「う」と「こ」と「ん」しか言えないチート主人公の話。 (月兎耳のべる)
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孤高

一発ネタ。続かない。


 兄はこの街で一番、誤解を受けやすい存在だ。

 

 誰に対しても口数が極端に少なく、無愛想で、表情が変わらず。

 時に冷淡に。時に優しく。時に奇異の目で見られる行動を取る。

 学はあるのに勉学に勤しむことは拒み続け、人と触れ合う事を恐れているかのように人前に出たがらない。

 そんな兄が一番積極的に触れ合おうとする相手は、せいせいが庭で飼う鶏ぐらいだろう。

 

 だが、自ら孤高であり続けようとする兄には誰にも負けない武の才能がある。

 

 その才能は兄への誤解を更に加速させる。

 父と母は兄の性格を猛烈に批判しながらも、その才を家のために活かせと猛烈に官吏務めを推し進める。しかして兄はそれを明確に拒否し続けるものだから、両親は更に兄に厳しく当たる。

 才を知る者たちは聞きつけては兄へと無理矢理に挑み、誤解し、そして最終的に兄を口汚く罵って去っていく。

 

「口も利けないすくたれ者」「仏頂面した根暗」「鶏にしか心を開けない臑齧(すねかじ)り」

「禿」「極大な才に胡座をかく、武の何たるかも知らぬ無礼者」

 

 それが市井に広がる兄への評価だと言う。

 

 私にははっきりと言える――それらは勘違いも甚だしい雑言に過ぎないと。

 

 兄は口が利けないのではなく会話をすることが苦手なだけ。

 兄は無表情ではなく表情の数が少ないだけ。

 兄は人が嫌いな訳でもなく極端な人見知りなだけ。

 兄は髪がないのではなく髪を剃っているだけ。

 兄は武を好んではいるものの争いは好まないだけ。

  

 ――私は兄の一番の理解者だと自負している。

 

 兄の隣で毎日を過ごし続け、その人となりを感じていれば。

 ううん、それこそ母と同じ産道を通ってこの世に生を受けた時から。

 兄の底抜けの優しさと、その兄が感じる孤独を、悲しみを分かってあげられる存在が私しかいない事を、どうしようもなく理解していた。

 

 兄はどこまでも強く、そしてどこまでも弱い。

 

 そんな愛すべき弱き兄を守るためならきっと、私は今も、そして今後も――どんな労力も惜しまないだろう。

 

 

 § § §

 

 

「……」

 

 明けの明星輝く寅の刻。いつもの如く時間通りに目が覚めるものの、隣の臥榻(がとう)には最早誰も居ない。

 

 兄の朝は、とても早い。

 

 私は微睡みの中を泳ぎながらもふらりと窓に近づき――そうしていつもの通りニ階から兄を発見する。

 

 ちょうど屋敷の外にあるだだっ広い野天。

 均された土の上、浅葱色の道着に身を包んだ兄は静かに立ち尽くし瞑目している。

 朝焼けの中、薄赤の日差しが兄の頭部を照らす様はどこか幻想的でもあった。

 

 ――そして爽やかな風が吹き抜けると共に唐突に行われる、練。

 

 柳のように(しな)やかで、さりとて入道雲のように(しっか)りと地に足ついている。

 老亀のような質実剛健さがある中で、大海の如き深さがある。

 一連の動きは一切の停滞なく、そして一縷の無駄もなく。

 ただの人であればそれが舞踊なのだろうと錯覚する程に美と華があった。

 

 兄、皇依 弦(すめらぎ いづる)は齢16にして竜哭谷(りゅうこくがい)一、いや、暁東(きょうとう)一の拳術使いである。

 

 その拳も。蹴りも。ありとあらゆる体技が必中であり、必殺。

 牽制の一打ですら防ぐことも敵わず、対してどんな攻撃も兄に当たることはない。

 どんな武術の達人も、どんな猛獣でも、どんな悪霊でも。それがどれだけの強さを誇ろうと、そしてどんなに多数に囲まれても、どんな卑怯な手を使おうと妥当せしめるその実績を鑑みれば、拳聖と呼ばれるに等しい存在。 

