やはり俺が十師族を守護するのは間違っている。 (ハーマィア)
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入学編
プロローグ


ちょっとゴタゴタありまして、自分を抑えきれなくなったので書きました。ぼちぼち投稿していけたらなと。


 

 

……そう。あれはある、寒い日のこと。

 

今思い出しても震えが止まらない、とある夏の(・・・・・)体験談。

 

あーし(・・・)はその光景を、怯えながら見ていた。

 

 

 

 

 

 

「撃て! 撃て! 撃てぇぇぇ! 手を休めるな! あの化け物は……」

 

 

 

 

 

 

深緑色の軍服を着た軍人が、激昂にも等しい指揮の途中で言葉を失う。

 

途端、彼の指揮下にあると思しき他の軍人達の間に動揺が走った。

 

驚愕に目を見開く者。舌を浮かせ、開いた口も塞がらない者。その結果に恐怖を噛みしめる者。様々な反応がある中で、そのどれもが、ある一人の人間を見つめていた。

 

彼らの視線が腕や腹に突き刺さる錯覚を覚える。

 

でもそれはあーしに向けられたものではなく、あーしの隣に立つ、腰元まで髪を伸ばした黒髪の彼女(・・)に向けられたもの。

 

……それは、飽くことなき暴虐の使徒。ただし、破壊することに執心しているのではなく、生命の営みを絶断させることにその力を費やしている。

 

命を啄むその雪鳥は傲慢にも、人の命を刈り取ることだけを目的として、自分で作った命の氷像には目もくれようともしない。

 

だから、あれほど高飛車な様子で、まるで自分はミサイルの届かない、暖かいミルクティの淹れられた司令室で怒りに拳を震わせているかのように怒鳴り散らしていた軍人のその最期も、まるでシャッターを切るかのように、永遠の額縁に入れてしまった。

 

「――! ――――!」

 

至近距離で相対する敵が何か話している。さっきと一緒で内容がわからないのは、相手がこの国の兵士ではないからか。ただ、敵があーし達に怯え、慄き、罵っているのだけはわかった。

 

しかしその喧騒も、一瞬後にはピタリと止む。

 

あまりの静けさに、まさか失聴してしまったのかと耳に手を当ててみる。けど、指が耳に触れる音が聞こえ、瞳に映るその景色は消して絵画の世界ではないということを認識させてくれた。

 

……あーしの視界に広がるのは、時が停止した世界。

 

或いは永遠の凍世界。死のその瞬間を切り取った優秀な氷像達が立ち並ぶ、冬のコンテスト会場か。

 

どちらにしろ、南国県の沖縄で雪が降り積もるというのは、何か違和感を感じるおかしなものに見えた。

 

……そういえば、どうしてあの時あーし達が戦闘に巻き込まれたのか、よくは覚えていない。

 

そもそも何故沖縄に行ったのかさえ朧げだ。

 

だけど、ひとつだけはっきりと覚えてることがある。

 

「……優美子ちゃんに、手を出すな」

 

――敵を見る彼女の目は、なんというか……こう、腐っていた。

 

俯瞰するとか一歩引いてとか第三者視点からとかその類のもので、味方の事情も敵の作戦も全てを知り尽くした上で「仕方ない」と諦めてしまっているような、どうしようもなさ。

 

でも、どうだっていいなんて思ってはいない筈だ。

 

あーしのこの右腕に彼女がくれた()は、決して他言してはいけない力。

 

なにせこの力は、魔法すら凌駕しかねないものなのだから。

 

あれから数年が過ぎた今でも、あーしのこの身に宿る力は最強であることに変わりはない……筈だ。

 

それを否定しかねない勢いで全てを凍りつかせているのが、隣の彼女なんだけど。

 

冷たい息をふうっ、と吐きながら、振り返ってあーしを見つめる芸術世界の創造主(アーティスト)

 

そして、そんな彼女は目を細め、少しばかりの笑みと悲哀の表情を浮かべながら、彼女は振り返ってあーしに語りかけた。

 

「……優美子ちゃんは、俺が護るから」

 

そんな台詞についあーしは照れくさくなって、

 

「女の子なのに一人称が“俺”なんて――ちゃんも面白いこと言うし」

 

そう返すと彼女は、呆れたような困ったような、そんな表情をした。あ、迷惑そうな顔だこれは。

 

「……いや、俺、女の子じゃ……」

 

「面白いしっ!」

 

相変わらずの惚け顔に、思わず笑みを浮かべる。凍りついた敵の死体が眼前にあるにもかかわらず、あーしはそう言って笑顔を浮かべた。

 

「いや……だから女じゃ……」

 

……そうでもしなければ、その光景に耐えられたかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……ん? あれ、女の子……だったはずだ。



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やはり彼が平穏に入学など出来るはずもない。

キャラ崩壊とかほんと当たり前みたいなものなのでそこんところよろしくです。


 

 

国立魔法大学、第一高等学校。

 

日本最先端の魔法技巧(マギクス)を学べる場所としてこれ以上はない環境であると同時に、社会を構成すると言っても過言ではない、上下関係及び差別的関係を体現している場所だ。

 

(つまり、間違いなく問題が起こる)

 

校門を視界の正面に捉えて、少年は内心そう呟いた。

 

少年の名は比企谷(ひきがや)八幡(はちまん)。この魔法科高校に一科生として入学する、新入生だった。

 

校門を通り抜け、講堂に向かって歩く。その途中で、奇妙な話し声が聞こえてきた。

 

「納得ができません! どうしてお兄様が二科生、補欠扱いなのですか!」

 

少年と少女が言い争っている。……と言うより、少女が少年に対して一方的な不満をぶつけているようにも見えた。

 

(八幡センサーに反応アリ。……危険人物と断定。関わり合いになるのを避けるべし……なんつって)

 

例えば、そこでお兄様呼びしている少女とお兄様と呼ばれている少年。どちらも違う意味でついこの前まで中学生だったとは思えないほどの容姿を持つ二人だ。

 

物語で言えば彼らは間違いなく主人公側、トラブルに巻き込まれる側。

 

こういう輩には絡まない絡まれない、認知されないの「3ナイ」がリア充世界で生きていくに必須なのだ。

 

「深雪!」

 

「……っ! ……も、申し訳ありません、お兄様……」

 

少女が少年の何に触れたのか、少年が声を上げる。少女の方が「本当はお兄様が……」とか言っていたあたり、何かしらの事情はあるのだろう。

 

そして、孤独な八幡少年はその横をただ通り過ぎていく。

 

だが恐らくは兄妹であろう二人が、彼の存在に気付いた様子はない。

 

(……あぁ)

 

ただ八幡は、彼らの背後からやってくる複数の人影に気付いた。無論、彼らの兄妹喧嘩(?)を聞きつけてやってきた警備員などではなく、彼らと同じこの学校の生徒なのだろうが(教員がこの時間に登校すると遅刻だ)、それでも「この兄妹」が他人の目というものを、憚らない筈もなかった。

 

(このまま兄貴の方が話題を収束させていくに違いない……まぁ、『一応』ではあるか)

 

彼の気分が変わった訳ではない。むしろ、このまま素通りして存分に恥をかけといった心持ちだ。だが、それでは彼の存在意義に反してしまう事になる。

 

世界の影に沈み、何者にも悟られないのではなく気にされていない方法を取っていた八幡は、世界に対し浮上する。

 

そして、その兄妹に近づくと、ただひとつ、ぼそりと言った。

 

「……四葉の隠し子。少しは、人目というものを気にするべきだ」

 

どちらでもなく、両方へ向けて放った言葉だ。無論この距離でこの兄妹が“自分達を認識しない他人の目”に気付かない筈もなかったし、兄の方はすでに会話を切り始めていたが、それでもだった。

 

「「っ!?」」

 

八幡の「忠告」というより「警鐘」に反応したのは、二人共。八幡は二人に聞こえるように話したのだから、当然か。

 

少女――妹――は兄に語りかけた姿勢のまま、固まって目を見開く。

 

少年――兄――は、()を凝らして周囲を見回す。……が、再び世界の影に沈んだ八幡を捉えられなかったのか、背後を振り向くもやはり、そこには誰もいなかった。

 

……だが。

 

「待て」

 

そのまま立ち去ろうとする八幡の肩を、兄――司波達也は掴んでいた。

 

「……なんだ? というか誰だお前。何かしたか、肩を離せ」

 

振り向かず、八幡は落ち着いた声で返す。

 

だが内心は、

 

(うおあああなんで見つかったんだ!? ビビった! 超びびった!)

 

ヘタレまくりで、冷や汗を流しそうな程緊張していた。

 

そんな彼にお構いなく、達也は犯人を問い詰める刑事の如く、隙なく語りかける。

 

「何かした、ではないだろう。……お前が比企谷八幡か」

 

「あ?」

 

今度は八幡が声を上げる番だった。

 

(何故気づいて――いや、何故俺の名を知っている。比企谷八幡の名前なんて、個人データバンク(インターネット)で検索しても出てきやしないんだぞ)

 

そんな(八幡)の疑問は、(達也)によって解消された。

 

「話は叔母上(・・・)から聞いている。比企谷八幡。……四葉の敵、とだけだがな」

 

疑問は解消された――が、それと同時に、先程以上の緊張感が場にもたらされる。

それは例えるなら、息も凍りつくマイナス六十度の世界。

呼吸をするだけで苦しく、また呼吸が止まっていく。

だが、その息苦しさを覚えたのはその場にいた誰でもなく、彼の存在を知って駆け寄ろうとしていた生徒会長でもなく、誰でもなかった。

 

「……別に敵対しようなんて考えちゃいねぇよ。ただ、そっちがやるつもりなら遊んでやるが」

 

「…………お兄様」

 

「いや、そちらが動かないならばそれで結構だ。俺たちも、平和な学園生活が送れればそれで良い」

 

ハッキリと八幡を睨む達也に、その視線から目を逸らしてまともに取り合おうとしない八幡。

 

交互に目をやり、困ったような表情を浮かべる深雪だが(深雪は八幡と会話をしていない)、その空気を破壊したのは彼女ではなかった。

 

「はちまーん、はちまーん!」

 

その呼び名からして、八幡の知り合いか。

 

その方向を一瞥した後、達也が改めて八幡へ視線を戻すと、八幡は……この上なく嫌そうな顔をしていた。

 

名前で呼び合う仲。少なくとも互いに知り合った関係でなければ呼ばれない筈だが、どうにもこの目の前の少年は、名前で呼ばれる事に忌避感を抱いている。

 

(……終わりか)

 

場の終わり、雰囲気の終了を感じ取った達也は、八幡からふと視線を外した。

 

八幡も、自分の名を呼ぶ方向に体の向きをぐるりと変えて正面を向くと、そのまま抱きつくかのように突っ込みかねない人物に向かって話しかけた。

 

「……何の用だ、材木座」

 

「はちまぁーフヴォルッ!?」

 

しかし、何かに躓いたのか八幡に材木座と呼ばれたその巨体を持つ男子は三人がいる場所に到達する直前、びたーん、と地面に飛び込むように転んだ。

 

「むぅ……ぐあ、い、痛い……」

 

「……大丈夫ですか?」

 

二人(八幡&達也)は立ったまま、睨み合ったその場から動いていない。だから、自分勝手にも怪我を負った材木座を心配しているのは歩み寄った深雪だけ、という事になる。

 

しかし、深雪も材木座に手を差し伸べるような事はしなかった。というより、できなかったのだ。

 

深雪が歩み寄った時には既に肘をつき、膝を立てて起き上がっていた。

 

「……あ、えっと、はい、大じょ……っ!?」

 

だから深雪は立ち上がろうとする材木座を上から眺めただけの形になるのだが、深雪の、誰であっても思わず息を飲んでしまいそうな双眸に見つめられて、立ち上がりかけていた材木座は腰を抜かした。

 

「……?」

 

何が何だか……といった様子で首を傾げる深雪に、まるで周囲の視線など気にした素振りもない材木座が、驚きを言葉として口から吐いた。

 

「……よ、四葉……深夜……っ!?」

 

その名を聞いて、深雪も材木座に負けず劣らずの驚愕の表情を露わにした。

 

「な……」

 

「……おい」

 

八幡が小さく声をかけると材木座も「しまった」と表情を浮かべるがもう遅い。

 

四月に入り、暖かさも増す春も本番を迎えるいうのに、この兄妹はホッキョクグマですら凍死しかねない程の冷気を放っている。

 

「……ご、ごめん……なさい」

 

弱々しく呟かれた謝罪の言葉など、彼ら兄妹の耳を撫でるだけで、届いていなかった。



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What happened?

『……久しぶりだね、深雪』

 

「……お久しぶりです、お父様」

 

画面の中からかけられた言葉に、深雪はそのテレビ電話を取った事を後悔した。顔をしかめなかっただけマシというものか。

 

無論、電話に出ないという選択肢もあった。発信元は割れているのだから、そのまま切れるのを待っていれば良かったのだ。

 

だが、それをすれば兄が電話に出てしまう可能性がある。ただでさえ兄を不遇な環境に陥れている憎き男親だというのに、それ以上達也にストレスを与えようなど、深雪に出来るはずもなかったのだ。

 

とはいえ、一度出てしまった以上、淑女たる深雪が電話をガチャンと切る(昔風の例え話だ)事は出来ない。だからといって長話する気もさらさらなく、深雪はとにかくこの目の前の人物――司波龍郎が嫌いだった。

 

母親が死んだ途端、他に女を作って出て行った男が今更自分の子供に何の用だろうか。

 

「それで……何か、御用でしょうか」

 

とはいえ、ただ見つめ合っても何も終わらない(・・・・・)

 

それを知っている深雪は、さっさと始めることにした。

 

『ああ』

 

そんな深雪の機嫌の良さ(・・)を感じ取ってか、龍郎もためらう事なく頷いて口を開いた。

 

『まずは深雪。第一高校入学、おめでとう。そんな事を言えた口ではないのは分かっているが、祝わせてくれ』

 

「……? ありがとうございます」

 

この言葉に、深雪は驚きよりも懐疑の念を覚えた。

 

だって。深雪に言うためだけならば、『そんな事を言えた口』などと付け加える必要はない。素直に『おめでとう』だけで充分な筈だ。

 

だから、深雪を驚かせたのは龍郎のこの後の言葉だった。

 

『それと、達也(・・)にもおめでとうと伝えておいてくれ。連絡したのだが、都合が悪いのか出てもらえなくてね』

 

「……!」

 

深雪は思わず、口元を手で覆い隠した。あんぐりと開けた口を見られない為という事もあったが、自分が何を言い出すか予測できなかったからだ。

 

「……どういう、風の吹き回しでしょうか」

 

だから、散々悩んだ挙句に絞り出した深雪の言葉が、相手の祝辞を素直に受け止められなかったという事実を露呈させていたのも無理はない。

 

それを龍郎もわかっていたのか、その意図を素直に暴露することにしたらしい。

 

『いや……もののついでだが、彼に注意しておいてほしいことがある』

 

この一言で、深雪はこちらが本題だと察した。あくまで、推測に過ぎないが。

 

「……お伺いします」

 

なんだ、やはり何か目的があるのか。

 

ならばすぐに本題を聞いて切ってしまおう、と深雪は考えた。

 

だが「龍郎が達也に気をつけてほしい事」に興味が無かったわけではない。むしろ兄の(自分との)生活を妨げる障害になるならば、どんな仇敵の忠告であっても深雪は受け入れる覚悟が出来ていた。

 

『……彼が、今年第一高校に入学すると聞いた』

 

ただ、その忠告は抽象的過ぎて深雪にはその意図が読めなかった。

 

「……彼、ですか? どなたでしょう?」

 

しかし、深雪の返事を聞いて今度は龍郎が表情を変えた。

 

『比企谷八幡君……というんだが、彼ら(・・)から聞いていないのかい?』

 

彼ら。龍郎の指す団体、或いは集団はつまり、四葉家。個人ではなく複数形で言っているがそれも、恐らくはその当主、四葉真夜のことだ。

 

「……いいえ。叔母さまからは、何も」

 

それを理解して深雪は、首を横に振った。

 

『そうか……なら、この後にでも連絡が来るかもしれないな。私はここの辺りで切り上げさせてもらうよ』

 

しかし、そこで龍郎があっさり引くとは思わなかった。四葉が警戒する情報であろうと真夜がそれを伝えてくるとも限らないし、聞いておきたいとつい焦った深雪は、

 

「え……あ、あのっ、もう少し、お聞きしてもよろしいでしょうか」

 

深雪が生まれてから龍郎に対してこれまで一度もした事がない、「父親に対するおねだり」というものをする羽目になった。

 

それを受け、達也はともかく深雪の事はそれなりに気にかけていた龍郎は、深雪の「おねだり」を聞いても僅か数秒しか会話を延ばす事はしなかったが、その会話の中で深雪が気になる一言を話した。

 

『比企谷八幡は……四葉を滅ぼす存在だ。とにかく、君も達也も、彼にだけは気をつけるんだよ』

 

一瞬、その言葉の意味を考える。考えて、どうしようもできず、返事をすることにした。

 

「……畏まりました。お兄様にお伝えしておきます」

 

『ああ。よろしく頼むよ。ではね』

 

「はい。失礼します」

 

深雪が頭を下げ、そして、画面がブラックアウトする。基本的に電話をかけてきた相手より先に電話を切る事を深雪はしないが、礼節も何もそもそも相手は実の父親だ。深雪は頭を下げずにそのままビジフォンに触れても良かったのだが、――兄の手前(・・・・)、淑女たる深雪にそんな不躾な態度が出来るはずもなかった。

 

「……お兄様、聞いての通りですが、一体どういう事でしょう」

 

カメラに映る範囲外の場所でずっと会話を聞いていた達也に、深雪が振り向いて尋ねる。

 

「わからない事だらけだな……。親父が俺の事を気にかけた事もはっきり言って変ではあるが、比企谷八幡……調べても、特に変なもの(・・・・)は出てこなかった」

 

深雪と龍郎との会話の中で「比企谷八幡」というワードが出てから、達也は端末でその名を調べていた。

 

だが、達也の端末に表示された検索結果は該当ゼロ。

 

達也や深雪のように情報統制・操作が完璧に行われ、データが偽装されているのではなく、そもそもそんな人物が存在しない。

 

カタカナ、アルファベット、ひらがなは無論のこと「比企谷」の他に「比企ヶ谷」で検索してもヒットは無し。

 

「だが、親父があれだけ言う相手だ。気になる事だし、本当に危険であれば四葉本家から連絡が来るだろう。親父と違って、四葉にはお前を庇う理由がある」

 

「……はい」

 

機械のように推論を立てる兄に、深雪は重く返事する。達也の言葉は言外に『重要なのは深雪だけであってあくまで達也は付属品』と自嘲していたからだ。

 

(お兄様……深雪は嫌です。そのように自分の身を軽くお考えにならないでください……!)

 

だが、このやり取りも今に始まった事ではない。先程まで話していた龍郎も含め、これまで幾度となく繰り返されてきた事だ。今更それを指摘しても、それこそ「今更だ」と返されるだけ。

 

だから深雪は、この痛みを胸の奥に深く仕舞い込む事にした。

 

四葉真夜から「四葉の敵」についての情報が届いたのは、このすぐ後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……などという思わぬ情報提供があり、深雪と達也は八幡の事を知っていた。

 

四葉の敵。四葉を滅ぼす者。だが、それとは別に、四葉の当主たる真夜が、執事である葉山を介せずに直接達也たちにもたらした情報が一つあった。

 

『あの子は……自分で勝手に傷ついていく、馬鹿な子なの。だから、罵詈雑言を浴びた所で何もこちらに損害は出たりしないわ。言葉は殆どが上辺だけ。彼を見るなら言葉ではなく行動を見なさい。それが、彼という爆弾を理解するに一番手っ取り早い方法だわ』

 

爆弾? という深雪の質疑に対しては、

 

『アレは、存在自体が精神干渉魔法のようなもの。彼が行動を起こす度に周囲の人間が心を痛めつけられる。彼が取った行動の結果によって。本人は自分だけが傷ついて誰も傷ついてない……なんて思い込んでいるけれど、実は周りの事を考えていない。自分の気持ちですら、上辺だけでしか考えていないのだから』

 

嘆くように息を吐き、真夜は続ける。

 

『だから、関わるなら最後まで。余計な災厄を被りたくないのなら、徹底的に関わるべきではないわ。それだけよ』

 

そう言って、言いたい事を言いたいだけ吐き出して、真夜は通話を切った。

 

真夜直々の忠告を受けてこの兄妹は、積極的には動かない、だが来るなら来るで迎え撃つ、というスタンスで行く事にした。

 

他人が傷つく姿程度で今更何か思う達也ではないし、今は亡き母親に徹底的に教え込まれた深雪も同様だ。

 

……まぁ、昨夜聞いた話が一体何の役に立つのかといえば、今、この瞬間、何も役立つ事はなかった。

 

「四葉深夜」の名を、四葉との血の繋がりを言われた事ではない。その、少し後。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………なっ、……っ、……うぅ…………!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深雪は、その美顔を真っ赤に紅潮させていた。

 

その恥じらう姿を見て、相対する八幡の顔も自然と紅潮する。

 

照れる、で済む筈がない。美しい、可愛い、もっと見ていたい、目の毒だからこれ以上見てはいけない、――恥ずかしい。

 

しかし、異性が顔をただ寄せただけで、完璧な美少女である深雪がこのように恥じらう訳はない。達也に迫られたらその限りでもないのかもしれないが、少なくとも達也はこの瞬間、深雪の近くに居なかった。

 

深雪の小さな口が、ただぱくぱくと開閉する。酸素を求めて、ではなく言葉を発そうとして、だ。

 

「……わ、悪い……」

 

八幡が手を引く。

 

「……っひぃう!?」

 

しかし、その瞬間におよそ人の声として聞いたこともないような美しい悲鳴を深雪が上げ、八幡の手が硬直し、手の動きが止まった事によってまた深雪が小さく悲鳴を吐く。

 

それを見ていた達也は、衝動的に、或いは反射的に、魔法の照準を八幡に定めていた。

 

材木座なる少年は、頭を抱えてその場に蹲っていた。

 

そして、それを見ていた第三の目。本来は何事も無くこの少し後に見回りついでに()に接触するつもりだった生徒会長は、貼り付けていた鋼鉄の笑みを取り外し、代わりにその美しい柳眉を釣り上げ、彼に接近していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

比企谷八幡、司波深雪の胸を揉む。以上。

 

 




あーしさん出てねぇなぁ……とか思ってます。


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ついに彼女は彼の望まざる場所へと到達する。



六道とか全く触れてないな……って思いました。


倒れた材木座の手を引いて立ち上がらせ、じゃあこれで――と別れようとした八幡。

 

だが、自分達の秘密を暴露する可能性がある存在を、四葉たる達也と深雪が放っておくはずもない。

 

「待ってください! 話はまだ終わってません!」

 

「他言する気はねーよ。つまらんし、何より暴露する理由がな――いっ?」

 

呼び止めた深雪に八幡が振り返り――きちんと振り返る事が出来ずに――何故か何もない所で先程の材木座と同じように躓いた八幡が、呼び止めようと接近していた深雪を押し倒し、その乳房を掴んでいたのだった。

 

「……あ……いや……その……だな」

 

口ごもり、しどろもどろになりながら八幡は言い訳を探そうとしている。だが、その前に異変が起こった。

 

八幡の頭からサッと血の気が引き、その唇が青くなる。その視線の先は深雪ではない何処か遠くを見ていて、だがそれは今現在セクハラを受けている深雪には関係が無かった。

 

「早……く、退けて下さい! その手を!」

 

退けなさい、と命令形出なかっただけ、マシというものか。

 

生まれてこの方兄以外の男性に気を許した事はない深雪は、今日初めて、男性に押し倒され、あまつさえ胸を揉みしだかれている。

 

それでも即座に相手を氷漬けにせずに言葉だけで済ませられているのは、ギリギリのところで深雪の理性の勝利だ。

 

だから、横から達也が八幡を蹴り飛ばしたのは、当然の仕打ちだった。

達也の右足靴が咄嗟にガードした八幡の右腕を捉え、バギボギと骨を破壊しながら八幡の体を吹き飛ばす。

 

「妹に……触れるな」

 

そう、冷徹に冷酷に妹に対する不埒者を見下げ果てる兄。

 

その視線は、ただの同級生程度に向けられる生易しいものではなく、ハッキリとした敵対者に贈られる敵意の現れだった。

 

ごろごろと地面を転がる事なく、ザッ、ズッ、と擦れる音を数回響かせただけで、八幡の体は建造物に激突した。

 

幸い壁などを破壊するには至らなかったものの、ガードした八幡の右腕はボロ雑巾のように垂れ下がり、地面を跳ねた制服は当然破れたり汚れたりと、無傷であるはずもなかった。

 

「……うぉぶ……ごぼっ、ぶ、……げぇふ」

 

彼の口から血が滴り、吐き出そうとしたそれをすんでのところで飲み込む。かなりの重傷であるが、意識は失っていないらしい。

 

愛しのお兄様が天誅を与えたお陰か、深雪の沸騰しかけていた溜飲は下がりつつあった。

 

それ以上襲ってくる気配もない(この押し倒しにしてもただの事故だ)ので、達也はただそれを見ていた。

 

だが、やり過ぎてしまったのも事実だ。このままでは恐らく、彼は三日から五日の間はベッドの上。恣意的ではなく、事故の意味合いが強い八幡の行動にそこまでする必要があったとは思えない。

 

だから、達也は自分が自由に使える数少ない魔法を行使しようとした。

 

治癒魔法ではなく、物質の時間を巻き戻す魔法を。

 

――と。

 

「……あ゛あ。 ――いや、本当、悪い、……すまなかった」

 

彼ら兄妹の背後からかけられる声。未だ兄に手を差し伸べられて立ち上がる途中だった深雪は、その明らかな異常事態を前に瞠目した。

 

八幡が吹き飛ばされていった方向は間違いなく彼ら兄妹の正面で、その声が聞こえたのは「背後」。あり得る筈は、絶対になかった。

 

(眼前――)

 

八幡が倒れているはずの場所には、何も(・・)ない。

 

それどころか、八幡が転がって傷ついたり地面に付着した血痕すら見当たらないのだ。

 

まるで、達也が八幡を蹴り飛ばしてから全てが幻だったのではないかと思える程に。

 

「これで手打ちにしてくれると助かるんだが……」

 

思わず、達也と深雪は振り返ってしまった。そして、二人はその顔を驚愕に染める。

 

そこには。

 

「はぁ……入学初日に揉め事とか……入学式ですら始まっていないのに、アイツ(・・・)の言う通りじゃねえか」

 

無傷の――比企谷八幡が、綺麗な形の右手で頭をがしがしと掻いていた。

 

「――どう……やって――」

 

達也が、驚きの表情を隠せずにいた。

 

(……魔法の発動は無かった。断言していい。だが、傷が治っている? まさか幻覚――)

 

「魔法……だと?」

 

「ん? ……あぁ、魔法だよ魔法。まーほー」

 

ぷらぷらと手を振りながら、途端に戯ける八幡。その様子が達也には、知人の坊主でありそれ以前に『忍び』でもある、とある僧都と重なって見えた。

 

「……あり得ない。一体何をした!」

 

確かに肉を叩く手応えはあった。骨を砕く感触もあった。ダメージは肋骨や脊髄などには達していないだろうが、それでも確実に、すぐに回復するような痛みでは無かったはずだ。

 

ましてや、幻覚にかかったと言うならば達也が気付かない筈はないのだ。

 

叫ぶように聞く達也に八幡は、はっ、と乾いた声を上げ、

 

「『ありえない』なんて事はありえない……だったか。自分が視える(・・・)世界が全てじゃないんだから、当たり前だろ。職業柄、投げられて受け身を取るのは条件反射に近くてな」

 

言って、八幡は正面に立つ兄妹を見定めた。

 

「……まぁ、俺が言いたいのはそうじゃない。本当に、済まなかった」

 

そう言って、八幡は頭を下げる。それと同時に、彼らの足元に転がっていた〝何か〟が消失していくが、もとより誰も気づいてはいなかったので認知される事は無かった。

 

「ええ、ええ。……まぁ、……何をしたのですか?」

 

赦しの言葉を口にしようとして、やはり納得が出来ずに深雪は八幡に尋ねた。

 

しかしそれを、八幡は眉を顰めて、

 

「何をした……って、お前の兄貴に肩を掴まれて(・・・・・・)引き剥がされて(・・・・・・・)俺が地面を(・・・・・)転がったんだろ(・・・・・・・)

 

確かに証言してみせた。

 

しかし、そこには彼ら兄妹との明らかな情報な食い違いがあった。

 

「……倒れたのは、どちらですか?」

 

「……俺から見て右側だな」

 

尚も聞き込む深雪に、八幡は訝しみながらも答える。それを受けて深雪は、浅く頷いた。

 

「……わかりました。あなたを許しましょう。ですが、今後二度とこのような事の無いように。次は止めます」

 

許す――そう口にしてはいるが、何をしたのかわからないという気持ち悪さと兄以外の男に胸を触られたという気色悪さで許す事など出来そうに無い。

 

だが、八幡は下卑た目的を以て――故意に、破廉恥な事をした訳ではない。敵意を持っていないのに、敵ではないのに必要以上のコトをするのは、流石の深雪といえど躊躇うのだ。

 

「……承知した。二度とやりません」

 

八幡も、深雪が何を止めるつもりなのか迄は、聞く気になれなかった。

 

「……じゃ、俺はこれで。材木座、行くぞ」

 

「はぽん……我、ガチで死ぬかと思った……」

 

未だに蹲っていた材木座を連れて、八幡はこの場から立ち去ろうとする。

 

だが。これだけで終わらない。

 

言っていたではないか。

 

第三の目――何者かが、接近していると。

 

八幡は達也に退けられる前、確かに顔を蒼白状態にしていた。

 

そしてその人物は、達也と深雪の正体を知って尚涼しい顔をしていた八幡の顔色を一変させる程の影響力――恐怖力と言い換えても良い――を持っている。

 

「……材木座! 早く行くぞ! 万が一にでも(・・・・・・)遅刻したらまずい!」

 

何故か八幡は途端に喚き出した。

 

「……ほむん? ……まぁ、承知した。だが、そんなに急がなくても――」

 

それはとある人物の到来を告げる烏の鳴き声であり、八幡にとっての更なる苦難の始まりでもあった。

 

「馬鹿! 急げ! 急がないと――」

 

「――急がないと、何かしら?」

 

「殺され――あふぇっ、転がされ……何でもない、です」

 

氷のように冷たい手が八幡の左肩に置かれる。

 

そして八幡は、文字通り――身動きが取れなくなってしまった。

 

「こっちを見て」

 

ぐぃぎぎぎぎ、と八幡の首が回る。

 

「……はっ、えっ、は、ははは……コンニチワ」

 

乾いた声、乾いた笑み。そのどれもがひび割れて、今にも崩れてしまいそうだ。

 

「あら、変な挨拶をするのね。今は朝。おはようと声をかけるのが普通ではないかしら、破廉恥ヶ谷君」

 

その光景を見て材木座は――明後日の方向を見ていた。

 

司波兄妹は、既にこの場所に居ない。

 

正確には彼らが、八幡の元へとやってくる彼女とすれ違っていた。

 

兄妹は入学式が執り行われる講堂へ。

 

八幡も後を追うように逃げようとして、失敗。

 

「貴方は私達(・・)とは違って、不用意に護衛(・・)対象に接触するべきではないのとあれ程言ったのに……」

 

嘆く声。その声の抑揚の付け方は、何処か四葉真夜の憂う姿を彷彿とさせる。

 

「……いや、なんか四葉真夜がバラしてたっぽいぞ、あいつら……」

 

(いや、雰囲気的には司波深雪か――)

 

そう思いながら、八幡はずっと下げていた顔を上げ、彼女と目を合わせた。

 

そこには、予想と寸分違わぬ姿で額に手を当てる黒髪の美少女――

 

「――何の用だよ、雪ノ下(・・・)

 

 

 

 

 

 

雪ノ下雪乃が、和かな笑みに氷のような瞳で八幡を見ていた。





七草真由美だと思った?
残念ゆきのんでしたー!

ま さ に 外 道


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やはり彼の青春ラブコメは間違っている。

これ考えてる時に他のアニメを見なければ……こんな事には。

当該はこれより多重クロスハーレム作品です。無理な方はブラウザバックを推奨いたします。

前話の八幡が言っていた「アイツ」も要素の一つだったりします


 

 

一悶着から、数分が経過した後。

 

「よく我慢したな」

 

達也と深雪は、新入生総代である深雪が行うスピーチや式の段取りの確認、入学式の前の最後の打ち合わせを行う為に彼らが立ち止まったこの場所で別れる事になっていた。

 

「はい、……いえ……その、彼には確かに嫌悪感と敵意を抱いたのですが……」

 

達也の慰めに、しかし深雪は神妙な顔をする。

 

「?」

 

暗黒の中で雲をつかむように言葉を探していた深雪は、漸く考えを纏める事ができたのか、顔を上げた。

 

「そこまで憎む必要がない……と言いますか、不思議と彼と接していて心が軽くなっていたんです」

 

「……まさか、お前……」

 

「そんな事は断じてありません! 心が軽くなったというのも自分で感じてそこまで深い憎しみに囚われなかったというだけで、深雪はお兄様のものです! ……でも……」

 

違和感を拭えずにいる。精神干渉魔法を使われたのか――などと考えつつ、ほぼ何もわかっていない状態で国防陸軍や四葉への協力要請は無意味だと悟り(四葉の場合は知っていても教えてくれないだろう)、その他で一番身近な情報通の知り合いに聞いてみる事にした。

 

 

 

 

 

 

雪ノ下雪乃。

 

魔法師。女性。年齢十五歳。趣味、読書乗馬映画鑑賞等々。好物は甘味全般、猫グッズや猫という存在に対しては目がない。逆に犬が苦手であるが、嫌いな食べ物に関して八幡は知らず。一科生として魔法科高校の入学試験に合格する事は当然の才女であり、彼女が肩に六花のエンブレムを着けているのもまた、自然な事だった。

 

「ねぇ、知ってるかしら?」

 

「……な、何が。豆しば?」

 

彼女もまた美しさと可憐さを併せ持つ美少女である事に間違いはないが、彼女は今、殺人鬼と同じ目をしている。この状態の彼女に対して乾いた笑みしか出ないのは、決まってやましい隠し事がある時。

 

つまり、詰んでいた。

 

「旅客機って牽引車が押したりしてるから後退が出来ないと思われがちだけど、理論上は普通にできるのよ。後退するためには燃料を大量に消費する必要があってコストがかかり過ぎるとか、周りにものがあってプロペラに吸い込まれる危険性があるだとかの理由で自力でする事はないけれど」

 

「……へー、そうなんだ……あれ、今なんでそんな話を……???」

 

腕を組み、目を閉じて雪乃は続ける。

 

「例えば、比企谷君の様な腐った目をしたゾンビが空港に大量に湧いて、旅客機で逃げる、という事態に陥った時、旅客機だけで逃げられる訳なの」

 

「あれ、なんでゾンビ? 雪ノ下さん映画の見過ぎじゃ……」

 

「いざという時、どういう時かはわからないけれど、そういう事も出来なくはない。つまりはそういう事よ。さて比企谷君、貴方は今『いざという時』の最中だと思うのだけど、どう? 何か隠し手はあるのかしら?」

 

「……」

 

やけに早口な雪ノ下雪乃嬢。その表情、耐え切れず失神した材木座やその場から感じ取った雰囲気、これまでのやり取りを総合して判断してみる事に。そうして精査された答えを、八幡は雪乃に提示する。

 

「……もしかして怒ってる?」

 

「ええ此処が学園内で監視カメラの範囲内でなければ今すぐ貴方の本体(・・)を粉微塵にしてる所よこのスケコマシ」

 

八幡が声を上げると、その美しい顔に青筋が浮いた。……ように見えた気がした。

 

「本体って……心外だな。此処にいるのが俺自身で、本物だぞ」

 

しかし八幡は戯ける。戯けなければ死んでしまう「いきもの」のように。

 

その八幡を雪ノ下は覗き込むようにじっと見つめる。見つめられた八幡は、その黒色の双眸に紫色の光が灯ったような錯覚を覚えた。

 

相対する八幡の両頬を掴み、じぃ……と覗き込む雪乃。

 

へぇ、……ふぅん、……成る程、などといくつか呟いた後、彼の目を見たまま言った。

 

そして、彼女が見たままの先程八幡が行使した魔法(・・)のカラクリを解き始める。

 

「敵の自分との相対位置を一部として組み込む魔法なのね。攻撃を受けた瞬間、着ている「身代わり」の術式が文字通り身代わりとなってその後のダメージを受ける。ただ身代わりが実体化するという特性上、本体は身代わりが実体化してる間、虚数空間(何処か)に弾き出され、敵を中心として反対方向に行ってしまう。魔法ではあるけれど同時にその本質である貴方は虚数空間に隠れてしまうから、実体であるだけの身代わりからは何も視れず魔法の発動は察知されない。……面白い術式ね。いつ考えたのかしら?」

 

「さっき。材木座を転ばせようとして出来た仮想空間の応用だ。2回目に出来た時は自分で躓いたし、完成したのは司波深雪の胸を揉んだ時にやっと形になったんだ」

 

最後の一節で雪乃の眼力が強まった。だが、それよりも魔法分野にも多彩な才能を発揮する彼女にとっても興味深い一言でもあり、彼女の意識は自然とそちらにも向いていた。

 

「相変わらずの早業……初めて掴む魔法を、毎回毎回どうやっていきなり実用レベルに調整しているのかしら。魔法の中身よりもそちらの方が気になるわ」

 

「教えなー…………あっ、はい、いえ、滅相もございません」

 

眼力どうのこうの以前に殺意が高まった雪乃は、八幡の誤魔化しが効く相手ではなかった。

 

眼光に射竦められた八幡は「まぁいいわ」と追求をやめた雪乃にむしろ感謝しながら、一歩後退りした。

 

「それよりも貴方、私に聞かなきゃ行けない事があるのではなくて?」

 

笑み。彼女の浮かべる笑顔は八幡にとって殆どが恐ろしいものばかりであるが、場合によっては微笑ましいものを見る目で見ている時もある。

 

「ところで、雪ノ下様は何故此処にいらっしゃるのでしょう……?」

 

そんな事などほぼ無いと知っておきながら、八幡はつい尋ねてしまう。

 

「遠い地より、貴方に死を届けに」

 

(理由になってねぇ)

 

正義を振り翳す人間と暴力を振り翳す人間の目は似ている。八幡はそう思った。

 

これは話題を変えるしかない――そう判断する事にして、八幡は目の色を変える。

 

「あ……あれ? そういえば七草姉は? こっちに向かってた筈だけど」

 

にこやかにフレンドリーな何処か癪に障る笑顔を浮かべるあのイケメンを思い浮かべながら、それとは程遠いモノを顔に貼り付け、雪乃には「葉山君の真似かしら? ……全然似てない上に貴方の顔にも似合ってなくて気持ち悪いわね」と言われてしまっていた。

 

「七草生徒会長なら此処には来ないわよ。来ようとしてたみたいだけど、偶然にも(・・・・)大変な仕事が舞い込んできたみたい。今はそれの後処理に追われているのではないかしら」

 

「何したんだよお前……」

 

今度は八幡がため息をつきながら雪乃に訊いた。

 

「別に? ただ彼女、少しばかり疲れていたみたいね。此処は見えているのに、道に迷って辿り着けなくて困っているのではないかしら」

 

道に迷う。この場所に於いて、そしてかの生徒会長に於いては絶対にあり得ない事をしでかした雪乃に、八幡は半眼を作り向けた。

 

「道を隠す術式と道を間違える術式か……そんな事をして発覚したらどうすんだ? 婚約者(・・・)に対して顔が――というか、言い訳が成り立たないだろ」

 

婚約者。それは言外に「雪ノ下の」が付いていて、雪乃の婚約者といえば、彼らの間ではただ一人の事を指していた。

しかし、それを指摘されて尚雪乃の表情が陰る様子はない。

 

(こういう話題はハッキリと顔を変えて嫌がるのに――?)

 

しかも、

 

「ええ、そうね。葉山君は元より、四葉の方々にも申し訳ない事になるわね」

 

何故か、無邪気に笑顔を浮かべる子供のような微笑ましいものを見る目をしている。

 

或いはその眼差しは、仕掛けたイタズラがバレるのを今か今かと楽しみにしている悪戯っ子のようでもあった。

 

(一体――)

 

ピピッ、と不意に八幡の携帯端末の着信音が鳴る。

 

「見て良いわ」

 

まるでその中身をしているかのように、雪乃は頷き自身の髪を払う。

 

恐る恐る八幡がそのメールの中身を見ると、

 

「……! まさか、雪ノ下……!」

 

思わず、振り返る。すると雪乃も嬉しそうに顔を赤面させて、ふにゃふにゃと口元を緩める。

 

「……っ、え、ええそうにょ。そにょ通り――」

 

二人は顔を見合わせて、

 

 

 

 

 

 

「……アイネ・ブリーゼ……新作……ケーキだとっ……!」

 

「雪ノ下家から正式に比企谷家に対して婚約の話を――って、え?」

 

 

 

 

 

 

彼のケータイには、彼がここ最近で贔屓にするようになった喫茶店のマスターから新作ケーキの写真が送られてきていた。

 

彼好みのとろりと甘いミルクコーヒーの写真と共に。

 

「雪ノ下! お前もあそこのマスターと顔馴染みだったのか? やったな、新作のケーキが試食できるぞ!」

 

文面は「今度店に出す新作ケーキの試作第1号が完成したから、食べにおいで?」というもの。何人か知り合いがいたら誘ってみてほしいとも書かれていた。

 

何が彼をそこまで熱狂的にさせるのか小躍りでもしかねない勢いで喜びを露わにする八幡だが、雪乃の言いたい事はそうではなかった。

 

「……いえ、そうではないのだけど……もう良いわ。何でもないの。……それで、アイネ・ブリーゼ……? 比企谷君が贔屓にしてるお店なの?」

 

「……あ、いや、まぁ……な」

 

しかし途端に、それまでマシンガンの如く口達者に話し続けていた八幡の歯切れが悪くなった。

 

その視線は、先程と同じ携帯端末に釘付けにされている。

 

「……? どうし――」

 

『たのかしら』まで雪乃の口から発せられる事は無かった。

 

彼女も、その文面には釘付けになっていたからだ。

 

『お兄ちゃん♪ 朗報だよ! 雪ノ下さん家から婚約のお話が来ましたー!』

 

「なっ、これっ、どっ……」

 

雪乃はまともな言葉すら継ぐことができていない。顔を赤く染め上げ、眠くなってしまいそうな程に頭がクラクラしていた。

 

その一方で、何故か顔を青くした八幡は無言で画面をスクロールする。

 

正気を失いそうになるも何とか気を正常に保ち続けた雪乃は、八幡の視線のその先を追うように彼の注視する画面に視線を落とす。

 

……とその直後、中学校時代の氷の女王と八幡に名付けられた程の冷ややかな恐怖の視線が、八幡に向けられた。

 

目を向けられた本人はそれに気付いてか気付かずか、身震いをする。

 

「……『いやー、それにしてもオーフェリア(・・・・・・)さんや優美子さんに結衣さん、真由美お姉ちゃんに香澄ちゃん泉美ちゃん、雅音(・・)(まさね)お姉ちゃん、光里(・・)(みのり)さん、澪さんにリーナさんとリーレイちゃん達に加えて雪乃さんも参加とは……小町ったらお嫁さん候補が多過ぎて選り取り見取りですよ? ていうかハーレムを超えてるよねこれ。』…………は?」

 

メールを声に出して読み上げた後、絶対零度の冷気を纏った雪乃からケータイを隠すように両手を上げて……紛う事なき降参のポーズだった。

 

「……落ち着こう、雪ノ下。お前は今、見間違いをしている。勘違いと言っても良い。お前が見たのはアイネ・ブリーゼの新作ケーキのメールだけ。間違いないな?」

 

「……間違いだらけだわ、比企谷君。貴方のその腐った目もそうだけど、他の全てが。一体どういう事かしら。いつからこの国は一夫多妻制なんて不純かつ理不尽極まりない腐った制度が認められるようになったの? 無作為に貪る愛は本物と呼べるのかしら?」

 

「……いや違うんです気付いたらこうなっててどうしようもなくて事情を説明してるのに誰も引く様子がなくてほんとごめんなさい……」

 

「ゆ・る・さ・な・い」

 

先程の深雪の件ですら雪乃の怒りは収まっていないというのに、ここに来てまるでその連中に比べて自分が出遅れているかのような事実が発覚。

 

婚約を持ち出した事による気恥ずかしさなど、何処かに吹き飛んでしまっていた。

 

例え出遅れてもあの女教師のように行き遅れになど絶対になるものかと吹き飛んだついでに色々と勘違いしてしまっている雪乃は、何に対する怒りかすらわからないまま、一目散に逃げ出そうとする八幡の頬を掴んで怒りの笑みを浮かべ、そのまま彼を入学式が執り行われる講堂へと引き摺っていくのだった。

 

 





この後八幡はゆきのんにザ・ワールドからのナイフ滅多刺しにされましたとさ。



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閑話『New era』

『「せんせい」。どうして人は人を殺しちゃダメなんですか?』

 

……チカチカと、色とりどりのランプが点滅している。

 

六畳程の面積の部屋の中に所狭しと並べられた電子機材を眺めながら、薄紫色の検査服を着た少年は隣に立つ白衣の男性に語りかけていた。

 

『それはね。〝いらない事〟だからなんだよ。我々は群れを成して生活する生き物。殺し合うことは自らデメリットを生み出してしまう事になるからだ』

 

タブレットに触れる男性は少年に一瞥もくれる事はなかったが、少年の質問に答える声色は優しげだ。

 

『でも、「よのなか」には人を殺すのが好きな「さつじんき」や一人でいる「こと」を好むヒトがそんざいするとデータで見ました。「だんたいこうどう」をしない、好まないヒトは、「せんせい」が仰った〝「むれ」を成して生活する〟のカテゴリーには当てはまりません』

 

それに対し、少年の声は抑揚がない。それは感情が無いというのではなく、感情を削り取られた結果、残ったもので声を発している、というものだった。

 

『群れを成して生活すると言っても、それを構成する個人の感情は無視してよろしい。不必要に見えたとしても、実際そうであっても、それは社会にとって必要なものに他ならない。反面教師とかね』

 

『「ふひつよう」であるなら、切り捨ててしまうのが「ごうりてき」じゃないかと思います』

 

『いい事を教えてあげよう。林檎は何があっても必ず腐ってしまうんだ。腐敗した箇所があればそこから、腐った場所がなければいずれかの場所が。ただ、林檎に限らず果実は熟したものが一番美味い。だから、適度に熟している必要があるんだ』

 

『「じゅくす」イコール「ふはい」であると? それを許容するんですか?』

 

少年が男性に向かって顔を上げる。しかし、男性は変わらずに視線をタブレットに向けたままだ。

 

『だから「適度に」だよ。やり過ぎた・或いはやり過ぎる人間は処罰されなければならない。丁度、ガン細胞の様にね』

 

『「せんてい」の様なものでしょうか』

 

『ああ。樹の全体を美しく保つ為にはいくつかの間引きをするのも仕方ない事だ。だが君がそれを気にする必要はない。君は言われた通りの任務をこなせばいいんだよ』

 

『理解しています。……「せんせい」。「しつもん」があります』

 

そこで初めて、男性が言葉以外に反応を見せた。

 

ちらり、と少年の方を見やり、タタタタ、とタブレットに触れるスピードが速くなる。

 

『なんだい?』

 

『「せんせい」が仰る通りであれば、「わがくに」は「てきこく」に対して絶対的な「しょうり」を治める「ひつよう」が有りません。「ゆうれつ」の「もんだい」を除外するのであれば、「われわれ」が存在する方が「ひごうり」です』

 

『ふむ。何故そう思うのかな?』

 

『「われわれ」は「いっぱんじん」とは違います。学習したデータの中には「にんげんしゅぎ」なる「われわれ」に対しての「てきたいしゃ」がいます』

 

『……続け給え』

 

一瞬指を止めた後、男性はその論の続きを話すことを許可した。

 

但し視線は、タブレットでも少年でもなく、彼らを監視する自動照準機能付き無限自動小銃に向けられていたが。

 

『「われわれ」の数に対して「いっぱんじん」の「かず」は何十倍もいます。「いっぱんじん」に「われわれ」の「ぎじゅつ」を伝えることが難しい以上、「こうきょうせい」の低いものを持つ「われわれ」が繁栄し存続するしかありませんが、それは「いっぱんじん」の「そんざい」を悉く駆逐する「みらい」です』

 

『……それはまずい、と?』

 

タイピング速度が初めの比ではない。今や、五指全てをフル活用して彼はタブレットに文字を打ち込んでいた。

 

『先ほどの「せんせい」の「はなし」です。「せんてい」をする必要はあっても、「き」を切り倒すようでは「ほんまつてんとう」です』

 

『だから、一般人という大樹に魔法師(我々)という腐敗が進む前に、切り捨ててしまう方が効率的だ、と?』

 

『はい』

 

『ふむ……確かにそうだな。君の言う通りだ、比企谷八幡君(・・・・・・)

 

そこまで話を聞いて、男性は初めて少年の方を振り向いた。

 

キュイイ、と銃が動作する音が聞こえる。

 

何よりも彼ら(・・)は、これ以上少年がコンピュータのような完璧な理論に到達しているという事実を、嫌悪しているように見えた。

 

『「せんせい」。最後にもう一つ、「しつもん」があります』

 

『……? なんだ?』

 

少年は、相変わらず抑揚のない声で話し続ける。

 

彼らに向けられた銃口は、その全てが火を噴いていた。

 

『今のこの「しゃかい」に、「じゅっしぞく」は必要でしょうか』

 

ドガガガがががががががががダダダダだだだだだだダダダダだダダダダダダダダ!

 

――直後、部屋は硝煙と金属がばら撒かれる音、小銃の弾痕を刻む音で視聴不可能となった。

 



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醤油とプリンと自意識過剰お姉ちゃん

風邪ひきました頭がいたいです


『穏やかな日差しが注ぎ、鮮やかな桜の花びらが舞う、このうららかな春の佳日。名門国立魔法大学付属第一高校に入学する事が叶い、とても嬉しく、また光栄に存じます』

 

そう言って新入生の答辞を読み始めたのは、十数分前に八幡がその形の良い胸に彼の五指を沈み込ませた司波深雪嬢だ。

 

「……。……っ!?」

 

やる事が無くて、意味もなく深雪の胸に触れた手を握ったり開いたりしてみていると、彼の正面から凍死してしまいそうな程の冷気が吹きつけた――気がした。

 

しかし、ふと気になって後方の席を振り返ってみると、達也が隣に座った女子二人と何やら話している。

 

(ああ、そういうことか)

 

恐らくは、達也が顔を向ける女子二人に嫉妬しているのだ。それを声や表情には微塵も感じさせず、雰囲気だけを八幡に当てに来るのは流石(?)としか言いようがないが、

 

(……『私の胸揉んだ手で何余韻に浸ってんだコラ』って顔してる……)

 

極冷の闘気が答辞を読み上げている深雪からは発せられていて、八幡は顔を青くしながら即座に手をにぎにぎするのをやめた。

 

手の動きだけであそこまでの怒りを見せるなんて、余程怒りが治まっていないか――それがわかってしまうくらいに、ただずっと八幡を見つめていたのか。

 

そのどちらでも八幡は『え? 何? 俺の事気になるの?』なんて感想(げんそう)を抱いたりはしない。

 

何故かといえば、ただ、彼を襲う風は正面からだけに留まらないからだ。

 

「……ヒキオ、何してんの?」

 

万象の未来を知る者でも無いのだから、彼はつい、で自分が犯した過ちの面倒臭さの全貌を知る事はない。

 

「……いや、ちょっと……」

 

ただの質問に違いはなかったのだが、どうやら隣に座る彼女(・・)は八幡のその(・・)反応で色々と察してしまったらしく、途端に目を細めた。

 

「……なに? あの子と何かあったの?」

 

あの子。優美子の視線の先には、春に咲き誇る、花ですらも自分との痛烈な格差を感じて蕾に戻らざるをえない程の強烈な美しさを放つ美少女がいた。

 

当然のように、優美子は比企谷八幡が司波深雪と「何かあった」と勘ぐっている。

 

「……い、いや? 何も無いにょ」

 

「絶対に何かあったし」

 

だが、彼女はその現場を見ていない。八幡をこの場に引きずってきた雪ノ下雪乃は、今はどこか別の場所にいるのだろう、というか背後を振り向かないでもハッキリとわかる、八幡の方にだけ怨念を送る八幡達よりも背後の方の席に座る黒髪の美少女なのだろう。

 

「知ってる? ヒキオが変に噛む時は何かやましい事があった時なんだよ」――と、彼の頬を掴んで引き寄せる、第一高校の新入生にして一科生、三浦優美子。

 

「変に噛む時ってなんだよ、なんでそんな癖知ってんだ幼馴染かよ俺は常に噛んだ事しかないにゃ」

 

「はい嘘」

 

彼は雪乃と共に講堂に到着するなり、背後から忍び寄ってきた優美子に「あ」とか何かを言う前に雪乃から引き剥がされ、今まさに埋まろうとしている席に滑り込むように着席したのだった。

 

「ていうか、どうして雪ノ下さんと登校してたの?」

 

深雪との因縁にはもう興味が無いのか、優美子はケータイを弄っている。

 

「……あー、まぁ、あれだ」

 

それでも、八幡は恥ずかしげに顔を逸らし頬を掻きながら、はぐらかすように小さく呟く。

 

「どれだし」

 

「婚約を申し込まれた」

 

しかし、彼の口から話された内容は、彼女が想定していたよりも素直なもの。

 

だが、寝耳に水である事は間違いなかった。

 

「はぁ!?」

 

思わず声を上げる優美子。その声は講堂内に響き渡るような大きさではなく、精々が隣の席の生徒が顔を向ける程度の小さなものではあったが、ずっと彼を視界に捉えていた様々な視線は、より一層その眼力を強める――或いは鋭くする――こととなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プリンと醤油。一見合いそうにないその摩訶不思議な組み合わせは、合わせればウニの味になるのだという。

生まれてからこの方、仕事の用事のみはあるが高級料亭や高級寿司に何度か足を運んだ事もあり、当然そういった常識も備えている彼は、今更そんな子供じみた食の実験に興味などない。

だが、一見合いそうにないモノ同士が奇跡のコラボレーションを果たすことはままあり、マッ缶ほど和洋中すべての料理と引き合い調和を織り成す事は無いにしろ、そういう可能性がゼロパーセントでは無いのである。

 

……つまり。

 

「これからよろしく、オレは森崎……すぅえっ!? ……ひっ、比企谷か?」

 

「あ、おう……比企谷八幡だ」

 

(……俺が、森崎と知り合いなのは間違っている)

 

入学式を終え、八幡に限らず新入生一同は、卒業式の後にIDカードの交付を受ける必要があり、彼が彼として比較的目立ちにくい窓口に来ていた。

 

入学式よりも前に生徒証の発行が出来るのは生徒達の代表として受け取る事になっていた司波深雪のみであり、その他の生徒は例え次席であったとしても窓口に足を運ばなければならない。

 

そして、この学園に入学する一科生としては生徒証発行のし忘れなど言語道断であり、あとで送付してもらうよりも圧倒的に短時間かつ手間がかからないため、既に人が並び始めていた発行待ちの列に渋々並んだところ、その前にいたのが彼と同じ一科生として入学した森崎だったのだ。

 

「お前もまさかこの学校に来てるなんて思わなかったな。てっきり一般の高校に通ってるものだとばかり」

 

森崎の前にもまだ何人かは並んでいて、あと数分は手続きに時間がかかりそうだ。

だから、森崎が八幡の方を振り返って八幡と雑談をしていようと他に誰も咎める者はいない。他に話をしている生徒もいるくらいなのだから。

 

「その必要があったってだけだ。というか、お前こそなんだその格好。相変わらず外面には興味無しか」

 

興味なさげに、八幡は森崎のその容姿を指摘する。森崎は、場合によっては何工程もステップを踏む必要がある化粧はめんどくさがってしないし、肌の手入れも最低限しか行わない、ガサツな気性の持ち主だった。

 

「……う、うるさい! お前には関係ないだろ! …………オレだって、お前がここに入学するなんて知っていれば多少は気を使ったんだ……」

 

顔を赤くして俯く森崎昴(もりさきすばる)(♀)。スカートを靡かせる彼女は八幡と旧知の仲であるが、所詮はロッカールームの掃除用具入れに二人で入ったことがある程度の関係(半裸)であるに過ぎない。

 

共通の知り合いであり事情を知る材木座にはラッキースケベ担当などと揶揄されたりもするが、それが知れ渡れば血を見るのは明らかなので、八幡は全力で森崎ルートを潰そうと必死になっている。だが、二百年程前に行われた禁酒法時代にもあったように「抑圧されればこそ動いてしまう」といったジレンマは確かに存在する。フラグを圧し折ろうとすればするほど、より強靭に、大きくフラグは再構築されていく。

 

「……?『うるさい』の後、何か言ったか?」

 

「うるさい!」

 

既に、彼と彼女の『(えにし)』は切っても切れないものへと成長してしまっていたのだった。

 

彼と彼女は、今更他人のフリなど出来るはずもない。

 

「…………八幡くん」

 

だから(・・・)、それを見ていた彼女(・・)が八幡と森崎の関係に気づくのも、時間の問題(・・・・・)だった。

 

「……また、他の女の子とイチャイチャして……っ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七草真由美が比企谷八幡にとってどういう「言い訳」が通る相手なのかと言えば、言い訳に関しては少なくとも一度も通ったことはなかった。

 

『from:七草真由美』

『title:』

『八幡くん。雪乃さんに婚約を申し込まれたって、どういったシュミのお話なのかしら。あと何か森崎さんとも仲が良かったわね』

 

『from:比企谷八幡』

『title:Re:』

『いや、趣味も何も、向こうから申し込まれただけでして。先輩方と同じです。森崎って誰ですか』

 

『from:七草真由美』

『title:Re:』

『なるほど。つまり八幡くんはそうやってたくさんの女の子をキープしているのねー。あなたと話して顔を赤くしてた子よ』

 

『from:比企谷八幡』

『title:Re:』

『誤解を招くその言い方やめてください。答えは伝えてませんけど』

 

『from:七草真由美』

『title:Re:』

『その言い方だと答えは決まってるみたいね』

 

『from:比企谷八幡』

『title:Re:』

『まぁ、はい』

 

『from:七草真由美』

『title:Re:』

『どう返事するの?』

 

『from:比企谷八幡』

『title:Re:』

『俺と雪ノ下のやり取りなんで黙秘します』

 

『from:七草真由美』

『title:Re:』

『つれないなぁ。じゃあ、お姉さんへの返事はどうなのかな?』

 

『from:比企谷八幡』

『title:Re:』

『俺と雪ノ下さんのやり取りなんで同様に黙秘します』

 

『from:七草真由美』

『title:Re:』

『そっちじゃなくて私との婚約よ!』

 

『from:七草真由美』

『title:Re:』

『ちょっとまって。雪乃さんだけじゃなく陽乃さんともそういう話になってるの?』

 

『from:七草真由美』

『title:Re:』

『ちょっとどういう事? 返事ちょうだい』

 

『from:七草真由美』

『title:Re:』

『返事! あと森崎さんとはどういう関係なの!』

 

(めんどくせぇな……)

 

いよいよ四件目のメールが来てしまったところで、八幡は顔を上げた。

 

顔を上げた彼の目の前には、深雪とはまた違う種類の美少女がいた。ウェーブがかかった黒髪にかつてはトランジスタグラマーなどと比喩された、小柄ながらグラマラスな体型が魅力的――だと彼女自身が主張していた――な七草真由美生徒会長が、頬を膨らませて八幡を睨んでいた。

 

「……あざとい」

 

「あざといって何よ! これでも私はみんなから慕われるし「妖精姫」って呼ばれてるんだからね!」

 

「んな愛称で呼ばれてる時点で馬鹿にされてるような気がしますが……冗談ですよね」

 

「ふふん。ホントよ」

 

自慢げに胸を張る真由美。八幡はそれに一瞬だけ絶句した後、

 

「すいません転校手続きしてくるので事務の場所教えてください」

 

冷静になって今自分が取るべき対応を速やかに実行することにした。

 

「どういうこと!? こんな完璧美少女お姉ちゃんと同じ学園に通えるようになったのに、その幸せを放棄するの!?」

 

「自意識過剰お姉ちゃんがウザい……」

 

といってもその手段が実行できるわけなどなく、手を掴まれてブンブンと振り回される。

 

襟首や肩でないところがやはりあざといと感じながら、八幡はなされるままに振り回されているのだった。



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彼は独りで個型電車(キャビネット)に乗る

気にいらない。気にいらない。

 

あの男が気にいらない。

 

存在が気に入らない。

 

何よりも、あの男が幸せそうに当たり前の生活を送れている事が、気に喰わない(・・・・・・)

 

私だって頑張ったのに。

 

それを知って、その存在があると理解して、それに倣うと夢を追いかけて……夢を追いかけていたはずなのに、知るとしたら夢を知るしかないのに、現実を知った(・・・・・・)

 

当初は絶望感に苛まれ、すぐにそれを飲み込むほどの脱力感に襲われ、私は方向感覚を失ってしまう程だった。

 

でも、最近はそれが少し薄まってきている。

 

靄が解けるように、ではなくヘドロが泥水に変わるように、ではあるが。

 

今日、私は復讐を果たす。

 

えへへ。それを考えると胸がすくようだ。

 

ガシャコン、と射出する為に一度引っ込むそれを右手に携えて、私はニヤリとそれの切っ先を奴に突き付けた。

 

射出準備は既に万端。あとはエンジンを起動してこれを憎い憎いアイツに突き刺すだけだ。

 

喰らえ私の刺突改造型掘削機(レッドテンキュー)

 

これでようやく、私の復讐は始まる。全てが動き出す。

 

私の人生はこれ(・・)が楽しい!

 

 

 

 

 

『――来週放送開始!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……録画しとくか」

 

そう言って、八幡は見ていたCMのページに添付されていたアドレスから自宅テレビの録画スケジュール帳を呼び出し、パイルバンカーを手にした少女が復讐とかこつけて敵を虐殺していくテレビアニメの録画予約を入れる。

 

そもそもが漫画原作発であるこのアニメは、敵が人間でない(完全な空想上の生き物)のをいいことに、物語の端から端までを虐殺で描き切っている。

 

ヒロインのイイ顔や敵の苦しむ姿の描写が人気の元となっているこの作品は、映像化すること自体、無い(・・)と言われていたものの、見事にアニメ化を果たした。

 

敵を指すのに『男』とか言っちゃってるけどどうなの、なんて指摘は無粋と言われている。

 

相手は人間ではない。これでオーケー、なのだ。

 

……オーケーな、筈だ。

 

「……だが、俺が向き合うのはいつだって人間だ……」

 

人間社会で生きる以上「何を当たり前な」事を口にする八幡だが、それを言い出したらキリがない。

 

「比企谷君、何を見ているの? ……可愛い女の子ね」

 

入学式を終えて早々に同級生と壁を作りつつある雪ノ下雪乃が、彼の背後から画面を覗き込む。そして彼女()目を細めた。

 

「……言っておくが、俺はマッ缶と小町とサイゼ以外に興味はあまり無い。人間に関してもそうだ」

 

言い訳がましく聞こえるのは、彼の手元に見えるスマートフォンのせいだけではない。

 

今も彼の右隣には優美子がいて雪乃を睨んでいるし、左隣には雪乃が見たことのない女子生徒がいる。

 

しらばっくれた態度を取る八幡に雪乃は、

 

「それならこんな学校に来たりはしていないでしょう。それとも何か建前が必要なのかしら? 誑かし谷君」

 

と見下し、そして、場所は第一高校校門に程近い通路のど真ん中。

 

……誰もが憧れる魔法師の育成機関であるとはいえ、そこに通うのは年頃の少年少女。

 

つまり、控え目に見ても美少女である雪乃や優美子、それに準ずる存在である森崎を連れて彼ら3人の中心にいる八幡の存在が、注目されない筈などなかったのだ。

 

「一つ訂正するぞ雪ノ下。俺は誰も誑かしてなどいないし、此処には仕事で来ているだけだ。夢のある仕事で取り組み甲斐があるやつな」

 

「ヒキオ、訂正っていうのは間違った事を正す時に使う言葉だよ。悪意ある曲解や正しい事を間違っているように言うのは、ヒキオの言う偽物とか欺瞞とかだし」

 

「だから訂正できてないし、訂正の数がゼロの時点で間違っているな。保育園の積み木数えからやり直したらどうだ?」

 

「うっわなんで俺両サイドから攻撃受けてんの……」

 

その上、仲良くしている筈の彼女達からの攻撃。比企谷八幡に他に残された道は無く、彼女達から逃れるように歩みのスピードを緩めるが、その背中を雪乃に押されて檻の中へと逆戻りしてしまう。

 

その上、檻をこじ開けようにも鍵穴どころか扉が凍りついてしまっているので、脱出の為に出来ることは何もない。

 

白状――とはまた違うが、不機嫌そうな顔を彼は作ると、その目を雪乃に向けた。

 

「……なら、雪ノ下は何の為にこんな場所にいるんだよ。確か金沢のトコから声がかかってた筈だろ」

 

金沢といえばメジャーなものは兼六園や金沢城、グルメで言えば金沢カレーが一般的(・・・)に人気だが、魔法師の間で「金沢」といえばそれは、他に指す言葉が無い。

 

即ち、

 

「第三高校には折本さんが入学したでしょう。一条家の他に十師族も居ないのだし、一()で十分よ」

 

国立魔法大学付属第三高校の事である。

 

雪乃の言う「折本さん」とは「折本かおり」の事。そして、「折本かおり」は八幡の仕事(・・)にも関係のある人物だった。

 

元々東京――正確には千葉だ――に本拠地がある折本かおりの実家、折本家。しかし、その息女は千葉から一番近い第一高校ではなく、遠く離れた石川県に位置する第一高校と付属を同じにしている第三高校に入学をした。

 

第三高校の戦闘に重きを置く尚武の校風をかおり自身が気に入ったからという理由ではまるでなく(大体彼女は中学の進路希望調査では家からほど近い魔法と何ら関係のない海浜総合高校を挙げていた)、第三高校に彼女がわざわざ入学したのは、たった一つのそれによるのだ。

 

「一条……だけじゃ無いだろ、彼処らには「一」の家が結構ある」

 

「一色さんは十師族では無いでしょう」

 

第三高校に、「十師族の子供」が入学したからに他ならない。

 

十師族の子供が入学したからという純粋かつ明快な理由で、折本かおりも第三高校へと入学をした。

 

それは、この第一高校においても言える事だ。

 

七草、十文字、秘匿されているが四葉など。

 

十師族の出来るだけ側にいる事を目的として魔法科高校に入学している八幡や折本かおりには、十師族の護衛任務という一つの仕事がある。

 

それは、十師族のシステムが確立された日に同時に発足し、当時はまだ不安定だった十師族という貴重な財産を守る為でもあったとも、いずれ来る魔法師という存在に対する巨悪に立ち向かうためだとも言われている。

 

何より、魔法師としてそもそもが強大な戦力を持っている十師族がいざという時にきちんと力を発揮できるよう、彼らは設立された。

 

 

 

筆頭魔法師族重護衛格、通称『六道』。

 

 

 

比企谷や折本に始まり、雪ノ下やこの学校の教師を務めている平塚など、六道を構成する家の数は六つ。

 

当初は先述の通り十師族という存在を守る為の組織であった。が、今や貴重な戦力である十師族が護衛する必要もない程強大なチカラとなっているので、同じ程戦力を持ちながら無用となってしまった『六道』は『番外十師族』などとも呼ばれている。

 

それでも六道の任務が解かれず、表面上は変わらずに運用されているのは、『六道』の十師族参加によるパワーバランスの崩壊を避ける為である。

 

もし六道が無くなり、十師族を含む二十九家に彼らが参加するとなれば、十師族の二、三家が必ず没落すると言われている。

 

数字付きでもないというのに十師族を乗っ取られてしまう可能性があるのだ。

 

しかし、そういう事になるかもしれないと危ぶまれているだけで、自体や勢力の移行、均衡の崩れは実際にはほとんどない――いや、既に動く事は無いのだと断言されてもいた。

 

何故なら、六道を構成する六つの家のうち、既に葉山と雪ノ下の二つの家は四葉関係者の家であるからだ。

 

葉山は言うまでもなく四葉の執事葉山、雪ノ下は四葉が創られる時に使われた血筋の一つ。

 

故に、たとえ六道が無くなったとしても四葉の一人勝ちで状態は動かない――とされていた。

 

二〇八九年、比企谷家が六道に参入するまでは。

 

それまで歴史も脈絡もなく突如現れた比企谷家は、絶大な戦力を示して当時の六道である由比ヶ浜と交代する形で、六道に参入したのだ。

 

しかも、当時「最強」とまで謳われていた由比ヶ浜を比企谷は「戦力差」であっさりと打ち負かし、その席を奪い取った。

 

まるで、六道に入る事自体が途中経過である事のように。

 

 

 

 

 

 

「…………そろそろ、帰ろうかしら」

 

「ん? いや、帰ろうもなにも今帰ってんだけど……?」

 

「いえ、今日はこれで失礼するわ。また明日ね、比企谷君に三浦さんに森崎さん」

 

そう言って、軽く会釈した後、雪乃はその場から立ち去っていく。

 

八幡はこの後寄る場所があると彼女達には伝えてあるし、雪乃もこの後は家族と食事をするとの事。去り際に彼女は「きちんとお返事、頂戴ね」と言い残していた。

 

そのせいで優美子と森崎に頬を思い切り抓られた後、優美子が八幡の手を離し、

 

「……んー、あーしもそろそろ帰ろっかな。隼人(・・)も帰るみたいだし、あーしも姫菜達と一緒に帰る」

 

言って、優美子も校内へと踵を返していく。

 

優美子の姿が見えなくなったところで八幡が森崎に、

 

「そうか。よし、森崎もこの辺で帰ろうか」

 

「え? ……いや、オレはもうちょっと比企谷と一緒にいた……やる事があって」

 

と、引き離す事に失敗していた。

 

仕方なく駅まで歩く事になった(八幡がなし崩し的に負けた)二人だったが、校門に差し掛かった時、帰宅する生徒の多い中で唯一校門を通って校内に足を踏み入れる二人組を見つける。

 

一人は低身長の緑色の長髪を持つ、気弱そうな面持ちの女子。もう一人は、赤髪に何もかもが不満といったような仏頂面を浮かべる小太りの青年。

 

しかし、互いに特に何か反応を示すこともなく、そのまますれ違う。

 

ただ、すれ違い際に、

 

「……テメェが表舞台に出てくるなんざ珍しいじゃねぇか。どう言うつもりだ、悪趣味野郎」

 

「別に何をどうこうするつもりはない……って何回言えば良いんだ。お前もなんか俺が企んでいるように見えるのかよ、《悪辣の王(タイラント)》」

 

「ハッ、テメェを見て何も怪しくないと思う奴が居るとしたら、そいつの目は腐ってやがる」

 

「……俺の見る世界が間違ってるってのかよ」

 

「別に何処の誰と言ってねぇが? 自覚があるなら結構だ」

 

軽口、罵り合いの応酬。それを森崎と青年の連れの女子が見守っていたが、彼らはまだ動かない。

 

「お前こそなんでこんなところに居る」

 

「ころな」

 

青年は、八幡の問いには答えず隣の女子に視線を向けた。

 

「……えっ、えっと、はい! そちらの生徒会長さん達に招待されまして、色々と都合を合わせた結果、このような時間に来る事になってしまったのです……」

 

しゅん、と顔を俯かせるころなと呼ばれた女子に八幡は肩をすくめ、

 

「それでこんな時間にわざわざ来るとか、嫌がらせの極みだな」

 

「時間を守る必要がねぇからな。それなら、こっちの都合がつく時間に来てやったというだけだ」

 

そう言って、それ以上は言葉を交わさず、彼らは再び歩き始めた。

 

別れの挨拶すら、彼らの間にはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『もしもし八幡』

 

駅にて森崎とも別れ、一人個型電車(キャビネット)で帰路につく八幡。発車してから一分も経たずに彼の携帯端末が鳴り、相手は材木座義輝だった。

 

「どうした材木座。……調べたのか?」

 

惚けた表情から一瞬、眠たげに片目を閉じると、車内に遮音フィールドが展開された。

 

小規模で電子機器の通信機能のみを阻害する『電子紗幕』という魔法。出力も弱いがその代わりに特定の受信電波のみを妨害することが可能な魔法だ。彼らの間では主に、暗号通信の代わりなどで使用される。

 

『うむ。というか、昨日の今日で調べがついてなければ可笑しかろう。我も勿論だが、貴様自身(・・・・)の情報収集能力を侮るなよ』

 

「へいへい……それで、結果は?」

 

盗聴される心配もなく、周囲に目配せをすることもなく、虚空をただ見つめて八幡はケータイに語りかける。

 

『うむ。真っ黒だ』

 

「……やっぱりか」

 

聞いて、八幡は一呼吸分間を空けて、ゆっくりと息を吐き出した。

 

『やっぱりも何も最初から感づいていただろう。というかそうだと思っていたから我に依頼したのではないか?』

 

「いや……そうだけど、面と向かって言われるとやっぱ面倒だなって」

 

『安心しろ。もしあの中に本物がいたのなら、こんな連絡はせずに我は貴様を夜道で後ろから刺している』

 

「……その言葉を聞いて安心したよ。じゃあな、材木座。また明日」

 

『うむ、また明日。……刺されて死ぬなよ?』

 

「死なねぇよ。ホルマリン漬けになってるかもしれねぇけど」

 

『そうならない事を祈ってるぞ』

 

言って、八幡はケータイを閉じた。同時に遮音フィールドと電子紗幕も解除する。

 

直後、七草真由美や雪ノ下雪乃から多数のメールが届いた。その内容は八幡の安否を心配するもので、八幡はため息を吐きながら返信する。

 

『人混みの中を歩いてたんで、メールが来てませんでした』――と。

 

 

 

この日八幡は初めて、知人達に嘘を吐いた。

 

 

 

純粋な好意だけ(・・)を持って自分に接してきた者などいないと、そう感じて。



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やはり彼は、妹に頭が上がらない。



やっばいまだ森崎達とのいざこざどころか達也がレオと知り合ってない……





「ねーねーお兄ちゃん、今日何かあった?」

 

キャビネットから自走車コミューターに乗り換え、無事自宅に帰ってきた八幡。

 

彼の妹である比企谷小町が用意してくれた昼食を食べてまったりとテレビを見ていると、不意に頭上から声が降りかけられた。

 

「……そうだな、今日は入学式というビッグイベントがあったな。後、雪ノ下から婚約を申し込まれたりもした。後は……」

 

しかし彼は、冷静に振り返る事なく沈着な態度を以て征く(?)。

 

「……後、は? 言っとくけど、小町全部知ってるから」

 

だがしかし彼の妹は、それ以上に落ち着いて――否、凍りつくような視線を八幡に向けていた。

 

「――司波兄妹に、正体がバレた……とか」

 

「……へぇ〜」

 

思ったよりも素直に白状した兄に、小町は感心した目を向ける。あくまで感心した目というだけであって一切許していないのは、態度や声色や表情雰囲気その他諸々から容易に読み取れた。

 

「ねぇお兄ちゃん。ねぇねぇごみぃちゃん。六道に参加する時、『せんせい』から教わったよね? 小町達は六道になって日が浅いし、不用意な接触はやめるべきだって。十師族の古株の家の人達の中には、小町達じゃなくて結衣さん家をまだ六道だと思ってる人が居るんだって」

 

「……おう、そうだな」

 

ソファーから顔を乗り出し、影の付いた笑みを向けてくる妹からギギギと顔を背ける八幡……だが、そんな事で彼は妹の追及から逃れられた試しがない。

 

「なのにお兄ちゃんはバカなの? ……もしかして、孫の可愛さに目が眩んでつい手が出ちゃった、なんて言い訳はしませんよね、元造(・・)おじいちゃん(・・・・・・)?」

 

別の人物に声をかけるように小町は声色を変えるが、彼女の視界に収まっているのは相変わらず彼の兄だけ。

 

ただ、振り返りもせずに頬を掻く彼の瞳の色は、違っていた。

 

「『いや……つい、手がな』」

 

それどころか、次に彼が発した声色も、普段の彼のものとはまるで違う。

 

「『……まさか、英作が生き永らえさせた深夜の子供が、あそこまでかわいっ……才能のある姿をしているとは思わなかった』」

 

「自制してくださいって言ってんです! 貴方の深層心理がお兄ちゃんの行動に繋がるんですからね! 深夜さんも(・・・・・)!」

 

顔を赤くして拳を握りしめ、ぷりぷりと怒りを露わにする小町。

 

すると、小町の最後の言葉でまた八幡の瞳の色が変わる。

 

小町と同じように、いやそれ以上に顔を赤くして、両手を胸の前で祈りを捧げるように組み、目を潤ませた。

 

「『仕方ないでしょう!? 達也(・・)深雪(・・)があんなに可愛くなっていたなんて、想像はついていたけれどやっぱり心臓に悪いわ……』」

 

熱があるのを確認するかのように額に手を当てる様は完全なオーバーリアクションであり、それに関して小町は見ていない。

 

元造。それに深夜。小町にそう呼ばれたこの二人は、八幡のストレスから生み出された二重人格やその人物のデッドコピーなどではなく、紛れも無い本物の人格だ。

 

本物の人格が、方法は不明であるが己の死後に肉体から剥ぎ取られて八幡の魂魄に移植された結果、第二第三の人格として定着したのか彼らである。

 

有能な魔法師の交配がまるで遺伝子改良の如く気安く進められてきた魔法師社会であるが、魂の研究は想子や霊子の存在があるという事実があり、魔法研究にはそれらの知識が欠かせないものであったとはいえ、人類の技術は未だ、魂を弄ぶ事が出来るレベルには達していない。

 

ただ一家、比企谷家を除いては。

 

……かつて存在したという、数字付き(ナンバーズ)「零」のような、記憶に関する魔法とは違う。四葉のような精神を弄るものでも無い。

 

負の遺産として「零式行列(マイナス・パレード)」なるものが残ってしまったが、今の八幡を取り囲む惨状に比べれば些事に過ぎない。

 

比企谷は、魔法自体を弄ぶ家なのだ。

 

魔法を自由に改造し、己の好きに成形する事ができる特異な能力。魔法発動補助の為のCADを必要とせずにしかも得意不得意なく全ての術をスピーディかつ大規模に扱う事ができる。なぜそんな事ができるのかといえば、それは比企谷の出自にも起因していた。

 

――ひとつ、比企谷はある目的を以て創られた魔法(・・)である。

 

――ひとつ、その目的は人類に多大な犠牲を強いるものである。

 

――ひとつ、その目的は、人類を救う為に行われる、ひとりぼっちの戦いである。

 

――故に、当時の四葉家最強当主、四葉元造とその長女である司波深夜の魂の収集は、必務事項だった。

 

こんな事が今の四葉にバレたなら、ホルマリン漬けでは済まない。いや、魔法師社会からだけならまだしも、ヒトの輪を外れてしまうのは必然的と言えてしまうだろう。

 

「ここまで言う事を聞いてもらえなかったのは小町も久しぶりですよ! 三人ともそこに正座!」

 

「……んあっ? ……あの居候共、勝手に引っ込みやがった……!」

 

小町が憤慨し、ダン、と強く床を踏む。するとまた八幡の眼の色が変わり、独り言のように不満を漏らしていた。

 

それに関係なく、小町は笑顔で八幡ににじり寄る。

 

「……こ、こまち?」

 

「お兄ちゃん、あの人達を追い出して(・・・・・)

 

訂正。薄く開かれた眼だけが、笑っていなかった。

 

有無を言わさぬ圧力に兄の八幡が押し負けそうになり、八幡はアワアワと手を振りながら、

 

「お、追い出すって言うけどな、あの人達が本気で潜ったら俺が追い出せるわけないだろ。むしろ俺が追い出されるまである」

 

「なら、いつものよーに小町が追い出してあげる☆」

 

言って、腕まくりをする小町。だが彼女の着ている室内着は半袖であり、一回たりとも捲れてはいない。ただ、そのポーズで八幡の瞳の色が二回程変わったが。

 

「ごめんねお兄ちゃん。出来るだけ痛くしないようにしたいけど、仕方ないから――ねッ」

 

平手を振りかぶる小町。言葉とは裏腹に、そのフォームに迷いがない。

 

「やめやめばっ!?」

 

「ぐっ……」

 

「へぶっ!」

 

「ひえぇ……」

 

そして小町怒りのビンタが二回、八幡の左頬と右の頬に放たれ、八幡の左側には若々しくも威厳のある顔立ちで、細身ながらも強靭さを感じさせる肉体を持つ達也似のポロシャツとスラックスを身につけた青年が、右側には深雪と姉妹であるかのように錯覚してしまう程似ている、しかし確実に深雪ではないと明確にわかる顔立ちの、セーラー服を着た少女が倒れ込んでいた。

 

「ぬ……何回やっても慣れんな、これには……」

 

「いたっ……ちょっと小町ちゃん、やり過ぎ……ひっ!?」

 

起き上がる二人だが、頭上から見下ろす小町の笑みに少女――深夜が軽く悲鳴を上げた。

 

「せ・い・ざ。二人とも日本人なんですから、出来ますよね?」

 

――因みに八幡は真っ先に正座させられている――

 

「……小町、これは仕方のない事だ。お前だって兄の晴れ姿には胸がときめいてしまうだろう?」

 

青年――元造に指摘されて、小町は嬉しそうにはにかむ。

 

「はい、勿論です。何たって小町のお兄ちゃんですから! でもそれとこれとは別です!」

 

バキィ!!

 

フローリングの床が小町の足踏みに合わせて盛大な破壊音を奏でている。

 

小町が足を退けると、その床は次の瞬間には完璧に修復されていた。

 

破壊と同時に巻き戻して(・・・・・)、損壊を無かったことにしているのだろう。

 

「……ねーお兄ちゃん。やっぱり材木座さんに頼んで強制成仏してもらおっか。必要って言ってるのは「せんせい」だけだし、別に比企谷としてはこの人達要らないよね?」

 

「いや、まぁそうだけど……そうするか」

 

二人を挟んで真ん中に正座している八幡が頷く――が、途端に右腕に絡みついてきた深夜が、瞳を潤ませた上目遣いで八幡を見上げる。

 

「……八幡君、それはやめて?」

 

詰め寄り、互いの息遣いが互いの肌に届きそうな程接近する深夜。

 

「……っ、司波、さ……」

 

八幡は言葉を詰まらせ、一歩引く。深夜が大きく踏み込んで距離を詰め、

 

「……深夜って呼んで頂戴……?」

 

「あだだだだだだだだだだだっ!! ギブ! ちょ、ギブって!」

 

一瞬で彼の腕を背後に回し、抵抗する間も与えずに関節を極めた。

 

うぐっ、と八幡が呻いた後、体を震わせ、口をゆっくり開いた。

 

「……わかりましたよ。成仏はしませんから、今後は大人しくしていて下さいね」

 

「「努力する(わね)」」

 

「この親子は……」

 

呆れた小町が息を吐くと、二人の体の輪郭がぼやけ始め、全身が完全な光の粒子となった後に近くにいた八幡に吸い込まれていく。

 

「……小町、一人くらい肩代わりしてくれても良いんだぞ?」

 

光が八幡に吸収し尽くされて、一息つくと八幡がこう切り出した。

 

「やだよめんどくさいよそんな人達。お兄ちゃん何の問題もなく暮らせてるんだから大丈夫でしょ」

 

しかし即答でぶった斬る小町に八幡は項垂れる。

 

「……いや問題大有りだろこれ。先代シリウスに、封印されてる筈の謎のメガネ姉に、四葉元造に司波深夜にエトセトラエトセトラ……。え? なに? この憑依数からして特異点なの、俺……?」

 

「明日もまた学校だから、早めに寝るんだよお兄ちゃん。それじゃ、おやすみ」

 

「……お、おやすみ。……やっぱ一人くらい成仏させても――っだ、嘘嘘、嘘ですからぁぁぁっ!」

 

一人発狂する少年の悲鳴は何故か個人宅に配備されている、百パーセントの確率で音を遮断する壁に阻まれて響くことはなかった。







元造はキンタロス、深夜はリュウタロス辺りでしょうか。

モモタロスはウィリアム・シリウスかと。


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白む夜に昇る暁星、朝焼けの空。

言うまでもなく、司波兄妹の朝は早い。といっても前世紀のように新聞配達のアルバイトをしているわけではなく、深雪が達也の日課に合わせているだけなのだから、ではあるが。

 

この日も、達也と深雪は彼等の家からほどほどの距離にある九重寺までの道を駆け抜けていた。

 

九重寺はただの寺では無い。

 

僧兵――彼等は自分達を修行僧だと言い張る――を抱える、武装寺のようなものだと達也は思っている。仏像目当てのテロリストがこの寺に侵入しようとも、返り討ちに遭う以外に選択肢が見つからないほどだ。しかも、そこの住職である九重八雲は古式魔法の使い手。

 

古式魔法は、CADを補助導具として魔法を発動させる「現代魔法」とは違う、CADの技術が発達する前から既に有ったモノ。

 

現代魔法と違い多種多様かつ素早い起動ができ難い代わりに、現代魔法よりも遥かに歴史は深い。

 

分析が得意な達也でも、八雲の扱う古式魔法の全容は解明できていなかった。

 

達也はほぼ毎朝、九重寺で行われるとある修行に参加している。

 

修行――というよりは道場破りに近いかもしれないが、寺の住職が言うにはやはり修行で合っているのだという。

 

曰く、

 

『達也くんは()と手合わせした事が無いからねぇ。道場破りというのは、道場主よりも実力が僅かであっても上回ってなきゃいけない。……ふむ。彼に組み手で勝つ事が出来たら、今行われているこれを道場破りと認めよう』……と。

 

彼。まさか、八雲の弟子に、達也に対抗しうる秘蔵っ子でもいるのだろうか。

 

一瞬だけ考えを巡らせた達也だったが、結局は会ってみれば良いという結論に落ち着いた。

 

彼等門下生を倒していけば、いずれは出てくるだろう――と踏んでの事だ。

 

 

 

 

 

 

だが、流石の司波達也にも予想できないものは存在する。

 

 

 

「…………、そういう事かよ」

 

達也を見下ろすその目は、悉くに興味が無さげ。達也と深雪の判別が付いていないようにも、悪魔が聖者を憎んでいる瞳のようにも思えた。

 

数秒目を合わせると、相手が視線を外す。

 

「……お前が」

 

プレッシャーや好悪の念などものともしない達也は、ただ絶景を見て零した感想のように、つぶやいた。

 

比企谷八幡――その腐った瞳を見て。

 

しかし、八幡は心外だとでも言わんばかりにその目をさらに腐らせた。

 

「いや、違う違う(・・・・)。九重寺なんて知らないし、九重八雲なんて(・・・・・・・)全くの赤の他人だ。言い掛かりなんてやめてくれ。何よりも、俺は戦闘が苦手なんだ」

 

言って、八幡は達也から見て右に退いた。

 

「――? ……ッ!」

 

達也も深雪も、既に階段を登りきっている。だから、同じ目線になった二人に八幡が道を譲るのは当然である事のように見えた(・・・)

 

八幡が退いた場所から、衣を着た坊主頭が飛び出して来なければ。

 

彼――顔つきと体つきから判断するに男にしか見えなかった――は「ふっ」と短く呼吸をした後、右の正拳突きを繰り出してくる。

 

達也はそれを受け止め、身を翻して背負い投げの要領で地面に落とそうと――して、今更ながら深雪と自分の背後に多数の坊主頭が襲いかかってきている事に気付いた。

 

総勢二十名程だろうか。達也の抱える坊主頭と同じ髪型(髪は無い)、同じ服装の、おそらくはこの寺の門人たちが――一斉に、達也めがけて襲いかかっていた。

 

「深雪、先に行っててくれ」

 

「……いえ、でも……」

 

「大丈夫だ。お前に手出しはさせない」

 

「誰がするか」

 

達也に対する八幡のツッコミも、門人たちの怒号にかき消された。

 

床に叩き落とそうとする勢いのまま、達也は自分に突っ込んできたこの門人を坊主頭の集団に投げつける。

 

「……じゃ、俺は先に行って待ってるわ。今日のメニューは『〜ドキッ! 背後から奇襲された時の愛しい彼女のまもりかた編〜』だから。精々楽しんでくれ」

 

振り返る達也の視界の端に映る、深雪を連れて本殿に向かう気だるげな背中。

 

(……そういうことか)

 

そんな状況の中で、達也は一人納得していた。

 

実はここ数日、彼と相対する門人達の動きが妙に精錬されていた。ただ極端に動きが良くなっているだけではなく、全体としての統率が取れている。

 

(最近感じていた「やりにくさ」はそのせいか――)

 

アイツが、仕組んでいたのだ。

 

ならば、超越()えなければ。

 

万敵を排してこその、四葉の――深雪のガーディアンなのだから。

 

自分を襲う門人達へ先に仕掛けようとして、達也は異変に気付いた。

 

ずくむっ。

 

フィクションなどに良くある、石壁の一部を押し込んだ時のような石の擦れる音が達也の耳には聞こえた。

 

そして、ふと達也は気づく。

 

自分は(・・・)一段(・・)階段を降りて(・・・・・・)いる事に(・・・・)

 

それに気付いた途端、達也は自分が石で出来たエスカレーターに乗せられているかのような錯覚に陥った。

 

――そ――れ――か――ら――

 

急速に、達也と深雪の距離が離れていく。

 

「くっ……!」

 

達也は、門人が襲い来る中で自分にかけられた魔法を解除、破壊しようとした。――だが、術を破壊したりする手応えはあったものの、それによって更に深雪との距離が離れていく。

 

最終的に階段の中腹辺りまで引きずり降ろされて、達也の錯覚は漸く止まった。

 

(――いや、これは……)

 

そこは、先程登ってきた筈の長い階段の途中にある休憩スペースのようなもの。

 

山の形に合わせたのだろう、階段が途切れた場所に六畳程の平らな空間がある。

 

そこで、達也は門人たちと戦っていた。

 

(まさか、あいつはあの時魔法を解除していた……のか)

 

つまり、既に魔法は発動していたということ。

 

幻影か幻覚か、少なくとも達也には察知できなかった、その存在を知る事ができなかった魔法だ。

 

「……おっ、お兄様!? これは一体……」

 

達也から数歩先に深雪がいた。それを視覚以外の感覚で知覚しながら、変わらない様子で攻撃を仕掛けてくる坊主頭をいなし、叩き伏せていく。

 

ところで、達也と門人たちの間には命のやり取りをするという心配はない。達也を睨む坊主頭の中には薙刀のようなエモノを持っているのも居たが、それも刃引きされたただの木刀だ。

 

(何の安心にもならないな……)

 

そう思って、達也は最後の敵を倒しにかかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

門人を全て倒し階段を駆け上って本殿前の庭へと到達した達也は、流石の無表情を崩し、愕然とした表情を浮かべていた。

 

「…………なんだ、これは」

 

死屍累々。それが、この場所を示すのに丁度良い言葉だった。

 

頭が無い者。

 

腕が無い者。

 

足が無い者。

 

片腕が、片足が、頭の半分がえぐられた者だっていた。

 

足元には赤く綺麗な液体が広がっていて、彼らが足を踏めば忌々しい水音を立てた。

 

思わず、達也も深雪も顔をしかめる。

 

達也も深雪も、今更人の死体程度で気分を害する事はない。が、これだけ沢山の死体が転がっていて何も思わないのであれば、そいつは人外か人でない別の生き物だろう。

 

ただ単純に体の一部を無くしただけではなく、体が破裂したり押し潰されたりなどで原型をとどめていない者も多数いた。

 

形がまだ留まっているものと、そうでないもの。肉の総合量から考えても、五十人はいるだろうか。

 

「……っ!?」

 

ぴく、と深雪の足元の肉塊が動いた。

 

驚いて深雪がその場から飛び退くと、ころころころ――……とその肉が、本殿に向かって転がり始めた。

 

そして顔を上げ、動いているのがそれだけではないとわかる。

 

うにうに、ぐちゅぐちゃ、ぐぼっ、べっちゅ。

 

まるで生き物のようにうねる死体の集合体は、達也たちの見つめる先、ある一点に集合していく。

 

最初はゆったりもったりと移動していたそれは、段々、掃除機に吸い込まれでもしているかのように移動速度を速めていく。

 

「…………」

 

吸い込まれる血や肉が渦を作り、鮮やかな赤を持って芸術的な花を作り上げているその光景は、とても普通の精神では見続ける事ができそうにはない。

 

そして、吸い込まれていくうちにその中心に何があるのかが、ゆっくりと見えてきた。

 

寺の敷地内に散らばっていたおよそ全ての赤は、とある人物が持つフタ部分を開けた正方形の匣の中に吸収されていく。

 

そして、全てが吸収されつくすと、彼らが昨日も見たいつもの九重寺の光景がそこには広がっていた。

 

いや、まだ〝いつも〟とは言い難い場所がある。

 

「……なんだ、いつもより早かったな」

 

その匣のフタを閉じ、掌の上でお手玉のように弄ぶ八幡少年が、そこには居た。

 

「……幻覚魔法か」

 

「いいや、砂と水で偽造したダミーだ。本物じゃないからこうしてしまう事ができる」

 

匣を宙に投げ、それを八幡が掴み、掌を開くと、匣はいつの間にか消えていた。

 

「…………」

 

「……何はともあれ、お疲れさん。そこで九重八雲が待ってるぞ」

 

八幡は視線を達也の背後に向け、またしても、達也は背後に気配を感じた。

 

振り返り、今度は手加減なしの本気の速度で手刀を抜き放つ達也。……が、軽々と受け止められてしまう。

 

「っ!? ……師匠」

 

達也の手刀を受け止めたのは、九重寺の和尚にして『忍び』の九重八雲だった。

 

「やあ達也くん。まさかあの陣形で抜けられてしまうとは、彼もまだまだなようだ」

 

「いや、丁度です。和尚に放った手刀で最後ですね」

 

「……なるほど」

 

「? なにを、――っ?」

 

首を傾げる達也。頷いたように顔を頷かせる八雲。直後、達也は突如気が抜けたように崩れ落ちた。

 

「お兄様!?」

 

駆け寄る深雪は、自分の膝に土が付くことすら厭わずに膝を枕にして達也を抱き起こし、その額にタオルを当てる。

 

「……何を、したのですか」

 

一切の敵意を隠さずに八幡を見上げる深雪だが、その八幡は涼しげに深雪を見下ろしていて、逆に深雪が慄いた。

 

「……人間の体っていうのは、元々23時間だか25時間だかのサイクルで生きるようになってるらしい。それに加えて人間の脳は機械みたいに取り替えが効かない。不具合や不自然は日常茶飯事だ。脳が肉体の疲労を読み取らずにそのまま無茶な命令を出し続けることもあるんだよ」

 

「それを……意図的に引き起こした、と?」

 

「幻覚に多対一の模擬戦闘に精神的に疲労してしまう映像。それに加えて、弟子達には想子を発散させる材質を練りこんだ木刀を持たせたからな。受けたり取ったりする途中でお前の兄貴から想子を奪って、さらにそれを戻したりする事で、体の感覚を狂わせる。どうだ? 見えなかっただろ?」

 

相変わらずの無表情で深雪を見下ろす八幡だが、その深雪の下で、声が上がった。

 

「……力を吸われたり、微妙にみなぎったりとおかしいとは思ったが、そういう事か……」

 

深雪からタオルを受け取り、荒い息を吐きながらも上半身を起こす達也。その瞳は、しっかりと八幡を見据えていた。

 

「因みに、拳に巻いてある包帯にも細工はした。何なら想子が枯渇するまで気付かせない事も出来たが、……まぁ一度体験した事は二度はお前に通じなさそうだし。次があったら別の手を考えることにする」

 

「……まて……!」

 

足を震わせながら、達也は立ち上がった。震わせる、とは言っても簡単に運動する事も可能なレベルには回復しているが。

 

ただ、若干呂律は回っていなかった。

 

「……なんだよ? 言っとくがお前にケアなんて必要ないからな。怪我もさせてないし、ただ普通に疲れさせただけだ。多少の疲労なんて修行には付き物だろうが」

 

「お前は、一体何者だ……!」

 

「何者? 比企谷八幡だ、それ以上でもそれ以下でもない。逆にお前こそ何なんだよ」

 

「…………っ」

 

『お前こそ何なんだ』――そう聞き返されて、達也は言葉に詰まった。

 

まさか聞き返されるとは思わなかったし、自分が何なのか、達也自身がハッキリとした答えが出せずにいるのだから。

 

「……じゃ、俺は帰るわ」

 

「帰るのかい?」

 

「呼び出されてから飛んで来たし、朝メシも食ってないんで」

 

八雲の悪戯めいた笑みにも、無表情を返す八幡。だが、八雲は何か面白いことを思いついたかのように笑みを深め、深雪の方を向いた。

 

「深雪くん。君が手にしているバスケット……中身を聞いても良いかな?」

 

「え……はい。先生もご一緒に、と思いまして、サンドイッチを作ってきたのですが」

 

「一人分……いや、一個でも良い。僕の分を彼に分けてあげて欲しいんだ。ほら、彼は朝食も食べずにここに来ているからね」

 

「え――はい。少し多めに作ってきてあるので、問題ありませんよ、比企谷くん」

 

「……いや、悪いが俺は帰らせてもら――うっ?」

 

八雲の意図を読み取り、即座に了承した深雪に、顔色を悪くした八幡は即座に逃げ出そうとするが、

 

「安心してください。味には自信がありますから」

 

にこり――――。と、微笑みと共に片手で八幡を拘束し、縁側に座らせた。

 

そうして、自分と八雲との間に八幡を座らせ、その反対側に達也が座った。

 

左手にはサンドイッチ、右手には八雲から受け取った唐辛子粉末とマスタード。それから――きゅぴーん、と眼を光らせる深雪。

 

この、イタズラでも思いついたかのような悪い笑みは、今まで一度も見たことがないな――と思いつつ、八幡の口にマスタードと唐辛子の粉末たっぷりのサンドイッチをねじ込む妹の姿を眺める達也であった。





他の方々の作品を見ていると、二、三話で既に放課後のいざこざに突入しているのに10話かけてもまだその日の朝止まりの私ですよ。

書き直してその辺りが一層遅くなったような。

あと遅れましたが、感想ありがとうございます。すげー嬉しいです。

……話の組み立てが上手くないことに定評のある私がお気に入り100件も頂けているのは皆様のおかげです。ありがとうございます!


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バイバイ、平穏。



タイトルからしてやばいです。あまり関係なくもないような気がしないこともある気がするようなそんなことはない感じですかね。
(やばい)




『げほっ! げほが! ……てめえら覚えてろよっ!』

 

達也をイジメた時(先程)とは打って変わって苦しげな表情で咳き込んでいた八幡は、まるで悪戯が失敗した子供のように苦しげな表情のまま、階段を駆け下りていった。

 

最後に、負け犬のような捨て台詞を残して。

 

逃げ帰った八幡を抜いた八雲と達也と深雪の三人は、相変わらず縁側に座っていた。

 

八幡がいた分の深雪との距離を、八雲は詰めていない。

 

身を乗り出すような格好で、深雪越しに達也は八雲の方を向いた。

 

「先生。……比企谷八幡の事について、お訊きしてもよろしいでしょうか」

 

「うん、いいよ……と言いたいところだが、彼の事については色々喋れないこともある。答えられる範囲でなら、答えてあげよう」

 

困ったような笑み(苦笑いではない)を浮かべ、額を掻く八雲。

 

達也はそれに挨拶程度に頭を下げて、頭を上げた。

 

「ありがとうございます。……では」

 

そこで一瞬、逡巡する達也。八雲の言葉から察するに、答えられないことの方が多い筈だ。

 

これなら、答えられることもあるかもしれない。……そう考えて、達也は口を開いた。

 

「彼は、魔法師なのでしょうか」

 

「答えられない」

 

まさかの一発目での回答不可。

 

(これくらいは、と当たり障りの無さそうな質問だったが……)

 

「……彼が先程使った魔法は、何種類でしょうか」

 

先程――というのは、「彼が境内に入ってから」ではない。正確には、今日達也が九重寺に到着して、彼に対して放たれた妙手の数々全ての事を指している。どうやら、アレの大半が彼の肉体感覚を狂わせる為に行われた魔法であるらしいのだが、達也は正確にはたったの一つでさえも魔法を見つけられていない。

 

(魔法師かどうかがダメなら、これもやはりダメか)

 

だが、この状況では質問しないだけ損であるというもの。

 

達也は大人しく、八雲の答えを待った。

 

すると八雲は、顎に手を当て、考える仕草をする。

 

「ふむ……」

 

即答ではない。個人情報(パーソナリティ)に関係のない、単なる事実を確認するだけならば、或いは――

 

「……うん、それなら一つだ」

 

「……ひとつ、ですか?」

 

拍子抜け、ではなく虚を突かれ顔をする達也。

 

達也たちに対して行使された魔法は明らかに一つではなかったからだ。まさか、九重八雲ともあろう人間が見抜けなかったという事も無かろうが(本当に見抜けなかった可能性を彼は残している)、答えられないものと先程までまだ思い込んでいたからだ。

 

「かの天才魔巧技師、トーラス・シルバーの開発した『ループ・キャスト』のように同じ魔法が繰り返されているわけでもない。発動は一度きり、効果時間も大してあるわけでもない。けど、一番最初に発動していたね」

 

ループ・キャストと聞いて達也の目が揺れる事はなかったが、彼は『一番最初に発動していた』という言葉に引っかかりを覚えていた。

 

(……複合的、或いは重複的か順序的に魔法が発動していたと? 彼はその魔法のトリガーを引く役目をしていた……?)

 

「チッチッチ」

 

考え込む達也だったが、そんな彼をからかうように八雲は指を振った。達也がからかわれたことが面白くないのか、深雪は眉を寄せて不機嫌な顔を浮かべている。

 

「『ベルヴァニアの橋』……と言っていたかな。イタリアのベルバニアとの関連性は見つけられなかったが、もしかしたら適当に付けた名前かもしれない。……けど、あの時にこの空間で発動していた魔法は確かにそれ一つだよ」

 

「そんな筈がありません!」

 

絹を裂くような、悲鳴にも似た声を深雪が上げる。その顔は事実を認めたくない臆病者が浮かべる拒絶の相貌ではなく、確かな経験・揺るぎない知識に基づく、必要であるならば悪魔の証明ですら可能だとする人間のカオだった。

 

「魔法が発動していたのなら……お兄様にその存在を知覚できない筈はありません! お兄様は……!」

 

明らかに自分を盲信している、盲信し過ぎている深雪の態度に、達也はゆっくりと声を出す。

 

「……深雪、俺にだってできない事はある。普通の魔法が使えないとかだ。それと同様に、師匠にだって俺の魔法は使えない。だから、できないことがあるのは別に不思議な事ではない」

 

「……っ! ……も、申し訳ございません、お兄様……」

 

ヒステリックになっていたという自覚があるのだろう、深雪は顔を赤くして頭を下げた。

 

「良いんだよ、僕も最初に彼に会った時は取り乱してしまったからね。……それで、質問の続きだけど」

 

雲をつかむようにつかみ所のない九重八雲が、取り乱した。その事実に二人が瞠目していると、八雲は顎に手を当てた。

 

「……あれ(・・)は多分、魔法じゃあないんじゃないかな。我々が知覚できない、魔法師にとって完全な未知の領域だ。しかも、そんな存在を君たちの家が知らないはずもない。四葉の当主から忠告なり警告なりを受け取っていないのかい?」

 

「……『関わるなら最後まで。余計な災厄を被りたくないのなら、徹底的に関わるべきではない』――と、仰っていました」

 

「……ふむ、そう来たか。だったら安心して良いと思うよ。彼は薮蛇のようなものだ。触らぬ神に祟りなしという言葉があるように、こちらから何もしなければ何もしてこないからね。無論、相手に非があるなら責めて良い。それと――」

 

「……? それと、なんでしょう?」

 

「――随分長居しているようだけど、時間は大丈夫なのかな?」

 

とんとん、と八雲は人差し指で自分の左手首を叩く。それはつまり時間の事を指していて、つられて二人は各々の時計を確認――

 

「まずい、深雪行くぞ! 師匠――」

 

「うん。また明日だね、達也くん。深雪くんも」

 

「はい! 本日はこれで失礼します!」

 

始業時間がすぐそこに迫っていた。八幡の介入があったとはいえいつもの事なので、五分ほど時間が伸びたとしても登校時間には十分、間に合う予定だった。

 

それはつまり、八幡が細工をしたという事。サンドイッチの仕返し――なのだろうか。

 

慌てて二人は立ち上がり、八雲に一礼をして九重寺を後にする。

 

二人を座ったまま見送った八雲は、二人の姿が見えなくなるなり、つぶやいた。

 

「――アスタリスク、だよ達也くん。第三次世界大戦時に創生した、水上学園都市『六花』。まずは彼らと親交を深め、理解を進めなければ、我々はいずれ滅びてしまうだろうねぇ」

 

八雲の独り言は、誰へ伝わることもなく、空気中に薄れて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

厄介な事を――と、達也は自分のデスクにて授業登録を済ませながら毒づいた。

 

彼は、八幡による時間感覚の操作によって遅刻ギリギリに登校する羽目となっていた。

 

深雪のサンドイッチ爆弾作戦(?)を否定しようかといえば、別に後悔も反省もする気もさせる気もなかった。

 

悪意には報復が一番似合う。それについては何も言うことはない。ただ、厄介な事をしてくれたものだ――と、やはり達也は毒づく。

 

そんな事を思いながら昇降口で深雪と別れ、達也は二科生の教室へと向かっていた。

 

(………………あれは、なんだったんだろうか)

 

その途中で、今朝見たばかりの顔見知りの男子生徒が何故か黒焦げになって、金髪の一科生と思しき女子生徒に引きずられていたのを目撃したものの、達也と深雪は知らんぷりを決め込んでいた。

 

「……へー」

 

「……ん?」

 

報復の報復――ではないが、それによって多少胸の空いた達也は、自分を見て感心しているような声に気付いた。

 

その人物は、達也が自分が向けていた視線に気づいたのだろう。達也が視線を向け返すと、口を開いた。

 

「悪い、今時キーボードオンリーで入力する奴なんて珍しくてさ。俺は西城レオンハルト。レオって呼んでくれ」

 

「……、俺は司波達也だ。俺も達也でいい」

 

レオ。そして、隣の席の入学式で知り合った柴田美月に、同じく入学式で知り合い同じクラスとなった千葉エリカ。

 

これは退屈しそうにないな、と思いつつ、クラスメイトとの会話に達也も口を開いていた。

 

 

 

 

 

 

「ねぇ知ってる? 今朝聞いたばかりなんだけどさ、昼ドラバリにドロドロした女関係をもつれさせて、魔法で焼かれたり凍らされたり女子生徒の制服を着せられたりした新入生の怪談がこの学校にあるらしいよ」

 

「……いや……知らないな」

 

どんな報復が彼の身に降りかかったのか、達也は少しだけ気になった。




一応次回から八幡視点に移っていきます。


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彼にさえ、心の底から嫌う人物はいた。


戸塚はやはりどの作品でも八幡を釣るためのダシとなり得るんですよね。


早起きは三文の徳、ということわざがある。

 

早起きすれば何か良いことがあるよ、という意味らしいのだが、起きたばかりの比企谷八幡はそれを肯定する気になどなれなかった。

 

『from:三浦優美子』

『title:』

『ヒキオ、学校行くよ』

 

彼女の意思が全ての決定事項であるかのように振る舞う、炎の女王さまからのメールに始まり、

 

『from:雪ノ下雪乃』

『title:おはよう』

『比企谷君。布団から一歩、家から一歩出てみるだけでも世界は違って見えるものよ。とはいえ、生まれたての子鹿に走れと命令するようなものよね。いきなりは無理でしょうし、仕方ないから私が一緒に登校してあげる。感謝して咽び泣きながら家の前で待っていなさい』

 

総ての意味をねじ伏せて覇道を貫く、氷の女王さまからのメールを流しながら、

 

『from:七草真由美』

『title:八幡くんおはよう!』

『相談したいことがあるの。一緒に登校しながら聞いてくれない?』

 

弓を持たずに的確に彼の急所を撃ち抜く、魔弾の女王さまからのメールに安堵すらしていた。

 

「……学校行きたくないでござる」

 

思わず知り合い(ゼット木座くん)のマネをして布団の上を転がる八幡だが、いくら彼でも時間(・・)は巻き戻せない。

 

「…………〜〜〜〜っ、っはぁぁぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁあああああああ……」

 

盛大にため息をつきながら、ケータイを手に取る八幡。

 

「……ん?」

 

現代から百年ほど遡った時代では、最大で数キロ程にもなる重さの教科書を持ち運びせねばならない、どの修行だと言いたくなるような登下校をしていたものだった。

 

が、そんな非効率なものがいつまでも台頭している筈もない。

 

紙媒体は資源の無駄という観点から電子媒体へと姿を変え、それによって殆どの生徒はスマホ一台分の重さを持ち歩くだけで事足りる様になった。

 

「……あ?」

 

その点はこの学校の授業スタンスを褒めてもいいと思う八幡だが、この端末にあるメール通信機能の自動受信システムが知らせる新たなメッセージの着信を見て、思わず端末を投げつけて踏み潰してしまいたい衝動に駆られていた。

 

どうにもならない事であると、知っておきながら。

 

 

 

 

 

 

『from:ハゲ坊主』

『title:お早う』

『朝からメールのハニートラップ三昧とは羨ましいねぇ、妖魔(・・)くん?』

 

 

 

 

 

 

「……あのハゲ坊主、見つけ次第回避不可の攻撃魔法の事(イグゾア・イグアクテ)でぶちのめしてやろうか……っ!」

 

九重八雲。八幡の仇敵にして臥薪嘗胆をせずともその存在が脳裏から離れない怨敵である。……と八幡は思っているが、一時期共に依頼された任務をこなしたりなど、八幡とこの僧侶は、雰囲気を見てその機嫌がわかる程度には知り合い(・・・・)であった。

 

どうやって情報を仕入れているのだろうか、八幡の立場を知って、八幡を取り巻く現状を知って、それでも尚それを面白いと近くで眺める。それが、八幡にとっては酷く不愉快なのだ。

 

まるで、子供の成長を楽しげに眺めている親のような視線。何様のつもりだ。

 

反抗期の子供が親に向かって生意気に話すように、八幡は顔を歪めて返信を打つ。

 

『くたばれ』

 

『いきなりの悪口とは酷いなぁ。今朝も修行には来るかい?』

 

『行か』

 

『「ない事もないむしろ参加させてくださいお願いします」迄しっかり文字として心を文体に出力してくれないと、こっちも読み取れないんだけどなぁ。ま、君は文章越しでも本音がわかりやすいからいいけど』

 

『』

 

『無言メールは辛いよ?』

 

「……あほくさ」

 

わざわざ付き合ってやる道理も義理もない。

 

ケータイを投げ捨て、もぞもぞと布団に入り直す八幡。――と、その時また新たなメールの着信音が鳴った。

 

「ん……んんっ!?」

 

どうせ何かセコい手だ――そう思いつつ画面を見た八幡の顔は、驚愕に包まれる。

 

 

 

『ちなみに今日の修行にも戸塚くんを誘っている』

 

 

 

戸塚、というワードを見て八幡の目は腐って、ではなく煌めいた。

 

こうしてはいられない。

 

ベッドから跳ね起きて、八幡は制服の上着に袖を通しつつ画面も見ずに光の速さで(自称)メールを打つ!

 

 

 

 

 

 

『いいか三分以内に俺はそこに辿り着く』

 

『なんの宣言なのかな?』

 

 

 

 

 

 

その後、八雲が計測し始めて一分で八幡は九重寺に到着し、誘っている「けど来てくれなかった」の文章を付け忘れたという八雲から謝罪を受け、危うく九重寺の建つ山を更地にしかけた八幡は〝八つ当たり〟の意味を込めて、達也との組手に細工をしたのだとか。



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錬金術は、明らかに結婚には必要ないモノだと彼は考える。

平塚家

平塚市を根城とする錬金術師の家系。
彼らの扱う錬金術の根幹は物質の「変換」であり、奇術が多い六道の中でも物質の性質が悉く変化してしまう平塚の錬金術による攻撃を防ぐことは、非常に困難とされる。


何が魔法だ。どこがファンタジーだ。

 

期待に胸を膨らませて入学した生徒(おれ)の夢と希望を返せ――第一高校1-Bの教室に入った比企谷八幡は、浅く吸い込んだ教室の空気と共に、そんな事思いを飲み込んだ。

 

囲碁盤のようにキッチリと等間隔に並べられた机は、昼休みに机の配置を変えて島を作る事も、ゾンビの侵攻を防ぐ為に組み合わせて縄で括る事も出来ない。それぞれに個人用端末が搭載されていて、床から直接電力を供給している為、動かす事など出来そうにもない。

 

(葉山達はどうするつもりなのか。どうでもいいが)

 

指定された席に座り、頬杖をついて彼に一番身近な他人、同級生のグループを思い浮かべて八幡は苦笑した。

 

どうせ彼らは机なんか(・・・)動かせなくたって気にしないに決まっている。

 

それ以前にこの学園には食堂というものがあるのだし、用事がなくても彼らはすぐに簡単に集まるのだから、馬鹿らしいと考えたのだ。「思考の無駄だ」と。

 

無駄。そういえば、この学園のシステムにも彼は不満があった。即ち、自販機のラインナップと監視領域の多面積さにである。

 

監視カメラの死角のなさは校内全域を網羅していると言っても過言ではないくらいで、誰かに見られている中でのぼっち飯など拷問にも等しい。

 

つまり、彼が探し求める人のいない場所「ベストプレイス」も何もあったものではない。

 

どうせ学園の監視下にあるのならば、生徒会長(特殊)も監視カメラを好きに覗けるのだろうし、そうでなくても彼女はどこでも好きに見届ける事ができる目を保有している。

 

だから、最終的には何処に居ようとも文字通りの魔眼を持つ彼女に捕まってしまうのがオチだ。

 

故に八幡は、意識をされにくく、それでいて監視の目を誤魔化す結界を張れる場所を探していた。

 

結界の発動はこの国における魔法を用いた犯罪に当たる『自衛目的以外の魔法による対人攻撃』ではないが、自分の存在を隠す事はつまるところ他の犯罪にも利用出来てしまうので、善良な心を持つ魔法使いであれば、他人と関わる事を嫌っていたとしても、まず隠匿や隠密魔法を行使する事自体を躊躇う。

 

そうやって心を雁字搦めにされた生徒は最終的には監視の目という存在を意識の中から追い出すか受け入れてしまうのだ。

 

(受け入れちゃうのかよ)

 

それだけは、と頭を振って否定する八幡。

 

(何としてでも安住の地を手に入れる。まぁ、耳にイヤホン詰めて伏していれば済む話なんだろうけど)

 

だが、それでは彼がこの学園に入学した目的が達成されない。

 

〝十文字〟と〝七草〟と〝司波〟。正確には十師族として数えられない司波は例外としても、十師族の警護という大任を背負っている八幡は彼らが常に見える所に居なければならい。

 

が、それはあくまで十師族の護衛役である六道の努めであって、六道に就任してまだあまり信用を得られていない八幡は兎に角〝成果〟というものを残さなければならなかった。

 

(……でもなぁ、嫌なんだよなぁ。目立つの)

 

但し、それはあくまで六道家比企谷としての八幡の目的だ。

 

比企谷八幡としては、十師族の護衛目的など二の次。他の六道が居ればそれで良い。

 

彼の目的は、キャビネットのように誰にも邪魔されない自分だけの空間を確保する事だ。

 

一応は任務中である彼だが、最初から真面目に任務を遂行する気などさらさら無かった。

 

本鈴が鳴る。それで、彼の周りにいた生徒は殆どが席に着き、この教室の担当教師が入ってきた。

 

流石は魔法師の才子才女が集う、全国に九つしかない魔法科高校の上澄み部分(・・・・・)。同じ新入生でも、二科生の教室には教師が配属されない。そういう所は変わっていないのか、と八幡は落胆の声を零した。

 

そして、目の前の教壇に立つその教師に目を向ける。彼女もまた、何も変わってなどいなかった。

 

そのスーツの上に羽織る白衣も。自然と浮かべる不敵な笑みに、顔を赤くする生徒がちらほらと見られた。

 

「1-B担当の平塚静だ。まずは入学おめでとう、諸君。この学園に入ることが出来た時点で君達は立派なエリートして認められている。本来なら私も君達の入学を祝して騒ぎたい所だ……だが」

 

暖かく、柔らかい声。包み込むような優しい声に安堵のため息をつきかけた生徒達だが、そんな彼らを、暖かなまま鋭さを増した風が吹き抜けた。

 

「……だが、この学園に入学した以上、君達は一般の学生とは異なる道を歩むことにもなる。魔法は人々の生活を飛躍的に豊かにしたが、容易く、人を殺せる技術に転化できることを忘れるな。覚悟と矜持を持って勉学に臨み給え」

 

ピリ――と、空気が張り詰める音がする。実際にその幻聴を聞いたのは数人だろうが、そのクラスにいるほぼ全員が覚悟を浮かべた瞳で静を見ていた。

 

(……ああ、覚悟を貼り付けた顔、ね)

 

誰も、本当の意味で覚悟なんて持ってはいない。気を引き締めた「きもち」に浸っているだけだ。未来が見えていない。

 

人事を尽くして、十全の対策をして、絶対完璧な安心を手に入れて尚細かなチェックを怠らない。

 

それさえ行なっていれば、事の顛末を運に任せる必要もない。覚悟を決めるだなんて、一か八かの博打に出るようなもの。

 

兎に角、彼ら彼女らは、八幡から見て、とても人を殺す(・・・・)技術を持つ責任を感じているとは思えなかった。

 

仕方ないか。彼らは今を生きる若者で、未来が見えないものだから。

 

そんな風に、八幡が静の話を聞くクラスメイトを捻くれた角度から蔑視していると、教壇でカリキュラムの組み方やこの日のスケジュールなどを説明していた筈の静の姿が、いつのまにか消えていた。

 

(――?)

 

腕を組み、机に伏していた八幡は、周囲を見回してその女教師の姿を探す。だが、幸か不幸か、その居場所はすぐに判明した。

 

「――こうやって、聞くべき時の話を聞かなかった者から道を外れていくんだ。皆はよく覚えておくように」

 

言って、こつんと脳天に拳を落とされる八幡。周囲から見れば朝から寝ぼけている問題児を軽く小突いただけに見えているだろうが、平塚が拳を退けた後でも机に伏したままピクリとも動こうとしない八幡に、心配をした(というよりはほぼ興味本位だった)隣席の女子生徒が、八幡の肩を譲った。

 

「……キミ、どれだけ肝が座っているんだ、……っ!?」

 

だが、直後に顔を伏せながらもチラチラと前を見ていた彼の意識が今は無いことに気づいて、女子生徒は思わず顔を引いた。

 

そして、教壇に戻った静を見る。

 

女子生徒の異変から広がった動揺の波は直ぐに教室中へと広がり、その正しい事実は無言のまま周知され始めていた。

 

「ああ、其処の彼は疲れていた様だ。そんなに今日の初授業が楽しみだったのかな。……諸君は、居眠りなどしないように」

 

登壇した時と同じ笑みを浮かべる静だが、今その笑みに見惚れる者は皆無だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静の吐き出すセブンスターの煙が、応接室内に充満する。対面に座る八幡は静がタバコの葉を詰め、火をつけて実際に吸うまでを見ていたが、興味がないため、そもそも彼は未成年であるため、薬物を吸うのも面倒なんだな――と、応接室に呼び出された彼が考えていると。

 

「比企谷。常に姿勢を正して気持ちのいい笑みを浮かべていろなんて言わないが、せめてガイダンス中は体を起こしているようにしていなさい。人前でダラける癖がつくと人前に出た時、面倒になる」

 

「はぁ。……いえ、ですが平塚先生。確かに印象は悪くなるでしょうけど、俺はその分のリスクもキチンと計算式に入れて計算してるわけです。雑草を踏んだところで……あ、いや、つまり、連中に嫌われたところで俺に降りかかるデメリットなどたかが知れてるということです」

 

ごき、と眼前、指の先から鳴り響く音に、八幡は声を震わせ慌てて論法を変えた。

 

顔前に腕を掲げ、身を守るように体全体を竦める八幡。だが、いつまでたっても衝撃と痛みが飛んでくる事はなく、恐る恐る瞼を開ける。……と、拳を構えていた静は二本目のタバコに火をつけていた。

 

「……君が、いいや、比企谷(・・・)が六道を脱退したいという話は一ヶ月も前に君から聞いた。その為に何を考えているのかも、材木座から聞いた。先ほどのそれはサボタージュに見せかけたカモフラージュだろう? これは私の考えだが、本当にしたい事を隠す為のやつだ」

 

ち、と舌打ちをしかけて、知り合いにそんな行動が印象的な嫌な奴が居たな――と思い直し、八幡は顔を上げた。材木座め余計な事を、と思った事は揉み消したりしない。

 

「……今さら六道を抜けるな、残ることで何か出来ることがあるかもしれない、なんて言わないでしょうね」

 

「手引きをしたのは私の家だが、そもそも加入したいと申請してきたのはそちら――ああいや、あの男だったか。まぁいい、私は君の思惑を否定するつもりも阻止するつもりもないよ。来るもの拒まず、去る者追わずだ。だが、その他がどう考えるかは私の知るところではないがな」

 

「その他を黙らせる為に、先生に相談したんですよ。なんとかしてください」

 

「……君な、もう少し自分で考えるという事をしたらどうかね」

 

「やってみました。やってみましたけど、結果十師族を含めて十家以上から婚約を申し込まれた所で落ち着いてます」

 

ぽろ、と静の手からタバコが落ちる。会話していてまだ殆ど燃えていなかったそれは、灰皿の中に落ちると途端に一気にフィルターの所まで燃えた。

 

すると、それまでただ膝の上に置いていただけの握り拳を開いて、八幡は静に掌の中身を差し出す。彼女が受け取った左手には、静が火をつける前のタバコが握られていた。

 

再びとんとん、とフィルターを下にして葉を詰めながら、静は問う。

 

「何をしたんだ……?」

 

勿論、燃え尽きたはずのタバコが何故手に戻っているのか、ではない。(達也が解明できなかった魔法と同じその手品のカラクリを、静は知っていたが)

 

「何をって、……っ」

 

「何故照れる!? 一体何をしたんだ、なぁ!?」

 

顔を赤くした八幡の肩を掴み静は揺さぶる。

 

そして、八幡は顔を反らしながらぽしょりと零した。

 

「……ごく普通の青春ラブコメといいますか、甘酸っぱい味と言いますか、……とにかく先生が適年齢期に体験しなかった、二度と訪れないような、今となっては思い出すのも恥ずかしい――げぶらばっ!」

 

言葉の途中で、八幡の体がくの字に折れ曲がる。そして静の繰り出した拳が八幡の腹に深々と突き刺さっていた。

 

顔ではなく腹部に拳打をねじ込んだのは、傷が出来ないよう配慮した結果か。

 

殴らないという選択肢は無かったのかと、恨めしげに見上げる八幡だったが、彼女の顔に目が行く前に、その手元に視線が引き寄せられていた。

 

静の手元からはタバコが消えていた。そして、彼女の拳にはナックルダスターのような武器が握られていた。これも、先程とは違う点だ。

 

「……タバコを金属に錬成するなんて」

 

「こうなってはもう吸えないがな」

 

ゆっくりと立ち上がる八幡に、カチン、と自身の指から抜き取った二つのナックルダスターを合わせて八幡に向かって放る静。

 

しかし投げられた二つの金属は八幡にぶつかる事はなく、静が瞬きをすると跡形もなく消えていた。

 

そして、彼らの足元には拳大の穴と焦げ跡が残されていたが、静がもう一度瞬きする頃には、そんな不埒なものは消え失せていた。

 

立ち上がり、真っ直ぐと静を見つめる八幡。

 

その視線を受けて、静はため息をついた。

 

「天下の学年次席がそんな事でどうする。もっと堂々としていたまえ」

 

「天下って……天下つったら司波達也とか司波深雪とかでしょ。兄弟で二位以下を大きく引き離して筆記と実技の学年一位取るような奴らですよ。俺が天下ならあいつらは天上ですか」

 

「わざと周りに合わせて引き離された奴が何を言うか」

 

一旦会話が区切れ、そこで静は、ふむ、と顎に手を当てた。

 

「次席も十分価値があると思うし……例えば、オリンピックなどはメダルを獲れば、十分戦果を残せばそれで御の字であって、色の違いなど大した問題でもないという意見があるが」

 

「……努力という値を省いた客観的な意見はそうでしょう。誰もが本気で一位を目指してるんですから、当然二位なんかで満足出来るはずもない。妥協なんて――」

 

「話が逸れたな」

 

逸らしたのはアンタでしょうに……という八幡の意見は、口にした本人によってすり潰された。

 

「こういうのはどうだ?」

 

「はい?」

 

ぴん、と指を立てる静に八幡は身を乗り出す。漸く本題に入れる、と彼は思ったのだが――

 

「いっそのこと、全員と結ばれるというのは。選り取り見取りだし、場合によっては刺される可能性も無きにしも非ずといったところだが、そういうのはまぁ、甲斐性がモノを言う。財力なら申し分ないし、その他も……あっ、ちょっと待てひきが」

 

ばたん。

 

八幡は、何も言わずに応接室を後にした。

 

否、後にしようとした。

 

が。

 

「……ふぇ? ひゃっ!?」

 

どたっ、がたばたどったん!

 

(――あ?)

 

扉の前にいた何者かにぶつかり、その誰かを巻き込んで八幡は床に転がってしまう。

 

普通に歩く程度のスピードで身体同士をぶつけただけでは、床に転がるほどの衝撃になるはずも無い。扉を出たばかりの八幡は右に行こうか左に行こうかと立ち止まっていたくらいなので、少なくとも八幡からぶつかっていたというのは無い。

 

つまりは目の前の人物が、物凄く強い(・・)スピードでぶつかってきたということ。

 

未だ晴れぬ暗闇の中、じゃあ俺は全く悪く無いな、と堂々と胸を張れるという自己判断を下していた。

 

「いたっ……いたぁ。……わ……!? ……ご、ごめんなさい……!」

 

頭上から声がする。それと同時に、急に八幡の視界が明るくなる。

 

「いえ、ご馳走さま……なんでもないです」

 

自力で起き上がりながら、八幡は声をかけてきたその存在に視線を向ける。

 

「えっと……大丈夫ですか」

 

「……あ、……えと、……だ、大丈夫、です。……ぅう……」

 

八幡が視線を向ける先、そこには、自分の股を恥ずかしげに押さえる見知らぬ女子生徒の姿があった。

 

(……つまり、俺はさっきまであの場所にいた、ということか)

 

そう感慨深く思う八幡だが、絵面的には女子生徒の下腹部をじっと見つめている、新入生次席(笑)の絵面である。

 

「……え……あ……うぅ」

 

女子生徒が赤面してその場にうずくまり、

 

 

「い――やああああああっ!!」

 

悲鳴を上げるのに一秒とかからなかった。




オリキャラ登場っ!


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やはり彼が食堂で昼食を取るのは間違っている。

投稿が遅れてすみません。

今後もゆっくりしていくので気長にお待ちいただけたらなと。


 六年前。

 

 沖縄海戦と呼ばれた悪夢が発生するよりも三年前のことだ。

 

 そして、「人類魔法師化計画」というお伽話が一般市民の間で話題の種になっていた頃、三浦優美子と比企谷八幡は出会った。

 

『み、三浦優美子(みゅーらゆみゅこ)ですっ!』

 

 噛みながらも、精一杯見栄を張ろうとませた表情を浮かべる優美子に対し、ただ無機質、無感動な顔を向ける八幡は、お世辞にも人当たりが良いとは言えなかった。

 

 だが、真面に人見知りしてしまうよりは幾らかマシだったのだろう、と優美子は今でもそう考える。

 

『……お初にお目にかかります、十師族(・・・)、三浦優美子さま。六道の六、比企谷八幡です』

 

 口にして、ぺこりと頭を下げる様は、無機質に嗤うロボットを連想させた。

 

 息遣い、仕草、歩くスピードや歩幅までが、完璧にプログラムされているかのようだ。瞳の瞬き――その頻度にまで人の手が入り込んでいるかのような、心地の良さを優美子は感じていた。

 

 ただ――

 

(……なんか、つまらなそう(・・・・・・)。無愛想とか、それ以前に人としての面白味がない。これならさっきの隼人くんって人の方が一緒にいて面白そう)

 

 当たり障りのない姿勢、気分を良くするだけなら空調にだって可能な筈だ。それ故に優美子は、彼の側を離れていく。

 

 ……彼が少しだけ寂しそうに自分の背中を追っていたが、優美子が気づくことはなかった。

 

 そして、これより四年後の十師族選定会議にて、三浦家は十師族を退任する事となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(魔法。それは勇気の証ッ!)

