押し上げていた。

 

 アウグストは奴との遭遇での恐怖も合わさってか、野性の魂はすっかり抜けきったようで、うるうると涙を浮かべてリックの胸に跳び込んだ。

 それを見て「こっちも一件落着のようですね」と呟いたジェイドが肩をすくめる。

 

「さて、予想外の事態は起こりましたが目的は果たしましたし、セントビナーに戻りましょうか」

 

 ただのブウサギ捜しが大変な事になったものだと皆で苦笑し合いながら、街へ戻ろうと歩き始めたところで、ナタリアがぽつりと声を上げた。

 

「ところでこの剣はどうしますの?」

 

 みんなの動きがぴたりと止まる。

 

 そうだ。正直あまり考えたくなくて、半ば意図的に意識から排除していたが。

 ぎこちなく振り返れば、そっと足元を示したナタリアの指の先には、“奴”であった一振りの剣。

 

 なんともいえない沈黙が場に広がる。

 ルークはがしがしと後頭部をかいて、リックを見た。

 

「……お前が持ってったらいいんじゃないか?」

 

「はい!?」

 

「ちょうどいいだろ剣壊したし、代わりに」

 

 言いながら目を泳がせるルークに、早くも涙目のリックが詰め寄る。

 足元ではすっかり懐いた様子のアウグストが不思議そうに二人を見上げていた。

 

「お、置いてっちゃえばいいだろ!?」

 

「祟られたらどうすんだよ」

 

「じゃあルーク持っててくれよ!」

 

 リックは「まあ、こちらを使いますのね」とナタリアから無邪気に手渡された剣を投げ捨てることも出来ず、しかし心持ち体から離して持っていた。

 

 向けられた言葉にルークは目を伏せて微笑を浮かべる。

 息を吐きながらゆっくりと空を仰いだ。

 

「……さ、行こうぜみんな!」

 

「ルルルルークのバカー!」

 

「はぁ!? なんだとリックのアホ!」

 

「ルークのおたんこなす!」

 

「リックのビビリ!」

 

「うわぁああああーん!! ルークのレプリカー!」

 

 

 

「……リックだからというかリックにしか言えない喧嘩文句だなアレは」

 

 続けて「リックこそレプリカ!」と言い返すルークの声を聞きながらガイが呟くと、ジェイドはやれやれと首を横に振り、お子様は元気ですねぇ、と年寄りじみた台詞を零して、小さく笑った。

 

 




▼リックは アルティメティッドを 装備した!
 (~デンデロデンデロデ デン デン~)
▼この剣は のろわれている!


偽スキット『帰り道にて初使用』
ジェイド「どうですか使い心地は」
リック「見る限り両刃でもないし片刃ともいえないし、手ごたえは鈍器に近い感じなのに切れ味がものすごく良いのが恐ろしいです」
ジェイド「いやそれは良かったですねぇ」
リック「切れ味が良いのところだけ拾いましたね? ハイまぁ剣士的には快適です もうそういう事にしときます」

だけど涙で前が見えません大佐。


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Act74.6 - だから、いまは、まだ

 

 

 セントビナーに戻り、直属の兵士さんに頼んで連絡を取ってもらっている間、待機場所として指定された宿屋で束の間の休息を満喫することしばらく。

 やってきたグレン将軍はいつもの無愛想な表情のまま、お待たせして申し訳ない、と律儀に一礼してみせた。

 

 そこでふと片眉を上げたグレン将軍が、怪訝そうに俺を一瞥する。

 

「何だそれは、……剣か?」

 

「コレに関しては何も触れないでやって下さいお願いします」

 

 いつになく真剣に懇願してみせた俺を、彼は寸の間オバケにでも会ったような顔で見たが(むしろオバケに会ったのはこっちだ)その足元からちらりと顔をのぞかせたアウグストに気がつくと一転、表情を明るくした。

 

「アウグスト!」

 

 そして安堵の息をついたと同時に、よかった、と思わず零れたらしい呟きをうっかり耳に留めてしまい、俺はついと視線をそらして咳払いするふりで口元を隠した。

 陛下からの賜りもの、もとい賜りブウサギだからあれほど気を揉んでいたのだろうと、当然のように思っていたけど。

 

「……リック一等兵、何を笑っている」

 

「いえ別に、なんでも」

 

 何ともいえない微妙な表情を精一杯険しくした顔で思いきり睨まれて、同じくどういう顔をつくればいいのか分からずにいるこちらも途方もなく半端な顔で、今度は顔ごと視線をそらして一歩後ろに下がった。

 

 ルークがそんな俺とグレン将軍を不思議そうに見やっていたが、そのうちに本来の目的を思い出したのか、改めて彼に向き直る。

 

「これで、ブラッドペインを貸してくれるんだよな?」

 

 言われてはたといつもの固い表情を取り戻したグレン将軍が、もちろんだと頷いた。

 そして傍らに立てかけてあったそれから高価そうな巻き布をほどくと、今までの触媒同様、独特の雰囲気を放つ一本の槍が姿を現した。

 

 魔槍ブラッドペイン。

 なんだか最初に手に入れたあの怖い剣に似た印象を受ける槍だった。ルークが丁寧にそれを受け取る。

 

 すると要件が片づくが早いか、アウグストの件は父上にはくれぐれも内密に、と俺たちに再度 釘を刺し、グレン将軍はさっさとアウグストを引きつれて宿を出て行ってしまった。

 去り際にちょっとこちらを振り返ってくれたアウグストに、名残惜しさを感じつつも手を振り見送ってから、ひとつ息をついた。

 

 何にせよこれで触媒は三つめだ。なかなか良いペースではないだろうか。

 

「なんだか、他の触媒もわりと順調に見つかるかもしれませんねぇ!」

 

 うきうきと笑って拳を握ると、まあここから先は手掛かりゼロですけどね、と和やかな口調であえてそれ以上 明言しない大佐の言葉が即座に返ってきた。

 例のアレと出会って一戦交えた段階でもうすでに順調という言葉から程遠いことは痛いほど実感済みのくせに心にもないことを言うなって事だろうか。すみませんジェイドさん。ただちょっと前向きなこと言って腰元にある新たな剣の圧力から逃れたかっただけなんです。

 いや、もしかしたらそこまで含めて読まれた上で、なのかもしれない。だって大佐だし。

 

 とにかくブラッドペインは無事に借りられたのだ。自由に動き回れる時間が限られている以上、あまりのんびりしているわけにもいかない。

 必要な物資を調達したらすぐに出発しなければならないが、その前にマクガヴァン元帥に挨拶をしていこうという話になった。

 何せ俺達がブウサギ捜しの対価として借りたコレはマクガヴァン家の家宝なのだ。とりあえず無事に借りられたと報告だけでもしていきたい。

 

 宿のご主人に軽く挨拶をしてから、俺はまだ持ち慣れない新しい剣の重心をすこし直して、みんなに続き宿を出た。

 

 するとふいに隣に並んだルークが、翠の瞳でこちらを見上げて「あのさ」と首を傾げる。「うん?」と俺も釣られて首を傾げた。

 

「俺、リックとグレン将軍って仲悪いのかと思ったんだけど、もしかしてそういうわけじゃねえの?」

 

「え、いや、悪いよ」

 

 思わず即答すればルークの顔にありありと浮かんだ困惑と動揺に、俺は慌てて次の言葉を探した。

 

「その、たぶん向こうもオレのことキライだろうし、っていうかオレもキライだし、だから仲は悪いんだと思うんだけど、なんていうか……」

 

 なんていうか。はっきりしない音を何度か繰り返す。

 “大好き”とは違う、こういう微妙な感情を伝えるのはやっぱりまだ得意ではないのだけれど、その中でも精一杯の言葉を探す。

 

 そういえば前にもルークとこんなやりとりをしたっけ。

 あのときは――ネビリム、さんの話だった。ひとつ息をつき、肩をすくめる。

 

「…………キライだけど、悪くはない、と思う」

 

 ぽつりと零して、何だか妙に気恥ずかしい気持ちになりながら頭をかいた。

 ルークは怪訝そうに眉根を寄せて、そんな俺をまじまじと見返してくる。

 

「お前の言うことっていっつもよくわかんないよな」

 

「い、いっつもって事はないだろ!!」

 

 そこで心外だと胸を張って言い返せないものがある己の言語力を自覚しつつも勢い反論すると、ルークは一瞬動きを止めた後、何だか満足げにその相好を崩した。

 

「そうそう、んな感じ んな感じっ!」

 

 独り言のような呟きと共に ばしばしと背中を叩かれる。

 それに「う、うん?」と半端な相槌を打ちながら、俺はちょっと首を傾げて苦笑した。

 

 

 

 グレン将軍から無事にブラッドペインを借りられた事を報告すると、マクガヴァン元帥はそうかそうかと朗らかに笑って、その真っ白なひげを撫でた。

 約束どおりアウグスト脱走の件については何も喋っていないのだけれど、もしかしたら元帥は全部お見通しなんじゃないかという気がふいにした。だってゼーゼマン参謀総長と同じく、元帥はあの大佐の師匠みたいなものなのだから。

 

 きっと読心術のひとつやふたつやみっつ……と真剣に考え込む俺の横で、あの、とルークがひかえめに声を上げた。

 

「ちょっと聞きたいことがあるんですけど、えっと、ルグニカ紅テングダケの栽培って、やっぱりまだ無理……ですか?」

 

 シュザンヌ様――ルークのお母さんの薬を調合するために必要なルグニカ紅テングダケ。セントビナーで栽培されていたそうなのだが、崩落の影響で入手不可能になっていたキノコだ。

 

 みんながキノコロードの奥地から採ってきた分でしばらく持つということだったが、あんまり長引くとさすがに補えなくなるかもしれないと気になっていたのだろう。

 不安そうに眉根を寄せたルークに、元帥は柔らかく微笑んで返す。

 

「詳しくは調べてみんとわからんが、街の暮らしは少しずつ安定してきたからの。そう遠くないうちに流通も再開できるじゃろう」

 

 シュザンヌ様は、俺にとっても――恐れ多い話だが――お母さん、の憧れみたいなものだ。やっぱり心配ではあったので、その答えにルークと顔を見合わせて、ほっと息をついた。

 

「あと元帥、他の触媒については何かご存じですか?」

 

 大佐の問いに、元帥は覚えがないとひとつ首を傾げる。

 おおむね予想済みだったのか、大佐は特に落胆する様子もなく、そうですかと肩をすくめた。

 

 やっぱりここからはノーヒントらしい。軍の準備が終わるより、ヴァンが動き出すより前に、全部見つかればいいんだけどなぁ。

 いや、こればかりは時の運だ。弱音なんか吐いている間に行動しなければ、とノワールの教えを思い出して己を鼓舞する。

 

 するといつのまにかマクガヴァン元帥への挨拶を終えたみんなが退室していくのに気付いて、慌てて頭を下げ、ルークの後に続いて最後に部屋を出ようとした俺を、元帥が呼びとめる。

 とっさに立ち止まると、すぐ前にいたルークも気付いて足を止めていた。

 

「フリングスのことは、残念だったなぁ」

 

 静かに微笑んだマクガヴァン元帥の、しかしどこか物悲しい声が、空気を揺らす。

 

 気を落とすなよ、と気遣わしげに向けられた優しい言葉。

 込み上げかけたものを零す代わりに俺は何も言わず敬礼を返し、少し眉尻を下げて、笑った。

 

 

 

 表に出ると、ルークは ばしりと力強く俺の背を叩いてから、前へ走っていってしまった。

 どうやら、元気づけてくれたらしい。そっと微笑んで、あまり遅れないうちにと自分も足を踏み出した。

 

 しかし思ったほど離れてはいなかったらしく、すぐに追いつくことが出来た。

 思い思いにばらけて歩くみんなの背中を眺めながら最後尾を歩く。いつのまにやらルークは先頭にいた。

 

 つい今しがたの出来事を思い出して口元を緩めていると、最後尾の俺のひとつ前、わりと近くに青色の軍服を認めて、俺はちょっと考えてからその隣に駆け寄った。

 

「あの、これ、独り言なんですけど」

 

 赤色の瞳が、硝子越しにちらりと俺を見る。

 

「そのうち見舞いにくらい行ってやってもいいかなと……思います」

 

 俺が、だいきらいな、あの男のところへ。

 

 多分どうにも苦い顔にはなってしまっているだろうが、それくらいは許してもらいたいところだった。

 

 すると大佐はひとつ息をついて、ほんの僅かに口の端を上げた。

 そうですか、と吐く息のついでにみたいに小さく零してから、ふいにその赤の双眸に真剣な色を混ぜ込んで、真っ直ぐ前を見据える。

 

「――では、これも独り言ですが」

 

 そして続いたのは。気をつけなければ聞き逃してしまいそうな、むしろ、聞き逃しても構わないのだというような、ちいさな音。

 

 思わず足を止めた俺を置いて、ジェイドさんはそのまま歩を進めていく。

 しかし風が梢を揺らす音にも紛れず、確かに耳に届いた、言葉。

 

「……………」

 

 強く目を瞑って、開く。吐き損ねた息をもういちど深く深く吸い込んで、吐いた。

 そうして真っ青な空を仰ぎ、その青の鮮やかさに目を細める。

 

「……もうちょっと、だと思うんです。きっと」

 

 だから。

 

 剣の柄に触れる。それを強く握り締めた。

 いつもの自分を取り戻すように小さく笑って、また離れかけたその背を追うべく地を蹴った。

 

 

 もうちょっと。だからまだ。

 

 

 『この街にいますよ、被験者家族(あのひとたち)も』

 

 

 

 ―――いまは、まだ。

 

 

 





>「そうそう、んな感じ んな感じっ!」
軽い感じのお喋りが出来たのが嬉しいルーク。でもそのくらいの言い合いとか砕けた喋り方も本当はもうかなり前からしてるというか、ついさっきバカー!アホー!とお子様ゲンカしたばっかりなんだけど、これもやっぱりルークが改めて意識するようになったからというだけの話。



そのとき彼らは『宿屋で待機中』
リック「ティアさんにアップルパイの作り方を教わったからちょっと厨房を借りて、トウフカレーパイを作ってみたんですけど」
ルーク「何でお前なんでもかんでもジェイドアレンジ加えちゃうの?」
ガイ「いや待てルーク! キッシュと思えばいけるぞ!」
ティア「…………」

でもちょっと苦手食材トウフが辛いナイスガイ。
実は教えてるときからすでにそんな話してたんだけど、大佐大佐とあんまり嬉しそうで止められなかったティアさん。


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Act75 - 俺達の目的地 知りませんか?

 

 

 さて、と。

 

 誰からともなく零された囁きを聞いてから、みんながちらと目線を交わし合う。

 

 セントビナーで次の目的地へ旅立つ準備をすっかり整えた俺達は、アルビオールの操舵室に集まっていた。

 用意が出来たなら出発すればいいじゃないかと思うだろうが、そうはいかない理由が、今とてつもない存在感を持って目の前に立ちはだかっている。

 

 えーと。

 次の目的地……絶賛募集中です。

 

「ここからどうしたもんかね?」

 

「いよいよ手掛かり無しですものね」

 

 手を顎を添えて考え込むガイと、頬に添えて首を傾げるナタリア。

 それに習うように頭をひねりながら、各々思考を巡らせて唸る。

 

 あてどもなく探すには広すぎるこの世界。

 どこでもいいと言われると逆に困るものだと、軍の先輩が語っていたのはデートの場所についてだったか。まさかそんな話を惑星譜術の触媒探しで思い出すことになるとは思わなかったが。

 

「リックじゃないですけど~、ふたつともマルクト領にあったんだし、他のもマルクトのどっかにあったりして?」

 

「いや待てよ。確か最初の触媒があったのはメジオラ高原でキムラスカ領だぞ?」

 

「ですけれど、惑星譜術の研究をしていたのはローレライ教団なのですわよね。それならばダアトではなくて?」

 

「でも、トリトハイム咏師はあのとき教えて下さった話以上の事はご存じではなさそうだったわ」

 

 口々に零される意見たちに段々と混乱してきたのか、たまりかねたようにルークは頭をかきむしりながら、事態を傍観していた大佐を振り返った。

 

「……あー!! もうわっかんねぇよ! ジェイド!?」

 

「やれやれ。ユリアじゃないんですから、いくら私でもそう何でもかんでも知りませんよ」

 

 でも例えば大佐がここで残りの触媒の居所を全部言い当てたとしても、多分みんな驚かないと思います。だって大佐だから。

 小馬鹿にするような笑みと共に肩をすくめつつも、そうですね、と赤い瞳を細めた大佐を、みんなで静かに待ってみる。

 

 ふと、その赤が深く思考に沈むように色を増した気がした。

 だけど俺が改めてその赤を覗き込むより早く、ジェイドさんはくるりといつもの笑みを浮かべて眼鏡を押し上げていた。

 

「では、シェリダンなどいかがでしょう」

 

「ほえ? シェリダンですかぁ?」

 

 きょとんと目を丸くして聞き返したアニスさんに、大佐が頷く。

 

 次の目的地がノーヒント、ということは、極論として言ってしまえば向かうのはどこでもいいのだ。ちなみに先ほどのデートの件の場合はどこでもいいと言いつつ実はどこでもよくないので、慎重に、細心の注意を払って目的地を選べと先輩は言っていたが、俺達の場合はまさに手当たり次第、運と勘に掛けるほかない。

 

 ならば、と大佐は口の端に笑みを乗せた。

 

「一石二鳥、とまでいかなくても、実益を兼ねられる場所だと思いますよ。ずっと強行軍でしたからね。この機会に一度アルビオールを点検して頂きませんか?」

 

「そうだな……。それに、あそこには珍しい音機関や発掘品がいち早く集まるはずだ。もしかしたらどこかに紛れ込んでるかもしれないぞ」

 

 そんな真面目な考察をしつつも隠しようもなく瞳を輝かせ顔を緩ませたガイには若干名から生ぬるい眼差しが注がれていたが、触媒探しを抜きにしても確かに一度アルビオールを微調整して貰うのはいいかもしれない。

 

 それに、いつもは街についても何事かあった時のためにと少しの休憩以外はアルビオールに残っていてくれることが多いノエルも、専用の格納庫があるシェリダンなら気を張らずにゆっくり出来るだろう。何よりあそこは彼女の故郷だ。

 

 シェリダンに行くのは、ワイヨン鏡窟にいたチーグルを送り届けに行って以来になる。

 アストンさん元気かなぁ、久しぶりだなぁと独りごちていると、傍にいたルークがちらりと俺を見た。

 

 そして何やら言い淀んでから、ちょっと気恥ずかしげに、“ルークさん”を彷彿とさせる得意げな表情で胸を張った。

 

「俺は、リック達と会う前にアルビオール借りに行ったけどな!」

 

「あ、そっか~」

 

「………………」

 

「どうだった? みんな元気だった?」

 

 触媒探しという目的は忘れていないが、アストンさん達に会えると思えばどうしたって胸は弾む。

 瞳を輝かせて聞き返すとルークは何故かぴたりと動きを止め、その後 勢いよく俺に詰め寄った。

 

「なんっ、おま、~~違うっつーの! そうじゃねーだろ!! 悔しがれよ!」

 

「え!?」

 

「なんだよそれルークだけずるいー! とか、なんか、こう、……気軽に!」

 

「あー、えぇと……ごめん……」

 

「あやまんな!」

 

 軽く涙目になったルークとそれを大慌てで宥めようとする俺をよそに、それぞれ苦笑やら失笑やらを浮かべたみんなは、シェリダンに向かう手筈を早々と整え始めていた。

 

 

 

 

 オイルや金属のにおい。景気良く響き渡る職人さん達の声。

 前回来てからまさか何十年経ったというわけでもないのに、そんな気配をひどく懐かしく感じた。

 

 ここの人達がアルビオールの飛行音に気付かないはずもなく、連絡するまでも無く開かれた格納庫、出迎えに集まってくれたみんなの中にアストンさんの姿を見つけて、俺は表情を輝かせて地面を蹴った。

 

「アストンさぁあ~~ん!!」

 

 全速力で駆け寄る寸前、その首根っこをガッと掴まれる。

 

「ご老人に力の限り飛び付くのは止めましょうねぇ?」

 

「…………は、はい」

 

 背後から淡々と響く大佐の声に、視界半分お花畑の残像を残したまま、俺は血の気の引いた顔でこくこくと頷いた。

 そんな様子を見たアストンさんが、変わらんなぁと小さく噴きだす。

 

「ノエルから話を聞いて、お前さんから手紙が来るまではわしらも心配しとったんだが、怪我はもう大丈夫らしいなぁ」

 

「なんだ、アストンさん達にも手紙出してたのか?」

 

 ルークの問いかけに「うん、まぁ」と眉尻を下げつつ苦笑して、頬をかいた。

 

「っていうかノエルにさ。最後の最後であれだったろ? 驚かせちゃったし迷惑かけたから、報告がてらお詫びもしたくて」

 

「リックさん」

 

 呼ばれて振り返ると、停止後の最終チェックを終えたらしいノエルがアルビオールから降りてくるところだった。

 

「私は、確かに驚いたけど迷惑なんてかけられてません」

 

 軽い足取りでタラップを降りてきた彼女が、俺の前で立ち止まる。

 

「ただ、すごく心配しました」

 

「あ……えっと、本当にゴメ、」

 

「――リックさん!」

 

 きりっと眉をつりあげて表情をきびしくしたノエルに、俺は思わず上官を前にしたときのように、ハイ!と敬語で返事をして背筋を伸ばした。

 

 それを見て、形ばかりだったらしい怒り顔をふっと崩した彼女は、ちょっとだけ呆れたように笑う。

 何か言われるのかと思ったけど、ただこちらを真っ直ぐに覗き込んでくる瞳にたじろいで、どうやら今度は自分の番らしいと言うべき音を探した。

 

 謝る言葉ならたくさん持っているのに、それではないのだと、彼女は暗に告げてくる。

 ぐるぐると巡る思考の狭間から、やがてひとつの言葉が零れおちた。

 

「あ、りがとう?」

 

 ずっとずっと、っていうほどではないけど俺にとっては確かに昔。

 ジェイドさんが会いに来てくれるのを今か今かと待っていた頃の自分に戻ったみたいな気分だった。

 

 何がいけないのか。どうすればいいのか。どうすれば――笑ってくれるのか。

 手探りで正解を探すように、おそるおそる呟いた言葉を聞いたノエルが微笑む。花がほころぶみたいな、笑顔だった。

 

「はい! どういたしまして。今更ですけど、本当にご無事で良かったです。…………リックさん?」

 

 どうかしましたか、と覗きこまれ、はっとしてすぐに何でも無いと首を横に振る。

 ノエルは不思議そうな顔をしていたが、ちょうど出迎えの職人さん達に声をかけられて、元気に返事をしながらそちらへ挨拶に向かった。

 

「で、お前さん達。今日はどうした? 補給か?」

 

 アストンさんの問いにルークが「えっ」と一度言葉を詰まらせる。

 陛下やマクガヴァン元帥はともかく、市民の方達にどこまで説明していいものか迷ったのだろう。ルークはそろりと視線で助けを求めたが、大佐は素知らぬ顔だ。

 

 となれば嘘は苦手なルークのこと、あんまり詳しくは言えないけど探し物をしてるんだ、と伝えられる範囲の現状を正直に口にした。

 

「ほう、探し物か」

 

「うん。……って言っても、俺達も具体的にどんな形のものを探せばいいのか分かってないんだけどさ」

 

「それでこちらに何か貴重な音機関や、珍しい音機関や、素晴らしい音機関や、得体の知れない雰囲気の発掘品などはないかと思いまして」

 

 至極丁寧な様子で言葉を継いだガイの瞳がきらきらしているのは全員それとなく見なかったことにする。

 

 触媒についてはこちらとしても手持ちの情報はほぼゼロに等しく、かなり曖昧な説明しか出来ないのだが、アストンさんはそれ以上 深く訊ねることをせずにひとつ頷いた。

 

「よく分からんが、お前さん達が見ればその探し物とやらは分かるんじゃな?」

 

「ええ。見れば、というわけではありませんが、特定する手段はあります」

 

「……分かった。発掘品の保管室に案内しよう」

 

 実は最近すごいものが見つかったのだと、アストンさんは技術者の顔でにやりと笑った。そして多分、彼らが大切な音機関のある部屋を見せてくれるというのは、本当にすごいことなのだ。

 

「アストンさん! ありがとうございます!」

 

 深々と頭を下げれば、まぁお前さん達だからの、と彼は目尻の皺を緩めた。

 

(――――あれ?)

 

 ふと過ぎるのは、さっきのノエルとの会話で感じたのと同じもの。

 胸の内がどこかざわめくような、それは。

 

「新入り小僧、お前も暇な時はいつでも手伝いに来てええぞ。またせいぜいこき使ってやるわい」

 

 それ、は?

 

「ついでにアルビオールのメンテナンスも頼みたいんだけど、出来るかな?」

 

「お前さん誰に聞いとるんじゃ。当然、任せとけい」

 

 会話が耳に届くや、すぐさま点検の準備を始めた職人さん達がせわしなく行きかう中で、アストンさんの案内を受けて保管室に向かい歩き始めたみんなの背中を眺める。

 

(………………)

 

 動いているような、いないような、ぼんやりとした頭で、さらに漠然とした心中の何かを捕えようと目を細めた。

 

 目の前に敷き詰めた答案用紙の、何度も見直したはずの答えに違和感を感じた。何かの尻尾を掴みかけた。そんな気分だった。

 背中を逆さに撫でられるみたいに、むずむずとした、とても微かな戸惑いが、頭の奥を揺らす。

 

「人の事を言えませんねぇ」

 

「え?」

 

 どれだけ思考に沈んでいても真っ先に耳に入る聞き慣れた声。

 はたと顔を上げると、隣に立っていたジェイドさんが出来の悪い生徒を見るような、でもどこか苦笑気味に揺らめく赤い瞳で俺を見ていた。

 

 そして眼鏡を押し上げながらひとつ息をつく。

 

「いい加減、あなたも思い知ればいいんですよ」

 

 内容のわりに妙に険のない一言を残して颯爽と歩きだしたジェイドさんを寸の間ぽかんと見送りかけてから、すぐ我に返って後を追う。

 

「え、ちょっ……ジェイドさぁん?」

 

 コンパスの違いを歩数でごまかしてどうにか皆に追いつく頃には、さっきまでの奇妙な感覚は、すっかり鳴りを潜めていた。

 

 

 




人にはさんざん押し付けておいて自分は受け取らないとかマジで無いわせいぜい思い知れ、っていう話。


(この子供は知らない)
想いは、返ってもくるのだということ。



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Act75.2 - ひとりぼっち行進曲(前)

 

 

「いやぁ~すごかったな! あの音機関! 洗練されたフォルム、無駄のない造形……!」

 

 興奮冷めやらぬ様子のガイをアニスさんが半眼で見たり、大佐が流れるようにスルーしたりしながら、俺達はシェリダンのドックから集会所に向かう坂道を歩いていた。

 

 結論から言えば発掘品の中に触媒はなかった。

 

 だけど、なんというか、正直俺も物凄く楽しかった。

 はしゃぎまわったせいでまだ顔がぽかぽかしている気がする。

 

 確かに譜業とか音機関とか結構好きかもしれないと思いはじめてはいたが、何かちょっと本当に、自分でも予想外なくらい面白くて、そんな己の反応に何だか戸惑ってしまったがゆえに、俺はガイと語り合うにもルークと苦笑し合うにも半端な宙ぶらりんの立ち位置で、それとなく皆を眺めていた。

 

 これさっきから何なんだろう、とまたひょっこり顔を出した覚えのない感情を持て余す。

 いつかみたいな嫌なもやもや感ではないのだが、胸の奥がほんのりとほてるような、どうにもそれはむずがゆいような。

 

 とりあえず悪いものでは無さそうだし、そこまで深く考える必要はないのかもしれない、と思いつつもなんとなく正体を探してしまうのは、もしかするとあまり良くない癖なんだろうか。だって深く考えたら負けだって大佐が言ってた。陛下が突如ミスグランコクマコンテストをやりたいって言い出した時とかに。

 

「えーと、それじゃあ」

 

 切り出す声を聞いて、はたと意識を引き戻す。

 

 集会所の前。

 ルークが腰に手を当てて、さっきドックのほうでざっくりと決めたこれからの予定を改めて口にしていた。

 

「アルビオールのメンテナンスは明日の昼には終わるらしいから、それまで――とりあえず今日のところは手分けして街で触媒探しってことで、また日が暮れる頃ここに集合……で、いいか?」

 

 この触媒探しにおいて俺達が唯一持っている手掛かりと呼べるもの、それが今まで入手したいくつかの触媒だ。

 

 要するにさっき発掘品保管室でやったように、共鳴反応を利用するべく譜術封印を解いた触媒を手に街を練り歩こう、という足で探すという言葉をまさに具現化させた作戦だった。

 

 ちなみにどれくらいの距離まで共鳴が起こるのかと先ほどルークと俺で実験したところ、目測だが半径三メートル強が限界とみた。

 例えシェリダンに触媒があったとして本当にこれで見つかるのかと言ってはいけない。俺とルークの実験の段階で正直それはみんな思った。

 

 しかしもう何度も言うが、ノーヒントなのだ。

 ただでさえザオ砂漠から一粒のアップルグミを見つけ出すような、泣きたくなるほどのノーヒント具合なのだ。オタオタにもすがりたい心持ちだ。

 それを思えば、とりあえず見つけた時にそうと分かる手段があるというのは、何とも心強い話に思えた。

 

「触媒はみっつだから~、三チームに分かれないとね」

 

「旦那、組分けに関しては何かあるか?」

 

「そうですねぇ。やはり多少は譜術に明るいほうが干渉音を聞き取りやすいですから、それを踏まえると――」

 

 大佐の助言を元に、てきぱきと組分けが構成される。

 

 ルークとナタリア。

 ガイとアニスさん。

 大佐とティアさん。

 そして。

 

 俺。

 

「ハイそれじゃあ出発しましょうか~」

 

「…………え……ちょっ、おおお!? いや待って下さい待って下さい! 三十秒でいいからオレに喋る時間を下さい!!!」

 

 なんですか騒がしいですねぇと向けられた明らかに面倒くさい人を見るような視線にもめげず、俺はさっさと場を後にしようとしていたジェイドさんを呼びとめた。

 しかしこれはさすがに俺悪くないだろうと思いつつも反射で「すみません!」と謝ってしまうのはもうどうしようもない。

 

「あ、あの、三手に分かれるんでしたよね?」

 

「触媒が三本ありますからねえ」

 

「……三手ですよね?」

 

「兵士たるもの、用件は分かりやすく簡潔に伝えるべきですよリック一等兵」

 

「…………な、何でオレだけひとりぼっちなんですかぁああ!」

 

 俺はうずまく疑問をこの上なく分かりやすく簡潔に、ついでに半泣きで叫ぶ。

 

 何か、シェリダンでの滞在時には必ず俺を置き去りにするという決まりでもあるのだろうか。そんなまさか。あ、いや、二回目のときは自分から残ると言ったんだけど。

 

 いよいよ盛大に涙を滴らせつつ詰め寄った俺の額を雑に押し戻しながら、ジェイドさんは先ほどまでの半ば演技がかった渋い表情ではなく、比較的 素に近い様子で薄く眉根を寄せて「大丈夫ですよ」と息をつく。

 

「貴方には得体の知れないものに対する自前のセンサーがあるじゃないですか。野生のオタオタにも勝る超一級のビビリセンサーが」

 

「それあんまり嬉しくないです……」

 

「リック~、じゃあ私たち先に行ってるね~」

 

「が、頑張れよ!」

 

 そんな殺生な。

 

 こういうときの大佐に逆らうのは怖いと知ってか知らずか、いや、今までの旅を通して十分承知済みらしいみんなが生温かい声援を残しに散っていく。唯一大佐とペアということで残されたティアさんがちょっと居心地悪そうに視線を泳がせていた。

 

「えっと……オレも大佐とティアさんのチームに混ぜてもらっ、」

 

「おおーっといけない。もう三十秒経っていましたよリック」

 

「え」

 

「それではティア。私達も行きましょうかねぇ」

 

 確かに三十秒下さいって言ったけど、まさか本当に三十秒ちょっとしか貰えないとは。

 

 それに戸惑いながらも了承を返し、申し訳無さそうにこちらを顧みたティアさんも、やがて今度こそ颯爽と歩きだした大佐を追って行き、ふたりの姿が街中に消えれば、残されたのは俺一人。

 

 まぁこれが魔物のたくさんいる見知らぬ森の中というわけではなく、活気に満ちた職人さん溢れる見知った街中とあっては、さすがの俺も嫌です嫌です一緒に行きますと派手に追いすがることは出来なかった。

 というか前なら追いすがっただろうが、それを耐えられるくらいには成長したのだ。したと思いたい。視界が滲むのは気のせいだ。

 

「でも本当になんでオレだけひとりぼっち……」

 

 前の時はイオン様を守るっていう役目があったからこその留守番だった(はず)。

 大佐はああ言ったけど、正直俺にはどれが触媒かなんて見当もつかない。

 

 この寂しすぎるだけの手ぶらの四手目に何の意味が……。

 

「―――― あ」

 

 胸を過ぎった答えに、目を丸くする。

 それからくすぐったくも温かい気持ちで、気の抜けた笑みを零した。自分の髪を一度くしゃくしゃとかき回してから、空を仰ぐ。

 

「……イエモンさん達のお墓参り、行くなら行ってこいって事かぁ」

 

 みんなと一緒に行くには、まだそれぞれ胸の内に残る傷は新しかった。

 

 俺もそうであるなら別にいい。

 でも、行くつもりがあるのならば。

 

 そんな遠回り過ぎる気遣いがいかにもあの人らしくて、苦笑する。

 ジェイドさんは不器用で、その優しさも、やっぱりとても不器用だ。

 

「さて、と」

 

 ひとつ息をつき、辺りを見回す。

 

 お墓の場所を訊ねに行くのなら、このまま集会所へ。

 触媒探しに行くのなら、海岸沿いを走る、右の道へ。

 

 大佐の背が消えた道を振り返り、俺はまた小さく笑って、右の道へと足を踏み出した。

 

 



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Act75.3 - ひとりぼっち行進曲(後)

 

 

 海を眺めながら歴史を感じさせる道を歩くことしばし。俺はいかんともしがたい切なさに見舞われていた。

 

 だって、こうなると本当に俺の第四手はまるで意味が無いのだ。

 そんな結論にうっかり泣きたくなるが、まぎれもない事実には違いないのでどうにか涙目で堪えた。

 

 現在手分けをして街中を散策しているみんなのどの組でもいいから見かけたら即刻混ぜて貰おうと考えつつ、ひとりでうんうんと頷いていると、金属同士がぶつかり合うような高く澄んだ音が耳に届いた。

 

 剣が交わる時のものとはまた違う、もっと軽い音。

 それがどこから聞こえてきたのかを考える暇もなく、次の瞬間には脳天に、すかんっ、と景気の良い音が響き渡った。

 

 頭が真っ白になったのはほんの一瞬で、その次の瞬きのときには、突き抜けてきた痛みに頭頂部を抑えて蹲る。

 

「ーーーーっ!?!?」

 

 痛い。油断も相まって尋常じゃなく痛い。

 悶絶しながらも、反射的に原因を探ろうと滲んだ視界を周囲に巡らせれば、何かが少し先の地面をころころと転がって、やがて重力に沿いぱたりと倒れた。

 

 首を傾げて、頭をさすりながら近寄って見ると、それは黄金色をした小さな歯車だった。

 

「あれ? ……えーっと」

 

 思わず胸元から首飾りを引っ張り出して確認する。

 しかしあの煤けた歯車は、ちゃんとアニスさんから頂いたリボンの先にしっかりと揺れていた。それによく考えたらこれとは違って、そこの歯車はまだ新しいもののようだ。

 

 拾い上げた歯車を手に辺りを見回してみるが、ひと気はないし、ざっと見る限りこれが落ちてきそうな建物も無い――。

 

「あ」

 

 焦点を近場に絞っていたせいで見過ごすところだった。

 

 岸壁の突端から、海にせり出すように建てられた高い塔。

 そういえばこんなのあったっけと、この街で過ごしていた時の記憶を呼び起こす。

 

 しかしあそこから落ちたのだとすれば、明確な意図を持って投げつけ、なおそれなりの幸運が作用しないと俺に直撃することはないはずだが、そんな事をして得する人がいるとも思えない。

 

 となるとこの歯車は、

 

 七割くらいの確率でそうなったであろう、海に直接落下する、わけでもなく、

 二割くらいの確率でそうなったであろう、こちらと塔を繋ぐ丈夫そうな金網で出来た通路の隙間から海に落下する、ということもなく、

 

 残りの一割+奇跡的な何かでもって、通路を固定するボルトか何かにぶつかって跳ねあがり、崖際を歩いていた俺の頭頂部に当たった、ということになる。

 

 まさかそんな不幸な偶然があるわけない。といえないのが俺の悲しいところである。

 うん。そんなことも俺ならありえる。いや別に泣いてないよ。

 

 目のふちがじわりと熱くなるのも まあいつもの事とスルーして、改めて塔を見上げた。

 

 歯車を笑うものは歯車に泣く。部品ひとつひとつが音機関の命。

 イエモンさん達の下で叩きこまれた技術者の心得を思い返し、俺は歯車を握り締めた。

 

 

 

「すみませーん」

 

 こんこんとノックを二回。反応は無い。

 だけど中からは、ここシェリダンではよく耳にすることの出来る、絶え間ない金属のぶつかり合う音が聞こえてくる。

 

 誰かがいることは間違いないようだ。

 そっと扉に手を掛けると、それは軽い軋みを伴って簡単に開いた。

 

「あの、すみませーん。どなたかいらっしゃいますか……?」

 

 再度声を掛けながら、隙間から顔をのぞかせる。

 

 すると中には女の方がひとり。

 彼女はそこで初めて俺に気付いたらしく、あっと小さく声を零して、手にしていた工具をおき、こちらにやってきた。

 

「ごめんね、気付かなくて。何か用事?」

 

 手にしてた歯車を見せ、表で拾った旨を告げる。

 嫌な奇跡具合が自分でもまだ切ないので直撃したことは伏せておいたが、多分この建物から落ちてきたんじゃないかと尋ねると、彼女は何やら慣れた様子で苦笑した。

 

「多分ロケットじいさんだね」

 

「ロケットじいさん?」

 

 思わず聞き返せば、いうなればここのリーダーの事だと丁寧に説明をしてくれた。

 ここは何と空どころか、宇宙に飛び出すための音機関を研究、開発している場所なのだという。

 

 街の突端に建てられた塔で、ロケットを作りだそうとしている研究者。

 

 それで、ついたあだ名がロケットじいさん。

 そう言って彼女は明るく笑った。

 

「おじいさん、いつもはそんな事ないんだけど、試作品の構想が浮かんでその場で仮組み始めると夢中になっちゃうから」

 

 その最中に何かのはずみで落としてしまったのだろうと、俺の手の中の歯車を指さす。

 そうして、とりあえず重要な部品ではないだろうから心配しなくていいよと彼女が肩をすくめた。

 

「まあでも、君さえよければ乗りかかった船だと思って、ロケットじいさんに届けてあげてよ。屋上にいるけど、表の昇降機 使えば楽に行けるから」

 

 告げられた言葉にぱちりとひとつ瞬きをして、俺は掌できらきらと光る歯車に視線を落とした。

 

 

 塔の脇にひっそりと設置されたそれは、だけど紛れもなく昇降機だ。

 さすがは譜業の国にある職人の街シェリダン。こんなところまで抜かりない。

 

 バチカルで昇降機や天空客車に乗った時と同様、ちょっとどきどきしながら乗り込んで、起動させる。

 頬をなでる海沿いの風と重力を心地よく感じていると、あっという間に一番上に着いて昇降機が止まった。

 

 すると屋上の隅で、ああでもないこうでもないと独りごちながら、工具と部品に囲まれている人影を発見し、おそるおそる近づいていく。

 

「あの」

 

「ここの動力を繋いで、その分パイプをこっちに移せば……」

 

「えーと、あのぉ……」

 

 真横に来ても気付いてもらえなかったので、もう一度と出しかけた声を、その手元を見て飲み込んだ。

 

 イエモンさん達の作業場でも時たま見た光景。

 実際の作業に入る前に、精巧なミニチュアを作って再現し、まず簡単に動作を確かめる。

 

 そのひとの手元で組み上がっていくその“仮組み”は、さほど詳しくない俺から見ても高い技術で構成されていると分かるものだった。

 ここで思い出すのは癪だけど、ディストが作ったカイザーディストを見たときの感覚にちょっと近い。

 

 思わずぽかんと口を開けて魅入っていたら、ふいにその組み立てる動きが止まった。

 

「……何だ、お前は」

 

「ぅひえ!?」

 

 びくっと身をすくませて仮組みから意識を引きはがせば、今まで作業に没頭していたおじいさんが、いつのまにか不思議そうにこちらを見ていた。

 俺はなんだかよく分からないけど軽く赤面しながら、すみませんと叫んで反射で飛び退く。

 

「別に謝ることはないだろうが。どうした、俺に何か用か」

 

「あ、あのっ、オレ怪しいものじゃなくて、キルマカレーでもうそろそろ次の一歩を踏み出したいっていうかスパイスとか火加減とか色々試したんですけど!」

 

「よう分からんが一旦落ち着け。……ん?」

 

 慌てる俺を冷静に窘めていたおじいさんはふと何かに気づいたように目を細めた。

 

 まじまじと顔を見つめられ、まだちょっとパニック状態の俺の頭が疑問符に覆い尽くされていると、やがて彼はなにやら思い至ったのか、「ああ」と呟いて相好を崩した。

 

「お前あれだな、一時このへんをうろちょろしてた小僧だろう」

 

「へ? オ、オレのこと、知ってるんですか?」

 

「やかましかったからなぁ」

 

「すみません」

 

 何かもう心の底からすみません。

 

 買出しだ部品の調達だとシェリダンでみんなの手伝いをしている間は結構あちこち走り回っていたのだが、道迷っただ買い忘れがあるだとそれはもう忙しなく(たまに半泣きになりながら)駆けずり回っていたので、最後のころには俺が知らなくても向こうに知ってもらっている事がわりとあった。ついでにいえばそういう時はみんな大体 半笑いか苦笑で接してくれた。

 

 見晴らしの良い塔だから、多分ここから俺のことが見えたときもあったのだろう。

 そう当たりをつけたのだが、おじいさんは予想外に「それと」と言葉を続けた。

 

「イエモンからも話を聞いていたし」

 

「……イエモンさんと、お知り合いなんですか?」

 

 ふいに飛びだしてきた名前に、温かいような、切ないような感情が胸の内をくすぐる。

 小さく息を飲んで、ともすると泣きだしてしまいそうな感覚を受け流してから、そろりと訊ねた。

 

「ああ、まあな」

 

 遠いところを見るように目元を緩めた彼は、このロケット計画にもイエモンさんは携わっていたのだと教えてくれた。

 

 というより、彼がアルビオール計画のほうから離脱したらしい。

 遅かれ早かれアルビオールが完成することが確実となったら、技術者として、更なる高みを目指したくなったのだと。

 

「誰も考えつかない空の上に行きたくなったのさ」

 

 そう言って彼は小さな子供みたいに目を輝かせた。

 

 これもまた、ひとつの“覚悟”であるのだろうか。

 だけど不思議と、いつもそれを目の当たりにした時に感じる恐怖は湧いて来なかった。

 

「あの赤い髪の坊主たちも仲間なんだろう? イエモンが褒めていたよ、骨のある奴らがいるってな」

 

「……イエモンさん」

 

「あとちっとも骨の無いよく泣く若造もいると」

 

「あ、オレそっちですね」

 

 即座に分かってしまうというのも悲しい話だが、それも紛れもない真実である以上もうどうしようもない。

 イエモンさん、そんな言わずともすでにシェリダンの方々に軽く周知の事実となっていることをあえて語らずとも、と涙目で虚空を見つめる。

 

「――だが、えらく楽しそうに音機関を触る奴だと言っていた」

 

「え、」

 

 そうして彼は、そうかお前が、と呟いて目を細めた。

 

 楽しそうに? 俺が?

 イエモンさん達を手伝っていたときはまだみんなの指示を聞くだけで精一杯で、そんなことを考えている余裕なんてなかった、はずだ。

 

「なるほどな、“新入り”か。お前どうだ? ここで俺と一緒にロケットを作らんか」

 

「あ、……えっ、と」

 

 頭の中がぐるぐるする。なんだこれ。

 今までの出来事や、思考や、感情が走馬灯のように脳裏を通り過ぎて行った。

 

 そうだ、この混乱は覚えがある。

 “知らない”と思っていた事を、実は“知っていた”。

 

 そんな瞬間、の。

 

「――………っ!」

 

 かっと顔が熱くなった。

 うずくまり、とっさに両手で顔を押さえて己の感情に悶絶する。

 

 ああ、なんだ、そうか。俺は。

 

「おい、どうした?」

 

 “オレ”は本当に、譜業が“好き”なのか。

 

「坊主?」

 

「~~~……うわ、いや、すみません。あ、と、オレ、軍人やってるんで今お手伝いとか出来なくて……それもすみません」

 

 慌てて立ち上がって謝るが彼は一切気にする様子もなく、なら軍を辞めたら来い、となぜか自信に満ちた顔で言うものだから、こちらも思わず笑って「ハイ」と頷いてしまった。

 

 そんな俺を嬉しげに見つめてから、彼が空を仰ぐ。

 つられるようにして仰ぎ見た空は今日も青く、果てに掛かる譜石帯がはっきりと見えた。

 

 彼らは、あれの更に向こうに行こうとしているんだ。

 なんだか想像もつかないな、と思った。

 

 空の向こう。譜石帯の向こう。

 明日の自分。はるかはるか、未来の自分。

 

「お前さん、夢はあるか」

 

「え? えぇと……どう、なんですかね」

 

 突然の問いかけに、纏まらない頭であやふやな返事をする。

 

 なりたい自分がある。成さなければいけないことがある。

 だけどその先は? 俺はどうしたいのだろう。何が、出来るのだろう。

 

 何がしかの言葉を紡ごうとして、しかし何も形作らずに口を閉ざした俺に、彼は静かな声で「夢を持つといい」と言った。

 

「小さくても、大きくても、いくつあってもいいんだ。コレのためなら頑張れるってもんを腹ん中に抱えとけ」

 

 いかにも技術者らしい節ばった拳が、とんと俺の腹を叩く。

 

「それのせいで辛い思いすることもあるかも知れないが、ここぞって時にそりゃあ、でっかい力になる」

 

「……小さくてもいいなら、目下のところキルマカレーの完成が夢です」

 

「おお。それで上等だ」

 

 そうして彼が、口の端を上げて笑う。

 込み上げた感情に押し出されるように目尻に滲んだ涙を瞬きでごまかして、俺も笑った。

 

 そこでふと、いつのまにか太陽の位置が随分と下がっていたことに気付く。

 まずい。いくら事実上 無意味な四手目とはいえ、触媒探しをしなくていい理由にはならない。とりあえず誰かと合流出来るまで、骨董屋さん等にそれらしいものが無いか探して来なくては。

 

 そろそろ行かなくてはならない旨を告げてから、ちらりと彼を窺い見た。

 

「――――また、ここに来ていいですか?」

 

 俺の夢。俺の未来。漠然と胸の奥に沈む気持ち。

 それをいつか、強い思いで、はっきりとした言葉で、心の真ん中に据えられる日は来るだろうか。

 

「ああ。好きにしろ」

 

 そんな思いに、出会えるだろうか。

 

 勢いよくふいた海風に釣られて、胸元で歯車の首飾りが揺れた。

 

 

 

「ところで、そりゃもちろん軍人を辞めてから来るんだろう?」

 

「い、いやー、それは……どうかなー……」

 

 




ロケットじいさんと。

じいさん、イベント中は「俺が~」とか「~だがな」とか結構若々しく喋ってるんですが、イベント外で話しかけたときは「~じゃ」とかイエモンさん達と同じ感じになってるので、どっちにしようか迷ったんですがイベント中の口調で統一しました。


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Act75.4 - (   )までのディスタンス(前)

 

 

 体を半分ほど海の向こうに隠した太陽を横目に、集会所前に集まった俺達は、お互い捜索の結果を報告し合った。

 一通り情報を交換したところで、誰からともなく息をつく。

 

「やっぱりそうそう見つかるもんじゃないよね~」

 

「今まで順調だったっていうのは、手掛かりがあったからだしなぁ」

 

 疲れたように肩を落としたアニスさんに、ガイがそう言って「仕方ないさ」と苦笑した。

 簡単に見つかってしまったら危険ですものね、と頬に手を添えて相槌を続けたのはナタリアだ。

 

 確かにそうほいほいと見つかるものなら、とっくの昔に誰かが惑星譜術を手に入れてしまっていただろう。それで良い人が集めてくれたんだったらいいが、万が一 悪用でもされたら大変なことであるし。

 そんなふうに考えれば多少見つかりづらくても仕方がないと思えてくるものだった。決してせめてそう思わないと心が折れそうだとかそういうわけではない。

 

 まぁ何にしろまだ探し始めたばかり。

 諦めるには早いですよね、と心の中でロケットじいさんに語りかけつつ、拳を握った。

 

「それでルーク、これからどうしますか?」

 

「え?」

 

 突然の問いかけにきょとんと翠の目を丸くしたルークに、大佐が言葉を重ねる。

 今日はここまでで終わりにするとして、もう何日かシェリダンに滞在し引き続き捜索をするのか、はたまたアルビオールのメンテナンス終了に合わせて別のところへ行くのか、ということだった。

 

 すると特に決めていなかったのか、ルークはまるでオタオタの性別鑑定をしろと陛下に言われた俺のごとく、難しい顔で「うぅうん」と唸りながらしばらく悩んでいたが、やがて勢いよく顔を上げて凛々しく眉を引きあげた。

 

「……ここで粘れば見つかるって保証もないし、こうなったら運だもんな! よし、別の場所に行こう!」

 

「まぁ移動すれば見つかるという保証もありませんがね」

 

「ジェぇえイドぉ!」

 

 せっかく決めたんだから揺らぐような事を言うなと大佐に詰め寄るルークの姿に苦笑して、俺は「じゃあ今からは自由行動ですね」と会話を繋いだ。

 

 移動のない日の夕方から夜にかけては、各自わりと好きなように過ごす事になっている。補充しておきたいものがまだいくつかあるので、俺はいつもどおりこれから買い出しの予定だった。

 

 まだ開いているだろうかとお店の営業時間を思い起こしつつ、足りないものを脳内でリストアップする。

 ええと。グミやボトル関係はセントビナーで買ったから、日持ちのする食糧をもう少し……。

 

「それじゃ、私は必要物資の調達に行ってくるわ」

 

「そういうとこ相変わらず固いよなぁ、要するに買い物だろ? 俺も行くよ」

 

 苦笑交じりのルークの言葉に、ティアさんは「そうかしら」と気恥ずかしげに呟いてから、その青い瞳を俺に向けて首を傾げた。

 

「一応、何が不足してるかは把握していると思うのだけれど、念のためメモを書いてもらってもいい? リック」

 

「え、あ、ハイ……じゃなくて! 買い出しならオレ行きますよ!!」

 

 戦闘やら何やらで常日頃 力になれない分、こんなところでくらい皆の役に立ちたい。

 慌てて引き止めるがティアさんは小さく笑って、かぶりを振った。その動きに合わせて長い髪が柔らかく揺れる。

 

「たまには私達に行かせて。いつも、リックが行ってくれているでしょう?」

 

「いや、でも、そんな」

 

 俺がおろおろしながら更に言葉を重ねようとすると、ティアさんの隣にいたルークが突然、ああもう、と声を張り上げた。

 

「いいから任せとけよ! 俺達っ、なか、」

 

 言いかけて、ルークはぴたりと動きを止める。

 そして口を真横に引き結び、勢いよく身をひるがえして集会所の中に飛び込んで行ったかと思うと、すぐに何かを手にして戻ってきた。紙とペンだ。

 

 押しつけるようにルークがそのふたつを俺に手渡す。

 そうして「買ってくるもん書け」と淡々と言われてしまえば、兵士魂の染みついた体は条件反射のようにそれを実行するほかなかった。

 

 半ば混乱したまま、先ほど思い浮かべていた品々を書き記してそのメモを返せば、彼はどことなく据わった目で「よし」と鷹揚に頷く。

 

 そのままくるりと背を向けて、堂々と肩で風を切りこの場を去っていく赤を呆然と眺め、ああしているとちょっとだけ後ろ姿がアッシュに似てるなぁ、なんて取り留めのないことを考えた。

 「まったくもう」と困ったように微笑みながら、ティアさんがそのあとを追って行く。

 

 二人の背中へと差し出しかけた右手は、何ひとつ成果を上げることなく空を切って、やがてぱたりと落ちた。

 

「お、怒らせちゃった、かな」

 

「いやあ、ルークは怒ってるわけじゃないと思うぞ」

 

 ガイはそう言いながら俺の肩を軽い調子で叩いてみせると、こちらを覗き込むようにして、その穏やかな空色の瞳に俺を映した。

 

「――……分かるだろ?」

 

「え、」

 

「さて、と。俺はアストンさんのところに作業を見学させて貰いに行くか!」

 

 ひとつ手を打って嬉しそうに表情を緩めたガイに、アニスさんが「ほんと好きだね」と呆れたような半眼を向ける。

 それにひらりと手を振って返したガイは足取り軽く、ドックに続く道のほうへ歩き去っていった。

 

 その背中が消えた方向を眺めながら、言われた言葉を意識の浅いところでなぞっていると、「じゃあ」といつにも増して明るく切り出されたアニスさんの声に、はたと自分を引き戻す。

 

「アニスちゃんはウインドウショッピング~! ナタリアも一緒にいこ!」

 

「ええ、もちろんですわ。リックと大佐はどうしますの?」

 

「あ、えっと。オレは買い物……の予定だったんですけ、」

 

「敬語」

 

「よ、予定だったんだけどね!」

 

 うっかり敬語で返し緑の瞳にじとりと睨まれて、俺は急いで言い直しつつ、頭の中から次にやろうとしていた事柄を引っ張り出した。

 もしも時間があった時には、と思っていたのだが、どうやら叶ってしまいそうだ。

 

「あの時のチーグルに会って来ようかと思うんだ」

 

 そう告げると、アニスさんが記憶を探るように目を瞬かせて、首を傾げた。

 

「あの時のって……もしかしてワイヨン鏡窟で保護した黄色い子?」

 

「はい。中々群れに送りに行ってあげられないから、せめて様子を見て行きたくて」

 

 前から気になってはいたのだが、アブソーブゲートでの戦いの後はしばらく怪我で動けなかったし、その後も何かと忙しく――といっても仕事の量が桁違いな大佐と比べれば俺などましなものだったが、ご落胤騒動だなんだとどうにも休暇を取るタイミングを掴めずにいるうちに今日を迎えてしまったというわけだ。

 

 いっそのことミュウみたいに一緒に来てもらった方がいいのかなぁ、と思ったところで、先ほどルークについて行きそびれてしまったらしいミュウが寂しげに足元で佇んでいるのに気がついた。

 

「なあ、よかったらミュウもあのチーグルに会いに行かないか?」

 

「みゅ?」

 

「そのうちにルークも帰ってくるよ、きっと」

 

 置いていかれる寂しさなら俺だってもう十二分に承知済みだ。

 しゃがんで視線を近付けながら誘ってみると、ミュウはやや名残惜しそうにルークが去ったほうを見た後、はいですの、と少し元気を取り戻した様子で頷いた。お互いに顔を見合わせて笑う。

 

「……では私もついでに、こちらで眼鏡の具合を見てもらう事にしますか」

 

「あ、そっか。大佐の眼鏡って譜業なんでしたっけ」

 

 きらりと光る眼鏡を改めて眺めながらアニスさんが言う。

 集会所の中には作業場が併設されているから、大佐はそこで頼むつもりなのだろう。

 

 あのチーグルもこの集会所にいるとドックを出る前にアストンさんから聞いていたので、俺(とミュウ)と大佐はここがすでに目的地の目前、ということになる。

 

 なので彼女達ともここで一旦解散だ。いってきまーすと手を振ってナタリアと一緒に歩いて行ったアニスさんに手を振り返す。

 そして二人の背が見えなくなったところで、俺はちらりと大佐を窺ってから、ゆっくりとその視線を空に移した。

 

 海の彼方へとほとんど姿を消した太陽の尻尾が、先ほどのミュウのように名残惜しげに空気の端っこを照らすのを見やりながら、一度深く息を吐いて、胸に準備していた言葉を音にする。

 

「行きませんでした」

 

 前後もなくただそれだけを呟くように零したが、ジェイドさんは何も聞かずに、そうですかと短い相槌をうってくれた。

 それに「はい」と頷いて、寸の間ふたりで沈黙を保った後、俺は目を伏せながら再度 口を開く。半分は自分に言い聞かせるつもりであった。

 

「イエモンさん達のところも、被験者家族(あのひとたち)のところも行きません……今は、まだ」

 

 まだという音にこもる意味に、ジェイドさんは気付いただろう。

 顔を上げればこちらを映す赤の瞳。その赤を真っ直ぐとらえて、へへ、と笑う。

 

「こんな中途半端で報告に行ったらイエモンさん達に怒られちゃいますよ。だから全部決着が、」

 

 言いかけて僅かに息を飲み、その言葉を引き戻した。

 すべてが終えたそのときに何が残って、何をなくすのかなんて、今はまだ想像するだけの勇気さえ俺にはないけど。

 

「……答えが、出てから。ちゃんと挨拶に行きます」

 

 傷付けて傷付けて、それからずっと逃げ回っていたあの人達に、俺は、伝えなくちゃいけないことがあった。

 

 ひとしきり話し終えて、いつのまにやら緊張していた肩の力を、息を吐くと同時に抜いた。

 それからはたと思い起こしてジェイドさんを見上げ、首を傾げる。

 

「ところで、眼鏡、調子悪かったんですか?」

 

「いえ別に」

 

「へ」

 

 さらりと戻ってきた返答に目を丸くした。

 

 間もなく、ああそうかメンテナンスか!と俺がひとりで納得していると、赤い目が何やらまじまじとこちらを見ていることに気がついた。

 また何かしてしまっただろうかと一人たじろいでいると、そのうちジェイドさんは不可解そうに眉根を寄せた。

 

「貴方ごくごく稀にものすごく便利ですねぇ」

 

「? えーっと……光栄です!」

 

 よく分からないが褒めてもらったらしいと頬を紅潮させて敬礼する。

 ひょいと肩をすくめたジェイドさんの足元で、ミュウが不思議そうに俺達を見上げていた。

 

 

 




仲間だろ、と言葉で押しつけるのは何か違う気がしているルーク。


>「貴方ごくごく稀にものすごく便利ですねぇ」
ミュウを連れてスターに会いに行く口実作りが物凄くあっさり済んだ大佐。
無意識の場合に限りチーグル的な勘でお役立ちな時があるリック。


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Act75.5 - (   )までのディスタンス(後)

 

 

 集会所の中には、ざっと見る限り人の姿はなかった。

 しかし工具が鉄を打つ軽快な音色は響いていたから、みんなそれぞれの作業場に入っているのだろう。一体どこまで行ってこれを借りてきたのかなと、先ほどルークに手渡されたペンを見下ろして苦笑する。

 

「いたですの!」

 

「ん?」

 

 ミュウが俺の足のあたりをくいくいと引っ張りながら声を弾ませる。

 

 その視線を追えば、奥にある机の影から黄色い毛並みのチーグルが顔をのぞかせていた。

 向こうも俺達のことが分かったのか、すぐに足取り軽く駆け寄ってくる。俺はその小さな体を抱き上げて笑いかけた。

 

「久しぶり! ごめんなー、中々来れなくて」

 

 元気だったか?と問いながら、いつぞや街で見た子連れのお父さんみたいに腕をめいっぱい伸ばして掲げる。えーと、たかいたかい、だっけか。

 

 すると足元にいたミュウが、この子の名前はスターだと教えてくれた。

 返事をするように、みゅう、と明るく鳴いたスターを見つめていると、ふいに胸をよぎる感覚があった。

 それと同時に感じた既視感。何だか前にも、こんなふうに思ったことがある、ような。

 

 そんな疑問にも満たない、なにがどうだと言葉にすることも出来ない何かに内心首を傾げていると、扉を入ってすぐのところで立ち止まっていた大佐が、かつりと軍靴を鳴らしてこちらに歩み寄りながらミュウの名を呼んだ。

 

「スターにソーサラーリングを貸してあげて下さい」

 

「みゅ?」

 

 少し聞きたいことがあるので、と言葉を付けたした大佐に、俺は目を丸くしてミュウと顔を見合わせてから、スターをそっとミュウの隣に下ろしてやった。

 

 ミュウはその胴体をぐるりと覆うソーサラーリングを取り外すと、みゅうみゅうといくつかの言葉を交わして、スターにそれを手渡す。

 こうしてみると、ミュウと喋れているのはあのリングのおかげなんだなぁなんて今更のように実感して何だか不思議な気分になる。

 

 大佐はスターの前に膝をつくと、静かに話し始めた。

 

「あなたは、被験者ですか?」

 

 短く、問いの意味を考えるように大きな耳を揺らしたスターが、はいなのです、と肯定を返す声を聞きながら、思わず動きを止める。

 

 ……これは、聞いてもいい話、か?

