朽ちぬ花 (粗茶Returnees)
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小学生編
1話


 思いつきです。不定期更新となります。


 

 大赦という組織は、数家の名家が多大な発言力を握っている。それは初代勇者を排出した『白鳥家』『土居家』『伊予島家』『高嶋家』『乃木家』の他、神世紀にてカルト集団を鎮めた『赤嶺家』、さらに『鷲尾家』『三ノ輪家』がある。そして、大赦内では『乃木家』と何代も巫女を排出する『上里家』が最も力を持っている。

 長女かなたは巫女としての素質を高く持ち、中学生ながらに大赦での発言力も高く、その言葉の鋭さから彼女の聡明さが見える。そんな彼女にも大きな悩みというものがあり、その解決策を見出だせずにいた。

 

「おはようございます。かなた姉さん」

「……おはよう、暁葉(あきは)

 

 その悩みの種というのが、実の弟であるこの暁葉であった。彼が問題児というわけではない。むしろその逆で、彼はかなたに引けを取らぬほど優秀な人間だ。しかし、かなたが気づいた頃には、暁葉の立ち居振る舞いが変わっていた。年子の姉弟であるというのに、かなたに対して一歩引いた態度で振る舞っている。それは両親や他の人間に対しても同じ。暁葉がこうなってからというもの、かなたは一度も暁葉の素の笑顔を見ていない。

 生活時間をずらされる、ということはなく。共に食事をし、会話も不自然に途切れることはない。ただ、暁葉が砕けた口調をしないだけだ。この日も共に朝食を取り、使用人達にお礼を言ってから屋敷を出る。かなたや暁葉は、他の人と同様に小学校へと通っている。大赦に行くのは放課後だ。正門前まで迎えの車がやってくる。

 

「かなた姉さん。中学校の生活はどうですか?」

「特に変わらないわ。教科の名前が変わったりするけど、大したことでもないし」

「そうなのですか?」

「そういうものよ。暁葉はどうなの? 最高学年になって、周りも少しは意識が変わってるでしょ?」

「たしかに変わった気はしますが、大きくは変わってませんね。皆さん神樹館系列の中学校に進むおつもりのようですから」

「……そう」

 

 周りが変化したら、少しは暁葉も変わるかもしれない。そんな淡い期待をしていたかなただが、暁葉のこれ(・・)は筋金入りらしい。車を運転する使用人はポーカーフェイスを貫くが、二人が生まれる前から務めている人だ。暁葉の昔を知っており、暁葉の変化によるかなたの心情も知っている。どうにか力になれないかと、苦悩する一人だ。

 屋敷から先に着くのは、暁葉が通う神樹館小学校だ。かなたの母校でもあり、去年度には三人の勇者も通っていた。車が正門付近で止まり、暁葉が車から降りる。かなたと暁葉は手を振り合い、車はゆっくりと動き始める。暁葉が見えなくなったらかなたも視線を前に戻す。それを待っていたかのように、運転手が口を開いた。

 

「かなたお嬢様。少しよろしいでしょうか?」

「なんでしょうか?」

「実は、かなたお嬢様の悩みを解決できるかもしれない案件が、お一つございます」

「本当ですか!?」

 

 思わず身を乗り出すかなたに、使用人はちゃんと座るように促す。かなたは取り乱した恥ずかしさを誤魔化すために咳払いし、どういう案件なのか聞き直す。大人顔負けの聡明さを持つかなたでも、なかなか思いつかなかった事だ。藁にもすがる気持ちで、ルームミラー越しに使用人を見る。

 

「我々の力だけでは限界があります。必要なのは外部の力。それも暁葉様に多大な影響を与えられるような人物」

「そんな方が……?」

「かなた様もご存知のお方ですよ。去年度、クラスは違えど同じ学び舎にいた方ですから」

「クラスは違えど……っ! まさか……!」

 

 使用人が言わんとする人物を頭に浮かべ、かなたは驚愕を顕にする。たしかにその人物なら、暁葉に影響を与えられるだろう。何せ、あれだけ個性が強いのだから。

 しかし、かなたには一抹の不安があった。それは、そもそもそれが実現するのかということ。その人物の性格なら、頼み事を断るとは思えない。問題はそこではなく、その人物の現状だ。今や最大の発言力を有するその人に、果たして暁葉のような一介の少年が会うことを周りが許すのか。唯一にして最大の障害である。

 

「実現可能なのですか?」

「その段取りを用意し、見込みが十分にあると判断したからこそ、提案させていただきました。既に先方の家には話をしております。協力してくださると、潔く受け入れてくださいました」

「あとは大赦に口出しさせないようにするだけ……。分かりました。あとは私の力で済ませます。お気遣いありがとうございました。他の者たちにも私の感謝の言葉を一足先にお伝えください」

「かしこまりました」

 

 中学校に着き、かなたは改めてお礼を言ってから車を降りる。目の前の学び舎に足を踏み入れ、授業のことを考える傍ら、その案を実現するための手段を確認する。話を聞いた段階で、かなたの脳内には策が出来上がっていた。その策に穴がないか確かめ、焦ることなく実行するのみである。

 

 その日の放課後、かなたは暁葉を連れて大赦内を歩いていた。いつもならすぐに別れ、それぞれの役割に専念するのだが、かなたはそれを後回しにしている。そんな事は初めてで、暁葉は怪訝そうにかなたの背を見つめるが、背から読み取れるものは何もなかった。ただ姉について行き、だんだん人気がなくなっていくことに眉をひそめる。

 大赦という組織は大きいが、決して余裕があるわけではない。世界を滅ぼす敵バーテックス。それに対抗できるのは勇者のみ。そしてその勇者をバックアップするのが大赦の役目だ。神を相手取っているのだ。一日も余裕のある日はない。それ故にたいてい忙しなく職員は動き回る。こうして人気が少ない場所に来ることもない。しかし、かなたは迷うことなく暁葉を連れて、その場に踏み込んで行く。

 

「そろそろ私にさせようとしていることを、教えてくださいませんか?」

「そうね。先に話しておくべきだったわ」

 

 かなたは背を向けたまま、暁葉にこれから担当させる仕事を説明する。曰く、それは大変名誉なことであり、失敗は許されないのだそう。もし失敗すれば、大赦内での立場がなくなるだけでなく、上里家の力も落ちかねない。

 そんな大きな仕事を、なぜ任されるのか。暁葉の脳内でその疑問が踊り回る。そういう仕事をこなしてきたのは、他でもないかなたなのに。しかしかなたは、その疑問に気づいていながらあえて何も言わなかった。部屋の前まで案内し、暁葉の意志を確認する。

 

「どうする? 今ならまだやめられるけど?」

「……やります。かなた姉さんに任されたのですから、やり切ってみせます」

「そっか。じゃあ、今日から話し相手(・・・・)になってあげてね」

「……はい?」

 

 かなたが言っている意味を理解できなかった。かなたは嬉しそうに微笑むだけ微笑んで、来た道を帰っていく。自分の仕事に取り掛かるために。取り残された暁葉はしばらく逡巡し、自分の役割はきっとお偉方の接待なのだろうと当たりをつける。

 扉を開け、部屋の中に足を踏み入れる。その部屋は物々しく、広い部屋に天幕付きの構造物があるだけ。まるで社のようだ。赤い灯りが部屋を薄暗く照らし、天幕の中だけが普通の部屋のように白い灯りに照らされる。暁葉はその手前まで足を進め、声をかけようとしたところで中から先に声が通ってきた。

 

「入っていいよ〜」

 

 のんびりとした口調だ。声からそれが女の子の声だと分かる。若い声で、姉と変わらないぐらいではないかと予想を立てる。

 

「かしこまりました。失礼します」

 

 天幕をくぐって中に入ると、そこにはやはり少女がいた。そして、これまたやはり普通ではない。全身に包帯が巻かれ、肌色は見えず、見えるのは可愛らしい左目と口のみ。点滴も打たれており、体を動かせないことが容易に分かる。よく見れば左腕や両足も見受けられない。想像を絶する事態に巻き込まれたのだろうか。

 

「へい! アッキィィ! 今日からよろしくぅぅ!」

「失礼しました」

 

 暁葉は頭を下げ、足を引いて天幕から出た。

 

 これが勇者乃木園子との出会いだった。

 



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2話

 

 ベッドの横には椅子が用意されており、暁葉は姿勢を正してその椅子に座っている。園子から見て左側になるのだが、園子の左目には硬い表情の暁葉が映っていた。前情報である程度話を聞いていたが、どこまでが本当なのだろうと疑っている部分もあり、まさか言葉通りだとは園子も思っていなかった。

 

「さっきはごめんね〜。硬い感じでやるのもどうかと思ったんよ〜」

「いえ、園子様のお気遣いとは知らず、失礼な対応をしてしまいました。重ね重ねお詫びします」

「あはは、本当に聞いてた通り硬いね〜。あっきーはそれがクセなの?」

 

 第一声から呼ばれていた呼び方なのだが、暁葉はそこを聞かずにはいられなかった。園子に質問されている立場であるため、先にそれに答えないといけないのだが、失礼を承知で暁葉は質問をする。

 

「あっきーというのは?」

「え? ……あー、ごめんごめん。私って人のことあだ名で呼ぶのがクセなんだ〜。あっきーが嫌ならあっちゃんはどう?」

「その方が嫌ですね」

「じゃあアキサブロウ?」

「それはもはや別人です」

「あ、閃いた! アキヒ──」

「それ以上はいけません。あっきーでお願いします」

 

 このままでは園子がエスカレートし、ヘンテコなあだ名が付けられる。直感でそう察知した暁葉は、一番まともで最初に園子がつけたあだ名にしてもらう。園子にしても、それが一番しっくり来ていたらしく、暁葉の要望を嬉しそうに聞き入れた。表情のほとんどは見えないが、その瞳と雰囲気から判断できる。それは、元から感情表現が豊かな園子だから相手に伝わるのだろう。

 

(思っていたような仕事ではない。……イメージを一度取り払っておくべきか)

 

 固く考え過ぎていた。しかし、姉から言われている内容も漠然的なもので、具体的な仕事内容は園子から聞くしかない。ここでただイタズラに時間を消費するわけにもいかず、暁葉は園子に問うことにした。自分に何を望んでいるのかを。

 

「へ?」

「?」

 

 暁葉の質問を受けて目をぱちくりさせる園子。その反応に暁葉も首を捻った。隔離されている状態で、これだけ物々しい部屋にいるのだ。園子が大赦の中でも格別な存在であることは明白。そんな人物の下に連れて来られた。そこから考えられるのは、どういう経緯かは知らないが、園子の方からアクションを起こしたと考えるのが妥当である。それなのに、園子はまるで特別な用などないといった調子で小首を傾げている。

 

「あー、そういう事か〜。もう、かなりんってば丸投げなんだから〜」

(かなりん……かなりん? ……まさか……いや、違うか)

 

 仕方ないな〜と呟きながら微笑む園子の横で、暁葉はかなりんなる人物が姉に該当するという可能性を消す。さっきの調子であだ名を決めるなら、十分あり得る話なのだが、そもそも園子との接点がなかった。家同士の交流はあれど、姉弟ともに揃って園子と会ったことがない。園子は勇者としての訓練。かなたも巫女としての修練があり、暁葉は迷惑をかけないようにと細々としてきた。

 過去を振り返ってみても、やはり園子との接点などなく、暁葉はかなりんという人物が別人だと結論づけた。そこで視線を感じ、そちらに目を向けると園子が暁葉を見つめていた。一人思考に耽っていたことに気づき、すぐさま向き直った暁葉に、園子はおかしそうに笑う。

 

「ふふっ、そんなに畏まらないでほしいな。あっきーのお仕事は難しいことじゃないんだし」

「と、いうのは?」

「あっきーの今日からのお仕事は、私の話し相手だよ」

 

『話し相手になってあげてね』

 

 暁葉は思わず額に手を当てた。姉の言い方がものの例えでもなく、仕事内容を緩和化したものでもなく、本当に言葉通りのものだったのだから。そのような仕事があっていいのか。そもそもこれを仕事と呼んでもいいのか。数秒考えた暁葉だが、園子の存在を思い出して納得する。園子のことをほとんど知らない暁葉だが、彼女が常人の域を超えていることはこの部屋から察せられる。特別な存在の相手ともなれば、なるほど重大な任務だ。

 

「分かりました。私などで良ければ勤めさせていただきます」

「硬いな〜。もっとフランクにいこうよ。友達って感じで!」

「いえ、私と園子様では友人関係になれません。私がそのような立場になど」

「……そっか」

 

 寂しそうに瞳を伏せる園子に、しかし暁葉は言葉を紡げない。そもそも暁葉と園子では、今日からのこの関係に対する認識が違うのだ。園子にとって暁葉は話し相手であり、あわよくば友人となりたい。それに対する暁葉は、園子のことを役目の相手と捉えている。あくまで仕事として話し相手になるのだと。

 かなたの狙いは、園子の人間性に頼って暁葉を軟化させること。園子も両親やかなたからそう聞いている。しかしそれを暁葉に告げることはできない。周りよりも大人びている暁葉は、思春期の訪れも早い。かなたの気遣いだと知れば、余計なお世話だと、表に出さずとも怒るだろう。

 そこまでを園子はすぐに察し、自分の今の立場とこれからの立ち位置を考え、どう振る舞うかを模索している。まずはやはり、暁葉の人となりを知らねば決められない。

 

「そういえばあっきーはお友達いる?」

「友達、ですか?」

「うん。お友達」

 

 ゆっくりと瞼を開けた園子は、唐突に暁葉の友人関係を問う。勇者としての立場があった自分や巫女としての立場があるかなたとは違い、暁葉は普通の少年として生きることもできる。築こうと思えば、友人関係も築きやすいだろう。

 

(……立場は言い訳だったね。ミノさんはお友達いっぱいいたし)

 

 かつて共に戦った親友の姿を思い出す。誰よりも強く、誰よりも優しく、誰よりも勇敢で、誰よりも慕われた友人。まさに勇者という名に恥じぬ生き方をし、そして世界を守るために命を落とした大切な親友。彼女の気さくな性格に、どれだけ助けられたことか。

 

(もしミノさんが今ここにいてくれたら、もっと上手く話せてるのかな)

 

 仮のことを考える。あり得ない現実を。それは妄想に過ぎないと分かっていながら、それでも園子は彼女のことを考える。もしここにいたらなんて言っているのか。そんな仮のことでも、容易に想像できた。

 

「私には友達と呼べる人はいませんね」

「そうなの?」

「はい。……作るものなのですか?」

「人それぞれかな〜。私は友達ができてからいっぱい大切な思い出ができたから、友達肯定派かな」

「別に否定派というわけでもないですが……」

 

 渋い顔をする暁葉に対し、園子は楽しそうに目を細める。何が楽しいのかさっぱり分からない暁葉だが、園子を不機嫌にさせるより断然良いと考え口を閉じる。

 

「ちょっと似てるかも」

「誰にですか?」

「わっしーに」

「鷲? 鳥類のですか?」

「違うよ〜。私の大切なお友達の一人だよ〜」

「失礼しました」

 

 あろうことか、大切な友人を鳥類と勘違いしてしまった。すぐさま頭を深く下げて詫びる暁葉を、園子は咎めるどころかおかしそうに笑う。目を丸くして顔を上げる暁葉。視線の先には、間違えられたことを全く気にしていない園子が映る。

 

「いきなり言われたらそうなるのは仕方ないよ」

「寛大なご配慮、ありがとうございます」

「大袈裟だってば。……そういえばあっきーは、私のことどれだけ知ってるの?」

「お名前と年齢、性別。通っていた学び舎と勇者様であることだけです」

「なるほどね〜。私が勇者ってこと知ってるなら、それなりに話せるね」

 

 何を話すのか。それは聞かなくても分かった。先程までの流れから、園子の友人が園子と同様に勇者であることは察せられるからだ。

 

「わっしーもね、最初すんごい硬い印象だったんだよ? 岩かなってくらい硬くて、尖ってるとこもあって。真面目な優等生って言ったら想像しやすいかな」

「なるほど。分かりやすいです」

「よかった。それでね、わっしーも勇者だったんだけど、私とお友達になったのはお役目が始まってから。それまでは私もわっしーのことを、名字で呼んでたんだ〜」

 

 懐かしそうに話す園子に、暁葉は内心驚いていた。実体験だけでしかデータがないが、初対面でいきなりあだ名を付けてきた少女が、わっしーという友人に対しては、当初名字で呼んでいたというのだから。その光景を想像しようにも、最初のインパクトが強過ぎるせいで想像できない。

 

「あっきーは6年生になったのにお友達いないよね?」

「お恥ずかしながら」

「そう思ってないくせに〜。でもね、私も6年生になるまで、友達って呼べる相手がいなかったんだ〜。私、こういう性格だし?」

「会って1時間も経っていないので、園子様の性格は分かりかねます」

 

 やはり硬い。硬くて、真面目な性格をしている。園子はそう結論づけると共に、かなたがお願いしてきた意味を理解する。元からこうなのであれば、かなたは園子に頼まなかった。暁葉の性格なのだと受け入れた。しかし、今の暁葉は、かなたが共に幼少期を過ごした暁葉とは違う。それを気に病み、園子に頼み込んだのだ。

 

『身勝手なのは重々承知しております。ですが、今の暁葉を見ていると生きづらそうで……それなのに姉の私には何もできなくて……!』

(あの頃のわっしーに近いし、仲良くなって時間をかけていけばなんとかなるかな。少しずつ、本当に少しずつ変わっていってもらおう)

 

「私ね、お役目をきっかけに大切な友達が二人できたんよ。一人がわっしー……名前を隠す必要もないね。わっしーこと鷲尾須美。もう一人が、ミノさんこと三ノ輪銀。私たちは、遊ぶ時も訓練の時もお役目も、三人ずっと一緒だったんだよ」

「……三ノ輪様なら、面識がございます」

「そうなの!? 教えて教えて! ミノさんといつどこで知り合ったの!?」

 

 思っていた以上の食いつきに暁葉はたじろいだ。共通の知り合いがいる、ということだけを示すつもりだったのに、彼女のポイントをついてしまった。もし体を動かせる状態だったら、身を乗り出して目の前に顔をつきつけて聞いてきたかもしれない。

 一瞬頬を引きづらせた暁葉は、何とか平静を装って咳払いした。大した話でもないと前置きするも、園子はそんな事を気にしない。自分の知らない銀の話が聞きたい。そして、暁葉のことを知りたい。最大の目的はそこにあるのだ。

 

「本当に大した話ではないんですが……。去年のことですし、おそらくは園子様たちのお役目が始まってからだと思います」

「うんうん!」

「あの……急かさないでください。ちゃんと全て話しますので」

 

 



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3話

 ある程度進むまでこちらを優先的に更新します。




 

 三ノ輪銀という少女を語るに当たって、欠かせない事柄はいくつあるだろうか。勇者としての彼女を知るのは、同じ勇者として激戦を共にした二人しか知らない。で、あるならば、そうではない日常的な姿を上げるのがいいだろう。

 彼女は人柄が良く、誰が相手でも分け隔てなく接し、相手を敬う心を持っていた。困っている人を見かけたら放っておけないお人好しな一面もあり、誰かに言われなくとも行動する。ボーイッシュな面がよく見え、男女問わず友人が多かった。人気も高く、彼女を慕う者もいた。そんな彼女はトラブルメーカーでもあるのだが、彼女がトラブルを起こすことはない。トラブルの方から彼女に降り注ぐのだ。しかし彼女はそれを毛嫌いすることなく、一つ一つ対処していた。

 

「まいったな。お前の母ちゃんはどこ行ったんだ?」

 

 この日もまた、遭遇したトラブルの対処に当たっていた。

 

「あの、誰に話しかけてるんですか?」

「うわっ!? 誰!? びっくりしたー!」

「失礼しました。道端にしゃがみ込んで、いもしない誰かに話しかけていたもので。もし体調が優れなくてそうしているのであれば、救急車を呼ばないといけませんので、その確認も兼ねて声をかけさせていただいた次第です」

「……男版須美?」

「はい?」

「あー、なんでもない。アタシは三ノ輪銀。お前は?」

 

 振り返りながら立ち上がった銀は、自己紹介をして名を問いかけた。暁葉も自己紹介をし、お互いの学年を知る。暁葉が一つ年下だと知った銀が「どうりで見たことないと思った」と口にしたあたり、彼女の交友関係の広さが伺える。そんなやり取りをしている中、銀の腕の中で小さな鳴き声が響く。

 

「お、ごめんごめん。お前の母ちゃんを探さないといけないんだったな」

「子猫、ですか?」

「そっ。親猫とはぐれちまったみたいでな。そのままにしてたら天敵に襲われるかもしれないだろ? そんなわけで、保護しながら親猫を捜索してるってわけ」

「物好きですね」

「アタシのクセみたいなもんだよ。こういう事するの好きだし、今回も最後までやり遂げるぜ?」

 

 今回も、ということは、銀が普段からこういうをしているという事になる。暁葉は、この気さくな年上の少女ならあり得ると一人納得した。出会って2分程度。超短期間なのだが、そう思わせるほどに銀という少女は素を曝け出していた。暁葉が封じ込めた素の状態を。

 

「暁葉はこの後何かあるか?」

「特には」

 

 暁葉の言葉を聞いた瞬間、銀が獲物を見つけたようにニヤける。本能的に言葉を間違えたと察した暁葉だが、時既に遅し。片手で猫を抱き、銀に反対の手で肩に手を置かれる。

 

「暁葉も一緒に親猫探しな!」

「……はい」

 

 断ることができなかった。屁理屈をつけたら断れただろう。銀は人に強制させたりしないのだから。言い方は押し付けてるようだが、口調と声色から、遊び半分に付き合えと言ってるものだと暁葉も分かった。周りを観察し、声色から相手の内に秘めてる感情を機敏に感じ取るようになった暁葉からすれば、銀は大変分かりやすい相手なのだ。

 それなのに、暁葉は断れなかった。断らなかったのではない。断るという選択肢がまるで頭になかったのだ。銀の人柄がなし得ることなのか、疑問を抱く暁葉の思考を遮るように、銀は暁葉の手を引いて移動を始める。

 

「立ち止まってても親猫は探せないからな!」

「そうかもしれませんが、闇雲に歩き回っても見つけられないのでは?」

「そこはアタシの直感に任せろ!」

 

 

 

 

「あはは、ミノさんはいつでもミノさんなんだね〜」

「彼女は普段からああいう方だったのですか?」

「うん。ミノさんが切込隊長だったんだよ」

「切込隊長……」

 

 そう言えば聞こえはいいが、彼女のあれは無鉄砲と言うのが相応しいのではないか。そう思ってしまった暁葉は、しかし園子の親友であることを重く捉え、言葉を続けなかった。園子はその事を見通しているが、当たっていることだからと何も言わずに気づかないフリをする。

 

「それで、その後はどうしたの?」

「どうと言われましても、彼女が行くところにただついていっただけですよ」

「むぅ、ちゃんと物語風に話してよ〜」 

 

 銀のことをよく知る園子は、この話のオチを予想できている。それまでの過程もある程度予測ができる。だが、それはそれ、これはこれなのだ。園子は予想を当てたいのではない。暁葉の口から、銀と過ごした一日の話を語ってもらいたいのだ。

 そんな心内を知ることなく、暁葉はこれも仕事だと割り切って話の続きを語りだした。業務報告のように。しかして園子はそれを不満には思わなかった。本人が体験したことを、本人の口から、本人の視点で話させているのだから。そこには、たとえ薄くとも本人の主観が混ざっている。

 

 

 

 

「山とかじゃないってのは絞れてる」

「なぜそう断言できるのですか? 野良猫なら、自然の中で子育てをしていても不思議ではないと思うのですが」

「この子が人に慣れてるから」

 

 さも当然のように銀は呆気らかんと答えた。抱えている子猫の様子を観察し、たまに首元をくすぐる。子猫は気持ちよさそうに目を細め、お礼するように小さく鳴いた。そんな光景を見ても、暁葉はどうにも腑に落ちなかった。猫は気まぐれな生き物だ。今落ち着いてるだけなのではないか。そう考えるほうが妥当だ。

 

「ははーん? さては暁葉、猫を世話したことないだろ?」

「そうですけど。おかしなことでもないのでは? 猫の世話をするのは、それこそ猫を飼っている人か、保護してる人くらいでしょうし」

「それもそっか。ってことは、暁葉は犬派?」

「どちらでもないですね。どっちも嫌いというわけではないです」

「ハッキリしないのな。そんなんじゃ彼女できないぞ?」

「特に困らないので構いません」

 

 余計なお世話だ。という言葉の代わりに、暁葉は話題を切りやすい返しをした。彼女をほしいと思っているわけじゃない。そういう態度を示せば、誰だってこの手の話を終わらせる。

 間違ってはいない考えだが、それはこの三ノ輪銀という少女には当てはまらなかった。子猫を暁葉の目の前に持ち上げ、子猫に猫パンチをさせる。意思疎通できていることに驚き半分、猫パンチされたことへの戸惑い半分。複雑な感情を抱く暁葉に、銀は呆れた視線を子猫と刺していく。

 

「そんな寂しいこと言ってると、幸せが訪れることすら無くなるぞ? 幸せってのは、楽しそうにしてる人のとこに行くんだからな!」

「……そういう三ノ輪さんはどうなのですか?」

「どうって何が?」

「彼氏ですよ。いるんですか?」

「は!? ばっ、おまっ!! 何言ってんだよ!」

 

 一気に顔を赤くする銀が慌てふためく。その拍子に宙に投げられた子猫を、暁葉が優しく受け止めた。さすがに怒る子猫だが、動揺を隠せない銀はそれどころではない。気持ちを落ち着かせるために何度も大きく深呼吸を繰り返している。

 

「そんなに驚くことですか? 聞かれたことを聞き返しただけなのですが」

「デリカシーのないやつめ!」

「え……?」

 

 

 

「あはははは! そりゃあミノさんそういう反応するよ〜!」

「そんなに笑わなくてもよろしいじゃないですか」

「だって〜。ふふふっ、お腹捻れちゃいそうだよ〜」

 

 笑い過ぎて溢れる園子の涙を、不満気な空気を醸し出している暁葉が拭う。言われることなく、仕事だからと動いたわけでもない。園子の涙を見てすぐ動いた暁葉に、園子は感心していた。もし、少年にも力が与えられたのなら、暁葉にも何かしらの役割が与えられたのかもしれない。園子は率直にそう思った。暁葉の素は、心優しい少年なのだろう。

 

「……ミノさんはね、お嫁さんになることが夢だったんよ」

「お嫁さん……ですか?」

「そう、お嫁さん。ミノさんには少し年の離れた弟くんと、まだ赤ちゃんの弟くんがいたの。ミノさんは二人のことが大好きで、『家庭を持つのっていいな』って思ったみたいで、お嫁さんになることが夢だったんだ〜。素敵な夢でしょ?」

「そうですね。……なるほど、だからあの人は……」

「ふふっ、話を遮っちゃったね。続けて?」

「はい」

 

 

 

 三ノ輪銀の直感に従い、親猫探しを続ける暁葉。昼過ぎから始まった親猫探しも、気づけば夕方になっている。この時間になるまで歩き回っているだけなら、暁葉も嫌気が差しているだろう。しかし、親猫探しがこんな時間まで続いたのは、銀の直感が外れ続けたからではない。

 

「はい、お婆ちゃん。荷物は居間でいいんだよね?」

「お嬢さんありがとね〜。男の子もありがと〜」

「いいんですよ! 好きでやってることですから!」

「何かお礼がしたいんだけど、いいかしら?」

「あー、嬉しいんですけど、こいつの親を探さないといけないんで、また今度で!」

「あら、その男の子迷子なの?」

「僕じゃなくてこの子猫です」

 

 お婆さんの間違いを正し、暁葉は子猫を持ち上げる。子供らしい一面を見せた暁葉に、銀は苦笑いし、お婆さんは微笑む。結局水羊羹をいただくことになった二人は、それをじっくり味わってからお婆さんの家を後にした。

 

「さすがにそろそろ見つけないといけませんね」

「そうだなー。時間が時間だし」

「ここまで時間がかかったのも、三ノ輪さんが次から次へとトラブルに突っ込むからだと思いますが」

「放っておけないだろ? それに、暁葉だってアタシが動かなくても動いてた。その心があれば君も勇者だ!」

「なんですか、それ」

「にししっ! 気にするな!」

 

 迷子の子猫を助ける傍ら、迷子になった少年を助けたり、公園の木に引っかかったボールを取ってあげたり、買い物袋が破けた人を助けてあげたりと、次から次へと人助けをしていた。銀の方がいち早く反応していたが、暁葉も銀に言われるまでもなく行動していた。その事を改めて言われ、小恥ずかしくなって視線を逸らす暁葉を、銀は嬉しそうに笑って見つめる。

 

「この辺で親猫に遭遇できる気がするんだよな〜」

「どこからその自信が……」

「子猫をそこの茂みに隠して。んで、アタシらはそっちの電信柱に隠れよう」

「会話になってないことに気づいてください」

 

 苦言も虚しく、暁葉は銀に腕を引っ張られて電柱に隠れる。銀は子猫の様子を伺うために身を乗り出しており、電柱に隠れている意味がなくなっている。それを教えようかと逡巡した暁葉だが、銀の真っ直ぐな瞳を見て言葉を仕舞い込んだ。食い入るように子猫を見つめているが、その瞳には輝きが灯っている。まるでこの後の展開を分かっているように。親猫が来ると確信し、それを待ち望んでいるようだ。

 無意識のうちに、暁葉も視線を銀から子猫へと移していた。電柱から身を出し、親猫が来るその瞬間を待ち望む。二人とも時間を忘れ、そして何時間だろうと待つ気持ちでいた。そんな二人に応えたのか、一匹の猫が子猫の下へと駆け寄っていく。子猫が喜びを顕にし、何度も可愛らしい鳴き声を出す。親猫は子猫の顔をなめ回し、やがて子猫を連れて立ち去っていった。

 

「ふぅー、親猫が来てくれてよかったな!」

「そうですね。あの親猫も心配していたようでしたし」

「ほほーう? それが分かるだなんて、暁葉も捨て置けませんなー」

「どういう意味ですか」

「んー、それは宿題ってことで! また手伝ってもらった時にでも答え合わせな!」

 

 笑顔を弾けさせた銀は、軽くステップを踏んで暁葉から離れる。日が暮れかけており、太陽の明かりは西の空にしか及んでいない。東の空にはすでに星空が浮かんでいる状態だ。

 

「アタシこっちだから! 早く帰らないとグズる子もいるし。今日はありがとな!」

「お疲れ様でした。次……はこれほど労力を使わないことを願います」

「ははっ、そこまで苦に思ってないだろ? まぁいいや! またね!」

「はい、また」

 

 笑顔で手を振る銀に、暁葉も手を振り返して別れる。銀は急いで走っていき、暁葉は迎えに来ている使用人に歩み寄りながらその様子を見守る。

 

(途中で何か巻き込まれなければいいけど)

 

 

 

 

「こんなところですね」

「うんうん、楽しい一日だったみたいだね〜」

「……苦ではなかったです」

「素直じゃないな〜。っと、もうこんな時間か〜。そろそろ帰らないとだね?」

「帰ってよろしいのですか?」

 

 園子の言葉に、暁葉は軽く驚く。仕事内容は話し相手であり、大赦内は宿泊が可能だ。食堂もあれば大浴場もある。実際に大赦に住み着いてしまっている人物もいるくらいだ。そのため、暁葉もこれからそういう生活になるのだと思っていた。園子が相手であれば、学校を休む理由にさえなってしまう。大赦はそれ程にまで園子を持ち上げている。

 しかし、園子本人はそうさせる気がさらさらなかった。暁葉にはこれまで通り学校に通ってもらい、放課後に行う役目を話し相手に変える。ただそれだけでいいのだ。

 

「次はいつ来られるかな?」

「園子様に呼ばれれば、いつでも」

「カッコイイこと言うね〜。じゃあ、私が困った時に呼んでも来てくれるのかな?」

「たとえ深夜であろうと、園子様のご意志とあらば駆けつけます」

「……そっか」

 

 淡々と答える暁葉は至って本心だ。園子の話し相手ということは、園子に一番近い位置にいることになる。それならば、彼女からの要望を聞き入れるべきだ。暁葉は脳内で自分の役割をそう決めつけている。あくまで仕事の一環として。

 どこまでいっても仕事の延長線上。遊び心が微塵も感じられない。話し相手としてはナンセンスだろう。しかし、園子は残念がることなく口元を緩ませた。仕事は話し相手のみ。園子の質問は"いつでも話し相手になってくれるか"ではなく、"困った時に来てくれるか"だ。それを受け入れたのは暁葉自身。自分で仕事を拡張させている。その事が、園子にとって心地よかった。

 

「明日の放課後も来ます。役目がこれになったのであれば、放課後と週末はこちらに足を運びます」

「もう〜、そんな仕事みたいに言わないでよ〜。遊びに来るって感覚にして〜」

「難しい相談ですね」

「ふふっ、頑固者ー。また明日、楽しみにしてるね?」

「かしこまりました」

 

 園子に一礼し、暁葉は園子の部屋を後にした。

 一人残された園子は、瞼を閉じて懐かしい声を脳内で再生させる。切込隊長で、ムードメーカーで、みんなの憧れだった勇者の声を。

 

「ミノさんは凄いよね〜」

 

 先ほどの暁葉の話を思い出す。少なくとも去年の時点から、暁葉は口調が今のようになっている。素の自分を抑え込み、相手から一歩引いた態度。そんな暁葉だが、先ほどの話の中では今より若干くだけた話し方になっている。すぐにそうさせたのは、やはり彼女の人柄によるものなのだろう。

 

「私にもできるかな」

 

 肯定する言葉が、聞こえた気がした




 文字数は回によってマチマチです。余裕で増えたり減ったりします。

 評価をしてもらえて飛び跳ねた作者です。ありがとうございます!
 更新はできる時にしておりますので、毎日更新はすぐに途切れると思います!


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4話

 今回は短いです。




 

 上里家の屋敷は、乃木家の屋敷に引けを取らぬほど大きい。来客者は案内がなければ迷うほどだ。それほど大きい屋敷なのだが、部屋の全てが用途別で分かれており、荷物一つない空き部屋などない。大家族なのかと聞かれても、そうではないという返答になる。血筋で言えば分家なども増え、一緒に暮らしていれば大家族にもなろう。

 しかし、上里家の屋敷に住んでいるのは本家だけであり、4人家族だ。両祖父母は別の家に住んでいる。たった4人で全ての部屋を使っているわけでもなく、部屋の半数近くは使用人の私室となっている。住み着くものもいれば、休憩のためだけに使うものもいる。家族がいる人であれば、後者となることが多い。中には、週の何日かは住み込み、という人もいるのだ。

 数ある部屋の中で、姉弟であるかなたと暁葉の部屋は隣同士である。部屋は防音となっており、聞き耳を立てたところで隣の部屋の様子は伺えない。

 

「暁葉、起きてる?」

『起きていますよ。どうぞ入ってきてください』

「お邪魔します」

 

 扉を開けて暁葉の部屋に入る。部屋の中は広く、生活に必要な家具の他、ピアノが置かれていても狭く感じない程だ。一人で使うには広過ぎる。暁葉も部屋を変えたいと思っているのだが、残念なことにここより狭い部屋はあれど、ほぼ大差ないのが現状である。

 机に向かって業務日誌を書いていた暁葉は、ペンを止めてかなたへと向き直る。お互いに部屋を訪れることがしばしばあるが、就寝前に部屋を訪れるのは珍しい。それこそ、暁葉が変わってからはなかった。

 

「どうぞ、ベッドにでも腰掛けてください。ご存知の通り余っている椅子はありませんので」

「そうね。そうさせてもらうわ」

 

 園子と会話した。何かしらの変化があるのでは。そんな期待をしていたかなただったが、さすがに速攻で変化が訪れることはない。暁葉に気づかれぬように内心で落胆し、ベッドに座ってから深呼吸する。暁葉は椅子を回転させ、ベッドに座るかなたと向き合った。暁葉からは口を開かず、かなたの用件を無言で待つ。

 

「お役目、どうだったかしら?」

「どうと言われましても、役目である以上こなしていくだけです。幸いにも人として合わない、ということもありませんし」

「そう。……あの方への印象はどうかしら?」

「印象、ですか?」

 

 なぜそんな事を聞くのか。姉の質問に疑問を抱くも、答えない理由もない。顔を合わせた時から帰る時までのやり取りを思い返し、言葉を整理していく。かなたは姉として聞いているのだが、暁葉はやはり仕事の一環と考える。

 

「……掴みどころがない、ですかね」

「掴みどころがない?」

「はい。感情表現は豊かですし、会話を楽しんでおられるように見えましたが、底が見えないって思いました」

「まぁ、一回で分かるほど分かりやすい人間もいないものね」

 

 乃木園子という少女の人物像を掴みきれない暁葉。そんな様子を知って、かなたは楽しそうに頬を緩ます。暁葉の性格を知り、一日目の印象があやふやだと知ったからだ。

 暁葉は、分からないものを分からないままにしたがらない。それが今回も当てはまるのであれば、園子のことを知りたくなるということに置き換えられる。園子には暁葉のことでお願いをしており、園子自身にまつわる話を園子からするのは、極力控えてもらっている。自分を抑えている暁葉は、園子のことを知るためには自分の殻を自分で壊さないといけないのだ。

 

(理想形を思い描いているけれど、それに近いことになればいい)

 

 暁葉は公私を分けられる。自分で自分を制御できる。暁葉自身から行動するまで、どれだけの月日が必要になるのか。もしかしたら年単位かもしれない。だが、かなたもそれは承知の上だ。

 

「一つ、聞きたいことがあるのですが」

「答えられることなら答えるわよ」

「なぜ私なのですか? 同年代で同性の人物の方が、園子様も話しやすいと思うのですが」

「それに該当する人が私以外にいないからよ。私は巫女である以上、あまり時間が取れない。次に考えられるのは近い年代の人。そして彼女が勇者であると知っている人。それに当てはまるのが暁葉、あなただった。それだけのことよ」

「そうですか」

 

 聞かれた時用にと備えていた答えだ。怪しまれないように、説明する間隔に気をつけた。早過ぎず、遅過ぎず。かなたの演技に暁葉は気づかず、そういう理由なら納得だと頷いた。暁葉自身、園子の話し相手という役目に不満は抱いていない。異性よりは同性のほうがいいのでは、と純粋に思っただけだ。

 

「彼女とどんな話したのか、私にも教えてくれる?」

「……秘匿しろとは言われてませんし、おそらく大丈夫かと」

 

 

 

 

「そんな事してたんだ?」

「はい。あの子は話す内容も選んでましたし、恥ずかしいようなことを言うような人でもないでしょ?」

「まぁね〜。ところで、かなりんは私のことなんて呼んでくれるの?」

「あだ名呼びを諦めてなかったのね……」

 

 翌日、かなたは学校に通わずに園子の下へと訪れていた。初めて顔を合わせた時、気楽に話し合う関係を代価として園子が要望を出した。かなたはそれくらいでいいのなら、と要望を飲み込み、現在のように気さくに話している。あだ名で呼ぶことを課題とされており、かなたは頭を悩ませていた。

 

「園子ちゃん、では駄目なのですか?」

「うーん……それでいいよ〜」

「ほっ」

「あはは、かなりんってこういうの慣れてないんだね」

「園子ちゃんがユニーク過ぎるのよ」

 

 ため息まじりに言うかなたに、園子は目を細めて楽しんでいた。なんでもないようなやり取りができるのは、それこそ勇者として前線に立っていた頃以来だ。何気ない日常を過ごす。そんな日々を彼女は楽しんでいた。それに近い状態を今体感できている。

 

「園子ちゃんがこちらの要望を受け入れてくれたのは、他に理由があるからだよね?」

「かなりんにはお見通しか〜。せっかくだし、クイズ形式で! なんだと思う?」

「普通に教えてよ……」

 

 文句を言いつつ、かなたは頭を捻って考える。真面目に付き合ってくれるのは、姉弟揃って同じなようだ。

 

「……婿養子?」

「ふふっ、あはははは! かなりんってば面白いこと言うね〜! あははは!」

「笑いすぎよ!」

「だってー、弟のことが絡んでるのに、婿養子って……。ふふっ」

「思いつかなったのよ。あなたの考えてることを当てられる人なんて、それこそあの二人だけじゃない」

「うーん、二人にも分かんないって言われたことあるよー?」

 

 遠足の日に言われた。取り扱い説明書を作るなら、どれだけのページ数になるか。そんな会話をしていた時に、『そのっちは……分からない』『たぶん、一生分からない』と二人に言われている。それでも、分かるときはあると言われ、園子はそれだけでも嬉しかったのを今でもよく覚えている。

 

「私、学校には行けてないけど中学生だよ〜? 結婚のこととか考えないよ〜。かなりんは真面目過ぎるんよ」

「それじゃあ答えは?」

「なんだと思う?」

「まだやるの!?」

「冗談だよじょ〜だん。……上里家の人とね、関係を作っときたかったんだ〜」

 

 その一言でかなたは理解した。園子が言いたいことを。しかしそれを口には出さず、園子が最後まで話すのを待つ。

 

「ご先祖様同士では、繋がりがあったみたいだし、今では一応繋がってるって程度。風習として仲良くなるより、本当の意味で仲良くなったほうがお互いに風通しがいいでしょ? そのきっかけを提示されて、これだ! ってなったんよ。だから、ありがとう」

「お礼を言われるほどじゃ……。それこそ偶然の産物だったのだし、私は私の個人的な都合を優先しただけなのだから」

「ふふっ、かなりんはあっきーのこと大好きだね〜」

「っ! そういうつもりじゃ……!」

「美味しい反応ありがとうございますー! 小説のネタにしていい?」

「駄目!」

 

 もし園子が動ける状態だったら、速攻でメモを書き始めていただろう。今はそれができないため、園子は脳内に保管するしかない。もし、体が動かせるようになったら、二人のことをもっと観察しよう。そんな事を考える園子に、かなたの鋭い視線が刺さった。

 その後もしばらく雑談し、かなたは学校へと向かった。放課後に車でまた戻ってくるのだが、その時に車に乗っていなければ暁葉に怪しまれるのだから。

 

「あっきーによろしく言っといてね〜」

「言ったら私が学校に遅刻したことがバレるでしょ」

「あ、そっか〜」

 

 学校へと向かうかなたを、園子は声だけで送り出した。本来なら、一緒に着ていたであろう制服を見つめながら。

 

「あっきーは、中学校どうするのかな〜」

 





 新たに評価を入れてくださった方、ありがとうございます!