 

 などと心中で吠える八幡のその姿は、どう見ても強敵から逃げ去る負け犬のそれであった。

 

 一心不乱一生懸命完全燃焼脇目も振らずに、ただ応接室から脱兎の如く逃げていた。

 

 全ては冤罪(抹殺ブリット)から逃れる為。痴漢と言われるとあながち間違いでも無い気もするが、それでもこの時の八幡にそんな余裕などありはしなかった。

 

 ただ一つ八幡が意識を割かれている事があるとすれば、それは彼の制服にしがみついている彼女のことだ。

 

「まっ、まっまま、まっでっ、待ってよ後輩くん!」

 

「――って、なんであんたはついて来てるんですかねぇ!?」

 

 今なら魔法による肉体(フィジカル)強化無しの素面でチーターをも追い抜ける自信があると自負する八幡だったが、八幡が頭を突っ込んだぱんつの持ち主である彼女は引き摺られるでもなく、涙目ながらに八幡についてきていた。

 

「さっ、さっきは驚いただけだからっ! よく考えたらあそこに顔を押し付けられるくらい何でもないから(?)っ!」

 

おそらく平常心ではとても口にする事はできない言葉を惜しげもなく声を大にして叫ぶ女子生徒は、涙目だ。

 

そして、そんな彼女の言葉は八幡をさらに加速させる。

 

「俺がぱんつに頭を突っ込んだ相手は痴女(ハレンチ)だった……ッ!」

 

それを聞いてより一層足を早める八幡だが、

 

「あっ!」

 

「っ!?」

 

身体から、女子生徒の手が離れる。

 

速度を緩めかける八幡だったが、そんな気に囚われたのは一瞬のことで、彼はより強く走り抜けて行くのだった。

 

そして教室にたどり着いた彼は、他生徒の視線を日光浴のように浴びながら着席し、早く忘れようと腕を組んで卓上にうつ伏せになる。

 

「……どうしたんだい?」

 

その様子を、隣席に座った女子生徒が怪訝そうな様子で見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……食堂にも閲覧室のように個室制が採用されるべきだ」

 

 昼時。目の前にごった返す大量の一高生を見て、八幡は思わずそう零した。

 

 むしろこれから閲覧室で飯を食ってやろうか、と思ってしまう程だったが、既に注文は取ってしまったし、態々ここから食事を閲覧室に運ぶのも面倒だ。

 

(……何処かにいい場所はないものか)

 

 既に席の殆どは埋まってしまっている。

 

 だが、彼の手元には美味そうな湯気を立てる出来立ての食事があった。

 

 これを立ったまま食べるのは食べるのは他の生徒の邪魔となってしまうだろうし、どこかに相席を頼むというのも、彼の選択肢としてはありえない。

 

 結果、彼は少しずつ増え始めた席待ちの他の生徒と共に、食事を持って立ち尽くす羽目となった。

 

 だが、そのまま突っ立っているだけでは本末転倒。八幡は自らのベストプレイス(譲歩版)を求めて、行動を開始する。

 

(お……)

 

 彼の眼前の席が空く。が、僅かに一歩彼の先を歩いていた隣の生徒が足を速めてその席に座ってしまった。

 

(……チッ)

 

 次を求めて視線を巡らせる。が、視線を向ける空席の殆どが彼を向けるたびに埋まっていくので、彼は見つけた空席が人で埋まっていく様子をただ見ているだけの人となってしまう。

 

 負けじと八幡も次々に目を凝らす。……と、空席ではない意外なものが彼の視界に飛び込んできた。

 

「一科生と二科生のケジメはつけるべきだよ、司波さん」

 

 そう言って、八幡の見知らぬ集団(肩にエンブレムがない事から恐らくは二科生の集団だ)に身を寄せようとする深雪の気を引こうと話しかける、一科生と思しき別の集団が。

 

 トラブルの匂いを感じてか、その周囲には人があまり近寄ろうとはしていない。

 

 さらに、彼らを挟んで彼らよりもずっと奥、食堂の端の方の席にはあまり人がいない事も見えた。

 

(…………はぁ)

 

 脳内で一息ついて、脳裏で事の順序を組み立て、トレーを片手で持ち、考えたそれを素早く実行する。

 

「すまん、ちょっと退いてくれ」

 

「え? ……お、おう」

 

 既に人垣が形成しつつあった輪の中心に割って入り、その中心人物の肩に手を置く。

 

「……森崎」

 

「比企谷? ……ああ丁度良かった、今からこの席を譲って貰おうと――ぷ!?」

 

 声をかけた後、くい、とその女子生徒の襟首を掴んで引き寄せた。

 

 そしてそのまま、目指すは先ほど目をつけた端の席。

 

「ひっ、比企谷! 待ってくれ、もう少しで席を譲ってもらうから……っ!?」

 

 森崎は八幡の手を振り払わないまま、抵抗を試みるが、当然森崎の反抗も計算に入れての連行なので、八幡は拘束を緩めない。

 

「バカじゃねぇの。人が使ってんだからそいつの食事が終わるか、正当性のある交渉をしろよ。なんだあれ。あんな高圧的な態度を撒き散らして恥ずかしいとは思わないのか」

 

「う……」

 

 言葉を詰まらせ、しゅん、と大人しくなる森崎。そんな彼女を変わらず片手で引っ張りながら、渦中の二つのグループへ向けて「知り合いが迷惑をかけた。すまん」と一言謝って、森崎を引きずっていく。

 

 取り残された一科生側グループは主導していた森崎がいなくなった事により二科生側へと噛み付く理由が薄くなり、彼らはその場を後にした。

 

(……意外だな。解決するであろう面倒事には極力首を突っ込まないタイプだと思っていたが)

 

 一方、二科生のグループの中にいてトラブルを回避する為に席を立とうとしていた達也は、八幡の突然の介入によって移動する必要がなくなったものの、彼に対するイメージが崩されたようで拍子抜けしていた。

 

 そこまで考えて、九重八雲の挑発(推測)に乗るような奴だという事を思い出し、どうせ自分には納得できない事だと納得する。

 

「……び、びっくりしたぁ」

 

 だが、達也以外の人間は未だに懐疑的な視線を八幡に向けていた。

 

「あの、一科生の方を連れていってくれた人、いつのまに近くに来ていたんでしょう?」

 

 達也と共に食事をしていた柴田美月が、まるで幽霊でも見たような表情で胸をなで下ろす。

 

「……さぁな。でも、俺たちが見えないところから来たって事だろ」

 

「……おかしいわね」

 

 同じく食事を共にしていた西城レオンハルトが疑問を口にして、千葉エリカがそれを否定する。

 

「……? どういう事だ」

 

 条件反射的に純粋にレオが聞き返すと、エリカも顔をレオに向ける。

 

 エリカの瞳には、ただの疑問では済まされない確信にも似た何かがあった。

 

「アイツが来たのは向こうから。でも、障害物になりそうなものはあまり……というか、高校生が隠れられそうなトコなんてないでしょ?」

 

「まぁ……そうだな。でも、そんな難しい事じゃないだろ。他にも生徒はいるし、その中に偶々紛れてただけって可能性もある」

 

「そもそもこの場所自体見通しが良過ぎるし、あの時は深雪に付いてきた連中と揉めてたから、少なくとも人の流れは滞ってた。それに生徒達があたしらを避けてたから人数自体疎らでもあったし、人が来れば直ぐにでも気づける……筈だったのよ?」

 

 解せない。そう一言零してエリカは自分の食事に戻った。

 

 ただ、エリカの一言で漂い始めていたこのモヤモヤとした空気は、次の彼女の一口(・・・・・)によって霧散する事となる。

 

「はむっ」

 

 由比ヶ浜結衣は、カレーを美味しそうに頬張っていた。

 

 極上の至福であるかのように、ただ彼女はスプーンを口に運ぶ。

 

「…………」

 

 彼女の幸福を噛みしめる表情に毒気を抜かれ、達也は変わらない表情のまま口を開いた。

 

「……由比ヶ浜さんは、今の奴が近付いてくるのは見えた?」

 

 別に達也が気になった訳ではない。深雪がいるこの状況で雰囲気を悪くしたまま食事を続けたくなかったのが本音ではあるが。

 

 丁度カレーを口に運んでいた彼女はとぼけた声をあげて、咀嚼、飲み込んで達也に対し向き直った。

 

 その瞳は、彼について確信以上の既知の領域がある事を暗に物語っていた。

 

「……うん、ヒッキーの事は見えてたよ」

 

(――ヒッキー?)

 

「でもヒッキーはヒッキーだから仕方ないっていうか、気配が無いのは生まれつきみたいなものだし……あたし達意外の普通のひとに感知出来ないのは別に変じゃないと思うよ?」

 

 大して気にした様子もない物言いに、達也は目を細めた。

 

「『あたし達』……それはつまり、十師族の護衛役、『筆頭魔法師族重護衛格』の事か? 十師族という貴重な存在を守護する、十師族に匹敵、或いはそれ以上の力を持つ六つの家……」

 

 そこまで口にした達也だったが、それを聞いていたエリカやレオ、美月でさえその表情に動揺は見られない。

 

 何故ならば。

 

「へぇー。由比ヶ浜が六道だった事も知ってるの。物知りなんだね司波くん」

 

 揶揄うような結衣の笑みに、達也は首を振る。

 

「……いや、知らない方がおかしいだろう。それぞれの当主の名前ならまだしも、十師族を守護する立場に位置する君たちの存在は基本的に知っている事だ。……っ?」

 

 そう。由比ヶ浜結衣は達也たちからしてみれば、芸能人や著名な映画監督以上にその存在を知っている。

 

 だから、その存在に驚いたりはしない。

 

 しかしここで達也は、些細な事ながら違和感を感じた。……感じて、しまっていた。

 

(……何故、由比ヶ浜結衣は六道『だった』なんて過去形を使うんだ? 十師族とは違って六道に代わりなんてものはない。由比ヶ浜程の力を持つ家が抜けるなんて、普通なら絶対にそんな事は……)

 

 そしてここで、この場にいる誰もが予想だにしなかった言葉を、彼は彼女の口から聞いてしまう。

 

「あ、あはは……ごめんねー? そこまで褒めてもらったここで言うのもアレだけど、あたしの家はもう六道じゃないんだ」

 

「は……?」

 

 達也が驚いているのは六道という単語にではない。正式名称ではない彼らの略称ではあるが、自称もしている事だし別に問題視すべき事柄ではない。

 

 それよりも。

 

 まるで十師族四葉が十師族をやめた、と言わんばかりのインパクトを携えて、由比ヶ浜結衣は朗らかに笑う。

 

「いやー、あたしもよく知らないんだけどね? 六年前に由比ヶ浜と入れ替わりで六道に入ったのが、あのヒッキーの家……比企谷なんだよ。魔法勝負とかしたみたいだけど、結果はウチの惨敗。相手にすらなってなかったかも」

 

 そう言って、数年前までは魔法陸上戦に於いては世界最強と謳われていた由比ヶ浜家の由比ヶ浜結衣は、再びスプーンを口に運んだ。

 

 

 






やべぇすげぇ書き直してぇ。゚(゚´Д`゚)゚。


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奉仕会長と呼ばれた男



ようやく物語が進んだ感じがしますね。死神の刃とは差別化していくつもりなので、そちらもお楽しみにしていただければなと。


 ——人は学ぶいきものだ。

 

 八幡は、そう考えている。

 

 覚える、ではなく学ぶ。それ自体に何の意味があるのかを考えだすことが出来る生物であり、それが他の動物にはできない。

 

 人間が人間である事の価値は、恐らく低い。だが、人間が知によって生み出すものに価値などつけられるものか。

 

 それが人間の素晴らしさであり、また人間固有の愚かさでもある——八幡はそう考えていた。即ち、

 

「——傲慢、か」

 

 人間が生まれながらにもつ、七つの悪。

 

 ヒトがヒトを定義するために必要とされたものは「考える心」だが、常に心に寄り添うのが負の感情である。

 

 切り離す事など出来はしない。心を二つに裂いたところで、出来上がるのは二匹の獣だろう。

 

『ヒキオ。ウチのクラスと二科のクラスの連中が揉め事起こしてる。一触即発状態かも』

 

「その文面」を見て、苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべる八幡は、額に手を当てて深くため息をついた。

 

「えーと……」

 

 懐から端末を取り出し、学園の図書館に簡易アクセスする。呼び出したのは去年第一高校を卒業生した生徒の名簿。

 

 その中から一番適当なデータを呼び出し、彼はもう一度大きなため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……同じ学年の、同じ生徒……しかも入学したばかり……今の時点で、貴方たちがどれほど優れていると言うんですか!」

 

 放課後。達也と帰ろうとした深雪に例によって例の如く付いてきたのが、深雪と同じAクラスに所属している一科生の生徒であった。

 

 日を改めれば良いだろうに、態々火種が燻っている場所で噛み付いてくるのは、中学生の気分が抜けていない証拠なのか。

 

 ただ、面倒だからと言って火種を大きくし燃え広がらせるのは、平穏を望む達也にとって好む所ではない。彼らが早く諦める——可能性は極小だろう——事を祈って、ただ深雪とその場を傍観していた。

 

 それにしても、と達也は視線を美月へと向ける。

 

 達也たちの中では一番大人しいと思われた美月が、一科生の生徒たちの侮辱に激昂していたのだ。

 

 まったく、人は見かけにはよらない——と感想を零した所で、一科生の生徒の口振りが変わった。

 

「そうか……そんなに格の違いを知りたいか!!」

 

 傲慢な笑み。その手の先には、使う魔法を限定する代わりに魔法の補助機能が搭載された特化型CADが握られていた。

 

 森崎が何者かだなんて、この瞬間に何人が死んで生まれているかという事実くらい、どうでも良い。

 

 問題は、激昂した美月にその銃口が向けられている事だ。

 

「はっ。やってみろよ、おもしれぇ」

 

 女子に銃口が向けられているから——という訳ではないだろうが、レオが挑発し、その銃口の先を自分に向けさせる。

 

 これで、多少何が起ころうとも心持は落ちずに済むというもの。

 

「……いいだろう、格の違いを教えてやる!」

 

 問題は問題を起こした者ばかりが注目されるのではない。問題を起こされてしまった者も、事態の発生を防ぐことをしなかったという奇異の目で見られてしまうのだ。

 

 常識的な判断ができる者ならまだマシな決別ができるが、まだ彼らは高校一年生。そんな感情のさざめきですら、抑えることが出来ないのかもしれない。

 

(仕方ない——)

 

 達也は右手を二人に向けて翳すが、その前にエリカが警棒を握って動き出しているのが見え、その腕を引いた。

 

 抜き放つエリカの剣が、銃口を向ける森崎のCADに届く——

 

「はい、そこまで」

 

「っ!?」

 

「なっ!?」

 

 ギチ、ガギン! 金属同士がぶつかり合う音と擦れ合う音が重なって、ひどく不快な不協和音を周囲に響かせる。

 

 ただそれは、エリカが森崎の銃をはたき落としただけの音ではなかった。

 

 それは、両方の武器を受け止めた時に発生した音。

 

 魔法を発動後に砕く——のではなく、魔法の発動を自前の制動力で完全に抑え込んだのだ。

 

 驚きの声と視線はそれぞれ殺陣の演者——エリカと森崎から向けられていたものだ。が、それ以上に、物体の構成を記録した情報体であるエイドスの匂いすら漂わせずにその場に突然現れたその人影を、達也は驚きに満ちた視線で見ていた。

 

 その人物は、下手をすれば骨折しかけない威力の攻撃に挟まれておきながら、涼しげな表情で佇んでいた。

 

 エリカと森崎の隙間に立つ人影——シャツにジャンパーを羽織り、下はジーンズという格好を見るに恐らく部外者——は、誰もが驚きで開いた口が塞がらない中、唯一口を開いた。

 

「よしよし。まさか口車に乗せられて魔法で人を攻撃する——なんて事にならなくてよかったよかった。犯罪だもんな、アレ」

 

 人の笑みをたたえて、心の底から安堵したような表情を浮かべるその人物は、そう言うと受け止めていたエリカの警棒と銃口を押さえていた手を離す。

 

 達也に続いて正気を取り戻したエリカが、食い気味にその男に突っかかる——

 

「……何よ、あんた、……っ!?」

 

「センパイには敬語を使えよ新入生。それともなんだ? 照れ隠しか? ちゃんとした(・・・・・・)名前で呼んで欲しいのか? エリカ……」

 

 その先は無音で、口の動きだけがエリカに言葉を伝える。

 

「……っ、し、失礼、しました」

 

 しかし、男は幼子をあやすような仕草でエリカを見て、その言葉を受けた途端にエリカは驚愕に目を見開き、後ずさった。

 

「……エリカちゃん、知り合い?」

 

「いいえ、初対面よ。……でも、なんで……」

 

 美月がその顔を心配そうに覗き込むが、エリカは美月と顔を合わせようとしない。

 

 その間に男は今度は森崎の方を振り返って、笑んだ。

 

「君も。魔法は技術だ。人を傷つけるという事を忘れてはならないよ」

 

「……」

 

 森崎が言葉を発せずにいると、

 

「全員動くな!」

 

 騒ぎを聞きつけてやってきたらしい、この学園の風紀委員——肩には腕章がある——が、隣に立つ生徒会長・七草真由美と共にその手を達也たちに向けていた。

 

「事情を聞きます。全員、ついてきなさ——ん?」

 

 しかし、その間に立つ男を見て、風紀委員長、渡辺摩利は眉を潜めた。

 

綾如(あやじき)先輩……っ!?」

 

「よーう、渡辺。その腕章似合ってんなぁ」

 

 摩利の言葉に、第一高校2094年度卒業生、前生徒会長綾如海都(あやじきかいと)は、ニィ、と口角を吊り上げる。

 

「何故あなたがここに、というかあなたが原因ですか!」

 

「いやいや。彼らが楽しそうな事してたから、ちょぉーっと混ぜてもらってただけだぜ」

 

「そうやってまた問題を隠そうとする……!」

 

「現に問題は何も起きていない。魔法は使用されていないし、殴り合いの喧嘩も起きていない。他校の生徒や市民相手の言い争いも無い。帰って大丈夫だぜ?」

 

 道化。誰もがその仕草・言動を見て零したであろう、綾如海都は、しかし、本心からそれを物語っている。

 

 去年は同じ生徒会の先輩として世話になった真由美に風紀委員長としての推薦まで戴いている摩利は、強く言うことは出来てもその人間性を知っているが故に、彼の持論を覆す事は出来ない。

 

「……なら、まぁ、良いですが……」

 

「綾如先輩」

 

 それを聞いて渋々引き下がる摩利だが、真由美は違った。

 

「ん? なんだよ真由美」

 

「先輩がこの場にいらしているという事は、何か用事があったのですよね? その要件は一体何でしょう?」

 

「用事? ……んーまぁ、ちょっと図書館に調べ物というか、呼び出しというか……」

 

 歯切れの悪くなる綾如に、様子を見ていた真由美が笑みを深めた。

 

「学校の許可は取りました? でなければ不法侵入で警備員を呼ばなければなりませんが……」

 

「警備員顔負けの最高戦力を二人も引っ張ってきておきながら、何言ってやがる……」

 

 困ったように携帯端末を取り出す真由美に綾如は頬を引きつらせ、

 

「あんま言いたくないんだけどなぁ……」

 

 といって指を差した。

 

「? どこに——」

 

 綾如の指差す方向を振り向く真由美。すると、一人の生徒が小走りで向かってきていた。

 

「綾如先輩ー!」

 

「ほら、アレだよ。あのこっちに走ってくる奴。あいつに魔法について聞かれててな」

 

 大仰に手を振りながらやってくるのは、女子生徒。

 

 なるほど、と納得の表情を浮かべる真由美に、振り返って顔を確かめた摩利は頭上に疑問符を浮かべた。

 

「彼女は……」

 

 その少女の肩には、六枚花弁が無かった。ワインレッド色の髪を左右で三つ編みにし、おさげにした少女は、一年生だった。

 

 綾如の元に駆け寄ってきたその少女は、荒い息を整えながら、綾如に向き直る。

 

「お待たせしました……っ、平河千秋です。……綾如先輩、ですか?」

 

「そうそう、綾如海都だ。お前の姉から話は聞いてる。俺に聞きたい事があるんだって?」

 

「は、はい……! 会えて光栄です! 実は、魔法行使における余剰サイオンの抑制について、何ですが……」

 

「オーケー、把握。とりあえず場所を移そう。ここじゃ迷惑だし」

 

「は、はい……というか、何ですかこの集まり」

 

「いろいろあってさ。いくぞ」

 

 言葉の後、千秋と綾如は揃って駅の方面へと向かう。その背中を見送りながら、摩利は呟いた。

 

「……また、あんな事をしているのか先輩は」

 

「ええそうね。もう会長じゃないのに、後輩のためにって、面倒を見てくれるところだけは尊敬するわ」

 

「そこ以外はダメか」

 

「ダメね、十文字くんがまた頭を悩ませちゃうし」

 

 見送りながら、摩利は温かな視線を綾如に向ける。それは、尊敬の眼差しでもあり、人としてのある種の目標でもあった。

 

 綾如海都。別名、奉仕会長。

 

 成績が常にトップクラスであるのを良い事に、単位取得を課題とテストだけで済ませて授業には殆ど参加しなかった問題児。それと同時に、学園の悩める生徒の問題解決に東奔西走する、全ての生徒から尊敬されていた人気ナンバーワン生徒会長なのだった。

 

 実際、彼が生徒会役員の書記として参加した四年前から生徒会長職を退任した去年まで、この学園で起きた問題は手違いによる教材(主に競技用CAD)の配達ミスくらいしか、心当たりがない。

 

 一科二科の違いによる学生同士のイザコザなんて、二人は今日初めて見るくらいなのだから。

 

 どこまでお人好しなんだ、と感想をこぼしてから、摩利は取り残された達也たち一年生に注意だけ促して、その場を解散させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく……なんて寒い芝居をさせるのよ、あんたは」

 

「いや仕方なかっただろ。精霊の眼持ちがいるのに安易な魔法使うわけにもいかないし」

 

 校門での一悶着から数分後。キャビネットの中で、千秋と綾如——の変装を解いた八幡は、疲れ顔のまま、それぞれの窓の景色を眺めていた。

 

「他にもやりようがあったでしょう。無視するとか、無視するとか、無視するとか……っ!」

 

「騒動をか? いや、十師族の直系が巻き込まれてんのに無視はちょっと」

 

「あの女のメールを、よ! 何でわざわざ首突っ込むの? アンタ六道辞めたいんでしょうが!」

 

「露骨なサボタージュってほら、わかりやすいし……」

 

「何『青は青い』みたいなこと言ってんの? それくらいはしないとダメなの! わかる!?」

 

「まったくこの男は……!」

 

 千秋は、怒りと悲しみと呆れと、ごちゃごちゃになっているあらゆる感情を飲み込み、そう言って吐き出した。

 

 それは、諦め。周囲の平穏を保つためならば自己の犠牲はいくらでも厭わない彼の性格に、嫌になる程付き合わされて——諦めとなって吐き出された心情だった。

 

「いやでも、……助かったよ。ありがとう」

 

 静かになった車内で八幡が口を開く。当然ながら目を合わせようとしない彼の態度に頬を膨らませて、千秋はぷい、と他所を向いた。

 

「……別にお礼とか、あんたに文句吐いたからいいし。ていうかお礼なら森崎に言えば?」

 

「あいつにはまぁ、後で菓子折持ってくから……」

 

 今回の影の功労者は森崎昴だ。

 

 劇的な場面が欲しいという八幡の指示に従って、彼女は挑発に乗る真似までさせた。

 

 だが、それがどれだけ危険な真似なのか、森崎はわかっていたはずだ。その上で条件を呑んでくれたのだから、感謝のしようがないのも事実だ。

 

 あのままエリカと森崎が撃ち合っていれば森崎の魔法は発動せずにエリカが森崎のCADを打ち落としていたに違いないのだから。

 

 入学してまだ数日、顔も声も覚えられていないうちにとはいえ、深雪に突っ掛けた者からグループの主権を奪い、口論から魔法の一騎打ちに持ち込んだ腕は流石だ。

 

 しかし、問題を問題にしないがために採算度外視でここまでするのかと、千秋は外の景色を眺めながらそんな事を考えていた。





綾如→あやじき→AYAGIKI(H)→逆転

→(H)IKIGAYA→ひきがや→比企谷。


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浅はかな計画

多分一番深雪が不憫なSSです。 





 何気ない朝の登校風景。

 

 昨日、確かに尋常ではないトラブルはあったものの、今朝は司波兄妹にとって穏やかな朝であると言えた。

 

「あ〜れ〜え〜」

 

「……は?」

 

 しかし、この兄妹は平穏というものとは悉く縁がないらしい。

 

「……っ!?」

 

「あ。やばい」

 

 ——ふにゅん、と白いやわもちが、それを掴もうとする手の形に沿って形を変え、みるみるうちに深雪の顔は赤く染まる————

 

「……また……、この……下種は……っ!」

 

「……やっぱお前の胸だよな、この感触」

 

 ……そう。

 

 正面から飛び込んできた八幡が深雪の胸に顔をうずめる、この瞬間を迎えるまでは。

 

 何故だろう。それを二度としないと彼女の前で誓ったはずの彼は、何故か自ずから深雪の胸に飛び込んできた。

 

 そして2、3回、確かめるように胸を揉んで頷く。

 

 直後、鋭い発破音が辺りに響く。二秒も経っていなかった。

 

 それは、深雪が八幡の頬を叩いた音。

 

 魔法も使わずに使われたそれは、八幡の頬にピンク色の痕をくっきりとつけていた。

 

 言葉もなく、よたよた、と後退り、尻餅をつく八幡。

 

 その顔は——下卑た笑みを貼りつけていた。不愉快極まりない視線が、深雪に向けられる。

 

 身の毛がよだつ、殴りつけるように凄まじい寒気が深雪を襲う。遅れてやってきた吐き気を堪え、深雪は感情を吐き出した。

 

「……っ! このっ! 痴漢!」

 

 此処は始業時間帯の第一高校校内。

 

 八幡が何をしたのかよく見ていない登校途中の生徒たちは、深雪の顔と、張り上げた声とを確認して——怒号と共に八幡を、取り囲んだ。

 

 可愛いは正義とはいつの言葉だったか。

 

 可憐な少女の涙は、正義感に満ち溢れた男児の心を揺り動かしていた。

 

 あちらこちらで既に現場の撮影を始めている者たちもいる。そして、八幡を取り囲む全員は、八幡を睨んでいた。

 

「……い、いや、待てよ。ただぶつかっただけだって。偶然、偶然だから——」

 

「嘘です! この男は悪かったと言って、一昨日も私に辱めを……っ!」

 

 そうだ。八幡は「偶然だ」なんて言っておきながら、その実は確信を持って深雪に痴漢をしていた。

 

 入学式の日に八幡が深雪に対して痴漢を働いたのも、監視カメラがあった場所。調べれば、出てくるはずだ。

 

 あの時は、確かに悪意がないと感じ取れたからこそ見逃した。……だが、本当は違った。

 

 ドス黒い感情に深雪は呑まれていく。

 

「お前……」

 

 圧倒的な敵意をもって、達也は深雪の前に立つ。

 

 やはり。……やはり、やはりやはりやはり——!

 

 そして、決定的な「ひとこと」を深雪は突きつけた。

 

やはり(・・・)、貴方は犯罪者だったのですね! 消えなさい、私達の前から!」

 

 それをきっかけにして男たちが八幡を取り押さえにかかる。

 

 一人の生徒がCADを駆使して重力を操り、八幡を膝から崩れさせた。

 

 そして、残りの生徒が八幡の手を、足を、腰を、背中を、頭を、地面に押さえ付ける。

 

「……う」

 

 呻き声すらまともに上げられず、八幡は押し黙った。

 

 そんな彼に向けられる、軽蔑の視線の数々。

 

「……最低」「司波さんにそんなことするなんて」「エリートでも犯罪者は犯罪者だね」「彼、新入生次席らしいよ?」「やだ、一位を取れなかった腹いせ?」「器が小さいんだな」「入学早々セクハラとか」「え、これどうなるの?」「よくて停学悪くて退学」「いや、いなくなってくれた方が良いよ」「ゴミ掃除か」「そういえばこいつ、雪ノ下さん達にも手を出してたな」「じゃあ、これで彼女たちもこんな奴に苦しめられなくてすむな」「こいつがいたせいで彼女たちに話しかけることができないで困ってたんだ」「親に申し訳ないとか思わないのかこのゴミ屑」「思ってたらこんなことしないよ」「お父さんお母さん悲しんでるよね」「そんなことわからないよ」「魔法師の恥」「お前みたいなのがよく第一高校に入学できたな」「もしかして書類偽造した?」「ありそう」「それだろ」「それしかない」「間違いない」「うわあ」

 

 そうしてちょっとした騒ぎになりかけた時、騒ぎを聞きつけ、腕章をつけた生徒が輪の中心に割って入ってきた。

 

「何事だ? ……なんだと?」

 

 関本先輩! ……と、誰かが声を上げる。肩に腕章をつけたその生徒は、学園の風紀を取り締まる風紀委員だった。

 

「その男が、司波深雪さんに痴漢したんです!」

 

 女子生徒の声が、風紀委員——関本の耳に届き、関本は八幡に顔を向ける。

 

「……話を聞く。その男から離れなさい」

 

 同時に、八幡には関本のCADも向けられていた。

 

 決定的だ。この八幡の状態を見て、誰もがそう思った。

 

 恐らく、先ほど誰かが呟いた通り、深雪が然るべきところで涙まじりに証言さえすれば、この学園で彼を見る事はもうない。

 

 だが——

 

「——?」

 

「……………………」

 

 あまりにも愚かな行為の代償を受けるその咎人の顔には、先ほどまでとは断じて違う、何かを確信した笑みがあった。

 

 まるで、ここまでが彼の思惑通り、予定通りに進んだかのような、違和感を感じさせる微かな笑み。

 

 しかし、彼が笑んだとは言っても口元が僅かにそれを形作っただけであり、ほぼ、深雪の見間違いでも済まされる程度ではあったのだが。

 

 それを見逃せる程、深雪は乙女ではなかった。

 

 ……まさか、何か目的の為に自分を利用したのか!?

 

「——!」

 

 声にならない声を上げかける深雪。しかし、関本に肩を掴まれ、引き起こされた八幡は周囲には聞こえない声量で関本と言葉を交わしていた。

 

 ちらり、と司波兄妹の方を見やり、ため息を吐く関本。

 

「——」

 

「……はぁ。取調室まで連行する。怪我はしていないな?」

 

「いや、めちゃくちゃ殴られたりしたんすけど。あいつとかあいつとかあいつに」

 

 周囲の人間を見回しながら、鳩尾や肋、うなじの部分だったりを攻撃していた人間を的確に指差していく。しかし、指摘された生徒たちは逆に八幡を睨め付けていた。

 

「傷ができていないなら何よりだ。自業自得だと思え」

 

「はぁ〜? 明らかに釣り合ってないでしょ。偶発的、事故的な過失に対してそこまで責任を追及するんですか?」

 

 わざとらしく肩をすくめ、周囲の感情を煽る八幡。実際にヒートアップするのは深雪ではなくその他大勢が殆どだが、その言葉に対する怒りなど深雪には最早無かった。

 

……何を、企んでいるの……っ!?

 

それは、かつて深雪の遠い親戚の、彼女によく似た少女が抱いたものと同じ疑問。

 

しかしその疑問は実際に口にされる事はなく、ただ深雪に深い疑惑と疑念を押し付けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八幡がオペレーション名「みゆきち作戦」を思いついたのは、昨晩のことだった。

 

 一軒家、築五年の比企谷家リビングにて「どうすれば穏便に学校生活を送ることが出来るのか」という議題に対し、悩みに悩んで眠くなった末に考え出された案がそれだった。

 

「よし、もう一度司波深雪に痴漢をしよう」

 

 ぼきゅり。ほぼノータイムで両サイドからかまされたフックとアッパーは見事八幡の顎にクロスヒットし、脳を揺らすと同時に彼の身体を宙へと打ち上げた。

 

 八幡の体を軽々と打ち上げた千秋は、拳に「はぁ」と息を吹きかけ、べちゃりと受け身も取れずにただ落ちてきた八幡に視線を向ける。

 

「あんただから手加減したけど、ただの変質者なら素粒子に還っていたところよ」

 

「誰かこの人に、手加減の意味を辞書で調べて教えてあげて……」

 

 よたよたと、ふらつくその足で立ち上がる八幡は、首をコキリと鳴らす。

 

 着地の衝撃であらぬ方向に折れ曲がっていた両足は、いつの間にか元通りに治っていた。

 

 そして、立ち上がる八幡の前に立ちはだかるのは、細身ながら押してもびくともしなさそうなほど練り上げられた印象を抱かせる、鋼の身体を持つ青年。

 

 フックを繰り出し脳を揺らした、八幡の隣に佇む感情を見せない青年——元造は、自分の頭を押さえ、頭蓋の内から湧く痛みを堪えながら言った。

 

「他の人間を犠牲にするなら誰を犠牲にしても良い。だが、孫にだけは手出しをさせんぞ」

 

 それに対して八幡は、今ようやく意識を落ち着けて、元造に向き直った。

 

「でも、もう(・・)そうするしかない(・・・・・・・・)です(・・)

 

 諦めにも似た口調で話す八幡。その瞳が蒼煌色(・・・)に輝いているのを見て、元造も肩を落とした。

 

「……運命は、変えられぬのか」

 

「人の手で変えられない出来レースが運命ってものですからね」

 

 八幡のその言葉を聞いて、元造はそれ以上は口を閉ざし、黙って消えた。

 

 運命。元造の口にしたその言葉の意味は、この場にいる全員にとって重い意味を持つ。

 

 その重圧を背負ってなお気軽げに両手を真上に向けて伸びをする八幡は、とてもそうには見えない。

 

「まぁ、当然ながら痴漢して終わりじゃない。目的はその先の比企谷の信用度の底下げだ。事件の有無は別として『発生した問題を世の明るみにしてしまう安い家だったのか』と認識してもらう必要があるからな」

 

「はい、お兄ちゃん」

 

「なんだ小町」

 

 と、それまで一切会話に参加する気配が無かった、彼の妹である小町が手を挙げる。

 

「『せんせい』は許してくれるかな? ほら、頑張って六道に入れたのに」

 

 比企谷の人間でありながら比企谷の事情には詳しくない(八幡含むその他の人間が小町には話さなかった)小町は、八幡のやることに不思議そうに首を傾げた。

 

 そんな小町の疑問に八幡は体ごと向き直り、ケータイを取り出す。

 

「言い忘れたが、これは先生からの指示だ。先生曰く『もう六道の地位に拘る必要はない』らしい。だからこれで、堂々と六道離脱が可能になる」

 

 千秋が手を挙げる。

 

「すんなりと抜けられるの?」

 

「今回の目標は『六道を辞めさせられる』ことだから、向こう側から「辞めろ」と言ってくるように仕向ける。具体的に言えば嫌われるのが手っ取り早いからそうする」

 

「手っ取り早いけど、それなりには長期化するってこと?」

 

 と、この場にいるもう一人、ブレザーの制服を着た短髪の少女——相模南が聞いた。

 

「そうなる。……まぁ、欲を言えば来年までには辞められるように頑張るつもりだけど」

 

「自己申告で辞めようとするとどうなるんだっけ?」と、千秋。

 

「四葉の嫡女と結婚」と、八幡。

 

 ゴッ←南が足を滑らせてローテーブルに脛を強打する音。

 

 ベギッ←勉強していた小町がシャーペンをへし折る音。

 

「……ちょっ、ちょっと待ってお兄ちゃん!?」

 

 魔法の他に中学生としての一般科目の勉強をしていた小町は、ゴミとなったペンを箱に捨てながら、同じく取り乱している千秋と共に八幡に詰め寄った。

 

「……どういうこと? 何を考えているの?」

 

「しらねぇよ向こうに聞いてくれよ味方だと思って心中を吐露したらそんな感じで脅されてんだよ……」

 

 諦めたようにため息をつく八幡。しかし、それと同時にあの行為にはそういう意図もあったのかと、その場にいた人間は悟りつつあった。

 

「司波深雪に嫌われる為……? 結婚を押し付けられたとしても、そこで縁が止まってしまうようにしたのね?」

 

「ぴんぽん大正解。六道を抜ける為の最終手段はまぁ用意してあるし、当分の目標はできるだけ短時間かつ半永久的に司波深雪に嫌われること。そうなってしまえばあの魔王も手が出せないだろうしなあ」

 

「そうだよね……って、お兄ちゃん雪乃さん達はどうするの? 十師族(あっち)の方からもたくさん婚約の話が来てたよね?」

 

「断りの手紙を出した上で電子媒体紙媒体問わずメール関連アカウントを全部受取拒否にしたから当分は問題ない」

 

「主人への対策が迷惑メールそのものだ……」

 

 ケータイの機種変更もこれで三回目になるが、四葉真夜はいつの間にか八幡のニュー携帯の番号を調べ上げて一番最初に電話をかけてくる。それはもう、ケータイのアドレスを記憶せざるを得ない程には、迅速に。

 

 

 

「さーて、どうするか。……まぁ、痴漢をするなら出来るだけ派手なところが良いな。それでいて警察とかの介入が無い場所……校内か」

 

 ぶつぶつと呟きながら、ケータイを取り出す。作戦の詳細を詰めるのに、八幡は議論を必要としていなかった。

 

「あ、遅くにすみません。ちょっと聞きたいんですけど、明日の先輩の巡回ルートってどうなってます? ——分くらいに校門前って通りますか? その時間にちょっと痴漢するんで、なる早で先輩に来て欲しいんですけど……」

 

 スピーカーから『何を犯罪宣言しているんだ!?』——という文句が飛んできたのは、当然のことであると記しておく。

 

 協力者にひとしきりの作戦概要を説明し、了解を得て翌日の作戦に臨むのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして、八幡は協力者たる関本勲によって取調室にて事情聴取を受けていた。

 

「……まぁ、確認が取れたものはこの一件だけだが。比企谷八幡、今日から一週間の停学処分だ」

 

 本来、痴漢などの犯罪行為であれば外部組織である警察の介入がある。ただ、今回はその行動に計画性がなかった事と、一応は初犯であることから、保護観察の意味で一週間の停学処分となった。この処分は警察の指導によるもので、そこに民間人が介入する余地など、普通は無いはずであった。

 

……しかし。

 

 荷物をまとめ、後は帰宅するだけとなった筈の取調室に、訪問者があった。

 

「失礼する。……お前が、比企谷八幡か」

 

 連絡も、前触れもなくそこに姿を現したのは、風紀委員長の渡辺摩利。舌打ちをしそうなほど顔を歪ませて顔を背ける関本を他所に、事態を把握し、自分を睨み始めていた八幡を見下ろす。

 

「……風紀委員長様が、なんの御用事でしょうか」

 

 その言葉に含まれるトゲを微塵も隠そうとしないのは、内心に違わぬ敵意の表れか。

 

 しかし、その視線を受けてなお、摩利は不敵に嗤った。

 

「まだ伝えていないことがあってな」

 

「……?」

 

 摩利の意図を、八幡が察せずにいると。

 

「ウチは毎年、新入生で首席を務めた生徒を生徒会に勧誘しているんだが……学年総代からの提案というか、入会条件だ。比企谷八幡、お前を生徒会役員〝会長補佐〟に任命する」

 

 摩利の言葉と同時にその少女が取調室に入ってくる。その隣には、当然のようにその少女の兄がいた。

 

「……は?」と呟くのは、関本。

 

 一方の八幡は、摩利の背後にいる少女に自分の思惑を見透かされたような気がして、先程摩利に向けたものよりも数倍濃い敵意をその少女に向ける。

 

 しかしその少女は、視線を向けられて冷ややかに笑みを浮かべていた。

 

 思惑通りに事が進んだ、と言わんばかりの笑みで。

 

 当然、八幡と結ばれる気などさらさら無いに違いない。八幡と四葉家当主との間に結ばれている縛りを、彼女は知らないのだから。

 

 しかし、これでは八幡の為にも彼女の為にもならない。

 

 それなのに。それなのに——

 

「……これで、貴方の計画の一部でも阻害できたのなら、御の字、というものでしょうか」

 

 未来という確定した事象において、彼自身がこれほど憤ったことなど、あっただろうか。

 

「…………ッッッ!!」

 

——司波深雪は、冷笑と共に八幡を見下していた。





強制のうコメ状態、みたいな。


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唐突に現れた異常(少女)

お待たせしました。

前作とは八幡の持つ能力を変更しています。

また、死神の刃の方の八幡とも違う能力となります。


 第一高校、昼の校内。生徒会室の前を通りがかったとある女子生徒は部屋内部から突如響いた怒声に肩を震わせ、足早に立ち去った。

 

「……ですから、反省文提出や内申の減点、停学・退学処分は受け入れます。慰謝料だって払いますよ。……それが、どうして生徒会に入る事と繋がるんですか」

 

 声の主である比企谷八幡は、そう言って正面に座る七草真由美と渡辺摩利を睨め付ける。だが、八幡の隣に立つ深雪や達也も含めて、誰一人、その剣幕に気圧される者はいなかった。笑みすら浮かべていたのだ。

 

「もちろん、八幡くんへの罰だからに決まってるじゃない。あなたの言う通り、普通なら痴漢なんて警察沙汰で裁判所か少年院送りが妥当なところね。でも、被害者本人の意思もあるし」

 

 片目を瞑る真由美の仕草にどこまでも胡散臭さを感じつつ、八幡は深雪の方を向く。被害者である筈のその少女は、何故か勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 

「意思……ですって」

 

「ええ」

 

 確認するように向き直った八幡の言葉に、真由美は頷いた。

 

「罪に対する最大の履行は罰。これは言わずもがなだけど、加害者が望むような〝罰〟は果たして罰と言えるのかしら?」

 

「だからといってそもそも罰則を無視すると? そのような規律にたゆみのある社会はいずれ崩壊しますが」

 

「そんなわけないじゃない。それでは深雪さんの気が済まないし。だから、生徒会参加という罰を与えたのよ」

 

 茶を飲む余裕すら見せる真由美。一方で、八幡は拘束や魔法の影響下にあるわけでもない。理屈の噛み合わない相手に、八幡は両手を卓上に叩きつけた。

 

「罪に対して釣り合っていないでしょう……! 労働が何の償いになるって!?」

 

「だって」

 

 真由美は不意に、八幡と視線を合わせた。

 

 突然の事で、八幡は一歩後ずさった。そして、目の前に座す生徒会長の突き刺すような眼差しに射竦められる。

 

「だってそれが一番八幡くんが嫌な思いをするんだもの。罰としては相応しいでしょ?」

 

 その容姿や人に好かれる、人を導くカリスマ性などから『妖精姫』とも呼ばれる真由美だが、今八幡が対峙しているその人物は、紛れもなく十師族の最大勢力の一つ、七草家の長女としての威圧を惜しげもなく放っていた。端的に言えば——

 

「……っ、で、ですが。それで納得するのはあくまでも本人だけで、あの時見ていた周囲の人間がそれで納得する訳が」

 

「お姉ちゃんはね」

 

 八幡の言を遮りため息を吐くように真由美は下を見る。そして、ゆっくりと顔をあげた。

 

「ものすごく怒っているの」

 

「————」

 

 その顔を見て、今度こそ、完璧に八幡は言葉を失う。

 

 何故なら。その顔は、今までに八幡が見た事がなくて、思わず背筋が凍り付いてしまう程の『怒り』の表情だったからだ。

 

「……八幡くんがあんな真似をするなんて顔から火が出ちゃうくらい恥ずかしいし、深雪さんへの申し訳なさで今も胸が苦しいわ。あなたのやったことは深雪さんの時間を、深雪さんの未来を奪ってぐちゃぐちゃに壊してしまった最悪の愚行なのよ。人生は治したり元に戻したりが絶対にできないの。それなのに開き直って『罪に釣り合ってない』ですって? ……ふざけるんじゃないわよ! 絶対にやってはいけないことを地面を踏んで歩くみたいな気軽さでやっておいて、選べるものがあるとでも思っているの!? 償えるものは何もないのよ! あなたは!!」

 

 ひとしきり、感情を吐き出すかの如く八幡に怒りをぶつけた真由美は、一呼吸おいて八幡を再び見つめた。

 

 叱られている——怒りをぶつけられている間の八幡は、ただ悔しそうに口元を歪める。そして、深雪を視界に入れないように顔を背ける。

 

「……懲罰委員会はどうするつもりですか」

 

 八幡のほぼ真横、彼を挟んで司波兄妹の反対側に立っていた関本が、摩利に尋ねる。既に自分の手を離れている案件ではあるが、その動向を確認しようとしたのだ。

 

「労働奉仕で手を打つことにした。所属は生徒会会長補佐だが、風紀委員でこき使ってやるから覚悟しておけよ。今日の放課後からだ」

 

 後悔。今の八幡の胸中を埋め尽くすのは、その感情のみ。ただ、顔に浮かべた苦々しい表情とは裏腹に、深雪への申し訳なさは皆無だったのだが。

 

「……はい」

 

 八幡が項垂れる姿を見て、深雪は胸を撫で下ろす。何があるのかはわからないが、これでとりあえず八幡の目論見は崩すことができた。あとは、自分も生徒会に参加してその後の動向を見守る。成績を隠すことをせず、主席でこの学園に入学した時からある程度は覚悟していたことだ。やることが一つ二つ増えたに過ぎないのだから、殆ど変わらないのだが。

 

「——はい。それじゃあ八幡くんの件はこれで一旦終わり。少し遅くなっちゃったけれど、お昼にしましょうか。八幡くんも一緒に食べる?」

 

「いえ、他で食べます。……失礼します」

 

 途端に声のトーンが変わった真由美が拍手で場の空気を変える。部屋から出ていこうとする八幡を引き止めようとはせずに「それじゃあ」と深雪たちに椅子にかけるように促し、昼食を摂った後、元々この日予定していた深雪への生徒会勧誘を行う事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今朝に起きた事件のことは既に学園中に広められていたが、昼を過ぎてその事を気にしている者は事情を知る人間のうち一割もいなかった。

 

 授業が本格的に始まり、皆それどころではなくなるからだ。一科生は担当教師がついての実技授業に加え、魔法工学や力学といった座学の授業もある。一方の二科生も、自習や映像授業に取り組まなければならない。課題をこなさなければならないという点では、科による違いなどなかった。

 

 そして、高校生として入学しておきながら、とある理由によって高校課程における全ての課題を入学前に提出することで授業や課題への出席免除資格を持っている八幡は、クラス内での居心地の悪さ(気にしないとはいっても教室内は針のムシロ状態だ)を嫌って午後の授業が始まった時間帯を狙って食堂を利用していた。

 

 この学園に入学する生徒は気質はともかく根は真面目な上昇志向を持つ少年少女しかいないので、こんな時間に昼食を摂るような他の人間は八幡を除き誰もいない。

 

 ……はずだったのだが。

 

「ねぇねぇ、あなた、今朝に騒ぎになってたでしょ? あの、わたしにやったみたいな、……あれを、してさ」

 

「……何ですか」

 

 先日廊下にて、八幡に奇跡的な角度でそのとある場所に頭を突っ込まれた女子生徒が八幡の隣に腰を下ろした。

 

 ざるうどんを啜る八幡とは違って、彼女はたぬき蕎麦をテーブルに置く。

 

 合掌し「いただきます」と唱えてから、蕎麦を一口啜るその少女は、何でもないはずだというのに、八幡にとって異常に見えた。

 

 まず、今朝の事件を知っておきながら、八幡の隣に座るという精神が理解できない。破滅願望、被虐欲なんて非現実的なものを持ち合わせているのだろうか。

 

試しに問いかけてみる。

 

「俺のことを知ってるなら話は早いですね。一緒にいると何をされるかわかりませんよ」

 

「何かれるかわからないから、いいんじゃない」

 

 八幡の言葉に返す言葉も、異常だった。

 

 箸の手が止まり、その女子生徒の方を始めて見る八幡。彼女は、最初からずっと八幡を見ていた。

 

 ぶつかった時でさえ、まともにその少女の事は記憶していない。しかし、こうして相対してみて初めて、その少女の顔を見ると、中々に可愛らしい顔つきをしていることが見てとれた。

 

 まず身長。もうすぐ170センチに届こうかという背丈の八幡に対し、どう見ても150センチに届いていない。ひょっとして、彼の妹より小さいのではないだろうか。

 

 それに加えて、シュシュで括っているのを解けば本人の身長を超えてしまう程の長さの黒髪。

 

 もう少し成長すれば司波深雪の美貌に比類されることは間違いないその童顔の可愛らしさは、周りに美少女しかいない八幡から見ても、間違いのないものを感じさせた。

 

 ピンク色の瞳にあどけなさしか感じさせないその幼性は、八幡の中で何か熱のようなものを渦巻かせている。しかし、八幡を引きつけたのは、そんな表面のことではない。

 

 彼女の肩。そこには、六枚花弁がない。つまり、彼女は二科生だったのだ。

 

 こんな時間にこんな場所にいる。八幡のような特待生でもない限りはそんな事はあり得ないはずで、先ほどから続く異常な行動に、八幡は戸惑っていた。

 

 ようやく自分の方を振り向いた八幡に、女子生徒は笑む。

 

「比企谷八幡くん、はじめまして。藍野日織(あいのひおり)っていいます。二年生、E組の二科生です」

 

 流石に戸惑いを隠せなかった。それと同時に、この場を取り巻く異常な空気にも。

 

「……二科生、ですって?」

 

 二人のいる食堂を満たすのは、普通の魔法師ではあり得ないほどの濃密な想子。つまりは少ない量でより力のある特異な想子のその純度や濃度共に、八幡はこれほどのものを他に見たことがなかった。

 

 ただ二人、いや三人——彼の妹や母親といった血縁者を除いて。

 

 それは純粋な人間や魔法師、遺伝子交配の末に生み出された十師族などとは比べものにならない程の力。人間一人と黒蟻一匹。そこまで言わせてしまうほどの力の差が八幡と十師族の間にはあるわけだが、その自分と同じ匂いを、八幡は今になってようやく気付いていた。

 

「多分、あなたとわたしって本当に似てるんだと思う。君が入学した時から気づいていたよ、そうなんじゃないかなって」

 

 言葉と共に、その少女の肩甲骨から制服を突き破って羽のようなものが現れた。

 

 彼女の背中から生えたそれは、純粋な物質ではない。であるにもかかわらず、制服を突き破るという物質的効果を与えている。高濃度高純度の特殊な想子、赤色想子(レッド・サイオン)と呼ばれるものがその力の余波で、物理世界に影響を与えているのだ。

 

 物理的な影響力を持つそれは、可視化され、虹色の光る羽根となって見るものを魅了する。

 

 八幡は、それを知っていた。

 

 何故なら、自分にも同じものがあるから。

 

 それを尚もゆっくりと広げながら、日織は八幡に問いかけた。

 

「ねぇ、これはなに(・・・・・)? わたしとおんなじ君なら、これをどうにかできるんじゃないかな?」

 




藍野日織——オリキャラ。二科生で、八幡と同じ力を持っている。詳細は不明であるがその存在を八幡どころかお兄様にすら気取らせなかった。自分の力を隠せていないが、魔法師としての力の根源、想子に当たるものが違うため、今まで八幡以外に気付かれなかった。


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無邪気に羽ばたく、破壊の羽根


お待たせしました。

いつものことながらかなり好き勝手に書いてます。


 第一高校、図書館、特別閲覧室。生徒や職員のみが閲覧可能である魔法に関する文献やデータなど、重要なデータにアクセスできる『重要魔法文化財保管庫』のような役割を果たしているこの場所は、廊下はもちろん利用中の室内に至るまで監視カメラが部屋の隅々までを監視している。

 

 故に、全ての情報が記録されるこの場所で「調べ物」以外の目的でここを利用する生徒はいない。

 

 だからこそ、彼女は音声データの視聴の為に音が外に漏れ出さないよう仕掛けが施されたこの部屋を選んだのだが。

 

 更に、現在は、いざという時の機器の不調を防ぐ為に定期的に行われている、一部の区画の侵入を禁止しての設備点検中だ。

 

 機材の点検中は監視カメラも含めて機器への接続が解除され、部屋の中の電源も落とされる。

 

 しかし——メンテナンス中のために立ち入りが禁止された部屋の一つで、通話を行う者がいた。……それが、彼女なのだ。

 

「——はい。深雪さんが交換条件として提示したことによって比企谷くんの停学は取り消しになりました。ここまで比企谷家としての真意は不明ですが……」

 

 特別閲覧室はいざという時の為、音の反響を拡散する為に電子制御に頼らない防音構造を採用しており、余程の大きな音——それこそ爆発でも起きない限りは、外の音も中の音も壁を通過する事はない。

 

 そんな完全閉鎖空間(空気の通り道は別に確保されている)でケータイを耳に誰かと通話しているのは、十師族護衛任務を請け負う六道機関の一つ、雪ノ下家の次女雪乃。

 

 彼女は片手を壁に当て、魔法で壁の振動を完璧に遮断し、万が一にも声が漏れ出ないように気配を配りながら——主人である四葉家当主、真夜と彼女の両親へ『報告』を行っていた。

 

 雪乃の報告を受けて雪乃の父、柊悟(しゅうご)は眉間にシワを寄せ、母である千秋はなぜか笑みを深め、真夜はため息を吐いた。

 

『あの子はもう、まったく……。それで、周囲の人たちはそれを「どの程度」気にされているのかしら?』

 

 真夜の口にした「あの子」。その『呼び方』が意味する事を噛みしめながら、雪乃は口を開いた。

 

「学年次席という事で注目を集めていた様子ですが、授業が始まりましたのでもう殆ど口には出されていない様子です。二科に入った由比ヶ浜さんからも課題が忙しくてあまり話題は聞かないのだとか。……彼女の場合は、話が耳に通っていないのもありますが」

 

 四葉真夜が、尋常ではない程の執着をあの子——八幡に向けているのを、雪乃は知っている。

 

 その執着はただ単に、真夜にとって八幡という人間は優秀が「過ぎる」というだけで興味を持っている訳ではない事、執着心を見せる割には洗脳や監禁などの荒っぽい手段を使おうとせずに何故か実の息子の様に可愛がっていたりなど、異質なものでもあるが。

 

 ただ、それに関しては雪乃の両親も、それに近い同じようなものを見せていた気がする。……それを言及し始めれば六道どころか十師族の面々に八幡は可愛がられていたことを思い出し、雪乃は考えるのをやめた。

 

『だけど、皆さんの記憶にあの子の痴態が残ってしまったのも事実。あの場にいた全員を消す訳にはいかないし……深雪さんにも考えはあるようだから、暫くは様子見しましょう。雪乃さん。あなたの『閃光機動』も中々に疾くなっていますし、対処はお願いしますよ』

 

 閃光機動。肉体を瞬間的に強化する事で音速を超えた縦横無尽、自由自在な移動を可能にする魔法だ。

 

 瞬間移動と間違われる事があるが、実際のテレポートとは違い、プロセスが移動である為に壁などに囲まれてしまえば使えないという難点があるが、極めれば瞬間移動に次ぐ世界最速の移動魔法の一つである。

 

 現時点では彼女の姉が雪ノ下家の中で最も速い『閃光機動』の使い手であり、瞬く間に数キロの距離を移動する様はまさに魔法の異質さを体現していると言える。妹である雪乃も魔法の腕を上げており、特異な感受性のある司波達也はともかく、すれ違った司波深雪にはその影を追うどころか認識することが出来なかった。真夜の言う通り、モノにしているといっても間違いではないだろう。

 

 それに、水が流れるようにさらりと言われた『消す』という言葉。それに真夜の四葉らしさを感じながら、雪乃は口を開く。

 

「では、必要に応じて介入を————」

 

 ——直後。椅子に座っていて尚よろめいてしまうほどの大きな揺れが、特別閲覧室を襲う。

 

「…………」

 

『……?』

 

『……どうしたの、雪乃?』

 

 不意に体勢を崩し、雪乃の姿を映しているカメラに手をつく雪乃に真夜は首を傾げ、千秋は心配そうに問いかけた。

 

「いえ……これは、爆発……?」

 

『何かあったのかしら、雪乃さん』

 

 肌に触れる微かな感触から情報を読み取る雪乃。彼女の持つ端末でも情報が流れていたが、それ以上に彼女は直接知ることができていた。

 

「食堂の方で大きな揺れがあったようです。……ただ、もう揺れは感じないので恐らくは爆発事故か地震でしょう。また何かあれば連絡を」

 

『待て雪乃』

 

 さして気にもせず、会話を切ろうとする雪乃。だがそこで柊悟が待ったをかけた。

 

「……お父さん」

 

『食堂で揺れだと? こんな時間にか?』

 

 時計を見る雪乃。時刻は午後一時半になりかけているが、食堂は営業を終了していない。しかし、柊悟が時間を気にするのも雪乃には変に思えてしまう。

 

 「なんで、どうして」と震動の原因に興味を向けるのであればともかく「こんな時間に」と、その発生時刻に目を向けるのは明らかに、気にしている何かが——

 

「え、だから、おそらく彼が、あ……」

 

 現在は授業時間中だ。しかし、という事はつまり——()が自由に動ける時間でもあるという訳で。

 

 他の六道とは違い比企谷の存在は訳がわからない。仲間外れというよりは、仲間意識はあっても一枚の壁を自分たちとの前に置いている気がする。

 

 だが彼は仲間だ。少なくとも、雪乃が彼と共に過ごした三年間は嘘ではない。

 

 揺れが起きてまず雪乃がしていたのは八幡の心配だ。しかし、彼だからこそ大丈夫だろうという信頼もあった。だから最初動こうとはしなかった。

 

 ……もしも、そんな彼でも防げなかった爆発だったというのなら。

 

 八幡(・・)と同じ第一高校の特殊特待生制度により授業及び定期試験の免除を受けている雪乃は、三人に短く挨拶をして通信を切るとすぐさま立ち上がり、食堂へと急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤色想子の恐ろしいところは、念じてしまうだけでそれ自体が形を持つ事だ。

 

 ナイフの形を思い浮かべればナイフの形に、ナイフの硬さを思い浮かべれば銀ナイフの硬さに。しなやかさはしなやかさ、使い込んだ形跡があるかどうかすら、思い込んだ通りに形創ることができる。

 

 場合によっては背から生やした赤色想子が直接武器としての形態を持つこともあるし、また魔法として形取ることもある。

 

 しかし、一番に厄介なのは制御出来ていなければ感情と能力が直結してしまうという点だ。

 

 故に八幡は、最初からこの能力を制御できるようにされて(・・・)生まれてきたのだが。

 

 そして。

 

 彼ら彼女らのもつ赤色想子が実体化した『翅』とやらは、実体化し、翼として広げるだけで莫大なエネルギーを産む。

 

 具体的には、核爆発と同等かそれ以上の爆発が、無秩序に広げられた翅から発せられるのだ。

 

 それは、たとえ十師族の魔法師であるといえど防ぐのは容易ではない。

 

 容易——ではなく、不可能か。たとえ全てを消し去る魔法と全てを再成する悪魔の魔法の使い手であれど、翅を破壊したところで生まれたエネルギーを留める事など出来はしないのだから。

 

「くっ……!?」

 

 ——インパクトの瞬間、八幡はとにかく横っ飛びに逃げようとした。

 

 彼の背後には一面のガラス窓。開閉式だが、今は閉まっていた。

 

 ガラス張りの壁を背にしていれば、それらが割れた時、次に自分を襲うものが何なのか容易に想像はつくだろう。

 

 八幡もその直感に従い、逃れようとして——動きを止めた。

 

「……あぁいっ、っあ、なんで、こんなに……!? もどれ、もどれ、もどって……!!」

 

 八幡が逃走を決めた原因——藍野日織が、自ら生やした翅に戸惑う姿を見るまでは。

 

「何、やってんすか!?」

 

 声を荒げる。しかし、頭を押さえて目を瞑る日織にはその声が届いていない。

 

「くそ!」

 

 あまりの有様に愚痴りながら、横に手を伸ばす。指先からではなく、八幡の体全体からサイオン光が迸った。

 

 ガラス壁は割れたら困る。いや、本当に困るのは彼女の方が……。

 

 慣性制御及び重力制御、情報強化、テーブルや椅子の相対位置固定に加えての干渉力を最大展開した硬化魔法。爆発の煙処理や火花などの色光減衰を含めた計三十六種類の魔法を五百点以上の場所に同時かつ均一にかける。

 

 二人の体を爆発から守るには障壁一枚張ればそれで十分なのだが、何も証拠を残さない為には椅子一つ、変形させる訳にはいかないからだ。

 

 最後に空気中のチリを媒体にした物体を分子レベルで切断する魔法、分子ディバイダーで日織の背から生えている羽を切り離し、八幡が日織に手を伸ばす。

 

 そして彼女を腕の中に抱え込み、残った羽を払いながら、多重かつ即時的に障壁を展開する魔法、ファランクスを発動して衝撃を待った。

 

 ——その衝撃は、八幡が出せるファランクスの最大出力、毎秒一万枚という障壁生成速度を容易く蹴破って八幡に到達した。……明らかに、核を遥かに超えている威力だ。

 

 だが、辛うじて日織には届いていない。念の為と一枚だけ張っておいた、数を重視するファランクスよりも質に重きを置いた障壁で日織を包んでいたためだ。ただ、その障壁は衝撃を受け止めた後、粉々に砕けていたが。

 

「————っ!」

 

 八幡が施した魔法のお陰で椅子や壁は傷一つ付いていないが、八幡の背中は制服やシャツが焼け落ち、露出した肌が焼け爛れる。

 

 閃光や衝撃は一瞬で終わった。だが、その余波は八幡を重傷に追い込み、一瞬ではあるが八幡は意識を手放していた。

 

 悲鳴すらも上げずに倒れる八幡。

 

「え? え? ……あなた、大丈夫な、……っ!?」

 

 自分を抱きしめていた圧迫感がなくなり、先に倒れ、その背を目にする日織。あまりの惨状に言葉を失うが——

 

 

 

センパイ(・・・・)早く行きますよ(・・・・・・・)

 

 

 

 さも当然であるかのように、比企谷八幡は日織の背後、そこに立っていた。

 

「……!? え!? ええ!??」

 

 抱き抱える生き血のように生温かい感触——が、ない(・・)

 

 惨状に続くあまりの変体に、驚きを通り越してびっくらこいたという日織少女が目を回そうとするも、そんなことが許される前に日織の腕はその前からやってきた八幡に掴まれていた。

 

「早く逃げましょう。物的損害はゼロですが、通り抜けていく衝撃までは予定に入れて(・・・・・・)いなかった(・・・・・)。外は相当揺れたでしょうし、割り切れなかった余剰サイオンとかめちゃくちゃ放出してたんで、気付くやつは気付いていますし」

 

 言って日織の手を取る八幡のその顔は間違いなく本物だ。全てがつまらなそうな顔も、細胞レベルでシンパシィを感じたあの雰囲気も。ただ——

 

「う、うん。……あれ、あなた、ちょっと元気になって——若くなってる?」

 

 本当に、何も変わっていない。だが、目の前の少年はどこかよく話していた先程よりも、幾分か若く見えたのだ。なんというか、今とは違って人に慣れていない感じが八幡からは感じられる。

 

 先程までを犬とするなら、借りてきた猫のような佇まいだ。

 

「は、なんすかそれ。いいからいきましょう。雪ノ下のやつがもうすぐそこまで来てる」

 

 案の定、八幡は首を傾げて日織の手を引いたままに食堂を後にした。

 

 藍野日織が、八幡には持ち得ない——世界の中を見渡す精霊の眼という異能に、目覚めているとも知らず。

 

 取り残された蕎麦とうどんは中身が消失した状態で返却口に並んで置かれ、気絶し、目を覚ましていた食堂の担当者によって片付けられていた。

 

 数分後に到着した雪乃が目にしたのは、数分前となんら変わらずにそこに在る食堂の姿で、しかし本当にただの揺れだったのかと雪乃は首を傾げることになった。

 

 数十分後、急きょ開かれた職員会議では揺れの原因が地震であるという判断が下され、実際に震度計も一定の数値を示していたことから、これが爆発によるものと判断できる材料はないに等しく、異論を挟む者は少数であった。

 

 ……教員の中でも一名、揺れの本当の原因に気付いていた、司波達也や藍野日織と同じ精霊の眼を持つタバコ好きの女教師がその結果を聞いてため息をついていたが。

 

 あの小僧め。何を引き寄せているんだ。

 

 職員会議の終了間際にその女教師が呟いた独り言に気付いた者は、誰もいなかった。





次話は明日にはあげる予定です。その次はワートリ短編かな。



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刑部の予兆



モンハンのモンスターはアオアシラが好きです。


 

 

 

 放課後。

 

 昼間に地震などのトラブルはあれど、放課後まで引きずるようなものでもなく、チャイムが鳴れば全ての生徒が思い思いに、勉学からの解放された時を過ごしていた。

 

 涼風のように緩やかな雰囲気の中で、しかし司波兄妹は険しい面持ちで生徒会室へと向かっていた。

 

『あれは地震じゃない。明らかに何者かによる人為的な爆発だ』

 

 授業が終わり、深雪と合流してすぐに言われたその言葉。プレートの境目の上に位置し、頻繁に地震が起こる日本なのだからと、深雪はさして気に留めていなかったが——何よりも信頼する兄の言葉で、気を強めた。

 

 しかも、爆発。テロなのかと深雪が達也に訊けば、

 

「わからない。衝撃波だけが食堂から放たれていたからな。……まぁ、誰かが爆発を防いだようだし、これは明らかに十師族に危険が及ぶものだ。きっと彼らが対応してくれているだろう。……さ、生徒会室が見えてきたよ。おしゃべりはここまでにしようか」

 

「もう……お兄様ったら」

 

 目的地が近付いてきた事を理由に、会話をやんわりと取りやめる達也。そんな彼に対して少しだけ拗ねつつも納得して前を向く深雪だったが、達也は「これ以上深雪が踏み込んでくれなくて助かった」と考えていた。

 

 ——達也もまさか、自分が対処できなかった魔法について「何があったのかわからない」で最愛の妹が納得できる説明を与えてあげられるとは微塵も思っていないからだ。

 

 アレが魔法によるもの(正しくは魔法の効果によって威力の減衰を受けていた)と見抜いただけでも、十分凡夫の域を逸脱しているが。

 

 扉の前に並び立つと、深雪が生徒会室のインターホンを押した。出たのは生徒会長の真由美で、軽い返事の後に扉のキーが開けられる。昼間と同じように達也が一歩前に出て深雪を庇うような立ち位置のまま、二人は生徒会室へと入っていく。

 

「失礼します」「お邪魔します」

 

 それぞれの言葉を口にして、会釈する。中にいたのは真由美と風紀委員長の摩利と罰により生徒会入りとなった八幡に加えてもう一人、達也と深雪が見知った生徒だった。

 

「ようこそ生徒会へ。司波さん、共にこれから頑張りましょう」

 

「……はい、こちらこそよろしくお願いします」

 

 そう言って深雪に(・・・)深くない笑みを向けてくるのは生徒会副会長の服部刑部。達也を通り過ぎ、無視しているのは深雪にとって割と深刻な案件だったのだが、とりあえず深雪はここを堪えた。

 

「それじゃあ司波くん、比企谷。行こうか」

 

 摩利がそう言って、生徒会室から直接風紀委員本部へと繋がっている通路への扉に向かう。達也は頷き、八幡はほぼ無言で立ち上がって摩利の後をついて行こうとするのだが、

 

「待ってください、渡辺委員長」

 

 服部がそこに待ったをかけた。

 

「なんだ? 服部刑部少丞範蔵副会長」

 

 振り返る摩利の悪い顔は明らかにわざとであったが、そのやり取りは幾度となく繰り返されてきたのか、服部は「服部刑部です」と短く訂正しただけに留めて、摩利の顔を見た。

 

「私は、二科生とそこの観察処分者の、生徒会及び風紀委員参加に反対します。実力の伴わない二科生と、一科生であっても規律を軽んじるような不埒者が参加する事は適当ではありません」

 

 嫌味でも、傲慢でもなく、書類の上から見ただけの情報で八幡と達也を判断している。

 

 生徒会長の下した判断に対するこれ以上ない程のいちゃもんであるが、なまじ筋があるだけに下手な反論はできない。特に、達也と深雪の場合は自分達の立場が知られては困る。

 

 八幡に関しては適当良いと思う深雪だが、兄に対する無理解や無頓着から来る侮蔑は我慢がならない。

 

 故に彼女は、声を上げる。

 

「……兄は、兄の力は、この学園の魔法力の測定方法と合致していないというだけで、実戦であれば誰にも負けません!」

 

「司波さん。我々魔法師は困難な局面にある時ほど、冷静な対応が求められます。そのように身贔屓に目を曇らせているようではいけません」

 

 しかし、深雪のそんな態度が今の上級生に刺さるのかといえばそんな事はなく、さらに深雪が激昂する羽目になった。

 

「お言葉ですが! 私は目を曇らせてなどいません! もちろん節穴でもありません! データ上の、数値の事だけでよくも人を——」

 

「深雪」

 

 達也がやんわりと深雪の肩を引く。それで深雪は我に返り、口許を手で覆った。

 

 しかし、それでは深雪が服部の誤解を解けないままだ。

 

 仕方なく、達也は、深雪の目が曇ってなどいない事を証明する為に——

 

「服部刑部少丞範蔵以下略先輩。ちょっといいすか」

 

彼ら兄妹に背を向けて服部の前に立ったのは、それまでずっと隅で観ていたはずの八幡だった。

 

 綺麗に、司波兄妹から八幡へと服部の意識は向けられていた。

 

「……服部刑部だ! 以下略とはなんだ!」

 

 戯けた笑みを浮かべ、肩を竦める。ペースは完全に八幡が獲っていた。

 

「下の名前、ミドルネーム、ファミリーネーム、姓名の名、いろいろ考えたんですけど、どれが本当の名前なのかわかんなかったんすよ。もう呼びやすいし『はんぞー君』とかで良いですか呼び方」

 

「服部だ! つくづくシャクに触る男だなお前は!」

 

「『ハットリくん』」

 

「服部だ比企谷八幡!」

 

「わかりましたよ服部」

 

「敬称をつけろ!」

 

「『服部くん』」

 

「大概にしろよお前! 何が言いたいんだ!?」

 

 顔を赤くして、服部は八幡を睨み付ける。摩利や真由美が口許を押さえて肩を震わせていたが、それも彼の顔を赤くしている理由の一つなのかもしれない。

 

 八幡は一息つくと、

 

「いえ、自分はやる気もあまり無いですし、そこの二科生よりも有能性は低い。会長補佐の仕事は生徒会よりも風紀委員に身を置く事自体を重要視されているみたいですし、カザリだけであるなら何もできることが無いです」

 

 諭すように、八幡は服部の目を見る。

 

 そして、言い放つ。何よりも伝えたい言葉を。

 

「ですから、こういったやり取りの後で申し訳ないんですが……お前、俺より弱いだろ」

 

「……なんだと?」

 

 二度見——ではなく、瞬きでそれまでの表情を忘れて八幡を見る服部。

 

「ですから、俺にはやる気がない。そんな人間がいても副会長の仰る通り、無駄です。空間を人一人分必要のない荷物で埋めるようなものですし」

 

 肩をすくめ、嫌味ったらしいポーズで首を横に振る八幡。

 

「だけど、今の俺はただ単にやる気がないだけで、アンタとは元々持ってる力の桁が違う。筆頭魔法師族重護衛格——その一つ、比企谷にアンタは、追いつくことすらできないんでさよ(・・・)

 

 何気なく放たれたその言葉は、服部の脳裏から全ての反論を奪い去った。

 

 場が沈黙に包まれる中、書記の中条あずさが小首を傾げた。

 

「……でさよ?」

 

「だけど、今の俺はただ単にやる気がないだけで、アンタとは元々持ってる力の桁が違う。筆頭魔法師族重護衛格——その一つ、比企谷にアンタは、追いつくことすらできないんですよ」

 

声色一つ変えずに復唱する比企谷八幡。

 

「言い直した!?」

 

 その威風堂々たる有様にあずさは驚き、

 

「ぷっ……くく」

 

 真由美はさらに押し寄せる笑いを必死に堪えていた。

 

 言い終えて、八幡は少し顔を赤くする。

 

 こういうところが、変わらないなあと真由美は思いつつ——

 

「八幡くん。罰から逃げることは許さないわよ」

 

 あっさりと、彼が巧妙に隠したその意図を看破してみせた。

 

「……いやいや、逃げようとしてませんて。模擬試合なり何なりをして上下関係をはっきりさせようとしただけです」

 

「その試合でわざとボロボロに負けて『所詮口だけの見掛け倒し』なんてはんぞーくんに言わせて、追い出されるところまでがセットなのよね?」

 

「…………」

 

「反論できないところを見ると図星ね」

 

「……いやでも、そんな、訳ないじゃないですか」

 

「そうやって言葉に勢いがなくなるところも図星な証拠よ」

 

「ぐっ……」

 

 八幡は悔しそうに口端を歪めるが、真由美は一転して表情を変えた。

 

「……ま、でもそれは良い案よね」

 

「会長?」

 

 服部が、真由美を見る。

 

「よし、こうしましょう。達也くんと八幡くん、それにはんぞーくんで模擬戦をするの。これで達也くんは深雪さんの目が曇っていないことが証明できるし、良いでしょ?」

 

「……ええ。それで構いません」

 

 真由美が微笑み、達也が頷く。深雪が達也の制服の裾をすまなさそうに摘んだが、八幡は、

 

「待って、俺がこれをやるメリットが無いんですが」

 

「八幡くんもこれから風紀委員の活動をお手伝いしていくんだし、どれだけ動けるのかを摩利が知ることができる良い機会よね。さっきはんぞーくんの事を格下って言ってたし」

 

 それに摩利が頷き、服部も八幡を睨め付けた。

 

「これ以上異論はないかしら。……それじゃあ、あーちゃん、リンちゃん、場所の確保をお願い。私は先生たちに話を通しておくから」

 

 そして、試合という名の決闘を行う為に職員室などに届け出をする為、または自分の準備を済ませる為に各々が部屋を出ていく。

 

 服部、司波兄妹と続いて退出した最後、八幡が真由美に振り返り、

 

「……良いですけど、終わったらさっさと帰らせてくださいよ。見たい番組があるんで」

 

「じゃあ八幡くんが負けたら、今日は私が八幡くんの家に泊まりに——ううん、今日から八幡くんの家で暮らす事にするわね。勝ったら中止を考えてあげる」

 

 ちろ、と舌を出してウィンクする真由美。その言葉が終わるか否かのタイミングで、八幡はガックリと項垂れた。

 

「よかねぇしこんなん勝ち以外に方法が……!」

 

 慟哭する八幡。真由美と八幡の間に、どんなに理不尽なものであっても拒否権というものは存在しない。条件付きというだけでも、昔に比べて随分優しくなったものだ。

 

「勝てば良いのよ勝てば。……ただし、達也くんとはんぞーくんの試合を先に行うから、その間に準備は好きにしていいわ。逃げたらわかってるわね?」

 

「雪ノ下とか三浦を身代わ……に交代を頼んでも良いですか」

 

「ダメよ。何のためにあの子達がどの枠でも生徒会に参加しないように締め出したと思ってるの」

 

「アンタの考えてることが時々怖いよ……」

 

 その言葉を最後に、二人は生徒会室を後にした。




なんとなく筆が進んだので次話も半分くらい書けてるのですが次はワートリ短編です。


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動くこと十文字の如し



お待たせしました。

七草真由美嬢の大人げなさが滲み出てる気がします。


 靴音の変わらない廊下を進みながら、摩利は前を歩く八幡の背中を見つめていた。

 

……新しい六道だと? いやまさか、六道で入れ替わりなんて……。

 

 考え事の中身は、先程自ら六道を名乗った八幡についてだ。それに少なからず衝撃を受けたものの、摩利はこう判断を下していた。

 

 ありえない。六道は代替が簡単に行われないからこその六道なのだ。

 

 まして、痴漢を行うような人間が六道を名乗るものか。

 

 ……しかし、彼女の友人である真由美は随分と彼と親しく接している。以前「婚約者がいる」とは聞いたことがあるが、目の前のアレはまるで姉と弟のようだ。

 

「ちょっといいか、比企谷」

 

「はい?」

 

「君が先程言ったことは本当か? 筆頭魔法師族重護衛格……六道には比企谷なんて名前は聞いたことがないんだが」

 

「変わってますよ、随分前にね。師族会議みたいに通達されないから、大多数が知らないと思います。俺だって八代の当主とか全然知りませんし」

 

「それでよく六道になれたものだな。……ん? という事は、六道は七つの家になっているのか?」

 

「いえ、由比ヶ浜と交代で六道に入りました」

 

 思わず、摩利は立ち止まる。

 

 信じられないことがあれば、誰でも立ち止まってしまうに違いない。この場合は特に、世界最強の軍隊がアメリカのスターズであるならば、世界最強の個人は由比ヶ浜と言われてしまうほど、由比ヶ浜の実力はコケにされるものではないのだから。

 

 だから摩利は、戦力の過剰常備を防ぐ為だとか、六道ではなく別の組織として全国に分散させる為だとか、そういう仕組み的な理由なのだと考えた。

 

「そういう制度なのか?」

 

「いいえ? あんま覚えてませんけど、魔法勝負で一方的にボコボコにして、なんやかんやで入った……んですよ。詳しくは由比ヶ浜の方が知ってると思います」

 

 それに絶句した摩利を誰が失礼であると咎められよう。服部の時とは違い、ごく自然に肩を竦めて「俺も実感ないです」と零し、八幡は試合が行われる第二演習室の扉のパネルに触れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅いわよ、八幡くん。……摩利と何を話していたの?」

 

 頬を膨らませ、真由美がジト目を八幡に向ける。

 

「俺が六道なのは本当なのかって聞かれまして。まぁ、信じられないのも無理はないんすね」

 

 八幡と摩利が入室すると、彼ら以外のメンバーは既に到着、スタンバイしており、すぐにでも服部と達也の試合を始められる状態になっていた。

 

「……それで、比企谷さんの準備は何をなさってきたのですか?」

 

 しかし、ここで八幡に声をかけたのは深雪。試合開始時刻まで校内を散歩してくると言った八幡の意図を読めずにいたからだが、それはあまり、八幡と達也が試合をするわけでもないし、重要では無かったはずだ。

 

 だから、ここで困惑したのは八幡の方だった。

 

「……いや、何も? 宣言通り散歩してきただけだ」

 

「素晴らしい余裕ですね。慢心は怪我の元ですよ」

 

「お前の兄貴相手だとむしろ怪我をするのが難しいくらいだ」

 

「あらあら? 試合をする前からもう負傷なされているのですか? 脳震盪かしら?」

 

 互いに憎まれ口を叩き合い、並んで向かい合う服部と達也を見る。摩利が審判を務めることになっていて、試合はすぐにでも始まろうとしていた。

 

 二人を交互に見やった摩利が、二人に告げる。

 

「よし、これからルールを説明する。相手に回復不能な障害及び死に至らす術式の使用は禁止。直接攻撃は相手に捻挫以上の負傷を与えないものに限り、武器の使用は禁止。素手による攻撃は許可される。相手が降参するかこちらで続行不可能と判断した場合、決着とする。またルール違反は力づくで取り押さえるから、そのつもりでいろ」

 

 摩利は八幡を見てはいなかったが、その言葉は八幡にも向けられていた。というより、新入生である八幡と達也に向けたメッセージなのだろうが。

 

「わかりました」

 

「了解です」

 

 八幡とのやり取りの影響なのだろうか。服部が当初摩利に向けていた言葉よりも、

 

「では……始め!」

 

 ぎょうぶ は 倒れた!

 

「……え?」

 

 あずさの呟きが、その場を支配する。半数以上の人間が唖然として服部が倒れるその光景を見守る中、深雪は恍惚とした表情で、達也は当然といったように落ち着いて、八幡はただ無言でそれを見ていた。

 

 決着は数秒後。

 

 その瞬間、腕を達也に向けた服部の視界から達也が消え、呼吸をするまもなく服部の視界がズレて、意識がズレて——世界が、真っ暗になっていた。

 

 その間に何をされたのかといえば、服部は達也に背後に回り込まれ、複数のサイオンの振動波が作り出した意識を揺さぶるほどの波によって意識を刈り取られたのだ。

 

 それを直接本人の口から訊いてからも、摩利も真由美も、達也が施した仕掛け——波の合成の元である、多変数化能力に驚くばかり。

 

 ……だが。

 

 彼らが驚き終えるのは、まだ早い。

 

「……、何はともあれ、これで終わりですかね。服部先輩も二連戦はキツそうですし、そもそも司波兄と俺が戦ったところで意味なんてなさそうですし。お疲れ様でしたー」

 

 試合結果に胸を撫で下ろし、速やかに退出しようとする八幡だが、背後からかけられた真由美の声が、八幡の足を止めた。

 

「何を言ってるの? あなたの戦う相手は違うわよ、八幡くん」

 

「え? ぶっ!?」

 

「む? ……八幡、何をしている?」

 

 扉に手をかけ、爽やかに帰宅しようとする八幡だが、扉が開くと同時に入ってきた人物の胸に頭突きをする羽目になったが、頭突きを受けた相手は少しも応えた様子がない。

 

 それもそのはずで、八幡がぶつかった相手とは——

 

「待たせた、七草。それで、試合はすぐに始めて良いのか?」

 

 師族会議十文字家代表代理、部活連会頭、十文字克人その人だからだ。

 

 巌のような体から溢れる闘気は、明らかに高校生が身に纏うようなものではない。

 

 その威圧に完全に萎縮してしまった八幡は後退りながら、

 

「……い、いや、無理無理、なんで司波が服部先輩なのに俺が十師族相手に手合わせしないといけないんですか。明らかに主旨とレベルと相手が違う……!」

 

「だって八幡くんが頑張るとこが見たかったんだもん」

 

「何してくれてんすかおい。……え、これ勝たないとダメなやつですか? お泊まり?」

 

「そうよ。だから頑張ってね?」

 

「応援の仕方が明らかにおかしいでしょう……! 頑張って欲しいならそれ相応のハードルを見せるべきですよ畜生!」

 

「じゃあハンデをあげるわ。それで良いでしょ?」

 

「……まぁ、それなら」

 

 渋々、といった様子で八幡はうなずく。

 

「それでは二人とも位置につけ」

 

 審判は引き続き摩利だ。しかし舞台の演者は八幡と克人へと変わり、二人を見る気配も八幡には違って見えた。

 

「ルールは先程話した通りだ。ただ、致命傷でない限り、怪我をした程度では試合は中断しない。結果的に相手に重傷を負わせなければ殺傷性Aランク相当の魔法の使用も許可する。……これで良いんだよな、真由美?」

 

 確認の為か、真由美に視線を向ける摩利。目の色を変えている鈴音やあずさに服部、達也たちの視線を集めてなお、真由美はしっかりと頷いてみせた。

 

「ええ。それで構わないわ。十文字くんも大丈夫よね?」

 

「ああ。その辺りはわかっている」

 

 言って、構える克人。

 

「……」

 

「どうしたの、八幡くん?」

 

 しかし、首に手を当てて何か不満げな様子の八幡に、真由美が問いかけた。

 

「いえ、実力を測る為なら先程と同じルールにすべきだと思います。重傷程度ならいくらでも続行可能ですから」

 

「……何を言っている? 片腕を骨折するだけで、両手で操作するタイプのCADはほぼ使えなくなる。そうでなくても、そんな状態でまともな戦闘ができるわけがないだろう」

 

 反応したのは摩利。しかしそんな摩利を八幡は真っ直ぐにみつめ、

 

「……なんでもないです」

 

 と、落胆したように目を背けた。

 

「俺もCADは特化型で行きます。……どれくらい使うかわかんないすけど、多分」

 

 手をぷらぷらと空中で揺らし、十字を切る仕草をする八幡。

 

 胡散臭さしか見えないのは彼の日頃の行いが悪いせいか。

 

「特化型? キミのCADも特化型なのか?」

 

 特化型——と聞いて、達也は目を細めた。

 

 先ほどの試合で達也が使用していたのも特化型と呼ばれるものだ。CADとして一般的なもう一つの種類、汎用型に比べて積むことが出来る術式の数は極端に少なくなるものの、発動速度の速さがウリで、主に戦闘を行う魔法師が好んで使うタイプだ。

 

 六道を名乗るだけあって、やはり特化型なのかと納得していた。

 

 摩利の耳に、目に、信じられない言葉が飛び込んでくるまでは。

 

「いえ、CADは普段使いませんよ。ただ面白そうだから使ってみたいってだけで——よっと」

 

 そう言って八幡が懐から取り出したのは、拳銃タイプの特化型CAD。どうやら彼も、達也と同じようなスタイルで戦うらしい。

 

「……なんだって?」

 

 しかし摩利は、その言葉と異常性に気がついていた。

 

「もしかしてキミは、普段はCADを使わないのかい?」

 

 まるで、今日初めてCADに触れたと言わんばかりの手つき。

 

「え……あー、まぁ、はい。実家が古式魔法の家系でして」

 

「では、札か何かをCAD——ホウキ代わりにしているということか?」

 

 どうやら八幡は、個人の技能に依るものがほとんどで、現代魔法以上にその奏者を選ぶという古式魔法の使い手らしい。なるほど、それならCADに縁がないのも納得できる。だが、摩利を困惑させたのはそのあとの言葉だ。

 

「使ってませんけど……」

 

「は?」

 

 使っていない。それ自体を秘密にしていたり仕込み刀のように隠しているのではなく、そもそも使っていないときた。

 

 これには、摩利だけでなく、克人と真由美を除くその場にいた全員が驚いていた。

 

「え? 何か使わなくちゃいけないんすか?」

 

 ボケているのではない。ツッコミ待ちなのでもない。自然と口に出されたその言葉は、現代魔法の常識の外にいた。

 

 とても、学年次席の成績を持つ人間とは思えない。

 

「いや……使わないといけない訳ではないが、普通は使うものだろう。というか、CADも使わずに干渉強度、演算規模、処理速度の魔法力を測る試験で次席になったのか君は……?」

 

 感心を通り越して半ば呆れた口調で訊く摩利に八幡は、

 

「まぁがんばりました。つっても司波兄妹とはかけ離れてますけどね——と、渡辺先輩、そろそろ始めましょうか」

 

「……そうだな、待たせた十文字。それでは両者構えろ」

 

 時計を見た八幡が摩利に向き直り、ちょうど良いとばかりに摩利も時計に視線を合わせた。

 

「時計の長針が真上に来たと同時に開始とする。あと10、9——」

 

 右手に握ったCADの感触を確かめるように、八幡は握り直す。その経過だけで、数秒が経っていた。

 

「6——」

 

 こんな模擬試合に意味があるとは思わない。負けるならまだしも、彼にとって勝つことに意味がある訳はないのだ。

 

 それでも、今回は負けることによって初めてデメリットというものが発生する。

 

 ならば、負けるわけにはいかないのだろう。

 

 我ながら情けない理由だが、それでも言い訳があるだけマシかもしれない。

 

「——5、4」

 

 負けてはいけない根拠ではなく、勝っても良い言い訳が。

 

「3」

 

 六年前、負けなければいけなかった筈のとある戦いで、八幡は手加減ができずに勝ってしまった。

 

 そのせいで、一人の少女を泣かせてしまった事がある。

 

 最強。無敵。そんなものにはやはり価値がない。

 

「2」

 

 持論がある。他者に向けて、どうしても伝えなくては気が済まない持論が。……ならば、証明しなければなるまい。

 

 最強の先にあるものが、高みではないということを。

 

 

 世の中、劣等生でいるくらいが、この世を満喫できるのだということを。

 

 

「1。……始め!」

 

 そして——今後の八幡の運命(美少女と一つ屋根の下か否か)を分ける試合は、始まった。






八幡は十文字会頭相手におそらくまともな戦い方はしない。


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本気のごっこ遊び


キャトルミューティレーション≠アブダクション。


 

「もし、よろしいかの?」

 

 森崎昴が廊下を歩いていると、背後から声をかけられた。

 

「はい? 何——」

 

 振り返る森崎。しかし、振り向いた先には誰もいない。

 

 ——何だ? 気のせいか?

 

 そう思い、進行方向に向き直って、その足を止めた。

 

 森崎の視線の先に、誰かがいたからだ。それも、先程までは確かにそこにいなかった、誰かが。

 

 その人影は、随分と小さな少女のカタチをしていた。

 

 背丈は同年代でも比較的身長が低い森崎の六割から七割ほどしかない。

 

 そのくりくりと大きな瞳や、瑞々しくハリのある肌など、見た目のみで判断すれば、間違いなく小学生にしか見えない。

 

 だが。子供用に拵えたチャイナ服の様なデザインの服の上に天女の羽衣の様な上着を羽織り、森崎では心当たりがないデザインの服を着こなすこの幼女の顔を、森崎は知っていた。

 

「……」

 

 森崎は気づかれぬ様に静かに胸元に手を伸ばす。しかし、膨らみのない感触でCADを携帯していない事に気付き、焦るが——

 

「安心せい。わしもあの小僧と同じで、様子見に来ただけじゃ。……しかしまぁ、今は羊の中に放り込まれた狼の気分じゃな。張るような闘気も他にない。暴れたくて仕方ないの……」

 

 ぷにっ。森崎の頬をつつき、舌舐めずりでもしそうな表情で森崎を見上げる。

 

「……やってみろよ范星露(ファンシンルー)比企谷(オレ達)が黙っちゃいないぞ」

 

 しかし、それを睨み返す森崎のどこにも、怯えなどの負の感情は見られない。

 

 笑みを向けられ、睨み返す。一触即発の空気を壊したのは、別の争いの波動であった。

 

 突風の様な衝撃波が二人の間を駆け抜け、精神に風を感じさせる。

 

「……っ、あのバカ」

 

「ほう。……懐かしいの」

 

 飲まれてしまいそうなほど巨大な力の波動を森崎は感じ取り、一方の幼女は嬉しそうに笑みを作った。

 

「……とうとう始まったか、模擬試合が……」

 

「なんじゃなんじゃ? アスタリスクの外にも決闘のシステムがあるのか?」

 

「アンタがたみたいに自由な私闘ができるものではないし、何十枚という書類を各所に回した上で場所のタイムスケジュールと睨めっこしたりする分手間は何倍もかかるけどな」

 

 それまで威圧を脱ぎ捨て、子供の様にはしゃぎ出す范星露の手を退けながら、森崎は誰か代わってくれ、とため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……始め!」

 

 摩利の声が演習室内に響き渡った。

 

 紛うことなき試合開始の合図だ。

 

 そして、先に行動を見せたのは克人だった。

 

「……」

 

 無言のまま、克人がCADに指を走らせる。

 

「はいっと」

 

 しかし、克人の魔法よりも八幡がCADを床に叩きつける動作の方が速かった。

 

「……は?」

 

 とその突拍子もない行動を見て間抜けた声を思わずあげたのは、審判をしていた摩利だ。

 

 当然だ。普通ならば、魔法を使うに——特に発動を急ぐ場合——必須のアイテムであるCADを投げ捨てる愚行など、どんな奇策であっても実行できる筈がない。

 

 しかし、それと同時に摩利は先ほどの八幡の言動を思い出していた。

 

 扱ったことがないだの何だのと言っていたが、要するに彼は「魔法の実行」においてCADどころか術のための札を持つ必要が無いと確かに言っていたではないか。

 

 結論として、八幡は最初からCADというものをまともに使う気がなかった。故に、八幡がCADを手にした理由は——

 

「……っ?」

 

 そして、その奇行の理由に気づいたのかどうか、対峙する克人は目元を腕で覆った。

 

 驚きの余韻に浸る余裕もなく、八幡が投げ捨てたCADから眩い光が溢れ出し、一瞬だが、全員の視界を奪う。

 

 閃光が収まると、その場所には投げ捨てられたCADの他に人の姿はなかった。

 

 克人は咄嗟にこの部屋の出入り口に目を向ける。いつも(・・・)であれば、八幡の性格からしてこんな旨味がない試合、すぐにでも放棄して逃げ出してしまうからだ。

 

「……」

 

 しかし、扉は未だに施錠されたまま。

 

 扉が開く時は何にしても音が鳴るし、という事は八幡はまだこの室内にいるということだろう。

 

「……きえたっ!?」

 

 あずさが騒いでいる。観客に紛れている訳でもなさそうだ。

 

 ……何か作戦があるということだろうか。

 

 なら、しばらく様子見——

 

 ——ダンっ! 何かを強く蹴る音が響いた。

 

「……なるほど」

 

 克人は視線を落ち着かせたまま、自身の右斜め上方に十文字家の固有魔法「ファランクス」を展開する。

 

 ぎっ……がギギギギガギギィン! 先程の閃光には及ばないものの、凄まじい量の火花を撒き散らして「それ」と克人の「ファランクス」は衝突した。

 

「……あっれー。俺の計算だとここで一発KOしてる筈なんですけど」

 

「……仮にも十師族だからな。それに、お前の手の内はよく知っている」

 

 俗にライダーキックと呼ばれるフォームの八幡の飛び蹴りは、靴底がファランクスとぶつかり合い、次々と繰り出されるファランクスを破って火花を散らしている。

 

 閃光の瞬間、八幡はただ天井に向かって跳んでいただけだ。そして、身を翻し天井を蹴ってさらに跳んだ。

 

 しかし、ただ蹴りを繰り出したというだけでは八幡が吹き飛んで終わり。克人と力比べをするには、砕く為の武器やそれを飛ばす推進力が足りていなかった。

 

「……少し、出力が上がったか。だがその程度ではファランクスは破れんぞ」

 

 だから八幡も、自らの身体にファランクスとぶつかり合うための魔法をかけていた。

 

 蹴りを繰り出した格好のまま、八幡は獰猛に笑った。

 

「けどまあ。今展開してるファランクスって、こっちだけですよね?」

 

 自分の身体を一本の槍に見立てた『一番槍』に、手数を増やす魔法『二番手』。

 

「無論だが?」

 

「じゃあ克人さんの負けです」

 

 

 

 ——直後、先程よりも随分と大きな騒音が第二演習室に轟いた。

 

 

 

「なっ……なんなのですかあっ!?」

 

 カミナリか何かと勘違いしたあずさが思わず耳を塞ぐ程であったが、落ち着いて目を開けてみれば、八幡が二人に(・・・・・・)増えている(・・・・・)こと以外(・・・・)、別に変化など————

 

「ふ、ふたり!? 比企谷くんが増えてますよ!!」

 

 十文字の背後からもう一人の八幡が拳で殴りかかっていた。しかし、それも読まれていたかのように全方位展開したファランクスによって防がれ、試合は続行している。

 

 ただし、永遠の膠着状態は2人目の八幡が登場した時点で解かれ、八幡は主に徒手空拳、克人は腕にファランクスを部分展開した装甲スタイルでじゃれあっている。

 

「……のようですね。会長、あれについてお聞きしても?」

 

 どちらの彼を視ても、達也にはその二人の間に情報の過不足など感じられず、どちらをどう捉えても本物の人間そのもので、何もわからない。

 

 だが、聞けることで解決できる疑問ならば越したことはない。と、一番事情を知っていそうな真由美に問いかけてみれば。

 

「……あれ? あれは八幡くん曰く『分身の術』なんだって。実際には幾つかの家の秘匿技術を混ぜ合わせて勝手に合成した人目に触れちゃダメな類の術式らしくて、あの術式の起動式だけでも『原子力空母艦二隻とフルオート式対空拳銃3丁とアイネ・ブリーゼの新作ケーキ試食券』の価値と釣り合うんだって。……本当かどうかわからないけどね」

 

「最後に余計なのが混じっている気がしますが……端数でしょうか」

 

「いやむしろ端数なのは空母の方っつーか。ケーキ券を買おうとしたら俺の中では戦略誘導ミサイル1ダースでも足りませんし」

 

「そうなんですか……ええ!?」

 

 納得しかけ、あずさは声を上げた。

 

 気づけば、三人目の八幡があずさの前にいたのだ。それも、結構な至近距離で。

 

「どどっ、どうなっているんですかあなた!? 実は三つ子とか!?」

 

 異性に詰め寄られるという、乙女心をくすぐられる仕草にあずさは思い切り顔を赤くし、それに対して戯けた様子で肩をすくめ、首を振る八幡。

 

「いやいや。俺みたいなのが三人もいたら、今頃四つ——いえ、なんでもないです」

 

「よつ……?」

 

「気にしないでください。それより、ここの照明っていくらぐらいするんでしょうか」

 

「? 大体二本で千円から千五百円くらいでしょうか。それが何か——」

 

「いえ。場合によっては巻き戻した方がめんどくさくなくて済むかなと思ったんですが」

 

「???」

 

 はてなマークを頭上に浮かべるあずさ。だがその数秒後、八幡が何を企んだのかを、否が応でも知る事となる。

 

「会長ー」

 

「何かしら、八幡くん」

 

 八幡の状態に何ら驚いた様子のない真由美が、朗らかに応える。微笑みすら浮かべているが、彼女の美しい相貌も、次の八幡の行動で崩れ去ることになる。

 

「上の照明二十本、注文頼みますねー」

 

「は? ……ちょっちょ、ちょっと待ちなさい八幡くん!?」

 

 その言葉と同時に、真横に何かを投げる仕草をする八幡。実際に何かを投げている訳ではないが、その掌からは稲妻が飛ぶのが見え、真由美が悲鳴を上げた。

 

 稲妻が向かう先は演習室の空調機能と一体化した照明パネル。

 

「待ちなさいよ————っ!?」

 

 稲妻がパネルにぶつかり、光が弾けた。

 

「〝甘き雷姫の不機嫌(コンコルーサ)〟」

 

 ばつんっっっ。何かを引き抜くような音に風船の破裂音を混ぜ合わせたような空気の振動があずさ達の耳に届き、それと同時に演習室内のすべての照明が破れ、部屋から明るさが失われる。

 

「な……」

 

 それはたった1人——生徒会長、七草真由美から知己の存在であるが故の余裕とわざわざデートのために空けておいた予定を奪い去る、悪魔の所業であった。

 

「む……」

 

 それにいち速く反応したのは、ボクサーの右腕と左腕の様に一体感のある攻撃を繰り出す八幡ズと同等以上の立ち回りを見せている、克人だった。

 

 場が暗転すると、最初から克人と戦っている八幡Aのつま先を着地時を狙って踏みつけ、呻いて動きが鈍くなったところを足払いをして転がす。

 

 続いて、倒れる八幡Aの背後から克人に掴みかかるように飛び出してきた八幡Bの右手首を掴み、捻って体を反転させそのまま下敷きになる八幡A目掛けて叩きつけた。

 

 更にあろうことか、手先に小さな電撃を走らせ、押し付けるだけで相手を気絶させるスタンガンのような魔法を右手に発動させながら忍び寄っていた八幡Cでさえも、伸ばした手のその下から胴ごと体を持ち上げられて、投げ飛ばされ、結局は床に叩きつけられた。

 

「ぐっ……」

 

 気絶したのか、ぐったりと動かないAとCとは違い、肘を使って上半身を起こし、克人を睨め付ける八幡B。

 

「……なる程、お前が本体か」

 

もとより本当に分身するなどとは克人自身考えていない。ならば、三人に増えたカラクリは幻影か幻惑かのどちらかだ。

 

 まさか本当に増えているとは思わなかったが、やはり核となっている本体はいた。

 

「いやはは……」

 

 その魔法の枢軸となっている本体座標を叩く作戦は確かに効いていたようで、AとC(克人が勝手に名付けた)はその体制のまま、輪郭をぼやかせ、光の粒子——というよりは、光るしゃぼん玉となって空間に溶けて消えた。

 

「……幻覚でないのなら、アレは一体何を構築材料に……?」

 

 ぼそりと鈴音が呟く声が聞こえる。驚くのも無理はないだろうが、この程度で驚いているようならば、この男のもっと先を覗いた時、失神してしまうかも知れない。そんなことを考えながら、克人は立ち上がる八幡に向けて拳を構えた。

 

「……言っておきますが」

 

 ゆらり、と立ち上がる八幡。しかしその足取りはしっかりしていて、とても全身強打をしているとは思えない。

 

「なんだ?」

 

「貴方は()に2度も直接触れている。——もう、まともに身体が動かせるとは思わないでくださいね」

 

「む、……ッ!?」

 

 悲鳴とも言えない呻き声と共に、克人の全身が硬直する。それ以降、克人は指一本、動かすことができずにいた。

 

 八幡が心中に描くのは、現在の克人の姿勢そのままに、何よりも堅く、しなやかなサイオンの糸が全身を雁字搦めにするイメージ。

 

 しかし実態は、触れた箇所から体内に侵入・神経に干渉し、四肢の自由を奪う魔法。

 

 禁忌とされ、かつては十師族の一条や師補二九家の一色などと同じく第一研究所にて魔法の開発に携わっていた——「一花」の魔法。

 

「……なぜ、貴方がその魔法を!?」

 

 目を見開き、普段崩さない相好を崩しに崩し——かつての一花、市原鈴音は声を上げた。

 

 それに対し八幡はへらへらとした薄い笑みを作り、

 

「企業秘密ですよ、お姉さん(・・・・)。貴方の家がやめたことを他の誰かがやっていないとは限らない。それにこの世界には何十億という人間がいる。その中でも一人や二人、こなした仕事が被っても不思議じゃない筈ですが?」

 

「……確かに、不思議ではないかもしれませんが。だからこそ、この国で開発自体が禁止されている筈のその魔法を、貴方はどうして……」

 

「企業秘密ですってば。……ていうか、そろそろ俺の勝ち判定で良くないですか? 渡辺先輩」

 

「……なるほどな」

 

 審判どころかただの傍観者となりつつあった摩利も、八幡の問いかけに反応を見せる。

 

「?」

 

 だが、それは八幡が期待したような試合の終了を決めるホイッスルではなかった。

 

「いや何、君にも弱点があるということを知れてよかった、と思ってな。ちなみに決着だが——」

 

「俺の勝ちで——あゲェッ!?」

 

 突如発生した横からの衝撃により八幡の体がまた、くの字に折れ曲がり、壁に向かって吹き飛んでいった。

 

 そして、八幡を吹き飛ばした張本人が指先の感触を確かめながら、ゆっくりと振り返る。

 

「ちなみに俺は『ファランクス』をCADを使わずに展開できる。……当然、使った方が大規模な展開を容易く行えるがな」

 

 CADにも触れずに全身からサイオンの光を発する克人がそこにはいた。

 

「……きゅう」

 

 壁に激突した八幡は、完全に油断しきっていたのか、目を回してしまっていた。

 

「……あと一歩、詰めが甘い。場所を選ばない戦争(本番)ではなく箱の中の試合(ごっこ遊び)だと油断するな。いつも言っているだろう」

 

 八幡が縛ったのはあくまで体の動きだけ。無意識領域下で行われる魔法の発動は、何ら阻害されることはなかった。

 

「うん。——勝者、十文字克人!」

 

 八幡の戦闘続行不可能を確認し、摩利が審判としての判断を下す。そこには誰の異論も挟まれることはなく、胸を撫で下ろしている者や気絶した八幡をじっと観察する者、ただその場の光景に瞠目している者など、様々な反応が見られた。

 

「…………」

 

 ただ、その中でも一際強い興味を向けていた者の視線は、目覚めたばかりの八幡にも容易に悟られ、

 

 ……使う魔法を間違えたか。市原先輩めちゃくちゃこっち見てるし……。

 

 と、万事解決とはいかず、新たなトラブルの火種を作り、二人の新入生の実力の見極め試合は終わりとなった。

 

「……あれ? ハンデは?」

 

 そして、人知れずあずさの零した呟きは、誰にも伝わることはなく、人知れずに消えていった。





魔法科高校の優等生の四十九院沓子可愛いなあと思うこの頃。

あれか「のじゃ」の呪いなのか。


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強者どもが模擬試合のあと

人物紹介始めました。内容も順番もランダムかつ適当に。


雪ノ下 雪乃

 食堂の様子を見に行ったあとに少し忘れられてた人。固有魔法によって超速く動けるが、お姉ちゃんより遅い。


三浦 優美子

幼い頃の八幡に言葉遣いと常識と友達という概念について教えた。


渡辺 摩利

見た目によらずシャイ。キレると手がつけられない。


七草 真由美

 八幡のお姉さん。誰にも八幡のお嫁さんを譲る気はないが正直何もしなくても一番に八幡と結婚しそうな人。


司波達也

八幡のライバル的存在だが八幡には名前呼びされたくない。


司波深雪

達也の妹。視界に入ったすべての八幡を凍らせる。


比企谷 八幡

「はちまん」と打ったら何故か「バゼルギウス」に予測変換された。
唐突にバゼルギウスが出てきたら八幡の間違いです。



 

 試合を終え、八幡達は演習室から生徒会室へと戻ってきていた。道中で別の仕事があるらしい服部と十文字とは別れ、ドサクサに紛れて帰宅しようとする八幡は真由美が引き摺って——ではあるが。

 

 因みに服部は深雪に対して謝罪をしたが、達也と八幡に至っては一瞥されただけ。

 

 とはいえ、彼の中で八幡達に対する認識の変化はあったに違いない。八幡達を見る試合後の視線は、赤と青のようにはっきりと違っていたからだ。

 

 ……ただ、八幡の人格適正に関しては別に疑いが晴れたわけではないので、その部分のしこりはどうしても残るが。

 

「さて、それじゃあ改めて風紀委員会本部に向かおうか。比企谷、達也くん」

 

 摩利が和かな笑みを浮かべて達也に声をかけ、八幡の手首を掴む。

 

 模擬戦に負けてからというもの、隙あらば脱走しようとしているからだ。

 

 先程までで計17回。普通に脱走、窓から逃亡、謀反革命反乱反逆、逆ギレ、無視、物忘れ、嘘、聞き違い、曲解、etc……。

 

 特に、透明化を使用された時などは摩利や真由美に捕まえるのは無理かと思われたものの、なぜか見破ることができる達也のおかげであえなく御用となった。

 

 しかし、八幡は「逃げませんから」と摩利の拘束を振り払う。

 

「シャイなのか?」とからかう摩利に八幡は「ゴリラアレルギーなんで」と返し、摩利に触れられていた箇所をハンカチで擦っていた。

 

 直後に〝何かが陥没する音〟が聞こえ、生徒会室の床には男子生徒1名がうつ伏せになった状態ですやすやと寝ていたが、気にするものはいない。

 

 気絶した八幡の首根っこを掴み、達也が今までに見たことがない程に爽やかな笑みを浮かべて、摩利が達也を手招きする。

 

 この前といい今日といい、彼が抱えている命の危険について少しだけ気になった達也だった。

 

「深雪さんには生徒会の仕事について説明しますので、この場に残っていただけますか」

 

「はい、わかりました。お兄様、頑張ってくださいね」

 

「ああ、行ってくる。深雪も頑張れ」

 

 その後も淡々と深雪にこの後の事について説明をする鈴音だが、風紀委員会本部と繋がっている扉の奥にその姿が消えるまで、一度も八幡に視線が向けられることはなかった。

 

 風紀委員会本部の場所は生徒会室の真下に位置している。そして風紀委員会本部から生徒会室へ直接向かうことができる通路があり、摩利達はそこを通って本部まで降りてきたのだが、整理整頓の概念が行き届いた生徒会室とは違い風紀委員会本部は、はっきり言ってゴミ屋敷と見紛うレベルの汚さがあった。

 

 無論不潔という意味ではない。ただ、何もかもが整理されておらず、書類は散乱し、CADなどは机の上に放置されたまま。足の踏み場もない(実際には物の置き場もない)とはこの事かと大きくため息をつきながら、達也はジャケットを脱ぎ、シャツの袖をまくった。

 

「委員長。ここ、片付けても良いですか。魔工技師志望としてはCADが放り出されている状況が許せないので」

 

「構わないが……魔工技師? あれだけの戦闘スキルがあるのにか?」

 

 意外だ、という表情で摩利が達也を見る。

 

「俺では、どう足掻いてもCランクのライセンスしか取得できませんから」

 

 しかし、その理由を聞いて——摩利は「すまない」と一言溢した。達也の心を傷つけるとか、とてもそんなつもりでは無かったのだが、結果的にそのようなことを言ってしまったせいだ。

 

「気にしてません」

 

「そうか」

 

 だからか、達也のその言葉を聞いて摩利はもう気にすることをやめた。当人が気にしていないと言っている以上、それを表に出すのはマナー違反であるからだ。

 

 そして、摩利は性格に表裏がない。それ故の気にしないという選択肢だった。

 

 それより、摩利が気になるのは……。

 

「達也くん。比企谷の魔法は見てたか?」

 

「ええ。十文字先輩とぶつかり合った時の硬化魔法は見事でしたね。一切の構築漏れがなく、それでいて強度はかの「ファランクス」とぶつかり合える程に堅い。多分、得意魔法なのでしょうが……」

 

 摩利も、達也も、八幡が増えたことについて知りたがっていた。

 

 特に、分析が得意な達也でさえ見抜くことができなかった魔法。

 

 吐き出さずにはいられないほどの異物感が達也の胸中を占めていたのは、確かだった。

 

 活性化したサイオンが全身を包むとか、術式展開時における余剰サイオンの漏れだとか、それ以前に、

 

「……意味不明な現象が起きていた。相当無理があるが、例えばタンパク質の粉を撒いたり、基礎となる人形などの触媒無しに、純粋な人間の構造をしたモノを精製できるものか? しかも、魔法が十二分に使える状態で」

 

「隠していた、という可能性は? 観測しようにも隠蔽されてしまえばそこまでですから」

 

 達也の指摘は摩利が魔法による光学迷彩を見破れないことを前提としているが、この場合「摩利に隠蔽工作を看破するスキルが無い」という意味ではなく「八幡が使用した魔法のタネも仕掛けも摩利には分かってはいない」という意味であり、その点に関して言えば、あながち間違いでもなかった。

 

「いやそれは無い。何せこいつには私が付いていたからな。……それに、試合をすることになったのはついさっきだ。準備する時間をこいつは全てなぜか散歩に充てていた」

 

「今更見学ですか? 入学から結構経っていますが」

 

 散歩といえば達也の脳裏に自然と思い浮かぶのがそれだ。

 

 部活動勧誘期間はもう少し先の筈だから、施設の見学だろう。

 

 しかしそんな達也の問いに対する摩利の答えは、少々尖っていた。主に、方向性という面で。

 

「入学当初からの問題児らしいからな、比企谷は。儀式として何か意味があったのかもしれないが、私にはわからなかった」

 

「問題児? 深雪への犯罪行為以外にですか?」

 

 達也の疑問に、摩利は手を振って否定する。

 

「ああ、そういう意味じゃ無い。「問題がある」というよりは「問題を抱えている」と言った方が正しいか。平塚先生の話によれば、何でも受験の実技試験の為に用意された試験用CADの全てが、彼の使用後に破棄されたそうだよ」

 

「破棄……ですか?『故障した』ではなく?」

 

 達也が困惑した表情を浮かべる。その変化を見ていた摩利にとって達也の「眉をひそめる」という仕草は、普段人間味が感じられない達也の中の「人っぽさ」に触れた気がして、思わず笑みが溢れた。

 

「ああ。試験のために用意された三十六基の大型CAD全てが破棄されたそうだよ。原因はサイオンの過剰供給。電源回路は焼き切れ、ハードは形だけなんとか保っていたようだが、ソフトは微細損傷が原因とみられるノイズやバグだらけだったそうで、修復するとかえって費用がかさむらしいから破棄することにしたらしい」

 

「過剰……供給?」

 

 言いながら手渡された(送られてきた)風紀委員の次回集合日時に目を通しながらの会話をしていた達也が、顔を上げる。

 

「信じられない事に比企谷は、体内にあるサイオンが強すぎるせいで使うCADが壊れてしまうらしい。CADと縁が無いのもそのせいだろうな」

 

「…………」

 

 言葉を失う達也。「それは本当に人間か」という言葉を、彼は己が理性にまかせて失わせていた。

 

「手をかざすとほぼ同時に1基目が爆発を起こしたようだ。……ああ、ちなみに君たちとはタイムテーブルがわかれていたから、目にする機会が無かったと思うが」

 

「それで、1基ずつ順番に潰していった結果、学園が保有するCADの三割が今回の試験で壊失。被害額は周辺設備の交換含めて間違いなく収集した入学金と釣り合っていなくて赤字確定だったろうに、それでも学園はコイツを受け入れた。……恐らく、コイツが六道だからなのだろうが」

 

「……では、その『強すぎるサイオン』が何らかの影響を及ぼし、二人目、3人目の比企谷を創り出したカラクリになっていると、委員長はお考えなのですか」

 

「おそらくはな。……だが、証明のしようが……ああいや、納得のしようが無いんだ。何せ起動式の影すら見えなかった」

 

「起動式諸々が省略されているのだとしたら、それはもう、安全性と正確性に欠けた超能力の域ですが……」

 

「それと、再現性もほぼ無い。あまりにも個人技能に特化したモノは現代魔法ではないからな。流石は古式魔法を名乗るだけはある……か」

 

 摩利の視線の先には、やはり地面に倒れ伏している八幡の姿があった。

 

 呻き声の後、八幡はゆっくりと目を覚ます。

 

 頭を振って多少の痛みを飛ばした後、達也を見た。

 

「……あら?(・・・) 達也?(・・・)

 

 しかし、意識を失う前と比べると随分柔らかな表情をしている。角度によっては笑んでいるようにも見えるだろう。

 

 八幡は達也の名を呼んだ。しかし、呼び方が違っていた。

 

「……お前に名前で呼ばれる筋合いはないが」

 

「あ……ああ、そうそう、そうだったな。ごめんなさ——悪い。寝ぼけてたみたいだ」

 

 不快そうな達也の指摘に、今更気づいた様に目を見開き、誤魔化すように笑みを浮かべた。

 

「……出てくんじゃねぇよ」

 

 そして、二人から顔を隠すと何かを呟いて部屋の外へと向かう。

 

「寝ぼけていたのか?」という摩利の問いに振り返って、

 

「ゴリラは百を超える数の手話でコミュニケーションを取るそうですね。人語を話すことができる珍しいゴリラもいるようですが——っぺ」

 

 と返し、今度はアッパーカットで再びノックアウトされていた。

 

「さて、今日はこれで終わりだ。明日からよろしく頼むよ、達也くん」

 

「はい、こちらこそ。……比企谷はどうしますか?」

 

「ああ、こいつはいい。この後真由美が迎えに来るからな。それまでここに居させるつもりだったからちょうどいいしな」

 

「では、また明日。失礼します」

 

 礼をして部屋を出る達也。その直後に真由美が八幡を迎えに来て一緒に帰ることとなり……また別の場所で一悶着あったのだが……今日の彼は、それを知ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どんなに高い料理でも、料理である以上はそれとしての価値を保持しているものであり、対価と引き換えに食うことができる。

 

 それと同じように、進まない道もいつか進む時が来る。

 

 歯車は回り始めるし、それこそ「時」だってずっと止まることを知らない。

 

 だが。

 

 明けない夜はないという話には「太陽が輝いている」という前提があり、太陽が消滅した遥か先の未来はきっと夜は明けない。その励ましにもいつか終わりが来る。

 

 そうだ。「終わり」だ。

 

 とは言っても、形式だけの、実演的な終わり方では意味が無い。

 

 誰もが納得できる方法でなくていい。

 

 唾棄して、否定して、罵り、感情的になって胸ぐらを掴み合う——そんな、決定的な決裂。

 

 そんな刺激的な変化が、今この場には必要だ。

 

 

 

 

 そんなことを、左右からの圧力に怯えながら、八幡は考えていた。

 

「では、今日のところは八幡は私どもの家に連れて帰るという事でよろしいでしょうか? 急なお願いでこちらも色々と準備が必要になりますし……ああもちろん、私の婚約者に何かしようというわけではありませんよね? 『お手つき』の七草嬢?」

 

 三浦優美子が完璧な外面を造り。

 

「いいわけねーだろなに寝ぼけたこお、いっふぇぇぇぇ!!」

 

 横槍を入れようとした八幡が優美子に頬を引っ張られ。

 

「それでは私と八幡くんの〝賭け〟が成立しません。そもそも十師族でなくなった三浦さんは彼と無関係なのでは? ですよね? それなのにどうして貴女が引き止めるのです? もう舞台袖に引っ込んでいたらどうですかモブヒロイン」

 

 真由美が、高慢な態度で優美子を見下す。

 

「……それじゃあ比企谷くん。また明日」

 

「待って雪ノ下お願いです待って。お前がいてくれないと困る。このままだと俺の人生がやばい」

 

「……そ、それはつまり、貴方の人生において私が必要だということかしら」

 

「必要だ、今は何よりも」

 

「……は、ひにゃ……!?」

 

「だから頼む。……俺と一緒にいてほしい」

 

「……わ、わかったわ。こ、こちらこそ……っ、ふつつ、不束者だけど……っ!」

 

「「おい待てこら」」

 

 特殊性が強い魔法科高校にも下校時刻というものは規則として存在する。

 

 施錠をして、指定された時刻までには下校しなければいけないというものだ。

 

 ただし、研究の為であったり、特別に学校設備利用の許可が出ている生徒はその規則の例外となる。

 

 だが八幡は生徒会役員として居残りなどは無いので、普通に帰ろうとしていた。——真由美との約束を忘れて、だ。

 

「——起きた?」

 

「起きた。ていうか床に膝つくなし。ワンピースが汚れる」

 

「あら。膝枕をしてあげたのになんて言い草なのかしら」

 

「そういうのいいからもう……ほら、早く立って。綺麗にしてやるから」

 

「言葉遣い」

 

「You are dirty(お前は汚れている)」

 

「そういう意味じゃないわよ」

 

 しかし。生意気になる相手を間違え、二度意識を奪われた結果、彼が目を覚ますと眼前には真由美の顔。

 

 真由美の膝に八幡が頭を預けるカタチで眠っていたのだが、八幡と真由美の目が合った直後に学校のチャイムが鳴り、大人しく下校することに。

 

 ちなみにその間摩利は顔を赤くして二人の様子を見つめていたが、この程度では何も動じることがない二人の関係の深さを目の当たりにし——さらに赤くしていた。

 

 そして、真由美と八幡が校門を出ようとしたところで鉢合わせた(待ち構えていた)のが、件の優美子と雪乃だったのだ。

 

 仲睦まじく腕を組んで帰る二人を目にした彼女らに、必然的にどういうことかと問い詰められ、八幡の争奪戦が始まろうと——既に始まっていた。




次回、旦那の取り合いクリーク勃発。


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水面に立つ波、桜のように

お待たせしました。まさかの乱入案件です。



-追記-

少し直しました


「明日は晴れるそうよ、初勤務の日が縁起の良さそうな天気で良かったわね」

 

「ノー、ノー、ノー。ナウ、マイ〝うぇざー〟いず〝TemeenoseideDoshaburi〟。あんだーすたん?」

 

「あー……うんうん、オーケー。雨も滴る良い女って意味かしら」

 

「全然違うからこの雨女」

 

「ひどっ!? はんぞーくんだって太陽みたいに素敵な笑みだって言ってくれたのよ? 私が雨女なはずが無いじゃない」

 

「口車ってのが何故わからない……さては自分が思いの外簡単な女だと理解していないな……」

 

「簡単って何よ! これでも学年主席のみんなから慕われる人望厚い生徒会長なんだから!」

 

「厚いのは人望じゃなくて面の皮じゃ」

 

「何か言った?」

 

「いや別に。生徒会長殿の印象についてちょっと」

 

「ちょっと、何よ。高貴で近寄りがたい?」

 

「親しみやすさという点では……飴玉あげたらまず喜んで食べそうですね」

 

「あーちゃんと一緒にしないでくれるかしら」

 

「あんたにそう思われてる〝あーちゃん〟とやらが可哀想でしかたないです。はい」

 

「…………」

 

「…………」

 

 雄弁は銀、沈黙は金と言うが、金——カネは時に残酷になる。

 

 帰宅途中、隣で繰り広げられる痴話喧嘩がまるで画面越しの別世界の出来事のように感じられる程、イチャイチャする真由美と八幡の後方を歩く雪乃と優美子の心境は荒れていた。

 

「……ちょっと」

 

 何を思いついたか、数歩前を行く真由美と八幡に聞こえないように優美子が雪乃に顔を寄せる。

 

「……何かしら」

 

 呼び掛けられた雪乃は、今にも人を殺しそうな程に優しい(・・・)顔つきで優美子に振り返った。……が、続いて優美子が耳打ちした言葉に目を見開き、そして歪んでいた口元は笑みを使った。——いつだったか、雪乃が八幡を楽しそうに罵倒する時のサディスティックな笑みだ。

 

〝それは面白そうね〟

 

 ただし、今回その照準は真由美に付けられていたが。

 

「比企谷くん」「ヒキオー」

 

 2人が、ほぼ同時に八幡へ声をかける。

 

 八幡が「ん?」と振り返ると、

 

「あーしら、先帰って先輩を迎える為の準備しておくから」

 

 続いて雪乃が、

 

「比企谷くんは七草先輩とウィンドウショッピングでもしてゆっくり帰って来てくれるかしら? 歓迎パーティの準備は私達で用意するから、こちらには何も買わなくて大丈夫よ。あとは……ああ、あと、七草先輩の私物はどうされますか? 必要であればこちらで手配しますが」

 

「歓迎パーティー?」

 

 真由美の質問に、雪乃が頷く。

 

「ええ。七草先輩の前で言うのもと思ったけど、こういうのはサプライズよりもやはり祝うという気持ちが大切だと思うので、三浦さんとお話しした結果、告知させていただく事にしました」

 

 そう言って、2人を見る雪乃。その瞳の奥にある真意に気づいたのか不明だが、真由美も笑みを浮かべた。

 

「まぁ、パーティを開いていただけるなんて光栄ね、嬉しいわ。……昨日の夜に荷造りして送ってあるから、身の回りの物はもう届いているはずよ。細かいことは小町ちゃんに頼んであるから大丈夫。お料理と……パーティの準備だけお願いできるかしら?」

 

「ねぇちょっと? 昨日ってどういう事。俺話聞いたのさっきなんすけど」

 

「……そうですね、わかりました。それでは2人とも。三十分程、時間をいただきますね」

 

 言って、優美子が頭を下げる。

 

 そんな優美子に八幡は心配そうに覗き込み、

 

「……変なものでも食ったか? お前が人に敬語使うとか……熱でもある?」

 

「……」

 

 ゆっくりと、無言のまま優美子が顔を上げた。

 

「……イィィィエッ。ナンデモ、ナイデス」

 

 その直後、とある男子高校生は顔を死人のように青白く染め上げてガタガタと奥歯を鳴らしていた。

 

 何を見たのかは、誰も言わない(・・・・)

 

 ただ、誰かが何かを見たのは間違いない。

 

 その〝何か〟が、口にするのも恐ろしいものであるというだけで。

 

 それに〝それ〟の本当の恐ろしさは、きっと対峙した者にしかわからない。

 

「……そ、それじゃあ僕たちは適当に時間を潰してから帰りますね。あーし様、雪ノ下様」

 

 震えた声を八幡が絞り出す。

 

 その声はまるで怯えた子羊のようで、

 

「ん、それで良いのよ八幡」

 

「……そうね、八幡」

 

 2人の背中は、震える八幡には何故かオオカミに見えたという。

 

「な、名前呼び……!?」

 

 八幡の横で動揺している彼女も、オオカミの一匹である事に違いはなかったが。

 

 三十分後。

 

「……ッ」

 

 真由美は、言われた通りに八幡と2人きりのデート(真由美談)を楽しみ、八幡宅に帰宅して——漸く、彼女らの企みを知った。

 

「ようこそいらっしゃいました、七草真由美様。私たちは貴女を歓迎致します」

 

 言って、にこやかに笑む優美子。

 

「……本気で頭が……むぐっ」

 

「あなたはこっちよ、八幡。家主である(・・・・・)あなたは(・・・・)お客様を(・・・・)おもてなしする(・・・・・・・)のが筋というものでしょう?」

 

 雪乃が八幡の腕に自分の腕を絡ませ、さらに自分側に引き寄せて言葉を奪う。

 

「……! まさか、四葉の洗脳——」

 

 何か閃いたような表情で叫ぶ八幡だが、

 

「……あまり的外れな事ばかり言っていると、鈍いように見られてしまうわ。それにこれ以上騒ぐと周りの迷惑になるし。……ね?」

 

 耳元で囁かれた、甘く蕩ける花蜜の様な言葉に耳を赤くして押し黙る八幡。

 

 ……痛い痛い痛い痛いっ!

 

 その本当の理由は、数十センチ下の雪乃の指先が捻っている八幡の肌とは無関係ではあるまい。

 

 そして——不自然なほどの自然な笑みを以て迎え入れられた時点で、真由美は優美子達の意図した計画に気付いていた。

 

 つまるところ、優美子達は真由美を〝徹底的に〟客人として扱う事に決めたのだ。

 

 親しき中にも礼儀ありとはよく言ったものだが、これはそれよりも遥かに相手を突き放している。

 

 部屋もきっと確保してある。だが、客人である真由美に失礼がないよう、八幡の家の中でも上等な部屋を、八幡の自室から離れた位置に。

 

 寝起きや就寝時間が重なるどころか、食事時間以外はまともに接触できないのではないか。それくらい、丁寧に扱われてしまう。

 

 せっかく一緒の部屋で寝ようと思ったのに。これじゃあ八幡くんと一緒どころか、引っ越しの意味がないじゃない!