 

 嫌な汗が額に浮かぶ。

 もしかして俺はまた空気も読まずに大佐の邪魔をしにきてしまったのだろうか。

 スターに会ってこようと思ってそうそうミュウもいかない?的なことを能天気に口にした十数分前の自分を今更ながらに引っ叩きたくなった。

 

 いやいや今からでも遅くないはずだ。

 早々にこの場を立ち去れば、後のエナジーブラストくらいで許して貰えるかもしれない。

 

「ではレプリカ……もう一人の自分を作られましたか?」

 

「はいなのです。ディストという気持ち悪い人にやられたのです」

 

 ――だけど。

 

 本当にいちゃまずいなら、ジェイドさんは先に理由をつけて俺を遠ざけるような気がした。(町外れに槍落としたから捜して来いとかオタオタにスペア眼鏡を奪われたから取り返して来いとか)

 それをしないということは、もしかしてもしかすると、俺はここにいてもいいのか。いや、でもなぁ。

 

 情けなく迷っている間にも会話は目の前でトントンと続いていく。

 スターからいくつかの答えを引き出した後、最後に一つ、と前置いてジェイドさんは聞いた。

 

 もうひとりの――スターのレプリカはどうなったのかと。

 

 するとスターは殊更 思案げに目を細めて、多分死んだのです、と答えた。

 そして、実は自分は一度死んだのだ、と。

 

「その後、何かが入ってくる感じがしたと思ったら、自分は死んでいなかったのです」

 

 その時にはもう一人の自分はいなかった。

 そう締めくくられた言葉を聞いて、ジェイドさんは何事かをひとつふたつ呟いた後、スターに礼を言って颯爽と立ち上がった。

 

 くるりとこちらを向いた赤い目に、口元を引きつらせる。

 

「す、すみません別に立ち聞きっていうか、そんなつもりじゃ……! ていうかそもそもお邪魔するつもりではなかったんですが、あの」

 

 しどろもどろの俺には一瞥をくれただけで、ジェイドさんはすぐ足もとのミュウへと視線を移した。

 不思議そうに首を傾げるミュウに向けて、そっと人差し指を口の前に添えてみせる。

 

「ミュウ。今の話は誰にも話してはいけませんよ」

 

 スターから返してもらったソーサラーリングを定位置に戻しながらミュウは、話したくてもボクには訳がわかんないですの、と首を傾げた。なんというか俺も全くの同意見だった。

 

(……あれ?)

 

 話してはいけない、と。

 大佐が言ったのは“ミュウに”だった。

 

 ええと、俺、は?

 

「さて。それでは眼鏡の具合を見てもらいに行きますか。リック、貴方はどうします?」

 

「へ!? え、いや」

 

 漂わせた視線がふわふわと落ちて、ふと、手の中にあるペンの存在を思い出した。

 己の体温が移った部分から少し持ち手をずらせば、ひやりとした冷たい感触がしみ込んで来て、それに促されるようにして俺は顔を上げた。

 

「あの……今の話、って」

 

 しかしこれ以上どんな言葉を続ければいいのか分からずに口を閉ざした俺を寸の間 無言で見つめた後、大佐は静かにかぶりを振った。

 

「今の段階では、何とも言えません」

 

 言葉の意味を考えるより、俺はまず、答えが返ってきたことに驚いていた。

 間抜けな顔でぽかんと口を開く。いや、自分から聞いておいて何だけど。

 

 そうこうするうちに大佐はさっさと集会所二階の作業場に向けて歩き出す。その背に慌てて声を掛けた。

 

「うわ、待って下さいよぉ! オレも行きます!」

 

 ペンを返しに行かなくては、と後を追いかけようとして、はたと立ち止まりスターの前にしゃがみ込んだ。

 

「なぁスター、オレ達と一緒に来ないか? すぐだとか、いつだとか、はっきりした事は言えないけど、そのほうが早く群れに帰れるチャンスがあると思うんだ」

 

 それすらも、多分、と付け足すしかない不確かな話ではあるけれど、こっちの都合でいつになるか分からないものを待つなら、せめても可能性が高いほうが良いと思った。

 

 スターは真っ直ぐに俺を見つめて話を聞いている。

 そして、みゅう、みゅうと一生懸命に声を上げた。

 

「リックさん」

 

 隣でやりとりを見守っていたミュウが俺の名を呼ぶ。

 

「スターは群れに帰りたいそうですの。でも、ここの人達も好きだって、言ってますの」

 

 ミュウの言葉にうなずくように、スターがまたみゅうと鳴く。

 大きなまん丸の目が俺を見上げて笑った。

 

「いつか来てくれればいい、自分はここで待っているからって」

 

 それまではこの場所で、大好きな人達と、一緒に。

 

「……そっか!」

 

 黄色い毛並みをくしゃくしゃと撫でて、目を細める。

 

 何だかみんな、考えることは同じなんだなぁ。

 そんなことを微笑ましく思っている内にも、すでに階段の中ごろに差し掛かっている大佐に気付いて立ち上がる。

 

「そ、それじゃスター、また会いに来るから!」

 

 足元のミュウを抱き上げて身をひるがえす寸前、視界に映した黄色いチーグルに、やはり感じる小さな違和感。

 

 『実は自分は死んだのです』

 

 『その時はもう一人の自分はいなかったのです』

 

「…………」

 

 理屈も何も、分からなかったけど。

 この感覚の正体を、ほんの少しだけ感じとったような気がした。

 

 

 

 

 

 ――翌朝。

 

 ドックのほうに顔を出すと、そこには死屍累々ふたたびとばかりに疲労困憊しつつも、なんだかすごく清々しい、やりとげた顔の職人さん達が待ち構えていた。

 

 その中にはアストンさんだけでなく、煤や油まみれでありながらキラキラと瞳を輝かせるノエルもいた。工具を片手に「お待ちしてました!」と俺達を出迎えてくれる。

 

「……もしかしてあのまま夜通し作業してたのか?」

 

 昨日の夕方にもこのドックを訪ねたガイが驚いたように問い掛けると、貫徹だとアストンさんが何故か胸を張って答えていた。

 

 いつもアルビオールの操縦をしてくれているノエルに、シェリダンでたまにはゆっくり休んで欲しい、と思っていたのだが、もしかすると逆効果だったか。いや、ノエルがものすごく楽しそうなんだから、これはこれで成功なのだろうか。

 

「メンテナンスで何か異常が見つかりましたの?」

 

 いくら時間が限られていたとはいえ、メンテナンスだけで夜通し総動員することはないだろう。

 心配そうに訊いたナタリアに、アストンさんは「違う違う」と軽い調子で手を振ってみせた。

 

「点検ついでに、アルビオールを強化しとったんじゃ」

 

 いわく、最近新たに発掘した飛譜石を組み込んだのだという。

 

 細かい原理は分からないが、それによってアルビオールの能力が大幅に高まるらしく、今までは迂回していた砂嵐や雷雨の中でも安定した飛行が可能だと、いつになく興奮した様子で頬を赤らめたノエルが説明してくれた。

 

 あの祖父にしてこの孫ありって感じだね、とアニスさんが苦笑交じりに呟くのを聞いて、俺はなんとなく嬉しい気持ちで「はい」と頷く。

 

 動力そのものの機能も向上したので、雪山等に着陸してもかなりの時間凍りつかずに待機していられるらしい。

 触媒を全部集めたら地図にあったロニール雪山に向かう予定だったので、俺達にとっては願ったり叶ったりのパワーアップだ。ありがとうございます、と皆で職人さん達にお礼を言う。

 

「アルビオールは準備万端です、どこへでもお連れ出来ますよ!」

 

 大変なことや辛いことは確かにあるけれど、そのもっと根っこの部分に、飛ぶことが好きだという気持ちがあるんだろう。

 次はどこに向かいましょうかと疲労もよそに笑うノエルの表情からそんな事を感じて、感嘆の息をついた。

 

 俺もそれくらい好きなことが見つかるだろうか。

 それとも、もう譜業がそれくらい“好き”だろうか。

 

 気付いたばかりの感情を計ることは出来なかったけれど、見つかればいいなと、遠い夢のように想い微笑んだ。

 

「次なんだけど、ダアトに行ってみないか?」

 

 ノエルの問いを受けて、みんなに提案するように言ったのはルークだった。

 そういえば次の目的地をどうするかで、宿に戻ってきてからもしばらく悩んでいたっけ、と昨夜の記憶を探る。

 

「ほえ? ダアト?」

 

「うん。前回 話は聞いたけど、特に探したりはしなかっただろ? もしかしたら触媒って気付かれないまま、どこかにしまってあるのかもしれないし」

 

 シェリダンからならそう遠くないしどうだろうかと皆を見回したルークに、いいんじゃないですか、と大佐がいつもの調子で答える。

 

「それではさっそくダアトに向けて出発しましょうか。もしかしたら触媒はシェリダンにあるのかもしれませんが、まぁその時は縁がなかったということで――」

 

「だからせっかく決めたのに迷うようなこと言うなっつーの! 何かもうアンタ単に俺をからかいたいだけだろ!?」

 

 うん、いつもの調子だ!

 

 詰め寄るルークと笑って流す大佐のやりとりを眺めながら、俺は昨日のことを思い出していた。

 

 スターの答えと、大佐の言葉。

 気にならないわけじゃないし、自分は何も知らないから何も出来ない、なんて少し前の自分みたいな事を言う気もない。

 ただそれが意味するところを知る日が本当に来るのか、それすらも見当がつかないけど。

 

「……ルークーー!!」

 

「ぉわあ! 何だよ突然!」

 

 背後から思いきり飛びつくと、驚きつつも引きはがしはしないルークが肩越しに向けた翠の目をじっと見返した。

 

 気になる事も、知りたい事もあるけれど、それは今この時間を笑いあって過ごさない理由にはならないに違いない。

 ひとまず疑問は疑問のままに、俺が「へへ」と小さく笑うと、ルークは少しの間むにむにと口元を迷わせた後、やや照れくさそうに、そこへ笑みを乗せた。

 

 



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Act76 - にわとりは目を覚ますようです(前)

 

 

 ダアトで捜索をするならまずは挨拶をしてこようという事で、俺達はまっすぐ教会へ向かった。

 

 礼拝堂の荘厳な扉を開けると、そこにはトリトハイムさんと、数名の教団員さんの姿。

 何やら困り果てたように言葉を交わしている様子を見て、俺達は顔を見合わせて首を傾げた後、その輪へ控えめに声を掛けた。

 

 するとこちらに気付いたトリトハイムさんが、穏やかな笑みと共に「これは皆さん」と教団式の礼をしてくれる。

 

 慌てて敬礼を返した俺の隣に立つルークが、後ろで声を潜めて話し合いを続けている教団員さん達を窺いながら何かあったのかと尋ねると、特に深刻な話というわけではないのですが、とトリトハイムさんは笑みを苦笑に変えた。

 

「実は今日、この教会の広間で子供向けの劇をやる予定でした」

 

「でした、というと?」

 

 過去形の言葉尻をつかまえてガイが先を促す。

 

「少々手違いがあったようで、公演を依頼していた劇団がこちらに来られないという連絡が、先ほど……」

 

 しかし劇をやるというのは随分前から予定していたことで、ここに来る子達や、教会に預けられている身寄りのない子供達はすごく楽しみにしている様子だったらしい。

 どうにか都合がつかないかと各方面を当たったのだが、あまり期待できそうにない、という話を交わしていたところに、俺達が来たようだ。

 

 トリトハイムさんは小さく息をついて、胸元に手を添えた。

 

「ご存じのとおり、現在ローレライ教団は預言の読み上げをおこなっておりません。ですが、だからこそ、少しでも皆様のお心を慰めるお手伝いが出来ればと思いまして」

 

 今はせめて、子供たちだけでも。

 そんな思いで進めていた計画だったのだが、どうやら中止にするほかないようだと力なく笑う。

 

「劇団とまでいかなくとも、代役を立てるわけにはいきませんの?」

 

 労しげにそう尋ねたナタリアに、今までその代役を探して走り回っていたらしい教団員さんのひとりが首を横に振った。

 今は有事に備えて信託の盾騎士団が急ピッチで部隊を編制し直しているため、ほかの教団員もほとんどそのフォローと一般業務に追われているそうで、手が空いている者はいないようだ。

 

「それに衣装や小道具なんかも、すべて劇団のほうで用意してもらう手筈だったんです」

 

 小道具くらいなら有り合わせのもので多少どうにかなるだろうが、子供向けの劇で使うような衣装となるとさすがに無いし、今から作ろうにも時間がないという。

 

「その劇って、どれくらいにやる予定なんですかぁ?」

 

「本日の夕刻を予定しておりました」

 

「うは、さすがに間に合わないなー」

 

 ちなみに今はお昼をちょっと過ぎたくらいだろうか。

 アニスさんはお裁縫も得意だから(いつだったかこれも玉の輿修行の一環だと言ってにやりと笑っていた)場合によっては手伝ってあげてもいいと思ったのだろう。しかしいくらなんでも今から登場人物全員の衣装は無理か。

 

「皆さん、色々心配して頂いてありがとうございます。ですが、こればかりは仕方ありません。残念ですが中止の旨を皆に伝えましょう」

 

 先ほどよりは元気を取り戻した様子でトリトハイムさんが言うと、ほかの教団員の人達も残念そうにしながら、それでも告げられた事を実行しようと動き出す。

 

 子供たちが楽しみにしていた、という言葉を頭の中でなぞって、なんだか自分まで残念な気持ちになってくるのを感じながら、でも俺にはどうしようもないよなぁと眉尻を下げた。

 

 脚本があったって役者がいなきゃしょうがない、

 役者がいたって、衣装がなきゃしょうがない。

 

 とてもじゃないが舞台の衣装なんて。

 

「…………」

 

 ふと、脳裏をよぎった光景。

 そこから零れ出た記憶の中にひるがえった六つの色彩に、あっと声を上げた。

 

「リック?」

 

 こちらの顔を覗き込んできたルークの肩をがしりと掴んで、俺は目を輝かせる。

 

「アビスマンだよルーク!」

 

「…………………えっ」

 

「アビスマンだよ!!」

 

 うきうきと声を上げた俺の視界の端に、何やらものすごく微妙な顔をした皆と、ちょっともう珍しい位あからさまに表情を歪めた大佐の姿が映った。

 

 …………あれ?

 

 

 

 

 

「まあ、妙案ではあるよな」

 

「微妙に納得いかねーけどな」

 

 子供たちが出入りする場所で練習するのはまずいので広間の隣のホールへ移動して、台本代わりの絵本を片手になにやら話しているガイとルークの隣、俺は荷物袋から例の衣装を引っ張り出して眉尻を下げた。

 

「オレもこれ着なきゃダメですかね……」

 

 あの「イー!」って言ってるたくさんいる奴の衣装だ。あいにくあるのは一着だけだが。

 みんなのアビスマン衣装と一緒に、陛下が俺にと用意してくれたのがこれだった。グランコクマでみんなの衣装を貰った後、一応 寮部屋から持ってきてみたんだけど。

 

 劇の流れについて教団員さんと相談していた大佐が、振り返ってにこりと笑う。

 

「貴方がいらんこと思い出したせいであんなもの着るはめになった以上ぜひ着て頂きたいところですが、なにぶん役者が不足していますので」

 

 貴方の役はこちらです。そんな言葉と共に差し出された絵本。

 開かれたページの中に描かれているのは、アビスマンの敵、ブラック魔界団の幹部である魔界大使の姿だった。

 

「えぇ!? オレがですか!?」

 

「自分で言い出したんですから、責任持って演じて下さいねぇ?」

 

 そうして駄目押しのように輝く笑顔を向けられてしまえば、俺に許された選択肢は「ハイ」か「分かりました」か「了解です!」しかなかった。

 いや、別にやりたくないわけではないのだが、敵側とはいえ幹部なんて大それた役職が俺にこなせるのかどうかが心底不安だった。

 

 頬を伝う冷や汗を感じながら、絵本をめくる。そもそもこの台詞量……覚えられるだろうか。

 

「しかし旦那、嫌そうな顔してたわりに意外とやる気だな」

 

「引き受けると決まった以上、文句を言っていても始まりませんから」

 

 ひとつ溜息をついた大佐が眼鏡を押し上げる。

 

 俺の予想だが、ジェイドさんはアビスマンの衣装が嫌というより、あれを着る事で陛下の思惑に乗るのが嫌だったんだろう。まぁ着なくて済むなら一生着たくなかったというのも本音のような気がするけど。

 何にせよ、やると決めたらやる人だ。多分 持ち前の器用さをもって全力でアビスブルーを演じてくれるに違いない。

 

 ふと、規則正しい足音がふたつ、耳に届いた。

 大佐のものとも少し似た軍人らしいかちりとした足音と、ふわりふわりと優雅なのにブレのない足音。

 

 顔を上げて見れば、フロアの端にある階段から二人が降りてくるところだった。

 

「あ、ティアさん、ナタリア。おかえりなさ……おかえり! 衣装どうでし……どうだった?」

 

 やはり一度衣装を合わせてみないといけないので、女性陣はパメラさん達の部屋を借りて試着に行っていたのだった。

 ちなみに男性陣もすでに試着済みだ。あの衣装のまま歩きまわるのも何なので、とりあえずみんないつもの服に戻っているが。

 

「大丈夫よ。まあ、ぴったりだった、というのが少し腑に落ちないけど……」

 

 そっと目をそらしながら呟いたティアさんに、ホントすみませんと何故か俺が心から謝罪した。あの人そのへん抜かりないから。

 

 その隣で瞳を輝かせたナタリアが、ほうと息をついて頬に手を添える。

 

「初めこそ少々戸惑いましたけど、着てみると何だか気持ちが高揚いたしますわね」

 

 あ、乗り気だ。

 

「ところで、アニスはどうしたんだ?」

 

 みんなで試着に行ったはずなのにと首を傾げたガイに答えたのは大佐だった。

 一人分なら夕方までには何とかなるということで、アニスさんは今パメラさんと相談しながら衣装を作製中、らしい。

 

「え、でも衣装って誰の」

 

「貴方のですよ、リック」

 

「……オレの!?」

 

 何で俺の。ああ、いや、悪の幹部が一般兵士の軍服では様にならないのか。

 

 しかし魔界大使の衣装はややこしくて作るのに時間が掛かるので、デザインはおそらく死神博士という別の幹部に近いものになるだろうと大佐が教えてくれた。

 

 詳しいですねと思わず目を丸くすれば、さっき一通り読みましたからというあっさりした返事が戻ってきた。確かそれなりの巻数が出ていたと思うのだが、なんというかさすがの大佐イズムだ。

 

「あれ? じゃあオレ、死神博士やればいいんじゃないですか?」

 

「いえ、魔界大使です」

 

 ジェイドさんがこういう妙な事にこだわるのは珍しいなと視線を向けた先、盛大に眉根を寄せた彼の人は「どうも誰かを彷彿とさせるもので」と忌々しげに呟いた。

 

 死神で博士。

 

 あー、と曖昧な相槌を打って目を泳がせる。

 確かにそれは、わりと、かなり、嫌かもしれない。

 

 リボンの先の煤けた歯車が、なんて失敬なと憤慨するように揺れた気がした。

 

 

 ――――劇の本番まで、あと四時間。

 

 

 

 



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Act76.2 - にわとりは目を覚ますようです(後)

 

 

「あらわれたなアビスマンめ! えーと、散々ジャマをされてきたが、それも、ここまでです……だぞ!」

 

 だぞ、だぞ、だぞ……と高い天井に反響した声の余韻が消えて間もなく、誰からともなく溜息を零し、大佐が頭痛を堪えるようにこめかみに手を添える。

 俺もみんなに突きつけていた人差し指からへなりと力を抜いて、眉尻を下げた。

 

「あの、これ、敬語じゃダメですか?」

 

「それで悪役らしく振るまえるんならいいけど、出来なきゃもう死神博士の衣装着ただけのリックだよね」

 

 アニスさんに淡々と突っ込まれて、うう、と返す言葉もなく肩を落とす。

 

 だって役柄の上ではいくら「悪の幹部とアビスマン」の関係とはいえ、こうして俺の目の前にいるのは紛れもなく大佐と皆さんなのだ。正直まったく勝てる気がしないどころか、挑む気にもなれないラインナップだった。

 

 役柄に入り込めればいいのだろうが、一介の兵士にパッと役者魂が芽生えるはずもなく。

 本番に向けて大急ぎで劇の練習をする中、俺は先ほどから見事に足を引っ張っていた。

 

「大佐ぁ~、リックが魔界大使ってやっぱり無理あると思うんですけどぉ。演技的にも衣装的にも」

 

「まぁ衣装については、幹部の名前を呼ばない事でごまかしましょう」

 

 死神博士っぽい衣装を着た魔界大使的な幹部という方向で、と大佐が真面目な顔で告げる。そんなに嫌ですか死神博士。

 

 今のところは練習だからみんな衣装を身につけていない。

 でもさっき完成間近の魔界大使(仮)の服を見せて貰ったらほぼ死神博士だったわけだけど、俺はあくまで魔界大使を貫くべきらしい。いや、えーと、死神博士っぽい衣装の魔界大使的な幹部を。

 

「それなら俺がやろうか。体格そんなに変わらないし、俺の衣装ならリックも着れるんじゃないか?」

 

 見かねたガイがそう提案してくれるも、ヒーローがあの調子のほうが余計まずいという事と、ガイも結局 悪役らしくないという点では変わりないということで却下されていた。

 確かにガイには悪役より、悪人から村娘を救出する好青年とか、勇者の帰りを待つお母さんとかのほうが余程似合う気がする。

 

 そこで場を引き締めるように、大佐がひとつ手を叩いた。

 

「とにかく。配役についてはもはや変更の余地がありませんので、各自本番までに最低限それらしくなるよう頑張って下さい特にリック」

 

「はいぃ……」

 

「と、とりあえず、やるからには皆に思いっきり楽しんでもらえるように頑張ろうぜ!」

 

 そんなルークの掛け声に合わせて、おお、とみんなで拳を掲げた。

 

 

 

 

「今日のところはこのくらいにしておきまっ、おいてやる! だが忘れるな! ブラック魔界団はふめちゅっ……不滅なのだ! はははは!」

 

 最後の台詞を言いきって間もなく、じんわりとした生温かい静寂が辺りに広がる。

 皆が無言で視線を交わし合い、やがてガイがしみじみと呟いた。

 

「……いっそこれはこれで一生懸命な感じがしていいんじゃないか?」

 

「はぅあ!? ガイがお遊戯会を見守るお母さんみたいに!」

 

「でも、何だか段々そんな気持ちになってきましたわね」

 

 練習すること数時間。

 俺の演技力は上達の兆しすらみせないまま、本番三十分前の今に至ってしまった。いいかげん空気中に漂ってきた甘受ムードがなんともいたたまれない。

 

 様子を見ていた大佐がふいに、後は本番まで休憩にしましょう、と言った。

 

「でもあの、オレもう少し、」

 

「ぎりぎりまで練習し続けたから成功するというものではありませんよ。まぁ休憩を取ったから成功するとも限りませんが」

 

「うわぁぁん!!!!」

 

 何やらもう最悪の近未来しか脳裏に浮かばず半泣きになった俺を見て、ティアさんが口元にほんのりと苦笑を乗せる。

 

「でも、確かにあまり無理をするのは良くないと思うわ」

 

「そーだな。出来ることは全部やったんだし、後は本番あるのみってことでさ。休憩にしようぜ、リック」

 

 宥めるようにルークに背を叩かれて、俺は盛大に肩を落としながら、「うん」と小さくうなずいた。

 

 

 

 気分転換に散歩でもとみんなに勧められたので、とりあえず教会内を歩いてみることにしたが、何だか全てにおいて心もとなくて、ついアビスマンの絵本まで持ってきてしまい、そういえばこれじゃあんまり気晴らしにはならないんだろうかと気付いたのはついさっきだ。

 

 でも置きに戻るほどの事でもないよなぁ。

 小さく息をつき、俺は歩きながら手元の絵本を開いた。

 

 昔の記憶をたどると聞こえてくる、絵本を読み上げるその声は、随分にぎやかなものだった。当時の自分が内容を理解出来ていたかというと怪しいが、彼の人の勢いだけで十分楽しかったのを覚えている。

 そう思うと、陛下は絵本を読むのがうまかったのだろう。だが参考にしようにも、俺にあの謎の吸引力と表現力を再現できるとはとても思えない。

 

 なんかもうピオニーさんに死神博士もとい魔界大使的な幹部を演じてもらえばいいんじゃないか、と考えすぎて俺の頭も混乱してきた時だった。

 

 どん、という振動が体に響いて、自分の意志とは無関係に、重心が後ろに傾く。

 

 ついでに持っていた絵本が浮き上がるように手から離れていこうとしているのを感じた。

 ここの図書室で借してもらった本なのに落とすわけには、と必死に体勢を立て直し、本をつかみ直す。

 

「……あ、危なかった」

 

 しっかと本を抱え直して、安堵の息をついた。

 どうもよそ見していたせいで何かにぶつかってしまったらしい。

 

 注意散漫だって大佐に怒られそうだなぁと眉尻を下げつつ、何にぶつかってしまったのかを確認しようと視界を移動させたところで、びしりと固まった。

 

 そこには、しりもちをついて床に座り込んでいる男の人。

 

 なんでそんな事になってるのかってそりゃあもう、一目瞭然だ。

 頭のてっぺんから一気に血の気が引ける。

 

「ごごごごめんなさい!! すみません! 大丈夫ですか!? どこか怪我っ……痛いところは!?」

 

 その人の正面に膝をついて大慌てで謝罪を繰り返した中で、ふと、自分が発した言葉に違和感を覚えて動きを止める。

 

 だって目の前にいる男性はどう考えても俺の見た目と同じくらいか、もしくは年上にしか見えないのに、何で俺は言い直したんだろう。

 “痛いところは”なんて、まるで小さな子供に尋ねるみたいに――。

 

「あ」

 

 胸をよぎった既視感に思わず声を上げれば、彼がゆるゆると顔を上げる。

 ぼんやりとこちらを映した光の宿らぬ瞳を見返して、俺はあまり当たらない自分の勘を半分ほど疑いながらも、そろそろと口を開いた。

 

「あの、ぶしつけな質問で申し訳ないんですが、ええと……」

 

 あなたは、レプリカだったり、しませんか?

 

 比喩的にそれとなく尋ねるとか器用なことがまるで出来ない俺が零した問いかけに、彼はしばしその意味を考えるように沈黙した後、こくりと小さく頷いてみせたのだった。

 

 

 とりあえず本当に怪我がないか確認するため、礼拝堂前の大階段の隅に腰を下ろすことにした。

 

 簡単に足を動かしてもらったり、腕を回してもらったりしたのだが、本人がひたすら無表情なので本当に痛みがないのか確証が得られなくて少し心配だけど、それでもひとまず異常がなさそうな事にほっと息をつく。

 

「後で痛くなったら、ちゃんと誰かに言うんだぞ?」

 

 すぐに分からない怪我もあるっていうし、とちょっと年上ぶって説明してみるが、かくいう俺もジェイドさんからの受け売りだった。

 それに対し、無言ではあるが真っ直ぐにこっちを見ていてくれたので、まあ多分聞いてもらえたのだろうと思うことにして体の向きを正し、座り直す。

 

 そうして話しかける俺の声が途切れれば、あっけなく沈黙が広がった。

 しかし無言の空間は決して気まずいものではなく、むしろ、どこか安心さえするような。

 

 ルークやイオンさまと一緒の時にも近い不思議な感覚を自分の中でこねまわしながら、何くれとなく膝の上に乗せた絵本をめくった。

 

 世界を守る正義のヒーローと、世界征服をもくろむ悪の組織。

 お芝居の話といはいえ、どちらにせよ俺には似合わないなと苦笑する。

 

 あれよあれよという間にこんなところまで来たけれど、俺はただのビビリでヘタレな一介の兵士だ。

 まぁジェイドさんに言ったように今更 部外者になるつもりはないけど、それでもやっぱり、役柄を貰えるような人間じゃないだろう。

 

(――――だけど)

 

 端に描かれた一般市民の絵をそっと指でなぞって、目を細めた。

 

「…………」

 

「ん?」

 

 ふと気配を感じて意識を引っ張り戻すと、隣の彼が無表情ながらも真剣に俺の手元を覗き込んでいるのに気がついた。

 正確には、そこに開かれた、アビスマンの絵本を。

 

「えぇと……オレで良ければ、読もうか?」

 

 静かなる熱視線に押されるようにして、俺は気付けばそう零していた。

 

 絵本のストーリーはいたってシンプル。

 みんなを困らせる悪者を、正義の味方が退治する。

 

 いや、この巻がたまたまそうだっただけで実際のところアビスマンは誰が裏切っただのお金がどうだのという子供向けにはどうだろうっていうシビアな話も多いのだが。

 

 ヒーローの物語は、ゆっくり読み上げても十分足らずで終わった。

 

「――こうしてアビスマンの活躍により、街に平和がもどりました。めでたし、めでたし」

 

 全てを話し終えて、俺は細い息と共に肩の力を抜いた。

 

 誰かに絵本を読み聞かせてあげるなんて初めての事だ。ちゃんと出来ていただろうか。隣にいる彼の様子をそっと窺ってみる。

 

 彼は、最後のページを食い入るように見つめていた。

 そこには人々を救ったアビスマンが空の彼方へと帰っていく絵が描かれている。

 

 その絵の上にほとりと指先を落として、心なしか目を伏せた彼が呟いた。

 

「帰れ……ない……」

 

 小さく、しかしはっきりと耳に届いたその言葉に、息をのむ。

 

 彼が帰りたかった場所。

 それは自分が生み出されたあのフェレス島か、目指していたレムの塔なのか、はたまたモースに約束されていた栄光の大地エルドラントであるのかは分からない。

 

 でも、尋ねることはしなかった。

 どこであったところで、それはもう彼にとって失われてしまったものなのだ。

 

「……君の、」

 

 胸いっぱいに広がる感情に付ける名前も見つからないまま、喉に詰まってしまいそうな言葉をどうにか拾い上げる。

 

 多分彼にはこれから、つらいことがたくさんあると思う。

 諦めてしまいたくなる瞬間も、何度も何度もあるかもしれない。でも。

 

「君の帰る場所は、帰りたいって思える場所は……いつか、きっと、出来るよ」

 

 幸せだって心から笑える日は、きっと来るから。

 

「出来る、から」

 

 だからそれまで、どうかどうか、生き抜いて。

 

 ぐっと唇を噛む。

 

 もっと、はっきりしたことを言ってあげられたら良かったのに。いつかとか、きっと、なんて情けない言葉じゃなくて。

 ふがいなさにどんどん目の奥が熱くなってくるのを感じて、膝の上に開いた絵本に突っ伏すようにして、顔を伏せた。

 

 言ってあげたかった。

 大丈夫だよって、心配ないよって、ちゃんと。

 

 俺が。

 

( ―――― ()() が ? )

 

 滲んだ視界のさらに向こう。

 小さな、でも強烈な光が、ちかりと瞬いた気がした。

 

 そのとき、ぽん、と頭頂部に乗った重みに目を丸くする。

 

「え」

 

 少し顔の位置をずらして横を見上げれば、そこには変わらない真顔のまま俺を覗き込む彼の姿。

 ぽん、ぽん、と一定のテンポで俺の頭に手を乗せるその動きは、撫でているというには だいぶぎこちないものだったが、どうやら俺は慰められているらしい、と感じるには十分だった。

 

 今度は熱くなる頬をごまかすために膝の上に突っ伏して、我知らず緩む口元をそのままに小さく笑う。

 

「なんか、うん、ありがとう」

 

「…………?」

 

 不思議そうにしている気配が伝わってきたが、俺はただもう一度だけありがとうと繰り返して顔を上げた。

 

 目の前の彼を見つめて、僅かに目を細める。

 

 それはきっと、簡単じゃない。

 具体的な形も、実現する力も、まだ何も持っていない。

 

「へへ」

 

「…………」

 

 芽生えたばかりの小さな小さな火種を胸に。

 俺は不安も照れくささも綯い交ぜにしたままの、情けない顔で笑った。

 

 

 




生まれたてレプリカに慰められる先輩ヘタレプリカ。


>「帰れ…ない…」
このレプリカはダアトの教会に行くといる彼です。たぶんレムの塔後くらいになるとこれを言ってます。


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Act76.3 - 俺とおまえの現在地(前)

ルーク視点


 

 

「すみません! いま戻りました!」

 

「リックおーそーいー! ほらほら早く衣装着ないとぉ!」

 

 本番直前に戻ってきたリックは、待ち構えていたアニス監修の下、大急ぎで死神博士っぽい服を着た魔界大使的な幹部の衣装に着替え始める。

 

 しかしまがりなりにも軍人だからか、時間にはわりと正確で、迷子にならない限りはいつも早めに戻ってくるのに。

 こんなにぎりぎりなのはめずらしいなと思いつつも、出ていった時よりすっきりした表情をしていることに内心ほっと息をつく。何か演技のとっかかりを掴んだのだろうか。

 

「リック」

 

 衣装と同時進行で小道具だなんだを装着させられているリックに近寄って声を掛けると、あいつはぱっと表情を明るくしてこっちを向いた。

 

 今まではこの反応が少し照れくさくも嬉しくあったのだが、こうなると無表情やらふくれっ面のほうがまだマシな気がした。

 声掛けただけでそんなに喜ぶなっつーの、と半眼で小さく独りごちる。

 

「ルーク?」

 

「……や、何でもない。遅かったな」

 

「う、うん、ごめん。ルークも今から着替え?」

 

「あー、みんなギリギリに着替えようって事になったんだよ。どうせ着るっていうか被るだけだし」

 

 あとアレを装着している時間を極力短くしたいしと遠い目で正直なところを付け加えると、リックは「カッコイイのになぁ」とちょっと残念そうに呟いて眉尻を下げた。本気でそう思っているらしいのが恐ろしいが、ま、とひとつ笑って俺は胸を張った。

 

「それでもこうなりゃ乗りかかった船っていうか、本番は全力でアビスレッドやるから心配すんなって」

 

 せっかくお前も演技の事なんか吹っ切れたみたいだし、と軽く肩を叩いてみせる。

 すると一瞬の間をおいて、リックの動きが不自然に止まった。

 

 血の気の引いた顔から、だらだらと冷や汗が滴り始める。

 それに釣られるように頬がひきつるのを感じながら、そろりと口を開いた。

 

「……演技、なんか、掴んだんじゃ」

 

 だあっとリックの両目から涙が溢れる。

 

「ど、どどどどどどうしよう、ルーク」

 

 わすれてた。

 

 消え入るような声でそう零したリックの背後から、ハイあとこの杖持ってもらえれば死神博士っぽい服を着た地獄大使的な幹部さん完成でーす、という無情な最後通告がなされる。

 

 悪役の格好をして禍々しい感じの杖を持たされたリックは、その杖に半ばすがりつくようにしながら救いを求める眼差しをこちらに向けてきた。

 だが本番五分前の声が響く中、数多の苦難を二人三脚で乗り越えてきた劇団の役者仲間でも無し、付け焼刃の素人二名に起こせる奇跡があるわけない。

 

「ごめんリック、俺ちょっと着替えてくるから……」

 

「待って! 待って下さいお願い見捨てないでルーク!!」

 

 じゃ、と手を上げてそのまま振り返らずに立ち去ろうとしたが、今度こそ本当にすがりついてきたリックががっちりと胴に巻きつく。どうでもいいけどお前すがりつきかたが本気すぎる。

 

 だけどこればっかりは俺にはどうしてやる事も出来ないだろう。

 なんて言ってこいつを引っぺがそうかと悩んでいると、ふいにその重さが消える。

 

 気付けば俺の足元に、死神博士っぽい服を着た魔界大使的な幹部が転がっていた。

 そしてすぐ傍にはいつのまに来ていたのかジェイドの姿。どうやら蹴り倒されたらしい。

 

 忙しそうに駆け回りながらそれを見ていたアニスが、ぷくりと頬を膨らませる。

 

「大佐~! 小道具は壊さないでくださいよね! ほとんど教会の備品なんですからぁ」

 

「ハハハ、まさかそんなヘマはしませんよ」

 

 小道具に配慮しつつ男ひとりを蹴り飛ばす方法を自分は知らなかったが、まあジェイドだからと思えば特に不思議はない気がした。

 

「まったく、いい加減腹をくくったらどうですか?」

 

「でも、ジェイドさぁん……」

 

 打ち付けたらしい鼻を押さえながらリックが情けない声をあげると、ジェイドはひとつため息をついて、眼鏡を押し上げた。

 

「どうせアレを着込んでしまえばこちらの姿は見えないんですから、中に大嫌いな相手が入っているようなつもりでやればいいんですよ」

 

 とはいえ命のかかった実際の戦闘ですら魔物相手に怯え倒している奴が、そんなちょっとした自己暗示くらいでどうにかなるわけもない。

 少々投げやりに零されたジェイドの言葉に苦笑する間もなく、もう着替えなくちゃとアニスに名を呼ばれ、急いで身をひるがえす。

 

 その傍らで、リックが何やら思案げに目を細めていたのには気付かずに。

 

 

 

 

 ――そして、そのジェイドの助言は、なんとも的確なものであったらしい。

 

「現れたなアビスマン。毎度毎度、忌々しいことだ」

 

 目の前で無表情を少し歪め、今にも舌打ちしそうに目を眇めた死神博士っぽい服着た魔界大使的な幹部の姿に、俺は存外 着心地が良いアビスマンスーツの中、暑くもないのに汗が額を伝う感覚を覚えた。

 

 ええと…………、誰あれ。

 

 少し呆然としていると、ルーク台詞、と隣のティア扮するアビスブラックに小声で促され、はっと自分の役割を思い出す。

 

「……それは、こっちのセリフだ! 俺達が来たからには、お前の好きにはさせないぞ!」

 

 大振りな動きで指を突きつけてポーズを決めれば、わっと子供たちからあがった歓声を、嬉しく受け止める。しかし目前の事態だけは今だ受け止めきれずにいる俺は、改めてリックを見やった。

 演技として特別上手いわけではないのだが、練習中の様子を目の当たりにしていた人間からすれば、もはや奇跡と呼んでいい出来だ。

 

 だが、何かもうその辺はどうでもよかった。あいつあんな顔すんの。

 

 あれが、嫌いな相手が入ってるつもりでやれ、というジェイドの助言を受け止めた結果らしいのは明らかだが、先の大喧嘩の時にだってあんな、台詞通り心底忌々しげな顔は見せなかったというのに、いったい誰を想定してあの状態なのか。知りたいような知りたくないような。

 

 ああ、無表情とかのほうがマシだってさっき思ったけど、半分だけ撤回することにした。

 いくら声掛けただけで大喜びされるのが腹立たしいとはいっても、あの反応が返ってきたらさすがにちょっと泣ける。

 

「面白い。やれるものならやってみろ。今日こそ、私自らお前達の息の根を止めてくれるわ!」

 

 そう思うとジェイドにウザいだ何だと突き放されてもとにかくめげずに(いや泣いてたりはするが)後を追い続けるリックの事を、今初めて真の意味ですごいと思った。

 それを踏まえれば、今 目の前で悪役らしく顔を歪めている死神博士っぽい服着た地獄大使的な幹部が、苦労の中間管理職に見えなくもない。

 

 しかし劇が終わってもあのままだったらどうしようかと取り留めのない不安を胸の内で転がしつつも、子供たちの前で人々を救うため、アビスレッドは力強く足を踏み出した。

 

 

 



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Act76.4 - 俺とおまえの現在地(中)

ルーク視点


 

 

「おつかれさまルーク! 大変だったけど無事に終わって良かったぁ! あ、オレちゃんと死神博士っぽい服着た魔界大使的な幹部 演れてた?」

 

 劇終了後、リックはいつもどおりコロコロとよく変わる表情を嬉しげにしたり不安げにしたりしながら、そう問いかけてきた。

 

 それに対して俺は「ああ、うん、なんつーか、別人みたいだったぜ!」と色んなことを省いて思い切りざっくりとさせた感想と共に親指を立てるしかなかったが、どうやら前向きに解釈してくれたらしいリックが照れる姿をどこかほっとした気分で眺めつつも、ほんのりと遠い目になる。

 

「ところでお前、なんでまだ杖持ってんだ?」

 

 衣装はとっくに着替えて、片付けの手伝いもそろそろ終わろうかという頃合いにも関わらず、リックの右手には死神博士っぽい服着た魔界大使的な幹部の小道具であった、禍々しい杖が握られていた。

 

「いや、片付けようとは思ったんだけど、どこにしまえばいいのか分かんなくて」

 

「これ渡してくれた人に聞けばいいんじゃねえの」

 

「今、片付いた分の荷物しまいに行ってるらしいよ」

 

 まだ忙しそうな他の教団員に預けるのは気が引けるし、安物や教団の配給品のようにはとても見えないこの杖を、そこらへんに放り出しておくのも忍びない。

 そんなわけで片付けの手伝い中も、ずっと持ったままで走り回っていたという。

 

 頭の中で、石がカチンとぶつかり合うような音を聞いた気がした。

 

「……言えよ、そういうことは」

 

 ほとんど音にはしないまま小さく呟く。

 

 アニスやティアに言えば、その教団員を探してくれたかもしれないし、他のみんなに相談すれば、何か案を考えてくれたかもしれない。

 

 言ってくれれば。

 俺だって、一緒に探した、のに。

 

「だからオレも今のうちに、預かってもらってるみんなの荷物、取りに行っちゃおうと思って――……ルーク?」

 

 どうしたのと顔を覗き込まれ、息をついて「何でもない」と頭をかいた。

 

「ていうか荷物なら俺が取ってくるからさ、リックはここに居ろよ。その人もうすぐ戻ってくるんだろ?」

 

「でもまぁ、取ってくるのもそんなに時間かからないと思うから」

 

 ちょっと行ってくるよ、と当然のように笑うリック。

 出会ったころから変わらないそんな態度、少し前まではむしろ安心するものであった変化のなさが、この頃はやけに癇に障る。

 

 む、と眉尻を吊り上げて、さっそく身をひるがえそうとする襟首をがしりと掴んだ。

 

「ぐえっ」

 

 潰されたチュンチュンみたいな詰まった声をあげて足を止めたリックが、軽い涙目で肩ごしにこちらを振り返る。

 

「ルーク?」

 

「……俺が行く」

 

「いや、だって、シェリダンでもルークとティアさんに買い物行ってもらったから、今度こそ」

 

「俺が行くっての」

 

「ダ、ダーメーでーすー!! せめて雑用でくらいお役に立たないとオレ本当に立つ瀬がないじゃないですかぁ!」

 

「あー! いいから任せとけよ! あと敬語使うな!」

 

 情けない顔でさらに何やら言い返しかけたリックが、ふとこちらの肩ごしに後方を見やって、目を輝かせた。その反応だけで振り返らずとも誰が来たのかが知れる。

 別にその立ち位置につきたいとは全く思わないが、あまりに分かりやすい態度の違いに、思わず「このどちくしょうが」とナタリアにでも聞かれたら眉を顰められそうな文句を思考の中に吐き捨てた。

 

「ジェイドさん!」

 

 予想通りの姿が自分の隣に並んで、いったいいつから聞いていたのか(それとも現状を見てあらましを察したのか)別にいいじゃないですか、といつもの笑みを浮かべた。

 

「本人が行きたいと言ってるんです。遠慮なくパシリ……もとい、取ってきて貰えばいいんですよ」

 

 何一つごまかせていないというかそもそもごまかす気もなさそうなジェイドの言葉に突っ込むことなく、それどころか「そうだよルーク!」と元気に同意するリック。

 

 今度こそ自分が行くんだ、と力いっぱい語る視線から、俺は苦い気持ちで顔をそらして、呟く。

 

「杖」

 

「え?」

 

 ぽつりと零した単語の意味を掴みかねたのか、視界の端で首をかしげる様子に、俺はがしがしと荒っぽく髪をかき回してから改めて相手へ向き直った。

 

「だから、杖。荷物とりに行くのに、わざわざかさばるもの持ってってどうすんだよ」

 

 差し出した手を見つめて大きく目を瞬かせたリックが、ほんの一瞬、なぜか、戸惑うように息を詰めた気がしたけど、それを確かな感覚として捉えるより先に、手渡された杖の感触に意識が移る。

 

「えっと……それじゃあ、預かって貰ってもいいかな」

 

 申し訳なさそうに笑って俺に杖を預けたリックは、今度こそ身をひるがえすと、すぐ戻ってくるから、と言い残して足早にこの場を離れていった。

 

 まだ何人かの教団員が片付けのために行きかっているざわめきを周囲に、俺は杖を受け取った手を下ろして息をついた。

 納得のいく結果ではなかったけれど、まあ、これを預かれただけ良いと思うことにするしかないだろう。

 

 ふと隣から、眼鏡を押し上げたらしい微かな金属音がした。

 横目にそちらを見やると、何もかも見透かしたような大人の顔でジェイドが笑う。

 

「時には、引くことも大切ですよ」

 

 いつもながら多くを語ろうとしない、独白にも聞こえる言葉だったが、何のことを言っているのかはすぐに分かった。

 なんでジェイドが俺の思惑を知っているのかと思わないでもなかったが、そのへんはもう今更なので考えないことにする。ジェイドだからだ。そうに違いない。

 

 ジェイドの言うことは分かる。

 リックの立場だって、もちろん知ってる。だけど。

 

「……こっちまで引いたら、いつまで経っても何も変わらないだろ」

 

 呟いたそれは思った以上に拗ねた響きを帯びていて、ジェイドはほんの少しだけ目を丸くしたかと思うと、呆れたように肩をすくめた。

 

 ばかにしているのかと思いきや、いやはや、と吐息交じりに零された音が、予想外に柔らかな響きを帯びていたので、俺はぶつけかけた悪態を喉の手前で引きとめ、代わりに別の言葉を押し出した。

 

「そういえば触媒は結局見つからなかったっつーか、探せなかったな」

 

「まぁ、たまにはボランティアで終わる一日というのもいいじゃないですか」

 

「ジェイドがそういうこと言うと なんっか胡散臭いよな……」

 

 おやおや心外ですねぇ、なんて白々しく嘆いてみせるジェイドを半眼で見やりつつ、確かに子供達には喜んでもらえたんだしいいか、とアビスマンに向けられた たくさんの声援を思い出して口元を緩める。

 

 

「すみません! おまたせしましたー!」

 

 そうこうするうちに、リックが戻ってきた。

 

 両手いっぱいに荷物を抱えて一人で足早に帰ってくる姿を見ながら、あいつ本当に誰にも頼まなかったんだなと、いつもどおりの光景なのに何だか顔をしかめたくなる。

 

 引きたくないことは、もちろんあるけれど。

 だからって困らせたいわけじゃない。

 

 目立たない程度にひとつ深呼吸をして、口の端をあげた。

 リックに向かって、杖を持った手を大きく振る。

 

「おっせーよリック!」

 

「ごめんルーク! 今行く――、」

 

 その瞬間。

 

 きぃん、という甲高い金属音のようなものが空間に響いた。

 

「…………」

 

 反射的に足を止めたらしいリックがそろりとその場から一歩あとずさると、音も一緒に止まる。

 短い逡巡の末に、次は俺がリックのほうへ一歩踏み出してみた。すると、また耳鳴りにも似た高音が空気を揺らす。

 

「………………」

 

 居心地の悪い沈黙の中、二人で顔を見合わせた。

 やがてその視線はゆっくりと、俺の手の中にある、死神博士っぽい服着た魔界大使的な幹部の小道具であった杖へと集まった。

 

 「ああやっぱりそうでしたか」なんてさらりと言ってのけているジェイドの声を意識の隅に引っかけながら、途端に禍々しさを増した気がする杖を持つ手を、ほんのちょっと体から離す。

 

 ……いや、ていうか、知ってたなら言えよ!

 

 

 




▼『魔杖ケイオスハート』を手に入れた!