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5話

 園子の小説を読みたい。




 

 時はサン世紀62年。世界は亜人種と超人種の二種によって混沌を極めていた。経済は不安定。三度目の世界大戦から武力のインフレは止まらず、回り回って結局、『我が身一つで戦ったほうがいいんじゃないか』と妙な結論に至る始末。しかしそれは一切の退化ではなかった。それまで兵器として扱っていたものの火力や制圧力、その他諸々をノウハウとして体に叩き込んだのだ。

 

「本物の超人ってやつを、見せてやるよ!」

 

 超人種たちは調子に乗り、だが実力が伴っているために次々と戦況を攻勢に進めていった。それに遅れること半年、亜人種もついに対抗手段を見つけ出した。

 

「これは話し合いをするための戦いです!」

 

 超人種もドン引きする程の超火力を開発したのだ。10人集まってやっと放てる砲撃だが、その分威力は絶大。完成間近にして開発班のテンションがおかしくなったのか、砲撃の音が「たーまやー」である。直径50mのピンクのビームが目標へと一直線に伸び、目標に着弾した場合が「かーぎやー」となる。

 世界という器自体が壊れかねないその戦いを止めるため、立ち上がった一族がいた。それが後に語り告げられる伝説の一族──サンチョ族だ。

 

 

 

 

 

 

「申し訳ございません園子様。すでにお腹いっぱいになったのですが」

「えー。まだ冒頭だよ〜? もしかして、面白くなかった?」

「いえ、面白い話だとは思うのですが、どうにも私のキャパシティを超えています」

「ファンタジーに慣れてないのか〜」

 

 それなら仕方ないと微笑む園子に、もう一度謝罪する暁葉。園子がせっかく勧めてくれた小説だというのに、早々に読むことをリタイアしてしまったことに引け目を感じているのだ。園子はその事を気にしておらず、暁葉のようなタイプの人間を、どうやったら小説に引き込めるかを考えている。万人受けする作品はそう簡単に生み出せないが、小説を書くことを趣味とする園子にとって重要な点となるのだ。

 忍びなくなった暁葉は、スマホを操作して園子が勧めてくれた作品のレビューに目を通す。5段階評価の投稿サイトで、文句無しの星五つの評価を取っている作品だ。感想欄でも賞賛する声が多く、続きを待ち望む者たちが溢れかえっている。

 

「この小説、更新が止まっているのですね」

「んー? うん、作者さんが書けない状態だからね〜」

「事故に遭遇されたのでしょうか? それとも何かのご病気ですか?」

「事故……になるのかなー」

「……園子様のお知り合いですか? 詳しいようですけど」

「ふふっ、あっきーってば鈍感だね」

 

 園子は目を細め、未だに気づく気配がない暁葉を見つめる。園子が含みのある言い方をするという事は、自力で気づける内容だということ。だんだんと園子に慣れ始めた暁葉は、視線を園子の瞳からもう一度スマホに移す。作品の冒頭を読み直し、柔らかく微笑む園子に視線を戻した。

 可能性が頭を過り、あり得るのかと脳内で議論を始める。更新が止まっている日付は去年だ。作者について詳しいことも、そうであるなら説明がつく。

 

「園子様がお書きになったのですか?」

「ピンポンピンポーン! 趣味で書いてたんよ〜。今でも趣味だからね。ぼーっとネタを考えることもあるんだよ?」

「そうでしたか。失礼いたしました。園子様のお作品とは知らず」

「別にいいんよ〜。話題の一つにでもなればな〜って教えただけだから〜」

 

 暁葉がこの役目を担ってから早一ヶ月。暁葉は自分から話題を持ち出すことがなく、常に園子からの質問に答えていた。しかしそれでは限界が訪れるのも早く、新たな話題が必要となる。どんな話題にするかを検討しつつ、暁葉への質問攻めが一ヶ月続いたのは、園子の話術の賜物だろう。

 そんな園子が提示したのが、自作の小説だ。園子は複数作をネット上で掲載しており、それを暁葉に読ませてみたのだ。暁葉からの感想や評価、あわよくば今後の展開のネタでも見つけてみよう。そうして園子は決行に移してみたのだ。

 

「どの作品も評価が高いですね」

「みたいだね〜。いろんな人が読んでくれて嬉しいんよ〜」

 

 園子が書いた小説の一覧に目を通す。何作品もあり、どれも内容が似通うことはない。それぞれユニークな作品となっており、そしてどれもに熱烈な感想が送られている。中には園子の作品を全て読んでいる人もいるようだ。

 

「園子様」

「はーい」

「どの作品にもサンチョなる者が出ているのですが」

「サンチョがモデルになってくれるからね〜」

「あの……サンチョってなんですか?」

「なんだと思う?」

 

 質問で返され、暁葉は大きく息を吐いた。暁葉がイメージできない抽象的なものほど、園子は暁葉に答えさせようとする。独特な世界観を持つ園子にとって、現実主義な暁葉は揶揄いやすい相手なのだ。真面目な性格な暁葉は答えようと頭を捻り、そうすることで他の人とは違う答えが返ってくる。主観的に答えさせることで、暁葉の世界観を引っ張り出せるのだ。

 それが刺激となり、新たなネタになればいいなという思いが数割。会話を楽しむというものが主目的だったりする。そんな思惑を微塵も予想せず、暁葉は仕事の一つとして園子との会話に臨む。

 

「園子様の代行者でしょうか」

「代行者? どうして?」

 

 予想だにしなかった解答を貰い、園子は目を丸くして理由を聞く。そもそもこの質問自体初めて行ったのだが、何通りも予想していた答えのどれにも一致しない。

 

「代行者という表現が適切だとは私も思っていません。他の言い方もあるのかもしれませんが、私の語彙力ではこれが限界です」

「あ、そっちじゃなくて、なんでサンチョが私の代行者だって思ったの?」

「園子様が小説を書く時に、どういう考えで書いているのかは分かりませんが、サンチョは全ての小説に出ています。どんな世界観であれ必ず。主人公の時もあれば、敵の時もある。導き手や脇役として出ることもあるようですね。それを受けて、園子様がその世界であればそう動く、という現れなのかと思いました」

「…………」

「園子様?」

 

 暁葉からの言葉を聞いて、園子はしばし唖然とした。直感で答えたのではなく、理由があっての答え。しかも全ての作品をたった今スクロールして眺めただけ。そんな読み方にも拘わらず、暁葉はサンチョの立ち位置のみを読み取ってみせた。子供離れした能力だとは聞いていたが、実際に目の当たりにすると驚きもある。

 

「あっきーは凄いね〜。サンチョの答えは間違ってるけど、一気にそれだけ読み取るのは凄いよ」

「……あの、間違っているのに賞賛を受けるのは複雑なのですが」

「あははー、照れなくていいのに〜。本当に凄いと思ってるんだよ?」

「……ありがとうございます」

 

 恥ずかしさはある。しかし、それはそれとして園子からの言葉は受け取らないといけない。固く考える暁葉は、平坦な声で礼を述べる。そこが残念なところだと園子は思うものの、細かく口出ししてしまうと関係が崩れてしまう。この場にいる暁葉は、自分をほとんど殺している状態だ。園子が何か求めればそれを躊躇なく実践する。他の大赦の人間と変わらない。それを変えさせるには、まだ時と関係性が足りていないのだ。

 

「そうそう、小説だけど、わっしーも書いてたことあるんだよ」

「鷲尾様が……ですか?」

 

 暁葉は少し目を見開いた。園子から伝え聞いている鷲尾須美の人物像は、堅物の優等生というものだ。もちろんそれは第一印象だと聞いているし、仲良くなるほどそのイメージから離れたとも聞いている。それでも、第一印象がその印象だということは、表の部分がそうだということだ。それ故に、実際に対面していない暁葉は鷲尾須美のイメージが固いままなのである。

 そんな人物が書く小説とはどういうものなのか。園子からアカウント名を教えてもらい、検索をかけてその小説を見つけ出す。そうすると一つの小説を発見することができ、暁葉はその小説のタイトルに目を通す。流れるようにあらすじにも目を通し、その視線は小説のレビューへ。

 

「……あの、園子様」

「どうしたのー? アカウント消えてた?」

「いえ、小説は残っていました。……大変申し訳にくいのですが、この小説のレビューが……」

「あー、あはは〜。凄いでしょ?」

「凄い……ですね。ある意味」

 

 何度見返しても変わらない。鷲尾須美が書いた小説は評価が著しく低かった。レビューを読んでみてももはや炎上レベル。いったいどういう小説を書いたらこんなことになるのか。星も園子とは正反対のゼロである。中には小説の書き方のアドバイスもあり、ネット社会も捨てたものではないなと目を背ける。

 

「読んでみなよ〜。あっきーなら楽しめるかもよ?」

「…………では」

 

 園子に促されて小説の本文を開く。

 

 ──そしてブラウザバック

 

「駄目でした」

「最短記録だね〜。ちゃんと読んだ?」

「洗脳されるかと思いました」

「あははは! わっしーと再会できたら言っとくね!」

「ご勘弁ください」

 

 慌てて頭を下げる暁葉に、冗談だと返す園子。親友の作品への評価が悪く、中身をサラッと酷いものだと言ってしまった暁葉からすれば、冗談だと思えない揶揄いだ。

 

(心臓に悪い。次から気をつけなくては)

 

「あっきーは小説書かないの?」

「書いたことないですね。書こうと思ったことすらないです」

「そっか〜。趣味は?」

「趣味……と呼べるかは分かりませんが、ピアノは続けています」

「ピアノ! いいね〜。今度聴かせて?」

「では明日にでも。要請を出せばここにピアノを運び──」

「それは駄目」

 

 園子にしては珍しく、低く冷めた声だった。心臓を掴まれたような心地に陥った暁葉は、何か悪いことを言ったのか必死に考える。園子の話し相手になるというのが役目だ。機嫌を損ねさせてはならない。原因を見つけ出し、的確に謝罪しないといけない。

 最速で思考する暁葉だが、果たしてその答えは見つけられない。冷や汗を流してる暁葉に気づいた園子は、空気を緊迫させてしまったことに気づき、包み込むような温かな笑みを浮かべた。

 

「楽しみは、すぐに来ちゃったら楽しみにならないでしょ? ピアノは家にあるってとこだよね。私が自分の足であっきーの所に行くから、その時にピアノを聴かせて?」

「……畏まりました。きっと満足させてみせます」

「うん。約束ね」

「はい」

 

 園子の雰囲気が元に戻り、ほっとする暁葉。こうして交した約束を忘れないように記憶に刻み込む。園子がまた動けるようになるのか。それは未だに分からない。なにせ体の機能を神に捧げたのだ。それも20回。大赦は勇者システムの研究を続ける傍ら、細々とその手段を模索してはいる。しかし、神に捧げたものが人間に戻るなど考えられない。その強い先入観もあり、一応やっている、という言い方のほうが相応しいのが実情だ。

 だが暁葉は約束を忘れない。たとえ何年経とう忘れないと心に誓う。それも仕事だからかと聞かれれば、暁葉はそうだと答えるだろう。しかし、その誓いは暁葉の意志だ。暁葉の心の現れだ。暁葉自身が気づいていないこと。園子には見破れること。

 

「あっきー、反対側に来て」

「畏まりました」

 

 園子の指示に従い、園子から見て左側の位置から右側へと移る。そちらにはチューブが繋げられている園子の右手が。

 暁葉が回り込むと、園子は瞼を閉じて奏でるように言葉を紡ぎだす。

 

「約束は破っちゃ駄目だよ」

「心得ております」

「約束する時は、指切りだよね?」

「はい。それでは、失礼して」

 

 園子は自分では動けない。暁葉は左手で園子の右手をそっと持ち上げ、自分の右手と園子の右手の小指を絡める。

 

「指切りげんまん嘘ついたらあっきーを弟にも〜らう、指切った〜」

(罰がおかしいような……)

 

 ツッコんだらいいのか悩んだ暁葉だったが、上機嫌な園子を見て言葉を飲み込むのだった。



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6話

 極級勝てないです。
 そしてバーに色がついて喜びまわった粗茶です。





 

 季節は夏となり、世間では夏休みが始まっていた。神樹館小学校でも夏休みは始まっており、暁葉は毎日朝から園子の下へと足を運んでいた。雑談ともなれば話のネタをどこからでも入手できるのだが、ずっと会話するわけでもない。暁葉は夏休みの課題があり、オリエンテーションの準備もある。課題に取り組む時間を家で確保すればいいと園子は言ったのだが、課題はどこでもこなせるからと断っている。

 

「分からないところは教えてあげるね〜」

「ですから、園子様と話してる間はしないと言ってるではないですか」

「え〜、私は気にしないからやったらいいんだよ?」

「空き時間にやっていますし、帰ってからでもできますので」

「そうだけど〜、……あ、オリエンテーションの方はどうだった? たしかもう終わってるよね?」

 

 最高学年である6年生が、新入生である1年生を対象に行うオリエンテーション。それぞれグループに分かれ、自分たちで考え、用意したものでコミュニケーションを取る。読み聞かせるのもよし、遊ぶもよし。周りに迷惑がかからない程度で、1年生と楽しむのだ。

 園子ももちろんそれを行った。親友二人と楽しく準備し、本番も大盛況で終わらせた。ある意味で伝説となっているが。それもまた、大切な思い出の一つである。

 

「無事に終わりましたよ。私がピアノ、同じグループの子がヴァイオリンを弾けたので、それに合わせてもう一人が歌っていました。途中からは1年生も参加してましたね」

「おぉ〜。それは素敵な時間だね。1年生も楽しんでくれたんじゃないかな?」

「おそらくは。……なぜか禁止事項があったのですが、園子様の時はあったのですか?」

「禁止事項? 私の時はなかったけど……、それってどんなやつ?」

「"体操は禁止"というものでした」

「……そっか〜」

 

 園子は暁葉から視線を逸し、乾いた笑い声を溢していく。心当たりがあるのだと暁葉も気づいたが、そこは聞かないほうがいいのだろうと押し黙った。考えたくはないが、もし仮に『勇者が行ったものが禁止事項になった』ともなれば、大赦の一員として頭が痛い。

 暁葉も具体的なことは知らないのだが、当時隣のクラスにいたかなたから一部だけ聞いている。『隣のクラスで異常な盛り上がりがあった』というものだ。かなたは、そういうものを深く知ろうとしないタイプであるため、細かく知らない。それ故に暁葉も、それを聞いて首を傾げたのを覚えている。

 

「あっきーはその子たちとお友達なの?」

「友人……と呼べるかは分かりません。たまたまできることが関連していて、それなりに話す仲になった、という状態ですし」

「ふーん? なら、お友達になったらいいんじゃないかな」

「特に共通することがないのに……ですか?」

「それってそんなに大切なこと?」

 

 園子の問いに暁葉は言葉を詰まらせた。これまで友人と呼べる人物がいなかった暁葉だ。友人となるために何が重要なのか、理解できているわけがない。そして、そんな暁葉は周りを見ていて、共通するものが多いもの同士が友人になっているのだと思っている。

 しかし園子はそうだとは思っていない。だからこそ暁葉にこの問いを投げかけられたのだ。

 

「趣味が重なってたら、それは話がしやすいと思うよ。お互いに好きなものだし、すぐに仲良くなれる。でも、趣味が重なってなくても人は友達になれる。きっかけが別なだけ。私はわっしーみたいに歴史が好きってわけじゃないし、ミノさんみたいに運動が大好きってわけじゃない。それでも私達は友達になれた。勇者として共に戦う仲間って関係じゃなくて、掛け替えのない友達になれた。だから、大切なことは共通するものがあるか、じゃないんよ。お互いの気持ちが大切。私はそう思うな〜」

「お互いの気持ちですか。……難しいですね」

「そうだね。相手の気持ちは分からないからね。でも、一緒に演奏して楽しかったんでしょ? それなら大丈夫だよ」

「そういうものですか」

 

 オリエンテーションで演奏した時のことを思い出す。一緒に音を合わせていて心地よかったことを。演奏後に笑顔で握手を交したことを。なるほど、たしかに一度切りで終わらせるのは勿体無い。そう感じた暁葉は、夏休み明けにでもまた声をかけてみようと決意した。

 園子の食事は基本的に大赦の人間がメニューを考えて用意する。栄養バランスに気を使い、さらには味付けにも細心の注意を払っている。腕よりの料理人を呼び、毎回豪華な食事となっている。しかし、時には園子からも要望を出すこともある。夏休みになり、毎日暁葉が朝から来るようになってからは、暁葉が食べたい物を聞くようになった。と言っても、暁葉は要望を出さず、やはり大赦側が用意した食事となるのだが。

 

「食べたい物があったら遠慮なく言っていいんだよ?」

「いえ、いただける食事で十分ですから」

「私前に満漢全席頼んだら本当に用意されたことあったし、用意されないものはないと思うんだけどな〜」

「とんだお戯れを……」

 

 満漢全席とはどのような料理なのか。暁葉は文献で知っているだけであり、目の当たりにしたことはない。そして、一人が頼むものでもないということは知っている。チラッと園子を観察しても、やはり食べきれないだろうと判断する。

 昼食を取り終え、二人はまた雑談を始める。話のネタをなくさないため、そして園子が退屈し過ぎないために、この部屋には新たにテレビが設置された。それまで無かったことに気づいた当初、暁葉も驚いたものだ。退屈を凌ぐ手段もなく、園子は長い期間一人この部屋にいたということになるのだから。

 

「お祭りの時期だね〜」

「そうですね」

「あっきーはお祭りに行くの?」

「いえ、園子様のお側にいます」

「ありがとう。去年は行った?」

「行きましたよ。かなた姉さんと二人で」

 

 テレビで報道されている祭り情報を眺め、園子は去年の夏祭りを思い返す。大切な親友と歩き回り、屋台を巡り、さまざまな食べ物を買って、射的を楽しんだ。あの時見た景色は色褪せない。親友が調べて見つけた穴場から見た花火も、それはそれは色鮮やかなものだった。

 

「一緒に行くのは毎年?」

「そうなりますね。かなた姉さんから誘われて、私がそれについて行くという形です」

「なら今年も行ったらいいのに」

「ここにいます」

「……仕事だから?」

「はい」

 

 思わずため息をつく。今も隣にいてくれる少年は頭が硬い。たまには仕事から離れたらいいものを、園子の気遣いを気にせず仕事を取っている。これは将来、彼の奥さんは苦労するのだろう、なんて事を思っている園子。それでも、命令という形にすれば彼は祭りに行く。しかし、それでは意味がないことを理解しており、園子はそれも含めてため息をついたのだ。

 

「ごめんね、ちょっとお昼寝するね」

「かしこまりました。おやすみなさいませ」

 

 

 

 

 園子が目を覚ますのと入れ替わるように、太陽は沈んでいた。部屋は自然の光ではなく、人工的な光によって照らされている。瞼を開けた園子の視線の先には、課題に取り掛かっている暁葉の姿があった。集中している時は周りが見えていないようで、園子が起きたことに気づいていない。園子も声をかけず、暁葉がいつ気づくかを楽しみにして見守る。

 そうして見守ること10分弱、キリの良いところまで進めた暁葉が顔を上げ、園子が起きていたことにようやく気づく。見られていたことに恥ずかしさを覚え急いで片付けるも、それがさらに園子にとって喜ばしい光景だとは気づけない。

 

「い、いつからお目覚めになられていたのですか?」

「10分くらい前かな。あっきーの真剣な顔を初めて見たよ〜」

「お声をかけてくださればよかったものを……」

「邪魔しちゃいけないなーって」

 

 それ以外にも目的はあっただろうと問い詰めたかった暁葉だが、女性に口で勝てないことはかなたとのやり取りでよく知っている。そして園子のような人物が相手では、のらりくらりと躱されることも承知済みだ。

 

「時間的には……花火も打ち上がってるのかな」

「今日どこかで祭りがあるのなら、そうかもしれませんね」

「打ち上げ花火もいいけど、手持ち花火とかも面白そうだよね〜。線香花火とかしてみたいな〜」

「ここではできませんよ? 大赦が燃えます」

「だよね〜」

 

 可能性を否定する傍ら、園子が花火を楽しむ手段はないのかを模索する暁葉。現状では無理だと理解しているが、それでも何かないかと思考する。

 園子の話し相手になってから数ヶ月。ほぼ毎日話している暁葉が気づいたことがある。それは──今の自分では園子を心から(・・・)笑わせられないということだ。暁葉はまだ、園子の本当の笑顔を見られていない。そう感じ取っている。そして仕事を拡大解釈させた。

 

(話し相手をするのだから、心から楽しんでいただかなくては)

 

 それを自分の仕事として、そして使命として決めつけた。

 

「そろそろ帰らないとだね〜。あっきー、今日もありがとう」

「園子様。私は本日、大赦内で宿泊いたしますので、もうしばらくここにいることはできます」

「へ?」

「園子様に花火をお見せすることはできませんが、代わりとなるものはご用意しました」

 

 驚く園子をよそに、暁葉はカバンの中から一つの装置を取り出す。その装置のセッティングを終え、園子に一声かけてから消灯する。部屋は暗闇に包まれるたが、それは一時的なものであり、今度は別の明かりが天井を照らす。

 

「わ〜、こんなの用意してくれたんだ〜」

「職人たちの芸術に比べれば見劣りしてしまうかもしれませんが、これもまた闇夜を照らす光ですから」

「ふふっ、あっきーってば洒落たことするね〜」

 

 暁葉が用意したのはプラネタリウムだ。かつて園子も勇者としての合宿に持ち寄ったことがある。園子がプラネタリウムを持っていると知った暁葉は、園子が持っているものとはまた別のタイプのプラネタリウムを用意したのだ。園子の両親にも相談し、どういうものがいいか悩んだ末に用意したもの。

 天井に映し出される夜空から、それを見つめる園子へと視線を移す。瞳を輝かせてそれらを見つめる園子を見て、暁葉は失敗しなかったのだと安堵した。

 

「あっきー、これを用意してくれてありがとう」

「お気に召していただけたようで何よりです」

 

 人工的な星空から暁葉へと視線を移した園子は、目を細めて感謝の言葉を述べた。それはいつもより輝いた笑顔だったと暁葉は思うのであった。

 

「……ねぇあっきー。まだ早いけど、あっきーが小学校卒業したらどうするのか聞いていい?」

 

 小学校を卒業したとしても、義務教育として中学校には進む。そんな分かりきった質問をしたのは、暁葉に選択肢があるからだ。エスカレーター式で神樹館中学校に上がるのか、それとも公立の中学校に進むのか。真っ当に考えれば前者なのだが、時折後者を選ぶ児童もいる。引っ越しなどのやむを得ない事情とは別に、だ。暁葉はどうするのか。園子はそれを聞いてみたかった。

 

「もちろん進路は決めております」

 

 園子の視線をまっすぐ見つめ、暁葉は嘘偽りなく自分の考えを口にしていく。

 それは、園子が驚くには十分な内容だった。

 

「私は神樹館小学校卒業後、讃州中学校に進学する所存です」

(なん……で……)

 

 果たして園子の疑問は声にならなかった。その衝撃は園子を混乱させるには十分だったから。なぜなら、園子は暁葉に讃州中学に進ませようか悩んでいたのだから。

 讃州中学には親友がいる。記憶を失った親友が、どのように学校生活を送れているか気になる。それを知る手段として便利だったのが、"暁葉の讃州中学入学"という手段だ。怪しまれず、一生徒として潜ませられる。しかし、園子はそんな考えを持った自分に嫌悪し、その頼みは絶対にしないでおこうと思っていた。それなのに、暁葉は讃州中学への進学を口にした。当然、引っ越しが必要になるのに、だ。

 

「移住先が決まれば、春休みの間に引っ越すでしょう。……まだしばらく先のことですけどね」

 

 思考力が戻った園子は理解した。勇者でも巫女でもない暁葉という少年は、大赦としても最大利用しやすいということに。

 

「ご安心ください園子様。来年度になろうと、私はここに来ますので」

 

 だから園子は辛かった。それを理解しているであろうに、知らないふりをして話す少年の姿が。

 園子は暁葉の顔を直視できなかった。

 

 




 

 今回で毎日更新が止まります。リアルの方でサボってたことをそろそろ取り組まないといけないので。あと、更新を止めてる別作品も書き始めますので。


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7話

 

 季節は移りゆくもの。夏の風物詩たるセミや積乱雲の姿も見えなくなり、高い気温も低くなってくる。30度を越していた日々は過去のもの。今では時たま気温が30度になるかどうか。

 夏が終われば秋が来る。夏空から秋空へと変わる。世界の9割以上が消え去り、神樹によって守られているこの四国だけが残っているのだが、自然現象は変わることがない。自然災害と呼ばれる現象は、台風がなくなったくらいだろうか。皮肉なことだが、その点のみを見れば西暦より住みやすいのかもしれない。

 それを判断できるほど長寿な人間など一人もおらず、大赦で多くの資料を読み漁った暁葉でも不可能だ。

 

「今夜は名月らしいですね」

「そうなの? ここから見えるかな?」

「園子様もご覧になれるように、一部を改装させました」

「最近のあっきーはアグレッシブだね〜」

 

 園子が隔離されている(祀られている)部屋は壁に覆われ、窓は換気扇のごとき小さなものだけ。薄く赤く光る部屋であるため、日の光さえ遮られているのだ。そこを暁葉は改装させた。園子が秋の名月を見られるようにするためだけに。

 

「いくら園子様といえど、半神半人だとしても、人であるのだから日光を浴びなければ不健康です」

 

 健康面を前面に押し出した理由を出した。乃木家と上里家の発言力を利用することで、神官たちを動かすことに成功。当然反発の声も上がったのだが、かなたが巫女に声をかけ、ゴリ押ししたことでなんとかこの案が通った。

 その工事は園子に気付かれることなく終わり、完成したのは僅か二日前のこと。園子に気付かれなかったのは、巫女の協力もあったからだ。満開を繰り返し、半神半人となった代わりに体を動かせなくなった園子は、身の回りのことを他人に行ってもらう必要がある。

 その一つに、体を清めるつまり入浴があるのだが、女性である園子の体を男性が洗うわけにもいかない。そして神に近づいた園子をただの女性神官が清めるのも不適切。

 そこで登場するのが巫女だ。巫女たちが園子を連れて部屋から出ている間に、突貫工事を行ったのだ。短時間で終わるわけもないのだが、そこは部屋の薄暗さが助けとなった。元々園子の位置からは壁がはっきりと見えない部屋。工事が途中であろうと、黒い布で覆っておけば隠せるのだ。

 

「園子様に必要だと思ったことを実行したまでです」

「ふふっ、そういう事にしとこうかな」

 

 春先に出会った暁葉なら考えられなかった行動だ。仕事は話し相手になることだけ。それを念頭に置き、園子にただ言葉を返すだけ。たったそれだけのことしかやらなかった暁葉が、園子に言われなかったことをした。それは園子の影響なのか、それとも暁葉自身の心によるものなのか。

 それはどちらでもいい。もしそれが前者だったらなお良い。かなたから頼まれていることを、着実に進められているのだから。

 

「あっきーはお月見に興味があるの?」

「特にはないですね。月を眺めて綺麗だと思うことはありますが、だからといって何かをしようとまでは思いません」

「ふーん? それなのに改装させたんだね」

「日光は必要です。園子様のご健康に被害が及びかねませんので」

 

 建前……とも言えない。建前ではあるのだが、それも暁葉が懸念していたことなのだから。植物が光合成をするために日の光を求めるのは有名だ。しかし、動物も日光を浴びなければならない、という話は光合成ほど知られていない。日光を浴びることでビタミンDを生成し、骨の形成の支えとなる。体内時計を整えるという意味でもやはり日光は大切だ。

 そうだというのに、この部屋はまるで日光が入らない。成長途中である園子の体に悪影響だ。大赦はそこまでを考慮しなかったのだろうか。

 失態とも言える現状に内心で文句を言う暁葉だが、その暁葉が部屋の改装にこぎ着けられたのも秋だ。かなたの協力があっても、根回しに時間がかかってしまった。大赦の風通しの悪さに、子供ながら息が詰まったものだ。

 

 そもそも暁葉は見落としている点がある。それは、暁葉と大人たちの園子に対する意識の差異だ。暁葉やかなた、そして園子の両親を始めとした極僅かな人間は、園子を人間として見ている。それに対して大赦の大多数の人間たちは、園子を神として見ている。

 その表れこそがこの部屋。社の如き内装をしている部屋だ。神官たちにとって園子の肉体は御神体そのもの。部屋に札を貼り、安置する対象となるのだ。だからこそ部屋にも小さな窓しかなかった。

 

 本来の暁葉なら見落とすはずもない差異。話の通りにくさから感じ取れる違和をもとに、容易に推測できた内容。しかしそれは今の暁葉は気づけない。仕事だと己に言い聞かせつつも、話せば話すほど園子を人間だと認識し、客観性が薄れ出す。いくら子供離れしているとはいえ、やはり彼もまだ小学6年生だということだ。

 

「お月見ならお月見団子があると、もっとそれっぽくなるよね」

「無論用意しております」

「おー! さすがあっきー! もしかして私がこう言うの予想してた?」

「いえ、風情を出すなら何が必要かを考えた結果です」

「え〜、あっきーってば仕事人間だー。そんなんだと将来お嫁さんが泣くよ?」

「公私は分けますのでご安心を」

「ふふっ、私が安心しても仕方ないことじゃない?」

 

 それもそうだ。別に園子は許婚ではない。この仕事で初めて会った人物で、仕事の関係。行っているのはサービス業のようなもの。園子は客でありつつ、力関係では圧倒的に暁葉の上位に位置する。上司と部下と表してもいいかもしれない。

 そんな園子に何を安心してもらうというのか。たしかに、そういう振りをしたのは園子ではあるのだが。

 そこをついても詮無きこと。暁葉は先程のやり取りをなかったことにして脳内で一人完結させる。

 

「園子様。大窓を用意させはしましたが、その位置からでは月を拝見することができません。そのため、一時的にこちらの車椅子に乗っていただきます」

「その車椅子はそのために用意したんだ? ありがとう」

「いえ、これも仕事ですから」

 

 仕事の範疇は超えている。それを理解していないのは暁葉のみであり、園子やかなた、他の大人たちは気づきながらも黙っている。暁葉の中で良い変化が起きているのだと信じて。

 

「それでは園子様、失礼します」

「あっきーは私を持ち上げられるかな〜?」

「女性一人、造作もないことです」

 

 表情一つ変えずに園子を持ち上げた暁葉は、園子に負担がかからないように気を使いながら車椅子に下ろす。通常の車椅子では背もたれがあるだけであり、自分で背筋を伸ばす必要がある。しかし園子は体に力が入らない。そこで今回用意した車椅子は、頭まで預けられるようなものとなっている。クッション性もあり、園子の体を柔軟に受け止める。

 

「あっきーは結構力強いんだね」

「ある程度は鍛えてありますので。それに、園子様はお軽いです」

「そうなの? 自分じゃよく分かんないや〜」

「私からしてみれば、十分にお軽いかと。もう少し軽ければ、お体を心配するほどです」

「なるほどね〜」

 

 軽いと言われて嫌な気はしない。運動をすることはできず、特にできることがない日々では脂肪の燃焼がネックだ。カロリーは最悪、思考を働かせることでなんとかなる。しかしそれが限度にもなるのだ。いくら頭を働かせたとしても、脂肪の燃焼には繋がらないのである。

 神に近づいた身だとしても、思考も心も変化したわけじゃない。本来であれば中学校に通い、友人と過ごす年頃の少女。園子の環境からして、体重を気にするなという方が無理な話である。

 その懸念を無自覚なまま払拭した暁葉に、園子はお礼の意味を込めて微笑む。暁葉はその微笑みが、車椅子に移動させたことだと勘違いして処理し、何も言わずに車椅子を押した。月明かりが差し込む窓に近づき、園子の視点から月が見える位置で足を止める。

 

「この辺りでよろしいでしょうか?」

「うん。バッチリだよ〜。あっきーも横に椅子持ってきたら?」

「いえ、私は職務中ですから」

「なら今から休憩ね。仕事に休憩は必要だし、あっきーは今日まだ休憩してないでしょ?」

 

 話し相手という仕事を始めてから、休憩らしい休憩というものを取ったことはない。園子の話し相手をするというものは、仕事であり休憩でもある。それ故に改めて休憩だと言われても、暁葉は首を縦に振りにくかった。

 

「あっきーはもっと頭を柔らかくしないとね〜」

「それでは脳がすぐに壊れます」

「私が言ってるのはそういうとこなんだけどね……。じゃあ言い方を変えようかな。私の横に椅子を置いてそこに座ること。それが私の要求だよ」

「……かしこまりました」

 

 暁葉自身の意思では動かない。まだ暁葉はそこまで軟化していない。あまり命令をしたくなかったが、暁葉を行動させるためにはそうするしかない。今後の過程で、暁葉がさらに変わっていくことを願うしかない。

 

(願ってるのは、かなりんなんだけどね)

 

 暁葉が椅子を園子の左横に置き、黙って腰を下ろす。月が見える位置に調整しつつ、ある程度園子との距離を維持する暁葉。その姿に若干の寂しさと暁葉らしさを園子は感じていた。

 

「私、こうやって月見するの初めてかも」

「そうなのですか?」

「うん。お泊り会はしたことなかったし、合宿の夜は夜空を見上げてなかったから。あ、お父さんとお母さんはノーカンね」

「わかっております」

 

 本家でなら何度でも月見をしたことがある。両親を交え、さらには使用人も呼ぶこともしばしばあった。月には兎がいる、などという話も聞いたことがあれば、それを小説のネタに組み込んだこともある。

 

「あっきーは?」

「……私も身内とならば」

 

 そうとはいえ最後に行ったのは2年前だろうか。毎年かなたが企画し、使用人と一緒に団子を作るとこから始める。団子をそのままの味で味わうのももちろんだが、せっかくだからと他の味を加えることも多々あった。

 暁葉は料理をレシピ通りにするタイプであり、性格も相まってアレンジができない。反対にかなたはアレンジを加えることを得意とする。レシピを無視するわけでもないため、料理を失敗することもないのだ。

 

「それなら、私とあっきーは友達との初めてのお月見だね」

「私は園子様のご友人にはなり得ませんので」

「え〜」

 

 暁葉がそう言うだろうとは読んでいた。しかし、予想がつくからと言って自己完結していては面白みがない。一人じゃなくて二人なんだ。相手との会話を大切にしたい。

 園子の思いとは裏腹に、暁葉はそういう話をすぐに変えたがる。立場上園子に逆らえないのはもちろんなのだが、たとえ対等だろうと園子には勝てないと感じ取っているからだ。話を変えなければ押し切られてしまう。幸いにして園子はしつこいことはしない。変えられたらその話題に乗ってくれる。本心は不明だが。

 

「月が半分隠れていますね」

「あれはあれで良いよね〜」

 

 残念なことに今夜は雲がそれなりにある。雲に遮られることなく満月を堪能できる時間の方が少ないだろう。せっかく園子に楽しんでもらおうと思っていた暁葉は細くため息をつくが、そもそもこうして月見ができているのだ。園子にとっては、それで十分である。

 

「あっきー」

「なんでしょうか」

「月が綺麗だね〜」

 

 文学作品から誕生した有名な台詞。その言葉を園子風にアレンジしたもの。暁葉を揶揄う目的で発したその言葉を、暁葉は園子の予想とズレた言葉で返す。

 

「きっと園子様の方が綺麗ですよ」

「…………。ふふっ、あはははは! あっきーってば面白いね〜!」

「……今のどこに笑われる要素が?」

「ううん。気にしなくていいよ〜」

 

 上機嫌に首を振る園子に、暁葉は首を傾げるしかなかった。

 疑問を抱く暁葉をよそに、園子は月見団子を催促する。今は園子の他に暁葉しかおらず、小鳥のように可愛らしく開けられた口に暁葉は月見団子を入れる。わざと舐められて変な声が漏れたのは二人だけの秘密。

 

 園子の想定では、言葉の意味を理解した暁葉がいつも通り淡々と切り返す。あるいは狼狽えるかもしれない、というものだった。しかし暁葉はそのどちらでもなく、月よりも園子の方が綺麗なんじゃないかと返した。本心で。

 暁葉は園子の言葉に隠された意味を知らなかった。まず大前提から崩れていた。そして断言しなかったのは、暁葉が園子の素顔を知らないからだ。出会った時から園子は包帯を巻いている。その下に隠された顔を知らない。だから断言できない。

 

「あっきーはなんで私の方が綺麗だって思うのかな?」

「園子様のお心が綺麗だからです」

 

 迷いのない言葉だった。間髪入れずに返され、園子は口を噤んだ。暁葉は言葉を選びはするが、お世辞を言うタイプではない。今の言葉にも暁葉の感情が入っており、本心だということが分かる。不意打ちにも等しい褒め言葉に、園子は喜びを感じずにはいられなかった。

 

「きっとあっきーはイケメンだね」

「私はいわゆるフツメンですので」

「仮面で隠してるから分からないんだもん。想像する分には私の自由だよ〜」

 

(整形したほうがいいのだろうか)

 

 園子にハードルを上げられ、少し本気で考えてしまった暁葉であった。

 

 



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8話

 

 上里かなたは巫女として優秀だ。現代においてその素質は誰よりも高く、上里家初代当主にして巫女であった先祖、上里ひなたに並ぶ程ではないかと評価されている。しかし、その評価はあくまで巫女としてのものであり、彼女の手腕の評価となればそうとも言えなくなる。

 かなたは、良くも悪くも優しい性格をしている。たとえ知らない人であろうと手を差し伸べる人物だ。それ故に慕われやすいが、善性を信じるが故に駆け引きを苦手とする。当主の座はまだ母親のものであるが、それもいずれは彼女のものとなるだろう。そうなれば上里家が今の地位を維持できるかが怪しくなる。

 権威は常に維持されるものではない。その輝きを維持できるものが握るからこそ、偉大な権威は偉大なものとして存在し続けられる。それを上里家と乃木家は300年間維持した。多少の揺らぎはあっただろう。しかし、それが他家より下回る、もしくは並ぶということはなかった。乃木家と上里家は大赦内でツートップを維持し続けた。

 

(それが私の代になれば終わるかもしれない)

 

 大抵の家であれば申し分ない才覚を持っている。しかし、そのハードルも名家であるほど高くなり、かなたは上里家のハードルを超えられる自信がない。『上里家』『巫女』という二つのブランド力。それによって今の自分は支えられている。『当主』という立場になった時、果たして自分は今のようにいられるのか。不安は尽きない。

 

「暁葉に譲ったほうがいいのかもしれないわね」

 

 大赦内を歩きながらポツリと呟く。

 弟の暁葉は何一つ素質を持たないことにコンプレックスを抱いている。自分の存在が邪魔なのではないかとさえ考え、失態を起こさないように慎重に行動するようになった。話し方から変えてしまい、他人との距離を維持するように。しかし、その振る舞いこそ、大赦内でのやり取りで必要なものだ。現に暁葉は12歳にしていくつかのパイプを持っている。

 それがかなたには難しかった。巫女という立場から離れてしまえば、かなたはどこまでいってもただの少女だ。嘘を見抜くことを不得意とし、相手の話をすんなりと信じてしまう。疑うということを知らない。

 

「何を弟様に譲るのですか? かなた先輩」

「……聞こえていたの?」

「はい。あ、他の方は聞こえていなかったみたいですよ」

「そう。……気にしないで、私の問題だから」

「そうなのですか? あ、お話をしたほうが落ち着けるかもしれませんよ。私、聞かなかったことにしますから」

 

 次期当主としては聞かれたくない弱音。それを聞かれてしまったこと自体に頭を抱え、今は一人になりたい。しばらく一人でいて、気持ちを切り替えたかった。

 そんな思いが通じることなく、かなたのことを気遣って提案する後輩巫女。彼女には一切の悪意はない。そうした方がいいんじゃないか、という考えでの提案である。

 

「気遣ってくれてありがとう亜弥ちゃん。でも大丈夫だから」

「分かりました! では、弟様のお話を聞いてもいいですか? 以前から気になっていたので!」

 

 かなたの眉がピクッと動く。亜弥の表情を見るにそこに他意など存在せず、単純にかなたの弟が、どういう人物なのかを知りたいだけらしい。

 財宝でも見つめているのかと思うほど瞳を輝かせ、『聞きたい』という思いをありありと醸し出している。断りにくい空気を作られてしまった。本人からすればその気は全くないのだが。

 

「仕方ないわね。後で話すから」

「ありがとうございます!」

 

 禊ぎを終え、巫女の修行を一通りこなした瞬間、亜弥は足早にかなたの下へとやってきた。巫女同士で仲が良いことは珍しくなく、かなたが誰かしらと話しているのは常だ。だが今日は他の巫女が珍しいものを見るように、二人に視線を注いだ。

 亜弥が素早くかなたの下に向かったことが初めてだから。

 亜弥はそれに気づいておらず、さっそく話を聞きたいと瞳で語る。しかしかなたは気づいており、これは面倒な方向に話が転がりそうだと直感する。

 

「なになにー? かなたに何聞くのー?」

「弟様のことです。お会いしたことがないので」

「あ〜! かなたって弟くんいたんだったね!」

「かなたさんの弟さんのお話ですか!?」

「聞きたいです!」

 

 いつもなら各々自由に過ごす時間になったというのに、巫女たちはバラけるどころか、かなたの周りに再集合した。

 

「かなた先輩。それではお願いします!」

「亜弥ちゃんって実は鬼かな?」

「へ? おにぎりは好きですよ?」

 

 天井を見上げる。この子に何を言っても無駄だ。善意によって行動し、天然が呼び水となってこうなっているのだから。

 

「といっても、この状態だとかなたも話しづらいわよね。みんな! 席につきなさい!」

「席なんてないわよね!?」

「かなた先生! 早く特別講義(弟さんの話)をお願いします!」

「本当は聞きたいとも思ってないでしょ!」

「かなたせんぱ……先生! 私は聞きたいです!」

「最前列だもんね! それと言い直さなくていいから!」

 

 横に5列。縦に3列でき、10数名の巫女が等間隔で正座してかなたに視線を集める。亜弥のように本当に聞きたがっている者もいれば、たんに面白がっている者もいる。

 かなたは諦めたようにため息をつき、一度顔を伏せて気持ちを切り替える。

 

「皆さん、私語厳禁! 居眠り厳禁ですからね!」

「いやノリノリだねぇ!?」

 

 眼鏡を装着し、ホワイトボードまで引っ張り出してかなたは暁葉のことを話し始めた。皆にイメージが付くようにするために、暁葉の似顔絵を書き、空いているスペースには昔飼っていた犬の絵。

 

「暁葉くんの絵と犬の絵の落差!」

 

 暁葉の似顔絵は賞が取れるほどの腕前なのだが、かなたはそれ以外の絵を一切かけない。矢印で犬だと言われているから分かるものの、それがなければ妖怪である。

 暁葉の幼少期や小学校に入ってからの話をし、それから暁葉が変わってしまった話もする。弟の話をそこまでしてしまっていいのか、と亜弥以外の全員が思ったが、かなたは止まることなく話し続けた。止めようとしたら睨まれる始末である。

 

(かなたって)

(もしかしなくても)

(ブラコン!)

(弟様想いなんですね!)

 

 かなたへの見解が、亜弥以外の巫女の中でこの話によって一致した。

 そうして話は今年のことになり、暁葉がとあるお役目についたというものだ。さすがにその内容までは話さなかったが、多少は想像できる。そして話がだんだん愚痴っぽくなり始め、今度は亜弥を含めた巫女全員の中で一致した。

 

((かなたがその人に嫉妬してる……!))

 

「かなた先輩はその方に嫉妬されているのですね!」

 

(亜弥ちゃぁぁぁん!?)

(言っちゃったよ! この子言っちゃったよ!)

(私達でも抑えてるのに! 亜弥ちゃん。恐ろしい子!)

