灰と焔の御伽噺 (カヤヒコ)
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prologue/入学式

閃の軌跡を久し振りにプレイして軌跡熱が再燃した結果始めた見切り発車な二次創作です。エマヒロイン物が意外と少なかったので書いてみました。


 

 

 いつの間にか、大粒の雨が降り始めていた。

 

 

「はあ、はあ、はぁ…………」

 

 荒い息を吐きながら、黒髪の少年は傍らの大木に身体を預けて座り込む。

 

 冬が過ぎ去った春先。温暖な森の中で、少年の吐く息は遠目にもわかるほど白い。顎から滴り落ちる雫も雨のせいだけではない。

 

「はは……収まる気配もない、か」

 

 胸の内で荒れ狂う熱に苦笑し、今更ながら煩わしくなった上着を脱ぎ捨てる。これもこの場所には似つかわしくない厚手のもの。他に荷物らしい荷物はなく、まるで雪の残る高山地帯から着の身着のままで歩いてきたかのような格好であった。

 

 数分かけて呼吸を落ち着かせた少年は立ち上がろうとして――不意に膝が折れた。ぬかるんだ地面に倒れこみ、泥が全身を汚していく。

 

 ここまで丸三日、少年は不眠不休で宛てもなく彷徨っていた。極力人里を避けていたため何も食べておらす、天然の水場で喉を潤した程度。彼の身体はもう限界を迎えていたのだ。

 

「……もう、いいか」

 

 力を入れ直せば立ち上がれるが、気力が湧いてこない。この森を抜けたところで行く場所も無いのだから、ここで獣のように朽ち果てるのが似合いだろうと、少年は生を放棄する。

 

 脳裏に焼き付いた忌むべき光景。

 

 赤く染まった視界と、人知を超えた破壊の跡。傷付いた家族の姿。

 

 あの温かな居場所には、もう戻れないのだから。

 

「父さん、母さん、エリゼ……ごめん」

 

 愛しき家族に謝りながら、少年の意識は沈んでいく。

 

「…………丈夫……!!しっかりして…………」

 

「ちょっとエ……! 何なのよこいつ……?」

 

 

 意識を失う直前、そんな声を聞いた気がした。

 

 

 

 

「…………ん」

 

 身体を固いものにぶつけた衝撃で、リィン・シュバルツァーは目を覚ました。

 

 今やエレボニア帝国の主要な交通手段となった鉄道の一席。窓の先には故郷で見られない田園風景が続いており、一定のリズムで車両を揺らす振動は、期待と不安で高鳴る心臓の鼓動と重なっている。

 

 どうやら少しだけ眠ってしまったらしい。その上夢の内容が人生の中でも指折りの酷い思い出だったのもあり、リィンは憂鬱になってしまう。

 

「これから入学式だっていうのに情けない」

 

 危うく乗り過ごしてしまいそうになった自分に気合いを入れ直していると、目的地ーー帝都近郊の町トリスタの到着を告げるアナウンスが流れてきた。

 

 心持ち急ぎ足で改札を通り駅のホームを出ると、頭上には自分達を歓迎会するかのように咲き誇るライノの花。思わず目を奪われそうになるがリィンの足は止まらない。

 

 

「さて、時間は伝えてあるけど……」

 

 同じ列車から降りてきた新入生たちにぶつからないように気を配りつつ、歩きながら周囲を見渡す。駅正面で待ち合わせているが、この人混みでは失敗だっただろうか。

 

 焦り出すリィン。ひょっとして先に学院に向かったのだろうかと、足が先に向かおうとしたところで、

 

「――――リィンさん」

 

 聞く人を落ち着かせる穏やかな声音が、背後からリィンを呼び止めた。

 

 振り返ると、眼鏡と三つ編みが特徴的な、自分と同じ赤い制服に身を包んだ少女が立っていた。

 

 

 沈んでいた気分が上を向く。

 

 

 あの思い出は最低のものだったけれど。この少女に出会えたことを思えば、最高の思い出とも言えるのだから。

 

 

「久しぶり、エマ」

 

 

 そうして柔らかな笑みを浮かべたリィンは、エマ・ミルスティンーー友人の魔女と、三ヶ月ぶりの再会を果たした。

 

 

 

 「里の人達は変わりないか?」

 

 「はい。特にニーナはリィンさんに会いたがってましたよ。また手紙でも書いてあげてください」

 

 「はは、了解だ。それにしても、同じ赤色の制服なんだな」

 

 「ええ。ひょっとしたら同じクラスかもしれません」

 

 「それにしては人数が少ない気もするけど」

 

 学院に向かう道すがら、二人は制服について話していた。

 

 帝国屈指の名門であるトールズ士官学院は、一学年百人前後の五クラスで編成されている。このクラスは貴族と平民の身分の差で分けられており、制服の色も異なるため遠目にも判別しやすい。リィン達の赤い制服はそのどちらでもなく、ここに来るまでに奇特な視線を向けられて居心地の悪い思いをしていたのだった。

 

 ここまでで見かけた赤い制服の生徒は、リィンが駅ですれ違った金髪をツーサイドアップにした女子生徒、公園のベンチで眠っていた小柄な銀髪の女子生徒、今しがた校門を潜った青髪ポニーテールの女子生徒の三人である。既に学院にいるのかもしれないが、それにしても人数が一クラス分もない気がした。

 

「……女子の方ばかり見ていたみたいですね」

 

「い、いや他意はないぞ。ほんとにその子たちしか見なかったんだ」

 

「ふふ、冗談です。でも入学案内にも何も書かれていませんでしたよね」

 

「まあ行ってみれば分かるだろうさ。そういえばセリーヌはどうしたんだ? 一緒に来ているんだろう?」

 

「今は寝床を探しに行ってます。流石に寮内で飼うのは難しいでしょうから」

 

 途中導力車にクラクションを鳴らされ慌てて道端に避けるアクシデントはあったものの(車から出てきた男子生徒も赤い制服だった)、一本道を迷うこともなく学院に辿り着いた。

 

 

 校門の先に見える校舎の威容に、二人はしばし目を奪われる。

 

「ここがトールズ士官学院……かのドライケルス大帝が設立したとされる場所か」

 

「凄いですね。こんなにも大きいのに、威圧感がない……学院の空気まで、私達を迎えてくれているみたいです」

 

 感嘆のため息を漏らすエマにリィンも同意する。

 

 エマの祖母曰く、古い或いは濃い歴史を持つ品々や場所には独特の匂いが宿るのだという。《里》でそういったものに触れてきたリィンだが、ここの空気もそれらと似たものを感じていた。学院が設立されてから220年、古代遺物と比べれば浅い歴史だが、密度が違う。《鉄血宰相》に代表される数多くの著名人が心身を育んだ場所だと考えれば、それも納得だ。

 

「こうしてても始まらないか。行こう、エマ」

 

「はい。使命もありますが、それはそれとして学院生活も頑張りましょうね」

 

 

 気合新たに踏み出した、二人の一歩は重なって。

 

 春風に背を押され、少年と少女は学び舎の門を潜った。

 

 

「『若者よ――世の礎たれ』……。“世”という言葉をどう捉えるのか。何を以て“礎”たる資格を持つのか。これからの二年間で自分なりに考え、切磋琢磨する手掛かりにしてほしい」

 

 

元エレボニア帝国軍元帥にして学院長のヴァンダイクは、そう締めくくって壇上を降りる。

 

「世の礎……ですか」

 

 ドライケルス大帝――獅子心皇帝とも称された偉人の言葉に、新入生達の意識が変わったのをエマは感じていた。彼女にとっては少し縁のある人物でもある。正確には彼女の祖母がであり、本人曰く、後世に伝わっているような出来た男ではないとのことだが。時折祖母に酒が入った際には愚痴に付き合っているので色々と聞いていた。

 

 

「なんていうか、考えさせられる言葉よね……」

 

 左隣の呟きに視線を向けると、美しいブロンドの髪が目に入る。同じ赤い制服を着た女子生徒が、おとがいに指をあてながら先の言葉を思い返していた。

 

 名をアリサというらしい。ファミリーネームは何故か教えてもらえなかったが、席が隣であったのと赤い制服同士ということで、入学式前に名前は教えあっていた。

 

「そうですね。流石は帝国中興の祖のお言葉です」

 

「でも中々のプレッシャーよね。これから色々あるのに気が重いというか」

 

「色々?」

 

「あ、こっちの話よ。気にしないで」

 

 それ以降は入学式の閉会の挨拶によって遮られ、新入生達は講堂を出ていった。貴族風の初老の男性教官が言っていた、指定されたクラスの意味が分からない赤い制服の面々以外は。戸惑う一行に、ワインレッドの女性教官が特別なオリエンテーリングに参加してもらう旨を告げさっさと講堂を出て行ってしまう。

 

「えっと、どうしましょう?」

 

「良く分からないけど、付いて行くしかないんじゃない?」

 

 そうこうしているうちに幾人かは足を外に向け始め、エマとアリサもそれに倣うことにした。リィンも赤毛の男子と話しながら付いてきている。

 

 

 やがて辿り着いたのは、敷地の端――校舎から離れた場所に位置する建物だった。一見すると廃墟のようだが窓ガラスが割れているなど荒れている様子はなく、きちんと管理はされているらしい。とはいえ不気味なことには変わりなく、ここを夜に訪れるのはそれなりに勇気が必要だろう。

 

「……ねえエマ。私不安なんだけど」

 

「あはは……雰囲気はありますよね。多分、旧校舎か何かではないでしょうか」

 

「あー納得。でも、そうだとしたらなんで残してるかしら?」

 

「さ、さあ?」

 

その辺りの事情を把握しているエマは言葉を濁す。祖母は名言しなかったが、その口ぶりからほぼ間違いなくここにあるのだろう。

 

鼻歌交じりに鍵を開けて中に入っていく女性教官を追って、建物に足を踏み入れる赤い集団。ひんやりとした空気に混じって、エマにとっては馴染み深い『匂い』が漂ってきた。

 

 

(……薄いですけど、地下から霊力の気配。となると)

 

 最後に入ってきたリィンを見ると、彼は誰にも気づかれないように胸を押さえていた。さりげなく歩調をずらして彼の隣に並ぶと、エマは小声で問いかける。

 

「(……リィンさん)」

 

「(……ああ。上手く言えないけど、何となく呼ばれている気がする)」

 

「(となると、やはり……)」

 

 自覚があるならば、今の段階でも繋がりを感じるはずだと使い魔に言われた通りだった。

 

「(大丈夫だ。別に身体に異常がある訳じゃないから)」

 

 難しい顔をしていたリィンは、安心させるようにエマに笑いかける。その笑顔に心を痛めながらも、二人は前を行く彼らの間に入った。

 

「サラ・バレスタイン。今日から君達《Ⅶ組》の担任を務めさせてもらうわ」

 

 やや広い玄関ホールの中央で足を止めた女性教官はサラ・バレスタインと名乗り、ようやくの説明を始めた。自分達は今年度より設立された特務クラスⅦ組ーー身分に関係なく集められた九名なのだと。

 

途中平民と思われる眼鏡の男子がサラに食って掛かり、それに反応した公爵家の子息と険悪な空気になったがサラが上手く流した。

 

 

「それじゃ、早速始めましょうか」

 

 サラの浮かべたいい笑顔に寒気が走る。エマが何か言おうとする前にサラ手によって柱の一部が押され、視界ーー否、床が傾いた。

 

 

 落とし穴の罠即座に察したエマは、咄嗟に掌をリィン達に向けた。同時に全身から仄かな光ーー闘気とも導力とも違う力を放ち、

 

 

「……あ」

 

 

 人前で躊躇なく魔術を行使しようとした自身に驚き、固まったまま地下に落ちていった。

 

 

 

 

 何とか受け身を取ったエマは、痛みに顔をしかめながら身を起こした。

 

 

 魔術ーー導力魔法とは違う異能の力。突き詰めれば類似する部分はあるものの、危うく初日から魔女の使命を果たすことが困難になってしまうところだった。

巡回魔女になるための試練としてリィンと《里》の外に出向いていた頃は積極的に魔術を用いていたので、その時の意識が抜けきっていなかったのである。

 

 

(駄目ですね……切り替えていかないと)

 

 周囲を見れば、他の面々も突然のことに困惑しながらも立ち上がる。

 

 

 ただ一人、いや二人。

 

 

 恐らくアリサを助けようとして下敷きになったリィンは、うつ伏せの彼女の胸に顔を埋める形で倒れていた。

 

「……………………………………」

 

 強烈な既視感を覚えて、頭を抱える。

 

 やがて起き上がり、恥辱で顔を真っ赤にして震えるアリサ。対してリィンは申し訳なさそうに頭を掻きながらも平然としており、

 

 

「…………その…………なんと言ったらいいのか。えっと、とりあえず申し訳なかった。でも良かった。無事で」

 

「リィンさん」

 

 呼びかけて、エマは綺麗な笑顔をリィンに向けた。先に言うことがあるだろうという無言の威圧に、リィンの表情が引き攣る。

 

 やがてリィンはアリサに向き直り、頭を下げてからもう一度顔を合わせて、

 

「…………恥をかかせて済まない。一発張り飛ばしてくれ」

 

「フフ……殊勝な心掛けね。ならお望み通りやってあげるわ!!」

 

 

乾いた音が、静かな地下室に鳴り響いた。

 



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特別オリエンテーション

 

 

 ぎし、と木製の椅子が僅かに軋む。赤紫色の長髪を三つ編みにした少女が、疲れた身体を背もたれに預けた音だった。

 

 

 時刻は黄昏時。山から半分だけ顔を残した夕陽が、外の景色を暗い赤に染め上げている。外に出たのは昼近くだったので、帰ってくるまで凡そ六時間といったところか。少女の体感では丸一日過ぎた気がするほど濃い時間だった。

 

「……それでどうなのよ、エマ」

 

「わからない。おばあちゃんも色々試してたけど、原因が掴めないみたいだったから」

 

 女性らしい声は前から。青いリボンを結んだ尻尾が特徴的な、美しい毛並みの黒猫が、テーブルに載って少女の方を向いていた。喋る猫に対して、エマと呼ばれた少女も当たり前のように返していた。

 

「まったく、厄介な奴を拾ったわ。あんたもついてないわね」

 

「セリーヌ、いくらなんでもそんな言い方……!」

 

「助けたところで結局は一時しのぎよ。あの人間だって、どうせ暗示で記憶抜いて外に放り出すしかないのに」

 

「…………」

 

「アンタだって解ってるでしょう。あたしたちは、歴史の表舞台に出ちゃいけないのよ」

 

 

 魔女の眷属(ヘクセンブリード)と呼ばれる者達が存在する。

 

 太古の時代に女神より与えられた、七つの至宝の一つと共にあった一族の末裔。その力を受け継ぐ一人がエマだった。その存在は世間に秘匿されており、今や伝承として魔女の名を残すのみ。ここエマの故郷エリンも特殊な方法でなければ立ち入ることすら叶わない隠れ里だ。

 

 当然、その存在を理由なく外に知られることは許されない。魔女の秘術を求めて近づいた者は容赦なく排除し、ごく稀に出てくる意図せずに迷い込んだ人間に対しては暗示の魔術で記憶を封じる措置を取る。今回の場合、恐らく後者だろう。どうせ助けたところで忘れてしまうのだから無駄なことだとセリーヌは言っているのだ。

 

「でも、放っておけなかったんだもの」

 

「…………」

 

 今日は巡回魔女になるための最初の試練として、里の外で霊薬の素材となる薬草を採取することになっていた。セリーヌ同伴の下で無事に目的のものを手に入れて帰ろうとした矢先、エマは一人倒れていた少年を見つけた。血の気が引いた顔と、対照的に異常なほどの熱を持った身体。自分の手に負えないと判断したエマはセリーヌに頼み込み、里まで連れてきて祖母に治療をお願いしたのだった。

 

 

「それが、そうはいかんかも知れぬのう」

 

 

 奥の部屋の扉が開く。出てきたのは豊かな金髪を腰まで伸ばした、日曜学校に通うような見た目の幼い少女。見た目に似合わぬ古めかしい言葉と共に、疲労の色が濃い溜息をついていた。

 

 彼女こそがエマの祖母にして魔女達の長、緋のローゼリア。八百年の時を生きる伝説とでもいうべき存在だ。

 

 椅子から立ち上がったエマはローゼリアに詰め寄る。

 

「おばあちゃん、あの人は……!?」

 

「どうにか落ち着いた。程なく目を覚ますじゃろうから安心せい」

 

「……そう。良かった……」

 

 胸に手を当ててエマは深く安堵する。

 

「あの人間の異常、何か解ったの?」

 

「心臓を起点に『何か』が漏れ出し、全身を犯しておった。とてもではないが人の身に由来するものではあるまいよ。夜の眷属(ノクト・ファミリア)用の術式を少し弄って蓋をしたが、応急処置に過ぎんのう」

 

「アンタがそう言うってことは、余程のキワモノね……」

 

「ま、そちらについては気になるが後回しじゃ。問題はこっちでの」

 

 言いながらローゼリアが取り出したのは小さな水晶玉のようなもの。その内側では、灰色の灯が揺れていた。

 

「う、嘘でしょロゼ!? これって確か……」

 

「うむ。流石に妾も予想外じゃ」

 

 驚愕するセリーヌと訳が分からず困惑するエマに対して、ローゼリアは告げる。

 

 それは数年後に孫娘に訪れるはずだった、運命の出会いで。

 

 

 

「あやつ、≪灰≫の候補者じゃぞ」

 

 

 

 

「その……すみませんアリサさん。リィンさんも決して悪気があった訳ではないので、どうか許してもらえないでしょうか?」

 

 

 落下と不運な事故があったものの、Ⅶ組一同はサラからオリエンテーションの説明を受ける。ダンジョンとなっている旧校舎地下を進み、地上まで戻るというものだ。集団行動を嫌ったユーシスと、彼への対抗心で同じく飛び出したメガネ男子のマキアス。何を言うでもなく一人で進んでいった銀髪の小柄な少女の三名を除き、残る六名は男女に分かれて探索を開始した。

 道中はサラの言う通り魔獣が徘徊していたが、大体はラウラが身の丈ほどもある大剣を振るって蹴散らしていく。討ち漏らしもエマとアリサが問題なく対処し、無傷で三分の二ほどまで踏破。今は開けた場所で小休止を取っていた。エマは目下途中でリィンと再会して怒りが再燃しているアリサを宥めている最中である。

 

 

「そういえば貴女、駅前であの男と一緒にいたわよね。……ひょっとして、そういう関係なの?」

 

「そういう……? ええと、リィンさんは友人なんです。知り合ったのは四年ほど前ですけど」

 

「……まあいいわ。あんな不埒な男」

 

「リィンさん本人は誠実な人ですよ。……ただその、ちょっと間が悪いというか、意図しない接触が多いといいますか」

 

 何度かその手のハプニングを経験した身として、アリサの気持ちが痛いほど理解できてしまうエマだった。多感な時期の少女が同年代の、それも初対面の異性に女性の象徴的な部分を触れられてしまうことのショックと恥辱の念は、想像するに余りある。性格上エマが手を上げることはなかったが。

 

 ちなみにその場面を目撃した祖母は、何やら遠い目をしていた。「あやつの後継候補とはいえ、こう言った部分も似てくるのかのぅ」とかなんとか。

 

「まさか、貴女も?」

 

「……」

 

 無言で顔をそらすエマ。その耳が赤く染まっているのを見て、アリサは視線を十五リジュ真下へ落とす。スタイルにはそれなりに自信がある彼女をして圧倒されざるを得ない、発育の暴力がそこにはあった。

 

 とりあえず、地下を出たらもう片方の頬も張ってやろうと心に誓うアリサだった。

 

 

「私からも一つ聞かせてもらって良いだろうか?」

 

 ここで、それまで身体を休めていたラウラが口を開いた。琥珀色の瞳から放たれる視線は真っすぐな矢のようで、思わず背筋が伸びる。

 

「何でしょう?」

 

「リィンの得物だが、あれは太刀だな。帝国では珍しいが」

 

「はい。リィンさんのお師匠様は東方の方なんです」

 

「太刀……東方剣術……まさか」

 

「ええ。リィンさんの流派は八葉一刀流。開祖ユン・カーファイの直弟子です」

 

「!……そうか」

 

 凛とした表情を綻ばせるラウラ。それは好敵手を見つけた者が浮かべる武人の笑みだ。

 

「その筋では有名だそうですね」

 

「うむ。父が言っていたのだ。剣の道を志すならば、いずれ八葉の者と出会うと。このような形で出会えるとは、僥倖という他ない。本人もかなりの腕前であろうし、是非剣を交えたいものだ」

 

「…………それは」

 

 高揚を隠し切れないラウラを前に、言い淀む。

 

 帝国に名高きアルゼイド流を収めているラウラの実力は新入生の中でも頭抜けているが、リィンも決して負けていない。性格も実直そのもので、きっと息も合うだろう。お互いに高めあえる良い関係になれるはずだ。

 

 だからこそエマは不安になる。二人の剣の道は似ていれど、その根本は恐らく真逆。

 

 

 だって、彼の剣は強くなる為のものではなく―――。

 

「エマ?」

 

「どうしたの?」

 

 不自然に口を閉じたエマに二人が首を傾げる。

 

 

 

 その直後。

 

 

 

 轟音が、地下全体を揺るがした。

 

「な、なに!?」

 

「これは……奥の方か」

 

 明らかな異常に三人はすぐさま駆け出した。エマが道中の男子チームが残した痕跡を発見し、迷うことなく進んでいく。その間にも轟音は続き、やがてそこに悲鳴が混じるようになった。

 

「お二人とも、すぐに戦闘に入れるように準備してください」

 

「承知」

 

「え、ええ」

 

 音源に辿り着いたエマはARCUS片手にそう言って、最奥と思しき扉を開ける。

 

 

 その先で、見た。

 

 地上へと続く階段がある大部屋の奥。途中合流したのかマキアスを含めたリィン達四人が、首のない巨人に薙ぎ払われようとしている光景を。

 

「リィンさん!!」

 

 既に駆動状態に入っていた導力魔法を発動させる。幻属性アーツ《ルミナスレイ》。銀の閃光が巨人の無防備な背中に刺さり、動きを止めた。続けてラウラが斬り込み、アリサが矢を射る。背後からの明確な脅威に巨人は攻撃を中断し、エマ達の方へ振り返った。

 

「……大きいな」

 

 ラウラが呟くように、巨人の全長は五アージュほど。大部屋とはいえ、室内では数字以上の存在感を放っている。その正体をエマは知っていた。

 

 帝国に伝わる大いなる騎士。過去幾度となく天災の如き力を振るったそれらの対抗策として、暗黒時代の魔術師に生み出された魔導人形、その原型(プロトタイプ)

 

 

 

「オル=ガディア…………」

 

 

 呆然としたエマの呟き。それに応えるかのように、首なしの騎士は岩盤のような大剣を振り下ろした。

 

 

 

「さて、エマ達は元気でやっておるかのう」

 

 

 トールズの入学式と同日、エリンの里でローゼリアは自らのアトリエにいた。

 

 思いを馳せるのはリィンのこと。四年前突然エマが連れてきた少年が灰の起動者候補だったと知った時の驚愕は、今でも昨日のことのように思い出せる。

 

 帝国の歴史の裏に存在した巨いなる騎士――騎神(デウス=エクセリオン)。過去その力に選ばれた者達は、時に平和の為に、時に自身の欲望を満たす為にその歴史を変えうる力を振るって来た。そうした経緯から、魔女達は騎神を正しく使ってくれるであろう起動者候補を見定め、その行く末を見届ける《導き手》を担うようになる。《蒼》を目覚めさせた放蕩娘に代わりいずれはエマに《灰》の導き手を任せるつもりだったが、ここまで早い出会いは予想外だった。

 

 折角の起動者候補とはいえまだ幼い上に部外者を囲って起動者に仕立て上げるかは判断に迷ったが、後にリィンの内に眠る異能の力のこともあり、記憶を消さずに今日まで交流が続いている。

 

 とはいえローゼリアはリィンに騎神の知識をある程度伝えたものの、起動者となることを強制していない。望まぬ力を手にしたことで、彼がどれ程苦悩してきたかを知っているからだ。『試し』を前にして今代の起動者と導き手が如何なる道を選ぶのか。その選択を、人の理の外に在る者が奪ってはならない。

 

 過去導いた二人の盟友もそうだった。帝国全土を巻き込んだ争乱の最中、彼らは悩み、迷い、それでも最後には騎神を駆って争いを収めたのだから。

 

 騎神と起動者候補は特別な縁で結ばれている。例え起動者側が騎神の存在を知らずとも、いずれ巡り合うよう因果が働くのだ。そして同時に、それは大きな戦いに彼が巻き込まれることも示唆していた。

 

「内戦、か」

 

 外から仕入れた帝国時報に目を走らせながら、好物であるポテトチップスの袋を開けた。因みに今日三袋目である。小言の多い孫娘から解放された反動で好き勝手やっている八百歳がそこにいた。

 

 火種は着々と積み重なっている。二百五十年前と同じ帝国内の争いが現実のものになりつつあることを、政に疎いながらもローゼリアは察していた。起動者となれば、その渦中にリィン達は飛び込んでいくことになるだろう。

 

 世話をした身として、まだ若い彼らを巻き込むことに抵抗はある。それでも叶うならばローゼリアはリィンに――――盟友と似た雰囲気を持つ少年に《灰》を担って欲しいと思っていた。

 

「……ままならぬのう」

 

 迷いを抱く自分に苦笑しながら、ポテチの欠片が付着した指を舐めた魔女は席を立った。

 

 そう時間は残されていないとはいえ、リィンが起動者となるかは《灰》が眠る試しの地を踏破してからの話だ。最初の門番にはガーゴイルがいるが、今のリィンとエマの実力なら二人で撃破することも十分可能だと思っている。しばらく心配することは――――

 

「……いや、待て」

 

 

 試練は幾つかの段階を踏んで行われるが、その途中に『魔女が認めた者』でなければ試練が開放されないシステムを組み込んでいる。エマとリィンの実力と現状を鑑みて試しの場が判断した場合、何らかのイレギュラー、或いは試しのショートカットが発生する可能性があるのではないだろうか?

 

「…………ま、まあ何とかなるじゃろ」

 

 降って湧いた可能性を振り払うように、ローゼリアは里長の勤めに取り掛かる。

 

 

 次に孫娘が帰省した時、雷を落とされるのが確定した。

 

 

 

「二之型、疾風!」

 

 赤いシルエットがぼやける。繰り出されるのは特殊な歩法を駆使した八葉一刀流最速の剣技。その名の通り風になったような速度で、リィンは振り下ろされた岩剣を掻い潜った。岩剣が床を抉り、背を叩く衝撃と風圧が否応なく恐怖心を掻き立てる。

 

 そのまま巨人の股下を抜けながら斬りつけるが、傷は浅い。次いでガイウスが槍を突き出すが、これも怯ませるには至らず、二人は鬱陶しそうに暴れるオル=ガディアから距離を取った。

 

 

「くっ、コイツは一体……」

 

 途中遭遇したユーシスとマキアスの間でひと悶着あったものの、マキアスを連れて先んじて最奥と思しきこの大部屋に到着したリィン達。安堵したのもつかの間、空間の歪みからこの首無し騎士が襲い掛かってきたのだった。

 

 シルエットは、エリンの里で教えられたものと似ている気がする。エマの様子を伺えば、どうやら心当たりがあるようだ。《試し》の門番と思われるが、ローゼリアから聞いていた話とは明らかに強さが違う。

 

 

 空間の歪みが現れる直前、何者かの声が聞こえた気がしたが…………?

 

「今です!!」

 

 エマの声に合わせて、アリサとマキアスが上半身に攻撃を加えたがこちらも目立ったダメージがなく、むしろ首無し騎士はより激高したように暴れ回った。

 

「く……効いているのかこれは」

 

「これじゃあ僕たち、ここで……」

 

 マキアスとエリオットの弱気な呟きも無理もない。先のない消耗戦、勝ち目の見えない戦いというのは士気を大きく下げる。それが戦い慣れしていない者なら尚のことだ。

 

 持久戦に勝機はない。求められるのは、あの鎧を貫けるだけの火力による短期決戦だ。

 

「ラウラさん、あの鎧ごと斬れますか」

 

「私だけでは少し厳しいな。もう一人、私と同等かそれ以上の一発が欲しい」

 

「そちらはリィンさんがなんとか出来ると思います。ですが……」

 

「今僅かでも私たちが抜ければ前線が持たないぞ」

 

 現状、出口に繋がる階段と入口の扉付近の二パーティでオル=ガディアを挟み撃ちにしつつ、前衛組が足下に取りついて釘付けにすることでどうにか均衡を保っている。

 

 リィンもラウラも、オル=ガディアに効果的なダメージを与えられるだけのSクラフト(奥の手)を繰り出すには闘気を練り上げる時間が必要だ。そうなるとその間岩剣を受ける役目はガイウス一人では荷が重い。妨害のなくなった巨人に暴れられると、残る後衛組に為す術はない。

 

『――――――ォ!!』

 

 声なき咆哮(こえ)を上げる首無し騎士が、その威圧感を増した。一同の顔に恐怖と焦りが滲む。

 

 

(――――使うか(・・・)?)

 

 リィンが胸に手を当て意識を内に向けると、鼓動に合わせて脈動する『焔』の存在を感じ取れた。強敵を前にして壊させろ、暴れさせろとざわついている。リィンの人生を決定づけた、正体不明の忌むべき力。

 

 枷を外してやれば、一刻一刻と悪化する戦況を打破できるだろう。……代償に、自らの理性とエマ以外の信頼を失うだろうが。

 

「っ!! 駄目ですリィンさん!!」

 

 禍々しい気を感じ取ったエマが静止するのも聞かず、リィンは更に意識を沈める。『焔』の熱がリィン(自分)の輪郭を溶かしていくようなイメージ。湧き上がる恐怖を抑え込む。

 

 だってあの時から、この命は――――

 

 

 

「全く、とんだオリエンテーションだ」

 

 尊大な声と共に、圧縮された空気塊が巨人を打ち付ける。入口に姿を見せたユーシスが、発動させた導力魔法で攻撃し、

 

「サラ、絶対やりすぎ」

 

 可憐な声と共に、火薬の匂いが風に乗る。地面を滑りながら、銀髪の少女が手にした双銃剣を天井へ。オル=ガディア真下から幾つもの火花が散った。そのままのスピードでリィン達の前まで滑って来る。

 

「む。やっぱり硬い」

 

「ユーシス、と君は……」

 

「フィー。ちょっと奥にいて、来るの遅れた」

 

 巨人を前に平然と少女――フィーは答えた。奥に視線を向けると、ユーシスが女性陣と何かを話している。単独行動をしていた者同士、偶然合流したといったところか。

 

 何にせよ頭数は増えたが、初対面同士のため連携の難易度は上がる。どう動くべきか改めて考えようとしたところで、懐のARCUSが輝き。

 

 

カチリ、と嵌った。

 

そんな感覚があった。

 

 

「これは……」

 

 それは如何なる魔法なのか。

 

 盤面が視える。皆の考えが読める。九つの意思が一つの『意志』になる。

 

 気付けば、『焔』は大人しくなっていて、別の心地よい『熱』がリィンの身体中に行き渡った。曇天から覗く、一筋の光明を全員が幻視する。

 

 それが勝機だと悟った瞬間、二人は叫んでいた。

 

「陣形を整えます! リィンさん!」

 

「了解だ! 俺とフィーで時間を稼ぐ。アリサとマキアスはフォローを頼む!」

 

 リィンとフィーが飛び出して、オル=ガディアに一撃見舞う。返しに振るわれた横薙ぎをバックステップで躱し、二人は壁際へ。オル=ガディアは二人の方に歩き出す。逃げ場を自分から無くすような愚行だが、これは陽動。反対側のスペースを開け、部屋の手前と奥を安全に交代させるのが目的だ。

 

 後衛の援護を頼りにしばし岩剣をやり過ごし、その間にガイウスが入口側、ラウラが奥側と移動する。パーティのバランスを整え終え、エマが次を示した。

 

「魔導杖の解析結果出ました! 核は鎧の中心にありますが、今のままだと届きません」

 

「転倒させろということか。ラウラ、奴の剣は任せる! ユーシスとガイウスは協力して攻め続けてくれ!」

 

 ユーシスが洗練された連続突きを放ち、風を纏うガイウスの槍術が隙を埋める。無理はせずとにかく剣を振らせないことを意識した連携だ。それでも抑えきれないときはラウラが剣を受け止める。狙いがどちらかのパーティに集中しそうになれば、遊撃のリィンとフィーが気を散らす。

 

 どうやらこの巨人、戦況を把握・対処する知能はなく、ただ目先の脅威を最優先で標的にする単純なシステムで動いているようだ。途中それを理解したエマが攻めのバランスを適宜調整することで、次第に九人の動きが安定していく。

 

 エマが先を示し、リィンが斬り開く。道に迷う二人が決めた、彼らなりの魔女と騎士の在り方。

 二人の指示と行動は波のように広がって、連鎖的に次の一手が生まれる。軍隊の一糸乱れぬ動きとはまた違う、互いの長所を最大限に生かした、幾多の死線を共にした者たちのみが体現できる連携の極致がそこにはあった。

 

「背中借りるよ」

 

「任せた」

 

 絶え間ない攻撃に動きが鈍り始めたオル=ガディアを見て、フィーが一陣の風と化す。速度を上げたままガイウスの背後に肉薄し、その大きな背中を蹴って飛翔した。軽やかな身のこなしで首のない頭部に飛び乗ると、銃弾をありったけ叩き込む。おまけとばかりに取り付けた導力爆弾が炸裂し、大きくのけぞるオル=ガディア。

 

 チャンスだと全員が悟った。

 

「ブレイクショット!!」

 

「ロゼッタアロー!!」

 

 追撃の火矢と散弾がオル=ガディアの上半身を捉え、ついにバランスを保てなくなった巨体は仰向けに倒れる。

 

「アクアブリード!」

 

「プレシャスソード!」

 

 エリオットが放った水塊で濡れたオル=ガディアに、ユーシスが冷気を宿した剣を突き立てる。肥大した氷柱が敵を飲み込み動きを封じた。

 

 

「アルゼイドが奥義、受けるがよい!」

 

「炎よ、我が剣に集え……!」

 

 ラウラの大剣が光を、リィンの太刀が炎を纏う。目を合わせた二人の剣士は巨人に向けて駆け出した。拘束を解いたオル=ガディアが起き上がろうとするが、もう遅い。

 

 速度で勝るリィンが肉薄し、袈裟斬りを見舞う。一拍遅れて振り下ろされた光刃が、岩剣を握る右腕を斬り飛ばした。再度崩れ落ちる巨人から二人は一度飛び退いて構え直し、

 

「奥義、光刃乱舞……!!」

 

「斬――――!!」

 

 十字を描く、二条の剣閃。その交差点にいたオル=ガディアの胸には深い裂傷が刻まれ、中に隠された核にまで届いていた。

 

 

「―――――――!!」

 

 断末魔を上げて、巨人は悶え苦しむように身を捩り。

 

 やがてその巨体は、昏い光となって霧散した。

 

 

 

「疲れた……」

 

 掠れた声でそう言って、リィンは重い身体をベッドに投げ出した。

 

 住み慣れた家の自室とそう変わらない広さの部屋には、学習机と最低限の家具、未開封の段ボールがいくつか転がっている。

 

 

 あの後、現れたサラ教官からⅦ組への参加意思を問われ、全員が参加を表明。満足そうに頷いた彼女に連れられてやって来たのが、ここ第三学生寮だった。Ⅶ組の為にわざわざ改修工事までしてまで用意したらしい。割り当てられた部屋には故郷からトリスタに送った荷物が置いてあり、先ほどまで荷解きをしていたところだった。

 

「それにしても、Ⅶ組か……」

 

 起き上がると、机に置かれたARCUSを手に取った。中央に赤いマスタークオーツだけがはめ込まれたスロットをぼんやりと眺めながら、今日の出来事を思い返す。

 

 この特殊な戦術オーブメントにしろ、九人の生徒の為だけに用意された学生寮にしろ、この特科クラスの設立には相当なミラと労力が動いているのは確かである。にも拘らずクラス入りは強制ではなく、メンバーも自分たちを含め一癖ありそうな面々ばかり。

 

(本当に、ARCUSの適性で集められただけなのか……?)

 

考えを巡らせるリィンであったが、それは窓を叩く音で遮られた。

 

「?」

 

二階に位置するこの部屋から聞こえるには妙な音に、リィンは窓に近づく。備え付けられた小さなバルコニーの欄干に、一匹の黒猫が身を預けていた。整った黒毛と尻尾で結ばれた青いリボン。エマと同じくリィンにとっては恩人の一人(?)だ。

 

「セリーヌ」

 

「久しぶりね。元気そうでなによりよ」

 

「ああ、お陰様で。そっちも変わらないみたいだな」

 

 窓を開けるとセリーヌは軽やかに部屋に入ってきた。そのまま学習机の上に載った彼女に合わせてリィンも椅子に腰かける。

 

「トリスタでは上手くやっていけそうか? この寮で飼うのは難しいみたいだけど」

 

「余計なお世話よ。ま、ざっと見て回った感じ悪くなさそうだし、野良猫(手下)も何匹かできたしね」

 

「そ、そうか」

 

 リィンの脳内に、トリスタ中の野良猫から餌を献上させている女王猫の図が浮かぶ。思い出せばセリーヌと旅先にいた時、やけに野良猫を見た気がしないでもない。

 

「そんなことより、アタシが訊きたいのは旧校舎とやらの異常よ」

 

「……やっぱりその話か」

 

「大体はエマから聞いたわ。試しの最初の番人がガーゴイルじゃなくて、魔煌兵になってたとはね」

 

「ああ。確か暗黒時代の魔導ゴーレムだったよな」

 

「そ。アンタ達が戦ったのはオル=ガディアっていう名前でね。本来ならもう少し後で行われる『第一の試し』の番人として用意された存在だったの」

 

 

 《灰》の試しの仕組みについてはローゼリアから大まかに聞いている。

 

 里の外れにある魔の森。その一角にある『サングラール迷宮』のシステムを騎神の試しの場に組み込んだのが、あの地下遺跡らしい。試しとは別に試練を段階的に用意することで、自然と試しを突破できる実力を身に付けさせるというものだそうだ。

 

「なんらかのイレギュラーが起きた、ということか?」

 

「推測だけど、アンタとエマの状態を鑑みて、あの遺跡のシステムが試しをショートカットさせた。或いは、誤作動を起こした可能性がある。ロゼにもまた確認してみるけど、詳細な理由は分からないかもしれないわ」

 

「? ローゼリアさん……というか、魔女が造った遺跡じゃないのか?」

 

「あそこの建造には魔女だけじゃなく地精も関わってるからね。システムについてはブラックボックスの部分も少なくないのよ」

 

「……そうか」

 

 その後、旧校舎地下については、お互い調べてみるということで終わった。

 

「そういえば、アンタ達と一緒に過ごすっていう人間ってどんな奴らなのよ?」

 

「……珍しいな。セリーヌがそんなこと訊いてくるなんて」

 

「べ、別にいいでしょ。アタシだってこれから四六時中一緒にいられる訳じゃないんだし、エマは里の外での生活は初めてなんだし」

 

 そっぽを向いて話す黒猫に微笑ましい気持ちになる。人間全体への興味も理解も薄いが、それでも身内と判断した人間については、相応の気遣いを見せくれるのだ。

 

 初対面ということを前置きした上で各々の印象について話すと、セリーヌは呆れていた。

 

「また面倒くさそうな連中ばっかりね。まあ精々頑張りなさい」

 

「なんとかやってみるさ。セリーヌも風邪とか引かないようにな。この時期まだ夜は肌寒いんだし、寝るときは温かくして――」

 

「ああもうそれも余計なお世話よ! 相変わらず鬱陶しいわね!」

 

ふしゃーと毛を逆立てたセリーヌは溜息をつくと、今度は自分で窓を開けた。そのまま飛び降りるかに思えたセリーヌは、リィンへ振り返る。

 

「セリーヌ?」

 

「起動者になる覚悟は出来たの?」

 

「……それ、は」

 

「アンタ自身の問題もあるし、ロゼが強制しない以上はアタシも強く言わないわ。……でも、覚えておきなさい。いつか必ず、『その日』は来るわよ」

 

 最後にそう言い残して、セリーヌはバルコニーから飛び降りた。夜の帳が下りた外で、黒い毛並みはあっという間に溶けていく。それを見送った後も、リィンは外の闇をじっと見つめ続けた。

 

 

 多くの謎と、波乱の予感。

 

 先の未来に期待と不安を抱えながら、リィン・シュバルツァーの士官学院初日の夜は更けていった。




Q,リィンがこのタイミングで『炎ノ太刀』(Sクラ)使ってるけど?
A,リィンとエマは本編開始前に帝国各地を回っていた時期があり、その影響で原作より少し強化されています。

Q,いきなりオル=ガディアだったのはなんで?
A,リィンが騎神について知っていること。(実際に騎神を手にするかは別として)導き手のエマに認められていること。とある理由により試しのシステムがリィンの力量を実際より上に見積もっていたこと。この辺が重なった結果です。

Q,旧校舎地下の試しについて
A,Ⅳで騎神の試しは結構自由が効くみたいなのと、ルーファスが短時間で試しを終えたことを踏まえて、灰の試しの場を固定化&安全策としてレベリングの場を用意したんだろうなと予想しました。

ひとまず序章終了ですが、いかがだったでしょうか。
本サイトでまともに戦闘描写を書いたのが初めてなので、その部分についてご意見感想いただけると嬉しいです。


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春風薫る

年末滑り込み投稿。絶海突破してたり今日まで仕事してたりで遅くなりまして申し訳ないです。


 

 

 4月17日、土曜日。トールズ士官学院に新入生が入学してから3週間が経った。新入生を暖かく迎え入れたライノの花が散り始める時期。1年生でもいよいよカリキュラムが本格化し、一部悲鳴を上げる生徒が出始める時期である。

 

「……さて、そろそろ出ましょうか」

 

 袖を通すことへの違和感も大分薄れた赤い制服を身に纏い、エマは自室を出る。階段を下りて玄関に差し掛かったところで、背後から声を掛けられた。

 

「あら、エマも今から行くの?」

 

「アリサさん。おはようございます」

 

「ええ、おはよう」

 

 そう言って微笑む姿が大変絵になる金髪の少女は、足を止めてエマをじっと観察する。紅耀石のような紅い瞳が、意外そうに丸くなっている。

 

「どこか変でしょうか?」

 

「ああ、ごめんなさい。そういう訳じゃないの。……前から思ってたけど、エマって登校時間日によってバラバラよね。昨日なんて一番に教室いたじゃない」

 

「あ、あはは。昨日はちょっと用事があって早めに出たんです」

 

 用事というのは主に魔女関連のあれこれであり、昨日の朝はセリーヌと旧校舎のことで色々と話していたのだ。

 

 実を言うとエマの起床時間は日によって違っている。その理由は魔女の修行にあった。

 

 トリスタに来てからも魔女の修行を欠かしていないエマだが、里と違い人目につく場所で魔術を行使する訳にもいかない。必然的に、他人に見られる可能性が少ない深夜か早朝に限られる。また秘術によっては時間帯が鍵になるものも少なくない。しかし魔力を回復させるには十分な睡眠時間の確保は必須であり、そういった時間管理が出来なくては魔女は務まらない、というのをかつて祖母から教わった。因みにその祖母は明らかに必要以上の時間惰眠を貪っていたりする。人間の常識が祖母には当てはまらないとはいえ、流石に理不尽に思ったエマだった。

 

 登校の誘いを快諾してから少しの間立ち話をしていると、今度はリィンとエリオットが階段を降りてきた。

 

「おはようエマ、アリサ」

 

「2人とも、おはようございます」

 

「……っ」

 

 リィンの姿に目に見えて動揺するアリサ。後ずさる彼女の袖口を掴み、エマは耳打ちする。

 

「(ほら、アリサさん)」

 

「(う……分かってる、けど)」

 

「アリサ?」

 

 妙にそわそわしているアリサにリィンが声を掛けると、少女の挙動不審具合が加速した。忙しなく視線を右往左往させた後、何かを堪える様に俯き――――意を決したように顔を上げ、

 

「わ、私行くから!! 貴方たちも遅れないようにしなさいよね!!」

 

 真っ赤な顔で叫んでから寮を飛び出していった。その背中を見送ったリィンとエリオットは呆然として、エマは苦笑する。

 

「すみません。色々手は尽くしてるんですけど」

 

「……いや、エマが謝ることじゃない。本来俺が何とかしなきゃいけない問題なんだし。……アリサと一緒に行くんだろ?」

 

「ええ。先に行ってます。エリオットさんもまた教室で」

 

「うん。委員長も後でね」

 

そう言ったエマは駆け足でアリサを追い、公園を過ぎた辺りで追いついた。寮を飛び出した直後の力強い足取りは一転、明らかに気落ちした様子でとぼとぼ歩いている。

 

「今回も駄目でしたね」

 

「う……ごめんなさい。協力してくれてるのに」

 

 ――入学式から2週間、リィンとアリサの溝は未だに埋まらぬままであった。

 

 アリサとてあの接触事故が自分を庇ってのものだったのは承知しているし、手を出したのがやり過ぎだったことも解っている。後は謝って仲直りすれば良いだけの話だが、この少女肝心なところで素直になれず照れてしまい。リィンもリィンで嫌われてると本気で思っている癖に、アリサが困っている時にはさりげなくフォローするので始末が悪い。当初の予想を越えて長引く2人に、見かねたエマが仲立ちを買って出た。といっても2人は決して険悪ではなく、元々アリサも歩み寄ろうと努力はしていたので、アドバイスする程度だが。

 

 

 学院まで続く一本道。爽やかな朝を並んで歩く。

 

「それにしても、トールズのカリキュラムがこんなにハードだとは思わなかったわ。武術教練は覚悟してたけど、芸術関係も結構力入ってるわよね」

 

「文武両道は帝国の伝統ですからね。皇族の方も通われる名門ですから、その辺りも厳しいんでしょう。実際体験してみると尚更です」

 

「とか何とか言って、貴女特に苦労してる感じでもなさそうじゃない。流石主席なだけあるわ」

 

「アリサさんのお陰ですよ。導力学については本当に助かってます」

 

「それはお互い様。私の方こそ、古典や帝国史はエマに頼りきりだもの」

 

 得意科目と苦手科目が見事に噛み合った2人は、互いに分からない部分を教え合う仲になっていた。そこに時々ラウラが加わったり、エマがフィーを連れてきたりする。

 フィーも態度こそ素っ気ないが、訊かれたことには答えてくれる。コミュニケーション能力が低いというより、単に面倒臭がりなだけなのだ。……時々物騒なことを口にして空気を凍らせるが。男子とは違い、Ⅶ組の女子達の関係は良好であった。

 

 

 そうこうしてる内に校門にたどり着き、程無くして予鈴が鳴った。

 

 今日もまた一日、気を抜けば置いていかれるハードな授業が始まる。

 

 

 

 特に何事もなくーー強いて言うなら帝国史の授業中、リィンとアリサの間で微笑ましいやり取りはあったがーー放課後。ホームルームにてサラ教官から話があった。

 

「アリサさんとラウラさんは、明日の自由行動日どうしますか?」

 

 

「私はクラブ活動の見学に行くつもりよ。ラクロス部っていうのが気になってるのよね。貴女達は?」

 

「文化系の部活を一通り回ってみるつもりです」

 

「私は修練棟(ギムナジウム)に行こうと思う」

 

「あ、ひょっとしてフェンシング部?」

 

「そちらも興味はあるが……既に別の武術を修めている身。両立できるほど器用ではないからな。それに見聞を広める意味でも、武術以外のクラブ活動を考えているのだ」

 

「となると、水泳部ですか」

 

 2人は水泳部に入ったラウラの姿を想像する。長身で均衡の取れたスタイルのラウラは競泳水着も良く似合うだろう。泳ぐ姿も間違いなく格好良い。

 

 

 別行動する2人と別れ、エマは屋上へ足を運ぶ。

 

 屋上は無人で、地上の喧騒が耳に届いている。風で舞い上がったのだろう。散ったライノの花びらが、無機質な床を彩っていた。

 

 少しの間、欄干に身を預けて夕暮れの街並みを眺めていた。

 

 下校する、或いはクラブ活動に勤しむ学生。夕飯の買い物に出かける女性。店閉まいの準備に取り掛かる店主達。彼らにとってはごくありふれた、エマにとっては新鮮な日々の一幕。

 

 里の住人で外の世界と頻繫に行き来するのはユークレスくらいで、他の大人達の仕事は里の中で完結するものがほとんどだ。必然的に生活のサイクルは固定され、各々の行動パターンも里の人間全員が把握している。

 

 リィンと共に帝国各地を歩き、こうして一人暮らしをしてみて、故郷の印象は随分と変わったように思う。

 

 次元の狭間という隔離された地。里全体に広がるエリンの花の香り。数百年に渡り続いてきた慣習。

 

 里の生活を不満に思ったことはないが、あそこは良くも悪くも閉じている。満ち足りたままどこにも行かないとは、淀んでいるのと同じことだ。

 

「姉さんは、嫌だったのかな」

 

 天賦の才に恵まれ、歴代でも指折りの魔女になることを確実視されていながら、突如として里を出奔した家族のことを考える。自分では足下にも及ばない姉をただ純粋に慕っていたが、彼女の心の内はどうだったのか。先人達の期待に応えるまま魔術の腕を磨き続ける日々は、ひょっとしたらひどく退屈なものだったのかもしれない。

「どうしたのよ?」

 

 聞き慣れた声に振り返る。使い魔――エマにとっては家族の一員のセリーヌが、首を傾げて近づいてきた。屋上にやって来たのは、こうして人目に付かない場所で話をするためだった。

 

「ちょっと姉さんのこと考えてたの。今どこで何してるんだろうって」

 

「あの女のことだし、馬鹿な男相手に貢がせて悠々自適に過ごしてるんじゃない? 顔と声はいいからね」

 

「……まあやろうと思えば出来るでしょうけど、姉さんの趣味じゃないと思う」

 

「それもそっか。案外、アタシ達の近くで普通に働いてたりしてね」

 

「あはは、流石にそれはないと思うけど」

 

 魔女はその存在を世間に秘匿するもの。こんな帝都の近くという目立つ場所にいる筈がないし、身分を偽っていても流石に気付く。姉ならば隠匿の魔術で誤魔化せるかもしれないが、そこまでして市井に溶け込む理由が思い浮かばなかった。

 

「それで、明日はどうするの? いい加減旧校舎を調べておきたいけど」

 

 本来ガーゴイルがいるはずだった第1層最深部に現れた魔煌兵。数の有利とARCUSの力があって辛うじて勝利することができたが、アレは本来第4層で用意された試しの門番だったはずだ。これまでは外から旧校舎を外から観察するだけに留まっていたが、異常らしきものは発見できていない。解明するには直接中を調べてみるほかないだろう。

 

「そうね……サラ教官に許可を取ってみるわ」

 

 サラ教官にそれとなく訊ねてみたが、旧校舎の鍵は学院が管理しているらしい。

過去に学生たちの腕試しに使われていたそうなので、それを理由に交渉してみるつもりだった。いざとなれば魔術で解錠が可能だが、バレてしまった場合に立ち入り禁止にされるリスクを鑑みると出来れば控えておきたかった。

 

「問題は、前と同じことが起こった場合なのよね。流石にⅦ組の皆さん全員が行くとは思わないし」

 

「他の奴には気づかれないようにアタシも入るわよ。いざってときは転移の用意をしておくわ」

 

 何にせよ、旧校舎を調べるにはリィンの協力が必須。丁度よく鳴った下校時間を告げる鐘に背を押されるようにして、エマは家路を急ぐのだった。

 

 

「生徒会の手伝い、ですか?」

 

「ああ。部活も決まってないし、別にいいかなって」

 

 そうして夜。寮の談話スペースで、エマはリィンから明日の予定を聞いていた。入学式の日に校門で荷物を預けた可愛らしい先輩が実は生徒会長で、彼女たちが処理しきれない仕事を依頼として回してもらうことになったらしい。

 

「適任だとは思いますけど……」

 

Ⅶ組に向けての依頼ということだが、目の前の超がつく程のお人よしに働きかけたサラ教官の判断は的確だろう。暇があれば魔女達の手伝いに奔走していた彼の姿は、里ではお馴染みの光景だった。会長だけに話を通していたりと手法が半分詐欺染みていた辺り、雑なのか丁寧なのかよくわからない人だが。

 

「でしたら私もお手伝いします。依頼の内容は明日ポストに投函されるんですよね?」

 

「でもエマは部活の見学に行くんだろ?」

 

「お昼までには終わるでしょうし、それからなら問題ありません。別にリィンさんだけでやれとも言われていませんよね?」

 

「いやでも、最初だしまずは俺1人で……」

 

「駄目です。リィンさんは放っておくとすぐ自分の用事を後回しにするんですから。エリゼちゃんからも無理させないよう頼まれてますし、依頼は一度私に見せてください」

 

「う……了解。というかエリゼ、いつの間にエマとそんな話を」

 

 妹の名前を出されては拒否するわけにもいかず、リィンは項垂れる。ちょっと可哀想になるが、ここは心を鬼にする。自己犠牲の考えが強すぎるこの男にはこのくらい言っておかないと聞かないのだ。

 

「っと、こんな時間か。皆のところに行かないと」

 

「会長から渡された生徒手帳があるんですよね? 一応委員長ですし、私から渡しましょうか?」

 

 エマはⅦ組の学級委員長の役職を拝命していた。彼女本人にその気はなかったが、今年度主席入学の実績とオリエンテーションで見せた指揮を理由にアリサが推薦し、サラ教官含め賛成一色。そういうことならと本人も納得した形だ。

 

 寧ろ副委員長を決めるときの方が揉めた。次席入学を理由に推挙されたマキアスをユーシスが皮肉り、二人の間で口論になったからだ。帝都知事と四大名門の一角たる公爵家の息子。近年の『革新派』と『貴族派』の対立の縮図とでもいうべき両者の関係は、未だ改善の兆しは見えない。

 

「いや、折角だし自分でやるよ。皆と話す良い機会だからな」

 

「……そういうことでしたら。あ、部屋に入るときはくれぐれもノックと断りを忘れないでくださいね。特に女子の皆さんには」

 

「それくらい分かってるから! というかなんで女子の方は念押ししたんだ!?」

 

「リィンさんの間の悪さはよーく理解していますので」

 

 にっこり笑顔なエマの信頼が痛い。やや釈然としない気持ちを抱いたまま、リィンは階段を上がって行った。

 

 それを見送って、エマはポツリと呟く。

 

「重心、ですか」

 

 リィンが帰りがけにサラ教官から言われた言葉。中心ではなく、重心――全体のバランス取りを担う存在。ユーシスとマキアスに限らず皆異なる価値観を有するⅦ組で、その役割がどれほど困難かは言うまでもない。

 

(それでも、リィンさんならもしかしたら――)

 

 オリエンテーションでARCUSを通じて感じた、あの心地よい『熱』を思い出す。アレを確かなものに出来たのなら、それは超常の力たる魔導をも超える何かになるかもしれない。4年前、姉の背中を追うことだけを考えていた自分を、リィンが変えてくれたように。

 

 

 彼とⅦ組、そして帝国がどのような道を辿るのか。その先を見極め、彼の支えになろう。

 

 導き手たる魔女として。掛け替えのない友人として。互いの目的の為に協力し合うパートナーとして。

 

 

 決意を新たにしたエマがふと顔を上げれば、窓から見える星空。

 

 

 始まりの春。散り散りの星が放つ光は、まだ淡く儚い。



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予兆

 

 ゆっくりと片足を踏み入れると、痺れるような痛みが指先から伝わった。慣れ親しんだ感覚はそのまま首元まで上がり、徐々に温かな安堵へと変化していく。抗わずに身を委ねると、全身に染み込んでいた疲労と不快感が抜け落ちていくようだった。

 

「ふうー…………」

 

「はは、気に入ってもらえたみたいだな」

 

 気の抜けた吐息を溢すと、ユークレスと呼ばれた青年が嬉しそうにを笑いかけてきた。

 

 

 ――――ここは魔女の眷属が身を清め、心身を癒す憩いの場。妖精の湯と呼ばれる露天風呂だ。

 

 郷を飛び出して山を下り、どことも知れぬ森の中で倒れた時には死を受け入れたが、目が覚めた時には知らない天井が映っていた。混乱するリィンの下に現れたのはにローゼリアと名乗る少女で、「一度頭と身体をスッキリさせるがよい」と替えの服を投げてきた。気づけば尋常でない量の寝汗で服が身体に貼り付いており、とてもではないが話が出来る状態ではない。申し出をありがたく受け入れて、ユークレスの案内でここまでやって来た。

 

「しかし、随分慣れてるように見えるな。帝国じゃ露天風呂って中々ないだろうに」

 

「自分の故郷は温泉が有名でして。こうしてよく入っていたんです」

 

「そうなるとこれも珍しくは無いのか」

 

「いえ、湯の成分も故郷のものとは大分違いますし新鮮ですよ。良ければ今度ユミルの温泉にも……っ」

 

 故郷の名を口にすると、そこから赤い光景を連想した。口元を手で覆い、せり上がる吐き気を堪える。

 

「先に上がるよ。のぼせない程度に堪能してくれ」

 

「あ……」

 

 様子のおかしいリィンをあえて気にせず、ユークレスは立ち上がって脱衣所に向かっていった。温泉に入り慣れているにしては短すぎる入浴時間。気を遣わせたのは明らかだった。

 

 陰鬱とした気分を少しでも和らげるように、リィンは身体を湯に深く沈める。

 

(……これからどうなるんだろう) 

 

 少し落ち着いたことで、先のことを考えられる余裕が出来た。

 

 詳しい話は何も聞いていないので、ここがどこかも分かっていない。温泉までの道中に見た里の幻想的な光景も相まって、本当は既に女神の下に招かれているのではないか、という馬鹿げた考えまで浮かぶほどに。ユミルからどれだけ離れているのだろうかと考えたところで、虫の良い思考に思わず苦笑が浮かぶ。

 

 自身の中に眠る忌まわしい異能。それを克服するために、この1年ユン老師の下で過酷な鍛錬を重ねてきた。それが自分を拾ったせいで多大な迷惑をかけた家族への、せめてもの償いになると信じて。だがその努力は何の意味も成さず、同じ過ちを繰り返した。彼らからすれば、今のリィン・シュバルツァーはいつ爆発するともしれない爆弾のようなもの。魔獣と同じく人里にいること自体が脅威となる存在。

 

 愛してくれた両親にも、慕ってくれた義妹にも、厳しくも真摯に鍛えてくれた老師にも、最早合わせる顔がない。暖かい肉体とは裏腹に、帰る居場所を失った孤独は身体の芯を凍らせていく。

 

「……ん?」

 

 途方に暮れるリィンだったが、そこで人の気配を感じ取った。顔を上げれば、湯煙の向こうにぼんやりとした人型のシルエットが映る。

 

「すみません。先にいただいてま……」

 

「あ、こんな時間に珍し……」

 

 声を掛けようとしたリィンは、そこで時の結界に囚われた。

 

 目の前にいるのは自分と同年代と思われる少女で、長髪をタオルを巻いて纏めている。

 

 整った顔立ちと、吸い込まれそうになる蒼い瞳。傷1つない、白磁のような艶やかな肌。

 

 お互い湯着を付けているので大事な部分は隠れているが、身内を除けば同年代の異性に縁のない身。このような刺激の強い光景に冷静に対処出来る余裕があるはずもない。

 

 そしてそれは相手の少女も同様で。

 

 

「きゃああああああああああああああああ!!!」

 

「わあああああああああああああああああ!!!」

 

 静かな早朝に、少年少女の悲鳴が響き渡った。

 

 

 4月18日、自由行動日。朝食を終えたリィンとエマは、リビングで寮の郵便受けに入っていた封書を確認していた。有角の獅子――トールズ士官学院の校章が描かれたそれの中には、生徒会長のトワが纏めた依頼の概要が書かれている。

 

「落とし物の捜索に導力器の配達……これ、生徒会の仕事なんでしょうか?」

 

 書類整理や雑用の類かと予想していたが、内容も活動範囲も幅広い。詳細は依頼者から聞かなければ分からないが、場合によっては学内どころかトリスタ中を回る羽目になりそうだ。

 

「来週発表される特別なカリキュラムに関係あるって教官は言ってたな」

 

「とりあえず、後で話を聞いてみましょう。そして……」

 

 2人は周囲に人の気配がないことを確認し、難しい顔で依頼書に再度目を通した。1番上の必須と書かれた依頼に、彼らにとって決して無視できない内容が載っている。

 

「旧校舎地下の調査、か」

 

「間違いなく本格的に試しが開始された影響でしょう。サングラール迷宮と同じように、構造そのものが変化している可能性が高いかと。教官の話では少なくともここ数年異常はなかったみたいですし」

 

 外から観察した限りでも、旧校舎に繋がる――間違いなく人為的に手を加えた――霊脈の流れが活性化しているのは知っていた。中の変化の影響が何らかの形で外に漏れているのだろう。

 

 問題はその調査依頼がリィンにピンポイントで出されたという点だ。……奥に眠るモノを知った上で依頼を出した、というのは流石に考え過ぎだろうか。

 

(騎神と起動者の縁……因果で結ばれているとは聞いていたけど)

 

「取り敢えず、これは最初に話を聞きに行ったほうが良さそうだ」

 

「ですね。場合によっては他の依頼は諦めましょう」

 

「……そうだな。でも出来れば」

 

「困っている人がいるなら出来る限り解決してあげたい、でしょう? 私も同じ気持ちですから、全部の依頼を受ける前提で動きましょう」

 

 言いにくそうなリィンにエマは微笑んで返した。少し呆気に取られたリィンには恥ずかしそうに頬を掻く。直接会う機会はそれほど多くはなかったが、かれこれ4年の付き合いだ。言いたいことは大体分かる。

 

 軽い身支度を整えた2人は、学園長室へと向かった。

 

 

 

 日の差さぬ暗い地下に、4人分の足音が木霊する。

 

 学園長から詳細を聞いた2人は別れて依頼と用事を消化し、昼前に再合流。協力してくれることになったエリオットとガイウスと共に昼食を摂ってから旧校舎に向かった。

 

 学院長から預かった鍵で扉を開け、左奥の扉から地下に入る。予想通り、オル=ガディアと戦った部屋とその先が以前の構造とは明らかに異なっていた(エリオットとガイウスの手前、それらしく驚くふりをしたが)。

 

 前回に比べ徘徊する魔獣も手強くなっていたが、苦戦するほどでもなく。戦術リンクの具合を確かめつつ順調に進んでいく。

 

「ところで、前から気になってたんだけど」

 

「どうしたんだ?」

 

 何度目かの魔獣の群れを排除してセピスの欠片を検分していると、エリオットが口を開いた。

 

「リィンと委員長って、どうやって知り合ったの?」

 

「俺とエマが?」

 

「リィンの実家があるユミルってアイゼンガルド連峰の麓……ノルティア州の北部で、委員長はサザーランド州の小さな村の出身だよね? 帝都を挟んで反対側だし、鉄道使ってもほぼ1日かかる距離じゃないか」

 

 国土全域に鉄道が敷かれ、主要都市では飛空艇で行き来出来るようにはなったが、それでも帝国は広い。生活圏の違う子供2人が親しい間柄になる機会というのはそうあるものではなく、珍しがるのも無理もないだろう。

 

 共にトールズ入学することになった以上、この手の質問は想定内。寧ろ遅かった方だとさえ思っていた。関係を探られた時の為のカバーストーリーも用意している。実際の出来事から話せない事情を抜いて、それらしい理由で辻褄合わせしただけのものだが、下手に嘘をつくよりはバレにくい。

 

 頭を掻きながら、リィンは気恥ずかしそうに口を開いた。

 

「4年前、色々あって家出したことがあってさ。衝動的に郷を飛び出したものだから路銀も無くて途方に暮れてたところを、偶然ルーレの近くに旅行に来てたエマが助けてくれたんだ」

 

「ええ!? リィンが家出!?」

 

「ふむ、意外だな」

 

 優等生然としたリィンからは想像がつかなかったのだろう。エリオットとガイウスは目を丸くする。縮こまるリィンに苦笑を浮かべたエマが補足した。

 

「出会ったのは本当に偶々なんです。その時にお互いの悩みなんかも相談し合って、旅行から帰った後は手紙でやり取りをしていました」

 

「家出の後で家族と和解できたのもエマのお陰なんだ。帰るときにはわざわざユミルまで付き合ってもらったし、本当にいくら感謝しても足りないよ」

 

「もう、それについては私も助けられたんですからお互い様ですよ」

 

 笑い合うリィンとエマからは、確かに結ばれた絆が見て取れた。その様子がエリオットには少し羨ましい

。友人と呼べる人は少なくないが、あんな風に屈託のない笑みを交わせる相手はどれだけいるだろう。

 

 望んでいた道を反対され、妥協の末にトールズに流れ着いた身。クラスメイトは皆が何らかの分野に秀でた特別な者ばかり。付いて行くだけで精一杯の凡庸な自分は、これからの学院生活であんな笑顔が浮かべられるのだろうか。

 

 

 まあ、それはそれとして。

 

「……やっぱり、そういう関係なのかな?」

 

「あの2人にはとても良い風が吹いているな……む、終点か」

 

 回廊の先、古代技術の装置らしきものと奥の広間をガイウスが発見した。先に進んだリィン達を待ち受けていたのは熊に似た魔物。敵意に満ちた雄叫びに対抗するように、抜刀したリィンが声を張り上げた。

 

「この前に比べれば大したことない相手だ! 落ち着いて戦術リンクを活用すれば十分対処できる!!」

 

「「「了解!!」」」

 

 強力な魔物なれど、戦術リンクによって支えられた連携にはなすすべもなく、最後はリィンの一刀によって倒される。

 

 

 結局前回のような異常は発見されず、初の旧校舎地下の探索はつつがなく終了した。

 

 

 

「どうだった?」

 

「反応なし、ですね。霊脈にちょっとした揺らぎはありますが、概ね正常の範囲内です」

 

 学院長室で調査結果を報告後、エリオット達と別れたリィンとエマは校舎の屋上に足を運んでいた。他人の目があっては出来ない本格的な調査をするためだ。

 

 内部を何ヵ所か回って魔術を行使し、最後に屋上から霊視してみたが、これといった成果は得られなかった。観察していたセリーヌも特に異常はなかったとのことなので、ダメ元の捜査ではあったのだが。

 

「仮説を立てるなら、イレギュラーが発生したのはあくまで騎神の試し……後付けで造られたこの地下遺跡の機能は正常に働いていると考えられるかもしれません」

 

「あの魔煌兵は本来、第一の試しの相手だった……ということは、俺はもう第一の試しをクリアしたということでいいのか?」

 

「それについては第4階層を確認してみないと何とも言えないですね。遺跡のシステムに干渉出来ればよかったのですが、私ではサッパリで」

 

「ローゼリアさんなら分からないかな?」

 

「お祖母ちゃんはこういうの苦手ですし、遺跡は地精の技術がメインですから難しいかと。歯がゆいですが、今は様子を見ながら探索を続けていくしかないと思います」

 

「そうか……まあ自由に立ち入り出来るようになったし、気長に行こう」

 

 リィンはポケットから旧校舎の鍵を取り出して見せる。引き続き旧校舎の調査を行うにあたって、学院長から渡されたものだ。今日一番の収穫だろう。

 

 空は濃い茜色に染まっていた。日中活気のあった校舎は、いつもより早い眠りに就こうとしている。

 

「そうだリィンさん。夕食の後で私の部屋に来てもらえますか?」

 

「構わないけど、どうして?」

 

「お祖母ちゃんからリィンさんの経過観察を頼まれてるんです。少し準備が必要なので、私の部屋でしか出来なくて」

 

「それって俺の…………?」

 

 言いかけたリィンの視線がエマから外れた。エマがそれを追うと、彼の瞳はグラウンドを横断する影を捉えている。見慣れた制服姿とは違う運動着を身に纏い、何らかの用具を重そうに抱えていた。いつも丁寧に手入れされているブロンドの髪が少し乱れている。

 

「アリサ……? ラクロス部の見学をしてたんじゃなかったか」

 

「お昼に見かけた時にはあの姿になっていましたから、入部を決めたのだと思います」

 

 部活動自体は終わって後片付けの最中なのだろう。この手の面倒事を下の者が担当するのはよくあることだ。押し付けられた側はたまったものではないが、そこから学べることも少なくない。エマも幼い頃は祖母と姉の手伝いをしていく中で魔女としての知識を深めていったのだから。エマの面倒見の良さはそこで鍛えられた結果である……逆に祖母の自堕落っぷりが悪化したのは頭の痛い話ではあるのだが。

 

 放っておく選択肢が2人の間にあるはずもなく、グラウンドに降りる。自分以外の砂を踏む音でアリサも気づいた。手伝いを渋るアリサだったが結局折れた。

 

「それにしても、いくら1年生だからって女子1人にこの量をやらせるのはどうなんだ?」

 

「入部した子もう1人いたの。2人なら何とかなるでしょって先輩たちから任されたんだけど……その子、Ⅰ組の貴族生徒で伯爵家の娘だったのよ。最初は手伝ってくれたんだけど、途中で根を上げちゃってね」

 