音素の雰囲気で九割七分そうかなーと思ってはいたものの、ソードダンサーの例もあるし、そうでなくともどうせ劇が終わるまでは確認取れないしーということで言わなかった大佐。


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Act76.5 - 俺とおまえの現在地(後)

ルーク視点


 

 

 その後、戻ってきた教団員に杖のことを聞いたのだが、劇のためにと かき集めた小道具の中にまざっていたものをリックに手渡しただけで、どこにあったものかなど詳しいことは分からないという。

 

 今はジェイドの譜術封印で止んでいるが、リックが持ってきた荷物に入っていた触媒と呼び合うように鳴り響いた甲高い音は、この杖が惑星譜術の触媒であることを意味していた。

 

 とはいえ無断で持っていくわけにはいかないので、皆と話し合った末、トリトハイムさんに頼んでみようという事になった。

 

「これは皆さん、この度は本当にありがとうございました。子供たちのあれほど明るい顔を見たのは久しぶりでしたよ」

 

 礼拝堂で俺達を迎えてくれたトリトハイムさんは、まずそう言って深々と礼をしてくれた。俺も「喜んでもらえて良かったです」と正直な気持ちを口にして笑う。

 

「ところで、この杖のことなんですけど」

 

 事情を説明して杖を見せると、彼はまじまじとそれを観察し、やがて何やら思い至ったように目を見開いた。

 

「これはイオン様の遺品です」

 

「イオン、の?」

 

「正確には前導師エベノスの遺品だったのですが……そうですか、これも惑星譜術の触媒でしたか」

 

 そんなものがどうして小道具の中にまざっていたのかは分からないが、この杖をしばらくの間 貸してほしいと頼むと、ほんの一瞬の沈黙の後、トリトハイムさんはゆっくりと頷いて、これもイオン様のお導きでしょうと口元に笑みを乗せた。

 

「……ありがとうございます!」

 

 本当は、劇の準備に忙しい中で、慌てた誰かがたまたま持ち込んでしまっただけなのかもしれない。

 

 でも。

 

(――イオンの)

 

 そうだったらいいなと、思った。

 

 

 

 

 とりあえず一度アルビオールに戻ろうということで、皆でダアトの石畳を歩きながら隣にいるリックをちらりと伺う。

 

 教会を出る前、ふと俺達に断って場を離れたかと思うと、その先にいた誰かと親しげな様子で言葉を交わしていた。

 こちらから相手の表情は見えなかったが、リックがめずらしく年上みたいな顔をして笑っている姿が印象的だった。

 

 いや俺からみれば見た目的にも中身的にも年上には違いないんだけど。

 普段は同じくらいか、ともすると年下のように思えるときがあるほど子供っぽくコロコロと表情を変えるので、どうもそんな気がしなかった。

 

 だけどこの間二人でネビリムさんの話をした時といい、死神博士みたいな服着た地獄大使を演じてた時といい、本当にいつのまにか、見たこともない顔をすることが多くなった気がする。

 

(…………)

 

 ああでも、もしかしたら。

 

 “オレが”今まで気づかなかっただけで、リックはずっと“そう”だったのかもしれない。

 

「なあ、リック」

 

「うん?」

 

「……さっき、教会で話してた人、誰だったんだ?」

 

 ささやかな躊躇の末に零れ落ちた言葉は、頭の中にあった形とまるで違うものに化けてしまっていた。

 

 その事実をなんとも言えない気持ちで受け止めつつ、これもまた気になっていた事には違いないからいいんだ、と自分に妙な言い訳をしながら返事を待つ。

 

 するとリックがほんの一瞬、ためらうようにぴたりと表情を止めた。

 心と言葉の間にうっかり薄い膜を挟んでしまったみたいな、ひどく半端な感情の空白がまるでついさっきの自分を見るようで、思わず目を丸くした。

 

 でも先ほどの自分同様、リックもすぐにいつもの表情を取り戻すと、「ああさっきのは」と口元に笑みを乗せて話を繋ぐ。

 

「教会で暮らしてるレプリカのひとだよ」

 

「そっか」

 

「うん」

 

「………………」

 

「………………」

 

「あのさ、ルーク」

 

「なぁ、リック」

 

 発した音が二人きれいに重なって、思わず顔を見合わせる。

 お互いの出方を待つような、ぎこちない沈黙が広がった。

 

 しかしこのまま三秒もすれば、リックが「オレのは別に大したことじゃないから」等と言ってこちらに話を譲ろうとするだろう事が目に見えていたので、ここは先手をうっておこうと口を開く。

 

「……なんだよ、どうした?」

 

「えっ。あ、いや、オレの話は、その」

 

「あーもういいから! 先に言えって!」

 

 予想通りすぎて腹が立ちそうな返事を遮って続きを促すと、リックは少しの間 迷うように視線を漂わせた後に、ゆっくりと俺の方を見た。

 

「ルーク。……あのさ、」

 

 そのとき。うわっ、という短い悲鳴が耳に届く。

 とっさに声のしたほうを向けば、転んでいる男の姿。

 

 そして放物線を描きながらこちらに吹っ飛んでくる、手のひらサイズの物体。

 

「ちょっ、うわ!」

 

 俺と同じように顔を向けた先でそれを確認したのだろうリックが、自分まで転んでしまいそうなくらい腕を伸ばし、ぎりぎりのところで何とかキャッチする。

 隣から手の中を覗き込んで見れば、どうやらそれは硝子の小瓶のようだ。どこにも欠けた様子がないことに二人でほっと息をついた。

 

 それから改めてコレが飛んできた方向に視線を戻せば、怪我の有無を問いかけているらしいナタリアに笑って返しながら立ち上がる男の姿。

 と、何故かその足元で尻尾を振っている一匹の犬。……なんかああいう感じの、どっかで見たことあるな。

 

「リック」

 

「はい! ジェイドさん!」

 

 ああ、これか。

 そこに千切れんばかりに振られる尻尾の幻が見えた気がした。

 

 ひとつ溜息をついて考える。

 

 別に、あれが悪いというつもりはないんだ。

 リックといえば一にジェイド、二にジェイド、三四にジェイド五にジェイド。もはや今となっては俺達にとっても日常と呼べるこの光景に、よくやるもんだと時折呆れることはあるけど、まぁあれでこそのリックだとも思う。

 こうなると若干 癪に障ることはあっても、本気で腹がたつということはなかった。

 

(じゃあ俺は、何にむかついてんだろ)

 

 自分が声をかけただけであいつが嬉しそうに振り返ることだって、嫌なわけじゃないんだ。

 

 ただ。

 ――ただ、何か。

 

 胸にある感情の形は見えているのに、それを表現できる言葉が浮かんでこないもどかしさに眉根を寄せた。

 

「その小瓶、少し見せて下さい」

 

「? はい」

 

 ジェイドの言葉に、リックは先ほどキャッチした硝子の小瓶を手渡そうとしたが、なぜかジェイドは「いえ、そのままで」とそれを制し、軽く身をかがめて小瓶を横から覗き込んだ。

 

「これは……」

 

 赤色の瞳が、眼鏡越しにすいと細まるのを見た。

 そして小瓶の持ち主である男に、どこで手に入れたものかを問いかける。

 

「ああ、それか? この間ロニール雪山に登ってきたときに拾ったんだ」

 

 その言葉にリックとふたりで改めてよく見てみれば、小瓶の中には、何か小さな氷の粒のようなものが光っていた。

 

 ともすると宝石にも見えるそれのことを、ジェイドは“氷の種”と呼んだ。

 自然の中でごく稀に発生する、音素が凝縮された塊なのだと補足してくれたティアも、こうして直に見るのは初めてだという。

 

「なになに、もしかしてすっごい高価なものとか?」

 

 リックの隣からひょいと瓶を覗き込んだアニスが瞳を輝かせる。

 

「いえ、まったく。発芽するとやっかいですから」

 

 それを聞いてあからさまにがっかりした顔を見せつつも、発芽とは何なのかと尋ねたアニスに、ティアが答えた。

 

「放っておくと、凝縮された音素が爆発するわ。それを発芽と呼んでいるの」

 

 へえ、と純粋に感心の声をあげたのも束の間。

 ジェイド以外の全員の視線が、吸い込まれるようにリックの手の中の小瓶へと集まった。

 

「もしかして、これって危ない物なのか?」

 

 持ち主の男がぽつりと呟く。

 

 すると何か途端に恐ろしく感じてきたのか、リックはこの間 元オバケ的なアレだった剣をナタリアに渡されたときのように、小瓶を心持ち体から離して持ちながら、そろりとジェイドを伺い見た。

 

「……これって、発芽したらどうなるんですか?」

 

「まぁ、この辺り一帯は氷漬けですね」

 

 笑みもなく、からかう様子もなく、淡々と事実を告げるジェイドの声は、必要以上にというべきか、必要な程のというべきか、とにかく皆の危機感を煽るには十分すぎるほどの信憑性をもって、この場に染み渡った。

 

 そこにとどめを刺すように“氷の種”がきらりと眩い光を放つ。

 

「ちょ、ちょっとこれって」

 

「もしかして、発芽……するのですか?」

 

 アニスとナタリアが顔を見合わせる中、もはや声を出すことさえ怖いらしいリックが涙目ではくはくと空気をはんでいる。何だか今にも落としそうで見てるほうも怖い。あ、ちょ、お前震えんな。

 

「ルークぅうう……!」

 

「な、情けない声出すなよ!」

 

 なんとかしてやりたいのは山々だが、ジェイドやティアが何も言わない以上、この場で俺にできることなんてのは高が知れているだろう。

 

 この場で――。

 

「……なぁ! ザレッホ火山なら凍り付いても溶けるんじゃないか?」

 

 ふと思い至った考えを口にする。

 

 みんなは少しの間 思案げに沈黙したが、考えている暇はないと結論づけたのか、「間に合うかは微妙だが、とにかく行ってみよう」というガイの言葉に全員が頷く。

 

「じゃあ急いで戻って教会の譜陣から行く?」

 

 焦った顔のアニスが今来た道を指さして腕をぶんぶんと振るが、ジェイドは首を横に振って、「アルビオールで行きましょう」と言った。

 

「な、なななん、なんでですか?」

 

 恐怖のためか呂律の怪しいリックが問う。

 

「譜陣の音素と干渉しないよう、念のためです」

 

「かっ、干渉すると、どうなります?」

 

 もはや半泣きのリックを一度まっすぐに見返したジェイドが、すっと眼鏡を押し上げて、身をひるがえす。

 

「さぁーて行きましょうか。ああリックそれは貴方が持っていて下さい。しっかりと。何があっても転ばないように」

 

「うわあんオレこんなのばっかりぃー!!!!」

 

 

 

 

 あっという間に離れていくにぎやかな声を見送った男は、ぽりぽりと指先で頬をかいて自分の足元に目をやる。

 

「いそがしいやつらだったなぁ、ペコ」

 

 かけられた言葉に、彼の相棒は小さくワンと鳴いて、その尻尾を振った。

 

 





>オレこんなのばっかりぃー!!
腰にはすでに呪われた剣一丁。


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Act77 - 火山とカレーの因果律(前)

ルーク視点


 

「ルーク、これこのまま!? このまま投げればいいの!? それともフタ取ったほうがいいの!? 中身だけがいいのっ!?」

 

「べ、別にどうだっていいけどちょっと待て! やっぱ俺がやるよ! オマエ手ぇ震えすぎで怖い!」

 

 氷の種が、鈍く煌めきながら火口の中へと消える。

 

 常に立ち込める煙や蒸気のせいでこの位置から下の様子を伺うことは出来なかったけれど、少し待ってみても大きな変化が起きないことに安堵の息をついた。

 とりあえず辺り一面 氷漬け、というやつは回避出来たようだ。

 

「でもあんなもの投げ込んで、火山の中、大丈夫かな?」

 

「マグマって凍るとどうなるんですか?」

 

 アニスの言葉を聞いて、リックがおっかなびっくりと火口を覗き込みながら尋ねる。しかしそんなに身を乗り出してたら危ないんじゃないか。

 声を掛けようかどうしようか短く考えている間に、ジェイドが俺と同じようにリックの足元をちらりと伺うと、おもむろに口を開いた。

 

「そうですねぇ。端的に言えば、貴方の足元と同じになりますね」

 

「足元?」

 

 言われて下を見たリックは、ようやく自分が思ったよりも端に寄っていたことに気づいたのか、口元を引きつらせて一歩あとずさる。……うまいなジェイド。

 

「えぇと……地面になっちゃうんですか?」

 

「まぁ大体そんな感じです」

 

 ものすごく軽い調子で相槌を打ったジェイドの様子に、今絶対なんか色んな説明をはぶいたな、と察して半眼になるも、当のリックが特に気にした様子もなく「へぇ」と感慨深げに地面を眺めていたので、なんとなく自分もそちらに意識を移した。

 

「そうなると、大規模な環境変化が引き起こされている可能性もあるわ」

 

「え」

 

 真剣な声で告げられたティアの言葉を聞いて、火口側を背にする形で屈んで地面に触れていたリックが、小脇で軽く手を振りながら(熱かったらしい)慌てて身を起こす。

 そこでまだ持ち慣れない武器の重心を補助するためか、腰元にある剣の柄に添えられていたリックの手が、瞬間、するりと空を切った。

 

 すっからころかーん。

 

 一振りの剣が、実に小気味の良い落下音と共に、先ほど氷の種が消えていった火口へと落ちていく。

 

 それがすっかり煙の向こうに消えたところで、みんなの視線が緩々と一か所に集まる。

 この灼熱のザレッホ火山において、ひとりだけ暑さとは違うところで冷や汗を浮かべたリックが、そっと顔を俯けた。

 

「何してんのリック」

 

「据わりがっ! 据わりが悪くて!!」

 

 半眼のアニスにぽつりと問われるが早いか、リックは勢いよく顔を横に振る。

 いつものように剣に手を添えただけのつもりが、留め方が甘かったのか鞘ごと外れてしまったようだ。

 

 本来ならただ地面に落としただけの話で済むところを、このタイミングであの立ち位置でやってしまうあたりが、なんていうか、すごくあいつらしい。

 

 また火口をそっと覗き込んだリックが、恐る恐る俺達のほうを振り返る。

 

「こ、このまま見なかったことにしたらダメですかね」

 

 例のアレだった剣がやっぱり怖いのか、わりと本気のトーンで告げられた言葉にジェイドがにこりと笑みを返した。

 

「祟られないといいですねぇ」

 

「!!!?!?」

 

「……中の様子、見ていくか。リックの剣拾いがてら」

 

 そうして声なき悲鳴をあげたリックが涙目で固まるのと、ガイが苦笑を深めつつそんな提案を口にしたのは、ほとんど同時だった。

 

 

 

 

「うわ~、あんなとこまで固まっちゃってるよ」

 

「あの氷の種というもの、とてつもない威力ですわね」

 

 火口に降る道を進みながら、徐々に視認できるようになってきた地表の状態に、驚くを通り越して感嘆の声を上げる。

 前回来たときは確かにマグマが煮え滾っていた場所はすっかり冷え固まり、それなりの範囲が、今自分たちが歩いている所と遜色ない状態の地面に変わっていた。

 

 もしこれが街やアルビオールの中で“発芽”していたらと思うと、じりじりと皮膚を焼く暑さも忘れて身震いしそうになる。

 そこでふと、真っ先にそういうことを怖がりそうな男の声が先ほどから聞こえていないのに気が付いた。

 

 まず前方を見て、あの常に自信のなさそうな背中がないことを半ば当然のように確認する。あいつが俺より前を歩いている光景なんてものは、記憶の中に数えられるほどしかなかった。

 

 くるりと体の向きを反転させて後方を見ると、案の定、最後尾を俯きがちに歩くリックの姿を見つけて、足を止めた。

 

「リック?」

 

 目の前までたどり着くのを待ってから声をかけると、どうやら全く気付いていなかったらしいリックが、びくっと身をすくめて顔を上げる。

 

「な、なに? ルーク」

 

「いや、なんか、さっきから静かだよなと思ってさ」

 

 そうかな、と何だか情けない顔で笑ったリックと並んで、最後尾を歩く。

 

 待っていればもうちょっと喋るだろうか。

 こちらからは言葉を継がずに黙ったまま横目で様子を伺うと、そこにいつになく真剣な横顔があって、俺はほんの少し目を丸くした。

 

 足元を睨みつけるように歩いている姿に、やはり声をかけるべきかと悩んでいると、やがてリックが何か思い切ったように顔を上げる。

 

「あのさっ」

 

 まっすぐにこちらを見据えた目に少々たじろぎながら、なんだよ、と聞き返した。

 

「ルーク、……オレ、」

 

 その雰囲気に飲まれるように、俺も思わず息を飲んだ。

 

 リックがぐっと拳を握る。

 

「――ひらめいたんだ! キルマカレーのコツをっ!!」

 

 コツをっ……と溶岩煮え滾る火山の中に反響する声の名残を聞きながら、目を瞬かせる。

 

 キルマカレー。ああ、そうだ、例の試作なんたらカレーだ。

 そういえば、ずっと試行錯誤してたっけ。

 

 頭の中から情報を引っ張り出すと同時に、肩の力が抜ける。

 俺は脱力気味にひとつ息を吐いて、笑みを浮かべた。

 

「へぇ、そっか。スゲーじゃん。どんな?」

 

「えっ」

 

「え?」

 

 なぜか目を丸くして固まったリックと見合ったまま、短い沈黙が落ちる。

 その視線がやがて緩々とそらされた。

 

「えぇっ、とぉ……。ほら、オレいつも、キルマフルーツを……そのまま、入れてただろ?」

 

「うん」

 

「……だから……あ~~。あの、先にさ……」

 

「うんうん」

 

 例のカレー作り、というか試食には最近よく付き合っていたし、リックが色々と悩みながら頑張っている姿も見ていたので、何か思いついたというなら俺としても喜ばしいところだ。

 

 まじまじと相手の顔を見返しながら続く言葉を待っていると、ふと泳ぐ目線を足元に移したリックが、ポンと手のひらに拳を打ち付ける。

 

「っ凍らせて……、あの、そう! 乾燥させて! ドライフルーツにして入れてみたらどうかなって思ったんだ!!」

 

「お、いいんじゃねーの? 今度やってみようぜ!」

 

 まぁ作るのは全部リックなわけだが、こうなってくると俺だって完成したものを食べてみたい。

 試食ならまた付き合うからな、と言って笑えば、リックは一度ぴたりと動きを止めた後、すごく嬉しそうに笑って「うん」と頷いた。

 

 そのまま二人で他の具は何がいいとか、キノコは入れるなとか、そんなたわいのないカレートークを続けていると。

 

「……おぉっとぉー!」

 

 突然聞こえてきた声にはたと前を見れば、歩みを止めてこちらを振り返ったガイの姿。

 その向こうには二手に分かれた道があった。

 

「なんだよガイ、どうし、」

 

「いやぁそれが道が分かれてるみたいでな! 俺達はあっちの道から火山の様子を見てくるから、お前はとりあえずリックと一緒にあの剣を拾って来いよ!」

 

 「な!」と有無を言わさぬ勢いで、ガイは俺とリックの背を片側の道に押し出す。

 

 分かれ道に立つ仲間達の姿を伺ってから、隣のリックと顔を見合わせて首を傾げつつ、よく分からないけどまぁいいか、と俺達は火口に降る道へと向き直った。

 

 





偽スキット『分かれ道、その後』
アニス「ガイ、過保護~」
ジェイド「本当ーに難儀な性格ですねぇ」
ガイ「だって! 見てられないだろ!!」

なんか もどかしすぎて もう。
(by.ガイ)


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Act77.2 - 火山とカレーの因果律(後)

ルーク視点


 

 

 相変わらず、尋常じゃないほど暑い場所だ。生き物みたいにうごめくマグマを視界の端に見やりながら額の汗をぬぐう。

 あの、もはや“赤”の一言では表せないほど強烈な自然の色合いさえ、あいつの手にかかれば「ジェイドさんの目の色」で括られてしまうのだろうか。

 

 そんなことを考えながら、同じく暑そうに自分を手で扇いでいるリックを見た。

 

(…………)

 

 リック。

 マルクトの兵士で、ジェイドの直属部下で、――レプリカ。

 

 最初にエンゲーブで会ったときはまだマシだったが、それ以降はもう泣いてビビッてわめいて笑ってジェイドジェイドと、何かとやかましかった印象があまりに強くて……強すぎて、リックはそういう奴なんだと思っていた。

 まぁかなりのところ本当にそういう奴なんだけど、そう思っていたからこそ、俺は“それ以外のところ”をずっと気にも留めなかったのかもしれない。

 

 例えば、ジェイドの傍にいないときのリックは、少しだけ大人しい事とか。

 

 というより「大人らしい」というのだろうか。

 いや敵が出てくればいつものようにビビるし、かなり当者比っていうか、そもそも“ジェイドの傍にいないとき”という大前提が成立すること自体が少ないけど。

 

「……なぁ、リック」

 

「うん?」

 

 名前を呼ぶと、それまで暑さにへこたれていた様子もどこへやら嬉しそうに表情を緩めてこちらを向いたリックに、いつもの気恥ずかしさと、最近感じる苛立ちがないまぜになって胸をよぎる。

 それを散らすようにがしがしと頭をかきながら、前を見据えた。

 

「あの、さ」

 

「うん」

 

「だからその、なんつーか……」

 

「うんうん」

 

 隣から突き刺さってくる輝く視線に冷や汗を浮かべつつ言葉を探す。

 思わず呼びかけてしまったけど、伝えるべき音が頭の中でうまくまとまらない。

 

「っ…………」

 

 言いたいことは、確かにあるはずなのに。

 

「――前から! こんなにカレー作ってたのか!?」

 

 勢いよくリックに向き直りながら声を張る。

 その目が呆気にとられたようにきょとんと丸くなった。

 

 ああ、くそ、こんなのが言いたかったわけじゃないのに。

 だがわけのわからない問いでも口にした手前 引っ込めるわけにいかず、黙って返事を待っていると、リックは記憶を探るように首をかしげた。

 

「いやぁ……ジェイドさんが好きなのは知ってたけど、軍の炊き出し以外ではほとんど作ったことなかったと思うよ」

 

 まぁふるまう機会もなかったし、と苦笑する姿に、今度目を丸くしたのは俺のほうだった。

 

「機会が無かったって……お前、ずっと、ジェイドといたんだろ?」

 

「あ、うん、そうだな。直属部下になってからだったら、やろうと思えば出来ただろうけど、大佐そういうの自分でやっちゃうからなー」

 

 リックがジェイド直属になったのはここ三年程の事だというのは、確か前に何かの拍子で聞いた気がするが、俺が今訊きたかったのはそういうことではなかった。

 

 “ずっと面倒を見てもらっていた”

 

 アラミス湧水洞でそんなふうに言っていたから、俺は当然のように、昔から今に至るまでリックはジェイドと一緒にいたんだろうと思っていたけど。

 

「こんなふうにカレー作ったり、一緒にご飯食べたりするのは、今回の……ルーク達との旅が始まってからだよ」

 

 言いながらひどく幸せそうに目を細めて笑うリックを見て、俺は少し考える。

 みんなの過去については なりゆきながらも大体知っているけれど、そういえば、こいつの昔の話はあんまり聞いたことがない気がした。

 

「あ。ルーク、あそこ」

 

 突然ちょいと腕をひかれて顔を上げると、少し降りた先の地面にあの剣らしきものが落ちているのが見えた。

 先に氷の種を放り込んでいたおかげでマグマに沈むこともなく、固まった大地の上に横たわる剣と、そこから二、三メートルほど離れた場所には鞘。

 

 剣のほうに向かったリックの背を軽く眺めてから、俺は鞘のほうに向かう。

 

「よかった、壊れてない……いや、それはそれで怖い……」

 

 背後から聞こえてきた物凄く複雑そうなリックの声に苦笑しつつ、こちらも身をかがめて鞘を拾い上げた。しかしあの高さから落としても無事か……。さすが例のアレだった剣だ。

 鞘のほうも少し煤けているが壊れてはいなさそうだった。煤を手ではらいつつ、息をつく。

 

 リックが、ジェイドに作られたあとも色々と面倒見てもらったらしい事、ピオニー陛下からは弟分とか甥っ子みたいに思われていて、よくからかわれているらしい事。

 

 被験者はマルクトの兵士で、そのお母さんと妹さんを泣かせてしまったらしい、こと。

 

 こうしてひとつずつあげていけば幾らかもっともらしいけど、らしいらしいとそんなのばっかりで、それは結局のところ何も知らないのと変わりないような気がした。

 

 今までの様子を見るかぎり、聞けば答えてくれるのかもしれない。

 でも、もしも触れてはいけないものだったら。

 

「…………」

 

 ぎゅっと鞘を持つ手に力を込める。

 

 消えない怖さはあるけれど、それでも俺は何も知らないままでいるより、知りたいと思った。

 何も知らないままで後悔するのはもう嫌だ。

 

 勢いよく立ち上がって、一歩を踏み出す。

 

「なぁ、リック!! 俺――っ!」

 

 きぃいいん。

 

 そのとき、耳鳴りのような甲高い音が場に響き渡った。

 

 なんだこのデジャブはと思いつつ、足をそっと一歩だけ後ろに下げると、音が止む。

 また一歩前に進めば、先ほどと同じ音が空気を揺らす。

 

 真正面でぽかんとした顔をして立ち尽くしていたリックが、そこでようやく慌てて周囲を見まわし始めた。

 

「え、っと……ア、アレ、かな? アレがきっと触媒なんだよルーク!」

 

 言われた方向に視線をやれば、少し先の岩場に何かが引っかかっているのが見える。

 

 それを遠い目で眺めながら、俺は「どんな状況で見つかるか分からないのでなるべく触媒を持って歩く事にしよう」と決めた数十分前アルビオールでの自分を、頭の中で盛大に罵っていた。

 

 

 

 そして合流後、熱風が渦巻くザレッホ火山にて。

 

「ほらほら! これが新しく見つけた触媒ですよ!」

 

「まさかこんなところにまであるなんて……」

 

「不思議な巡り合わせですわね」

 

「で、ルークは何をむくれてるワケ?」

 

「なんでもねーよっ!!」

 

 新たに入手した触媒を囲んで和やかに話すティア達と、片隅で人を小馬鹿にするような笑みを浮かべて肩をすくめるジェイド、反対になぜか肩を落として苦笑しているガイの姿を横目に見ながら、俺はほんのりと涙目のまま、次こそはと拳を握る。

 

 そんなこちらの様子とどこか別のところを見比べるように眺めたアニスは、ジェイドの動きをなぞるように小さく肩をすくめて、やがて呆れたように笑った。

 

 

 




▼『聖弓ケルクアトール』 を 手に入れた!
着実に目的をこなしているにも関わらず何故か舌打ちしたい気分でいっぱいのルーク。

“ずっと面倒を見てもらっていた”のと“ずっと一緒にいた”かどうかは同義ではないという。実質的な意味でジェイドの傍にいた時間は、直属になる前だと思いのほか長くないリック。



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Act78 - 言いたくて言えなくて(前)

 

 

 なりゆきで立ち寄ることになったザレッホ火山で、本来の目的であった五つ目の触媒をまさかの発見。

 それはもちろん嬉しいが、俺にはもう「やったぁ残りあとひとつですよ順調ですね!」なんて前向きな事を言えるだけのエネルギーは残されていなかった。

 

 氷の種という名の時限爆弾を手にしたままダアトからザレッホ火山まで移動した、あの血が凍るような時間を思い出す。しかも霊の……もとい、例の剣を落としてみんなに迷惑かけてしまうし。

 

 拾いに行った先で触媒を見つけられたことがせめてもの救いだったが、すみません大佐、俺もう簡単に順調とか言いません、と心の中でうなだれる。

 

「リック、どうかした?」

 

「はっ、いいえ!」

 

 そこで不思議そうにこちらを覗き込む青色の瞳に気が付いて、俺は沈みかけていた思考を引っ張り戻し、目の前のティアさんに意識を移した。

 

 いけないいけない。せっかく時間を割いてもらったんだから、ちゃんと集中しないと。

 ぐっと拳を握って気を引き締める。

 

 勢いで仰いだ頭上には、魔界にあるときには見る事の出来なかった空があった。

 創世歴時代の建物ならではの神秘的な雰囲気は、瘴気に包まれていたときから変わらないけど、光の下で見るこの街は何だか前よりも活き活きとして見えた。

 

 数歩離れたところでこちらに向き直ったティアさんが、すっと背筋を伸ばす。

 

「それじゃあ、始めましょうか」

 

 現在地はユリアシティ。

 

 俺達はこの街で、つかの間の休息をとっていた。

 

 

 ダアトでひたすらに劇の練習をして本番をやって、ほとんど休まないまま氷の種を処理すべくザレッホ火山に向かい、あげくの果ての登山……というか下山というか。

 何にせよそんな調子で灼熱の空気の中を練り歩いた俺達は、さすがに疲労感を覚えていた。

 

とにかくどこかで少し休もう、という話になり、じゃあついでにテオドーロさんへ直接の報告も兼ねようとユリアシティに針路をとったのだった。

 

 挨拶に向かうと、テオドーロさんはまず瘴気中和の件についてルークをねぎらってくれた。

 それからガイが簡単に事情を説明して惑星譜術の触媒についてを訊ねたけど、どこにあるかなんて話はテオドーロさんも聞いたことがないらしい。

 

 ダアトと繋がりが深いユリアシティならってちょっと期待してたけど、やっぱり話はそう上手く転がらないようだ。

 だけどテオドーロさんは、力になれない代わりに休むなら自宅を好きに使っていいと言ってくれた。

 

 その申し出をありがたく受けることにして、ひとしきり報告が終わった後、俺達はテオドーロさんの家……ひいてはティアさんの家に集まり、そこから各々の時間を過ごすべく解散という流れになった。

 

 とはいえ色んな意味で危ないものが入っている荷物を置いて家をもぬけの殻にするわけにはいかないので、誰かしらは残らなきゃいけない。

 いつもならここで、必需品の買い出し以外は特にやることもない俺が自主的に残っていたところだけど。

 

「でも、本当にこの譜術でいいの?」

 

「はい!」

 

 そう。

 俺は今、新たな譜術を習得すべく、ティアさんとユリアシティの入り口にあたる広間にいた。

 

 真剣な顔でティアさんを見つめ返し、きりっと眉を上げる。

 

「これでいいんです、陛下の捕獲用ですから!」

 

「そ、そう」

 

 新たなる力、その名はピコハン。

 兵士として日々訓練をこなしているはずの俺ですら追いつけない謎の機動力を誇る皇帝陛下の足止めにはうってつけだ。

 

 そりゃあもっと大きな譜術を覚えられたらとは思うけど、グランドダッシャーの成功率だってまだ三割を下回ってるというのに、これ以上扱いきれない上級譜術のレパートリーばかり増やしてはジェイドさんに怒られてしまう。いや、それより先にまずグランドダッシャーを物にしろと怒られそうだが。

 

(…………)

 

 一度目を伏せて、深く息を吐く。

 

 俺は、冗談にも譜術士なんて言えるレベルじゃない。

 基礎だってほとんど独学だから、本職の人から見れば色々と失笑モノだろう。上を見れば途方もなくて眩暈がしそうになる。

 

(それでも)

 

 昔の自分と比べれば、最低限のことは出来るようになったと思う。

 

(……それなら)

 

 前にできなかったことが、今ほんの少しでも出来ているなら。

 

「よろしく、お願いします!」

 

「ええ」

 

 今できないことが、またもう少し出来るようになっている。

 そんな未来があるかもしれない、なんて。

 

 

 ――生意気なことを考えていたりもしたわけですが。

 

 

「っ……!」

 

 女の子のように両手で顔を覆って崩れ落ちた俺の肩に、ティアさんが気づかわしげな様子でそっと手を置く。

 

「これはこれで、足止めは可能なんじゃないかしら……」

 

 特訓開始から約一時間。

 俺のピコハンは、なんというか、ピコハンの形にさえならずにいた。

 

 オタオタ型に始まり、ブウサギ型、キルマフルーツ型、途中でうっかりジェイドさんの事を考えたときなんて眼鏡の形だった。

 

「確かに最初はお腹抱えて笑われるだろうから止まると思いますけど……」

 

 譜術としての効果があるならまぁそれでもいいと思えただろうが、ピコハン(予定)は地面に落ちる間もなく空中で霧散して消えてしまう。

 そうなると陛下が慣れたら終わりというか、一瞬だけ振ってくる眼鏡の幻なんて後は宴会芸にでも使えればいいところだ。

 

「リック、少し休憩しましょうか?」

 

「い、いえ! ジェイドさんとの訓練を思えば、これくらいへっちゃらです!」

 

 目じりに浮かんだ涙を振り切るように立ち上がって胸を張る。

 

 それは、あの思い出すたび軽く身震いが走るスパルタレッスンの日々と比べれば大抵の試練は乗り切れるだろう、という意味だけじゃない。まぁそれもあるけど。

 

 心配そうなティアさんに、小さく口の端を緩めて見せた。

 

「ジェイドさん厳しいけど……あの、ほんと厳しいけど、“諦めろ”って言わないんですよ」

 

 例えばそれが本人の努力ではどうにもならないような事だったら、あのひとは残酷なほど真っ直ぐにその事実を伝えるんだろうけど。

 

「オレあのときもたくさん失敗したし、詠唱だって何回も噛んでよく呆れさせたのに、もう無理だとか、やめようとか、そういうことは言われなかったんです」

 

 俺はそこで、ティアさんの青い目を覗き込むようにして笑う。

 

 赤と青。

 まるで正反対なのに、根っこのどこかが似通った色をした、厳しくて優しい瞳。

 

「ティアさんと、同じように」

 

 俺が諦めないかぎり、諦めないでいてくれる。

 そのことが、訓練がきついとか自分がふがいないとか、そんな思い以上に嬉しくて、たまらなくて。

 

「だからきっとピコハンも覚えてみせます!」

 

 俺が貰ったたくさんの嬉しさに少しでも報いるためにも、こんなところで音を上げているわけにはいかないだろう。

 そう思って力いっぱい言い切ってから、はっと我に返って眉尻を下げた。

 

「いや、あの、でも、ティアさんも疲れてるのに、こんなに時間取らせちゃって……すみません」

 

 ピコハンを教えて欲しいとお願いしたらティアさんは快く引き受けてくれたけど、だからってあんまり長時間 付き合わせてしまっては申し訳ない。

 

「えっと、い、急がばオタオタは迂回しろってやつですよね! やっぱり今日のところはこのくらいにしましょう! うん!」

 

 慌てる俺を見上げたティアさんが、ふと思考に沈むようにその青を揺らがせた気がした。

 今、彼女の瞳に映っているのは俺だけど、心はもっと遠くを、此処にはない何かを見ているようだった。

 

「――もし、」

 

 少しだけ、ジェイドさんがあのひとのことを考えているときにも似た様子に思わず眉根を寄せかけた時、わずかに俯いたティアさんの口から言葉が零れる。

 

「もしも大佐が、敵に、なってしまったとしたら……貴方だったら、どうしていた?」

 

 ぽつり、ぽつりと。

 

 器に入りきらなかった水が落ちるみたいに、内にある思いを漠然とした形のまま吐き出すようなそれは、けれども確かに空気を揺らして俺の耳に届いた。

 

 ほんの僅かな静寂のあと、ティアさんが細く息を吸う。

 

「ごめんなさい、変なことを言って」

 

 今のは忘れていいと小さく首を横に振った彼女を前に、俺はとっさに返そうとした言葉を引き留める。

 

 きっと、俺の答えは問題じゃない。

 もしも大佐が敵になってしまったらどうするのか。その問いかけは、たぶんティアさんの自問自答に近かったから。

 

(もしも、大切なひとが敵になってしまったら、どうするのか)

 

 各国の準備が整ったら、プラネットストームを止めて、今度こそエルドラントに向かうんだろう。

 

 そうなれば、きっとどこかでぶつかる事になるはずだ。

 例え世界の敵だったとしても、ティアさんにとっては大好きだった、きっと今でも大好きな、たったひとりのお兄さん。

 

 どれだけ自問自答を繰り返したって割り切れるようなものじゃない。

 それでもティアさんは決めたんだろう。

 

 ヴァンを、自分たちの手でとめるって。

 

 ああ、こんなときルークだったら何か言ってあげられたのかな、なんて、少し前みたいなことを考えたりもするけど、今ここにいるのは俺だけだ。

 

 俺に出来ることは、あまりに少ない。

 

「――……ティアさん!」

 

 それでも。

 何の役にも立てない悔しさに俯きかけた顔を上げて、その青をまっすぐに見つめた。

 

「オレはっ、みんなのことが好きです! ティアさんのことも、大好きです!」

 

 まとまらない頭のままティアさんに詰め寄る勢いで精一杯 音にすれば、いつの間にやら目にたまっていた涙がぼろりと落ちる。

 

「だか、だから……!」

 

 俺にはヴァンを止められる力なんてない。

 ティアさんの心を軽くしてあげることだって出来ない。

 

 ただ、自分の気持ちを、ばかみたいに伝えることしか。

 

 そうして相変わらず本人を差し置いて泣き出した俺に、ティアさんはちょっとだけ目を丸くして、すぐそれを緩めた。

 

「リック、泣かないで」

 

「す、すみません、オレ、また、なにも、出来なくて」

 

 情けのない嗚咽にならないよう、とぎれとぎれに喋っていると、今度はしっかりとこちらを映した青の双眸が柔らかく細められる。

 

「何も出来ないなんてことはないわ。……いえ、そうね。何も出来ることがない時も、あるかもしれない」

 

 落ち着いた声でひとつひとつ丁寧に伝えられる言葉が、胸の中に染み渡るように響いていく。

 

「だけど、貴方は一緒に悩んであげることが出来る。一緒に泣いて……喜んであげられる」

 

 その暖かな音が、どうしようもなく嬉しかった。

 

「それはとても、すごいことだと思うわ」

 

 だけど俺は頷くことも首を横にふることも出来ないまま、ひたすらに溢れる涙を服の袖でぐいと拭う。

 するとティアさんは少しだけ困ったように微笑んで、それからそっと、俺の頭を撫でてくれた。

 

 

 







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Act78.2 - 言いたくて言えなくて(後)

 

 

 ユリアシティ独特の不思議な仕組みをしたテオドーロさん宅の入り口を前に、ひとつ息を吐く。

 

「……またティアさんに行ってもらっちゃったよ」

 

 ピコハン練習を終えたあと、本来なら俺は買い出しに行く予定だった。

 

 ずっと魔界にあったユリアシティには、外から来た人に何かを提供するための「店」はない。外殻大地と一緒になってからは少しずつ他の街との交流も増えてきたみたいだけど、まだ宿だ店だという段階ではないみたいだった。

 そんなわけでとりあえず今まで通り、いつもお店の代わりに俺達に道具やら何やらを売ってくれていた人のところに行こうと思っていたのだけど。

 

 そこで、顔見知りだから挨拶がてら自分が、と買い物メモを受け取ったティアさんは、たぶん俺のことも気遣ってくれたんだろうと思う。

 成功失敗に関わらず、術式を構成する負担っていうのは使い手に蓄積するらしい。実際、剣を扱っているときには感じない独特の疲労感を意識の端に自覚しながら、俺は今一度 服の袖で目元をこすった。

 

「ていうか、泣いたのバレるかなぁ」

 

 特に用もないのでと今回 留守番役を買って出た上司の姿を脳裏に思い描きながら、建物を仰ぐ。

 

 いや別に泣いたこと自体はバレたって問題ないんだけど、その理由を訊かれたとき、グランドダッシャーが未だ形になってないのに新たな譜術を覚えようとしてるとは言いづらいし、かといって大佐相手にしらを切るなんて芸当が俺に出来るとも思えない。

 

 となると――。

 

 『もしも大佐が、敵に、なってしまったとしたら……貴方だったら、どうしていた?』

 

「……、んん」

 

 どこへ向けたものとも分からない相づちをひとつ零して、頭をかく。

 

 まぁ、そもそも大佐はそういうこと訊かないか。きっといらない心配だろう。

 だってまったくもって自慢にはならないけど、俺の涙腺は緩い。ビビって泣き、譜術をくらって泣き、褒められて泣き、何かもうワケもなく泣き。

 

 道行く子供にも慰められるほど事あるごとに泣いている俺が、今更泣いて帰ってきたくらいで理由を問うたりはしないはずだ。

 そんなありがたくも情けない結論にちょっと肩を下げながら、入り口を通る。

 

「ただいま戻りましたー……あれ?」

 

 だが、声をかけながら入った室内は無人だった。

 ちょっと考えたあと、テオドーロさんの私室を控えめにノックしてみる。

 

 すると中から「どうぞ」と聞き慣れた声が響いてきた。

 

 失礼しますと告げて扉を開き、中をのぞき込むと、入ってすぐのところにある机で本を読んでいる大佐の姿を見つけた。

 その赤色は今、目の前の本に釘付けで、こちらに向けられる様子はない。どうやら興味深い内容らしい。ちらりと見えた紙面に羅列する文字は、古代イスパニア語だろうか。

 

 読書の邪魔をしないよう、部屋に入って後ろ手にそっと扉を閉めてから、なにくれとなく室内を見渡した。

 ジェイドさんが本を読んでいる机の奥にはいかにも市長のものらしいもっと大きな机があって、その裏には古そうな書物がずらりと並んでいる。

 

 そういえばユリアシティではいつも何かといっぱいいっぱいだったから(俺が)、こんなふうにゆっくりとこの部屋に居るのは初めてかもしれない。

 まぁ触媒探しの件もあるし、今が余裕かっていわれるとそういうわけでもないけど、とりあえず内装にすら気を向けられないほどじゃなかった。

 

 本棚の前に移動して、歴史を感じさせるたくさんの本を眺める。

 やっぱり古代イスパニア語で書かれているらしいそれはどれもボロボロで、俺には触ることすら怖い代物ばかりだ。いや、なんか、壊しそうで。

 

(ティアさんはここで育ったんだよなぁ)

 

 小さなころ絵本を読んでもらったりはしたのかなと、目の前に並ぶ難しそうな本を見ながら考える。

 だとしたら、読んであげたのはヴァンだろうか。

 

「…………」

 

 思うとまた涙がぶり返しそうになり、はっとして考え事をむりやり切り替える。

 

 絵本。そうだ絵本っていえば昔、陛下に聞かせてもらったことがある話なんていったっけ。

 めずらしくヒーローものじゃなかったことは覚えているけど。あれ、絵本じゃなかったっけかなぁ。陛下のは創作物語も多かったから、正直よく分からない。

 

「確かなんか、鳥の話だったような……」

 

「リック」

 

「はい!? すみません!」

 

 呼ばれた名前に、うるさかったですかと慌てて振り返った先には、本から顔を上げてこちらを映す赤色の目。

 

 怒られるかとドキドキしながら続く言葉を待つが、一向に何もない。

 本もタービュランスも、罵倒さえ飛んでこない現状に首を傾げる。

 

「ジェイドさん?」

 

 しかしまだ向けられたままの赤に、これは俺が何か言うべきなのかとちょっと混乱した頭で答えを探す。

 

「えーとぉ、そういえば、ジェイドさん覚えてますか?」

 

 結果、とりあえず直前の考え事とつながる話題を口にしてみることにした。

 

「昔 陛下が読んでくれた絵本の話で、たぶん、鳥の……あの、」

 

 だが喋る端からじわじわと背を伝う「これきっと違う」感が己の目を泳がせる。

 並行して、脳内では求められている(のかもしれない)対応を探り続けていたが、悲しいほどに何も出てこなかった。

 

「え、絵本じゃ、なかったかも……」

 

 そして語尾が頼りなく消えていき、なんともいえない静寂が室内に落ちる。

 

 泳いだ末に地に落ちた視線をそろりと戻してみると、そこにはいつになく真剣で、なぜか少しだけ苦みを帯びた赤。

 困惑する俺を真正面に映したジェイドさんが、やがて、ゆっくりと口を開く。

 

「――ホドの、」

 

「リックいるか!? あのさ、俺っ……!」

 

 そのとき。

 勢いよく開いた扉と、飛び込んできた影。

 

 同時にそちらを向いた俺とジェイドさんの視線を受けて、影はぴたっと動きを止めた。

 

「ルーク? ど、どうしたの」

 

 走ってきたのか、ちょっと乱れた赤色の髪もそのままに固まっていたルークは、翠の瞳を一度ちらりとジェイドさんのほうに向けたあと、なんだか居心地悪そうに髪をかきあげた。

 

「や、……えっと、そうだ、触媒探し」

 

 呟くように零された言葉に対して、「惑星譜術の?」なんて怒られそうなほど当たり前の問いを返した俺に、ルークは黙ってこくりと頷く。

 それから深く息をついてがしがしと頭をかくと、気を取り直すように口元に笑みを乗せた。

 

「ほら、ダアトで見つけたやつみたいにさ、誰にも気付かれないままどっかに紛れてるかもしれないだろ?」

 

 ユリアシティの人しか入れない地区はしょうがないとして、一応自分たちが立ち入れる範囲だけでも調べてこようかと思ったのだという。

 

「それで、一緒に探しに行こうかと思ってさ」

 

「あぁジェイドさんと、」

 

「お前とだよ!!」

 

「……オレと?」

 

 今度動きを止めたのは、俺のほうだった。

 とはいえそれは大した時間ではなかったと思うのだが、焦れったそうに「あーもう」と声を上げたルークが足早に目の前までやってくる。

 

「ほら、いくぞ!」

 

「は、はい!!」

 

「敬語で返事すんな!」

 

「はっ、あ、うん!!」

 

 勢いに押されるようにして頷くが早いか、がしりと俺の腕をつかんだルークが扉のほうへとって返す。

 半ば引きずられるみたいに歩きながらジェイドさんを伺い見ると、まるで他人事というか明らかに関わりたくないと語る例のきれいな笑顔で手を振っていた。

 

 「いってらっしゃーい」と軽い調子の声に見送られながら、俺とルークを吐き出した部屋の扉が、ぱたんと閉じる。

 

 

 そうして家から出たところで俺の腕を離したルークが突然足を止めた。

 心なしか俯きがちになって沈黙を保つ背中に、「ルーク?」と呼びかける。

 

「……イヤ、だったか?」

 

 すると返ってきた小さな声はどことなく不安げな響きを帯びていて、なんのことかと一瞬考えた後に、全力でそれを否定した。

 

「そんなのオレは嬉しいに決まってるだろ! いや、むしろ、ルークはオレと一緒でいいのかなって」

 

 干渉音で触媒を探すにしたって、あまり譜術に明るくない俺よりも他の誰かと行ったほうが見つけやすいかもしれないのに。

 そんなことを苦笑混じりに伝えると、肩越しに振り返ったルークはちょっと困ったように眉間にしわを寄せて、頬をかいた。

 

「だから、いいんだって。……じゃあ行こうぜ」

 

「あ、うん」

 

 先に歩き出したルークを追いかけて、隣に並ぶ。

 そしてなんとなくお互い黙ったまま、ユリアシティの厳かな街並みの中を歩いていく。

 

 旅の間ずっと喋り続けているわけでなし、会話がとぎれることもある。

 それでもルークとのこういう沈黙は、何だかとても落ち着くものだった。

 

 懐かしい、とイオンさまが口にしていたという話を思い出す。アニスさんから伝え聞いたその言葉は、俺の中にもしっくりと落ち着いた。

 まるでずっと昔から知り合いだったみたいな、そこにいることが当たり前みたいに感じる不思議な沈黙はしかし今日に限っていえば、ほんの少しだけ緊張感みたいなものをはらんでいるような気がした。

 

 例えば、ブウサギのジェイドさまとの追いかけっこが始まる直前に、見つめ合ったまま相手の出方を待つような。

 いつだ、まだか、今だと襟足をくすぐる奇妙な感覚に促されるみたいにして、俺は小さく息を吸った。

 

「あのっ」

 

「あのさ」

 

 その瞬間、きれいに被った第一声に目を丸くして隣を見る。

 するとそこで同じく翠を真ん丸にしたルークと目が合って、二人で思わず立ち止まった。

 

「……ルーク、先に」

 

「……いや、お前から言えよ」

 

「オレのは、まぁ、なんていうか……ルークからで大丈夫だよ」

 

「あー、だから、ほら……俺もなんつーか、」

 

 しばらく譲り合った末、「んー」と難しい顔でうなりながら歩き出したルークに続いて、俺も歩みを再開する。

 

 視界の端を流れていく風景の中に映る人の数は、保護されたレプリカ達も混ざっているのか前よりもだいぶ増えたように思えるけど、それでもすれ違う人は他の街と比べるとまばらだった。

 俺達が立ち入れる限られた区域の様子しか知らないが、人の気配を感じさせながらもどこか静けさのある街中はなんとなくダアトの図書室を彷彿とさせる。

 

 そんな街を眺めながら少し進んだところで、ルークが「そういえば」と口を開いた。

 

「ジェイドと何の話してたんだ?」

 

「え?」

 

 突然の問いに、一瞬 思考が止まる。

 

 何の。何のって。

 真っ白な頭から、ルークが部屋に飛び込んでくる直前の出来事を引っ張り出す。

 

「――絵本の、話」

 

 そうだった、はずだ。

 少なくとも俺はそうだった。けど。

 

「は? 絵本?」

 

 困惑気味に復唱したルークに「うん」と頷いて返したものの、すぐに首を傾げる。

 

「うぅん?」

 

「いや、どっちだよ」

 

 それにまた「うーん」と煮え切らない声を発しながら考え込んでいると、やがてルークが小さく噴き出すようにして笑った。

 

「そんなに分かんねぇならいいよ、別に。なぁ今度はあっち行ってみようぜ!」

 

 その笑顔につられて俺も口元を緩める。

 うん、と今度返した肯定は、弾むように明るく街に響いた。

 

 

 



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Act78.3 - 僕らのロスタイム

 

 

「……うまい」

 

「へ?」

 

 ぽつりと聞こえたその言葉に、俺は口直し用に作った普通のカレーを皿に盛ろうとする動きを止めて、隣でリビングから持ち込んだ椅子に座って別のカレーを食べていたルークを見た。

 

 あの後ひとしきりユリアシティの中を歩いたものの触媒は見つからず、家に戻ってきたルークと俺は台所を借りて、ここのところ日課となりつつあるキルマカレーの試食会を開いていた。

 ちなみにジェイドさんは入れ替わりでどこかへ行ってしまったため、今のところ家にいるのは俺達だけだ。

 

 もう一度、確認するようにおそるおそる試作キルマカレーを口に運んだルークが、奇跡でも見たような顔でゆっくりと頷いてみせる。

 

「リック、これ、食える」

 

「ほ、本当に?」

 

「いや美味いっつーか、いつもお前が作る料理の味なんだけど!」

 

 ああ、不味くはないけど特に美味しいってわけでもなく後一歩何かが足りないと評されるいつも俺が作る料理の味ですね。それでも有無を言わさず「まずい」一択だったこれまでを思えばすごい進歩だ。

 

「ザレッホ火山でお前が言ってたコツ、合ってたんだな」

 

「え? あー、うん、まぁ」

 

 用意しておいたもうひとつの椅子をルークの隣に並べて、腰を下ろす。

 

 そして自分も試作キルマカレーを食べてみると、確かに今までのものよりカレーらしくなっているような気がした。

 いや、途中でちゃんと味見はしてるんだけど、試食のしすぎで段々よく分からなくなってきたというか、成功していないことは分かっても不味いと認識できなくなってきたというか。

 

 その点ルークはさすがの公爵子息だ。

 ピオニーさんもそうだけど、しっかりした味覚で的確な感想をくれるのであまり繊細な舌を持っていない俺としてはすごく助かる。

 

「この調子なら、あと少しで完成するんじゃね?」

 

 キルマカレーを食べながら、そう言って自分のことみたいに嬉しげに笑ったルーク。

 俺は「んん」と肯定とも否定ともつかない曖昧な声を返しながら、自分の皿に視線を戻した。

 

 試行錯誤を繰り返して、ちょっとずつ前に進んできたキルマカレー。

 ルークの言葉通り、これならばあと何回か味を調えれば食卓に乗せられるものになるだろう。

 

 ということはこんなふうに過ごす時間も、あと少しなんだろうか。

 

「リック」

 

「……うん?」

 

 呼び声に顔を上げれば、ルークは真剣な顔で、先ほどまでの俺みたいにカレーを見つめていた。

 膝の上に置かれたその左手が、ぐっと拳を作る。

 

「あのさ、俺っ、」

 

「おーい。ルーク、リック、いるのか? 今ちょうどみんな帰ってきたから一緒に――」

 

 そんな声と共に台所の扉を開けたガイは、俺達を見てはたと動きを止めたかと思うと、

 

 何か一番やらかしてはいけないタイミングで

 一番やらかしたくなかったことを

 思い切りやらかしてしまったときの俺みたいな様子で、

 

 「やっちまった」とでもいうように、勢いよく顔を手で覆ったのだった。

 

 

 

 そしてなぜか微妙に落ち込んだガイと一緒に台所から出てみると、各々の用事が終わって帰ってきたところだったらしく、リビングにみんなが勢ぞろいしていた。

 

 とりあえず夕飯がてら先ほど口直し用に作ったほうのカレーを全員で食べた後、落ち着いたところで次の目的地についての話し合い、かと思いきやまず大佐が口にしたのは“もうあまり時間がない”ということだった。

 

 話を継ぐようにしてティアさんが、各国とも進軍の準備が整いつつあるらしいという現状を伝えてくれた。

 マルクト、キムラスカ、ダアトの用意が済んだなら、ルーク達はいよいよプラネットストームを止めるための作業に移る事になる。

 そうなれば、惑星譜術の触媒探しは終了だ。

 

「いつでも動けるように、そろそろバチカルで待機しておいたほうがいいでしょう」

 

 「休養も兼ねて」と付け足した大佐から視線を向けられたルークが、少し焦ったように身を乗り出す。

 

「でも、あとひとつで触媒が全部揃うのに!」

 

「悔しいのは分かりますが、限界だと思いますよ」

 

「いざという時に連絡がとれなくては大変ですものね……」

 

 そう言いつつも何だか悔しそうなナタリアが頬に手を添える。

 

「まーちょっと消化不良な感じではあるけど」

 

 仕方ないんじゃない、と肩をすくめたアニスさんに、ガイも何とも言えない様子で小さく唸った。

 

 ようやくここまで集めた惑星譜術の触媒。

 やむを得ないと感じながらも、やっぱり、どこか惜しいのだろう。俺はなぜか、完成の近づいたキルマカレーの味を思い出した。

 

 もう少し。

 あと、少しで。

 

 胸の内に過ぎった感情を言葉にしようとして、すぐ止める。

 そのかわりに思いきり息を吸った。そして。

 

「あのっ!」

 

 意を決して発した第一声に、みんなの視線が集まる。

 そのことに緊張しつつも、今言わなくてはという思いに背を押されるようにして言葉を続けた。

 

「じゃあ、あと一カ所……もう一カ所だけ! 触媒探しに行きませんか?」

 

 俺のようなただの兵士が、みんなの針路に口を挟むべきじゃないって事は分かってる。もう自分で言ってて冷や汗が浮かぶほどに。

 

「お、お願い、します」

 

 それでも。半ば祈るようにみんなを見つめた。

 すると短い沈黙の末に小さく笑ったガイが、ちらりと大佐を見やる。

 

「今日明日に事が動くってわけじゃないんだろ、旦那」

 

「そんな状況ならもうここには居ませんよ」

 

 溜息まじりに返された大佐の言葉を聞いて、翠の目をきらりと輝かせたルークは「それじゃあ!」と明るく声をあげた。

 

「次の場所で触媒が見つからなかったときは、今度こそ諦めてもらうことになりますが」

 

「ああ! ……やったなリック!」

 

「う、うん!」

 

 向けられた笑顔に頷きながら、そっとジェイドさんの様子を伺う。

 眼鏡を押し上げる仕草からこれといった感情を読みとることは出来なかったけど、とりあえずあまり怒ってはいなさそうだと胸を撫で下ろした。

 

「ねぇねぇ。それならさ、ケセドニアに行ってみようよ」

 

 話のなりゆきを見守っていたアニスさんが、人差し指をぴんと立てて提案する。

 

「アスターさんお金持ちでしょ? 宝物庫とかに触媒の一本や二本あるかもっ」

 

 宝物庫のところを一際うっとりと口にしたアニスさんに、ガイが「そこかよ」と何やら他人事のように苦笑を返しているが、確かシェリダンに行く話をしていたときのガイも同じような感じだった気がした。いや、俺も人のこと言えないんだけど。

 

「でも、いいかもしれませんわね」

 

「そうだな。色んな情報も集まるだろうし」

 

 あと一か所だけ、とは言ったものの具体的にどこと考えていたわけではなかったので、早々と目的地が決まりそうな気配にほっと息を吐く。

 

 ケセドニアかぁ。

 俺はいたたまれなくなるほど豪華なアスターさんのお屋敷を思い出し、すでに若干の緊張を感じながら、賑やかな会話を続けるみんなを見ていた。

 

 

 





ガイ。まさか自分が会話キャンセルしてしまうとは思ってもみなかった。会話自体は全然聞こえてなかったんだけど、空気で察した二十一歳。

大佐。本気で時間がなければもちろん問答無用で却下する。


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Act79 - 砂漠モラトリアム

 

 

 確かに、あの豪華なお屋敷へ入らないで済むなら、俺の心臓的にはありがたいんだけど。

 

「じゃ、じゃあそっちも頑張れよ! リック、ナタリア!」

 

 ザレッホ火山とはまた違う、じりじりと皮膚を焼く暑さを全身に受けながら、俺は若干遠い目でアスターさんの屋敷に向かうみんなに手を振った。

 その反対の手には、一番最初に手に入れていた怖い感じの触媒がひとつ。

 

「私達もまいりましょうか」

 

「あ、はい。そうです……そうだね」

 

 反射的に敬語で返事をしかけて、すぐに自分で気付き言い直す。

 すると隣に立っていたナタリアは一瞬険しくなりかけた表情を緩めて、何だかおかしそうに小さく笑った。

 

 それから通りの一つを指さして、まずはあちらのほうへ行ってみましょう、と先導するように歩き出したナタリアの背中を見つめる。

 

 ケセドニア到着後、俺たちは二手に分かれて触媒を探すことにした。

 

 そのほうが効率がいいから、というのもあるけど。

 

「リック? どうしましたの?」

 

「ん、ううん。行こうか」

 

 アスターさんの屋敷には、ナタリアの乳母だった人――血の繋がりで言えばおばあさん?――がいる。

 ラルゴとのことを当人に伝えていない今、うっかり面会させてしまうことは避けたいのかもしれない。だから今回に限って言えば、これはナタリアを屋敷に近づけないための役割分担なんだろう。

 

 本当のことを話すかどうかの判断はインゴベルト陛下に託してあるみたいだし、俺もあまり余計なことを言わないようにと、今は記憶にそっと蓋をした。

 

「それにしても、まさかリックが言い出すとは思いませんでしたわ」

 

「え?」

 

 振り返ったナタリアが、突然 発した言葉に目を丸くする。

 

「触媒探し。元々あまり乗り気ではなかったのでしょう?」

 

 口をウオントみたいに はくはくさせて足を止めた俺の横に、少し引き返してきたナタリアが並ぶ。

 

 結局なんの音も出せないまま閉じた口に手を当てて、俺は隣からじっとこちらを見上げてくる深緑の瞳を伺った。

 元より勝てると思ったことなんて無いけど、無言になっているときのナタリアには特に逆らえる気がしない。

 

 ひとつ息をついて、俺は歩みを再開しながら今度こそ声を出す。

 

「わりとどうでもよかったっていうか」

 

 惑星譜術の触媒探し。

 

 それ自体に、さほどのこだわりはなかった。

 ネビリムさんが関わってるという点では、むしろ探したくないくらいだったけど。

 

「でも、だからって嫌々だったわけじゃないんだ」

 

 みんなが、ルークがあんなに頑張っているんだから、全部揃えばいいなぁと思う気持ちもあって、触媒が見つかれば嬉しかった。

 

 どうでもよかった。探したくなかった。見つかると嬉しかった。

 

 相反するような感情がどれも本心だなんて自分でも信じられないけど、人の心が良くも悪くもひとつの想いだけで出来ているわけじゃないことは、少し前にバチカルでアッシュが気付かせてくれたことだ。

 

 絞り出すようにそれだけを話したあと、俺は未だ逸れない深緑色に向けて情けなく眉尻を下げた。

 

「ま、まだ喋らないとダメですか?」

 

「肝心のお話を聞いていませんもの。あと敬語」

 

「はっ」

 

 そうだ、前にルークと喧嘩したときは男同士の喧嘩に口を挟むものじゃないっていう

ばあやさんの教えの上でなにも聞かずにいてくれたんだっけ。

 今回はほぼ一から十まで俺の事情だし、知りたいと思ったならナタリアが引く理由はない。俺だって別に知られて困るような事情はないけど。あ、いや、ラルゴの件以外は。

 

「……ただのオレの話になっちゃうよ」

 

「私は、リックの話が聞きたいのです」

 

 そうして王女様らしい凛とした声できっぱりと言い切られてしまえば、もはや選べる選択肢はひとつしかなかった。

 

 触媒探しに乗り気でなかったこと自体はいつのまにかバレてたみたいだから、ナタリアが聞きたいのは、そんな俺がユリアシティで触媒探しをもう少し続けようと言った理由なのだろう。

 

 んん、と唸りながら、胸の内にある漠然とした感情を言葉になおしていく。

 

「なんていうか……触媒探しが終わったら、みんなとこんなふうに過ごす時間も終わっちゃうんだなって、そう思ったら……終わらせたくなくて」

 

 言っていて、おかしな話だと思う。

 触媒探しが終わろうが何だろうが、空に浮かぶエルドラントは消えたりしない。現在進行形の世界の危機は、なかったことにはならない。

 

 ――そう遠くない未来、いつか来る、別れの予感も。

 

 思わず黙り込んだ俺からようやく視線を外したナタリアが、真っ直ぐ前を見据えて目を細める。

 

「そうですわね。本格的に作戦が動き出せば、こんな余裕はなくなってしまうのでしょうけど」

 

 そんな中で、一介の兵士である俺とは比べものにならないくらいたくさんのものを背負っているはずのナタリアは、深緑色に強い光を宿して言った。

 

「だからこそ。またこんなふうに過ごせる時が来るように、私達がやらなくては」

 

 そのときもまたリックのカレーを食べたいものですわね、と微笑んだ彼女の姿に、うん、と小さく頷いて返す。

 そしてじわりと熱くなりかけた目の奥をごまかすように、俺も笑った。

 

 

 

 

「それにしてもありませ、……ないねぇ触媒」

 

 しばらく探してみたが、俺達が持っている触媒が干渉音を立てる気配はない。ルーク達のほうで何か進展があればいいんだけど。

 

 それにしても、ケセドニアのバザーはこんな状況でも変わらず賑やかだ。もしかしていざってときに一番強いのは商人さん達なのかもしれない。

 たまに露店をのぞいてナタリアと色々話しながら歩く途中、ふと目に入った店の前で足を止めた。

 

「ナタリア、ちょっとだけ待ってもらっていい?」

 

「ええ。構いませんわよ」

 

 ごめんとナタリアに謝ってから、店に駆け寄る。

 そこはたくさんの絵本が並ぶ露店だった。年老いた店主の男性に軽く挨拶をして、絵本を眺める。

 

 色とりどり、形もさまざま。

 つい最近出版されたらしい綺麗な装丁のものから、触れれば朽ちてしまいそうな古ぼけたものまで。

 

 あ、そういえば。

 ふと思い立って背表紙をざっと目でなぞり、いくつかそれらしい本を広げてみたが、昔ピオニーさんが聞かせてくれた鳥の話は見当たらなかった。

 

「やっぱり創作だったのかなぁ」

 

 ていうか結構前のことだから、俺も話の内容自体ちょっとうろ覚えだしなぁ。

 

 分からないものは仕方ない。

 目的の一冊を購入し、急いでナタリアのところへ戻る。

 

「すみま、えーと、ごめん待ったー!?」

 

「いえ今来たところ……ではなくて。それは、絵本?」

 

「うん。アビスマンの絵本」

 

 ダアトの教会で、レプリカのひとに読んであげたのと同じ内容のものだ。

 旅では持ち物を最低限に抑えなきゃいけないことは分かってるけど、どうしても、これだけは手にしておきたかった。

 

 絵本らしい厚めの装丁を一度手でなぞってから、自分の荷物袋に押し込む。

 

「誰かへの贈り物ですの?」

 

「いや自分用の、えぇと、お守りかな」

 

 どちらかというと願掛けに近いものかもしれない。

 ほんの少し、なんともいえない照れくささに顔をゆがめると、ナタリアは目を丸くした後になぜか小さく笑って、何も言わずにまた歩き出した。

 

 そうして歩き続けるうちに立ち並ぶ露店は徐々に少なくなっていき、いよいよ町外れの空気を感じ始めたところで足を止める。

 

「このあたりで戻りましょうか」

 

「うん。じゃあルーク達といったん合流して、うわっ」

 

 突然吹き抜けた強い風に、巻き上がった砂が皮膚を打ち付ける。

 まぁケセドニアではわりとあることなので、目と口を閉ざしつつ治まるのを待つ。

 

 風がマシになったところで、同じように砂から身を守っていたナタリアに声をかけた。

 

「大丈夫だった?」

 

「ええ。あら……リック、首飾りが」

 

「へ」

 

 ナタリアの視線を追って、自分の首元を見てみる。

 そこでは、かろうじて引っかかっていたオレンジのリボンだけが、ひらひらと風に揺れていた。

 

「えっ、あれ、歯車は!?」

 

 とりあえずリボンまで飛んでいかないよう手に持ってから周囲を見回す。

 すると少し先の地面を、流れるように転がっていく歯車の姿。

 

「ちょっ、待って! ごめん、ナタリアもちょっと待ってて!」

 

 ナタリアに断ってから、どんどん遠ざかっていく歯車を追って走り出す。

 止まりそうで止まらない歯車が、ころころと、路地裏に消えていく。

 

「まっ……!」

 

 それを追って路地裏に飛び込んだ瞬間、謎の黒い影が、突如目の前に現れた。

 

「~~~ッ!!?」

 

 俺は声にならない悲鳴をあげ、その場で腰を抜かしてへたりこむ。

 

「これぇ」

 

「うわー! すみませんすみません!!」

 

「もらっていいかぁ」

 

「もう例のアレはイヤです ごめんなさ……え?」

 

 涙目をこらして、影をもう一度よく見てみる。

 

「これぇ、もらっていいかぁ」

 

「え、あ」

 

 このケセドニアの暑さの中、顔も分からないくらい厚着をした人。

 でも人と言い切ってしまうにはどこか違和感のある、不思議な雰囲気をした……誰か?何か?

