ポッキーゲームに魔女は勝てない (えすぷれっそ・2)
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ポッキーゲームに魔女は勝てない
朝、一度目を覚ました筈だが、二度寝、三度寝と繰り返した。
ようやく身体を起こした時には今が朝なのか昼なのかも分からなかった。
普段はそうベッドに入ったままでいることもないのだが、今日はレイシフトの予定がなかったし、一度起きた時に怠さを感じてそのまま寝た。
特に予定も無い。
無地のTシャツに、膝上までのレザーショートパンツという簡素なものに着替え、そのままベッドに寝転がり、例の新宿から持って帰ってきた雑誌を適当に流し読み。
空腹を感じたら食堂に行って、また適当なものを口にしては自室に戻って、あとは寝るまで時間を潰す。
他のサーヴァント連中とあまり関わらない私は、レイシフトがない時、大抵そんな日を過ごす。
ポーン、と音がした。
各部屋に備えられている所謂インターホンというものだ。
どうやら今日は一人で過ごすことはないらしい。
「居るわよ、入ってくれば」
ベッドに寝そべったまま声を掛ける。
プシュ、と自動でドアが開いてアイツは入ってくる。
新宿で出会ったときの、コイツにしてはイカした格好。
ドア越しに声を掛けて来ない時はコイツだ。なんでかは知らないが、レイシフトがない日が重なると私の部屋にやって来る。
「また来たの。アンタも暇ね」
「フ…ベッドでゴロゴロとしているだけのお前に言われたくはない」
「そのゴロゴロしてる奴のとこに来てるアンタはどうなのよ」
「さて、今日はなんの日か知っているか?突撃女」
無視だ。相変わらずムカつく。
今日はなんの日か?という問いだが、特に思い当たるものがあるわけでもない。
「…さあ、知らないけど。何かあったかしら」
見上げたアイツは此方を見て薄く笑った
「知らないのか。今日はポッキーの日、というものらしいぞ。なんでも、互いに菓子を両端から口にして、先に口を離した方が負けという、ポッキーゲームというものをする日だそうだ」
「……ふーん。それで?」
「ここまで言って分からないのか。お前とそれをやろうという話だ。」
「はあ?なんでよ。めんどくさいしパス」
「ほう、負けるのが嫌なのか。それならば仕方ないな。」
「ちょっと、誰がアンタに負けるって?」
「お前が、私に、負けるのが、嫌だから勝負しないのだろう?」
一々強調しながら、既に勝ったような得意げな顔で此方を見る。
そんな様子を見ているとついカッとなってしまう。
「ハ…冗談。誰がアンタに負けるかっての。いいわよ、やってやろうじゃない」
「いいのか?負けると分かっているだろう?」
「うっさい、アンタには負けないわ」
売り言葉に買い言葉というやつで、勢いのままに言葉が口をついて出て来る。
「まあいい、ポッキーは既に私が持って来ている」
懐からそれを取り出すと箱を開け、袋を開けて一本だけ引き抜いて、咥える。
チョコのついた方を自分が口にするあたりアイツらしい。
「…ン」
チョコのついていない、持ち手の方を此方に向ける。
私はベッドから立ち上がって、向けられたそれを咥える。
「………」
互いに無言。
開始もなにもないだろう、先手必勝とばかりに食べ進める。顔が近付けばアイツが口を離すに違いない。
サクサクとした食感のクッキーのみの部分からチョコのついた部分へ。
尚も進み、およそ残り7.8㎝程に差し掛かったところで動きを止める。
アイツが全く動かないからだ。
怪訝そうな視線を向けるも、アイツは此方にまっすぐ視線を返すだけ。
…近い。
そもそも、こんな我慢比べのような勝負は私には向いてなかった。
そして何故顔を近づけてしまったのか。顔を突き出すような形になってしまい、体勢も不利だ。なんて馬鹿なのか。
…顔が近い。
しかし、啖呵を切ったからには負ける訳にはいかない。このままアイツが折れるまで意地でも口を離すことはしない。
ふと、アイツの口元が笑ったように見えた。
それと同時に少しずつ、進行し始めた。
只でさえ近い顔が余計近付いてくる。
残り6㎝…5㎝…。
まだアイツは止まらない。
4…3…。
既に額が触れる程の距離。
そこでようやく止まった。
揺さぶりをかけてきたのだろうが、私は意地でも口を離す気はない。
…少し顔が熱い気がするけれど、誰でもこんなに近い距離に顔があればそうなる筈だ。
その状態でどれだけ経ったのか分からない。いや、数分程度なのだろうけれど、何十分にも感じる時間。
不意にアイツがまた動き出す。
ゆっくりではあるが、確実に。唇に溶けたチョコが滲んでいるのが見える。
これ以上距離を詰めたら…なんて思ったのも一瞬。
アイツは一気に進んだ。
私とアイツの唇が触れた感覚がした。
それに驚いて目を見開き、アイツの肩を勢いよく突き飛ばした。
アイツは後ろに少しよろめいて、肩を竦めた後に勝ち誇った顔をしている。
「やれやれ、乱暴な奴だ」
「っ、ばっ、バッカじゃないの!?アンタなにしてんのよ!?」
「何がだ。ただ菓子を食べただけだろう」
「そうじゃなくて!今、いま、キ、キスしちゃったじゃないの!!」
「キス?なんの話だ。ともかく、先に口を離したのはお前だ。お前の負けだな?」
私の発言は意にも介さないといった様子。
「な…、今のは無効よ!ずるいわ!」
「なら、もう一度するか?」
そう言ってアイツは自分の唇を親指で拭う。
その言葉に、動作に、たった今触れた唇の感触を否が応にも意識させられる。
「っ…いい。やめとく…」
「フ…そうか。では私の勝ちだな」
「…いいわよそれで」
納得はいかないが、もう一度する気にはなれない。大人しく引き下がるしかなかった。
「珍しく素直に認めるのだな。まあいい、ではな。中々面白い顔をしていたぞ」
「…面白い顔ってなによ?」
不機嫌そうに返す言葉にも背を向けて、用は済んだと言わんばかりに出て行こうとするアイツ。
ドアが開いたところで、立ち止まったアイツは横顔で
「…ああ、それと。私は勝ち目のない勝負はしない」
口元が笑っていた。
そしてアイツは部屋から出て行った。
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