けものフレンズ 1+1(わん・ぷらす・わん) (CarasOhmi)
しおりを挟む

【序幕】
わん・あんど・おんりー


けも●フレンズ 1+1

 

#00 "わん・あんど・おんりー"

 

 

「おかえりなさい」

 

 毎日のように顔を合わせる大きな女のヒト、彼女はテーブルを拭きながらぼくに話しかけた。ぼくは、カバンをソファにぽいっと放り投げて、足早に彼女に駆け寄った。カバンの中では、筒に入った色鉛筆がじゃらっと音を立てた。

 ぼくは、脇に抱えた大きなスケッチブックを開いて見せた。さっきまで、ベンチに座って描いていた夕方の河川敷。

「今日も、遅くまで沢山描いてたのね」

 感心したようにページをめくる彼女の表情に、ぼくは自慢げな気持ちになっていた。そこに、もう一人の体格のいい男のヒトが、台所から料理を運んできた。彼は皿を運びながら、首を伸ばしてスケッチブックを覗き込んだ。そして、ひとしきり眺めるとぼくの方に視線を移した。

「まだ夏休みに入ったばかりなのに、もうこんなに描いたのか。この分だとまた新しいスケッチブックが必要そうだね」

 彼は、テーブルの真ん中に料理を置いた。白いお皿に乗った出来立ての料理は、ほかほかと湯気を立てて、ぼくの鼻に吸い込まれていく。とても美味しそう。今にも口の中からよだれがあふれそうだ。

 絵を見せていたこともすっかり忘れて、今晩のおかずに気をとられるぼく。それを見て、二人はふふっと笑い声を漏らした。

 

「――」

 女のヒトは、ごはんを食べ終えて、テレビを眺めていたぼくの名前を呼んだ。ぼくが生まれてくる前に、この二人がつけた、ぼくの名前。

「あのね、来月二人ともお休みが取れたの。前に話してた動物園、行きたい?」

 ぼくは目をパチクリとさせた。二人の取り出したパンフレット。テレビでも紹介されていた南の島の動物園。すごく遠くて、すごく広くて、泊りがけじゃないと全部見て回れないって、友達は言ってた。

 そして、そこにはとっても不思議な、ぼくたちとお話しすることができる動物がいるんだって。ぼくは、しゃべることができない動物しか見たことないから、ちょっと信じられなかったんだけど。

 でも、もしそんな動物がいるんだったら、ぼくもお話してみたいし、友達になりたい。……このスケッチブックに絵を描いてプレゼントしたら、喜んでもらえるかな?

 

「ただし、いい子にしてたらの話だからね。ちゃんと宿題も進めて、毎日歯を磨いて、早く寝るんだよ」

 ぼくは、大げさに頷いて、洗面台に向かった。鏡を見てゴシゴシと歯を磨く。今月はいつもよりもっと良い子でいなくちゃ。

 動物園には何を持って行こう?泊りがけなら着替えを持って、色鉛筆とスケッチブック、お気に入りの帽子も忘れないようにしなくちゃ。このあいだ買ってもらった青い上着は、着て行くようにって言われるかも。うーん……。

 ぼくは口をゆすいで洗面所から出た。パジャマにも着替えたし、髪のゴムも外して、これでもういつでも寝られるぞ。……でも、今からもう楽しみで、早く寝るのは難しいかもしれないや。

 

 ふと、食卓でくつろぐ二人と目があった。こちらを見てニコニコしている。二人につられるように、ぼくも笑顔で寝る前の挨拶をした。

「おやすみなさい、――さん、――さん」

 部屋の電気を消して、布団に潜り込んだ。ずっと行きたかった、南の島の動物園。たくさん絵を描いて「フレンズ」がいっぱいできるといいな。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【第一話】
わん・あわー・れいたー①


けも●フレンズ 1+1

 

#01 "わん・あわー・れいたー"

 

 

 獣の吠える声に身をすくませながら、ぼくは背筋をピンと伸ばし、目を見開いた。身体中から冷や汗が吹き出し、心臓は触らなくても分かるほど脈打っている。

 ……周りを見渡しても、獣の気配は感じられなかった。なにか怖い夢を見て飛び起きたのかもしれない。ぼくは、ドキドキと音を鳴らした胸を撫で下ろし、深く深呼吸をした。

 

 ──ここは、どこだろう?

 ぼくは辺りを見渡した。真っ暗な建物の中。窓ガラスは割れて、天井や壁は所々が崩れ落ち、鉄骨をむき出しにしていたり、穴が空いている所もある。ぼくの横になっている「殻」の上からも、崩れ落ちた天井から青空が覗いていた。差し込む陽の光は、クッションのように詰められた四角い塊に反射して、きらきらと七色に輝いていた。

 目に入る景色は、どれも見覚えのないものだった。……いや、そもそもぼくは、ぼくが何者でどこから来たのか、それすらも思い出せなかった。

 あたりは不気味に静まり返っている。ぼくは、どこにも行くあてはない。けれど、ここはぼくの居るべき場所ではない気がする。

 ──行かなくちゃ。

 ぼくは、光が射す方に視線を向け、殻の縁に手をかけた。

 

「こっちこっち!!」

 突如、静まり返った建物の中に大きな声が響き渡った。ぼくは慌てて縁から手を離した。話し声とともに足音がこちらに近づいてくる。

 ──もしかして、さっき大きな声で吠えていた獣?

 ぼくは、慌てて殻の中に戻り、四角いクッションをかき分け、身を縮めて潜り込んだ。

 小さかった足音は徐々に大きくなっていく。ひたり、ひたりと、この部屋に近づいてくる。ぼくは、体をふるふると震わせながら、ただただ見つからないことを祈ることしかできなかった。

 

「本当にこっちで物音がしたんですか?」

「うん、きっとさっきのおたけびに驚いて、何か落としたんだよ」 

「……『あいつ』に見つかると厄介ですからね、見つからなかったらすぐに撤退しますよ」

 

 なにやら、話している二人の声が聞こえる。よくわからないけど、この声の主はさっきの叫び声を出した獣ではないみたい。ちゃんと言葉も通じるみたいだし、もしかして話しかけても大丈夫なのかな?

 ぼくは、クッションをかき分けて顔の上半分を表に出した。そこには、硬い鱗のような尻尾を生やした二人の女の子が、辺りの匂いを嗅いだり、ガサゴソと機械や瓦礫を動かしていた。ぼくは、殻の中から這い出してそっと地面に降りた。そして二人に声をかけようとしたその時──

 

 キュルルルルルル……

 

 ぼくより先に、ぼくのお腹の虫が声をあげた。突然降って湧いた奇妙な音に、二人はビクッと一瞬跳ねて、勢いよく丸くなった。それを見て驚いたぼくも、後ずさりして尻餅をついてしまった。

 

「……なにっ?今の音!?」

「……アルマーさん、確認してください」

「……怖いから嫌だよぉ」

 二人はなにやら小声で相談している。ぼくはというと、この二人のオーバーな反応が、自分のお腹の音のせいだと思うと、ついつい恥ずかしい気持ちになってしまった。

 そんな気持ちを振り払うように、ぼくは膝に手をついて立ち上がり、丸まっている二人に近づいて声をかけた。とりあえず、まずはここがどこなのか、二人がいったい何者なのか、確かめなきゃ。

「あの……」

「……!!」

 二人の背筋がびくりと跳ねた。

「すぐそこまで近づいて来てるよっ!!」

「仕方ないですね……『せーの』で顔をあげますよっ!!」

「うん、せーのっ!!」

 

 姿勢はそのままに、二人は勢いよく顔を上げ、ぼくを見上げた。

「やいっ!!おまえーっ!!」

「なんだったんですか!?さっきの音は!!」

「私たちを一体どうするつもりだーっ!?」

 二人に問い詰められて、ぼくは顔を火照らせながら答えた。

「えっと……その……お腹がすいちゃって……」

 けど、その言葉を聞いた二人の様子は、どうにもおかしい。まるで、なにか恐ろしいものを見るように、青ざめた表情でぼくを見上げていた。

「たっ……」

「たっ……」

 

「「食べないでぇ〜っ!!」」

 