 

 かなたの弟話は、亜弥が核心をついたことで終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 かなたは巫女を除いた場合の人脈が多いとは言えない。決して少なくはないが、意見が割れた際に優位に立てるほどの繋がりが一歩足りないのだ。

 

「かなた様。少しよろしいでしょうか?」

「はい。どのような話ですか?」

 

 そのうちの一人が、かなたに話を持ってきた三好春信だ。暁葉を経由してかなたも繋がりを持ったのだが、今では暁葉を経由する必要がなくなっている。年は大赦内でも若く、その手腕は高く評価されている。

 

「暁葉様から聞いているかもしれませんが、彼が讃州中学校に通うことになった件です」

「……どうやらあまり嬉しくない内容のようですね」

「…………彼は任務を与えられるそうです」

 

 春信と暁葉の関係は極めて良好であり、そのために春信の耳には暁葉の話が届きやすい。その関係で園子の情報も時偶入るのだが、だいたい大赦が振り回される時の話だ。

 ところが、かなたには暁葉の情報が入りにくい。暁葉に関係する良い話などは届くのだが、悪い話は出来過ぎているほどに入らない。巫女たちが暁葉のことを全く知らないのもその影響だ。

 暁葉本人もまた、かなたには自分の身に起きる厄介話をしない。

 かなたにとって、余計な情報だと考えるから。

 

「勇者たちに大赦の人間だと気づかれることなく監視すること。それが彼の任務になるそうです」

「…………、……っ! 暁葉はそれに納得したというのですか!?」

「はい」

 

 ふらつきそうになるのを耐える。

 暁葉ならたしかに承諾するだろう。仕事だからと。それが必要なことならと言って。

 ──たとえそれが自分の名を捨てることになっても

 

(鷲尾須美という前例が直近にいる……! だから暁葉も……いえ、いなくてもあの子は……)

 

「園子様は何か言っておられましたか?」

「……本人が行くと行ったのなら止められない、と」

「そうですか……」

「今の役目は継続するそうです」

「分かりました。私も納得しないといけないのでしょう。母が止めていないわけですし。……ところで暁葉は今日は?」

 

 すぐには納得できない。おそらくは暁葉と向き合って話をしないと感情を処理しきれない。それがかなたの弱みだ。公私を完全には分けられない。特に身内のこととなれば。

 それを一旦後回しにし、話題を変える。

 

「園子様にハロウィンを楽しんでいただく、とだけ」

「……そうですか。私の誘いを断っておいて……へー」

 

 暁葉がそうすることは予想できた。だから、家に帰ってからハロウィンを楽しもうと、かなたは誘っていたのだ。それすら断られてしまったわけだが。

 

(嫉妬しておられる……)

 

 分かりやすく拗ねるかなただったが、春信は何も言わないことにした。その選択は正しかったと言えるだろう。

 かなたも、無意識のうちに頬を膨らませてしまっているのだから。

 

 

 終わらないものは存在しない。

 変わらないものはない。

 しかしかなたには、突如カウントダウンが始まったように思えた。



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9話

 一週間ほど空きました。諸事情です。




 

 秋が終わり、気温がさらに冷え込む冬となる。吐く息は白く、寒さによって耳や鼻が赤くなる。一年の終わり、12月。またの名を師走。現代では馴染みのない呼称であり、その由来を聞いてもあまりピンと来ない。

 12月というのは、年齢によってその内容は変われど、一大イベントがある月だと言っていい。子どもたちが楽しみにし、大人たちはとある物に頭を悩ませる。そう、クリスマスだ。厳密に言うと、クリスマスが12月25日。西暦の時代から日本人が浮足立つのが前日のクリスマスイブである。

 サンタクロースという存在が、良い子にプレゼントを配ると言われており、子どもたちはそれを楽しみにする。欲しいものを分かりやすく紙に書く子もいる。そしてそれを見聞きした親がこっそり用意するのだ。子どもというのは素直なもので、時たま出費が痛いものを頼むことも。

 さて、サンタクロースの正体を知った一定の年齢の人たちはどうするか。いつもと変わらない日々を送る人もいるだろう。家族や友人とクリスマスパーティをする人もいるだろう。恋人と過ごすというのも定番である。

 

「あっきーおかえり〜」

「……ただいま、と言うのはおかしな気がします」

「え〜。ほぼ毎日来てくれてるし、おかえりでもよくない?」

「園子様がそう望まれるのであれば、そう致しますが」

「それはちょっと違うかな〜」

 

 上里暁葉は、変わらない日々を過ごしている部類に入るだろう。本日も例にもれず園子の下に足を運び、話し相手という職務をこなす。

 学校というのは子どもに敵視されやすく、たいていクリスマス当日に終業式が行われる。神樹館小学校も同様であり、暁葉は明日も学校に通う。しかしそれに不満を抱くこともなく、そういうものだと受け入れている。

 おかしいと感じたものを調べ上げる暁葉なのだが、今の暁葉はその点が潜められている。極力自分を殺したほうが、組織という機械に属する歯車になりやすいから。

 

「あっきーはお友達と過ごしたりしないの?」

「彼らはご家族で過ごすようですし、私には仕事(ここ)がありますので」

 

 それでも変わり、元に戻りつつある部分もある。オリエンテーションで共に演奏したクラスメイトと、友人という関係になっているのもその一つ。それまでは園子の言葉を否定していたのに、今『お友達』と言われても否定しなかったのがその証。

 さらに、『仕事がある』という言い方から、『ここがある』という言い方になっていたのも変化と言えるだろう。暁葉にとっても、園子の下に訪れることに意味が感じられているらしい。

 

「そっか」

 

 そう呟く園子の口元も緩む。かなたからの依頼であり、自分自身と上里家の間に明確な繋がりを作っておきたい、という思いで引き受けたこと。それが思いの外心地良いのだ。

 勇者のお役目が始まるまで友人ができなかった。親友二人ができても、異性との会話は最低限。話しかけることも話しかけられることも滅多になく、当然異性の友人もいない。その意味で、暁葉は新鮮な相手でもある。

 

「今日はクリスマスイブです」

「うん? あ、そうだったね。ずっとここにいるから、今がいつなのかとか気にしてなかったや」

 

 自嘲気味に園子が笑い、暁葉は仮面の下で表情を強張らせる。先程の友人と過ごさないのかという発言から、日付を分かっていると思っていた。しかしそれは見当違いであり、園子は「たまには友人と過ごしてもいいんじゃないか」という考えでの発言だったらしい。

 暁葉が表情を強張らせたのも一瞬だけであり、園子に気づかれる前に何事もないように話を続ける。

 

「クリスマスパーティを行うのが、世間では主流だそうです」

「カップルだったら二人でラブラブって感じだよね〜」

「そのようですが、私達には当てはまりません。ですので──」

「私たちもラブラブしてみる?」

 

 頭を抱えたい。喉に何か詰まったように、言葉がうまく出てこない。

 穏やかに見つめてくるその瞳が、暁葉の視線を離させない。

 

「お戯れを」

 

 なんとかそれだけを絞り出すことができた。園子の真意を暁葉は読み取れない。いつもの揶揄いなんだろうと受け取っているものの、お月見以降月一でその手の揶揄いを受けている。頻度は変わらず、必ず月に一回だ。

 

「あっきーはノリが悪いな〜」

「職務の範疇を超えておりますので」

「小説のネタになると思ったのに〜」

 

 園子が口を尖らせる。今回もまた、特に意味のない振りだった。むしろ、園子から意味のある振りをされた方が少ないか。

 園子はただ会話を楽しんでいる。そもそも、雑談というものは取り留めのない会話ばかりだ。そこに意味合いを持ち得たら、それは雑談とは様相が異なる。相談、報告、連絡、会議、口論。大人になり、社会に溶け込めばそれらが日常の殆どを占めるだろう。

 だが、暁葉と園子の間で行われている話し合いは、雑談なのだ。一つ一つ意味を考えるのは不毛であり、時によっては無粋となる。

 

(深く考えるべきではない、か)

 

 9ヶ月程を経てたどり着いた結論である。

 暁葉は、密かにほっと胸を撫で下ろしながら考えを改めていく。園子の話し相手というのは、内容で言えば気軽に行うもの。暁葉はそれを仕事として捉えている。真面目な暁葉にとって、話し相手という仕事はある意味難しかった。

 加減が分からないのだ。まず園子は暁葉から見て目上の存在である。年齢にしてもそうであり、園子が勇者だという点においてもやはり目上だ。その時点で、敬うべき存在であることは明白。そして今の園子は神に近しい存在。大赦内でその扱いは神樹とほぼ同様である。

 そんな園子相手に、どの程度の距離感にすべきか。無意識のうちにそれはできているのだが、暁葉はその事に気づけていない。

 

「園子様。クリスマスケーキをご用意しました」

「さすがあっきーだね〜」

「お口に合うかどうか分かりませんが。好みに近い味付けかと」

「そんな気にしなくていいのに〜」

 

 暁葉がケーキを取り出して園子に見せる。それは小さな円形のケーキであり、園子のためだけに作られたことがわかる。真っ白のホイップクリームに包まれ、その上には定番であるイチゴとサンタクロースのマジパン。プレート型のチョコレートには、筆記体でMerry Xmasと書かれている。

 

「可愛いケーキだね」

「シンプルなデザインにさせていただいました。……マジパンは不要だったかもしれませんが」

「ふふっ、別にいいんよ。そういうの乗ってる方が、クリスマスケーキっぽいもん」

 

 暁葉の懸念を園子がやんわりと取り除いた。クリスマスケーキで躓かずにすみ、一安心するも相手は園子である。暁葉が来る前には、一般的に無茶苦茶だと言える要望を次から次へと言った園子である。今は揶揄い目的で暁葉を振り回すのも当然だ。

 暁葉を見つめ、餌をもらう小鳥のように口を開く。暁葉が困っている気配を察知し、それでいて今度は瞳を閉じた。

 

「あの……園子様?」

 

 意図を察せない。いや、察すのを避けている。分かってしまおうとするのを意識的に止めにかかる。

 しかし園子は暁葉のその葛藤を無視した。

 

「あーん。私は自分では食べられないから、あーん」

「……夕食のデザートとして、巫女様に食べさせていただくご予定だったのですが」 

「今食べたい。だから、あっきーが食べさせて」

 

 一筋縄ではいかない。いや、自由すぎる園子に抵抗することすら叶わない。マニュアルに忠実になるタイプの暁葉にとって、独創的な思考をする園子は天敵と言えよう。

 園子が再び口を開けて待つ。

 これ以上の抵抗は園子の機嫌を損ねるかもしれない。決してそんなことにはならないのだが、暁葉はそう捉えた。フォークでケーキ切り、一口サイズにした箇所を園子の口へと運ぶ。口周りにクリームが付かないようにと注意を払う。

 暁葉はこういう事に不慣れだ。耐性がないと言い換えることもできる。つまり、その手は震え、ケーキを園子の口に運んだのだが、結局クリームが口周りについてしまった。

 

「ん〜! 美味しい!」

「それは安心しました」

「あっきー。クリーム取って〜」

「すぐに」

 

 ティッシュを数枚取り、園子の口周りについたクリームを取る。取りこぼしが無いように、力加減を間違えないように。生真面目なその性格が、暁葉自身を追い詰める。自然と視線は園子の口に集中し、女子特有の肌の柔らかさを感じさせられる。今まで意識してこなかった、乃木園子という一人の少女を、意識させられる。

 クリームが取れたことを園子に伝え、暁葉はティッシュをゴミ箱へと捨てる。この時に園子から視線を外せたわけだが、たった数秒の出来事が、今の暁葉には長い時間に感じられた。

 

「あっきーのそういうとこ、私好きだな〜」

「っ!?」

 

 背後から突如告げられる。大きく動揺しているタイミングでの追い打ち。暁葉は、驚く際に硬直する癖がある己に、この時初めて感謝した。

 息を潜めるように深呼吸し、可憐に微笑む園子へと視線を戻す。いつもとは違う、大人びた雰囲気を醸し出していた。その瞳によってついに暁葉のキャパが超えられ、顔が熱を帯びていく。

 

(仮面にはこれを隠す役割もあったのか)

 

 仮面の有用性に感謝する。

 当然園子はその事に気づくはずもなく、言葉を続けていく。

 

「あっきーって、不器用なほどに真面目じゃない? 悪い言い方すると、融通が効かないって感じ」

「自覚はしております。学び舎でも指摘されておりますので」

「あっきーも気にしてたのかな? でも、私はそれでいいと思うんよ」

「と、申しますのは?」

「だってそれがあっきーの性格なんでしょ? 律儀で、真面目で、誠実過ぎるから不器用になる。自覚してるってことは、柔軟な対応も検討できるってこと。そういうのが、あっきーの魅力だと思うし、不器用なとこがチャーミングで私好きだよ」

 

 ──ありがとうございます

 暁葉がそう言えたのはすぐだったか、しばらく間が空いてからだったか。それはさしたる問題ではなく、園子は満足そうに「どういたしまして」と返した。

 暁葉にとって、園子の言葉は胸にしみるものだった。家族内でそういう話になることはない。冷遇などされておらず、愛されていることを分かっている。しかし、だからこそ家族というものは、家族間で相手の分析を細かく行い、それを伝えた上での評価をしない。なんであれ受け入れるからだ。

 そして学校でも、園子のように伝えてきた人はいない。そもそも友人ができたのが遅かったのもあるだろう。それ以上に、暁葉が己を作り上げて振る舞っていることが大きい。それを園子は、一年弱の間に暁葉の素を捉えきり、言葉を投げかけたのである。

 

「園子様には敵いませんね」

「私の方がおねーさんだもんね〜」

 

 口を開く。暁葉ももう落ちつくことができる。園子の口にケーキを運び、クリームをつけるという失態はしない。次クリームがついたら、指で取らせるのもありではないか、なんてことを考えていた園子は、内心で残念がっていた。

 

「ごちそうさま〜」

「お粗末さまです」

「美味しかったよ。あっきーの味」

「言い方がおかしいと思うのですが。…………? 私が作ったとは申していなかったかと」

「うん、聞いてないね。でも、あっきーなら作るかな〜って思ったから。当たってたみたいだね」

 

 園子の直感に舌を巻いた。無論それだけが当てた理由ではない。ケーキを取り出した際に、味を好みに近づけたということを暁葉は言っていた。その事と、暁葉なら作りかねないという点を考慮し、最後に「そうだったらいいな」という願望を混ぜ合わせて引っ掛けたのである。

 

「園子様、クリスマスプレゼントもご用意させていただきました」

「話逸らすね〜」

「時間も限られておりますので」

 

 半分嘘である。プレゼントを渡すにしても、今日の残り時間には少し余裕がある。クリスマスイブということもあり、今日は長めに時間を設けられているのだから。

 袋からクリスマスプレゼントを取り出す。乃木家から話を聞き、暁葉なりに用意してみた一品だ。

 

「園子様はサンチョがお好きだとのことなので、サンチョのミニクッションをご用意させていただきました。大きい方はお持ちだそうですし」

「あはは、ありがとうあっきー」

 

 暁葉の言ったとおり、園子はサンチョのクッションを持っている。枕にもなり、抱き枕としても扱えるほど大きいものだ。それを用意するわけにもいかず、悩んだ結果暁葉はミニサイズとして売られているサンチョを購入した。

 今は体が動かず、それを抱き締めることはできないが、用意してもらって嬉しくないわけがない。

 しかし、

 

「でもねあっきー。これ、サンチョじゃなくてアモーレだよ」

「……アモーレ?」

「見た目はサンチョだけど、色が違うでしょ? この子はアモーレなんよ〜。嬉しいから貰うけどね」

 

 サンチョの知識が乏しかった暁葉の敗北である。

 苦笑する園子は、それでも構わない、十分だと言葉をかけるが、その優しさが暁葉にはいたかった。

 

 翌日、暁葉はサンチョのぬいぐるみを園子に渡した。

 

「ふふふっ、あっきーは本当に真面目だね〜。ちなみにこの子はアミーゴだよ」

「……ぇ」

 

 サンチョ道は暁葉には難しかった。



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10話

 連載中作品がこれだけになったので、少しはこの作品の更新ペースも上がるかなって感じです。たぶん。


 

 時が経つのも早いもので、冬の寒さはどこへやら。春のこぼれ日に芽を出す草花たち。暖かくなれば動物たちも活動を始めるというもの。あと一月もすれば蝶が花の蜜を吸う光景も見られるだろうか。

 暁葉が6年間過ごした学び舎と別れを告げたのも、一月も前の話。エスカレーター方式で上がっていけるにも拘わらず、わざわざ別の中学校に通うことになる暁葉。それは黙っていたのだが、担任の教員がバラしたことでクラスメイト全員が知ることとなった。卒業式の日に暁葉のお別れ会まで開かれたことは、暁葉にとってもいい思い出である。本人は「そんなことをされるほどクラスにとけ込んでいなかったはず」と困惑したのだが。

 4月から暁葉は中学生となり、讃州中学校に通うことになる。制服自体は届いており、暁葉が住むことになる部屋も確保済み。ひとり暮らしにしては大きいくらいだが、大赦が関わっている物件はそんなものばかり。

 

「中学校ってどんなことするのかな〜」

「算数が数学に変わり、HRという時間割ができると聞いています」

「かっこいい呼び方だよね〜。あっきーは準備大丈夫? 中1ギャップとかで躓かない?」

「ご心配には及びません。予習も始めております」

「そっか〜。でも心配してるのはそこじゃないんよ?」

 

 園子の言葉に暁葉は首を傾げた。学校とは学ぶことが主たる目的であり、それさえ躓かなければいいと暁葉は考えているからだ。その不安を取り除くための準備をしているのに、他に何を心配されるのか。

 

「ひとり暮らしになるんでしょ? 寂しくないのかな〜って」

「その事でしたか。そちらも心配はいりませんよ。家事は一通り行えるようになりましたから」

「誰か使用人とかは?」

「つけませんよ。変に目立ちますし、勇者様に気づかれる可能性も出ますから」

「そっか……」

 

 話し相手がおらず、たった一人で過ごすことの寂しさを、園子は身を持って知っている。元々一人でぼーっとすることが得意であった園子は、まだその事に耐えることができた。しかし、暁葉はそういう趣味を持っているとは聞いていない。初めは耐えられるかもしれないが、僅かな引っ掛かりが蓄積すればどうなるか分からない。

 

「私が部屋にいてあげようか? 祭壇を家に設置してくれたら行けるよ?」

「大丈夫です。そのような事をしてしまうと、園子様でも制限を課せられかねません」

「今以上に何を課せられるのかな?」

「……」

「ごめん、意地悪だったね」

 

 僅かに顔を伏せた暁葉に、園子は視線を外して謝る。園子自身ではジョークとして済ませられることだったとしても、暁葉にとってはそうもいかない。暁葉は園子が体を動かせないことを、ずっと気にかけているのだから。

 気まずい雰囲気になってしまう。暁葉にとってはそれも不味い状況だ。園子が気をつかって話題を出す前に、暁葉の方から話題を提供する。

 

「讃州中学で、学友ができるかは不安ですね。私は6年生でようやく学友ができたので、その半分の期間となると……」

「んー、それこそ大丈夫じゃないかな〜」

「と、申しますのは?」

「だってあっきーだから」

 

 沈黙が広がる。

 ふわりと微笑みかけて言われると、喜ばしいものではあるのだが、それはそれとして説得力に欠ける。園子がそう言うのだし、自分は何か成長したのかと振り返ってみるものの、暁葉その可能性を否定した。一年間を振り返っても、自分の成長を感じられないのだ。

 

「あっきーなら大丈夫だよ。私が保証する」

「なぜそう断言できるのですか」

「あっきーは変われてるよ? 気づきにくいだろうけど、私はそう感じてるから。それに、クラスに馴染まないように振る舞うわけじゃないでしょ?」

「それはもちろん、そうしますけど」

「だったらお友達できるよ。自信持って。真面目で優しいあっきーと、仲良くしてくれる人は必ずいる」

 

 園子は迷わず断言した。暁葉の友達になる相手がいると。どんな人たちがいるのかも知らず、園子の知り合いだって一人しかいないというのに。なおかつその人物は園子と同年代、暁葉にとっては先輩に当たる。同じクラスになることはない。それでも、園子は暁葉の人柄を考え、友達ができると推測した。

 園子にそこまで言われれば、暁葉も疑問を持たなくなる。きっとそうなるのだろう、と希望を抱いていく。ちなみに、暁葉は園子が言ったことをあまり疑いたくない、という心理も働いていたりする。未だに暁葉はその辺りの自覚がないのだが。

 暁葉が小さく自信を持ったのを感じた園子は、見守るように一度目を細めてから次の話題へと移った。中学校から存在する放課後の活動についてだ。

 

「あっきーは何か部活入ろうと思ってる?」

「部活ですか。たしかに中学生になれば、それがありましたね」

「音楽が好きなら、吹奏楽部もありだと思うんよ〜」

「……園子様がコンサートを聞いてみたい、という理由でしょうか」

「さぁどうだろうね〜」

 

 笑って誤魔化した。暁葉が言うとおり、暁葉が出演するコンサートを聞いてみるのも、楽しそうだと思っていた。園子は暁葉のピアノをまだ聴いたことがない。頼めば間違いなく暁葉は、この場にピアノを用意させて弾いてみせるだろう。しかし、それは望むところではない。聴くのであれば、正式な場で聴きたい。叶うのであれば、暁葉が仲間と共に演奏する姿を見たいのだ。

 それを言ってしまえば、暁葉はそのために吹奏楽部に入るだろう。それは一番避けたいと園子は思っている。暁葉自身の意志で、入りたい部活に入ってほしいのだ。

 

「それで、あっきーは何部に入るか考えてる?」

「考えてませんでしたね。そもそも、讃州中学にどのような部活があるのかも存じていませんので」

「あはは、それもそうだよね〜。珍しい部活もあるかもしれないし」

「……一つありますよ。他の学校にはない部活が」

「え?」

 

 園子は丸くした。たった今、何があるか知らないと言ったにも拘わらず、暁葉は讃州中学にだけ存在する部活を、知っているというのだから。それはいったいどのような部活なのか。園子は少し考えて、予想を立てた。複雑な思いとともに。

 

「勇者部。それが讃州中学にだけ存在する部活です」

「勇者部、か〜。偶然……とはいかないよね」

「はい。勇者の適正が最も高いお方や東郷様もおられますので」

「……わっしーもいるんだ。その部活、どういう活動してるかは知ってる?」

 

 勇者たちの戦いはまだ始まっていない。それなのに、メンバーはその部活に集められている。先に集まっておき、親交を深めるのが狙いでもあるのだろう。しかし、本来の役目がないのであれば、表向きの活動が必要となる。部活という体をなすのだから。

 

「人の為になることを勇んで実施する。それが活動内容だそうです。勇者部宛に依頼が届き、それをこなしていくのだそうです」

「すごいね〜。具体的にはどんなことしてるの?」

「多いのは、浜辺や川原でゴミ拾いをすることだそうです。迷子の猫の捜索や近くの保育園で園児たちとレクリエーションをすることも多いのだとか」

「楽しそう〜。いいな〜、私も入りたいな〜」

「……きっと入れます。私はそう信じてます」

「うん、ありがとう。あっきー」

 

 言葉に僅かながら力が入る。

 神樹に捧げた体の機能は、戻ってくることがない。何かしらの可能性はあるのかもしれないが、大赦の研究でもその答えを見出だせていない。現状では「戻らない」という答えが固まっている。

 暁葉は己の無力さを嫌というほど痛感する。園子の願いを叶えられず、それでいて園子に気をつかわせている。たった1歳の差。しかし歩んできた道は大きく異なり、その差が果てしなく遠く感じる。園子が浮かべる笑顔は、きっともっと輝かしいはずなのに、と。

 

「私は……新聞部があればそこに入ろうと思っています」

「新聞部?」

「はい。私の役目は、勇者様たちを見守ること。しかし勇者様たちに、私が大赦の人間だと気づかれてもいけない。自然な形で接触しやすいのは、おそらく新聞部のように話を聞いて回る部活だと判断致しました」

「……そっか。あれ? でも名前で…………まさかあっきー。名前を捨てるとか考えてないよね?」

 

 暁葉は何も答えなかった。もちろん捨てる気は毛頭ない。上里家に生まれたこと、暁葉という名前をもらったこと。その事に暁葉は感謝し、大切に思っている。しかし、今回の役目を全うするには、今の名前では不都合なのだ。

 部屋の空気が変わる。園子の雰囲気も変わり、彼女の機嫌を損ねたのだと暁葉はすぐに理解した。

 

「そんな指示、誰が出したの?」

「……個人は分かりません。私は決定を聞いただけなので」

「それなら上の人を呼び出せばいいのかな」

「園子様。私はこれでいいと判断しています。その方が都合がよいですし、鷲尾様の例もございます」

「──っ! ……それは……ズルいよ」

 

 親友の名前を出されては園子も押し黙るしかない。「大赦内で勇者を探す」という習慣を守る結果、東郷美森は鷲尾家の養子となり、鷲尾須美を名乗っていた。彼女は勇者になるために、本来の名前を一度捨てたのである。今では一般人の中から探そうと方針が変わったため、鷲尾須美も東郷美森へと戻った。都合のいいことに、彼女は鷲尾須美として生きた記憶を散華で失っている。

 それと同じパターンなのだ。その方が都合が良いから。ただそれだけの理由で、暁葉も名前を変えることになる。

 

「讃州中学では、下田凛という名前になります」

「……じゃあこれからは、りんりんかな?」

「いえ、園子様には、これまで通りあっきーと呼ばれたいです」

「え、ぁ、そっか〜。あっきーがそう言うなら、これからもあっきーって呼ぶね〜」

 

 珍しく本音を聞かされた。これまでは言葉が業務的に平坦なものだったのに、今のは暁葉の願いが明確に言葉として表された。それを言ってもらえたことに、園子は胸に温もりを感じ、朗らかな笑顔を浮かべる。

 それと同時に、少しばかり曇ったのを感じた。

 

「あっきーとはしばらく会えなくなっちゃうね。寂しいな〜」

 

 いつも通り、ちょっと揶揄いの意味も込めてみる。しかしそれはできなかった。揶揄いのはずが、園子にとってそれはどこか本音に思えた。思わず心中を吐露してしまった。暁葉は気づくだろうか。気づいてしまったら、どれだけ恥ずかしく感じるだろうか。

 

「いえ、これまで通りここに来続けますよ」

「へ?」

 

 やはり暁葉は気づかない。それでいて、嬉しい言葉を口にする。思わず頬が緩みそうになるのを、園子は必死に堪えた。暁葉が続きの言葉を口にするのを待つ。暁葉の言葉のニュアンスに、引っ掛かる部分があるのも事実だから。

 

「学校が終わり、部活がない日にこちらに来ます。週末と、あとは平日のどこかで」

「うーん、それは嬉しいんだけど。あっきー、大赦(ここ)と讃州市って結構離れてるんよ? 週末はともかく、平日は無理だと思うな〜」

「…………え?」

 

 やはり勘違いしていた。

 暁葉は讃州市がどこにあるのか、把握していなかったらしい。部活を調べ、住居も手配済みだというのに。仮面を付けているが、その下ではキョトンとしているのだろう。容易に想像でき、園子はくすくすと笑いを溢す。

 

「今調べていいよ。スマホ出して」

「はい」

 

 勤務中には、必要な時以外スマホを操作しない暁葉であるが、園子の指示となればそれに従う。ポケットからスマホを取り出し、地図アプリを開いて讃州中学校を検索する。数秒待ち、表示された箇所と現在地を確認し、その間の距離を見て固まった。

 

「ね? 遠いでしょ?」

「遠いですね……。では、毎週末に来ます。土曜日と日曜日、祝日があればその日も」

「熱心だね〜。宿題が多い時とか、部活があったらそっち優先。そこは約束だよ?」

「承知致しました」

 

 会いに来てくれるのは嬉しいが、学業に支障をきたさせるわけにもいかない。大赦の一員ではあるものの、暁葉の本業は学生なのだ。よく学び、友情を育む。学校で楽しめることを、存分に楽しんでほしい。それが園子の願いだった。

 

「あ、私より先に勇者の人たちが、あっきーの顔知ることになるんだね」

「そうなりますね」

「なんか嫌だから、あっきー仮面外して」

「それは園子様のご命令でも聞けません。お諦めください」

「ぶーぶー」

 

 駄々をこねられたら厄介だ。そうなってしまうと、大赦の規則を破らないといけなくなる。それは避けたい暁葉に、救いとも言うべきタイミングで、かなたから連絡が入る。帰宅の合図だ。

 

「かなりんに助けられたね〜」

「さすがに大赦内でこれは外せません」

「真面目〜」

「園子様。これから引っ越しや入学があり、次に来られるのはしばらく先となってしまいます」

「それは仕方ないよ。私はの〜んびり待ってるから、無理しないでね」

「はい」

 

 園子に一礼し、暁葉は部屋を後にした。しばらくすれば、入れ替わるように大赦の人間が入り、夕食の時間となる。その僅かな時間の間、園子は一年を振り返ってみた。かなたの頼みから始まった関係が、随分と心地よいものになってる。

 ほぼ毎日当たり前のように来ていた暁葉が、これからは毎週に変わる。胸の中で生まれた僅かな引っ掛かり。それが何なのか、園子にも分からなかった。

 

 




 次回からは中学校に通ってもらいます。


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中学生編
1話


 

 讃州市は、香川県最西端の市である。人口は決して多くはないが、地域住民は温厚な性格の者が多く、活気に溢れている。市内の中学校は、伊吹島にある中学を含めて5校。そのうちの一つである讃州中学校に、上里暁葉こと下田凛は通うことになる。自転車通学が認められており、凛は自宅のあるマンションから自転車で通うことにしている。

 凛は入学式以前に引っ越しを済ませた。町の地図を頭に入れるために、自転車で散策し、家から学校までの距離、途中に何があるか、家や学校の周辺に何があるかを確認。今後の生活サイクルがどうなるのか、ある程度予測を立てている。

 今日は入学式当日。真新しい制服に袖を通し、鏡で自分の姿を確認。制服が少し大きく、袖口から指が出ている程度。裾は内側に折って縫っている。これから成長期を迎えることを考慮し、少し大きめの制服が支給されている。

 かなたは、もう一サイズ大きいものを用意させようとしたらしいのだが、その時はその時だと母親が言いくるめていた。その事を凛は知らない。

 

「観葉植物でも用意したほうがいいのかな」

 

 持ち物を確認しながら鞄に入れていき、その時にふと周りを見渡して思った。今のところ最低限の家具しか用意されていない。今いる部屋には、机と本棚とベッドとタンス。リビングにはソファとテーブルとテレビ。冬にはこたつが届けられるが、今はまだない。

 自室は質素でもまだいいのだが、リビングが殺風景だと思った。もう一つの部屋には、グランドピアノである。防音加工されている部屋であり、演奏していても迷惑はかからないが、まさかそれを用意されるとは凛も思っていなかった。「かなた姉さんかな……」と、予想を立ててぼやいたが、これには園子も一枚噛んでいる。

 

「観葉植物はひとまず置いといて……。そろそろ出ないとね」

 

 鞄を持ち、窓の鍵を閉めたか、電気を消したか、一つ一つ確認してから凛は家を出た。玄関の鍵も閉め、駐輪場へと向かう。使用人達は電動自転車を用意しようとしたが、凛が「変に怪しまれて、お役目に支障が出る」と断った。目に見えて落ち込まれたため、本家に置くことで手を打っている。

 讃州中学へと向けて自転車を漕ぎ始める。緩やかな坂道を快適に下り、商店街では挨拶を交わしていく。学校に近づいて行くに連れ、同じ制服を来た生徒が増えていくのだが、凛はふと思った。

 

(自転車で入学式来てるの、私だけでは?)

 

 入学式の案内で、自転車で来るなとは書いていなかった。何も違反をしているわけではない。ただ、浮いてしまっているだけだ。他の者は親子で歩いていたり、家族揃って歩いていたり、車で来ていたり。この3パターンのみ見かける。一人で自転車で入学式に来ているのは、凛だけだった。

 

「まさか自転車で入学式に来る生徒がいるとは」

 

 正門で新入生を待っていた教員が、凛に自転車から降りるように指示しつつ、感心したように呟く。

 

「いけなかったでしょうか?」

「いや、そんな事はないよ。珍しいと思っただけだからね。君、名前は?」

「下田凛です。自転車はどちらへ置けばよろしいでしょうか?」

「下田……君が……。っと、失礼。自転車置き場は君から見て左手奥。グラウンドの奥になるね」

「分かりました。ありがとうございます」

 

 一礼し、凛は自転車を押して歩いていく。教員の反応からして、凛の事情を知っていることが窺える。一人でいることに追及しなかったのも、それの裏付けとなる。はたして教員全員が知っているのか、それとも一部の教員だけなのか。それを探るのは悪手であるが、図らずしてその一人を知れたのは大きいだろう。

 自転車を置き、グラウンドに目をやる。グラウンドはそれなりに広く、サッカーをするには申し分ない広さである。野球も同時に2試合できそうだ。

 

「うぅ〜、やっぱり歩いてきた方が良かったよ〜」

「いいじゃない。注目を浴びた方が、友達も作りやすいわよ? 話題になるし」

「目立ちたくなかったよ〜!」

「まぁまぁ。アタシ達以外自転車で来てる人なんて……」

 

 声がした方に向き直る。自転車を押して歩く女子が二人。やり取りや仲の良さから、凛はこの二人が姉妹だと考える。

 二人は凛を見て石化したように固まった。話の途中だったため、口は開いたまま。どうすればいいのか凛が悩んでいると、姉の方が糸の切れた人形の如く首を垂れ、壊れたように笑い始める。隣にいる妹ですらドン引くほどだ。

 

「ふっ……ふふっ……! そなたも同じ目論見であったか!」

「同じ目論見とは?」

「隠さずともよい。友人を作るきっかけとして、あえて入学式に自転車で来て話題を用意するという目論見であろう!」

「違います。家が遠いので、自転車で来ただけです」

「あれ? そうなの?」

「お姉ちゃん……」

 

 凛にバッサリ否定され、妹から冷ややかな視線を向けられる姉。笑って誤魔化そうとするも、何も誤魔化せてはいない。自転車を停めたらどうだと凛が助け舟を出し、それで空気が変わっていく。

 姉と妹はどうやら対象的であり、妹の方は初対面の凛におどおどしている。

 

「せっかく会ったんだし、自己紹介しましょうか。私は今年で3年生になる犬吠埼風。この子の姉よ。女子力を上げたかったらアタシに相談しなさい」

「お姉ちゃん。この人男の子だからね?」

「…………え?」

「なんで間違えるかな……。お姉ちゃんがごめんなさい! 今日入学する……犬吠埼樹です」

 

 「男装じゃないんだ」と呟いて再度硬直する風に代わり、妹の樹が慌てて謝罪する。この手の間違い方をされたのが初めてだった凛も、軽くショックを受けていたが、樹の謝罪でなんとか立ち直る。

 

「下田凛です。よろしくお願いします」

「……本当に女子じゃない?」

「お姉ちゃん!」

「これでも男です」

「そう。ごめんね、変なこと疑っちゃって」

「いえ。男らしさがないとは自分でも思っていますので」

「ほんとにごめん!!」

 

 素早く深々と頭を下げた風。うっかりすることがしばしばあるが、彼女はいじめなど嫌いである。相手を思いやる心だって持ち合わせており、責任感も強い事から周りにも慕われている。ただ、偶に発生するうっかりが時に傷なだけなのだ。

 そこまで謝られると、凛としても逆に居心地が悪い。そもそも凛は、多少ショックを受けたとはいえ、自分でも思っていたというのも本当の事。風の人柄は悪くないのだと、その誠意からも読み取っている。許容できる範囲だ。

 

「大して気にしていないので頭を上げてください。時間に余裕があるとはいえ、ここに長居する必要もありませんし、クラス分けを見に行きませんか?」

「なんて寛大な子……!」

「本当にお姉ちゃんがごめんなさい」

 

 クラス分けの紙が提示されている場所は、校舎の玄関口付近。つまりは正門の方になるわけで、三人は会話を交えながらそちらへと向かっていく。樹はまだ慣れないようだが、風が持ち前の気さくさで会話を円滑に進めている。もっとも、凛はその性格故、樹とは別の意味で固さが抜けることは無さそうだ。

 

「神樹館小学校!? なんであそこからわざわざこっちに!?」

「諸事情で引越することになりまして、それでこちらの中学に入学することになりました」

「あー、引越は仕方ないわよね〜」

 

 親の仕事の都合で引越、というのはよくある話だ。凛が入学式に一人で来ていることから、親はそれほど多忙な仕事に就いているのだろうと風と樹はあたりをつける。その真相を知る由もないのだが、凛が一人なのとは理由が異なる。

 校舎へと近づけば新入生たちも多くなり、小学校が一緒だった友人とクラスが一緒だと喜ぶ生徒もいる。公立の小学校であるため、クラス数も多くなく、友人と同じクラスになるのも珍しくはない。

 

「みんな若いわね〜」

「年寄り臭いよ」

「そんな……! っとまぁそれはさておき、二人のクラスはどこかしらね〜」

 

 張り紙の前に留まり続けないように教員たちが声をかけるが、浮かれている新入生たちの捌け具合はあまり良くない。冷静な保護者たちのおかげで、なんとかなっている程度だ。しかし近づいていかなければ、クラスも確認できない。群れる生徒たちに紛れ、自分の名前を探していく。

 

「1組には二人ともいなさそうね」

「2組ですね。犬吠埼さんの名前もありましたよ」

「マジで!? あ、ホントだわ! 樹あんた2組よ!」

「う、うん。分かったからお姉ちゃん落ち着いて……」

 

 どっちが新入生なのか、分からなくなるほどはしゃぐ風。樹が恥ずかしそうにしつつも、姉が喜ぶ姿に頬を緩ませている。その二人を凛が誘導し、とりあえず空いているスペースへと移動した途端、風の限界が訪れた。

 

「樹がとうとう中学生に……! これは夢じゃないのよね!?」

「現実ですよ」

「お姉ちゃん泣かないでよー。うぅ、恥ずかしい……」

「大目に見てあげてください。それだけ嬉しいのでしょうし」

「それは……そうですね。ありがとうお姉ちゃん」

「うぅぅ!! ってかあんたら会話硬いわね! 同じクラスになったんだし、もっとフランクにいきなさいよ!」

 

 距離の詰め方は人それぞれなのだが、なまじ自分が簡単に人との距離を調整できる分、風からすれば二人のやり取りがぎこちなく見えた。特に妹の樹だ。年上相手に敬語を使うことは分かっているのだが、同年代ならもっと砕けた話し方になるはず。それにも拘わらず、今の樹は戸惑いながら大人を相手にしているようである。

 

「そう言われましても、私はこれが癖ですので」

「うーん、どうやら凛はそうみたいだけど……一人称は(・・・・)そうでもないでしょ」

 

 確信を持って風は指摘した。凛の話し方が素ではないのだと。それはたしかに当たっているのだが、100%そうというわけでもない。凛は表情を崩すことなく、風がそう指摘した理由を聞いた。

 

「……と、言いますのも?」

「私っていう言い方に慣れてるってだけで、それなりの仲の人相手なら、違う言い方じゃないかしら?」

「一応そうですね。家族内だけですけど。よく分かりましたね」

「女子力よ」

「そうですか」

「…………ツッコミいれてよ! まぁでも、身内だけなら、外では私でも仕方ないか」

 

 風はボケをスルーされたことに嘆いた。しかしそれは仕方のないことだ。凛は女子ではなく男子。「女の勘はよく当たる」という認識を抱いており、風はそれを女子力と言い換えているのだと思ったのだから。

 そして、身内には一人称を変えている、という嘘は見抜かれなかった。今後、知らないふりをする場面も出てくるだろう。それが通用すると確認できたのは、凛にとって収穫だった。

 ツッコミが入らなかったことにツッコミを入れ、変に疲れたと肩を落とす。悪いことをしたのかと樹に視線を向けるも、気にしなくていいとジェスチャーで言われる。

 

「そろそろアタシ生徒会の手伝いに行かないといけないわね。二人とも教室に向かいなさい」

「分かりました」

「お姉ちゃん頑張ってね」

 

 駆け足気味に体育館へと向かう風を、二人で手を振って見送る。少し離れてすぐに風が素早く戻ってきて、凛と樹の頭に手を置いた。

 

「二人とも、入学おめでとう!」

 

 ニッと笑顔で祝し、凛と樹も笑顔でお礼を言う。凛は表情が固く、笑顔と呼べるのかは怪しいところだったが。

 今度こそ風は生徒会の手伝いへと向かい、その姿が見えなくなったところで、樹と凛は校舎へと入っていく。二人になった途端、会話がなくなる……という事態にもならず、意外にも凛が話題を振っている。

 

「素敵なお姉さんですね」

 

 本心でそう思った。今日初めてあった他人の子を、自分の妹と同様に祝していたのだから。お世辞でも社交辞令でもなく、本気で祝していた。それが伝わり、凛は風に尊敬の念を抱く。

 

「ありがとうございます。自慢のお姉ちゃんです。……えっと、下田さんは、ご兄弟とかいますか?」

「いますよ。私も姉が一人います。年子なので、今年で中学2年ですね」

「そうなんですね! どんなお姉さんなんですか?」

 

 姉を持つもの同士。そんな共通点がさっそく見つかり、親近感を抱く樹。凛の姉なのだから、きっと真面目な人なのだろうと予想をつけてみる。そんな樹に、凛はスマホを取り出して画面を見せた。今朝届いたかなたからの連絡(祝辞)が画面に映されている。

 

「うわー……。お姉ちゃんって、みんな似た感じなんですかね」

「どうなのでしょうね」

 

 姉を持つもの同士。そしてお互いの姉が姉バカ。また新たな共通点が見つかるのだった。

 

(そういえば犬吠埼先輩。僕が一人でいることは聞かなかったな)

 

 そして、風のさり気ない気遣いに、また感嘆するのだった。

 



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2話


 更新ペースは大して上がってない気がしますね! 致し方なし。
 赤嶺ちゃん引けませんでした!!


