ギャルゲーの友人キャラに転生したら主人公が女だった。 (4kibou)
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第一章 白黒つけても表裏
その主人公、女につき


息抜きに初投稿です(初投稿とは言ってない)


 ――人間、理解を超えることが起こると、実際に思考は停止する。十坂玄斗(トオサカクロト)はそんな当たり前を体感していた。生まれてこのかた十六年とすこし。物心ついてからはおおよそ三十とすこし。彼はただ単純に、目の前の事実がどうしようもなく信じられなかった。

 

「えー……では、自己紹介をお願いします」

「はい」

 

 カツ、と靴音を鳴らして教室の前に立つ少女はこちらに向き直った。後ろの黒板には綺麗な字でその名前が書かれている。一度、二度、三度……と見て、ついぞ変わらない文字に頭がくらっとした。おもに混乱で。

 

「えっと、今日から転入してきました。壱ノ瀬白玖(イチノセハク)って言います。よろしくお願いします」

 

 礼儀正しく頭を下げながら、件の少女はそう名乗った。名乗り上げてしまった。余計に頭痛が酷くなる。ズキズキという痛みは果たして時たま襲う偏頭痛か、それとも自らの理性が否定を示している証左か。……考えるまでもなく、玄斗には後者にしか思えなかった。

 

「(……どういうことなんだ……?)」

 

 壱ノ瀬白玖。その名前を彼は知っている。()であれ、()であれ、等しく脳裏に焼き付いている。つまるところ二回分の記憶だ。そうそう忘れるわけがない。だからこそ、目の前の現実がどうやってもその記憶と結び付かなくて困るのだ。それもそのはず。なにせ――

 

「それじゃあ壱ノ瀬の席は……っと、ちょうど十坂の後ろが空いてるな」

「……十坂?」

「…………、」

 

 びく、と肩を震わせながら、下げていた視線をゆっくりとあげる。――目が合った。肩まで伸びた白黒の髪と、女の子らしい華奢な体つき。制服はもちろんスカート。どこからどう見ても完璧な美少女と、彼の中の「壱ノ瀬白玖」のイメージが衝突する。

 

「――玄斗?」

「……あはは」

 

 瞬間、粉々にイメージのほうが崩れ去った。ヴァンガードなら負けている。

 

「なんだ、知り合いか。おまえら」

 

 じゃあちょうどいい、なんて教壇に立つ女性教諭が独りごちる。一方にとっては衝撃的な。もう一方にとってはもっと衝撃的な。そんな再会を、ふたりは果たしたのだった。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 ――「アマキス☆ホワイトメモリアル」通称「アキホメ」というゲームがある。一世を風靡した恋愛シミュレーションゲームが廃れる寸前に放たれた歴史の残滓。よもや未来はないと言われたギャルゲー界隈に超新星のごとく現れたそれは、瞬く間に話題と人気をかっさらっていった。……主にそういった関連のコミュニティ内で。

 

「(……そう、ギャルゲー……のはずなんだけど)」

 

 ベタベタで手垢のついた萌え要素。どこか懐かしい個性的なヒロイン。そしてシンプル且つ往年のそれらを彷彿とさせるようなルート分岐システム。その他諸々含まれるこの「アキホメ」の主人公こそが――

 

「……? えっと」

「…………、」

 

 壱ノ瀬白玖、なのだ。舞台はとある地方都市。幼い頃に過ごした実家へ戻る形で、二年生となる一学期に主人公はココ――私立調色高等学校に転入してくる。そうしてあいにく今は高校二年の始業式が終わった直後。タイミングはばっちりだった。同姓同名でもある。……玄斗の脳内に乱立する疑問符は、一向に減ってくれなかった。

 

「……本当に、白玖なのか?」

「あ、うん。そうだよ。久しぶりだね。……十年ぶりぐらい?」

「ああ、そのぐらいかな……」

 

 気付かないよねー、なんて隣の美少女が笑いながら言う。気付くもなにも、彼にはまったくさっぱりワケが分からない。たしかに十年前、彼は「壱ノ瀬白玖」と会っている。ひとり公園で寂しげにブランコを漕いでいた少年(・・)を、元気づけて励まして、一緒に仲良く遊んだことがある。それも何度も、くり返し。

 

「(……あれ……?)」

 

 余計ワケが分からなくなった。そりゃあそうだ。なにせ彼が遊んだ「壱ノ瀬白玖」は完全完璧に〝少年〟だった。短めの髪の毛と、おおよそその年頃の女の子らしくはない服装。泥を被っても怪我をしても気にしない男の子だったはずだ。

 

「……あの、さ」

「うん?」

 

 なに、と顔を寄せて聞き返してくる少女。微妙に距離が近いのは、転入初日という事情でふたりの机を並べて教科書を見せ合っているからである。隣に頼もうにも彼女だけ六列目なので力を借りるなら彼しかいない。……玄斗からして、色々と落ち着かない事情ではあった。

 

「白玖って……その、男……じゃなかったっけ……?」

「え? ……あ、そっか。ああー……でも、うーん……まあ、仕方ないのかなあ」

「?」

 

 あはは、と力なく笑うギャルゲー主人公(♀)。その反応がなんとなく気がかりで、玄斗は彼女のほうをじっと見た。

 

「玄斗と遊んでた頃は、そういう格好してたし。髪も今より短かったし。仕方ないけどさあ……でもちょっと複雑かなあ」

「……そういう、格好」

「うん」

 

 つまり、なんだ。勘違いしていたのは彼であって、というか前世のフィルターが凄まじく邪魔していたのであって、実際問題彼は彼女であって、というか彼女が彼女であって、そうなると自分は酷く〝イタい〟思い違いをしているのではないかと――

 

「(い、いやいやいや……)」

「?」

 

 そんな馬鹿な、と玄斗は頭を振って否定する。この世界がゲームだと俺だけが知っている。なんて妄言を言うつもりもないが、それに最も近い形の現実であることを彼は理解している。実際にかの「アキホメ」攻略キャラであるヒロインたちとも出会った。会話もした。というかこの学内にそれはもうしっかりと存在しているし、なんならクラスの中に見えていたりもする。男女逆転、なんてものではない。つまり、なんていうか、彼にとってだけはありえない話ではあるけれど――

 

「白玖が……女……?」

「うん。さっきから、そう言ってるけど……」

「いや、まさか、え? だって……」

 

 ギャルゲーの主人公、のはずなのに。

 

「……私が女子だとなにか問題?」

「い、いや、別に構わなく……も、ないけど。でも、ああ、うん。……ちょっと、整理させる時間が欲しい」

「……なんの整理?」

 

 もちろん気持ちの問題だ。ガラガラと崩れ去っていく未来予想図と心の在処。この世界に生まれて彼と出会い、己の役割を知り、そしてどうにかこうにか頑張ろうと生きていた矢先。ゲーム内における友人キャラ(・・・・・)としてサポートするべき主人公が女だった。どうすればいい。玄斗にはもうなにがなんだかさっぱり分からない。

 

「……全部夢だったりしないかな」

「……それどういう意味ー」

 

 ツンツンと隣の美少女がシャーペンでつついてくる。地味に痛い。だが彼の頭はもっと痛かった。本当に色んな意味で。

 

「……十坂、壱ノ瀬。仲が良いのは分かるが、授業中だぞ。話は程々にな」

「あ、はい、すいません」

「…………、」

「……おい、十坂」

「……玄斗?」

 

 約一名返事のない男子を余所に、時間だけが過ぎていく。男子三日会わざれば……なんて言うが、十年の月日でこんなにも変わるとは思いもしない。というか男子ですらなかった。玄斗の頭の中でぐるぐると「白玖→女」という式が回り続けている。もはや変えようのない事実に笑いすらこみ上げてきた。彼は力なく笑いながら、ゆっくりと席を立ち上がる。

 

「――先生。ちょっと保健室に行ってきます」

「え」

「……お、おう。行ってこい」

 

 妙に疲れた様子の生徒を見送る女性教諭。限界オーラがありありと溢れんばかりの男子は、よろよろと扉まで歩いていき教室を出た。授業中で誰もいない廊下にぽつんとひとり佇む。見上げた空は綺麗な青色。なんとも清々しい日だというのに、彼の心には暗雲がかかっていた。

 

「……はあ」

 

 思わずため息。どうしようなんて感想すら出てくる。だって、そうだ。なんだってこんなことになると、愚痴を言っても仕方ないのに言いたくなる。――ギャルゲーの友人キャラに転生したら主人公が女だった。その事実が、どこまでも重くのしかかる。

 

「……もう、一旦寝よう」

 

 一先ず話はそれからでも間に合う。あいにくと、本日は始業式につき午前中授業だ。ここはひとつ体を休めるのも手だろうと、玄斗は疲弊した足取りで保健室まで向かった。




今回ばかりはゆっくり連載します。終わるのは半年ぐらい先ですかね……(白目)


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オモテとウラ

ゆっくり更新を心がけていきたい。


 

『――顔、暗いぞ』

 

 おぼろげな夢を見ている。向こうが覚えているかどうかも分からない昔の記憶。幼い少年を前にして、彼はくすりと微笑みを浮かべた。

 

『目が赤い。こすっただろう。悪くなるからやめよう』

『…………、』

 

 両の手首を握ってそう言うと、少年はすんと鼻を鳴らした。少し前から知り合った男の子は、彼のよく知るゲームの登場人物と同じ名前をしている。おそらくは存在そのものが同一と見ていい。だから、なにが起きたのかも知っていた。

 

『……玄斗……』

『泣くな、なんて言えないし、言わないけど……暗い顔ばかりもいけない』

『…………、』

 

 どうしたもんか、なんて彼は考えてみる。本当にズルい生き様だと思った。事故であればまだなんとかなったかも分からない。だが、原因は病気だ。彼の努力云々でどうにかなる問題ではない。だから仕方ないと、割り切るのも難しかったけど飲み込んでいた。……その罪悪感に苛まれて、こんな似合わないコトをしている。

 

『でも、大丈夫ってことぐらいは言える』

『……大丈夫?』

『うん。大丈夫。いまはすごい悲しくて、きっと、僕の想像もつかないぐらい、白玖は辛いんだと思う。でも、大丈夫』

 

 ああ、思えば、だから決めたのだ。そのときに、関係もなにも、誰がどうかも関係なく、そんな現実と直面した瞬間に決意した。例えどれだけ無謀だろうと、どんなに無理難題が壁になって立ちはだかっても。

 

『きっといつか、白玖を幸せにする。あと……そうだね、十年もしたら、きっと』

『――――ほん、と?』

『うん。だから、いまはいっぱい泣けばいい』

 

 胸ぐらいは貸してやるから、なんてふざけつつ彼は言った。精神年齢だけで言えばちょっとぐらいは上。見た目は同じで変わりない。ただ、傍から見ればせいいっぱいの見栄も、眼前の少年にとっては酷く心に響くものだっただけ。

 

『玄斗ぉっ!』

『ふぐっ』

『お……おれぇ……おれぇ……!』

『(……く、苦しい……)』

 

 ちなみにそのとき思いっきり首を絞められたのが今となっては笑い話だ。思いの外強く抱きついてきたものだから、一瞬渡っちゃいけない類いの川が見えた。三度目の人生は流石にないと思うので、ああいう経験はできるだけもうしたくない。

 

『……そうだね。やっぱり君は、笑ってるほうが似合ってる』

『おれが?』

『うん』

『……そっか!』

 

 そう言って笑った顔を、なんとなく今も覚えていることに気付いた。屈託のない笑顔は真実少年によく似合っている。花咲く笑顔が似合う男というのもあれだが、思えばそんなCGがあったのを思い出した。……どこかのルートで、珍しく主人公の顔が映っていたものだから覚えている。それが酷く、ダブって見えた。

 

『……じゃあ、遊ぼうか。白玖』

『うん! 玄斗!』

 

 だから、まあ、正直に言うと。十坂玄斗は、壱ノ瀬白玖という人間が少なくとも嫌いではなかった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 目を覚ますと、案外頭のなかはさっぱりしていた。

 

「…………、」

 

 そっと額に乗せていた氷嚢を退けて、上半身を持ち上げる。時計を見れば三十分も経っていない。玄斗が授業から抜け出したのが開始二十分経つかどうかといったところなので、もうそろそろ終わっている頃だ。

 

「あ、起きた?」

 

 と、隣からつい最近聞いた声が飛んできた。反射的にふり向くと、イメージ通りのイメージと合わない美少女がベッドの側の椅子に腰掛けている。

 

「白玖……」

「大丈夫? その……なんか、ごめんね?」

「……いや、君が謝ることはないだろう」

 

 ほうと息を吐きながら言って、玄斗は努めて冷静に状況の把握なんかしてみる。授業を途中で抜けたのはまだしも、あの会話の後に保健室まで行ったのはちょっと、気遣いが足りなかった。反省しつつ、玄斗は白玖のほうへ視線を移す。

 

「無神経だった。悪いのは僕だ。……ちょっと混乱してて。君が白玖だっていうのは……そうだね。すこし考えれば、納得のいく話だった」

 

 まあ本音を言うと納得いっていないが。ついでに混乱もまだおさまっていないが。

 

「そう? それなら……良いんだけど」

「……ごめん。それでもって……」

「?」

 

 くすり、と彼は薄く微笑みながら、

 

「おかえり、白玖」

「――――、」

 

 そんなコトを、言ってのけた。

 

「……うん。ただいま」

「……本当に、白玖なんだな」

「……そりゃあ、もちろん」

「ちっちゃい頃、一緒に遊んだ公園の木に彫った言葉は?」

「表裏一体っ」

「……白玖、だな」

「……白玖、ですよ」

 

 ふたりして、同時に噴き出した。まったくもっておかしい。こんなにも同じなのに、違うとカテゴライズしかけていた自分に。まったく変わっていない親友に。自然と笑みがこぼれた。――本当に、なにを悩んでいたのだろうと。

 

「……なんか、いまのやりとり夫婦みたいだ」

「ふう゛っ」

「?」

 

 げほごほ、と咳きこむ白玖。それを不思議そうに見つめる玄斗。原因が一切分かっていないあたり、むしろ狙ってやっているのかと思うぐらいの大暴投だった。

 

「……もう、なに言ってるの、ばか玄斗」

「ばかとは失礼な。これでも学年首席になってる」

「え? うそ? 玄斗が!?」

「……そんなに驚かなくてもいいだろう」

 

 もともと成績はそんなに悪い方ではない。加えてちょっとしたズルもある。主に二回目というあたりがそれだ。なので、本腰を入れて勉強に取り組んでみればなんとか死守できる程度には良い。たしかに彼自身の性格から見て、意外なところではあるが。

 

「それじゃあ今度教えてよ。ほら、私、物理とか苦手で」

「でも国語は得意だろう」

「――な、なんで分かるの……?」

「君のことだからなんとなくそうかな、って。鎌をかけただけ」

 

 わなわなと戦く白玖の震えが止まる。ちょっとした嘘を混ぜた玄斗の問いかけは正解だったようで、見ればほんのりと頬が赤い。鎌をかけたのは本当だが、分かった理由としては「公式の設定」というつまらないものである。性別が変わっても苦手得意科目は変わっていないらしい。

 

「にしても、変わったね。白玖は。当たり前だけど、最初見たときは気付かなかった」

「まあ、男の子だと思ってたらね……」

「それもあるけど、いまの君、すごく綺麗だろう。一目惚れしそうだった」

「……惚れてくれてもいいけどー?」

「……考えておく」

「……ふふっ、なにそれ」

 

 実際、ちょっとドキッとしてしまったのは内緒だ。その後のインパクトで色々と吹き飛んでしまっていたが、正直白玖がかなりの美少女なのは否めない。だからなんだ、と片付けるのは難しいものだが、ことコレに至っては十坂玄斗はプロだった。

 

「とにもかくにも、元気そうで良かった。やっぱり白玖は笑顔が似合う」

 

 有り体に言ってしまえば、すさまじく鈍く、それでいて天然だった。

 

「……ああ、もうっ。玄斗は変わってなさすぎ。そういう、ストレートなところとか」

「そうかな」

「そうなの。あれだよ、黒ひげ危機一髪してるみたいな気分になる」

「……いや、さっぱり分からない」

 

 こう、刺す場所を間違えるとびっくりするというか。たまたま当たってしまうと避けようがないというか。

 

「でも、安心した。やっぱ玄斗は玄斗なんだって」

「? まあ、僕は僕だけど」

「そうだね、玄斗だもんね。……うん。戻って来て、良かった」

 

 そう言ってうなずく白玖に、どことなく気にかかる部分があった。なんだか分からないが、痛くはないけれど気になるトゲのような。しばし逡巡して、玄斗がそれを訊こうと口を開いたとき、

 

「……あ、予鈴」

「……授業」

「だね。どうする、まだ休んでいく?」

「……いや、戻るよ。あと一時間ぐらいは頑張らないと」

「ん、そっか」

 

 すっくと立ち上がりながら、ふたりして保健室を出る。養護教諭の教師が居ないのは疑問だったが、そう言えば奥から小さな寝息が聞こえてきていたのを思い出す。……きっと席でも外しているのだろう。会話を聞かれなかったコトもある。気付かないフリをして、玄斗はそっとドアを閉めた。残り一時間の授業は、せめて問題なく乗り切ろうと思いながら。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「…………、」

「あれ、(みどり)ー? 授業はじまるよー?」

「あ、うん、いま行くー!」

「早くしなよー、次あんたの苦手な現国でしょー」

「あははー…………」

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そっち(・・・)は、良いんだ。……十坂」

    




言葉の端々から香るモノを表現していきたい今日この頃。


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ホワイト・ナイトコール

【糖質オフ 無添加・無香料 プリン体ゼロ】


 

 今日はなんとも、大変な一日だった。ろくに整理もできないまま湯船につかって、玄斗はほうとひとつ息を吐いた。熱い風呂の湯が身に沁みる。ぼうっと天井を見上げてみれば、立派に色んなコトへ浸れそうだった。

 

「…………、」

 

 ぴちゃり、と跳ねた雫の音を余所に深呼吸。あのあと、学校はつつがなく終わり、帰り道の途中で白玖とは別れた。家の方向は別。ちょうどふたりの家の間に挟まれるように、昔遊んでいた公園がある形だ。懐かしい思い出に笑みを浮かべて……やっぱり、いまだ慣れない幼馴染みの姿にちょっとだけ戸惑ってしまう。

 

「(……いや、じゅうぶん、分かっているつもりなんだけど)」

 

 なんの因果か、はたまたバタフライエフェクトか。原作のゲームでは男だった壱ノ瀬白玖は、あろうことか立派な美少女になっていた。もとより女だったと知ったのがつい数時間前のことである。思い出しても首をかしげる。あの頃の白玖は本当に男子そのものだったから、前世の知識もあいまって余計に分からなかった。

 

「(慣れるまでは、すこしかかるかな)」

 

 苦笑しながら湯船に体を預ける。慣れない幼馴染み、慣れない現実。けれども、言いたいコトは言えたのだろう。玄斗の中に残っているのは違和感のみで、内側にくすぶっているものはひとつもない。それがどことなく心地よくて、またひとつ息を吐く。

 

「……そうだね。悩むのは後からでも。今はただ、再会できたことを喜んでればいいか」

 

 言い訳みたくそう言って、案外悪くないものだと玄斗は笑った。このときまで十年待った。そのために必要なこともしてきたつもりだ。その全部が無駄になったように思えて、すこしばかり焦りはしたけれど――そんなものですら、結局はどうでも良い。努力が実らない程度の不運は、自分の人生にあって然るべきだ。

 

「……もうそろそろ、君に一本線を引けると良いんだけど」

 

 辛いことが沢山あったはずだから、その分は、という思いもある。友人キャラとして生まれたからこそ、そういった(・・・・・)形で残すのが尤もだと玄斗は考えていた。その予定がすこしズレた程度。言ってしまえば、取らぬ狸の皮算用。始まってもいないのにフリダシに戻ったようなもの。そのぐらいは、流石に笑って受け流した。

 

「(一を乗せると幸せ……だったっけ。もう、あんまり覚えてないなあ)」

 

 辛い記憶と、イメージカラーの白。そこに込められた意味を知っているからこそ、玄斗としては複雑な気分になる。何物にも染まる白。自分の色が無いとも言える白色に、思うところがないワケではない。ゲーム開始当初の壱ノ瀬白玖は優柔不断で薄味気味だ。……ふと、白とか、色とか、なんかそこら辺の記憶に、引っ掛かるものがあった。

 

「あれ……?」

 

 なんだろう、と玄斗は顎に手を当てて考え込む。イメージカラーは白。何物にも染まる真っさらなキャンバスとさえ言われた壱ノ瀬白玖をして、どこか、こう、歯車がうまく噛み合わないような感じがした。率直に言うと忘れかけていたイベントを思い出しかけている。たしか、主人公がルート確定したときに、ちょっとしたシーンがあって――

 

「お兄ー、携帯鳴ってるよー」

 

 と、沈みかけた意識が高い声に引っ張られた。

 

「誰から?」

「ハク? って人……え、なになに。お兄の彼女?」

「違うよ。ちょっと待ってて。すぐあがる」

「ほいほーい」

 

 湯船から立ち上がりつつ、どうしたのだろうと思案する。帰り際に連絡先を交換したので、電話をかけてくること自体は不思議でもなんでもないが……、

 

「(……なにかあったんだろうか、白玖)」

 

 まだあまり状況が飲みこめていない以上、そういった不安が鎌首をもたげてしまう玄斗なのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

『もしもし?』

「どうしたの、白玖」

『いや、別にー。ずいぶん遅かったけど、なにしてたの?』

「お風呂に入ってた。白玖は?」

『リビングでくつろいでる。もうちょっとしたら寝ようかなって』

 

 電話越しの声は、心配とは裏腹に明るいものだった。昼間に聞いたときと変わらない。余計なコトだったな、と苦笑いを浮かべながら玄斗はそっと胸をなで下ろした。

 

「いきなり電話だって言うから。何事かと思って」

『ああ、ごめんごめん。なんか、声が聞きたくなって』

「物好きだね、白玖は」

『そうでもないよ? ほら、玄斗の声って安心するし』

 

 そんな話は初耳だ。自分の声にリラックス効果があるとは思わないが、おおかた適当についた嘘だろうと軽く流す。

 

「はいはい。それで、本当の理由は?」

『あー、テキトーにあしらった。そういうの、私はよくないと思うなあ』

「白玖」

『嘘言ってないし。信じない玄斗が悪いし』

「む……それは、そうか」

 

 なんだかそう言われると悪いような気がしてくる。ここ十年で随分と口撃の上手くなった幼馴染みは一枚も二枚も上手らしい。もともと玄斗はそこまで話すのが得意なほうではない。ので、ここは大人しく謝っておくことにした。

 

「ごめん、白玖。それで、声が聞きたいならもう聞いたと思うけど」

『まだ三十秒も経ってないからね? もうちょっと話そうよ。……嫌ならいいけど』

「……別に、嫌とは言ってない」

 

 その訊き方はズルいだろう、とため息をつきながら玄斗はベランダの柵に背を預けた。ふり向けばカーテン越しにチラチラとこちらを伺う妹の姿が見える。なんでもないよ、という風に手を振ってみたが、どうにも納得した様子はない。むしろ怪訝そうに眉を顰めている。どうしてだろう、と玄斗の疑問は増すばかりだった。

 

『じゃあまずひとつ。これは単なる好奇心なんだけど』

「? うん」

『玄斗って、彼女とかいたりする?』

「いないけど」

 

 即答だった。躊躇もなにもない断言はもはや男子としてのプライドとかそういうモノを捨て去っているとも取れる行為である。単純に、この男に至っては気にしていないだけなのではあるが。

 

『へー……じゃあ、いい人とかいないの?』

「……どうしたんだ、急に。紹介してほしいのか?」

『いや違うけど。わたし女だし。ていうか、紹介できるの?』

「学校で有名な女子については人並みぐらいに知ってるよ。趣味とか、好きなものとか」

『ふぅーん。へぇー』

「……その反応はなんなんだ」

『別にー?』

 

 なんでもー、と素っ気ない態度で相づちをうつ白玖。理由はすくなくとも玄斗の視点ではさっぱり不明。曖昧な返事をしてくる幼馴染みに、なんでなんだと困り果てるばかり。

 

『でもそっかあ。玄斗は独り身かあ』

「……この年で独り身もなにもないだろう」

『そうかな? ……そうかも。まだまだどうなるかは、分からないからね』

「まあ、うん。……ああ、そういう君はどうなんだ?」

『どう、とは?』

「彼氏」

『……いませんー。なにー、なんか文句あるのー?』

「いや、全然」

 

 ふてくされたような白玖の声に、玄斗は思わずクスリと笑った。半ば確信していた事実ではあったが、本人にとっては気になるものなのか。やっぱりイメージとはズレているが、白玖らしいと言えばらしかった。なんだかんだで、玄斗もこの状況に少しずつ慣れてきている証拠だ。

 

『あーもうっ。これもそれも全部玄斗のせいだよ。お詫びとして明日は一緒に学校行ってよねー』

「それぐらいならいいけど、毎日でも」

『じゃあ毎日。二十四時間三百六十五日』

「白玖は僕をコンビニかなにかと間違えてないか?」

『玄斗のいるコンビニなら毎日行ってあげるよ』

「からかいに?」

『正解』

 

 電話越しに笑う声が聞こえてくる。まったくもって敵わない。見た目は可愛らしくなったが、中身は別の意味でもっとかわいらしく(・・・・・・)なっていそうで困る。

 

「バイトはしてないから、そうだね。明日は七時に公園で」

『うん。そのぐらいかな。ちょっとコンビニでも寄っていく?』

「……結局行くんだな」

『接客してくれないのー?』

「僕が〝いらっしゃいませ〟とか、笑顔で言ってたらどうする?」

『笑う。めっちゃ写真とる。ついでにSNSに動画あげる』

「……バイトをはじめても白玖には勤務先は教えないでおく」

『冗談だって。まあ、笑っちゃうかも知れないけど』

 

 たしかに似合わない、というのは玄斗も自覚している。友人キャラムーヴでさえ必死だったというのに、それ以上にコミュニケーション能力が必要そうな仕事は不向きだ。そんな無駄な努力を終わらせてくれた主人公(♀)に感謝すべきかどうか。女子の情報集めに奔走していた高校一年は、今を思えば案外軽くも思えた。

 

「……用件はそれだけでいいかな。そろそろ十時だけど」

『あ、ほんとだ。……そうだね、良い時間だし。今日はこれぐらいにしとこっか』

「今日はって……明日もする気なのか、白玖は」

『言葉の綾です。するかどうかは、明日の私が決めることだよ。たぶん』

「……なんか良いこと言ってるみたいだけど、それは明日の自分に丸投げしてないか?」

『いやいや、気分次第、気分次第。……それじゃあね、玄斗。おやすみ』

「うん。おやすみ、白玖」

 

 通話を切って玄斗は室内に戻る。春先のベランダは流石に寒い。夜風が身に沁みて、もう完全に湯冷めしてしまっている。それでもどこか、玄斗の心には体温とは関係ない充足感があった。

 

「……お兄が電話とか珍しー。だれだれ。やっぱりガールフレンド?」

「だから違うって。しいて言うなら友達」

「しいて言わないなら?」

「幼馴染み。……入学式、明日だろう。はやく寝ておきなよ」

「あっ、露骨に話を逸らした。話題を逸らしましたよこの兄貴は」

 

 やましいことがあると言っているっ、なんて指をつきつけてくる妹に笑い返しながら横を通り抜ける。別にやましくはない、とは玄斗の内心だ。ただ、話の内容を素直に言うのはすこしばかり気恥ずかしかった。




友人の妹キャラは大抵次回作あたりで解禁されたりされなかったりする攻略キャラではと思わないでもない。

>白に黒が混じってる髪
ほぼ答え。


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十坂玄斗は友人キャラである

『ごめんなさい』

 

 とても困ったような顔で、彼はそう言った。なによりも好きだった、ゆるやかな笑みをすこし崩して。

 

『その誘いには、のれません』

『どうして……っ』

『だって』

 

 そして、どこか一歩引いた姿勢で。

 どこか一歩後じさった表情で。

 どこかひとつ線を引いたような様子で。

 

『――僕は、僕ですから』

 

 そんな、ロクな理由にもならない、意味不明なコトを言ってきた。

 

『なによ、それ……っ!』

『そういうことです。……じゃあ、すいません。用事があるので』

『待っ――』

 

 伸ばした手が空を切る。掴む前に彼の腕がするりと抜けていった。きっとそのときの私は酷い表情(カオ)をしていたのだろう。申し訳なさそうに眉を八の字にした彼の瞳に、しっかりとその姿が映った筈だ。

 

「(……なんて懐かしい夢)」

 

 浮かび上がった意識に、欠伸をかみ殺しながら窓を睨んだ。カーテンの隙間からは朝日が差し込んでいる。寝起きはとくに機嫌が悪い。そういってからかってきたのは、一体どこの誰だったか。

 

「(……もう、一年になるかしら)」

 

 あのいけ好かない男と関わりを絶ってそんなにも経つ。そんな予感めいた思考に、ふつふつと怒りが湧いてきた。こちらの行動パターンでも把握しているのか、はたまた偶然か、学校で会うことも滅多にないのに。

 

「……今日は厄日ね」

 

 呟いて、ベッドから起き上がった。なにはともあれ平日の朝。面倒ではあるが、学生である以上は学校に行かなくてはなにもはじまらない。一先ず無性に腹の立つ男の顔は一旦忘れて、朝食でも摂ろうとリビングへ向かう。

 

 ――きっとそのときから、私はどこかで確信していたのかもしれない。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 玄斗が七時ちょうどに公園へ着くと、すでに白玖はベンチに座っていた。

 

「あ、おはよ。玄斗」

「おはよう、白玖。早いんだな」

「うん。久々に早起きしちゃって。おかげで三十分も待っちゃったよ」

 

 あはは、と白玖はとくに機嫌を損ねた様子もなく笑う。普通の学生なら文句や愚痴のひとつでも言っていいだろうに、なんとも感心する心持ちである。が、彼女の気持ちはともかく知り合いを三十分も待たせたとあっては玄斗的によろしくない。無言で財布を取り出して、近くの自販機にまで足を運んだ。

 

「玄斗?」

「(……こういうときに、原作知識って便利だ)」

 

 躊躇なくボタンを押して、ガコンと落ちてきた缶を差し出す。白玖はぽかんと呆けながら、「私に?」と自分を指差している。それがちょっとおかしくて、玄斗は笑いながらそうだよと答えた。恐る恐るといった様子で受け取る姿がなおさらだ。

 

「大丈夫、毒なんて入ってないよ」

「い、いや、そういう問題じゃなくて……どういう風の吹き回し?」

「春といっても朝は早いし。今日はちょっと寒い。鼻のさきも赤らんでるみたいだし、お詫びってことだよ」

「…………よく見てるね、玄斗」

「よく見えるからね、白玖は」

 

 新雪を思わせる白い肌が寒さで赤みを帯びているのは一目瞭然だった。()の好物であったあたたかいココアを選んでみたが、どうやら間違いではなかったらしい。両手で包んだ缶を顔の前まで持ってきて隠しながら、白玖がなにやらぶつぶつと言っている。

 

「好きだろう、ココア」

「そりゃあ好きだけど……なんで知ってるって話だし。てか、気取りすぎだし……」

「ごめん。もっと格好良ければ、それこそ格好もついたんだろうけど」

「……ま、私だから特別に許してあげる。合格」

「なにが合格なのか分からないけど、それなら良かった」

 

 言って、玄斗はさも当たり前のように白玖の横へ座った。彼女もそれを知っていたかのように数センチ横へ避ける。……が、動いてから気付いた。なんだかこの男、妙に異性との距離に慣れていないだろうか?