 皇家歴代の家系の中でもここまで逸出した才能を持つ存在は居ないと言っていいだろう。

 

 妹である私も達人である父や母に太鼓判を押される程には同じく拳術の才能に秀でているという自負はあるが、それでも兄には敵わないと認めている。

 とは言え天に愛されし才能に嫉妬をするかと思えば、それはないと言える。

 

 兄の拳術は、根本的に位が違うのだ。

 

 誰々よりも力が強いとか、誰々よりも早く打てるとか。誰々よりも精緻な技巧を持つとか。

 そういう比武の段階から既に外れている。

 

 両親は「それだけの才を持ってして家に籠もり続けるなど情けないに程がある」と兄を叱るが、そもそも兄は争いや名誉を求めていない。

 内なる自分。そしてこの不条理なる世界に対抗するために兄は鍛えている。そのように私は確信していた。

 

「兄様」

 

「ん……神湖(こうこ)

 

 階下に降り立ち、そして声をかけた私に兄が振り向く。

 兄の口数の少なさは徹底的だ。

 誰彼が兄に話しかけても返す言葉は非常に限られていて、大抵は頷いたり首を振って是否を伝えるのみ。それが親戚でも。親友でも、肉親でも、貴族でも、皇王が相手でさえもそうだ。

 ただ人見知りという訳ではない。兄は性格に反して外交的で市井に出かけるのが好きなのも知っている。

 

 難のある性格だと思う。

 決して喋れない訳でもないのだから両親は早く直せと叱り続けるが、それでも頑として治らず。最早皆に(さじ)を投げられている状態である。

 

 ――そんな兄が名前を呼んでまで返事をしてくれるのは、私だけ。

 

 この純然たる事実が私を高揚させる。

 私にとっての特別が兄であるように、兄にとっての特別が私であるように思えるからだ。

 

 

「神湖もご一緒してもよろしいでしょうか」

 

「うん」

 

 お互い道着に身を包んだ状態で、対峙する。

 

 私は肩幅まで両足を広げ、両手をゆるりと円を描くように動かす。動かすことにより丹田内に溜めた活力が全身に漲るように気を巡らせてゆく。いわゆる「竜歩」と呼ばれる基本的な型。

 一方の兄は――構えない。

 両手をだらりと下げて自然体のまま、私の動向を見守っている。

 

 兄からは圧は全く感じない。

 

 凡人格闘家達は相手をした兄に対しこの時点で怒る。構えもせずに侮るつもりかと。

 しかし兄のこれは侮っているという訳ではない、兄のその無形の構えは如何なる攻撃をも弾き、如何なる相手だろうと痛烈な一撃を与える事が出来る恐ろしい物。

 私にとってすれば、まるで神樹が私の前に鎮座しているような印象を思い描いてしまう。

 

「往きます」

 

 兄の返事を聞く前に私は仕掛けていた。

 溜めた気を両足に込め、放出。踏み込んだ地面が爆発するかのような音と共に一気に二人の間合いがなくなる。

 

 伸ばしていた私の右腕が(こん)となり、推進力のまま兄の腹部を貫かんとする。

 だが気が付けば添えられていた兄の右手が私の腕を優しく誘導し、その一撃は右に逸れる。

 しかしながら初撃が通らぬのは承知の上。

 私は流されるがまま体を回転させ、左脚をしならせて兄の顔面へと回転蹴りを放とうとする。

 

 その瞬間、軸にしていた右足が急に支えを失った。

 

 軸足を狩られたのだと気づいた瞬間、私は咄嗟に体を更に回転。

 左脚の蹴りを諦め、回転の乗った右手刀で唐竹割りの要領で放つ。

 結果としてその手刀は空振りに終わる。

 私にはその一撃が当たる予感はあった。見た目には兄はそこから動いていないように思えたが、しかしながら薄皮一枚の距離感で避けられた事が、どうしようもなく私には分かってしまった。

 

 

「流石ですね兄様。その繊細な足運び。まさしく暁東一」

 

「運」

 

「百回やって百回出来るものは運とは呼びません。実力というのですお兄様――再度、参りますっ」

 