 二人は、身を寄せ合いながら、また丸くなってしまった。

「た……食べないよっ!!」

 ぼくの答えは、静まり返った暗い建物の中に吸い込まれていった。ぼくたち三人が落ち着いて、この建物を出るのは、もうちょっと先のお話。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

わん・あわー・れいたー②

●  ●  ●  ●  ●

 

「──『ジャパリパーク』?」

 ぼくは、手渡されたクロワッサンを頬張りながら、二人に聞き返した。

「そう、ここはジャパリパーク、色んなフレンズが気ままに暮らしてる『どうぶつえん』!!」

 黒い髪の女の子は、パリパリとポテトチップスをつまみながら、ぼくの質問に答えた。

「私たちの縄張りはずっと北、ここと似た感じの、空気がカラッとした過ごしやすい場所です。そこに『たんていじむしょ』を構えているんですよ」

 ソーダを片手に話す金髪の女の子は、どこか自慢げに胸を張りながら、ギザギザした鱗の尻尾を振っている。黒髪の女の子も椅子から立ち上がり、金髪の女の子の横に立った。

「私はオオアルマジロのアルマー、そしてこっちはオオセンザンコウのセンちゃん!!」

「フレンズは、私たちのことをジャパリパークの『たんていコンビ』と呼びます!!」

 

●  ●  ●  ●  ●

 

 暗い建物を出て、生い茂った森を抜け、小高い丘を登った先。ぼくたち三人がくつろいでいるのは、たくさんの岩場に囲まれたフレンズの憩いの場「パンのロバや」。食べ物をいっぱい積んだワゴン車の屋台を中心に、その周りには壊れかけた椅子やテーブルがいくつも並んでいた。ぼくたちは、まだ使えそうなテーブルに食べ物を乗せて、色々とつまみながら一休止していた。

「……もしかして」

 屋台の主のフレンズが、ワゴンから降りてきて会話に加わった。長い髪を結わえて大きな耳を頭から生やしている。この子の名前は「ロバ」。力持ちで頑丈なウマ科のけもの。ここにある食べ物は、料理の得意な子から分けてもらって、みんなに配ってるんだって。……この車はもう動かないみたいだし、ロバさんがここまで手で運んで持ってきてるのかな?

「お二人の縄張りって『ミナミメーリカエン』ですか?」

「そうですよ。よくご存知ですね」

「前までここに住んでた子が、引越し先を探しに北の方に向かったんです。私、記憶力もいいんで」

 ……北にあるのに、ミナミ?ぼくは、気になってアルマーさんに問いかけた。

「元々そういう名前なんだよねー。私たちよりもっと北に住んでる子がつけた名前なんじゃない?」

 そっか。たしかに、そこが一番北とは限らないもんね。ぼくは、建物を出た時に目の前に広がっていた、果てしなく続く景色を思い浮かべていた。

「最近は、この辺りも大きなセルリアンが増えてきてて……。その子、怖がりなフレンズだから、安心できる住処を探しに、引っ越すことにしたらしいんです」

 

「──『セルリアン』?」

 聞き覚えがあるような、ないような。ただ、どこか胸のあたりがぞわぞわする響きの言葉。センちゃんはこちらを見て答えた。

「恐ろしい怪物ですよ。パークの中でも神出鬼没。様々な形で現れては、フレンズを食べて元の動物に戻してしまうんです」

 おどろおどろしい口調で話すセンちゃんに、ぼくは背筋を冷やした。そんな恐ろしい怪物がここに……?もし、ぼくが食べられたらどうなっちゃうんだろう?

「大きいのから小さいのまで色々いるけど、やっつけられる大きさじゃないなら、基本は逃げたほうがいいよねー。怪我するかもしれないしさ」

 アルマーさんは、ビクビクするぼくを元気づけるように、背中をポンポンと叩きながら話した。

 

「けど、この辺りのセルリアンは、ついさっき私のお友達が倒してくれたんで、安心して大丈夫だと思いますよー」

 話によると、ロバさんが見つけた大きなセルリアンを、腕利きのフレンズ二人に頼んで退治してもらったんだって。ふと、ぼくたちがここに辿り着いた時、ワゴンに「じゅんびちゅう」って書かれた看板が下げてあったのを思い出した。それで、しばらくロバさんの帰りを待つことになったんだけど、留守にしてたのはその子たちをセルリアンの元に案内してたからみたい。

 ロバさんの話を聞いて、ぼくはほっと胸をなでおろした。このまま外にいたら怪物に襲われるんじゃないかと、気が気じゃなかったもの。

 

「ちなみに、セルリアンがいたのはあの辺りですよ」

 ──ロバさんが指差したのは森の中。ぼくたちの辿ってきた道のすぐそば。思いの外、危機一髪だったことを知ったぼくたち三人は、ちょっぴり背筋を伸ばした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

わん・あわー・れいたー③

●  ●  ●  ●  ●

 

 ジャパリまん、ジャパリパン、ジャパリチップスにジャパリソーダ、あとジャパリコロネ。テーブルの上に並んだ食べ物は、どれもとてもおいしかった。もうお腹いっぱいで、少し苦しいぐらい。

「さて、お昼ごはんも食べたことですし、そろそろ行きましょうか」

 センちゃんはぼくを見ながら立ち上がった。……行くってどこへ?

「依頼主の『おうち』ですよ。私たちの任務は、『ヒト』を探し出して、依頼主の元へ届けることなのです」

 

 丘を降りて草原の道を歩き進む。二人はぼくを「おうち」まで送り届けてくれるみたい。ここから歩いてだと結構かかるから、乗り物に乗って行くんだって。二人がここまで来たのも、その乗り物に乗せてもらってって話だった。ぼくたちは、サバンナの入り口にあるという、その乗り物に向かって歩みを進めていった。

 ──「おうち」。その言葉を聞いて、ぼくの鼓動は高鳴った。ぼくは「そこ」を覚えてる。茶色い三角屋根の二階建ての建物。そこは、明るくて、優しくて……。ぼくが帰るただひとつの場所。ぼくの帰りを待っていてくれる人がいた、暖かい場所。

 「依頼主」は、その「おうち」に住んでるの?その人が、ぼくを探していて、帰りを待ってくれているの?

 

「どうしたの?どこか打った?」

 アルマーさんはぼくの顔を心配そうに覗き込んだ。気がつけば、ぼくは涙をぽろぽろと流していた。

 ……ちがうよ、辛いんじゃない、安心したんだ。薄暗くてボロボロの建物、恐ろしい獣の雄叫び、フレンズを食べてしまう怪物……、目を覚ましてからは不安なことばかりで、これからどうなっちゃうか、まるでわからなかった。けど、ぼくに帰る場所が、待っていてくれる人がいることに、とてもホッとしたんだ。ぼくは、半袖で目元をぐしぐしと拭って顔を上げた。

「大丈夫だよ。行こう!!」

 ぼくは、「おうち」に帰れるんだ。ぼくの住んでいた、安心できる場所へ。足取りが軽い。……早く会いたいな。ぼくの事を待ってくれている人に。

「なんか、私たち良いことしたのかな?」

「……かも、ですね」

 

●  ●  ●  ●  ●

 

「ところで、ぼくのことを待ってる『依頼主』って、どんな人なの?」

 ぼくは二人に質問した。おうちのことはぼんやりと覚えているんだけど、「帰りを待つ人」の顔がどうしても思い出せない。会えば思い出せるかもしれないけど、どうしても気になったんだ。

「えっとねぇ……、怒らせると怖い子だよ〜?わたしとセンちゃんも、中々見つけられなくて、よく怒られてね……」

「アルマーさん!!私たちは依頼人については『しゅひぎむ』があるんですよ」

 センちゃんに釘を刺される形で、アルマーさんの言葉は遮られた。その人に叱られたのが恥ずかしかったのかな。……でも、怖いってことだけ聞くと、なんか不安になってくるなぁ。……ぼくも、その人にきつく怒られちゃうのかなぁ。

「けど、悪い子じゃないと思うなー。まあ会ってからのお楽しみってことで」

 ぼくは依頼人がどんな人なのか想像を巡らせていた。怖くない、優しい人だったら良いなぁ……。

 