 

「……玄斗さ」

「うん?」

 

 なんだい、と彼女のほうを向いて聞き返す玄斗。やはり絶妙だ。近すぎず遠すぎず、という距離を保っている。さらっと隣に座るあたりもちゃっかりしている。しすぎている。

 

「もしかして……彼女、いた?」

「ないよ。一度も」

「ふーん……の割には、あれだよね。こなれてるよね」

「まあ、デートなら何回かはしたことがあるから」

「――え?」

 

 ざあ、と公園の木が揺れた。春風が小枝をざわめかせている。ついでに、白玖の心もざわついた。いや、まさか、とは思っていたが。この男が誰かと〝デート〟なんてはっきり口にするものかと――

 

「っていうのは冗談。本当は荷物持ち」

「なーんだ……って、いやいや。荷物持ちってそれ、え? うそ、女の子と? 買い物?」

「どこにそんな驚く要素があったのかは知らないけど、そのとおり。次の日はもう腕がパンパンで。あれは苦労した」

 

 運動不足を実感した出来事だ、と玄斗は懐かしんでいるようだが、白玖にとってはそうでもないようで。

 

「じゃあ今度私とも買い物行ってね。いっぱい連れ回すから」

「君は鬼か……行くなら一週間前には言ってくれ。準備ぐらいはするから」

「よーし約束ね。破ったら許さないから」

「破らないよ。白玖との約束だし」

「……ふぅーん」

 

 意味ありげな表情で見てくる白玖を、玄斗はじっと見返す。なんだろう、という心境がありありと顔に出ている。そんな彼とは対照的に、白玖はすぐさま切り替えてベンチから勢いよく立ち上がった。ひゅっと放られた空き缶が、いい音を鳴らしてゴミ箱へ入る。

 

「じゃ、行こっか。玄斗」

「……それは良いけど、ゴミは投げないように。行儀が悪いよ」

「はいはい、ごめんごめん」

「返事は一回」

「はーい」

「まったく……」

 

 ちらりと白玖が後ろを振り向いてみると、呆れたような玄斗の顔が見えた。どことなく先生っぽい。教える立場というのは案外似合っていそうだが、教師に合っているかと言われるとすこし首をかしげる。たぶん似合わない、というのが彼女の結論だった。

 

「今日も午前中授業だっけ。入学式は私たちも出席するの?」

「まあ、そうだね。あとは普通に四限目までやって、あとは放課後……暇なら図書室で勉強でもするかい?」

「あ、いいね。私もちょうどそうしようと思ってた」

「ならいいかな」

 

 何度か利用したコトがあるが、玄斗から見て図書室は静かで集中するにはうってつけだ。困ったときには参考書を引っ張り出せるという利点もある。なにより、あの空気は案外嫌いではない。一時期は入り浸っていただけに、慣れてしまったのかもしれない。

 

「(あ、でも、そういえば図書室って……)」

 

 と、そんな折にふとした事に気付いた。なんでもない。取るに足らない心配というか、鎌首をもたげた不安の一欠片だ。まさか、と内心のざわめきを玄斗は無理やり受け流した。いくらなんでも、そんなタイミングが都合良く重なるものかと。

 

「(……大丈夫だろう。別に、やましいことがあるわけでもないし)」

 

 そう、ただ、十年来の幼馴染みと一緒に勉強をするだけだ。一瞬だけ脳裏をよぎった相手となにがあったわけでも……ないが、それだけで意識するのは過剰かとも思えた。歩いていく白玖の背中を見ながら、ゆっくりと息をつく。

 

「ほら、玄斗。おいてくよー」

「……今行くって」

 

 人生山あり谷あり。不幸に塗れるときもあれば、幸せでいっぱいにもなる。いまだ誰も知る由もないが、現状が幸福である以上、いつか下を行くときが来る。当人である玄斗自身にも、まさか自分の撒いたタネによって首を絞められるなんて、思ってもいなかったのである。けれども仕方ない。なぜなら――



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青い春に置き手紙

牛歩更新


 

「新入生代表挨拶。代表、十坂真墨(トオサカマスミ)

「はい」

 

 ぼうと椅子に腰掛けていた玄斗の耳に、覚えのある名前が届いた。驚くと同時に、そういえばそんなコトもあったっけ、と思い出す。意外なことに地頭は自分より格段に上の妹は入試で全教科ほぼ満点だった筈だ。少し前、ぜんぶ百点を取れなかったと悔しがっていたのが懐かしい。……どう考えてもそれはおかしいだろう、と玄斗はツッコみたくなったのだが。

 

「……桜の花も舞い散る四月、暖かな春の良き日に、私たちはこの調色高校の門をくぐりました。まったく新しい環境に戸惑いや不安もありますが、なによりもこれからはじまる高校生活に――」

 

 ある程度暗記はしてきたのか、スラスラと挨拶を読み上げる妹――真墨に「おお」と内心で声をあげる。流石は本編攻略ヒロイン中いちばん頭が良いと言われていただけはある。とくに心配もしていなかった玄斗だが、ここまでくるともはや誇らしい。

 

「これからこの調色高校で学ぶ三年間は、私たちのかけがえのない思い出となるでしょう。ともに入学した仲間たちと切磋琢磨し、互いに協力し、励み合い、一歩ずつ着実に成長していきたいと思います……っ」

「(……ん)」

 

 ふと、壇上に立って顔をあげた真墨と視線がぶつかった。余計なお世話ではあろうが、がんばれの意味も込めてちいさく手を振っておく。想いはしっかり届いたのか、用紙を掴む真墨の指先にほんのりと力が込められたようだった。むしろ力が強すぎてちょっとシワが入っている。

 

「(まったく……)」

 

 そう思いながら笑顔を向けると、タイミングが良かったのか、真墨も同じようにニコリと微笑み返した。その頬が若干引き攣っているのは気のせいだろうか。ガラにもなく緊張してるのかな、なんて心配してみる玄斗だが、まさかステージで冷や汗かきつつ猫を被っている妹が内心で呑気に座ってあまつさえ笑いかけてきた兄にぶち切れているとは思うまい。

 

「最後になりますが、先生方、先輩方。ご迷惑をおかけするときもあると思いますが、精一杯尽力しますので、ご指導、ご鞭撻のほど、どうかよろしくお願い致します。私たち新入生一同も、調色高校の生徒として誇りを持って、これからの学校生活を過ごしていきたいと思います。……新入生代表、十坂真墨」

 

 ぱちぱちとまばらに拍手が起こる。玄斗もにっこりと笑いながらスタンディングオベーションでもしたい気分だった。途中危ない部分もあったが、一度も噛まず、つまらずに言い切ったのは凄まじい。我が妹ながら末恐ろしいな、なんて感心していると、階段から降りる途中の真墨にじろりと睨まれた。

 

「(なんだろう……?)」

 

 もしや褒めたりなかったのだろうか。だとすると帰ってから追加で褒めなくてはいけない。今日の挨拶は良かったぞ、なんて笑顔で一言伝えるだけでも違うだろう。今夜はご馳走だな、と勝手に想像しながら玄斗は笑みを深めた。付け足すと、そんな彼の思い込みはとんでもない勘違いではあるのだが。

 

「続きまして、生徒会長挨拶。生徒会長、二之宮赤音(ニノミヤアカネ)

「――はい」

 

 知らず、その声を聞いた瞬間に背筋がピンと伸びた。凛と響く強かな声音。カツカツと床を鳴らすしっかりした足取り。無意識のうちに入れた玄斗のスイッチが切れるまで、ちょうど十秒ほどかかった。声を聞くだけでこれなのだから、対面すればどうなるかなんて考えるまでもない。

 

「……暖かな春の日差しに包まれて、本日も朝から清々しい一日になりました。そんな日に新しい仲間が増えたことは、実に喜ばしいことだと思います。新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。在校生を代表して、歓迎の言葉を述べさせていただきます」

 

 語りだしはおごそかに、けれども話し方はしっかりと芯が通っている。イメージでいえば中身がぎっしりと詰まっている感じ。今日も今日とて二之宮赤音は生徒会長として完璧に振る舞っている。その実態を知るのは、玄斗を合わせても片手で足りるかどうか。けれどもこちらは白玖と違って、イメージのブレなさが印象的だった。

 

「また、授業以外にも部活動やボランティア活動に参加することで様々な経験ができ――」

「……ねえ、玄斗」

 

 そんな彼女の話の途中で、隣に座った白玖がくいくいと裾を摘まんでくる。小声で訊いてくるあたり、なにか無視できないことがあったらしい。

 

「なんか、生徒会の人数……少なくない?」

「そうでも……ああ、いや、副会長がいないんだった」

 

 壇上に立つ生徒会長を含め、脇に控える生徒会役員は総勢四人となっている。結構大事な役職が欠けているのは、別に病気だとかやむにやまれぬ事情だとかではなく、調色高校に通っている生徒のなかではある程度有名な話のせいだ。

 

「うちの会長……赤音さんは、結構な理想家……っていうのかな。彼女のお眼鏡にかなわないと、生徒会には入れないんだ。だから、彼女の補佐役……まあ、右腕にもなる副会長の席は埋まってない」

「そうなんだ……なんか、厳しそうな人だね」

「そうでもない。ああ見えて結構さっぱりした人なんだ。まあ、僕を副会長に指名してきたときは、ちょっと驚いたけど」

「ふうん……玄斗が副会長に…………うん?」

 

 ぴた、と前を向き直りかけた白玖の体が固まる。生徒会にはあの生徒会長のお眼鏡にかなわないと入れない。つまり、彼女に認められなければ生徒会に入る資格すらないというコトだ。それを指名されたと言うのであれば、ちょっと、いやかなりこの少年は気に入られているのではないだろうか?

 

「……玄斗、それ……」

「あ、ごめん。この話はオフレコで。会長の誘いを断るとか、本当はありえないからね」

「でも断ったんだ……なんで?」

「なんでって……僕が彼女の副会長っていうのは、ちょっとね」

 

 苦笑しながら答えた玄斗の言葉は、曖昧ながらもたしかなモノがあった。どことなく納得いかないところがあるのだろう。本来は違う、とでも言いたげな声音だ。

 

「三年間の高校生活は、苦しいことも、辛いことも沢山あるでしょう。しかし、それを乗り越えたときに――」

「…………あ」

「? なに?」

 

 と、不意に彼女の鋭い視線が玄斗を貫いた。じっと、刃物よりも切れ味の良さそうな瞳がこちらへ向けられる。率直に言うと、これ以上ないほどに睨まれた。

 

「……白玖。静かにしてよう。目を付けられた」

「うわっと……しー、ってことね」

「そうだね」

 

 唇に手を当ててかわいらしくジェスチャーする幼馴染みに微笑む。結局それ以降、挨拶が終わるまで彼女から睨まれることはなかった。本当に目を付けていたのか、それともただの偶然だったのか。どちらか真相は定かではないが、一先ず、調色高校の入学式はつつがなく終わったのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 調色高校の図書室は、校舎からすこし離れたグラウンドの隅に建てられている。大きさは図書館もかくやといったもので、蔵書数もそれなりに多い。おまけに勉強用ですこし広めの個室も用意しているのだから本当に学校様々だ。玄斗と白玖の目的はあくまで勉強なので、もちろん個室を利用することになる。個室といってもふたりがけのテーブルが用意されているので、ペアでも問題はない。

 

「それで、ここの式がこうなって……」

「あー、そういうこと。ここがこれで……」

「あ、違うよ。そこはこう。で、次がさっき言った公式を使うところで……」

「だよね。ってことはつまりこれで答えが出る?」

「そう。正解。やっぱり白玖は頭いいな」

「学年首席さんにはかなわないなー?」

 

 いまだに信じていないのか、それともネタにしているのか。ニヤニヤとしながら言ってくる白玖に玄斗は苦笑で返した。真実堂々と自慢できるようなものでもないため、他人(ヒト)から言われるのは複雑だ。一度やったことのくり返しであれば、よほど要領が悪くない限りはつまづくこともない。

 

「いまはそんなことどうでも良いから。とにかくほら、続けるよ」

「ちょっとー。せっかく褒めたんだからもっと良い反応しなよー?」

「はい、次は物理だね」

「……見えない見えない、私にはそんな教科書が見えない」

 

 ついでとばかりにいじめ返しながら、玄斗はできる限り丁寧に教えていく。実際、白玖の要領は普通と比べても良い部類に入る。教えたことをスルスルとものにしていく様子は彼からしても気持ちが良かった。そんなのだから、気がつけば随分と時間が経っていた。

 

「白玖、さっきの問題は解け――」

「…………、」

 

 口を開いて、玄斗はすぐに言葉を切った。ころりと転がるシャーペンと規則正しい寝息は、すくなくともフリ(・・)ではないようだった。連日の疲れでもあったのか、それとも単なる寝不足か。今朝は早起きしたと言っていたからそれもあるかもしれない。途中で寝たら起こそうと思っていたが、実際に寝顔を見るとそんな気も引けてきた。

 

「……まったく、もう」

 

 玄斗は着ていたブレザーを脱いで白玖にかけながら、ノートの端を小さく破ってペンを走らせた。

 

『飲み物を買いに行ってくるよ。起きたらちょっと待ってて』

 

 ちょうど喉が渇いていたところだ。そう書き記した切れ端をそっと白玖の手に握らせて、静かに玄斗は席を立った。図書館から校舎への間には自販機とベンチがある。そこですこし小休止でもしてこようかと、小銭をポケットに突っ込んで個室を出る。わざわざ離れた理由は言うまでもなく、幸せそうに眠る幼馴染みの邪魔をしないためだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 校舎の壁に設置された時計を見ると、ちょうど三時を回った頃だった。昼食はふたりとも適当にコンビニで済ませたから、それ以降なにも飲まず食わずだったことになる。

 

「(意識すると、肩が痛いな)」

 

 コキコキと首に手を当てて鳴らしながら、玄斗はほうとひとつ息を吐いた。学生とはいえずっと同じ体勢で集中していれば肩もこる。疲れも溜まる。休むには本当にちょうどいいぐらいの時間帯だな、と自販機の前まで来たときだった。

 

「――まだこんな可愛らしい真似してるのね」

 

 ざあ、と風に吹かれて枝葉が揺れる。ふり向けば深い青色をした長髪が見事に揺れていた。が、なにより目を引くのはその手元だ。……遠目ではよく分からないが、おそらく白玖に握らせたはずの切れ端が彼女の指に挟まれている。

 

「……先輩」

「久しぶりね、十坂くん」

 

 群青の髪をなびかせながら少女――四埜崎蒼唯(シノザキアオイ)は、くすりと意地悪な笑みを浮かべるのだった。




数+色が基本形です。


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よく口にしていたのは

言い忘れてましたがコレ、実は固定ヒロインじゃないんですよ
(´・ω・`)


 

 コツ、と軽い足音がアスファルトに響く。四埜崎蒼唯は風にさらわれる群青色の髪をおさえながら、ゆっくりと玄斗に近付いた。一歩、彼女の足が前に進む。反射的に一歩、玄斗の足が後ろに下がった。

 

「(あ……)」

 

 やってからしまった、と彼は内心で唇を噛んだ。もとより切れ長だった目がスッと極限まで細められる。……これまでの経験から順序立てて考えた結果、言うまでもなく目の前の少女は怒っていた。しかも、自分の不注意で。

 

「逃げる気かしら?」

「いや……」

「ええ、そうよね。あなた、逃げるのが得意だものね」

 

 カツ、とまたひとつ少女が歩を進める。別に逃げるのは得意ではない。ただ、苦手というワケでもないあたり、なんとなく玄斗は反論する気が起きなかった。おそらくは反論したところで十倍二十倍になって返ってくるのが目に見えている、というのもある。

 

「……あら、逃げないの?」

「……思えば、理由がありませんから」

「……そう」

 

 クスリ、と蒼唯はまたもや意地悪な笑みを浮かべて近付く。音を高く鳴らして、大きく踏み込んで、一歩。……今度は玄斗も足を引かなかった。理由なんて言ったとおりで、どうして初めはそうしたのか不思議なぐらい理由が見当たらなかった。ふたりの距離はわずか三十センチ。すこし腕を上げれば触れるほど。

 

「…………、」

「…………?」

 

 じっ、と眼前まで来た蒼唯が目を細めたまま見つめてくる。不躾とも言えるぐらい値踏みするような視線だった。が、居心地の悪さもなんのその。玄斗はそんなコトを気にした様子もなく、不思議そうに見つめ返す。すこし経ってその反応になにを思ったのか、蒼唯は近付けていた顔を離してひとつ息を吐いた。

 

「……本当に相変わらず、ね」

「そう、ですか?」

「そうよ」

 

 呆れるように短く答えて、蒼唯は玄斗の横をするりと抜けていった。自販機の前に立って小銭を取り出して、迷う素振りもなくボタンを押す。はじめからなにを買うか決めていたのだろう。そう思って玄斗が立ち尽くしていると、そこへ不意打ち気味に固いモノを投げられた。

 

「っと……缶、コーヒー?」

「微糖の缶コーヒー。どうせそれでしょう、あなたが飲むのは」

「……凄いですね。先輩」

 

 言外にどうして、と訊くと蒼唯はフンと軽く鼻を鳴らしてベンチに腰掛けた。

 

「誰かさんと一緒に居た頃があったのよ。それぐらい、覚えてはいるわ」

「……ああ。そういうこと、でしたか」

 

 たしかに、彼女と居たときに飲む機会は多くあった。納得しながら玄斗が手元の缶をじっと眺めていると、小さくなにかを叩く音を耳が拾った。トントン、と小気味よく響く音は先ほど蒼唯の座ったベンチからだ。見れば、無愛想ながらもしっかりひとり分のスペースをあけて、彼女がこちらを睨んでいた。

 

「……座らないの?」

「……じゃあ、お言葉に甘えます」

 

 言って、玄斗もベンチに腰掛けた。午前中授業の放課後、昼食を自分で用意してまで残り、おまけに図書館を利用する生徒なんて殆どいない。校舎から伸びる廊下に人影はひとつも見えなかった。もちろんたったふたり、木製のベンチに並んだ彼らを除いて。

 

「…………、」

「…………、」

 

 そうして、そんな場所にあるべき喧噪があるはずもなく。互いに沈黙。衣擦れの音だけが会話代わりに響いていく。腕組みをして脚を交差させながら座る蒼唯と、缶コーヒーを手にいまだどこから切り出そうかと思案する玄斗。結局、さきに口火をきったのは彼だった。

 

「……そのメモ」

「これがどうかした?」

「いや……どうして、先輩が」

「私が持っていたらおかしいかしら?」

 

 指に挟んだそれを見せびらかしながら、蒼唯がからかうような笑みを深める。折り畳まれて文字は見えないが、破り方には見覚えがある。だいたいこれほどまでに生きていれば自分のクセぐらいは覚えるものだ。証拠は一切ないが、玄斗はそれが自分の残したノートの切れ端だと半ば確信している。

 

「本当に変わらないわ。こうやってコーヒー片手にひとりで息をつこうとするのも」

「……悪いですか?」

「さあ、どうかしらね。別に、私の印象なんてあなたには関係ないでしょう」

 

 その言葉で、心にトゲが刺さったワケではない。けれど、なんとなく続けられる言葉があったのだろうな、と玄斗は直感した。それがなんなのかは、あまりよく分からなかったが。

 

「……白玖に、あの子に置いて来たものです。あとで返してあげてください」

「失礼ね。私が他人のものを盗るとでも思っているのかしら」

「……じゃあ、そのメモは一体?」

「そうね。あなたの今後の態度次第で、望む答えを用意してあげてもいいわ」

 

 ――返してほしければ態度で示せ。と、遠回しに脅されているのか。玄斗にとっては片手間に残したメモの一枚。大して価値のない紙切れであるが、なんとなくそれを他人に握られているのは気恥ずかしかった。分かりました、と降参の意も示してため息をひとつ。彼は困ったように笑って、くるりと蒼唯のほうを向いた。

 

「具体的に、なにをすれば?」

「私のする質問に正直に答えること。嘘は許さないわ」

「……どうぞ」

「じゃあまず。彼女はなに?」

 

 なに、と言われても。玄斗は頬をかきながら、すこし頭をひねってちょうどいい答えを探す。まあ、なんだかんだ言って、やっぱり、

 

「幼馴染み……になりますかね」

「そう。ならふたつめ。個室を使ってまでなにをしていたのかしら。ふたりっきりで」

「勉強を……っていうか、先輩も僕と個室使ったことあるでしょう」

「……それは別にいま言うことではないし関係ないわええ全く」

 

 早口で言い切ってふいっと蒼唯がそっぽを向く。ちらりと玄斗から見えた顔が赤かったあたり、なにか気に障ることでも言ってしまったのだろうか、なんて彼は自分の言動を思い返した。……そこまで酷いコトは、言ってないような気がするのだが。

 

「んんっ……それで、三つ目。彼女、あなたに随分と寄って(・・・)いってるようだけど――離れようとしないの? それとも、まだそこまでいってないのかしら」

「――――、」

 

 思いがけない一撃だった。油断していたところを、胸の中心から撃ち抜かれた気分になる。避けていたような的の中心、心の在処に土足でいきなり踏み入られたような感覚。一瞬、本当に玄斗は言葉を失ってしまった。

 

「……先輩、それは」

「勝手に近付いて、勝手に人の(コト)を踏み荒らして、飽きたら離れて。徹底したみたいに逃げて。忘れたように。そんなコトを、彼女にもするつもりなんでしょう?」

「違います。先輩、聞いてください。それは、」

「なにが違うっていうの? 私は、私はあなたの――」

 

 はっとして、蒼唯はそこで言葉を切った。思いがけず出た、という風な最後の一言がなんなのかも説明する暇もなく口を噤む。それ以降、よりキツくなった瞳が玄斗のほうを見ることもなくなった。赤音の正しさを秘めた強いモノとは違うが、四埜崎蒼唯の視線だって十二分に武器となる。それが、長い前髪に隠れて翳っている。……こういうときに上手く言えない自分の不器用さが、玄斗は嫌いで許せなかった。

 

「……すいません、って言っても、仕方ないかもしれませんけど」

「…………ええ、仕方ないわね。だって、何に謝ってるかも分からないもの」

「そう、ですね。だから……はい、なんて言ったらいいか、分かりません」

「当たり前よ。……あなたは、そういう人間だもの」

 

 断言してうつむく蒼唯は、彼程度の言葉でなんとかできるような雰囲気ではなかった。いちばん初めに「会話が絶望的に下手」だと突っ込んできたのも彼女だったか。たしかにそのとおりで、玄斗自身もそれはよく分かっている。心を読むことも、相手の気持ちを理解するということも、その気持ちにあった言葉をかけるというのも苦手だ。なにせ分からないことが多すぎる。分からないから、答えが見つからない。答えが見つからないから、あいまいな答えに頼るしかない。

 

「でも。僕は別に、ぜんぶがぜんぶ、そうじゃないと思います」

「……なにを」

 

 小さく答える蒼唯を余所に立ち上がって、玄斗は自販機の前まで移動した。硬貨はもとより自分で買うつもりだった分がポケットに残っている。なにも分からないが、なにもかもが分からないワケでもない。すくなくともいま、分かることはちょっとでもあった。

 

「はい、どうぞ」

「…………?」

 

 スッと、彼女の視界に入るよう持っていくと、恐る恐るといった様子で蒼唯はソレを手に取った。玄斗が自販機で選んだ飲み物だ。青い。冷たい。クールで沈着。そんな印象とは裏腹に、案外なものが好きであるのは昔から知っていた。

 

「いちごオレ、好きだったでしょう、先輩。忘れてなんていません。そのぐらい、僕だって覚えてます」

「――――っ」

 

 すこし微笑みながら言うと、彼女は驚くように目をしばたたいた。ざあ、と風に吹かれていまいちど枝葉が揺れる。

 

「       ……っ」

 

 そんな一瞬に、耳に届くかどうかという小声で、なにかを言われたような気がした。

 

「……先輩?」

「――なんでもないわ。やっぱり最低よ、あなた。気持ち悪い」

「……すいません」

「だから、何に謝っているのか分からないわっ」

 

 勢いよく立ち上がって、蒼唯はスタスタと図書館のほうへ戻っていった。結局メモも返さないまま、玄斗はその背中を呼び止めるのも憚られて、はじめと同じように自販機の近くで立ち尽くす。

 

「……あ、いた」

「……白玖」

 

 と、入れ替わりで顔を出したのは幼馴染みだった。中へ入る蒼唯の横を通って、あたりまえのようにこちらへ笑顔のまま駆けてくる。切れ端はもちろん蒼唯の指に挟まったまま、彼女の姿はついぞ見えなくなった。すれ違いざま、わずかに首が動いたのは、果たして目の錯覚かそうでないのか。

 

「……どうしたんだ、白玖」

「それはこっちの台詞。いまの図書委員の先輩だよね。顔、怖かったけど。なんかあったの?」

「いや、別に……しいて言うなら、僕が悪かった」

「なにしたの玄斗……」

「なにもしなかったから、かな……」

 

 空笑いしながら言うと、白玖も疑問符を頭の上に浮かべながら首をかしげた。当然だ。玄斗ですらなにがなんだかあまり深く理解していない。

 

「にしても、よく僕がここにいるって分かったね。探したのか?」

「いや、これ握らせたの玄斗じゃないの? あとはい、ブレザー。この時期にまだその格好は寒いでしょ」

「え……?」

 

 ぴら、と白玖の見せた切れ端には、たしかに自分の筆跡でメモが書いてある。間違いなく先ほど眠っていた彼女の手に握らせたものだ。が、そうなると疑問がわいてくる。去り際、見えなくなるまで、蒼唯は切れ端を指の隙間に挟んで握っていた。ならばなぜ、自分の残したメモは白玖の手元にあるのだろう――?

 

「どしたの。狐につままれたような顔して」

「いや……ちょっと、腑に落ちなくて」

「? ふーん。まあいいや。ほら、とにかく早く着てって。ワイシャツだけとか見てるこっちが寒いよ、もう」

「……分かった。分かったから、急かさないでくれ」

 

 ほらほらと迫ってくる白玖をなだめながら、玄斗は静かに息を吐いて苦笑した。考えても分からないものは仕方ない。いまはとりあえず、この騒がしい幼馴染みの存在に感謝しなくてはならないだろう。……考えるのはきっと、そのあとでも十分なぐらい時間が余るはずだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 速めていた歩みを緩めて、彼女はちいさく息をついた。なんともままならない、と心中で後悔の呪詛をくり返す。陰鬱で、嫉妬深い。そんな己に嫌気がさして、また負のオーラが増していく。

 

「……本当に、気持ち悪い」

 

 指に挟んでいた切れ端を開いて、彼女は持ち歩いている手帳にそっと仕舞った。久方ぶりすぎて言いたいコトも言いたくないコトも噴き出てしまった。仕方ない。なにせ向こうはどうであれ、彼女はしっかりと意識していたのだから。

 

「今さら、なんなのよ。…………ばか」

 

 名前とは裏腹に赤く染まった頬を隠すよう俯いて、貸し出しのカウンターまで戻る。彼に買ってもらった好物(・・)のいちごオレは、きちんと潰さずしっかり持ったまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……はたして。

 

『先輩へ。飲み物を買ってきます。起きたらすこし待っていてください。 ――十坂』

 

 そう走り書きされたノートの切れ端は、誰に向けてのものなのか。 










※気持ち悪いは自分に向けての言葉だったりします。





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星がまたたいたとき

一章はもうすこしで終わり


 時間が止まる、という感覚は本当にあるのだと、あのとき玄斗ははじめて思い知った。

 

「これ、あげるわ」

「え……?」

 

 そう言って蒼唯から渡されたのは、青い花の描かれたしおりだった。たしか彼女が愛用していたもので、よく隣で本を読む玄斗の目にも覚えがある。要するに実際に見た記憶だ。別に、それはいい。それまではいい。が、それ自体を視た(・・)コトがあるというのが、玄斗にとってはいちばん壮絶な問題だった。

 

「……ブルースターの、しおり」

「あら、知ってたの」

「……ええ、まあ」

 

 苦笑しながら、内心は混乱でいっぱいだった。だって、そうだ。これを渡されるなんて、という予想外の出来事への衝撃が脳内を駆け巡っている。「アキホメ」ファンの間ではまあまあ有名な、四埜崎蒼唯の使うブルースターのしおり。彼の記憶違いでなければ、それはとても大事な場面――ヒロインの好感度が一定以上を達したとき、つまりルートが確定した瞬間に渡される〝キーアイテム〟のひとつだった。

 

「……どうして、これを……」

「理由なんて、まあ、聞いたところでどうしようもないでしょう? いいから、人からのもらい物は受け取っておくべきよ」

「…………でも」

 

 震える指先でしおりをつまみながら、同じように震える声で蒼唯に話しかける。動揺がこんな風に分かりやすく出るのは数ヶ月の付き合いになる彼女をしても珍しい。普段はもっとクールに、それこそ何事にも動じなさそうなものだから、その姿が傍から見てひどくおかしかった。

 

「もう、なにをそんなに驚いているのよ。そこまで反応することかしら」

「そりゃあ……だって、この、しおりは……」

「私が使っているものだけど? ……まったく、全部言わないと分からない?」

 

 駄目な子ね、と叱るように蒼唯が呟く。その光景が、玄斗の中のなにかと重なった。遠い遠い、薄れかけたおぼろげな記憶。ディスプレイ越しに映る静止画と文字の羅列。それが、現実として目の前にあるモノと不思議なぐらいリンクした。

 

「――あなたに持っていて欲しいのよ、それを」

『あなたに、持っていて欲しいの。……これを』

 

「――――っ」

「十坂くん?」

 

 がた、と思わず椅子を鳴らしてビクついた。心臓がバクバクと跳ねている。なにがなんだか、どれがどうなっているのか。正常に脳が動いているのかさえ分からない。けれど、必死に混乱と焦燥に塗れる理性で、玄斗は彼女にかけられた言葉を反芻する。何度も、何度も、噛みしめるように、確かめるように。……けれど、結局、どれだけ考えても結果は変わらなかった。

 

「えっと……渡す相手を、間違えてません?」

「あなた以外の誰に渡すっていうの? それこそ驚きよ」

「それは……もうちょっと、後に来る、誰か、とか……」

「……本当、会話が下手。そんな顔の知らない誰かとなんて、比べるまでもないじゃない」

 

 言いたいコトはそれだけ? と蒼唯は無言で告げていた。遠くを見つめる視線はどこか必死に逸らしているようでもあった。頬は……心なしか、若干赤く染まっている。そんな彼女に、玄斗は返す言葉もない。どうにも断れないまま、事の重大さに気付いたのは家に帰ってひとしきり落ち着いてからだった。

 

「(どう、するんだ……コレ……)」

 

 手元には青い花のしおり。ゲーム内でいう、ルートの確定を意味するキーアイテム。好感度が一定以上に達した証拠品。……もちろん、ゲームと現実ではなにもかもが違う。攻略ヒロインだって主人公だって、そこらにいる街の人々にしても実際に存在するひとりの人間だ。プログラミングされた画面のなかのキャラクターではない。感情を持った、心を持った、知識を持った、たしかに生きる人間だ。

 

「(――そんなこと、とっくの昔に分かってる)」

 

 だからこそ彼は原作知識なんてモノに自惚れず、現実と向き合った。実際に自分の耳で聞いて、目で見て、肌で感じるコトを重視した。そのための接触だ。わざわざ趣味嗜好を探るのに、前知識があってどうして手間をかける必要があるのか。……それを手間と思わなかったのは、おそらく、彼女との関係がそこまで悪くはなかったからだろう。

 

「(……でも、コレは……)」

 

 ゲームとは違う。現実との差異。逃げ道は、作ろうと思えばいくらでも作れた。正直に言って、嬉しくなかったといえば嘘になる。なにせ四埜崎蒼唯は彼が()、いちばん好きだったヒロインだ。見た目も、声も、性格も、なにもかもが心を占める要因たり得た。そんな彼女から直接手渡された、ブルースターのしおり(ルート確定のキーアイテム)

 

「(…………、)」

 

 どうするか。どうすれば良いのか。一日中悩み抜いた。授業もまともに頭に入らないほど必死に、玄斗は思考回路を働かせ続けた。心地よい今と、来るかも分からない未来。あるかも知らない予想図。天秤にかけて、悩み抜いて、ワガママですら正当化して――最後に選んだのはそっち側。

 

「(……やっぱり。そうだ。僕にこんなものは、いらない――)」

 

 結局、十坂玄斗は十坂玄斗でしかない。世にはびこるギャルゲーの友人キャラとして生まれたそのときから、選択もなにも、すべては決まっていたようなもの。

 

「(僕は――十坂玄斗は、先輩とこれ以上仲良くなっちゃいけない)」

 

 もらったしおりも。向けられる感情も。抱くはずの想いも。それが四埜崎蒼唯であれば、まとめてひとつ残らず壱ノ瀬白玖のものだ。彼が与えられるべきものだ。それを横取りなんてしちゃいけない。手を出すような真似なんて以ての外。己の役割はせめて恋のキューピッド。便利な友人キャラとして、彼の手助けをするだけ。

 

「(だから、いらない。そもそも、見返りなんて、ひとつも求めちゃいない)」

 

 言うなればエゴ。ぜんぶが自分の勝手な感情。なによりもあるべき優先順位は決まって変わることはない。ただひとつ、いつか遠くない未来で、壱ノ瀬白玖が当たり前のように笑える日々のために。

 

「(僕は――――十坂玄斗 (・・・・)じゃないといけない)」

 

 思えば、なにが間違いだったかなんて簡単なこと。はじめからそうだ。なにもせず、誰にも関わらず、ただひとり無関心に、自らの知識を信じて孤独に努めていれば。

 

 ――こんな馬鹿げた状況には、決してならなかったのである。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「お兄ー、ごはんできたー……って、なにしてるの?」

「……いや、なんでも」

 

 大事に仕舞っていたしおりを取り出して眺めていた玄斗に、ドアを開けながら真墨が声をかけてきた。フライパンを握っているあたりにわざとらしさを感じるので、大方様子でも見に来たのだろうと玄斗は直感した。

 

「それなに? しおり? 珍しいねー。お兄、滅多に本とか読まないのに」

「……そうでもない。一時期は、結構読み漁ってた」

「あー、去年の春ぐらい? たしかに読んでたねー。小難しそうなやつ」

「……真墨はもっと難しそうなの読んでるじゃないか」

「いやいや、あれぐらい簡単だから。お兄どんだけ頭残念なの」

 

 そりゃあ、作中屈指の天才と比べられたら到底敵わないぐらいである。

 

「……で、どうしたの。ご飯ならまだ三十分はかかるんじゃない?」

「えっ、なんで分かるの、お兄エスパー?」

「違うって。うちにひとつしかないフライパンに油がつかないまま真墨が持ってきてるからだろう」

「……ちっ、バレたか」

 

 けっ、と行儀の悪い反応を返しながら、真墨がフライパンを持ったまま部屋に入ってくる。エプロンまでちゃっかりつけているのが本当に用意周到だ。

 

「お兄さー……なんか、隠してない?」

「なにって……なにを?」

「いやそれ聞いてんのあたし。お兄会話下手か。あ、下手だったわ。ごめんねお兄」

「……たしかに下手だけど、いまそれを言われるのは結構くる」

 

 主に蒼唯関係のアレコレで。ちょうどしおりを持っているから特に。

 

「んー……まあ別にいいけどさー……ほら、なーんか、言い忘れてんじゃん? 頑張ってネコかぶって入学式乗り切った学年首席の妹にさ」

「……ああ。うん。今日の挨拶は上手だった。凄いな、真墨」

「うっわあテキトー……めっちゃテキトー……お兄そんなんじゃ彼女のひとりもできないよ」

「……いらないって、そんなの」

「ふぅーん?」

 

 玄斗の反論にジト目で睨んでくる真墨。どこか「本当かあこの馬鹿兄貴」と疑っているような視線だった。

 

「のわりには、悩んでるね。女の子関係でしょ」

「――凄いな。真墨、エスパーか?」

「違うって。そんなかわいいしおり、お兄が買ってくるワケないじゃん」

「……ああ。そう言えば、そうか」

 

 たしかにこのしおりは自分には似合わない。青い花なんてイメージからはかけ離れている玄斗が、しかも後生大事に取っているとあれば笑いのネタにでもなるだろうか。思いつつ、そうやって割り切るのも悪くはないかと自棄気味に思った。もっとも、する気はさらさらなかったが。

 

「てかさ、入学式で思い出したけどさ。昼のあれ、なに? お兄煽ってんの? 人が必死こいて挨拶読み上げてんのにニコニコ笑って手まで振ってきて。もうあたしマジでキレる五秒前だったからね?」

「ごめん。応援してたんだ。頑張れって」

「いやもっと真面目に応援しろよ馬鹿兄貴」

 

 ごもっともである。

 

「……とにかく、真墨が凄いのは分かってる。人一倍頑張り屋だからね」

「ふふん。もっと褒めればいいよ。お兄は所詮あたしには勝てないんだから」

「そうだね。真墨には勝てないな」

「ふっふっふー」

 

 そう言って腰に手を当てながら笑う妹に、すこしだけ力が抜けた。悩みは晴れないが、すこしでも雲を蹴散らしてくれたのは嬉しい限りである。玄斗は感謝の意も込めて、近くまで来ていた真墨の頭に手を置いた。

 

「ん。色々と、ありがとう。真墨」

「……!? …………!!??」

 

 がばっ、と頭を撫でられた真墨が大袈裟に飛び退く。ウサギもびっくりのジャンプ力だった。一瞬で玄斗の腕の範囲から逃れている。

 

「ちょっ、ちょちょちょ! いきなり頭撫でるか普通!? お兄、女の子とのボディタッチに慣れすぎじゃない!?」

「……兄妹だから気にすることもないと思うけど」

「いやいや! いやいやいやいや! お兄ちょっと冷静になろう? あたしたち兄妹だよ? 禁断の関係だよ? 距離感は適切がいちばんでしょーがっ!」

「……真墨、大丈夫?」

「そう訊きたいのはこっちですけどお!?」

 

 バタバタと慌てる妹に玄斗は一抹の不安を覚える。なんだろう、こう、人の風呂には勝手に脱衣場まで入ってくるくせに、こっちが間違えて風呂の途中に脱衣場まで足を運ぶとめちゃくちゃキレてくるような。そんな理不尽がひしひしと伝わってくる。

 

「だいたいお兄は異性との距離感というものを……」

「あ、電話」

「いや聞けー? ちょっとー? あなたの妹が良いコト言おうとしてますよー? 聞け?」

「もしもし」

「いや聞けよマジで」

 

 まったくこのお兄は……と言いながら部屋を出ていく妹に手を振って、玄斗は携帯に耳を当てた。相手はおおかたの予想どおり、昨日と同じだった。

 

『あ、玄斗? いま大丈夫?』

「うん。大丈夫だけど……どうかした?」

『どうもしないけど。ほら、私って基本、家にひとりだからさ。誰かの声は聞きたくなるんだよ。どうしても』

「……ひとり、なのか」

『そう。あれ、言ってなかったっけ?』

「……うん。初耳だよ」

 

 識ってはいたが、知りはしなかった。歴史は変わっていないのだと今さらながら玄斗は実感する。多少の覚悟はしていたつもりだ。向き合えるようにと心の準備もしていた。が、実際にその話と直面してみると、どうしても腰は引けた。

 

『まあ、色々あってね。私がこっちに戻ってきたのも、そういうこと』

「そっか。……明日、ちょっと顔を出してもいいかな」

『顔って……え? うちにってこと?』

「ダメかな」

『……い、いやいやいや! ぜんぜん! おーけーだよ玄斗! えっと、じゃあ準備、掃除もしなきゃ……あー、えっと、玄斗は洋菓子と和菓子どっちがいい!?』

「……そこまでしてもらわなくても。ちょっと、立ち寄るぐらいだから」

『それでも私的に準備は必須なの!』

 

 夕飯はどうする? 作ろうか? 出前? 外食っていうのも良いかもね、なんて楽しげに予定を想像する白玖に苦笑しながら、玄斗はふと窓の外を見上げた。都心からすこし離れた田舎町故か、夜空に瞬く星はうっすらとどうにか見える。

 

「……挨拶ぐらいは、しとかないとね」

『――そっか。そうだね。じゃあ、一緒にやろっか。明日、どうせ帰り道は途中まで同じなんだし』

「うん。……ね、白玖」

『どうしたの、玄斗』

「僕が約束を破ったことって、あったっけ」

『……ない、かな。すくなくとも、私が知ってるなかでは』

「そっか」

 

 ならいいんだ、と玄斗はうなずいて顔をほころばせた。問題は山積みで、色々としなければいけないコトも、考えなければならないコトもある。けれど、一先ずの方針は決まった。明日がすこし、頼りがいのある未来に思えた。