 伯爵家ともなれば、そういった雑事は使用人がやるのが普通だ。疲れるわ汚れるわで我慢ならなかったのだろう。理不尽に怒る風でもなく、アリサは仕方ないとでもいうような苦笑を浮かべている。似たような経験を何度もしているが故の諦め。

 

 平民ながら貴族を相手にする機会が多い環境と、洗練された立ち振る舞い。豊富な導力学の知識にRというファミリーネームの頭文字。1つの名前が思い浮かぶが、その疑問は胸の中に仕舞い込む。出自を秘密にしているのはどちらも同じなのだから。

 

 いつかアリサの口から話してくれる時を思いながら、背の高い影がグラウンドを何度も往復する。

 

 そうして残るは細かい片付けだけになったところで、唐突にエマが言った。

 

「すみません。文芸部の用事で書店に寄らなければならないので私はこれで。リィンさん、後はアリサさんと2人でお願いします」

 

「え」

 

「うぇあ!?」

 

 アリサが指示を出している間、意図的にリィンの名前を呼ばないようにしているのは分かっていた。その癖横顔をチラチラと盗み見ているのだから、見ているこっちが居たたまれない。これまではフォロー出来るように側でいたが、それはアリサにとって逃げ道でもあったことに気づいたのだ。

 

「(ちょ、エマ……!)」

 

「(頑張ってください。思いを伝えれば必ず分かってくれますから)」

 

 お互い悪感情を抱いていないのはエマでなくとも周知の事実なのだ。2人きりでも悪い結果にはならないはず。応援の言葉を残して、エマはその場を去る。階段を上がったところで振り返れば、困ったようなリィンと空の色に負けないくらい顔を真っ赤にしているアリサがいる。ぎこちない2人だが、きちんと手は動いていた。

 

「……エリゼちゃんには少し悪いかな?」

 

 微笑ましい光景に、自分にとっても妹のような少女の拗ねたような顔が思い浮かんだ。

 

 

「それでは仲直りは出来たんですね」

 

「ああ。片付けが終わった後でお礼にってことでキルシェで夕飯をご馳走になって、そこで謝られたよ」

 

「……良かった。思い付きでしたけど、上手くいって何よりです」

 

「ははは……」

 

 夜も更けてきた頃、リィンは言われた通りエマの部屋を訪ねていた。当然あの後のことも訊かれ、無事に終わったことを告げる。善き魔女の面目躍如だと、ここ2週間のお節介が良い結果に終わったことにエマは安心していた。

 

 なお、謝罪の後にエマとの関係――過去にあったらしい接触事故について追及され、むしろアリサからの好感度は下がった気がするのだが、そこについての報告は避けた。不発の地雷を埋めなおしてからあえて踏むような酔狂な趣味はない。

 

「それで今夜来てもらった理由なんですが……」

 

 コホン、と咳払いを挟み、エマの雰囲気が変わった。歴史の裏で帝国を支えてきた魔女としての貌。

 

「リィンさんの『鬼の力』……その封印術の具合を確認させてもらいます」

 

「……まあ、そうだろうな」

 

 心臓の位置を片手で抑えるリィンの表情は暗い。

 

 リィンの心臓に巣食う、今尚正体不明の異能の力。過去3度(・・)に渡って発現し、その度にリィンは理性を失い、ただ周囲を破壊する獣と化した。鬼の力という呼び名は、暴走の様子を観察したローゼリアが付けたものである。伝承に語られる吸血鬼のような、人のカタチをしていながら人を襲う怪異。忌々しいがその通りだとリィンも思う。

 

 とある条件と引き換えにリィンはローゼリアに鬼の力の封印もしくは除去してもらうことになったのだが、700年を生きる伝説の手腕を以てしても、今日までそれは叶っていない。

 

 今リィンに掛けられている封印は、ローゼリアが手ずから術式を組み上げた特別なものだ。先月相対した魔煌兵は愚か、幻獣すら半恒久的に眠らせることの出来てしまうほど。効果はあるが、それでも完全な封印とはいかず、里を訪れた際には必ずローゼリアが封印の具合を確認し綻びがあれば処置を施していた。持病の患者に定期健診をしているようなものだった。トールズに入学してからは以前のように里に行くことも難しくなるので、エマが担当するのは自然なのだが、

 

「ローゼリアさんは禁術クラスの大魔術って言ってたけど、エマも扱えるようになったのか?」

 

「流石にそこまでは。私が出来るのは封印の様子を見ることだけで、術への干渉は禁じられています。医療で言うなら治療ではなくあくまで診察だけです」

 

「了解。ならさっさと始めよう。あまり遅いと誤解を招きかねないし」

 

 エマを含む女子の部屋は3階であり、男子が理由なく足を運ぶのは些か躊躇われる場所でもある。姿を目撃されずともフィーとラウラは気配で感づかれかねないし、そうでなくても夜遅くに女子と2人きりなのが発覚すれば色々と不都合だ。

 

「この椅子に座ってください」

 

 エマは学習机の椅子を引っ張って部屋の中心に置いた。床には白墨で幾何学的な模様が描かれている。

 

 リィンも里で何度も見た、魔女が術を扱う際に描く陣。用途は様々だが、今回は最もポピュラーな使用法だろう。術者の魔力を特定の流れに沿わせ循環させることで、儀式に最適な質の魔力へと変化させる仕組み。戦術オーブメントに当てはめるなら、望む導力魔法を駆動させるために結晶回路にクオーツをセットする作業に近い。

 

 椅子は1つなので、エマは膝立ちになったままリィンと向かい合った。

 

「額を接触させる必要があるので屈んで下さい。そして私の目を見て」

 

 言われて頭を傾ければ、自然と顔を近づけることになる。エマの生温かい吐息が頬をくすぐり、リィンの心臓が跳ねた。

 

「――――Mare Spiritus (精神の海よ)

 

 

 呪文に合わせ青い瞳は金色に輝いて――――――

 

 

 

 

 

 ――――――――星空に向けて落ちていく。

 

 

 他者の精神への潜入を、エマはそう表現している。

 

 果ての見えない領域。その殆どを覆う暗闇。豆粒のように点在している光は弱く、道標にはならない。その中をひたすら下へ下へと沈んでいく。

 

 落下に対して人は恐怖を抱くもの。それを堪えることが出来るのは、安全に着地できる地面があるか、パラシュートやロープのような途中で落下を減速させる仕組みがあるからだ。

 

 だがこの落下にそれはない。その気になれば何処までも落ちてしまう果てのない責め苦。終わりのない恐怖は術者の精神を摩耗させ、相手の精神空間に送り込んだ自らの精神(アストラル)体を崩壊させる。ミイラ取りがミイラになる可能性が高いからこそ、精神干渉は禁術に指定されていた。

 

 

 最も、今回に限ってはそのリスクはないのだが。

 

 闇を進むエマの視界が傾く。進路が変わり、下から横へ。その後何度か折れ曲がりながら、ある1点を目指す。それはエマの意思ではなく、術式として設定された道筋を辿っているだけだ。

 

 イストミア異聞という名の魔導書に記された、術者の精神体を対象の精神に送り込み影響を与える禁術。その術式をローゼリアが造り替え、『視る』ことに特化させた術だった。元のそれとは違い潜入先の精神に干渉することはできないが、術者へのフィードバックは最小限に抑えられている。言わば精神空間用の内視鏡。おまけに視るべき患部へ自動で誘導してくれる過保護(すぐれ)っぷりだ。

 

 程なくして、ソレはエマの目の前に現れた。

 

 リィンの深層意識――――星々の消えた真っ暗な闇の中でなお異彩を放つ、禍々しい黒い焔の塊――鬼の力の源泉。それが幾多もの鎖で雁字搦めになるまで縛り付けられ、その周りを青白く輝く檻が囲っている。牢獄、或いは神殿か。漏れ出す黒い瘴気を堪えながら、エマは封印に近づく。

 

「(……やっぱり。この前よりも錆びが早い(・・・・・・・・・・・・・・)――!)」

 

 黒い焔に巻き付き、檻の外から遥か天上にまで伸びる幾筋もの銀色の鎖。それを赤黒い錆が侵食していた。

 

 この異常が発見されたのは、今から約2年前のことだ。リィンがエリンを訪れた折に封印術式の経過観察をしていたローゼリアは、そこで万全な筈の封印が弱まっていることに気づいた。「いずれ根本的な処置は必要じゃが、少なくとも今後暴走することはあるまいよ」とドヤ顔していた魔女の長のプライドは哀れ爆発四散。涙目になりながら原因を探ったが判明せず、弱まりが無視できなくなってきた段階で一度封印を掛け直している。

 

 鎖を蝕む赤黒い錆は、以前ローゼリアに付き添ってリィンの精神空間を覗いた時に見たものと同じものだった。

封印が弱まっている気配はなさそうだが、錆の広がる速度は前回の封印よりも早い。鬼の力を封印が抑えきれていないのか、鬼の力が封印に耐性を付け始めているのか。いずれにせよ無視できない兆候である。

 

 

 考えを巡らせるエマだったが、そこで背中に付いた糸に引っ張られるような感覚を覚える。精神潜入の制限時間が近い。

 

 (とにかくおばあちゃんにすぐ報告して、リィンさんについても今まで以上に気を配らないと)

 

 浮上しながら、エマは手早く方針をまとめた。場合によっては周囲に怪しまれるくらい露骨になってでも彼の側にいるべきだろう。魔女として導くべき起動者とは関係なく、エマ・ミルスティンにとってリィン・シュバルツァーは心許せる友人なのだから。

 

 

 そんなエマの考えは、3日後の実技テストで覆されることになった。



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大市へ

原作とあまり差異がない部分はバッサリカットしていこうと思います。書きたい場面までにモチベーションが尽きないようにしたいので、どうかご理解ください。


 

 小鳥の囀りが心地よい朝の6時過ぎ。登校には早すぎる早朝に、制服姿のリィンは寮の1階でアリサを発見した。

 

「おはようリィン。早いのね」

 

「おはようアリサ。いつも5時くらいには起きて剣の鍛錬をしてるからな」

 

「……そういえばラウラも朝食前にやってるって言ってたね。鍛錬ってどんなことするの?」

 

「基本的には素振りや型の確認、あとは筋トレかな。あまり時間もないし、ハードな修業は授業に差し障るから」

 

 朝の挨拶を交わす少女との間に先週までのギクシャクした雰囲気はない。自由行動日に仲直りして以来、席が隣なのもあってよく話す仲になっていた。傍から見れば急接近しているように見える2人はフィーやサラからよく揶揄されてアリサは過剰反応していたが、そちらも今は落ち着いている。

 

 話しているとエリオットとラウラもやって来て、4人は寮を出た。向かう先はトリスタ駅、その鉄路の先にある交易町ケルディックだ。

 

「それにしても、まさか泊まり込みの実習なんてね。いきなりでびっくりしちゃったよ」

 

「全くよ……。急に言われてもすぐ準備出来る訳じゃないのに」

 

 

 特別実習。

 

 先日行われた実技テストで発表されたⅦ組独自のカリキュラム。リィン達は2班に分かれて帝国各地に赴き、現地で様々な課題をこなすことになるらしい。期間は1泊2日。告知を受けてから今日までわずか3日で宿泊の準備までしなくてはならず、夜の第三学生寮(特に3階)はいつになく慌ただしかった。

 

 閑静な朝の街並みを新鮮な気分で歩く。普段のアリサとエリオットにとってはまだ寝ている時間帯であり、リィンやラウラも鍛錬は寮の裏手で行っているので表を見る機会は少ない。途中の公園では、青いリボンを付けた黒猫が自分の後を付いてくる猫たちを追い払っていた。

 

 駅は寮からそう離れていないため、すぐに到着する。そのまま入口に入ろうとした矢先、自由行動日に依頼で赴いたトリスタ放送局の扉が開き、1人の女性が顔を姿を見せた。

 

 老若男女の目を惹きつける美貌。華奢な体躯を包む簡素なシャツとジャケットは、豊満なスタイルを逆に際立たせている。徹夜明けなのか少し呆けたような表情も、その無防備さが彼女をより魅力的に見せることだろう。

 

 思わず視線が吸い寄せられる4人だが特に知り合いでもなく、女性は真っすぐに前を見て歩いている。会話もなくすれ違い、男子にとってはちょっとした幸運となるはずだった。

 

 波打つ長い黒髪から流れたラベンダーの香りに、リィンの嗅覚が気づかなければ。

 

「――――え?」

 

 リィンが振り返ると、何故か女性も足を止めてこちらを見ていた。目線が合うと、女性はコケティッシュな笑みを浮かべて話しかけてくる。

 

「ふふ、おはようございます。その赤い制服、トールズに新しくできたクラスの人たちよね?」

 

「は、はい。俺達の事をご存じなんですね」

 

「これでもラジオ番組のパーソナリティを務めている身でね。情報収集は欠かさないの。折角だし、貴方たちのこともラジオの話題に出してみてもいいかしら?」

 

「それは自分達では何とも……あれ? その声もしかして、アーベントタイムの」

 

「あら、聞いてくれてたんだ。初放送だったけど気に入ってもらえた?」

 

「はい。とても聞きやすかったです。これからも楽しみにしていますから、どうか頑張ってください」

 

「それはどうも。今後とも御贔屓にしてくれると嬉しいわ」

 

 ミスティよ、と自己紹介と共に差し出された、白く滑らかな手を握る。距離が近づいたことでラベンダーの香りは更に強くなった。握手を交わす裏で、リィンは馴染みのある香りの正体を脳内で検索していた。

 

(そうだ。これは間違いなく、エリンの花の匂い……!)

 

 リィンが知る限り、エリンの花が咲いているのはイストミア大森林を含めた里の近辺のみ。偶然似た成分の香水を使っているだけの可能性もあるが、そうでなければミスティの出自は限られる。まだ出会ったことのない在野の魔女か、そうでなければエマの――――

 

「……貴女は、ひょっとして魔――」

 

 背後のクラスメイトの存在も忘れ、逸る心に押されて問いかけようとして、

 

 

『悪いけど、ちょっと早すぎるわね』

 

 ―――朝の日差しに、目が眩んだ。

 

 

「大丈夫?」

 

「え……?」

 

 気付けば、心配そうにこちらを覗き込むミスティの顔があった。

 

「ボーっとしてるみたいだけど、もしかしてまだ寝惚けてるのかしら」

 

 クスクスと可笑しそうに笑う美女。眼前の整った容姿を前にしても疑問が増すばかりだ。訊ねようとした事柄が、まるで靄がかかったように思い出せない。

 

「……いえ、なんでもありません。お疲れのところを引き留めてしまってすみませんでした」

 

「ううん、寧ろ良い気分転換になったわ。実習頑張ってね」

 

 またお話ししましょ、と言い残してミスティはキルシェに向けて歩いて行った。遠ざかる背中をしばらく眺めていたリィンは拭いきれない違和感を飲み込んで、駅の方向へ踵を返し、

 

「…………楽しそうだったわね?」

 

「ふむ……」

 

「あはは……美人さんだったからね」

 

 三者三様のクラスメイトと視線がかち合う。

 

 特別実習1日目の朝は、初対面の美女を口説こうとしたという誤解を解く所からスタートした。

 

「ふう……徹夜明けとはいえ、ちょっと気が抜けてたわね」

 

 赤い背中が駅に入っていくのを見送って、ミスティはポツリと呟いた。

 

「婆様が認めてるから心配はしてなかったけど……うん。鋭いところもあるし、あの子も良い子を見つけたじゃない」

 

 『彼』と同じく、避けられぬ結末――昏き終焉の御伽噺をすり替えるための重要なピース。今はまだ決意を固めていないようだが、順当にいけば灰を担うことになるだろう。初対面で正体を察せられたのは予想外だったが、起動者ならばそれくらいの方が良い。性格は好青年そのもので、パートナーとしてもぴったりだと思う。これが妹を騙して騎神を掠め取ろうとするような輩なら、秘密裏に排除していたかもしれないが。

 

 肩に降り立った青い小鳥の頭を撫でながら、ミスティは――稀代の魔女、ヴィータ・クロチルダは囁く。

 

「分かってるわグリアノス。計画も次の段階に進めないとね」

 

 

 

 駅に入ると、B班が構内で先に列車を待っていた。

 

「……リィンさん、何があったんですか? 疲れてるみたいですけど」

 

「いや、何でもないよ」

 

「初対面の女の人と楽しそうに話してただけよ。向こうも悪い気はしてなさそうだったわよね?」

 

「だから誤解だって! ラジオで声を聴いたことがあったから、応援してますって言っただけだろう」

 

「ふん、どうだか」

 

「は、はあ……ラジオ番組ですか」 

 

 ミスティに対して気になっていたことは他にもあったはずなのだが、何なのか一向に思い出せない。先の弁明ではそこで言葉に詰まったことで疑念を深めていまい、アリサからの印象が入学式時点まで逆戻りしつつあるリィンである。

 

 

「そっちの班……あの2人はどうなんだ?」

 

「……あんな感じです」

 

 エマが指差す方向を向けば、そこには予想通りの光景が繰り広げられていた。

 

 マキアスとユーシス。アリサとリィンの問題が解消した今、Ⅶ組に残るもう一方の火種である2人は互いに背中を向けていた。態度だけで互いを拒絶している様子に、エマも手の打ちようがないらしい。恐らく折衝役に収まるであろう彼女のことを考え、リィンは少しだけお節介を焼くことにした。ユーシス達に近づいて話しかける。

 

「2人とも少しいいか? 出発前に一言だけ言っておこうと思ってさ」

 

「っ、誰が貴族の言うことなど聞くものか!」

 

「……見ての通り、そこの男と仲良くしろなどという寝言には頷けんが」

 

「……まあ、そこは無理にとは言わないさ。人間譲れない部分はあるだろうし。ただ忠告だけはさせてくれ」

 

「忠告?」

 

「ああ」

 

 リィンはそこで声を潜め、手招きをする。あからさまな動作で少し気になったのか、2人が耳を傾けた。

 

 背後でフィーと話しているエマに目をやって、リィンは真顔になった。

 

「……悪いことは言わない。くれぐれも、エマを怒らせるなよ」

 

 ズシリとした、岩のような重さを伴った発言だった。聞いていた2人が互いへの嫌悪を一瞬忘れて目を合わせ、認識の共有をしようとするほどに。

 

「それはどういう……?」

 

「……今の俺が言えるのはここまでだ。とにかく、トラブルは起こさないでくれ」

 

 多くは語らずリィンはその場を離れた。入れ替わるように近づいてきたエマに冷たい汗が流れるが、聞かれてはいなかったらしい。手に持っていたバスケットを掲げ、リィンに差し出した。中身は蓋がされていて見えないが、そこから香る匂いには覚えがあり、リィンは中身が何なのかを察する。

 

「これ、渡しておきますね。A班の皆さんにも分けてあげてください」

 

「これどうやって用意したんだ? 里じゃないと作れないはずじゃ」

 

「里から少しだけ持ち込んできましたし、他の材料でも代用は可能なんです。2日間ならそれだけあれば十分でしょうから、惜しみなく使ってくださいね」

 

「……ありがとう。いつも助かるよ」

 

「ふふ、どういたしまして。今回は側にいられませんから、このくらいは」

 

 寮のすぐ前に居を構えるハリソン、ハンナ夫妻が朝に玄関前で繰り広げるお熱い光景と似た空気を醸し出すリィンとエマに様々な視線が寄せられるが、ちょうど列車の到来を告げるアナウンスが響き渡った。B班が列車に乗り込んで程なくケルディック行きの列車もやって来て、A班もホームに向かうため駅員に切符を差し出した。

 

「それでは、自分たちも行ってきます」

 

「はい、切符も問題ないわね。……彼女さんと離れるのは辛いでしょうけど、会えない時間が愛を育むとも言うわ。帰ってきたらしっかりと2人の時間を作ってあげなさい」

 

「?」

 

 

「へぇ……ここがケルディックかぁ……」

 

 行き交う人々を眺めて、エリオットが感嘆の声を上げる。トリスタから一時間足らずの少し物足りない旅路を経て、A班はケルディックの町に降り立った。

 

 広大な穀倉地帯の中心に位置するこの町は、豊富な農産物によって古くからクロイツェン州の台所を務めている。更には大陸横断鉄道の中継駅も置かれたことで、帝国東部における交通の要所としての役割も担うようになった。結果人と物の流れは加速し、ケルディックは帝国内外から商人が訪れる一大マーケットへと成長した。その象徴とも言えるのが、広場にて毎週開かれる大市である。

 

「町の雰囲気はのどかだけど、活気があるよね」

 

「服装を見る限り、共和国の者と思しき者もいるようだ。話には聞いていたが本当に国外からも来るのだな」

 

「帝国最寄りのアルタイル市から鉄道一本で繋がっているからな。空港のあるバリアハートからもそう遠くないし、交通の便が良いのは大きい」

 

「むむ……やっぱりウチとは客層が大分違うわね」

 

「ウチ……? アリサの実家は商家なのか?」

 

「!! そ、そんなところよアハハ……。それより宿に荷物を置きに行きましょう」

 

「アリサの言う通り早く行くわよ。ここのライ麦ビール楽しみにしてたのよねー」

 

「……こっちについてきたのって、ひょっとしなくてもそれが目的ですか」

 

 中世の色を残す木造の町並みを進み、サラを含む5人は指定された宿酒場《風見鶏》へ。全員同室という部屋割りでひと悶着あったり、着いて早々一杯やっている教官を白い目で眺めたりしつつ、リィン達は封書の中身を検めた。

 

「魔獣退治に導力灯の交換、薬草の調達か」

 

「……なるほど」

 

「リィン?」

 

 課題を確認していると、リィンが得心がいったように頷いた。

 

「いや、この特別実習の意図が少し分かった気がしたんだ」

 

「意図って、どういうこと?」

 

「この課題、自由行動日にやっていた依頼と内容が似ているんだ。ついでに言えば、多分遊撃士の仕事内容に近い」

 

「……言われてみれば確かに。トヴァル殿から聞いたことがあるな」

 

「……え、トヴァルさんと知り合いなのか?」

 

「我が領地のレグラムに遊撃士協会があって懇意にさせてもらっている。そなたこそあの御仁を知っているとは驚きだな。ユミルに支部があるという話は聞いたことがないが……」

 

「旅先で偶々ね。ちょっとした事件があって、そこで助けてもらったことがあるんだ」

 

「ほう、それは興味深そうな話だ」

 

「ちょ、ちょっと。その人が誰かは知らないけど、まずは課題を最後まで見ましょう」

 

 思わぬ共通の知り合いに、リィンとラウラは顔を見合わせる。置いてけぼりにされて面白くなさそうなアリサが話を戻した。

 

 

 活動を開始したリィン達はひとまずケルディックを回り、薬草の調達と導力灯の交換について依頼主から話を聞いた。手配魔獣も含む全ての課題が街道に出る必要があると分かり、領邦軍の警備を横目に街道へ出る。遠目に見えるいくつかの異形のシルエットに、エリオットが憂鬱な声を漏らした。

 

「予想はしてたけど、街道にも魔獣はいるんだよね……」

 

「まだ昼前で導力灯も機能はしてるはずだけど……壊れてる灯の近くとか大丈夫かしら」

 

「余裕があれば手配魔獣以外も退治しておくとしようか」

 

「……そう、だな。街道を歩く人たちの邪魔になるかもしれないし」

 

 やや歯切れの悪い同意。気づけば鞘を握る手に力が籠っていた。少しだけ刀身を外に晒して見てみれば、不安げな眼差しが反射して自分を覗いている。

 

「……大丈夫だ」

 

 誰にも聞こえないように言い聞かせ、リィンは前を行く班員の後に続いた。

 

 

 

 その後何事もなく全ての課題を片付けたリィン達は、夕方にケルディックへ戻った。同級生であるベッキーの父親から頼まれたタイムセールの手伝いもどうにかこなし、《風見鶏》で新鮮な野菜をふんだんに使った夕食に舌鼓を打つ。満足のいく料理の余韻に浸りつつ、今は食後のお茶の時間なのだが、

 

「おお……これは独特な風味だな」

 

「紅茶とは違うけど中々おいしいじゃない」

 

「うーん……なんだか胃が楽になる気がするよ」

 

「気に入ってもらえたなら良かった」

 

 一息つく面々にリィンが破顔する。彼らが口にしているお茶は《風見鶏》のものではなく、リィンが振舞ったものだ。正確には、駅のホームでエマがリィンに渡したバスケットの中身の一つである。

 

 魔女は薬草の知識も豊富だ。元々は魔術の材料の為に研鑽されてきたものだが、その副産物は次第に日々の生活にも活かされるようになったらしい。今出した茶葉は疲労回復と消化促進の効能があり、味は東方の花茶に近い。

 

 エマも里一番の薬師のアウラや魔法料理を得意とするマゴット、そして『もう1人』の教えにより順当に腕を磨き、ローゼリアも関心する腕前に至っている。本人曰く細やかな作業が向いているのだとか。現在第三学生寮のリビングにそれとなく匂い袋を置けないか画策中らしい。

 

 穏やかな時間の中で、とりとめのない会話が続く。エリオットが切り出したⅦ組の設立と特別実習の疑問から始まり、やがてそれぞれのトールズへの志望理由に移った。

 

 ラウラは『目標としている人物に近づく』ため。アリサは『実家からの自立』。エリオットは音楽系の進路を親に反対されて。

 

 そしてリィンは――――

 

「自分探し…………いや、理由探しかな」

 

「理由探し?」

 

「ああ。どうして剣を振るうのか。どうすれば自分を活かせるのか……目指すべき(・・)場所はあるのに、そこまでの道が分からない、というか」

 

「「??」」

 

「上手く説明できなくて済まない。とにかく、俺も進みたい道はイマイチ決まっていなくてさ」

 

「…………」

 

 

 そこで食後の時間は終わり、リィン達は今日のレポートを纏めるために部屋に戻ることに。溜息をつくエリオットに続きリィンも階段に足を掛けたところで、背後のラウラに呼び止められた。

 

「迷いもあったが、やはり訊いておこうと思う。そなたも気にはなっていただろうしな」

 

「それは……」

 

 今日の実習中、ラウラからの視線が鋭くなっていることをリィンも気づいていた。その理由が思い当たらず、内心困惑していた。

 

 

「――そなた、どうして本気を出さない?」

 

 真っ直ぐにこちらを見つめる瞳には、静かな怒りが灯っていた。



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双刃、月下に煌めく

転勤の準備と新しい職場に馴れるのに時間がかかってしまい、投稿がかなり遅れてしまいました。緊急事態宣言が広まり家から出られない生活を送る方も多くいるとは思いますが、この小説が退屈凌ぎの一助になれば幸いです。


 

 ラウラ・S・アルゼイドは、クロイツェン州のレグラムを代々治めるアルゼイド家の当主、ヴィクターの一人娘としてこの世に生を受けた。

 

 帝国武術の二大流派の片翼と名高いアルゼイドの武練場には帝国各地から門下生が集い、父親のヴィクターも『光の剣匠』として帝国中にその名を轟かせる武人である。掛け声と剣戟の音を子守唄に過ごしてきたと言っても過言ではなく、そんな環境の中でラウラは当然のように剣を取る道を選び、天賦の才に恵まれた彼女は若くして中伝に至った。ヴィクターは娘だからと甘やかすような人物ではない。寧ろアルゼイドの名を継ぐ者だからこそ、日々の指導や昇段の見極めは人一倍苛烈を極めた。

 

 それを間近で眺めてきた門下生達に、性別や身分でラウラを侮る者は一切いない。帝都で催された、男子も交えた武術大会で優勝したこともある。帝国における次世代の武の担い手としてラウラの実力は広く認められ、期待を寄せられていた。

 

 ラウラ自身も外からの称賛に驕りも卑下もしていない。未だ道半ば、先を往く先達は多いのだ。この程度で満足できるはずがない。全力で、前を見て真っすぐに高みを目指す。芯の通った誇り高いラウラの生き方は、一振りの剣のようだった。

 

 だから、だろうか。それとも『これ』も未熟故なのか。

 

 

「――そなた、どうして本気を出さない」

 

 目の前の剣士を、認めることが出来ないのは。

 

 

「……どういうことだ?」

 

「今日のそなたの動きを見れば分かる。足運び、呼吸の取り方、太刀筋……いずれも先日の実技テストよりも拙い。手を抜いているのは明らかであろう」

 

「そんなつもりはないさ。コレが今の俺が出せる(・・・・・・・)全力だよ」

 

「下手な謙遜は止めるが良い。そなた、私よりも強いだろう」

 

「……」

 

「父より聞いた東方剣術の集大成、よもやその程度ではあるまい」

 

「光の剣匠にそう言ってもらえるのは光栄だけど、それはあくまで老師や兄弟子達――先達への評価さ」

 

 自分は違うのだと、卑下するリィンは俯きながら続けた。

 

「確かに縁あって老師から八葉を授けていただいたけど、俺は初伝止まりの未熟者だ。老師からもこれ以上は打ち止めって言われてる」

 

「それは、そなたが八葉の技を会得出来ぬからか?」

 

「それ以前の問題だ。俺の心は、八葉の名を背負えるほどに強くはないんだよ」

 

 泰然自若。天衣無縫。リィンから見たユン・カーファイはそれらの言葉を体現しているような剣士であった。伝え聞く兄弟子達も、軍の司令官や高位遊撃士といった無辜の民を守る職に就いている。どれも強く揺るぎのない信念がなければ務まらない。魔女の助力がありながら未だ『畏れ』を克服出来ない自分とは、そもそもの土台が違うのだとリィンは思っていた。

 

「期待に応えられなくて済まない。でも、これが俺の限界なんだ」

 

 彼らと同じ心の強さを有しているであろうラウラにそう言って、リィンは彼女の横を通り過ぎ――ようとして、腕を掴まれた。

 

「ラウラ?」

 

「……お互い慣れぬことをした上に明日も早い身だ。少し気が退けるが……」

 

 逃がさないとばかりに、腕に力が籠められる。

 

「少し、私に付き合ってもらえるか?」

 

 

 アリサとエリオットに外に出ると言い残して、2人が向かった先は宿の裏ではなくケルディックの外であった。街道から少し逸れ、導力灯の恩恵が辛うじて届く開けた場所だ。畑も農家の住まいもなく、魔獣もいない静かな夜。

 

 そこに、剣戟の音が響いていた。

 

 

「はあああぁっ!!」

 

 気合と共に、宙へ飛び上がったラウラは落下の勢いを乗せて大剣を振り下ろす。鉄砕刃と呼ばれる戦技はその名に相応しい威力を誇る。落下地点にいるリィンにはこれを防ぐ術はない。地を穿つ斬撃を右に避けて躱し、そのまま斬り掛かる。重い大剣は小回りが利かず、隙が大きい。技を繰り出した直後は特に無防備だ。

 

 だがラウラもアルゼイド流中伝に至った練達者である。自らの武器の弱点など骨の髄まで理解していた。

 

 勢いを殺さぬまま右足を一歩前に踏み出し、同時に大剣を手元に引く。刀身を担ぐようにして身体を回転させ、剣の腹でリィンの一刀を跳ね上げた。構えを直し、再び肉薄。空気を唸らせる横薙ぎをリィンは屈んで避け、

 

「シッ――――!」

 

 すれ違いざまに、刃を返した太刀でラウラ――ではなく、彼女の持つ大剣の柄を叩く。衝撃によって剣筋に歪みが生じ、引きずられるようにラウラの大勢が崩れた。正しい力の伝達を阻害してしまえば取り回しの悪い武装は動きの足枷になる。

 

 無防備な背中を晒したラウラにリィンは袈裟斬りを――――

 

「……っ!」

 

 あと一歩のところで、リィンの剣筋が突如として鈍った。

 

 ラウラの防御が間に合い、盾にした大剣が太刀を阻む。力づくで剣を押し返して距離を作った。リィンも逆らわず後方に退き、仕切り直しとなる。

 

 

 3アージュ程の距離を保ちながら、ラウラは硬い声を放った。

 

「今ので3回。私が隙を晒したにも関わらず、そなたが狙わなかった回数だ」

 

「……」

 

「よもや剣士同士の仕合で、勝敗を決していない相手に躊躇する理由もあるまい」

 

 今のリィンの剣筋はひどく不安定だ。剣を合わせるにつれて研ぎ澄まされていくが、時間が経つと失速する。というより、一定のラインに達するとリィンが自分で剣を止めてしまう。明らかに余力を残しているにも拘らず、剣先は震え呼吸は荒い。打ち合って感じるちぐはぐさは、まるで熱病に侵された者を相手にしているような感覚だ。

 

「ぐ……もう十分わかっただろう! これが俺の全力。君との実力差だ!!」

 

「それを判断するのは、少なくともこの勝負が決してからだ。先程からそなたは攻めること……いや、高揚することを避けているように見えるぞ」

 

 心技体の内、欠けているのは体ではなく心だ。優れた武人に備わるとされる、刃を交えた相手を探る嗅覚。ラウラの持つ天性のソレは、リィンの『畏れ』を的確に嗅ぎ当てた。

 

「そなた、何を恐れている。……いや、何を堪えている?」

 

「っ、疾風!」

 

 リィンが地を蹴って駆け出すが、踏み込みが甘い。タイミングを合わせて振るわれた大剣に弾き飛ばされる。

 

「地烈斬!」

 

 剣に闘気を伝播させることで、遠距離まで届く斬撃を繰り出した。地面を転がって躱したリィンにラウラは間合いを詰めて、再度鉄砕刃を放つ。

 

 ブレのない剣筋。月光を纏う鋼の剣は、咎人を処断する穢れなきギロチンのように。防御は不可能。立ち上がった直後で回避も間に合わない。10人中9人は、勝敗は決したと確信するであろう一撃。

 

 

 だが、

 

「……これで初伝止まりだと? 冗談も大概にするが良い」

 

 吹き飛ばされた(・・・・・・・)ラウラは、唸るように低い声を出してリィンを睨む。

 

 

 先の瞬間、回避が不可能と悟ったリィンは。掲げた太刀を大剣の刀身に沿わせて斬撃を受け流した。更にはその勢いを利用して自分の身体をコマのように回転させ、ラウラにカウンターを叩き込んだのだ。

 

 それは身体の動きによって発生する力を無駄なく伝達させ、時には外からの力を取り込んで制御する技術。東方に於いては前者は寸勁、後者は化勁と呼ばれるソレは、東方剣術の集大成と呼ばれている八葉一刀流にも組み込まれていた。基礎となる八つの型の一つ、壱の型≪螺旋撃≫である。

 

 当然ながら誰にでも出来る芸当ではない。相手の剣筋を瞬時に見極める判断力。一切の無駄なく、それでいて機械のように精密な動作を可能にする身体操作技術。何より脅威を前にして受け身にならず、冷静に反撃を選択できる胆力。得物や流派の違いを考慮しても、ラウラには未だ届かぬ領域だ。

 

 増して今のリィンは明らかに本調子ではない。これでもし、彼が万全ならば。積極的にこちらを打ち倒す気であったならば、ラウラはとっくに敗れている。その事実が、どうしようもなく彼女のプライドを逆撫でする。

 

「そなたが何を抱えているのかは知らぬ。だがそれだけの腕を持ちながら、何故そんなにも己の剣を貶めている?」

 

 形こそ訊ねている風だが、実際は糾弾。鋭い視線は最早殺気だ。剣呑な空気の中、リィンはそんなラウラを警戒しつつも、左手を胸に当てて視線を落とした。

 

 この期に及んで、リィンは目の前にいる自分ではない誰かを見ている。

 

 ラウラの視界に、火花が散った。

 

「答えよ!! リィン・シュバルツァー!!」

 

 頭に血が上っているのを自覚しながら、それでも憤りを抑えられずに叫んでいた。

 

 

 周囲から才を評され、父という最高の師にも恵まれて、子爵家としてのしがらみも少なく邁進してきた剣の道。唯一彼女に足りないものがあるとすれば、それは剣士として互いに高めあうことのできる好敵手の存在だったのだろう。近い位置としてユーシスがいるのだが、彼はどちらかというと貴族の義務の一環として剣術を収めており、ラウラとは方向性が違う。

 

 そんな中で出会ったのだ。父が絶賛する八葉を受け継ぐ同年代の剣士と。心の奥底でずっと求めてきた、遥か先を往く先達ではない、自分の一歩先を歩く切磋琢磨し合える存在を。

 

 だからこそラウラには許せない。そんな彼が自身を卑下し、清廉な太刀筋を鈍らせていることが。自分はこんなにもリィンを意識しているのに、彼に対等な剣士として見られていないことが。……彼に何らかの事情があると理解していながら、納得できずにこうして感情を荒げている自分の未熟が。

 

「そなたの剣は! そなたの歩む剣の道は! その程度なのか!!」

 

 輝く光をたなびかせ、青髪の剣士は彗星のように疾駆する。光の刃を打ちこまれたリィンは体勢を大きく崩し、返す刃で太刀が弾かれる。痺れる腕でどうにか太刀を手放すことだけは避けたリィンだが、そこまでだ。

 

 三撃目。真上からの振り下ろしが、無防備なリィンへ迫る。

 

 

 

 空高く舞った太刀が、雪原に突き刺さる。

 

「……ここまで、じゃな」

 

 蹲るリィンを見下ろして、老人はそう言って刃を収めた。

 

 東方風の簡素な衣装を纏った、どこにでもいるような好好爺然としたこの男性こそが、リィンの師にして八葉一刀流の開祖ユン・カーフィ。肉体の全盛期はとうに過ぎた身なれど、間違いなく大陸最高峰の剣士の一人。

 

「リィンよ」

 

「はい」

 

 老師の呼び掛けに、リィンは痛みを堪えて身体を起こした。

 

 ここはリィンの故郷ユミルの渓谷道。そして今日は4年に及ぶ修行の集大成。八葉一刀流の初伝の試しの日であった。

 

 老師から「儂に一太刀入れてみよ」と言い渡され、全力で挑んだリィン。結局ただの一撃も当てることが出来ず、無様に地面を転がる羽目になった。半人前のリィンから見ても分かる程に手加減された上でのこの体たらく。自らの不甲斐なさに泣きたくなるが、ひとまず頭を垂れて老師からの言葉を待つ。

 

「お主に八葉一刀流の初伝を授ける。これを受けとるが良い」

 

「……え!?」

 

 驚いて顔を上げたリィンに、老師は初伝の目録とおぼしき巻物を投げ渡してきた。叱責、或いは落胆されるものとばかり思っていたリィンは思わず声を上げる。

 

「お、お待ちください老師! 自分は貴方に一太刀も入れてはいません!」

 

「誰もそれが初伝を授ける条件とは言うておらんじゃろう。素直さはお主の美点じゃが、言われたことを鵜呑みにしがちじゃな」

 

「……あ」

 

「まあとにかく、これでお主も晴れて八葉の剣士じゃ」

 

「……はい」

 

 声に喜びや達成感はない。

 

 そもそもリィンがユンに弟子入りしたのは、剣士としての強さや名声を求めてのことではない。己の内に眠る鬼の力を御するーーその為の揺るぎない精神と力を手に入れるのが目的であり、瞑想を始めとした精神修行を多分に含む八葉一刀流はリィンの目的に合致していた。

 

 厳しい修行を乗り越えて初伝を手にしたことを、恐らく家族や『彼女』は誉めてくれるだろう。だが心臓の鼓動に合わせて脈動する焔の存在感は4年前と変わらず、リィンの心に暗い影を落としている。進歩がないと思っているリィンにとっては、手にした巻物が鉄のように重く感じられた。

 

「不服かもしれんが、どの道儂は明日にでもここを発つ。しばらく戻らぬ故、お主への手解きも今日で最後じゃ」

 

「な……! 待ってください老師! そんないきなり!」

 

「お主に教えるべきことは全て終えた。これより先は己の足で進め。これまでの教えをどう活かすかもお前さん次第じゃ」

 

 冷徹な言葉にリィンは絶望する。隔絶した実力を持つユンはリィンにとって絶対的な道標であり、同時に依存していた。万が一鬼の力が暴走したとしても、自分という獣が他人を傷付けないよう抑え込んでくれる檻。

 

 無理も無いとは思いつつも、そんな弟子の甘えを見抜いていたユンは、今日の試しの結果に関わらずリィンの下を去ることに決めていたのだが。

 

「……最後に、ひとつだけ伝えておこう」

 

 未だ身体も十分に育っていない齢でありながら、僅か四年で初伝に至った先の楽しみな愛弟子が落ち込む姿を見かねて、少しだけ先を示すことにした。

 

「お主が願う鬼の超克だが、今のままでは叶わぬだろうよ。まずは修行に没頭していた今までの生活を改めて、将来のことでも考えてみると良い。もうじき高等教育も受けられるようになるであろう?」

 

「学校ですか? まさか、周りの人達を襲いかねない自分が進学などあり得ません。少なくとも鬼の力を制御出来るようになるまでは」

 

「逆じゃよ。お主が求める強さは力ではなく精神……魂であろう。刀を保つ為に砥石が必要なように、魂もまた人と共に在ることで磨かれてゆくものじゃ」

 

 白と静寂に包まれた渓谷道を眺め、ユンは言う。秘境とも言えるユミルは、世俗を離れて己を見つめ直すには最適だろう。だがそこに引き籠っているだけでは、いずれ人の形をした獣になる。リィンが鬼へ堕ちるのを留めているのは、彼が紡いだ絆なのだ。

 

「良いかリィンよ。鬼に堕ちず、鬼を超えたいと思うのならば人を捨ててはならぬ。途中で己の在り方に迷うというのであれば……」

 

 言葉を切ったユンは口許を僅かに綻ばせ、離れた場所からこちらを見つめる人影を見た。寒さに身体を震わせながら、必死な表情で弟子を見つめる幼き魔女の姿を。

 

 

「彼女と共に探してみるとよい。お主が道に迷った時は、きっと篝火となってくれることじゃろう」

 

 

 ーー焔が舞う。

 

「何!?」

 

 止めとなるはずであった光の剣が、燃え上がる太刀に弾かれた。仰け反った身体を無理矢理動かして、リィンは寸でのところで窮地を切り抜ける。

 

 

「……情けない。こんなことを忘れていたなんて」

 

 赤く染まった気がする(・・・・・・・・・・)視界を振り払い、リィンは自身の無様を恥じる。

 

 

 自分は、剣の道を軽んじていた。

 

 

 道を歩くのは自分だ。だがここまで歩いて来れたのは、多くの人の助けがあったから。

 

 どこの生まれとも知れず、かつては傷を負わせたこともある自分を家族として受け入れてくれたシュバルツァー家。道を示してくれたユン老師。起動者候補という立場とは別に、親身になってくれるエリンの魔女達。自暴自棄になっていた自分を救い、導き手として共に在ることを約束してくれたエマ。

 

 剣の道をーー自分の生き方を否定することは、手を差し伸べてくれた彼らの善意をも否定することになる。それだけは絶対にしてはいけないことだ。

 

 

 畏れはある。その上で前を見ろ。自身を誇れないのなら、せめて彼らに恥じないように虚勢を張れ。

 

「……どうやら調子が戻ったらしいな」

 

「ああ。済まないラウラ」

 

「謝るべきは相手は私ではないと思うが」

 

「うんまあ、それはそうなんだけど」

 

 何となく可笑しくて、二人とも苦笑する。直前までの張り詰めていた空気は、もう存在しなかった。

 

 穏やかに、しかし真摯にラウラは問い掛ける。

 

「そなた、剣の道は好きか?」

 

「……そうだな」

 

 腕を上げる。導力灯の光を受けて、鈍色に輝く切っ先に揺らぎはない。正眼の構えを取ったリィンは、笑みさえ浮かべてこう言った。

 

「その問いには、この剣で答えることにするよ」

 

 地を蹴ったリィンは、一息で間合いに飛び込んだ。

 

「螺旋撃」

  

 突進の勢いを乗せた一刀は、これまでより遥かに重い。ラウラは受け止めきれず、靴底が地面を滑った。

 

「業炎撃」

 

 更に一歩踏み込んで追撃。炎を宿した唐竹割りが、大剣を上から抑え込む。

 

「ぐ、まだだ……っ!?」

 

 ラウラが抵抗しようと腕に力を込めた瞬間、逆にリィンは力を抜いて腰を落とす。頭上を通過する大剣には目もくれず、低い体勢のまま体当たりした。咄嗟に身体を傾けることで衝撃を流し倒れることを避けたラウラであったが、

 

「破甲拳」

 

 至近距離から掌底が打ち込まれ、今度こそ後退する。太刀の間合いを保ったまま、リィンは更に攻め立てる。

 

「紅葉切り!」

 

 精密な剣閃が、ガードをすり抜けてラウラを襲う。ラウラも痛みを堪えながら地烈斬を放った。斬撃が届く寸前、リィンの姿が消える。『疾風』を使ったのだと理解したと同時に、背後の気配を感じ取ったラウラは振り返ると同時に剣を薙ぐ。……が、手応えが無い。リィンは間合いの遥か外に陣取ったまま太刀を振り抜いた。

 

「弧影斬!」

 

 遠距離からの鎌鼬が大剣を弾いた。がら空きになったラウラの胴体に、肉薄したリィンの本命が届く。

 

 閃く刃。リィンがユン老師より授けられた、八葉一刀流の漆の型。

 

「無想――覇斬!!」

 

 目にも止まらぬ連続斬りが、今度こそまともに『入った』。

 

 

「――は、先とは別人ではないか」

 

 大剣を支えに辛うじて立っているラウラは、息も絶え絶えに言う。痛みを堪えながらも浮かぶ笑みは、自分の先を往く剣士への称賛と、超えたいと願う相手を見つけた喜びから。

 

「だがまだ終われぬ。胸を貸して貰うぞ、リィン!!」

 

 実力差は理解した。ならば後は挑戦者として喰らいつくのみ。

 

「コオオオオォォ――――洸翼陣!!」 

 

 闘気が煙のように立ち昇り、光の翼となって弾けた。アルゼイド流にアレンジされた自己強化の戦技。奥の手を切ったラウラは、勇猛果敢に攻めかかる。息をつかせぬ連撃は嵐のようだ。

 

 だが、宙を舞う木の葉を捉えることは叶わない。受け流し、横から弾き、時には起点を潰して剣を振らせないことで、リィンは決定打を受けることなく剛剣を掻い潜っていく。

 

(八葉とは良く言ったものだ……)

 

 大陸規模で有名な八葉一刀流だが、開祖のユン・カーフィは未だ存命であり、流派としては新興の類に過ぎない。しかしこうして打ち合ってみれば、その術理には二百五十年に渡り磨かれてきたアルゼイド流にも劣らぬ『厚み』が存在している。東方剣術ーー更にはその源流となる多くの武術を取り込んで編み出された型は、まさしく数多の葉脈を束ねて形を成した八枚の葉であった。

 

「まだだ!!」

 

 全身に満ちていた闘気を全て剣に収束させ、眩き刃を手にしたラウラは大上段の構えを見せた。応じるように、リィンもまた太刀に焔を灯す。

 

 向かい合う二人の剣士は同時に地を蹴った。瞬く間に距離が縮まり、焔と光が交錯する。

 

 

 その、直前で。

 

「緋空斬!!」

 

「なっ……!」

 

 リィンは太刀に纏わせていた焔をラウラに向けて撃ち放った。互いの最高の剣技で決着を付けるものとばかり思っていたラウラは完全に意表を突かれる形になる。

 

 洸刃が緋空斬を両断するが、威力の減衰した剣では奥義に至らず。既に納刀を終えていたリィンは余裕を持って洸刃を躱し、

 

「あ――」

 

「残月」

 

 八葉一刀流、伍の型。後の先を取る抜刀術が勝負を決めた。

 

 

 体力が回復するのを待ってから、2人は帰路に就いていた。夜風が白熱した身体を撫で、心地よい疲労感が全身を包む。

 

「……その、俺も悪かったから拗ねないでくれ」

 

「拗ねてなどいない」

 

 ふい、と唇を尖らせてそっぽを向いてしまったラウラ。言うまでもなく最後の決着が原因だ。引っ掛かった自分に非があるのは判っているが、納得しがたいのも事実である。

 

 やや気まずい空気のまま歩いていると、やがてケルディックの町が見えた。大半の灯りは消えており、アリサとエリオットもひょっとしたら寝入っているかもしれない。

 

「……済まなかった」

 

「ラウラ?」

 

「その……冷静になってみれば、そなたには色々と酷なことを言ったと思ってな」

 

「気にしないでくれ。寧ろ良い発破になったし、こっちが感謝したいくらいだ」

 

「いや、やはり謝らせてほしい。元はと言えば私の未熟が原因だ」

 

 リィンに向き合い、ラウラは綺麗に九十度腰を折って頭を下げる。彼女の人柄を示すような、真っ直ぐな所作だった。微笑を浮かべて、リィンも謝罪を受けとる。

 

「では戻るとしよう。今夜は良く眠れそうだ」

 

「過ごさないように気を付けないとな」

 

 小さく欠伸するリィンに、今日までのどこか脆く危うい雰囲気は大分薄れている。ラウラは少しだけ足を止めて、先を歩く背中を眺めた。

 

 

 ーー(つよ)い太刀筋だった。父や先達のような揺るぎないものではないけれど、必死で何かに抗おうとする懸命さがラウラには眩しく映った。剣の道はひとつではない。そんな当たり前の事実を、ラウラはこの時胸に刻んだのだ。

 

「リィン」

 

 呼び掛けて、拳を突き出す。この少年とはきっと終生の剣友になれるという確信を胸に、剣士としての誓いを口にした。

 

「次は負けぬぞ」

 

 勝ち気な笑みに、呆気に取られるリィン。しかしすぐに同じ高さまで拳を掲げた。気後れしているようで、だからこそと奮起するような、そんな前向きな笑顔。

 

「今度も俺が勝つよ」

 

 満月の下、拳と心が触れあう。

 

 

 懐に仕舞っていたARCUSが、一瞬だけ輝いた気がした。




◇今作のリィンの簡単なスペック紹介

・全力を出せれば大体原作のⅡ中盤~終盤くらいの強さ。ただしメンタルが足を引っ張っているのでⅡの幕間前くらい。今回までは鬼の力の封印が弱まっている&いざというとき暴走を止めてくれるエマがいないのダブルパンチでビビっていた。

・エマの修行に付き合って帝国各地を回っていたことがあり、実戦経験がそれなりにある。戦闘中の駆け引きや、状況次第で不意打ちも普通にやる。

・エマに女性の扱いについて口が酸っぱくなるほど言われているが、朴念仁っぷりは変わらず。魔女勢に触発されて積極的になった妹の好意にも相変わらず気づいていない。


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事件を追って

 

 特別実習二日目。穏やかな春の陽光とは裏腹に、アリサは不機嫌であった。

 

「これまでに得られた証言を合わせると、やはりその自然公園が怪しくなるな」

 

「ああ。いくら露店と言っても、店二つ分の商品は結構な量になるはずだ。盗んだ商品をどこに流すにしろ、一時的に隠しておく場所は必要だろう。……裏で糸を引いているのが本当に彼ら(・・)なら、さっきの酔っ払いの人から聞いた話も含めて辻褄が合う」

 

「自分で言っておいて何だが、それなら昨夜の内にもっと遠くまで運び出しておけば良かったのではないか? 検問などあってないようなものだろう」

 

「違うよラウラ。犯人が推測通りなら、目的は既に達成してるんだ(・・・・・・・・・・・・)。金銭目的の盗みじゃないんだから、人目に付くリスクを負ってまで導力車や馬車で急いで運び出す必要がない。なるべく音を立てないように持ち出してから、商品はほとぼりが冷めた頃にゆっくり処理すれば良い。その方が盗品であることも気づかれにくいはずだ」

 

「なるほど……。ふふ、しかし見事な推理だな。それも八葉の術理の一端なのか?」

 

「まあ一応。老師に比べればあってないようなものだけど、観の目と言うのがーーーー」

 

 アリサに背中を見せて話しているリィンとラウラは、昨日の険悪な雰囲気が嘘のように距離が近い。

 

 ラウラがリィンを外に連れ出した時にはエリオットと共に途方に暮れたものだ。日付を跨ぐ直前にようやく帰って来たのを見届けて、眠気が限界に来ていたアリサはそのままベッドにダイブイン。で、起きてみればこれである。

 

(事情はラウラから聞いたけど、納得いかない……)

 

 どうやって仲を取り持とうかアレコレ考えていたのが無駄になったが、これはまあ別に良い。だが自分の時は一月近く掛かったのに、何故ラウラとは一晩で和解しているのか。これではまるで自分だけが面倒臭い女のようではないか。

 

「時間が惜しいし、準備を整えたらすぐにでも出発しよう。アリサとエリオットもそれで良いか?」

 

「う、うん」

 

「……っと、ええ。私も大丈夫よ」

 

 中央広場で別れた四人は準備の為に一度散開する。アリサは昨日手に入れたセピスの欠片を持って、この町唯一の導力器工房である《オドウィン》に足を向けた。

 

(気になるけど、仲良くなれたならそれは良いことよ。今は実習に集中しないと!!)

 

 自分の両頬を叩き活を入れるアリサ。

 

 

 Ⅶ組A班は現在、大市で起きた窃盗事件の犯人を追っていた。

 

 

 

 事の発端は、大市で店を開こうとしていた二人の商人の屋台が破壊され、商品が消えてしまったという事件であった。前日にも出店場所を巡ってトラブルを起こしていた二人はお互いを犯人と決め付け、あわや暴力沙汰に発展しかけたところを、現れた領邦軍ーーこの一帯を治めるアルバレア公爵家の治安維持部隊ーーの強引極まりない仲裁でその場は落ち着いた。

 

 その後オットー元締めからケルディックを取り巻く増税問題を聞いたリィン達は、盗難事件の調査を申し出る。各所への聞き込みと随所に浮かび上がった違和感から、彼らはこの事件が領邦軍の自作自演と当たりを付けた。

 

 

 そして、

 

「複数人の足跡と……何かを引き摺ったような後があるな」

 

「見て。ここだけ草が不自然に潰れてる。かなり重いものをここに置いてたんじゃないかな?」

 

「……間違いない。このブレスレット、あの商人が取り扱ってたものよ」

 

 ケルディックを北上した先に位置するルナリア自然公園の前で、リィン達は窃盗犯のものと思われる痕跡を見つけていた。特に足跡は門の先まで続いている。ほぼ間違いなくこの先に犯人が潜伏しているはずだ。昨日訪れた際に門前に立っていた男達が見当たらないことから、偽管理人達もその一味である可能性が極めて高いだろう。

 

 四アージュ近い高さの鉄門は閉ざされており、南京錠ひとつで施錠されていた。立ち入り禁止の立て札もなく、門の先に人の気配も無い。

 

「とにかく調査は必要だ。俺達も急ごう」

 

「それは良いけど、どうやって開けるの?」

 

「あまり誉められた方法じゃないけど……《紅葉切り》ーー」

 

 一歩前に進んだリィンは、腰構えから太刀を抜き放つ。金属同士が擦れるような繊細な高音と、一瞬だけ散ったオレンジ色の残光。枯れ葉が散るような自然さで、ツルから分離した南京錠が地面に落ちた。八葉の技に背後で感嘆の声が上がる。

 

(エマの魔術なら、もっと確実なんだけどな)

 

 自然な解錠も施錠も思いのまま。魔力障壁を張って物理的な侵入を阻むことも可能だろう。何なら聞き込みなどの回りくどい真似をせずともこの自然公園に辿り着くことだって出来たかもしれない。実際には多大な手間と制約があるのだが、外から見ている分には魔術は万能の力に思える。

 

 とはいえ、無い物ねだりをしても仕方ない。

 

 犯人の足跡を追って、リィン達は薄闇に覆われた自然公園へ足を踏み入れた。

 

 

 足を進める度に、生え放題になっている背の低い草がガサガサと揺れる。自然公園の管理人が犯人達に代わってからロクに手入れもされていないのだろう。一般解放されていたはずの公園の風景は、お世辞にも美観とは言えないほどに荒れ果てていた。更には魔獣の気配も濃く、一部は施設として整備されているはずの林道にまで出てきている。

 

 窃盗犯の痕跡は公園に入ってからも続いており、追跡は容易だった。商品を持ったままの移動であれば、歩きやすい整備された道を進むのは自然だろう。痕跡を消すために敢えて森の中を行くという可能性もあったが、そちらは杞憂だったようだ。

 

「……さっきはああ言ったけど、思ったより猶予は無いのかもしれないな」

 

 見方によっては証拠隠滅の暇もないほどに焦っているとも受け取れる露骨さに、リィンが唸る。

 

「そうかしら? 手口も杜撰だし、そこまで考えてないだけと思うわよ」

 

「どの道急いだ方が良いのは変わりない。……そろそろ犯人と遭遇するやも知れぬ。ここからは慎重に行くべきであろう」

 

 途中ゴーディ・オッサーと呼ばれる大型魔獣を発見したが、犯人達に気付かれないよう極力魔獣との遭遇を避ける必要があったリィン達は迂回を選択。林道の脇の茂みに飛び込んだ。

 

 正規の道とは比べ物にならないほど力強く生い茂っており、生足を露出している女子が進むのは厳しい。先頭に立ったリィンがバッサバッサと茂みを切り倒して進んでいくと、やがて開けた場所に出た。

 

「何だろう、あれ?」

 

 エリオットが指差した先には、石碑のようなものがポツンと立っていた。人の手が入っている様子はなく、大部分が苔で覆われている。薄暗い森の中では墓石のようにも見えるだろう不気味さだ。

 

 怯えるエリオットに心当たりのあるラウラが答えた。

 

「精霊信仰の名残だろう。私の故郷では伝承に基づく鎮守の森の象徴として、こういった石碑が幾つか置かれているぞ」

 

 七耀教会によって女神信仰が広がる前の、暗黒時代と呼ばれる時期の遺物。信仰自体は既に廃れて久しいものの、こうした石碑は帝国の各地に存在している。伝承の一部は七耀教会の教義に組み込めれているのだとか。

 

 一切見覚えのないアリサとエリオットら都会出身組の反応に、地味にカルチャーショックを受けるラウラ。その傍らでリィンは石碑の下部に目線を落としていた。

 

 注視してみれば石碑には小さく文字が刻まれているが、長年の雨風に晒されて風化しており殆ど読めない。仮に読めたとして、その意味を理解できる者は相当に限られるだろう。

 

 刻まれているのは、既に『表』の世界では忘れ去られた言語だ。

 

(……via()とspir……spiritus(精霊)か? 確かエリンでそれらしい言葉を聞いた気が……)

 

 昔聞き齧った知識を思い出そうとするリィンだが、それはアリサの呼び掛けで中断させられた。

 

「どうしたのよ、ぼーっとして」

 

「何でもないから気にしないでくれ。……そろそろ終点みたいだ。気を引き締めていこう」

 

「終点って何で?」

 

「この先に人の気配が複数あるんだ。この状況で犯人と違う可能性は低いだろう」

 

「気配って言われても、林で姿なんて全然見えないのに」

 

「あ、多分間違いないよ。この前リィンが寮を出ていく時に似たようなことしてたから」

 

「見事な気配察知だな。コツなどあれば後で教えてもらいたいが」

 

「……さっきの鍵開けもそうだけど、貴方ちょっと人間止めてない?」

 

「何を言ってるんだアリサ。これが老師やラウラのお父さんなら、自然公園の入口から気配を探り当てたって何ら不思議じゃ無いんだぞ」

 

「武人って何なの……」

 

 ドン引きするお嬢様(推定)を横目にリィンは気配を探ることに集中する。彼らが移動している様子はない。なるべく物音を立てないように林の中を進めば、リィンの言う通りの光景が眼前に広がっていた。

 

 入口から拝借したパンフレットの地図を見ると、どうやら行き止まりにして休憩所のようだ。整地された広場にはベンチが置かれており、そこに四人の男が腰かけて話している。男達の脇には木箱の山。外れた蓋から顔を覗かせている品々は言うまでもなく盗まれた商品と一致する。

 

「ほ、本当にいた……!」

 

「静かに。奴ら何か話してる」

 

 途切れ途切れに聞こえる会話を拾ってみれば、盗品を運び出す車を待っている最中らしい。最早一刻の猶予もない状況だ。

 

「どうするの?」

 

「状況的に言い逃れは出来ないけど、目撃者が他にいないから口封じしてくる可能性が高いな。向こうは導力銃持ってるし」

 

 士官候補生とはいえ、まだ学生で半数が女子。後衛も弓と導力杖だ。得物の優位は男達にある以上、こちらを侮って強気に出てくるだろう。実際達人クラスの武芸者ならその程度の差は容易に覆すのだが、リィンは男たちの素人同然の身のこなしから力量を測るほどの目を持ち合わせていないと判断した。

 

 ならば、その油断に付け込ませてもらおう。

 

「銃を持った相手に正面から挑む必要性はないな。ここは奇襲しよう」

 

「奇襲?」

 

「アリサは迂回して右側……あの大きな木の根元まで行ってくれ。ラウラは反対側で待機して、俺とエリオットで奴らの前に出る。もし奴らが攻撃してくるようなら、二人は派手に攻撃して欲しい。一瞬でも注意を引ければ、後は俺が引き受ける」

 

「いや、陽動は私が引き受けよう。そなたの疾風(あし)なら奇襲役の方が適任だ」

 

「でも流石に女子を矢面に立たせる訳には……」

 

「男子も女子も関係ない。我らは皆同じチームなのだ。役割分担は互いの長所を最大限に活かせるものにすべきであろう」

 

「……分かった。正面は任せる。向こうが引き金を引いた後がベストだけど、銃口を向けてきたなら言い訳はなんとかなるから」

 

 そう言い残したリィンは身を屈めて茂みの中に入っていった。

 

「リィン、なんだか昨日と雰囲気変わったよね」

 

「ええ。リーダーっぽいっていうか、ちょっと格好良……い訳じゃないけど!?」

 

「我らも配置につくとしよう」

 

「うう、やっぱり怖いなぁ」

 

「安心するがよいエリオット。そなたは私が必ず守る故、援護は頼んだぞ」

 

 

 数分後。姿を見せたラウラとエリオットを口封じしようとしたところでアリサとリィンが不意打ちし、機先を制された窃盗犯はあっさりと蹴散らされた。逃げられないように武器を奪って拘束し、今後の対応を話し合おうとしたところで、それはやって来る。

 

 

 笛のような音を聞いたエリオットと、何かに呼ばれるような感覚がしたリィンが同じ方角を振り向くと同時、殺意を帯びた咆哮が森を揺らした。

 

 

 リィン達から少し離れた地点。ルナリア自然公園を一望できる丘の上で、その様子を眺める人影があった。

 

「……本当に魔獣を操れるのだな」

 

 ボイスチェンジャーを通した機械的な声で、感心したように呟いた。赤いバイザーの付いたフルフェイスのヘルメットと黒の外套で執拗なまでに全身を覆い隠した風貌からは、内面を窺い知ることはできない。背格好から辛うじて男と判別できる程度だろうか。

 

「ああ。何度か試したが全て成功している。『お披露目』でも役立ってくれるはずだ」

 

 答えたのは学者風の男で、満足げな笑みを溢している。その手には禍々しいデザインの笛が握られていた。

 

 二人の眼下では、赤銅色の巨大な狒々――自然公園のヌシである魔獣が暴れ回っている。男が『笛』の力で一時的に操っており、自分たちが雇った窃盗犯がしくじった時の後始末を任せる予定だった。相対するのは四人の少年少女。散開しつつ数の利を生かしてフォローし合うことで、ヌシと対等に渡り合っている。

 

 特筆すべきは黒髪の少年だろう。剣の腕も優れているが、何より戦い慣れているが立ち回りから見て取れた。わざと大仰な動作で魔獣の注意を引き、残り三人がそれぞれの役割に専念できるように立ち位置を調整している。

 

「特科クラスⅦ組だったか。領邦軍の手口が杜撰とはいえ、半日経たずにこの場所を探り当てるとはな」

 

 隣にいる経験者の話の通りなら、彼らは帝国の各地で実習とやらを行うのだろう。可能性は低いが、行き先次第では今後の障害になるかもしれない。たかが学生とはいえ、些細なきっかけが計画に亀裂を入れる可能性はゼロではないのだ。

 

「どうする《C》。いっそここで消してしまうというのもひとつの手ではないかな?」

 

 学者風の男――彼を知る面々からは《G》と呼ばれている男は提案する。

 

 軍人の卵とはいえ、善良な若者を手にかけることに思うところはある。だが必要とあらば躊躇いはしない。彼らはそう言った集団。怒りを糧に、鋼鉄に風穴を穿つ弾丸である。

 

「……やめておこう」

 

「おや、後輩ともなれば少しは情も湧くかね?」

 

「まさか。奴らはどうでも良いが、その親は面倒だ。『紅毛』はともかく、『光の剣匠』とラインフォルトを敵に回すのは避けたいからな」

 

「……了解した。確かに露見した場合のリスクには見合わんか」

 

 そこまで本気ではなかったのだろう。《G》はあっさりと引き下がる。《C》は佳境に入りつつある眼下の戦いに視線を戻した。……正確には、その中にいる黒髪の少年を。

 

 

『私の目的は、内戦という舞台で(あなた)といずれ目覚める《灰》の対決を導くこと。それを叶えてくれるなら、貴方の計画にも手を貸してあげるわ』

 

 彼のことは魔女から聞いている。かのドライケルス大帝が駆った《灰》の後継者。今はまだ候補だが、恐らく彼は選ぶだろうと予言を残していた。因果を操る魔女の予言は実現するだろう。自分達の計画とは関係がないが、取引の条件であり、ここまで世話になった彼女の頼みは可能な限り叶えるつもりでいた。

 

「リィン・シュバルツァー……」

 

 新入生最強の剣士であり、真面目でお人好しな後輩。話した回数は多くないが、不思議と惹きつけられるような魅力があった。問題児揃いのⅦ組も彼なら纏められるかもしれない。前途多難なようだが、前任者としては出来れば上手く行ってほしいところではある。

 

 

 彼らの平穏を壊すのは、きっと自分なのだろうと思っていても。

 

「…………」

 

 あらゆる感情を黒装束で包み隠し、《C》は遠からず争うことになる相手の動きを目に焼き付けていた。

 

 

 

「はあ~。やっと着いたあ」

 

「流石に眠いわね……」

 

 ぐったりとしたアリサとエリオットが、重い足取りでトリスタ駅を出た。その後ろからリィンとラウラ、そしてサラが続き、肌寒い空気が彼らを出迎える。既に夜の帳は降りていた。

 

「それにしても最初から散々な実習だったわね」

 

「うむ。まさか領邦軍があのような暴挙に出るとは」

 

 自然公園のヌシを撃退した後、図ったようなタイミングで駆けつけた領邦軍は、あろうことか拘束していた男たちではなくリィン達を窃盗犯として逮捕しようとしたのだ。幸い、そこに現れた鉄道憲兵隊とクレア・リーヴェルト大尉に助けられたが、リィン達にもたらした衝撃は大きかった。

 

 トールズ士官学院は帝国でも指折りの名門校であり、学業の一環でやって来た生徒を不当に拘束・逮捕すれば学院は必ず抗議するだろう。更にラウラの実家のアルゼイド家はアルバレアと同じクロイツェン州に属していながら中立を保っている。かの光の剣匠の心証を悪くすることは、アルバレア家にとって膝下に爆弾を抱え込むようなものだ。実際に逮捕すれば、アルバレア家は領邦軍を一部の暴走ということで切って捨てただろう。

 

 だが逆に言えば、そういった後ろ盾が無ければあのような理不尽が罷り通るということだ。

 

「そもそも窃盗事件だって、ケルディックが増税の陳情を取り下げないから起こしたんだろう。似たようなことが各地であるのかもしれないな」

 

「地方では四大名門と領邦軍がそれだけ強い権力を握ってるってことなんだね。……僕は帝都から殆ど出たことが無かったから全然知らなかったよ」

 

「……」

 

「ラウラ、大丈夫なの?」

 

 無言で歩くラウラの表情は固い。安定した統治を行い領民からの信頼も厚い父の背中を見てきた彼女にとって、今回の件はエリオットとはまた違った意味でショックが大きい。

 

「ま、それを肌で感じられただけでも収穫よ。特にラウラは認めづらいかもしれないけど、これも紛れもない帝国の現状なんだから」

 

「……はい」

 

「大事なのは今回の体験をどう活かすかよ。悩んで考えて、アンタ達なりの答えを出してみなさい。それが学生の仕事で、特権なんだから」

 

「サラ教官……」

 

「という訳でレポート頑張りなさいねー。明日も授業なんだから早めに済ませて寝なさい。アタシはこの後飲みに行くけど♪」

 

「サラ教官……」

 

 酒場に消えていく教官を白い目で見送り、一行は帰路を急ぐ。すっかり帰る場所として慣れた第三学生寮には、既に明かりがついていた。

 

「B班が先に帰ってたみたいね」

 

「マキアスとユーシス、大丈夫だったのかな?」

 

「その辺りは後で聞いてみよう。まずは荷物を下して夕食を……」

 

 玄関の扉に手を掛けたリィンが突如ピタリと固まった。顔が青くなっていき、身体が微かに震えを発し始める。

 

「ど、どうしたのだ?」

 

「…………何か、嫌な予感が」

 

「嫌な予感って……帰るだけなのに何を言ってるのよ。ほら、早く開けなさい」

 

「ま、待ってくれ!」

 

 アリサが横から扉を押し開けると、見慣れたリビングが視界に飛び込んでくる。階段側のソファーにはフィーとガイウスが座って談笑していた。

 

「おかえり」

 

「遅かったな。そちらも大事ないようで何よりだ」

 

「二人ともただいま。……あとの三人は部屋かしら?」

 

