市ヶ谷書記は黙らせたい (利根川水系)
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01
「市ヶ谷さん」
「……」
カリカリ。ボールペンを走らせる音だけが響く。無視である。
「おーい、市ヶ谷さん?」
「……」
カリカリ。明け透けな対応は、ボールペン迫真の筆記音。試験中の教室のような厳粛な空気だ。
「市ヶ谷さーん」
「……」
カリカリ。もしやこれで会話のつもりなのだろうか。会話はキャッチボールだと喩えられるけど、まさか「ボール」ペンでの応酬だとは。流石に高次元を行き過ぎているような気がする。
仕方がない。椅子から立って距離を縮めて、彼女をまっすぐに見つめ真剣にその名前を呼ぶ。
「──有咲」
「っ!?」
ガタン! 驚いたのか、椅子ごと身を退いて俺を見上げる。
「伝えたいことがある」
「な、何だよ……?」
上目遣いに身を震わせて、彼女はようやく此方に意識を向けてくれた。
きょろきょろと落ち着かない琥珀色のぱっちりとした瞳を覗き込むように視線を合わせる。
「ずっと前から、俺……」
「え……っと」
放課後の校舎を夕焼けが照らす。
黄昏の残光に、彼女の艶やかな金髪が透けて光る。もう、我慢ができなかった。
「俺──」
「……っ」
ずいっと更に距離を詰める。
ゴクリと唾を飲み込む市ヶ谷さん。
そんな彼女に俺は──
「──ダルいから帰りたかったんだ」
──ずっと抱いていた気持ちを伝えた。
「……は?」
「帰っていい?」
現在時刻、十八時過ぎ。
日が沈み始めて久しいこの時間。窓から差し込む陽光に、帰宅への衝動を禁じ得ない。
さて、どうだ……?
俯いて垂れた前髪で表情が見えない。
わなわなと震え始めたと思ったら急にピタリと止まる。面を上げた市ヶ谷さんは、その顔を真っ赤にして──
「いいわけないだろーっ!」
──どっかーんと大爆発した。
叩かれた机から、積み重ねてあった紙の束がバサリと落ちる。
花咲川学園高等部、第28期生徒会。
今日もとんでもないブラックさだ。
▽
「ったく、紛らわしい言い方しやがって……!」
「お、それどう言う意味?」
「……別に」
「もしかして告白とか期待してた感じ? ごめんごめん」
「は、はあ!? 別に私は……」
「でも俺、市ヶ谷さんのこと好きだよ」
「〜っ。いいから仕事しろ!」
「OK、ボス」
流石にこれ以上揶揄うとヘソを曲げられてしまいそうだ。
結局こってり絞られて生徒会室に缶詰にされた俺は、日本人らしく素直に従って市ヶ谷さんとともに書類を捌く。
「……にしたって、この量はおかしくない?」
「言ったってしょうがねーだろ? 羽丘の方ではこれやったら大成功だったらしいから是非ウチでもって、燐子先輩も張り切ってんだから」
学校環境改善の一策として生徒に直接意見を募るとは、向こうの生徒会もなかなか思い切ったことをする。
書類というのは、その際に寄せられたアンケート用紙だ。
「この前の定例会議、白金会長熱弁してたもんね。普段が普段だけどあんな堂々としてさ、感慨深いっつーか、なんつーか。あ、市ヶ谷さんお茶いる?」
「お前は先輩の父親か何かかよ……。緑茶濃い目で」
「了解。……しっかし、ホントに集まったなー、意見。匿名制だし書きやすいんだろうけど」
「それだけ生徒間で思うところがあったってことだろ? 先輩の読みが当たってたんだよ」
「それもそっか」
最近やけに会長に懐いている感じがあるけど、何かあったのだろうか。訊いても「べ、別に懐いてねぇ!」とか言いそうだし、頼れる先輩ができるのはいいことだから、別に掘り下げる気はないが。
ケトルで沸かしたお湯を湯のみに移し、急須に茶葉を多めに入れる。その後湯のみのお湯を急須に移して茶葉が開くまで待ち、また湯のみに注いで完成。これが美味しい淹れ方らしい。
「取り敢えずここにケトルとか置く許可降ろしてくれたのはありがたいことだよ。眠くなったらコーヒーが飲める」
「許可って言うか、それはお前が強引に持ってきただけだろ。私も使ってるからあんま言えないけど……」
「炊飯器持ってくる奴よりはマシでしょー? はいお茶」
「そんな奴いないっての。……ありがと」
俺も適当言ったけど、もしかしたらいるかもしれない。いや多分いないだろうが。
「あ、おいし」