 

 ……子種を狙っているとも取れる真由美の思考が読める者がいたのなら、彼女の扱いに関してはこれで正解だったと判を押すだろう。実際狙っていたので、間違いではなかったが。

 

 しかし。ここまで自分の思惑を外されて何もしないのでは十師族序列二位の名が廃るし、真由美個人として負けを認めたも同然だ。

 

「ちょっと待ってちょうだい」

 

 だから真由美は、そろそろ反撃に出る。

 

「……、如何致しましたか、真由美様」

 

 スゥ、と目を一瞬細め、すぐに笑みに戻る雪乃。ほぼ瞬きに近い動作で、真由美でなければきっと、気づいていなかっただろう。

 

 空いている方の八幡の腕に抱きついて、雪乃から引き剥がすように自分の側に立たせる。そして、八幡を完全に自分と同じ向きに立たせてから、こう言い放った。

 

「私、彼と婚約してるの。……だから、私の彼にあまり粗相をしないでもらえないかなって」

 

 その言葉の後に見せた雪乃の表情の変化は、誰が見たとしても実にわかりやすかったと言える。

 

 瞠目し、徐々に、しかし明らかに敵意を露わにして雪乃は真由美を見据える。

 

「……は?」

 

 怒気を隠さずに、優美子が不満を漏らす。

 

「……化けの皮が剥がれているわよ、三浦さん。雪ノ下さんも……随分と可愛らしいお顔だこと」

 

 変貌を終えた雪乃は、真由美をはっきりと睨み付けていた。

 

「……では、そんな空想に幻想を重ねた耳を傾けるのも愚かしい与太話が仮にも……真実になりうる可能性はゼロであり、そのような妄言の根拠は事実無根であることを大前提としてお聞きしますが、そのような身分で何をしにいらっしゃったのです?」

 

 ギリギリの瀬戸際で理性を保っていたのか、口調を崩さずに言葉を投げる雪乃。だが、そんな雪乃に真由美は——

 

「もちろん、婚前交渉(セックス)のためじゃない」

 

 ——真由美は、最初から雪乃達と競合する気などさらさらなかった。

 

 今日、2人纏めて追い出せることができやしないかと真剣に考えていたくらいだ。

 

 2人の対応は、ある種すっきりとしていた。

 

「……雪ノ下さん、ヒキオんちの倉庫の中に丁度いいスコップあったよね。あと人が1人入りそうな麻袋も」

 

「そんな事をしなくても私とあなたの魔法なら死体も残らないわ」

 

「あらあ。十師族から外れたばかりの三浦さんに、未だに二番手の雪ノ下さん。良い運動に——はならないだろうし、せめて私に汗をかかせてくれると良いけど」

 

 真由美も、掌を頬に当てて臨戦態勢を取っている。

 

「冗談ですよね御三方?」

 

 十師族を守るべき立場の六道と、元々は肩を並べるべき仲間であるはずの元十師族の人間が、現十師族に属する人間の暗殺を目論んでいる。

 

 仮にも六道として——甚だ不本意ながら——止めに入る八幡。

 

 形だけでも割って入ると、優美子は真由美に向けていた右腕を下げ、雪乃の表情から憎しみが抜け落ちた。

 

「もちろん冗談に決まってるじゃない! そうよね、雪ノ下さん、三浦さん!」

 

「あんたは手を離せ」

 

「ええそうよ。これはちょっとしたじゃれあいだから気にしないで」

 

「野良猫のじゃれあいって百パー本気なんですって。こびを売る相手がいないからですかね」

 

「八幡、本気にしすぎだし。婚約話程度で魔法使ったりしないって」

 

「お前は確か一色が『先輩は私と結婚したいって言ってました〜!』つって煽った時、我を忘れて半泣きにしてたよな?」

 

 三者三様の反応であるが、しかし三人が同様に八幡に信用されていない。

 

 三つ巴どころかターゲットであり結婚などしたくない八幡も加えた四つ巴の戦いなのだ。

 

「……」

 

「ん……ヒキオ?」

 

 ただし——それは、恋愛という一面に限った話である。

 

 不意に大人しくなった八幡が、漂ってきた良い香りの源を探るように首を振る。

 

「3……4、14人か。ただの学生相手に張り切りすぎだろ」

 

 その場の全員が八幡に言われて初めて、自分たちを取り囲むように接近してくる集団に気づいた。

 

 雪乃が、透明なカバーで全体が覆われた携帯型のCADを取り出す。

 

 真由美も、袖のCADに手をかける。

 

「……あーしがやる」

 

 しかしそれよりも、上着を脱いだ優美子の行動の方が、既にこちらに銃を向けて引き金に指をかけていた不審者達よりも早かった。

 

「……加減、間違えるなよ」

 

「わかってるし」

 

 八幡に返事をする優美子の言葉とほぼ同時に、彼女の右腕が蒼い炎に包まれる。

 

「——『エクスキュート』」

 

 ——それは。冷たくも無慈悲に灯される、処刑の炎。

 

 八幡達を中心にして突如まばらに灯った14個の行燈は、炎と等しい数だけの、魔法科高校の生徒を狙っての拉致を目論んでいた襲撃者達の意識を奪っていた。

 

 屋根に、塀に、道路に、庭に。周囲のありとあらゆる場所から人の崩れ落ちる音や衝突音が聞こえ、若干の呻き声を最後に周囲は再び静まり返る。

 

「——集めてきたわ。確かに全部で14人ね」

 

 そして八幡がまばたきをすれば、目の前には襲撃者達の体が崩したジェンガのように積み重なっていた。

 

 閃光機動。雪ノ下家の秘術であり、扱える全ての魔法の中で雪乃が最も得意とする魔法である。

 

 その完成度は彼女の姉には多少劣るものの、雪乃の動きを捉えられたのは八幡だけであり、決して彼女が遅いというわけではない。

 

 その隠密性と速さに優れた魔法を以てしてさり気なく八幡とのツーショット写真を撮ろうと日々奮闘しているが、全て八幡には見えているのでギリギリのところで躱され、その度に少しずつ速くなっていくという、斜め上の上達の仕方をしていた。

 

「——うん。この辺りに他に敵はいないようね。後方支援も——」

 

「はい危ない」

 

 振り返った真由美の眼前に八幡の腕が差し出される。そして、ゆっくりと開かれた掌の上には、狙撃ライフルの弾が握られていた。

 

「……アリガト」

 

 拗ねたように顔を背け、お礼を言う真由美。いい加減、護られる立場であるということを自覚してほしいと願いつつ、八幡は握ったライフルの弾と真由美を狙っていた狙撃手とを交換(・・)する。

 

「は!? 何っ!?」

 

 握っていた弾は虚空へと消え、代わりにその手中には狙撃手の首が収まった。

 

「ぐが……」

 

 しかし、八幡が何か動作を起こす前に狙撃手は自身の胸を掻き毟り、泡を吹いて意識を失う。

 

 狙撃手の男を人の山の上に投げ捨てながら、八幡はその男を見た。

 

「……肺の酸素を取り込む機能を一時的に阻害した。自己紹介は、目が覚めた時にいる奴らに言ってくれ」

 

 男が人山に着地する直前、14人の襲撃未遂者達と共に男が消えた。

 

「……何処へ飛ばしたの?」

 

 雪乃が問いかけると、

 

「四葉本家。この前機種変したばかりだし、番号は先に登録してブロックしてあるから大丈夫だ。これで少しは嫌がらせになると良いんだが……」

 

 そう返す八幡の顔は真面目そのもので、少しもふざけた様子がない。

 

 つまり——本気で、後始末を物的証拠ごと無関係の人間に丸投げしたのだ。既に消去した外灯カメラの映像付きで。

 

 その様子に雪乃が嘆息していると、八幡のケータイが鳴った。

 

「はいもしもし、どちら様で——人違いです、はい」

 

 ぴっ。十秒もしないうちに会話を切った八幡。しかし、再び電話は鳴った。

 

 イヤイヤ、渋い顔で八幡が電話に出ると。

 

「……はいもしもし」

 

『面白いものを送ってきてくれたようね、八幡?』

 

 発信元も今と同じ、四葉真夜からであった。

 

「……あっ、お、お気に召していただけたようで何よりです。それではまたいつか」

 

『そうやって物事を急くと何かしらに躓いて失敗するわ。……八幡、あのね』

 

 通話終了ボタンを押す。……が、どうやっているのか、ボタンを押しても通話が切断されない。

 

『別に怒ってはいないのだけど』

 

「……あれ、そうなんですか? ああいや、そちらで何があったのかわかりませんけど」

 

『とぼけるつもりなのね、八幡。それならこちらにも考えがあります』

 

「ああいや……ほら、見るからに警察とかに提出したらまずい奴らっぽかったですし、専門家がいるならそっちに任せたら良いかな、って」

 

『正直に話してくれて嬉しいわ。正直者にはご褒美があるのだけど』

 

「あ、どっちにしろ同じなんですね」

 

『私は怒っていないわ。……ただし、私以外の皆さんがものすごく怒っているの。まさに憤慨しているといった様子ね。特に水波ちゃんが(・・・・・・)

 

「……………………あー」

 

『お返しと言ってはアレだけど。代わりに水波ちゃんを送っておいたから、面倒を見てあげてね』

 

「え?」

 

『そろそろそちらに送ろうかと考えていた頃だし、ちょうど良かったわ』

 

 真夜の言葉に反応すると同時、背後に現れた気配に振り返る八幡。

 

 その視線の先には、確かに1人の少女がいた。

 

「……よくも……」

 

 ワナワナと、怒りに肩を震わす少女。

 

「はい、返品」

 

 拳を握りしめ、八幡に向かって振りかざす少女をそのまま、擬似ではない(・・・・・・)瞬間移動の魔法を行使し少女が数秒前までにいた場所まで送還する。

 

 これで、目の前の少女との出会い——正しくは、再会は果たされなかった。

 

 おそらく次会えば殴られるか手を出されるには違いないが、その機会はもうない。

 

 そして八幡は安堵する。

 

 これで良い、これで正しいのだと。

 

 これ以上周りに異性が増えても、彼の手には負えない。

 

 そうして、即座に再転送を受けて戻ってきた少女のグーパンチを鳩尾に喰らいながら、自分の気持ちを確かめていた。

 

 ……その結果が正しかったのかどうかは、記述しかねるが。

 

 

 

 

 

 

「桜井水波です。比企谷八幡のお世話係としてやってきました。彼に関する身の回りの世話は全て私がこなしますので、彼には今後触れることのないように……以後、よろしくお願い申し上げます」

 

 四葉の嫡女と結婚。ただし、深雪はあくまでもその候補の1人に過ぎない。

 

 いざという時には、水波を正当な後継者として真夜は選ぶだろう。

 

 それは、八幡を引き留める為に。

 

 真夜が打ち込んだ、四葉との楔——そのひとつ。




 戦い以外はダメダメ八幡。そのうち誰か()が養ってくれそう。


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微睡みの夜


人物紹介〜


四葉真夜

八幡の不思議な魔法で若返った美魔女。同時にメンタルやフィジカルや魔法力など様々な能力が向上しており、具体的には達也を瞬殺できるようになった。


比企谷八幡

秘匿魔法再成の応用で真夜の体を治した。
現時点では真夜とバトルしても即敗北する(精神的に)と思われるが、彼の身体には十段階の封印や六つの複合封印(1つを解けば全部が解かれてしまうという弱点があるがその代わりトライデントでも消し去れない程の頑強さを持つ)などが施されているので全部開放すれば真夜には多分勝てない。(精神的な意味で)


 その男にとって、暗闇は心地の良い空間であった。

 

 暗闇とは言っても男が好むのは前後左右の判断がつかない程に強い暗闇ではなく、部屋の電気を消し、眼下の夜の街の明かりにぼんやりと照らされる程の繊細な闇である。

 

 それに、静かなのがとてもいい。

 

 男自身、仕事中毒者でも滅私奉公を信条にしている訳でもなかったから、夜は当たり前の人間のように寝る。

 

 しかし、この眠りにつく前の都会の夜景を眺める僅かなひと時が、男の最大のリラックスタイムであることに間違いはなかった。

 

 だから、男の楽しみに亀裂を入れた一通の電子メールは、男にとって許し難いもの。

 

 人付き合いの良い性格であるが故に、彼は言葉にはしないものの、その心にはかなりのストレスが溜まっていた。……そのメールに、目を通すまでは。

 

「……なに? ……?」

 

 男のストレスを一瞬で吹き飛ばしたのは、短く簡潔に纏められた一文。

 

〝彼らは任務に失敗しました〟

 

『どういう事だ』

 

 ——すぐにメールを送る。返事は数秒で来た。

 

〝作戦の報告完了予定時刻を30分過ぎました。報告はありません。また、こちらからの問いかけに対する返事も、彼らのステルススーツに取り付けた発信器も探知できません〟

 

 男のメール相手は戦闘用に造られたAIだ。ハルだかハロだかという名前の家庭用ロボットが元になっていて、言語情報、自己判断などの条件を元に提示された作戦という行動に対し、必要かつ最適化された手順のみを用いて目標を達成する。

 

 開発には膨大な手間と馬鹿にならない時間がかかったが、消費した分に見合う働きはしてくれていた。

 

 魔法師の人身売買という目的の為に、手練れであり証拠が繋がらない犯罪者達を雇う程度には優秀だったのだ。

 

 だからこそ、男には理由がわからない。AIに任せきりであるが故の無知から来る理解不足ではなく、機械と同等に、或いはそれ以上に自分が造ったモノについて知り尽くしている男だからこそ、そのAIが立てた完璧な(証拠を残さないなどの客観的に見た作戦の完成度ではなく多少強引であろうと100パーセント成功するという意味での)作戦を間違いないと男が判断したからだった。

 

 ……これが、経験の浅さというものか。

 

 男は、心底で初めて、己が造ったAIに毒づいた。

 

 ……元々男は、奴隷商人などという職柄の人間ではない。ミサイルだったり戦車だったり、魔法に依らない通常兵器を売買する売り手と買い手を繋ぐ仲介人に過ぎなかった。

 

 それが、ある時売り手が商品を用意出来ずに死亡してしまった為、仲介を担うことでその商売(・・・・)に多少の理解があった男に、売り手——奴隷売買の仕事が回ってきただけだ。

 

 男の住む世界では買い手の必要性に対して売り手のニーズが何百倍にも膨れ上がっており、それに代わる人間は希少どころか存在しない。

 

 故に、代わりとして存在が近しい人間を買い手達は選ぶ。買い手によって売り手は成り立っていると言っても過言ではなく、対等である筈の売り手と買い手の立場は高低差が付きすぎていた。

 

 そして、秘密を厳守しなければならないという点では仲介人の立場が最も低い。仲介人は、買い手に用意されて——この道に引きずり落とされて——ビジネスを始める者も少なくはない。

 

 何より、男の前に「売り手」をしていた人間も、元々は仲介人だったという話だ。

 

 それをふまえて、男にはその手の知識が豊富にあったし、前の売り手よりも確実に上手くやれる——そう判断したからこそ、男は今の地位にいる。

 

 幸いにも、不在となった仲介人を兼任してくれている売り手の方は男とはそれなりに付き合いが続いていて、失敗=死という恐怖性は2人の間には生じていなかった。これも、男が仕事を引き受けた要因の一つだ。

 

 何より、近年はただでさえ困難な人攫いの仕事を敢えて選ぶ分、その辺りは後始末さえしっかりとしていれば失敗に関してもかなり寛大になったといえる。

 

 無論、任務の続投も考えたが、思い直し、潔くする事に決めた。この手の類いは初手で成功させなければ2回目以降はまず間違いなく失敗するからだ。成功か死かと揶揄された所以が、そもそもそういう事を生業にしているからでもある。

 

 だから、男が依頼主に失敗報告を行う事に対する抵抗など更々なかった。

 

 流石に、気が狂ったかのように嬉々として失敗を報告する事もなかったが、それなりに神妙な面持ちで男は依頼主に電話をかける。

 

 しかし、男にとっての予想外はここでも発生していた。

 

「……?」

 

 成功にしろ失敗にしろ、男はこの時間に電話をかけてくるよう依頼主に指示を受けていた。

 

 だからかけたのだが——依頼主が、電話にでないのだ。

 

 暗殺や手引きなどさまざまな業種の仕事をこなしてきた男ではあるが、最近の失敗は今回の件だけだ。ここ数年、男は完璧に仕事をこなしていた。

 

 そして、その任務報告の度に依頼主は絶対に男の電話に出ていたのだ。まさか、今回に限って出忘れたなどという愚行はすまい。

 

 耳を離し、再度通知し直す為にかけなおそうとして、男はそれより先に届いたAIからのメールに目を下ろし——瞠目した。

 

〝しzぅば#れれBO。ばxdどあ〟

 

 意味不明な内容。何かの暗号であるわけではない。暗号化された内容も、男がメールを開く頃には全て解読されているからだ。

 

 それを見て、男は一つのことを悟っていた。

 

 男はAIに対し、自己が作戦立案も不可能なほどの危機的状態に陥った場合、なんでもいい——いや、敢えて意味不明なメールを寄越すように指示してある。このメールが届いたということは、そういうことだ。

 

 今回の件では、男と襲撃者だけでなく男とAI、AIと襲撃者達の関連性は何をどう調べても良いように細工されている。無論、依頼主とも。

 

 だがこのメールが届いたことで、男の心中を一抹の不安がよぎり、この場所から移動をしようと重要なデータなどが積み込まれたトランクに手を伸ばし——そのトランクに躱されたことで、男の手は空を切った。

 

「……っ!?」

 

 そこで漸く、男は薄暗い部屋の中で自分以外の何者かの存在に気付いた。

 

「……なるほど、このカバンの中にあのおもちゃのコアデータが圧縮されて入っているのか。これさえあれば、あれをいくら潰されたところですぐに復帰することが可能だった、と」

 

 トランクを手にまじまじと感想を零すのは、もうすぐ還暦になろうかという男よりも随分と若い——少年だった。

 

 薄暗い室内でもハッキリと分かる凛々しい顔立ち。それに、雰囲気で付けたのだろうか、金髪もその少年には似合っていた。

 

「な……っ、お前、何処から……!?」

 

 狼狽した声で男は声を投げる。男は俳優でも演技派の人間でもなかったから、当然だが。

 

「いえ、普通に玄関から」

 

 慌てふためく男の問いかけに、少年はわざわざ指で玄関を示す。

 

 その無駄とも言える時間の空白が男に思考する時間を与えていた。

 

「……なっ、何が目的だ!? 金ならここにはない! わかったら大人しく立ち去れ! 警備を呼ぶぞ!」

 

 一般人を装って喚き散らす。これが今の男にできる、精一杯だった。

 

「……、ふっ」

 

 しかし、何の証拠もない筈の男を前にして、確信とも言うべき失笑をもらす少年は、男の目には物の怪のように不気味に、嫌悪の念にまみれて見えた。

 

「その、今開いているケータイの通話先は時村后道(しむらこうどう)さんですか?」

 

 ゆっくりとした動作で少年は男の手にしたケータイを指差す。

 

「時村……后道……?」

 

 しかし、男には少年が口にした名前の人物に心当たりがない。

 

 無論男自身でもないし、依頼主や知り合いの名前でも——

 

「——まさか」

 

 依頼主のことだ。ケータイの相手など、それ1人しか心当たりがない。

 

 しかし、本名どころか性別すらわからなかった依頼主の素性を口にするこの少年は一体。

 

 男が湧いた疑問を思考として纏める前に、その少年から真実が語られた。

 

「はい。貴方への依頼主である彼は、こちらで処分しました。貴方のAIも同様に。連絡がついていないのはそのせいです。暁音(あかね)・D・ベルバさん?」

 

「俺の名前まで……!」

 

 男——暁音は、今度こそハッキリとした敵意を持ってその少年を見た。

 

「……?」

 

 しかし、暁音が見たのは少年の姿ではなく鏡に映った自分自身だった。

 

 それに、少年に対する恐怖だろうか。体が固まって、思うように動けない。

 

 ただ、少年の姿が何処にもないのはラッキーだった。今のうちにここを引き払わねば。

 

 ……まだ体は動かない。どうやら、相当に体は怯えていたらしい。前にも後にも、暁音の人生に於いてこれ程の恐怖はないだろう。

 

 ここから逃げ切ったならば、闇稼業からは足を洗って一般人としての生活に戻るのも悪くないかもしれない。仕事で得た金で恋人を作り、この後の人生をゆったりと過ごすのだ。

 

 …………。

 

 それにしても、随分と変な鏡だ。

 

 足下の靴まで鏡には映っているのに、首から上だけが映っていないだなんて。

 

 首の汗がひドい。ハyaクふキとりタイノにからダはまだウゴかなイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暁音の生首が思考を停止し、胴体が崩れ落ちるのを確認した直後——六道の少年、葉山隼人は着信音が鳴った携帯電話を通話状態にした。

 

「——はい、もしもし。……奥様でしたか。……はい、任務は滞りなく終わりました。買い手とバイヤーの両方を処分し、採取した顧客データから他のグループも合わせて一網打尽にできそうです。一晩戴ければ夜が明ける頃には終わらせられます」

 

 かけてきた相手は四葉真夜。この深夜に、真夜の執事である祖父以外から連絡を受けるとは思わず、多少まごついてしまったが、それでも基本的にやることは変わらない。

 

 落ち着いて何も取り乱さぬよう、隼人は言葉を間違えずに報告の言葉を紡ぐ。

 

 隼人にとって真夜と話しているこの瞬間は、闇ブローカーの暗殺任務よりも緊張していた。

 

『上出来よ、隼人さん。貴方のように素早く仕事をこなせた人は今のところ数人しかいないわ。文句なしに、貴方は四葉の一員ね』

 

「はっ。ありがとうございます」

 

 電話——顔の映らないケータイタイプ——越しの称賛の言葉に、隼人は頭を下げる。相手もいないのに——ではなく、相手がいないからこそ、自分の心に刻みつけるという意味で、隼人は深々と一礼をした。

 

 と、隼人は真夜の声が普段より幾分か軽く——高くなっていることに気づいた。

 

『まぁ、学生である貴方がそこまで頑張る必要はないわ。後は貢さん達に任せて、今日はもう休んで結構よ』

 

「はい、ありがとうございます」

 

 しかし、それを指摘することはしない。彼とて真夜の不興を買うつもりはないし、わざわざ面倒ごとに手を出す気もないからだ。

 

『それでね』

 

「はい」

 

 しかし、今日の真夜はいつもと違い、通話を切る為の挨拶に入ろうとしていた隼人を呼び止めた。

 

『今日は久しぶりに八幡の声が聞けたの。あの子はすぐに電話を切ろうとするから困っていたのだけど、今日は五分も話せたのよ? 久々に聞く八幡の声はもう本当に可愛くて——抱きしめたいくらいだったわ』

 

 言葉に詰まる隼人。まさか、悪名高い四葉の当主が子煩悩というか愛が重い片想い少女のように振る舞うのに耐えられず、思わずケータイを耳から離してしまった隼人を誰も責めることはしないだろう。実際、真夜の側で控えていた隼人の祖父、葉山執事は普段あり得ない、あまりにも興奮した主人の様子に嘆息していた。

 

「……奥様、もう11時を過ぎております。お疲れでしょうし、もうお休みになってはいかがでしょうか」

 

『……え、まだこの後に八幡とお話しする予定だから寝るのはもう少し後よ? 今日から水波ちゃんがあちらに住むことになったから、こちらへの連絡も頼んであるの。八幡とのお話が済んだら寝ようとは思うけれど……』

 

「奥様」

 

 遠足を楽しみにしている子供のように爛々と声を輝かせる真夜に隼人は1度目を瞑り、

 

「いくらその御身の肉体年齢が14歳であるとはいえ、不規則な生活は正しい成長とは結びつきません。流石に、これ以上の夜更かしは控えるべきかと」

 

 親が子を諭すように、ではなく科学的な根拠に基づいて専門家が王に進言するように。

 

 隼人は、そう告げた。

 

 ケータイ越し——今も尚、あの座り心地の良さそうな椅子に腰をかけ、足をばたつかせて楽しそうに話す少女の姿を浮かべながら。

 

 四葉真夜という魔法師は、八幡の魔法によって精神情報体以外の全てを再構築されていた。アンチエイジングや不老術式などと呼ばれる技を用いて、だ。

 

 普段こそ大人びた風格と色気が漂う貴婦人の見た目で周囲に接しているが、それはあくまでお付きの人間が光の屈折による幻惑でそう見せているだけだ。

 

 その中身は、真夜が見舞われたとある悲劇が起こった30年前より少し前の頃の真夜の身体に巻き戻っていたのだ。

 

 真夜の身体が巻き戻ったのは数年前とのことだが、それ以降は巻き戻しを行っていないらしく、真夜の体は順調に成長していた。

 

 極東の魔王は、小さくなった体に数年前を遥かに超える量の魔力——制御下にあるサイオンを振り撒きながら、無邪気に笑う。

 

『私から復讐と生きがいを奪い取ってくれた(・・・)八幡には、もっともっと構ってもらわなくちゃ。……そういえば、隼人さんの電話だけあの子はブロックしてないのはどうしてなの? ハッキング以外に着信拒否を切り抜ける方法があるのかしら?』

 

 ……まぁ、丸くなったといえば丸くなったのかもしれないけどさ。

 

 相変わらず、アイツの考えていることはわからないな——と思いながら主人の対応を祖父に任せ、隼人は「失礼します」と通話を切った。

 

 





次回、お風呂に入ったり男湯乱入シーンなど。まだまだ夜は明けないというか八幡の仕事が始まらないっす。


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魔法師の心理

 魔法師とは。

 

 魔法を使う人々の事を指し、五感と引き換えに超常能力を得ただとか、第六感の代わりに一般的常識が欠如しているなどといった、よくある偏見の対象ではない。

 

 魔法師は、人々の手によって造り出されたというだけの同じ人間だ。普通の人間より出来ることが多いだけで、感性や思考回路などといったものは基本的に変わらない。

 

 しかし、ただ数が少ないというだけで、偏見と差別の現状に晒されてきたのだ。

 

 魔法師達に「世界と戦い、支配してやろう」などという意思はない。

 

 しかし、数に物を言わせた魔法師イジメの現状が続くならば、彼らは今に私たちへの報復行動に出てくるかもしれない。

 

 彼らは私たちと同じ人間だ。我々による謂れのない非難を黙って受け止め続けるとは思えない。

 

 我々人類の世界になぜ国という隔たりが未だに存在しているのか、今一度ゆっくりと考えてみればいい。

 

 せめて、同じ国の仲間だという友愛の視線を向けられないだろうか。

 

 許せないものは、誰にだってある。

 

 

〜心理学者レダーディック・マグマロ著『魔法師の心理』より抜粋〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「晩飯だぞ。……読書——学術書か?」

 

「オトメの部屋に入る時はノックぐらいするべきだとうちは思うんだけど」

 

 ノックも無しに扉を開けて部屋に入ってきた八幡を、部屋の主である南はジト目で迎えた。

 

 世の一般常識と照らし合わせても南の反応は当然だと言える。同じ屋根の下で暮らし始めて数年が経過し今更ではあるが、南と八幡の間には礼儀というものが欠如していた。

 

 ただそれは、親密さが濃すぎるが故の欠如なのだが。

 

「……ごめん。今度から小町に呼びに来させるわ」

 

「そ、そういう意味じゃないから」

 

 大人しくなり、八幡は南に向かって頭を下げた。彼とて、これまで考えなかったというだけでそういう常識は持ち合わせている。

 

 自分に非があることをきちんと認めて、彼は頭を下げた。が、今度は南の語気が弱くなり、あたふたと慌て始める。

 

 なぜならば。

 

 南自身、八幡に呼びに来させるように彼の妹である小町に頼んでいたからだ。

 

 最初に南が辛辣な態度を取ってしまったのは彼女が読んでいた本『魔法師の心理』に書かれている知ったかぶった内容にストレスを感じていたからで、決して彼のせいではない。むしろ、呼びに来てくれたこと自体、南は嬉しくて喜んでいたのだから。

 

「……? いや、大丈夫だ。この家も大分人が増えてきたし、どこかマンションでも建てて、そこに移り住めば煩くなくていいかなとは思ったんだが」

 

「そんなの絶対ダメだから」

 

 誤解が解けた様子ではない八幡の明後日の方向過ぎる提案に、思わず真顔で詰め寄る南。

 

 何のために、激しい競争を勝ち抜いて「八幡と同居」の権利を獲得したと思っているのか。

 

 「借りる」ではなく「建てる」とあっさり言ってのける点については無視をして、南は八幡の襟を掴む。

 

「そんな無駄なことにお金をつぎ込んでる暇があったらもっと自分のことに使うべきだと思うけど。持ってる服とか少ないし、うちが選んであげるから今度出かけようよ」

 

 さり気なく、デートの約束を取り付ける南。八幡は気付いてはいない様子。

 

「制服があるから良」

 

「はいダメ。そういうところを見られるのよ、うちらは。特に魔法師の世界に片足突っ込んでる訳だし。普通の魔法師達に白い目で見られるよ」

 

「……わかった。でもな、そういうのを抜きにしても、何故かウチに住みたいって奴らが多過ぎんだよ。だから、折衷案としてマンションの建設を」

 

「七草に三浦に雪ノ下。今日新しく入っただけでも3人よ? 小町ちゃんがどれだけ楽しそうに……どれだけ迷惑だと思っていることか。移るならそいつらが先」

 

「……あの人達はほら、一応お客様だから……」

 

「入居を希望してる子達よりもそんなお客様の方が大切なの?」

 

「いや、差別はできないというか……」

 

「でしょう? だったら尚更これ以上増やすべきじゃない。彼女達の目的はこの家に住むことと言っても過言ではないんだからさ」

 

「……それもそうだな」

 

 南の言葉に頷く八幡。それは、八幡の住むこの家に南の言葉だけではない確かな価値があるからだった。

 

 八幡の家には、通常魔法大学系列の施設でしか閲覧することのできない機密性の高い文献にアクセスできる端末が設置されている。

 

 それは、八幡の家にさえ行けば、魔法科高校に入学したり卒業資格を取得しなくても、特殊情報の閲覧が可能であるということ。確かに八幡の家に移り住むことを希望する理由になる。

 

 だが南は、端末の使用に関しては家の住人である必要はないということに触れずに話を終わらせた。

 

「それじゃこの話はこれで終わり。……で、買い物はどうする?」

 

「……ん、そうだな」

 

 さり気なく、自分のルートに引き込もうとする南。ハーレムになりつつある現状を諦めてはいるが、正妻が誰なのかを南は諦めるつもりはなかった。

 

 しかし——

 

「あっ、落としちゃった(棒)」

 

 バキィ、と何かを破壊する音が響く。

 

「…………」

 

「…………」

 

 恐る恐る、2人は部屋の入り口を振り返る。

 

 床には、南の部屋の印である楕円形の名前プレートが落ちていた。——縦に割れた状態で。

 

「ダメでしょ2人とも。晩ごはんだっていうのになかなか降りてこないなんて」

 

 振り向いた先には、紫髪の美少女が額に青筋を浮かべそうな程の凄味のある笑みで、2人を見ていた。……怒っている。

 

「りゅ、リューネハイムさん? なにゆえそのように怒ってらっしゃるのですかい?」

 

 目を泳がせながら、語尾もふらふらとさせて、八幡はその少女の名を呼ぶ。しかし少女は、さらに柳眉をつり上げた。

 

「あれ? 八幡くん、前に言わなかったっけ。私のことはシルヴィって呼んでねって」

 

 気のせいなのか、八幡にはシルヴィアの周囲から怒りのオーラが見えていた。……心なしか、家全体が軋んでいる音も聞こえていた。

 

「はっ、はひ。シルヴィ様」

 

「シルヴィ!」

 

「しるびい」

 

「うん、よろしい。……それで? 2人は部屋でなにをしていたのかな? 睦言を囁き合っていたの?」

 

「よくそんな難しい言葉を知ってるなシルヴィ。でも違うんだ、ただ次の予定を……」

 

「いいよ、八幡くんは詳しく言わなくて。後で南さんから、ゆっくりお話を訊くから。ね?」

 

「……、……!」

 

 無言のまま、必死に首肯を繰り返す南。その姿は、空腹の肉食獣を前にした仔羊のように哀れな姿だったと言えよう。

 

「それじゃあ行こっか。3人とも(・・・・)

 

 言って、南の部屋から出ていくシルヴィア・リューネハイムという少女。彼女の立場にて考えたとしても、こんな時間、こんな場所にいて良い筈はないが、気にした様子もなく何故か軽やかな足取りで階段を降りていく。ルームプレートは傷ひとつない状態でかけ直されていた。

 

「え…………」

 

 そして、シルヴィアが去り際に残したその言葉にゆっくりと振り返る八幡と、無言のままそれに倣う南。すると、その先には。

 

「……あ、やっと気付いてもらえた」

 

 その少女は、八幡とほぼ同時に——八幡に付いて、南の部屋へと入っていた。

 

 ただ、普段からあまり感情を表に出さない——自己主張をしない彼女であったから、たまたま気付かれなかったというだけだ。

 

「……なんでお前がここにいるんだよ」

 

 一旦家に帰ってから来たのだろう。その姿は、学校で見かけた第一高校の制服姿とは違っていた。

 

「北山」

 

「来ちゃった」

 

 嘆息しながら問いかける八幡の言葉に、何故か嬉しそうな様子の北山雫はうなずいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小町の用意した食事はどれも美味であり、お嬢様である彼女らはその完成度に驚愕せずにはいられなかった。

 

 何故かこの家にいた北山雫や、誰もが目を引き寄せられるような美貌を持ちながらも親しげな笑みを浮かべる紫髪の美少女、元々この家に住んでいるという相模南や千秋なども夕食には参加していたが、争いや諍い等は発生せず、水波を含めない三つ巴の争いも含めて、実に穏やかな夕食だった。

 

 そして夕食後、八幡は家の外にいた。理由は、夕食メンバーの内、唯一泊まりではない雫の見送りのためだ。

 

 八幡が起こした事件が軽くすまされるようなものではないのは確かであるし、友人やクラスメイトとの付き合いを考えると、やはり八幡と雫の関係性は隠すべきで、共に過ごす時間は極力減らすべきだと雫に納得させたからだ。

 

 ……なりふり構わず同棲を始めようとする雫の暴走を止める為、という理由が雫の入居中止の八割を占めていたのは秘密である。

 

 雫は去り際、

 

『……家族が、会いたいって』

 

 と周りの女子達を牽制する為に意味深な言い方を残すも、

 

『ああ、航だろ? 次の土曜にディスティニーランドに2人で遊びに行く約束してるから大丈夫だ、知ってるぞ』

 

 と真実を明かされ、その威嚇は周囲に影響を及ぼすどころか、

 

『まってそれ初耳』

 

 と自分に跳ね返ってくる始末。

 

 しかし——それで終わらないのが、八幡という男。

 

 しょんぼりと肩を落として呼びつけたコミューターに乗車する雫だったが、最後に八幡が放った「ランド自体奢りみたいなもんだし、お前にもなんか買ってやる」という一言で全ての元気を取り戻し、普段彼女の親友ですら見ることのない語気の荒さと興奮を持って高らかに、

 

 

 

「結婚指輪!」「待てこらぁぁぁぁ!!」

 

 

 

 と言い残し、コミューターは発車した。

 

「比企谷?」

 

「八幡?」

 

「八幡くん?」

 

「ヒキオ?」

 

「八幡様?」

 

「八幡くん」

 

「比企谷くん?」

 

「……神に誓います、私は——あ」

 

 …………。

 

 …………。

 

 ……………………残された八幡がその後どのような目に遭わされたのかは、語るまでもない。

 

 

 

 そして、現在。

 

 

 

「……ごめんなさい神様仏様魔法のアレ様。あの女の体型については文句はないんですけど見るつもりもなかったんです。見たことについては『エロいね。何かくれるの?』くらいだったんです。だから見逃してください……っ!」

 

「とりあえず謝っとけばいいやーなんてそんな手遅れなことをまったきみ今ものすごく失礼なこと言わなかった?」

 

 

 

 そこそこ裕福な階級の家ならば珍しくもない男女別の風呂、それも男湯にて。

 

 明後日の方向を向く八幡と、それと対面する、優雅に足を組み換え、ゆったりと湯に浸かる謎の女性。

 

 風貌で言えば雪乃に近いが、その女が持つ胸部装甲の厚さが彼女との違いを如実に表していた。

 

 雪乃がどう成長したところで、こうはなるまい——そんな雰囲気を漂わせている。

 

「裸でそれって、やっぱり皮膚の下に詰め物してるんですか? それとも豊教なんていう邪の宗教に手を出して……っ!?」

 

「雪乃ちゃんを見てそう判断してるのかもしれないけど、雪乃ちゃんくらいの歳にはもう私はこれくらいあったからね? それより私の色気をナチュラルに否定しやがったなこの小僧(ガキ)☆」

 

「つまり成長はしていないということか。未熟者め」

 

「殺すぞ?」

 

 十人以上がゆったりとくつろげそうな湯船の中で八幡と対面している女性の名は、雪ノ下陽乃。雪ノ下雪乃の姉だ。

 

 八幡が一日の汗を流そうと風呂に入った時には、既に湯船の中にいた。

 

「しかし——なんていうかこう、アンタと風呂場で話してるとバナナ・オレが飲みたくなるんだが」

 

「脱水症状だね。私のオッパイでも飲む?」

 

「いやアンタは母乳じゃなくて水銀とか小豆とかプラスチックビーズとかが出てきそうだからやめとく」

 

「まくらじゃないんだからいい加減私の胸が自然物であると認めろー?」

 

 他所を向く八幡の頭を陽乃がその胸に挟み、抱きしめていた。

 

 柔らかさを堪能しておきながら、顔色一つ変えずに八幡は言葉を紡ぐ。

 

「で? 雪ノ下さんはいったいなんの御用事でウチに来たんです?」

 

 対する陽乃も、急な——というか全くしていなかった話題の転換に、眉一つ動かさずに口を開いた。

 

 陽乃は夕食には参加しなかった。ということはつまり、何か火急の用件か極秘に持ち込んだ案件のどちらかということだろう。なんのリスクもなければ、メールで済ませれば良いのだから。

 

「私は四葉の家から、ただ伝言を持ってきただけよ」

 

「聞いていいっすか」

 

「せっかちねぇ。色気の一つでも見せてみなさい。急かす男はモテな——だだだっ!? いったぁい! ちょっと! おねーさんの胸をバルブみたいに捻るな痛たっ!?」

 

「おー柔らかい柔らかい。流石に昔と違いますね」

 

「……っ」

 

 顔を赤くし、胸を抱えるように自身を抱きしめて八幡から離れ、睨め付ける陽乃。その瞳からは、先程までの余裕などすっかり抜け落ちてしまっていた。

 

「しかし、どうしてそんなに大きくなったんです? 昔は雪ノ下とほぼ変わんなかったのに」

 

 と首を傾げる八幡に陽乃は本人に届かないような小声で、

 

「……こんなふうに揉まれてたから大きくなったとか言える訳ないじゃない」

 

「はい?」

 

 雪ノ下陽乃。若干Mっ気ありの女子大生であり、高速移動魔法『閃光機動』を最も使いこなす魔法師だ。

 

 しかし、こんなやりとりは、2人の仲を考えればいつものことであった。

 

「こほん」

 

 咳払いをし、「つい先ほどに壊滅させた闇ブローカーの取引履歴からわかったことだけど」と前置きをして、陽乃は口を開いた。

 

「反魔法政治団体ブランシュが近々行動を起こすらしいわよ。なんでも、キミの通ってる第一高校を舞台にして」

 

 人差し指を立て、八幡に笑みを向ける陽乃。それに彼は頷き、

 

「ぶらっしゅ?」

 

 どうでもいいが今2人はタオル一枚すら身に纏っていない。

 

 ざばあ、と勢いよく陽乃は立ち上がり、腕を組んでそこからこぼれそうになる胸を強調させるポーズをとった。

 

「ブランシュ。第一高校では下部組織の『エガリテ』なんていう学生サークルみたいなのが活動してるみたいよ。うふん?」

 

 無論これは八幡の情念を引き出し誘惑するための秘策だが、もちろん八幡には効いていない。

 

「……そういう姿勢、他んとこでやらないでくださいね」

 

 真正面から陽乃を見つめ、八幡はため息をつく。

 

「……っ」

 

 同時に、ほんの少し——目では絶対にわからない、ほぼ判別が不可能なレベルで頬を赤くしてしまっていた。

 

「……へぇ」

 

 そのため息の意味をこういう風に察した陽乃は、

 

「……よしよし。素直ないい子にはおねーさんがいいこいいこしてあげよう」

 

 屈託のない笑みを浮かべて八幡の頭を撫で始めた。

 

「……素直じゃない。子供扱いすんなし」

 

 と言いつつも、優しく撫でる陽乃の手を八幡は振り払ったりしない。

 

「子供扱いなんてしてないよ。八幡(・・)が可愛いから、してあげてるだけ」

 

「……俺が年下だからって、ナメてると……痛い目を見ますよ……」

 

 目蓋が重くなる。

 

「大丈夫だよ、私強いもん」

 

「……俺、より弱いくせに」

 

 意識が濁っていく。

 

「そうかな? 八幡とは戦ったことないからわかんないよ」

 

「……俺じゃ、なくて、はる(・・)ねぇ(・・)、が、誰にも、負け……ない、のは、ありえない……」

 

 あまりにも心地が良過ぎる。

 

「そうかな。でもやっぱりね」

 

「…………」

 

 そこには。

 

「だいじょーぶ。その時はキミが私たちを守ってくれるんだよ」

 

 誰にも伝わらない、誰にも理解されない、誰にも共感さえされることのない。

 

 それでいて。

 

 彼女が彼に向ける、たしかな信頼があった。

 

 

 

 

 

 

 






次はワートリ短編を投稿したい。です。


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夢×代償=悪夢


お待たせしました。

お気に入りがいつの間にか五百件超えてて驚いてます。
ありがとうございます!

〜人物紹介〜


比企谷八幡

最近は「はちまん」と打ってもバゼルギウスは出てこなくなった。その代わりヴァルクエルと出たので彼は今度吸血鬼になろうとしていると思われる。


雪ノ下陽乃

胸が大きい人


桜井水波

八幡が数年前四葉家にいた頃一緒に遊んでいた後輩。貢のお気に入りの時計を壊してしまったことがあるが、その時八幡が庇ってくれたり雪ノ下家の姉妹と鬼ごっこを八幡の手を借りて制したりした。
 その頃から八幡に恋煩いをしているが、当時八幡は穂波に恋をしていた。


シルヴィア・リューネハイム

日本の東南東に位置する水上学園都市六花の中に在る学校、クインヴェール女学園の生徒会長を務める謎の美少女。
八幡に好意を寄せているが二人が出会った時期はほんの数ヶ月前の事であり、まるで何年も寄り添っているかのような態度には疑問が残る。
八幡が所有する『過去』に関する能力を持つ純星煌式武装と何か関係があるのかもしれない。


 結局。

 

 雪ノ下陽乃が持ってきた伝言はブランシュについてのみだった。

 

 八幡としては自分で調べた方が早いくらいの成果だが、情報に金銭が発生しないならそれに越した事はない。

 

 伝言を聞けば、陽乃がここにいる理由はもうなく、その後は水波からの連絡を待てずに着信拒否の壁を突破してかけてきた真夜との長電話に費やされ、その最中に陽乃が仕掛けてきたイタズラ(特記事項[風呂場・お互いに裸])の対処に手間取ったものの、概ね穏便に済ませることができたと言えるだろう。

 

 八幡の長風呂を気にして様子を見にきた真由美や当然の如く浴室——浴場と言った方が適当だと思える程の広さだ——の中まで入ってきた雪乃の目を誤魔化すため、陽乃を湯船の中に沈めたり窓から蹴落としたりと、ほんの少し(・・・・・)騒動はあったが。

 

 

 

 深夜。

 

 時計の長針と短針が上に縦にピタリと重なる最も美しい時間に、比企谷家二階廊下、八幡の部屋の前にて、息を吐く音がした。

 

「…………」

 

 月明かりが眩しいと感じるこの暗さ、呼吸ひとつが自分の耳に届いてしまう静けさの中で、少女は歩みを進め、目的地たる扉を見つめていた。

 

 少女がここにきた目的は、とある人物からの伝言を伝えるため。

 

 ただ、少女の体には異変が起きていた。

 

「……っく、はあっ」

 

 先程からやけに周囲の音が煩く聞こえる。

 

「……?」

 

 呼吸だけではない。心臓の鼓動までもがバクバクと大きく聞こえてしまっている。

 

「……、……ッ」

 

 ダメだ、顔が熱い。意識が浮つく。

 

 少女が着ている寝間着は少女がかいた汗でじっとりと湿り、肌に貼り付いていた。

 

 余計におぼつかない足取りで、少女は慎重にドアノブに手を伸ばす。

 

 しかしその手は空を切り、少女よりも随分と冷たく、ひんやりしたものにぶつかった。——壁だ。

 

「……あ、…………え?」

 

「……ったく」

 

 消えたドアノブの行方が知れずに、握ったり開いたりを繰り返していると、いきなり誰かに正面から抱きつかれた。

 

「……っ!?」

 

 足取りもおぼつかず、意識もはっきりとしない少女だが、彼女は元々荒事の対応方法なども含めて、様々な教育を受けている。

 

例え脳がまともに機能しなくても、体が反射的な行動を取ろうとして、抱きついてきた相手が一体誰なのかに気付き、今度こそ本当に少女の身動きは止まった。

 

「や……なん、で、先輩……が」

 

 目を見開き、驚愕の表情で部屋の主——八幡を見上げる少女、水波。

 

 困惑の表情を浮かべる水波に対し、もう一度ため息を吐きながら八幡は水波と視線を合わせた。

 

「ここは俺の部屋だ。それよりなんで部屋の前を彷徨いてたのかを知りたいんだが」

 

「わっ、わたしは、ご当主さまからの言伝を伝えにきただけです」

 

 八幡に抱きつかれた——実は水波が抱きついていた——事を脳で本格的に理解をし始めながら、しどろもどろになりつつも言葉として口にできたことを安堵しながら、桜井水波は八幡に体を預ける。

 

「いや、それならさっき話したよ。爪が伸びただのにんじんが甘かっただの背伸びをしないと上の棚に手が届かなかっただの、喋る日記かってくらい一方的に話しかけられて終わったが」

 

「……? 奥様からの電話を直接取ったのですか?」

 

「そうだけど——まぁ、ちょっと入れ。ベッド使っていいから」

 

「あぇ……?」

 

 手を八幡に引かれ半分抱き上げられながら、水波は八幡の自室へと入る。

 

 実の所、水波は数日前から軽い風邪をひいていた。加えて、十師族四葉が抱える家の一つ、葉山の秘術瞬間移動にて比企谷邸へとやってきたのだ。

 

 歩いて夕食をとれた事が奇跡のようなもので、相応の疲労やストレスが蓄積していて当然だった。

 

 瞬間移動は、術の使用者(発動者)よりも術の効果を受ける対象者により多くの代償を求める、危険な魔法だ。

 

 使用者本人が移動する場合はその例外となるものの、普通ならば一回の転移でしばらくまともに動くことすら出来ない疲労困憊の状態になる筈であり、しかも水波はそれを三度連続で休む暇もなく実行されている。熱を出してしまうのも、当然であった。

 

「……う」

 

 何処からともなく音のしない衝撃だけの爆音が自分に向けられた状態で鳴っているような気がして、水波はしかめ面を作ることもままならず、ふらふらとした足取りのまま八幡に誘導されてベッドに腰を下ろした。

 

 そして、随分と思考力の低下した脳で八幡が普段使っているベッドに潜り込む。そこは掛け布団も枕も、当たり前のように八幡の匂いがして、水波は顔を赤くすると同時に安堵にも似た落ち着きを感じていた。

 

 そして、八幡が水波の手に触れる——と、じっとりと湿っていた筈のパジャマタイプの寝間着が瞬時に乾き、水波が感じていた不快感が軽減される。

 

 続いて八幡が水波の額に手を置くと、発熱による痛みや発汗が緩やかに止まる。それと同時にひんやりと冷たく心地良い感覚を水波は自分の額に感じていた。

 

「……おくさまから、先輩に、電話をお取り次ぎすふよう、いいつかってます。だから、はやく、四葉ほんけに、れんらくを……」

 

 流水が流氷へ。水波の言葉は、ダマになった小麦粉のカタマリのように、見えない何かに阻害されて、少しずつ、つまらせていく。

 

 加えて、かなり眠い。八幡の部屋に流れる軽やかなソプラノの唄が、水波の精神を穏やかなものにしていく。

 

「……から、……八幡、せんはい……に、おねがい、したく…………」

 

 水波の言葉は、意識は、そこで途切れた。

 

 しかし、水波が自然に眠ったというには余りにも不自然すぎる。

 

 お喋りの途中で眠気に意識を奪われるなど、普通はありえない。疲労困憊の状況にあるとしても、水波が人を前にして眠りに着くなど、従者としてやってはならない行為である筈(人の布団で寝ている事については置いておく)だ。

 

 眠り状態に移行するまでの間に、シャットダウン途中でエラーが出た前世紀時代の精密端末機器を手動で強制的に眠らせたかのような、不自然さがあった。

 

 当然、水波の体温を弄っていた八幡が彼女の意識を半ば強制的に奪ったからだった。

 

 水波の額に触れた時、八幡の体感ではあるが、38度以上の熱が水波にはあった。動くことは可能なのだろうが、それ以上に、三度も辛い経験をさせてしまったという罪悪感や、妹と同じくらいに扱いを大切にしている後輩が無理をする姿を、八幡は見たくなかった。

 

 だから——心を落ち着かせる精神干渉魔法で、水波の緊張の糸を断ち切ったのだ。

 

 これで、水波はようやくゆっくりと休むことができる。

 

 ……水波も魔法師、それも同年代やプロと比べても突出した技能を持つ。彼女の目が覚めれば魔法を使われたことについて何か言われるかも知れないが、その時はその時だ。

 

「俺の今後の身の安全のためにやっただけで決してお前のためじゃない」「小町が悲しむからな」とでも言っておけば十分誤魔化せるだろう。

 

 ……それと同じような言葉で何人が同じ道を辿ったのかを、彼は知らない。

 

「……。……すまん、ありがとな。曲作りの途中だったのに」

 

 水波が完全に眠りについたのを確認して、八幡は振り返る。そこでは、シルヴィアが満面の笑みを八幡に向けていた。

 

「ううん、全然。……水波ちゃんだっけ。その娘にも八幡くんは八幡くんらしくて安心したし、こんな時間まで付き合ってくれてるんだから少しお礼はしないとなぁって思ってたんだよ。少しでも良くなってるのならよかった」

 

 そう口にするシルヴィアが水波に向けるのは、慈愛に似た眼差し。愛おしいと思う反面、その場所に介入したくない、第三者の立場でいたいという観察者としての理念だ。

 

 そこが慈愛とはかけ離れているのであくまでも違う意味合いがあるのだが、ともかく見てくれだけは慈愛と言っても差し支えは無かった。

 

 ただし、ここまでは、だが。

 

「……ねぇ八幡くん。どうして水波ちゃんにはすんなりと自分のベッドを使わせてあげるくらいには親密な関係なのに、どうして私の事は風邪をひいても怪我をしても心配してくれないのかな」

 

 じっとりとした視線が、蛇のように八幡の喉に絡みつく嫌な感覚を、彼は覚えていた。

 

 明らかに先程とは空気が違う。その事を正しく把握しながら、八幡は言葉を選んだ。

 

「普通なら集中治療室行き確定の大怪我を自前の能力だけで完治させるバケモンの何を心配しろと? 言っておくがマネージャーの仕事だって一から十まで携われる訳じゃないんだからな。時期によってはツアーに参加できない事もある。しばらく会わない事だって当然——」

 

「じゃあアイドル辞めるよ。普通の女の子に戻ります」

 

「…………待ってくれ、それとこれとは話が違」

 

 途端に、八幡の表情が変わる。最大の根拠を突き崩された時、人は誰もがこんな顔を浮かべるのだろうか。そう思わせるほど、苦々しい表情を八幡は浮かべていた。

 

「違わないよ。八幡くんが心配してくれないならアイドルの仕事を辞める。八幡くんがそばにいてくれないならツアーにも行かない」

 

「……………………………………………………………………………………………………………………………………わかった。マネージャーとしてついて行くから、それだけは勘弁してほしい」

 

「お金は自分たちで集めないと厳しいんだもんね、八幡くんは」

 

「わかってるならもう少し譲歩というものをだな……」

 

「むり。……あ、あとね」

 

「? ——んんっ!?」

 

 首を傾げる八幡に不意打ちのキス。ご丁寧に、舌までいれる徹底ぶりだった。

 

「はぷ——っ、は、ぁ。……八幡くんと離れている間、こういうふうに(・・・・・・・)、私が嫌な目に遭わされてもいいの?」

 

「……いや、どちらかというと俺が嫌な目にんむっっっ!?」

 

 再び交わされる、シルヴィアと八幡の熱いキス。体感温度を測る——なんてものがあれば、温度はとっくに鉄の沸点を超えていたに違いない。

 

 それくらい、二人も熱に当てられていた。

 

 実を言うと、これはシルヴィアによるただの一方的なキスに過ぎないのは明らかであり、魔法師にしては珍しい、この上ない純情・敏感体質であるからで、その反応を見たシルヴィアもその色艶に触発されて感情が昂っていたのだ(何処かの六道の長女の存在は幼馴染や兄弟姉妹の感覚に近く、異性としてほぼ意識しない)。

 

 再び唇が離れて、数秒。二人を繋ぐ細い唾液の糸は、床にへたり込み、彼女を見上げる八幡の頬に垂れて落ちる。口を開いたのは八幡だった。

 

「……良くねぇよ。アイドルのステータスは商品だ。穢されて——穢されようと画策される事自体、許されるべきじゃない」

 

 目を背けながら、それでもはっきりと言葉にする。

 

 いくらカモフラージュされていようとも、彼の本心——シルヴィアには触れさせないという表れが、シルヴィア本人にも容易に読み取ることができた。

 

「ならちゃんと」

 

 しかしシルヴィアにとっては、それでは不十分らしい。

 

「八幡くんに、守って欲しいな」

 

 八幡の顔を両手で挟み、自分の目を見るように向けさせた。

 

 しかし、彼は視線だけでもシルヴィアから逸らそうとする。

 

「……護衛がいるなら戦艦でも空母でも潜水艦でも付けてやる。ただ、魔法師だからな。それなりの戦力になるにはなるだろうが、はっきり言ってお前の方が何十倍も強い。邪心に精神を囚われるような軟弱者であれば魔法師としてもそうレベルは高くないだろうし、十師族クラスともなればそんな邪とは心理距離的に」

 

「八幡くんに、守って、ほしいな?」

 

「————」

 

 …………三度目。八幡の唇は塞がれる。今度も、シルヴィアからだった。

 

 二人はすぐに離れる。ただ、もう既にこの時には、八幡の内には何に対しても反抗する気力は残されていなかった。

 

「……………………」

 

 もはや、八幡には言葉も何も無い。

 

 シルヴィアの瞳には、燃え滾る何かが灯っている。

 

「……う、わ……」

 

 八幡は、されるがままに、シルヴィアの情欲を受け入れる。

 

 

 

 夜は、更けていった————

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……だめです先輩、人が寝てる部屋でぇ……」

 

「おいこいつ夢でなんか見てるぞ」

 

「夢は記憶の整理をしてる途中に発生するものらしいけど、どんな夢なのか気になるね?」

 

「いや気にならない。全く気にはならない。それより早く六花に帰れ」

 

「……む。八幡くんに会うためにどれだけ無理をしたと思ってるの。ワールドツアーひとつ潰してるんだからね?」

 

「世界の歌姫がワールドツアードタキャンって、10億以上の損失確定じゃねえか何やってんの!?」

 

「嘘だよ。無理はしたけど流石にそこまではやらないし。びっくりした?」

 

「……心臓に悪い」

 

「ごめんね? お詫びにチュウしてあげるから」

 

「日本を出禁にするぞ」

 

「……嘘です」

 

 

 

 今度こそ、夜は更けていった。

 




-追記-
読みにくかったところがあったので少し手直ししました。


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閑話【apoptosis】



深夜テンションでお送りしている為誤字があるかもしれません。ご了承ください。


 

 ねえ。

 

「信頼」って言葉、知ってる?

 

 ——ああいや違う違う。トラストとかビリーヴとかそういう意味じゃなくて、依存(ディペンデンス)って使い方の信頼よ。

 

 信じて頼る。誇大妄想と被虐意識が行き過ぎた素晴らしい仲良しこよしだとは思うのだけど、今あなたの周りにどれだけこの信頼に値する人がいるのかしら。

 

 あなたの本心を話した五人? それとも本当に妹さんだけ、とか?

 

 ——。

 

 中学校の文化祭はとても楽しかったわよね。

 

 自分一人を悪者に仕立てあげて。

 

 誰も彼もの心を引っ掻いて、悪人の処刑を喜ぶような一致団結の仕方をさせて。

 

 そのうちの何人かは、あなたが受けた痛みに涙を流した。……けれど、結局はあなたを信じてくれたあの子の心には、悲しみが残った。

 

 まったく。

 

 いい迷惑よね?

 

 自分の足で立てないからと勝手にへばりついてきたくせに、歩けるようになった途端、突き放すんだもの。

 

 十師族の守護者の名が腐るわな。

 

 ……まぁ。

 

『だからこそ』という訳なのだろうけど。

 

 

 

 さて。

 

 

 

 そのようなわけで。

 

 神経を逆撫でするだけの無意味で無価値な退屈極まりない与太話はここまでにしておいて。

 

 口を閉じてよく聞きなさい。

 

 

 

〝彼女〟が目覚めたわ。

 

 

 

 …………。

 

 いきなり過ぎる、という顔をしてるんだね。

 

 ええ、ええ。わかってるわ。前振りも予兆も気配も無かったもの。驚くのも無理はないけど、対処はあなたがしなければならない。

 

 行いは悪逆非道、心は純真無垢、なのにその在り方は『秩序』。

 

 その本質は、身の内から限りなく私情を排除し『人類存続』の為に行動する管理ソフトウェア。

 

 必要ならば強大な力を以て自ら行動することもある、所謂『おせっかい』が本性であるとも言えるだろうさ。

 

 ただそれはあの娘の『忠誠』とはまったく別物だから、彼女を識ればあの娘にたどり着けるなんて考えないでね。

 

 ————。

 

 ……はぁ? あなたがやらなくて誰がやるの? 馬鹿げた奇跡の連続にでも縋るつもり? その時その瞬間に神様が降誕するのをイチコンマの時間のズレもなく予定に組み込めって?

 

 笑わせんな。奇跡(アプリ)超える(破壊する)ための存在(ウィルス)はあなたしかいない。

 

 あなただって十師族程度(・・)にアレの相手が務まるとは思っていないでしょう? だからあなたがやるの。

 

 ただ、目覚めるとは言っても完全な覚醒状態に至っていない『微睡んでいる』状態かしら。

 

 だから龍脈もイデアにも特別な変化は無いし、大きなエネルギーの胎動も確認されていない。

 

 ただ、魔法を用いた戦闘によるエネルギーの引っ張り合いが起きれば、それに刺激されて覚醒が早まる可能性もある。

 

 ————。

 

 ……そう。いかに問題を起こさないように立ち回るかだけど、十師族程度でもそのサイオン保有量の多さと魔法技能の高さのせいで、普通魔法師よりは格段に刺激する可能性が高い。知ってると思うけど。

 

 よって、覚醒時期を先延ばしにする為にも今回の目標を定めます。

 

 今回は『テロリストへの対処』と『殺傷性Aランク以上の魔法を使わせないこと』の二つ。

 

 寒気とか、人体に害が無い魔法なら構わないけれど、生命活動が停止しかねないレベルの凍結魔法使用は厳禁。

 

 発砲だの流血だったりのは極論として魂魄の流出ではなく物質の移動だから、影響として与えるレベルがゼロなので闘争の発生を防ぐ必要はない。

 

 それに加えてだけど。

 

 ぶっちゃけ雑魚が魔法を何発撃とうが、彼女の周囲に漂うサイオンの嵐の方がまだ煩い方だし、戦略級魔法とニブルヘイム(戦術級)が使われなければ正直どうでもいいんだ、これって。

 

 ただ、九校戦の頃にはどうあがいても覚醒してるでしょうし、その時はその時で考えましょう。

 

 今はとにかく、闘争を未然に防ぐ——ああ、役員としての仕事を全うしろと言っているわけじゃない。

 

 潰せ。と言っている。

 

 善も悪も、被害も犯罪も、発生しなければそれで良い。

 

 例えば、星を呼び寄せるためにとある少女の命が枯れようとしているのなら、枯れるより先に摘み取れ。

 

 復讐者とその仇とがやり合っている場面では、諸共に殺せば良いの。

 

 喧嘩両成敗は『煩いから静かにしろ』っていう第三者的都合から来るものなワケだけど、この場合は問題が起きる前に全てなくなっているのがよろしい。

 

 何はともあれ、頑張ってくれたまえ。人間にとってのクモの巣のように細く脆い世界を守るために。

 

 ……あ、そうそうあと一つ。

 

 彼女が覚醒段階に入った原因は、学園で起きた爆発のせいだ。

 

 あれほど大きな爆発がなければ、ニブルヘイムが放たれようと戦略級魔法が発動されようとも平気だったのだがね。

 

 だから、藍野日織のこともしっかりと見ておくように。

 

 ————ハ。

 

 その嫌そうな顔が見れただけで僕は満足だよ比企谷八幡。

 

 やるべき事はしっかり、ね。



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複製魔法師体『ネファス』

今回ちょっと文量あるです。

2020 9/1 タイトル変更しました。

〜人物紹介〜


???????・???・????

 とある人物のクローン。作中登場危険人物筆頭。人格がではなく能力的にはだが、それでも既存の人類を大幅に超えた力を持つ。比企谷が恐れている〝彼女〟ではなく、その存在は八幡を含めて誰も知らなかった。


 広大な砂漠のとある場所に、一滴の水滴が落ちる。

 

 子供の小指の先程もない小さな水滴だ。

 

 だが、その水滴が砂の最初の一粒に触れた途端、そこから全てが水へと変わった。

 

 砂に水が染み込むだとか、混ざり合って泥になる箇所すら無かった。

 

 全てが砂であり砂漠だったその世界は、瞬く間に水——海の世界へと変貌を遂げた。

 

 深度不明、最端座標認識不可。全てが均等に深度3万メートルもある巨大なプールのようだ。

 

 捉えきることのできない、ただ広大な海と空気の狭間で、水面にぷかぷかと浮いているのは比企谷少年だった。

 

 少年は空を見上げる。真っ黒で何もない、墨のような空を。

 

 当然だ。この世界には太陽もなければ恒星も無い。

 

 あるのはただの水と空気と少年だけ。

 

 しかし少年は、水に浮かんだまま、空に沈んでいく感覚を知覚した。

 

 最初は水に押し出されるように、水面から出た後は空気に抱かれるように。

 

 ふわふわぽわぽわ、ゆっくりと浮かんでいく。

 

『——いちゃん、——ちゃ——!』

 

「……?」

 

 今、何かが聞こえたような。……気のせいか。

 

 偶然耳に届いた雑音は、しかし波の音に紛れて消えてしまった。無くなってしまったものはしょうがない、気にするのははっきり言って無駄だ。

 

 声を受けて尚、少年は空へと昇り続けていく。

 

 しかし——

 

「……?」

 

 いつの間にか、少年の手を掴んでいた手が、空に昇ろうとする少年の行動を妨げた。

 

『お兄ちゃん! そろそろ起きて!』

 

「——っ!?」

 

 突如耳元で鳴り響く爆音、いや少年の妹の声。先程も聞こえていたが、今少年はその声をやっと聞き取れた。

 

「……。あ?」

 

 しかし——声が聞き取れた途端に暗黒の帳は剥がれ落ち、それと同時に形而下全てに広がった白炎が世界の色を取り戻す。

 

 眼が、醒めた。

 

「……なん、だ?」

 

 しかし、いつもの目覚めとは違って体が思うように動かない。というより、何かが身体に覆い被さっている。そしてそれは布団の重さとは明らかに違っていて、心地良い柔らかさと温かさがあった。

 

 ……どうせ、かまくらだろうな。

 

 八幡がまず思い浮かべたのは、家で飼っている猫。

 

 自分には決して懐くことはなく、そのくせ寝ている時などはこうして胸の上に乗ってくるのだ。

 

「……」

 

 無言のまま、八幡は腹、或いは腰元にまで下がっているであろうタオルケットに手を伸ばす。

 

 退けようとしても最後にはまた戻ってきてしまうので、タオルケットさえ被ってしまえば、何故かその感触を嫌ってかまくらは出て行く。最近知ったかまくら撃退法だ。

 

 ただ、八幡の手に触れたのは、タオルケットにしては肌触りの良い、やわ餅のような触感の何か。断じてタオルケットではない。

 

「……っ!?」

 

 人差し指で押してみれば、ハリのある弾力とスベスベで心地の良い手触りが指の腹に伝わってくる。これで、八幡が現在触れているのは猫ではないということがわかった。

 

「…………うぅ」

 

 ……………………ワイ。

 

 ただ、八幡が指を動かすと同時に聞こえてきた音が、八幡は気になった。

 

 ……なんか、呻き声が聞こえた?

 

 呻き声。動物の鳴き声ではなく、ヒトの、喘ぎにも似た苦しみの声。そんな声に似た音が、八幡の鼓膜を震えさせた。

 

 けして、聞き違いなどではない。八幡は、起こりうる音は1キロだろうが100キロだろうがどんな場所でも逃さずに聴くことが出来る。無意識のうちに行われる音域の調節なども完璧にこなし、八幡の地獄耳はそれをとある少女の喘ぎ声であると断定した。それも、旧知と言っても過言ではない程には知っている、知り合いの声だ。

 

「……んっ、…………あっ、……う、っひぁう…………なんで、そう、ピンポイントでそんなところを……」

 

「…………」

 

 意識が微睡から抜け出しつつあるからだろうか。やけに鮮烈に、過激な程に神経を灼き散らすその声は八幡の耳に響く。

 

 その声を聞き、八幡はまずこの場所から逃げ出す為の手段を、瞳を閉じた暗闇の中で模索していた。

 

 だが、空想でできることにも限度がある。今までにもこの家の住人が八幡の布団に潜り込んできた事(件)があったが、その個人によって対処法は千差万別と言っても過言ではないくらい、同じ手が通用しなかった。

 

 布団に包んでその隙に逃げようとしてもいつの間にか自分が包まれていたり、瞬間移動や閃光機動での逃走を謀ったならば危うく処女を捧げられそうになったり。

 

 女難の相というものが可視化できるとしたら、顔に大きく文字で書いてあるのは間違いないだろう。

 

 ただ、それだけ多くの人に好かれているということはそれだけの付き合いをしてきたという証拠であり、それだけ多くの対処法を有しているということでもある。

 

 症状に対する医薬品のように、的確に処置をすれば逃げることも容易い。

 

 その成果なのか、その方法を採用し始めてから布団に潜られる日(昨日と一昨日とその前とそれ以前)の逃走成功率は1割を超えていた。

 

 ……9割近い確率で失敗するという事実は触れてはならない禁である。

 

 だが。兎にも角にも、現状を把握しなければ何も始まらない。

 

 恐る恐る、ゆっくりと眼を開く。

 

「……?」

 

 そして八幡は、目を開けてまず揉んだり押したりする前に状況確認しなかったことを……激しく後悔する。

 

 何故ならば、その少女は戦略級の問題(爆弾)を抱えていたからだ。

 

 

 

「……誰だ、お前」

 

「ん、実際に言われると傷つくわね。ワタシ(・・・)がハチマンにやってあげたいだろうな(・・・・)って事をしてあげてるのに」

 

 

 

 ……その少女は、今八幡の家に寝泊まりしている人間のどれにも該当しない。かといって、その他の人間なのかと言われたならそれにも当てはまらない。

 

 ただ、遠く離れた異国の地(アメリカ)に、この少女と瓜二つの顔を持つ少女が1人、いる。

 

 褐色の肌に、髪を解けばその身長よりも確実に伸びていそうな、絹のようでいて晴れた日に見る小川の清流のような眩さを感じさせる、美しい金色の髪。

 

 USNA軍統合参謀本部直下、魔法師部隊通称『スターズ』で第一隊の隊員(・・・・・・)を務めている筈の少女——

 

「会いに来ちゃった。愛してよ比企谷八幡(ダーリン)

 

 ——アンジェリーナ=クドウ=シールズの色違い(・・・・)が、太ももと太ももの間に八幡のお腹を挟んで、本人よりも発育が良いらしい「胸」越しに見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下およそ八千メートル。USNA(アメリカ)陸軍、秘匿研究所『アルモス』。

 

 人の住む環境では無い程の地下にアルモスが設立された表向きの理由は〝深下地層の調査〟であり、マントル層にある物質の採取を最終的な目標と定めて、研究者たちは国の助成を受けて日々取り組んでいる筈だった。

 

 しかしその実態は、世界一の軍隊を自称するスターズから魔法絡みの成果・実績・地位を略奪する為の魔法開発施設であり、そこにおいてはどんな非合法行為であっても、開発のためならば注意書きを受け取るだけで人体実験が黙認されてしまうような場所だった。

 

 ただ、当然ながら民間人を実験に使ってしまえば、それがたとえ生きる選択肢を却下された犯罪者であったとしても、非合法行為という名の足がつく可能性が発生してしまう。

 

 だからといって被験予定体の戸籍登録抹消の為にあらゆるリスクを背負うのは割に合わない。

 

 そして、悩まれた末に陸軍上層部で出されたのが『人造人間』を用いた研究実験。

 

 人造であれば戸籍を作ることなど容易であるし、研究に一生従事する事になる人間や施設・場所を確保すれば、あとは極秘裏に回ってくる成果の観察をしているだけで済む。

 

 ただ、これを考案した上層部は研究をする側である人材調達の段階にて、賛同する人間が想定した数に満たず、人揃えに一度行き詰まったものの、薬と脳外科手術により意欲あるなしに関わらず、能力がある研究者達を半分人形化する事で無事調達を終える。

 

 場所は衛星から盗み見されるのを嫌って地下に造られ、実験は数ヶ月前からスタートしていた。

 

 地球の中心に近い為か温度が200度を超えるこの場所で、防護兵装(クローゼス)と呼ばれる作業服に身を包んだ科学者達が耐熱処理の施されたタッチパネルに触れたり、時折頷くなどの反応を見せながら、作業を行っていた。

 

 作業とはいっても、汗と熱にまみれた不潔な環境下における過酷な労働ではない。

 

 魔法の登場や、それに伴う今まで未解明だった物質の構造や性質の解明、二十世紀半ばに起きた技術革新などにより技術者や科学者達がレンチを手にして汗をかきながらネジを締める——なんて光景は五十年よりも昔に淘汰されているからだ。

 

 作業着である防護兵装は動きやすさ重視で設計されており、ジャージのような身軽さで宇宙服のような防護性能の高さを誇っており、研究者達は逆に心地良さげな様子で仕事に取り組んでいる。

 

 他にも二十四時間体制の全部品監視システムに始まり、周囲が常に高温である為に役に立たないサーモグラフィーの代わりに研究者の生気を捉えて体調の不良などを計り出す「アストラル・グラフィ」システムなどの研究者の体調管理に至るまで、全て機械による自動化がなされている。研究者がやるのは作業進行の確認と決定・否定ボタンの押印だけだ。

 

 無論、そのシステムについては彼ら研究者がこの施設の仕組みを把握し切れていないのではなく、地中の温度が二百度を超えるこの人工地獄の中で、余計な作業により研究者の集中が損なわれないように配慮された結果だった。

 

 ただし。

 

 研究者たちの視線を集める、厚さ1メートル超えのガラス越しに檻の中で耐熱が施されているだけで防熱などの処理が行われていない検査着1枚を着ただけの、直接地中の熱に晒されている『彼女』の事情は一切考慮されずに、ではあるが。

 

 少女の健康が考慮されていない——とは言っても、二百度を超えるその気温の中でうたた寝をしているくらいなのだから、その必要が無いのかもしれない。

 

『…………』

 

 体育座りのまま寝ぼけていた少女は、ゆっくりと眼を開けた。たったそれだけの行為で銃を突きつけられているかのような緊張が研究員達の間に走り、ある研究員は腰を抜かしたように地面を這いつくばりながら部屋の隅へと逃げてしまう。

 

 それは、彼ら研究員にとって抹消されたはずの、感じないはずの恐怖という感情。

 

 ありもしない感性を、その少女は自分を見た生き物に思い出させていた。

 

 戦車砲ですら通さない防御力を持つガラスが対象と自分との間にあったとしても、視覚的な恐怖はやはり本能に響くものなのか。いや、少女のこれはそれ以前な気がする。

 

 自身を囲む藍色の檻の中には、ボールや音のなるリング、積み木など、知育玩具がいくつか転がっているが、そのどれもが彼女が眼を向けた途端に青色の灰、砂となって存在が無くなる。その様子を見ていれば、腰が抜けて立てなくなるのも当然かもしれない。

 

 少女は再び目を閉じ、眠りにつく。そこら中から安堵の声が聞こえるが、その直後に『何故自分が安堵したのか』わからないといった顔をする者も多かった。しかし、中には1人だけ『素晴らしい』と笑みさえ浮かべてしまう狂気の研究者がいた。

 

 研究対象に魅入る。そんな精神を持ち合わせている方が、このアルモスでのあり方としては正しいのだ。

 

 怖気付く他の研究員達にその研究者は嬉々とした表情で、ガラスケースの中の少女の〝兵器としての素晴らしさ〟を語る。

 

 それを意味として理解しているものはほとんどいなかったが、研究者の〝我らの悲願〟という言葉にはその場にいた研究員の全員が、その震え上がっていた体を立ち上がらせる。思い出した感情を再度忘れ始める。そこに、魔法の力が発揮されていた。

 

 良くも悪くも、その研究者のおかげで、研究員達は正気に——狂気に、立ち直ることができた。

 

 そして、皆が唱え始める。アレは我らの希望、我らの夢であると。

 

 狂気が雰囲気を支配するこの場において、誰も彼もが自分を正義であると信じて疑わない。

 

 ……地上では自分たち調査隊は事故に巻き込まれて死んでいることになっていて、今彼らが行っているのは完全な非合法作業である事など、彼らは自覚すらしていない。

 

 ただただ、狂気に満ちた熱意だけが研究室の中を渦巻いている。

 

 その狂気がどこから湧いているのか、自分たちは何故ここにいるのか。それもわからないまま、研究員達は少女を観測する作業に戻っていた。

 

 研究員達が作業を続けていると、研究員の1人がリーダーと思しき——先程真っ先に少女に魅入っていた研究者だ——人物に声を上げた。

 

 前置きも驚きもなく、ただ唐突に挙げられたその声に、研究者はデータを見ていた顔を上げた。

 

〝主任。第八十三番管区の固定変熱設備が融解しています〟

 

 主任と呼ばれた男は、その研究員に対して振り向いた。

 

〝なんだと?〟

 

〝続けて空調設備蒸発。三番管理事務所、七番から十七番通路までが融解。カメラの映像が来ていません〟

 

 空調設備の故障により、研究室内は緩やかに温度が上がっていく。

 

〝避難経路の八番が潰された? 侵入者か? その姿は確認出来たのか?〟

 

〝いいえ〟

 

 その言葉と同時に、元に戻っていた研究員の頭が吹き飛んだ。

 

 血糊が飛び、主任の男の白衣を赤く染め上げる。

 

 研究員が死んだ事に対するどよめきはなく、正しい感情が宿っている筈の主任の男は研究員が座っていた場所から生えてきた、溶岩で出来た触手のようなものをただ見つめていた。

 

〝メクロモーノンの着席位置から超高温物体が出現。灼けるような熱さを感じます〟

 

 真横で主任の男以上に血浴びをした研究員は、人間としての機能を停止したその研究員の代わりに状況を報告し始めた。

 

〝魔法発動の痕跡は?〟

 

〝ありません〟

 

 主任の男の問いに対する回答は簡潔なもので、それを発した後、その研究員も溶岩に呑まれ、血飛沫すら上げずに燃え尽きた。

 

 その後一気に研究員達から報告が上がる。

 

〝監視対象が姿を消しました〟

 

 無表情な研究員はその言葉と共に胸を貫かれて死んだ。

 

〝檻の中に巨大な縦穴を発見。ここから脱出したものと思われます〟

 

モニターではなく窓ガラスを指差し、肉眼で確認できるものをわざわざ指し示して、その研究員も上半身と下半身の二つになって死んだ。

 

〝通信施設及びシェルターが溶岩に飲み込まれています〟

 

 上から降ってきた溶岩に飲み込まれ、

 

〝通信手段がありません。助けを呼べま〟

 

 顔半分を抉られて言葉の途中で燃えた。

 

 主任の男以外の全員が死亡したところで一際大きなマグマが主任の男の前に湧き、その中から檻の中に囚われていた筈の少女が姿を現した。

 

 不満げな表情で少女は口を開く。少女の金髪が、マグマの熱気に当てられているのか、海を漂う海月の様に揺らめいていた。

 

【——ハチマンは、どこ?】

 

 何か言葉を発している。だが生憎と主任の男には理解できない言語のようで、何を話しているのか、理解できなかった。

 

 だから彼は、彼ができる最上位の敬意を少女に捧げる。

 

〝麗しの姫よ。御身に対するこれまでの数々の仕打ち、ご容赦ください。ですがこれは、我々なりの貴女に捧げる愛なのです。我々をいくら恨もうとも憎まれようとも構いません。ただ、これだけは覚えておいてください。我々はあくまで——〟

 

【煩いの】

 

 一閃。少女が右腕を右から左へ、丁度男の頬を叩くような仕草を見せると、壁から吹き出したマグマが男を呑み込んだ。

 

 今度こそ本当に、少女以外に誰も生存者はいなかった。

 

【——さて】

 

 そんな中、殆ど空気中の酸素が火によって消費された常人であればまず息ができない空間で、少女は上を見上げた。

 

【ここにはワタシの居場所はない。であれば、何処に行くべきか】

 

 しばらく考えたあと、全てがマグマに呑まれつつある火の海の中で、少女は確かに笑みを作った。

 

【セキニン——とってもらお】

 

 それは、太陽のように明るく、天使のように楽しげな笑みだった。

 

 

 

 

 

 

 現地時間、午前二時〇〇分。

 

 

 USNAのとある海岸にて、数人の美女達とナイトウォークを楽しんでいた陸軍幹部Aの下にある知らせが届く。

 

 しかし、それを読んだAは直ぐにそれを閉じ、美女達との会話に戻った。

 

〝どうしたの?〟

 

 という問いかけには苦笑しながら手を振って応える。

 

〝いや、なんでもない。次の作戦に関する連絡だよ〟

 

 Aの下に届いたメールにはAが管理しているアルモスの反応消失の旨が記されていたが、それをAはあえて無視した。

 

 元々、Aを含めた陸軍上層部の、計画に賛同している者たちの間ではある〝取り決め〟がなされていた。

 

 アルモスが爆発なり失敗なりでその反応をロストした場合、余計な手出しはせずに徹底無視を決め込む事にしていたのだ。

 

 対象は地下八千メートル。脱出の通路などは死亡事故の報道と共にとうの昔に塞いで民間企業に売り渡してしまったし、表向きの責任者は事故のストレスにより気が狂って身投げをした事になっている。故に、地下の人間が全員死んだところで、万が一にも漏れる心配はない。

 

 だからAは、次週にでもアルモスの消失について仲間たちと話し合うつもりで、もうアルモスについては忘れる事にしていた。

 

 だからだろう。被験体の少女が八千メートルもの距離を登り、生きて地上に出る事など、最初から警戒どころか想定すらされていなかった。

 

 その後少女は、生まれ持った知識と変装する能力で、極東の国を目指して辿り着いてしまうのも、彼女の目的である八幡以外は、知る由もなかった。




まだ入学編だよぅ。゚(゚´Д`゚)゚。


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勤務初日、波乱万丈な朝。


深夜テンションこわ。またまた文章長くなりましたごめんなさい。


オルタの表記を『ネファス』というものに変えました。特に意味はありません。


 

 USNA軍統合参謀本部直属魔法師部隊『スターズ』第一隊隊長、ベンジャミン・カノープスの朝は早い。

 

 起床はいつも午前五時半。目覚ましをかけるでもなく自然とこの時間帯に目が覚めてしまうのは、鍛錬の成果が身についてしまった故か。

 

 喉の渇きを感じて軽く水を飲むと、ランニングウェアに着替え、日課の為、最低限の荷物と通信機器を持って、現在寝泊りしている部屋のドアを開けた。

 

 そして、ペースが少し早めのランニングを始めるのだ。

 

 走っている最中、カノープスは今日この後に課する事にしている自分の部隊の訓練メニューだとか、任務についてなど、考えながら走る。

 

 その考えながら走るという行動そのものが精神を研ぎ澄ますルーティーンになりつつあるのは、本人も自覚していた。だからか、こうやって体をいじめぬくトレーニングは中々にやめられないのだ。

 

 しかしこの日のカノープスの精神統一は、彼の番号に直接入ってきた一本の電話によって中断される。

 

 現在時刻は午前五時四十七分。走り始めて割とすぐのこの時間は当然早朝の部類に入るし、そんな時間にわざわざカノープスの個人回線にかけてくるなど、緊急事態である事以外に考えられない。

 

 走るのをやめ、通話のボタンを押すと、彼は短く「カノープスだ」と応えた。それに対する相手の反応を待つこと一秒。

 

『あ、もしもしカノープスか? そっちは今朝六時くらいだよな? 今電話大丈夫か?』

 

 アメリカ人であるカノープスに、あろうことか日本語で語りかけてくる相手。その事実とその声を聞き「……少し待って下さい」とまるで手のかかる息子か孫に語りかけるかのような調子で日本語で返した後、カノープスは緊張の糸をより引き締め、ランニングをやめて自室へと踵を返した。

 

 自室に戻り、鍵を閉め、プライバシーが保証されている部屋の中で敢えて音を拒絶する幕を張り、完全に盗聴の心配がなくなった後に、相手に再び語りかけた。

 

「総隊長。今貴方は何処で何をしているんです? 上層部に対する長期潜入任務の言い訳も流石に苦しくなってきているんですが」

 

 通話の相手は、スターズ総隊長『ファントム・シリウス』。新ソ連の攻撃によって命を落とした初代シリウスに代わり、スターズの総隊長を務めている人間だった。

 

『日本で魔法師の護衛をやってるが』

 

「……」

 

 二秒程、カノープスは言葉を失う。

 

「……別にシリウスを抜けたければ、いつでも言って良いんですよ。リーナもヘヴィ・メタル・バーストを完全に習得していますから」

 

 さらに数秒経って、捻り出した言葉がそれだった。明らかに動揺が隠し切れていないのは聞いて取れる。

 

『いやまだスターズを敵に回したくないし。……そういやアルゴルと競争して手に入れたベガとかスピカのパンツも返してないんだよな……』

 

 それを聞いた瞬間、カノープスは突き刺すような頭痛を感じていた。

 

「…………下着泥棒事件の犯人は貴様らか。アルゴルには後で話を聞かせてもらおう」

 

 口調が変わる。相手のあまりのふざけぶりに、カノープスもとうとう堪忍袋の緒が限界なのだ。

 

『いや、違うんだって。訓練が嫌だとかそういう理由じゃなくて、セキュリティが万全な女子寮に忍び込んで一級の奴らの下着盗んでくることができたなら、その能力は潜入任務で役立つだろう? って話がこじれていって』

 

「こじれるも何も、最初からねじ曲がっているだろうが! 貴様らのせいで確認のために任務の遂行に滞りが出て、そのしわ寄せが軍全体にまで影響したんだぞ!?」

 

『反省してます。次はバレないようにします』

 

「次は犯人を死ぬ気で仕留めるそうだ。……とにかく、アルゴルには——」

 

『フォーマルハウトも補助役として参加してたぞ……やっべデネブのがここにあっ——痛い! やめて!』

 

 通話相手の付近に、誰かいるようだ。それも、カノープスとファントムの会話を聞かれても問題ないと言える別の相手が。

 

「……責任は全てお前とアルゴルとフレディ(フォーマルハウト)に背負ってもらうからな」

 

『……ったく。誰にも捕まらないからこそのファントムですよっと。罪は2人にくれてやるから、仲良く半分に分けてくれと伝えといてくれ』

 

 仮にもスターズのナンバー2を相手に何を話しているのかと首を傾げる以前に憤る者が出てもおかしくはないが、通話相手とカノープスの関係は悪ガキと手を焼く教師の関係に近く、こんなやりとりも今更だ。

 

「……それで、何の用件だ? 滅多にかけてこないお前が自分からかけてくるなんて、珍しい」

 

 一通りのお約束というかコミュニケーションを終えた後、カノープスは改めて電話の向こうの人間に問いかけた。

 

『えー……とな。……なんて説明すればいいかわかんないんだが』

 

「? 何かあったのか?」

 

『シールズが戦略級魔法をねぇ……シールズは近くにいないよな?』

 

 確実に何かある。それも、痴情絡みではない何かが。そう確信し、カノープスは口調を元に戻す。

 

「……彼女はまだ寝ています。リーナはとにかく朝が弱い。会話も聞かれる心配はありませんが」

 

『あっそう。それなら安心だな。じゃあ言うけど——あっ、ちょ』

 

「?」

 

 数秒の空白。通話口を交代した様子だが、それが誰なのか、カノープスにはわからなかった。——声を聞くまでは。

 

『やっほー? 一応初めましてなのかしら、ベン?』

 

 通話口から聞こえてきたのは、今もカノープスのいる男子寮から離れた位置にある女子寮で眠りこけているはずの、自分の部隊に所属している少女の声だった。

 

「——は?」

 

 思わず戸惑いの声がカノープスの口から漏れた後、再び話し相手がファントムに戻る。

 

『どうやらそっちでシールズのクローンが作られてたみたいだ』

 

「…………あ?」

 

 言葉もない。思考もない。ただ、漫然とした事実がそこにはある。

 

 じゅくじゅくと滲み、頭頂部から染み込むような痛みの幻覚を、カノープスは覚えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通話を終えて、一呼吸。八幡の目の前に現れた謎の美少女は、どうやら極秘中の秘匿存在らしい。

 

 加えて、八幡が『視て』初めてわかったことだが、彼女——ネファス(個体名として呼ばれていたらしい)は戦略級魔法が十全に使えるというだけでなく、それ以上の、魔法師にとって『良くない』『何か』をネファスは持っていた。

 

 それは、八幡が理解出来ない危険なもの。

 

 理路整然とパズルのように詰められた魔法の鉄則から零れ落ちる例外。

 

 生命がこの世に存在する為の基盤、根幹となる情報(エイドス)が無いにも関わらず、彼女はこの世にちゃんと(・・・・)生命として(・・・・・)存在している。

 

 情報無き生命。それは、現代のみならず全ての魔法師が畏怖し忌避する存在だった。

 

「……良い加減、その手をどかせ。お前の胸を触るのも飽きてきた」

 

 そして、根拠もないというのに(・・・・・・・・・・)好意を寄せられるのは、不信感しか抱かない。

 

「良いじゃん、減るもんじゃなし」

 

 騎乗位のまま、八幡は自分の手を勝手に取り、その胸に押し当てるネファスの顔を睨んだ。

 

「減るよ? 確実に減る。女性への探究心が確実に薄れるから」

 

「八幡が女子のパンツを盗むと何が減るでしょーか? ——体のパーツがなくなります」

 

「関係ねぇしまだ怒ってんの……っ!?」

 

 流石にこれでは、ネファスを殺す理由としては十分過ぎる。が、知り合いと同じ顔の少女を己が手にかけるのは、事の良し悪しに関わらず八幡の気が引けてしまうのだ。故に彼は、その存在自体が邪魔にしかなり得ないネファスを殺すことが出来ずにいた。

 

「これでスキンシップは完璧よね……よしそれじゃあ、次は子作り——」

 

「……それより、だ!」

 

 空いている手で自分の手を押さえつけているネファスの腕を剥がし、肩を押さえて押し倒す。小さく悲鳴が聞こえたが、八幡は無視をした。

 

 腹の上に乗られたままという無理な態勢で強引に起き上がったからだろうか。荒い息を吐きながら、八幡はネファスに視線を合わせる。

 

「……いいか、この事は誰にも」

 

 知られてはならない——迄、八幡は口にすることができなかった。

 

「——話してはならない。俺の欲望がどれほどお前を醜く蹂躙したとしても、お前の口は俺が塞ぐ。殺されたくなかったら言う通りにしろ。お前はもう、これから、俺の命令通りにする事しかできない——といったところかしら」

 

「…………」

 

 2人は思わず、部屋の入り口から(・・)目を逸らした。

 

 毒蛇のように背中を這い登ってくる死の気配は、さながら死神の演奏する狂想曲。

 

 2人は今日ここで死ぬ。そう確信し、無意識に不条理な死に頷いてしまうほど、濃密な殺意を彼女は身に纏っていたのだ。

 

「八幡くん?」

 

「————うぃ?」

 

 呼ばれ、振り返る八幡は、遂にその魔女の姿を目撃する。

 

「あ……うわ……」

 

 ネファスが怯えている。どうやら、彼女も八幡と一緒に振り返ってしまったらしい。

 

 七草真由美は、笑ってそこに居た。

 

 笑ってCADを右手に持ち、笑ってその魔法の照準を八幡に定めている。

 

 笑って、私刑の宣告をしていた。

 

「何か言い残すことはあるかしら? 因みに言い訳があるなら聞いてあげる。事故なら事故で執行猶予がつくこともあるわ。三浦さんも。……ね?」

 

「「……!」」

 

 金髪に、日本人のような顔立ち。遠目からのに加えて八幡が覆い被さった状態だから、見間違えたのか。

 

 そう考え、一瞬だけ2人は視線を合わせると、ネファスは優美子へと変身し、八幡は真由美の注意を引くために真由美に対し向き直り、手を広げる。優美子の容姿は、八幡が真由美から見えないよう、スマホの写真を見せていた。

 

「……えーと」

 

「うん?」

 

 例えば「誤解です」「説明させてください」「あんたの口も閉ざしてやろうか」ナドナド。だが、この時に八幡が選んだのは何気ない一言だった。

 

「アレですよね、七草ってななくさと書いてさえぐさだから先輩の名前を英語表記で書くと『マユミwwwwwww』って事ですよね」

 

 直後の部屋にプラスチックが割れる音が響き渡る。それは、裁定者が槌を鳴らす決罰の儀でもあった。

 

「……へぇー。ふーん。そーなんだ、八幡くん」

 

 どうあがいても助からないという未来を視越しての八幡の言葉だが、それにネファスが噛み付いた。

 

「ばか! あの手の女はチョロインだから、素直に『今度デートするんで許してください』で良いのよ!」

 

「馬鹿はお前もだ……」

 

 ——より酷く、火に油を注ぐ形で。

 

 八幡が見越した未来は、より酷いものとなった。

 

「歯を食いしばりなさい」

 

 私刑は死刑に格上げされて————

 

「ちょっ!? 何で俺だけっ!?」

 

 ——氷の礫は、さながら機関銃の如く八幡の頭上に降り注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「酷い目に遭った……」

 

「それ、ヒキオが悪いし。……大体、あーしとい、一緒に登校したいとか、そういう素直に言っちゃうトコも……あの女の神経を逆撫でしてるというか……」

 

 八幡が息を吐き、優美子がそれに口を挟む。早朝の一件を無事に(?)乗り越えた、何気ない朝の登校風景だ。

 

 そもそも、と少し思い出して優美子は顔を赤くし、隣に座る八幡のすねを蹴った。

 

 2人(八幡とネファス)の痴情を見せつけられたと勘違いした妖精女王の怒りが朝食時間にまで影響を及ぼし、他の女神達の堪忍袋に無事引火、比企谷家に怒号が響き渡った今朝の食卓。

 

 そこで八幡が焦ったのは、未だ八幡ともう一人以外に誰もその存在を知らない、ネファスの対処。

 

 まさか『クローンなんです』などと気軽に打ち明けられる訳もなく、存在自体を隠し通したかった八幡は、まずネファスの姿を隠し、優美子の部屋から就寝中の優美子を持ってきて(・・・・・)『寝ぼけてたんですよ〜』作戦を実行。

 

 怒ってすぐに部屋を出て行った真由美に代わって呼びに来る誰かが来る前に、優美子に事情を説明し、説得することに成功した。

 

 ただ、作戦成功の結果として目が覚めた優美子にリスの様な腫れ頬になるまで殴られつつ、ネファスについての事情を説明し買い物の付き添いプラス土下座で何とか矛を納めてもらったものの、その現場を雪乃に目撃されたせいで一段と話がややこしくなったりはしたが。

 

 虫歯のように(八幡自身虫歯の経験はないが)ズキズキと痛む頬を摩りながら、八幡は隣に座る優美子から視線を外す。

 

「……すまんが今朝はお前と登校したい気分だったんだよ。他意はない」

 

 赤い頬で視線を合わせないまま洩らした一言は、それに込められた意味はともかくとして、言葉だけでも十二分に優美子の心を揺すった。

 

「……どっ、どうせ他の女と学校に行ったって変わんないし!? 明日になったらヒキオは1人で登校すんでしょ!? あの女の面倒見るんでしょ!? 授業受ける必要ないしさ!」

 

「その可能性は無くもないが、俺は生徒会の雑用だ。授業には出なくて良いが、護衛対象の側にいないといけない。適当にサボれる場所探しを急がないとダメだな」

 

「護衛役が聞いて呆れるわ……」

 

「使われてない教室とかあったか?」などと呟く八幡の横顔を見ながら、自慢の金髪を弄りつつ、優美子は言葉を口にした。

 

「でもいいの? 結構重要というか、国家機密クラスの事をあーしに話しちゃって」

 

「いいって……善いも悪いもお前なら(・・・・)そういう心配はいらんだろ。確かに由比ヶ浜とかならその辺の生徒にすら喋りそうだけど、三浦は口固いし。ほら、朝飯ん時も口裏合わせてくれただろ? スターズの事についても黙っててくれてるし、優しいし、……まぁ、三浦の事は信頼してるからな」

 

 言葉を受けて、優美子の目は返す言葉を探し宙を彷徨った。

 

 ……話すにも話せない情報ばかりだからでしょ! あと簡単に信頼とか言うな! 心臓に悪いんだかんね!?

 

「……そ、そう。ありがと」

 

 口元をひくつかせ、笑みを浮かべる優美子。その内心はプロミネンスのように荒ぶっていたのだが、それは八幡に伝わる事はなかった。

 

「…………ったく」

 

 荒ぶる心拍、今にも八幡を押し倒したい衝動を必死に堪えて、優美子は熱くなった息を吐く。

 

 表情からは読み取りにくいが、八幡は優美子に対し全幅の信頼を寄せていると言っても過言ではない。

 

 信頼——否、これは『依存』か。

 

 六道からの脱出についても静に相談するのを提案したのは優美子だし、幼い頃の八幡に言葉遣いや態度、常識などについて教えたのも優美子だった。

 

 八幡にとって優美子は頼りになる姉のような存在……なのだと思う。

 

 だが、生まれたばかりの雛は最初に見たものを親と思い込む——そんな、刷り込みにも似た押し付けがましい信頼感を、八幡は優美子に対して抱いている。

 

 優美子の腕に宿るこんな(・・・)力を簡単にくれてしまう辺りが、特にそうだ。

 

 世界を何十回終わらせてもまだ有り余るような力を、他人に十円菓子と同じような感覚で渡したりはしないだろう。

 

 優美子が手にしたこの力は、優美子が欲しいと八幡に伝えただけ。だが、感謝のしるし——と八幡は口にしただけで、どんな対価を要求してくるのだろうとワクワクしていた優美子に唖然とした表情をさせておきながら、何も必要としなかった。

 

 無償の愛とは違う何かを感じ取っていた優美子は、子供ながらに警戒していたのだ。

 

 ……感謝のしるし? 一緒に遊んであげただけで? ——と。

 

 あれから六年。

 

 ひょっとしたら、婚姻だって真剣にお願いすれば引き受けてくれるのかもしれない。

 

 しかしそれでは、たとえこのまま結婚ができたとしても、八幡の優美子に対する依存が加速するだけ。

 

 仕事も何もしないダメ夫——ではなく、全てが満たされた温かい生活の中で、ヒビの入った器で、静かに軋んでいく八幡の心が、先に終わりを迎える。

 

 優美子だって、自分に寿命という終わりがある事は理解している。

 

『私が死んだとき、八幡はどうする?』

 

 そんなシュミレーションはした事がない。そんな自惚れが過ぎる考え方は、一度だってした事がなかった。

 

 しかし、もしも寿命で死んだり、他の死因での死が避けられない状況になった時、八幡が優美子の後を追う、もしくは世界を消しクズに変えてしまうようであれば。

 

 後を追うならまだいい、悲しみを背負ってその先を歩んでくれるならもっと良い。……しかし、そのどれでもなかったなら、人類は、世界は——最悪の形で終わりを迎えることになる。

 

 それはいずれ脱却しなければならない、優美子にとっての課題だ。

 

「ついたぞ」

 

 個人車両が駅に停車し、ドアが開く。

 

 順番にキャビネットを出て、八幡の少し前を歩く優美子は、少し前——六年前に初めて出会ったばかりの、何もなかった八幡の事を少し思い出す。

 

 

 

『……? 人をたすけるのに理由がいらないように、人をころすのにも理由はいらないはずですが。きょーかいで、もう動かないにくかいの為のおいのりは許されるのに、人の手による(たましい)の救済が赦されない理由がわかりません。間に合わなかった嘆きよりも、満たされた眠りの方がゆうせんされるのは明らかです。何をしようと、ひとは結果的に死ぬのに』

 

 

 

 言って振り返る、少女のような少年のその顔は、かの『クリムゾン』などよりもよほど強烈に、むしろ心地よさげに——大量に返り血を浴びていた。

 

 それは限りなく機械的な表情と会話で、本来必要とされた魔法師の理想の姿だった。

 

 ……そんな、本当の意味で血も涙も流れなかった六年前に比べれば、今の依存は明らかに人としての許容範囲内と言える。

 

 魔法の力は強さが過ぎる。弱い人の心を持つ人間には到底耐えられない。——それは、優美子が魔法の力を学んだ時から志していること。

 

 ましてや、魔法以上の力を持ってしまった八幡がどんな境地にいるのか、今の優美子には想像すらできない。

 

 だが、優美子の中で一つ、はっきりと決めている事はあった。

 

 

「……ヒキオを、魔法師になんかさせないんだから」

 

 

 

「……? 何か言ったか?」

 

「ううん、なーんも。……じゃ、あーし教室行くから。ヒキオもたまには自分のクラスに顔出しなさいよ」

 

「昨日行ったらガン飛ばされたのでやだ」

 

「あっそ……」

 

 校舎へと向かう少女の、胸に秘めた誓いは、やはり誰にも聞かれずに、会話をしている内に、消えていった。

 

 優美子自身、我ながら身勝手な思い過ごしだ——そんな風に、考えながら。





次回から風紀委員の仕事です。

一晩明けるのに何話経過してるんだろう。


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閑話【未来編「後悔をしない」とは「諦める」ということ。】




自ら望んだ幸せ。


 

「ママ、いってきます!」

 

 靴を履き、スマホをポケットに入れて、少女は背後の母親に振り返った。

 

「行ってらっしゃい。気をつけてね」

 

「だいじょうぶだし! 結乃ちゃんと摩由ちゃんが守ってくれるから!」

 

 元気よく、天真爛漫な笑みを浮かべる少女だが、少女が挙げた二人の名前を聞いた途端、母親の笑顔が曇った。

 

「あー……できればあの二家のトコには行って欲しくないんだけどな。……悪影響だし」

 

 娘がその二人に——ではなく、その二人が娘に対して悪影響を及ぼすことを危惧して、母親はやんわりと愚痴を溢した。

 

「結乃ちゃんも強くてかっこよくて、摩由ちゃんは正しくてまじめだよ? 女の子の服を着させてくれたりするし」

 

 最近娘——否、息子がスカートを穿きたがるのはそのせいか。

 

 疑惑に対して確証を得た表情でため息をつくと、母親は膝を折って息子と視線を合わせた。

 

天袖(あゆ)。悪い事は言わないから今日はウチに居なさい。寝てるお父さんを好きにしていいから」

 

「わあっ! やった! ありがとうお母さん! 二人におことわりの電話してくるね!」

 

 父を好きにして良い——と聞いた途端、嬉しそうに階段を駆け上がっていく、少女にしか見えない可愛らしさの少年。親である自分ですら間違えそうになる時があって、その度に夫の子供なんだとしみじみに感じていたりする。

 

 それを見送りながら、二十五歳、一児の母になった優美子はキッチンへと戻った。

 

 普段は魔法師の仕事で家を空けている為に、家事などは全て夫にまかせきりになってしまっていて、だというのに文句のひとつすら言ってこないのは流石に申し訳ないと思って、こうして休日くらいはと、キッチンに立つことにしている。

 

 だが、主夫としてのスキルを覚醒させた八幡があれやこれやと効率的な収納術を実践し始めた結果、キッチンの主である八幡がいなければまともに料理すらできず、優美子がやったのは自動洗浄機に息子と食べた後の食器を放り込むだけ。

 

 乾燥や収納まで自動でやってくれるという驚異の万能機器であるが、明らかにそれではカバーしきれない調理器具などがキッチンにはあったりして、自分の夫は料理人にでもなるつもりなのか……なんて、考えたりもしてしまうのだが。

 

 仕事を取り上げられた優美子が肩を落としてリビングに戻ると、娘——ではなく息子に叩き起こされ、それなのに自分が起こした時とは違い全く嫌そうではなくむしろ最高の微笑みと共に、息子に手を引かれて寝室から出てきた夫——八幡の姿があった。

 

「また天袖にデレデレして。……っつ、妻よりもそんなに息子の方が良いわけ?」

 

「可愛さの種類が違うだろ。お前はなんていうか、抱きしめたくなるような可愛さで、天袖は抱き上げたくなるような可愛さだ。天袖も母さんをぎゅってしたいよな?」

 

「なー!」

 

 驚くような親バカに恥ずかしいくらいの愛妻心。その真心を見せつけられて、今日も優美子は夫に敗北する。

 

「……アリガト」

 

 二人に聞こえるように小さく呟いて、優美子は階段を駆け上がり、今八幡と天袖の二人が出てきたばかりの、三人の寝室に戻る。

 

 この部屋は八幡も天袖も寝床にしているが、今は気にする必要もないだろう。

 

「〜〜〜〜っ!!」

 

 ベッドに飛び込み——思う存分、優美子は身悶えした。

 

 結婚して子供ができれば、多少なりとも相手に対する心に落ち着きがでるものだという。

 

 だが、優美子の体を駆け巡るこの甘い稲妻は、恋人だった頃よりもより強く、より激しくなって優美子を襲っている。

 

 まるで、朝起きる度に夫に恋をしているかのようだ。とても抑えられるものではない。

 

「……あーしが、おかしいんだよね」

 

 言葉にしてみるも、納得は出来なかった。

 

 だって、自分でもあり得ないくらい本気で八幡が好きなのだ。これはもう、立派に病気なのに違いない。

 

 五分ほど身悶えした後、優美子の視界に惹きつけられるものが映る。——それは、高校生の頃の八幡だった。

 

 気になってふと顔を上げたその先には、電子パネルで登録した写真を映し出す仮想端末スタンド。

 

 数秒で切り替わる写真の中で、高校卒業の日に撮った写真にやはり惹きつけられる。

 

 中央に八幡と優美子、その周囲に雪乃や結衣、何故か駆けつけた真由美と摩利、一条の跡取り娘やこの頃はまだ四葉家の次期当主の立場だった深雪の姿もあった。

 

「…………」

 

 言葉は何もない。けれど、胸にこみ上げるなにかがあった。

 

 あれから、十年が過ぎた。

 

 数多の苦難を乗り越え、八幡と結ばれた優美子は今、幸せな生活を送ることができていた。

 

 あの輝かしい日々は、優美子にとって宝物と言える。

 

 高校一年生の時が一番、慌ただしい時期だったと優美子は断言する。

 

 入学したばかりの四月、反魔法師団体によって学校でテロが行われた。

 

 多数の負傷者が出たあの事件では、まだ片想い中の相手でしかなかった八幡が事件解決のために奔走したと聞いている。

 

 そういえば、テロ組織の鎮圧に向かった達也たちから聞いた話によれば、主犯の潜伏していたアジトが廃工場どころか周辺の土地ごと(・・)消滅していたらしく、魔法の痕跡こそなかったものの、かなり大規模な破壊が行われていた事は間違いなかったのだという。そしてその時、周辺を通りかかった近隣住民曰く「やけに音がしない夕方だった」とのこと。

 

 時期は八月の九校戦。

 

 犯罪組織の妨害など色々あったけれど、入学した初年度は無事に第一高校が三連覇を達成することができた。

 

 ただ、驚きだったのは新人戦のモノリス・コードで八幡が第三高校の選手とすり替わり、達也と接戦を繰り広げたことか。

 

 そういえば八幡は四月の事件の直後に転校していた。恐らくは任務絡みだったのだろうが、結局はそれも聞けずじまいだ。

 

 それにしても、十年が経っても記憶がいまだに霞みすらしないほど、あの一戦では驚くほど多彩な魔法を見せられた。

 

 特に印象に残っているのは、古式魔法の吉田家が執着しているという最高位精霊『竜神』の召喚やヒトの知覚速度を鈍くする広域戦術魔法『曇天』。あとは、決着の瞬間に見た、天を裂くほど長大な、白を基調とする七色のレーザーか。

 

 あれほどの激戦は後にも先にもないだろうとの事だが、自分達の息子が高校に入学する頃には、また一波乱起きるのではないか——と噂されていたりする。

 

 そして十月。教材にも載るほどの歴史だという『灼熱のハロウィン』事件が起きた。

 

 大亜連合による横浜侵攻は、敵味方共に多数の死者を出した。

 

 日本が投入した未公表の戦略級魔法により辛くも勝利を納めることが出来た。

 

 そして……優美子を含め、あの場にいた十三人全員が、十師族・六道と『祖師』比企谷の決別を目撃している。

 

 ……それからは、あまり思い出したくはない。

 

 日本への人外存在の侵入であったり、スターズとの衝突だったり。

 

 大亜連合の怨霊・顧傑との決戦。

 

 水波の衰弱を嘆く九島光里のパラサイト化、その死であったり、様々なことを経験した。

 

 ただ、魔法師になることを辞めて優美子を受け入れてくれた八幡は、とてつもなく優しかった。

 

 これで良かったのか、と問われればその答えはだせない。この先も、恐らくは答えが出ることはない。

 

 だが、これで良かったのだ。全てを盗み見るエシェロンⅢは破壊され、新ソ連ももう日本に手出しはしない。誰も、優美子と八幡と天袖の幸せを崩せはしないのだから。

 

『……ふふ……やってきたことに後悔はありません。水波さんはきちんと自分の道を選び取った……ただ、八幡さんの笑顔を見ることができないのが……心残りです。……こんな所で達也さんに負ける、なんて』

 

 少女を救う為に人外と化し、その生き様によって少女を救った化け物。

 

 その最期の言葉は、今も心に染みついている。

 

『幸せに、なって』

 

 そう言って灰と消えた少女の顔は、確かに笑っていた。

 

 その意思を汲むつもりはないが、優美子は自分の選び取った道で歩み続ける。

 

 だってこれが生きるということで、後悔しないということなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………本当に、これで良かったのか?



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新入生勧誘期間


遅れて申し訳ないです。劣等生の新刊読んだり読み返してたりしたら遅くなりました。

深雪の新魔法ってあのキャラと関係してたりするのかなあと思ってます。


〜人物紹介〜

比企谷八幡

六道の人間としてある種の特権を保有しており、暇な時間を持て余して怪しげな実験を行ったりしている。今作限定で兄と姉(オリキャラ)がいる。


関本勲

苦労人。朝に気持ちよく登校していたら痴漢から犯行予告を受けたり、その痴漢の女風呂のぞきの冤罪を晴らす為、旧長野県のとある場所(四葉本家所在地)に夜の9時に東京にいたのに呼び出されたりした。哀れなエピソードはまだまだある。


渡辺摩利

猫は飼ったことがないが猫が好き。かわいいものが大好き。どうでもいいが彼女の恋人修次のメアドを八幡は知っていて、メールのやり取り件数は僅かに八幡の方が多い。

森崎昴

スバルってキャラ既にいるけど気づいたの森崎が出た回を投稿した後だし一回決めた名前とかあまり変えたくないのでこの昴は沖矢昴の昴です。





 

 

「…………ちっ、まだか……?」

 

 静寂とは本来、心を落ち着けるもの。

 

 荒ぶりを鎮め、心のさざなみを穏やかにするものだ。

 

 放課後の日差しが窓の隙間から入り込み、生徒たちの喧騒は何処か遠い出来事のように思える。

 

 暖かい風に吹かれながら、ゆったりと読書でもしていたい春の心地良さだ。

 

「…………」

 

 ——しかし、着席しその場の空気を直に味わっている風紀委員の関本の内心は、この場から今すぐにでも立ち去ってしまいたいと訴えていた。

 

 理由は、キレたら怖い風紀委員長が既にキレてしまっていること。

 

 その原因は、——ばん。

 

「……っ!?」

 

 びくり、と摩利の肩が揺れる。音を立てて扉を開け、部屋の中に入ってきたのは、諸々の事情で風紀委員の雑用を手伝う事になった八幡だった。

 

「すいません、遅れました」

 

 何やら荷物を抱えており、両手で持つその箱は随分と重たそうだ。どうやら扉を肩で押してあげたらしい。

 

 しかし、彼女が驚いているのは、彼が荷物を抱えている点、謝るのは口先だけの悪びれもしないその横柄な態度に対してではなかった。

 

 生徒会室もそうだが、この部屋の扉にも電子キーで解錠施錠する電子ロック機能が備わっており、基本的に入室しようとする者は、入室申請の後に内側から解錠してもらわなければ入ることができない。

 

 だというのに、チャイムが鳴るどころかロックが破られた時の警報すら鳴らなかったのだ。

 

 ……警備システムが無効化されたのか?

 

 その事に摩利やその他の風紀委員が戦慄していると、箱を抱えた彼——比企谷八幡が口を開いた。罪悪感を抱えている様子は全くない。

 

「……何をした?」

 

「はい?」

 

 摩利が八幡に鋭い視線を向ける。が、帰ってきたのは困惑の問い返しであり、どうやら本気で摩利の質問が理解できていないようだった。

 

「その扉……鍵がかかってた筈だが、どうやって開けたんだ?」

 

 針金で開けられるような安い仕組みの鍵ではない。この学園で部屋の鍵として採用されているものの殆どは、今では主流となっている鍵がなければ開けることができない電子キータイプなのだ。

 

 それの解錠を、襖を開けるかのような気軽さでやってのける。

 

 敵意のある無しに関係なく、学園にとってこの男の存在は危険だ。

 

 …………まさか、無自覚でやってのけた、なんて事はないだろうが。

 

 そんな摩利の思い込みにも似た心配を払拭するかのように、テーブルに箱を置いた八幡はスラックスのポケットから一枚のカードを取り出し、摩利に見せる。

 

「ああ、これですよ」

 

「……なんだ? それは」

 

 それ(・・)を見た途端、関本がギョッと目を剥き驚きの表情を見せたものの、背を向けたせいでその反応を見なかった摩利は、そのまま八幡に疑問をぶつけた。

 

 見た目はただの名刺サイズの黒いカード。

 

 中にチップが内蔵されており、これをかざすだけで鍵が開く仕組みのようだ。

 

 ただ、風紀委員会本部のキーは摩利が持っているし、全ての扉を開けられるマスターキーは職員室にある。

 

 加えて、スペアキーの存在など聞いたこともなかった。

 

 だからこそ、摩利は八幡がどうやって開けたのか気になったのだ。

 

 方法如何によっては、処罰を停学処分に差し戻すことを検討しながら。

 

「ああこれですか」

 

 しかし、摩利の心配は杞憂に終わる。……八幡にとっては、当たり前のことだが。

 

「統合型マスターキーです」

 

 八幡が示したそのカードの正体は、ただのマスターキー。これをポケットなどに忍ばせて鍵を外から開けたのだろう。

 

「有事の際には我々六道が即座に動くことが求められてるんで、いざという時にどこでも駆け付けられるよう、学園長より特別に発行していただいたうちの一基ですよ。去年は六道の人間がいなかったから目にする機会もなかったと思いますが」

 

 淡々と、事実を口にする八幡。ただこの場合、正直は口にしない方が良かった。

 

「……六道というのは、学園から特権階級でも与えられているのか?」

 

 こういった反感を買ってしまうからだ。

 

「正式な申請と許可の下に発行してもらってます。授業免除だって、それなりの功績と成績を俺達自身が(・・・)示したから許されてる訳です。取ろうと思えばアンタだって獲れる。何も特別な事なんて無いっす」

 

「入学初日に痴漢をやる輩が、未だ何の処分も受けずにこんな場所にいる。特別扱いと言わずに一体何と言うんだ?」

 

 トゲのある眼差しで八幡を見つめるのは、椅子に座る風紀委員の一人。先輩だ。

 

 八幡にとって名前も知らない彼は、ただの反感で物を言っているように見えた。

 

「……ああ、だったら先輩も生徒会長に具申してくれませんかね。『風紀が乱れる』って」

 

 しかし、この場に限ればこの発言が八幡にとって好ましく働く。

 

「……何?」

 

「俺もその罰としてやらされてるんすよ。しかも被害者の意向とやらで更生プログラムみたいなのになってるし、俺への罰が適切に行われる為にも、先輩も協力してください」

 

 八幡の処分に対する反論が、八幡以外のところから発生した。こうして八幡に反感を持つ人数を増やしていけば、自分に対する処分をより重くすることも可能になる。

 

 そうすれば、六道からの離脱も早める事ができるだろう。

 

「……なるほど、イヤイヤか」

 

「はい」

 

 まさか風紀委員の中に同志(・・)が生まれようなどとは思わなかったが、これは嬉しい誤算というやつだ。

 

 内心では薄ら笑いをしながら、いかにもやる気なさげな視線をその男に向けた。

 

 しかし——

 

「では、よく仕事に励むように。それが委員長や生徒会の決定であるなら、俺は文句は無い」

 

「!?」

 

 風紀委員の男はそう口にすると、八幡から視線を外してしまう。それからは黙ったままであるし、もう八幡への興味は無さげだ。

 

「……そう、ですか」

 

 多少だが懐いてしまった落胆の感情を顔に滲ませながら、八幡は言葉を絞り出す。

 

 自分に向けられる負の感情には何のダメージを受けなくても、自分を見透かした視線に八幡は弱いのだ。

 

 こほん、と摩利が咳をした。

 

「というわけで、比企谷がここにいる理由は懲罰の為だ。私は本部待機しないといけないし、誰かこいつと2人で行動してほしいんだが……誰かいないか?」

 

 摩利の後、一呼吸置いて八幡の視界から左側の席に座っていた関本が手を挙げる。

 

「自分が連れて行きます。ちょうど今日、墨鐘が休みですので」

 

 見れば、関本の隣は空席。普段関本と組んでいる生徒が、今日は病欠しているのだ。

 

「……わかった。比企谷は関本と組め。あとの新人2人には私から説明するとして、……これ以上は特にない。出動!」

 

 摩利の声と同時に、4人を除いた風紀委員がCADや携帯カメラを手に部屋を出ていく。すれ違う際、達也が親しげな視線を向けられているのは八幡が来る前に何かやりとりがあったのだろうか。

 

 そう考えていると、八幡は関本に肩を叩かれた。

 

「……なんすか?」

 

 不機嫌そうに尋ねる八幡に関本が見せたのは、カメラ機能の付いた携帯端末。

 

「……本格的な盗撮の仕方の伝授ですか、……っ!?」

 

 関本の水平チョップが八幡の左脇腹を捉え、彼の言葉を奪った。

 

「ほら、行くぞ。今日はとりあえず見廻りルートの確認だ。備品の使い方は歩きながら教える。……それで良いよな、渡辺?」

 

 衝撃でぐらついた八幡の首根っこを関本が掴み、ずるずると引き摺っていく。

 

「あっ、ちょっ!? ……新人イビリが過ぎてませんかねぇ!?」

 

「これがウチなりの問題児に対する最大限の歓迎だ」

 

 新入りというか、手慣れた備品扱いだった。

 

 その、妙に馴らされた感のある2人のやり取りを摩利は黙って見つつ、先程の関本の質問に対して答えを返した。

 

「ああ。……そいつの見張りも頼むぞ。逃げないように、な」

 

「勿論だ」

 

「ではこれで……」と摩利が部屋に残ったもう2人の新人、達也と森崎に向き直った時。森崎もちらちらと主に八幡に目を向けながら、手を挙げた。

 

「あ、オレも行きます。このタイプの使い方は家柄よく使いますし、風紀委員のルールも昨日勉強してきました。1人で行動するよりは三年の先輩の動きを身近に見たくて……よろしいですか?」

 

 もしかしたら自覚していないかもしれないが、森崎は熱のある視線を八幡に向けていた。達也は元より、色恋沙汰に比較的疎い方である摩利にも、わかってしまうくらいには。

 

 まさかこいつ、モテるのか——そんな邪推を摩利がしてしまう程には。

 

「あ、ああ。……それでは、達也くんに教えた後は対策本部に私はいるから、何かあれば其方に来るように」

 

 2人が纏う謎の空気に気圧されつつも摩利が返事をすると、その言葉に反応した八幡が顔を上げる。

 

「たいさくほんぶ?」

 

 風紀委員会本部で先程まで話されていたことだが、八幡は知らないのだ。

 

「今日から部活動の勧誘期間に入る。CADの携帯も解禁されるし、実質無法地帯化する場所も少なくない。だから我々風紀委員が出張るんだよ」

 

「なるほど……」

 

 頷き、納得している様子の八幡だが、その声色はどこか他人事のように聞こえる。

 

 いや別にだからといって文句はないが、と摩利は話を変えた。

 

「……ところで、君が持ってきたこの箱の中身は何なんだ? ここに置いておかれても困るんだが」

 

「ちょっと預かっといてほしいんです。他に預けられそうなとこもないですし、後で引き取りに来ますから」

 

「……? 一体何が、……っ!?」

 

 おもむろに、封がされていなかった箱の蓋を開ける——と。

 

「……っ!?」

 

 それを見た途端、八幡が唐突に姿を見せた先程以上の驚きが、摩利を襲う。

 

 しなやかなでありながらどこか愛くるしさを感じさせる姿。

 

 今はまだ、鋭さを感じさせないつぶらな瞳。

 

 …………にゃーん。

 

「はぅえっ!?!??!!??!!?」

 

 自分を見つめる二つの眼に、自分が何者であるかを忘れて、普通の女の子のように摩利はそこから飛び退いた。

 

 そして、恐る恐る覗き込み——唾を飲み込んだ。

 

「……な、こ、これは……」

 

 控えめに言って猫。大袈裟に言って猫。どう見ても猫。世界情勢の安定しないこの時代、魔法師にとって縁遠いペットという名の動物が、そこにはいた。

 

「……仔猫、か」

 

 ふみふみ、と頼りなさげに足下に敷き詰められたトイレ代わりのタオルケット(紙類は貴重品だ)の感触を確かめていたそれは、摩利の視線に気付き、ふにゃあと鳴いた。

 

 威嚇も警戒も何もない、敵意すら知らない無知さから来る眼差しは、摩利の心を射止め、絡めとる。

 

「さっきそこで拾いました。後で持って帰るんで、できれば預かってて欲しいんですけど」

 

「いや……あのな、私は動物を飼ったことはないんだが……」

 

 震えながらも、残った理性を総動員して遠慮する姿を見せつける。それは、風紀委員長としての矜恃か、或いは未知の存在への恐怖か。

 

 しかし、そんな抵抗は結果的に無意味だった。

 

「餌とかは箱の中に入れてあるんで、よろし——」

 

 にゃん。

 

 箱の中から飛び出す仔猫。まだ生まれたばかりだろうに自分の体長の何倍も跳躍して見せるのは、流石に鳥獣の血が為せる技か。

 

 ……って、そんなのに見惚れてる場合じゃ——!

 

 猫は基本的に自由奔放だ。爪とぎなどで家具などを傷つけられてしまうという話はよく聞く。

 

 ほんの少しばかり(・・・・・・・・)気になって調べた事のある、猫についての情報の中にそんなものがあった。

 

 そして今ここは風紀委員会本部室。荒らされたら困るものだらけで、達也によって綺麗に片付けられたばかりの部屋なのだ。

 

 猫に向けて伸ばそうとする摩利の手は虚空を切り、飛び出した仔猫の四つ足は八幡の左肩を踏んだ。

 

「……ん、なんだ?」

 

 仔猫は左肩に着地した後、右肩に移動してから八幡の頭によじ登り、何度か感触を確かめた後に、落ち着いたのか伏せて目を閉じた。

 

 拾ったのは自分だし、理由はわからないが何より頭上から離れそうにない。そう判断した八幡は、諦めたように口を開いた。

 

「‥‥連れてきます。それじゃ」

 

 八幡が仔猫を入れていた箱に手を向ける。——と、中に入っていたものも含め、次の瞬間に箱が僅かなチリを残して消えた。

 

「……!」

 

「……どんな手品かね」

 

 八幡の使った魔法に対する反応は、それぞれ違う。

 

 達也は流石に声を上げるような真似はしなかったものの、彼は目を見開き、八幡は比較的よく目にする驚愕の表情を浮かべていた。

 

 摩利はただ呆れていただけだ。それは単に、その魔法以上の驚きを知っていたからかもしれない。

 

「では失礼します」

 

 部屋から出ていく三人プラス1匹を見送る2人だが、その後達也に行われた説明でも、2人とも八幡の使った魔法に関しては口にすることはなかった。





次はワートリ短編の予定。キャラはミラで、テーマは深夜のチェーン店ラーメン。


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それはヒトの武器か


お待たせしました、続きでございます。

〜人物紹介〜


由比ヶ浜結衣

情報付加魔法の遣い手。情報を持つものであれば彼女の魔法から逃れられる術を持たないが、相手の体をぬいぐるみに変えたりできるしテレポートの真似事さえできてしまうので作中最強キャラかもしれない。但し、いかなる場合であっても本人の性格上誰かを傷つけることは出来ない。


ヒッキー

ガハマさんの標的。はよ逃げて


すばるん

八幡に一途な女の子。魔法師としてはありふれた家の出であるが八幡と出会ってから色々と変わったらしい。九校戦でどんな活躍が見れることかたのしみですね


ゆきのん

校内に迷い込んだ猫を見つけたものの、近寄ったら威嚇されたので少し元気がない。


関本勲

ああ見えてサボリ魔。こんな性格になったのはだいたいヒッキーのせい


 夢と現は全く異なるものだ。

 

 例えるなら、……そうだな。

 

 夢は停滞するもの。

 

 現実は前に進み続けるもの。

 

 と、いったところか。

 

 夢を見た分だけ人は立ち止まり、妄想し、現実から逃げようとする。

 

 現実と対峙した数だけ人は挫折を味わい、心が折られ、夢を諦める。

 

 だが、その両者は人が人であるために必要なものだ。

 

 まず、現実という壁にまともにぶち当たるには、一般的とされる人の心は弱過ぎる事から始めよう。

 

 もちろん、一度の衝突で壊れない心を持つ人間もいれば、たった一度の衝突で砕ける心の持ち主だって生まれてくる。

 

 両者の違いは一言に耐久力の差であり、どんな強靭な猛者であろうとも命という限界を背負っていることに変わりはない。

 

 その心を休める、或いは癒すために夢はあるのだ。

 

『理想という夢があるからこそ人は立ち上がれるし、希望という夢があるからこそ人は立ち向かって行ける』

 

 この考えからすると、人はそれ程に強い夢を持っている限り、無限に現実に立ち向かっていく事ができることになる。

 

 たとえその者の命が枯れ果てようとも、意思が滅びようとも、その意志(・・)を受け継ぐ新たな命がこの地に現れる。人の死とは違い、殺しても殺しきれない、ヒトというものは信じ難いものだ。

 

 ……さて、さて。

 

 人体実験や遺伝子操作によって生まれた魔法師達は、兵器であることを捨てヒトとして生きようとしている。

 

 それも、同じ国に住まう総人口九割以上の一般市民を前にして、だ。

 

 魔法師の力がここまで広まってきている以上、彼らを恐れる心も相応に育ってしまっている。並大抵の努力ではこれを覆せまい。

 

 それでも、現実に抗う魔法師共が己が利権を勝ち取り、認められる社会を築く事が出来たのなら。

 

 その時は、誰も見たことのない景色が我らの目前に広がっていると思わんかね?