「……いや、上の階にいるのだが」

 

「今は行かない方がいいかも。多分まだ懲罰中」

 

「へ?」

 

 何気なく訊ねたアリサだったが、二人揃って要領を得ない物言いが返ってくる。リィン以外が首を傾げた直後、二階からエマの声が聞こえてきた。気になったA班は階段を登る。

 

 Ⅶ組各自の個室が集まる二階と三階には、階段口を中心に廊下が左右に伸びている。すぐ側には談話スペースとしてテーブルとソファーが設けられていた。

 

 

 そこに、

 

「――――そもそも、最後の戦闘だって苦戦したのはお二人が私とのリンクを譲らなかったからでしょう! 確かにタイミングはほぼ同時でしたけど、リンクが被ったのなら他の人と結び直せばいいじゃないですか。あそこで張り合って棒立ちになってた貴方たちをフィーちゃんがカバーしてくれたんですよ!?」

 

「ま、待ってくれエマ君。あの時は僕の方がこの男より一秒以上リンクを結ぶのが早かったはずだ! 譲るのならこいつの方だろう!」

 

「阿呆が。あのすばしっこい魔獣相手には、前衛と後衛が連携して動きを抑える必要があっただろう。つまり貴様が委員長とリンクを結ぼうとしたこと自体が悪手なのだ。まあ座学だけが取り柄の頭でっかちに戦局を読めというのは高望みかもしれんがな」

 

「な、なんだと!! 言わせておけば、自分が譲られるのが当然のような物言いがここで通じると思ったら大間違い――」

 

 

「聞 い て る ん で す か」

 

「「っ……!!」」

 

 ソファーに座るマキアスとユーシスを前に、仁王立ちするエマの姿があった。背中越しにでも伝わるプレッシャーが、談話スペースを軍法会議もかくやという雰囲気に塗り替えている。

 

「………………いいん、ちょう?」

 

 呆然とするエリオット達の背後。蘇るトラウマに頭を抱えたリィンが、同情と呆れを乗せて呟いた。

 

「……だから怒らせるなって言ったのに」



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魔女の学院生活(五月編)・上

思いの他長くなったので前後編に分けました。

過去と現在が交互に展開して分かりづらいと思う方もいると思うので、今回から過去の話には◇を、原作時間軸の話には*を最初に付けることで区別しようかと思います。それでも読みにくければ感想か作者宛てにメッセージいただければ。


創の軌跡も情報が出てきて面白そうですね。個人的に緑髪眼鏡のジャスティスコンビのストーリーが気になってます。


 

「全く、朝から悲鳴を聞いた時は何事かと思ったわ」

 

 妖精の湯でのハプニングの後。

 

 ローゼリアのアトリエに戻ってきたリィンは、朝食を食べながらローゼリアから多くの話を聞いた。

 

 世間から切り離された隠れ里であるエリン。歴史の裏から帝国を見守ってきた魔女と魔術の存在。自分が助けられた経緯と、身体に起きた異常について。余りにも非現実的な話だったが、リィン自身も説明のつかない異能を宿していることもあって、ひとまずはそういうものだと受け入れることが出来た。

 

「それでヌシに訊ねるが、その力は一体何なのじゃ」

 

「分かりません。一年前にこの力に目覚めてからは、表に出さないように努めてましたから」

 

「……込み入った話にはなるが、親族に心当たりのありそうな者はおらぬのか?」

 

「……自分は小さい頃、今の家族に拾って貰った身でして。実の家族については何も覚えていないんです」

 

「お、おう……それは済まぬの」

 

 リィンは無意識の内に心臓の辺りを抑えていた。

 

 自分を捨てた実親に特に恨みはない。化け物のような力を持って産まれたのなら無理もないだろうと思っている。捨てられる前――つまり物心つき始める五歳までの記憶が一切ないことは疑問だったが、その理由は余り考えたくはなかった。

 

 

「ありがとうございました。このご恩はいつか必ずお返しします」

 

 椅子から立ち上がり、丁寧に頭を下げたリィンは部屋を出ていく。身体に倦怠感は残るが、日常生活に支障がない程度には回復している。ローゼリアは何気なくその背中を見送って、

 

「……って待たんか!! 何サラッと出ていこうとしておるのじゃ!?」

 

「ぐえっ」

 

 叫んだローゼリアが指を動かすと、不可視の糸に引っ張られるかのようにリィンの身体が浮き、元の椅子に収まった。

 

「助けて貰った上に食事まで頂いて、これ以上お世話になる訳には……」

 

「一応訊くが、どこに行く気じゃ? ユミルまでは相当距離があるじゃろうし、そなた今無一文ではないのか」

 

「今更実家には帰えれませんよ。取り敢えず魔獣を狩ってセピスで路銀を稼いで、その後は仕事を見つけて何とか生活を……」

 

「なんじゃそのちっぷすより脆い計画は?! お主の容体を安定させるのに一晩かかったのじゃぞ! 上手くいかずにその辺で野垂れ死にされては妾の苦労も水の泡ではないか!!」

 

「う……。でもやっぱり悪いですよ」

 

「子供が一丁前に気を遣うでないわ。まずは体調を戻すことに専念せい。妾が許可するまでこの里から出さんからの」

 

 見た目日曜学校に通うような幼い少女に言われても説得力はないが、有無を言わせぬ気迫は本物だ。こくこくとリィンが頷くと、ローゼリアはリィンを客室に案内する。彼に自覚はなくとも、体力が回復しきっていない。十分に食事を摂った後は程なく眠りに就くだろう。

 

「……出てきても良いぞ」

 

 厨房に繋がる扉に向けて呼びかけると戸が開き、孫娘のエマが顔を見せた。顔だけをリビングに出して周囲を確認すると、安堵の息を吐いてローゼリアの前にやって来る。

 

 妖精の湯でリィンと遭遇した彼女は即座に立ち去り、先にアトリエまで戻っていた。後で帰ってくるリィンと顔を合わせるのを避けるため、食事の準備をしつつ厨房に閉じこもっていたのである。

 

「お主も気にし過ぎではないかのう? 真っ裸を見られた訳でもあるまいに」

 

「気にするに決まってるでしょう! 里の皆ならともかく、外から来た人に見られるなんて……!」

 

「脱衣所にあ奴の服があるのに気づければ避けられた筈じゃろう。普段から周囲の観察を怠るでないわ」

 

「それはそうだけど……」

 

 腕を抱き、羞恥で顔を赤く染めるエマ。同年代の異性に知り合いがいないので刺激が特に強かったのだろう。年頃じゃのうとほっこりする祖母であった。

 

「あの人をどうするの?」

 

「取り敢えず封印術をもっとマシなものにせんとの」

 

 現在リィンに施した封印術はあくまでも応急処置的なものだ。封印を安定させるのはリィンの反応を見ながら調整を加えていくため数日は必要になるだろう。数百年ぶりに遭遇した未知の異能だが、魔女の長のプライドにかけてキッチリ解決するつもりだ。

 

「という訳で妾はこれから術式の調整に入る。里の案内と小僧の世話は任せるからの」

 

「はいはい、分か……ちょっと待っておばあちゃん!? 私がやるの!?」

 

「犬猫ではないが、拾ってきたお主が面倒を見るのが筋じゃろう。一応妾の客人扱いになるしの」

 

「う……」

 

「それにあやつは≪灰≫の候補者。お主が巡回魔女になれば宛がうつもりだった相手じゃ。取り込めとは言わんが、縁を結んでおいて損はあるまいよ」

 

 正論を並べられて返答に詰まるエマ。ローゼリアが言うまでもなく介抱するつもりだったのだが、渋っているのは湯着姿を見られて恥ずかしがっているだけである。

 

 結局折れた孫娘に後を任せ、ローゼリアは自室で魔術の準備に取り掛かる。必要となる霊薬の材料を揃えながら思い浮かぶのは、先ほどのリィンのことだった。

 

 話をする中で感じた、どこか虚ろな雰囲気。貴族の子息らしい礼儀正しい少年かと思えば、人の手を借りることを過剰に忌避する一面もある。異能とは別に、あの少年が抱えた問題は根が深そうだ。それも恐らく、ローゼリアには不向きな類の。外の人間とのコミュニケーション経験が少ないエマも向いているとは言えないが、巡回魔女を目指す彼女にリィンとの交流は良い経験になるだろう。

 

(それにまだ子供とは言え、衣食住含めて世話するのじゃ。落ち着いたらあやつには色々と働いてもらうとするかの)

 

 それなりに貴重な材料――《表》に流せば扱い次第で一財産築けるであろう品々を、身の丈ほどもある大釜に背伸びしながら放り込む。

 

 

 何であれ、物事は対価ありきで廻るもの。ただ優しいだけでは善き魔女は務まらないのだ。

 

 

 午前五時前。まだ暗闇に浸る第三学生寮で、エマ・ミルスティンは目を覚ました。

 

 不規則な生活を強いられることの多い魔女にとって、この程度の早起きは慣れたもの。姿見の前で髪を編み、魔力封じの眼鏡を掛ければ士官学院生としての彼女が完成する。

 

「……今日はまた早いですね」

 

 ドア越しの足音を耳にしつつ、エマは教科書を開く。早朝は授業の予習復習の時間だ。特待生として主席入学した以上成績の維持は必須。早朝のひんやりとした空気の中、ノートにすらすらとペンを走らせる。Ⅶ組はマキアスを筆頭に成績優秀者が多い。主席の座に拘っている訳ではないが、委員長として彼らに恥じないだけの成績はキープしておきたい。

 

 一時間ほど経って太陽が顔を出す頃合いになると、エマは一階に下りてキッチンで湯を沸かしていた。玄関の扉が開き、姿を見せたのはリィンとラウラだった。どちらも動きやすい薄手のシャツとズボンスタイルで、流れる汗をタオルで拭っている。

 

 特別実習で打ち解けて以来、二人は早朝の鍛錬を共にすることが多くなった。いつもより早い時間に寮を出てからの今の様子から、今日は本格的に打ち合っていたのだろう。

 

「二人ともお疲れ様です。お茶の準備がもう少しでできますから、座って待っていてください」

 

「ありがとうエマ」

 

「そなたに感謝を。いつも助かる」

 

 二人の剣士がテーブルについて程無く、エマはトレイにティーカップを二つ載せてリィンとラウラの前に置いた。カップの中で波打つ液体は淡い水色をしていて、湯気と共に花の香りが広がる。

 

 エマが独自にブレンドした、疲労回復に効果のあるハーブティーだ。元々エマは魔女の魔法料理の修業の一環としてハーブティーを良く淹れており、里ではリィンに何度も振舞っていた。トールズに来てからもそれは続き、最近ではラウラにも試飲してもらっている。

 

「今日は少し配分を変えたんですけど、どうでしょうか」

 

「……うん。この前より甘く飲みやすいな。私はこちらの方が好みの味だ」

 

 しばし三人で和やかなお茶の時間を過ごす。話題は手合わせの反省会から始まり、ラウラの所属する水泳部のことへ。新入部員は泳ぎの経験がある生徒とそうでない生徒が半々で、ラウラは同級生の基礎指導に当たっているらしい。

 

その後二人より先に三階の自室に戻ったエマは、鞄を持って同階の一室をノックする。返事が無いことに溜め息をついていると、そこに丁度部屋を出たアリサが通りかかった。

 

「今日も?」

 

「みたいですね……。すみませんが、また貸してもらえないでしょうか?」

 

「いいわよ。今日は時間の余裕あるし私も手伝うわ」

 

 アリサは再度自室に戻り、エマはノックした扉のノブを回す。入寮した時と然程変わらない殺風景な部屋が目に入った。

 

 

――カーテンの隙間から溢れる朝の日差しが、布団からはみ出た銀色の髪を照らしている。

 

「フィーちゃん起きてください。もう朝ですよ」

 

「ん……あと五時間」

 

「それじゃあ半日経っちゃいます。ほら、顔を洗ってきてください」

 

 布団を引き剥がすと、そこには寝惚け眼の小柄な少女フィー・クラウゼル。小さく欠伸する姿が子猫のようで可愛らしい。彼女はエマに言われるまま危なっかしい足取りで洗面台へと消えていく。

 

 授業が始まった当初はよくサラに引きずられるようにして登校していたフィーだったが、授業が本格化し始めた最近では忙しくなってきたサラが連れてくるのも難しくなってきた。一度昼前登校という大遅刻をやらかしてからは、エマが毎朝様子を見るようになった。今ではその世話焼きぶりを遺憾なく発揮して完全にフィーのお母さんだ。

 

 フィーが戻ってくるまでの間に、エマはクローゼットにしまわれていた制服を手に取りベッドの上に寝かせた。目につく汚れはないが、皺がそれなりに目立っている。

 

「お待たせー。フィーは洗面台?」

 

 自室から目的の物を持ってきたアリサが訊いてくる。

 

「ええ。制服は私がやりますから様子を見てきてもらえますか?」

 

「はいはい。それじゃこれでお願いね」

 

 アリサがエマに渡したのは、ラインフォルト社製の最新型導力スチームアイロンだった。やや重いがその分性能は折り紙付きで、エマも偶に借りたりする。一度このアイロンについてアリサと話をした時、明らかに一般人が知らないような制作秘話を喋っていたのは、まあ色々と察するものがあったりしたが。

 

 アイロンのスイッチを入れてボタンを押すと、やる気万端とばかりに蒸気が底から噴き出した。広げた制服の上からプレートを押し当てて皺を伸ばしていると、洗面台の方から慌ただしい物音が。見ればアリサがフィーの頭にタオルを押し当てている。

 

「ほら、ちゃんと髪を拭きなさい。風邪ひくわよ」

 

「めんどい」

 

「またそんなこと言って……ってああもう、右側跳ねてるじゃない!! 櫛貸して!」

 

 渋々ながらも素直に従うフィーはアリサにされるがままに髪を手入れされている。これで戦闘になれば別人のように優秀な遊撃手となるのだから、人も分からないものだ。

 

 悪戦苦闘の末に寝癖を直し終えるのと同時にアイロンがけも完了し、ようやく身だしなみを整えたフィー。時計を見れば七時過ぎ。学生会館の一階で朝食を食べてからだとHRの始まるギリギリになる。

 

 春の陽気に押されるように、少女達は慌ただしく寮を飛び出した。

 

 

 どうにか予鈴には間に合い、授業を乗り越えて放課後。エマは学生会館の二階に足を運んでいた。今日は彼女が所属する文芸部の活動日だ。

 

「お疲れ様です、ドロテ部長」

 

「いらっしゃいエマさん。他の皆もすぐ来るでしょうから、それまではゆっくりしてて」

 

 紙の匂いと共にエマを迎え入れたのは、赤いフレームの眼鏡が特徴的な黒髪少女。文芸部の部長を務める二年生のドロテは手にした本を机に置いた。

 

「それは?」

 

「先月、帝都の学術院で発表されたばかりの論文です。獅子戦役前後の文化の変化を文学の観点から纏めたものなんですけど、中々面白いですよ。後でエマさんにもお見せしますね」

 

 あまり人目を引くタイプではないが、誰にでも丁寧に接し成績優秀な彼女は文芸部員から広く慕われている。特に歴史と文学の知識についてはエマも驚嘆するほどだ。

 

 ドロテの言葉通り他の部員も程なくして揃い、今日の部活動が始まった。

 

 文芸部の部員は十数人程度の少数だが、活動は活発だ。月に一度は広報紙を発行し、平行して他の文科系部活が合同で出す学内新聞の校閲も担当。他校の学生と自筆小説の品評会を開くなど学外に足を運ぶこともある。またトールズの特色の一つとして、図書会館に新しく追加する図書の選定も一部担当している。優秀な学生が集うトールズの図書会館は利用者も多いため責任は重く、選定の話し合いは時間をかけて行われる。

 

 今回はまさにその一回目で、様々な意見が飛び交った。

 

 貴族生徒からは、貴族派と革新派の対立構図の理解を深めるために双方の背景を解説した本を。軍事学に詳しい平民の二年生からは、士官候補生らしくより実践的な兵法書を。一年生の女子生徒からは、最近人気の恋愛小説を。帝国中から選抜された本の虫達が本の話をして大人しく終わるはずもなく、図書の候補を絞りきったときには下校時間を迎えていた。

 

「お疲れ様です、ドロテ部長……」

 

「うう、ありがとうエマさん。毎回この話し合いは胃が痛くなります……。皆さん良い本を薦めてくれているだけに」

 

部室に入った時と同じ言葉を、今度は心底からのねぎらいを込めて疲弊しているドロテに送った。用事を頼まれたエマ以外の部員は既に帰っている。

 

 渇いた口内を紅茶で湿らせ、エマは口を開く。

 

「それで部長。聞きたいことというのは……」

 

「ええ。その……差し支えなければなのだけど、Ⅶ組のことを教えてくれませんか? 寮生活の様子とか、クラスメイトのこととか」

 

 メモ帳をペンを手に、申し訳なさそうに――しかし隠し切れない好奇心に目を輝かせて、ドロテはそんなことを訊ねてきた。曰く、今年新設されたⅦ組は、その特異な面子も相まって他クラスからも注目されているが情報が不透明な部分もあり、虚実混じった噂が流れているそうだ。風評被害で余計な溝を生まないよう、学内新聞の一コマで軽く紹介しようという話が持ち上がっているらしい。

 

「……という名目で小説のネタが欲しい、ということでしょうか?」

 

「う……否定できませんけど、嘘という訳でもないんですよ。委員長のエマさんならソースとしては信頼出来ると思ってますから。記事の件もあくまで候補というだけで、不快に思われるなら載せませんので」

 

「……分かりました。大した話は出来ませんが、それでも良ければ」

 

 Ⅶ組は皆周りに配慮してくれる人達だが、それでもこれまで全く異なる環境で暮らしてきた九人だ。共同生活を送れば常識のズレは頻繫に起こる。エマを筆頭に大雑把なルールを作っているが、対処しきれていないのが現状だ。そういったエピソードを個人のプライバシーを損なわない程度に話していく。

 

「ふんふん。確かに貴族生徒と平民生徒だとそう言った問題が――――」

 

 適度に相槌を挟みつつ、取材……もとい小説のネタになりそうな部分を書き留めていくドロテ。小説家を目指す彼女の文章力は相当なもので、見せてもらった自筆小説はプロ顔負けの出来栄えだ。新作の助けになるのなら嬉しく思う。

 

 ……ただ一点、問題があるとすれば。

 

「ユーシスさんはイメージ通りの乗馬部……。ワイルドなガイウスさんが美術部……ああでも寧ろそのギャップが……」

 

 次第に相槌が無くなり、無言でペンを走らせる。

 

「はあ、はあ、はあ……やはりここは定石通りのガイウスさんいや対立の果てに生まれる絆という点ではユーシスさんとマキアスさんああでも大人しいエリオットさんやリィンさんがシチュエーション次第で化けるというのも…………ぶぱっっっ!!」

 

 荒い呼吸を繰り返して一心不乱に書き殴ったメモ帳は、自らの出した鼻血によって真っ赤に染まる。外なら憲兵からの職質は避けられないレベルの変態的絵面である。安らかな表情で机に突っ伏す姿を、エマは何とも言えない表情で見つめていた。

 

 問題というのは、ドロテの得意分野……というか趣味のジャンルが、青少年達の汗と涙と複雑な愛情を綴った腐臭めいたナニカでなのである。なまじ読み物として優れているのが質が悪い。ちなみにドロテほどオープンではないものの、文芸部の女子生徒の半数は彼女の同志だ。

 

 とりあえずドロテを起こし、ティッシュで鼻血を止める。

 

「ふふ……やはり私の見込んだ通り、Ⅶ組は逸材揃いですね。ありがとうエマさん」

 

「…………一応言っておきますけど、くれぐれも参考程度に留めておいてくださいね」

 

「ええ、分かっていますよ。……そうです、この機会にエマさんも是非こちらの世界にっ! 大丈夫、初心者の方にも読みやすものは一通り揃えていますから!!」

 

「け、結構です!!」

 

 

「あら、今から帰り?」

 

 貧血でふらつくドロテに代わって戸締りと鍵の返却を終え、職員室を出た後。エマは頭上からの声に顔を上げる。階段を登った先の踊り場で少女がエマを見下ろしていた。

 

「べ、ベリルさん……」

 

「名前覚えててくれたのね。嬉しいわ」

 

 くすくすと笑うベリル。その仕草は童女のようにも遊女のようにも見える。

 

 人影は他になく、気のせいか校内外の喧騒も遠い。西日でオレンジ色に塗られた廊下を挟んで、二人は向かい合う。

 

「オカルト部の活動も終わりですか?」

 

「ええ。これから鍵を返すところよ」

 

「……普段、どんな活動をされてるんです?」

 

「色々よ。占いをしたり、専門の雑誌の記事を書いたり。興味があるなら入部しないかしら? 確か、掛け持ちも出来るはずだけど」

 

「お誘いはありがたいですけど。文芸部で手一杯なので遠慮しておきます」

 

益々硬度を帯びるエマの声。

 

 彼女が所属するオカルト部は、色々と謎が多い。

 

 今年に入って新設された部活だが、部員は彼女一人。にも関わらず正式な部活動として成立している。魔女にとって大抵のオカルトネタは子供騙しに等しいが、何となく気になって見学に行った先で悟った。

 

彼女は、本物だ。

 

「そう恐い顔をしないで頂戴。貴女達の使命に干渉する気は無いわ」

 

「……」

 

「ただ私は、人と比べて色々と『視えて』しまうだけ。……色々と制約もあってね。学友として助言程度なら出来るから、気が向いたら遊びにいらっしゃい」

 

 全てを見透かすような黄金の瞳に翳りが差したように見えるのは、踊り場に夕陽が入らないからか。彼女の誘いが善意から来るものであることは、何となく察したエマだった。

 

 階段を下りたベリルはオレンジ色の境界線を踏み越える。警戒するエマを余所に平然と横を通り過ぎる。

 

 

 

「水路と《獣》に気を付けなさい」

 

「……え?」

 

 振り返った先に異常はない。少女が帰路に就く、いつも通りの放課後があるだけだ。




文芸部の活動内容や学内新聞は独自設定ですが、トールズって新聞部や放送部がないので広報活動は各部で兼任しているのではと考えてみました。レックスやヴィヴィが帝国時報に就職したのは自分で記事書いた経験あってのことだったり。


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魔女の学院生活(五月編)・下

日常シーンで書きたいこと多すぎて困る……。原作で描写されてない部分ほど想像がはかどるんですよね。


✳︎

 

 校舎を出たエマは、その足で図書会館を訪れた。文芸部でドロテから言い渡された課題の為だ。

 

 文芸部では年に何回か一年生が短編を書いてきて、二年生が講評を行うという割とえげつない慣習がある。目が肥えている二年生相手に文芸部とはいえ素人の書いた文章で満足させるのは相当難しいはずだが、だからこそ見たいのだと二年生達は言った。宮廷料理ばかりじゃなくてたまにはジャンクフードも食べたいよね、という心境らしい。第一回目は主席入学なら出来るだろ、という雑な理由でエマに白羽の矢が立った。

 

テーマは短編小説であれば自由なので、エマは帝国で最も有名な逸話の一つであるドライケルス大帝に纏わる話を選んだ。理由は世間と自分の認識の擦り合わせの為だ。

 

中興の祖として荒廃した帝国を立て直したドライケルスだが、そもそも彼は庶子の出だ。帝位を継ぐことなど期待されておらず、放浪してノルドで気ままに過ごしていた。内戦を知って旗揚げした時も、手勢は腹心たるロラン・ヴァンダールと十七名のノルドの勇士のみ。途中で≪槍の聖女≫ことリアンヌ・サンドロッドや第二皇子のルキウス帝の協力を得て戦力を拡大させたが、それでも決して大きな勢力ではなかった。そんな状況で如何にしてドライケルスは獅子戦役を勝ち抜き、獅子心皇帝と呼ばれるまでになったのか。今もなお明らかにされていない謎を解き明かさんと数多の歴史家が論文を発表し、英雄譚と呼ぶに相応しい彼らの活躍をモデルにした芸術作品は山のようにある。

 

 この帝国最大の歴史的ロマンについて、魔女の眷属は真実を知っている。他ならぬ長が、ドライケルス帝の盟友としてあの内戦を戦い抜いたのだから。特にドライケルス帝本人についてはローゼリアの愚痴をよく聞いていたのもあって、語り継がれている完全無欠の英雄像とは印象がかけ離れている。≪表≫の一般常識は身に付けたつもりのエマだが、それはあくまで知識。世間が彼らに対し抱いているイメージについてまでは理解が及んでいない。その差異を見誤り、うっかり≪裏≫の真実を漏らしてしまうようなヘマを犯せば魔女失格だ。

 

 本棚を一周し、獅子戦役をテーマにした歴史書や歴史小説を適当に幾つか取り出す。これらにざっと目を通して共通項を調べ、浮かび上がった世間の考察を基に短編を書く。出来上がればリィンとⅦ組の誰かに読んでもらい推敲すれば完成だ。小説というより論文を書いているような心地だが、これもまた世俗に溶け込む巡回魔女の修業の一環だとエマは気合を入れ直す。

 

(主要人物に触れると纏めきれなさそうですし、いっそ架空の人物を語り部にしましょうか……。短編ですから舞台は獅子戦役中の野営……いっそドライケルス大帝の即位後なんてどうだろう)

 

 構想を練りながら本棚を眺めていると、ある一冊がエマの目に留まる。手に取ってあらすじを見てみると、どうやらヴァンダールの名も無き騎士と魔女の恋物語のようだ。

 

 獅子戦役やドライケルスは魔女の逸話と結び付けられることも少なくない。超常的な力を持った魔女の存在は、歴史の空白を埋めるのに丁度良いのだろう。時に謎めいた老婆として、時に妖艶な美女として登場人物に助言を与え導くのが主な役割だ。怪しくも威厳に満ちた人物像は、モデルを知っていると微妙な心境になるが。

 

 恋物語という単語からエマが頭に浮かべたのは、今はもういない両親のこと。外界の人間だった父について、エマが知っていることは少ない。物事ついた時には母のイソラしかおらず、幼い頃の自分は母が語った父のこともよく覚えていない。ただその口ぶりから、母が父を本当に愛していたのは分かっていた。魔女であることも正直に明かしていたらしい。

 

 巡回魔女は外の人間の血を取り入れることも役目の一つである。今のところ祖母からそういった話はないが、いずれは相応しい相手を見つけて次代の魔女を産むのだろう、と他人事のように思っている。優先すべき問題が多すぎて、今の彼女に将来のことまで手を回す余裕はない。

 

 

 その問題の1つが、今目の前を横切ったクラスメイトだったりする。

 

「マキアスさん?」

 

「っ……エマ君か」

 

 本を抱えて席を探していると、偶然その横をマキアスが通りかかった。教科書を脇に抱えて歩く姿はどこか焦りが感じられる。

 

「今日の授業の復習ですか?」

 

「ああ、そうだが……君は違うのか?」

 

「文芸部の課題で資料が必要になりまして」

 

「そ、そうか」

 

 眼鏡の奥で一瞬怯えた目をしたのを見逃さない。

 

 特別実習の二日目に、エマがマキアスとユーシスに行った説教が理由だろう。期間中何度止めても懲りずに衝突を繰り返す二人に業を煮やしたエマは最後の実習課題の時に無理矢理主導権を握り、課題を成功に導いた。その甲斐あって先月の総合評価は辛うじて最低を免れている。

 

(あれ以来、お二人から少し避けられているんですよね……)

 

 フィーとガイウスはむしろ良くやってくれたと言ってくれたのだが、やはり避けられるというのはそれなりに堪える。来月の実習でまた同じ班になる可能性を考えると、せめて普通に話せる程度には改善したい。

 

 幸い、会話にはおあつらえ向きの要件がある。

 

「マキアスさん。サラ教官に渡す申請書の件、今から話し合えませんか?」

 

「あれの提出期限は来週末だったはずだが……いや、再提出を考えるとあまり余裕はないのか」

 

「お互いの要望を早めに共有するだけでも大分違うと思うんです。忙しければ夜でも構いませんが」

 

 エマが言うと、少しの間俯いて悩むマキアス。険しい表情は何か葛藤しているように見える。

 

 やがて小さく息を吐いて、彼は眼鏡のブリッジを押し上げた。

 

「…………分かった。今からやってしまおう」

 

 

 Ⅶ組とサラの住む第三学生寮は結構広い。全員にそれぞれ個室が与えられる他、シャワールームやキッチン等の共有スペースは第一、第二学生寮の規模と遜色ない。立地も日用品を売っている店とトリスタ駅から近いため、他のクラスからはよく羨ましがられている。だが実際に生活を始めると、深刻な問題が彼らを悩ませることになった。

 

 

 とにかく、物がないのだ。

 

 各部屋に最低限の家具とライフラインは揃っていたが、寮の共有備品が徹底的に不足している。モップ一本もない掃除用具入れや調理器具のないキッチンに一体何の価値があるというのか。最初の休日はⅦ組総出で必需品の買い出しをする羽目になった。その時の支払いは私費で立替である。

 

『いやほら、オリエンテーション後に何人残るか分からなかったし、アンタ達身分がバラバラだから他の寮の設備や規則をそのまま適応するのも後で問題出るでしょ。生活の上で必要なものはアンタ達で話し合って揃えなさい。全うな理由なら学院から費用は出るわ』

 

 麗しの教官殿の弁明はこうであった。一見もっともらしく聞こえるが、面倒な雑事を生徒に押し付けたとも言える。

 

 そんな訳で寮生活にも慣れてきたこの時期に、委員長と副委員長でサラに提出する備品購入の申請書を作成することにした。事前にエマが女子に、マキアスが男子に聞いてきた要望を合わせ中身を絞る。隔意のあるユーシスとリィンにもちゃんとヒアリング出来ており、やはり根は真面目だ。

 

「情報誌のリクエストですか。帝国時報は分かるんですけど、他の新聞まで揃える必要はあるんですか?」

 

「当然だ。帝国時報が最大手でも、会社の方針があって人が書いている以上どうしても情報は歪曲される。同じ出来事の記事でも複数の視点(ソース)からだと得られる情報量は段違いだ。可能なら五社分は揃えたいところだが……」

 

「流石に多すぎるかと。帝国時報と親革新派から一紙、親貴族派から一紙の三種類が限界でしょう」

 

「親貴族派だと? 貴族を持ち上げる事しか書いてない新聞に何の意味が───」

 

「十秒前にマキアスさんはなんと仰ってましたか?」

 

「ぐ……」

 

 ある程度絞れば、今度はそれを申請書として形にする。ここはマキアスが上手く纏めてくれたおかげで、作業は半時間ほどで終了した。

 

「ありがとうございます。おかげで早く済みました」

 

「いいさ。こういった経験も将来の役に立つだろう」

 

「将来ですか……マキアスさんはお父様と同じように、政治家に?」

 

「父さんの跡を追うと決めている訳ではないが、何らかの形で助けになれたらと思っているよ。仕事場にずっと泊まり込みで、家にも滅多に帰れないくらい忙しいからな」

 

 父を誇らしく語りながらも、どこか寂しそうに伏せられるマキアスの眼。しかしすぐに表情を戻して続けた。

 

「まあこの情勢下では仕方ないさ。父さんのいる帝都庁だって貴族の連中が残っているし、地方は未だ貴族派の天下だ。奴らを倒す為には、今は踏ん張りどころなんだろう」

 

「倒す……」

 

「……シュバルツァーと仲良くしてる君にとっては気に入らないか」

 

「……」

 

「敢えて深くは訊かないが、付き合うなら距離は置いておきたまえ。彼だって貴族なんだ。心の底では何を考えてるのやら」

 

 マキアスにとっては忠告のつもりであろう一言は、リィンへの想いが打算ありきだと言われているようで。エマの心は僅かにささくれ立つ。

 

「私とリィンさんが友人であることに、彼の身分は関係ありません。マキアスさんにとって貴族は全員悪い人なんですか? 例えばラウラさんやハインリッヒ教官がそんな人に見えますか?」

 

 ユーシスとの対立が目立つマキアスだが、それよりも貴族クラス全体を一括りにして敵視していることの方が問題だった。エスカレートしている言動はⅦ組を越えて他のクラスにも知れ渡り始めており、下手すれば学院全体で何らかの問題を引き起こしかねない。

 

 一方でラウラやハインリッヒ教官のように、身分に関わらず相手を公平に扱う貴族にはマキアスも噛み付くようなことはしない。友好的とは言えないが、それでも最低限のやり取りは出来ている。つまり無意識下ではマキアスも分別が付けられているのだ。

 

「…………それは」

 

「ユーシスさんの態度にも問題がないとは言いませんよ。でも、マキアスさんだって視野が狭すぎます。……本当は分かってるんじゃないんですか?」

 

「いいや違う!!」

 

 マキアスは叫んで立ち上がった。表情と声に明確な怒気が宿る。

 

「奴らはそういうものなんだ! 耳障りの良い台詞を吐いておきながら、僕ら平民のことなんていくらでも替えの効くものとしか思っちゃいない! 君だって姉さんみたいに……っ!!」

 

 吐き出される言葉はエマに向けられておらず、自分に言い聞かせているようであった。途中で激情を抑え込んだマキアスは、机のペンと申請書を乱暴に鞄に押し込んで立ち上がった。

 

「失礼する」

 

「あ……」

 

 一度立ち止まったマキアスは、背中をエマに向けたまま固い声を絞り出す。

 

「定期試験では負けるつもりはない。ユーシス・アルバレアにも、君にもだ」

 

 赤い背中が走り去り、取り残されたエマには周囲の視線が集まる。耐えきれなくなったエマも逃げるように図書会館を出た。

 

 

「やっちゃった……」

 

 

 茜色の空の下、深々とため息をつくエマ。

 

 閉鎖されたコミュニティの中で育った彼女は日曜学校にも通えず、同年代との人付き合いの経験が極端に少ない。巡回魔女として世間に溶け込めるだけの知識や立ち回りは身に付けているつもりだったが、実際に人間関係の問題に直面すると経験不足を痛感してしまう。

 

「あれ? エマちゃん?」

 

 悩みながら歩いていると、背後から幼さの残る声がした。振り返ると、生徒会長のトワが三人の男女を連れていた。内一人は先月の自由行動日に依頼をしてきたジョルジュでもう二人は学院内でも色々と有名なので顔と名前は知っていた。

 

「トワ会長に先輩方……技術棟にいたんですか?」

 

「『共同作品』の最終調整をしていてね。丁度ひと段落ついたから帰るところなんだよ」

 

 ジョルジュが答えていると、黒いライダースーツの女性が歩み出る。

 

「君がエマ君だね。……ほう、これはまた逸材じゃないか。やはりⅦ組は素晴らしいな」

 

「……え、えっと」

 

「ああ済まない。美しい花を前にすると見入ってしまう性分でね。私はアンゼリカ・ログナーと言うんだ」

 

 男でもそうは言えないような台詞がこれまた似合う麗人は、ユーシスと同じ四大名門ログナー家の一人娘。本来であればアストライア女学院に通うような令嬢の筈が、この士官学院で女生徒を口説きハーレムを築いているとか。

 

「こっちはクロウ。ギャンブル趣味のサボリ魔だ。健全な学院生活を送りたいなら相手にしないことを勧めるよ」

 

「悪意ある紹介してんじゃねえよ。自由人と言え自由人と。……ま、色々と聞いてるぜ(・・・・・・・・)。よろしくな委員長ちゃん」

 

 噂通りのアンゼリカとクロウを含め、エマは改めて四人を見た。

 

 大貴族の息女と、三人の平民の気の置けない関係。

 

 何かヒントになるかもしれない。

 

「すみません先輩方、少しだけ時間を貰えませんか? 相談したいことがあるんです」

 

 

 エマの申し出を快く受け入れた四人は、彼女を喫茶店≪キルシェ≫に連れてきた。

 

 向けられる四つの視線に少し委縮しながらエマは話し始めた。マキアスとユーシスの確執と、それに伴うⅦ組全体の関係性。話し終えたエマは頭を下げる。

 

「そんな訳で、先輩方のお知恵を貸していただければと……」

 

「平民生徒と貴族生徒の衝突は毎年起こるんだけど、生活環境まで同じだと影響も大きいよね。上級生になったら不思議と落ち着くんだけど……」

 

「そういうことならそこの二人が適任じゃないかな」

 

 ジョルジュが顔を向けたのは、クロウとアンゼリカの二人だった。

 

「おいジョルジュ。それはあん時のこと言ってんのかよ」

 

「懐かしいね。あれからもう一年か」

 

 ばつが悪そうなクロウと、苦笑するアンゼリカ。聞けば丁度去年のこの時期に、クロウの態度が気に入らなかったアンゼリカとの間で派手な殴り合いをしたのだという。だがそれがきっかけで仲を深め、やがてはⅦ組の前身として帝国各地を回ってきたのだそうだ。

 

「……つまり、一度派手にぶつかり合わせろと」

 

「うーん、ちょっとリスクが高い気もするなあ。アンとクロウのように上手くいくとは限らないし、そういうのは外からコントロールするのも難しいから」

 

「無難だが、仲を深めたいなら相手に合わせていくのが王道だろう。彼らの趣味の話をするとかね」

 

「マキアス君は第二チェス部で、ユーシス君は乗馬部だったよね。確か本屋さんに入門書があった気がするけど……」

 

「そういやメガネ君のほうはキルシェ(ここ)で旨そうにコーヒー飲んでるのを何回か見たことあんな。ありゃ結構通っぽいし、そっちから攻めてもいいんじゃね?」

 

スラスラと案を出してくる先輩達。エマが驚いたのは、自分達後輩をよく見ていることだ。慌ててアドバイスをメモに取りながら、エマは彼らの認識を改めた。

 

「やはり一番の問題はマキアス君の貴族嫌いのようだね。ユーシス君だけではなく、他の貴族生徒や貴族と仲良くしている平民生徒にまで反抗的な態度を取っているという話も聞く。革新派重鎮の息子なら極端な思考に染まっている可能性もなくはないが」

 

「でも、お父さんのレーグニッツ知事閣下が貴族嫌いという話は聞いたことがないなあ」

 

「さっきマキアスさんと話したんですけど、彼も心のどこかで理解していると思うんです。ただ認めたくなさそうな感じでした」

 

「……なら貴族絡みで理不尽な目に遭ったんじゃねえか? それこそ自分か身内の人生狂わせられた、とか」

 

 カップを傾けながらポツリと呟かれたクロウの予想が、不思議としっくりくる。エマには思い当たる節があった。

 

『君だって姉さんみたいに……っ!!』

 

 あの時言いかけて飲み込んだ一言が、マキアスにとっての根っこなのではないだろうか。予想が当たっていたとしても、今のエマに解決策は思い浮かばない。リィンに相談するにしても伝え方に気を配る必要がありそうだ。

 

「しっかし意外だな」

 

「え?」

 

「リィンならともかく、お前さんあんまりこういうのに首突っ込むタイプに思えなかったからよ」

 

 クロウの発言はエマを心底から驚かせた。軽薄なようでいて、実は四人の中で一番鋭いのかもしれない。

 

 エマはティーカップに目線を落とし、紅茶に映った自身を見ながら口を開く。

 

「……そうですね。正直、あまり得意じゃないですよ。人に意見するのもちょっと怖いです」

 

 リィンと出会うことなくトールズに入学したなら、導き手の使命を果たすことを最優先して違う接し方をしていただろう。事を荒立てないように周囲の関係を保ちながら、一歩外れた位置で静観しようとしていたに違いない。

 

「年の近い人たちと寮生活なんて新鮮で、少しはしゃいでるんだと思います。だから皆さんの為にも慣れないことも頑張ってみようかと」

 

 エマ・ミルスティンは、今の生活を楽しんでいる。外の世界に溢れる未知に期待している。そう思うようになったのも、きっとリィンのお陰だ。

 

 

 『だったら、ここで約束をしよう。起動者候補と魔女としてじゃなく、リィン()エマ()の間で』

 

 

 目蓋を閉じれば鮮明に蘇る思い出。それはどんな魔術にも負けない、明け色の魔法。

 

「へえ。本当に聞いてた話と違うんだな」

 

「聞いてた、ですか?」

 

「…………あー、リィンのヤツからちらっとな」

 

 クロウは腕時計に目を落とすと、伝票を持って立ち上がる。

 

「ほれ、そろそろ帰れ。そっちは確かメシの準備があるんだろ」

 

「あ、あの私のお願いで来ていただいたんですから、ここは私が」

 

「女子の後輩にお代持たせるほど恥知らずじゃねーよ」

 

「ええええ!! クロウ君が奢るのかい!?」

 

「馬鹿な、明日は迫撃砲が降るぞ……!? ジョルジュ、急いで何か対策を考えるんだ!!」

 

「誰がオメ―らの分まで出すっつった!」

 

「……そう言えばリィンさんからお金借りたままだそうですけど、早く返してあげてくださいね」

 

「うげっ」

 

「クロウくーん?」

 

「まさか後輩に借金するまで落ちぶれていたとはね。流石に見損なったよ」

 

「ちげーよ! ちょいと手品の道具用に五十ミラ硬貨借りただけだっての! お、丁度良いし委員長ちゃんからあいつに返しといてくれねえか?」

 

「ダメです。お金の貸し借りは本人の間で解決してください」

 

 ぴしゃりと言い放つ。リィンの性格上五十ミラ程度なら気にしないだろうが、お金の問題はどこに飛び火するか分からない。

 

キルシェを出ると、空はもう濃紺色。エマは改めて頭を下げる。

 

「今日は本当にありがとうございました。また相談に乗ってもらっても構いませんか?」

 

「勿論大歓迎さ。困ったことが合ったらすぐに第一寮を訪ねてくれたまえ。私の部屋で個人授業といこうじゃないかぐへへ……」

 

「アンちゃん……」

 

「ほんっとブレねえなこいつ」

 

「今更やめろとは言わないけど、一年生は慣れてないんだから気を付けなよ」

 

 邪なオーラを垂れ流すライダースーツの麗人に呆れる三人。エマも苦笑いするしかない。

 

(ドロテ部長もだけど、先輩方って濃いなあ……)

 

 

 夕食も済ませ夜も更けてきた頃合いに、エマは寮を出た。日課となっている夜の散歩──を建前とした、魔術の修業の時間だ。

 

トリスタを出て少し歩いたところで、エマは街道を逸れて林に入る。使い魔にして魔術の師の一人でもあるセリーヌが、木の上からエマを見下ろしていた。

 

「始めるわよ」

 

「ええ。お願い」

 

 セリーヌが結界を張り、その中でエマが魔術を行使する。ここは旧校舎に直接繋がる霊脈の真上。今回はこの霊脈を通じて魔術を行使するのが目標だ。

 

 霊脈────ゼムリア大陸中に張り巡らされているネットワークが内蔵する霊力は、一個人のそれとは比べ物にならない。己の力量を超えた御業を求め、古代ゼムリア文明以前より人は霊脈を利用する術を模索してきた。魔女にとっても基本と言える技術であり、同時に習熟するのが困難な技術でもある。

 

 瞳を閉じたエマの足元から光が生まれ、波紋が広がる。目に見えない霊脈を捉え、そこに魔力を流して自身と接続する。

 

 魔力を通じて霊脈に干渉する際のイメージは人によって様々だが、エマは思い浮かべるイメージは釣りだ。ユミルでリィンの川釣りに付き合っているうちに、自然とそんな感じになった。莫大な霊力の奔流に流されることなく自分を保ち、波長を合わせる。激流の中に釣り糸を垂らして、浮きを安定させるように。

 

「魔力の制御に気を取られ過ぎてるわ。もっと霊力を汲み上げないと術が発動できないわよ」

 

「……分かってる」

 

 セリーヌの助言に従い、魚のかかった釣り竿を引くイメージで霊脈から霊力を引き上げ、魔力に変換。魔力を注ぎ込んだ左目が白熱する。

 

Facti sunt oculi mei stellas(我が眼は天上に輝く)

 

 呪文を唱え目を開くと、エマの左目に映っていたのは空から俯瞰したトリスタの町だった。俗に鷹の目と言われる遠見の魔術の一種である。

 

「成功したみたいね。それじゃあ次は右目、その次は指先、つま先、毛先の四か所に順番に魔力を集中させなさい。当然魔力は霊脈からよ」

 

「よ、四セット……」

 

 霊脈を利用した魔術は、制御が甘いと代償は痛みとして術者にフィードックされる。この黒猫、魔術に関しては結構なスパルタだ。

 

 その後何とか言われた内容をこなしたエマは膝を折って座っていた。額には汗が浮かび、息は少し乱れている。

 

 

 ────左の頬に、ひんやりとした感触。

 

「ひゃわっ……!!?」

 

 甲高い声を出して飛び上がる。背後を振り返れば、笑いをこらえきれていないパートナーの姿が。

 

「リ、リィンさん!! 脅かさないでください!」

 

「はは、すまない。遅いから様子を見に来たんだけど、呼んでも全然反応しなかったからさ」

 

 月を背に笑うリィンは二本持った水滴の付いた飲料缶を差し出す。ミルクティーとストレートティーだ。

 

「どっちにする?」

 

「……ストレートの方で」

 

「どうぞ」

 

 缶を受け取ってプルタブを開け、少しだけ口に含む。熱を持った身体に冷えた紅茶が染み渡り、痛みも和らいでいくようだ。

 

「セリーヌもお疲れ様。いつもエマの修業を見てくれてありがとうな」

 

「魔女の日課なんだからアンタに感謝されることじゃないけど……ま、礼だけは受け取るわ」

 

「それは残念。折角セリーヌの分もミルクを用意したんだけど、礼しか受け取ってくれないのかあ」

 

「持ってるなら先に言いなさいよ! 貰うわよ!」

 

 用意した小皿にミルクを注ぐと、リィンはエマの隣に腰を下ろしてミルクティーの蓋を開けた。

 

 ざあ、と草木が色めき立つ。夜風を浴びながら、三人は少しの間他愛ない話に興じた。巡回魔女の修業中にはよくあった光景。今ここにはないが、寝る前に焚火を囲んで穏やかに語らう夜がエマは好きだった。

 

「……マキアスとそんなことがあったのか。確かに最近は表情に余裕がない気がするな」

 

「はい。これ以上対立が深まるとマキアスさんが本格的に孤立してしまうんじゃないかと思うんです」

 

「ユーシスの方は、マキアス以外との関係は悪くないからな……どうしたものか」

 

「今更だけどアンタたち大概お節介焼きよねえ。そいつの自業自得でしょうに」

 

 思案するリィンとエマにセリーヌは呆れている。意思疎通はできても、彼女の感性は人間よりも動物に近い。群れに馴染めない個体は排斥されて野垂れ死にするのが世の摂理であり、それは馴染めなかった側に否があるものとされるからだ。

 

「相変わらずそういうこと言って……」

 

「まあ難しい問題だし、魔女の使命に関係はないからな。でもやるだけはやってみたいんだ」

 

「……そ。ま、好きにしたら? これまでだってそうしてきたんだし」

 

 オリエンテーションの最後に発動した、全員での戦術リンク。危機的状況下の出来事であっても、あの時は九人の心が一つになっていた。当然そこにはマキアスも入っている。全部は無理でも、どこか重なる部分はあるだろう。

 

 

 根拠のない、だけど何となく信じられる、あやふやな確信。分厚い雲の向こうにだって、星は輝いている。

 

 

 同時刻、自室に戻っていたマキアスは机で参考書と向き合っていた。本来であれば図書会館で自習していたはずの時間を取り戻すように熱心にペンを走らせているが、効果は芳しくない。頭に入れた知識が別の穴から抜け落ちていく気がする。

 

「……駄目だな」

 

 今のまま続けても効率が悪いと判断したマキアスは、机から離れベッドに倒れ込んだ。仰向けで深呼吸しても気分は楽にならない。肺の半分に石を詰めているようだった。

 

 顔を横に向ければ、タンスの上に置かれた紙袋が目に留まる。帰ってきたときにはドアノブに引っ掛けられていた。袋には一枚のメモ用紙が貼り付けてあり、読みやすい字でこう書かれている。

 

『さっきは無神経な事を言ってしまってすみませんでした。お詫びの品という訳ではありませんが、気分が落ち着くハーブティーを入れてあります。気が向いたら試してみてください エマ・ミルスティン』

 

自己嫌悪がマキアスの心を炙る。冷静に考えれば、あの時どちらに否があったかは明白で。それでもエマは自分が悪いと言うのだろう。

 

リィンとラウラは距離を置いてくれている。ユーシスは……業腹だが、尊大なだけで自身の家名をひけらかすような真似はしていない。エリオットとガイウスは良く話しかけてくれる。他の皆も、目に見えない部分で気を使っているのかもしれない。

 

いっそ嫌ってくれれば楽なのに。彼らの優しさが、今はただ苦しい。

 

「……僕だって分かってるさ。でも、だったら何で姉さんは……」

 

呟きは虚空に溶けて消える。

 

ここ最近寝る時間を切り詰めてまで勉強に励んでいたマキアスは、溺れる様に眠りに落ちた。

 

 

 

 久しぶりに──トールズの入学式前、彼と最後に別れた日以来にその夢を見た。

 

 まだ日の登らない早朝、二人で雪の残る山道を登っていく。十三、四歳の黒い髪の少年が歩いている。大人でもそれなりに苦労しそうな険しい山を、彼は慣れたように歩く。その背中を必死になって追う。周囲の墨で塗りつぶしたような黒は暗闇ではなく、虚無の色。この夢の中では、白い山道だけが世界から切り離されてる。

 

 

 どれほど歩いたのか、やがて山頂に辿り着く。やっと着いたと彼が弾んだ声で言う。景色は相変わらず黒一色にしか見えない。

 

 不意に、右手が重くなった。視線を落とすと、その手にはいつ間にか彼の太刀が握られていた。鞘は無く、抜き身の刀身は不自然なほどぎらついていて、見る者の心をざわつかせる。

 

 見えない糸で引かれるように、腕を胸の高さまで掲げる。切っ先が彼の背中を捉える。雪を踏み、彼へ近づく。

 

 彼がこちらを振り返ろうとする、その前に。

 

 自分の顔を見られないように、それより早く手に力を込めて。

 

 

 

 そうして今日も────エマ・ミルスティンは、その手でリィン・シュバルツァーを殺す夢を見る。




魔術のオリジナル詠唱文は基本的にラテン語にするつもりですが、作者にラテン語の知識は殆どありませんのでグーグル翻訳をほぼそのまま移したガバガバ構文になるかと思います。従ってラテン語に精通されている読者の方はイライラするかもしれませんがご了承ください。


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魔女と騎士





 

 リィンがエリンの里に連れて来られて三日が過ぎた。消耗していた体力は完全に回復し、身体の内に眠る焔も落ち着きを見せている。

 

 ローゼリアの客人として迎え入れられたリィンだが、本人は封印術を完成させる為にずっと自室に籠っている。邪魔する訳にも行かないが、部屋には机とベッド以外に何もない。

 

 快調なのにずっと屋内にいるのも退屈が過ぎるので、リィンは里を見て回ることにした。滞在中、里の中であれば自由にして良いと許可も貰っている。早起きの習慣が染みついているリィンが外に出たのは太陽が顔を出したばかりの頃合いだった。

 

 エリンの里は、大雑把に言えば底の浅いすり鉢のような形をしていた。里の中央には特徴的なモニュメントが置かれた広場がある。その広場を囲むように建物が並び、広場から遠いほど高い位置に座していた。

 

 息を吸えば、口の中の水気が増す。里全体が朝靄に包まれており、広場を挟んだ向かいの景色は薄紙を一枚通したように不鮮明だ。所々に咲いている青い花──エリンの花と言うらしい──の淡い輝きが朝靄に溶け、水色のパステルカラーとなって滲んでいる。

 

(隠れ里か……本当、御伽噺の舞台みたいに幻想的だな)

 

 里の人間は早起きが多いようで、人の気配がちらほらとある。リィンはとりあえず里の外周をぐるりと歩きながら、朝の挨拶をして回ることにした。

 

 

 ────で。

 

「ガンドルフさん、ライザさんから故障したランプを引き取っていました。あとこれ、魔法料理の差し入れだそうです」

「おう済まねえな。今手が離せないから助かるぜ」

 

「お待たせしましたアウラさん。言われてた薬の材料はこれで大丈夫ですか?」

「……うん、バッチリ。物覚えがいいじゃないリィン君。助手に欲しいくらいね」

「このくらいなら、俺でよければいくらでも呼んでください」

 

「おおー! 力持ちだな兄ちゃん!」

「ちょっとアルビレオ、これ以上はお客様に迷惑でしょう。……弟がすみません」

「大丈夫だよ。朝の掃除の大変さは俺も知ってるし、是非手伝わせてくれ」

 

 

 

「あの……何してるんですか?」

 

「あ、おはようエマ」

 

 早朝の修業を終えて午前八時頃、エマは姿の見えないリィンを探しに外に出て、子供達に付き合っている彼の姿を見つけた。落ち葉を詰め込んだ袋を抱え、空いた右腕は少年アルビレオが歓声を上げてぶら下がっている。

 

「ひょっとして、もう朝食の時間?」

 

「は、はい」

 

「そっか。ごめん、また今度な」

 

「えー、まだ遊び始めたばっかじゃんか!」

 

「いい加減にしなさいアルビレオ!! 私達も帰ってお母さんを手伝うわよ!」

 

 少年は姉のニーナに引きずられて家に帰っていく。

 

「はは、元気な子だよな」

 

(ここ)では一番小さい子なんですけど、遊んでくれる相手が少ないんです。里の外にも興味があるみたいですから、リィンさんがいてくれて本当に喜んでいると思いますよ」

 

「そうだといいけど……っと、悪い。ローゼリアさんが待ってるよな」

 

「ああいえ、多分まだベッドから這い出てないと思うので急がなくても大丈夫です」

 

「……何というか、苦労してるんだな」

 

「あれでいざという時は頼りになるんですけど、普段は……はあ」

 

 肩を落としてのため息が生々しい。両親は勿論、妹も規則正しい生活を送っていたシュバルツァー家にはイマイチ共感しづらい話である。

 

 ──二日前にやや気まずい自己紹介を経て、リィンの世話をすることになったエマ。魔女の修行の時間を除けば、里を案内するなどして共に過ごしていた。始めは貴族の子息ということで身構えていたエマも、気さくな雰囲気のリィンに緊張は解けている。

 

 二人でアトリエに戻ると、エマはローゼリアを起こしに彼女の寝室へ。リビングで待っていたリィンだったが、落ち着かずに皿の用意を始めていた。その後寝ぼけ眼のローゼリアを引っ張りながらエマが戻ると、テーブルと戸棚を往復するリィンに眉を顰める。

 

「あの、リィンさん。昨日も言いましたけど、貴方は私達の客人なんですからこんな手伝いをしていただかなくてもいいんですよ?」

 

「衣食住を提供してもらってるのに何もしない訳には行かないよ」

 

「うむうむ、感心じゃのう。実際霊薬の準備とかあるし大変なんじゃぞ」

 

「お祖母ちゃんは黙ってて。……里の皆さんのお手伝いもしているようですが、今のリィンさんは容体が一時的に安定しているだけの病人と同じなんです。せめて今日行う封印の施術が終わるまでは身体を休めてもらわないと」

 

「う、分かった。この後は大人しくしてる」

 

 準備が終わってやや遅めの朝食が始まる。細長い卓では寂しく感じるが、三人いれば会話もそれなりに回る。話は主にエマがリィンの生活について色々と質問を繰り返した。曰く、巡回魔女になる前に出来るだけ外の人間の生の声を聞いておきたいのだとか。

 

「巡回魔女というのは?」

 

「簡単に言えば、裏の世界の警察じゃの。お主らが日々を過ごす《表》と、魔に属する存在が隠れ住む《裏》が干渉し合わぬよう目を光らせ、時には力尽くでバランスを戻すのが役目じゃ」

 

「……正直よく分かりませんけど、エマは大事な役目を果たそうとしてるんですね」

 

「一人前には程遠いがの。正直妾は今でもこやつが巡回魔女になることは反対なんじゃが」

 

「ちょっとお祖母ちゃん。まさか今更約束を反故にする気なの?」

 

「そうは言っておらぬじゃろう。ただヴィータを追うにしても、もう少し慎重に考えろと言っておる」

 

「私が巡回魔女として認められるまであと数年かかるんでしょう!? その間、姉さんの痕跡はどんどん消えていくんだから急ぐに決まっているわ!」

 

「エマ」

 

「っ……!」

 

 鋭く名前を呼んだローゼリアがリィンを指差すと、エマは口をつぐむ。残り僅かだった朝食を手早く口に入れると、流しに入れてから足早にリビングを出ていった。

 

「お皿は後で洗うので、流しの中に入れておいてください」

 

「あ、ちょっとエマ!」

 

「放っておけ」

 

 頭を掻きながら、ローゼリアはため息をつく。

 

「つまらぬものを見せたの」

 

「いえ、きっかけは俺の発言ですし……すみません」

 

「身内の問題じゃ。お主は気にするでない」

 

「……姉さんと言ってましたけど、もしかして」

 

「あ奴には姉がおるんじゃよ。……一年前に失踪した、の」

 

 

 五月二十六日。晴れ渡る空の下、第二回の実技テストが執り行われていた。

 

 特別実習と同様Ⅶ組独自のカリキュラムであり、メンバーは二~三班に分かれて戦闘を行うことになる。評価項目として重要視されるのは個々の実力ではなく連携──つまりいかにARCUSの戦術リンクを上手く使いこなせているか、という点だ。ARCUSのテスターとして集められたⅦ組を使った、開発元であるラインフォルト社への報告会としての側面もある。

 

 

 その舞台であるグラウンドにたった今、重い音が二つ響いた。

 

「ぐ……」

 

「く、そ……」

 

 整地された砂の上で、二名の男子が膝から崩れ落ちる。これまで懲りることなく対立を繰り返し、もう一周回って仲良いんじゃないか疑惑すら囁かれているマキアスとユーシスであった。武器を支えに辛うじて地に伏すことだけは避けているが、一歩も動けないのは見て明らかだ。

 

「……やれやれ。いくら何でも棒立ちはいただけないわねえ」

 

 二人を倒した張本人であるⅦ組担任教官のサラ・バレスタインは、拍子抜けだと言わんばかりに肩を竦めていた。プライドを逆撫でされた敗者達は言い返す元気も残っていないようだ。

 

 ギャラリーの反応は様々で、何が起こったか分からず呆然としている者、自堕落な部分しか見せていない教官の認識を改めた者、予想通り結末に嘆息している者がいる。リィンは最後の組だ。

 

(まあこれでは無理もないんだけどな……)

 

 リィンは手元の用紙をもう一度見る。それは前回に続き実技テストで戦術核と呼ばれる見覚えのある(・・・・・・)自律兵器と戦った後に渡された、次回の特別実習の詳細だった。

 

『【五月特別実習】

 A班:リィン、エマ、マキアス、ユーシス、フィー(実習地:公都バリアハート)

 B班:アリサ、ラウラ、エリオット、ガイウス(実習地:旧都セントアーク)』

 

 目にした瞬間苦い顔をしてしまったのは責められることではないだろう。

 

 前回の班編成からリィンとガイウスを入れ替えただけだが、班員の安定度に天と地ほどの差がある。その上バリアハートはユーシスの実家であるアルバレア公爵家を中心とした貴族の街だ。そこにマキアスを行かせるというのは、剥き出しの地雷を抱えて戦地に赴くようなものである。サラは相当な荒療治をお望みらしい。

 

 当然ながら猛反発するマキアスを、今回ばかりは利害が一致するユーシスが後押し。ならば力尽くで言うことを聞かせてみろと挑発するサラに戦いを挑んだ二人だが、結果は十秒経たずの瞬殺。戦術核との戦闘でもまともにリンク出来ず足を引っ張っていたので妥当と言えば妥当だろうか。

 

「それじゃあ実技テストはこれで終了……でもいいんだけど」

 

 得物を手にしたまま、こちらを向いたサラと目が合った。嫌な予感がリィンの全身を駆け巡る。

 

「折角だからお手本を見せてもらいましょうか。リィンとエマ、前に出なさい!」

 

「……ええ!?」

 

「いや、何でですか……」

 

「だってそこの二人があんまりにもアレだったから物足りないんだもの。それに前々からアンタたちの実力は見てみたかったのよねえ」

 

「実力テストや特別実習で結果は見せていますよね?」

 

「全力出してない癖に良く言うわ」

 

「……ふーん。サラがそこまで言うんだ」

 

 サラの前身を知る身として、フィーが意外そうに呟いた。まあね、とサラは返して続ける。

 

「前衛と後衛で分けた場合、この二人の実力は二年生含めた学院全体でも相当な上位に食い込むでしょうね。特にアンタたちカップルのペアならトップを狙えると思ってるわよ?」

 

「サラ教官。誤解を招くような物言いはよしてください。エマとはそういった関係ではありません」

 

「まあまあ。難しく考えないで付き合いなさいよ。ここで健闘できれば、特別実習でもメリットがあると思うけどねー」

 

「……ああ、なるほど」

 

 サラの言うメリットに思い当たった二人は顔を見合わせる。どちらかと言うと気は進まないが、クラスメイトの注目が集まって断り辛い。特に腕に覚えのあるラウラとフィー、あと何故かアリサは強く興味を示しているようだ。

 

 やがてリィンとエマは頷き合って前に出る。

 

「分かりました。よろしくお願いします、教官」

 

「少し時間をいただいても良いですか?」

 

「お、作戦会議? 良いわよーそういうの」

 

 二人の話し合いは一分ほどで済み、エマはアリサとエリオットに近づいて何かを話し始めた。エマを待っているリィンにサラがニヤニヤ笑いながら話しかけてくる。

 

「……で、エマとは実際どうなのよ」

 

「いや、本当に想像しているようなことはないんですが」

 

「うっそだあ。あんな大きいのぶら下げてる子と四六時中一緒にいて辛抱たまんないんじゃないのぉ? 眼鏡で隠れてるけどすんごい美人だし」

 

「………………教官、そんなオヤジ臭い性格だから独り身なんじゃないんですか」

 

「いきなり何てこと言い出すのよ!! アタシは好みの素敵なオジサマを選んでるだけで、これでも結構モテるんだからね!」

 

「その素敵なオジサマに、いつも足の踏み場もない程部屋を散らかすような女性はお眼鏡に叶うんですかね? エマが時々掃除しているみたいですけど、その件についてはどうお考えですか?」

 

「ぐぅ……トヴァルみたいに痛いとこ突いてくるんじゃないわよう」

 

「……教官はもしかして……」

 

 そうこうしている内にエマが戻り、両者は戦闘態勢に入る。サラとリィンの距離は十アージュ。そのリィンの後方五アージュの位置にエマが立つ。二人の間で戦術リンクが起動し、光のラインが結ばれた。

 

 

 先のだらしない雰囲気は消え去り、歴戦の強者の面構えとなったサラ。不敵な笑みから発せられる威圧感が、対峙するリィンの肌をビリビリと刺激する。否応なしに高揚する心に今だけは素直に。

 

 

 自らの髪色と同じワインレッドに塗装された導力銃とブレードを手に、彼女は高らかに告げた。

 

「それじゃあ始めましょうか。ラウラ、開始の合図をお願い!!」

 

「は、はい! それでは……始め!!」

 

 

「疾風!!」

 

 先手はリィン。弐の型で瞬時に距離を詰めて斬りかかる。袈裟斬りはサラのブレードに弾かれ、すぐさま左の導力銃が向けられた。驚異的な速さで照準が合わせられ、紫電の弾丸が吐き出される。リィンは屈んで射線から逃れると、そこから斬り上げ。導力銃を刀身で叩いて逸らし、更に一歩踏み込む。サラは弾かれた勢いを利用して一回転し、水平にブレードを薙いで来た。十字に交わる剣閃は赤が押し勝ち、両者の距離が空く。

 

「クロノドライブ!」

 

 駆動を終えた時属性の導力魔法がリィンの動きを加速させる。銃の掃射を掻い潜ると再び肉薄してサラと打ち合う。続いて筋力強化(フォルテ)耐久強化(クレスト)が発動し、リィンが更に強化された。繰り出される斬撃から太刀筋の乱れたものを見極めて『残月』を放ち、そこから螺旋撃に繋げて押し退ける。

 

「アレ? エマあんな導力魔法(クオーツ)セットしてたっけ?」

 

「さっき僕のを貸したんだよ」

 

「私からもね」

 

 実技テストの時には使用しなかった導力魔法にフィーが首を傾げていると、エリオットとアリサがその疑問に答える。

 

 戦術オーブメント最大の利点はその汎用性にあり、特に最新型のARCUSは結晶回路(クオーツ)一つセットするだけで導力魔法を扱うことが出来る。エマは事前にオーブメントの盤面をリィンの支援に特化した構成にしていたのだ。

 

 しかしそれだけで状況が好転する訳ではない。徐々にギアを上げていくサラは赤い残像が見える速さブレードを振るい、捌ききれないリィンの身体に傷が付いていく。

 

「(すみません、あと五秒……!)」

 

「(了解……っ!)」

 

 鍔迫り合いの最中、サラが足を引っ掛けリィンがバランスを崩した。横転は免れたが生まれた明確な隙を逃す筈もなく、上から体重をかけて押さえ込まれる。空いた導力銃を向けた相手はリィンではなくエマであった。

 

 今まで敢えて手は出さなかったが、戦いに於いて後方支援役から狙うのは鉄則。戦術オーブメントで援護や立て直しが容易になった近年では如何に優れたアーツ使いを早く落とせるかが鍵になる。

 

 銃声と同時に殺到する紫電。だがエマは臆することなく、駆動を完了させる。

 

「アースランス」

 

 地面が隆起し、高さ二アージュはある土の槍が複数本、エマの眼前に現れた。乱立するそれらを飛来した雷弾が穿つが、奥にいるエマまでは届かない。

 

「質より数重視の防壁代わりか。思ったより時間稼がれちゃったわねー」

 

 仕切り直す為に一旦後ろに跳んだサラは、口笛を吹いて二人を称賛する。リィンも立ち上がると、エマと会話できる距離まで近づいた。

 

「取り敢えず、戦える形は出来上がったか……」

 

 持ち前のスピードで敵を撹乱しつつ導力銃で動きを止め、本命のブレードを叩き込むのがサラの戦闘スタイルだ。対抗するには彼女の速さに並ぶか、動きを制限する必要がある。前者をリィンが、後者をエマが担当し、エマはアーツを導力銃に妨害されないよう壁を作る。即興で立てた作戦だが、どうにか実現出来た。

 

 ここから勝つためには補助魔法の効果が切れる、或いはエマの防壁が削り取られるまでに決着を付ける必要がある。リィンのスタミナにも余裕はなく、ここは短期決戦しかない。

 

「援護頼んだ」

 

「お任せを」

 

 魔女の短い返事は、四年の月日と数々の困難を乗り越えた信頼の証。思わず笑みを浮かべたリィンの精神的な枷がひとつ外れる。

 

「蒼き焔よ──」

 

 蒼炎に染まる刀身を構え、疾駆する。紫電の雨が二人に降り注ぐが構わず突破。真一文字に振り抜かれた太刀に合わせて広がった炎が、回避したサラのコートの端を焦がす。

 

「あら、ナイトのお役目は良いの?」

 

「エマはそこまでヤワではないです、よっ!!」

 

エマが杖を掲げると、彼女の周囲に光の剣が出現した。エプスタイン財団が開発し、ラインフォルトが改良した魔導杖は、データを入力することで既存の戦術オーブメントとは違う独自のアーツを可能にする。

 

 五本の魔剣は真っ直ぐに進み、途中で散開。縦横無尽に宙を舞い、サラに全方位から襲い掛かる。魔剣はただの攻撃ではなくサラの隙を突く、或いはリィンの隙を埋める形で割って入り、この上なく効果的な援護として機能していた。

 

 これはリィンとエマがお互いを熟知しているのもあるが、何より戦術リンクの恩恵が大きい。躍動するサラの動きをエマが捉えることは出来ないが、何度も打ち合っているリィンなら見極められる。戦術リンクを介して情報を共有することで、エマはその明晰な頭脳でサラの手を分析。先読みでの援護を可能にしていた。

 

「あれがリィンの……いや、二人の本気なのか」

 

「ああ。委員長がリィンの強みを際限なく高めている。追い風を上手く生かして飛ぶ鷹のようだ」

 

 青に紫、そして白。三色の光が乱舞する中、傍から見ても分かるほど急速にサラとの差を縮めていく二人にラウラとガイウスは戦慄する。先月の実習で幾度となくサポートしてもらったからこそ、その精度の差がはっきりと感じ取れていた。

 

「ひょっとしてこれ、勝てるんじゃないかしら?」

 

「う、うん。良く見えないけど、リィンと委員長が押し始めてる気がするよ」

 

「……」

 

「……」

 

 アリサとエリオットは大金星の可能性に目を輝かせている。膝をついたままのマキアスとユーシスは、唇を噛み締めて戦いを見つめていた。

 

 

「それでも甘いっ!!」

 

 だが、彼女も二十代半ばで帝国最高峰の士官学校で武術教官を務める身。闘気を十全に込めた一振りが、蒼い炎を吹き散らす。同時に補助アーツの効力が切れ、派手に飛ばされたリィンが地面を転がった。

 

 直後に飛来した五本の魔剣を撃ち落とし、斬り裂き、蹴り飛ばして全て破壊する。稼げた時間は五秒程度。その間にリィンは起き上がり、太刀を鞘に納めていた。後の先を取る居合い、残月の構え。逃げ場もなく、力も速さも劣るサラ相手には分が悪かろうとこれしかない。

 

 突撃してくるサラを目前に、柄に手を添えたリィンは一段深く腰を落とし──その背後から、光輝く刃が頭上数リジュのところを掠めて通過した。

 

(六本目の魔剣……アースランスの壁に隠してたって訳!?)