・昔に誰かさんの残した古い書き置き
・最近誰かさんにもらったいちごオレ
・毎日の仕事は基本的に本の貸し出し
・いつも使っている青い花柄のしおり























ちなみに小数点以下のIFの可能性でうまくいった場合、花言葉のとおりになります。


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イメージカラーはやっぱり

お休みがとれたのでいっぱい書いていこう


 たとえば、廊下を渡るときの綺麗な姿勢だとか。何気ない動作のひとつだったりとか。そういうのが良くも悪くも印象的な人間はわりと多い。二之宮赤音は前者にあたって、その行動のひとつひとつがぴっしりと決まっているようで見ていて気持ちがよかった。

 

「ちょっと」

 

 そんな彼女にすれ違いざま呼び止められたのが、入学式の翌日だった。肩を跳ねさせた玄斗と対照的に、隣を歩いていた白玖が不思議そうにふり向く。見間違いや聞き間違いではもちろんない。彼女の左腕につけた腕章が、しっかりとそうであることを証明していた。

 

「そっちのあんたよ、十坂玄斗」

「……赤音さん」

「こっち向きなさい。ほら」

 

 早く、と急かす彼女の言われるがままに、玄斗は気をつけのまま百八十度回転した。語調が荒いのは公の場ではないからで、すこし不機嫌そうな理由は、まあ、玄斗の記憶にも覚えがある。詳しく説明すると、ちょうど昨日のあたりに。

 

「……すいません。先日は」

「そうね、人の挨拶を聞かずに女の子と喋ってるなんて、良いご身分よね。あの場じゃなかったらぶん殴ってるわよ」

「…………本当に申し訳ないです」

「ま、過ぎたコトだし済んだコトだし一先ず置いておいてあげるけど……。ちょっと、姿勢緩めるな」

「はい」

 

 ピン、と赤音の言葉にいまいちど背筋を伸ばしながら、玄斗は気を引き締めた。隣で同じように立ち止まった白玖は、いったいなんだろうと変わらず不思議そうに首をかしげている。

 

「――ネクタイが曲がってる。まったく、そんなんじゃ腕章ごとゴミ箱に捨てるわよ」

 

 きゅっと掴んだネクタイを直しながら、耳元に顔を近付けた赤音がぼそりと呟く。急接近にしてもすぎる(・・・)距離。色んな意味で心臓が飛び跳ねる想いは、どちらかというと緊張のほうが高くあった。その言葉に、玄斗的に無視できない部分が多々あったりはしたのだが。

 

「……前、その話は辞退したはずですけど」

「席と腕章はとってあげた。いつでも来なさい、トオサカくん? ……そろそろ観念して、降参することをおすすめするわ」

「…………、」

 

 観念するかどうかはともかく、やっぱりその腕章は絶対に受け取れないと思う玄斗だった。

 

「それと、あなた」

「あ……私、ですか?」

「壱ノ瀬さんよね。たしか、今年に転入してきた」

「は、はい。そうです。玄斗と同じクラスで――」

「言っておくけど、期首考査で下手な点数とったら承知しないから。ましてや、その男に色々と(・・・)世話を焼かれているようだし」

 

 と、聞いていて玄斗はすこしだけ驚いた。不思議なもので、その台詞は転入当初に原作の主人公が言われたモノとほんのちょっぴりだけ似ている。もちろん、前半部分のみで、後半のいっさいを切り落とした場合に。

 

「え、えっと……」

「言いたかったのはそれぐらいかしら。うん、それじゃあね。壱ノ瀬さん。玄斗(・・)、あんたは首洗って待ってなさい」

 

 ニコリと綺麗すぎる笑顔で別れを告げて、赤音はスタスタと廊下を歩いていった。嵐の過ぎ去ったような跡地には、そこそこの見物人と、なにがなんだかといったふうに首をかしげる少女と、どこか申し訳なさそうに立ち尽くす少年のみ。

 

「……あれが、生徒会長?」

「……うん。いつもはもっと、こう、笑った顔が似合う人なんだけど」

「ていうか期首考査あるんだね。当たり前か。いつ?」

「来週」

「来週かー……来週?」

「? うん」

 

 そうだけど、となんでもないように口にする玄斗。とくに心配もなにもしていない表情だが、白玖にとってその情報は人類滅亡よりも重くのしかかった。

 

「知らないよそんなの……!? え、うそ。まずい? このままじゃ私あの生徒会長になんかされちゃう!?」

「なにもされないと思うけど……点数が悪かったら、目は付けられるんじゃないか?」

「玄斗教えて!」

「もとからそのつもり」

 

 勉強ぐらいは、という思いもある。波乱からはじまった一年が平穏に進むべくもなく。これから先もきっとそうなのだろうと、なんとはなしに玄斗は直感した。波瀾万丈、商売繁盛、諸行無常。なにはともあれ、人生とはことさらうまくいかないものである。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ガチリとカギを開けて、真っ白なドアが開かれた。

 

「さ、入って入って」

「……お邪魔します」

 

 古馴染みの幼馴染みとはいえ、玄斗がこうして白玖の家に来るのは今日を含め数えるぐらいだった。幼い頃に数回程度である。中はこれといって古びた様子もなく、かといって散らかっている様子もない。手入れが行き届いているあたり、本当に苦労しているんだろうな、と思わず白玖のほうを見てしまった。

 

「? なに、どしたの」

「……今度から、たまに顔を出そうか? 家事なら僕でもすこしは」

「無理しなくていいって。まあ、玄斗が来たいって言うんなら良いけどー?」

「じゃあそうするよ。頭が回ってなかった。さすがに君ひとりじゃ、荷が重すぎるだろうし」

「……心配性だなあ、玄斗は」

 

 やれやれと苦笑しながら言う白玖に続いて、玄斗も玄関で靴を脱ぐ。上がり框を踏んで、そこから一メートルもいかないところで左側に扉が見えた。すこしだけ神妙な顔つきになった白玖が、ドアノブに手をかけて「ここだよ」と笑う。玄斗は手に提げたレジ袋から買ってきたものを取り出して、ゆっくりと家主に続くかたちで部屋に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま。お父さん、お母さん。覚えてるかな、これが、昔一緒に遊んでた玄斗」

「……君のお母さんとは一度会ったぐらいだったから、たぶん、覚えてないと思う」

「そんなことないって。あの頃のお母さん、お見舞いに行ったらいつも前の子とはどうしたーとかどうだーって、うるさかったんだもん」

「……そっか。じゃあ、覚えられてはいたってことだ」

「うん。お父さんなんて、玄斗のことすごい構ってたしねー。ちょっと、嫉妬しちゃった」

「それは、ごめん。……ちなみに、いつ?」

「一年前。私が中学にあがった頃には、もう元気をなくしてたからね。いつかは、って思ってたけど。……やっぱり、実際そうなるとくるよ、結構」

 

 線香を供えて手を合わせながら、熱心に、熱心に拝む。もとより身体が弱かった白玖の母親は、ちょうど玄斗が彼女と出会った十年ほど前に亡くなっている。それから父親も他界したというのは、()から知っていた話だ。せめてどちらか一方でも不運が絡んでくれればと思わないでもない。例えるなら本当に、事故であってくれたなら。自分の身を犠牲にしてでも、辛うじて残すぐらいはできただろうに。――原因は、病だ。

 

「……お墓は、こっち?」

「そう。お母さんと一緒に。だから無理いってこっちまで戻ってきた。お墓参りもそうだし、なにより……この家には、三人で暮らしてた思い出がいっぱいあるから」

「……うん」

「早すぎるんだよね、本当に。三十だよ? まだ。だっていうのに……あーもう、あれだ。お父さんはお母さんが好きすぎるんだよ」

 

 何年経ってもバカップル、なんて白玖はからかうように言った。辛さと、悲しさと、それ以外のなにかを合わせたような複雑な顔をして、ちょっとだけ、口角をつり上げた。

 

「……今度、一緒にお墓参りに行ってもいいかな」

「もちろん。お父さん玄斗のこと気に入ってたし、きっと喜ぶよ」

「だといいんだけどね。……一言、伝えたかったんだ。ずっと」

 

 ――ごめんなさい、と。なにもしなかったワケでもないが、なにもできなかったコトは後悔していた。おそらくすべてぶちまけて話して、なおかつ「馬鹿げたコト」だと切って捨てられなければ、眼前の少女――壱ノ瀬白玖にどんなコトを言われても仕方ない。命の重さは人一倍、玄斗自身分かっているつもりだった。だって彼は、一度――

 

「前ね、言ったじゃん。そういう格好してたって」

「……ああ、昔の、男の子っぽい……」

「うん。あれね、お父さんが居たからなんだよね。その頃から弱っていく母さんを見てるのが辛かったみたいでさ。お父さん、私が女の子らしい格好してたら「小さい頃の母さんに似てきたね」なんてもうすっごい苦しそうな笑顔でさ……子供ながらに、あれはないって思ったよ。お父さん愛想笑い下手すぎ」

「……そっか。そういうことだったのか」

 

 だから一人称も変えたのだろうか。昔は「おれ」と言っていた彼女も、いまや立派に「私」となっている。あまりにも格好と違和感がないものだから、どちらも自然に受け入れていた。男だった立場の人間が、女になっただけ。そう考えるのは、どうにも難しいだろう。

 

「……そんな顔しないで。まあ、たしかに? 辛い時期はあったし、もう泣きそうになるぐらい悲しんだこともあったけど……でも、いいんだよ。私は」

「……なにが、いいんだ……?」

「ん? そりゃもちろん、辛いことがあった分、悲しいことがあった分、お釣りが来るぐらい幸せなことがあったからでしょ」

「――――、」

 

 そう言って、壱ノ瀬白玖はゆるく笑った。幼い頃を思い出させるような、純真無垢な笑みを浮かべて。

 

「……そう、なのか」

「うん。もうね、本当良かった。こっちに戻ってきて」

「……ああ、なら、僕もちょっと、安心した。ちなみに、その幸せなことって?」

「教えなーい」

 

 乙女の秘密だよ、とウインクをして白玖は立ち上がった。一先ず挨拶はここまでらしい。部屋から出ていく彼女の後ろをついて、玄斗も廊下に出た。やっぱり、女子ひとりで住むにはこの一軒家は広すぎる。

 

「……白玖」

「はいはい、なあに、玄斗」

「その幸せが、ずっと続くと良いな。これから先も、ずっと」

「……うん。そうだね。そのためには、玄斗に頑張ってもらわなきゃ」

「――僕に?」

 

 そ、と短く答えて白玖はドアを閉めた。その顔が、ちょうど髪に隠れて見えなくなる。

 

「……分かった。なら僕も、頑張るよ。君の幸せは、貴重そうだからね」

「なーにそれ。私の幸せなんて、案外そこらに埋まってるかもよ?」

 

 灯台もと暗し。得てして、身近なコトほど気付かないものである。玄斗は自分の手を見つめながら、ひとつ覚悟を決めた。――いいや、それは、もとより。

 

「さ、ご飯でも食べよ。今日は私の手作りです」

「手伝うよ。なにもしないっていうのもあれだし」

「どれか分からないけど、じゃあ玄斗を我が家のキッチンに案内しようか。エプロンはお父さんが使ってたやつを洗ってあるから、それでね」

「……さては初めから手伝ってもらうつもりだった?」

「さあ、どうでしょう」

 

 口元をおさえてくすりと笑う白玖は、制服姿のままリビングまでとててーっと走っていった。その背中が、やっぱり幼い頃に追いかけていた少年の像と結び付く。

 

「(……本当、取り乱すまでもなかった。白玖はやっぱり、白玖だ)」

 

 だからこそ、自分のやることも変わらない。壱ノ瀬白玖がそうであるのなら、十坂玄斗でさえもそうであるべきだ。名前も忘れた、記憶だけの、居ないはずの誰かなんて、一切合切関係ない。その意識が残っていたところで、なにがどうなるわけでもない。いまの彼は十坂玄斗で、もとの()には足りないものが沢山あって、ならば、どうするかも決まっていた。

 

「(人生ひとつ。命のひとつ。重さはきっと平等じゃない。だからいちばん軽いのが誰のものなのかも分かる。――要はそんなもの、使い切ってしまえばいいんだから)」

 

 

 

 

 

 この身も、心も、すべて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――彼は壱ノ瀬白玖という個人を救うために、使い潰すと決めていたのだ。 






これにて一章本編は終了です。あと二話、幕間の物語があるよ、という感じ。


一先ずタグの因果応報くんに仕事をさせましょうね!


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一章幕間:彼のウラガワ ~君のためなら死ねる~

今日中にあと一話更新するよー


 イメージカラーは白。容姿はそこそこ普通。髪の色も肌の色も新雪を思わせるような純白で、見た目はどちらかというと痩せている。活発的ではない身体と、気弱そうないつもの態度から、生徒間でのイメージは良くも悪くもありきたりな少年。原作ゲーム、「アマキス☆ホワイトメモリアル」の主人公――壱ノ瀬白玖は、そんなキャラクターだった。

 

『やっておくよ。ちょうど、手が空いてたから』

『うん。任された。人助けぐらいはしないとね』

『放っておけないだろ。ほら、困ってる人とか』

『いいよな、家族。……玄斗もそういや、妹がいるんだっけ』

 

 混じりけがない。純粋で綺麗なまま。白から想起されるものにそういったものはあれど、壱ノ瀬白玖にいたってはそうでもなかった。

 

『白玖。あんた、ちょっと不気味よ』

『……まっさらな、キャンバス。……せんぱいは、そんな、感じ……』

『白紙のページ。あなたと会話してると、それを読んでるみたいな気分になるわ』

『うーんとさ……どうして壱ノ瀬は、そんなに辛そうに笑うワケ?』

『あはは……あー、お兄が言ってたとおりだ。センパイ、ちょっとやばいっすねー』

 

 目に見えるものは弄りやすい。実際にあるのなら尚更だ。が、見えないものをどうこうするとなると途端に難しくなる。原作のゲーム開始当初、すなわちどのルートにも入っていない状態での言動、壱ノ瀬白玖は薄味の、個性がすくない普遍的なギャルゲー主人公だった。

 

『誰もいない。なにもない。残ったものだけ大事にして、ずっと、引き摺りながら歩いてる。――俺なんて結局、そんな醜い人間ってことだよ』

 

 だから、ルート分岐にさしかかった瞬間。はじめて晒された彼の心中に、思いっきり囚われた。幼い頃に母親を亡くし、それから次いで父親も後を追うようにこの世を去った。不思議と家に誰もいない。その理由付け程度の設定だと思っていながら――実際どうか。そんなコト、まだ成人もしていない少年の心が、耐えられるワケがなかったのだ。

 

『腹が立つのよ。白玖。あんたにとって、私はなに?』

『せんぱい、は……! ひとり、じゃ、ないです……!』

『許さないわ。そんなの。そうやってずっと思い悩むぐらいなら、私があなたを……!』

『……大丈夫だよ、壱ノ瀬。すくなくともあたしは、ここに居るから』

『……ま、当分は一緒にいてあげますよ。センパイのこと気にかけてるのはあたしだけじゃありませんし』

 

 でも、物語には救いがある。自分の幸せを見つけて、失いかけていた心のカタチを取り戻していく。ルートに入ったヒロインと一緒に、自らの歩むべき道を進んでいく。全年齢向け恋愛シミュレーションゲーム「アマキス☆ホワイトメモリアル」の本編内容は、おおまかにまとめるとそんな感じだった。途中まで主人公がヒロインを攻略し、ルートに入ればヒロインが主人公を攻略してくる。言うなれば、壱ノ瀬白玖を救うためのシナリオ。

 

 ――そこで重要な役割を担うのが、十坂玄斗だ。

 

『おはようだな、白玖。ところで、なにか聞きたいことでも?』

 

 各ヒロインの好感度表示、どうすれば良いのかという軽い助言、現在の雲行き……つまりイベント進行度がどうなっているのか。ありきたりで使い古されてはいるが、なぜかヒロインの情報を完璧なまでに管理するお助けキャラ。各所で「こいつの情報収集力は人間超えてんだろ」と言わしめたものである。

 

『僕はずっと……踏み入れなかったな。白玖、きっと、おまえの心を開いてくれるのは、僕じゃない誰かだと思ってた。……それに頼ってるんだから、友人失格だ』

『そんなことねえよ、玄斗。……おまえのおかげだ。ありがとう』

『……なら、いいんだ』

 

 そんな立ち回りを、ある日、突然、衝撃も冷めやらぬままに求められた。

 

「おれの名前は白玖(はく)! 壱ノ瀬白玖(いちのせはく)!」

「(え――――)」

 

 十坂玄斗。二度目の名前は偶然だとぼんやり考えていた。なのに、目の前に現れた少年によって、ここがどういう世界なのかも理解してしまった。

 

『本当、泣かないなあ、白玖は』

『いや、泣くぞ? 玄斗。俺だって、涙ぐらい』

『そうかな。僕には君が、泣いているようには見えないけど』

『……? 変なコト言うんだな、玄斗は』

 

 壊れたココロ。歪んだ思想。家族を失った辛さに耐えかねて、ぽっかりと穴が開いたようにふらふらと歩く。まるで死んだように生きている。壱ノ瀬白玖の本質はそこだ。そんなものが少年の未来に待っている。あまつさえ失敗すれば、ずっとそのまま生きていく。――やるかどうかは、すぐに決まった。

 

「……僕は玄斗(くろと)十坂玄斗(とおさかくろと)だ。よろしく、白玖」

「おう! よろしくな、玄斗!」

 

 願わくば、その笑顔がずっと咲き続けることを望んだ。

 

「きっといつか、白玖を幸せにする」

 

 ――それは、彼自身ではないとしても。そうしなければならないと、頭では分かっていた。油断か、慢心か。信頼かも分からない。されど、見方によってはそれは、間違いでしかない。

 

「赤音さんって、やっぱり優しいですよね」

「……きっと、大丈夫。なんなら僕も協力する」

「先輩、甘いもの好きなんですね。意外です」

「……ご趣味は?」

 

 本当に、欠片も、片隅にすらそれは置いていなかった。あまりもの、こぼれたもの。そんなものですら不要だと思った。すべては彼のために。壱ノ瀬白玖がもう一度笑えるために、辛さをひた隠しに進んできた彼にいまいちど笑顔を取り戻すために。

 

「(ああ、そうだね。おかしい。でも良いんだ。これぐらいしなきゃ、釣り合わない)」

 

 ――君のためなら死ねる。

 

 一度経験してもそう思えたのは、偏に彼の歪さだった。自分のすべてが溶け落ちてなくなっていく感覚を覚えておきながら、いまいちどその経験をできるものか。けれど、生きている以上は嫌でもしなければならない。カタチあるものはいつしか終わる。生きているならばきっと死ぬ。明日か、明後日か、遠い未来か。それまでの全部を、彼は壱ノ瀬白玖のために使い尽くすつもりだった。

 

 なのに。

 

「えっと、今日から転入してきました。壱ノ瀬白玖(イチノセハク)って言います。よろしくお願いします」

 

 いざはじまった二学年の一学期、転入してきたのは同姓同名の女子だった。そりゃあ混乱もする。困惑だってする。どういうことなんだと言いたくならなかったワケがない。なにせ彼のなかには「壱ノ瀬白玖=男」という図式が完璧なまでに刷り込まれていたのだ。まさか、女だなんて、そんなまさか、と。

 

「(……まあ、それはそれで。なにかあったのか、白玖は……違うみたいで、同じだし)」

 

 探ってみたところ、同性愛の気……はないように思う。原作ヒロインとの接触も果たしたが、とくにどうこうといったものもない。それはつまり、いままで彼がやってきたコトすべてが無に帰したというコトでもある。

 

「(ま、いっか。それは。たかだか数年程度の努力の意味がなくなっただけで、いまさらどうってこともないし。白玖さえ幸せそうなら、それで)」

 

 よって、問題は意味がなくなっても思い出はなくならないということになる。

 

「(……理由がなくなったら動くあたり。本当、どうかしてる)」

 

 白玖の幸せに関係なくなった瞬間、やり方は頭に浮かんだ。胸を占有する気持ちだってそうだ。そもそも、白玖がどうのこうのという前に答えは決まっていたようなものだろう。だから、なんでもない。――背後から聞こえる、低い声のコトなんて。

 

『ズルいよね』

 

 ひたひたと。這って、立って、引き摺って。

 

『そこは僕の場所なのに。僕の立ち位置なのに。勝手に君は、君のコトをよくしようとするのかい? それは、ねえ――』

「……うん。分かってる」

 

「『違うだろう』」

 

 本当に、なんてことはない。死ぬコトに比べれば甘いものだ。幸せに手をかけた瞬間、無性に死にたくてたまらなくなる。そんな彼の感情のコトなんて、二の次だ。一番はずっと、そう。何度も言うように。

 

 

 壱ノ瀬白玖を、幸せにしなくては。




名前:十坂玄斗

性別:男

年齢:16

趣味:とくになし

特技:(特技と言うほどでもないけど)勉強

イメージカラー:黒

備考:前世の記憶がある転生オリ主系男子。白玖のためなら死ねるを地で行く精神性は歪みきってるので矯正不可能。なお白玖以外の人に対してもそれができるのでわりとヒロインのピンチで死にやすい。世渡り、会話、人との付き合い方が絶望的に下手。作中の約9割はこいつのせい。自分に幸せだと思うことが訪れようとしたときとか幸せを感じた瞬間に無性に死にたくなる。白玖の幸せは別腹。














正直晴れ間が見えないぐらい曇らせようとしたらちょっと甘さを出してしまったので後悔してる。


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一章幕間:彼女のウラガワ ~あなたの色がほしい~

綺麗なヒロインだと思っていた人には申し訳ないがここでネタばらし。


 

 彼女にとって、その言葉は救いに等しかった。

 

『うん。大丈夫。いまはすごい悲しくて、きっと、僕の想像もつかないぐらい、白玖は辛いんだと思う。でも、大丈夫』

 

 母親が死んで、悲しみにくれていた彼女に、その少年は優しく語りかけた。どこか年相応らしからぬ雰囲気と言葉遣いで。必死に、必死に、彼女の心をときほぐそうとしてくれた。

 

『きっといつか、白玖を幸せにする。あと……そうだね、十年もしたら、きっと』

 

 壱ノ瀬白玖はその言葉を、片時も忘れたことはなかった。

 

「……白玖。おまえは本当、母さんに似てきたなあ」

「また言ってる……もう耳にタコができるほど聞いたよ、それ」

「もし死んだら母さんと同じ墓に入れてくれよ? じゃないと化けて出るからな」

「もう、縁起でもないこと言わないでよ。ただでさえ入院してるのに」

「……だな。ちょっと、お父さん空気読めなかった」

 

 最後に交わしたのはそんな会話だったか。父方の実家で暮らしていた白玖のもとに訃報が届いたのは、ちょうど中学三年になる夏休みのときだった。

 

「お父、さん……」

 

 悲しかった。自然と涙は溢れた。枯れ果てるほどに流れて、やがて倒れるように白玖は眠りについた。祖父母はそんな彼女を慮って、色々と親切にもしてくれていたように思う。

 

「…………、」

 

 でも、こればっかりはどうしようもない。胸の中心にぽっかりと開いた穴。なにもかもが手につかなくて、どうしようもない気分に浸っていたとき。――ふとはじめた遺品整理の途中に、古い写真を見つけた。

 

「(あ、これ――)」

 

 映っているのは幼い頃の自分と、濡れ羽色の髪をした少年。名前は十坂玄斗。いまはどうしているのだろうか。母親の死と、父親の体調不良で引っ越してからは連絡もとっていない。懐かしい、と思いながら他の写真を漁っていくと、ひとつ、目につくものがあった。

 

「うわあ、そうだ……これたしか、玄斗と一緒に書いたやつだ」

 

 表裏一体。たしか白玖の父親にカッコイイ四字熟語を聞いて、ふたりで一緒に書き記したものだった。白と黒は表裏だから、ひとつになってひっくり返る、なんて意味の分からないコトを言っていたっけ。

 

「……玄斗、いまなにしてるかな」

 

 一度気になりだしたら、後はもう歯止めがきかなかった。時期的にちょうど良かったこともある。向こうで近所に住んでいる母方の姉に月に何度か訪問の約束を取り付けて、彼女はたったひとり昔の家族で住んでいた家にまで戻ってきた。どこの高校かも分からないまま、正直無鉄砲な行動だったのは否めない。けれども理由はそれだけではないし、と転入した高校へいざ行ってみたところ。

 

「(――見つけた)」

 

 奇跡でなければ運命だ。十坂玄斗はそこにいた。むかしと変わらない濡れ羽色の髪を目元まで長く伸ばして、むかしと同じような口調で白玖に接してきた。……男だと思われていたのは、まあ、仕方ないにしても。

 

「おかえり、白玖」

 

 そして、あの言葉を聞いたとき。白玖の心は、真実もう一度救われた。胸に飛来した想いは十二分に理解できた。辛くて、悲しくて、自棄にすらなりかけていたとき。たった一言、彼にその言葉をかけてもらっただけで、温かいものに包まれた。

 

「(ああ、もう――――好きだなあ)」

 

 転校前に願掛けついでで髪を染めてきたのは正解だった。彼と同じ濡れ羽色。自分の白とうまく混ざり合うように染まった黒髪は、いつも彼の存在を感じられて幸せな気分になる。そうだ。ずっと自分は、この少年と一緒に歩いて行きたかったのだ。

 

「(好き、好き。大好き……他の誰にも渡したくなくなるぐらい……って、重いなあ)」

 

 自覚はしている。きっと自分の心は重い。あの鈍感で天然入った男が気付く筈もないだろう。おそらくはずっと、友人同士の付き合いとして片付けるはずだ。けれど、気持ちを伝える手段はいっぱいある。たとえば、

 

「……惚れてくれてもいいけどー?」

「ほら、玄斗の声って安心するし」

「玄斗のいるコンビニなら毎日行ってあげるよ」

 

 こんなふうに、本気の冗談(・・・・・)を織り交ぜてみたり。

 

「(まあ、気付いてもいないだろうけど)」

 

 所詮冗談で処理されるものだ。軽口でちょっとまあ冗談にならない気持ちを伝えるだけ。そんな面倒くさいコトをするような性格でもなかったはずなのに、人間どこでどうなるかなんて本当に分からない。……いきなり決まった一緒に登校するという一大事に、一睡もできなかったコトとか。

 

「(思わず図書室で寝落ちしちゃったし……なーんか粋なコトしてくるし)」

 

 わざわざメモを残して握らせ、ブレザーを肩にかけてくれたのは心底驚いた。ついでに玄斗の匂いにつつまれて幸せだった。我ながらちょっとそれはどうかと思う。

 

『僕が約束を破ったことって、あったっけ』

「……本当、ないから怖いんだよ。玄斗は」

 

 嘘なんて一切ついていない。実際、彼女が知っているなかで玄斗が白玖との約束を破ったことは一度もない。

 

「(まあ? 他の先輩とか、女子とかのアレコレは……ちょっと気になるけど)」

 

 とくに廊下でネクタイを締めてきた生徒会長。あれは危険だ。副会長なんかに玄斗を据えられたら一緒に過ごせる時間が減ってしまう。というよりピシッと直すのはそれはそれでいいが個人的に気に入らない。玄斗のあのゆるいネクタイはちょっと気怠さと着崩すまでには至らない中間にあるからなんかこうエロくて良いと思うのに。

 

「(うん。やっぱりブレザー姿の玄斗はエッチすぎるよ)」

 

 熱いものがこみ上げてきた。こんな姿は玄斗には見せられない。いつかは見せることになったとしても、今はまだ〝軽い関係におさまっている友人程度〟でいいのだ。時間はたっぷりある。少しずつ、彼の気をこちらに引いていけば良い。外堀から埋めていくというのも良いかもしれない。

 

「(……そうだよ。玄斗は約束、破らないんだよ)」

 

 彼は忘れているだろうか。幼い頃に彼から取り付けた大事な約束。けれど、忘れていたって白玖にとっては問題ではない。なにせ、それですら彼は叶えているのだから。

 

「(ね、玄斗。……私を絶対、幸せなままで居させてね)」

 

 冗談めかしてそんなコトを思う。半分は本気だった。だからそう、本当に、誰にも渡すつもりはない。この立ち位置を譲ってやるつもりもない。どこのどいつが相手だろうと、向かってくるなら迎え撃つ。

 

「(そう。私は玄斗に幸せにしてもらった。だから、今度は私が玄斗を幸せにする)」

 

 そう決意した。……決意したのだが、ほぼ告白まがいの台詞を素直に受け取らないのはどうかと思う。幸せになるためにあなたが必要とか、正直プロポーズもかくやといったものだと思ったのだが、彼はそうだね頑張ると答えるだけで意味を正しく理解してはいなさそうだった。

 

「(本当、ばか玄斗。……玄斗が隣に居るだけで、私は幸せなんだから)」

 

 その想いが彼に届くのは、もうすこしだけかかりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで玄斗のブレザーを脱いだワイシャツ姿は控えめに言って最高ではないのだろうか。あの一枚剥いたというエロティックと白という清楚な色が合わさってもうドリームズカムトゥルーって感じだしあれだよね公共の場でする格好じゃないよねもう本当えっちだし私の前だけでやるべきっていうか普通にあれだよ警察に逮捕されちゃうってあのエロさはやばいよねブレザー早く着せないともう決壊しそうだったよもう本当もう玄斗ってばもう――




名前:壱ノ瀬白玖

性別:女

年齢:16歳

趣味:炊事、洗濯、お掃除

特技:隠れ潜むこと(?)

備考:ヘヴィー系ゆるふわ幼馴染み原作ギャルゲー主人公(♂)→(♀)という属性盛り合わせの末に生まれた現代に隠れ潜むヤンデレ(微。本作主人公が好きすぎてもう愛が止められなくなっている模様。なお向こうが歪んでいるとは知らない。原作主人公(♂)の場合、ヒロインが決定すると染髪イベントが発生し、各ヒロインと同色の色を自らの白髪に加える。それが既に起きているということはつまり……

ちなみに転生オリ主系野郎を救えるのは彼女だけである。
(彼女しか恋仲になれないとは言ってない)











壱ノ瀬白玖がこういうヒロインだと知ったあとに読み返すと「あっ……(察し」ってなる会話を結構仕込んでたりしたようなしてないような。うん?


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第二章 蒼くても熱いもの
雨の日に蒼空はなくて


もう一度乗ってしまって筆が止まらない
(´・ω・`)


 珍しく寝坊した。時季外れの雨が降るなか、玄斗は傘を片手にバス停でじっと待っている。原因なんて大それたものはない。単純に寝過ごした。気付けば時計の針は八時半を回っていて、家には誰ひとりとしていなくなっている。しまった、と肩を落としながら学校に電話をかけたのがつい三十分前。携帯には、白玖からのメッセージと着信履歴が残っていた。

 

『玄斗ー?』

『不在着信』

『おーい』

『大丈夫ー?』

『もう朝だよー』

『不在着信』

『不在着信』

『ねえ』

『玄斗ってばー』

 

「(……これは、心配してるんだろうか)」

 

 多分そうなのだろう、と思いながら返信内容を考えていると、ほどなくしてバスが来た。基本は徒歩だが、雨の日ぐらいは乗り物に頼りたい。なんとなく殆どの生徒がそうするので、玄斗にも伝染ったコトだ。

 

「……あ」

 

 と、整理券をとって乗ったバスの車内に、見知った顔をみつけた。たまたまカバンの中に入れていたソレが導いたのか。はたまたそういう今日(・・)だったからこそ入れたままで登校してしまったのか。

 

「……、」

 

 見れば、向こうもこちらを見て驚いているようだった。無言のまましばらく経って、電子音と共にバスのドアが閉まる。広い車内には運転手を含めたったの三人。彼と、もうひとりは――

 

「……とりあえず、座ったらどうかしら。十坂くん」

「……先輩」

 

 四埜崎蒼唯、そのひとだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 雨の車内は静かなようでいて音が多い。雫が車体の表面を叩く音。タイヤからあがる水飛沫と、重く響くエンジンの駆動音。聞こえてくるものは沢山ある。別にしんと静まり返っているわけではない。なのに、(真面目に業務に取り組んでいる運転手を除いて)ふたりっきりの空間は驚くほど静かに感じた。

 

「…………、」

「…………、」

 

 落ち着けない玄斗の内心とは対照的に、蒼唯は窓の外を眺めている。見慣れた街の風景。雨が降っているという点を除けば、気になるところもそう多くない。……ふたりがけの席に隣同士で座っている、というのを考えなければ。

 

「……………………、」

「……………………、」

 

 どうしてこんなことになったのかといえば、座る席に迷っていた憐れな子羊を先に腰掛けていた人が無言で導いたのだ。トントン、と軽く蒼唯の座る隣のシートを叩かれたときは玄斗の心臓が跳ねた。どうするべきか悩んで、理由が見つからないまま二度目。座る以外の選択肢はないのだと、言外に告げられた。

 

「…………、」

「…………、」

 

 沈黙は長い。学校まではあと五分ほどだろうか。静かな車内は、時間の流れさえも曖昧にさせる。ふと、次のバス停が見えた。……学校までは、あと三つある。

 

「……今日は」

 

 そんな中で口火を切ったのは、意外なことに蒼唯だった。ほう、と吐いた息に色んな意味が込められている。その全容を知るには、玄斗には経験も知識も足りなかった。せめて思考を巡らせることをやめないのが、最大限の努力だった。

 

「ずいぶんなようね。……寝坊かしら?」

「あ……はい。そうみたいです」

「みたいってなによ、あなたのことでしょう?」

「……すいません」

「だから、何に謝ってるか分からない」

 

 コツ、と窓枠を爪で叩かれた。イライラしているときの蒼唯のクセだ。こういうとき、空気の読めない発言をするのが自分という人間だと思っていたが、どうにもそんな一言も出てこない。玄斗はなにを言うでもなく、カバンを抱えたまま口を閉じた。バス停を過ぎる。あとふたつ。

 

「……訊き返さないわけ? それとも、私のことには興味ない?」

「……いえ、そんなことは」

「じゃあ訊きなさい」

「……えっと」

「はやく」

「っ、先輩は、どうしてこんな時間に?」

「夜遅くまで本を読んでいたら、寝過ごしたのよ」

 

 コツコツ、と窓枠を叩く音がふたたび響く。玄斗からしても、おそらく他の誰かからしても、理由自体はなんとも彼女らしい。図書委員もつとめる四埜崎蒼唯は、学校でもわりと有名な読書家だ。

 

「おまけに雨。誰もいないバス停で二十分も待って、しかも乗ってきたのがよりにもよってあなたとはね」

 

 今日は厄日だわ、と蒼唯はもう一度息をついた。ちょうど、窓ごしに映ったバス停を通り過ぎる。あとひとつ。

 

『次は、調色高校前。調色高校前』

 

 車内アナウンスに、反射的に腕が伸びた。彼は無意識のうちに降車ボタンを押そうとして――その手首を、細い手指に掴まれる。

 

「……せん、ぱい?」

「…………、」

 

 蒼唯はなにも言わない。なにか言いたいことを悩んでいるような様子で、そっと玄斗の手首を握りしめた。……地味に爪が食い込んでいる。わりと痛い。

 

「……あの、学校……は……」

「…………、」

 

 もうしばらくすれば調色高校前の停車地点だ。降りないという選択肢はないはずなのに、蒼唯はいまだ手を離そうともしない。どこか、悩むように視線をあちらこちらへとやって。

 

「――さぼりましょうか、学校」

「え」

 

 ちょうど、その声と共にバス停を過ぎた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「どうかしら」

 

 試着室から出てきた蒼唯の格好は、控えめに言っても美人だった。

 

「…………、」

「……なにか言いなさいよ」

「あ、いや……すごい、似合ってます」

「……そう」

 

 短く答えて、着ていた服を脱いでから玄斗の持ったカゴの中に入れる。あれから本当に学校にも行かず、終点で降りてショッピングモールまで足を運び、こうして玄斗たちはブティックにてショッピングなんかしている。……正直学生が昼間っから、と思わないでもないが、意外なことに服さえ着替えればバレないものだった。

 

「……あの、先輩」

「なにかしら」

「やっぱり、学校を休んでまでこんなことするのは……」

「まあ、普通に考えていけないことよね。分かるかしら」

「……?」

「私たち、共犯者ってコトよ」

 

 つまり言えばおまえもタダではすまないぞ、ということらしい。……自分のことはどうでもいいにしても、蒼唯が怒られるというのは気になるところだった。逆に言うと、自分さえ黙っていればなんでもない、という意味にもなる。

 

「……やけに落ち着いていますけど、もしかしてこれが初めてじゃないんですか……?」

「そうね。学校が嫌になったらこうやって適当に出かけているわ。もちろんバレないように。……成績だけは良いのだから、見逃してほしいところではあるけどね」

 

 意外……というよりは競合相手が規格外すぎて忘れそうになるが、調色高校三年首席は現生徒会長の赤音ではなく蒼唯のほうだ。赤炎の生徒会長と蒼氷の図書委員とはよく言ったもので、ふたりの関係はちょっとよくないらしい。

 

「……学校は、ちゃんと行かないと」

「いまのあなたが言える立場ではないわね。私と一緒にさぼっているわけだし」

「……そうでした。取り下げます」

「賢い発言ありがとう。ついでに、これでもかけておきなさい」

 

 すっと手渡されたそれを、玄斗はなんだろうとじっと見る。見たところ、度の入っていない眼鏡のようだ。青い縁のそれを眺めていると、蒼唯は今日何度目か分からないため息をついた。玄斗の手から素早く引き抜いて、無駄に長い前髪をあげながら彼の顔にかける。

 

「変装。それひとつでも大分印象が変わるわ。似合ってるわよ、優等生」

「……この状況でそんな褒め方しないでください」

「冗談に決まってるでしょう。まったく会話が下手。相変わらず」

「……すいません」

「だから、何に謝ってるのか……って、これもしつこいわね」

 

 くるりとふり向いて、腕を組みながら蒼唯がなにやら考え込む。なんだろう、と玄斗がぼーっと見つめていると、ピンときたのかハッと顔をあげて、ニヤリと笑った。……どこか嫌な予感がする。

 

「そうね。今日一日、謝るの禁止。罰ゲームとして一回謝るたびに一度私のお願いを聞いてもらうわ」

「え、いや、それは……」

「うるさい。あなた反論できる立場だと思ってるの? あんなこと(・・・・・)しておいて」

「……すいません」

「はい一回」

「あっ」

 

 ばっと口を押さえるがもう遅い。出てしまった言葉は飲みこめない。はやくもカウントされてしまった無茶ぶりに、これを更新しないよう気を付けるのは無理かもしれないと玄斗は思った。

 

「いくらなんでも早すぎるでしょう。ばか?」

「……すいません」

「はい二回」

「うっ……」

 

 くすくすと、指を二本たてた蒼唯がおかしそうに笑う。

 

「……まったく、本当変わらないんだから」

 

 なんだか今日は、落ち着かない一日になる気がした。




というわけで二章です。はい、いきなりメイン章だよ先輩!