 ふと、センちゃんが何やら気づいたように、足を止めてぼくに問いかけた。

「そういえば、あなた名前はなんて言うんですか?」

「……えっ?この子『ヒトちゃん』じゃないの?」

 アルマーさんは驚き気味にセンちゃんに問い直した。いや、確かにぼくは「ヒト」……だと思うけど。

「ヒトは、私たちフレンズとは違って、元の動物の名前とは別に、特別な呼び名を持っていたんだそうです。この子にも、何か名前があるんじゃないでしょうか」

「へぇー。私も知りたいな、君の名前!!」

 ──ぼくの、名前?……あれ、ぼくはなんて呼ばれてたんだっけ?お家に帰って、「あの人たち」に呼ばれていたぼくの名前。数え切れないほど呼ばれていたはずなのに、どうしても思い出せない。

「ごめん、思い出せないや……」

 興味津々だったアルマーさんは、残念そうに肩を下ろした。

「……でもどうしてさ、センちゃん。私たちと同じように『ヒトちゃん』って呼んでもいいんじゃない?」

「そうはいかないでしょう、アルマーさん」

 そう言って、センちゃんは草原の遥か向こう側を指差した。草の隙間から顔を出した獣道に、黄色と緑で別れた配色の、四角いおもちゃのような何かが小刻みに揺れている。あれが、二人の乗ってきた「乗り物」……?

「私たちはこれから、もう一人の『ヒト』に会うんですから」

 遠くにある黄色い箱の中では、灰色の人影と、深緑と黒の人影が動いていた。やがて、灰色の影は黄色い箱から出て行って、空高く飛んで行った。少しずつ近づいて行く黄色い箱。その正体は一台のバス、そしてその運転手である、白い帽子を被った、もう一人の「ヒト」。

 

●  ●  ●  ●  ●

 

 双眼鏡を覗き込んだ先には、私がここまで乗せてきたオオアルマジロとオオセンザンコウの探偵コンビが、そしてひとまわり小柄な子供が、横並びにこちらに向かって歩みを進めていた。

 青いジャケットに白いズボン。緑がかった黒髪のてっぺんに、野菜のヘタのような形の癖っ毛が揺れる。肩掛けの大きなカバン。この子供が「あの子」の探し求めていた「ヒト」だろうか。

「……どうやら、ちゃんと見つけられたみたいだね。一足先に、依頼主の子に伝えてあげて」

「ほえー、任せといてー」

 メッセンジャーを務めるカワラバトのフレンズは、翼を羽ばたかせて空に舞い上がった。彼女に伝言を託し、私はサバンナとの気候帯の境目で、三人の到着を待った。「私以外のヒト」……かつて共に冒険を繰り広げた親友と、一緒に追い求めた到達点。私はそれと一人で対面する。

 ……ジャパリバスなら並みの悪路程度なら走破できる。「ここで道が途切れているから」は、あくまで言い訳だ。私は、サバンナに足を踏み入れることに、未だにためらいを持っている。私の孤独や悲しみ、あるいは身勝手さを揺り起こすような……、そんな存在がこの景色のどこかに眠っているような、そんな気がしてならない。

 やがて、三つの人影は大きくなり、お互いの顔を認識できる距離までやってきて、こちらに手を振った。私も、それに応えるようにバスから降り立った。

 

●  ●  ●  ●  ●

 

 バスから降りてきた白い帽子の女の人。帽子の両脇には、赤と青の鮮やかな羽。丈の長い黒いジャケットの上には、大きな白いリュックを背負っている。

「この方が、私たちをバスでここまで乗せてきてくれた『ヒト』です」

「はじめまして……」

 ぼくは、初めて出会う「大人の人」を前に、深くお辞儀をした。

「はじめまして。……君も、ヒトなんだね」

 顔を上げると、彼女はぼくのことを神妙な面持ちでじっと見つめていた。こちらもつい緊張してしまったけど、やがて女の人はふっと朗らかな表情を浮かべた。

「私はパークガイド、みんなからは『かばん』って呼ばれてる。よろしくね」

 ──かばんさんは、帽子を取り軽く会釈をして、ぼくに向かって優しく微笑みかけた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

わん・あわー・れいたー④☆

●  ●  ●  ●  ●

 

「……キュルルちゃん!!」

 

 バスの座席から身を乗り出したアルマーさんが、僕を指差して言った。キュルルチャン?……って、なに?一体何の話をしてるんだろう?

「君の名前だよ!!『ヒトちゃん』じゃ、かばんさんと区別つかないし、ずっと名無しのままじゃ不便でしょ?」

「それにしたってアルマーさん……、どうしてそんな珍妙な名前に?」

 センちゃんは怪訝な顔でぼくの方を見た。……ぼくだって、そんな名前で呼ばれた記憶はないよ。戸惑っているぼくたちのことはどこ吹く風で、アルマーさんは自慢げに続けた。

「あの建物で初めて会った時にさ、お腹鳴らしたでしょ。あの音がやけに耳に残ってさー。『キュルル〜』って」

「あ……アルマーさん……」

 センちゃんは、アルマーさんのマイペースさにあんぐりとしていた。ふふんと胸を張っているアルマーさん。別に、ぼくのことをからかおうって気はないんだろうけど、それにしたってちょっと、その名前はひどいと思うよ。まるで、いつもお腹をすかせてるみたいじゃないか。

 

「あはは、フレンズってみんな、面白い名前をつけるよね」

 運転席でかばんさんが笑いながら話した。ぼくはちょっとムッとした。「かばん」さんの名前も十分変わってると思うけど。

「わたしの呼び名もね、ずっと昔、仲良しだった友達につけてもらったんだ。生まれた時からかばんを背負ってたから『かばん』。わかりやすいでしょ?」

 ミラーに映るかばんさんはニコニコと笑顔を浮かべていた。……結構、気に入ってるのかな?

「今では『ヒト』って名前で呼ばれるよりも、『かばん』の方がしっくりくるね。名前って、案外そんなものだと思うよ」

 ぼくは、座席に置かれた白いかばんを見た。蓋の隙間からは詰め込まれた木の実が顔を出していた。ぼくは、改めて自分の背負ってるかばんを膝の上に乗せてじっと眺めた。ぼくのかばん……。

「『かばんちゃん』じゃ被っちゃいますよ」

「えーっ?『キュルルちゃん』にしようよー……」

 肩掛けの青いメッセンジャーバッグのファスナーを開けると、中には筒入りの色鉛筆、ハサミ、セロハンテープ、虫眼鏡などの文房具が入っていた。あの建物を出るときに、殻の中にあったものを詰め込んだ、ぼくの持ち物。

「よくわからない物が、いっぱいですね」

 ……けど、何かが足りない気がするんだ。あの時は、頭の中もぐちゃぐちゃだったけど、今になってみると何かを置いて来ちゃったような、そんな気がする。おうちに帰った後、落ちついて時間ができたら、忘れ物が無いかもう一度調べに行こうかな。

「あっ、これ!!振るとジャラジャラ鳴って面白いよー!!」

 アルマーさんが色鉛筆の入ってる筒を、勢いよく振って遊んでいた。……そんなことしたら、色鉛筆が折れちゃうよ。ぼくは筒を振るアルマーさんに手を伸ばした。

 

 

「──注意!!注意!!」

 運転席から、聞きなれない声が飛び込んできたのは、ぼくが筒に手を触れたのとほぼ同じタイミングだった。

 

 

 ──次の瞬間、ぼくたちの体は、車の後方にがくんと引っ張られた。危うく転びそうになったぼくは、二人に支えられる形でなんとか持ちこたえた。

 窓の外の景色は、これまでよりも早く流れていた。どうやら、バスが急に加速してバランスを崩したみたい。

「……三人とも、手すりにしっかり掴まってて」

 かばんさんは、ミラー越しにぼくたちを見た。さっきまでとは打って変わって険しい表情。ふと、センちゃんとアルマーさんの耳がピクリと動いたかと思うと、二人は勢いよくバスの最後部に張り付いた。

 

 突如、バスの外が大きな日陰に入ったかのように、すっと暗くなった。……さっきまで流れていた景色は、広い草原、真っ青な空。陽の光を遮るような、森や岩肌、大きな雲だって浮かんでなかったはずのに。