 

 驚愕の中、鍛え上げた身体は反射的に動く。ブレードで魔剣を弾き、片足を地面に刺すように突き出して急停止をかけた。ブレードを防御に使わされた今、リィンの間合いに踏み入るのは不味いと判断してのことだった。

 

 リィンは構わず身体を捻り、太刀を抜き放つ。響く風切り音は、残月にはないもので。

 

 

「弧月一閃!!」

 

 

 それは伍の型に陸の型を組み合わせ、間合いを伸ばした居合斬り。先に残月を見せていたからこそ、この一刀は彼女の想定を覆す。

 

 

 サラの顔に初めて表れる明確な焦り。手応えを感じ取ったリィンは無心で剣を振り、

 

 

 ──三日月模様を描くはずだった太刀筋は、宙を舞う導力銃が割って入ったことで乱された。

 

 

(手首だけで、銃を投げた……!?)

 

 導力銃は彼方に飛んでいくが、衝撃を受けた太刀は大きく逸れてしまう。全身に雷光を滾らせたサラはリィンの間合いの内に飛び込み、膝蹴りを胸元に叩き込んだ。

 

「がっ……!」

 

 一瞬呼吸が止まり、仰向けに倒れる。目を開ければ、馬乗りになったサラがイイ笑顔でブレードを突きつけていた。

 

「いやーまさか雷神功(奥の手)切らされるとはね。ま、評価はほぼ満点ってところだけど、勝ちまではまだあげられないわね」

 

「……参りました」

 

 素直に降参し、解放された手足の具合を確かめる。細かい傷はあるが問題なく動かせた。後で保健室に行って傷薬を貰えば、この後の授業にも支障は無いだろう。かつてトヴァルから聞いたことのある二つ名の凄さを身に染みて理解できたリィンだった。

 

 小走りで駆け寄って来たエマが、小さく頭を下げる。

 

「お疲れ様ですリィンさん。最後は上手くフォロー出来なくてすみません」

 

「エマの援護は完璧だったさ。教官が上手だっただけだ」

 

 これまで研鑽と今日の健闘を称え、魔女と騎士はハイタッチを交わした。

 

「それじゃあ、この後は教室に戻って反省会やるわよ。各自何が足りないか、そこの二人も含めて考えてみなさい」

 

 最後にサラがそう締め括り、実技テストは終了する。ギャラリーだった七人はそれぞれ、大健闘を果たした彼らとの差を目の当たりにしたのだった。

 




話の都合で入れられなかった例の薔薇のお話


エマ「それでその双子からグランローズを貰ったと」

リィン「ヴィヴィとリンデが入れ替わってるのを見抜いたらご褒美って渡されたんだ。でも正直扱いに困るというか……。ほら、前に教えてくれたグランローズの花言葉的にさ」

エマ「……でしたらその花をいただけませんか? 上手く出来るかは分かりませんが、生け花にしてロビーに飾ってみます」

リィン「お願いするよ。その方がこのグランローズも喜ぶだろう」

エマ「(リィンさんが持ってるとその内爆弾になりそうなんですよね……。)」


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ぬるま湯の一時

今回の話から、脇役ではありますがオリキャラが登場します。それに伴いタグも少し追加・変更しました。

創の軌跡も新情報が色々と出てきてますが、やはり気になるのはエマと映ってた白いフクロウでしょうか。母イソラの使い魔なのかな?




 

 

 その部屋は、群青色に満たされていた。

 

 

 部屋の中央に立つローゼリアが、その小さな掌を掲げている。そこから溢れ出す青い光が、対面に座るリィンの心臓に吸い込まれていた。裸の上半身──心臓の位置に白墨で描かれた幾何学模様の魔法陣が、水面に映る月のように揺らめいている。

 

「……っ」

 

 雪を際限なく飲み込んでいくように、徐々に温度を失っていく胸の内。視界いっぱいの群青も相まって、海の底に沈んでいく溺死体のイメージがリィンの脳裏に否応なく浮かんでくる。

 

「気持ちは分かるが呼吸を乱すでない。あと少しで終わる──prope(閉じよ)

 

 ローゼリアの指先が魔法陣に触れると一瞬で霧散する。同時に群青の光も消え、現実的な景色が戻ってきた。

 

「ほい、終了じゃ。もう服を着てよいぞ」

「え、もうですか? これでちゃんと封印できたんですか?」

 

 渡された粉末を飲み、後は可能な限り落ち着いた呼吸を維持するだけ。時間にして三分程度しかなかった施術は逆にリィンを不安にさせた。

 

「期待に応えられぬのは済まぬが、その力の正体が判明せん以上すぐには有効な術式を用意出来んのでの。今回は心臓に宿るチカラが全身に及ばぬように壁で囲っただけで、後から足りない部分を追加していくしかないんじゃ」

 

 見た目に似合わない苦い顔をする魔女の長。裏の世界の頂点の一角を担う者として、スマートな解決が図れない現状には歯がゆい思いをしていた。

 

「ひとまず、コレで身体を動かしてくると良かろう。ヌシの身体に術式が馴染んでおるかも確認しておきたいしの」

 

 そう言ってローゼリアが差し出した物を見て、今度はリィンが表情を曇らせることになった。

 

 

 

 ──そんな訳で昼過ぎ、リィンは里の外れにある広場に足を運んでいた。中央のそれとは違い、見渡す限り何もない広いだけの空間。周囲は木々に囲まれていて、空から俯瞰して眺めれば森の中にぽっかりと空いた穴のように見える。

 

 広場の中央まで歩いていき、リィンは腰に下げていた物を手に取る。ユン老師に弟子入りして以来、一日たりとも握らない日はなかった自分の太刀だ。里を飛び出した時から捨てられずに持ち続け、最後には杖代わりに使ってた。てっきり倒れた場所に置いてきたものだと思っていたが、エマはしっかり回収してくれていたようだ。

 

「……未練、だよな」

 

 ストレッチで身体を解した後、瞑想で気持ちを落ち着けてから太刀を構える。八葉一刀流の基礎となる八つの型を繰り返す。初めは一つ一つ動きを確かめるように丁寧に。その後は一連の型を通しで。何度も何度も、ここ数日剣を振らなかった分を埋めるように。中天に昇る日輪は容赦なくリィンを照りつけ、噴き出す汗が飛び散った。

 

 無我夢中で剣を振り続けて際限なくギアを上げていくリィンだったが、やがて限界に突き当たる。酸欠に陥った身体は休息を求めて膝をついた。

 

(駄目だ……これじゃあただ剣に振られてるだけじゃないか)

 

 封印はきちんと機能しているようで、これまで身体を動かす度にざわついていた焔が暴れる感覚はない。恐怖に怯えることなく剣を振るえるというのに、何故か剣筋は大いに乱れていた。これならユミルを飛び出す前の方が何倍もマシだ。

 

(……いや。考えてみればもう……)

 

「ちょっとアンタ、何また倒れようとしてるのよ!?」

「わっ!」

 

 ぐるぐると思考の渦に陥りかけたリィンの頭に、生温かいモノが乗った。慣れない感触に思わず手をやって引きはがすと、美しい毛並みをした黒猫がプラプラと揺れている。

 

 

「…………セリーヌ、だったよな。何してるんだ?」

「アンタに吊るされてるんでしょーが!!」

 

 鼻先を思い切り引っかかれた。体幹ブレのないキレのあるフックである。その背後からエマも慌てて走り寄ってきた。

 

「ちょっと何してるのセリーヌ! リィンさん大丈夫ですか?」

 

 エマはリィンと向かい合って屈むとリィンの鼻に付いた傷に触れ、小さく呪文を唱える。指先が仄かな光を発し、セリーヌが付けた引っ搔き傷は初めからなかったかのように治癒された。

 

「これで良し。……リィンさん、どうして明後日の方向を向いてるんですか? まだどこか痛むんですか?」

 

「な、何でもない。えっと、二人はどうしてここに?」

 

 至近距離に少女の顔が迫りドキドキしたとは流石に言えず、リィンは話題を変える。答えたのはまだご立腹のセリーヌだった。

 

「またアンタの姿が見えなくなったからロゼに訊いて来たのよ。さっきからアタシ達が何回呼んでも全然反応しなかったせいで随分待たせてくれたわね」

「それはごめん。……もしかして、さっきまでずっと見てたり?」

「半時間くらいは。相当集中されていたみたいですね」

「うわ、それは……見苦しいものを見せたよな、ごめん」

「そんなことありませんよ!! 剣術のことはあまり良く知らないですけど、舞っているみたいに綺麗な動きで思わず見とれちゃったくらいです!」

「お世辞はいいよ。俺のなんか……」

「ほ、本当にそう思ってるんです!」

「分かった! 分かったからそんな力説しないでくれ!」

 

 耐え切れなくなったリィンが顔を赤くして叫ぶ。自分で至らないと思っているものを絶賛されるのは、時に貶されるより心に来るのだ。

 

 

 閑話休題。

 

 

「身体の具合はどうなんですか?」

 

 ひとまず休憩で木陰に腰を落ち着けていると、隣に座るエマが恐る恐る尋ねてくる。セリーヌは付き合う気もなくどこかへ行ってしまった。

 

「快調そのものだよ。ローゼリアさんや里の人達、エマとセリーヌのお陰さ」

 

 実際、焔の存在は感じ取れているが、それが広がる気配はない。ローゼリアが語った通り、火種の周囲を燃えない壁で包んでいるような感覚だ。最も恐れていた、異能の暴走で他者を傷付ける心配が無くなったのは素直に嬉しいことだ。嘘偽りない感謝をリィンは笑顔に乗せる。

 

「私はお祖母ちゃんに言われた通りに薬の準備をしただけで、大したことはしてないですよ。……姉さんなら、直接封印術の補助だって出来たでしょうし」

 

 スカートの上に置かれた手が握り拳になる。

 

 ローゼリアから聞いた失踪には触れないようにして尋ねてみた。

 

「そんなに凄い人だったんだ」

「はい。小さい頃から魔術の才能に恵まれてて、私なんかでは足下にも及ばないくらいに優れた魔女でした。お祖母ちゃんも里中の人も、歴代でも指折りの魔女になるって期待してました。ちょっと人を振り回すところはありましたけど、身内から見てもとっても素敵な人だったんです」

 

 宝物の箱を開けるように語るエマの口調は誇らしげだ。優れた姉に対しての嫉妬も見受けられない。心の底から、本当に姉のことが大好きなのだろう。その気持ちはリィンにもよく理解出来た。

 

「そういえば、リィンさんってご兄妹はいらっしゃるんですか?」

「三つ離れた妹が一人いるんだ。血は繋がってないけど、俺なんかには勿体無いくらいの良い子だよ」

「それなら九歳くらいですか……まだまだ可愛い時期ですね。いいなあ」

「妹が欲しかったりする?」

「お祖母ちゃんも姉さんもセリーヌも、私を子供扱いしてくる時あるんですよ。普段色々と面倒みてるのはこっちなのに……。まあ、ですので妹がいれば思いっきり甘やかしちゃうかもしれませんね」

 

 小さく笑う彼女を見て、リィンはあることを思い付いた。エマのことをそれほど知っている訳ではないが、エリゼと共にいるこの少女の姿を思い浮かべると不思議としっくり来たのだ。

 

「……エマさえよければ、俺の代わりに(・・・・・・)妹と会ってみてくれないかな? きっと仲良くなれると思うんだ」

「わ、私がですか!? で、でも魔女がみだりに里の外に出ることは禁じられてますし」

「でも巡回魔女になれば外に行けるんだろう? 使命のちょっとしたついでにとかダメかな」

「それはそうですけど……うーん」

 

 思ったより揺れているらしく悩み始める見習い魔女。やや突拍子もない頼みに動揺したのか、間に挟まれた重要な言葉を聞き逃していたことに気づかない。

 

 

「勿論無理強いはしないけど、前向きに考えてくれると嬉しい。あの子は皆に好かれてるけど、領主の娘ってことで寂しい思いをすることもあると思うんだ」

「リィンさん?」

「今日はもう戻るよ」

 

 エマを置いて立ち上がる。休憩で体力は回復していたが、これ以上剣を振る気にはなれなかった。

 

 元々異能を制御する為に始めた剣術だ。ローゼリアの封印によって暴走の危険がなくなったのなら、リィンには剣を握る理由がない。あの厳しい修業もしなくて済むのだから万々歳だと、無理矢理にでも自分を納得させようとする。

 

(そもそも、あれだけ必死に修業したのに性懲りもなく暴走してしまったんだ。間違いなく破門だよな)

 

 何もかもを見透かすような老師の視線に宿る失望の色を思い浮かべると、胸がズキリと痛む。やはり自分のような人間かも定かではない者に、栄えある八葉は分不相応だったのだ。

 

 重い足取りのままアトリエの扉を開けると、そこには見覚えのある青年がローゼリアと話していた。

 

「ユークレスさん……いつ戻られてたんですか?」

「たった今だよ。これを見つけたから早めに帰ってきたんだ」

 

 そう言うと、ユークレスは手に持った一枚の紙を見せてきた。そこにある写真には、見慣れた顔が映っている。

 

 

「遊撃士協会に、君の捜索依頼が出回っている」

 

 

 ──時は待たない。決断は往々にして、突然迫って来るものだ。

 

 

 五月二十九日の早朝、特別実習初日。ユーシス・アルバレアは制服姿で第三学生寮をのロビーにいた。

 

 実習地にして故郷でもあるバリアハート行きの列車が到着するまで一時間はある。偶然早くに目が覚めたのもあるが、何かと噛みついてくるあの男と廊下で鉢合わせしない為にいち早く降りてきたのだった。

 

「…………」

 

 まだ暗さの残る無人の空間をぼんやりと眺めながら、この二ヶ月を思い起こす。

 

 

 ユーシスにとって、特科クラスⅦ組は都合の良い居場所だ。

 

 四大名門出身の彼の周りには、常に誰かがいた。実家のアルバレア城館には昼夜問わず使用人が行き交い、外出すれば人の目が集まり、社交会に出席すれば老若男女に囲まれる。そこで浴びせられるのは賛美の言葉と綺麗な笑顔──その裏に隠された打算と欲望、そして羨望。それが高貴な生まれの義務とでも言うように、彼らは言外の感情を無遠慮にぶつけてきた。

 

 望まないものであっても、自分の生まれから逃れられないことはアルバレア家に引き取られて数か月すれば嫌でも理解することとなる。ならばせめて、その名に恥じないような生き方をしようと幼心に誓った日より彼なりに努力を重ねている。誰よりも敬愛している、自分などより遥かに大きなものを背負っている兄の力に少しでもなれるように。

 

 トールズへの入学もその一つ。学べることは多いだろうが、進学理由を一言で言ってしまえば箔付けということになる。初日に落とし穴に落とされて、境遇の全く異なる同級生と一つ屋根の下というのは流石に予想外だったが。

 

 不安しかなかった共同生活だったが、これが意外と悪くない。まずこちらに媚びて付き従ってくるような貴族生徒──ハイアームズ家の三男坊にくっついている男子のような──とは、寮の場所やカリキュラムの都合で距離を置くことが出来る。貴族生徒専用のサロンには執拗に誘われるが、一度でも応じれば余計なしがらみに縛られるのは目に見えているので断っていた。

 

 クラスメイトの貴族生徒二名は家柄に固執するタイプではなく、他も過剰に畏まらずにある程度自然体で接してくれる気の良い人間だ。一名鬱陶しいのがいるが、陰口ではなく正面から物を言ってくるだけ幾分かマシだった。

 

 アルバレアとして見られても、求められはしない環境。常にきつく締めてきた襟元を、少しだけ緩められる機会が多いというのは思っていた以上に気楽である。

 

 

 しばらくすると階段を踏む音が聞こえ、リィンが姿を見せた。

 

「おはようユーシス。今日は早いんだな」

「レーグニッツよりも遅れれば、嫌みを言われるのは目に見えているからな」

「……確かにな」

 

 その光景が容易に想像できてしまい苦い顔をするリィン。ユーシスは言うまでもないが、次点でマキアスに敵視されているのが彼である。

 

「そういえばユーシスにとっては里帰りになるのか」

「二か月ではそう感慨もないがな」

「それもそうか。……向こうではユーシスへの態度も変えたほうがいいのか?」

「必要ない。あくまでクラスメイトとしていつも通りにしていろ」

「了解。あ、紅茶を飲もうと思ってたんだけどユーシスもどうだ? 茶葉ならメジャーなのは一通り揃ってるけど」

「別にいらん。……わざわざ出発前に飲むほどの愛好家とは知らなかったな」

「そこまでって訳でもないんだけど……最近はずっと朝にエマが用意してくれてたから習慣になってさ」

 

 紅茶じゃなくてハーブティーだったけど、とユーシスのぞんざいな物言いを気にした風もなく、リィンはキッチンに引っ込む。

 

(リィン・シュバルツァー……シュバルツァー男爵家、か)

 

 アルバレア家にシュバルツァー家との交流は殆どない。領地のユミルはノルティア州──先輩のアンゼリカの実家であるログナー家の管轄だ。爵位も公爵家と男爵家では天と地ほどの差がある。嫌な言い方をしてしまえば、関係を築くメリットがない相手である。

 

 そんな訳でユーシスにとっては全く馴染みはなかったが、クラスメイトとなる貴族のことを全く知らないのも問題だ。入学してすぐに家老(アルノー)に頼んで調べてもらった。

 

 基本的な情報を除いて、判明したのは三点。

 

 一つ目は男爵家ながら皇族と縁があり、時の皇帝から下賜された旅館は今でも皇族が訪れることがあるということ。

 

 二つ目は兄が一度だけ現当主のテオ・シュバルツァーに鷹狩りの指南を受けていたこと。

 

 三つ目はそのテオ・シュバルツァーがここ数年社交界に最低限しか出席しておらず、領地に引きこもっていること。そしてその理由が、どこの生まれとも知れない浮浪児を拾って養子にしたことで中傷を受けたからという噂があること。

 

「よっと」

 

 程なくしてキッチンから戻ってきたリィンは、トレイにティーポットと四つのカップを乗せていた。ソファに座り慣れた手つきでポットを傾けると、琥珀色の液体がカップに注がれる。独特の香りがユーシスの鼻腔を擽った。

 

「意外と手馴れているな」

「実家でも偶にやってたから。大抵は母さんと妹の仕事だったけど」

「自分で淹れていたのか?」

「そりゃあ使用人なんていないし、家のことは自分たちでやらないと。……って、公爵家だと考えられないよな」

「そんなことは……」

 

 無い、と苦笑するリィンに言いかけて、結局言葉にならずに口を閉じた。もう八年も前の、二度と戻らない光景だ。易々と語る訳にもいかない。

 

 胸中に差した翳りを振り払うように、ユーシスはリィンの対面に座る。

 

「ユーシス?」

「さっきはああ言ったが、やはりいただこう」

「それはいいけど味の保証は出来ないぞ?」

「構わん」

 

 注がれた紅茶を口に含む。少し温く、お世辞にもユーシスの肥えた舌を満足させる出来栄えではなかったが、丁寧に作られたことが分かる味わいだ。リィンの性格が良く出ている。

 

「……悪くはないな」

「それは良かった。あ、カップもう一つ持ってこないと」

「レーグニッツがお前から振る舞われたものを飲むとは思えんが。それにあの男はコーヒー派だろう」

「そう言えばそうだった。でもコーヒー豆はキッチンに無いしな……」

 

 真剣に頭を悩ませるリィンには初めからマキアスを除外する選択肢は頭にないらしい。つくづくお人好しな男だと呆れながら、噂話を今一度思い起こす。

 

 浮浪児と血の繋がりのない家族。偶に見聞きする貴族らしからぬ、それでいて貴族らしい人の良さ。推測が正しければきっとこの男も──

 

(──下らん。だからどうしたという話だ)

 

 気付けばリィンに対して抱いている親近感を、ユーシスは自分で一蹴した。所詮は噂で、どこまで信じられるのかも分かったものではない。出自で人格を判断するなどユーシスの思う誇りある貴族の姿ではない。

 

 少なくともリィン・シュバルツァーは、アルバレアの人間に級友として紅茶を差し出すことの出来る人間だ。それだけ分かれば十分だった。

 

「委員長の淹れる紅茶は美味いのか?」

「紅茶もおいしいけど、お勧めはエマが自分で作ってるハーブティーかな。興味があるなら、実習が終わった後で聞いてみたらどうだ?」

「……考えておこう」

 

 

 それきり無言になった二人は、やがて三人がやって来るまで穏やかな時間を過ごすことになる。

 

 兄の前で緊張しながらでもなく、アルバレアに取り入ろうとする相手と腹の探り合いをするでもなく。

 

 

 ただ誰かと飲む紅茶は思いの外温いらしいと、益体もないことを覚えた朝の一幕だった。

 

 

 

 

 

 

 同時刻、公都バリアハートにて。

 

 

 貴族の街であるバリアハートには、当然客層もそちらに寄る。大々的な看板、整えられた内装、贅を凝らした品々、それらを飾る謳い文句。時に商品が持つ本来の姿を覆い隠してしまうほどに過剰な装飾の数々は、少しでも目が肥えた貴族の目に留まろうと工夫を重ねた証であり、貴族御用達の店が並ぶ職人通りではその傾向が特に強い。

 

 しかしそれとは逆の、所謂『隠れ家』的な店も存在する。

 

 例えば、平民の住む家屋の一部屋。例えば、路地裏の死角。例えば、高級店の立ち入れない上階──客から見れ ば、店主の居住スペースとしか見られない。多くの人の視界に入りながら、風景としか認識されないような場所。そう言ったところに看板ひとつ掲げずに店を開けて、ごく限られた客だけを相手にするスタイルだ。

 

 

 彼女の店も、そういった類のアンティークショップだった。

 

「……いらっしゃい」

 

 平民の居住区に建つ、とある貸家だった。部屋の奥のカウンターで雑誌を読んでいた女性は、来客に顔を上げる。

 

「やあ店主殿。半年ぶりになるかな」

 

 来客は純白を基調とした、目立つ礼服に身を包む男だった。横髪を掻き上げる仕草が芝居がかっており、全体的に胡散臭い。この雰囲気が作られたものなのか素なのかは、そこそこの付き合いがある女性も知らない。きっと彼が所属する組織の面子に訊いても分からないだろう。適当に付き合わないと疲れるタイプである。

 

「しかし随分と急な来店じゃない。目ぼしいお宝でも見つかった?」

 

「フフ、遠からずと言ったところかな。我が美のライバルが育てようとしている雛鳥達を見に来たのだが……今回は面白いものが見られそうでね。微力ながら、この翡翠で飾られた舞台を盛り上げたいと思ったのだよ」

 

「それはまた……気の毒な子たちだこと」

 

 美の探求家を自称するこの男のお眼鏡に叶ったターゲットとその周囲を取り巻く人間は、例外なくその悪趣味に付き合わされて悲惨な目に遭う。女店主自身も割とロクでなしの自覚はあるが、彼を見れば少しは自己を顧みようという気分になるものだ。

 

 とは言え、男は数少ない上客の一人。客は選べど人は選ばない、がポリシーの女店主はさっさと本題に移ってしまうことにした。

 

「それで今回は何がお望みかしら。今は古代遺物(アーティファクト)が品薄だけど、代わりに幻獣の素材は良いのが入ってるけれど」

 

「そちらも興味はあるが……まあいつものを頼もうか」

 

「残念。奇術師を名乗るのなら少しは冒険したら?」

 

「完成された芸術とは、使い慣れた道具から生まれるものなのだよ」

 

 取り置いていた品を紙袋に入れて渡し、対価のミラを受け取る。

 

「ではこれで失礼させてもらうとしよう。今後ともよろしく頼むよ、魔女殿」

 

「はいはい。ヴィーちゃんによろしくね」




バリアハート行くまでに一話使うことになるとは思いませんでしたが、マキアスだけ触れるのもなーということで。


最後の店主はファルコムの某作品のキャラから外見と名前を借りてますが、中身は結構別物になると思います。

客はバレバレだとは思いますがお馴染みのアイツ。バリアハート編難易度アップの原因その1。


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赤の記憶、翡翠の歓待

創の軌跡、ひとまずシナリオクリアしました。感想は色々とありますが、今後の合間にちょこちょこ語れたら良いかなーと。PV見た時点で危惧していたネタ被りも軽微で済んでよかったです。発売前に構想していたすーちゃんとなーちゃんの閃の軌跡参戦プランもなんとか形に出来そう(とはいえ大分先の話ですが)。





 

 日が沈み夜になると、元々閑静なエリンの里は尚更静まり返る。住人は各々の住まいに戻り、息を潜めるようにして過ごしていた。

 

 夕暮れ──昼から夜へと移り変わるその時間は逢魔時、或いは大禍時とも称される。その名の通り、人に災いをもたらす魔性が現れ出す境目だ。そこを越えた夜は、不用意に出歩くと魔性の存在に出会う時間帯として知られていた。《表》では人を戒める伝承として。《裏》では実際に人の命を脅かす存在として。特に魔は魔を引き付けるとされ、魔女の眷属の歴史はそういった魑魅魍魎との闘いの歴史と言っても過言ではない。

 

 里にはそれらの魔性を退ける結界が貼っており、外に出ない限り危険は殆どない。だが魔性の脅威が骨の髄まで染み込んでいる魔女達は、自然と夜は外に出ないという習慣が身についている。

 

 リィンもまた、与えられた部屋のベッドに座っていた。明かりは点けていない。雲の切れ間から差し込む月明かりが、彼の持つシワだらけになった紙を照らしている。

 

 ユークレスが手に入れた、自分の顔写真の入った遊撃士協会の捜索依頼書だ。四大名門のハイアームズ家が治めるセントアークの支部に貼ってあったものらしい。リィンが家族の前から姿を消して一週間。捜索範囲が広がり、ユミルから遠く離れたサザーランド州にまで情報が行き渡ったのだろう。

 

 写真の中の自分は楽しそうに笑っていた。確か半年前の鷹狩りの時に撮ったものだ。ユン老師の課す厳しい修業にもようやく慣れてきて、剣の道が生活に馴染んできた頃合いだったはずだ。

 

「……はあ」

 

 何度目かも分からないため息が紙面を撫でる。

 

「リィンさん、今よろしいですか?」

 

 控えめなノックと同時にエマの声がした。ドアを開けて迎え入れると、彼女は険しい面持ちをしている。

 

「えっと、魔術の修業は終わったのか?」

「ええ、まあ。それよりリィンさん、さっきお祖母ちゃんから聞きましたけど、どういうつもりなんですか?」

「どう、とは?」

「とぼけないでください。ご家族の下に帰らず、それどころか顔を見せるつもりもないと聞きましたが」

「……ああ。そのつもりだ」

 

 夕食前にローゼリアに告げたことを、リィンは今一度肯定する。

 

 ローゼリアとしては異能の封印を完全に終わらせてからリィンを外に返す予定だったが、今日の施術を終えたことで若干の余裕が生まれたという。一度外に出て家族に顔を見せる程度の余裕はあるとのことだった。万一の暴走の危険に備えローゼリアも同伴してくれるそうだ。

 

 しかしリィンはその提案を断り、逆に封印が完了した後もエリンに置いてもらえないかと願い出た。それは、このままシュバルツァー家の下に二度と戻らないという宣言に等しい。流石にローゼリアも即答出来ずその場は流れたのだが……

 

「っ、どうしてです? さっきは妹さんのこと、あんなに誇らしそうに語ってくれてたじゃないですか」

「だからだよ。あの人達を二度と傷つける訳にはいかない。可能性は少なくても、この力が暴走する危険はゼロじゃないんだ」

「ならせめて文で無事を知らせるだけでも……」

「駄目だ。これを機にシュバルツァー家とは縁を切る。もう俺にあの家名を名乗る資格はない」

 

 頭を振るリィンの決意は固い。

 

「どうしてそこまで……」

「……そういえば、その辺は詳しく話していなかったか」

 

 ローゼリア相手に出自と異能のことは軽く説明したが、そもそもリィンがエマとセリーヌに出会うまでの経緯は話していないことを思い出す。助てくれた恩人にはきちんと説明しておくべきだろうと考えたリィンは、その出来事を話すことにした。

 

 

 俯いて重い口を開く姿は、懺悔をするようだった。

 

 

 

 ユミルはアイゼンガルド連峰の中腹に位置し、麓まで下りるのにケーブルカーを利用するような標高の高い場所である。夏は涼しいが冬は寒さが厳しく、降り積もる雪の処理は毎年の重労働だ。

 

 『その日』の前日はいつになく気温が低く、春先ながら季節外れの吹雪が郷を襲った。雪は午後から一晩続き、翌朝には一面の銀世界に覆われていたほどだ。

 

 リィンは午前中は郷の雪かきを行い、午後は渓谷道の状況を確かめる為に父のテオとエリゼと一緒に郷の外に出た。道は完全に雪で埋まってしまっていたが倒木や魔獣の影もなく、一先ず危険はないと判断して戻ろうとした矢先に、唐突な地震が三人を襲ったのだ。

 

 幸いにしてそこまでの揺れでは無く、すぐに収まった。だが昨日との気温差で溶けかけ、崩れかけた雪庇には致命的な振動であり──結果、一部が崩落した。

 

 頭上に降る純白の凶器。例年ではありえない場所での危機をエリゼは呆然と見上げ、テオは咄嗟に娘に覆いかぶさった。

 

 

 そしてリィンは──家族を守るため、忌み嫌っていた異能を解放した。

 

 

 黒い太陽のようであったと、後にテオは語る。全身から噴き出す黒い闘気は炎に変じ、太刀を振るう度に黒炎が迫り来る雪を飲み込むように蒸発させる。直接蒸発させたのはエリゼ達に降り注ぐ分だけではあるが、黒炎の余波は三人の周囲にあった雪も融かし、地面を露出させていた。

 

「リ、リィン……」

 

 娘から聞いた、獣染みた異能の力を実際に目の当たりにして言葉を失うテオ。崩落が収まると、リィンはテオの方へ振り返る。

 

 優しい瞳には程遠い、殺意を滾らせた灼眼。そこに映るのは愛しい義妹と、彼女を抱き寄せる()の姿。リィンにとって庇護の対象であったかが認識を分けた境界であった。父のことをいつかと同じ妹を襲う魔獣と誤認したリィンは太刀を掲げ──

 

 

 

 ──正気に戻った時、目の前にいたのは蹲る父と、寄り添う妹の姿だった。無事だったと安心したのもつかの間、父の腕から少なくない血が流れているのを見つけた。

 

「…………………ぁ…………」

 

 地面に落ちた赤い雫の軌跡は自身の足下まで繋がっており、手にした太刀の刀身には同色の染みが付着している。周囲に魔獣の気配は無い。

 

 誰が父を傷つけたのか、言うまでもなく。

 

「あ、ああ……」

 

 リィンの世界から音と色彩が消え失せる。灰色の視界の中で、滴り落ちる赤色だけが鮮明に色づいている。

 

「──?」

「──?」

 

 父と妹の口が無音で動き、リィンを見上げ。

 

 その視線が合う前に、リィンは二人に背を向けて駆け出していた。

 

 

 雪に埋もれた渓谷道を、獣のように駆け下りる。白熱する心臓からもたらされる『何か』が足に活力を与え、どこまでも駆けて行けそうな気がした。

 

 行ける場所など、どこにもないというのに。

 

(俺は……俺は、何てことを……!!)

 

 死ぬはずだった自分を拾い、育ててくれた父を自ら手にかけようとした。家族の愛情を、老師の信頼を、全て裏切った。裏切った。裏切った──!!

 

 絶望の慟哭が、雪山に木霊する。

 

 少年が魔女と出会う、三日前のことであった。

 

◇ 

 

「……それから山を下りて、ひたすらユミルから離れようと歩いてた。幸い俺の顔は郷以外では殆ど知られていないから、もし自分の身に何かあってもシュバルツァー家に被害が及ばないようにすることだけを考えて……結局力尽きて倒れたところを君とセリーヌが見つけたんだよ」

 

 語り終えたリィンはベッドへ腰を下ろし、深々と息を吐く。言葉にして話すのには想像以上の体力を必要とした。

 

「これで分かっただろ? 俺の力は周りの人を傷つける……いや、実際に傷つけた。魔獣と同じさ。いつ人を襲うかも分からないようなヤツが彼らと同じ場所に居ていい訳がない」

 

 異能の存在を自覚した日から、リィンはずっとその可能性に怯えていた。元々浮浪児の自分を拾ったことから父は貴族の世界から遠ざかるようになったことで、家族には内心引け目を感じていた身である。これ以上の迷惑を掛けまいと、八葉一刀流の修業には必死の思いで励んだ。

 

 その努力は最悪の形で牙を剥き、リィンに諦観をもたらすには充分過ぎた。

 

 

 

 ──でも。

 

「……リィンさん」

「……っ」

 

 しばし扉の前で立ち尽くしていたエマが、一歩ずつ近づいてくる。顔を見るのが怖くて俯いたままでいると、エマは静かに問うてきた。

 

「妹さんやご家族……ユミルの方々は好きですか?」

「? 勿論好きだよ。家族だけじゃなくて郷の皆も本当にお世話になったさ」

「だったらリィンさんは会わなきゃ駄目だと思います。大切な人を傷つける恐怖があっても、それでもです」

「……え?」

 

 顔を上げれば、エマは真っすぐにリィンを見つめている。眼鏡越しの瞳がどうしてか泣きそうで、それを見ていると自分まで似た衝動が込み上げてくる。リィンは振り払うように視線を逸らした。

 

「なんでさ。向こうだって会いたくないに決まってるのに」

「それ、直接言われたことがあるんですか? 貴方の耳で聞きましたか?」

「……無い、けど。普通に考えれば顔を見るのも嫌だろ」

「そんな風に思っている相手を、こうして探したりなんかしませんよ」

 

 持っていた捜索依頼の紙を奪われ、眼前に突きつけられた。写真に写る今の自分と対照的な表情が、エマの言葉が、欺瞞のベールで覆われた本音を少しずつ剥き出しにしていく。

 

「こうしている今も、皆さんはリィンさんを心配している筈です。そしてその心配は貴方の一存で否定していいものではありません」

「っ……でも、あの人達の為にはこうするしか!」

「ご家族を言い訳にしないでください。それは──ただ貴方が逃げているだけでしょう!」

 

 

 そして、そこ(・・)を暴かれた瞬間、思考が一瞬で沸点を超えた。

  

 

「うる、さいっ!! 君に何が分かるんだよ!」

「きゃ……!!」

「魔術だかなんだか知らないけど、君は自分の力をちゃんと制御出来てるんだろ!? 成長出来てるんだろう!?」

 

 立ち上がり、エマを勢いよく突き飛ばす。軽い彼女の身体はあっけなくバランスを崩し、背中を壁に強かに打ちつけた。

 

「意識が落ちたら自分が消えてしまいそうで眠れなかった日が、小さい子の手を握り潰さないように気をつけたことが、今までの苦しみが全部無駄になって虚しくなったことが、君にはあるのかよ!! 大事なものを自分の手で壊してしまう可能性を少しでも考えたことあるのかよ!!」

 

 止まらない。止まってくれない。ずっと奥底に押し込んできた鬱屈とした思いは、地中に埋められた大量の不発弾のようなもの。どれか一つに火が点いてしまえばリィン自身も制御が効かず、連鎖的に爆発する。

 

「初めてあの力を解放した時もそうだった! ずっと今まで騙し騙しやって来たのに最後にはこうなる! 結局お前は人間じゃないって、皆と一緒にいていい存在なんかじゃないって言われてるみたいに!」

 

 一言吐き出すたびにエマの身体が跳ねる。リィンの豹変に怯えるだけで無抵抗な少女の態度を良いことにどす黒い感情は煮詰まっていき、

 

「俺のことなんて、見捨ててくれれば良かったんだ……!!」

 

 エマの優しさを否定する禁句をぶつけ、リィンは部屋を飛び出した。

 

 

「私……なんてこと」

 

 数十秒の放心から立ち直ったエマの胸に自己嫌悪が去来する。知り合って四日しかない相手に対して明らかに踏み込み過ぎた。本当はもっと時間をかけて彼を説得するつもりだったのが、気づけば思うままを口に出していた。

 

(とにかく、追いかけないと)

 

 背中の痛みに顔をしかめながらも、エマは立ち上がった。去り際に一瞬だけ見せたリィンの表情を思えば、とても放ってはおけない。まだ彼には伝えてないことが残っている。

 

 彼の言う通り、異能を抱える苦しさも彼の家族の想いも、想像することしかできない。

 

 それでも一つだけ──彼が知らないことを、エマは確かに知っている。

 

 

 

 アトリエを出たリィンは闇夜を駆ける。少しでもエマから離れようと、気づけば昼に剣の素振りをした広場に辿り着いていた。

 

「…………分かってるさ。それくらい」

 

 落ち着きを取り戻したリィンは、絞り出すように独り言を漏らす。封印のことや家族を危険に晒したくないなんて理由は、全部自分を守るための言い訳だ。

 

 

 ただ怖いのだ。シュバルツァー家の人達ともう一度向き合った時、今度こそ本当に拒絶されるのが。

 

「なんで、俺はこんなに弱いんだろうなあ……」

 

 自覚してしまえば止まらなかった。視界は滲み、嗚咽が漏れる。本音はこんなにも情けなくて、恩人にすら八つ当たりしてしまった自分に耐えられない。

 

 ──もう、消えてしまいたい────

 

 想いに呼応した心臓から昏いモノが湧き出す。ローゼリアの封印をすり抜けるようにして広がり、全身を蝕んでいく。黒髪の毛先は燃え尽きた灰のように白く、視界は赤く。このまま獣と化して楽になりたいという欲求に抗えない。そうして全てを放り捨ててしまおうとしたリィンだったが、

 

 

『……兄……。兄、様……』

 

 鈴を転がすような少女の声が、闇に飲まれつつあったリィンの意識を引き上げる。

 

「……呼ンデ……る?」

 

遠くに見える木々の隙間。虚ろなリィンの瞳が捉えたのは、どこか見覚えのある黒髪の少女の姿だった。

 

 

 列車の時間が近づくにつれて三人も集まり、早朝のティータイムを楽しんだ後──予想通りマキアスは拒否したが、懲りずに勧めたエマに押されて渋々口にしていた──B班はバリアハート行きの列車に乗りこんだ。

 

 対面する二席に座る彼らの雰囲気は控えめに言っても良くはない。対抗意識なのか、わざわざお互いの正面に座るユーシスとマキアスの拒絶がリィン達の方にもひしひしと伝わってくるからだ。バリアハートに到着するまで五時間、この乾いた空気の中でいるのは流石に辛い。エマはユーシスにバリアハートについて軽い説明をお願いする。

 

「フン、別に構わないが──そこの優秀な男に解説してもらった方がいいんじゃないか? 貴族の目線で語るより、さぞ批判的で気の利いた説明をしてくれるだろうさ」

「僕がイデオロギーに歪んだ物の見方をしてると言うのか?」

「いや、何しろ入学試験で次席を取っている優等生殿だ。加えて日頃の脇目も振らぬほどの余裕のない勉学ぶり……疲れからかあれほど間抜けな欠伸面を晒すくらいだ。さぞ教科書的な知識だけは蓄えているだろうと思ってな」

「貴様言わせておけば……!」

「……お二人とも、そこまでにしてください」

 

 一段低くなったエマの声に、ユーシスとマキアスが固まった。

 

「ユーシスさん? 私は実習地が貴方の故郷だから説明をお願いしたんです。教科書やガイドブックでは分からない現地の雰囲気を知るために。到着してからも色々と訊くこともあるでしょうし、逐一そんな挑発的な態度を取られては困ります」

「あ、ああ……すまん」

「マキアスさんも、これから行くバリアハートは貴族の街なんです。公衆の面前で貴族を非難するような発言は控えてください。ましてユーシスさん相手に普段のような物言いは最悪不敬罪で拘束される可能性だってあるんですよ」

「貴族の権力を恐れて口をつぐんでいろというのかい?」

「何かあった場合、帝都知事のお父様にも迷惑がかかると思いますが」

「……」

「不満を溜め込む必要はありませんが、吐き出す場所は考えてくださいね」

「わ、分かった」

 

 口調こそ穏やかだが、それが逆に怖い。マキアスは逃げるように窓の景色に視線を移し、ユーシスは席の外側に身体を寄せてエマと距離を作った。若干落ち込む委員長にリィンとフィーが小声で話しかける。

 

「(気を落とすなよエマ。二人ともわかってくれてるはずだから)」

「(そもそも悪いのはあの二人。前回のこともあるから最初に釘を刺しておくのは良い判断)」

 

「俺からもいいかな? 今回の実習の目標を決めておきたいんだ」

「目標?」

 

 全員の注目が集まると、リィンは再度口を開いた。

 

「前回B班の……俺以外(・・・)の評価はD。はっきり言ってテストなら赤点一歩手前だ。これで今回も同じような結果を出せば成績優秀者になるのは厳しいだろう。俺は(・・)A評価だったし、足を引っ張られるのは御免だな」

「っ、自慢のつもりか!?」

「……何が言いたい」

 

 分かりやすい挑発に、ユーシスとマキアスからの視線が鋭くなる。それを正面から受け止めて続けた。

 

「二人には今回の実習でリンクブレイクを克服してもらおうと思ってる」

 

 実技テストで戦術殻と闘った際、同じチームだったユーシスとマキアスは途中で戦術リンクが切れてしまうリンクブレイクという現象を起こした。

 

 そもそも戦術リンクとはARCUSを介した高精度な意思疎通であり、その強度はリンクを結んだ二人の関係によって左右される。当然、互いに拒絶し合えばまともな意思疎通が出来るはずもない。ARCUSに問題がないのに戦術リンクを扱えないというのは、ペーパーテストに筆記用具を用意しないレベルで論外である。

 

「リンクブレイクしないよう、お互いわだかまりを捨てて合わせろと? 冗談じゃない! 誰がこんな奴と──」

「蟠りを捨てろとは言わない。立場も違えば意見も違うんだ。譲れない部分もあるだろう。だけど今からの数日間、俺達は紛れもなく仲間だ。……友人じゃなくてな。更に露骨に言ってしまえば、B班に負けないためと……サラ教官を見返す為の仲間だ」

 

 出来るなら友人でありたい、という本音はこの場では飲み込んだ。今必要なのは二人に共通のモチベーションを与えること。古来より人が手を取り合うのは、利害が一致する時なのだ。

 

「サラ教官が二人を倒した後に俺とエマを指名した理由、分からない訳じゃないだろう」

「あれってサラが暴れ足りないから付き合わされたんじゃないの?」

「……まあ、そういうトコもあるかもしれないけどさ」

 

 実際リィンの目から見てもそちらの理由が多分に含まれていた気がするが、本来の目的はお手本を見せることで発破を掛けたかったのだろうと予想している。

 

「……いいだろう。今回は一時休戦だ。君もそれで構わないな?」

「言われるまでもない。その程度の茶番に付き合う程度の忍耐は発揮して見せよう」

 

 そっぽを向いてしまったが、譲歩を引き出せたのは大きな進歩だ。どちらも、自分の言葉をそう易々と曲げる人物ではない。

 

「(……ちょっと意外かも。ああいうことも言えるんだ)」

「(この人の好きな言い方ではありませんけどね……ほんと、嫌なことほど妙に器用に熟すんですから)」

「どうしたんだエマ? なんでいきなり不機嫌に?」

「なんでもありませんっ」

「?」

「リィン、そういうとこだよ」

「??」

 

 その後はユーシスからバリアハートの説明を受けて、各々暇を潰している内に目的地に到着した。通路側に座るフィーとエマが先に席を立ち、男子はその後を追う。

 

「……ああそうだ。一応言っておくけど」

 

 エマとフィーに聞こえないよう、リィンが振り返る。

 

 

「あまりにエマを困らせるようなら、俺からも少し(・・)言わせてもらうからな?」

 

 底冷えするほど綺麗な笑顔に、こくこくと頷く男子二名。

 

 これに近い笑顔をリィンの妹絡みで見ることになるのだが、それはまた後の話である。

 

 

 

 

 駅のホームに降り立った五人を迎えたのは、アルバレア公爵家の嫡子でユーシスの兄でもあるルーファス・アルバレアだった。当主のヘルムートに代わり、領地経営や社交界で華々しい活躍を見せている貴族派屈指の切れ者。送迎の導力車の中でも対立する革新派重鎮の息子であるマキアスにも柔和な態度を崩さず、父親を立てて話す姿は正に貴公子といった風だ。

 

 そしてリィンも話を振られ、意外な関係を知ることとなる。

 

「父をご存じなんですか?」

「十年前だったか。シュバルツァー卿には鷹狩りの作法を教わったことがあってね。……機会があればまたご一緒したいものだ」

「ルーファス卿にそう言っていただけるとは父も光栄でしょう。父には必ず伝えておきます」

 

 失礼のないよう笑顔で返す。典型的な社交辞令に聞こえるが、こうして縁を保つのも貴族の仕事だ。

 

 ルーファスから二つの封筒を渡される。片方は先月も見たトールズの校章が描かれたもの。実習内容はこの中に入っているはずだ。そしてもう一方はサイズの同じ無地の茶封筒。

 

「兄上、こちらは?」

「アルバレア家──というより、私からの依頼かな。課題とするのが少々難しかったのでこういった形にさせてもらったよ。無論学院の許可は得ているし、優先すべきは実習だがね」

「……分かりました。後で確認させてもらいます」

 

 やがて車は宿泊先のホテルに到着し、ルーファスは激励の言葉を掛けて実家のアルバレア城館に向かう。父でもある当主の名代として数多くの仕事を手掛けている彼は多忙を極めているらしく、少しは自愛してもらいたいと溢すユーシス。逆に言えばその合間を縫ってまで弟の迎えに来たのは、確かな情があるからだろう。

 

「……フン、トールズの常任理事として顔を見せただけだろう。俺達Ⅶ組はそれなりに大きなプロジェクトのはずだからな」

 

 そっぽを向いて話すユーシスに普段の尊大な雰囲気は無く、家族に対して素直になれない年相応の少年のそれだった。

 

 

「う、うわあ……」

 

 割り当てられた部屋を見渡し、エマは歓声ではなく引いた声が出てしまう。流石は貴族御用達の高級ホテルと言うべきか、豪奢ながらも過度な派手さはなく落ち着いた雰囲気に仕上がっている。生まれも育ちも庶民のエマには一切馴染みの無かった世界であり、本来の宿泊料が気になるところだった。備えられたアメニティーグッズが怖くて触れない。

 

「ん、流石ベッドもフカフカ。これなら一日中寝ていられそう……ん……」

「駄目ですよフィーちゃん。荷物置いたらすぐにロビーに集合なんですから」

 

 夢の世界へ身投げを図る銀髪少女を救出しつつ、エマはベッドの側に寄せたキャリーケースを開けた。中には着替えと魔導杖、その他道具に里直伝の秘薬。その中から必要最低限の物を取り出してポーチに詰めていく。

 

「……前も思ったけど、エマって結構旅慣れしてる?」

 

 手際よく準備するエマを見て、先に整理を済ませたフィーが訊いてくる。

 

巡回魔女()修業(都合)で帝国の各地を巡っていたことがあるんです。歩くことも多かったですから、その時の経験が生きてますね」

「……それだけじゃない筈。この前の指揮も的確だったし、明らかに戦い慣れしてる」

 

 ほんの少し鋭さを帯びる空気。こちらを探るフィーの眼差しに、エマは手を止めて彼女に向き直った。

 

「そこはフィーちゃんも同じでしょう? 心配しなくても私は貴女と同じ境遇(・・)ではありませんから」

「……気づいてたの?」

「『所属』までは分かりませんけど、なんとなくは」

 

 隠す気あまりないですよね、と苦笑する。双銃剣という見慣れない得物に、戦闘方面に偏った知識と経験。加えて類稀なる身体能力とくれば、彼女の経歴は推測がつく。過去に似たような境遇の子を見たこともあった。その職業柄、得体の知れない部分のある自分は薄く警戒されていたのかもしれない。

 

 ベッドの上に座るフィーに近づき、手を伸ばす。ピクンと跳ねる小柄な体躯を抑えるように、エマは頭に手を置いた。滑らかな銀糸のような髪を撫でながら、穏やかに微笑む。

 

「大丈夫。過去のことがどうあれ、フィーちゃんはフィーちゃんですよ。今は頼りになる私達の仲間です」

「私が怖くないの?」

「何度も朝起こしてあげれば怖くもなくなっちゃいますね」

 

 撫でられてどこか居心地が悪そうに、しかし気持ちよさそうに目を細めるフィーは見た目よりも幼く見えた。それが場違いで一方的な憐憫だと知っていても、以前のフィーを想像すると悲しくなる。いつか彼女の口から話してくれることを願いながら、エマは準備を終えてフィーを連れて部屋を出る。ロビーには既に男子が揃っており、三人が別々の方向を向いて待っていた。あの空気で寝ることになるリィンには流石に同情してしまう。マキアスとユーシスは言うまでもなく、彼にもいつも通りフォローは必要そうだ。

 

 

 環境は人を作り、出会いは人を変える。どうかこの実習で皆に善き巡り合わせがありますように。そして自分が少しでもその助けになれますように。

 

「頑張らないと、ですね」

 

 魔女の眷属としてではなく、リィン・シュバルツァーの導き手として彼女が自身に課した使命を胸に、エマは階段を下りていった。




マクバーンがプレイアブル化とかマジかよ……


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魔との遭遇

二話分を圧縮したため今回は長めです。返って時間がかかるわ書いてて混乱するわで碌なことにならなかったので、次回からはもう少し短めを心掛けます。


 

 リィンが自室を飛び出してから数分後。エマも外に出てリィンを探していた。

 

「リィンさん、一体どこに……」

「全く面倒臭い……。あんなのが候補者だなんて、≪灰≫(ヴァリマール)ももう少し考えて選びなさいよね」

 

 騒ぎを聞きつけて付いてきたセリーヌが嘆息する。

 

「セリーヌ、リィンさんの行方探れる?」

「ちょっと待ってなさい。ロゼの魔力を辿るから……こっちね」

 

 リィンに施された封印術に用いられた魔力は当然行使者のローゼリアのものだが、彼女の魔力は良くも悪くも桁外れだ。眷属のセリーヌであれば探知はそう難しくない。

 

 先導するセリーヌを追っていくと、昼に彼と出会った広場に辿り着いた。手にしたランタンを翳せば、足跡が広場の更にその先──魔の森まで続いている。名の通り濃い霊力が渦巻く森林で、魔女には馴染み深い場所。しかし同時に霊力に惹かれて人ならざるモノが集まり、魔女の管理が行き届いていない場所は魔獣や悪霊の巣窟と化している危険地帯でもあった。

 

「嘘でしょあの男……里の外に出ないよう言ってたのに!!」

「……でも、この足跡って」

 

 エマが光源を地面に近づけると足跡がより鮮明に照らし出されるが、どうにも妙だった。ここまでは一直線だった足跡は、魔の森へと続く分だけがフラフラと左右に揺れている。それはまるで酔いが回った、或いは夢遊病のような、とにかく正気とは言い難い人間のもので。

 

「……誘われたのかもね」

「森の悪霊にってこと? でもここだって結界の範囲内の筈……!?」

「そうだけど、外側から干渉できない訳じゃない。アンタが言うには、アイツ相当参ってたんでしょう? そこに付け込んで憑りつくなんてのは奴らにとって常套手段よ」

「────!!」

「ちょっとまずいわね。森に入られたら探知も難しいし……仕方ない、アンタはロゼを呼んで──って、ちょっと待ちなさいエマ!!」

 

 セリーヌの静止を振り切り、闇の中へと駆け出していくエマ。用なくして外に出てはならないという祖母の言いつけを破り結界を越える。

 

 魔の森は濃い霊力の影響で、星空のように無数の光源が宙を漂っている。遠くまでは見通せずとも、里の付近であればエマもある程度道に覚えがあった。目の届く範囲を走りながら少年の名前を叫ぶが反応はない。途中で息が続かなくなり膝を折るが、胸中の焦りは増すばかりだ。

 

「落ち着きなさいエマ! さっきからどうしたのよアンタらしくない」

「落ち着ける訳ないわ。もしリィンさんに何かあったら、私顔向け出来ない」

「顔向けって、ロゼに?」

「ううん。リィンさんの──」

 

 言いかけたエマの口が閉じる。空間が震えるほどの強大な圧が、森の中を奔り抜けた。ちょうどエマ達が今いる場所の奥からだ。すぐに圧の元へ駆け付ける一人と一匹。そこには探し求めた少年の後ろ姿があった。その頭上には浮遊する半透明の骸骨──俗に言う亡霊が彼に覆い被さっている。

 

 その正体は獲物と定めた人間の親しい相手、もしくは負い目のある相手の幻を見せて誘惑し、隙を見せた対象に憑りついて精神を貪る魂喰らい(ソウルイーター)の類。何の防護策も持たない一般人が捕食されれば生ける屍となってしまう危険な魔性である。

 

「リィンさん!!」

「待って、何か変よ」

 

 顔を青くしたエマをセリーヌが止める。リィンを囲う亡霊は蹲ったままその身を震わせている。人間という極上の餌を口に出来ることに歓喜している……のではない。注視してみれば亡霊の輪郭が段々と解けていき、粒子となってリィンの身体に吸い込まれている。その意味を理解したセリーヌが、あり得ないと声を震わせた。

 

「アイツが、悪霊を喰ってるの?」

 

 捕食者と被捕食者の逆転。亡霊は苦悶に身を捩らせその場から逃れようとした時には既に頭部以外が消失している。選ぶべき獲物を見誤った愚者は断末魔を上げ、その霊体はリィンの身体に完全に飲み込まれた。

 

 そして、

 

 

「オ……オオオオオオオオォ!!!」

 

 

 

 雄叫びが、夜の静寂(しじま)を破壊する。リィンの身体から噴き出す桁外れの霊力の奔流に、眠りに就いていた魔獣たちも目を覚まして逃亡する。

 

 黒髪は白髪へ。開かれた双眸は真紅に染まり、優しかった眼差しは殺意に濡れていた。身に纏うどす黒い瘴気はリィンのシルエットを覆い隠すほど。その変貌ぶりは、エマに吸血鬼の存在を思い起こさせる。

 

「リィン、さん……?」

 

 呆然とする一人と一匹に向けて、白髪の鬼が飛び掛かった。

 

 

 ロビーの目立たない一角に集合したA班一同は早速依頼の入った封筒を開け、この後の方針を立てることにした。

 

 依頼は三件存在し、手配魔獣の討伐を除けば依頼主はどちらもバリアハートにいる。時間を有効に使うならば二手に分かれて話を聞けばいい、とまでは五人とも意見が一致した。

 

 問題になったのは、もう一方の封筒の中身だ。

 

 

「魔獣の変死体の調査……?」

 

 目を通していたマキアスが怪訝な顔をする。

 

 この一帯を巡回中の兵士からここ一週間で立て続けに寄せられた報告のようだが、その内容がまた常軌を逸していた。対象の魔獣にこれといった共通点はなく、場所も種族もバラバラ。遺体にも損傷はなく、体内に毒物のような物も検出されていない。ただ発見者の報告で唯一合致しているのは、死体となった魔獣は皆壮絶な、苦悶に満ちたような表情を浮かべているように見えた、とのことだった。

 

 ルーファスからの依頼はこの件に関しての新たな情報提供であり、今日を含め二日間バリアハート周辺を歩き回るⅦ組は好都合だったのだろう。ユーシスがいることで領邦軍の面子を潰すこともない。評価基準が不明瞭な為課題には出来ないが、有益な情報があれば相応の報酬は出すと書かれている。内容が内容の為、いたずらに公言することは控えるように、とも書かれていた。

 

「俄かには信じがたい話だな……。これが人為的なものだったとして、目的はなんだ?」

「新種の毒の実験っていう可能性なんかもありそうだけど、それでも痕跡が残らないのはおかしい」

「……」

「どうした委員長」

「……いえ、何でもありません」

 

 ユーシスに対し首を横に振った後、エマは意味ありげにリィンを見る。視線で頷いたリィンは書類を封筒に戻しながら言った。

 

「ユーシスとマキアスはどうしたい?」

「何故僕らに振る?」

「列車でああ言ったからには実習を優先してもらわないと困るけど、これを放置していれば誰かに危険が及ぶかもしれない。その辺を踏まえた上で、この件にどこまで深入りするかは事前に考えておくべきだと思うんだ」

 

 先月の実習についてはエマにざっと聞いたが、両名の不仲が原因で最低限の依頼すら満足にこなせなかったらしい。つまり今回のA班はリィンを除いて、自分たちが本当はどこまでやれるかすら把握できていない状態であると言える。先月の失態を取り戻したいのであれば依頼の全達成はほぼ必須。この依頼に割ける余裕があるかどうか。

 

 

 「……気にはなるが、実習の評価に影響しないというのであれば後回しにすべきだと思う。そもそも領邦軍がさっさと解決出来ていないのが問題じゃないのか」

「ちょっとマキアスさん……」

「構わん。そこの男の言う通りだ」

「なんだ、随分と殊勝じゃないか」

「……事実を言ったまでだ」

 

 憮然とした表情でユーシスが言う。依頼書を見ても情報不足が見て取れることから、領邦軍も手を焼いているのだろう。これが人間まで被害を被るようなことになれば、クロイツェン州の領邦軍の威信の低下は避けられない。

 

 マキアスの言う通りひとまず実習に集中すると結論を出して、一同は街に繰り出す。さり気なく歩調をずらしてエマの隣に並んだリィンは小声で魔女に問いかけた。

 

「何か分かったのか?」

「確証はありませんが、思い当たることがありまして。出来れば今日の夜にでも調査に向かえればいいんですけど」

「……今日の実習次第かな。何となく一筋縄ではいかなそうだ」

 

 

 

 

『この仕事やってるとな、想定外の事なんていくらでも起こるもんだ』

 

 あれはいつだったか、興味本位で遊撃士のことを訊ねた時に彼はこんなことを言っていた。

 

『そりゃ俺達だって仕事の前には段取りくらい組むぜ? でも依頼の詳細は現地で依頼人に話聞かないと分からんし、いざ始めてみれば目論見とズレることなんてザラだ。想定より時間がかかって後の依頼が間に合わなくなった時もあれば、依頼人がめんど……まあトラブルがあったりな』

 

 その短い金髪をガシガシと掻きながら、彼は最後に口を濁していた。単なる愚痴を自分たちに聞かせるべきではないと考えたらしい。

 

『まあ要するに、いかにトラブルを上手く対処できるかってのが遊撃士の腕の見せ所って訳だ。これが高位クラスになると、時にそれすら利用してより良い結果を出したりするんだが』

 

 市民の味方とされる遊撃士だが、その実情は地味で苦労も多いようだ。それでも語る姿は誇らしげだったのを覚えている。遊撃士に限った話ではなくトラブルへの対処というのは人生について回るものだが、職業柄特にその頻度が高いのだろう。

 

 

 つまり特別実習が遊撃士の仕事と似ていると気づいた時点で、こういった事態も想定しておくべきだったのかもしれない。

 

 

 

 ドアを開けると、そこには別世界が広がっていた。

 

 鼻腔を擽る木の香り。丁寧に手入れされているであろう調度品は光沢を放ち、吊るされたランプと壁時計の針音がは、森の中にポツンと佇む一軒家のような雰囲気を作り上げている。ここがバリアハートの外れ、平民の居住区にある安アパートの一角だと誰が思うだろうか。

 

「ようこそアンティークショップ《ルクルト》へ。あ、その辺は学生さんでも手の届く値段だから良ければ見ていって頂戴」

 

 

 ここまで案内してきた女性──このアンティークショップの店主は、後ろを歩くリィン達に向けてそう告げる。

 

 毛先を緩く巻いた黒髪が特徴的な妙齢の女性だった。無地の白シャツとロングスカートというシンプルな格好ながら、その雰囲気はどこか浮世離れしたものを漂わせている。

 

 

 女店主がカウンターの奥に消えてから、ユーシスは店内を見渡して首を捻っていた。

 

「しかしまたこのようなところに店など……客足はあまり期待できそうにないな」

「この店は半分道楽でやっているんです。各地を転々としながら商売してるんですけど、毎回こんな目立たない場所み店構えしてて」

「……知り合いらしいが信用出来る人なのか?」

「まあ雰囲気的に怪しいのは否定出来ないけど、悪い人じゃないのは確かさ。……お、湯呑なんてあるのか。久しぶりに東方のお茶が飲みたいと思ってたところだし、どうにか手持ちで……」

「君は呑気に買い物している場合か!」

「そうですよリィンさん。ただでさえ寮内に色々と揃えたせいで余裕がないんです。たかが湯呑一つでも易々と買って良い訳じゃありません」

「駄目なのはそこなのか!?」

 

 最近になって金庫番もするようになったエマ(アリサと共同)からは許可が下りずリィンは肩を落とす。現在サラが暫定的に管理してる第三学生寮の鍵がエマの手に渡るのも時間の問題と言えよう。

 

 

「お待たせ。それじゃ商談(おはなし)といきましょうか」

 

 そうこうしているうちに戻ってきた女店主は、カウンターの上に宝石用のケースを置く。その中には半透明の琥珀──半貴石、ドリアード・ティアが納められていた。

 

 彼女の名はユキノ。リィンとエマにとっては色々と世話になった恩人の一人でもある。

 

 彼女と出会ったのは一時間前のことだ。必須依頼である半貴石の採取を行うべくターナー宝石店で詳細を聞いていたところ、偶然にも(・・・・)その場に居合わせたブルブランと名乗る男爵家の男がその所在を知っていた。リィン達は話に聞いた場所までクロイツェン街道を歩き、そこで件の石を手にした彼女を見つけた。

 

 付近の木々を軽く調べてみたが半貴石に足るドリアード・ディアは見つからず、一つしかない石を巡り両者は必然的に対立することになる。先に見つけたのはユキノだが、リィン達も必須の依頼を達成する為に易々と譲ることは出来ない。

 

 結局その場では話が纏まらず、落ち着ける場所を求めてユキノの店へと案内されて今に至る。

 

 

「なるほど。少年(・・)達は実習の課題でこれが欲しのね」

「ええ。そしてユキノさんもこの石が必要だと」

「実はこれ、上手く加工すれば薬になるの。貴方たちには実感が湧かないでしょうけど、滋養強壮の効果があったりして結構需要があるのよ」

「他にドリアード・ディアを採取できそうな場所を知っていたりは……」

「さあ? 私も人伝に聞いたから知らないわ」

 

 ひらひらと手を振りながら、ユキノは退屈そうに話す。基本的に欲しいものは手放さない質の女性であることをリィンとエマは知っている。二人と親交が無ければ、出会ったその場で突っぱねていた筈だ。

 

 どうしたものかと悩んでいると、埒が明かないと踏んだユーシスが一歩前に進み出た。

 

「こちらとしても、それが必要な人がいる。おいそれと譲ることは出来んな」

「あら、領主様のご子息らしく力づくで奪い取る気? それとも言い値で買ってくれる?」

「…………」

「そこで黙るのね。ダメよ、そこは脅しをかけて主導権を取りに来るくらいでないと」

「……今の俺は、ただの士官学院生だ。アルバレアは関係ない」

 

 睨むユーシスを興味深そうに見つめ返すユキノ。二人を取り巻く空気が重くなっていくのを察知したリィンが割り込んだ。

 

「その辺にしてくださいユキノさん。大人げないですよ」

「えー少年はそっちを庇うの? 私とは人に言えないようなことをした仲じゃない」

 

 反応したマキアスにフィーが白い目を向けていた。

 

「適当言わないでください。彼の言う通り、今の俺達は士官学院生としてここにいます。緊急時でもない限り、外の力を借りるのはフェアじゃない」

「それは別に構わないけれど。半貴石(これ)はどうするつもり?」

「それについては一つ提案があります。……ユキノさん、今の手持ちに七耀石はありますか? 例えば指輪の宝石に加工出来るような」

 

 リィンの問いにユキノは薄い笑みを浮かべる。それは興味深い事象を目にした記者や学者のような、好奇心に富んだものだった。

 

「……専門の店で手直しする必要はあるでしょうけど、手頃なのがいくつかあるわ。お望みならすぐに用意できるわよ」

「分かりました。ちょっと待っててください」

 

 リィンはエマ達を店の外に連れ出した。

 

「何かアイデアがあるようだが、どうするつもりだ?」

「元々依頼人のベントさんが半貴石を欲しがったのは、宝石付きの結婚指輪に手が届かなかったからだ。なら、こっちで七耀石を用意できれば丸く収められるんじゃないかと思ってさ」

「……宝石の加工費だけなら予算内に収まる可能性はある、か」

「ちょ、ちょっと待ちたまえ。依頼はあくまで半貴石だ。それをこっちの判断で勝手に変えるなど」

「あちらにとっても悪い話ではないし、話してみる価値くらいはあるだろう。頭の固い副委員長殿はこれだから……」

「なんだと!?」

「……そもそも半貴石を先に見つけたのはあっちだけど、交渉になるの? 向こうは損しかしないよ」

「それは多分大丈夫だと思います」

 

 表向きは商人だが、彼女の性根はどちらかというと研究者に近く世間一般の価値観とは若干ズレているところがある。自身の興味を惹くものがあれば、時に採算を度外視した取引をするときもあった。エマもかつてはユキノから物品を融通してもらう代わりによく頼み事をされており、今回もその類だろう。

 

「マキアスだって、将来政治の道に進むならこういうことだってあるかもしれないじゃないか」

「確かに父さんも要望の調整に苦労していると言っていたな……まあ、何事も経験か。では宝石店には僕が行こう。君たちはユキノさんと話を進めておいてくれ」

「待て、俺も行く。貴様一人を野放しには出来ん」

領主の子息()の相手だと依頼人が委縮してしまうと思っての配慮だったんだが?」

「これは驚いた。道中で貴族相手に噛みつかないようにと考えての申し出なのだがな」

「貴様、僕を犬呼ばわりする気か?」

「何もそこまで自分を貶めなくとも構わんぞ?」

「「…………」」

「エマ、頼めるか?」

「……はあ」

 

 

 一触即発の二人とストッパーの三人が宝石店に向かい、リィンとフィーは再び店内へ。棚の整理をしていたユキノは可笑しそうに笑っていた。

 

「中々個性的な子たちみたいね。帝都知事とアルバレア公の息子同士なんて、面白い組み合わせだし」

「チームメンバーとしてはめんどくさいだけ」

「……貴女に訊くだけ無駄なんでしょうけど、どこまで知ってるんですか?」

「それを知りたいなら情報料を追加で頂かないと」

「吹っ掛けられそうなので遠慮します。それで、七耀石をくれる代わりに俺達は何をすれば良いんですか?」

「話が早くて助かるわ。頼み事は……いつもの範疇になるのかしらね」

 

 ユキノは用意しておいた紙束をリィンに差し出した。受け取ってパラパラと流し読みしている内に、リィンの表情が険しくなっていく。

 

 驚きと納得、そして疑念を込めた視線を向けると、彼女は──在野の魔女は微笑んだ。

 

 

「実はこの辺で魔獣の変死体がよく出るようになったんだけど、君達は知ってる?」

 

 

 

 

 宝石店でベントから了承を得ることができ、リィン側もユキノからの依頼を受けて交渉が成立。手配魔獣の生息地ともう一方の実習課題であるバスソルトの採集ポイント、そしてユキノから指示された調査場所──ルーファスのそれと同一の内容だったことがリィンの警戒度を跳ね上げている──全てがオーロックス街道沿いにあることから、リィン達は昼食を取ってからそちらに足を運んだのだが……

 

「………………」

 

 パーティの後方を歩くマキアスが明らかに不機嫌な様子で口を噤んでいる。下手に刺激しようものなら背後からショットガンで撃たれかねない険吞さだ。

 

「合流してからずっとあんな感じだけど、何があったんだ?」

「それが……」

 

 エマが言うには、宝石店でベントに事情を話していると、横にいたゴルティという伯爵家の男が食って掛かってきたという。何でもドリアード・ディアをミラで買い取る契約をしていたようで、目当ての物が手に入らないと分かって大層ご立腹だったらしい。その場で激しく怒鳴り散らし、「下賤な者共はお使いもまともにこなせんのか」と罵られたそうだ。

 当然マキアスの堪忍袋の緒が保つはずもなく、あわや取っ組み合いになりかけたところをユーシスが割って入る。公爵家相手に罵ったことを知り一転して顔を青くしたゴルティ伯は謝りながらそそくさと立ち去り、自分含めその場に居合わせた人達が一斉にため息を溢したと語った。

 

 因みにマキアスはバスソルトの採集依頼の詳細を聞きに行っており、そこで依頼を出したにも関わらず自分達と話をしようともしない青年貴族二人を目撃している。その時はギリギリのところで抑えてくれたのだが、爆発しなかった分と合わせてストレスが限界に達しようとしていた。

 

「俺が言うのもなんだが、ああいうのは程度はあれどバリアハートでは珍しくはない。特に貴族が集うあの街では、自然と似た価値観を持つ連中で固まりがちだ。ゴルティ伯にとっては、あの物言いも悪いことだとは思っていまい」

「……最悪だね」

「価値観の齟齬……という問題で済まされるのでしょうか」

「そんな訳ないだろう!! あんな風に人を人とも思わないような連中が、必死に生きている民衆の稼ぎを搾取している社会が問題でなくて何なんだ!?」

 

 開いた口の隙間から炎を吐き出すようだった。怒りに火のついたマキアスは、領邦軍の巡回ルートでもある渓谷道なのも気にせず貴族への不満を早口で捲し立てる。側で聞いて控えめに言っても気分が良いものではなかったが、バリアハートで目にした貴族の振る舞いから強く否定も出来なかった。

 

 

「下らん。さっきから聞いていれば随分と勝手な言い分だ」

 

 ただ一人、対照的に冷ややかな怒りを美貌に貼り付けたユーシスだけが真っ向から反論する。

 

「お前が貴族に何の恨みがあるかは知らん。だが、さも貴族が平民の上で何の苦労もせず自由に過ごしているかのような物言いは控えておけ。己の無知を晒すだけだ」

「なんだと!? 結局君もあのゴルティとか言う男の肩を持つ気か!」

「あれを肯定する気はない。だがどんな事情や経緯があれ、貴族を名乗るのであればそれに相応しい教養や立ち振る舞いを身に付けねばならん。自身の一手が領民の人生を左右する……そんな重責を背負いながら、領民を庇護する為にな」

貴族の義務(ノブレス・オブリージュ)だな」

「そうだ。立場ある者にはそれ相応の義務がある。そこをはき違えている輩もまあいるが……兄上のように、真に貴族の誇りを持ち、平民にも誠実に接することの出来る者たちもいるのだ。貴様の狭窄な視野に映っていないだけでな」

「その誇りとやらは、本当に民衆の為にあるのか!? 先月のA班の実習、シュバルツァー達に何があったか知らないとは言わせないぞ!」

「っ……それは」

「お二人とも、そこまでです」

 

 見かねたエマが割って入る。反撃の機会を逸した形になったマキアスが睨むが、珍しく鋭利な表情をしたエマの前には敵わない。

 

「そろそろ手配魔獣の居所です。ユーシスさんとマキアスさんには、ホテルで話した通り戦術リンクに挑戦してもらう予定ですが……止めておきますか?」

 

 道中の魔獣ならば辛うじて維持する程度のリンクでも何とかなるが、手配魔獣クラスの強敵となればそうもいかない。逆にその状況で戦術リンクを活かした連携ができれば、それは確かな成果として評価の対象になるだろう。

 

 列車での約束を、お互いの目の前で撤回するなどこの二人が言えるはずもなく。

 

「少し、頭を冷やしてくる」

「……」

 

 二人は街道を離れて歩いていく。数分もすれば戻ってくるはずだ。

 

「ふう……」

「ごめんなエマ。二人を煽った手前、俺が積極的に仲裁する訳にもいかなくて」

「それは役割分担ですから構いませんよ。……手配魔獣相手の時はフィーちゃんとリンクしてください。私はあの二人のサポートをします」

「ん。めんどくさいから任せた」

「いやフィーも丸投げは止めような?」

 

 

 

(どんな事情や経緯があれ、か……)

 

 先の言葉を思い出して、リィンはマキアスと真逆の方角に歩いていくユーシスに改めて尊敬の念を抱く。先の言葉にはただの一般論ではない、彼の確かな自負が窺えたからだ。

 

 ずっと縋って、誇りとして、けれど心のどこかで遠ざけようとしているこの家名を、いつか彼のように背負える日が来るのだろうか。

 

 

 やがて二人が戻ってくるまで、リィンは出口の見えない問いに思いを巡らせていた。

 

 

 

「唸れ──螺旋撃!!」

 

 迫る剛爪を掻い潜り、太刀を振るって強引に弾く。こじ開けた隙にリンクしているフィーが即座に呼応し、肉薄。地面スレスレから跳ね上がった双刃が甲殻にハッキリとした傷を刻んだ。

 

「オオオオオオオオオオオオォ!!!」

 

 絶叫を上げるのは、巨大な爪を備えた二足の甲殻型魔獣──手配魔獣のフェイトスピナー。依頼書の通りこのオーロックス街道の付近で遭遇したのだが、先ほどから様子がおかしい。あらぬ方向に突撃したかと思えば、急にこちらの方へ苛烈に攻め立ててくる。所謂狂乱状態で動きが読みづらく、思うように連携が出来ないでいた。

 

 加えて、やはりと言うべきか。

 

「──チ」

「ぐっ、また!」

 

 ユーシスとマキアスを結ぶ光のラインが弾けて消える。戦闘が始まった当初は繋がっていた戦術リンクも、今は途切れてしまっている。今のでリンクを試みたのは三回目だが、回数を重ねる度に維持できる時間は短くなっていた。

 

 リンクブレイク時にどうしても生まれてしまう隙は、エマのアーツが魔獣を足止めすることでフォロー。リィンとフィーが追撃し確かなダメージを与える。

 

「もういい。一人の方がマシだ」

 

 四回目、いよいよ接続すら出来なくなったリンクに見切りをつけ、ユーシスは魔獣の背後に回る。冷気を帯びた騎士剣を振るえば氷の波濤が迫るが、本能的に危険を察知したのかこれまでにない俊敏さをみせたフェイトスピナーはそこから飛び退いた。そしてユーシスの視界に飛び込んできたのは──目を見開き、こちらに銃口を構えた気に入らない男の姿。

 

「待てっ、射線を重ねるな!!」

 

 リィンの静止も間に合わず、氷波と銃弾は真っすぐに突き進み、互いの数リジュ横をかすめた。

 

 挟み撃ちが失敗した──本当にそれだけか? 疑念を拭いきれず、二人は殺意すら宿した視線を交わす。最早リンクがどうとか言っている段階ではない。方針を切り替えたエマは叫ぶ。

 

「フィーちゃん、五秒足止めを!!」

 

 指示を出しながらリンクをリィンと繋ぎ、エマは『ファイアボルト』を駆動させる。標的は、敵ではなくリィン。迫る三つの火球をリィンは焔を宿した太刀で打ち払い──爆発したそれらを螺旋の動きで取り込んだ。ラウラの洸刃乱舞に負けないほどの光と大きさを備えた焔ノ太刀……否、業焔ノ太刀とでも言うべき一刀は、フェイトスピナーを焼き払った。

 

 

 一息ついたリィンは、念のため黒焦げとなった魔獣を軽く調べる。手応えはあった為、絶命しているのは確実。他に不審な点は無く、だからこそ先の狂乱状態と魔獣の変死体の件が気にかかった。

 

 しかしそれよりも、衝突する両名を止めなくてはならない。最早言葉は不要とばかりに拳を握りながら片方の手で互いの胸倉を掴んでいた。リィンは頬に一発貰う覚悟で間に入ろうとして、

 

 

 その耳は、固いものが徐々にひび割れていくような微かな音を捉えた。

 

(……なんだ、この音)

 

 振り返ると、ある一点が目に留まる。それはフェイトスピナーの頭部に走った亀裂。マキアスのショットガンが命中し、小さくない損傷になっていたことは知っている。だが、

 

 (あんなに大きな傷だったか……?)