 

 入学式も恙無く終わり、クラス順に体育館を後にしていく。担当教員を先頭に、クラスへと移動するとそれぞれ自分の席へ。座席表は黒板に貼られているが、入学式が行われる前にまず教室に入っている。今から座席を探す生徒もいない。

 小学校であれば、男女関係なく名前順だったのだが、中学校はそこにも変化が出ている。男子が名前順に座り、その後から女子も名前順に座っている。大まかに言うと、教壇から見て左側が男子。右側女子といった具合だ。

 なお、出席番号順ではないのは、男女の出席番号が混ざっているからだ。例えば、樹であれば犬吠埼であり、出席番号は3番。その前に男子が二人おり、4番目は女子、5番目が男子、といった具合だ。男女で番号の数え方を分けてもいいのだが、必要以上に男女を分けないことを心掛けているのだ。

 

「皆さん静かに。HRを始めますよ」

 

 一度職員室に行っていた担任が、クラスに戻って声をかける。生徒たちはそれに従って口を閉ざす。小学校からの付き合いのある者同士で話したり、中学校で知ったもの同士で話すなど、好きにしていたのだが、すぐに切り替えられるのは教育の賜物か。

 隣の席に座る廣坂と話していた凛も、話をやめて前に視線を向ける。そこに立っていたのは、今朝話をした教員だった。偶然か、それとも意図的に分けられたのか。どちらにせよ、凛にとってはありがたい教員だ。

 

「改めまして、ご入学おめでとうございます。今日から皆さんは中学生、という前口上は校長先生がしましたのでカット。皆さんの担任を務める佐藤厚です。担当科目は社会科です。よろしくお願いします」

 

 丁寧な物腰での挨拶。初めは誰もがそうするわけなのだが、この教員はずっとそれが続くのだろうと誰もが思った。それほどまでに、佐藤先生の雰囲気は誠実さが溢れている。

 

「皆さんも自己紹介をしてください。何を話しても構いませんが、1分間は続けること。一応黒板にお題は書きますが、それはあくまで補助。自分で話したいことを話してもらって構いません。名前は必須です。それでは順番は──」

「はい! やります!」

「元気がいいですね〜。では、阿田和くんから席順で行っちゃいましょうか」

 

 出席番号1番の阿田和が名乗りを上げたことで、自己紹介の順番も決まった。この手のことが苦手な生徒が、嫌な顔を浮かべるのも必然。しかしそれも阿田和の自己紹介で変わることになる。

 

「阿田和賢治です。気軽にあだ名をつけてもらって大丈夫です。小学生の時は、アッちゃんとか賢ジィとかケンケンとかアバターとかケンシンとかたくさんありました。なので本当に侮蔑的な表現でなければOKです──」

 

 明るく話している様子から、それが嘘ではないことが分かる。凛の目からしても、阿田和が嘘をついているようには見えなかった。いたって好印象な滑り出し、クラスのムードメーカーになりそうな男の子。

 そう思っていた人たちは、後に一斉に自分を殴りたくなったと語る。

 

「好きな科目は国語で、源氏物語とか好きです。あの時代にハーレム作れるとか羨ましい。むしろあの時代だからこそなのでしょうか。西暦まじいいなぁ。俺だっていろんな女の子を取っ替え引っ替えしたい。美少女大歓迎。寝取りたい興奮する。そういえばこの学校、先輩に美少女がいましたね。赤毛で活発なお姉さん。お近づきになりたい。以上です!」

「はい。1分以上の自己紹介ありがとうございました」

 

 佐藤先生以外、誰も拍手をしなかった。凛ですら若干引いた。

 人の趣味はそれぞれ異なる。価値観も異なる。それを重々承知しているつもりだった。しかし、凛の認識はまだまだ甘い。知らない世界もあれば、理解し難い世界もある。それらに直面した時、どう向き合うのか。その手段を手に入れていくのが、成長と呼ばれるものに繋がるだろう。

 

「いや〜、こうやって最初から自分を曝け出すと、スッキリしますね! 後々のイメージ崩壊とか無くてすみます!」

「偽らずに自分を見せる。難しいことですが、それをできるのは素晴らしいと思いますよ。では次の方行きましょう」

 

 なんとも言い難い空気が出来上がったのだが、ある意味ハードルは下がったと言えよう。なにせ阿田和が真面目な空気を壊したのだ。あの自己紹介に近いことを言わなければ、まともな感性をしていると印象づけられる。

 そうして自己紹介が続いていき、時折インパクトの強い自己紹介が混じった末、凛の順番が回ってくる。

 

「下田凛です。今年の春で引っ越してここ讃州市に来ました。口調が固いのは緊張ではなく癖なので、慣れてもらうしかありません。そこは一つ、よろしくお願いします。苦手科目は特になく、得意な分野を強いて言うなら、歴史になるかと思います。あくまで他と比べて、ですけど。運動は嫌いではないのですが、部活は文化系に入ろうかと思っています。最後に、趣味はピアノを弾くことです。趣味程度なので、腕前はあまり期待しないでください。3年間、よろしくお願いします」

 

 本人が自覚している通り、固い印象を全員に与えることになったが、それでも悪印象を抱かれることはなかった。多くの生徒の中では、常識人という認識になり、一部の生徒は凛の容姿に変なスイッチが入っていた。その影響を受けるのは文化祭の時なのだが、今は誰も知る由もない。

 全員が自己紹介を済ませると、明日からの予定を教員が伝えていく。教科書の配布であったり、始業式であったり、先輩たちとの対面式であったりと、通常授業が始まるのは少し先になる。

 

「今日はこれで終わりです。皆さんのお顔とお名前を他の先生方が覚える期間を考慮し、席替えは来週の金曜日に行います。くじ引き形式にしますので、引いた後に文句を言わないように」

 

 佐藤先生が釘を刺し、別れの挨拶を済ませて入学式の日程が完全に終わった。これから家族と合流する者たちが圧倒数。中にはさっそく遊ぶ約束をしたり、いくつかグループのようなものができていた。凛はこの後の予定など特になく、配布物を丁寧に鞄に仕舞って教室を出た。明日には部活紹介があるため、これから見学に行く必要もない。買い出しも兼ねてお昼を食べに行くつもりだ。

 

「あの……下田くん……!」

「? どうかしました? 犬吠埼さん」

 

 下駄箱で靴を履き替えていると、少し息を切らせた樹が声をかけてきた。どうやら運動は苦手なようだ。走って追いかけてきたということは、大事な用件があるのだろうし、教室で声をかけられる前に出てきてしまったことに、凛は申し訳なく思う。

 

「えっと、この後は……ご家族とお食事ですか?」

「いえ。家族はいないので、お昼を済ませてから買い出しに行こうかと」

「ぁっ……ご、ごめんなさい……」

「? お気になさらず。それで、犬吠埼さんのご用件は?」

 

 樹と凛の考えはズレていた。凛は「親とは離れて暮らしているから、今は独り暮らししている」というつもりで言い、樹はそれを「不幸なことがあって独り暮らししている」と受け取ったのだ。だから樹は表情を曇らせたのだが、凛はそれに気づかず小首を傾げていた。

 

「あの、これからお姉ちゃんと……うどんを食べに行くんですけど、そしたらお姉ちゃんが、下田くんも誘おうって」

「なるほど。特に断る理由もないですし、せっかくのお誘いなのでご一緒させてもらいますね」

「本当ですか!? よかった〜。あ、お姉ちゃん呼んできますので、下田くんはここで待っていてください!」

「分かりました」

 

 走って戻っていく樹を見送る。運動に慣れていないはずなのに、走って戻っていくということは、行動力があるということなのだろうか。しかし、凛が少し話してみた印象では、引っ込み思案で行動力もあまり無さそうに受け取っている。

 

(やれば出来る子、ということなのだろうか)

 

 姉の風は堂々としていたし、初対面でも気兼ねなく話せている。姉妹が同じになるとは考えないが、そんな姉を慕っているのだ。樹もそれに近づく可能性は考えられる。

 

「お待たせ〜」

「そんなに待ってませんよ」

「そう? それじゃ、『かめや』に行きましょうか!」

「かめや?」

 

 聞き慣れない単語に首を傾げる。かめやということ、亀が売られているのだろうか。いや、それではうどんを食べに行くという話しと合わない。

 

「かめやっていう名前のうどん屋があるのよ。アタシ一押しの店よ!」

「なるほど。それは楽しみですね」

「本当にそう思ってるのかしら……」

「あはは……」

 

 表情が変わらず、平坦に話す凛からは、感情面があまり読み取れない。自分を作り、個性を殺し、大赦の一員として過ごしてきた弊害だ。凛はその事に後悔しておらず、今から直そうとも思っていない。勇者を陰から監視するのだから、むしろ直してしまっては任務に支障が出るという判断だ。

 

(それはそれとして、多少不便ではあるか)

 

 目立たないようにするには、周りに溶け込むのが一番だ。それはつまり、他の生徒たちのように振る舞う必要がある。要は、硬いままでは浮いてしまって目立つのだ。個性と言えばそれで済むのだが、目立つのも事実。

 デメリットも考慮した上で、それでもやはり凛は直さないという結論に至った。今まで自分で培ったものを、そう簡単には壊さないということか。

 

「アタシが先導するから、後ろをついてきて。横に広がらないように一列で、飛び出しとかにも気をつけてね」

「分かりました」

 

 学校を出てから自転車に跨ぐ。風を先頭に、樹、凛の順で進んでいく。入学式後であるため車の通りが多く、さらにお昼時となって一般人の姿もよく見る。安全第一で進み、しばらくしてから風一押しのうどん屋『かめや』に到着する。店の外観では広い印象がなかったが、中に入ってみると40人ほどは入れそうな広さがある。

 

「あら風ちゃんいらっしゃい」

「こんにちは、おばちゃん」

「樹ちゃんもいらっしゃい。それと入学式おめでとう」

「ありがとうございます」

 

 店員とは顔見知りのようで、名前を覚えられているらしい。何度も来ていることが伺える。店員の目が二人から凛へと移り、少し驚いた表情になる。

 

「見かけない顔ね。ここに来るのは初めて?」

「そうですね。最近引っ越してこの町に来たので。下田凛です。犬吠埼さんと同じで、今日讃州中学に入学しました」

「あらあらそうなの。ようこそ凛くん、讃州へ。それと、凛くんも入学おめでとう」

「ありがとうございます」

 

 丁寧に挨拶した凛の印象が良かったようで、店員は優しい表情で凛の入学も祝った。どうやら、この店員は人当たりがいい人のようだ。

 

「風せんぱーい! 席とっときましたー!」

「おっ、よくやった友奈! 混んでないけど」

 

 友奈と呼ばれた赤毛の少女が手招きをし、そこに風と樹が近づいていく。友奈がいるテーブルには、長く美しい黒髪の少女も座っている。二人が並んで座り、その対面に椅子が三つ空いている。友奈の向かいに風が座り、その横に樹、端に凛が座った。

 

「風先輩、その子が朝一緒になった子ですか?」

「そうよ。しかも樹と同じクラス!」

「さらには一緒にお昼だなんて。さっそく学友に恵まれたね、樹ちゃん」

「ま、まだお友達になれたわけじゃ……」

「そうかなー? こうして一緒に外でご飯食べたら、それはもう友達だよ!」

「友奈は判定が広いわね〜」

「友奈ちゃんの魅力です」

 

 四人の談笑が早速始まり、今日全員に初対面である凛は、そのやり取りに置いて行かれた。彼女たちのやり取りに混ざりたいわけでもないのだが、これではいる意味ないのでは、と対応に困る。そんな凛に素早く気づいたのは、笑顔が絶えない友奈だった。

 

「あ、ごめんね! 置いてけぼりになっちゃったよね!」

「いえ。気にせずに話していただいて結構ですよ。聞いているだけでも楽しいですから」

「それなら、一緒に話せたらもっと楽しいよね! 私の名前は結城友奈。この春から讃州中学2年生で、勇者部に入ってます!」

「勇者部……」

「勇者部って聞いても分からないよね。『人のためになることを勇んで実施する』それが勇者部だよ!」

「すごい部活ですね」

 

 友奈は勇者部のことが大好きなようで、勇者部のことを楽しそうに紹介していた。さらに、凛の言葉で破顔させ、眩しいばかりの笑顔を咲かせる。すぐ隣で東郷が成仏しそうになっているが、凛はそれに気づかなかった。

 

『困ってる人を放っておけないだろ?』

 

 彼女がいたら、きっとこの部活に入っていたのだろう。役目など関係なくとも。凛は内心でそう思っていた。勇者という単語。活動内容。トラブルメーカーという体質もあれど、人知れず行動し続けていた彼女。一度しか会ったことがないのに、その姿を連想させられる。

 

「──でね、勇者部は他にも」

「友奈それくらいで。部のことを話してくれるのは嬉しいんだけど、お昼まだだし、東郷の自己紹介もまだよ」

「あっ、そうでした! ごめんね東郷さん!」

「はっ! いいのよ友奈ちゃん」

「東郷……あんた今の今までトリップしてたの……」

 

 姉妹の冷ややかな視線が黒髪の少女こと東郷に刺さり、凛と友奈からは疑問の眼差しが向けられる。それを東郷は、何もなかったように左手で髪を耳にかけ、凛を真っ直ぐ見つめる。

 

「友奈ちゃんと同じく新2年生の東郷美森です。私も勇者部に所属しています。それと、名前じゃなくて、名字で呼ばれることを希望しているから、あなたにもそうお願いしたいのだけど、いいかしら?」

「構いませんよ。私はいつも皆さんを名字で呼んでますから」

「ありがとう」

「それでは、私の自己紹介ですね。新1年生で、犬吠埼さんと同じクラスになった下田凛です。今日は皆さんのご厚意に甘えさせてもらい、ご飯をご一緒させてもらってます。よろしくお願いします」

「……んー!! 固いわ!!」

 

 凛の自己紹介に風が叫んでツッコむ。東郷にとっては違和感なくむしろ好印象な自己紹介なのだが、風にとってはツッコみたくなる自己紹介だった。友奈は苦笑いを浮かべ、樹は教室での自己紹介を思い出していた。

 自己紹介も終わり、うどんを注文してまた雑談へ。順番に料理が運ばれてからは、麺が伸びてはいけないということで、各々食事を始めた。食事中にも話題は尽きず、彼女たちの話題は次第に部活のものへと戻っていく。勇者部は依頼が届けばそれをやり遂げる部だ。どうやら、まだ残っている依頼があるようだ。

 

「猫の里親探しはねー、どうしても長丁場になるわね」

「同じ方に何度も引き取ってもらうわけにもいきませんからね」

「そうなのよね〜。凛何か案ない?」

「校内でのチラシやHPに載せているのであれば、後は直接のお願いしかないと思います。他に依頼が来たときに、その方にお願いしてみる、というのはどうでしょうか犬吠埼先輩」

「やっぱそうなるか〜」

 

 風はまるっきり案がない状態で聞いたのではない。自分の頭にある案以外にもないか、僅かな可能性を求めて凛に聞いたのだ。しかし凛は基本に忠実な性格だ。飛躍的な発想は苦手であり、他の案を提示できるわけでもない。

 

「というか、アタシのことは風でいいわよ。友奈と東郷もそうしてるし、樹もいるから犬吠埼じゃややこしいでしょ」

「それは……………………いえ、このままにさせてください。下の名でお呼びするのは、躊躇われます」

「そう? ま、強制もしないし、先生たちには当然名字で呼ばれてるから、それでいいか」

「私もそれでいいと思います。慣れないことを無理にする必要はないかと」

「ありがとうございます」

 

 風と樹の呼び方が、それぞれ「犬吠埼先輩」「犬吠埼さん」に決まった。凛は昔から相手を名字呼びで続けている。例外は身内であるかなたと園子のみ。凛はそれを特例だと解釈している。かなたは身内であるのだから言わずもがな。園子は、仕事の内容に関わり、立場のこともあって、そう呼ぶように言われた結果だ。

 そうして処理しているのだが、凛には分からないことが一つあった。風のことを下の名前で呼んだほうが、ややこしくないのは確かだ。だからそうしようかと考えたのだが、何故かそれに頷けなかった。園子の姿が脳裏に過ぎり、それがしこりとなり、その結果名字呼びとしたのだ。なぜ園子の姿が脳裏に過ぎったのか、それが凛には分からなかった。

 

「それにしても、凛くんは優しいよね!」

「いきなりどうしたのですか?」

「だって、勇者部じゃないのに、真剣に考えてくれるんだもん」

「里親見つかってほしいですからね」

「ふふっ、その心があるなら、凛くんも勇者だ! かしら、友奈ちゃん」

「うん!」

 

『その心があれば君も勇者だ!』

 

(……今日はやけに思い出すな)

 

 これまではなかったこと。銀のことを忘れたことはないが、その声が脳内で再生されることは無かった。それが今日という1日だけで二度も再生し、園子にいたってはその姿が思い起こされた。

 

「さてと、宴もたけなわってことで、お店を出ようかしらね。この後買い出しもあるし。樹、今日は入学祝いだから盛大に行くわよー!」

「お姉ちゃんうどん5杯食べてるのに!?」

「うどんは女子力上げるわよ〜?」

「意味分かんないよー」

 

 二人のやり取りが締めとなり、会計を済ませて店を出る。凛と樹は入学祝いということで無料となり、それに申し訳なくなった凛は、また食べに来てくれたらいいという言葉で引き下がった。

 

「犬吠埼先輩って、妹さんを溺愛してますよね」

「そりゃあそうでしょ。樹は可愛いし妹だし、姉は下の子を愛するものなのよ」

「そういうものですか」

「そういうもんよ」

 

(来週末はかなた姉さんにも会いに行こう)

 

 仕事としてではなく、プライベートとして姉に会いに行こう。そう思った凛だった。

 



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3話

 

 席替えを済ませた金曜日の放課後。凛は早々に帰宅した。中学に上がってからは初めてになる本来のお役目。そのための準備を済ませて、すぐに家を出ないといけないからだ。連絡があれば、使用人が讃州市にまで迎えに来ただろう。しかしそれを凛は良しとしなかった。

 2週間ほど過ごして把握した。この町の人間たちは、温かいのだが話が好きだ。それこそ噂話は広がりやすい。そんな町で迎えに来させてしまうと、たちまち話が広まってしまう。勇者たちに勘繰られてしまっては目も当てられない。それ故に、凛は大橋市で使用人と合流することにした。あの町には神樹館学校がある。上里家の車が走っていても疑問を抱かれることもない。

 

「この服を着るのも久しぶりに感じるな」

 

 手元にあるのは大赦の制服と仮面。まだそれに着替える必要はないため、鞄に仕舞うのだが、2週間着なかっただけでも随分久しぶりに感じる。それほどにまで、凛が大赦の制服を着るのを当たり前だと思っていたからだろう。

 駅まで歩いて移動し、電車に揺られること数十分。移動中は園子に聞かれるであろう中学生活の話のことを考えていた。

 

(クラスのことは聞かれそうだ。それ以外だと部活も。授業のことも聞かれるのかな。もしかたら、生活のことを聞かれるかも。……勇者部はどうだろうか)

 

 ほぼ全て聞かれそうだと思った。この週末、その2日間のほぼ全てを園子との会話に費やすのだ。時間は十分ある。曜日別に事細かに聞かれる可能性もある。だが、勇者部のことだけは分からなかった。園子が気にかけていることは、凛にも分かっている。だが、どこまで知りたがるかは分からない。そもそも、凛だってある程度距離を取っているのだ。軽くしか知らない。

 そして、凛には一つ引っかかりがあった。

 

(……憶測にしかならないけど……、聞かれたらそこも踏まえて話そう)

 

 目的の駅に到着し、待ち合わせ場所にすでに来ていた使用人と合流。心なしかこれまで以上に待遇が良くなったのだが、久しぶりの再会に浮かれているだけだろう。凛も少しばかり、心が浮かれてしまっている。荷物を預け、後部座席へと入る。

 

「しばらく見ない間に、少し大きくなられましたな」

「いやいや、そんなすぐに変わらないでしょ」

「ははは、私はそうは思いませんがね。顔つきも変わられましたよ」

「お世辞ではないと受け取りますよ」

 

 少しだけ言葉を交え、車が静かに発進する。今日は大赦に行かずに屋敷に直行する。明日土曜日から行くことは、かなたを通して園子に伝えられている。その際にかなたが園子に揶揄われたのを、凛は知る由もない。

 しばらくして凛はふと気づいた。学校終わりや仕事終わりにいつも言われていることを、今日はまだ言われていないことに。特に指摘することでもないのだが、ルーティーンにもなっていたため、それが崩れるのもむず痒い。そんな凛に気づいた使用人が、ルームミラー越しに困った表情を見せながら言った。

 

「かなた様が、暁葉様に最初に言いたいのだそうです。もちろん本人はそれを口にしていませんが、そう匂わせるような言動があったもので」

「……なるほど。これは聞かなかったことにしますね」

「お願いします」

 

 姉の思わぬ一面を垣間見た瞬間だった。それと同時に、風のことを思い浮かべていた。姉バカなところが多々見受けられるが、それも樹を大切にしているからこそ。姉の言動として参考にするには、少しばかり首を傾げる部分もあるが、その根底の心はかなたも共通してるだろう。

 人のことをあまり言えない事に気づいた。かなたのそんな言動に僅かな困惑もあったが、それ以上に嬉しさが増したのだ。それだけ思われていることに。

 

「お疲れ様でした。お屋敷にご到着です」

「ありがとうございます。荷物は──」

「運ばせていただきます!」

「あ、はい。お願いします」

 

 車から降りながら話していると、屋敷の前で待っていた他の使用人に力強く言われる。あまりにも強く言われたため、暁葉は首を縦に振る以外の選択肢がなかった。

 荷物を任せ、使用人に先導してもらいつつ玄関から入る。そこまでしてもらうのは過剰だと思ったが、わざわざしてくれていることに口を挟めるわけもなく、ありがたく思うことにした。

 

「お帰りさない、暁葉」

「かなた姉さん……」

 

 開かれたドアから目に入ったのは、飾られている価値の高い芸術品でもなく、豪華な照明でもなく、唯一の姉弟であるかなただった。まさかここで待たれているとは思っておらず、その行動力の高さに何とも言えない気持ちになる。

 しかしそんなものは、かなたの笑顔であっさりと吹き飛ばされた。だから暁葉も、頬を緩めて言葉を発することができた。

 

「ただいま戻りました」

 

 きっと挨拶としては硬いだろう。第三者が見たら眉を顰める。姉だと言いながら、その言葉は距離を感じるものだ。しかし、上里家の人間は誰もそう思わなかった。かなただけでなく、離れて見守っている使用人たちも。

 それは、暁葉のその言葉に温かみが込められていたから。これまでは何も感じられなくなっていた言葉に、暁葉の思いが込められていることに感じた。表情は未だに硬いが、僅かに変化は出ている。それに気づけないかなたではない。

 

「夕食にしましょう。長旅で疲れたでしょ?」

「たしかに、少し慣れない疲れを感じます」

「ふふっ、何それ。疲れたとか、お腹空いたって言えばいいのに」

 

 強がりなのか正直でないのか。硬い自分を崩そうとしないせいで、かえって妙な言い方になる。僅かな綻びとも言える変化に、暁葉自身は気づけていない。自分の心境の変化というものは、変わり始めている時には気づけないものなのだから。それが暁葉となれば尚更だ。

 

(きっと指摘しても認めないでしょうね)

 

 そう考えると、頑固な部分もあるということか。それは思春期と捉えてもいいのだろう。このまま反抗期にも突入されると、本気で落ち込む自信がかなたにはあった。

 暁葉の帰宅ということもあり、料理人がいつも以上に腕を振るった。豪勢にし過ぎると暁葉は良い顔をしない。上里暁葉という人間を、自分自身で低く評価しているからだ。約2週間ぶりの帰宅というだけで、そうされるような存在ではないと暁葉は口にしてしまう。

 しかし料理人たちも使用人たちも、暁葉の評価を低くしたことはない。たとえ今の暁葉が演じている姿であっても、過去は変わらない。そして、その時から身についていた人の良さというものは、今になってもその根底に残っている。

 

「それならば見た目ではなく味付けで祝いましょう」

 

 そう言ったのは、上里家の使用人としても、料理人としてもまだまだ経験の浅い新人だった。上里家内部では、上下関係の意識が緩められている。それは現当主の意向だった。

 

『大赦で気を張ってるから家では緩めにしたい。そもそも身内に気を張るのはどうかと思うのよね』

『え? 私達は働きに来てるから違うって? 何言ってるの? ここは上里家の屋敷で私の家。そこにいるのだからあなた達も身内よ』

 

 そう言って決まった上里家内部での空気感。もちろん上下関係が完全に撤廃したわけではない。使用人や料理人たちはそんな当主を敬い、驕らないかなたと暁葉にも敬意を払っている。ただ使用人同士でのみ、上下関係が薄れるのだ。

 

『暁葉? あの子は思春期なのよ。度が過ぎない限り私は見守るつもりだから』

 

 放任主義なところがある母親だが、子育てを放置しているわけではない。たしかに使用人たちに何度も協力してもらっているが、二人が10歳になるまでは自分の手で育て上げている。

 暁葉が変わったのも目の当たりにしていたが、何も言及しなかったのも、自分が育てたという自負があるからだ。実のところ、暁葉はかなたや両親との会話すら避けようとしていた。それが行動に出る前に呼び出して指導した。その影響もあって、暁葉は言動に変化があるだけ、という状態に留まっているのである。

 

「久しぶりの実家の食事はどうかしら?」

「やはり美味しいですね。私の腕とは比べ物になりません。日々研鑽されてる証でしょうか」

「またそう言っちゃって……」

「ところで、今日の食事の味がいつもより美味いのですが、まさかわざわざそうしたのですか?」

 

 空気が一瞬引き締まった。気が緩んでいたこともあり、かなたも動揺してしまっている。それらのことを統合し、料理人たちが腕によりをかけたのだと確信する。見た目に変化がないのは、そういうのを遠慮する暁葉を気遣ってのこと。

 暁葉は使用人に声をかけ、料理人たち全員を集めるように指示を出した。かなたもそれを止めることはできなかった。今回の件だって、かなたは加担していたのだから。可能性は考えていた。暁葉なら、味の変化に気づくかもしれないと。いつも周りへの感謝を忘れない暁葉は、いつしか料理の感想を料理人たちに言うようになっていたのだから。

 

「お呼びでしょうか、暁葉様」

「はい。職務中にお呼びしてしまって申し訳ないのですが、あなた方に言わなければならないことができたので」

 

 横一列に整列し、真ん中にいる料理長が一歩前に出ている。暁葉も椅子から立ち上がり、その前に移動している。身長差で暁葉が見上げる形となっているが、料理人たちは直立したままで、料理長も暁葉を見下ろす形になる。本来なら膝を折って視線を下げるところを、これも暁葉の意向で止めさせているのだ。

 暁葉は使用人たちに順に視線を送り、正面にいる料理長に視線を戻した。

 

「わざわざ味付けを豪華にしましたね?」

「……お気づきになられましたか。さすがは暁葉様です。今回は──」

 

 料理長の言葉を遮るように暁葉は頭を下げた。予想外の誰もが目を疑い、混乱した。なぜ暁葉が頭を下げているのか分からないのだ。目の前にいた料理長が、いち早くその混乱から抜けた。キャリアも長く、当主に何度も振り回されている経験がここで生きたようだ。

 

「頭をお上げください暁葉様!」

「いえ。私はあなた方に頭を下げます。ただ私が帰ってきたというだけなのに、わざわざ料理をいつも以上に豪勢にしてくださったのですから。お礼を言わずにはいられません。ありがとうございます」

「暁葉様……」

「あらあら、暁葉も少しは大きくなったということかしらね」

「母う──」

「暁葉?」

「ごめんなさい、母さん。お久しぶりです」

「そうね。話は食事をしながらで」

 

 何の前触れもなく入ってきた母親こと上里葵に、この場の全員が驚かされる。いつもならあと1時間は帰ってこないのだが、今日は早めに帰ってきたらしい。そして、この手のサプライズは葵のお得意の手段だ。料理人や使用人たちに指示を飛ばし、料理を運ばせるだけでなくテーブルや椅子も増やさせる。どうやら全員で同時に食事を取ることにしたらしい。

 『かなたと暁葉の食事が冷める前に全員席に着くこと』という時間制限も設けられ、さっきまでの雰囲気はどこへやら。大慌てで料理人と使用人が準備を済ませる。料理長だけは聞いていたようで、葵の分の食事も既に準備しており、人数分の食事も作らせていた。

 そうして全員が席に着き、上座に座った葵が楽しそうに笑顔を浮かべ、かなたと暁葉、そして葵の幼少期から仕えている一部の人達は頬を引き攣らせる。

 

「さぁさぁみんなで食べましょ! それと暁葉。中学校の話を聞かせてもらうわよ。あ、授業参観とかあったら連絡すること」

「母さん。さすがに授業参観は控えていただかないと、私のお役目に支障が出ます」

「大丈夫よ。変装するし、バレてももみ消すから」

 

 ニコニコ笑いながら言ってのける葵だったが、その言葉は本気だった。そして、授業参観の連絡をしなければ、本気で怒られるということも、暁葉は感じ取った。その隣でかなたも、授業参観の際は連絡をしなくてはと肝に銘じていた。

 葵が本気で怒るという事態は、知っている人たちであれば全力で避けたい案件である。それは使用人たちも理解しており、大赦でも知られていることだ。ちなみに大赦内では、一度話に尾ひれが付き、怒らせた者は次の日に姿を消すと言われたことがあった。それは沈静化されたが、その際に当事者たちは確信した。次はないのだと。

 

「ところでお母さん」

「どうしたのかなた?」

「お父さんは?」

 

 それは全員が思っていた疑問だ。両親共に大赦に務め、毎日行きも帰りも共にしている仲だ。それなのに今日は葵だけが先に帰ってきている。皆を代表して聞いたかなたに、葵は呆気らかんと答えた。

 

「大赦に置いてきた。仕事も押し付けちゃった」

「お父さん……」

 

 




 
 次回は園子に会ってもらいます。


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4話

 前回言い忘れていました。上里家や園子など、周りの人間が暁葉と呼ぶ時は、地の文でも暁葉です。讃州の方にいる時は、凛になります。
 要は、上里暁葉として過ごせる時に「暁葉」。下田凛として過ごす時に「凛」となるのです。


 

 身支度を整え、特にこれといった用意もなく暁葉はかなたと車に乗る。母親こと葵は既に出発していた。というのも、今日は大赦の上層部での会議があるからだ。大赦の中でも名家とされる者たちの話し合い。その内容は身内でも明かされていないが、葵が「大した話し合いでもないから暇」と子どもたちに言ってのけている。それは本音なのだろうが、忙しくしていた時期があることも暁葉とかなたは知っている。

 

(それが2年前……。園子様たちが勇者としてお役目を始める少し前から)

 

 神託が下れば襲撃のタイミングが分かる。そしてかなたは巫女だ。大赦にいる間に、巫女たちに神託が下った。かなたもそれを受けた。その時から大赦は平常とは異なる空気に変わった。最大限のバックアップとして何ができるのか。当時勇者たちの教師として最も近い場所にいた人物を介して支援を行った。

 ただ、大赦は徹底した秘密主義だ。暁葉はそれを身に沁みて実感しており、その経緯も知っていることから納得している。しかし、母親である葵はあまりその事に良い顔をしていない。必要なことだと理解はしていても、度が過ぎていると感じているのだ。

 

「散華の機能は勇者様に話しておくべき」

 

 と夫に愚痴を溢したこともある。さらに、20回の散華をした園子に謝罪し、乃木家にも赴いて謝罪したことも。今では水面下で着々と動いている程に、超秘密主義な大赦に嫌気が差しているらしい。

 母親がそうしていることを、暁葉とかなたは知らない。自主性を重んじる教育方針もあり、巻き込んでは身動きに制限を課させてしまうという考えで、知らされていないのである。

 

「それじゃあ暁葉。2週間ぶりの再会だからって、粗相を犯さないように」

「かなた姉さんは、私がそのような事をすると本当に思っているのですか?」

「まさか。念には念を入れるってだけよ」

「そうですか」

 

 軽やかな足取りで車から降りたかなたを見送り、暁葉も大赦の仮面を付けてから降りる。その時に僅かに感じた。自分の内側で何かが固定される感覚。それと同時に思い出す。自分が大赦の1歯車になると決めた時のことを。自分をどう低く評価しようと、上里家の長男であることに変わりはない。

 その煩わしさから逃げるように、暁葉は自分という個性を消すことにした。それに都合が良かったのが、大赦の仮面である。全員が同じ仮面を付けるのだ。個性を殺し、1歯車になりたかった暁葉には願ってもないアイテム。

 自己暗示にも等しいそれは、今になっても機能する。暁葉は自分の内側で感じたものに気づきつつ、それについて考えない。黙々と真っ直ぐ園子の部屋へと歩いていった。

 

「失礼します。園子様」

 

 部屋へと入り、園子がいるベッドに近づいたところで、閉じられていた園子の左目がゆっくりと開かれた。眠っていたわけではないのだろうが、何もすることがない時はこうして瞳を閉じているようだ。

 

「おかえり、あっきー」

「ここは仕事先なので、ただいまと言うのもおかしいと思うのですが」

「え〜、私とあっきーの仲なのに〜」

「何を仰っているか分かりません」

 

 言葉を淡々と返されるが、園子は気にせずに微笑んでいた。暁葉がまたここに顔を出しに来たこと、そして変わらず元気そうにしていることが嬉しかったから。暁葉は変に固くする時があるため、食事も簡素なものになっていないか。生活を切り詰めていないか気にかけていたのだ。それが杞憂に終わった。仮面を付け、制服で体を隠しているが、暁葉の声が変わらないことが、その証となるのだ。

 

「ご飯はちゃんと食べてるみたいだね?」

「生活に必要なものですから。3食欠かさずに取っています」

「栄養は?」

「朝は簡素なものですが、昼は給食がありますし、夜も考えて作っています」

「お〜、料理できるんだね〜」

「まだ簡単なものだけですよ」

 

 感心する園子に首を振って否定するが、園子の輝いた瞳は戻らない。その理由を暁葉は知らない。それもそのはず。園子と一年間会話をしたが、園子は自分のことをあまり語っていないのだから。暁葉が知っていることは、年上であること、親友が二人いて、三人で勇者として御役目に励んだこと。その結果今の状態にあること。小説を書くことを趣味としていること。その程度なのだ。

 ないにも等しい情報を精査し、園子の言動と今の様子を分析して憶測を立てる。少し意外ではあるが、園子の出で立ちを考えれば不思議なことでもない。

 

「園子様は、お料理ができないのですか?」

「あははー、バレちゃった〜」

 

 明るい様子から一転、僅かな時間だけ暗くなる。

 

「焼きそばの作り方も、教わってないからね」

「焼きそば、ですか?」

 

 こくりと小さく頷く。それはかつて交わされた約束。料理ができた親友に教わろうとしていたこと。そこまでの事情は暁葉が知ることでもないが、特別な思いが込められていることは、その声色から分かる。

 何事もなかったようにすぐに元の様子に戻るのだが、暁葉がそれに合わせなかった。暁葉の仕事は話し相手であり、自ら課していることは園子に笑っていてもらうことなのだから。

 

「焼きそばの作り方を勉強しておきます」

「え?」

「園子様が動けるようになられましたら、お教えできるように。烏滸がましいことではありますが」

「ううん。そんなことないよ……。ありがとう、あっきー。私に料理教えてね?」

「はい。……ん? 料理?」

 

 園子があえて言葉を変えたことに遅れて気づく。その意図が掴めないでいると、園子は目を細めて楽しんでいた。

 

「せっかくなんだし、焼きそば以外にも教えてほしいんよ」

「それでしたら、料理人に聞いたほうがいいのでは?」

「私はあっきーに教えてほしい。駄目?」

「駄目というわけでは……」

「なら決定だね〜」

 

 綺麗に嵌められた。暁葉はそう思ったが、第三者からすれば暁葉の失態というだけの話だ。一つ一つの言葉に耳を傾けていれば、このような嵌められ方はしていない。そして、一年前の暁葉であってもこうはならなかった。これを退化と呼ぶのか、それとも変化と呼ぶのか。それは人によって違うだろう。

 園子のために何かができる。少しばかり出てしまった欲がこの結末を招いた。たしかに嵌められたわけだが、暁葉は嫌な気はしなかった。むしろ少しばかり心が弾んでもいた。

 

「あっきーの得意料理は何?」

「得意料理と呼べるものがあるほど、まだ料理をしていませんよ」

「それもそっか〜。うーん、あっきーはレシピ通りにやるタイプだよね? アレンジとか全然加えなさそう」

「そうですね。完璧にできるようになれば、アレンジは考えるかと」

「真面目〜。子どもができたら門限付けるタイプだー」

 

 さすがにそこまで固くはしない、とは言えなかった。時間を大切に考える暁葉だ。実際に子供ができた際、安全面も考慮して門限を設定する未来の自分が、たしかに想像できた。それは想像できたのだが、想像できないものが一つある。

 

「私に結婚相手が見つかるとは思えないのですが。政略結婚でない限り」

「えー、そうかな〜? あっきーには素敵なお嫁さんが見つかると思うよ。お姉さん以外で」

「何故そこでかなた姉さんが出てくるのですか……」

 

 僅かに走った胸の痛み。それに伴って息苦しさも出てくるのだが、園子はすぐにそれを抑え込んだ。暁葉に気づかれないように表情には出さず、自分の中で生まれようとしている何か(・・)を抑え込む。

 

(散華とは関係ないはずだけど……)

 

 自分の身に起きている異常とも呼べる状態。それは散華だけのはずであり、それ以外はあり得ない。そして今の痛みも散華とは関係ないはずだ。そこまでは分析できるも、その後が続かない。今は痛みが消えていることから、すぐに解明しないといけないことでもないと結論付ける。

 暁葉にこれを話すと、学校を休んでまで原因解明に時間を費やすだろう。自惚れとも言えるその思考に、園子自身は気づいていない。自然と暁葉はそうしてくれると考え、何一つ違和感を抱かない。

 

「それを言うのであれば、園子様はどういう奥方になられるのですか?」

「私?」

 

 裏で進めていた思考を止める。暁葉に投げかけられた質問に、すぐに答えることができないからだ。そもそもそのような事を考えたことがない。銀の将来の夢を聞いても、銀の将来像のみ考えていた。須美の将来像の話があった時も、自分のことは考えなかった。

 それを今聞かれたのだ。一対一の状況で。

 

「うーん、どうなんだろう……。結婚しても今と変わらない気がするかな〜」

「たしかに、ずっと落ち着いている園子様は想像できませんね。旦那様が苦労しそうです。それなりに対応力が高い方じゃないと厳しそうです」

「むぅ、そこまで言われると思うとこがあるんよ」

「申し訳ございません」

 

 わざと眉間に皺を寄せた園子に、暁葉はすぐさま謝罪した。頭を下げている暁葉に園子の視線がジーっと刺さる。それもすぐに解かれ、園子はコロッと雰囲気を和らげて暁葉に頭を上げさせる。

 

「もし……、あっきーはもし相手を選べるなら、どういう人と結婚したい?」

 

 聞こうとしたことを取り下げ、違う話題を口にする。聞いてみたい気持ちもあったが、それ以上に知りたくないことだと思ったから。知ってしまいたくない話、それをわざわざ口にする必要もないのだ。

 園子のそんな心境を知ることなく、暁葉は真剣に考えた。園子同様、いや園子以上に暁葉は自分の将来像を考えたことがなかったのだから。

 

「……分かりません。家族を大切にする人でしょうか」

「あはは、幅広いね〜」

「申し訳ありません。異性をそういう考えで意識したことすらないので」

 

 それは園子も予想できていたことだ。かなたから聞いている話、暁葉との会話を元に考えられる。そして本当にそうなった事に苦笑した。暁葉が意識する対象の少なさ、分かりやすさ。それらは残念なところでもあり、愛嬌でもある。どう受け取るかは相手次第だが、少なくとも園子は愛嬌だと思っている。

 

「あっきーはこれから意識するようになるのかな?」

「どうしてですか?」

「だって讃州中学にいる間は、大赦の人間として動くわけでもないでしょ? ほとんど一般の人と同じように過ごすわけだし。そうなると、青春するのかな〜って」

「なるほど。私には何とも言い難いことですが、おそらくはそうならないかと」

「なんで?」

 

 可能性の話をしているわけだが、暁葉は讃州中学で色恋沙汰とは無縁の生活をすると考えているらしい。その言葉こそ断定ではないのだが、何やら予感しているようで力強い口調になっていた。

 

「私が意識するような相手がいないからです」

 

 そもそも暁葉がその手の意識を持つこともない。中学生活をそれなりに満喫するだろうが、讃州中学に入学した経緯が経緯だ。暁葉の性格上、お役目の面が大きくなる。そんな暁葉が恋愛するようになるとするならば、それは誰かが暁葉にそういう意識を持たせるようにしなければいけない。そんなことが可能なのは、暁葉自身も分かっていない暁葉のタイプに合った相手のみ。

 だが、暁葉はそんな相手は讃州中学にいないと既に踏んでいる。

 

「同学年にいなくても、上級生とかにいるかもよ?」

「上級生にもいませんよ。部活動の一環で、校内全クラスの人たちを見ましたし」

「……そうなんだ」

 

 『意識して見たわけじゃないでしょ』とは言わなかった。そのツッコミは的確で、もしこれを言えば、暁葉は意識して他の生徒を見るようになるかもしれない。そうなれば、暁葉にも気になる人物ができる可能性もある。

 それがなんとなく嫌だった。一度全校生徒を見て、恋愛対象になるような人はいないと暁葉が決めたのだ。掘り返す必要もない。

 可能性が存在しないということに無意識で安堵し、園子は暁葉の部活について聞くことにした。

 

「あっきーが入った部活って、どんな部活なの?」

「新聞部があったので、そこに入りました。今後の部活動を円滑にするために、ほぼ全ての全校生徒と顔見知りになる必要がある、とのことだったので、その時に上級生も含めて挨拶に回ったのです」

「なるほど〜。ね、お話してくれる?」

「園子様のお望みとあらば」

 

 いつぞやの時のように、暁葉は語り部となって園子に部活動の話を始めた。

  

 




 


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5話

 ハッピーバースデー私。
 えぇ、一つ年を重ねました。
 そんなわけで、感想貰えると嬉しいです。一言でもいいのです。「そのっち」でも「サンチョ」でも「ムーチョ」でも。久しぶりに感想通知を見てみたい()


 

 部活紹介は、五十音順で行われた。そのため、運動部や文化部が交互に紹介することになる。野球やサッカーのように人気のある運動部では熱い紹介が行われ、吹奏楽部のような文化部では実際に活動が披露された。吹奏楽部であれば演奏、美術部ではコンテスト入賞者の作品紹介といった具合だ。

 その中でも異彩を放ったのは、凛が入ることになる新聞部だった。活動内容事態は、誰もが想像するようなシンプルなもの。時折地域の人と交流し、PRの手伝いをすることもあるという。そこは勇者部と重なっているように思えたが、PR関連のみ新聞部が行うということで分けられていると、入部後に説明された。

 それでは新聞部の何が他の部と異なったのか。それは部長の存在だった。

 

「新聞部はカメラも扱う! 盗撮など犯罪まがいなものは断じて認めないが、写真を撮る際のノウハウを叩き込もう! そしてもちろんインタビューもする! 話ベタであっても問題ない。自分の話す力を伸ばすために入部した部員もいる。ちなみにこれはその部員がインタビューし、纏めた記事だ」

 

 プロジェクターによって映し出された画像は、2枚の写真とインタビュー記事が書かれているものだった。写真のうち一枚はインタビューした相手。自然な笑顔を浮かべており、会話が円滑に、そして楽しく行われたことが分かる。記事の内容も、相手の心を開かせなければ聞き出せないようなものも含まれていた。これは相当な力がないと難しい。

 こうして部活のメリットを紹介し、見事に関心を得ていたのだが、

 

「これができるようになればナンパもできる!」

 

 この発言が全てを台無しにした。隣にいた3年生の男子が部長に腹パンを決め、蹲った部長を副部長の女生徒が舞台袖へと連行していく。

 

「大変失礼な発言が飛び出たことを、新聞部を代表してお詫び申し上げます。あの男は校内一の変わり者ですので、発言の半分は流していただいて構いません。主に、最後の発言以外は本当です。ちなみにこの記事は僕が書きました。そして入部して初めて書いた記事がこちらになります」

 

 次に映し出された画像は、一枚目に比べると目も当てられない程に内容が乏しかった。写真が全ての記事と共に載せられるわけでもないようで、今映し出されているのは文字だけ。内容次第ではそれでも読み手を楽しませるのだが、この記事は内容が薄かった。先に成長したものを見た分、その落差で印象が悪くなるのもあるが、しかしそれ以上に寂しい内容だ。

 あったことが書かれているだけ。新聞としてはそれでいいのかもしれないが、これは部活でもある。それを書くその人にしか書けない内容、つまりはその人の色を感じさせるものを書くべきなのだ。それがこの記事にはなかった。

 

「本当に同じ人が書いたのか、疑ってしまう人もいるでしょう。この赤丸の部分に注目してください。僕達は必ず日付と名前を書くようにしています」

 

 二枚の記事が並べられ、赤丸で一部が強調される。そこにはたしかに日付が書かれており、一枚目が今年のもの、二枚目が二年前のものだと分かる。そしてそこに書かれている名前は、たしかに同じ人の名前だった。

 それにより確かな成長があるのだと示すことができ、新入生たちの関心を高める。こうして関心を高める話の進め方ができるようになるのも、新聞部での活動が影響しているのだろうと凛は分析した。その後の話にも耳を傾け、部長という不安材料はあれど活動はしっかりしているのだと信じられた。

 

(なんで今話してる先輩が部長してないんだろ)

 