 ずんっ、ずんっ、と、立て続けに大きな揺れが起こる。何度も、何度も、地響きを立てながら。

 ぼくは、恐る恐るセンちゃんとアルマーさんの間にしゃがみ、顔の上半分を出すように窓の外を見た。そこに広がっていたのは、これまで見たこともないような恐ろしい光景。

 

「なに……あれ……?」

 ぼくの見上げるその先。山のように大きな、青紫の怪物。てっぺんからはまっすぐ前にせり出した棒のようなツノ、体の側面には左右四つの眼が並び、ドリルのような形の三本脚を地面に突き立て、よろり、よろりと立ち上がった。

「……キュルルさん、あれがセルリアンです」

「それも、とっておき大きいやつ……!!」

 怪物の左側面に並んだ二つの瞳と目が合った。輝きの感じられない、吸い込まれるように真っ暗で深い瞳。

 ──見つかった。ぼくたち三人は息を飲み込んだ。怪物は脚を交差させ、ドリルを何度も地面に突き刺して、体をこちらに向ける。中心の筒にはめ込まれたような巨大な瞳が、瞳孔を絞りながら、ギョロリとこちらを向いた。

 

【挿絵表示】

 

 セルリアンは、三本の脚をせわしなく地面に突き刺しながらバスに迫る。かばんさんは、ミラーごしにセルリアンを睨むと、目一杯にアクセルを踏み込んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

わん・あわー・れいたー⑤

●  ●  ●  ●  ●

 

「すごい勢いで追ってくるよーっ!!」

 アルマーさんが叫ぶ。巨大な目の怪物は、三本の足をガシャガシャと動かしながら、少しずつ、ぼくたちに迫って来る。それは、セルリアンの方がぼくたちを乗せたバスより、僅かに速いということ。このままでは、いずれ追いつかれるだろう。

「もっとスピード出せないんですか!?」

 センちゃんは運転席に向かって叫ぶ。ぼくもかばんさんに視線を移した。かばんさんは首を右のほうに向けている。サイドミラーでセルリアンを確認してるんだろうか。

「!!」

「かばんさん!!前!!前!!」

 アルマーさんとセンちゃんがフロントガラスを指さして叫んだ。バスの前方には、ぼくの身長ほどもある大きな岩が猛スピードで迫っていた。あんなのに当たったら、このバスは――

「危なっ……!!」

「捕まって!!」

 ぼくが叫ぶのと、かばんさんの指示はほぼ同時だった。ぼく達三人は、かばんさんの大きな声にビクリと飛び跳ねるように、バスの手すりや背もたれにしがみついた。

 次の瞬間、体が左に引っぱられたかと思うと、それを反動にするようにバスの車体は右に大きく傾いた。ほんの一瞬、窓から青空が覗く。やがて、浮かび上がった車体の左側は、重力に引き寄せられて再び沈んでいき、どんっと四つのタイヤを地面につけて、再び水平に道を走り出す。車体が地面に叩きつけられた衝撃で、僕たちはひっくり返っていたが、這うように座席を掴み、バスの後方を見た。

 バスを追うのに夢中で、突然現れた岩に気づかなかったんだろう。三本足の怪物は、丸みを帯びた大岩に足を滑らせて、バランスを崩し巨体を地面に打ち付けた。どしんっ、と大地を震わせる大音。地面からの反動で、僕達の乗ったバスはほんの僅かに浮かび上がった。

 怪物はドリルのような足を、地面に突き刺して立ち上がる。しかし、全速力で走るバスは、セルリアンを置き去りにして、前へ前へと進んでいく。

「やった!!どんどん引き離してくよ!!」

 アルマーさんは、嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねた。再び立ち上がった怪物は、大きな瞳をぎょろりとこちらに向け、さっきよりも前のめりの姿勢で、ガシャガシャと足を動かし始めた。

「……ダメージはないみたいだから、多分まだまだまだ追ってくるよ」

 帽子を直しながら、かばんさんは言い切った。

「ジャパリバスより、あのセルリアンの移動速度の方が速いからね。このぐらいの距離だと、また追いつかれるよ」

 かばんさんの右手に巻かれた腕時計のようなものが、緑色に点滅しながら無表情な声を出した。――さっき「注意」って叫んでたのは、この機械だったんだ。意外な声の主に驚いたぼくだったけど、今はそんなことを気にしている場合ではない。セルリアンは、またしても徐々に距離を詰め始めてる。

「それでは、遅かれ早かれ、私たちはあのセルリアンに……」

 先のことを想像して顔を青くするセンちゃん。大地を震わせながら着々と迫り来る脅威を前に、ぼくとアルマーさんも口を閉ざし、ただただ俯くばかりだった。

 

「フレンズへの協力要請完了、所定の合流ポイントへのルート案内を表示します」

「お願い、ラッキーさん」

 かばんさんと腕時計が言葉を交わした直後、バスの前面に取り付けられた液晶に、地図のような絵と、道をなぞる青いラインが表示された。これって、たしか「カーナビ」……だったっけ?だとすると、真ん中にある三角形の印が、このバスの位置かな。

「今日は運が良かったね。その子のおかげで、ラッキービーストに助けてもらえそうだよ」

 かばんさんの言葉を受けて、アルマーさんとセンちゃんが顔を見合わせた。ぼくのおかげ?……全く心当たりがない。それに「ラッキービースト」って?

「あんなに大きなセルリアンと戦えるほど、強いラッキーさんが居るんですか?」

 センちゃんの質問に、かばんさんは体を前に向けたまま、軽く首を横に振った。

「いいや。けど、ラッキービーストはヒトの緊急事態においては、フレンズとお話ししてもいいことになってるんだよ」

「特定特殊生物から来園者を保護するのも、ボクたちの仕事のひとつだからね」

 腕時計の返答に、「へー」と答えるアルマーさん。あの腕時計――ラッキーさんと呼ばれていた――は普段はフレンズたちとはお話しできないのかな?それと、センちゃん達の話を聞く分に、腕時計以外の形をした「ラッキーさん」も居るってことなのかも。

「……ついさっき、頼もしい助っ人と連絡がついたんだ。もう少しの辛抱だよ」

 バックミラー越しにセルリアンをちらりと見て、かばんさんは右にハンドルを切った。左手には水平線、ぼく達を乗せたバスは、海岸線に沿って、坂を登り始めた。そして、セルリアンもぼくたちを追い、木々の枝を巻き込みへし折りながら、右に進路を変えた。

 

●  ●  ●  ●  ●

 

 しばらくバスを走らせて、セルリアンから隠れるように入り込んだ林の出口。左手には、作り物の飛行機のアトラクションや、メリーゴーランド、ピラミッドみたいな建物が並んでいる。どれもボロボロで、サビや日焼けで色褪せてる。きっと、昔の遊園地か何かだろう。

 ――そして、停車したバスの進路の数十メートル先、そこには道は続いていなかった。……というよりも、「地面が」ないように見える。

「断崖……絶壁……?」

 ぼくは呆然とするばかりだったが、センちゃんは何かを閃いたように、運転席の方に乗り出した。

「わかりました!!バスは一旦ここに置いて、鳥のフレンズの助けを借りて逃げる作戦ですね!!」

「おー!!センちゃん冴えてるーっ!!」

 へえ、空を飛べるフレンズもいるんだ。そういえば、かばんさんたちと待ち合わせしてた場所で、灰色の影がバスから飛び立っていった気がする。あれは見間違いじゃ無かったんだ。二人の話を聞いて、ぼくは感心していたけど、かばんさんはそれには一言も答えない。ただ、じっとバックミラーを見つめている。

「……でも、待ち合わせって本当にここなの?誰の気配も感じないけど……」

 不安そうにするアルマーさん。ぼくはみんなほど鼻や耳はよくないけど、それでもあたりに人の気配は感じられない。むしろ、待ち合わせをしてるなら、その子の方がバスより先にここに来てないと、逃げるのに手間取っちゃうんじゃ……?