ちなみに章タイトルに入ってる色がその章のメインキャラです。





あと世の学生さんは学校はちゃんといきましょうね。どうしてもさぼるときはバレないようにしましょう。もう嫌で嫌で仕方ないときは無理してもね、と思う派。


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平日のお買い物

よしこれぐらいだっ 閉廷っ 終了っ


 

「……あの先輩」

「なにかしら。まだ行きたいところは沢山あるけれど」

「……見られてます」

「ええ、そうね」

 

 贔屓目抜きに見ても、四埜崎蒼唯は大層な美人だ。制服から着替えているというのも相まって、年頃の少女らしい可愛らしさに加えほんのりと大人の色気が交じっている。目を引くのも仕方ない、という容姿。そんな彼女と指を絡ませて(・・・・・・)手を繋いでいる。いわゆる、恋人繋ぎだった。

 

「言ったはずよ。私の言うことを聞いてもらうって」

「でも……流石に、これは」

「なに、反抗するの。それはどの口で? 十坂くん?」

「……すいません」

「はい五回目」

「うぅぅ……」

 

 唸る玄斗にくすくすと笑いながら、楽しげに蒼唯はスマートフォンへ「5」というメモを書き込んだ。カウントに不正はない。本日五度目の謝罪は、彼の今日を無事に乗り切るハードルを天高くまであげていた。

 

「意識しないからそうなるのよ。絶対言わないって思ってなさい。謝るものかって」

「でも、謝らないのは、それはそれで」

「ええ、そうよね。酷い男よね。謝罪のひとつも言わないなんて」

「……すいません」

「はい六回目」

「うぁあ……!」

 

 ついぞ頭を抱えはじめた玄斗に笑みを深くしながら、先ほど書き込んだ「5」の数字を「6」に書き換える。面白いぐらいに引っ掛かってくれる男に、朝一番からあがっていた溜飲もすこしは下がった。まあ、そんな男でもなければ自分はこんな提案をしていないんだろうけど、と内心で蒼唯は自嘲する。

 

「さて、とりあえずひとつは今消化中だとして、残りの五つはどうするのかしらね?」

「……待ってください。消化中って、あの、もしかして今日一日このまま……」

「そうに決まってるでしょう。あなた何考えてるわけ? ばかなの?」

「すいませっ――」

 

 ばっ、と今度はすべて吐き出す前に口をおさえられた。恐る恐るといった様子で蒼唯を見ると、顎に手をあてながらふむと頷いている。果たして、判定は。

 

「……ぎりぎりセーフにしてあげるわ。特別にね」

「……ありがとう、ございます」

「今回だけよ。いい? 次からはないわ、まったくあなたは」

「……はい、すいません」

「七回目」

「――――!」

 

 いきなりはじまった蒼唯とのショッピングは、どうやっても前途多難だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「(腕が痛い……)」

 

 コインロッカーにひとまずの荷物を入れながら、玄斗は疲労のたまった左腕をぷらぷらと振った。片手で買い物袋を持ち続けるのは意外な重労働で、予想以上のものにすこし汗まで出てきていた。

 

「ほら、預け終わったのならはやく行くわよ。時間は有限でしょう」

 

 ちなみに、右腕はしっかりと彼女に握られたままである。

 

「……先輩。あの、せめて、ちょっと離すぐらいは、ダメですか」

「ダメよ。どうして?」

「いえ……手汗が」

「…………、」

「にぎにぎしないでください……」

 

 なにか確かめるようにぎゅっと力を込める蒼唯に抗議の視線を送ってみるが、彼女は手の感触をたしかめるのに集中していた。なにが面白いのか、ふんふむと唸りながら握ったり緩めたりをくり返している。ちなみにこの途中でするりと抜こうものならいまよりもっと酷い惨状になるのが目に見えているので、大人しく待つしかない。

 

「平気よ」

「……なにがですか……?」

「平気よ。二度も言わせないで」

「……すいません」

「八回目」

「……! …………!!」

「さあ、行くわよ」

 

 ロッカーから離れて、いまいちどモール内を散策する。平日の昼間、天候が悪いのもあいまって利用客自体はわりと少ない。そのなかでも学生といえば自分たちふたりぐらいなものだ。大体、善良な学生ならば学校で授業を受けている。

 

「次はどうしようかしら。どう思う、十坂くん?」

「……先輩の好きなところに行ってもらえれば」

「じゃあ三択。そこの書店か、向こうのお酒売り場、そして後ろのランジェリーショップ」

「すいません、書店でお願いします」

「九回目。じゃあ、そっちに行きましょう」

「……もう、何度でもカウントしてください」

「潔い人は好きよ」

 

 くすりと微笑んで、蒼唯は書店に足を向けた。かなりの読書好きである彼女のことだ。購入する本の量は一冊や二冊ではないだろう。すでに限界気味の腕が明日は筋肉痛で動かなくなるであろうコトを覚悟しながら、玄斗は蒼唯に続いて入店した。

 

「これと、これと。あとこれ。あら、これも新刊出てたのね。あと……こっちも」

「…………、」

 

 どさどさどさどさ。一気に五冊積み上がった。予想を遥かに上回るスピードである。

 

「……先輩、色んなジャンル読みますよね」

「今さらね。昔から知っていたと思うけど」

「すいませっ……、……、………………すいません」

「十回目。いまのは良かったわ」

 

 玄斗の手元に本を積み上げながら蒼唯が言う。もう七冊を超えた。重量はまだまだぜんぜん、持てないこともないので耐える。謝るのは禁止だと言われたが、それでも謝らなければいけないだろうとは思った。

 

「思えば、はじめて一緒に出かけたときもこんな風に書店を回ったかしら」

「……そうですね。ぜんぶで五十冊ぐらい買ってました」

「四十七冊よ。はじめに自分から持つと言い出したのに、最後あたりで顔が引き攣っていたのが面白かったわね」

「……気付いてたんですか」

「あたりまえじゃない」

 

 それでも最後まで弱音を吐かなかったのは、すこしだけ評価するところだ。

 

「次からは慣れていたわね。そのせいか」

「はい。たぶんまた機会があるだろうと思ってましたから」

「分かっておきながら断らないわよね」

「? 先輩にあんな重たいもの持たせられませんし」

「――――っ」

 

 本を選ぶ手が一瞬止まった。そういうところだ。まったくもって腹が立つ。掴み取った書籍を乱雑に置けば、タワーを築いていた玄斗の身体はふらふらと揺れた。いい気味だと鼻を鳴らして、蒼唯は次の本を選びにかかる。

 

「先輩……」

「うるさい。喋るな。だから嫌いなのよあなたは」

「……すいません」

「十一回。いい加減にしてくれる? 数えるのも億劫になってきたわ」

「はい……」

 

 ぽすん、と最後に軽い本を置いて彼女はレジに向かった。全部で十一冊、今回は気持ち少なめだった。罰ゲームの回数と同じなのはおそらく偶々だろう。さっさと会計を済ませて、ちょっとだけ長めのレシートを掴んでから蒼唯がくるりとふり向く。

 

「これ、持っておきなさい」

「……? 領収書、ですか?」

「見て分からない?」

「……すいま」

「謝罪禁止。いい加減覚えて。とにかく持っておきなさい」

 

 突きつけられるように渡されて、不思議に思いながらもポケットに仕舞う。会計は終わっているし、なにかの経費で落とすというような真似もしないだろう。一体なんなのかは一切不明だが、持っておけと言われたからには持っておくしかない。

 

「そろそろお昼時ね。ランチにしましょうか」

「あ、払いますよ。どこにしますか?」

「……そこのフードコートで」

「分かりました」

 

 本の詰まった紙袋を持ちながら、玄斗は蒼唯の指差したほうへ歩いていく。どうしてその気遣いを他のコトへ回せないのか、不思議で仕方ない蒼唯だった。

 

 ◇◆◇

 

 コール音一回目の途中で、切羽詰まった様子も隠さず彼女は電話に出た。

 

『玄斗!? いまどこ!? 休むってなに!? 病気!? どうする!? 看病しに行こうか!?』

「……いや、平気。大丈夫だから」

 

 焦ったようにまくしたてる幼馴染みに苦笑しつつ、携帯からすこし耳を離す。予想外の大音量だったせいか、耳鳴りが響いていた。

 

『もうびっくりしたよ、朝は連絡ないし。聞いたら遅刻して、でもって休みって……もうなにがあったのかと。大丈夫? 無理してない?』

「してない。ちょっと色々あってね。大丈夫だから、白玖」

「…………、」

 

 ぴくり、とサンドイッチをかじっていた蒼唯が反応した。彼が電話越しに話しかけていた相手に、思うところがあったらしい。

 

『本当かなあ……? 学校終わったらそっち行って良い? あ、でも玄斗の家知らない。どこからどう行くの? ナビ代わりとかできる?』

「いや、そもそも来るだけならマップアプリに住所を――」

 

 こほん、と隣から喉を整える声が聞こえた。なんだか、こう、嫌な予感をかきたてる感じで。

 

「――玄斗くんっ。はい、口開けて? これすっごい美味しいからっ!」

『……は?』

「ちょっ……!?」

 

 がばっ、と携帯を覆って止めにかかるが、時既に遅し。蒼唯はいたずら成功といった風にクスリと笑みを浮かべて、優雅にサンドイッチを咀嚼していた。

 

『ねえ玄斗。いまのだれ。っていうかなに、休んでるんじゃないの。おかしいね。ちょっと、詳しく、事情……聞きたいな』

「待って、白玖。違うんだ。これは、あー、えっと……」

『ハリー。さっさと、ね? 私はいま、冷静さをかこうとしてるんだよ……』

「――ごめん、あとで説明するっ」

 

 ぶつり、と通話を切った。断腸の思いで。

 

「……なにするんですか、先輩」

「十二回目。別に、そんなの私の勝手でしょう?」

「バレますよ。……白玖に、あとで謝っておかないと」

「そうね。ついでに私とデートしてました、なんて言っておかないとね」

「言えるわけないでしょう……」

 

 がっくりと肩を落とす玄斗とは真逆に、蒼唯はどこか満足げな表情だった。





玄い人「(先輩のサボりがバレる……)」

白い人「(誰いまの!? え!? デート!? 絶許なんですけど!?)」

蒼い人「( 計 画 通 り )」


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おまえは誰だ――

あれこれもしかして二章が今週中に終わる……?


「ほら、もっと近寄りなさい」

「え。いや、あの……」

「……なによ」

「……これ以上動くと、ほっぺがあたります」

「……いいじゃない別にほっぺぐらい」

「良くないでしょう……」

 

 ぐいぐいと身体を寄せる蒼唯に押されて、ついぞ玄斗の肌に服越しの柔らかい感触が押しつけられた。

 

「(いやまあ、だからどうってわけでもないけど――)」

 

 冷や汗をたらしながら玄斗は周りを見渡す。いくら利用人数のすくない平日の昼間とはいえ、スマホ片手に男女が身を寄せ合っているというのは非常に注目を浴びる。願わくばこのわりと強引な先輩のためにも知り合いに見られていないコトを祈りながら、やっとのことで写真を撮り終えた。……そう、ツーショットの写真を。

 

「(……つ、疲れた……)」

「うん。よく撮れてるわ。あと十個ね」

 

 罰ゲームの権利を行使されては避けようがない。口で抵抗しようにも上手く丸め込まれて一回分増やされるのがオチだ。ならば力尽くで、なんてことが女子相手にできるワケもない。結果、このように玄斗は無茶ぶりに付き合うしかなくなっていた。だがまあ、ツーショットぐらいなら、勘弁はしてほしいが無理ではない。

 

「じゃあ続いてもう一個。携帯、貸しなさい。持ってるでしょう」

「いいですけど……なにを?」

「連絡先の交換といまのツーショットを壁紙にしておくこと。これで合計三つね。拒否権はないから」

「……!?」

 

 言うが早いか、蒼唯は取り出した玄斗のスマホを引ったくって操作をはじめる。手慣れたものだ、なんて見とれている場合ではない。なにより壁紙は別にいいにしても連絡先の交換というのがどうもマズい。そこまで行くとどうか、というのが玄斗の認識である。慌てて取り返そうとするも、彼の受け取った高性能携帯電話はしっかりと彼女の連絡先を登録していた。

 

「消したら許さないから。これであと六つ」

「そんな……」

「観念なさい。でもって、壁紙も変えないこと。あと五つ」

「…………、」

 

 別に、律儀に罰ゲームを守る理由なんてない。ただ約束じみたそれを破る気にはなれなくて、結局大人しく返された携帯を仕舞った。必要以上に関わらない。それがいちばんだと知ったのが彼女との関係だ。まさかしおりまで渡されて、そういう関係が目前に近付いているなんて夢にも思わない。なにより、そんな心地の良さそうな(・・・・・・・・)未来は自分自身がいちばん許せなかった。

 

「言っておくけど、破ったら許さないから」

「……破りません。それで、次はどこへ?」

「さあ。気の向くままに行きましょう。それもひとつの楽しみ方よ」

 

 そんな旅みたいな、と玄斗は思ったが、気晴らしにはそのぐらいの心構えがいいのかもしれない。いつも冷静沈着できちんとしている彼女の、珍しい面を見た気がした。

 

「……あの、ひとつだけ。良いですか」

「なに」

「聞いてませんでしたけど……どうして、こんなことを?」

「――馬鹿ね。それを今から、あなたに分からせていくのでしょう」

 

 玄斗は不思議に思いながらも、蒼唯の後ろをついていった。その言葉の意味すら分からないままに、歩みをともにしていく。けれども次に行った場所で、なんとなく理解してしまった。彼女は別に、自分となにかをするために誘ったのではない。きっと愚かな彼に罰を与えるために、このデートをはじめたのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「(ここは……)」

 

 ところどころに見える人影。利用客の少なさとは裏腹に、無駄に多い蔵書数があたりを埋め尽くしている。見慣れた調色高校の図書室とは違う、またもうひとつの本の楽園。つまるところの、市民図書館。そこは、他の誰かにとってはともかく、玄斗と蒼唯にとってすこし変わった意味を持つ場所だった。

 

「覚えているかしら。ここで、私とあなたは初めて出会ったのよ」

「……覚えてます。忘れるわけありません」

「そうね。私もそうかもしれないわ。そして、あなたが私を初めて拒絶した場所」

 

 きっとそちらのほうが、彼女にとっては忘れられないだろう。そんな憶測でしか語れない人間に価値はあるものか。玄斗にはすでに、なにがどうかなんてしっかりとした答えも消え果てていた。

 

「……す」

「謝罪は、どうなの」

「……でも」

「禁止よ。そんなの。大体、そうだわ。はじめから思ってたもの。あなたの〝すいません〟に込められた意味と、私が求めているものじゃ違いすぎてる」

 

 それは果たして、どういう意味だろうか。玄斗にはさっぱり分からなかった。四埜崎蒼唯の求めるもの。そのぐらいは簡単に導き出せると、どこかでそんな馬鹿げたコトを思っていたのか。いざとなって出てくるのは、なんのヒントにもならない疑問符でしかない。

 

「私の隣に座らないかって、率直な言葉だと思ったのに。それですら、あなたは拒否した。あなたが十坂玄斗(あなた)だから、なんて理由で」

「……はい」

「そのときの私の気持ちが分かるかしら。分からないわよね。分かるわけないもの。だってあなたは、一欠片も他人の心を理解していない」

 

 だから会話も下手なのだ、と蒼唯は厳しく言ってのけた。こればっかりは反論の余地もない。黙りこむ玄斗をよそに、蒼唯は奥へスタスタと歩いて行った。彼もそれを、すこし急ぎ足で追いかける。

 

「白より白い画用紙、茜色に染まる街、黄金の経験則、青色の空と鋼色の大地、深い緑に覆われて、僕は墨をぶちまけた……だいたい、このあたりかしらね」

「……借りた本、覚えてるんですか」

「あなたが借りたものよ。ぜんぶ」

「――――、」

 

 言われてみると、たしかに覚えのあるタイトルばかりだ。そんなものを借りていたか、と今さら昔の自分に疑問を覚える。たしかに読書をしていた時期ではあるが、その内容もいまはすっぽり抜け落ちていた。なにを読んだのか、どんな話だったのか、さっぱり頭の片隅にも残っていない。

 

「一言目は、なんだったかしらね」

「……すいません。同席しても、いいですか?」

「嫌よ。他をあたってちょうだい。……なんて、思えば随分と冷たい対応をしたものだわ」

 

 玄斗としてはその台詞がイメージ通り過ぎたので、むしろ随分とは思わなかったのだが。そんな彼の事情を蒼唯が知る由もない。もちろん、他の一切も。

 

「初対面の印象は、とにかく不気味。大人しいくせに、どこか引っ掛かる。自分の色が悪い意味でしっかりしていて、なにもないクセに染まらない。本当、真っ黒な人だと思った」

「……?」

「同時に、嫌なぐらい似合う名前だとも。でも、似合わないとも思っていたの。あなた、黒なんてしっかりした色は持ってないはずでしょう」

「……えっと」

 

 くるりとふり向いた蒼唯が、じっとこちらを見る。玄斗には彼女がなにを言っているのかさっぱり分からない。十坂玄斗には、なにひとつとして理解できない。けれど。もしかしたら。彼の。――あるいはそれは、おそらく。

 

「十坂に、玄斗。センスないわ。あなたにその名前を付けたのは、間違いよ」

「……せん、ぱい?」

「違うはず。もうまだるっこいやり取りはごめんよ、十坂くん。――いいえ、あなた(・・・)

 

 なぜだか、心臓が跳ねた。押さえつけたはずの動悸がぜんぜんおさまらない。それ以上はダメだと、どこかでなにかが叫んでいた。十坂玄斗。その名前すら借り物だ。だから嘘だと言われたら納得するしかない。でも、まさか、それが。

 

「あなたは誰? いったい、どこのなんていう人?」

 

 こんな確信をつくような質問に至るなど、思うはずも無い。

 

「どう、して……」

「……本当。馬鹿ね、あなた。会話が下手なのよ。分からない?」

 

 分からない。■■(玄斗)にはその理由が一切分からない。だって、そうだ。それはとっくの昔に死んだ名前で、なくなった記号で、残ってすらいない燃えカスのようななにかでしかない。それを、あまりにも呆気なく、予想外の人物から問い質された。こんな、色々な記憶の詰まった場所で。

 

「あなたの歪さも、おかしさも。すべて気付かないと、本気で思っていたの?」

 

 侮っていたのはきっと彼だ。なにせ、考えればそのとおり。四埜崎蒼唯は、あの壱ノ瀬白玖を攻略したヒロインなのだから。  




なんか気にしてないというかスルーしてる人が多いので言っちゃうと、うちのヒロインって基本一年も経ってないのにまっさら精神ぶっ壊れ系主人公の本質に気付いてあまつさえ好きになっちゃうような人たちですよ。しかも先輩に至っては結構強引にやっちゃってるわけで。なにが言いたいかというと……うん……転生こじらせとか……まっさら主人公に惚れるような女子共が……ね?

オリジナルギャルゲー展開の良いところは転生オリ主の過去を思いっきりぶちまけられるところ。正直前々作のリメイクで分かる人は分かるかと思いますがやっぱり、こう……ね!



正直に白状すると型月の正義の味方くんとかニチアサでいう欲望のやべーやつとか人生リセットゲームボーイとかそこら辺の主人公がめっちゃ好き。



あと書くのに夢中しすぎて感想返し忘れておりました。明日から本気出します。








……ちなみに今日はずっとリアルタイム更新だったのですが、二万文字の壁は分厚いなあ……


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なにもないくせに

ヒロインは総勢10名ですが1作に10人ではないんです。


 

 最初に感じたのは、たしか、自己紹介のときだった。

 

「……四埜崎蒼唯よ。あなたは?」

「僕は十坂玄斗(・・・・)です。よろしくお願いします、先輩(・・)

 

 なんてことはない交わした名前。情報の交換。取るに足らない一言で――無視できない何かがあることに気付いた。しっかりとした名乗りと、すこしあやふやになった呼び名。きっとおそらく決めていたものとそうじゃないものとの差だ。だから、余計にそのおかしさが目立った。

 

「先輩。重いでしょう、持ちますよ」

「僕が払います。このぐらいは」

「大丈夫ですか? 結構、辛そうですけど」

「……任せてください。先輩の頼みなら、喜んで」

 

 普段の態度、仕草、言動ひとつ取ってもそうだ。彼はどこか、見えない遠くから声をかけているような感じがした。もちろんそんなのはただの直感。自分の勘違いだって可能性もある。……けれど。やがて、近付くにつれて気付いたのは、彼がひとつ線を引いたところに立っている事実だった。

 

「いや……それは、すいません。ご遠慮しておきます」

「すいません、先輩。それは、ちょっと」

「いや、そこまでして、もらわなくても……すいません」

「……すいません」

 

 こちらと接するときの態度はそうでもないのに、一定以上に近付くと距離をとる。その謝罪に込められた意味がなんなのか、考えるまでもなかった。なにかしてもらったコトに謝っているなんて、素直に受け取るほど見ていなかった(・・・・・・・)ワケでもない。

 

「――十坂くん」

 

 だからあの日は、本当に、本当に悔しくてたまらなかった。

 

「あなたは私の隣にずっといなさい。それが一番よ」

 

 聞き飽きた謝罪なんて並べて、諦めたように去っていく。手が届かなかった。そんな現実に嫌気がさして、立ち止まったままでいたのが一年。もう限界だ。今さらなにが変わったのかと思えば、なにも変わっていない。むしろ表面化して分かりやすくなっている。ここしかないと、バスの車内で目を合わせた瞬間に確信した。

 

「(……そうよ)」

 

 はじめから、生温いやり方なんてしなければ良かった。目の前に立つ少年に対して、手を差し伸べるだなんて安い真似は無為に終わる。その結果が一年前だ。なにをどう否定しようが、なにがどうだと反論しようが、無理やりにでもすることは決まっている。

 

「(私があなた(・・・)を引き摺りあげる)」

 

 伸ばした手が空を切るなら、その腕ごと掴み取れば良いのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――心臓がひときわ、大きく跳ねた。押さえつけたはずの動悸が激しさを増す。どこかに隠していたなにかが、ずるりと蓋を持ち上げた。十坂玄斗。そうやって与えられた二回目の名前には、なにもかも(・・・・・)が入っていた。そんな、ちょっとした違いが胸の奥底から顔を出す。

 

「先輩……?」

「本ばかり読んでいるとね、色々と身に付くのよ。それこそ、違和感ぐらいは」

「……そんな、こと」

「まあ、気付かれないほどにはね。あなた、会話が下手なくせに隠し方は上手いんだもの。ちょうど、入り込めない位置に潜ませるのは、ズルじゃないかしら」

 

 コツ、と蒼唯が一歩詰め寄った。■■(玄斗)の足が一歩下がる。奇しくも、学校の図書室前での再会と同じ状況だった。

 

「もう一度、訊くわ」

 

 コツ、コツ。高い音と共に蒼唯が再び距離を詰める。■■(玄斗)はもうこれ以上後ろに下がれない。机と椅子が邪魔をして、自然と距離が縮まった。

 

「あなたは誰? 十坂玄斗(・・・・)なんていう、あなたの名前は」

「――――っ」

 

 ■■■■。

 思い浮かんだ名前を、すんでのところでそのまま(・・・・)にしておいた。黒に染まるのが白だというなら、黒そのものを映すのが彼の本質だ。けれど、違う点は幾つもある。だから足りないと判断した。会話、人付き合い、誰かの心を読み取る機微、そのあたりがすっぽりと、彼の中から抜け落ちている。

 

「僕は……」

 

 ■■■■(十坂玄斗)であって、十坂玄斗(■■■■)じゃない。そんなことはとっくの昔に理解している。ただその立場になった以上、壱ノ瀬白玖を救うために役割に準ずる必要はあった。それ以外に思いつかなかった、というのもある。貧困な思想、あるはずもない信念、残滓のような記憶。だから、その、本質(名前)は。

 

「……十坂」

「誤魔化さない。……あと、四つ」

 

 距離が縮まる。逃げ道をふさがれた。誤魔化すな……その言葉に込められた意味を、正しく反芻する。十坂玄斗の名前なんて、常識的に考えて十坂玄斗でしかあるまい。ましてや頭を捻ったところで他のなにが出てくるというのか。いいや、なにより恐ろしいのは――それをすべて見抜いて暴こうとしている、眼前の少女ではないのかと――

 

「でも、いまの、僕は……」

「私はあなたに質問している。あなたが答えなさい。あと、三つ」

 

 あなた。そう呼んでくる蒼唯の目は、真っ直ぐに■■(玄斗)の瞳をじっと見据えている。自分で答える。そんなのはいつだってしてきたコトだ。自分で用意した答えを自分から伝える。ただ、それが酷く苦手な部類に入ることを、■■■(十坂玄)()はずっと昔から知っていた。

 

「せんぱい……」

「正直に言いなさい。馬鹿な妄想だと一蹴するなら、それも由よ。でも、嘘だけは絶対につかないで。あと、二つ」

 

 道を潰されている、答えを消されている。違う。どちらもそうであるようで、四埜崎蒼唯のしているコトは至ってシンプルだ。文字通り、宣言通り、彼のなかに潜んだ答えを手に掴めるよう、引き摺りあげている。

 

「……ぼく、は……」

 

 カツ、と最後の一歩が近付く。()(トウ)■■(玄斗)は動けない。近すぎる距離は当たり前のように息が重なる。匂いが充満している。それでも()■■■(坂玄斗)に浮かび上がる感情は変わりない。なにせ、そんなものが彼には元から存在していない。

 

「――――、」

 

 

 

 

『……ああ、本当に。おまえなんて――』

 

 

 

 

 

 名前のとおりだと言われた記憶が不意に出た。なにもせず、なにも求めず、なにもあるべきでないとするのなら、それがおまえの幸せだと。古い錆びついたココロが響いた。それがすべてだ、それがいちばんだ。本当にそのとおり(・・・・・)。彼の中にはなにひとつ、残るようなカタチもなにもあるはずはなくて――

 

「……本当、世話が焼けるんだから」

 

 ――不意に、そんな思考を吹き飛ばすみたいに、温かいものに包まれた。今まで感じていたのとは比べものにならないほど近くで、蒼唯の匂いが鼻腔をくすぐる。背中に回した手が、優しく、けれど力強く抱き締めてくる。

 

「そんな顔、普段はしないでしょう。歪んでるわ。中途半端で、だから下手なのよ。なにも知らないくせに知ったかぶってるから」

「――――、」

「安心しなさい。それがまず、ひとつ。あとは、大丈夫よ。別に私、十坂くん(・・・・)のことを好きになったんじゃないから」

 

 脳が揺れた。なにに? 衝撃? 違う。すべて見当違いだ。これは、そういうのは、

 

「フルネームで言って。これで、もうひとつ。……再三になるわ。仏の顔もって言うでしょう? ――さあ、あなたの名前を、教えて」

 

 もうすでに、カウント(強制権限)はなくなっていた。

 

「……、」

「なに?」

「………………?」

「……うん。言わない。だから、教えて。私にだけ」

 

 ――〝    〟。

 

 ちいさく、本当に、ともすれば聞き逃してしまいそうなほどの声音で、彼はそういった。でも、そんな大事なコトを彼女が聞き逃すはずもない。蒼唯は一度強く彼の身を抱き締めたあとに、ゆっくりと手を解いた。呆然と立ち尽くす■■を前に、くすりと笑う。

 

「……なんだか、女の子みたいね」

「……そう、ですね。そんなこと、言われてたような気がします」

「そう。……じゃあ、決まりね」

「?」

 

 そして、今度こそ。一度は掴み損ねた腕をしっかりと掴んで、笑顔のままにこう言った。

 

「――行きましょうか、レイ(・・)

 

 はたしてそれは、一体誰を呼んだのか。理解しているのはきっと世界でたったふたりだけのまま。十坂玄斗と四埜崎蒼唯は、雨の街へ飛び出した。 




名前:■■■■

性別:男

年齢:16歳(死亡)

趣味:ゲーム

特技:せき(ときどき血が出る)

イメージカラー:無色透明

備考:もう主人公以上にこじらせるならコレしかないなって感じで生み出されたオリ主系転生者。転生後にこじらせとか「またかよ」って言われそうなので今回は転生前から心を息苦しくしておいたよ。やったね! ちなみに本編中にちょろちょろ出てきたのを合わせると現状でも解読可能。まあ番外とか白より“ない“とかもうコレしかないじゃん? って感じなのでお察し。本編中で明かされない設定なのでひっそり書くと、「アマキス☆ホワイトメモリアル」はプレイしたが「アマキス☆ホワイトメモリアル2」は発売前に死んだので存在すら知らない。

数+色が基本形

色+数も基本形


……大概答え合わせですねクォレハ……


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透きとおる蒼空

(二章は)先輩がメインヒロイン


 夕方になると、雨もすっかりあがっていた。街のはずれにある展望台の柵に腰掛けながら、蒼唯と玄斗は眼下に広がる景色を眺めている。遠く、空にはうっすらと虹が見えた。それがなんだか幻想的で、ちょっとだけ、心が囚われる。

 

「青空って、〝蒼〟じゃないわよね」

「……そうですか?」

 

 十分青いと思いますけど、と玄斗は言う。意味を取り違えるのは彼生来の会話が苦手な影響だ。そこもまたなにかしらあるのだろうな、と蒼唯は踏んでいる。が、いまはそこまで急ぐ必要もない。一先ずはこの世話を焼かせる後輩と、当たり前のように面と向かって話し合えるコトを喜ぶべきだ。

 

「ぜんぜん。よく、透き通るような空っていうじゃない。違うわよ、そんなの」

「そうですか……そうですね」

「分かってる、意味?」

「分かりません。でも、先輩が言うんならそうだと思います」

「……まったく」

 

 苦笑しつつも、久方ぶりになる会話に心は踊っていた。色がない。透けている。そう感じ取った彼の本質は、あながち間違いでもない。きっと関心が自分に向かない性格なのだろう。感情の起こりは大半が外的要因。彼の中から膨れ上がったものは、あるかどうか。

 

「レイ。あなた、いくつ?」

「……十六です」

「本当かしら」

「…………先輩、僕のこと知りませんよね?」

「いくつか推測しているコトはあるけれど、確信を持って言えるのはあなたがその〝殻〟に頼っていたという事実だけよ。二重人格とか、憑依とか、あとは……」

「……ああ、どうりで……」

 

 そこまで頭が回るなら、たかだか数週間の付き合いで壱ノ瀬白玖の本質を見抜けるはずだ。そこから自分たちで彼の心を救おうとするのだから、やはり侮っていたのは玄斗のほうである。そも、彼女たちを普通の女子高生だと思って接したのが間違いか。

 

「……知識だけなら、もう十六年」

「そう。なんとなく分かったわ」

「……分かったんですか」

「ええ。つまり、あなたの頭には無駄に色んなものが詰まってるってコトでしょう」

「……まあ、そうなりますけど」

 

 人生経験なんて立派なものも才能も持ち合わせていないが、十六年間必死に生きてきた記憶だけは引き継いでいる。そのことを知っている人間は真実彼ひとりだが、そのときの名前を知る人間はひとりではなくなった。そっと、盗み見るように隣へ視線を投げる。

 

「綺麗ね」

「……はい。そうですね」

 

 たとえそれが単なる感想で、感情なんてものに結び付かないものだとしても、いまはとにかくそう思えるだけで十分だった。黒いなにかは消えてくれない。耳にこびりついたまま呪詛を唱えている。こんなものは慣れきったコトで、いまこの場から飛び降りたほうが楽だろうという刹那的な思考を振り切る。それはきっと、ここまでしてくれた彼女の前でやるようなコトではない。

 

「私はどう?」

「? どう、って」

「……にぶちん」

「……すいません。先輩が綺麗だって意味でうなずきました」

 

 唇をとがらせかけた蒼唯が固まる。柵を掴む手に余計な力が入っているようだった。

 

「あ、あなたねえ……! 自分から『綺麗ね』なんていう女子がいるわけないでしょう!?」

「でも本当のこと……」

「あーもう黙って! うるさい! ばか! だから嫌い(好き)なのよもうっ」

 

 ぶつぶつと文句を言いながら、蒼唯がゆっくりかがみ込む。ちょうど柵に手をかけて頭を出しているような格好である。なんとなく、発想力の貧困な玄斗をして小動物を思わせた。もっともそんな扱いをすれば指ごと噛み千切られそうなものだが。

 

「……あと、十三回目」

「うっ」

「今日一日と言ったでしょう。……ねえ、しおり、持ってるかしら」

「……持ってますよ」

「出して」

 

 言われたとおり、今日に限って鞄にしまっていたしおりを取り出した。四埜崎蒼唯が愛用したブルースターのしおり。ゲームだと攻略のキーアイテムにもなるそれは、彼女との関係がそれまで進んでいたという証だ。その事実に、やっぱりどうしても玄斗の中から複雑なものが顔を出す。

 

「貸してちょうだい。それは、あなたにあげたものだから」

「……返す、じゃあないんですね」

「千切るわよ。ほら、さっさと。貸して」

「……はい」

 

 なにを千切るんだろう、とは訊かなかった。玄斗を見つめる目が怖かったことだけはここに記しておく。

 

「これは借りておくわ。代わりに、これ」

「……?」

 

 そっと反対の手で渡されたのは、同じく青い絵柄の入ったしおりだった。ブルースターとは違う。むしろ一般的な花のイメージとはかけ離れているそれは、よく見るとなんだか――

 

「……ぶどう?」

「違うわ。……どうしてブルースターは知っていてそれは知らないのよ」

 