 おそらくは誰しもが思った疑問。それを凛も抱く。その説明はもちろんなく、入部してから知ることになる。

 新聞部の部活紹介が終わり、他の部活の紹介へと移っいていく。凛の目的である新聞部の説明は終わったわけだが、他の部活紹介も同様に話を聞いている。目的のものが終わったとはいえ、それで他の話を聞かないということはしないのだ。

 そして、五十音順ということで予想できていたが、やはり最後の部活は勇者部だった。

 

「勇者部は人の為になることを勇んで実施する部活です──」

 

 日頃、主に行っている部活内容が説明される。ボランティア活動の面が色濃く、それを部活として行っていること、笑顔でその事を話していることから、部活内容よりも部員への関心が高まったと凛は感じ取った。それは尊敬とも言えるもので、少し周りの顔を見てみても、その姿をどこか眩しそうに見ている印象がある。

 

「犬吠埼さんは、やはり勇者部に?」

 

 教室へと戻り、席替えで隣になった樹に話しかける。凛は窓際最後列という良席を引き当て、他の男子から羨ましがられていたが、前と隣と斜め前が女子になった瞬間同情されていた。凛は周りがどうなろうと気にしないのだが、前に座る席の女子が、自分の前にいる女子とよく話すため、自ずと樹と話すことが増えた。

 

「うん。お姉ちゃんもいるし、先輩たちとは入学前から良くしてもらってるし」

「たしか結城先輩と東郷先輩でしたね」

「知ってたんだ」

「少し話題に上がりやすい二人ですから」

「あ〜」

 

 東郷は足が不自由であり、車椅子生活を余儀なくされていた。それだけでも目立つのだが、容姿が整っているのもあってさらに男子の中で話題になりやすい。そんな彼女の近くにいるのが結城だ。分け隔てなく笑顔で接する優しさ、困っている人を見捨てない人の良さ、時々抜けているところがあるのが愛嬌。そんな彼女の存在も既に新入生に知られており、揃って勇者部に入っていることも知られている。

 人気の高い勇者部だが、不思議とそこに入ろうとする男子はいない。勇者部の隠された役割を知っている凛は、そこを少し懸念していたのだが、それは杞憂に終わりそうだった。

 

「花園に害虫が入ってどうする」

 

 それが男子たちの意見であり、これが見事に男子たちの間で浸透している意見らしい。ため息をつきたくなった凛だが、大半の男子は凛と同様に既に入りたい部活を決めているとのこと。

 

「下田くんは何部にするか決めてるの?」

「新聞部ですね」

「……渋いね」

「そうですか? 身になるものがある部活の一つですけど」

「部活ってそういう風に決めるんだっけ……。私も人のこと言えないけど」

 

 話もそこそこに終わり、HRが終わると凛は入部届に名前を記入してから教室を出た。今日から1週間は仮入部期間なのだが、既に意思を固めている生徒たちは、凛と同様に入部届に記入している。

 部活紹介の際に部室の場所も説明されており、それをしっかりメモを取っているため、凛は迷わずに部室にたどり着く。たいていの生徒なら緊張して部室に入るわけだが、凛は緊張することなくドアにノックする。

 

「はいはーい。入っていいよ〜」

「失礼します」

 

 許可が出たところで部室に入る。部室にいたのは四人。部活紹介で壇上に立っていた三人と、凛にとって初見の一人。その初見の人物が弾むように椅子から飛び上がって凛に近づく。

 

「入部希望の子かな! ようこそ新聞部へ! あたしは二年生の遠藤結実。他の三人が三年生だね」

「結実、そんな捲し立てるように話すとその子が困るでしょ」

「下田凛です。よろしくお願いします」

「そうでもないみたいだぞー」

 

 副部長が小言を覆すように凛が結実に自己紹介し、結実に応えて握手を交わす。部長が副部長を揶揄うようにツッコミつつ、入部希望の一年生が来たことに安堵する。

 

「ささっ、こっちに座って座って!」

「それでは失礼して」

 

 新入生が来て浮かれている結実は、強引とも言える対応をしているのだが、硬い凛が相手であるためにそれがむしろ好転している。結実の隣に椅子を用意され、そこに腰掛ける。対面には三年生が三人だ。

 

「部活紹介で挨拶はしてるけど、個人では初めましてになるね」

 

 眼鏡をかけ、落ち着いた様子で話すのが大田。部長の川崎と副部長の田上。それが新聞部の三年生だ。凛も改めて三人に自己紹介し、普段の活動内容を聞く。

 

「校内新聞を作るのは月に1回。毎月10日前後に張り出すようにしてて、月初から10日までの間にみんなで記事を纏める。だからネタ集めは、記事の完成後から月末まで」

「作ってる期間でも面白いのがあったら、メモとか取っといて、後日それについて調べるのもありだよ」

 

 大田と田上の話を凛が手帳に纏め、それを横から結実が覗き込む。凛が異性とこれほど距離を縮めるのは、姉のかなたを除けば園子のみ。しかも園子に至っては数えられる程度の回数であり、なおかつ凛が心を落ち着かせてからだ。このような不意打ちは初めてであり、顔には出さなかったものの鼓動が激しくなる。

 

「勝手に覗いたら駄目だろ……」

「わぉ! 凛くんメモ上手ー! 整理しなくても分かりやすいや」

「先輩の話は無視ですか!?」

「威厳のない部長だよな」

「鼻で笑うなよ大田ー!」

 

 肩を掴んで激しく揺さぶる部長の川崎。大田は眼鏡を押さえながら高笑いし、二人のその様子に田上がため息をつく。ここに来て数分だが、これが普段の様子なのだと凛はさっそく理解した。

 視界の端で何かが動いたのを感じる。それは凛の視界の斜め下側。そちらに視界を向けると、それにタイミングを合わせた結実が顔を近づける。

 

「っ!?」

「あはは、やっとリアクション取った〜! 下田くんリアクション薄いだけで、ちゃんとそういうリアクションも取れるんだね」

 

 ビックリして顔を引いた凛に気を良くしたようで、結実は笑いながら身を引いて椅子に座り直す。胸に手を当てながら深呼吸し、落ち着くことを優先した凛が視線を前に戻すと、三年生たちも楽しそうに笑っていた。

 

「……どうかされました?」

「いやいや、遠藤が相手だと誰でもすぐに距離を詰められるんだなーって」

「その口調は癖のようだけど、雰囲気は柔らかくなったね」

 

 そんなはずはない、そう言いたかった凛だが、周りの視線がそうなのだと物語っている。否定したところで大した意味もない。何ともむず痒かったが、嫌な気はしない。いずれはここの空気に慣れるのだろう。

 

「ま、なんにせよ新入生確保! これで俺達が卒業しても遠藤が泣かずに済むな!」

「ちょっ! な、泣きませんよ! それに卒業だなんて……まだ……4月じゃないですか……」

「ふふっ、そうね。馬鹿言う部長は後で折檻しましょ」

「ひっ!! 田上のは二度とゴメンだ!!」

 

 三年生男子二人もなかなかだが、副部長はストッパーでありつつ方向性がズレているらしい。良く言えば部に染まっているということか。

 三年生たちが賑やかに騒いでいるのをよそに、凛は隣に座る結実に視線を向けた。てっきり他の二年生は休んでいるのかと思っていたが、どうやら二年生は彼女一人らしい。そして、未だに他の新入生が来ない辺り、一年生も凛だけになるのだろう。

 

「……なに?」

「いえ、遠藤先輩って意外と純粋な方なのだと思いまして」

「どういう意味!?」

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

 

「ねぇ、あっきー?」

「どうされましたか? 園子様」

 

 話を終えると、園子はすぐに暁葉を呼びかけた。口調は普段と同じなのだが、その声は常時と異なる。低く、力強い。園子がそうする理由が分からず、暁葉は頭を悩ませながら言葉を返した。

 

「犬吠埼さんと砕けた会話してたよね?」

「私は変わりませんが、犬吠埼さんが少し話しにくそうだったので。どうやら同年代や年下の人には口調が砕けるようですし、無理に私に合わせさせる必要もなかったので」

「私に合わせさせるのもおかしな話じゃない? あっきーは今、学校にいる時よりも硬いわけだよね?」

「仕事ですので」

「じゃあ…………ううん、何でもない」

 

 「命令したら口調を変える?」という問いを、暁葉に投げかけることはしなかった。その答えは分かっているから。園子が命令すれば、暁葉がそうすると分かっていた。だが、そんな事をさせても虚しいだけ。そしてかなたの依頼にもそぐわない。だから園子は開いた口を一旦閉じ、再び開いた時にははぐらかしたのだ。

 何よりも、それ以上に気になった箇所があったから。

 

「その遠藤って人と話してる時、すぐに素が出たよね? あっきーはそういうグイグイ来る人がタイプなの?」

「いえ……そういうわけでは……」

「じゃあなんで? 私の時は長い時間かかったよね? なのに何でその人の時はそんなに早いのかな?」

 

 園子は笑顔で問い詰めてた。その笑顔が、視線が、声が、暁葉にチクチクと刺さる。針のむしろとなり、何故か暁葉は弁明しなくてはと考えていた。いったい何を弁明するのか。なぜその必要があるのか。それは一切分からなかったが、このままではよくないということだけは分かった。

 そうして必死に考えて結果、一つの可能性が出てきた。その可能性が出たことが意外であり、何よりも自分で考えてそれ(・・)を思い至ったことも意外だった。どうにも認めにくいものだったが、園子を納得させられるものは、おそらくそれだけだ。暁葉は小さなプライドを捨て、口を開いた。

 

「おそらくは……園子様の影響かと」

「……私の? なんで?」

 

 予想外の答えに、園子は目をぱちくりさせた。

 

「園子様と会話で、私が変わったのだと思います。自分で言うのも恥ずかしいのですが、心の壁が低くなったのかと。園子様と出会わなければ、中学生活もこのような滑り出しにはなってないです」

「……ふーん。そっか……。ごめんね、変に問い詰めちゃって」

「いえ。お気になさらず」

 

 園子の雰囲気が和らぐどころか、周りに花が咲いているのではないかと疑うほど明るくなる。暁葉は仮面の下で目を閉じ、ほっと細長く息を吐く。それ故に見逃していた。園子が嬉しそうに微笑んでいたことに。

 

(あぁ、やっぱりあっきーがいると楽しいな〜)



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6話

 ノリよく感想をくださった方々、ありがとうございます!
 評価も入ったり、お気に入り数も増えたりでウキウキです!


 

 学校生活にも慣れてくると、初めは硬かったクラスメイトたちも各々気楽に教室で過ごすようになる。よく一緒にいるグループもでき始め、凛にも男子の中で一緒に行動する面子が固まった。入学式の日に話すようになった仲の廣坂と、既にある意味有名人となった阿田和だ。よく女子たちに「なんで阿田和くんと一緒にいるの?」と純粋な疑問で聞かれるのだが、その答えを凛は持ち合わせていない。気づいたら一緒にいるのだから。

 凛は誰と行動しようと構わない。常に一定の距離を保っているからだ。それ故に、廣坂が阿田和を拒まない限り凛も共に行動する。ちなみに、凛が距離を保てない相手は、身内である上里家と園子、そして距離感を無視する新聞部の先輩こと結実だけ。

 

「学校の制服って凄いですよね」

「え、いきなりどうした」

「とうとう下田も女子の制服の魅力に気づいたか!」

「それはないですけど」

 

 阿田和の声にクラス中がギョッとするも、淡白に否定する凛の言葉で落ち着きを得る。反対に阿田和は机に頭を打つ勢いで撃沈したが、廣坂も凛も気にしない。

 

「長袖でもある程度暑さを感じないで済むのに、冬の寒さにも対応できる。さすがに女子だと真冬はコートが必要ですけど、私達男子は学ランでも凌げます」

「言われてみればたしかに。どういう構造をしてるんだろうな」

「下はワンピースタイプだ。上からあのブレザーもどきを着るようになっている」

「女子の制服の話はしてねーよ!」

 

 制服というワードにのみ反応した阿田和に廣坂がツッコミを入れる。阿田和は最初のインパクトこそ強かったのだが、自分の考えをオープンに人に伝えているだけだ。発言そのものが酷いことは案外稀なのである。そのためか、男子の間で阿田和を避ける人間はそうそういない。せいぜい、人として合わないという場合のみだ。

 

「それより俺の話を聞いてほしい」

「一応聞いてやろうか阿田和くんよ」

「下世話なものでなければ」

「結城先輩の連絡先を入手できない!」

 

 凛と廣坂は顔を見合わせて首を傾げた。どこの誰とも分からない男子にいきなり連絡先を聞かれても、正直に答えないのは自然なことではないのかと。そして僅かな可能性として、友奈が教えないのも意外だと。聞かれたらパッと答えてしまいそうな印象が、普段の様子から伺えるのだ。

 だが、それはあくまで離れてみていたら、ということなのだろう。さすがにしっかりすべき時にはしっかりしている。

 

「俺も真っ直ぐ突っ込めばいいとは思ってないさ。だから、まずは顔と名前を覚えてもらおうと思ったわけよ」 

「阿田和にしてはまともな考えだな」

「それなのに! 尽く東郷先輩の妨害が入るんだ! ただお話したいのに!」

「下心が見えてしまっているからでは?」

「勘違いしてもらっては困る。たしかに俺は結城先輩とお近づきになりたい。しかしそれは恋人になりたいとかじゃないんだ。友達になりたいんだ!」

「なん……だと……!」

 

 凛と廣坂だけでなく、聞き耳を立てていたクラスメイトたちにも戦慄が走る。まさか阿田和が下心なしに友奈と仲良くなりたがっていたとは、誰一人として思っていなかったのだから。

 

「花はそこで咲き誇るから美しいのであって、そこに余計な要素が加わってしまっては価値が下がってしまうのだ! だから俺は、結城先輩とはあくまで、たまに遊べるくらいの関係がいい! そうなりたい!」

「阿田和さんって予想以上にまともなんですね」

「下田は案外酷くない!?」

「そうですか?」

「無自覚! 恐ろしい子!」

 

 休み時間も終わり、教員が教室に入ってくると立ち歩いてた生徒も自分の席に戻る。凛も自分の席へと戻り、教科書とノートを机の上に出す。予習を済ませており、今日の授業内容も事前に頭に入れているが、だからといって授業に手を抜くことはしない。もしかすると、自分の考えが間違っているかもしれないからだ。そうなることは早々ないのだが、凛は常に僅かな可能性を捨てない。

 それも大赦で過ごした影響だ。凛が大赦内で、勇者に関わる事に触れたことはないのだが、その担当の人間を観察していれば僅かに理解できる。どれだけ切羽詰まりながら全力を注いでいるのかを。

 

「ではこの点についてですが、犬吠埼さん分かりますか?」

「は、はい……!?」

 

 チラッと横を見ると、当てられてテンパる樹が見えるのだが、凛はそこではなく樹のノートに視線を送っていた。授業内容が纏められているが、空いているスペースには別のことが書かれている。

 

・喫茶店

・占い

・紙芝居

 

 箇条書きで三つ書かれているが、それの共通点が凛には分からなかった。紙芝居は勇者部の活動に関わるのかもしれないが、残り二つは当てはまりそうもない。趣味の可能性もあるが、わざわざ授業中に趣味を箇条書きで纏める理由が思い当たらない。

 そして、今の様子からして、その箇条書きを始めたあたりで樹が当てられたのだろう。そこまで把握した凛は、先生が聞いていることとそれに対するヒントをノートに大きく書き、樹に合図を送って見させる。

 

「あっ……」

 

 どうやらそれで分かったらしく、樹は先生の質問に答えることができた。樹が小声で凛にお礼を言い、凛がそれに返そうとした時だった。

 

〜〜♪ 〜〜♪

 

「誰の携帯ですか? 授業中は鳴らないようにしていてくださいよ」

「す、すみません!」

 

 先生がやんわりと注意し、樹が慌てて謝りながらスマホを鞄から取り出す。手早くマナーモードにしたのだが、音が鳴り止むまでタイムラグが発生した。しかし樹はその点に疑問を持つ余裕はなかった。

 

「え……?」

 

 スマホに見たこともない画面が表示されていたからだ。

 

『樹海化警報』

 

 赤く表示されたその文字の意味を樹は知らない。そしてようやく周りに起きている異変に気づいた。

 

 無音の教室

 不自然に動きを止める教師

 瞬き一つせず固まるクラスメイト

 

「なに……これ……。なんで……?」

 

 不気味な現象が起きた。自分だけが動ける。震える足で教室を出る。隣のクラスも同じだった。違いがあるとすれば、隣のクラスでは全員が動きを止めていること。

 

「お姉ちゃん……」

 

 いつも頼りになる姉はどうなのだろうか。他の人と同じなのか。それとも自分と同じで動けるのか。無事なのかも分からず、不安で潰されそうになる。

 

「樹!」

「っ! お姉ちゃん! これ、どうなってるの? みんな動かなくなっちゃって!」

「樹……よく聞いて。アタシたちが、当たり(・・・)だった」

 

 息を切らしながら話す風の言葉が理解できない。事情を説明していることは分かる。しかし樹には必要な知識が足りていなかった。風も動揺しているようで、詳細に話すことができない。

 水平線の先で光が発生した。幻想的とすら思わせるその光は、世界を塗りつぶしながら陸へ、樹たちがいる校舎へと迫り、その身を包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ!? 犬吠埼さんは!?」

「消え……た……?」

 

 大混乱が生じる教室の中で、凛は冷静に状況把握に努めていた。樹のスマホから発生した着信音。それは樹すら知らない音だったようで、画面を見たときにその戸惑いを顕にしていた。表情が変わった瞬間に樹は姿を消したわけだが、凛はこの現象を知っている。その知識も合わせて導き出された結論は一つ。

 

(バーテックスの襲撃があった。そうなると、あの音が樹海化警報になるわけか)

 

 パズルのピースを当て嵌めるように状況を把握し、先生がこの場をどう収めるのか傍観する。

 バーテックスの襲撃が起きた場合、神樹が結界を発生させる。勇者以外の"時"が止まり、勇者たちは神樹が発生させた結界「樹海」にてバーテックスを迎え撃つ。そして戦いが終われば、元いた場所に近い祠へと戻される。それと同時に止められていた時間も動き出すため、勇者以外の人間は、あたかも勇者が消えたように見えるのだ。

 といった具体的な説明をするわけにもいかないのだが、先生は最小限の説明で生徒たちを静かにさせた。

 

「犬吠埼さんは、大赦のお役目に選ばれました。それは神樹様に選ばれたのと同義のお役目です。今後も、今回のように授業中にいなくなってしまうこともあるでしょう。ですが慌てないでください。どうか犬吠埼さんを応援してあげてください。いいですね?」

「「はい!」」

 

 生徒たちは利口だ。そして大赦という存在の大きさ、神樹という存在の偉大さも知っている。今の説明だけで十分なのだ。それだけ大変な役割を担ったのだと理解できる。

 

「それと、詮索はしないように。大赦に目をつけられてしまいますからね」

 

 茶目っ気を出して生徒全員に釘を刺した先生だが、それは全くと言っていいほど洒落にならない。総理大臣を凌ぐ発言力を持っているのが大赦だ。その組織に目をつけられるなど生きた心地がしない。

 生徒たちが引き攣った笑みを浮かべ、反対に先生はニコニコと楽しげだ。先生はきっとドSなのだろう。しかし教員としての仕事は全うするようで、すぐに授業を再開させた。

 

「し、失礼しまーす……」

 

 授業が再開してしばらくすると、いなくなっていた樹が教室に戻ってくる。授業もあと10分で終わるのだが、授業が終わるのを待たずに戻ってきたらしい。真面目な性格もあるが、勉強に不安を感じているのも密かな理由だ。

 樹は自分の席へと戻り、その途中で口々に労いの言葉をかけてもらう。状況がつかめず苦笑で返すしかない。引っ込み思案な性格なのは周知の事実であるため、それに異を唱える人は一人もいなかった。

 

「えっと……」

 

 授業がどれほど進んだのか、樹が把握できないのも無理はない。樹海化が発生する前に黒板に書かれていた内容と、今黒板に書かれている内容は違うのだ。ノートに授業内容を書くにしても、どうすればいいのか分からない。途中の内容を後で友達に見させてもらうとして、どれだけのスペースを空ければいいのか。

 

「犬吠埼さん」

「?」

「どうぞ」

「え……?」

 

 小声で名前を呼ばれ、隣を見ると凛がノートを樹に差し出していた。ノートを見せてくれる、ということは分かるが、今はまだ授業中だ。ありがたい申し出だが、それでは凛がノートを取ることができなくなってしまう。

 

「予習しているので大丈夫です」

 

 ノートは開かれた状態で差し出されており、そこに目を通してみると、黒板に書かれている内容だけでなく、これから話される内容も書かれていた。本当に予習をしているようだ。

 

「ありがとう。すぐに返すね」

「ゆっくりでいいですよ」

 

 凛は視線を前に戻し、樹は凛のノートを写す作業に入った。幸いにも、樹が教室を離れる前の内容から、そこまで進んでいない。時が止まっていたのだから、それは当然なのだが、戦いを終えてから教室に戻ってくるまでに少し時間を要した。何よりも、教室に戻ってみたら黒板に書かれている内容が変わっている、ともなれば焦るのも無理からぬこと。

 内心の焦りも無くなり、樹は安堵のため息をついて自分のノートに書き写していく。凛が内容を分かりやすく纏めているのもあり、聞けなかった授業内容も頭に入ってくる。テストが近づいたら、分からないところを相談するのもいいかもしれない。そう思ったときにチャイムが鳴り、授業が終わってしまった。

 

「明日の授業までに返してもらえれば大丈夫ですので、焦らなくていいですよ」

「ごめんね……下田くん」

「お気になさらず。授業内容は理解してますので」

 

 凛のノートは一旦樹が預かることとなった。その後の授業は恙無く終わり、HRも終わったところで凛は担任に声をかけられる。話が大赦関連、つまりは勇者関連ということもあり、教室から階段の踊り場へと移動する。最上階は副教科の教室が多く、他の生徒も少ない。踊り場にいれば、他の生徒に気をつけながら話ができる。

 

「さて、分かっているとは思うが、勇者に関係のあることだ」

「はい」

「彼女たちのお役目が始まったわけだが、下田はこれからどうするつもりだ? こちらはサポートが仕事だと聞いているが」

「今までと変わりませんよ。サポートとは少し違いますし、それは今後派遣されるもう一人の勇者様が行うでしょうから」

 

 大赦で勇者となるべく訓練を受けている少女の一人。誰が選ばれるのか、あるいはもう選ばれたのか。それは凛の知るところではないがともかく、大赦から直々に一人の勇者が派遣される。今の勇者に足りないものは、その者が補うだろう。

 

「私の仕事は、勇者様から離れたところで見守ること。何か起こさないか監視すること。それ以上でも以下でもないです。そしてそれは、これまでと同じ学校生活を送らせてもらえれば問題ありません」

「なるほど……。それならばこちらもそれを踏まえて振る舞おう。話はそれだけだ。悪いな、時間を取って」

「いえ。必要な確認ですから」

 

 凛は教室へと戻り、鞄に荷物を入れてから再度教室を出る。向かうのは当然部室。そちらへと向かいつつ、凛は園子との会話を思い返していた。予想で話していたことが、正しかったのだと今日判明したのだ。

 

『それで、あっきーは勇者の話がしたいみたいだね?』

『……なぜそうだと思われたのですか?』

『なんとなくかな』

 

 直感で見破った。天性の才能は、直感をも鋭くするらしい。見破られた以上隠す必要もなく、暁葉は予想を口にした。

 

『勇者たちは、お役目のことを知らないかもしれません。おそらくは、犬吠埼先輩が意図的に隠してるのかと』

『……そっか。それも一つの選択だもんね。わっしーも記憶が無いわけだし。それで? あっきーはどうしたいの?』

『どう……とは……?』

『ふふっ、私にこの話をしたということは、何か悩んでるからじゃないの?』

 

 隠していたわけでもない。そもそも暁葉は、自分が悩んでいたとすら思っていない。園子の親友が、記憶が無い状態とはいえ、再度同じお役目を背負うかもしれない。それを園子に伝えてもいいのか、という悩みはあったわけだが。 

 しかして園子はその事に触れなかった。どうしようもないから、というのもあるだろうが、そこには親友への信頼もあるのかもしれない。暁葉にそれを推し量ることはできない。そうだというのに、園子は暁葉自身が気づけていない心中を気にかけていた。暁葉はそれが分からず、園子の言葉を待った。

 

『うーん、これは今回だけだよ? 私はこういうの(命令するの)好きじゃないし』

 

 その前置きに頷く。頷くしかなかった。

 

『あっきーは、勇者たちの味方でいてあげてね。距離を詰める必要はないよ。予定通り遠くからでいい。ただ、一般人としてでも気付ける何か(・・)があったら、支えてあげて』

『分かりました』

 

 園子からの頼み。それはたしかに暁葉の原動力となるが、それとは別に暁葉は視界がクリアになった気がした。今の頼みが、暁葉自身でも気づけなかった悩みを解決したから。

 それを改めて胸に刻み、暁葉は凛として学校生活を送るのだった。

 

 



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7話

 お気に入り登録数が200件超えました\(* ¨̮*)/\(*¨̮ *)/
 これからも頑張ります!


 

 最初の襲撃があってから早3か月。実は同日にもう一度襲撃が起きていたのだが、勇者でもない暁葉がそれを感知できるわけもなく、週末に帰省した時にかなたから初めて聞いた。同じ日に二度の襲撃という事態は前例がなく、大赦は最大限の警戒をしていた。しかしその異常事態が嘘だったかのように、3か月間バーテックスの襲撃はない。不気味なまでの平穏だが、暁葉はその事を頭の隅に追いやり、毎週園子と会話をしていた。

 3か月も経てば制服も冬服から夏服へと変わり、体育の授業が水泳へと変わる。授業ではあるのだが、生徒たちにとってはただのボーナスタイム。学校にいることを忘れてはしゃぐのも必然。

 そんな大きな変化とは別に、一つ新たな変化があった。2年生に転入生が来たのだ。転校生という存在は珍しくないのだが、いざ自分たちの通う学校にその人が来るとざわついてしまうもの。まるで芸能人を迎えるように浮足立つ。

 

「うちのクラスにも来ねぇかなー」

「中学での転校生は珍しいし、うちのクラスとかないでしょ」

「夢を持たせてくれよ!」

 

 転入生がくるクラスが盛り上がるのはもちろんのこと。そしてその話題は他クラスだけでなく他学年にも及ぶ。阿田和はこういう情報に耳聡く、2年生に来た転入生のことも既にある程度把握している。

 

「三好先輩も美少女なんだぜ!」

「なぜドヤ顔するのか」

「スポーツ万能で負けず嫌い。けどあれはツンデレキャラだと予想したね! にぼしが好きなのだとか」

「なぜ初日の午前中にそこまで情報を得ているのか」

「ストーカーでもしましたか?」

「してねぇよ! 部活の先輩からの情報だよ!」

 

 転入生こと三好夏凜の情報は、どうやら阿田和と同じ部活の先輩から得たらしい。仲がいいのはめでたいことなのだが、余計な情報まで回っていくと咎められかねない。そこは注意すべきだろう。誰も忠告はしないが。

 今転入生がこの学校に来たということは、それは勇者がとうとう派遣されたということ。凛がスマホに届いているメールを見てみると、たしかにそこには大赦からのメールも来ていた。一般生徒が二人目の前にいるため、すぐに画面を暗くしたが、件名には勇者の派遣のことが書かれていた。

 

(そうなると、三好先輩も勇者部に入るのかな)

 

 そのあたりについては、同じクラスにいる勇者こと樹に聞くほうが早い。特段聞かないといけないわけでもないが。

 

「ところで阿田和さんはなぜ悔しそうに涙を流しているのですか?」

「あ、話聞いてなかったんだ」

「考え事をしていたので」

「聞いてくれよ下田! 夏服になったらさ? 女子たちの制服も上が白くなるじゃん?」

「涼しさ重視ですかね」

「そこじゃない! 模範優等生め!」

 

 聞き慣れないツッコミだと思ったが、凛が聞きなれないのも仕方ない。知らぬ間につけられた二つ名なのだから。ちなみに滅多に使われることはない。なにせ一部の男子たちが、「別に普段呼ばない二つ名をつけていこうぜ」と言ってつけられていった二つ名なのだから。

 根本的に着眼点が異なり、思考も異なるのだと改めて認識しつつ、阿田和は悔し涙を流す理由を打ち当てた。女子にドン引きされる理由を。

 

「結城先輩が……スポーツブラだった……」

「110番を押せばいいんでしたっけ?」

「鬼かよ!」

「下着を窃盗するのは犯罪ですよ?」

「してねぇよ! 盗み見ただけだよ!」

「言い得て妙だな」

 

 阿田和の弁明は以下の通りである。

 夏服って白色だから服の下が透けて見えるじゃん? それを見てしまうのは男の(さが)じゃん? そんなわけで結城先輩のを見てしまったわけよ。そしたらスポーツブラでした。

 この弁明を受けて、凛は判断を下す。

 

「やはり有罪ですね」

「許してくれよぉ! むしろ見ない下田がおかしいくらいなんだぜ!?」

「そうなのですか? 廣坂さん」

「女子に聞いた方がいいんじゃないですかねー」

「てめっ! 逃げやがったな!」

 

 廣坂に促された通り、凛は周りの女子へと視線を向ける。一番最初に目があったのは樹なのだが、樹は困ったように笑うだけ。そこから横へとずらしていくと、ほとんどの女子の目が怒りの炎を灯していた。

 

「やはり許されないことのようですね」

「この賢者め!」

「罰は後として、なぜそれで悔し涙を流していたか話してください」

「追い打ち!? ……男の性です」

 

 真面目になってみたら本当に恥ずかしいだけ。バカなノリでやるからこそ盛り上がるのだが、相手が悪かった。その手の話に無頓着な凛が相手では、冷静になった状態で性癖を暴露させられるだけになるのだ。

 急に恥ずかしくなった阿田和は、それを誤魔化すように発狂して教室を飛び出す。阿田和の気持ちが分かる一部の男子たちもそれを追いかけていき、教室が静かになる。

 

 

 

「そういうやり取りがあったわけです」

「なるほどね〜。それで1年生の階から叫び声が聞こえたわけだ」

 

 放課後になり、部室に入ったところで凛は結実にその話をさせられた。3年生が来るまでの時間の繋ぎ。そのための話題を結実が用意し、凛に話させたのである。隠す理由もなく、淡々と事のあらましを凛は話したわけだが、結実はそれを楽しそうに聞いていた。

 報告という言い方が合っているような話し方だが、結実はそれでも楽しんでいた。今の話し方で、いったいどこに楽しめる要素があったのか。凛には分からなかった。

 

「んー? ちゃんと物語風だったよ?」

 

 聞いてみたらこんな返しをされた。どうにも実感が湧かない。なんせ、今までと話し方が変わったとは思えないのだから。

 しかし、実際には変わっていた。口調が変わったわけでもなく、大きく話し方を変えたわけでもない。あったことを話しただけだ。報告と変わらないはずのものだが、凛の話は報告とはたしかに違っていた。

 主観を除けば報告になるだろう。だが凛は主観を入れて話をしていた。それはたしかに変わる。内容が同じだろうと、言葉が同じであろうと、そこに主観を入れることで、下田凛がその場で感じた話へと変わるのだ。

 それは園子との会話によって伸びた力だ。物語風に話すようにさせたことで、凛は話す力が伸びた。噺家には遠く及ばなくても、話が上手い人には並ぶ。

 

「それはともかくとして、凛は興味ないの?」

「そうですね」

「ふーん? あたしのやつも?」

「なぜ遠藤先輩のなら興味を持つと思われたのですか?」

「すっごい傷ついたんですけど!?」

 

 思ってもいない形で放たれたボディブロー。ダメージはしばらく残り続け、部室の机に突っ伏してしばらく自分の世界へと入り込む。

 凛は無自覚なわけだが、結実の様子を見て失礼なことをしたということは理解できた。謝罪をしたいのだが、何がいけなかったのかが分からないために謝罪ができないでいる。

 

「言外にあたしが女子としての魅力がないって言われた」

「え? …………あ、いえ。そういうつもりで言ったわけではないのですが……。大変失礼しました」

 

 机に顎を乗せ、答えをぼやかれる。それでやっと合点がいき、凛は深々と頭を下げた。自分にそのつもりがなかろうと、自分の発言が相手を傷付けたのは事実。何よりも内容が内容だ。傷が深くなってしまってもおかしくない。

 

「遠藤先輩に女性として魅力がないとは思っていません」

「うーん。下の名前で呼んでくれたら許してあげようかな〜」

「……それは……」

 

 言葉を詰まらせる。三年生たちでも、名字で呼ぶ人は名字で呼んでいるのだ。名字呼びが嫌というわけでもないはず。しかしそれを言い訳にすることもできない。上下関係を気にして、伝えていない可能性もあるのだから。

 では凛は下の名前で呼ぶのか。それはどうにもその気になれなかった。断りたいわけではない。絶対に呼びたくないという拘りがあるわけでもない。結実のことを嫌っているわけでも、苦手意識を持っているわけでもない。むしろ好印象だ。それなら呼んでも問題ないのではないか。凛だってそう思っている。

 しかし、園子の姿が脳裏にちらつく。身内を除けば、唯一下の名前で呼んでいる存在。彼女の姿が脳裏に現れ、言葉が堰き止められるのだ。

 

「……気になっている子でもいるのかな?」

「気になっているわけだはないのですが……あの方は……」

「そっか〜。ならいいや。収穫があったわけだし、それで許してあげる」

「え……」

 

 なぜ水に流してもらえたのか。収穫とは何のことなのか。新たに疑問が湧いてくるのだが、それを詮索するのも野暮に思えた。この話はこれ以上広げても仕方ない。ここで打ち止めにするべきなのだ。

 ニコッと微笑む結実の前に、凛は黙って頭を下げた。謝罪なのか礼なのか。それは凛にも分からない。

 

「あ、そういえばうちのクラスに来た転入生なんだけどね。友奈と東郷とは顔見知りっぽかったんだよね〜。放課後一緒に教室からいなくなったし、勇者部に行ったんだろうけど、何かありそうじゃない?」

「たしかに何かありそうですけど、それは詮索しない方がいいと思いますよ」

「あはは、やっぱり? あたしの直感もやめとけって言っててね。凛もそう思うなら、詮索するのやめとくよ」

「それがいいかと」

 

 少しばかり焦った凛だったが、結実が興味本位だけで動く人間ではないおかげで踏みとどまれた。今の話の振り方からしても、止めてほしかったのかもしれない。気になるという思いはたしかにあるのだが、やめておけという判断も下せる。そこにさらに、別の人間からの反対意見も欲しかったんだろう。だから結実はすぐに身を引けた。

 

「さてと、それじゃあこれはボツとして。この前言ってた件はどう?」

 

 新入生である凛の教育役。それが結実の役割だったのだが、意気投合した結果共に行動した方がいいのでは? という結論に至る。そのため今も共に行動し、二人で一つの案件を取り扱っている。

 現在取材を進めてる案件を、3年生が来るまでの間話し合う二人だった。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

 

「あっきー最近その人といい感じ?」

 

 いつも通り話をしていたわけだが、話を聞いた園子にはそう思えたらしい。いい感じ、とはどういう意味なのか。その解釈を間違えてはいけない気がした。だから暁葉はその意図を聞くことにした。

 

「いい感じとは、どういう意味合いでしょうか?」

「あっきーはどう受け止めたかな?」

「仲良くなった、という意味合いとして受け止めました。先輩後輩の関係としては、その通りになったかと思っています」

「それ以外は?」

「それ以外……ですか?」

 

 それ以外ということは、上下関係ではない内容を聞かれているというわけだ。そうなれば真っ先に思い当たるのは友人関係なのだが、それならば問われることでもないだろう。しばらく考える。そして一つの可能性が思い当たる。

 

「男女関係について問われているということでしょうか?」

 

 仮面によってその表情こそ園子には見えなかったが、仮面の下で暁葉は僅かに驚きを顕にしている。そしてそれは、声色では出ていた。園子がそこを聞いてくるとは、思っていなかったからだ。

 小説のネタにするつもりなのだろうか。しかしそれにしては聞き方が鋭すぎる。問い詰めている、と言ってもいい具合だ。

 園子は答えなかった。口を閉じ、視線も暁葉から外す。

 

「私と遠藤先輩がそのような関係になることはありません」

 

 否定する。この可能性が当たっている確信はないが、ひとまず否定することにした。嘘をついてるわけでもない。むしろ疑われる方が心外だった。

 

「……その人、可愛い?」

 

 唇を尖らせて呟く。

 

「たしかに可憐な方だとは思います」

「ふーん?」

 

 外された視線が戻されるも、その視線は冷たかった。心が凍てつかされそうな視線。だが、暁葉には違って思えた。恐怖はあるのだが、それと並行して自分の内側からそれを溶かす熱さが生まれる。

 

「ですが、園子様のほうが可憐ですし。私は園子様が好きです」

「ぇっ……」

 

 気づけば自然と言葉を発していた。内側にある熱に促されるままに、思考することなく。

 自分が言ったことを遅れて理解する。脳内でその言葉が反芻され、暁葉は視線を逸した。園子を真っ直ぐ見ることができない。顔が熱くなる。まるで今まで止まっていたのではないかと疑うほどに、心臓が激しく主張してくる。

 

「い、今のは人としてでありまして。尊敬しているとか、そういった類の想いであります」

「そ、そっか……。あー、びっくりした〜」

 

 慌てて言葉を紡いだ。今言ったことは違うのだと。男女の関係としての好意ではないのだと主張した。

 

「今日は三好さんにもお会いしなければいけないので、そろそろ失礼します」

 

 予定よりも早く切り上げ、暁葉は部屋を後にした。園子の返事に、若干の寂しさを覚えて。

 

(さっきのは何かの間違いだ。私がそのようなことを思うはずがない)

 

 そして、廊下を歩いている間に己を修正していく。

 夏凜の兄、春信に個人的にこっそり頼まれていた件(夏凜の学校生活の様子)を報告している間には、熱も冷まされていた。

 

 

 

 

 

 

「あっきー……」

 

 いつもより足早に出ていった暁葉の背を思い出しながら名前を呟く。事の発端は自分の発言なのだろう。同じ学校の異性では一番暁葉の側にいるであろう結実。コンビを組んでいるため、部活の話となれば彼女の話が出るのも仕方ない。分かっているのだが、少しばかり……面白くないと思ってしまう。

 

「ねぇ、さっきのは……どっちなの?」

 

 返事のない質問をする。それは誰にも拾われず虚空に消えていくのだが、園子は体温が上がっていることに気づく。胸が苦しく、顔が熱い。風邪を引いてしまったのだろうか。それなら、今日が日曜日でよかった。これが土曜日だったら、翌日に暁葉に感染させてしまったかもしれない。

 生まれてから一度も風邪など引いたことがなく、今の生活になってから一度も体を崩したこともないのだが、今の園子はその事を忘れていた。

 

「体調が悪いと人に会いたくなるっていうの、本当なんだね」

 

 小説のネタにしたことはある。体験したこともなかったが、よくある手法だから使ったことがある。それを今体感してる。

 

「会いたいよ。わっしー、ミノさん──あっきー」

 

 

 

 




 三歩進んで二歩下がる。
 亀みたくスローなくせに中々進み続けないのが暁葉です。


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8話

 
 本日はベストアルバム「勇気の歌」の発売日ですね。とりあえず気になっていた新曲であったり、聞いたことのなかった曲を聴きました。東郷さんのあの曲にやられその直後の園子のあの曲で死体蹴りされましたね。
 これ以上は言いません。(ネタバレよくない) まだ聴いていない方。ぜひ聴いて(死体)仲間入りしましょう。買うのを悩んでいる方。オススメですよ。
 では本編どうぞ。



 

 学校生活を送る以上、テストというものは付き纏うもの。中間テストや期末テスト。授業の合間に行われる小テストも。それは主要科目で当たり前のようにあるわけだが、副教科であっても存在する。美術や技術の授業では、製作した作品がそのまま採点されるだろうか。体育では実演であり、そして音楽もまた実演である。

 楽器を演奏して採点、というパターンもあるわけだが、9割方歌を歌う場合がほとんどだ。課題曲が決められ、それを一人ずつ歌う。人前で緊張するタイプの生徒にとって、これほど嫌なテストはない。しかし、凛は緊張するタイプではないため、この手のテストで困るわけではない。

 ただ──

 

「下田くん。もう少し感情を込めることできる?」

 

 個性を殺して生きる凛にとって、違う意味で難関なテストではあるのだ。

 

「先生。どう直せばいいでしょうか」

「歌なわけだし、楽しんで歌ってくれたらいいのだけど……。成績はもちろん大事ではあるのだけど、先生は歌を好きになってもらう方が大事だと思っているから」

 

 なるほど。それはたしかに副教科を担当する先生たちにとって、大切な思いなのだろう。アイドルやアーティストは注目されるが、音楽家はなかなか注目されない。楽器を演奏する人たちはさらに厳しい世界だ。日常的には見かけない存在。そういった世界に目を向け、知見を広めるのも人として大切なのだろう。そしてそれを教員としての役割に組み込む先生がいてもおかしくはない。同志が増えるのは誰だって嬉しい。

 

「私は歌が嫌いというわけではないのです。どちらかと言えば演奏する方が好きです」

「そうなの? 合唱コンクールでは担当してもらおうかしら。でもね、歌のテストを行うのよ」

「そうでした。それはテストまでの課題ということにしますね。私一人で時間を取るわけにもいきませんから」

「物分かりが良すぎて怖いわ〜」

 

 凛が自分の席に戻り、次の生徒が前に出る。今日はテスト形式での予行練習。ぶっつけ本番でやるよりも、一回やっておいた方が少しは緊張も和らぐだろうという配慮だ。

 

「下田ってちょくちょく不器用だよな」

「自覚はしています」

 

 凛の隣に座る廣坂が小声で話しかける。お互いに顔を向けて話していたら注意されるため、視線はあくまで発表者に向けている。こうやって話すこと自体凛は避けたいのだが、話しかけられたら返してしまうのだ。

 

「俺はある意味器用だと思うけどな」

「それは褒めてませんね」

「どっちに受け取ってくれてもいいぜ?」

 

 反対側から阿田和も会話に加わる。他の二人とはとは異なり、阿田和だけはガッツリと横に顔を向けている。ジェスチャーで前を向くように促すのだが、残念なことに従ってくれない。これくらいなら大丈夫だとタカをくくっているらしい。

 

「音程が外れてるとか、リズムがおかしいとかじゃないんだぜ? それなのに歌声が寂しいって器用だろ」

「そこだけができないと考えれば、不器用だと言ったほうが合ってる気がするんだけどなー」

「どちらでも構いませんよ。内容は同じなんですから」

 

 そう返しながら考え込む。阿田和はムードメーカーでバカに見えるのだが、凛の歌をしっかりと聞いていた。それは他の人の歌でも同じようで、今も会話しながら歌を聞いている。そういった一面があるからこそ、憎まれない人物なのだ。誰とでも気さくに話している姿は、よく見られる光景。

 

「阿田和くん。ちゃんと前を向いていなさい」

「すみません!」

 

 歌が終わったタイミングで先生から注意が入る。先生に聞こえない程度の小声であったため、凛と廣坂には注意が飛ばなかった。先生の目には、せいぜい阿田和が凛に絡んでいると映ったのだろう。

 姿勢を正して前へと向き直る。すぐさま授業に集中できる切り替えの速さ。正直な性格も相まって、問題児として見られることもない。むしろ、集中している時は模範生と呼べるほどだ。根が真面目な証である。それが分かるからこそ、先生も一度注意するだけで終わる。