「ねえ、早くしないとアイツが……」

 アルマーさんが声をかけた瞬間、後ろの林の木々が大きな音を立てて薙ぎ倒された。そして、木々の葉の隙間から大きな目が覗き、林の中に身を潜めたバスに気づいたように、ギョロリとこちらに視線を合わせた。

 とうとう、セルリアンに見つかった――!!

 

「かばんさん!!セルリアンが、もうすぐそこまで……」

「三人とも」

 かばんさんは、ハンドルを握ったまま、センちゃんの言葉を遮るように口を開いた。いつの間にか、かばんさんの視線はバックミラーからフロントガラスに、前方の崖に移っていた。

「時間がないから詳しい説明は省くけど、今からみんなでこの崖を飛んで逃げるよ」

「だから、待ち合わせの鳥のフレンズは――」

 センちゃんとアルマーさんは、何かに気がついたように、言葉を飲み込んだ。ぼくも、ぼくの思い違いでなければ、ものすごくイヤな予感がする。

「ま、まさか……」

「センちゃん、アルマーさん、手すりを掴んで、その子をしっかり離さないようにしててね」

 かばんさんは、躊躇なくアクセルを踏み込んだ。ぼくたちの背中はバスのシートに磔になった。ぼくの両側のセンちゃんとアルマーさんは、顔を引きつらせながら、片手で慌てて手すりを掴み、もう片方の腕でぼくにしがみように、お互いの手を繋いだ。

 急発進したバスを追い、後ろのセルリアンが木々を押しのけ、こちらに進んでくる。……けど、今のぼくはそれすらもどうでもよく感じてしまう。ぼくの感じたイヤな予感は、どうやら的中してしまったようだ。ぼくは、センちゃんは、アルマーさんは、ただただ声にならない叫びを上げた。

 瞬間、左右の窓から林が消え、それと入れ替わるように、どこまでも続く水平線と、青空が現れた。椅子から浮かび上がりそうになる体を、シートを掴んで必死にこらえる。ぼくたちの頭の中は、すっかりセルリアンのことを忘れ去って、真っ白になっていた。

 

 バスは、空に向けて崖から飛び立った――。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

わん・あわー・れいたー⑥

●  ●  ●  ●  ●

 

 お尻から座席の感触が消えた。後部座席に置かれた白いカバンからは、フルーツがふわーっと浮かび上がる。足の裏は踏ん張りが効かず、力を入れるとそのまま浮かび上がってしまいそう。

 

 ――ああ、今、ぼく達は落ちているんだ。

 何もかもが、ゆっくりで、現実感の湧かない世界。でも、あと数秒でぼく達は水面に叩きつけられる。そして、このバスごと海の中に沈んで行っちゃうんだ。もうお家には帰れないんだ。

 何かが弾け飛ぶような音とともに、高い水柱が上がり、バスの車体を包み込んだ。ぼくは、しがみつくセンちゃんとアルマーさんの腕を握りながら、ギュッと目を閉じた。

 

●  ●  ●  ●  ●

 

 ――衝撃が来ない。舞い上がった海水は、再び重力に捕まって、激しい雨のように天井に降り注いだ。

 生きてる。ぼくは恐る恐る目を開けた。ふるふると震える二人の腕。運転席ではかばんさんが、力が抜けたように、背もたれに頭を預けていた。

「もう大丈夫だよ、三人とも」

 ふたりもビクビクしながら目を開いた。あたりを見渡してみると、右には水平線、左には砂浜が広がる。少し遠くには魚のようなオブジェを載せた高い建物が見えた。

 ぼく達は海の上にいた。バスはそこから沈む気配もなく、水面に……ではなく、水面から数十センチほど空中に浮いている。それでいて、バスの車体は波に乗せられているように、軽く上下に揺れ動いていた。ぼく達三人は、お互いにしがみつく手を緩めて、不思議そうに窓の外の景色を眺めていた。

 ――その時、ぼしゃん、ぼしゃんと、重い物を投げ込んだような水の音とともに、後ろで何本もの水柱が上がった。ぼくたち三人は恐る恐るバスの後ろから崖の上を見た。

 バスの飛び立った地点のすぐ近く、セルリアンは一本の足を崖の側面に突き刺して、その本体を崖にぶら下げていた。ぼくたちを追いかけようとして崖から足を滑らせたんだろう。どうにか崖の上に戻ろうと、残り二本の足を崖に打ち付けて、必死にもがいていた。

 けれど、体に比べて細長いその足の力では、残り二本の足を岩の壁に深く突き刺すことも、巨大な体を支えきることもできそうになかった。セルリアンは、崖に足を突き刺そうとするたび、その足で崖を掘り崩し、岩を波打ち際へと落とすばかりだった。

 やがて、崖に突き刺した残り一本の足も、その体重を支えきれなくなり、するりと岩の壁から抜け落ちた。セルリアンは、助走をつけて崖から飛びたったぼくたちのバスとは対照的に、そのまま真下へと落ちていった。そしてその体は、海面から顔を出した岩礁に、勢いよく打ち付けられた。岩の砕ける大きな音に合わせて、セルリアンは虹色の光を撒き散らしながら、小さな箱のような破片となり、弾け飛んだ。その衝撃は、セルリアンの打ち付けられた海面に大きな水柱を一つ上げて、やがて飛び散ったその破片は、周囲にポツポツと小さな水柱を散らしていった。

 

●  ●  ●  ●  ●

 

「このバスって……水の上も走れたんですか?」

 危機がさって一息ついたセンちゃんは、かばんさんに問いかけた。

「……いや、これは」

 かばんさんは、運転席からこちらを振り向いて、その問いかけに答えようとした。

「ボ、ボクだよ!!ボクがやってるんだ!!」

 かばんさんの声に割り込むように、バスの外から声が聞こえた。窓の外を見ても誰もいない。そこには、ただただ広い海が広がっているだけだ。もしかして、さっきのセルリアンのお化け?ぼく達三人は、その光景の不気味さに、ひぃっと声を上げて、再びお互いしがみついて震えるばかりだった。

「ボクはお化けじゃないよ!!フレンズだよ!!」

 謎の声は不機嫌そうに声を上げた。かばんさんは、肘と顔を窓から出して、謎の声に話しかけた。

「ごめんね、ここからじゃみんな君のことが見えないんだ」

 なだめるように声をかけたかばんさんは、バスの下の方に向いている。もしかして謎の声は……バスの下から聞こえてるのかな?

「……『ご褒美』も渡すから陸まで連れてってくれる?」

 かばんさんの「ご褒美」という言葉が効いたのか、そのままバスは砂浜に向き直って、海を進み始めた。

 

●  ●  ●  ●  ●

 

 砂浜へと降りたぼくたちの前に立っていたのは、大きなヒレのような尻尾を持つ、目元を髪で隠した黒ずくめの女の子だった。頭のてっぺんには黒くて大きな背びれを生やし、髪には白いつり目のような模様が見える。表情が見えないので、ちょっぴり怖い。

「この子はシャチさん、海に住んでるフレンズで、さっき私たちを助けてくれた子だよ」

 シャチさんの横に立ってぼくたちに紹介するかばんさん。シャチさんはその陰に隠れるように立ち、かばんさんの腕をぐいぐいと引っ張っている。

「あっ、『ご褒美』だったね。……はい」

 かばんさんは白いカバンからリンゴを一つ取り出して渡した。目元は隠れているけど、口元で嬉しそうな表情が伝わってくる。

「他にもいろんな果物があるから、お礼に好きなだけ持っていっていいよ。食べきれなかったら、お友達と分けてね」

 シャチさんは楽しそうにカバンを漁り始めた。そんなに怖い子じゃないのかも。

「へー、君がバスを持ってここまで泳いでくれたのかー……」

 アルマーさんは感心したようにシャチさんを眺めていた。そういえば、この子って一人でバスを持って泳いで、岸までやってきたんだよね。すごいなぁ……。

「シャチはマイルカ科最大の動物で、海洋最強の動物だよ。体重は最大で10トンに達する個体もいるとされているね。集団で狩りをする、とても賢い生き物だよ」

「へへー、すごいでしょー!!」

 ラッキーさんの解説に合わせて自慢げにしているシャチさん。そういえば、かばんさんも「頼もしい助っ人」って言ってたっけ。

「ラッキーさんを通して、この子に連絡したんだ。バスの落ちる場所に先回りして、思い切り大きな水柱を立てもらってね、落下速度が落ちたところを空中でキャッチして持ち上げてもらったんだ」