 一挙一投足。

 積み重ねた鍛錬の数だけ鋭さを増す私の技術は、やはり兄には及ばない。

 確信を持って放たれた拳がことも無げに(かわ)され。最速で放った蹴が為すすべなくいなされる。

 絶対の筈の投げ技ですらするりと抜けられ、私だけが疲弊していく。

 

 だが兄は相変わらず優しい。

 手加減をしつつも、私の欠点を優しく、傷付けずに教えてくれているのが分かる。

 何度挑もうとも、何度同じ技をかけようとも。叱ることもなく。さりとて語りかけることもなく――ただその体術を持って、身に分からせてくれる。

 

 

 既に日は登りきっている。

 私の道着はしっとりと汗を帯び、喉が乾き、全身に軽い倦怠(けんたい)感を覚え始めた頃。

 それは唐突に放たれた。

 

「――()

 

 その瞬間、世界が切り取られたような感覚を覚えてしまう。

 停滞した世界の中で、私は動けず。兄様だけが動いている。

 真下にだらりと下げた片手が、ゆったりと月を描くように直上へあがる。

 まるで真剣を構えたが如き威容を前に私は防ぐことも出来ずに。その終わりを待つしかない。

 

 手刀が閃き――私は、その世界に第二の光を見た。

 

「……」

 

「……」

 

 ――兄の手は私の頭部を切り裂く直前で止まり。

 代わりにその手を柔く開いて、くしゃくしゃと小さく撫でてくれた。

 

 それは鍛錬の終わりの合図。

 

 今日も私は兄に汗一つかかすことも出来なかった。

 毎日の鍛錬によって私の技術はどんどん上がっているという自負もある。

 気付けば父をも負かすくらいには強くなっていることがその証左だ。だというのに、兄の境地には未だ遠い。遠すぎる。

 

「兄様。今日もありがとうございました」

 

「うん」

 

「……兄様はやはり強いです」

 

「……ううん」

 

「謙遜なさっても、事実です。兄様はどこまでも強い。恐らく、兄様に叶う存在などいないのかと思う程には……神湖も早く、その境地に至りたいです。兄様に並び、そしていつか兄様をえい、と倒してしまいたいです」

 

「……」

 

 兄はただ優しく私の頭を撫でて微笑んでくれるだけだった。

 でもそこにただ突き放すような感じは全くなく、私を応援するような……そんな温かい目を向けてくれているのが分かる。それだけで私に活力が湧いてくる。

 

「兄様、鍛錬後のお茶は如何でしょうか? 神湖が用意いたします」

 

「うん」

 

「お茶の種類は如何がなさいますか」

 

宇金(うこん)

 

 兄の愛飲する飲み物など聞くまでもなくわかっているのだが、そんな決まりきったやり取りの一つ一つが愛おしい。

 音もなくその場を後にしようとする兄に寄り添うように私も隣を往き、この後にあるであろう静かだが、確かな心地良さを感じる朝のひとときを想い、私は小さく笑みを零すのだった。

 

 

 

 

 ――静かなる朝の一時の後。

 

 兄が自らの部屋ではなく別の場所へ行こうとしているのに、私は気付く。

 いつもならすぐに自分の部屋に戻り、30分程勉学に勤しんだ後に再度鍛錬に戻り。(昨日は35分程だった)そして昼食を食べてから(兄様は昨日は西紅柿炒鶏蛋(卵とトマトの炒め物)を召し上がられて頬を綻ばせていた)市井へ散歩しに行く(最近は養鶏所で鶏に群がられている所をよく見かける)のが兄の常なる行動。だというのに、ここ一月は私の知る兄の営みに新たな兆しが見え始めている。

 私は少しだけ不安めいたものを感じ――つい、声をかけてしまった。

 

 

「兄様、どちらへ?」

 

「……」

 

 兄の歩みが、私の言葉を前にして止まる。

 しかしながら兄は振り向きもせず、ただ声を出すこともなく背を向けたまま。

 私が訝しんでいると……兄様は肩越しに振り向き、笑顔を見せてくれた。

 

「……兄様?」

 

 兄様は、やはり話してくれない。

 ただ私を大いに心安らかにさせる表情を見せてくれるだけ。

 

 しかし、私は振り向く一瞬、表情が辛そうな物になった事を見逃すことはなかった。

 