 その後も順番に歌っていき、やがて女子へと順番が回ってくる。女子のトップバッターは樹だ。誰の目からしても緊張しているのは明らか。そしてそれは歌にも表れた。上ずった声。リズムはまだしも、音程は明らかに外れている。歌い終わるとさらに表情が暗くなる。緊張ばかりはどうしようもなく、先生もアドバイスに困っていた。

 

「犬吠埼さん。少しいいかな」

 

 放課後、凛は樹に声をかけた。話題はもちろん次回に控えた音楽のテスト。凛も凛で課題があるわけだが、樹のことも放っておけなかった。それは樹が勇者で、自分の仕事の範疇と判断したからなのか。それとも凛個人の意志でそう判断したからなのか。どちらにせよ、凛は樹に提案を持ちかけた。

 

「放課後はお互い部活があるので、朝いつもより早く来て少し練習をしませんか?」

「え……。練習って……」

「もちろん歌のテストに向けてです。あ、伴奏は心配しないで下さい。ピアノ弾けるので。それと、先生には許可を頂いてます」

「授業の後に残ってたのって、そういう事だったんだ」

「はい」

 

 先に許可を取ったということは、樹が不参加であっても凛一人で練習するつもりなのだろう。いや、凛と一緒にいるメンバー的に、一人となった場合は一緒に練習するか。そうなると、樹が参加した場合でも駆けつけてくる可能性があるわけだが。

 

「ご心配なく。犬吠埼さんが参加される場合は、二人だけですので。ギャラリーはいません」

 

 既に配慮されていた。断言しているあたり、先に友人間で話をつけているわけだ。二人きりというのは、たしかに緊張も和らぐ。凛を先生だと置き換えて考えればいいわけだ。しかし、そこまで器用にもできない。異性と二人きりという状況になることに、変わりはないのだから。

 

「どうするかはお任せします。今お決めにならなくても構いません。練習は明日から。朝の7時40分から音楽室を使わせてもらえるので、適当に来てもらえば結構ですよ」

 

 決断できなかった樹は、凛の言葉に甘えて返答を後回しにさせてもらった。連絡先を知らないのだから、朝に行動で示すということになるわけだが。凛が先に教室から出ていく。樹は視線の行き先さえ迷い、透き通る青空を眺める。当然そこに答えもなく、とりあえず勇者部で相談することは決めて教室を後にした。

 勇者部に掲げられる五箇条の一つ。『悩んだら相談』。

 

 

 

「サプリね!」

 

 少し後悔した。後悔……は言い過ぎだが、これでよかったのか迷った。だが、夏凜はいたって真剣だ。にぼしをうどん並みに愛し、サプリに精通する夏凜なりの提案なのだから。数多く所持しているサプリの中から、喉に効くとされるサプリを紹介してくれる。

 

「歌の問題なんだし、実践が一番よ!」

 

 アルファ波を推し進める美森を止め、サプリの一気飲みで気分を悪くした夏凜を回収。姉というか、なんだか母親のような立ち振舞で部員を纏めた風。勇者部一向はカラオケへと向かっていった。

 

 

 

 

 翌朝。凛は7時30分には学校に到着し、一番早く学校に来る教頭にはもちろんのこと、朝早くから学校に来て授業の準備をする先生とも挨拶を交わす。教頭にも話が通っていたようで、凛が職員室に入ったらすぐに音楽室の鍵を渡してくれた。生徒の自主性を重んじる学校だからこそ、難なくこうして教室を使わせてもらえる。

 数分の間教頭と言葉を交わしてから音楽室に向かう。予定していた時間通りに音楽室を開け、中に入ったら窓を開けて換気する。樹が来るのかはまだ分からないが、樹が来ないのであれば今日は一人で練習だ。窓に手を置き、入ってる風で心地よさそうに目を細める。

 

「そろそろ始めようかな」

 

 5分経ったら開けていた窓を全て閉じる。それなりに換気はできた。何よりも、この時間からピアノを使うのだ。音が漏れていては近所迷惑になりかねない。幸いにも、集合住宅は近くにない。個人宅がちらほらある程度で、そこの住人たちと学校の関係は良好。音が漏れ聞こえても、訴えられるとは考えにくい。

 だが、低くとも可能性があるのなら可能な限り排除すべきだ。それが凛の判断だ。ドアも閉めてからピアノに向かい合って座る。楽譜も用意してある。

 ウォーミングアップがてら好きにピアノを弾く。朝早くからだが、しっかりと手が思い通りに動く。調子は悪くないようだ。

 

「課題曲はたしか」

 

 音楽のテストでは、すべてを歌うわけでもない。一部を歌うだけだ。だからそれに合わせて先生も曲の途中から弾き始める。凛はそれを覚えている。一度弾いて確認。どうやら詰まることなく弾けるようだ。

 一旦手を止める。目を閉じる。胸に手を当て深呼吸。ゆっくりと瞼を開き、手を鍵盤へと戻す。

 滑らかな弾き始めだった。すぐに凛の歌声も重なっていく。凛はこうしてピアノを弾きながら歌う方が好きだ。しかし、それで自分の歌に変化が出ているか分からない。予行練習の時も本気で歌ったのだから。

 自分の歌声に変化が出ているのか。それは他人に聴いてもらい、判断するしてもらうしかない。残念ながら、今日は一人なわけだが。

 

「お、おはようございます……」

 

 8時になると、音楽室のドアが開かれた。おずおずと樹が中に入る。凛は演奏を止め、意外そうな顔で樹を見た。てっきり来ないと思っていたから。

 

「遠慮されるかと思っていたのですが」

「せっかくの誘いだし、お姉ちゃんも背中を押してくれて……。本当は時間通りに来たかったんだけど、……その……朝に弱くて」

 

 最後は消え入りそうな声だった。それを凛はしっかりと聞き取っていた。たしかに時間は決めていたが、その時間に来いとは言っていない。来れるタイミングで来たらいいし、何よりも樹が行動に移したことが、思いの外嬉しかった。思い返してみると、学校で自分の判断で誰かを誘うのは初めてなのだから。

 

「おはようございます犬吠埼さん。それと来ていただいてありがとうございます」

「そんな、私は誘ってもらったのに遅刻して……」

「開始時間を伝えただけで、集合時間を設けたわけじゃないですから。お気になさらず。すぐに歌うのはしんどいでしょうし、発声練習しますか?」

「うん」

 

 この時間から歌う事自体どうなのか、という問題はあるが、お互いに都合がいい時間が朝しかないのだ。喉に無理させない程度に、軽い練習で収める必要はある。

 ピアノで1音だけ発し、それに合わせて樹も発声練習を行う。凛が音程を指定し、樹がそれを出すのだ。男女でパートが別れており、女子は高いパートになる。その事を考慮しつつ、樹が発しやすい高さから練習。

 それが完了し、いよいよ樹の本格的な練習だ。残りの時間からして、3回歌えるかどうか。

 

「それでは犬吠埼さん。始めますよ」

「お願い」

 

 凛の伴奏に樹の歌声が乗る。緊張はあるようで、その声は幾ばくか不安定なのだが、授業の時より断然綺麗な歌声だった。やはり樹にとっての最大の課題は、『人前で歌うこと』の一点に尽きるようだ。

 歌い終えると、樹は凛に評価を聞いた。この場には二人しかいないのだから、こうなるのも当然だ。

 

「犬吠埼さんも自覚されてると思いますが、問題なのは人前で歌えるかです。先程のは少しばかり緊張の色がありましたが、特に問題はなかったですよ」

「やっぱりそこ……だよね……」

「場数を踏むことも大切ですが、それよりも犬吠埼さんの心持ちが大切かと」

「私の、心持ち?」

 

 椅子から立ち上がり、樹の正面へと移動する。人に何か伝える時は、いつもこうして向かい合うようにしているから。

 

「犬吠埼さんはもっと自分の歌声に自信を持ってください。あなたの歌声は本当に綺麗で、聴き入りたくなるほどです」

「そ、それは言い過ぎだよ……」

「本当にそうですか?」

「ぇ……」

「あなたのお姉さんは、あなたの歌声を評価しませんでしたか?」

 

 樹の目が大きく開かれる。心当たりがあるのだ。姉である風が、歌声が好きだと言ってくれたことに。身内でもあるため、多少なりとも過大評価もあるだろう。しかし、そう言った時の風は、巫山戯た調子で言っていただろうか。慰めのための言葉だっただろうか。

 そんな事はない。それは樹が一番分かっている。あの時の言葉は、本気の言葉だったと。

 

「私も好きですよ。犬吠埼さんの歌声」

「ありがとう下田くん。ちょっと、胸が軽くなったよ」

「それは良かったです。ではあと一回だけ歌って、教室に行きましょうか」

「次は下田くんも一緒に歌おうね」

 

 笑顔をはにかませて言われる。それを断ることなどできなかった。一緒に歌うとお互い指摘できなくなるわけだが、それでも良いということか。

 合理的ではない。だが、それも悪くないと凛は思った。これでもいい。気持ちが前を向いた樹とのデュエットなのだから。

 

 そうして過ごすこと1週間。土日は凛が帰省するため練習はない。その事を樹に話し、「あ……ご両親は健在だったんだ。ごめんね! 勘違いしてた!」と謝られたのも記憶に新しい。これは凛の話し方と、樹の家庭環境によって生じていたズレだ。お互い水に流すことで終わった。

 音楽のテストは予定通り行われ、そして凛と樹は無事にテストを終えた。樹にいたっては、教室内でしばらく拍手が止まなかったほど高評価だ。

 歌う前に見ていた一枚の紙。それが樹を支えた。それは勇者部の面々から送られたメッセージ。絆の強さの表れ。

 

(勇者部は、他の部活とは違う。裏の活動ではなく、その在り方が輝かしい。それが勇者部の魅力か)

 

 歌う樹を眩しそうに凛は見つめていたのだった。

 

 

 



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9話

 

 変化というものは突然訪れるものだ。それは予知できないものなのか。人類は科学でそれに臨んできた。気象情報や災害などが最たる例か。しかしそれはオカルトでも同じこと。今はその精度が確実なものになっているだけ。『神託』によって告げられるのだから。

 だがそれを受け取れるのは巫女であり、ただの一般人である凛にはできないことだった。だからこそ、クラス中がどよめいたその変化に、凛も同じく驚くしかなかった。

 

「犬吠埼のやつ、声が出なくなっちまったのか……」

「音楽の授業で聴ける犬吠埼さんの歌、楽しみにしてたんだけどな……」

 

 犬吠埼樹が声を失った。

 その衝撃にクラス中が浮足立った。いつも落ち着いている凛も、こればかりは驚いてしまう。その理由を知っていても、衝撃は然程変わらないものだ。

 クラスではその話で持ち切りになったのだが、それでは当の本人である樹にとって居心地が悪い。今の教室内の空気を変えなくてはならない。

 それは、凛が行動する前にも変わった。いつも樹と一緒にいるクラスメイトが、勇気を振り絞ったから。教卓の隣に行き、皆に話を聞くように声をかける。少し待てば全員の視線が集まり、その子は両手を胸に当てながら声を発した。

 

「樹ちゃんの声は一時的なもので、いずれは治るってお医者さんが言ってるらしいの。だから、みんなでその時を待とう? 1日でも早く治ることを願って」

 

 クラスに沈黙が流れる。失敗したのか。不安に襲われるも、それを阿田和が払拭した。

 

「よかった〜! 治るならまた犬吠埼の歌も聞けるな! これは2学期の合唱コンでも優勝狙えるぜ!」

「他力本願ですか」

「ばっかちげーよ下田。みんなで一丸になるんだよ! な? みんな!」 

 

 阿田和の言葉に次々と賛同の声が上がっていく。樹の声が治るということに安堵するだけでなく、話題自体も樹から2学期にある合唱コンクールへ。クラスの空気も変わり、樹もその友人もほっと息を吐く。

 

「合唱コンクールの前に、文化祭があるんだけどな」

「そういえばそうだった!」

 

 オチも用意されていた。クラスが笑いに包まれ、今度は文化祭で何をするか、そもそも讃州中学の文化祭はどういう雰囲気なのか。話題がコロコロと変化していく。阿田和が黒板に『文化祭』と書き、クラスで何がしたいか案を出させる。ちゃっかり委員長も巻き込まれているのだが、楽しげに行われているため止める者もいない。

 

「犬吠埼さんの声が治るってのは、朗報だな」

「そうですね。夏休み中に治っていることを願います」

「だな。……その前に期末テストか……」

「難しい単元でもないですよ」

「お前はな!」

 

 廣坂は別段勉強ができないわけではない。なんだかんだでクラスの平均以上の点数は取るのだが、勉強が苦手なのだと本人は語っていた。

 二人で期末テストの話をしつつ、凛は樹の声のことを考えていた。凛は知っている。バーテックスの総攻撃があった事を。そして、風にも異変が起きていることを。

 樹の声の異変。それが勇者の活動によって生じたことは明白。つまり、『散華』の結果声を失ったのだ。一時的に強大な力を振る舞えるようになる『満開』。その代償として体の機能が一つ失われる。それは『満開』の回数に比例する。満開が一度だけだったのは、まだマシだったのかもしれない。

 

(園子様……)

 

 毎週会う園子のことを思い浮かべる。20回に及ぶ満開。その結果身動き一つ取れなくなった少女。彼女が未だに治る気配もない。治らないという考えが定着している。

 それ故、樹の声も治らない。いずれ治る……それは秘密主義な大赦の配慮。凛の母親である葵は、この件にも眉にシワを寄せているだろう。

 

「下田?」

「はい? どうかされました?」

「いや、なんか上の空って感じだったから」

「すみません。考え事をしていました。一時的に声を失うというのは、声変わりみたいなものなのかと」

「お前って時々天然だよな。……女子って声変わりするっけ?」

 

 どうだっただろうか。二人で頭を悩ませた。園子は出会ってから変わっていない印象がある。かなたも、声は変わっていないはずだ。二人を例にしてみても、声変わりしないという結論に至るのだが、凛は意見を固められなかった。数回園子に鈍感だと言われているから。

 結局二人では結論を出せず、クラス担任が教室に入ってきたことでその会話は終わった。

 

 

 その週の末日。暁葉は当然のように園子の下へと行くのだが、心なしかその表情は硬い。大赦に着けば仮面を付けるため、園子には見えないのだが、共に大赦へと向かうかなたには気づかれる。

 

「何か思い詰めてるようね」

「そういうわけではありません」

「散華」

「……」

「その話をするのでしょう?」

 

 かなたに隠し事は通用しない。なぜなら、かなたはずっと暁葉のことを見てきたから。暁葉が個性を殺しても、暁葉自身の思いはどこにあるのかと観察し続けてきたのだから。多少なりとも柔らかくなった今の暁葉なら、かなたはほぼ確実に見抜くことができる。

 

「あなたの役割を考えると、彼女に全てを話す必要もないのよ?」

「そうですが、園子様は気にかけておいでです。隠すわけにもいかないのです」

 

 バカがつくほど真面目な弟だと思った。大赦の一員であれど、園子の前ではその要素が薄れるというのに。暁葉が話さなくとも、話は別の人間から園子の下に届けられる。それでも話そうと言うのだから。

 だが、同時に嬉しくも思った。「仕事の範疇です」と答えなかったから。以前ならそう答えていたのに、仕事として考えているのではなく、園子のことを考えて決めている。歯車と化していた暁葉に、人間らしさが戻ってきている証。そして、話すことに重く捉えているのではない。勇者部の面々が体の機能の一部を失ったこと。それが暁葉の表情を硬くしている。

 

(不謹慎ではあるけど、嬉しいと思ってしまうわね)

 

 暁葉の首に手を回し、キョトンとする暁葉を引き寄せる。頭を胸に抱きかかえ、そっとその髪を撫でていく。

 

「決めたのならやり切りなさい。大丈夫。彼女は受け止めるから」

「……はい」

 

 表情がマシになる。少しは姉らしいこともできた。大赦に到着し、かなたは軽やかな足取りで車から降りて先に行く。いつもより雰囲気が柔らかくなったことを、他の巫女たちは素早く見抜き、かなたから話を聞き出すのだが、それはもう少し後に起こる出来事。

 暁葉も車から降りる。仮面をつけると意識が変わる。自己暗示の効果が表れ、憂いていた思いも晴れていく。

 

「園子様。今日はご報告があります」

 

 だから最初にその話を切り出すことができた。

 

「報告? テストで赤点取ったとか?」

「テストはまだです。赤点の心配もいりません」

「あっきーは優秀だね〜。それじゃあ何の報告かな?」

「勇者部の件です。三好夏凜以外の四人が満開を使いました」

 

 暁葉は真っ直ぐに言い切った。一切偽ることなく。

 勇者たちが診察を受けた病院に行き、誰がどのような機能を失ったかも聞いている。結城友奈は味覚を、東郷美森は片耳の聴力を、犬吠埼風は左眼の視力、そして犬吠埼樹は声を失った。

 

「そっか。……うん、ありがとう教えてくれて」

 

 園子の反応は簡素なものだった。ただその事実を受け止めた。それ以上の反応もなく、一度目を閉じてから暁葉に改めて視線を送る。

 その視線は憂いを帯びていた。同じ勇者として、勇者部の現状を憂いているのだろうか。満開の説明はされど、散華の説明はされていないことに。

 

「辛いよね。あっきー(・・・・)

「……ぇ」

 

 しかし違った。園子は離れた地にいる勇者部のことではなく、今目の前にいる暁葉のことを憂いていた。

 その理由が分からない。暁葉何一つ失っていない。バーテックスの姿すら見たことがない。辛いのは勇者たちだ。まだ何も知らされていない彼女たちだ。そうだというのに、なぜ園子にそのような目で見られるのか。

 

「仮面付けてても分かるよ。あっきーの心」

 

 見透かせる……わけでもない。表情も見えない。だけど、暁葉が苦しんでいることは分かる。真面目過ぎるほどに真面目で、優しい心を持っていることを知っているから。勇者たちの近くにいて、それでいて何もできないことに苦しんでいるのだと。

 体を動かせたらいいのに。

 せめて腕だけでも動かせたらいいのに。

 叶わない願いだと知っていても、望まずにはいられない。

 

 だから──自分にできるだけのことはしよう。

 

「あっきー、横に来て」

 

 囁くように柔らかな声で呼ぶ。

 

「ベッドに上がって。私のすぐ隣に来て」

 

 全てを優しく包み込むような表情。慈愛に満ちた声色。惹かれてしまう瞳。

 魅了されてしまう。押さえ込んだはずの自分(・・)を見てくるから。心が揺らぎ、引き込まれそうになる。

 

「それは……」

 

 脳が警告を鳴らす。個性を押し殺す理性が、それはいけないのだと止めに入る。この指示を聞いてしまったら、戻れなくなると。今までの関係が確実に崩れるのだと。

 これまでの関係を壊すのか? 自分を崩してしまうのか? 固く決断し、築き上げてきた自分を。

 

「あっきー。休むことも大切なんよ?」

 

 園子という引力に逆らえなかった。その言葉がダメ押しとなり、暁葉は園子の右隣に座る。鼓動が速くなるが、それもどこか他人事のように思えた。今が現実だという認識が薄れる。

 

「私の右手を握って」

 

 言われた通りに園子の右手を左手で包み込む。マシュマロのやうに柔らかく滑らかな肌。しっとりとしていて、離したくなくなる。指の腹や手のひらで皮が固くなっている部分もある。勇者として活動していた際、武器を振るい固くなった部分だ。

 

「肩に頭を乗せて」

 

 催眠術にかかっているように、暁葉は園子の指示に従い続けた。園子の肩に頭を乗せる。園子に寄りかかる状態になってしまうが、園子は何も言わなかった。自然と暁葉は瞼が重くなってくる。

 

「ぎゅーってしてあげられたら良かったんだけどね〜」

「いえ、そのような……」

「ふふっ、今日はゆっくり休んでいいんよ。お昼寝しよ」

 

 その言葉に何も返すことができず、暁葉は押し寄せる睡魔に抗えずに眠りについた。暁葉自身が気づけていなかった心労。かなたも気づきはしたが状況からして手を打てず、園子に任せることにしたこと。それにすぐに気づいた園子は、暁葉を休ませることにしたのだ。僅かながらに役得だと思いもあるが。

 

「おやすみ、あっきー」

 

 

 

 

 

 



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10話

 

 学生たちにとって一番嬉しい休みは、おそらく夏休みだろう。1ヶ月は学校に行かず遊び回れる期間。当然夏休みの宿題があるわけだが、それでも浮足立つのも当然だ。夏といえば祭り、プールや海、キャンプなどなど。数多くの楽しみがあり、家族と過ごす時間も多くなるだろう。お盆には親の実家に帰省する。そんな家庭も多い。

 部活動によっては、夏休みであろうと練習がある。運動部では当たり前のようにそれがあるわけだが、凛が所属する新聞部ではそうはならない。夏休みの課題として、「記事にするネタを探しておくように」というものがある程度だ。そのため、凛も夏休みのほとんどを実家で過ごすことにしている。そして園子の下へとほぼ毎日足を運んでいる。

 

「夏休みは宿題も多いでしょ? 来てくれるのは嬉しいけど、ほどほどにね〜」

 

 そしたら見事に釘を刺された。しかし役目は何一つ変わっていないのだ。園子と会話をする役目はそのまま。それが建前であり、本音は別にあった。

 

「園子様と過ごしていると落ち着けるのです。他の事をするにも効率が上がります」

「もう〜。それなら午前中は宿題とかして、午後からこっちに来ること。それが守れないなら、日数制限付けるからね?」

「かしこまりました」

 

 そんなやり取りを経て、凛は午前中に夏休みの宿題を片付けていった。出されている宿題で悩む箇所もなく、もはや作業のようにこなしていったため、お盆になる前には自由研究以外終わっていた。これには園子も苦笑したが、やることがなくなったのなら仕方ないとして、午前からでも大赦に来ていいと許可を出した。

 園子と昼寝をしたあの日以降。凛にはたしかな変化が生じた。言動には目立った変化はないのだが、本人を纏うその雰囲気が軟化したのだ。

 ただし、園子か上里家の人間といる時限定で。

 

「園子様。明後日から一泊二日で部活動の合宿がございます」

「そうなの? 新聞部の合宿って何するの?」

「私にも分かりません。『楽しみにしとけ』と言われたので」

「そっか〜。じゃあ今度その話してね?」

「心得ております」

 

 行っていいとも行くなとも言われない。学校を優先するように予め言われているからだ。合宿があるのなら、当然そちらを優先すればいい。園子に許可を求める案件ではないのだ。帰り際に「行ってらっしゃ〜い」とは言われたが。

 

 

「何をボーッとしてんだ下田。暑さにやられたか?」

「それはいけない。今すぐ日陰に押し込めて氷漬けにしよう」

「暑さにやられたわけではありませんし、むしろ先輩方の方が、暑さで思考がおかしくなられたのではないかと疑ってしまいます」

「ハッハッハ! 言うようになったな! だが大事を取って日陰にいろ」

 

 部長の川崎に背中を強く押され、凛はピーチパラソル(・・・・・・・)の影に送り込まれた。そこには副部長の田上と二年生の結美もいる。スポーツドリンクとクールタオルをすぐさま渡された。大袈裟だと思いつつ、夏の暑さは警戒するに越したことはない。大人しく受け取る。

 

「凛って暑さに弱そうだよね」

「そうですか? 自分では強くもなく弱くもないと思っているのですが」

「平均以下じゃない?」

「私もそんな印象があるわね」

 

 少しショックを受けた。たしかに運動部のような活発な印象はないと自覚しているが、まさか平均以下と思われているとは。これでも凛は体育テストで上位20%以内の成績は取っているのだ。

 たしかに、体育テストの結果が分かったときに意外だと口々に言われていた。予想以上ということだろうと受け取っていたのだが、あれも体力がないと思われていたということか。内心でぼやきつつ、貰っているスポーツドリンクで喉を潤す。

 

「ところで、合宿ですよね?」

「合宿だよ?」

「なぜ海なのですか?」

「あら、川崎から聞いてないの?」

 

 団扇で風を作りながら田上が聞いてくる。

 

「楽しみにしとけと言われました」

「はぁ。あのバカは……」

 

 片手で目を覆い俯く田上。団扇を動かしていた手も止まっている。あの部長はこういった説明ごと省略しがちだ。しかし、まさか自分から伝えておくと断っておいてその説明とは思わなかった。田上は無言のまま団扇をその場に起き、離れたところではしゃいでいる川崎の下へと歩いていった。

 

「先輩も大変だな〜」

「それで、この合宿はどういうものなのですか?」

「取材だよ。今夜泊まる旅館の取材をするの。あと、宣伝する代わりに割引してもらってるんだよね」

「なるほど」

 

 それで割り引いてもらえるとは、なんとも懐の深い旅館だ。どの旅館かも聞いていないのだが、それはまぁいいか。今日遊んでいるということは、細かな取材は明日行うということなのだから。

 さて、これからどうしようか。熱い砂浜の上で正座させられ、説教を受けている部長を眺めつつ考える。思い返してみても、海で遊んだ記憶がほとんどない。幼少期に遊びに来たが、その時もかなたに引っ張られていた。自分でどうにかしろと投げられても分からない。

 なかなか答えが出ないでいると、横から結美が覗き込む形で視界に入ってくる。

 

「どうかされました?」

「それはこっちの台詞。何か考え込んでるっぽかったから」

 

 表情に出ていたのだろうか。そんな分かりやすい人間でもないはずだ。ポーカーフェイスだって習得しているというのに。

 しかしその真相は教えてもらえない。結美は楽しそうに微笑んでいるだけだ。

 

「……これからどうしようか悩んでいただけですよ。海で何をしたらいいか分からないので」

「なるほどね〜。それならお姉さん()が教えてあげる」

「達?」

 

 その言い方に引っかかりを感じる。三年生たちも含めて何かをするということではないはず。説教が終わった途端、部長の川崎が全力疾走でどこかへと走り去って行ったのだから。ちなみに副部長の田上も目を鋭くして追いかけていった。唯一残された三年生の大田は、近くにいたちびっ子と砂で遊んでいる。

 この状況でなぜ複数形が使われたのか。その答えは後ろから現れた。

 

「結美ちゃんお待たせ〜!」

「おっはよー! 友奈(・・)!」

「!?」

 

 その名前に驚いて振り返ると、たしかにそこには友奈がいた。友奈だけでなく、水陸両用の車椅子に乗っている美森もいる。さらには犬吠埼姉妹と夏凜。つまり、勇者部全員だ。

 

「凛くんも久しぶりね」

「ご無沙汰しております」

『下田くんはなんで?』

「新聞部の合宿だそうです。今夜泊まる宿の取材をするんだとか」

 

 美森に挨拶を返し、樹の疑問にも答える。言い方が他人事のようになっているのは仕方がない。凛だって先程知ったばかりなのだから。

 

「あんたらって真面目に活動してたのね」

「部長の印象が足を引っ張ってるだけですよ〜」

 

 感心する風に勇者部から冷ややかな視線が集まる。なんとも居た堪れなくなるのだが、結美が言ったとおり部長の印象が悪影響なのだ。それはほとんどの三年生が共通している認識であり、その誤解を解くことは諦めている。

 

「ところで三年生組はどうしたのよ。もしかして二人は荷物番とか?」

 

 少し声のトーンを落として風が聞く。後輩を置いて遊んでいるようなら、同じ最高学年として口を出そうと思ったから。

 

「そうじゃないですよ。部長はどこかに走り去って行って、副部長が鬼の形相で追いかけてます。大田先輩ならあっちでちびっ子たちと遊んでます。それで、私達は何しようか考えつつ、勇者部の到着を待ってました」

「川崎のやつはナンパでしょうね。田上が止めに行って、大田はそこか。てか、アタシらが来ること分かってたの?」

「新聞部で海に行くことを友奈に話したら、勇者部も来るって教えてくれたんです」

「なるほど」

 

 照れくさそうにピースする友奈。誰も褒めていないのだが、結美もピースで返す。波長が合うらしい。

 

「さてと、アタシらも準備したら各々自由に遊びますか! 夏凜。設営任せたわよ」

「手伝いなさいよ!」

「アタシには使命があるのよ」

 

 真剣な眼差しで重々しくそう話す風。その様子に夏凜も空気を重くした。知らされていないだけで、風には何かやらないといけない事があるのだと認知したから。

 

「その使命って?」

 

 今まで隠されていたのはいい。しかし、この場でその使命の事を話したのなら、もう隠す必要が無いということだ。だから夏凜はその内容を聞いた。念の為、もしもの時には対応できるように。

 

「かき氷よ」

「………………は?」

「かき氷よかき氷! 海といえば海の家! 夏といえばかき氷! これを買わずしてなんとする!!」

「知らないわよ! 買わなくても誰も怒らんわ!」

 

 心配して損した感情を全てツッコミへと変える。妹である樹ですら流しているのに、夏凜はボケを見逃さない。そのキレたるや勇者部で重宝されるとか。

 

『お姉ちゃん私メロン味で』

「樹もかい!」

 

 ある意味裏切りだった。

 

「任せなさい! 行くわよ凛」

「え?」

 

 腕を掴まれて連行される凛。問題ないのかと結美に視線を送るも、笑顔で手を振られるだけ。別に連行されてもいいらしい。何よりも、三年生たちが自由に過ごしているのだ。部単位の集団行動など既に崩壊している。

 ちなみに樹にはスケッチブックで『お姉ちゃんがごめんね』と謝罪をもらった。それを見た凛は、書く速度が格段に速くなっているなと軽く現実逃避した。

 

「さ、海の家に行くわよー!」

「すぐそこですけどね」

「こういうのはテンションが大事なのよ。全部理屈で処理してたらつまらないし、何より疲れるじゃない」

 

 アタシそういうの苦手なのよねーと呟く風の横で、凛はそういう事かと理解した。園子が凛のことを「辛そう」だと感じた理由。それは凛がずっと理屈で生きてきたから。

 学校に溶け込むためには、理屈だけで生活するわけにはいかない。その調整をした結果、勇者部の境遇を感情面でも捉えた。膨らんでいくそれを理屈で抑え込んでいたわけだが、一度感情で捉えてしまったら無視できない。自分の感情を自分の理屈で抑え込むことは、まだ子供の凛では完璧にはできない。だから園子は、凛に休める場を作ったのだ。

 

「ありがとうね。凛」

「何がですか?」

 

 突然の感謝の言葉に、それまでの思考を止められる。少し遅れて返したが怪しまれない程度だ。風は一度眼帯に触れて話を続ける。

 

「樹のことよ。樹にノートを見せたり、テスト前でも勉強を教えてくれたり。音楽のテストの時も、樹のために時間を作ってくれたんでしょ?」

「音楽のテストの時は、私も先生に言われていた課題があったので。彼女に声をかけたのも、自分一人で練習するのも忍びなかっただけです」

「それが凛の優しさってわけよ。あの子、朝弱いのに自分で頑張って起きてたんだから。最後の二日くらいだけど」

 

 それ以外は全部風が起こしていたらしい。そして今でも風が起こすことの方が多いのだとか。自分で起きられる頻度が増えたことは、素直に成長だと捉えていいのだろう。

 

「それに、声が出なくなってからもサポートしてくれてるって聞いてるわ」

「ほとんどは彼女の友人がやっています。席が近いのもあって、必要な時に代弁してるんです」

「それで十分よ。本当に、樹の友達でいてくれてありがとう」

「いえ……」

 

 うまく言葉を返せなかった。そこまで感謝される程のことをした覚えがないのだから。それらの言葉は、いつも樹と一緒にいる女子たちにかけられるべきではないのか。そんな事すら考えてしまう。

 

「ただーし! 樹に手を出したら容赦しないわよ!」

「ご心配なく。その気はないので」

「何をー! 樹に魅力がないとでも言いたいわけー!?」

「そういう事ではなくてですね」

 

 腕を首に回され、髪をクシャクシャと雑に撫でられる。ノリが完全に酔っ払いのそれで、凛はされるがままになっていた。この手の正当な対処法を知らないのだ。

 

「で、誰の水着がよかった?」

「何の話ですか?」

 

 耳元で囁かれた瞬間、凛は半眼になって風に冷ややかに見つめる。どこまでが真面目なのか分からないが、この会話も一応真面目にしているらしい。真面目に巫山戯ている。

 

「隠さなくてもいいのよ。誰にも話さないから。ちなみにアタシは樹ね」

「知ってました。むしろそこで自分に票を入れなかったことに驚きです」

「選挙違反でしょ」

「選挙でしたか」

 

 風の思考についていけない。園子も園子で話が飛び飛びなのだが(実は繋がっている、らしい)、風は園子とまた少し違うタイプだ。いくら園子に慣れていると言っても、それを活かせるような柔軟性はまだ持ってない。オウム返しで手一杯である。

 

「それで、誰だった? スポーティな夏凜か。イメージを崩さない友奈か。スタイルに合わせた結美か。My Angel樹か。東郷のメガロポリス(悩殺巨乳)か」

「一人だけおかしくないですか?」

「気のせいよ。ちなみに田上を入れなかったのは、アタシがまだ田上の水着姿を見ていないからよ」

「それは聞いてないです」

 

 副部長こと田上は風と同じタイプの水着なのだが、それは口にしないでおいた。何か面倒な予感がしたから。

 そんな凛にお構いなしに絡む風。かき氷を買い求める人たちの列に並んでいる間が暇なのだ。

 答えに困っている凛に、思わぬ助け舟を出したのも原因たる風だった。

 

「それともアレか。もう既に気になる相手でもできたか! もしくは彼女!」

「彼女ではないです」

「ほほう? 今はその子のことが気になっているわけねー?」

「そういうわけでも……」

 

 ない、その二文字が続かなかった。続けることができなかった。言おうとした途端胸が苦しくなったから。たとえ嘘であっても、それは口にしてはいけないのだと心が叫んだ。

 その苦しみが何なのか分からない。なぜ苦しいのかも分からない。ただ、たとえ苦しくても、大切にしないといけない気がした。

 それを見た風は、それまでの雰囲気をコロっと変えた。凛の拘束を解き、ぽんぽんと優しく頭を撫でる。

 

「その子と今みたいに海に来る事があったら、ちゃんと褒めてあげなさい。恥ずかしくても伝えること。そして、大切にしてあげること。いいわね?」

「……はい」

 

 もし一緒に海に来ることがあったら。それが夏だったら、やはり水着なのだろうか。どういうタイプでも似合いそうだ。

 そこまで考えた凛は、急に暑くなってきたなと思った。日差しが強くなったのだろうか。近くに鉄板があってそこで何かを焼いている、というわけでもない。鉄板での焼き物は建物の奥で行われている。

 

「初々しいわね〜」

「何がですか?」

「分からなくてもいいの! はいこれ! 樹のお礼と今買いだしに付き合ってくれたお礼よ」

「ありがとうございます。いただきます」

 

 渡されたかき氷はイチゴ味。そのシロップの色と今の凛の顔は同じ色なのだが、凛がそれに気づくことはできなかった。

 樹に頼まれたメロン味も買い、風自身が食べるブルーハワイ味のかき氷も買った。二人で戻って行こうとしたところで、部長の川崎と遭遇。

 

「下田はかき氷を買ったのか。そうやって適当に満喫してていいぞぉ!? 犬吠埼!? 犬吠埼が……下田と……なんでだ!!」

「川崎先輩?」

 

 凛の隣にいる風に気付いた途端、川崎は膝から崩れ落ちて砂浜を何度も殴りつける。跳ね返った砂が目に入りそうになっている。これは危ない。そう思ったが、実はちゃっかり目を閉じて殴っている。安心だ。

 とりあえず止めようかと凛が声をかける寸前。川崎がガバッと顔を上げた。これには思わず凛もびっくりする。かき氷は落ちなかった。

 

「犬吠埼が海にいるということは……! やはり水着ぶはぁっ!!」

「あ、鼻血。しかも気を失って……」

「戻るわよ凛」

 

 軽い調子で風が声をかける。まるで手慣れているような対応だ。

 

「え、でも」

「田上がこっちに走ってきてるし、回収してくれるわよ」

 

 言うやいなや風は本当に戻っていった。凛は川崎のことを気にしつつ、風の背を追うのだった。

 

 

 





 次回も合宿話です。


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11話

 

 海で遊び終えた一向は、宿泊する宿にチェックインした。勇者部が泊まる宿と新聞部が泊まる宿が一緒なわけだが、グレードは勇者部の方が上になる。元々質の高い旅館なため、新聞部が泊まる部屋も食事も十分豪華なものと言える。

 勇者部が最高グレードのプランで宿泊できるのは、12体のバーテックスを倒したから。それは極秘裏に行われたものであり、知っているのは勇者部と大赦の関係者。つまり、大赦の一員である凛のみ。大赦に縁のあるこの旅館だが、勇者のことは伏せられている。最高のもてなしをする事を指示されているだけだ。

 

「納得がいかん」

「お前まだ言ってるのか……」

「だって下田が犬吠埼と買い物してたんだぞ!」

「かき氷を買っただけですけどね」

 

 温泉に浸かりながら部長に事実を伝える。頭では理解していても、心では納得できない。そんな状態らしい。半分近くはこれをネタにしているだけだが。

 

「下田をどうしたものか……」

「どうもするな」

「決めた! ここは合宿らしく先輩の背中を流せ!」

 

 そう言って湯船から部長の川崎が上がる。やれやれと首を横に振った大田が、凛に指で指示を出した。とりあえずは付き合ってやれということらしい。

 凛も湯船から上がって川崎の下へ。近づいたらすぐに物を渡されたわけだが、それを見て困惑する。

 

「川崎部長」

「どうした下田後輩」

「これたわし(・・・)なのですが」

「ツッコミが緩い!」

 

 たわしを回収し、今度はタオルを渡す。大したハプニングもなく背中を流し終え、再び湯船に。先輩後輩のこうしたやり取りをやってみたかった川崎は、これで気を良くした。

 ふと壁を見る。木の板の壁を隠すように岩のレリーフがある壁。その向こうが女子風呂なわけだが、残念ながら向こうから声が漏れてくることはない。騒がなければ聞こえないのだ。だが合宿で温泉となればこの男が動かないわけがない。

 

「覗きを決行する!」

「通報すればいいのでしょうか?」

「慈悲も夢もねぇな!」

「そんなことするからお前は彼女ができないんだ」

「なっ……! 大田お前……!」

 

 ショックを受けて打ちひしがれる川崎。それを放置して大田と凛は浴場を後にした。夕食時に田上と結美の視線が冷たかったあたり、覗きを決行したのか、会話が聞かれていたかのどちらかだと考えられる。凛は真相を聞かないことにしておいた。

 部屋へと戻ると食事が用意されており、凛は大田と雑談しながら川崎と女子二人を待つ。話は日中に海で遊んでいたこと。大田が東郷と二人で砂を使って本格的な城を作ったり。田上が風と夏凜の競泳に混ざり接戦を繰り広げたり。スイカ割りで川崎がどう誤ったのか自分の足を叩きつけたり。新聞部vs勇者部でビーチバレーしたり。

 

「お前が遠藤に人工呼吸されたりな」

「その話は止めましょう」

「カナヅチだったのか?」

「いえ。海藻に足を取られただけです」

「何がどうなってそうなった」

 

 友奈が考案した『東郷さんが喜ぶものを海中から取った人が勝ち』という遊びをした後。凛は結美と海中散策をしていた。息づきのために地面を蹴って浮上しようとした際に、なんの因果か海藻が凛を逃すまいと足に絡みついたのだ。

 それにいち早く気づいたのは、一緒に海中散策をしていた結美。結美も息つぎのために浮上しなければならず、一旦海上に出てからすぐに潜ったのだが、その時には凛の意識が飛んでいたのだ。浜辺に引き上げてからすぐに心臓マッサージと人工呼吸を繰り返し、他の人が気づいてAEDを持ってこようとした時、凛が目を覚ましたというわけだ。

 

「漫画の世界でもなかなか無い体験をしたな」

「したくなかった体験ですけどね」

「そりゃそうだ」

「ただいま〜」

 

 二人で苦笑していると、話していた結美が部屋に入ってくる。田上も一緒だ。女子二人は本来別部屋なのだが、食事の時だけ同室にさせてもらっている。

 なんの話していたか聞かれるが、それは内緒にすることに。表情を変えず、目だけで必死に大田に訴えて合わせてもらった。それから数分もせずに川崎も部屋に戻り、五人で食事を取り始めた。

 

「あ、そうだ。凛は後であたしとお出かけね」

「どこにですか?」

「部内恋愛は推奨だぞ!」

「そういうのじゃないです。勇者部の部屋にお邪魔するんです」

「え、ズルい」

 

 心の声を隠すことなく抗議しだす川崎。それを三年生組が黙らせるまでがワンセットだ。巫山戯て言う時もあるのだが、今回は本当に羨ましいらしい。

 

「どういう経緯でそうなったんですか?」

「さっき一緒に温泉入ってるときに、友奈からお誘いを受けたんだよね。他の部員の人もOKくれたし、これは行かないとな〜って」

「それでなぜ私まで?」

「風先輩からのご指名だよ。なんか気に入られるみたいだね」

 

 風からの使命とあり川崎がまた騒ぎ出す。今度は他の三年生が左右から体を抑え込んで沈めていた。目の前で繰り広げられる騒動をよそに、凛はそれなら仕方ないかと首を縦に振る。

 風には何かと気にかけられている。新聞部が休みの日で、勇者部も特に活動がない日にうどんを奢ってもらったりしているのだ。家に呼ばれて夕食をご馳走になることもしばしば。火に油を注ぎたくないため黙っているが。

 ともかく、日頃から世話になっている風に呼ばれたのだ。行かないという選択肢はない。

 

「そんなわけで呼んできたよー!」

「いらっしゃーい!」

 

 部屋に入った途端結美と友奈が手を取り合ってはしゃぐ。凛の想像を上回る仲の良さだ。とりあえず扉を閉め、手招く風の側に。

 

「風先輩に呼ばれたと聞いたのですが、何か御用ですか?」

「別に大した用でもないわよ。せっかくだし、結美だけじゃなくて凛も呼んでみようかなーってだけ」

『迷惑だった?』

「別に迷惑だとは思っていませんよ。少し部長が賑やかになっただけです」

「そうなったか〜」

 

 予想できていた。そんな具合に苦笑する風。勇者部は三年生が風だけだ。新聞部との接点としても、風が一番多い。だからこそ、ある程度予想ができるのだ。

 

「それじゃあ、みんなで適当に遊びましょうか」

「はいはい! トランプ持ってきました!」

「でかした友奈!」

 

 全員で輪を作り、友奈がカードを配る。これから大富豪で遊ぶことになったのだが、ここで一つ問題が出た。

 

「え。凛知らないの?」

「ババ抜きとか7並べとかなら知ってますが、大富豪は知らないですね」

「それなら結美とペア組んで。夏凜は知ってる?」

「私は知ってるわよ」

「なら問題ないわね」

 

 凛のカードを分配し直し、大富豪を始める。トランプゲームのほとんどは声を出さなくていいため、声を失っている樹も混ざって遊ぶことができる。友奈はその辺りも配慮しているのだろう。

 横文字のものは避けている東郷なのだが、戦略的にカードを出していくそのプレイスタイルは強かった。想定外のことには弱いようだが、それを狙ってできるプレイヤーがこの場にはいなかった。

 トランプゲームも程々に終わると雑談が始まったのだが、所謂女子トーク……にはならなかった。

 

「やはりここは国防──」

「それはまた今度ね〜」

「というか、気になる相手がいる人っているの?」

 