 

 掴み合いをしている二人と、それを止めようとしている女子は気づかない。亀裂は更に広がっている──否、内側から破られようとしている。やがてパキリという乾いた音がして、甲殻の一部が剥がれ落ち。

 

 

 ────内に潜むナニカと、目が合った。

 

 

「離れろっ!!」

 

 鋭く叫びながら、反射的に身体が動いていた。弾けるように駆けだして、口論を続けていた二人を突き飛ばす。

 

 

 直後フェイトスピナーの頭部が砕け、そこから飛び出した『何か』がリィンの脇腹を引き裂いた。

 

「な……!」

「シュバルツァー!?」

 

 鮮血が舞う。白熱する腹部と意識。ぐらりと傾いた身体がうつ伏せに沈む。血液は止めどなく流れ出し、リィンの赤い制服をより濃い色に染め上げていく。

 

 同時に、フェイトスピナーの口や甲殻の継ぎ目などのあらゆる隙間から黒い液体が流れだす。コールタールのようにどろりとした粘性のそれが足下に黒色の池を作り出した。

 

 抜け殻となった手配魔獣が倒れ、黒泥の中より一つのカタチが這い出でる。

 

 

 縦長の胴体を支える四つの脚。頭部は黒い靄に覆われて詳細を伺うことは出来ない。黒一色の肉体に陽と陰の差は無く、影絵のようなのっぺりとしたシルエットが視覚に強烈な違和感を与えている。

 

 

 何もかもが異質な、貌の無い獣がそこにいた。

 




FGOのソウルイーター(脂を落とすヤツ)的なやつをイメージしてくれれば良いです。



創の軌跡でユーシスとマキアスの戦闘終わりの会話見ると、この時期から本当変わったよなあと子の成長を喜ぶ親目線になってしまいますね。


あと最近やっと創で過去作のあらすじを見てみたのですが、閃の軌跡Ⅰの最初のページでエマの名前だけ省かれてたのは何故なんですかねファルコムさん……


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悩む夜、解ける夜

軌跡の新作情報出ましたね。『黎』をくろと読むのは初めて知りました。主人公は『剣の乙女』の幼馴染の男っぽいですが、仕事内容的に裏社会マラソン不可避。


それとこの小説を書き始めて一年が経ちました。一月一話ペースというびっくりするくらいに遅筆なのに、何故ただでさえ話の長い閃の軌跡の二次創作を始めてしまったのか。一応エタる気はありませんので、どうか気長にお付き合いいただければ。

※2020/12/21 感想欄で今話にピッタリなフレーズを見つけた為、許可をいただいてサブタイトルを変更しました。


 

「なるほど。そのようなことが……」

 

 豪奢ながらどこか物々しさも感じられる部屋。クロイツェン州の領邦軍所属であることを示す青と白の隊服に身を包んだ男──この執務室の主であり、クロイツェン州領邦軍の一大拠点であるオーロックス砦を預かる彼は正面のユーシスに礼を述べた。

 

「情報提供感謝いたします、ユーシス様。すぐに隊を編成して捜索に当たらせましょう」

「手配魔獣の亡骸は先程話した場所に残してある。余裕があるなら回収して調べておいてくれ……どれだけの被害が出るかも想像がつかん。迅速に事を運べ」

「畏まりました。ユーシス様はこの後、どうされるおつもりで?」

「このまま実習を続ける。あいつが目を覚ますまでここに預けておくが、何かあれば連絡を」

「御意」

 

 

 ──フェイトスピナーを倒してから、二時間が過ぎていた。

 

 突如として現れた正体不明の怪物は、こちらに襲い掛かることなくどこかに飛び去って行ってしまった。ユーシス達は重体のリィンを治療するために彼をオーロックス砦まで運ぶことにした。軍事施設だけあって医療設備は充実しており、手配魔獣を討伐を報告する為にも寄らねばならなかっところでもある。

 

 自分の存在に驚く守衛に命じて有無を言わせずリィンを医務室に放り込み、ユーシスはそのまま司令官の下へ直行。影絵のような怪物について報告を行った。司令官も軍の高官だけあってこれまでの魔獣の変死体については把握しており、報告はスムーズに進んだ。

 

 

 執務室から出たユーシスは階段を下り、医務室へと向かう。途中の窓からは、アルバレアの家紋を添えた戦車──ラインフォルト社の最新型≪アハツェン≫が並んでいるのが見えた。

 

(……随分と数を揃えたな)

 

 常に脅威に備えておくべき軍として、高性能の装備・兵器を用意しておくことは正しい。だが軍事においては素人同然のユーシスからしても、今この砦にある戦車の数は自衛としては過剰と言わざるを得なかった。ならばこれらの使い道は何なのか? 思い当たるものは一つしかない。

 

(革新派との抗争……分かっていたつもりだったが)

 

 かの鉄血宰相の下、正規軍が勢力を増しているのは周知の事実。だからこそ領邦軍も正規軍、ひいては革新派に頼る必要などないということを示す為に急速な軍拡を進めているのだろう。それが単なるパフォーマンスで終わるのか、それとも本当に刃を抜くことになるのかは誰にも分からないが。ただいずれにせよ、その煽りを受けるのは民衆である。先月A班が経験したケルディックの増税問題も、原因を辿ればここに行き着くのだ。

 

 陰鬱とした思いを抱きながら医務室の前に着くとちょうど扉が開き、砦に常駐している医師が姿を見せた。彼はユーシスの姿を認めると慌てて頭を下げてくる。

 

「こ、これはユーシス様!! とんだ失礼を致しました!!」

「いや構わん。それよりリィンの具合はどうだ?」

「は、はい。先ほど処置が一通り終わりました。傷は塞がって容体は安定していますし、一晩もすれば目を覚ますかと」

「そうか……いや、待て。あいつの傷はそんなに浅くは無かったはずだぞ」

 

 委員長が回復魔法を施していたが、もう少し深ければ内蔵が零れていたレベルの裂傷である。傷口を完全に塞ぐことは出来ず、オーロックス砦まで運んでいる間にも出血は続いていた。如何に優秀な医師と優れた設備があったからと言って、一時間と少しで何とかなるものだろうか。

 

 そのことを訊ねてみると、医師もどこか納得し難いように眉を顰めていた。

 

「俄かには信じがたいのですが……どうやらあの少年は、自然治癒力が極めて高いようでして。適切な処置さえ行えば、常人よりも遥かに短い時間で回復するようです」

「……」

「加えて、眼鏡の女の子の応急処置がこれまた的確でしてな。知識も随分と豊富で手際も良く、助手に欲しいくらいで……と、これは失礼。中も落ち着いておりますので、今ならお入りになられても大丈夫かと」

 

 そう言うと医師はその場を離れる。ユーシスは半開きの扉を押して医務室に足を踏み入れた。

 

 

 ──薬の臭いの中に混じる、鉄錆の異臭が鼻を突いた。

 

 軍事演習も行われる拠点の為か、数多くのベッドが並ぶ広い空間。書類と薬品棚が置かれている医師のデスクから一番近いベッドで、リィンは穏やかな寝顔を見せていた。血に塗れた制服は脇に置かれ、簡素な病衣を着ている。

 

 先の話が聞こえていたのか、ベッドの傍らで椅子に座るエマはこちらに顔を向けていた。

 

「お疲れ様ですユーシスさん。報告は終わったんですか?」

「ああ……フィーとレーグニッツはどうした?」

「ここで出来ることが無いからって、バスソルトの採取に向かいました」

「二人でか? せめて俺を待って……いや、妥当だな」

 

 そもそもの発端は、性懲りもなくリンクブレイクを引き起こした挙句外で取っ組み合いを始めた自分達に否がある。連携が出来ずにお荷物になるのであれば、最初から連れて行かない方が賢明だ。

 

「もう大丈夫なのか?」

「はい。持ち込んだ薬も処方しましたから、傷が残ることもありません」

 

 安堵から小さく息を吐いたユーシスは、エマに向き直り頭を下げる。

 

「済まなかった委員長。あれだけ大口を叩いた癖に、俺は最後まで足を引っ張っただけだった」

 

 冷静になって実感する自らの不甲斐無さに、ユーシスは強く拳を握る。手配魔獣を倒したとはいえ、他の魔獣の脅威が残るあの場で感情を荒げ警戒を怠ったことを思い出すと、腹の底が煮えたぎる思いだった。周囲の環境に応じて自身を律することなど、貴族として当たり前の事だというのに。

 

 ユーシスの謝罪に、エマはポカンと口を開け──小さく噴き出してクスクスと笑う。

 

「……フン、存分に笑うと良い。さぞ滑稽な姿だろう」

「ああいえ、違うんです。マキアスさんが出ていく前に、今のと同じように謝られちゃいまして」

「あいつが?」

「ええ。下げた頭の角度までそっくりでしたよ」

「………………」

 

 よりによってあのいけ好かない男の二番煎じだと言われてるようで、つい渋面になってしまうユーシスだった。

 

「でも、その謝罪を私が受け取る訳にはいきません。するなら目を覚ましたリィンさんにしてください。勿論マキアスさんと一緒に、ですよ」

「……中々に難しいことを言ってくれる」

「それくらいじゃないとお二人とも懲りないんじゃないですか?」

 

 冗談めかして笑うエマの頭の中では、リィンの前に並んで頭を下げるタイミングをお互いに計り合っている二人の光景が想像できているのだろう。ユーシスにはそこから先の、いつまで経っても進まずにエマの雷が落ちる予想すらしてしまった。

 

 いたたまれなくなったユーシスは話題を変える。

 

「そういえば医者が手当の手際を褒めてたぞ。流石は主席と言ったところか」

「知識というより経験ですけどね。何度もやってると慣れちゃいますし」

「……リィンは何度もこんな怪我を?」

「ここまでのは久しぶりですけど、跡が残らないだけでよく怪我をするんですよ」

「──どうも、こいつには危ういところがあるようだな」

 

 旧校舎で最初にアリサを助けた時も、今回自分達を庇った時もそうだった。リィン・シュバルツァーは他人を守ろうとして、躊躇なく自分の身を危険に晒すことがある。それは美徳と呼ばれるものかもしれないが、ユーシスの目にはそれが歪に見えてならない。

 

 それを伝えると、エマも静かに頷いた。手を伸ばしてリィンの頭を撫でながら、

 

「ずっとそうなんです。いつも誰かの為に走り回って、傷ついても平気な顔してて。……この人の境遇からして、理解できる部分もあるんですけど」

 

 エマは今でも覚えている。ユミルに二度と戻らないと言って、初めて彼が声を荒げたあの日を。魔の森で彼の抱える孤独に触れたあの夜を。

 

 ユーシスには、思い当たるところがあった。

 

「……シュバルツァー家の浮浪児」

「……ご存知なんですね」

「大したことは知らん。根も葉もない噂とばかり思っていたが……」

 

 リィンと近しいエマが肯定したのであれば、それは概ね事実なのだろう。捨て子の自分を拾って育ててくれた家族が、自分のせいで誹謗中傷を受けてしまったことを知った子供がいたとして。その子供は自身の存在を負い目に思うのではないだろうか。それが全うに愛情を注がれて育てられたのなら尚更。

 

 しばらく頭を撫でていたエマは、やがて手を放して立ち上がる。

 

「二人が戻ってきたらホテルに帰りましょう。レポートも纏めないといけませんしね」

「いいのか? せめて目を覚ますまでここにいてもらっても構わんが……」

「リィンさんが目覚めてから余計な負担掛けたの知ったら、多分落ち込んじゃいますから。寧ろリィンさん抜きでも実習をやり遂げたって報告するのが一番喜ぶと思いますよ」

 

 本当はずっと付いていたいのを堪えて、少女は気丈に笑う。そんな表情を見てしまえば、ユーシスに返せるものは一つだけだ。腰に下げた騎士剣に手を添えて、真っすぐにエマを見据えて言う。

 

「役者不足なのは承知だが……この実習中、リィンの代わりを務めて見せよう」

「はい。前衛として頼りにしてますね」

 

 

 医務室を出ると、丁度戻ったのか目の前にはマキアスとフィーがいた。こちらの姿を認めたマキアスが、気まずそうに一歩後ずさる。

 

「え、エマ君……」

「リィンの様子は?」

「もう落ち着いて、今は眠っていますよ。今晩はこちらでお世話になってもらうことにしました。……バスソルトの採取は?」

「これだけあれば大丈夫と思う。後、頼まれてたこれも取ってきた」

 

 フィーはバスソルトの入ったポーチの他に、十リジュ四方の木箱をエマに差し出す。

 

「その箱は……確かあのユキノという女性から渡された」

「はい。例の変死体が見つかれば、一部をこの中に入れてくれと頼まれてます」

 

 その後戻ってきた医師にリィンを託し、エマ達はオーロックス砦を出る。道中、空を飛ぶ銀色の物体を見た以外は特に何も起こらず、夕方にはバリアハートに到着した。

 

 夕食を終えてホテルの部屋でレポートを纏めることとなったが、緩衝材のリィンがいない男子二人の雰囲気が良いはずもなく、途中でユーシスが席を立った。

 

「どこに行く気だ」

「その辺でレポートを仕上げてくるだけだ」

「……分かった」

 

 いつもなら皮肉のひとつでもぶつけてくるはずが、返す声は弱々しい。敢えて誰も指摘しなかったが、砦からここまでマキアスの態度はすっかり大人しくなっていた。

 

 理由は、大方想像がつく。

 

「盗み聞きとは感心せんな」

「……!」

 

 背後で驚愕の気配を感じながらユーシスは部屋を出る。実家の自室を除けばバリアハートで落ち着ける場所は限られてくる。夕食後すぐになるがまた叔父のレストランにでも行こうかと考えていた。

 

 何とはなしに吹き抜けから階下のロビーを眺めていると、

 

「……委員長?」

 

 続々と帰ってくる宿泊客の流れに逆らうようにして、外に出るエマの後ろ姿を発見した。

 

 

 

 

 夜の居住区は静まり返っており、アパートも外から見れば各部屋の明かりがまばらに点いているだけで物音はしない。その中で明かりの点いていない筈の部屋のドアを開けると、そのには昼間と然程変わらない浮世離れした雰囲気の店内があった。

 

「災難だったわね。流石に一発でアタリを引くとは思わなかったわ」

 

 夜半にアンティークショップ≪ルクルト≫を訪れたエマを迎えたのは、女店主の悪びれたようでもないそんな一言だった。

 

 何が、とかどうして、などとは聞かない。こと情報収集においては人外じみた手腕を発揮するのがユキノという魔女であり、そういうものだと受け止めないと付き合ってられない。

 

 カウンターに座るユキノに近づき、渡されていた木箱を差し出す。この箱には魔術が施されており、中身の腐敗を止める効果があった。木箱を開けた瞬間漂う血の臭いと表れた中身──フェイトスピナーの脳髄の一部にエマは思わず顔をしかめる。ユキノはさして気にした風もなく、ピンセットで取り出した脳髄を傍らに用意していた水槽に放り込んだ。中身は霊力の流れを可視化させる特殊な液体。肉体に異常が無いのなら、精神的な部分に干渉されたという予想はエマの考えとも一致する。

 

「あとは結果待ちね。貴方の話も聞かせてもらえる?」

 

 ユキノが持ってきた椅子に座ったエマは、あの≪獣≫と遭遇した時の状況を詳しく語る。

 

「ユキノさんの見立ては?」

「普通に考えれば、その魔獣に霊体が憑依していたと考えるのが自然でしょう。……昼間に上位属性が働いていない空間で実体を保ち、その上単独で逃亡というのは普通なら考えにくいけれど」

 

 怨霊、悪魔、或いは中世の魔導人形。魔獣の他にも人類の天敵は、御伽噺の中ではなく現実に存在する。しかしそれらは基本的に、霊力の濃い特殊な空間の中でしか肉体を保つことが出来ず、出来たとしても大幅に弱体化する。その常識を覆すあの≪獣≫の存在は、≪表≫と≪裏≫の境界を守る魔女にとっては一大事だ。

 

 ともかく情報が足りない。ユキノの調査結果を待つ間にも出来ることがあるはずだと、エマは席を立った。

 

「どこに行く気?」

「渓谷道に行って、もう少し痕跡を探ってみようと思います」

「お勧めしないわね。セリーヌもいない今、貴女一人では危険よ」

「でも……!」

「少年のことを気に止むのは分かるけど、そんな余裕の無い顔で明日の実習をするつもり?」

「………………」

「貴女が今すべきことは、無事に実習を終わらせて彼らを≪表≫に留めることと、少年を安心させること。≪裏≫はひとまず私達に任せなさい」

 

 俯き、ぐっと拳を握り締めるエマ。

  

 リィンがユーシスとマキアスを庇った瞬間、エマは強大な霊力の気配を感じ取っていた。最初からフェイトスピナーに注意を向けていれば……そうでなくとも周囲の警戒をしていれば、リィンがあのような怪我をすることはなかったのだ。

 

 クラスメイトは勿論、パートナーとしてこれまで幾つかの≪裏≫の事件を共に解決してきたリィンも、本来は魔女が守るべき≪表≫の世界の住人だ。

 

(お祖母ちゃんは認めてくれたけど……やっぱり私にはまだ早かったのかな)

 

「少し落ち着いてから帰りなさい。お茶くらいならご馳走してあげる」

 

 顔を上げれば、慣れ親しんだ香りが鼻をくすぐった。差し出されたティーカップを受け取り口に含めば、不思議と気分が落ち着く。アウラと同じく、エマにとって霊薬の師の一人でもあるユキノの淹れるハーブティーは相変わらず絶品だ。

 

 

 学生としての自分と、魔女としての自分。その立ち位置に悩みながらも、エマは明日の実習に向けて思考を重ね始めた。

 

 

 レポートを仕上げたユーシスが部屋に戻った後、特に話すこともない二人はそのままベッドに入る。流石公都の有名ホテルだけあって、寝具の柔らかさは寮のそれとは段違いだった。ユーシスにとっては慣れ親しんだ感触を覚えながら目を閉じて眠りに落ちるのを待つ。

 

 しかし中々寝付けない。静かな室内では、普段気にも留めないような身動ぎや吐息の音も目立つ。仕方なくユーシスはその音源──空のベッドを挟んだ向こう側に、天上を見つめたまま言葉を投げた。

 

「言いたいことがあるならハッキリ言ったらどうだ」

 

 布団が跳ねた。

 

「……まだ起きてたのか」

「誰かのせいでな。ベッドの柔らかさに興奮していたというのであれば、まあ許してやろう。せいぜい堪能することだ」

「僕は旅行に来た子供か!!」

「うるさい」

 

 がばっと起き上がり叫ぶマキアスと鬱陶しそうに顔を顰めるユーシスの間に、昼間のような棘はない。

 

 しばらくの間を置いて、マキアスは口を開いた。

 

「君に訊くのは筋違いだとは理解しているが……シュバルツァー家の浮浪児、とはどういう意味なんだ?」

「俺も詳しくは知らん。ただシュバルツァー家は、出自の知れないリィンを養子として迎え入れたことは事実だろう」

 

 それが血統を至上とする帝国貴族としては異例のことだとマキアスにも理解できた。何せ彼が貴族への憎悪を募らせた発端となる悲劇も、原因は従姉の元婚約者に大貴族との縁談が持ち上がったからなのだから。

 

 

 

 リィンに庇われた後、マキアスは何も出来なかった。

 重傷のリィンを治療したのはエマの手腕によるもの。ユーシスは制服の汚れを顧みずオーロックス砦までリィンを背負い、着いてからは医務室の手配と説明を迅速に行った。フィーはいち早く先頭を切って道中の魔獣を排除し安全を確保していた。一応フィーのサポートに回りはしたが、いなくても大して変わらなかっただろう。

 

 貴族に負けないようにと詰め込んだ知識は、ただの張りぼてで。剥き出しになった自分はこんなにも矮小なのかと思うとひたすらに惨めだった。繕うものの無くなった心から、ポロリと本音が零れる。

 

「今まで済まなかった」

「……は?」

 

 聞き違いかと顔を傾けるユーシスだったが、マキアスは俯いたまま動かない。

 

「分かってたんだ本当は。君の言動は勘に障るが、その行い自体は概ね理に叶ったものだ。ただ……君やシュバルツァーを認めてしまえば、僕は自分を保てなくなりそうだったんだ」

 

 図書会館でのエマとの会話を思い出す。貴族という大枠を個人にも当て嵌めて接するのは視野狭窄だという指摘は、マキアスの抱える欺瞞を正しく浮き彫りにしていた。

 

 従姉を自殺に追い込み、幸福な未来を理不尽に奪った貴族共。彼らが全ての元凶で自分達は被害者だと、いずれ諸悪の根源のあいつらに正義の鉄槌を下すのだと、そう自身を正当化しなければ、幼い頃のマキアスの精神は砕けてしまっていた。あの時の怒りは今もまだ焔となってマキアスの中で燃えている。その焔は、活力を与える一方で、陽炎のように彼の見る景色を歪めてしまっていた。

 

 リィンとエマに対して冷たく当たっていたのも、仲の良い貴族の少年と平民の少女の関係性がマキアスに否応なく従姉とその婚約者を想起させたから。リィンは腹に一物抱えているのだと疑い、それに気づかないエマを心の何処かで見下していた。……偏見だと分かっていながら、八つ当たりを止めることが出来なった。間違いだと認めてしまえば、良心の呵責に耐えられるか分からなかったのだ。

 

 弱々しい声のまま、懺悔するかのように語り終えたマキアスは布団を頭から被る。よりにもよっていけ好かない男にこんな話をするなど夢にも思わなかったが、不思議と晴れやかな心地だった。下手な慰めの言葉は掛けてこないだろうし、いっそ糾弾してもらえればスッキリする。

 

「勝手に吐き出して勝手に寝る気か、お前は」

「足りないというなら、君の気が済むまで謝るが」

「一ミラにもならん謝罪は結構だ」

「……君な」

「……お前のように無駄に懇切丁寧に話してやる気はないが……俺は兄と違って、高貴な血とやらは半分しか流れていない」

「……え?」

 

 絶句するマキアスに対して、ユーシスも身の上を淡々と語り出す。マキアスの話に同情したのか、それとも失態を晒した者同士、一方的に打ち明けられるのは不公平と思ったのか。恐らく、後から思い返しても問いの答えを出すことは出来ないだろう。

 

「何故、その話を今僕に?」

「……さあな。お前と同じ部屋になって気でも触れたんだろう」

「殊勝になったと思ったが、減らず口は相変わらずだな」

 

 いつも通りの──少しだけ丸くなった──やり取りに、活力が少し戻る。色々な人がいて、色々な事情を抱えていて、でもどうしたって気に食わない人間もいる。これまで目を逸らしてきた当たり前の事実を、マキアスはこの時実感として受け入れられた。 

 

 そしてこのままでは終われない。明日を乗り越えて二人で共にきちんとリィンに謝るのだ。それでようやく、Ⅶ組として最初の一歩を踏み出せる。

 

「ユーシス・アルバレア」

「なんだ、マキアス・レーグニッツ」

「明日の実習と戦術リンク、必ず成功させるぞ」

「……フン、お前に言われるまでもない」

 

 

 

 

 

 ──同時刻、オーロックス砦にて。

 

 深夜であっても軍事拠点に完全な眠りは訪れない。導力灯が砦を照らし、周囲には哨戒兵が展開している。昼間正体不明の飛行物体に侵入されたこともあり、警戒は密に行われていた。

 

 とは言え、オーロックス砦は公都を守る最後の砦だ。駐留している部隊は領邦軍の中でも精鋭揃い。加えて渓谷という立地もあり、万が一戦争になれば他の拠点を落とさずしてここに侵攻されることなどありえない。誰も言葉にしないものの、ある意味公都よりも安全な場所だという認識を抱いていた。

 

 

 そんな安全神話を、突如として咲いた紅蓮の華が粉砕する。

 

 爆音の後、鳴り響く警報が砦を揺らした。

 

『何が起きた!?』

『襲撃だ!! 南の崖から攻撃を受けている!! 至急応援を!!』

『なんだこいつ……機械仕掛けの、魔獣?……がっ!!』

 

 通信機で、肉声で、怒号と悲鳴が飛び交う。詰めていた部隊が態勢を整えて現場に急行すれば、そこにいたのは異形の影。鋼鉄で体躯を覆ったそれらは、銃撃や砲撃あるいはアーツによって装甲車を穿ち、兵士の命を刈り取っていく。ここに情報通やこれらと交戦経験がある者がいれば、とある犯罪組織で運用される人形兵器と呼ばれる代物だと気づいただろう。

 

「……上だ! 誰かいるぞ!!」

 

 交戦の最中、兵士の一人が声を張り上げる。人形兵器が降りてきた崖の上に人影を認め、幾筋ものライトの光が向けられた。

 

 照らし出されたのは、赤い制服のような衣装を着て眼鏡をかけた、緑髪の少年(・・・・・)の姿。彼は嘲笑を浮かべると、踵を返して森の奥に消えていく。これを追おうとするも、人形兵器に行く手を阻まれた。

 

 

 次第に遠ざかる戦闘音を背に、少年は仮面を外すように手を翳し──次の瞬間、影の色は赤から白へと変じていた。服装は愚か、背格好から人相に至るまで全くの別人と言っていい。

 

「さて、これで舞台は整えた。後はアレがどう動くか次第だが……」

 

 芝居がかった口調が、闇の中に木霊する。ブルブラン男爵──否、怪盗Bとしてその名を帝国に轟かせる男の口元に浮かぶのは、笑み。

 

「フフフ……鬼の力と『深淵』の義妹殿の実力、しかと堪能させてもらうとしよう」



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 翌日────事態は急変する。

 

 

「マキアス・レーグニッツ。貴様を逮捕する!」

 

 重々しい音を立てて、手枷がマキアスの両手首に嵌められる。

 

 

 朝一でユーシスが父親から呼び出され、三人で実習を始めることとなった二日目。編成を見直し出来る範囲で依頼をこなしていた途中に、街道で突如として領邦軍の兵士に囲まれた。告げられた容疑は、昨日の昼にエマ達も見かけた銀色の飛行物体がオーロックス砦への潜入を幇助し、深夜には機械仕掛けの魔獣を操り砦を襲撃したという内容。当然覚えのないマキアスはその場で抗議したものの取り合ってもらえず、詰所まで無理矢理連行されることとなった。

 

 

「どうしよっか?」

「こうなっては、特別実習は続けられません。何とかしてマキアスさんの無実を証明しないといけませんが……」

 

 近場の喫茶店に移動した二人は情報を整理する。

 

 抗議の為に立ち寄った詰所で聞いた話では、まずオーロックス砦が襲撃されたのは昨日の夜十一時頃。そこでマキアスの顔を領邦軍の兵士が多数目撃していたという証言がある。証言を素直に取ればマキアスがオーロックス砦に辿り着くには徒歩で一時間から二時間、つまり九時過ぎにはホテルを出ていなければならない。

 しかしその時間の彼は部屋でレポートを進めていたはずであり、ユーシスと同室だった。帰りも含めれば約四時間の間単独行動など出来る筈もない。

 

 だがアリバイを証明出来るはずのユーシスは実家のアルバレア城館におり、取り次ぎもARCUSでの連絡も不可能。まず間違いなく今回の為に隔離されていると見るべきだ。

 

(先月のケルディックであったような自作自演……いえ、革新派重鎮の父親ならともかく、息子のマキアスさんを捕らえるためにそこまでするのはリスクが高過ぎます)

 

 オーロックス砦が襲撃された事実は、領邦軍にとっては醜聞以外の何物でもない。革新派の耳にこの話が届けば容赦なく追及されるはずだ。増して一連の出来事がマッチポンプであれば、露見した場合のマキアスの立場は人質から一転して自陣を破滅させる爆弾になってしまう。

 

「マキアスさんは、この後どうなると思います?」

「しばらくはここの留置場に預けられて、砦が落ち着いたらそっちに搬送かな。正直そうなると手出しが出来ないかも。……処刑はされないと思うけど、尋問があれば相当手荒になるかもね」

「今現在、マキアスさんが収容されていると思われる場所はどの辺りだと思いますか?」

「普通なら、もし脱出されてもどこに逃げたら良いのか分からない場所に閉じ込める。心理的に追い詰めるなら変化のない環境……窓が無くて暗くて、空気が籠っている場所」

「……地下、ですか」

 

 年端もいかぬ年齢のはずのフィーの口から次々と物騒な内容が飛び出す。それらは世間話のような軽い口調とは裏腹に、骨身に染み込んだ経験を思わせる重さを含んでいた。

 

 突然のことに今のマキアスはかなり追い詰められている筈だ。途中で心が折れてしまえば、謂れのない罪を自供してしまうかもしれない。

残された時間は多くない。危険な橋を渡ることになっても、学生に過ぎない自分達がこの状況に干渉できるタイミングはここしかない。

 

「私達の手でマキアスさんを救出しようと思います。危険はありますが付き合ってくれますか、フィーちゃん」

「勿論。戦友は見捨てないのがわたしの流儀だしね。でも具体的にはどうするの?」

「実はこの街には地下水路が各所に張り巡らされているようでして。上手くいけば領邦軍に見つからずにマキアスさんかユーシスさんに接触出来るかもしれません」

 

 エマが実習地の予習をしていた時に、公都の地下には中世に整備された水路が今でも利用されているという情報を調べていた。こういった目につかない場所は、有事の際の避難通路を兼ねているというのがよくある話。城館の他に公都の要所──領邦軍の詰所にも繋がっている可能性は低くない。

 

 ただ一点、懸念があるとすれば。

 

「リインがどうなるのかが、ちょっと不安だけどね」

 

 フィーの言うように、今もオーロックス砦にいるはずのリィンを領邦軍がどのように扱うかは読めない。最悪砦の襲撃を内側から手引きしたとして共犯者に仕立てあげられる可能性もある。

 

 それでも、エマは首を横に振った。

 

「大丈夫ですよ。爵位は低いですが、リィンさんは貴族の嫡男です。無下に扱われたりはしないでしょう」

 

 不安はある。けれどその可能性に足を絡め取られてしまえば本末転倒だ。彼の為にも今はただ自分に出来ることをするのだと、昨夜悩んだ末に結論を出したのだから。

 

「それじゃ今から侵入経路の確保だね」

「ええ。すぐに行動を起こしましょう」

 

 すっかり温くなった飲み物を胃に流し込むと、小走りで店を出る。その後ろ姿を一人の男が見送った。

 

「ったく。久々に会ったと思ったら随分な無茶を考えてやがる」

 

 白いコートを羽織った短い金髪の青年は、やれやれと肩を竦める。話に熱中する余り外への配慮が足りていなかったのは、普段そういったことに気を配れるご愛嬌といったところか。

 

「仕方ない。あっちは俺が確認に行くとしますかね」

 

 

 

 

「あ、いたー!」

 

 地下水路への入口を探している内に偶然城館近くまで足を運んだエマとフィーの下に、十歳前後の男の子と女の子が駆け寄って来た。エマはその顔を知っている。昨日ユーシスに懐いていた子供達だ。彼らはエマの手を取りながら話しかけてくる。

 

「ねえねえ、ユーシスさまはいないの?」

「ユーシスさまに会いたいのに、兵士さんが聞いてくれないの!」

「えっと、どうしてユーシスさんに会いたいんですか?」

 

「まっくろな犬をさっき見たの。とっても大きくて怖かった」

「犬、ですか?」

 

 頷いた女の子が、幽霊を見たかのように顔を青ざめさせている。

 

「頭から煙を出しててよく見えなくて、影みたいに平べったいの。何だか変な感じした!」

 

 エマの表情が凍りついた。

 

「えー、まっくろさん絶対に鳥だよ。飛んできたの見たもん!」

「……そのまっくろさんは、どこに向かったの?」

「あっちへ泳いでいった!!」

 

 二人が揃って指差した先は、水路とその先の鉄格子。

 

 積み重なる緊急事態に痛む頭を抑えながら、エマは怒涛の勢いで思考を回す。昨夜ユキノから聞いた話を考えると、場合によってはマキアスを後回しにしなければならないほどに事態は深刻だ。

 

「フィーちゃん、地下への入口探しを任せます」

「委員長は?」

「ユキノさんの所に行ってきます。噴水広場の前で合流しましょう」

「了解」

 

 子供達と別れると、フィーは持ち前の俊敏さを解放し街中を跳ぶようにして駆ける。エマは大急ぎで《ルクルト》まで向かい戸を開けた。

 

「いらっしゃい。お望みの情報(もの)は少年の安否? それともレーグニッツ君の居場所かしら」

 

 店の主はいつも通り、カウンターの奥で全てを見透かしたように微笑んでいる。机の上には高級感のある箱が二つ置いてあり、その中には薄い封筒がそれぞれ一枚ずつ入ってた。これ見よがしに並べられたそれはエマが今最も知りたい情報。どちらも相応の値がついている筈だ。身内相手だろうが非常事態だろうが、取引に関してユキノが妥協することはない。

 

 時間もないので、前置き無しで本題に入る。

 

「この街の地下水路に、例の≪獣≫が入り込んでいる可能性が高いです」

 

 ユキノから笑顔が消える。僅かな間思案すると、手元のメモ帳にペンを走らせながら言った。

 

「……いいわ。その情報のお礼にお代はまけてあげる」

「では残りはツケでお願いします」

「あら横暴」

 

 ユキノが虚空に指を滑らせると、置いてあった封筒の片方とメモがひとりでにエマの元まで飛んでいく。

 

「私は最悪の事態に備えておくわ。……貴女はレーグニッツ君を助け出すことに集中すること」

「……はい。よろしくお願いします、ユキノさん」

 

 

 昨夜の襲撃を受けて、日中のオーロックス砦は物々しい雰囲気に包まれていた。施設の被害は少ないが犠牲者は出ており、何より領邦軍の一大拠点が攻撃されたことが彼らにとってはプライドを逆撫でされる出来事である。装甲車がいつでも出動できる体制で整えられており、蟻一匹通さないと言わんばかりの厳重な警備が敷かれていた。

 

 そんな中、リィンは医務室ではなく客室にいた。

 

「……はあ」

 

 狭い室内で一人、ため息を吐く。

 

 襲撃時の爆音で夜中に目を覚ましたリィン。状況が分からず戸惑う彼を迎えたのは、医務室に次々と運ばれてくる負傷者達だった。医師の話を聞いたリィンは、自身の体力がほぼ回復していることを把握すると医師に手伝いを申し入れ、救護活動を行いながら夜を越した。治療が一段落した朝方、兵士の一人に連れられてこの今の部屋まで案内されたのだ。

 曰く、負傷者でベッドが埋まったので動けるなら別室に移って欲しいとのこと。また非常事態につき部屋から出ることを禁止された。太刀やARCUSといった装備も返されず、ただ無為に午前を過ごしていた。部屋の階層は二階で窓の下には兵士が巡回している。扉の先には一人分の気配が感じられ、動く様子はない。

 

(実質監禁だな……)

 

 手伝いの途中で断片的に聞こえてきた情報を繋ぎ合わせると、どうやら昨夜の襲撃犯はマキアスとされているらしい。兵士から目撃情報が上がっているようで、領邦軍は間違いなくマキアスを捕らえに動くだろう。彼の父親が帝都知事、つまり鉄血宰相に次ぐ革新派の重鎮であることを考えれば単なる事情聴取は済むまい。

 そしてマキアスと同じくトールズの学院生で襲撃前にオーロックス砦に怪我人としていたリィンに関連を疑うのことも不自然ではないだろう。一応は貴族の嫡男の身なので、どう扱うか悩んでいるからこそこのような半端な措置なのかもしれない。

 

 このまま大人しくする気はないが、情報が少ない内は下手に動けない。瞑想で気持ちを落ち着けながら今後に考えを巡らせていると、部屋のドアがノックされた。

 

「失礼するよ。傷の具合はどうかな」

 

 入って来たのは目覚めてから最初に出会った、自分を治療してくれた医師だった。柔和な笑顔で差し出してきたのは太刀を始めとしたリィンの装備品だ。

 

「少し状況が変わって来てね。これは返しておくから、君はここを出てバリアハートに向かいなさい」

「え……? でも領邦軍が許可するはずが」

「心配ないさ。このメモの通りに行けば誰にも見つからずにここを出られる」

 

 四つ折りにされた紙片を渡される。中を開けると砦の内部図と順路が書かれていた。信じられないが、この医師は独断で自分をここから逃がそうとしている。

 

「急いだほうが良い。君のお仲間が命の危機かもしれないからね」

「……え?」

「君に怪我を負わせたモノが、今バリアハートに移動しているようだ」

「!!」

 

 瞬間、リィンの脳裏に浮かぶ黒い≪獣≫の姿。あれにはかつて討伐した魔性の気配を感じ取っていた。エマはともかく、恐らく他の面々の手には余る。

 

 一体どこまで知っているのか。目の前の医師の皮を被った『誰か』を睨み、リィンは訊ねた。

 

「貴方は一体……」

「ただの奇術師だよ。それでどうするかね?」

 

 問いに逡巡すること数秒。立ち上がったリィンは奇術師を名乗る男の横を通り過ぎ扉を開けた。部屋の前に立っていた兵士はリィンに何の反応も示さず、虚ろな表情で視線を宙に彷徨わせていた。

 

「正直あなたを信用できませんが……一応お礼は言っておきます」

「それには及ばないさ。私の為にやっていることだからね」

 

 鬼の力の影響か、既に体力も回復している。最後に一度だけ男の背中を振り返り、リィンは廊下を駆け出した。

 

「フフフ……さて間に合うかな?」

 

 

 

 砦を抜け出すまで、不可解なことに誰一人として止められなかった。砦にいる兵士は皆リィンが近づくと何故か別のものに意識を逸らされ、あるいは眠らされていた。奇術師と名乗ったあの男が仕組んでいることは明白だったが、今は思惑通りに動くしかない。砦の裏手から抜けて峡谷道を駆ける。遠目に翡翠色の屋根が見えるところまで近づくと、突如として目の前の空間が光を発した。

 

 足を止めて警戒すると、現れたのは二体の異形。巨大な歯車を背にした、浮遊する機械仕掛けの魔獣(ゼフィランサス)だった。

 

「こいつら、確か結社の……」

 

 先制して放たれた二条のレーザーを飛び退いて躱し、太刀を抜く。続いて繰り出される銃撃の合間を縫って、一閃。片方の体勢を崩すが、もう一機の攻撃を回避するのに止む無く追撃を中断して距離を取る。

 それからは同じ展開の焼き増しだ。二機のゼフィランサスは積極的に攻撃を加えてくることはなく、先を行こうとするリィンの妨害に特化した挙動をしている。リィンも一息でゼフィランサスを破壊できない以上はこれを受け入れざるを得ない。救援に行くのに自分の方が負傷していては本末転倒だからだ。

 

 ギチギチという駆動音が、まるで嘲笑うかのようにリィンを煽る。

 

「こんなところで止まっている暇は無いのに……!!」

 

 リィンは焦燥に駆られ──無意識の内に、自身の左胸に手を当てていた。

 

 

 マキアスの救出はスムーズに進んだ。

 

 フィーが見つけた地下水路への入口を魔術でこっそりと鍵を開け、ユキノの情報の通りに最短経路を走る。途中で城館を抜け出したユーシスも合流し、三人で牢番を強襲。囚われから解放されたマキアスは深く頭を下げ、それをユーシスが皮肉って言い争いに発展し、エマが笑顔で鎮圧する。お決まりになってきたやり取りには、かつての険吞さはもう存在しなかった。

 

 改めて脱出しようとしたところで、四人は水路に反響する轟音を聞いた。

 

「何だこの音。狼の遠吠え?」

「……多分軍用魔獣だね。猟兵団でもよく使われるクーガータイプかな」

「チッ、急いで脱出するぞ。追いつかれては敵わん!」

 

 脅威を知るユーシスに促され、一同は全速力で出口まで逃走する。だがフィーを除けば一般人の域を出ない足では振り切れず、次第に距離を詰められていく。

 

「足音からして二匹……このままだと追いつかれるね」

「止むを得ません。この場で迎撃します!」

 

 開けた場所で転身し、戦闘態勢を整える四名。通路の先からは装甲を纏った猟犬が二匹、姿を見せた。人間が騎乗することも容易であろう体躯に組み伏せられれば怪我では済むまい。獲物の姿を認めた二匹はぐっと身体を沈め──

 

 

 水飛沫を上げて飛び出した影に、引きずり込まれる。

 

「な……!!」

 

 一瞬の出来事だった。

 黒い触手のようなものが猟犬を軽々と持ち上げると、その巨躯は派手な音を立てて水面に叩きつけられる。抵抗する二匹は触手に全身を絡めとられたまま力を失っていき、やがて弱々しい鳴き声をあげて沈んでいく。

 

「……何だ、今のは」

「……来ます!」

 

 派手な水柱が上がり、黒い影がエマ達の眼前に降り立つ。遠近感の掴めない黒一色の外見と靄で隠された頭部は忘れもしない、昨日遭遇した無貌の獣だ。

 

「エマ君から聞いていたが、本当にいたのか」

「……皆さん、最大限注意を」

 

 張り詰める空気の中で、四人と≪獣≫は向かい合う。≪獣≫はしばらくの間こちらをじっと見つめ──顔も目も見えないので感覚でしか無いが──その肉体が、水を吸い過ぎた泥のように崩れた。目を見張る一同を余所に、黒泥は別のカタチへと変じていく。

 

 最初に縦長の胴体が飛び出し、そこから四肢と頭部が形成される。先とは違い二足歩行であり、両腕に巨大な爪を備えた姿は色彩こそ違えど見覚えがあった。

 

「昨日の手配魔獣だと!?」

 

 マキアスの驚愕に釣られるように、漆黒のフェイトスピナーと化した≪獣≫がその爪を振り下ろす。四人は散開し、戦術リンクを展開。床に描かれる二条の光線が、敵を中心として交差する。

 

「くそ、どうなってるんだ……」

「まともに相手をしている暇はない! 水路に叩き落として逃げるぞ、分かっているなレーグニッツ!」

「わざわざ僕を名指しで言うんじゃない!!」

 

 散弾から貫通弾に切り替えたマキアスの一射が敵の甲殻を穿ち、ユーシスが上段から剣を振り下ろす。口とは裏腹に、昨夜お互いに歩み寄った二人はここに来てリンクブレイクを克服していた。

 

 四月以来ようやく一つのチームとして成立したエマ達は、全力を以て≪獣≫に抵抗する。リィンの抜けた穴は大きいが、ユーシスとマキアスの連携が≪獣≫を押し留めてくれるようになったお陰でエマは攻撃アーツに注力することが出来た。

 

「『フレイムタン』」

 

 緋色の剣山が≪獣≫の足下に殺到し、炎の華を咲かせた。余波の熱風に他の三人が思わず顔を腕で覆うほどの火力に≪獣≫は大きく仰け反るが、すぐに復帰してこちらに突撃してくる。頼みの綱のアーツが効いていないことにエマは苦い顔をする。

 

 突破口が見えない中、≪獣≫が新たな動きを見せる。フェイトスピナーとしての輪郭がブレたかと思うと、直後に『飛んだ』。跳躍ではなく飛翔。顔を上げれば、そこにいたのはフェイトスピナーではなく黒い怪鳥。

 

「オーロックス砦までの舗道で見た魔獣だね」

 

 フィーが言うのが早いか、≪獣≫は翼を広げて急襲する。迫る鉤爪は地面を転がって回避するが、≪獣≫はすぐに飛び上がりこちらの頭上を支配する。

 そこからは一方的で、ヒットアンドアウェイを繰り返す≪獣≫にまともな攻撃を加えられないままスタミナだけが削られていく。銃やアーツで撃ち落そうにも、まるで空を泳ぐようにして翼を巧みに動かす相手に狙いを絞れない。動きやすいようにと広い場所を選んだことが裏目に出た。

 

「っ、このままだとこちらが保たんぞ」

「なら私が落とす。一瞬でいいからアイツを止めて欲しい」

「頼みます! マキアスさん、あちらに追い込んでください!!」

 

 リンクをマキアスと繋ぎ直したエマは、実技テストで見せた魔剣を召喚した。マキアスのショットガンから吐き出される散弾は命中しないものの、上手く壁際に追い詰めたタイミングで魔剣を突貫させる。≪獣≫の前方を塞ぐ壁のように展開された魔剣に黒い翼が衝突し、失速する。その隙を逃さず、真下に走り込んでいたフィーが腕を振った。

 

 バシュ、という空気の抜ける音がして、袖口からワイヤーが射出される。オリエンテーションの床抜けトラップを回避するために使用していたものだ。

 

 天井に向けて伸びるワイヤーは、怪鳥と化した≪獣≫の脚に絡みつく。疾走の勢いのまま跳躍したフィーの身体は≪獣≫を中心に弧を描き、その頭上を取った。落下の勢いを乗せて振り落とされた双刃が翼を裂き、黒い泥が噴き出す。

 

「離れろフィー! ──『エアリアル』!」

「『ダークマター』!」

 

 折り重なる翠と金。竜巻に揉まれてバランスを崩した≪獣≫は、エマが生み出した引力の力場に囚われ墜落した。苦悶の声を上げ悶える怪鳥に、着地したフィーの囁くような宣告が落ちた。

 

 

「行くよ──」

 

 空気の淀んだ地下を、銀色の疾風が吹き抜ける。残像が見えるほどの急加速とその勢いを殺さない独特の歩法による転身。まるで踊るようにステップを踏みながら、しかし見舞うのは容赦の無い刃弾の嵐。

 

 故にこその西風の妖精(シルフィード)。血に濡れた戦場の中であっても、その輝きを損なわず咲いた銀の華。

 

 

 妖精が躍り終えた舞台には黒塗りの肉塊が転がっていた。入念に潰された翼と頭は染みとなって床に広がり、残された胴体がビクビクと蠢いている。これが確かな血と肉を持った生物であれば、目撃者の多くは嘔吐していただろうと思わせる凄惨な光景である。

 

「これが猟兵……」

「や、やったのか……?」

 

 初めて目にする猟兵の戦技──貴族の語るものとは異なる一種の美しさにユーシスは目を奪われ、マキアスは呆然と呟く。言葉にこそ出さないが、フィーも会心の手応えに得物を下ろしていた。常識的に考えて、どう見ても即死。張り詰めていた空気が弛緩してしまうのも無理はないだろう。

 

 

 ただ一人。昨日の失態を繰り返さない為に、一切の油断なく目を凝らしていたエマだけがいち早く気づいた。

 

「フィーちゃん!」

 

 零れた黒泥が急速に結集し、先刻の軍用魔獣に姿を変化させながらフィーに飛び掛かった。

 

 声と殺気に反応したフィーが振り向いて双刃を交差させる。迫る牙をどうにか阻み、

 

 二つ目の頭(・・・・・)に、肩口を喰らいつかれた。

 

「……っ、ぁ!」

 

 勢いを殺しきれず押し倒されたフィーの腹を、《獣》は前脚で踏みつける。鈍い音が響き、口からは逆流した血液が零れた。

 

 驚いたのも束の間、三人はフィーを助けるべく≪獣≫に攻撃を加える。

 

 マキアスの放った散弾は、一回り膨れ上がり凹凸の生じた肉体──甲殻のように堅牢となった外皮に阻まれ。

 エマの魔剣は、背中から生えた漆黒の翼が巻き起こした風に吹き散らされ。

 ユーシスは、大鎌の如き鋭利な尻尾によって剣ごと腕を切り裂かれた。

 

 

 そんな馬鹿なと、マキアスの声はこの場の全員の思いを代弁していた。

 

 

 翼に刃尾、そして鎧を手にした、二つ頭の黒犬。無数に枝分かれした生命の系統樹を無理矢理一つに束ね直した、女神の摂理に反する存在。かつての暗黒時代から中世にかけて、魔導士たちによって研究されたとされる合成獣(キメラ)が今、エマ達の眼前に現れている。

 

「見つけたぞ、侵入者共……って、何だあれは!?」

「ウチで手懐けてある魔獣……いや、あんなのは知らないぞ」

 

 追い付いて来た領邦軍の兵士たちが≪獣≫の異形に足を止める。≪獣≫は頭を振ってフィーを投げ捨てると身体を兵士に向けた。

 

「駄目、逃げて──!!」

 

 エマの叫びも彼らには届くことなく、黒い影が通る道に真紅の花が咲く。即死の者が居なかったのは、果たして幸いなのか。理解の追いつかないまま崩れ落ちる兵士の一人に圧し掛かった≪獣≫が、二つの顎を開く。

 

 引き攣った声の命乞いが相手に伝わるはずもなく、その場の誰もが、数秒後に彼が貪れられる光景を確信し。

 

 

 

Currere flamma(奔れ 炎よ)

 

 知らない詠唱(ことば)が、耳を打った。

 

 飛び退いた≪獣≫のいた場所に群青色の炎球が着弾した。当然のように組み伏せられていた兵士が炎に包まれるが、それが彼を焼くことはない。寧ろ切り裂かれた傷口の痛みが引いていくように感じられた。

 

Quod spiritus lunae numen adest(月の女神の息吹をここに)

 

 続いてエマの足下から銀色の光が広がると、触れた人間の傷が塞がっていく。高位の回復魔法のようだが、これだけの人数に対して瞬時に駆動できる魔法を彼らは知らない。

 

「マキアスさん、ユーシスさん、フィーちゃん。動けるならあの人達の救護を頼みます。アレはしばらく私が引き付けておきますから」

「エマ君……?」

 

 魔導杖を地面に落としたエマは、虚空に手を伸ばす。その掌から白い光が瞬き──気づけば、新たな杖がその手に握られていた。

 

 柄は芯まで炭化したような黒い樹木。杖の先端には拳大のアメジストが収められており、その側面を銀糸で編まれた三日月型の装飾が覆っている。大まかな形状は、如何なる偶然か彼女の魔導杖に近いと言えるだろう。

 

 霊杖プレアデス。エマが自身の手で一から造り上げた、魔女としての愛杖だ。

 

 黒い樹の正体はサングラール迷宮の最奥に聳える霊木であり、即ち一人前の魔女として迷宮を踏破した証。エマの魔力に呼応した杖が仄かな光を纏い、紫の宝珠が輝きを放つ。

 

 対峙するは、人に害を成す異形の『魔』。であればいつもの責務を果たすだけ。

 

「貴方が何者なのかは分かりませんが、これ以上皆さんを傷付けさせはしません」

 

 

 眼鏡を外し露わとなった金色の双眸で≪獣≫を見据え、最新の巡回魔女は宣言した。

 




少なくともⅢ以降のエマは魔女として十分な実力があるのに杖が魔導杖のままなのはおかしくないかという疑問が私の中であったので、魔術用の杖を持たせてみました。名前はⅡのゼムリアストーン(最強)装備から。



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魔女と騎士②/⓪

仕事の繁忙期で一月ほど書いてなかったら見事にスランプに陥ってました……。


一応山場のひとつなので、今回の文字数はいつもの六割増しです。


Ferrum umbra(昏き刃よ)

 

 詠唱と共に、エマを囲むように魔剣が現出する。白い炎を剣の型に押し込めたようなそれらの数は、実技テストの時の倍である十本。杖を掲げる動きに合わせ、魔剣は一斉にその切っ先を≪獣≫へと向けた。自身を脅かしうる術を持つ少女に≪獣≫も敵意を集中する。

 

 先手は≪獣≫。突進してくる黒い巨躯に対し、魔剣の半数が飛び出す。エマの魔力を凝縮した白刃は、導力銃で傷一つ付かなかった甲殻を容易く切り裂いた。傷口からは血液の替わりに黒い蒸気が噴き出すが≪獣≫は止まらない。瞳のない黒一色の双頭が、確かな殺意を抱いて牙を剥く。

 

 エマは即座に待機させていた魔剣を眼前に呼び出すと、刀身を噛ませることでこれを防御。更に二本が≪獣≫の頭部を脳天から顎まで串刺しにした。

 

 脳を破壊されて無事な生物がいる筈もなく、その身体が崩れ落ち──次の瞬間、泡立った首から同じ頭が形成される。この世の常識を疑うような現象だが、生憎と常識から半歩外に踏み出しているエマに動揺はない。

 

 彼女がこれまで相手にしてきた魔性達の構造は、いずれも実在する生物のそれとはかけ離れていた。肉体の一部を破壊しただけでは容易く再生され、物理的な攻撃手段が全て通用しないなんてことも珍しくなかった。≪獣≫の肉体がこれまで捕食した魔獣をベースとしているのあらば或いは……とも考えたが、そこまで甘くは無かったようだ。

 

(なら次は……)

 

 打つ手を思案していると、≪獣≫は広げた翼を羽ばたかせて浮上した。魔剣で牽制しつつ、エマは後方へ駆け出す。負傷者から≪獣≫を引き離すと同時に、先にある狭い通路に誘い込んで行動を制限する狙いであった。

 

 しかし≪獣≫は両翼で空気を叩いて急加速。魔剣を振り切りエマの背後の壁に貼りつくと、そのまま急降下する。転身することで押し潰されることは回避したが、鎌のような尾の一撃を躱せない。寸でのところで魔剣を差し込み軌道をなんとか逸らしたが、エマは肩口を浅く斬り裂かれた。

 

 ファイアボルトを炸裂させ、爆風で強引に距離を取る。更に≪獣≫の真上から落下させた魔剣が肉厚の薄い翼を引き裂き、≪獣≫は苦悶の声を上げた。

 

「エマ君!! くそ、僕も……」

「来ないで!! 皆さんの治療を優先させてください!!」

 

 声を張り上げて、こちらに加わろうとするマキアスを制止する。今は≪獣≫の狙いを自分に集中させることで凌いでいるが、それは薄氷の上を歩くように危うい。敵の狙いが分散すれば対応の幅が増え、エマ一人の手では負えなくなってしまう。状況を好転させるには優れた前衛が必要だが、フィーは負傷して継続的な戦闘が困難。ユーシスは怪我を除いても単純に実力が足りない。

 

(セリーヌやリィンさんがいてくれたら……)

 

 ここにはいないパートナーを思い浮かべてしまい、すぐに打ち消した。存在しない希望に思考を割く余裕はない。

 『裏』に目を光らせ、『表』の人々を守る。それが魔女の──否、エマ・ミルスティンが自身に課した使命なのだから。

 

 

 一瞬だけ背後に視線をやれば、マキアスとユーシスが領邦軍の兵士の手当てを行っていた。フィーも回収して治療を済ませており、状況に対応できるよう翡翠のような目を凝らしてこちらを見つめている。

 

「ふぅ……」

 

 呼吸を整え、エマは魔力を編み上げる。魔剣の半数を消去し、残りに魔力を集中させて強度を底上げした。

 ≪獣≫は身体を震わせると甲殻と翼を体内に収め、代わりに尻尾を三アージュ近くまで伸長させる。素早さと不死身の肉体で動きを止め、尾の刃で両断するのが狙いであろう肉体の変異は、最早知性すら魔獣の域を逸脱していることを示していた。

 

 漆黒の異形が石床を滑るように疾駆する。エマは魔剣を周囲に散らしつつ、進路上に魔力の障壁を展開。さして広くもない通路では避けられず≪獣≫は頭から障壁に激突し、勢いのまま粉砕する。床を蹴る脚は止まらないものの速度は僅かに鈍らせることは出来た。

 続けて火のアーツを放つ。これは跳躍で躱されるが、着地の瞬間に脚と両の頭に高速で魔剣を撃ち込んだ。床に足を縫い付けられたまま加速を止められない≪獣≫は姿勢を制御できずに派手に横転する。

 

 重要なのは威力ではなく狙いとタイミング。敵の勢いを利用して崩す『螺旋』の動きをエマなりに再現した魔剣捌きだった。

 

 すぐには起き上がれない筈の≪獣≫だが、ぴん、と鋭利な尻尾だけがバネ仕掛けのように跳ね、しなりながら振るわれた。エマから見て右肩から左膝までを両断する袈裟懸けの一閃。三アージュという驚異的な間合いに逃げ場などありはしない。

 

 恐怖を飲み込み、エマは駆け出した。意識を集中させ、幾度となく見てきた『彼』の剣筋を己が魔剣になぞらせる。

 

 盾にするのではない。尾が描く軌道と平行になるよう魔剣を置き、尾と魔剣が重なった瞬間に魔剣をズラして弾き上げる──!

 

 命を乗せた天秤は、エマの側に傾いた。

 

 至近で鳴る風切り音。掠めたのか、耳が火を点けたように熱を帯びる。踏み込んだ先は≪獣≫の懐、間合いの内。槍を扱うように突き出された杖の先には、蕾のように膨らんだ灯があって。

 

「ヴォーパルフレア!」

 

 灼華が咲いた。瞬時に膨張した青い炎が解き放たれる。ゼロ距離からの砲火は≪獣≫を飲み込み、その半身を焼き払った。残る半身は壁に叩きつけられ、黒い汚泥となって溶け落ちていき──再生する。

 

「あれでも駄目なのか……!?」

 

 顔に絶望を浮かべたユーシスの呟きは、周囲の人間全ての気持ちを代弁していた。目の前で繰り広げられる常識の埒外の戦闘に割って入ろうとする気はもうない。実力不足以前に、前提が違う。世界が違う。絶対的なルールがあるとして、それを知らない者と熟知している者とでは闘い自体が成立しないように。

 

 唯一希望を見出しているのは、会心の一撃が効かなかったはずのエマだった。

 

(見えた……!)