「えへへー、『ちーむぷれい』だよ」

 ……説明を聞いても、ちょっと想像できない。水柱でバスって持ち上がるものなのかなぁ……。ぼくは、バスの側面を軽く手で押してみたけど、ビクともしなかった。……フレンズってすごいなぁ。

 

●  ●  ●  ●  ●

 

「それじゃ、助けてくれてありがとね、シャチさん」

 カバンさんはバスの運転席で、シャチさんに挨拶をした。

「ううん、ボクの方こそ楽しかったし、いっぱいフルーツもらえてうれしいよ。これからアシカやイルカを呼んで、一緒に食べるんだ!!」

 両手いっぱいにフルーツを抱えて、シャチさんは上機嫌だ。かばんさんは、シャチさんににっこりと笑顔を向けて、ゆっくりとアクセルを踏んだ。少しずつ遠ざかっていくシャチさん。

「困ったらまた呼んでねーっ!!」

 ぼくとセンちゃんとアルマーさんは、その姿が見えなくなるまで、後ろの窓でずっと手を振っていた。

 

「……思わぬ大冒険になってしまいましたね」

「いやー、もう駄目かと思ったよー」

 二人はため息をつきながら椅子に体重を預けた。

「ごめんね、みんな。いつセルリアンがくるかわからなかったし、ゆっくり説明する時間がなくて……」

 かばんさんは申し訳なさそうに言った。……でも、あんな恐ろしい怪物がいたら、いつまたぼくらが危険な目にあうかわからないし、結果を見ると、これが一番良かったんだと思う。

 それにしても、あの場ですぐに作戦を立ててシャチさんに伝えたり、迷わず崖に向かってアクセルを踏み込んだり、かばんさんって頭が良くて、思い切りがいい人なんだなぁ。他のフレンズたちからもきっと頼りにされる人なんだろうな。ぼくも、大人になったらこんな人になれるのかな……?

 

「……でも、かばんさんの運転はもうこりごりかなー」

「一言多いですよ、アルマーさん」

 バスの中に笑い声が響く。西に傾いた太陽は、海の中に立つ大きな建物の影を、バスの走る砂浜に向けて徐々に伸ばしていった。

 

●  ●  ●  ●  ●

 

「というわけで、センちゃん達はヒトを見つけたから、バスでこっちに向かうってー」

 カワラバトさんは、私にメッセージを伝えると、そそくさと帰り支度を始めた。すぐに住処に帰りたくなるのはハト科のフレンズの本能らしい。

「……伝言ありがとうございます、カワラバトさん」

「ほえー、いいよいいよー。それじゃ、またねー」

 カワラバトさんは、私に向かってひらひらと手を振って見せると、そのまま飛び立っていった。

 後には私一人だけが残された。たくさん並ぶ家、誰一人済む者のいない、静かな町。世界中から置いてけぼりにされたような、そんな空間。

 ――けどそれも今日で終わり。私は、ついにヒトにたどり着いた。

「ようやく……会えるんですね」

 空に浮かぶ月を眺める。いつも同じ顔をパークに向けて、優しい輝きを投げかける、他よりひときわ大きな星。姿を隠してしまうこともあるけれど、すぐにまた輝く姿を見せてくれる。

 ついに会えるんだ。私のことを見てくれるヒトに。私にとって居なくてはならない、大切な存在に。

 

「この日を、どれほど待っていたことか――」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

わん・あわー・れいたー⑦

●  ●  ●  ●  ●

 

 ──時は、逃走劇の決着までさかのぼる。

 重量に耐えきれず断崖絶壁から落下した単眼の巨大な怪物は、波打ち際の岩礁のひとつにぶつかり、ばらばらに弾け飛んだ。虹色に姿を変えた怪物の破片は、海上を走るバスを送り出すように、七色に輝きながら海面で揺れていた。

 そんな鮮やかな海面の様子とは対照的に、光の届かない海底へと、まっすぐに沈んで行く影があった。先ほどまで怪物の突起に引っかかっていた物体。銀色の小箱にガラスの瞳を埋め込み、下部には伸縮する三本の足を持つ人工物。バスに乗った一行や、サバンナの狩人と対峙した、巨大なセルリアンたちと瓜二つのシルエット。

 ──その正体は、かつて「ビデオカメラ」と呼ばれた機械。

 持ち主の思い出を多数収めていたであろうその機械は、誰に顧みられることもなく、海底の砂の上に着地した。膨大な海水によって地上と隔てられた暗黒の荒野。もはやこの機械に記録された映像は、誰からも再生されることはない。深海に住む生き物も、この輝かしい人類文明の遺産には、周囲に転がっている石ころ以上の関心は持たないことだろう。

 ──しかし、ただひとつだけ、その機械へと近づく影があった。闇よりもさらに暗くうごめく、「生き物」と呼ぶこともためらわれるような不気味な流体は、まるで吸い寄せられるように「カメラ」へと近づいていた。

 

●  ●  ●  ●  ●

 

「もうすぐ居住地区に入るよ」

 かばんさんの手元──ラッキーさんの声を聞いて、ぼくは目を覚ました。セルリアンから逃げていたあの時と違って、道も平らで揺れもなかったからかな、気が付けば眠っていたみたい。ぼくが背もたれから体を起こすのとほぼ同時に、センちゃんとアルマーさんも、まぶたをこすりながら目を覚ました。

「お疲れ様。もうじき目的地に着くよ」

 かばんさんは、ミラー越しにぼくらに視線を送り、ほほ笑んだ。

 今日は、暗い建物を出てから、森や草原を長く歩いたり、大きなセルリアンにも追いかけられたりで、自分で思ってた以上に疲れていたみたい。すごく長い一日だったように感じる。

 けど、冒険はもう終わり。僕は「おうち」に帰る。ぼくを迎えてくれる人は、もうすぐそこだ。

 ――いったい、ぼくはいつから、そこに帰っていなかったんだろう。ぼくは「おうち」の事を考えるたび、まるで何年も、何十年も帰ることができなかった場所に、ようやく帰れるようになった、そんな気持ちになり、自然と目に熱いものがこみあげてくる。

 沈む夕日を背に、バスは林を駆け抜けていく。

 もうすぐ、ぼくは――

 

「……なにか、聞こえませんか?」

 突如、センちゃんが口を開いた。アルマーさんはセンちゃんの方を向き直った。

「やっぱり?なんか、さっきから『カシャカシャ』って音が聞こえるよね」

 ふたりは、頭から生えた耳をピクリと動かして、窓の外を眺めていた。ぼくも耳を澄ませてみるが、何も聞こえない。二人とも耳がいいんだなぁ、そう感心していたその時――

「──注意!!注意!!」

 かばんさんの手首、ラッキーさんが赤く光り始めた。道の両脇、木々の間や茂みの中から、紫色の影が三つ、勢いよく飛び出した。三本の細長い脚をせわしなく鳴らしながら、一つ目の小さな怪物たちが、張り付くようにバスの後方に近づいてくる。

「後方よりセルリアン複数接近!!」

 

 昼間ぼくらを襲った巨大な怪物。それを、そのまま小さくしたようなセルリアンたち。山のような巨大さこそないけれど、目にも止まらない足の速さを手に入れた小さな怪物。それは、昼間のセルリアンとは比べ物にならないほど、急速にバスとの距離を縮めていく。

 ふと、怪物の一体が後方の窓から見えなくなった。かと思うと、三本の足を延ばして、死角から勢いよく跳びあがった。セルリアンはバスの天井を悠々越え、やがて地面に着地すると、他の二体に遅れる形で、再びバスを追いかけ始めた。

 ――もしかして、バスの天井に乗ろうとしてる?頭上に視線を映すと、そこには丸い天窓があった。ここから入ってきてぼくらに襲い掛かろうとしているんじゃ……?