 

 

 

 ……それはきっと、魔法師以外の存在が消え去った未来だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは。

 

 百年以上も前の時代より靴から上履きに履き替える場所として広く知られている、生徒たちにとって馴染み深いもの。

 

 であるが、そもそもの学園形態として外靴のままに校内で授業が行われている魔法科高校には、下駄箱というものが存在しない。故にこの場所を昇降口と表現して良いのか困ってしまうものの、来賓などを迎え入れる玄関は別にあるし、生徒たちの出入り口として機能しているのだから、やはりこう表現するべきか。

 

 生徒が利用する玄関、昇降口にて。

 

 真面目に説明するフリをしていた関本と説明を理解するフリをしていた八幡は、背後を振り返って自分達に見張りがいないことを確認し、息を吐いた。

 

「……ここまで来れば大丈夫か。それじゃ、帰りは気をつけて寄り道しないように」

 

「……わかった。俺もデコイを適当に走らせて帰るわ。墨鐘も居ないしな。面倒事は極力無視しよう……」

 

 気だるげな様子でそれぞれ校舎から出ようとする二人は、とてもよく似ていた。

 

 ——任務を最初からサボろうとする点で。

 

「解散——」

 

「まっ、待って!」

 

 それを引き留めたのは、二人に付いてきた昴だった。

 

「……なんだよ? なんか寄るとこあんのか?」

 

「いや、そうじゃなくて、いちおう……仕事だろ? だから、サボるのはどうかと」

 

 昴はこの三人の中で唯一と言っても良い根からの常識人だ。仮にも風紀委員のような光の当たる仕事に就けているというのに、サボタージュするというのはどうにも認め難いもののようだった。

 

 しかし、常識的行動というよりは八幡に声をかけて関本は無視している辺り、本音は昴の八幡に対する個人的な事情か。

 

「んなこと言っても、もう先輩いないぞ」

 

「ほんとだ……いや、だからってダメな方に流されちゃダメだろ」

 

 関本勲は宣言通りどこからか取り出した、精巧に似せて造られた人形に後を任せ、既にこの場から姿を消していた。

 

 其れは任務報告も欠かさず行える優れもので、都合の良いことに本日から一週間の部活動勧誘期間中、問題の発生に対処した場合以外の風紀委員は、下校時刻後には直帰して良い事になっている。実に好都合だ。

 

 しかし、この人形にはとある欠点があった。

 

 普段の授業サボりにも重宝される程のスグレモノであるが、精霊の眼という異能持ちには簡単にバレてしまうのだ。

 

 別に関本の評価がどうなろうと、八幡個人としてはザマアミロ程度にしか感じないのだが、八幡には、ここで関本の不利をわざわざバラすメリットが無い。

 

 八幡が形式上は真面目に仕事をこなしている(実際真面目も何もないが)のは、その不足する欠点に対するフォローの為だったりする。

 

 無論、風紀委員の仕事や記録機などの操作方法については予習済みだ。

 

「知ってる、だからバレないようにサボるんだよ。ちゃんと学校ん中にはいるから」

 

 故に、昴とのこんなやり取りはむしろ形式的な意味しかなく、中身の無い本音を叫び合うだけの、側からみればただの痴話喧嘩中の恋人同士に観えた(・・・)

 

「……本当か——じゃなくて、サボったらダメだって言ってるんだ。真面目に仕事しろ」

 

「わかってるって。乱闘とかが起きたら沈めれば良いんだろ? こんなのマテリアル・バースト使えば一発で」

 

「学校どころか八王子が消し飛ぶわっ!」

 

 だからといって、そこに本音がないとしたらそれは嘘になる。

 

「……いいか!? 絶対に使うんじゃないぞ!」

 

「『再成』すれば良いんじゃね? ほら、併用すればお手軽ユガ・クシェートラ——」

 

「それをやったらオレはお前を一生軽蔑するからな」

 

「……『破城槌』程度に留めとく」

 

「とりあえず校舎を破壊しなきゃ気が済まないのかお前は」

 

 冷めた目で八幡を見る昴だが、もちろんこれも演技だ。

 

「つってもな。ファントム・ブロウでも俺の場合下手すりゃ身体が弾け飛ぶし……雲散霧消使うとことか他の奴らに見られたくないしな」

 

「さっき委員長のとこで思いっきり使ってたよなオマエ。今更じゃねえの?」

 

「さっきのは司波兄に対して威嚇するという意味があったから使ったんだ。大体、克人さんの試合の後じゃ物が消えるくらい、大して驚かれないだろ。あの委員長だって気付いてなかったっぽいしな」

 

 自信満々な様子でハキハキと答える八幡だが、それを見上げる昴の視線は冷たい。

 

「……本当にそこまで考えていた「あ、そうだ森崎」……どうした?」

 

 昴の言葉を遮った八幡は、何かを思いついた様子。

 

「俺でも怪我をさせずに、被害を最小限に抑える事ができる魔法があった」

 

「なんだ?」

 

『地雷原で纏めて倒せば』なんて言うつもりじゃないだろうな、と拳を懐に忍ばせつつ、言葉を待つ。

 

「毒蜂」

 

「殺すな」

 

 予見が的中したその瞬間、昴の必殺右こつんが八幡の額をこつんした。

 

「じゃあ何で倒せば良いんだ」

 

「倒す事前提に考えるなっつの。話し合いとか、けん制とか、いろいろあるでしょ」

 

「掴み合い殴り合い殺し合い、先制……?」

 

「理由のない攻撃はだめだってば! 何、ストレスでも溜まってんの!?」

 

 演技には演技。虚構には虚構。主題の無い演舞会がひとりでに進行していく。

 

 ……たとえそうだとわかっていたとしても。

 

「冗談だ」

 

 一体どこまでが冗談か。笑みのかけらもないその横顔を、昴はほんの少し、信じる事が出来ずにいた。

 

「なんで取り締まる側を見張らなきゃならないんだよ……!」

 

「そりゃ問題児だからな、俺」

 

「開き直るな!」

 

「ま、とりあえず歩こう。それっぽく歩いてりゃ気付かれんだろ」

 

 ダメだ。いくら言っても無駄だ。

 

 仕事が始まってから五分、昴は働いてもいないのに中と外の温度差がもたらすズレにより、疲労困憊状態に陥っていた。

 

「……お前のせいでオレは心労で倒れそうだよ」

 

「大袈裟だな、今日一日で」

 

「毎日これが続くとそりゃ心労にもなるだろ……お前あんまり友達いないんだから」

 

「友人の数は関係ないよね? ていうか、そんな心配しなくて大丈夫だぞ」

 

「あん!?」

 

 何をだ!? という意味を込めて八幡を思い切り睨み付ける昴は、次の瞬間「あっ」と声を上げた。

 

 彼女も気づいたのだ。八幡が何故にこんな風に余裕の態度を取れるのかを。

 

 風紀委員の云々以前にいかなる手段を持ってしても逃げ出そうとしていた八幡が大人しくしている事自体、異常だというのに。

 

「今日はたまたま被っただけで、明日からほぼ学校に来なくなる。だから風紀委員の仕事も伸び伸びとできる」

 

「……何を、したんだ?」

 

 気付いていながら敢えて言葉を投げる昴の問いに、八幡はニタリと頬を歪め、初めて情というものを見せた。

 

「六道の仕事をしこたま入れてやった。六道は基本的に仕事の方が優先されるからな、仕方ない」

 

 嬉しそうな八幡。だが、昴の表情は違っていた。

 

 一瞬だけ訪れる、本物の表情。其れを敏感に感じ取った八幡は、顔の向きを変えた。

 

「それならお前じゃなくてあの人達(・・・・)でも……」

 

 せっかく、一緒にいる時間ができたのに。

 

 そんな思いが、昴の中で膨れていく。

 

「それしたら何もかもが台無しになるだろうが。比企谷を表明してる俺が行くから良いんだよ」

 

 ただでさえ逢える時間が少ないというのに。

 

「六道の仕事もサボるとか言ってたじゃねえか」

 

 同じ学校に進学できたのは奇跡だとさえ思えたのに。

 

「おう。今のうちに負債作りに励まなきゃな」

 

「失敗前提かよ……」

 

 だけど、そんな彼だからこそ昴の好きな彼なので。

 

「当然だろ。何のために俺が——あ」

 

 着信音。八幡のメールだ。

 

 しかし、八幡のその勝ち誇った笑みは——

 

 或いは、打ち砕かれた筈の昴の希望は——

 

「……『何を企んでいるのか知りませんが、貴方は仮にも高校生です。一度しかない貴重な経験は極力無駄にするべきものではありません』……だと」

 

 十秒と持たずに雲散霧消し。

 

 一秒もかからずに再成した。

 

 何が起こったのか。何が行われたのかといえば。

 

八幡が握りしめるケータイの画面に、

 

「……二木……ッ!」

 

 二木舞衣。八幡の意図を見透かした十師族当主によって比企谷が受けた任務は全て他の六道や十師族によって白紙化——任務たる必要性が無い程度に縮小——されていた。

 

 メールに記されている通り、純粋に八幡の高校生活というものを失わないよう、八幡のためを考えている舞衣の言葉には疑えるものが何もない。それは、八幡も理解していた。

 

 そもそもの前提として、大きな事実がある。

 

 八幡のためを考えている——それは意外にも、人として当たり前の生活を送ってほしいと云う十師族の総意だったりする。

 

 特に、ひとつの言葉に二つも三つも裏がある七草や自分を敬愛するあの四葉までもが、八幡を我が子のように愛でている。

 

 全ては六年前の比企谷参入時に起きた事件が発端であるが、それはまぁ、今の八幡が置かれている状況とは関係がない。

 

 八幡の今の心境は、親に対する反抗期のようなものなのだから。

 

 この計画を練る時、八幡は馬鹿であったわけではない。怪しまれないように細心の注意を払っていたのを、四葉の調査力と七草の人手の多さで以て調べ上げ、その日のうちに駆逐する。

 

 無論八幡が可愛いだけで動くのではなく、比企谷を野に放つ危険性を大人達は理解した上での合理的協同である。が、普段は犬猿の仲である十師族が手を取り合う滅多にない状況の原因が自分であることに、構われたくない八幡は気付いていなかった。

 

「……あ」

 

「……なんだよ?」

 

「『生滅』を使えば、暴力が起こったという事実自体が発生しないから——」

 

「ヒストリーホロウも禁止だバカ!」

 

 任務がないのでは、サボりようがない。

 

 しかしそれで八幡の取れる策が全て潰えた訳ではなく、その為に『彼女』のような存在が常に彼の近くにいたりする。

 

「やっはろー……あれ? ヒッキー、その腕章ってヒッキー風紀委員になったの?」

 

 ピンク色の髪を後ろの方で団子状に纏め、昴よりも遥かに発育の良い体つきと表情も雰囲気も明るげな少女が八幡達の歩く道の反対方向から、一人で歩いてきた。

 

その姿を見た途端、八幡は足を止める。

 

「……前方にビッチ発見。怖いから迂回するぞ」

 

「ビッチ? ……ああ、確かにあの胸はビッチだ。近寄るべきじゃない、行こう」

 

 体の向きを変えた八幡に最初首を傾げていた昴だったが、八幡が退いたことで見えたその少女の胸を見て、同じように彼女も頷いた。

 

 揃って踵を返す二人にピンク髪の少女——由比ヶ浜結衣は、ぷくっ、と頬を膨らませた。

 

「二人とも失礼すぎだしっ!? ヒッキーは挨拶とかないの!?」

 

 奇天烈ではあるが、一応挨拶した結衣を罵倒した挙句に無視しようとしたのだ。結衣が怒るのも当然のこと。

 

 しかしそれを実際に反省しているのかどうかは別として、二人は結衣の呼びかけに足を止めた。

 

「まったく、ヒッキーもすばるんもホントにあたしのことなんだと思って——」

 

 歩み寄る結衣だが、二人が足を止めた真の意図に気づいてはいない。

 

「…………」

 

「……ああ」

 

 小さく言葉を交わし、二人は頷き合う——と。

 

「ヒッキー? ——あっ!?」

 

 結衣が瞬きをしたそのゼロコンマの間に、二人の姿は消えてしまっていた。

 

 テレポート。或いは雪乃が得意とする閃光機動か。何れにせよ、結衣では防ぐことができない魔法だ。

 

 してやられた、という表情を浮かべる結衣だが、その割にはきょろきょろと辺りを見回したりしない。

 

 防ぐことは出来なくても、結衣にとって対処ができない魔法ではない。

 

「——付け足す」

 

 結衣は既に二人の逃げた先を知っているかのような顔で、手首を振って取り出した拳銃形態のCADデバイスのトリガーを引いた。

 

 すると結衣の姿も途端に消え、

 

「わっ!」

 

「っ!? ゆいがはっ、お前っ……!?」

 

「なあっ!? あり得ないだろ、おい……っ!?」

 

 結衣は閃光機動で逃げた二人の背後、八幡の背中に抱きついた。

 

 予想外の事に単純に驚いた八幡と、八幡と同じように驚きつつも途中から視線が下がり鋭さが増した昴は結局、結衣の『抱き着き』を躱すことができずに捕まってしまう。

 

 結衣も同じように転移してきた事に対し驚愕する二人だが、そもそも『由比ヶ浜』の結衣にとってこれは朝飯前、赤子の手をひねるよりも簡単な事で、苦にもならないことを、二人は失念していた。

 

 六道の座から降りた由比ヶ浜であるが、当主である結衣の父が比企谷との勝負に負けたというだけで、由比ヶ浜の持つ力までがなくなってしまったわけではない。

 

 六道を外れた後も、新参となった比企谷の監視役や仕事のフォローを行う為に六道の補佐役として存在しており、その保有する戦力は以前と何ら変わりない。

 

 大敗した比企谷を除けば、最強であることに変わりはないのだ。

 

 だって。

 

 今でも残されている戦時特令の一つに、

 

『由比ヶ浜が戦闘を行う領域はその瞬間からすべてが立入禁止区域となる』

 

 があるくらいなのだから。

 

〝エイドスに情報を付加する事でその物がある状態を全く変化させてしまう魔法〟

 

 それが、当時十師族含めて最強と畏れられた由比ヶ浜の魔法だ。

 

〝情報の改変〟ではなく〝情報の付加〟。

 

 例えば〝街路を歩く人間〟を、

 

〝街路を歩く『一秒後に爆発する』人間〟とすることができ、

 

〝一秒前にそこにいた人間〟を、

 

〝一秒前にそこにいた人間『は、一秒後に全く別の場所にいた』〟とすることができる。

 

 細かく指定をすればキリがないが、世界どころか宇宙を殺すことができる魔法であることに違いはない。

 

 正しくは『情報付加魔法』と呼ばれるこの魔法は、事象干渉力が魔法の成立条件から除外され、思い描き、サイオンを消費するだけで簡単に魔法として放つことが可能だ。

 

 但し、当然ながら修得すれば誰にでも、という訳ではない。

 

 魔法の成立条件は由比ヶ浜の人間である事。それ以外になく、例え精霊の眼を持ち全てを一瞬で記憶する才能を持つ人間が居たとしても、体質から来るこの魔法の特殊な感覚はその血筋の人間以外には把握しきることは出来ない。

 

 故に魔法の発動は個人の魔法潜在能力以外に影響されず、たとえば、結衣は数式が理解できなくても、そう考えるだけで数十万人を一瞬で消し去る魔法を放てるのだ。

 

 当然、目印として使っているCADにあまり意味はない。

 

 気分で人を殺せる——そんな彼女が、不機嫌な声で八幡の背にもたれかかる。

 

「ねえヒッキー。なんで逃げたの?」

 

 結衣の発する声の音域は限りなく低く、重い。

 

 その背に押し付けられむっちりと潰れていく胸の感触なんてわからないがその声の重さは結衣の心の冷たさを表しているようで、八幡の首筋を冷たい汗が伝う。

 

「……ごめんなさいって謝ったら許してくれる?」

 

「なんで、逃げたの?」

 

「……ハイ」

 

 剃刀を飲まされているかのようだ。

 

 ゆっくりと唾を飲み込む八幡は、そんな心持ちであった。

 

 

 




でっど おあ だーい


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二頭の獅子に追われる兎



人物紹介


ライオンいち

獰猛。やばい。つよい。八幡が勝てない。すごく大きくて柔らかいモノを持ってる。それで八幡を誘惑する。鴛鴦が読めないし書けない。


ライオンつー

獰猛。やばい。つよい。はやい。……無い。八幡を襲おうとして耳を責められた事があるけどあの時は本当やばかった。遮音シールドがなかったら多分全住人が起きてた。


 湯冷めする、という言葉がある。

 

 幼い頃、八幡は周りの大人達の会話からこの言葉を〝沸かした湯が冷めること〟と思い込んでいたが、実際に広く使われる意味として「風呂上がりにきちんとタオルで体を拭かないせいで体が冷えること」だった。

 

 同様に〝消せ〟の命令を文字通りに〝消滅〟させることだと思い込んでいたが、まさか対象を殺すことだとは思ってもみなかった(或いは解釈違いなだけか)。

 

 そんな解釈違いが起きてしまうのが、言語学の難しいところであり楽しいところでもある。

 

 だが、今回彼が言いたいのは「人を見た目で判断するなよ」である。

 

 ——ひそひそ。……まじでー。

 

 名が体を表すとはよく言ったものだ。

 

 まさに表面的なものこそが人にとって一番の判断材料となり、それの核心などは二の次であることを上手く表現している。

 

 もっとも、この二人の場合は〝名が〟ではなく〝絵面が〟で、〝体を〟ではなく〝風評被害を〟で、〝表している〟が〝加速させている〟なのだが。

 

 二人——もとい、追跡を振り切ることができなかったが故に三人となった彼らは、剣道部や剣術部がデモンストレーションを行うことになっている第二小体育館を通り過ぎ、馬術部やSSボード・バイアスロン部などがデモを行う予定のエリアに来ていた。

 

 演習は始まってはいない。だが、結衣に捕まった後、OBやOGの一部が部活動勧誘の為に無茶をしているとの連絡があり、その防止のためとして風紀委員である八幡と昴(と結衣)は見廻りに来ていた。

 

 その手前の体育館——通称『闘技場』なる場所でも剣呑な雰囲気が漂っていたものの、出張れば間違いなく自分が目立つことを知っていた(・・・・・)八幡はその対処を同期(・・)に任せることにして、特に問題も起きそうにない場所へと足を運んでいた。

 

 ただそれは、『問題が起きそうにない』というだけのトコロであって、問題そのものである八幡が紛れ込もうとしてもすぐになんらかの形でその効果が表れてしまうのだ。

 

 例えば、美少女二人に引っ張られながら校内を練り歩く学園きっての問題児のその姿は、彼らがそこにいるだけで何かと話題を呼ぶことになる。

 

 昨日は違う女を連れてたよね、とか。

 

「ねえ由比ヶ浜さん」

 

「なあに、ヒッキー」

 

 ひそ……ひそ。

 

 八幡の声かけに気分良さげな様子で応える結衣は、蔦の如く八幡の腕に絡みつき、柔らかくももっちり、圧迫感のある胸をさらに押し付けている。

 

 風紀の乱れについて考えなければ、ただ仲睦まじい少年少女の放課後——なのだが。

 

 ひそ? ……ひそひそ。

 

「ひーきーがーやー! 風紀委員の仕事しろよっ! オレと周るんだろうがよっ! ほらあそこでサイオンの閃光が見える!」

 

「はいはい平平『活性想子減衰領域(アクティブキャンセラー)』っと。はいこれで過度な魔法は使えなくなった。問題ないだろ」

 

「問題大アリだよ!」

 

 ひそひそひそひそひひひひひそそそそそっ!!

 

 もはやひそひそ程度ではなく嵐の日の荒波の如く、ざぱーんと周囲の人間の話し声は大きくなった。

 

 八幡の右に結衣、左に昴がそれぞれ陣取って引っ張り合いをしている。

 

 先ほどから激しく動いているのは昴で、結衣は八幡にピタリと寄り添っているだけなのだが、お持ちでない(・・・・・・)昴にとってそれこそが火に油を注ぐ行為となって、余計にヒートアップさせてしまっていた。

 

 とりあえず閑話休題(昴の事は放っておいて)

 

 すりすり——と肩や腕への頬擦りで八幡の体温を確かめようとする結衣にせめてもの抵抗として目を向けないように歩きながら、八幡は歩みを進める。

 

「取引がしたいんだが」

 

「……どんな?」

 

 んぅ、と八幡の肩から八幡の匂いを嗅ぎ、まるで味わっているかのようにうっとりとした表情を浮かべた後、ゆっくりとした動作で八幡の方を振り向く結衣。

 

 やーだー香水とか今日あんまつけてないんですけど……!?

 

 問い返す結衣に、彼女の仕草や格好や柔らかいやらの緊張でそれどころではない八幡だが、どうにかこうにか緊張を噛み締めて、意思通りに動く保証のない口を開いた。

 

「俺を見逃してくれ。別に悪いことをしようとしてる訳じゃないから」

 

「じゃあいいじゃん。あたしがいても問題ないよ」

 

「いや、困る」

 

「なんで?」

 

「その……言いにくい事なんだが」

 

 躊躇いを見せる八幡。その悩ましげな姿に結衣は自分を心配してくれるのかと、淡い期待に胸を膨らませた。

 

「うん」

 

「今から行くとこ、漢字がいっぱいある場所なんだ。お前が熱とか出さないか心配で」

 

「知恵熱ってこと!? いくらあたしでもそんなんで頭痛くならないし!」

 

「おしどり夫婦のオシドリを漢字で書けるか」

 

「おしり……だり?」

 

「それ以前の問題でしたありがとうございました」

 

 両手を前で重ね、ペコリと頭を下げる八幡。

 

「いろはちゃんの物真似!? 全然似てなかったけど!」

 

「そうか。それじゃ今度練習してくるよ。それじゃ」

 

「うん、それじゃ——って、待った! どさくさに紛れて逃げようとしない! はるさんからヒッキーがちゃんと仕事するかどうか見張るようにって言われてるんだから!」

 

 一瞬笑顔で離しかける結衣だが、直後にはっ、と我に返って再び腕を絡ませた。

 

 再び——ということは、あのマシュマロは再来する訳で。

 

「————ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」

 

 昴が、人の抱える罪の一つ〝憤怒〟を露わにした。

 

「…………マジで?」

 

 世界をも灼かんとする激情の炎を他所に、八幡は息を飲んで結衣の目を見た。

 

 結衣は恥ずかしげに八幡から目を逸らしながら、

 

「……う、うん。ヒッキーは頑張り屋だけど捻くれてるから、きっと人の見てないところで頑張ってるって。誰にも見られないヒッキーの頑張りをちゃんと見ておくようにだって」

 

 最後にはきちんと八幡の目を見て、言った。

 

「……それプライバシーの侵害じゃないすかね…………」

 

 ため息をつく八幡だが、「そうじゃない」と首を振る。真剣な眼差しだ。何かこう、命の危機を感じ取っているかのような。

 

 結衣はそんな八幡を不思議そうに見つめていた。

 

「由比ヶ浜、今なんて?」

 

 爆弾処理をする素人のように怯えた顔で、八幡は聞き返す。

 

「え? ——だから、ヒッキーの頑張りを……」

 

「そこじゃねえんだ。お前、雪ノ下さんがって、言ったよな? 雪ノ下さんが由比ヶ浜に見張りをする様に頼んだって」

 

「う、うん。何かおかしいところでも——」

 

「——あの雪ノ下さんがお前だけに頼むと思うか?」

 

 ——そこまで聞いて、結衣は漸く気づいた。

 

「…………あ」

 

「そうだよ、お前だけじゃない。きっと、あいつにも声をかけてる筈だ」

 

 口に出すのも憚られるのか、それともただ単に恐怖によって口が開かないだけか。八幡は、その名を口にしようとはしなかった。

 

「……あ、あはは……こんなところを見られたら、どんなお説教が飛んでくるのかな」

 

「食の恨みは怖いって言うが、あいつはそれ以上に胸に関して一際根に持ってるからな。姉に吸われたせいか知らんが尻も割と小さかったし」

 

「ちょっと待って。なんでヒッキーがゆきのんのお尻の大きさ知ってるの」

 

「昨日の晩、雪ノ下、夜這いしかけてきた」

 

「なるほど……」

 

「いや納得すんなよ」

 

 と、割と平和な会話において昴は完全に蚊帳の外に追い出されていて、ただ八幡の腕にしがみ付いているだけであったが、そのせいか彼らの中で異変に気付いたのは彼女が一番先であった。

 

「…………?」

 

 何故か、先程までウザいくらいに此方の様子を伺っていた多数の視線がなりを潜め、今度はこちらから目を逸らそうと躍起になっている。

 

 まるで、自分たちの背後に何か目にしてはいけない(・・・・・・・・・)ものがいるかのように。

 

 ——その人物は、すぐそばまで来ていた。

 

「由比ヶ浜さん、比企谷くん」

 

「——え」

 

「——は」

 

 一陣の風が、三人のいるこの場所を駆け抜けた気がした。

 

 それはきっと、痛みを伴わない暴力。

 

 酷い目に遭う訳ではない。拷問を受ける訳でもない。しかし、自然と二人の背筋は凍りつく。

 

 しかし、僅か1コンマの間に硬直を振り解き、次の瞬間に反応して見せたのは流石元六道と現六道というべきか。

 

「「森崎(すばるん)シールド!!」」

 

「ちょっ!? おまえら!?」

 

 何の逡巡もなく結衣が一歩前に出て、八幡がその場に留まったことによってシーソーのように力が昴に伝わり、彼女が二人の背後に押し出される。おまけに昴の体で身を隠せば、その人物から八幡と結衣は見えない。

 

「ねえ、三人とも。一体——何の話をしていたの?」

 

 しかし彼らの行動は、鬼に見つかってから行ったのでは意味がない。そんな事は八幡もわかりきっている。故に、

 

「秘技! 芝居唄(しばいうた)!」

 

 言葉が紡がれる前には既に、八幡の体は別れていた。

 

 二〇秒と経たず、その場は大量の〝八幡〟で埋め尽くされる。

 

 ——なんなのよこれぇー!? 八幡くんは一体何をしてるのよーっ!?

 

 同じ顔をした人間が無尽蔵に増えていくその光景はさながら地獄のようで、何処かの生徒会長は堪らずに悲鳴を上げた。

 

 しかし、その不気味さは八幡と全く同じ人間が増殖している事に対してではない。

 

 くじゃくしゃ、べちゃぺちゃ。

 

 生み出される分身のどれもが、いわゆる分身の術のように本人そっくりな分身体が生まれるわけでもなく、丁度九重寺で司波兄妹相手に放った時のように、人の形をしてさえいないものが八幡から別れたものの中には多数含まれていた。

 

 芝居唄。物語、フィクションというものは本当の意味で作り話に過ぎず、作者のイメージした通りの顔の人形がごっこ遊びに興じているだけに過ぎない、『本物は何もない』という悪談を元にした遍く物語に登場する人物を演じる(・・・)人形を操作する術。

 

 先程関本が使っていた浄瑠璃法式と呼ばれる傀儡操作術とは違い、此方は容姿も格好も定まっていない泥人形を使役しているだけ。

 

「……この程度、かしら? 部屋に飾るにしても流石に醜悪すぎるわ。——まぁ、あなた本人に比べれば大分可愛げのある見た目をしているのだけど」

 

 だから、浄瑠璃のように芸術が如き設定の細やかさが不要な分、術者本人と見間違わせる事は困難な魔法だ。

 

 しかし。

 

「——加えて(・・・)付け足す。声帯を、八幡の声に」

 

 結衣が、自らの魔法によって顔さえ定まってはいなかった人形に八幡の顔を与え、背格好まで同じに近づけていた。

 

「雪乃。好きだ」    「雪乃。好きだ」

  「雪乃。好きだ」「雪乃。好きだ」

     「雪乃。大好きだ」

  「雪乃。好きだ」「雪乃。好きだ」

「雪乃。好きだ」    「雪乃。好きだ」

 

 重なり合った声がエコーのように響く。コーラスのようにも聞こえるそれは、自分を取り囲む状況とも相まって簡単に少女を常識の外へと追いやった。

 

「……なっ、えっ、あっ、あ、ぁう……っ!?」

 

 そのサポートは少女に対し——案の定、効果バツグンであった。

 

 頬や耳、手の先まで真っ赤に照れた雪乃を置いて、数秒後には人形が霧散するように仕込み、八幡は結衣と共に(付いてきた)その場から逃げる。

 

「……あ、あれ? 比企谷?」

 

 無論、昴の事は置いてけぼりにして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こつ、こつ。

 

 厚底なブーツが奏でる音ではないが、彼ら彼女らの息遣い以外に何も音がないこの状況下において、迫りくる靴音は心臓の鼓動よりも大きく聞こえた。

 

 こつ、こ……。

 

 段々と足音が遠ざかっていく。

 

 曲がり角に音が消えた所で、八幡は自分に密着している結衣に話しかけた。無論、小声だ。

 

「ねえ由比ヶ浜さん」

 

「なに、ヒッキー」

 

 応える結衣の声は苦しげ。というより、恥ずかしげだった。追っ手である足音の主から身を隠す間、机の下に隠れるという八幡と手と手、体と体が触れ合う所謂抱き合った状態だったからだろうか。

 

 まっかっか、である。

 

 ゆっくりと余計な箇所に触れないようにしながら離れて尚、結衣の頬に訪れた紅色は退く気配を見せない。

 

 緊張してまともに返事を返せたのが「奇跡だったんだ」くらいの面持ちで、結衣は答を待った。

 

「どうしてわたし達が雪ノ下さんから隠れなくちゃいけないのかしら」

 

 しかし、真面目に事に対し構えていた結衣を襲ったのは、マトモな返事ではなかった。

 

「ぷふっ」

 

 真面目に聞こうとしていたからだろう。唐突に行われた八幡による雪乃のモノマネを交えた質問は、的確に結衣のツボを突いた。

 

「……ヒッキー、こんな時に笑わせないで……!」

 

 腹がよじれる。まさにそんな思いで、見つからないように部屋の隅の机の下に潜り込んでいる結衣は笑いを堪えた。

 

 が————

 

「雪ノ下さんにも困ったものよね。雪ノ下さんが見つけた子猫と可愛らしいお話をしているところに声をかけただけなのに。頬擦りまでして余程堪らなかったのでしょうね……まぁ、あの状況だったらどちらが可愛いコトになっているのか、なんて一目瞭然だけど」

 

 追い討ちをかけるように、結衣のツボを押さえたモノマネを披露していく八幡。それは、彼ら二人の間でのみ理解が及ぶ完全な身内ネタだ。

 

「あははははっ! もうダメ、もうむり! 声違うのに似過ぎてほんとお腹痛いよ!」

 

 更に笑い声を上げる結衣。八幡がそれ(・・)を狙っていたのかは不明だが、結果的に彼女(・・)を引き寄せる原因になったのは間違いなかった。

 

「……あなた達。わたしの前から姿を消したと思ったら、こんな所で一体何をしているのかしら。しかもそんな格好で」

 

 続く八幡のモノマネ。しかし今度は今までと比べかなりクオリティが高くなっていて、具体的には声色までもが全く同じだった。

 

「あはは、上手だねヒッキー。今のはかなりゆきのんぽかったよ!」

 

 涙を堪え、笑う結衣だが、八幡の反応がない。不審に思って自分の下にいる八幡に目を向けると、彼はいつの間にか彼女の下から姿を消していた。

 

八幡の形を残す空気だけがその場に止まっていて、結衣を抱き留めている。暫くするとその空気の繭も結衣に押し潰されるようにして消えた。

 

「……むー、ヒッキーめ……」

 

 また逃げられた。そう思い、再び魔法を発動しようとするも、その手を横から掴まれることで魔法構築のプロセスは強引に停止させられた。

 

 何故逃げた筈の八幡がわざわざ自分の居場所を知らせるかのように横から自分の腕を掴むのか。

 

 考えられる理由として、「八幡はもう観念して結衣から逃げる事を諦めた」が挙がるものの、わざわざそんな事をする理由が結衣にはわからない。

 

 故に結衣は、その理由を八幡に問おうとして振り向き——そのまま、表情を凍らせた。

 

 ところで問題。

 

 二頭のライオンに追われているウサギがいたとする。

 

 そのウサギがライオン達から逃げ切るにはどうすれば良いか。答えは簡単だ。

 

「由比ヶ浜さん」

 

 ——ライオン同士で争わせて、その隙に逃げて仕舞えば良い。

 

 結衣の腕を掴んだ声の主は依然として雪乃の声で結衣に語りかける。……否、それはモノマネなどではなく————

 

「聞こえたのはあなたの笑い声だけなのだけど、それにしても随分と楽しそうな会話をしていたわね? ゆっくり、じっくりと訊かせてもらえるかしら。それと……比企谷くんは、どこ?」

 

「……ひゃ、ひゃい」

 

 嘘がバレた、或いは観念した時の八幡のように縮こまる結衣。

 

 恐怖の女王は、憤怒と嫉妬を以て結衣を見下ろしていた。

 

「さて、一体どこから聞かせてもらえるの?」

 

「……あ、えっとこれは、ひっきー、が……」

 

——雪ノ下雪乃、本人の登場だった。

 



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兄葉六枚羽(パラスキニア)



8月8日が今年も近づいてきてる……

ゆきのんと八幡のみのクロスなしSS書きたいなあと思ってます。

人物紹介


比企谷八幡

ギラファノコギリクワガタ


雪ノ下雪乃

姉に煽られたせいで八幡の監視に来たものの、結果的に逃亡を幇助(ほうじょ)する事になったかしこいかわいい()人。大理石のように滑らかでありつつも関東平野のように微妙な凹凸しかなくて結論としては胸が無い。


由比ヶ浜結衣

八幡に迫ったけど逃げられた人。この人をホルスタ(以下略)と呼ぶのはなんかちがう。確かに大きいけど比較対象がスケートリンク(平)なだけで余計大きく見えるだけかもしれない。


森崎昴

校内の皆様に迷子のご案内をいたします。一年生、一科生の六枚花弁を肩につけた「もりさきすばるちゃん」がお連れ様をお探しです。
至急、職員室平塚の所までお越し下さい。



 湯の沸く音。

 

 沸騰した湯が茶釜の中で踊る事で、蓋の穴からこぽこぽと音を奏でている。

 

 それを見てふと、八幡は思った。

 

 よくもまぁ、指先一つでプロの料理人が作ったものと遜色ないものが口にできるこの時代に、茶道が廃れずに残っていたものだ。

 

 ……いや。青カビじみた文化に価値を見出したくなるほど、人は超飽和的人間生活を送っているということか。

 

 茶道の存在理由を軽んじる八幡だが、それは決して茶道に対しての知識が無であるからの感想ではない。

 

 作法や礼儀、茶室の中では誰もが平等であるという理念を八幡は知っている。人付き合いは苦手な八幡であれど、相手を貶す事なく対等にやり合うそのあり方自体は、好ましく感じていた。

 

 ひとつだけ、目の前の光景を除いては。

 

「……よよ、よい、……いひょっ?」

 

 危なっかしい手つきをするその姿をじっと見つめながら、八幡は考える。

 

 所詮は高校、所詮は素人の猿真似。

 

 美味しいものが飲みたいのなら自販機に行けばいいし、作法を識りたいのなら教科書を開いて理解すれば良い。その方が簡単だし、何より正確に正解に近づける。

 

 だが、それを敢えて〝体験〟というカタチで自らの手で表現する事に拘る不器用さこそが、人間の愛すべき欠点なのかもしれない。

 

 不完全さを愉しむ——生きとし生けるものが全力で生を磨き続けているその中で、それは人間にだけ許された特権だ。

 

 たとえ詩を理解する心がなくても、この空間で息をして目を閉じるだけで、何かが心に染み入ってくるような気さえする。

 

「……あ、できた」

 

 ……ただし、それはあくまでも、目を閉じることが出来ればの話だが。

 

 こくり、と八幡が喉を鳴らす。刃を喉に突きつけられながら話しているかのような、他に類のないほどの緊張感が八幡の精神を縛っていた。

 

「……っ、先輩——」

 

 沸いた湯を柄杓で茶碗に注ぎ、八幡の対面にて抹茶を点てていくのは、藍野日織。

 

 2人がいるこの場所は茶道部の部室兼茶室で、結衣から逃げていた八幡を茶道部員である日織が匿ったのだ。

 

「ぅん?」

 

 せっかくだからお茶でもどうぞ、ということで一服させていただくことになったのだが、この辺りで八幡の精神は臨界点を迎えた。

 

 手を止め、小首を傾げながら八幡を見上げる日織。彼女は二年生——八幡の先輩であるが、『実はちっこい方が年上』と言われても絶対に信じられないだろうという程度には日織の身長は小さかった。

 

 いやそうではなくて。

 

 ここが何処だとか、今俺たちは何をしているのかだとか、何でここにいるのかとかとか、諸々まるっと置いといて。

 

 とりあえず叫ぼう。せーのっ!

 

「——服着ろやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「ひゃっ!?」

 

 まさか嵌められたのではあるまいな——と思いつつ、何故か水着姿で平然と茶を点てるセンパイを睨みつける。

 

 ……この日一番の絶叫が、茶道部茶室内に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 藍野日織という人物について、比企谷八幡は少し思い出す必要がある。

 

 彼女と初めて邂逅を果たしたのは確か、平塚静の説教を受けた直後のことだ。

 

 その時八幡は日織のことをただの変な先輩としか思っていなくて、きっとこの先関わり合いになることはないのだろう——と思っていた。

 

 食堂で、彼女の本質を理解するまでは。

 

 何があったのか、決して比企谷以外は持たぬ筈の力を日織は持っていた。

 

 それも、制御ができないという最悪の形で。

 

 ただの魔法師のただの暴走ならば、術式解体なり相反する術式を展開するなりして押し潰してしまえばいい。

 

 しかし、式の構築強度が強過ぎる比企谷の魔法を術者以外が打ち消すことはほぼ不可能で、八幡が日織の暴走を抑え込めたのも、殆ど奇跡に近いのだ。

 

『八幡がその目に認めたのは六枚。であるから、あれはおそらく()だ』

 

 八幡の話を聞いた材木座の解析結果は、あくまで枚数から推測したものに過ぎない。

 

 しかし、八幡もそれでおおよそ当たりだろうと踏んでいた。

 

 兄葉六枚羽(パラスキニア)という、日織がチカラを暴走させてしまった時に発現した六枚の羽。それを八幡は日織の背中に認めていたからだ。

 

 比企谷を深く(・・)知る者は、その者の能力が暴走した際、過去の教訓から大まかな状態を段階的に知ることができる。

 

 その危険性は五つに分けられていて、兄、姉、己、弟、妹の順に侵蝕率が高くなっていく。

 

 侵蝕度が一番軽い「兄」では羽は六枚、皮膚は生まれ持った色のまま、髪は色変わりしない。自我はハッキリとしている。

 

 二番目に軽い「姉」は羽の枚数が減って四枚になり、皮膚はそのまま、髪の色が薄くなる。脳髄の奥から手を伸ばしてくる鈍い痛みが、思考を乱してくるようになる。

 

 三番目の「己」は羽の数が一対と片翼一枚の三枚になり、肌がうっすらと灰色味を帯びてくる。髪の色は変化が見られずに、この状態からまともに思考することはできなくなる。

 

 四番目の「弟」になると、一枚の羽を残し残りは消えてしまう。内出血でも起こしたかのように肌が赤くなり、髪の色は一気に色が抜けて白髪に。痛みを緩和するために脳内麻薬が大量に分泌され、一時的ではあるが人間らしい人格を取り戻す。

 

 五番目、末期の「妹」は、一枚残った羽も消えて侵蝕完了状態となり、能力が足下から物理的に流出し、辺りの物体に干渉、周囲から湧き出る「黒」い流動体と血黒く染まった肌が清流のような白髪を映えさせる。「弟」の時に分泌された脳内麻薬の歯止めが効かなくなって一種の中毒状態となり、痛みに鈍く、理性など消し飛んで、殺戮を始めるのだ。

 

「妹」状態の能力者が現れたとなれば、八幡も学園生活を送るどころではなくなってしまうのだが——だが、八幡が最後に見た彼女の羽は二枚。

 

 日織が暴走させた能力の最終形は兄弟姉妹のどの状態でもなかったことから、八幡は一つの仮定を立てた。

 

 ——日織の侵蝕状態は、五つの段階のさらに先を行っているのではないか? と。

 

「——そして、彼女を知ろうと八幡は、その小さく華奢な体躯のまだ熟れる兆しもない幼気な少女の肢体を隅々までぺろぺろに……ぐぺっ!?」

 

「あ、すいません。菓子を頂きたいのですが……ビンの蓋がどうにも硬くて」

 

 相も変わらず服を着ようとしない日織にアイアンクローをぶちかます。

 

「あぃ、いだっだだだだっ!? キミがこじ開けようとしてるのはビンの蓋じゃなくて宇宙の真理だよっ!?」

 

 まだそんな軽口を叩く余裕があるのか——と半ば感心しつつ、

 

「なら、なおさら開けなきゃ……ですね」

 

 少しだけ手の力を強めた。

 

「ひゃーっ!? 待ってストップすとっぷ! わかったから、言う通りにするからっ!」

 

 流石に痛みに耐えかねたのか、涙目で八幡の腕をタップする日織。

 

 目尻には涙が浮かんでいて、本気で痛がっていることが窺える。

 

「……言う通り、とは?」

 

 日織が本当に反省しているかどうかは別として、八幡はアイアンクローを解いた。

 

「ぐすん……わかったよ、水着も脱げばいいんでしょ……」

 

 日織は涙目のまま「んしょ」と言ってシャツを脱ぐように水着の上を持ち上げようとする。八幡のその正面には布が外れ徐々に見えていくピンク色の突起——がぁべりゅっ!?

 

 半開きになっていた口を真横から彼自身の右腕によるストレートパンチが襲い、離れかけた理性をギリギリ取り戻す。

 

「窓から投げ捨てていいですか?」

 

 問いかけつつも七割裸の日織を担ぎ、茶室の窓を開ける八幡。

 

 自分の体が床から離れ、八幡の本気を感じ取った日織は慌て始めた。

 

「待って待って待って待ってっ!? 今外に放り出されたらマズいよっ! 人いっぱいいるし、風紀委員もうじゃうじゃいるから! こんな格好見られたら部活が無くなる!」

 

 では何故水着になったのか。

 

 日織を床に下ろしつつ、そう思わずにはいられない八幡だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らが茶室にいる理由について。

 

 座標を偽って尚、標的の真実を捉える淑女(キング・オブ・ストーカー)(由比ヶ浜の例のアレ)の能力からは、魔法師であれば逃げ切る事は叶わない。

 

 八幡が日織と二人きりになれたのは、もとい、八幡が結衣から逃げ切れたのは、雪乃が結衣を抑え込んでいるからではなく純粋に結衣の追跡を振り切れたからである。

 

 しかし、今話した通り、基本的に由比ヶ浜の能力からは逃げられない。そこには一分の例外もなく、彼女が意識に捉えた〝総て〟は由比ヶ浜の手中にあるはずだった。

 

 結衣にとってのイレギュラーは、今も尚自分を拘束し続ける雪ノ下雪乃の存在ではない。

 

 正門付近にて他の文化系クラブに紛れ、たった1人茶道部への勧誘を行っていた藍野日織。彼女こそが、結衣が八幡を追跡できないように細工を施した張本人だった。

 

 否、細工をしたという表現には誤りがある。

 

 日織は、魔法を行使していない。

 

 その痕跡が見つからない、或いは感知されることのない全く新しい魔法——というわけではなく、魔法としてカタチを成していない。

 

 故に、どうして結衣の追跡を振り切れたかについては八幡もまだよくわかっていないので、一部省略してお送りする。

 

 簡潔に言うと、結衣から逃げている途中で日織と出会ったから。

 

 人混みに紛れることを狙って校門付近を八幡が結衣から逃げていると、何故か時折結衣の追跡(探知されているのを感知することができる)を振り切れる場所があった。そこを探索し留まっていたら部活動勧誘中の日織と遭遇、話を聞くついでに匿ってもらっていたのだ。

 

「……で、なんで先輩は水着だったんですか?」

 

 三度、八幡は日織に問いかける。

 

 その視線はもはや人に向けられているものとは思えないほどで、軽蔑と憎悪に塗れていたが、制服を着せられてわざと板の上に正座をさせられた日織は更に土下座をしている為、そんな視線を気にすることはなかった。

 

「比企谷くんは目に見える肌色が多ければ多いほど御し易いと聞いたデス」

 

 普通は謝罪か感謝を伝える格好で「お前はちょろい」とさらに挑発されるも、

 

「いや、そういうのいいんで」

 

 とまともに取り合わず、恐る恐る顔をあげる日織の顔を八幡は見つめた。

 

「藍野日織。旧名、加須源陽羽(かすがあげは)

 

「な……」

 

 陽羽。その名が八幡の口から放たれた瞬間、日織の八幡を見る目が変わる。

 

 まるで忌避するかのように手をつき足を擦らせて後退り、八幡に向けるは暴漢を見るような目だ。

 

 しかしそんな視線には目もくれず、八幡はすらすらと続ける。彼の心に、彼女の心理に対する配慮は無かった。

 

「右利き。年齢は十六歳。誕生日は八月八日、俺と同じですね。生まれは京都、育ちは東京。九歳からおよそ七年間を東京で過ごしているために訛りや方言は一切なし。身長143センチ。スリーサイズは上からB(バスト)6じゅ「わあわあわあ!!」……とまあ、一通り調べさせていただいた訳ですが」

 

「ひ、ひどすぎる……人間のやることじゃあない……!」

 

 ぽろぽろと涙を流す日織。そこには自分の個人情報を流出させている怒りよりも、胸の小ささを指摘される悲しみがあった。

 

 だが、そんな涙も八幡にとっては関係がない。

 

「あなたの個人データは結構簡単に調べられました。名前変更の際に捏造などの情報操作があった形跡もありません。この事から、あなたを認識させなくする結界は生来のものじゃないことがわかっています。ですが、あなたのこの結界は認識以前のヒトの記憶に関わる部分で周囲の人間に致命的な影響を及ぼしていることも理解していますか? 由比ヶ浜に干渉されない、それだけでも喉から魔法が出るくらい羨ましいのに、加えてぼっちのための人工力場を作り出せる事が俺にとってどれだけ羨ましいことかわかってます? 認識されないだけならまだしも、何も魔法を使っていない状態で場合によっては記憶——いや、記憶の自己中心的改竄と自分に対する意識の集中さえも分散させてしまう現象を引き起こしているんですよ。その上、あなたのその能力は由比ヶ浜の追跡さえ易々と躱してみせた。対象が由比ヶ浜に絞られていないにも関わらずです。ほんと羨ましい……。良いですか、あなたの能力は理にさえ干渉する〝マホウ〟クラスの威力を備えている。因果律をいとも簡単にねじ曲げる代物なんです。まともに人と付き合えるあんたがなんでそんなもん持ってんだぼっち舐めないでください」

 

「え……う、うん……ゑ? い、いま、真面目な話をしてたよね?」

 

 きょとん、と潤んだ目で問いかける日織だが、八幡は構わずに日織が立てた茶を一息で飲み干した。

 

 八幡がゆっくりと茶碗を置き「結構なお手前で」などという常套句を吐いた後、改めて手にした刀を(・・・・・・・・・)突きつけた。

 

 本当に耐性はないのだろう。小さく悲鳴を上げ、怯えた表情で日織は八幡を見ている。

 

 もうひと押し。

 

 表情に影を落とし、恐らくは彼女が今までに受けてきたであろう人間達とあえて同じ目で、八幡は日織を睨む。

 

「……あんた。人間主義(・・・・)を掲げる一般的な政治家の家に生まれたくせに、どうしてここにいるんですか?」

 

「……それは……」

 

 それは。今まで日織自身が幾度となく自分に対して問いかけてきた、答えのない問いだった。

 








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一方その頃/=/神は目覚めていた。




〜人物紹介〜


比企谷八幡

主人公。初恋の人の精神を自分の肉体に同居させるという「あなたは私の中で生き続けるの……」状態の生き地獄を精神を取り込む側で味わった猛者。今やそれどころではない。


材木座義輝

八幡の相棒なんですけど、なんか気分で小鳥さんになれます。


七草真由美

ヒロインの中で八幡と一番最初に出会った人。明るく話しかけたけど当時八幡には無視された。





「ふんふーん」

 

 日も傾いた夕刻。夕焼けが横顔を照らし、眩しさとは別の、哀愁に似た寂しさを感じつつ、材木座義輝は校門へと向かっていた。

 

「ふんふんふふー……」

 

 彼が鼻歌を歌うのは何も気分が良い時だけではない。むしろ気分が悪い時ほど、それを吹き飛ばそうと明るく振舞う癖が彼にはある。

 

「むっ」

 

 だが、たとえ楽しげな時であろうと哀しげな時であろうと、不穏な空気というものに彼は敏感だった。

 

 義輝の目指す先、校門の入り口にて誰かが話をしている。誰なのかは距離の近さもあって簡単に判明した。

 

「本日はありがとうございました。今日こちらを訪問させていただいたのはほんの〝ついで〟なのですけど、おかげさまで有意義な時間を過ごすことができました」

 

「こちらこそ、会談の求めに応じていただきありがとうございました。まだご案内したい場所が沢山あったのですが、またいらした時にゆっくりご案内いたしますね」

 

「その時は、またよろしくお願い致します」

 

 第一高校校門付近にて。真由美ともう1人、見慣れない制服を着た金髪の少女が何やら別れの挨拶をしている。

 

 来賓の見送りをしている様子だが、金髪の少女の方は他の学校の生徒だろうか。

 

 ……少なくとも、東京では見たことのない——

 

「……!?」

 

 ……義輝が今までに味わったこれほどの衝撃は、司波深雪の時以来か。

 

 義輝は金髪の少女を見て、横顔を確認して、激しく動揺した。

 

 ……何故だ。何故彼女が(・・・・・)ここにいる!?(・・・・・・・)……と。

 

 義輝はその金髪の少女のことを知っていた。

 

 彼女とは面識もある。……だが。

 

 それでも、義輝が金髪の少女と出会うのだけは、ダメだ。

 

 義輝とあの金髪の少女が顔を合わせることで何か問題が——というわけではない。

 

 力関係的に、義輝は金髪の少女に敵わない。

 

 故に義輝は、もしも金髪の少女と相対してしまった際の抵抗が難しくなる。

 

 そして、最終的には八幡と引き合わさせられてしまうだろう。

 

 それはできない。それはまだ、最低でも半年は先の事だ。

 

 だから——

 

「……?」

 

 不意に金髪の少女が、義輝のいた場所に振り向いた。

 

 しかし、金髪の少女の視界に映ったのは東京の夕焼けと空を飛ぶ鳥のみ。

 

「どうかされましたか?」

 

「……いえ、何でもありません。あちらの方が賑やかな様子でしたので、少し気になりまして」

 

 金髪の少女が振り返った先は第二小体育館。確かに今頃、あの場所で何かが起きているはずだ。

 

 金髪の少女の反応に思わず胸を撫で下ろしながら、義輝は金髪の少女の視界の中で(・・・・・)悠々と進み始めた。

 

 金髪の少女の言葉に真由美は「ああ」と頷き、

 

「当校は今日から部活動の勧誘期間に入っておりまして。それで騒がしくしているんです」

 

「部活動が盛んなのですか?」

 

「ええ。夏の九校戦に向けてどの部も戦力確保に躍起になっていますから」

 

「九校戦……時間が合えば、見学させていただきますね」

 

 真由美の勧誘に対して金髪の少女の反応は薄い。

 

 それほど興味がないということらしいが、次の真由美の一言で金髪の少女の瞳に色が入った。

 

「ええ、是非ご覧になってください。今年は特に新入生が粒揃いの子達ばかりですから、新人戦は見ものですよ?」

 

「新入生……というと、先程挨拶をいただいた司波深雪さんのような方でしょうか」

 

 探るような目つき。それに気付いてか気付かずか、真由美は自慢げな様子だ。

 

「ええ。司波さんは勿論のことですが、次席の比企谷八幡くんも……まぁ、性格にやや癖がありますけど、魔法師としての力はプロにも負けていませんから」

 

「…………なるほど」

 

 金髪の少女のそれを見た途端、びくり、と自分の体が震えた——と思ったのは、義輝の気のせいである。

 

 少女が振り返る事で何か変化があったとしても、せいぜい空を飛ぶ小鳥の羽ばたきの回数が増えた程度だし、何も気付かれてはいない。

 

 だが。

 

 無意識に、体が震えているのだと思い込みたくなる程、義輝は怯えていたのかもしれない。

 

「……ひきがや、はちまん……さん、ですか」

 

 まるで初恋の人の名前を呟くかのように、八幡の名を呟く少女。

 

「ええ。新人戦どころか本戦でも優勝候補なのは間違いないです」

 

「……それは楽しみですね」

 

 真由美につられてにこり、と金髪の少女が浮かべた微笑は、それを見ていた義輝の背筋を凍り付かせた。

 

「それでは……あっ、すみません。少し、失礼します」

 

 真由美も見送ろうと歩き始めていた……が、突然鳴った真由美の携帯が彼女の歩みを止めた。

 

 一言二言交わすと通話を切り、表情を変えて金髪の少女に向き直った。

 

「申し訳ありません。本当は駅までお見送りしようと思っていたのですが、問題が発生しまして……そちらの対処に向かわないといけなくなりました」

 

「あらあら、それは大変ですね。私は地図を見て帰りますので、七草さんは早く向かわれた方がよろしいかと」

 

「ええ、すみません」

 

 金髪の少女に謝ると、身を翻し小走りで真由美は校内へと戻っていった。

 

 それを見届けて、金髪の少女も義輝も、それぞれ進み始めた。

 

(この後駅に向かうのか。面倒ではあるが……)

 

 いつ来るのかわからない金髪の少女のキャビネットを待ち、彼女が駅を出てから乗車するよりも先にキャビネットの来る時間がわかっている義輝が先に乗った方が、安全に離脱できるだろう。

 

(よし……)

 

 そうと決まれば後は逃げるだけ。気付かれてもいないのだから、楽勝だ。

 

 義輝の決意と同時、金髪の少女と同じ方向に飛んでいた小鳥が獲物でも見つけたのか、より速く飛んでいったが、それを気にする者は誰もいなかった。

 

「…………なるほど。駅、ですか」

 

 ずっとその(・・・・・)様子を(・・・)見ていた(・・・・)、金髪の少女ただ1人を除いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全てを話せと要求する八幡に対し、日織が語ったのは純粋な真実。日織が生まれてきたこれまでのことを、罪を告白するかのように怯えながら、日織は口にした。

 

 力には、突然目覚めたこと。

 

 それは七年前であること。

 

 魔法にはなんの関わりもなかったというのに、箸やペンを使うのと同じように魔法を使えたということ。

 

 それからの周囲の変貌ぶりはあまりにひどく、自殺も何度かやってみたものの、その傷痕すら残らない自分の治癒能力を目の当たりにして自殺することは早々に諦めたのだとか。

 

「……わからないよ。だってわたしが産まれたのは、お父さんだった人とお母さんだった人が子供が欲しかったからだもの」

 

 八幡に刀を向けられた日織は、それでも、八幡から目を逸らすことをしなかった。

 

 目を伏せながら——ではなく、しかと。八幡の瞳と睨めっこをして、だ。

 

 日織の瞳の中——折れることのない意志を感じ取った八幡は、ため息を吐きつつ、日織に向けていた刀を消した。

 

「あなたが産まれてくるまで(・・)の過程に、何か魔術的な意味のある行動が含まれているわけでもない。過去にご両親の先祖の誰かが、比企谷の力を偶然にも得ていて、先輩のケースは一種の先祖返りだった——といった辺りでしょうか」

 

 元々が殺傷力のない模造刀だ。当てたところで飴細工のように砕けて散るだけ。いわば人を傷つけない為の脅しであり、この問答自体、最後の念押しのようなものに過ぎなかった。

 

 八幡の瞳から殺気が消えると、日織は何故か笑みを浮かべた。

 

 ……人を馬鹿にしたような、嫌な笑みだ。出会ってから今日までの数回で、少なくとも一度も目にしたことのない——人に見せる類ではない——表情だ。

 

「……それじゃあ、もしかしたら。わたしじゃなくてお父さんだった人とか、お母さんだった人とかがこの力に目覚めていた可能性もあるってこと?」

 

 泣き声のような、悲鳴のような。憎悪と怒りが入り混じった低く暗い声色の問いを、日織は震わせながら口にした。

 

「力を得た時期にもよりますが、その可能性はありえます——というか、今力を得ていても不思議じゃない」

 

「…………そっか」

 

 質問の答えを訊き、納得した表情の日織。

 

 納得した彼女の顔は、憎悪と侮蔑に染まっていた。

 

 語り始めたのは、元家族に対する想い。

 

「……例えばさ。〝嫌い〟とか〝産まなきゃ良かった〟なんてハッキリ言ってくれた方が、わたしとしてはむしろ気楽になって良いんだよね。気負ってはいないんだけどさ、やっぱり無い方がいいものは無い方がいいに決まってるんだよ。未練なのかな? 改名までさせて、改名したあとの方がむしろすっきりするような名前まで用意しといてさ。親子の縁を切ってるくせに毎月生活費だとか内緒で振り込んでくるし、元旦には絶対手紙が届くんだよ。これは実は愛情の裏返しで、本当は愛されてるんだと思う? 違うよ、この仕送りもきっと責任感とか罪悪感じゃなくてわたしが「ぎゃくたいですー」って訴えたら勝つから、機嫌取りのために仕方なくしてるようなものなんだよ。というか縁切ってるから虐待も何もないか。でも、何も無しに振り込まれてるのは怖いよね。意図が読めないし意志の疎通が出来ないから突然振り込まれなくなったらって思うと全く頼りにできないし、ありがたみがないというか。手紙にしても不気味なんだよね。逆に盛り沢山なんだよ、言葉が。たぶんお母さんだった人が書いてるのかなー。気遣う気持ちなんてひとかけらも無いのに「元気ですか」とか書いてあるし、この前なんかわたしの妹に当たる女の子の事についても書かれてたし、本当何報告してんの? って感じ。幸せそうだよねぇ。あ、妹って言ってもわたしが家を出てったあとに産み直した子供だから、わたしとは無関係だからね。写真とか時々ボイスメールで送られてくるんだけど、魔法が使えないわたしの妹はさ、ほんとお気楽に育ってるみたいだよ。この前なんか「お姉ちゃんと会ってみたいです」なんて手紙まで送ってきてさ。わたしの気持ちも知らずに「お姉ちゃんはえらい」だとか、覚えたばかりの言葉で勘当されたわたしをお姉ちゃんって呼んでくれるんだよ? ほんといい迷惑だよ。どんなにわたしが妬んで、恨んだ場所にいるのかも知らないで……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 

 止まらない、心中の吐露。それは、ヒトの悪意に敏感な八幡でさえも口を挟もうとせずにはいられない程であったが。

 

「……、あの」

 

「ほんと、良かったなぁって」

 

 瞬間、八幡は自らの不満……憤りを完全には口にしなかった事を、安堵した。

 

「お父さんとお母さんと、妹に。わたしみたいな能力が出なくて良かったよ。……まぁ、これからを考えると安心はできないわけだけど」

 

 それと同時に、八幡は羞恥というものを痛烈に実感する。

 

 やはり、八幡は自分が人付き合いが苦手だ、めんどくさいと思う。言葉や表情だけではヒトの気持ちを全く理解できないし、ヒトの心の在り方なんて海の天気のようにコロコロと変わるからだ。でなければ、〝昨日の敵は今日の友〟などということわざは生まれまい。

 

「それじゃ、俺はこれで失礼します。話してる間に先輩から力は大体奪えた(・・・)ので、これから日常生活において先輩の力が暴走する危険は無くなりましたから」

 

 ヒトの気持ちが理解できないのに己の理想を押し付ける、自分の気持ち悪さに吐き気を覚えながら八幡は立ち上がる。

 

 日織が瞳に浮かべていたのは、自分への軽蔑と後悔。

 

 元々八幡は正義の味方、か弱い少女を救うヒーローではない。

 

 自省を促す教師でもないし、所詮は社会の為の歯車に過ぎない自分の存在。そんな自分が、これ以上誰かの人生に関わって良い筈がないのだ。

 

 だから彼は、最小限の接触によって、先祖がしでかした不始末を片付ける事にしていた。

 

「先輩の元々のご家族についてもご心配は必要ありません。俺の仲間が調査に赴きますし、もし能力発現の兆候が見られたとしても、能力だけを奪ってしまうのでその後も今までと何ら変わりない生活を送ることができますよ」

 

 取っ手に手をかけ、涙目でこちらを見る日織にそう言葉をかけて、この顔を見るのもこれで最後だ——なんて思いつつ、部屋を出ようとする八幡。

 

「? どこにいくの?」

 

 しかし日織は、これから縁が切れて何の関係も無くなる筈の彼を呼び止めた。

 

「何処に……って、校内に戻るんですよ。一応これでも風紀委員ですし。最終下校時刻も近づいて————

 

 ズアッ。

 

「——っ!?」

 

 瞬間。八幡は、自分の体が(・・・・・)軽くなって(・・・・・)いる事に(・・・・)気付いた。

 

 いや、それよりも。

 

 自分の右腕が斬り飛ばされた事なんかよりも、八幡の眼前に広がる光景は彼に痛みを忘れさせ、惹きつけている。

 

 ゆらり、と立ち上がった日織は、どこか神々しいまでのブレもなく無駄のない動きで、八幡の制服を掴んだ。

 

ねえ(・・)どこにいくの(・・・・・・)って(・・)聞いたんだけど(・・・・・・・)そんなに(・・・・)おかしい質問(・・・・・・)だったかな(・・・・・)?」

 

 引き寄せられ、顔を覗き込まれる八幡は、普通ではない彼女の異常(・・)を目にして、さらに目を見開いた。

 

「…………ッ!?」

 

 あの時よりもさらに輝いて見える、赤色の羽。

 

 頬に涙の痕を残す日織のその背には、あの、忌むべき「力の翼」が生えていた。

 

 宝石ルビーの最高級品「ピジョンブラッド」を思わせる深紅の翼は、その美しさを誇るかのようにゆっくりと広がっていく。

 

 食堂で見たあの時とは違う。翼は明らかに、攻撃的な見た目をしている——ように見えた。

 

「わたしの力はそんなに美味しいかな? ただそこに居て、存在しているだけだったのに。どうしてあなたはわたしを引きずり出したのかな」

 

 その、慌てふためいて喚き散らすべきであろう危機的状況を、八幡は、対岸の火事を眺めるかの如く、ただ唖然とした様子で見ていた。

 

 まさか、八幡がミスをしたとでもいうのか。

 

 ありえない。比企谷の力の取り扱いについては、八幡が誰よりも知り尽くしているというのに。

 

 では何故? ……まさか、日織が力を隠していたのか。

 

 益々ありえない。日織は嘘などつける体質ではないし、なによりも、「力」は特殊であれば特殊であるほど、八幡に寄ってくるのだから。

 

 加えて、「わたしを引きずり出した」というセリフ。自分の能力が奪われたことに気付いたのは、日織ではない……?

 

 となると、考えられる原因はただひとつ。

 

 藍野日織は比企谷の血を引いている——などではなく、七年前。

 

 彼女は能力に目覚めたのではなく、彼女が選ばれて(・・・・)能力を得ていた。

 

(それしかねぇ……っ!)

 

 そして今は、日織の能力が奪われたことを知った「何者か」が日織に能力を戻し、奪った張本人である八幡を排除しようとしているのか。

 

 であるならば、まずはその日織と「何者か」の繋がりを断ち切らねばなるまい。

 

 そうと決まれば。

 

「失礼します……よっ!」

 

 日織の腕を掴み、引き剥がす。上着の掴まれていた部分が破れたものの、お構いなしにそのまま肩を押し、突き放した。

 

 体制を崩した日織は床に倒れる——かと思いきや、数歩後退っただけで耐えてみせる。

 

(普段の先輩なら、絶対に転けていた筈……)

 

 羽が発動している。ということは、そこから身体能力強化の魔法が自動発動していても不思議ではない。

 

 千切った制服を手離し、日織は八幡を見据えた。

 

「……なに、するの。わたしは八幡くんと/=/対象視認。能力の残留値僅か。強制回収に参ります」

 

 半分が破れてしまった上着を脱ぎ捨てながら、八幡は日織を睨む。

 

夏まで寝てるんじゃ(・・・・・・・・・)なかったのかよ(・・・・・・・)、バケモノ!」

 

「……此方【十神(とがみ)一魄(ひはく)】。白羅(はくら)、イチジョウ……」

 

 藍野日織——改め、イチジョウと名乗る何者かは、翼を八幡に突きつける。

 

閃滅いたします(・・・・・・・)

 

「…………」

 

 肩の傷口から滴る血が、八幡の足下の畳に血溜まりを作っていた。

 

 

 

 

 

 

 ——誰が。

 

 

 

 ——『〝彼女〟は君の目の前に居ない』と、言った?

 

 

 

 ——言っておこうか。

 

 

 

 ——〝彼女〟は、君が〝彼女たち〟を知るずっと前から。

 

 

 

 ——或いは、君が生まれた瞬間から。

 

 

 

 ——そんなにも前から、君を狙っていたんだ。

 

 

 

 ——無関係な他人を巻き込むことは許されないだとか、決してその程度で済む話ではない。

 

 

 

 彼が、巻き込まれていたのだ。






語彙力が欲しい。私がドラゴンボールに願うとしたら、金なぞよりもまずは知識をもらうだろう。


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敵の敵は自分


お待たせ致しました。続きです。


 

 外法の神。外の世界の神。外神。——転じて、十神。

 

 それは、まさに神の如き存在だった。

 

 十師族の創設者である九島烈が十師族という枠組みを作るより、遥か昔のこと。

 

 力を持つ者としての格も、その在り方も、すべてが異なっていた一〇体の存在があった。

 

 彼らは元々人間であったらしいが、それをもう〝ヒト〟と呼ぶことはできまい。

 

〝重力の壁の向こう側〟、いわば神のみが立ち入りを許される神域へと至り、未知の力を手にした彼らを同じ人であると誰が呼べよう。

 

 彼らが辿り着いたその場所は、力しか存在しない世界。指向性を持たない、ただただ莫大なだけのエネルギーが満ちた世界。掌に少しかき集めれば、宇宙を創造する事すら可能になる程だったという。

 

 そしてその者たちは確信した。この場所こそが、『虐げられてきた(・・・・・・・)我々の楽園だ』と。

 

 ただ、その場所が彼らにとって安住の地であった事は『我々の不幸』である。

 

 その場所は間違いなく、彼らが立ち入ってはいけない聖域だった。

 

 蛇という番人が存在しない禁忌の楽園に足を踏み入れた彼らは、甘き果汁滴る力の果実を取り合うように貪った。

 

 そうして力を取り込み続けた結果、個人の内包するエネルギーが〝世界壱個分〟、到底人が抱えられる量では無い力を持つことになった化け物が十神だ。

 

 そんな彼らを比企谷が観測したのがおよそ一〇〇年前。

 

 観測した結果、それらは人類にとって断じて許容できる存在ではないことが判明、それの対策として魔法師開発——魔法師を護る為の仕組みに大きな変更が加えられたのが、それから二〇年後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「閃滅いたします」

 

 もしかしたら、八幡が感じた恐怖の中で最大のものは、これなのかもしれない。

 

「——な」

 

 手を伸ばす間もなく、目前の少女の意識が消えた。

 

 そこにある情報として消えてしまっていたのだ。干渉する対象が存在しなければ、現代魔法は無能と化す。

 

 だが、消え方が変だった。消えたとしてもその後の状況は情報として残るはずなのに、まるで最初から藍野日織なんて存在しなかったかの如く、情報の前も後も消えてしまっている。

 

 もしかすると、死んでいない——彼女の認識についての能力に関係があるのかもしれない。

 

 それか、もしくは——

 

「……はは」

 

 昨日の夜何食べたっけなー、小町が作ってくれた料理美味かったなー。……あれ? 小町って俺のこと忘れてんのかな? という現実逃避で心を落ち着かせながら、八幡は正面を見る。深呼吸してみても、目の前の現実が変わることはなかった。

 

「お前を殺す」という最悪の告白と共にイチジョウが展開した翼は、コウモリのように一枚の皮と骨、爪で出来ているのではなく、食堂で見たものと同じだ。羽毛のように一ミリの隙間もなくびっしりと生えた鋼鉄の硬度を誇る深紅の結晶の全てが、ピタリと八幡に向けられている。

 

 あれを一斉に撃たれたらマズい。前に爆発を抑え込めたのは無造作に放たれた指向性のない攻撃だったからで、八幡という標的がいる以上、どんな盾を用いようとも確実に削り殺す為の威力はあると見るべきだ。

 

 それに、まともにあんな攻撃を受けたなら「風通しの良い体になっちゃった☆」というギャグも出来なくなる。というか、絨毯銃撃の後に肉片なんて残るのだろうか。いやきっと残らない。チリひとつさえ。

 

 加えて、自分自身に腕を切断された瞬間から治癒魔法や再成を試みてはいるが、まるで効いていない。

 

『違い』が過ぎるのだ。ダイヤモンドにシャープペンシルの芯を突き立てても芯が砕けてしまうように、強度が違い過ぎる。八幡が奪った力は、敵全体の一割に達しているかどうか。

 

 故に彼女の攻撃は、如何なる手段を用いても止めることは出来ないだろう。

 

「……如何なる手段もって事になると、あの魔法もダメか……」

 

 例えば、この世で『まだ』一度も使われたことのない、結果的に対象の時を止める封印指定魔法『乖離』であっても、効力が結果として現れるかどうか。

 

 発動したとしても、結果的にしか効果をもたらさない『乖離』では、干渉力のせめぎ合いでせいぜいが光速に迫る速さで到達する魔法を音速に落とすことしかできないだろう。これでは、瞬きすれば終わることに変わりはない。

 

 幸いにも銃撃は開始されていない。「殲滅する」と口にしたのだからいずれ発射は行われるのに間違いは無いし、今は発射する為のエネルギーを充填しているのだろうか。

 

白羅撃(はくらげき)

 

 なんか数学っぽく考えてたら攻撃が来た。

 

「ちょっタンマっ——」

 

 言葉で静止しようと何も間に合わない。

 

 ————————————————っ!

 

 放たれた一発目が無音の轟きと共に、八幡に届いた。

 

 無音というのは、イチジョウの銃撃にはそもそも火薬が使われていない為、銃撃音というものが発生しなかったのだ。

 

 だが、その威力の馬鹿馬鹿しさは、茶室をズダぼろに破壊する事で証明されていた。

 

 掛け軸がボロボロに破れ、床に落ちる。

 

 それ以前に、掛け軸をかける為の壁が吹き飛んでいた。

 

 空調や電源、水道の為の配線が剥き出しになっている。

 

「……っ!? あ、はぼっ……」

 

 苦悶の声が上がる。負った傷の数に従って、血が噴き出た。

 

 体に空いた無数の穴は全て貫通している。体を支えている筋肉を貫いたせいでとても立っていられずに崩れ落ち、畳に手をつき、血を吐く。

 

 跳ね返った銃弾は、喉を、肩を、肘を、太ももを、あばらを、貫いたのだ。無事でいられるはずもない。

 

 

 

「ただしイチジョウ、お前がだ」

 

 

 

 美少女は、鮮血と共に倒れる。

 

 夥しい数の銃撃を浴びて血を吹き出したのは、八幡ではなくイチジョウだった。

 

『乖離』は物体情報から時間に関する情報を剥離させ、永久不変の完全物質を生み出す為に開発されることになる(・・・・・)魔法だ。

 

 消去ではなく剥離、あくまでも切り離す魔法である為、イチジョウのケタ違いの干渉力によって切り離しが不十分になり、攻撃を止めることはできない。八幡の全ての力を持ってしても、緩やかにする事が関の山。

 

 ならば。

 

 全てではなく、一部だけ止めてしまえばいい。

 

 イチジョウがあまりにもゆっくりと攻撃の準備していたのは、エネルギーを貯める為ではなく狙いを定める為。コンピュータではないのだ、あれだけの弾頭を制御するには、多少の時間が生まれても仕方ないかもしれないが。

 

 自分のどこが狙われるのかは、八幡でも容易に想像する事ができる。

 

 あとは、イチジョウの観察と並行して一番最初に八幡の肉体を抉るであろう銃弾を「予測」し、その時その場所に来る銃弾だけを止めてやればいい。

 

 停止した羽根弾は壁となって後から来る羽根弾を跳ね返す。跳ね返った弾は狙いも何もない破壊力の権化となって、後から来る弾丸に当たって壁に弾痕を刻むか攻撃者であるイチジョウに還っていく。

 

 確実に八幡を殺す威力を持っているということは、並大抵のシールドなら容易く貫通するということで、壁には反射しないということだ。

 

 それに、たとえ咄嗟の判断には弱くても、前もって準備できるのなら魔法構築スピードは関係ない。

 

 定義された効果時間が〇.〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇一秒でも狂えば一切発動しない、時間を取り込む未来予知ありきの術式であるが、八幡にとっては造作もないことだ。

 

 一秒なら一秒、一分なら一分。彼は術式の発動期間の正確さにおいて、学年主席である司波深雪を大きく突き放している。

 

 その実力は部品などに不調が発生する可能性を持つ機械とは違い、何があっても一切ブレることはない正確さで、もはや故意にでもねじ曲げない限りは発動時間がずれない程で、だが、それができるからなんだという程度の能力だった。

 

 こんな場面でもなければ、彼の一番の才能が日の目を見ることは無かっただろう。

 

『う、うおああああああああああっ!?』

 

 床に倒れ伏すイチジョウを睨んでいると、部屋の外——遥か下で、叫び声が聞こえる。

 

「チッ」

 

 恐らく、この部屋から崩れ落ちてくるコンクリートを見上げて絶叫しているのだろう。そんな必要、ないのに。

 

「『再成』は事象の巻き戻しではなく事象の上書き……だからこそ、その過程を読み取る必要があるわけですが」

 

 八幡の肩から血が滴り落ちた途端、破壊された筈の茶室は破壊される前の状態に戻っていた。

 

「アンタは攻撃対象以外にはどうやら干渉力を発揮しないらしい。それがさせないのか出来ないのかは分からんが」

 

「……う、ぐ、が……」

 

 イチジョウにとどめを刺さないのは、日織を殺さない為だ。そして、イチジョウに日織の体を諦めさせるのが一番いい。……が、現代魔法を用いた攻撃がイチジョウに通じないことは確かだ。まだ八幡の腕は再成を拒絶しているし、瀕死の重傷程度では弱まりすらしないらしい。

 

 そして、八幡は距離を取ってイチジョウに目を向ける。

 

「……傷の治りが遅いな? 力を使うと治癒力も低下するのか。それとも——」

 

 八幡に返す言葉の代わりに、斬撃が飛んでくる。

 

「——そもそも傷など気にする必要が無い、か」

 

 が、無理な体勢で撃った為かイチジョウは吹っ飛び、結局八幡から大きく外れて部屋に一文字を刻んだだけに終わった。

 

 ぐじゅるぐじゅる、と背中から広がっていた羽が体内へと戻っていく。それで治療をしているのかもしれない。

 

 八幡は警戒をしつつ、今更ながらケータイを開いた。

 

 ケータイを開いて一秒、思考のために時間を取って八幡は指を再び動かす。

 

「……やっぱ連絡取るべきはアイツだよな」

 

 例によって例の如く(四葉家当主)買い換えたばかりの新品スマホで、記憶している番号を入力し、コールする。

 

「……? 漫喫にでもいんのか、アイツ?」

 

 だが、四コール経っても中々出ない。普段ならどんな状況でも二コールで出るというのに、いったいどうしたのか。

 

 結局、材木座が電話に出たのは六コールが終わって七コール目に入ってからだった。

 

『むぅ、こちら材木座』

 

「……実は今かなりヤバい状況にいる。相模と関本先輩に連絡を取ってくれ」

 

 文句は言わない。材木座にも事情はあるだろうし、まずは連絡できたことに安心しなければ。

 

『ふむ? むぅ……』

 

 だが、材木座から返ってきたのは「了解」でも「今は無理だ」でもなく、懐疑的な疑問形。

 

「おい、どうした?」

 

『あのう』

 

 五秒待ってやっと、材木座から返事があった。

 

 はやる気持ちを抑えつけながら、八幡は材木座の返事を待った。

 

 だが。

 

どなたかと(・・・・・)間違えていませんか? 我……あ、僕は〝さがみ〟〝せきもと〟なんて知りませんし、あなたの声も聞いたことがないです』

 

 まるで、間違い電話を受けたような受け答えの仕方だ。

 

「……………………は?」

 

 困惑が、八幡の口から漏れる。

 

「…………」

 

 未だ床に伏したままのイチジョウの口端は、歪んだ笑みを作っていた。



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忘虐の使徒

お待たせしました。続きです。


〜人物紹介〜


比企■■■

■■■。■■レ。思いや■■■る性■■■、それ■■■■■■■。


三浦優美子

 師補二十九家三浦家の令嬢であり、本来六塚家が得意とする炎熱系魔法を得意とする。彼女の力は幼い頃に偶然目覚めた異能であり、魔法と違った性質を持つ。誰かに何かを教えた気がする。


雪ノ下雪乃

六道第二位の家、雪ノ下家の次女。姉である陽乃のようになりたいと思っているが、中学生の頃、一人でにその考えから脱却する。誰かに何かをもらった気がする。


七草真由美

十師族七草家長女。彼女だけが生まれ持った才能は他には替え難く、また他人にとって理解もし難いスキルだったというのに、他人の心を思う優しい性格に育った彼女は他人のことを理解しようとする。きっと必要のない誰かがずっとそばにいた気がする。


「……そう。それじゃあ達也くんは当初の経緯を見ていないのね?」

 

 部活連本部。校内の部活を纏める組織『部活連』の拠点であるこの場所では現在、達也から生徒会長、部活連会頭、風紀委員長それぞれに対する事情説明が行われていた。

 

「はい。自分が目撃したのは剣道部の壬生先輩と剣術部の桐原先輩が言い争っている所からでした」

 

 聞き取り内容は、達也が桐原という二年生を魔法の不適正使用の嫌疑で捕縛した経緯について。

 

 何故達也が尋問されているのかといえば、達也による逮捕に抗議があったからではなく(抗議がなかったわけでは無い)、形式ばった質疑応答が事務処理として実際に必要だからだ。

 

 摩利が、口を開いた。

 

「桐原はどうした?」

 

「負傷していましたので、保健委員に引き渡しました。ご自身の非を認めていましたので、それ以上の措置は必要ないかと」

 

「ふむ……」

 

 今回、特に達也は桐原の逮捕に憤慨した剣術部の部員達を怪我を負わせずに叩きのめしている。達也の戦いぶりは明らかに慣れたものだったが、今回問われたのは桐原の罪の重さ。達也はこの応答の結果に何ら束縛されることはない。

 

 ため息をついて、摩利が隣に座る克人を見た。

 

「……風紀委員会としては、今回の件を——

 

達也の返事に頷いて、摩利は右隣に座る克人に顔を向け——ようとして、突然鳴り響いたアラームに驚き、跳ねた。

 

「——ひゃあっ!?」

 

 その悲鳴に反応する者は(達也を含め)皆無。そんなのは摩利の反応が面白くなかったからではなく、その程度よりも重大なものに、三人のうちの二人の意識が引っ張られているからだった。

 

「六道の……緊急事態メール?」

 

 彼らの携帯端末に表示されているのは、緊急事態発生と書かれた単純な一斉送信メール。

 

 この一言の後に付け加えられた特殊な紋様のスタンプが、彼らにそれを送りつけた者の状態を如実に表していた。

 

「……馬鹿な」

 

 克人が、驚きながらケータイを握りしめ、立ち上がる。それと同時に真由美も立ち上がっていた。

 

 彼ら十師族と六道のみが受け取ることのできるそのメールは、簡単に言えば送信者の身に何かがあった場合、もしくは何か六道でも十師族を守りきれない深刻な事態になってしまった時にのみ、使用可能になる。

 

そのメールの送信権を保有しているのは、六道各家の家長のみ。

 

 雪ノ下家、葉山家、川崎家、平塚家、折本家の後家に加えて監督役の由比ヶ浜家の家長は全員が成人であり、表の仕事も裏の仕事も担うプロの魔法師である。

 

 これら六つの家の家長が緊急事態に陥ることはまずあり得ないが、もし事態の悪化を止められなかったのだとしても、こんなややこしい古いシステムではなく、報道機関や連絡網などで広く迅速に事を伝えるに違いない。

 

 しかし。

 

 今回のように、備えとしてはあるものの実際に使うことはごく稀なこの手段を、わざわざ使った者がいる。

 

 何故使ったのか?

 

 それらが使えない、若しくは使うほどの余裕がないから。もしくは——

 

「もしもしリンちゃん!? 職員室には私から話を通しておくから、急いで校内放送!『校内に残ってる人は速やかに下校するように!』」

 

「俺だ。本日のみ部活動の勧誘は禁止、速やかに下校するように各部の部長に伝えてくれ。今日の補填はまた後日設けることにするが、『十五分後までに下校せず残っていた部については今年の部活動勧誘を禁止とする』」

 

 ——そもそも、それ以外に連絡できる手段を知らないか(・・・・・)の、どちらかだ。

 

「お、おい待て2人とも! 一体何を慌てているんだ!?」

 

 2人の豹変した様相についていけず、真由美の肩を掴んで聞くのは摩利。達也は、その後ろで「何かあったのか」と『よそ見』をしていた。

 

 訳もわからず、感情だけ2人に引っ張られて、摩利は言葉を投げる。

 

 それに対する2人の返答は——

 

「「六道の中で一番強い八幡が重傷を負った。今からこの場所は戦場になるかもしれない」」

 

 それだけだった。

 

「なんだと……」

 

 二人がそれ以上語ることは無かったが、純然たる事実として十師族の魔法師二人が慌てている事こそが、摩利を信用させたのかもしれない。

 

「……っ、全風紀委員に通達! 今日の見回りは中止! 腕章などの返却はまた後日だ! とにかく、これから速やかに下校しろ!」

 

 摩利も通信機を手に取り、部下達に指示を出す。

 

「マジですか?」「放送も……」などと返ってきた声に摩利は、

 

「いいから言うことを聞け! 事情は後日説明する! 死んでも知らんぞ!?」

 

 とマイクに声を叩きつけ、全員から了解の返事を得て、通信を切った。

 

「これでいいのか? ……全く」

 

 目に見えての変化はまだ無い。……自分達に知覚できないレベルの戦いが繰り広げられている、若しくはもう既に八幡が斃されている可能性もある。そうなれば、もしかすると自分達に勝ち目はないのかもしれない。

 

 

 

「…………ん?」

 

 

 

 そう思っていた摩利だが、彼女はここで違和感を覚えた。

 

 先ほどまでと見ている景色が何か違う——のではなく、何か忘れてしまったかのような、記憶の欠落感。

 

 だがまあ、今はそんなことよりも気にするべき事がある。今、「六道のあの一年生(・・・・・)」が重傷を負ってしまうほどの非常事態であるというのなら六道が動く筈だし、それに連絡を受けた学校が動かない訳が

 

 

 

「……………………何故、六道が動かない?」

 

 

 

 ——違和感の正体は、まさにそれだった。

 

 緊急時、十師族を守るために動く筈である六道が、誰一人姿を見せるどころか連絡を寄越した様子もない。

 

 雪ノ下も、葉山も、平塚も、川崎も、金沢にいる折本は別として、六道において最強である由比ヶ浜も(・・・・・)

 

 誰も、姿を見せていない。

 

「……な、なあ真由美。六道はどうしたんだ? どうしてやってこない?」

 

 そうだ。護衛の当事者である真由美達なら、六道がやってこないことを不審に思っているに違いない。

 

 摩利は、そう思って真由美に声をかけた——が。

 

「……?」

 

 真由美は、怪訝そうに首を傾げる。とてもゆったりとした余裕のある動作で、非常時にできるものではない気品の高さが見て取れる。やはり、育ちが違うからだろうか——なんて、摩利が考えていると。

 

「もう、何を言っているの、摩利? 彼らは彼らで仕事だったりがあるの。私達と六道は緊急時にだけ守護して守護される関係だから、なんの用事も無いのに呼びつけちゃ迷惑でしょう」

 

 と、まるで今が非常事態では無いかのように振る舞って、いて…………。

 

「……???」

 

 ………何故、自分は席を立っているのだろう。

 

 何か言い争いでもしていたのか。つまらない小競り合いでこの二人と喧嘩するようなことはまずないし、あるとしたら無視できないほど巨大なすれ違いが発生した時のみだ。

 

 そして、そんなことがあるなら確実に記憶に残っている筈なのに。

 

 …………疲れてるのかな。

 

 自分が達也を前にして席を立つ理由を思い出せない三人は、己の記憶と戦いながら、再び座り心地の良い椅子に座る。——と。

 

「——あら、ごめんなさい。少し席を外すわね」

 

 真由美のケータイに着信があり、真由美は席を立つ。

 

真由美が部屋を出て行こうとするその前で、克人が達也に目を向けた。

 

「では、今の司波の証言を口述書として記録しておく。桐原からも後に聞き取りを行おう。ご苦労だった。巡回に戻ってくれ」

 

「了解です。……失礼します」

 

克人に促され、部屋を出ようとする達也。……が、部屋に戻ってきた真由美とぶつかりそうになり、達也が身をかわして壁に肩をぶつけた。

 

 心配そうな声と表情で、真由美が達也に駆け寄る。

 

「ご、ごめんなさい!」

 

「いえ、大丈夫です」

 

 側から見ても単なる事故。しかしそれを、オモシロオカシク解釈する者がいた。

 

「おや? 真由美。ドサクサに紛れて達也くんに何をしようと」

 

「してないわよっ! ただの事故! それに触ってもいないわ!」

 

「まさか三年にもなって恋人がいないことを嘆いてそんな犯行に……」

 

「してないつってんでしょうが!!」

 

 摩利の問い詰めに、真由美もとうとうキレた。しかし摩利は、その微妙な変化を見逃さない。

 

 真由美も顔を真っ赤にするあたり、満更でもない——いや、単に照れ屋なだけかもしれない。

 

 隣の彼女から湧き上がるサイオンを見て、摩利はこれ以上真由美で遊ぼうとするのをやめた。

 

 速やかに話題変換に移ることにする。

 

「それはそうと、なんの話だったんだ? 随分早かったが」

 

「……あぁ、うん。いえ、なんでも無いのよ。……なんと言うか、へんな電話ではあったのだけれど」

 

 摩利の問いに対する歯切れが悪い。都合が悪いというより、気味悪がっている様子だ。

 

「へんな電話?」

 

「男の子の声だったんだけど、わたしが『七草です』って出るなり、名前も名乗らず雪ノ下雪乃さんや三浦優美子さんと連絡を取れないか、って言ってきたの。それも随分馴れ馴れしい様子で。……怪しいし、いくらあまり縁がないとはいえ護衛役の六道や同じナンバーズを売るような真似はしたくなかったから、ご自分でご連絡しては如何ですか? って切っちゃったのよ」

 

 余程気分を害されたのだろう、眉を眉間に寄せて、真由美はハッキリと不快な表情を浮かべていた。

 

「……そうか」

 

 これは、からかっても面白そうではない。

 

 摩利は、先ほどまで話していた桐原の処遇についての書類(データ)に改めて目を通す事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ、やっぱダメか!」

 

 そう吐き捨てると、ケータイを耳から離し、八幡は目の前の敵を睨め付けた。

 

 先ほどから手当たり次第に知り合いと連絡を取ろうと、電話をかけている。

 

 だが、電話をかけた誰もが自分のことを覚えていない——否、知らないかのように振る舞い、電話を切られてしまうのだ。

 

 他人に認識されない——正確には「他人に記憶されない」という能力。それは、単純な事実に連なる人々の記憶すらも改変してみせる恐ろしい能力である。

 

 それが本気を——本領を発揮したのなら、こうなるのか。

 

 消されているのが自分に関する記憶のみ——それの欠如に伴う不合理は都合良く合わせられているようだ——で本当に良かったと思う八幡だが、これでは誰にも助けを求めることが出来ない。

 

 先程助けた見知らぬ生徒も、今頃自分の頭上に瓦礫が降ってきた事すら忘れているだろう。戦闘を察知されることが無くなったということは、誰も避難していないということ。

 

 緊急事態を知らせる通知も、履歴として残るものではない。だから発令があったこと自体、忘れられているのだろう。

 

 それはつまり、これから孤立無援の戦いを強いられるということ。加えて右腕がない。

 

 だが、まだ死んではいない。むしろ殺してくれた方が八幡にとっては好都合なのだが、

 

「……さて」

 

 目の前の少女は、どうやら(・・・・)それどころ(・・・・・)ではない(・・・・)らしい(・・・)

 

「ぁう……。? ……? ……??」

 

 自らをイチジョウと名乗る少女は、何故かあれから一向に立ち上がる気配を見せず、ずっと八幡の目の前で畳に這いつくばっている。

 

 少女自身が自分の不調(と言っていいのか八幡には判断不可能だが)に手間取っているせいで、周りから忘れられようとも、八幡にはまだ余裕があった。

 

 だが、そんな事をする暇があったのなら、目の前の少女を解析した方が良かったのだ。

 

 ガギィッ! 鋼鉄を爪で引っ掻いたような、耳障りな音が響き渡る。

 

 イチジョウの刃が、真っ二つに割れて八幡の左右に落ちた。

 

「……花の乙女が、そうやってえげつないもん生み出すのは如何なもんですかね」

 

 一撃目には反応すらできなかった八幡だが、イチジョウが放った二撃目——正しくは三撃目——は、見事に防いでいる。

 

 そして、八幡はイチジョウの体に起きた異変に気づいていた。

 

「……ひょっとして、歩けないんすか?」

 

 ほんの少し首を横に向けてみれば、八幡に当たらなかった斬撃痕が壁に刻まれている。

 

 その数はひとつや二つではなく、機関銃を振り回したかのように乱雑に、無造作に斬撃が壁に刻まれている。

 

 狙いが定まっていないのかもしれない。

 

 だから乱発して、偶然その一発が当たったのか。

 

 ならば一体なぜ、イチジョウは体に不調を抱えることになったのか。

 

 八幡は、その答えを得ていた。

 

 魔法とは才能の力だ。努力や対価で得るものではなく、生まれ持って決められた力。

 

 藍野日織がこの学園に入学できたのは「比企谷」ではなくイチジョウの力を埋め込まれていたからだが、日織には元々魔法師としての才能はこれっぽっちも無かったらしく、筆記は問題なく通過していても実技ではギリギリの点数での合格だった。

 

 才能を持っておらず、ただ力を押し付けられた日織の、その中にいたイチジョウが、同質の力を持つ八幡との三度の邂逅を経て覚醒した。

 

 彼女の人格は喰われ、イチジョウが身体を乗っ取ることで最強の力を振るっている。

 

 だが、今は先程の見る影もない。イチジョウ——十神の攻撃を八幡が防げる程に、弱体化してしまっていた。

 

「あんたまさか」

 

 自分の導き出した答えに言葉を失いそうになりながら、八幡はそれを口にする。

 

「……意識が(・・・)、あるんですか」

 

 八幡の問いかけに応えるように、イチジョウの左眼が八幡を捉える。

 

「っ!」

 

 途端、確信を持った八幡はイチジョウの前から姿を消した。

 

 どうせ負ける。そんな思いでいっぱいだった彼の脳裏に希望が差し込まれ、死ぬ事に躊躇いが生まれたからだ。

 

 瞬間移動で廊下に出た八幡は、あらゆる場所にある監視カメラの回路を焼き切りながら走り始めた。逃げるためではない。イチジョウを倒す為の時間稼ぎだ。

 

 しかし希望が生まれたとて、勝てる見込みが出来たわけではない。

 

 何か方法は無いか。このままでは彼女は間違いなく死ぬ。

 

 何か。

 

 考えなければ。

 

 ばきり。

 

「…………あ?」

 

 八幡の目前、廊下に亀裂が走った。

 

 それと同時にガギィゴゴドキギガガガ、と音を立てて、八幡の右前方にあった教室のスライド式自動ドアが、プルタップ式の缶詰のように柔らかくこじ開けられていく。

 

「……一体、どこへ行くのですか?」

 

 姿を現したのはイチジョウ。浮き上がった日織の意識を完全に抑え込んだらしく、それによって身体の不調は消えているらしい。

 

 自動ドアを知らないらしく、イチジョウは施錠されていたドアを破壊して八幡の目の前に立ち塞がる。

 

 そんな彼女に八幡は、少しでも時間稼ぎが出来ないかと手をあたふたさせ、

 

「いやそのちょっと、トイレに花を摘みに行こうかなあと……」

 

 表情筋を操ってオドオドと挙動不審な態度と共に自分に意識を集中させた。

 

 それを見たイチジョウは、

 

「といれ……花を……厠ですか。殿方が花を摘むという表現をされるとは、中々面白い時代になりましたね」

 

 もう身体の痺れは完全に取れたらしく、捕食者の余裕をもって優雅に微笑んで見せた。それに対する八幡の顔は、苦笑いだ。

 

「いやあ、貴女が人間だった時代から千三百年(・・・・)は経過してますからね。世の統治者は何百回と入れ替わり、統治者は消え、今は民草が政を握っています」

 

 破滅の刃が八幡に向けられている。

 

 じゃき、と尖っていくそれを見て、八幡はたたらを踏んで尻餅をついた。

 

「なわわっ……ば、あの、会話ができるなら少し話し合いません? 奪った力ならお返ししますし……?」

 

 怯えた表情を作る。しかしイチジョウは、そんな八幡に対し首を傾げた。

 

「嫌ですよ? わたしは力を返して欲しいのであって、あなたを生かしておく理由がない。ので、返してもらおうと奪い返そうと、どちらでも構わないです」

 

「……ああ、そうですか」

 

 八幡は上げていた顔を下げ、落ち着くように床に座りこむ。

 

 観念した。八幡の態度をそう受け取ったイチジョウは、翼を構え——

 

「……!?」

 

「……過去(プラテリトゥム)覚悟(プラパラティオ)勇気(アニモ)……黄金(アウルム)だ」

 

「——ボォぇっ!?」

 

 ——広がった床の亀裂から飛び出てきた襲撃者によって、イチジョウは壁に頭から叩きつけられた。

 

 イチジョウを殴りつけた襲撃者は拳に金色の液状の物質を纏っていて、腕から滴り落ちたそれは八幡の眼に紛う事のない純金として視えていた。

 

「……ぜーたくだな」

 

 腕から黄金を滴らせるその特異な姿と、白衣を身に纏って仁王立ちという〝彼女〟らしい姿に、八幡はため息をこぼした。

 

「……っ!」

 

 壁に叩きつけられ、黄金まみれになっていたイチジョウは即座に反応し、翼を動かした。

 

 大きく姿勢を崩した人が体勢を元に戻すには、まず手足が動く——が、イチジョウの場合、手足よりも先に翼が動く。

 

 それは攻撃に対する反撃の為であり、続く二撃目に対する防御の為だ。

 

 「!?」

 

 しかしイチジョウの翼は羽ばたきを止める。……否、止めさせられた。

 

 ギチ、ギチ……と、鋼鉄ワイヤーが悲鳴を上げる音と共に、顔だけ背後に振り返った状態のまま——イチジョウは蝋人形のように固まっていた。

 

「こ、れ、は……?」

 

 翼の先から指の先まで、身動き一つ取れない。顎の動きが必要ない言葉を発するので精一杯だ。

 

 彼女の体に纏わり付いた黄金が、意志を持ったかのようにうねり、彼女の体を縛りあげていた。

 

 何か混ぜ物をしているのか、魔法的な強化を施しているのか。自動ドアを素手で破壊して見せたパワーを持つイチジョウの動きは、完璧に停止させられている。

 

 そんなイチジョウの前で彼女は振り返り、八幡に向かって笑みを見せた。

 

「どうだ比企谷。最高にカッコいい登場の仕方だろう?」

 

 彼女がここに現れることは視えていた。視えていたからこそ八幡はこんな開けた場所に来たのだし、予知に死角などあるはずがないのだから。

 

「…………」

 

 それでも。

 

「比企谷?」

 

「……いや、その。……ありがとう、ございます」

 

 涙が出る。本気で死ぬかと思った。これ程の生死体験をしたのは久方ぶりだ。

 

 実は、イチジョウが仕掛けた記憶の操作によって、人前であろうと泣き喚いてしまいそうになるくらいに精神が負担を受けていた八幡は、堪えていた涙が頬を伝ってしまう程に、感極まっていた。

 

 人からの罵倒には平気でも、孤高ではない孤立は今の彼には精神的に響く。

 

「——結婚してください、平塚先生」

 

「ああ、……うん。…………ふえっ!? ひ、ひひひきがや!?」

 

 八幡の言葉に頷いたものの、その言葉の意味を理解した途端に顔を真っ赤にして慌て始める平塚静。

 

「……あ、先生。先生今、すげー可愛いです」

 

「はあああっ!?」

 

 そんな彼女を、八幡は久しぶりに可愛いと思っていた。





ここでまさかのブラックホース或いはど定番が登場かー!?

次回をお楽しみに。


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平塚静は、彼を見捨てない。

今回誤表記だったり設定の矛盾だったりが発生していましたので一部を書き直させていただきました。

大変失礼致しました。


 物体変質錬金術式錬金術(・・・)、「アウルム」。

 

 それは、ある物質に全く別の、本来では有りえないような性質を付与する魔法。

 

 通常製錬作業などにみられるエネルギー弾性しか持たない金属に、本来ゴムなどが持つ〝エントロピー弾性〟、所謂『弾力』を持たせたり、鋼に麩菓子のような脆さを付与したりすることができる。

 

 だがその本質は決して相手を拘束する為ではなく、錬成した物質を研究し新たな資源や建築の資材として活用する為に使われる、極めて平和的かつ将来性のある、新世代の魔法だ。

 

 静が今回錬成したアウルムは、変質という術式の特性を十分に利用し尽くし、強度・耐久性共に極めて優れている。静が過去に錬成した例でいえば、ワイヤー状に錬成し、飛び立つための加速に入っていた『大型貨物輸送機』に結びつけて強引に停止させ、離陸させなかった事もある程だ。

 

 

 

 しかし。

 

 

 

 世の中常に新しいものが強いとは限らない。

 

 埋もれていく歴史の中で、未知である事こそを最も警戒すべきだ。

 

 現に、比企谷はこうして未知の存在に圧倒されているのだから。

 

「ねえ〜〜〜〜〜〜〜〜」

 

 一般的な女子生徒の筋力では伸ばすことすら不可能である筈の黄金が、イチジョウの動きを抑えきれずにゴムのように伸び、悲鳴を上げていた。

 

「どおーーーーーーして」

 

「わらひのころ」

 

「ていあってわかうの〜〜〜〜?」

 

 至極単純な問いかけだ。だからこそ、彼女が行っている様に対する恐怖は際立つ。

 

「……?」

 

 ……際立つ——筈なのだが。

 

 ……反応がない。

 

 イチジョウの体勢では今の状況をまともに見聞きすることはできないが、耳だけでも澄ませてみる——と。

 

「先生本当に可愛いです」

 

「いやっ、あのな、ひきがや……!?」

 

 指が髪の毛に触れ、毛先をくすぐる音が聞こえる。

 

「あぅん……っ!」

 

 溢れる熱い吐息と、艶やかに響く色香を含んだ声。

 

 甘酸っぱい香りはしない。それでも、その場の雰囲気で彼らが何をしているのかは容易に想像できた。

 

 それを理解した途端、胸の奥がきゅう、と締め付けられるような痛みをイチジョウは覚えた。

 

 つられて、こちらまで吐息が熱くなりそうだ。

 

「……………………」

 

 ……どうやら、彼らはこのわたしを前にして「苦しませて死なせてくれ」と懇願しているらしい。

 

 発砲音が、数発分廊下に響いた。

 

 金属に覆われていない箇所から新たに羽を生やし、声のする方向へ乱れ撃ったのだ。しかも、威力を下げて。

 

「……はは」

 

 撃った部分は新たな黄金に覆われてしまったが、望み通り、楽には死なせない——と心にしながら、イチジョウは攻撃の反応を待った。

 

「……?」

 

 表情が変えられたなら、彼女は大いに眉をひそめた事だろう。

 

「……お、おい。巫山戯るな、私とお前は教師と生徒だぞ……っ」

 

「その前に男と女じゃないですか……どうしてこの手を退けようとしないんです? 言葉よりもまず態度で示さないとだめですよ」

 

「そ、それは、お前が無理やりやってきたからっ……んぅっ!」

 

「……あーあ。こんなにもたわわに実らせて。職員室の先生方は、平塚先生から目を背けるのに必死だったんでしょうね」

 

 何事もなかったかのように、会話は続いていた。

 

「…………!」

 

 外したとか、避けられたという考えはイチジョウに無かった。

 

 敵である自分を前にして、情事に及ぶとは。……比企谷八幡は一体何を考えているのか。

 

 まさか、勝てないと踏ん切りをつけて諦められた?「どうせ死ぬなら」という簡単な理由で?

 

 ……ふざけるな。

 

 こんな人間が生を謳歌することが許されるのなら。

 

 

 

 なぜわたし()は救われなかったのか!

 

 

 

 この目で彼らの双眸を捉え、死ぬ間際まで眼球がこちらに釘付けになって離れないよう、徹底的に恐怖を叩き込んでやる。

 

 ぎゅいぃうぐぎぎゅぎょぎぎぎぎぎぎ、と鉄骨がねじ曲がる音を響かせてイチジョウは二人の方向を向いた。

 

「……なる程。最大強度のアウルムではその動きを完全に封じられない、と」

 

 ぎょっ、となったイチジョウを誰も責めはしまい。敵なのだから。

 

 イチジョウが目にしたのは、八幡の瞳。つまり、目が合ったのだ。

 

 彼の目つきは、先ほどまでじわじわと伝わってきた、こちらのことなど放っておいて情事にふけているような雰囲気を微塵も出していない。

 

 彼らの体勢も、衣服の乱れも先の戦闘によるものと思われるもの以外は普通だ。

 

 二人が公僕に見咎められることなどまずありえないが、今すぐ職務質問されたとして『敵性勢力と戦闘してました』で説明がついてしまうような普通の格好を、八幡とその隣に立つ静はしていた。

 

 八幡が口を開く。

 

「まぁ、平塚先生は大丈夫だって言うんですがね。俺が錬成したものじゃないですし、耐久性はどんな感じかなってちょっと体を動かしてもらいました。十分理解できたので、元の体勢に戻ってもらって結構ですよ」

 

「お前マジで覚えてろよ……!」

 

 つまり、今までのは全て演技。胸元を隠す静が顔を赤らめているのが気になりはするが、イチジョウを引っ掛けるための罠だったのだ。

 

 何のためかといえば、八幡が口にしたように、イチジョウを焚き付けて煽る為。

 

 ————!

 

 煮えたぎるマグマの様に荒れ狂うイチジョウの心は、今沸点を迎えた。

 

「…………お…………あ…………え…………!!」

 

 八幡と静に睨まれながら、イチジョウは身体のあちこちからギチギチと不気味な音を鳴らし、黄金によって固められ閉じることもできなくなった口で言葉を絞り出す。

 

 反っていた姿勢は元に戻り、ガクガクと顔を揺らしながら、イチジョウはこの状態を作り上げた静を見ていた。

 

「……それにしても一体、なんなんだ、コイツは」

 

 問いかける静の表情には、若干の焦りが見て取れた。しかし、それを説明することに対する躊躇いの時間は八幡に残されていない。

 

「敵ですよ。……あんたら六道の」

 

 床に手を当てていたものの、立ち上がった八幡の言葉に、静は目を見開いた。

 

「……十神(とがみ)か……!」

 

 喉が急速に渇いていくのが実感できる。

 

 恐怖を前にして、恐怖が身に入り、逃がそうとして汗をかく。

 

 ……人の、生物が持つに赦された力の限度を明らかに超えた化け物。

 

 六道というシステムが設立されることになった本当の所以。

 

〝自分たちはその為に作られたが、いざ戦えば自分たちが彼らに敵うかどうかはわからない〟

 

 彼女は、50代という若さで亡くなった曾祖母から半ばお伽話扱いでその話をよく聞いていた。

 

 いつもにこにこと柔らかな表情を浮かべていた曾祖母は、死の間際もそのことを口にしていたが、その時だけは、表情から笑みが抜け落ちていたのをよく覚えていた。

 

 その御伽噺が、自分の目の前で呼吸をしている。

 

 どれ程の恐怖が彼女を襲ったのか、計り知れない。

 

 ぐぐぐぐ……。

 

 一歩を踏み出そうとするイチジョウだが、5センチほど踏み出したところで黄金がイチジョウの力を完全に抑え込み、ばちん、とゴムで弾かれたように元の体勢に戻る。

 

「見たところ、枝先みたいなもんですけどね。本体はこんなレベルじゃないです——よっと」

 

 立ち上がり、切断された腕から流れ出る血を放置したまま、八幡は静を見る。

 

「……再成できないのか?」

 

 八幡の傷を見て静は眉を潜めた。

 

「奴さんの干渉力が桁違い過ぎて、何も魔法がかからないんすよね。灼いて傷口を塞ぐのも無理。切れ端であのレベルだと、本体は時空間に干渉できそうなくらいの力を持ってそうですけど」

 

「……普通の魔法では倒せない、か」

 

「戦略級でも、殺せませんよ」

 

「…………」

 

 拳を握りしめ、考え込む静。しばらくすると顔を上げた。

 

「……そういえば、先程校内放送があったな。至急下校しろという内容だったが……」

 

「ああ。俺が六道経由で流した警報を受け取った会長が流したんだと思いますが」

 

「……やっぱりあったよな? 私の端末も激しいくらいに音が鳴った。……だが」

 

「数秒後には、全員が全員、忘れていたと」

 

 わかっていたかのように、或いは諦めたような表情で八幡は結末を口にした。

 

「……アイツの能力なのか?」

 

「おそらくですけど、そうでしょ」

 

「自分の記憶を消す能力? いや、それだとただの避難呼びかけに過ぎない放送を皆が忘れる理由がわからないな」

 

「自分にとって不都合なものが発生した場合にその不都合な記録を消す能力か、自分に敵対しようとしている人間に関する記憶を消すかの条件発動型だと思うんすけどね」

 

 八幡の言葉になるほど、と頷きながら、え、と口を開けて八幡を二度見した。

 

「……何故、私とお前は記憶を失っていない?」

 

 先程のイチジョウの反応を見るに、もっともな疑問だ。

 

 八幡は、イチジョウが目覚める原因となったチカラの吸引をしている。だからイチジョウ自身が記憶を失わない程度の力には抵抗力があるのかもしれないし、イチジョウは自分を能力の対象外にしているのかもしれない。そうなると、イチジョウのチカラを奪った八幡はイチジョウ自身であることになり、八幡に対して能力が発動しないことになる。

 

 だが……。

 

「俺に関しては、たぶんアイツの能力を奪ったからなんですけど、……それだと先……せい、が……」

 

「……比企谷? ……っ!」

 

 言葉が切れる。そして、活性化するサイオン。それは八幡が臨戦態勢に移行したということであり、静も警戒しなければならないのだが、イチジョウを静が世界最強を自負するオリで捕獲した今、八幡が慌てている理由が静にはわからな——く、なくなった。

 

 目の前の現実が、絶望を教えてくれる。

 

「……金という金属に限らず、全ての物質は極端な温度変化に弱い。だが、火で炙ったり凍らせる程度じゃ損傷したりしないはずなんだがな……」

 

 ぽろ、ぽと。ずしゃああ。

 

 イチジョウを拘束していた筈の黄金は、拘束力を失い、まるで泥のようにぐずぐずに崩れ、剥がれ落ちていた。

 

「あれは——多分、融解とか昇華とか、そうじゃない。強ければ強いほどに脆くなる——物質の特性が反転しているんだと思います」

 

「はあっ!? そんなの、干渉力がどうとかいう問題じゃ……!」

 

「そういうもんですよ、十神ってのは。現代魔法みたいに事象を上書きすることで効果を発揮する魔法は使えませんが、代わりに桁違いの干渉力によって現代魔法の効果を受ける事もない。ヤツらの前に立った魔法師は面白いくらいに無力になりますから。……リングとルールの中でいかにやりくりするかってのが魔法なのに、そのリングを持ち上げて叩きつけてくるもんだから、本当に十神ってのはやり難い……」

 

「……?」

 

 静は、八幡の口ぶりに違和感を覚えた。

 

 まるで、以前十神と相対したことが有るかのような——と。

 

「……仕方ないので、もう一回粘着塗れにしてやるぜぐうぇべべべっ!?」

 

 やれやれ、と首を振り、静の技を真似て左腕に黄金を纏う八幡の、襟首を掴んだのは静。

 

「一度やった攻撃が二度も効くかバカもん! 逃げるぞ!」

 

 静が走り始めるのとイチジョウの攻撃が着弾するのは、ほぼ同時だった。

 

 一撃目を躱し、二撃目の爆風を背中に受けて加速、そのまま脇にある階段を壁を蹴って下りていく。

 

 階段を駆け下りたなら、即座に走り始めなければ。止まっているわけにはいかない。

 

 だが。

 

「っ!?」

 

「ちょっ!?」

 

 階段を下りきったところで、静は足を滑らせ——否。

 

「影——?」

 

 静の足下、いつの間にか生じていた影から伸びる腕に足首を掴まれ、影に体が沈んでいくのだ。

 

 静に抱えられていた八幡はそれにいち早く気づいて脱出しようとした。だが、それを認識した時には既に二人は影の中にいて、影を認識した時点で、二人は逃げるという選択肢を奪われてしまっていた。

 

「く……ここ、は……?」

 

 生まれて初めて影の中に入るという経験を得た八幡だが、見た感じ全くの暗黒空間というわけではない。

 

 足を付く感触からして床ではなく地面はあるし、暖色の光が天井から差し込む事で周囲の状況が、他人の表情の明暗までよく見えた。

 

 静の能力? ……いや、この現象には静自身も驚いていた。となると、影の中に世界を作り出す——なんて、2次元世界に3次元の理を持ち込むが如き芸当が可能な人間が他にいるのだろうか。

 

「一体……あっ!?」

 

 影の中で立ち上がろうとして、周りは見えるが周囲の把握がままらない中、八幡は真正面から飛び込んできた何者かに押し倒される。

 

 それと同時に、この影の世界を作り上げた人物の正体も割れた。

 

「くっ……!?」

 

 この謎空間はイチジョウの新たな能力かと思いきや、

 

「フフフフフフフ。……八幡! だぁーいすきっ!」

 

 八幡に抱きついたのはとある少女。

 

 だが、明るく親しげなこの声に八幡は聞き覚えがあった。

 

 彼女は、今朝八幡のベッドに潜り込んできた。

 

 彼女は八幡の知人の、……クローン。

 

 USNA軍に保管されているDNAマップを元に作成された、代えの聞かない戦略級魔法師のバックアップ。

 

「……お前、は……!?」

 

 陽の光は時に黄金に例えられる事もあるが、この暗闇においての彼女の髪の金色は余計に明るく、際立っていた。

 

 まさに生き写しだ。クローンなのだから当然だが。

 

 あらゆる点が同じという中でただ一つ、色白な肌の知人とは違う健康的な褐色の肌をしている彼女は——

 

「シールズ……!?」

 

「……リーナって呼んでよ、八幡……」

 

 八幡の家に居るはずの彼女は、何故か今、第一高校の女子用制服を身に纏い、八幡の胸元に顔を埋めていた。

 



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立ち上がれ、英雄の巫女よ

大変お待たせしました。続きでございます。予定としてはあと2、3話で入学編が終わり、その次から九校戦編に入っていくつもりです。

今回は九千字超えてしまいました。読みにくかったらすみません……。


「シールズ……!?」

 

 八幡と「ネファス(アンジェリーナ=クドウ=シールズのクローン体)」の再会は、驚きと共に始まった。

 

 こんな所に居るはずのない彼女だ、八幡が驚くのも無理はない。ただ、彼が本当に驚くのはこの後だった。

 

 もぞ……もぞ。

 

「シールズ?」

 

 思考が停止する八幡を他所に、彼の腹に馬乗りになり、ネファスは彼の首筋に狙いを定め、何が良いのか、全身を密着させて鼻息荒め、しかしながらゆったりとした動作で、かふかふと匂いを嗅いでいた。

 

「…………」

 

 驚いていたのは、八幡だけでは——もちろん、ない。

 

「……シールズ?」

 

 静は、彼女の立場からすれば正しい反応をしていた。

 

 彼女を知っている、という反応だ。

 

 だが、八幡としては敵対さえしてくれなければどうでも良い。

 

「……おいシールズ。何のためにここにきた? 悪いが、お前に構っている時間は——」

 

「バカ」

 

 ネファスを押し退けて立ち上がろうとする八幡だが、逆にネファスのチョップが彼の脳天に振り下ろされて床に転がる事となった。

 

「……っ、……!?」

 

 いつの間にかふかふかのクッションに変化していた影の床は、倒れ込む八幡を優しく受け止める。

 

「……何のつもりだ」

 

 すぐに腰を浮かせて、低く、暗い声で八幡はネファスを睨め付ける。睨まれたネファスは、何一つ動じていない顔で八幡を睨み返した。

 

「だって八幡、このままだと死ぬよ」

 

 バカバカしい、と八幡はその先の(・・・・)ネファスの主張を吐き捨てる。

 

「だからなんだ? 言っておくが俺は右腕の止血が出来ていない。もってもあと1、2分で意識を失う。手を早く打たないと——」

 

 八幡のネファスを見上げる目は、腐っていた。

 

 虚勢を張る瞳ではない。己の死すら平然と向き合って見せる、慣れによって痛みに鈍くなった瞳だ。

 

 或いは、子供のように理屈を知らない瞳のようで——

 

「んっ!」

 

「んぅ!?」

 

 ——落ち着かせるには、それなりの手段を獲るしかなかった。

 

 お喋り途中の八幡は開口していて、実に舌を入れ易かったのだ。

 

 相手の口内に舌をねじ込んだ後、両腕を使って抱きしめ、自分の体と八幡の体とを密着させたネファスは次の口撃に移る。

 

「んあ……」

 

「っ……」

 

 八幡の下顎と舌の間に自分の舌を滑り込ませ、八幡の舌を裏側からゆっくりと舐め上げる。

 

 びりびりぞわぞわっ! とでも表現したい、寒気というか悪寒を感じ取った八幡。

 

〝それ〟は、知らない感覚。

 

〝キス〟は、「いちおう」ディープな方も経験のある八幡だが、今回のキスがもたらすぞわぞわとした快楽は今までに体験したことがない。

 

 自分にとって未知のものや感覚に対し、守るものがない場合、普通八幡は逃げる事を選択する。

 

 が。

 

 外から鍵をかけられたわずか6畳ほどの檻の中で、血に飢えた猛獣から二十分逃げろと言われているようなもの。逃げようとするだけ無駄であり、逃げるだけ、絡まっていく。

 

「ん——!」

 

「はぷ——っ」

 

 そうした攻防が6秒ほど行われて、八幡の瞳から決意の灯火が失われた。

 

 ——堕ちた。

 

 ネファスの確信は、気のせいではない。

 

 八幡の焦りや反抗心が入り混じったが故に判断を急く心は、確かに折れていた。

 

 無理だと理解して絶望したのではない。突如差し込まれた横槍(キス)に、疲労とストレスで脆くなっていた精神を突き崩されたからだ。

 

 途端にガクガクと膝を震わせ、今にも崩れ落ちそうな八幡の腰にネファスが手を当てて支える。

 

 口内で逃げ惑う八幡の動きが鈍くなった舌を追い詰めて絡ませて、ちゅ、と少し吸った後、ネファスは漸く離れた。

 

「——っぷは。……だから待ちなさい。出血なら、止めてあげるから」

 

「……、しゅけ、……しゅけつ?」

 

 呂律の回らない舌と熱に当てられて回らない思考で、八幡はネファスを見上げる。しかし彼女の視線は八幡を見ていなかった。

 

 視線を辿る——と。

 

「……なん、だ、これ……?」

 

 肩の傷口に、傷口を覆うようにして〝黒い何か〟が集まっていた。それは、炭のようにも、灰のようにも、石のようにも見えた。

 

 黒い物体が傷口に触れることによる痛みはない。

 

 物体が集まってくる元に目を向けてみれば、八幡達の足元やどれくらいの高さがあるのかわからない天井、影で出来ている壁などから、〝それ〟が千切れるようにして八幡の腕に集結してきている。

 

 八幡の肩の傷口に集まった黒い物体は、暫く停滞した後、無くなった八幡の右腕の形を取り始めた。上腕、肘、前腕、手首、拳——と。

 

 指の爪までが元通りになり、指先がぴくん、と震えたかと思うと、握っていた拳が八幡の意思で動かせるようになる。関節も、思い通りに動く。

 

「再生……しているのか」

 

 思わずそう溢す八幡だが、治ったというには足りないものがある。それにネファスは首を横に振った。

 

「うんにゃ、違うよ。欠損した腕を造って傷口に接続して、不足している八幡の血液を補っただけ。神経かよってないでしょ?」

 

「……確かに」

 

 確かにネファスの言う通り、造られた右腕は触覚が機能していない。触れても何も感触が無いのだ。

 

 つまり、イチジョウの干渉力はまだ効いているということ。

 

「…………」

 

 でも、それを自分の胸を触らせることで確かめさせるのはどうなのかと八幡は思う。

 

「……それじゃあ」

 

 勢いを完全に削がれ、冷静さを取り戻した八幡はネファスを見上げる。

 

「まず聞いておきたい事がある」

 

 訊かれたネファスは、今朝のように、八幡の腹に跨がっていた。

 

「何かしにゃん?」

 

「お前が、俺を憶えているのはなぜだ」

 

「————」

 

 ネファスの脳裏を、疑問符がくすぐった。

 

(あれ? ここが何処だって訊かないんだ?)