 

 ていうかこの格好、どこかで見たことある気がする。

 

「俺ぇ、ありじごくにん~」

 

「そうだ昔見た童話の……ってそれ! 歯車!」

 

 その手の中で鈍く光っているのは、間違いなく俺が追いかけてきた歯車だ。

 ありじごくにん(?)が、ゆらゆらと身を揺らしながら、再度問いかけてくる。

 

「これぇもらっていいかぁ」

 

「っだ、」

 

「おーいリックー?」

 

 慌てて身を乗り出したとき、後方から響いた呼び声。

 振り返ると、表の道からこの路地を覗き込むルークの姿があった。

 

「ルーク」

 

「おまえ、何こんなとこで座り込んでんだよ」

 

「いや、あの」

 

 差し出されたルークの手を掴んで、立ち上がる。

 どう説明したものかと考えながら服に付いた砂を払っていると、ルークの後ろからすぐに他のみんなもやってきた。

 

「見つかりましたの?」

 

 ナタリアの問いにもなんとなく返しあぐねていると、最後に路地へ入ってきた大佐が、俺とありじごくにんの様子を見て小さく息をついた。なんか一瞬で現状を察したらしい。

 

「もらっていいかぁ」

 

 答えが返るまで言うんだろうか。

 ありじごくにんが、何度目ともしれない問いを繰り返す。

 

 大佐の視線が背中に向けられているのを感じて、俺はぐっと息を飲んで彼(?)に向き直った。

 

「……ごめん、それはあげられないんだ」

 

 だいじなものだから。

 

 目(らしき場所)を真っ直ぐ見据えながら言うと、ありじごくにんは少し考えるように黙ってから、歯車を持つ手をこちらに向けた。

 慌てて俺も手のひらを差し出せば、そこにすすけた歯車がぽとりと落ちてきて、ほっと息をつく。

 

「あ、ありがとう」

 

「けちんぼぅ」

 

「すみません……」

 

「いや何でリックが謝ってんの。ていうかそれ誰?」

 

 ルークの横からこちらを覗き込んだアニスさんが、怪訝そうに眉根を寄せる。

 

「えーと」

 

「俺ぇ、ありじごくにん~」

 

「――だそうです」

 

 オールドラント童話に出てくる妖精の?と明らかに信じていない茶色の瞳が告げるが、正直俺もよく分からないので「はぁ」とどっちつかずな相槌を返すにとどまった。

 

 なんにせよ歯車が戻ってきてよかった。

 改めて胸を撫で下ろしたところで、はたとみんなのほうに向き直る。

 

「そういえば、アスターさんのほうはどうだったんですか?」

 

 尋ねると、ルークが少し肩を落として首を横に振った。

 

「いろいろ見せてもらったんだけどな。こっちの触媒も反応しなくてさ」

 

「ねえ。触媒、反応してない?」

 

「は? 何言ってんだよティア、反応なかっただろ?」

 

「いえ、あの……今」

 

「え」

 

 ティアさんの言葉に、耳を澄ます。

 すると風の音に紛れるようにして、確かに聞こえた、干渉音。

 

「オレが持ってるのとルークが持ってるのが、じゃなくてですか?」

 

 触媒同士が近くにあると、干渉音を立てて共鳴する。

 それを利用して今まで触媒を見つけてきたわけだが。

 

「や、俺のやつはさっきジェイドが譜術封印(アンチスペル)かけ直した」

 

 手持ちのもの同士で共鳴し合っていては何なので、広範囲を手分けするとき以外はひとつを残しに大佐が譜術封印をかけて音素の動きを止めている。だからルークのほうはナタリアと合流した段階でかけ直したらしい。

 

 俺は荷物ぜんぶ持ったまま歯車を追いかけてきてしまったので、触媒もそのまま、ご健在だ。いつもどおり元気にうごめいている。ていうかやっぱりコレちょっとこわい。いや普通にすごくこわい。

 

「ということは」

 

 みんなの視線が、ゆっくりとありじごくにんに向けられた。

 相変わらず表情の読めない出で立ちでゆらゆら揺れるその人(?)に、ガイが慎重に話しかける。

 

「このへんで、不思議な感じのする武器みたいなものを見なかったか?」

 

 俺達としてもそう訊くしかない漠然とした質問。

 それに、ありじごくにんは「みたぁ」とあっさり頷いてみせた。

 

「見たぁ!?」

 

「いや無いだろ! さすがに!!」

 

「でも触媒の反応からして、本当なんじゃないかしら」

 

 未だ鳴り続ける干渉音を聞きながら、色んな感情を込めてみんなが視線を交わしあう。

 いや、でも、まさか、そんな。

 

「そちらを見せて頂くことは出来ますか?」

 

「いいよぉ」

 

 大佐の言葉にまた頷いて、ありじごくにんがどこからともなく取り出したのは、一振りの杖。

 今俺が持っている怖い剣とは反対に神聖そうな、でもやっぱり不思議な気配を放つ杖だった。

 

「間違いなさそうですね」

 

「本当に触媒なんですか!?」

 

 あれだけ探し続けてきた惑星譜術の触媒、最後のひとつが、こんな路地裏にぽろっとあっていいのだろうか。

 

 なんだか微妙に喜びそこねた空気はあるけど、とにかくこれで全部揃うんだ。

 ルークが改めてありじごくにんに向き直る。

 

「その杖、俺達に貸してくれないか?」

 

「用が済んだら、必ずお返ししますわ」

 

「これぇ、やるぅ」

 

「え、くれるの? ただで?」

 

 まさかの申し出にアニスさんが目を輝かせたのも束の間、ありじごくにんは突然すいと俺のほうを指さした。

 

「その剣とぉ、交換~」

 

「こ、この剣も触媒だからちょっと、」

 

「それじゃなくてぇ、そっちのぉ」

 

 その言葉を聞いてよく見れば、ありじごくにんが示しているのは、俺が持っている触媒の怖い剣ではなくて。

 

「…………この剣ですか!?」

 

 腰元に差してある、例のアレだったほうの怖い剣。

 

「それくれたらぁ、これやるぅ」

 

 いやまぁそれは願ったり叶ったり、だったりなかったり、っていうか出来るならそうしたい、けど。

 

 俺は無言のまま、ちらりとジェイドさんを見た。

 それだけで何を言いたいのか察したらしいジェイドさんが肩をすくめる。

 

「捨てるよりはいいんじゃないですか? 譲渡されたくらいで祟りもしないでしょう」

 

 多分、と流れるように付け足された一言が気にならないではないけれど、確かに火口に落として見なかったことにするより、欲しがっている人の手に渡るほうがずっと良いはずだ。うん、そういうことにしておこう。

 

「えーと、じゃあこれ」

 

 剣を外して渡すと、ありじごくにんも触媒の杖をルークに渡す。

 それに大佐が譜術封印をかければ、ずっと響いていた干渉音が止んだ。

 

 軽くなった腰元にほんの少し寂しさを感じつつも、ようやく謎のプレッシャーから逃れた開放感を噛みしめる俺の前で、ありじごくにんは思いきりよく、剣を後ろのありじごくの中へ、――――放り投げた。

 

 例のアレだった剣があっという間に砂に埋もれて消えていく。

 

「あ、あれで本当に祟られないと思いますか!?」

 

「まぁ多少は分割されるんじゃないですか祟りも」

 

「さっきと言ってることが違う!!」

 

 涙目で騒ぐ俺をよそに、「またぁ、今度ぉ、遊ぼうぅ」とありじごくにんはのんびり手を振っていた。

 

 

 

 

 そしていったんアルビオールに戻ってきた俺達の目の前には、ずらりと並べられた触媒が六つ。

 

 惑星譜術の触媒はそろった。

 あとはロニール雪山にあるという触媒に反応する譜陣のところへ行けばいい、んだけど。

 

 ふと目があったルークと一緒にそろりと大佐を見た。

 そのままふたりでユリアシティのときと同じく、祈るように眼鏡越しの赤色をじっと見つめていると、やがて大佐が深くため息を吐いた。

 

「……あるかも分からない触媒探しで、あてどもなく世界中をうろうろしていられるほどの時間は、ありませんでしたよ」

 

 そして若干疲れた声で零された言葉に俺達が目を瞬かせていると、おかしそうに吹き出したガイが「目的地が決まってるなら大丈夫だってよ」と付け足す。

 

 それってつまり。

 

「次の目的地はロニール雪山でよろしいですか?」

 

 操縦席からこちらの様子を見ていたノエルが笑う。

 その声を聞いて俺とルークはようやく我に返り、表情を明るくした。

 

「ジェイドさぁあああん!!」

 

「本当にいいのか?」

 

「いいも何も行く気なんでしょう? それくらいの時間ならまだありますよ、残念なことに」

 

 飛びついた俺を片手で止めつつ、大佐がルークの問いに答えて息をつく。

 

「惑星譜術に関して、情報が出揃っていないことが不安ですが、必要ならば向かいましょう」

 

 ようやく揃った触媒。きっと最後になる、この短い旅の目的地。

 

 ドキドキしてきたと笑うアニスさんやナタリア、二人で話していたと思ったらなぜか赤面しているルークとティアさん。

 そんなみんなを眺めながら、俺はさっき結び直してもらった歯車の首飾りにそっと触れた。

 

 必要ならば。

 必要、なのは。

 

 アルビオールに戻ってくる前、マルクト領事館で調達してきた真新しい剣の柄に手を添える。

 

 かちゃりと澄んだ金属の音を耳の端に、俺は小さく息を吐いた。

 

 

 




▼『聖杖ユニコーンホーン』を手に入れた!
避けようのない問題を先送りにするのはただの時間稼ぎでしかないかもしれないけど、その「時間」が必要なときだってある。誰かにも、自分にも。


偽スキット『リックの剣どうする?』
アニス「なくなっちゃったけど」
ルーク「じゃあちょっと武器屋寄ってくか」
リック「あ、いや、マルクト領事館で申請して新しいのもらってきます」
アニス「それフツーに軍の支給品じゃん。なんかこだわりとかないの?」
リック「えっ。でもオレいつも剣とか服とか支給されるやつしか……」
ジェイド「おや、あなたにもあるじゃありませんか。皇帝陛下から賜った一張羅が」
リック「あれはちょっと!」

イー!(By.アビスシャッカー)


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Act80 - それゆけ?メガロフレデリカ!

 

 

 一面の銀世界。頬を打つ冷たい風。

 ここは惑星譜術を巡る旅 最後の目的地、ロニール雪山。

 

「や、やっぱりここに泊まるんですかぁ?」

 

 ――――ではなく。

 

「えぇえリックまたそれぇ? 今までにも何回か泊まったじゃん!」

 

「何回か泊まったからこそですよ!!」

 

 雪の街ケテルブルク。

 その中でもとびきり立派なホテルの前に、俺達は立っていた。

 

 ロニール雪山に向かうことは決まったわけだけど、だてに雪山ではないので、よし今すぐ行くぞ さぁ行くぞというわけにはいかない。前回登ったときも結構つらかった。

 ということで目的地に向かう前に、一番近いケテルブルクで準備を整えつつ一泊していこうという話になった。

 

 まぁそれは当然の流れとしても、ケテルブルクホテルに泊まることまで当然だと思えるほど、俺の心臓は上等ではなかった。いっそ自分だけでも安宿に泊まろうかと毎回迷う程度には。

 

 だが高級ホテルで怖じ気づく俺にもみんな慣れたもので、横に並んだアニスさんにてきぱきと腕を引かれる。

 

「ほら寒いんだから早く入ろ! せっかく陛下からスパの会員証もらったんだしさー」

 

「え? スパ?」

 

 グランコクマでブウサギ探しを手伝ったお礼にと陛下がくれたのは、確かにメガロフレデリカという何かすごいスパの会員証だったらしいけど。それとこの状況に何の関係があるんだろう。

 

 目を丸くしていると、ガイが「ああ」と笑って説明してくれた。

 

「ケテルブルクホテルの中にスパがある、って感じだな。最上階に会員専用の客室があって、そこがスパでもあるっていう……」

 

「えぇええと、つまり、ケテルブルクホテルがスパ!?」

 

「ケテルブルクホテルがスパです」

 

 理解力の限界に到達しかけている俺に、大佐が適当な感じで断言する。そろそろ面倒くさくなってきたらしい。

 なんか微妙に違うらしいけど、うん、でも、とりあえずそういうことにしておこう。

 

 ケテルブルクホテルの中は、アスターさんの屋敷のようにピカピカしているわけじゃない。

 だけど俺でも分かるほど質の良い調度品と、隅々まで手入れの行き届いた清潔感が、高級さをひしひしとこちらに伝えてくる。

 

「相変わらず、こういうところは居心地悪そうだな」

 

 みんなが受付に行っている間、荷物と共に少し離れたところで待機していると、ひとり戻ってきたガイが隣に並んだ。

 

「いやぁ、なんか、オレだけ場違いでさ」

 

 天井を彩る豪華な音素灯を仰いで、小さく笑う。

 そもそもこの錚々たる面々の中に俺が混じっていることのほうが場違いといえばそうなんだけど。

 

「スパとかさ、普通だったら絶対来られなかっただろうし」

 

「まぁ、このクラスのスパになると大抵の人は機会がないだろうな」

 

「だろ? なんか、本当にオレまで入っちゃっていいのかなって感じだよ」

 

 今更不安になってきた。飽きることなく逃げ腰になっていると、ガイは空色の瞳をこちらに向けてほんの少しの間黙っていたが、やがてゆっくりと口の端をあげた。

 

「でも、楽しみにしてたんだろ」

 

 ぐっと言葉に詰まって、顔を俯ける。

 

「……うん」

 

 本来ならあり得なかったはずの機会に恵まれたことを、俺は喜んでもいいんだろうか。胸の内をくすぐりかけた嬉しさをごまかすように、眉尻を下げた。

 

「だけどやっぱり恐れ多いよなー」

 

「なら残ればいいじゃないですか」

 

「うわぁ!!」

 

 いつのまにか戻ってきていた大佐が、いつもの笑顔で言葉を続ける。

 

「別にどうしても泊まってほしいとは言ってませんから、何ならホテルの方に頼んで貴方だけロビーの片隅にでも」

 

「こ、ここまで来てそういうちっちゃなイジワルは止めましょうよ!」

 

「いや、ちっちゃいか?」

 

 普通にハブられそうになってるわけだが、というガイの呟きを遠く聞きながら、「ごめんなさいオレもスパ入りたいです泊まりたいです」と涙目で大佐にすがりついた。

 

 すぐに俺をべりっと引きはがした大佐が、身をひるがえして歩き出す。

 

「それなら、初めからそう言えばいいんですよ」

 

 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ柔らかい響きを帯びた声が耳に届く。

 離れていく青色の軍服をぼけっと眺めていた俺の背を、ガイが軽く叩いてからその後に続いて行った。

 

「リック」

 

 受付から戻ってきたルークが、立ち尽くしている俺と、その視線の先を見比べて首を傾げる。

 

「なんか話してたのか?」

 

 問われて、ついさっき交わしたいくつかのやりとりを思い返す。

 

「……ここの話、かなぁ」

 

「何でそんな自信なさそうなんだよ。ここって、ケテルブルクホテルの話か?」

 

「うん。……うぅん?」

 

「いや、どっちだって」

 

「うーん」

 

「お前またそれかよ!」

 

 ああ、そういえばユリアシティでもこんなやりとりしたっけ。

 やっぱり結論を口に出来ずに唸るだけの俺を、ルークが「あーもう行くぞ!」と引きずるようにして進み始める。

 

 おかげで高級スパへの緊張を感じる間もなく客室まで上がれたのは、まぁ良かったのかもしれない。

 

 

 

 部屋で荷物の整理をしてから、ひとり遅れてスパに入る。

 直前で飽きずに怖じ気付いていたわけではない。ないんです。

 

「よし。リック一等兵はいりまー、」

 

「このスケベ大魔王!」

 

「うわぁすみません!!」

 

 足を踏み入れた瞬間の怒声にびくりと身をすくめる。

 

 だが涙目で伺い見た浴室内で、女性陣に怒られていたのはガイだった。

 自分でなかったことに ほっとしつつも、意外な渦中の人物に目を丸くする。

 

「ど、どうかした?」

 

「いや、聞かないでくれ……」

 

 げっそりと肩を落として「口は災いの元か」と独りごちるガイと、ご立腹らしい女性陣。

 そしていたずらっ子みたいな悪い笑みのルークと素知らぬ顔の大佐は、たぶん無関係ではないのだろうなぁと思いつつも、これ以上 藪をつついてライガを出すような勇気は俺にはなかった。

 

 そんなわけで控えめにガイの横を通り抜けようとした俺の姿を見たアニスさんが、ふと不思議そうに小首を傾げる。

 

「あれ、リックの水着けっこう地味だね。ピオニー陛下のことだから面白がって変なの用意すると思ったのに」

 

「え? ピオニー陛下?」

 

 きょとんと目を丸くすると、ルークが「さっき言ったろ!」と眉根を寄せつつも今一度説明してくれたところによれば、陛下が全員分の水着を用意してくれていたらしい。

 そういえば上に来る途中で言われた、かもしれない。考え事してて上の空だったからなぁ。

 

「でもオレ、このスパの水着借りましたけど」

 

「ふえ? じゃあピオニー陛下、リックの分は用意しなかったのかなぁ」

 

「いやそういえば……これどういう人が着るんだろうみたいな、すごい、なんというか、冗談みたいな水着なら置いてありました」

 

「それだねきっと」

 

 そういう事情とはつゆ知らず、というか聞いてなかったので別のお客さんのだろうと思いこんでいたが、まさか。いや知っていたとしてもあれを着てくる度胸はなかったけど。

 

 ふと視界をずらせば、すっかりバスローブを着込んだ大佐の姿。

 湯気が立ちこめる室内でも相変わらず外されない眼鏡の奥、赤色がこちらを見てにこりと笑う。

 

「何か?」

 

「いえっ」

 

 なんかそれ怖いくらい似合ってます、ジェイドさん。

 

 

 そうしてひとしきり騒いだ後は、それぞれ好きなようにスパを堪能していた。

 俺が来るよりも前に堪能し終えていたらしいジェイドさんはもう出て行ってしまったけど、他のみんなはまだ残っている。

 

 楽しげにお喋りをするアニスさんとナタリア。

 ゆっくりとお湯につかっているティアさんやガイ。

 

 ルークと俺は足だけをお湯につけて、のんびりと過ごしていた。

 いや、さっきまでは大はしゃぎしていたのだけど、はしゃぎすぎてアニスさんに怒られたので今は休憩中だ。

 

「スパって楽しいんだなぁ」

 

「へへ、来てよかっただろ?」

 

 じんわりと肌にしみこむ温かさに息をつきながら呟くと、隣に座るルークがこちらを向いて嬉しそうに笑う。

 うん、と頷いて返してから、俺は揺れる水面を眺めた。

 

 真っ白い湯気を吸い込んで目を細める。

 

「ル、」

 

「なぁリック」

 

「ぅへぇい!?」

 

「……なに驚いてんだよ」

 

 何でもないと首を横に振れば、ルークはちょっと言いづらそうな様子を見せつつも、意を決したように口を開いた。

 

「その傷跡って、もしかしてあのときのやつか?」

 

「え? あ、これ?」

 

 視線を追って、たどり着いた場所に手を添える。

 

 腹部に浮かぶ大きな裂傷の跡は、外殻降下作戦のときにアブソーブゲートでついたやつだ。一応これでも兵士だし、傷跡のひとつやふたつは珍しくないけど。

 

「うん、そうだよ。もとの傷が傷だからさすがに他より目立つなぁ」

 

 すっかり塞がって薄くなってはいるけれど、たぶん傷跡はこのまま残るだろう。

 まぁ女の子ってわけでもなし、別に困ることはない。そもそもあの剣の前に飛び出して生きてるだけでもう、なんていうか、うん。温かいお湯に浸かっているにも関わらず若干の寒気を覚えて腕をさする。

 

 ふと無言の空間に気づいて隣を見ると、ルークはなんともいえない顔で眉間に皺を刻んでいた。

 ちょっとだけ泣きそうにも見えるその様子に、俺は少し考えて、あっと声を上げる。

 

「ごめん! そんな見てて気持ちいいものじゃないよな」

 

「え」

 

 なんか隠せるものあるかなぁ。

 いや、お湯に浸かってしまえばいいのか。

 

「――っの、」

 

 ひとまずの解決策を探してきょろきょろと辺りを見回していた俺の耳に届いた小さな声。

 

「……ルーク?」

 

 振り返ってそろりと名を呼ぶと、俯いていたルークが、鋭い視線と共に勢いよく顔を上げる。その迫力に思わず半身を仰け反らせた。

 

「お前っ、この、なん、~~……ばぁか! リックのばーーか!!」

 

「はっ!? ちょっ、ルーク!?」

 

 俺を罵ったが早いか引き留める間もなく立ち上がり、走って出て行ってしまったルークの背が消えたほうを呆然と眺める。

 

「見事なほど感情に言葉が追いついてなかったな」

 

「ルークとリックって喧嘩のとき大体そんな感じだよね」

 

 後方で何やら冷静に分析される声を聞きながら、俺はがくりと肩を落として息をついた。

 

「怒らせちゃったなぁ……」

 

 あとで謝らなきゃと小さく呟けば、ずっと黙っていたティアさんが、「ルークは」と静かに声を発した。

 

「あなたに謝ってほしくて怒ったわけでは、ないと思うわ」

 

 振り返ると、こちらを見据える真剣な青い瞳。

 どう言葉を返していいか分からず口を閉ざす俺を、陛下とはまた違う深い青色が捉える。きびしくて優しい色。その奥に、何故だかさっきのルークがちらついた。

 

 苛立たしげで、泣きそうで、もどかしげな翠の瞳。

 

 思い出して同じように表情をゆがめた俺を見てか、ティアさんはふと雰囲気を柔らかくして苦笑したけれど、それ以上は何も言わなかった。

 

 

 




▼リックは水着称号『レンタル野郎』を手に入れた!
▼ガイは称号『スケベ大魔王』を手に入れた!

リックに自分で気付いてほしいっていうか分かってほしいルークと、別に言葉で説明してもいいんだけどまぁルークが頑張ってるしせっかくだから自分で気付いてみたら?っていうスタンスな皆。


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Act80.2 - ケテルブルクに積もるのは

 

 

 大きな雪玉の上にひとまわり小さな雪玉を置き、よしと呟いて背筋を伸ばす。

 ささやかな達成感と共に吐き出した息が白く空へ浮き上がった。

 

「大佐に見られたら、行動がワンパターンだって言われそうだなぁ」

 

 目の前に並べた三体の雪だるまを見下ろして苦笑する。

 

 時は深夜。場所はケテルブルク広場。

 豪華絢爛なホテルを抜け出して、俺はひとり雪だるま生産工場と化していた。

 

 ふかふかすぎて吸収されそうなベッドが落ち着かなかったのか、いよいよ明日となったロニール雪山行きに緊張しているのか。自分でも定かではないけれど、ひたすら雪玉を転がす作業は妙に安心するものだった。

 

 あまり毎回ホテルの前でやるのも何かなと思って、一応今日は広場まで来てみたんだけど、大の男が黙々と雪だるまを作る光景の異様さは結局変わらなかったかもしれない。

 

 どんな時間帯でも多少は人の出入りがあるホテル前と比べて、夜の広場には子供一人、チーグル一匹見当たらなかった。

 

 これがモンスター溢れる森の奥とかだったら怖いけど、あちらこちらに残る生活の気配が、無人の広場もどこか温かいものに感じさせてくれる。

 昼間のうちに近所の子供が作ったらしい小さなかまくらを見て口の端を緩めてから、俺は四つ目の雪だるまに取りかかろうと身を屈めた。

 

「ゆーきだーるまー、ゆーきだー……ん?」

 

 とても歌とは呼べない音の羅列を口ずさみながら雪を一掴みしたところで、ふと何かが視界の端を過ぎった気がして顔を上げる。

 

 子供一人チーグル一匹いないはずの広場。

 灰色の雲に覆われた空。夜光を反射して僅かに青みを帯びた雪の白。

 

 そんな中で強烈な存在感を放つ、緋色。

 

 あっと声を上げる余裕もなかった。

 名前を呼んだからって立ち止まってくれるとも思えない。

 

 一瞬で混乱の極みへと達した俺の脳は、己が何をしようとしているのかも分からないまま、最近ずっと練習している譜術の構成をもはや無意識に展開させた。

 

 そして。

 

「ピコハンッ!!」

 

 奇跡か、悪運か。

 初めて成功してしまったその譜術は、完全な形を保って、その人物の頭上に落下したのだった。

 

 ぴこっ、と軽い音が辺りに響く。

 

 すると術の効果も相まってか、ぴたりと足を止めた人影が、ゆっくりとこちらを振り返った。

 

「テメェか、リック」

 

 視線だけで攻撃できそうなほど鋭い翠の瞳が俺を睨んだ。

 弾かれたように両手をあげて抵抗の意思がないことを示しつつも、今更ながらやらかしたことを自覚して血の気が下がる。俺、これ、生きて帰れないかもしれない。

 

「いや、あの、何ていうか出来心で、えーと……ごめん、アッシュ」

 

 ちょっとだけ言い訳を試みるも、すぐさま空気に耐えかねて平謝りする。どうしたら立ち止まってくれるかなって考えてて気付けばこんなことに。

 

「本当にごめん! あっ、でも今初めてピコハン成功したんだ! ていうかアッシュやっぱりオレの名前呼んでくれたよな!! 前回のも幻聴じゃなかっ、」

 

「うるせぇ黙れ」

 

「ごめん」

 

 恐怖と喜びと驚きで混乱してて。

 

 そうしてアッシュはしばらく眉間の皺を三割増にしていたけれど、やがて疲れたように息をついて、その場で腕を組みながら俺を見た。

 

「で、何の用だ」

 

「いや特に用はなかったんだけど、姿が見えたから」

 

「斬り捨てるぞ滓」

 

「またカスって言った!」

 

 用がなきゃ声かけちゃいけないって事はないだろう。いや声はかけてないけど。ピコハンだったけど。重ね重ねごめん。

 

 アッシュが苛立たしげに髪をかきあげた。

 

「用がないなら俺は行く」

 

「みんなには会っていかないのか?」

 

 今にも立ち去ってしまいそうな様子に、とっさに訊ねる。

 するとルークより少しだけ濃い翠が鋭く細められた。

 

「何のための別行動だと思ってる。こんな所でのこのこ雁首揃えてたら意味ねぇだろうが」

 

「いや、そりゃそうだけど」

 

 ローレライの剣を持つアッシュと、宝珠を持つルーク。一緒にいるところを他の六神将に見つかったら大変なことだ。まぁ向こうにとっては一石二鳥、一ピコハンで二チュンチュンだろうけど。

 

「でもちょっとくらいナタリアと……ルークに、顔見せてってあげれば、」

 

 いいのに、と最後まで言い切ることは出来なかった。

 

 瞬きするほどの間で、眼前に突きつけられた剣の切っ先。

 その向こう側から俺を射抜くのは、降り続く雪より冷たくて、ザレッホ火山の溶岩みたいに煮えたぎった翠の色。

 

「よく、そんな脳天気なことが言えるな。知らねぇわけじゃねえだろう」

 

 喉の奥から絞り出すみたいに発せられる声。

 そこにはあまりにも色んな感情が複雑に混じり合っていて、バカな俺ではうまく察することが出来ない。

 

 だけど。そんな俺でもひとつだけ分かることがある。

 

「――だってアッシュは、本当にきらいじゃないだろ?」

 

 雪明かりの中。

 鈍く光る翠の瞳をまっすぐに見据える。

 

 痛いほどの静寂は、さほど長く続かなかった。

 

 剣を鞘に収める かちんという音が、やけに大きく聞こえた気がした。

 

 無言で背を向けたアッシュが遠ざかっていく。

 今一度呼び止めることは、さすが出来なかった。

 

 姿が完全に見えなくなったところで、俺はがっくりと雪の中へ倒れ込む。

 

「こここここ、こわかったぁ」

 

 染み込んでくる雪の冷たささえ温泉もかくやというほど温かく感じられるくらいには怖かった。

 まぁそんな心象的な温度はさておき、地面についた手の平から伝わるひやりとした感触に、ようやく頭が現実に戻ってくる。

 

 深く息を吐いてそのまま仰向けに寝転がった。

 正直震えるほど寒いが、今はそれが何だか心地良い。

 

 視界いっぱいに落ちてくる白い結晶を眺めながら、短い邂逅を思い起こして、呟く。

 

「オレ、ビビリだけどさ。それでも殺意の有る無しくらいは分かるよ、アッシュ」

 

 というより、臆病だから、だろうか。

 突きつけられた剣に、凶器としての鋭さは感じなかった。

 

 だからこそあの場で泣き出さずに済んだわけだけど、斬られないだろうと思っても目の前にある刃はやっぱり怖い。

 要するにどうしてここで寝転がっているのかって、今歩いたら生まれたてのブウサギみたいになれる自信があるからだ。

 

 ほんと怖かった。殺気とは違う、もっと色んなものをぐちゃぐちゃにして、自分でも何を入れたか忘れてしまったカレーみたいな、途方もない感情の色。

 

「…………はー」

 

 こうして吐き出せば、息だって目に見えるようになるのに。

 

 そっと瞼をおろすと、真っ暗な世界に雪と空気の冷たさだけが伝わってくる。

 身じろげば、地面に敷き詰められた白がぎしぎしと軋んだ音を立てた。

 

 遠くで風の唸る音がする。

 周囲で音素が渦を巻いた。

 

 背筋を伝う嫌な予感。

 

「タービュランス」

 

「ぅわー!!!」

 

 がばっと身を起こして転がるようにその場から退避する。

 そうして先ほど自分が作った雪だるまの背に隠れてから、俺は涙目で声がしたほうを見やった。

 

「なんでいきなりタービュランスなんですかぁ!!」

 

「いえいえ、ここに来る度に雪と戯れているようなので、やはり凍死がしたいんだろうと思いまして、そのお手伝いを」

 

「じ、事前に意思確認してほしかったです!」

 

 言われる前に察するのが優秀な軍人ですよと涼しい顔で笑ってみせた上司は、音素の名残を払うようにしながら手を下ろした。

 どうやら今は「攻撃対象が味方」なわけではなかったのか、しっかり役目を果たした味方識別のおかげで、避けるまでもなくタービュランスが当たる心配はなかったみたいだ。

 

「ジェイドさん、こんな時間にどうしたんですか? あっもしかして迎えに来てく、」

 

「ハハハそんなわけないじゃないですか」

 

「ですよね……」

 

「ネフリーにロニール雪山の様子を訊いてきた帰りですよ」

 

 知事としての仕事が忙しいようで、会おうと思ったらこの時間しかなかったのだとか。

 エルドラント進軍の準備も大詰めに差し掛かっている今、直接関わるわけじゃなくても、それなりの立場にある人達はみんな大変らしい。

 

「それでネフリーさんはなんて?」

 

「そうですねぇ、出発前に心残りは出来るだけ無くしておいて下さい」

 

「えっ、ちょっ、ネフリーさんなんて言ってたんですか!!?」

 

「冗談です」

 

 特に変わりないようだと本当の情報を付け足した大佐は、俺と足下に並ぶ三体の雪だるまを見やって肩をすくめる。

 

「貴方も本当にワンパターンですねぇ」

 

 やっぱり言われた!

 

 まぁこれだけ来るたび同じことをやってれば言われもするか。

 反論の余地もなく、というか反論する気はそもそもないので、俺は情けなく笑って頭をかく。

 

「雪だるま作ってるのなんか落ち着くんです。そうだ! ジェイドさんも一緒に作りませんか!」

 

「遠慮しておきます」

 

「……ですよねぇ……」

 

「そういえばさっきの譜術、とっさのわりには良かったんじゃないですか?」

 

「ホントですか!? オレも初めて成功したから驚い、」

 

 めったに聞けないジェイドさんの褒め言葉に頬を紅潮させかけた俺は、その言葉が意味するところに気づいて動きを止める。

 

「み、見てたん、ですか?」

 

「ええ」

 

 しかもピコハンが成功したところって最初からだ。

 まるで気配を感じなかった。まあでもジェイドさんだからなぁ。

 

 いや、別に、アッシュと話してたところは見られてたって困りもしないけど。

 

 そろりと伺いみた赤い目は、いつもと変わらない。

 俺はひとつ息を飲んで問いかけてみる。

 

「怒らないんですか?」

 

「おや、怒られたいんですか?」

 

「いや! そういうわけではないんですけど! だって、グランドダッシャーもまだ使いこなせてないのに、新しい譜術を覚えようとしてたわけで、その……」

 

「一通りのことは教えました。その先をどうしていくかは貴方の自由ですよ」

 

 中途半端を怒られるかと思っていた。

 しかしジェイドさんは怒りも呆れもせず、静かに眼鏡を押し上げる。

 

「身の丈に合わない術に、安易に手を出すのはどうかと思いますが」

 

 声にほんの一瞬だけ苦い色が混じった気がしたのは、多分気のせいではないのだろう。

 

 グランコクマで音素暴走を起こしたカシムを思い出す。

 それとも、その言葉は、過去のジェイドさん自身に向けられたものなんだろうか。

 

「ま、そうでないなら別にいいんじゃないですか?」

 

 勝手にやりなさい、とジェイドさんは言った。

 まるで突き放すようなその言葉は、でも、俺にとっては全く違う意味になって響く。

 

(勝手にやれって、自由にやれって、それは)

 

 本当に本当に、ほんのちょっとかもしれない。エンゲーブライス一粒より小さいかもしれない。

 でも、それは。

 

(しんじてくれてるって、ことだ)

 

 凍える空気も何のその、じわじわと熱くなる頬と目の奥をそのままに勢いよくジェイドさんに飛びつこう……として、輝く笑顔と音素の気配に動く前から阻止される。早い、早いです大佐。

 

 自製の雪だるまを抱えてさめざめと泣き出した俺の耳に、溜息というほどでもない小さな吐息が聞こえた。

 雪だるまの向こうで軍人らしくすらりと立つ上司は「ひとつだけ」と前置いて静かに話し始める。

 

「自分が何のためにその力を欲したのかを覚えていなさい。手段と目的は、いつのまにか、容易に入れ替わってしまうものです」

 

 警告というには鋭さのない、助言と呼ぶにはどこか苦々しい響きを帯びた、ことば。

 

「ジェイドさん」

 

 心配しなくてもいいんですよと、大丈夫ですよと、言いたかったけど。

 胸の内にある想いを力強く口に出来るだけの自分はまだいなくて。

 

「……オレは、兵士として皆さんのお役に立てれば、それで十分ですよ!」

 

 もどかしさと照れくささに音をさまよわせた末、答えになっているような いないような、本当だけど本当じゃないような、なんとも半端な返事をした俺に、ジェイドさんが目を丸くする。

 

「兵士として、ねぇ……」

 

 かと思えばなぜか愉快げに細められた赤にぎくりとして、俺は慌てて雪を払って立ち上がる。

 

「明日も早いしそろそろ戻りましょうか! ねっ大佐!」

 

「おやそうですかぁ? 別に朝までここで雪にまみれていても構いませんよ。何なら付き合いましょうか?」

 

「えっ。あ、いや! か、帰ります! ここは!」

 

 ジェイドさんと雪遊び。

 楽しげなフレーズに弾みかけた心を押さえつけて、身を翻す。

 

「貴方も中々、強情ですね」

 

「え? なんですか、大佐」

 

「いーえ」

 

 降りしきる雪の中、来るときには一人分だった足跡を二人分にして、俺はジェイドさんと一緒に帰路についた。

 

 

 





まがりなりにも軍人として生きてきて、本当「は」嫌いじゃないんだろなんて言えるほどリックだって楽天的ではない。でも本当「に」嫌いなだけじゃないだろうって思えるほどには、人の心を信じてる。かといってそれを当人に直接伝えたらどうなるかということには考えが及ばないヘタレプリカ。


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Act81 - 最初のレプリカ VS 最後のレプリカ(前)

 

 

 アルビオールから降りて、深い積雪に足を取られながら顔を上げる。

 

 ロニール雪山。

 その中腹に、俺達は今度こそ足を踏み入れていた。

 

 資料に書いてあった場所まではもうしばらく歩かないといけないけど、それでもケテルブルクからひたすら徒歩で登っていた今までを思えば、時間も体力もはるかに節約できる位置からのスタートだろう。

 これもアルビオールを強化してくれたシェリダンのみんなと、吹雪の中を的確に飛ぶノエルの操縦技術のおかげだ。

 

 色んな人の手を借りて、助けてもらって、ようやくたどり着こうとしている最終目的地。

 

 何だか妙にドキドキしてきた胸を片手で押さえつつ、俺は反対の手で新しい剣――マルクト領事館で貰ってきた軍の規格品――の重心を確かめた。だってザレッホ火山のときみたいなことが二度もあっては困る。本当に困る。

 

「それにしても、相変わらず凄い雪だなぁ。ねえルーク」

 

「……そーーだな」

 

 隣からのぶっきらぼうな返事に苦笑を零す。

 

 スパでの一件からルークはちょっと怒ったままだ。

 アニスさんいわく「拗ねてるだけでしょ」とのことだが、どちらにせよ許してもらう手段がないことに代わりはなかった。

 

 前の喧嘩みたいな深刻さはないものの、やっぱりこういう状況は心臓に悪いというか泣きそうになる。

 謝って済むなら、いくらでも謝りたいところだけど。

 

 『ルークは、あなたに謝ってほしいわけではないと思うわ』

 

 謝罪に走りたい気持ちをぐっと堪え、先ほどから取り留めのない話題を振るに留まっているのだが、それに対して不機嫌そうながらもちゃんと相づちを返してくれるあたりが、何ともルークらしかった。

 

 そんな俺達を見て肩をすくめたアニスさんが、雑談の流れを継ぐように「いよいよだね」と言った。

 その言葉を聞いたルークもはたと翠の瞳から鋭さを抜いて、目の前にそびえる雪山に視線を移す。

 

「惑星譜術か……どんな術なんだろうな」

 

 ここまでずっと触媒を集め続けてきたわけだけど、言われてみればどういった譜術なのかはあまり聞いていなかった。

 オールドラントの力を解放するというものらしいけれどと、そう口にしたナタリア自身も想像がつかないのか不思議そうに首を傾げている。

 

「簡単に言うと、星の質量を相手に重ねてぶつけるんです」

 

 考え込んでいるところへ大佐からポンと放り込まれた回答を受けて、今度はみんなでその図をイメージしてみる。星を、相手に。

 

「す、すげぇなソレ」

 

「重そうだよね」

 

「それに、かなり痛そうですわ……」

 

「オレも陛下もそれは……さすがにちょっと……」

 

 ルークは引きつり気味に、アニスさんは淡々と、ナタリアは言葉通り痛ましげに、そして俺は小刻みに震えつつ述べた感想にガイが苦笑する。

 

「四人とも、何か物凄い絵面を想像してないか?」

 

 あとなんでリックは自分と陛下がくらう前提なんだと付け足された言葉に俺が答える間もなく、大佐が「まぁいいじゃないですか」といつもの笑顔で眼鏡を押し上げる。……やっぱり惑星譜術なんて見つけないほうが今後のためなんじゃないかという気がしてきた。

 

 だが無情なる出発の合図を受けて、俺は浮かんだ涙も凍り付きそうな雪道に、寒さのせいだけでなく震える一歩を踏み出したのだった。

 

 強弱をつけて襲い来る吹雪は、進む足を重くさせる。

 こんな視界の悪い中で突然魔物が出てきたらと思うせいか、ロニール雪山を進むときは毎回いつもの倍くらい怖い。なのに。

 

「リックー、魔物っぽい気配あるー?」

 

「な、ない、ないですけど! 後ろ下がりたいですぅ!!」

 

 どうしたことか、俺はみんなの先頭に立って歩いていた。

 理由は……なんだか前もこんなことがあった気がするが、俺が一番魔物に気付くのが早いからだ。なぜってビビリだからだ。

 

 だがその怖いものに対する第六感は、みんなの後ろにいるときは安心感ゆえか結構鈍る。そのことをしかと承知しているジェイドさんに先頭へと蹴り出されたのは、出発してすぐの事だった。

 なお皆も微妙に俺のことを怖いもの探知機と認識しているようで、この布陣に関して特に異論が唱えられることはなかった。

 

 たまに恐怖に負けて後ろを振り返ると、ルークがちょっと心配そうにこっちを見ているのに気付く。だけど目が合うと慌てたようにそっぽを向いてしまう。うう、まだダメか。

 

 そんなことを何度か繰り返し、そのたび大佐に促されて前を向き、途中で「あぁもーうざったい!」と叫んだアニスさんにびくりとしつつ(ガイがなだめていた)、どれくらい歩き続けただろうか。

 

 ずっと吹き続けていた強い風が ふいに止まる。

 不思議に思って顔を上げると、いつのまにか、目の前には巨大な岩壁がそびえ立っていた。

 

 これが風を遮ったのだろう。

 大自然の迫力に口を開けて見入っていると、大佐が隣に並んで足を止めた。

 

「地図に記してあった場所は、この奥のようですね」

 

 そう言われて見上げていた視線を下ろせば、少し先の岩壁に、奥へと入って行けそうな裂け目があった。

 

 いよいよだ。ごくりと息を飲み、岩の通路を見据える。

 ……な、なんか暗そうだなぁ。

 

 怖じ気づいた瞬間を見計らったかのように、大佐がさっさと俺を通路の中へ蹴り込んだ。心の準備はゼロです。

 

 だけどおそるおそる歩き出したその道は思ったより広くて明るかった。

 薄く積もった雪が、隙間から入り込む光を反射して青白く輝いている。

 

 周囲の様子を伺いつつ慎重に進むことしばし。

 たどり着いた道の終点は、高い岩壁に囲まれたひとつの空間だった。

 

 行き止まり、と端的に言ってしまえばそうなんだけど、まるでそんなふうに思わせない独特の雰囲気がある場所。

 宮殿の広間みたいだと思いつつ辺りを見回していた俺は、「ここじゃないか?」というルークの声に、はっとして顔を向けた。

 

 そこにあったのは、地面に描かれた大きな譜陣。

 

 俺にはその図形の意味はさっぱり分からなかったけど、ナタリアが言うには、指定の位置に触媒を設置しなければちゃんと機能しないらしい。

 じゃあさっそく設置していこうと動きかけた俺達を止めたのは、大佐の声だった。

 

 おかしい、と。

 

「この譜陣は、別の譜陣の上に新しく書き足されたものです」

 

「書き足された?」

 

「ええ」

 

 どういうことだろう。

 首を傾げた俺の前で、大佐はその譜陣を見つめて眉を顰める。

 

「これは、封印の……」

 

 だがそこで大佐の言葉を遮って、誰かの高笑いがこの空間に響き渡った。

 周囲で唸る風の音もかき消すほどけたたましい、聞き覚えのある声に目を見開く。

 

「はーっはっはっは! さすがですね、かつての我が友よ!!」

 

 それは、世界一空気が読めない男の声。

 

「……死神ディスト! 生きてたのか!?」

 

 振り返ったルークが、後ろにいるらしいその男の名を呼ぶ。

 「薔薇です!薔薇!」と言い返す声を背中で聞きながら俺はいつにない手早さで首に掛かる歯車の首飾りを外し、

 

「まぁ六神将での名前など、もうどうでもいいですけぁ痛っ!!」

 

 ――振り返りざまに思い切り投げつけた。

 

 そいつの頭に当たった歯車が、すっかん、と軽快な音を立ててバウンドする。

 そしていつぞやの大佐の呪いの効力なのか、きれいに俺の足下まで戻ってきた。

 

「い、いきなりなんてことしてくれるんですか! このノミレプリカ!」

 

「やかましい! オレの、なんかこう……っ色々を返せバカディスト!!」

 

 謎の悔しさと憤りで滲む視界をそのままに怒鳴りつけつつも、戻ってきた歯車の首飾りをまたかけ直してしまう自分がさらになんか悔しい。いや、これはアニスさんのリボンに免じてってやつだ。歯車はもはやついでだ。

 

 あの状況で生きてるなんて虫並みの生命力だと呟いたアニスさんに「ほんとですよ!」と怒りながら同意すると、なぜか皆から生ぬるい視線をいただいた。え、なんですか。

 

 俺達の言葉を聞いて不満げに顔を顰めていたディストだが、ふと譜陣のほうを見ると一転、上機嫌そうに口の端をつり上げた。

 

「……私が探していた触媒を、あなた方が揃えてくれるとはねぇ」

 

 突然現れた男から唐突に飛び出してきた単語に眉を寄せる。

 いや、惑星譜術の資料を一部持ち去ったのはディストなんだから、別に触媒について知っていても不思議ではないけど、譜業博士が“惑星譜術”の触媒に何の用があるっていうのか。

 

 ディストの様子を観察するように目を細めていた大佐は、真剣な顔でみんなのほうへ向き直った。

 

「何が起こるか分かりませんが、構いませんか?」

 

 全員が頷くのを確認して、俺達は今度こそ触媒を譜陣に設置していく。

 その様子をディストがにまにまと笑いながら見つめているのにどうも釈然としない気持ちを感じるが、現状ではこれといって対処のしようもない。

 

 ひとつ、またひとつと触媒が置かれていき、最後のひとつは一番最初に荷物に入っていたあの怖い剣だった。

 

「いくぞ」

 

 心なしか緊張した声のルークが、剣を譜陣に突き刺す。

 それと同時に大佐が全ての触媒の譜術封印を解除した。

 

 ぶわりと、譜陣から光が溢れる。

 

 何かの術式らしい紋章が大きく広がったと思った瞬間、唸るような地響きと共に、目の前の岩壁が左右に分かれていく。

 

「やった、やりましたよ! これでネビリム先生が復活する!」

 

 驚きと共にその光景を見やっていた俺は、後ろから響いてきたディストの言葉に動きを止めた。

 

 今あいつは、なにを、言ったのか。

 

 ぎこちない動きでそちらを見れば、ディストは見たこともないほど嬉しそうに岩壁の奥を見つめている。すぐ隣で「まさか」と呟いた大佐の声が、少し掠れている気がした。

 

 それを聞いたディストは笑みを深めて、まるで舞台役者のように両手を広げる。

 

「ええ、そうですとも! ここにはあなたが最初に生み出したレプリカがいます!」

 

 ひゅっと短く息を飲んだのは誰だっただろうか。

 大きく脈打った心臓が、振り返れと俺に促す。その目で、見ろと。

 

「我らが愛する、ゲルダ・ネビリム先生がね!」

 

 それでも足は動かずに、肩越しに顧みた岩壁の裂け目。

 冷気に白く揺れる空気の間を、ゆっくりと進んでくる影があった。

 

 それは。

 ――それは?

 

「ネビリム先生! 先生にお話ししたいことがたくさん……っ」

 

 感極まった声で語りかけようとするディスト。

 その瞬間、ふと視線を鋭くした大佐が声を張り上げた。

 

「まずい! 伏せろ!」

 

 いつもの敬語が取り払われた厳しい声の指示に、固まっていたはずの俺の体がしっかりと反応してみせる。

 

 とっさに体勢を低くしたみんなの間を通り抜けたのは、一筋の光。

 

 思わず伏せた瞼を次に開いたとき。

 目に飛び込んできたのは、椅子ごと地に落ちたディストと、そして。

 

 

「ごくろうさま、サフィール」

 

 

 そう言って美しく微笑んだ―――― “魔物”の姿だった。

 

 

 



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Act81.2 - 最初のレプリカ VS 最後のレプリカ(中)

 

 

 ゆらゆらと妖しげに揺れる異形の羽。

 細い月みたいに弧を描いた口元。

 銀色の髪。

 

 白くかすむ空気の中に浮かぶその姿は、どこか現実感がなく――いや、ていうか。

 

「お花畑のお姉さん!!?」

 

 大佐のスパルタ訓練とかで意識が飛んだ後、夢の中のお花畑でユリア様と一緒に俺を迎えてくれる“銀色の髪のお姉さん”にそっくりだった。

 

「お花畑って……」

 

「やめろ聞くなルーク」

 

 なんか怖いから、とガイがルークを制止する声を意識の端に聞きつつ、俺は混乱する頭で、風になびく銀の髪を見つめていた。

 羽とか表情とか明確な差異はあるけど、顔の造形なんかはまるで生き写しのようだ。あれがネビリムさんのレプリカということは、えーと、あれ?

