ある美術部員の青春 (氷の泥)
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ある美術部員の青春
高校生になってすぐ、私は美術部に入った。絵を描くことは嫌いではないけれど、決して好きでもなかった。ならなぜ美術部を選んだのかというと、消去法だ。私はとにかく、部活に入りたかった。
運動は苦手、歌もダメ楽器もダメ、読書も気が進まない。そうやって消去法で選んだ部活だった。なぜ「部活に入る」ということにこだわっているのかというと、それは私が漠然と、「青春」という物を欲しがっているからだ。。
自分の望む「青春」とは具体的に何なのか、それは未だにわからない。けれども確かにそれが欲しい。「青春」を探すにあたって、部活に入るというのは、必須事項のように思えた。入部届を出した春、新しい制服もまだ着慣れなかった頃の私の目は、きっと輝いていたと思う。
……あれから一年。季節が一周すると、私は私の求める「青春」が、部活動の中には無いことを理解していた。ではどこにあるのかといえば、それは一向にわからず、次に「青春」を探しに行く場所や方法さえ、何の見当もつかないでいる。しかしそれでも、私は部活を休んだことが一度もなかった。
部室で絵を描いていると、フライパンで作ったポップコーンを思い出す。食べ終わるにつれて見えてくる、底に溜まった、弾けることなく炒られた不発の種。白く開花することの叶わなかったその種を、私はバリボリと無理やり噛んで食べる。捨てるのはもったいないと思ってしまうから。
絵を描くたびに、あの不発の種を思い出す。部活を休んだことがないのは、一度始めた青春探しのアクションを終わらせることに「もったいない」と感じているからだ。せっかく始めたのに、他にすることの当てもないのに、やめてしまうのは、もったいない。
けれども、いくら未練がましく縋り付いていても、ポップコーンの種と同じように、私の青春だって一向に花開くことはない。私は次第に、絵を描くことがむしろ嫌いになっていくのを感じていた。するとやっぱり、しつこくポップコーンが連想される。捨てるに捨てられないあの種は、しかし実際のところ、おいしくないのだ。
「榎本さん」
座って絵を描いていた私に、斜め上から柔らかい声がかけられる。とても親しいというわけではないけれど、その人からは突然話しかけられても、まるで驚きを感じない。集中している時に突然声をかけられれば、私は肩をびくつかせてしまうことさえあるのに、その人の声は特別だった。一年前から、変わらずそうだった。
岬先輩の面持ちは、病室へ見舞いに来る人のそれだった。どうやら私は余程ひどい顔をしていたらしい。
「先輩?」
「榎本さん、大丈夫……? 体調が悪いんじゃないかって、わたし……」
「いやいや、大丈夫です。元気ですよ」
「そう……?」
先輩は納得していない様子で、おもむろに私の隣へ座った。我ながら「元気です」と言う声に覇気がなかったので、なおのこと体調を疑われても仕方がなかった。
今まさに描いている途中という時に、先輩が私のスケッチブックの中を、何かこう……真剣な物を感じさせる目で見つめてくるので、私は沈黙に耐えられなくなってしまう。私は自分の絵を下手だと卑下したことはないけれど、上手いと誇ったこともない。
「体調は、万全なんですけどね」
「うん」
親友の悩みを聞くみたいな、真面目な雰囲気の相槌だった。私は岬先輩のことが結構好きだけれど、先輩と学校や部活の外で会ったり話したりしたことはない。先輩は部活の先輩であって、残念ながら友達ではないのだ。
描く手は止めずに、言ってみる。先輩の「心配」を納得させるために言った。
「絵を描くことに、ちょっと、飽きてきたかなって」
……………………スーっと、BGMが引いていくような、沈黙。
一分前まで一人黙って絵を描いていた私と対照的に、部室の中にはむしろお喋りの声が響いていることに、今更気がついた。そう気が付くほどはっきりと、先輩は黙ってしまった。