「なら良かった。応接室から高そうなの一式くすねてきた甲斐があるってもんよ」
「ブッ! おま、これ盗ってきたのかよ!?」
「あはは、冗談だよ。面白いなぁ市ヶ谷さんは」
「お前が言うと冗談かわかんねーっての!」
中々失礼なことを言われたけど否定もしきれないのが悲しいところだ。「……そろそろ真面目にやるぞ」と仕切り直されて、今度こそアンケート用紙の山と向き合う。
「じゃあ見ていくかぁ」
「真面目に頼むぞ。今日は私たちしかいないんだから」
「わかってるよ。んじゃまずは……」
ペラペラと捲っていく。食堂のメニューの充実、他校との文化祭の合同企画、各部からの部費の増加要請……。
「なんつーか、在り来たりかつ実現不可能って感じだな……」
「別にウケ狙って書いてる訳でもないだろうよ」
早速ゲンナリする市ヶ谷さん。気持ちはわからないでもないが。
「鵜呑みにしちゃあそりゃ無理だけど、こっちの事情と相手の要求を折衷すればいけないこともないんじゃない?」
「折衷、か」
「例えば例の羽丘。学食で月一限定だけどビュッフェ形式にしてるんだと。まあウチと向こうじゃ予算の桁が違うだろうけどさ。何かしら制約付きで実施するのは手だよね」
あそこの設備はマジでおかしいと思う。なんだよ生徒が迷うくらい広いって。
言うと市ヶ谷さんは顎に手を当てて少し考え込んでから、パッと顔を上げる。
「じゃあ、新メニューの投票を食堂でやるとか? 事前に募った意見から何種か新しいメニューを食堂側で提案して、生徒が食べて決めるみたいな……。それならウチでもいけるんじゃね?」
「……ん、予算的にもそれならいけると思う。書面に纏めて教務課とか事務に話通して、そこから許可が下りるかは別だけど。会長に打診、してみる?」
「うん! なんか、ちょっといける気がしてきた」
急に張り切りだした。でもこれホイホイ通しちゃうと俺たちの仕事増えるって、彼女は気づいているだろうか。
……まぁでも、いいか。
「んじゃ、次行きますか。えーと、何々……。……あー……」
「? どうした?」
「いやー、張り切ってるとこ申し訳ないけど……」
「げっ」
残りの用紙を一挙に公開する。
それを見た市ヶ谷さんの表情が、ぴくりとヒクついた。
「これは折衷のしようがないと思うんだ、俺」
『もっとキラキラドキドキしたい!』『ウサギの飼育小屋を拡張して欲しい。100匹くらい飼えるといいな』『もっと世界を笑顔にしたいわ!』等々……。
「あいつら……」
「匿名制の意味、あの子らにはないよね」
出鼻を挫かれたか、がくーんと項垂れてしまった。
まぁ、何だ。……お疲れ様です、市ヶ谷さん。
▽
「やっと終わったー!」
「あー、俺もう一生分働いた気がする……」
「それは嘘だろ。お前何回か帰ろうとしてたし」
「まあまあ、結局残ったじゃん」
「当たり前だ。……まぁ、でも……、いてくれて結構助かった、から」
「……」
「その、……あ、ありがとう」
「……」
ほんのりと顔を紅くして、チラリと俺を見て言う。
「……じゃあ市ヶ谷さんに今から何か奢ってもらおうかな。流星堂の近くのコンビニで」
「え、別に飲み物くらいならいいけど。何でわざわざ私ん家の近くの──ぁ」
「もう暗いでしょ」
「……ありがと」
「素直な市ヶ谷さんって、珍しいよね」
「うっせー」
並んで歩く。
生徒会はブラックだし、書記の彼女は俺をこき使うけど。
まあ、悪くはない。
感想等で好評でしたら連載しようかなと思います。
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02
放課後。息苦しい授業中の教室から解放され、誰もが自由を謳歌できる時間。
遊びにいくのも、部活動で汗を流すのも自由。そんなものであるべき時間。
廊下からは何処に遊びに行こうかと談笑する楽しげな会話が、グラウンドからはボールを追い掛ける青春の声が聞こえる。
だと言うのに……。
「なーんで生徒会がこんな仕事しなくちゃいけないんだよ……」
俺はと言うと、ノートパソコンとの睨めっこが始まって一時間が過ぎようとしていた。
「大体何だよ、各部の部費の調整と試算のデータを寄越せって。予算下ろすのは俺らじゃなくて事務とか運営側だろー? てめえらでやれっての。ねぇ市ヶ谷さん」
「言ってどうにかなる訳じゃないんだから、黙って手ぇ動かせ」