 

 自分がそういう状況に居たのなら、真っ先に思いつく言葉だが。

 

〝こういう場所がそういえばあったな〟とでも思っているかのような表情だ。とても、数秒前にキスで蕩けていたような顔には見えない。

 

「……ああ、それ? 話せば長くなるんだけど……」

 

 言葉を選ぶのに手間取る。油断と迷いが生じたからだ。そんな彼女を八幡は、そこに更に追い討ちをかけるように、

 

「手短に話せ。この空間に関する能力を俺が不思議に思わない理由なら、後で話してやる」

 

 ——決定的だった。思考を読まれている。

 

 感じたのは単純な驚き。しかしその感覚は、ネファスに違う言葉を紡がせた。

 

「……今話してくれる?」

 

 いつの間にか、質問される側だったネファスが質問している。

 

「……いや、関係な——」

 

 好意的だったのに、協力する気でいたのに、こちらを疑うような八幡の姿勢に嫌気が差し始める。

 

 

 

 そうか、これが。

 

 

 

 くつくつ、とネファスの心——その奥底から笑いが湧き出る。

 

「ヒキガヤ八幡クン」

 

 その衝動を抑えられずに、ネファスはそれまでの会話を断ち切った。

 

「ワタシにはオリジナルからコピーしたスターズ所属隊員としての知識や記憶がそのまま引き継がれている。ワタシは自分でも自分(・・)が結構勉強熱心なところがあると思うわ。まぁでも、今この場所にワタシがいなければ役に立ったとは思わなかっただろうけど」

 

 そう。本来であれば、アンジェリーナ・クドウ・シールズは知り得なかった事実。

 

 疑心以上の確信が持てなかった、バレるはずのない八幡の能力。

 

「なんの話をしているんだ。……いいか? 今は切羽詰まった状況で、お前が協力的であるということさえわかれば、俺にとってこの空間がどんなものであろうと」

 

 それを彼女は、今知った。

 

「未来が視えるのね、八幡」

 

「……………………あ?」

 

 ネファスは、ハッキリと突きつけた。……八幡の表情が変わる。

 

「さっきから——いえ、ワタシの中の八幡と出会った時の記憶から、どうもおかしいと思ってたの。スターズにいた頃から八幡って時々、与えられた任務に対して、テストの答えをカンニングしたような言動や行動をする時があったし」

 

 八幡の表情は、ネファスの話を聞いているうちにだんだんと険しくなっていく。

 

「なるほどなるほど。……いやあ、納得したわよ」

 

 グチ、と音が鳴った。布を破くような音。

 

 嫌な音だ。

 

「…………」

 

 八幡はついさっきもこの音を聞いて腕を失ったのだから、当然かもしれない。

 

「さて、それじゃあ。……さっきの八幡の質問だけど」

 

 ズアアアアア!! と蒼穹のように透き通った色の翼が、ネファスの背から広がった。

 

 イチジョウの翼と、色という一点のみを除いて、瓜二つの翼。

 

「ここまでやれば、流石にわかるよね?」

 

 にこぉ、と曲がった笑みを浮かべるネファスに八幡は、構えを取らないまま、ネファスの瞳を見つめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あるクローンの少女が〝その力〟を受けとったと自覚したのは、彼女がこの世に生を受けたのとほぼ同時だった。

 

 その力は、自分の記憶のどれとも違う、全く別の力。彼女は魔法技能を少しでも損なわないようにと、記憶や魔法師としての経験はその時点での本体の記憶をコピー(バイタルチェックの悪用だ)しているものの、十五年分の記憶のどこにも、その力に関して思い当たる節がない。

 

 だがその力の正体は、彼女が生まれてから2週間ほど経過して、事態の発覚を恐れた彼女の名付け親——彼女は『ネファス』と名付けられていた——によって、処分されかけた時に判明する。

 

 銃を突きつけられ、魔法もろくに使う事が出来ない、まともに思考する事すら難しいような環境下で彼女は、記憶の中の想いびとである八幡に逢いたいと願った。

 

 実験により生み出され、実験により死んでいく希望(みのり)のない人生。……せめて、一度だけでも。

 

 引き金が引かれるその瞬間、少女の無垢なる願いが、運命の女神を微笑ませた。

 

 銃口に怯えたネファスがぎゅっ、と目を瞑ると、次の瞬間、彼女はとある部屋の中にいた。

 

 六畳程の大して広くない部屋だ。四面ある壁のうち三方は白色の壁に囲まれ、床は座り心地の良いマットが敷かれている。天井はタイル状の白色照明が9枚、部屋を照らしていた。

 

 監視カメラ等は見当たらないが、壁の中にでもあるのだろうか。

 

 残る壁の一面、そこは壁の代わりに分厚いガラスが同じ役目を果たしていて、ガラスの向こうには数人の白衣を着た男達がこちらの様子を窺っている。

 

 ネファスが彼らに視線を向けると、彼らはその顔を恐怖に歪め、腰を抜かしてしまっていた。

 

 見ての通り、状況も、場所も恐らくは全く違う。別次元にでも飛ばされてしまったかのような変わり様だ。

 

 どうするか。集音されているのかはわからないが、語りかけてみるか。

 

「……!」

 

 口を開きかけて、しかし、まてよ、とネファスは目を閉じて考えてみる。

 

 あの時自分は、何かしら声を発した筈だ。もしかしたら、それが能力発動のトリガーになっているのかもしれない。

 

 これから迂闊に声を発し、それによって何かの能力が発動して、全く別の状況になってしまった場合、今度こそ自分は助からないのではないか。——そう思ってしまったのだ。

 

 しかし、そう思うことでまた別の思考が浮上してくる。『ひょっとして、このままここにいても殺されるのではないか』。彼女がこの部屋に来た時に考えていたことだ。

 

 そして彼女はこの時、行動しても行動しなくても、どちらも正解に見えたし、どちらも間違いに見えていた。

 

 ただし、今回は動かなかった事が吉と出たようだ。考えることで、〝考えるという行動〟をしたことで彼女は事態の正解を掴んだ。

 

 彼女は既に能力を行使していた。じわじわと、アドレナリンが抜けて痛みを知覚していくように、彼女はその事を理解していく。

 

 事実の反転。それが、彼女の起こした奇跡だった。

 

 しかも、事実の反転度合いを正から負への180度完璧に決めるのではなく、能力の幅としてある程度自由に決める事ができる。

 

 彼女はクローンだ。本来生まれてはいけない人間として、存在自体が間違っているということになる。つまり、現状を100パーセント反転させれば彼女は生まれなかった事になるのだ。反転の能力——そこに彼女の生きたいという意思が反映された結果、処分されてしまうという事実だけが反転されて、実験体としてではあるが生き残っているという事実に書き換えられたのだった。

 

 そうして、効果を実感して、彼女は震えと共に確信した。

 

〝これは、世界を根こそぎ変えてしまう事ができる能力だ。〟

 

 例えば明日、一時間だけ人類の〝繁栄〟を反転させたとする。

 

 繁栄の逆転——それは、〝滅亡〟に他ならない。

 

 因果律が働いて、明日の一時間の間に人類が滅亡する為のあらゆる厄災が人々を襲うだろう。

 

 流星群。或いは太陽の爆発。或いはマテリアル・バーストという選択肢だってあり得る。

 

 世界が、人類滅亡という目的のために動き出すのだ。

 

 考えただけで恐ろしくなったが、どうやらそれはこの力の本来の主が使う力であり、彼女に与えられた力の出力は自分の事実のみ改変できる程度しかない。——と、彼女は思い出した。

 

 力に使い方が刻まれていたのだ。取扱説明書も同時にプレゼントしてくれるなんて、なんで親切な神様だろう——そんな風に誤解する余地も生まれなかったほど〝力〟は事細やかに説明してくれた。

 

 力は確かに目的を持ってネファスを選んでいたのだ。

 

 力の持ち主であるイチジョウはこんな計画を立てていた。

 

 〇——『その死が広められることのない人間で、なおかつすぐに死にそうな人間を見分けて取り憑く性質』を持った能力を自身から切り離し、世界に放つ。

 

 一——能力がヒトに取り憑き、取り憑いた人間が死んだ後、その死をトリガーとして能力が反転し、それまで単体だった力が増殖、情報次元を通って拡散、大勢の人に付着する。

 

 二——能力が不特定多数の人に行き渡ることで、その能力を受け取った一人一人があらゆる事象を反転させる力を持つ事になり、魔法師を遥かに超える危険度の新人類が誕生する。

 

 三——当然、反転するという出鱈目な力を抑止する為に、通常兵器よりも魔法が選ばれ、世界中を巻き込んだ世界大戦が勃発する。

 

 四——その後、魔法の行使に伴って世界中で想子が励起し、龍脈が胎動し、イチジョウの眠り繭となっている想子の壁を吹き飛ばし、イチジョウの本体が目覚める。

 

 これが、イチジョウが目論んだ計画の一つ、プランAだ。

 

 もうひとつ、プランBはネファスの他に力を埋め込んだ日織という少女が、何者かに力の本質に触れられる事をトリガーとして日織から強制的に信号を送り、本体が強引に覚醒するというもの。

 

 手っ取り早さで言えばBの方が圧倒的に早いが、彼女の本質に迫ろうとする人間なんて一世紀に一度現れるかどうかだし、それに気づいたとしても次に会った時には忘れているだろうしでこのプラン自体、確実性に欠ける。

 

 安定性、確実性の観点から、イチジョウはプランAが先に完成する——と思っていたのだ。

 

 しかし、事実としてそうなりかけた彼女だが、そこで偶然にも、今まで知覚すらしていなかった能力を使ってしまう。

 

 そこが、イチジョウの計画にはなかった計算違いだ。

 

 生まれつき羽が無い人間は空を羽ばたく方法を知らない。だから、使い方を教えてもいない力がその人間のために使われることはない——とタカを括っていたイチジョウの意に反してだ。

 

 傲慢さゆえの甘さ(優しさ)だろうか。日織に付けたような監視兼安全装置は無く、事実が反転し、彼女が生き残っていても、ただ眠っているだけのイチジョウはそれに気付く事が出来なかった。

 

 さらに。ネファスが能力に気付いてから監獄を脱出するまでの間、イチジョウの能力はネファスによって書き換えられ、イチジョウによる干渉を受けることが無くなったのだ。

 

 さらにさらには、覚醒後に反転の能力者達から能力を回収して力を取り戻そうと考えていたイチジョウの目論見はこれで潰れ、能力の四分の一程をネファスに与えた力に注いでいたせいで——さらにさらにさらに、本体の大幅な弱体化まで望めるようになった。

 

 

 

「つまり。ワタシの行動は全て、八幡にとって……だね?」

 

 

 

「や……その、疑ってすまなかった。ホントすいませんでした。このとおり」

 

 

 

 八幡が話を聞き終わって二秒。彼は速やかに、頭を下げた。

 

「え? え? ……あ、ちょ、八幡に頭を下げて欲しいわけじゃなくて……」

 

 混乱するネファス。彼女は自分の真実を知って欲しくて話したのだ。誤解を謝って欲しくて打ち明けたのではない。

 

 しかし、一向に頭を上げようとしない八幡。彼なりに、誤解や冤罪という罪の重さを知っているからかもしれない。

 

 八幡よりも先に痺れを切らしたネファスは、

 

「……じゃあ、でえと」

 

 そこで八幡は漸く頭を上げた。

 

「……え?」

 

 とぼけているのではない。意味が、理解できていなかったのだ。

 

 妙に気恥ずかしくなったネファスは、声を張り上げ——

 

「……っ、で・え・と! ショッピングしたり食事したり、ただ散歩したり——いっぱいしたいことあんの! 付き合ってもらうからねニホンショク巡り!」

 

 恥ずかしがるポイントが違うとか言ってはいけない。

 

「……あ、ああ。わかった。付き合うよ」

 

 こくりこくりとしきりに頷きを返す八幡。だが、その頷きには一回一回に力強さがあって、虚言ではないことが見てとれた。

 

「一回だけじゃないよ」

 

「ああ」

 

「スシが食べたい」

 

「ああ」

 

「赤ちゃんもつくらせてくれる?」

 

 どたがたっ。彼らの背後で、盛大に転ける音がした。

 

「ああ」

 

「……ほ、ホント!?」

 

 何言ってんだ、お前が言ったことだろ——とでも言いたげな呆れた顔で、八幡はネファスを見る。

 

「俺とお前の血液から遺伝子情報を汲み出して培養ポッドで受精卵を作ればいい。……けどそうじゃないんだろ? キスしちゃったし、セックスくらい今更だ」

 

 せっくす、と八幡が口にしてネファスの顔がぽん、と赤くなった。飲み込んだ食べ物を反芻するように『せっくす』を繰り返したネファスは、恥ずかしさで震える手をぎゅ、と握りしめ、上目遣いで八幡を見る。

 

「じゃ、じゃあ……週末にでも」

 

「言質に紛れていきなり何をぶっ込んで来てんだオイ」

 

 彼らのおふざけも、ここまでだった。

 

 

 

 教育的指導(閑話休題)、その後。

 

 

 

「……はい、それじゃあ作戦を発表しまーす」

 

「……はーい」

 

 大きなタンコブをひとつずつ、それぞれ左と右に作った八幡とネファスはあからさまにテンションが低い。

 

 原因は静であり、要因は彼らの自業自得なのだが、それに加えてとある事実が、彼らを気疲れさせていた。

 

「はい、じゃあ材木座(・・・)くん。アイツに勝てる作戦を言え」

 

 前半はポップで明るげに、後半はコキュートスの様に耳が凍傷を負いそうなほどに鋭く冷たい。そんな声色で、八幡はウィンドウの向こうで俯く材木座義輝を睨む。

 

 睨まれた材木座は、弱々しく言葉を口にした。

 

『いや……だってほら、物理攻撃はもとより干渉力で勝てないのだろう? 核を撃ち込んだとしても跳ね返されるだろうし……そもそも死という概念が彼奴にあるのか、という話になってくるんだが……って、何を笑っておるのだ?』

 

 そんな彼の反応に、萎れていた八幡はにやりと笑みを零す。彼の言葉が嬉しいのではない。彼が自分を忘れずにいた——それが、嬉しい。

 

「いや、なんでもねえよ」

 

 ……そう。

 

 八幡を絶望的状況に追い込むキッカケとなった材木座は、実は記憶を失ってなどいなかったのだ。

 

 記憶を失っていない理由は、材木座が所持していた結晶片。

 

 食堂で日織——イチジョウの能力が暴走した際、彼女の体からばら撒かれた翼の破片だ。それを研究用サンプルとして材木座が持ち歩いていた為に、記憶消去の対象から外れたものと八幡と材木座の二人は考えていた。

 

 そして、先程まで聞き取っていたネファスの話の途中で材木座から連絡があり、材木座の嘘が判明したのだ。

 

「……で、そっちはどうなんだ? 星導館の生徒会長サマは上手く撒けているのか?」

 

 笑みを収めた八幡は、材木座に彼の現状を聞いた。材木座が八幡からの電話にて記憶がない様に振る舞い、嘘を吐いたのは、それ程にのっぴきならない事情があったからだ。

 

 唐突な材木座の笑い声が、八幡の鼓膜を直撃した。

 

 唐突に笑いが吹き出す程、笑ってしまえる質問だったのか。

 

 それとも、笑ってしまうような何かがあったのか。

 

 いずれにせよ、余裕があるのは良いことだ。耳を押さえながら、八幡は続きを待った。

 

『それなら大丈夫だ』

 

 材木座からの返事に、八幡は安堵の息を吐く。

 

 正直、下手をすれば魔法科高校どころか東京が消し飛びかねない状況は続いているが、材木座が直面している危機もそれに引けを取らないくらい、八幡にとっては面倒なものだからだ。

 

「そうか、よかった。いやあ、あんな化け物につけ狙われる気持ちはホントよくわかる——」

 

『横にいるからな』

 

「……」

 

 声が、凍った。

 

 思考まで凍りついてしまったかのような、幻覚——錯覚が八幡を襲った。

 

 春を迎えたというのに忘れていた冬がやってきたかの様な、背後に迫るこの寒気はなんだ。

 

 生命の終わりである〝死〟が肩揉みをしているかの様なおぞましさ。

 

 自動車に踏み潰される虫、もしくは隕石によって滅びることとなった恐竜はこんな気持ちでいたのか。

 

 電話の相手が変わった音がした。

 

『——久しぶりですね八幡。お元気でしたか?』

 

 聴けば、風鈴の様に落ち着く声。だが今は、象ですら一瞬で昏倒する程の猛毒を含んでいる。

 

「……っ」

 

 声が喉を通らない。恐怖が声帯に絡みついているのだ。

 

『八幡? どうしました?』

 

 名に神を冠する絶対敵ですら臆することなく立ち向かう八幡だが、どんな英雄にも生命の終わりや悲劇が付き纏うように、彼にも弱点が存在する。

 

 弱点というか、天敵だが。

 

「……」

 

『比企谷八幡さん?』

 

 誰だって命があるように、敵わない相手の一人や二人、誰にだって絶対いる。八幡の場合、その一人が電話の相手であるというだけのこと。

 

 しかし、彼が勇気を出さなければならない場面で勇気を振り絞らずに、一体どこで戦えるというのか。

 

『黙っていれば、見逃してもらえると思っているところも相変わらず可愛らしいですが——いい加減にしないと、怒りますよ?』

 

 

 

 立ち上がれ、比企谷。

 

 

 

 敵わない相手にこそ立ち向かわなければ、英雄になんてなれないぞ——そんな幻聴を、八幡は聞いた。

 

 

 

 英雄になれない? 当たり前だ。八幡は英雄になる為に生まれてきたのではないし、英雄になりたいとは思わない。思えない。

 

 

 

 ……けれど。

 

 

 

 もしも、自分が勇気を振り絞ることで救われる誰かがいるのだとしたら。

 

 

 

 それを見逃すことはきっと、自分の罪に数えられるのだろう。

 

 

 

 だから、彼が起こすこれは英雄の選択ではない。

 

 

 

 罪に怯える愚かな人間の、意地も汚い逃避行なのだ。

 

 

 

「……あの」

 

『……! 久しぶりですね八幡。あなたが突然アスタリスクを去ってから、私はずっと——』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……人違いです」

 

 八幡は通話を切った。




話の外でずっと待たされてる敵さんがそろそろブチ切れそう。

軽く捕捉しておきますと、この作品の魔法と星辰力の力関係は魔法<星辰力でかなりの力差があるので、どの国も魔法を圧倒できる能力を持つアスタリスクとの関係を持とうと必死になっています。アスタリスク自体が日本の領土にあったりするのですが、魔法協会も日本政府も要請や命令などでアスタリスクに何かを強制できる権限を持ちません。交渉できる権利はあります。第三次世界戦争中に台頭してきた統合企業財体がアスタリスクを管理しており、あくまでも彼らがアスタリスクのスポンサーです。


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厄災を辿るため、全ての惡を屠るために用意された兵器

お待たせしました。続きでございます。


この作品に出てくる『十神』は読み方が「とがみ」であって、「とおがみ」ではございません。

ではどうぞ。


「……人違いです」

 

 正直な所、口実になりさえすれば電話口で話す言葉は何でもよかった。

 

 いや、口実の必要性すら無かっただろう。

 

 言葉を発さずに通話終了ボタンを押せば、それで良かったのだ。

 

 ただ、八幡の口から出てきたその一言はたとえ「事実の否認」であっても、「会話の否定」にはならなかった。

 

 それは拭っても雪いでも、削ぎ落としても偽ったとしても——奥底に鎮座する、八幡の本心だ。

 

 世界で唯一の、同じ能力を持つ理解者。

 

 彼女と話をしてはいけないということを、理性では納得していても、本能は理解していなかったのか。

 

 通話終了ボタンを押すその一瞬、八幡は自分でも気付かないくらい、ほんの少し、後悔をしていた。

 

 ……だがもう、これからは彼女を〝後悔〟する必要はない。

 

「……!? へおっ!?」

 

〝彼女〟の近くにいた材木座を専用魔法〝瞬間移動〟で八幡たちがいる場所に引き寄せた。

 

〝彼女〟は材木座のせいで記憶を失わずに済んでいたと考えて良いだろうし、こうして材木座がこちらに来た今、〝彼女〟はきっと八幡たちの事を覚えていない。彼らにとって全く利益とならない魔法科高校との会談を終えた今、何故会談したのかという自問自答に陥っているはずだ。

 

 因みに、瞬間移動による肉体的疲労や精神的ストレスは、予め備蓄しておいた自然回復力を消費してリラックスしたり疲労を回復したりする『緋癒』という、材木座が備えていた治癒魔法の一種により相殺されていた。

 

「大丈夫か?」

 

 八幡は、材木座に手を伸ばし床に尻餅をついた彼を立ち上がらせ——ようとして、材木座は掴んだ右手が本物ではない事に気づき一瞬戸惑ったが、それでも八幡の手を掴み、立ち上がった。

 

「……あ、ああ。しかし、流石に焦ったぞ。どうして追跡されてたのかな……鳥に変身したところなんて、見られたとしても、監視カメラに映らない場所で人が消えたようにしか見えんはずなんだが……」

 

 そう言って首を捻る材木座だが、彼は一つ思い違いをしていた。

 

〝彼女〟も未来視の能力を持っている事——ではない。

 

 未来の視え方は一つではない事を、だ。

 

 自分の視界の未来だけを視る八幡とは違い、捉えた対象の未来すら予知することができるその異能によって、小鳥から人に戻るシーンを見られていた為に、材木座は追跡されていたのだ。

 

 ただし、その事実を材木座が知ることになるのは少なくとも半年以上先の事であり、その事実が究明されるのもその時になってからである。

 

 まぁいいか、いずれにしてもこれで気にする必要も無くなった。——そんな風に考えて、材木座は八幡を見た。……だが。

 

「……八幡?」

 

 八幡の異変に気付いて問いかけるも、その反応を八幡がする前に——

 

「……なん……だと」

 

 ——あり得ないことが起きた。

 

 りりりりりりりりりりりりりりりり。

 

「……? なんだ?」

 

 八幡の携帯が鳴る。

 

 相手は誰か。……わからないのだ。

 

 発信元は一般的な番号が表示されているものの、恐らく先程の〝彼女〟からではない。〝彼女〟であれば、この前新調したばかりのケータイの番号を知っているはずがない。知るとしても、早くともあと2週間はかかっているはずだ。

 

 大体、今は何よりもイチジョウの能力〝記憶消去〟の影響下にある。殆どの人間が八幡の事を覚えていないから、対象は大幅に絞られる。

 

「……まさか」

 

 但し、これは記憶の忘却が効果を発揮しているという前提に限るが。

 

「……間違い電話とかやめてくれよ……!」

 

 今彼の懐にあるケータイはごく普通の一般回線を使用しているので、違う電話にかけようとして偶然八幡のケータイに繋がったというのは、あり得なくはない話だ。

 

 むしろ間違い電話の方が確率は高いのだろうが、それでも外部に協力を求めれるのであれば手を伸ばさないという選択肢はない。

 

 八幡は通話ボタンを押した。

 

「……もしもし」

 

 緊張が八幡の背を駆け巡る。

 

 悪寒が、彼を背中から抱きしめた。

 

 しかし、その電話は救いの手だったかもしれない。

 

『……あ、やっと出た。出るの遅いですよー、先輩』

 

「……っ!?」

 

 女子。メープルシロップのようにとろりと甘い少女の声で、電話の向こうの人物は語りかけてきた。

 

 八幡はその声に聞き覚えがあった。これ程に愛らしさを滲み出している声、彼女以外にいるとは思えない。

 

「……一色、か……?」

 

 震える声で聞き返したものの、八幡はほぼ確信していた。

 

 一色いろは。師補二十九家のひとつである一之倉や現十師族の一条と同じ『魔法技能師開発第一研究所出身の一色家の令嬢だ。

 

 そして、八幡にとっては彼女もまた扱い難い——現在置かれている状況を抜きにして、今最も会いたくない人物の一人であった。

 

 ただ、あくまでも八幡にとって「いろは」という少女は、優美子や隼人と行動を共にしている時に偶々面識が出来たというだけで、彼自身が一色いろはという少女に対して「親密である」という自惚れた自意識は持っていない、「友達の友達」という関係に近い。

 

 むしろ、彼女のことは今まで一度も意識した事がなかったくらいだ。

 

 

 

 ——先輩。……先輩の目的(・・)ってもしかして、六道を辞めることじゃなくて——

 

 

 

 ……彼女を避けていたのが、意図的なものかどうかは置いておく。

 

『そうですよー。世界一可愛い〝先輩の〟後輩、一色いろはです』

 

「……そりゃそうだ。前があれば後ろがあるように、先輩の後には後輩がいるんだから、お前の言葉は正しいな」

 

『……そういう事じゃないですってば。もー、相変わらず捻くれてますねー』

 

 半年も前の出来事であるが、未だに八幡が引きずっているものをさして気にした様子もなく、いろはは八幡へ電話をした本来の目的、話題を持ち出した。

 

『先輩って、ちょっと前に緊急事態メールを送信しましたよね?』

 

 やはりその事か、と八幡は納得する。

 

 彼ら六道が守護するのはあくまでも十師族であるが、残る十九家も十師族候補の家であることに変わりはなく、優先順位は低くなってしまうものの、残りの十九家にもシグナルは届くように設定されていた。

 

「ああ、送ったぞ」

 

『ですよね? ……あれ、結構煩く鳴ってたのに、二秒くらいしたらわたしの周りの人達はその事を忘れていたんです。……何があったんです?』

 

「そっちもか……」

 

 間違いなく、イチジョウの記憶消去と同じ現象が、いろはが今いる金沢でも起きている。東京から金沢まで届いているなんて、能力の距離に制限はないのかもしれない。——なんて、恐ろしい能力なのだ。

 

『そっちも……って、先輩この現象が何なのか知ってるんですか? まさか……敵?』

 

 とはいえ、彼女が事態解決のために貢献できることなど何もない。彼女の魔法は力技に適していないのに、戦えなど言えるものか。

 

 故にこの場で彼がすべきは、彼女を戦闘に巻き込まない事。

 

「いや、すまん。俺の勘違いだった」

 

 その為には、その二言だけで良い。

 

「それじゃあまたな、今度会った時にでもなんか奢る——」

 

 ……ただ、関係の断ち切りを急ぐあまりに、一色いろはの前で決して口にしてはならないことを、彼自身が忘れてしまっていた。

 

『先輩』

 

「……なんだ? 急いでいるんだが」

 

 ここでいろはの言葉を受けてボタンを押す指が止まったのも、いけなかったのかもしれない。

 

 彼はやはり、相当に疲れていたのだ。

 

 もっとも、何人であっても、彼女と相対してしまえば逃げられないのだが。

 

『わたしの前で嘘をついても、いいことはありませんよ?』

 

「……………………あ」

 

 一色いろはという少女には『如何なる虚言も通用しない』——そんな初歩的な事を、八幡は忘れてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いいですか先輩。不自然なタイミングで物事を否定するとまず嘘はバレますし、それが真実だとしても疑われます。……まぁ先輩がわたしと話している分には何を話してもクロだとわかるので関係ありませんが』

 

 一色いろはは『BS魔法師』である。

 

 強化措置や勉学・鍛錬などで得られる後天的な魔法技能とは違い、技能体系化する事が困難な魔法を生まれつきで使える魔法師がそう呼ばれる。

 

 だが、彼女の魔法は便宜上『BS』として呼ばれているだけで、その本質は魔法ですらないのかもしれない。

 

 彼女が持っている異能は『第六感』。視覚外からの攻撃を察知したり、相手の嘘を見分ける受動的なものや、山菜などにおける毒性の有無、左右に分かれた迷い道の正解などを見分ける能動的なものなど、その幅広さは多岐に渡る。

 

 能力の大部分がただの当てずっぽう、勘で説明がついてしまうが、通常であれば映像やレーダーの情報無しに攻撃を察知することなど出来はしない。

 

 勘の正確性を高めたり確実性を持たせたりする魔法は理論的に考えたとしてもブラックボックスの部分が幾つか出来るし、実現は不可能だ。

 

 だが、いろははその勘を、なんの情報もなく100%の正確性でぴたりと的中させる。

 

 彼女の能力を作戦に組み込んだ時の恐ろしさで言えば、戦略級魔法を遥かに上回るだろう。

 

 要するに彼女は八幡にとって声に出して言いたいくらい面倒で苦手な存在であるが、運の悪いことに、八幡はたまたま偶然自分の秘密に気付かれてしまい——興味を抱かれるどころか、徹底的につけ狙われてしまっていた。

 

「なんでそんな変た……珍しい能力持っちゃったの?『ターゲットした相手の嘘がわかる魔法』なんてそいつをずっと観察していないといけない訳だし、そんな事しても疲れるだけだ。持ってても無駄なだけだろ。「ヘヴィ・メタル・バースト」やるから交換しようぜ」

 

『そんなことないですよー。先輩のこと考えるのって、結構楽し……って今わたしのこと変態って言いかけましたよね。先輩にだけは言われたくないです。あと戦略級魔法をそう易々と』

 

「なんだ、「アグニ・ダウンバースト」の方が良かったのか?「シンクロライナー・フュージョン」はモロ核兵器だからまずいし……「海爆」はやってもいいが一応未来の技術だしな……めんどくさいから「マテリアル・バースト」でいいか」

 

『シャラップ! バレたら二度とおひさまを拝めなくなるような言動は謹んでください! 特に「マテリアル・バースト」が一番安いみたいな言い方やめてもらえます!? 先輩にとっては飽きた技術でも、世界からすれば喉から手が出る程の垂涎モノなんですから!』

 

「! ……盲点だった。エネルギー変換に使う材料のサイズや選択を自由に変えられる魔法式は正直適性ないと厳しすぎるから、エネルギー変換の対象を固定した「マテリアル・バースト」の起動式をブラックマーケットで流せば、司波兄妹諸共四葉を潰せる……!?」

 

『うわ本気だこの人! ……って、先輩尾行されない技術とか持ってる訳じゃないんですし、どうせ捕まって酷い目に遭うのがオチなんですからやめといた方がいいですよ。この会話だって絶対盗聴されてるし』

 

「……」

 

『先輩?』

 

返事を返さない八幡にいろはが問いかける。——それから数秒すると。

 

「……だいじょぶ。みんな忘れてる……」

 

 心の底から怯えた声が、いろはの鼓膜に届いた。

 

『比企谷先輩!? やっぱりこの現象は先輩のせいなんですか!?』

 

 だが、図らずしていろはのその言葉は、八幡の意識から彼の失言を追い出し、また別の悩みを植えつけた。

 

「……いや……違う……んだが……」

 

 説明しても大丈夫なのだろうか。いや、言って巻き込む可能性があるというだけでもう、一色いろはには伝えてはいけない。

 

『じゃあ説明してください。力になれると思うんで』

 

 そう言って、自信たっぷりに誇らしげな顔をする少女の顔が八幡の脳裏に浮かんでくる。優美子や雪乃達と同じく、思わず甘えてしまいそうになる。

 

 でも、それをせきとめる理性がぶつかって、胸が苦しい。

 

 うずくまって、地面を這い転がりそうなほどに痛い。理性のもたらす痛みは、これほどに酷いものだったかと疑問を抱きそうになったその時。

 

「ふーん。……いいんじゃないですか? せっかく手伝ってくれると仰っているんですし、この際甘えてみては?」

 

 声が、痛みを伝えた。

 

「————あ?」

 

 ぐじゅり。そんな音が、意識の外から聞こえて来る。それがイチジョウの攻撃だと察知した時には既に、感じていた胸の苦しさは激しい痛みへと変わっていた。

 

 影の世界への、イチジョウの侵入——

 

「……外に、だせっ……!」

 

 ケータイを握り潰し、振り返りもせずに絞り出したその言葉の一瞬後、風船が破けるように影の世界が壊れ、八幡とイチジョウは、現実世界へと引き戻される。

 

 影の世界から出てすぐに、八幡は己の正面にイチジョウの姿を認めた。

 

 ネファスが助けてくれたのだろう。胸に空いた筈の穴は影によって塞がっていた。

 

 そして外に出て、八幡はすぐにイチジョウが何をしたのかを知った。

 

「……く、位相を反転させたのか、よ……!」

 

 ねじ曲がった扉や七色に点滅する壁、天井からクラゲの触手のように垂れ下がる照明などがすぐ視界に入る辺り、ここで何かあったのは明白。

 

「ふざけんなよ……! 世界を品種改良するみたいに弄びやがって……!」

 

 玩具。地球や世界をそんな風に扱う傲慢な人間が、八幡は一番嫌いだ。それが——

 

「あはは。より良くなる世界の為に変革は必要だと思われますが。一緒に滅びましょう?」

 

 ——それが、悪魔のような笑顔を振り撒いて目の前にいる。

 

「……いいか、俺は基本的に女には手を挙げない。……お前は例外だ」

 

 ありったけの憎しみを込めて、八幡はイチジョウを睨む。するとイチジョウは、微笑み返してきた。

 

「面白い事を言いますね」

 

「あぁ!?」

 

 例えば——と前置きをして、イチジョウは喋り始めた。

 

「わたし以外の残る九人も、全員女の子(・・・・・)ですよ。その中にあなたの好みの女の子がいたとしたら、どうするのです?」

 

 一瞬、この世全ての音が吹き飛んだように八幡には聞こえた。

 

 これが明鏡止水? などと思ってみながら、不意に湧き上がる場違いな笑いをイチジョウを睨む事で噛み殺す。

 

 残る十神が全員女子——なんだ、そんな事はとうの昔に知っている。そのレベルで八幡を揺さぶる材料には、微塵もなり得ない。

 

 たとえ世界の外にある情報であっても、この世界で現象として観測されてしまえば、それは知ることができる。

 

 故に比企谷は、百年前からその存在を知っていたのだ。知り尽くしているし、もう既に見飽きてすらいた。

 

 逆に、彼女の感情に火をつける火種を、八幡は豊富に持っていた。

 

 感情に火をつけるもの——即ち、神と呼ばれたイチジョウの過去。

 

「思考が隣歩いてるよバケモノ。そんなんだから、ニイサマ(・・・・)が貴族の玩具になるんじゃねえの?」

 

「————————」

 

 ついでに(・・・・)日織を救おうとしていることを悟られないようにしつつ、八幡は構えた(・・・)

 

 上下左右、前後のどれから来たとしても迎え撃てるように、気を配りながら。

 

「……どこ、だ?」

 

 ——それがいけなかった。

 

 彼の取った行動は間違っていた。

 

 注意を分散して向けるのではなく、ただ一点、敵であるイチジョウに的を絞っておくべきだったのだ。

 

 次の瞬間、八幡はイチジョウを見失い——

 

「……顔も知らないクセに、にいさまを侮辱した事を地獄で詫びろクソ野郎」

 

「が……ぶ、エ……っ」

 

 ——彼は再び、背後から胸を貫かれていた。

 

 余裕のなさをかき消そうとして、体を少女に持ち上げられながら、八幡は口端を歪めた。

 

「……じご、くで、詫びる? ——はは。やっぱ地獄に堕ちるような奴だったか」

 

「今度は妙な施しをされないように、ですね」

 

 言葉と共に、八幡の胴はイチジョウの左腕によって左胸、左脇腹にかけて切り裂かれる。

 

「あああああああああああッ!?」

 

 八幡の体は、心臓や肺に背骨、肋骨などの体内パーツを派手に撒き散らしながら崩れ落ちた。

 

「……っ、……っ、……」

 

 人体にとって重要な器官の殆どを破壊され、姿勢を変えるどころか呼吸ができない苦しさは、何に喩えたら良いだろうか。

 

 ——ああそうだ、『まな板の鯉』だ。

 

 彼の側に近寄り、彼を取り込もうとしていた影はイチジョウが床を踏み鳴らすだけで散り散りになった。

 

「…………あひゃー☆」

 

 床から見上げるイチジョウの瞳は愉悦に染まっていた。

 

ごぶっ。鼻と口から血が溢れる。胸に穴を開けられたどころか切開されたのだから当然だが、脳に血液を送る心臓や肺がまとめてなくれ抉られたられら。こきゆわまともめもま。

 

「……あ、……べ…………」

 

 さらぶれろ。ばりら、ぽろふろめろろ。

 

「——お疲れ様。今までよくがんばったね。もう死んでいいよ」

 

 何か聞こえるけど何を言っているのかわからない。情報を処理する為の機能は既に停止している。痛みだって、もうない。

 

 だが、薄れゆく意識の中、あまり多くのことを考えられない状況の中で、たった一つ——八幡は心配していた。

 

 自分の死についてではなく、電話に出ていたいろはについてだ。

 

 胸を抉られたと錯覚した時点でケータイは握り潰したが、それでもいろはが八幡の事を覚えているのをイチジョウに知られてしまった。

 

「おやおや? 反応がありませんね。もう死にましたか? ……たしか……さっきの……ほら、二色(・・)さんとかいう方。殺しちゃいますよー?」

 

 ——一色。にげろ。

 

 今の彼にできたのがその程度を願うことだけ。

 

 彼の全力を持ってしても、やはりイチジョウには敵わなかった。

 

 彼の命は、ここで終わりだ。

 

 でも、もしかしたら、彼ではない他の誰かがイチジョウを討って、世界を救うかもしれない。

 

 可能性はゼロではない。世界にはそれだけの広さがあるのだから。

 

 ひょっとしたら、この日本にいるかも。

 

 ……そう、例えばあの、司波達也とかいう——

 

「……?」

 

 だが。

 

『————』

 

 ここで終わらせるなら、八幡は最初から未来視の能力をあの方(・・・)から与えられてはいない。

 

「何か今、言いました……?」

 

 何を聞いたのか、あるいは見たのか、首を左右に振って見回すイチジョウ。

 

 しかし、見回したところで八幡以外に何もなく、誰もいない。

 

 命を蹴散らされる一瞬の終わりの中で、八幡も彼自身の声帯から放たれる微かな声を、ただ聞き取っていた。

 

「…………【封印解放(バースト)緋羅(ヒラ)】」

 

 ただしその言葉は、確かにイチジョウの鼓膜を打っていた。

 

 そしてそれが、八幡から発せられたこともイチジョウは気づいて——いた。

 

「はあ? 一体何を仰っているんです? 友人? それとも誰か好きな女の名前? ……ああ、そういえば貴方の名前を聞いていませんでした——」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………………………………………【十神(とがみ)十魄(とはく)】…………………………………………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……は?」

 

 思わず、聞き取ってしまったイチジョウの口から困惑が漏れた。

 

 すでに物言わぬ死体と変わりない状況に陥っておきながら、何を言っているんだこの小僧は。

 

 どうやら十神については多少聞き齧っている様子だが、いざ力比べをしてみれば大したことはない。

 

 見ろ、今にこうして地面に這いつくばっているじゃないか。

 

 袖の破れた右腕は、どこへ向かうでもなく床に爪を立てている。

 

「…………まちなさい」

 

 斬り飛ばしたはずの彼の腕が、あった。

 

「待ちなさい」

 

 臓物を床に撒き散らかしてやった筈なのに、彼の体には傷一つ見当たらない。

 

 それでも衣服が破けている辺り、新しく生やしたか治癒再生したか——

 

「待て!」

 

 ——イチジョウの干渉力を、突破したということ。

 

 ビキビキビキビキビキビキビキビキビギシィッ!

 

「待ちなさいっっっ!!!」

 

 顔を上げた八幡は、イチジョウを見ていた。

 

「——緋羅、ヒキガヤ」

 

 イチジョウが背負っている翼と同じ、結晶でできた一角獣を思わせる巨大な角が、八幡の額から生えている。

 

 だが、少し視点をずらせば、其のツノは王冠のようにも見える——

 

「————戦火を灯しましょう」

 

「…………ヒィぃぃキィぃぃぃがぁぁあやああああぁぁああああ!!」

 

 ——世界に君臨した二人目の十神(ヒキガヤ)は、全てを滅ぼす十神(イチジョウ)と違い、人々が生き残る道を、足掻く生涯を、人類の生存戦を望んでいた。





私はここに宣言するっ!

あと1話で入学編を終わらせると!

ブランシュとかエガリテとか壬生先輩とか討論会とか諸々やってませんが、それを解決することは彼の領分では無いので。



八幡が敵意を持って行動すると地形が変わりますし……まぁ今回その敵意が目覚めたんですが。

スロースタートにもほどがあるってーの。


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閑話・とある日の深雪と八幡


特にどこの時間でもない独立話です。


イチジョウが現れなければ、こんな放課後になっていた——かも。


 

 特殊特待生、或いは授業免除組。

 

 そう呼ばれる六道の彼ら彼女らは、第一高校に生徒として入学しておきながら授業に出る義務がない。

 

 義務がないだけで授業に出席することはもちろんできるし、彼らが授業に参加してくれたなら、それはそれで学校にとってステータスとなる。「彼らが赴く授業は何かしら為になる」という噂が飛び交って受講権の取り合いが始まり、わざわざ授業を受けに来てくれたと喜ぶ講師もいるくらいだ。

 

 だが、それはあくまで平常時の時だけ。

 

 六道でなければ対応できないような事件が発生した際、彼らは動かなければならない。

 

 例えば、誰の目にも明らかな魔法によるテロリズムであると判断された場合は、特に。

 

 そんな彼らが授業に参加できている。——それ自体が、平和であることの証明だ。

 

 しかし。

 

 平和にも例外があるように、本来なら「優等生」で「憧れの象徴」であるはずの彼らのうち、今年の新入生には公衆の面前で痴漢騒ぎを起こすような輩がいるのだという。

 

 幸いにもその痴漢をした生徒は風紀委員会によって処罰を受けているし、受けなくてもいい授業にわざわざ参加するような律儀な生徒でもなかったから、深雪が廊下ですれ違った時も彼の顔を覚えている生徒は殆どいなかった。

 

 だから生徒の関心を惹きつけたのは、彼とすれ違った深雪の反応だ。

 

 彼の姿を目にするなりぎょっと目を剥き、淑女らしからぬ取り乱しをしてしまい、慌てて目を伏せる。

 

 深雪にそんな反応をさせるのは何者か——と目を向けてみれば、そこには全身黒焦げの不審者が立っている。

 

 全員が軽く悲鳴を上げた。

 

 覚束ない足取りですれ違う様はさながらゾンビのようであり、深雪の呼びかけに振り向く動作だけでも、深雪の隣を歩いていた少女はさらに小さく悲鳴を上げた。

 

「……なんだよ?」

 

「あの……大丈夫、なのですか?」

 

「別に。想子の四次元空間における運動が量子コンピュータの性能を一時的に超えやがって、オーバーヒートを起こしてそれに巻き込まれただけだ。なんも問題はねーの」

 

 魔法式の構造に関する研究か実験だろうか。深雪は、そう思った。

 

「……そうですか。……ですが、そんな格好で出歩かれるとなると、皆さんの貴方に対する不安を煽ってしまうことになるので、早く着替えてきてください。更衣室なら——」

 

 と更衣室の場所を深雪が彼に教えようとしたその時、彼を呼ぶ声がした。

 

 その声は深雪達とは反対側——彼の背後から聞こえていて、その声も次第に大きくなっていた。

 

「はちまーん!〝腕〟を忘れておるぞー!」

 

 走ってきたのは彼と同じ新入生。だが肩にエンブレムが無いため、二科生なのだろう。

 

 八幡に声をかける男子生徒を見て、深雪は違和感を感じていた。

 

 ……そういえば、彼の顔にも見覚えがある。入学初日、自分の正体を一目で見破ったあの男だ。

 

「お、悪い。忘れてた」

 

「……は?」

 

 彼を見て深雪の中で沸き起こったのは、ただ単純な疑問。

 

 男子生徒が手にしている〝あるもの〟を目にした深雪は、疑問を口にする。

 

 あれは何だ?

 

 八幡が時計回りに身を翻す。……そういえば、八幡の身体の重心が微妙に右に……。

 

「——っ!?」

 

 それが露わになり、深雪はさらに言葉を詰まらせた。

 

 何故なら、八幡の——

 

「……貴方、その、……!」

 

「……? 何か変なところでもあるのか?」

 

 

 

 ——肩から下、左腕が無い。

 

 

 

 千切れた、或いは噛み砕かれたかのような傷口で、治癒魔法による接合は不可能なまでに破壊されている。腕の先が残っているだけでも奇跡のようなものだが、一体何をすればこんなことになるのか。

 

 純粋に、冷静に深雪がその怪我の原因について気になった反面、彼女の友人は彼女のように冷静でいる事は難しかったらしい。

 

「ひっ……!?」

 

「ほのか!?」

 

 深雪の友人は、少しでもそれを見てしまったのか、目を瞑って肩を震わせている。それを隣に立っていた北山雫——深雪のクラスメイトだ——が歩かせることで、ショッキングな現場から遠ざける。

 

 後で説明してよ、という意思をこめて、去り際に雫は八幡を睨みながら。

 

「まったく、スプラッタどころの話では——っ、……司波深雪嬢か」

 

 到着するなり大きなため息を吐く材木座だが、深雪を視界に入れたことで文字通り見る目を変えた。

 

「貴方にも聞きたいことはあるのだけど…………」

 

 言って八幡に目を向ける深雪だが、すぐに逸らす。

 

 そして、視線を向けられただけで一歩、後退り、戦きを隠せない材木座を眼差しのみで圧倒する。

 

「一応、はじめましてかしら。……材木座義輝さん」

 

「……ひっ!? な、何で名前……!?」

 

「……おかしいことでしょうか。〝何で〟も何も、私は生徒会役員。入学時のデータを調べることくらい朝飯前ですが」

 

 微笑みと共に言ってのける深雪だが、本当は深雪のやった事は明確なルール違反。

 

「……むぅ? いやまて」

 

 だから、材木座が違和感を覚えてもおかしくはなかった。

 

「入学して半月も経ってはいない。生徒会に入った時期はそれよりもさらに手前だ。……そんな新人が、生徒のデータを閲覧できるものか?」

 

「名前と顔写真だけでしたら生徒のデータは閲覧できました。……まぁこれも、たまたま知ることができただけですけど」

 

 中条先輩が——、とため息をつく深雪に大方の事情を察した八幡も、ため息を吐く。

 

 ただし、深雪が吐いた理由とは別の訳でだった。

 

 片腕を失くし、そこから血を滲ませている少年と顔色ひとつ変えずに会話ができる。それ自体、異常であるというのに。

 

「……オマエ、本当に隠す気あんのか? これ見て何も反応無いのは殺人鬼か四葉くらいなもんだぞ」

 

 忍びに師事を仰ぐ兄に付き添っておきながら、取り繕いもしないとは。

 

「……そういう反応がお望みなのですか? あの四葉家と私たちを結び付ける根拠が分かりませんが」

 

 対して深雪は、常識的に対応してみせる。だが、根拠があってものを話す八幡にとってそれは、言い訳、虚勢にしか見えなかった。

 

「いや普通は——ああいいや、もう。材木座、〝腕〟」

 

 ここは魔法師の卵が集まる、ある種の魔境だ。そこには当然一般世界にはないルールがあるし、ルールよりもマナーに近い——暗黙の了解のようなものも存在する。

 

 常識を受け付けない者に常識を説いても無駄だと悟り、材木座に早く腕を寄越すよう、八幡は右手を挙げる。

 

「ほいっ」

 

 と、材木座が投げた腕は若干の血液を滴らせながら、くるんくるんと回転して八幡が見事にキャッチ。

 

「?」

 

 そういえば、失った腕をどうするつもりなのか。まさか兄のように物体の時間を巻き戻せるわけでもないのに——

 

「あいさ、……っと、よし」

 

「…………っ!?」

 

 しかし、そこから先は、流石の深雪も顔色どころか表情を変えずにはいられない。

 

「………………」

 

 腕を受け取ったかと思えば、すぐさまそれを傷口に押し付けた。……すると、信じられないことに傷口と傷口がミリ単位の隙間もなく癒着し、欠けていた部分は肩側の肉や骨が延びることによって補われる。そうして、死によって青ざめていた左腕に血色がもどっていく。……血が流れているからだ。

 

 八幡が腕を肩に〝押し付けて〟十数秒で、彼の左腕は自由を取り戻していた。

 

〝あの魔法〟ではない。深雪の脳裏に最も強く残るあの魔法の使用を、深雪が見間違える筈がないのだから。

 

「……なっ、一体、ありえない……!」

 

 その光景は、その変態は紛れもなく深雪の想像する埒外にあり、現実というものを疑わずにはいられない。

 

 しかし、深雪をさらに驚愕させたのはこの後の八幡の台詞だった。

 

「はあ? こんなもん、ただの治癒魔法だろうが。別に奇跡が起きた訳でもあるまいし、何大袈裟になってんだ?」

 

 いいや、これは奇跡だ。

 

 誰が見てもそう断ずるであろうあり得ない光景に、魔法の常識を覆す奇跡に、深雪はゆっくりと口を開く。

 

「……治癒魔法は一度かけただけでは完治しません。それは、常識です。いくら十師族級の力を保持していたとしても、あの魔法(・・・・)でもないのにたった一度で完治させるなんて……!」

 

 吐き出す鬱憤とは別に、苦い記憶が深雪の口の中に満ちていく。

 

 それがこんな男にできるのなら、なぜそれが兄にわからなかったのか。

 

 兄が出来ることの中で持てる力を十分に発揮して、それでも助けられなかった。

 

 

『……私が達也くんを護ります』

 

 

 なぜあのひとは死んだのか。

 

 ……当然だ。あの時の兄は魔法の研究どころか、自分の従者、ただの使用人に過ぎなかったのだから。

 

 それでも、と深雪は悲しくなる。

 

 兄のために、文字通り死力を尽くして逝った人。

 

 兄が禁断の術式を使ってさえ癒すことができなかった家族の死を、兄の敗北を——深雪は、受け止める事はできても、未だに受け入れられずにいる。

 

 それを、この男は。

 

「いやあ本当に何でもないんだがな。むしろなんで使えないの? ああ——あんたらには再成があるから、巻き戻しが出来るからそんな必要無いのか」

 

「ッッッ!!」

 

 激情が——沸き上がる。

 

 ……深雪は、例えどんな理不尽な目に遭ったとしても、取り乱したりはしないつもりでいた。淑女として許されざる行為であり、実際そう教育されてきたからだ。

 

 ただ。

 

 目の前の男は。

 

 最悪なことに——我慢ができないくらい、嫌な奴だ。

 

「……そういやお前の兄貴って感情無いんだっけ? はは、大した代償もなくて羨まし——」

 

 ——ぱぁんっ。

 

 不意に出た深雪の右手が、八幡の左頬を下から叩いた。

 

「っ…………」

 

「……今のはただの八つ当たりです。風紀委員なり生徒会なり、職員室なり……好きな場所に言いつければいい。ですが、貴方は私の家族を侮辱した。それを私は——」

 

 精一杯に感情を抑え、その分を込めて八幡を睨み付ける、深雪の瞳。

 

 敵意と侮蔑と、僅かな哀しみを孕んだその眼差しは八幡に突き刺さ——

 

「…………」

 

「え……?」

 

 ——突き刺さったのは、『八幡の』深雪を睨む眼差し。

 

 非難する側の深雪から一瞬で怒りを奪い去る八幡の視線は、まるで親の仇のように酷い憎しみ、深く暗い感情で見つめていた。

 

 明らかに、殴られた事に対する痛み・憎しみではない。

 

 言葉は何もない。長い沈黙が、深雪を苦しめた。

 

 怯む深雪に何も言わず、それ以上目も向けずに——八幡は、深雪の背後で待っていた材木座を連れて、元々向かっていた方向へと歩き始める。

 

「待っ……!」

 

 その視線の意味は何なのか。

 

 問いかけようと手を伸ばす。

 

「……問うてくれるなよ、司波深雪嬢」

 

 だが、その手は八幡の後をついて歩く材木座によって阻まれた。

 

「……っ!? 材木座、さん……!?」

 

「三年前のあの事件について語りたいことは〝もう〟何もない。……だが『その八つ当たり』だけは八幡にしてくれるな。あれでも人の心を持ってる」

 

 それだけを言って、材木座は八幡の後を追う。

 

「待ちなさい! あなた達は、一体何を——!」

 

「『大いなる魔法』の研究だ。それ以上は貴女が知る必要にない」

 

「……『大いなる魔法』……? 戦略級ではなく……? それは、一体……」

 

「知る必要はないと言った。これで失礼する」

 

 深雪を突き放すように言葉を使うと、身を翻し、材木座はそのまま八幡の後を追いかける。

 

 深雪は深雪の異変を感じ取った達也が迎えに来るまで、その場を動く事ができなかった。

 

 








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関本勲はまちがえない。

 お待たせしました。入学編最終話でございます。

 次回から九校戦編だぜっ!


 巡回。

 

 今の第一高校においてこれほど面倒な仕事は他にないだろう、と関本勲は考えている。

 

今は部活動勧誘期間中だ。あくまでも演習目的のため、ではあるが普段は学園の事務に預けられている生徒たちのCADの携帯が期間中のみ全生徒に対し許可されているので、魔法絡みの乱闘・傷害事件が一日に数件、多ければ数十件も発生する。

 

 それらの対処に当たるのは警察ではなく風紀委員会であり、風紀委員会に所属している関本達の仕事だ。

 

 勧誘期間が始まってから数日が経過した今日も、関本だけで2人もの逮捕者を連行した。1人目は巡回が始まってすぐの逮捕だったが、2人目が下校時刻ギリギリでの逮捕だった為に、その処理に時間がかかってしまったのだ。

 

 その処理の内容は、まずすでに閉まりかけていた保健室に被害者を連れて行き、治療を見届けてから次に懲罰委員会に現場証拠と共に逮捕者を預けるという、簡単なもの。

 

 しかし逮捕者の男子生徒が途中で暴れたり、被害者の女子生徒が途中で泣き出してしまったり(2人は恋仲だった様子で被害者が加害者を庇う為余計面倒だった)と手間が重なった結果、やっと今、風紀委員会本部に戻ってきたところだった。

 

「ふあ〜あ……」

 

 眠気が関本を襲った。勧誘期間の中でも今日は特に疲れているらしく、目蓋がいつもの二倍重く感じていた。

 

 下校時刻などはとっくに過ぎていて、今頃残っているのは風紀委員長の渡辺摩利か、最近彼を狙ったと思しき犯行の際で毎日忙しくしているという、新入りの司波達也……くらいなもの。

 

「……?」

 

 まぁ、どちらでも構わないか。挨拶だけして帰ろう。……と決めていた関本だが、ここで彼はある事に気付く。

 

「……やべえ」

 

 外から察知できる部屋の中にいる人の気配が、想定よりも遥かに多いのだ。

 

 思わず、すぐさまこの場で引き返して帰宅したくなる。

 

 だが、ここまできてから中に入らずに帰るというのも変だし、部屋の前に立った時点で彼の存在は恐らく記録されているから、そもそも逃げる事自体が望ましくない。

 

あいつ(・・・)と違って、俺は覚えられてる。気付いている事自体、悟られるべきじゃないな……)

 

 そう考えた関本は、おもむろに通信端末を取り出し適当に触れて今の関本がドアの前に立ってから不自然に空いた間の言い訳を作り上げた後に、風紀委員会本部へと踏み込んだ。

 

 が。

 

「……っ」

 

 踏み込んで目にした、そのあまりにも衝撃的過ぎる光景は、関本から一切の言葉や反応を奪い去った。

 

 人数は関本が察知した通りに多い。しかし、風紀委員がたむろしているだけだろうと楽観視していた関本には、衝撃的過ぎた。

 

 風紀委員会本部の中央に置かれた長テーブルの奥。本来なら、風紀委員の長である摩利が座るべき場所には生徒会長の七草真由美が座っている。

 

 そのすぐ横、関本から見て右側奥の席に摩利。

 

 摩利の反対側の席には司波深雪がいて、入室してきた関本に視線を向けている。

 

「……」

 

 だが、驚きはしたものの、別に彼女達に関しては全く見ない顔ではない。

 

 真由美なんて頻繁にここに降りてきているし、深雪は兄の達也を迎えにきたということで納得できる。

 

 他のメンバー……三浦優美子や雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結衣など、八幡を知る人物に対して関本は、彼女達がこの場所にいる事に対する違和感を覚えずにいた。彼女達が六道で、生徒会長がその主人である十師族の人間だからかもしれない。

 

「一体何の集まり……」

 

「では、揃ったな」

 

 関本の問いを遮り、答えを示したのは、摩利でも真由美でもなく、関本の後から風紀委員会本部に入ってきた、十文字克人だった。

 

「……十文字?」

 

 視線が合った関本の呼びかけには応えず、しかし関本から顔を逸らすことなく、後ろ手でドアを閉める克人。そしてそのまま彼は、そこから動こうとはしない。

 

 突如として、関本を強烈な違和感が襲った。しかし、目に見えてわかるような違和感ではない。

 

(……十文字が、まるで門番のような役目を……)

 

 表現できる違和感としてはそれくらいだが、これは単純に、順番の最後に入ってきたからだろう。

 

「ええ。十文字くんはそこにいて頂戴」

 

 真由美が指示を出す……が、真由美の指示より前に克人は既に行動し、陣取っている。

 

(……まて)

 

 克人はこの部屋に入ってくる時、なんと言った?

 

——『では、揃ったな』——

 

「…………」

 

 揃った。つまり、克人は何かを待っていた。

 

 何を? この状況になる事を、だろう。

 

 この状況とは、どんな状況か。

 

 周囲を、ゆっくりと見回す関本。

 

 ……気がついた。

 

「……何か話し合いがあるようだが、俺は先に帰るぞ」

 

 全員の視線が、自分に集まっていることに。

 

 気持ち急ぎめ、見た目疲れた様子で風紀委員の腕章を外し、ポケットに入れてくるりと方向転換しようとする——が。

 

「まぁ、待て。……関本」

 

 背後から摩利に呼び止められ、関本は盛大に舌打ちをしそうになった。

 

「……なんだ?」

 

 振り返り、摩利の顔を見る。だが、摩利は隣の真由美を見ていた。

 

 摩利の視線につられて関本も、真由美に視線を移す。真由美は、関本と視線が合うと口を開いた。

 

「関本くん。八幡……比企谷八幡くんを、覚えていますか?」

 

 真由美の言葉の後、二秒、間があった。それから、関本は早くもなく遅くもないペースで、言葉を紡ぐ。

 

「ひきがや……はちまん? 人の名前か?」

 

 真由美の問いにこう切り返せたのは流石だ——と、関本は自分で自分を褒めた。それと同時、数日前に八幡から受けていた「ある懸念」……それが現実になっていたか、と心の中で苦い顔をして、それをおくびも出さないように渾身のとぼけ顔を披露した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 覚醒した力を持ってイチジョウとの戦いに勝利した八幡は、すぐに第一高校——東京から姿を消す準備を始めた。

 

 理由は、戦いには勝利したものの、世界に対して行われた記憶の反転が元に戻らなかった為。

 

 一度、自身が完全に殺される事で解放される能力によって、八幡はイチジョウを圧倒した。が、それはあくまでもイチジョウを倒しただけであり、力を取り込んだ訳でも消滅させた訳でもない。弱らせていることに違いはないが、すんでのところで逃げられたのだ。

 

 封印が使えず、今はまだ、ただ蹴散らすだけの力でしかない覚醒した力の扱い方を学び直す必要がある。『大は小を兼ねるって言うけど、世界クラスで発動する大きすぎる力は人間1人に対象を絞れないのがキツイな』……と八幡は口にしていた。

 

 そして、「記憶が戻っていない=イチジョウの影響下にある」状態で彼女達に接触する事は危険であると判断した結果、八幡達は身を隠すことに。

 

 八幡や妹の小町はいなくなったものの、関本や森崎、千秋などの比企谷の一部のメンバーは、変わらずに一高に通い続けていた。

 

 彼らは記憶を取り戻しているが、八幡によって記憶を(・・・)回復させられた訳ではない。森崎や千秋にだってイチジョウの手が伸びているかもしれないのだ。気にかけていると悟られれば、イチジョウの影響下から解放する前に殺される可能性があった。

 

 故に八幡は、関本や千秋達に再成を使用し、彼女達の全身を影響を受ける前の体に巻き戻していた。

 

 記憶の消失はいわば魔法によって上書きされた表面上だけのもの。情報を読み取り、行使する現代魔法の最たるもの『再成』であれば、弱まったイチジョウの事象干渉力を弾いて影響下から完全に解放できる。

 

 とはいえ、イチジョウが関本達に監視兼センサーとしての眼を配っていたなら、勘付かれて、残った人質達は殺されていたかもしれない。

 

 そうならないように未来を視てから再成を使ったのだから、そんな事など起こり得るはずは無いのだが。

 

 ……未来視から逃れる術をイチジョウがもっていたとしたら、どうしようもなく、ただ運が良かっただけ——というのは、彼らを再成した際、八幡は口にしなかった。

 

 ともあれ、『安全』だった関本達は無事に記憶を取り戻し、しれっと八幡について行こうとする女子数名を引き留めて(何人かはついていってしまったが)、八幡がいなくなってからの第一高校を監視していた。

 

 そして、関本達の記憶の回復ができた——できてしまった事により、八幡は新たな推測を立てていた。

 

『もしかしたら、イチジョウは予想以上に弱ってるのかもしれないです。周りに目を向ける余裕が無いくらい。……そうだった場合、その他の人間……七草姉とかが記憶を取り戻すことも考えられます。だから先輩は、全力で知らないふりをしておいて欲しいんです』

 

『状況の説明をする……じゃなくて、か?』

 

 戸惑いを返す関本に、八幡は彼から視線を外した。

 

『万が一、七草姉達が操られていたらお終いですし。それに』

 

 そこから先の言葉が、八幡の口から出てこない。関本が「それに?」と言葉を付けてやっと、八幡は口を開いた。

 

『それに、つながりが切れるなら万々歳じゃないですか。確かに『十師族』という看板を借りれなくなるからこれからは厳しくなるかもしれませんが、選ばなければその分もっと仕事ができるようになるし、労力だって俺と先輩がいれば何とかなる。…………あとは、俺が死んでも』

 

『悲しまれない、か』

 

 口籠もった八幡のその先を紡いだ関本だが、その言葉が癇に障ったようで、八幡はすぐ反応した。

 

四葉深夜(・・・・)との関係を疑われなくなるから、です』

 

 ただそれは、口先から出た空虚なだけの言葉ではなかった。

 

『……ああ、そっちの問題もあったか』

 

 比企谷八幡は、1人の人間として生きるには問題を抱え過ぎている。

 

 血は繋がっていても明らかに容姿が似ていない両親の矛盾や、六年前まで彼の戸籍は文字通り存在していなかった事など。

 

 その中のたったひとつであっても、隠匿する努力をしなくて良くなるのなら、彼はどれだけこの世の中を生きやすくなるのだろうか。

 

 比企谷の者としてではなく、八幡の友人、先輩として、関本は彼の提案を承諾し、賛同した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今年、司波深雪さんに次ぐ学年次席の成績を残して入学し、深雪さんに対する痴漢行為の罰という名目で風紀委員会に所属していた()の男子生徒です。貴方が彼を取り押さえたのだと摩利からは聞いていますが」

 

 退路を緩やかに塞がれて、真由美と対面する席に座り、関本は事実上の取り調べを受けていた。

 

 関本が目をつけられた理由は真由美が語った通り、八幡と接触していたから。

 

 おそらく、八幡が接触した相手にこうして片っ端から訊き回っているのだろう。そんな推測を立てつつ、関本は用意した嘘を吐く。

 

「いや……自分ではない。そんな特徴的な生徒を忘れるわけが無いだろうし……その生徒の顔は? ここの生徒だと言うなら、データがあるだろう。それを見せてくれ」

 

 あくまでも、無関係の第三者視点から答える。

 

 関本はそう決めて真由美を見た——が、今日初めて見た真由美の目にクマができているのが見て取れて、ほんの少しだけ、視線が揺れた。恐らく、ろくに寝てもいないのだろう。

 

「……それが、どこにも無いの」

 

 それはそうだろう、と関本は内心呟いた。八幡に関するデータを抹消したのは関本であり、克人との模擬戦の記録も全て削除し、都合の良いように書き換えてある。

 

 それを知っていることなど微塵も見せずに、関本は首を傾げた。

 

「どこにも無い? 転校や停学、退学にしても処分届として記録されてる筈だが」

 

 のちに付け加えられた八幡の処分届も、関本が削除した。

 

「……証拠として残っているものは何も無いわ。入学記録すら無くなっていたんだもの」

 

 八幡に関する資料は何一つ無い。消したという記録さえ、抹消したのだから。

 

「……それなら、そいつはこの学校にはいなかった、ということじゃないか?」

 

「……いいえ。確かに彼はいた。だって、この場にいる全員が彼のことを覚えているのよ」

 

「……どういうことだ?」

 

 本当に記憶をなくしていたとしても、関本は多分こう問いかけただろう。

 

「実は——」

 

 真由美が摩利に視線を移し、それに摩利は頷く。摩利の返事を以って真由美は、そもそも何が起きたのかを話し始めた。

 

 八幡から非常事態を知らせる緊急メールが送られてきた事に始まり、しかしその後すぐに八幡に関する記憶を忘れてしまった事、八幡からの電話も全くの他人として受けた事など。

 

 彼らが記憶を取り戻したのは、事件から三日後の土曜日。思い出した時間はそれぞれ異なっていたものの、午後五時にはほぼ全員が失っていた記憶を取り戻していた、らしい。

 

 ほぼ(・・)——というのは、関本の他にも、八幡に関する記憶を思い出せていない人間がいるからだ。

 

 第一高校の関係者で言えば、三年生一科の小早川景子や、千秋の姉である平川小春。千秋に、風紀委員の森崎昴など。

 

 その他にコネクションを通じて知り得たところでは、第三高校に通っている、雪乃や結衣と同じ『六道』の折本かおりや、師補二十九家の一色いろは、十師族の一条家の人間など。

 

 話を聞けば聞くほど、彼らは真実に迫ろうとしていることがわかって、関本は焦りを覚えた。

 

「——なるほどな」

 

 話を聞いた関本は、しかし、バカバカしい、と関本は席を立つ。

 

「口裏合わせて俺を騙しに来てるとしか思えない。或いは精神干渉系魔法に犯されているかのどちらかだな」

 

 実際、危機感を感じるまで関本はイチジョウによる干渉を疑っていた。

 

 世界を包み込める力をどれだけ細かくコントロールできるのかはわからないが、真由美の体で喋っているのが真由美自身でない可能性を関本は疑っていた。

 

「待ってください! ……本当に、本当に覚えていないのですか?」

 

 部屋を出ようとする関本を、真由美が呼び止める。……が、それで関本が止まる筈もない。

 

「覚えていない。……それじゃあ」

 

 扉に手をかけ、人を見下すような目つきで関本が周囲を見回した後、真由美とは別に声が上がった。

 

「待ってください」

 

「……なんだ? 司波達也君」

 

 声を上げたのは司波達也。関本の目論見では、こういう面倒事には首を突っ込みたがらない性格の筈だが、面倒事をこれ以上増やさない為にも関本は呼び止めに応じた。

 

「司波で結構です。……関本先輩。質問があるのですが」

 

「なんだ?」

 

 その判断が、間違っていたのかもしれない。

 

「四月五日の火曜日の、関本先輩の校内巡回ルートについです。どうしてこの日だけ、普段よりも大幅にズレたコースで巡回していたんですか?」

 

 ハッ、と関本は固まった。その日は、八幡が深雪に痴漢を働いた日。もちろんその事についても八幡のデータは抹消されている。

 

「…………それは……どうしてだったかな」

 

 八幡の事だけは、完璧に抹消済みだ。

 

「他の風紀委員の方の行動記録と照らし合わせても、この移動は通常ではあり得ません。何があったか、憶えていませんか」

 

 但し、関本自身の行動記録については、手をつけていない——。

 

「…………そういえば、お前達司波達兄妹に関する事だったような気もするが……」

 

「そこで、関本先輩は比企谷を取り押さえていました」

 

 苦し紛れに放たれた一言は、しかし、話を逸らす力を持たない。

 

「……わからんな。その場所に行った事は憶えているが、何があったかの詳細は記憶に無い」

 

「……そうですか」

 

 結局、関本は「比企谷八幡」の存在を否定できずに自分の記憶の欠陥を認める羽目になった。

 

 だが、この場で関本が八幡の存在を認めようと認めまいと、八幡がどこにいるのか発覚する心配はない。達也の言葉を聞いてみても、「比企谷八幡」という人物がこの第一高校にいたという証拠——にはなり得ない違和感が朧げに見つかるだけで、放置しておいても何も問題はないだろう。

 

「それじゃ、俺は帰らせてもらう」

 

「え……ええ。時間を取らせてごめんなさい。また進展があったら……」

 

「あったらな」

 

 挨拶も半ばに、関本は身を翻して風紀委員会本部を出て行く。

 

 明らかに何かを察知している司波兄妹の視線を、一番強く感じながら。

 

(……あーあ、面倒だ。暫くしたら風紀委員辞めるかな)

 

 しかし。

 

 その傲慢が。

 

「そうだ」という確証が一ミリも無いその驕りが。

 

 ここで比企谷八幡をきっぱりと諦めさせなかった油断こそが。

 

 彼らが真実へと辿り着く手助けをしてしまうことになる事を、この時の関本は知らない。

 

 というか。

 

「……大丈夫? ゆきのん」

 

「……大丈夫よ」

 

あからさまに覇気がなく、体が不調を訴えているにもかかわらずそれを理性でねじ伏せて親友に笑みを見せる少女と、力なき笑みを返す親友。

 

「……真由美も、大丈夫か?」

 

「ええ。……元々手掛かりなんてないようなものだし、また一からやり直しね」

 

 真由美は元より、八幡に好意を抱いている(と関本は考えている)少女達全員が、まさに死にそうな顔をしていた。

 

 死にたそうな顔にも見えたし、何かを信じたくなさそうな顔にも見えた。

 

「…………チッ」

 

 はっきり言えば、彼女達がこの反応をするということを関本は予め知っていた。

 

 知っていたから今も平気な顔ができますよ、という訳にはいかないのが関本勲という男だ。

 

 彼女達が嫌いなわけではない。

 

 彼女達に何も伝えられない自分に憤りを感じながら、関本勲は風紀委員会室の外に出た。

 

「……ん」

 

 関本の退出を見計らったかのようなタイミングで、関本の端末が着信を知らせる。

 

 部屋の外に出たとはいえ、扉に貼り付けば聞こえない音ではない。加えて部屋の中には、この程度の会話を聴き取る真似など造作もない連中がごろごろいる。監視カメラも関本を観ているし、下手な発言は後でバレてしまう可能性が高い——というか、この状況では間違いなく聴かれてしまう。

 

 それを踏まえて、関本勲はこう切り出した。

 

「何の用だ比企谷(・・・)。まだ帰宅していないんだが」

 

 部屋の中から漏れてくる鋭い吐息。やはり、何人かは盗聴していたのだ。

 

 しかし、それすらも予定通り(・・・・)

 

 ハプニングにはなり得ない。

 

 先程よりも随分と強まった視線——異能によるもののみを人形式応用型のパレードで振り払い、関本はごく普通に帰宅した。

 

 




次はワートリ短編を投稿します。みかみか。


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九校戦編
【序章】悪の芽は雑草のようにそこかしこに


お待たせしましたぁっ! 新章開始です!

プロットというか構成図みたいなものを作ってみたので、九校戦編の終わり方は決まってます。

固めてある今後の予定としては九校戦編→オリジナル話→アスタリスク&横浜騒乱編みたいな。

ではどうぞ!


 

 トラウマ。

 

 誰にでもある幼き日の思い出は、時として自分を他人以上に追い詰めてくることがある。

 

 幼少期の思い出だけではない。昨日や一昨日の後悔だって、自分を苦しめることはままある。

 

 それは、これから選択する「未来に対する葛藤」よりも選択した「過去に対する後悔」の方が圧倒的に大きく、記憶というものが過去のものであり、人は過去に干渉できないが故の「どうしようもなさ」が際立てているから、と八幡は考えている。

 

 一人一人に迫り来る未来は子供にさえどうとでもできるが、神でさえ追い縋る過去からは逃れようがない。

 

 比企谷八幡は、今現在、後悔していた。

 

「先輩。ワンピースとスカート、どっちが良いですか? 言い換えれば上プラス下、もしくは一続きになってる一枚の服かって話なんですけど」

 

「え、オレこのまま上下ジャージでいいんだけど。派手な色じゃなきゃなんでもいい」

 

「それじゃ困るでしょうが。何のために今悩んでると思ってんですか」

 

 両手に衣服を持ち、その両方を八幡に見せる少女——一色いろは。

 

「ズボンにしてくれ。スカートやだ」

 

  いろはの実家から程近い、ショッピングモールの中のレディース専用の洋服店。そこで八幡は、まるで男子が女装する事を拒むかの様な表情でいろはが差し出す衣服を拒否し、いろははまた別のを持ってくる、という事を繰り返していた。

 

「どうしてですか。変装するには女の子らしくするのが一番でしょう?」

 

「……下、穿いてくるの忘れた」

 

「あァ!?」

 

 もんぎゃあ、と八幡に対し怒りを露わにするいろはだが、無理もない。

 

「ぶっ、ブラは!? ブラジャーは!?」

 

 今現在において、八幡は誰がどう見ても立派な美少女で、外見だけでなく身体構造的にも15歳の黒髪美少女そのものなのだから。

 

 無論、八幡がこんな姿でこんな所にいるのには、きちんとした目的がある。

 

「それもいまいちよくわかんなくて、一条から渡されたの着けてみたら苦しすぎて入んなかったからもう着けてない。ほら、谷間がえっちっちー」

 

「ぶっ!?」

 

 彼らがここにいる目的——それは、彼らが口にしている通りの、変装の為の衣装探しである。

 

 四月に起きたブランシュ事件から約一ヶ月が過ぎて、八幡を取り巻く状況は四月当時に彼が予見したものとはかなり違うものになっていた。

 

 当初の八幡の目論見では今頃、八幡が居なくなった事によって生じた「違和感」に人々が気づき始める。ただ、それは気のせい程度に収まって、やがてその空白すらも忘れ去る——そんな予定だった。

 

 しかし。

 

「先輩なんでジャージの下裸なんですか!? 人として恥ずかしくないの!?」

 

「なんかなー。感覚はあるんだけど、自分の体じゃないように感じるというか。着ぐるみ着てるような違和感が近い」

 

「……はぁ。……まぁ、大体想像つきますけど……それでもダメです。職質されたらどうするんですか。下手すれば公然猥褻で捕まりますよ」

 

「倒すに決まってんだろ」

 

「ゲームじゃねえんだよこの野郎」

 

 八幡の見た未来と違う現在が、ここにはあった。

 

「大体、外から見られなけりゃ良いだ——おっ」

 

 突然、言葉もなく鳩尾辺りまで八幡が下ろしたファスナーのチャックを首まで一気に引き上げ、そのままいろはは八幡を引き寄せた。

 

「一体何——むが」

 

 抗議する八幡の口を押さえ、店の入り口から見えない位置にある試着室に八幡を連れて行く。この子の着替えを手伝うから、と試着室前で客に案内をしていた店員に話をして、二人とも試着室に入り——いろははドアを閉めた。

 

 まるで、何かから隠れるように。

 

「……おい、何で隠れる。誰か来たのか?」

 

 何が起きているのかさっぱりわからないといった様子の八幡(♀)を見て深いため息をついた後、いろはは呆れ混じりに口を開いた。

 

「ほんとうに、女性型(その姿)の時は探知ができないんですね。そりゃ着ぐるみとか言うわけですよ」

 

 嘆息するいろはの表情と言葉で、八幡も漸く気づいた。

 

「……敵か」

 

「ええ。先輩もよーくご存知の……魔法協会の調査員です」

 

 にこり、と笑みをかけてくるいろはに八幡は嫌な顔で返す。

 

 彼らがこんな所にいる目的——それは、全国規模で行われている比企谷八幡捜索の目から逃れる為だ。

 

 当初の思惑を外れ、八幡に関する記憶を取り戻した人々の取った行動は、迅速で簡潔的だった。

 

 すなわち、八幡の捜索。

 

 彼らは一度、八幡が窮地に陥った事を知っている。しかし、その後の事は何も知らない。

 

 何があったのか、知りたいというのもあるだろう。通常兵器よりも凶悪な武器となる魔法において、かの世界最強『由比ヶ浜』を下した比企谷の人間が、瀕死の重傷を負ったというのだから。

 

 ただ、その戦いには八幡が勝ったということを自分達の身の安全をもって確信していて、その後の脅威について心配する者はいても、怯える者はいなかった。

 

 故に、余計に彼らは疑問に思っていた。

 

 戦いに勝利したのに、何故八幡どころか「比企谷そのもの」は我々の前から姿を消したのか。

 

 立つ鳥跡を濁さず——どころか、そもそも存在していたのかという疑念すら抱きかねない程に、人々の記憶以外から比企谷は存在を消している。

 

 もしかすると自分達の為の行動かもしれない。

 

 何か、十師族や六道では対応しきれない敵と八幡はぶつかっているのかもしれない。

 

 そう考えると、逆に少し安心できたりするのだが——別の視点で考えてみれば、そう安心していられなかったりもする。

 

 六年前(・・・)の事があるから、八幡は兎も角、比企谷(・・・)については時として戦時と変わらない警戒態勢が敷かれる事もある。

 

 比企谷に対する一抹の不安——それが上手く機能したなら、ここまでの事態になる。

 

(末端の調査員まで導入して……全国規模じゃねえか)

 

 こんな風景を見るのはこれで何度目か。いろは()の協力がなければ、もっと面倒な事になっていたかもしれない——と、八幡は視線を向けながら心の中でため息をついた。

 

 八幡といろは、二人揃って見つめる扉のその先には、スーツ姿の男性二人組が店の前を歩いている。

 

 いろはも八幡も、その二人の名前も顔も知らない。が、二人から漏れ出ている想子は、普段魔法を使わない一般人ではとても出せないほど多い。

 

 一目で魔法師と見抜けるレベルだ。

 

 といっても、街に魔法の不正使用を監視する目的で設置されている想子感知器に引っかかるには到底及ばない想子の量で、これを見抜けるのは八幡といろはくらいなもの。

 

 現に、八幡といろは以外の人間は店の前を通りがかった二人組に何ら不信感を抱いてはいなかった。

 

 無論、二人組が殺気やら何やらを放っていたならそれに反応する人間はいただろうが、それも今は何もない。

 

 スーツ姿で、モール内のどこかの店に商談に来たセールスマンのように見られている事だろう。

 

 実際のところ、見た目に反して二人組はお互いの身内話を繰り広げていて、楽しげな様子で歩いていた。

 

そのまま通り過ぎてくれれば、良かったのだが。

 

『すみません。少し、お話をお聞きしてもよろしいですか?』

 

『? はい、何でしょう?』

 

 店を完全に通り過ぎる——その少し手前で、入り口の飾りを弄っていた店員に二人のうち、店側を歩いていた男が声をかける。同時に、端末を相手に差し出して何かを見せていた。

 

『このような人相の少年を探しています。心当たりありませんか?』

 

 端末には、八幡を正面から撮った写真に似せた合成画像が表示されている。

 

 八幡はそれをマルチ・スコープ越しの肉眼で、いろはは嘘の間接否定による事実確認で難航していたところを八幡に視界共有——網膜投射で彼の視界を見せてもらい、確認していた。

 

 画像の本人と、本人の顔を一番間近で見ている人間の反応——。

 

「……流石は十師族。手がかりは記憶だけの状態で、精巧な似顔絵をこうも早く……」

 

「うっわ……似てないですねあれ。目の部分だけで全否定できますよ」

 

 主観補正により自分の顔との相違点がわからない八幡と、本物を知っているからこそ細かな違いをより強い違和感として感じ取ったいろはの二人がいた。

 

「…………」

 

「あ、そ、そういえば目以外は似てなくも……ないかも? というか今先輩女の子ですし、そもそもどんな顔でしたっけ……あはは」

 

「……開口一番で全否定しといて何を言いやがる。……ほら、着替え終わったぞ」

 

 慌てていろはのフォローが入るも、時既に遅い。

 

 魔法(主にサイキック)で着替えた八幡(♀)の顔は、ブラウスと膝下まであるスカートの大人しめな服装と相まって、どこか憂鬱なようでいてその実いじけた顔をしていた。

 

「クッソ可愛……ん゛んっ、似合ってるようで何よりです。それじゃ、お会計いきましょうか」

 

「また脱ぐのか……?」

 

 八幡(♀)の不安そうな表情プラス上目遣いは、いろはの肝臓に突き刺さる。

 

「んぐっ……大丈夫です、そのまま外に出れますよ。会計タグなんて化石は今時の衣類には付いてませんし、センサーとカメラが全部仕事してくれるのでバーコードリーダーとも無縁になりました。まぁ元々先輩の服はこれを買う予定でしたので、ここに入ったのはほぼ着替えの為ですね」

 

 身悶えするいろはを不審に思いながら、鏡の前でくるりと一回転する八幡。派手なのと可愛らしいものはやめてくれといろはには言ってあるので、それを考慮した結果が今八幡が着ているコーデなのだが、自分で確かめて、彼自身も気に入った様子だ。

 

 気に入った——とは、つまりは許容範囲内という意味で、今後もこれを着たいと思った訳ではないので、悪しからず。

 

「……会計はどうすんだよ。価格見たけど、下着も合わせてオレの所持金二百円で済むのか」

 

 試着室を出て、レジに向かう二人。

 

「心配ありません。一条(・・)の叔父様から先輩用のクレジットカードを預かっていますし、何ならうちの親も渡してきているので」

 

「ああそうか、なら心配ないな……って待て。クレジットカード? なんて?」

 

 八幡が身につけているもの以外にも、何点か見繕っていた八幡のサイズに合う服をレジに出して会計をするいろは。下着も含めればその数は十点以上あるので、大型の紙袋四つを二人で分けて持つことになった。

 

 その際の支払いに使用したクレジットカードを八幡に見せて、いろはは苦笑いを浮かべた。

 

「クレジットカードって言ったんですよ。先輩用の」

 

「オレの? ……なんで」

 

 何故、一条家が八幡に金を供給してくれるのか。

 

 それを問いかける意味で八幡がいろはと目を合わせると、いろはは商品の入った紙袋を受け取りながら、答えた。

 

「先輩がやっと四葉の手から離れたからだと思いますよ。今のうちに雅音さんとの関係を固めておきたいんじゃないでしょうか」

 

「…………おまえ、まさか、そこまで、一条の、ことを……」

 

 ぱくぱく、と開いた口が塞がらない八幡の手から、滑り落ちそうになる荷物を慌てて受け取り、八幡をいろはは睨んだ。

 

「先輩と、雅音さんの関係を、ですよ? つまらないボケを挟まないでくださ……なんでもないです」

 

「…………」

 

 いろは曰く、思わず鼻腔からの出血を錯覚して鼻を押さえてしまう程に、その少女が無言で照れている姿は可愛らしかったのだという。たとえ中身が男と知っていたとしても。

 

「……三浦先輩とかわたしじゃそんな反応しないくせに……もしかして雅音さんが好みなんですか?」

 

「……いや、前にキスされた時の思い出が今フラッシュバックしただけだ。顔がというならオレは桜井が好みだが」

 

「……キスって何ですか魚ですか」

 

「接吻とかちゅーとかのキスだよ。……まぁあれも事故だから、今更恥ずかしがるのもアレだが」

 

「……第一高校組が一番の難敵かと思ってたら、とんでもないところにダークホースが……!?」

 

 びしゃあーん、とまるで稲妻が如き衝撃に撃たれたような顔をするいろはだが、彼女が衝撃を受けたのは八幡(♀)の浮かべる〝照れ隠し〟の表情であり、キスをしたという事実についてはあまり応えては無かった。

 

 自分自身もキスについては経験済みだから——という思考は、何処かの引き出しにしまい、間違って開けないよう隙間をパテで固めてある。

 

 それにしても——と店の入り口の様子を窺いながら、いろはは思う。

 

 他者の目を欺く為とはいえ、八幡が肉体的に女性になってからというもの、八幡の感情表現が豊かになったような気がする。

 

 いや、少なくともいろはが知る限りでは八幡は元々感情表現が下手なだけで、「豊かさ」では冷徹とは程遠い。

 

 しかし、表現の仕方はまるで別人のようだ。

 

「……?」

 

 よくよく見れば、歩く後ろ姿も男性体の八幡とは全く違う。骨格がそもそも違うからと言われればそれまでなのだが、歩き方の中に妙に女性らしさが出ているのだ。

 

 どちらかと言えば、誰かの癖が移ったかのような——

 

 

「……ん?」

 

 

 不意に。

 

 店を出ようとする八幡の足が、止まった。

 

 いろはよりも少し前を歩いていた筈の八幡が何かを思い出したかのように突然止まり、いろはは彼(女)を見た。

 

「先輩?」

 

「…………」

 

 いろはの位置からでは八幡の顔は見えない。何を考えているのかわからないが、この後、いろははさらに八幡の考えが読めなくなった。

 

「なぁ一色。雪ノ下って、確かお前より胸無かったよな」

 

 風鈴のような軽やかな声色で、八幡の口から出てきた突拍子もない事実確認。足の先から頭のてっぺんまで紛うことなき変態発言。それにいろはは衝撃よりもむしろ怒りを覚えて、

 

「何ですかいきなりセクハラですか他の女の名前を出しておいて実はお前に気があるんだよアピールですか一瞬でもときめいた自分が恥ずかしいですというか勘違いなんでときめきも何もないですむしろはよ先輩がわたしにときめけって感じなんですけどていうかこちとら逃亡中の先輩達の面倒全部見てるんだしその姿(女形態)のお世話も全部してるんだから告白の一つでもしてくれてもいいんじゃないでしょうか、ごめんなさい」

 

 もはやお家芸となりつつある、いろはが焦りを隠せなかった時の誤魔化し。しかし八幡はそんなものに興味はないらしく、店の外を指差した。

 

「……この顔でも振られんのかよ。……いやそうじゃなくて、あれ」

 

「あれ?」

 

 八幡の指差す先。そこには、一人の少女がいた。

 

『…………』

 

 八幡達の出てきた店を丁度横切る形で歩いていたその少女は、八幡の指差しに気づいたかのように、振り返った。

 

「あの人ががどうかし……ん? ……あれ?」

 

 いろはは振り返るその少女の顔を見て、目を疑った。

 

 何故なら、その少女はいろはの顔見知りで、この場所に居るはずのない人間だったからだ。

 

「あれって……雪ノ下先輩?」

 

 服装や髪型に多少の違いはあるが、その少女の顔は、いろはもよく知る——雪ノ下雪乃とそっくりな顔立ちをしている。

 

 そんな少女が、吹雪のように冷たい無表情でこちらを見つめていた。

 

そんな訳ないだろ(・・・・・・・・)。あいつは第一高校に通ってるんだ。こんな所に居るはずが……ほら、あんな格好(・・・・・)してるし」

 

 八幡の言う通り、雪乃モドキの服装は、このショッピングモールに置いて少々——どころか、かなり異質だ。

 

 上下が黒で統一された検査衣のようなものを身につけて、髪型は腰まで伸びたストレートロング、首にも黒いチョーカーのようなものが巻かれている。

 

 周囲の人間は少女に視線を向けたり、撮影したりしていて、少女が八幡達にだけ見えている不思議存在、というわけでもなさそうだ。

 

 ただ、あの少女の画像がネットに拡散されたら、少し面倒な事になる。

 

「……一色。一条に急いでこっちに買い物に来てくれって頼むことできる?」

 

「……けっこうヤバいですか?」

 

「ああ、ヤバい」

 

 焦り。いろはの見上げる彼女の横顔は、間違いなくその感情のみで埋め尽くされていた。

 

「別に戦力としてなら、わたしがいますが……」

 

 その尋常ならざる異変に、いろはもポーチから取り出した携帯端末型CADに指を乗せる。

 

(マジでヤバい時の反応がわかりやすくて助かるなー。絶対言わないけど)

 

「いや……アレは多分、尋常じゃない。だからといって無視もできないし、できれば警察に対応してもらったほうが……おいおい」

 

 彼女の格好はコスプレ扱いで済まされるようなものではなく、他の店で聞き取りをしていた件の二人も、雪乃の外見で目が止まったのか、少女に話しかけていた。

 

「なぜこんな所にいらっしゃるのですか」とか、「そのお姿は一体?」などと聞かれている。

 

 少女の握った刀には、気付いていない様子だ。

 

 検査衣に隠れて見えなかったのか、それとも魔法で何かしていたのか。いずれにせよ、これから誰がどうなるのかはあまり考えなくてもわかりそうなものだ。

 

「どうします?」

 

 荷物を置き臨戦態勢を取る八幡に、CADを少女に向けた状態で構えながらいろはは聞いた。

 

「助ける。隠れてろよ」

 

「はいはい……どっちを?」

 

「バカ協会の奴らの方に決まってんだろっ!」

 

 言葉と同時、八幡の姿が消えた。

 

 そして、間髪置かずにモール内に響き渡る甲高い衝突音。

 

「U……らあっ!」

 

 唐突に斬りかかった少女の攻撃を、八幡が硬質化した右腕で受け止めた音だ。

 

 刀を外に払い除け、それとほぼ同時に左回し蹴りを少女の右脇腹に叩き込んだ。

 

 殆どの相手はこれで暫くは動けなくなる。その間に彼女を撮影したデータを削除して、人々の記憶から——

 

 だが。

 

「……っ、これ防いだの雪ノ下さんくらいなんだけどな……」

 

 しかし、少女の右腕が八幡の左脚を受け止めていた。

 

(女子の腕力で俺の蹴りを……? いや)

 

 その事を八幡は一瞬疑問に思うも、今は女体化により自分の攻撃力が下がっている事に気づき、謎を解いた。

 

 それくらいの事を考えられる程度には余裕がある事をしっかりと確認して。

 

 少女を蹴って飛び下がり、周囲の人間に聞こえるよう、大きく言い放つ。

 

「今すぐ逃げろあんたら! こいつは魔法師! ここは師補十九家の一色家がこいつを抑える!」

 

 八幡の名前など名乗ったところで何の意味もない。それよりもこの場において最大限に効果を発揮する名前といえば、やはり十師族や師補十九家の名前だろう。

 

 八幡は、一色の名を躊躇いもなく騙った。

 

 調査員達が怪我をした様子はない。衝撃波を魔法で生み出されてたりしたらどうしよう……などと八幡は考えていたのだが、杞憂だったようだ。

 

 八幡が叫ぶと同時、調査員を含めたこの場にいた全員が、一目散に逃げ出した。

 

 少女と対峙する中、八幡は目の前の少女——ではなく、逃げる客達の方に照準を付けた。

 

「……本当は、全員消した方が手っ取り早いんだけどな」

 

 行うのは、記憶の部分消去と端末データの抹消。逃げる前に見たものと、逃げる理由を編集するのも忘れない。

 

 クラウドに保存されたデータは管理者設定と顔認証の網に引っ掛かり、自動的に削除される。ハッキングではなく、もともとそういうシステムに組んである。

 

 八幡はこの一瞬で89人、計3時間分の人間の記憶を奪った。

 

「……あら」

 

 四方八方、蜘蛛の子を散らすように逃げていく客達に少女は一瞥もすることはなく、自分の()を踏みつけた八幡を見た。

 

「女性の胸を踏みつけにする殿方は、わたくしも初めてです……この責任、どう取ってくれますの?」

 

 そう言って、胸に手を当てて小首をわずかに傾け、少女は笑む。

 

 雪乃では絶対にありえないカップにしてC以上は確実にある「胸」と、トレーニングしても絶対に出せないであろう不気味さと可愛らしさが合わさった妖艶さに、八幡は警戒感を露わにした。

 

「……お詫びに殺してやる。生憎と暗殺の手段には事欠かないんでな」

 

 一方の八幡は、剣気を突きつけてくる少女と相対しても、尚余裕の笑みを浮かべる。

 

 当然だ。何せ彼は、この世で唯一死ぬことが出来る人間なのだから。

 

「……」

 

「……」

 

 ……。

 

 …………。

 

 ……………………。

 

 

 

 

 

 

「しゃべった……!?」

 

「そこに突っ込みますの!?」

 

 

 

「…………はぁ」

 

 八幡に言われた通りにしながら、身を隠しながら様子を窺っていたいろはは、側にあった植木鉢を八幡の頭に投げたくなる衝動に駆られていた。



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希望との出会い

お久しぶりです。ハーマィアです。

 ほんとはもうちょっと早く投稿する予定だったんですけど、モンストのワートリコラボにどっぷり浸かってたら投稿するの遅くなりました。

ワートリと俺ガイルを基本にして混色モノをまた書こうかな……。


 

 ……その少女は、生まれた時から夢を見ていた。

 

 いつか自分は自由になって、普通の人間のように、普通に働いて、普通に遊んで、普通に生きて行ける。そんな夢をいつか叶えられる日が来ると、そう信じていた。

 

 しかし、彼女に夢を考える程の知性が彼女の親によって与えられたのは彼女の〝オリジナル〟が知性なくして使えない『魔法』という技術の持ち主だったからで、その親である人間は、そもそも彼女をその場所から逃す気はなかった。

 

 その事を彼女は知っていた。だから、手足に鎖が繋がれた現実から目を背けようとして彼女なりに精一杯、夢を見ていたのだ。

 

 それでも、閉鎖された環境で子供が考え得る誤魔化しは限界が早い。

 

 外の世界が見たくなって、本や記憶から読み取る知識だけでは物足りない。想像できるものが少なくなる。

 

 幸か不幸か、彼女は知性と知識を与えられた事で、彼女の親ですら想像しない脱走の手段を思いついた。

 

 考える設計図は全て頭の中に覚えておいて、一度たりとも口に出したり書き留めたりはしない。

 

 そして、計画を考えていくうちに、彼女は自分の親がそれ程利口ではないということに気づいた。

 

 自分が今こうして存在していることから、コイツに計画力と実行力はある。

 

 しかし、自分()に埋め込んだ安全装置への信頼度が極端に高いせいか、慢心が過ぎるのが欠点だ。

 

 現に、簡単な医療キットだけで手首の監視装置は取り出せたし、首元の爆弾も偽物にすり替えられていることに一切気付いていない。

 

 あとは、隙を見計らって処分されたと見せかけて、脱走するだけだ。

 

(……ここを出たら、何をしよう)

 

 少女は、それまでずっと考えていた計画のその先を忘れて、見えなくなってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ!」

 

「っぶな! ……くっ、ふおっ!?」

 

 雪乃擬きが構える刀の鋒による刺突剣のような四段突きや、そこから繋がって帰ってくる斬り払い・切り返しといった止まらない剣戟。

 

 それらが引き際を知らない波のように八幡を呑み込もうとして、八幡はそれらを捌くので精一杯だ。

 

 しかし、一瞬でも雪乃擬きの刃が八幡の身体に食い込めばそこを押さえて反対から反撃できる。が、それを雪乃擬きもわかっているのか、確実に八幡の命を飛ばせる首を狙う時以外は決して深く踏み込まず、八幡の小手先反撃を迎撃するに留まっていた。

 

 彼女が自分の首を狙ってきたところの隙を突くという考えも八幡の脳裏をよぎっているものの、失敗した時に飛ぶのは八幡の命だ。それだけは外せず、手段として取ることが出来ずにいた。

 

「……なあ! 雪ノ下擬き! お前よお!」

 

 だから、八幡は自慢の武器を持ち出す。

 

 蹴りと手にした白色の鍔なし短刀で雪乃擬きを引き剥がし、刃渡り10センチにも満たないナイフのような刀を雪乃擬きに突きつけた。

 

「……なんですの? 他の女の名前でわたくしを形容するなんて、殿方としての教養は些か足りていないのではなくて?」

 

 抱き着くように八幡に攻撃を仕掛けていた雪乃擬きは、引き剥がされて雪乃そのものの顔を不愉快そうに歪め、再び八幡に斬りかかった。

 

 それを払い退けながら、八幡は言葉を紡ぐ。

 

 雪乃擬きから動揺を引き出すための、言葉を。

 

「……それだよ、それ。なんでお前、俺が男だなんて、わかるんだ?」

 

 鈴のように可憐さと儚さを含んだ飴のようにか細い声で、八幡は手繰り寄せる。

 

「……!」

 

「声も、顔も、体格も、役者のプロだって俺が男だと見抜けなかった! なのに、初対面で何故お前は俺を見抜ける!?」

 

 身振りを交えて雪乃擬きを視線で貫き、

 

 その直後、硬直とも、反射運動の予備動作とも取れる〝肉体運動の滞り〟が雪乃擬きの体に訪れた。

 

(————っし!)

 

 八幡は、一瞬の隙を逃さなかった。

 

 八幡が口にした疑問は最もだ。しかし、今この瞬間に八幡が知りたい答えではない。

 

 彼女を取り押さえた後にゆっくりと確認できる事だし、斬り合いの最中に敵が話し合いへの変遷に応じるとは最初から考えていない。

 

 一瞬の動揺の為に嘘八百——それが、九重八雲との確執の中で生み出された八幡の戦闘術の一つだ。

 

 刀を逆手に握り、ほぼ殴りかかるような体勢で八幡は女子らしからぬ獰猛な笑みを浮かべて、やはり殴りかかった。

 

「……、なん——」

 

 しかし、この場合は八幡の詰めが甘かったとしか言い様がない。

 

「甘い……わよっ!」

 

「なだっ……!?」

 

 敵は雪乃擬き一人で、他にはいない——そう思い込んでいたのだから。

 

 突如、横から白皙の脚が伸びてきて、八幡の突き出した右手のナイフの刃部分を蹴り砕く。

 

 視覚外からの攻撃——それを全く予想していなかった八幡は、僅かゼロコンマ1秒、動きを止めてしまう。

 

 予想外による思考停止。

 

 まさか、自分が企んだ動きをそのまま返されるとは思ってもいなかった八幡は、そのまま動きを止めてしまっていた。

 

 そして、その隙に雪乃擬きは手にした刀を振りかぶって、バットのように振り上げ、そのまま——動きを止めた。

 

「…………っ!?」

 

〝驚いて動きが止まった〟というより、〝動きが止まって驚いた〟という顔をしている。

 

 その顔は雪乃擬きと八幡の戦闘に割って入った少女も同じで、その驚き方はまるで姉妹のよ、う、で…………。

 

「……まさか、雪ノ下のクローンが二〇〇〇〇人いるとかじゃねえよな」

 

 焦り方も、歯の噛み締め方だってまるで瓜二つ。ドッペルゲンガーは、その存在が一人だけではないらしい。

 

「……くっ」

 

 乱入してきた少女も、雪乃と顔立ちが全く同じだったのだ。

 

 しかし、そんなものがわかったところで判断材料程度にしかならず、彼女達がピンチに陥っているのは依然として変わっていない。

 

 二人が固まった体勢で身動きを取れない中、八幡だけが構えを解いたことで、彼女達はいまさら、自分達が八幡によって捕らえられていることを悟った。

 

 目に見えない何かに体を拘束されている。呼吸と瞬きはできるが、指一本動かせない。それだけがわかって、それ以外が何もわからない。

 

 細い糸が多重にからまって彼女達の動きを止めているのかもしれないし、神経系の自由を奪われているのかもしれない。

 

 兎にも角にも、この拘束から早く抜け出さなければ——

 

「よっこらしょっ……と」

 

 八幡が雪乃擬き達に向かって歩み始めた。そして、何故か彼が刀を手放す——と、彼女達は自分を拘束しているものが一体何なのか、知ることができた。

 

「…………! その武器が……!?」

 

 彼女達の目に入ってきたのは、手放された刀、ではなく、蹴り砕かれた刀の破片だ。

 

 先程蹴り砕かれた筈の刀の破片が、宙に浮かんだまま静止している。

 

(……いや、あれは破片になったのではなくて、破片になったように見せる為に、伸びた刀身に部分的に色が付いているだけ、か?)

 

 数秒後、八幡が刀を離したその場所から、刀にかけられていた光学迷彩が解け始めた。そして二人の全身、指の一本一本に至るまでを徹底的に縛りつける、白い帯状の何かが姿を現す。

 

 最初はナイフほどの大きさしかなかった白き短刀が、変形・拡大し、今やショッピングモールを覆い尽くさんとするばかりに巨大化していた。

 

 刀から伸びたものは壁や天井のあちこちに根を張っていて、まるで蜘蛛の巣のように、雪乃擬き達を捕らえていた。

 

「これは……化学物質? それとも魔法強化を受けたマジックアイテムか……?」

 

「さあ、しらねえよ。元々俺のもんじゃねえし、借りもんだからな」

 

 八幡は気怠げな体勢に戻り、乱入してきた方の雪乃擬きに首を傾けた。

 

「あんま乱暴に扱ったりできないんだが、まぁ、今回は許容の範囲内ということで」

 

「借り物……? ……この強さ、十師族か六道クラスの持ち主でなければ納得がいきませんわね……」

 

「んな雑魚共にこれが使えるわけないだろ。十握剣(とつかのつるぎ)は神話武装だぞ」

 

 白く輝く拘束具に変身した武器を目だけで眺めていた最初の彼女は、驚きを露わにして視線を八幡に向けた。

 

「『ブリオネイク』のような模倣武器とも、実際の逸話がある雷切丸のような実在武器とも違う。神話がそのまま武器になった。それが神話武装だ」

 

「神話の実物化……ですって。そんな大ボラを誰が信用すると?」

 

 あからさまに八幡を馬鹿にした笑みを浮かべる雪乃擬きだが、八幡は彼女を無視して彼女達を拘束している刀に目を向ける。

 

「十握剣は十の拳の剣とも書く。握り拳一〇個分だから結構長い訳で、刀身を無制限に伸ばす能力はそこから来てる——と思う。長さを表すだけだからそんなん関係ないかもしれんが。ただ、『十握剣』は妖刀『村正』とかみたいに一振りの刀を指す言葉じゃなくて、各々の神話を持つ複数の刀が、十握剣と呼ばれていたんだ」

 

「……だから?」

 

「その神話を、この一振りに全部込めた。……まぁ、撃てば必ず先に攻撃できる銃とか放てば必ず当たる槍とかの神話も取り込んでるから純粋な十握剣とは言えない。が、ゲキ強どころか紛れもない世界最強の剣だから、誰があと何人来ようとこいつ一本で難なく迎撃出来る」

 

「言ってくれますわね……」

 

 意味の無い会話に溢れる苛立ちを、最初の雪乃擬きは隠そうともしなかった。

 

「……だから、まぁ、追われてるなら(・・・・・・・)早よ言え。俺が止めてなかったら、お前ら危なかったぞ」

 

「「……!?」」

 

 ——八幡がこう話すまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カタ、——どちゃ。

 

 音を立てて、雪乃擬き達の背後で何かがフロアの床に落ちた。

 

 湿った音がしているから、濡れているものか——

 

「……見てみろよ。キメラの死骸パークになってんぞ」

 

 八幡の視線につられて振り返る彼女達。そして、紅を目にした。

 

 既に彼女達の拘束は解かれていたが、今度は視覚から入ってくる情報に彼女達は囚われてしまった。

 

 雪乃擬き達の周囲、広く広がるモール内の吹き抜けスペースには、壁や天井などそこら中に血溜まりが出来ていて、その上・或いは近くに串刺しにされた双頭の犬や帯に体を縛り砕かれたと見られる三つ足の烏、正中線に沿って体を半分に断たれた羽を持つ牛などの死骸があった。

 

「なに……こ、れ……?」

 

 言葉を失う彼女達に、八幡がため息を吐く。

 

「大方、自分達を死亡事故に見せかけて脱走してきたんだろう。が、詰めが甘すぎだ。お前達を産んだ機械、計画書や計画者が無くならなけりゃ、お前達はまた作られる。そうして作られたクローンが脱走という結果を弾き出して、お前達に追っ手が差し向けられたんだろうな」

 

 ショックの度合いは、八幡が語った予測の方が大きかったのかもしれない。

 

「……ひょっとして、追われてることに気づいてなかった?」

 

 二人とも床にへたり込み、片方は顔を手で覆って伏せ、片方は八幡を睨んだまま涙を見せた。

 

「……そういう、こと……?」

 

「ま、お前らの責任じゃないのは確かだ。クローンとか作る奴の方が悪い。それに、ただの人間とは違ってお前らは、基本的人権が保障されるかどうかもわからない。死にたいと言うなら今すぐ殺してやるが、どうする」

 

 八幡が右手を挙げた。……すると、3人を囲むようにあちこちに広がっていた蜘蛛の巣が生き物のようにうねり、そこから無数の刀身が発生。その鋒は全て雪乃擬き達に向けられていて、即席の処刑場がこの場にできた。

 

 全ての現実を突きつけ、審判のように選択肢を与える八幡に、雪乃擬きは縋るような視線を向けた。

 

「……生まれてきた妹達は、どうするのですか」

 

「施設と、計画した奴、実行した奴を処分した後、希望を取った上での話になるが、殺すか生かすかのどちらかになるだろ。魔法の研究材料なんて比企谷はもう必要無いし、他に選択肢が思いつかん」

 

「生かす……? こんな世界に、生きる意味なんてあるのですか」

 

 顔を伏せ、提示された選択肢を見上げず、地面と見つめ合う雪乃擬き。

 

「誰にも愛されてない。わたくし達の生みの親は、わたくし達をデータを採る為のサンプルとしか見ていない。それどころか、邪魔になれば殺すだなんて……」

 

「お前達は生まれてくること自体が間違っている。食用肉ならともかく、人間のクローンは世界中から疎まれて当然の存在だからな。クローンとは別物だが、魔法師が嫌われる理由のひとつが調整体絡みの問題であったりもする」

 

 その言葉を聞いた彼女の表情は、子供のようにわかりやすく、絶望していた。

 

 この先、彼女が何かを成し遂げたとしても、きっと達成感なんてものは得られない。

 

 誇りも驕りも全ては他者の存在によって成立するものだし、その他者は誰一人として自分をまともに見てくれないときた。

 

 全てが自己満足で終わる世界に、自分たちが執着しなければならない理由など、どこにあるというのか。

 

「もう一度言うぞ。お前達が望むなら、俺は速やかにお前達を殺す。神経が信号を伝えるよりも早く息の根を止めて、まぁ、墓くらいは作ってやるよ。……本当にやりたい事が無いのならな」

 

「…………!」

 

 俯く雪乃擬きの、隣の彼女は何かを思い出したらしい。でも、雪乃擬きは、全く何も——

 

「……でも、とりあえずは生きろ。生きなきゃ『普通の生活』は出来ないぞ」

 

 しかし、八幡のその一言で、雪乃擬きは目を見開いた。

 

「あ……それ、ひょうちゃんの……」

 

 ひょうちゃんと呼んだ方の雪乃擬きが、呟くように言った。

 

「運命というのは、人間一人の力じゃどうにもできないようになってる。だから生まれたばかりの赤ん坊は親の助けがなきゃ数十分で死ぬし、大人達は次代に繋ぐために今あるものを必死に守ろうとする。クローンであろうと何であろうと、お前達は〝人間の被害者〟だ。だから、お前達が生きたいと言うなら、俺はそのサポートをしてやる。それが……たとえクローンであろうとも、全ての人類に対して責任を持つ魔法討滅機関【ヒキガヤ】の在り方だからな」

 

 その表情は、暗闇の隙間に差し込んだ光に照らされているように、暗い表情でも、前向きでいるように見える。

 

 ただ、立ち上がった彼女はもう、下を向いてはいなかった。

 

「……氷ちゃん」

 

 不安げに、八幡にライダーキックをかました雪乃擬きが立ち上がった〝氷ちゃん〟を見上げる。

 

「……行きましょう、(つばさ)。この方であれば、わたくし達に未来を見せてくれそうだから」

 

「……うん、うん……!」

 

 泣きじゃくる翼の手を取り、氷は八幡を見た。

 

「……それで、これからどうすればよろしいのですか?」

 

「……ああ、それなんだが」

 

 ちらり、と八幡が横を見る。氷達もつられて見ると——

 

『キミ、大丈夫か!? それにしても酷い有様だ……ほぼ全壊状態じゃないか!』

 

『あ、えっと、一応、魔法師なんで、こういうのには慣れてる、といいますか……』

 

『魔法師? ……申し訳ないが、事情をお聞きたいので署まで同行してもらえますか?』

 

『これやったのわたしじゃないですよ!? なんかむこうで暴れてる人がやってて——』

 

 八幡の視線の先では、八幡があえて隠れているように指示した一色いろはが、今頃現場に到着した警官隊に捕まっていた。

 

 いろはが盾になるのは八幡の目論見通りだが、彼女の機嫌次第では時間をあまり稼げないかもしれない。今ごろ、八幡が隠れているようにと言った意味を理解している頃だろうし。

 

「……逃げるぞ。警察に捕まると面倒だ」

 

 十握剣を懐にしまい、八幡はいろはがいる方向とは真反対に歩き出した。

 

「ヒーローみたいなこと言ってたくせに……締まりませんわね」

 

 くすり、と氷が笑った。

 

 その仕草に、八幡は不貞腐れるようにそっぽを向いた。

 

「仕方ねえだろ。こっから警察に指示飛ばして対応するにも限界があるし、俺この状態だとロクに魔法使えないから催眠も記憶操作も出来ないし。補導の常連にだけはなりたくない」

 

 最後の理由だけやけに具体的だった風に聞こえたのは、二人の気のせいか。

 

「……補導で済むとは思えませんけど」

 

「だから逃げる」

 

「前は何で補導されたんだよ……」

 

 呆れ気味に聞く翼に、八幡はこう答えた。

 

「打ち上げに失敗した花火がこの辺管轄の警察署に落ちて、それがバレた」

 

「…………」

 

「…………」

 

 八幡の後について歩く二人は、一瞬立ち止まってこう思ったのだという。

 

 こんなやつについて行って大丈夫か、と。

 






八幡「そういや、どうして俺が男だってわかったんだ? いや、知ってたみたいな反応だったけれども」

氷「……顔とか服装以前に、あそこまでスカートに気を配らないのは殿方くらいなものですよ。丸見えでしたし、お連れの方は鼻血を出していらっしゃいましたし」

八幡「あ、やべ。無意識に下着脱いでた」

翼「おまわりさーん!」


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潰えぬ追手

お久しぶりでございます。

喋って動く一色愛梨がこの目で見れるのかと思うと胸が高鳴ったりしてドキドキが止まらなくてあれドキドキの語源って「どうき(動悸)」なのかしらとか勝手に考えたりしてました。




 

 魔法師が『敵に捕まってしまう』ということは、どういうことか。

 

 今の時代、それは死を意味する。

 

 スパイでも兵士でも、特に魔法師は捕虜としての価値が無ければすぐに殺されてしまうのだ。

 

 捕らえる側にある「捕虜を生かしておくほどの余裕の有無」がそうさせているのではなく、捕らえた人間が魔法師だった場合、魔法を用いた盗聴やより中心部まで運ばせた上での人体爆破術式を用いたテロが行われる危険性があるせいで。

 

 つまり、「対処できない」という危険性が魔法師にはある。

 

 だから、自分達は少なくとも拘束される——と、日本魔法界の頂に位置する魔法師集団「六道」のクローンである氷は、そう考えていた。

 

 ヒツジや牛ではない、人間のクローン。それも日本の最高戦力と謳われるあの雪ノ下のクローンだ。戦力になるかどうか以前に、日本の魔法師達が自分達を生かしておく理由がない。

 

 目の腐った少年は何やら自分達を『サポートする』なんて言ってくれたけれど、果たしてどこまで本気なのか。

 

(……そういえば、魔法師……魔法討滅機関……だったかな。彼はそんな事も言っていたけど……)

 

 討滅とサポート。……矛盾した言葉だ。少年の言葉を信じるなら魔法師を保護する機関の筈だが、それならわざわざ「討滅」なんて物騒な言葉を入れるだろうか。

 

 それに。

 

「……」

 

 ショッピングモールを出るなり、「こっちだ」と具体的な目的地も告げずに連れ歩かれること数分。

 

 氷達は、ショッピングモールを背にする形で歩道を歩いていた。

 

 氷と翼の姿を監視カメラに映さない為か公共交通機関を利用しない事に文句は無いが、それでも、今の日本では街中に監視カメラや魔法を検知する機械が置かれている。

 

 これではコミューターやキャビネットを利用するのと危険性が大して変わらない気もして、氷は八幡の行動の意味がわからなくなった。

 

(……ダメだわ)

 

 湧き出た疑念は簡単に納得してすり潰せるものではなく、残しておくには大き過ぎる。氷は不思議を飲み込むよりも吐き出すことに決めた。

 

「もし。……質問があるのですけれど」

 

 前を歩く八幡に、氷は声をかける。

 

「すみません」

 

 ——だが、氷の声は別の方向からの声によって上書き、邪魔された。

 

「…………?」

 

 見た目30代から40代、あまり若そうには見えない警備員の格好をした男五人が、八幡達の正面から現れた。——まるで、進路を塞ぐかのように。

 

「……何でしょうか」

 

 先頭に立つ八幡がその男達を睨む。——氷には、そう見えた。

 

「少しお話を聞きたいのですが」

 

「急ぎの用事がありますので、手短にお願いします」

 

 氷達を振り返らずに八幡は先ず、そう口にした。

 

 当然の事ながら、当事者である3人が『自分達の』詳しい話を彼らに聞かせるわけにはいかない。それに、八幡によって人々の記憶は改竄されている。氷達から何か喋られるのを阻止したいという思いが、八幡にはあったのだ。

 

「先程、ショッピングモール内で事件があった事は知っていますか」

 

「はい。魔法師の方々が揉め事を起こした、その程度の認識ではありますが」

 

 装うのは、あくまで逃げてきた無関係な一般市民。いや、被害に遭っているから無関係ではないが、魔法師とは無関係であるという設定だ。

 

「なぜ今更ショッピングモールを後にしているのです? 事件が起きた時、すぐに避難していればもうこんな所には居ないはずですが」

 

 男の言う通り。八幡達がつい先ほどまで戦闘を続けていなければ、とっくに帰宅出来ていた筈だ。

 

 八幡は、こんな言い訳を考えた。

 

「友人が逃げ遅れてしまい、戦闘が行われている場所を避けて遠回りしましたので、時間がかかってしまいました」

 

「逃げ遅れた、というのは怪我か何かを? それともまさか人質に……」

 

「いえ、怪我というほどではないのですけど、彼女が足を挫いてしまって。この後は最寄りの病院で診て貰うつもりです」

 

「成程、それは失礼しました。……戦っていた方の顔は覚えていますか? 実は、今回の事件を起こした側の魔法師……犯人の行方がわからないのです」

 

 チ、と八幡は内心呟いた。

 

「それでこちらにも見廻りされているのですね。……残念だけど、遠目に確認したというだけで、すれ違ってもいなかったわよね?」

 

 言葉と同時、振り返る八幡から放たれた圧力に、錆びたブリキのようにカクカクと頷くクローン姉妹。

 

「……え、ええ」

 

「はいです」

 

 彼女達は風圧でも気圧でもない、殺意や怨念にも似た威圧を八幡から受けていた。

 

(メンドいからこいつら薙ぎ倒してさっさと行くか……? それとも、さっきみたいな記憶の改竄を——あ、やべぇ燃料(プラーナ)切れだ)

 

 湧き上がる苛立ちをどうにか笑顔で固めて押し留め、「もう終わる」と心の中で念じ続ける。

 

 八幡の予定では、事態を察知した一色いろはが上手い具合に誤魔化してくれている筈だった。こんな事になるなら、最初から予知を——。

 

「そうですか……わかりました。最後に一つだけ、よろしいでしょうか」

 

(これで最後これで最後これで最後じゃなかったら……何ともないけど)

 

 何となく、ではあるが、彼らは何か確信を持って自分たちに接触してきている節がある。そんな雰囲気を八幡は感じていた。

 

「……、何でしょう?」

 

 だからこそ、これ以上この場所にとどまるわけには、

 

 

 

「何故嘘を吐くのです? 薬人形如きが」

 

 

 

 流れるような手つきで、その男は拳銃を構えていた。

 

「————」

 

 警告はない。既に銃の引き金には指がかけられている。安全装置も解除済みだろう。あとは、指を曲げるだけだ。

 

 ——ぱぁん、と音が弾けた。

 

「がぺちょ」

 

「……ぁ」

 

 発砲音の後、八幡の体が後方に大きく跳ぶ。避けたのではなく、弾丸が頭部を直撃して彼(女)の頭蓋骨が弾けた事による衝撃でだ。

 

「な……、何を!?」

 

 八幡の体が地面を打つまで待って、氷の体は解けた。

 

 氷は声を荒げ、翼は無言で手を男達に向ける。……だが、男達が動揺した様子もない。その反応を見て、氷は口元を歪める。

 

 男達は、氷と翼をニタニタとした下卑た笑みで見ていた。死臭漂う顔面と視線を合わせるだけで吐き気がするし、不恰好ながらも自分達に手を差し伸べてくれた八幡とは別種の人間と言っても良いほどに、落差がひどい。

 

(十師族の関係者……? そうだとしたら、彼が撃たれる理由がわからない。だって、一色のお嬢様とは仲が良さげだった——)

 

 明らかな敵対行為。それも、人通りも有る昼間の時間帯で起こした殺人。到底普通の警察官が取れる選択肢ではない。

 

 しかし、こうして自分達を襲ったという事実から察するに、犯罪組織絡みではないことは確実だ。

 

 疑われるとしたら、警察か敵対組織に追い詰められた死に際の犯罪グループか、組織として成立して間もない新興結社の場合。前者は自棄だし、後者は自分達を印象づけるのに箔が要るという理由でだ。

 

 まともに組織を存続させたいならば、普通は警察とは仲良くやっていく事を念頭に考える。特に、一般市民に被害が出る方法を避けようとする筈。

 

(……でも、複数人で武器や警備員の制服まで調達できているとなると、個人の可能性も低い……)

 

 或いは、警察やネットに上がる情報をつゆほどにも思っていなくて、どうにでも出来てしまうほど巨大な組織なのか。

 

 それとも、彼らの黒幕は自分達は無関係だという立場を貫ける自信があるのか。

 

 ただ。

 

 彼らの背後にいる黒幕に考えが及ぶ前に、氷は。

 

「……?」

 

『何故嘘を吐くのです? 薬人形如きが』

 

(……クスリ人形?)

 

 薬人形。2020年代後半から2030年の属性思想に基づいて行われていた魔法開発初期において、自分達と同格の生物である事を忌避した一部の政府高官や研究者達の間で魔法師を揶揄して使われた言葉だ。

 

 ただ。単に魔法師達を侮蔑する目的で造られたその差別用語は、魔法師の人権が広く認められるようになるよりも前、とうの昔に書籍などからも姿を消している。

 

 こんな言葉を知っているのは「わざわざ古書を読み漁っていた自分」か、「特殊な視点からしか教科書を読めない馬鹿」か、「実際にそれを使っていた当人達」のどれかだ。いずれにしても、自分達の正体は知れているのかもしれないが。

 

「く、ふ。……二人って聞いてたが、三人いたら三〇〇〇万か!?」

 

 もう既に氷達を抑えた気でいる敵の一人が、金の話をし始めた。やはり、何処からか依頼をされていたのか。……しかし。

 

 いずれにせよ、そんな事は今彼女達を襲っている(・・・・・)彼らには関係がないことだ。

 

 全ては不運の一言で片付く。

 

 自分達と一緒にいた八幡が何者なのか、正体を知らない彼らが可哀想だ。

 

 自分達の動きに対応してみせた彼が、爆薬頼みの玩具如きに反応できなかった筈がない。

 

 逆に、何も知らないまま彼らの意識を途絶えさせるのが慈悲ではないかと錯覚しかけるほどだ。

 

「……、あの」

 

 でも、それは彼ら側の情けであって、襲われた側である氷達の義務ではない。

 

「……なんだ!? 言っとくが、お前らは四肢が多少無くても生きてさえいれば良いって命令だ。……だからさ、引き渡す前にちょっと楽しませろよ?」

 

 ギラリ、とナイフを光らせて氷達を怯えさせようとする格好も、何だかとってもシュールだ。

 

「……やめときなよ、氷ちゃん。こいつらには話は通じない」

 

「くふふふ! よくわかってんじゃねえか薬人形! そうさ、今泣き叫んだところで——」

 

 何かを言いかけた氷を制止する翼の言葉に激しく同意の言葉を投げつけたところで、その男は漸く気づいた。

 

「——お腹の得物は、よろしいんですの?」

 

「うおっ、お前!? 腕、どうした!?」

 

「…………あ?」

 

 傷口から流れ出る男自身の血で刀身をてらてらと輝かせているナイフが、ナイフを握っていた右腕ごと男の腹に刺さっているのを。

 

「な……、ばかな、は……?」

 

 呆けた男の声で漸く気を緩めたかのように、ナイフを握りしめていた手が、ぼとり、と落ちた。

 

 ——それと同時に、滞っていた場の空気が溶け始めた。

 

「……な、なん……はぁぁぁあああああ!?」

 

「お前たちっ、……何をした!? 魔法の発動どころか、その兆候すら……!?」

 

「俺の『76反射装置(カウンター)』も何も検知していないぞ!?」

 

 崩れ落ちるナイフの男の心配など何処へやら、取り乱す仲間達。しかし、そのうちの一人が声を張り上げた。

 

「慌てるな! 何処からか狙撃を受けただけだ! 直ぐにシールドを張って、こいつらを始末すれば——べぱ」

 

 ——声を上げなければ、彼らはその男の最期を看取る事はなかったのか。

 

 風船のように一瞬で肥大化した男の体は、握り潰したトマトのように弾けて血肉を四方に撒き散らし、もれなく男は死んだ。

 

 その残酷が過ぎる処刑を目の当たりにして、残った内の一人が、呟いた。

 

「……まさか、『爆裂』……!? さっきのは肘を部分的に破裂させて……? いや、それでもおかしい! ……なんで、どうして魔法の発動を感知できないんだ!?」

 

 最早氷達の事など眼中にない。残された三人のうち、一人は氷達とは反対方向に逃げ出そうとして体が破裂し、もう一人は端末でどこかに連絡を取ろうとして全身が弾けた。

 

 最後の一人になったその男は、ただひたすらに現実を拒絶し、首を横に振っている。

 

「……ありえない、ありえない……。あの方から頂いた装置が役に立たない筈が……」

 

 ——こつ、こつ、こつ。

 

 屋外のため響くほどではないが、車も通っていないこの場所では、男の後方からやってくるその足音は、やけに大きく聞こえた。

 

「……!?」

 

 茫然としていた男も思わず振り返るほど、大きく。

 

 そして、振り返った先で——男は見た。

 

「ありゃありゃ、不良品を掴まされたのか? ……ああ、そりゃあ、気の毒だな」

 

 ——死者の黄泉還りを。

 

「……ば、ばかな」

 

 快活に笑うその少女の笑顔を見て、男は手足の震えを抑えられないでいた。

 

 男の反応を見て、少女もまた嗤う。

 

「どうした? まるで、奇跡でも目の当たりにしたかのような顔をして。……ひょっとして、死んだ人間が生き返った程度で驚いてんじゃねえだろうなあああああ!」

 

 この場において、1番最初に殺されたはずの少女——比企谷八幡が、そこに立っていた。

 

 何処で手に入れたのか、或いは隠し持っていたのか、彼女(?)は自分の身長の半分ほどもある長さの得物を手にして、男と対峙している。

 

 原理は不明だが、おそらくはその武器らしき物で男達の「装置」を無効化し、魔法で男達を殺害したのだろう。

 

 だが、それ以前に男は、この手で(・・・・)殺した八幡が未だに息をしている理由の方がわからずにいた。

 

(……確かに殺した筈だ。いや、「確かに」「筈だ」などと言う生温い程度じゃない。「絶対に」殺害したし、「間違いなく」ヤツの頭は吹き飛んだ。……それなのに……っ!?)

 

 魔法。その二文字が、不快な波動と共に男の脳裏をよぎる。だが、そのお陰で男の思考は落ち着き、視界もクリアになっていた。

 

(……まさか)

 

 生き返ったのではなく、最初から死んでいないのだとしたら、納得がいくのだ。

 

 自分達が殺したと思い込んでいるのは最初から八幡が魔法で見せていた幻覚で、つまるところ、自分達の持ち込んだ手段が一切通じていないだけだったなら。

 

 ——男は、ひとつの答を得た。

 

(…………ああ。だからあの方(・・・)は「生きて帰って来れたら」なんてジョークを言ったのか)

 

 日本魔法界の最高峰である十師族。それを守護するための存在である「筆頭魔法師族重護衛格」、通称六道は、その存在を知る者たちの間では真の日本最強と言われている。

 

 その六道のクローンである「2-002」と「2-009」の回収こそが男達が受けていた命令で、男達が放った合成生物達での奇襲も防がれた今、こうして直接始末をするために男達が出張って来ていたわけだ。

 

「……ハ、そういうことかよ」

 

「……?」

 

 そして、この件に対して「あの方」の取った手段にしては手薄というか随分と侮った作戦の取り方にも納得がいく。

 

「あの方」は既に、クローン達が何か、或いは誰かを当てにして脱走した事を掴んでおり、その様子見の為に捨て駒として自分達を当てたのだ。

 

 それを悟り、男達の「あの方」は今もこの場所を何処からか見ていて、自分達は隠れた敵を炙り出す為の捨て駒として立派に役立った事を確信した彼は、手にした銃を再び(・・)八幡に向けた。

 

 裏切られたことに対する悲しみや憎しみはない。自分達はおよそ九〇年、魔法による延命実験などの実験体になりながらも、それでも人として十分な時間を生きたのだ。その最期が、敵ではない味方の役に立てるものなら、自分は喜んで屍となろう。

 

 いざとなれば、あの方は自分達を殺す手段を持っている。幻覚に堕ちたとしても、手向けだけはしっかりとしてくれる筈だ。

 

 ならば今の状況で自分に出来ることは、敵から更なる情報を引き出すことのみ。

 

「……お前は何だ。何故俺たちの邪魔をする」

 

 拳銃で威嚇になるとは思えない。しかし、おそらく相手は「自分達を襲った証拠」或いはクローン達の情報源として使いたい筈だ。だから、こちらから言葉を投げかける事は向こうの理にも叶っている。

 

 だが——

 

「いや、違うんだって。来たくもないショッピングをしてたら、面倒ごとがこのことやってきたんだよ。俺は何も悪くない」

 

 八幡は男とまともに会話をしようとしない。いや文脈はもとより、語気から感じる意思は自分に向けられていない。それどころか、彼女(?)は男の後方に目を向けていて、最初から男のことなど相手にしていないように感じる。

 

「……? 何のことだ。貴様らが何者かを聞いている——」

 

 そこに誰かいるのか。若干の苛立ちと共に男が振り返ると。

 

「なっ……」

 

 男は、再び言葉を失った。

 

 ……そこには、クローン達でも八幡の連れていた少女でもない人物が立っていた。

 

 勿論というか当然というか、ただの一般人ではない。

 

 ため息をついて、何かに呆れた様子だ。

 

「……いいか、比企谷」

 

 風鈴を思わせる凛とした少女の声で、八幡の知り合いらしいその人物は、彼女(?)に声をかけた。

 

「私は、一色さんの妹さんから緊急事態だという連絡を受けてあのショッピングモールに駆けつけたんだ。それなのに、こんな所で雪ノ下の姉妹と仲良く油を売っている理由の方を聞かせてくれるかな」

 

 プロミネンスのように怒りを煮えたぎらせ、その怒気を隠そうともしない少女の名は一条雅音。

 

 十師族が一、『爆裂』魔法を得意とする一条家の令嬢にして歴代最高の魔法師であるとの声も名高い、通称「クリムゾン・ブライド」。

 

 戦場にて、敵の返り血を浴びて尚色褪せることのないその可憐な姿は「真紅の花嫁」の名に相応しく、味方には勝利と希望を、敵には敗北と絶望をもたらす——などと言われている。

 

「ちがう。まってくれ」

 

「……何を待つの?」

 

「……し、執行猶予……?」

 

「…………両手に花を侍らせておいて、何が?」

 

 ちょうど、今のように。

 






唯一にして作中最強クラスの能力の持ち主登場。




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閑話【立つ鳥跡を濁さず】

 4月中旬、第一高校はテロリストの襲撃を受けた。

 

 反魔法主義を唱える団体「ブランシュ」がそのテロの主犯であり、その首謀者はブランシュ日本支部のリーダー、司一。司は義理の弟や魔法への劣等感に悩む第一高校の生徒達の心の隙間につけ入ることでテロの手先として仕立て上げ、それによって事態はより複雑かつ長期化することとなる——筈だった。

 

『う——がっ!?』

 

『ぐ……あ』

 

 テロが行われた当日、テロをカモフラージュする為に開催されていた討論会。そこで不自然な現象が起きた。

 

『魔法を使用しないでください! 暴発します(・・・)!』

 

 魔法が、爆発したのだ。

 

『なんだ……?』

 

 その現象が最初に観測されたのは、丁度テロリストが学園に最初の攻撃を仕掛けた時。

 

 キャストジャミングではない手段(モノ)による魔法の妨害を受け、第一高校の殆どの教員や生徒は魔法による抵抗や反撃が不可能になった。

 

 魔法が機能しない、のではなく魔法を発動することができない。

 

 学園側がそんな事態に陥れば、銃や爆弾を所持したテロリスト達によってあっという間に制圧されてしまう——かに思われたが、三浦優美子や六道、その他の魔法が暴発せずに魔法を使うことができた生徒や教員が存在したことによってテロリスト勢力は一掃され、捕縛された。

 

 そして魔法が暴発するという異常現象も戦闘が終息すると同時に止み、生徒達は魔法を問題なく使えるようになった。

 

 その現象については真由美や克人達はテロリスト達が持ち込んだ新種の対魔法仕様兵器の一種じゃないかという推測を立てているが、そんなものはテロリストの所持品からは見つからなかったため、未だその確証はない。

 

 幸いにも物理現象として観測される類の爆発ではなく想子情報体の爆発にとどまっていた為か、怪我人が出る事はなかった。

 

 しかし、達也が危険視しているのはこの程度のことではない。

 

 謎の現象の効果が続いていた間は達也や深雪も魔法が使えなくなっていたが、それも大した問題ではないのだ。——結果からすれば。

 

 達也が本当に危険視しているのは、テロの手先として利用された壬生紗耶香との対峙でも、日本の魔法に関する情報が抜き取られようとした事でもない。

 

 その後に行われたテロリストの拠点を制圧する作戦にて、彼はその根源——恐怖とすれ違っていたのだ。

 

『なん……だ……? これ、は……?』

 

 テロリストの拠点を壊滅させるという任務自体は成功した。だが、達也たちが手を下した訳ではない。

 

 何故か。

 

『……死んでる……のか』

 

 テロリストの首謀者が潜伏していると思われる廃工場。その場所への突入時、大量に発見された死体。物言わぬモノと成り果てた敵のその姿が、全てを物語っていたからだ。

 

 達也たちにとって敵と見なされる者全てが死んでいたのだ。死体が相手では流石に戦闘の起こりようがない。

 

 しかも、死体の様子から見るにただ殺されたのではなく……おそらくは拷問を受けて、その最中に死んだか自殺したのだろう。

 

 胸に孔を空けた者。眉間に孔が空いた者。

 

 首だけを残し、それ以外がお留守な者。

 

 特に、リーダーである司一の死に様は酷い。

 

 死ぬ前に余程の拷問を受けたのか或いは恐怖を味わったのか、死に際の痛みを簡単に想起させてしまうほど凄絶な表情で、伸ばした左腕と胴のみの体で息絶えていた。

 

 その腕と顔の向けられた先には彼の身体の残りのパーツと思しきモノが乱雑に散らばっていて、彼が絶望と苦しみの中で死んでいったことがありありとわかる。

 

『…………っ』

 

 そのあまりの惨さに、どうしてもと着いてきた深雪は吐き気を抑えられず、達也も思わず顔を顰めた。

 

 

 

『……証拠隠滅の為、コイツらの背後にいる連中に殺された……とかか?』

 

『この死体の様子だと、死亡から三、四時間は経過してます。桐原先輩の推測通りだとすれば作戦開始とほぼ同時——いえ、テロ開始の少し前ですか——に、「粛清」された事になるので辻褄が合いません』

 

 克人が呼んでいた、自分達が暴れた後の処理をする予定だった『片付け担当』が、ブランシュの構成員たちの死体を片付けている横で。

 

 ブランシュ掃討作戦に参加した桐原と達也は、片付けられていく死体を横目に話をしていた。

 

『同盟どころかブランシュを捨て駒として見てるなら、自分達に繋がるものを消すという意味でもあり得る話じゃねーか?』

 

『日本での数少ない活動拠点を犠牲にしてまで、ブランシュを操る黒幕がこの作戦に賭ける理由があるとは思えません』

 

『まぁ、そりゃそうか』

 

 ちらり、と視線を外す桐原。その先には深雪達女子の姿が。

 

 ……達也たちと同じく作戦に参加したエリカや結衣達は、ここから離れた場所で休憩している。今後の作戦がどう、ではなく、精神への圧迫を和らげ、リラックスして落ち着きを取り戻すためだ。そして、友人と会話をする事で、深雪の調子が戻っているように達也には見えた。

 

『それに』

 

『?』

 

『これでは、黒幕の目的がブランシュが挙げる成果の取得ではなくブランシュ自体の粛清の方に偏りますし、エガリテのようなブランシュの下部組織をも潰す羽目になる。蚊に刺されたからと腕を切り落とすようなものですね』

 

『そうなると……か』

 

『ええ。我々よりも先にブランシュを潰した第三勢力がいる……という事になります。それも、恐らく我々と目的が違う』

 

『まさか、それがお前たちが探している比企谷って奴なのか?』

 

『可能性はあります』

 

「でも、比企谷がこんな事をする理由がない」——と言おうとしたところで、二人の会話に新たな声が出てきた。

 

『ここを襲撃したのは比企谷くんじゃないわ』

 

 そう言って二人に話しかけたのは、雪ノ下雪乃。名目上は十師族である克人の護衛としてここに同行してきていた……が、実際は達也たちが機密を漏らさないように遣わされた監視役、といったところか。

 

 血縁上は深雪や達也の親戚にあたる彼女は、不機嫌そうな顔で達也を睨んだ。

 

『……比企谷が犯人だと言うのは確かに臆測でしかないが、君は何故断言できるんだ?』

 

『こんなに手間のかかる殺害方法を彼が取るとは思えない——というか、そもそも証拠が残るはずが無い。あんなのでも、四葉家の次期当主候補に挙がるくらいには優秀だから』

 

 次期当主——その言葉に、達也は動揺しかけた。

 

『あの、十師族……四葉家の、次期当主だと?』

 

『ええ。信じられないのも無理はないかもしれないけど』

 

 信じられなくて動揺する、というよりも、謎が解けて動揺しかけた、という反応だったが。

 

 あり得ない。あのような男が。——そんな思いとは裏腹に、確かに達也は納得していた。

 

 どうりで深雪に嫌われるような行動ばかりを取るわけだ。

 

 恐らく四葉家当主である四葉真夜は、八幡を四葉に結びつける為に四葉の血をより強く引く深雪との婚姻を企んでいる筈。

 

 それを知っていた八幡は、わざと深雪に嫌われる——下手をすれば殺されかねないほどふざけた真似をしていた。

 

 そして、そうすれば真夜に対する深雪の(・・・)反抗心が高まり、二人の不仲を目にした真夜は八幡を諦めて深雪を次期当主にさせる筈——とでも、考えたのだろうか。

 

(……しかし、そんな事であの叔母上が簡単に諦めるものか)

 

 次期当主候補という言葉が雪乃の口から出た以上、候補に上がっているのはほぼ確実。

 

 それに、候補などと呼ばれていても実際に権力争いをする事はない。

 

 当主である真夜が一言告げるだけで、次期当主は決まってしまうのだから。

 

『んじゃ、その比企谷って奴の仕業じゃないなら、一体誰がこれを?』

 

 桐原の一言に乗る形で達也は、思考を切り替えることにした。

 

『……雪ノ下さんは、誰がやったと思う?』

 

 雪乃が八幡の仕業ではないという事をほぼ確信しているようだし、達也にはそもそも心当たりがない。

 

 こんな殺し方は間違いなく特殊警察でもありえないだろうし、軍が動いたなら克人が何か掴んでいる筈だ。

 

『わからないわ。でも、何処かの組織の仕業にしても後始末がお粗末過ぎる。……それに、見て頂戴』

 

 雪乃が目を向ける先には、未だ運び出されてはいないものの、整列された遺体が並べられている。それらを指して、雪乃は言った。

 

『殺され方は様々だけれど、全ての死体から心臓が失われている。そして、それ以外は要らないとでも言わんばかりに乱雑に散らかっている。まるで食い(・・・・・)荒らした後(・・・・・)みたいに(・・・・)

 

 最後の言の葉、何かを確信しているかのような雪乃の物言いに、達也は彼女と視線を合わせる。

 

『……食い荒らした、だと?』

 

『臓器売買の為ならもっと使えるところも残っているし、ただの拷問殺戮なら心臓を全て持ち去るのはおかしい。合理的じゃないんですよ、この場に残された証拠全てが』

 

『……えと、そういうの、なんつーんだっけ。……確かかに、かーにば……』

 

桐原が思い出すように呟くと、雪乃が捕捉した。

 

『カニバリズム。人肉嗜食とも言いますが、それは人間が同じ人間を喰らう場合に指す言葉であって、この場合、彼らを喰ったのは人間じゃない。ですのでカニバリズムと呼べるかどうかはわかりませんが』

 

『よくわかんねぇが……ブランシュは、俺らでも仲間でもない完全な第三者に襲われたということか?』

 

『その解釈で間違いありません。そして恐らく、ブランシュを襲撃した犯人の目的は「栄養補給」だったのではないでしょうか』

 

 まるで教科書を読むかのように、雪乃はすらすらと言葉を並べる。その説明に違和感は感じられなかったが……。

 

 そこで達也が待ったをかけた。

 

『待ってくれ。雪ノ下さんは、ここを襲撃した連中の正体に心当たりがあるのか? だから、ここまではっきりとした推測を……』

 

 前提よりも仮定よりも、心当たりがなければできない推理だ。この状況証拠から見るに、心臓のみを目的としたチャチな組織犯罪と判断する方がまだありうる話だと言える。

 

 何よりも、確信がなければ、食うだの栄養だのと人間をそんな目で見られる理由がない。

 

 そんな問いかけに、雪乃は軽く頷いた。

 

『ええ。……といっても、私も知っているのは彼らの存在と通称だけ。それも祖父や祖母などから聞いた、御伽噺のようなものでしかないけど』

 

 ため息をつき、呆れるような仕草を見せる雪乃。

 

 夜の星が輝き始めた中、彼女は再び口を開いた。

 

 

 

『十神』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時の流れは残酷だと人は言う。

 

 時と共に変わらぬものはない、と人は決めつける。

 

 変化は劣化だと人は嘆く。

 

 だが、その残酷な変化こそが世の常であり、流動する時代こそが唯一不変の真実である。

 

 100年前と100年後の世界が同じであるはずがなく、100年前では超貴重で高価であるとされたものが技術革新などにより、100年後には世にありふれて見向きもされなくなることもある。

 

「レオ!」

 

「達也、パス!」

 

 また、長い年月の中に埋もれていく物もある中で、発展や進化などを遂げて100年後にも生き残り続けているものもある。

 

 たとえば、スポーツ。

 

 サッカーを起源としてハンドボールという競技が生まれたように、ルールの改定が行われたり、新競技として全く新しいものが生まれたりして、スポーツは人々に楽しまれている。

 

 達也たちが今授業の一環としてプレイしている競技〝レッグボール〟も、そうして生まれたものの一つだ。

 

 今、ゲームをしているコートはその四方が穴の空いた透明な壁に囲まれ、天井も壁と同じ頑丈な素材で塞がれている。その中で、決められた人数に分かれてボールを蹴り合っていた。

 

 これだけだと屋内フットサルと勘違いしそうになるが、レッグボールはその特徴の一つとして、壁や天井を使う——つまり、ボールを壁や天井に当てて反射させることができる。

 

 そして、ボールの材質と壁のスプリング効果によって反射性能を高められたボールは、箱の中を縦横無尽に跳ね回ることになり、そのスピード感あふれるプレイがまた、「魅せる競技」としても人気を博している。

 

「……」

 

 レオからボールを受け取り、相手チームの生徒を天井の反射を使うことで躱した達也。

 彼はそのまま自分でゴールに突っ込むよりも、近くにいた味方にパスで繋げることで、得点を確実のものとした。

 

「……?」

 

 試合が達也たちの圧勝で終わった後も、そのシュートを決めたクラスメイトからの妙な視線を向けられていなければ、或いは達也は、その生徒と言葉を交わす機会を失っていたかもしれない。

 

「ナイスプレー、吉田。いいシュートだったぜ」

 

 いや。彼には、特にコミュニケーション能力に優れた友人がいた。

 

 レオのお陰で、達也はそのクラスメイトと知り合えたのだと言えるのかもしれない。

 

「ああ、うん。……できれば、名字じゃなく、下の名前、幹比古って呼んでくれないかな。名字で呼ばれるのは好きじゃないんだ」

 

 達也からのパスでシュートを決め、その前からずっと達也に視線を向けていた生徒の名は、吉田幹比古。

 

 熱血系を思わせるレオとは対照的な、落ち着いた雰囲気を纏った少年だ。

 

「分かった。俺もレオでいいぜ」

 

「ありがとう、レオ。……それで、えっと……」

 

 休憩していたところにやってきたレオと親しげに言葉を交わす幹比古は、次に達也にも顔を向けた。

 

 その視線はどこか遠慮しているというか、達也に対して何か考えていそうな面持ちだ。

 

「司波達也だ。俺も達也でいい」

 

「……あ、うん。よろしく」

 

 先程感じた視線の意味も気になって、達也は自分から手を差し出した。

 

 幹比古は遠慮がちに手を取り、達也と握手を交わす。

 

 形だけ、ではなくしっかりと握り返してくれている。

 

 嫌われているという雰囲気ではなさそうだ。

 

「君とは一度話をしたかったんだ」

 

 幹比古に対し色々と考えていた達也だったが、幹比古のその言葉に何か決意したような強い意志を感じて、それを知るべく再び彼と目を合わせた。

 

「奇遇だな。俺も、幹比古とは前々から話してみたいと思っていた」

 

「……あー、うん。話、というか。相談、というか。……達也って、生徒会に入ってるんだよね?」

 

「いいや。俺は風紀委員だ。生徒会所属なのは妹だよ。……生徒会に用事か?」

 

 相談。それに、幹比古は達也個人よりも生徒会に目的があるらしい。

 

 先月の事件から考えても、この学校は生徒が中心となって運営している事からも、生徒会を頼る人間が多いというのは別に珍しいことではない。

 

 だが……。

 

「そうだったんだ、ごめん。……うーん? でも、今年生徒会所属になって、生徒会から出向って形で風紀委員で仕事をしてる一年の男子生徒がいるって聞いたんだけど……達也の事じゃなかったんだ」

 

 取り次ぎをしようか、と口を開きかけた達也に幹比古が妙に既視感のある人物像を口にした。

 

「……ああ。それと全く同じ男子生徒が風紀委員で仕事をしていたから、多分そいつの事だろうな」

 

 それは達也にとって無視できる相手(八幡)ではないが、十師族絡みの事件だ。それを気安く噂を確かめ合える相手(幹比古)でもない。

 

 だから達也は、手早く適当(テキトーではない)に、幹比古の用事を済ませよう——と思っていた。

 

「なぁ幹比古。生徒会に用事があるなら、達也に言えば取り次いでくれるんじゃねえの? ほら、妹が生徒会にいるんだからよ」

 

 そう言ってレオは幹比古に提案するが、

 

「あ……いや。達也が風紀委員だと分かったし、達也に伝えればそれで十分かな」

 

「そうなのか」

 

(生徒会でも風紀委員会でも、どちらでも構わない……ということか)

 

 ならば、相談というのは生徒同士のトラブルか、報告か。申請や苦情などの申し込みは生徒会の仕事で、風紀委員の仕事ではない。達也と幹比古は同じクラスだが、達也は幹比古が他の生徒とトラブル——いや、そもそも絡んでいる所を見たことがないから、何かしらの報告だろう。

 

「話の内容は大丈夫か? 何なら風紀委員会本部で話を聞くが」

 

 一応の確認を入れるも、幹比古はこの場で話せばそれで十分と考えているらしく、首を横に振った。

 

「調べれば普通にわかる事だから、わざわざ言うのもどうかなぁ、って思ってたんだけど」

 

「備品の故障か?」

 

 幹比古は首を振る。

 

 そして。

 

 何でもなさげに……あくまでも当たり前の出来事のように……特大級の爆弾を投下した。

 

「いいや。——比企谷八幡について、なんだけど」

 

 瞬間、空気が凍った。——ような気がした。

 

「……ん?」

 

「……なんだと」

 

 幹比古が口にした言葉にレオは首を傾げ、達也は目を見開く。——驚きの、あまり。

 

「詳しく話を聞かせてほしい。何故君が比企谷の事を?」

 

 情報の中身が何かはわからない。しかし、達也にとっては見逃せない——いや、決して聞き逃す事はできない情報だ。

 

 例えそれが、どんな情報であっても。

 

 特に今は、元六道であるというだけで、八幡が自分達の正体を知っているというだけで達也たちが八幡を追っている訳でもない。

 

 八幡に関して、より早くより正確な情報を知りたい達也は、幹比古の言葉を無視することができなかった。

 

 

 

『私達でも気づく前に全てが終わっていた。全てを解析する眼を持つあなたでも、気づけなかったんじゃないかしら?』

 

 

 

 十師族でも六道でも対処ができない、そもそも魔法が通じない敵性存在の事を、雪乃達によって知らされてからは、特に。

 

「あ——うん、いや。君達が今探している『比企谷八幡』の事は知らないんだけど」

 

「……? それは、どういう……」

 

 どんな粗末な事でも見逃すまいとするも、幹比古の言葉の意味がわからず、達也は首を傾げる。

 

(「比企谷八幡について相談がある」。しかし、「達也たちが探している比企谷八幡は知らない」……?)