失敗した。そう思った。考えてみればこの一年、同じような「失敗」という感覚を覚えたことが、今までの人生で一番多かったような気がする。だからといって、この感覚に慣れられたわけでもない。描く手を止めないことで、何も考えていないフリをすることに必死になるしかなかった。
「いや、別に、だからどうしたって話ではないんですけど」
「榎本さんは、人は描かないの?」
「えっ?」
思わず手が止まる。描きかけの絵は、途中段階であっても「公園と猫の絵だ」とわかる程度には進んでいた。
一瞬言葉の意味がわからなかった。咄嗟のことで「は?」と言ってしまわなくてよかったと安堵するのが、言葉の意味を理解するよりも先だった。しかし確かに、公園の絵の中に人はいなかった。
「ほら、前に言っていたでしょう。青春に憧れているって」
「あー、言いましたっけ」
この上なくこびりついたような記憶なのに、見栄を張って記憶がおぼろげなフリをする。人にたやすくそんなことを言ってしまえたような時代の私は、一言で表すなら「恥」だ。
「わたしの妄想だったらごめんね。榎本さんは、まだ青春を見つけられていないんじゃない……? だからこう、楽しくないのかも」
ズバリだ。ドンピシャだ。もしも「私は今、青春している!」と実感できる時が来れば、その時は今とは見違えるほど意欲的に創作を続けるか、さもなくばスッパリ部活をやめてしまうか。そのどちらかになるのは明白なのだ。
ただその明白は私にとっての物で、先輩にとってはそんなこと、知る由もないことだと思っていた。まさか、私を見る人間はみんなそう思っているのか……? と不安になってくる。内心があからさまに透けてしまっていたら、それもまた「恥」だ。
……しかしそんなことよりも私には、皆が私のことを見透かしているかということよりも、気にしなければならないことがあった。私の人生は今、手詰まりの状態で、足踏みをしていて、途方に暮れているけれども。それでも、決して諦めているわけではない。
「人を描けば、青春が手に入るんですか?」
この人は何か、答えを知っているのかもしれない。そう思った。だって先輩だから。私より先を生きている人だから。岬先輩だってもしかしたら私の知らないところで、青春を満喫しているのかもしれない。それを手に入れる方法を知っているのかもしれない。
「さあ、それはわからないけれど。でも可能性はあるでしょう?」
「どうしてですか」
「だって青春は人の物だもの」
さも当然という風に、先輩はそう言った。
青春は人の物。それはそうだ、動物も植物も建物も機械も、青春はしない。けれど私は、今まで絵を描くことで何かを得た試しがない。
「興味本位で聞くのだけれど、榎本さんはどうして人を描かないの?」
「どうして、と言われましても」
指摘される通り、私は部活に入ってからの一年、一度も人物を描かなかった。それよりもずっと前から描いていない気さえする。生まれてから一度も、というわけではさすがにないけれども。
「先輩は描きますよね、人」
「そうね」
「誤解せずに聞いてほしいんですけど」
一応そう前置きをする。
「誰かの描いた絵の中に、もし自分がいたらと思うと、嫌だなって思うんです。知らないうちに描かれていたら、なんか嫌な感じがするんです」
自分がされて嫌なことは人にするな、というのは幼稚園の頃から教わることだ。あの教えは、時々こういうバグを引き起こす。私もわかっているのだ。クラスメイトなどならともかく、赤の他人を絵に登場させたところで、誰も何も気にしないということくらい。けれど描こうという気持ちになれない。誰も気にしなくても、自分が気にしてしまうから。
「ああ、よかった」
先輩は心底安心したようで、ため息まで吐くほどだった。
「偶然だけれど、わたしまだ、榎本さんを描いたことはないから安心して」
「あ、いや、別に許可取ってもらえれば全然いいんですけどね? ただ逆に、許可取りに行くほど人を描きたいと思ったことがないというか」
「そうね、わたしもこれから気を付けることにする。許可ね、許可。言われてみれば大事だわ、どうして気付かなかったのかしら……」