 結美の言葉に全員が目を逸らす。凛は勇者部の面々に浮いた話がないことに、意外だとキョトンとする。友奈は誰からも親しまれやすい。その手の話が多くても不思議ではない。そしてそれは風にも言えたこと。それなのに誰もその手の話がないのは、何とも意外なのだ。それに気付いた結美がクスッと笑い、凛にこっそり耳打ち。

 

「友奈は東郷ガードがあるし、夏凜はまだ転入してから浅いからね」

「犬吠埼先輩は?」

 

 風はどうなのかと結美に聞き返すも、その答えが返ってくる前に当の風が不敵な笑いを溢した。

 

「あんたら花の女子中学生が浮いた話の一つもないだなんて。なんと嘆かわしいことか!」

「そういう風はどうなのよ」

「あるわよ」

「……はぁっ!?」

 

 どうせ無いだろうとタカを括っていた夏凜は、予想と正反対の返しに驚愕する。友奈と美森も目を丸くしているのだが、妹の樹だけ呆れている。結美も内容を知っているのか、ニヤニヤと風の言葉を待った。

 

「アタシがチアをやったことがあってね。その時にアタシの魅力に落とされた男子がいたのよ。もちろん告白もされたわ」

「それで、どうしたのよ」

 

 夏凜が固唾を飲んで先を促す。

 

「断ったわよ。同年代でも男子たちが年下に見えるというか。そいつ、他の男子もだけどエッチなサイト調べたりしててね〜」

「凛は?」

「そういうサイトがあることを今知りました。興味もないですが」

「なんてピュアな子! そのまま育ちなさい!」

 

 樹が素早くスケッチブックに何やら文字を書いていく。

 

『阿田和くんってそういう話しないの?』

「彼はあれでいてその手の話を嫌いますよ。下着までがセーフらしいです」

「変態紳士だね!」

「結城先輩。それ彼には言わないであげてください」

「ほぇ?」

 

 友奈はなんでか分からないようだが、わざわざ説明しようとも思わない。分からないままでいて、そして言わないであげてほしい。言ったら阿田和は灰になる。不気味にほくそ笑む美森にも、夏凜が釘を差していた。

 

「ま、アタシに告ってきたの、あんたらの部長なんだけどね」

「あっはっは! ですよねー! 予想通りです!」

「だから川崎先輩ってあんなに荒ぶってたんですね」

「あいつに関しては、灯台下暗しってだけなんだけどね」

 

 どういう意味か結美は理解し、凛はさっぱり理解できなかった。

 一旦話が途切れたところで、夏凜が首を傾げながら凛を見つめる。何かが引っかかるようで、美森が声をかけた。

 

「夏凜ちゃん。下田くんがどうかしたの?」

「おっ、青春ですかな」

「そうじゃないわよ風。……どこかで……」

「マンションではないでしょうか? 同じマンションに住んでますから」

 

 凛が記憶している限り、夏凜と大赦で出会った覚えはない。仮面をしているため、出会っていてもそれが凛だと分かることもないのだが、出会っていれば声で分かるだろう。だがそれはもしもの話。大赦で一度も会ったことはない。一応念を入れて、中学生活でしか接点がないと主張した。

 

「あっ! 二つ隣だったわね!」

「二人って家近いんだね!」

「むしろよく忘れてたわね夏凜!」

「全然会わないんだから仕方ないじゃない」

 

 バツが悪そうにそっぽを向く。凛は気にしていないことを伝え、そろそろ部屋に戻った方がいいのではないかと結美に声をかける。

 

『あ、その前に一ついいですか?』

「なんでしょう?」

『タロット占いをしてみませんか?』

 

 事前に準備していたのだろう。スケッチブックをめくるだけで、その誘いの文章が現れた。その準備を反故にすることもできず、結美に許可をもらって樹のタロットを占いを受けることに。クラスでも少し話題だ。樹のタロット占いは当たりやすいと。

 

『好きなカードを一つ選んでください』

 

 タロットカードでの占い方はいくつかの種類がある。今回は簡単な方法として、カードを一枚選ぶだけ。凛は樹がバラけさせたカードの中から一枚選ぶ。

 描かれているのは、獅子と共にいる人間が一人。これがどういうカードなのか分からない。樹の解説を待つのだが、書く時間が発生……することはなかった。鞄から取り出されたスケッチブックには、表紙に『占い用』と書かれている。いつでもできるように準備していたようだ。

 

『力のカードの正位置。困難が起きても、強い意志を示し続けることで乗り越えられるでしょう。大切なのは、強い心を持って行動に移すことです』

「なるほど。ありがとうございます犬吠埼さん」

『できることは手伝うよ。協力しちゃいけない、なんてことはないから』

「困ったら勇者部に来なさい。力になるわよ!」

「分かりました。その時にはお世話になりますね」

 

 部屋に戻っては川崎に部屋で何をしたのかを根掘り葉掘り聞かれ、それが終わるとすぐに就寝した。翌日には予定通り、宿の従業員たちに取材し、午後には合宿を終えたのだった。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

 

 合宿を終えた暁葉は、新聞部と途中で別れて大赦へ。夏休みの残りのほとんどを、実家で過ごす決めている。そして実家から大赦はまだ近いため、合宿終わりでも大赦に行けるのだ。

 仮面や制服は用意してなかったが、使用人に頼んで持ってきてもらった。車の中で制服に着替え、到着すれば仮面をつけて建物の中へ。

 

「もう〜。合宿終わりなら家で休んだらいいのに」

「合宿の話をするというお約束でしたので。それに、疲れが出るような合宿ではありませんから」

「頑固だね〜。まぁでも、合宿楽しかったみたいだし、大目に見てあげようかな」

「ありがとうございます」

 

 暁葉は合宿での出来事を話した。一日目は海で遊んだことを。宿は勇者部と同じだったこと。二日目には部活動を行ったことも。唯一、海で溺れたという一件だけは話さなかった。それは話さない方がいいのだと、直感が告げたから。

 

「海いいな〜。私がミノさんとわっしーと海に行った時は、勇者の訓練をするための合宿だったから遊べてないんよ。プールでは遊んだけど」

「そうだったのですか」

「うん。たぶん泊まった宿も一緒じゃないかな」

 

 勇者をもてなす宿として指定されているのだろうか。園子の口から告げられた宿の名前は、たしかに暁葉たちが泊まった宿の名前と一致していた。

 図らずして園子が宿泊した宿と同じ。そんな偶然がちょっぴり嬉しい暁葉。下田凛を知っている人が今の暁葉を見たら、さぞや驚くだろう。

 

「園子様」

「なーに?」

「来年は、一緒に海に行きませんか?」

 

 暁葉の誘いに僅かに口が開く。閉じた時には口角が上がっていた。暁葉が誘ってきたことへの驚き。誘ってくれたことへの喜び。そして、自分から誘えなかった僅かな寂しさ。いくつもの感情が混ざったが、最終的には喜び一色に染まる。

 

「それってデートのお誘いかな?」

「え……!?」

「あれ? 違ったの? 私はてっきり、あっきーと二人で行くのかなって思ったんだけどな〜」

「うっ……」

 

 誘ってくれたのは嬉しい。だが、それはそれとして暁葉は揶揄いたい。悪戯心に従い、園子は暁葉を追い詰めていく。暁葉が期待通りに反応するため、揶揄いがいがあるのだ。

 

「ふふっ、じょうだ──」

「デートです」

「へ?」

「来年。園子様と海でデートするお誘いで相違ないです」

「ぇ……そ、うなんだ……」

 

 思わぬ反撃を食らった。自分で言うには問題ないのだが、暁葉に面向かって言われると固まってしまう。不意打ちということもあったのだが、改めて想像するとなんだか照れくさい。

 それでも、楽しみができるのは良いことだと割り切る。すぐに冷静さを戻し、暁葉に一つ真面目な話を振った。

 

「あっきー。一つお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」

「もちろんでございます。園子様のお願いとあらば、お断りしません」

「ありがとう。それでね──」

 

 先輩勇者として、一つやっておきたいことがあるのだ。

 

(あっきーが隠してることは、また今度にしてあげようかな)

 

 



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12話

 一部、原作をなぞってるだけの部分もありますがお見逃しくだされ。今回は必要なんです。


 

 赤い夕日に染まる空。

 空を映して赤く染まる海。

 それを背景にする二人。

 一人は地面にうつ伏せに。

 もう一人はそれを見下ろして。

 

 赤く染まる地。

 微かな力で震えながらも進もうとする人。

 見下ろすその人は手に持つそれを振り下ろして──

 

 

 

 

 

「はァッ……!! っく……はっ、はぁっ…………ゆめ……?」

 

 

 


 

 

 夏休みも終わり、学校が始まった。2学期ではすぐに文化祭があり、文化祭委員を中心に準備が始まる。クラスの出し物はどうするのか。まずはそこから。

 少しドタバタする時期だが、生徒たちはそれを楽しんでいる。そんな日々を送る週末でも、暁葉は変わらず園子の下へと足を運んでいた。文化祭がもっと近づけば、園子も止めたかもしれない。しかし、今日はそうならなかっただろう。暁葉にした頼みごと。それを行う日なのだから。

 

「おはようあっきー。ごめんね、忙しい時に来てもらって」

「お気になさらず。成績に響くわけでもありませんし、まだ本格的に忙しくなる時期でもありませんから」

 

 あと2週間もすれば忙しい日々になるのだろう。文化祭当日に新聞部での活動はない。せいぜい校内新聞用のネタを探すくらいだ。そのため暁葉はクラスの手伝いに集中できるわけだが、その出番もまだ先だ。

 

「一応神託を加味してるんだけど、もしかしたは日にちがズレるかも」

「そうなりましたら、しばらく学校を休みますよ。園子様の要望が優先です」

「あはは、複雑だな〜」

 

 そう言ってもらえるのは嬉しいのだが、学校を休ませることになったら申し訳ないので。予測とズレなければ問題ないのだが、そこは相手の出方次第だ。もっとも、それをより精確に予期するために、神託が聞ける巫女を呼んでいるわけだが。

 

「よろしくね、かなりん」

「神託を聞くのを、私達巫女の意志で決められるわけではないのだけどね。あくまで神樹様からの一方通行よ」

「それでも十分だよ」

 

 そう言っておきながら、心中では信じているのだろう。その事が表情からありありと伝わってくる。かなたは困ったようにため息を溢し、暁葉に視線を向ける。

 

「暁葉、その時が来たら園子様のことをお願いね」

「心得ております。それはそうと、かなりんとはかなた姉さんのことだったんですね」

「知らなかったの?」

「あっきーは鈍感だな〜」

 

 知らなかったわけではない。もしかしたらそうなのだろう、という予測もしていた。ただ、かなたがそういうあだ名を付けられる印象がなかっただけだ。暁葉にとっては、普段のしっかりとした印象が強いため、違和感が生じてしまっていた。だから一致させたくなかった。そんな思いも生まれ、合致させることを避けていた。

 そんな言い訳じみたことを言うこともせず、暁葉は二人の視線をただ受け止めた。

 

「そういえば聞いたよ〜かなりん」

「何を?」

「巫女の間であっきーの人気が上がってるって」

「なんで知って……! ぁ」

「なんですかその話は? 勝手にハードル上げられるのも困るのですが」

 

 仮面越しではあるが、暁葉から冷めた目が向けられていることをかなたは感じ取る。弟からそのような目で見られるのは初めての経験だ。心にざっくりと刺さるものがある。

 

「わざとじゃないのよ? 私もこんな事になるだなんて思ってなかったもの」

「何をしてそうなったのですか?」

「私が暁葉の話を少し(・・)しただけなのよ。そうしたら巫女の間で何故か株が上がっちゃって……」

「え〜? 私は熱弁してるって聞いたけどな〜」

 

 巫女たちに受けが良かっただけなのだろう。そんな風に落としたかった。かなたの狙い通り、暁葉もそう考えていた。それを園子の横槍が崩しさった。容赦なく、悪戯心に若干の敵意も込めて。

 

「園子ちゃん。何か怒ってない?」

「そんな事ないさ〜」

「真相はどうなのですか? かなた姉さん」

「……話をする回数は少ないのよ。まだ3回だけ」

 

 「まだ」と言っているあたり、本音ではもっと話がしたいのだろう。そのブラコンぶりに園子は苦笑いし、暁葉は額に手を押し当てた。自分を話題にするのは百歩譲って良しとするも、誇張されたら困る。そして頻度が増えていくのも面白くない。なにせ、初見の相手に自分のことを知られている、という状況になるのだから。むしろ怖いとすら言える。

 そしてもう一つ問題となる箇所がある。

 

「一回ごとにどれだけ話されてるのですか?」

 

 顔を逸らすかなた。暁葉はじっとかなたを見つめた。大赦の仮面は少し不気味なことで知られている。慣れてはいても、それでずっと見つめられるのは落ち着かない。

 観念したかなたは重々しく口を開いた。そして衝撃の内容が告げられる。

 

「帰るまで」

「……それは平日の話でしょうか?」

「週末にもしたことがあるわね」

「1日中ですか?」

「うん」

 

 開き直ったのか、かなたは堂々と言い放った。週末に1日中ということは、少なくとも6時間は話をしたということになる。これは巫女の修行時間や祈祷の時間といった、巫女のみが行う特別な職務を省いての計算だ。

 しかし事実は暁葉の予想を上回っている。たしかに祈祷の時間は話をしていないが、修行時間も話に費やされている。修行と話を並行して行われていたのだ。さらに休憩時間にも話が続いているため、実際の時間は8時間ほどだ。これは公言しないように伏せていたはずだが、なぜ園子は知っているのだろうか。

 ちらっと園子に視線を向けるも、園子は笑顔を浮かべているだけ。園子から何かを読み取るのは、男子や大人が勇者になろうとするようなものだ。

 

「過ぎたことはどうしようもないですが……。かなた姉さん、その時に話を誇張しましたか?」

「それはないよ。だって暁葉を勘違いされるのは嫌だから」

「そうですか。では、今後は話そのものを控えてください」

「え? 時間を短縮──」

「控えてください」

「はい……」

 

 暁葉はこの程度で怒ることもないのだが、面倒事を増やしたいとも思わない。かなたにしっかりと釘を差し、かなたもそれに従った。暁葉に嫌われたくないから。

 だが、それはそれとして少し嬉しかった。暁葉とこうした軽い気持ちでやり取りができたことが。まだ昔のようにはいかない。もしかしたら二度とそうならないかもしれないが、それでも楽しめると分かったのだから。

 それは園子にも伝わった。二人が姉弟としてのやり取りをする。その光景が微笑ましい。

 

「園子ちゃん。今日だし、おそらくは夕暮れになると思うわ」

「それは神託?」

「最新の神託の分析と女の勘だよ」

「なら当たるね〜」

 

 何も根拠が無かったのだが、園子が言うには当たるらしい。暁葉は何一つ理解できないのだが、これが男女の違いなのかと落とし込むことにした。西暦に生きたとある学者は、この世の全てを解き明かしても女心は分からないといった旨の言葉を残したという。その学者ほどの学もないが、たしかにそうなのだろうと漠然と思う。

 三人で雑談すること数時間。昼食も挟み、その後も時間を潰しているとかなたが席を立った。

 

「そろそろなのかな?」

「私の勘が当たるのであれば」

「じゃあ取り敢えずは備えとくね」

「ええ。私はこれで」

 

 退出していくかなたを、暁葉は部屋の入り口まで見送った。園子とかなたの会話は時折暁葉の理解を超える。それが勇者関連だということまでは分かるが、知らされていることの少なさが足を引っ張った。

 何よりも、暁葉は園子のことをまだほとんど知らないのだ。20回の満開をしたことは知っている。精霊は勇者をサポートする存在。その数が増えれば自ずとできることが増える。園子の精霊の数は21体だ。そして、20回の満開は園子を神に近づけた。今の園子が何をできるのか。暁葉は何も知らない。

 

「あっきーこっちに寄って」

「はい」

 

 園子に呼ばれ、ベッドのすぐ隣に立つ。手を握っておくように言われ、暁葉は一言断ってから園子の手を握った。

 

「あっきーは樹海化を感知できないからね。その時が来たら、あっきーからしたら一瞬で状況が変わってると思う。できれば驚かないでね」

「それは可能ですが、何をするおつもりですか?」

「話そうかなって。あっきーは仮面で顔を隠せるけど、声で気づかれちゃうからね。申し訳ないけど黙っててね」

「かしこまりました」

 

 誰に、何を。それは聞かなかった。無粋というものだからであり、聞かずとも分かったからだ。元より暁葉が会話に混ざる余地もない。

 

「園子様」

「なーに?」

「園子様に言われた通り、私は勇者たちの味方でいるつもりです。そしてそれは園子様も含まれます」

「……ふふっ、ありがとうあっきー。そういうところ好きだよ」

「恐縮です」

 

 「好き」その言葉をかけられただけで、暁葉は胸が締め付けられる思いがした。苦しいのだが、それ以上に幸せに思えた。マゾヒストではないのに何故だろうと悩むのをよそに、分からなくてもいいんじゃないかと考えている。

 

「一つ意地悪な質問をするね」

 

 仮面の下で藻掻いていると、園子に質問を投げかけられた。その瞳は何を映しているのか。暁葉が読み取れるものは──。

 

「勇者部のみんなと、私。どっちかにしか味方できなかったら、あっきーはどうする?」

 

 自分で言っておきながら質が悪いと思った。自ら「勇者部の味方をするように」と言っておいて、このような質問をするのだから。そして、内心では暁葉の口から告げられる内容に期待している。

 

「園子様を優先します。他の誰よりも」

「……かなりんよりも?」

「はい」

 

 どちらも即答だった。肉親であるかなたよりも園子を優先する。その言葉に迷いはなく、その声は力強いものだった。

 

「それは……仕事だから?」

分かりません(・・・・・・)。この選択に偽りはないのですが、それがどういう考えなのか自分にも分かりません」

「……そっか。それじゃあそれは宿題ね」

「はい」

 

 全て隠すことなく正直に答えてくれる。それは喜ばしいことなのだが、同時に残酷なことでもある。仕事の一環としてそう答えた可能性があるということなのだから。真相は分からない。確かめようがない。

 それよりも、どうして自分はそんなに気にしているのだろうか。ふと浮かんだ疑問。それの答えを考えている間に、園子は異変に気付いた。

 

「始まったね」

 

 世界が止まる。隣にいる暁葉も止まる。

 意識を集中させた。やったことがない事ではあるが、ぶっつけ本番で成功させるしかない。

 不思議と不安はなかった。成功する確信があった。今ならなんだってできる。そんな気がした。

 

「あれ? ここは……」

 

 どうやら成功したらしい。自分の周囲の景色が変わる。勇者をしていた時、戦いが終わればいつもここに戻されていた。

 隣にいる暁葉は黙って園子から手を離し、一歩下がって直立した。僅かばかり寂しさが出るが、それが暁葉の配慮であることは分かっている。園子は前方にいる二人に声をかけることにした。

 

「ずっと呼んでいたよ、わっしー。会いたかった〜」

 

 二人が反応した。一人は車椅子に乗っていて、長い黒髪をリボンで纏めている少女。見間違えるはずもない。2年ぶりであろうと、容姿に変化が現れていようと、親友を間違えることなどありえない。かつて鷲尾須美であり、共に戦った東郷美森だ。

 その隣に立っている赤毛の少女。見た雰囲気からして活発な少女だと伝わってくる。東郷美森の親友である結城友奈だ。

 

「わし? 鷲? 東郷さん、知り合い?」

「いえ……初対面だわ……」

 

 分かっていた。彼女の記憶が無いことは。自分のことを何一つ覚えていないことも。決戦の時に、その事は痛感したんだ。だけど、もう一度そう言われるのはキツかった。

 

「あはは……ごめんね。わっしーっていうのは大切な友達の名前なんだ〜」

 

 それでも、今はそれに浸っている場合ではない。彼女たちに伝えたいことがあるから。

 

「戦ってたんだよね?」

「はい。……!? あの、バーテックスをご存知なんですか?」

「うん。一応あなたの先輩ということになるのかな。勇者をやってた乃木園子です」

 

 友奈にとっては先輩にあたる。だから単数形なのだが、そこに疑問を持たれることはなかった。

 

「結城友奈です」

「友奈ちゃん」

「東郷……美森です」

「美森ちゃんか。えっとね、私も2年前はあなた達みたいに、友達と一緒に戦ってたんだよ。えいえいお〜って」

 

 暁葉はそれを知識としてしか知らない。美森が記憶を失っている今、当時のことを知るのは園子一人だ。軽いその語り口調の中に、どれだけの思いが込められているのだろうか。

 

「バ、バーテックスが先輩を、こんな酷い目に合わせたんですか?」

「あ、ええっとね。私これでもそこそこ強かったんだよ。友奈ちゃんは満開したんだよね?」

 

 暁葉から聞いた情報だ。間違いないのだが、断定しては怪しまれる。確認を取るというプロセスが大事なのだ。

 

「パーってなって、ワーって強くなるやつ」

「あ、はい。しました。ワーって強くなりました」

 

 感性が似ているようで、園子の擬音表現に友奈は何も気にせず擬音表現で返す。それはとても友奈らしい。

 

「咲き誇った花は、その後どうなると思う?」

 

 園子が核心を語り始める。友奈と美森もその空気を感じ取り、表情が強張り始めた。

 

「満開したあと、体のどこかが不自由になったはずだよね?」

「「っ!!」」

「散華。神の力を振るった満開の代償。花一つ咲けば一つ散る。花二つ咲けば二つ散る」

 

 その回数に上限があるのか。それは誰も知らない。ただ分かるのは、続けるほどに体の自由が奪われていくこと。

 

「その代わり、勇者は死ぬことがないんだよ。死ぬことなく戦い続ける。そしたら私は今みたいになったんだ」

「満開して……戦い続けて……。じゃあその体はそれで?」

「うん」

 

 絶句する他なかった。勇者システムに隠されていた機能。それがどれだけ恐ろしいものだったか分かったのだから。そもそも、勇者たちは散華という機能があったことすら知らなかった。満開の代償など知らされてなかったのだ。

 

「どうして……私たちが……」

「いつの時代だって神様に見初められ供物になったのは無垢なる少女だから。穢れ無き身だからこそ大いなる力を宿せる。力の代償として、体の一部を神樹様に捧げる。それが勇者システム」

「私達が……供物……?」

「私たちにしかできないこととはいえ、ひどい話だよね」

 

 それは園子の本音だった。たしかに二度と友を失いたくないと思ったが、それがこの形で実現されるとは思わなかったのだから。

 

「それじゃあ私達は……これからも体の機能を失い続けて……」

 

 声を震わせながら言葉を溢していく美森。その手を握ったのは、隣に立つ友奈だった。友奈はその場にしゃがみ込み、東郷に視線を合わせる。

 

「で、でも、私たちは12体全部のバーテックスを倒したんだから!」

 

 もう戦わなくていい。その言葉は発しなかったが、それは美森にも伝わっている。一緒に倒したのだ。お役目は終わった。

 

「12体のバーテックスを倒したのは凄いよね。私達の時は追い返すので精一杯だったから」

「そうなんです! だから、もう戦わなくていいはずなんです!」

 

 真相を園子は口にしなかった。できなかったと言った方がいいのか。このタイミングで大赦の神官たちが、園子と友奈たちを囲うように現れたから。

 

「大赦の人たち……?」

「彼女たちを傷つけたら許さないよ? 私の大切なお客様だから」

 

 神官が友奈たちに近づこうとした瞬間、園子はすぐに制止させた。園子の牽制、そして園子の客人ということもあり、神官たちは一斉に平伏する。暁葉もそれに習おうとしたのだが、暁葉にだけ聞こえる声で園子が立っていていいと伝える。他にも近くに神官がいるのだが、その人たちに聞こえなかったのも精霊の力の関係だろうか。

 

「怖がらせちゃってごめんね」

「い、いえ……」

「散華のことを隠してたのは、大赦なりの思いやりだとは思うんよ。……でも……」

 

 園子に限界が訪れた。親友を目の前にして話しているのだ。話しながらかつての日々が思い起こされていたっておかしくない。離れ離れになった悲しみが、再び溢れてきたっておかしくない。

 

「私は、最初にそういうの……ちゃんと言っておいてほしかったから……」

 

 左目から涙が溢れ出す。頬を伝って落ちていく一筋の涙を、園子自身は止めることができない。他の神官たちの手前、暁葉も身動きが取れない。平伏していないだけでも後で咎められたっておかしくないのだ。これ以上は動けない。強く握りしめる手では爪が食い込んでいた。

 

「最初から分かってたら……友達ともっともっと遊んで……いっぱい思い出作ったのに……」

 

 悔み切れない。訓練で忙しかろうと、もっと遊べばよかったと。もっといろんな事がしたかったと。どれだけ悔やんでも悔みきれず、どれだけ願っても戻れない。

 溢れ続ける涙をそっと止める手があった。それは記憶がないはずの親友、東郷美森(鷲尾須美)の手だった。辛そうなその表情は、どういう思いから表れているのか。

 

「ありがとう」

 

 お礼を言い、美森の髪を結っているリボンに目をやる。2年前に渡したリボンだ。その時までは、自分が付けていたリボン。

 

『これ、わっしーが持ってて。髪につけてくれてもいいんだよ?』

『戦いが終わったらつけてみるわ。似合ってたら褒めてね、園っち』

 

「そのリボン似合ってるね」

 

 かつて交した約束。たとえ相手が忘れていても、園子は覚えている。その約束をやっと果たすことができた。

 

「このリボン……とても大切なものなの……。けど、ごめんなさい……何も思い出せなくて」

 

 それでも良かった。園子は嬉しそうに目を細める。

 これ以上はいけないと判断したようで、神官たちが立ち上がる。時間がないと悟りつつ、友奈は園子に叫んだ。

 

「方法は! システムを変える方法はないんですか!?」

「できたらいいんだけどね。……神樹様の力を使えるのは勇者だけ。そして、勇者になれるのはごくごく一部……私たちだけ」

「でも……」

 

 その答えは園子も持っていない。あるのなら、園子はすでに動けるようになっているのだから。

 

「大丈夫。こうして会った以上、大赦ももうあなたの存在をあやふやにしないだろうから」

 

 美森に視線を向けて言う。その言葉の意味を、今の美森は分からない。それが分かるのは、もう少し日にちが経ってからだ。

 大赦が用意した車で友奈と美森は讃州市へと帰される。それを見送った園子は、暁葉と共に部屋へと転移した。

 

「……わっしー……リボンつけてくれてた」

「あれは園子様が?」

「うん。2年前にね。……戦いが終わったらつけてみるって。似合ってたら褒めてねって、言われてたから」

「そうでしたか」

 

 美森にその記憶はない。だが、それが大切なものだと言っていた。覚えていなくても、大切だということだけは覚えていたのだと。たとえ記憶を捧げようと、園子を思う心までは消えない。それが分かったのだ。

 

「あは、は……うれしいな〜。わっしーが……っ……」

「園子様。我慢はお体に悪いです。今は私しかいませんから」

「うんっ……。あっきー……私がいいって、言うまで……ぎゅってしてて」

「仰せのままに」

 

 暁葉は園子のベッドに上がり、その細い体を優しく包み込んだ。誰にも見えないように、自分すら園子の表情が見えないように隠して。聞こえてくる嗚咽も極力聞かないように意識した。

 時間がどれだけ経ったかは不明だ。体感的には長かった。場違いだと理解しつつも、時間が経つほどに園子を抱きしめていることを意識してしまう。煩い鼓動も園子に聞こえていることだろう。できれば気づかないでいてほしい。

 

「あっきー、心臓がバックんバックんだね」

「……園子様。落ち着かれたのでしたら、離れてもよろしいでしょうか?」

「私はまだいいって言ってないでしょ?」

「ですが……」

「もう少し、このままがいい」

 

 そう言われては暁葉も強く出れず、結局は園子を抱きしめ続けた。もっとも、暁葉が園子相手に強く出られたことなどないのだが。

 延長すること2分。園子が暁葉の腕の中でぽつりと呟く。

 

「約束して」

「何をでしょうか」

「あっきーは私の側からいなくならないって」

 

 少し腕を緩め、園子の上体を背もたれに預けさせると、園子の左目が暁葉の瞳を捉え逃さなかった。やはり園子から何かを読み取ることはできない。分かるのはせいぜい、その瞳に自分だけが映っていること。

 それでも暁葉にとっては関係なかった。園子の考えが何であれ、自分の思いは常に本心から発するのだから。

 

「もちろんいなくなりません。私のお役目は勇者部を見守ることと、園子様の話し相手ですから。これからもお側にいますよ」

 

 危険な任務には就くこともない。事故にさえ気をつけておけば身の危険は訪れない。それも言葉に含め、言い聞かせるように暁葉は園子と約束を交した。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからしばらく経ったある日。

 

 暁葉の端末に一通のメールが届く。

 

 

[大赦に迫り来る犬吠埼風を鎮めよ]

 

 



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13話

 ギリギリセーフ!!
 友人と飲んでました。楽しかったです。



 

 週末になれば園子の下に行く。それは暁葉の習慣なのだが、文化祭が近づいてきたことによって、それも一時的に中断された。作業は平日に行われるため、週末は関係ないのだと暁葉は言ったのだが、必要に応じて休みの日でも作業に取り組むこともあるだろうと園子が言い伏せたのだ。

 園子としても、暁葉と話せる時間が好きなのだが、暁葉が頼みごとを断らない性格であることも知っているつもりだ。日にちが近づくにつれて、暁葉の負担が増えることも想像できる。疲労が溜まってしまうかもしれない。そうなってほしくないのだ。

 

「週末に何も予定がないと落ち着かないな」

 

 リビングでニュース番組を見ながら呟く。テレビでは最近の災害について語られているが、どれもバーテックスの襲撃があった時に生じた被害だ。

 

『こうして災害が続くのは2年ぶりのことなんですよ──』

 

 2年前……園子が親友二人と力を合わせて戦っていた時だ。バーテックスと戦う際には樹海化が起きる。樹海化した世界にとって、バーテックスそのものが毒だ。樹海がダメージを負い、それが災害という形で元の世界に現れる。

 世間では原因不明とされ、学者たちの頭を悩ませ続けている。真実を知っている暁葉は、その報道を見て世間と自分の認識の差異を埋めていく。ボロを出さないようにするためには、こうして世間を学ぶ必要があるのだ。一応、クラスメイトとの話題を共有できるようにという狙いもあるのだが、それならバラエティ番組を見たほうがいいということを、暁葉はまだ気づいていない。

 

『2年前と言えば大橋の崩壊が──』

「大橋……」

 

 先日園子に連れられて友奈と美森と対面した。あの日は仮面をつけ、一切発言していないため、二人には気づかれていない。

 あの日連れられていった場所は、一般的に立ち入りができない場所だ。大赦の一員である暁葉であっても、先日初めて訪れた場所だ。上里家の力を考えれば簡単に行けるのだが、自分を小さく考える暁葉はそれができる立場じゃないと考えている。

 大橋はたしかに壊れていた。空に向かうように大きく反り返るように。園子が大橋で戦っていたと聞いている。その大橋が壊れたのだ。そうなった戦いが、決戦の時だったのだろう。

 勝ったのか負けたのか。そんな簡単な表現で片付けられるのか。暁葉は無理だと思った。人類が存続してるから勝ちではある。しかし失った代償は大きい。

 

(痛み分け……なんて言い方はしたくないけど……)

 

 それ以外の言葉は見つからなかった。そして、どんな形であれ自分には判断できるものでもないと思った。戦いの辛さを知らない。当時の痛みも苦しみも喜びも。間接的にすら関わっていなかったのだから。

 気分転換のためにテレビの電源を落とし、ピアノが置いてある部屋に移動する。なんだかんだであまり触れていないピアノ。こういう時に弾かなくては、ピアノに申し訳ない気がする。

 

「音は大丈夫なのかな?」

 

 何音か鳴らして確かめる。気になる異変はなかった。調律まではできないから、もし音がズレていたら調律依頼から始まる。それはそれで時間を潰せたのだろうが、ピアノを弾きたい気分の時にそうなっては熱が冷めてしまう。

 何を弾こうか悩んだ。合唱コンクールではピアノを弾くことがすでに決まっているのだが、課題曲が何かはまだ知らされていない。一曲は課題曲。もう一曲は選択曲なのだが、選択曲は候補すら知らない。課題曲は何曲か予想はつく。

 

(何曲か弾いてみるかな)

 

 課題曲の候補は全て音楽の教科書に載っている曲だ。教科書を持ってきて、前のページから順に弾いていくことにする。本の性質上、教科書が閉じようとするのが困りものだが、クリップで止めていくとなんとかなりそうだ。

 ピアノに没頭するのはいつぶりなのだろう。興味本位で始めさせてもらったピアノ。使用人の中に元ピアニストがいたおかげで、専属教員になってもらえた。母からの指示もあり、ピアノのレッスンは本格的だった。何度も間違いを咎められたが、弾けることの喜びが勝った。

 そんな当時のことを思い出しながら、久しく弾いていなかったピアノを楽しむ。それなりに日が空いていたこともあって、難しい譜面は詰まってしまう。それすら楽しかった。昔は詰まることの方が多かった。そして弾けた時の喜びも大きかった。

 

「あ、そういえば」 

 

 一通り課題曲を弾き終わり、休憩している時にふと思い出した。以前樹に頼みごとをされたことを。それは一学期の間にされた頼みごと。その時は何も気にせずに教えた。秘密のお願いということもあって、暁葉もすぐに忘れるようにした。現に今になって思い出している。

 

「あの曲も弾いてみるかな」

 

 引っ込み思案な樹だが、その実芯は強い人物だった。強い人というのは、彼女のような人物ではないかと思うほどに。実際、樹は強い人なのだろう。勇者として戦い、満開までして人類を守っている。

 それでも彼女は、まだまだ自分を前へ前へと進ませる。誰の指示でもなく、自分の思いと決断で。その姿が大きく見えた。同時に誇らしかった。友人にそんな人物がいることが。反対に苦しくもあった。歩む強さを見せられることが。

 

「……ふぅー。演奏に集中しよう」

 

 後ろ暗い気持ちではこの曲は弾けない。そんな気持ちで弾いていい曲じゃない。

 『祈りの歌』──温かな歌詞、全ての日々に感謝した歌。

 それを弾き終わり、暁葉は静かに部屋を後にした。リビングにあるソファに身を沈める。窓から空を見上げる。広大な空……神樹が作り出す結界内にいることで、それを見ることができる。

 人類が生息できる最後の地。神樹の結界内にのみ生存することを赦された。あまりにもスケールの大きな話だ。空を見ればそれを思い出し、自分の小ささが浮き彫りにされる。同じ人間であっても、器の大きな人間はいる。それを自覚させられる。

 

(そうだ。挨拶に行こう)

 

 讃州中学の近くにある神社。文化祭以降、そこの神主に取材することになっている。取材に行く前に一言挨拶をしておくべきだろう。そんなわけで暁葉は支度をし、戸締まりを確認してから家を出た。

 休みの日ということもあって、家族で出かけている人も多いようだ。マンションにある駐車場の車の数が減っている。

 自転車で行ったほうが楽に早く着くのだが、時間は余っている。徒歩で行きたい気分でもあったため、徒歩で行くことにした。困っている人を見かけては声をかけて補助する。お礼を言ってもらえると心地よく、先程までのモヤっとした気分も晴れていった。

 

「わざわざ挨拶に来るとは、讃州中学は良い子が多いね〜」

「ありがとうございます」

 

 神主と言葉を交わしていると、暁葉のお腹が鳴った。そういえばお昼を食べていなかったと思い出す。

 

「お昼を食べていくかい?」

「え、さすがにそれは申し訳ないのですが」

「遠慮はいらんさ。私もこれから昼食だしね。そうだな、家で退屈してる婆さんの話し相手にでもなってくれたらいい」

「……それでは、お言葉に甘えさせていただきます」

 

 神主が笑顔で頷き、何やら巫女と話をしてから暁葉を手招きした。どうやら神主の家まで車で送ってくれるらしい。至り尽くせりな対応にただただ頭が下がる。

 神主の家は神社から車で10分圏内。あっという間に家に到着し、玄関まで出招いてくれたお婆さんに挨拶する。突然の来訪だったが、お婆さんは嫌な顔をするどころか暁葉を歓迎した。すぐさま暁葉の分を追加で料理し、暁葉の前に差し出す。

 

「すみません。お手伝いもしていないのに」

「客人は座して待つものじゃけぇ。気にせんでええ」

「ありがとうございます」

「それじゃあ、いただこうかね」

 

 会話を交えながら昼食を取り、食後に一休みしてから神主は神社へと戻っていった。暁葉はせめて皿洗いをしようと思ったのだが、それもさせてもらえず椅子に座ってお婆さんを見守る。それが終わったところで、お婆さんに椅子に座ってもらい、肩のマッサージを始める。

 

「気持ちえぇね〜。上手上手」

「それは良かったです」

 

 20分ほどマッサージを続け、お婆さんの向かいに座った。淹れてもらったお茶をいただく。こうして落ち着いた時間を誰かと過ごすのはいいものだ。お婆さんの話し相手というのも楽しいもので、暁葉にはない知識が次々と飛び出る。

 お婆さんも暁葉と話すのは楽しかったようで、外を見たときには日が傾いていた。空も青から紅に。

 

「あらいけない。長く付き合わせてしまったわね」

「いえいえ。楽しかったですよ」

 

 お婆さんと手を振って別れ、食材を買いに行こうと足をスーパーに向ける。しばらく歩いていると、端末にメールが届いた。アプリによるチャットではなくメール。その送り元には一つしか心当たりがない。

 端末を確認すると、そこには暁葉の予想通り大赦からメールが届いていた。どんな連絡なのだろう、などと呑気にすることはできなかった。件名が異常性を物語っている。

 

[緊急事件発生]

 

(園子様の身に何かあったのか。それともかなた姉さんに何か……!)