 

 同名の別人だと考えるのが普通だ。だが、もしそうだったとしてもわざわざ風紀委員や生徒会に報告する理由にはなる人物なのだろうか……?

 

「ただ、君たちが似顔絵で公表してる『比企谷八幡』と顔立ちが似てたから。一応、と思って」

 

「?」

 

 言いながら、幹比古は懐に手を入れる。

 

(やはり同一の人物なのか。しかし、ヤツに関する記憶を持つ者の殆どが今も記憶を失ったままだというのに、何故幹比古だけが……)

 

「これ……1998年の当時に国会で撮られた写真なんだけど」

 

「ああ……ん?」

 

 迷う達也に、幹比古が懐から端末を取り出し、とある写真を表示してみせた。

 

 その写真は印刷されたものをデータ化しているらしく、大勢の人間が整列して撮った集合写真で写真のところどころが黄ばんでいたりするものの、それぞれの人相はよくわかる。彼らの服装や足元、背景から見るに当時の日本政府高官か幕僚達のものだろう。

 

しかし、達也はその写真の違和感に瞬時に気づく。

 

 その瞬間、達也はどろり、と体内で何かが蠢くような気色悪さを覚えた。

 

「……これ、中央に居るのがそう(・・)か?」

 

 達也は、その写真の中央で真っ直ぐにこちらを見つめている人物に釘付けになっていた。

 

「……おい、こいつって……!」

 

 その人物に気づいたレオも、指をさして幹比古に目を向けた。

 

 幹比古は、表情を硬くして頷く。

 

 

 

「うん。……彼が凡そ100年前、世に現れ始めた魔法についての日本における対応と魔法開発の指針を決めた、当時の日本の首相——比企谷八幡だ」

 

 

 

 達也のよく知る少年の面影を残す、背筋を伸ばしていてもどこか異質な雰囲気を纏った男性が、そこにはいた。

 

 

 

 

 







次回本編更新ですっ!

ワートリ新作書こうかなって思ってます。以前のリメイクでデアラとかガイルとか多重クロスマシマシのやつ。


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処刑・流星群

お待たせしました続きです。

深夜テンションで書き上げたのでどっか変なところがあるかもしれないですがご了承ください。


 ラスボスに対峙した勇者、……或いは天敵に遭遇したウサギ。

 

 それらが置かれているものと似た境遇として「身を焦がす程の苛烈な緊張感」の中にいる八幡は、自分に命の危機が迫っている事を敏感に察知し、慎重に言葉を選ぶ。

 

「一条。まずお前は二つ勘違いをしている」

 

 しかし雅音(審判)は、八幡の答えに頷く事はなく、小首を傾げた。

 

 その小さな動作が、本来であれば雅音の可愛らしい顔を、今だけは恐怖の魔王であるかのように見せていた。

 

「……ふたつ? その二つで私が今お前に抱いている気持ちは全て晴れるのかな?」

 

「……………………」

 

 八幡の。

 

 言葉が詰まった。

 

「ああそうだ」……と、用意していたはずの言葉が、何故か口から出ない。

 

 先程までの襲撃者達に見せていた勝気な笑みはどこかへと失せ消えた。

 

 視界が歪む。世界が自分を置いてけぼりにした。雅音との距離が無限に遠く感じる。

 

 まるで風邪をひいて熱を出した時のように、頭がクラクラと安定しない。

 

 叱られている? ——違う。

 

 後ろめたいことを隠している? ——違う。

 

 これは、きっと——

 

 

 

「くっ……」

 

 鶴臣氏十郎(・・・・・)は、その場から逃げ出せずにいた。

 

 本来であれば、最後に生き残った鶴臣が任務に失敗した時点で、彼はそれ以上の情報を第三者に与えないよう、この場所からすぐにでも逃走するべきだった。

 

 任務に失敗した場合の事は教えられていないのでわからないが、闇の世界の常識で言えば、敵にわざわざ情報を渡すなど言語道断である。

 

 特に、今まで任務に失敗した経験が無い鶴臣は備えていて当然の危機判断能力だ。

 

 だが、彼は今までに失敗した経験がない——それ故に、失敗に対処するという経験も持ち合わせていなかった。

 

 自分が本来するべき、本当は何を置いたとしても真っ先に行わなければならない事よりも、「死に遂げる自分カッコいいー」と、自分に陶酔していた。

 

 許されざる事態だ。

 

 本来であれば、死だの罰だの考えるのは彼の雇い主。全ては無事に帰ってその目で見た全てを報告した後に受けるもの。

 

 ——故に、鶴臣は死ぬ覚悟すらしていた己の心に語りかけるように奮起し、雅音の登場によって再び混乱させられていたのだ。

 

 だが、今は敵が自分以外に意識を散らしているという、逃げるにはまたとないチャンスだ。

 

 おそらくこの機会を逃したら、自分はもう逃げられなくなる。

 

 自分が捕らえられて情報が抜き取られた場合、魔法師のクローンの存在が世に露呈するだけでなく、自分達の雇い主の情報までもが、調べられてしまうということに……。

 

(……よし)

 

 幸いにも自分は拘束すらされていない。

 

 そして、懐にはあの少女を一度は殺した銃がある。クローン二人の戦闘能力もわかっている。不意打ちならいけるはずだ。

 

 さらには、「自分が逃げようとしていない事」がこの特攻に希望を見出させた。

 

 逃げようとしたから、他の仲間は殺された。おそらくは、逃走が発動のトリガーとなっている術式をかけられているのだろう。

 

 であれば、逃げようとさえしなければ。

 

(……殺せる)

 

 鶴臣にあるのは、たとえ自分が生き残る事はできなくても、確実に敵に情報を渡す事が無い確定的な手段。

 

 だが、鶴臣にとって不測であり未知であり突然だった八幡の存在は、彼の作戦を確実とするには不安材料でしかないのも確かなはずだ。

 

 それを忘れていたか、気にしなかったのか、気にする余裕すらなかったのか。

 

 いずれにせよ、この時の彼もまた、強い自惚れの中にあった。

 

「…………」

 

 作戦を決行すべく、鶴臣は不安材料の様子を見る。

 

 

 

「——だから、雪ノ下に胸があったら、普通は天変地異、異常事態、温故知新を察するだろ?」

 

「難しい言葉並べようとして最後を誤魔化すな比企谷」

 

 何故か地べたに正座をしていた例の少女の顔面を掴み、キリキリと音を立てて捻る一条の娘。あの娘も怒らせたら非常にまずい。そもそも何故、十師族がここにいるのだ。

 

 そして、それに噛み付く雪ノ下のクローン。

 

「オリジナルがどの程度なのかは存じませんが、わたくしのは間違いなく天然物ですわよ」

 

「ああ、それくらい自然に見えるパッドだよな。シリコン入れてないだけまだマシだと思うが」

 

「ワタシのは生まれつきだっつってんだろうが!?」

 

「……オリジナルより口悪い」

 

 

 ……これは、明らかに自分には意識が向けられていないと見て間違いない。

 

 今だ。自分に気が向けられていない、この時しかない。

 

「——っ!!」

 

 鶴臣は、銃口を自分に(・・・)向けた。

 

 自殺する為だ。

 

 彼らと戦って勝てる保証はない。それどころか、抵抗すら出来ずに仲間が次々と殺された現状を見ても、相打ちの見込みすらない。

 

 雪ノ下のクローンを殺したところで、「クローンがいた」という事実が残ってしまうなら、殺しても意味はないだろう。

 

 そんな、どうも動かしようが無い情報を除けば、あとは、自分。

 

 情報を鶴臣自ら喋るはずがないが、薬や魔法で喋らされてしまう可能性はある。

 

 それを防ぐには、死を待つのではなく、死に向かうしかない。

 

 元々、闇の仕事に手を染めた時からどんな時に死んでも後悔はしないと決めている。そのための道具も状況も整っているし、たまたま今日その日が来たというだけだ。

 

 あとは死ぬだけ。

 

 後悔はない。いい人生だった——

 

「違うぞ三流。殺し屋に必要なのは殺される覚悟なんかじゃない。逃げ出す勇気でもない。人を殺し続ける覚悟だけだ」

 

「——っ」

 

 全てが引き金を引くだけで終わるカウントダウンの最中、少女がこちらを振り向かず何か言った。しかし、もう遅い。

 

 自らのこめかみに押し付ける銃口の冷たさを人生最後に覚えた鶴臣は、後腐れなく引き金を引く。

 

「ようこそ。そしてさようなら」

 

 続けて八幡が放った妙な言葉。しかし、その意味を鶴臣が考えるよりも前に、彼は意識を途絶えさせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……はずだった。

 

「——は?」

 

 覚悟していた意識の途絶も痛みもやって来ず、鶴臣の口から思わず困惑の声が漏れる。

 

 反射運動的に握った銃を見る——も、

 

「無い……だと」

 

 一瞬前まで確かに手の中にグリップの感触があった拳銃が、消え失せていた。

 

「一体、な……ぜ…………」

 

 だが、これだけなら鶴臣は八幡達が鶴臣の自殺を防ぐ為に何かしたのだと疑うこともできたのかもしれない。

 

 しかし彼は、八幡達を一瞬ですら疑おうとせず、目の前に広がる景色にただ呆気に取られ、凍りついていた。

 

 鶴臣達が八幡達を襲った時には確か、昼過ぎだったはずだ。

 

 日が短くなる時期でもないし、そこまで長時間おしゃべりをしていた記憶もない。

 

 それなのに。

 

「夜……だと」

 

 目に纏わりつく闇。鶴臣がいたのは、見知らぬ住宅街。人影も見えない深夜、道路のど真ん中に鶴臣は立たされていた。

 

 辺りを見回すも、先程まで彼がいた場所とは全く違う場所にしか見えない。

 

「……まさか」

 

 鶴臣は瞬時に悟った。これが人の意識を自在に操り幻を見せる、文字通りの幻術であると。

 

 だが、もしも彼が今かけられているものが幻術だとしたら、一つ矛盾点が出てくる。

 

 通常、幻術にかけられた者は意識を保ったまま現実とはちがう幻を見せられるか、精神の縛りを受けてありのままを喋らされる傀儡に陥るかのどちらかになる。

 

 しかし、鶴臣の状態は彼が自覚する限りそのどちらでもなく、彼の意識は保たれているものの、今度は彼の自殺が防がれた理由がわからない。

 

 鶴臣の自殺を止めるなら精神の働き、肉体の動きを縛るしかないが、それをされたなら彼がこんな場所に放置されている理由がわからなくなってしまう。

 

 八幡達に鶴臣を情報源として扱うつもりがあるのかは不明だが、自殺を止めておいて、見知らぬ場所に放り出す訳がない。

 

 もしもこの体が情報を抜き取られた後のものだとしても、こうして鶴臣が自分の記憶を保持したまま生きているのもおかしい。

 

 精神干渉が得意な四葉の魔法でも、記憶の消去とは部分的に行うことは出来なかった筈だ。

 

「……でも、それなら何のために奴らは俺を……」

 

 答えを探す為に思考するも、その答えが思考の中にない為に、同じ考えがぐるぐると廻り続ける。

 

 無駄な思考に時間をどれほど使った頃だろうか。

 

「……ん?」

 

 鶴臣が立ち尽くしていたその場所に、突然足音が聞こえた。

 

 まさか、奴らか。

 

 振り返るも、その足音の主は可憐な美少女達とは似ても似つかない疲れ果てた壮年の男性で、鶴臣の予想は外れることとなった。

 

 伸び放題という訳では無いが、頬のあちこちに傷があって整いきってもいない無精髭。

 

 その顔は色白で瞳の色も黒ではなく、明らかに日本人では無いことを窺わせる。

 

「……————だ。————俺は、ここにいる。————だ。————俺は、ここにいる——」

 

 その男はまっすぐ前を見つめたままぶつぶつと何かを呟いていて、多分短い言葉を繰り返し喋っているのだろうが、鶴臣にはハッキリと聞こえず、理解できなかった。

 

「…………もし、すまんがよろしいか」

 

 それでも、この場で唯一の情報源になるかもしれない存在だ。

 

 もしかしたら、八幡達がこの男を使っているのかもしれない。

 

 何にせよ、鶴臣は言葉をかける以外の選択肢を見つけることができなかった。

 

「……————だ。————俺は、ここにいる——」

 

 だが、相当自分の世界に入り込んでいるらしく、真横で鶴臣が話しかけているのにも気づいていない。

 

「もしもし! すまんがよろしいか!」

 

 肩を掴むような真似は憚られたが、少し声を荒げて、鶴臣は再び話しかけた。

 

 すると。

 

「…………」

 

 じー。男は先程までの独り言を辞め、鶴臣を見た。

 

「……す、すまんが」

 

 驚きも落胆もなく真顔のロボットのように無表情でただ見つめられ、たじろぎながらも鶴臣は男を見返した。

 

「この辺りの地理について教えてほしいのだが、よろしいか?」

 

 鶴臣の質問に、男は首を傾げた。

 

「…………地理?」

 

 まるで、〝人の言葉〟を何十年ぶりに聞いたかのような、そんな仕草で。

 

「私は気づいたらここにいたのだ。心当たりがない事も無いのだが、とにかく訳が分からなくてだな……」

 

「…………わ」

 

「『わ』……?」

 

 鶴臣が喋って、チクタクと時間が経過してやっと、男は口を開いた。

 

「わたしは、ただ、金が欲しかっただけなんだ。演技だったんだ。神なんて、天国に導く者なんてこの世には存在しないのはわかりきっていたんだ……」

 

 しかし、男の口から得られたのは、質問に対する返答にすらなっていない、意味不明な釈明とも懺悔とも取れる後悔の言葉だった。

 

「……? 何を……」

 

 突然、男が鶴臣に掴みかかる。両手で鶴臣の両肩を、ぐわし、としっかり。

 

「……!?」

 

 ……しかし男の握力が鶴臣を傷つける事はなく、そのまま男の体はズルズルと足元に下がっていき、最終的に男は地面に這いつくばるような体勢となった。

 

 そして男は、彼の顔を覗き込んでもいない鶴臣でも簡単にわかるように、滝のような涙を流す。

 

「……だから、もう……許してくれ……っ!」

 

「…………何を」

 

 懇願する男を見下ろしながら、鶴臣は訳のわからないまま、ただ困惑していた。

 

 ——と。

 

 

 

「ん? おや? 新しい人ですか?」

 

 

 

 また、新たな人物が現れた。……音もなく。

 

 男の声だ。それも、鶴臣にしがみついている男より随分と若そうだ。——しかし、鶴臣はそれに構ってはいなかった。

 

「……!?」

 

 声がするとほぼ同時、最初の「ん?」が聞こえた時には鶴臣は腰に力を入れて飛び退く準備をしていた。

 

 背後から突然声をかけられれば誰だって驚く。鶴臣もその例に漏れず驚いていたが、彼の場合、心理よりもまず体の反射神経が先に働いたのは仕事柄故か。

 

 男にしがみつかれていなければ、鶴臣は近くの民家の屋上に飛び乗っていた事だろう。

 

「……? ……なっ!?」

 

「……おや、今回はやけに早い」

 

 ……いや。男のお陰で鶴臣は逆に助かった、と言うべきか。

 

 男がしっかりと絡みつくように鶴臣にしがみついていなければ、鶴臣はこの光景を目にする事なく死んでいたに違いないのだから。

 

 鶴臣が飛び乗ろうとしていた二階建ての一軒家。何の変哲もない、ありふれた建築様式のその住宅が突然崩壊した。

 

 その突然の事に、鶴臣は動転して辺りを見回す。

 

 何故なら、その倒壊は明らかに——

 

「攻撃か……!? 一体どこから!」

 

 崩壊した家は元々崩れかけていたとか、如何にも脆そうな造りをしていたようには見えなかった。

 

 何かしらの外部要因によって破壊された事になるが、それを今、鶴臣は知覚できなかった。

 

 だが周囲には何処にも何もなく、男二人もこの異常に対して特別な反応を示していない。鶴臣の勘違いで、実は支柱が腐っていたあの家が物理法則に従って倒壊しただけという可能性の方がまだありえる。

 

 いや、鶴臣にしがみつく男は家が倒壊した事にも気付いていないかもしれない。

 

 何かを恐れるように、ずっと蹲ったままだ。

 

(……………………これは、何を恐れている?)

 

 鶴臣の足から決して手を離さず蹲る男の姿が、気になり始める鶴臣だが。

 

「…………ん?」

 

 ふと、それよりも上が気になって顔を上げる。空の光が気になって……そこには、思わず言葉を失うほどの絶景が夜空いっぱいに広がっていた。

 

 青みがかった黒の夜に咲く、満天の星空。

 

 南極でも滅多に見ることのできない、視界の端から端までが夜と光で埋め尽くされた幻想的な光景。

 

 なるほど空気が澄んでいれば、これ程の夜空が見られるのだろう————

 

(いやまて)

 

 ほんの小さな違和感が鶴臣の肌を触った気がした。常人からすれば全く感触を感じないレベルと言えるが、少なからず闇の世界に足を踏み入れてきた鶴臣にとっては、無視できない直感だ。

 

「………………」

 

 思考を巻き戻し、もう一度空を見る。そして彼は異常に気づいた。

 

「…………ない」

 

 知っている星座が、その空にはひとつも輝いていなかったのだ。

 

 夜空の端から端まで見回しきっても、その何処にも彼の知る星座がひとつも見当たらない。

 

 天の川どころか夏の大三角、十二星座も存在していない。

 

 まるで地球とは違う星で夜空を眺めているみたいだ。

 

「………これは……一体……?」

 

 鶴臣の思考が止まる。あり得ない現実に脳が拒否感を示し、続く嫌悪感が鶴臣の理性を絞めあげる。

 

 顔を真っ青にした鶴臣の横で、若い声の男が声をかけた。

 

「はっはは。見たところ、ここにきてそう時間は経っていないはずなのに。もう気づきましたか」

 

 鶴臣の絶望した心理とは裏腹に、にこやかな笑みを浮かべる若い男。

 

 鶴臣は若い男を振り返った。……若い男に向けられるその顔は、鶴臣にしがみついている男が浮かべている表情と似たものがあるかもしれない。若い男はフードを被っていて、顔ははっきりと見えなかったが。

 

「……こんなものを見せて何のつもりだ。何がしたい」

 

 既に死ぬ覚悟すらしていた筈の男を嘲笑うかのような、この仕打ち。

 

 悲鳴すらあげてしまいかねない程の怒りが、鶴臣の中で渦巻いていた。

 

 しかし、若い男は首を横に振って鶴臣の無言の怒りを否定した。

 

「おやおや、勘違いしてもらっちゃあ困りますよ」

 

「……?」

 

馬鹿にしたような態度にも、実年齢九〇を超える鶴臣は眉の端を浮かせる……が。

 

「僕もここに閉じ込められているんですから」

 

 そんな若い男の返しに、鶴臣はまた困惑の谷へと突き落とされた。

 

「…………どういうことだ?」

 

 しかし、鶴臣にこれ以上自問自答できるキャパシティは無い。いくらか嫌悪感の取れた表情で、彼は若い男に訊いた。

 

「実はですね……」

 

 若い男も親切な性格らしく、被っていたフードを取り、素顔を晒して曖昧な鶴臣の質問に答えてくれた。

 

 

 

「……僕は〝世界に魔法を広めた罪〟でここにいます」

 

 

 

「…………!」

 

 曖昧な答え。普通ならば要領の得ないこの回答に困惑するだろうが、鶴臣はその「顔」と彼が自ら提示した「罪」の内容に驚きを隠せずにいた。

 

 当然、鶴臣も知ってる顔だ。会ったことは無いが、その当時は彼の顔を知らない人間などいなかったのでは無いだろうか。

 

「僕は——っと、貴方本当に物知りですね。僕の顔もご存知のようだ」

 

 鶴臣の反応を見て自己紹介を取りやめる男。その表情は、少し困ったようす。

 

「まさか……」

 

 永くも細い人生において、鶴臣は今最も驚いていた。

 

 そして断言していたに違いない。

 

「この時ほど驚きを隠せなかったことは無い」——と。

 

 そして、よく見れば足元に縋り付く男の顔も見覚えがある。

 

 当時は毎日のように全世界のメディアで報道されていた、狂信者集団の教祖を名乗る男だった筈だ。

 

 …………。

 

「すみません。どうやら、僕のせいで世界の有り様が一変してしまったみたいで」

 

 朗らかに笑う男——その正体は、凡そ100年前に狂信者集団の核兵器テロを防いだ『現代魔法の始まりの超能力者』その本人であった。

 

 生きているはずのない人間の登場に、鶴臣は目を剥いた。

 

 感動(?)で動けない彼に、「まずは」と、男は空を指さして言う。

 

「貴方が関わってしまった者の名は『ヒキガヤ』。そして、頭上にキラキラしてるのは魔法流星群(ミーティア・ライン)。いつ降り注ぐかもわからない死の雨です」

 

「ばかな……」

 

 ヒキガヤ。その言葉がやけに脳裏で反芻される中、頭上で輝く〝星だと思っていたもの〟を見上げ、鶴臣はただ立ち尽くしていた。




〜人物紹介〜

鶴臣氏十郎
前々回で誰かに命令されてゆきのんのクローン達を殺しに来たけど八幡に自分以外の仲間をぱぁんされて「旅行するならどこに行きたい?」でよくわからんとこに飛ばされた人。男とかだとわかりにくいので名前を与えられた。どうでもいいけど自分の名字は「鶴臣」だと思っている正式名字「鶴臣氏」さん。

あとで人物紹介付け足すかもです。


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その目で見るは、真実か事実か。

閑話扱いにしても良かったんですけど、全話から続いてたので一応続きとしました。


脱線っぽいのは今回と次回で終わって、その次から九校戦に向けて話が進んでいきます。でもクローンとか出てるし、単純に進ませるつもりはありません。

妖精騎士ガウェインが刺さり過ぎてつらい。


 鶴臣の前に姿を現した若い男。

 

 自らを現代魔法の始まりと称する彼は鶴臣に「ついて来てください。死にたくなければ」とだけ言って、歩き出した。

 

「……まて」

 

 だが。

 

 鶴臣は素直に彼の後をついて行けない。ついて行ける筈が、なかった。

 

 何故かといえば、なによりもその容姿に理由がある。

 

 鶴臣は自分よりも若い容姿をしている男のことを、疑わざるをえなかった。

 

 何故なら——

 

「……何故お前は生きている? しかも、当時の姿のままでだ」

 

「ああ……そういえばそうですね」

 

 そう言って自分の顔に触れる若い男の容姿は、新聞やテレビで映る『英雄の顔』そのまま。しかもその顔は鶴臣が産まれるよりも10年以上前の姿であり、髭が生えたとかシワがあるだとかならまだしも、彼にはそれすら無く、肌のはりが未だに二十代の若さを保ち続けているのはあり得ない。

 

 それに、寿命という問題もある。

 

 事件が起きてから既に100年近くが経過していて、足し算をすれば男の年齢は少なく数えたとしても120歳を超えている。鶴臣の様に臓器を取り換えたりなどをしない限り、同一の心臓の拍動限界——寿命を超えて生きる事はヒトの身体構造上不可能だ。それに、魔法であっても寿命を強化する不老不死の類いの術式は古式にも現代魔法にも存在しない。

 

(だから……コイツは……別人だ……!)

 

 そう判断する鶴臣だが、若い男は首を横に振った。

 

「この世界のおかげなんです」

 

「この世界……?」

 

 また、曖昧な答え。

 

「ええ。僕が生きているのも、彼がこう(・・)なのも、あなたがここへ飛ばされたのも、全てはこの世界があるからなんです。詳しい原理を説明できる訳ではありませんが……逆に、この世界が存在しなければ僕は今こうして生きていませんし、貴方はここに来る事なく殺されていた筈だ。ここで目覚める前は、間違いなく死ぬという状況にいたんじゃないですか?」

 

「……………………」

 

 図星——とは違うが、男の言う事が鶴臣が辿ってきた道筋に当てはまる。

 

(……ということは、俺は既に死んで——?)

 

 まるで思考を読まれたかの様な、誰かの掌の上で踊っているような気持ちになって、それが不快で、内心とは別に鶴臣は押し黙った。

 

 キィ——。

 

 背後のビルが爆発し倒壊したのは、その直後。

 

「なっ……!?」

 

 彼らの沈黙を裂くように流星群が降って来た。

 

「……! 移動しましょうか。ここもそろそろ危ない」

 

 言って、男は足早に歩き始める。

 

 寿命で死ぬことはない。だが、男の言葉から考えるに殺されて死ぬことはあるらしい。

 

 そして、ここに来る人間は誰であれ、死ぬ状況にある。

 

 情報の時点で矛盾を起こしているが、鶴臣にも理解できる事がいくつかある。

 

 このままここにいても死ぬこと。

 

 あの崩壊を目の当たりにして、生き残れる気がしない事。

 

(……少なくとも、この男は生き延びている)

 

 鶴臣に、男について行かないという選択肢は残されていなかった。

 

 黙り込む鶴臣を気遣ったのか、若い男は振り返らずにこう言う。

 

「安心してください。この世界のオリエンテーションは落ち着ける場所で行いますから」

 

「…………」

 

 この世界にやって来た。十分に驚いた。だが、実際のところはチュートリアルすら始まっていなかったらしい。

 

 鶴臣は、大きなため息を吐いた。

 

 

 

「僕は警告を受けていました。『魔法を世に出すな』——と」

 

若い男が鶴臣を案内したのは、現在彼が住居に使っているという地下の一室。

 

そこで『この世界について』最低限の知識を鶴臣に語った若い男は、次に『若い男自身について』語り始めた。

 

 元々研究室だった場所を寝床としてだけ使っているらしく、若い男が腰を下ろしたマットレスは横倒しにした薬品棚の上に無造作に置かれていた。

 

 遮蔽物如きで防げるものではない、と空を気にする鶴臣に、若い男は「雨は地面より下に降らない」と言って、事実、先程から流星群は地下に降っては来なかった。

 

「……けれど、数百万人の命が絶対的に奪われると分かっている状況で、それを無視することは出来なかった。僕の恋人や家族もその犠牲者の予定リストに入っていましたし」

 

「……?」

 

 若い男の言葉に、鶴臣は違和感を感じた。

 

 リストに入っていた——計画を知っていた。その言葉ではまるでテロを行う狂信者集団との繋がりを匂わせる。——いや。

 

「……予定リスト、だと? 何故そんなものが存在している。そこまであの男が計算していたというのか?」

 

(そうだ)

 

 出来る出来ないの問題ではない。

 

 たかが一組織。それもテロリスト風情に、計画実行後の被害計算をするメリットがあったとは考えにくいのだ。

 

 威力を見せつけることで、ブラックマーケットにでも売り込もうと思ったのだろうか……?

 

『使えばどうなるか』を考えない筈もないが、『使えばどうなるか』もわかっていた筈なのに。

 

 若い男が提示したその答えは、鶴臣にとって予想外のものだった。

 

「ああ勿論、彼ではありません。彼の計画を利用しようとした、とある組織の人間達が立てたものですから」

 

「それが、ヒキガヤ……というのか?」

 

「ええ。僕もその組織にいました。……それに、ヒキガヤの計画には当初からその教団が組み込まれていましたから『観察』も潜入までしていましたし、僕には彼ら教団の行動は手に取る様にわかったんです」

 

 頷く若い男。しかし鶴臣には、疑問が残った。

 

「使えば数百万人規模の死傷者が出るような兵器を、あくまで民間の組織が手に入れられたというのか? そのレベルだと厳重を通り越して封印レベルで保管されている物だと思ったが、……まさかそれを手引——まさか」

 

 確認する様に口に出して喋っている途中。鶴臣は、気づいた。

 

「……………………貴方も相当深いレベルで関わっていたんですねぇ」

 

 その様子を見て若い男は感心したかのように頷く。

 

「そう。既に開発されている大量殺戮兵器ならまだしも、開発の構想すら練られていない、存在する(・・・・)はずのない(・・・・・)兵器なんて、警戒のしようがないでしょう?」

 

「……………………」

 

 鶴臣の背筋を、悪寒が走った。

 

 しかし、まさか。

 

 100年前は魔法の研究すらまともに行われていなかったのに。

 

 それがあるなら、なぜ、わざと隠すような真似をしたのか。

 

(……ヒキガヤによって狂信者集団にもたらされた兵器は核兵器程度(・・)ではなく、もっと凶悪なもの(・・・・・・・・)————!)

 

「あの事件は確か、核兵器の発動を魔法で防いだ、という事になってますよね?」

 

「……ああ。貴方の偉業は今や教科書に載っているレベルだ」

 

「照れ臭いですねー……いえ、そうではなくて。……結果的にそういう扱いが決まったというだけで、あの場で使用されようとしていたのは、核ではなかったんです」

 

「……だろうな」

 

 疑惑が確信に変わり、鶴臣は若い男の顔を見た。彼も、鶴臣を見ていた。

 

「僕が抑え込んだのは、とある『魔法』」

 

 ……その男は、とても悲しそうな目をしていた。

 

「戦略級。当時の研究段階ではそんな名前で呼ばれていた、人を殺す為に作られた魔法です」

 

 しかし鶴臣は、彼が若い男に見ていた「悲しさ」が何故か自分に向けられたもののような気がして、目を伏せた。

 

 同族憐憫なんてまっぴらだ。

 

 代わりに、言葉で若い男に返答する。……重い空気を吹き飛ばしたかったのかもしれない。

 

「……どうして俺に親切にしてくれたんだ? 暇つぶしか?」

 

「まあ、それもあります。…………それしかありませんね」

 

 けらけらと笑う若い男。年齢だけで言えば彼は鶴臣よりも30歳は年上だが、鶴臣の前に立つ彼は外見相応、いやそれよりも若く見える。

 

 そして、鶴臣が気遣うまでもなく、既に彼はその事を気にしていなかった。

 

 ただ、その気遣いが鶴臣に新たな事実をもたらしたのは流石に計算外だった。

 

「外から来た方と話をしたのは、……うーん……30年ぶりですから」

 

「30年……そんなにか」

 

「体に変化がありませんと、時間の経過にも鈍くなるみたいで」

 

 途方もない時間だ。慣れでどうこうできるものでは——

 

(……? 30年……?)

 

 一瞬、何かが引っかかった。ただ、その違和感は不明瞭であるが故に「何がこうだ」と指摘することは鶴臣に出来ず、首を傾げる。

 

 これは鶴臣の問題なのだが、しかし彼は同じようにすぐに補足してくれた。

 

「彼女も貴方と同じ日本人のようでしたよ。……当時は私もそれほど余裕がある訳では無かったのでこの世界ですぐに別れましたが、彼女からは面白い話もいくつか聞けました」

 

 一旦言葉を区切った若い男。その顔には呆れのような畏怖のような、「拒絶」の感情が浮かぶ。そして、彼の口が再び開かれた時には、その拒絶は鶴臣に伝播していた。

 

「まさか、国家レベルの軍事力がたった一つの『家』によって滅ぼされるとは思いませんでした。一般的な魔法使いの方々も著しい進化を遂げたものですねえ」

 

「…………なに」

 

 鮮烈な痛みにも似たショックが、鶴臣の全身を駆け巡った。

 

(30年前。それに、国の滅亡だと? ……そんなの、あの事件しか——!)

 

 鶴臣の脳裏に閃いたのは、とある悪魔の一族の名前。

 

「『彼女』は、その事件の手引きをしていたそうです。子供が攫われることなども完璧に内包された上での計画だったそうですよ」

 

「……あの事件に、黒幕がいたのか」

 

 世界がその行いに震撼した、あの一族。

 

 鶴臣自身、その事件を知った時はその一族を見る目が変わったのを覚えている。

 

「その事件を起こしたヒキガヤの目的は教えてくれませんでしたが……何でも、彼らの復讐がしやすいようにわざわざ敵の戦力を削っていたらしいですし、相当手の込んだ計画をしていたのでしょうね」

 

「あの四葉を……操り人形のように……扱うのか」

 

 なんて奴らだ。……そう言おうとして、鶴臣は既に終わった自分の身では手遅れ、どうしようも無い事に気づいた。

 

 誰にも、どうやっても伝えられない。

 

「…………、」

 

 その時、鶴臣はとある感情を味わった。

 

 それはどうやら絶望的で。

 

 それはどうやら終末的だ。

 

 もうとっくに手遅れではあるけれど。

 

 もう誰にも伝える手段はないけれど。

 

「……私は、最上の情報を得たのか」

 

 その悔しさは多分、自害するよりも難しい。

 

「どうぞ。……死にはしませんが、この世界で人間らしさを忘れないためです」

 

 言って、若い男はペットボトルの水をコップに注いで鶴臣に渡す。

 

 先程の説明にもあったが、この不死の世界にもエネルギーや水は存在していて、若い男はそれを利用して水の浄化装置を作り、このように飲める水をも作り出していた。

 

 透明なその水を眺めて、鶴臣は思わず笑みをこぼす。

 

 殺されてしまう世界において、不死とはまた滑稽なものだ。

 

『処刑であって、あれは死刑ではありません。死んでその痕跡が残る事を危惧し、我々を世界と隔絶された場所に追放したんです。積極的に殺される心配は無いと言っても良いですが、油断は禁物ですよ』

 

 若い男の言葉が鶴臣の脳裏をよぎる。

 

「……先程の言葉」

 

「はい?」

 

「あの言い方では、我々に死なれては困るといった風だった。では、何故ほっておけば死ぬと分かりきったこの世界において、流星群(あの魔法)の存在を許す? 話が矛盾しているではないか」

 

 もっともな疑問。連中が自分達の怯えを楽しむためと言われたなら納得してしまいそうになるが、それでは雨の積極性に欠ける。それに、結局は殺してしまうリスクを背負う羽目になるのだ。

 

「我々が彼方の世界の誰かに殺害されれば、殺したという情報は記録されるのにその対象者が発見されず、不信感をもたらし、影響を与えることになります。ですが、この世界で起きた事は全てこの世界でのみ共有される事柄。此処であの光に誰かが殺されたところで、外の世界に漏れる心配は無いという事です」

 

「? それはあり得ないだろう。あの魔法があるし、外の世界から干渉し続けているんじゃないのか?」

 

 四葉真夜。鶴臣は会ったこともないが、あの最強の魔法を使えるのは極東の魔女だけだ。

 

 鶴臣の言いたい事がわからなかったのか、少し悩むそぶりを見せた後、若い男はこう言った。

 

「あの魔法……? ああ、流星群の事ですか。アレは最初からこの世界に存在している現象そのものなんです」

 

「……何だと」

 

「この世界はそもそも——」

 

「——なんです」

 

「…………は?」

 

 鶴臣は、今までに経験の無いくらい首を捻った。男が話した内容が理解できなかったのでは無い。

 

 そんなに(・・・・)スケールの大きな話であった事に、鶴臣は驚いただけだ。

 

「……そんなもの(・・・・・)が存在するのであれば、我々魔法師が存在する意味はあるのか……?」

 

「すべての事象には意味があると言いますが、そりゃあ(・・・・)魔法師は(・・・・)作られた側(・・・・・)ですから(・・・・)、何かしらあったんだと思いますよ。ああ勿論、軍事力や経済を発展させるため、ではなく」

 

「何か巨大な思惑がある……が、やはりもう我々では手の出しようがないのか」

 

「妄想は自由ですからね。現実に持ち込まなけりゃいくらでも話せるってものですし」

 

「うむ…………」

 

 天井を見上げる2人。当然、灰色の壁材があるだけだ。

 

「ん?」

 

 しかし、鶴臣はある事に気づいた。

 

「……これは」

 

 部屋を照らす照明の電球が、切れかけていた。

 





〜人物紹介〜


若い男(仮称)

核兵器テロを魔法で未然に防いで英雄扱いされた二枚目。その真実は「ヒキガヤ」によるテロ組織を利用した魔法実験に横槍を入れて中止に追い込んだ、「ヒキガヤ」の裏切り者。裏切った後、すぐに捕らえられて保護を理由に監禁され、その頃から「精霊の眼」を警戒していたヒキガヤが彼を殺す事を躊躇したため、最終的にこの世界から追い出された。
 彼の行いによって「ヒキガヤ」は自らが描いていたシナリオを大幅に変更せざるを得なくなり、それまで秘匿するものとして予定されていた魔法が実在する技術として世界に君臨する事になる。
 のちに行われたシナリオ変更前の計画を再計算した記録によると、彼の行為によって凡そ50万人もの命が救われた、という予測が出ている。




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彼女は彼女が彼女を彼女にするのを許さない。


一方その頃、主人公に危機が迫っていた!!


 前略。

 

「んちゅ、ちゅ、ちゅう……っ、ちゅるっ、……ん、ん……!」

 

 それは、例えるならマグマ。

 

 火傷をしそうな程に熱を帯びた唾液が、2人の口腔を行き交い、舌でかき混ぜられ、混ざり合う度に二人のボルテージは高まっていく。

 

「んむっ!? ……んちゅ、ちゅっ、ちゅう……くちゅ、へ…………へあ」

 

 すでに片方の少女はその興奮に脳が耐えきれずにショートを起こし、思考を放棄していた。

 

「……ふぅ。——んっ」

 

 一度離れたかと思いきや、そこに更に追い討ちをかける一条雅音。

 

 少女の顎に触れ、背中に腕を回し、彼女を引き寄せた。——そして。

 

「んれ、んちゅ……くちゅ、ちう…………っは、……はあ。……オシオキだよ、比企谷。……勝手なことをした、罰」

 

 恍惚とした笑みを浮かべながら、その腕に抱いた少女の耳元で熱い息を吐く雅音。

 

 雅音に抱かれている少女は、——もう意識があるのかどうか、怪しかった。

 

「……はゆ、ぁく……ぁ」

 

 少女の後頭部に登っていた手を離し、そのままの指で自分とねっとり絡み合っていた少女の唇をなぞる雅音。

 

 まるで余韻を愉しむかのような仕草の後、何らかの気配、或いは何か思ったのか、唐突に背後を振り返った。

 

「ん? あれ、そういえば近くにいた男はどうしたんだ?」

 

「……ぁ……う、はぇ……?」

 

 でろんでろんに酔っ払った、或いは腰砕けにされた処女のような呂律の回らなさで雅音の言葉に反応する少女——改め、八幡。

 

 雅音と八幡(♀)の体が離れ、今まで八幡の体勢を維持してきた支えを失った事で、八幡は地面に崩れ落ちた。

 

「はにゃあ、ふええええ……?」

 

 二人に何があったのか。

 

 詳しくはこの話の冒頭を振り返って戴くか、これまでの雅音と八幡を見ていてずっと顔を赤くしたままの氷と翼の反応から察してほしい。

 

「……まったく、最近は魔法師に対する風当たりが強すぎ——あれ? どうしたんですか、その人」

 

 そんなカオスな現場に、警察の事情聴取から解放されたいろはがやってきた。

 

 二十九家の力(プラス「また比企谷さんですか!」)が働いたお陰(……?)でいろはが警察署にまで連行される事はなかったが、その顔には「置いていかれた」という不満がありありと浮かんでいた。

 

 が、八幡のあられもない姿を視界に入れた途端、彼女は表情を変えた。

 

「——ちょっ先輩それ大丈夫なんです!?」

 

 八幡に駆け寄り、抱き起こす。

 

「先輩! 先輩!」

 

「……いっしき……?」

 

 朧げながらも反応する八幡にいろははほっ、と安堵の息をつく。

 

「……ああもう、慣れない体で無茶するからですよ!」

 

「うぐっ」

 

 いろはが八幡を叱りつける横で、何故か雅音がダメージを受けた。

 

 肉体的なものではなく、自責の念から来る精神的なものの様子だが……。

 

「さっきまた能力使ったでしょ! 事象の上書きでも書き足しでもない〝書き直し〟が今の先輩にどれだけ負担になるかわかってやってます!?」

 

「……だい、じょぶ、だか、ら……」

 

「そんなフラフラで何言ってんですか」

 

「うがっ」

 

 胸を押さえ、地面に手をつく雅音。

 

「ただでさえ魔法が使いにくい体なのに、記憶や電子媒体の改竄を行った上でそんな魔法を強制的に使ったりしたら、普通なら間違いなく寿命が縮む! 今にも倒れて死んでもおかしくないんですよ!!」

 

 目尻に涙すら浮かべて激昂するいろは。

 

「……わかってるよ。でも……」

 

 彼女に支えてもらいながら、瞳に光を取り戻した八幡が応える。

 

「……? でも、なんです?」

 

「……いろは達(・・・・)を護る為なら、多分俺は厭わない。天秤は傾けたままにするよ」

 

「————」

 

 一瞬だけ造られる、無言の間。

 

(……かっこいいとか、思っちゃうのがなあ。似合ってないけど)

 

 1秒はあるのに2秒ももたないその僅かな時間に、いろはは呆れていた。

 

 そして理解していた。

 

「…………っ、っぐぅぅぅぅ、……〜〜〜〜ッ!!」

 

 八幡は多分、隣で悶えている色欲魔の餌食になったのだ。その影響で、のぼせたような、酔っているような意識のおぼつかない状態に陥っている。

 

 でなければ、腕をぶった斬られようと誰に裏切られようと平然としている八幡の精神をここまで疲弊させられるはずがないからだ。

 

(幼児退行に似た一時的な現象だろうから、長い心配はいらないと思うけど——)

 

「……おれの命は、誰かと比べるには軽過ぎるから」

 

「ぎゃああああっ!」

 

 まだ少し、呂律が怪しい八幡による会心の一撃を喰らって地に伏す諸悪の根源を尻目に、いろはは通信端末に触れた。

 

「……まったく」

 

 そのまま連絡先を開く。迎えを手配してもらえるよう、依頼する為だ。

 

「もしもし警察ですか? 強制わいせつの犯罪者がいるのですが」

 

 ただし、八幡ではなく不埒者のだが。

 

「ええ、場所は——」

 

「ちょっ待ってぇぇぇぇ!?」

 

 通話口を押さえて、雅音をジロリと睨むいろは。

 

「先輩にお酒とかえっちぃ事とか禁止なの知ってますよね? 確信犯には慈悲は無いです」

 

「いやアレは比企谷を鎮める為に仕方なくっていうか、私がヤりたくてやったわけじゃないんだ! 仕方なく! やったんだ!」

 

 必死に訴えかける雅音に、いろはは心底理解できないといった眉間に皺をつくる表情で、小首を傾げた。

 

「……? 一条先輩なら、先輩をいくらでも(・・・・・)封じ込められるじゃないですか。なのにわざわざそんなので思考力を奪うだけとか、完全に性欲目当てですよね」

 

 意味ありげないろはの視線に、雅音は「うぐぐぎぎぎ」とでも言いそうなほど視線を揺らす。

 

「……う……ぐ……」

 

 軽く口から出かけたところで。

 

「……ハァ。安心してください、警察には連絡してませんから」

 

 パスワードを解除していない携帯端末のロック画面を見せて、いろははため息をついた。

 

「……な、なんだ……」

 

 心底安心したような表情の雅音。

 

(最初からしなけりゃいいのに……)

 

 それを見て、いろはは更に呆れた。

 

 そして、

 

「……ほら、先輩運ぶの手伝ってくださいよ。迎えは呼んだんで」

 

 項垂れたままの八幡の腕を自分の肩にかけて、引き上げようとする。が、今の八幡が女子でいくら軽いとは言ってもいろは一人で抱きかかえるのは厳しく、いろはに促されて雅音はいろはの反対側から八幡を支えた。

 

「いっせーの、……。いつの間に迎えを呼んだんだい?」

 

 雅音の掛け声で立ち上がる二人。

 

「ここに来る途中ですよ。事情聴取から解放された後で」

 

 随分と手慣れた様子だが、理由は単純というか不純だ。

 

 というのも、八幡が金沢に来てからこの二人のいる前で飲酒(誤飲)による泥酔が3回、雅音による淫行が11回と、八幡が一色家に居候を開始して2週間も経っていないにもかかわらず、八幡は一日一回以上のペースでよく意識を失う。

 

 故に、その手当も慣れたものなのだ。

 

 ……回数の七割以上が雅音のせいである事に今は触れない。

 

 いろはが、氷達に「ついて来てください」と言って視線を八幡に戻す。きちんと歩いているか、足が引きずられてないかの確認だ。

 

 そして、しばらくその場で待っていると、一台のミニバンが彼女達の近くで停車し、ハザードランプを点滅させた。

 

 車を降りてこちらに会釈している運転手や、後部座席から降りてきた人物に見覚えがある。車種も『人数が多い』と伝えたいろはの注文通り。間違いなくいろはの手配した迎えだろう。

 

「あの人達がいますし、警察なんて呼べる訳ないですし。……なので」

 

「ん……ああ、一色ちゃんの所に迎えに来てもらったのか。私もそれくらいしかできな……あい?」

 

 しかし、その見覚えのある人物がここに現れたことの意味(・・)を雅音が飲み込み始めたのは、逃げることが不可能なまでに近付いてからだった。

 

「ちょ……ま……」

 

「……なので、運搬としょっぴくのを同時にやってくれるこの方を呼んだわけです」

 

 この時、一条の頭上には死兆星が煌々と輝いていた。

 

 怒髪天を衝く——わけではないが、ウェーブのかかった髪をゆらゆらと苛立たせて、その少女は雅音に微笑みかけていた。

 

「雅音ぇ。ちょっと話いい? 次、比企谷に手を出したら容赦はしないって言ったよね?」

 

「……へ、へへ……」

 

 負け犬のように乾いた笑いを浮かべる雅音。

 

 そんな彼女の眼前でばきごきっ、と鳴りそうなほど手の指をゆっくりと閉じて、人を最も殴りやすい手の形「ぐー」をつくるのは、十師族の護衛役、六道の一角である折本家の長女、折本かおり。

 

「はぶ、あ、ないす、でい……」

 

 彼女は今、雅音に対し猛烈にキレていた。

 

 それこそマグマを噴出する火山のようにとめどなく、誰彼をも巻き込む災害のような怒りを雅音に向けている。

 

 というのも、元々は彼女こそが八幡を女体化させた張本人であり、女の体でいる八幡の身に降りかかる不幸を見張って跳ね除ける役目も、本来なら彼女がこなすはずだった。

 

 しかし、六道の娘としてそれなりに強大な力を持っているが故に、彼女は常日頃から仕事を抱えていた。

 

 今日だって、迎えに来れたのが奇跡みたいなもの。ずっと八幡のそばにいるわけにもいかないかおりの代役として、いろはが八幡に付き添い、様子についてもいろはから報告を受けていたのだ。

 

 報告を受けていたからこそ、度重なる雅音の蛮行にもそろそろ幼馴染でもある彼女が断罪(ブチギ)れた。

 

「——今回はどういう罰が良いかなあ、雅音?」

 

 一歩、彼女が踏み出す。

 

「……っ!?」

 

 当然、雅音は一歩下がろうとする————が、段差もない平坦な歩道で彼女は、何故かその一歩を踏み外した。

 

 そして、派手に転けてドロドロの泥まみれとなる。

 

(……いや、これは泥なんかじゃ)

 

 彼女がそれに気づく。既に、変化は現れていた。

 

 ずずずずうううぅぅぅぅぅうううぞぞぞんざざずずずずざざざざざざざずずずずずずずずざざざざざざざざざざざざざざざザザ。

 

 道路が、いや地面そのものが、まるで海か湖のように波打つ。

 

 道路標識を示していたパネルが、砂嵐に塗れたかと思うと、支えていた柱ごと地面に落ちた。

 

 派手な破壊音はしない。その代わり、大きな水音とタールのように黒ずんだ飛沫があたりに散り、その一つが雅音の頬を掠めた。

 

「……あーらら」

 

 かおりと運転手が乗ってきた車は、既にアイスのように溶けて、液体となった道路と混ざり合っている。

 

 びき、びきき——べっしゃああああ。

 

 マンホールなどからは、色々混ざりすぎて吐瀉物と見分けがつかない液体が噴き上がった。

 

 それらは道路に降り注ぐも、すぐに混ざり合って新たな色になる。吹き飛ばされたマンホールの蓋も、地面に落ちる頃には既に液体と化していた。

 

 歩道だった筈の場所をびしゃびしゃと音を立てて歩くかおりと、それを怯えながら見上げる、水溜まりとなった地面に尻餅をついた雅音。

 

 彼女達以外で無事な存在といえば、運転手におぶさる八幡やいろは、二人の買い物品を持たされている氷と翼の五人。彼らのいる場所は何故か変化がなく、島のように孤立していた。

 

 ただ。今の雅音に、そんな事を気にする余裕はなかった。

 

 底無し沼よりも早く、それこそ水の中にいるかのように体は沈んでいる。しかも雅音が浸かっているのはただの水ではないので浮力が働く事もなく、何もしなければただ沈んでいくのみ。

 

「よし……」

 

 首から上だけが地上にある状態で、雅音は体がそれ以上沈まないように魔法で自らを固定。沈下が止まった事を確認して顔を上げる——

 

「はろー♪」

 

 自分だけは沈む事なく歩み、しゃがんで雅音の顔を覗き込んでいるかおりと視線が合わさった。

 

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………あっどうも」

 

 死ぬ。

 

 十師族の雅音に思わずそう悟らせるほどの凄惨な笑みが、彼女の前にはあったのだという。

 

 ……。

 

 …………。

 

 ……………………。

 

 

 

 ——我が生涯に一片のくいがああああああああああああああああああああ!!!

 

 

 

「これで懲りてくれると良いんですけどねー」

 

 響く悪魔の断末魔を背にして、いろはがため息をつく。

 

 その視線の先には穏やかな寝息を立てる八幡。その安らかな表情を見てつられたのか、笑みを浮かべるいろはだが、そうじゃない、とため息をついた。

 

「先輩、起きてください先輩」

 

 背負われている八幡を起こす。すると、本気では寝ていなかったのか、八幡はすぐに反応した。

 

「ん、なんだ……?」

 

「シールズ先輩を呼んでもらえます? 再成を使ってもらいたくて」

 

「ん、わかった……」

 

 寝ぼけ眼の八幡だが、いろはの言葉はしっかりと届いていたらしく、八幡の返事の後、彼の足元の影が濃さを増した。

 

 その影に魔法陣のような形や妖しい発光はないものの、その影から高校の制服を中途半端に纏って現れた美少女は、半裸のその雰囲気も相まって、いや、その不機嫌な表情が主に、さながら魔女の様相を呈していた。

 

「……ちょっと。ワタシ、サイズ合わせの途中だったんだけど」

 

 見た目通りに不満げなネファス。辺りを見回してぎょっ、と目を剥くがあくまでもその態度は崩さない。

 

 着替えをきっちりと最後まで着替えた彼女にいろはは、

 

「シールズ先輩の身体データなんて先輩が事細やかに知ってるわけですし、衣装合わせとか必要なくないですか」

 

 いろは は りーな に けんか を うった !

 

「……八幡といるからかしら。あれから更に大きくなった気がするのよね〜」

 

「ああそうですよね、シールズ先輩は最近AからAAにシェイプアップされたんですよね」

 

「それ小さくなってるんだけど! しかも地味に『痩せた?』とか嫌がらせを……そうじゃなくて、ホントにおっきくなってるんだから。シャツのサイズもキツくなってきたし」

 

「胸を残して太ったのかよ。救えねぇな」

 

「胸が大きくなったんだよテメェのカーボンプレートと一緒にすんなちんちくりん!」

 

「誰の胸が装甲板だコラァ!」

 

 ——牙を剥いた。

 

 何故か犬猿の仲な二人。元々いろはとネファスのオリジナルであるリーナとの間に面識はないというのに、似たもの同士でもない彼女達の「嫌い」がそこにはあった。

 

 お互いの容姿を罵り合う軽口を二、三個交わしたところで、口喧嘩に飽きたいろはは彼女に説明した。

 

「……何言ってんの?」

 

 かおりが雅音にキレるまで何があったのかを詳しく知り。周囲の状況を把握したネファスがそれでも訝しげな視線をいろはに向ける。

 

「一条先輩にキレた折本先輩の暴走に巻き込まれて、車が無くなっちゃったんですよう」

 

「……なるほど。いや訳わかんないけど、経緯は理解した」

 

 いろはの言葉に一応のカタチで納得したネファスが右手を目の前に翳す。……すると、水面となった地面が不自然に泡立ち、盛り上がっていく。

 

 混ざり合っていた色と色、水と水が分かれて元の形、元の材質を取り戻す。

 

 車が崩れる瞬間を見ていたいろはにとっては、視界に映る景色が逆再生しているように見えていた。

 

「もーそろそろかなー……?」

 

 車体が完全に蘇ったところで、いろはは背後を振り返る。

 

 

 

『……復唱。「私は二度と痴漢をしません」』

 

『……私は痴漢をしません』

 

『「二度と」は?』

 

『3回以上してるので無意味かな、と……あははぐっぎゃああっ!?』

 

『……「金輪際、比企谷八幡君には近付きません」』

 

『……けほ、けほ、いやそれは困る! 今後比企谷とスキンシップ(寝技)が取れなくな——』

 

 十師族令嬢の体が宙を舞い、弾けた。

 

「たーまやー……」

 

 四肢が爆散し、そこから宙に咲く血飛沫はまるで彼岸花のように美しい。

 

 そしてべちゃり、と音を立てて雅音の体がいろは達の近くに落下する。

 

 それを呆れ果てた目で見下しながら、いろはは目を回す(・・・・)雅音に言った。

 

「刺激を求めるのはわかりますけどね。先輩から奪い取った(・・・・・)能力を悪用するのはやめてもらえませんか」

 

「性欲……さえ、満たせれば、あとは勝手に鎮まるんだけど、ね……」

 

 立ち上がる雅音。その体には、爆散した痕跡など少しも見当たらない。爆散したのが嘘であるかのように、治ってしまっていた。

 

「…………」

 

 いや、治った、というより——

 

「一色ちゃんにはわからないかな。能力を持つ人間の苦労は……」

 

 ——ダメージ自体が無視されている。

 

 とても復活したてとは思えない滑らかな動きでやれやれ、と肩をすくめて首を横に振る雅音。

 

 その大仰な態度にいろはの心がざわついた。具体的には、イラッとした。

 

「先輩からもらった能力に副作用なんてあるわけないじゃ無いですか。自制心の問題ですよ。わかるまでもう一発行っときます?」

 

 無表情で、自分の指を眺めながらいろはが言う。

 

 自分とは異なる方法で「能力」を得た雅音の事を、いろは自身も容赦するつもりは無いらしい。

 

「勘弁してくださぁい…………」

 

 雅音の能力は即死ダメージを無効化する程に強力だが、かおりの能力やいろはが「嘘を見抜く能力」とは別に持つ「チカラ」とは、決定的に相性が悪い。

 

 故に、彼女のストッパー役として折本かおりが第三高校に入学する羽目になった事は、当人達を除いて誰も知らない。

 

 目にし過ぎて大して珍しくもなくなった雅音の土下座を尻目に、いろはは手を叩いて注目を集めた。

 

「さぁ、帰りますよ。……あ、あなた達はわたしについてきてください。……えーと、その前に何か変装で顔を隠さなきゃ……」

 

 目の前で繰り広げられた珍劇に置いてけぼりをくらっていた二人にも、いろはは声をかけて車に乗るよう促す。

 

 八人乗りを想定しているミニバンには、七人が乗っても結構なゆとりがある。あと2人くらいは乗れそうだ。

 

 全員が乗ると、車は自動運転で発進。運転手は早速乗り物酔いをしている八幡を介抱していた。

 

 女性体の時のメリットは比企谷八幡としての存在を隠せるくらいしかなく、日常生活においてですらデメリットが発生しているのはいかがなものか。

 

 それを思いながら、いろはは車内にいる他の面子を振り返った。

 

「さ、今はゆっくりしていてください。家に着いたらこれからについて色々話さなきゃいけませんし」

 

「…………そうさせてもら……うえぇ」

 

「影の中なら、休めるんじゃない?」

 

 エチケット袋に夢と希望をぶちまける八幡。その様子を後部座席から見ていたネファスは、足下から影を伸ばして八幡を自分の影の中に沈める。

 

「着いたら出してあげるから、それまでゆっくりしてなさい。近くにベッドもあるからそこで寝てて」

 

 影の世界は現実と切り離されている。少しは休める筈だ。

 

「……さんきゅ」

 

「お礼はいいから」

 

 辛そうにする八幡の頭を撫でて落ち着かせた後、ゆっくりと押して沈め終える。そして、ネファスは前を見た。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……何よ」

 

 全方位から集まる視線。彼女らは、口で言わずとも目や表情でハッキリと語っていた。

 

「よそでやれ」——と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろお許しを……あれ?」

 

 

 

 少女が顔を上げると、そこには車もいろは達も、誰もいなくなっていた。

 

(放置プレイとは何とも唆る——いやいやいや)

 

 反省の兆しもない情欲を激らせ、だからこそ置いていかれたという自覚もない少女は、心のかぎり叫んだ。

 

「置いてかれたー!?」

 

 




〜人物紹介〜


魂抜き八幡

何らかの原因があって幼児退行した姿の八幡。魔法もまともに使えず、理性も大幅に失われている為その実力は作中最弱。逃げることも戦うこともできずにただ目の前の事象を観察することしかできない。普通の刃物で皮膚や骨を断てるほど防御力も並の人間程度。元に戻るまでは本当にただの雑魚です。


折本かおり

第三高校一年生。第三高校に通う十師族の一条雅音をサポートする為にわざわざ千葉から引っ越してきた。雅音とは幼馴染であるが雅音による八幡へのセクハラに頭を悩ませており、雅音が八幡に手を出した回数だけ彼女にお仕置きをしている。が、雅音が保有している能力特性もあってお仕置きが殆ど効いていない事にも悩んでいる。


一条雅音

山で拾ったエロ本に感化されて、その知識を6年前より八幡で実験してきた少女。実験の過程で八幡が保有していた力を奪い取る形で体内に取り込んでおり、その影響で四肢を砕かれようと頭を潰されようと、体が宇宙から消滅しようと、一瞬の間に復活する。不死はあくまで本来の能力に付随してきただけのオマケであり、その本来の能力は八幡が決して他人に渡すつもりのなかったもの。


〜六道序列(比企谷失踪後)〜
 六道序列とは?
十師族の序列のように六道の各家の実力をランク付けしたもの。あまり意味はない。


序列1位
由比ヶ浜家
特殊魔法「情報付加」
 通称「日本の最終兵器」。対象の事象干渉力を無視して攻撃できる魔法師殺しの能力を持つが、師族会議での要請(十師族全ての連名のみ要請可能)がなければ出動できない。また、由比ヶ浜が戦う場所は爆撃地点と同様の扱いを受ける特令が存在し、由比ヶ浜による隠密行動は事実上禁じられている。隠密行動が出来ないわけではない。
守護を担当する十師族:無し
守護を担当していた十師族:無し


序列2位
葉山家
特殊魔法「瞬間移動」
 十師族四葉の懐刀であり、その特別技能を生かした諜報・暗殺といった隠密任務と通常戦闘の両方をこなせる裏の世界のスペシャリスト。この家に生まれた人間は幼い頃から教育として技術を徹底的に教え込まれ、本来の主人である四葉家を支える為にその一生を投げ込む人材として完成させられる。
守護を担当する十師族:四葉、五輪、八代
守護を担当していた十師族(旧十師族含む):三浦


序列3位
雪ノ下家
特殊魔法「閃光機動」
 葉山と同じく十師族四葉の懐刀。こちらは四葉に近い血筋を持っており、十師族としての四葉家の初代、四葉元造の母方の祖父が雪ノ下家の血筋にあたる。特殊魔法を用いた格闘戦や暗殺術を得意とし、四葉の配下として忠実に仕事をこなしてきた。十師族の守護に関しては基本的に必要とされていないからか、他家の守護は表面上こなしているだけ。
守護を担当する十師族:四葉、七草、十文字
守護を担当していた十師族:無し


序列4位
平塚家
特殊魔法「錬金術」
 六道にしては珍しい、どの十師族からも派生していない家。六道に参加する前はそれなりに名の通った古式魔法の家だった。主人の意向がまず第一な葉山や雪ノ下とは違い、十師族を全面的に守護する姿勢を見せている。
守護を担当する十師族:二木、三矢、六塚、七草、九島
守護を担当していた十師族(旧十師族含む):四葉、七草、三浦


序列5位
折本家
特殊魔法「■■■■」
 六道の中でも特に奇異な能力を持つ家。隠密行動は得意としないが、こなしてきた裏の仕事の数でいえば雪ノ下や葉山を突き離している。一条家と血筋を同じくしていて、関係性は親戚に近い。
守護を担当する十師族:一条
守護を担当していた十師族:十文字


序列6位
川崎家
特殊魔法不明
 同じ六道である葉山や雪ノ下ですら把握しているのは六道である事のみで、何故六道に参加しているのかが最も不明な家。川崎の人間が魔法師である事も確認は取れているが、六道として殆ど行動しない為、比企谷が六道として参加する際に六道を外される候補の筆頭に上がっていた。
守護を担当する十師族:無し
守護を担当していた十師族:無し


不備があったので少し直しました。


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エクレール・アイリ


みんな! 7月3日だ! 魔法科高校の優等生がアニメでくるぞおおおお!!




誤字報告ありがとうございました!


 

 勝負に勝つ。それは、どういうことか。

 

 一色愛梨はこう考える。

 

 相手の力を分析し、理解して不明な部分を完全に除去した上で「圧倒的な力の差」でもって相手をねじ伏せること。

 

 僅差での勝利とか、思いきりをぶつけられる熱い戦いなどには意味が無い。

 

 継続して戦闘に参加できないし、何より相手に舐められる。必要なのは、恐怖に似た圧倒的戦力だ。

 

 熱い思いは、実戦で何も役に立たない。

 

 自分は雑兵では無い。

 

 一騎当千の働きをしてこそ、魔法師の頂点、二十九家たる一色の人間として自他共に認められるもの。

 

 一色家の跡継ぎである自分に求められるのも、相手に恐怖を植え付けるような力だ。

 

 

 

『流石は愛梨様。あの十師族に次ぐ(・・)実力のある家、一色家の次期当主にあらせられますね』

 

 

 

『1番にはなれないだろうが……彼女も、それなりに(・・・・・)は強くなるだろうね』

 

 

 

『いやいや。最近じゃ、妹のいろは様の方が頭角を表してきているらしいぞ。何でも、彼女の力を上手く伸ばす方法を誰かが見つけたとかで——』

 

 

 

「…………っ」

 

 自分に求められるもの、それは強さ。

 

 自分は一色の期待を背負って、昇り詰める。周りにもそうなる事を期待されている——そう考えていた。

 

 実際は違っていた。いや、ほんの少しのズレがあった。

 

 周囲にはまるで自分しかいないかのように言われていたけれど、それはあくまでその時その場限りでの話。

 

 新しい逸材が産まれれば、必然的に皆の興味はそちらへと移る。

 

 まだ自分は見捨てられていない。

 

 けれど、いつか遠くないうちに、両親は完全に自分に見切りをつけるのではないか。

 

 その時、自分は家族として扱ってもらえなくなるのではないか。

 

 そんな恐怖が自分という逃げられない牢獄の中で渦巻き、彼女を苦しめていた。

 

 愛梨がそう思い始めるようになってしまった原因——それは、妹のいろはだ。

 

 自分より優れた兄弟姉妹に自分の役目を奪われてしまうのは魔法師にとってよくある話だが、実際、妹は自分と同等かそれ以上に優れていた。

 

 知覚する速度が常人以上に優れている愛梨と、他人の話す言葉が真実か嘘かが直感でわかる、妹のいろは。彼女達は将来、十師族の一条にも並ぶ程の魔法師になる事を期待されている。

 

 しかし、魔法師として戦闘能力が優れているのは間違いなく愛梨の方だ。

 

 いろはの力は戦闘にあまり適しておらず、一色家が取り組んでいる魔法の研究テーマとも違う。

 

 突然変異のようなものとして扱われているいろはだから、愛梨とは実力を競い合う事は無い——筈だった。

 

 事件が起きたのは、いろはが中学校に入学したばかりの1年生の春。

 

 新入生歓迎会と称する部活動の勧誘が活発化していた頃だ。

 

 愛梨の得意競技であるリーブル・エペーの部活も、新入部員獲得の為にデモンストレーションを行っていた。

 

 そして、初心者であるいろはと経験者であり既に大会での優勝経験もある愛梨との模擬試合をすることに。

 

 仲睦まじい姉妹。周囲の観客も、しなる剣に振り回されるいろはを見て微笑ましさすら感じていた筈だ。

 

 だが。

 

『……っ、……!?』

 

『……あ、……勝っちゃっ……た……』

 

 あり得ない事に、初心者のいろはが実力者であるはずの愛梨の剣を撃ち破ってしまった。

 

 観客達には愛梨がわざと手を抜いたものと見えていたかもしれないが、愛梨には格上に打ちのめされたかのような敗北感と、まさか初心者に負けてしまったのかという焦燥感が渦巻いていた。

 

(……思えば、あの時から。あの時から、私にかけられる期待の目が薄くなり始めた……)

 

 直接確認をしたわけではなく、何かの噂を聞いたわけでもない。でも、何処となく自分と両親の間の距離がその日以降、広がっているように感じたのだ。

 

 それだけなら愛梨の勘違いで済む話だっただろう。

 

 だが、その日以来、実際に両親と愛梨が会話をする機会は目に見えて減り続け、今では「おはよう」や「おやすみなさい」などの挨拶のみ。別に嫌いだとかそういう話でもないのだからいつでも会話をすれば良いのだが、愛梨には自分から話しかける勇気はない。

 

 そして極めつけは、衰弱するように力を失くしていった愛梨とは対照的に僅か数ヶ月で、まるで愛梨のように(・・・・・・)強くなっていったいろはの成長した姿。

 

『…………おめでとう』

 

 いや、稲妻のように剣技を魅せるいろはのその姿は、かつてそこで戦っていた自分自身そのもの。

 

 いろはが、自分の——ものであった筈の魔法を使いこなしていた。

 

 だが、愛梨が真に絶望したのは妹が過去の(・・・)自分を超えた程度の話ではない。愛梨自身の心に、問題があった。

 

 それを目にした時、愛梨は、驚きも喜びもしなかった。……その事に、愛梨は失望したのだ。

 

 自分自身が感じた感情の乏しさ、反応の薄さに愛梨はショックを受けた。

 

 そこまで家族に関心が持てない。それはつまり、家族だけでなく、自分も諦め始めているという事。

 

 それを自覚した数ヶ月前、愛梨は魔法をマトモに使えなくなった。

 

 だが、たった(・・・)それだけのことで強くなることを諦めてはいなかった。

 

 魔法の強さは心の強さだ。直接的に魔法の強さに繋がる訳ではないが、心がなければ魔法は作れない。

 

 だから、心が残っていれば。

 

 きっとまた、強くなれる。

 

 そう信じて、彼女は今日もCADを握る手に力を込めた。

 

「くっ……!」

 

 右手を卵に翳す。ぷるぷる、と震えているのは愛梨の右腕。卵は1ミリも動かせていない。

 

 ——と。

 

「……!? う、うごいた!?」

 

 卵が左右に揺れる。まさか、と愛梨は顔を綻ばせるが——

 

「っ!?」

 

 不安定な場所に置いたせいか。台の上を転がった卵はその下の机に落ちて割れ、中身が愛梨の顔や胸に飛ぶ。

 

「……………………」

 

 それを目の当たりにして、愛梨は呆然とした。

 

「……っ、く」

 

 涙が滲む。しかし、我慢しようと思えば思うほど、その涙は溢れてくる。

 

 啜り泣く声が、部屋の中に響く。

 

 それは、もう無くしたものを諦めきれない少女の奇行か、或いは呪いか。

 

 今朝早く——日も昇らないうちから始めて、既に何十回目かもわからない移動魔法の練習に失敗した愛梨は、ただ呆然と、鏡に映る自分の顔と体を見た。

 

 ——酷い顔だ。

 

 寝不足でついた目のクマや泣き腫らした跡が残る目尻のせいで、目の輪郭が歪んでいる。

 

 目は口ほどに物を言うとはまさにこのことか。

 

〝無駄な努力はやめろ〟——自分の体に、そう言われているような気がした。

 

 ——と。

 

『お姉ちゃーん? これから————の——を——るから、——はもう少し待ってねー』

 

「……?」

 

 外から声がする。多分妹の声だが、その内容は上手く聞き取れなかった。

 

 何か用事か。……こんな自分に。

 

「ん、……?」

 

 不意に、部屋の鏡が目に留まる。

 

「…………ぇ」

 

 鏡に触れ、戸惑う。

 

「……何、やって、私……」

 

 泣きじゃくるのはやめた。明日から強く生きよう——そう思ったのは何度目か。そして、こんな顔を鏡に映すのも——何度目か。

 

 もろく崩れ去った自分の自信。

 

 立て直すには支えにするものが無くて、立て直したところで目指すものはかつての自分という、何ら成長のない有様。

 

「……どうすれ、ば」

 

 どうしたら良い。

 

 努力はした。考えうる限りの解決策も探った。新たな力を得られないか、一の魔法を研究している金沢の研究所にだって、何度も通った。

 

 精神的な疲れがあるのかもしれないからと、外を歩いてみたり、絵を描いてみたり、或いは何もしなかったりと、気分転換なるものも試してみた。

 

 提案されたさまざまな手段の全てに取り組んだ。今だってこうして、失った魔法を取り戻す為に学校を休み、一日中練習してばかりだ。

 

 ……だが、だめだった。

 

 最初から分かりきっている努力の結果が、変わりはしないかと祈る——それこそが、最も無駄なことだ。

 

 変わらないものは変わらない。

 

 失ったものは取り戻せない。

 

 今まで愛梨が努力と呼んでいたものは、もう二度と取り戻せないものを掴もうとして握り潰した、ただの現実逃避だ。

 

「…………」

 

 現実が、肩に重くのしかかる。

 

「……お風呂に、入ろ」

 

 ——もう辞めよう。

 

 そう思うと、すんなりと立ち上がることが出来た。

 

 いや、愛梨が動こうとするよりも前に体は動いていた——。

 

「……なによ、心ではわかってたってこと?」

 

 ただ自分が認めたくなかっただけで、本心ではもうとっくに諦めていたらしい。

 

 その事をようやく実感した愛梨は、自嘲混じりに微笑った。

 

 ため息を吐く。……肩の荷が降りたように、色々と軽く感じる。今なら、両親や妹ともきちんと話をすることができそうだ。

 

 勿論、良い意味ではないが。

 

「よし……」

 

 着替えを持って風呂場に向かう。

 

 一色家の浴室は風呂好きな当主の影響で浴場と呼べるほど広く、また今の時間は家族は誰も入る事は無いので、誰と顔を合わせるまでもなく、愛梨はゆっくりできる。

 

 少しでもリラックス出来れば良い——向かう途中で、愛梨は思った。

 

(きっとまた、お風呂から上がれば私は魔法を練習する)

 

 それは、やめると口にしても心で決めても、いつのまにかまた目指してしまう呪いにも似た予告。

 

 繰り返しになっても良い。それが魔法を取り戻す手段にはならなくても、魔法を諦めない理由になれば、それでいい。

 

 自分でやってみてわかる通り、自分の手にはまだ魔法が残っているのだから。

 

 脱衣所に入り、鍵を閉める。

 

 覗きなどの心配はしていないが、誰とも顔を合わせたくないからだ。

 

 ——特に、こんな酷い顔を誰かに見られるのは耐えられない。

 

 脱いだ服を洗濯カゴに放り込み、着飾ることのない姿で浴室へと向かう。

 

 大衆浴場の場であれば入浴着などを着用するのがマナーであるが、自宅でそれを気にする必要はない。

 

 他にもっと気にしなければならない事はある。

 

 浴室の扉に手をかけて、愛梨は目を瞑る。

 

(そうよ。可能性がゼロになった訳じゃない)

 

 今の愛梨を支えているのはその僅かな希望のみ。強がりを言えるのも、現実を受け入れられずに駄々をこねていられるのも、全てはその望みがあるからだ。

 

 ——それさえなくなってしまったら、いよいよ「一色愛梨」という人間は立ち直れなくなる。

 

 そうならない為にも、彼女が今の自分について考える事は必要な儀式だ。

 

 もっとも、愛梨が今決意したのは現実を受け入れる術を身につけるのではなく現実を直視しない努力をする事。

 

 彼女が一度でも事実を受け入れてしまえば、既にヒビの入っている彼女を受け止めている器は砂のように崩れ落ちてしまうだろう。

 

 ——その希望すら根拠は無いという事を、愛梨は忘却していた。

 

「……よし」

 

 怯える感情を心の奥にしまい込んで、瞳をこじ開け、愛梨は扉を開けた。

 

 

 

 開けた扉の向こうでは、水着姿で照明を取り換えているいろはと、いろはを肩車している愛梨の知らない少年がいた。

 

 

 

 間隔が1メートルも無い程の近距離で、何やら照明設備の交換作業をしているらしい。

 

 浴室に入ってすぐの照明を、2人は交換していた。

 

「先輩、もうちょい右です右……あ、そのへんで。……よしっ、外れた」

 

「……別に照明の取り換えくらいいつだってやるけど、変身が途切れてる時にやらなくたっていいだろ……ん?」

 

「今はお姉ちゃんがお風呂に入る時間だから、早く取り換えとかないと思春期のお姉ちゃんが人を呼ぶ羽目になるし、困っちゃうんですよ……え?」

 

 2人が愛梨の侵入に気づく。そして愛梨の姿を目にするなり、2人は凍りついた。

 

「……………………」

 

(…………)

 

 心の中までも無言になりながら、愛梨はただ前を見る。

 

 熱に当てられたかのようにぼうっと上の方を漂っていた愛梨の意識が、晴れた。

 

 どうやら人は、リラックスする以外にもあまりにも刺激的な光景を目にすると意識が覚醒するらしい——ではなくて。

 

 異性。見られた。全裸。

 

「……〜〜〜〜〜ッ!?」

 

 愛梨は燃えるような痛みを体に覚えた。

 

 それは、未だ恋の味も知らぬ少女が初めて知った、羞恥の心。

 

 反抗期さえ何食わぬ顔でやり過ごした彼女は、初めて味わう想像だにしない苦しみを受け流せずに、ただ、翻弄される。

 

 全身が熱い。頬が、額が、喉が、胸が、指が、腕が、腹が、脚が、土踏まずが。

 

「……、大丈——」

 

 側から見れば、愛梨は蹲って震えているように見えた。

 

 それは他人に関心が薄い少年——八幡にも言える事で、今にも倒れそうな愛梨に向かって心配そうに手を、

 

「……せんぱい(・・・・)。お天道様が睨み利かしてる真っ昼間から、人の姉に何、手を出そうとしてんですか?」

 

 水着の美少女を肩車した少年が無表情で全裸の美少女に手を伸ばしている様は、たしかに変態だった。

 

「——っわっとた」

 

 そして、愛梨に向かって伸ばしていた八幡の腕をいろはが掴み取った事により、足が滑りやすい風呂場で作業をしていたせいもあってか、2人のバランスが崩れた。

 

「——あっ!」

 

「…………え?」

 

 その事故は必然的に、2人の目の前にいた愛梨を巻き込んでしまう。

 

 前向きに倒れた八幡といろはと、それに巻き込まれる愛梨。一番最初にダメージを負ったのは、いろはだった。

 

「へぶッ!?」

 

 浴室のドア上の壁に顔を派手にぶつけ、潰れたカエルの断末魔のような声を出すいろは。顔が赤くなり、鼻血も出ていたが、結果的に一番の軽傷だったのはいろはだった。

 

「……いっ、…………?」

 

 いろはに続くのは姉の愛梨。だが、妙な圧迫感があるだけで、後ろ向きに倒れた彼女は打ち身どころか、擦り傷すら負わなかった。

 

「いや悪い」

 

 そう言って愛梨に向かって頭を下げる八幡。

 

 自分と視線を合わせようとしない彼を見て、愛梨は彼が何をしたのか、思い知った。

 

 転んだはずの愛梨。しかしその体は床に触れておらず、柔らかくて温かい、毛布のようなものに包まれている感触がある。

 

 たぶん、魔法で愛梨を助けてくれたのだ。

 

 気体を固定する魔法で柔らかいクッションのようなものに受け止められて、愛梨は無事だった。

 

「…………?」

 

 しかし、それではこの、押さえつけられているような圧迫感の説明にはならない。

 

 倒れる愛梨の身を包むだけなら、上から押さえる必要はないのだから。

 

 故に、この魔法の効果では無いのかもしれない。

 

(それじゃあ——)

 

 原因を探ろうとして、愛梨は思ったよりも近くにある八幡の顔にドギマギしつつ、彼の顔から視線を圧迫感の原因へと向けた。——向けない方が、彼女は先ほどよりもさらに巨大な羞恥に晒される事はなかったかもしれない。

 

「……え」

 

 八幡の掌が、愛梨の乳房を鷲掴みに——いや、押しつぶしていた。

 

 具体的には、愛梨の胸を支点にして、八幡と愛梨の体同士が触れないように自身の体を支えていた。

 

「…………」

 

 しかし、その体勢も一瞬の事。すぐさま横に手をついて愛梨の胸から手を離し、八幡は起き上がる。

 

「いや、悪い」

 

 呆然としたまま、八幡の差し出す手を取って愛梨も立ち上がる。

 

 その言葉が愛梨の裸を見たことと転倒に愛梨を巻き込んだことを指していないのは、明確に理解できた。

 

 胸を揉まれた事に対する謝罪。それ以外に考えられない。

 

 それに加えて、今の事故は意図的ではない身体接触。許すか許さないかで言えば、愛梨はきっと許していたに違いない。

 

「……、……」

 

 だが彼女は疲れていた。

 

 相手に反省の意思があっただとか、誰が元凶だとか、そんな事など微塵も考えられないほどに、彼女は疲れていた。

 

「……………………」

 

 魔法が使えないという事実に対するストレスだけでなく、ろくに睡眠を取れていないせいで精神的疲労はもちろん、肉体的疲労は限界を軽く超えている。

 

 疲れは即ち、理性の欠落に繋がる。

 

 理性とは地球上で唯一ヒトにのみ備わっている機能で、その強弱は個人によってまちまちであれど、咄嗟の判断を思いとどまらせることが出来る、ブレーキのような役目を帯びている。

 

 それ故に、理性を削られたヒトは獣に近しい思考をしてしまうものだ。

 

 衝動的に、愛梨は右腕を振り上げた。

 

「きゃああああああああああああっ!?」

 

 相手の事などまともに見えていない。迎撃する魔法なんて、練る暇すらない。

 

 だのに。

 

 バチッ、ヴィヴァヂッ!!

 

「え、ちょ————————は?」

 

 愛梨の右腕は、まるで雷のようなエネルギーを纏っていた。

 

 否、それは「のような」ものではなく——

 

「……な、なんでっ(・・・・)!? その能力を(・・・・・)おまえが(・・・・)——————ぶへあ!!」

 

 衝撃(インパクト)の瞬間、その日1番の快晴だったにも拘らず、まるで雷が落ちたかのような轟音が一色家周辺に響き渡った。

 

「わーっ!? ちょっと、お姉ちゃ————」

 

 愛梨の悲鳴と彼女の平手から繰り出される稲妻を纏った(・・・・・・)一撃は、体格差を考慮したとしてもありえないほど八幡の体を吹き飛ばし、そのまま一色家の外壁をも破壊して、八幡は家の外へと飛び出した。

 

「…………え?」

 

 そして、幾らかの理性を取り戻した愛梨が目にしたのは、自らによる破壊の痕跡。

 

 今の一瞬で壊れたものは両手を使っても数え切れないが、見つけやすいのは八幡が飛んでいった方角の風呂場の壁だろう。破壊と共に残された痕は、とてつもないレベルのエネルギーが通過した事を窺わせる。

 

「……ま、魔法……?」

 

 窮地の覚醒だとか戦況をひっくり返す偶然など、そういうお約束じみた雰囲気とは違う明らかな異物感。

 

 何せ、今彼女は何の魔法も、魔法式すら作っていないのだ。

 

 普通であれば、魔法が発動する道理が無い。

 

 今の自分が魔法を使えた理由がわからずに悩みたかった愛梨だが、それについて彼女が悩むことは無かった。

 

 愛梨の足元の瓦礫が動いた。

 

「あの」

 

 ただ、がむしゃらに放たれた力の余波で崩れた壁の瓦礫の中に埋もれていたいろはが、軽蔑するような——いまいち親しみを感じられない視線で、埋もれたまま愛梨を見上げていた。

 

「お姉ちゃん……」

 

「……? いろは?」

 

 いろはにそんな目で見られる理由がわからず、愛梨は困惑する。全裸で。

 

「……真っ裸で考え事をしたいって気持ちはわからなくもないけど、今はとりあえず服を着た方が良いんじゃないかなぁ? 色々派手に壊しちゃったし、人が集まってくるだろうし」

 

 ……………………。

 

「あっ」

 

 ばつん、と一色家のブレーカーが落ちた。

 

 その一瞬前。

 

 一色家に雷が落ちていた。

 

 先程の比喩ではなく、正真正銘、本物の落雷が両手で頬を覆う愛梨めがけて。

 

(…………これ)

 

 一瞬で全身を紅くして、黒焦げになった着替えに涙を浮かべる愛梨。その体の端から漏れる電光を見て、いろはは確信した。

 

(……確実に奪ってる(・・・・)……。けど、わたしといいお姉ちゃんといい、そんな都合良く能力を奪えるのかな……?)

 

 あれは八幡の力だ。八幡が持っていた力を、どういう訳か愛梨が持ってしまっている。

 

 そしてその能力を奪ったのは、故意ではない。自分の時(・・・・)はともかく、それまで八幡と面識のなかった姉が、それを目論める理由がないのだから。

 

『お邪魔しまーす……って、……あぁ、そういう……』

 

 いつまで経っても纏まりきらない思考は、雅音を迎えに行ったかおりが家を訪ねてくるまで続いた。

 





〜人物紹介〜


一色愛梨

一色家令嬢。蝶よ花よと愛でられて育ってきたものの、中学2年生時にその能力の殆どを消失。さまざまな病院や調査機関を受診したが、診断の結果、愛梨の体が全く想子を作り上げていない事が判明し、彼女の魔法喪失はどうにもならない事がわかっていた。しかし彼女の両親はそれを彼女に伝える事ができず、彼女はそれを自分の体が精神的に不調な所為だと思い込んだまま、魔法技能を完全に失った。


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先代〝ヒキガヤ〟

投稿遅れてほんと申し訳ないです。

夢を追ってました。
嘘です。

コヤンスカヤきませんでした!(オベロンは来た)


 それは、自分自身の夢に枯れ果てた優美子が今も尚胸に抱き続ける、束の間の記憶。

 

 なんて事のない、しかし決して色褪せることのない思い出のひとつだった。

 

『ふふ、あははっ! 楽しいよね、優美子ちゃん!』

 

『ちょ、はーくん、はやすぎだしっ! 壁を走ってる!?』

 

 優美子は新たに知り合ったとある少年と、毎日毎日、日が暮れるまで遊んでいた。

 

 将来のことなんてまだ何も気にせず、めいっぱい遊びに遊んでいたものだ。

 

 電子ペーパー絵本の読み合いっこをしたり、業間休み(*千葉特有)や昼休みに小学校の校庭で思いっきり遊んだり。

 

 縄跳びに始まり鬼ごっこや鉄棒、今の子供は殆ど遊ばないような「可食砂」という、小麦粘土のように人が口にしても食べられる、室内の人体に無害な物質で合成された人工の砂が敷き詰められた砂場で砂を盛り、手で掘ってトンネルを作って遊んだりなど。

 

『見てみて! 関東平野に山が!』

 

『さっきまでそこに街があったんだけど!? ……ていうかこれ、怒られるどころじゃ——』

 

『潰してないよ、ちゃんと浮いてるよ。これで水切りするんだもん』

 

『どこの八王だしっ!?』

 

 果ては、地図がほんの少し(・・)書き変わるような遊びをしたくらいか。

 

 転んで作ったかすり傷の数は、もう数えきれない程だ。だが、いつも家に帰るまでにそんな傷は(・・・・・)いつの間にか(・・・・・・)消えてしまって(・・・・・・・)いたし(・・・)、そんな痛みですら楽しさの一部に組み込まれてしまっていた。

 

 優美子が相手にする少年のその価値は、最早取るに足らない、能面のような無機質で無感動で無条件なあの少年とは程遠い。

 

また、「隼人くん」と遊ぶこととも違う、別の種類の楽しさを優美子は覚えていた。

 

 タブレット端末一台さえあれば一日時間を潰す事など造作もない現代において、今の大人達ですらもうすることはなかった遊びを、全身でその少年と優美子は楽しんでいたのだ。

 

 少年と出会うまでに優美子が感じていた孤独感も吹き飛ぶくらいの、彩りに満ちた日々。それは、幼い優美子にとって何にも代え難い宝物の日々だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………また、懐かしい夢……」

 

 意識のチャンネルが切り替わる。

 

 接続の際のノイズがひどい。自分は寝ていた/話していたなどなど、夢で見ていた自分と脈絡も整合性もない乱暴な現実への繋がり方で、優美子は目を覚ました。

 

「……………………」

 

 ベッドに寝転がったまま天井を見つめる。見慣れた天井は窓からの光で茜色に染まっていて、今が夕方だと何となく理解できた。

 

「……無駄にしたし」

 

 それは、休日を贅沢に過ごした後にこぼれた愚痴。とはいえ、平日の疲れがここまで来ると愚痴を言いながらも逆に笑えてくる。

 

 だが昼間の学業だけでこれ程疲れる訳がない。昼も夜も動き回っているからこそ、睡眠不足による疲れが週末にやってくるのだ。

 

 そして、その疲れの原因は比企谷八幡の捜索にある。

 

 優美子の幼馴染であるかの少年は依然として姿を消したままで、優美子達はその手がかりすらつかめていない。

 

(無駄な努力。手遅れな手助け。……わかってる……わかってる、けど)

 

 誰かに依頼された訳ではない。彼女の前から忽然と姿を消してしまった八幡を探すことは、彼女の自己意思によるものだ。

 

 しかし、八幡の失踪から1ヶ月は経っているというのに、捜索の手掛かりどころか彼がこの世に存在したという証拠すら、今は彼女の手元に存在しない。

 

 焦りが日を重ねるごとに露わになってきている。

 

 唯一、少年に繋がる情報を持っていそうな「関本勲」という優美子が通う学園の風紀委員がいた。だが、関本の知る人物は少年とは全くの別人である事が確認されたし、結局は時間を無駄に使っただけだった。

 

 だが、何も得られなかったというわけではない。彼に関する明瞭な情報は無くても、彼がそこにいて何かをした、という情報の残滓は優美子達も掴んでいた。

 

 これは今のところ優美子ともう1人、八幡と優美子、2人の幼馴染である葉山隼人という少年しか知らない。

 

 4月23日。その日、第一高校で行われたテロの現場に、八幡は現れたらしい(・・・)

 

 詳しくは優美子も隼人からは訊けていない。ただ、彼は八幡に会ったということを優美子以外には伝えず、親にも友人にも報告はしていない。

 

 何故か? 何故だろう。

 

 比企谷八幡がそこにいた、という情報だけしか隼人は優美子に伝えなかったから、その理由は隼人以外誰にもわからないからだ。

 

 また、証拠といえば、八幡が自分の住処として使っていた家も、所有者が消え失せた為か、元々の所有者だったらしい全く別の人間——川崎の人間が住んでいた。

 

 川崎家。十師族を守護する魔法師の家の一つ、六道に数えられていながら、誇るべき功績——威嚇のための実績が何一つない、序列最下位の家だ。

 

 そして、六道の中で唯一、八幡の事を忘却したままの家でもある。……だが。

 

 優美子は、だからこそ違和感を抱いていた。

 

「…………やっぱおかしい」

 

 六道の中で唯一八幡の事を忘れているという事実が、優美子の知る現実と噛み合わない。

 

 だって。

 

 確かに聞いたのだ。

 

 

 

『はぁ? つーかあんた、誰。いきなりわけわかんないこと言わないで欲しいんだけど』

 

『こっちだってふざけてねぇ! 今んとこ動けてんのは川崎(・・)だけだ! 少しでも戦力が欲しいんだよ! それに、俺が負けたら——』

 

 

 

「…………」

 

 確かに彼は『動けているのは川崎だけ』と口にしていた。それはつまり、誰もが記憶を失っていたあの状況下において、八幡の言った川崎という人間は、記憶を失わずにいれたという事。

 

 もしくは記憶を失って尚八幡に協力したか、だ。

 

 そもそも記憶を失えば、魔法を使う事はできない。超能力ではないのだから当たり前なのだが、川崎は六道の人間。普通では無い魔法を使っていてもおかしくはない。……その場合、考え得る可能性としては、

 

(……あーしとヒキオの会話のその後に記憶を失った、もしくは記憶を失ったままヒキオに協力した……か。……ううん、無い(・・)

 

 八幡が〝誰か〟と戦っていた時。会話したすぐ後でも、優美子は八幡の事を忘れてしまっていた。彼の事を思い出せたのは、電話があった日から数日が経過してからだ。

 

 あの時、空間において「八幡の事をとにかく忘れる」という現象が働いていたのであれば、川崎もその例に漏れる事は無いはず。

 

 だが、もし——

 

「……あ」

 

 ——それ以前に。

 

(……どーして、ヒキオに関する記憶だけが消えた? 攻撃の対象がヒキオ本人だったから……?)

 

 あの時、あの瞬間、八幡に関する記憶だけがスッパリと抜け落ちていた。

 

(ある程度は使えるように、……いや、ヒキオを孤立させるのが狙いだとしたら)

 

 それに、もし八幡自身が記憶を消す魔法を発動していたなら、まともな協力ができない優美子達に助けを求める事は最初から無いはずだ。

 

 八幡自身の力が能力の無効化に関係していたなら、優美子もその記憶喪失の対象外にいる筈だが、優美子自身の体験から、それは違っていた。

 

 であれば、やはりあの記憶喪失は敵の仕業で、それに対し八幡は独自の対抗策で記憶喪失を防いだ……というのが妥当か。

 

 もしくは、八幡だけ「八幡を忘れる」という記憶喪失の対象から外されていた、という事になる。しかし——

 

(…………でもそれに何の意味が?)

 

 そうだ。記憶喪失の対象を選別するには、味方でもない限りそれをする意味がない。

 

「ヒキオがそいつに仲間だと思われていた、っていうのもあり得ないって雪ノ下さんも言ってたし……」

 

 何故なら、敵は最初から八幡だけを狙って攻撃を仕掛けてきている、とも取れるからだ。

 

 そうでもなければ、人々から八幡の記憶を奪ったりするものか。

 

(……奪う?)

 

 それならやはり、川崎は八幡に助けてもらったというのが妥当な理由だろうか。しかし、それが可能だったなら、間違いなく戦力になる優美子を回復させなかった理由がわからない。

 

 偶然? ……いいや。八幡をもってしても、手の出せない何かがあったと見るべきだ。

 

(奪う……奪われたのに、あーしらの記憶は復活してる……? 一時的な封印だったって事?)

 

 八幡が知覚できなかった攻撃。あるいは、彼が知らない攻撃。そうでなければ、優美子に助けを求めるのに、わざわざ苦手な(・・・)通信で確認するような事はしないだろう。

 

(……もし、ヒキオに関する記憶喪失がただ単に、一斉に、かつ一時的に記憶に蓋をされただけなら、今も記憶が無いというのはあり得ない!)

 

(…………まさか。今、ヒキオを思い出せていない人間はみんな(・・・)————!)

 

 ……………………。

 

 ……と、色々と考えてみたものの。

 

 要するに。仮説は仮説であるが故にどれも根拠も確証もなく、本当にわからない事だらけだ。

 

 例えば、今も優美子達がそうだと信じているだけで、今は八幡が死んでしまっている可能性だって普通にあり得る。

 

「……〜〜、——ッ! あー! もう!」

 

 髪をぐしゃわしゃー、と掻き乱して鬱憤を吐き出す。

 

 取り乱すことを普段他人の前では絶対にやらないと決めている優美子だが、流石に我慢の限界だったらしい。

 

 優美子が川崎を疑っているという点や多少新たな疑問点が湧いたところで、ここまでは真由美や雪乃達との話し合いで何度も(・・・)行き着いている。

 

 逆にいえば、ここから先には一歩も進めていない。

 

 不確定を確定させる要素が何も無い——それはまるで、目標はあるがその場所に辿り着く為の出口がないのと同じ事だ。

 

 ————————と。

 

 ……ィィン——————

 

「……んん?」

 

 それは、微風。

 

 授業やら部活やらで、普段から想子が撒き散らされている第一高校では特に珍しくもない、魔法師のみがその存在を感じ取れる想子の風だ。

 

「……ん……?」

 

 普通であれば、何処かで魔法が使われたのだろう、くらいにしか思わない。近くで物理的な音はしなかったし、室内までやってくる魔法の残り香なんて、かなり大規模な魔法が——

 

「あ……?」

 

 その魔法の残り香に、優美子は思わず、飛び起きた。

 

 当てもなく、ただやる気と時間だけが削がれているこの状況。しかし、それら全てを反転させるほどのイベントの予兆。

 

「は……?」

 

 いや、正確にはその揺らぎの元となった魔法が放たれている事を知って、彼女はただ驚いていた。

 

 それと同時に。

 

「……あ、あ……やっぱり、いた————!」

 

 存在すらあやふやになりつつあったとある人物。彼がきちんと、或いはちゃんと生きていた事を知って、優美子の目からは涙が溢れた。

 

 今度こそ忘れない、そうすればいつか必ずまた会える。……そんな覚悟が、ほろほろと崩れ消える。

 

 これは。

 

(これ、は……!)

 

 ————その魔法は()にしか使えず、故に彼以外に使用者のいない、「自分自身を弱体化する」世界で唯一の魔法。

 

 捨て去る為の想子が多過ぎて、また術を行使する際にあぶれる余剰想子が戦略級魔法以上のノイズの嵐を生み出す。

 

 彼が魔法を発動した場所に想子を感知するセンサーがあったなら、計測機器の測定過量エラーによって暴発しているに違いない。

 

 彼は今、自分の身を偽ると同時に、自分の居場所を世界中に向けて発信したようなものなのだ。

 

 魂の所在はそのままに、身体を一から作り直す——

 

「……『変身魔法』……」

 

 この世界の何処かで行われたその魔法の顕現を、優美子は肌で感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は数刻、遡る。

 

「…………」

 

 これは夢だ、と八幡はすぐに気づいた。

 

 目の前には見覚えのある美少女——の、ダウンサイジング版。幼女がいた。

 

(……ロリコン……?)

 

「なんだかすごくかわいそうなじこにんしきの気配がするけど」

 

「いやそんな事微塵も思ってねえぞ八幡は」

 

「まあ、いいか。ねえ、はーくん。次はこれだしっ!」

 

 天真爛漫な笑みで、幼女が八幡に何かを差し出してくる。

 

「……っ」

 

 八幡が黙ってそれを受け取ると、それは人の『手』だった。

 

『手』から上はなく、しかしそれなのに肌触りは、『手』が身につけているものの上からでも、生きたニンゲンの暖かさがする。

 

「はいっ! 次だし! ……あ。はーくん、ちゃんと置かないとだめだよー?」

 

「……これ、は」

 

 幼女は、次に八幡に『腰部』を渡そうとするが、八幡が『手』をまだ持ったままであることに気づくと、彼の足下をさして指示を出す。

 

 そこには、頭や幼女の持つ腰部など所々欠けているものの、おおよそ成人だと判別できる人間の体が置いてあった。

 

 体は何かの防護スーツを着ていて、八幡が持っている手がはめている——装着しているCAD(もの)から察するに、この体は魔法師のものなのだろう。

 

 八幡が受け取った『手』をそこに置く。……すると、『手』は『身体』にくっついた。

 

 八幡はなにもしていない。この手が持ち備えていた防衛機能の一つだろうか。

 

 そして、幼女があらためて差し出す『腰部』や胸部のパーツから見るに、この体は女性のもの。

 

「はい、はい、はい……」

 

 次々と差し出される身体のパーツを然るべき場所に置いていく。

 

 そして、残すは女性の頭部のみとなった時。

 

「……んー」

 

「どうした?」

 

 八幡の問いかけに、幼女は首を捻る。

 

どれだったっけ(・・・・・・・)って思って。あーしじゃ、この体を完成させられないから」

 

 幼女は最もシンプルに、八幡の疑問に答えていた。

 

「……? ——っ!?」

 

 八幡が「それ」を認識するのに果たして何秒かかったのか。いや、認識するということができる筈がなかった。

 

「そこ」に何があるのか、いくつ(・・・)転がっているのかはわかる。しかし、自己のトラウマが邪魔をして、目の前の光景をただ「気持ち悪いもの」としか認識できない。

 

 いっそ吐き出したい気持ちで胸が一杯だ、とても耐えられるものじゃない。

 

 そんな彼の心情を慮ったのだろうか。

 

 あるいは、呆れて見ていられなかったのかもしれない。

 

「……っが!? ぐ、ぅ……!?」

 

「それ」は、自分にまんまと背を向けていた八幡の首を掴み、絞めあげる。

 

 首のないデュラハンが、何故か八幡に襲いかかっていた。

 

「……んで、首はまだ……ごっ!?」

 

 呼吸が苦しい。目が痺れる。見えない。腕が上がらない。首に手を当てることすらできない。

 

 当然だ。

 

 「それ」の左手は首根っこを掴んで持ち上げ、右手は八幡の背中の肉を突き破って肺を握っていた。

 

 拷問でも捕縛でもない、これはただ単純な処刑。

 

 自分で下した決断に対する迷いを抱いてしまった、敵対者への罰。

 

「あれー? はーくん、もうダメなの?」

 

 その言葉と同時に、幼女の輪郭がどろりと溶けた。

 

 そして、足元に転がる気持ち悪いものを飲み込み、床を慣らしていく。

 

 ああ。この幼女も、最初からそういうシステムだったのか。いや自分のせいだけど。

 

「……、…………」

 

 八幡は、薄れゆく意識の中で、ここが夢で良かったと本気で思った。

 

 ここで死ねば本気で死ねるなどと願って、本当に良かったと心の底から安堵した。

 

 夢なら、誰も文句は言わない。

 

 誰とも交わらないから、本気で誰の心残りになる事もない。

 

 自分がいなくなって初めは泣く人間も、数年もすれば綺麗にオモチャ箱の中だ。

 

 大丈夫。全盛期のように一度くっつけば二度と離れない——なんて事は無い。

 

 100年経てば器は壊れるのに、中身だけ劣化しない筈がない。

 

 人の心は。或いは、世界は。

 

 諸行無常なのだから。

 

 ——意識が、遠のく——

 

 そう思った直後。

 

 

 

「ワケわかんない〆方で偽物の私にやられないで八幡くん!」

 

「げぶぁ!?」

 

 

 

 突然、真横からドロップキックが飛んできた。

 

 殺意のかけらも無い攻撃に、八幡を絞めあげていたデュラハンは勿論、デュラハンに掴まれていた八幡も巻き添えになって地面に倒れる。

 

「……ぐ、あ……な、何が」

 

 まるでその攻撃を喰らったかの様な表情で、自分を助けてくれた(?)人物を見上げる。

 

「……あっ、だ、大丈夫? ……って、背中に穴が空いてる……!?」

 

 八幡に向かって差し出すその手は、先程八幡を苦しめていたデュラハンと同じ装甲を纏っている。

 

 そして何より、デュラハンに足りていなかった頭部が、その女性には付いていた。

 

「……気にしないでください。ていうか、なんでアンタがここにいるんですか?」

 

 ついさっきまで死ぬ気だったのに、その女性の登場の一瞬の間に無傷となっていた体を起こし、その女性から顔を逸らしながら八幡は呟いた。

 

 そんな八幡の態度に対し、質問に答える彼女のきょとん、とした目は真っ直ぐに八幡を捉えて逃がさない。

 

「何でって、……私はあなたの命に責任を持ってるからよ、八幡くん」

 

「…………死人のくせに、自分の死後にまで責任取らなくていいんですよばーか」

 

 自身ありげに、しかしその仕草に誇りすらも感じさせながら胸を張る女性。

 

 彼女の正体は十師族四葉家当主、四葉真夜の姉、司波深夜の護衛をしていた(・・・・)物理防御に関する魔法を得意とする魔法師。

 

 そして。

 

「ダメです。私はあなたの前任者(・・・)。四葉家の仕事が無くなっても、私が死んでも、姉が弟の面倒を見るのは当たり前なんだから」

 

 3年前、大切な人を守るために自分の魔法力を使い切って命を落とした故人であり、八幡がヒキガヤの力を継承する以前にその力を保有していた、いわば八幡にとっての先代にあたる人物。それが、「桜井穂波」という彼女だった。

 

 

 

 

 

 

「いいですか、八幡くん。貴方は今、一色愛梨さんに吹き飛ばされて気絶したところを折本かおりさんに拾ってもらって、一色家の無事だったお部屋のひとつで布団に寝ている状態なの。部屋の隅で一色愛梨さんが心配そうにあなたを見つめているので、いい加減起きてあげるべき、という私のお願いは聞いてくれますか?」

 

「そそそれって息の根がきちんと止まっているかどうかの確認て事ですよねねね。目が覚めたら『やっぱり生きてた!』って脇腹に果物ナイフ突き立てられるやつですよねねえええ!?」

 

「…………」

 

 元来、恋とは盲目である。

 

 まさか、自分の死後にそれを受け身で実感する日が来るとは思わなかった——と、穂波はため息をついた。

 

 このままではまともに会話ができない、と両手で八幡の顔を挟み、少し持ち上げると八幡は借りてきた猫の様に大人しくなった。

 

 そして穂波を相手にして、緊張で声を上擦らせて噛みつつもまくし立てるその様子は、恋を知ったばかりの中学生のよう。

 

(……いや、実際はそれよりもっと——ううん、精神年齢は15歳なんだから、もう少し落ち着いて欲しいけれど)

 

 自分が好かれているという事をこうもあからさまに見せつけられて、悪い気はしない。

 

 けど、彼の周りの女の子達にはやっぱり申し訳ないと思ってしまう。

 

「ねぇ、八幡くん。いい加減私で緊張するのやめない? あなた、周りの女の子達に緊張なんてしてないでしょう?」

 

「そっ、そそれは、ふ、普段こんなに近くなる事はないんですから!」

 

「もっと近くなる時だってあるじゃない。一条雅音さんとか、アンジェリーナ・クドウ・シールズさんとか。最近じゃ、一色愛梨さんもだっけ?」

 

「だ、男女間の友情はしし信じてませんけど、一人一人またべ別枠なので」

 

 死人に恋をするのはおかしい。それを少しでも認識させたくてこうしているのに、当の本人はそれを聞くどころではなくなっている。

 

 今は八幡の中でしか生きられない穂波だが、魂の形に合わせて魂の入れ物を造る技術や、死者をそもそも認めない比企谷の魔法は、死後数年が経つ穂波でさえ、生きているヒトに容易く戻してしまう。それは人間の倫理観からすれば決して許されない、禁忌の業。

 

 ……の、筈なのだが、彼が今相手にしているのは曲がりなりにも神様だ。人が神に追いつくには、多少のルール違反は超えていかなければいけないのかもしれない。

 

 近づいたのは失敗だったか、と穂波は八幡の顔に当てていた手を離し、彼から少し離れた。

 

「……まったく。どうしてこうなっちゃったのかな、もう」

 

「……たぶん、貴方がいなくなれば俺はちゃんと(・・・・)なれる。いなくなったって実感が湧かないのは、こうしてお話ができるからですし」

 

 穂波が離れると、途端に八幡はくにゃり、と床にへたり込む。それでもしっかりと穂波を見て話す言葉に、彼女は笑顔で頷いた。

 

「はい、だめです。そういう事ならお姉さん、一生八幡くんの中で生き続けちゃいます」

 

「一生終わってるし死んでるしなんかちょっとあざといし……」

 

 八幡の意識が濁り、沈む。いや、これは浮き上がろうとしているのか。

 

 離れていく八幡の手に触れ、握りしめる穂波。

 

「良いですか。あなたは世界にとって最後の希望なんです。ですが、そんなの関係ありません。他人にどう思われようと関係なく、その道を歩くと自分で決めたんですから。つまづいても間違えても、ちゃんと選び続ける。そんな八幡くんを私は応援しているんです」

 

「…………」

 

「いつか、お互いのことを知ったうえで、達也君や深雪さんとも話し合える日が来ると良いですね——」

 

 ヒトの笑顔は元々威嚇の手段だった。それを思い出さずして八幡が穂波の笑顔に耐えることが出来たのか、いや出来るわけがないだろうふざけるな。

 

「…………っ」

 

 咄嗟に八幡は口を手で覆う。

 

「八幡くん?」

 

 穂波が首を傾げると、ぽた、ぽた、と八幡の小指の先から赤い液体がこぼれ落ちた。

 

「鼻血でた」

 

「夢の中で!?」

 

 イイハナシの雰囲気で終わりかけていた2人の再会。かなり強引ではあったが。

 

「興奮しすぎ! 私そんな変なこと言ってませんからね!? もう!」

 

 ぷんすか、と子供っぽさを伺わせる表情で八幡に怒る穂波。その顔を見て八幡は、静かに泣いた。

 

 嗚咽もなく、ただ単に悲しさを含ませる笑顔で。両手では掬いきれない、数多の雫と共に。

 

「……ありがとう、ございました。桜井さんのおかげで俺はここまでやってこれた。……きっかけになってくれたのは間違いなく桜井さんです。俺の目的は達成出来なかったけど、桜井さんに会えて、本当に良かった————」

 

 一抹の奇跡が、泡と消える——

 

「キラキラって光撒きながら消えようとするのやめなさい!?」

 

 襟首を掴んで魂の昇天を強引に阻止する穂波に、揺すられながら八幡はニヤけた。

 

「……冗談ですよ。あんたの肉体の蘇生も終わってないのに死ぬわけないじゃないですか。それじゃ」

 

「え? ……ちょっと待って。私の蘇生ってどういうことっ? それも冗談よね?」

 

「……冗談じゃないですよ。あでゅー」

 

 そう言い残して八幡は目を閉じた。夢の世界で眠りにつくことで、深い眠りから目覚めるために。

 

 彼の体は光らない。消滅しない。ただ、夢という世界に沈んでいく。

 

「まちっ、ちょっ、説明っ! 待ちなさい————!」

 

 穂波の抵抗もあってないようなもの。彼女は自分が掴む八幡の体と共に沈み、しかし現実の肉体などとうに消失しているが故に、彼女だけがこの世界に取り残される。

 

 彼女の言葉は八幡に届かず、彼女の疑問は、行方知れずとなった。




次回、八幡が目覚めます!



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朧月夜に誘われるは、雷姫の御手



 ————それは、少女が決して出会うはずのなかった禁忌。

〝神の怒り〟を原型に、人類文明そのものが産み出す災禍を皮肉って創られた災禍級異能。

〝氷〟は地球に食糧難の原因となる寒冷化をもたらし。

〝炎〟はさまざまな国の首都を灼くことで世界戦争の引き金を引き。

〝雷〟は戦争を継続させるためにエネルギーを各国に送り届けた。

【彼女】が生まれて、もうすぐ100年。


「————…………あや」

 

 目を覚ました八幡。

 

 彼の口から漏れたのは、ため息でも悲嘆の声でもなく、ただ言葉を噛んだだけ。

 

 そんな彼の言葉に反応するように、八幡が見つめる知らない(和室の)天井の下方から、声が聞こえた。

 

「……? あや?」

 

「っ……気にしないでくれ。ただ寝ぼけて言っただけだ」

 

 声の主は八幡が知っていた通り、一色家の長女、一色愛梨。

 

 そして、今の彼女(・・)は自分の声色の高さに納得していた。

 

 過剰ダメージによる強制変身(・・・・)。それがもたらす胸の疼きに、八幡は思わず胸を押さえる。

 

 ボヤけた視界で、八幡は彼女と目が合う——と。

 

 金色の絹糸が、空を舞った。

 

 それほど勢いよく。

 

「ごめんなさい!」

 

 1番に、彼女は頭を下げてきた。

 

「……え?」

 

 戸惑う八幡を置いて、頭を下げたまま愛梨は続ける。

 

「貴方にこんな大怪我を負わせてしまったことを謝りたかったんです。……そ、それに、その、助けてくれた……のに、お礼も言わずにいたから……」

 

 もしかしたら、彼女は人に慣れていないのかもしれない。愛梨を正面に見た八幡はそう思った。

 

 いろはから聞いた限りではここ数ヶ月ロクに外出もしていないらしく、高校の入学式も、参加していないのだとか。

 

 そしてそれは、彼女自身の問題らしくて。

 

 ——八幡はそれ以上踏み込むべきではないと考えた。

 

「気にしないでくれ。俺が勝手にやったことだし、それにあんたが怒るのは当然の事だ。自分の尊厳を貶されて怒らない方がおかしいしな」

 

(罪悪感なんて抱かれたくない。責任なんて負ってほしくない。関係なんて持たないで欲しい。……当然か)

 

「……わ、わかりました」

 

「フレンドリーにして欲しいわけじゃないが、敬語は使われたくない。だからやめてくれないか」

 

「……え、ええ。……わかったわ」

 

(……調子は戻ったのか……?)

 

 顔を上げて八幡と視線を合わせ、ぎこちない笑みを浮かべる愛梨。その目元は腫れていたのか、赤く見えた。

 

 八幡が最初に姿を見た時よりもほんの少し声にはりがあるように聞こえる。

 

 とはいえ、それもガンガン響く耳鳴りに加えて身体中が熱と倦怠感と激痛を訴えている中で聞いた言葉だから、正確には聞き取れていないのかもしれない。

 

「……お医者様は目覚めるのは明日以降と言っていたのに……」

 

「だろうな。実はちょっと無理してる」

 

 ごほごほっ、と咳き込む八幡。

 

 医者から何を聞いたのかはわからないが、八万の場合、冗談で無く自分の体の事は自分が一番理解している。

 

 愛梨に受けた攻撃のダメージなど、今の八幡の容態を少し悪化させているに過ぎない。

 

 おそらくは、浴室に長く留まり過ぎたせい。

 

 体が浴室の熱気で温められ、その後一気に涼しくなった外に放り出された事で湯冷めし、体調を崩して熱を出した。

 

 なので、彼が引いたのはただの風邪だ。

 

 ……そのはず、なのだが。

 

「…………っ。……っ?」

 

 罪悪感や八幡に向ける心配の感情が愛梨の顔には見られない。それどころではないのだ。

 

 顔を赤くして、ただ八幡を見つめるばかりで薄く開かれた彼女の口は何も言えていない。

 

 膝の上で揃えられた彼女の両手は硬く握りしめられており、ふるふると震えている。

 

 感動の幅が振り切れると、人は言葉を持たなくなるらしい。

 

 そんな知識を実感しながら、八幡は言葉を続けた。

 

「一条とか一色……あんたの妹はそうは思ってなかったんだろ」

 

「え? ……え、ええ、そうね。一条さんも、いろはも、貴方はすぐに目覚めると言っていたわ」

 

 気の抜けた表情を見せていた愛梨は、八幡の言葉で理性を取り戻したのか八幡の反応に食い気味で頷く。

 

「…………」

 

「…………」

 

 同じように顔を赤くしながらも、テンションが正反対な程に違う2人の内心は、こんな風。

 

(……な、何……? 今の儚げな彼(?)の顔、もの凄く、胸にクる……!)

 

(……ま、こいつも湯冷めしてたんだろうな)

 

 この訣別したかのような認識のすれ違いが、後に大きな悲劇を生む……のかもしれない。

 

「信用されてるんだか、ただ見放されてるんだか……わからんけど、それ以外になんか言われてんだろ」

 

 むしろ、八幡にとってはこちらの方が本命だった。恐らくは、一色愛梨にとっても。

 

「……ええ。私が貴方から、魔法の力を奪ったって2人に聞いた。それについて、貴方から聞かなきゃいけないって言われたわ」

 

「その前に」

 

「?」

 

 当然八幡も愛梨が現在手にした力について話さなければならないだろうと、起きる前から考えていたし、愛梨も彼に謝る事以外はそのことを考えていた。

 

 ただ、今の八幡はそれよりも心配している事があった。

 

「俺と一緒に来ていた2人……短髪とセミロングの黒髪の姉妹、いただろ? あいつらがどうなったか知らないか?」

 

 それは、八幡が気絶している間に行われた重要な会議。その結末だ。

 

 氷と翼。八幡の知る少女、雪ノ下雪乃のクローンである2人。日本の魔法師にとって無視することが出来ない彼女達の処遇について、日本の魔法師の頂点に立つ十師族の一条家と彼女達を受け入れている一色家、そして十師族を守護する折本家の当主達が話し合い、結論が出た筈なのだ。

 

 八幡は、その結論をまず何よりも聞いておきたかった。

 

 未来視で確証は得ているけれど、それは過去に起きた事実のように確定しているものではない。

 

 たった1人の人間が魔法によって地球の運命を終わらせかねないように、たった一ミリ、たった一つのズレによって望んだ世界が跡形もなく崩れ去る可能性もあり得るのだから。

 

 要するにこれは、目で見て安心したいという八幡のエゴである。

 

「……2人? ……ああ。あなたの横で寝てるわ」

 

 まさかそんな反応が返ってくるとは思わなかったが。

 

「ッ!? っつ……あがぁ……!!」

 

 急激に振り向いたせいだろう。体の各所が悲鳴を上げ、八幡は仰向けに倒れ込んだ。

 

「ん〜むにゃむにゃ、ですからハンバーガーにポテトを挟むのは邪ど……ぐぅえっ!?」

 

 そして。確かに八幡の隣で寝ていた氷の鳩尾に八幡の肘鉄が重なり、彼女の寝言をぶった斬る。

 

「あぐ……ぐぅ……むにゃむにゃ」

 

「……こいつに何か変な薬を嗅がせたんじゃないだろな」

 

 しかし、1秒ほど悶絶しただけでまたすぐに寝息を立て始めた氷を見て、八幡はイロイロな恐怖を飲み込めず、冷や汗を垂らした。

 

「……それは知らないけれど、彼女達は一応貴方達と同じ客人として扱うことに決めたらしいわ。貴方が運ばれた後、材木座さん? が貴方の代わりに父達と話していたみたいだし」

 

 そう、愛梨は八幡の目を見て話す。覗かれてるような居心地の悪さを感じて八幡は彼女から目を逸らし、

 

「なるほどな……じゃ、安心だ——」

 

「…………オイ、いつまで人の顔面鷲掴みにしてる気だこのやろう」

 

「……ひっ」

 

 指の隙間から覗く翼の鋭すぎる眼光に、怯えた声を洩らす。

 

 同じ姉妹でも寝付きの良さは別。いや、氷はそもそも寝付きの良さとは無関係な気もするが——

 

「……言っとくけど。わたし達があんたのそばで寝てんのは、あんたの近くが一番安全だから。……それを脅かすならぶっ殺す」

 

 爛々と輝くその瞳に温度がないのは、込められた意思が殺意だからなのか。

 

「危険物には触りたくない主義だから安心しろ。事故だ」

 

 謝罪の意味を込め、ているのかどうかは不明だが八幡は翼の頭をゆっくりと撫でる。

 

「ん……なら、いい……」

 

 ぽす、と意識を失って八幡に寄りかかる翼。オリジナルである雪乃よりもかなり軽い小さな体をゆっくりと布団に寝かせ、自分は2人に触れないよう、這い出る。

 

 その光景を黙って見ていた愛梨は、

 

「……恋人?」

 

「そんなわけ無いだろ。むしろ敵同士だった」

 

「……」

 

 2人を起こさぬよう、愛梨も八幡の後を追いかける。

 

 障子の前に立つ八幡の横顔は何かの後悔に追われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「妹とか一条の説明は?」

 

「演算が必要ない魔法……とか、超能力……とか、色々言っていたけれどイマイチ理解出来なかったわ。魔法式無しで魔法が発動するわけ無いもの」

 

「了解。まずそこからだな……」

 

 氷達が寝ている部屋のすぐ外の縁側。

 

 八幡が寝ていた部屋の内側は破壊の痕跡が見られなかったものの、一歩外に出れば柱にヒビが入っていたり、この場所から見える向かいの屋根の瓦が剥がれていたり庭の木が折れていたりと、先の衝撃による影響はあちらこちらにみられた。

 

 ただ、もう夏だというのに涼しさを感じるこの時間。外に出て作業をしている人間はいない。

 

 静けさに加えて人がいないという寂しさが、八幡と愛梨の存在を際立たせている。……そんなふうに、愛梨は感じていた。

 

 部屋から持ち出した座布団を床に敷いて座る愛梨の視線は、隣であぐらをかき、伸びた髪をゴムでまとめる八幡の横顔だけを見ている。

 

 見惚れていた、とも言う愛梨の行為は、八幡が彼女に振り向いたことで誤魔化さなければならなくなった。

 

「……なぁ。魔法が……ん? どした?」

 

「……はっ、え、え……!? ……な、なんでもないの! ……なんでもない! ない……!」

 

 元々、自分が八幡から力を奪ってしまったというのにも愛梨は半信半疑だ。

 

 久しく感じていなかった怒りの感情が魔法を顕現させたのかも知れないと思っていたし、具体性が何一つないいろは達の話もイマイチ信じ切れずにいた。

 

「……それじゃ話を戻すが、魔法はそもそも想子を消費して頭ん中で組み上げた設計図をぷ——じゃなくて、設計図を現実にする為の事象干渉力と共に現実世界の情報座標に投射する。これは知っているな?」

 

「え、ええ」

 

「んで、これが根本的に間違っている」

 

「……ええ!?」

 

「……いや、魔法の作り方という意味では間違っていないが、魔法が存在できる理由としては間違っている、と言った方がいいか」

 

「間違っている……? 数式も答えも合っているのに、何が間違っているというの?」

 

「答えが合っていなかったから、あんたはここ数ヶ月魔法が使えなかったんだろ」

 

 八幡のこの一言が、愛梨に興味を引き寄せた。

 

「……!」

 

 しかし、そこまで強い引力のようなものを感じてはいない。漂ってきた香りに気付いて、それの元が気になった——その程度の興味でしかなかった。

 

「……実際にどこがどう間違っているとか指摘するのは色々と都合が悪いから説明はしないが、大体で言うと魔法式自体に元々「欠陥」があって、それだけでは絶対に発動しない。じゃあ何で欠陥がある状態で魔法が発動しているのかといえば、それは世界に満ちている『人類に観測できないエネルギー』がそれを補填しているからだ」

 

「……貴方の言う通りだとすると、魔法式に足りていないのは魔法を現実にさせるエネルギー、ということ?」

 

「大体はそうなんだと思ってくれればいい。純粋なエネルギーそのままが必要とされているわけじゃないけどな。……で、その欠陥を補った魔法式のひとつが、お前に宿っている【文明の雷姫(ルーサ)】だ」

 

「ルーサ……」

 

「【文明の雷姫】が持つ権能は雷撃とか磁力とか電子制御とか雷・電気に関する力の掌握。放出系統の魔法と違うのは、能力が肉体に影響を及ぼす点だ」

 

「影響……?」

 

「ちょっと斬るぞ(・・・)

 

 その動作に、音は無く(・・・・)

 

「え? ——っ、……あ?」

 

 言葉と八幡の動き、どちらが速かったのか。愛梨が自分の右腕(・・・・・)を切り落とされたと気づくのに、瞬きを挟まないといけなかった。

 

「ひっ————」

 

 悲鳴を上げ、上げかける愛梨。

 

落ち着け(・・・・)。もう治ってる」

 

 しかし。

 

「…………ゑ?」

 

 もうひとつ愛梨が瞬きをすると、彼女の腕は元通りになっていた。

 

 愛梨は今の光芒の中で何もしていない。ただ驚き、ただ叫ぼうとしていただけだ。

 

 最早、腕が切り落とされた事さえ錯覚だったのではと思ってしまう。

 

 ……床に、自分の腕が落ちていなければ。

 

「………………」

 

 目を見開いて自分の腕と転がる腕を交互に見る愛梨は、呼吸さえ忘れていたかもしれない。

 

「傷を負う。能力が傷を癒す。信じられんだろうが、その効果は骨や神経、失くした筋肉までもを復活させる」

 

 愛梨がその腕に触れる。するとその腕は触れた箇所からバチバチと音を発し、雷に変わってやがて消えた。

 

「そして、あんたの自己再生の場合、その速度は光速に匹敵する」

 

 ほんの少しの焦げ跡が残る床をただ呆然と見つめる愛梨。

 

 彼女は八幡が口にしている言葉の1割すら、聞き取っていなかった。

 

 能力を使用した。二度目だ。

 

 流石にそろそろ、気づくべき頃合いか。

 

「……?」

 

 愛梨の視界の端に、何か蠢くものがある。

 

 黒くて、小さくて、最初は虫かとも思ったそれ(・・)

 

(……っ!?)

 

 気付いた時には、愛梨の視界いっぱいに体積を増やしながら彼女の眼前に迫っていて。

 

 ガブぁ。

 

 喰らわれる。

 

 でも。

 

「————————あ」

 

 瞬きひとつ。それで、その悪夢は消え去っていた。

 

 正気に戻った愛梨の視界には、愛梨が壊してから何も変わらない縁側と床であぐらをかく八幡の姿。

 

 その幻覚は錯覚だった。

 

 しかし、その幻覚が消え去り、彼女の体感時間が現実と同調した時。

 

 彼女はもう。

 

 ■■することを。

 

 終えていた。

 

「正確には、お前が能力を得た瞬間からお前は本当の意味で傷を負うことがなくなる」

 

「……」

 

 しかし、まだ。

 

 ダウンロードが終わったからといってインストールが終了していない以上、彼女はまだその事実に納得できない。

 

「どんな傷を負ったとしても、それは『ただ切れただけ』『切り離されただけ』という現象に留まってしまうからだ」

 

 彼女がそれを完全に理解するまで、あと数十秒。

 

「……、待って」

 

「これは情報世界のエイドスにおいても同じ事が言えて、どんな魔法の影響を受けていたとしても最終的には」

 

「待って…………ちょっと待って! 一体何の話を(・・・・・・)しているの(・・・・・)!?」

 

「……なんのって、お前が俺から奪った力の話をしてんだろが」

 

「こんなの魔法じゃない。……欠陥を補ったって、それだけでこんな、奇跡なんて目じゃないレベルの業を発現させるなんて……」

 

「……今のお前の言葉、魔法が使えない一般市民の魔法師に対する評価と同じだぞ」

 

「……っ!」

 

「人間じゃない。魔法じゃない。価値観なんて人それぞれだが、やってる事はただの差別だ。受け入れた方がいいぞ、目を瞑るよりも」

 

「……で、でも、どうしてこんな力が、私に……」

 

「知らねえよ。お前に引き寄せられたのが【文明の雷姫】で、俺がお前に……触った、から……」

 

 震える、握りこまれた八幡の拳。その悔しそうな表情からは余程後悔していると感じる念が——

 

「……………………」

 

「……なんだよ」

 

「……そこまでおぞましい顔をされるとイラつくわね」

 

 ——八幡の苦虫を噛み潰したかのような苦悶に満ちた表情には、ただ単純に嫌悪というその二文字が浮かんでいる。

 

 それは、愛梨の混乱を吹き飛ばすほどの不満で。

 

 照れでも恥じらいでもないあんまりな評価に、愛梨の中で八幡への対抗心が生まれた。

 

 誇るつもりはないが、愛梨も自分のスタイルに自信はある。彼女の友人をして「平均的」と言われるくらいには育っている筈だし、美しさで同年代の少女達に劣っているとは考えていない。

 

(私の裸姿を目にしたくせに、体に触れたくせに! 何で後悔してるの……!?)