「いやいやいや、みんな気にしませんって。私が変なんです」
誤解せずに聞いてくれとは言ったけれども、先輩には何か思い当たる節があるようで、ある時の私と同じように「失敗した……」というような表情を浮かべていた。
私のような少数派のせいで、先輩の創作を邪魔してしまったら、何と謝ればいいのかもわからない。先輩は私と違って、絵を描くことに常に意欲的な人なのだ。私のような人間が邪魔をしていいはずがない。
「……ねえ榎本さん、それじゃあお願いがあるのだけれど」
「は、はい。なんですか改まって」
「わたしに、あなたのことを描かせてはもらえないかしら……?」
「あ、はい! それはもちろん、好きなだけどうぞ」
社交辞令だ、と真っ先にそう思った。今の話の流れからして、まあとりあえず許可だけ取るフリしておくか、というような。実際に描くとは言ってない、みたいな。そういう物だと察知した。
しかし、そう思いきや。
「ありがとう。それじゃあ榎本さんは、わたしのことを描いてくれる?」
「え?」
話がマジに進んでいる。先輩の目が、「面倒なく許可が取れればいいんでしょう?」と言っていた。人物なんて、もう何年も描いていないけれど……。そうだけれども、かといって、描けないということはないだろう。消去法で美術部まで消え去りはしなかった程度の物なら、私にも自分自身への信頼がある。
「描いてみましょうよ、人を」
「わ、わかりました。やってみましょう」
「ふふ、じゃあ完成したら見せあいましょうね」
そう言って先輩は微笑んだ。その様がなんとも、女神というか、聖母というか、ああなるほど、描くならこういう人がいいのかもな、と思った。
向かい合って似顔絵を描きあうんじゃあつまらないでしょう? 言い出しっぺの人がそう言ったので、私たちはお互いに、特別モデルとして振る舞うことはしなかった。
今まで通り普通にしていること。盗み聞きならぬ盗み描きのようなことをしているのをもしも察知しても、常識の範囲内でお互いに何も口出ししないこと。そういう条件、もとい許可を取り合って、特に期限も決めずにこの企画は始まった。
先輩はいつも、窓の外を見ながら絵を描いている。それでいて完成する絵は、遊園地だとか、図書館だとか、全然窓の外の風景と関係ない物が出てくる。窓の外を見ている時というのは、実際に見てきた物を思い出す時間なのか、まったくの想像を頭の中で広げる時間なのか、どちらなのかはたぶん誰も知らない。
確実なことは、先輩の絵が上手いということだけだ。正直感覚で描いている身としては、理屈的にどこがどう上手いのかは言い表せないけれども、先輩の絵は、まるでこちらまでその風景を実際に見てきたかのような感覚にさせてくれる。臨場感というのだろうか? とにかく、そんな感じのする絵で、私はそれをとても気に入っている。
そう思うと不安もある。先輩の絵と釣り合う物を自分は見せられるのだろうか……ということではない。そんなことは到底不可能とわかりきっていて、先輩もそれは承知の上だろう。問題はそこではなくて、つまり先輩の絵は、とてもリアルだというところにある。
リアルと言ってもよく言う「写真みたい」というのとは違う。確実に絵だ、と言える少し独特なところがある描き方なのに、それでなぜか臨場感が発生している。そういう意味でリアルな絵で、今度は私を描くというのだから、少し恐ろしい。なんというか、体重計に乗るような恐ろしさがある。
そうは思っても今更「やっぱり無しで」とは言えないので、私は先のことは忘れて今だけを考え、ひたすら先輩のことを描く。窓の外を眺めながら手を動かす先輩を、私の描き方で描いていく。……ずっと眺めていても先輩の心の中はちっとも読めず、それを絵にしたところで、何か特別な価値が生まれるとは思えなかったけれども。
先輩を描き始めて何日か経ったある日、小学校で似顔絵を描く授業があったことを思い出した。クレヨンで描かされたのだけれど、おそらくあれが私の(今現在を除いては)最後に描いた人物だったと思われる。