 

「どうしてお前がここにいる」

 

 低く押し殺した大佐の声が耳に届いた。

 散らかっていた思考が一気にそちらへ集中する。

 

 同じように大佐を見た“彼女”が、愉快そうに目を細めた。

 

「お久しぶりね、ジェイド。昔はあんなに可愛らしかったのに、今は随分怖そうな顔をしているのね」

 

「――答えろ」

 

 まあ怖い、とおどけて笑った彼女は、レムとシャドウの音素を譜術士から盗んでいたらこんなところに封印されてしまったのだと肩をすくめる。

 

 セントビナーでマクガヴァン元帥が語ってくれた、譜術士連続死傷事件の話が脳裏をよぎった。

 一個中隊を壊滅させた譜術士を倒しきれず、ブラッドペインと対の武器を使って封じたと、その譜術士はまるで魔物のようだったと、そう言っていた。

 

 まさか、とルークが目の前の存在を睨む。

 

「この触媒があれば私は完全な存在になれる」

 

 だがそれに構わず恍惚と言葉を紡ぐ彼女の視線は、ただ一人の人間に注がれている。

 半歩ほど後ろにいる俺からは、その人の表情を伺うことはできなかった。

 

「ねぇジェイド。あなた、私を捨てて殺そうとしたわね。私が“不完全な失敗作”だから」

 

 青い軍服の背中を眺めていた俺の指先が、ぴくりと震える。

 

 思い出すのは無機質な部屋。鼻を突く消毒液のにおい。

 感情の見えないたくさんの虚ろな目。その中の自分。

 

 黒い光と、消えていく人たち。

 

「でももう完全な存在よ。そうでしょう?」

 

 何が完全だ、と彼女の言葉を否定するルークや、ディストの仇は取るとそれに続いたアニスさんの声が聞こえる。

 そしてぼんやりと彼女を見上げていた俺の視界を遮るようにして目の前に立ったその人の色が、記憶の中と重なった。

 

「いけませんね。私としたことが、取り乱してしまった」

 

 青い服と、金茶の髪と、ここからは見えない赤の瞳。

 だけどあのとき後悔に滲んでいた赤色が今、強い光を宿して彼女を見据えているのが分かる。

 

 大佐は空気を薙ぐように腕を振ると、現れた槍を掴みとった。

 

「この際あなたが完全かどうかはどうでもいい。譜術士連続死傷事件の犯人として、あなたを捕らえます」

 

「あら、面白いわ。それなら試してみましょうよ」

 

 その言葉と同時に増した威圧感に、みんなが素早く武器を構える。

 俺もはっと意識を引っ張り戻し、足下のミュウを抱きあげて荷物袋の中に隠した。

 そのままじりじりと後退して、ミュウの入った荷物を離れた岩場の影に置く。ここにいれば大丈夫なはずだ。たぶん。

 

 出来れば自分もこのまま岩影に隠れていたいけどそうもいかない。

 みんなの側に戻るべく、剣の柄に手をやりながら体を起こしかけたとき。

 

 異形の翼を広げた“魔物”が、狂気の滲む目を爛々と輝かせて笑った。

 

「――勝つのは、私だけどね!」

 

 ぶわりと膨れ上がる音素。

 大佐が発した鋭い警告の言葉が遠くに聞こえる。

 

 瞬間。

 

 

 

 

「 ビッグバン 」

 

 

 

 全ての感覚が、白に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと、瞼を押し開ける。

 体の側面に当たる冷たい感触が地面であると、自分が倒れていることを認識するのに少しかかった。

 

 なんでこんなところに転がっているんだっけとぼんやり考えて、一番手前にあった記憶を引っ掴んだところで はっとする。

 

「ミュウはっ」

 

 安否を確認しようと急いで上半身を起こしたが、それより先に目に飛び込んできた光景に、愕然とした。

 

 地に伏して動かないみんなの姿。

 その中心に悠然と立つ、“魔物”。

 

 岩を支えに立ち上がり、おぼつかない足取りでその影から歩み出る。

 

「ジェイド、さん? ……みんなっ」

 

 どくりどくりと心臓が大きく脈を打つ音が響く。

 震える声で呼んだ名前に反応して振り返ったのは、彼らではなく、揺れる銀色の髪。

 

 狂気の中に哀れむ色を乗せて、彼女は微笑んだ。

 

「あら、直撃しなかったのね。意識がなければ痛みも感じなかったでしょうに」

 

 その視線がすいと出口のほうを示す。

 

「ねぇ。私、気分がいいの。今なら見逃してあげてもいいわよ」

 

 頭のてっぺんから一気に体温が引いていくのを感じながら、告げられた言葉の意味を緩々と考えた。

 

 今なら逃げられる。

 この圧倒的な恐怖から、逃げることが出来る。

 

 俺が。

 俺、だけが。

 

 見えない何かに引っ張られるように歩き出す。

 ふらり、ふらりと何歩か出口のほうへ進んだ俺は、“彼女”を背にする位置でゆっくりと足を止めた。

 

 戻る道を真正面に見据えて、小さく息を吐きながら喉を震わせる。

 

「オレはずっと、アンタのことが嫌いだった」

 

 零れ出た声は思った以上に強い感情を伴って響いた。

 あら、とそれに相槌を打つ、子供の強がりを笑うみたいな声色にぐっと拳を握りしめる。

 

 ネビリムさん。ネビリム。被験者でもレプリカでも変わらない。

 それはジェイドさんを哀しませる名前だった。あの人に辛そうな顔をさせる、名前。

 

 だから嫌いだった。大嫌いだった。

 

 ……でも、それと同時に好ましかった。羨ましかった。

 

 ジェイドさんが尊敬する人。

 ジェイドさんの、特別な人。

 

 居なければよかったと思わないのは、それが俺とジェイドさんを出会わせてくれた存在でもあったから。

 彼女の存在が、思い出が、確かに今のジェイドさんの一部であるからだ。否定なんて出来るわけがない。

 

 だけど。

 

「……過去のことは、どうしようもないさ」

 

 早鐘みたいな鼓動に浅くなった息を逃がす。

 舌がもつれそうになる。声も指先もとっくに震えていた。

 

「けどな」

 

 思いきり掴んだ剣の柄が鞘とぶつかって、がちゃりと派手な音を立てるのを聞きながら、一息でそれを引き抜く。

 恐怖でうまく動かない体を無理やり反転させて後ろを振り向いた。

 踏みつけた足下の雪が、きしんだ音を立てる。

 

 “戻る道”を背に。

 

 今俺が正面に見据えるのは、銀の髪。

 

「ジェイドさんの未来まで……――アンタにくれてやる気はないんだよ!!」

 

 剣を突きつけて、震えたままの声で、それでも言い切った。

 

 心臓がうるさすぎて頭がガンガンする。体の中身が全部ひっくりかえりそうだ。

 涙で目の前が滲む。こわい。逃げたい。

 

 小刻みに揺れる切っ先を、彼女が不思議そうに見返してくる。

 

「そんな震える手で剣を握って、どうするつもり? あなただけよ?」

 

 なぜ逃げないのかと言外に問いかけてくる目はまるで少女のように真っ直ぐなのに、身にまとう音素の渦がそんな錯覚を許さない。

 

 対峙しているだけで分かる残酷なほどの実力差。

 その圧力に遠のきそうになる意識をつなぎ止めながら、問いの意味を考える。

 

 何故。なぜって。

 頭も要領もよくない俺が、一度に抱えられる理由なんてひとつしかない。

 

 今ここにいること。

 あんたと向かい合っていること。

 

 果ては譜術を覚えようと思った理由さえ、元はたったひとつの、願いから。

 

「……まもるんだ」

 

 たいせつなひと。大切なひとの、大切なもの。

 目の前にある ほんの小さな日常を。

 

 “誰か”じゃない。

 

 この手で。

 この剣で。

 

「――――オレがみんなを、守るんだっ!」

 

 恐怖にかすれる声で啖呵を切って、精一杯相手を睨みつける。

 すると彼女は愉快そうに目を細め、優雅にその羽を広げた。

 

「フフ、アハハ! いいわ、遊びましょう!」

 

 笑い声に呼応するように広がる音素の波。

 その振動がびりびりと皮膚を打つ。

 

 汗が滲む掌で、俺は強く剣の柄を握り締めた。

 

 



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Act81.3 - 最初のレプリカ VS 最後のレプリカ(後)

 

 むかしむかしあるところに、一匹のひよこがいました。

 

 そのひよこは、暇さえあれば空を眺めていました。

 

 空をうつくしく飛び回る同胞をうっとりと見つめます。

 

 『ぼくもオトナになったら、あんなふうにとべるんだ』

 

 そして壊れた木箱の上に乗っては、そのちいさな羽をはばたかせていました。

 

 

 いつか飛び立つ、真っ青な空へ思いをはせて。

 

 

***

 

 

 地面に薄く積もった雪の上に、ぽたりと赤が混じる。

 自分の頬を伝って落ちたそれを僅かに目で追って、歯を食いしばった。

 

 荒くなった呼吸に心臓がどくどくと脈を打つ。肺が熱い。

 剣を支えに膝をついた俺の目の前で、銀色の髪が揺れた。

 

「もう終わりかしら」

 

「っ!」

 

 ゆっくりとこちらへ伸ばされた手を、剣で力任せに薙いで振り払う。

 だがその前に手はするりと引き戻されて、刃はかすりもせず空を切った。

 

 異形の羽を翻し、俺から少し離れたところで愉快そうに笑う銀を睨みつける。

 

 届きそうで届かない。

 そんな距離感を保ちながら、こうしてたまにからかうように近づいてくる彼女には、未だ傷一つついていなかった。

 

「ほおら、次、いくわよ」

 

 彼女が手を掲げる。

 すると大きく増した音素と足下に広がった譜陣に、ざわりと皮膚が粟立った。

 

「サンダーブレード」

 

 弧を描いた口元から歌うように紡がれた音を聞きながら、きしむ体を動かしてその場を飛び退く。

 先ほどまで自分がいたところに鋭い閃光が迸った。

 

 直撃こそ避けたけど、周囲に散った雷の余波に弾き飛ばされる。

 硬い岩肌の上を何度か転がって、止まったところで震える腕をついて体を起こした。

 

「はぁっ、はっ……!」

 

 頭の中がぐわんぐわんと揺れる。

 手放してしまいそうになる意識を、地面から伝わる雪の冷たさに向けることで保った。

 

 そんな俺を、彼女は微笑を浮かべて観察している。

 

 本当なら一瞬で殺せるんだろうに、こうしてじわじわと痛め付けるような攻撃しかしてこないところを見ると、なるほど気分が良いというのは確かなのだろうと思った。

 

「どうしたの? まだ一度も私に届いてないじゃない。“守る”んでしょう?」

 

「……うる、さい」

 

 不確かな感覚の地面を踏みしめて立ち上がる。

 正面に構えた切っ先がやはり震えているのを自覚しながら、剣ってこんなに重かったっけか、と考えた。

 

 被験者から才能を引き継いだからなのか、剣の扱いに困ったことはほとんどなかった。物理的な重さ以上のものをこの武器に感じたことなんてなかったのに。

 

(ああ、重い)

 

 守りたいものを背負った剣は、こんなにも重いのか。

 

「…………っ」

 

 また、ぽたりと頬を伝った赤が落ちる。

 譜術が掠めた箇所がじわじわと熱を持っていた。

 

 いたい。こわい。

 それでも、剣を握る手に再度力を込める。

 

「――はぁあああ!」

 

 そして思いきり地を蹴って走り出した。

 

「ふふ、よく頑張るわねぇ。……断罪の剣よ、降りそそげ……プリズムソード」

 

 光の剣がいくつも頭上から落ちてくる。

 

 気を抜けば零れそうになる悲鳴を喉の奥で押しつぶし、その中を一直線に駆け抜けた。術の掠めたところが切り裂かれていく痛みに滲んだ目を凝らす。

 

 あと少し。あと、少しだ。

 

 目前まで迫ったところで、ぐっと体勢を低くした。そこから地を蹴って跳躍する。

 最後に横を通り過ぎた光の剣が頬に痺れるような痛みを残すのを感じながら、剣を振り切った。

 

 瞬間。

 

 狂気に揺れる双眸が、ひたと俺を捉えて笑う。

 

「これはどう?」

 

 まずい、と本能が警鐘を鳴らすのと、もう遅い、と理性が声を上げたのは、同時。

 

「獅子戦吼」

 

 次に訪れたのは“衝撃”だった。

 巨大な壁にぶつかった硝子玉のように体が弾き飛ばされる。

 

 そんな自分をスローモーションのように感じながら、俺は胸の内で小さく謝罪した。

 

(ごめん、ルーク)

 

 体はそのまま地面に叩きつけられ、一拍遅れで鈍い痛みが全身を取り巻いた。

 

「……う、あ」

 

 目が ちかちかする。音が遠のく。

 

 どうにか意識を引き戻そうと拳を握ったところで、自分の手元に剣がないことに気付いて視線を巡らせる。すると少し離れた場所に落ちているのが見えた。

 取りに行かなくてはと ぼやけた頭で考えていた俺の体が突如浮き上がった。

 

 目の前には、銀色の髪。

 俺の胸倉を掴んで軽々と宙に掲げたのは、とてもそんな力があるようには見えない細い腕だった。

 

「何か言い残すことはある?」

 

 一応聞いておいてあげるわ、と鮮やかに微笑んだ彼女の顔を見返して、俺はだらりと全身から力を抜いた。細い息がこぼれる。

 

「オレ、と」

 

 ゆっくりと吐き出した声は、首もとが締め付けられているせいもあってか、だいぶ聞きづらく掠れていた。

 

「……オレとあんたは、似てるよ」

 

 俺と、あんたと、あんまり認めたくないけど多分ディストも。

 俺達はきっとよく似ている。同じ根っこをひとつ持ってる。

 

「何? 面白い冗談ね」

 

 目を丸くした彼女が、おかしそうに笑い出した。

 呼応するみたいに揺れる銀の髪を見つめながら、俺は重い腕を動かして、胸倉を掴み上げている彼女の手首を静かに掴んだ。

 

「でも……オレと、あんた、には、ひとつだけ……違うところが、ある」

 

 その手に強く力を込める。

 彼女がハッとしたように俺を見た瞬間、足下には鮮やかな黄色の譜陣が広がった。

 

 フォンスロットが軋みそうなほど一気に集めた音素が膨れ上がり、そして。

 

「グランド、ダッシャー!!」

 

 弾ける。

 

 地面が海のようにうねりながら、地上のものに襲いかかった。

 

「くっ」

 

 直撃を喰った彼女が僅かに眉を顰めて飛びのく。

 その際に俺を掴んでいた手も離れ、体がどさりと地面に落ちた。

 

「……ようやく、一撃ね」

 

 術が消え失せたあとの静かな空間に愉快そうな声が響く。

 もう体勢を整えたらしい彼女が、真っ赤な舌で口の端を舐めるのが見えた。

 

「でも残念。その様子じゃもう動けないでしょう?」

 

 お察しの通り、指一本動かせる気がしない。

 それを言い返す余力もないまま彼女を見上げながら、脳裏に思い描くのは赤色の髪。一生懸命、何かを話そうとしているルークの顔。

 

 ルーク。ごめん。

 ごめんな。

 

 俺ちょっとだけ気付いてたんだ。

 

 ルークが、伝えようとしてくれていたことに。

 

 その気持ちがうれしかった。

 とてもとても、嬉しいと思った。

 

 だけどそんな嬉しいばっかりの想像が現実のはずがないって、気づかない振りをして。

 たとえ現実だったとしても、まだそんなふうに呼んでもらっていい自分じゃないと、その言葉を避けていた。

 

 ――――こちらに近づいてくる彼女をまっすぐに見据える。

 

 なぁ、俺はどこまでも弱くて、ちっぽけなレプリカだ。

 ひとりであんたを倒すことも出来やしない。

 

 ――――彼女を。

 

 でも。

 俺とあんたには、決定的で、致命的な違いがあるんだ。

 

 ――――彼女の……後ろを。

 

「オレには、」

 

 口元がゆるりと弧を描く。

 

「“仲間”がいる」

 

 視界の中。

 鮮やかな赤色の髪が風に揺れた。

 

「だぁああああっ!!」

 

 

 その剣が、銀を切り裂く。

 

 

 ぱたり、ぱたりと地面に赤が散った。

 腕を押さえた彼女は、少しよろめきながらルークを睨む。

 

 そして反撃の詠唱に入りかけた彼女の動きを、今度は飛んできた弓矢が止めた。

 

「させませんわ」

 

 凛々しい顔で微笑んだナタリアに続くように、ティアさんの柔らかな歌声が響いてきた。

 

「クロア リョ クロア ネゥ トゥエ レイ……」

 

 光の十字が浮かび上がっていく。

 続けてそこに重ねるようにして別の譜陣を広げたアニスさんが、手にした杖をくるくると回して勝ち気な笑みを浮かべた。

 

「響き渡れっ! ブラッディハウリング!」

 

 目が痛いほどの、白と黒の光の奔流が巻き起こる。

 そのさなかに身を置くことになった彼女は、忌々しげに腕で宙を払い、音素の波動をぶつけて周囲の術を打ち消した。

 

「うっとうしい真似を……!」

 

「よそ見してていいのか?」

 

 消えていく光を突き破るようにして走り込んだガイが、一気に距離を詰める。

 鋭く横に薙いだ剣から放たれた衝撃波が、彼女を後方に弾き飛ばした。

 

「っ!」

 

 一瞬ぐらりと揺れたその体を、不規則に揺れた羽がすぐに整えていく。ぎらぎらと光る瞳が俺たちを映した。

 あれだけの攻撃を受けたのに、それでも致命傷を負った様子のない彼女の口元が笑みの形に歪む。

 

「……ただの一度、隙をつけたから何だというの? この程度では――」

 

「いえ、もう終わりですよ」

 

 彼女の言葉を遮ったのは、いつもどおりの低い声。

 聞き慣れた響きに、俺は涙が出そうなほどの安堵を覚えた。

 

「何を、」

 

 怪訝そうに眉を顰めた彼女の足下から目映い光が立ち上る。

 はっと自分の位置を確認したその目に、驚愕の色が走った。

 

 甲高い共鳴音を立てる六つの触媒。

 

 彼女は、その譜陣の中心にいる。

 

「母なる大地よ、その力を我に与えたまえ。天の禍、地の嘆き、あらゆる咎を送らんがため、今断罪の剣が振り下ろされる」

 

「まさか、そんな、この私がっ……!」

 

 譜陣から抜け出そうとしているようだけど、見ているだけで圧迫感を覚えるほど強大な質量の音素が、それを許さない。

 

 狂気と屈辱と、色んな感情で歪んだ彼女の双眸は、ただひとりに向けられていた。

 赤い瞳が、真っ直ぐにそれを見つめ返す。

 

 

「……滅せよ!」

 

 

 そして、強烈な光が世界を埋め尽くした。

 

 

***

 

 

 お日さま色だったひよこの体は、いつしか雲のような白へと変わっていきました。

 ひよひよと頼りなかった鳴き声も、天をさくような高く大きいものになりました。

 

 だけど彼は今もまだ、壊れた木箱の上で羽ばたいています。

 

 前よりずっと大きくなった翼が、ばっさばっさと空気をかきまわす音が、あたり一帯にひびきわたっていました。

 ひとしきり もがき終えると、彼はじぶんの体を見下ろして首をかしげます。

 

 “おかしいな。けっこう大きくなったと思うんだけど、どうして飛べないんだろう”

 

 “ああ、きっとまだひよこなんだ。もっとオトナにならないと飛べないんだ”

 

 そして再び羽ばたく練習をはじめた彼。

 その姿を はるか上空から見おろした鳥たちが、気の毒そうに顔を見合わせました。

 

『あいつ、またやってるぞ』

 

『ああ。不憫なもんだよな、気付かないのかな』

 

 とべるわけないのに。

 彼らはそうぽつりとこぼして、広い空を優雅に飛んでいきました。

 

 今日もその場所では、一羽の鳥がせっせと飛ぶ練習をしています。

 

 真っ白な体と、天まで届くような声と、赤いとさかを持ったにわとりが、

 いつか大空を飛び回れる日を夢見て、いつまでも、いつまでも、羽ばたいていましたとさ。

 

 

 

 ――――おしまい、と物語を締め括ったそのひとは、座って話を聞いていたこちらの頭をぐしゃぐしゃと撫でて、その海のような青の瞳を細めた。

 

「リック。おまえはこいつのこと、哀れだと思うか?」

 

 何かを問われた。理解できたのはそれだけ。

 物語の内容も、言葉の意味も、青の中に浮かぶ感情を読みとることさえ自分には難しくて、首を傾げる。

 

「うう?」

 

「分からんか。……ま、いいさ。お前はまだ子供だからな」

 

 それだけを聞けば、からかわれているようでもあったのだけど、またこちらの頭に手を置いたそのひとが柔らかく笑っていたから。

 やっぱりよく分からなくて、俺はただ、その暖かな青を見つめていた。

 

 

***

 

 

 ああ、ようやく思い出した。

 

 市販の絵本を探しても見つからないはずだ。

 あれはどう考えてもピオニーさんの創作物語だったんだから。

 

 地面の冷たさを背に感じながら虚空を見上げて笑みを零していると、いきなり頭部にゴツッと軽い衝撃が走る。

 視線だけ動かして頭上を見やれば、真顔でこちらを見下ろす赤い瞳。

 

 どうやら今、軍靴の先で小突かれたらしい。でも音のわりにはまるで痛くなかったのが不思議だ。音は軽いけど痛い、っていうのがいつもの一撃なのに。

 思わずきょとんとその顔を見返していると、小さく息をついたジェイドさんが、静かに口を開いた。

 

「おや死んでませんでしたか。ひとりで笑っているから、とうとうお迎えでも来たのかと思いましたが」

 

 怖いこと言わないで下さいまだ死んでないです。

 そんなふうにいつもの調子で返そうとして、はたと言葉を引き留める。

 

 ジェイドさんを見上げて、へへ、と気の抜けた笑みを浮かべた。

 

「ジェイドさん。オレ、生きてます」

 

「それくらい見れば分かりますよ」

 

「生きてます」

 

「…………」

 

 しまりなく笑ったまま繰り返した俺を見て、ジェイドさんが目を細める。

 

 ……瘴気中和のために、ルークをレムの塔に送り出すことになったとき。

 複雑そうに眉根を寄せたピオニーさんを見て、俺はこう思ったはずだった。

 

 誰かにもう二度と会えないのだと知ったときの、奇妙な重みが胸の内にぽっかりと口を開けるあの感覚。

 

 “あんな思いをするのは、誰だって嫌だ”と。

 そのときは漠然と思い描いただけの言葉を、今になって思い起こす。

 

 俺だって。

 ピオニーさんだって。

 

 誰だって。

 

 それならきっと、――――ジェイドさんだって。

 

 腹部に薄く残るだけの傷痕が、じんわりと熱を帯びた気がした。

 

 もし俺が死んだら。やっぱりジェイドさんは何も言わずに、ただ少しだけ目を細めるんだろうか。

 それは単なる俺の想像で、本当はどうするかなんて分かるはずもないけど、ふいに頭に浮かんだその光景は何だかすごく哀しくて、切なかった。

 

(だから、オレは)

 

 そこで腕を持ち上げようとして、しかし指先さえぴくりとも動かないことに気付く。

 あれ、と慌てて身を起こそうとするが、それも出来ない。

 

「お、おきあがれません大佐」

 

「当たり前です」

 

 その呆れを滲ませた冷静な声に少し落ち着きを取り戻しながら、答えを求めて頭上に立つジェイドさんを見た。

 

「普段ですら詠唱を噛む男が、詠唱破棄なんて無謀な真似をするからですよ」

 

「あっ」

 

 溜息と共に返された言葉を聞いて、ようやく自分がやったことを思い出す。

 

 たとえ詠唱を噛まなくても失敗率七割を誇っていた、上級譜術グランドダッシャー。

 それをあのボロボロの状態で詠唱破棄して使ったんだから、俺の申し訳程度の実力では、そりゃあ動けなくもなるだろう。

 

「外傷は先ほどティアとナタリアが治療しましたが、譜術行使による疲労まではどうにもなりませんので」

 

 そういえばあれだけやられたのにどこも痛くないと思ったら、先ほど若干意識が飛んでいた間に治してくれていたらしい。

 視線を動かして確認しても、見える範囲に傷らしいものはほとんど無かった。さすがティアさんとナタリア。

 

 感謝やら感動やら目を輝かせているとふいに空気が動くのを感じて、反射的にそちらを向く。

 

 するとジェイドさんが、隣で片膝をついて俺を見ていた。

 青の手袋に包まれた掌が伸ばされて、撫でるというには素っ気ない動きで俺の頭をかすめて戻っていく。

 

「……無茶をする」

 

 ぽつりと、落とされた言葉。

 

 こちらを映す静かな赤い瞳に、なんだかぐっと胸が詰まった。

 目の奥がじわじわと熱くなってくる。

 

 

 ああそうだ。

 今ならわかる。

 

 ピオニーさん。

 

 たとえ自分が飛べない鳥だと知っても、にわとりは羽ばたくのをやめなかったと思うよ。

 追いつけないと気づいていて、それでも青い空を想い焦がれて、羽ばたき続ける。

 

 哀れなんかじゃない。

 

 そのひよこは。

 その、にわとりは。

 

 『ジェイドさん!』

 

 きっと――――……幸せだった。

 

 

 

 少し離れたところから、「ねーディスト生きてるんだけどー!」と呆れたようなアニスさんの声が聞こえてくる。

 しぶといですねぇといつもどおりの笑みで肩をすくめたジェイドさんに、俺は涙の滲む目で笑いながら、まったくですと同意した。

 

 

 




歯車がひとつ違えば自分の立場はディストのそれであったかもしれないし、レプリカネビリムのそれであったかもしれない。
だからこそ、嫌いだとは思っても二人の生き方まで否定する気にはなれないリック。


偽追加会話『帰るまでが惑星譜術の旅です』
ジェイド「さてそろそろ戻りますよ。動けますか」
リック「ま、まだちょっと無理です」
ジェイド「分かりました貴方の犠牲は忘れません。では」
リック「うわー!!! 行きます! はいずってでも行きます!!」
ルーク「……俺が背負ってく」
リック「え。でもルーク、オレより背低いのに、」
ルーク「背負ってく!!」

そして五分後、ふたりで雪に突っ伏す。
最終的にトクナガで運搬されました。


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Act82 - はばたく にわとり

 

 

 俺には、覚悟っていうものが分からなかった。

 

 時に自分の身さえ投げ出せるほどの強固な思いは、どんなときも自分の命を優先させてしまう俺にとっては理解出来ないもので、何よりも恐ろしいものであった。

 

 知らない。分からない。理解できない。

 だからそんな言葉で思考に蓋をしたのは、“理解したくなかった”からなのかもしれない。

 

 それが自分の命を投げ出す結果に繋がるものならば、“分かりたくもない”と思っていたんだろうか。

 

 『臆病者(ビビリ)にだって、守りたいものがあるんだよ!!』

 

 本当はずっと、“知っていた”のに。

 

 

 

「あっ大佐!」

 

 しんしんと雪降る、深夜のケテルブルク広場。

 雪だるまを量産する俺を見て、大佐はもはや何も言わずにひとつ息をついた。

 

「ネフリーさんに会ってきたんですか?」

 

「逆です。今から会いに行くところですよ」

 

 無事に戻ってきたことを報告に行くのだろう。

 “彼女”の件をどこまで伝えるつもりなのかは、分からないけど。

 

 雪だるまを作る手がふと止まる。

 

 ロニール雪山を降りたあと、俺達はケテルブルクホテルで一泊していくことにした。

 このあと予定通りバチカルに向かうにしても、戦いの後でみんな疲れていたし……というか俺がろくに動けなかったから。

 

 そして、ジェイドさんはそこで――みんなにネビリムさんのことを話した。

 

 すべてを聞き終えた後。

 「ジェイドを責めないでくれ」と言ったルークに、分かってると微笑んだみんなを思い出す。

 生物レプリカの復活を許そうとしなかったその姿を、自分達もちゃんと見てきたのだからと。

 

 責められて当然の過去なので逆に心苦しいと眼鏡を押し上げるジェイドさんの側で、俺はぼろぼろと泣きながら、海のような青の瞳を思い浮かべていた。

 

 ピオニーさん、ピオニーさん。

 ジェイドさんは だいじょうぶです。

 もうとっくに、俺達だけじゃなかったんです。

 

 安堵と、嬉しさと、ほんの少しの寂しさ。

 

 言葉にできない感情がぜんぶ涙に変わったみたいに泣き続ける俺に、みんな呆れたように笑いつつも、その空気はひどく暖かかった。

 

 

「……そういえばどうでした? キルマカレー」

 

 記憶に沈んでいた間をごまかすついでに問いかけたのは、その大佐の話の後、泥のような体に鞭打って作ったキルマカレーのことだ。

 

「まぁ、悪くはなかったですね」

 

 淡々と返された評価をきいて、へへ、と笑みがこぼれる。

 

 ルークには「もう少し動けるようになってから作りゃいいのに」と呆れられたけど(そう言いつつ色々手伝ってくれた)どうしても今日この日に、あのカレーを完成させたいと思ったから。

 

 ていうかザレッホ火山で苦し紛れで言ったことが、本当にコツになるとは思わなかったなぁ……凍らせれば、いや乾燥させればよかったのか。

 

「ところで、体調はどうですか?」

 

「ほぼ良好です!」

 

「リック一等兵。報告は正確にお願いします」

 

「……体中ぎしぎしします」

 

「でしょうねぇ」

 

 でも直後と比べたらだいぶ楽になったと思う。それでもあと二、三日は譜術を使わないように、との大佐からのお達示だった。

 ピコハンが成功(アッシュに)したのでティアさんに報告がてら見てもらいたかったんだけど、そんなわけで数日後に持ち越しだ。まぁ仕方ないか。

 

 譜術ってちゃんとした手順を踏まないとあんなに大変なものなんだなぁ。

 いや、俺にはっていうことで、大佐ならまた違うんだろうけど。

 

 そこまで考えたところでふと気付く。

 

「あの、大佐に向かってこんなこと聞くのも何なんですけど……惑星譜術なんて大きな術使って大丈夫だったんですか? 反動とか」

 

 今更ながら心配になってきた。

 あれだけ強力な譜術ともなればいくら譜陣があっても大変だったのではと眉尻を下げつつ尋ねると、大佐がひょいと肩をすくめた。

 

「ご心配なく。全快しましたから」

 

「全快?」

 

封印術(アンチフォンスロット)ですよ」

 

「…………………………あっ!!」

 

「もしかしなくてもさーっぱり忘れてましたねぇ?」

 

 だって俺が封印術の存在を忘却してしまうくらい大佐がいつも颯爽と戦ってたから。

 あの直前にちょうど解除出来たのだといつもの笑顔を浮かべているけど、本当にそのタイミングで解けたのかは謎なところだ。いや、まぁ、結果的に助かったからいいんだけど。

 

「にしてもすごい威力でしたね、惑星譜術」

 

 惑星譜陣の上から“彼女”を封印するための譜陣が書き足されていたそうで、あれは完全な形ではなかったらしいのだが、それでもあの破壊力。

 大佐が習得していたらすごい事になっていたんじゃないかと思うけど、惑星譜術の譜陣はあの直後に消えてしまった。

 

 もしかしたらディストが資料を持っているかもしれないけど、多分それにも詳しい情報は載ってないだろうと大佐は思ってるみたいだった。何にせよあの力が新生ローレライ教団の手に渡ることがないならそれで十分だろう。

 

「……そういえば、逮捕しなくてよかったんですか?」

 

「ディストならどうせ後から追いかけてきますよ」

 

「あいつのことはいいですっ」

 

 ロニール雪山に放置してきた例の男を思い出しつつ首を横に振る。

 すると分かっていて俺をからかっただけらしい大佐が、小さく息をついた。

 

「捕らえるとは言いましたが、万が一捕縛できていたとしても入れておく牢がなかったでしょうね。それこそ封印術でも用意しなければ、被害だけ増やして終わりです」

 

「あー……」

 

 そういえばそうだ。ていうかあの“彼女”が入った牢屋の番なんて絶対にしたくない。確実に勤務時間五秒で命ごと終了だ。

 

 狂気に揺らめく銀を思い出しつつ、俺はゆっくりと息を吸った。

 

「ジェイドさん」

 

「なんですか」

 

 雪玉を転がすためにしゃがみ込んでいた俺が隣を見上げれば、こちらを見下ろす硝子越しの赤い瞳が見える。

 それを真っ直ぐに見つめ返して、俺はややキリッと眉を引き上げた。拳を握って勢いよく立ち上がる。

 

「オレだって、ネビリムさんには負けませんから」

 

 勝てる日は絶対に来ないのだろう。何せ相手は思い出の中だ。

 それでも挑むことは諦めない、羽ばたくことは止めない。

 

 ――あの、にわとりのように。

 

 それだけ告げてまた情けなく笑った俺を見て、少しだけ驚いたように目を見開いていたジェイドさんは、やがて静かに眼鏡を押し上げて口の端を緩めた。

 

「……まぁ、何かひとつくらいなら勝てるかもしれませんね」

 

「えっ! ホントですか!?」

 

 絶対勝てないと確信した直後のまさかの言葉に一瞬目を輝かせたが、すぐ我に返ってジェイドさんを伺う。

 

「そ、それって、ビビリ具合がとかヘタレ具合がって事じゃないですよね?」

 

「さぁ?」

 

 愉快そうに細められた赤はそれ以上何も語らず、やがてジェイドさんは「さて」と身をひるがえした。

 

「私はもう行きますが、貴方もそろそろ戻って休みなさい。明日こそバチカルに向かいますよ」

 

「あっ、じゃあこの雪だるま完成させたら、」

 

「凍死させますよ」

 

 とうとう死因が直接的なものに!!!

 

「全力でホテルに帰還します……」

 

「そうですか。では」

 

 そんな簡潔な返事だけを残して、青色の軍服が広場から離れていく。

 敬礼と共にその背を見送った俺は、誰もいない広場の真ん中で空を仰いだ。

 

 はらはらと落ちてくる白い結晶を少しの間 眺めて、目を伏せる。

 薄く残るだけの腹部の傷跡に、服の上からそっと手を添えた。

 

 

 あのとき俺は、守れたと思った。

 

 ジェイドさんを。

 やっと、ほんの少しでも、俺の手で守れたんだって。

 

 そんなあの瞬間の自分が選んだ精一杯の「まもる」が、間違っていたとは思わないけど。

 

「……“あんな思いをするのは誰だっていやだ”」

 

 いつか自分で思ったことを口に出してみる。

 知った顔がいなくなったときの、体の中が空っぽになるような、それでいて重たい何かをぎゅうぎゅうに詰め込まれたような感覚。

 

 同じものをジェイドさんが感じているとは限らない。

 だけど“彼女”と対峙しているときにふと思ったんだ。

 

 俺が死んだら、どうなるんだろうと。

 

 死ぬことは俺にとって絶対的な恐怖だった。

 それは何が何でも、何をおいても回避しなければいけないこと。

 

 長い間――それこそ生まれてこの方、思考はそこで停止していた。

 だけどあの強烈な死の気配を放つ存在の前で、俺の頭は初めて“その先”に進んだんだ。

 

 自分がいなくなった後。

 みんなは……ジェイドさんは、どうするだろうって。

 

 いや、どうっていうか戦力としては居ても居なくてもって感じだし、手伝わせてもらってる執務もほとんど雑用だから俺じゃなくても全く問題ないに違いなかった。

 何か涙が出そうだけど紛れもない事実なので仕方ない。ほんのちょっと目頭を押さえた後、一息ついて気を取り直す。

 

 そうだ。俺がいなくなっても世界は変わらない。

 でも、きっとジェイドさんは忘れないんだろうと思った。

 

 こんなビビリでヘタレでちっぽけなレプリカのこと。

 

 自分が作り出して、そして目の前で消えていったことを。

 

 いつもどおりの赤い目の奥で、フォミクリーやネビリムさんの事みたいに、死んだ俺のこともずっと背負って生きていくんだろうかって、そう思ったら何だかすごく哀しかった。

 

 伏せていた瞼を持ち上げると、自分の息が白く霞んで空に消えていくのが見える。

 

 何に代えても相手を生かすことが守るということだと思っていた。

 だからこそ死を恐れる俺はその行動が怖かったし、それを可能にする“覚悟”という強い意志が信じられなかった。

 

 だけど。

 

 イエモンさん、タマラさん。ヘンケンさん、キャシーさん。

 

 今なら分かるんです。

 あなた達は、「命をなげうつ覚悟」をして、リグレットやヴァンの前に立ちはだかったわけじゃないんですね。

 

 みんなは「俺達の道を守る覚悟」をしてくれたんだ。

 

 本当に感謝してもしきれない。

 ああ、それでも、俺は。

 

(あなた達に、生きていてほしかった)

 

 ようやく理解したみんなの覚悟が嬉しくて、誇らしくて、くやしい。

 

 じわりと滲んだ視界を振り切るように、一度深く息を吸って、ゆっくりと吐く。

 命を賭してでも叶えたい思いだけを、人は覚悟と呼ぶのだと思っていた。でも、そうじゃない。

 

 それだけじゃないんだ。

 

「…………」

 

 誰もいない広場で俺は丁寧に剣を抜いた。

 銀の刀身に、白い雪がひらりと落ちて光る。

 

 偉い人に謁見するとき以上の緊張を感じながら、俺は青い軍服が消えた方向を向いて、その剣を胸の前ですいと立てた。

 公式行事のときくらいしかやらない構えだ。どきどきと鳴る己の心臓を少し笑ってから、表情を引き締める。

 

 何のために力を欲したのかを覚えていなさいと、ジェイドさんは言った。

 

 俺が譜術を覚えたかったのは、みんなを守りたいから。

 こんな自分でも、たった一人でも守れる人が増えるかもしれないと思った。

 

 そして、俺が剣を握る、理由。

 いつのころからか胸に灯ったそれを、言葉にする勇気さえ無いままどれだけ過ごしただろう。

 

(今だってオレは臆病者のままだ)

 

 だけど、それでも。

 曖昧なまま手にしてきた剣を捨てて、それを誓いに変えて握りしめよう。

 

 死にたくないから戦うんじゃない。

 命をかけて守るんじゃない。

 

 真っ赤な瞳と金茶の髪、青色の軍服を、脳裏に描いた。

 

「この剣は、あなたと共に」

 

 生きて守る。

 

 ――――それが俺の、“覚悟”だ。

 

 

 

「ぶぇくしゅっ」

 

 くしゃみだ。

 

 なんかこう、色々と台無しだった。

 何で俺は肝心なところで決まらないんだろうと涙目になりつつ、反射的に下ろしてしまった剣をそっと鞘に戻す。

 

 ていうかいい加減ホテルに帰らなきゃ、戻ってきた大佐と鉢合わせしたらその時点で俺の覚悟が人生ごと終了してしまう。

 

 そして慌てて広場を後にした俺が、たどり着いたケテルブルクホテルの扉を開けようとした瞬間。

 その扉が一足早く動いたことに気付いたのは、がつんという鈍い音と共に鋭い衝撃が脳天を突き抜けてからだった。

 

 ああ何か前にもこんなことあったな、と思いつつ、俺はお花畑の幻を見たのだった。

 

 

 






(そしてお花畑で。俺がびしりと人差し指を突き付けて言った「宣戦布告」の言葉に、銀色の髪の彼女は、その美しい顔を少女のようにほころばせて微笑んだ。)


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Act82.2 - おれたち の

ルーク視点


 

 

 扉を押し開けた手の平に伝わった、がつんという音と感触に既視感を覚える。

 何か前にもこんなことあったような、と思いつつ扉の隙間から外をのぞくと、そこには額を押さえて悶絶するリックがうずくまっていた。

 

「うわ、悪い。大丈夫か?」

 

「……だ、だいじょう、」

 

 頷きかけて途中ではたと言葉を引き留めたリックが、涙目のまま俺を見上げて笑う。

 

「オレ、体は丈夫なんだ」

 

 だから気にすんなよ、といつになく気安い語調で続けられた言葉に目を丸くして、そこでようやく既視感の正体に気付いた。

 

 エンゲーブで初めて会ったときだ。あのときもこんなふうに、俺が開けた扉にリックがぶつかったんだっけ。

 さほど昔のことではないはずなのに、遠い記憶を探るような気持ちで苦笑を零す。

 

「ごめんなリック」

 

「うん?」

 

「いや、あのときの分」

 

 謝罪を繰り返した俺に首を傾げたリックへそう告げると、「あのときも謝ってもらったよ」と笑われた。だが、どう思い出しても謝った記憶はない。

 

「勘違いじゃねえの?」

 

「まあ、言葉ではなかったけど。ごめんなさいって顔してたよ」

 

「……どんな顔だよ」

 

 何だか妙に気恥ずかしい気分で顔を顰める。

 思い返せば酷かったとしか言いようがないあの頃の自分は、イオンやリックの目にはどう映っていたのだろう。

 

 知りたいような知りたくないような、と息をついた俺に、ようやく痛みから復活して立ち上がったリックが「ところで」と問いかけてくる。

 

「ルークは今から出かけるのか? 結構寒いよ、凍死させられるかもよ」

 

「何だ凍死させられるって。誰にだよ。俺は……お前探してたんだけど、見つけたから出かけなくてよくなった」

 

「オレ?」

 

 きょとんと目を丸くしたリックに、俺がお前を探すのがそんなに不思議か、とまた謎の苛立ちを感じて黙ったまま頷く。

 しかし探しているときは伝えたい事がいっぱいあると思ったのに、こうして本人を前にしたら、ひとつも音にならなかった。

 

 自分の感情を上手く言葉に出来ないことがもどかしい。

 言葉にならない感情が、ちゃんと伝わらないことがくやしい。

 

 けれど。

 

 『オレには、――仲間がいる』

 

 脳裏を過ぎった迷いのない声に、深く息を吐き出して口元に笑みを乗せる。

 

 一番聞きたかった言葉を聞いた。

 それだけで、自分の中に積もっていた色んな思いが雪のように解けていくのを感じてしまったから、俺は代わりに別の言葉を押し出した。

 

「なぁ、スパ行かね?」

 

 

 

 

「良いお湯だねぇルーク」

 

「……そーだな」

 

 こんな時間で男二人でスパって、と自分で提案しておきながら若干遠い目になるが、俺だって何の意図も無くこんなことを言い出したわけじゃない。

 前回、何だかんだで喧嘩したみたいになってしまったから、ちゃんと最初から最後まで、楽しい思い出としての記憶を残したいと思ったんだ。

 

 隣から聞こえてくる音外れの鼻歌に小さく笑って、まぁこんなのもいいよなと暖かなお湯に体を沈めて力を抜く。

 

 そのまま二人でぽつりぽつりと雑談を交わした。

 完成したキルマカレーの事とか、ケテルブルクやっぱり寒いとか、カジノってどんな感じなんだろうとか、なんだか前にも話したことあるような、ありふれた話題ばかりだったけど、それでもなぜか楽しかった。

 

 こんなふうにしてると、まるで何もないみたいだと思う。

 世界の危機も、別れの予感も、なにもかもが無かったんじゃないかと錯覚しそうになる。

 

 だけど俺はそんな都合の良い幻を、ひとつ息をついて振りはらった。

 

「なぁ、リック」

 

「なんですか?」

 

 突然の呼びかけに思わず、というように零れた敬語にリックをじとりと睨むと、慌てて「すみません」と口にしてさらに慌て出す。

 その姿に、俺は半ば無理やり作っていた渋い顔を崩して小さく噴き出した。

 

「ル、ルーク?」

 

「そんな情けない顔するなって。いいよ、もう。それもお前なんだもんな」

 

 敬語が混じると、何だか距離を置かれているような気がして嫌だった。

 リックが、到底手の届かない眩しいものであるように“みんな”と口にするのが悔しかった。

 

 俺達がいるのは空の上と下じゃない。

 俺もお前も、同じ地面に立ってるんだと伝えたかった。

 

(――……ああ、そうか、やっと分かった)

 

 向けられる笑顔に何だか腹が立った、その理由。

 ずっと形のなかった感情に、ようやく言葉が追いついた気がした。

 

 あいつは俺が声をかけただけで、名前を呼んだだけで、まるでそれがありえないことみたいに、いつもちょっとだけ驚いた顔をする。

 そして自分に向けられるそれが、とても特別なことであるかのように、喜ぶから。

 

(俺は、それが当たり前だって思ってほしかったんだ)

 

 ありえないものじゃない。特別でもない。

 向けられたものを、ただ当然に受け取ってほしかった。

 

 だけどそれは俺のわがままだ。

 

 リックにはリックの過去があって、立場があって、思いがある。

 

 “当然”と思ってほしいという気持ちは変わらないけど、それは今のリックを否定してまで押し付けたいものじゃない。

 そんなことで困らせるより、もっと、もっと色んな話をしたかった。

 

 ――残された、わずかな時間の中で。

 

「なぁリック。俺さ、お前の話が聞きたいんだ」

 

「……オレの?」

 

「ああ。今のお前のこと、昔のお前のこと。嬉しかったこと、哀しかったこと。なんでもいいから」

 

 突然の言葉に戸惑いつつも「そうだなぁ」と記憶を探る仕草を見せたリックが、ふと真顔になって黙り込んだ。

 こいつの無表情が若干怖い俺は冷や汗と共に身をのけ反らせかけたけど、横から見える瞳がひどく真剣な色を帯びていたので、なんとか耐えて返答を待った。

 

「今は、やだな」

 

 やがてぽつりと落とされた言葉に、目を見開く。

 

「……な、なんでだよ」

 

「なんとなく」

 

 何となくって。

 

 らしくない淡々とした受け答えと内容に、さすがに落ち込みそうになった俺の様子に気付いたリックが、はっとしたように言葉を続けた。

 

「ルークに話すのが嫌とかじゃないからな!?」

 

「じゃあ、何だよ……」

 

「いや、だから、なんていうか」

 

 いつもどおりの情けない顔で慌てていたリックは、自分を落ち着けるようにひとつ息をついて、俺を見据える。

 

「……全部、決着がついたら。そのあとで、たくさん話そう、ルーク」

 

 それは、全てが終わった後の話。真っ直ぐと向けられたそれに、ぐっと胸が詰まった。

 ぐるりと渦を巻いた感情が、知られたくないと思う理性の枷を外す。

 

「あのさ、俺、お前に言ってないことが」

 

「知ってる」

 

 それを遮って、返された言葉。

 一瞬だけ時が止まったような錯覚を覚えた。

 

 どこかから落ちた水滴がぴしゃりと水を打つ音に、時間がしっかりと進んでいることを教えられる。

 

「……知ってる」

 

 もう一度 繰り返された声は、少しだけ震えていたような気がした。

 だけどビビリでヘタレで泣き虫なはずの彼が、泣きもせず真っ直ぐに俺を見ていてくれたから、俺も無様に取り乱すことはなかった。

 

「ジェイドか?」

 

「や、大佐はそういうの、言う人じゃないから。ごめん、ベルケンドで聞いちゃったんだ」

 

「何だよ。そんな最初からバレてたのか」

 

 ジェイドにミュウにティアに、リック。

 バレまくりじゃないかとふてくされる俺にリックが苦笑する。

 

「オレはただの偶然だけど、何をどうしたってジェイドさんにはバレてたと思うよ。ジェイドさんだから」

 

「そりゃ俺だってジェイドはしょうがないと思うけど。ジェイドだから」

 

 そんなふうに口を揃え、顔を見合わせて笑う。

 近い将来の不安が、恐怖が消えたわけではないけれど、少しだけ肩の力が抜けたような気がした。

 

「あ。そういえばお前もここしばらく何か言いかけてたの、なんだったんだよ」

 

 妙に真剣な顔で何かを言いかけて止める、ということが何回かあったはずだ。

 そのときは俺もまたリックに伝えたい言葉を探すのに必死で、さほど深く考えられなかったが、今思えばかなり変な様子だった。

 

 それを聞いて気まずそうに頬をかいたリックが、「あれは」と口を開く。

 

「もうちょっと待ってって、言おうと思って」

 

「何を」

 

「ルークが伝えようとしてくれてること、ちょっとだけ分かってたから、だ、だからみんなの仲間だって胸張って思えるオレになるまで、待っててって」

 

 それも気付いてたのかよ。

 なら早く言えよ。

 いや言おうとしてたらしいけど。

 待てって何だよ。

 お前の準備が整うまで仲間って思っちゃいけないのかよ。

 

「………………はぁ!?」

 

 脳内を怒涛のように駆け抜けた言葉と感情を、俺はその一言に全部乗せた。

 とにかく怒られ慣れているこの男はそれで俺の言いたいことを察したようで、ごめんなさいすみませんと横でひたすらに謝っていた。

 

「その、今思うと勝手な話だなって分かるんだ。みんなはもう、多分ずっと、俺のこともそうだって思ってくれてたのに」

 

「……多分?」

 

「いや、ええと、多分でなく」

 

「……そうだって?」

 

「な、なかま、だって」

 

 敬語を訂正するのはもう止めようと思うが、これはまた別だ。

 とにかく自覚はしてくれたんだから、後は逐一教えていこう。

 

 お前も俺達の“仲間”なんだぞって、物分かりの悪い“ともだち”に、俺はちゃんと伝えてやらなきゃならない。

 

 

(――全部、決着がついたら。そのあとで、か)

 

 本当にたくさん話せたらいいのになと、どこか遠い夢を思うように、俺は目を細めた。

 

 

 



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最終決戦編
Act83 - そして歯車は動き出す


ガイ視点


 

 

「リックお前……ぶっ、はははは! なんだそれ!」

 

「わっ、笑うなよルーク!」

 

 中庭に続く扉を開けると響いてきた賑やかな声に、ガイは小さく笑って二人のもとへ歩み寄った。

 

「ルーク、リック。何してるんだ?」

 

「あ、ガイ! ちょっと聞いてくれよ、リックのピコハンがさぁ、」

 

「ううう……」

 

 ここしばらくもどかしさの塊と化していた彼らだったが、どうやら一段落ついたらしい。

 人の心配そっちのけですっかりいつも通りの様子に、アニスなどは「なんかもう心配するだけ無駄だよね」と半眼で吐き捨てていた。

 気持ちは分からないでもないが、あの状態が長引いたら確実に胃を痛めていただろうガイとしては安堵のほうが大きい。

 

 惑星譜術を巡る短い旅を終えた一行は今、バチカルで束の間の休息を取っていた。

 

 ナタリアはさすがに城へ戻ったが、それ以外の仲間達はファブレ邸に滞在して、来たるべき時に向けてそれぞれ英気を養っている。

 

「ピコハンがどうしたって?」

 

「あの、じ、実はオレ……この間からティアさんに習ってピコハンの練習してたんだ」

 

 ああうん知ってた、とは言わずにガイは相槌だけ返す。

 本人的には内緒でやっていたつもりなのだろうが、おそらく仲間全員に筒抜けの事実だった。

 

「それで一応、一回は成功したんだけど、あとは全部ピコハンじゃないものが出てくるっていうか」

 

「は?」

 

 意味が分からずに目を丸くしたガイの隣で、ルークがまた「ぶっは」と思い出したように噴き出す。

 その笑い声を聞きながら、リックは死にかけのウオントのような目でガイに向き直った。

 

「……ちょっと、見てて」

 

「あ、ああ」

 

 やってみせてくれるらしい。

 ガイ達から数歩離れると、両手を軽く体の前へ掲げたリックがゆっくりと目を閉じる。

 

 譜術を使うための動作がずいぶん様になっていることに、ジェイドのスパルタ訓練で毎日ずたぼろになっていたころから見守り続けてきた身として、ちょっとした感動を覚えながら結果を待つ。

 

「ピコハンッ!」

 

 カッと光を放ち上空から降ってきたその物体は、地面にぶつかる前に霧のように散って消えた。

 

「……何に見えました?」

 

「…………眼鏡、かな」

 

 なんで敬語、と思いつつも見たままを答える。

 若干諦めた顔のリックが今一度「ピコハン」と唱えると、また違うものが宙から落ちてきた。今度はカレーライスの形だった。

 

「ま、まぁ見た目がどうでもピコハンとしての効果があればいいんじゃないか?」

 

 リックが無言で首を横に降る。

 ……見た目がアレで効果も無い、と。

 

 両手で顔を覆ったリックの肩をぽんぽんと叩いて慰めていると、先ほどガイが出てきた扉から、今度は執事のラムダスが顔を出した。

 

「おぼっちゃま、大変名誉なお知らせでございます」

 

 常に冷静なラムダスには珍しくやや興奮した様子で発せられたその言葉に、三人はそろって顔を見合わせたのだった。

 

 

 

 

「ランバルディア至宝勲章?」

 

 夕刻。

 今後の相談も兼ねてジェイド(とリック)が泊まる客室に集まった仲間達にあの後ファブレ公爵から聞かされた話を伝えると、ティアやアニスも驚いた表情を見せた。

 

 ラムダスが言っていた“名誉なお知らせ”は、この度の瘴気中和の件でインゴベルト陛下からルークに、特別に勲章と爵位を送られることになったというものだった。

 

「素晴らしいことですわ」

 

 陛下から話を聞いていたらしいナタリアが嬉しそうに微笑む。

 だが当のルークは、公爵に話を聞いていたときから変わらない複雑そうな表情で頬をかいた。

 

「俺、別に世界を救いたいとかそういうんじゃなかったのに……いいのかな」

 

「国家というものは、そういう形でしか人に感謝を表せないものだから」

 

 喜んでいいと思うわ、とティアが小さく口元に笑みを乗せ、その隣でジェイドも「いいんじゃないですか」と肩をすくめた。

 

「特に信念でもないなら受け取っておきなさい。もらって困るものではありませんから」

 

「オレ、前にピオニー陛下からもらった『俺を楽しませたで賞』はちょっと困りました」

 

「あのいらない書類の裏に手書きされたやつですか。さすがにアレと比べられては歴代キムラスカ王家も怒りで化けて出るんじゃないですか?」

 

「勝手に化かさないで下さいませ」

 

 ナタリアがじとりとジェイドを睨み、化けて出るという言葉を聞いたティアが挙動不審になったのを見ながら、ガイは苦笑する。

 

 基本的に、ピオニーがリックに物をやることは無い。

 例え菓子のひとつであったとしても、皇帝が一兵士に何かを与えることに良い顔をしない者は多いからだ。

 

 だがいらない書類に書いた落書きのような、アビスマンの敵スーツのような、見るからにいらないモノならば周囲も同情こそすれ やっかみはしない。

 

 要するにアレは一種の愛情表現というか、甥っ子に何か買ってやりたい精神みたいなものの成れの果てだと思うのだが、何とも分かりづらい事だ。ジェイドよりはマシだが、ピオニーも結局そういうところは不器用なのかもしれない。

 

 まぁ、ちょっと困ったと言いつつもリックはその殴り書きの賞状を大事にしているようだし、肝心なところが伝わっているならそれでいいのだろう。見守っている方はわりともどかしいが。

 

「……お父様は、ルークにお詫びをしたいのだと思います」

 

 アクゼリュス。レムの塔。

 国を背負う王としてやむを得ない判断だったとしても、二度も見殺しにしようとしたことを謝罪したいのだろうとナタリアに言われて、ルークは少し考えた後にようやく「分かった」と頷いたのだった。

 

 

 そしてバチカル城の謁見の間にて、子爵の称号と、ランバルディア至宝勲章の授与式が執り行われた。

 

「すごいかっこいいよルーク! 普段のもすごく似合ってるけどそれもすごい、」

 

「わぁかった! 分かったからもう止めろ!! あああホントにこんな服着るんじゃなかった!」

 

「見事な褒め殺しですねぇ」

 

「貶されるよりあっちのほうがきついんじゃないか? ルーク的に」

 

「本気で褒めてる分タチ悪いよね」

 

 正装に着替えたルークとそれを見たリックとの騒がしいやりとりがありつつも、無事に式を終えた翌日。

 

 

「城に新生ローレライ教団の使者を名乗る者が参りました!」

 

 

 嵐の前の静けさのような、穏やかな日々は終わりを告げ、

 

 

「とにかく俺達も城に行こう」

 

「あれ、ちょっと待ってリックは?」

 

「ほんの数分前に出て行きましたよ。散歩がてら城下を散策してくるとかで」

 

「マジで間ぁ悪いなアイツ!!」

 

 

 ――歯車が、動き出す。

 

 

 

 




▼リックは『間の悪い男』の称号を手に入れた!
解説:肝心なときにいない

>俺を楽しませたで賞
ピオニー九世陛下の腹筋を崩壊させるとたまに貰える。たぶん例のピコハンもどきを見せればまた貰えるで賞。


偽スキット『いつかの悪夢ふたたび(ルーク的に)』
リック「あっルーク」
ルーク「うん?」
リック「…………」
ルーク「なんだよ」
リック「やっぱファブレ子爵さまって呼んだほうがいいかなぁ!?」
ルーク「やめろ」

公爵子息さまー。


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Act83.2 - 王女と黒獅子

 

 

 ルークの休養を兼ねてバチカルに滞在すること、早数日。

 

 キルマカレーに更なる改良を加えるべくキッチンを借りてルークと一緒に試行錯誤したり、中庭でピコハンの練習をして……盛大に失敗してルークに大笑いされてガイに慰められたり、ちょっと個人的な用事をこなすついでにこうして散歩をしたりと、驚くほど穏やかな毎日だ。

 

 それにしても、あのときはうまく出来たのになぁ、ピコハン。

 城下町にある大階段の端っこに腰を下ろして、俺はひとり溜息をつく。

 

 とにかくアッシュを止めようと必死だったせいで、発動したときの感覚もまるで覚えていない。それが逆に良かったんだろうけど、必死でなくても出来るようにならなきゃ脱走する陛下の足止めにはとても使えない。あの人の逃げ足は並ではないのだ。

 

 成功したときの状況を再現すれば何か掴めるかもしれないが、その場合まずアッシュを捕まえなければならないのだろうか。

 まぁ運良く出会えたとしても、ピコハンの練習に付き合ってほしいとか言ったらエクスプロードで消し炭にされそうだが。

 

「いや、でも、案外 手伝ってくれるかな」

 

 いつも不機嫌そうなあの緋色が、なんだかんだで面倒見が良いことを俺は知っている。

 心底気が乗らないって顔で協力してくれるアッシュの姿を、勝手に想像して小さく笑った。

 

 ああ、そういえば前アッシュに相談に乗ってもらったのも この大階段だったっけ。ルークとどう仲直りするか悩んでたら、たまたま見知った姿が横を通り過ぎたのだ。

 大階段を駆け下りていくナタリアの背中を眺めながら、「ああそう、こんな感じで」と頷く。

 

 ……ん? ナタリア?