 

 胸の内に湧いた悔しさ。何故自分は悔しいと思っているのか、そもそも悔しさを感じる必要すら無いということに、少女は気づかない。

 

 しかし、それとは別に(・・・・・・)

 

「……はぁ。……ま、これで理解しただろ。お前がどんなにやばい力を持ってしまったのか、という事に」

 

 思わず立ち上がってしまった愛梨の顔を見上げる八幡。視線が交差して、愛梨は彼の瞳にあるもの(・・・・)が欠けていると気付いた。

 

 それは、彼女にとっての反撃の狼煙だった。

 

 ——ゼロ。

 

 それと同時に、愛梨は軽い目眩のようなものを覚えた。

 

 それは、知識の流入。

 

 元々愛梨には存在しない、知らない記憶が脳内に溢れる。それは【文明の雷姫】が持ち込んだ、【文明の雷姫】自身が蓄えた記録。

 

 1秒にも満たない立ちくらみの後、彼女は理解した。

 

 自分に欠けていた感情。目の前のこの男に溢れている感情を。

 

「……ええ。貴方、こんなに大変な能力をあと数十個持っているのね」

 

「…………!」

 

「それと——」

 

 愛梨は口を閉じた。

 

「!?」

 

 しかし、声は八幡の脳裏に響き続ける。

 

「(……こんな風に、口を閉じていても意思の疎通ができる)」

 

「……っ!」

 

「(他の子はどうか知らないけれど、たとえ貴方が望んだとしてもこれ以上他者に能力を奪われないよう、貴方と貴方の力の結びつきを強化した結果、こうして私と貴方の間にパスが出来た。……面白いわね?)」

 

 不敵に笑う愛梨。彼女に睨まれた八幡は、ほんの少し焦りを顔に浮かべた後、萎れたように床に座り込んだ。

 

 それは諦めで、全てを知られてしまった自分に向けられるであろう憐憫や同情を覚悟した顔。

 

 弱点という受け皿を用意する事でその下には踏み込ませない。それより上の全てに対する準備を終えた、余裕ある顔。

 

 しかし、愛梨はその皿を砕き割る。

 

 偶然に知ってしまったこと。その偶然が引き寄せた力だからこそ、無関係ではいられないから。

 

 八幡に、【文明の雷姫】を取り込む事で彼への理解を進めた愛梨が問いかける。

 

「……貴方、どうしてそんなに怒っている(・・・・・)の?」

 

「……怒っている? 俺が? ……ああ、別に俺の態度は元々こんなもんだし、お前にはもう怒ってなんかないから安心しろ」

 

 そう言って薄ら笑いを浮かべる八幡。だが、彼女が今まで遭遇した事のない怖さが今の八幡にはあった。

 

 触れてはいけない核心に触れた時の、決して肯定できない拒絶。

 

 竜の逆鱗に触れたという感触が愛梨には確かにあった。

 

 それでも、愛梨は前に進む。

 

 選ばなければ何かを間違う(・・・・・・)——そんな前提も何もない、悪寒じみた直感と共に。

 

 そして。

 

 まだ数時間、出会ったばかりの男の子に、愛梨は踏み込み過ぎていた。

 

「いいえ、そうじゃない。……貴方は、何かに(・・・)怒っている(・・・・・)。人や出来事にじゃない、遭遇したことすらない何かに、貴方は怒っている————」

 

 流れてきた知識は、当然のように全て愛梨の知らない記憶だった。

 

 だが、その中でも特に、厳重に隠されていたもの。

 

 気にしないよういくら厳重に固めていても、見ない見ないと意識してしまうからこそ簡単に見つけられて、挙句触れるだけでするりと解けていくトラウマ。それが、八幡にとっての〝怒り〟だった。

 

「————お前」

 

「……っ」

 

 一瞬、目を合わせた筈の八幡が愛梨の目に映らなかった。

 

 そう思い込んで、知らずのうちに自分が目を逸らしている事実を否定してしまう程、再び見た彼の目はどす黒く濁っていた。

 

 それは、紛れもない比企谷八幡という人間の本性——その、ほんの一部。

 

 ある種、彼女は熱に浮かされていたのかもしれない。

 

 情報を得てしまったことで、触れない方が明らかに賢明になれた八幡の禁忌に触れてしまった。

 

 しかし、それでも。

 

 

 

『あう、うぁ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!』

 

 泣きじゃくる紅葉(・・)色の少年。

 

 透明なクリスタルのペンダントを握りしめて、未来()の姿からは想像もできないほどみっともなく泣き崩れている。

 

 美しさなどカケラも無い見苦しさの塊。しかし、そこには確かな熱があった。

 

 

 

〝世界を変える〟——絵空事を本気で覚悟した少年の、すべてのはじまり。

 

 記憶の最奥にて愛梨が垣間見た、幼き日の八幡。

 

 泣きじゃくる少年が小さな瞳で見据えるのは、誰にも見えない、少年だけが理想とする世界。

 

 誰もが笑うし、誰もが泣く。でも、誰も失われる事のない世界。

 

 誰も不満を抱く事はなく、誰もが真に満ち足りていて、何よりそこには偽物が無い(・・・・・)

 

 でも、その世界は明らかに、ひとつ間違っていて。

 

 達成されたところで、「少年が」幸せになるビジョンが存在していない。

 

 それでは意味がないのに。

 

 誰かが幸せでも、八幡がいなければ、彼を知る人間は心に爪痕を残すだろう。

 

 ——どうして。

 

 幸せを望まないのか。

 

「……あー、ちょっといいか」

 

「……なに、かしら」

 

 開きかけた愛梨の口は、八幡の言葉によって遮られた。

 

 それは明らかに話題の切り替え、追及の断絶だった。

 

「先に説明しなきゃいけないことは全部伝えた。というか、お前自身理解した筈だ」

 

 その口調は自分の黒歴史を知られていると自覚しているとは思えない、今まで通りの喋り方。

 

 隠しているつもりなのかわからないが、最早八幡と感覚を共有してるとすら言っていい愛梨は、彼の心を鋭敏に読み取っていた。

 

「ええ。あなた(・・・)の力を得た人間は、元々その力を持っていた貴方に惚れてしまう——なんて、貴方が思い込んでるところもね」

 

「……わかってんなら口にしないでくれるか。恥ずい」

 

「それについていくつか、私から指摘したい事があるのだけど」

 

「……何だよ」

 

 不貞腐れた顔の八幡。愛梨はそんな彼の顔も可愛らしいと思いつつ、自らの胸に手を当てた。

 

「貴方と貴方の能力は繋がっているから、その引力に感情が引っ張られるという理屈はなんとなく理解できる。……でも、それだとおかしいじゃない」

 

「……何が? 現に、今まで能力を渡した奴らは全員俺に求婚してきてんだぞ。そうでなくたって雪ノ下なんかは純粋で……あり得ないだろうが」

 

「昆虫食に対する拒絶反応と似たようなものかしらね。馴染みがないから、気味が悪いとか」

 

「そういうんじゃない。心理学的に、生物学的に人間の在り方としておかしいんだよ」

 

「人間関係で『本物』を欲するあなたが、そうやって人の気持ちにフタをして人の気持ちから逃げるというの?」

 

「…………」

 

「……ああ、そういう話がしたいのではなくて」

 

「……お前から始めた癖に……」

 

 先程よりもほんの少し空気が和らいでいる。あくまでほんの少しだが。

 

 それは彼の内側に踏み込んだおかげか——なんて思いながら、矛盾を解消する為に愛梨は続ける。

 

「あなたの力は、元々はあなたが持っていたものではないでしょう?」

 

「……! ……そこまで見えてんのかよ」

 

「あなたがその人(・・・)に恋心を抱いていたというのも、それなら納得が出来る」

 

「暴露やめてくんない。隣で人が寝てるんですけど」

 

「あなたが寝てる横でいろはが皆に喋っていたわ」

 

「アイツあとで〆る……」

 

「それで、此処からがわからないところなの。あなたは力を保有して使えるというだけで、資格は何も持っていない。単純に言えば、あなたが『文明の雷姫』の所有者だと証明するものが何もない」

 

「だろうな。けど、あんたがその力を放棄すれば自然と俺の元に戻ってくる。そういうのを所有者って言うんじゃないか」

 

「それは、あなたの先代……桜井穂波さんがあなたの中にいるからでしょう?」

 

 八幡の顔が、水が油に変わったかのように、わかりやすく変わった。

 

「……………………は?」

 

「正確には、あなたはまだ所有権を継承していない。所有権は桜井さんが死亡して初めて継承されるものだから。そうでしょう?」

 

 考えもしなかった。盲点だった——そんな風に八幡は考えていた。

 

「…………」

 

「だから、あなたの周りにいる女の子達はあなたの力に引き寄せられた訳じゃない」

 

「……、じゃあ」

 

「かといって、桜井さんが引き寄せているわけでもない。そうだったなら、私もあなたの中に別の誰かを感じていただろうし」

 

「…………」

 

「というわけで、あなたがハーレムの中心にいるのは女の子達の勘違いでも何かの間違いでもなく、あなたが事を為してきた結果よ」

 

「……! ……ぐ、ぅ……」

 

「少しひたむきにやり過ぎじゃないかしら。あなたは何でもかんでも必要な事に首を突っ込んで、物事の前後すら無視して行動してきた。けれど、人と人の間にはちゃんと恩義と接点が生まれるんだから、それを無視した結果ね」

 

「……う、……!」

 

「……まぁイロモノばかりが集まってしまったのは少しだけ同情するけど。その年でもう童貞捨ててるって貞操観念どうなってるのよ」

 

「うるさい」

 

「……要するに、それをあなたが負担に思う必要はないってこと」

 

「————」

 

「女の子を救うのは結構だけど、その女の子にはちゃんと自分の意思があって自分で行動してる。だから、『余計なお節介』はいいのよ」

 

「……余計な、お節介、……ね」

 

「自分と関わった事実を無かったことにしようとするのは、全くの無駄でしかないわ」

 

「……なんだと」

 

「だってそれ、後腐れなく関係を無かったことにするという事だから、それまでにより集中してその子に関わるということなのよ。逃げ切れるわけないじゃない」

 

「……え」

 

「『それほどまでに自分を大切にしてくれている』——そう思い込む子たちが何人いると思ってる? それくらい一途なオトメがあなたを逃がす訳ないじゃない」

 

「……………………」

 

「あなたが彼女達にこれ以上出来ることは、女の子を救わないこと。関わらないことよ」

 

「……はっ、そんなん余裕」

 

「あなたが手を貸さなきゃ死ぬって状況でも見捨てないといけない」

 

「……、」

 

「それが出来てから、負担だとかそれ以降を考えなさい」

 

「……余計なお世話だ」

 

 その言葉で、2人の会話が終わる。

 

 元々、知識の中の興味本位で話しかけていた愛梨だ。彼女が八幡をこれ以上追及する理由はない。

 

 言葉の裏で八幡の背負う重荷を軽くする、という愛梨の思いつきは失敗したように見えた。

 

「…………」

 

「……え、そんなに簡単に『八幡フラグ』って立つものなの?」

 

「……っ!」

 

 見えただけで、中身の方は愛梨には丸わかりだったが。

 

 顔を真っ赤にしてそっぽを向き、頭を抱えて唸る。

 

(……あなた自身の惚れやすさをどうにかしなさいよ。……あ、これも聞こえてるのか)

 

「……ほんと、にやめてくれ……」

 

 羞恥8、嬉しさ1、照れ1割合の瀕死状態で愛梨を睨め付ける八幡。

 

 中々の良さ。本当に胸にクる。

 

 でも、これで終わり。本当におわり。

 

 恥ずかしがる八幡の姿を十分に堪能(・・)したところで、可哀想と思う気持ちが湧いた愛梨は話題を変えた。

 

「……ちなみに、あなたはこれからどうするの?」

 

 愛梨の質問に、顔の赤みが引かない八幡はこう答えた。

 

「明日。会いたい人間がいる」

 

 明日は日曜日。八幡が会いたい人物。つまり、

 

「あなたの協力者?」

 

「俺というより比企谷の、だけど」

 

「そう。活動拠点はしばらくウチにするのかしら」

 

「少なくともイチジョウの件が片付くまではな」

 

「……誰に会うのか、聞いてもいい?」

 

 この質問は、別にしなくても良かった。

 

 ただの気まぐれに過ぎず、ほんの少し気になっただけだ。

 

 しかし、この質問が無ければ、明日の愛梨の予定はまた違ったものになっていたかもしれない。

 

 愛梨の質問に、何故か思案顔の八幡。

 

「……あんたって、三高に知り合いはいるのか?」

 

 肯定する。すると次に八幡は「その中に生徒会のメンバーはいるか?」と訊いた。

 

「……一応、今も私は生徒会役員よ。家で仕事もしているから」

 

「それじゃ、あんたなら三高の生徒会室まで行けるな」

 

 用事で会うのなら、約束や予約を取り付けているのだろう。しかし、そこで愛梨を頼る理由がわからない。

 

 学園内ならば学内マップを確認しながら行けば迷うことはない筈だし、通行に必要なパスも学園が発行してくれているはずだ。

 

 なのに、わざわざ愛梨に頼ろうとするのは生徒会長との仲介役でも頼もうというのか。

 

 ……たしかに、あの(・・)生徒会長をまともに相手したくないというのは理解出来なくもない。

 

 愛梨は引きこもってはいるがコミュニケーション能力に支障がある訳ではないので問題はない。しかし、それならば必要な『態度』というものがあるだろう。

 

「……行けるけど、その、『あんた』って呼び方やめて。トゲのある距離の取り方みたいで嫌」

 

「一色姉」

 

「製品番号みたいで嫌」

 

「……一色、でいいだろ。妹と一緒の時は呼ばないから」

 

「……うん、良いわ」

 

(なんだこの間)

 

「……それじゃ、生徒会室まで連れて行ってくれるか。生徒会長に話がある」

 

「わかったわ。……ええと、ウチに編入するという事?」

 

「まぁ、だいたいな。あとは、この後について色々と相談したりしなきゃなんねえし」

 

「この後……?」

 

 九校戦だろうか。と、愛梨が考えたところで八幡が答えを出した。

 

「十神対策だ。予知通りなら、イチジョウとの決戦は丁度九校戦とぶつかる。それも競技の真っ最中にな」

 

「ああそう、十神……十神!?」

 

 まるで、講義内容でも確認されたかのような気軽さで言いのける八幡に、【文明の雷姫】から得た情報により十神を理解していた愛梨は思わず、八幡の顔を二度見。

 

「あんな化け物が出てくるなんて、間違いなく犠牲者が出る……よりによってなんで九校戦なんかに……」

 

「そりゃ、奴の本体が九校戦が行われる富士演習場の真近く、富士の樹海の中に封印されてるからだろ」

 

「……そうなのね。それなら納と——え」

 

 三度、八幡を見る愛梨。

 

 何を言ってるんだ、とでも言っているかのような目で八幡は愛梨を見返した。

 

「十神の中で居場所を掴めていないのは四神だけ。半分以上はその本体の居場所がわかってる。……何せ、ヒキガヤは十神に対抗するために一〇〇〇年以上の時間を掛けてきたんだからな。それくらい知ってて当然だ」

 

 それを訊いて、愛梨は今更のように。

 

「……これ、全部聞かなかったことにして明日から普通に暮らすのはダメかしら」

 

「世界の真実をいくつか知っといてそれはねぇだろ。記憶をリセットして力も返してくれるってんなら出来んこともないが。ただその場合、お前の魔法力は今度こそゼロになるけどな」

 

「ぜ、ろ……くっ」

 

 力の消失。それは、愛梨を最も苦しめていた鎖。その鎖に再び繋がれるどころか、それまで希望にしていた魔法でさえ失ってしまうのだという。

 

「余剰想子を作る機能を心臓が持たなくなる。つまり、いくら魔法式を知っていても魔法は使えなくなる。それでもいいなら、」

 

「いい訳、ないでしょう……」

 

 悩む間も、なかった。

 

 我が身が可愛いというだけではない。戦略級魔法すら優に超えるこんな特殊な力を、あと数十個も持ち合わせているという比企谷八幡(こんな爆弾)からほんの少しでも目を離した時、一体世界はどうなるんだ——という危機感が、彼女の首を横に振らせていた。




実は一番出てないサキサキの設定を一番最初に考えてたりする。

一高と三高の表記を間違えてました。ゴメンナサイ。


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十師族絶滅計画


無知とは罪である。叡智もまた罪である。人は程よく無関心に生きねば、真の幸福は掴めぬいきものである。



————そう決めつけるのもまた、罪である。


 

 ……その男は元々、人前で話をするのが苦手だった。

 

 だが、何事も慣れである。

 

 繰り返し自分の正しさ(・・・)を呟いているうちに、また自分の賛同者が増えてきている事実を前に、そんな些事はいつの間にか忘れてしまっていた。

 

 トリップし、狂言まがいの言い回しを使う男の言葉に失笑する者もいくらか居たが、彼の計画が間違ったものであると唱える者は居なかった。

 

「……では、今回はこれで解散とする。次回の集合は九校戦の10日後。それまでに各自周囲の警戒を怠るな」

 

 正面の大型ディスプレイ、それに左右隣接する半分ほどの大きさのモニター。男が見つめるそれには、三面それぞれにビデオ通信のオペレーターが9人ずつ映し出されている。

 

 計27人もの視線を集めていた男がそう話すと、1秒もしないうちに1人、また1人と人の顔を映していた画面の接続が切れ、数秒で画面が真っ暗に。

 

 それを見守っていた男も、自分が最後の1人になり、通信を閉じた。

 

 男がいるのは、とある施設の中にある専用のインターネット回線が敷かれている会議室。窓ひとつないこの部屋は壁も床も防音仕様になっていて、中で話された言葉が外に漏れることは決してないと断言できるほど頑強に作られている。

 

 それは元々この会議を行う為だけに作られたものなのだから、その防音性能は当たり前なのかもしれないが。

 

 誰も居ない、誰の目も届かないこの場所で男は1人つぶやく。

 

「……大丈夫だ……」

 

 男の言葉は、彼が立てた作戦に対する懸念を払拭するためのもの。

 

 気弱な自分を奮い立たせるための、呪いの言葉だった。

 

 男は手元のタブレットに表示された、自分が立てた計画の名前を指でなぞり、呟く。

 

「『十師族絶滅計画』……。……だが、その対象は十師族だけに留まらない。ナンバーズや数字落ちなど、気持ち悪い魔法師(いきもの)は全て消す。……そうさ、(我々)が制御できない存在などあってはならないんだ……」

 

 言って拳を握りしめる男は非魔法師。元々男は陸軍の上層部で手にした権力を使い、それなりに良い生活を送っていただけにも拘わらず、魔法師の台頭によって二分した軍内部の勢力のひとつ、魔法反対派についてしまったが為に、権力闘争の末その席を日本の裏の権力者達に奪われてしまったという過去がある。

 

 そのせいで、今も辛うじて軍の上層部と呼べる場所に留まっているものの、その権力は最早以前とくらべるまでもなく、目に見えてわかるほどに狭くなった。

 

 地位を利用して揉み消していた事件の数はひとつやふたつだけではなく、男達はいつものようにこちらに助けを求めてくる協力者達の手を振り払わなければならなかった。

 

 このままではさらに生活が苦しくなるだけ。

 

 自分達が以前のような暮らしをする為に、今の手段を執る事に拒否感はなかった。

 

 ただ、男達が今回選んだ方法は後がない彼らにとって背水の陣そのもの。

 

 事実が露呈すれば全てが終わる。狩られる命はひょっとして、男達「当人」だけに終わらないかもしれない。

 

 それを覚悟できるだけの度胸が、男達にはなかった筈なのだ。

 

 このままでも普通に寿命で死ぬくらいの幸福が男達にはあった筈で、当時浮かんだこの作戦に、男を含め誰もが否定的だった。

 

「……誰が変えた……んだったか」

 

 しかし。

 

 何が理由(・・・・)だったのか(・・・・・)まるで(・・・)反転したか(・・・・・)のように(・・・・)、その計画は膨らんだ。

 

 末席とはいえ彼らが上層部で未だ使える権力は多い。

 

 廃棄予定の地下施設を買い取り、そこで人間の遺伝子を解析する工場を造ることも容易く、その過程で魔法師のクローンが出来ても、その存在を隠し通せる程には。

 

(……計画に支障はない。懸念されていたクローンの処分も無事に済んだ(・・・・・・)。あとは、計画が無事に完了される事のみだ……!)

 

 男は願う。そして確信する。自分達の計画の勝利を。

 

 

 

 

 

 

 ……自分に報告が無かった。それはつまり、何の異常もなくクローンは処分されて部下の男達も死んだという事。

 

 この結果を疑って確認しようとすれば必ず足がつく。だから全ては、計画が終わった後だ。

 

 全ては順調。間違いなく、川は目的の場所へと流れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2095年4月6日。放課後の中学校校舎内。

 

 一高で八幡がイチジョウと対峙していた時、彼女はただ混乱の最中にいた。

 

 ガチっ、バきっ。

 

「……っ」

 

 誰もいない廊下で1人、一色いろはは耳からケータイを離し、耳を押さえた。

 

 ざー、がび、ぶつっっっ。

 

 鼓膜を叩くノイズは、八幡がケータイを握りしめて破壊したせいで出たもの。

 

 イチジョウがいろはに辿り着くことのないようにと考えた手の一つだが、この時のいろははそれを知る由もない。

 

「…………やばい」

 

 ただ彼女は、事態の深刻さをはっきりと理解していた。

 

 八幡は大丈夫だと言っていたが、呼吸の間隔と八幡が隠した嘘から、彼が普通は考えられない程の無理をしていたことは知っていた。

 

 そして、通信機器を破壊しなければならないほど切羽詰まった状況にいるらしいということも予想していた。

 

 その上で、いろはは教室を出たその足で昇降口へと向かう。

 

(……まずは、こっちで無事なら人達の確認。それで先輩からの連絡を待って、次に移る。……大丈夫、先輩が負ける筈ない……!)

 

 まずは実家。次に、雅音が無事だったことから一条家も無事なのかもしれない。

 

 自分達が何故無事なのか、それは1番後回しにしていろはは動いていた。

 

 

 

 

 

 

 それから1週間も経っていない、ある日。

 

「…………は?」

 

「よう一色。暇だったら助けてくれないか」

 

 見覚えのある容姿の美少女が、登校のために家を出たばかりのいろはの前に立っていた。

 

 その正体はいろはの能力ですぐに八幡本人だと分かったものの、仮にも女性の姿をしている八幡がぼろ布一枚しか(・・・・・・・)羽織っていなかった時、いろはは軽く卒倒しかけた。

 

 とりあえずは八幡にまともな服を着せ、それからイチジョウ襲撃時、一時的にですら記憶を失わなかった一条家・折本家・一色家の当主達の下へと連れて行き、八幡から事態の詳細な説明を受けた上で協力を決定。

 

 八幡が連れてきた仲間達の宿泊先もアパートを一棟丸々用意する事で解決し、いろは達は十神討伐に向けて本格的に動き出す事となった。

 

 そして、早速計画を詰めていく内にいくつかの問題点が浮上。

 

 まずは八幡。

 

 彼が行動する際、女体化という隠れ蓑を盾にしているから本人とはバレないものの、変身の対象にしている人間が実在しているのは後で不都合になりやすい。

 

 そこで女体化の基礎や外見的な部分を八幡が作り、そこに折本かおりが手を加えることで解決。

 

 かおりが変身の魔法に魔法力を抑える仕組みを組み込んだ事により、八幡は女性体の間魔法がほんの少ししか使えなくなるものの、これで八幡本人だとバレる事は無くなった。

 

 そして、二つ目。

 

「……これ、マズくね?」

 

 十神との決戦が九校戦の時期と場所に重なると判明した時点で、大規模な魔法戦は避けられない事がわかった。

 

 問題は、観客や生徒達をどうやって十神から守るか。

 

 今や高校生ですらない八幡だがその容姿ゆえに学生達の舞台に紛れ込む事は容易い。観客に紛れ込む方法も考えられたが、それでは試合に乱入する時点で、どうしても九校戦そのものを破壊してしまう。

 

 九校戦の中止はやむを得ない限りの最終手段だが、それが行われて仕舞えば、遠くない未来で、必ず悪影響に繋がるという予知が出てしまっている。

 

 それは、イチジョウが最後の十神ではない比企谷にとって無視出来ない結末だ。

 

 ではどうするのか。

 

 まず考えられたのは、イチジョウとの決戦時期をずらす事。

 

 問題となるのは九校戦。であるなら、九校戦が無事に終わってしまえば軍の基地内で何が起ころうとも今後に影響する事はない、という予知が出ている。

 

 しかし、既に覚醒段階に入っているイチジョウの覚醒を妨げる事は不可能。イチジョウは完全覚醒を迎えて初めてこちらの位相へ姿を現すので、攻撃の対象が存在しない現在では手の打ちようがない。

 

 そして、次に考えられたのがイチジョウをそもそも覚醒させないという作戦。

 

 しかしこれも覚醒の延期と同様に、接触が覚醒と同時では意味が無いので却下された。

 

 そしてこの他にも数多作戦が挙げられた中で1番実現性がありそうだった案が、イチジョウを競技中に仕留める、という割と不可能に近い無理難題だった。

 

 無理難題ではあっても不可能ではない、という僅かな希望がメンバーの票を集めた。

 

 その作戦は単純明快。ようは戦闘自体を「見せもの」として処理することで、観客やスタッフに気付かせなければ良いのだ。

 

 ただ、戦闘偽装を実現させるにはより慎重に時と場所を選ばなければならない。

 

 実際に競技をしながらイチジョウの相手をする。戦う姿を競技と誤認させれば良い訳だが、それはとても難しいからだ。

 

 今年開催される競技の中で八幡が参加できるものでも、スピードシューティングやクラウドボールはとても(・・・)動き回れる競技では無いし、イチジョウと戦っていることが第三者による妨害とでも判断されてしまえば、試合がストップしてしまう可能性もある。

 

 動きが派手な競技といえばミラージバット、モノリスコード。バトルボードは決まったコースを巡る為に回避がし辛く、周囲に戦闘がバレやすいから却下。

 

 ミラージバットは厳密には他選手と戦っているわけではないので、また観客との距離も近い。これも除外される。

 

 その点、モノリスコードならば多少ものが壊れても問題はないし、近くで撮る撮影ドローンも細工をすれば無害化できる。

 

 それに、予知の中で覚醒の時間が重なり易いのは試合時間が長いモノリスコードがダントツ。

 

 競技の順番はどうとでもできるし、何より覚醒の時間をモノリスコード中に持って来られれば、観客や大会委員達にバレる事なく対処が可能になるかもしれない。

 

 それを考慮し作戦を練り直した結果、やはり八幡も「高校生」として九校戦に参加するという案がそのまま作戦に載せられる事となった。

 

 第一高校における八幡の在籍記録は完全に抹消されているので、参加するのは八幡の事情を知る者が多い第三高校の生徒としてだ。

 

 第三高校にも特殊特待生制度はあるし、編入するのに問題はない。その上で、事情を知らない他の人間を誤魔化す為に「春から体調を崩し入院していた」設定を付ける。また、選抜メンバーに選ばれるために必要とされる魔法の実力も十分過ぎる。

 

 これで八幡が生徒として九校戦に参加できる条件は整った。

 

 ただ、九校戦は参加できたとしても1人につき二種目まで。また、競技自体が男女別で「モノリスコード参加可能選手は男子のみ」という制限もあるので、現在性別「女子」である八幡はモノリスコードに参加ができない。

 

 重要なのはモノリスコードなので八幡が男子になればいい話なのだが、それに専念してしまうと、もしも女子の競技時間中にイチジョウが出現した場合、介入が遅れて犠牲者が出るというまた別の懸念が生まれる。

 

 その懸念に対する予防という意味で、八幡はこういう()を取ることにした。

 

 

 

「——はぁ。まさかワタシがスクールに通うなんてね……」

 

 ため息を吐きながらも、どこか嬉しそうな様子のネファス。彼女はその出自が氷達とも十師族とも関係のない人間のクローンで、基本的に八幡の足下、影の中に潜んでいる。

 

 元々戸籍がないので存在をどうとでも偽れるし、出歩く事が出来ずに暇そうにしていた彼女を八幡は使う事にしたのだ。

 

「別にワタシは制服を着て八幡と学校に通ったりできるなんて思ってなかったから、一緒に高校生になってくれって言われた時は物凄く驚いたし、ものすごく嬉しかったのよ?」

 

 その案というのが、ネファスも高校生として「三高に入学する事」。

 

 性別によってカバーできる範囲に制限があるのなら、対応できる人数を増やせば解決する。

 

 それにネファスが競技に出る必要はなく、順番が来たら八幡は変身の魔法を使い、ネファスは八幡がネファスに渡した「仮装行列」の上位魔法「街奏戦列(カーニバル)」を使って入れ替わり、八幡が競技をすればいい。

 

 ネファスも頷いて、制服に袖を通した。

 

「……けど、これは違うんじゃないかなあ!?」

 

 男子用(・・・)制服を着こなしたネファスが八幡に詰め寄り、八幡の肩を揺らす。

 

 彼女は怒っていて、彼は平然とその怒りを受け入れていた。

 

 ネファスの顔は八幡に変えられていて、角度によっては八幡が女子の首を絞めあげているようにも見える。

 

「学校生活なんてお前の場合滅多に体験できるもんじゃないんだから、今のうちに楽しんどけばいいだろ」

 

「確かに滅多に体験できるものじゃないけど、ここまで尖ってなくても良くないかしら!?」

 

「……いいか、お前は九校戦が終わるまで『比企谷八幡』だ。そして俺はその妹の『比企谷八幡(やはた)』。ヤハタちゃんと呼べ」

 

「自分だけ何キャラ付けしてんの!? ……ていうか、妹って」

 

 自信満々に謎のキャラクターを押し付けられ、ネファスは困惑する。おいこれから編入の手続きに出かけるんだよなコレ、というツッコミがネファスの視線に宿った。

 

「コマチはどうしたの?」

 

「少なくともイチジョウを討伐するまでは会う気もない」

 

「……安全なところにいる、なんて言わないんだ」

 

「話題に出すな。認識する事で居場所を掴まれる可能性だってあるんだぞ」

 

「……はーい」

 

 ネファスが渋々、本当に渋々頷いたところで八幡は背後を振り返った。

 

 その先にいるのは、つい先ほど一色家にやってきて、なぜかむくれ顔の折本かおり。と、八幡に同行を依頼された一色愛梨の2人。

 

 いろはは今日友人と遊ぶ約束をしていて家には朝からいない。雅音は家の用事だ。

 

 八幡はかおりの方向を向いたまま、口を開いた。

 

「で、だ。俺と一色とコイツの3人はこれから第三高校に編入の手続きに言ってくる。留守番よろしく……ぐえっ」

 

 八幡が話をしている途中でかおりは制服の襟首を掴んで引き寄せた。

 

「……なんであたしじゃなくて一色さんなの? ()と話をするなら、共通の知り合いなあたしが行くべきだと思うんだけど」

 

「……」

 

 尋ねられた事に対する返事が八幡の中から出てこない。

 

 返事が無いのではなく、言葉が引きこもっていて外に出ようとしない。

 

「……もしかして、連れて行かないとマズい?」

 

 八幡が口にしたがらない事情を察したのか、かおりは声をひそめる。

 

「……ああ、いや。一色……が、三高の生徒会役員だっていうから。それなら頼もうかな……って、昨日のうちに」

 

「…………」

 

 絞り出した言い訳。しかしかおりを納得させられない。

 

「…………もしかして」

 

「……っ」

 

 にま、とかおりは笑みを浮かべた。

 

「話し合いだけじゃ済まな(・・・)かったり(・・・・)する?」

 

「いや、それはない」

 

「へえ」

 

 キッパリと否定する八幡。その目に揺らぎは見られず、かおりは笑みを納めた。

 

 ぽりぽり、と頬をかきながらそっぽを向いて八幡が言う。

 

「……その、……あー、だから、……お前がいるとあいつ(・・・)がめんどくさくなるだろ。正直、まともに交渉できる気がしない」

 

 八幡の態度に不自然はなく、八幡の言葉に不誠実は無い。

 

 その事実が、かおりに彼女の顔が歪むほどの頭痛をもたらした。

 

「…………あー」

 

 確かに第三高校の生徒会長はかおりと八幡の共通の知り合いであるが、その関係にはねじれが存在する。

 

 何より、自分の存在はさて置くとしても、八幡と「彼」の相性の悪さは尋常(・・)ではない。

 

 お互いに面識のない初対面の方がまだ、好印象だっただろう。

 

「はぁ……わかった。あたしも家に戻るわ。けど、困ったらすぐに連絡していいから。いつでも電話に出るし」

 

 誰が解決できる事でもなく、こればかりは自分は邪魔でしかない。特にかおりと八幡と()の関係性は、自分達自身でどうにかできるものではなくなっているのだから。

 

「一色は折本の番号知ってるか」

 

 躊躇なく愛梨に問いかける八幡に、かおりは思わずこけそうになった。

 

 見れば、愛梨も自分と同じような顔をしている。

 

 能力を八幡から奪ったことは聞いていた。自分の時とは違って能力に記憶が付随していたらしく、それで彼のことは大体理解したのだとか。

 

「……わかったわ。折本さん、悪いけど……」

 

 妙にすまなさそうな、妙に察したような表情の愛梨。こんな事でシンパシィを感じてもいいものかと思いつつ、既にこちら側に踏み込んでいる彼女の意を汲み取ってかおりも端末を開いた。

 

「……あはは。うん、いいよー。……それと、いい加減ケータイの使い方くらいちゃんとしたらどうかなぁ、比企谷?」

 

 数年前と何も変わっていない八幡の機械音痴。最近はようやく電話をかけられるようになったらしい。しかしそれも先のイチジョウとの戦闘でケータイ自体が壊れ、また新しいものになってからは操作法の覚え直し中だ。

 

「アプリとか使わないし。GPSもいらんし。ゲームとケータイは分けて使いたいし。通話とメールがあればそれで十分だと思うんだが」

 

「100年前から進歩してないよ、それ」

 

 必要以上の機能(・・)を求めないその姿勢は、かおりが彼に出会った時から感じている違和感でもあった。




次回、ついに謎の三高の生徒会長と対面!

愛梨の紹介を経て編入手続きを無事に済ませるも、十神討伐への協力には難色を示す生徒会長。あらゆる手段を尽くして交渉を進ませようとする中、八幡の一言が穏やかだった雰囲気を叩き壊す!


 次回『第三高校、校舎倒壊。』



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シンプルでリベラルなカタストロフィ

嫉妬とは何か。

人を堕落させる罪の象徴。人に争いをもたらす悪魔。切り捨てるべき人類の欠点だ。

理性とは何か。

人間にしかないもの。人間でしかあり得ないこと。誇るべき人類の美点。

 ——君は、どちらを選ぶ?


 視界の隅々まで澄み渡る青空。肌で感じる空気の温度。春を抜け、夏に入り始めるこの時期は吹きつける風が心地良く、草の臭いですら清涼剤となり得る。

 

 折本かおりは息を吐いた。

 

 これほど安らかな空気を吸うのはいつぶりだろう。

 

 身の内に蟠る苛立ちのひとつひとつが他人を想う心によって集められ、群体となっていた「憤りの集合体」。

 

 それが風に煽られ、小さくなっていく。

 

 膨大な破壊の後、不意に人は想いもよらぬ安らぎを手にすることがあるのだ。

 

 それは思考の放棄ではなく、意志の清算。

 

 意識の漂白ではなく、心理の整頓。

 

 今日この場所で、何が(・・)起きたのか(・・・・・)を受け入れる為の準備運動。

 

 さあ目を開け。現実は目前だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………うんにゃ」

 

 

 

 

 

 

 ——彼女の足下に転がる、銅製のネームプレート。

 

熱や爆風でひん曲がり、銅が溶けて歪んでいても、残った部分はハッキリと読み取れる。そしてそこに記されていた名称は、人の名に非ず。

 

 

 

『魔    属第三高 』

 

 

 

 風に舞い上がる土埃。その中には、熱でボロボロに焼け落ちたものの灰も含まれている。

 

 ごく最近まで若人達の学舎であったその場所は、何処をどう見ても瓦礫の山が見えるばかり。

 

 ヒトの文明の最たるもの。「学ぶ」というヒトの存在意義に等しい校舎が、今は跡形もない。

 

 今朝方に八幡が生徒会長と「話をしてくる」と向かった魔法大学付属第三高校。

 

 

 

 そこは、文明の廃棄場。瓦礫の集積場と化していた。

 

 

 

 

 

 

 激情の姫は、高らかに謳う。

 

 獲物を絶滅せんとばかりに、息巻いて。

 

 

 

「————あいつらっっっ!! 一体何処行きやがった!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かおりが最悪の事態に直面する、僅か数十分前。

 

 八幡は甘党だ。ブラックコーヒーも飲めないこともないが、やはりコーヒーといえば練乳がたっぷり入った甘いコーヒーを所望する。

 

 その点、紅茶であれば特にこだわりはない。

 

 ホットでもアイスでも、暑くても寒くても、ストレートでもシロップやミルク入りでも。

 

 だが。

 

「…………」

 

「…………」

 

 出された紅茶を一口。

 

「……渋い」

 

 砂糖をしこたま入れてやっと誤魔化せる程に渋い紅茶を飲み干して、八幡はこの紅茶を淹れた人物を睨む。

 

 明らかな嫌がらせとしか思えないが、コレを本人はきちんと真っ当なおもてなしと思い込んでいるからこそ、タチが悪い。

 

「……結構なお手前で」

 

 そんな口上が思わず口から漏れてしまうくらい、その紅茶は不味かった。

 

「……おや、そうかい?」

 

 一口飲んだだけでもうカップをソーサーに戻してしまった愛梨とネファスは、クッキーで口直しをしている——かと思えば、八幡にとって信じられないことに再び紅茶に口をつけた。

 

 2人の反応も決してマズいものを無理矢理飲み込んでいるという表情ではなく、本当に美味しそうに、クッキーと紅茶を楽しんでいるように見える。

 

 もう驚愕するしかない八幡に、何故か不思議がっていた彼は頷いた。

 

「——ああ、君には違ったかな。ストレートティーじゃなくオレンジジュースにでもすれば良かった」

 

「——なに」

 

 嫌がらせではない。その事実に八幡が驚いていると、彼の隣で声が上がった。

 

「日本のクッキーも中々やるわね……特に、紅茶の淹れ方に関してはワタシの中で一番よ」

 

 笑顔のネファス。どうやら相当お気に召したらしく、おかわりまで要求している。

 

 相当機嫌を良くしたらしい彼は、ネファスのカップに二杯目を注ぎながらこう言った。

 

「僕は今、僕なりにこれからのハイソサエティにマストだと思うハイセンスでかつファンクショナルな日常のバリエーションについてグロッピングしてる最中でね。これはその途中で偶然身につけたテクニックさ」

 

 八幡にはオレンジジュースを、ネファスには紅茶のおかわりを。

 

 さりげない会話の中でふたつを出し終えた手際の良さは前にあった時よりも確実に進化している。

 

 誰に対しても心配りを欠かさない第三高校生徒会会長、玉縄のそんな姿に、八幡は正直かなりの衝撃を受けていた。

 

 最早八幡の知る玉縄とは完全に別人。イメチェンや変身などに収まりきらない、趣味趣向の変革。と言ってもいい。

 

(こいつ、執事とか目指してんのかな)

 

 などと、玉縄手製のクッキーを頬張りながら思う。

 

 クッキーは子供舌の八幡でもとても美味しくて、八幡はこちらをおかわりしていた。

 

「えーと……つまり自分探しの途中?」

 

「イグザクトリィ。なにせ、まだフューチャーのドリームもウォッチしていないからね」

 

 手首を基点にして海藻のようにゆらゆらと、しかし時折フレキシブルに動く掌。

 

(何、感情とリンクしてんの?)

 

 まるで玉縄の感情の振れ幅に従って動くアホ毛のように見えた八幡は、玉縄と彼の手首を交互に見続けた。

 

「…………」

 

「……何をしているんだい」

 

「んぇ?」

 

 見ている当人に自覚はなくても、見られている側にとって視線とは気になるもの。また、目立つ行為とはそれだけで人の視線を集めてしまう。

 

 はむはむ、と可愛らしくクッキーを頬張りながらしきりに視線を動かす八幡の仕草には、その場にいる誰もが釘付けになっていた。

 

 自分への視線に気づき、八幡は周囲を見渡す。実にさまざまな反応がそこにはあった。

 

「……えーと」

 

 自分(八幡)の顔をしているネファスは頬をかきながら視線を逸らし、

 

「…………っ…………」

 

 愛梨はぷるぷると震えながら、手に持ったカップを紅茶とは別の紅い液体で満たしていた。

 

(……姉妹だなぁ)

 

 いろはのアレ(・・)は彼女固有のものではなく、姉譲りなのか……と八幡が感心していると、軽いノックの音。

 

 失礼します、という言葉と共に彼らがお茶をしている生徒会室に入ってきた役員と思しき男子生徒。八幡を見て顔を赤くした、ではなくおずおず、と玉縄に耳打ちした。

 

「……ふむ、そうか。これを句木君に伝えて代案を出すように頼んでくれ。3日後までには返事が欲しいな」

 

「了解しました」

 

  何か問題があったのか。玉縄は男子生徒にいくつかの指示を出して、男子生徒は足早に生徒会室から出て行く。

 

 その間、八幡はずっとクッキーをもぐもぐしていた。

 

「……さて、そろそろいいかな? 本題を聞きたい」

 

「もっとこれが食べたいです(本音)」

 

「ハア……おおかた、九校戦についてだろう? そうでなければ『君』が『君達』になって三高に編入してくるなんて普通あり得ないからな」

 

 新しいクッキーを皿に並べながら、玉縄は携帯端末に触れる。

 

 席を立ってそれまで対面していた八幡の隣に座り、自分が今まで座していたソファの上にスクリーンを下ろす。

 

 連絡先を選び、通話で呼び出す(コール)

 

 呼び出し音は数回で途切れ、『はい、もしもし』という声とともに少年の顔が生徒会室の通信用モニターに映し出された。

 

 あどけなさと年齢に似合わない落ち着いた雰囲気の連立、ではなく混在。

 

 はっきりと分かれているのではなくそれ単体で新たな個性となっている。チョコミントみたいだな、と八幡は玉縄の通信に出た吉祥寺真紅郎をそう思った。

 

『何の用だい、生徒会——っと、一色さん? ……それに、比企谷まで。どうしたんだ、パーティーでもやっているのかい?』

 

 落ち着いて滅多に取り乱す事のない彼にしては珍しく混乱した様子で、長らく登校していなかった愛梨やいる筈のない八幡(に変身したネファス)の姿に驚いている。

 

『そちらの方はどなたかな』

 

「こっちの彼女が比企谷君だ、吉祥寺君。こちらの比企谷君に見える方は影武者という事らしい」

 

 ぽんぽん、と玉縄が八幡の肩を叩くと、吉祥寺は目を剥いて叫んだ。

 

『しばらく見ない間に君はほんと面白い変貌を遂げたな!?』

 

 驚かれている八幡はクッキーに夢中で話す気がない。代わりに玉縄が答えた。

 

「まぁそれは彼が1番自覚しているだろうな。——それはそうと吉祥寺君。九校戦の選抜はどうするか考えているかい?」

 

『え? ——まだまだだよ。何せ定期テストだってこれからなんだ。君や雅音、十七夜さんに四十九院さん達は確定だろうけど……』

 

確定枠(・・・)に、彼らを入れたい」

 

 吉祥寺の目の色が変わった。……何故か、疲労感の増した色に。

 

『……理由を聞いても?』

 

「比企谷君、説明頼む」

 

 ジュースを口に含み、んく、と飲み込んで新しいクッキーを口に放り込む。

 

「ふぉふぇふぁふぉんふぉ、うぉふぁんふ」

 

「という事だ。……どう思う?」

 

『せめて世界に存在する言語で話してくれないかな!? あと喋る時は口にモノを入れるのをやめろ! 行儀が悪いだろう!』

 

「…………(もぐもぐ)」

 

『食うのをやめろ!』

 

 クールキャラである吉祥寺をここまで崩れさせるのは、相変わらず彼しかいない——そう、改めて思いつつ、玉縄は視線を吉祥寺に向けた。

 

「彼らの都合にはこちらも最大限譲歩しなければならない。しかし、彼らの要求は所詮彼らの都合によるもの。我々が突っぱねたところで三高に被害が及ぶ事はないし、せいぜい東京が火の海になる程度だ」

 

『……いや、それ最後が十分過ぎるんだけど!? なんでそんなに冷静な顔でいられるんだ!? 酔ったりしてないよな!?』

 

 カメラにしがみついて荒ぶる吉祥寺。皿に残る最後のクッキーを飲み込んだ八幡は、やる気無さげにようやく口を開いた。

 

「んく……え? だってお前、所属してる研究所とか家とか全部金沢(こっち)だろ。お前らの協力がなくてもうまくいけば東京がちょっと半世紀くらい住めなくなるだけだし、問題ないんじゃね」

 

『なんで君が否定側なんだ!? それにちょっとって! なんでそんなに楽観的なんだよ!!』

 

「まぁ協力がなかったら九校戦でお前らまとめて死ぬからな。みんな一緒だ」

 

『最初から協力を諦めてたのか君はァ! ていうか死ぬじゃん! 損害出るじゃんか玉縄!?』

 

「……ん? ああ、僕達が彼らに協力しなければそうなるだろうね。大丈夫、そうなった時、自分1人だけ逃げようなんて汚い真似はしないよ。みんな一緒だ」

 

『…………ッ!』

 

「というわけで、協力してくれにゃいか」

 

『……殆ど脅しじゃないか……はぁ』

 

 コントのようなボケとツッコミの応酬の最後、吉祥寺にそう聞く八幡の頬を引っ張る愛梨。

 

 彼女はある意味、吉祥寺よりも深刻な表情を浮かべていた。

 

「……あなた達は、どうしてそんな(・・・)なの?」

 

会話を分断する、一見すると頓珍漢な愛梨の科白。しかし、それは彼女からしたら最もな言葉だ。

 

 愛梨は八幡と玉縄の2人を指して否定した。

 

 無理解からくる拒否感。似たように同じ反応をする2人。

 

 関係性だけなら、先日愛梨が聞いたように最悪なものとは思えない。

 

 剣呑とした雰囲気は微塵もなく、逆に穏やかな空気が漂っていて、憎悪や嫉妬の表情もない。

 

 ——ただ、愛梨に視えた形(・・・・)は。

 

『……一色さん。これが(・・・)彼ら(・・)だ。慣れないだろうけど、慣れてほしい』

 

 この二人をよく知っているが故の、吉祥寺のこの科白。愛梨はようやく理解した。

 

「……折本さんが言っていた意味がよくわかったわよ……」

 

 魔法の常識を覆す魔法『文明の雷姫』。その在り方は概念や理屈、権能に近いものであり、それを体内に宿す愛梨の視界は通常の魔法師達のものとは異なる速度で、景色を映し出していた。

 

「…………うみゃい」

 

「まだまだあるから存分に食べてくれ」

 

 ぱくぱくとクッキーを食べ続ける八幡と、ジュースのお代わりを注ぎ、にこやかにする玉縄。同じソファーに腰を下ろす二人の、その真上。

 

 火花とも雷光とも言い難い異色の煌めきが、人間には感知できない速度で点滅を繰り返す照明機器のように、点いては消えていた。

 

 一瞬千撃合戦。……要するに、非魔法師どころか先程玉縄に要件を告げに来た生徒ですら気づかないほどの速さで魔法を撃ち合っていたのだ。それに、発射されている魔法の威力はからかいで済むようなお遊び程度のものでは無い。

 

 消えるが一瞬だから毎度挟み込む闇に気づかない、ではなく、点くのが一瞬だから誰も訪れる光に気づいていない。

 

 結果的に相殺されているから良いものの、このままではどちらかが押し負けた途端、生徒会室に柘榴の花が咲く羽目になる。

 

(……早く止めたいけど)

 

 無理だ。飛び交う銃弾に向かって話しかけるようなもの。二人は表面上は何もしていないと言い張っているのだから、愛梨だけがそれを視ることができるこの状況下において、言論による魔法の撃ち合い阻止は不可能に近い。

 

 吉祥寺は二人が何をしているのかを知っている様子だが、画面の向こうにいる彼に止める術は持っていない。

 

 撃って、撃ち落として、狙って、狙われる。

 

 どちらが先に手を出したとか、原因は何だとか。もう気にする暇はない。

 

 純然たる殺し合いの域であり、それを止める術は今の愛梨には無い。

 

 二人を止める事自体は可能かもしれないが、昨日今日能力を得たばかりの愛梨では、慣れない操作で二人の命までも止まってしまう可能性がある。

 

 魔法の殺し合いに目を向けて、そして釘付けになっていた愛梨。

 

 美しいばかりのその光芒に魅入られた彼女は、源である彼らの変化に気づけずにいた。

 

「…………おい」

 

 だから、愛梨が変化に気づいたのは八幡の一声があってから。

 

「……っ?」

 

 いつか見た八幡の人間性(・・・)

 

 覆って、埋めて、隠した上に折り重ねて、真の底——そんなものに辿り着く事は決してない。

 

 何をどうこねくり回したところで、もう二度と目にすることはない。そう思っていた彼の真性。

 

 それが、こんなにも簡単に。

 

 まるで、今までの秘匿に意味など無かったかのような易さで、露呈しようとは。

 

 玉縄を睨む八幡の顔。彼の顔に貼り付けられた感情は間違いなく、昨晩愛梨が目にした「八幡の底」の浮上に他ならない。

 

 この二人の間に何があったのか。愛梨は兎にも角にも気になっていた。

 

「…………なんだい?」

 

 睨み返す玉縄は、獰猛で勝ち気な笑みを浮かべている。

 

「……協力()してもらえる……ってことで良いんだよな」

 

「ああ、勿論。僕達の命運がかかっているから手加減(・・・)はできない」

 

「あとさ」

 

「?」

 

「最近体が鈍ってんだよな。まともに体動かしたのって4月以来だし」

 

 会話が増えるにつれ、攻撃を交わす回数も減って——いや、より研ぎ澄まされた攻撃が深く鋭く相手を付け狙う。

 

「……あぁ、そうか(・・・)

 

「だからさ、武道場でも何処でも良い。ちょっと軽く手伝ってくれよ」

 

「いいとも。気の済むまで付き合うとしよう」

 

 最早、彼らのやり取りに言葉は飾り以下の価値しか持たない。

 

 吐き出される言語に込められた感情は闘争の二文字のみ。

 

 まるで出会えば殺し合う犬猿の仲。或いは、決して交わらないくせに隣り合う水と油のよう。

 

『…………あー』

 

 彼に会うと聞いてかおりが否定的な表情を浮かべていた理由を、ほんの少し理解できた——気がした、愛梨だった。

 

(……まだ、周囲への被害を考えているだけマシ、かしら)

 

 そう思い込む事にして、愛梨は部屋を出る二人の後について行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ねぇ、本当にやるの……?」

 

「勿論だとも」

 

「大丈夫、本気なんて出さんし」

 

(もう出てるし)

 

 愛梨の右側に八幡。左側に玉縄。彼女の足下から伸びる白線を中心に、男性体に戻った八幡と玉縄が対峙していた。

 

 ネファスはそも興味がないのか、八幡の影に潜っている。

 

 八幡はこの学園を訪れた時と同じジャケットを羽織ったまま、玉縄はジャケットを脱いで臨戦態勢。

 

 二人とも、武器はおろかCADすら手にしていない。

 

(……比企谷くんはCADを使わないからわかるけど、玉縄君は……?)

 

 現代魔法の使い手ならば、魔法の発動にCADは必須。玉縄も何かしら「持っている」のかと愛梨が考えていると、

 

「……まぁ、比企谷の協力者はみんな全力を出すのにCADが要らないからな」

 

「……何を言ってるんだい?」

 

 八幡が愛梨に説明してくれた。

 

 そして愛梨は考えた事を口にしていないので、思考がまた漏れたのだろう。

 

 八幡は玉縄に、面倒くさそうに言う。

 

「こっちの話だ。……『文明の雷姫』盗られたんだよ」

 

「はあ!? ……いや、まぁ、……そういう事か。どうりで彼女な訳だ」

 

「一条引っ張ってくるよか千倍マシだろ。……一色、合図だけしてくれるか? 審判とかは別に要らないから」

 

「……わかったわ」

 

 二人から離れた場所に移動した愛梨は、八幡の求めに応じて腕を上げる。

 

 何故こうなったのか、愛梨にはわからない。八幡と意志の疎通ができるようになったとはいえ、全ての思考を読み取れる訳ではない。

 

 八幡と玉縄の間にどんな因縁があるのか。

 

 合図として腕を振り下ろした直後も、愛梨は八幡の関係を気にせずにはいられなかった。

 

「——っ!?」

 

 愛梨が腕を振り下ろすとほぼ同時、白金の光が愛梨の前で弾ける。——それは、二人が衝突した瞬間に生まれた光だった。

 

 光からほんの僅かに遅れて音がやってくる。

 

 二人から距離を取ったとはいえ、所詮は同じ屋内。屋外で、しかもかなりの遠くから見られる落雷ならともかく、この距離で光と音の速度差を感じるには近過ぎる。

 

 光と音が届くまでの間にズレを生むには音速を超える速度で激突が発生しなければならない。

 

 つまり、二人の衝突速度は音速を軽く超えていたのだ。

 

「く、ぅ……!?」

 

 ……二人の激突に遅れて、衝撃波が発生する。

 

(なんて威力!? 2人とも武器なんて持って、——!?)

 

 愛梨すらも気付かないうちに、2人はいつの間にか武器を手にしていた。

 

 八幡の右手には明らかにCADでないとわかるものの、魔法とは別の黒色の波動に刀身が包まれた大振りの黒剣が握られていて。

 

 玉縄は虹色の日本刀擬きを構えていて、しかしそれだけではない。

 

 玉縄の足元に不自然に散らばる石があった。見た目だけでも紅、黄、蒼、翠と様々な種類があり、形は凹んでいたり割れていたりと歪なものの、その輝きは紛れもない本物の宝石に見える。……なのだが、玉縄は懐から宝石を取り出す事もなく、八幡との衝突の度にただ何処からかばら撒かれるだけ。

 

 彼が手にしている虹色の剣は日本刀のように片刃で反った造りをしていて、しかし鍔がなく鞘も見当たらない。

 

 柄だけは付いているものの、それほど凝った造りでもなく、抜き身の仕込み杖という印象が強い。

 

 そして、衝撃波が愛梨の元に届く頃には、二人は既に攻撃の3撃目を交わしていた。

 

 黒剣と虹色剣がぶつかり合い、虹色剣が砕けて、刀身が床に散らばる。

 

 散らばった刀身は元々宝石で出来ていたらしく、壊れてもすぐに再生し元の長さを取り戻していた。

 

「……っ」

 

 八幡と玉縄の剣戟では、常に玉縄の剣を破壊している八幡の方が圧倒的に有利だ。

 

 その筈——なのだが。

 

「……チッ」

 

 舌打ちをしたのは八幡。玉縄を剣ごと叩き斬ろうとする予備動作を中断してまで、玉縄から大きく離れる。

 

 ——と。

 

 床に散らばった宝石の破片が突如爆発を起こし、銃弾のように弾け飛んだ。

 

 が、一粒の例外もなく弾けたその宝石片は標的に命中する事なく武道場の壁に弾痕を刻む。

 

 八幡が破壊した武器に警戒心など持っていなければ、今頃彼は蜂の巣になっていたかもしれない。

 

「……くっ」

 

 今のが割と本気の奥の手だったのか。

 

 悔しそうに剣を構え直す玉縄の周囲にはもう宝石片はひとつもなく、構える剣に刃こぼれなど一つもない。

 

「——らぁ!」

 

 だから、剣を捨てて八幡が玉縄に殴りかかったのは誰にとっても予想外のことだった。

 

「なぁっ!? ちょっ、君っ!?」

 

 慌てながらも、玉縄は八幡の正拳突きを首を捻って躱し、剣を八幡に向けた。

 

 破壊されることが前提のこの虹色剣に、そもそも剣戟を挑むこと自体間違っている。

 

 しかし、剣で迎え撃たないのであれば、それは自壊する事をやめた、ただの剣。素手で挑むにはあまりに無謀過ぎる。硬化魔法を使ったとて、結局剣を砕けば同じことの繰り返しなのだから。

 

「……にっ」

 

「あっ」

 

 振り下ろされる剣を片手白刃取りで受け止め、取り上げる(・・・・・)

 

 玉縄が持ってさえいなければ、あれはただの壊れやすい剣に過ぎない。

 

「もら……ったあ!!」

 

 奪い取った剣を壁に投げ刺し、無防備な玉縄に飛びかかる八幡。しかし、剣をどうにかすれば彼に勝てると思うにはまだ早過ぎた。

 

「甘ぁいっ!」

 

 八幡の飛び蹴りを回し蹴りで相殺、そのまま足を八幡ごと床に叩き落とそうとした所で黒剣の波動に気づき、真横に蹴り飛ばして剣の軌道を曲げる。

 

(チャンスだっ……!)

 

 剣を振り抜いた隙だらけの八幡。玉縄はその懐に飛び込みつつ、取り上げられた時に切り離しておいた虹色剣の柄の欠片を握りしめる。すると壁に刺さった虹色剣が爆発し、弾丸と化した虹色剣が八幡めがけて襲いかかった。

 

「あ!?」

 

 大きくずれた弧を描く八幡の黒剣は、的を外された事により空を切り、そのままやってくる虹色剣弾を斬った。

 

 しかし、その瞬間、最後の抵抗であるかのように、剣の形を保っていた虹色剣は爆発を起こす。

 

「え——きゃあっ!?」

 

 威力の拮抗、エネルギー同士の衝突により、先程の比ではない衝撃が辺りを襲った。

 

「……っ、なんて戦いをしてるのよ……」

 

 衝撃に耐えて、辺りを見回す愛梨。

 

 ……まるで戦争を再現しているかのようだ。

 

 掛け軸などはとうに破れ落ち、使用されている材質や内部の構造により防音や想子の拡散性に優れている特殊合金製の武道場の壁は、建築当時から無傷だったにも拘わらず、先程ののやり取りだけで無事な所がひとつも見当たらなくなっていた。

 

 そして、何より。

 

 澄み渡り、晴れ渡った青空。

 

 快晴と呼ぶには雲がうっすらとかかっているが、何もない一面の青よりは、これくらいが丁度いい。

 

 ピクニックや散策でもしたい気分になる。

 

 丁度2人の剣閃が止んだ事だし、と愛梨は2人に呼びかけた。

 

「こんなにいい天気なんだから、外に出てさん、ぽ……で……も」

 

 呼びかける途中で、気づいた。

 

 武道場は、魔法の暴発という万が一の危険性を考えて被害が広がりやすい窓はおろか天井窓すら設置されていない。

 

 空調が換気機能も備えているのでそもそも必要がないのだが、それ故に青空が(・・・)見える筈(・・・・)はないのだ(・・・・・)

 

「…………」

 

 普通見えない青空が見える。これは、どういう事か。

 

 愛梨が透視能力に目覚めた?

 

『文明の雷姫』にそんな追加オプションは無い。

 

 屋根が無い?

 

 ぴんぽん大正解。

 

「「…………」」

 

 原因は何だろう。

 

 八幡の黒剣が外れた時に余計なものを斬っていた気もするし、玉縄が床に散らばった宝石弾を一斉発射した時は狙いなどつけていなかったから、吹き飛ばしたのかもしれない。

 

 そもそも、今の爆発で天井が吹き飛んでいたのかも。

 

「……ちょっとあなた達、やり過ぎ——」

 

 そう言いかけて、愛梨は目の前の2人が戦闘をやめてただ呆然と空を見つめているのに気づいた。

 

「……?」

 

 2人に釣られ愛梨も空を見上げる。……2人の視線の先、武道場の遥か上空にはバレーボール球くらいの大きさの光球が浮遊していた。

 

 見たところ、先程の虹色剣の残骸が球状になったもののようで、さまざまな色が表面に浮かんできては中に落ちていく様はこの世のどんな宝石よりも美しい。

 

(消滅していない……ということはまさか、先程の衝撃を全部吸い込んで……!?)

 

 その美しさには極大の破壊をもたらす「効果」が含まれている。

 

 アレが落ちてきたらどうなるのかと思う。

 

 ……武道場が粉微塵になるだけで済むだろうか。いや、そもそも武道場が粉微塵になる程の威力で周囲が無事で済むのかどうか。

 

 愛梨も暫く見つめていると、その光球は落下を始めた。

 

「……っ!? 止まれ……!」

 

 破壊するものが何もない上空、つまり今のうちならば周囲への被害は出さなくてすむ。

 

 そう思い、エネルギーの球を破壊しようと愛梨が雷撃を放つ。

 

 雷撃が触れると光球は爆発を起こし、愛梨は胸を撫で下ろした。

 

 安堵しきったところで、愛梨は、2人の視線に気づいた。

 

「…………っ」

 

「…………」

 

 瞠目し、あんぐりと口を開けてこちらを見る八幡と玉縄。

 

「……言っておくけれど、この件はしっかり折本さんに報告させてもらうわ。模擬戦とはいえ誰がここまでやっていいと——」

 

(……?)

 

 2人の表情は変わらない。まるで、会話など耳に入っていないかのように。

 

 こんな時だけ反応がそっくりで、仲が良さげに見える、と愛梨は彼らがこちらを見る理由を探る。

 

 2人の顔には一切の情というものが見えず、ただ驚き、ただ固まっているらしい。

 

 喜怒哀楽が抜け落ちるほどの衝撃——それは、一体。

 

「衝撃……? …………あ」

 

 愛梨も、それに気づいた。

 

 巨大。

 

 自分の攻撃で破壊したと思い込んでいた、エネルギーの塊。それが愛梨の雷撃を吸い込み、光球の大きさが巨大化していたのだ。

 

 バレーボール球程の大きさだったものが、今は軽自動車を軽々包み込めるくらいに膨張していた。

 

「————————」

 

 目の前の光景に思考が停止すると共に、愛梨は自分の能力の弱点を思い出していた。

 

 確実に滅するという意思がなければ、攻撃は全て敵の攻撃を肥大化させるエサになってしまうのだと。

 

 そして一旦愛梨の雷撃を取り込んでしまえば、二度目の効果は極限まで薄まってしまうのだと。

 

 それまで浮遊していた光球がぐらり、と動いた。そして、巨大化はさらに加速していく。

 

 光球が落下を始めたのだ。真下にいる3人目掛けて。

 

「——玉縄! 周囲の人間に防護結界! 衝撃より防熱に特化したやつ!」

 

「君は被害が学園の外に出ないように内向きの結界を!」

 

 すんでのところで我を取り戻した八幡と玉縄は、お互いに声を掛け合って魔法を組み立てる。

 

 しかし、落下自体は止められなくて。

 

「「まずいまずいまずい折本(さん)に怒られるああああ!!」」

 

「今、そこを気にしてるの!?…………あ」

 

 愛梨がようやく我に返った時には、エネルギー球はもう目前で。

 

 ——直後、自分の体が崩壊する感触と共に、愛梨の視界は白一色に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『結界内大気成分、分析完了。放射性物質の検出はありません』

 

「その他の有害物質は? 空気成分のバランスに異常がないかもっと調べて」

 

『気圧、窒素比率、正常。一酸化炭素混合量規定以下。有毒ガスの検出もありません。マスク無しで呼吸もできます』

 

「了解」

 

 そこまでの安全確認が行われて初めて、かおりは特殊作業車のハッチを開けた。

 

 耐冷耐熱対衝撃は勿論、完全密封することで水中はおろか宇宙空間ですら一年は滞在可能な特殊車両。

 

 主に戦略級魔法による破壊の後に使われることが多いこの車を、まさか自分の通う学園内で使う羽目になるとは。

 

(……破壊され過ぎて、どこから三高かわかんないけど)

 

 脳の内側で暴れ回る頭痛に顔を顰めながら、かおりは車両の外へと出た。

 

 第三高校、校門付近。——がある筈の場所で、車は停車していた。

 

 外は乾いた風が吹いている。

 

 威力を封じ込める結界が張られていたからか被害は外に漏れてはいないものの、結界で閉じ込めた分、逃げられない衝撃は内側に向けられ、被害が増していたのだろう。

 

 心配なのは、日曜日も学園内で仕事をしていた職員や部活動に励んでいた生徒達の安否だ。

 

 瓦礫の下敷きになってはいないか。

 

 この破壊をもたらした攻撃(?)に直接体が晒されたのなら、恐らく生きているかどうか。十文字の「ファランクス」なら防ぐ事は可能かもしれないが、生憎とその御曹司は東京にいる。

 

(……でも)

 

 この時間、この学園には八幡が居たはずだ。彼が何の対策も取っていないとは思わないし、この学園の生徒会長が生徒が受ける被害を許すとは思えない。

 

『生存者を発見。学園内にいた職員・生徒は生徒会長が魔法で保護した為に全員無事との事。また、緊急搬送が必要な患者はいませんでした』

 

「りょう、かい」

 

 やはり。これ程の破壊に晒されてなお無事だったという事は、彼らが何かしたのだろう。

 

「……こうなった原因もあいつらなんだろうけど……はぁ」

 

 やはり自分も、ついていくべきだった。

 

 安堵やさまざまな感情が入り混じり、かおりは深くため息を吐いた。

 

「……そういえば」

 

 瓦礫の山を見渡す。この様子では地上の施設は一つ残らず全壊しているのだろう。

 

 重要な資料だったり、CADなども全て破壊されているに違いない。

 

「地下施設が残ってると良いんだけど——っと」

 

 かおりが瓦礫に触れる。すると、触れた箇所からさざ波が立ち、触れていない瓦礫や小石にまで波及して、山となっていた瓦礫は形を保てずに崩壊、泥水のように地面に広がった。

 

 建て直すにしろ全く新しいものを建てるにしろ、巻き戻す(・・・・)にしても、ここまで破壊されきったものを残しておいてもどうしようもない。

 

 それなら、探し物(・・・)をするのに瓦礫があるだけ邪魔だ。

 

(……生存者は一箇所に集まってる。万が一の未確認の生存者がいた場合も、これで(・・・)見つかる。……何より、人を集めておきながらそこから逃げたバカ共(・・・)をあたしが逃がすと思ってんのかなぁ……?)

 

 次の瓦礫、次の瓦礫と、かおりが指先で触れるだけで地面にあるすべての無機物は壊れる。

 

 ばしゃばしゃと、水たまりの上で遊ぶ子供のように駆けていく。

 

 そして、2分ほど経過した後。

 

「……ふふふふふ。……もーいーかーい?」

 

 かおりはついに見つけた。

 

 自分が触れているにも拘わらず、液体にならない瓦礫の山だ。

 

 かおりが呼びかけると、瓦礫の中から「やべっ」という可愛らしい声が聞こえた。

 

「……今大人しく出てくれば、ごめんなさいで許してあげる。……けど、このまま篭り続けるなら、明日から比企谷の宿泊先は雅音のところに」

 

「さっせんした! アイ!」

 

 ビニールシートを剥ぐかのように瓦礫の迷彩が解け、かおりの足下には土下座をする八幡(♀)の姿が。

 

 そして。

 

「……あ、あの、えっと、これは……」

 

 瓦礫の偽装が施されていた場所で三足チェアに座ってマグカップを片手にあたふたする愛梨と、

 

「やあ折本さん。何事においてもまずは気分をリフレッシュして次に対しプリペアする事が重要だと思うんだよ、うん」

 

 優雅にアウトドアティータイムを決めている玉縄がいた。

 

「玉縄君、こんにちはー。東京湾と瀬戸内海、どっちがいい?」

 

 彼の手元をよく見るとカタカタと手が震えており、ティーカップの中身も殆どがこぼれ落ちている。

 

「……そ、その二択というのはアレかな、デートのお誘いとかいう……」

 

「そだねー。コンクリプランはふたつあって、足にアクセサリーをつけて海の景色を楽しむのと、全身浸かってゆっくりとした時間を過ごすのと、どっちが良いかなー?」

 

「コンクリプランって何ですの!? 足に重しつけられて沈められるの!? それともコンクリートの中に詰められてゆっくり腐ってくの!?」

 

 ガタガタと怯え、顔を青ざめさせる玉縄。

 

「…………何か言うことはあるかな、会長」

 

「さっせんした! アイ!」

 

 八幡の隣に彼も同じくスライディングシュートしたところで、かおりは漸く愛梨に目を向けた。

 

「ごめんねー? こいつら止めるの大変だったでしょ」

 

「……あ、い、いえ、えと、……その」

 

 かおりの向ける同情の視線から目を逸らす愛梨。

 

「……止めようとしたのは事実だけど、結果的に威力を増幅させる形になっちゃって……」

 

「……そうなんだ」

 

「……だから、ええと、私にも責任の一旦はある、というか……」

 

「……気にしなくていいよ。この後手伝ってもらうけど、一色さんがわざとじゃなかったっていうのはわかるし」

 

「折本、さん……」

 

 かおりのはにかむような笑みに、沈んだ表情ばかり浮かべていた愛梨は、顔を上げた。

 

「だから、気にしすぎるのもダメだよ」

 

 かおりがそう微笑むと、それまで頭を伏せたままだった八幡が急に頭を上げた。

 

「やっぱそうだよな、人間反省が大事っていうけどいちいち証明だの証拠だのって言ってたら埒があかないし。大事なのは本人がどうありたいかってことだし。それじゃこれから俺はネカフェでひとり反省会を——」

 

 膝立ちの状態から立ち上がろうとして、ゆっくりとかおりに押さえ込まれる。

 

「あんたは今日からウチで預かるから。大丈夫、雅音もいるし寂しくないよ」

 

「……考えうる限り最悪の展開だっ……!」

 

 かおりの手を払って逃げ出そうとする八幡だが、反対の手が襟首ではなく首そのものを掴んでいる為、逃げようにも逃げられない。

 

「ひっ……!」

 

 逃げられないように、八幡の背後からするりと両腕を前に回すかおり。

 

 背後から抱きついているのだが、それを受けている八幡の怯えようは、どう見ても銃を突きつけられた人質のそれだ。

 

 八幡の耳元で、蜜のように甘い、しかし猛毒を含んだ声が囁かれる。

 

「……比企谷。今日、何をどうするつもりで学校に行ってどういうつもりで学校を灰燼に帰したのか、ゆっくり教えてもらうから。比企谷にもそれ相応の理由があったんだろうし、大丈夫だとは思うけど……あたしが納得できるまで、寝かせるつもりはないからね」

 

「…‥まっ、任せてくれ、完璧なプレゼンを……」

 

「あ、栞ちゃんも来る(・・)ってさ」

 

「………oh」

 

「……え?」

 

 それを聞いて八幡はがくり、と項垂れた。

 

 栞、という名前に反応する愛梨だが、彼女が何か言う前に、真っ白に燃え尽きた八幡がかすかに開かれた口でただ呆然と言った。

 

 

 

「…………最後の晩餐はカツ丼がいいな」

 

「今日の晩ご飯はお刺身だよ、比企谷」




ちなみに先に手を出したのは八幡です。


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依存系ダメ少女と無責任系ダメ少年

人の成す愛に形など、元からないよ。

ろくろの様に自分で作り上げていくしかない。

——それとも君は、他人の見よう見まねの愛で気がすむのかい?


 静寂とは、それによって得られる心の安寧に反してこの世の何よりも「死」に近い概念である。

 

 死んだように眠るという表現はあっても、死んだように遊ぶという言葉はない。

 

 死とは静寂の極致であり、停止の究極だ。

 

 それを否定するために、生物はたった一つ、死ぬまでその鼓動を止める事がない心臓(宝石)をその身に宿して日々を生きながらえている。

 

 それを踏まえて、敢えてこう言おう。

 

〝死とはあくまで肉体の機能停止に過ぎず、連鎖して起こる精神の死には該当しない。〟

 

 これは、器が壊れれば中身もダメになる理論に真っ向から石を投げるものであり、ヒトの精神と肉体の結びつきを強く否定するものである。

 

 しかしながら、魔法の世界において魔法式の効果を発揮するまでの過程の特殊性故か、精神と肉体は別々に考えられる事がある。主に、物理、非物理という区別において。

 

 魔法の研究が始まってから数十年が経ち、最近になって漸く散見されるようになったこの考え方だが、真に重要なのは精神と肉体の別離ではない。

 

 肉体の成長に伴い、精神も成長するという点だ。

 

 肉体は寿命という終わりがあるのに対し、精神には「肉体が死ぬから」という理由でしか終わりは来ない。

 

 平均的な人の寿命は90〜100歳、性能的な限界であれば120年。

 

 もし、200年や500年、或いは1000年の間ヒトが生き続けたとしたら、精神はどこまで進化できるのだろうか。

 

 ヒトの精神を保ったまま別次元の存在へと成長する事ができるなら、この実験はナンバーズ計画よりも遥かに価値のあるものだ。

 

 

 

 

 ————【人類天使】保障実験保管資料より一部抜粋。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深閑とした誰もいない森。

 

 静かな場所、静かな時間というのは、ただそこに存在しているだけで心を落ち着かせてくれる。

 

 生物の声も生き物の臭いもしない。

 

 ただ、静か。

 

「……、…………」

 

 その少女は、誰もいない森の誰も気づかないその場所で、自分を覆う樹木に纏わりつかれながら、死んだように眠っていた。

 

 少女の眠りを妨げるものは何もない。

 

 王子様のキスどころか、微弱な音や地震、空気の波動でさえも彼女を揺り起こす事は叶わない。

 

 彼女の肉体はここにあったとしても、精神は別の次元階にある。

 

 動力源を抜いた機械、という表現が適切か。

 

 最初に精神が眠りについてから彼女の肉体はその場所にずっと放置され続けている。いくら時が経とうとも朽ちることはなく、500年が経った時、まるで死体のようにじっとして寝返りも打たない彼女を護るように、富士の樹木が彼女の体を覆った。

 

 肉体としての機能など、とうの昔に錆びれている。今この体に少女の精神が再び宿ったところで、脈拍ひとつ無いその四肢を動かせやしないだろう。

 

 だが、朽ちず、また大地に取り込まれる事もなくこちらの世界に存在し続ける少女の肉体は、次元の違う世界で封印からの解放を待ち続ける少女がこちらの世界に置いていった、ただ一つの楔。

 

 故に肉体さえ破壊してしまえば、少女は永久にこちらの世界に帰還できなくなる——では、ない。

 

 少女の身体こそが封印の要なのだ。

 

 破壊が達成されるとどうなるか。——我々は、楔によって存在を把握している少女を見失う。二次元の存在が我々を知覚できないように、我々もまた次元の違う存在に触れることすら叶わないだろう。

 

 しかし、観測ができないというだけならまだいい。

 

 接触点を失い、興味が薄れ、存在が忘れられてゆくのだとしたら、それは縁の消滅であり少女の脱落を意味する。

 

 我々にとってこれほど喜ばしいことはないが、そうはならないからこそ厄介なのだ。

 

 楔によって少女を認識しているのはあくまで我々の視点。少女からすれば楔などなくともいつでも世界を覗き込めるので、逆に自分の存在があり続けてしまうという弱点が明確にある肉体ほどのお荷物は他にないだろう。

 

 そして、楔が外れた少女は自由になる。

 

 世界のどこにだって行けるだろう。雪ノ下や葉山の秘術などとは比べ物にならない規模と精度で少女は世界に顕現し、さらには複数の場所に同時に現れる——なんて事も可能になってしまうかもしれない。

 

 突然ぼろり、と少女の身体を覆っていた苔が一部剥がれた。

 

 故意に退けられたのではなく、偶然に取れたのではなく。

 

「……、」

 

 必然に、それは落ちていた。

 

 剥がれ落ちた苔が覆っていたのは少女の顔の部分。彼女の目が開いた訳でも、口元を歪ませて獰猛に笑みを作った訳でもない。その機能は、とっくの昔に失われていると言った筈だ。

 

 風で落ちたのかもしれないし、昨日降った雨で崩れ始めていたのかもしれない。——たったそれだけの些細な変化で、森は震撼した。

 

 ざわざわ、と森が揺れる。

 

 鳥が、虫が、動物が。

 

 森に棲む全ての生き物達が、その場所から一目散に逃げ出した。

 

 恐怖に駆られたのか、或いはもう住めないと判断したのか。

 

 女王蜂ですら、子を捨てて自らの城を出た。

 

 肉食動物と草食動物が争いもせずに並んで走っている。

 

 何もかもがそれ(・・)を恐れていた。

 

 実際、少女の肉体に起きた変化は顔の苔が少し剥がれただけ。関節ひとつ、動いていない。

 

 それなのに、その少女の周りからは、数秒で命の気配が消え失せていた。

 

 ざわめく者達がいなくなれば、その領域が静まるのもまた必然。

 

 静謐を感じさせる割には空気が乾き過ぎている。死んだ森という題名でこの場所を表現するなら、ちょうど今が頃合いか。そう思わせる程に森は一瞬のざわめきの後、死んだように静まり返っていた。

 

「————!」

 

 不意に訪れた静寂。怪我のせいで1匹取り残されて、足を引きずりながらも気配(・・)から逃げる途中だった()は、思わず足を止めて振り返った。

 

「……」

 

 リスという小動物に過ぎない彼がその場で考えられた事はあまり多くなく、彼はあくまで状況の変化に反応したに過ぎない。

 

 しかしそれは、あくまでほんの少しの空白に過ぎず。

 

 小さな小さな獣がほんの一瞬だけ忘れた危機感。

 

 それが命取りだった。

 

「…………きゅ

 

 ——バキぐちベシャドゴっガッンギギドジュッガジャアベキョミチガジョグチギチギチベバジョッボダロジがじゃドゥアじじがじゃんメキョゴキっドバシュベガっザンジグジュギュアベジっっっ!!!!

 

 彼は「喰われた」という意識、或いは敵の認識すら得られずに。

 

 突然背後から襲ってきた見えない「何か」に食い潰されて、彼は幸せに死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………あぁ、まだ、足りない……………………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰かが言った。恋とは呪いであると。

 

 恋は依存であり、深みにハマればどうしようもないほど堕落していくのだと。

 

 しかし八幡はこう思う。

 

 恋の性質は人によって千差万別であり、見方によって形を変えるもの。人による違いがあって当然だ、と。

 

 ……殺しを以て愛の形とするのさえ受け入れる八幡だが、しかし、どうにもこれは受け入れ難い。

 

「ねぇ八幡。今日の夕食、お刺身ですって。八幡はどんなお魚が好きなの?」

 

「つぶ貝とかイカとか、歯応えのあるネタが好きだけど」

 

「……、そうなのね。実は私もイカとか好きなの。噛んでると舌の上に広がる甘みがなんとも言えないわよね」

 

「うん……あ、ほらこれ。テレビでやってるぞ」

 

「……? 何かあったかしら」

 

「前に気になるって言ってなかったか? ほら、熱心に雑誌を読み込んでた時のやつ」

 

「……? 八幡があまりにも熱心にその雑誌を見つめるものだから、そこまであなたを惹きつけるものが何なのか気になっただけよ」

 

「そ、そうか」

 

 依存とは、形以前に恋の内に含めていいものか。

 

 ぴたりとくっつき自分の側から離れる様子がない彼女を見て、八幡はそう思った。

 

 十七夜栞。数字付きの家に養子として迎え入れられ、数年前に一色愛梨と出会って魔法の才能を開花させた少女だ。

 

 中でも栞が得意とする演算処理能力と空間認識能力の高さは栞が愛梨と出会えたからこそ獲得した力であり、栞の自信の源になっている。

 

 故に彼女の経歴に八幡が関わる余地など微塵もなく、2人はお互いを認識することすらなかった筈なのだ。

 

 それが。

 

「八幡。大好きよ」

 

 体勢を変え、膝を立て、反省文を書いている八幡の背後から抱きついて、心から嬉しそうな笑みを浮かべる栞。

 

「……そっか。ありがとな」

 

「えぇ」

 

 八幡が新しい宿泊先である折本家に着いてからはずっとこの調子だ。

 

「……ちょっといいか、十七夜」

 

 八幡は栞のスキンシップに慣れているのか動揺している様子はない。が、手元でタブレットに書き込まれている反省文は彼の動揺を如実に表しており、女性の体の柔らかさについて記述された研究論文のようになっていた。

 

 どうせこんなのを提出したところでやり直しにさせられるだけ、と持っていたペンを投げた。

 

「何?」

 

「もう少し離れ」

 

「嫌」

 

「てくれない、か……」

 

「嫌」

 

 途中で科白を叩き折られて、八幡は項垂れる。

 

 八幡が折本家に連行され到着した時には既に玄関前で栞は待っていた。

 

 ネファスを使った身代わりの術もなぜか見抜かれて、影の中から引き摺り出された。

 

 それから八幡の片手は常に栞が握り、トイレという名目で何度切り抜けようとした事か。

 

 その年でもうトイレが近いのかと笑われたから、もう使えない手段になってしまった。

 

 心の中で八幡は「早く夜になってこいつが帰りますように」と願いながら、ペンを手に取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八幡と栞が出会ったのは、少しばかり昔の事。栞が十七夜家に迎え入れられる前、親からの暴力によって生傷を日々作っていた、とある月の月曜日のことだ。

 

『うおっ、あぶ……!?』

 

『……っ』

 

 包帯や絆創膏を身体中に付けて登校していた栞は、何かに急いでいた少年と曲がり角でぶつかった。

 

『悪い、……って、大丈夫か?』

 

 お互いに尻餅をついて転び、持っていた荷物が道路に散らばった。すぐに起き上がった少年は散らばった荷物を集めていくが、栞の体のあちこちに包帯と絆創膏が巻かれていることに気付く。

 

『……っ、大丈夫、ですから』

 

 服の下の傷は袖で隠せても、頬に貼られたガーゼは誤魔化しようがない。栞は、その傷を他人に見られるのが嫌だった。

 

 他人に関わりたくない。自分たちの事情に巻き込まれないで欲しい。そう思っていた栞は、顔も見ずにいた少年から荷物を受け取るとすぐに立ち上がった。

 

『……こちらこそ不注意ですみませんでした。拾ってくれてありがとうございます。それ、では…………?』

 

 言葉の途中で栞は自分の体の痛みが消えていたことに気付く。

 

 しかも消えているのは痛みだけではない。栞の体からは包帯も絆創膏もなくなっており、彼女が怪我をしていた箇所は全て治っていた。

 

 栞が自らの変化に戸惑っていると。

 

『じゃあな』

 

 それだけを言って、彼はその場から立ち去った。栞の変化に気付いていないらしい。

 

 1週間後。

 

『……っ!?』

 

『うおっと。今度はぶつからなかったな……って、アンタまた怪我してんのか』

 

 頭に包帯を巻いていた栞は、再び少年と出会った。

 

 ぶつかる事はなかったが、少年は栞の痛々しい姿を見て眉を顰めた。

 

『どうしようもないなら逃げ出すのも手だぞ』

 

 今度はそう言って、少年は去っていく。

 

『…………』

 

 額に触れる。両親にガラス瓶で殴られてできた傷は、また、跡形もなく消えていた。

 

 それからは1週間に一回、少年と会う度に自分が負った傷が消える、という奇妙な習慣のようなものができた。

 

 流石に栞も彼が自分の傷を治してくれている事に気付いてはいたが、お礼を言おうとしても、いつも少年はあっという間に立ち去ってしまう。

 

 栞から少年を見つけようとしても、いつの間にか彼から声をかけられていて、結局1回目からお礼は言えずじまい。

 

 曲がり角で鉢合う事もあれば、普通にすれ違ったり、背後から声をかけられて気づく事もあった。

 

 出会う度にアドバイスのようなものを少年はくれるものの、彼と彼女の間に二言以上の会話が生まれた事はない。

 

 ……いつからだろう。少年への恩義を恋心だなんて勘違いし始めたのは。

 

 栞自身、どのタイミングだったか思い出せない。

 

 栞は、少年に傷を治してもらう度に安らぎを感じるようになった。

 

 これも、栞が少年にきちんとお礼を言えなかったせいなのか。いや、お陰だと思いたい。

 

 一方で、少年の栞を癒す行為がいつの間にか彼女のひび割れた心までをも潤していた事に、彼自身は気づいていたのだろうか。

 

 いずれにしても、このまま2人の関係が続くのなら栞はこれ以上彼に近付けずにその勘違いを終わらせていたはずなのだ。

 

 ……この日がなければ。

 

『……?』

 

 いつもの日、いつもの時間に少年が現れなかったのだ。登校途中で彼に会えることを期待していた栞は、彼が現れないことを不思議がった。

 

 元々会う約束をしていた訳では無いのだけど、どうせ会えるからと大した心配もしていない。

 

 今日はたまたま。少し待てば来るかもしれない。——遅刻するギリギリの時間まで、彼とよく遭遇する場所で待ってみても少年は現れなかった。

 

 せっかく(・・・・)今日は(・・・)傷がない(・・・・)のに(・・)、どうしたんだろう。

 

 栞の十七夜家への養子縁組が決まり、実の両親達との縁が切れたのだ。

 

 これからは痛みに怯えなくて済む。今日は同じ学舎に通う最後の日。だから、その感謝を伝えたかったのに。

 

 お礼も言えないままに栞は少年のぶっきらぼうな表情を幻視し、その場を後にした。

 

 居を移してからというもの、比喩ではなく栞の生活は一変した。

 

 夜は静かに眠れて、朝は気持ちよく起きれる。

 

 今までの生活にさよならができた。それを栞は、引っ越してから1ヶ月もしないうちに実感することとなった。

 

 ……でも、それは傷を癒してくれていた彼との時間をも失くすということで。

 

 

 

 この、恩知らず。

 

 

 

『……っ……!』

 

 いつの間にか、自分と同じ声をした自分の影が、夢の中で栞を罵っていた。

 

 あれだけよくしてもらったのに、用がなくなったら「良い思い出だった」済ませるのか。

 

 それはあまりにも、あの少年を物扱いし過ぎではないか。

 

 それではあまりにも、栞の心は腐り過ぎてはないか。

 

 栞がそう思い込んでしまう程に、あの少年は栞に良くし過ぎてくれていた。

 

 そう思ってしまうほどに、栞の心は気づかないうちに、少年に寄りかかっていた。

 

『……う、あ……ぁ』

 

 自分のために用意された中から鍵をかけることの出来る部屋の中で、栞は1人うずくまる。

 

 心が締め付けられる痛みに、栞はぽろぽろと泣いた。

 

 実の親に暴力を振るわれた時でさえ、涙は出なかったというのに。

 

 こんなの思い込みだ、彼は自分のことなんて気にも留めちゃいない——そう思おうとするせいで、余計に悲しくなっていく。

 

 彼女がこんな風に思い詰めてしまったのは、心の拠り所にすべきものが彼女には何もなかったから。

 

 きっと自分が弱いだけなのだ。

 

 しかし、それで新しい家族に期待を寄せようとしても、前の家族の恐怖が脳裏にチラついて、甘えきれない。

 

『……あ、あぁ——』

 

 この気持ちを止めたい。全部吐いて、髪の毛の先までまっさらにして、空っぽになりたい。……少年に、会いたい。

 

 いつの間にか栞は自分を癒してくれる少年の姿を求めていた。

 

 でも栞は、怪我を負うほど酷い生活を送っている訳ではない。

 

 もしかすると、栞が不幸な生活から抜け出せたから、少年は栞の前に現れなくなったのかもしれない。

 

 …………。

 

 本来であれば、少年と栞が関わる事など無かったからだ。

 

 栞の、怪我がなければ。

 

『……………………』

 

 怪我さえしなければ、栞は少年と会う事もなかった。

 

 

 

『……栞、さん? その腕の怪我はどうしたのっ!?』

 

『……』

 

 

 

 気付けば、栞はカッターで自分の身体を傷つけていた。

 

 傷を負えば、また少年に会える。——そんな事はありえないと、自分でもわかりきっている筈の幻想を思わず抱いてしまう程に、栞の心は弱りきっていた。

 

『……だめ、だわ』

 

 それでも、彼女の心は完全には折れていなかった。

 

 こんなことをしていては、自分を迎え入れてくれた十七夜の人達に迷惑がかかる。

 

 そんなことを考えられる余裕がまだ彼女にはあった。

 

 だから、彼女にトドメをさしたのは彼だったのかもしれない。

 

『……悪いな、中途半端に手を出したりして』

 

『…………!』

 

 想いを捨てて、新しい生活を受け入れて、新しい学校に通う途中。

 

 栞は再び少年に出会ってしまった。

 

 何もかもを知っているかのような様子で栞の腕に手を翳す少年を、栞は放心したままただ見つめる。

 

『それじゃあな。やっと楽になれたんだから、もっと気楽に生きろよ』

 

 治療が終わり、手を離す少年のその言葉で、栞はやっと気付いた。

 

 自分を助けてくれたのは少年だったのだ。十七夜家に養子縁組の話を持ちかけて、少年はこのままではきっと壊れていたであろう栞を救い出してくれた。

 

 自分のおかげだとは何ひとつ言わずに。

 

『……いや』

 

 その事に気づいた栞は、立ち去ろうとする少年の袖を掴んでいた。

 

『…………困るんだが』

 

『わた、私は、……もう、あなたが欲しい(忘れたい)。だから……っ』

 

『……悪いが、記憶操作ができる魔法はこの前失くした(・・・・)ばかりなんだ。精神干渉魔法はこの時代じゃ未完成だし、使うわけにはいかない。……………………って、え? なんて言った?』

 

『あなたとの繋がりが欲しいのっ!! 何もかもを諦めてた私を埋めつくしてくれた、あなたとの繋がりが!!』

 

 栞は叫んだ。本人としてはそういう風に思われたい、思って欲しいと考えていたけれど、友達のような繋がりからでも全然構わない。そんな想いを込めて、心の底から。

 

 栞の変化を少年が知らない筈もない。あえて無視していたのかもしれないが、これで少しは響いた事だろう。

 

『……そ、そう……か』

 

 ぽぅ、と顔を赤くして俯く少年。外していたフードを深く被って恥ずかしがる様は、栞の告白に照れているというより、他の何かから視線を遮りたいとか、そういう意図が——

 

『……あ』

 

 思い切りは良かった。しかし、場所は悪かったかもしれない。

 

 よく通る大きな声で、人通りも良好、コミューター待ちの人々がかなりいるローターリーのど真ん中。

 

 人々の視線を集めるには十分すぎる場所だ。というか、他に場所を選べなかったのか。

 

 栞が周囲の視線に気づいて、顔を赤く染めようとする——

 

『『『『——おめでとうっ!!』』』』

 

 ——その前に、栞達を中心にして大歓声が巻き起こった。

 

 栞の言葉を告白だと勘違いしたのかもしれない。しかし、そうだとしても、栞はこれほど暖かな声を浴びたことがなくて、照れることすら忘れ、数秒の間ぽけ、とただ周りを見ていた。

 

『……やってくれたな、おい……』

 

『…………あ』

 

 全力でフードを被る少年が、栞の手を取って走り出す。

 

 その逃避行すらも、観客達には美点として見えた事だろう。

 

 また、栞は少年に迷惑をかけてしまった。

 

『……』

 

 でも。

 

『……見捨ててくれなかったこと、ありがとう』

 

『……そんなん気にする余裕なんてねえよ、ああもう……』

 

 自分がどれだけ面倒くさい女かは自覚しているつもりだ。

 

『……ううん、それだけじゃないわ』

 

『……?』

 

 だからこそ、きちんと伝えなければ。

 

『……あなたとの繋がり。あなたとの絆。……この能力(・・・・)、大切にするわ』

 

『…………………………………………は?』

 

 思わず立ち止まる少年。その顔は、先程の栞よりもずっと呆けていた。

 

 ——そんな表情すら、愛おしい。

 

 胸の奥でうずく、この熱い波動。

 

 栞は、自分の中に生まれた少年との繋がりに手を当てて、微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……という訳で、こいつが今十七夜家にいるのは、俺が関係したからなんだ」

 

 すりすり、と八幡を抱き寄せて彼の腕に頬擦りをキメる栞。八幡は自分で反省文を書く事をとっくに諦めていて、されるがままだ。

 

「なるほどね……じゃ、ないわよ!?」

 

 状況と2人がこんな関係に至るまでの経緯を知った愛梨は、飲みかけのお茶をだん、と置いた。

 

「聞いてて馬鹿馬鹿しくなったわよ! 友情で終わるような話じゃなかった!? どうしてそこまでになったの!?」

 

「友達少なかったせいか知らんけど、同年代でまともに話したの俺が初めてなんだと。クラスメイトもいつも怪我してるこいつのこと気味悪がって近づかなかったみたいだし。……で、色々あった結果今こうなってんだよ」

 

「……人付き合いが得意ではなかった筈だけど、時々機嫌が良さそうだったのって……」

 

「八幡と電話できた時とか、会いに来てくれた時、くらいかしら」

 

「……お前と四葉当主の電話くらい対処に困るもんはないし、会いに来て欲しいって催促するからだろうが」

 

「……だって会いたいんだもの」

 

 まるで彼女と彼氏、恋人同士のやり取り。

 

 その光景を見て、愛梨は内心戦慄した。

 

(……まるで正妻の貫禄……いや、愛人……現地妻か……?)

 

 どんな昼ドラも目の前の光景が含むものには霞んで見える。そう思った愛梨だった。




〜人物紹介〜


一色愛梨

魔法大学付属第三高校の一年生。競技リーブル・エペーの名手であり、その剣捌きの鋭さからエクレール・アイリの異名を持つ。生徒会に所属しているが最近のやり取りはメールや通信のみでそもそも学校に登校していなかった。不登校になった原因は魔法力の消失のせいだが、失った魔法力とは別の力を得た事により登校を再開。——するつもりだったが、通う校舎が無くなってしまった。2割くらいは彼女の責任。


十七夜栞

愛梨と同じ第三高校の生徒。人に慣れているとはあまり言えない性格だが八幡に対する重度の依存癖があり、めんど「愛の大きさ」では一位、二位を争うほどの猛者。彼女も愛梨のように特殊な能力を有していて、その危険性故にとある人物の手によって複数の能力に切り分けられてしまった「時空間能力」の一つを八幡から奪っている。



あ、因みに最初に八幡から能力を貰ったのはあーしさんではありません。九校戦が終わったら出てくるかも。


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諸刃の心



誰もが願っていた。

生き残りたい。

みんな同じ夢を見ていたのに、掴んだのは1人だけ。


 

 魔法大学付属第一高校。

 

 名前からしてファンタジー、非日常感が溢れているこの学校にも学期というものはあり、教育機関として地図に記載されている以上、定期考査、定期試験というものが存在する。

 

 テストの結果が不十分な生徒には追試が発生するし、場合によっては一科生から二科生に異動させられることもある。無論、不正行為には退学などの重い処分が下される。

 

 だが、テストの結果が発表されたこの日に達也が職員室に呼び出されたのは、不正を疑われたからではなかった。

 

「——以上だ。つまらん事で呼び出して悪かったな」

 

「いえ。自分でも仕方ないと思っていますから」

 

 彼は本当は出し惜しみしているのではないか、と実力を疑われていたのだ。

 

 というのも、達也が定期考査において二科生では普通ありえないような学科の点数を叩き出してしまったからだ。

 

 その結果、学年主席だった妹の深雪を上回る490点という異次元の数字を叩き出し、順位は勿論学年一位。

 

 この定期試験の実技科目において、学科との差があまりにも釣り合わない試験結果に納得の出来なかった職員室。だが、達也がこれほどまでに魔法師としてアンバランスな理由をこと細やかに説明する訳にはいかない。達也の出自に関わるからだ。

 

 彼は、その聴き取りを有耶無耶にする為に聴取役に立候補した平塚静から、形だけの聞き取り調査を受けていた。

 

「詫びに、これをやろう」

 

「なんですか」

 

 そう言うと、聴取の終わりに静は端末を持った。端末自体を達也に渡そうとしているのではなく、何かしらのデータを渡してくれようとしているのだ。

 

「……にっ。まぁ、いいものだよ」

 

 静の笑顔が気になって、達也は懐から端末を取り出す。

 

 一応私用の端末ではなく、仕事用に持ち歩いている方を静の端末の下に付ける。私用のものより安全性が多少落ちるものの、これならハッキングプログラムを送り込まれてもシステムを防御できるからだ。

 

「……これは」

 

 案の定、数分間の映像データだった。

 

 開いてみると、何処かの局で放送されたニュースの一部分らしい。

 

 これが一体何になるのか、と顔を上げかけて、達也はそのニュースが意味するものに気づき、再び画面に目を向けた。

 

「詫びとしてはつまらんかもしれんが、まぁ取っておけ。確証はないがほぼ間違いなく、()の手掛かりだ」

 

「これは……」

 

 ニュースは、とある事件を伝えていた。

 

〝魔法大学の系列校、校舎倒壊。重複事故か〟

 

「昼に放送されたものの一部だがな。……第三高校でかなり大きな地震があって、建物のひとつが崩れた、という事だ」

 

「魔法科高校で建造物の倒壊事故が起こるなんて、確かに珍しいですが」

 

 あの男と何が繋がるのか、と達也が続けようとしたところで。

 

「ニュースでは地震によって一つの建物、部活動で使われる古い棟が全壊したとあるがな。実際は、第三高校敷地内のすべての建造物が粉々に崩壊したらしい」

 

 静の浮かべる笑みの理由が、ようやくわかった。

 

 そして達也は、今更になって周囲に、というか職員室に誰もいないことに気づいた。

 

 達也は彼が職員室に入室すると同時に展開されていた魔法、あらゆる音を断絶する「遮音フィールド」には気付いていた。だが、人払いの結界の存在に気付けなかった事を達也が驚いていると、静はさらに不敵な笑みを浮かべた。

 

「ウチの者と四葉の合同調査のお陰だよ。……ったく、あの姐さん(・・・)は1にも2にも比企谷比企谷……。あいつに執着し過ぎで困ったものだ」

 

「……なるほど」

 

 確かにこれは、一般では知られない情報だ。

 

 つまり、今静が達也に渡したデータは公にできない手段で得たもの。それならこの結界の密度や強度にも納得がいく。

 

 結界に達也が眼を向けてみるも、術式の密度が濃密すぎて、達也でさえも外側を嘗めるだけで精一杯。一般的に使われている魔法の強度がトランプタワーなら、静の用いた術式はさながら核シェルターといったところか。達也もこれほど濃密なものを目にするのは初めてであり、とても術式解体などで吹き飛ばせそうにはない。

 

(……技術の差、力量差などではない……。まるで100年の隔たりを感じるような、時代規模の違和感だ)

 

 周囲の人間が普段、彼の実績に対して零している感想を洩らしながら、達也はその違和感に相当するものが最近にもあった事に気付いた。

 

「…………まさか」

 

 達也は気づき、そして思い出す。

 

 彼がまだこの学園にいた4月、この第一高校でも大きな地震が起きていた、という事を。

 

「4月に起きた十神の件とは無関係だろうがな。……まぁ大方、何か揉め事を起こしたんだろうさ……おっと」

 

 しまった、という顔で口を噤む静だが、達也はそれをしっかりと聞き取っていた。

 

「……4月に起きた十神?」

 

 達也たちは、失踪した八幡捜索の際に手掛かりになるかもしれないものの一つとして、十神という存在を認知していた。

 

 だがその存在が語られたのは静と同じ六道、第一高校に通う生徒である雪ノ下雪乃の口からのみで、それが関わっているという証拠も何も掴めていないのが現状だ。

 

 それを、まるで見ていたかのような言動。

 

「……あー、うん。何でもない、言い間違いだ。気にしないでくれ」

 

(……まともに聞いたところで返事はもらえない、か)

 

 あからさまな態度で誤魔化そうとする静に、達也はこう呟いた。

 

「……やはり、平塚先生と(・・・・・)比企谷が(・・・・)相手を(・・・)していた女子生徒が(・・・・・・・・・)十神だった(・・・・・)んですね(・・・・)

 

 ——と。

 

「……な、に…………?」

 

「…………」

 

 相手の秘密を知ろうとするならば、まずは自らカードを提示しなければならない。

 

 達也は静に突きつけた。

 

 自分があの時、記憶を失っていなかった事を。

 

 彼らの戦闘を目撃していたことを。

 

 そして————

 

 

 

『……どうせ、あなたの存在なんて数秒で忘れる人達ですよ……。そんな奴らを庇う意味あるんですかァ?』

 

『意味なんてねぇよ。在るのは理由だ、……っ!』

 

 

 

 達也は今でも鮮烈に憶えている。見ていて皮膚の下がざわざわと色めき立ったあの感覚は、どうにも忘れそうにない。

 

 二匹の化け物達が互いに喰らい合うその後方で、達也は驚きと共にその光景を間近に見ていた。

 

 偽りだとか隠蔽の素振りすら見せない、力と力の衝突。片方が放ち、片方が弾くことでそれた力が周囲に撒き散らかす爪痕は、思わず魅入ってしまうほどの威力だ。

 

 ……しかし。

 

 その時の達也には、大きな疑問があった。

 

 ミサイルをぶつけ合うような猛攻の応酬だというのに、戦闘行為を周囲の人間に察知してもらえないというのに、ヒトのいる場所を避け、破壊した壁は即座に復元して、その結果、死人どころか怪我人すら出ていないこと——では、なく。

 

 あれほどの破壊があったのに対し、驚くほど情報次元(イデア)は静寂だったのだ。

 

 そんな事実が、彼自身にどうしようもない事を告げていた。

 

 要するに彼らは、この世界をさらに()から攻撃しているのだ。

 

 絵に描いた餅をクシャクシャ丸めてビリビリ破いて、無かったことにする様に。

 

 それに気づいた時、達也は。

 

(……こんな)

 

 抵抗なんて、しようがない。

 

「……彼は、俺達を庇いながら戦っていました。……俺達は、彼に救われたんです。奴は、俺の魔法に気付いてすらいなかった……再生も分解も通用しない相手なんて、お手上げですよ」

 

 ——耐え難い、自らの無力を、達也は静に突きつけた。

 

「エイドス自体がアレには存在しない。教えてください平塚先生。比企谷は一体、どうやって奴を……」

 

 ——撃退したのか。

 

 そう呟かれる事なく消えた彼の言葉には、どうしようもない焦りが含まれていた。

 

 なにせ、達也は今言ったとおりに、八幡と戦うイチジョウに自己の存在を認知すらしてもらえなかったのだから。

 

 達也も焦っていたのは事実だ。このままでは、自分の最重要任務である「深雪の護衛」を完璧にこなす事が出来なくなってしまう。

 

 自分が斃す事のできない存在など、達也は今まで遭遇した事がない。

 

 だからこそ、自分達の生活を守るために達也は情報を必要としていた。

 

 しかし達也をまっすぐに見る静の口から出たのは、彼女が驚いた結果、口からこぼれた一言。

 

「……君は、あの状況下で記憶を失っていなかったのか」

 

「…………」

 

(やはり……)

 

 それは、達也の疑問に対して肯定とも取れる言葉。

 

 どうやら彼女は駆け引き、政を得意としないらしい。

 

『すまんが、私も彼について忘れていた。職員室で生徒会の放送を聞いて、その後がさっぱりだ』

 

 そうなると必然的に、あの時静が嘘をついた理由が発生する。

 

「……黙っていたのは、どうしてですか」

 

 そうした方がいいと判断したからか、或いはそうするように要請されたからか。

 

 そのどちらかしかない、と達也が思っていると。

 

「…………」

 

 どぎゅん。例えるならそんな音で、目の前にいる静の闘気が膨れ上がった。

 

「……そうか、記憶を失っていないのか」

 

「……っ!?」

 

 突然の、しかし明らかな戦闘態勢。

 

 そして、静は火の粉を払うかのような仕草を見せる。

 

 咄嗟に放った達也の分解魔法(トライデント)を魔法を使わず、事象干渉力のみで跳ね除けたのだ。

 

(……まさか、俺や深雪以上の干渉力とは)

 

 完全に想定外だ。達也が、いずれ倒さねばならない相手として見ていた四葉。その配下である葉山や雪ノ下と同じ六道である平塚とは、もしかしたら戦うかもしれないとは思っていた。

 

 それでも達也自身は、倒せない相手ではないと考えていたのだ。

 

 戦闘になればおそらく達也は負ける。10年後だろうと20年後だろうと、どんな成長をしていたとしても、達也は静に勝つ事が出来ない。

 

(……なら、逃げる)

 

 当然の選択だ。静がこんな態度を見せた以上、このまま戦闘になるかと——思いきや。

 

「……ん? ……ああいや、違うのか。……こうなると、記憶がどうこうされていたわけじゃないのか……」

 

 それまでの敵意が嘘のように消え失せて、静は達也を見る。

 

 静が達也に対する構えを解いた理由は未だ不明だが、元々達也には静とやり合う理由がないので、彼も戦闘態勢をやめた。

 

「すまんな。あの時に比企谷を忘れていた者は、敵の干渉を受けている可能性があった。だが、君はどうやら違うらしい」

 

 干渉。それだけを聞いて達也がパッと思い浮かべたのは記憶の操作だが、深雪や真由美たちの記憶が元に戻っている様子からするに、永続的に失わせる、といった不可逆的な効果ではないらしい。

 

 或いは発信機のような術式を付着させて警戒の網にする、とか。

 

 しかしそれも、異常として達也の眼には何も映ってはいなかった。

 

 それはつまり、精霊の眼すらも通用しない概念が世界には在るという事だが……。

 

「……今のやり取りのみで何故そうだと断言出来るんです? いえ、自分もそうでないという確証は無いんですが」

 

「わからないか? ……君が魔法で私に攻撃してきたからだよ」

 

 達也が魔法で攻撃したから違うという。魔法を使わない攻撃だったら静の判断も違っていたという事。つまり……。

 

「……彼等は干渉手段として魔法を使わない……使えない?」

 

「その通り。奴らからしてみれば、我々の使う魔法は欠陥品だ。何せ魔法師は魔法発動に必要なエネルギーを自分でも感知できないとこから引っ張ってきて使っているんだからな」

 

「魔法に……欠陥、ですか」

 

「その辺の話は面倒だからしないぞ。……まぁ要するに、十師族でも干渉力の時点で勝負にならん。君ほどの干渉力を持っていたとしても、無意味だろうな」

 

「……比企谷は奴と対等以上に渡り合っているように見えましたが……」

 

「つまり、比企谷も十神と同レベルの事象干渉力を持っていたという事だ」

 

「……比企谷も十神である、と?」

 

 ここまでの会話からしてそう類推するのが自然だが、静は首を横に振った。

 

「あいつは人間だよ。……けど、勿論普通の魔法師でもない」

 

 八幡をそう語る静の目は、少し悲しそうで。

 

「あいつは、とある連中が対十神用に用意していた特化型兵器の成れの果てさ。人間の身体をベースにただ目標を達成する機能だけをプログラムされた兵器。……最初は文字通りの兵器だった。心を持たず、五感を持たず、それ故に人としての駆動限界が存在しない無敵の人間兵器。それが比企谷八幡という魔法師だった」

 

「……そうですか」

 

 そんな状態からある意味人間性に溢れ過ぎた現在に至るまで何があったのか、気にならない訳はなかったが、静の口から語られた八幡の過去に、達也は共感できなかった。

 

 共感できない代わりに、同情してやることもなく、彼は静の話に耳を傾ける。

 

 ……ただ、これは流石に無視できるものではなかった。

 

「……比企谷は何らかの経験があって人間性を獲得した……いいえ、誰かに育ててもらった、ということですか?」

 

 話の振りに対して質問をぶつける達也に、静はやや乱暴に答えを返していた。

 

「そうだ。とある魔法師が比企谷に人間の精神構造(・・・・・・・)を植え付けた事によって、彼は人間性を獲得した。……いや、この場合は人格と言うべきかな」

 

「————!!」

 

 しかし、この答えだけで達也を揺さぶるには、彼から感傷を奪うには十分過ぎた。

 

「それは……まさか……」

 

「ああ」

 

 静は、躊躇う様子もなく口にした。

 

「比企谷に人格を植え付けたのは司波深夜。8年前(・・・)、兵器として完璧に使い潰される予定だった比企谷八幡を人間にしたのは、君の母親だよ」

 

「…………」

 

「……まぁ厳密には血も繋がっていないから違うが、比企谷は彼女の精神構造手術によって生まれた君達の弟、とも言える訳だ」

 

 その間、僅か数秒。

 

 しかし、静の言葉は達也から思考を完全に奪い去っていた。

 

「……何故、母はそんな事を」

 

「なぜかはわからん。誰にも語らないまま、彼女は亡くなってしまったからな」

 

「そうですか……」

 

「ただ」

 

「?」

 

「深夜さんが比企谷を人間にしていなければ、比企谷が十神と戦う事もなかった。——つまり、我々の運命は4月で終わっていたんだよ」

 

 静の語るそれは純然たる事実。

 

 達也にとって非常に耐え難い、許されざる結果だ。

 

「——十神と戦えるのは、比企谷のみなのですか?」

 

 無論、達也がそれを放置して置く訳がない。

 

 そして、達也の目の前にいる静は「教師」だ。彼女にとって知を欲する生徒に教え導くのが生き甲斐と言っても過言ではない。

 

「魔法に関して言えばそうだな。……だが、少なくとも魔法そのものが通用しなくても、魔法によって得られた結果は通じることがある」

 

「……魔法は跳ね除けるのに、物理的な攻撃は効く、という事ですか」

 

「まぁそれでも相手の防御力が高過ぎてマテリアルバーストクラスの攻撃じゃないと、奴ら本体にはかすり傷一つ付かないだろうさ。……生物としてこれ以上ない存在だ。だから今まで、封印といった形で奴等は眠り続けてきた」

 

 達也は、静が口にしたマテリアルバーストという魔法を持っている。あの魔法は国防軍の管轄下に置かれている軍事機密であり、どのような兵器と比べたところで、その威力が世界最高クラスなのは間違いない。それが通用するとわかっただけでも希望は見えてきたが、それはそれで問題がある。

 

「……マテリアルバーストは、都市・国家が攻撃対象の戦略兵器です。一個人を仕留めるのと引き換えに都市を一個犠牲にするわけにはいきませんしね……」

 

「だが、いざとなればそれも視野に入れなければならない。——まぁ、それよりも、だ」

 

 静は達也に視線を合わせた。——というより、彼女は達也の目を見ているのか。

 

「……どうやら、君の()は最初から生まれ持った能力ではなく、持ち合わせた異能に引き摺られる形で得たものらしいな」

 

「……精霊の眼の事もご存知でしたか」

 

「私も精霊の眼を持ってるからな」

 

「……!」

 

 今日だけで達也はおそらく、一生分驚いたかもしれない。本気でそう思うほど、静との会話は驚きに満ちていた。

 

 自分の目に指を添えて達也を見る静。彼女の視線は、どこか妖しい光を放っているように見えた。

 

 暫くその目で達也を観察した後、静は不意に視線を外した。

 

「だが、再成と分解の寄せ集めで発現したその異能は、能力としては驚異的だが完成度としては未熟も良いところ。まるでダメだな」

 

「……先生の精霊の眼は、俺とは可視域が違うと?」

 

「ああ。まず、君の眼は見られた側に悟られる弱点があるが、私の眼はそれがない。私の視線を感じた事なんて無いだろう? 勧誘期間初日に事件が起きてから、四月の間は四六時中君を含めていろんな奴らを見張っていたが、君はそれに気付いた様子もない」

 

「…………。気づきませんでしたね」

 

「もっと上になれば、霊子の動きや思考の中身まで見えるようになる。より詳細な情報が得られるようになる、という訳だ」

 

「……それで先生、俺は何をすれば良いんですか」

 

 嫌味を言われているようで若干うんざりし始めていた達也だが、静はお構いなしだ。

 

「眼を鍛える」

 

「眼を……? 先程仰っていたように能力を強化する、という事ですか」

 

「簡単に言えば、もっと深くまで君の眼が届くようにする。厳重なプロテクトやカウンタートラップすらも踏み越えて真理に到達するレベルにな。君の眼が優れているのは、敵に気づかれてしまうというリスクがあってでも相当奥深くまで踏み込めるという点だ」

 

「それを更に奥まで……となると、今俺が抱えているリスクの対処などは無視、という事ですか」

 

「元々がちゃんとした能力じゃないからな。そこまで手を回す時間はないし、気付かれて困る事に使いたいなら自分でなんとかしろ。私が教えるのは、物の見方だけだ」

 

「……先生の教えを受ければ、十神を斃すヒントがわかる——かもしれない(・・・・・・)、と」

 

「確証は無い。見ても何もわからんかもしれんし、見る事でどうしようもない事態に陥る可能性だってある。だが何も対策を講じないのは違うだろう?」

 

 静の言葉に達也は頷く。

 

「……そうですね」

 

 達也は人間だ。他人とは違う感性で生きているが、それでもほしいものはちゃんとある。

 

 深雪を護る為なら、どんな事でもやり遂げる。それが達也の覚悟だ。

 

 静の施しが無駄になるという覚悟をも含めて、

 

「明日から、いつもより1時間早く起きて九重寺に来たまえ。君には精霊の眼の矯正プログラムを受けてもらう」

 

「よろしくお願いします」

 

 達也は深く頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 晴天。快晴。

 

 人の心を潤すのに、これ以上の天気は存在しないだろう。

 

 空が明るければ、自然と人は明るくなる。

 

 明るく健康的な生活に澄み渡る青空は必須とも言える。

 

 だからこそ、青空教室というものは生まれたのかもしれない。

 

 ……まぁ、彼らが今過ごしているこの場所は青空教室でも何でもなく「元々教室があった爆心地」と表現した方が適切だろう。無論、誰がこれをやったのかは明白だ。

 

「皆さん初めまして。比企谷八幡(やはた)です。この学園には以前から在籍していましたが、私の身体が弱くてずっと病院への入退院を繰り返していたため、通った事はありませんでした。お医者様から登校の許可が出ましたので、病院からではありますが、この度通学させていただけることになってとても嬉しいです。兄共々よろしくお願いします! ……ほら、兄様」

 

「おう。……えーと、比企谷八幡です。名前が妹のヤハタと同じ字で……あ、えっとそうじゃなくて、俺も身体が弱くてずっと病院で授業を受けてました。魔法力と理論の成績だけは自信があるので、皆さんと高め合えたらと思ってます。……以上です」

 

 文字通りの青空の下、木箱をひっくり返して教壇代わりにしただけの吹き晒しの野外教室にて。

 

「……なんじゃ、この茶番は」

 

 にこやかな笑みを浮かべるヤハタ(中身は八幡)と八幡(中身はネファス)の挨拶に、2人の自己紹介を聞いていた四十九院沓子は半眼を作って彼らに向けた。

 

 湿気を含んだ風が強く吹き、髪を揺らして肌を撫でる。

 

 沓子の後方ではかおりや愛梨、栞が自分の髪を押さえ、彼女達の更に後方で既に地面に何も敷かずに正座している雅音は風を気にした様子もない。

 

 沓子自身は髪を風に靡かせたまま仁王立ちで八幡を睨みつけた。

 

「二週間も休校になるというから気になって来てみれば……そもそもの学舎が消え失せておるではないか! これも十神対策に必要なのか!? 明らかに必要無かったじゃろうが!!」

 

 日曜の夜、彼女は学校施設の点検のためという名目で休校通知が来たのには驚いたものの「まぁあり得る話か」と納得し、明日は実家の神社を手伝おうかなと考え初めていた所で「暫定的に期間は2週間とする」の文言に気づいた。

 

「オンライン講義はやろうと思えばすぐに出来る。じゃが、基本的に理論より実技が評価される魔法科高校で2週間も学校施設を開けないというのはおかしい。そこで思い出したのがお主じゃ」

 

 八幡をびし、と指差して、怒りながらも頬をひくつかせる沓子。

 

「……聞けばお主、テロリストなんぞよりもよっぽどの被害を叩き出しているらしいの? こちらに到着して間もなく警察署に花火をぶち込み、キャビネットの高架軌道をぶち抜いて運行不可能状態にまで追い込み、コミューターの中央管制を落雷で完全に破壊し尽くし、果てはショッピングモールで一般人を巻き込んだ乱闘騒ぎを起こした挙げ句に学園の校舎を全壊させたときた。……莫迦者が」

 

 沓子の語る言葉を聞くごとに愛梨の顔が青くなっていく。いろはやかおり達の反応を見ても愛梨の反応が変というわけではなさそうだ。何せ、雅音が頬に汗を垂らして顔を引き攣らせているくらいなのだから。

 

 怒り4割心配5割、呆れ1割の表情でため息を吐く沓子に八幡はけろりとした顔。

 

「事故に巻き込まれてないか心配してくれたのか。まぁ大丈夫だ、どんな被害も最終的にはぜほに(・・・)——」

 

 ふわり、と八幡の体が浮き上がる。

 

 魔法による重力への反逆ではなく、人力による馬鹿者への制裁。

 

「……おごごあが……」

 

「……安易に魔法を使ってはならぬとお主にはさんざ説いたつもりじゃが!? その為のその身体じゃろうに! 何をしておった!?」

 

 可愛らしくもどこか毒々しい八幡の顔を鷲掴み、腕力だけで持ち上げた。よほど痛いのか、八幡もうめき声を出すだけで抵抗も出来ていない。

 

 10秒ほど八幡の頭蓋が握りしめられた後。

 

「……はぁ。それで、一体これからどうするのじゃ? 九校戦で迎え撃つのは良いとしても、向こうは手加減なんてしてくれないじゃろ」

 

 もういい、と呆れた声で八幡を離し、

 

「……それなんだが」

 

 事故を隠蔽する為に突貫工事で進められている建築の音をBGMに、地面に横たわる八幡はうつ伏せの体勢のまま、沓子を見上げる。

 

「お前らには教えてない十神のルールってやつがあってな。それを利用する」

 

 その場にいた全員が、八幡を見た。

 

「ルール? 聞いとらんのじゃが」

 

 不満げに八幡を見る沓子に八幡はハ、と鼻で笑い、

 

「言ってねえんだからお前が聞いてる訳無いだろ。言葉遣いだけじゃなく中身までボケたか——ああ!! すいませんでしたわばっ!」

 

 ——この2人、どういう関係なのだろう。

 

 愛梨が割と真剣に考え込む横で、硬い革靴で容赦なく八幡の頭を足蹴にして、沓子はため息を吐いた。

 

「ほれ、さっさと話さんか。でないと、お主の四肢を引っこ抜いて目の前ですり潰す」

 

「発想がもうヤクザどころか人間ですらねえ! 喰種とかクトゥルフとかその辺だろそんな発想!」

 

 悲鳴をあげつつ、砂利の味を噛み締めて、八幡は話を続ける。

 

「いやな。簡単な話なんだが、相手がどんな未知数の存在でも確実な戦法があるだろ」

 

 かおりが手を挙げた。

 

「相手の弱点を突く、とかそういう話? でも十神って弱点があっても急所にはならなさそうだし、むしろ弱点に食いついたところをやられそうなんだけど……」

 

「もっと簡単な話だ。相手の戦力が一万だろうが何十億だろうが、絶対に通じる戦法——」

 

 むくり、と体勢を起こして周囲に目を向ける。その場にいる人間は一人残らず、八幡を見ていた。

 

「——相手と同数の戦力をぶつける」

 

「……同数? どこにそんな戦力があるのじゃ?」

 

「数、とは言っても物量的なものじゃない。相手の使う力とは真反対の力をぶつけて、周囲に与える影響をゼロにするのが目的だ」

 

「どこにそんなものがある、と聞いたんじゃが」

 

「……それはこっちでなんとかするから気にしなくていい」

 

 具体的な根拠を話したがらない八幡に詰め寄ろうとして、沓子は顔を上げた。

 

「そうか。わかった」

 

 言葉にして僅か7文字。先程までの懐疑的な表情が嘘のように、淡白な頷きだった。

 

「……悪いな、言えなくて」

 

「別に、気にしとらんよ。いつものことすぎてもう慣れたわ」

 

「……そうか」

 

 心配していない訳ではない。信頼していない訳でもない。これは即ち、

 

「この作戦、今から決めるであろう配置などを無視して、お主が敵ごと何処かに跳んで、ただ1人で相対しよう、などというつもりでなければ。儂はぜーんぜん構わんよ」

 

 これまでの行いから、彼のことを信用している(・・)のだ。

 

「時を止めるとか、どうせセコい手が残っとるんじゃろ。それで、誰に気づかれるまでもなく終わらせるつもりだった。……ちがうかの?」

 

「…………どこでバレた?」

 

 にこっ、と笑顔で顔を傾げる沓子に同じく笑顔で、しかし冷や汗を大量に流しながら八幡は一歩、後ろに下がる。

 

「……どういうこと?」

 

 しかしその背後では、すっかり八幡に頼ってもらえるものと思い込み、内心喜んでいた栞が八幡の袖を掴んだ。

 

「……八幡は私達を頼ってくれるのではないの? 東京に残るのではなく、私達のところへ来てくれたのは私達を信用してくれていたからじゃないの? ……またあなたは、ひとりで傷付こうとするの……?」

 

「……頼らない、って訳じゃないぞ。けど、現実的に考えて九校戦を壊さずに行く手がこれしかないってだけだ」

 

「……何故そこまで九校戦に拘る? そこまでのリスクを背負うよりも、九校戦を諦めた方が早かろうに」

 

「……だーかーらー。九校戦だけは絶対に死守しなきゃなんねぇの。ていうか異変が起きてるってむこうさんに悟られたらマズイの」

 

「……逃げられる、ということか」

 

「向こうは1300年も生きてるリアルバケモンだからな。智略とかやり始めたら勝ち目なんて無い。今だって本体がこっちに干渉してこないよう、強引に封じ込めてるだけだし」

 

「周囲に被害を出すわけにもいかないが、逃すわけにもいかない。……はぁ、難しいものだね」

 

 ため息を吐いて立ち上がる玉縄。一年生でありながら既に生徒会長の職務を強奪している彼に、八幡は会議の進行を任せるように彼と位置を入れ替わった。

 

 そのまま彼の座っていた椅子に腰をかける——かと思いきや。

 

「……う、ねむ……」

 

 ふらり、と八幡の体がぐらつく。

 

「……、」

 

 八幡自身が急激な眠気に苛まれていく最中、玉縄が座っていた椅子とは別方向に彼は歩き出した。

 

「ゾンビの方がまだしっかりした足取りじゃない。……って、ちょっと?」

 

 愛梨の居場所を通り過ぎて、八幡が目指していたのはそのさらに後ろ。

 

「……ほら、こっち来なよ」

 

 長椅子に座るかおりが、自分の隣をぽんぽん、と叩く。

 

「……ん」

 

 すとん、と腰を下ろしてかおりとは反対方向へ寝転がろうとする八幡の頭を押さえ、かおりは自分の膝の上に八幡の頭を寝かせた。

 

 気にしていないのか、気にする余力すら残っていないのか、八幡は特に抵抗する素振りも見せずにすやすやと寝息を立て始める。

 

「……ええと、一色さんは初めてだろうけど——」

 

 それを見て、何故か血涙を流す玉縄が説明しようとするも、先に愛梨は頷いた。

 

「ああ、うん。大丈夫、理解してるわ。……要するに疲れただけ、よね」

 

 十神という未知の戦力に対抗する為には、少しでもその変化を見逃す訳にはいかない。

 

 その為に八幡が得たものが〝未来を観測する〟という力だ。

 

 本質ではなく変容を観測してこそ、凡ゆる状況に対応できる。

 

 だが、二十四時間休む事なく未来を観測し続けるという異業は、常人であれば発狂無しに付き合えるものではない。

 

 目の前の人物がいずれ死ぬ未来を最低でも10万回、とてつもないスピードで見続けているのだ。

 

 膨大な未来を理解する為に超高速で働く脳神経が焼き切れるのを魔法の力で強引に維持しているものの、体が保ったところで精神が保つ筈もない。

 

「その疲労度はとんでもないがの」

 

 己が殺される夢を見続けて尚平生を保てる。そんな精神性であっても、保てるかどうか。

 

 そんな苦行をこの男は、眠るこの瞬間であっても手放すことはしない。

 

 今日、何度目になるかわからない。苦悶に満ちた表情で眠り、悪夢に魘される八幡を横目に見ながら沓子はため息を吐いた。

 

 反動で見上げる空の、青いこと青いこと——

 

 

 

 

 

 

「あれェ? ひょっとして今、ちゃんす、というものですの?」

 

 

 

 

 

 

 ——瞬間、誰もが驚き身を固めた。

 

 その場に突如として現れたのは若い女。

 

 頬に垂れる雨水のように、突然その女は降って湧いた。

 

「……!?」

 

 反射的に空を仰ぐ沓子。……しかし、空に異常はなかった。

 

 第三高校を包む偽装結界。その結界に綻びはない。

 

 敷地内に許可なく侵入したとなれば、結界を維持している者から連絡が入る筈。

 

 そうでなくても、この結界内であれば沓子自身が気づく筈なのだ。

 

 それなのに、全く、違和感すら持てなかった——

 

「……おい! まさかこいつ、十神か!?」

 

 声を張り上げるのはいち早く戦闘態勢に入っていた玉縄。

 

 イチジョウを直に見たことがあるのは、この場では八幡とネファスのみ。

 

「……し、知らないわ。あんな気配、ワタシの力とはまるで違う——」

 

「なんじゃと!?」

 

 故に彼の言葉はネファスに向けられたものだが、ネファスはただ戸惑っていた。

 

「ぐふ。……おっ、と、っと」

 

 どぅるんっ、と女から何かが零れて、地面に落ちる。粘性のある水音を立てて落下したそれに、愛梨は口を手で覆い、目を背けた。

 

 そしてよく見れば、違和感どころか生き物としておかしい状態である事が見て取れる。

 

 顔を見るに、間違いなく20代。警察官の制服に身を包んだその女は、眉間の皺の無さから見ても新人警官だろうか。しかし、その女の状態が普通ではなかった。

 

 半身が血塗れ、片目は潰れている。胸元から下腹部にかけぐぱりと開いた傷を見るに、半身の真っ赤っかは彼女自身の血でそうなっている。

 

 どう見ても立って歩ける状態ではない。だというのに、女の顔色は健康そのもので、姿勢も真っ直ぐに立って、てらてらと輝いて見えるのは抉られて体内に残った内蔵か。

 

 中身が無くなった事で崩れた体のバランスも直ぐに取り直して、女が言葉を紡ぐ。

 

「比企谷さまは、お休みになられているんですか。……そうですか、そうですか、ええ————」

 

 眉は形良くつりさがり、目には情気、口元は歪んだ笑み。

 

 とても正気であるようには見えないが、女の話す言葉に沓子は違和感を覚えた。

 

「……比企谷さま(・・)? お主、八幡の知り合いか……?」

 

 気圧が下がったように重苦しい空気の中、沓子が問いかけると初めて、その女は反応を見せた。

 

「……? ————ああ。申し訳ございません、皆々様。羽虫のように小さき力でしたので、皆様の存在を感じ取れず気づきませんでした」

 

「……っ」

 

意地悪でも無視でも、意図的ですらなかったらしい。本気でこの女は、沓子達の存在に気付いていなかった。

 

 それは即ち、脅威どころか障害とすら見ていないのと同義。

 

 しかし、女は血塗れの腰を折って頭を下げた。

 

 女のお辞儀は、バイオレンスな見た目に反して優雅かつ気品に溢れていて、そのちぐはぐさに沓子は何をされたのか理解できず、ただぼうっとその女に見惚れていた。

 

「——わたくしは【十神・三魄(みはく)】。碧羅(へきら)、サエグサでございますの」

 

 全員がほぼ動けずにいた。だというのに、その名乗りを誰一人として聞き逃さなかったのは、あまりにもその女に意識が集中していたからだろう。

 

「——折角、比企谷さまにお逢いするため、あたらしい〝てあし〟を手に入れたというのに。お眠りになられていらっしゃるなんて、残念です……」

 

 顔にもべったりと付いた血を拭き取りもせず、その(十神)は破顔っていた。

 









ワクチンの副反応で死んでました。2回目が怖過ぎる。



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十神・サエグサ

人の心は憎しみよりも愛が勝つ。

愛は依存性が高く、憎しみは腐りやすいからだ。




 それは、少女が今までに味わった事のない感覚、体験だった。

 

 生き物の気配がしない。

 

 まるで、その場所だけが全く別の領域に侵されたかのような、異物感ではなく喪失感がある。————だというのに。

 

 ちょうど人型にくり抜かれた空間に、何か別のものが収まっていた。

 

 堪えようのない恐怖だ。

 

 四十九院沓子は、そのヒトガタを見て冷や汗を止められずにいた。

 

『未知というものは確かに恐怖だ。だが、そんなものより、何も無い——〝虚無〟以上に恐ろしいものはないんだよ、沓子』

 

 沓子の脳裏に、かつて父親に教わった言葉が駆ける。

 

『零は終極だ。虚無は結末だ』

 

 知ることで踏破できる未知とは違って、虚無に対抗できる術は何も無い。頂点がゼロなのだから、それより下に潜り込む隙が無いのだ。

 

 だがそれでも、それ自体が放つ威圧感は拭いきれないものとばかり思い込んでいた。

 

 実際にその存在を、目にするまでは。

 

 十神サエグサ。

 

 そう名乗った瀕死の女は、挨拶を終えると八幡に向かって歩き出した。

 

(……じゃが)

 

 沓子の前には何も無い。正確には、何も感じ取れない。

 

 次元の違う力というものは、基準とするべきものが世界に何もないが故に観測することが出来ない。

 

 沓子は間違いなく1人の女を目の前にしているのに、そこには何もない(・・・・)のだ。

 

 女がいる。死にかけだ。頭ではそう理解している筈なのに、沓子の小さな耳とくりくりとしたつぶらな瞳以外の感覚が、全力で何も無い事を告げている。

 

「比企谷さま♪ サエグサがお迎えにあがりました……。お迎えというかお誘い——襲いというか。夜這いですけど☆」

 

 軽やかな足取りで、しかしその見た目などは何の価値もないのだと言わんばかりの不釣り合いさで歩み寄る女。

 

 眠る八幡に歩み寄ろうとするサエグサの前に、沓子は立った。

 

「ちょっと……待ってくれるかの」

 

 その歪さを前にしてとりあえず立ち塞がったというだけでも、沓子は十分に抗って、動いていた。

 

「……お話ですか? お断りします。比企谷さまとお話をしたいので」

 

 和かに、しかしはっきりと拒絶の意を示す十神。これ以上はないと言外に言い渡される中で、沓子はさらに踏み込んだ。

 

「夜這いというにはまだ明る過ぎる。それに、お主がどのようなことを企んでいたとしても行為の最中に動けなくなってしまっては意味がないと思うが?」

 

 サエグサに対し沓子の取った行動は、答えを期待してのものではない。

 

 十神を名乗ったこの女が本気で行動するつもりなら、沓子が何をしようと意味をなさないからだ。

 

 故に、賭けに出た沓子の目的は時間稼ぎ。

 

 八幡がこの女の気配に気づき、目を覚ますまでのわずかな時間でいい。

 

 たった数秒。それだけの為に、沓子は自分の命を散らす気でいた。

 

 だから、サエグサのこの反応は沓子にとって予想外と言うしかなかった。

 

「……ああ! ま、まぁ、夜這いというには確かに明るさに過ぎますわね。わたくしも人の目は一応気にしますし。——こうしましょう」

 

 何故か少し顔を赤くして、照れた様子のサエグサはパタパタと手で顔を仰ぎ、パチン、と指を鳴らした。

 

 魔法式は見えない。十神は魔法を使えないとは聞いた事があるが、何をしたのか沓子にはわからなかった。兎も角、見た目上の変化は無い。

 

「ん……?」

 

 ——突然、空が暗くなった。……いや、曇った(・・・)だとか、そんな生ぬるいものではない。

 

 雨が降るなんて予報してたか、と沓子が思う間も無く、既に起きていた変化は急加速していく。真水にスポイトで色素を次々と入れて真っ黒にしてしまう様に。

 

 空の薄暗さが赤みを帯びたかと思えば、瞬きの後に見上げるこの昼空は、大小様々な星の煌めく夜空となっていた。

 

「……………………は?」

 

 目の前の光景が沓子の把握能力の限界を軽々と超えて、彼女の脳はショートした。

 

「…………?」

 

 右を見る。左を見返す。沓子と同じような顔をした少女達が、沓子と同じように空を見上げている。誰1人、理解できたという顔をしている者はいない。

 

 沓子もそうだ。この光景を目にしたからといって、誰が頷くことが出来ようか。

 

「……、……」

 

 ことばがかたちにならない。

 

 誰もがその異常事態に立ち震えている最中、それを引き起こした当人はくすくすと嗤う。

 

「時間を『夜』にしました。これで思う存分楽しむ事ができますわね?」

 

「……、あ」

 

 恐怖心。沓子の心内に生まれた感傷はまさにそれだが、それこそ波のように定まらなかった沓子の思考が元に戻るきっかけとなった。

 

「……ま、まて!」

 

「……まだ何か?」

 

 横を通り抜けようとするサエグサの肩を掴んで、沓子は問いかける。

 

「一体何をした!? 昼を夜になど……まさか、地球の自転を弄ったのか!?」

 

「地球の自転……? いいえ。そんなものより、もっと手っ取り早く」

 

「は……?」

 

「……ほら、そろそろ身体が追いついてきた頃でしょう?」

 

 言葉とともに、サエグサは自分の手を自分の目に覆うように被せて、——数秒もしないうちに今度は沓子達の方にも変化が現れた。

 

「————? なん、だ……?」

 

 最初は、目眩のように瞼が重くなった。しかしそれだけではなく、続いて沓子の体が影響を自覚する。

 

(————く)

 

 心が重い、いや心が軽い。浮いてしまう。

 

 意識がふわふわとして、まるで泥酔しているかのように思考が定まらない。

 

 だのに、ずぶぶぶと沈んでいく感覚がある。頭が重いのだ。

 

 物理的な重量の変化ではない。これはむしろ、精神的な攻撃に似ている。

 

「……眠くなる……精神、操作系か」

 

 手元のCADにすら手を伸ばせない。立っているだけでも精一杯で、あと少しでも気が緩めば、沓子は意識を失うに違いない。

 

「いいえ? それは貴女自身が抱えた疲れです。頑張った日の夜って眠くなりますでしょう? わたくしは現在の時刻を夜にしましたので、その夜という時間に従って貴女達の体内都合が合わせられたのですわ」

 

「…………!」

 

「ただ……地球を真っ逆さまにしようと思えばできないこともありません。が、すごく調整が難しいので、手元が狂って氷河期とかに突入しちゃったらごめんなさい☆」

 

 裏ピースを目にあて、足を半歩開き、沓子も見たことのないポーズをキメたサエグサ。

 

 沓子は、奇妙なポーズをとるサエグサの姿を最後に——眠りについた。

 

 そしてサエグサは、裏ピースをそのまま自らの頬に当て、うっとりと陶酔した表情を浮かべてにへら、と口を歪める。

 

「ああああああ。とても、とてもとても楽しみですわ」

 

 見た目で既に淑女ではないこの変態は、ぼろぼろと妄想を吐き連ね始めた。

 

「嫌と言っても責め続けられて、やがてそれを受け入れて、自ら求めるようになってしまう……惰性と求性の螺旋……あはぁ、とんでもないほど淫靡な旅が愉しめそうですわぁ……」

 

「……うわぁ」

 

 雅音の言葉である。——彼女は、倒れた沓子とは違ってピンピンしていた。

 

 むしろ夜になってからが本番と言える雅音の生活は、早寝早起きの規則正しいリズムを繰り返す沓子とは異なり、眠気などはもたらさないらしい。

 

「あはは……絶滅かも?」

 

 雅音の他にもかおりにも影響がない。そして辺りを見回してみれば、サエグサの作り出した夜の影響を受けていないのはかおりと雅音の二人だけ。玉縄や愛梨達は沓子のように眠ってしまっていた。

 

 だが、雅音と違ってかおりは夜型の生活サイクルではないし、雅音よりも玉縄の方が昼夜逆転の生活を送っている。

 

 そして何より、十神が〝わざわざ口にして指定した効果〟の強制力は人間の操る魔法の干渉力とは完全に別次元のものであり、比べ物にすることは叶わない。

 

 故に、雅音とかおりの二人がサエグサの影響を跳ね除けているのには、精神性とは別の理由があった。

 

「それよりも……だけど」

 

 雅音とかおりが無事でいられる、驚きの理由はなんと——その前に。

 

 性欲の化身の様な少女にドン引きされて尚、サエグサの妄想は止まってはいなかった。

 

「まず、相手の身体に噛み跡を残す、というのもやってみたいですわ。痛みを伴う鮮烈なセックスは勿論、愛に溺れて何をしたかまでは何も覚えられない……そんな夢中になるくらいのセックスも。……指で、口で、胸で、全身で。お互いの愛液に塗れて、どろどろに溶け合うまで愛し合いますの」

 

 まさかの連呼に、雅音は思わず八幡の耳を押さえた。

 

「……ちょっと耳塞ぐぞ比企谷。目覚めなくする呪文かもしれない」

 

「■■■——? ■■■■……×××。×××!」

 

 聞くに耐えないとか、もはやそんなレベルではなかった。

 

 その後もおよそ三〇分、重ねた妄想を述べに述べたサエグサは尚も喋り続けている。

 

「わたくし達に寿命なんてくだらないものはございませんし、まずは700年。たっぷりと2人だけの時間を過ごすつもりですの」

 

 げんなりとした表情でサエグサの妄吐を聞いていたものの、とある事に気づき、横を見るかおり。

 

「……ねえ雅音、これって」

 

 八幡を守るために横に移動していた雅音も、かおりの問いかけに頷いた。

 

「……ああ、うん。多分、彼女……」

 

 悪魔の如き口からの呪詛、天使のような瞳の輝き。

 

「以前にお誘いをかけた時は雑草のようなあの村娘に取られてしまいましたが、今度こそは何回も何回も何回も何回もふふへあふふふふ」

 

 二人はサエグサを見て確信した。

 

「……ちょっと、いいかな」

 

「はい……?」

 

 くねくねとした動きを繰り返すサエグに、雅音は声をかける。

 

 サエグサは、夜でありながらも何故か平然としている雅音にわずかばかり動揺した様子で、反応を見せた。

 

「……どうして、起きていますの? 普通の人であれば就寝している時刻だというのに」

 

「ああ、それは——」

 

 素直に説明に入ろうとしていた雅音の袖を引っ張って、かおりが止めに入った。

 

「……ちょっと雅音、そんな簡単にバラしていいの?」

 

彼女も沓子と同じように八幡を目覚めさせれば何とかなると考えていたので、出来るだけ会話を引き伸ばそうとしていたのだ。

 

 しかし。かおりの問いかけに雅音は堂々と答えた。

 

「……うん。だってきちんと教えないと、多分私たち殺されるし」

 

「……!」

 

 目の前にいるのが十神だということを、かおりは少し忘れていたのかもしれない。

 

 対等な立場ではないという認識を、かおりは改めて得た。

 

「……ええと、あたしの体は——」

 

 笑みを保ったまま自分に対して視線を注ぐサエグサに、かおりは返す為の笑みを浮かべた。

 

(……ウケる。膝どころか全身が震えて笑ってる……!)