 まったく、と呆れるように蒼唯がため息をつく。狙っていたコトが躓いて、すこし拗ねているようでもあった。

 

「……ムスカリっていう花よ」

「花、なんですか……これが?」

「グレープヒヤシンスとも言うわ」

「……やっぱりぶどうじゃないですか」

「似てはいるけどね」

 

 違うのよ、と蒼唯はちいさく呟いて玄斗の持っていたブルースターのしおりを眺めた。折り目ひとつ付いていない。相当丁寧に扱っていたのか、一切使わずにどこかで埃を被っていたのか。すこし考えて、この男だから後者のほうだろうな、と適当にあたりをつけた。

 

「あとで画像検索でもしておきなさい。結構キレイよ」

「そうします。……でも、これ、なんの意味が?」

「意味なんて……そうね。なんでもいいわ。ただ、ちょうどいいと思っただけ」

「ちょうどいい?」

 

 こくり、と答えるように蒼唯がうなずく。どうせこの鈍感な男はなにも気付いていない。なにせムスカリの花さえ知らないような状態だ。それで、色々と頭を回せというほうが無理な注文というものだろう。

 

「――古いあなたの名前と、新しいあなたの名前。あなたから借りたしおりと、あとはそうね、私の色かしら」

「?」

「……なんでもないわ。ちょうどいい、っていうのはそのとおり、今日からあなたとの関係が変わっていくのだから、ちょうどいいでしょう」

「……このままじゃ、ないんですね」

「ええ。……勘違いしないように言っておくけど、マイナスイメージで受け取らないで欲しいわね。こんなときに。ぜんぶ、前向きに捉えなさい」

「……はい」

 

 ゆるやかに、けれどどこか困ったように、玄斗は笑みを浮かべた。懐かしい表情だが、あのときと今ではなにもかもが違う。きっとそれは悪いことではない、と蒼唯は確信した。悪いワケがない。なにせ、あんなものと比べて自分の心はこんなにも弾んでいる。

 

「大事に使いなさい。私が返そうと思うまで、このしおりは借りておくわ」

「……はい。じゃあ、お貸しします」

「そういうことだから。――ああ。あと、余計な詮索はしないこと」

「?」

 

 くるり、とふり向いた蒼唯が歩を進める。玄斗の横を通り抜けて展望台から去って行く。すでに夕焼けはなくなりかけて、あたりは段々と暗くなっていた。そんな中で、群青色の髪がふわりと揺れる。

 

「花の画像だけ調べたらさっさとやめなさいってコト。それに、深い意味なんてないわ」

「? 分かりました」

 

 言ってから、蒼唯はすこし後悔した。こう言えば絶対この男は余計なコトを調べない。が、それでも別にいい気がして足早にその場から離れる。なにせ、バレでもしたら大変だ。こんな回りくどい方法でしか甘ったるい感情を伝えられないあたり、蒼唯も玄斗のコトは笑えまい。

 

「待ってください、先輩」

「なによ。もう帰るわよ」

「駅まで送ります。暗くなったら危ないですよ」

「……勝手にしなさい」

「はい、勝手にします」

 

 今度は綺麗に笑って、玄斗は蒼唯の横に並んだ。そんな不意打ちじみた笑顔やられて、歩いていた彼女の頬が熱くなる。……思えば、そうだった。自分がこの男に色々と抱えるようになった原因は、複雑で面倒くさいくせして、なにも混ざらない綺麗な笑顔を浮かべるからなのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 蒼唯を送って駅からすこし歩いたとき、ふと玄斗の携帯が鳴った。見ればメッセージが送られてきている。確認すると、つい先ほどまで一緒にいた彼女だった。

 

『領収証、しっかり見ておきなさい』

 

 確認すると、たったその一文だけが送られている。なんだろう、と玄斗はポケットに入れていた本屋のレシートを取り出してじっくりと見回してみた。

 

「(……なんだろう)」

 

 ぜんぜん分からない、と嘆息する。そもそも問題なのかも分からない。ただ確認しておけ、というだけならもう済んだ。ああだこうだと言わないのだから、特別なモノというわけでもないだろう。もう一度ポケットに戻して、蒼唯に『わかりました』とだけ返事を送る。家までの帰り道にあったのは、それだけのことだった。

 

 

『***書店

 領収証

 

秋空の果てに       ¥×××

那由他なんてクソくらえ  ¥×××

たのしいことはある?   ¥×××

飲んだくれ王子と聖女様  ¥×××

心の在処よ嗤いまくれ   ¥×××

となりが来ない。     ¥×××

画集:三奈本 黄泉②   ¥×××

すぐにできる料理 その② ¥×××

気になるおしゃれの秘密  ¥×××

出番まであと十秒     ¥×××

すてきなりゅうのおはなし ¥×××

         合計 ¥××××

 

――ご利用ありがとうございました――』

 

 

 












色々仕込もうと思ったけどこれが限界でした


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余韻に浸って自然体

二章もあとすこしで終わり また幕間が二話になるんじゃ……


 家に帰ると、鍵が閉まっていた。

 

「……あれ」

 

 ガチャガチャと回してみるが、一向に開く様子はない。普段は母親がずっと家に居るのもあって、玄斗は家の鍵を持ち歩いていなかった。頼みの綱のポストの中身も、空になって見当たらない。大方母親に連絡していたから、午前中にパートから帰ってきて回収したのだろう。時刻は七時半を過ぎたころ。空腹がもうそろそろ襲ってくるころだが、それよりも大敵は春先の冷え込む外の気温だ。流石にブレザーだけでは辛いものがある。

 

「……っと、電話?」

 

 どうしたものかと考えていた矢先、ちょうどいいタイミングで携帯が鳴る。見ればディスプレイには「十坂真墨」と浮かんでいた。ひとまず冷えてきた片手をポケットに突っ込みながら、玄斗は通話ボタンを押した。

 

「もしもし」

『あ、お兄、いまどこー』

「家の前だけど」

『あちゃー……いや、言うの忘れてたんだけどね、今日うち外食になっちゃって。ほら、お母さんがコンロ壊しちゃって。折角ならって。どうする? 街中のレストランだけど、今から来る?』

「距離は?」

『車で三十分』

 

 絶望的だ。徒歩で行ったらそれに加算して何十分かかるか分からない。自転車を使うという手もあるが、それだと家族が車で帰る間に来た道を必死にこいで帰らなくてはいけなくなる。外食するためだけにそこまでするのもなんだか、という気分だった。

 

「無理だろう……こっちで適当に食べておく」

『はいはーい。あ、お土産とかは?』

「いいよ、そういうのは。楽しんできて」

『カッコ付けー。お兄のカッコ付けー。素直に言えよう、自分も行きたかったって』

「今度、真墨の朝ご飯にしいたけ沢山入れるようお願いするから」

『んっもーう! お兄ってば最高なんだからあ♡ 大好きっ♡ じゃあね!!』

 

 ぶつり、と半ば強引に切られた。人を殺せそうな目をしながら「あの菌糸類はマジで無理」という妹に思うところがないわけではない。好き嫌いをしていてはそれこそ大きくなれないし、偏食というのもアレだ。ご飯だけはしっかり食べないと、というのが基本的な玄斗の思考である。できることならいつかは、と思っているが本人が嫌がっているのに無理をさせるのも忍びない。こればっかりは、妹の成長に祈るしかなかった。

 

「(……って、真墨の心配ばかりしててもいけないか)」

 

 気が抜けたところでちょうど腹の虫が鳴いた。食事をするには良い時間でもある。向こうから最低でも帰ってくるのに三十分はかかることを考えると、夕食ついでに暇潰しもできるところが最適だろうか。考えて、そういえば近くにファミレスがあったのを玄斗は思い出した。

 

「(うん。そこで適当に食べよう。今日はずいぶんと動いたし、疲れた)」

 

 その疲労がストレートに肉体まで響いていないのは、きっと心情の問題だ。疲れてはいたが、それ以上に救われたような気がしていた。本当に良いのかと思うぐらい、心が浮ついている。それがなんとなく慣れなくて、もう一度時間を確認しようと携帯の画面を見る。でも、結局、彼女に変更させられた壁紙のせいで、どうにも落ち着かなくなる玄斗だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 時間帯のコトもあってか、偶々今日がそういった流れだったのか、店内は意外にも大繁盛でごった返していた。

 

「申し訳ありません。いま、席が埋まっておりまして……」

「そうでしたか」

 

 参ったな、と思いつつもすぐに思考を切り替える。こだわる理由もないので近場の食事処を玄斗は脳内で再検索してみるが、一番近いところでも歩いて十分はかかる。地方都市故の不便さだ。これが都会なら地下鉄や電車で何分だと思うと、すこしばかり向こうへ行きたい気分になった。

 

「――あれ、十坂?」

「?」

 

 と、そこへ偶然といったふうに声をかけられた。見れば、制服を着た少女がコップ片手にこちらを見て目をしばたたいている。見知らぬ他人……というワケでもない。第一、名前を呼ばれている時点で見知らぬコトなんてなければ勘違いでもなかった。

 

「……五加原(ゴカハラ)さん?」

 

 五加原(ミドリ)。彼のよく知るクラスメート、ついでに「アマキス☆ホワイトメモリアル」ゲーム本編において貴重な同年代ヒロインのひとりである。

 

「えーなにー。どしたの。ひとり? ごはん食べに来たワケ?」

「うん。席が空いてないみたいだから、他をあたるけど」

 

 まじでー? とけらけら笑いながら碧が目尻の涙を拭う。箸が転んでもおかしい年頃とはいうが、いくらなんでも笑いすぎではないだろうか。なにか無理でもしているような、と玄斗にしては珍しく疑問を覚えていたとき。

 

「あ、じゃあさ、あたしと一緒に食べてく? ほら、絶賛あたしボッチだし」

「いいのか?」

「なーんて、十坂がそんな誘い乗るワケ――」

 

 ピタリ、と碧の体が固まる。先ほどまでのふざけたような態度はどこへやら、つう、と一筋汗をつたわせながら眼前の少年を見る。

 

「……まじ、で?」

「駄目なら良いんだけど」

「い、いやいやいや! 駄目とは言ってないし!? あ、あは、あはははは……!」

「?」

 

 ばたばたと手を振りながら「えー」やら「うー」やら言っている碧に首をかしげつつ、なにかマズいことでも言っただろうか、と玄斗はいまいちど自分の発言を振り返った。ご一緒するか、と訊かれたのでご一緒する、と答えた。……と、ここで「そうか」なんて彼は内心で納得のいく答えを見つけた。

 

「ごめん。やっぱり遠慮しておくよ。社交辞令だったらあれだし」

「えっ!?」

「え?」

「……しゃ、社交辞令じゃないからっ! ほ、ほら! 良いから! こっち来なって! 十坂っ!」

「あ、うん」

 

 妙に落ち着きのない碧に案内されて、玄斗は店内の奥にある席まで歩いていく。彼女はちょうどドリンクバーを取りに来ていたようで、メロンソーダをコップに注いでスルスルと店内を進んでいく。何度か会話したことはあるが、今日みたいに落ち着きのない碧は珍しい。大抵はイマドキの女子高生らしい、軽いノリと雰囲気なものだったから余計にだ。

 

「は、はい。これメニューね。てか、と、十坂もこういうトコ来るんだ?」

「時々、だけどね。……、」

「あ、決まった?」

「? うん」

「じゃあ頼もっか。あたしはもう頼んでるから、えと、ほら。いいし」

 

 はにかんで、碧は自分のほうに用意されてあった料理へ手をつける。その光景になにを思うでもないが、意外だったのはその気の利かせ方だった。一通りメニューを見ただけで決めた玄斗の思考を呼んだかのように、よし頼もうというタイミングでちょうど声をかけられた。妹にすらそんな真似はされたことがない。やっぱりよく人を見ているんだな、と玄斗は内心で再確認した。

 

「お待たせしました」

「えっと、ハンバーグステーキ定食のBセット、ご飯大盛り」

「…………、」

「あとサラダ盛り合わせ、ミートソーススパゲッティ、鮭の切り身と味噌汁のセット……あ、唐揚げもお願いします」

「……!?」

 

 ごふっ、と碧が飲んでいたメロンソーダを吹き出しかけた。注文をとっていた店員が心配そうに彼女を見つめている。どうしたんだろう、と首をかしげた玄斗に、困惑を隠しきれない表情で碧が顔を上げた。

 

「ちょっ、っ、えほっ、けほっ」

「……お、お客様、大丈夫でしょうか」

「だ、大丈夫です大丈夫です! あははー……じゃなくて十坂っ!」

 

 がたん、と椅子を鳴らして碧が詰め寄る。ペーパーナプキンで口元をおさえているあたり、被害は結構甚大だったらしい。

 

「なに?」

「なに、じゃないよっ。え、うそ、十坂そんな食べるの!?」

「? うん。まあ、今日はちょっと疲れたから、すこし多めに」

「す、すこし……?」

 

 いまのが? と震える声で訊ねる碧。実際平時とくらべれば誤差の範囲内なので、あんまり玄斗としては気にすることでもない。

 

「……えっと、ご注文は以上でよろしいでしょうか?」

「あ、はい。すいません。お願いします」

「ではくり返させてもらいますね……えー、ハンバーグステーキ定食のBセット――」

 

 一通り注文内容を言い終えたところで、「大丈夫です」とだけ返して楽な姿勢につく。真向かいではいまだに碧が「ありえないでしょ……」と指を震わせながらこちらを見ているが、たしかに家だとこれより二品減るぐらいなのでかなり多いのかも知れない、と玄斗は勝手に納得した。

 

「ご飯は大事だよ。食べないと死んじゃうし。なによりお腹が空いてるとなにもできない」

「うわ、なんか、親みたいなこと言ってる、十坂。……てか、意外すぎだし」

「そうかな」

「うん。……やー、だって十坂、細いじゃん。もっと小食かと思ってた」

「そうでもない。なにより、美味しいからね。ご飯」

「ふーん……」

 

 メニューを戻しながら言うと、碧はそっぽを向きながらストローでメロンソーダを吸っていた。かっちりと着込んでお淑やかさも漂わせるような蒼唯とは違うが、すこし崩した着方でセーターの袖を手のひらの半分ほどまで余らせた碧の格好はどこか様になっている。名前のとおり深緑を思わせる黒に近いウェーブのかかった髪色が、余計映えて見えた。

 

「……あー、十坂さ。そういえば、今日休みだったよね」

「……うん」

「えっと……なにしてたのかなー、なんて……」

「…………散歩」

「いやいや! 分かりやすい嘘つくなし! もー」

 

 笑うってー、とおおげさに反応する碧だが、まあ玄斗からするとあながち間違ってもいない。問題は、その散歩が目的は別にあって、なおかつひとりではなかったというコトだ。

 

「ほら、あの、誰だっけ。転入生の壱ノ瀬さん? だっけ。心配してたよ」

「みたいだね。あとで電話はしておく」

「あはは……仲、良いんだ。十坂と、壱ノ瀬さん」

「まあ、幼馴染みみたいなものだから」

 

 なんて話をしていれば、不意にテーブルの上に置いていた携帯が震えた。短いので電話ではない。咄嗟に確認してみると、ちょうど話に出てきた白玖……ではなく、本日一緒に散歩という名のさぼりを楽しんだ相手からだった。

 

『今夜十時あけておくこと。無理なら連絡』

「(……すごいストレートだ)」

 

 そのシンプルさがまたらしい。シンプルすぎてむしろ玄斗の意見が入る余地もなかったが、十時ぐらいならとくにコレといった予定も頭に浮かばない。平気です、とこちらもシンプルに返信して携帯を置くと、目の前の少女の様子がすこし変わっていた。

 

「…………、」

「……五加原さん?」

 

 じっと、どこか、苦虫を噛み潰す寸前のような顔で玄斗を見てくる。それはなんだかとても不穏で――同時に、無視できないものだと彼は悟った。

 

「……いまの」

「いま? ……えっと、携帯?」

「たしか……三年の」

「ああ、うん。先輩」

「……っ」

 

 ぎゅっと、碧のコップを持つ手に思わず力が入った。

 

「…………十坂、さ」

「うん」

「……もしかして、なんだけど」

 

 どくん、と跳ねる。それはどちらのものか。言うまでもなく。――なにも気付かないまま、なにも知らないまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あたしのこと、嫌い?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 十坂玄斗の心に、杭を打ち付けた。  




感想返せなかったよ……(レイプ目)すまぬ……すまぬ……でもちゃんと確認はしてます。ときどき予言者がいるのでもう戦々恐々としながら「予言される前に書きゃあ良いんだよ書きゃあ!」みたいな気持ちで筆走らせてました。はい(白目

とりあえす平日は一日一話です。休日の最大瞬間風速はときたまやるかもしれない。うん。ときたま。

とにかくゆっくり更新していくのでしばしお付き合いお願い致します。




感想多くてなんで一夏TSの感想返しやめたのか思い出したので明日から返せる分を返していきたい(決意


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それこそまさにただの記号

あと一話……あと一話……(亡者の目)


 

「……いや、そんなことはないけど」

 

 きっぱりとそう言う玄斗に、碧の苦笑が一瞬だけ固まった。が、それも刹那。すぐに表情を取り戻した彼女は、どこか作り物じみた笑顔で眉を八の字にしながら続ける。

 

「いやいやー……ほら、それこそお世辞はいいって。だって、さあ……」

「? うん」

「……十坂、あたしのこと……その、避けてた……じゃん?」

「――――、」

 

 ああ、なるほど、と玄斗は内心でうなずいた。やはり人をよく見ている。彼女の観察眼はおそらく調色高校のなかでも随一だ。普段は部活のテニスなんかで使われる才能が、ひとたび日常において効力を発揮した影響は凄まじい。例えるなら、なんとなく感じ取るのではなくそうだと直感する。ルートが固定された状態でいちばん早く、いちばん鋭く壱ノ瀬白玖の歪みに気付いたのは彼女だったはずだ。

 

「……そうだね。あんまり、深く関わらないようにはしてた」

「だ、だよねー……! いや、ほんと、あたしなんかした!? って思ってさあ……あー、えっと……理由、とか……聞いても、いい?」

「理由なんてないけど」

「え――」

 

 ひゅっ、と呼吸が変に止まった。心臓が締め付けられるとはこういうコトかと理解する胸の軋み。碧のなかに浮かんだのは悲しみではなくて、「どうして」という疑問だ。それがしっかりとしたカタチになる前に、ボロボロと霧散して――

 

「なんていうか、それは僕の責任で、僕のせいになる。……ごめん」

「……へ?」

 

 ――崩れ去る寸前に、そっと支えられてしまった。

 

「……あ、え……っと……どういう……あはは……十坂の、責任?」

「うん。ちょっとした、僕の問題。だから五加原さんが気にすることはないよ」

「そ、そう……なんだ……あは……あー、そっかあ。あたしのこと、嫌いじゃないんだ」

「? うん。だって、嫌いになる要素がない」

 

 またもやきっぱりと、玄斗は真剣な顔でそう言った。おそらくこの場に本日の首謀者兼共犯者がいれば「相変わらず会話が下手……!」と怒り心頭だったろう。それぐらいの脈絡のなさと、言葉選びのなさ。彼のそれはもはや会話というのもおこがましい、独り言じみた言い方だった。

 

「さっきもそうだけど、五加原さんは人をよく見てる。僕がメニューを軽く見ただけで決めたって感付くのは素直に凄いと思うし、誰かを気遣えるのは良いことだと思う」

「え、ぅ、や、と、十坂……っ?」

「人を気遣うのって、凄い難しい。予測なんてアテにならないし、人それぞれ考え方だって違うのに、いくら考えたって分かるわけない。なのに五加原さんはそれができて、分かったうえで誰かのために動いてるってことになる。……それって、普通に素敵なコトとは違うのかな」

「すっ、すて、素敵か、どうかは……! わかん、ない……けど……」

「でも僕は凄いと思うし、素敵だと思う」

「――――っ!」

 

 まったくもって会話が下手。おそらくこの場に本日の首謀者兼共犯者がいればまっさきにその頬を殴り抜いている。おもに怒りで。

 

「それに、なによりこれがいちばんだと思うんだけど」

「…………もう、なんなわけぇ……?」

「嫌いな人と一緒にご飯は食べないよ。ましてや、誘われても普通は断る」

「――――――、」

 

 先ほどまで俯きかけていた碧の顔が、ぱっと上がった。玄斗は若干苦笑しながら、食器を置いて彼女のほうを向いている。学習という名の無駄なあがきがそのとおり裏目に出た。必要以上の接触を避けていたのは、きっとずっと前からバレバレだったのだろう。誰かに嫌われる辛さは彼もすこし知っている。たったひとりであれ、重いモノは重い。それはちょっと、目の前の彼女が背負うようなものではないと思った。

 

「でも、納得いった。今までのことも察してたんだ。本当にごめん。これからは気を付ける」

「……え? あ、うん……」

「そういうことだから。五加原さんはぜんぜん嫌いじゃない。それじゃあ、また。相席ありがとう。今日は一緒に話せて楽しかった」

 

 立ち上がりながら玄斗がそう言うと、碧はぽかんと呆けたまま彼のほうを見ていた。そこまでおかしなコトは言っていないはずなので、動きに問題でもあったのだろうかと斜め上の方向に振り返る。そちらに関しても変な動きはしていないはずだが、色々と自信のない玄斗では確信を持てなかった。席代代わりにそっとふたり分の伝票を持って、ついぞ席を離れようとしたとき

 

「ま、待って!」

 

 ガタン、と椅子の揺れる音が響く。振り返れば碧が机に手をついて立っていた。店内の照明によるせいか、気持ちその顔色がいつもより良く見えた。

 

「な、名前! その、下の名前で、いい、から……」

「……うん。分かった。じゃあ、また。碧さん(・・・)

「う、うん! ま、またね! ……く、玄斗(・・)っ!」

 

 手を振って、くるりと踵を返しながらレジまで歩いていく。予想外の出費に財布は痛いが、だからどうということもない。大体使えるときに使うのが賢いお金の使い方だ、とどこぞの誰かが言っていたような気もする。食事にありつけただけ幸運だ、と玄斗は代金を払って店を出た。

 

 ◇◆◇

 

 十時ちょうど。無事帰宅し、家のなかにも入るコトができた玄斗がシャワーを浴び、来たるべき期首考査のために参考書とにらめっこしていたとき。不意に、聞き慣れた電子音が耳に届いた。電話の着信音だ。すぐに掴んで、そっと液晶に目をやった。

 

「(……なんていうか、本当律儀だ)」

 

 十時といって十時ちょうどなあたりがとくに、と思いながら玄斗は通話ボタンを押した。

 

「もしもし」

『私よ。……言わなくても、分かってたわね』

「ええ、まあ」

『あなたと電話で話すのはこれがはじめてかしら。……顔が見えないのは、難しいわね』

「ビデオ通話っていうのもありますけど」

『いやよ、恥ずかしい』

「ですか」

 

 笑って答える玄斗に、電話越しの向こうは不機嫌そうに鼻を鳴らすだけだった。不自由だからどうするのかではなく、それを楽しむのもまたやり方だと彼女は言っていた。時折口にする難しい言葉は、なんとも玄斗からしても反応に困るものばかりだ。

 

「そういえば、見ました。ムスカリ」

『そう。……どうだった?』

「綺麗ですね。でも、やっぱりぶどうみたいです」

『……あなたらしい(クソ鈍感天然)反応で満足したわ』

「ありがとうございます」

『褒めてないから』

 

 あれ? と首をかしげる玄斗。まあ、ある意味では褒めるべきなのかもしれない。

 

「あ、でも、レシートはなんだったんですか? 会計間違いとか、その確認で?」

『……あなた、それでも学年首席?』

「はい、これでも学年首席ですけど……」

『一度その看板を返すコトをおすすめするわ。それか脳みそを縦に割りなさい』

「……? すいません」

『十四回目』

 

 容赦ないカウントに玄斗の頬がひくついた。そういえば、暗くなってすっかり忘れていたがまだ〝今日〟の範囲内だ。

 

「……なにをすれば?」

『本当に潔いわね。なら……そうね』

 

 すこし間を置いて、うんと蒼唯のうなずく声が聞こえる。そこまで悩んでいない、軽い要求だと良いのだが、と玄斗は一縷の望みをかけて、

 

『味気ないから、名前で呼びなさい』

「……それだけ、ですか?」

『……それだけとはなによ。あなた、一回も私の名前呼んだことないじゃない』

 

 そういえば、と思い返して玄斗は気付く。はじめから、それこそ初対面の挨拶からずっと彼女のことは先輩としか呼ばなかった。名字はもちろん、下の名前なんて以ての外だ。たしかにそれは、人付き合いの経験がすくない玄斗をしてどうかと思わせる説得力があった。

 

「……えっと、蒼唯(・・)?」

『――――っ、ば、ばか、ばかじゃないの!? あ、あああなた年下でしょう!? と、年上にはもっと敬意を持って……!』

「す、すいません。蒼唯(・・)……さん」

『……まあ、それで許してあげるわ』

 

 はあ、とついた息にこめられた想いはどんなものか。真実それは蒼唯にしか分かるまい。ただ、仕方ないといった風に言う彼女の様子からして、悪いものでもないのだろうと玄斗はなんとなく直感した。それからおおよそ一時間。ふたりのどうでもいい会話は、街の明かりがぽつぽつと消えていくまで続いた。  






名前なんてただの飾りです。偉い人にはそれが分からんのです。















































ちなみに主人公がまともな人間らしい思考とか感情を持っているという仮定での想像はわりと面白いのでそういう感想は見ていて楽しいです。


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白死が映って――?

きっと、一度でもそんな経験をして

一度でもそれを感じたコトがたしかにあったのなら

ああ、そうだろう。

間違いなく、そいつは必ず

ヒトとして、ましてやきっと


――生き物として、どうしようもなく狂っている――





 

 夕方から止んだ雨雲が影も形もなくなった翌日。部活動に所属する生徒たちが午前中のみの練習に励み、帰宅部に分類される彼らが平和な日常を過ごす土曜日。十坂玄斗はそのドアを開けた瞬間、壮絶なまでの震えに襲われた。

 

「――――、」

 

 ぞくり、と鳥肌が立つ。感情によるものではない。そもそもそんな可愛らしいものが玄斗のなかに存在するかと言われれば首をかしげる。間違いなく、けれどたしかに、彼だけが鋭敏に感じ取れる殺気。……まさしく、心臓(いのち)に触れた感覚だった。

 

「……お邪魔、します……?」

 

 ぎい、と今日だけはいやに重い扉を開いて中に入る。廊下に明かりは一切ついていないが、晴れた日の昼前だ。視界は十分に確保できる。ただ違和感があるとすれば、人の気配が極限まで消されていることだった。

 

「(……いや、いつもだろう。だいたい、この家には……)」

 

 そう、たったひとりしかいない。玄斗はそのひとりに呼ばれて休日にここまで足を運んだのだ。道中はなんとも思わなかったが、こんな場面と対峙すれば気持ちも揺らぐ。目下の心配事は家主の姿が見えないことだろう。最悪の想像が脳裏によぎる度に、そんなハズはと考えを正す。自然と高鳴る心臓をおさえつけて、そっと歩を進めた。

 

「…………、」

 

 ぎし、ぎし、と踏みしめた床が軋みをあげる。音は遠くまで響くが、家のなかで広がりは途切れる。視覚だけではなく聴覚まで総動員して、周囲の状況を冷静に把握する。こういうとき、感情と思考の繋がりが薄くて良かったと芯底思う。()と比べてこの体はとてつもなく頑丈だ。なにせ重いモノを持っても骨が折れない。ならばすこし本気で殴ったところでなんともないだろう。せめて痛いぐらいか。拳を握り締めて、玄斗はゆっくりとリビングに繋がるドアを開けた。

 

「……白玖?」

 

 と、そこで探していた家主の後ろ姿を視界におさめた。カーテンを閉じて、電気もつけていない真っ暗闇。いや、厳密に言うならひとつだけついている。彼女が立っている台所の、あわい蛍光灯の光だけが。

 

「(……なんだ、無事なのか)」

 

 ほう、とちいさく息をつく。張りつめていた意識が弛緩した。女子高生のひとり暮らしというのは安全面から考えてもどうかというものだ。鍵をかけ忘れたなんて一瞬の油断でさえ、取り返しのつかなくなる可能性がある。が、とりあえず無事ならなによりだ。低い姿勢から立ち上がって、玄斗はそのままリビングに足を踏み入れた。――その直前まで放たれていた殺気が、いったい、誰のものだったのかも考えずに。

 

「白玖、こんなところでなにして――」

 

 音が響いた。なにかを叩き付ける鈍い音。ゆっくりとふり向いた白玖の顔に、暗い影がかかってよく見えない。

 

「……おかえり、玄斗」

「……白玖?」

「昨日は、なにをしてたのかな。学校、休んで」

 

 玄斗は分からない。彼女がこんなところで待っていた理由も、そのいつもとの違いの原因も、ましてや――しっかりと右手に握られた銀色に閃く刃物も。

 

「……それは」

「言えないの?」

「……うん。ごめん、言えない」

 

 だからこそ……いや、仮に気付いていたとしても、彼は素直に答えた。言えないものは言えない。言葉を選ばず、胸に飛来した思いをそのまま口にする彼らしいやり方だ。けれども悲しきかな。この場合においては、悪手と言わざるを得なかった。

 

「そうなんだ……言えないような、ことなんだね」

「……まあ、そうなるのかな。でも、こればっかりは――」

「言えないようなコト、したんだね……どこの馬の骨とも知らない、女と」

 

 ――きっと壱ノ瀬白玖に前世があれば、人を殺す術を持っていたに違いない。すらりと構えられた包丁(ナイフ)には、誰かを殺す力がある。危機感だとか、有り体に言えば注意、敵意、殺意……それらが向けられたときの緊張と、心が安まる刹那の間。そこをつくように狙いを定めた彼女の目が、獲物(心臓)をじっと注視する。

 

「えっと……は――」

「悪い子だね。玄斗は」

 

 音もなく白玖は跳ねた。一瞬で玄斗の眼前まで迫る。距離は近い。すぐにでも刃が届く。避ける間隙はあったかどうか。なにも考える時間もなく、なにをする余暇もなく、

 

「悪い子には、お仕置き……しなきゃ」

 

 躊躇いもなく、さも慣れたように。

 

「……は……く……?」

 

 十坂玄斗の胸に、断罪の刃を突き立てた。

 

「教えてあげる、玄斗。――これが、誰かを殺す(愛する)っていうことなんだよ」

「…………!」

 

 間近で見えた白玖の瞳と目が合う。口角をつり上げて、彼女は綺麗に笑っている。笑いながら、ぐっと手に持つ凶器に力を込めた。鋭い先端が優しく玄斗の胸を押す。まるで吸い込まれるように、どこか沈んでいくように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――カツン、と彼女の持つ包丁は柄に戻っていった。

 

「……は……く……?」

「――っ、ぷ、あ、あはは……! く、玄斗ってば、そんな、必死そうな顔、しちゃって……っ!」

 くすくすと笑い続けながら、白玖は閉めきっていたリビングのカーテンを開けた。いまのさっきの筈なのに、その陽光が妙に玄斗にとっては懐かしい。先ほどまで刃物と認識していたそれがよく見える。遠目からでもおもちゃと分かる、出来の悪い偽物だった。

 

「これ、引っ込むやつ。まさかこんな上手くいくなんて、思わなくて……ふふっ、でもいい顔見れた。あー、いまの写真とっとけば良かったなあ」

「……なに、を……」

「学校さぼってどっかほっつき歩いて、あまつさえこんな可愛い幼馴染みのメッセージを既読全スルーしてくれた罰だよ。むしろこれぐらいで済んでありがたく思ってほしい」

「……なんだ。そういうことか」

 

 壁にあずけていた体重を戻して、ゆっくりと玄斗が体勢を立て直す。いきなりのことで驚いていたが、理由を聞けば納得だ。おおかた懲らしめようとして思いついたのがこういうコトだったのだろう。さすがはよく考える、と玄斗は関心しつつ頭を下げた。

 

「その件についてはごめん。別に、白玖のことを邪険にしたわけじゃないんだ」

「私を放っておいて他の女と遊んでたのにー?」

「うん。だから今日はこうやってちゃんときた。穴埋めになるのかは、分からないけど」

「……ぜんぜんなりませんよー。三ヶ月分の指輪ぐらい用意してくれないと」

「なんだ、白玖。そういう夢とかあったのか。ならそれは僕じゃなくて、君の好きな人に言うべきだと思う」

 

 ――いやだから玄斗に言ってるじゃん、とは口にできなかった。恥ずかしさとかそういうのは二の次にして、なんとなく自分からストレートに言うのは負けた気がするのだ。重いだなんだと言われようが彼女だってれっきとした乙女の心を持っている。

 

「……で、なにがあったの?」

「なに、って?」

「とぼけない。なんか、あったでしょ。どっちかっていうと良いコト」

「……すごいな。もしかしてエスパーか、白玖」

「違うから。だいたい、玄斗のことなら私はなんでも分かるしー?」

「……それは、勝てないな」

 

 苦笑する玄斗と、鼻を鳴らして胸を反らす白玖。男子高校生ならその成長著しい一部に目でも引きそうなものだが、こと彼にいたってはまったくの無関心。ひとつ笑顔をゆったりと消して、諦めたように息をついた。

 

「……ちょっと、心のつっかえが取れたんだ。すこしだけ」

「ふーん? 女の子と遊んで?」

「まあ、端的に言うとそうなるのかな。……改めてみると弁解のしようもないぐらい最低じゃないか?」

「そうだよ。さいてー、玄斗さいてー」

「ごめん。許してほしい。できることならなんでも――」

「ん? いまなんでもするって言ったよね?」

 

 食い付きが尋常じゃなかった。ちなみに荷物は壊れていない。というか持ってすらいない。電波が乱れた。

 

「じゃ、今日一日付き合ってよ」

「ああ。そのぐらいなら良いよ。なにに? 買い物?」

「……玄斗はさ」

「?」

「いっぺん、本当に、心理学を勉強したほうが良いと思うよ」

「うん、分かった。今度本屋にでも寄ってみる」

 

 おそらくはそれでも治らないだろうな、と幼馴染みの筋金入っている鈍さに白玖はため息をついた。律儀なのは美点だが。律儀すぎるのもアレだ。

 

「(……ま、いっか。玄斗、なんか嬉しそうだし)」

 

 できることならその顔は自分がさせてあげたかったが、大事なのは誰がどうするかではなく彼がどうなるかだ。その相手が自分であれば文句なしいちばんの幸せな結末だが、いまはまだ急ぐときでもあるまい。おもちゃのナイフをポケットに仕舞いながら、白玖はちいさく笑顔を浮かべた。

 

「ところで白玖は、花とか詳しいか?」

「うん? なに、いきなり。あんまり詳しくないけど」

「ムスカリっていう花があるんだけど、あれ、ぶどうみたいなのに花なんだって」

「あ、それは知ってる。ムスカリかあ……ふーん……」

「ちなみに好きな花とか、あったりするのかい?」

「ああー……それは、そうだねえ……」

 

 すこし悩んで、白玖はちょっとだけ口角をつりあげながら、こう答えた。

 

「――アネモネ、とかかな?」

 

 そうなんだ、と玄斗が返す。きっと意味のほどは、彼女だけが理解したままだった。  




>おもちゃのナイフ
別に七ツ夜とかは書いてない


というわけで二章終了! 閉廷! 解散!