いつも以上に冷淡な反応だ。まぁそれもしょうがないだろう。
「ごめんね。市ヶ谷さんも早くポピパの皆と会いたくて堪らないもんな」
「な、そんなことは言ってないだろ! 私はただ──」
「はいはい、黙って手ぇ動かそうねー」
「くっ……」
噛み付くだけ無駄と判断したのか、そのまま机の上の書面に視線を逸らされてしまった。この後ポピパで練習があると言っていたし、図星なのは間違いないだろうが。
市ヶ谷さんの所属しているガールズバンド、Poppin'Partyは今主催ライブに向けて猛練習中らしい。
ライブハウスや企画会社の運営ではなくそのバンド自身が企画するそれは、普通のライブと比べてかなり時間を要するのだとか。日時の決定に始まり、会場を押さえ、告知、ビラ等での宣伝をし、場合によってはゲストを募り、設営に加え、勿論普段通りの練習も。
頭が痛くなりそうな話だ。きっと俺には出来まい。……そう言えば、Roseliaなんかもこの前やっていたっけ。
「失礼します!」
とその時ドアが勢いよく開かれた。それと同じくらい元気な挨拶の声もした。
声の主は、件の主催ライブ──その発案者である戸山さんだった。
「か、香澄!? 何しに来たんだよ!」
「有咲ー! まだかなって思って、様子見に来ちゃった!」
「生徒会終わるまで待っとけって言ったろー!? 何なら先に行っててもいいって!」
「だって今ライブ当日の段取りも話し終わった所だったし、ちょうど良かったから〜」
グイグイとくっつく戸山さんに、「分かったから、もうすぐ終わるから離れろー!」と叫ぶ市ヶ谷さん。相変わらずの光景だ。
「あ、
「戸山さんごめんねー。せっかく有咲姫のお迎えに来てもらったのに」
人懐っこい笑みを向けてくれる彼女に、こっちも笑顔で返す。誰が姫だとツッコミが入るかと思いきや、市ヶ谷さんは変な表情を浮かべて戸山さんの腕の中で微妙に身動ぎをしているだけだった。
「ううん、生徒会が今忙しいっていうのは聞いてたから。何してるのー?」
「んー? 部費の試算のデータ作成。ウチも結構懐事情が厳しいみたいでさ、上がどうにかしろってうるさいの」
覗き込む戸山さんに画面を見せてやると露骨に顔を歪められた。「う、数字ばっかりで頭が……」と呻く。
俺だってこんな面倒な仕事はやりたくないんだけど、こればっかりは仕方がない。
「急ぎなら市ヶ谷さん連れてっちゃってもいいよ。俺がやっとくから」
「え、いいの!?」
俺の提案にパッと表情を華やがせた戸山さん。相変わらず切り替えが早い子だなぁと思う。
「それは無理。私は一応お前の監視役ってことになってるからな」
ただそこに水を差すような市ヶ谷さんの発言。同時に嫌なことを思い出した。
「げ、そうだった……」
「監視役?」
「そ。こいつがちゃんと仕事するか見張っとけって言われてるの」
書類を捌きつつ戸山さんにそう説明する。その任を彼女に拝命した人物のことを考えると、思わず渋面を作らずにはいられなかった。
「信頼ないなぁ。市ヶ谷さんは俺がそんないい加減なヤツに見える?」
「割と見える」
「……バッサリ言うね、君」
まぁ予想はしていたことだが。
「私は見えないよ!」
「ありがとう戸山さん。可愛いし大好きだよ」
「えへへ、照れるな〜」
「おい香澄、コイツの言うこと真に受けるなよ」
「どっかの誰かとは違って素直でいい子だし」
「おい、それ誰のことだ……?」
どっかの誰かさんは無視して俺は俺で仕事を進める。待たせると戸山さん達にも悪い。
上限を超えないよう、各部の成果等を鑑みて調整していく。使う道具の多い文化系から、遠征なんかでよく外へ行く運動部まで試算を終えて……。
「よし、完了。確認お願いしまーす、監視官殿」
「……ん」
見てもらおうとパソコンを向けると、何やら不機嫌そうなご様子。結構いつものことなので気にすることでもないけど。
横で戸山さんが「おー、お仕事してるって感じだ!」と感心してくれるので得意気になってしまうが、画面をスクロールしていく市ヶ谷さんの顔がどんどん険しくなっていく。
「……おい。聞きたいとこがあるんだが」
「うん?」
爆発を抑えているような声に首を傾げてみせる。
「ここ、なんでゼロな訳……?」
「ああ、それ? だってさ、あそこら辺……」
そう言って指をさしたのはサッカー部とバスケ部の箇所。確かに予算ゼロにはしているがこれにはちゃんと訳があるのだ。