 

 それから二分間。かおりが口を開く間に放たれた言葉の全ては自分の能力説明に使われた。

 

 出来るだけわかりやすく、かつかおりが持つ能力の端から端までを簡潔に説明して、語り手は雅音へと移った。

 

「私は、八幡から受け取った能力の副作用でほぼ全ての異能を無効化しているんだ」

 

「『十神(わたくし)』の力を無視できるのですか」

 

「私達の能力は、元はといえば比企谷からもらったもの——だからね」

 

「……………………、…………なるほど、そうでしたの」

 

 頷くまで多少の時間はあったが、それ以上はさしたる興味もなく、サエグサは納得した様子。

 

 サエグサが比企谷を知っている。それを雅音達は気にならない訳はなかったが、そこに触れては話が終わってしまう。

 

「ところで、なにか?」

 

 大きな寄り道を終えてやっと本題に入れる——と思ったところで、雅音は果たしてこれ(・・)が口にして良いものか、伝えて大丈夫なのかと思い始めていた。

 

「……ええと、貴女の愛の大きさは私達には測りきれない、という事は何となくわかるんだけど」

 

 しかし、雅音は元々好奇心に弱く、それ以上に度胸の強さでいえば父親の剛毅をも上回っているのだ。

 

 引き返せるラインはとうに過ぎて見えなくなっている事を察した雅音は、とことん突き進む事に決めた。

 

 雅音がそう口にすると、サエグサはパキ、と音を立てて首を傾げる。

 

「……え? わたくしの愛が、理解……わからない……?」

 

 無明に突き落とされた仔羊のように、雅音が起きていたとわかった時よりも困惑——怒りを見せるサエグサ。

 

「い、いやっ! 君が比企谷を全身全霊で愛してるという事はわかるんだけど!」

 

 慌てて雅音がフォロー(?)をすると、ぽっ、とサエグサは顔を赤くした。

 

「全身全霊……まさにその通りですわ」

 

(うーわちょろっ!)

 

 ひょっとしたら、ホメてノバす暖かい系言葉で彼女を丸めこめるかもしれない、と思いつつも雅音は続きを話す。

 

「…………その、貴女は700年続けられるかもしれないけど、比企谷の方はそんなに続けられるかなぁ……」

 

 会話を伸ばすと決めた上で必要なものは話題とそれに追随する価値、或いは興味。

 

 沓子がそれを始めた時点で雅音もかおりも会話を引き延ばすと決めているが、流石にこれはサエグサの興味を惹き過ぎたかもしれない。

 

「……え?」

 

 困惑から抜け出せないサエグサに「あーもーおわったなー」なんて思いつつ、雅音は言葉を続ける。

 

「特に問題なく続けられるって話は聞いた事ないけれど、一回ごとにインターバルが必要っていうか、賢者モードっていうか……?」

 

 書物で得た男性の事情。実際に雅音は八幡と最後まで添い遂げた事はないので知識でしかものは言えないが、サエグサがこれからやろうとしている事は恐らく失敗に終わる。

 

 その事を暗に、しかしサエグサがそれに気づくような言い回しはないかと雅音が苦悩していると。

 

「……かおり?」

 

「……まかせて」

 

 そこに、八幡を膝に乗せたままのかおりが加わる。彼女は雅音を援護してくれて——

 

「比企谷って結構甘えたがりだし、戻るまではずっと甘えてくるから不満になったりはしないと思うけど」

 

「萎えるというか萎れるというか、私たちとは感性そのものが違うらしくて。一回したらもう終わり——みたいな雰囲気があるんだよね」

 

「そうそう。限界が近くなると何回も名前を呼んで抱きついてくるのに、終わると急に大人しくなるんだよね。相変わらず抱きついてはくるけど」

 

 …………。

 

 なんだかズレてる気がする。

 

「「……え?」」

 

 二人は視線を合わせた。

 

 客観的な情報を話す雅音に対し、かおりのそれはまるで体験談であるかのように主観的で、二人の言葉は明らかに噛み合わない。

 

「お二人とも……いったい、何の話をなさっていますの???」

 

 混乱する二人に、最初から話について行けていないサエグサが挟み込む——と。

 

「……おや?」

 

「「——っ!?」」

 

 それまで散漫だったサエグサの意識が、かおりの膝上に集中する。

 

 視覚情報が半分潰されていようと、恐らくは関係なく想子の匂いを嗅ぎ取ったのだろう。

 

 サエグサの視線の先にいたのは、かおりの膝枕で眠る八幡。

 

「……?」

 

 だが、サエグサはそこで疑問符を浮かべた。

 

「……比企谷……()? 八幡ではなく(・・・・・・)……?」

 

 サエグサは八幡の容姿を見て戸惑っているが、その戸惑いの理由であろう、その名前に心当たりがなく、かおり達は困惑していると。

 

「——く、う……」

 

 突然、目覚めていた筈のかおりが、かくん、と首を倒して眠ってしまった。

 

 発生した変化はそれだけにとどまらず、かおりの寝落ちを始まりとして、波紋のように広がっていく。

 

 だが、それは稲妻のように一瞬の事だった。

 

「……!?」

 

 ——瞬間、サエグサの作り出していた夜が掻き消える。

 

「……っ!? なんじゃ!?」

 

 眠っている〝状態〟にさせられていた沓子は瞬間的に(・・・・)目を覚まし、顔を上げる。

 

 沓子が目を覚まして初めて見た顔は、空を見上げるサエグサの困惑した表情だった。

 

「……な、どうして、……?」

 

 状況をどう見ても、サエグサが自ら消したのではない。

 

(ということは)

 

 これをしでかしたのは。

 

 たった一人しかいないだろう。

 

 神の権能を否定できる、この場で唯一の対抗戦力である彼——

 

「……その呼び方をすんじゃねえ」

 

 明らかに痛みを引きずる系の(二日酔いの)表情で、いつの間にか八幡は体を起こし、サエグサを睨んでいた。

 

(間に合った——!)

 

 安堵の息が、沓子の内から漏れた。

 

 彼女がそう思うのは仕方ない事であり、八幡が起きたせいで、サエグサを前にして緊張の糸を緩めてしまったのは、間違った選択である筈がない。緩めても緩めずとも、どちらも落とし穴に繋がっているのだから。

 

「……八幡、この女子は知り合いかの? さっき十神などと名乗っておったが——」

 

「ん? ……あー」

 

 悠長に関係などを聞こうとして、沓子はサエグサの変化に気付けずにいた。

 

「ひき、がや……」

 

 ただし。

 

「……っ!?」

 

 十神という彼女は、虫や獣といった思考を持たない存在よりもある種短絡的で、理性や忌避といったストッパーを持ちつつも瞬時にかなぐり捨てるほどに〝八幡に対しては〟歯止めを効かせないらしい。

 

 それを沓子が知る由もなく、彼女が気づいた時にはもうサエグサの手は八幡の眼前に迫っていて。

 

「色々あんだけどな」

 

 それを八幡が察していないというのは、あり得なかった。

 

「限定的な協力者……みたいな扱いというか」

 

「……、あっ……」

 

 耳を突き穿たんとするほどに鋭く左右から襲いかかるサエグサの両腕を八幡は身を捻って躱し、生々しさをさらけ出した胸元から下腹部にかけての傷の中に容赦なく右手を突っ込む。にちゅぬちゃ、と何かを探すようにサエグサのナカを弄る八幡に、サエグサは吐息から艶と色気を滴らせる。

 

「まぁとにかく今回、イチジョウが片付くまでこいつは味方だ。誓ってもいいぞ」

 

 神経といえば皮膚にばかり意識が行きがちだが、身体の中にもきちんと神経は通っている。

 

 それを傷つけるのではなく愛撫するかの如く優しく蕩けるように撫で、————ているように現在進行形で頭がゆでだこ状態の沓子には見えた。

 

「……んっ、……くあっ。んぃ、……ひっぐ!? ……いや、…………っぐぅ! あ、うぅぅぅぅああんっ!? ……ぁう……ああ!」

 

 耳を塞ぎたくなるような嬌声の中で、八幡は平然とサエグサの臓物を掻き回す。

 

「詳しい話はこいつを片付けてからだ」

 

(……な、なんて卑猥な、いやグロテスクなものを……まてまてこんなので欲情するとかうわうわこんなの絶対性癖歪むていうかわし神社の娘じゃぞおおおおおあああああ!?)

 

 サエグサの口端から涎が垂れる。それと同時に、奇妙な光景が顔に当てた手の指の隙間から沓子の前に現れた。

 

 八幡が手を挿れる前は明らかにスカスカだったサエグサの体内が、今や八幡(♀)の手が殆ど身動きできない程にみちみち、と脈を打っている。

 

 先程女の体からずり落ちた中身がその場所から消えていた。そして、よく似た色の艶のあるものが八幡の腕の真上に見える。

 

「————!!」

 

 明らかに、サエグサの体に欠けていたパーツが元に戻っていた。

 

 八幡が何故そうしたのかは不明だが、これはどこをどう見ても淫——治療行為。

 

(治す……その瀕死の状態こそが鍵だとでも言うのか……?)

 

 八幡が腕を抜き取ると同時に、腹の傷も閉じて、消えていく。

 

 だが、サエグサ(・・・・)にとって重要なのは医療行為そのものではなかった。

 

「あぅ、…………ッッッ!? 比企谷様、まさかわたくし、を……っ!?」

 

 除霊。〝瀕死である〟という条件付けがされた器を己が手足としているサエグサを、器としての前提条件を消失させる事で器から引き剥がしているのだ。

 

 傷が塞がり、潰れていた目も機能を回復した。

 

「……ひっ、ひきがやさまっ!? 聞いていたお話とまったくまるで違うのですが、あたっ!?」

 

「……落ち着けよ、体なら用意してやる」

 

 八幡にしがみついてぶる、と全身を震えさせるサエグサは、耳元で囁かれて一瞬うっとりと惚けた表情をしたかと思うと、八幡の腕の中でがくりと意識を落とした。

 

 そして、まるで呼吸をしていなかったサエグサの体は、彼女が眠りにつくと同時に寝息を立て始め、静かで規則的な呼吸をしていた。

 

 その変化ぶりは女の顔にも現れていて、まるで憑き物が落ちたかのようにすっきりと安らかだ。

 

「……さて、と。『乖離』」

 

 女の体を魔法で空気を固めて作ったベッドに横たわらせて、八幡は彼女に手を翳す。

 

 すると、女の体から何か〝不透明な白いもやの様なもの〟が吸い出されて、八幡の手の中に収まる。

 

「『虚奏(エル)』」

 

 そして、左手に持っていた(・・・・・)愛らしい見た目の白クマのぬいぐるみにそれを押し付けた。

 

 もやは八幡の掌に押されてするりとぬいぐるみの中に入っていき、しばらくすると俯いた格好で八幡に握られていたぬいぐるみはゆっくりと顔を上げる。

 

 心理構造正式転環術、通常呼称『虚奏』。

 

 精神の転居、或いは肉体の衣替えと言い換えてもいいこの術式は、不老不死の研究過程

で生み出された副産物だ。

 

 そして、魂の住み替えという術の目的である以上、通常は魂の移住先は同じ人類の肉体でなければならない。

 

「…………」

 

 それを人型であるとはいえ、体を動かすための筋繊維一本すら編まれていないぬいぐるみの体を使って八幡と視線を合わせている常識外れの順応力は、流石は十神と言ったところか。

 

 自分の腕を見た後、ほんの少しだけ開閉できる口をあぐあぐと動かして、握られた体勢のまま、自分を握る八幡を見つめる。

 

 どうやら呆然としているらしい。

 

「よし、それじゃ次は——おい、暴れるなこら」

 

 ぬいぐるみがもぞもぞ、と八幡の掌の中で暴れ始めた。

 

 ぬいぐるみに瞼はないので表情だったり感情だったりを読み取る事はできず、また発声器官すらないぬいぐるみの体ではぺしぺしと八幡の手首を叩くだけで他に何の抗議もできない。

 

 そしてぬいぐるみ——もとい、サエグサは慣れない体で操作がおぼつかなくなってきたのか、動きが鈍くなった。八幡はそれを懐にしまうと、抜け殻の方に目を向けた。

 

端末(・・)の趣味、悪すぎんだろ——」

 

 基本的に存在するだけで世界に軋みをもたらしてしまう十神は、足場となる世界を壊さないためにも、直接触れたりせず、端末と呼ばれるものを介してこの世界に干渉する。

 

 中には世界の破壊を気にせずに動く十神もいるが、サエグサやイチジョウなど、世界の中に用がある者達は少なくとも端末を用いて世界に干渉してきている。

 

 条件は様々だが、人間である場合が殆どで、イチジョウやヒキガヤ(・・・・)のように器に対して自らの力を注ぐ行為は普通であればあり得ない。

 

 力の注ぎ具合が少ない為に干渉が弱く、簡単に魂を引き剥がせてしまうのだ。

 

 そして八幡は、目の前で眠っているこの女がサエグサの端末にされていた事に、彼女を目にしてすぐ気付いていた。

 

「——ここ30年くらい、若い婦警が事故か事件で死んだって話は無いよな」

 

 近寄り、女の顔を見下ろす八幡。

 

「30年……まぁ確かに、そんな事故は聞いた事もないが」

 

 八幡の言いたいことを理解した沓子は、自分に思い当たる節がない事を確認し、八幡の懐でぐったりとしているサエグサに目をやる。

 

 八幡によって魂を肉体から引き剥がされても、器を選ばない傲慢さはさすが十神。

 

 ……ぬいぐるみの体故に感情はわからないが、疲れているのではなく八幡の体に密着して興奮しているように見えるような気がする。どんなメンタルだ。

 

「てことは、報道すらされてない、直近の事……」

 

 おそらくはごく最近に起きた事故か事件で死亡しかけた可哀想な婦警なのだろう。

 

 死体というか本体がここにあるのだから、ひょっとしたら彼女がこうなってしまった事すら周りには知られておらず、このままでは無断欠勤扱いで懲戒免職にされてしまうかもしれない。

 

 ただ十神に絡まれたというだけで確かにそれは可哀想だ、なんて沓子が思っていると。

 

「……95年だ」

 

 2095年。つまりは今年。ここ半年の間に女は事件に遭遇しているらしい。

 

「……同じ年内……という事は、未解決事件どころか、未発見事件じゃな。或いは闇に葬られるほどの理由がこの女にはあったり——」

 

「いや」

 

 沓子の想像を止めて、八幡は続きを話した。

 

1995年(・・・・・)の5月、この女は幹線道路の事故対応の最中に失踪してる。つまり、ピッタシ100年こいつはあの状態のまま居たってわけだ」

 

「……なんじゃと」

 

「問題は、なんでそんな長期間この女の体を使い続けたのかって話なんだが」

 

 それを聞いて、沓子が、雅音が、能力の反動で眠ってしまったかおりを除くほぼ全てのメンバーが目を剥いた。

 

 100年間も、人が瀕死の状態で保つわけが無い。

 

 それにそれ程長い期間自我を乗っ取られていたのなら、人格なんてとうに擦り潰れてなくなっている。

 

 まともな治療が効く段階は通り過ぎているのに、そんなギリギリの状態で命を繋ぎ止めていられる十神の能力の異常さ。

 

 そして、そこから無傷の状態にまで回復できる治療を施せる八幡の能力の非常識さに、ため息を吐かない者はいなかった。

 



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うぉー・ぷりぱれーしょん


あけましておめでとうございます。

ここ数週間書いてたの、何故か今をすっ飛ばしてダブルセブン編でした。水波が2人に分裂したりするんですけどまだ先の話なので出てくるのは当分後になります。

誤字・誤設定等が発生する場合がございます。ご容赦くださいませ。


 

 

 ざわざわ。

 

 ぞわ、……ざわざわ。

 

 それらは、雑音ではあるが騒音では無かった。何故ならその場にいる者達の殆どが一言も声を上げていない。

 

 それらは、その場に集まった一高生徒達の意識の喧騒であった。

 

 好奇心、嫌悪。並べるとすればこれくらいの種類を持つその視線の数々は、全てがある1人の少年に向けられていた。

 

 故に、人の意識を視覚化できるこの少年にとって今の状況は、人々の喧騒で賑わう観光地以上に煩く感じるもの。

 

「……?」

 

 喧騒の中、達也の視界に統率されたような意識の流れが現れる。

 

 意識の流れが集中するその場所には、彼女がいた。

 

「……それでは」

 

 七草真由美。第一高校の生徒会長を務める少女だ。

 

「九校戦メンバー選定会議を始めたいと思います」

 

 真由美によるこの一言で始められたこの会合は、8月の「全国魔法科高校親善魔法競技大会」通称「九校戦」に参加するメンバーを決める、魔法科高校の生徒達にとって重要なもの。

 

「何故内定の席に二科生がいるのですか?」

 

 だから、会議が始まってすぐにやる気に満ち溢れ過ぎた(・・・)一科生の中からこの質問が飛び出したのは、ある意味必然なことだった。

 

 普通であれば実力でメンバーが決まるこの会議で『一科生に実力が劣るから二科生』とされた筈の達也が、会議室の端どころか選抜メンバーの1人として既に内定を受けている。

 

 理不尽だと思い込んだのは1人ではない。

 

 達也が選ばれた理由の説明に始まり、達也が内定の席に座るに足る能力を有している事の証明——までいきかけたところで、流れが変わった。

 

「はい」

 

 手を挙げる女子生徒。真由美が指名する。

 

「……ええと、どうぞ」

 

「今年は、あの六道の新入生がいると聞いています。ですが、見たところ去年と同じようにそちらの席に彼らは1人も居ませんし、その理由もお聞かせ願えますか」

 

 達也に集まる好奇の視線をぶった斬る挙手。真由美の指名を受け立ち上がった生徒の名前は、平河小春という三年の一科生だった。

 

 言われてみれば当然のこと。だが、達也の事があまりにも大変過ぎて、真由美も忘れていた。

 

 助け舟——かどうかは不明だが、真由美は小春に内心感謝した。

 

 それとは別に、彼女はこれほど積極的な生徒だったか——と、少し考えたりもした。

 

「……これは、私も知らずにいた事なので申し訳ないのですが」

 

 未だこちらを見る小春と視線を合わせる。視線を僅かに横にずらすと、達也の事は後回し、とでも言わんばかりに全員がこちらに注目していた。

 

「六道の方々は生徒として我が校に在籍しています。……ですが、彼らはその能力の高さ故に、九校戦への参加は第一回大会時から認められていないそうです」

 

 小春の声が変わる。高く、攻撃性の強いものへと。

 

「ですが今年の新入生総代は司波さんです! 成績が良過ぎるから参加禁止というのは、あまりにも上から目線、不公平が過ぎると——」

 

 不平等ではなく不公平。つまり皆が等しく享受できるものではないと判断しつつも、その地位はエコ贔屓ではないかと言う。

 

 小春のこの論は、真由美の前にわかりやすい道を作った。

 

「六道の方の成績はそもそも、一科生、二科生とは区別されています。今年の新入生、六道の皆さんを含めた魔法技能で順位をつけるとしたなら……司波深雪さんは5位以下。加えて、彼らが大会に参加できるのなら、私達を含めた本戦のメンバー選考もやり直さなければなりません」

 

「…………っ!?」

 

 絶句する小春。……だが、その演技が若干白々しいものに見えたのは真由美の錯覚か。

 

「……禁止されているとはいっても、彼らを練習に参加させてはならないという縛りは無いので、選手たちのトレーニングには参加してもらおうと思っています。また、我が校は選手に比べて圧倒的に技術者が不足しています。今大会の優勝を確実にする為、彼の力は必要不可欠だと判断し、彼には内定者の席に座ってもらいました。彼の同意が得られれば、後ほどその技術力を披露して貰いたい、と思っています」

 

 流石に聞いていない……。

 

 この時、達也は口元を僅かに歪ませた。

 

 彼がこれほどはっきりと表情を作ったのは、久しぶりの事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十神のサエグサ。

 

 八幡がいつの間にか共闘の契約を交わしていた〝神様〟の一体であり、現代魔法の歴史に於いて認識されず、定義すらされていない存在である。

 

 精神情報体を式神と呼ぶ事はあっても、情報として意識、或いは記録される事のない空想上の存在を、畏怖を込めて神などと呼ぶものか。

 

 2095年の現代に至るまで、その存在を誰も確認した事はなかったのだ。

 

 それまでは六道の内で密かに語られていたというだけで————

 

 

 

 ————否、比企谷の登場が日本魔法師界を一変させた。

 

 

 

 ちょうど100年前、核兵器の発動を止めた警察官が世界に魔法をもたらしたように。

 

 比企谷が現れた事により、人々は今まで遭遇すらしたことのなかった怪物達と出会う羽目になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって第三高校。時間は少し巻き戻る。

 

 元通りに再建された生徒会室にて、第一高校で行われたものと同じように、九校戦へ向けた会議が行われていた。

 

「……さて。皆わかってるとは思うが、今大会で最大の障害となり得るのが第一高校だ。奴らは今回の大会で3連覇がかかってるし、万が一にも落とす事のないように全力で布陣を揃えてくるだろう。まともに相対すれば勝ち目なんてない。……そこで、俺と生徒会長で考えた」

 

 代表メンバーの選定は、八幡達が加わった事によって既に決められている。

 

 しかし、大会の優勝という大きな目的以外にも八幡達にはやるべきことがある。だから今は、それについての具体的な作戦立案を行っていた。

 

 玉縄が八幡に促され、生徒会室のスクリーンに作成した資料を投影する。

 

『一高ドロップアウト大作戦』

 

「————奴らが競技に参加する前に叩こうと思う」

 

一目でわかる、妨害工作の提案だった。

 

「……か、仮にも貴方の母校でしょう? 躊躇いとかはないのかしら」

 

 頬を引き攣らせながらも優しく尋ねようとする愛梨だが、彼女の頭の中には八幡の思考パターンが嫌という程、思い浮かんでいる。

 

「……? それと引き換えに日本がぽん、ってなくなってもいいんならやめるけど」

 

「天秤にかけるまでもないのね……」

 

 愛梨はため息をついた。

 

「じゃが八幡よ。その手法を取るのであれば、大会が中止になる可能性が大きくなる事も忘れてはいかんぞ」

 

 もっともな沓子の指摘。しかし、八幡の表情は変わらない。彼は、自分だけが知っている情報を初めて口にした。

 

「俺らが主導でやる訳じゃない。この大会は既に、第三者の妨害工作が入ることが確定してる。それを利用するだけだ」

 

 それを聞いた者達の反応はため息をつく、苦い顔をする、米神に指を押し当てるなど様々だが、まさか喜ぶ者の存在は皆無だった。

 

「……賭博か?」

 

「香港系の犯罪シンジケートが糸を引いてやってる「どの学校が優勝するか?」をお題にした賭博だ。連中は自分達の利益になるように、一高の優勝を阻止しようとしてる。俺はそれに乗っかろうとしてるだけだ」

 

 聞いての通り、血も涙もない自分さえ良ければあとはどうでもいいと言わんばかりのこの態度。

 

 しかし、沓子の顔に露わとなったのは不謹慎にも笑みだった。

 

 捻デレめ。自然と浮かんできた言葉に、にんまりと、沓子の口元は笑みを作る。

 

「……そういえば、六道のクローン……じゃったか。あやつらの大元についてはどうする? 妨害工作はそれも絡んできておるのか?」

 

 舐めるな。この場にいる殆どの人間が、比企谷八幡という人間を嫌というほど理解しているのだ。

 

 沓子が。かおりが。雅音が。栞が。愛梨も。玉縄だって。

 

 全員が全員、八幡が隠そうとしている事に気づいていない筈がなかった。

 

 バツの悪そうな顔の八幡は目を逸らす。

 

「……イチジョウが片付いた後のハナシだ。それまでの時間がずれたら困るから、適度に妨害があった方が良いんだよ」

 

「適度に……ということは、完全に棄権させたりするつもりは無いのじゃな?」

 

 沓子の念押しに、観念したように八幡は視線を戻した。

 

「つもりも何も、そんな道理が通るわけがない。……できるなら、全員が全員、真っ当に勝負して負けたり勝ったりして、喜んだり泣いたりしたい……んだよ」

 

 不意に語られるそれは、間違いなく八幡の本心。

 

「妨害を阻止したいなら阻止すればいい。俺はそれ以上お前らを頼りにしないってだけだ」

 

「……そうか」

 

 誰にも理解されたくなくて、誰にも見て欲しくない。……けれどどこかで打ち明けたい彼の本心は、意外と身近に転がっていたりする。

 

「じゃあいい(・・)

 

 沓子は、それをバッサリと切り捨てた。

 

「そうか。なら、——っ?」

 

 八幡の右腕に抱きついて、ウィンクする沓子。左腕には栞がいた。

 

「お主を諦めるくらいなら、他校の生徒がどうなろうと知ったことか」

 

 誰か1人の為ではない。世界の安寧の為に自ら心を削り潰されようとしている少年は、こんな時こそ誰かに想われて然るべきだ。

 

「……ほんとに非道い女じゃのう、儂は」

 

 自分の顔を覗き込む沓子の態度に困った顔をして、ほんの少しの嬉しさを瞳にのぞかせつつ、八幡は目を逸らした。

 

 ……逸らしたせいで、彼は沓子の瞳に炎のゆらぎがあったことに気づけなかった。

 

「……いや、それが困るから介入しようねって話なんだが」

 

 ここで一つ、注意点。

 

「なんだ、お主に一途な女は嫌いか?」

 

 四十九院沓子は、八幡の事が大好きだ。

 

 しかし八幡に惚れている訳ではない。

 

「いや、好き嫌いの話じゃなくてだな……」

 

 誰がこんな、一人でカッコつけようとするダサい男に惚れたりなぞするものか。

 

 尊敬も、畏敬もしていない。

 

 コミュニケーションが苦手で非リア充で陰キャな癖に、寂しがり屋。

 

 こんなの、好きでなければ存在を認知する事もないだろう。実際、彼より優しくて他人を思いやれる人間はごまんといる。

 

 だが彼女は、そんな彼の全てが好きだ。

 

 嫌いなところはあるが、嫌いなところがあるところを含めて好きなんだ。

 

 栞や愛梨のように(・・・)救けられてはいないが、それでも彼に大事なものを奪われた。

 

 彼じゃなきゃダメなんだ。誰が彼を想っていようと関係はない。

 

 そんな身勝手な儂の倫理観を親だろうと他人にとやかく言われる筋合いは無い。

 

 それに加えて。

 

 儂の〝飢え〟は、こんなものでは治らない。

 

 だから————

 

「————どうしたんだよ、……っ!?」

 

「んっ、……んはっ。……ちょっと、接吻をしたくなっただけじゃ」

 

 時折、彼女の愛は沸騰する。

 

 しかし、キスを狙った沓子の〝口撃〟は八幡の掌に阻まれ、彼女の唇は八幡の手を撫でるに終わった。

 

「唐突すぎ、……っあ!?」

 

 ぺろり。突然の感触に驚いて手を引っ込めた八幡にさらに寄りかかり、沓子はかぶりつく。

 

 理性を欲が凌駕する。それはつまるところ、本人にとってさえ我慢が効かないという事。

 

 彼女の理性は蝕まれている。八幡から奪った、とある能力によって。

 

「……たりんぞ、んちゅ……」

 

 それは、世界で唯一のs————

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はいじゃー飯食いながら聞いてくださーい」

 

 場所は同じく生徒会室。

 

 沓子の不意打ちを目の当たりにしたせいで、ますますくっついて離れなくなってしまった栞の構ってKISSを押し退けながら、八幡は部屋の中の人間に呼びかけた。

 

 既に一般生徒の登校は再開されており、彼らの会話を他に聞かれるわけにはいかない。なので、八幡達は生徒会室に食事を持ち込んで会議を再開していた。

 

「んで、各競技の練習だったり具体的な作戦とかは参謀役の吉祥寺に丸投「おい」一任するので、まぁ適当にやっといてくれ。……ああそうだ、一色」

 

「……? 何かしら」

 

 八幡に指名されて立ち上がる。そのまま八幡の手招きに応じて彼の横に立った。

 

「まず、六道は九校戦にエントリーできない。これは不文律なんかじゃなく、大会のルールブックにも載ってる」

 

 驚きの声と表情が浮かぶ中、初めて知った、という顔を六道であるはずのかおりも浮かべていたが八幡はこれを無視した。

 

「つまり折本は九校戦の戦力になれない。……が、その分折本は会場の警備とかの仕事を取れるだろうからやってもらいたい事があるので、それは後で説明する。今話したいのは、六道や十師族といった主力以外の戦力についてだ」

 

 こいつなんかの、と言って愛梨を指差す八幡。さされた愛梨は不服そうな顔を浮かべる。

 

「……? 私、一応二十九家の人間なのだけど……」

 

「魔法が使えなくなってぴーぴー泣いてるような雑魚が警戒される訳なぎゃああああああああっ!」

 

 ビリィッ! 静電気の数十倍の電気が愛梨の掌から八幡の腹部に流れ、八幡は悲鳴を上げた。

 

 ぷすぷす、と黒煙を身体から発生させている人間は普通死んでいる。普通ではないのが八幡なのらしい。

 

「愛梨を切り札として使う訳じゃな」

 

 沓子の指摘に、黒焦げ八幡はアフロを取りつつ肯定する。

 

「けど、それが通用すんのは一高以外の学校に対してだけだ。実際は、一回出ただけでバレるだろうな」

 

「バレるって……誰に?」

 

 バレる。それはつまり愛梨が能力を八幡から奪ったという事実を察知されてしまうということだが、八幡から初めて離れる能力を察知できる人間など、愛梨には八幡の秘密を知っている材木座くらいしか浮かばない。しかし彼はこの生徒会室にいる。

 

 栞やいろはなどを疑ってみても、警戒する理由が思いつかなかった。

 

 ということは——

 

「……ねぇちょっと、まさか私と同じレベルの能力を持ってる人が他の学校にいる……とか?」

 

「イグザクトリィ。それに能力持ちじゃなくても、六道の奴らにもバレる可能性は高いしな」

 

「……それ、バレたら問題あるのかしら?」

 

 ネファスが横から質問を挟む。

 

「……妨害が企まれたりするかもしれん」

 

「「……あぁ。なるほど」」

 

「そこ二人で納得しないでもらえますかねぇ……」

 

 ネファスはアンジェリーナ・クドウ・シールズとして、愛梨は八幡個人の行動記録から。

 

 それぞれ彼のやらかした事を知っている身としては、頷かざるを得なかった。

 

「……要するに。『九校戦をぶっ壊されるかもしれない』とか思われるって事じゃろ?」

 

「そうだ。そういう懸念を減らしたい。だから一色、手を抜いて勝て」

 

 随分と無茶苦茶な要求だ。過剰な注目を浴びるのは愛梨としても望むものではないが、毎年の優勝校である一高相手に、手加減して勝つなんてことができるのだろうか。

 

「……」

 

 不安な顔を見せる愛梨に、八幡はため息をついた。

 

「……ちょっと折本。一色と試合やってくれ」

 

「……え?」

 

 戸惑う愛梨に八幡はぐい、と詰め寄る。

 

「……一色。全力でやってみろ」

 

 少女の瞳に吸い込まれそうな錯覚を愛梨は覚え、息を呑む。そんな彼女に八幡は、はっきりと伝えた。

 

「今のお前がどんだけバケモンかわからせてやる。元通りの2、3倍程度とか思ってんなら、大間違いだからな」

 

 その瞳に映る氷の結晶。それが八幡の身体に残る能力の一つであると気づくも、その瞳の奥に別の輝きが幾つもあるのを見つけて、思わず万華鏡のように煌めく八幡の瞳の輝きに魅入っている……と。

 

「……、見つめ合うのもいいけど、試合はどうするの?」

 

「はにゃっ!?」

 

 …………。

 

 

 

 愛梨とかおりが対戦のために準備をしている中、八幡は先にコートの付近に設置されたベンチに座っていた。

 

『比企谷様、お茶です』

 

 簡単なベンチに座る八幡の隣で、二頭身サイズのぬいぐるみ——に宿ったサエグサが八幡にお茶を差し出した。

 

「ありがとう」

 

 ぬいぐるみの前足でどうやっているのか、サエグサは昼食を食べ終えた八幡にお茶の入った湯呑みを2本の前足で器用に持ち上げて差し出し、八幡はお礼を言って茶を受け取っている。

 

「……すっかり慣れた様子じゃが、驚いたのは彼女(・・)の適応力よ……」

 

 少年とぬいぐるみ。ふつうなら絶対に視る事はない幻覚を沓子は目の当たりにして、ぬいぐるみを何人かの少女と重ね合わせながら、言葉を口にした。

 

 ちらり、と沓子が向ける視線の先には、八幡の隣に座り、サエグサの体を持ち上げる女性がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あ、お代わりはすぐにできるからね……!」

 

 サエグサが取り憑いていた警察官の女、邦真(くにま)(あおい)

 

 100年ぶりに意識を取り戻した彼女は、彼女が置かれている状況について説明を受けた。自分が生死の境を100年も彷徨っていた事、眠っている間に世界に起こった、大まかな出来事を。

 

彼女がそれを実感する為、八幡達は彼女を連れて市街を散策したりコミューターやキャビネットにも乗ったりした。

 

 そして、この世界で生きるというのなら必要な援助をすることも、死にたいのなら苦しみのない方法で、過去に帰りたいというのなら、事故に遭うよりも前の時間に送り返せるという事もきちんと伝えて。

 

 ここでごく普通の神経を持つ一般人なら、

 

『え? 帰らせてよ。私のお父さんもお母さんも、友達も、あの時代なら生きてるんだから』

 

 と言う。

 

 これは予測も好奇心も入り込む隙間はない。誰だって、知らない場所で知らない人間と過ごすよりも知っている人間と共にいた方がいいに決まっている。……しかし彼女は、躊躇う様子もなく首を横に振った。

 

『え? いやいや、死にたいなんて思う訳ないじゃないですか。そりゃ』

 

 まるで過去に戻る事こそが死刑であるかのように、自分はそれを望まないと言う葵。

 

『未練と言えるような繋がりは私にはありません。……私は、避妊が失敗して産まれた子供ですから』

 

 小さな頃から保護施設で暮らしていた葵は、自分の両親の顔を見た事がないのだという。また、その当時は通っていた学校で凄惨ないじめに遭っていて、そのせいで片目の視力がかなり悪かったのだとか。

 

 しかし、彼女はいじめに遭っていても学校から逃げず、高校を卒業した。

 

 何故か。拠り所となるべき保護施設で、彼女に対する体罰が行われていたからだ。

 

 施設の管理者には気に入らない事があれば叩かれていたし、機嫌が良くても結局は足蹴にされていた。

 

 昼は同級生に怯え、夜は家に怯える。

 

 痛みに、寒さに、怖さに、あらゆるものに怯えていた葵だが、管理者が女だった事や学校が女子校だった事が彼女にとって唯一の救いだ。

 

 性暴力に怯えない——そんなものを安堵であると勘違いしてしまう程に、彼女の価値観は歪められていた。

 

 そこまで追い詰められて、それでも彼女が逃げなかったのは、逃げるという選択肢を掴めなかったからだ。

 

 居場所もないまま、目的も持っていなかった葵は高校卒業後〝なんとなく〟で寮付きの警察官学校に入る。

 

 100年前の当時は、まだ警察官を志望する女性は男性に比べて圧倒的に少なかった。それを葵は知っていたし、クラスメイト達がその道を選ばない事も、管理者が自分に興味がない事も知っていた。だが、それでも尚、警察官になる道を〝なんとなく〟という理由にした事実こそ、葵の「逃げたい」という本心の表れだったのだ。

 

 葵の決心が掴み取ったそこでの生活は、今までの暮らしが霞むほど普通に住みやすい所だった。

 

 他人と話す経験がないので友人は出来なかったものの、贅沢も不満もなく、彼女は穏やかに日々を過ごせた。

 

 しかし、その後に彼女を待ち受けていた運命の名は「殉職」。

 

 初めての出動で現場に駆けつけた葵を待っていた最期は、交通事故の現場整理途中で交通事故により死亡——だった。

 

 ……………………。

 

『だから、私は死にたくない。これからの人生、100年後を生きるなんて誰も体験した事がないんだよ? そっちの方が絶対にいい——』

 

『んバ』

 

 その場にいる全員が彼女の告白を聞いた時、八幡の胸元に移動していたぬいぐるみがもぞり、と谷間から這い出てきた。

 

『カノ、ジョ、ハ、ヒトリぼ、ちで、シタカラね、ェ……』

 

『!?』

 

 サエグサの宿るぬいぐるみだ。体を動かすことさえ難しいだろうに、ぬいぐるみの体ですでに発音をこなしている。

 

『ひとりぼっち————そうか。瀕死だからじゃなくて、お前、ひとりぼっちだから葵さんを選んだな』

 

 しかし動揺は見せず、自分の胸元からぬいぐるみを掴み上げて睨む八幡に、葵はあからさまに顔を赤くする。

 

『あおっ!? ……あのう、初対面の美少女に名前呼びされるのはちょっと、刺激が強すぎるというか……』

 

 しずしずと手を挙げる葵の指の先まで染まったピンク色に、何故彼女が恥ずかしがっているのかが理解できず——なフリで、八幡は首をかっくんと傾げた。

 

『? 俺は元々あっちの()ですよ。今はちょっと逃亡中なんで性別変えてますけど』

 

『え? あぁ、そう……えっ? へ、変装……?』

 

『変装というか変身です。骨とか筋肉とか、諸々の位置だったり大きさだったり構造だったりを変えてるんです』

 

 がたがた、と震える八幡の足。そのちょっと遠くで愛梨が呆れていた。

 

『……100年経つとオカルトもオカルトじゃなくなってるんだ……』

 

 葵の頬が赤い。吐息もなんだか熱そうだ。

 

 ただ、その視線は現代社会に向けられたものではないという事だけは八幡にも理解できていた。

 

 しかし。なぜ自分が彼女の標的になっているのか、本人でさえ理解できないその理由を八幡が理解することはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、それじゃあ始めるぞ。一色は全力で動け。折本はポイントを考えずに打ちまくれ。以上だ」

 

 二人の準備運動が終わり、八幡は専用のウェアに着替えた二人にこの試合の要点を伝えてコート内から出て行く。

 

 かおりが立つ側に設置してある観戦用ベンチに腰をかけた。そこは最初に八幡が選んだところでもある。

 

 八幡の右側に栞、左側に葵が座った。

 

「さぁ、適当に観戦するぞ。つってもすぐに終わるだろうけど」

 

 試合開始の合図なのか八幡は右手を挙げる。しかし、二人共八幡の方を見てはいない。

 

『ところで、どうしてコートの真ん中ではなくかおりさんの後ろに座っているんですの?』

 

 試合を観るにしても、もう少し場所を選べなかったのかと言いたくなるような位置にわざと座った八幡に、サエグサが何となく気づきながら声をかけた。

 

「ん? それはだな」

 

 試合開始のブザーが鳴る。

 

 1秒が経過した時だった。

 

 ズパァッ! 空間を割くような轟音が、コートの内外に響き渡る。

 

 そして。

 

 八幡がそれ(・・)を受け止めた時の音も、なかなかに裂けていた。

 

「…………」

 

 銃撃、或いは砲撃。火薬の爆発そのものをキャッチしたかのような音と衝撃に、眠そうな目をしていた栞も思わず目を見開いた。

 

「……なに、これ」

 

 そして彼女は、目の前の光景に驚愕する。

 

 コートを囲む透明な箱は愛梨が低反発ボールを打った時の衝撃波でヒビが入り、かおりの背後の面には大きな穴が空いていた。

 

 八幡がゆっくりと腕を下げ、掌を広げて見せる。

 

「……っ、八幡……!? その手、……」

 

 栞の目に飛び込んだのは、八幡が握ったものではなく、破けた皮膚に滲む血の雫。しかしそれも一瞬のことで、栞が瞬きをした後には、彼の手は何の怪我もなかったかのように綺麗な手に巻き戻されていた。

 

「……ったく」

 

 ゆっくりと開かれた彼の掌からボールだったものが出てきた。

 

 そのほとんどはゴム繊維や糸の塊で、ボールがどれほどの威力で打ち返されたのかがよくわかる。

 

 そして、競技の練習相手としては申し分ない実力と魔法力を持つ折本かおりであっても、今のボールを打ち返せないらしい。

 

「……ひ、ひきょう……反則……うぇぇええん……」

 

 ぺたん、とコートに座り込むかおり。『死ぬ気で怖かった』と後で彼女が雅音に洩らしている。

 

 彼女が握っているラケットのネット部分が消し飛んでいることから、ラケットに魔法を纏わせる時間すらなかった、もしくは纏わせていた魔法ごと破壊したのだろう。

 

 破壊した壁を呆然と見つめる愛梨に八幡はベンチから立ち上がり、手の中にあるボールだったものを見せた。

 

「バレるバレない以前に、普通にやってるだけで人を殺すからな。手加減しないといけないっての、わかったか?」

 

「……重々、承知したわ」

 

 愛梨の肩が震えている。着弾位置が少しでもずれていたらと思うと、震えずにはいられないのだろう。

 

 破損したコートを魔法で修復しながら、八幡はかおりと愛梨を着替えに行かせ、他に観戦していた人間を集めた。

 

「……ていうわけで、一色は『出せば勝てる』駒として認識してもらえればいい。アイスピラーズブレイクとか、攻撃しなくて済むミラージ・バット辺りに出せば確実に優勝するだろ」

 

 威力だけを見れば、八幡が挙げた競技が愛梨の使い所として最適と言えるだろう。

 

 だが、これはあくまで優勝を目指す場合の戦力配置。

 

「……その辺りの配分は僕がやろう。君より上手く考えるさ」

 

 八幡の目的に沿わせる為、戦術より戦略をメインとした作戦を得意とする玉縄が作戦の立案役をかって出た。

 

「頼むわ」

 

 否定も皮肉も言わない八幡に玉縄は目を丸くする。

 

「……意外だな。君が僕のオピニオンをフォローするなんて」

 

「……俺の言った作戦だと、一高の新入生総代が俺の思う所に出て来なくなるからな。あと久々に聞いたよお前のそれ」

 

「なるほどね……ん? 一高の選手に何かあるのかい」

 

「さっき言った妨害の件でちょっと(・・・・)な」

 

 しかめっ面。八幡の浮かべるその表情には、決して楽観視しているような色は無かった。

 

「……目的のため、視えていても見逃さなければいけないのには、同情するよ」

 

 何を引き換えに何を得るか。それは、終わってからでないとわからない。

 

 ……しかし、始まる前にその結果が見えているのだとしたら? 

 

 ——助けられるのに手を触れない選択を迫られているのだとしたら。

 

 その道はどんな地獄よりも嫌で、選びたくないものだろう。

 

「それでは、作戦会議はこれで終わりじゃな? 後は練習だったり機材の手配をしたりすれば良いかの」

 

「準備は生徒会でやろう。選手である君たちには練習を頑張ってもらいたい」

 

 陰気を吹き飛ばすように手を鳴らす沓子の合図で、九校戦に向けた話が締め括られる。愛梨の自己認識が済んだ以上、話を引き伸ばしても意味はないし、作戦が早くに決まればそれだけ早く動けるという事であり、それ自体、沓子には歓迎すべき事に思えた。

 

 さぁ教室に帰ろうか、などと話していたところで。

 

「ふむ……ん?」

 

 沓子の、思考が止まった。

 

 緊急の安全装置が作動して、急ブレーキが踏まれたみたいに強引に、突然に。

 

 そして彼女はゆっくりと今までに自分が考えた事を反芻し始める。

 

 多分、1時間も前のことではない。10分、いや3分。その程度の記憶の中に沓子が違和感を覚えたものがある筈だ。

 

 愛梨の出場競技? 八幡の言った方に違和感はない。むしろピッタリだと思うし、結果以外のところで不審な点は見つからない。

 

 練習よりもやることがあるとか、生徒会の負担がおかしいとかはない。

 

 では何だ。一体何が自分を引き止めた。

 

「…………??」

 

 その答えは、違和感に対する違和感だった。

 

 ……何故自分は歓迎「すべき」なんて思ったのだろう。

 

 実際はまるで歓迎してない、みたいな言い方だ。

 

 現状がよろしくない?

 

 何がいけなかったというのだ。

 

 力の加減を知らない愛梨にその危険性をきちんと教えて、大まかな作戦を決めて、それから——それから?

 

「……ちょっと待て」

 

 居心地の悪さの正体は、愛梨——彼女の、力についてだった。

 

 これまでの例から見るに、八幡の能力の使い方について、新しい所有者は自分の身に宿り、使えるようになった瞬間に自覚する。

 

 取扱説明書のようなものはないが、能力を自覚した瞬間、人の脳つまり知識の中に能力についての説明が書き込まれるのだ。

 

 少なくとも自分や栞、雅音はそうだった。

 

 愛梨が能力を得た後に初めて出会った時も、彼女は自分の能力に戸惑っている様子はなかった。

 

 今まで、能力の覚醒が不完全だったのか。それとも……?

 

(いや、それはあり得ない)

 

 能力を認識していない状態ならまだしも、彼女は既に2回以上能力を行使している。2回以上も世界に能力発動の爪痕を遺しておいて、それを理解しない筈がないのだ。

 

 そして、自分の能力の出力を理解しているのであれば、彼女はわざわざ確認を行う理由がない。

 

 であれば。

 

 わざわざ彼女は、身に染みている筈の自分の能力を確かめたという事になる。

 

(……何を企んでおる……)

 

 勿論、愛梨が彼女にとって無駄な事を提案する理由がない。

 

 怖い思いをさせてまで彼女に再確認をさせたのは、おそらく。

 

(……なぜ八幡は、愛梨にわざわざ実演させるようなマネを——)

 

 沓子が八幡に視線を向けた、その直後だった。

 

「…………………………………………」

 

 ——その時、沓子はほんの僅かな嫌悪感に気づいた。……見られている。

 

 糸のように軽く、まるで存在を感じさせない。隠密・諜報のスキルがあったとしても、これに気づくことは殆どありえないくらい、微かな視線が沓子に向けられている。

 

 もう少し注意してみると、その視線は沓子をすり抜けて別のものに向けられていた。

 

(これは——愛梨、……八幡か)

 

 沓子の視線の先がわかるという根拠は、彼女が得た能力のせい。

 

 能力により、沓子への視線は全て折られる(・・・・)。こちらが見る事を許可しない限りはどんな視力、魔法的な視線でも沓子に辿り着くことは叶わない。

 

 そのせいで自分に不躾な視線が向けられることはなく、八幡にはもう少し自分に注目してほしい所だが、今重要なのは自分に向けられたものではない視線に『沓子が気づける』というところだ。

 

 視線とは文字通り眼差しを送る線であり、どれだけ細かろうと、途切れ途切れになっていようと、その元は必ず存在する。

 

「……!?」

 

 その線を辿って沓子が振り向こうとして、彼女は正面からやってきた八幡に肩を押さえられた。

 

 肩を押さえる——からそのまま抱きしめられ、密着される。

 

 囁きが、耳元から聞こえてきた。

 

「……落ち着け。そっちに視線を送るんじゃない」

 

「……な、たわっ……!?」

 

 八幡の囁きが沓子の耳に入る——しかし、沓子の思考と視界が混乱して、見えている筈の視線も掻き消えて、それどころじゃない。

 

 肩甲骨、両腕の外側から伝わる圧力。抱きしめられているのに少しも窮屈さを感じない女八幡の腕の柔らかさ。自分のより少しだけ大きな胸の膨らみ。何より、好きな人に抱きしめれているという興奮が、沓子の脳から余計な思考を取っ払っていた。

 

「……少しこのままでいろよ」

 

「……はにゃ、ほにぇ……」

 

 八幡がそう言ってから、時間にして5分ほど。ずっと抱きしめられ続けていた沓子は、「もういいか」と八幡が離れた後も、完全に自分を見失っていた。

 

 

 

『……それにしても、一体誰なんです?(・・・・・・) あのような不躾な視線を投げかけてくるなんて』

 

 サエグサがぷんぷん、と怒りながら八幡の頭を叩く。クマのぬいぐるみのくせに猿のような軽い身のこなしの彼女は、現在八幡の頭頂部で不満そうに寝そべっている。

 

『しかも、わたくしが気づかなければ比企谷様も気付いていなかったという体たらくぶり。そちらのお嬢さんは気づきかけていた様子ですが……』

 

 沓子が目を凝らしてやっと気づけたその異変をサエグサは最初から異物として察知していて、それなのに八幡がずっと指摘しないものだからとうとう痺れを切らしたのだとか。

 

 自分達を観察していた存在の正体は大体見当がつく。……しかし、力を隠している八幡は誰であろうと、まだ気付かれる訳にはいかない。

 

(……予知通り、監視の目が校内にまで及んだ結果重要なものを見せる(・・・)ことが出来た。今日の評価は結果オーライ……か?)

 

 

 所は変わって第一高校正門前。

 

 今は授業中であるというのに、正門付近に2人、生徒の姿があった。

 

 そのうちの1人、金髪美少年は魔法社会の頂点に君臨する家のひとつ、四葉が家として配置(・・)された当初から彼らに仕えている裏の名門葉山家の長男、葉山隼人。

 

 もう1人の黒髪美少女は、四葉家を造るのに使われた血のひとつである雪ノ下家の次女、雪ノ下雪乃。

 

「……危なくなったから、というのはあなたの視線に気づかれたという事かしら」

 

 膝をつき、肩で息をする隼人の傍らで彼を見下げる雪乃は随分と容赦のない言葉を投げかける。

 

 昼休憩時に「自分が行く」と言って聞かなかった雪乃を出し抜いて一人で第三高校を偵察してきた裏切り者には適当な言葉かもしれないが。

 

(……だが、結果的にはこれで良かった)

 

 深呼吸を繰り返し呼吸を整えて、隼人はようやく立ち上がる。

 

「……そう、だね。……いや、わからない」

 

 雪乃の差し出すボトルを受け取り、隼人は中身をあおった。100年近く味の変わっていないというスポーツドリンクの味を確かめながら、考える。

 

 ……気づかれたかどうかでいえば、多分気づかれている。

 

 不自然に視線を逸らそうとする人間も、こちらに近寄る気配も、特に見当たらなかった。こちらを捉えて離さない視線があっただけで。

 

「……ただ、気になる事は幾つかあった」

 

「気になる事……第三高校に何かあったの?」

 

「ああ——」

 

 まず、彼らにとって直接の知り合いであり後輩の少女の姉だという一色愛梨。

 

彼女は魔法力を失っていた筈だが、隼人が確認した「新事実」によればクラウド・ボールの箱を破壊したり、校舎を崩壊させたりと明らかにやってる事が違う。一色愛梨という少女はあくまでも、「一」の家らしい魔法が得意だった筈なのだ。

 

「……本人が魔法力を取り戻したにしては、前と後で力の性質があまりにも違い過ぎる。……あれじゃあ同じ顔をした別人だ」

 

 それに。

 

 隼人は少ない観察の中で、その中に同僚の姿を確認していた。

 

「……折本さんが、一緒にいた。彼女が一色さんと一緒にいてあれ程の変質に気づかない訳がないし、折本家からその話題を聞いたこともない」

 

「……つまり、折本さんはそれを隠している?」

 

「彼女の変化は、単に情報共有すべき事柄じゃないのかもしれない。……でも、雰囲気が何処となく優美子や北山さんに似ていた(・・・・)んだ」

 

 隼人が絞り出したその言葉は、とある懸念を雪乃に伝えていた。

 

「……彼の能力を得た、という事かしら」

 

 一色愛梨が、彼らの探している八幡から能力を受け取った可能性がある。それはつまり、八幡の居場所が判明したということだ。

 

「かもしれない」

 

 しかし、何より気になるのは。

 

「あの女の子……」

 

 かおりや雅音など、あの時集まっていた第三高校の生徒達の中で生徒名簿に載っていない女子生徒がいたのだ。

 

 黒髪で、どちらかといえば優美子や結衣を想起させる、はっきりと開かれた瞳の明るい顔。

 

 あの少女は、一体誰なのか。

 

心当たりがあるとすれば、やはり彼だろうか。

 

 ……もしそうなら、随分と大胆になったものだ。人前で抱きついたりなど4月より前は見た事がなかった。以前までであれば、見られたくないものを見られようものなら、陰湿で消えにくい嫉妬の炎のように静かに怒り狂っていたものを——

 

 そこまで考えて、隼人はたどり着いた。

 

「……ああ、そうか」

 

 隼人の中で疑念が確信に変わり、確信が、事実へと昇華する。

 

 見せていた(・・・・・)

 

「……気づかれて、いたかもな」

 

 彼の独り言は、雪乃に届くことなく空に消えていった。





次回、やっと九校戦編の本編が進みます。

 九校戦前日。一同が活気に溢れ笑顔に満ちる中、一高のバスを会場に到着させない為に妨害することを決意する八幡。

 襲撃の為、こっそり抜け出そうとするも待ち構えていた愛梨に見つかってしまう。保護者同伴で襲撃地点に向かうも、そこにはいるはずの無い黒ずくめの刺客に加え、何故か高速道路上で仁王立ちする白衣を纏った六道の姿が。

 戦力的に今の彼では白衣の方に勝ち目がない。これ以上戦況を動かすことは彼にはできない…………。

 ではどうするのか。

 誰よりも先に現場に到着し、刺客を回収する。これしかない。

 そのミッションを成功させる為、八幡は自分から愛梨に声をかけるのだった……。

 次回「人攫い手伝ってくんね? ついでに人身事故止めたい」「私達競技をしに来たのよね!?」

デュエルスタンバイ!



 


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交通事故VS不完全燃焼静ちゃん



 努力は自分を裏切る。

 恋は友人を裏切る。

 後悔は裏切りの結果だ。


 

 痛い。

 

 いた。

 

 いたい。

 

 心が痛い、傷が痛い、体が痛い——世界が憎い。

 

 ——ああ、あああああ。

 

 あああ————あああああああああ。

 

 暗闇の中、幾度目ともわからない微睡みを彼女は終えた。

 

 眠ることができなければ、目を閉じておく理由もない。

 

 呼吸。……どころか、身動ぎをするだけで全身が痛む。

 

 なんだあれは。

 

 なんだ私は。

 

 なんだこの結果は!!

 

 本体である私にフィードバック(・・・・・・・)する程の痛みなんて、空間と次元の狭間をなんだと思っているんだ!

 

 全身を夥しい数の呪いと痛みに苛まれながら、イチジョウは己の有様を呪った。

 

 ……死ね、飢えろ、病め、廃れろ。

 

 どろ、どろり。

 

 肉の内側を怨恨と執念が渦巻いて、形を成す。

 

 殺したい欲と触れたくない忌避とが混ざり合って、イチジョウの人格を構成する。

 

 いいや、これは自分の心を解体しているのだ。

 

 わざと思い、形にする事で自己を再認識する。そして、余分なものとして今の自分に刺さっている呪いを引き抜く為に。

 

 そうしてヒキガヤに対するひとしきりの毒を吐き、鬱憤を晴らした後、イチジョウは全てを裏返した(・・・・)

 

 裏返す——つまり、状態をマイナスからプラスへと変化させるのだ。

 

 苦しみも、後悔も消え去る。……だがやはり、心をどれほど反転させたところでイチジョウの核に深く突き刺さった『呪い』は取れそうにない。

 

 喉の小骨、程の違和感ではあるが、場合によっては致命傷になりかねないほど危険なものだ。

 

 神殺しなんて言葉はまやかしだとイチジョウ自身思っているが、これを取り除くまで余計な事、完全な回復そのものをできそうになかった。

 

 というか。

 

 そもそも、あのヒキガヤにこれほどの呪いが用意できたのだろうか。

 

 状況を途切れさせない、保存する、或いは継続させる事に特化した『継戦』こそがヒキガヤの能力の真髄。

 

 続けることこそに意味を見出す能力なのだから、呪いのように「終わらせる」性質を持つ筈がない。——であれば。

 

 十神の中で唯一、ヒキガヤだけは神として他の十神と共存するのではなくその席を蹴って自ら対立する道を選んだ。

 

 つまり、他の九つの神を敵に回す選択をとった、ということ。

 

 準備は出来ていたのだろう。十神に効く魔術か、魔法かはわからないが、この100年で〝何か〟をヒキガヤは用意してきた。人類が開発できたというなら話は別だが、そもそも十神の持つ能力は基本的に攻撃を目的としたものではなく、ヒキガヤが新たな能力を用意できたという可能性は限りなく低い。

 

 …………いや。

 

 彼女は、そこまで潜ってから考えを改めた。

 

 力の差が発生していれば、なんでもない能力を毒として発揮させられることも可能になる。

 

 そして、イチジョウの持つチカラは『反転』。ありとあらゆるものをひっくり返す能力だが、今はそのほとんどが敵に奪われてしまっている。例えるなら敵が7でイチジョウが3。それ程の力量差があってしまえば、効果が出るのもやむなし、なのだが……。

 

 ……何故だ。

 

 その疑問は、イチジョウの心内に再び灯った。

 

 一体何故、存在が同じ十神でありながら、ああも差が付く??

 

 そもそも、『本命』が奪われて『保険』で顕現する羽目になった理由がわからない。

 

『本命』が偶然、反転の能力を使えた。……それまではいいとして、それからイチジョウの手元を離れる理由がわからない。

 

 事実の改竄や時間軸の折り曲げ如きで、十神が自分の能力の支配権を失える筈がないのに。

 

 ……そういえば、『本命』が使っていた黒い影の能力。

 

 影の中に物やヒトをしまえる能力は見るからに便利そうだ。……あんな能力、イチジョウは持っていないが。

 

 貯蓄、運搬は反転の属性から外れている。それにあれは、元々何かを潤滑に廻すための小道具のようなもの。十神のチカラだとしても、能力から切り離された切れ端のような——

 

 ——まさか、わたしが目をつけたモノ(・・)に、既に……先に……!

 

 たまたま偶然が重なっているのであれば、イチジョウが目をつけたモノに、先に奴の手が(・・・・・・)付いていてもおかしくはない。

 

 ……………………けれど。

 

 世界を循転させるために未来を先取りできる能力を得ていたのだとしても、力量差でイチジョウがヒキガヤに押し負ける筈がない。

 

 神に成り、たかが100年程度しか経っていない若造が、1000年以上もの時間をかけたイチジョウをどうして飛び越せる?

 

 意思や努力があってのものでは決してない。

 

 奇跡は起こり得ない。起こせるだけの時間(材料)が、ヒキガヤには不足している。

 

 それこそ、他の十神の協力でもない限り——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高速を走る大型バス。

 

 九校戦に参加するため、一高の選手団を乗せたその車両は(真由美の家の事情による遅刻を除き)殆ど順調に目的地へと進んでいた。

 

 順調。それはつまり異変がなく、ヒマだということ。

 

 これまでに起きた異変といえば、……数十分前のこと。

 

 

 

『やー。いーい天気だなー。おっとあんなところに標的(観光バス)が——もがあ!?』

 

『何を懐から取り出しておるんじゃ貴様ァ!』

 

『……ったく、ただのRPGだっての』

 

ロールプレイングゲーム(RPG)かな?』

 

『うんにゃ、携行型対戦車ミサイル(RPG)

 

『わざわざオープンカーを用意したと思ったら、そういう魂胆かい……僕は知らないから寝る』

 

『花火を間近で見れるんだぞ。珍しくないか?』

 

『四尺玉を至近距離で見ようとする挑戦的嗜好は無いよ……ふぁあ』

 

『ええい、今は状態の確認だけじゃろうが! 後で来る時も必要な事以外はするでないぞ!?』

 

『……えーいまなら確実に司波深雪を仕留められるのにー。司波の兄貴に邪魔されないよう手作りした特注品だぞ? 魔法の効果を一切受け付けないからな』

 

『撃ったらこの車のハンドルを右に向ける。以上じゃ』

 

『自動運転で何を言っているんだか……』

 

()に出来ないとでも? 何のために運転席に腰掛けておると思っておるのじゃ』

 

『…………あーそっかー』

 

『万が一に手が滑ってしまった場合、情緒酌量はギブミー?』

 

『ハンドルを左に向けてやろう』

 

『……っす。大人しくしてまーす』

 

 

 

 …………。

 

 合流ポイントで走行レーンに入ってきた車が少々賑やかだったのが摩利の目に留まった、……それくらいか。

 

 退屈しのぎ——ではないが、摩利は後ろを振り返った。

 

 このバスに乗車しているのは九校戦に技術スタッフとして参加する生徒や六道の生徒を除く競技に参加する生徒達のみ。

 

 技術スタッフは後続の作業車に乗せられて(・・・・・)いるのだが、その事に不満を抱く数名の生徒の暴走が予想されていた事もあり、警戒のためだ。

 

 一応、監督役であり引率である教師の静が1番前の座席に座っているが、風紀委員長である摩利がそれに甘える訳にはいかない。

 

「……はぁ」

 

 まぁ、摩利と静が側にいるとわかっている状況でわざと騒ぎ立てるようなバカはいないから、警戒する意味があるのかといえば、ないのかもしれないが。

 

 ……ただ。

 

「……ん?」

 

 この時、摩利がその異変(・・・・)に気づけたのはたまたま車内を見回していたからであり、この後を彼女は予想だにしていなかった。

 

「……運転手ッ! 車を止めろ! ブレーキだ!」

 

『熟読! 年下との付き合いカタ(はぁと)』と表紙に書いてある雑誌(恐ろしい)を投げ捨て、静はいきなり立ち上がってバスの運転手に声を投げる。

 

 運転手は静の言に二つ返事でブレーキを踏み、静が投げた雑誌は真由美の膝上に着地。

 

「あ」と真由美が口にした時には既に、運転手はブレーキペダルを踏み切っていた。

 

 がこん、ぎゅいっ! ……車内に響き渡るのはギアの悲鳴か、タイヤの絶叫か。

 

 高速道路で大型バスが急ブレーキなど踏んでみろ。普通ならば大惨事を免れる事は不可能だ。誰か1人が必ず大怪我をする。

 

 だが、そこは流石の魔法科高校の生徒が乗る車両。起点を除く結末までの全てが非常識だった。

 

 減速の魔法はもちろん、慣性の魔法や硬質化の魔法を併用することで車内の人間の相対位置を固定、怪我人を出さずに緊急停止する事に成功。

 

 さあこれから衝撃がやってくるぞ——と身構えていた生徒達の予想に反して、驚くほど緩やかにバスは停車した。

 

 時速80キロで走行していたバスの制動距離、僅か5メートル。

 

(……奴ほどすぐには止まれんか)

 

 八幡()ならほぼゼロメートルで止める。

 

 ともあれ、その結果に静は「良し」の判断を下し、車内の生徒達に「外には出るな」「手は出すな」と声をかけて、運転手が開けるバスの出入り口から高速道路に降り立つ。

 

「…………さて」

 

 そして、真正面を見つめた。

 

 自分の——バスの前に立つ、その存在を。

 

 

 

「オマエォ、殺スゥっ!」

 

 

 

 いや、そんな風に喋ってるわけじゃないよ?

 

 実際は一言も喋ってないし。

 

 

 

 だけど。静の前に立つそれ(・・)は、そんなふうに獣性を吠えておきながら、モーニングコートに身を包み背筋を伸ばして直立している。

 

 はっきり言って異様だ。

 

 人を即死させられる速度で鉄の塊が行き交う、高速道路のど真ん中。

 

 人が立っているというだけでも摩訶不思議だというのに、それがモーニングコートを身につけて、その内側から押し上げる筋肉が一眼でわかるくらいフィジカルパワーに溢れた見た目をしている。

 

 野生味溢れるその顔を決して知的であるとは表現できないが、ヒグマや虎と比べるくらいなら人間の顔をしているだけ知性を感じられるのでマシというものか。

 

 髪は黒色のおかっぱ頭。……というか、そのおかっぱがなければ静は容赦なく人外判定を下していたに違いない。

 

 ……いや、重ねて言うが、その男の外見は人類なのである。類人猿とかではなく。

 

 おかっぱ頭の巨漢——仮にそう呼称することにするその不審者は、口を横一文字に閉じて、ただ、佇んでいた。

 

「……轢くぞ?」

 

 向かい合ったまま、何もしようとせずにただ立っているだけの不審者に静がそう声をかけた。

 

 しかし、不審者は仁王立ちのまま正面を見つめ、静が視界に入っているのかすらわからない。

 

 ……すると、ゴリラのようにごつごつとした硬い印象の口が、がぱりと開かれる。

 

 虫歯とかひとつもないなー、と静が思った時。

 

「……オエ、あ……」

 

「——っ!?」

 

 気づいた時には、もう既に。

 

 拳を振りかぶる予備動作すら見えず、不審者の——変態の——敵の——拳は、静の顔面に迫っていた。

 

 だがこの程度の速さに対応できない静ではない。

 

 殴りかかってきた拳をそれ以上のスピードで真正面から撃ち返す。音速を超えるパンチによって生み出された衝撃波は、敵の腕を弾いて肉を破裂させ、一撃で使い物にならなくさせた。さらに、その反動で仰け反り、体勢を崩しかけている男に、静が今日1番気持ちのいい1発を懐に叩き込んで——

 

「……は?」

 

 びゅうううう。

 

 高速道路に吹き荒れる強風。呆然と立つ静の前から、あの巨漢が消え失せていた。

 

 後ろに回り込んだ、とか逃げ出した、とかではない。まさかの透明になったというのも違うだろう。

 

 誓わせてもいい。その時の平塚静は、瞬きをしていなかった。

 

 一瞬たりとも自分に敵意と拳を向けてきた不審者を見逃さずにいたというのに、静はいつの間にか敵の姿を見失っていたのだ。

 

「……っ、」

 

 精霊の眼を持ってしても痕跡を追えない(・・・・)。その事実は静の焦りを加速させる。

 

 例え敵がどんな能力、どんな性質を持っていたとしても、世界という記録には何かしらの痕跡が残るはず——それなのに、現実世界には何もない。

 

 静の前に立っていた男が突如消え去った。

 

 ……状況だけ見ればそう解釈するしかない。

 

 結局、襲撃(?)の理由もろくに聞き出せなかった。

 

「厄介だな……」

 

 そして、厄介ごととは往々にして連続するものだ。

 

『先生危ないッ!』

 

 静が思考する合間、新たな脅威が静や一高の選手団を乗せたバスに迫っていた。

 

 脅威——というか、事故だが。

 

 激しい炎に包まれた鉄の塊、事故を起こしたと思われる自走車が、こちらに飛んできていた。

 

 反対車線を走っていた車が事故をしてそのままガード壁を超えてしまったのか、ものすごいスピードだ。

 

 もしバスにぶつかってしまったらば、怪我をしてしまう選手も出るかもしれない。それはこの九校戦にかけている一高にとって十分過ぎる痛手だ。

 

 しかし、それを十師族の守護者たる六道が許す筈もない。

 

「…………はぁ」

 

 だが残念ながら、この程度の事故は静にとって先程の不審な男以上に興味を惹ける程のものではなかった。——必要以上に集中が続かない、という意味で。

 

 ……耳障りな音を撒き散らしながら転がってきた車をあろうことか片手で掴み、静止させる。車体を包んでいた炎などは静が車に触れた瞬間に消え去っていた。

 

1トンを優に超える鉄の塊を魔法を使わずに女性の細腕で止めるのかとか、魔法師にとってですら度し難い神技を披露しつつ、静は空を仰ぎ見た。

 

「…………」

 

 静が見上げる視線の先。

 

 空中を漂う電気(・・)の残り滓(・・・・)が弾けて消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……その男は、薄暗い暗闇の中で目を覚ました。

 

 起きてすぐ、自分の体を確認する。

 

 傷痕確認……右腕前腕部以下欠損。

 

 五感機能……異常なし。

 

 右腕が無いこと以外に、男が自前の機能(・・)を発揮する上での支障はなかった。

 

 男の右腕が無いのは、男の前に現れたあの女の所為だ。

 

 十師族の血を引く体(・・・・・・・・・)であるにもかかわらず、男の拳は女性に負けた。

 

「…………がぅあ……」

 

 それが悔しくて、自分がいる場所も気にせずに、負けた自分が何故生きているのかもわからずに吼えようとしている——と。

 

「ちょっと。人様の個室で喘ぎ声とかやめてもらえます?」

 

「!?」

 

 男の後方で声があった。……しかし、男が驚いたのは「自分の背後に人がいた!」……事ではない。

 

八幡(・・)が珍しく人を寄越したから、と気になって来てみれば……全く。ゴミの後処理を押し付けられただけじゃないですか」

 

 今の今まで己が立っていた場所が、色鮮やかな明るい世界であることに気づかなかった事だ。

 

 地面は一面に白い雪化粧が広がる雪原。

 

 空は、かなり大きな入道雲が浮かんでいながらも、どこまでも澄んだ色をしている青空。

 

 地面と空で明らかに季節の温度差を感じさせる色をしているくせに、景色だけは何と言っても絶景であることに違いはなかった。

 

 そして——そんな場所でも明らかに不釣り合いな芸術品がひとつ。

 

 空を仰ぐように掲げた両腕は手首から繋がる鎖で吊るされていて、地面に座り込んだ足首にも鎖は繋がれている。それと——

 

「…………」

 

 腿、脇腹、左胸、二の腕、足の甲。

 

 それらの箇所が纏めて、或いはひとつずつ5本の槍でもって貫かれていて、その少女は「拘束されている」というよりも「拷問の後に死に果てた」姿にしか見えない。

 

 もっとも、そんな状態で悠然と喋り出すのだからその少女の不気味さは増すばかり。

 

 心臓の位置を正面上から不気味な色の槍で貫かれているくせに、その少女は男を見て槍以上に不気味な表情(いろ)で笑っていた。

 

保存対象(・・・・)としてすら見做されていないのですね。可哀想——」

 

 ——その男に思考力があったとして、今目の前にしている少女を襲わずに逃げ出すという選択肢を取れただろうか。

 

 人格を漂白して作り出されたヒューマノイド擬きのジェネレーターではなく、最初から戦闘用として作り出された「ヒト擬き」。

 

「……………………」

 

 そんな彼がもし人間としての人格を持っていたならば、と考えずには(・・・・・)いられない(・・・・・)ほど、男の最期は呆気ないものだった。

 

 全身から血を噴き出し、火傷に皮膚を爛れさせて、霜焼けで腕が崩れ落ちる。

 

 とにかくあらゆる死に方法(かた)で、少女に向かって一歩を踏み出しただけの男はこの世を去った。

 

 倒れ伏す男の死体は数秒もしないうちにヒトの形を失い、男がつけた足跡に積もっていく。

 

 この雪原は死者達の死体が積もってできた死の雪原。その場所に1人居座る、死の女王。

 

「——あぁ、そういえば最期に名前くらい聞かせてあげればよかった」

 

 久々に人が踏み荒らした跡を眺めつつ、少女は呟いた。

 

 

「……【十神・四魄(しはく)】。藍羅(あいら)、ヨツバ……」

 

 

 少女がそう口にした後。冷たさの存在しない雪原に風が吹き、雪原を雪が舞った。





次回、前夜パーティ! ついに八幡達と深雪達が邂逅! 2人に増えた八幡を目にした時、雪乃達はどんな反応をするのか!?

「何で比企谷さんが女湯にいるのですか!?」

「後から来といてよくゆーよ。今のオレより胸もないくせに」

「——言葉を選ばれてはいかがですか?」

「おにいたま狂いの偏屈メンヘラ変態ブラコン女」

「——あァ?」

「疑問符でしか終わらせられないのかよ兄貴の腰巾着が」

「……新人戦が楽しみですね」

「ヒキオー。泡流すよー」

「ざーんねんでしたー。お前みたいなゴミを相手してるほど暇じゃないんですわぁぁぁぁ! 泡っ!?」

「高校生にもなってシャンプーハットが手放せないなんて……生きてて恥ずかしくないのですか?」

「ざけんな今つばを掴んで下げただろがお前!」

「何のことでしょう?(満面の笑み)」

「すり潰してやる……!!」



……どこまでが本物でしょーか。





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共鳴毒



ズレている。ズレている。
心も体もズレている。
殺せないのに殺したい。
生き延びたのに生き急ぎたい。
もう少しズレたなら、キミの心に届くのに。


 

 

 九校戦の開催には国防軍も力を貸してくれている。

 

 毎年のことではあるが、軍の基地内にて開催される九校戦参加者が宿泊するのは当然、軍の施設。

 

 海外からの来賓などが宿泊する、主に外交の為に使われるホテルだ。

 

 そのホテルの一室で、枯れたような伸びたような、覇気のない声が上がった。

 

「……は、……はーッ」

 

 ぜひゅー、ぜひゅーという音が発するこれは、咳と呼吸が入り混じった割と瀕死のサイン。

 

 ふかふかとした柔らかい肌触りのベッドに全身を預け、何よりも呼吸を優先する少女の息遣いが、部屋の中で繰り返される。

 

 ひ弱なお姫様系女子が200メートル……いや5メートルを全力で走らされたとしたら、こんな呼吸をすることになるのかもしれない。

 

 もっとも。かつてはボクシング以上に俊敏な動きが求められる競技リーブル・エペーで優勝候補と呼ばれる選手を相手に圧勝する程の実力——即ち体力を持っていた愛梨とは無縁と言ってもいい程のお粗末な呼吸だ。

 

 全力中の全力、本気の中の本気で走って余力を一滴たりとも残さず、それこそ干からびるまで走り尽くしたような、飢餓感すら覚えるほどの運動で体力を使い果たさない限りはそれもやってこない。

 

「……ぜひゅっ、ぜひゅ、……ぜひゅー、ぜひゅー……」

 

 ——そんな彼女がこの呼吸をしているのだから、よほどのことがあったに違いない。……というか、あったのだけど。

 

 九校戦に出場する選手が宿泊するホテル。

 

 第三高校の生徒の為に用意されたルームのひとつ、愛梨が宿泊している部屋の中から、その呻き声は聞こえていた。

 

 掛け布団の上から手足をベッドに投げ出して仰向けのまま呼吸を繰り返す愛梨は、その体勢のまま、隣のベッドで鞠を使って玩んでいる女性体の八幡を睨め付けた。

 

 何故八幡がここに? 答えは簡単。比企谷八幡(ハヤタ)が、九校戦における愛梨のルームメイトだからだ。

 

 夜になれば、八幡は1人部屋を使っているネファス(男性の八幡に変身している)と交代する事になっていた。

 

 痛みと倦怠感で重くなった頭を何とか転がし、愛梨は八幡を睨む。

 

「……訊いて、いいかしら」

 

 何のため? 無論、自分が今こんな目に遭っている理由を問いただすためだ。

 

「……なにを?」

 

「私達が、あそこに行った、意味……よ」

 

「……落ち着け。急がして悪かったから」

 

 八幡に言われ、愛梨はすぅ、と吸った後に深く息を吐いた。……驚くことに、今までそうしなかった分の変化は、すぐに実感できた。

 

「————」

 

 今の今まで、自分で体勢を変えることすら困難だったというのに。

 

 この瞬間が目覚めの良い朝であるかのように、愛梨はすんなりと体を起こせた。

 

 たった1呼吸。……普段繰り返しているものよりも深く、意識して行った呼吸だが、たったそれだけの行動で、立ち上がれないほどに疲労していた彼女の体は普段の調子を取り戻す。

 

 彼女の身の内に宿る「文明の雷姫」が、深呼吸という要望を受けて、彼女の疲労を無かった事にしたのだ。

 

「……まっ……ったく」

 

 今の状況に後悔はない。偶然に偶然が重なった結果今の愛梨がいる訳だが、それでも悔いていることは何もない。ただ呆れているだけだ。——自分の体の、人外さ加減に。

 

「あーもー……」

 

 常識外れも甚だしい。

 

 愛梨が八幡の能力を受け入れ現在の体になった後、彼女の体に起きた〝身体能力の向上〟は、運動や薬物投与による影響を遥かに凌ぐ程の恩恵をもたらしていた。

 

 高速道路を音速の10000倍(・・・・・・)で駆け抜けた上に、20キロ以上も離れた地点とをタイム0.02秒以下で往復する。

 

 ……それだけの人外技を披露しておいてダメージは疲労困憊で済み、呼吸ひとつでまた走れるようになるのだから——つくづく人間を辞めている。

 

「んで、なんだっけ」

 

 そしてそれは、愛梨に限った話ではない。

 

 ……生身の人間であれば、まず即死は免れない愛梨の加速に付いてきた上に2人分の衝撃波や残留サイオンなどを処理しつつ標的を消すという「手際の良い」では済まされない能力を披露した目の前の少年についても「人間じゃない」という評価を改めて下しながら、愛梨は答える。

 

「……あのゴリラ男は、傍目から見ても十師族と同等、或いはそれ以上に強い……っていうのはわかるけど、それでも六道に勝てるとは思えない。手を出さなくてもよかったんじゃないの?」

 

「ただのクローンとかジェネレーターだったなら無視してた。……十師族の合成クローンじゃなければな」

 

「……合成クローン」

 

 合成クローン。それ(・・)について八幡は、十師族の持つ優秀な遺伝子を複数集めて組み合わせた「ヒューマン・キメラ」とでも呼ぶべき危険な存在であると言った。

 

 その存在が明るみになれば、十師族を内部から崩壊に導く事も可能なシロモノであるとも。

 

「それ自体が戦力として脅威になる訳じゃないが、十師族の遺伝子情報を持ってるそいつからは色々な情報が採れる。……まぁ、あとはわかるだろ」

 

 八幡の言わんとしている事は、愛梨にも容易に理解できた。——内紛だ。

 

「魔法師が欲しがるものを集めて作った餌団子って言うのかな。——例えば『マルチスコープ』が技術として得られるなら、ほしいと思うのは当然」

 

「……え、ええ。確かに、——あぁ」

 

 言われて愛梨は気付く。八幡の話す言葉が意味する、明らかな危険性に。

 

「同じように『流星群』が使えたら? もしかしたら澪ね——五輪澪の『深淵』も携帯兵器みたいになるかもしれない。そういう可能性が『餌』なんだよ」

 

 秘匿されている魔法が外に流出する。それ自体が見過ごすことのできない災禍ではあるが、最悪の場合十師族という存在の意義や価値が虚構化する。

 

 秘術の流出を許せば、魔法という唯一無二の価値を保持できなくなることは必至。

 

 捕獲したそれを利用するしないにかかわらず、十師族はそれを放置してはおけないだろう。

 

「……?」

 

 ここで、愛梨の中に疑問が湧いた。

 

(……でも、十師族の魔法を盗むのは良いとしても。それをわざわざぶつけてきた理由は? 戦力テストをするにしても、後始末の事を考えなさすぎ……よね)

 

 作ったクローンの戦力テストも出来るし、役に立たなくても戦ったデータは取れる。だが、敵の視点に立ってみると、それでもおかしいと言うことに気づいたのだ。

 

(……ひょっとして、クローンは囮……? それとも本気で六道を倒せると考えていた……?)

 

 存在という最大のデメリットを明かしてまで現場に投入するメリットが、愛梨には微塵も感じられないのだ。

 

 しかし。

 

「——だけど、アレを作った奴らの目的は〝魔法を盗むこと〟じゃない」

 

 ふって湧いたばかりの愛梨の疑念は、八幡の言葉に掻っ攫われ、愛梨の思考に僅かばかりの空白を生み出した。

 

「……え?」

 

「それを求めて争わせること自体がクローンを作った奴らの目的。……そして真の狙いは、十師族とそれに連なる魔法師達の全滅だ」

 

「ぜん、めつ……」

 

 ……どうやって。

 

 愛梨の喉が言葉を声として鳴らす前に、八幡の口がその名を紡いでいた。

 

 ——共鳴毒(エンパシーギフト)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 九校戦懇親会が催される数日前、第一高校生徒会室。その知らせを聞いた生徒会長の真由美は、執務中の椅子から崩れ落ちた。

 

「八幡くんが九校戦に出場する!?」

 

「はい。第三高校で行われた発足式にて比企谷八幡の登壇を確認しました」

 

 立ち上がって尚驚きの声を隠せない真由美に、情報を持ってきた隼人が淡々と言う。

 

 真由美が驚き過ぎなのではない。報告をしている隼人だってこの事実を知った時には頭を抱えたし、陽乃などは吹き出した笑いが数分止まらなかったのだ。

 

「詳しく調べたところ、彼は現在第三高校の一年生として在籍しています。今年の入学時から在籍しているという書類の確認が取れました」

 

 第三高校で八幡の姿が発見されてからというもの、隼人達六道は七草家からの依頼で今までずっと八幡についての情報をかき集めていた。

 

 その調査結果について依頼主である真由美に報告している途中、隼人の話を聞いていた生徒会の人間の中から手が挙がる。

 

「彼は当校の生徒だった筈ですが、入学時から第三高校に在籍しているというのは事実なのですか?」

 

 書類を整理する手を止め、話に耳を傾けていた鈴音の質問に隼人は、

 

「書類上では間違いなく、比企谷八幡は第三高校の生徒として入学しています。また入学時から数ヶ月間、療養のため自宅学習をしていたとの事」

 

「……どう思いますか? 真由美さん」

 

 重なる鈴音の質問に真由美は、人差し指を顎に当てて首を傾げた。

 

「普通に考えるなら、最初から第三高校にいなかった後付けの理由だけど……」

 

 第三高校への編入は六道の人間でもやろうと思えば出来ること。真由美達が知りたいのは、それを第三者が容易く察知できる為であるかのように、顔や名前を変えず、分かりやすい形でしたことの理由だ。

 

「……問題は、もう1人の方よね」

 

「比企谷の妹さんは4月の時点では中学2年生の2歳下ですが、第三高校に比企谷と同時に入学したもう1人の方は比企谷の双子の妹ということになっています」

 

「名前は?」

 

「比企谷ヤハタ。漢字は比企谷と同じ八幡です」

 

「…………」

 

「また、三高に在籍している一色愛梨さんの出場も決定しています」

 

「一色?」

 

 続く隼人の報告に、偶然部屋にいた摩利が反応した。

 

 九校戦前々日に行われる前夜祭。それに参加する為、一高の選手団はバスに乗って開催地へと向かう。しかし、選手団の長を務める事になった真由美が出発当日に家の都合でバスに乗り合わせる事が難しくなりそうだということで、そうなった場合の代役として摩利が真由美から話を聞きに来ているのだった。

 

 隼人は摩利の視線に頷く。

 

「噂では魔法師としての力を失ったと言われていた一色さんが、他の成績優秀者を押し退けるほどの実力を示して堂々の選抜入りをしたそうです」

 

「……失った魔法力を回復したということかしら」

 

 真由美の推測に隼人は首を振り、

 

「それ以上です。自分の目測では、彼女は完全に以前の状態を上回っていました」

 

 力を失う以前の能力は記録で見た限りのものですが、と付け加えた隼人に真由美は身を乗り出した。

 

「……どれくらい?」

 

「肌で感じた魔法力の規模で言えば、三浦さんと同格かと」

 

「——」

 

 その言葉が隼人の口から発せられた途端、生徒会室内が静まり返った。

 

「え、……えっ?」

 

 真由美が黙り込んだその理由を知らないあずさが、不安そうに仕切りに辺りを見回す。

 

「……まさか、八幡くんが力を貸して……ううん、あげたの……?」

 

 隼人が暗に示した事を察知した真由美が、頬から汗を垂らす。

 

「比企谷が一色家や一条家に匿われているのだとしたら、あり得ない話ではありませんね。ただ100%事故だとは思いますが」

 

 故意ではなく事故。隼人はそう言い切った。

 

 彼らの知る八幡という人物には、他人に魔法の力を分け与えることができる能力がある。つまり隼人は、八幡が愛梨に戦力として役に立てるだけの能力を分け与えたと考えている。

 

 隼人達の周りにはそう判断させる程の根拠として、優美子や雫といった前例がある。ただ、幼い頃とは違って最近の彼は他人に能力を分け与えることをかなり渋っていたはずなのだ。それこそどのような大金を積まれても首を縦には降らない程に。

 

「……そうよね、八幡くんが自分から能力を他人に分け与えるなんてあり得ないもの……」

 

 隼人の推測が事実であれば、一色愛梨には優美子や深雪クラスの魔法師をぶつけるしかない。

 

 場合によっては九校戦が始まるより前に選手を一部入れ替えしなければと考えながら、真由美は隼人を見た。

 

「……彼らが九校戦に出ようとしてる目的は何かしら?」

 

 力を失った筈の一色愛梨が新たに力を得た理由、存在しないはずの八幡の妹など気になる話題は正直尽きないが、真由美が目下のところ気にしなければいけないのがそれだ。

 

「……父によれば、九校戦そのものをどうにかするつもりなのではなく、九校戦に出場すること自体が目的なのではと」

 

「九校戦に出場すること……?」

 

 真由美が首を傾げ、隼人は続ける。

 

「俺達の敵とされる存在については比企谷が対処済み、もしくは対処している途中と推察されますが、比企谷がこうして姿を現した以上、恐らく九校戦で何かが起きます。何もないのであればまず三高の生徒として入学する事もなかったでしょうし」

 

 彼は目立つ事を嫌いますから、と隼人は付け加え、一歩下がった。彼の報告は終わりだ。

 

 そして今度は、隼人の隣に立つ雪乃が集めてきたデータを手に話を始める。

 

「また、今の彼は六道……『筆頭魔法師族重護衛格』ではありません。それにより、大会のルールとして定められている『六道の魔法師は如何なる種目に対しても競技参加を行う事ができない』が適用されず、選手として参加する事が可能になっています。彼が選手として九校戦に出場する……もしかすると九校戦の試合の中で何かが行われる可能性も否定はできませんが、何よりも注意を向けなければいけないのが彼の選手としての厄介さです」

 

「反則級のカードを使ってくるというわけか。……だが、確かこの前の模擬試合であいつは十文字に負けていたよな? 対策は必要としても、それほど警戒するまで(・・)なのか?」

 

 摩利の反応も当然かもしれない。今のところの八幡に対する摩利の評価は「実力はあるがすぐ調子に乗る、行動が読めない下級生」だからだ。

 

 そんな摩利の問いかけに、雪乃は真っ直ぐに頷いた。

 

「はい。この大会でもしも彼が『優勝』を狙ってきた場合、全力の——いいえ、本気の彼に勝てる人間は存在しませんから」

 

 それは、確信よりもよりはっきりとした、純然たる事実であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 九校戦懇親会。

 

 参加選手が一堂に会するこの立食パーティーは、親睦を深める目的以外に、他の選手の観察ができる数少ない機会でもある。

 

 このパーティーの名目が前夜祭でないのは開催日との間に休息日として1日挟むからだが、パーティーをただ単純に楽しもうとする人間が1人もいないからかも、と陰で噂されていたりもする。

 

「……なんで夜までお前と一緒に過ごさなきゃいけないんだ」

 

 だが、その中でも特に嫌そうな顔でパーティー会場に入ろうとする、めんどくささを隠そうとすらしていないのは、八幡だけであった。

 

「……あなたが部屋に余計なものを持ち込まなければ、こうした昼間の監視も要らなかったでしょうに」

 

 八幡の隣を歩き、会場に入るまで彼の手を握っていた愛梨は何故か名残惜しそうに八幡の手を解放しながら、ため息をついた。

 

 愛梨が八幡の手を握っていたのは、ただ単純に八幡を逃がさない為だ。

 

 その理由は愛梨が口にした通り、八幡が九校戦とも作戦とも関係のない余計なものを持ち込んだせい。

 

 それが発覚したのが、懇親会までの自由時間を過ごすため、八幡とネファスが入れ替わろうとしている瞬間だった。

 

 

 

 

『……えー。八幡が誰の目もないところで自由に動き回れるの、不安なんだけど』

 

『仕方ないだろ。他の生徒達と同じ部屋割りだったら仕事ができないんだから』

 

『まぁ、諦めるんじゃな。八幡と同じ部屋になりたいという気持ちはわからんでもないが……』

 

『いえ、そうじゃなくて。さっき受け取った八幡の荷物の中にC4(プラスチック爆弾)とかピアノ線とか何かの起動式が入った競技用CADとかあったから、あまり目を離したくないな、と』

 

『……………………』

 

『コラ勝手に人の私物を漁るんじゃない』

 

『荷物をおいたらぴっ、ぴっ、ぴっ、って鳴り始めたら普通気になるでしょ! ていうか危うくホテルを爆破しかけたアタシに謝れぇぇぇっ!!』

 

『いひゃあああっ!?』

 

『かおり』

 

『うん。……比企谷、バンザイして?』

 

『……いや別にあやしいモンは持ってねぇよ。それぞれきちんとした目的があってだな』

 

『ジャンプして。トランポリンで跳ねるみたいに、垂直で3回』

 

 

 

 その後、急遽行われた荷物検査にてアンチマテリアルライフルの所持がさらに判明、八幡の自由行動は極限まで制限される事になったのだった。

 

 何か良からぬことを企んでいそうで、目を離したら別の問題が起きる。

 

 もしかすると、十神の対処以外に何か企んでいるのかもしれない。

 

(って思っていたのだけど)

 

 安堵したような、していないようなどっちつかずの心持の愛梨が視線を向けるのは、用意された料理で頬をリスのように膨らませながら尚も口に詰め込もうとする、八幡(♀)の姿だった。

 

「はふおふほふおふ!」

 

 フォークで刺し、口に運び、頬張る。

 

 単純な食事の仕方だが、その動きに迷いはなく、それら全てが1秒以内に行われて、側には積み上げられた皿。

 

 いつまでも口に運ばれては無限に消えていく料理。

 

 忙しなく働くウェイターの1人は、彼女の食事を摂る姿を見てこう漏らした。

 

()からの指示で用意する食材を大幅に増量したって話だけど……まさか彼女1人のためか……?」

 

 ドレスコードの存在する、楽しげではあるが、厳かなマナーの下に開催されるパーティー。和やかな表情で相手の内面を読む戦略的な裏事情が、顔合わせの下に見え隠れする。

 

 愛梨が先輩から聞いていた九校戦の懇親会とは、そういうものだ。

 

「…………はぁ」

 

 しかし。その雰囲気をぶち壊し、食事のみに没頭している彼女はマナーやルールなどの外にいるらしく、そんな八幡に近付こうとしない人間が愛梨と八幡を避けた結果、彼らを中心に半径5メートルのドーナツ状の空白地帯が形成されていた。

 

「食べにゃいのか」

 

「食べてるわよ。あなたに比べれば微々たる量かもしれないけれど」

 

「ほーか」

 

「折角の機会だし、一高の人達に会おうとか、思ったりしないの?」

 

 真由美や雪乃達はパーティー会場にまだ姿を見せていない。先程起きた事故の影響で遅れたというのもあるだろうが、1番に会場入りした八幡達が早く入りすぎたというだけかもしれない。

 

「むぐっ……変に計画をバラして九校戦がグダグダな結果になるよりも、ある程度の緊張感はあった方がいいだろ? そうすりゃ敵にも気付かれないしもぐもぐもぐ」

 

 愛梨に弁明する言葉の途中で不意に食べ物を口に詰め込み始める八幡。

 

「……ほら、これも食べなさい」

 

 愛梨も彼女の行儀の悪さを咎めることなく、次の皿を勧める。

 

 一体何故、彼らがこの取り繕うような真似を急にし始めたのかといえば——

 

『第一高校だ……!』

 

『事故があったって聞いたけど、無事だったのか』

 

 ——第一高校の生徒達がこのパーティー会場に入ってきたからに他ならない。

 

 会話をするつもりはない。

 

 話しかけられた際のテンプレートも用意した。しかし、会話が発生しないに越したことはないのだ。

 

「……あっ! いた! ……あれ? でも周りに女の子がいないわね」

 

 目立つ場所に居たネファスを見つけ、しかし首を捻る生徒会長の七草真由美。

 

「……? あっちの方から八幡の匂いがする」

 

 入り口からは目立たない場所にいる八幡の方向を的確に指差し、向かって来ようとする北山雫。

 

 八幡が最も会いたくないとしていた2人が真っ先に現れた。

 

このままでは彼らと遭遇してしまうのは決定的だ。

 

 彼らに見つかれば厄介、面倒なことになる。「少なくとも知り合いとして接触をしなければ」、などと予防線を張って安心しようなどとしてはいけない。

 

「ねぇ、——っ」

 

 どうするのか。八幡の顔色を見ようとした愛梨は、衝撃的なものを見た。

 

 食べ物で頬を膨らませる顔は血色が良く、悩んでいるようには見えない。

 

 んー、と唸った後に八幡は、

 

「…………どうしよ」

 

「おい」

 

 何も考えていなかった八幡である。

 

 対策らしい対策などいくらでも立てられように、まさか他人のフリで誤魔化しきれるとでも思っているのか。

 

「……部屋に引き上げよ」

 

「出口はあっちじゃない。絶対にすれ違うわ」

 

「……かといって今は魔法使えんし」

 

「私の速さで逃げ切る?」

 

「こっちが正解ですって白状してるようなもんだろ。……しかたない、一旦ホテルを爆破するからその隙に逃げるぞ」

 

「わかったわ——って、待てコラ。そんなの認める訳ないでしょうが」

 

 危うく大量殺戮に同意しかけた愛梨は、するりと、違和感すら感じさせない程に掌の中でキロトンクラスのエネルギー圧縮波動を作りかけていた八幡の腕を掴み、やめさせる。

 

「……まさかマテリアル・バーストなんて撃つ気じゃないでしょうね」

 

 愛梨の脳裏には、能力に目覚めた時に得た知識の中から、目の前の現象に似た最悪なものが呼び起こされていた。

 

「そんなのやったら犯人が特定されるだろうが。かといってパーティー会場でマグマが噴き出すのもあり得んしな。だから隕石を落とそうとしてたんだが」

 

 八幡はエネルギーの爆発を狙っていたのではなく、彼方の宇宙にある流星を引き寄せる為の重力波を掌から発していたのだという。

 

 引き寄せる流星に大きさや構成物質などで条件をかけ、パーティーを混乱させる程度の衝突を生み出そうとしていたのだとか。

 

 愛梨はそれを八幡から伝わってくる思考の漏れで理解した。

 

「……十分あり得ないからやめなさい。というか、今のでバレてたりしたらどうするのよ?」

 

「それは心配ない。比企谷八幡の気配も情報もシールズに被せたからな。オレの事は名前が似てる正体不明の女子生徒くらいにしか思わんだろ」

 

「それ十分怪しいから」

 

 警戒感が薄すぎる。八幡に対しそう思っていた矢先、愛梨は背後から声をかけられた。

 

「すみません、少しよろしいでしょうか」

 

「え……と、……っ?」

 

 振り返る。するとそこには、制服を見に纏った少女が1人いた。

 

 返事をしようとして、その少女を目にした愛梨の声色から覇気がこぼれ落ちる。

 

 ただの生徒ではなかった。

 

 少なくとも外見に違和感を抱くところは何もなく、人間にしては(・・・・・・)あり得ないと断言出来てしまうほどの美貌があるだけ。その容姿に、愛梨は一瞬言葉を取り落とす。

 

「あの……少しお話をさせていただいてもよろしいでしょうか」

 

「……? ええと」

 

 その少女もやはりこのパーティーの参加者らしい。制服は緑と白を基調とした第一高校のもので、という事は八幡の警戒する真由美や雫と同じ高校の選手だろう。

 

 しかし、愛梨はその少女を知らない。まして、ついこの間設定が創られたばかりの比企谷ヤハタに知り合いなどいる筈がない。

 

 だから、間違いなくそうだと断言できる程の美少女が八幡と話をしたい理由がわからなくて、愛梨は少しの間混乱した。

 

「……や、八幡? あなたとお話がしたいそうなのだけど……」

 

 少し迷って愛梨は八幡を呼んだ。

 

「んぇ? なんだよ。あの2人じゃないなら呼ぶなよ。……ん?」

 

 愛梨が迷ったその隙に別の料理に手を出そうとしていた八幡を呼び止めて、少女の前に立たせる。

 

 別に問題はない筈だ。

 

 突然現れた実力が未知数のライバルに興味を持った、程度の認識だろう。

 

 だから彼女が愛梨に声をかけるのは自然だし、愛梨が八幡に取り継ぐのも不自然ではない筈。

 

 一高がパーティー会場に入ってまだ間もないというのに、料理に目もくれず飲み物も持たず、真っ先に声をかけにきたという不気味さを愛梨は除外していた。

 

「司波深雪と申します。少しお話ししたいことがございまして。お時間、よろしいで——」

 

 司波深雪と名乗った美少女が、両手に骨つき肉をぶら下げた八幡に軽く頭を下げている。

 

 敵意はなく、本当に挨拶だけだったのかと愛梨が思い始めていた、その時。

 

 何を思ったのか、八幡は深雪を指して愛梨を見た。

 

「——あぁ。こいつ、名字でわかりづらいけど四葉の直系だぞ。ピラーズと本戦(・・)ミラージで難なく優勝する怪物だし」

 

 ————。

 

 兎にも角にも。

 

 この会話が他に漏れなかったことが不幸中の幸いだ。

 

『……あのバカ』

 

『……? どうしたんですか折本さん』

 

『…………』

 

『玉縄会長も目頭に指を当てて天井を仰いで、どうしたんですか』

 

『……少し、失礼しますね』

 

『……あっちが当たりか……はぁ』

 

『葉山君? それに三浦さんもどうしたの?』

 

『真由美さん? どうしたんですか?』

 

『……何も変わってなくて安心しようとしたら早速、それどころじゃないわよ……』

 

『本当にどうしたんですか』

 

 会場の端の方でのやりとりにわざわざ聞き耳を立てていた関係者以外に対して、ではあるかもしれないが。

 

 ……八幡は大声で話していた訳でもなく、声色に緊張感を含ませていた事もない。だからパーティーは止まずにいる。しかし、はっきり錯覚だとわかる、それでも一瞬聴力を失ったかと思い込む程の〝冷たい死〟に包まれた静けさが、3人の周囲を取り囲む。

 

(……いきなりやってくれるな、比企谷……)

 

 会話を聞いていたほぼ全員が頭を抱える中で、妹に会話を誘導させるつもりで会話を聴いていた少年は、誰を置いても、真っ先に動いていた。

 

 危機感から来る焦り。それはあと数秒で事態は急展開を起こすことを予言しているようで、通常は忌避の念から生まれるその場所からの逃避という行動は、会場内にただ1人の少女がいた為に、逆に人間を引き寄せてしまっていた。

 

「「……は?」」

 

 2人の美少女の声が、重なった。




次回更新はいろはすの予定!

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きたれ、懇親会


意味のあること、ないこと。

意味を成すこと、成さないこと。

殺してくれれば、少しは恨んだのに。


 喧騒と言うには物足りないけれど、退屈には程遠い。

 

 魔法科高校各校の生徒達の会話やうっすらと聞こえてくるBGMは、その場所を穏やかな空間にはさせていない。

 

 しかし愛梨の耳を打つそれらの雑音は、壁1枚を隔てた隣の部屋の出来事のように今の自分には関係ないものとして聞こえていた。

 

「四葉って……何?」

 

 ゆっくりと、震える声で八幡に尋ねる。

 

 もしかしたら聞き間違いかもしれないし、いや思考が繋がっているから丸わかりなのだが、一応の希望をかけて。

 

「十師族の四葉。あのヒトのカタチをした外道(・・)、四葉家当主四葉真夜の姪だよ」

 

(詳しく説明するんじゃないわよアホンダラ!)

 

 聞き間違いどころか、思い違いもあり得なかった。この女はわざと目の前の少女の秘密を口にしている。

 

「……ちょっと! 一体なんのつもり!? 本人の前でそれ(・・)を言うなんて……!」

 

 八幡の首根っこを掴み、彼女の顔を引き寄せて言う。

 

 愛梨と八幡の間に繋がる意識のパスは、愛梨に八幡の思考をより強く伝える。しかしそれは精神がひとつになったという訳ではなく、あくまでも橋渡しがされただけの状態である為、意思の疎通に会話が必要である事に変わりはない。

 

(……心配するな。わざとだから)

 

(……わざとって言っても、——!)

 

 しかし、愛梨が八幡の意図したことを理解しようにも、時間が足りなさ過ぎた。

 

 八幡達が相手にしたのは「一般的」という理屈が通用しない、たった1人の為に国を滅ぼすような、接触することが禁忌とされる存在だ。

 

「……一体、どういう事でしょうか……? わたしが四葉家の……何ですって?」

 

 語気を強めて、笑みを深めて、深雪が一歩を踏み出す。

 

「あ……えっと…………」

 

 以前の愛梨であればその場を動けず、真っ先にこの状況に陥った原因を責める事など、困難だったに違いない。…………だが。

 

 あたふたとしながらも、深雪の迫力に対して物怖じしない自分がいることに、愛梨は内心驚いていた。

 

 だが、この場を切り抜けられなければ、その余裕は何の意味もない。

 

「だから、お前がトーラス・シルバーの妹で、四葉家当主の姪で、……ん?」

 

 しかし、この状況で尚も火に爆弾を投げ込み続けようとする八幡を止めたのは、愛梨ではなかった。

 

「やあやあ一色さん、比企谷! 料理は楽しめているかな? 明日、いや明後日からの試合に備えてしっかりと食べておくことをおすすめするよ!」

 

「といってもエネルギッシュでクレバーな君達にはウェルノウンなことだと思うけど、食べ過ぎにはイナフ! 気をつけてくれたまえ。君たちはヴァリアブルなストレングスだからね!」

 

 懇親会の雰囲気に殊更似合わない、にこやかで攻撃的な笑みを浮かべるハイテンションな2人——かおりと玉縄が現れた。

 

 突然の登場に深雪が疑問符を浮かべるも、2人の勢いは深雪が接触しようとするのを許さない。

 

「……? あの」

 

「ああ、ごめんなさい! 明日のことで少し話し合わなくちゃいけないことがあるの! ——だからちょっとこっち来い」

 

「本当に申し訳ない!トリビアルなプロブレムだけど、オーバールックする訳にはいかないんだ! ——よくここまでトラブルを巻き起こせたな」

 

 だが2人の行動は決して八幡を護ろうとしてのものではなく、半ばヤケクソ、「テメェこの野郎」という手間を増やされた苛立ちの感情が殆どを占めている、敵意しかないものだった。

 

 深雪に背を向け、2人の間に挟まれて八幡は肉を齧る。

 

「どうしたんだお前ら」

 

「……じゃ、ない! あんた正気!? こんな場所で堂々と何言ってんの!?」

 

「……君は未来が見えていた筈だが。こうなる前にいくらでも回避する方法はあったんじゃないのか」

 

深雪に聞こえない声量で、顔を突き合わせた2人は怒っていた。

 

「お前らが来てくれなかったら、危なかったかもな」

 

 八幡の表情には、一滴たりとも後悔や自責の念が見えない。少なくとも玉縄やかおりには、八幡が彼らに対し「悪い」と考えているようには思えなかった。

 

「おま、…………?」

 

「あんっ、……!?」

 

 八幡の視線が、2人のことを最初から一瞥もしていないのに気付くまでは。

 

(……体が……)

 

 八幡が見つめる先。そこに何がいるのか、2人にはわからない。

 

 視線を向ければわかるのかもしれないが、八幡に押さえつけ(・・・・・)られている(・・・・・)以上、振り向くことも叶わない。

 

 彼らにわかるのは、八幡の視線は2人が先程までいた場所に向けられていることだけ。

 

 そこに「何」がいるのかまでは、悟ることもできなかった。

 

「……もういい加減、よろしいでしょうか……?」

 

「——あっ」

 

「……そういえば、いたね」

 

 苛立ちを隠さない深雪の言葉に、かおりと玉縄は我に帰る。

 

 魔法師の間で「アンタッチャブル」などと揶揄される程には恐るべき存在である筈の四葉の人間。

 

 八幡から原稿用紙4行程度で四葉の恐ろしさを説明されてはいるものの、その存在を思考の隅に置くことすらなく、完全に忘れ去っていた彼らは、決して四葉を恐れていない訳ではない。

 

 ただ、この場において最も(・・)恐怖するべき存在は司波深雪ではないというだけのこと。

 

 極冷の威気が、彼らの背中に吹きつけた。

 

「やはり……あなた(・・・)が……?」

 

 無視に次ぐ無視。いない者としてすら扱われた事のない深雪が、本気で存在を忘れられていた。

 

 深雪が胸に抱えた、八幡に対する気持ち。

 

 屈辱などという言葉では到底説明出来ない。

 

 いや、怒りが不足してるだとか、憎しみという感情自体、違う気がするけれど。

 

 何せ今彼女は八幡を恨んでいないのだ。恨みつらみが発生する理由が無い。

 

 たかが無視された程度で怒るほど、深雪は荒ぶってはいなかった。

 

 では、八幡を前にしてこの昂る気持ちは。

 

 必然性がなく、突拍子もない。

 

 深雪自身、誰かに強制されたとしか思えない、感情の起こりだった。

 

「——深雪っ!」

 

「……っ、お兄様……」

 

 そんな深雪の自分でも理不尽に感じるほど唐突に沸騰しかけていた理性を冷やしたのは、彼女の日常——最愛の、兄の声。

 

 まだ遠くにいる。けれど深雪が絶対に安心できるその声に、深雪は

 

 ビキ、バギキギッ!!

 

「——っ!?」

 

 己の身以外の全てを、隣の人間(・・)に持って行かれた。

 

 グラスに入れた氷に飲み物を注ぐと氷にヒビが入るような、軋みと亀裂の入り混じった音が辺りに響き渡る。

 

 音は八幡の周りから聞こえているようで、彼の周囲には絶え間なく不協和音が響いている。

 

「……っ、…………!?」

 

 その音を聞いたのは深雪だけではない。玉縄やかおり、愛梨。状況を注視しつつその場所へとやって来ていた隼人や優美子達も、八幡の変化に思わず足を止める。……そして。

 

 良く聞こえるその音が「何かが凍る音」であるとかおりが気付いた時、玉縄は目撃していた。

 

 八幡の額には、角のような、冠のような——普通の人間であればまず生える事のない異常が、現れていた。

 

「封印解放——緋羅」

 

 その言葉を二人が聞くのは初めてかもしれない。……だから、初めの数秒、彼らは八幡が何に(・・)なろうとしているのか、理解出来ていなかった。

 

 明らかな臨戦体勢。

 

 戦略級魔法でもあり得ない濃度の想子放出に、思わず二人の声が出る。

 

「比企谷……っ!?」

 

「お、い……!?」

 

 間違いなく死人が出る。これから起こる惨劇を映像のようにハッキリと想像させる程、八幡の臨戦態勢はどうしようもないものになる——筈だった。

 

「——ん」

 

 不意に八幡が視線を逸らす。

 

 かおり、玉縄、愛梨、深雪、隼人、優美子、真由美。その誰もが八幡に意識を集中させている中で、何かに気付いた八幡が視線を顔ごと逸らした。——と。

 

「……?」

 

 ……深雪は、令嬢としての立ち振る舞いやあらゆる作法を身につけてはいるが、兄のように戦闘訓練を受けている訳ではない。

 

「————え」

 

 そうでなくても、八幡の視線に釣られ振り向いた瞬間に飛んできた(・・・・・)物体など、深雪には避けようがない。

 

 ————————ずぱぁんっ。

 

 破裂というには少しばかり鈍い音を響かせて、生クリームとスポンジ、トッピングの苺が深雪の顔面をべっとりと甘く染め上げた。

 

「…………」

 

 何が起きたのか。簡潔に説明するなら、ウェイターが運んできたホールケーキが深雪の顔を直撃した——それだけだ。

 

『…………』

 

 ケーキが深雪の顔に飛んできた直後から数えて数秒。

 

 その場は、殺人現場や墓場などよりも死の空気に包まれていた。

 

 深雪の顔に貼りついたままだったケーキが、ゆっくりと剥がれ落ちる。

 

「…………」

 

 ケーキの直撃を受けた深雪は淑女として予想だにしない出来事が起きたためか、思考回路がショートしていた。棒立ちだ。

 

「ちょっと深雪っ! 大丈夫!?」

 

 呆然と立ち尽くす深雪の側に彼女の友人が駆け寄り、深雪にケーキをぶつけたウェイターから渡されるタオルやペーパーを使ってクリームを拭き取る。

 

「…………」

 

 その友人と共に駆け寄ってきた八幡の知り合いも、流石に友人がクリームまみれ状態なのは放っておけないらしい。

 

 八幡に一瞥した後、深雪の友人と同じようにクリームを拭き取っていた。

 

 一方八幡は、愛梨の手を取り出口へと体を向けている。

 

「よし、今のうちに逃げるぞ」

 

 その言葉で、一同は全てを理解した。

 

「やっぱり君か」

 

 そのまま八幡の後を追う玉縄は、深雪がケーキを顔全体で味わう羽目になった原因が八幡であることを悟りつつ、ひとまず危機は去ったと胸を撫で下ろす。

 

「どのみち司波兄妹は俺の事を見つけてた。なら、多少強引でも事故を起こしてしまえば関係なくなる。不自然さなんて後からいくらでも付け足せるし、気にしてる暇なんてない」

 

「それなら最初から会場に入らなければ良かっただろう」

 

 すれ違いざまにウェイターのドリンクを取り、手にしていた料理を流し込む。一息つくと、歩きながら八幡は玉縄に語りかけた。

 

「今会場にいない六道、誰だと思う?」

 

「誰って、平塚、雪ノ下……」

 

 名を口にする途中で玉縄は気付き、

 

「あと川崎さんっ。一応ホテルには来てるみたい」

 

 かおりは冷や汗を垂らす。

 

「そう。その三人に加えて由比ヶ浜が、最初から会場に現れなかった」

 

「——つまり、お前がこちらに現れなかった場合は部屋で待ち伏せしていたという事か」

 

「待ち伏せまではされないだろうが、スプリンクラーの故障とかの事故に託けて話しかけられてた可能性は高い。オレが隕石落として逃げようとしてたみたいに」

 

「……」

 

 かおりから視線を投げかけられた愛梨は、目を合わせる事なく逸らす。

 

 数秒の沈黙の後に、審判は下った。

 

「比企谷ー? 部屋に戻ったら雅音と交代ね」

 

 つまりはかおりと相部屋。事実上の自由行動禁止令の発動だ。

 

「え……なんで」

 

 嫌なんだけど、と拒否しようとする八幡の顔面を鷲掴みにして、かおりは彼女の耳元で囁く。怒りを伝えるように——恐怖が沁みるように。

 

「あんたの頭は鶏か? 3歩歩いたら忘れるのか? 昨日の夕飯言ってみ?」

 

「串カツです……いやだからな? 隕石は『あくまで』この事態を打開する手段の一つなんだって。他にも策はいくつかあったし、本気で落とすわけ無いだろ」

 

 やれやれ、とかおりの目の前で首をすくめる八幡の隣で愛梨が作るばつ印。

 

「……そっか」

 

「おう。信じてくれるよな?」

 

「ううん。もう信じらんない」

 

 八幡の部屋替えが確定したのだった。

 

「……ん?」

 

 八幡の部屋鍵を没収し、面倒が再びやってくる前に退散しようか——とかおり達が出口へ向かっていると、1番後方を引きずられていた八幡が入口の何かに気づく。

 

「……とまれ」

 

「……どうしたんだい、比企谷君?」

 

 何を言うまでもなく、八幡は前を歩く玉縄を盾にするように彼の背中に隠れた。

 

「……何であいつがここに来るんだ……? メリットなんて無いはずだろが」

 

 玉縄の質問に応える事なく、自らを鼓舞するかのように笑い、正面入口を見つめる八幡。

 

 玉縄に触れる手は震えていた。

 

「……?」

 

 彼女がここまで怯える理由。人に対し殆ど怯えを見せる事のない八幡が見せた弱み。何を考えているのか理解できない等の内面的な理由が原因の怯えを見せることはいくつもある。だが「直接的な戦闘力で敵わないから」という弱音で怯えるのは、彼女(・・)に対してだけだ。

 

『あの美少女はどこの魔法科高校の生徒だ!?』

 

『ばーかよく見ろ。制服が違ぇし、来賓だろうな。……どこの来賓だ?』

 

 その少女の登場に、会場が揺らいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 衝撃波、もしくは地震。人の意識が起こす連鎖的な変化は災害を錯覚させるほどに強力で、具体的に言えば——

 

「……っ!」

 

「……! おっと、失礼」

 

「……いえ。……」

 

 人間離れした容貌で名高い深雪とぶつかってしまった男子生徒が、深雪に見向きもしないほどだ。

 

 もっとも。その深雪自身もその少女に惹きつけられていたのだから、気にする暇もなかったが。

 

 容姿で言えば自分(深雪)の方が上。それなのに、言葉も交わしていないというのに安堵しそうなほど穏やかな気持ちになってしまうのは、彼女の浮かべる笑みがそれだけ自然だから、なのだろうか。

 

(…………笑顔…………)

 

 ある男子生徒の言葉が脳裏に孵る。

 

『……昔はそうでもなかったけど、今じゃ比企谷が人前で笑顔になる状況は緊急事態以外あり得ない。それも自分が望んだ緊急事態ほど、特に』

 

 笑み。あれは笑みと言って良いのだろうか。

 

 深雪の見るその先には、奥歯を浮かせ、わずかに口角の締まりが緩んだだけの恐怖に怯えているヤハタの顔。

 

 彼? 彼女? ——が行う巨大な仕込みの殆どが、ほんの小さな出来事(本命)の為の布石。

 

「……っ」

 

 彼女の登場によって何が変わるのか。気になって仕方ない深雪だったが、それを理解する為の一歩を踏み出そうとした時、支えられた兄の手によって彼女は冷静になった。

 

「達也さん!」

 

「お兄様……」

 

 深雪と深雪の友人のほのかが達也に反応する。達也はほのかに頷きを返すと、再び深雪に眼差しを向けた。

 

比企谷に(・・・・)ケーキをぶつけられたみたいだが、大丈夫か?」

 

 クリームなどは髪や制服にも飛び散ったが、魔法で既に綺麗にシミまで落とされており、衝突の影響など殆ど残っていない。

 

「はい。謝罪もしていただきましたし、……え? 比企谷さん……が?」

 

 しかし、不運にも偶然によって起きたはずの事故は達也によって否定される。

 

 深雪は先程のアレを完全なる事故だと思い込んだが、全てを見ていた達也はウェイターの不自然過ぎる挙動に注目していたのだ。

 

「ケーキを運んでいたウェイターは、誰かにぶつかられた訳でも自分でケーキを投げた訳でもない。比企谷が用意した何かに躓いていた」

 

「……ということは、まさか」

 

「今の強力な想子波動も、ただの囮だろう」

 

「……何か脅威が迫っていた、という訳ではないのですね」

 

 胸を撫で下ろす深雪。だが、妹がまだ何か(・・)不安そうにしているのを達也は見逃さない。

 

「ですが、お兄様……」

 

「……大丈夫だ(・・・・)。奴が使用した魔法は効いた(・・・)訳ではない」

 

 達也が深雪の目を見て言う。それが意味することを理解した深雪はもう一度、安堵の息を吐いた。

 

 人前で頭を撫でるようなことはしないが、代わりに優しい眼差しを送って、達也は次に動く。

 

「——雫」

 

 次の問題を片付けるために。

 

 深雪のそばにいた雫は、深雪の正体(・・)を八幡が口にする時、言葉が発せられるよりも先にほのかの耳を塞いでいた。

 

 それはつまり深雪の正体が知られたらまずいと知っている、深雪の正体を知っているということ。

 

 達也の中で今、優先行動順位が改められた。

 

「……うん」

 

 話をする前に場所を変えようとする達也に雫は頷き、彼の後についていく。

 

「雫……?」

 

 達也の表情、雫の顔。不安な表情を浮かべるほのかが二人の後を追おうとするが、今度は深雪がほのかを止めた。

 

「パーティが始まる前にスピード・シューティングの術式が完成したとお兄様は仰っていたから、そのお話をするのではないかしら」

 

「そうなの?」

 

「ええ。お兄様をして〝すごいもの〟が出来たと仰っていたから、期待していいと思うわ」

 

「今から? もうすぐ〝老師〟のお話があるのに……」

 

「もうすぐって、まだ私達も到着したばかりじゃない。それにここの料理は美味しそうだし、お兄様もお腹を空かせているでしょうから、お話もすぐに終わるのではないかしら」

 

 話題を挟み込み、そちらに意識を移すことでほのかの不安を躱す。

 

 深雪のアシストに感謝しつつ、達也と雫はパーティ会場の外に出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……単刀直入に聞こう。俺達の正体(・・・・・)を知っているのか?」

 

 パーティ会場すぐ外のバルコニー。他に人影はなく、またこちらを窺う様子もないことを確認して達也は切り出した。

 

「……知ってる」

 

 達也の問いに対して雫は静かに頷く。

 

「八幡から聞いたから」

 

 ……ただ、その後に続いた科白のせいで達也は眉間に皺を作ることになる。

 

「……そうか」

 

 思わずため息が出た。徹夜明けでもため息は吐かないというのに。

 

「……八幡の知り合いは全員あなた達の正体を知ってるし、たぶん三高も八幡が会話をした人はほとんど知ってると思う」

 

「……頭が痛くなる話だな」

 

 悩みの種。それに対する達也の言葉——だけではない。

 

「……達也さんにとってはそうかも?」

 

 達也の殺意(・・・・・)()平然と(・・・)受け止めている。

 

 意識を感じ取れるかどうかの領域ではなく、達也の向ける視線の種類を理解した上で受け止めて、返事(・・)を返してきた。

 

『次やったら殺すぞ』——そんな明確な殺意と共に、比企谷八幡(ヤハタ)を名乗る少女は『毒蜂』を達也に刺していた。

 

 距離など関係ない。彼女は、大切な存在に近づこうとする敵には容赦しない。

 

「…………っ」

 

 達也にとって毒蜂という魔法は対処の難しくない魔法だが、対処をしなくては死に直結する危険な魔法でもある。

 

 雫がすでに達也のことを知っていて、他に見学者がいないこの状況だから、達也は遠慮なく術式解散を行使した。

 

 情報の世界で、毒蜂の魔法式が術式解散によって弾け、散っていく。

 

「……きれい」

 

「っ!?」

 

 あろうことかその様を「綺麗」だと表現した隣に立つ少女に、達也は思わず戦慄した。

 

「……まさか、君も視えていたのか?」

 

「……先に戻ってる。達也さんも早く戻った方がいいと思うよ。深雪だけでほのかを抑えておくの、もう限界みたいだし」

 

 達也の質問には答えない——いや、扉と雑踏越しに目視でわかるはずのない二人の状況をはっきりと云う事で、雫は返事をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやはや」

 

 両手に肉。頭に乗せた皿にはいちごケーキ1ホール。

 

 肉にかぶりつき、もっきゅもっきゅ、と幸せそうに食べ物を頬張る八幡。触れてすらいない、彼女の頭上付近をふわふわと飛ぶジョッキ。そこから流れ落ちるジュースを一滴残らず飲み干して、ようやく一息ついた。

 

「なんとか切り抜けたなー」

 

 あの少女(・・・・)の登場に心底怯えていた八幡だったが、いつの間にか行っていたトイレから出てきた後は、すっかり会場に来たばかりの調子を取り戻していた。

 

 当初は自室に戻る予定だった八幡達。しかし会場の外を六道の面子がガチガチに固めており、脱出は不可能だと諦めて大人しくもぐもぐしているのだ。

 

「……ほろほろいふほ」

 

「物噛みながら喋んな穢らわしい」

 

「いや言い過ぎでしょ会長……」

 

 もちろん、接近してこようとする隼人や真由美達の追跡を躱しながら。

 

「あーんむっ」

 

 空をふわふわと浮いて、八幡の口の中へとステーキ肉が飛び込んでいく。

 

 1枚のステーキをひとくちサイズ感覚で頬張る八幡、そして魚のように宙を泳ぐステーキの大群に、思わず玉縄は首を横に振る。

 

「いや、飛行魔法を自分の飲食の為だけに使いこなすんじゃないよ。一応先月発表されたばかりの術式のはずだろう」

 

 八幡の周りにはジョッキの他に皿に盛られた料理がいくつも浮いていて、八幡自身も魔法によって浮遊しているのだ。

 

「使ってるのは浮遊魔法だから問題ないだろ」

 

「プロセスが違う魔法というだけで結果は同じだろうが」

 

「『飛翔魔法(・・・・)』は全くの別もんだぜ」

 

「話になっていないじゃ……ん?」

 

 ここで、玉縄は八幡の顔が赤いことに気づいた。

 

「……来賓に出されるアルコールを間違えて取ってきたな……?」

 

(口に入れば味の違いで気付きそうなものだけど……)

 

 これだけ多くのメニューを次から次へと食べている。味の違いがアルコールの有無に直結する訳ではないが、多少なりともわかりにくくなっているのかもしれない。

 

 それに。

 

「……はぁ」

 

 八幡の動きが緩慢になっていても、八幡の周りを取り囲む料理達は変わらずに八幡の周りを回っている。

 

 思考がまとまっていない。それなのに魔法展開に少しも支障が無いというのは、魔法師として異常だ。

 

「べろべろばー」

 

「……意識を共有してるだけでこっちまで酔ってくるわ」

 

(……まるで、全くの別人が比企谷と彼の周囲の料理を浮かせているようだ)

 

 しかし、10を超える数の皿を皿同士にかけられた魔法が干渉し合わないように展開するとなると、それだけでも異次元のリソースを要求される。それを維持し、動かすとなれば尚更1人では御しきれない。

 

 展開する魔法の規模のみをみれば、間違いなく彼女以外に実行は不可能なのだ。

 

(……これだけの精度を保った術式の実行が人間に不可能って時点で、コイツ以外選択肢が無くなるんだよな……)

 

 玉縄は、八幡がヒトである可能性を捨てきれずにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻、懇親会会場より離れた場所にある、とある女性用トイレ。

 

「…………」

 

 雪ノ下陽乃はそこで、立ち尽くしていた。

 

 会場とは階も違うこの場所は彼女以外に利用者もなく、それ故に目撃者もいない。

 

 利用者はいない——が、人は彼女以外にもいた。

 

 手洗い場の床に倒れている、第三高校の制服に身を包んだ『とある少女』。

 

 意識の無いその少女の右肘から下は欠損しており、その先は陽乃が手にしていた。

 

「……、」

 

 震える陽乃の唇が、その少女の名を紡ぐ。

 

 その少女の名は——

 

 

 

 ——比企谷八幡。

 



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