 

「もっと早く逃げられないのーっ!?」

 アルマーさんはかばんさんに向かって叫んだ。

「無理だよ。これが最大速度だよ」

 ラッキーさんはあっさりと答えた。かばんさんはハンドルを左右に切っては、天井に乗ろうとするセルリアンを上手く避ける。セルリアンは、ジャンプのためにしゃがみ込んでは、速度を落としバスとの距離を開ける。そのため、今のところ天井にセルリアンが乗ることは無い。

 けど、いくら走ってもセルリアンの追跡を振り切ることができない。このままではいずれ、追いつかれてしまうかもしれない。

 バスの後ろを見ると、セルリアンが再びしゃがみ込み、窓から隠れていた。ぼくらは、またジャンプが来るのかと身構えた。

 

 ――突然、バスがガクンと沈み込んだ。意表を突かれたぼくらは、とまどう暇さえもなく体制を崩し、真横に回転するバスの側面に押し付けられた。

「……っ!?タイヤをっ!!」

 かばんさんの叫び声と同時に、「キキィッ!」と耳を貫くようなブレーキ音が響いた。周囲に土ぼこり舞い上げながら、バスはグルグルと回転して、林道の脇に生えた樹にぶつかり、停車した。

 ――さいわい、樹にぶつかったときには、ブレーキが十分利いていて、スピードも大分落ちていたために、ぼくらは大事故を起こさずに済んだ。

 ひとまずの無事に、ぼくらが一息をついた、まさにその瞬間。セルリアンの細長い脚が、天井をガシャンガシャンと踏み鳴らし、やがてドリルのような先端で、天窓のガラスを突き破った。

 バスを取り囲むセルリアン。かばんさんが何かを叫びながら腕を大きく振った。何を言ってるのかはわからない。けれど、ぼくたち三人は、このままここにいては危ないとすぐに理解した。ぼくらは運転席へと飛び出し、そのままバスから転がり出た。

 やがて、後部車両に張り付いていたセルリアンは、バスを脱出したぼくたちの方に、ぎょろりと暗いひとつ目を向けて、じりじりと距離を詰め始めた。

 アルマーさんとセンちゃんはセルリアンに向かい、身構えた。かばんさんは、ぼくを守るように腕を伸ばして、セルリアンからぼくを遮った。

 

「もしかして私たち…」

「絶体絶命かも…?」 

 センちゃんとアルマーさんは、にじり寄るセルリアンを見て、体を細かく震わせながら、不安そうにつぶやいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

わん・あわー・れいたー⑧☆

●  ●  ●  ●  ●

 

 金属同士がぶつかりあったような固い音が響き、セルリアンは後ろにはじき飛ばされた。頭の前で腕を交差させ、セルリアンの攻撃から身を守るセンちゃんとアルマーさん。セルリアンの鋭い攻撃も、守りに回った二人の「うろこ」には歯が立たないみたいだ。

 追い打ちをかけようとする二人に、かばんさんは「待った」をかけた。体勢を立て直す二体のセルリアンの後ろでは、もう一体のセルリアンがこちらの出方をうかがっていた。

「……三体いては、うかつに手は出せないですね」

 センちゃんは、セルリアンを警戒しながら後ずさりした。

 このまま逃げようにも、このセルリアンは足が速い。きっとすぐに追いつかれてしまうだろう。迫り寄るセルリアンを前に、ぼくたちは身を守ることしかできない。

 ぼくは、何か作戦はないかと、すがるようにかばんさんの方に視線を向けた。かばんさんは、ポケットから手のひらほどの赤い筒を取り出し、乾いた音を立てながらそれの先端をすり合わせていた。

 

 ――次の瞬間、その筒は先端から激しい光と煙を噴き出した。

「ひっ!?」

 センちゃんとアルマーさんは、眩い光に怯えたような声を上げた。かばんさんはその筒を持って、背筋を伸ばした二人の間を抜け、セルリアンの方に歩み寄っていった。

「……大丈夫だよ。これは『発煙筒』って言う道具。危ない物じゃないから」

 かばんさんは、ぼく達に背を向けながら語りかけた。そして、光と煙を吐き出す棒を高く掲げ、ゆっくりと左右に振る。セルリアンたちの視線は、かばんさん……ではなく、激しく光を放ちながら左右に揺れ動く「はつえんとう」を追っていた。

「今から、これをセルリアンの向こう側に投げて注意を引く。やつらが私たちから注意を逸らしたら、一斉に道に沿って逃げるんだよ」

 ぼくらはうなずいた。かばんさんは、こちらに背中を向けたまま、右足を一歩後ろに下げ、上半身をひねり、筒を持つ右腕をぐぐっと引いた。

 

「せーのっ……!!」

 

 かばんさんは、発煙筒をセルリアンの後方に向かって思いっきり投げた。かばんさんの手を離れた発煙筒は、投げテープのように煙を伸ばしながら、道の向こうへと飛んでいく。その光と煙の曲線を目で追っていたセルリアンたちは、やがて背後を向き直り、カシャカシャと足を動かして光の筋を追い始めた。

 セルリアンの注意がこちらから移ったのを確認して、ぼくたち四人は一目散に駆け出した。セルリアンが振り向かないことを祈りながら、ただひたすらに、道の向こうへと走って行った。

 

●  ●  ●  ●  ●

 

「逃げ切れたのかな……?」

 走り疲れて息を切らしたアルマーさんは、歩きながらかばんさんに問いかけた。

「……きっと、時間稼ぎにしかならない。発煙筒は五分程度で光も煙も収まるからね」

 かばんさんはアルマーさんの背中をさすりながら答えた。

「それにあいつらは、バスに乗って移動していた私たちの居場所だって見つけることができた。煙が収まったら、また私たちの元に駆け付けてくるよ」

「そ、そんなぁー……」

 アルマーさんはがっくりとうなだれた。ぼくもセンちゃんも途方に暮れていた。また追いつかれてしまったら、今度こそ万事休すだ。おうちまであと少しなのに、ここで終わりになるのかと思うと、悔しさがこみあげてくる。

「だから、作戦を立てよう」

 かばんさんは、へたりこんだぼくたちを励ますように言った。

「上手くいくかはわからないけど、あと少しなんだから。やれることは全部やらなくちゃ」

 センちゃんとアルマーさんは顔を見合わせて、立ち上がった。

 ——そうだ、おうちには今、ぼくの帰りを待ってくれる人がいるんだ。ここで終わるなんて、絶対いやだ。ぼくは、涙をぬぐって立ち上がった。

 ぼくたちの決心を確認し、かばんさんは作戦を話し始めた。

 

●  ●  ●  ●  ●

 

 カーブに沿った木々に隠された、道の向こう側。かしゃり、かしゃりと不気味な足音を立てながら、セルリアンたちは現れた。きっと、今度こそぼくたちを捕まえて、食べてしまうつもりなんだろう。

 ――かばんさんの話によると、セルリアンはフレンズを見つけては、我先にと襲い掛かるけれど、それ以上にヒトや、ヒトの作ったものを狙って壊しにかかることが多いんだって。だから、ぼくとかばんさんは、林の道の真ん中に立って、セルリアンを待ち受けた。セルリアンの狙いを一か所に絞るために。

 ぼくたちの姿を見つけると、セルリアンはその細い足を激しく動かし、ぼくらへの距離を急速に詰め始めた。かばんさんはとぼくは、木の枝を折って作った棒を持って、道の真ん中でセルリアンを待ち構えた。

 ――いくら小さいとは言っても、こんなものではセルリアンは倒せない。ぶよぶよした見た目とは裏腹に、セルリアンは石のように固くて、ヒトの力だけではそれを壊すことはとてもできない。きっと、この棒でセルリアンを思い切り叩いても、棒の方が折れてしまうか、あるいはそれを掴んで飲み込んでしまうだけだろう。

 目の前に迫るセルリアン。セルリアンたちは、二本の足で僕らにつかみかかろうと、一本の後ろ足を地面に突き刺して、体を起こした。

 襲い掛かるセルリアンに向けて、ぼくらは何度も棒を振る。しかしセルリアンは全く意に介すことはない。そして、空高く掲げた二本の足を、今まさにぼくらに向けて振り下ろそうとしていた。

 

 ――その時、林の中から巨大な円盤が飛んできた。それは、一体のセルリアンの胴体を貫通し、もう一体が地面に突き刺して支えにしていた足をへし折った。虹色に光る箱状の破片をあたりにまき散らしながら、やがてその円盤は、着地と同時に、ほどけるように人型の影へと姿を変えた。