幕間は二話だヨ! まだ先輩のターンだね長いなあ!(やけクソ)


でもメインヒロインは白玖ちゃん(♀)なので主人公を救えるのが必然的に彼女でしかなくなるというアレ。……いや、うん。もう余計なアレコレは言わないでおこう。


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二章幕間:彼のウラガワ ~誰かの記憶~

(ピロロロロロ……アイガッタビリィー)


 

 別に、何を思うでもなかった。

            /なにも思えなかった。

 傷付いたわけでもなかった。

            /傷付くものすらなかった。

 だって、そうだ。

            /最初から、あるいは。

 

『ああ――……こんなコトになるのなら。お前なんて、生まれなければ良かったのに――』

 

 そう言った彼の瞳は、とても冷めていた。

            /自分の父親だ。

 だからといって、なにか思うわけでもない。

            /狂っている。

 自分は生まれるべきでなかった。その言葉だけを脳が認識して、飲み込むように理解した。くり返す。反芻する。事実を其れと受け入れる。――自分は、生まれるべきではなかった。

 

「……ごめんなさい、お父さん」

 

 彼はなにも答えなかった。ただ下を向いたまま、とくに機嫌を損ねた様子も、とくに心を痛めた様子もなく、静かに病室を去っていった。たったひとり残された家族にそんな態度をとられても、別に、なにがどうというワケでもない。もとよりあとすこし、ほんのわずかしか残されていない命だった。だから、まあ、案外傷付くよりかは、ちょっとだけ嬉しくもあった。

 

「(そっか……父さんは、ずっとそう思ってたのか)」

 

 そんな些細な感情を理解して。本心から、■■■■は笑みを浮かべた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「本当にどうかしている」

 

 ひたり、と後ろから声がかけられた。ぼんやりとした意識のなか、その感覚だけがしっかりと残る。夢だ。玄斗は瞬時にそう理解した。

 

「僕の体、僕の声、僕の命で好き勝手やっている」

 

 ひたり、と冷たくなった手が頬に触れる。玄斗は動けない。動こうにも、指一本すら動かせない。夢の中、夢であると分かればなにが変わるかと言われても、変わらないのだから仕方ない。ただ、ゆっくりと近付く足音を静かに聞いていた。

 

「そこは僕の立ち位置なのに、僕になろうとして、あまつさえ、僕でありながら、僕であることに疑問を覚え、僕であることを放棄しようともしない」

 

 背中にてのひらがついた。ちょうど心臓のあたりだ。声は出ない。出そうと思っても出ないのだから、土壇場で出るはずもない。ただじっと、彼は見えない誰かの呪詛を浴び続けている。

 

「幸せであっちゃいけない。幸せを目指してはいけない。なぜ?」

 

 とても簡単な理由を訊かれた。玄斗としては、答えないわけにもいかない。なぜなんて、そんなのはとっくの昔から決まっている。自分の幸せなんて、いったいどこの誰が望んで、どんな人間が得をするというのか――

 

「狂っている。ああ、狂っている。君はとことんまでに人でなし(・・・・)だ。白玖とはまったく違う」

 

 当然のコトを言われていた。壱ノ瀬白玖とはなにもかもが違う。同じ部分なんてひとつもない。だからといって、自分が自分らしい部分なんてとくにない。そんなもの、はじめから。

 

「白玖は狂った。でも君は狂っている。そう、きっと、その人格が形成された瞬間から。だって、そうだろう? 幸せを望めないのは、そんなものがひとつも無かったからだ。自分がないのは、そこまで複雑な心を持つ余裕がなかったからだ。なにもかもが空っぽなのは、なにも与えられなかったからだ」

 

 当たっている、当たっている、当たっている。十坂玄斗がそうではない。■■■■としてすべて当たっている。けれども、別にそれが悪いコトではあるまい。幸せがなくたって、心が欠けていたって、人らしくなくたって、死ぬまでは最低限生きていられる。それだけで十分だと言っていたのは、どこの誰だったか。たぶん、名字は同じだったろう。

 

「ガラスだね、君は。白紙になった彼とは違う。粉々に砕けば元には戻らない。もう一度作り直して詰め込むしかない。ガラスの花瓶だ」

 

 言い得て妙だと■■は思った。ならばきっと無くしたのは花瓶の水だけ。いや、それすら入っていないのなら器に罅が入った程度か。なんだ、と安堵にも似た息をつく。それならぜんぜん、傷のうちにも入らない。

 

「……呆れた。そんなんでよく生きてこれたね。自殺願望でもあるのかい? ……なんにしても、納得いかない。僕に似たゲームのキャラクターを知っているそうだけど、それは本当に似ているのか? だとしたら、最悪だ。でもって大方、それは僕じゃなくて君自身のつくりだした〝ナニカ〟でしかないのだろうけど――」

 

 自然と首が後ろを向いた。体ごと半身を傾けて、ぐるりとその存在を目に映す。――視線の先には、玄斗(ジブン)がいた。

 

「馬鹿にしてくれる。僕が誰かに自分の役割をとられたぐらいで恨む、器の小さい人間だと思われてたなんて。本当に馬鹿にしている。ふざけるなよ……君」

「……ごめん」

 

 声が出た。いつもの玄斗とは違う声が。見れば、細い細い腕に戻っている。箸以上に重いものは事実持てない腕だ。十坂玄斗(タニン)の体に慣れすぎていたせいか、その肉体があまりにも頼りない。

 

「いいよ、許してあげよう。なにも、僕は君を責めたいわけじゃない」

「……じゃあ、なにを?」

「当然。僕のやる事は決まってる。白玖も君も同じだ。僕が踏み入れないところへ踏み入ってくれる誰かを探す。……友人のためにそこまでするのが、十坂玄斗じゃないのか?」

「……ああ。そうだね、そうだった」

「だろう?」

 

 もっとも、■■は彼と友人になった覚えはないのだが。

 

「酷いなあ……何年一緒に過ごしたと思ってるんだ」

「何年もなにも、これがはじめてだ。……実際、僕のなかに、君はいなかった」

「……ああ、だね。すまない、嘘をついた。君とは初対面だ。でもって、これも別に君の中からというワケでもないのが、難しいところかな」

「……?」

「なんでもいいさ。でも、これだけは覚えておくといいよ、■■■■」

 

 視界が歪んで、黒が消える。闇に馴染む。なにも見えない暗闇から、近く、でも遠く、どこからか声が聞こえた。

 

「幸せなんて案外、そのへんに転がっているものだよ――」

 

 意味も理由も以ての外。ただ玄斗には、その言葉の真偽はともかく、たしかめようとする気すらなかった。わざわざ自分から幸せを拾いに行くなんて、正直、馬鹿げていると思いながら。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 目が覚めた。ぱちりと開いた瞼は、二度寝という気分でもない。ゆっくり起き上がってあたりを見渡すと、最近になって見慣れてきた白玖の家だった。

 

「……夢」

 

 不思議な夢だった、と玄斗は知らずかいていた汗を拭う。自分のなかにあるはずもない誰かが現れて、意味の分からないコトを言ってくる夢だ。けれど、納得できる部分もあった。

 

「……たしかに。あれは、僕だったな」

 

 不幸であれと嘯くナニカ。ひたひたと付きまとうナニカ。その正体が、彼にしか見えないのであれば断定なんて簡単だ。彼が彼である以上、姿を見せた幻想も彼のつくりだしたものでしかない。十坂玄斗はいつだって十坂玄斗だ。名前のとおりであるのなら、そうであるべきなのかもしれない。彼のそんな悩みを払拭するのは、すこし後の話。

 

「……!」

 

 ふと、考え事の途中に手を握られた。見ればソファーの隣で寝ていた白玖が、ぎゅっと指を絡ませて力を込めていた。どんな夢を見ているのだろうか。握る力は一向に、薄れる気配がない。

 

「……白玖」

「……くろ……と……ぉ……」

「…………、」

 

 仕方なく、玄斗もほんのりと彼女の手を握りしめた。幸せなんて案外そのへんに転がっている。自分のことはどうであれ、この少女にとってもそうであればと思うのだった。




そんなワケでちょっとネタばらし。




彼を呪っていたのは彼自身だったよ! 誰かなんていないよ! すごいね! 自殺願望とかありそうだよね! でも幸せになっちゃいけないからもっと苦しんでもらうね♡

そんなこんなになってる主人公くんをこれからもよろしくお願いします。















ちなみに、なにもないってコトは別に不幸じゃないんですよ。


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二章幕間:彼女のウラガワ ~たとえばこんな話~

 

「――――、」

 

 呼ばれている。誰かになにかを呼ばれている。意識は暗い底の底。深い眠りの最中で、でも、脳を揺らすような誰かの声を聞いた。

 

「――――い、――――、」

 

 声はだんだんと大きくなる。うるさいと寝返りをうった。それでも相手は諦めた様子もなく、むしろボリュームを大きくしてきた。なんてことだと、彼女は頭を抱える。今日は土曜日につき、待ちに待った一週間に二日しかない休日だ。そんな日ぐらいゆっくり寝かせてくれと――

 

「……蒼唯。起きて、もう八時になる」

「…………?」

 

 なんだか、その声が耳朶を震わせすぎて、思わず目を開けた。

 

「え……?」

「あ、起きた」

 

 おはよう、と目前の男が微笑む。すらっとした体型と、地味だがどちらかと言えばぎりぎり整った容姿。目立たない外見がどこか安心感を漂わせる、彼女の意中の相手。

 

「朝だよ。ご飯、もう僕が作っておいた」

「……あなたが……?」

「? うん。でも、変わらないな。やっぱり朝は弱いね」

 

 ――先輩、寝起きはとくに機嫌が悪いですよ。そう言ってきたコトを思い出した。もうあれから――そうだ。あれから、十年(・・)は経つ。

 

「……ごめんなさい。寝惚けてたみたい」

「いいよ。気にしない。とりあえず、着替えて降りてきて。せっかくの朝ご飯が冷めたら勿体ないからね」

「……ええ、そうね」

 

 くすりと笑って返すと、彼は寝室から出て行った。本日も仕事であろう、最近になってやっと慣れてきたスーツ姿に頬が緩む。あまりの色気に会社で変な虫がつかないか心配になるほどだ。いまのところそんな兆候はないので、大丈夫だと思いたい蒼唯なのだった。

 

「……ひとまず、起きないと」

 

 主婦の自分が寝坊とはまったくもって情けない。素早くクローゼットから服を取り出しながら、彼女は階下のリビングで待っている()に思いを馳せた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「でも、ちょっと珍しいね。蒼唯が寝坊なんて」

「……そうかしら」

「うん。今まで僕が起きるより前に布団から出てたから、朝は新鮮だった」

 

 たしかに彼と暮らし始めてから早起きを心がけている蒼唯だが、今日はどうにも起きられなかったのだ。理由はぼんやりとしてよく分からないが、たぶん、なにかやむを得ぬ事情でもあったのだろう。でもなければ、八時台までぐっすり寝ているなんてありえない。

 

「疲れてたのかしら……そこまで無理はしていないつもりだけど」

「無理じゃなくても家事は疲れるだろう。だから土日は僕に任せてくれても」

何度も言ってるけど(・・・・・・・・・・)、それは却下。仕事してるあなたに任せられるワケないでしょう」

「……頑固だね、蒼唯は」

「お互い様よ」

 

 そう言ってご飯をつまみながら、そっと周囲を見渡す。……さっきはああ言ったが、どう見ても部屋の至る所が微妙に綺麗になっている。鬼の居ぬ間に……とまではいかないだろうが、自分が寝ている間に行われたのは明白だった。

 

「(まったく……)」

 

 この男は、と内心で頭を抱えながら味噌汁を啜る。昔からこういうところは本当に変わらない。余計なお世話だと何度言っても聞かないのだから筋金入りだ。人の強がりぐらいは見て見ぬフリをしてほしいものだが、そのレベルを彼に求めるのは酷か、と蒼唯は考えを改めた。

 

「それより、時間大丈夫なの」

「……む、ちょっとまずい」

 

 腕時計を見つめながらそう言って、彼が朝食をてきぱきと胃袋に詰め始める。ぱちんと手を叩いたのはそれからちょうど三十秒ほど経ってのこと。迅速に食事を終わらせた彼は、スーツの上着を羽織りながらスタスタと玄関のほうへ歩いていった。

 

「待って、鞄。忘れてるわよ」

「……本当だ」

「持ってくるわ。靴、履いてなさい」

「ごめん、ありがとう」

「お互い様よ」

 

 今度は笑ってそう言った。呆気に取られたように一瞬固まった彼が、次の瞬間には笑顔を浮かべて廊下を歩いて行く。それに伴って、彼女も先ほど横になっていた寝室まで歩を進める。ふたりの私物は大概がそこだ。彼の通勤用鞄を持って、気持ちはやめに階段を駆け下りて玄関へ向かう。

 

「はい、これ」

「ありがとう。助かった」

「これぐらいするわ。なにせ……〝  〟、だものね」

「……そうだね」

 

 ふたりして顔を見合わせながら微笑む。もう五年にもなる生活だが、飽きるにはほど遠い。むしろあと十年は余裕だろうと蒼唯は思っている。そんな感情が顔に出ていたのか、困ったように彼が苦笑を浮かべた。それもまた、相変わらずよく似合っている。

 

「幸せそうだね、蒼唯」

「ええ。私いま、とっても幸せだわ」

 

 言うと、「そうか」とだけ彼は応えた。大事なときに限って口数が減る。きっと率直な感想こそを大事にする彼生来のものだろう。曖昧なものばかりが内側で飛び交うから、せめて自らの心から漏れた感想だけはストレートに伝えようとする律儀さだ。それがまた、蒼唯にとっては好ましい部分だった。

 

「それじゃ、そろそろ行ってくるよ。今夜は早く戻る」

「仕事、落ち着いたの?」

「ぜんぜん。でも、無理してでも戻るよ」

「? どうしてかしら」

 

 次はまったく、と彼が思う番だ。蒼唯から鞄を受け取って、玄関のドアノブに手をかけながらそっとふり向く。蒼唯は、未だに答えに行き着いていないのか首をかしげていた。

 

「――結婚記念日。今日ぐらいはせめて、ね」

「…………そう、だった、わね……」

 

 驚きつつ反応すると、彼は笑みを深めてドアを開けた。白い光に向こうに、ゆっくりと体が吸い込まれていく。出勤だ。蒼唯はうっすらと穏やかな表情を浮かべて、家から出るその人に向けてこう言った。

 

「いってらっしゃい。――レイ」

「うん。いってきます、蒼唯」

 

 そのまま真っ白な光がふたりを包んで、やがて、無機質な音に鼓膜が叩かれたのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「――っ!」

 

 跳ね起きて、すべてを察する。かあ、と彼女は頬を赤く染めつつ枕を手に取った。

 

「(……な、なんて夢を見てるのよ、私は!)」

 

 そうして小一時間、蒼唯は愛用の枕と熱烈なキスをし続けた。




 これにて二章は終わり、次は三章です。


個人的に幕間は実質話が進まないので一気に投稿したい気分。




ちなみに>原因:名前呼び


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第三章 赤くても陰が映える
腕に巻かれるもの


個人的に一番の推しなんですけど一番書くのに神経使う人。もうまぢ勘弁して……


 

 つかつかと、十坂玄斗は書類の束を抱えながら廊下を突っ切る。歩幅は大きい。速度も気持ち速めだ。いつものんびりとした雰囲気を纏っている彼に、その生き方はすこし忙しなく見える。が、なにはどうあれ仕方ない。なにせ単純に時間が足りない。休み時間が終わるまで残りわずか、彼は急ぎ――けれど言いつけどおり決して走らず――生徒会室の扉を勢いよく開けた。

 

「赤音さん」

「違う」

「……会長」

「よろしい。うん、なに?」

「頼まれてた資料、まとめ終わりました。上から優先度順に、あとは日付で仕分けてます。あと準備室の備品、いらないものは段ボールにつめて棚に置いておきました。それから、音楽室の使用申請書が一通、体育館が一通、ハンコだけもらえれば先生に――」

「そ、じゃあ次、これもお願いね」

 

 どさどさどさ、と分厚いファイルを五冊ほど重ねられた。急務ではない。見れば分かる。裸の用紙一枚渡された場合は要注意だが、きちっと綴じられている以上は終わった仕事だ。なので、これから渡されるものは後処理……率直に言ってしまえば整理になる。

 

「……赤音さん」

「違う」

「……会長。あの、すいません。やっぱり経験して分かります。僕には――」

「トオサカくん?」

 

 にっこりと赤音が笑う。年相応らしい可愛らしさと、女子高生にあるまじき威圧を含んで。

 

「私、言わなかったかしら」

「……えっと」

「これは罰よ、って。――もとからあなたに拒否権はないわ。だいたい学校休んでどこへ行っているかと思えば、見ず知らず(・・・・・)の女子とデートですって? そんなのうらや――っと違う違う、落ち着けぇ……私ぃ……」

「…………、」

「こほん」

 

 気を取り直すように咳払いして、赤音は真剣な表情で言い放った。

 

「そんなの、我が校の生徒会長として見逃せないわ。たったの一ヶ月生徒会の仕事を手伝うだけなのだから、むしろありがたく思いなさい」

「……あの、じゃあ、この腕章は変えてもらってもいいですか?」

「却下」

「…………、」

 

 内心の感想は決して口に出さなかった。が、目は口ほどにものを言う。えー、という心の声を見透かしたように、赤音は眉間にしわを寄せた。

 

「いい、玄斗。あなたの立場はたしかにお手伝い。生徒会の雑用。けれど、その能力に見合った役職は用意するべきだと、私は思ったの」

「……はい」

「率直に言うわ」

「はい」

「あなたもうこれからずっとその腕章つけてなさい」

「会長。それはいくらなんでも無茶です」

「なんでよ」

「いや、だって、洗濯するときはのけないと」

「……じゃあ、百歩譲って学校に居る間にしておいてあげるわ」

「そうですか。……あれ? なんか、話がずれてるような……」

「……そうね」

 

 あれれ? と首をかしげる玄斗に赤音がちいさく舌打ちをうつ。そう易々と騙されてはくれないのは、単なる直感の鋭さか、案外頭の回転が早いのか。どちらもまあまあこの男は持っているが、運と言えばそれまでなようでもあった。十坂玄斗が生徒会に(仮)所属してから数日。調色高校第三十六代生徒会は、今日もにぎやかに忙しかった。

 

 

 ◇◆◇

 

 発端は、白玖が漏らしたコトだった。

 

『それはそれとして悪い子は生徒会長に報告しておいたからあとで覚悟しておいてね』

『え』

 

 そんなやり取りをしたのが土曜日の夜。予想通りというべきか、むしろそうならなければいけないというべきか、月曜日の朝に登校するなり玄斗は生徒会室に呼び出された。以来、罰と称して生徒会のお手伝いをわざわざ「副会長」の腕章をつけてやらされている。そのせいで通りすがる生徒の視線が痛い。

 

「(ていうか、学業の合間に雑用をするのはどうなんだ……? 授業に集中できなくなってもおかしくないと思うけど)」

 

 もちろん玄斗には前歴があるので心配もないが、他は別だ。勉強しながら生徒会業務など生半可な生き方ではやっていられない。せいぜい潰れるのがオチだ。それほどの量ある仕事をド素人である自分に渡しているのだから、おそらく本職はもっと大変なのだろう。そう思って階段をあがっていると、向かい側から最近見慣れた姿が近付いてくる。

 

「……む、十坂さんでしたか」

「……紫水(シミズ)さん」

「お疲れさまです。会長からの押しつけ(シゴト)だと思いますが、どうでしょう」

「……うん、正解。そっちは……」

「いえ、とくになにも。そもそもその仕事量は……いえ、なんでも。別に、ええ、なんともありません」

「…………そっか」

 

 なんかあるんだな、と玄斗は察した。おそらくはこの大量のファイルについて。その正体かあるいは単純な量についてのものか。どちらにせよ嬉しくないものだろうと予感しながら、身長に階段をのぼっていく。

 

「……お手伝いいたしましょうか? すこし、あなたひとりでは危ないような気がしますが」

「ううん、大丈夫だよ。ありがとう。気持ちだけもらっておく」

「そうですか。ならばいいのですが」

 

 言って、スタスタと彼女は去っていった。紫水六花(リッカ)。調色高校生徒会会計を担当する本業のひとり。紫色の髪と瞳が特徴的な彼女は、それこそ四埜崎蒼唯よりも一段階ほど上でクールな性格をしている。すくなくとも玄斗は、かの少女が取り乱した姿を見たコトがない。

 

「…………、」

「――大変そうね」

「っ……と……」

 

 続くように、また階段の上から声がかけられた。生徒会室は一階だ。自教室のある三階までのぼるには、すこしばかり距離が長い。そのせいだろう。

 

「……灰寺(ハイデラ)さん?」

「彼女、あなたのコトを気に入っているから。……きっとまだ増える」

「……それは、なんとも。困ります」

「でしょうね」

 

 薄い黒髪を揺らしながら、少女がこくりとうなずく。灰寺九留実(クルミ)は生徒会庶務をつとめるすこし変わった生徒だ。すこしどころじゃなく変わっている玄斗からしてもその評価は変わりないので、すこしどころじゃない気もする。

 

「貸して」

「……えっと、これを、ですか?」

「それ以外になんと受け取るの」

「……いえ。大丈夫です。このぐらい」

「……そう」

 

 ならばいいわ、と彼女はスタスタと玄斗の横をすり抜けていった。ふたりとも同じような会話をして同じような結末を迎えている。二度あることは三度ある。もしや次もあるのでは――と冗談まじりに考えていたとき。

 

「あれ、玄斗じゃん」

「……白玖」

「なにその荷物? って、あれか。生徒会か……腕章が輝いてらっしゃる」

「……冗談はよしてくれ」

「ごめんごめん。ああ、持つよ」

 

 言うが早いか、ひょいっと白玖は玄斗の抱えるファイルを半分ほど持って隣に並ぶ。断る暇すらない早業だった。

 

「白玖……」

「なに? 別に私はほら、暇だから動いてるだけだし? 誰にも助けを求めずにやろうとしてるオトコノコの心配とかしてないし?」

「……そんなに頼りないか、僕?」

「そんなことないけど、無理はしてほしくないかなあ」

 

 最近の玄斗は疲れていそうだし、という幼馴染みの一言が地味に響いた。たしかに十坂玄斗は疲れている。それはもう疲れている。連日の慣れない激務に追われて家に帰っては妹に頼んで湿布を貼ってもらう毎日だ。思いっきり構えて「てーい!」と叫びながら貼ってくるのは良いがその威力はもうちょっと考えてもらいたい。お陰様で高校生ながら玄斗は若干腰痛気味だった。

 

「休まないと駄目だよー。倒れちゃったら元も子もないし」

「それぐらい分かってる。寝たきりとか、御免だからね。僕は」

「本当に思ってる?」

「思ってるよ、本当に」

 

 ――本心から、そうだとも。寝たきりなんて御免だ。あれほど退屈な時間の過ごし方もあるまい。過ぎていく日々を数えながら窓の外に意識を傾けるのは、せめてあと数十年の期間が欲しいと思う玄斗なのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 はあ、とひとつ赤音は息をついた。

 

「……ままならないわね」

 

 背中をあずけて力を抜くと、古びた椅子がぎしっと音を鳴らした。生徒会室の備品は年季が入っている。古すぎるワケでもないが新しいコトもないそれらは、私立校の事情的に見ても買い換える選択肢にはならないだろう。そんな中で、沈み込むような息をくり返す。

 

「でも、ま、悪くないわね。思った以上に――うん。悪くない」

 

 笑って、彼女は窓の外を眺めた。まだ梅雨時にも入っていない午前の空。青い背景の下には点々と雲が流れるのみで、どこか澄んだ空気を感じさせる。

 

「……本当、分かんないものよ。まったくどうして……ね、玄斗」

 

 空いていた席も、腕章も、彼女の机から消えた現在。それがたった一時の契約であったとしても、思わずにはいられないコトがある。つい口に出してしまったのは、きっとそういう感情が脳裏をよぎったからで。

 

「私、やっぱりあんたのこと欲しいみたい」

 

 くすりと微笑んで、彼女は少年のまとめ上げた書類に目を通した。




というわけで三章スタート。赤色の彼女でございますよー。









え? 新キャラ? HAHAHA。ただのモブでしょモブHAHAHA


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血色に染まったブラウス

 

 最初は直感的に、そいつのコトが気に入らなかった。

 

『二之宮生徒会長』

『……なに?』

『手伝います。重いでしょう、それ』

『……いらないわよ。それより、邪魔だから退いてくれないかしら』

 

 だからまあ、そんな野郎に優しくするつもりもなくて。思えばかなり邪険に扱ったような気もする。邪魔だとかしつこいだとか、あまつさえ消えろとも言ったような気がした。物理的な手段に出る一歩手前までもいった。本当に、本気で、その顔面を蹴り抜こうとして――

 

『――――』

 

 驚きのあまり、振り上げた足が固まった。黒だ。たしか名前もそうだったか。暴力を振るわれる刹那まで、彼の瞳はなにも映さない黒色をしていた。底が見えない。深くはないだろう。だがしかし、浅いのは所詮うわべだけ。自分が危機的な状況に陥っておきながらなぜそんな態度をとれるのか、純粋に興味がわいた。

 

『……あの』

『……なに、よ』

『……そろそろ。その、足を下げてもらえると。……目のやり場に』

『? ……、……。……っ!』

 

 その後、結局ガツンといったのはまあ、どうか許してもらいたい。

 

『生徒会長』

『……ああ、十坂』

『手伝いますよ、それ。重いでしょう』

『じゃあお願い。あと、これも』

『わかりました』

『あ、あと生徒会室のダンボール、準備室まで持っていって』

『はい、じゃあそれも』

 

 どんな理不尽な命令も――それこそ一介の学生なら不平不満の類いを漏らしてもいいような雑用でも――彼は喜んで引き受けた。どころか、話しかけるだけで笑顔を見せた。綺麗な笑顔。整った笑顔。それはつくりものじみてはいないけれど、どこかゲームのテクスチャを思わせる不気味さ(コピペ感)があった。この男は笑顔をつくるのが上手い(下手な)のだと、そのときはじめて知った。

 

『二之宮先輩』

『あら、十坂くん』

『また荷物ですか? 無理はあまりしないほうが』

『別に無理じゃないわよ。だっていま、あなたがちょうど良いところに来たでしょう?』

『……まさか、最初からそのつもりで?』

『お願いね、トオサカくん?』

『……わかってます。別にそのぐらいはぜんぜん』

 

 苦笑してそう言う彼の表情に、すこしだけ――ほんの一瞬、貼り付いたモノのウラガワが透けて見えた。幸も、不幸も。光も、闇も。正義にも、悪にも見える空の器。そのどれにもなれて、どれにもなりきれない曖昧な心の在処。そんな歪さに、気付いてしまった。

 

『玄斗』

『……赤音さん?』

『ちょっといいかしら。これ、持っていってもらいたいのだけど』

『はい、いいですよ。赤音さんの頼みなら喜んで』

『……ふん、調子のいい奴』

 

 だからその言葉がすべて、裏も表もない上っ面の彼の口から出た言葉だと分かっていた。分かっていたのだ。本当に。……分かっていながら、たぶん、気付いたときには頭を抱えるしかなかった。

 

『要するに、受け取り方の問題よ。ここで言うなら定義の問題。言葉の意味を正確に読み取れないならせめて、ぜんぶ頭に叩き込んでこれだと思うものを選びなさい』

『……現代文のテストって、そんな難しいコトみんなやってるんですか?』

『むしろできないあんたがおかしいのよ。本当、なんていうか、人の心ってものに鈍いっていうか……ああ、これはまあ、関係ないか』

『?』

 

 一月経てば、そいつと一緒にいるのが嫌でもなくなった。二月経てば、そいつと居るのが当たり前になった。三月経てば、そいつとまあまあ通じるコトもできた。すべて上っ面。分かっている。すべて分かっているのだ。本心なんてあるかも分からないものを隠して、そいつは上手く生きていた。だから――無性に、腹が立ってしまったのだ。

 

『ねえ、玄斗』

『なんですか、赤音さん』

『あんた、なんか隠してない?』

『……? 別に、なにも』

 

 嘘をついている様子はない。そもそも嘘をつくなんて真似ができるほど彼が器用な人間でないのを知っていた。余計に腹が立つ。知れば知るほど、イライラがおさまらない。向こうからは勝手にやってくるくせ、こっちが踏み込めば大事な部分だけ透けるように手触りがない。見つけても直視しても、掴めないのなら無いのと同じだ。

 

『…………、』

『……どうかしたんですか。最近、機嫌が悪いような』

『玄斗』

『あ、はい』

『……あんた、幸せってなんだと思う?』

『……急に、なんだか、哲学的ですね』

『いいから答えて』

 

 きつく言うと、彼は困ったように頬をかいた。人間味がある。精度が高い。真似たような仕草は、事実自分以外で気付くような人間もいないだろう。そんなのだから、半ば、答えもきっと己の中で出ていた。

 

『……そう、ですね。よく分かりませんけど、誰か(・・)が笑ってたらそれが幸せなんじゃないですか?』

『――――、』

 

 呆然とした。厳密に言うなら、呆れた。呆れ果てた。そんなコトを言う目の前の少年に。そんなコトをのたまう眼前の愚か者に。

 

『すくなくとも、よっぽどじゃない限り、笑ってるのがいちばんだと思います。悪人の笑顔は、あんまり見たくないですけど』

『……それ』

『?』

『それ、あんたもしっかり笑ってる?』

 

 訊けば、驚くように彼は目を見開いた。分からない。そんな反応をする思考回路が、それを悟ってしまう自分の妄想が。都合が良すぎて分かりたくもない。

 

『……さあ。僕、あんまり笑うの得意じゃないんです』

 

 限界は、そこで来た。

 

『(ふざけるな――)』

 

 彼の目の前からスタスタと早歩きで去って、角を曲がってから食い込まんばかりに拳を握り締める。まともに顔を合わせるなんて、こんな(・・・)状態では無理も同然だった。いまの表情をあの男に見せるのはしたくない。面倒な考え事やなんかが絡まったワケでもなく、純粋に女子としてそう思った。そうだろう。こんな――怒りに満ちた顔を、好きな人に見せるなんて考えられない。

 

『いいよなあ、十坂』

 

 そんなコトがあったからだろうか。偶然見かけたその場面に、心臓が凍りつく感覚を覚えたのは。

 

『会長とあんな近くでお喋りしてよ。……目障りなんだよ、おまえみたいなやつ』

『それは……ごめん。でもその、悪気があったわけじゃなくて』

『御託はいらねえ。てめえみたいな呑気(・・)に生きてそうなのはよ――』

 

 自制。我慢。立場。冷静に、冷静に。言い聞かせるように唱えた。それまでは覚えている。動いては駄目だと足を止めたのも。でも――

 

『何発かぶん殴らねえと、ムカついて仕方ねえ』

 

 ――結局、どれもできなかった。

 

『ちょっ……! だ、大丈夫、木下くん!』

『…………、』

『あ、赤音さん……! いくらなんでも、これは……!』

『……あんたは』

『……え……?』

『あんたは――どうして……!』

 

 彼の肌には青痣が出来ていた。数カ所ほど打撲もしているだろう。ボロボロの状態でも、けれど恨み言なんて吐くどころかなんの憂いもなしに〝いまさっきこの手でぶちのめした〟その男を庇うように立った。忌々しいほどに、その姿は似合っている。透けていた正体が見えた。なにもない。掴めない。当然だ。無ければ探ることも、掴むこともできやしない。

 

『――どうして、そんな風に生きてられるのよ……っ!』

 

 言うなれば、人生ひとつ丸ごと捨てている。彼として生きていても、()として生きていくつもりはない。そうやって割り切っているような感じを、見ていて思った。ふざけている。なにより馬鹿だ。その精神性が、壊れて跡形もない心の形が、それでもなお生きようとする繋ぎ止め方が。不細工で不細工で、仕方なかった。

 

『……言ってる意味が、分かりません……でも』

『……なによ』

『人を殴るのは、いけないことです。……こんなのは、間違ってる。赤音さんが、絶対』

『――――っ』

 

 叱るように、彼は言った。いまさっきまで殴られていたのはソイツで、その相手はコイツだというのに。

 

『(ムカつく、ムカつく、ムカつく!)』

 

 学校側から言い渡された一ヶ月の謹慎処分。その間に考えるコトは腐るほどあった。なにをするかも、どうするかも、そのときに決めた。……そう、覚悟はもうあるのだ。なにもないというのなら、なにも持たないまま死ぬというのなら、やるコトなんてはじめから決まっている。そっちがその気なら、こっちにだって策がある。

 

『(あんたが用意しないなら、ぜんぶ私が用意してやる。立場も、役割も、理由も、意味も――幸せも。ぜんぶ、用意して叩き付けてやる)』

 

 そう決めた。覚悟した。用意も準備も整った。だからあとは、向こうが来るのを待つだけだ。

 

『(本当、そうよ――ここらで観念しなさい、玄斗(クロト))』

 

 かつてまだ彼との間になんの憂いもなかった頃。そうやってひとつ、大事なものを誓ったのだ。 




久々にナチュラルテイスト屑玄斗くん書けて良かった……これは殴られても文句言えない。










ちなみに暴力系ヒロインっていうのはツンデレの派生で照れ隠しに暴力を振るうのではなく絶対的に引き返せない拒絶の意思表示として暴力を振るうのがドストレートで良いのであって決して好意に暴力描写を加えるというのはツンデレという属性に対する冒涜になるんじゃないかとわりと小一時間(以下略

まあ、スパイスは効きすぎるとそれもう劇薬だよって感じなので本当気を付けていきたい。


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穏やかな昼下がり

色々と感想で出てるのでここでひとつ。


【1】白、赤、?、青、緑、黒

【2】紫、?、?、灰、?、“  “


「十坂」

 

 名前を呼ばれて玄斗がふり向くと、黄色い腕章をつけた男子生徒が立っていた。なにか言いたげな表情と共に、「んっ」と布に包まれた弁当箱をかかげる。

 

「メシ、行くぞ」

「……鷹仁(タカヒト)。僕はいつも学食なんだけど」

「だからじゃねえか。ほらよ」

 

 ひょいっと投げられた弁当箱を転がしながら受け取る。よくよく見れば向こうの片手にはすでにコンビニのレジ袋が握られているので、ふたつめということだろう。……そのふたつめの出所が、なんとなく布の色で分かった。

 

「……赤音さん?」

「会長だ馬鹿野郎。殴られても知らないからな」

「そこまではしないよ。鷹仁でもあるまいし」

「……お前さ」

「?」

 

 じっ、と男子生徒が睨んでくる。天然、鈍感、唐変木。が、それはなんにしたって恋愛事に限った話でもない。この男はどこまでもこうなのだと、撫で上げられた金髪をかきながら彼は息をついた。

 

「やっぱ頭おかしいだろ。……ほら、とっとと行くぞ」

「うん。ところで、どこに?」

「俺たちの所有地だ。……もっとも、隅に追いやられただけとも言えるが」

「そんなことない。追いやられるもなにも、鷹仁だって立派な生徒会役員だ」

「……だから追いやられてんだよなあ……」

 

 皮肉交じりの言葉だって裏はない。どうせ天然。ただの天然。もしくは人の心なんて欠片も理解しちゃいない。そうくり返すように呟いていた誰かのコトを思い出して、男子生徒はやれやれと肩をすくめた。まったくもって気が抜ける。

 

「で、鷹仁。これ、なんなんだ?」

「……受け取っておいてそれか。察しろバカ」

「む、それは難しい。……毒味?」

「作ってやったんだと。率直に言ってやろう。――――食え。それがぜんぶだ」

「なるほど」

 

 くるりと踵を返して歩いていく男子の背中を、玄斗もゆっくり追いかける。木下鷹仁(キノシタタカヒト)。この学校では色んな意味でちょっと有名な、十坂玄斗の悪友に位置する人物である。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 扉を開けると、圧迫感のある備品の壁が目に入った。第二数学準備室。もはや使うこともなくなったそこは、生徒会における物置――つまるところの倉庫代わりとなって細々と部屋としての役割をまっとうしている。積み上げられた大量のファイル、ダンボール、消耗品その他諸々。そんな中にしっかりと空間の確保された長机に向かい合って腰掛けながら、ふたりはそれぞれの弁当に手をつけはじめた。

 

「お疲れさまだな……どうだ、慣れたか?」

「ぜんぜん。毎日倒れるように寝てる。……いままでこういうの、鷹仁がやってたんだろう?」

「誰もやらねえから俺がやるしかなかっただけだよ。で、それを知ってるなら話が早い。……おまえそれ、もうずっと付けてろ」

 

 びしっ、と行儀悪く箸で玄斗の腕章をさしながら、男子――鷹仁が言う。それまでの生活と比べて忙しくなり玄斗の顔色はたしかにちょっと悪くなったが、反比例するようにこの少年の顔色はちょっとずつ良くなっていた。生徒会の忠犬。牙を抜かれて会長にボコられた憐れな飼い犬。そう揶揄されている仕事量は、とてもじゃないが普通の域を超えているらしい。

 