 

 ≪獣≫が再生を始めようとする瞬間、金に煌めくエマの瞳は≪獣≫の体内に埋まっている、拳大の球体のようなものを捉えていた。それこそが霊核と呼ばれる存在の源。物理攻撃を受け付けないタイプの魔性でも、現世に留まる要石である霊核だけは例外だ。この手の相手を滅するには、この霊核を探し当てて破壊しなくてはならない。≪獣≫は色々と例外だが、倒し方が分かったのは大きな収穫だ。

 

(けど、私一人じゃ倒せない……)

 

 一手違えば即死する極限状態の中、全力で魔術行使もしていたのだ。急速に擦り減った精神と消費した魔力は疲労という形で肉体にフィードックされ、手足が重く感じる。このままいけばエマが先に音を上げるのは目に見えていた。せめてもう少し、皆が逃げられるだけの時間を稼がないとと気合を入れ直すエマ。そして見つける。

 

 ≪獣≫から長い尻尾が、まるでホースのように水路に沈んでいるのを。

 

「左!!」

 

 フィーの叫びに反応して剣を盾にした直後、視界が回った。高速で景色が流れ、腹部の衝撃で強引に息が吐き出される。

 尻尾だけいち早く再生させ、身体の再構築に紛れて水路に潜ませていたのだと理解した時には、二足甲殻型(フェイトスピナー)へと変異した≪獣≫が鎌状の腕を振り下ろしていた。杖を差し込んで盾にするが、尋常ではない力に腕がバラバラになりそうだ。

 

 エマを救おうとマキアスの銃撃が入るが、甲殻に弾かれてしまう。接客しようとするフィーは尻尾に牽制されて近づけない。そうこうしている内に凶爪がエマの鼻先にまで接近し──カラン、という軽い音を耳にした。

 

「え……?」

 

 一瞬だけ、音源に視線を向ける。

 

 尾で叩かれたときに引っ掛けたのだろう。裂かれたブレザーの内ポケットから落ちてきたのは、綺麗に形を整えられた水晶に紐をつけたペンダント。エマが作った、世界で二つだけの『お守り』が光を発していた。

 

 それが意味するところに背筋が凍るエマだったが、よく見れば光は一定の間隔で点滅を繰り返している。お守りにそのような機能は備えていない為、異常の原因は片割れを所持する相手方にある。もしもそれが意図的なものであるのなら──。

 

「……!!」

 

 閃いた。根拠もないのに何故か確信があった。

 魔力で懐のARCUSに干渉し、強引にオーブメントを起動させる。必要なプロセスの一切を省略して発動したアーツは属性すら定まらず、行き場を失った導力は双方の目の前で爆発した。怯んだ≪獣≫はその場から飛び退き、爆風に身体を叩かれたエマは地面を転がる。

 

Et manu capiet coniecturam adest(標はここに) Viam sternere volunt(彼方への路を拓く)

 

 膝立ちになって、再び肉薄してくる≪獣≫を前に強引に作った猶予で組み上げるのは召喚の術式。使い魔や特定の証を刻んだものを自分の手元に呼び寄せる魔術だった。術者の技量によって呼び寄せられる範囲が左右され、今のエマではオーロックス砦まではどうあっても届かない。

 

 けれど分かる。

 

 絶対に、いる。

 

Veni huc eques lexus(我が下に来たれ 無彩の騎士よ)!!」

 

 叫ぶような詠唱と同時に空間が揺らめき、焔の一閃がエマと≪獣≫を別つ。

 少女の青い瞳には見慣れた背中が広がって。

 

「無事か、エマ!!」

 

 太刀に残る火の粉を振り払いながら、リィン・シュバルツァーが現れた。

 

 

 時は少し遡り、オーロックス砦からバリアハートまでの道中。人形兵器に足止めを喰らい鬼の力を使うことも考え始めたリィンの前に、闖入者は現れた。

 

「『ラグナヴォルテックス』!!」

 

 突如として吹き荒れる突風と網膜を貫くような稲光。咄嗟のことで目を閉じたリィンが目蓋を開けると、視界に映っていたのは半壊した人形兵器の片割れと白いコートを羽織った短い金髪の青年だった。

 

「よ。無事だなリィン?」

 

 軽い調子で手を振って話しかけてくるこの人物をリィンは知っている。巡回魔女修業の旅の中で出会い世話になった、今となっては数少ない帝国で活動している遊撃士。

 

「トヴァルさん!? どうしてここに……」

「いやなに、おまえさん達に何かあった時のフォローをサラから頼まれててな。つっても大概面倒なことに巻き込まれてるみていだが……っと!」

 

 背後の気配に反応し、トヴァルは手に持っていた戦術オーブメントを掲げる。

 駆動時間は一秒未満。弾けた金色の球体(ゴルトスフィア)が人形兵器の放ったミサイルを全て相殺した。

 

「どうやってオーロックス砦から抜け出したとか色々訊きたいが、今は不問にしといてやるよ。エマちゃんが地下に閉じ込められたお仲間を助ける為に動いてるから、ここは俺に任せておまえは行け」

 

 マキアスのことだと確信したリィンは、奇術師から聞いた黒い怪物の話を思い出して焦る。アレが既に市街地で暴れているのなら大きな騒ぎになっている筈だ。無論遭遇していない可能性も十分あるが……そうでなくともやっていることは脱獄の手引きだ。手を貸すにせよ止めるにせよ、早急に合流したほうが良いだろう。

 

「……すみません。この借りはいつか必ず返します」

「おう。頑張って助けてやれよ『騎士』サマ」

「そ、それは言わない約束だったでしょう!」

 

 多様なアーツが人形兵器に襲い掛かり、リィンはその脇を抜けて走り出す。一流の遊撃士であるトヴァルには幾度となく助けられたことがあり、その実力はリィンも良く知るところ。人形兵器一体なら心配はいらないはずだ。

 

 人気のない街道を駆け抜けながら、エマと合流する手段を考える。設備が整っていないバリアハート、増して地下ではARCUSで通信も届かない。街に着いてからユキノに調べてもらうのが確実だが、それでは間に合わないかもしれない。ひとまずは自分の存在を伝えられる方法を考えて、

 

「……杞憂でも俺が怒られるだけだしいいか」

 

 苦笑したリィンは懐を探り、水晶型のペンダントを取り出す。エマが作ってくれた『お守り』は鬼の力を感知して、万が一暴走した場合は精神を落ち着かせる結界を自動で張って暴走を抑えてくれる優れものだ。

 

 お守りを握りしめ、意識を内へと向ける。火種を大きくするようなイメージで鬼の力を暴走させない程度に引き出そうとするが、同時にお守りが光を発し、ローゼリアの封印術式によって抑えられることで光は消えた。それでも構わずリィンは何度も鬼の力への干渉と封印を繰り返し、光も点いては消える。

 お守りはエマの持つものとリンクしており、エマ側からでも状態の把握が出来る。サインが正しく伝われば、後は彼女の判断に任せれば良い。

 

 程無くして眼前の空間が歪み、開いた穴からは別の景色が映し出される。そこに黒い異形が見えた瞬間、リィンは躊躇なくその穴に飛び込んだ。

 

 

 

 ──やっぱり、こうなるんだ。

 

 リィンの姿を認めたエマは、そんなことを思った。

 ここまでに戦いがあったのか、制服ではない簡素な上着は汚れており、破れた裾からは腹に巻かれた包帯を覗かせる。肩は激しく上下していて、息を切らして走ってきたのが一目瞭然だ。傷は塞がっても万全とは程遠い状態で、だ。

 何で、どうやってと問い詰めたい気持ちはあれど、結局はエマ自身がリィンだからという理由で納得してしまう。誰かの為に無茶をする彼の悪癖(善性)と、だからこそ救えたものを見てきたからだった。

 

 今回は巻き込まないと決めていたのに頼ってしまって。けれどやっぱり、助けに来てくれたことが嬉しくて。いつだって矛盾する心は本当にままならない。

 

 

「リィン!?」

「どうやって……というか今、何もない場所から現れなかったか!?」

 

 空間を転移してきたリィンにマキアス達が驚いているが、説明している暇はない。≪獣≫は乱入者であるリィンを警戒しているのか、身体を怪鳥に変化させてこちらの様子を伺っているからだ。

 

「姿が変わった……」

「捕食した魔獣の形態と能力を得ています。複合させることも可能のようです。霊核を見つけたので、本質的には霊体の類かと」

「……分かってたけど、まともじゃない相手ってことか」

 

 太刀の切っ先と視線を《獣》に向けたまま、リィンは倒れたエマに手を差し伸べて告げた。

 

「──いけるか?」

 

 その声に、その横顔に、疲労を訴えていた身体が奮起する。いつだって、この少年がくれる信頼がエマ・ミルスティンを支えてきた。

 

「……勿論。導き手が先に倒れる訳にはいきませんから」

 

 騎士の手を借りて魔女が立ち上がる。リィンの一アージュ後方がいつもの立ち位置。小規模ながら幾つもの異変を解決してきた二人が今、反撃の狼煙を上げる。

 

 太刀を手にリィンが駆け出す。接近を嫌う≪獣≫は翼を広げ、太刀の届かない上空へと浮上した。

 そこへリィンと≪獣≫の間を結ぶように魔剣が三本並んだ。リィンは加速の勢いを乗せて大きく跳躍し、刀身を足場に更に跳ぶ。階段を段飛ばしで駆け上がるかのようにして上空の《獣》へ一気に接近した。

 

 唐竹割りが片翼を斬り落とす。バランスを失い墜落する≪獣≫の肉体を噴火(ヒートウェイブ)で打ち上げた。先に着地したリィンが追撃を放つ。

 

「業炎撃!!」

 

 大上段から太刀を振り下ろし、≪獣≫を再度地面に叩き落とす。地面を転がる黒泥の塊に追撃を重ねるが、それは鎧を思わせる盛り上がった肉体に受け止められた。

 四肢を生やし犬型となった≪獣≫が太刀に喰らいつく。得物を奪われまいと抵抗するが、凄まじい膂力に太刀を取り上げられてしまう。丸腰となったリィンに≪獣≫は飛び掛かり、

 

「させない! 大いなる守りよ(Scutum)!」

 

 魔力の障壁に頭から激突する羽目になった。サポートに集中できる分、強度は先程よりも固い。たたらを踏む≪獣≫に明確な隙が生まれる。

 

「リィンさん、使ってください!」

 

 開かれたリィンの掌へ吸い込まれるように魔剣が落ちる。純白の柄を握ったリィンは腰を落としたまま右半身を後ろにずらし、弓を引くようにして剣を肩と水平になるように掲げた。八葉にはない突きの構えは、シュバルツァー家に伝わる騎士剣術のもの。

 

「──フッ!!」

 

 真っすぐな一突きが≪獣≫の下顎を抉り、太刀が地面に落ちた。拾い上げようとするリィンに対する≪獣≫の妨害はエマが魔剣を巧みに操って防ぎきり、無事回収したリィンは緋空斬で距離を空ける。

 

 ≪獣≫を挟んで向かい合う二人が交わす視線は一瞬だけ。ARCUSを繋ぐ光線の輝きが増す。

 小さく頷いたエマは新たに二振りの剣を召喚する。先程よりも長く鋭い、リィンの太刀に似た形状だった。

 

「行くぞエマ!!」

「はい!!」

 

 先の意趣返しのように、水路に潜ませていた魔剣が一本、≪獣≫の横っ腹に向かって飛ぶ。奇襲は反応されて尻尾で弾かれるが、隙はそれだけで十分だ。

 

「明鏡止水……我が太刀は無」

 

 疾走する剣士に魔剣が呼応する。繰り出すのはかつて老師が見せた漆の型が奥義の一つ。魔女の導きが、リィン一人の力では未だ届かない領域へと押し上げる。

 

『相の太刀、【白葉】!!』

 

 リィン本人と、彼の太刀筋をトレースした二つの白い太刀。絡み合う三つの剣閃は嵐を呼び、≪獣≫の全身に斬線を刻み、斬り飛ばす。嵐の後に残ったのは、輪郭を削り落とされて黒い泥を垂れ流す奇怪なオブジェのみ。

 

「今だ核を!」

「視えてます!」

 

 戦術リンクの視界共有によって、エマが霊視しているものをリィンも把握する。弱点の霊核は丁度≪獣≫の肉体の中心に位置していた。黒泥という鎧の大部分を剥いだ今が絶好の機会。エマは蒼炎を槍に変えて撃ち放ち、

 

 それより先に、黒が弾けた。

 

「っ……なんだ!?」

 

 咄嗟に顔を覆った腕に、粘ついた感触と不自由さを覚えるリィン。それらを強引に振り払ってみれば、そこに≪獣≫の姿はなく、床や壁に幾つもの黒い染みが点在する光景だった。

 呆然としたのは一瞬。肉体を数十に分裂させたのだと気づいたリィンは周囲を見渡して、動く黒色を探す。

 

「……上だ!!」

 

 霊核を維持できるギリギリのサイズまで小さくしたのだろう。黒いトカゲが天井に貼りついていた。逆さまのままで這いながら、壁や天井にへばりついている僅かな黒泥(肉体)を回収して逃走する。エマが追撃するも命中せず、≪獣≫は暗がりの中に飛び込もうとしていた。元より薄暗い地下で、照明は廊下のみ。影に紛れてしまわれると探し出すのは困難を極める。

 

(マズイ、追いつけない……!!)

 

 尋常ではない戦闘力と適応力を持つ≪獣≫をバリアハートに留めてしまえばどれほどの被害が生まれるのか想像もつかない。トヴァルやユキノのような実力者を待つ暇はなく、ここで逃がす訳にはいかないのだ。

 しかし大技を繰り出した直後で余裕のない二人には無情にも≪獣≫が逃げ切るのを見送るほかなく、

 

 

「逃がすか!! 頼んだフィー!!」

Ja(ヤー)

 

 だからこそ、いざという時に備えていた三人がその役割を担った。

 

 ユーシスが用意した土の槍(アースランス)を発射台としてフィーが飛ぶ。梁に結んだワイヤーで身体を支えながら壁を走り、≪獣≫へと接近。マキアスが射撃で≪獣≫の足を止めた隙を逃さず、空中で身体を捻って蹴りを放った。しなる白い足をまともに受けた黒いトカゲは吹っ飛び、少し離れたところに落下する。

 

「ユーシスさん、お怪我は……」

「心配ない。兵も粗方治療を済ませて、上への報告とここの封鎖に当たらせている」

「そうか……。よし、後は俺とエマでなんとかするから──」

「退けと言うなら聞かんぞ」

「あれをどうにかする算段があるならさっさと話したまえ」

「……ええっと」

 

 二人はフィーを連れて下がっていてくれ、と言う前に詰め寄られて思わず口を閉じてしまう

リィン。昨日とは打って変わって協力的な様子に戸惑い、エマに視線を投げると苦笑で返された。それで自分が寝ている間に何らかの良い変化があったのだろうとリィンも察する。

 

「……行きましょう。指示は走りながら出します」

 

 エマが促し、四人は倒れた≪獣≫の下に急ぐ。更なるワイヤーを経由して壁伝いに移動するフィーを視界の端に捉えつつ、途中リィンは小声でエマに訊ねた。

 

「(いいのか?)」

「(難しいところですけど、ここで時間を浪費する訳にもいきません。確実に倒す為の手が足りないのも事実ですし、それに……)」

「(それに?)」

「(皆で戦う機会は、これからの為にも必要かなって)」

 

 魔女として判断するなら、彼らを魔性との戦いに巻き込むのは当然アウトだ。だがⅦ組の委員長としては、先月から続く二人の関係がようやく改善の兆しを見せようとしているこの状況を見逃せない。

 魔性から人々を守る。Ⅶ組の仲間と実習をやり遂げる。義姉ならこの程度鼻歌交じりにやってのけるだろうに、追いつこうとする自分が出来なくてどうするのか。

 

 短い道中でフィーも合流し、五人揃って≪獣≫の下に辿り着く。黒い泥はボコボコと泡立ち、その体積を増やしていた。

 

「もう再生が始まっているか……」

「でも速度は落ちてる。一気に叩けばいけるはず」

「足を引っ張るなよレーグニッツ」

「こっちの台詞だ。君こそ遅れをとるなよ」

「作戦は伝えた通りに。皆さんお願いします!」

 

 一歩前に踏み出したリィンが太刀を掲げ、口を開く。

 

 

「特別実習の総仕上げだ……。士官学院≪Ⅶ組≫A班、全力で目標を撃破する!!」

『おう!!』

 

 不思議と良く通る声が、全員の闘志に火を点けた。

 

 マキアスの援護射撃を受けながら、まずはリィンが≪獣≫と打ち合いアーツ駆動までの時間を稼ぐ。頃合いを見計らって距離を取り、ユーシスが『エアリアル』を発動。直接的な攻撃ではなく、≪獣≫を竜巻で囲うことで逃亡を阻止する為だ。猟犬へ姿を変えて風の檻を強引に食い破ろうと動く≪獣≫の付近に、ワンテンポ遅れて空の導力が満ちる。

 

「駆動は意地でも保たせる。全力でやれ!!」

「分かりました……『ダークマター』!」

 

 元よりアーツに関して抜群のポテンシャルを誇るエマがその導力の大半を注ぎ込んで生み出した吸引力場は、周囲の大気を竜巻ごと引き寄せる。結果、風の檻は圧搾空気となって≪獣≫の全身を締め上げた。

 

「ぐ……」 

 

 外と内からの抵抗に何度もアーツの制御を手放しそうになりながら、必死に竜巻を維持するユーシス。

 

 アーツの効力が途切れ、生身の肉体であれば挽肉になっていたであろうほどに強い力で圧し潰された≪獣≫が力なく崩れ落ちる。その目の前に妖精が飛び出した。

 

「シルフィード……ダンス!」

 

 ≪獣≫に貼りついたフィーが縦横無尽に双銃剣を振るう。鼻先、目元、耳、脚の健……五感と行動の起点に狙いを定め徹底的して狙い、反撃の芽を潰していく。次第に呼吸が続かなくなり足が止まるが、その隙をマキアスと復帰したユーシスが押し留める。稼げた時間はおよそ十秒。その間に呼吸を整えたフィーは再び急加速し斬撃を見舞った。

 

 ……しかし、どれだけ必死にダメージを与えても黒い肉体は瞬時に再生される。対してこちらは常に限界まで力を振り絞って戦っている極限状態。肉体的にも精神的にも疲労が加速度的に増していく中、パフォーマンスを維持するのはどうしても困難になる。

 

「しまった……!」

 

 フィーとマキアス&ユーシスによる封殺ループの三巡目に、マキアスが銃撃を外してしまう。妨害から解放された黒犬が狙うのは、インターバル中の床に蹲っているフィー。酸欠に喘ぐ身体をのろのろと回避に動かすが間に合うはずもなく、牙を突き立てようとする。

 そこへユーシスが投擲した騎士剣が、黒犬の首に突き刺さって動きを止めていた。再生までの僅かな時間でフィーが復帰する。

 

「助……」

「……ッ!」

 

 礼を告げる時間すら惜しいと、視線で黙らせるユーシス。得物を失った動揺を見せることなくARCUSを手に駆動に入る様子に、マキアスもまたショットガンのリロードを無言で済ませ次に備える。

 

 気の遠くなるような思いに苦しみながら、何度も何度も、彼らは綱渡りの時間稼ぎを繰り返す。

 

 

 その一刀へ、繋げる為に。

 

「……」

 

 最初に≪獣≫と打ち合ってから退いた後、目の前の戦闘をリィンは見ていなかった。瞳を閉じたまま腰を落とし、静かに闘気を練り上げている。今繰り広げられている綱渡りの状況を見てしまえば、きっと何も考えずに助けに入ってしまうと判断したエマの指示によるものだった。

 

「ッ、エマ……!」

「駄目です。まだ、もう少しだけ堪えてください」

 

 足止めを任せ、黒泥ごと霊核を斬る。チャンスは一度きりのそれを成功させることが、今回リィンの役目。絶対に失敗できないからこそ、今にも飛び出していきたい衝動を必死で堪えていた。

 

月の光よ(Lux lunae) 彼の者に魔を打ち払う加護を授けよ(Dare potestatem daemonium)

 

 エマは霊杖プレアデスを掲げ、魔力をリィンの太刀に集める。魔力を武具に宿らせる付呪の術(エンチャント)と呼ばれる魔術だ。

 属性は『月』。夜の象徴であり、古来より魔に属する物と深い結びつきがあるとされたそれの概念を帯びた物体は、転じてこの世ならざるモノに強く干渉できる力を得る。

 白い輝きが満ちる愛刀に、リィンもまた自身の闘気を焔に変換して太刀に纏わせる。二つの力は融け合いながら一体となり、白銀の炎が刀身を覆った。

 

 闇を包む──魔を肯定する月。闇を払う──魔を否定する焔。相反する二つの光を湛えた太刀は、魔を屠る刃となる。

 

「神技……月焔剣」

 

 神秘的な銀炎に気づいた≪獣≫が、怯えたように後ずさった。

 

「──今です!」

 

 凛とした声は、暗闇の中で進むべき道を示す篝火のようにリィンを導く。

 目を見開いた剣士は、弾丸の如く飛び出した。

 

 初めて危機的脅威を認識した≪獣≫は、既に息も絶え絶えだった三人を吹き飛ばし、重厚な甲殻の鎧を構築する。リィンやエマの攻撃も弾き返してきた鋼鉄さながらの堅牢さはそのまま、厚みは三倍となり最早壁に近い。

 

 だというのに。

 

 

「斬……!!」

 

 袈裟懸けに振るったその一太刀は、その壁を容易く両断する。

 

 感触は、溶けたバターを割くように軽かった。抵抗を感じないままリィンは走り抜け、≪獣≫の凡そ三分の一を斬り捨てる。白銀の焔は切断面に燃え移り黒泥を焼いていく。肉体の損壊に一切反応しなかったはず

の≪獣≫が、ここにきて初めて苦悶の叫びをあげた。

 

 窮地に立たされた≪獣≫の生存本能が更なる進化を遂げさせる。腹から一抱えサイズの黒泥を幾つか溢すと、それらは小型の犬型魔獣となり、殺意を滾らせてリィンとエマに襲い掛かった。

 

「分裂……いや、産んだのか!?」

「惑わされないで! 核のある本体だけを狙ってください!」

 

 最初に向かってきた一匹を斬り裂くも、後続の黒犬に噛みつかれる。痛みは大したことないが、自分より小さく機敏に動き、かつ抜群に連携の取れている複数体を相手に苦戦を強いられてしまう二人。

 

「弧月一閃!」

 

 リンクをエマから切り替えた(・・・・・・・・・)リィンは全方位へと銀炎を放ち、黒犬を一掃する。銀の熱波をかき分けて進んだ先では≪獣≫が巨大な腕を生成し、石塊──砕けた柱の一部を手にしていた。

 

 魔性相手には強力な特効を発揮する月焔剣だが、物理的なものに対してはその限りではない。受ければ太刀ごと持っていかれることは想像に難くなく、迫る石柱を屈んで避ける。続けての振り下ろしを前に、リィンは太刀を手放して叫んだ。

 

「任せたユーシス!!」

 

 

 無手で石柱を横から弾くリィンの脇を、太刀を受け取ったユーシスが駆け抜けた。

 

 慣れない重さと柄の感触を手に走る。実家の膝元たるバリアハートの真下で現れた脅威、解き放たれれば多くの領民に危機が及ぶこの状況で奮わずして何が貴種かと、疲労困憊な身体に力を入れる。

 

(──いや、それだけではないか)

 

 戦術リンクを通して伝わってくる思念。ここまで皆が懸命に繋ぎ、今自分に託してくれた信頼はユーシスにとって初めて感じる熱であった。自分を通した実家への畏敬や期待ではない、一人の男に向けられた仲間としての対等な信頼。

 応えなければならない……否、応えたいと強く思った。

 

「おおおおおおおおおぉ!!」

 

 これまでに一度も出したことのない大声を張り上げ、≪獣≫へと肉薄する。両者を遮るものはもう何もない。小細工のない単純な突きを≪獣≫の中心に向けて放ち──止められた。

 

「こいつ、腕の方を……」

 

 ≪獣≫の最後の悪あがき。全身から手当たり次第に生やした触腕でユーシスの肩や腕を強く押さえる。太刀に直節触れれば消滅するのなら、太刀の持ち手を遠ざけてしまえばいい。

 あと数リジュ詰めれば切っ先が≪獣≫に届くというのに、その僅かな距離が遠い。ジリジリと押し返されながらも拘束されて身体を動かせないユーシスに、伸びた大鎌が振り下ろされようとして、

 

「ユーシス・アルバレア!!」

 

 リィンとの間に結ばれていたリンクを吹き飛ばすような勢いで、光のラインがマキアスからユーシスへ届く。膝立ちで叫んだマキアスが銃口の狙いを定めるが、運悪くユーシスの背中が盾になってしまう位置であった。ぎょっとする一同の中で、戦術リンクを介して伝わった無謀な思考にユーシスは思わず顔をしかめる。

 

 ああでも、不思議と悪い気はしなかった。

 

「……やれ!!!」

 

 響く銃声。対人用のゴム弾──それでも直撃すれば骨折は免れない──を、最大出力で解き放つ。ユーシスの背中に激痛が走るが、その衝撃が最後の一押しとなって彼の身体を前へと進ませて。

 

 

 銀炎の刃は今度こそ、≪獣≫の霊核を貫いた。

 

 

 

 闇夜の中を、白い髪が流れる。

 

 呆然とするエマを、暴走するリィンは待たなかった。雄叫びを上げながら突撃し、無防備な彼女に向けて腕を突き出そうとする。

 

「下がりなさいエマ!!」

 

 間に割り込んだセリーヌが、魔術で障壁を張る。黒い瘴気を纏う拳が突き刺さり、ビリビリと振動する。

 

「セリーヌ!」

「……っ、何て馬鹿力なのよ」

 

 魔獣さながらの力任せな殴打が繰り返され、耐えかねた障壁が破壊された。セリーヌは即座に呪文を唱え、光る鎖がリィンを縛る。

 

「これが、リィンさんの異能……」

 

 あの優しい少年が、凶暴な魔獣のように変貌してしまう。これを恐れるなという方が無理だろう。本人が善良な人間であるなら尚更だ。

 

「ゥ……ガアアアアアァ!!」

 

 手足を縛られたリィンは暴れる。光の鎖からはガラスの割れるような音が連続しており、拘束が長くは保たないのは明らかだった。

 

「……逃げるわよエマ」

「え?」

「今のアタシの手には負えない。ロゼを呼んで抑えてもらうしかないわ」

「そんな、リィンさんはどうするの!?」

「どうも出来ないから放っておくしかないでしょ。今はアンタの身が優先よ」

 

 破砕音。鎖を力尽くで引き千切ったリィンは二人に襲いかかろうとして、その動きを止めた。胸を搔き毟りながら膝を折って蹲る。雄叫びを上げるばかりだった口からか細い声が漏れた。

 

「エ、マ……、セリー…ヌ……」

「リィンさん!? 意識が戻ったんですか!?」

「逃ゲ、ロ……。まだ、オレが残っテいル内二……」

 

 手元にあった石を握れば砂粒のように細かく砕け、掌についた傷はたちどころに塞がれる。異能は確実にリィンの肉体を変質させており、湧き出る破壊衝動に意識が飲まれかけているのが分かる。

 

「もうイイ……。コレで、今度コソ終ワりにスルかラ」

 

 リィンにローゼリアを待つ気はない。エマとセリーヌの退避を確認した後は、このまま人目の届かない森の奥に行くつもりだ。そう遠くない内に人間ではなくなってしまうけれど、これで誰にも迷惑は掛からない。初めて異能を解放した時からこうすべきだと分かっていたが、今回でようやく踏ん切りがついた。

 

 黒い瘴気は勢いを増し、リィンの全身を包むほどになる。もう時間がない。

 

「早、ク……!!」

「……ロゼが間に合えば希望はあるわ。少し待ってなさい」

 

 転移魔術が発動し、魔法陣がエマとセリーヌの足下で輝き出す。目まぐるしく動く状況にエマは流されるだけ。リィンを助けられる手段を持ち合わせておらず、何も出来ない半人前未満の未熟者の魔女はただ視線を往復させる。

 

 

 黒いカーテンの向こう側。両の瞳から透明な滴を流す彼の、ぎこちない笑顔。こちらを安心させようと作った笑みを見て。

 

 ──エマ・ミルスティンの(こころ)に、火が点いた。

 

 

 反射的に動いていた。転移の魔法陣を飛び出し、リィンに正面から抱きついた。

 

「!?」

「ばっ……何してるのよエマ!? 早くそいつから離れなさい!!」

 

 振り解かれないよう必死にしがみつきながら、エマは首を横に振る。溢れる瘴気はエマを侵し、吐き気と倦怠感が彼女の全身を包んだ。

 

「離レロ……ッ! モウ嫌なんダ、誰かヲ傷付ケルのハ」

「嫌です! 絶対に離しません!!」

 

 顔を上げて、彼の赤くなった瞳を見た。敵意と殺意、その奥にある畏れ。それらから目を逸らさず、伝えようとしていた言葉を告げる。

 

「貴方は分かってない!! そうやって一人で決めて、納得して、いなくなって……それで残された人がどんな思いをするかなんてこれっぽっちも考えていない!!」

 

 いつもと変わらぬ笑顔で出て行った母は帰らぬ人となった。姉のように慕っていた女性は何も言わずに姿を消した。

 いつだって、エマ・ミルスティンの大切な人は突然に自分の下から去ってしまう。それは彼女の心奥で生々しく残る傷跡(トラウマ)だ。

 

 誇らしげに家族のことを語ってくれたリィンを思い出す。あんな風に他人を言える人間は絶対に孤独ではない。両親も義妹もリィンを愛している確信がある。

 

 きっと、家族はリィンの帰りを待っているから。自分と同じ目になんて、絶対に遭わせたくはないから。

 

「何も言わずに離れるなんて絶対にダメ!! 傷つけたことちゃんと謝って、話さないと許さない!!」

 

 外の事情に深入りすべきではないという魔女の掟はとうに彼方。家族を愛する一人の少女として、勝手に堕ちようとする彼への憤りをぶつける。

 

 その感情の昂ぶり、剥き出しのエゴがトリガーとなった。

 

 

 どくんと高鳴る鼓動と同時に熱が広がる。白い焔が、エマの身体から噴き出した。

 

「『魂の灯』……」

 

 白炎は爆発的な勢いで拡散するとリィンを包み込む。触れても熱くない、まるで陽だまりのような温かさをしていた。心地よさを覚えて、そこで破壊衝動が大人しくなっているのに気づく。中心にいる二人は分からないが、外から見れば白炎が黒い瘴気を燃やしていた。

 

 拮抗する白と黒は、前者に軍配が上がる。やがて瘴気は消え去り、リィンの髪と瞳は元の色を取り戻した。

 

「エマ……」

「お願い……まだ、間に合うはずだから」

 

 

 駆けつけて来るセリーヌの声が遠い。気力の尽きた二人は、折り重なって地面に倒れた。

 

 

 




本作のこの時点のエマと、原作Ⅲ時点のエマを比較すると以下のようになります。


魔力量(MP)  原作>本作
魔術の技量   原作≧本作
単独での戦闘力 原作<本作 


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ここから、また

 

 目が覚めると、綺麗な木目の天井が目に入った。

 

「ここは……ローゼリアさんのアトリエか」

 

 緩慢な動きで視線を左右に振ったリィンは、周囲を見渡してそう口にする。数日前、エリンで初めて目覚めた時と同じ部屋だった。

 

 今が何時なのか、眠るまで何をしていたのか。寝起き特有の覚束ない頭で考えていると、扉が開き少女が現れた。

 

「リィンさん……?」

 

 この三日ですっかり聞き慣れた声に、呆けた思考はクリアになる。

 

 義妹の姿に釣られて魔の森に踏み入ったこと。襲ってきた悪霊を逆に喰らい、異能を暴走させたこと。綺麗な白い焔と泣きそうな顔で自分に呼びかけてくれたエマのこと。全てを思い出し、心臓が凍りつくような感覚に襲われた。

 

「無事かエマ!? どこか怪我したところは──」

「大丈夫ですかリィンさん!? 身体に異常はありま──」

 

 布団を跳ね飛ばして身体を起こすリィンと、そんなリィンに駆け寄ろうとするエマ。タイミングは全くの同時で、

 

「────ぁ」

「え────」

 

 気付けば、互いの吐息が触れ合う距離だった。

 

 視線が一本に結ばれる。海の底にも夜明け前の空にも見える、深い青色の瞳に吸い込まれそう。その奥をもっと覗いてみたくなって、見つめ合う二人の距離が更に近づいて──

 

 

「……最近の若いのは早いのう」

 

 首から顔だけを出した金髪幼女が視界の端に映った。

 

「!!」

「お、お祖母ちゃん!? いつからそこに!?」

「そろそろ目を覚ますかと思って様子を見に来たんじゃが……その、済まんかったの。後は若い二人でゆっくり……いや駄目じゃ! お主にエマをくれてやるなど百年早いわ!」

「ち、違うから! ちょうどリィンさんが起きたところだから、様子を確かめようとしただけで!」

「それにしたってあの距離はおかしいじゃろう……ええいそこに直れシュバルツァー!! セリーヌから聞いた話じゃと何やら抱き合っとったらしいし、さてはあの盟友(朴念仁)と同類か!? ヴァリマールに選ばれる条件がそれなど断じて認めはせんからな!」

「お祖母ちゃああああああん!! その話は蒸し返さないでって言ったでしょおおおおおおお!」

 

 

 

 閑話休題。

 

「と、とりあえず、今はあれから大体半日後です」

 

 ローゼリアを追い出した後、まだ頬に赤みを残すエマは説明する。揃って気絶した二人をセリーヌが転移で里まで運び、魔女達が総出で看護をしてくれたとの事。寝てる間にローゼリアが再封印の処置もしてくれたらしく、胸の焔は静まっている。回復したらお礼を言って回ろうと思うリィンだった。

 

「ごめんなさい、リィンさん」

 

 表情を真剣なものに切り替えたエマが頭を下げた。

 

「貴方の力のこと、良く知りもしないで勝手なことを言ってしまいました。あんなモノを抱えて怖くない筈がないのに」

「謝るのは俺の方だよ。君に言われるまで、自分がどれだけ甘ったれだったのか分からなかったんだから」

 

 思い返してみれば、何も見えていなかった。

 貴族社会で居場所を失うきっかけとなった浮浪児で、当時七歳で身の丈を優に超える魔獣を屠殺した異能持ち。 シュバルツァー家にとって害でしかない自分を、テオ・シュバルツァーとルシア・シュバルツァーは実娘のエリゼと同等に扱った。召使いではなく、シュバルツァー家の長男として。エリゼにしても、初めて力を解放した日の後も変わることなく兄として接してくれた。そこには確かな愛情があったはずだ。

 

 自分が逆の立場だったらと考える。もしも家族の誰かが何らかの理由で自分達の前から姿を消して、そのまま帰って来なかったとしたら、間違いなく一生後悔するだろう。どうして気づいてやれなかったのだろうか。何か力になってやれなかったのか。晴れることのない懊悩は、その後の人生にも暗い影を落とすに違いない。

 

 自分の身勝手さに笑ってしまう。家族の為と言いながら、彼らが最も傷つく選択肢を選ぼうとしていたのだ。

 

「ありがとう、エマ。君のおかげで、俺は道を踏み外さずに済んだ」

 

 きちんと目を合わせ、リィンは感謝を告げる。エマはしばらく呆気に取られていたが、やがて耐え切れなくなったように視線を外してそっぽを向いた。

 

「悪い、何か変なこと言ったか?」

「あ、いえ……そんな風に畏まってお礼を言われたこと無かったので、ちょっと」

 

 こほん、と可愛らしい咳払いで仕切り直し。

 

「じきお昼ですから、動けるようならキッチンに来てください」

「分かった。体調は多分問題ないし、その後は遠出の準備をしないとな」

「……それって……」

「うん。ユミルに帰る。帰って、父さん達や老師にちゃんと謝るよ」

 

 先のことは分からないけれど、ひとまずはそこから始めようと決めた。もし拒絶されて居場所を無くしたとしても、これまで与えてくれた愛情に感謝の言葉を告げて終わりたい。

 

「それで、君に頼みがあるんだ。……俺と一緒に、ユミルに付いて来てくれないか?」

「里からならお祖母ちゃんやユークレスさんが同行しますし、上手く説明してくれると思いますよ?」

「そこは心配してないけど……正直に言うと、会うのはまだ少し怖くてさ。君がいてくれれば、きっと勇気を出せると思うから」

 

 闇の中に消えかけた自分を包んだ白い焔の暖かさは、今もリィンの胸に残っている。何か間違えば身体を引きちぎられていても不思議ではないあの状況で、エマは懸命に言葉を届けてくれた。

 

 出会って数日の自分と顔も知らない誰か(シュバルツァー家)の為に勇気を出せる、底抜けに優しい女の子。そんな彼女に、新しい一歩を見届けて欲しいと願うのだ。

 

 

「私で良ければ、喜んで」

「……ありがとう」

 

 二人は頬笑みと握手を交わす。

 

 この先多くの約束を結ぶことになる彼らの、最初の一歩だった。

 

 

 

 戦いの後は、あっという間に時間が過ぎた。

 

 ≪獣≫を倒した五人の下に現れたのは、領邦軍の兵士を引き連れたルーファスとサラであった。

 

 ユーシスがその場でマキアスの無罪を証言し、それを聞き入れたルーファスがマキアスの罪状を撤回させて謝罪した。オーロックス砦で緑髪の少年を見たという目撃情報は、とある筋(・・・・)からの情報提供で否定されたとのこと。各々腑に落ちない点はあったものの、この時全員が満身創痍かつ疲労困憊の身。もう無事に帰れさえすれば何でも良いという心境であった。

 

 そうして予定よりも三時間ほど遅れ、A班一同は教官と共に帰りの列車に乗っていた。

 

「だらしないわねぇ……と言いたいところだけど、今回は相当だったみたいね」

「疲れた。眠い」

「ユーシスさん、身体の具合は如何ですか?」

「一週間ほど安静にしていれば身体も普段通りに動かせるようになるはずだ。よもやこの男の狙いの悪さに救われることになろうはな」

「君喧嘩売ってるのか?」

「セール中だが」

「上等だ。帰ったらまとめ買いしてやるから覚悟したまえ」

 

 火花を散らし合う二人に行きの列車のような険吞さはない。根本的な部分で、お互い歩み寄ろうとするような変化があったのだろう。相変わらず口喧嘩は絶えなさそうなので、ヒートアップした時は最終兵器委員長に落ち着けてもらうことになりそうだ。

 

「なんにせよお疲れ様。詳しい精査は帰ってからだけど、依頼はしっかり達成できていたしB評価以上は確実と思ってくれていいわ」

「首の皮一枚繋がったといったところか」

「先月と同じ評価なら赤点が見えてましたからね……正直気が気じゃなかったです」

「主席と次席がそれは流石に笑えないな……」

 

 下手するとトールズ全体のブランドに傷がつく危機だった、という事実に身震いするA班。とはいえ担任教官のお墨付きが出た以上は回避されたものと見て良い。比較的和やかな雰囲気で、リィン達は実習を振り返って話し合う。特に今回で垣間見た、激化する革新派と貴族派の抗争については思うところが多い。

 

 やがて途中で人が降り、同じ車両の人影がまばらになった頃。マキアスは固いトーンで切り出した。

 

「……皆、少し僕の話を聞いてくれないか?」

 

 昨夜ユーシスに語ったものと同じ内容を、マキアスはぽつぽつと口にする。夕暮れ特有の濃い茜色の日差しが染め上げた横顔は穏やかだった。

 

「私達が聞いてもよかったんですか?」

「君達には特に迷惑をかけたからな。今まで隔意を抱いていた理由くらいはきちんと話しておくべきだと思ったんだ」

 

 苦笑していたマキアスは表情を引き締める。伸ばした背筋をキッチリ九十度折り曲げて、

 

「改めて、今まで済まなかった。そしてありがとう。助けに来てくれた君達には本当に感謝している」

「マキアスさん……」

「勘違いするな。俺はアルバレアの名誉を守っただけでお前のことはついでに過ぎん」

「はっ、誰も君に感謝なんてしていない」

「……これがツンデレってやつ?」

「「違う」」

 

 

 サラがトイレの為に席を立ったタイミングを見計らい、ユーシスはエマに向けて口を開いた。

 

「委員長、ひとつ訊いておきたい」

「……何ですか?」

「地下で見せたあの力は何だ? アーツの一種などとは言わせんぞ」

 

 一瞬、エマの息が詰まる。

 

 分かっていたことだ。非常時とはいえ、人前で堂々と魔術を行使したのだから。訊くタイミングが無かっただけで気にはなっていたのだろう。マキアスとフィーからの視線も刺さる。

 リィンに目をやれば、彼は無言で肩を竦めた。任せる、ということだろう。

 

 どこまで話せば納得してもらえるのか。皆は信用できるのか。思案すること数秒、魔女は決断する。

 

「すみませんが、詳しいことは言えません。ただ……この世界には、貴方達の知らない≪裏≫側が存在します。常識では計れない、御伽噺のような出来事が現実として起こる世界が」

 

 ≪表≫と≪裏≫は繋がっているが、同時に分けられるべきものだ。Ⅶ組の面々とは良き友人になれる確信があるが、それとこれとは話が別。曲がりなりにも一人前の巡回魔女として、境界を情で揺らがせてはならない。

 

 身体にグッと力を込めて、毅然とした表情でエマはユーシスを見返す。涼やかな顔に感情を出さず、翡翠色の瞳はエマをじっと見定めてきて、

 

「……分かった。それ以上答えられないなら構わん」

 

 そう言って視線をエマから外したユーシスは、これで話は終わりだと言うように背もたれへと身体を預けた。

 

「……いいんですか?」

「俺達に気を遣ってのことなのだろう? リィンも事情を把握しているのなら問題ない」

「正直気にはなるが、エマ君があの力を使わなければ今頃生きていなかったかもしれないんだ。明るみにでるのが不都合なら僕は黙っておくさ」

「手の内は出来るだけ隠しておくものだし私も別に」

「…………」

 

 追及はされなくても、不信感を抱かれるのは避けられないと思っていたので困惑するエマ。ふと対面のリィンを見れば、彼は自分のこめかみを指で叩いている。二人で取り決めたサインを思い出し、念話──言葉を発さず意思疎通を行う魔術をこっそりと発動する。

 

『驚いた?』

『ええ……。こんなにアッサリ受け入れてもらえるなんて思ってなくて』

『俺は特に心配してなかったよ』

『どうしてですか?』

『君が委員長として今まで頑張ってきたから』

 

 トールズに入学してからというもの、エマは授業と睡眠を除いた多くのⅦ組の為に割いてきた。本人は委員長の仕事の内と考えていたが、一生徒のやることとしては明らかに度を越している。日々ハイレベルな授業で心身共に疲弊する中では尚のことだ。

 

『フィーを朝起こしに行って、マキアスとユーシスの仲介もして、寮生活のルールも君が主導でまとめた。他にも俺達が学院生活を過ごしやすいように工夫を凝らしてきたことは全員知ってる。君が二ヶ月で勝ち取った信頼が今の結果なんだ』

『私が好きでやっていたことですけど……そう言われると、なんだか騙しているみたいで申し訳ない気分になってきますね』

『そこは素直に受け取ればいい。情けは人の為ならずって言うだろ?』

 

 もし今後≪裏≫の事情にⅦ組を巻き込んで、彼女が超常的な力を振るっても、皆からエマ・ミルスティンへの信頼が失われることはきっとない。それくらいに優しい女の子で、そんな彼女が部分的にでも受け入れられたことがリィンには我が事のように嬉しかった。

 

 出会った時を思い出して、リィンは笑みを深める。恐らく一生忘れない、今も心を照らす温かな記憶。

 

 

 戻ってきたサラは、思い出したようにリィンに言った。

 

「そういえばリィン、アンタってトヴァルと知り合いだったんですって?」

「はい、何度かお世話になって。……やっぱり教官が紫電(エクレール)だったんですか」

「それも聞いちゃってたのね。あーあ、折角ミステリアスなお姉さんでいたかったのに」

「「「ミステリアス……?」」」

「そこ仲良くハモってんじゃないわよ」

 

 プライベートの大半を酒を飲んで過ごす女性にそれを求めるのは無理がある。

 

 やや恥ずかしそうな本人の許可を得て説明する。担任教官が当時史上最年少のAランク遊撃士であったことを知り、ユーシスとマキアスは絶句していた。

 

「詳しいねリィン。ひょっとしてギルドに所属してるの?」

「そうじゃない。ただ二年前、俺とエマは遊撃士にとって大きな事件に少しだけ関わったんだ」

 

 一度言葉を切って、横で聞いていたサラを見る。苦々しく顔を歪めながらも、彼女は顎で話の先を促した。

 

「『帝国ギルド連続襲撃事件』……帝国で遊撃士が活動を制限されるきっかけになった事件だよ」

 

 

 

 

 

 

 Ⅶ組が≪獣≫と激闘を繰り広げた地下水路の一角。領邦軍によって封鎖されたはずの場所に佇む影が一つある。

 

 在野の魔女、ユキノだった。

 

「……やっぱり予想通りね」

 

 古めかしいカンテラで周囲を照らし、痕跡を検分していたユキノは呟く。指を鳴らせば、暗闇の中から羽ばたきの音が近づいてきた。姿を見せたのは手乗りサイズの蝙蝠で、ユキノの肩にちょこんと止まる。……もっとも、肉体は植物の蔦を編んで形造られたものであり、目の位置に水晶を二つ代わりに収めているものを蝙蝠と呼んで良いのかは意見が分かれるところだろう。

 

 当然ながら自然生物ではなく、ユキノが造った『使い魔』である。エマが店を訪ねてきたときにこっそり忍ばせており、≪獣≫との戦いの一部始終を観察していた。そして今その光景をユキノが読み取り、仮説──≪獣≫の正体に確信を抱く。

 

 これまでバリアハートの周囲で発見された魔獣の変死体にはある共通点があった。肉体には致死に至る損壊がないが、霊力の流れを見ればいずれも『魂』を強引に摘出された形跡があった。

 

 魂とは、あらゆる生命に宿る存在の核である。肉眼で見ることは出来ず、現代の技術では観測も不可能だが、七耀教会の教えにより概念は人々の間に広く根付いている。そしてかつて存在した焔の至宝≪紅い聖櫃(アークルージュ)≫が司っていたのは生命の魂魄と精神とされ、その眷属の末裔たる魔女もまた魂を自分達なりに定義し、エネルギーとすることで魔術を行使している。

 

 そして他者の魂を奪うと言えば魂喰らい(ソウルイーター)に近いが、その性質は似て非なるものだ。奴らはあくまで捕食した魂を活動エネルギーとして消化するが、この≪獣≫は取り込んだ魂を自らに転写し、コピーする。魔女の思想において、魂の形は千差万別、この世でただ一つの生命たらしめるもの。それを模倣する機能と万物に変異できる肉体があれば、理論上あらゆる生物へと成り代わることが可能である。つい先日壊滅したとされる『教団』と同じ、空の女神の奇跡を否定する存在だ。教会の連中が知ればあらゆる手段を用いて滅しにかかるだろう。

 

「……それで、これも貴方達の戯れの一つなの?」

 

 魔女が闇に向かって問いを投げれば、返答は色で示された。黒のカーテンを開くようにして、対の色である白が現れる。

 

「いやいや、此度の怪物(ヒール)を用意したのは私ではないさ。脚本には盛り上がるように多少手を加えさせて貰ったがね」

 

 艶のある声を発する男の顔には仮面。塗り固めたという印象がしっくりくる純白の衣装が、芝居がかった言動を助長させる。

 

 怪盗B。或いは怪盗紳士ブルブラン。美の探求者を自称する、蛇の牙が一つ。

 

「お目当ては少年の『鬼の力』ね。即興にしては手が込んでいること」

 

 起動者候補であることと並び、リィンが今日まで魔女と交流することになった要因の異能。本人の数奇な境遇と合わせてこの男の興味を惹くには充分だ。

 

 アルバレア公爵から見て最も利用価値のあるマキアスに扮してオーロックス砦を襲撃し、その容疑で領邦軍に彼をバリアハートの地下へ幽閉させる。あとはそれてなくリィンを唆して砦から逃がし、道中に人形兵器という障害を用意すれば完了だ。仲間の命が危険に晒された中で焦るリィンは、窮地を打破する為に『力』を解放するだろう。結局その目論見は『零駆動』の介入によってご破算となったが、ブルブランの声音に落胆の色はない。寧ろ自身の想定を超えて戦い、≪獣≫を討ち果たしたリィン達を称賛している。

 

「フフ、彼の『力』が見れなかったのは残念だが、深淵の義妹殿の実力は見れたことだし良しとしておこう。他の雛鳥達も含めて、彼らは予想以上の名演を見せてくれた」

「……」

 

 それなりに長い付き合いだから分かる。彼らは今回の件で本格的にこの傍迷惑男に気に入られただろう。ユキノはもう眠りに就いているであろう彼らに心の中でご愁傷様と呟いた。

 

「話を戻すけど、≪獣≫(コレ)結社(貴方達)の作品ではないの?」

「ほう? 悪魔の類だと思っていたが、人工的に生み出されたものなのかね?」

「白々しい。どうせ察しがついているでしょうに」

 

 当然ながら、≪獣≫はまともな方法で生まれた存在ではない。現状ユキノの持ち得る情報では実体か霊体か、魔獣か悪魔か、そもそも生命と定義して良いのかすらハッキリとしない。

 

(でも問題はそこじゃない。逆に私がここまで掴めていることこそが厄介ね)

 

 ユキノ自身、生態学について専門としている訳ではない。にも拘わらず≪獣≫の詳細をある程度見当がついたのは、魔獣の変死体や≪獣≫の霊力の流れがユキノにとって馴染み深いものだったからだ。

 

 即ち魔女の魔術、それも禁呪を扱えるレベルの使い手が創造に関わっている。ユキノの知る限り、エリンの面々を除いてこんな芸当が出来る可能性があるのは一人だけ。

 

(でもヴィーちゃんの趣味じゃないし……誰の仕業なのやら)

 

 思い浮かべた幼馴染の魔女を候補から外すと、ユキノは小さくため息をついた。在野とはいえ彼女も魔女。今後第二第三の≪獣≫が現れる可能性があるなら放置できない。あまり褒められたことではないが、知的好奇心が大いに刺激されているのも確かである。

 

 

「ふふ、何やら楽しそうな話をしているようだ」

「……!」

 第三者の声がした方へ、ユキノとブルブランは弾かれたように顔を向ける。

 

 この陰気な地下に似合わない優雅な笑みを浮かべながら、ルーファス・アルバレアが導力灯を片手に立っていた。

 

「……貴方ほどの御方が護衛も付けずにこんな薄汚い場所へ何の用ですか?」

「なに、明朝にはここを発たなくてはいけなくてね。今の内に礼を言いに来たのだよ。……実習への協力、改めて感謝する。お陰で生徒たちには良い経験をさせられた」

「根無し草の私は勿体無いお言葉です、ルーファス卿。……まあ私としては報酬をいただければ何でも良いのですが」

 

 無論、単なる建前だろう。スラスラと口を回しながら、彼がここに来た理由に考えを巡らせる。ルーファスはその整った顔をブルブランの方に向けて言った。 

 

「君達のやる事に口出しする気はないが、流石に今回のような真似は控えて貰おうか。ただでさえ敏感な時期の上、生徒を政争の駒にされるのは理事として承服しかねるのでね」

「承知した。以後気をつけるとしよう」

「…………」

 

 今の短いやり取りに多くの意味を見出したユキノは、脳内の勢力図を描き直す。恐らくこの会話を自分に聞かせることこそがルーファスの本当の狙い。

 

「それでは、私はこれで失礼します。……今後ともよろしく(・・・・・・・・)、ルーファス卿」

 

 踵を返し、魔女は闇に消えていく。足音も聞こえなくなったところで、ルーファスはブルブランへと尋ねた。

 

「一応訊くが、彼女に聞かせても構わなかったのかな? 」

「その心配は杞憂と断言させていただこう貴公子殿。彼女のスタンスは徹底して中立でね。取引なくしては、魔女(同族)にも易々と手を貸すことはない」

「魔女も一枚岩ではないということか」

 

 この時ルーファスが浮かべた笑顔は、他の貴族やユーシスが知る完璧を体現するような優雅な微笑みではなかった。新しい玩具を見つけたような、或いは強敵を倒す糸口を掴んだような、どこか獰猛さすら感じるものだった。

 その変化を察したブルブランもまた、興味深そうにルーファスの横顔を眺める。

 

 

 ──こうして闇の中、限られた者達の会合は終わった。盤面に現れずとも、事態は深く静かに進行していくことになる。

 

 

 

 

 

 斯くして始まりの春は過ぎ、訪れる夏の熱気は暗闇で燻っていた焔を喚び起こす。

 

 

 待ち受ける激動の時代と暗黒の地の宿命を、若獅子達はまだ知らない。




※今回の背景について補足

・ルーファス視点:実習中アクシデントへの対応力を見る為、ユキノに協力を依頼する。≪獣≫のことは本当に知らず、こちらもユキノに調査を依頼していた。

・ブルブラン視点:遠巻きにⅦ組を眺めるだけのつもりだったが≪獣≫の存在を確認して方針を転換。リィンの鬼の力を見る為にオーロックス砦を襲撃しマキアスに濡れ衣を着せる。トヴァルによって目論見は崩れたがⅦ組総出で≪獣≫を撃破する場面を実は近くで観戦しており結構満足している。

・ユキノ視点:ルーファスの依頼で半貴石を先に入手し、後から来たⅦ組と偶然を装って鉢合わせる。今回この半貴石の採取イベントはルーファスが最初から仕込んだものであり、目的の品物が競合相手と被った場合の対処法を考えさせる狙い(でないと確実に採れるかも分からない半貴石を必須依頼とあうるのは無理がある気がするので)。実際は知り合いのリィンとエマがいたので割とアッサリ解決された。

・帝国ギルド連続襲撃事件:一部始終を見届けた道化師によってリィンの存在が結社の一部に知れることとなる。特に使徒二名にとっては晴天の霹靂。


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シュバルツァーとミルスティン

騎士が護り、魔女が手を貸す『お姫様』の登場です。


※今回の話は時系列的に大きな矛盾が発生していますが、それに気づいた時には八割方書き上げていたのでどうしようもなくそのままにしています。どうか大目に見ていただけると嬉しいです。


 

 五月最後となる休日の朝。アリサがリビングの掃除をしていると、階段を降りてくるリィンを目にした。カジュアルなデザインの、如何にもお出かけ用といった感じの私服に身を包んでいる。

 

「おはようアリサ」

「ええ、おはよう。どこか出かけるの?」

「妹と会いに帝都に行ってくる。夕方には戻るよ」

「リィンの妹さん? 帝都にいるの?」

「聖アストライア女学院に通ってるんだ。距離が近くなったし、久しぶりに会おうって話になってね」

「わ、すごい。アストライアって言えば貴族子女の名門じゃない」

「ああ。俺には勿体ないくらいの自慢の妹だよ」

 

 誇らしげに破顔するリィン。なるほどシスコンか、とアリサが思っていると、今度はエマが同じく私服で降りてきた。

 

「すみませんリィンさん。お待たせしてしまって」

「まだ時間に余裕はあるから心配ないって。何なら列車の便一本後にしたって十分間に合うよ」

「そういう訳には行きませんよ。エリゼちゃんと合流する昼前までに買い物は済ませておきたいですから」

 

「エマ、リィンの妹さんと知り合いなの?」

「ちょっと歳は離れてますけど、お友達です。帝都で欲しいものがあったんですけど、折角なのでご一緒させてもらうことにしました」

「というより、エマとエリゼの買い物に俺が荷物持ちで付き合うことになったっていうのが正しい。誘ってくれたのはエマからだし」

「いやエリゼちゃんが本当に誘いたかったのは……まあいいです」

「仲良いのねー。ちょっと羨ましいかも」

 

 一人っ子で姉妹にちょっとした憧れを抱いてるアリサが素直な感想を漏らした。身の上の問題で何かと気を遣ったり遣われたりしてきた彼女には、気軽にショッピングに誘える相手はそういない。Ⅶ組の女子達は誘えば来てくれる気がするが、これまでなんとなく機会を逃し続けてきた。

 

(私の方が気後れしてるだけ、なんだけどね……)

 

 家名を隠しているという事実があと一歩ところで自分を押し留めてしまう。自立の為に母に内緒でトールズの合格を勝ち取ったというのに、これでは何のために苦労してきたか分からない。

 

「アリサさん、どうかしましたか? 表情が暗いような……」

「あ、ううん何でもないの! ほら折角の休みなんだし楽しんで来なさいって!」

 

 表情を笑顔に切り替え、心配そうにこちらを見る二人の背中を押した。後ろ髪を引かれていた様子の二人は「お土産買ってくるよ」とアリサに告げて第三学生寮を出て行った。

 

「また気を遣わせちゃった……」

 

 一人になったリビングで自己嫌悪のため息をつく。別にマキアスとユーシスや、最近ちょっと危ない気がするラウラとフィーのような感じではないのだが、時折場の空気を微妙に外してしまう。

 

「……よし!!」

 

 サイドテールを弄っていた手で袖を捲り、立ち上がる。見送りが良くなかった分、せめて帰ってきた二人を気分よく迎えられるように掃除を頑張ろうと決めた。

 

 そうして雑巾を手にしたアリサだったのだが、壁に掛けられた時計を見てあることに気づいてしまった。

 

 

 先今は午前八時。列車なら帝都まで遅くとも九時には着く。先の会話でリィンの妹と会うのは昼前と言っていた。つまりそれまでは二人で帝都を巡り、買い物して、もしかしたら休憩の為にカフェでお茶したり………………?

 

 

「いやそれってよくよく考えなくてもデートなんじゃ……!?」

 

 謎の焦燥感に駆られたアリサが玄関を振り返った時には、二人はトリスタ駅のホームを潜っていた。

 

 

 緋の帝都ヘイムダル。皇族のおわすエレボニア帝国の首都であり、人口八十八万人を抱えるゼムリア大陸屈指の大都市でもある。その上休日ともなれば近郊から遊びに来た人や国外からの観光客も加え数字以上の人数が詰め寄せることになる。二人は人の波に押されるようにして駅を出た。

 

「何度来てもこのスケールには慣れないな」

 

 駅と皇城バルフレイム宮を結ぶヴァンクール大通り。そこに列を成す導力車と歩道を行き交う人達を眺めてリィンは呟いた。お互い田舎育ち、巡回魔女の役目上帝国巡りも僻地が多かった彼らにこの活気は刺激が強い。

 

「エリゼとの待ち合わせが11時にサンクト地区のヘイムダル大聖堂前。移動を考えると動けるのは大体一時間半くらいか」

「手早く済ませちゃいましょう」

 

 そんな訳でまずは比較的手頃な値段の商品が並ぶヴェスタ通りにやって来た二人。まずは有名なベーカリー≪ラフィット≫で腹ごしらえをしてから、お目当てを探して通りをぶらぶらと歩く。ハーシェルという聞き覚えのある名前を掲げた雑貨屋に入ってみれば、予想通りそこはトワ会長の実家だったりした。

 

「なんだか凄くおまけしてもらっちゃいましたね」

「これ買った分より貰った分の方が絶対多い……。お人好しなのは家族揃ってみたいだな」

 

 学院の後輩だと言ったら随分と喜んでいた女性店主──トワ会長の叔母らしい──から貰った紙袋を抱え、顔を見合わせて苦笑する。第三学生寮の人数は少ないが、それでも食べるのは育ち盛りの学生である。最近はこれまで外食が多かったマキアスとユーシスが寮で食事を摂る機会が増えたこともあり、食材は多めにあっても困らない。

 

 袋の中を覗き込んだエマが表情を綻ばせる。

 

「……トリスタの店だと置いてない食材も手に入れられたし、これならちゃんと再現できるかも」

「? 新しい料理でも作るのか?」

「へ?……え、ええそうです!! マゴットさんから新しい魔法料理のレシピをいただいていたので、今度挑戦してみようかなって」

「それは期待しておくよ」

「それはもう! ……あ、次はここです!」

 

 逃げるように別の店に入ったエマの後を追う。室内に入った瞬間、土と緑の匂いが鼻先に触れた。店内にいる主婦と思しき女性達の間を抜けてエマの隣に行くと、彼女はプランターの置かれた棚を眺めていた。

 

「家庭菜園?」

「はい。実は里の薬草を寮内で栽培できないか考えてまして。誰かさんのせいで里から持ち込んだ分の薬草が尽きかけてるので」

「それはその……申し訳ない」

 

 実習で≪獣≫に襲われたリィンの腹部の傷を治療する時に使われた軟膏も、エリンの薬草を使って作られたものだ。これまで傷を負った際には幾度となくお世話になっており、もしなければこうして健康体で過ごせているかはちょっと自信がないリィンである。

 

「屋上の一画にプランターを置きたいと思ってるんですけどね」

「いいんじゃないか。今のところ洗濯物干すくらいにしか使っていないし」

「ただ問題も多くて……。効能の高い薬草は特殊な霊地でしか採れませんから、同じ環境を整えるのは難しいですし」

 

 結局ここでは何も購入せずに店を出て、二人は通りから外れた脇道に入る。何度か角を曲がると、日の差さない裏路地へと辿り着いた。

 立ち止まったリィンが、周囲にそれとなく目を配る。

 

「……人の気配なし。終わるまで見張っておくよ」

「お願いします。五分程度で済みますから」

 

 リィンの置いて更に奥へと進むエマ。暗闇と埃に満ちた狭い行き止まりで、星杖プレアデスを召喚した。艶やかな唇から詠唱が紡がれると、淡い水色の光が魔女の足下から波紋を広げていく。

 

 彼女が行っているのは霊脈の探査。その通り自身の魔力を地面に流し、その反応で異常がないかを探る術だ。≪裏≫の異変は霊脈の乱れが引き起こしていることが多く、巡回魔女にとっては必須の技能である。

 

 特にここヘイムダルは帝国でも有数の太い霊脈が集約する要所だ。過去には暗黒竜や夜の眷属(ノクト・ファミリア)等多くの人ならざるモノが暗躍し、無辜の人々の命を奪った。故にそんな悲劇を繰り返さないよう、歴代の巡回魔女は定期的に帝都を訪れ、霊脈の様子を探るようにしている。

 

 

「この後はどこに行く?」

「時間的に近場を二つが限界ですね。付き合っていただけますか?」

「勿論。途中で他に良い店がないかも探してみよう」

 

 ヴェスタの本通りに戻っての会話は朝の喧騒に紛れている。具体的な単語を省いてしまえば、年若い男女のデートにしか見えないやり取りをしているこの二人が帝都の治安を守っていると誰が考えているだろうか。

 

 ──伝承や御伽噺に於いて、魔女は隔絶された環境に住まうと語られることが多い。

 未開の森、無人の島、光の届かない闇の中。そこに訪れる旅人や英雄に試練を課し、乗り越えた者には力や知恵を授ける奇跡の遣い手として。或いは災害に匹敵にする力を己の為に振るい人々を苦しめ、最後には勇者に打ち倒される理不尽の権化として。人の手に及ばぬ御業への羨望と畏れが物語性と組み合わさって、そのイメージは作られた。エリンの里が外界から隔離されているので決して間違いではないのだが、それは側面の一つに過ぎない。

 

 本物の魔女はどこにでもいて、誰の目にも留まらないだけ。報酬も称賛も与えられない行いを、何百年も連綿と続けている。

 

 歴史の影に潜むとは、そういうことだ。

 

「私の顔に何か付いてますか?」

「何でもない」

 

 傍らの少女から視線を切って、リィンは前を向く。人知れず世界を守る彼女達に少しでも力を貸せるこの立ち位置を、密かに誇りに思いながら。

 

 

 サンクト地区。帝国最大級のヘイムダル大聖堂を中心に高級住宅街が立ち並ぶ、帝都で最も治安の良いとされる場所だ。エリゼの通うアストライア女学院もここに建てられており、駅周辺とは異なる穏やかな空気が流れている。

 

 時間通りに大聖堂に到着して周囲を見渡すと、見慣れた少女の後ろ姿が目に入った。リィンは手を挙げて名前を呼ぶ。

 

「エリゼ」

「……!」

 

 呼び声に反応して、濡羽色のストレートヘアーが流れる。去年の暮れに会った時と変わらぬ、いやより一段と大人びた容姿となった最愛の義妹エリゼ・シュバルツァーは、その表情を明るくさせて駆け寄ってきて──リィンの横をすり抜けた。

 

「……え?」

「エマさん!! お久しぶりです!」

「こんにちはエリゼちゃん。今日はわざわざありがとう」

「いえ、寧ろ私の方こそお手間を取らせてしまって……今日はよろしくお願いしますね」

「うん、一緒に楽しみましょう」

 

 朗らかな笑みで再会を喜んだエリゼは、続いて表情を反転させてリィンに向き直った。まだ幼いながらも整った顔立ちは不機嫌さを隠そうともせず、じとっとした視線が突き刺さる。

 

「ど、どうしたんだ?」

「……今回のお出かけ、エマさんからのお誘いでした」

「ああ、そう聞いてるけど」

「トリスタから帝都まで三十分ほど。駅からサンクト地区まで導力トラムで二十分程度。妹の顔を見るのに、その程度の時間すら割けないほどお忙しかったという事ですか? クラス委員長として苦労されているエマさんはこうして時間を作ってくれたというのに」

「いや、それはその……」

「加えて四月入学以来エマさんとは三通ほど手紙をやり取りしていた間、兄様からの返信は一度しか来ていないのですが」

「……リィンさーん」

 

 眼鏡越しの視線が痛い。完治したはずの脇腹がチクチクする。エマがいる以上あらゆる言い訳が通用しないことを悟ったリィンは、拗ねた妹に素直に頭を下げた。

 

「済まないエリゼ。色々と忙しかったのはあるけど、お前を蔑ろにしていい訳じゃないもんな」

「……まあいいです。兄様にそういった甲斐性は求めるだけ無駄なのは分かってますので」

「いやそこまで言うことか!?」

「「はい」」

「即答……しかも二対一……」

 

 味方がいないことに肩を落とすが、仕方ない。忙しさにかまけて蔑ろにしてしまったのは事実なのだ。

 

 パン、とエマが胸の前で手を鳴らす。

 

「さてリィンさん。今まで寂しい思いをさせた分、今日はしっかりエスコートしてあげてください。エリゼさん手紙で愚痴を書き連ねてましたよ?」

「エ、エマさんっ!? それは内緒にしてって最後に書いたじゃないですか!」

 

 慌てるエリゼを見て、少なくとも嫌われてはいないようだリィンは安心した。

 

 そうと分かればやる事は明白。昔いつも一緒にいた時のように、或いは姫君に忠誠を捧げる騎士のように、リィンは妹に手を差し伸べた。

 

「今日は何する? どこだって付き合うぞ」

「……っ!」

 

 少女の白磁のような頬に朱が差す。持ち上がった彼女の手はしばらく所在なさげに宙を彷徨っていたが、やがてゆっくりとリィンの掌に重ねられた。

 

 

「……なるほどなるほど。あれがエリゼ先輩の仰っていたお二人ですか」

 

 そんな三人を、女学院の制服を着たミント髪の少女が愉快そうに見つめていた。

 

 

 昼食は、あらかじめエリゼが目を付けていた喫茶店で取ることにした。女学院で密かに話題になっているものの、大人びた雰囲気の店内は少女だけで行くには敷居が高かったらしい。エリゼはやはりトールズの生活が気になるようで、基本的には彼女からの質問に二人が答える形でランチタイムは進んでいく。途中話題に上がったⅦ組の女子については何故か異様な喰いつきを見せていた。

 

「それで兄様」

「ん?」

 

 食後の紅茶を啜っていると、対面のエリゼが訊ねた。

 

「士官学院だけあって荒事も多いようですが、怪我などはされていないのですか? この前手紙で母様も心配していましたよ」

「心配いらないさ。武術教練は厳しいから無傷とはいかないけど、大した怪我はしてないよ。こうしてお前と普通に話せていることがその証拠じゃないか」

 

 嘘である。

 

 この男、つい先週に臓物が零れる一歩手前くらいの深い傷を負ったことを大したことないと言い切ろうとしていた。表情にこそ出さないがエマは絶句した。

 

「……エマさん、どうなんでしょうか?」

「ははは何も問題ないよなエマ」

 

 そして敬愛する兄の言葉を欠片も信じていない妹は疑いの眼差しを隣に座るエマにスライドさせた。爽やかスマイルを維持したままどっと冷や汗をかくリィンからは懇願を込めた視線。自覚があるなら嘘をつかなければいいのにと思うエマだったが、妹の前で強がってしまうのは分からなくもなく。

 

「大丈夫ですよエリゼちゃん。ちょっと危なっかしい場面はありますけど、私も目を光らせてますから」

 

 本音を言えばありのままを告げたかったが、ここはリィンの嘘に乗ることを選んだ。久方ぶりの兄妹の時間を説教で浪費してしまうのは余りにも惜しい。

 

「エマさんがそういうのであれば……」

 

 完全に疑いが晴れた訳ではないが、エリゼは素直に引き下がった。信頼の差に泣きたくなるリィンに自業自得であるという自覚はない。

 

 喫茶店を出た後、三人は近場の名所や店通りを巡りながら雑談に興じる。

 その最中で、エマが小さく手を挙げた。

 

「すみませんリィンさん。この後少しだけ、エリゼさんと別行動しても構いませんか?」

 

 

 リィンと別れた後、少女たちはヴァンクール通りに面した百貨店に足を運んでいた。中に入っている多くの店舗を冷やかしながら、二人が行き着いたのは紳士向けの物をメインに取り扱う雑貨屋だった。

 

 エリゼは女学院に入学して以来、偶の休日には友人に連れられて色々な店を巡った。中には大人向けの下着店など色んな意味で刺激の強いところもあったが、男性向けの店はまた別の意味でハードルが高い。こんなところを女学院の生徒に目撃されてしまえば、意中の殿方でもいるのかという話になってしまうだろう。特に仲の良いあの二人に知られればそれはもう素敵な笑顔で弄ってくるに違いない。学内の知り合いを除くと、この手の相談で頼れるのはエマしかいなかったのだ。

 

 営業スマイルで近づいてくる女性店員に、目的のコーナーを尋ねて案内してもらう。買うものは大方決めてあった。 

 

「万年筆ですか?」

「はい。少なくともこれから二年は筆記具を使う機会が増えるでしょうから」

 

 洒落たケースに収められた万年筆を幾つか手に取りながらエリゼは答え、エマの顔を見上げる。

 

「エマさんはどんなのが良いと思いますか? 出来れば長く使ってくれるとその、嬉しいんですけど」

「日常使いするなら高級品だと遠慮しそうですし、手頃な値段のものを用意したほうが良いでしょう。余った予算分は補充用のインクに充てるとして……実習込みならどちらも……」

 

 呟きながら、エマはショーケースに視線を走らせる。お目当てを見つけるとエリゼの手を引いてそれの正面に立たせた。

 

両用(コンバーター)式?」

「インクを補充する時に、吸入式とカートリッジを併用できるタイプですね。余り普及はしていませんので種類は限られますが、あの人ブランドにこだわりないと思います」

 

 インクは昔ながらの吸入式が一般的だが、携帯はし辛い。かといってカートリッジ式は補充が簡単だランニングコストがかかってしまう。そんな双方の問題を解決する為に最近生み出されたのがコンバーター式だ。インクの吸入機構が取り外せるようになっており、規格の合うカートリッジを装着することで、いざという時の素早い補充を可能としている。学生でありながら特別実習で定期的に遠出するⅦ組には最適だ。

 

「凄い……こんなことまでご存じなんですね」

「偶然ですよ。寮に入っていたチラシで見ただけです」

 

 説明に深く同意したエリゼはアドバイスに従った。彼女の目を惹いたのは、やや青みを帯びた黒色の万年筆。艶と深みを感じる色合いは兄の髪を連想させた。それを手に無言でエマを見つめれば、思うところは伝わったのだろう。微笑を浮かべて頷いた。

 

 インクと合わせてカウンターに持って行き購入する。店を出て休憩の為に座ったベンチで、エリゼは膝上に置いた店のロゴ入りの紙袋を不安そうに見つめた。

 

「兄様、喜んでくれるでしょうか……」

「エリゼちゃんがくれたものならなんだって喜びますよ」

 

 子煩悩ならぬ妹煩悩のリィンである。物に関係なく、自分の為に悩んで選んだという事実だけで最高のプレゼントになるに違いない。

 

 ですから、とエマは続ける。

 

「そこに仕舞ってあるものだって、必ず喜んでもらえます」

「………………え?」

 

 口の中が干上がった。弾かれたように顔を上げれば、エマはエリゼがずっと手にしていたハンドバッグを指差している。

 

「リィンさんと会ってから、ずっと気にしていたみたいですから」

「……本当に、何でもお見通しですね」

 

 エマの推測は正しい。バッグの中にはずっと前から兄へ渡すために用意したものがある。しかし、今日渡すのに相応しくないとも思っていた。

 何故なら万年筆が純粋に兄の為を思って選んだものに対して、『これ』はただ自分が抱く溢れんばかりの思いの丈を詰め込んだ爆弾だ。彼の手の中で炸裂して欲しいのか、永久に不発弾で合って欲しいのかも定かではない不良品。

 

 だから──この人にだけは、こんな中途半端なものを知られたくなかった。

 

 エマから見えない角度できゅっとスカートを握りしめる。内から滲みだす黒い感情を堪えていると、隣のエマが立ち上がってエリゼの正面に移動する。膝を曲げて目線を合わせると、白い指をエリゼの額に伸ばした。

 

 

 額に触れる指先に、光が灯り。

 

Gratulor tibi in itinere(貴方の旅路に祝福を)

 

 囁きは、耳の奥で反響する。

 

Natare(海往く) calceamenta faciam(靴を拵えましょう) Volantes(空往く) alis texentes subtilia(翼を織りましょう) Omnia ex imo corde meo(全ては貴方の胸の内から) Et figura(踏み出す勇気に) tua virtute(私が容を与えます)

 

 熱の無い灯はエリゼの額に吸い込まれる。涼風のような爽快感が脳天から足指の末端に至るまで通い、少女の緊張と自己嫌悪を払い去った。

 

「今のは……」

「エリゼちゃんが勇気を出せるように、おまじないです」

 

 柔らかな微笑みは、相手の幸福を心から願うものだ。後押しを受け、エリゼの中にあった迷いが消える。

 

「ありがとうございます、エマさん。私、『どっち』も渡します」

 

 

 リィンと同様、エリゼ・シュバルツァーとエマ・ミルスティンの付き合いも四年になる。

 

 出会った当初は、兄との距離に嫉妬して冷たい態度を取ってしまったこともあった。それでも彼女は真心を込めて接してくれて、気づけば心を許してた。兄のこと、家のこと、女学院での生活のこと。抱えた悩みを相談すれば親身になって考えてくれて、解決まで導いてくれた恩人だ。

 ……物心付いた頃から抱いていた、義兄への想い。これさえなければ、何の憚りもなくこの優しい人を姉として慕えたのに。お似合いの二人だと祝福出来るのに。

 

 ──貴女の目に、義兄はどう映っているのですか?