 円盤の正体は丸まったセンちゃんだ。道の真ん中で、セルリアンをおびき寄せたかばんさんとぼくは、ぼくらに襲い掛かろうとセルリアンが動きを止めた瞬間、棒を振って林に隠れたアルマーさんたちに合図を送った。

 フレンズはみんな力持ちだ。アルマーさんは、タイヤのように丸まったセンちゃんを掴んで、フリスビーを投げるように、思い切りセルリアンに向けて投げ飛ばした。岩のように固く鋭いウロコを持ったセンちゃんにぶつかったセルリアンは、パッカァーンと軽快な音を鳴らし、はじけ飛んだ。

 

「名付けて、『センちゃん大車輪』!!」

 アルマーさんが森から出てきて名乗りを上げた。

「うぅ、目が回りますぅ……」

 センちゃんは、勢いよく回転したこともあって足元がおぼつかない。けど、足を失ったセルリアンは動きも遅くなっている。

 センちゃんは顔をぶんぶんと振って、足の折れたセルリアンに向き直った。

「ふたりとも、あとは私たちが片づけます!!下がっててください!!」

 今度のセンちゃんは自信ありげで頼もしい。ようやく危機を抜けたと安心したぼくは、腰が抜けそうになり、枝を杖のようにして体重を預けていた。

 しかし、かばんさんは一人、険しい表情のままだ。まだ何か不安があるのかなと声をかけようとした、その時だった。

 

 右の林の中から「かしゃり」という音が聞こえた。ぼくが振り向いたその瞬間、大きな影が僕に覆いかぶさるように体を逸らせていた。二人の戦っているカメラ型のセルリアンと同じ。ただし、足は三本ついている。あっけにとられているうちに、ぼくの持っていた枝は真っ二つに折れて、身に着けていた青いベストは真横に破けていた。

 ――そうか、さっき追いかけてきたセルリアンは三体。けど、センちゃん大車輪が砕いたのは二体だけ。このセルリアンはその二体とは別に、林を突っ切って、まっすぐここまで来たんだ。かばんさんが不安に思ってたのも、バスを追っていたセルリアンと数が合わなかったからなんだ。

 セルリアンに破かれて、宙を舞う上着の切れ端。ぼくを庇おうと駆け寄るかばんさん。もう一体のセルリアンを倒して後ろの異変に気付いたアルマーさんとセンちゃん。ぼくの体を目がけてドリルのような足を振り下ろすセルリアン。

 世界のすべてがゆっくりに感じる。さっきまで感じていた、おうちに帰れない悲しさや悔しさ……それすらも置き去りに、今はただ、ゆっくりと迫りくる、セルリアンの鋭い足に対する恐怖だけが、繰り返し、繰り返し、ぼくの頭の中に押し寄せていた。

 ぼくはゆっくりと目を閉じた。もう、おしまいだ――。

 

●  ●  ●  ●  ●

 

「もう、大丈夫ですよ――」

 

 ――ぼくは、どれだけの時間目を閉じていたんだろう。

 聞き覚えのないその声を聞いて、ぼくは恐る恐る目を開けた。ぼくの視界に飛び込んできたのは予想もしなかった光景。

 紫がかった灰色の髪、ピンととがった二つの耳、先の丸まった太いしっぽを生やしたシルエット。夕日の逆光に照らされたその人影は、上着の裾をはためかせながら、振り下ろされたセルリアンの二本の足を、しっかりとつかんでいた。

 ――フレンズ?

 

 人影は、両手をギリギリと握りしめる。そして、両肘を落とすように力を込めて、セルリアンの足をへし折った。投げ捨てられる二本の足。それは、地面への落下を待つこともなく、空中で箱状の破片となってはじけ飛んだ。

 セルリアンは、その場から逃れようと地面に突き刺した足を抜こうとする。しかし謎のフレンズは、すかさず足元のドリルを思い切り踏みつけて、セルリアンをその場に固定した。そして、その胴体を両手でわしづかみにして身動きをとれなくしてしまった。セルリアンを挟み込んだ掌は、まるで牙の生えそろった顎のように、メリメリとセルリアンに食い込んでいく。やがて「メキッ」とひび割れる音が鳴ったのとほぼ同時に、セルリアンは破片となって、謎のフレンズの手元から勢いよくはじけとんだ。

 

 あたりに散らばった箱状の破片は、キラキラと虹色の光を放ち、消えていった。セルリアンを倒した謎のフレンズに、かばんさんは語りかけた。

「すぐに気づいてくれて、助かったよ」

「……煙を見たカワラバトさんが引き返して来て、バスが襲われてると伝えてくれたんです」

 おそらく、煙というのは発煙筒の話だろう。あれは、セルリアンへの囮だけじゃなく、このフレンズに危険を知らせて、助けを呼ぶための合図だったんだ。

 謎のフレンズはこちらに向き直って、じっとぼくの目を見つめた。長いまつげと吊り上がった目尻……これまで出会ったフレンズ達とは異なる、迫力を持った鋭い目つきに、ぼくは一瞬すくみあがった。

 けれど、彼女の青と黄色の色違いの瞳は、揺らめく水面のように夕日を反射して、とてもきれいに輝いていた。気が付けばぼくは、怯えることも忘れて、ただ彼女の瞳を見つめ返していた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「き、きみは……?」

 ぼくが口を開くと、彼女はこちらへと歩み寄ってきて、ぼくと視線の高さを揃えながら答えた。

「私はイエイヌ。あちらの二人に、あなたを探すよう依頼したフレンズです」

 セルリアンを倒したセンちゃんとアルマーさんが、ぼくたちの方に歩いてきた。つまり、この子がぼくのことを探してた「依頼主」……ぼくの帰りを待っている人?そう二人に聞こうとしたぼくだったけど、その疑問は予想外の出来事にさえぎられた。イエイヌさんが、勢いよくぼくのことを抱きしめたんだ。

「懐かしいな、この匂い――!!」

 ……力が強く少し苦しい。けど、それを口に出すのは、少しはばかられた。ぼくを抱きしめたイエイヌさんが、時折小刻みに体を震わせていたから。彼女がどんな表情をしているのか、ぼくからは見えない。だけど、きっと——

「会いたかった……!!この日をどれだけ待っていたことか――」

 きっとこの子は、ずっと会いたかったヒトに会えたんだろう。

 

●  ●  ●  ●  ●

 

 ――その日、ぼくらは出会った。

 大好きだった世界から、置いてけぼりにされた、

 帰る先のないぼくと、帰らぬヒトを待つ彼女。

 これは、「星の記憶」の祝福を受けられない、

 ひとりぼっちの、ぼくらふたりの、

 「出会えた奇跡」の物語。

 

●  ●  ●  ●  ●

つづく




 ジャパリカフェ ( じかい よこく )

( カラン♪ カラン♪ )

アルパカ「あらぁ、ロバちゃん!いらっしゃあい!!……そのふたりは?」
ロバ「昨日、セルリアンを退治してもらったんです。今日はそのお礼に」
アルパカ「そうなんだぁ!すごいねぇ~……」
サーバル「えっへん!!」
カラカル「あんなの、大したことないわ。大げさなのよ」
アルパカ「さぁさ、座って!いま、お茶淹れるからねぇ!」

サーバル「カラカルは、お茶飲むの初めて?」
ロバ「あれ、サーバルさんは飲んだことあるんですか?」
サーバル「ずっと前にね。うまく思い出せないんだけど」
カラカル「わ…、私だって『オチャ?』ぐらい、飲んだことぐらいあるわよ!」
サーバル「えぇ~?ホントかな~?」
カラカル「なによ、お姉さんぶって!あんたの助けなんていらないんだから!!」
アルパカ「お待たせぇ、淹れたてのお茶だよぉ」
サーバル「わーい、いただきまーす!……の、その前に」

みんな「次回、『わん・さいでっど・でぃざいあ』!!」

カラカル「……あつッ!!ちょっと、熱いじゃないのよコレ!!」
アルパカ「次は、フーフーして飲もうねぇ」


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。