 

 必死に走っていてもどこか優雅な後ろ姿は、間違いなくナタリアだ。

 通行人の間を縫うように港のほうへと向かっている。反射的に彼女が走ってきた方向を振り返るが、見える範囲にみんなの姿はなかった。

 

「え、ちょっ、ま、待ってナタリア!」

 

 慌てて立ち上がり、走り出す。

 だってどう見ても散歩とかいう雰囲気じゃなかったし、何かあったのかもしれない。

 

 ここで俺がついて行ったからって何の役に立つんだ、と訴えかけてくる自分は、やっぱり胸の中にいるけれど。

 

「……なかま、なんだっ」

 

 それ以上の理由がいるのかと、頼りないながらに言い返す自分も、あの雪山で確かに生まれていたから。

 

 転がるように大階段を駆け下りて、必死にナタリアの背を追った。

 

 

 そうして走って、走って、バチカルの港に出たところで、ナタリアはようやく足を止めた。

 追いついたことにほっとしたのも束の間、その先に立つ漆黒の巨体に気づいて、俺は身をすくめる。

 

 六神将、黒獅子ラルゴ。

 

 タルタロスで我を忘れて斬りかかったときミュウファイヤでもろとも燃やされかけたり、ロニール雪山で大佐のサンダーブレードのおとりにされたりとあまり良い思い出がない相手だった。……あれ、主原因ほとんどこっち側だ。

 

 そして最後に会ったのは、確か。

 

 『――死を覚悟しても遂げたい思いだったのだ。それを誰が止められる?』

 

 脳裏をかすめた桃色に思わず息を詰めた瞬間、流れるように弓を構えたナタリアの姿に、今度は違う意味で息が止まりかける。

 二対一とはいえナタリアはいつもと様子が違うし、もう片方は俺だ。自分で言うのもなんだが俺はラルゴに対抗出来るほどの戦力ではない。

 

 だけど。

 

 震える喉でひとつ息を飲んで、ナタリアより一歩前に出た。

 

「! リック……」

 

 そこで初めて俺の存在に気づいたらしいナタリアが、驚いたように目を見張る。

 いつものナタリアだったらそもそも大階段ですれ違った時点で気づいてくれていたと思うから、やっぱり何かおかしい。

 

 ナタリアをすぐ守れる位置で剣の柄を握りしめた俺を見て、ラルゴはその精悍な顔に微かな笑みを浮かべた。

 

「初めて会った時とは随分 顔つきが変わったな、坊主」

 

 馬鹿にするでなく、褒めるでなく。

 ただただ事実を述べただけという口振りのラルゴに、俺は隙あらば恐怖に暴れようとする心臓を浅い呼吸でなだめて、その目をまっすぐ見返した。

 

「……オレも、決めたんだ」

 

 “覚悟”を。

 

 音にしなかったその言葉まで察したように、ラルゴは静かに「そうか」と頷いて、今度はナタリアに視線を向けた。

 

「他のお仲間も来たようだぞ、姫」

 

「ナタリア!」

 

 ルークの声と複数の足音が耳に届き、俺の視界が安心感にじわりと滲む。

 

「大佐ぁ、ルークぅ、みんなぁ~……」

 

 それでも何とかラルゴから視線を外さないようにしながら情けない声を出すと、ルークが「はぁ!? リック!?」と驚愕の声を上げるのが聞こえた。

 

「おまえ何でいっつも肝心なときいないくせに気がついたら心臓に悪い状況のど真ん中にいんだよ!」

 

「ごめんなさい!!」

 

 俺だってなるべくなら心臓に優しい状況にいたいです。

 とにかくみんなが来てくれたことに安堵していると、後ろにいるナタリアの気配が小さく震えた。

 

「……おまえは、なぜ六神将に入ったのです」

 

 鋭い声。でもどこか不安げな響きを帯びた問いが、ラルゴに向けられる。

 

「そんなことを俺に聞いてどうする」

 

「答えなさい! バダック!!」

 

 その叫びを聞いて、ナタリアの様子がおかしい理由にやっと見当がついた。

 

 どういう状況だったかは分からないけど、きっと彼女は知ったんだ。

 ラルゴ――バダックが、血のつながった父親であるという事実を。

 

「…………。昔、妻は……シルヴィアはここから見る夕日が好きだった」

 

 同じくそれを悟ったらしいラルゴが、かつて起きた出来事を語り始める。

 

 シルヴィアさんは体が弱かった。

 子供を生むことは難しいと思われていたけれど、必ず生まれる、いや生まねばならないと預言士が言ったのだと。

 

 その預言通り、二人の間には娘が生まれた。

 しかしある日、護衛の仕事を終えたバダックが家に帰ると、そこにはシルヴィアさんも、生まれたばかりの赤ん坊もいなかった。

 

 ――彼らの子供は、“ナタリア殿下”になったのだ。

 

「……シルヴィアさんはどうしましたの?」

 

「数日後、この港に浮かんでいるのを発見された」

 

 娘を奪われた哀しみのあまり、自害したシルヴィアさん。

 預言が星の記憶ならば、彼女のむごい死も定められていたというのかと、ラルゴは言う。

 

「選んだ道も、選ばなかった道も、結局は同じ場所にたどり着くように出来ているのなら、そこに人の意志が働く意味はあるのか?」

 

 たとえ預言を詠むことを禁じても、星はその記憶の通りに進む。

 だからヴァンが目指すのは、ローレライ……星の記憶そのものを消し去ること。あらゆる命が自由な未来を生み出す権利を得ること。

 

 俺たちのやり方では手ぬるいのだと吐き捨てて、ラルゴは身をひるがえす。

 

「お待ちなさい! あなたは、……私の、」

 

「ナタリア姫。私の最愛の娘はもうこの世にはいないのだ」

 

 そう言って振り返ることなく去っていくラルゴにもはやかける言葉もなく、ナタリアは黙ってその背中を見送った。

 

「今の話が本当なら、星の記憶がある限り、俺たちの選ぶ未来はどれもたった一つの結末にしか辿り着かないってのか」

 

「だから兄さんは、被験者を消そうとしている? 星の記憶を持たない、新しい『レプリカ』という人類に未来を託すために……」

 

 いつも凛としているナタリアの横顔が、今はまるで道に迷った子供のように見えて、俺は釣られて泣きだす子供みたいな気持ちで眉尻を下げた。

 

「だとしても! 結局 被験者は消滅するんだよ? 総長の計画じゃ、この世界の人は救われない!」

 

「まあまあ、落ち着いて下さい」

 

 何か声をかけたいと、伝えたい大事な思いがあると心が言うのに、早く早くと急かす頭が言葉を詰まらせる。

 

「ナ、ナタリ……っ!」

 

「貴方も。頭を冷やしなさい」

 

「ぁいたっ」

 

 気持ちが纏まらないままにナタリアへ話しかけようとした俺の後頭部が、ぱしんと軽い音ではたかれる。相変わらず音と反比例で痛い。

 

「ジェ、ジェイドさん?」

 

 頭を押さえながら振り返ると、いつの間にか後ろにいた大佐がなぜか少し呆れたような顔で俺を見ていた。

 

「おそらく貴方だけ気にしてる事が違うと思いますが、何にせよ今一番 混乱しているのは彼女のはずですよ」

 

 なにが俺だけ違うのかはよく分からなかったが、その言葉にハッとして口をつぐむ。

 

 そうだ。自分の気持ちばっかり纏めようとしてる場合じゃなかった。

 今、誰よりも感情がぐちゃぐちゃに絡まっているのは、きっとナタリアだ。

 

 ルークが「一度城に帰ろう、陛下が心配してる」とナタリアに声をかけてあげているのを確認してから俺は深く息をついて、言われた通りいったん頭を冷やそうと、その場で改めて大佐に向き直った。

 

「あの……すみませんでした。オレ、何か伝えたい、伝えなきゃってことばっかり考えてて……ナタリアの気持ちが一番大事なのに、」

 

「まるで気にしていないというのも問題ですかねぇ」

 

「へ?」

 

「いえ。基本的にひとつのことしか考えられないというのは、ある意味 長所かもしれないと思っただけです」

 

「? ありがとうございます!」

 

 このときすっかり星の記憶云々が頭になかった俺は、とりあえずジェイドさんに褒めてもらえた、というところだけを認識して背筋を伸ばす。

 

 そんな俺に大佐はまた呆れと苦笑の混じった表情を浮かべつつ、先ほどよりずっと軽く俺の頭をこづいたのだった。

 

 

 






偽スキット『ナタリア追跡中』
リック「ぜ、ぜんぜん距離が縮まらない! ピオニーさんといいナタリアといい何で王族の方々はこうも健脚なんだ! そうだピコハン! ピコハーン! あっ、すみませんありがとうございます! 拍手ありがとうございます! でも違うんです! 一瞬だけ降ってくる眼鏡とカレーの幻とか一発芸にしか見えないだろうけどこれピコハン(仮)なんです!!」

街の人から おひねり(お菓子)もらいました。


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Act84 - 死霊使いの伝達事項

ジェイド視点


 

 

「うーん……」

 

「…………」

 

「あー……」

 

「…………」

 

「うあー……!」

 

「………………」

 

「ジェイドさんナタリア大丈夫だと思いますか!!?」

 

「知りませんよ」

 

 隣で頭を抱えて唸るリックの問いかけに、ジェイドは頭痛をこらえるようにこめかみに指を添えて、にべもなく言い返した。

 

 新生ローレライ教団の使者であるラルゴにキムラスカが事実上の宣戦布告を突きつけた後、一行はいよいよプラネットストームの停止作業に移るべく、ユリアシティに来ていた。

 現在は必要な情報をテオドーロが解析する間、各々どこかで自由時間を過ごしている。

 

 ユリアシティは観光客や旅人などを受け入れることを前提とした街ではないため時間を潰せる場所はほとんどないが、まぁさほど長くもかからないだろうと、ジェイドは会議室のあるフロア降りてすぐのところにある柱に背を預けた。

 

 するとその隣に当然のような顔で座り込んだのが、今涙目で騒いでいるリックだ。ちなみになぜかミュウを頭に乗せている。

 

 普段リックとミュウの間にあまり会話はなく、どちらかといえば素っ気ないほどの距離感を保っている二匹……もとい一人と一匹なのだが、その実 気は合うようでふとした瞬間にこうして一緒にいるのを見る。動物同士なにか感じるところがあるのかもしれない。

 

「心配なら様子でも何でも見に行けばいいじゃないですか」

 

「うう……そうしたいですけど、オレが行くとたぶん、ナタリアに気使わせちゃうと思うんで……」

 

 やめときます、と消え入りそうな声で肩を落としたリックを、ジェイドは静かに見やった。

 

 ただ傍にいることに何の意味もないとは言わないが、今回のナタリアの件に関しては、事実リックに出来ることはおそらく無い。

 本人もそれが分かっているからこそ、尽きない心配に呻きつつも、どことなく腹を据えた様子でここにいるのだろう。

 頭を冷やせというジェイドの言葉を、なるほど正しく受け取ったらしいが。

 

「待つと決めたのならもう少し落ち着いて待ちなさい鬱陶しい」

 

「はいぃ~……あ、そういえばジェイドさん」

 

 情けない声で返事をしたリックは、どうにかナタリアの心配から自分の意識をそらそうと思ったのか、唐突に話題を切り替える。

 

「今回の件で生まれたレプリカの人で、もうはっきりスラスラ喋れてる人と、まだあんまり喋れなくてぼんやりしてる人とでは、どんな違いがあるんですか?」

 

「そうですねぇ。全員に同程度の刷り込み教育が為されたと仮定して、彼らの場合ほぼ同時期に作り出されていますから、時間の長短ではなく単純に個体差だと思いますよ」

 

 その後にどういった環境を生き延びたかにもよるが、現状では個人の資質によるところが大きいはずだ。

 

 リックの場合は確か、言語能力より身体能力の発達のほうが早かっただろうか。

 じぇーど、と舌っ足らずに名を呼びながら全速力で駆け寄ってくる子供の姿が脳裏に浮かぶ。

 

「それで、どうしてそんな質問を?」

 

 ジェイドは静かに眼鏡を押し上げて、そのかつての子供を見下ろした。

 

「えっ。いや、えーとぉ」

 

 リックは言葉を探すように目を泳がせながら、頭上にいたミュウを胸の前で抱え直す。

 

「……もっと……ちゃんと知っていきたいと思ったんです」

 

 それからやや気恥ずかしげに紡がれた音が、ことのほか大人びた――真剣な色を帯びていて。

 

 ジェイドはふいに、自分が伝えそびれている話のことを思い出した。

 

 ホド崩落の真相。

 フォミクリー開発者である己の罪のひとつともいえるそれを、旅の同行者の中でリックだけが知らないのは、単になりゆき上のことだ。

 

 だが知らせぬままにしておいたのは、果たしてなりゆきだったのか。

 

「……知る権利、ですか」

 

 もしもそんなものが存在するなら、ルークやリックにはそれがあるのだろう、と。

 いつかのケテルブルクでそう口にしたのは他ならぬジェイド自身だった。

 

「ジェイドさん?」

 

 不思議そうに首を傾げたリックの目を、ジェイドは真っ直ぐに見返す。

 いつもと違う空気を感じてか、リックがわずかに息を飲んだのが分かった。

 

「――ホドの、」

 

「あっ! ご主人様ですの!!」

 

 ミュウがリックの腕から飛び出し一目散に駆けていく。

 

「…………」

 

「…………」

 

 ジェイドが深く溜息をつき、リックがそれをおろおろと見つめた。

 

 分かっている。あのチーグルに会話を遮った自覚は、確実に無いだろう。

 だがジェイドは、足下にミュウをひっつけながらこちらに歩いてきた赤毛の飼い主に向かって一言吐き捨てる。

 

「主従そろって本っ当に空気が読めませんねぇ」

 

「なんだよいきなり!!」

 

 顔を合わせるなりバカにされ、「意味わかんねぇ!」と至極もっともな反応をみせたルークに、リックが困った顔で苦笑を浮かべていた。

 

 

 

 

 解析の結果、ローレライの宝珠に第七音素を込めれば、宝珠の拡散作用と同時に譜術が機能し、ゲートの譜陣を停止させることが――プラネットストームを止めることが出来るとのことだった。

 

 プラネットストームは第一セフィロトのラジエイトゲートから噴出して、第二セフィロトのアブソーブゲートに帰結している。

 後者から閉じるほうが理に適っているだろう、というテオドーロの言葉に従い、一同はすぐにアブソーブゲートへ向かった。

 

 

 外殻大地降下作戦のとき以来となるその地には、すでに神託の盾(オラクル)の船が停まっていた。先に進めば、まず間違いなく六神将と出くわすだろう。

 

「こんなに動揺するなんて、自分が情けないですわ。……でも大丈夫です、参りましょう」

 

 青い顔をしながら、それでも前に足を踏み出すナタリア。

 

 リックはそれを心配そうに見つめながらも、待つと決めたゆえか、言葉をかけることなく黙ってその後に続いた。

 

 人の心配はいいが、己がこの場所でヴァンに刺されたことは忘れているのだろうか。

 いや、おそらくナタリアの件で頭がいっぱいで気づいていないだけに違いない。

 

 何にせよ本人が気にしていないなら自分が気にすることでもないか、とジェイドはひとつ息をつく。

 その様子を見たガイが微笑ましげににやにやと笑うのには、気付かなかったことにした。

 

 

 そしてアブソーブゲートの最深部を目指す途中、かつてヴァンと対峙したあの場所で、予想通りに六神将達と出くわすこととなる。

 

 リグレット。シンク。

 ラルゴ。

 

「レプリカ! 何故ここに来た!」

 

 そのラルゴと剣を交えているアッシュ。

 あとは第七音素を取り込んだ影響で魔物のように姿を変えたモースと、シンクとは別に、導師イオンと同じ顔をした少年がひとり。

 

 それから、突如放たれた光の中から現れた男。

 

「……ようやく形を保てるようになったか」

 

 ヴァン。

 

 彼が持ち帰った第七譜石の欠片を受け取ったモースは壊れた笑い声を上げながら、導師イオンに似た少年をつれて、シンクと共に外へ向かう譜陣の中に姿を消す。

 

「私を倒すとは、レプリカとはいえ見事であった」

 

 あのときプラネットストームの中で乖離しかかっていたヴァンの体は、ユリアの譜歌によりローレライを取り込んだことで再構築されたのだという。

 おとなしく消滅していればよかったものを、とジェイドは心の中で独りごちる。

 

「アッシュ、私と共に来い。お前の超振動があれば、定められた滅亡という未来の記憶を消すことが出来る」

 

「……断る!」

 

「ではルーク、お前はどうだ?」

 

「俺は」

 

 ルークが、ゆっくりと息を吸った。

 

「……お断りします」

 

 二人の弟子に誘いをはねつけられたにも関わらず、ヴァンはどこか満足そうに「そうでなくてはな」と小さく笑って、リグレットと譜陣の中に消えていく。

 後を追おうとしたルークの行く手をラルゴが阻んだ。

 

「アッシュ! 師匠(せんせい)を!」

 

 ならばこの隙にとルークが上げた声にすぐさま反応したアッシュが譜陣に走り込み、姿を消す。

 

「寝ても覚めても預言、預言。そのためにどれだけの命が見殺しにされてきたか」

 

「あなた達がやろうとしていることも結局は同じですわ!」

 

 ラルゴとの戦闘は、もはや避けられないだろう。

 ナタリアが意を決したように弓を引き絞った。

 

「俺はレプリカの命を喰らって、被験者の世界を存続させる道を選んだんだっ!」

 

「よく言った。それでこそ倒しがいがあるというものだ。……行くぞ!」

 

 それぞれの武器を手に全員が動き出す、その瞬間。

 

「ぅわ!!」

 

 その最初の一歩で、リックの足が盛大にもつれたのをジェイドは見た。

 

 一連の会話の間いつになく静かだったリックは、やはり、おそらく、相変わらず、ヴァンのプレッシャーが苦手だったのだろう。

 それはもう足が固まるほどに。

 

「う、わ、わ、わ」

 

 崩れた体勢を立て直そうとリックは一歩、また一歩と前のめりに足を踏み出して。

 

「あ」

 

 そしてリック本人もそんなことは意図していなかったゆえか、あのラルゴでさえ ふいをつかれ、誰もが身動きする間もなく。

 先ほど自分達が降りてきて、つい今しがたヴァン達やアッシュが昇っていった譜陣の光の中へ。

 

 ――リックの姿が吸い込まれて、消えた。

 

 

 

 

「たまに大人しいと大概ろくなことしませんねぇ」

 

「えっちょっリックーーーーーー!!!!」

 

 そして緊張感に満ちたアブソーブゲートの最下層には、我に返ったルークのいろんな意味で悲痛な叫び声が響き渡ったのだった。

 

 

 



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Act84.2 - 平行線上のピコハニスト

 

 

 譜陣での移動特有の、体中の音素が空気と混じって浮かび上がるような感覚に思わず目を閉じる。

 

 そして次に瞼を押し上げたときには、視界に映る景色はすっかり様変わりしていた。

 今にも戦闘が始まろうとしていた緊迫の場所ではなく、誰もいない別階層にある譜陣の上に俺はいる。

 

 しばし呆然と立ち尽くしたあと、剣を持っていないほうの手で盛大に頭を抱えた。

 

「うわぁやってしまった!! あれ、いや違う、えーと……や、やった!!?」

 

 まったくもって予期しない形ではあったし、「ラルゴとの戦闘」という意味では大失態だったけど、「ヴァンの追跡」という点では大成功と言えなくもなかった。

 しかし、俺だけがヴァンに追いついたからって何が出来るのか。

 

「い、いったん戻っ……」

 

 反射的に譜陣の中へ戻りかけた体を、途中でグッと引き留め、剣の柄を強く握った。

 

 ちがう、考えろ。今俺にできることは何だ。

 怖いからって、寂しいからって、何も考えずにみんなのところに戻るんじゃない。自分の頭で考えて動くんだ。

 

 アブソーブゲートの停止は、ルークや大佐たちが何とかしてくれる。

 ラルゴのことも、ナタリアはきっと自分で決着をつけるだろう。

 

 それなら俺は。

 

「ヴァンを、追いかけよう」

 

 たとえやらかした感しかない偶然の産物でも、せっかく掴んだ機会だ。ろくに出来ることはないと思うが行くだけ行ってみよう。

 真剣に考えて出した結論がやっぱりどこか情けない点については、どうか許してもらいたいところだった。

 

 だってヴァンだけでも勝てる可能性とか、そんな言葉を使うこと自体おかしいくらい皆無なのに、その脇をシンクやリグレットが固めて、あの魔物みたいなモースまでいる。どう考えても無理だ。ベヒモスの集団にオタオタが一匹で挑むようなものだ。

 

 ……ん? いや、待った。

 

「そうだアッシュ!」

 

 先にヴァンを追いかけたアッシュがいるんだった。

 途中で合流すれば、少なくとも一人で追うよりは怖くないはずだ。

 

「よし。まずはアッシュに追いつこう」

 

 剣をひとまず鞘に収め、ぐっと拳を握って、俺はアブソーブゲートの通路を駆けだした。

 

 

 

 

「…………おまえが一人で追ってきた理由と、合流しようとした事は分かった、が」

 

 隣を走るアッシュが、鋭くこちらを睨む。

 

「なんっっっで普通に呼び止められねぇんだこの滓がぁ!!」

 

「カスって言うなよもう! オレだってまさかピコハン成功するとは思わなくてだから何ていうかホントすみませんでした!!!」

 

 追いついた時にちょうど譜陣で別階層に移動しようとしていたアッシュをまたしてもピコハンで止めてしまった俺は今、怒髪天な緋色と併走しながら平謝りしていた。

 

 いや、空から一瞬だけ降ってくる眼鏡の幻に驚いてちょっと足を止めてくれたらいいなという、当てるつもりどころか成功させる気さえゼロの発動だったのだが、なぜそんなときばかり成功するのか。

 

 ケテルブルクの時といい俺のピコハンは対アッシュでしか成功しないのか。

 だとしたら使いどころが限定されすぎな上にいつかアッシュにはエクスプロードで灰にされる気がする。アッシュだけに。

 ちなみに普通に声をかけるという選択肢は、置いていかれたくないという焦りのあまり欠片も浮かばなかった。

 

「くそっ、だいぶ離されたな」

 

「すみません……」

 

「謝ってる暇があるなら急げ! ただでさえシンクのやつに邪魔されて時間くってんだ」

 

 先にヴァンを追ったアッシュと俺の間にはそれなりの時間差があったのに意外と早く追いついたと思ったら、シンクに足止めされていたらしい。

 そして戦闘の途中でシンクが譜陣に飛び込み、すぐさま後を追おうとしたアッシュを止めたのが俺のピコハンだ。重ね重ね申し訳ありませんでした。

 

 この隙に逃げ切られていたらアッシュにどう謝ろうか戦々恐々としていたのだが、幸か不幸か、出口のある階層にたどり着いた俺達の前に立ちはだかったのはシンクだった。

 

「意外と遅かったね。あんまり来ないから迷子にでもなったのかと思ったよ」

 

「うるせえ!!」

 

 アッシュが青筋を浮かべて怒鳴り返す。元凶は俺ですごめんなさい。

 だがシンクが足止めに残っているということは、ヴァンはまだ外にいるのだろう。俺のピコハンのせいで全てを逃すという最悪の事態は避けられたようだ。

 

「ヴァンなら表で第七譜石の預言の詠み上げに立ち会ってるよ。今更モースの茶番に付き合うこと無いのにさ」

 

「……そこをどけ」

 

「さっき言っただろう? 今おまえをヴァンに近づけるわけにはいかない。そっちこそ鍵を渡し、」

 

「シンク! オレ達を通したらヴァンに怒られるっていうなら、オレもヴァン怖いけど、ものすごく怖いけど! でも一緒に謝るから!」

 

「いやだから何!! 通せって!? アンタが混ざると話進まないからちょっと黙って……っていうか、そもそもなんでいるわけ?」

 

「それは……えぇと、やったというか、やらかしたというか」

 

 追ってきたのは自分の意志だが、その発端については俺のほうこそ何故と問いたかった。いや、ヴァンにビビリすぎて足がもつれただけの話なのだが。

 

「おい、戦う気がないなら下がってろ。邪魔だ」

 

 その間にも剣を抜ききったアッシュが、シンクを鋭く睨みつけたまま俺に言う。

 出来ることならそうしたい。だって俺はやっぱり死ぬのが怖くて、戦うのも怖い、根っからの臆病者だ。

 

 生まれ持った性分は覚悟ひとつじゃ変わらない。

 それでも、生きるために戦うと決めたから。

 

 俺は静かに剣の柄に手を添える。

 

「……シンク。オレたち、本当に戦うしかないのかな」

 

 しかし最後にそう問いかけてしまうのは、やはりどうしても彼を嫌いだと思えないからだろうか。

 敵対する立場としてあれだけ大変な目に合わされてきたのに、こうして会えばわき上がるふわりとした感覚を、懐かしさと表したのはイオンさまだったけど。

 

「リック!」

 

「え、ぅわっ!!」

 

 アッシュの声にはっと意識を引き戻すと、一気に距離を詰めたシンクの蹴りが眼前に迫っていた。ほとんど反射的に剣を抜いて、なんとか攻撃の軌道をそらす。

 

 反動でよろけた俺が体勢を立て直している間に、アッシュがシンクに向けて剣を真横に振り切った。

 シンクは後方に跳んでそれをかわし、またある程度の距離をとって足を止める。

 

 そして嘲るような笑みを浮かべて、イオンさまと同じ色の髪をかきあげた。

 

「……アンタ、最初からやたらとボクに馴れ馴れしかったよね」

 

「そ、そうだったっけ」

 

 自覚は無かったが、言われてみればめずらしく最初からビビらず話せていたような気もする。

 

「でもそれは、自分と同じ不完全なモノに対する歪んだ親近感さ。確かアンタも“代用品”にさえなれなかったレプリカなんだろ?」

 

 俺は複数の実験体のうちの単なるひとつであり、シンクの言うとおり“代用品”ではなかった。

 だが、そもそも誰かの代わりとして作り出されたわけでもない。どちらかというとフェレス島のレプリカ達に近い立場だ。

 

「ゴミがゴミを見て安心するようなものだよ。そんなくだらない傷の舐めあい、ボクはごめんだね」

 

 だから“代用品”として生み出されて、けれど“代用品”に選ばれなかったその思いは、彼が“同じ”と言う俺にさえ、想像することしか出来ない。

 

 それでも――

 

「……シンク、」

 

「ごちゃごちゃとうるせぇんだよ!!」

 

 俺の言葉に被って、いつの間にかシンクの後ろに回り込んでいたアッシュが剣を振るう。

 放たれた衝撃波をシンクが飛び退いてかわせば、それは真っ直ぐ俺のほうに向かってきた。えっちょっ。

 

「うわあ!」

 

 涙目になりつつ地べたに転がるようにして避けると、アッシュの技が俺の体すれすれのところを通り過ぎていく。ていうか少しかすった。

 

「な、なにすんだよアッシュ!」

 

「俺には時間がないんだよ! さっさとここを通るぞ!」

 

 ああそうだ、俺達はヴァンを追いかけて来たんだっけ。少し忘れかけていた。

 口にしたら一刀両断されそうなことを考える俺をよそに、アッシュは苛立たしげな舌打ちをひとつ零して、切っ先をシンクに向ける。

 

「おまえも、本気でこいつがそんなこと考えてお前に接してたと思うのか?」

 

「アッシュ……」

 

「この会うたび人の地雷を踏み抜きまくるような滓が!」

 

「あっこれフォローじゃない苦情だ!!?」

 

 むしろそんなややこしいことを考えていられる頭があるなら話題を選ぶ脳もあっただろうに、とアッシュが眉間にしわを寄せて嘆いた。返す言葉もない。ホントすみません。本日もう何度目になるか分からないアッシュへの謝罪を心の中で呟く。

 

「…………」

 

 そしてシンクは、ものすごく疲れた顔で息を吐いていた。

 どこか呆れ果てた雰囲気を漂わせつつ、俺を見る。

 

「……本当に戦うしかないのか、だっけ?」

 

「えっ、あ、うん」

 

「それじゃあ逆に聞くよ。アンタはもしボクやヴァンが言ったら、あの死霊使いを裏切れるわけ?」

 

「無理!」

 

 想像してみるまでもなく弾き出された結論におもわず即答すると、シンクは少し目を丸くしたあと、なんだか愉快そうに笑った。

 

「――つまり、そういうことさ」

 

 言うが早いか地を蹴ったシンクがこちらに向かってくる。

 

 今度は俺も心の準備が出来ていたため、さっきよりは落ち着いた動きで(それでも必死だったが)繰り出された技をアッシュと左右に分かれるように避けた。

 

 そこからすぐ攻撃に転じたアッシュとシンクが攻防を繰り広げるのを見ながら、俺は術式を展開する。味方識別がついていないアッシュを巻き込みかねないので直接は狙えないが、ふいをつくくらいなら出来るだろう。

 

 意識を集中させる。

 

「……大地の咆哮、其は怒れる地竜の爪牙……」

 

 ピコハンもまた出来たんだ。あの術だって、きっと。

 

「グランドダッシャー!」

 

 ぽふん。

 集めた音素が哀しい音を立てて散る。

 

「……出来なかったぁー!!」

 

「何がしたいんだお前」

 

「ほんとだよ」

 

 激しい攻防を繰り広げながら、アッシュとシンクが揃って呆れた声を上げる。

 うう、おとなしく成功率の高いロックブレイクにしておけばよかった。

 

 ――うなだれる俺の横を、誰かが駆け抜けていく気配がする。

 はっとして顔を上げると、そこには鋭くナイフを振るうティアさんの背中があった。

 

 ナイフをかわしたシンクが着地した地点を狙って、弾けるエナジーブラスト。

 それも紙一重でかわされてしまったが、その完璧な術式にとても覚えのある俺は、自己最大の反応速度で振り向いた。

 

 そこには予想通りの赤い瞳。

 他のみんなの無事な姿もあり、俺は泣きそうになりながらわなわなと身を震わせた。

 

「ジェイドさぁん、ルーク、みんなぁ……!」

 

 潮時と見たらしいシンクがこの場から引いたのを確認して、ガイが「遅くなったな」と笑う。その様子を見るに、アブソーブゲートの停止には成功したようだ。

 

 ヴァンがまだ表にいることをアッシュに聞いたみんなが外へ急ぐ。

 俺は大佐の隣を走りながら、少し肩を落とした。

 

「……すみません大佐。ただでさえこれから戦闘ってときに抜けちゃったのに、結局何も出来ませんでした」

 

 やったことと言えば、ピコハンでアッシュの足止めと、グランドダッシャーの大失敗くらいだ。むしろ邪魔しかしてない。我ながらひどい結果だ。

 

 眼鏡越しの赤色がちらりと俺を見て、また前を向く。

 

「相手が相手ですから、宝珠を持ったルークがこちらにいた以上、あそこで誰が追いかけていたとしても出来る事はたかがしれていたでしょうね」

 

「そ、その心は?」

 

「あなたが役に立たないのは想定内です」

 

「ですよね!」

 

 いつもの笑顔で告げられた言葉に、俺も目頭を押さえつつ笑顔を返した。

 そしてお互いそれなりの速度で走っているにも関わらず、大佐が的確に俺の頬をつねりあげる。

 

「いたははは! いたいでふジェイドさん!!」

 

「痛いようにしてますからねぇ」

 

「ええ!?」

 

「……追わずに、戻ってくる可能性のほうが高いかとも思いましたが」

 

 やがて大佐は小さく笑ってつねっていた指を離すと、解放された頬を涙目でさする俺の頭に、一瞬だけポンと手をおいた。

 

「え」

 

 突然のことに思わずもつれた足を立て直している間に、青い軍服は先へ行ってしまう。

 

「いま、もしかして褒め、……っジェイドさぁあん!」

 

 衝撃と喜びでヴァンへの恐怖も何もかもぶっ飛んだ俺は、ついでにその勢いのまま飛びつこうとして、大佐にタービュランスでぶっ飛ばされたのだった。

 

 

 





偽スキット『そのとき彼らは(最深部へ移動中)』
ルーク「リックのやつ戻ってこなかったな」
ティア「やっぱり、兄さんを追っていったのかしら……」
アニス「大丈夫かなぁ」
ジェイド「ヴァンより先にアッシュと行き会うはずですから大丈夫でしょう。たぶん面倒見てくれると思いますよ、アッシュが」
ルーク「アッシュが」
ジェイド「ええアッシュが」

何だかんだほだされてたっぽいし地味に世話焼きだし、任せとけばとりあえず死にはしないだろうと鮮血さまに十歳児を丸投げネクロマンサー。


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Act84.3 - 王女様の君、オレンジのリボン

 

 

「全ての屍を踏み越え我が元へたどり着け。アッシュ、そしてルークよ」

 

 大きな鳥型の魔物、ガルーダの足に掴まって飛び去っていくヴァン達の姿が視界から消えたところで、俺はようやく肩の力を抜いた。

 

 元から十分すぎるほどのプレッシャーを放っていたのに、ローレライまで取り込んだヴァン。

 大佐に褒めてもらえた余韻のおかげか精神状態は意外に良好だが、やっぱり全身に走る緊張はどうにもならない。先ほどローレライの宝珠に反応して暴走しかけた、現在のヴァンが持つすさまじい力の片鱗を思う。

 

 あれでルークが宝珠を持っていることは完全にバレてしまったけれど、そのおかげで一旦引いてくれたと思えばある意味助かった。

 みんなはラルゴと戦ったばかりなわけだし、あの顔ぶれと連戦するのは体力的にもきついだろう、とそこまで考えたところで、はっとしてナタリアを見る。

 

 宝珠の件についてルークに警告したアッシュが去っていく背中を見つめるナタリアの横顔は、やはりどこか青ざめていた。

 

 けれど揺れる瞳の奥には確かな光を宿していたから、やっぱりナタリアは強いなと、思った。

 

「少しだけ、祈る時間をくれますか?」

 

 アブソーブゲートの入り口に向かって、祈りを捧げるナタリア。

 その背中をみんなと一緒に少し離れたところで待ちながら、俺は考える。

 

 ……違う。考えていた、ずっと。

 

 あのときバチカル港で、俺が伝えたかったことは何なんだろう。

 ナタリアに何を伝えてあげられるんだろう、と。

 

 だけどどうにも俺の頭は良くなくて、どれだけ考えても、きれいに纏まった答えなんて出てこなかった。

 

「お待たせしてごめんなさい。さあ、参りましょう」

 

 みんなでアルビオールに戻っていく途中で俺はぴたりと足を止めて、最後尾を少し遅れ気味に歩いていたナタリアを振り返った。

 

「……ナタリア」

 

「リック?」

 

 気づいたナタリアも立ち止まり、不思議そうにこちらを見上げる。

 その深緑色の瞳に映る自分はひどく泣きそうな顔をしていた。ああ、まただ。

 

 一番泣きたい人より先に泣くという、ティアさんと話したときとまるで変わらない自分に呆れもするけれど、きっと俺にはこのやり方しか出来ないのだろう。

 

「オレはナタリアが普通の女の子だってこと知ってる」

 

 たまに悩んで、元気に怒って、優しく笑う、王女様じゃないナタリアを知っている。

 

「だけどやっぱり、ナタリアは王女様なんだ……とも思う」

 

 レプリカが普通の“人間”と変わらない事をみんなが知ってくれていて、それでもルークや俺が“レプリカ”であるという事実は、何一つ変わることが無いように。

 

「王女様は、あまり弱音を吐いたらいけないのかもしれない。……簡単に涙を流しちゃ、いけないのかもしれない」

 

 目を丸くしているナタリアにかまわず、俺は言葉を重ねていく。

 

「でもオレは、王女様でもあるナタリアって女の子の味方だから!」

 

 俺には弱音を吐けなくてもいい。涙を見せられなくてもいい。

 だけどそんな君が大好きだっていう俺がいることを、どうかどうか、忘れないで。

 

 格好つかない涙目のまま祈るように見据えた深緑の瞳が、ぱちりと大きく瞬く。

 

「……ふふ」

 

 そして思わずといったように笑みをこぼしたナタリアが、わずかに潤んだ目尻を指先で拭った。

 

「なんだか、イニスタ湿原を思い出しますわ」

 

 それはナタリアがインゴベルト陛下の実の娘ではないという事が決定的になり、バチカルを追われたとき。

 俺がまだ自分の中の矛盾に気づかずに、被験者と自分は同じ存在だと思いこんでいたころのことだ。

 

 己の存在について悩むナタリアやルークの気持ちを欠片も理解できていなかった俺が、それでも必死にかけた言葉を、ナタリアは覚えていてくれたらしい。

 

「王女かどうかは関係ないと……ふふ、大好きだと、言ってくださいましたわね」

 

「……うん。王女様じゃないナタリアも、王女様のナタリアも、オレの大好きな仲間だよ」

 

「まあリック。少しガイに似てきたのではなくて?」

 

「そ、そうかなぁ」

 

 さすがにガイみたいな台詞はぽんぽん出てこないけど、精一杯の思いを伝えきった安堵で力が抜ける。

 そんな俺を見ていたナタリアが、ふいに優しく微笑んだ。

 

「では私からも、ひとつよろしいかしら」

 

「うん?」

 

 深緑の瞳がまっすぐにこちらを映す。

 そこに宿るしなやかで強い意思に気圧されるようにして、背筋を伸ばした。

 

「あなたは確かに臆病かもしれない、けれど、それは必ずしも弱さとは限らない……。私、そう思いますの」

 

「……ナタリア?」

 

「恐怖を知っているからこそ寄り添える。誰かの励みになれる。そんなときもあるのです」

 

 だから、と彼女が両手で俺の手を包む。

 

「自分の中の臆病さを、決して恥じたりしないでください。怖がりで、涙もろくて、やさしい……私はそんなリックが『大好き』ですわ」

 

 そう言って今度は花が咲くように顔をほころばせたナタリアに、俺の涙腺がぶわりと緩んだ。

 

「ナタリアぁぁ~」

 

「そんなに泣いては目が溶けてしまいますわよ。さあ、涙を拭いて」

 

「ううぅ……今のナタリアもちょっとガイっぽい……」

 

「まあ。私はあそこまでじゃありませんわ」

 

 ナタリアが心外だと言うように眉をつり上げる。

 しかしその瞬間響いてきた「リック!ナタリア!出発するぞー!」というガイの声に、二人で顔を見合わせて笑った。

 

「行こう、ナタリア!」

 

「ええ」

 

 王女様で女の子で、友達で、仲間である彼女の手を引いて、俺はアルビオールに向かって駆けだしたのだった。

 

 

 

 

 それから向かったのはダアトの教会。

 ヴァン達が――というか、モースが置き去りにしていったイオン様のレプリカである少年を保護してもらうためだ。

 

 アニスさんが道中ずっと面倒を見ていたからだろう、教会でトリトハイムさんに紹介しようとすると、少年はすがるように彼女の後ろに隠れた。

 

「大丈夫だよ。ここの人達はあなたに預言を詠むように強制したりしないから」

 

 そう言ってアニスさんが宥めると、彼はようやくそろりと顔を見せる。

 イオン様とうり二つな姿にトリトハイムさんはさすがにやや驚いた顔をしたものの、それだけだった。教会でレプリカをたくさん保護しているから、“同じ”でも“同じじゃない”ことを十分知っているんだろう。

 

「彼はなんとお呼びすればよろしいのでしょうか。イオン様では……」

 

 トリトハイムさんの言葉に、ティアさんが「アニスが名付けてあげたら?」と提案すると、アニスさんは少し考えた後、口を開いた。

 

「フローリアン」

 

 古代イスパニア語で『無垢な者』という意味の名前を、大事に手渡すように呼んで、アニスさんは彼の――フローリアンの手を取った。

 

「また来るからね、フローリアン」

 

「……アニスは……残らないの?」

 

「うん。やらなきゃいけないことがあるから」

 

「………………」

 

 親に捨てられる子供みたいな顔で俯いてしまったフローリアンの姿に、かつての自分が重なる。

 

 青の軍服と、金茶の髪と、赤の瞳。

 部屋の中でただそれだけを待ち続けた遠い記憶を思うと、アニスさんには彼の傍にいてほしいと思ってしまうけど。

 

 状況的に叶えられるはずもない願いにへなりと眉尻を下げた俺の胸元で、歯車の首飾りが揺れる。

 

 あ、と思わず声が零れた。

 

「あのっ! アニスさん!」

 

「ふえ?」

 

 肩越しに振り返ったアニスさんに、俺は急いで首飾りの鎖代わりに使われていたリボンをほどいた。

 きれいなオレンジ色のそれは、アニスさんがくれたものだ。

 

「これ、フローリアン……さまに、あげてもらえますか?」

 

 胸の内を侵食する寂しさを乗り切るために必要なのは、そんなに大層なものじゃない。

 たとえば大好きなひとの面影ひとつ、それだけで、俺たちは明日を待てるんだ。

 

「いいの? 首飾り」

 

「あー、いいですよ、ディスト生きてましたし」

 

 いっそ歯車のほうも投げ捨てたい気分ではあるが、今までずっと大切に身につけていたから何だかんだと思い入れもある。アニスさんの問いかけに苦笑しつつ、煤けた歯車をポケットにつっこんだ。

 

 そうしてリボンを受け取ったアニスさんは、うん、と小さく頷いてフローリアンに向き直ると、オレンジのリボンを彼の手のひらに乗せる。

 

「フローリアン、またね」

 

「……うん、アニス……待ってる」

 

 フローリアンはそのリボンをぎゅっと握りしめ、心細そうな表情をわずかに和らげて、笑った。

 

 

 



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Act85 - 結果にラジエイトゲート

 

 

 ダアトでフローリアンを預けた後、俺達はラジエイトゲートに向かった。

 

 ここを停止させれば現在エルドラントを守っているプラネットストームが消えるのだが、ヴァン達だってそう易々と大事な防壁を手放すわけがない。

 ゲートの上空にさしかかったところで、エルドラントからの対空砲火がアルビオールを襲った。

 

「強行着陸します!」

 

 ミュウと抱き合いながら意識が軽くお花畑に行きかけた俺だったが、ノエルの操縦技術のおかげで、どうにか無事に目的地へ降り立つことが出来た。

 

「お空でぐるぐるして、フラフラですのぉ~……」

 

「こんにちはユリアさまネビリムさん……今度、そのカレーのレシピ教えてくださ……」

 

「ミ、ミュウ! リック! しっかり!!」

 

 ティアさんに肩をゆさぶられ、大佐に「早くしないと置いていきますよぉ?」と輝く笑顔を向けられたところで我に返りました。

 

 巨大な魔物の骨みたいなもので出来た足場を伝って、ラジエイトゲートの内部へ入る。

 創世歴時代の建造物ならではの空気感の中を進むことしばらくすると、この旅でずいぶん見慣れたものとなった音機関が目の前に現れた。

 

「これってパッセージリングだよね? やっぱりここにもあるんだね」

 

 アニスさんの問いかけに、まぁ当然ですね、と大佐が相づちを打つ。

 

 えーと確か、当初はラジエイトゲートの起動と同時に外殻を降下させる手はずだったけど、いろいろあって時間が足りなくなったから全部アブソーブゲートでやることにした……んだっけ。

 

「ここでアッシュが助けてくれましたのよね」

 

 何故かあやふやな記憶に首を傾げていると、ナタリアが感慨深げに口にした言葉に、俺は目を丸くした。

 

「へ? アッシュが?」

 

「そうだけど……あーそっか。お前そのとき意識なかったもんな、覚えてるわけないか」

 

 それからみんなが教えてくれたところによると、大地を降ろすために必要だった超振動の力の不足分を、アッシュがこのラジエイトゲートから補ってくれたのだとか。ちなみにそのとき俺は全力で瀕死中だった。どうりで記憶にないわけだ。

 

「つーかジェイドから聞かなかったのか?」

 

「……みんなのことたくさん聞いた段階で満足して聞き忘れたというか」

 

「だと思いましたが、説明が面倒だったので放置しました」

 

 大佐が淡々と補足する。

 うう、気づいてたなら教えてほしかったところだけど、俺自身が「外殻降下成功!」ですっかり思考が完結していたから仕方ない。

 

 そんな雑談を交わしつつもひたすら先へ進んでいくと、ふいに頭上から変な音がするのに気づいた。

 例えるならば、ブウサギのジェイドさまが宮殿の廊下の端から俺のみぞおちに向けて全力疾走してくるときのような、すごい勢いの何かが近づいてくる音。

 

「いやな予感がするな。早くすませちまおう」

 

 眉根を寄せたガイの言葉に頷き、さらに歩調を早めて内部を降っていくと、間もなくラジエイトゲートの最深部にたどり着いた。

 

 すぐにルークが宝珠を掲げて、ゲートを閉じる。

 しかし目的を達成したと安堵する暇もなく、先ほど聞こえた音はどんどん近づいてきていた。

 

 みんなが武器を取って周囲を警戒する。

 俺も心臓を怯えさせつつ剣の柄に手をかけた。

 

「上です!」

 

 大佐の声が響く。

 

 上空から降ってくるように俺たちの目の前に現れたのは、紫色の巨体。

 かつて“大詠師モース”と呼ばれたその人だった。

 

「すこあを……! ひゃはははっ、すこあをまもるためにぃ……!」

 

 今はもう――“人”ですら、ない。

 

 それでもなお預言を遵守しようとする姿に、部下として関わりが深かったティアさんだけでなく、ご両親やイオンさまのことで複雑な気持ちのほうが大きいはずのアニスさんまで辛そうに顔をしかめた。

 

「……戦おう! このままでいいわけがない!」

 

 ルークが、覚悟を決めたように剣を構える。

 

「ひゃーはははははっ、しねぇーーー!!」

 

 それを合図にしてモースがその場で飛び上がり、俺たちを押しつぶそうと落下してくる。

 

 四方に散ってその攻撃をかわしながら、ルークとガイと俺が近距離に、アニスさんとティアさんが中距離に、大佐とナタリアが遠距離にと、それぞれの間合いを取って挑む。

 

 元が大詠師だからなのか、モースは巨体を使っての物理攻撃ではなく、譜術を中心とした攻撃を仕掛けてきた。

 その威力もかなりのもので油断ならない相手だけど、近接攻撃の心配が少ない分、剣士としてはいくらか余裕のある立ち回りが出来る。

 

 ……だからこそ、というか。

 

 普段なら必死すぎて意識の届かない範囲まで、めずらしく状況を把握できていた俺は、アニスさんの死角にパッと浮かび上がったモースの譜陣に気がついた。

 

 考えている暇はなかった。

 俺は脳の一番手前に置いてあった術式を、ろくに確認もせずに引っ張り出して、思いきり押し上げた。

 

「グランド、ダッシャーっ!!」

 

 鮮やかな黄色の譜陣がアニスさんとモースの譜陣の間に広がる。

 

 一瞬遅れで発動したモースの譜術と、俺の譜術が、その場で相殺して消えた。

 気づいたアニスさんもすぐにその場から距離を取ったのを見届けて、ほっと息をついたその瞬間に、全身から一気に力が抜けた。

 

 ……安心したっていう比喩とかでは、なく。

 

「うわーー!! ルークどうしよう立てない力入らない!!」

 

「リックーーーーー!!!??」

 

 譜術攻撃が中心であることで生まれた剣士的な余裕は、相手の攻撃に気づく視野と術を使う時間をくれた。しかしそれは己の限界や現在位置まで把握できるほどじゃなかったらしい。

 

 実力に見合わない詠唱破棄の反動で、敵の目前で座り込み完全なる無防備状態と化した俺は、どうにか剣を握る手だけは離さないまま涙目でモースを見上げた。うわぁ大きい……。

 

 いくら正気を失ってるとはいえ、すぐ近くにいる格好の獲物を見逃すわけもなく、モースの巨体がこちら目がけてグンと浮かび上がる。

 

「リック!」

 

 ガイやルークが急いで助けに入ろうとしてくれるが、間に合いそうにない。

 ぺしゃんこに潰された自分の未来を想像して、ひ、と短く息を飲んだそのとき。

 

「タービュランス」

 

 見慣れた完璧な構成の譜術が、モースを吹き飛ばした。

 

 ――――俺ごと。

 

「うわああぁあああぶっ!!」

 

 モースが吹き飛ばされたのとは反対の方向、後衛の位置にいるジェイドさんやナタリアよりさらに少しだけ後ろに、俺は落下する。

 

 落ちたときに打ち付けた顔面を両手で押さえて悶絶しつつ、指の隙間から青い軍服の背中を見やった。

 表情は見えないけど、呆れたように溜息をついたのが分かる。

 

「なんというか……やる事なす事ことごとく効率が悪いですねぇ」

 

「し、しみじみ言わないでください」

 

 なんか下手に罵倒されるより胸にきます。

 

 でもさすが大佐というか、あの一瞬で術の威力を調節してくれたようで、落下ダメージ以外はほとんど受けていなかった。でもその落下ダメージがわりと大きいんですけど元はといえばやらかしたのは俺なので何も言えない。

 

「まぁ、あとは黙ってそこに転がっていなさい。すぐ終わります」

 

「ハイ……」

 

 おとなしくその場に座り込んだ俺をちらりと見てから、ジェイドさんはモースのほうに意識を戻す。

 その向こうで、トクナガに乗ったアニスさんが「リックー!あーりーがーとー!」と手を振ってくれていた。

 

 ……反省点は、山ほどあるけれど。

 俺はぽかぽかと見えない温度に溢れた胸に そっと手を置いて、緩んだ口元と赤くなった頬を隠そうと、小さく俯いた。

 

 

 

 

「す、こあ、が……ユリア、よ……! 世界を、繁栄に、ぃ……!?」

 

 どろどろと溶けるように崩壊していくモースの体。

 それは地に落ちるが早いか、音素となって舞い上がり、最後には跡形もなく消えた。

 

「モースは最期まで預言に執着していたんだな。怪物になっても預言、預言って……」

 

「あの方はユリアの預言があれば、必ず世界が救われると信じていたわ。……あの方なりに、世界を救おうとしていた」

 

 モースにとっての預言。

 それは俺にとってのジェイドさんのように、かつてのルークにとってのヴァンのように、絶対的なものとして彼の中に根付いていたのだろうか。

 

 許せないと思う気持ちもあるけれど、そう考えるとなんだか物悲しくて、切なかった。

 

 俯いた俺の後頭部に、べちんと音のわりに軽い衝撃が走る。

 見上げれば、座り込んだままの俺の隣にはジェイドさんがいた。

 

「終わりましたよ。立てますか」

 

「あ、はい、たぶん」

 

 ロニール雪山のときみたいにボロボロ状態で詠唱破棄したわけではないからか、体力の戻りは早めだ。若干、足もとが生まれたてのウオントみたいになってるがそこは見逃してほしい。とりあえず歩くだけならもう大丈夫だろう。

 

「にしても、なんで詠唱破棄したときばっかり成功するんですかねぇ、オレのグランドダッシャー」

 

 いや、使ったあと動けなくなるんじゃ実質的には失敗なのだが、それはそれとして。

 実戦でちゃんと発動できたのは詠唱破棄して使ったときだけだ。

 

 首を傾げた俺に、大佐がひとつ息をついて眼鏡を押し上げる。

 

「考える暇がないからだと思いますよ」

 

「へ?」

 

「要するに、上級譜術だと意識するからいけないんです。思えばライガクイーンのときもそうでしたねぇ」

 

 ライガクイーンのとき、と言われてとっさに記憶を探る。

 ええと、颯爽と登場した大佐が格好良かった……いやそうじゃなくて。

 

 『資料に載っている難易度ではなく、目の前の敵を見なさい。相手の特徴だけを思い出しなさい。行動は、属性は、弱点は?』

 

 あれは本当に“勝てない敵”ですか、と笑みを含んだその声まで思い出したところで、俺は目を丸くした。

 

 上級譜術という、紙の上にかかれた難易度を取り払う。

 音素、属性、術式や構成だけを頭に残して考えた。

 

 ――これは本当に、“出来ない術”か?