 

 恐くて一度も口に出来ていない問いを思い浮かべ、沈めた。

 

「……結構時間が経ってますね。この後はどうしましょうか」

「もう少し二人で歩きませんか? エマさんと行きたかった店、沢山あるんです。勿論エマさんの『お願い』も手伝いますから」

「ふふ、そういうことでしたら喜んで」

 

 心に秘めたものがあっても、二人の間にある友情に嘘はない。互いの手を取って微笑み合う少女達は、本当の姉妹のようだった。

 

 

 エマにARCUSで呼び出された先は、帝都市民の憩いの場であるマーテル公園だった。

 

 既に西の空は紅色に焼けていた。家路に就く家族連れを見送りながらリィンが足を進めると、彼女は公園の隅に位置する小さな滝を背に待っていた。

 

「エリゼだけか?」

「エマさんはまだ用事があるみたいです。そう時間は掛からないと言っていました」

 

 通話で「エリゼさんをおまかせします」と言われたので、恐らく午前中に回れなかった箇所の霊脈を診ているのだろうとリィンは予想する。

 

「……」

「エリゼ?」

 

 俯いまま動かない妹に首を傾げていると、彼女は勢いよく顔を上げた。

 

「兄様っ!!」

「お、おう?」

「少しだけ早いですけど……」

 

 眼差しは真っすぐに、手にした紙袋を差し出して。

 

「お誕生日、おめでとうございます」

 

 涼やかな声で、祝いの言葉を口にした。

 

「……もしかして今日の買い物は」

「ええ。兄様へのプレゼントを選ぶのに、エマさんにお力を借りました」

 

 エマを除くⅦ組の面々に話したことはなかったが、二日後はリィン・シュバルツァーの誕生日である。当然エリゼも知っており、二人がユミルにいた頃は家族で毎年ささやかなお祝いをしていた。エリゼが女学院に入ってからは簡単なメッセージカードが届くだけだったので、面と向かって祝われるのは久しぶりだった。

 

 自分の為に貴重な休日を潰してしまったことに申し訳なさを覚えるリィンだったが、ここで謝るのは違うことくらいは分かる。心から「ありがとう」と告げると、エリゼの表情は一気に華やいだ。許可を得て袋からラッピングされた小箱を取り出せば、中には万年筆。日が沈みきった後の西空を思わせる色合いは一目見て気に入った。

 

「それで、ですね……実はもう一つプレゼントがあるんです」

「もう一つ?」

 

 ポーチから包装紙を取り出す手が震えている。表情は強張り、赤らんだ顔は幸か不幸か西日に隠されて。強く、脆い光を湛えた瞳は潤んでいた。そこに込められた感情をリィンには読み取ることができず、首を傾げながらそれを受け取った。

 

「ハンカチ……?」

「……私の手編みです」

「え、これがか!?」

 

 リィンは驚いて手元を見返す。白黒のラインを交錯させたチェック柄に、対角の隅には目立たない程度に花柄──白いマーガレットの刺繍が施されてある。素人目には既製品と比べても遜色がなかった。

 

「そう大したものでもないですよ。手芸の授業で作ったものに少し手を加えただけですから」

 

 嘘である。

 

 手芸の授業がきっかけだったのは事実だが、そこで作ったものとは全くの別物だ。何度も失敗作を重ね、親友にからかわれながら、一月掛けて編み上げた渾身の一作。とはいえ出来上がった乙女心の具現を冷静になって見直しせば死ぬほど恥ずかしかった上に誕生日プレゼントにしては不純もいいところだと思い直し、エマに助けを乞うたのだが。

 

 多分、編み込んだ想いをこの朴念仁は気付いてはくれないだろうけど。

 それでも、この気持ちを無かったことにはしたくない。

 

「……参ったな。こんなに良いモノを貰ったのに、お返しの用意なんてしてないぞ」

「誕生日プレゼントなんですから構いません。私の時に奮発していただければ結構です」

「高いハードルだな……分かった。ちゃんと考えておくよ」

 

 言いながら、自然とエリゼの頭に手を置いていた。幼少期を懐かしみながら、黒絹のような髪に指を滑らせる。

 

「あ──」

「……っと、悪い。もうそんな歳でもないのにな」

「……いえ、兄妹のスキンシップですし問題ないかと。むしろもっと気軽にしていただいても良いと思いますが」

「そ、そういうものか?」

「そういうものです」

 

 妙に力強い物言いに押し切られ、リィンはしばらく妹の頭を撫で続ける。エリゼはそれを目を細めて受け入れていた。

 

「兄様」

「ん?」

「今の生活は、楽しいですか?」

 

 唐突な問いかけだった。

 

「昼食の時はああ言ってましたけど、士官学院の生活は大変だと思います。本当に無理はされていませんか?」

「………………」

 

 こちらを気に掛ける上目遣いに、口を閉ざして自問する。

 

 どう、なのだろうか。魔女に導かれ、いくつかの約束に支えられ、いずれ訪れる選択に悩む自分は。昏い異能と眩い縁の狭間で彷徨い続けながら、日々を過ごしている自分は。

 

「……充実はしているよ」

 

 しばらく考えて、正直な気持ちを口にする。きっと妹を安心させられる答えではない。それでも、この紺碧の瞳に嘘を吐きたくなかった。

 

「……なら、いいです」

 

 何を思ったのかは口にせず。黄昏に染まる風景の中で、少女はただ穏やかに微笑んだ。

 

 

 数日後のとある夜。エマはこっそり寮に招き入れたセリーヌと共にリィンの部屋を訪ねていた。

 

「すみません、勉強中でした?」

「いや、そろそろ夕食の時間だから切り上げようと思ってたところだ」

 

 机と相対していた身体をエマの方に向けながらリィンは答える。その手には見覚えのある万年筆が握られていた。

 

「使い心地はどうですか?」

「ペン一つでここまで違いが出るなんて思わなかったよ。エマも手伝ってくれてありがとう」

 

 万年筆に台座に置いて、リィンは立ち上がった。

 

「もう夕食の時間か? 配膳手伝うよ」

「その前にエマから渡すものがあるから待ちなさい」

「渡したいもの?………あ」

「流石に察してくれましたか」

 

 苦笑を溢す。毎年やっている上につい先日祝われたというのに、頭から抜け落ちていたようだ。らしいといえばらしいが、少しは期待してくれててもいいのにとは思う。

 

 彼の正面から向き合って、真っすぐに見つめる。一年で一度の特別な日に告げる言葉を、満面の笑みで口にした。

 

「お誕生日おめでとうございます。貴方のこれまでの努力と変わらぬ信頼に感謝を。──これからも、よろしくお願いしますね」

「ま、おめでとさん。今後も精々頑張りなさいな」

「……こちらこそ。二人には苦労を掛けると思うけど、これからもよろしく頼む」

「ええ、勿論。という訳でこちら、簡単なものですがプレゼントです」

 

 背中に隠していた小箱をリィンに渡す。受け取ったリィンが簡単な包装を剥がすと、そこには組み紐が二本収められていた。金と青、黒とやや暗い紅。それぞれ二色で編まれた紐からは微かな魔力が漂っている。

 

「実習の前準備もあって簡単なものしか用意出来なくてすみません。その分セリーヌと一緒に加護を込めましたので」

「色々と使い道のある魔導具よ。後で説明してあげるから、アンタ達は先にご飯食べてきなさい。そろそろいい時間でしょ、エマ?」

 

 セリーヌに追い出されるようにして二人は廊下に出る。瞬間、馴染み深い匂いがリィンの鼻腔をくすぐった。

 

「この匂いって……」

「気づきました? 二ヶ月だとまだ懐かしさもないかもしれませんが」

 

 驚くリィンに悪戯っぽい笑みを見せる。サプライズは成功だ。

 

「今晩のメニューはキジ肉のシチュー……リィンさんの好物をご用意しています」

 

 ただのシチューではない。リィンの母ルシアが作った、所謂お袋の味というやつだ。エマもユミルで何度も振舞ってもらったものを、今回自分なりに再現してみたのである。キジ肉などトリスタでは入手が難しい食材を帝都で買い揃え、実家の味を良く知るエリゼにもアドバイスを貰った。二日前の帝都巡りには、そんな目的があったのだ。

 

「さ、行きましょうリィンさん。皆さん下で待ってますから」

「え? 皆って……」

 

 リィンの背中を押して階段に向かわせる。二人がリビングに降りると、そこにはサラ教官を含むⅦ組が揃っていた。外食がメインの面子もいる中、全員で卓を囲うのは実は結構珍しい。

 

「あ、誕生日おめでとうリィン!! さっき委員長から聞いたよ」

「おめでとうリィン。今日という日に、風と女神の加護が君にあらんことを」

 

 近くにいたエリオットとガイウスを皮切りに、クラスメイトから祝いの言葉が次々と届けられる。照れくさそうに頭を掻くリィンを横目に見ながら、エマはシチューに最後の仕上げを施すべくキッチンに入った。

 

 

 ──リィン・シュバルツァーは、自身の幸福に無頓着だ。

 

 捨て子であることと、それが原因で家族に迷惑をかけたことが理由なのだろう。根本的な部分で自己を肯定出来ていない彼は、人の役に立てない自分に価値がないと考えている節がある。度が過ぎたお人好しっぷりは生来の善性の他に、贖罪めいた義務感もあるのだろうとエマは思っていた。

 それはとても危うくて、何かの拍子にバランスが崩れてしまえば躊躇いなく命を投げ捨ててしまうだろう。過去に肝を冷やした回数はもう数え切れない。何とかしてこの自己犠牲精神を改善させようと思い立ったのに、そう時間はかからなかったと思う。

 

 それとなく色々と試したが、一番効果があったのは人との縁によって繋ぎ止めることだった。

 当たり前のように他人の幸せを願えるリィンは、当たり前のように他人に幸せを願われている。自分が傷つけば悲しむ人がいるという事実を理解させていけば、いつかは自己を顧みるようになるはずだ。……数年かけてもあまり改善の兆しが見えないが、そこは根気よくやっていくしかない。

 

 この誕生日会もその一つ。ユーシスとマキアスの仲がある程度改善され、ようやくⅦ組が一つのクラスとして纏まりそうなタイミング。皆で同じ釜の飯を食べて結束を深めてもらい、主賓のリィンを知ってもらいたくて企画した。

 

 何気ない日々も、振り返れば掛け替えの無い思い出になる。こうやって、少しずつでも喜びを積み上げていこう。

 

 

 いつか自分の道を見出して、歩き始めた彼を見送る時。

 

 その両腕に、抱えきれないくらいの幸せがありますように。

 

「……よしっ」

 

 味見で出来栄えを確かめたエマは、シチューを皿に盛り付けてテーブルに運ぶ。温かな湯気を立てるシチューは歓声を以て迎えられた。

 

 ささやかな祝宴が始まり、その日の第三学生寮の夜は騒がしく更けていく──。




バリアハートの実習終わりが五月三十日なので、その後に五月生まれのリィンの誕生日を差し込める隙間がある訳ないんですけどね……。何故か脳内で一週間の猶予が生まれてました。


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暗雲の訪れ

 

 リィンにとっての運命の日、空模様は曇天だった。

 

 山中のユミルと麓を結ぶケーブルカーの中には、五人の男女が座っている。

 

「なんじゃこれ割と揺れるの……やはり転移で直接来た方が良いのではないか?」

「もう、大人しくしてて」

 

 リィンの向かいには興味深そうに車内を歩き回るローゼリアと、それを窘めるエマがいる。名目上(実質的にも)彼女らの保護者となっているユークレスはリィンの隣に座り、魔女達の様子に苦笑を浮かべていた。見た目も中身も子供にしか見えない里長の相手は慣れているのだろう。

 

 まだ季節外れの雪が残る山肌を撫でる風が、ケーブルカーを一際大きく揺らす。窓から見える景色が見慣れたそれと重なり、程なく到着することを察したリィンは、残る一人に向けて言った。

 

「ヴェンツェルさんも、ここまでありがとうございます」

「見届けまでが仕事の内だ。君が気にすることではない」

 

 ヴェンツェルと呼ばれた短い金髪の青年は目を合わせ、淡々と答える。胸元には支える籠手──遊撃士協会のエンブレムが刻まれていた。

 

 ──リィンが異能を暴走させてから三日が経った。

 ユミルに帰る旨をローゼリアに改めて宣言した後、身体の休養と外出の準備、そして『設定』を練り上げるのに丸一日費やした。その後里を出た四人はルーレまで転移して遊撃士協会を訪ね、長い手続きを済ませてルーレで一泊。翌日になって手が空いたヴェンツェルが合流し、ようやくユミルに向かうことを許された。

 

 実家には既に遊撃士協会から訪れる日時の連絡が入っているので、あちらが一行を迎える準備は整っているだろう。遊撃士の立ち合いもある以上、お互い逃げ場はもうないのだ。

 

「………………」

 

 気を落ち着けようと深呼吸すればするほど、鳩尾の辺りが重くなる気がする。鉛を飲んでいるかのようだ。

 

 エマの言う通り、理性では家族が心配してくれているのだと分かっている。

 けれど、恐い。自分を見て怯える、もしくは腫れ物に触るかのような扱いをされる光景を想像しただけで身体が冷え切っていく。全てを失ったリィンにとって、シュバルツァー家は何物にも代えがたい繋がりなのだ。

 

「リィンさん」

 

 呼び声に顔を上げれば、目の前に少女の顔。膝の上で固く結ばれた両の拳を、白い手が包んだ。

 

「大丈夫です。多分、必要なのは一言だけですから」

「一言……それって一体なんなんだ?」

「それは……教えられません。ご自分で考えてください」

「ええ……?」

 

 困惑するリィンに、エマはそれ以上何も言わず離れていく。直後、ケーブルカーに備え付けられた音声がユミルへの到着を告げた。

 

「大丈夫かい?」

「……はい。行きましょう」

 

 ケーブルカーから降り、自然とリィンが先頭となって歩き出す。乗り場は簡素なもので、幾つかの待合用椅子とが並べられているだけだ。

 

 

 そこに、家族がいた。

 

「な……!」

 

 父も母も妹も、入口の正面に並んで立っている。家で待っているとばかり思ってたリィンにとっては不意打ちだ。その場で立ち竦み、咄嗟に目線を床に落としてしまう。

 

 しん、と。一拍、無音があった。

 

「……、さま」

 

 義妹のか細い声が耳朶に触れる。緊張で言葉が喉に張りついて、上手く話せない。それでも、せめて格好だけでも向き合わなくてはとリィンは顔を上げれば、

 

「兄様……っ!!」

 

 叫んだエリゼが、リィンの胸元に飛び込んだ。

 

「良かった……本当に良かった……! 私、もう二度と会えないんじゃないかって!!」

「エリゼ……」

 

 エリゼは精一杯の力でしがみついたまま、整った顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃに濡らし、嗚咽を漏らしている。

良く見れば目元には酷い隈が出来ており、素人目にも何日もまともに寝ていないのが見て取れるほどだ。

 

「リィン」

 

 呆然としていると、今度は父テオの声。彼は引き締まった表情でリィンに近づくと、徐に腕を上げた。その袖口からは巻かれた包帯が覗いている。

 自身に向けて伸ばされる手を前に、叱られる幼子のように目を閉じて縮こまるリィン。怯える彼に父の大きな手が頭に載せられた。

 

「よく戻って来てくれた。きっと、私達には話さなくてはならないことは色々とあると思う。だが──」

「もうあなた。長い話は後にしてください」

「……ああ。そうだな」

 

 最後に母ルシアが右腕をリィンの、左腕をテオの背中に回し、家族を一つに包み込む。

 

 そして、

 

「────お帰りなさい、リィン」

 

 数えきれないほど告げられてきたはずの言葉は、リィンの中に深く染み入り、闇を解いた。

 

 じわりと、少年の目元が滲む。

 

 二度と戻らないと思っていたものは、何も変わっていなかった。最初から、ずっとここにあったのだ。

 

 リィンは同じように両親の背中に腕を回す。喉元にせり上がる熱を抑え、その『一言』を口にした。

 

「────うん、ただいま」

 

 

 技術棟、という施設がトールズ士官学院には存在する。

 

 学院の各種備品を管理する倉庫を改築した建物であり、技術部の部室を兼ねている。比較的歴史の浅い部活ではあるが、潤沢な部費と高い技術を有する部員の存在もあって備え付けられた設備は都市の導力工房にも劣らない。

 出入りする人間は殆どが技術部員で、例外的に今代の部長と親交のある二年生の三人組が時折溜まり場にしている程度。在学中一度も立ち寄らない生徒が大多数の目立ないスポットである。

 

 ──昨年までは。

 

 

「失礼します」

「ども」

 

 六月上旬のとある放課後。技術棟の扉を一組の男女──ガイウスとフィーが揃って開けた。Ⅶ組一番

の長身と最も小柄な二人が並べば、一見親子か歳の離れた兄妹に見えるだろう。

 そんな二人に声を掛けたのは、この二ヶ月ですっかり顔馴染みとなった技術部員達だ。

 

「お、お前らか」

「やっほフィーちゃん。ARCUSの調整?」

「今回は早めにやっとこうと思って。ジョルジュ先輩は?」

「ごめんね~部長同士の会合あってまだ来てないの。クオーツだけなら作れるけどどうしよっか?」

「ん。お願い」

「ガイウスはどうする?」

「自分はスロットの開封だけなので、迷惑でなければこちらで待たせてもらいます」

「あいよ。そこで座っといてくれ。お茶はその辺から勝手に持っていって構わん」

 

 軽い口調とは裏腹に、彼らは素早い手つきで傍らの機材を操作していく。二人は彼らの前に自身のARCUSを置いた。

 

 最新型かつ試験機のオーブメントであり、戦術リンクという特殊な機能を組み込んだARCUSの調整を行える設備があるのは学内でもこの技術棟だけだ。加えてラインとスロットの変化は所持者に直接影響を与えるため、その場での細やかな調整が必要になる。技術部員も日々学んではいるが、現在それを完璧に熟せるのは部長のジョルジュ・ノームのみであった。

 そしていかにジョルジュが優れた技術者であってもその身は一つ。多忙故に順番待ちが発生することも多く、自分の番が来るまでは技術棟で過ごすⅦ組の人間も増えてきた。オイルの臭いは多少気になるが、最新式の導力ケトルやコーヒーメーカーもあって意外と居心地は悪くない。教官に内緒で戦術殻を使わせてもらえることもあり、武術を嗜む面々にも割と好評なのである。

 

 フィーとガイウスが半刻ほど時間を潰していると、ようやく待ち人が訪れる。平民生徒であることを示す緑色の制服に身を包んだジョルジュは二人を見て申し訳なさそうに頭を掻いた。

 

「二人ともごめんね。もしかして待たせたかな?」

「待ってたよ先ぱ──」

「やあフィー君! 君から私を待っていただなんて可愛らしい台詞を聞ける日が来るとは思わなかったよさあさあ私の腕の中で君の香りを堪能させてくれ!!!!!」

「っ!!」

 

 ジョルジュの背後にいて気づかなかった変質者、もといアンゼリカ・ログナーの抱擁から、持ち前の瞬発力で逃れるフィー。両手は油断なく腰の双銃剣に添えられており、あと一歩でも踏み込んでくれば発砲も辞さない覚悟だった。男臭い部室に可憐な花が増えたとご機嫌なアンゼリカの奇行は慣れたもので、技術部員は何のリアクションもしていない。

 

 ひとしきりじゃれ合った(アンゼリカ視点)後、ジョルジュの手によってフィーのスロットの開封作業が始まった。机上に置かれたフィーの腕にはリストバンドのようなものが巻かれており、小さなモニターとコードで繋がっている。微弱な導力波を当ててその人の七耀脈を測定する機器で、モニターに映し出された結果を確認しながらジョルジュが手を動かしていた。

 

「しかし戦術オーブメントとは凄いものだな。故郷で魔獣退治をする時にこれがあればと何度も思ってしまう」

 

 調整を横から眺めていたガイウスが、ふとそんな感想を漏らした。

 

 導力革命以降多くの在り方が激変したが、戦いを生業とする者にとって大きな恩恵を与えたのがこの戦術オーブメントだ。所持しているだけで身体能力を底上げし、武術の心得のない者でも容易に扱える導力魔法(オーバルアーツ)は既存の戦術を根底から覆した。一見非力に見える人間が、一軍に匹敵する戦果を挙げる可能性もあるのだ。

 

 自分の腕に視線を落としたまま、フィーも「そだね」と同意する。

 

「これひとつで色々出来ちゃうし、団でも厳重に管理されてたよ。敵の野営地で保管されてた戦術オーブメントを盗む任務なんかも任されたことある」

「ほう、猟兵とはそんなこともやるのだな」

「戦わずに済むならそれに越したことはないし。ゼノっていうのが率いる妨害工作専門のチームもあったんだ」

 

 先月の実習以降、フィーには少しだけ変化があった。端的に言えば、かつての猟兵時代のことを偶に話すようになったのだ。然程やる気を見せていなかった(それでも同級生の大半を圧倒する実力はあった)武術教練もここ最近は真剣に取り組んでいる。あまり多くは語らないが、五月の実習で何かしら心境の変化があったらしい。

 

 フィーが猟兵だと明かした時にはクラスメイトに戸惑いが広がったが、エマを中心に五月A班がフォローを入れたことで、彼女が受け入れられるのに然程時間はかからなかった。元々好戦的な性格でもなく、周囲から世話を焼かれて可愛がられる子猫のような少女に警戒心を抱くのも難しい。

 

 

 ……とはいえ、全員がフィーを受け入れた訳ではなく。猟兵という出自は新たな火種をⅦ組にもたらしていた。

 

 しばらく時間が経ってから、技術棟にラウラが入って来た。

 

「失礼します。ARCUSの調整に来たのですが……!!」

 

 軽く室内を見渡したラウラは、フィーの姿を見るなり顔を顰めた。礼節を重んじ、表情には珍しく嫌悪が滲み出ている。ひりつく空気を敢えて無視して、ジョルジュが問いかけた。

 

「二人先約があるけど、ここで待つかい?」

「……いえ、明日また出直します」

 

 一礼して踵を返すと、ラウラはその場を後にする。鋭い視線を向けられていたフィーは特に気にした風もなく、小さく欠伸していた。

 

「あの二人、何かあったのかい?」

「ええ……この前の武術教練で、少し」

 

 訊いてくるアンゼリカにガイウスは数日前の武術教練での出来事を話し始めた。

 

 

 

 その日武術教練を担当していたサラから告げられた授業は、『一人一回相手を指名して模擬戦を行え』というシンプルなものだった。参加人数も決着方法も自分達で決めて良し、という良く言えば生徒の自主性を尊重した、悪く言えば適当な内容は、二日酔いで考えるの面倒だったからに違いない。

 

 そこでいの一番に名乗りを上げたラウラが、フィーとの一対一を指名した。

 

 どちらも戦闘においてはリィンに次ぐ実力者である。興味を惹かれる者も少なくはなく、フィーの合意もあって二人は戦うことになった。

 

 常よりも気迫に満ちたラウラと、気だるげなフィー。対照的な二人は向かい合い──結果、ラウラは惨敗した。

 

 戦いが始まってから押していたのはラウラである。大剣を巧みに操り、速度に勝るフィーを剣先で捉え続けていた。そうして逃げ場のないグラウンドの端に追い込んでいき、止めの一撃が放たれようとした瞬間、フィーはスカートの裏に潜ませていたスタングレネードを落として炸裂させたのだ。

 至近で閃光をまともに浴びたラウラは大きく怯み、その隙を刈り取られた。一気に加速したフィーが懐に潜り込むと、勢いのまま飛び掛かる。次にラウラが目を開けた時には、自身の腹上で馬乗りになったフィーが首元に双銃剣を突きつけていた。

 

 「勝者フィー」という教官の宣言が、呆然としていたラウラを現実に引き戻す。

 

「……なんだ。こんなもんか」

 

 得物を収めてラウラを見下ろすフィーの視線には、はっきりとした落胆の色があった。

 

「っ! そなた、最後以外は手を抜いていたな! 最初から全力なら、私の剣も避けられたはずであろう!」

「そんなのめんどいし、手の内を隠してただけ。あんな単純な手に引っかかるそっちが悪いでしょ」

「なんだと!?」

「はいはいそこまで。アタシの頭に響くから叫ばないの」

 

 身体を起こしフィーへ詰め寄ろうとしたラウラに、サラが割って入る。

 

 

 この日を境に、ラウラからフィーへの態度は急速に硬化していくこととなった。

 

 

「……なるほど。時間を置けばと思いましたが、そう簡単にはいきませんか」

 

 夕方。技術棟での出来事をガイウスから話を聞いたエマは表情を曇らせていた。いつもの三つ編みは後頭部でお団子に纏められていて、白いうなじが露わになっている。空色のエプロンを付けた彼女の前にはサモーナの切り身が並んでいた。

 

 ここは第三学生寮の一階。キッチンには夕食を作る四人の男女が揃っていた。

 

 寮の管理人すら存在しない第三学生寮の家事は当番制だ。掃除、洗濯、炊事をローテーションで回しており、夕食は三人以上で作ることを基本ルールとしている。

 

 料理出来るに越したことはないという委員長の方針の下、ラウラ・フィー・マキアス・ユーシス・ガイウス(帝国の食文化や味付けに慣れていないため)の料理に不慣れな組をAグループ、アリサ・エマ・リィン・エリオットの料理が出来る組をBグループと分け、なるべく双方のメンバーが一緒になるようシフトは調整されていた。貴族も平民も関係なく、Aグループは実践しながら料理を覚えていくのだ。

 

 

「確かにフィーが自分を猟兵だと言った時、ラウラが険しい顔をしていたのは知っていたが……彼女が誰かに対してあそこまで露骨に隔意を見せるものとは思わなかったさ」

 

 背の高い棚から調理道具を取り出しつつガイウスは呟く。誰を相手に物怖じも分け隔てもなく、誠実かつ堂々と接することができるのがラウラ・S・アルゼイドという少女にガイウスが抱いていたイメージだった。

 

「ただ正直ラウラ君の気持ちも分かる。猟兵は報酬次第で略奪や虐殺を行うことも珍しくないと言われているし、一部では死神と揶揄する声もあるからな。隣国のリベールでは猟兵を雇うことを法律で禁じているくらいだ……っとと」

 

 横から口を挟んだことで注意が逸れたのか、マキアスがジャガイモをやや不揃いなサイズに刻んでいく。その更に隣では、アリサが氷水から取り出したトマトの皮を剥いていた。こちらは慣れた手つきで切り分けたトマトを圧縮鍋に入れ、手間取るマキアスから残りのジャガイモを奪い取って包丁を入れていく。

 

「まあ私も猟兵に良いイメージは抱けないし、ラウラは正義感強いから受け入れられないってのは納得できるわ。エマはどう思う?」

「戦いに於いては、フィーちゃんの言い分も一理あります。正直ラウラさんにはもう少し歩み寄っていただきたいのですが……簡単にはいかないでしょうね」

 

 あの二人の対立は、ある意味ユーシスとマキアス以上に溝が深い。根幹にあるのが身分の差異ではなく、本人達の気質の問題だからだ。

 片や武門の名家として、正当な鍛錬によって磨かれた剣。片や猟兵として、血と硝煙の臭いが渦巻く戦場で鍛えられた刃。お互い真逆の道を歩いて力を積み上げてきた者同士、簡単に譲れるものではないのだろう。ラウラは勿論、フィーもああ見えてプライドは高いのだ。

 

 エマはバターを溶かしたフライパンの上にサモーナの切り身を投入する。焼ける皮目に油断なく目を凝らしながら、焦げ付かないようにフライパンを揺すり、時折バターを切り身の上から掛けてやる。湯気に乗った香ばしい匂いに誰かが喉を鳴らした。

 切った野菜は鍋に全て投入し、導力コンロに火を付けて煮込み終えれば工程の大方は終了する。

 

 今日のメニューはサモーナのムニエルとトマト入りのポトフ。後は細かい味を整え、適当にサラダを作れば完成だ。一段落したところで、キッチンの四人は向かい合って話を再開した。

 

 

「それについては今どうこう出来る話でもないだろう。それよりも目先の問題に注力するべきじゃないか?」

「目先の、ですか?」

「中間試験」

「う、今くらい忘れようとしてたのに」

 

 二週間後に迫った学生の本分であり、新入生の前に立ちふさがる最初の壁。士官教育に加え幅広い分野の授業が行われるトールズは試験の科目数も膨大で、難易度自体も最高峰だ。その極悪さは各々部活の先輩から聞き及んでいる。彼ら曰く、入学したことで抱いていた自信が粉微塵になったとか、新入生気分でいると地獄を見るとか。順位も貼り出されるので、成績優秀者の多いⅦ組としてはそうそう手は抜けない。

 

「こうやって回してる家事も結構負担になってくるわよね……。はあ、第一寮にいるメイドまでは望まないにしても、せめて管理人が来てくれないかしら」

「…………」

「どうした委員長、難しい顔をして」

「いえ、何となく望まない形で願いが叶いそうな気が」

「?」

「ただの予感ですから気にしないでください。テスト期間の家事については、夕食の後にでも全員で話し合いましょう」

 

「マキアス。試験勉強というのも慣れないのだが、具体的に何から始めれば良いんだろうか?」

「まずは自分の中で理解の薄い部分を探すのが手っ取り早い。これまでの小テストが残っているなら、見直しに付き合おうか?。数学や政経なら力になれると思うぞ」

「それは助かるが……マキアスの負担にはならないだろうか」

「気にしないでくれ。他人に教えることで自分の見落としを発見できるかもしれないし、僕にとってもメリットがあるさ」

 

「あら……」

「へえ……」

 

 女子二人の意外なものを見る目にマキアスがたじろぐ。

 

「な、なんだ二人ともその顔は」

「べっつにぃ。何でもないわよねーエマ」

「ふふ、そうですね。前からなんだかんだ面倒見は良いですし」

「君達なあ……」

 

 夕食の準備が大方終わり、後は配膳だけとなったところで寮のドアが開く。帰ってきたのはリィンとユーシスだったが、二人の肩と頭は濡れていた。

 

「二人ともどうしたの?」

「帰りがけに夕立に逢ったんだ。傘用意する暇もなかったからこの通り」

「え、降ってるの?」

「ついさっきからな。中々の勢いだぞ」

「言われてみれば、風が湿っているな」

 

 言われて耳を澄ましてみれば、確かに雨音が聞こえてくる。一過性のものと

 

 そんな中、マキアスがポツリと一言。

 

「……そういえば、洗濯物干したままじゃなかったか?」

「「「………………」」」

 

 凍り付いた顔を見合わせる一同。雨足は増々勢いを増して壁を叩いている。そして洗濯物は屋上で纏めて干している──

 

 

「嘘でしょ!? 今日のやつお気に入りなのに!」

「残りの準備は私達でやるので、アリサさんは洗濯物の取り込みお願いします」

「任せた! あーもう絶対洗い直しよ!!」

「男子の分は俺とユーシスでやって来るよ」

「お身体冷やさないようにしてくださいね。タオルは用意しておきます」

 

 俄かに騒がしくなるロビー。窓の向こうの雨を眺めて、エマは小さく呟いた。

 

 

「……慌ただしい時期になりそうですね」




ラウラとフィーの確執については少し掘り下げていこうと思っています。


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センチメンタル・レイニーナイト

 

 

 その日はリィン・シュバルツァーにとって、生涯忘れられない一日となった。

 

 

 家に帰ってリビングで家族と向かい合ったリィンは、自分の気持ちを正直に吐き出した。

 

 異能の恐怖。八葉一刀流の修業の厳しさ。自分を拾ったことで社交界で疎まれるようになった両親への後ろめたさ。捨てられた自分には勿体ないほどの愛情と平穏を与えられていたからこそ、抱えた弱音や迷いを表に出すことも出来ず、居心地の悪さは膨れ上がっていた。

 異能の暴走は、あくまできっかけ。自立できる歳になれば、自分は逃れるようにユミルを離れ、家族と距離を取っていただろうとリィンは思う。

 決して聞き心地の良いものではないはずのそれを両親は何も言わず、エリゼは身体を震わせながらも気丈に耐えながら聞いてくれた。

 

 リィン自身が覚えている限り最も長い一人語りを終えて顔を上げれば、父テオが深く頭を下げて言った。

 

『済まなかったリィン。お前の気持ちに気づいてやれなかった私達の落ち度だ』

 

 同じようにテオは語った。実娘のエリゼをいつも気にかけてくれたことへの感謝。厳しい修業にも耐え、剣士としても人間としても健やかに育っていく姿が本当に嬉しかったこと。……だからこそ異能も出自のことも、もう折り合いを付けられたのだと高を括ってしまったこと。

 

 想っていたのはどちらも同じはずなのに、いつしかすれ違っていた。

 だから時間をかけて、言葉で溝を埋めていくことにした。お互いに泣いて、謝って、許し合って──最後には笑顔で夕食の卓を囲むことが出来た。

 

 ひょっとしたら、シュバルツァー家が本当の意味で家族になれたのはこの日なのかもしれない。

 

 

 そうして夜。リィンは一人、郷の中央にある足湯に浸かっていた。肌寒い空気と足に伝わる熱の寒暖差が心地よく、ほうと息を吐く。

 

「今まで、何を見てきたんだろうな……」

 

 無事を喜んでくれたのは家族だけではない。シュバルツァー邸にはリィンが戻ってきたのを聞きつけた郷の人達が詰めかけた。そこに老若男女の差はなく、特に幼馴染のラックが涙で顔をくしゃくしゃにしていたのは強く印象に残っている。

 

 成長して少しは周りのことを考えられる歳になった筈が、その実どこまでも自分本位でしか物事を見れていなかったのを改めて痛感させられた。

 

(明日、郷の皆には改めてお礼を言って回らないとな……何を持っていくのが良いだろう)

 

 そんな風に考えていると、背後から足音が聞こえた。

 

「エマ……」

「こんばんは。お一人ですか?」

 

 少女の静かな声は、夜の空気に溶けていくようだ。

 

 エリンの里ご一行はテオの計らいで旅館≪鳳翼館≫に迎えられている。今の彼女は行きの旅装から浴衣に着替えており、長い髪は下ろされていた。

 

「ユミルの温泉はどうだった?」

「十分堪能させてもらいましたよ。同じ露天風呂でも、妖精の湯とは全然違いますね」

「良かったらこの足湯も試してみないか? これはこれでまた違った気持ち良さがあるぞ」

「……そうですね。それでは失礼して」

 

 興味が勝ったエマは靴を脱ぐと、リィンの隣に腰を下ろした。湯面に触れた足指の先が一度跳ね、そしてゆっくりと沈んでいく。初めはむずがゆそうに足をバタバタとさせていたが、温度に慣れてくると目一杯足を伸ばして堪能していた。

 

「……いい場所ですね、ここは」

「何もない辺境さ。ルーレみたいな都会でもなければ、君の所のような雰囲気ある場所でもないし」

「そんなことないですよ。空気が澄んでいて、霊力(マナ)の淀みもない……こんなに解放的な気分で過ごす夜は初めてかもしれません」

 

 エリンでは基本的に夜は出歩かない。夜は魔性の存在が闊歩する時間だからだ。里には結界を張って、家に閉じ籠り遠ざける。実際は結界で事足りるものの、閉ざされた場所の慣習というのはそう簡単に変わらない。エマがそこに不満を覚えたことはなかったが、それでも閉塞感を抱いていた。

 

 しばらく無言が続くも、二人の間に気まずさはなかった。背後の影が背を伸ばし始めた時、リィンはエマに向き合った。

 

「改めてになるけど、本当にありがとう。君には一生かけても返しきれない恩が出来た」

「気にしないでください。あの時は私も何が何やらで……次同じことをやれと言われても無理ですから」

「それでも俺を救ってくれたことに変わりないさ。もし何か困ったことがあったら言って欲しい。ほんの僅かかもしれないけど、絶対君達の力になるから」

 

 力強く誓う。

 

 

 だけど。

 

「必要ありません」

「……え?」

 

 穏やかな声で拒絶した魔女は、困ったように笑っていた。

 

「私達魔女がリィンさんにここまで付き合ったのは、異能を持っていたからです。貴方がただの人間であれば、手当てした後に記憶を消して、適当な場所に返していたでしょう。今となってはもう難しいですけど」

 

 ちゃぷんと水面が波打ち、エマの白い素足が顔を出す。濡れた素足は月の光に照らされて、幻想的な輝きを帯びていた。

 

「普段はちょっとあれですが、お祖母ちゃんは本当に優秀な魔女です。リィンさんの異能もそう遠くない内に対処できるでしょう。……そうなったら、お別れです。貴方のような人は裏側(こちら)に関わるべきじゃありません」

「ま、待ってくれ! そんなのいきなり言われても、まだ君に何も返せてないのに」

「気にしないでください。それが自然な形なんです」

 

 いつの間にか、二人の間に氷の壁のような隔たりがあるのをリィンは感じた。手を伸ばせば触れられる筈の距離なのに、エマの笑みがぼやけて見える。

 

「恩を返したいのなら、いつか貴方と同じような境遇の人と出会った時に助けてあげてください。それなら私も、貴方を助けた意味が生まれます」

「……」

 

 リィンはそこで、自分の勘違いを知った。

 

 エリゼに語って聞かせた御伽噺にもよく登場する、ハッピーエンドを導く善き魔女の逸話を思い出す。あれらがもし実話なら、自分が知らなかっただけで常識で測れない存在に苦しんでいる人間はきっと大勢いるのだろう。こうしている今も、助けを求める声が世界のどこかにあるのだろう。多くを救う使命を背負った善き魔女は、一か所に留まってなどいられない。

 

 個人的に、自分の境遇に共感を抱いてくれる部分はあったと思う。

 

 だけど、それだけ。エマ・ミルスティンにとって、リィン・シュバルツァーは魔女に守られるべき存在なのだ。

 

 その事実は、リィンの胸に裂くような痛みをもたらした。

 

(……辛い、のか? 何で?)

 

 痛みの理由は理解できず。エマがくれた焔の温かさに縋るように、リィンは自分の胸に手を置く。言葉に詰まる喉をどうにかして動かそうとしても、声は喉に貼りついたように出てくれない。

 

「おお、ここにおったのか」

 

 悪戦苦闘するリィンの下に幼い声が届く。

 

「ローゼリアさん……今自宅(ウチ)の方から歩いて来ました?」

「お主の両親に訊きたいことがあっての。それも済んだから帰ろうとしてたんじゃが……うむ、丁度良い。主に一つ頼みがある」

「頼み?」

 

 頷いたローゼリアは、リィンの横で同じように首を傾げている孫娘を指差して言った。

 

「こやつの修業に、少し付き合ってくれんか?」

 

 

 中三日かけて行われた中間試験を乗り切り、クラス間の順位で一位という好成績を収めたⅦ組に、最早恒例となった実技テストの時間が訪れる。これまで通り設定を弄った戦術殻と闘うはずだった予定は、突如現れたパトリック・ハイアームズ率いるⅠ組の生徒によって崩された。

 

 パトリック達は『帝国貴族の気風を知らしめる』と謳いリィン、ガイウス、マキアス、エリオットの四人──要は派手に打ち負かしても問題の少ない相手を事実上指名したが、そこに待ったを掛けたのがユーシスだった。

 

「身分関係なく集められたⅦ組(俺達)にその理屈は通らんだろう……代われリィン、俺が出る」

「なっ! どういうつもりだユーシス・アルバレア!!」

「そちらがⅠ組の流儀に則るなら、こちらも同様に応えるというだけだ。心配せずとも、アルバレアの名に於いて勝負の結果はこの場限りのものとすることを約束しよう」

「……いいだろう」

 

 そうして始まった四対四の戦い。英才教育で培われたⅠ組の剣捌きは決して油断できなかったものの、修羅場を潜ったⅦ組男子が粘りを見せ、相手が焦れて隙を晒したところを的確に突いて勝利を収めた。特に目覚ましい活躍をしたのはユーシスとマキアスのコンビで、先月の失態が噓のような連携を見せている。

 

「良い勝負だった。同級生として、これからもお互い研鑽に励むとしよう」

「……っ」

 

 寄せ集めに負けた屈辱に歯を砕けんばかりに食いしばりながらも、パトリック達はどうにか体裁を整える。勝負の結果を後に持ち越さないというユーシスの宣言に乗った手前、ここでみっともなく声を荒げてしまえば明確な格の差が生じてしまう。四大名門の子息としての高いプライドが、皮肉にも彼に一線を守らせていた。

 

 そんな彼らがグラウンドから去る姿を見送るサラは、試合内容に満足そうに頷いている。

 

「アンタ達もやるじゃない。うんうん、やっぱり男の子はぶつかり合って仲良くなるものよね」

「誹謗中傷は止めてもらおうか教官。そこの男と仲良くなったなどと言う事実がどこにある」

「全くです。名誉棄損で訴える覚悟も辞しませんよ、教官」

「戦術リンクをそこまで安定させておいてその言い訳は苦しいんじゃなーい?」

「単なる利害の一致に過ぎませんよ」

 

 そこでマキアスは言葉を切って、一瞬リィンの方に目をやる。

 

「ただ……負けてられない相手がいるだけです」

「……フン」

「……そ。やっぱり男の子ね」

 

「なあエマ、俺あの二人に何かしたのかな?」

「ふふっ、そうかもしれませんね。まあ悪いようにはなりませんよ」

 

 唯一察していないリィンは、隣のエマに耳打ちしていた。

 

 

「それじゃ、今月の実習先を発表するわよ」

 

 サラが取り出した書類が、エマとマキアスに手渡された。

 

『【六月特別実習】

 A班:リィン、アリサ、ガイウス、ユーシス、フィー(実習地:ノルド高原)

 B班:エマ、マキアス、ラウラ、エリオット(実習地:ブリオニア島)』

 

「ノルド高原……ガイウスの故郷だったわよね?」

「ああ。実は教官から事前に話を受けていてな。今回は皆の案内役も兼ねている」

 

「ブリオニア島って、どこにあるんだっけ?」

「帝国の西部……海都オルディス近くの無人島だったはずだ。観光地としては結構有名だな」

「……………………」

「どうしたのだエマ。何やら顔つきが険しいが」

「い、いえ。大丈夫です」

 

 実習地の特徴としては、これまでのような街中ではないことだろう。悪く言ってしまえば僻地である。ユーシスとマキアス、ラウラとフィーは班が別れており、ようやくメンバー全員で協力し合えると密かに安堵する委員長エマであった。

 

 ただ、懸念事項がひとつ。

 

「今回の班、バランス悪くない?」

 

 全員の気持ちをフィーが代弁した。

 

 戦闘を想定したメンバーを組む場合は前衛と後衛をバランスよく割り振るものだが、今回は構成に明らかな偏りが見られる。特にB班には魔導杖持ち二人に加え前衛がラウラのみ。残るマキアスの得物もショットガンなので前衛一人後衛三人だ。

 

 質問は想定済みだったのだろう。サラはアッサリと認めた。

 

「ま、そこも含めての実習よ。いつも万全の態勢で臨めるなんて限らないし、普段と違う立ち回りを考えることね。……正直に言うとちょっと大人の事情も絡んでるんだけど」

「と言いいますと?」

「名門校とはいえ組織なのに変わりない。運営者の意向には逆らえないってことよ」

 

 やや要領を得ない説明だったが、それ以上話す気はないらしい。これまで通り三日間の日程が発表され、実技テストはお開きとなった。

 

 

 その日の夜。いつもの魔術の修業を終えた後、エマとセリーヌは休憩がてら実習地について話していた。

 

「ブリオニア島とノルドねえ……どっちも『アレ』がある場所ってのは因果なのかしら」

「流石にそこは偶然だと思うけど……」

 

 無人島のブリオニア島には、魔女の眷属にとっては縁深いものがある。

 先祖が犯した大罪の象徴。猛き力を振るい、焔の眷属の守護神となるはずだったもの。

 

「『紅い聖櫃(アークルージュ)』……エマは直接見るのは初めてね」

「ええ。あそこはお祖母ちゃんに任せてたから」

「一応ロゼには一報入れておきなさい。何もないとは思うけど」

「分かってる。余裕があったら『霊窟』の様子もみておきたいし」

 

 会話を終えて立ち上がる。夜も更けてきたので、今日はもう帰るだけだ。整備された街道から離れた小道を、少女と黒猫が並んで歩く。

 

 途中小さく欠伸をしたエマに、セリーヌは咎めるような視線を送った。

 

「アンタ最近寝不足続きでしょ。今日の鍛錬も集中出来てなかったじゃない」

「それは、ごめんなさい。三日後の実習で準備するものとか調べてて……」

「……前から思ってたけど」

 

 一度言葉を切ったセリーヌは、エマの前に立ち塞がる。

 

「アンタ、ちょっとⅦ組に入れ込み過ぎじゃない?」

「どういうこと?」

「委員長とやらになって他の奴にも気を回さないといけないのは理解してる。でも今やってること全部アンタがやらなくちゃいけないことなの?」

「それは……」

「最優先はリィンと騎神よ。他の問題にまで首突っ込んで、そこを疎かにされたら本末転倒なの」

 

 セリーヌの言う事は理解できる。

 導き手の使命を果たすことのみを目的とするなら、リィンと共に旧校舎の探索に力を注ぐべきだ。学院生活は当たり障りなく、人間関係は周りから孤立しない程度の距離感を維持する。面倒事の多いクラスのまとめ役など、辞退すればよかったのだ。

 

 導く相手が、リィン・シュバルツァーでなければ。

 

「でもリィンさんが周りを放っておけない人なのはセリーヌも良く知ってるでしょう。あの人のフォローが出来るように、私もある程度周囲と関係を築く努力は欠かせないわ」

「いや、ある程度っていうか……」

 

 セリーヌがトリスタの町を歩いていると耳にする、住民や学院生のお悩み解決に奔走するカップルの噂話を本人は気づいていないのだろうか。変に他人から詮索されないのは都合が良いのでセリーヌとしては特に言う事もないのだが。

 

「心配しなくても、自分の使命はちゃんと果たすわ。魔術の修練についてはスケジュール見直してきちんと時間を確保するから」

「他を削るとは言わないのね」

「ええ」

 

 じっと見つめ合う一人と一匹。白旗を上げたのは後者の方だった。

 

「アンタもすっかり頑固になったわね……」

「セリーヌには負けるけどねー」

「減らず口も達者になったわねえ!!」

 

 ご機嫌斜めになって駆け出したセリーヌに、後を追いながらエマが謝る。本気で怒ってないのはどっちも承知の上。エマはセリーヌの小言が自分を気遣ってのものだと理解していて、セリーヌも前向きに取り組むエマを心底からは否定していない。月日の殆どを共に過ごした二人の、掛け替えのない絆がそこにある。

 

「決めたわ」

 

 寮の前で別れる直前、揺らしていた尻尾をピンと逆立てた使い魔は言った。(家族)が困難な道を進むなら、支えてやるのが役目だろうと。

 

「その特別実習とやら、今回はアタシも付いて行ってあげる」

 

 

 

 ──これは、夢だ。

 

 

 黒い『無』に取り残された冬の山道を登る、少年と少女。二人は懸命に足を動かして、いつもの山頂に辿り着いた。

 やっと着いたと嬉しそうに言う少年の背後に立つ少女は、いつの間にか抜き身の太刀を手にしていて。少年が振り返る前に、少女は少年の背中に刃を突き立てた。うつ伏せのまま倒れ動かなくなった少年から、鮮やかな赤色が零れていく。その様子を少女は──私はただじっと眺めていた。

 

 だってこれは夢なのだから、いつかは醒めるものだ。余計なことは考えず、ただ心を凍らせて終わるのを待てば良い。何度も同じ光景を見せられれば心構えは嫌でも身に付く。

 

 ──ふと思う。この悪夢を見始めたのはいつからだったのか。あまり考えたことは無かったが、記憶を辿ればすぐに心当たりに行き着いた。

 

 雨の激しい、雷轟く夜だった。

 

 初めて、彼の太刀を握った日だ。初めて、血の海を見た日だ。

 

 そして。

 

 

 私が、本当の意味で魔女になった日だ。

 

 

 跳ね起きた。

 

 荒い呼吸を落ち着かせながら、エマは混同する記憶を夢と現実、過去と現在に振り分けていく。視線を落とせば自分のベッドがある。セリーヌと別れてから、いつも通りに眠りに就いたはずだ。

 

 カーテンを少し捲ると、雨粒が窓ガラスを無遠慮に叩いている。音からも結構な強さの雨だと分かった。

 

「…………着替えよ」

 

 寝汗を吸ったパジャマが身体に貼りついており不快なことこの上ない。シャワーを浴びて別のパジャマに着替えると、最悪な気分が少しは落ち着いた。

 枕元の導力灯にスイッチを入れ、目覚まし時計を確認すれば短針は二時を指している。目はすっかり冴えており、二度寝するにも中途半端な時間であった。

 

 エマはパジャマの上から薄手のカーディガンを羽織り部屋を出る。そのまま一階に降りて、傘を片手に雨降る夜に繰り出した。

 

  

 外は無人。灯りの点いた家はなく、街灯だけが周囲をぼんやりと照らしている。普段は寂しい印象を与えるが、今は騒がしい雨音のせいで気にならない。

 

 公園にやってきたエマは、魔術でベンチの水気を飛ばして腰を下ろす。息を吸い込めば雨の匂いが口一杯に広がった。傘を差していても跳ね返る雨粒は防げず、足の裾や腕が少しずつ濡れていくのもお構いなしだ。それが気にならないほど、エマの心と表情は深い憂鬱に沈んでいる。

 

「情けない……」

 

 あの悪夢は、この雨音に触発されたのだろう。エマの根底に深く刻まれたトラウマは、こうした雨夜に顔を出すことがある。こうしてじっと雨を眺めていると、ありもしない赤色を幻視してしまいそうになるほどに。

 

(結局、ラウラさんとフィーちゃんは固いまま……旧校舎もよく調べきれていないし……)

 

 リィンは毎朝鍛錬を共にすることからラウラを、エマはよく身の回りの世話をするフィーを相手にそれとなく探りを入れてみたりしたが素っ気なく返されている。ユーシスとマキアスの場合とは違い周囲を巻き込む気配はない分、徹底して壁を作っていた。

 

 旧校舎地下のダンジョンは、先日の自由行動日に第三層を突破した。順調に進んではいるものの、オリエンテーションでいきなりオル=ガディアが現れた理由は未だよく分かっていない。本来は次の第四層で立ち塞がる番人のいないイレギュラーな状況で、試練のシステムは正常に機能するのか。想定を超える困難や、騎神への道自体が閉ざされたりはしないか。

 

 ちゃんと、彼の助けになれるのか。

 

「私、全然駄目だなあ……」

 

 Ⅶ組の誰も聞いたことがないような、弱々しい声が漏れた。

 

 ローゼリアに一人前として認めてもらい、入学前に持っていた密かな自信は木っ端微塵に砕けている。思い返せば、この三ヶ月で上手くやれたことなんてどれほどあっただろう。人間関係は破綻しないよう保つのが精一杯で、先月の特別実習もリィンがいなければ惨事になっていたはずだ。

 

 それでもいずれ雨は止み、夜は明ける。朝が来れば委員長として、魔女として振る舞わねばならない。セリーヌには厳しく言われたが、これは他の誰でもない自分が決めたことだ。

 

 だから今夜はトコトンまで沈んでしまおうと、ベンチの上で抱えた膝に顔を埋めた。目を閉じれば雨音はより強く、糾弾するかのようにエマの耳朶を打つ。このまま水嵩が増して、溺れてしまえればいっそ楽しそうだと益体もない妄想すら頭に浮かんで。

 

 

 水溜まりを踏む音が、意識を引き戻した。

 

「あの委員長ちゃんが夜遊びとは感心しねえなあ」

「……え?」

 

 驚いて顔を上げる。傘を差してエマを覗き込む男は見知った顔だった。

 

「クロウ先輩……」

「おう。で、こんなとこで何してんだ?」




六月の実習はメンバーを若干変えつつB班メイン、ブリオニア島編をオリジナルストーリーで描く予定です。閃の二次創作では割と定番の流れな気がするので頑張って差別化していきたところ。



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宵と明。公園にて。

お待たせしました。
新型コロナに罹ってしまい体調を崩してからどうにも筆が乗らず……黎の軌跡をプレイしてモチベーションを挙げていきつつ、勘を取り戻していきたいと思います。


 

「お祖母ちゃん、どういうつもりなの!?」

 

 旅館の寝室に戻ったエマは、ローゼリアに詰め寄っていた。いつにない剣幕を見せるエマに怯える魔女の長はしどろもどろになりながら説明する。

 

「お、落ち着くのじゃ。最初に話したが、シュバルツァーは灰の騎神の起動者候補。あやつの人柄も信が置けそうじゃし、縁を結んでおいて損はあるまい」

「だからってこんな恩に付け込むような真似……」

 

 ローゼリアがリィンに提案したのは、異能を封印する魔術を施す条件として魔女に協力することだ。

 

 魔の森で暴走したことを踏まえ、異能そのものの再精査と有効な術式の構築は年単位掛かるというのがローゼリアの見込みだった。その施術に必要な材料も貴重なものばかりで、ミラに換算すれば辺境の男爵家にはとても払える額ではない。テオからすれば知らぬ間に巨額の借金を背負ったようなものだ。

 

 とはいえ悠久の時を生きるローゼリアに金銭の執着はないので、負債は本人の働きで返してもらうことにした。

 基本的にはユミルで暮らしながら定期的にエリンに通い、里にいる間だけ魔女の用事に付き合ってもらう。単なる雑用をやってもらうこともあれば、護衛となってエマの修業に同行することもあるだろう。

 

「無償の手助けを期待させるのはシュバルツァーの為にもならん。あ奴も先程、自分からそう言っておったじゃろう」

「……でも……」

 

 祖母の言うことは理解できる。それでもエマは、リィンがこれ以上魔女と関わることに抵抗があった。

 

 暴走したリィンに抱き着いたときに感じた力の奔流は、まるでこの世全ての悪意を煮詰めたかのように禍々しかった。魔術には他者を呪う系統も存在するが、あれ以上のモノはゼムリア大陸を探してもそうはないだろう。

 

 自分の中に、いつ大切なものを壊してしまうかも分からない爆弾がある。そんな状態で果たしてどれだけの人間が正気でいられるだろうか。

 それでも彼は自分を保ち、繋がりを諦めなかった。ユミルでの慕われぶりを見れば、彼が周りを愛し、周りに愛される善き人だというのは見て取れる。その在り方自体がエマには奇跡のようで。自分のように≪裏≫側の世界に触れることなく、幸せに過ごしてほしいと切に願うのだ。

 

「…………」

 

 言い淀むエマに、ローゼリアは軽く目を見開く。

 

 母を亡くした彼女を里に招き育てるようになってから、エマはずっと素直で聞き分けの良い娘だった。どこぞの放蕩娘と違い手が掛からなかったのはありがたかったが、自己主張の薄いところは少し心配していたのだ。

 

(……案外、こやつにとっても良い機会かもしれんの)

 

「起動者の件はまだ秘密にしておく。妾達と上手くやれそうであれば話すし、その上であやつが否と言えば尊重しよう」

「……約束よ。あの人の異能が封印できれば、私達と関わる必要はないんだから。それとリィンさんのご家族にもちゃんと話して許可を取って」

「……分かっておる。暗示なんかは使わん」

「今ちょっと考えてたでしょ! 絶対ダメだからね!!」

 

 

 

 こんな雨夜に出会うには、予想外の顔だった。

 

 クロウ・アームブラスト。上級生の中でも有名な四人組グループの一員で、技術棟にもよく訪れる先輩だ。サボリ魔かつギャンブル好きで、とても士官学院生としては相応しくない青年。ただし成績は落ちこぼれという訳でもなく、特に実技の成績は抜きん出ている。以前試しに行われた射撃訓練では本気のフィーと同等のスコアを叩き出していた。

 性格はお調子者で一見頼りなさそうだが、逆にそれが親しみやすさに繋がっているらしい。先日もリィンが戦術オーブメントにセットするクオーツの編成について訊ねていた。

 

 チャラくて不真面目だけど、頼りにならないわけではない先輩、というのがⅦ組内でのクロウに対する総評である。

 

「先輩こそ、こんな時間にどうしたんですか?」

「フ……実は学生ってのは世を忍ぶ仮の姿でな。本当の俺はさる秘密組織から密命を負ったエージェントで──」

「寮を抜け出して帝都に遊びに行ったけど、終電逃して泣く泣く帝都から徒歩で帰ってきた、と」

「完璧に言い当ててんじゃねえよ。何で分かった」

「ズボンの裾が濡れてますし、この雨の中ずっと歩いていたんでしょう。先輩が授業をサボって帝都に行くのは有名ですし、帝都駅の終電は確か午前零時頃ですよね? 歩いて帰ってきたとすれば、このくらいの時間になると考えただけです」

「……お前さん。士官より探偵の方が向いてるんじゃね?」

「推理小説が好きなだけですよ」

 

 浮かべた微笑を眺めていたクロウはため息をつき、エマの座るベンチの端に腰を下ろす。野ざらしのベンチは当然濡れていて、クロウの履いているズボンに雨水が染み込んでいく。

 

「あの、先輩?」

「真面目な話、流石にほっとけねえよ。大体この雨の中一人でいる事自体普通じゃねえだろ」

「……………」

「話せねえなら別にいい。風邪ひく前に寮に帰れ」

 

 それきり黙ったクロウはエマと視線を合わせず、気の抜けた赤い瞳は雨粒を見つめている。その自分を無視するような素っ気無い態度が彼なりの気遣いなのだと察すると、エマは驚きに目を瞬かせた。

 

「……意外と優しいんですね」

「これでも学院一の紳士を自負してるぜ」

「ではその自称に甘えて、ひとつお聞きしても?」

「自称言うな。んでどうした?」

「先輩から、私ってどう見えますか?」

「…………どう、っつうのは?」

「最近色々ありまして、委員長の務めをきちんと果たせてるのか疑問に思うんです」

「あーそういうことか」

 

 密かに研ぎ澄ましていた眼差しを緩めたクロウは、率直な感想を述べる。

 

「別に問題ねえっつうか、普通によくやってると思うけどな。あの癖だらけのクラスメイト纏めてフィーの勉強も面倒見た上で、今回の試験もトップだったんだろ」

「ラウラさんとフィーちゃんの仲が上手くいってないんです」

「やっぱそれが悩みか」

 

 あの二人の関係が硬化しているのはクロウも察していたし、お互いの背景を考えれば噛み合わないのも無理はない。去年の自分達もそうだが、あの独り身の酒好き教官は生徒同士の衝突を前提にカリキュラムを組んでいる節がある。

 

 少し考えてから、クロウはあっさりと言った。

 

「別に放っときゃいいんじゃね?」

「いえ、そういう訳には……」

「まあ聞けって。お前さん見てると去年のトワを思い出すわ」

「会長ですか?」

「おう。ちょうどあいつが会長になって一月くらいだったか。今のお前さんみたいに沈んだ顔しててよー」

 

 トワを会長とした新体制が発足した直後の頃、共に生徒会役員であった貴族生徒と平民生徒の意見が衝突して生徒会活動が立ち行かなくなったことがあるのだという。今でこそ全校生徒に受け入れられてるが、会長就任当時は平民の、それも女子ということで彼女の手腕を疑問視する声も少なくなかったそうだ。仲違いを解決できない上にそれら複数のプレッシャーが積み重なり、トワは体調を崩してしまうほどに落ち込んだ。

 

「流石に見かねたんで俺らもトワのガス抜きに付き合ってやったし、ゼリカなんかはその役員呼び出してキツいこと言ったみてえだ。最終的にはどっちも折れて上手い具合に収まったんだけどな」

「そんなことが……」

「んで何が言いたいかっつうと、お前が行き詰まっても案外周りがどうにかするもんだって話だ。日曜学校のシスターじゃあるまいし、一から十まで面倒見とく必要はねえだろうよ。……お前さん、歳近い奴に踏み込むの苦手だろ」

「うっ」

 

 苦笑混じりの指摘にエマは言葉を詰まらせる。こればっかりは隠れ里の弊害で、同年代と接した経験値が少なすぎるのだ。世俗に溶け込む為に学んだ処世術は人間関係に波風経たないようにする術ばかりでさっぱり役に立ってくれない。逆にリィンはコミュニケーション能力に秀でており、修業時代はよく助けられた──と言いたいが、あれは天然なので一周回って向いてないのかもしれない。一歩間違えば痴情の縺れでトラブルになる可能性をエマは割と真面目に危惧している。

 

 

 閑話休題。

 

「ま、当人だって何も感じてねえ訳でもなさそうだしな。いっそ気にしてません、って感じでどっしり構えとけばどうだ?」

「そこまで割り切りはできませんけど……でも、もう少し皆さんに頼ってみます」

「そうしろそうしろ。お前もトワみたいになまじデキる分、限界まで抱え込んじまうタイプみてえだしな。俺みたいに最低限だけやって後は遊ぶくらいで丁度良いだろ」

「先輩は単位(最低限)さえ危ういのでは……」

 

 その後はぽつぽつと他愛ない話を繰り返してる内に、雨足は大分弱まった。公園の時計は既に三時を回っている。ベンチから立ち上がり、エマはクロウに深々と頭を下げる。

 

「アドバイスありがとうございます。また今度お礼はさせていただきますね」

「別にいいっての。門限破ってる口止め料代わりってことにでもしてくれ」

「……分かりました。私はもう戻りますけど、先輩も早くお休みになってください」

「へいへい」

 

 ヒラヒラとぞんざいに手を振るクロウにもう一度頭を下げてから、エマは公園を後にした。寮に帰り、手早くベッドに潜り込む。

 

(不思議な人ですね……)

 

 軽薄なようでいて、鋭いところがある。面倒見が良いようで、どこか冷たい部分がある。掴みどころのない二面性は、何故か義姉を思い出させた。

 

 小雨の音を心地よく聞きながら目を閉じる。寝不足は避けられないが、今日はもう悪夢を見ることはないだろう──。

 

 

 

(バレてはなさそうか……)

 

 エマの後ろ姿を見送ったクロウは、小さく息を吐いた。

 

 来たる日に備えて帝都の『仕込み』を一つ終えた帰り。彼女の姿を見かけたのは全くの偶然だった。素知らぬふりして通り過ぎることは簡単だが、万一目撃されていたら厄介だ。魔女からも一応気にかけておいてくれと頼まれていたのもあって声を掛けたのだ。本人は計画に必要なピースだからと言っていたが、シスコンがまるで隠しきれていない。

 

「しかしつくづく似てねえよな」

 

 人間関係で悩むなど、自分の知る魔女なら想像も出来ない。あの女であれば無関心を貫くか、目障りだからと強引に割り入って解決するだろう。

 

(あの女が学生、ねえ)

 

 彼女の姿にトールズの制服を重ねてみて、その似合わなさに苦笑した。だって余りにも学生の雰囲気に合致しない。あの魔女は自然界に存在しない蒼い薔薇のようなもの。頭から足先まで浮世離れした女なのだ。というかそもそもあれに学生服は色々な意味でキツ過ぎて──

 

「っ!!」

 

 呟いたクロウの背筋に悪寒が走る。おかしい、こんな時間にはあの女も寝入っている筈だ。

 

「……帰るか」

 

 重い頭を振って、彼は寮へ歩き出した。宵闇は街灯の光を浴びて、その輪郭を青色に溶かしている。

 

 ……半徹夜したせいか、その青が妙に目についたからだろう。

 学生姿を想像できない魔女のことが、どうしてか頭から離れなかった。

 

 

 早朝のトリスタ街道。澄んだ空気の中で、リィンはラウラと向き合っていた。特に用事がない限りは毎朝の恒例となった手合わせの時間だ。

 

 振り下ろされる大剣をいなし、間合いの内側へ踏み込む。退避しようとするラウラより早く太刀を一閃。重心の定まっていない大剣を弾き飛ばした。滑るように後退するラウラは肩で息をしながら得物を構え直す。

 

 そんなラウラと自身の手元を交互に眺めたリィンは、太刀を鞘に納めた。

 

「少し早いけど、今日はここまでにしよう」

「何を言うリィン、私はまだやれるぞ!」

「駄目だ。さっきから姿勢が崩れてるし、まるで集中できてないじゃないか。ここ最近あまり寝てないんじゃないか?」

「……!」

「明日には実習なんだ。今日は放課後の修練場(ギムジナウム)での鍛錬も止めて、身体を休めたほうがいい」

「ま、待ってくれ! 流石にそれは!」

「今回のB班、君が抜ける訳にはいかないだろ。皆に迷惑かける気か?」

「……っ」

 

 痛い部分を突かれたようにラウラは顔を歪ませた。厳しい物言いになってしまったが、B班唯一の前衛であるラウラはパーティの支柱である。実習には良いコンディションで当たってもらわなければ困るし、ラウラ本人も自身の不調を周囲に影響させることは望まないだろう。

 

 寮までの道すがら、ラウラは一言も発さない。俯いて歩く姿を見かねたリィンは、彼女を公園のベンチまで促して座らせた。お互い水筒で喉を潤すと、リィンから切りだす。

 

「フィーとのこと、受け入れられないか?」

「……ああ。我ながら未熟なことだがな」

 

 ブリキ人形の首を曲げるような、重々しい頷きだった。朝日に背を向けて陰った顔に自嘲的な笑みが浮かんでいる。

 

「彼女が悪人でないのは分かっているんだ。この前敗れたのも私の未熟によるものだと頭では理解している。それでも……報酬次第で悪行を成し、時に無辜の民すら戦いに巻き込む猟兵の在り方は、私の信じる剣の道とは相容れない」

 

 必ずしもそうとは限らないが、猟兵は武装集団であり、求められるのは基本的に戦争やテロといった破壊行為だ。目的の為に平然と外道に走る彼らには、誇り高いラウラでなくても忌避感を抱くのが一般的な感性だろう。遊撃士協会を襲撃したジェスター猟兵団もそういった手合いの集団だった

 

「けど今のフィーはただの学生だよ。詳しい事情は知らないけど、彼女の所属していた猟兵団はもう解散してる。本人だって普段はあんな感じだしさ、決して暴力に訴えたりしない」

「……随分とあちらの肩を持つではないか」

 

 ラウラが半眼でリィンを睨む。敵視……というより、少し拗ねている。尊敬できる剣友が自分の受け入れがたい相手を擁護している、というのが面白くない。

 

「ならばそなたはどう思う。猟兵の在り方を、そなたは良しとするのか?」

「……君の在り方がフィーに劣っているとは思わない。でもフィーも間違いじゃない」

 

 問いかけに、リィンは素直な考えを述べる。毎日のように触れる太刀の柄を指先でなぞりながら、

 

「どこまでいっても剣は人やモノを傷つけるための道具で、剣術はその為の手段だ。これは活人剣と呼ばれるものだろうと変わらないと思ってる」

 

 例えば、武門の名家ヴァンダール。代々皇族の守護役を務める彼らの剣術は、仕える主を守る盾となる為のものだ。だが守り続けるだけでは意味がない。究極の守護とは、主を脅かす敵を完全に排除する──即ち、敵を殺すことである。

 

 その人物がどんなに高潔で崇高な目的があろうとも、戦いに武を持ち込むならば避けられぬ矛盾。自らの目的の為に傷つけ、殺すという大罪を犯すこと。武術家も、軍人も、猟兵も、凶手も、この一点から逃れることは出来ない。

 

「それは極論だ」

「勿論、流石に俺もこんなことを大っぴらに言うつもりはないさ。でも、老師が教えてくれたことの中でも強く覚えてることなんだ」

 

 

 老師からそれを教えられたのは、師事しておよそ半年後、ようやく八つの型を覚え始めた頃だった。

 

『本来であれば最初に言っておくべきことじゃったが、お主の場合は藁にも縋る勢いじゃったからのう。ある程度落ち着いてからの方が良いと思うてな』

 

 そして告げられた力の本質。剣術もまた暴力であり、お前が恐れる異能と同じもの。意志無き剣は容易く堕ちるのだと。

 

『……では、俺のやってることは意味がないのですか?』

『そうではない。武術とは結局のところ力を上手く制御する術じゃ。お主が自分の力を抑えたいのなら悪くない選択であろう』

 

 じゃが、と一度言葉を切った老師は続ける。静かな語りは、しかし刃のように鋭くリィンを穿つ。

 

『お主が八葉を己の血肉とした上でその力に負けたのなら……待っておるのは惨劇じゃ。何せ獣が人殺しの術を覚えているようなもの。被害は素人の比ではあるまいて』

『……』

 

 あの獣染みた力そのままに刀を振るう自分(怪物)の姿を否応なく想像してしまう。雪が降り積もり、白く輝く郷を真紅に染め上げていく光景に吐き気が込み上げた。

 

『重要なのは剣を通じて形作る(もの)じゃ。お主の望みが何なのか、今一度考えてみるとよい』 

『いきなり望みと言われましても……』

『何でも構わぬ。そもそも望みに貴賤はないし、()を求めて妙なところに進んだ姉弟子もおるしの』

『……では、老師は何を望まれたのですか?』

『儂か? それはまあ、お主が見つけられたら話してやろうかの』

 