 

 焦ってそのメールを開くと、予想が外れていたものの衝撃的な内容が記されていた。曰く、風が勇者へと変身し大赦に迫っているとのこと。そして、この件に対する暁葉への指示は……

 

[大赦に迫り来る犬吠埼風を鎮めよ]

 

 いったいどうしろと言うのか。思わず頭を抱える。風が暴走したのは事実なのだろう。大赦がこんな嘘をつくはずもない。事態は一刻も争う。だが一般人の暁葉には手段などないのだ。

 焦る思考を遮るように、暁葉の端末に電話がかかる。画面を見ても相手が誰か分らない。見たこともない番号だ。しかし無視することもできない。今このタイミングでかかってきたのだ。無関係とも思えない。

 

「もしもし」

『あ、あっきー?』

「園子様? どうされましたか?」

『えっと、今起きてることは知ってる?』

「はい。つい先程メールが届きましたので」

 

 電話で話しながら足を動かす。とりあえずは駅の方へ。電車にしろタクシーにしろ、足を確保するには駅に向かうしかない。

 

『あのね……このままだと私が動くことになるんよ』

「……そう、なりますね」

 

 大赦にいる勇者は園子ただ一人。そして最強の勇者である園子なら、難なく風を抑え込めるだろう。本人にその気があるかは別として。

 

『それで──』

「大丈夫ですよ園子様。分かっていますから(・・・・・・・・・)。足も確保できそうなので、これで失礼しますね』

『ごめん……お願いね』

「はい」

 

 電話を切り、露骨に秋葉の前で路上駐車した車に近づく。暁葉が近寄ると後部座席が自動で開き、暁葉は躊躇うことなく車に乗り込んだ。車はすぐに発進し、ナビに従って進んでいく。普通のナビではない。目的地が移動している。おそらくは風の端末が目的地に設定されているのだろう。

 それは暁葉の端末にも搭載されている機能だ。相手のプライベートを考慮し、一度も使ったことがなかったが、今回はそうするわけにもいかない。端末を操作し、アプリを起動して設定を打ち込んでいく。暁葉の端末も車のナビ同様、風の端末の位置が分かるようになった。

 車の中は暁葉と運転手の二人だけ。暁葉はその人物を知らない。上里家の人間ではない、ということしか分からない。運転手はさすがに大赦の仮面をつけない。事故になるから。

 

「制服を着られることをおすすめします」

「そうでした」

 

 後部座席に置かれていた制服。それは暁葉のサイズに合わせてあるものだった。服の上からそれを羽織り、フードはまだ被らない。仮面もまだ付けない。いつものことだ。車から降りる時に仮面をつける。

 高速道路を利用し、他の車が避けるほど速いスピードを出していく。高速道路とはいえ制限速度は存在するのだが、緊急事案ということもあり運転手は急いだ。あくまで安全運転……ということらしい。警察には大赦から説明を入れるつもりなのだろう。発言力の強さを最大限に活かす作戦だ。褒められたものではないが。

 風の端末が大橋の近くで止まる。タイミングが噛み合い、最寄りの出口が最短ルートとなる。ここまで計算していたら恐ろしいのだが、急にハンドルを切ったあたり偶然だと断言できる。安全運転とは名ばかりだが。

 

「それでは行ってきます」

 

 大橋近くの駐車場。そこで降ろしてもらった暁葉は運転手にお礼を言ってから駆け出す。風と共に移動していたのは夏凜だ。走りながら端末を確認する限り、夏凜も風を止めているのだろう。そこに今友奈が加わった。

 自分の出番はきっとない。それは分かっているのだが、念の為そこに向かっておく必要がある。勇者たちにバレないようにこっそりと。できればすぐに飛び出せるくらいに近いといいのだが、夏凜は鋭そうだ。

 

「──ッ!!」

 

 咄嗟に横飛びする。勇者たちがいる場に、階段から回り込む形で行こうとしたのだが、それはもういいらしい。自分がいた場所を見たらそこに凶器が転がっている。

 

「良い動き」

「これでも一応は鍛えておりますので」

 

 声がした方に振り返ると、そこには年齢の近そうな体格の人物がいた。声からして男性、つまりは少年か。同じように大赦の格好をしている。その人物が暁葉の方に歩んでくる。暁葉は嫌な汗を流しながらジリジリと後ろに下がる。

 

「初めまして。ですが、さようなら」

「一般的な意味であれば穏やかでしたね」

 

 不気味なほどに滑らかに加速した少年から、暁葉は全力で逃げる。戦って勝てるだなんて微塵も思っていない。暁葉は鍛えているとは言っても、たいていのスポーツなら困らない程度の鍛え方だ。戦闘用に鍛えている人物には歯が立たない。

 余所見をしてはまた凶器を投げられる。今度は確実に当てられる。だから後ろを気にしながら走ることになるのだが、それは逃げることに適していない。

 見る見るうちに追いつかれた。突き出される右手。その手にはナイフが握られている。

 膝を曲げ、姿勢を下げることで避ける。本命の左手は、膝と足に力を入れていたことでジャンプして避けることができた。なんとか逃げ続け、勇者に気づいてもらえれば暁葉の勝ちである。

 

「──火色舞うよ」

「っ……!」

 

 だが相手の方が上手だった。少年は左手を突き出した際に、反動をつけるために右手を引いていた。今度は左手を引き、それに合わせて右腕を振るう。ナイフを投げるために。

 

「がっ……! ぁぁあっ……!!」

 

 そのナイフは暁葉の腹に突き刺さった。不幸中の幸いか、ナイフはあまり深く刺さっていない。だが、それだけで十分なのだ。怪我ならまだしも、ナイフを刺された経験など暁葉にあるはずがない。その痛みはそのまま恐怖となる。怯んでいる間にもう一本ナイフが投げられ、暁葉の右太腿に刺さる。これで機動力が奪われた。

 

「悪いが仕事だ」

「ぁ……はっぁ……でしょう、ね……」

「クライアントにとって、お前は邪魔らしい」

「そう、なんでしょうね……。あの家と……関係のある人ですね」

「……分かっていたのか(・・・・・・・・)?」

はい(・・)

 

 海に落ちないように設けられた手すり。暁葉はもたれかかるようにそこに背を預けた。立つことはできそうにない。投げ出された足に視線を落とし、腹よりも深く刺さっている右太腿のナイフを眺めた。

 嵌められたことなど、電話の時点で(・・・・・・)気づいている。そもそもこの讃州市に送り込まれたのも、今日この日のためなのだ。上里暁葉ではなく、下田凛が死ぬ。便宜上、上里家の人間を手にかけたことにはならない。

 

「園子様が……あのような事を言うわけがないので。そして、あの方はそもそも電話をかけてきません。いつも……直接話すことを、楽しみにされてますから」

 

 提案したことがあった。学校終わりに電話して、その日あったことを話すのはどうだろうかと。速攻で断られた。直接話を聞きたいのだと。だから暁葉は、ほぼ毎週園子の下に行くのだ。一週間分の話のネタを持って。 

 それが緊急案件だろうと、急に電話をしてくるわけがない。園子は端末を取り上げられている。そして体を動かせない。スピーカーに設定すれば電話はできただろう。しかしあの電話はスピーカーではなかった。つまり偽物だ。変声機があることも知っている。それに園子の声を登録させたんだ。

 分析するだけでも腹立たしい。嵌められたことではなく、園子を利用されたことが。怒りで体が震える。しかしそれは出血を増やすだけだった。なんとか自分を抑え込もう。

 

「あなたは……赤嶺家の人……、ではない(・・・・)ですね」

「半分正解。そして時間切れだ」

「そのような生き方は、人生を損しています」

「よく言われるが、気にしていない」

「だから、友達になりましょう」

 

 呼吸が荒くなってきた。仮面が鬱陶しい。

 暁葉は仮面を外した。髪を撫でる風が心地よい。視界が広がる。嫌に視界がクリアだ。死に近づいていたら、靄がかかって狭まるものではないのか。創作物で得た知識はどこまで信用できるのだろう。

 それは違う。

 暁葉は自分が死ぬとは考えていない。死に近づいているとは一片も思っていない。樹のタロット占いを信じている。これが困難であり、自分の意志で活路が拓けるのだと。

 

「ぐっ、うぅぅっ……っつぁ!」

 

 腹部と太腿に刺さっていたナイフを抜く。止血をしないといけないのだが、今の手持ちには何もない。大赦の制服を切れば、包帯代わりにはできるだろうか。すぐに切った。傷口を抑えるように巻き、それが終われば体を動かす。

 汗を滝のように流しながら体を起こし、一歩進んでみる。すぐに体が崩れて地面に倒れ込んだ。今のが傷口にも響き、血が溢れていく。それでも暁葉は手も使い、前へと進もうとする。

 

「何がしたいんだ?」

「簡単なこと……だよ……。僕は(・・)死にたくない……!」

「……」

 

 約束があるんだ。破るわけにはいかない大切な約束が。

 そうだ。文化祭の前に一度は顔を出そう。準備がどうだった、とか話してみたい。本番に向けてのクラスの意気込みがどうとかも話してみたい。

 勇者部は劇をやると聞いた。誰がどんな役なのか。そもそもどんな話になるのか。園子と二人で予想してみるのも楽しそうだ。なんなら園子に即興で物語を作ってもらおう。

 

「悪いな」

 

 少年が手品のようにナイフを取り出す。服の中に隠すのは、ちょっとした憧れと利便性を交えたもの。

 匍匐前進ですらない暁葉の進み。数歩足を動かすだけで追いつく。少年は暁葉を見下ろし、暁葉は少年を見上げた。

 視線が交わった。そんな気がした。

 暁葉が笑みを浮かべ、少年は手に持つそれを振り下ろした。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 何かの異変を感じた。樹海化とは違う。親友が壁を壊したようだが、なぜかそれとも違うと分かった。

 もっと冷たいものだ。

 こんな時に思い当たりたくない人のことが思い当たる。当たってほしくない予想が生まれ、消し去りたいのに頭から消えてくれない。

 

「あっきー……?」

 

 



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14話

 

 暁葉が週末に帰省しないときは、電話かアプリで連絡を取るようにしていたのだが、暁葉から連絡が来ない。不安を募らせながら、かなたは帰りの車に乗り込んでから端末に電源を入れる。

 修行に入る際には、いつも電源を落とすようにしている。そして帰りの車に乗ってから電源を入れるのだ。その時にある通知が入っていることに気づいた。それはボイスメッセージであり、数十分にも及ぶもの。

 

「なんなのかしら?」

 

 悪戯の類だろうか。自分の周りにそういうことをする人間は…………少なくともこんな悪戯をする人間はいない。それでは、それだけ長い用件を伝えないといけないものだったのか。いっそ文面にしてくれた方が楽なのだが、相手にとって急ぎの用だったのかもしれない。

 なんにせよ、誰からのボイスメッセージかで内容にも見当がつく。そう思って端末を操作すると、ボイスメッセージの相手が弟の暁葉だと分かった。暁葉という文字を見た瞬間心がざわついた。溺愛する弟ということもあり、浮かれてしまうのと同時に、何かあったのではないかと考えてしまう。そして思い出されるのはあの夢。

 そんなことはない。あれは趣味の悪い夢だ。頭を横に振る。繋がってしまいそうになる夢と現実を引き離すように。だが、嫌な予感というものはしつこく残る。さらには当たってしまうことが多い。

 

(これを再生すれば……分かるのよね……)

 

 震える指で再生させる。自分の予想は外れていてくれと願いを込めて。

 再生しても何も聞こえず、音量を上げていく。車の走る音が大きい。速度を上げたのだろうか。違う。今自分が乗っている車の音ではない。ボイスメッセージでも車の走る音が再生されているのだ。

 しばらく待っても車の走る音。少しずつ飛ばしていくが、車の走る音は30分近くもあった。暁葉が運転手に礼を述べて車から降りた。この辺りからは飛ばさないほうがいいのだろう。

 かなたは神妙な面持ちでボイスメッセージを聞き続けた。

 音が少し乱雑だ。走ってるようにも聞こえるから、きっとそうなのだろう。

 

『…い…ごき』

『これでも一応は鍛えておりますので』

 

 聞き取りづらい。今のはなんと言ったのだろう。分からないが、その声が暁葉の声ではないことは分かる。かなたの知らない誰かの声。はっきりと聞こえるのは暁葉の声だ。そのやり取りから連想できるのは、考えたくもない事態だけだ。

 

『初めまして。ですが、さようなら』

『一般的な意味であれば穏やかでしたね』

 

 これで確定だ。暁葉個人を狙った襲撃。

 

(なぜ? 暁葉は人に恨まれることなんてしていないのに……!)

 

 混乱する。誰かも分からない誰かに向けた怒りが湧いてくる。

 

『──火色舞うよ』

「なっ!」

 

 言葉だけは知っている。それは赤嶺家の人間が、仕事(・・)をする際に言うとされる言葉。言わばスイッチだ。

 嫌な物音が聞こえてくる。暁葉がどんな目に合っているのか想像してしまう。思い浮かべたくないのに、まるで見ていたかのように脳内に浮かび上がる。

 

『──あの家と……関係のある人ですね』

 

 襲撃者と暁葉の会話から、襲撃者の裏に誰かいることも分かった。そして、暁葉本人がこうなる事も分かっていたということも。

 

(分かっておいて、どうして……)

 

 分かっていたなら回避できた。しかし暁葉はそうしなかった。そうできない(・・・・)何かがあったのだ。それも重要だが、今はこのボイスメッセージに集中しよう。

 分かっていたからこうしたのだ。暁葉はかなたに情報を渡そうとしている。それを聞き逃すわけにもいかない。

 暁葉が与えた情報は部分的だが、どれも重要なものだった。

 

 ・暁葉が襲われていることから、暁葉個人に何か恨みのある人物

 ・それは赤嶺家の人間を派遣していることから、パイプを持ちそれなりに力のある人物でもある

 ・襲撃者は赤嶺家ではない(半分正解とのこと)

 ・暁葉が名をぼかす対象となる家と関係のある人物

 

 絞り込むのに時間はかかるかもしれないが、特定するのも時間の問題だろう。だが、相手の逃げ道を塞ぐことが難題だった。

 

『悪いな』

 

 襲撃者のその声の後、壮絶な音が響いてボイスメッセージが止まった。端末も壊されたのだろう。かなたは涙を流しながら自分の端末を握りしめる。

 

「……かなた様。いかが致しましょう(・・・・・・・・・)?」

 

 運転手から聞かれる。犯人をどうするのかと。運転手も上里家の人間だ。暁葉を6年間神樹館小学校に送迎し続け、帰省する時にも必ず送迎している。何も思わないわけがない。ハンドルを握っている手に力が入り、震えていることも見て取れた。

 

「母さんは……?」

「本日は先にお戻りになられています」

「まずは……母さんと、話すわ」

「かしこまりました」

 

 涙声でなんとかこの後のことを伝え、かなたは屋敷に着くまで膝を抱えた。まだ暁葉がどうなったのかも分からない。だが、状況からして可能性が一つしかないのだ。

 屋敷に着き、運転手はいつも通りかなたを先に降ろそうとしたが、かなたはそれを断った。車庫に車を戻し、共に屋敷に戻ろうと。それに従い、運転手は車を車庫に戻してから、かなたと共に屋敷に戻る。

 屋敷に戻ると、広間に使用人たち全員と両親が集まっていた。これにはかなたも目を丸くし、運転手に視線を向けるが、運転手も手を横に素早く振って否定する。どうやら先に連絡した、というわけではないようだ。

 

「かなた。帰ってきたわね」

「はいただいま。あの、なんでみんながここに?」

「女の勘よ。かなたから話があるんでしょ?」

 

 ぽかんと口を開けて驚いた。一切何も情報はなく、前触れとかもなかったはずだ。それなのに葵は予測を当ててみせた。女の勘とは恐ろしいものだ。母としても何か感じ取ったのかもしれない。

 そういえば、葵にはそういった能力とも呼べる直感力があったと、かなたは思い出した。巫女の素質がなかろうと、その異常なまでの直感力を武器に、大赦内での自分の立ち位置を確立したのだと。人間離れもいい程で、葵を敵に回したら負けると言われている。

 かなたは自分の母親の怪物ぶりを認識し、喉をごくりと鳴らしてから暁葉から届いたボイスメッセージを再生した。再生が終わると、暁葉から伝えられた情報から分かることも、整理して伝えていく。

 

「かなた。暁葉の言うあの家がどこか分かっているかしら?」

「はい。乃木家(・・・)です」

 

 使用人たちがざわつく。今回の件で乃木家の名前が出てくるとは思っていなかったからだ。なにせ、暁葉と園子の関係は良好なのだから。

 葵が手を二度叩いて静かにさせる。視線は葵とかなたにそれぞれ集まった。

 

「とりあえず、かなたの予想を聞きましょうか」

「暁葉が家名を伏せたということは、伏せたい理由があったから。乃木家に悪印象を抱いてほしくないのでしょう。乃木家を庇うその行為からして、乃木家と関わりを持つ人物が行っただけであり、乃木家自身は動いていない。おそらくはこの件すら知らない」

「私の見解と同じね。乃木家がそんな事をする理由もないのだし、無関係で間違いないでしょう。そして、私に(・・)連絡が来なかった」

 

 その意味は聞かずとも分かった。上里家の長男が襲撃されたのに、上里家の当主に何一つ連絡が入っていない。それはつまり、大赦もこの件を知らないということ。もしくは黙っているか。葵は前者だと踏んでいる。自惚れではないが、自分の存在が周りにどう認識されているか分かっているつもりだ。黙っていた場合ただでは済まないことなど明白。

 そして、もう一つの意味もかなたは理解していた。大赦という組織ですら気づかないように行われた今回の一件。その厄介さ。

 

「大赦が知らない以上、当主である私は動くことができない。目立ってしまうもの」

「乃木家にも迷惑がかかってしまう……」

「そういう事。そんなわけで、かなたが主体となってこの件を処理しなさい」

「私が?」

 

 そんな事できるだろうか。かなたの中ですぐに不安が大きくなる。たしかに当主である母は動けない。それは父も同じだ。実質的に上里家で第二位の発言力を持っている。母ほどではなくとも、動けば目立つのも同然。

 だが、かなただって巫女だ。二人ほどでなくとも目立つ。下手に動けば上里家の立場が怪しくなってしまう。300年の重みを背負うことになるのだ。

 

「失敗については考える必要はないわよ。その時は私が動くから。可能な限り最小限に終わらせるには、かなたにやってもらうしかないのよ」

「でも……」

「乃木家ことも考える必要はない。ね?」

『そうですね』

 

 葵がかなたに見せつけるように端末を持ち上げる。その画面に映っているのは、園子の両親だった。つまり、乃木家の当主たち。それが本物なのかと目を疑ってしまう。

 

『お話は聞いていました。私たちはこの件に何も言及しません。どうなろうと、です』

 

 それはつまり、元々は関係があった犯人と、今この場で縁を切るということ。犯人が乃木家に縋ろうとも、乃木家は知らぬ存ぜぬを貫いてくれるということ。それはこれ以上ないバックアップだった。

 

『うちの園子と仲良くしてくださっている方を襲ったのだ。慈悲はない』

「ありがとうございます。さて、そんなわけでかなた。やりたいようにやりなさい。上里家の力を使いたいだけ使っていいわ」

「そんなことしたら──」

「家の力は家族のために振るわれるものよ。遠慮なんていらないわ。そして思い知らせてやりなさい。上里家を怒らせるとはどういうことかを」

 

 聞くまでもなく葵はガチギレしていた。かなたに任せると決めているのと、話し合いをしているということで抑えているだけだった。本音を言えば、自分の手で犯人を追い詰めたかったのだろう。

 

「ご先祖様も、なんだかんだで仲間のために我儘を押し通してたみたいだしね」

「えぇ……」

 

 初代のイメージが崩れた瞬間だった。

 そしてそれは、親近感が湧いた瞬間でもあった。

 

『暁葉くんを襲ったのは、我々乃木家を敵に回したのも同義なんだよね』

「そうなのですか?」

「その節はお世話になりました。妻が断固として譲らなかったもので」

『いいんですよ。私達としても嬉しく、そして誇らしい事でしたから』

 

 親同士の会話についていけない。暁葉が命名される以前から仕えている使用人たちは知っているのだが、かなた同様話についていけていない使用人もいた。

 そんなかなたに気づいた園子の母が、上品に笑みを溢しながら説明してくれた。

 暁葉の名前は、乃木家がつけたのだと。

 

「え!?」

『乃木家と上里家の友好の証として、つけさせてもらいました』

『恐れ多くも、若葉様の名前から一字いただく形でね』

 

 かなたのキャパシティを超えた。目を丸くして口をパクパクさせる。唯一生存した初代勇者にして伝説の勇者である乃木若葉。そんな人物から一文字いただいていたとは、全く想像したことがなかったのだから。

 

『ちなみに、あき(・・)の部分は園子がつけたんですよ』

「赤ちゃんですよね!?」

『当時はまだ片言だったのだけど、二人で名前を悩んでいる時に園子がハイハイしてきてね。あっきーと言い続けたんだ。話を理解していないだろうと思ったのだが、驚くことに分かっていたようでね。娘の案をもらうことにしたんだよ』

 

 頭がパンパンだ。普通ならおかしいだろうと疑い続けるのだが、あの園子なら赤子の時から天才ぶりを発揮していてもおかしくないと納得できてしまう。いやしかし、たしか幼少期までは園子の才覚を、両親は気づいていなかったのではなかったか。失礼ながらに、鈍感という言葉が頭に浮かんだ。

 しかし、それならなぜ全く乃木家と交流がなかったのだろう。両親との繋がりがあったのなら、自分たちも幼少期から繋がりができていてもおかしくなったはず。むしろ、去年まで接点がなかった方がおかしい。

 

「それは大人の汚い話でね。少し面倒な時期だったんだよ」

 

 父が遠い目をする。母は見るからに不機嫌になった。なるほど、たしかに面倒なことがあったのだろう。これ以上は踏み込まないほうがいい。

 使用人たちにも動いてもらうことになった。情報収集に事欠かない。情報分析もお手の物。なぜ使用人をしているのだろうと思ってしまうほど、能力の高い使用人ばかりだ。祖母がスカウトしていたらしい。

 実際に動いてみると、巫女たちにはやはりすぐに気づかれてしまった。情報をもらせば容赦できないと先に説明し、それでも話を聞くと言われた。部屋周辺に目を配り、他に人がいないことを確認する。それから話をすると、全員が憤慨した。

 

「私達の暁葉くんになんて事を!」

「ギルティよギルティ!」

「私達のアイドルに手を出すだなんて!」

 

 気持ちが一緒だったことを喜べばいいのか。それともツッコミを入れたらいいのか。なんにせよ思いが一緒だったことは嬉しい。

 

「暁葉は私の弟よ!」

 

 だからいつも通りの調子でいられた。少し肩が軽くなった気がする。重圧と怒りによって視野が狭まっていた。それが今解消された。一人じゃないということを、やっと認識できた。

 

 

 もしかしたら時間がかかるかもしれない。調べをつけ、逃げ道を塞いでから捕える。長丁場になる可能性もあった。しかしそれは、かなたも葵も、他の誰もが思わなかった形で早々に決着がつくことになった。犯人すら想像していなかった流れで。

 

「どうかされましたか? 上里様」

「しらを切る必要もないでしょう? 私があなたを呼び出した。一対一のこの状況です」

「ふむ。冤罪となってはあなた方もただでは済みませんよ?」

「百も承知です」

 

 大赦内にある一室。机を挟んで向かい合うように椅子が置かれている。かなたとその人物は、そこに腰掛けてお互いを見据えている。

 上里家の人間にこの状況を用意された。その時点で詰んでいることは明白なのだが、その人物はまだ認めていない。話が長引くと、自分を抑えられないかもしれない。それが分かっているかなたは、すぐに証拠を叩きつけることにした。

 

「あなたが暁葉を手にかける計画を立てた」

「証拠は?」

 

 仮面で表情こそ見えないが、その声色から嘲笑っていることが分かる。証拠など存在しないからだ。計画は全て口頭で伝えた。機器に残ることもなく、書面も存在しない。そして犯行は大橋の近くで行われた。この人物とは別の人物の手によって。その現場にも何も残されていなかった。あったのは暁葉の血痕のみだ。

 その余裕も次の瞬間には崩れ去った。

 

「証拠はありませんが、証人(・・)ならいます」

「は?」

「入ってきてください」

「……っ!? お前……!」

「小物感満載な反応だな」

 

 かなたが呼んだ人物。それは暁葉を襲った人物だった。つまり、暁葉襲撃の計画を立てた人物と直接の接点があった赤嶺家の少年だ。唯一にして絶対の証人。仮面は外しており、愉快そうにニヤついている。

 

「滝谷あんたは何も残していないつもりだろうが、俺はそうでもなくてな」

 

 赤嶺はポケットから機器を取り出し、犯人との会話を再生した。それは暁葉襲撃について語られていたものであり、動かぬ証拠となる。言い訳などできない。滝谷は椅子から立ち上がり、赤嶺を指差して声を荒らげる。

 

「拾ってやった恩を仇で返すのか!」

「拾われただけだ。俺を育ててくれたのは赤嶺家。お前じゃない」

「何を……!」

「それに、俺を赤嶺家に引き取らせたのも、今回のように使える駒が欲しかったからだろ。生憎と俺はそれに付き合う気もない。拾われた恩は一つの頼みごとでチャラだ」

 

 堂々と言ってのけた。赤嶺の口から言われたことも図星だったようで、滝谷は声をつまらせてドカッと勢いよく椅子に座った。赤嶺はかなたに視線を向ける。やる事はやった。そんな事が言いたげな視線だ。かなたもそれに頷き、滝谷を睨みつける。

 

「なぜ暁葉にこのような事を?」

「ふん。私は上里暁葉を殺させたのではない。下田凛を殺させたのだ」

「そのような詭弁が通るとでも?」

「通す。そのつもりでいたのだよ」

 

 実際にはそうならない。そんな事は考えれば分かるはずなのに、よっぽど思考が短絡的になっていたようだ。それはかなたも分かる。巫女たちのおかげで、怒りを鎮めて視野を広げられたのだから。

 

「あの男は余計な存在だった」

「は?」

「あの男によって、園子様は変わられた。神に等しいあの方を、あろうことかあの男は人として接した! それにより園子様は変わられて(・・・・・)しまった(・・・・)! だから私は、園子様の神聖さを戻すためにもあの男を排除したのだ!」

「そのような……くだらないことで……!!」

 

 滝谷を言い分を、かなたはくだらないと吐き捨てた。

 

(そんな考えのせいで暁葉は……!)

 

 怒りがこみ上げて来る。今すぐ殴ってやりたい。歯ぎしりし、手が震える。しかし、ここで感情的になってしまっても仕方ない。かなたは自分を落ち着かせるために、息を細めながら深呼吸した。こみ上げていた熱を抑え、逆に冷淡にすらなる。

 その変化に滝谷は気づいていないが、横から眺めている赤嶺は感じ取った。そして背筋が凍りついた。戦えば勝てるはずなのに、敵に回してはいけないと脳が警告を鳴らす。

 

「あなたの妄想は聞くに堪えません」

「妄想だと!?」

「園子様……園子ちゃんは勇者ですし、今は神に近い存在になっているのも事実です。ですが、彼女は人として生まれ人として生き、人類の代表として戦ったのです。彼女が神に近づこうと神にはならない。私達と同じ人間です」

「園子様のことを……! お前まで──」

「そんな曇った眼だから大切なことを見落とすのです。あなたは園子ちゃんの何も分かっていない」

 

 冷ややかな視線が滝谷に突き刺さる。冷淡になった今のかなたにやっと気づき、滝谷は声を詰まらせた。蛇に睨まれた蛙のような。そんな心地になる。

 

「分かっているのですか……私はあの乃木家と繋がりを持つ人間ですよ」

「それがどうかされましたか? あなたこそ分かっていないようですね。あなたが、何を敵に回したのかを」

 

 必死の抵抗だったが、それすら正面から叩き伏せられた。滝谷はもはや生きた心地がせず、完全にかなたに呑まれた。自分がやったことを認め、その場に項垂れる。同情の余地などなく、かなたは両親と話し合って決めた処置をくだした。

 

「大赦から追放します。今後大赦に関わらないこと。我々上里家や乃木家にもです。それを守れないのなら、こちらもそれ相応の処分をさせてもらいます」

「……わかり、ました」

 

 声が震え、完全に萎縮している。かなたのような子供相手なら勝てると思っていた。その油断もあり、自分の予想を大きく上回るかなたの強さを前に、滝谷は呆気なく自分の犯行を認めたのだ。

 かなたは上里家の使用人に滝谷を任せ、赤嶺を連れて部屋から出ていった。しばらく歩き、周りに誰もいないことを確認してから礼を述べた。

 

「別にいらないって。俺もあいつとおさらばできて感謝だし」

「素直じゃない人ですね」

「悪かったな」

「いえ、それもいいと思いますよ」

 

 どうにも調子が狂う。小声でボヤいた赤嶺は、かなたから視線を逸らす。何かを見つめているわけでもないのだが、その目は何かを見ているように見えた。

 

「あぁそうだ」

「ひゃぃ!?」

「……何驚いてんだよ」

 

 何を考えているのだろうと覗き込むようにしていたかなたは、赤嶺が急に顔を向けてきたせいで恥ずかしい声を上げてしまった。先程の雰囲気は欠片もなく、その変化の大きさに赤嶺はまたもや調子を狂わされる。

 

「俺を引き取ってくんね?」

「え?」

「今回の件は赤嶺家も知らなくてな。恩を仇で返しちまったし、責任取って家を出ることにしたんだよ。元々養子だしさ」

「それは…………できません」

「なんで?」 

 

 スッと視線を鋭くする赤嶺。スイッチを入れる寸前の鋭さだ。たいていの人ならこれで恐怖に震える。しかしかなたは平気だった。このタイミングでそうしたことが、何だか可愛らしいとすら思える。かなたは少し厳しい目をして赤嶺を見つめた。

 

「悪いと思っているのなら、これからも赤嶺家の人間として生き、赤嶺家のために動いてください。赤嶺家から出てしまっては、それこそ恩を仇で返すというものです。一人が怖いのでしたら、私もお願いに同行してあげますよ?」

「子供扱いすんなよ。……ありがと。そうする」

「ふふっ、私の方が恩が大きいんですけどね。ありがとうございます」

 

 赤嶺は感謝の言葉を言うことにあまり慣れていない。照れくさそうにポツリとぶっきらぼうに呟いた。かなたはそれをしっかりと聞き、お礼で返す。

 

「っと、これも伝えないといけないんだった」

「もしかして忘れっぽいんですか?」

「録音するくらいには」

「あ〜」

 

 あの会話が残っていた理由はそういう事だったのか。思わぬ形で裏事情を知り、くすっと笑ってしまう。半分の理由は、滝谷を嵌めれたらな、という理由なのだが。

 それについては話さず、赤嶺はかなたに真っ直ぐ向かい合った。

 大切なことだから。

 

「あんたの弟、暁葉に頼まれた伝言がある」

 

 




 次回、最終回です!


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15話

 早いもので最終回です。



 

 目の前の神官はいったい何を言っているのだろう。

 これはきっと夢なんだ。そうじゃないなら、悪質な悪戯だ。

 園子はそう思った。言葉は正しく理解できた。意味を違えることもない。そんな馬鹿じゃないのだから。だが理解したくはなかった。その言葉を信じたくはなかった。

 

「──暁葉様がお亡くなりになられました」

 

 部屋に入ってきた一人の神官。長い前口上を遮って本題に入らせると、その一言が飛び出してきた。頭を鈍器で殴られたような感覚だった。体は動かないというのに、視界がグラついて倒れる錯覚に陥る。

 何か言葉を続けているが、その言葉は何一つ園子の耳に入らない。聞こえているのだが、脳がそれを受け付けない。

 それよりも、あの神官は邪魔じゃないか。この場に必要ないだろう。

 

「出ていって。今すぐに」

 

 感情の篭っていない平坦な声。突き放すように園子はそれだけ言った。園子の目は神官を捉えていない。この部屋の何も捉えていない。虚ろになっている。しかし神官がここにいることを煩わしく感じていた。

 神官が園子の言葉に抗うはずもなく、静かに部屋を後にした。その仮面の下でどんな表情を浮かべているのか。どうせ無表情だろうと園子は思っていたが、その実その神官は仮面の下で歪なまでに嗤っていた。後に待っている展開も知らずに。

 

「あっきー」

 

 名前を呼んで目を閉じた。瞳の裏に映るのは、他の者たちと同じ格好をした一人の少年。顔を見たことはない。少し大きい制服に見を包んでいたため、体格がどの程度なのかも分からない。

 意外と力持ちなことは知っている。月見の際に、一度抱き上げてもらったのだから。

 太ってはいなかった。線が細いという印象もなかった。おそらくは平均的な体なのだろう。抱きしめてもらった時を思い出してみる。

 

「初めはカッチカチだったのにね。他の人たちと同じ感じで」

 

 最初にあった時のことを覚えている。かなたに頼まれ、あり余っている時間に変化を加えられるならと了承した。両家の関係を良くできたら、という狙いもあるにはあったが、そんなものは建前だ。

 話していても寂しかった。言葉を覚えたロボットに語っているようだった。しかし暁葉とずっと話せていたのは、一番最初の暁葉の反応があったから。

 わざとテンションを上げて弾けてみた。

 

『失礼しました』

 

 そう言って一回距離を取られた。その反応は園子の胸の内に風を吹き込んだ。あの瞬間は、間違いなく暁葉の素が出た瞬間だった。それを一番最初に確かめられたからこそ、園子は暁葉と会話し続けられた。

 かなたから聞いていた情報を踏まえ、暁葉のああいう面がもっと出るようにしたらいいのだと思った。それが密かな目標になった。暁葉のことを知るために、質問を繰り返して暁葉に答えさせた。だいたいのことを知れたら、今度は暁葉に話させるようにした。学校のことを。

 

『物語風にね』

 

 そう指示したことによって、暁葉は主観での話をするしかなかった。客観性を捨てさせることで、暁葉自身を主人公に置かせる。その効果は少しずつ現れるようになった。明確に言える出来事などなかった。気づいた時には変わってると感じられたのだから。

 いろんな話をした。日数で考えると、400日近くは話していた。よく話のネタが尽きなかったなと思った。暁葉は自分から話をすることはできても、話し続けることは苦手だった。その度に園子が質問し、話を掘り下げ、時には話を広げていった。

 いつからだろうか。暁葉が話す時間が長くなったのは。暁葉の語りを楽しみにするようになったのは。

 暁葉が中学生になってから? たしかに一週間分の話は長くなる。だが、暁葉が中学生になる前から、話を楽しみにしていなかっただろうか。

 

「わかんないや」

 

 園子にも分からない。きっと暁葉も分からない。

 

「本当に……分かんないものだね。あっきー」

 

 分からない。いつからなのか知らない。

 気づかなかった──暁葉を求めるようになっていたなんて。

 いや、本当は気づいていたんだ。胸の調子が時々おかしくなった。暁葉といる時は満たされ、暁葉が帰る時には締めつけられ、暁葉が来た時には温かくなった。それを分からないフリをしていた。認めるわけにはいかなかったから。

 

「こんなの……もう認めるしかないじゃん……」

 

 暁葉が嫌いなわけがない。暁葉と自分が釣り合わない、なんて高飛車な考えも持ち合わせていない。なにせ求めていたのだから。

 それでも、園子は認めたくなかった。暁葉が自分にとっての大切な人になってほしくなかったから。またそんな人ができてしまったら、また離れてしまうのではないかと一抹の不安を抱いていたから。

 暁葉の存在が大きくなることに比例し、その不安も大きくなった。だから約束を結んだ。側にいてほしいと。

 

「約束、してくれたのにね……。嘘つき……」

 

 胸が強く締め付けられる。気が狂いそうなほどに苦しい。

 涙が溢れてきた。止めることなんてできない。たとえ体が動いたとしても、拭う気にもなれない。

 我慢はできなかった。声を抑えることもできない。

 部屋には少女の泣き声が響き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 ──どれだけ泣いたのだろう。 分からない。

 

 ──どれだけ日にちが経ったのだろう。 分からない。

 

 ──どうしてこうなってしまうのだろう。 分からない。

 

 分かるのは──虚しい時が流れ続けていることだけ。

 

 暁葉を戻すため。かなたの依頼は、思わぬ形で園子にとっても影響が出ていた。それは年相応の少女として過ごせたこと。神に近づいた存在としてではなく、中学生としての園子でいられたことだ。

 その時間も無くなり、園子の心は疲れた。望んではいけないのかと嘆くのも疲れた。これからは、ただ在り続けたらいいのだろうと自分を強引に納得させた。

 そんな事を思っていた時、自分に変化があったことに気づいた。

 

「……そっか。神樹様はそう判断したんだ」

 

 供物として捧げていた体が回復した。無くなっていた機能が復活する。まだ体をうまく動かせないが、自分の心臓が脈を打っているのを感じる。こんなに感慨深い経験をするのは、人類史上で自分だけじゃないか。なんて思ってみたりする。

 失われていた右目の視力。まだ完治には程遠い。今はせいぜい光を感じる程度だ。包帯を巻いてるせいで、それに気づくのも遅れたが。

 

(まだ使えるかな?)

 

 体の機能が返還された。それはつまり、神に近づいていた状態から人に戻っていくということ。転移させる力も残っていないかもしれない。

 ものは試しに、ということでやってみたら、まだ力は残っていた。これもすぐに無くなるはず。すぐに行動に移したから叶っただけ。

 青空が眩しい。波の音が心地よい。壊れてしまった大橋を見ると、過去の戦いを思い起こす。自分たちが繋げた人類の生存。それが後輩勇者たちに受け継がれ、そして彼女たちは掴みとった。散華で失った機能を取り戻すことを。神樹にそう判断させた。偉業と言っていい。

 

「よい、しょっと……。むー、気合いー!」

 

 言うことを聞かない体を気合いで動かす。ベッドから降り、海が見えやすい位置に移動する。裸足だが気にしない。立って歩けていること。地に足をつけられていることを実感できる喜びの方が大きい。

 重く感じる腕を動かす。震えるがそれでもいい。少し時間がかかったが、自分の手で包帯を解くことができた。疲労が大きい。解いただけで限界だ。腕をだらんと下ろし、包帯を外すのは自然の風に任せる。

 

「あっきー。私、動けるようになったんよ? ピアノを、聴かせてくれるって……言ってたのに。料理も……それに、デートだって…………。私……楽しみにしてた、のに……」

 

 動けるようになったらしたいこと。それは山ほどあった。散華で失った機能が返ってくるのだ。鷲尾須美の記憶を失っていた東郷美森も、その記憶が返ってくる。会いに行きたい。また一緒の学校に通いたい。勇者部にだって入りたい。また一緒に遊びたい。そんな願いが大量にあるのだが、その日常に暁葉がいないなんてことは考えられない。そんな現実を受け入れたくない。

 暁葉と二人だけでしたいことだってあるのに。約束以外にもあるというのに、それが叶わないなんて思っていなかった。

 

「あっきーのバカ…………あ、れ……?」

 

 足がぐらつき、体が後ろに倒れていく。それは当然のことだ。むしろ、すぐに立ち歩けたことが奇跡なのだ。本当はまだ動けない。だから園子の足は限界を迎え、体を支えられなくなったのだ。

 地面はコンクリートだ。受け身も取れそうにない。頭を打ってしまうだろう。それはきっと痛いのだろうな、と他人ごとのように考える。

 

「……んー?」

 

 痛くない。それよりも体が倒れていない。

 

「ご無理はなさらないでください。園子様」

「ぇ……」

 

 目を開けて後ろに視線をやると、初めて見る少年の顔が映った。穏やかな表情で優しげな印象。綺麗な黒髪は上里家の遺伝。顔立ちはなんだか中性的。女装させたら似合いそう、なんて思ってしまう。

 初めて見るのだが、初めて会った人ではない。

 間違えるはずもない。

 確信を抱いている。

 

「あっきー……?」

「はい」

 

 ぼうっとその顔を見つめた。これは夢なのか現実なのか。園子は暁葉を支えにしながら体が向かい合うように動く。ぺたぺたと肩や胸に手をやる。頬を触ってみる。柔らかい。癖になりそうだ。

 

「本当にあっきー?」

「本物ですよ。それは園子様がお分かりになられているでしょう?」

「だって……あっきーは死んじゃったって……」

「死にかけただけです。ほら、心臓も動いてますよ」

 

 暁葉が園子の手を包み込み、自分の胸に押し当てさせる。たしかに鼓動を感じる。生きている証だ。そして目の前にいる暁葉は偽物なんかじゃない。間違えるなんてありえない。中途半端に解けている園子の包帯を丁寧に外していく暁葉に、園子は真相を聞くことにした。

 

「でも、どうやって?」

「彼が案外良い人だったというわけです」

 

 赤嶺は暁葉を殺さなかった。滝谷を嵌めるほうが、やりがいがあると思ったから。それ以上に、暁葉の生きようとする姿が力強いと感じたから。暁葉は何も悪事を働いていない。そんな人間を手にかけるなど寝覚めが悪い。だから赤嶺は偽装工作をした。

 大きな雑音を発生させて暁葉の端末を破壊。これには暁葉も納得。

 

『さっきの音……どうやって出したんですか?』

『ポイパ』

『ボイパ……』

『ボイスパーカッションの略称な。てかあんま喋るなよ。死ぬぞ』

『あなたはボイスパーカッションをなんだと思っていらっしゃる?』

 

 病院に搬送しないといけないのだが、滝谷だけでなく大赦の目も盗んで行わないといけない。病院選び、搬送方法、地味に難易度の高い問題をクリアし、暁葉に治療を受けさせた。暁葉に傷を負わせたことを赤嶺は謝罪したが、助けてもらったことで貸し借りなし、ということにして暁葉は話を水に流すことにした。

 

『一つお願いがあります』

『頼み? 聞いてやるよ』

『私のことは内緒にしておいてください。それと、かなた姉さんに伝言を』

『二つじゃねぇか。いいけどよ』

『私の生存を園子様には内緒で。一度びっくりさせてみたかったので』

『やり方が酷え』

 

 そんな事もあり、暁葉のことは全て伏せられることになった。かなたもこれに承諾し、園子に申し訳なく思いながら黙っていたのだ。

 園子を驚かせようという試みだったが、暁葉は見誤っていたことがある。それは、園子の反応だった。

 

「よかった……本当に……!」

「あの、園子様?」

 

 園子が俯く。一雫落ちていく。

 暁葉は焦った。赤嶺にやり方が酷いと言われた意味を今理解した。園子にとって自分がどのような人間なのか、何も考慮できていなかったのだ。

 

「あっきー!」

 

 園子は顔を上げると同時に暁葉に飛びついた。首に腕を回し、顔を埋める。お互いが立っている状況は初めてだ。暁葉も成長期に入り、園子より少しばかり身長が高くなっている。

 いきなり飛びつかれたが、暁葉は園子をしっかりと受け止めた。腕の中にいる彼女が、やはり一人の少女なのだと認識させられる。内心では大変テンパっているのだが、なんとかそれを表に出さないでいる。

 

「あっきーのバカ! ほんとにバカ! 死んじゃったって聞かされたもん! 約束破ったって……、わたし……」

「申し訳ありません……。園子様」

 

 震える園子を優しく包み込む。自分が思っていた以上に、園子を不安にさせていたんだと強く反省した。暁葉という人間の価値を、園子がどれだけ認めてくれていたのか。何もわかっていなかった。

 

「あっきー、もう約束を破らないで……。絶対にいなくならないで……」

「っ! はい。もう約束を違えません。私は園子様のお側にいます」

「うん……! 次破ったら絶対許さないから」

「肝に命じておきます」

 

 暁葉としてもこんなことに次なんてあってほしくない。ナイフが刺さるあの感覚はもう二度と味わいたくないものだ。何よりも、もう二度と園子を泣かせたくないと思った。

 自然と腕に力が入った。園子を抱きしめる力が強まる。園子は嬉しそうに目を細め、力を抜いて暁葉に体を預ける。なかなかに心地がいい。

 

「あ、もう様付けは駄目だよ?」

「え、なぜですか?」

 

 思い出したように様付けを禁止。これには思い当たる理由がなく、暁葉は目を丸くして園子を見つめた。

 

「だって、私はもう普通の女の子だもん。神様みたいな存在じゃなくなって、勇者の素質があるってだけ。立場の違いはなくなったんよ」

「ですが、勇者になられた事実は消えません。それに、園子様の方が年上ですし──」

「あっきーは嫌? 私と対等なのが嫌なの?」

「そう申しているわけではありません」

 

 悲しげに見つめられ、暁葉はどうしたらいいんだと混乱した。暁葉の言い分も間違ってはいない。園子は勇者として役目を果たした。その功績も偉大さも消えない。敬われておかしくない存在だ。それに歳が一つ違うだけだが、上下関係を重んじるのは国民性だ。気にするのも当然である。

 だが、園子だっておかしなことは言っていない。神に近しい存在にはなっていたものの、それはもう終わった話。勇者ではあったが、今ではただの少女だ。大赦内でツートップである家柄の一つ、乃木家の長女ではあるものの、それを言えば暁葉だって乃木家に並ぶ上里家の長男だ。大して差はない。

 

「私はあっきーと対等がいい。一緒に、普通に生活したい。あっきーはどうなの? 家柄とか立場とかそんなの考えないで。それは言い訳にしかならないよ。……お願い、あっきーの本音を教えて?」

 

 敵わない。そう思った。この人はいつでも自分を導いてくれる。それに甘えてはいけないと思っていた。家に迷惑をかけないように、自分は鳴りを潜めて日々を送ればいいと思っていた。その決意も思いも、そんなのはお構いなしに上里暁葉という人間を見て話してくる。大赦の一員としての暁葉でもなく、上里家の長男でもなく、たまたま(・・・・)上里家に生まれただけの少年(暁葉)として見ている。

 それがどれだけ煩わしく……、心を乱され……、それでいて嬉しかったことか。いないのも同然として生きようと思った。だがそれは許されなかった。だから歯車の一つとして生きる道を選んだ。それも許されなかった。暁葉の周りは誰もそれを望んでいないのだから。

 身内でもなく、上司でもなく、同僚でもなく、先輩でもなく。ただの少女(園子)がただの少年(暁葉)を受け入れた。そうあっていいのだと。

 そこに惹かれてはいけないと思った。迷惑になると。だがそんな事はないと言われた。

 

──素直に(本心で)生きていいのだろうか

──それを望んでいいのだろうか

 

 暁葉の思考を読んでいるかのように、園子はこくりと頷いた。

 

「……()もそう、ありたいです」

「ふふっ、ならそうしよ? 周りばっか気にしてたら前が見えないでしょ? あっきーは、前を見て生きていいんだよ」

 

 首に回されていた園子の腕が離れ、両手で暁葉の頬を挟む。真っ直ぐに自分を見つめさせ、園子も真っ直ぐ暁葉を見つめた。お互いの瞳に映るのは、それぞれが想いを寄せる相手だけ。

 

「それじゃあ、様を外して私を呼んでみて?」

「はい。園子…………さん……」

「ぶーぶー。そこは呼び捨てだよ〜」

「ごめんなさい。ちょっと、呼び捨ては堪えられなくて……」

 

 敬称を外して呼んでみた瞬間、自分の顔が熱くなったのを感じた。こみ上げて来るその熱に堪えられず、暁葉は「さん」をつけた。それを園子に咎められたが、その園子本人も頬が色づいている。

 

「うーん、そこは許してあげようかな」

「ありがとうございます」

 

 呼び捨ては自分でも少しむず痒い。なんていう本音を隠し、園子は暁葉が話さなかったことを今聞き出すことにした。海であった出来事を。

 

「あっきーは私に隠し事してるよね? 合宿で何かあったでしょ?」

「……そのようなことは、決して……」

「あっきー目が泳いでるよ?」

 

 顔も逸したいのだが、園子に挟まれているためそれは叶わない。まさか気づかれているとは思わず、内容が内容だけに暁葉はしどろもどろになる。そんな暁葉の様子を見て、園子は予想をつけた。そして当たっているだろうと謎の確信を抱いている。

 

「あっきー目を閉じて。罰ゲームするから」

「……はい……」

 

 これは甘んじて受けよう。観念した暁葉は、園子に言われたとおり目を閉じた。園子を抱く腕はそのまま。離したら倒れかねないのだから支え続けている。

 何をされるのか。園子の行動は何一つ読めない。

 不安にかられる暁葉の口に、柔らかく湿った何かが重なる。

 

「目を開けていいよ」

 

 口から何かが離れ、指示に従って目を開けるも視界に映るのは園子だけ。先程より頬が赤くなっている気がする。

 暁葉の視線は自然と園子の口元に向かった。そんな事があり得るのか、きっと思い違いだ。混乱する暁葉をよそに、はにかんだ園子がとどめを刺した。

 

「私の初めてなんだからね」

 

 暁葉の顔が真っ赤に染まった。耳まで赤くなり、体温が上昇する。鼓動がおかしい。病院に行った方がいいのか。

 園子は、言っていなかったことがあるなと思いだした。暁葉が落ち着くのを待ち、その一言を言った。

 

「おかえり、あっきー」

「ただいま……園子さん」

 

 

 




 
 最後まで読んでいただいた皆さま。本当にありがとうございます!
 私にしては中身が纏まった作品にできたかなと思っております。


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