 

 導き出された答えに、思わずぽかんと口をあけて固まった俺を見て、大佐は愉快そうにその口元へ笑みを乗せたのだった。

 

 



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Act86 - 終わりと始まりのカウントダウン(前)

 

 

 ラジエイトゲートを停止させたことで、プラネットストームの防壁はなくなった。

 けれど俺たちがエルドラントにたどり着くためには、もうひとつくぐり抜けなければいけないものがある。

 

 対空砲火だ。

 

 その打開策を求めて訪れた、グランコクマのマルクト軍本部。

 作戦室で俺たちを迎えてくれたのはノルドハイム将軍とゼーゼマン参謀総長だった。

 

「エルドラントの対空砲火には、発射から次の充填まで約十五秒の時間がかかる」

 

 参謀総長が白いひげを撫でながらそう言うと、ノエルが机上の作戦地図をのぞき込んで難しい顔を見せる。

 

「その時間で砲撃を予測して回避しつつ、接近……。兄なら可能だとは思いますが」

 

 ギンジさんと交代してもらうかと大佐が問いかけるが、短い沈黙のあとにノエルは首を横に振った。

 

「いえ、やらせて下さい。アルビオール二号機の操縦士は私です」

 

 緊張感の中にも確かな意志を宿したノエルの言葉に、ルークが頷く。

 ギンジさんと比べれば自分はまだまだなんだとノエルは言っていたけれど、彼女の腕前は、今までアルビオールに助けられてきた俺たちが一番よく知っている。

 

 ノエルなら必ずエルドラントにたどり着いてくれるはずだ。そうでしょうイエモンさん、と記憶の中のあの人に問いかける。

 彼ならばきっと、当たり前だと、自慢の孫だと、笑ってくれるだろう。それともあんまり上手くない照れ隠しで、二人ともまだ修行が足りないと怒ったふりをするのかな。

 

 どちらの姿も簡単に思い浮かべることが出来て、思わず口元を緩めた俺の意識を、ルークの真剣な声が引き戻す。

 

「なぁみんな、本当にエルドラントへ行っていいのか? 王位継承者、軍属、貴族……それぞれ本来の立場があるし、リックはビビリなのに」

 

「相変わらず瞳のまっすぐさが胸に突き刺さるよルーク」

 

 しかし紛れもない真実なのでぐうの音も出ない。

 

 そんなルークの言葉に、ナタリアが「今更何を言ってますの」と苦笑した。

 ここまで来て抜けられるわけがないと、凛とした声が告げる。

 

 兄のしたことに決着をつけなくてはならないと、ティアさんが真摯な声で言う。

 イオン様なら最後まで見届けなさいと言うと、アニスさんが笑う。

 

 マリーさんのレプリカに出会って思い知らされたと、一度消えた命をあんなふうに復活させるのは、同じホドの人間として許せないとガイが拳を握る。

 

「私は陛下の命令がありますから。それに一般兵を派遣するとしても隊長は必要ですし」

 

 いつもどおりの笑顔で、ジェイドさんが肩をすくめた。

 

 みんなの返事を聞いたルークの翠の瞳が、やがて俺をとらえる。

 

 怖くない、とは口が裂けても言えない。

 ルークが言ったとおり俺はビビリだから、本当ならエルドラントなんて恐ろしいところには行きたくなかった。

 

 こわい。逃げたい。かくれたい。

 

「……ルークにまで言わなきゃいけないとは思わなかったなぁ」

 

「な、なんだよ」

 

 ――でも。

 

「オレは、みんなが大好きです。ジェイドさんも、ルークも、みんなみんな大好きです」

 

 それはいつか、あの雪の街で口にしたのと同じ言葉。

 “逃げるチャンス”をくれたジェイドさんに向けたそれを、今度は目の前のやさしい赤色へと。

 

「だから、部外者にしないでください」

 

 覚悟のひとつやふたつでいきなり強くなんてなれない。

 けれどそんな途方もない恐怖をすべてひっくるめてでも、みんなと一緒にいたいと、臆病者の俺は決めたのだから。

 

「…………なんで敬語だよ」

 

 ルークは少しの間 固まっていたけれど、すぐにそう言って気恥ずかしそうに頭をかいた。

 そしてようやく表情を緩めたルークが、「ありがとうみんな」と周囲を見回す。

 

 話は決まった。いよいよ俺たちは、エルドラントに突入するんだ。

 

 マルクト・キムラスカ連合軍には、その突入と合わせて援護射撃を行ってもらうことになった。連合軍はケセドニアで俺たちを待っているらしい。

 

「そういえば、ピオニー陛下に惑星譜術のこと報告していかないとな」

 

 借りてた触媒も返さないといけないし、と軍基地の廊下を歩きながらルークが零した言葉に、大佐が嫌そうな顔をしたのを俺は見逃さなかった。ああ……レプリカネビリムの件とか言わなきゃいけないからヤなんですね……。ブウサギ関連とネビリムさん関連ではどうも陛下に押されがちな姿を思い、苦笑する。

 

「そうね、借り物をエルドラントまで持って行くわけにはいかないし」

 

 確かに、あまり考えたくはないが俺達がどうなるか分からない以上、大切なものはちゃんと持ち主に返していきたいところだ。

 ちなみにダアトで見つけた触媒は、フローリアンを送り届けたときに返却済みだ。

 

 最初にルーク達が手に入れた怖い剣、ザレッホ火山で発見した弓、ありじごくにんから貰った杖など、元の持ち主がいない触媒に関しては、みんなで話し合った末にロニール雪山に置いてきた。

 

 あそこは強化したアルビオールでやっとたどり着ける場所だ。

 惑星譜術の譜陣はあの直後に消えてしまったし、レプリカネビリムももういないとなれば、下手なところに保管するよりよほど安全だろう。

 

 だからあとはピオニー陛下に借りた剣と、アウグスト探しの対価にグレン将軍から借りた魔槍ブラッドペインを返せばいいのだが、さすがにセントビナーに寄っていく時間はないから、そちらもピオニー陛下に預けていこうということになった。

 

 ではさっそく宮殿へ、と軍基地から出たところで、……“それ”はやってきた。

 

「私をロニール雪山に置き去りにするなんて酷いじゃありませんか!!」

 

 元六神将、死神ディスト。

 ルークが「ホントに追っかけてきたよ……」と呆れたように呟く。

 

「ディスト」

 

 さらに何か言いつのろうとするディストに向かって、そこで大佐がにこりと笑った。関係ないはずの俺の背筋にまで寒気が走る。

 

「惑星譜術の資料はどうしました? 情報部から盗んだのでしょう?」

 

「な、なんですか急に。別に大したことは載ってませんでしたよ。重要なものはあのときの火事で焼けてしまったようです」

 

「なるほど。それではマルクト軍国家情報法第一条第三項違反で、あなたを逮捕します」

 

 「確保!」という大佐の号令に、俺だけでなくルーク達までとっさに反応してディストを取り囲んだ。

 キムラスカの王女様からマルクトの現貴族、ダアトの神託の盾(オラクル)騎士団の方々まで一声で動かしたと思うと中々壮絶だが、気付かなかったことにする。

 

「何をするんですか! 私はあなたの親友ですよ!」

 

「誰が? 誰の?」

 

 例の空飛ぶ譜業椅子ごとガッチリと押さえられて身動きのとれなくなったディストを、眼鏡越しの赤い瞳が冷ややかに見下ろした。

 

「このディスト様が、いえ、サフィール様がジェイドのっ」

 

「どこの物好きなジェイドでしょうねぇ。では、よろしくお願いします」

 

 幸い……というか、なんというか、ここはマルクト軍基地の目の前だ。今の騒ぎで慌ててやってきた複数の兵士たちへ、流れるように身柄を引き渡す。先ほどの大佐の輝く笑顔を目撃したのか、敬礼する兵士の顔色は青かった。すみませんお疲れさまです。

 

「この裏切り者ー! 一生恨みますから!」

 

 椅子の上でじたばたと暴れながら連れられていくディストを見ながら、無意識のうちにポケットに手を入れる。

 指先に触れた歯車のざらりとした感触に、俺は少し考えて「ディスト」と声をかけた。

 

「……ぜんぶ終わったら、囚人食、覚悟しとけよ」

 

 俺の言葉を聞いて一瞬 怪訝そうにしたディストが、すぐハッと顔を引きつらせる。

 

「ま、まさか毒でも盛るつもりですか!?」

 

「ああそれは良いですねぇ。ちょうど実験したい薬があるんですよ」

 

「ジェイド!?」

 

 別に本当のところを伝えてもよかったんだけど、ジェイドさんに構ってもらっているのを見て、やっぱり止めようと心に決める。せいぜいその日まで恐怖におののけばいいんだ。

 

「このビビリレプリカ! ノミの心臓レプリカ! 虫レプリカ! 捕虜規定違反で、訴えてやりますからねー!!」

 

 騒がしく引きずられていったディストの姿が軍基地の奥に消えたところで、ジェイドさんがちらりと俺を見下ろす。

 

「おや。めずらしく悪い顔してますねぇ」

 

「脱獄なんかするやつがわるいんです」

 

 ディストが牢屋から消えたあの日。

 俺が用意していた囚人食がどういったものだったかを知っているジェイドさんは、小さく口の端を上げて肩をすくめた。

 

 

 

 

「……そうか。ようやくネビリム先生の一件に決着がついたんだな」

 

 他人に聞かせられる話ではないので、謁見の間ではなく私室のほうに通された俺達からの報告を聞いて、陛下は一度静かに目を伏せた。

 

「しっかしサフィールが生きてるとは。あいつは昔から頑丈だったからなぁ」

 

 しかしすぐ場の空気を切り替えるように軽い調子でそう言いながら、自分の言葉にうんうんと頷く陛下に、ルークがふたつの触媒を渡す。

 

「借りた触媒はお返しします。ありがとうございました。それとグレン将軍から借りた触媒も、陛下に預かってもらっていいですか?」

 

「ああ、任せておけ。後でリックに返しに行かせるとしよう」

 

「オレですか!?」

 

 あからさまに表情を歪めた俺を見て、陛下が楽しげに青色の瞳を細めた。

 よく分からないが陛下は俺がグレン将軍と仲が悪いのが面白いらしく、機会があるとこうして顔を合わさせようとしてくる。たぶん本当に後で返しに行かされるんだろう。……まぁ、いいか、アウグストにも会えるし。

 

 何にせよそれは、すべてが終わってからだ。

 雰囲気を引き締めた陛下が、国を治める者の顔で俺たちを見据える。

 

「エルドラントの件、頼んだぞ」

 

 ルークが「はい」と頷き、みんなも各々の答えを返していくのを聞いていると、ふいに服の裾を引かれる感覚がして視線を降ろした。

 

 そこにはつぶらな瞳でこちらを見上げる一匹のブウサギ。

 首輪につけられたプレートには『ジェイド』の文字が彫り込んであった。

 

「ジェイドさま……」

 

 いつもは出会い頭に強烈な一撃をくらうのに、今日は何を察したのか、おとなしく俺の足に頭をすりつけている。

 その優しい感触に背を押されるようにして、俺はぐっと拳を握り、顔を上げた。

 

「あの、オレちょっと陛下と話していきたいことがあるから、みんなは先にアルビオールに戻っててほしいんだ」

 

「リック?」

 

 首を傾げるルークに「すぐ追いかけるから」と重ねてお願いすると、不思議そうな顔をしながらも頷いてくれる。

 

「……では、我々は先に行きましょうか」

 

 大佐が眼鏡を押し上げつつ切り出した言葉にも後押しされ、みんなは俺に軽く声をかけてから部屋を出て行った。

 

 残ったのは、ピオニーさんと俺と、ブウサギ達だけ。

 

「なんだ? 今度こそ麗しいお嬢さん方の連絡先でも調べてきたか?」

 

「はい」

 

 即答すると、ピオニーさんがめずらしく呆気にとられたように目を丸くした。

 その表情を見て、俺は我知らず肩に入っていた力を抜いて苦笑する。

 

「まあ、女の人だけじゃないんですけど」

 

「俺にそういう趣味はないぞ」

 

 憮然とした表情になったピオニーさんは、しかしその青い瞳でまっすぐにこちらを見ていた。

 俺の様子を探るような真剣な色に少しくすぐったい嬉しさを覚えながら、その青を見返す。

 

 

「ピオニーさん。オレ、この旅が終わったら」

 

 

 ――――やりたいことがあるんです。

 

 

 頭の奥で一冊の絵本が、ページを広げた。

 

 

 



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Act86.2 - 終わりと始まりのカウントダウン(中)

 

 

 話し込んでいたら思いのほか時間が経ってしまった。さすがにこれ以上みんなを待たせるわけにはいかない。

 

「じゃあピオニーさん、オレそろそろ行きますね」

 

「ああ。――今の話、ジェイドにはいつするんだ?」

 

「タイミングがあればエルドラントに行く前に、と思ってますけど……」

 

 でも大事な決戦前に時間をとらせてしまうのも何なので、無理にとは、と言いかけた俺の両肩をピオニーさんががしりと掴んだ。

 

「お前がタイミングとか言い出すと大体ずるずる言いそびれて気まずくなるやつだからさっさと言え」

 

「ううっ、見透かされてる」

 

「当たり前だ。何年お前らの面倒臭いやりとり見てきたと思ってる。だから絶対ケセドニアで言えよ、出兵前の自由時間あるだろ」

 

「はいぃ……」

 

 俺の返事を聞いて満足げに頷いたピオニーさんは、ふいに小さく笑って、俺の頭をぐしゃぐしゃとかきまわした。

 

「ま、お前が思っているような結果にはならんと思うがな」

 

「えっ、どの部分がですか!? ぜんぶ!?」

 

「それは自分で確認しろ」

 

 ピオニーさんにくるりと体の向きを反転させられて、扉のほうに向かって背中を押される。

 

 勢いで数歩前に歩み出てから振り返ると、こちらを見据える海みたいな青の瞳は、一瞬だけそこに浮かべていた真剣な色をすぐにいつもの“ピオニー陛下”の力強い瞳に変えて、にかりと笑った。

 

「……行ってこい!」

 

 これからエルドラントに向かう、俺達の背を押す言葉。

 願いも信頼も、全てがこもったその短い言葉に、俺もまた全ての思いを込めた敬礼と共に頷く。

 

「はいっ!」

 

 そうして今度こそ部屋から出ようと扉に手をかけたあと、ふと肩越しに陛下を振り返った。

 

「ピオニーさん」

 

「おう。なんだ」

 

「にわとりは、幸せだったと思いますよ」

 

 ずっと前に聞かせてもらった、空を夢見る飛べない鳥の話。

 あのときの問いの答えを、俺はようやく返す。

 

 すると驚いたように目を見開いて、それからくしゃりと笑み崩れた“ピオニーさん”に、笑い返して前を向いた。

 

 その瞬間、背後から聞こえてきた軽快なヒヅメの音。

 嫌な予感にひゅっと息を飲んだのとほぼ同時、

 

「ぉぶっ!!?」

 

 ――ジェイドさまの全力タックルが背中に決まった。

 

 そして文字通り叩き出された部屋の中から、少し前のしおらしさはなんだったのかというようなジェイドさまの高らかな鳴き声と、陛下の盛大な笑い声が響いてくる。

 

 俺は痛む背中を手でさすりながら身を起こして、苦笑した。

 

「……はい、がんばります、ジェイドさま」

 

 名前が同じだとこういうところまで似てくるのだろうか。

 ジェイドさまの激励はやっぱりちょっと過激で、痛いのだった。

 

 

 

 

 それから向かったケセドニアで、ゴールドバーグ将軍から聞いた作戦の詳細はこうだった。

 マルクト・キムラスカ連合軍が中央大海とイスパニア半島の所定の位置から砲撃で援護してくれている間に、俺達は対空放火がいくらか薄い下のほうからアルビオールでエルドラントに突入する、と。

 

 決行は明日の正午。

 泣いても笑っても怯えても、そこで全てが決まるんだ。

 

「明日か。ってことは今日一日は空いてるんだよな」

 

「ええ、出兵前の兵士には二十四時間の自由行動が与えられますから」

 

 ガイの問いかけに対する大佐の答えを聞いて、ピオニーさんとの約束を思い出しハッとする。そうだ、今日中にちゃんと伝えなくては。

 

 どこでどう切り出そうかと俺が悩んでいる間に、アニスさんが早々にガイとナタリアを連れて場を離れ、ルークとティアさんもノエルに誘われてどこかへ行ってしまった。早くしないとジェイドさんまで去ってしまうかもしれない。

 

「あ、あのっ!」

 

 焦りで言葉のまとまらないまま顔を上げると、予想外にジェイドさんはまだそこにいて、まるで待ってくれているように、俺を見ていた。

 

 立ち止まって。こっちを見て。言葉を待ってくれる。

 ただそれだけの光景がなんだかとても胸にしみて、目の奥をじわりと熱くさせた。

 

「……ジェイドさ、」

 

「何ぼけっとしてるんですか、行きますよ」

 

「ぐえ」

 

 感極まっていた俺の首根っこを流れるような動きで掴んだ大佐が、サクサクと歩き出す。砂の上を後ろ向きに引きずられながら、行くってどこへ、と聞いてみたが返事はなかった。

 

 先ほど感動した部分がことごとくミスティック・ケージされた感があるが、とにかく一緒に行っていいらしい事だけ認識して、やっぱり俺の口元は緩むのだった。

 

 

 大佐が俺を連れて向かったのは、マルクトとキムラスカの国境上に建つ、ケセドニア唯一の酒場。前にノワール達と話したあの場所だ。

 

 酒場の前についたところで首根っこを離されて、後頭部から倒れ込んだせいで付いた砂を払い落としている間に、大佐が店内へ入っていく。

 急いでそれを追いかけて、カウンターで何か注文をしたらしい大佐の横に並んだ。

 

「なんか、思ったよりお客さんいますね」

 

 もちろん平時ほどではないんだろうけど、酒場の中だけ見れば、今が世界の命運をかけた状況にあるとは思えないくらいの日常が広がっている。

 

「こんな時だからこそでしょう。日常を保つことで、目前に迫った非日常を忘れたいんですよ」

 

 そう言われてみれば確かに酔いつぶれている人が多い気もするし、陽気に騒いでいる風に見える人たちの様子にも、多少ぎこちなさがある気がしなくもない。

 けれど隣にいる大佐がとにかくいつも通りだからか、はたまた室内でエルドラントが見えないせいか、自分でも不思議なほど今の気分は落ち着いていた。

 

 そうこうしているうちに大佐が注文したお酒がカウンターに置かれて、なぜか俺の前にも同じ中身の入ったグラスがひとつ置かれる。

 

「えっ、オレ注文してませんけど」

 

「私の奢りですよ」

 

「えぇ!?」

 

「何驚いてるんですか。飲めないわけではないでしょう?」

 

「わけではない、ですけど」

 

 軍にはあまり娯楽がないからか、兵士仲間はみんな酒盛りが好きだ。それに付き合ってきた結果で俺もなんとなく飲めるけど、特に自分から飲もうとしたことはなかった。

 だけど大佐がご馳走してくれたというだけで、目の前のお酒がすごく特別なものに見えてくる。

 

「そういえば、貴方と酌み交わすのは初めてですね」

 

「大佐がごちそうしてくれたお酒……飲むの、もったいないような……」

 

「飲まないなら捨てますよぉ?」

 

「ぐいぐい飲みます!!」

 

 急いでグラスを手元に寄せる。

 

 笑って肩をすくめた大佐が、グラスをこちらに向けて掲げた。

 一瞬ぽかんと眺めてから、その意味に気づいて俺も慌ててグラスを持ち上げる。

 

 ふたつのグラスが、かちんと澄んだ音を立てた。

 

 

 それからしばらく二人で静かにグラスを傾ける。

 いや、俺の場合は、どうやって話を切り出すかという当初の問題に思考が舞い戻った結果の沈黙だったのだが。

 

 タイミングに悩みつつ、やっぱりもったいなくてお酒をちびちび飲んでいると、すぐ傍から聞き慣れた声が響いてきた。

 

「大佐だけじゃなくてリックまで飲んでるんだ、めっずらし~」

 

 反射的に声のしたほうを向くと、アニスさんが隣でカウンターに頬杖をついて、こちらを見上げていた。

 

 いつのまに、と驚く俺に大佐が呆れた様子で首を横に振る。

 俺の反応が軍人としてどうかってことだろう。すみません、別のことで頭がいっぱいで。

 

「アニスは自由行動を満喫するんじゃなかったんですか?」

 

「私はティアに気を利かせてあげたんですぅ。そういえばリックならあそこでミュウと一緒になってルーク達と行くって言い出すかと思ったけど、大丈夫だったね」

 

「オ、オレだってそこまで野次馬じゃないですよ!」

 

 大佐と話す時間を確保する方法を考えるのに必死でそちらに意識を割く余裕がなかったのもあるが、余裕があったとしてもさすがに今回は遠慮していたと思う。……たぶん。

 

「ティアに、ね。酷なような気もしますが」

 

 そこで大佐がぽつりと呟いた言葉に、俺はふと息を飲んで俯いた。

 

 ルークに残された時間はあとどれくらいなのだろう。

 近い未来、確実に訪れる別れを知りながら思い出を重ねることは、大佐の言うとおり酷なのかもしれないけれど。

 

「……それでも」

 

 それが、どれだけ届かない願いであったとしても。

 

「だいじょうぶです。オレは大好きな人達となら、一緒にいるだけで嬉しいんですよ!」

 

 だからきっと、二人だって。

 そう言外に込めて力強く言い切った俺に、大佐は何も言わずに苦笑して、アニスさんは何故か、じとりとした目で俺達を睨んだ。

 

「大佐もリックも、何か隠してるでしょ」

 

「いえ。何も」

 

 俺がぼろを出すより先に、大佐が涼しい顔で否定する。

 アニスさんはちっとも納得していなさそうだったが、「まぁいいや」と意外にあっさり話題を切り替えてくれた。

 

「ところで大佐は、ヴァン総長を倒したらどうするんですか?」

 

 その問いに、また軍属としての生活に戻るということをまず上げてから、大佐はごく短い沈黙を挟んでさらに言葉を続けた。

 

「帰ったら改めてフォミクリーの研究を再開したいと思っているんです」

 

 それは俺も初めて聞く、“未来”の話。

 思わず目を見開いた俺のことを一瞬だけ見て、大佐はゆっくりと瞼を伏せる。

 

「……レプリカという存在を、代替え品ではない何かに昇華するために」

 

 大佐にとってのレプリカは、ずっと罪の象徴だった。

 

 きっと俺を生かしてくれた理由のひとつもそこにあったはずだ。

 過去の過ちを忘れないために。自分で自分を赦さないための戒めとして、罪そのものと言えるレプリカを――俺を、目の届くところに置いた。

 

 俺は一緒にいられるだけでよかったから、たとえ最初の理由が何であっても構わなかったけど、わざと傷をえぐるような大佐のやり方がどうにも哀しくて、寂しかった。

 

 きっと一生、大佐が自分を赦すことはないんだろう。

 俺があのひと達を泣かせてしまったことを、絶対忘れることがないように。

 

 だけどレプリカという存在に『罪』以外の形が与えられたなら。

 レプリカが―― 俺が、ほんの少しでも『希望』の意味になれるなら。

 

「ジェイド、さん」

 

 それは、とてもとても、すごいことだと思った。

 

「……うん、是非それやってください。イオン様も喜ぶと思う」

 

 ぼたぼたと涙を滴らせる俺の背を、アニスさんがあやすように叩いてくれる。

 

「アニスは教団を立て直すんですね」

 

 手の甲でごつりと俺の頭を小突いたジェイドさんが、尋ねるというより確定している事実を確認するみたいに言うと、アニスさんは「気づいてました?」と悪戯っ子みたいな顔で笑った。

 玉の輿は諦めて自力で初代女性導師になるのだというが、なんだろう、アニスさんなら最終的にどっちも叶えてしまいそうな気がする。

 

「リックは?」

 

「へっ?」

 

「だからぁ~、ヴァン総長倒したあとだって。どうするの? やっぱ大佐の補佐?」

 

「……オレは」

 

 軍服の袖で目元をぬぐいつつ、口を開く。

 

「――レプリカの人達に、帰れる場所をつくってあげたいです」

 

 するとさっきからどう切り出そうかずっと悩んでいた話の始まりが、拍子抜けするほどあっさりと、音に変わった。

 

「へえ~。それってどういう感じで、」

 

「さてアニス、そろそろ宿に戻ったほうがいいですよ」

 

 ジェイドさんの言葉でふと気が付けば、外はだいぶ暗くなってきていた。店内は来た当初よりも酔っぱらった男達で賑わっている。

 アニスさんならそのへんの荒くれくらい楽勝で倒せるだろうけど、やっぱり女の子だし、あまり長居するのは良くないかもしれない。

 

「ここからは大人の時間です。お子様は早く帰りなさい」

 

 いつもの笑みを浮かべて余裕たっぷりに言ったジェイドさんに、アニスさんは不服そうに頬を膨らませた。

 

「ぶー。そしたらリックなんか十歳児じゃないですかぁ」

 

「まあ頭はさておき体は二十五歳だからいいんじゃないですか?」

 

「あ、でもオレそろそろ十一歳になると思います!」

 

 自分がフォミクリーで作られた具体的な日付を知らないのでおそらくだが、“オレ”としては近々 十一年目に突入するはずだ。

 

「どのみち未成年じゃん……まぁいいけど。それじゃ、大佐もリックも、おやすみなさ~い」

 

 ひらひらと手を振ったアニスさんが酒場から出ていくのを見届けたあと、俺は荷袋の中から一冊の絵本を取り出して、カウンターの上に置いた。

 

 触媒探しの途中、ケセドニアの露天で買ったアビスマンの絵本だ。

 その表紙に手のひらを置いて小さく息を吸う。

 

「ジェイドさん」

 

 そして、言った。

 

「この戦いが終わったら、オレをジェイドさんの直属部下から外して下さい」

 

 

 



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Act86.3 - 終わりと始まりのカウントダウン(後)

 

 

 ジェイドさんが、黙ったまま僅かに目を細めることで話の続きを促してくる。

 俺は早鐘のように鳴る心臓を自覚しながら、その赤を見つめた。

 

「オレは、レプリカの人達が帰る場所を作りたい。……みんなが帰りたいって思えるところを、見つけるための手伝いがしたいんです」

 

 気休めなんかじゃない「だいじょうぶ」を、今度こそ伝えられるように。

 

「その、具体的にどうするかっていうのは、まだ色々考えてるところなんですけど。でも今の段階で自我のしっかりしてるレプリカの人達と話したら、何人か協力してくれるって人もいて、えぇと……」

 

「バチカルにいる間、あちこち歩き回っていた理由はそれですね」

 

「えっ、あれっ、知ってたんですか!?」

 

 驚く俺に、ジェイドさんが心底呆れた眼差しを向けてくる。

 本気で隠したいのなら毎回「よぉし散歩に行くぞー」なんて棒読みでアホなこと言っていくなと言われた。完璧にごまかせてると思っていた過去の俺めちゃくちゃ恥ずかしい。

 

 ということは、グランコクマでピオニーさんとその件について話したこともお見通しなのだろう。

 俺はがっくりと肩を落としつつも、なんだか緊張がほぐれたのを感じて苦笑した。

 

「ピオニー陛下と話しました。レプリカの人達から聞いた色んな意見も報告して……それから、オレはこの旅が終わったら」

 

 覚悟を口にする勇気を振り絞るために、一度言葉を切った。

 短く息を吸う。

 

「レプリカ保護官になりたい。そう伝えてきました」

 

 各地に散らばる大量のレプリカたち。

 エルドラントの件が何とかなったら、各国は間もなく本格的にレプリカ問題に取りかかることになるのだろう。

 

 そのときには下っ端でも雑用でもいいから、どうか末席に自分も加えてほしいと陛下に嘆願した。加えてもらうだけでいい、あとは自分で頑張ってみるからと。

 

 俺がピオニーさんを“陛下”として頼るのは、これが最初で最後だ。

 

 そうでなくちゃいけないと心に決めて全力で臨んだ話し合いの末、ピオニー・ウパラ・マルクト九世陛下は、「任せろ」と言って不敵に笑ったのだった。

 

 具体的に話が決まるのはまだ先だろうけど、そのうち俺はレプリカ対策の部署に回ることになる。

 となれば、哀しいけれどもう大佐の直属部下でいることは――

 

「なるほど。それで?」

 

「はぇ?」

 

 淡々と返された問いに、喉の奥から間の抜けた声が零れた。

 

「そ、それで、と言いますと……?」

 

 求められている答えがまるで分からず、おそるおそる問い返した俺に、ジェイドさんがひとつ息をついて眼鏡を押し上げながら言う。

 

「要するに、レプリカ保護官になったら今の職務が続けられないので辞めたいということですね?」

 

「は、はい」

 

「では聞きますが、私の直属部下としての貴方の仕事はなんですか?」

 

「主に雑用と陛下の見張りです」

 

 むしろ陛下の見張りの合間に雑用、と言ったほうが正しいかもしれない。

 

「そうですね。雑用と陛下のお守りです」

 

「おもり!?」

 

 いつの間に俺は皇帝陛下のお守りになっていたのか。

 まぁ隙あらば執務をさぼって脱走する陛下を何度も探しに行ったり、暇を持て余した陛下に騙されてテオルの森で青色ゴルゴンホド揚羽を探し回ったり色々したけれど。あれ、なんだろう涙出てきた。

 

「まったく、自分が重要な仕事を抱えていたとでも思ってるんですか?」

 

「い、いや、そんなことは……」

 

「ひとつ役職が増えたくらいでその程度の事がこなせなくなるなら、レプリカ保護官も長続きするとは思えませんねぇ」

 

 内容だけを聞けば突き放しているような言葉は、ひどく柔らかい温度に満ちていた。

 ゆるりと細められていく赤色の瞳を、俺は呆然と見返す。

 

 長い間ジェイドさんの不器用な言葉を聞いてきた俺が、その声に込められた思いに、気づかないわけがない。

 

 それはつまり。

 

「わざわざ直属部下を外れる必要もないでしょう。やると決めたのなら、それくらい両立してみせなさい」

 

 俺は――ジェイドさんの部下のままで良いってことだ。

 じわじわと顔にあがる体温と熱くなる目の奥をどうにも出来ないまま、俺は涙声で「はい」と頷いた。

 

 ああ、ピオニーさんが言っていたのはこういうことだったんだと、今更ながらに納得する。

 確かに俺が思っていたような結果にはならなかった。とても、嬉しい方向で。

 

 零れた涙を手の甲で拭ってから、俺がすっかり放置していたお酒に改めて口を付けたとき、ジェイドさんがふと真剣な顔になって、ゆっくりと口を開いた。

 

「貴方に、まだ話していなかった事があります」

 

 唐突な言葉に目を丸くして、俺は半端に飲みかけていた酒をごくりと喉に押し込んだ。

 

「……なんですか?」

 

 緊張しながら聞き返せば、俺を映しているはずの赤が深い色に沈む。

 

 あ、

 これは、

 

「ホド消滅の、真相について」

 

 ――だめだ。

 

「それっ、いいです!!」

 

「…………は?」

 

 反射的に声を上げた俺に、ジェイドさんが呆気に取られたように目を丸くした。

 非常に珍しい光景に俺は説明も忘れて「おお」と感動する。

 

「リック?」

 

 しかしすぐに輝く笑顔ですべてを覆い隠した大佐と、周囲を渦巻きはじめた音素の気配に はっと我に返り、慌てて説明をする。

 

「いや、なんというか……それ昔の話なんですよね?」

 

「まあそうですね」

 

 話し出そうとしたときのジェイドさんの目は、かつて、あのひとの話題になったときと同じ色をしていた。

 ジェイドさん自身にはきっとそんなつもりはないのだろうし、大抵の人にも否定されるけど、俺には何だか哀しそうに見える、その色。

 

「……オレ、ジェイドさんの過去はあのひとにあげちゃったんです」

 

 雪を飲み込むようにぎらぎらと光る、銀色の髪を思い浮かべた。

 

「だから今の話がジェイドさんの未来に関わることなら聞きます。けど、そうじゃないなら、オレはまだ聞かなくていいです」

 

 ジェイドさんの昔の話。

 本音を言えば聞きたいに決まってるけど、でもそれは、今じゃないんだ。

 

「ただいつか“話さなきゃいけない”じゃなくて、“話してもいい”なって思ったなら、そのときは」

 

 ぜひ聞かせて頂きたいです、と最後は顔を逸らしつつ消え入りそうな声で頼み込んだ。

 

 だが中々反応が戻ってこないことが怖くなって顔の向きを戻そうとすると、後頭部を力いっぱい掴まれて「ひぃ!?」と悲鳴を上げる。

 そのままピオニーさんを思わせるような手つきで雑に髪をかき回されて、勢いで頭がぐらんぐらんと前後に揺れた。

 

「じぇっ、ジェイドさん、脳がっ、オレの脳がえらいことになりそうです!!」

 

「ああ、小さいから頭蓋骨の内部でよく動くんでしょうねぇ」

 

「ぅええぇええ!?」

 

 しばらくして気が済んだらしい手が頭から離れ、俺がようやくジェイドさんの顔をまともに認識できたときには、かの人はすっかりいつもの笑顔でお酒のグラスを傾けていたのだった。

 

 

 

 そうして それぞれの想い巡る夜は明け

 

 

「みゅぅぅううぅ~! またお空がグルグルですのぉ~!」

 

「ジェイドさんジェイドさんジェイドさんジェイドさん……っ」

 

「ちょっ、耳元で騒ぐなミュウ! ジェイドの呪い唱えんなリック! つーかお前ら俺にしがみつくなぁぁぁ!!」

 

「おや。左の平底の部分、対空放火が死んでいますね」

 

「了解、そこに着陸します!」

 

「……どうでもいいが後ろが騒がしすぎて緊張感が薄れるな」

 

 

 ――――最後の戦いが、はじまる。

 

 

 






偽スキット『酒場NGテイク』
リック「ジェイドさん……オレ……カレー屋になります!!」
ジェイド「え」



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Act87 - 決戦はエルドラント

 

 

 最終決戦の地、エルドラント。

 

 様々な出来事を乗り越え、たくさんの人の力を借りて、ようやくたどり着くことが出来たこの場所で、俺は。

 

「ジェイドさぁ~ん……ルークぅ~……みんなぁ~……」

 

 ――早くもみんなとはぐれていた。

 

 今回は俺が何かやらかしたからではない。

 いや、間の悪さという点では俺のせいと言えなくもないかもしれないが、一応違うことにしておいてほしかった。

 

 エルドラントは記憶粒子を逆噴射させて、アルビオールに丸ごと体当たりを仕掛けてきた。

 それをかわし、対空放火をくぐり抜け、俺達がどうにか無事に着陸することが出来たのはまさにノエルのおかげだろう。でもそのすごさを思い知れる状況下での飛行は出来ればこれっきりにして欲しいところだった。心臓がいくつあっても足りない。

 

 俺とミュウだけ早くもよろよろしながらエルドラントに降り立って、最初に目に飛び込んできたのは、黒煙を上げるアルビオール三号機だった。ギンジさんが操縦していて、このところはアッシュが移動手段に使っていた機体だ。

 

 しかしアッシュの姿はすでに無く、残っていたギンジさんはエルドラント落下の衝撃で少し怪我をしたようだけど、命に別状はなさそうだったのでひとまず胸をなで下ろす。

 

 聞けば彼は、迎撃装置の死角から飛び込んで、そこにアルビオールの船体をぶつけることで対空放火を無効化したのだという。つまり俺達はギンジさんの特攻で出来た対空放火の隙間に着陸したらしい。

 色々と無茶だけど、実際に成功させてしまうあたり兄妹そろってものすごい操船技術だ。

 

 それから怪我をしているギンジさんのことをノエルに任せて、俺達は内部に突入するべく周囲の探索を始めた。

 

 エルドラントが体当たりを仕掛けた勢いのまま落下して大陸に突っ込んだせいでこの辺はかなり損傷が激しく、まずは無事に通れそうな通路を見つけなければいけなかったのだ。

 

 崩壊していたり大きな亀裂が走っていたりする場所を避けて、それぞれ進入路を探す。

 俺もまた、暗がりから突然ヴァンが出てきたらどうしようとか怯えつつも、端から順番に通路を覗き込んでいたわけなのだが。

 

 いくつめかの通路の入り口にさしかかったとき、ふっと風が頬の上を滑っていく感覚がして足を止めた。

 

 改めてそこを覗き込んでみるとやはり奥から風が吹いてくるのを感じる。

 空気が流れているなら、この通路はどこかに通じているのだろう。

 

 まぁ床が割れてるかもしれないし、通じているから通れるとも限らないけど、とにかくみんなに報告しようと振り返りかけた瞬間のことだった。

 

「リック! 前方へ飛びなさい!!」

 

 おそらく後退では間に合わないと判断してのことだったのだろう、と考えられたのはだいぶ後で、そのときはただ脊髄反射のごとく大佐の指示に従って動いていた。

 

 ビビる暇さえ与えなければそれなりに良い動きをする、と大佐に評された通り、ビビるどころか何が起きたのかさえ理解していなかった俺の体は全力で前に跳んだ。

 

 床に手をつき、受け身を取るようにくるりと一回転して体勢を立て直したところで、背後からとてつもない轟音と振動が響き、周囲が一気に暗くなった。

 

「………………えっ」

 

 反射で動いていた身にようやく思考能力が帰ってくる。

 冷や汗が一気にぶわりと溢れるのを感じながら、後ろを振り返った。

 

 暗がりに目をこらす。

 

 先ほどまで見えていたはずの風景が、瓦礫ですっかり埋め尽くされているのを認識した。

 

「ちょっ、えぇえ!!!? ジェイドさぁああん!!!?」

 

「おや。無事なようですね」

 

 瓦礫の向こうから聞こえたいつもどおりの声色に安心するやら安心している場合ではないやらで混乱する俺に、大佐……ではなく例によって説明を押しつけられたガイが教えてくれたところによると。

 

 上層で崩れた大きな瓦礫のかたまりが俺の頭上に降ってくる事に気づいた大佐が、とっさに先ほどの指示を飛ばしてくれたらしい。

 潰されずに済んだことは良かったけど、避けるために通路の奥に飛び込んだ俺は、表のみんなとは完全に分断されてしまったわけだ。

 

 ……わけだ。

 

「リック、大丈夫か!?」

 

「ルっ、ルークぅ」

 

 現状を正しく認識した俺が涙目になっていると、向こう側でも焦っているルークの声がした。

 

「なぁジェイド! 譜術でこの瓦礫どうにか吹き飛ばせないか?」

 

「そうですねぇ、七割くらいの確率でもろとも木っ端微塵に吹き飛ぶと思いますがよろしいですか?」

 

「よ、よろしくないです! ていうかそれ本当に生存率三割もありますか!?」

 

 何やら恐ろしい作戦が立ちかけたので俺も慌てて会話に割り込む。

 

「まぁ貴方やたら丈夫ですから、もしかしたら平気かもしれませんよ」

 

「あやふや!!!」

 

 こちらから瓦礫を吹き飛ばせれば一番いいんだろうけど、威力に加えて通路全体を崩落させないように調節して術を使うとか、とてもじゃないが俺にそんな真似は無理だ。

 こっちにいるのが大佐なら何とでもなるだろうけど、外からとなると、どう考えても俺ごと吹き飛ぶ可能性のほうが高かった。

 

「トクナガで殴り飛ばしたほうがまだ良くない?」

 

「……殴り飛ばした瓦礫に粉砕されるんじゃないか? リックが」

 

「では私がまずリヴァイブをかければ……」

 

「譜術による保護にも、さすがに限界があると思うわ」

 

 みんなが打開策を話し合ってくれている声を聞きながら、俺はふと顔を上げた。

 

 少し先の足下を見るのがやっとな暗闇の中、厚い瓦礫の向こうの様子なんてまるで分からないのに、俺にはなぜか、真剣な色を帯びた赤がこちらを向いているのが分かった気がした。

 

「リック」

 

 大佐の声。

 

「今ここから貴方を出すためだけに、無駄に時間を浪費することは出来ません」

 

「ジェイド!」

 

 いつだって残酷なくらいに真実を突きつけるその声が。

 

「――行けますね」

 

 『残るか』ではなく。

 『行けるか』ではなく。

 

 『行ける』と。

 

 一人で行けるだろうと、告げる。

 

 それは俺がずっと欲しかったもの。

 ビビリでヘタレで、どうしようもない俺が、ずっとずっと望んでいた、

 

「……っはい!」

 

 ――ジェイドさんからの、“信頼”。

 

 どこまでも現実を見るあの人が、俺が出来ると信じてくれている。

 そう気づいた瞬間、全身の音素が一気にぶわりと熱くなった気がした。

 

 声をうわずらせつつ肯定を返した俺に、ジェイドさんが微かに笑って「結構」と言うのが聞こえた。

 

「……リック。本当に、大丈夫なのか?」

 

 続けて聞こえてきた心配そうなルークの声に、俺は自分の声がなるべく自信の溢れた響きになりますようにと願いながら口を開く。

 

「奥は通じてるみたいだし平気だよ。オレはこっちを行ってみる。だから、後で合流しよう」

 

 ルークが迷わず先へ進めるようにはっきりとそう言い切れば、瓦礫の向こうからは短い沈黙の後、「わかった」と力強い返事が戻ってくる。

 

「気をつけろよ」

 

「うん。ルークも」

 

 そして徐々に離れていったみんなの足音を聞きながら、俺は己を鼓舞するように「よし」と拳を握り、薄暗い通路の奥に向かって身を翻した。

 

 

 ……なので、厳密に言うと“はぐれた”というより、“別行動を取っている”と言ったほうが正しいのだろう。

 

 俺としても最初は後者の意識が強かったのだが、時間が経つにつれ鼓舞した己はどんどん小さくなって、そのうちに元のヘタレでビビリな自分が舞い戻り、今ではすっかり前者の気分だ。

 

 だって通路がちゃんと内部に繋がってたのはいいけど、魔物図鑑でも見たことない強そうな魔物があちこちウロウロしているし、なんか変なスイッチ踏んじゃったら部屋がグルグル回転するし。

 エルドラントはホド島のレプリカらしいけど……ガイの故郷、すごいところだったんだな……。

 

 一人で行けると返した肯定に偽りも後悔もないが、出来れば早めに合流したいなぁと情けない溜息を零して目を伏せたそのとき。

 

 足に伝わったカチリという感触に戦慄が走る。

 

「ま、またあの変なスイッチ……ひぃ!?」

 

 地響きと共に傾きだした床から逃げるように重心を後ろにそらすが、傾斜はどんどんきつくなり、「床」はやがて「壁」に変わっていく。

 

 そして。

 

「じぇいどさぁああぁあん!!」

 

 俺の体は一気に転がり落ちていった。

 

 いや、かろうじて“駆け下りている”形ではあるけど、もはや両足は坂に沿って勝手に動いている感じなので、やっぱり“落ちている”が正しい気がする。

 

「ちょっ、待っ、止まっ、」

 

 部屋の回転はあっという間に終わったけれど、勢いのついた足が中々止まらない。

 涙目になりながら先ほどまで壁だった床を走り抜けていくと、目の前に大きな扉が立ちふさがった。

 

 ざっと血の気が引く。

 まずい。ぶつかる。

 

「すみません止まってくださいぃいぃい!!」

 

 己の両足にか、それともそこにかかる慣性の法則にか、自分でもよく分からないままに懇願しつつも止まらない足が大きく床を蹴った。

 

 脳裏に、扉に激突して吹っ飛ぶ自分の姿が過ぎるが、そこで奇跡は起こった。

 先ほどまで堅く閉ざされていた扉がゆっくりとその口を開き始めたのだ。

 

「良かった、たすかっ、……ぅわ!?」

 

 安心して力が抜けたせいで、スピードに追いつかなくなった足がもつれる。

 詰んのめった勢いで一瞬だけ宙に浮きあがった体は、まだ人ひとりが何とか通れる幅しか開いていない扉の中にすれすれで放り込まれた。

 

「ぅっわぶ!!」

 

 そんな状況で受け身なんて取れるはずもなく、顔から全身をビタンと床に打ち付けたところで、俺の体はようやく止まったのだった。

 

「~~~~~っ!!!」

 

 背後でまた扉が閉まったことに気付く余裕もないまま、俺は顔を押さえて悶絶する。

 さっきの勢いのまま扉にぶつかるよりはずっとましだが、結局痛いことに代わりはなかった。

 

「うう、助かったような助かってないような」

 

 半泣きでよろよろと身を起こしていると、ふいに、誰かの呆れたような深い溜息が耳に届いた。

 

「…………またお前か」

 

 聞き覚えのある声に、はっと顔を上げる。

 

 緋色の髪。

 ルークより少し濃い翠の瞳。

 

「アッシュ!」

 

 “面倒くさい奴に会ってしまった”というオーラを全身から醸し出し、眉間の皺を三割増しにしたアッシュの姿が、そこにはあった。

 

 

 





>ガイの故郷、すごいところだったんだな……。
待ってくれ誤解だ。(by.ガイ)


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Act88 - 緋色の友

 

 

「他の奴らはどうした」

 

「ちょ、ちょっとだけ別行動してて……アッシュは?」

 

 流れで聞き返しただけだったのだが、アッシュは眉間の皺をさらに二割増しにして顔を逸らした。

 

「…………――――たんだよ」

 

「え?」

 

「落とし穴に落ちて閉じこめられたんだよ! 一回で聞き取りやがれ滓がぁ!!」

 

「あっハイ」

 

 すみません、とその剣幕に押されるようにして謝ってから、“閉じ込められた”というアッシュの言葉を脳内で反芻して目を見開く。

 

「ここ出られないの!?」

 

 慌てて後ろを振り返ると、俺が飛び込んできた扉はいつの間にかガッチリと閉じていた。

 起き上がり扉に駆け寄るが、押しても引いても、開く気配はない。どうやら一方通行だったらしい。

 

 がっくりと肩を落としていると、アッシュが「手段がないわけじゃない」と言って身を翻した。

 

 そして部屋の真ん中にある譜陣の上で足を止める。

 俺はそこで初めて、反対側にも同じような扉があることに気づいた。

 

 その場にしゃがみ込んだアッシュが譜陣に手を当てる。

 すると淡い光が譜陣の周囲に浮かび上がり、堅く閉ざされていた扉がゆっくりと開き始めた。

 

「開いた!」

 

「こうしている間はな」

 

 吐き捨てるように呟いたアッシュが譜陣から手を離すと、開きかけていた扉がすぐに口を閉ざしていく。

 完全に閉まるまで見届けたところで、肩越しに振り返った翠の瞳が俺を見た。

 

「誰かがここに残らない限り、誰も出られないってことだ」

 

 だからこの部屋で足止めをくっていたのだろう。

 中央の譜陣からあっちの扉まで少し距離がある。開閉のスピードを考えると、いくらアッシュでも一人ではとても無理だ。

 

「うん、そうだよな、一人じゃ……」

 

 言いかけて、はたと不機嫌そうにしかめられたアッシュの顔を見る。

 

 自分の掌に視線を落とし、またアッシュを見て、自分の掌を見て。

 俺はその掌に、ぽくんと拳を打ち付けた。

 

「そうだった! 一人じゃない! もう一人じゃないよ! 一人じゃなくていいんだよアッシュ!!」

 

「俺が寂しい奴みたいな言い方を止めろ」

 

「いやっそういう意味じゃなくて!」

 

 眉間の皺がロニール雪山もかくやとばかりに深くなったので、俺は慌てて首を横に振り、アッシュの目の前まで駆け寄った。

 

「オレが扉を開けて、その間にアッシュが先に行けばいいんだよ!」

 

 さっきまでは一人だったかもしれない。でも今は俺がいる。

 己の胸に手を当ててめずらしく自信たっぷりに提案した俺に対し、なぜかアッシュは鋭い視線を向けてきた。

 

「馬鹿が、本当に分かって言ってるのか」

 

「……確かに一人で残るのはちょっと寂しいけど」

 

「そういう話をしてるんじゃねぇ。今度は、お前がここに閉じこめられるんだぞ」

 

「うーん。なんとか出る方法を探してみるよ。もしかしたら非常口とかあるかもしれないし」

 

 変なスイッチの例もあるし、他にも妙な仕掛けのひとつやふたつあってもおかしくないだろう。

 そう思って返事をしたのだが、アッシュはさらに苛立たしげな様子になって、こちらを睨む。

 

「何の義理があってそんなことをする?」

 

 今にも剣を抜きそうな不機嫌さに少々腰が引けてくるが、不思議と殺気は感じなかったため、俺は混乱しつつも比較的落ち着いていた。

 

「い、いや、別に義理とかでは」

 

「なら何で俺に手を貸す気になった。てめぇはあいつの仲間だろうが」

 

 あいつ、というのはルークのことだろうか。

 

 確かに俺とルークは……その、仲間だけど。

 それはアッシュを先に行かせてはいけない理由になるんだろうか。

 

 よく分からないがとにかくちゃんと根拠を言わないと許してもらえないらしいことを察して、俺は先ほどから混乱しきりの脳みそを必死に回転させる。

 

 しかしこんなところでまで何だが、俺の頭は本当にあまり出来がよろしくないのだ。ジェイドさんのように、自分の中にいつもしっかりとした理屈や根拠があるわけじゃない。

 己の心にある感情に気づいて名前を知るまでにものすごく遠回りをしないといけない、というのはこの旅の中で自覚したことのひとつだ。

 

 だから俺は今回もまた、問われて初めて考える。

 

 俺とアッシュは何なのか。

 

 最初は、突然襲いかかってきた“怖い人”。

 次は、生まれて初めて出会った“被験者”。

 

 そんな印象が“不器用だけどちょっと優しい人”に変わったのは、いつからだっただろう。

 

 『俺に聞いてばっかりいないでテメェの頭で考えろ。じゃないと一生分からねぇぞ』

 

 レプリカである俺に対する、複雑な感情を知っていた。

 

 『っだからあの死霊使いに構って欲しいならこんなところでグチグチ言ってねぇで本人にそう言いに行きやがれ滓がぁ!!』

 

 でも、相談に乗ってくれた。

 

 『おまえも、本気でこいつがそんなこと考えてお前に接してたと思うのか?』

 

 庇護ではない。同情でもない。

 隣に立って、同じ目線から、痛いほど真っ直ぐな言葉をくれた。

 

 そういう関係をどう呼ぶか。

 今の俺の中に当てはまるものは、ひとつしかなかった。

 

 だから。

 

 俺はぐっと拳を握って、アッシュの目を見据える。

 

「――だって、ともだち、だろ!!」

 

 意を決して放ったその単語は、思ったよりもずっと耳に馴染んだ。

 

 ああ、そうか。そうだ。

 胸の中にあった漠然とした感情が、与えられた音の形に定まったのが分かる。

 

 難解な謎を解いたような開放感にすっきりした気分の俺とは反対に、アッシュは、ぽかんとした顔をしていた。

 眉間に皺を寄せることも忘れたその表情をめずらしく思う間もなく、はっとしたように普段の顔を取り繕ったアッシュが、先ほどより力のない眼差しで俺を睨む。

 

「………………誰と、誰がだ」

 

「オレとアッシュ」

 

 今度は迷うことなく口にした俺に、アッシュは物凄く微妙な顔になった。

 しかしそのうち疲れたように片手で頭を押さえると、深い溜息と共にアッシュが呟く。

 

「どうせ、俺が何言ったって聞きゃしねぇんだろう、お前は」

 

 それはつまり。

 

「……友達、で、いいの?」

 

 例え拒否されたとしても己の中に見出した答えを訂正するつもりはなかったが、思わず問いかけた俺にアッシュはただ「勝手にしろ」と吐き捨てた。

 

「っうん!!」

 

 ぱあっと表情を輝かせた俺をちらりと見てまた呆れ果てたような溜息をついたアッシュが、ほんの少しだけ、目元の険を緩めた。

 

 その瞬間。

 

「ぅわああああリックそこ退けぇぇええ!!?」

 

「え?」

 

 突如頭上から響いた声に上を向いた俺の額に、ガツンと衝撃が走った。

 ……あ、お花畑が見えるや……。

 

「っつ~~~! あっ、ちょっ、おいリック! 大丈夫か!?」

 

 がくがくと肩を揺さぶられてお花畑から戻ってきた俺の視界には、赤色の髪と、心配そうな翠の瞳。

 

「だ、大丈夫だよルーク……ってルーク!? なんでここに!?」

 

「急に床に穴が開いてさ、ここまで落とされたんだ」

 

 何だかついさっき似た話を聞いたような、と俺が考えていると、「ファブレ家の遺伝子ってのは余程間抜けらしいな」とアッシュの苦々しい声が耳に届く。

 

「アッシュ!」

 

 そこでアッシュに気付いたらしいルークが驚いたように名を呼ぶと、また渓谷のような眉間の皺を復活させたアッシュがきつくルークを睨んだ。

 

「レプリカまで揃って同じ罠にはまるとは、胸くそ悪い」

 

 あれ……なんでこんな険悪な感じなんだろう。最近はわりと落ち着いた関係になりかけてたのに。

 場に満ちるぴりぴりした空気に困惑する俺をよそに、脱出手段についてルークに問われたアッシュが、先ほどと同じようにこの部屋の仕組みを実演してみせている。

 

「誰か一人は、ここに残るって訳だ」

 

 しかし俺にやらせずにまた自分でやってみせる辺りがなんとも律儀だ。これが大佐だったらまず間違いなく説明させていただろう。ガイに。

 

「それならお前が行くべきだ。ローレライの鍵で、ローレライを開放して、」

 

「いい加減にしろ! お前は……俺を馬鹿にしてやがるのか!!」

 

 それにしても前から会うたび言い合いはしてたけど、今回は何だか様子がおかしい。

 アッシュがルークに剣を向けたところで、俺は本格的に焦り始めた。

 

「ヴァンから剣を学んだ者同士。どちらが強いか、どちらが本物の『ルーク』なのか、存在をかけた勝負だ」

 

「どっちも本物だろ、俺とお前は違うんだ!!」

 

 まずい。

 よく分からないけど何かまずい気がする。

 

 どうしよう。止めないと。どうすれば。

 

 …………ピ、

 

「ピコハンッッッ!!」

 

 隔離された真っ白な部屋の中に、ぴこんっという間抜けな音が響きわたった。

 

 場に静寂が満ちる。

 やがてアッシュのこめかみにビシリと血管が浮かんだ。

 

「だから何で普通に呼び止められねぇんだ! この滓野郎!!」

 

「スミマセンほんとスミマセン! なんか混乱しちゃって!!」

 

 しかしやっぱり対アッシュだと必ず成功するなぁ……。

 俺は平謝りしつつも、どうにか作り出した会話の糸口を逃さぬうちに引っ掴んだ。

 

「じゃなくて、何でルークと戦うみたいな話になってるんだよ! 最近けっこう穏便な感じだったじゃないか!」

 

「俺は言ったはずだ! このエルドラントで、決着をつけるとな!」

 

「えっ、言ったの?」

 

「……あぁ?」

 

 会話が噛み合わない俺とアッシュを見て、何か思い出そうとするように目を細めていたルークが「あっ!」と声を上げた。

 

「そうか! あのときリックはピオニー陛下と話してたんだった! つーかお前また肝心なときにいなかったのかよ! いや説明忘れてたのは悪かったけど!!」

 

「何だか知らねぇが話が分からねえなら黙ってろ滓が!!」

 

「えぇ!?」

 

 似た声の二人から怒濤のように畳みかけられながらも、俺は必死に食い下がる。

 

「な、なんにせよオレが残ればいいだけの話じゃないか! それでふたりが先に行けば、」

 

「黙れ!」

 

 それを鋭く一喝したアッシュは、俺ではなく、ただ真っ直ぐにルークの姿を見据えていた。

 

「――理屈じゃねぇんだ」

 

 重く深く、様々な感情が渦巻いた低い声に、ぐっと言葉に詰まる。

 

 もはや「誰が扉を開けるのか」なんてことが問題なんじゃない。

 これは避けられない戦いなのだと、アッシュのまとう気迫が全身に訴えかけてくる。

 

「俺には今しかないんだよ」

 

「……俺だって、今しかねぇよ」

 

 アッシュにとっても、ルークにとっても、きっとこれは必要なことなんだ。

 

「お前がどう思ったとしても、俺はここにいる。それがお前の言う強さに繋がるなら、俺は負けない」

 

「よく言った。その減らず口、二度と利けないようにしてやるぜ」

 

 止められない。この戦いは、止めてはいけない。

 だから俺はその場から後ろに下がり、強く目を瞑る。

 

 そして、全て見届けることを心に決めて、

 

 

「行くぞ! 劣化レプリカ!!」

 

 

 閉じた瞼を押し上げた。

 

 

 



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Act89 - 燃え落ちる灰のように

 

 

 もう二人の剣に躊躇いはない。

 存在そのものをぶつけ合うようなこの全力の戦いは、おそらく長引くことはないのだろうと、俺の中にもいくらか存在する剣士としての勘が告げたとおり、決着の時は間もなく訪れた。

 

「……被験者が、レプリカ風情に負けちまうとはな」

 

 アッシュは相変わらずの不機嫌顔で、持っていけ、とルークの足下にローレライの剣を放り投げる。

 不本意そうではあったものの、その目はどこか吹っ切れたような色をしていた。

 

 ひとまずの決着に、いつからか詰めていた息をほっと吐き出したのも束の間。

 戦いの邪魔にならないようにと、先ほど自分が飛び込んできた扉を背にする位置まで下がっていた俺は、その向こうからたくさんの硬質な音が聞こえてくるのに気がついた。

 

 まがりなりにも兵士である自分が聞き間違えるはずもない、鎧と剣が擦れ合う音に、頭からざっと血の気が引く。

 

「ルーク! アッシュ! 神託の盾兵が来る!!」

 

 二人の会話を遮るのが申し訳ないとか、ここにいる兵士を神託の盾と呼んでいいものかとか色々あったけど、とにかく差し迫る危機を伝えるべく声を上げた。

 すると舌打ちを零したアッシュが、譜陣の中央に立って力を送り込む。

 

「ここは俺が食い止める。早く行け」

 

 そう言って開いていく扉に背を向けたアッシュに、ルークが自分も一緒に戦うと告げると、眉間の皺が五割り増しになった。

 

「ざけんじゃねぇ! 今大事なことは、ここの奴らを一掃することか? 違うだろうが!!」

 

 だからって「じゃあよろしく」と言えるようなルークじゃないけれど、ローレライを解放するためにはルークかアッシュが……鍵を託されたルークが、進まないわけにはいかないのだ。

 

 俺は近づいてくる大量の足音が怖くなってきたので扉から離れて二人のほうに駆け寄りつつ、ごくりと息を飲んで剣の柄に手を添えた。

 

「そ、それならオレがアッシュと残れば、」

 

「お前みたいなピコハン野郎に居られても邪魔なだけなんだよ!!」

 

「返す言葉もないですけど!」

 

 振り絞った決心が一瞬で灰に帰して涙目になる俺と、心配そうなルークの視線に、アッシュがまた盛大な舌打ちを零す。

 

「いいから行け! この屑と滓!!」

 

「コンビ名みたいに呼ぶな!! …………約束しろ、必ず生き残るって。でないとナタリアも俺も、悲しむからな!」

 

「うるせぇっ! 約束してやるからとっとと行け!」

 

 アッシュの返事を聞いたルークは強く頷くと、足下のローレライの剣を拾って、開いた扉のほうへ駆けだした。

 その背中を追う前に、俺は一度アッシュを振り返る。

 

「アッシュ!」

 

「あぁ!?」

 

「オレさ、最近カレーだけは美味しく出来るようになってきたんだ」

 

「何の話だ! 叩き出されたいのかお前は!!」

 

 青筋を浮かべたアッシュに部屋から強制退出させられる前に、言葉を繋ぐ。

 

「だから! 今度作るからさ、ぜったい、一緒に食べような!」

 

 向こうの扉が開き始めているのに気づき、それだけ言って慌てて身を翻そうとしたとき、「リック」とアッシュが俺の名を呼んだ。

 

「不味かったら、承知しねえぞ」

 

 こちらに背を向けているアッシュの表情は分からなかったが、その声は、どこか笑みを含んで聞こえた。

 

「さっさと全部終わらせて来い」

 

「……うん!」

 

 後ろ髪を引かれる俺の意識を蹴り飛ばすようなアッシュの言葉に頷いて、今度こそルークを追いかけるために走り出す。

 

「――行け、リック」

 

 もう、振り返ることはしなかった。

 

 

 

 

 アッシュの決断を無駄にしないためにも前に進むしかない。

 少し先の床だけを見つめてひたすらに走り続けていると、やがて前方から聞こえてきた声に、はっと顔を上げた。

 

「ルーク! 無事だったのね!」

 

「あっ、うそ、すごい! リックもいるよ!?」

 

「リックがか!?」

 

 俺の無事だけやたら驚愕されているのがいつかのアブソーブゲートを彷彿とさせるが、みんなの無事な姿を見て、張り詰まっていた気が緩む。

 

 ティアさん。アニスさん。ナタリア。ガイ。

 

 そして金茶の髪と青い軍服の、赤い瞳。

 

「っジェイドさぁあぁあああん!!」

 

 ルークと合流したときは色々とそんな空気じゃなくて発露しそこねていた喜びが一気に湧き上がり、俺は本能のまま全力でジェイドさんに駆け寄った。

 

 勢いよく飛びつこうとした俺に対し、例によって例のごとく、ジェイドさんの右手が伸ばされる。

 槍使いによるアイアンクローの威力を身を持って知っている俺は、反射的にびくりと表情をひきつらせた。少しでもダメージを弱めるべく、減速を試みつつぎゅっと目を瞑る。

 

 けれど。

 

 掌は静かに後頭部へ回って、青い軍服の肩口に、俺の額はぽすりと押しつけられた。

 

「無事で何よりです」

 

 それは本当に短い時間で、頭を押さえていた手は何事も無かったかのように離れていく。

 掛けられた声はひどく淡々とした感情の滲まないものだったのに、何だか妙に涙腺を揺さぶった。

 

「行きますよ、リック」

 

 そして颯爽と身を翻したその背中が、俺がついて行くことを当たり前のように言って歩き出すから。

 

「……っ」

 

 もともと緩い涙腺が完全決壊しそうになるのを、ぐっと息を飲んで耐える。

 感激も嬉し泣きも全部あとでいい。今はただ、先に進むだけだ。

 

 頭を冷やしなさいと今まで何度も告げられたことのあるジェイドさんの言葉を、己の意志で、脳裏に描いて胸に刻む。

 

「……はい!」

 

 軍服の袖でぐいと目元をぬぐって顔を上げた俺と、振り返らずに先を行くジェイドさんに、様子を見ていたみんなは小さく笑い合って肩をすくめたのだった。

 

 

 ようやく全員揃って、エルドラントの中をゆっくりと進む。

 別に悠長にしているわけではなく、壁も手すりもないむき出しの外壁部分を進むにあたって、こうして慎重に歩いていくのが結果的に最速なのだ。急がば回れってやつだろう。

 

 ちなみに俺は油断するとすぐさま地上(考えたくない)メートルの恐怖に負けそうになるので、気をそらすためルークに雑談に付き合ってもらっている。

 大佐にはレムの塔から飛び降りても死ななかった男が何を今更と鼻で笑われたが……あれは飛び降りたというか落とされたわけで……。

 

「え、リグレットを?」

 

「ああ……倒したよ」

 

 別行動になった後、みんなは待ち受けていたリグレットと戦闘になり、激しい攻防の末に勝利したという。

 

 勝利と、一言でまとめれば輝かしい結果に聞こえるけれど、それは命の奪い合いだ。

 みんなが無事ここにいるということは、つまり、そういうことに違いなかった。

 

 少し先を歩くティアさんを心配そうに見るルークの横顔をちらりと見やってから、俺は考える。

 

 リグレット。

 

 ティアさんの教官で、六神将で、イエモンさん達を手に掛けたひと。

 そしてティアさんのことを、とても心配していたひと。

 

(それで、……それで?)