「リア充多いじゃん」
「しょうもなっ!? しかもめっちゃ私的な理由!」
バサーと書類を散らして叫ばれてしまった。
「いやさ、真面目にやってる人はいいんだよ? けどアイツらイチャついてばっかでさ……ボールじゃなくててめぇの股にぶら下がってるタマの方ばっか──」
「ん、たま……?」
「──あぁもう黙れ!! 香澄にそれ以上変なこと聞かせるなー!!」
首を傾げる戸山さんと俺の間に割って入り彼女の耳を塞ぐ。その俊敏さには、かつて被っていた大和撫子の皮の欠片も残っちゃいない。
「冗談冗談。ちゃんとしたのはこっち」
流石に見ていて不憫になってきたので、慈悲深い俺は完成したものがこちらになります、の体で違うファイルを開いて見せる。
ぎろりと大きな瞳で俺を睨んだ後、画面をじっくりと確認し始めた。
「……ん、こっちはちゃんとしてるな」
「ま、仕事ですから!」
「だったら最初から真面目にやれっての。……ふざけてる癖に要領いいからムカつく」
小声で悪態を吐かれては、肩を竦める他ない。
「硬い空気で張り詰める生徒会室に、癒しの空間を提供したくて……」
「要らない」
「ほんとバッサリ言うね」
まぁ正論だが。でも正論だけで回らないのが世の常だったりもするというのも是非覚えていて欲しい。こんな場で言っても、一蹴されるだけだろうけど。
「……ま、とにかく今日の分の仕事は終わったんだしさ。いつまでも戸山さんの耳塞いでないで、練習行きなよ。後は俺がやっておくから」
「有咲ぁ、耳痛い〜」なんて抗議する戸山さん。「あ、悪い」と手を離す市ヶ谷さんは、俺の提案に思案顔だ。
「いや、流石にお前一人に任せるのは……」
「なにー、まだなんか疑ってる? ここの鍵閉めてこのデータ持ってくだけだって」
「違うって。私は──」
「あ、もしかして俺とまだ一緒にいたいとか」
「──はぁあ!? そんな訳ねーだろ!」
「有咲、そうだったの!?」
渋り続ける市ヶ谷さんのありもしない核心を突くと、顔を真っ赤にして否定される。素で言っているのか揶揄っているのか、戸山さんもしっかり乗っかってくれる。相変わらず楽しい子だなぁと思う。
「だから違っ」
「そうなら言ってくれたら良かったのに有咲ー」
「そうだぞ有咲ー」
「うぜー!! もうお前は口を開くな!」
畳み掛けるとさらに反応してくれるものだから、こっちはこっちで楽しかったり。
ただ、加減は大事だ。
「……行くぞ香澄。そんでもってお前は一人でやっとけよ一人で。じゃあな!」
「あ、待ってよ有咲〜。……ごめんね晴空くん! また明日!」
挨拶してくれた戸山さんに手を振り返す暇もなく、そのまま二人の姿は廊下へと消えていってしまう。
鍵を返すのもデータの提出も死ぬ程面倒ではあるけど、主催ライブが控えている彼女たちの手間は省けるだけ省いておきたい。それにこんな些細な仕事を面倒にしてしまったのは、まぁ俺の自業自得だ。さっさと取り掛かろう。
ひらひらともう誰もいない虚空に舞っていた掌を戻して、後片付けを始める。
そうしていると、廊下から遠くなっていた筈の足音が戻ってきた。
「市ヶ谷さん? だから後は俺がやっておくって──」
律儀も行き過ぎると少し面倒だなと考えつつ振り返りながら言うと、しかしそこにいたのは市ヶ谷さんでも白金会長でもなかった。
「市ヶ谷さんじゃなくて悪かったわね」
「……先輩」
白緑の長い髪と鋭い視線に、思わず顔が歪んでしまう。
やっぱり市ヶ谷さんにも残っていてもらっていればなんて思考が一瞬脳裏に過ぎって、そんな自分がまったく情けなかった。
まぁ兎に角それぐらい、俺はこの人が苦手だということで。
こんな時ばかりは、生徒会も悪くないなどとは言っていられないのだった。
▽
「有咲有咲、本当に任せてよかったの?」
「いい。ったく、人の厚意を……」
「好意!? やっぱり……」
「そっちの方じゃねえ! 純粋に人助けの意味だっての!」
「人助け……」
「そ。あの後紗夜先輩が生徒会室寄るって言ってたからさ」
「何かダメなの?」
「ダメに決まってんだろ。なんせあの二人……」
「?」
「めちゃくちゃ仲悪いんだよ」
感想等下さると励みになります。ぜひぜひ
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