一つ思い出すと芋づる式に記憶は掘り返される。あの授業の似顔絵の相手は、好きに組んだクラスメイト一人だった。二人組を作ってくださーいが苦手な人は、何の思い入れもない相手の顔を描くことになるわけだけれども、その点はまあどうでもよかった。いや、私はちゃんと、二人組を作れたけれども。
それよりあれが小学校の授業としてひどいのは、身近な相手をその場で見て描かせたことだろう。それはもちろん、描くなら見ながらが一番なのだけれども、美術学校じゃあるまいし、上手く描けるかどうかなんてどうでもいいじゃないか。案の定、描き方についてはどうせロクに教えられもしなかった。言われたことといえば「髪は一本ずつ描くんだよ」くらいだ。
絵が苦手な男子が一人、描けない描けないと言い続けて、結局似顔絵の授業の二日目から学校に来なくなった。そのまま不登校になったというわけではなくて、一連の授業が終了したことを友達等から聞きつけたのだろう、「嵐は過ぎたぜ」というような顔をして普通に登校してくるようになったのもよく覚えている。
苦手だって言ってるんだからやめさせればいいのに。当時もそう思った記憶があるけれど、今はなお強くそう思う。私も体育の時間には恥をさらすことが多かった……というか今でもそうだけれど、特にプールとかは本当にひどい辱めで、これが教育のすることかという感じだけれども、それでも登校を拒否しようとまで思ったことはない。
だから私にはまだわからないくらい、あの時の彼にとってはそれが本当に嫌だったのだ。けれどそれも理屈はわかる。私のような金槌が水面でもがく様を晒しても、私が恥をかいて終わりだけれども、例えばあまりにもひどい似顔絵をあの時の彼が提出していたとして、描かれた側の相手はどう思ったのだろうか。そう考えると、似顔絵を描くというあの授業は悪質だった。
未だにあの授業はあるのだろうか。あるのだとすれば、クラスに一人はいるであろう壊滅的に絵が下手な人のことが気の毒だ。なまじ授業で困らない程度の絵心が備わっていたばかりに、私はその手の人の気落ちを理解してあげられないけれど、何なら代わりに描いてあげたいくらいだ。学校を休むくらいなら、人に頼ることを覚える方が、よほど授業になると思うのは私だけなのだろうか。
私が人物を描かなくなったことは、もしかしてその時の経験も関係しているのかな……なんて、そんな風に思い出に浸る日々を過ごしていくうちに、ある日私の絵は完成した。先輩に見せるにあたって、特に負い目は感じない出来だ。多少なりとも絵の才能があってよかった。
描けたことを先輩に報告しに行くと、彼女は心底申し訳なさそうな顔と声で言った。
「ごめんなさい、まだ完成していないの」
次の日も、その次の日も、同じことを言われた。とはいえ先輩は別に筆が早いタイプではないことを知っていたので、そして何より、完成した絵を見るのがやはりおっかないこともあって、私は「大丈夫ですよ」と言って気にしなかった。
ずっと温めておくほどの物でもないから、こっちの描いた絵は早々に渡しておいた。受け取った先輩はその場でしばらくそれを見て、
「素敵な絵をありがとう。大切にするね」
と言ってその絵を抱きしめるようにしていた。大袈裟な、と思ったし、今度こそ社交辞令に違いない、とも思った。けれども、彼女の柔らかな声、態度、人柄、雰囲気で行われる社交辞令は、なんというか普通とは違ってものすごく、価値のある物のように思えた。
それから私は結局、また人物以外の物を描く生活に戻った。しばらくは様子を見たけれど、やはり人物を描いたところで、心にも環境にも何も変化はなかったからだ。そりゃそうだ、そんな上手い話はない。それで青春が手に入るのであれば苦労はない。
……けれども、描くためにずっと見ていて思ったことはある。いや、それはもっとずっと前から、一年前から思っていたことだった。
岬先輩はずっと青春の中にいる。彼女は青春をしている。窓の外を眺めながら、黙々と絵を描く彼女には、間違いなく「青春」があった。けれども、なぜそう思うのか、私にはさっぱりわからない。まだ先輩が、猛烈に努力して絵の道を突き進んでいるというなら、「熱血」という私に欠けた物が、青春を呼ぶのだろうと理解することも出来ただろうけど、先輩は熱血には程遠いように見える。