「赤音さんにも言われたけど、そういうわけにもいかない。大体、鷹仁はずっとこれが欲しかったんじゃないのか?」

「欲しかった。……が、いまはもう要らねえ。つうか押し付けられても受け取らねえ。この数ヶ月で分かりきったし身の程知ったし絶望した。……十坂。ありゃあな、女じゃねえよ。二之宮赤音っていう生き物だありゃ」

「? そりゃあ、赤音さんは赤音さんだろうけど」

「お前……」

 

 本当にもうこの男は、と鷹仁が頭痛をこらえるように額に手を当てる。

 

「……ちょっと前の話をしよう。俺が会長に噛みついたことがあった」

「待ってくれ。それ、大丈夫か? 歯とか。折れてないか? 平気だったのか、鷹仁」

「ちげえ。比喩だバカ。むしろおまえが待て。おい。座れ。無事だよぜんぶ手前の歯だ」

「そうか」

 

 よかった、とひと息つくように玄斗がパイプ椅子に腰をなおす。どのあたりが良いのかは考えたくもない。

 

「……俺の仕事量と割り振り考えてもうひとり入れるかどうかしねえと潰れるぞって脅したんだよ。なんなら親父に言って無理にでもそうさせるって。大体、生徒会の役職ひとつ抜けたままとか、ろくな動きできるワケないのはあの女なら分かりきってるハズだ。だからまあ、ちょっとした、なんだ? 俺のなかの正義も込めてぶつけたんだが――」

「うん。どうなったんだ?」

「胸ぐら掴んで怒鳴ったら、そのまま廊下に転んでいったよ。……俺が」

「……ご愁傷さま」

 

 ちなみに、こう見えて理事長の息子である。人は見かけによらないものらしい。

 

「うるせえ、哀れむな。……いや本当勘弁しろよ……なんで、あんな……あんな暴力と破壊と嵐の化身みてえな女に俺は幻想抱いてたんだと……!」

「まあ、見た目は最上級に良いからね、赤音さん」

「ああそうだよ。ぜんぶ後悔してんだ。……本当、あん時おまえを殴らなかったらなあ」

「そこまで後悔するのか」

「ったりめーだろバカ」

 

 むしろ最大の汚点である。あの一件のせいで二之宮赤音に目を付けられたも同然だ。そして一般生徒にするような優しい扱いをされなくなったのもそのせいだ。鷹仁としては悪夢のはじまりと言わざるをえない。自業自得というのは分かっているので、とくに不平不満こそ言っても逃げたりはしないが。

 

「でも、そこは後悔しなくてもいいんじゃないか?」

「あ? なんでだよ。むしろ殴られたおまえこそなんか言っても――」

「だって、それがあったからこうして鷹仁と仲良くなれたわけだ。なら、大して後悔する内容でもない。むしろ良かったよ、僕は」

「…………俺、おまえのそういうところ、大嫌いだ」

「僕は鷹仁のそういう素直なところ、案外好きだよ」

 

 本気で汚点である。鷹仁からすれば、なにも知らなかったと言い訳をする気も起きない。なにせ自分が怪我をして休んだところへ色々と世話を焼いたのが、思いっきり殴り抜いた彼だったというのだから正直に頭がわいているのかと思った。もっとも、真相は単純に、彼はある程度の他人とのアレコレをそこまで気にしない質だというだけだろうが。

 

「……なあ十坂。実際、その気がないなら会長とか、やめとけよ。なんならいい女子を紹介してやる。こう見えて学校では親の七光りだ。馬鹿にされようが資産持ってんのは確定なんだよ。……どうだ、一年の原田(ハラダ)とか、A組の猪須子(イノスジ)とか」

「? ごめん、知らない」

「綺麗どころだ。まあ、うちのバケもんみてえなヤツらにゃ敵わねえが……それでも見所はあるぞ。なにより性格だ。こう、トゲとかいうレベルじゃない、もうなんだ、釘とか、ネジみてえのがない」

「……鷹仁はときどき難しいことを言うな。僕にはさっぱりだ」

「……ああ、すまん。悪かった。誰がいちばんそうなってるかなんて、言うまでもなかったよな」

 

 トゲはないし、釘もなければ、ネジなんて飛び出てはいない。むしろそれら全部が外れて飛んでいっているような人間がいたのだと、鷹仁は目の前の少年を見ながら思い出した。

 

「とにかくだ。会長はやめとけ。いいか、ここだけの話、あれは相当だぞ。大概の物事に関してはさっぱり割り切る二之宮赤音が、一年間もどこぞの誰かのために席を残してやがる。……この意味が分かんねえほど、おまえも鈍くはねえだろ」

「おかしいよね。代わりなんて、いくらでもいるのに」

「……すまん。前言撤回だ。よし、言ってやろう十坂。いいか、二之宮赤音はな、おまえのことがす――」

「あら、随分と楽しそうな話をしているわね」

 

 がらり、と部屋のドアが開いた。さっきまで妙にぐいぐいと来ていた鷹仁の体がピタリと固まる。ついでに、玄斗の箸もスッと止まった。おそるおそる、といった様子で鷹仁は扉のほうをふり向く。――スライド式のドアを開けて立つ赤音の顔は、ぞっとするぐらい綺麗な笑顔だった。

 

「……十坂。俺、死んだかもしれん」

「いや、それは困る。まだ十六だぞ。早死になんて、よくない」

「ああもう本当おまえのそういうところが大っ嫌いだわ俺……」

 

 ふっ、と笑う鷹仁の頬を涙が一筋つたう。覚悟を決めた男の姿だった。

 

「――じゃあな、十坂。また会えたら、そうだ……一緒に酒でも飲もうぜ」

「お酒は二十歳になってからだよ、鷹仁」

「バーカ。酒のひとつやふたつくらい飲んだって」

「生徒会書記、木下鷹仁」

「はいっ!」

 

 ガタン、と勢いよく鷹仁が立ち上がる。いい返事、おまけにいい姿勢だった。気の持ちようが違う。

 

「いまは昼休みだし、仕事でもないし、とやかくは言わないけれど」 

「……あ、はい。それなら」

「次、へんな真似してみなさい。――もう一度昼の夕焼けを見せてあげるわ」

 

 〝――余計(ヨケイ)(コト)()ウナ〟

 

「――――、」

 

 ぞっとしなかった。ちょうど一年生の頃。とある男子を殴ったコトが発端で見た真昼の赤い空を、彼はふと幻視したような気がした。

 

「……牙を抜かれた忠犬って話、本当だったのか。鷹仁、すごい大人しい」

「やめろ……それをここで言うな……ああちくしょう……俺を誰だと思って……」

「言って欲しいの? 永遠の二番手、トップにはなれない男、成績も学年二位、頭よりもその次の次ぐらいがいちばん輝く人材。そう私は評価しているわ」

「すいませんもう良いです」

 

 がっくりと肩を落として、鷹仁はパイプ椅子に座り込んだ。気持ちその金髪がいつもよりくすんで見える。

 

「それとそこの副会長カッコカリ」

「はい」

「放課後、残っておくこと。勝手に帰ったら承知しないから」

「わかりました」

「……それと」

「?」

 

 スッと、彼女は目を細めて、

 

「……味の感想を聞かせなさい」

「あ、すごい美味しいです。赤音さん、料理上手なんですね」

「……当然よ。私にできないコトなんて、ちょっとしかないわ」

「ちょっとの範囲がおかしいだろ……」

書記(そこ)うるさい。……じゃあ、それだけだから」

 

 言って、赤音は足早に教室から去って行った。バタン、とわずかながら乱暴にドアが閉められる。狭い数学準備室に残されたのはふたりの男子。状況をあまり飲みこめていない玄斗と、状況を飲みこめすぎた鷹仁のみ。

 

「……十坂」

「? なんだい」

「やっぱり俺、おまえのこと苦手だ」

「そっか」

 

 言いながらも、ふたりの間に険悪な様子はない。静かな部屋に流れる沈黙はけれど長く心地よく続いている。きっとそんな関係も、ときには友情と呼ぶのだ。




珍しい平穏回。連続更新中じゃないとこれは書けないと思ったので。








生まれも育ちも優れてて七光りで調子乗ってるのに一番にはなれないという拗らせ全開系男モブ。そんな中にちょっと良いなと思った人と仲良くしてるのが同学年のしかも成績トップとかまあそりゃあカッとなる。でも仕事はできるし頭も回るのでそのあたり割り切るとメイン級。……いや、男キャラのヒロイン力とか実質ないから。


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あなたはそこに生きていますか

重いだヘヴィーだNiceboatだと言われますけど、わりと今作書いてるときに叩き込んでるのは良い方向の想いだったりします。


 

 誰もいない教室で、玄斗はひとり腰掛けている。すでに日は落ちかけていた。黄昏色の空を、なんとはなしにぼうと見つめる。待ち続けてはや二時間。退屈なコトも忘れるぐらい、なにかを待つというコトには慣れている。待つしかないのならそうするべきだ。昔は、それだけで一日が終わっていた。

 

「…………、」

 

 らしくもなく、ある筈もない感傷に浸りかけた。なんてことはない。ただの気の迷い。四埜崎蒼唯につけられた心の隙間から、漏れるように吐露した。……そんな、名前も生きた意味もないような人間なんて、どうでも良いというのに。

 

「(……でも、どうなんだろう。最近は本当、よく分からない)」

 

 見失った答えを取り戻すのは難しい。元よりなにもなかった彼に、それはどんな無理難題よりも厳しく思えた。ぽっかりとあいた心の穴。いいや、それは事実、はじめから用意されなかった欠如のカタチだ。なにもない。だから、なにも感じない。あたりまえをあたりまえと知らなかった日々が、いまは遠く懐かしい。

 

「…………、」

 

 窓の向こう、見上げれば燃えるような夕焼けが広がっている。赤い、赤い、黄昏時の空の色。ふと、そんな光景を見続けていた過去を思い出した。色のない部屋に、唯一と言っていいほど色が付く瞬間。もはや見えなくなりかけた瞳を開けて、最後にその瞬間を見届けたのだったか。古い記憶だった。らしくもない、と蓋をしてしまい込む。……でも、どうなのだろう。らしくはないというが、一体、自分らしさとはなにか。

 

「(……分からない。それはとても、難しいんだ)」

 

 ひとりになると静かで良い。でもこうして悩むのは、今日がはじめてのような気がした。誰かの言った例え話に乗るとすれば、中身に水がすこし溜まった証拠か。ひび割れたガラスの花瓶に、手を加えた人が居たのだろう。物好きにも、ガラスの名前まで突き止めて。

 

「……なにもない。なにもいらない」

 

 おまえの名前はそういうことだと、言われたのがもう懐かしい。一にすら届いておらず、有るわけではないモノなのだと。そんなおまえになにも要らないだろうと、仕事の忙しい父親はとくになにをするワケでもなかった。毎日が必死だった思い出。あたりまえのように食事をして、あたりまえのように学校へ通う。そんなことが夢のようだったときの自分も、大して変わっていたわけではない。ただ、いまはそんなモノを謳歌する余裕すらなくなっている。

 

「(変な話、それしか考えられなかったんだから当たり前か。……だとしたら、いまの僕には一体、なにがあるんだろう――?)」

 

 いや、そんな予想こそ。有る(・・)という思い自体が、間違っているような気がして――

 

「なーに黄昏れてんのよ」

 

 力強い声音に、不安と心配を吹き飛ばされた。

 

「……いえ、ちょうど。黄昏時だったので」

「ふうん。――なんだ。案外、らしい(・・・)じゃない」

「……らしい、って?」

「別に。ただ、思ってたよりも前に進んでたってコトよ」

 

 そっと教室に足を踏み入れて、赤音が側まで近付いてくる。夕方の校舎には昼間とは違った異界の有り様が広がっている。夜になればもっと隔絶した空間に成り果てる。日常のなかに溶け込みながら、時間と見え方でそのカタチを変えていく印象だ。

 

「前に?」

「そう。立ち止まってばかりの足を動かしたのが……どうせ、気に入らないやつなんでしょうね。大方、そんなことができるのは私の知る中であの女ぐらいよ」

「……先輩から、なにかを?」

「聞いてないし、聞きたくもないわ。ただ、変わったってコトは、すぐに気付いた。……本当、人が見ていない間にできるところまでやるんだから、あいつ」

 

 憎々しげに顔をしかめて、赤音はさも自然と毒を吐いた。ある種の信頼にも近い嫌悪は、きっと彼女たちの確執であり不仲の原因だ。二之宮赤音と四埜崎蒼唯。ふたりの間によろしくない部分があるのは、この学校の誰もが知っている。

 

「ね、玄斗」

「はい」

「夕焼けは、好き?」

「……どうでしょう。でも、悪くはないと思います」

「そう。……私は好きよ。だって、こんなにも綺麗な景色があるんだって、毎回気付かされる」

 

 そう言って、赤音は頬をゆるめながらほんのりと笑った。その姿が、名前のとおり、実にいまの風景と似合っている。

 

「……さ、帰りましょう。あまり残ってると、先生に怒られるかもしれないし」

「え? あの……なにか用事があって、残したんじゃ……?」

「む…………、」

 

 くるりと踵を返して去ろうとしていた赤音の動きが、ピタリと止まる。なんだろう、と玄斗が首をかしげいてると、しばらくしてそっと彼女はふり向いた。外は夕焼け。赤い世界。その頬が熱に浮かされているように見えるぐらいには、おかしな時間帯だった。

 

「……一緒に帰りたいだけで引き止めちゃ、悪い?」

「……いえ。そんなこと」

「……ならいいじゃないっ」

 

 帰るわよ、ともう一度くり返した赤音の後ろを、玄斗は急ぎ足で追うように付いていく。傾いた日と、赤い空。風景はとびっきり特別だ。これ以上ないぐらいの余韻を残して、教室の扉を後ろ手に閉める。いまの彼にとっては彼女の揺れる赤髪が、どこか、いつもより目を引いた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 街中に出ると、すでにポツポツと明かりがつき始めていた。公園の電灯、繁華街の煌びやかなネオン、住宅街の窓から覗く細い光。人の営みが終わる間際、夜になってもまだ眠らない現代の光だ。そんな中を、玄斗と赤音はふたりして歩いていく。

 

「んー……やっぱり良いわね、こういう、なんていうか……暗いけど明るい街」

「そうですか?」

「ええ。だってなんか、ワクワクしてこない?」

「……すいません。ちょっと、よく分かりません」

「ま、感性は人それぞれか。あんたはそう、私はこう。十人十色よ」

 

 呟いて、赤音は歩を進める。人ごみをかき分けて、時に人の流れにのって、すいすいと進んでいく。慣れたものだと玄斗はすこしだけ目を見開いた。自分にはすこし、ああいう経験が足りていないような気もする。

 

「玄斗。生徒会、どう?」

「大変です。でも、やりがいはあるコトだと思いました」

「無難な台詞ね……もっとなんかないの、あんたらしい言い方」

「……僕、らしい……」

 

 言われて、ふと足を止めた。らしさ。たったの三文字になるその言葉は、一度考え出すと非常に難しい。十坂玄斗であれ、■■■■であれ、らしさというものを見つめ直すとどうしても答えに窮する。……手探りでも、掴めそうにはなかった。

 

「そ。……あんたらしく、これ、難しい?」

「……はい。とても」

「そっか。参ったなあ……そこまで悩むようなコトでも、ないんだけど」

 

 やっぱりそういうことなのか、と苦笑しつつ赤音は理解する。ここに来て囚われているのがなんなのか、しっかりと見えた。自縄自縛とはまさにこの事で、なるほど、どうりでこうも歪なのだと全体像さえ浮かび上がる。ただ待って、解して、その奥底にまで手を伸ばす。――そこまで優しくするつもりも、甘えるつもりも、彼女にはなかった。

 

「玄斗は、なんのために生きてるわけ?」

「なんのって……………………あれ……?」

「…………やっぱ、駄目か」

 

 なんのため。ふらついた足を、近くのガードレールで持ち直した。壱ノ瀬白玖のためというのは理由たりえない。違う、それはまた別の理由だ。なんなら死んでもできるコトだってある。でも、じゃあ、それなら。――一体、自分は、なんのために――?

 

「十坂玄斗だから。……そんなコト言って腕章を断ったときから、おかしいとは思ってたのよ。大体、理由が致命的にすぎる。……その名前はきっと、あんたにとって特別な意味を持ってるんでしょうね」

「――――!」

 

 本当に、とんでもない人ばかりだ。なぜこうして、頭の中を直接覗いたみたいに、誰かの考えを読めるものか。玄斗にはそんな原理がさっぱり分からない。人付き合いなんて、()は〝一切するコトなんてできなかった〟から、余計にそうなる。

 

「十坂玄斗。まあ、悪くない響きだし、そこに意味があっても、良いとは思うけど……」

 

 でも、と彼女は区切って

 

「それがどうしたのよ」

「……え?」

「名前なんてただの飾りよ。言っちゃえば記号でしかない。それ以上なんて、所詮誰かが勝手につけたものでしかないわ」

 

 がん、とハンマーで頭を殴られたような錯覚。メッキ()が、剥げた。

 

「十坂玄斗だろうがなんだろうが(・・・・・・)関係ない。あんたはあんたってコト。名前に囚われるなんて馬鹿らしい。〝美〟ってついてちゃ絶対美しくないといけないの? 〝善〟って入ってたら完璧に良い人じゃないと駄目なワケ? 違うでしょう。名前なんて、誰かを表す記号で十分」

「ただの……記号……」

「そうよ。そんなコトも知らないなんて、本当バカね、玄斗は」

 

 からかうように、赤音は笑った。十坂玄斗(ただの記号)に囚われているおまえはバカだと。なんでもないように、今さら生きることの大前提を示すように。もう繋げれば三十年と生きてきた、彼の不足を補うように。

 

「あんたはね、玄斗。馬鹿で、鈍くて、天然で……そのくせ自分のことに目がいってない。だから、同じ方向に来てるものも気付けない。面倒くさい人間よ、あなた」

「……面倒、くさい」

「うん。とっても。……だから、まずはそうね。自分を見つめ直せ、なんて言わないけど。自分であること。自分でしかないこと。それをきっちり、覚えておきなさい」

 

 どこまでいっても自分は自分。そう思い込んできたときはあった。けれど、きっと、赤音の言葉は意味が違う。それこそ、根本的な部分からそうだろう。

 

「言ってたわよね、玄斗。前に……誰かが笑えてたら幸せって。そんなワケないじゃない。あんたの人生なんだから、あんたが笑えたら幸せよ。良いコトだって、悪いコトだって……まず、あんたが笑わなきゃ意味がない」

「……僕が、笑う」

「でもって、それが駄目なコトなら私が叱り飛ばしてあげるわ。ふざけるなこの悪党、ってね。なんたって生徒会長だし。そのぐらいはまあ、当然の義務よ」

「……怒ってくれる、って意味ですか?」

「だからそう言ってるじゃない。なによ、不満?」

「…………いえ」

 

 不満なんて思うワケが、なかった。

 

「気持ちとか、心とか。そんな難しいもんは後回しでいい。だから、玄斗。あんたはね、あんたとして(・・・・・・)しっかり生きなさい。自分の人生よ? まず真っ先に体験して、見て、感じて、感動するのは自分なのよ? なら、自分がこうだと思う生き方をしてないと、もったいないじゃない。たったの八十年とかそこらしか時間はないんだし」

 

 長くてもそれぐらい。短ければ、それこそ今にも死んでいる。前がそうだった。なにをする暇もなく、なにを感じる余分もなく、気付けば間際にまで近付いていた命だった。だから、その言葉は予想外なぐらい、しっくりきた。

 

「そしたら、いずれ固まって、実になって、誰でもないあんたの色が生まれる。きっと影響なんて受けまくるから、ときどき変わって、混じって、変な色になっちゃうかもね。でも大丈夫よ。きっと最後にはあんただって思えるものになるんだもの。それまでの変遷ぐらい、楽しまなくっちゃそれも損」

「……僕の色、ですか」

「ま、いまはまだ色もなにもないでしょうけど……特別に、教えてあげましょうか。ね、知ってる、玄斗?」

「……?」

「目を開けて、ただ呼吸する。……生きるってね、それだけでとっても楽しいのよ」

「――――――、」

 

 剥げる、剥げる、剥げる。ボロボロと、取り繕っていた(ナニカ)が剥げる。ああ、そうだ。そんなものを知るわけがない。知っていたはずがない。なんてコトだろう。こんなにも簡単で、いつだって、誰にだってできるコトすら――当然のごとく、できていない。

 

「……知り、ませんでした。それは」

「でしょう? でも、いつか分かるわ。きっと分かる。だってあなたはまだなにもない。これから沢山ため込んで、モノにして、作り上げていく器だもの。……一先ず、私が言いたいコトはこれぐらい」

 

 恥ずかしそうに話を締めくくる赤音とは対照的に、玄斗は呆然と彼女を見つめた。まだ衝撃から立ち直れない様子だ。遅すぎたヒントに、手足が揺れすらしない。でも、たしかになにかを掴んだという感触は、残っていた。

 

「……先輩もそうでした。けど、赤音さんも相当です。なんで、僕の考えてるコトが分かるんですか?」

「……まったく。そんなコトも、分からない?」

「はい」

 

 彼は素直に答えた。彼女は頬を赤くしながら、そっぽを向いて一呼吸置いた。

 

「――あんたに気があるからよ、十坂玄斗(・・・・)

 

 息が止まるという瞬間を、玄斗は改めて思い知った。ストレートだ。歪みない。歪みがなさすぎて、真正面からたたき伏せられそうだった。

 

「……赤音さん、が?」

「それ以外に誰がいるのよっ」

「……え。でも、それって」

「ああもうしつこい! 私はあんたのことが好きって言った! 押し付けた! ただそれだけ! だいたい、そんな精神状態で答えなんて望んでるかバカ! もっと落ち着いてから返しなさいよっ!」

「ご、ごめんなさい……?」

「まったく……」

 

 がーっと吠えるようにまくしたてて、赤音は腕を組みながらふいっとよそへ視線を投げた。微妙な静寂。街の喧騒は絶えないのに、そこだけが異様な空気に満ちている。頬の熱が引いた頃を見計らって、さきに会話を再開したのは彼女だった。

 

「――だから、まあ」

「っ」

 

 ぱしっ、と玄斗の腕が掴まれる。優しく、暖かく、包み込むように、けれど引っ張るように、ぐらりと赤音のほうに傾いた。そんな、一瞬。

 

「まずは今夜、付き合ってもらうわ。夜の街をバックに遊びたおすなんて、素敵じゃない」

「それは、どのくらいまで?」

「そうね……じゃあ、補導されるときまでにしましょうかしら」

「……駄目ですよ。生徒会長がそんな」

「バーカ。生徒会長である前に、私は二之宮赤音よ。それを今日、あんたに教えてあげるわ」

 

 笑う赤音に引き摺られて、彼はずるずると夜の街へ入っていく。悪いこと、良いこと。どちらであれ思うようにして、駄目であれば叱ると言ったその人がだ。本来なら忌避すべき現実である。――なのに。

 

「…………、」

「ん。やっと笑った(・・・)わね」

「え……?」

「笑った。……あんた(・・・)の笑顔は素敵ね、玄斗」

「――――、」

 

 どこか、悪い気はしなかった。






先輩が■■■■を引き摺りあげてないと成功しなかったやり方で、同時に内側に頼った彼女と違って十坂玄斗として叩き付けたあたりが先輩の後の章にコレを持ってきた理由だったりします。まあ正反対。そりゃあ馬も合わない。







設定ポロリしたので付け足すと、なにもしらない子供のまま成長して狂った精神性というのが土台に残ってたりします。いや、それ見抜けるヒロインとか流石にエキスパートでもないと無理じゃねーか(本編を見つつ)


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これからは透き通っても

三章も峠を越えたので一安心。やっとこいつの化けの皮をはがせる……


 

「あー楽しい。もうこんな時間よ?」

「……本当ですね」

 

 時計を見ると、すでに九時を過ぎていた。真夜中というほどではないが、高校生がうろつくにはあまりいい顔をされない時間帯でもある。ましてや制服姿で遊び呆けているとあれば、そう見られてもおかしくない。

 

「……いいんですか? 本当に。生徒会長の赤音さんが」

「良くないわよ。見つかったらしぼられるわね」

「じゃあ、なんでこんなこと」

「そりゃあ、決まってるでしょう。私がしたかったからよ」

 

 自分勝手で自己中心的。そうとも受け取れる台詞を、彼女は躊躇わず口にした。したいからする。やりたいからやる。難しくはない。考えずともその行動理由は理解できる。とても単純で原始的な、そして何にも劣らないモノだった。

 

「……僕も」

「……うん」

「僕もいつか、そんな風に思える時が来ますかね」

「来るわ。絶対来る。約束する。玄斗は、これからだもの」

 

 前の記録が十六年。今回の記憶も、歳で考えればちょうど十六年だ。それでもなおこれからだと言われる。足りないものが多すぎる証拠だ。きっとはじめにぜんぶ育ちきらなかったせいもあるだろう。まともな幼少期ではなかったのだと、気付いたのは生まれ変わってからだった。

 

「……なに暗い顔してんのよ」

「いえ、そんなことは……ただ」

「ただ?」

「……うまく、出来るのかなって」

「ばっかみたい」

 

 しぼり出すように言うと、赤音は「はんっ」と鼻を鳴らしながら意地悪げに笑った。

 

「上手いも下手もありゃしないわよ。そいつの人生、そいつが作らなきゃ誰が作るのかってね。……安心しなさい。どんなに変わっても、どんなところに行き着いても、きっとあんたは素敵な男の子になるわ。その時にまた惚れて、私も出直してあげる」

「……赤音さん。その、僕は」

「答えなくていい。……まだね。時期じゃないでしょう。きっと色んなコトを覚えて、経験して、実感して……それで、あんたがしっかりできたとき。答えはそのときに聞くわ。それはきっと憎たらしいあの女だとか、ましてや最近あんたと仲の良いあの子だったりするのかもしれないけど――」

 

 でも、とひと息ついて、赤音は玄斗のほうを向いた。ゲームのキャラでいう十坂玄斗になんかではない。ましてや、過去に別のどこかで生きて死んだ■■■■にでもない。今ここに生きている彼に向かって、真っ直ぐに。

 

「それが私だったら、最高じゃない」

 

 にっと笑って、嬉しそうにはにかんだ。

 

「……それ、言って良いんですか? その……僕の気持ちが、大分、揺らされているような」

「当然よ。私が選ばれたいんだから、そこは推していくわ。むしろ推さなきゃ誰を推すのって……案外しつこいし、誰にも渡したくないって思ってるわよ?」

「……意外です。赤音さんは、いつもさっぱりしてるので」

「あんただけは特別よ、玄斗」

「そうでしたか」

 

 その一言は、なんとなく嬉しかった。フィルター越しではない。その人物そのものというワケでもない。ただ純粋にこの人は目の前にいる誰かと話をしているだけなのだと、そう思わせる自然体がどこまでも刺さった。

 

「十坂玄斗なんて記号じゃない。ましてや、違いもなにもないわ。私はね、玄斗。目に見たものしか信じないの。だから。目の前のあんたの力量を信じて、副会長の席を用意したんだから」

「……でも、幽霊とか怖がってませんでした?」

「あれは別。ほら、なんていうか。見えないからこそ怖いっていうか……」

「……ちょっと、かわいいです」

「なっ――」

 

 ずざっ、と隣に座っていた赤音が距離をとる。公園のベンチだったせいか、あまり幅は広がらなかった。むしろなんとなくアレな雰囲気になって、赤音としては油断したと思わざるを得なかった。

 

「……ま、いっか。それも第一歩かもね。あんたが思うあんたであること。素直でいること。あとは、いつだって逃げないこと」

「三つ、ですか」

「三つ、よ。玄斗。後悔するな、なんて土台無理な話だけど……せめて、後悔しないような生き方を選びなさい。あとで悔やむぐらいなら、いま悔しがってでも自分のしたいことをしていくの。後悔はなくすんじゃない。減らすのよ、それが私からのアドバイス」

「……後悔を減らしていく、ですか」

 

 それはなんとも、良いなと思った。後に悔やむ。だからこそだろう。それ自体を無くそうと思ってもできないのなら、せめて減らしていくのだと、前を向いて彼女は答えた。綺麗な生き方だと玄斗は思う。ずっと、ずっと。思えば目を合わせたはじめから、二之宮赤音は綺麗だった。

 

「さて、じゃあ、そろそろ帰りましょうか」

「……補導されるまで遊ぶんじゃなかったんですか?」

「それもいいけど、やっぱり外聞はあるしね。もう好き勝手動ける時間帯でもなくなってくるし……それに、なんだか満足しちゃったもの。もう、いいわ」

 

 後顧の憂いもないといった表情で、赤音は立ち上がった。夜の帳に包まれた街は、点々とした光で彩られている。それをすこし離れた公園から見た。風情も雰囲気もあったものではなかろうが……なにより、彼女らしくあるというなら完璧だ。なにも特別感こそがすべてではない。なんとはなしに送る生活も、しっかりと宝物だ。そんなことを、ついさっき、当たり前のように玄斗は気付いた。

 

「……赤音さん」

「なに、玄斗」

「夜空って、こんなに素敵だったんですね」

「……そうね」

 

 ふと頭上を見て、玄斗はそう漏らした。夜空なんてまともに見るのは何時ぶりか。それは十坂玄斗としてではなく、彼としてこぼれた自然な言葉。

 

「……すごい、綺麗だ」

 

 たとえ現代の明かりに翳んでいたとしても。夜空なんて言えるほど立派な星の輝きではなくなっていたとしても。月がどこか欠けていて、満ち足りてはいなくても。はじめて彼が見たこの世界の夜空は、どこまでも透き通るようで、吸い込まれそうな闇色だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

『それ、返してもらうわ』

『……いいんですか?』

 

 安全ピンで留めた黄色い腕章を指差して言う赤音に問うと、彼女は笑って「いいのよ」と言った。ちょっとだけ、寂しそうな表情をして。

 

『……別に僕は大丈夫です。最近はちょっと慣れてきました。むしろこのままでも』

『なに言ってるのよ。私が求めてるのはそんな、ちょっといい雰囲気に流されて、ちょっと相手のコトなんて思ったりして、傾いたあんたの心じゃない』

『――――』

 

 側にまで近寄って囁きながら、赤音は彼の制服から腕章を外した。生徒会副会長。それを証明する黄色い目印が、彼女の手の中におさまる。

 

『いい、玄斗。考えなさい。考えて、考えて、自分なりの答えを出すの。あなたが決めたあなたの答えを。きっとそれにはめいっぱい時間がかかるわ。だから、それまでこれは私が持っててあげる』

『でも、それは……』

 

 時間がかかる。分かっているなら尚更だ。二之宮赤音は生徒会長であり最高学年であり、つまるところの三年生になる。残された時間はあとわずかで、待っているなんてできない筈だろうということはいまの玄斗でも分かった。

 

『あと一年、されど一年よ。そのぐらいなら、辛抱にもならない。……勝手に期待してるわ、玄斗。だからあんたも、勝手に応えるなり、勝手に裏切るなりしなさい。誰がなんて言っても、とやかく文句言われても、関係ない。だってあんたが生きる時間は、あんただけのものでしかないんだから』

 

 要するに他人のコトなんて気にするな、と赤音は言っている。それは難しいことだ。誰かに頼らないというのは慣れているが、なんにも頼らないというのは慣れていない。自分の足で立って、自分の拍動で生きる。そんなコトがこれから長い間続くのだと思うと、不意に、足が震えそうになった。生命維持装置のない生活が、いまになってすこし怖い。

 

「(……でも、それが普通だ。いままでしてきたんだ。だから、平気だろう)」

 

 朝起きて心拍数を図る機械音はない。吐息がこもるマスクも必要ない。病衣なんてあれっきり一切着てもいない。それでも生きてきた。だから、これからもきっと。

 

「あ、おはよう玄斗。今日は早い、ね……?」

「――うん。おはよう、ハク(・・)。ちょっと、寝覚めが良くて」

「……なんか、玄斗……変わっ、た……?」

「そうかな……うん。そうかも」

 

 そうやって歩き慣れた通学路を進むと、案外新鮮なことに気付いた。もう散ってしまった桜は、春になると満開で綺麗だったのを思い出す。ちゃんと意識したのは今日がはじめてだった。空が青い。草木が揺れている。空気も澄んでいる。――ああ、なんてこと。こんなにも満ち溢れた世界に生きていたのだと、彼は初めて思い知った。

 

『だから次は、しっかりとしたあんたで来なさい。そのときにコレを渡してあげる。だから、しっかり考えて、見て、感じて、聞いて。そして――とことん生きるのよ、十坂玄斗。あんたにはそれぐらいの贅沢、とっくに許されてるんだから』

「――――うん」

 

 さあ、と風が前髪をさらった。別物になった視界に、元からあった色がちゃんと見えた気がした。本当に贅沢だ。いまここにあるすべてのものを、タダで心に映すことが許されている。どこまでも、ありえないぐらいの。

 

「今日は、天気が良い」

 

 晴れやかに、健やかに。十坂玄斗(アトウレイナ)は、目の前の世界を受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

「山川先生、一年生の子は」

 

「まだ、だって。病気、酷いって話よ」

 

「そうですか……新入生歓迎会は……だめですか」

 

「ええ……治る見込みはあるらしいから、はやく元気になってほしいけれど」

 

「ですね――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――アトウレイナ(・・・・・・)さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

「…………、」

 

 

「……………………、」

 

 

「…………む」

 

 

 

 

「……どうにも今日は、天気がよろしいのですね」

 

 

 




名前:アトウレイナ

性別:?