「どうなさったのですか兄様」

 

「……」

 

「もしや、もしや性懲りもなく彼奴から果たし状が届いたのでしょうか――あの薄汚い氏家から」

 

「……」

 

 兄様は静かに首を振るが、そこには少し動揺が隠されていた。

 私は努めて静かに続ける。

 

「隠し立てしても神湖には分かります。兄様はお優しいので毎度の如く付き合っているようですが……何度やっても身の程を弁えぬ氏家に労力など掛けるだけ無駄――よろしければ、私の方から断りを」

 

「神湖」

 

「大体、なんですかあの娘は。毎週毎週兄様の迷惑を考えずに。付け焼き刃の努力程度で兄に挑んでは負け、挑んでは負け――そのたびに口汚く罵って去る存在など、この家を跨がせる権利すら……っ」

 

「神湖」

 

 気付けば兄は振り向いており、その相貌を悲しげに曇らせ。私を嗜めるように首を振って見せた。

 

「お兄様、どうしてそんな……あの者にそのような慈悲を」

 

 まさかとは思うが、兄はあの氏屋を気に入っているとでも言うのだろうか。

 痴女と見紛う程の崩れた道着を着て羞恥心の欠片もない見栄のよい技ばかり繰り出す、自尊心の高い、一部分だけを肥えさせた見苦しいあの乳豚を? そんな事あり得ない。あってはならない。兄の好みは胸が大きい女人だと言うのは知っていたが百人が百人無恥厚顔と太鼓判を押せるであろうあの醜女にどうしてそんな気遣いを。かくなる上は私直々に豚を――、

 

「……」

 

「孤高」

 

 お兄様は私を(いさ)めるように見つめ――そして、自らを指差してそうおっしゃられた。

 

 どういう意味なのだろう……そう考えた瞬間、私は閃く。

 

 兄様は、氏屋の境遇の事を仰られたのだ。

 彼奴は幼少期に親族諸共を凶賊に闇討ちされ、一夜にして天涯孤独の身になった。

 幼い氏屋に家を継続する力などなく、親戚にその実権を握られ、家そのものが断絶しそうになった事もあった。だがそれでも氏屋は逆境を物ともせずに寝る間も惜しんで家の復興に力を注ぎ、全盛期とまではいかないが家を持ち直させたのだ。

 彼女の境遇に漬け込み、表では優しい顔を見せ、裏では虎視眈々とその金を名前を奪おうとした相手がどれだけすり寄った事か、名家で育った私にとって想像に難くない。

 

 頼れる存在のいない氏屋にとって、周りは全て敵と考えるのも当然。

 そんな氏屋が唯一心を開く事が出来るのが――恐らく兄との比武なのだろう。

 

 お互いに『孤高』たるが故に感じる共感。

 

 私という拠り所のある兄は、きっと氏屋にとっての拠り所になろうとしているのだ。

 

「……兄様は優しすぎます。ですが……」

 

「……?」

 

「ですが……それでこそ、兄様と言えるのかもしれませんね」

 

 

 

 その後、兄様は出かける前に足早に厠へと向かっていった。

 その急ぎ様からは氏屋を相手取ることしか考えていないように見えてしまい。

 浅ましくも私は少しだけ――いえ、大分嫉妬を覚えてしまうのだった。

 




依弦「早くトイレ行きたい」


主人公:皇 依弦(すめらぎ いずる)

世界一の強さを誇り、どんな敵であっても立ちどころに倒す最強の存在になったチートの代償として、「う」と「こ」と「ん」しか喋れない+伝えられなくなった主人公。人見知りハゲ。
必然的に口数が少なくなり、結果として無口で居続けているのでクールキャラを貫こうとしている。
(筆談でも「う」と「こ」と「ん」しか書けないのでかなり詰んでいる)
(キャラが崩れるので意地でもあの言葉は言わないように気をつけている)

妹:皇 神湖(すめらぎ こうこ)

主人公の妹。長く美しい黒髪を持つ齢14歳の少女。
兄である依弦を敬愛して尊敬し、同じく拳術の道を目指す。
無口であるため誤解され続ける兄を傍で支えようと常に考えている。
尚本人も誤解しているのは言わぬが花。


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