努力しているというよりは、むしろのんびりと趣味を楽しんでいるような。汗や涙とはむしろ無縁の、優雅な印象がある。絵を描く先輩はずっとそんな感じだ。それを私が描き表わせたのかと聞かれれば、ちょっと目を伏せてしまうような気持りにならざるを得ないけれども。
そんな先輩のどこに、どうして青春を感じるのだろう。まずは形からと思い立って、自分も窓の外を見ながら絵を描いたことがある。何か月も前のことだ。結果、何もわからなかった。青春は、窓とは何の関係もなかったように思う。
青春とは星だと思っていた。輝いて見えるのに、手が届かない物。しかし段々と星ではなく、蜃気楼なんじゃないかと思えてくる。理想的に見えて、そこにない。行けども行けども、永遠にたどり着くことはない。仮にロケットのような速度で向かっていったって、揺らめいて消えるだけ。青春とは蜃気楼であり、フィクションなのではないか。
もしもそれが絶対に触れられないのなら、それにも関わらず見えることだけはいくらでも見えるなんて、なんて残酷でひどい話なのだろうと思う。運動が出来る人は青春がすぐ近くにありそうでいいな、と思う心も、全然的外れなのかもしれない。
そんなことを考えながら、部活という概念にしがみつくようにして何枚かの絵を描き上げていく生活が続き、気が付いたら夏が来ていた。先輩の絵が完成したという報告は、一向にやって来ない。しかし別の報告なら来た。
「あの、榎本さん」
夏のコンクール前という時期だった。私は一応応募はするものの、入賞なんか夢のまた夢だということもよく知っている。
「約束の絵、コンクールに出してはダメかしら……」
先輩には珍しく、何か強烈な後ろめたさがあるようだった。記憶を探ってみても、少なくとも私とお喋りする時の先輩に限って、そんな様子見たことがなかった。
「いや、ダメというか、完成したんですか?」
先輩はコクリと頷いた。
「出してもいいですけど、見せてもらえませんか?」
何も無茶は言っていないつもりだった。けれども先輩は、痛いところを突かれたと言わんばかりに押し黙る。なんだか、子どもを説教する大人の視点を体感したような気になった。
「……できればその、今は」
「見せられない……?」
「見せたら、きっと榎本さん」
そこで言葉が切られる。目で続きを催促しても何も言ってくれないので、もっと直接的に求めるしかない。
「私が……怒るとか?」
「わからない。でも、気持ち良くはならないと思う」
「何を描いたんですか」
ここまでくると案の定といった感じで、やはり先輩は再び黙ってしまった。……深く考えずに、「いいですよ」と言ってしまうのが、一番いいように思えた。
「これしかないって思ったの」
ポツリとこぼれた言葉が、呼び水になった。
「コンクールに出すのは、これしかないって。だからわたし、榎本さんが嫌な気持ちになるとは思ったけれど、わたしは」
「いや、いいですよ。出してください」
必死。その二文字でしか表現できないような先輩の様子を見て、泣き付かれているような気持ちになった。そうするともう、「ダメ」と言う選択肢は、私にはない。
後輩だからじゃなくて、一人の人間として、私の中にそれはなかった。だって先輩にとっては、今年が高校最後の夏なのだから。
「見せたくないなら、それでも大丈夫です。でも」
「でも……?」
「入賞したら、私だけじゃなくてみんなが見ますけどね」
先輩は去年も入賞していた。母親と手を繋いで、ブランコの順番を待つ小さな子どもの絵だった。それがしばらくの間、部室に飾られていたのをよく覚えている。その絵を褒められた先輩が、謙遜しながらも心底嬉しそうにしていたことも。
「そうね……」
沈み込むような声でそう言った先輩は、しかしやっぱり、「けれど、出すから」と言って、会話はそこで終わった。きっと今年もその絵は賞を取って、絵となった私はしばらく晒し者にされるのだろうけど、それも致し方ないと割り切ることができる。私は先輩の絵が好きだから。