 

 何度も顔を合わせた。お互いに命をかけて戦った。そんな相手のことをまるで知らない自分に顔をしかめるけれど、たぶん、それは当たり前のことなのだ。

 軍人が犯罪者に剣を向けるとき、敵と呼ばれる国の兵を斬るときに、相手の事情を聞かされたりはしないのだから。

 

 ……でも。

 

(どんなふうに、笑うひとだったんだろう)

 

 例えどんな事情があったとしても、イエモンさん達の件は許せなかったと思う。

 けれど、二度と知ることの出来ないその光景にほんの少しだけ想いを馳せて、俺はゆっくりと目を伏せ――……

 

「目なんて閉じてると落ちますよ」

 

「ヒィ!?」

 

 すぐ開けた。

 

 

 

 それからルークは俺と合流した後のことをみんなに話し始めたので、今度はアニスさんと雑談を交わす。

 

「リックとアッシュはさぁ、ルークが落ちた先に居たんだよね」

 

「はい」

 

「やっぱ二人ともあの罠引っかかったの?」

 

「……いや、えーと、オレは……別の仕掛けで、飛び込んじゃって」

 

「ふーん。アッシュは?」

 

「………………」

 

 アッシュの名誉(と口外した者に降りかかるであろう怒りのエクスプロード)のためにもおいそれと真実を語るわけにいかず、かといってアニスさんに嘘をつける気もしない俺はそっと目をそらす。

 しかしそれで全てを察したらしいアニスさんが生温かい眼差しになった。これって俺が言ってしまったうちに入るんだろうか。ごめんアッシュ。

 

「そ、そういえば、アッシュと約束したんですよ」

 

「え~? 何を~?」

 

 無理やり話をそらすと、アニスさんはにやにやと笑いつつもそれに乗っかってくれたので、俺はほっとしながら先ほど交わしたばかりの約束を口にする。

 

「今度いっしょにカレー食べようなって!」

 

「……え、それ本当にアッシュと約束できたわけ? リックが勝手に言ってるだけじゃなくて?」

 

「ひどい!!?」

 

 俺へのイメージが。

 でも若干否定しきれないところがあってぐうの音も出ない。

 

「ちょ、ちょっと無理やり感はあったけど、ちゃんと約束してくれましたよ!」

 

 泳ぐ視線をごまかしつつも断言すると、ただからかっていただけらしいアニスさんがひょいと肩をすくめる。

 そして、じゃあとびきり美味しいの作んないとね、と言って、彼女は出来の悪い弟を見守るお姉さんみたいな顔で、優しく笑ったのだった。

 

 落下の心配をせずに歩けるようになったのは、それからしばらく進んで街のような場所にたどり着いてからだった。

 まだ生成途中らしいその一角には、かつてガイが暮らしていたという屋敷の痕跡もあり、ここが間違いなくホドのレプリカであることを教えてくれる。

 

 懐かしそうに屋敷跡を眺めるガイや、初めて訪れた故郷を感慨深げに眺めるティアさんの姿に、ナタリアはフォミクリーという技術を嫌いになれないと言った。

 

「使い方次第で、素晴らしいことが出来そうですもの」

 

 例えば誰かの思い出に寄り添うような、そんな優しい使い方も出来るのかもしれない。……きっとそういうふうにしていくんだろう。これから、ジェイドさんが。

 ケセドニアの酒場でジェイドさんから聞いた話を思い出して口元が緩む。

 

 まぁそのためには、とにもかくにも、エルドラントとヴァンをどうにかしないといけないわけだが。

 ついでに思い出した恐ろしい現実に、表情筋とともに緩みかけていた意識を慌てて引き締める。

 

 それからふと、さっきからずっと顔色の悪いナタリアに意識を向けた。

 

 一人で残ったアッシュのことが気になるんだろう。

 実際に顔を合わせていないから、余計に心配なのかもしれない。

 

 さっきルークやアニスさんが俺の恐怖を紛らわすのを手伝ってくれたように、何とかして不安を紛らわせてあげたいと思うものの、いい話題が思いつかなかった。

 

 よし、ルークに相談してみよう。

 そう決めて隣を見た俺は、そこに誰の姿もないことに気づいて目を丸くする。

 

 きょろきょろと周囲を見回せば、ルークは少し後ろで足を止めていた。

 

「ルーク?」

 

 俺が首を傾げつつ呼びかけると、前を歩いていたみんなもこちらを振り返る気配がしたが、当のルークはぼんやり虚空を見上げていて反応がない。

 

 もう一度呼びかけようと口を開きかけた俺の耳に、ルークの呆然とした声が、風に乗って届く。

 

「……アッシュが、死んだ……?」

 

 

 

 

( だって、やくそく、したじゃないか )

 

 燃えるような緋色が頭の奥に揺らめいて、消えた。

 

 



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Act90 - マスク・オフ・シンク

 

 

「うそ、……嘘だと仰って!!」

 

 ナタリアの悲痛な声が響くのを聞きながら、俺は呆然と立ち尽くしていた。

 

 悪い冗談だって笑えたらよかった。

 けれど、他の誰でもないルークの言葉だからこそ、どれほど否定したくても分かってしまう。

 

 それが事実だと。

 

 『……不味かったら承知しねぇぞ』

 

 結んだばかりの約束が、滲んでほどけていく。

 理解してなお認めがたい現実に息が詰まった。

 

 やっぱり俺も一緒に残っていたら。

 そもそも、俺だけが残ればよかったんじゃないのか。

 

 今更どうしようもない後悔が浮かびかけた頭に、まだ色褪せぬ記憶の中、真っ直ぐに伸びたその背中から放たれた言葉がよみがえる。

 

 『 行け、リック 』

 

「っ、」

 

 まるで思い切りよく蹴り飛ばされたみたいに、喉に詰まっていた重たい空気が、体の外へ抜けた気がしたとき、

 

 ――俺達の足下に、突如として大きな譜陣が浮かび上がった。

 

「いけません、罠です!!」

 

 大佐の鋭い声。

 意識が急速に引き戻される。

 

「ナタリア! 逃げよう!」

 

「私、……私……っ」

 

 座り込んでいるナタリアをルークが促すけれど、まだ茫然としたままの彼女は、動けない。

 

「ナ、ナタリアっ、譜陣から出ないと!」

 

 俺も隣にしゃがみ込み、ナタリアの肩に手を添えて軽く揺さぶるが、深緑色の瞳はぼんやりと遠くを眺めている。

 

 その間にも周囲に溢れる音素はどんどん増してきていた。

 これがどういう効果の譜陣なのか俺には分からないが、体中の何もかもが、とにかく逃げろと訴えている。

 

 しかし、そんな本能からの警告も虚しく、表情を険しくした大佐の「間に合わない」という声が耳に届いた。

 俺はとっさにナタリアの頭を抱え込むようにして、ぎゅっと目を瞑る。

 

 ああ神様ユリア様ジェイドさん、と祈りを捧げたその瞬間、閉じた瞼の裏にまで届くほど強い光が、周囲を覆った。

 

 驚いて目を開けると、そこには全身から光の渦を放つルークの姿。

 そうして気づいたときには、足下に浮かんでいた譜陣は跡形もなく消滅していた。

 

 何が起きたか分からずぽかんとしていたが、腕の中でナタリアが身じろいだ気配にはっとする。必死だったとはいえ、断りもなくこんな体勢になった事をとにかく謝ろうと体を放した。

 

「ごめんナタリア! その、大丈夫?」

 

 ナタリアがゆるゆると頷く。

 言葉はなくとも反応が戻ったことに少しほっとした。

 

 その横で、ティアさんがさっきの力は何だったのかと首を傾げると、当のルークも戸惑ったように自分の両手を見つめた。

 

「分からない……ただ、アッシュのことを考えた瞬間、俺の中で何かが……」

 

 アクゼリュスを消滅させたときに使った力に似ていたが、その時とは違って自分で制御が出来たらしい。

 

 罠で一網打尽という事態を逃れた安堵やら、ルークが突然使えるようになった力の不思議やらで、場に満ちていた緊張感は少しずつ薄れかけていた。

 

「――第二超振動か。冗談じゃないね」

 

 そんな緩みを、一息で断ち切るような声が辺りに響く。

 イオンさまと“同じ”で“違う”、彼の声。

 

「シンク!」

 

 アニスさんがその名を呼ぶと、大階段の上に姿を現したシンクはゆるりと笑みを浮かべた。

 

「そんな化け物みたいな力を使われちゃ、ユリアの加護を受けたヴァンにも荷が重くなる」

 

 大人しくローレライの鍵を渡すか、ここで死ぬか。

 与えられた選択肢を聞いて、ルークは「どっちもお断りだ」と強い眼差しでシンクを見上げる。

 

 シンクは、預言は未来の選択肢のひとつだとするイオンさまの考えを一笑に付すと、ヴァンのやり方ならばローレライもろとも第七音素は……預言は真の意味で消えると主張した。

 

「ボクは導師イオンが死ぬという預言で誕生した。……一度は廃棄されたことも知ってるだろう」

 

 捨てられたから預言を憎んでいるのかとルークが聞くと、彼はすっと表情を消した。

 

「違うよ。生まれたからさ! お前みたいに代用品ですらない。ただ肉塊として生まれただけだ」

 

 心底忌々しげな声で、ばかばかしい、と吐き捨てる。

 

「預言なんてものがなければ、こんな愚かしい生を受けずに済んだ。ねぇ御同輩、そう思うだろう?」

 

 緑の双眸が俺を映して嗤う。

 それはこちらから同意が返らないことを分かった上で、揶揄っているだけのようだった。

 

「……シンク」

 

「生まれてきて、何も得るものがなかったっていうの?」

 

 俺が言葉に詰まると、少し前に歩み出たアニスさんが、様々な感情を押し殺した声でシンクに問いかける。

 

「ないよ。ボクは空っぽさ」

 

 彼はあっさりとそれを肯定して、冷たい目で俺達を見下ろした。

 ぐんと増した殺気に、やはり戦闘が避けられないことを悟ったルーク達が武器を取る。ナタリアも反射的に立ち上がって弓を構えていた。

 

「試してみようよ。……アンタたちと、空っぽのボク。世界がどっちを生かそうとしてるのかさぁ!!」

 

 その言葉を合図に大階段の上から一息で飛び降りたシンクが、鋭く地を蹴ってこちらに突っ込んでくる。

 

「うけてみろ! 昂龍礫破!」

 

 放たれた衝撃波に、体が吹き飛ばされた。

 

 空中でどうにか体勢を立て直し、やや後方に着地しながら周囲に視線を巡らせる。

 その場で耐えたルークとガイはすぐ反撃に転じていて、俺と同じあたりに着地したナタリアは改めて弓を引き絞り、アニスさんがシンクに向かっていく。

 直撃する前に退避していたらしい大佐とティアさんの詠唱が、さらに後方から響いていた。

 

 俺は、このまま中衛の位置に留まることにする。

 身軽なシンクとの接近戦はどうしても素早い立ち回りを求められるから、あまり前衛が増えると逆に動きにくくなってしまう。相応の実力があれば、お互いに呼吸を合わせて問題なく戦えるだろうが、俺では邪魔になる可能性のほうが高かった。

 ならば味方識別のある譜術で援護しながら、いざとなれば剣でも割り込めるこの距離にいるのが一番良いはずだ。

 

「狂乱せし地霊の宴よ、ロックブレイクっ!」

 

 俺の詠唱に呼応して、シンクの足下に黄色い譜陣が広がる。

 後方に跳びのいて突き上がった岩をかわし、一端ルーク達からも距離を取ったシンクが、俺のほうを向いてにやりと笑う。

 

「へえ。今日はくだらない質問してこないんだ」

 

「……うん」

 

 頷いて返す自分の声が、まるでこの場にそぐわない子供みたいな響きを帯びたことに気づいたけれど、言い直すことはしなかった。

 

 本当に戦うしかないのかと、俺がアブソーブゲートで聞いたとき、シンクに返された言葉を思い出す。

 

 『それじゃあ逆に聞くよ。アンタはもしボクやヴァンが言ったら、あの死霊使いを裏切れるわけ?』

 

 ジェイドさんは、マルクト軍の大佐で、死霊使いで、バルフォア博士だ。

 

 その呼び名の中のどれかが、あるいはすべてが、どこかの誰かにとっては、どれだけ憎んでも足りないような仇であるかもしれない。

 けれど誰かにとっての“悪い人”であるジェイドさんは、俺にとっての“大好きな人”であるという事実が、決して変わらないように。

 

 『誰だってよかったんだ。預言を……第七音素を消し去ってくれるならな!』

 

 たとえ俺たちにとって、どれほど苦くて悲しい願いでも。

 

 それが――君の“覚悟”であるのなら。

 

「オレはもう、何も言わない」

 

 両手を胸の前に掲げる。何回も練習した動作。

 フォンスロットを開き、音素を取り込み、術式を展開させる。

 

「ハッ、そうこなくちゃね!」

 

 そう言ったシンクの声に、嘲りの色はなかった。

 

 そして軽快な動きでルークとガイを振り切ると、一直線にこちらへ向かってくる。

 アニスさんやナタリアがそれを止めようとするけれど、勢いは衰えない。

 

 迫りくるシンクのプレッシャーに焦る心臓を宥めながら、俺は必死に術を組み上げた。

 

「……大地の咆哮、其は怒れる地竜の爪牙!」

 

 これを彼とアッシュの前で盛大に失敗した件はまだ記憶に新しい。

 からからに乾いた喉で譜を読み上げた俺に、シンクが口の端を上げた。

 

「またそれ? 出来もしない事やらなきゃいいのにさぁ!」

 

「さて、どうでしょうねえ」

 

 笑みを含んだジェイドさんの声が耳に届く。

 それに背を押されるようにして息を吸った。

 

 そして、

 

「グランド……ダッシャー!!」

 

 放つ。

 

「っ!?」

 

 足下からせり上がった巨大な岩壁に、シンクが目を見開いた。

 

「でき、た……出来ましたジェイドさぁん!!」

 

 実戦かつ詠唱ありで初めて成功したグランドダッシャーの感動で泣きそうになりながらジェイドさんを振り返りかけた視界の端に、影が過ぎる。

 

「でもその喜びで隙だらけじゃ意味ないね。――空破爆炎弾!」

 

 いつの間にかあの岩波の中をくぐり抜けていたシンクが、すっかり油断していた俺に向かって攻撃を放った。

 

「ええ、まったくです。――アイシクルレイン!!」

 

 シンクの技が当たる寸前、後方から響いた大佐の声。

 

「ぅわっ……!」

 

 火と水の属性がぶつかった反動で巻き上がった強い風と蒸気に、とっさに顔の前に腕をやった。

 その向こうから、チッ、と舌打ちが聞こえて、気配が遠ざかる。一旦距離を取ったらしい。

 

 間もなく蒸気が晴れると、シンクの姿は前衛のルーク達と同じくらいの位置まで戻っていた。

 

「すみません大佐! 油断しました!! あと助かりましたありがとうございます!」

 

 戦況からは目をそらさないまま、俺は後ろのジェイドさんに向けて声を上げる。決して怒られるのが怖いから振り返らないわけではない……ない。

 

 そんな俺に、ジェイドさんが息をつく。

 やれやれと肩をすくめる動作が見えた気がした。

 

「まぁそうですね。駄目出しは後ほどゆっくりということで」

 

「……ハイ」

 

「とりあえず、成功おめでとうございます」

 

「は、」

 

 まだたった一回だけとか、戦闘中なのに喜びすぎた事とか、そのせいで隙だらけだった事とか、後に回された駄目出しの内容はそれこそ山のようにあるだろう。

 

 でも、今は。

 

「……はいっ!!」

 

 “とりあえず”の祝福が、じわりと胸に染み渡る。

 このまま畳みかけますよ、という大佐の言葉に強く頷いて、また詠唱を開始した。

 

 

 

 たとえその言葉の先にある結末が何を意味しているのかを

 

 

「ハハハハハハッ……ハ、……ぐ……っ。……ヴァン……ローレライを……消、滅……」

 

 

 ――痛いほどに、知っていても。

 

 

 



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Act91 - 君に送る

 

 

「シンク、あいつ……空っぽだなんて寂しいこと言って……さっさと死んじゃった」

 

 ぽつりと零して俯いたアニスさんの茶色の瞳が、黒い髪の向こう側に消える。

 

 微かな光だけを残して、イオンさまと同じように消えていった彼がいた場所を見つめて、シンクのばか、と叫ぶ涙声を聞きながら、俺は震える両手をゆっくりと握りしめた。

 

 決して交わることのない道だったかもしれない。

 もしかしたら彼の言うように、歪んだ親近感だったのかもしれない。

 

 それでも。

 

「……友達になれたらいいなって、思ったんだ」

 

 シンク。

 他の誰でもない。

 

 ひねくれ者の、おまえと。

 

 届く宛のない手紙を書くような切なさが胸に滲む。

 けれど哀しくてたまらないはずなのに、何度目の当たりにしても恐ろしくてしょうがないもののはずなのに。

 

 俺は生を憎んだ彼のもとにようやく訪れた“終わり”を、心のどこかで、自分勝手にも少しだけ安堵したような気がした。

 

「…………っ、」

 

 言葉にならない感情に涙が溢れそうになる。

 そんな俺の肩を、宥めるように軽く叩いたのは、青い手袋に包まれた左手だった。

 

 はっとして目元をぬぐった俺の横をするりと通り抜けていった大佐は、そこで――おもむろにナタリアの頬をひっぱたいた。

 

 心なしか既視感を覚える光景に思わず口元がひきつる。

 いや、俺のときはもっと容赦なかったけど。

 

「あなたがアッシュに好意を抱くのは自由です。ですが、やるべきことを忘れてはいけません」

 

 目前のやりとりに若干ハラハラしつつも、俺を含めみんなが止めずに見守っているのは、ジェイドさんがナタリアを“叱って”いるからだろう。

 気に入らない人間を叱ったりはしないというマクガヴァン元帥の言葉を、器用で不器用なジェイドさんの飾らない“言葉”を、知っているから。

 

「…………ええ、そうね……本当にごめんなさい。辛いのは、私だけではないものね」

 

 やがて二人の会話に一区切りつき、ほっと胸をなで下ろす。

 

 それからルークが、先ほどの力が本当に第二超振動というものならこれをくれたのはアッシュだ、と胸に手を当てた姿に、俺は目を細める。

 

 アッシュはヴァンとの決着をルークに託した。

 それならあの場所で同じようにアッシュに助けられて、背中を押してもらった自分には、何が出来るのだろうか。

 

「リック。進みますよ」

 

「あっ、はい!」

 

 臆病でヘタレな俺が、それでも今、“俺のままで”。

 

(――できることは)

 

 前をゆくみんなの後ろ姿を見つめながら、俺はそっと剣の柄に手を添えて、目を伏せた。

 

 

 

「……なんだか怖いですの。尻尾がびりびりするですの」

 

 エルドラント最深部を目前に、ミュウがそう言って怯えたように大きな耳を下げる。

 かくいう俺もまだヴァンの影も形もないというのに、どんどん増していく見えない圧力に胃がひっくり返りそうだ。

 

 戦いの時が、すぐそこまで迫っていた。

 

 気を引き締めるみんなの様子をざっと見回したジェイドさんが、目的はあくまでローレライを解放し、エルドラントのフォミクリーを停止させることだと、ここへ来た意味を見失わないよう念押しするように告げる。

 

 ルークが頷いて、そのためにローレライの鍵があって、ティアさんの譜歌があるのだと言った。

 

「私たちは総長をガンガン攻撃だね」

 

 アニスさんの言葉に、大佐が「いえ」と首を横に振る。

 

「退路を考え、二人程は戦闘に参加せずに待機とします」

 

「全員で戦うべきではありませんの?」

 

 ナタリアに問われると、大佐は改めて、目的はヴァンを倒すことではないと言葉を重ねた。

 

「最悪の状況に陥った時、ここのフォミクリーだけでも壊せる人間が必要です」

 

「うん……そうだな。ジェイドの言うとおりに、」

 

 ルークが返そうとした肯定を、俺はあえて遮るように、意を決して口を開いた。

 

「みんなで、行ってください」

 

 真剣に作戦会議をしていた仲間達の視線が自分へ集まったことを認識しながらも、言葉を続ける。

 

「オレが残ります」

 

 そう言い切ったところで、我に返ったらしいルークが詰め寄ってきた。

 

「おまっ、いきなり何……!」

 

「あっ別にビビリで言ってるわけじゃないからな! ……いや怖いのは怖いんだけど!!」

 

 あの痛いほどまっすぐな覚悟を宿した青い目は、やはり俺には苛烈すぎる。

 最初のころよりは随分マシになったと思うけど、それでもヴァンを前にするとすくむこの足を、慣らしている時間はない。

 

 俺は一度深く息を吐いて気持ちを落ち着けてから、目の前のルークを、その向こうのみんなを、静かにこちらを見つめる赤い瞳を見て、笑みを浮かべた。

 

「オレ、たぶんそんなに弱くないんだと思う」

 

 すごい人達に囲まれて過ごしてきたからかなり感覚が麻痺しているけど、俺の剣の腕はそう悪くない。

 自分で言うのはなんだか調子に乗っているようで気が引けるけど、たいていの人間や、通常出会うような魔物が相手ならまず負けることはないだろう。

 

「でも……ヴァンには届かない」

 

 みんなの横に並ぶためには、決定的に何かが足りない。

 長い階段の先にある圧倒的な力の気配が、俺に出来ることは何ひとつないのだと告げている。

 

 分かっていた。

 

 俺はただの兵士で、世界を守る正義のヒーローにも、世界征服をもくろむ悪の幹部にもなれない。

 

「だけど、みんなの退路を確保できるくらいの力なら、あるつもりです」

 

 ナタリアを助けたバチカルの人達のように。

 俺達の道を切り開いてくれた、イエモンさん達のように。

 

 ヒーローを応援する……名も無き誰かのように。

 

「だからみんなで行ってください」

 

 特別な力がなくても、俺が俺のままでも、

 

「いざとなったらオレがこの手で、エルドラントのフォミクリーを破壊してみせます!」

 

 ――大好きなひと達のために、出来ることがあるんだ。

 

 一瞬の沈黙のあと、ふふ、と笑い声をあげたのはナタリアだった。

 

「出会ったころを思うと、見違えるようですわね」

 

 まだアッシュのことを受け止めきれたわけではないだろうに、彼女の深緑色の瞳は確かな光を宿して、今度はしっかりと俺を映している。

 

「でも本質的なところは何も変わっていませんわ。リックは何度も、私を助けてくれましたもの」

 

「……えっ、いつ?」

 

「あら。覚えていませんの?」

 

 たとえばカシムのとき、ラルゴのとき、さっきの譜陣のとき、とつらつらと上げられていくのを聞きながら記憶を探ってみるが、どれひとつ、どう考えても助けたというほどのことは出来ていない気がする。

 

 困惑する俺に向かって、彼女はまるで騎士に勲章を授ける王女様みたいな顔で微笑んだ。

 

「貴方はいつも自分に出来る精一杯で、誰かを守ろうとしていましたわ。……そして今も。そうでしょう?」

 

 ナタリアはそう言って、他の仲間たちに顔を向ける。

 つられてそちらを見ると、みんなは思い思いの表情で俺を見ていた。

 

 まず目のあったティアさんが、その青い瞳を柔らかく細める。

 

「前にユリアシティで私が言ったこと、覚えている? あなたはあの時、納得がいかなかったみたいだけれど」

 

 それはピコハンの練習のあとで、ティアさんをさしおいて大号泣してしまったときだろうか。

 

「あの言葉をもう一度送るわ。あなたは何も出来なくなんてない。そう、たとえ、出来ることが何もないときでも」

 

 一緒に悩んであげることが出来る。

 一緒に泣いて、喜んであげられる。

 

「ねぇリック。それはとても……すごいことだと思うわ」

 

 記憶の中と、今目の前にいるティアさんの声が重なった。

 

「…………っ」

 

 何か返そうとして、しかし何も言えずに頷く。

 その拍子に零れた涙で滲んだ視界に、「は~あ」と大げさなため息をついたアニスさんのツインテールが揺れた。

 

「やっぱり私、かわいそうな人ってどーしても嫌いになれないんだよねぇ」

 

 言葉だけを聞けば身も蓋もないけれど、アニスさんの茶色の瞳は、とても穏やかな温度を持って俺を映している。

 

「ぜんぶ終わったらリックのおごりでグランコクマ観光だからね。いっぱい買い物するから、覚悟しといてよ!」

 

「ベ、ベストを尽くします」

 

 帰ったら頑張って貯金しよう、と心に決めたところで、明日の世界がどうなるかも分からないのに次の給料のことを考える自分が何だかおかしくて、ちょっと笑った。

 

 そこで突然、横から肩をがしりと掴まれる。

 驚いて振り返れば、何やら感極まった様子の空色の瞳。

 

「お前、本っ当に立派になったな……!」

 

「ガイなんかお母さんみたい」

 

「今に限ってはそれでいいと思えるくらい感動してる」

 

 アラミス湧水洞で再会したルークにありがとうって言われたときと同じレベルで、と解説されたがいまいちよく分からなかった。

 とりあえず喜んでくれているらしいことは分かるので、俺も「ありがとう」と告げておく。

 

 そしてガイは呆れ顔のアニスさんに腕を引かれて後方へ下がっていったのだが、ふいうち気味なその接触にも一瞬びくっとしただけで、大人しく引きずられていく姿に今度はこっちが感動した。

 ただでさえメイドさん達の人気者なのに、女性恐怖症が完治したらすごいことになりそうだ。なんか色々と。

 

 世界が無事に続けば遠からず訪れるであろう未来を思って苦笑していると、ふいに強い視線を感じた。

 

 そこには心配そうに歪んだ、翠の瞳。

 

 もの言いたげな顔をしたルークは、けれど「やめろ」とも「大丈夫なのか」とも言わずに、ギッと俺を睨み上げて苦々しげに口を開いた。

 

「……何か言えよ」

 

「な、何かって?」

 

「なんか……何でもいいけど、何かあるだろ。気合い入れるとか、激励みたいな……何か言え」

 

 髪が長かったころの彼を彷彿とさせる、ぶっきらぼうな言い方だった。

 というと本人はたぶん気まずそうにするんだろうけど、やっぱり俺は“ルークさん”も大好きだったから、懐かしさに思わず顔が緩んだ。

 

 先へ進む自分のほうがよほど危険なのに、残る俺のことを心配してくれる“仲間”に。

 俺の覚悟を分かってくれているからこそ、心配だと言えない代わりに、お前がこっちの背中を押せと促す“ともだち”に。

 

 相応しい言葉は、なんだろうか。

 

(ああ……そうだ)

 

 脳裏を過ぎったのは、行ってこいと背中を押してくれた太陽みたいな青と、終わらせて来いと送り出してくれた不機嫌な緋色だった。

 

「いってらっしゃい、ルーク」

 

 そうして口から零れたのは、何の変哲もない、日常の音。

 

 決戦の地へ向かう相手に送るにはあまりにも平和な響きを帯びたそれに、ルークは一瞬ぽかんと呆気にとられた後、すぐに「はぁ!?」と声を上げた。

 

「~~~っお前なぁ! 買い出しの見送りじゃあるまいし! もっとなんか、鼓舞する感じのこと言えよ!!」

 

「で、でもオレが『行ってこい!』とか言ったら偉そうじゃないですかぁ……」

 

「まぁイラッときますね」

 

 大佐がいつもの笑顔で肯定した。ですよね。

 

 赤い瞳はそれ以上何も語らず、そのまま颯爽と身を翻して歩き出す。

 ガイがその背中に、もう少しまともに声を掛けていかなくていいのかと苦笑混じりに零す声を聞きながらも、俺は十分だと思っていた。

 

(だって)

 

 あのひとが黙ってこの場を託してくれたこと。

 その事実だけで、俺には十分だった。

 

 緩む口元をそのままに、青い軍服の背中と、ルーク達に向けて敬礼をする。

 

「いってらっしゃい、みんな!」

 

 きっちりした軍仕込みのそれには不釣り合いな激励の言葉を、今一度繰り返した俺に、仲間たちはそれぞれ頷いたり、手を振ったりしながら背を向けて歩き出していく。

 

 ルークは、やっぱりそれなのかと呆れたように眉根を寄せたけど、やがて小さく噴き出して肩の力を抜き、

 

 

 「いってきます」と、笑った。

 

 

 



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Act92 - ただいまの約束

 

(――うたがきこえる)

 

 

 

 

 とても長くて、あっという間の旅だった。

 

 怖くて、

 つらくて、

 哀しい旅。

 

 楽しくて、

 うれしくて、

 温かい旅。

 

 

 『ごめんなさい、連れがあんな態度で』

 

  『ほんとに臆病ね。……私は平気よ、だから泣かないで』

 

   『ルークはあなたに謝ってほしくて怒ったわけでは、ないと思うわ』

 

 

 ティアさん。

 

 

 『チッ、お邪魔虫が』

 

  『リック暗くなったらそれこそ空気重いじゃん』

 

   『……ご飯は、リックのオゴリだからね』

 

 

 アニスさん。

 

 

 『よろしくな、リック』

 

  『喧嘩ってお前、ハハッ、そっかそっか!』

 

   『お前ももう、自分の好きなもの、見つけてもいいんじゃないか』

 

 

 ガイ。

 

 

 『その頭の悪そうな信託の盾や無愛想な信託の盾や、臆病そうなマルクト兵士より役に立つはずですわ!』

 

  『私は、リックの話が聞きたいのです』

 

   『恐がりで、涙もろくて、やさしい……私はそんなリックが“大好き”ですわ』

 

 

 ナタリア。

 

 

 『頭を冷やしなさい』

 

  『食べないなら、捨てますよ』

 

   『行けますね』

 

 

 ジェイドさん。

 

 

 『なんで俺が謝るんだよ』

 

  『俺たち友達なんで!』

 

   『ケンカは両成敗、なんだろ』

 

 

 ルーク。

 

 

 

 ――それはとても

 

   とても たいせつな、旅でした

 

 

 

 

 上階から響いていた戦闘の喧騒が止み、息が詰まるほどの重圧が消えた。

 足下にいたミュウが駆け出した気配を感じながら、俺は大階段を背にする形で、剣の柄に手を添えたまま、その場にとどまった。

 

 ミュウと入れ替わるようにひとつ、足音が降りてくる。

 

「行かなくていいんですか」

 

 その問いに、首を横に振って答えた。

 

「オレの役目はまだ終わってませんから」

 

 退路を確保すると言った。

 だからみんながここを通り過ぎるその時まで、動くわけにはいかない。

 

「貴方も大概、融通のきかない性格ですねぇ」

 

 “貴方は”ではなく“貴方も”と言った上司は、そのまま俺の横を通り過ぎて、振り返らずに歩いていった。

 

 ふたつめの足音。

 ガイが労うように俺の肩を叩いて行った。

 

 みっつめの足音。

 アニスさんは俺の背中に一度抱きついてから、ぐいと目元を拭ってまた歩いていった。

 

 よっつめの足音。

 ナタリアは「よろしいんですの?」と言って気遣わしげに俺を見る。

 頷いて返すと、哀しげに目を伏せながら離れていった。

 

 いつつめの足音。

 腕にミュウを抱いたティアさんが、俯いたまま、静かに俺の横を通り過ぎる。

 

 むっつめ。

 

 

 むっつめの足音は、しなかった。

 

 

 握りしめていた剣の柄から、するりと掌が離れて落ちる。

 

 地響きが大きくなった。エルドラントは、もうすぐ崩壊するのだろう。

 足に伝わる振動に促されるようにして後ろを振り向く。

 

 ――上へ向かうための長い長い階段はすでに、中程から大きく、崩れていた。

 

 そちらへ踏み出しかけていた足をゆっくりと引き戻し、背を向けて歩き出す。

 少し歩調を早めて先に行ったみんなの後を追えば、思いのほか、すぐに追いつくことが出来た。

 

 そのまま青い軍服の隣に並ぶと、静かな声が空気を揺らした。

 

「胸は貸しませんが、見ないふりくらいならしますよ」

 

「え?」

 

「泣いたらどうですか」

 

 こちらを見ないまま告げられた言葉に目を丸くする。

 

「泣くなって言われたことはたくさんありましたけど、泣けって言われたの初めてだ。なんだか不思議な感じがしますねぇ」

 

 しみじみと呟けば、その瞳がようやく俺を捉えた。

 細められた赤を見返して微笑む。

 

「泣きませんよ」

 

 そっと目を伏せて、上を向いた。

 

「……泣きません」

 

 薄く瞼を開ければ網膜に染みつくような夕暮れ。優しい赤色。

 

 足を止めずに歩き続ける俺の頭に触れた手は、すぐに離れた。

 それと同時に歩調を速めて先に行ってしまった背中に、何か声をかけたいなと思ったけれど、何も言葉にならなかった。

 

「ジェイドさん」

 

 だから、ただ色んな気持ちを込めて、大好きな名前を呼んだ。

 

 離れていく背を追って地面を蹴る。

 後ろは振り返らない。その必要はなかった。

 

 だって俺がルークと交わしたのは、別れの言葉なんかじゃない。

 ルークにはそんなつもりはなかったかもしれないけど、それでも、俺のとても一方的な祈りにも似た、それは。

 

 

 “いってらっしゃい”

 

 “いってきます”

 

 

 

 ――――「ただいま」を聞くための、約束。

 

 

 



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エピローグ
Act93 - そらとぶ にわとり


 

 

 

 エルドラントでの戦いから、三ヶ月。

 

 

 

「よう。カーティスの旦那」

 

 背後から掛けられた声が呼んだ名前に、俺はぎしりと固まるように足を止めて振り返る。

 

「その呼び方やめてくれよガイ……」

 

「なんだ、まだ慣れないのか?」

 

「慣れるわけないじゃないですか畏れ多い!!」

 

 めずらしくからかうように笑うガイに向けて、青ざめた顔でぶんぶんと首を横に振った。

 

 そう。

 今ガイが呼んだ“カーティスの旦那”は、ジェイドさんのことではない。

 

「もうなんか……自分の存在に対してファミリーネームが重すぎて、呼ばれるたび震えそうになる」

 

「そう言いつつすでに震えてるな」

 

 震えもするだろう。

 なにせ今の俺はもうただのリックではなく、『リック・カーティス』だというのだから。

 

 

 エルドラントが落ち、ヴァンが消え、目前に迫っていた危機は去った。

 

 しかしそこでめでたしめでたしと終わるわけにいかないのが現実で、プラネットストームを停止したことによる影響など、残された課題は山積みだ。

 でもそれも世界が……未来が続いたからこそと思えば、大変であっても、辛くはない気がした。

 

 いやピオニーさんは「ブウサギになりたい」とか真顔で口走るほど忙しいみたいだし、ジェイドさんも執務とフォミクリー研究を再開するための根回しとか、正直いつ寝てるんだろうってくらい毎日仕事漬けなので辛いかもしれないが。なんか本当にお疲れさまです。

 

 というと他人事のようだが、この三ヶ月は俺も、一応それなりに忙しい日々を送っていた。

 

 各国が怒濤の事後処理に追われる中で、さしあたって共通の急務が、世界中に散らばったレプリカ達への対応だ。

 各国は連携してレプリカ問題に当たる部署を設けることを決め、マルクトでもレプリカ対策部を開くことになった。

 

 そしてエルドラントに行く前に頼み込んだとおり、ピオニー陛下はその新設レプリカ対策部に俺を押し込んでくれた。

 

 ――“レプリカ保護官”として。

 

 自分は雑用だと何の疑いもなく思っていたところでの大抜擢に、なんかもう最初は喜ぶより、俺が頼んだせいで陛下に必要以上の職権乱用をさせてしまったのかと恐れおののいた。

 

 だが、どうもそういうわけではないらしい。

 他にも十数人がレプリカ保護官に任命されたのだが、そこには俺のように、あまり階級が高くない人もけっこう居たのだ。

 

 なんでもレプリカに嫌悪感を持っていないことを優先した人選だそうで、何もなくても俺はこの部署に組み込まれる事になっていただろうとのことだった。

 「頼み損だったな」なんて笑われたけど、それよりも俺が深く考えずに口にした“レプリカ保護官”という役職名が国際的に採用されている事実にびっくりしましたピオニーさん。しかしそんな驚きは間もなく更なる驚きに上書きされて、すぐ些細なものに変わることになったのだが。

 

 まずレプリカ保護官への任命にあたり、俺がレプリカであるという事実が公表された。

 

 いや、これは別に構わないのだ。

 事前に聞かされてなかったのでちょっと驚いたけど、陛下や大佐がいいというなら、もはや俺に隠しておく理由はなかった。

 

 ガイなどは、何も世間がレプリカに過敏になっているこの時期にしなくても、と心配そうにしていたけれど、大佐は「だからこそ」だと言っていた。

 痛い腹も探られる前に開いてしまえば楽なもの、らしい。

 

 それに保護官としてレプリカ達に接触するなら、自分もレプリカだと周知されているほうが動きやすいだろうという話だった。

 

 確かに、俺が同じレプリカであるという情報が出回っていれば、警戒心も少しは緩むかもしれない。

 もちろんそれだけで無条件に信用してもらえるとは思っていないが、とっかかりにはなるはずだ。

 

 誰も彼もが動物的な勘で同種を見分けられるわけじゃないですからねぇ、と言ったジェイドさんのぬるい眼差しをふと思い出す。な、なんですか。

 

 ……さて、このへんからようやく、俺の名前がものすごく荘厳になってしまった話に関係してくる。

 

 会議室の偉い人達は、突然明かされた事実にそれはもうざわついていた。

 

 仕方のないことだろう。

 現状においてレプリカは、突然現れた得体の知れない、誰かと同じ姿をした別人なのだから。

 

 中にはあまり驚いていない様子の方々も数名いたが、そういう人はここ最近のレプリカ騒動を照らし合わせて、ある程度 察していたのかもしれない。ゼーゼマン参謀総長も、ふむふむと納得したように白い髭を撫でていた。

 

 反面、一気に剣呑な空気をまとった方々もいて、これはレプリカ保護官どころか退役させられるのではと俺が青ざめた瞬間。

 

「私事ですが」

 

 聞き慣れた、低いのによく通るジェイドさんの声が空気を揺らした。

 さほど大きな声でなかったにも関わらず、室内のざわめきがピタリと止む。

 

 ジェイドさんは淡々と言葉を続けた。

 

「実はつい最近、養子を迎えまして」

 

「……えぇ!!?」

 

 衝撃の告白に、俺は自分が針のむしろにいることもすっかり忘れて声を上げた。

 

 寝耳にスプラッシュにもほどがある。

 陛下は知っていたのか、何やらにやにやしていた。

 

 何でどうしていつの間に、いやまずはおめでとうございますお父さんですね!と騒ぎ立てる俺を一睨みならぬ一笑顔で黙らせてから、ジェイドさんは会議室の面々をぐるりと見回す。

 

「名を、リック・カーティスと言います」

 

 俺と同じ名前なのかすごい、なんて、脳天気なことを考えていられたのは一瞬だった。

 ピオニーさんが大笑いする声をどこか遠くに聞きながら、真っ白になった頭でぽかんとジェイドさんを見る。

 

「この度レプリカ保護官に就任することになったそうで、ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが」

 

 赤い瞳をすっと細めたジェイドさんは、それはそれはきれいな顔で、笑った。

 

「――――どうぞよろしくお願い致します」

 

 有無を言わさぬ迫力を秘めたそれに、先ほどまで剣呑な雰囲気をまとっていた人々が思わずと言ったように黙り込む。

 カーティス家が後ろについているとなれば、相手がレプリカといえども、たやすく進退に口を挟むわけにはいかないのだろう。

 

 ……大佐の笑顔が怖くて何も言えなかっただけかもしれない。

 

 会議の後、執務室に戻ってもまだ呆然としていたらジェイドさん渾身のアイアンクローをくらってしまい、悲鳴をあげながら俺はようやく自分がジェイドさんの養子になったらしいという事実を認識した。

 

 

 そうしてカーティス家……さまに、身元を保証されることとなったわけなのだが、知らないうちに手続きが全部終わってたんだけど大丈夫だったのだろうか。色々と。

 

「オレ、署名とかしなくてよかったのかなぁ……」

 

「俺はそれよりも旦那がどうやってカーティス家を丸め込んだのかと思うと心底怖い」

 

 あの実力主義と噂の堅物たちに、とガイが引きつった顔で呟いた。

 不敵な笑みで眼鏡をきらりと光らせる大佐の姿が脳裏を過ぎる。……あまり考えないようにしよう。

 

 ガイも同じ結論に達したのか、気を取り直すように笑って話題を変えた。

 

「にしても、リックと会うのは久しぶりだな」

 

「ガイも忙しそうだったもんな。大佐とか陛下に色々頼まれてて」

 

 キムラスカ、というかナタリアに届けたい大事な手紙があるときは大体ガイが持って行くから、グランコクマにいないときも多いのだ。

 空いた時間はエルドラントの捜索に加わっているそうで、会える機会はさらに少なかった。

 

 ガイが、ふと真剣な表情になって俺を見る。

 

「そういえばリック。陛下に聞いたんだが、被験者の家族に会ったんだって?」

 

 その問いに、俺は目を丸くした後、小さく微笑んで頷いた。

 

「グレン将軍にブラッドペインを返しに行ったときにさ、被験者のお母さんと道でばったり」

 

「……どうだったか、聞いていいか?」

 

「うん。向こうも驚いてたけど、オレがそれ以上に驚いて慌ててたせいかな。家に来てお茶でも飲んでいったらって、誘ってくれたんだ」

 

 心の準備も何もない再会でろくに頭の回っていなかった俺は、言われるがまま誘いに乗って家を訪ねた、のだが。

 

「家に行ったら妹さんにさ、『どの面さげて会いに来たのよ』って言われて」

 

「…………」

 

 気遣わしげに眉を顰めてくれたガイに、心配ないという意味を込めて笑みを浮かべた。

 

「――で、ミスリルソードで斬りかかられたんだ」

 

「……ん!?」

 

「いやぁさすが剣術に優れたという被験者の妹さん! 鋭い太刀筋だった!」

 

「あっ、顔の絆創膏それでか!!」

 

 俺の頬にぺたりと貼られた絆創膏を指さしたガイに「ああ!」と元気に肯定を返す。ちょっとした兵士より強かったです。

 

「でも被験者のお母さんが、またおいでって言ってくれたんだ。だから……また、行けたらいいな」

 

 目も合わせてもらえないと思っていた。それだけのことを俺は彼女たちにしてしまったのだから。

 けれど実際に会った妹さんは、目をそらすどころか、まっすぐに俺のことを見つめて――ミスリルソードを手に取った。

 

 あとはもう真剣にやらないと本気で斬り捨てられそうだったので萎縮している暇もなかったが、その剣戟の最中(さなか)に、ふと思い出したのだ。

 

 出会ったときの俺は被験者のふりをしていたから、彼女達に自分の名前を伝えていないのだと、あの旅の中で気づいたことに。

 

 だから。

 

『っ“はじめまして”! オレは、リックと言います!!』

 

 ごめんなさい。

 ずっとずっと遠回りをしてきました。

 

 だけどもう、逃げないから。

 

 そんな思いで叫んだその瞬間、なぜか妹さんの剣がぴたりと止まった。

 え、と思う間もなく、俺の剣が彼女のミスリルソードを弾き飛ばす。

 

 落下したミスリルソードをちらりと目で追った後、妹さんは鋭くこちらを睨み上げた。

 そして、次は自分が勝つ、と言って俺を家から蹴り出し、足音荒く部屋の中に戻っていく。

 

 その背中を見送って玄関の前で呆然と立ち尽くしていた俺に、今日はお茶は無理ねと被験者のお母さんが微笑んで、またおいでと、言ってくれた。

 

「……そうか。よかったな」

 

「うん」

 

 ガイと顔を見合わせて、笑いあう。

 

 すべての問題がおとぎ話のように解決したわけじゃないけれど。

 それでも俺達は、たしかに前へ、進み出したのだと思う。

 

 前へ……。

 

「そうだジェイドさんに報告に行く途中なんだった!!」

 

「悪い、引き留めたな。最近特に忙しくて機嫌よくないから、早く行かないとえらい事になるぞ」

 

 一分一秒の遅れがミスティック・ケージを生みかねない。

 じゃあまた、と気安い挨拶を交わしてガイと別れ、俺は大急ぎで大佐の執務室に向かって駆けだした。

 

 

 

 

 必死に走った結果、なんとか時間通りに到着したらしく、入室と同時に譜術が飛んでくるようなことはなかった。

 ほっと胸をなで下ろしながら色んな報告をしていると、突然、執務室の扉が大きな音を立てて開いた。

 

「リック兄ちゃん!」

 

 元気な声と同時に飛び込んできたのは、三十代前半くらいの男性だった。

 その顔に浮かべられた無邪気な笑顔を見返して、俺はきりっと眉をつり上げる。

 

「こーら。こっちまで入って来ちゃダメだって言ったろ?」

 

 腰に手を当て、めいっぱい年上ぶって注意すると、彼はムスッと口をとがらせてそっぽを向いた。

 

 見た目の年齢にそぐわない、子供のような反応。

 それは事実、彼が生まれて一年も経っていない“こども”であるからだろう。

 

「だってお話の日なのにさぁ、兄ちゃん中々来ないから」

 

 彼は、ここで保護しているレプリカのひとりだ。

 

 いずれは専用の保護施設を設けて、自我の成長具合などを見つつそれぞれの身の振り方を考えていく予定なのだが、今のところはこうしてマルクト軍で保護する形となっている。

 

「ごめんごめん。もう少ししたら行くから」

 

「……わかった。早くきてよ」

 

「うん」

 

 部屋の前まで見送りに出て手を振ると、ようやくにかりと笑って頷いてくれた。

 

「今日は、レッドが髪切って戻ってきたところからだからなー!」

 

 そして執務室の中までよく響く大声でそう言い残し、彼は走り去った。

 

 ぱたんと扉を閉める。

 俺はノブを握りしめたまま、おそるおそる口を開いた。

 

「……アビスマンの話でして、」

 

「アビスレッドに断髪イベントはありませんでしたけどねぇ」

 

「うう」

 

 おそらくダアトで劇をする際に一回通し読みしただけであるはずの、かなりの巻数が出ている絵本の内容をいまだに覚えてるジェイドさんすごい。

 

「いつまで扉に懐いているつもりですか」

 

 肩越しにちらりと後ろを見れば、呆れたような赤色の瞳があった。

 

「隠すほどのことでもないでしょうに、何を一人で慌てているのやら」

 

「き、機密にあたる所とか名前はちゃんとぼかしてます!!」

 

「だから落ち着きなさい。別に怒っても責めてもいませんよ。第一、世間ではもっと真実味のある根も葉もない英雄譚が、山ほど出回っているんです」

 

 そこに俺のつたない語りのヒーロー話がひとつ紛れ込んだところで誰も気にはしないと言って、大佐は手元の書類に視線を落とす。そうだ俺も報告書をまとめなくては。

 はっとして懐いていた扉から離れ、来客用の机と長椅子(主に使っているのは陛下)のほうに移動した。

 

 そのまま少しの間、紙がめくれる音と、ペンの走る音、このグランコクマでは絶え間なく聞こえる水の音だけが室内に響く。

 使い終わった資料を束ねて、とんとんと角を揃えながら、俺はふと窓の外を見やった。

 

 薄い硝子の向こうには青く抜けるような空。

 

「ジェイドさん」

 

 その眩しさに、目を細めた。

 

「オレ、前にルークに言ったんです。アクゼリュスのとき“俺達はどっちも間違ってた”って」

 

 ペンの音が止む。

 振り返れば、赤い瞳が静かに俺を見ていた。

 

「そのときはそれで合ってると思ってた、けど……最近思うんです」

 

 答え合わせが出来るのはいつだって答案用紙を出した後で、書き込んでいる最中には、それが合っているかどうかなんて考える余裕もない。

 

 そんな正しさも間違いもまだ分からない道を、それでも懸命に、それぞれが前だと思った方向に向かって。

 

「――オレ達はあの瞬間を“生きた”。本当はただ、それだけだったんじゃないかって」

 

 ジェイドさんは肯定も否定もせず、黙って俺の言葉に耳を傾けてくれている。

 それがなんだか嬉しくて、緩んだ表情をそのままに話を続けた。

 

「最近レプリカ達にみんなの……あの旅の話をしているんです。オレは、ルークが“英雄”じゃなくて、“人間”であったことを伝えたい」

 

 最初はワガママで、でも優しくて、

 大きな罪を犯して、くじけて、

 

 それでも必死に前を向いて、変わって、

 これからってときに残酷な決断を迫られて、

 

 死にたくないって泣いて、震えて、

 だけどその道を選ぶしかなかったルークを。

 

「かっこわるくて、かっこよかった。オレの大好きな“ヒーロー”のことを、誰かに知ってもらいたいんです」

 

 目の奥に滲みかけた熱を深呼吸で逃がして、へへ、と小さく笑う。

 

「あともうひとつ、訂正していいですか?」

 

「なんです」

 

「“何もすることがない”のは“何かしなきゃいけない”より怖いって、前に言ったような気がするんですけど」

 

 確かアラミス湧水洞にルークを迎えに行く前だっただろうか。

 

「実際は、どっちも同じくらい怖いんですね」

 

 選ぶこと。選ばないことを選ぶこと。

 臆病者には、どちらも比べようがないほど大変で恐ろしいことだった。

 

「怖いけど……でも、何かしてる自分のほうが好きになれそうな気がするんです」

 

 失敗ばかりの自分が情けなくなる事なんてしょっちゅうだけど、そんなときは、どれだけ倒れても決して諦めなかったヒーロー達の背中を、思い出すから。

 

「だからオレも、自分の選んだ道をがんばって進んでみます」

 

 今度こそ自分自身の力で、“大丈夫だよ”と、彼らに伝えてあげられるように。

 俺がめずらしくはっきりとそう言い切って笑えば、ジェイドさんはゆるりと口の端を上げて、「ところで」と扉のほうを指さした。

 

「いい加減、行かなくていいんですか?」

 

 “お話”の日なんでしょう、と付け足された言葉に はっと窓の外を見れば、差し込む光がだいぶ傾いてきていた。

 

「うわぁみんなに怒られる!!」

 

 思ったより話し込んでいたらしい。

 幸い仕事は終わったから、このまま彼らが待つ部屋に向かえばいいだけだ。

 

 纏めた書類を慌てて片づけて、椅子を立った。

 

「す、すみませんジェイドさん! いってきます!!」

 

「はいはい。いってらっしゃい」

 

 さらりと返された言葉に一瞬動きを止める。

 

 あの旅が終わった後……いつのころからだっただろうか、ジェイドさんは俺の「いってきます」に、必ず「いってらっしゃい」と答えてくれるようになっていた。

 

 俺はそのたびにこうして固まって、嬉しさに熱くなる頬を自覚しながら視線を漂わせ、もう一度「いってきます」と返すのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 ばたばたと慌ただしく出ていった背中を見送ってから、広げた書類に視線を戻して数分後、控えめなノックの音が執務室に響いた。

 紙面に視線を落としたまま入室の許可を出すと、おそるおそる開かれた扉の気配に、ジェイドはようやく顔を上げる。

 

「……リックお兄ちゃんは?」

 

 扉の隙間からこちらを覗いてそう言うのは、二十代前半ほどの女性だった。

 しかし先ほど来た男性と同じく、彼女もまた見た目通りの年齢を持たないレプリカだ。

 

「一足遅かったですね。つい先ほど、貴方たちの部屋に行きましたよ」

 

 そう教えれば、こくりとひとつ頷いたレプリカに、ジェイドはふと声をかける。

 

「いつもあのお兄ちゃんから、どんなお話を聞いているんですか?」

 

 あの子供は『みんなの話』だの『旅の話』だのと、漠然とした言い方を選んでごまかしていたが。

 

「……とてもたのしいの。“六人”の、ヒーローさんのお話」

 

 その言葉にジェイドはやはりと小さく苦笑して、扉を閉めて帰ろうとしていたレプリカを呼び止めた。

 

「リックお兄ちゃんが留守のときは、いつも話を聞いている皆をここへ連れてきなさい。代わりに私がおもしろい話を聞かせてあげますよ」

 

「……ほんと? いいの?」

 

「ええ。ただしリックお兄ちゃんには内緒で」

 

 目を輝かせて頷いたレプリカに、ジェイドはそっと笑みを返す。

 

 

 

「いつも泣いてばかりいた、七人目のヒーローの話をしましょう」

 

 

 

 窓の向こう、高い空に飛び立った真っ白な鳥が、

 

 

   ――――天まで届くような声で鳴いた気がした。

 

 

 

 

 

 



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