 

「──とまあ、こんな感じ」

 

 鬼の力に関する部分は伏せて、リィンは思い出を語った。

 

「……父上も似たようなことを言っていたな。剣とは己の魂で振るうもの、だったか」

「もっともらしく語ったけど、俺も理解には程遠いよ。望むモノなんて未だにサッパリだ」

 

 鬼の力を抑えるというのが当初の目的だったが、あの時老師が話していたのは『その先』なのだろうとリィンは考えている。他者を傷つけ、傷ついてでも望み求める己の願い。力の抱える矛盾を抱えてもなお進み続けるための原動力だ。

 

「老師の言葉を借りるなら、君が……俺達が知らなきゃいけないのは、フィーの望みなんじゃないかって思うんだ」

「望み……」

「普通に考えれば、あれくらいの歳の子が戦場になんか出ない。何か事情があるんだろう」

 

 フィーの戦闘技能や判断力、思考の方向性は明らかに実戦で培われたものだ。だが世間一般的に考えれば、彼女の歳で猟兵の、それも実戦部隊に属してたというのは普通とはかけ離れている。

 敢えて幼い年齢の子供に武器を持たせ兵士として編成する部隊を組織するところもあると聞くが、それとも違う気がした。彼女はトールズに入学できるほどに学があり、積極的ではないにしろきちんとコミュニケーションも取れている。園芸部でも上手くやれているのがその証拠。兵士として育てられたなら備わっていないはずの能力だ。

 

 リィンとラウラが剣の道を歩いてきたように、フィーが猟兵として戦場を駆けてきた理由。それこそがきっと、理性と感情の間で板挟みになっているラウラの悩みを晴らす鍵になると信じている。

 

「フィーの事情とやらが、もし認められないものならどうする?」

「その時は仕方ないさ。せめて周りに広がらないようフォローするよ」

 

 リィンの所感では仲良くなれそうな気はするが、これはあくまで当人たちの問題だ。踏み込み方を誤り拗れてしまえば、永続的なリンクブレイクに至ってしまうことも十分ありえる。ARCUSを運用する特科クラスとしては最悪の結末だ。彼女の経歴に小さくない傷がつく可能性も考えれば、まだギリギリ戦術リンクが機能する現状を維持してベストではなくともベターだろう。時間が経つことで許容できることもあるかもしれない。

 

 それでも、ラウラ・S・アルゼイドはそういった真似ができない人間だ。

 

「……そう、だな。確かに目を逸らしたままではいられない」

 

 ため息は変わらず重かったが、手足には力が入った。燻っているなどらしくない。障害には真っ向から立ち向かうのが自分だろうと己を奮い立たせる。

 

「やる気のところ悪いけど、ちゃんと休みは取ってくれよ?」

「む、言われずとも分かっている。今は実習に集中する時だ」

 

 水を差されたようで若干拗ねていたが、ラウラの顔色は回復していた。後は本人の心持ち次第だろう。

 

 寮に戻ろうとベンチから立ち上がった時、頬にラウラの視線が刺さった。透き通るようなアンバーの瞳には複雑な感情が浮かんでいる。

 

「俺の顔に何か付いてるのか?」

「ああいや、すまぬ。……少し悔しいのだ。同い年だというのに、剣のみならず器の大きさでも差を見せつけられるとどうにも、な。我ながら未熟も甚だしい」

「別にそんなことはないと思うんだが。四月なんて寧ろ喝をいれてもらったんだし」

「あれも元はと言えば私の狭量のせいであろう。いつかガイウスやそなたのように、常に泰然と構えられるようになれたらいいと思うよ」

「……」

 

 言い終えたラウラは先んじて寮の扉を開く。後に続くリィンは、彼女に聞こえないよう小さく呟いた。

 

「……それは違うよ、ラウラ」

 

 自分のそれは泰然ではなく諦観。

 多くの在り方を受け入れているように見えるのは、その実多くを諦めているからに過ぎない。

 

 誇り高くあろうとするラウラの姿も、戦場で生き抜いてきたフィーの強かさも。リィンにとっては人間らしい強さとして等しく眩しいものとして映っている。同時に、いつ獣に堕ちるかも知れない自分には分不相応なものだとも。

 

 山肌から完全に顔を出した太陽が、世界を光に包んでいく。空は青く澄み渡った清々しい朝だ。

 

 柔らかい陽光は、しかしリィンの影にまでは届かない。

 



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メイドと猫と遺跡島

黎の軌跡、四章までクリア。ネタバレにならないように感想を述べると

グラフィック(こいつ)……動くぞ!?
・やっぱり属性値システムはキャラメイク感あって良い
・戦闘システムは今までで一番好き。ブーストゲージの管理がボス戦だと大事ですね
・黒月の規模が思ってたよりも大きくて、よくルバーチェは争えてたなって思う
・あの女性護衛官さん、ミュラーと凄い意気投合しそう
・軌跡世界の技術力も大分SF味が極まってきた
・アニエスのヒロイン力が強くて新鮮……
・女性キャラ差し置いて主人公(24歳・男)が一番あざと可愛いんだけど

やろうと思ったネタが公式で出て来たり作中キャラの強化プランの良いアイデアになったりと、この作品にも結構影響が大きいですね。現状言えるのは、もしⅢまで行ければクロスベル編が大変地獄(楽しいこと)になりそうです。


 

 あっという間に六月二十六日。実習当日の朝になった。たまたま早くに目を覚ましたエマはロビーに一番乗りした──と思っていたが、そこに鈴を転がすような声が掛けられる。

 

「おはようございます、エマ様」

 

 振り向けば、声に相応しい妙齢の美女の姿があった。染みひとつない純白のエプロンとホワイトブリムは、彼女の役割を端的に示している。

 

 シャロン・クルーガー。定期試験の終わりに第三学生寮の管理人としてやって来た、ラインフォルト現社長兼会長の秘書を務める女性だ。ついでにアリサの姓がラインフォルトであることも発覚したが、これについてはⅦ組の半数は察していたので特に驚きもせず受け入れられた。「隠し通せてたと思ってたのに……」とはしょぼくれた社長令嬢の談である。

 

 彼女の背後のキッチンに視線をやれば、綺麗に切り分けられた食材の数々が目に入った。

 

「朝食の準備ですか?」

「はい。今回は特に早い出発とお聞きしていますので、列車で召し上がっていただけるようなランチボックスを用意しようかと。あと少しで出来上がりますのでソファに座ってお待ちください」

「それなら私にもお手伝いさせてください。代わりに少し相談に乗って頂きたいんですが……」

「……かしこまりました。前任のエマ様の申し出とあれば喜んで」

「別に管理人だった訳ではないんですけど」

 

 苦笑するエマだが、実際シャロンが来るまで寮則の整備や雑務全般の管理をメインでしていたのは彼女である。何ならサラから寮の鍵だって預かっていた。

 

 エプロンを付けてキッチンに入り、シャロンの指示に従って野菜をカットする。料理慣れしているエマの手際もそれなりに良いが、隣のメイドは別格だった。複数の工程を平行しながらも動きは洗練されており、純白のエプロンには一切の汚れを許さない。

 

「おはよ……あれ、エマもいるの?」

 

 メインのサンドイッチをバスケットに収め終えたところで、アリサが降りてきた。眠気が残っているのか、目尻は緩み足取りもどこか覚束ない。

 

「おはようございますお嬢様。今朝は一段と早起きでございますね」

「一応士官候補生なの。このくらい当たり前でしょう」

「あら、昔のように私が起こして差し上げようと思っていましたのに残念です。毛布の中でぐずるお嬢様はそれはもう愛らしかったのですが……」

「い、一体いつの話をしてるのよ!! もう子供じゃないんだから!」

(起こされたくなかったから今日早起きだったんだ……)

 

「シャロンさん、こっち終わりましたよ」

「ありがとうございます。後は私がやりますから、お嬢様と一緒にお待ちください。紅茶のご用意をさせていただきます」

 

 シャロンと入れ替わるようにキッチンを出たエマは、憮然としたままソファに座るアリサの隣に腰を下ろした。

 

「とても優秀な方ですね。もう一週間になりますけど驚かされてばかりです」

「……まあね。私の知る限りミスしないどころか、仕事に不満を持った人なんていないんじゃないかしら」

 

 どこか投げやりな調子でアリサは従者をそう評する。赴任して一日で寮内の雑務を全て把握し、次の日にはその完璧な仕事ぶりを見せつけていた。そのクオリティには公爵家子息(ユーシス)が手放しに称賛を送ったほどである。

 紅茶を待つ間もアリサの視線はキッチンに注がれており、不機嫌そうだ。

 

「シャロンさんが苦手、とか?」

「そういうのじゃないんだけど……私、家から自立するつもりでトールズに入ったのよ。なのに身内が世話役になるってのも格好つかないっていうか」

 

 色々やってくれるのは助かるけどね、と小さくため息をつくアリサ。シャロンの赴任初日には随分と荒れていたことも含め、ファミリーネームを隠していたのはトラブル避けの為だけではないらしい。

 

 数分後ティーセットを手にやって来たシャロンを交えて、ラウラとフィーのことを相談する。数日前にリィンがフォローを入れてくれたようだが、やはり根本的な改善は難しく緊張した関係が続いたままだ。

 

 これまでの経緯を説明し終えると、彼女は整ったおとがいに手を添えて考え込む。

 

「……話を聞く限りでは、やはりラウラ様の意識が重要かと」

「まあそうよね。フィーはあまり気にした様子もないし、あっちが軟化しないことには始まらないか」

「でもラウラさんは自分に否があるのは認めているんですよね。その上で今の態度ですので、感情面で折り合いがついていないのでしょうけど」

「内からの改善が難しいのであれば、やはり外……環境の変化が鍵でございましょう」

「どういうこと?」

 

 私見に過ぎませんが、と前置きした上でシャロンは続けた。

 

「知り合って僅か一週間ですが、ラウラ様がアルゼイド流の後継者に相応しいお方であることは疑いようもありません。性格や在り方も含めて、才に驕らず理想に向けて真っすぐに努力を重ねてきた賜物でありましょう。……ですが、だからこそ足りないものもあるのかと」

「だからこそ、足りないもの……」

 

 ラインフォルトグループ会長の秘書として、海千山千の人物と接してきた故の慧眼だろうか。エマ達には見抜けないラウラの問題を、彼女は察したようだ。

 

「そういった意味では、此度の班構成は良い機会になるやもしれません。サラ様のことですから考慮の内と思いますが」

「ええー本当に? この前相談したけど丸投げされただけよ」

「そこはサラ様なりの教育方針なのでしょう。教官になったと聞いた時は驚きましたが、よくよく考えればあの方向きだと思いますわ」

「……シャロン、教官のこと知ってたの?」

「サラ様の生活態度からは想像しづらいやもしれませんが、あの方は史上最年少でA級となった遊撃士ですもの。ギルドの活動が縮小されるまでは名の知れた有名人でした」

 

 壁に掛けた時計が六時を告げ、上階から物音が聞こえ始める。ティーカップを下げて立ち上がったシャロンは、はたとアリサのある部分に目を留めた。

 

「お嬢様、制服の裾が少し解れています」

「ホントに……って、別に大したことないじゃない。時間無いしこのままで良いわ」

「いけませんお嬢様。会長からお世話を任された身としてそのような姿で外出を認める訳にはいきません。意中の殿方にだらしがないと思われてしまいますわ」

「い、意中って何よ!? 別にリィンはそんなのじゃ……」

「あら? 誰とは申し上げたつもりはなかったのですが」

「────」

 

 ここまで「やってしまった」という表現が似合う顔をエマは見たことが無い。パクパクと口を開閉させ、顔色が真っ赤と真っ青を行き来しているアリサと愉しそうに微笑むシャロンが対照的だ。

 

「ご安心くださいお嬢様。すぐにこのシャロンが手直しいたしましょう。その間に“色々と”お話を聞かせていただきますわ♪」

「だから全然違うの! エマ助けてー!!」

 

 優雅に、しかし有無を言わせぬ力強さで哀れな子羊は連行されていく。助けを求めて伸ばされた手に、エマは同情と哀悼を捧げて見送った。戻ってくる頃には真っ白な灰になっているだろう。

 

「でも実際仲は良いですよね」

 

 四月に和解してからはよく話しているし、試験前の雨の日には一緒に下校していたのを見かけている。エマから見ても二人の相性は悪くないように思えた。もし彼女がその気があるのなら、最初の一歩くらいは背中を押してあげたいと考えている。エリゼの手前、全面的なサポートとはいかないが。

 

(導き手ってこういうのも役目の範囲なのかな……おばあちゃんもドライケルス大帝周りで色々苦労があったみたいだけど)

 

「おはようエマ。なんかアリサの悲鳴が聞こえた気がしたんだけど、何があったんだ?」

「……相変わらず間が良いのか悪いのかわかりませんね、リィンさんは」

「へ?」

 

 こちらの気も知らないで吞気に降りてきたパートナーに、魔女はジト目をくれてやるのだった。

 

 

 今回の鉄路は帝都まで同じ列車の為、両班揃っての出発になる。未だピリピリとした空気のラウラとフィーを刺激しないよう、他のメンバーが話題を振って列車を待っていた。話の中心になったのは、エマが抱えるセリーヌである。

 

「前に町で見たことあったけど、エマの猫だったのね」

「はい。室内は嫌いなので放し飼いにしてるんです。ほらセリーヌ、皆さんに挨拶して」

 

 エマの腕から飛び降りたセリーヌがⅦ組に向けてみゃあと鳴くと、周囲から感嘆が漏れた。人間と変わらない知性を持つセリーヌには、人に受けがいい仕草を演じることもお手の物。本人のプライド的に受け入れがたいこともあるが、そこは理性で抑えている。

 

 セリーヌを実習に連れていく許可をサラに求めると、意外なほどあっさり下りた。実習先でもしっかりと面倒を見る等、当たり前の注意を受けたくらいである。顔見せは今朝が初めてだがB班には事前に話も通してあった。

 

 軽やかに跳躍したセリーヌはリィンの肩と背中に着地すると、小声で耳打ちする。

 

「(ノルドにある巨像、余裕があるなら見ておいて)」

「(ん、分かった。セリーヌもエマ達のことよろしく頼む)」

「(正直トラブル続きなアンタの方も放っておけないんだけど……ま、なんとかしなさいな)」

 

 リィンが頭を撫でてやると、セリーヌは身動ぎしつつも目を細めて受け入れる。四年間で培われた力加減は彼女にとって最適だ。

 

「リィンもその子と仲良さそうだね」

「エマと一緒に知り合ったから四年の付き合いだからな。新鮮な魚が好きだから、もし向こうで手に入る機会があればあげてやってくれ」

 

 エリオットとそんな話をしていると、セリーヌはエマの腕の中に戻っていく。そこへフィーがとトコトコと歩み寄ってきた。

 

「ねえ委員長、撫でてみてもいい?」

「いいですよ。はいどうぞ」

 

 小さな手が黒猫の頭に乗る。初めはぎこちなかった手つきは、次第に滑らかなものになっていく。感触は悪くないらしく、セリーヌはされるがままだ。

 

「……ふふ」

 

 年相応の可愛らしい笑みに、その場の全員が目を奪われた。ラウラはそこに驚きも含まれていて、琥珀色の瞳が大きく開かれる。

 

「サンクス委員長。帰ってきたらまた撫でてみてもいい?」

「勿論。この子結構気ままなので、中々捕まらないかもしれませんけど」

「構わない。追いかけっこには自信がある」

 

 列車の到着を告げるアナウンスがホームに響く。

 

 最後にセリーヌへ温かい、どこか懐かしむような視線を送ると、ご機嫌なフィーはいの一番に改札をくぐった。

 

 

 帝都でA班と別れて、B班は都内の空港からオルディス行きの飛行船に乗った。鉄道なら移動だけで一日目の大半が潰れてしまうが、空路であれば昼過ぎには現地に到着できる。

 

 空の旅に心躍らせながら、一同はブレード(技術棟でクロウに布教された)や適当な世間話で道中の時間を潰していた。ラウラの表情が少し硬いものの意気込みに変化はない。過去二回ともユーシスとマキアスのせいで胃を痛め続けたエマは険悪な雰囲気のない旅路ってこんなに素敵なんだなあと心の中で感動の涙を流している。

 

「さて、到着前にブリオニア島のおさらいをするとしよう」

 

 目的地まであと二駅となったところで、マキアスが鞄から一冊のノートを取り出した。開けば独自に調べたであろう情報がビッシリと、それでいて読みやすいように並んでいる。彼の几帳面さと真面目さがこれ以上ないほど表れていた。

 

 ノートを軽く読み返しながらマキアスは語る。

 四大名門の一角にして帝国最大の貴族カイエン公爵家が治める海都オルディス。その名の通り海に面した都市の周辺には小島が点在しており、その中で最大級の面積を誇るのがブリオニア島である。特徴とされているのは島に残る古い遺跡群で、研究によればその歴史は七耀歴成立以前にまで遡る。帝国政府からも重要文化財に指定されており、その筋の人間には有名なスポットだ。魔獣が大人しくなる時期には一般人の観光も解禁される。

 

 特に夏至祭の日には島でも盛大な祭が執り行われる。丁度実習の最終日と重なっているのも、何らかの関連があるとマキアスは確信していた。

 

「あれ? でも夏至祭って来月じゃ……」

「違うぞエリオット。帝都が一月遅れなだけで、本来は六月の祭事だ」

「あ……そうか」

「まあ無理もない。僕も下調べの時にようやく思い出したくらいだからな」

 

 マキアスは苦笑する。獅子戦役の終戦月に因んで、帝都では一月遅れの七月に夏至祭が執り行われる。通りには屋台が立ち並び、ただでさえ活気に溢れる帝都が一段と喧騒に包まれる。生まれも育ちも帝都な男子二人にとって、夏至祭は真夏に開かれる年に一度の盛大な“お祭り”なのだ。

 

 対して地方出身の女子組にとっては、夏至祭はまた違った意味合いを持っている。

 

「私の故郷では領民総出で豊作と死者の鎮魂を祈るものだな。今頃は町中の飾り付けに勤しんでいるだろう」

「私のところはお祭りというより儀式ですね。里の皆で作った祭壇を囲んで、一年の無事を祈願します」

 

 因みに魔女にとっても夏至祭は縁が深い。七耀教会の教えが広がったことで廃れて久しいが、エリンでは未だ精霊は信仰の対象である。魔の森の一角に祠を建て、一族を挙げて儀式を行うのだ。

 同時に、一年で最も忙しい時期でもある。夏至祭で捧げられる多くの祈りは、時として人ならざる怪異を呼び込んでしまうのだ。それらを抑える為に里中の魔女が駆り出され、巡回魔女であるエマはその実働の中核を担ったのである。

 

「(去年は酷かったわね……)」 

 

 同じように思いを馳せていた膝上のセリーヌが遠い目をしていた。リィン、セリーヌと共に三日間ほぼ休みなしで怪異を千切って祓って斬り捨ててのデスマーチは冗談抜きで死ぬかと思った。

 

「催し一つでも地域で全然違うものだな……」

「それは無理もないかと。私達の国は千二百年もの間、封建制で成り立ってきました。現代のように交通網や通信が発達するまでは、州が違えば別の国と言っても過言ではなかったと思いますよ」

 

 帝国の頂点に座する皇帝と、それを支える四大名門という柱。その更に下に幾層にも重なる主従関係。今でこそ革新派による中央集権化と平民の台頭が進んでいるが、ひと昔前までは土地を治める領主の貴族こそが王であったと言っても過言ではない。近代までは一部の例外を除いて領地の外に出ることなど認められず、生まれた土地で死ぬまで過ごすことが当たり前だったという。そんな状況下で各地方では独自の文化が形成されてゆき、今日まで受け継がれてきたのだ。

 

「A班のノルドもそうだが、今回の実習は帝国の歴史や文化に触れさせようとする意図があるのかもしれないな」

「そう言われるとレポート纏めるの大変だなあ」

「まあそこは主席と次席殿がいるのだ。頼りにさせてもらうとしよう」

 

「歴史と言えば、ブリオニア島って昔からある巨人像が有名じゃなかった?」

「ん゛ん゛っ!!!??」

「にゃあ!!?」

「い、委員長どうしたの!? 今すっごい声出たよ!」

「な、何でもないですよアハハ」

 

 不意打ちに膝上のセリーヌを落としそうになったが、どうにか堪えて取り繕う。隣に座るラウラは

 

「私も聞いたことがあるな。確か百アージュ近いのだろう?」

「ああ。島の裏手にあって、観光名所の一つだ。当時の建築技術からしてもありえないとされて、出自に関しては色々と憶測が語られているらしい」

「お、憶測とはどんなものなのでしょう……?」

「それほど詳しくはないが、女神が遣わした守り神だとか、旧ゼムリア文明のゴーレムだとかの眉唾物が殆どだったな」

「そう、ですか」

 

 ごく一般的な説にエマは胸を撫で下ろす。前者は当たらずとも遠からずだが、それらの話を真に受けているのは信心深い人か七耀教会に席を置いている者くらいだろう。真実を知るとなれば、その更に一部──教会の上層部と『回収屋』か。

 

「おさらいとしてはこんなところだが、エマ君から何か補足はあるか?」

「補足ですか……」

 

 マキアスの話した内容は予習としては十分で、エマの知識とも相違はない。とはいえ期待の眼差しを向けられて何も返せないのも悪い気がする。

 少し考えて、エマの脳裏に話題がひとつ思い浮かんだ。

 

「実習に関係はありませんが……折角なので、あの地域に伝わる伝承でもひとつご紹介しましょうか」

「伝承?」

「はい」

 

 ぴんと指を立てて、教師のようにエマは言った。

 

人魚(セイレーン)──船乗りに二つの顔を見せる、とある精霊のお話です」

 

 

 午前十一時。オルディスに到着した一行は飛行船を降りて空港の入口に向かう。事前の連絡では、そこに島までの案内人が待っているとのことだ。

 

 外に出たエマ達を迎えたのは、正に海の都。

 

 生ぬるい風は潮の香りを運んできて、視界に広がる建物の屋根はまるで海原で染め上げたような碧色だ。遠くに見える海には漁船と思しき船が行き来してる。

 

「うわあ……あれが海……」

「バリアハートでも思ったが、こうも景観が統一されていると圧巻だな」

「カイエン候のお膝元だ。このくらい出来ても不思議ではあるまい」

 

 各々感想を述べていると、近くから人影が二つ近づいてくる。身形の良い老夫婦で、豪奢ではないが上質な衣服を着ていた。

 

「失礼、君達がトールズ士官学院のⅦ組でいいのかな?」

「は、はい。実習活動でこちらに参りました。……今回私達を案内していただける方でしょうか?」

「うむ。セオドア・イーグレットと言う者だ。一応伯爵の位を戴いているが、既に隠居した身なので気にしないでくれたまえ。こちらは家内になる」

「シュザンヌです。皆さん初めまして」

 

 老夫婦改め、イーグレット伯夫妻は朗らかな笑顔で自己紹介をする。エマ達が慌てて挨拶を返すと、イーグレット伯は少し離れた場所に停めてある導力車へ手を伸ばした。

 

「この時間では昼食もまだだろう。まずは私達の屋敷に招待させてもらおうか」

 

 

 

「では、今回の実習は閣下からの依頼ではないのですか?」

 

 屋敷で昼食をご馳走になった後、B班は改めて実習についての話を聞く。受け答えは班で唯一の貴族であるラウラが自然と受け持つようになった。

 

「うむ。私はあくまで本来の依頼者への橋渡しと顔貸しに過ぎない。実習内容については聞かされておらんのだ」

「(……どういうこと?)」

「(名目上の責任者ということかと。ラウラさんに聞きましたが、イーグレット伯爵は先代カイエン公の相談役を務められていたそうで。貴族派としての体裁があるのだと思います)」

 

「ならば私達を島へ案内していただくのは……」

「儂の友人だ。そろそろのはずじゃが……お、来おったの」

 

 来客を告げるメイドにイーグレット伯が許可を出すと、新たな人物が室内に入って来た。

 

「済みませんセオドア殿。わざわざ彼らの出迎えまで頼んでしまって」

「全くじゃ。お前さんの夏至祭の入れ込みようは知っているが、若人を待たせるものではない。大体もうそろそろ六十だろうに少しは落ち着かんか」

「今でも趣味を増やし続けてるあなたには言われたくありませんね」 

 

 六十歳近いようだが、百八十リジュ近い身体は年齢を感じさせない活力に溢れている。彫りの深い顔立ちはよく日に焼けた肌の陰影を濃く映し、若い頃は女性を惹きつけて止まなかったであろうことが窺える。

 

 肩を竦めたその男性はエマ達に向き直ると、快活に笑ってこう言った。

 

「ブリオニア島で実習の監督役を務めさせてもらうトーラ・アンセムスだ。士官学院の諸君、三日間どうかよろしくお願いするよ」




4話もかけてしまいましたが、次回からようやくブリオニア島編スタートです。


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巡礼の路

お持たせして大変申し訳ございません。前回の更新から多忙でしばらく書くことから離れていたのですが、年明けから再開してみれば勝手が分からず難産でしたね……いつもより変な文面になっていると思いますがどうか寛大な目で見ていただければ。

オリジナル回だけあって、今回特に捏造設定が多めです。


*

 

 自己紹介もそこそこに、エマ達は島へ向かうことになった。港に停めてあった導力ボートに乗り込み発進する。

 

 晴れ渡る青空の下、飛沫を噴き上げながら白船は海を進んでいく。後方に残る飛沫の跡は碧いキャンパスに引かれた白線のようで、遮るもののない海原に吹く風が火照った身体を冷ましていく。陸地では決して味わえない、海の旅の醍醐味がそこにはあった。

 

 ただ、その心地よさを全員が共有できるかと言えばそうではなく。

 

「う……」

「大丈夫ですかマキアスさん? エチケット袋を持ってきているので無理はしないでくださいね」

 

 顔色を悪くした副委員長は、背中を丸めて口元を押さえていた。典型的な船酔いで、空は平気でも海は駄目だったらしい。足下が常に揺れている感覚に慣れないようで、現在エリオットとエマが必死になって介護中である。

 

 運転席でハンドルを握る監督役のトーラは、背後の様子を見て豪快に笑った。

 

「ははは、あと少しだから頑張りたまえ少年。女子の前で無様は見せたくないだろう?」

「ぐ……分かりました。なんとか耐え、うぐぅ!!」

「待って待って僕にもたれかからないで顔こっちに向けないでよ!!」

「……もういっそ出すものを出してしまった方が楽になるのではないか?」

「今それやったら被害受けるの僕なんだけど!?」

「(ちょっと、その位置はアタシにもかかるじゃない!?)」

 

 セリーヌ含めぎゃあぎゃあと騒ぎながらも、最終的にはエマの持つ酔い止めを飲んだことで最後の一線を越えることなく落ち着けることに成功した。介抱を(マキアスの男として最後のプライドを汲んだ)エリオットに任せ、女子陣はトーラの話を聞いている。

 

「身分や出身の区別なく集められたクラスと聞いたが、仲がいいじゃないか。私の時には考えられなかった試みだな」

「アンセルム子爵閣下もトールズに通われていたのですか?」

「一応はね。あと仰々しい呼称はやめてくれ。十年前に家督を息子に譲って好き放題している身だ」

「父から聞いたこともありますが、悠々自適に過ごされているようですね」

「君の父君……ヴィクター殿とは彼が当主になる前からの付き合いがあってね。最近は交友が無かったが……どれ、久しぶりにご息女の活躍を添えて文をしたためてみるとしようかな?」

「そ、それは……いえ、寧ろ望むところです!!」

 

 気合を見せるラウラにトーラはまた笑う。先月と同じ四大名門のお膝元ということで若干警戒していたが、この男性にはバリアハートの貴族が見せた無自覚な隔意が感じられない。

 

 出発から三十分もしない内に、目的地は見えてきた。

 

 雑誌では観光地として紹介されていたが、実像はイメージと異なって見えた。岩礁に囲まれた地形と、岩肌が剥き出しになった背の高い山。例の巨像はあの裏手にあるのだろう。

 

 桟橋からすぐの場所には十数人規模で泊まれそうなコテージが建っていたが、ボートを降りた一行が通されたのはその横に併設された管理小屋だった。小屋と言っても物置のようなものではなく、一般向け宿屋の大部屋に近い。生活できるだけの設備は用意されていた。

 

「実習ではここを拠点にしてもらう。私は隣のコテージに詰めているのでなにかあれば言うように。で、これが君達への課題だ」

「……拝見します」

 

 お馴染みとなった校章入りの封筒をエマが受け取り、中の書類を検める。

 

 

 特別実習一日目。内容は以下の通り

 

 課題:『巡礼路』の整備

 監督役の指定したルートへ導力灯の設置、及び近辺の魔獣退治を行い安全を確保すること。

 

 

 必須の依頼が1件だけ。これまでよりも少ないのは開始時刻が昼からだろうか。

 

「この巡礼路というのは何なのでしょうか?」

「この島には山頂に祭壇があってね。夏至祭には教会の司祭様やオルディスの有力者が集まって式典を開くのが習わしなんだが、巡礼路というのはその祭壇までの山道のことを言うんだ。ルートは同封している地図で確認するように」

 

 続いてトーラが小屋の一角を指差す。そちらに目を向けると、壁際に一抱えほどの段ボール箱が多段積みされていた。

 

「あれが設置してもらう導力灯だ。少し特殊なタイプで、十台ある」

「じゅ……!?」

 

 予想を超える数にエリオットの顔が引き攣る。以前の課題で交換した導力灯が決して軽くは無かったことを思い出したからだ。

 

 その他一通りの説明を聞き終えると、ラウラが手を挙げて質問する。

 

「何故、今回夏至祭の準備を我らで行うのでしょうか? 貴族が主催する祭事であれば、その警護と安全確保は領邦軍の仕事の筈では?」

 

 彼女の指摘は尤もである。この手の祭事は貴族にとって重要な責務の一つであり、自家の権威を示したり民衆の不満を解消させる意味でも失敗は許されないものだ。その安全が脅かされる危険があるのなら、取り除くのは当然貴族の私兵たる領邦軍の役目である。それを士官候補とはいえ学生四人に任せるというのは腑に落ちない。

 

「ラウラ嬢の言う通りだ。毎年ラマール州の領邦軍の方から準備に人手を割いて貰ってたんだが……今年は色々(・・)とあって当日の警備だけしかやってくれないようでね。どうしたものかと途方に暮れていたところ、常任理事(ルーファス卿)から提案があったのさ」

「あの人が……」

「それに当日はかのオーレリア・ルグィン伯が来てくれる。彼女がいれば万一の危険もないだろう」

「確かにあの方がいれば島の魔獣も近づきはしないでしょうね……」

 

 乾いた笑みで納得する妹弟子であった。

 

「それでは荷物を置いたら始めてもらおうか。ひとまず十八時になったらここに戻ってくるように」

 

 時刻は午後二時。夏の日差しの下で、三回目の特別実習は始まった。

 

 

「さっきの話、どう思う?」

「さっきの?」

「領邦軍がいない件だ」

 

 監督役が去った後、小屋の中で山登りの準備を始めたエマ達。荷物の整理をしている最中、マキアスは唐突に口にした。

 

「毎年の仕事すら放り出して、その理由を責任者にも明かさない。僕は正直悪い予感しかしないな」

「それは……否定できないかも」

 

 冤罪で投獄されたマキアスは当然として、四月のケルディックで領邦軍が窃盗を手引きしていたのを目の当たりにしたエリオットも、何らかのトラブルに巻き込まれるのではないかという懸念から表情を曇らせる。

 

「其方らの懸念も無理はないが、今回は恐らく心配ないと思う」

 

 否定したのは得物のチェックを終えたラウラだった。

 

「オーレリア将軍が総指揮を務めるラマール州の領邦軍は精鋭揃いで有名だ。全員が高潔とは限らないが、少なくともあの人の目の届く範囲の兵は非道な行いはしないであろう」

「オーレリアって、さっきトーラさんが言ってた人だよね? ラウラの知り合いなの?」

「私の姉弟子の一人だ。≪黄金の羅刹≫の二つ名の方が有名かもしれぬな」

「アルゼイド流とヴァンダール流。帝国の二大剣術の皆伝を収められた方ですね」

「聞いてるだけでとんでもないな……」

「どちらにせよ今は気にしても仕方ないことだ。任された以上は我らで果たすしかあるまい」

 

 各々準備を終えるが、ここで問題になるのは設置する導力灯だ。魔獣との戦闘が考慮される中で、十台纏めて持って歩くのは現実的ではない。話し合った結果、まずは人数と同じ四台を持って山道の様子を確認することに決定した。

 

「それじゃあ、私達は行ってくるわ。留守番よろしくね」

「にゃあ」

 

 流石に実習にまで飼い猫を連れてはいけないので、セリーヌは小屋の中で大人しくしてもらうことになる。無論三人の目を欺くためのフェイクであり、彼女は彼女で一足早くこのブリオニア島を調べるつもりのようだ。

 

 管理小屋を出て、海を右手に山道に入る。普段人の行き来が無いためか、巡礼路は整備出来ているとは言い難い険しい坂道だ。手にした導力灯の重さを常以上に感じながら、一行は最初の設置ポイントに到着した。周囲の警戒をラウラとエリオットに任せ、まずは委員長(エマ)副委員長(マキアス)でやってみることになった。

 

 手のしていた導力灯──高さ五十リジュほどの筒型のオーブメントを地面に置いて土台を固定した後、内部の伸縮棒を伸ばして高さを百二十リジュくらいにまで引き上げる。最後にクオーツを嵌め込んでスイッチを入れれば完了だ。箱型の台座に収められた光が、まるで本当に火を焚いているかのように揺らめいている。

 

「説明書きから特注品なのは分かっていたが、燭台みたいだな」

「似せて造られているのでしょう。これなら火種を準備する手間も、倒れて火事に発展する心配もありませんから」

「正直道すがらの導力灯に凝るくらいなら別の部分にミラと手間を回すべきと思うんだが……」

「まあまあ。きっとこれも重要なことなんですよ」

 

 一度経験してしまえば然程難しい作業ではなく、アッサリと二台目の設置を終えた二人は順路の外に目を凝らすラウラとエリオットに声を掛ける。

 

「終わったのか?」

 

 大剣を構え、周囲を油断なく睥睨していたラウラがそのまま二人の方を向く。重く、威圧感のある眼差しにマキアスが一歩後退った。エマも一瞬気圧されるが、すぐに立ち直って口を開く。

 

「ええ、設置はそれほど難しくはありません」

「ならば次に向かうとしよう」

「あ……」

 

 言うや否や、ラウラは早足で山道を進んでいく。遠くなっていく背中には、表情を見なくとも分かるほど張り詰めた雰囲気が滲んでいた。

 

「ふう……」

「大丈夫か?」

「いや、魔獣はいなかったんだけど……なんか、息が詰まっちゃって」

「まああの様子では無理もないか。行き道でも口数が少なかったが、どうしたんだろうな」

「……あ、もしかしてあれかな?」

「心当たりがあるんですか?」

「うん。帝都で降りる時、フィーがラウラに何か言ってたみたいなんだ。内容までは聞こえなかったし変な様子も無かったから気にしてなかったけど」

「それは……大丈夫なのか?」

「とにかく様子を見ましょう。ラウラさんですから滅多なことはないと思います」

 

 みるみる内に遠くなっていく背中を、三人は小走りで追っていく。

 

 

 その不安は、程無くして現実のものとなった。

 

 

「──ハアッ!!」

 

 下段から上段へ、掬い上げるように振るわれる大剣が敵を吹き飛ばす。即座にステップを踏んで横から割り込んできた魔獣の突進を回避。カウンターで斬り伏せた。重い大剣に振り回されない身体捌きと果敢に攻め立てる勇猛さは、かつての獅子戦役で常に先陣を切ってきたアルゼイドの剣士に相応しい。

 

「待ってくださいラウラさん! 離れ過ぎです!」

 

 その遠い背中へエマは必死に呼びかけていた。

 

 巡礼路を歩いてしばらくの後、エマ達は道中を塞ぐ魔獣の群れと遭遇した。すぐに臨戦態勢を整えるが、戦術リンクを繋ぐや否やラウラが一人飛び出したのである。呆気に取られる中いち早く復帰したエマはこれを追いかけるも、足の速さでは追いつけない。エマが近づく頃には、ラウラは一人で群れのボス──巨大な猿のような魔獣を追い詰めていた。

 

「洸刃ッ、乱舞!!」

 

 光剣が槌の如き腕を斬り落とし、返す刀で胴体を袈裟掛けに一閃。血飛沫と悲鳴を上げながら巨体が傾く。止めを刺すべく踏み込むが、最後の足掻きで振り回されたもう片方の腕がラウラの肩を打ち据えた。痛みに顔を歪めるも、強引に前へ踏み出して大剣を突き出す。心臓に差し込まれた刃は今度こそボスを絶命させた。

 

「はっ、はっ、は……残りもこのまま……」

「ラウラさん!」

 

 ふらつきながら立ち上がろうとするラウラの、大きく上下する肩を掴む。消耗も怪我も度外視した前のめりな姿勢は暴走状態と言ってよく、とても放置できるものではない。

 

「問題ない」

「そんな訳ないでしょう!? さっき肩に一発貰っている筈です。先に手当しますからひとまず座って──」

「問題ないと言っている!!」

 

 乱暴に手を振りほどかれて睨まれるが、エマも退かない。青と琥珀の視線が正面からぶつかり合い火花を散らす。

 

 

 その頭上を、影が覆った。

 

 エマは咄嗟にその場を跳び退いたが、反応が遅れたラウラの身体が押し倒される。彼女を襲ったのは崖上から飛び掛かってきた狼型の魔獣だった。更に数体、同じ魔獣が続けて降り立つ。群れ単位での襲撃。漁夫の利を狙う狡猾さまで併せ持つ厄介な相手だ。

 

「うわああああ!」

 

 聞こえた悲鳴にエマの背筋が凍りつく。視線の先では別の個体がエリオットとマキアスに向かっていた。ラウラを追ったエマと二人の間には距離ができており、魔獣達に分断された形になる。言うまでもなく後衛の彼らには危機的な状況だ。授業で得物を無くした時のことを想定した格闘術の手解きは受けているが、複数の敵相手に対応出来るほどではない。

 

 エマは魔導杖を振るい、ラウラを組み伏せていた魔獣に導力弾を叩きこむ。横合いからの攻撃に怯んだ隙を逃さず、ラウラは魔獣の腹に蹴りを放って押し退けた。最低限の援護に上手く呼応してくれたことに感謝しつつ、後方──マキアスとエリオットの方へ駆け出す。狼の群れは二人を囲んでおり、今まさに牙を突き立てようとしていた。

 

 敵と味方が重なった状況ではアーツを誤射する危険がある。

 

(まだ十分に試せていないけど、やるしかない……!)

 

 走りながら≪エアストライク≫を駆動させたエマは、同時に(・・・)魔術詠唱を開始する。戦術オーブメントの駆動式に魔力が干渉し、本来のアーツとは異なる形に変化させる。

 アーツも魔術も、根本的には同じ霊力を扱う技術。ならば双方を組み合わせ、より状況に即した術へと昇華させることも不可能ではないとエマは考えた。導力について学びつつ、試行錯誤を繰り返すこと三ヶ月。辿り着いたのは、魔術によるアーツの術式改変──優れた魔術使いとしての技量と明晰な頭脳を併せ持つエマだからこそ成せる、新しい技術だった。

 

「≪ゲイルカノン≫」

 

 仕組みはジェット風船と同じだ。魔力で作った膜に風を注ぎ込み、膨張させたところで小さな穴を開ける。膜の中で渦巻く空気が穴から噴射され、一気に突き進む。

 

「二人とも、耳を塞いで!」

 

 叫ぶと同時に空気ミサイルが三つ発射され、着弾と同時に破裂した。ベースにしたのが下級アーツの為に威力は然程ないが、風船のように破裂した際の音は凄まじい。大音に怯えた狼の群れは蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。

 

「一旦退きます! ラウラさんもこちらに!」

 

 一時的に退けたが、囲まれていることに変わりはない。立て直しの為に、合流したエマ達は魔獣のいない方向へ走り出した。

 

 

 

 追ってくる魔獣を振り切り、山道から外れた茂みの中で四人は息を整えていた。

 

「少し戦術を見直そう」

 

 眼鏡のズレを直したマキアスが、班員を見渡してそんな提案をする。

 

「ラウラ君はあまり前に出ず、僕達の護衛に徹してほしい。攻撃はエマ君のアーツを主軸にしていくべきだと思う」

「先に受けたダメージなら気を遣わなくても良い。回復アーツもかけてもらった」

「それも心配だが、正直今の君は少し危険だぞ。さっきのように飛び出してもらっては支援もロクにできないし困るんだが」

「そなたらが追いつけばいいだけの話ではないのか」

「君なあ……」

 

 いつになく剣呑な眼差しと乱暴な物言いに、マキアスが苛立ちを露わにする。ピリピリとした空気が二人の間に満ちるのを察知したエマが宥めようと立ち上がり、

 

「僕からもお願いするよ、ラウラ」

 

 それより早く、エリオットが間に入った。

 

「情けない話だけど、僕やマキアスじゃ敵に近寄られたらどうしようもないんだ。出来るだけ支援はするから、僕たちを守って欲しい……君に頼り切りになっちゃうのは、申し訳ないけどさ」

「エリオット……」

「それに今のラウラはやっぱり冷静じゃないと思う。せめて今日だけでもマキアスの言う事を聞いてくれないかな?」

「…………分かった、それでいこう。マキアスも済まない。少し冷静ではなかった」

「ああいや、僕の方こそ言い方が良くなかったよ」

 

 遂に頭まで下げたエリオットを前に、流石にバツの悪い顔をしたラウラが頷いた。元よりマキアスの提案が理に適っているのは認めるところ。意固地になっていたのを自覚してしまえば、自分の非を素直に認められるのが彼女の美徳である。

 

 逃げている内に分からなくなってしまった現在位置を確認する為にマキアスが地図を広げ、対面からラウラが覗く。そちらに歩み寄りながら、エマは隣のエリオットに感謝を述べる。自身に非がなくとも周りの為に頭を下げる行いは、中々出来ることではないからだ。

 

 対して、エリオットは力なく笑って言った。

 

「いいよ。事実だしね」

 

 

*

 

 日の光が茜色に変わりつつある頃、B班は山の中腹に差し掛かっていた。道中襲い来る魔獣相手には、マキアスの提案した戦術が功を奏していた。ラウラとマキアスで敵を牽制し、エリオットの援護を受けたエマのアーツで葬り去る。シンプルだが役割が明確な分連携が上手くいき、順調に進むことが出来た。

 

「ここは……?」

 

 四人は小さな広場に出た。恐らくは休憩として用意されたであろうベンチが置かれており、柵で囲われた崖の先からは、美しい海と砂浜を一望することができる。山道に疲れた一行も、自然と足を止めることになった。

 都会っ子二人がベンチに腰を下ろし、深々と息を吐く。

 

「「疲れた……」」

「そなたら、少し情けないのではないか」

「頼むから君と一緒にしないでくれ……」

「でも、そういうマキアスさんも体力ついてきたじゃないですか。最近は筋肉痛も大分少なくなりましたよね」

「最近慣れてきた自分が少し恐ろしくなってくるよ」

 

 卒業後に軍属となる生徒は全体の四割程度だが、それでもトールズは歴とした士官学院である。カリキュラムには当然武術教練も含まれており、特に基礎体力に関しては徹底的に鍛え上げられる。入学までスポーツや武術と縁の無かった生徒は、まず最初の二、三ヶ月は筋肉痛に苛まれるのが毎年の恒例行事であった。生徒は自ずと身体のケアに関しては詳しくなり、マキアスの場合は湿布や軟膏を部屋に常備するようになっていた。

 

 自分のふくらはぎを揉んでいたエリオットが、何かを思い出したように顔を上げる。

 

「ラウラは分かるけど、委員長も結構健脚だよね。思い返せば介抱してもらった記憶しかないような」

「実際大したものだ。アルゼイド(ウチ)の道場の修練にもついていけるだろう」

「あはは……一応、入学前から体力作りはしていましたから」

 

 転移魔術を習得できない内は、各地を徒歩で巡ることになる巡回魔女にとって人並み以上の体力は必須条件である。偶にリィンの山籠もり修業に混ぜてもらっており、女性らしい外見とは裏腹にエマのスタミナは相当なものがあった。

 

 広場の中央には、岩礁に腰かけて海の方角を向く人間の像が鎮座してた。ワンピースのような衣装を身に纏った若い女性。像に近づいてみれば足下には名前が刻まれている。

 

「碧のオンディーヌ……エマ君が飛行船で話してくれたのはこれか」

「はい。海の大精霊の娘とされていて、船乗り達の守護者としてこの辺りではよく信仰されているみたいです。船首に女性の像を置く時は大抵この方なんだとか」

「言われてみればオルディスの港でも見た気がするね」

 

 メモに書き込んでいたマキアスが、ふと像を見上げる。

 

「そもそもの話、精霊とは何だろうな。教会の教えが広がる以前に信仰されていたとは言うが、詳細が書かれた本はあまり見たことがない」

「む……言われると私も上手い説明はできないが」

 

 三人の視線は自然とエマに集中する。

 

「そんな風に見られても大したことは言えませんよ?」

「構わぬ。さっき話してくれたことも含めて、其方の意見を聞いてみたいのだ」

「……まあ、学術的な観点から成り立ちを推測するくらいでしたら」

 

 何やら歩く辞書のように見られている気もするが、そこは頼られれば断れない系才女。あくまで一説に過ぎないと前置きしてから口を開いた。

 

「オンディーヌは海の大精霊の娘であるように、精霊は大自然の化身や象徴として祀られるケースは多いのですが……その成立の根底には未知への恐怖があるとされています」

「恐怖?」

「自然災害が起こるプロセスや、かつて未開であった場所。当時の学問や技術では解明出来なかった現象は、そこに住んでいた人に強い不安を齎していたでしょう。……理解のできないものは恐ろしい。だから当時の人は、それらに名前や姿(アバター)を与えて自分達に理解できるようにしたんです」

 

 地震が起きるのは大地の精霊の怒りを買ったせいだ。あのおかしな場所には化け物が住んでいるから決して入るな。

 説明の出来ない事象に架空の存在を当て嵌めて、その存在のせいだ、或いはお陰だと理由付けをすることで納得する。文明が失われた暗黒期以降の古代人にとって、それは現代の物理法則と同じ常識となって根付き、やがて拠り所となった。

 

「精霊が本当に実在したのかは私達には分かりません。ですが多くの人から恐れられ、形を与えられ、語り継がれることで『在る』と信じられたものには力が宿ると言われています」

 

 実際のところ、魔女達にも正確な究明は叶っていない。元より存在していたから語られるようになったのか、架空の存在が語られることで現実のものとなったのか。卵が先か鶏が先かという話だ。

 だが精霊に限らず、同一の指向性を帯びた人の想念がこの世ならざるモノを生み出すのは事実である。

 

 精霊、幻獣、悪魔、──そして怪異。魔女にとっての隣人であり宿敵。

 

 

「そうなるとこのオンディーヌは……嵐や高潮のような、航海を妨げる要因への恐れから生まれたのかもしれないな」

「航海の無事を祈る対象となったということか」

「あくまでこの理論に当て嵌めるなら、ですけどね。後はこのオンディーヌ、ひとつ興味深い話があるんです」

 

 エマはオンディーヌ像の下半身に触れて続ける。

 

「このワンピース、随分と丈が長いと思いませんか? この座高なら大体足の倍以上はあるはずです」

「確かにこれは……後ろで誰かに持ってもらわねばまともに歩けそうにないな」

「これはどのオンディーヌ像にも共通してることなんですが……その理由として、彼女は自らの下半身を隠しているのではないかという説が有力なんです」

「……もしかして、正体は人魚ってこと?」

「少なくともモデルになった可能性は高いでしょう。そしてこの人魚は、実は船乗りを脅かす怪異としても語られているのが……────」

 

 解説を続けようとしたエマが、何とはなしに視線を海に向けた時、

 

「──え?」

 

 視界に入ったものに、強烈な既視感と違和感があった。

 

 若い女性だった。

 

 こちらに背中を見せており、崖の先に広がる海面から上半身だけを出している。陽光を弾く、長く鮮やかなブロンドヘアーが特徴的だった。

 

 エマが違和感を覚えたのはその距離。女性は浜からおよそ三十アージュは離れていて、浮き輪でもしなければ沈んでいる筈である。

 

「どうしたのだ?」

「ラウラさん、あそこに……」

 

 隣からの呼びかけに、一瞬だけ横に動かしていた視線を沖に戻す。

 

 しかしそこにいたはずの女性の姿は、まるで幻のように消えてしまった。

 

 




碧のオンディーヌは、一応名前だけ原作でも登場します。(オルディス商業区中央にある女性像がそうです)

精霊信仰というメッチャ面白そうなのに最後まで掘り下げが無かった設定を独自解釈で広げていくつもりです。


また今回のラウラは先月のマキアスポジです。


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海の焔

 

 何度か巡礼路を往復して全ての導力灯を設置し終え、時間ぎりぎりになりながらも下山したエマ達。管理小屋で各々休憩していると、監督役のトーラから夕食に招かれた。

 

 訪れたコテージの一室で彼女達を迎えたのは、テーブルに並べられた料理の数々。恐らくオルディス近海の魚介類がふんだんに使われたであろうそれらは彩り鮮やかで、香ばしい匂いが空きっ腹に刺さる。これには腹の虫も蝉さながらの大合唱であった。

 

「これを全部トーラさんが?」

「趣味の一つなんだよ。屋敷では使用人が中々作らせてくれないから、こういう機会でもないと腕を振るえなくてね」

 

 朗らかに笑うトーラに促され席につき、そのまま食事が始まる。料理はどれも期待を裏切らない一品で、皆存分に舌鼓を打った。

 

「今日はお疲れ様。山道を何度も往復するのは疲れただろう」

「正直足が辛いです……毎年こんな準備をしてるんですか?」

「面倒だがね。ただ貴族社会ではこういった行事は決して疎かにはできないのさ。ラウラ嬢も分かるだろう?」

「まあ、色々と手間のかかることもありますが」

 

 唐突に話を振られたラウラが微妙な顔をする。心情的には大いに共感できるが、そこまでぶっちゃけてしまうのも少々はばかられるのであった。

 

「明日はオルディスから司祭様や職人が来て、山頂の式典場を整えてもらう手筈になっている。君達にはその護衛をしてもらうからよろしく頼んだよ」

「式典とは具体的に何をするんですか?」

「よくある……と言ってしまうとなんだが、様式としては教会と地域所縁の儀式の合いの子でね。カイエン公当主が代表して女神に感謝を捧げ、繁栄を祈るといったものだ。特徴的なのは、山頂までの道中は松明を掲げて歩く点かな」

「松明を?」

「あくまで当時はね。君達が今日設置した燭台型の導力灯があっただろう。あれがその名残なのさ」

 

 トーラが語る。巡礼路に十の篝火を焚き、その炎で松明に火を灯しながら山を登るのだと。そうして得られた十本の松明は、山頂の儀式場に捧げられると言う。現在では安全面を考慮して、見た目だけそれらしく似せた導力灯を用いているそうだ。

 

「どうしてそんなことを……」

「フフ。どうしてだと思う?」

 

 意地の悪い笑みで問いを投げられ、考えるも答えは出ない。出身でもない地域の文化、それも祭事の由来など専門に研究でもしていない限り推測は難しいのが当然だ。

 

 ただ一人、出身ではなくとも所縁がある少女がいた。

 

「焔の浄化……いえ、女神による新生が目的でしょうか?」

「……驚いたな。答えられるとは思わなかった」

「ど、どういうこと?」

「この辺りでは火炎崇拝の文化があったということです」

 

 熱を生み出す。闇を照らす。不浄を清める。敵を滅ぼす。歴史を紐解けば、火が人類に与えた影響は計り知れないものがある。そんな火そのものを神聖視・神格化する考えが火炎崇拝と呼ばれるものだ。これは特定の地域に限った話ではなく、七耀教会の聖書にも女神が人に火を授けたという記述がある。

 

「夏至祭に合わせて行われる儀式なら、年に一度女神に焔を返し、新たに加護を宿した焔を授けてもらうといった意味合いがあるのではないですか? 篝火が十ある理由は……当時の有力者の人数か、清めるべき不浄の概念の数かな?」

「ほぼ満点だ。篝火の数には諸説あってハッキリしないからね。しかしよく知っていたな」

「昔文献に目を通したことがあるんです」

 

 最後の発言は嘘だ。エマが推測を立てる根拠になったのは、トーラの説明がエリンの里で執り行われる儀式に似ていたからである。先んじて戻っていたセリーヌからの報告でも、島の裏手にある遺跡群からもエリンと似た生活様式が窺えると言っていた。

 

 巨イナル一を生み出す原因となった二至宝の激突の後、この島まで弾き飛ばされた巨像を追って魔女の先祖である『焔の至宝』の眷属の一部はここに流れ着いた。そして長い年月を経て、彼らの生活や思想がこの地に根付いたのだろう。

 故郷から遠く離れた地で、馴染み深い文化に触れるのは不思議な気分だった。

 

「ちなみに大陸中東部でも、女神と共に焔が信仰されている地域があるんです。あちらは空の女神(エイドス)ではなく翼の女神(アル―シャ)と呼ばれているそうですが」

「へえ、不思議な共通点もあるんだね。あ、ガイウスがよく言ってる『風』も同じようなものかな?」

「ああ確かに。帰ったら訊いてみよう」

「……思い返せばレグラムの石碑についても良く知らぬな。今度帰ったら久しぶりに書斎を覗いてみるか」

 

 馴染みの薄かった精霊信仰について興味を持ったラウラ、エリオット、マキアスの三人は思い思いに言葉を交わす。その様子を、嬉しそうにエマは眺める。

 

 

 導力革命以降、急速に発展を続ける≪表≫と≪裏≫の時代の差は大きく開き、≪裏≫の世界は御伽噺となって久しい。今はまだ魔術が導力に優位に立てる部分もあるが、そう遠くない未来には自分達魔女も彼方へと置き去りにされるのかもしれない。

 けれど過去と未来は地続きで、現代まで残った文明は過去を生きた人達の確かな足跡だ。そのことを良く知る魔女(エマ)は、こうして昔に目を向けてくれることを嬉しく思う。

 

 この知識が彼らの将来に役に立つことは、きっと少ない。

 それでも、ふとした時に思い返してくれれば、報われるものもあるだろう。

 

 

 夕飯の片付けを手伝った後、レポートを纏めて早めにベッドに入ったB班。寝息だけが聴こえる深夜に、エマは重い目蓋を開いた。

 

「ん……セリーヌ?」

「はいはい。ここにいるわよ」

 

 ベッドの上で身体を起こすと、傍らの使い魔は尻尾を揺らしていた。

 

「今何時?」

「二時よ。時間ないしさっさとしなさい」

「はぁーい……」

 

 寝巻から手早く制服に着替え、小屋を出る。

 

 遊撃士が初めての赴任地を徒歩で歩いて土地勘を養うように、巡回魔女もまた初めて訪れる場所の霊脈を調べて回るのが習わしだ。特にこのブリオニア島は抜け殻とはいえ至宝が眠り、霊窟が封じられている場所。代々魔女が定期的に訪れる地でもある。ここしばらくはローゼリアが直々に行っていたが、今回エマにお鉢が回って来たのだ。

 

 霊窟の仕組みについてはローゼリアに聞いている。島に三か所ある石碑に魔力を与えれば、別位相に隠された霊窟が現れるのだ。今回は位置確認だけで、霊窟の本格的な探索は明日以降の予定だ。

 

 日中に調査していたセリーヌの案内で島を巡り、石碑の位置と霊脈の流れを頭の地図に書き込んでいく。これといった異常もなく、一人と一匹はその場所にやって来た。

 

「これが……」

「『紅い聖櫃(アークルージュ)』。アタシも実際に見たのは今回が初めてよ」

 

 山頂まで届く百アージュ近い巨体の大部分は闇に沈んでおり、意匠どころかシルエットすらハッキリしない。ただその存在感だけがひしひしと感じられる。エマは頭を上げて、祖先が犯した罪の象徴を見上げた。

 

 敵を滅ぼせという願いの衝突と融合の果てに生まれた巨イナル一は、その成り立ち故、自己相克によって無限に力を増していく性質を有している。過去に焔と大地の眷属が巨イナル一の封印に失敗したのは、際限なく増幅していく力を抑えきれなかったからだ。

 

 このまま力を増していけばいずれ決定的な爆発が訪れることを察した眷属達は、巨イナル一の力が人間の闘争心に強く呼応する性質に目を付けて、七体の騎神を作り上げた。担い手たる起動者の意思──闘争を通じた願いによって巨イナル一より力を引き出して消費させ、巨イナル一を安定させるために。

 

 そうして千年もの間、眠りと目覚めを繰り返しながら騎神は数多の戦場を駆け抜けてきた。善行か悪行かは別にして、騎神でなければ成せないことも多くあっただろう。しかし騎神は遥か昔の過ちのツケを、その時代の人間に払わせているとも言える。

 

「あと半分……」

 

 旧校舎地下の封印機構は問題なく作動しており、つい先日も第三層を突破した。新たな階層が開放されるペースは月に一度。このままいけば、三か月後には試しが始まる。

 その前に、彼に問わなければいけない。騎神を手にするか否か。帝国とゼムリア大陸で暮らす多くの人間の運命を左右する覚悟があるのかを。

 

 巨像の形をした闇は問うてくる。背負わせるのかと、ただでさえ重い宿命を負ったあの少年に、更に眷属(お前たち)の罪を被せるつもりかと糾してくる。勿論ただの錯覚で、しかし確かにエマの中に存在する迷い。

 

「あいつは大丈夫よ」

「ふぇ?」

 

 気づけば、器用に肩へ乗ったセリーヌが、エマの頬に肉球を押し当てていた。

 

「どうせリィンが起動者になるか考えてたんでしょうけど」

「な、なんで分かるのいひゃい!」

「アンタは顔に出やすいの。そこんとこはもうちょっとヴィータを見習えばよかったのにね」

 

 呆れたように言ったセリーヌが更に腕をぐいぐいと伸ばしてくる。エマのほっぺが潰れて大分愉快な顔つきになった。

 

「アンタはただ道を示すだけでいい。あいつがどんな選択をするにしろ、絶対にアンタを言い訳にはしないわ」

「セリーヌ……」

 

 深い信頼の乗った言葉だった。

 セリーヌとリィンの付き合いもエマと同じく長い。エマとは異なる視点で彼を支え続けてきた。その人の好さから≪表≫の事情に入れ込み過ぎるところがある年若い二人を、魔女として諫めることも多かった。

 

「まあ他人の心配する前にもうちょっと腕を磨くことね。さっきの霊脈探査はちょっと時間かかり過ぎよ」

「はーい……」

 

 島を半周して小屋まで戻ってきた午前四時前。

 

 夜風に乗って、旋律が聴こえた。

 

「……オルゴール?」

 

 音を辿るとそこはコテージだった。海側に面したバルコニーで、デッキチェアに腰かけたトーラがいる。夜色に溶けた水平線に送る眼差しは、宵闇よりも尚昏い愁いを帯びていた。

 

 足音に気づいた彼は、はっとしたような顔を向けてくる。

 

「起こしてしまったかな」

「いえ、早く目が覚めたところに懐かしい曲が聴こえましたから、つい。こちらこそお邪魔してしまいすみません」

「構わんさ。……立ったまま話すのもなんだ。飲み物でも持って来るから座りない」

 

 

 トーラが持ってきた椅子に座ったエマは、音楽を奏で続けているオルゴールに目線を落とす。どこか悲しげで、しかし耳に残るその曲の名前をエマは知っていた。

 

「星の在り処ですよね」

「そうだ。割と昔の曲なのによく知ってたな」

「姉が好きで、よく口ずさんでいたんです」

 

 懐かしい思い出だった。魔術の修業の合間に、人気のない場所で歌う義姉の姿が目蓋の裏に映る。特に母が生きていた頃はエマも歌をせがんだり、一緒に歌ったりしたこともあった。……年齢が上がるにつれて、なんとなく恥ずかしくなって聴くだけになってしまったけれど、あの澄み切った歌声は今もエマの耳に残っている。もし魔女でなければ歌手でも目指していたのではないだろうか。

 

「私にとっては、若い頃の思い出の曲というやつさ」

 

 小さく溢した笑みには、深い皺が寄っていた

 

「さっきは驚かされたよ。随分と博識だったが、将来は学者を目指していたりするのかい?」

「具体的にはまだ考えていないんです。本が好きなので、色々と読んでいた中にあったというだけで」

「それだけでも十分凄いさ。月並みな言葉だが、勉強は若いうちにしておきなさい。いやそれだけでなく、遊びや……恋、なんかもね。どれも自由にできる時間は、案外短いものだ」

 

 ティーカップを傾け、紅茶を飲み干したトーラは続ける。

 

「ちょうど君達くらいの頃だ。日の昇る時間に、恋人とこの浜辺を歩くのが一番の楽しみだったよ」

「恋人ですか?」

「うんまあ、妻のことではないけどね。色々とあったのさ」

 

 言葉を濁して苦笑する。その顔に差す影が濃いのは、トーラが彫りの深い顔立ちというだけではないのだろう。里で最も高齢の魔女(祖母は色んな意味で規格外なので除外する)がたまに浮かべる表情と同じ、濃い年月を重ねた人間が見せる深みがあった。

 

 その影に吸い寄せられるように、唇から問いが零れる。

 

「……ご迷惑でなければ、ひとつ相談しても良いですか?」

「私で良ければ訊くが、何かな?」

「私の友人……別の班のクラスメイトのことで悩んでいまして」

 

 リィン・シュバルツァーは強い。本人は迷ってばかりの未熟者だと自分を卑下するが、どんな苦境でも誰かの為に戦える彼の優しさと強さをずっと側で見てきた。

 そんな彼だからこそ、騎神を手にする意味は途轍もなく重いのだ。

 

 力に溺れた者。力ある者の責務に磨り潰された者。力に振り回されて大切なものを取り溢した者。

 輝かしい夢、素晴らしい志を胸に騎神を駆った善き起動者の末路は、その大半が悲劇に終わる。リィンの幸福を思えば、起動者の資格を手放すよう説得するべきかもしれない。

 しかし起動者とならなかった先の未来で、もし失ってしまうものがあるとするのなら。強い後悔は彼を歪め、鬼の力への依存を強めるだろう。

 

「その人には天性の素質があって、正しく扱えば多くの人を助けることができます。でも、その素質は本人が望んだものでは無いんです」

 

 道を示すだけでいいと、選択の責任は起動者のものだとセリーヌは言った。冷酷だが、同時に正しく誠実でもある。彼は≪表≫で自分は≪裏≫、コインのように重なる関係は今だけのもの。同じ道を往けない人に過度な干渉は余計なだけだ。

 けれど割り切れない恐怖がある。自分が背中を押した道の先で、もし彼が足を踏み外してしまったらと考えるだけで目の前が真っ暗になる。

 もう二度と(・・・・・)、失意に暮れる彼の姿を見たくはないのだ。

 

「望まない才能が大切な人達の幸福に繋がるのなら、どちらを選ぶべきなのでしょうか」

「……ふむ」

 

 会話が止み、オルゴールの音色が薄く広がる。馴染み深いメロディに釣られて自然と歌詞が頭に浮かんだ。

 大切な人と積み重ねた過去(これまで)未来(これから)を、夜明けに喩えて想う歌。それはまるで──

 

「優れた軍人になれる素養があるが本人は争いごとを好まない、といったところかな」

 

 やや唐突に尋ねられて、エマは慌てて首肯して先を求めた。

 

「やはりそれは当人が決めることだろう。結局のところ、自分の人生の責任を取れるのは自分だけだからね」

「……そう、ですよね」

「だから、それ以上を求めるのならしっかりと話し合うことだ」

 

「君が迷っていることも含めて、その友人に伝えてみると良い。共有した悩みは問題になって、解決すべきものになる。一人で抱えていた問題でも、二人なら案外あっさりと答えが出たりするものさ」

 

 語り聞かせるようにそう告げて、トーラは立ち上がった。暗かった水平線はいつの間にか白み始めている。

 

「偉そうに言ったが、まあ所詮年寄りの戯言だ。そういう相談はもっと信頼できる人にしなさい」

「そんなことはありません。ご教示いただきありがとうございました」

 

 片付けを手伝い、丁寧に感謝を述べたエマは小屋へと歩き出した。もうそろそろラウラ達も起きている頃だろう。

 

(話し合う……)

 

 言われてみれば、起動者について詳しく話し合ったことは無かったと思い至る。リィンは鬼の力、エマは義姉の捜索という目先の問題に力を注ぎ、協力し合うので精一杯だったからだ。騎神のことは早くからローゼリアより聞いていたが、まだ先の話だと見送って以来話題に出す機会が無かったのである。今思えば随分と暢気だったと反省さぜるを得ない。

 

「…………でも、それは駄目よね」

 

 騎神について話し合うのは良い。けれどこの迷いを明かすことは出来ない。

 

 なぜなら自分は彼の篝火。

 

 導く側の自分が、迷いを見せてはいけないのだ。

 

 

 

 遡ること数時間前。夜中の暗い海を進む、一隻の船があった。沖合での漁を終えてオルディスへ戻ろうとする、とある漁船である。

 

「ようやくの到着か……」

 

 船首に立った一人の男が、水平線の先に見える光群──三日ぶりとなるオルディスの様子に顔を綻ばせる。海の上で過ごす時間の方が多くなって久しいが、陸地が見えた時の安堵感はいつになっても変わらない。こればかりは人間の本能なのだろう。

 

 今回の漁も成果は上々で、悪くない稼ぎが期待出来る。この後に長めの休み貰えることもあって、男は明日にでも貰えるであろう給金の使い道について想像を膨らませていた。背後では仲間の船員たちも、やれ酒場で飲むやらラクウェルで女と戯れるやらと騒ぎ立てている。

 

 そろそろ下船の準備でも始めるかと考えていた男は、そこで奇妙な音を聞いた。

 

「……なんだこれ、歌か?」

 

 男では到底出すことの出来ない透き通るようなソプラノボイスには、一定のリズムがあった。気になって周囲を見渡せば、音源と思しき影を見つけた。

 

 それ自体が光を放っているかのような、美しい金髪を夜風が梳く。上半身だけの海面から出した身体は完全に後ろを向いているが、シルエットからして年若い女だ。おとがいを上げて、空に祈りを捧げるように歌っている。

 

 船乗りの男は知ってる。この辺りはまだ水深が深く、岩礁もない。泳ぎはまだしも立つことの出来る足場などないのだと。

 

 だが、

 

「……………………」

 

 陸地を目指していた筈の船が、女の方向に舵を取る。しかし男はそれを指摘することなく、無言で女の歌に耳を傾けていた。本当に惚れ惚れするほど綺麗な声で、馴染みの酒場で心地よく酔った時のような気分。身体は火照り、思考は蕩け、周囲の音が遠のいていく。歌声だけが耳に届くのだ。

 

 声が届くほど船が近くに寄れば、女はこちらを振り返った。美しい歌声に相応しく、その容姿も息を呑むほどに麗しい。艶やかな唇が、男に向けて何事かを呟いて。

 

 

 気付いた時には、全てが終わっていた。

 

「……は?」

 

 最初に違和感を覚えたのは、視界の明るさだった。夜中だというのに、周囲は真昼のような光に包まれている。何気なく自分の身体を見下ろしてみれば、光は自分の身体から──自らの身体を薪にして、炎という形で放出されていた。

 

 ……身体が火照っていたのは当然だ。寧ろどうして、今までこの火達磨の中で何の痛みも感じなかったのか。

 

「ヒ……ギィィィアアアアアアアアアアアアアァ?!!!!!!」

 

 正気に戻った肉体が遅すぎる警鐘を鳴らす。灼熱のヴェールに包まれた男はその場に倒れのたうち回る。

 

「だ……誰か、ダレカ火ひひヒヒを消シテ……!」

 

 助けを求めた男だったが、視線の先にいるはずの仲間は既に燃え尽き、黒いナニカへと変貌していた。これも考えてみれば当たり前のこと。急に船の進路が変わったのに誰も止めなかったのは、自分と同じくあの歌声に囚われていたからなのだ。

 

 既に男の手足は炭化し、水分を失った眼球はその機能を失った。最早正常な思考は焼け落ちて、あるのは強烈という言葉では生ぬるいほどの渇きだけ。

 

「ミ……ズ……」

 

 最期となる思考で、男はこの渇きを癒す方法を思い浮かべる。残された力を振り絞って船体の端まで這って進むと、暗い海に身を投げた。水面に叩きつけられる衝撃で触覚も霧散。安堵と共に、男の全てが闇の中に溶けて消える。

 

 

 ──以上が、僅か十分の出来事。陸地を心待ちにしていた筈の十人の船員は、残らず灰となったのだ。

 

 

「……違う……じゃ……ない」

 

 凄惨な光景を眉一つ動かさず眺めていた金髪の女性は、か細い声で呟くと海に潜る。

 

 波間から覗く女性の腰から下は、鱗で覆われた魚のそれであった。




迷ってばっかりの魔女さんですが、それだけスケールの大きい悩みなのです。

あと本作は黎の軌跡レベルにはモブに厳しくなると思います。


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