……そしてしばらくしてから、やはり部室に飾られたその絵を見て、私は少し後悔した。そして、あの時の先輩の異様な様子が、どこから来ていたのかも理解した。
その絵に描かれていたのは、死んだ目をして、背もたれのない小さな椅子に猫背で座って、絵を描いている私の姿だった。一発で理解した。「榎本さん大丈夫……?」と先輩が声をかけてくれた、あの日の私だ。
特に目が特徴的だった。それは死んだ魚の目ではない。光のない人間の目だった。よくもまあ、それが忠実に描けるものだ。わざわざ覚えているわけもないのに、その絵を見せられれば「ああ、そうそう、あの日の私はそんな目をしていた」と納得してしまうような生々しさがある。
先輩はすぐに私に謝ってきた。見たことないような深い角度で何度も頭を下げて、次の瞬間には土下座くらいしてしまうんじゃないかと思うくらい、ごめんなさい、ごめんなさいと、何度も謝られた。
あの絵は間違いなく価値のある物だ。もちろんそれが、私という人間に価値があるという意味には一切ならないことも理解している。そういうことではなくて、良い物を描いたのだから、去年と同じように胸を張っていればいいのに。心の底からそう思ったので、私は何度でも先輩を許した。許すなんて偉そうなこと言うけれど、そもそも実際、先輩は何も悪いことをしていない。
ただ、一つだけ気になったので、それだけは確認しておきたかった。
「絵のことは本当に大丈夫です、むしろ私まで誇らしいくらいですよ。……けど、一つ聞いていいですか?」
「なに……?」
「あの日私に話しかけてくれたのは、私をモデルに選んだからですか?」
「違う! それは違う、本当に……」
疑う素振りなんて見せてないはずなのに、むしろそういう認識をされないように気を付けているくらいなのに、先輩の表情には「お願い信じて……」と書いてあった。
「何枚か、何パターンか描いていたの。それであれを描いている途中で、これだ、って思ってしまって、それで」
「よかったです」
あれこれ言葉を並べるほど嘘っぽくなってしまうと思ってそれだけ伝えると、なぜか先輩は泣きそうな顔をする。どうすればいいのかわからなかった。
別に、あの絵を描く目的で、あの日の私に話しかけてきていたのだとしても、それでも私は全然構わないのに。けれどそれを口に出したら、嫌味としか聞こえないだろう。だから私に出来ることは何もない。
「……ありがとう」
それが、私の最後に聞いた言葉だった。しばらくして先輩は部活に来なくなってしまった。大学受験に専念することにしたらしいと、部員の噂で聞いた。それはすごく真っ当な理由に聞こえたけれど、しかしどうも私には嘘っぽく思えてしまった。「嘘っぽさ」と「嘘」はイコールじゃないと、最後に先輩に会った日に私は痛感したはずなのに。私の先輩へ対する許しが仮に嘘っぽくても、それは嘘じゃなかった。
私はそれからもずっと部活に出続けている。けれど青春探しにしがみつく気持ちは、どこか薄れてしまったような気がする。今の私の目的は、ここに飾られた絵だ。
例えそれが社交辞令だったとしても、先輩は私の描いた彼女の絵を、大切にすると言ってくれた。だから私も、彼女が描いた私の絵を大切にする。目立つ物なので、まさか人目を盗んでまで抱きしめようとまでは思わないけれど。
嘘っぽいからって、嘘とは限らない。優雅に見えるからって、その内面に例えば、執念のような物がないとは限らない。青春を手に入れるために必要な物は、おそらく「必死さ」だ。先輩はそれを私に教えてくれた。それがわかっただけでも、大きな収穫だと言える。
けれども青春は、「青春を望むこと」の必死さに対しては、ひどく冷たい。そしてそれ以外の必死さ、執念、熱意を、私はあいにく持ち合わせていなかった。
あの絵が部室に飾られなくなる日が来たら、私も部活をやめようと思う。進路のためというのは、確かに良い動機だ。
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