じゃがいも戦記 (処炉崙霸β)
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じゃがいもとはすなわちポテチ

 ーーーー中世ヨーロッパとは。

伝統的な西洋史の時代区分における中世ヨーロッパは、一般に5世紀から15世紀、歴史的大事件で捉えるならば西ローマ帝国滅亡(476年)のあたりから東ローマ帝国滅亡(1453年)のあたりとされ、ルネサンスから宗教改革以降を近世とする。(wikipediaより参照)

 

 勿論ただの暗黒時代というわけでもなく、12世紀ルネサンス等の様な物も存在したが、一般的に中世という単語は日本人の夢であり希望であり現実逃避の賜物とも言える。

 

 何故か?日本には21世紀前から"中世"ヨーロッパファンタジー文化がめきめきと育っており、必然的にそれは人民の心に刺激を与えた。

 

 多くの場合退廃的なディストピアたらしめている企業が数多くある経済大国、日本に住まう人々は、そういった非現実的なものに惹かれ、いつしかそのような世界を夢見ることとなった。

 

 だが、広義的に見ても日本の中世ヨーロッパファンタジーは中世ヨーロッパファンタジーではない。なぜか?

 決まっている。

 

 あなたは中世ヨーロッパファンタジーと謳う作品で突然自分の目の前に糞便(ウンコ)が落ちてくる描写を見たことがあるだろうか?

 

 そう、いわゆる中世とはまだ人が獣性を薫らせていた時代なのだ。

 

 

 

 

 2010年代の日本にある少年が生きていた。

夕焼けに染まる河川敷に立つ、I CAN FLYとデカデカと描かれた赤シャツをパツパツに纏ったその少年の名は、山田立海。15歳。職業学生、体型肥満、顔面偏差値31、特徴はにわかアニメゲームオタク。

 

 悲しいことに、そう。彼はいわゆるニート予備軍と呼んでも過言ではない日本社会の生んだレッサーヘドロであり、家庭では親に幼稚な暴言を吐きながらアニメを視聴しつつも学校ではキノコが生えているような陰気臭い雰囲気を漂わせながらラノベを読んでいる、現代日本ではそれほど珍しくもないが、同時に現代日本では必要とされていない人間でもある。

 

 だが、そんな日本社会の闇から生成された哀れな産物こと山田立海はあるものが好きであった。

 

 そう、伏線にもなっていないことを承知で言うが、その彼の好きなものとは紛うことなき中世ファンタジーモノである。

 

 勿論、彼が好きなのはアーサー王物語やベオウルフのような中世の人間に流行った中世ヨーロッパファンタジーモノというものでもなく、かといって欧米文学の中でも著名な世界のはての泉や指輪物語というようなハイファンタジーものではない。

 

 ローファンタジーというジャンルであるものの、改造や改良好きなアジア人気質の強い日本人が営む日本社会の中で育まれたジャパニーズローファンタジーといっても差し支えないジャンルの中でも更に読む漫画と言われるジャンル……いわゆる中世ヨーロッパファンタジーものラノベであった。

 

 山田立海は強く望む。

こんなクソみたいな世界からおさらばして、俺は理想的な世界で理想的な体型と顔面偏差値を手に入れて、理想的な嫁を手に入れて理想的な生活を送るんだ、と。

 

 そんな煩悩100%の思いをむんむんと募らせていた太って醜い山田立海を、たまたま高い空の上から見ていた神は、おそらく成長しても周りに迷惑しかかけないような山田立海をこの世界に置いたままにするのは余りにも世界と人の為にならないではないか?と突然に思いを募らせ、そして数分後、神は唐突にあることを決意した。

 

 それではこの山田立海の願いを叶えてやろうではないか。と。

 流石神というべきか。どこぞの聖書にもあるように神とは均しく平等に人の子らを不変に愛すのである!

 

 だが、神とて人は愛すべきものなれど、人が罪を持っているのであれば、時に愛すもの……そう、人の子のために試練を与えることも愛の範疇であるのは世界の常識である。

 そこで神は山田立海の為にある世界を見つけ、そこに山田立海を文字通り転生させることを考案した。

 

 

 だが、それを考慮しても山田立海はどうにも幸運な人間に違いない。

 神の愛に触れ、ましてやその願い事を神に聞き入れてもらえるのだから。

 

 だが、忘れてはならない。

中世ヨーロッパファンタジーのファンタジーは確かに空想、幻想を意味する額面通りの言葉である。

 

 しかし、中世ヨーロッパは違う。

中世とは剛健な軍隊と文明的な文化を誇らせていた強き西ローマ帝国の滅亡後、獣から抜けきれていなかった人間たちが暗黒を生きた時代。

 

 言うなれば、うんこまみれの道を平然と歩かねばならない時代なのだから。

 

 

 

 

 "アゼリア王国-アンソニー辺境伯領-"

アンソニー辺境伯。全体的に麦の作高も芳しくなく寒冷で貧乏国家としか言いようのないアゼリア王国でも、一際豊かではなく僻地としか言いようがないものの、周辺国家との国境近くということから辺境伯が当てられているという歴史を持つ、一言で言えば貧乏国家の中でもトップクラスに貧相な領土……それがアンソニー辺境伯領である。

 

 現在のジョニー•アンソニー辺境伯は、どうにか辺境伯領を豊かにしようと努力してはいるが、努力が実らず貧困は変わらず依然貧乏領であることは不揺らぐことがなかった。

 

 さて、そんなアンソニー辺境伯領に生まれた山田立海……エリック•イーストマンは騎士の出である。

 農民に比べれば数倍マシな騎士の出ではあるものの、実質ましという程度で大した差はない。

 

 貧乏の塊みたいな世界で階級がどれだけ変わろうと、結局飯がなければ平等に死ぬ。

 古代から現代まで、日本でも変わりないその事実。

しかし、中世では特にその色が強かったのだ。



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