年齢:?歳

趣味:特になし

特技:せき(ときどき加減を間違える)

イメージカラー:透明

備考:????
(制作会社 明有コーポレーション発刊:アマキス☆ホワイトメモリアル2完全攻略ガイドブックより抜粋)








小ネタ:本作の隠しヒロイン。一説にはそのモデルとなった人物が居るとネット上でまことしやかに囁かれているが、真偽のほどは一切不明。ちなみに制作会社の元代表取締役と同じ名字らしい。


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触れ合うべきかそうでないか

こういうので良いんだよこういうので……(発作をおさえつつ


 

「……十坂」

「うん、どうした? 鷹仁」

 

 もぐもぐとおにぎりを咀嚼しながら答える彼に、木下鷹仁は頬杖をつきながら目を細めた。いきなり決まった副会長代理が「彼、辞めさせたわ」との会長の鶴の一声で来なくなって数日。相も変わらず第二数学準備室で――今回は鷹仁の用意した市販の――昼食をつまみながら、彼らの昼時はゆったりと流れている。

 

「おまえ、会長となんかあったのか」

「? あったけど」

 

 どうしたんだ、いきなり……なんてあっさりと白状する男にため息がもれた。それもそのはず。すこしの間とはいえ玄斗の消費していた仕事が、ぜんぶ元の鷹仁へ返ってきたような状態だ。グロッキーである。もうしんどいやめたいつらいだるいと満身創痍になりかけている彼とは裏腹に、職務から解放された一般男子生徒の顔色は良い。ともすれば、生徒会に入る前よりも。

 

「なんだ。それは。……不仲か? 殴られたか? なら気にすんなよ、俺なんか思いっきりアッパーカットくらったことあるからな!」

「いや、それは自慢にならないだろう」

「……だな。自分で言ってて虚しくなった。てことは違うか……じゃあ、なんだ? もしやあれか? 甘ずっぱい恋愛でもしてやがったかあ?」

 

 カマをかけたつもりでも、ましてや誘導尋問なんて行っていたワケでもない。そもそもそういった回りくどいやり方はこの少年に対してはほぼ無意味で、大抵の場合はストレートに聞いたほうが早かったりする。なので、

 

「まあ、そんな感じ」

「――――、」

 

 たまたま問うたその言葉が、ど真ん中ストレートだった。

 

「……まじ、か?」

「うん。好きだって言われた」

「そりゃあ、あれか? 人としてって奴か?」

「……うーん、あの場でそういう理由は……ないと思うけど」

「――――」

 

 馬鹿な、と震えながら鷹仁は立ち上がった。あるがままを受け入れる。目の前の事象に対して頭を回すことが稀な彼が、しっかりと状況を判断して、色々な要因を見渡したうえで結論を出している。そんなハズは、とパイプ椅子ごと鷹仁が後じさる。

 

「お……おい……十坂……おまえ……!」

「……なんだその反応。今日の鷹仁、ちょっと変だぞ」

「へ、変なのはおまえだこの野郎……! 嘘だろおい! いつも寝惚けてて鈍感で天然な唐変木がてめえのキャラじゃなかったのか! なんとか言え!」

「ちょ、っと、あまり、揺すら、ないで、くれ……」

 

 がくがくと肩をつかんで前後に揺さぶる鷹仁と、思いっきり頭ごとシェイクされる玄斗。グロッキーである。

 

「……で、実際……なにがどうなったんだよ。おまえが」

「実際も……なにも……いま言った……とお……うっ」

「…………すまん。やりすぎた。許せ十坂。すべてはあの会長が悪い」

「いや……赤音さんは……悪くない……と……思う……」

 

 さすさすと鷹仁に背中をさすられて、腰を折った玄斗が必死で呼吸を安定させる。三半規管の大事さを思い知った。ぐわんぐわんとボウルの中に入れられて回される生卵の気持ちとはこんな感じだろうか、なんて玄斗の頭には的外れの想像がよぎる。

 

「てか、それでなんて答えたんだよ。いや、もちろん断ったよな?」

「そこは保留にさせられた」

「……うん? した、じゃなくて、させられた……?」

「だね。しっかり考えて、自分の気持ちを見つけてから来いって。焦るなって。……考えてみたけど、そういうときに時間を与えるのは、悪手なんじゃないのかな」

「……そりゃそうだろ。勢いとノリに任せてその場の雰囲気でガーッと行くのが賢いやり方だ。そうすりゃ、あとは成り行きでなんとかなったりならなかったりする。恋は水物だ。重く考えすぎても軽く捉えすぎても駄目だ、ってのが俺の主張だったりするんだが……」

「なるほど」

 

 恋は水物、とイイコトを聞いたように目を光らせてくり返す玄斗。余計に鷹仁は心配になった。なんだか前と比べて変わっているのが顔色だけではないような気がして、ちょっとだけ不安にもなる。もっと、こう、大事などこかに影響が出ていないかと。

 

「しっかり考えろって、赤音さんには言われた。時間をかけてもいい、じゃないんだ。時間をかけろ、って……となると、どうなんだろう……だって、赤音さんからすると、そのまま突っ切ったほうが良かったってことになるんだろう?」

「だろうな。あの女がそこに頭いかないワケがねえ。なにせ二之宮赤音だぞ? 生徒会切り盛りしてる〝学年二位〟の優等生だぞ? ……って、考えてみるとだ。おい、ナンバーワンになれねえのはアイツもじゃねえか! は、ははは! こりゃあなんともお似合いだぞ!? 二之宮! 二之宮だそういや! 一番には成れて――」

 

 ぞくっとした。具体的に言うと、指向性の殺意を感じた。かなり濃いカンジの。

 

「……いや、やめておこう。これ以上の迂闊な発言は俺の首を絞める。むしろ飛ぶ」

「鷹仁?」

「なんでもねえ……で、話を戻すとだ。そのまま流れてくれたほうがこっちにとって嬉しいモンなのに、わざわざ時間まで用意した。その意味だったか」

「うん。何度考えても、納得のいく答えが出ない」

 

 知恵を貸してくれ、とおにぎりをかじりながら玄斗が言う。あの十坂玄斗が本気で恋愛事に悩んでいる。これは大きな進歩だ、と鷹仁は感じ取った。言わば今までの彼は半分脳みそが死んでいるも同然だった。あるがままを受け取るばかりで、そこから追求したり思考したりという余裕を持たなかった。受け止めるのに精一杯だった心に、隙間でも出来たかどうか。なにはともあれ、鷹仁は息を吐いて彼のほうを向いた。

 

「……案外アホウだな、十坂」

「かもしれない。勉強が出来たって、頭が良いとは言えないんだな、やっぱり」

「言えてるな。……ま、簡単なことだろ。そんなわざわざ、そういう空気まで作っておいて待たせるってのはよ」

 

 とても簡単な、答えを突きつけるために。

 

「そんだけ大事なんだよ。その誰かさん(・・・・)のコトが」

「……ああ、そういうこと……なんだ」

「そういうことだ」

「…………そっか。やっぱり」

「?」

 

 くすりと、玄斗はちいさく笑った。思えば鷹仁はそんな顔をはじめて見たのかもしれない。曖昧につくったようなものではなく、困ったように眉を八の字にしたのでもなく。

 

「――優しい人だね、赤音さん」

 

 本気で、本心から、心情を吐露したような表情で、彼は笑っていた。

 

「……んだよ」

「?」

「ちゃんと笑えんじゃねーか。……玄斗(・・)

「…………なんだ、それ。本当に、今日の鷹仁はおかしいぞ」

「うるせえ。てめえがおかしいからだ。ったく、本当によお。おまえってやつはもう――」

 

 まったく世話を焼かせる。いちばん初めに頭にきて殴って、それで謹慎中の身になっていたところをノートやら課題やらを家まで運んできて、なおかつなんだかんだで悪くはない位置にはまってしまった。気付けばそうなっていた。鷹仁自身にもその気がなければ、きっと玄斗にもそんなつもりは一切なかったろう。だから、この関係は偶然に塗れたひとつの友情の形だ。

 

「――本っ当に大嫌い(・・・)なんだよ、バーカ」

 

 にっこりと歯を出して笑いながら、鷹仁は玄斗の額を指ではじいた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 同時刻。数学準備室とは離れた三年教室前廊下にて。

 

「――お膳立てありがとう。おかげで上手くいったわ」

「…………、」

 

 赤と蒼が、接触した。

 

「おいおいやべーぞ……会長と四埜崎さんが……!」

「ぐ、紅蓮(グレン)女帝(ジョテイ)蒼海(ソウカイ)静女(セイジョ)っ……ついに激突のときか……!?」

「が、がんばれ会長! 負けるな四埜崎さんっ!」

「はいはい賭けた賭けた! ジュース一本から誰でも参加オーケーだよー!」

「会長に一本!」

「いいやここは四埜崎さんに五本かけるぜ!」

「ばかやろう全部持ってけドロボー! 十八本だ! 会長っ!」

「……ここじゃうるさくて敵わないわね」

 

 はあ、と息をつく赤音に、ゆっくりと蒼唯が踵を返した。冷徹な、どこまでも冷めきった視線が彼女に向けられる。

 

「……別に、周囲の雑音に気を取られるほど暇な生き方はしていないわ」

「あらまあ、とても優雅なコトで……じゃあ、私が彼に好意を示したっていうのも、あなたにとっては雑音に入るのかしら?」

「――――!」

 

 お膳立てありがとう。最初にかけられたその言葉の意味を、蒼唯は瞬時に理解した。ついでに、目の前の女がやってくれたコトに関しても。……玄斗が生徒会の手伝いをしているというのは耳に挟んでいた。それぐらいは無視しようとしても入ってくる情報だ。だからなんだと聞き流していたが――

 

「ええ……とても耳障りな雑音(ノイズ)だわ……!」

「……そうこなくっちゃ」

 

 言って、にぃっと赤音が口の端を吊り上げながら笑う。偶々なのかなんなのか、ちょうど、十坂玄斗が学校を休んで遊んでいたと思われる日に、同じように無断で登校しなかった不届き者がいる。

 

「サボり癖は昔からだものね、蒼唯(・・)

「……息を抜いていると言って欲しいわね。あなたの方こそ、そういう適当なくせに締めるところだけ締めてればいいというような楽観視は、直したほうがいいわ」

「残念、それが私っていう人間性よ」

「とても認めがたい人間性だわ」

 

 短刀なんかではない。ふたりして槍を握りながら穂先で突いている。そんな言葉の応酬に、生徒一同は大盛り上がりだった。賭け金という名のジュースがどんどんと積み上げられていく。もはや教室はお祭り騒ぎである。それで良いのか三年生。

 

「気付いてるのがあんただけ、なんて思わないことよ。でもって、それもあとすこしで剥がれるわ。……そこからが、まあ、スタートかしらね?」

「……なにを言っているのか分からないけど、赤音(・・)。これだけは言っておくわ」

 

 くるりとふり向いて、蒼唯は歩を進めた。二之宮赤音と四埜崎蒼唯。そのふたりの仲が悪いというのは、調色高校に在学する生徒の間ではわりと有名な話である。が、

 

「――私は一切、あなたに後れをとるつもりも、負けるつもりも、ましてや譲るつもりだってない」

「――その言葉、そっくりそのまま返してあげるわ」

 

 ふたりの間柄が幼馴染みであるということを知るのは、ごく少数である。

 

「……ま。それはそれとして」

 

 ざっ、と今まで蒼唯のほうを向いていて視線がギロンと教室ヘ向く。効果音つきで。それはもう蛇に睨まれた蛙もかくやといったものだった。

 

「受験生のくせに調子に乗ってはしゃいでるバカどもは、ちょっと、ここらで一回教育したほうがいいと私は思うわ」

「「「「――撤収っ!」」」」

「逃がすかっ!」

 

 うわーやめろーしにたくなーいなどと悲鳴をあげる生徒を千切っては投げ千切っては投げしながら、赤音がずんずんと人ごみをかき分ける。本日はお日柄もよく。調色高校三年C組は、なんとも平穏な休み時間を迎えていた。  




これぐらいしても許される範囲にたったのでまあひとつ。


というかプロット段階の過去がうーんちょっとまあうーんって感じだったので中和しつつ進めないと書けない。まだ序盤だから今までの不幸描写とかそりゃまあジャブになりますとも。






っていうかよくBadEnd想起する人多いけどこれ自体はブチ壊れて狂った子供をただ救うためだけの物語だからね! 治すことはあっても壊すことはないからね!


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補佐ぐらいならともかく

 よくよく聞いたところによると、玄斗が抜けてから生徒会は忙しくなったという。

 

「もう本当死ぬ。まじで死ぬ。いまに死ぬ。殺される。殺される。他の誰にでもなく、他のなんにでもなく。俺は仕事に殺される――!」

 

 昼食時に暗い顔でそう叫んでいた鷹仁の様子は、まあ控えめにいっても酷いモノだった。忙殺という言葉があるがそもこのためか、と玄斗が納得しかけたくらいだ。なので、

 

「調色高校生徒会会長補佐、十坂玄斗ってことで」

「……木下。あんた、なに吹き込んだ」

「そういう役職があるとだけ」

「表にでなさい」

「うす」

 

 がらりと戸を開けて、ふたりは廊下に出た。生徒会室には〝補佐〟の字が入った腕章をつけた玄斗と、なにやらペンを走らせている紫水六花(会計担当)、優雅に紅茶を飲んでいる灰寺九留実(庶務担当)

 

「…………、」

「…………、」

「…………、」

 

 会話はない。なので、遮るモノはドアだけである。よくやったわ木下っ! という誰かの喜ばしい声が扉越しに聞こえてくる。素直に気恥ずかしかった。が、それだけ人手が足りない状況というのもあるのだろう。あたりまえですよ会長、とカッコつけて返している鷹仁はまあ、実際カッコつけても良い活躍と言えた。

 

「――ようしそれじゃあ取りかかるわよ。目下一番の問題は一週間後に迫った新入生歓迎会の内容ね。バカなこと、ふざけたコト、ワケの分からないコトは却下していくけど、異論は?」

「ありません」

「……紫水さんに同じく」

「おーす」

「…………、」

「……玄斗」

「あ、はい。僕も右に同じで」

「あんたの右は誰もいないわ」

「……左に同じで」

「よろしい」

 

 うんうんと頷いて、コの字型に並べられた長机の最奥に赤音が座る。左には女子ふたりが、右には鷹仁が行儀悪く足を乗せながら腰掛けている。すこし悩んで、彼はその隣の椅子を軽く引いた。

 

「待て玄斗。てめえは違うだろ」

「?」

「会長補佐だ。……隣行け、俺の隣は綺麗どころ以外座らせねえ」

「……それもそうだね」

 

 言いながらやめて、堂々と座る赤音のななめ後ろにパイプ椅子をつけた。それにまた、彼女はうんとひとつ頷く。短期間ではあるが前よりも役職だけはしっかりしている。気を入れて取りかかろう、と玄斗は瞬きと共に気合いを入れた。

 

「じゃあ学校説明から整理するけど、パワーポイントできてる?」

「昨日作りました」

 

 俺ひとりで、と小さく付け足す鷹仁。

 

「紹介用のスピーチ原稿」

「今日の午前中に」

「アナウンス原稿」

「一昨日には終わってる」

「全体のプログラム整理と進行のまとめ」

「今日の午後にちょうど」

「割り振り、分担、機材の確保」

「ぜんぶ一週間前からしてます。……俺が。……俺がっ」

「…………、」

 

 ふるふると震える鷹仁に玄斗はなにも言えなくなった。なんともアレだ。たしかにこれは噛みつきたくもなる、と友人の苦労に内心で手を合わせる。ちょっと赤音への返答だけではなく、わりとよくしてくれるこの悪友のためにも生徒会に入るべきではないのかと揺らぎかけた。

 

「飾り付けとか準備は進んでる?」

「そこはノータッチだ俺はやってねえ」

「私も知りません」

「…………、同じく」

「…………玄斗は?」

「僕は今日入ってきたばかりなので進行状況は」

「ちくしょう俺がやればいいんだろッ!」

 

 あーもうだから嫌なんだッと立ち上がって叫ぶ鷹仁。なるほどこういう力関係かと玄斗は一瞬で納得した。女三人に男子一人。いくらハーレムだなんだと言われようが、その実態は動く人材が彼しかいないという事実。赤音に選ばれた彼女たちが働けない人材なワケないだろうが、なにより悲しいのはそれを知ったうえで鷹仁が進んで首を突っ込んでいそうなところだった。根本的なところでお人好しである。

 

「……いいよ鷹仁。僕がやる。君がぜんぶやることないって」

「おお……そうか! やってくれるか玄斗!」

「じゃあ飾り付けは玄斗と木下」

「なあオイあんたいまの話聞いてたかクソ会長?」

「顔出せ」

「あんたは考え直せ」

「……ちっ。こらえ性のない奴」

「……もうじゅうぶん鷹仁はこらえてると思います」

 

 主に怒りとかそこら辺を。

 

「じゃあ次、部活動紹介。メンバーと参加部活動、および同好会。あと順番」

「大抵整理してますけど……ゲーム同好会だけ保留で」

「理由は?」

「年齢指定作品の実機プレイ」

「潰しておいて」

「うす」

 

 良いわけがなかった。ちなみにGが付くらしい。

 

「あとは……えーっと、新入生への贈り物か……木下?」

「学校側から受け取ってます。うっすい参考書とペンを」

「……まあ、モノの善し悪しは置いといて。これを渡すワケだけど――」

 

 と、そこで手元の資料を見ていた赤音の指が止まった。何事かと思っていると、どうにもすこし気になるものを見つけたらしい。ぎしっと椅子の背もたれに体重をあずけながら、玄斗のほうへふり向いてくる。

 

「これ、新入生代表。十坂真墨ってあるけど」

「ああ。妹です」

「妹ッ!?」

 

 意外にも驚いたのは鷹仁だった。がたん、と椅子から跳ね起きてズカズカと歩いてくる。

 

「まじか玄斗! 可愛いか?」

「うん、とても」

「うちの会長と比べてどうだ!?」

「……それは甲乙付けがたいかな」

「おお……!!」

「む…………、」

 

 目をキラキラと輝かせて天をあおぐ鷹仁と、じっと不機嫌そうに視線を鋭くする赤音。なんとなくその意味は玄斗にも読み取れた。が、仕方ない。身内贔屓というものもあれば、一番長く見てきたのが彼女である。正直可愛さであれば、あれほどのものもない。

 

「良い子だよ。運動も得意だし、勉強もできるし、駄目なところがそんなにない」

「……やっぱ駄目だ。なんだその完璧超人は……いや、無理。俺のコンプレックスが抉られるから無理」

「……玄斗、あんたシスコン?」

「そんなことはないです。でも、うちの妹は赤音さんにも負けないぐらい可愛いのは本当にそうですから」

「……そう。まあ、なんでもいいけど」

 

 素っ気なく言って、赤音は前に向き直った。鷹仁はなにかを感じ取ったのか、「うへえあ……」といった様子で自分の席へ戻っていく。向こうふたりからは反応がない。玄斗はあれ、といったふうに首をかしげた。

 

「(……いまのは純粋に褒めたつもりなんだけど)」

 

 気に入らなかったんだろうか、なんてちょっとだけ落ちこむ。人を褒めるのは難しい。が、間違えたのならそれも進歩だ。これからもうちょっと気を遣っていこうと、いま一度気合いを入れて玄斗は姿勢を正した。……彼の位置から、赤くなった少女の顔は見えていない。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「これから頑張ってくださいね」

「…………、」

 

 そう言って笑いながらお祝いの品とやらを渡してくる兄に、ぴくりと真墨のこめかみが震えた。マジかこいつと。本当あれだけ言っておいてまだやるかと。あとなんか生徒会長と距離近いなてめえどういうことだと。言いたいことは沢山あった。

 

「あははー……ありがとうございますー……」

「別に拍手で聞こえないから、ネコかぶる必要はないよ」

「あっはっはー…………お兄ぜったい後で覚えてろよ」

「……そんなに怒らなくても」

 

 底冷えするほどの笑顔で威嚇してくる妹をなだめながら、そっと紙袋を渡す。中身がうすい参考書とペンだと知っていれば、なかなか新入生の反応も変わってくるかも知れない。たぶん悪い方向で。

 

「……驚いた。ありゃノーマークだったが……たしかに可愛いな、おまえの妹」

「だろう? 自慢の家族だよ。……いまは、ちょっと違うけど」

「? なんだ、なんかあったのか」

「ううん。認識の問題。でも、付き合いだけはそのとおりだし」

「??」

 

 血が繋がっているかどうか。結局赤の他人と血縁の関係なんてそんなものだ。自分でなければすべて〝他の誰か〟ということにもなる。なら、中身の問題なんてそう悩むことでもないような気がした。すくなくとも、これから止めていた足を動かしていく分には。

 

「……結局、僕は僕だからね。僕として頑張るしかないんだ」

「自分は自分、ね。そらそうか。俺も自分として頑張るしかねえんだよなあ……仕事多くてもなあ……」

「……本気で大丈夫か? 鷹仁」

「……バーカ。安心しろ。ウダウダ言って愚痴こぼしちゃいるが、この程度で潰れるような人間じゃねえよ。むしろ最近はワーカーホリックの気持ちが分かりかけてきた。仕事してないとなんか物足りねえ」

「それは一度休もう。安静にしよう。仕事ばっかりしていても――」

 

『手をかけさせるな。おまえのために割く時間が勿体ない』

 

「……玄斗?」

「……仕事ばっかりしていても、ロクなことにはならないよ。きっと」

「……だな。まあ、休みはしっかり休むさ。学生だしな」

 

 それがいい、と玄斗はうなずいた。休みの日もなく仕事というのは、なんとも、心の奥底に引っ掛かるものがあるのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――なにも望むな』

 

 

 

『なにも考えるな』

 

 

 

『なにも感じるな』

 

 

 

『なにも探るな』

 

 

 

『なにも掴もうとするな』

 

 

 

『ただ、生きろ。死なれると私が困る(・・・・)

 

 

 

『いいか、レイナ。おまえなんて、それで十分だ』

 

 

 

『だから面倒をかけさせるな。私はな、忙しいんだ』

 

 

 

『良い子にしていろ。飲み物と食べ物は適当に用意してある。腹が減ったら口にしろ。暇ならゲームでもしておけ。激しい運動はするな。医者にとめられている。もう一度いう。良い子にしていろ、レイナ。……ではな。行ってくる』

 

 

 

 

 

 

「……いってらっしゃい、お父さん」

 

 




>もしかして:クソ親?

奥さんのことが大好きで仕事熱心で頭もいい良き父親です。それだけ。


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茜色の空は何度でも

 

「(あーしんど……もう帰ったらあれだ。寝よう。すぐ寝よう……)」

 

 ずるずると満身創痍の体を引き摺りながら、木下鷹仁は生徒会室の扉を開けた。ひとまず山場は乗り切った。これからのイベント事だと生徒会がわざわざ顔を出す大きなコトというのもすこし先だ。束の間ではあるが仕事量も減るだろうと、一歩足を踏み入れて、

 

「あら、まだ残ってたの。あんた」

「……へいへい。残ってますよ。なんせ、俺だけ大変ですから」

「ご苦労さまね。ま、あんたにはあんたが処理できる分しか与えてないつもりだけど?」

「……それが限界ぎりぎりだから言ってんだろうが」

「なによブツブツと。気持ち悪いわね。玄斗ならもっと気持ち悪いわよ? なんたって文句ひとつ言わないから、あいつ」

「……は、そりゃ、気持ち悪いっすね」

 

 いまになって言えるコトに、今さらながら過去の傷が痛んだ。呑気に生きている。そう言ったこともあったか。彼が呑気に生きているのだとしたら、むしろ本当にそう生きている相手に失礼かも分からなかった。あれは言うなればただ(・・)生きている……否、生きていたというべきもので。それに気付けたのは、まあ、この会長の下で動いているせいでもあった。

 

「でもいまのあいつは違うでしょう。なんか、理由は知りませんけど」

「そうね。あいつは変わる。……あんた、そのときまで友達やっていける?」

「はあ? なに言ってるんですかね、この会長は。俺とあいつなんて、暴行沙汰のすえに仲良くなった野郎どもですよ? 大概でもなけりゃ友達やめねえわ」

「……なんだかんだあんたも好きよね」

「嫌いです。大っ嫌いです。いや本当、嫌いですから」

「……ったく……」

 

 素直じゃないヤツ、と冷たい目を向けながら赤音が息をつく。もっとも鷹仁が素直であれば逆になにかあったかというレベルで気持ち悪いのだが、生徒会のために尽力しているこの少年にわざわざ言うコトでもないだろうと心に秘めておいた。ある種の慈悲である。

 

「……んで、会長はなにを? こんなところで黄昏てるんすか?」

「ああ、黄昏れてると言えば、あいつも教室で黄昏れてたっけ」

「へえ、玄斗が。ふうん……って、いや、話逸らしても無駄っすから」

「……ちっ」

「うーわ舌打ちしやがったよこの会長……まじで親父に絞られてくれねえかな……」

 

 そんな告げ口しないくせに、とは同じ理由で言わなかった。親の七光りだとか理事長の息子だとか自慢げに口にするくせして、鷹仁は滅多に親の権力に頼るということをしない。彼なりの誠実さの表れだろう。どころか自分で出来ることはなにがなんでもやりきってしまうあたり、本当に誰かから仕事を投げられる方が向いている。

 

「……腕章かよ」

「そ。あいつが付けてた、副会長(コッチ)の腕章」

「……そのまま首輪代わりにつけときゃいいのに。会長も不器用ですね」

「まあ、それも考えてたんだけどね……」

 

 呆然、唖然。常識を覆されたみたいに固まる玄斗を見て、気が変わったのだ。あんな顔をしてくれるのは本当にズルだ。まるで迷子。道を見失って立ち止まっている子供みたいな情けない表情。剥がれ落ちたメッキの隙間から見えたそれに、どこまでもどこまでも、手を伸ばしたくなった。

 

「いいのよ。あんなときの彼につけ込んでモノにするのは、違うでしょう。フェアじゃないわ」

「いやいや……フェアとか馬鹿ですか。恋愛なんざ戦争に決まってますよ。先に撃ち抜いた方が勝ちです」

「勝ち負けの問題なんてないわよ。いちばん大事なのは、玄斗が玄斗であるように、彼なりの答えを見つけるコト。……でもって、それが私であること」

「……あーだこーだ言って結局自分に返ってくるんですね」

「当然じゃない。私は私だもの」

 

 確固たる自分を持っている。鮮烈なまでの生き方をする二之宮赤音は、ときに自己中心的に、ときに自分勝手に、ときに自己満足で終わらせながら生きていく。常にいちばんにあるのは自分自身。他人なんてその二の次。見方によっては独りよがりなそれが良い方向に傾いているのは、偏に彼女のスタンスによるものだ。人生の主役は自分だが、なにもすべてを無視して突っ切って好き勝手できるのが主役というワケでもない。

 

「……で、どうだった? お望み(・・・)の生徒会活動は」

「最高でした。もう仕事はないしあっても楽だし玄斗がやってくれるし玄斗に任せられるしもうあれ以上なんて無いに決まってんだよなあ!」

「それだけ?」

「……それだけっすよ。最高でした。それは本心です。あいつと一緒になんかやれたってのが、とくに」

「……ツンデレ」

「違えよ馬鹿か!?」

 

 吠える鷹仁に、赤音はクスリと笑った。まったく正直ではない。顔も良い、スタイルも申し分はない、性格だってその暴言を除けばまあマシなほうだろう。そんな彼が一般生徒からまったくと言っていいほどモテないのは、たぶん、そういうところが大きい。

 

「……ちょっと前、言ってくれたものね、あんた」

「…………、」

「いつまでその腕章とってるんだ、腐らせるぐらいなら無理やりでもなんでもさっさと入れろ、十坂のコトだから強引に行けばいい、なんなら俺から一言ガツンと……だっけ?」

「覚えてねえわ。手前の言ったコトをいちいち」

「で、じゃあ他のヤツでも入れましょうか? ってからかってみれば、女子の胸ぐらとか掴んで来やがるものだから。思わず投げちゃったわ」

 

 いやーあれは我ながら見事だった、と赤音は語る。鷹仁は遠い目をしていた。まあ、なんてことはない。彼がついぞカッとなって手をあげかけたのは、二之宮赤音の軽口云々に対してではなく、自分の友人が代えの効くモノとして見られていたという誤解に、とことんむかっ腹が立ったのだ。

 

「なによ、本当に素直じゃないやつ。あんたのほうが不器用じゃない」

「……殴ってそのままだった。悪いかよ、会長」

「なにが?」

「だから、あいつのこと殴って、そっからこんな関係になって……ずっと、そのまんまだろ。一緒に歩いてねえんだよ。いつも後ろをついてくるのがあいつで、俺は先導するだけだった。……並んでなにかしたコトなんて、一度もなかった」

「…………乙女かっ」

「漢だっ。……女子には分かんねえよ。こういうのは、野郎同士じゃないと」

「……男子って本当馬鹿ねえ……」

「言えてるな」

 

 ハッと笑って、鷹仁は夕陽を見た。真っ赤な空。赤みがかった雲。斜陽によって生まれた鋭利な影が、容赦なく校舎の中まで入ってくる。思えばどこぞの暴力女に殴られた昼時も、こんな世界が見えていたか。血溜まりで見上げた少女の顔は、どこまでも眉間にシワを寄せて、いまにも泣きそうだったのを思い出す。

 

「……だいたい、人のコト言えねえ筆頭だろ会長は。あいつのことになると乙女」

「別に良いじゃない。乙女だし」

「乙女って意味を辞書で三回は調べることをオススメする」

「……どういう意味よ」

「いや、破壊現象は乙女とは言わない」

 

 無言でみぞおちにトーキックをかまされた。穿つような鋭い一撃。心臓を抜いて(・・・)から遅れてダメージがやってくる。膝から崩れ落ちてうずくまる鷹仁をよそに、赤音は同じように遠く空を見た。

 

「……やっぱり夕陽って綺麗だわ」

「こ、の……っ、クソ、女……殺す……っ、絶対殴る……っ!」

「殺せないくせに、殴らないくせに。あと手加減したからそこまで痛くないくせに」

 

 最後はない。十分痛い。確実にこの女、死ななければ手加減とかそういうレベルで間違えている。……が、まあ、すぐに立てる程度には痛みも早く引いた。

 

「……席は、まだあけとくんでしょうね」

「当たり前よ。まあ、でも……」

 

 そうね、と一言だけ赤音は漏らして、

 

「あいつ次第では、こっちじゃなくて……コレ(・・)を渡すのも良いかもね」

「!」

 

 つい、と彼女が自分の制服につけられた腕章を引っ張る。それは、つまり、彼が。

 

「……まじか?」

「ええ。時期と返答次第では。……どうする? 木下。その頃にはあんたがこっち付けてるかもよ?」

「――んだよそりゃあ。決まってる。そんなん最高だろうが」

 

 もしも会長職が向こうに渡れば、自然と残された腕章が配られる。お下がりだと言われようが馬鹿にされようが、他人から見てどうであれ、鷹仁にとってそれは最良の結末に思えた。

 

「味方ひとりゲット。じゃあ、そういうことにしときましょうか」

「いいや断然ですね。そっちのほうが良すぎる。ああ、早くどっかの会長やめてくんねえかなー!」

「任期があるから。無理」

「いきなり現実的な話を突っ込んでくんなよ……それぐらい知ってるわボケ……」

 

 誰もいなくなった校舎での、秘密のやり取り。彼の行く末を決める会話に、彼自身は混ざっていない。けれど、きっと悪いことでもないのだろう。案外その少年は、思っているより幸せな環境に身を置いているのだと――  




これにて三章終了っ 幕間二話やって四章でございます。


自分ルールなので無理になるとやめますが、基本は八話+幕間二話で一章という感じ。ちなみにこの三章までで大体うっすいラノベ一冊分ぐらいらしいっすよ。プロは化け物っすねぇ……


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三章幕間:彼のウラガワ ~失われた断片~

 

『Diary 明透有耶(アトウユウヤ)

 

 ■月■日

 

 

 ――妻が死んだ。子供を産んでしばらく、息を引き取った。子供の名前は零無と名付けた。悲しいが、彼女の遺したものだ。大事にしたい。おかしな名前であるし、あまり良いとはいえない名前だ。最後まで妻がこれだと譲らなかったそれを自分なりに考えてみたが、分からなかった。妻は、不思議な人だった。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 妻がいなくなってからもう一月が経つ。あれから毎日暗い生活が続いている。けれども自棄になってはいけない。我が子は育てるものだ。彼女の遺したものだ。大事にしなければなるまい。しっかりとせねばなるまい。だが、どうしても憎いと思ってしまう。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 子育ては大変だ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 秘書にオムツを換えるときのコツを聞いた。笑われた。彼女は未婚であったらしい。どうにも自分は生きるのに不器用がすぎる。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 必死だ。慣れてきたがこなせはしない。子育てとは辛いものだ。歪んでくるのが分かって時折死にたくなる。もう書いてしまおう。こんなもののために彼女が死んだ事実が、どうしても許せなくなってくる。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 一度吐き出せばすっきりした。文字でも効果はあるらしい。落ち着いて考えろ。我が子を育てるのは我が身しかあるまい。ならばそうするまでだ。逃げ道がないのなら進むしかない。それが私の出した答えだ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 妻が死んで一年経つ。線香をあげた。他もきちんとやっておく。零無もすくすくと育っている。が、どうにも上手くいかない。なにか問題でもあるのだろうか。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 零無の体はあまり強くないらしい。ショックだが、あまり取り乱しはしなかった。だがその分中身のほうはぐちゃぐちゃだ。書き殴りたい。が、これを出してしまえばもうどうかしているだろう。妻は、とても好ましい人だった。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 妻に遭いたい

 

 

 

 ■月■日

 

 

 子育ては辛いことの連続だ。零無が熱を出した。入院させる。幼い子供の熱は侮れない。我が子なら尚更だ。そういえば妻も病弱の身であった。継いだか、と一瞬気の迷いが生じる。思えば私と彼女の名前を足してズラしたものだ。一ではなく、有ではない。それは、どういった願いを込めていたのだろう。私は勝手に、変な理由を思いついたのだが。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 もうしばらく会社を休んでいる。新作の発表があとすこしに迫っていた。だが子育てをしないわけにはいかない。仕事は大事だ。我が子も大事にしなくてはならない。彼女の遺したものだ。彼女が遺したものだ。だから、我が子は大事だ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 零無の体調が安定してきた。復帰する。もう五つを過ぎた。園に入れようかとも思ったが、どこも定員を超えている。アレにそこまでする必要はない。雑念が漏れた。書いてから万年筆ではこうなるかといま後悔している。もう壊れているのか。だが自覚が薄い。そも、どうして私はここまで苦心せねばならんのだ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 仕事は楽しい。久しぶりにそう思えた。筆は乗っている。久々だ。陰鬱とした世界を忘れて没頭できる。仕事は楽しい。あまり、家には帰りたくない。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 今日は仕事だ。零無に挨拶をして出る。重要なコトは大抵伝えた。保母を雇うのも考えたが、あまり他人に家の中を歩き回られるのは困る。なによりアレにそこまでする必要があると思うのか。馬鹿め。なにせあれは、妻の遺したものだ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 順調だ。なにもかもが順調だ。零無もきちんと育っている。笑顔はないが生きているだけ無事な証拠だろう。問題はない。問題があっても気にしない。馬鹿め。気にしろ。我が子だ。どうして憎い。おまえは一体、なにをそんなに悩んでいる。私は、生き方が不細工だ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 零無が倒れた。やはり親だ。飛んでいくと、驚いたように病室のベッドで寝ていた。心配をかける。重要な取り引きが潰れた。つい口にも出してしまった。帰りの車で心底後悔している。妻から言われていた。私は会話が下手だ。だが、本心なのがどうしようもない。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 原因は不養生だった。食生活が問題らしい。私からして十分な食事を用意していたが、常識がなかったらしい。私自身の食生活が壊滅的だ。それよりも数段上のものを用意して、我が子が健やかに保つ筈もない。狙ったわけではないのだ。いやまずどうして、狙うという考えが出てくる? 混乱しかけた。今日は寝る。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 零無の容態が悪化している。回復の見込みが薄いと言われた。仕事に集中する。あまり余計なことを考えては、今後に関わる。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 親心だ。当然ある。あるはずだ。なければならない。零無の見舞いに秘書を定期的に向かわせている。我が子にあんなコトを言った。それが尾を引いて、私はずっと立ち寄れないでいる。嘆かわしい。おまえはとうに、狂ってはいないか?

 

 

 

 ■月■日

 

 

 体調が崩れて免疫力が低下したところへ合併症まで出た。下半身不随だ。我が子はもう立って歩けない。思わず言ってしまった。馬鹿め。死ぬならいまだ。どうするべきか。狂っている。自戒だ、書いておく。毎日これを見て、心を折れ。

 

 

 「おまえなんて、生まれてこなければ良かったのに」

 

 

 

 

 

 

 ■月■日

 

 

 零無が無菌室に入れられた。覚悟をしておいてくれと医者に言われる。医者は嫌いだ。なんの覚悟をすればいい。分からない。分かるだろうか。我が子だ。大事にせねばならぬ。ああ、彼女の遺したものであったはずなのに。それまで失っていく。現実は非情だ。そのどれもが己の責任であるあたり、因果応報というのが相応しい。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 もう零無が目をあけないと秘書から聞いた。顔を見に行こうか迷って、やめた。大事な取り引きがある。ここで気は抜けない。その程度かと心の底で言われた。おまえにとっての我が子とはと。ふざけるな。我が子だ。どうして、大事でないと言える。狂っている。私は昔から、頭がおかしいのだ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 零無が死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■月■日

 

 

 もうこらえる意味もない。書こう。たかだか十六年。されど十六年だ。ずっと我慢していた。どうして妻が死ななければならなかった。妻は素敵な人だった。笑顔の綺麗な人だった。その妻が死んだ。もういない。再認識して泣いている。つらい、逃げたい、なにもかもを投げ出したい。できなかった。遺したものだ。アレがいる。アレが生きている。もう死んだか。だが生きていた。ならば育てなくてはならなかった。その度に思う。心の底で思う。なぜ彼女が死んで、こんなモノが生きているのか。阿呆にすぎる。子供が生まれた。喜ばしいはずの現実さえ、彼女の死で歪んで憎たらしさしかない。私はずっと恨んでいた。八つ当たりだ。零無という名前が嫌いだった。アレの態度が嫌いだった。なにもなくて十分だ。そう本音を漏らしたか。あれは失敗だった。だがスッキリした。最低か。なにもないから零で、無いからこそ無なのだ。アレは反応しない。心が死んでいるのか。いや、もとよりうまく育っていない? 昔取った杵柄だ。情緒について資料を漁ってみるか。なんにせよ失敗だった。失敗だ。死んでしまって終わった。心が軽い。次の瞬間には重くなるあたり、やっぱり私はいかれている。

 

 

 

 

 ■月■日

 

 

 仕事が手につかない。理由は不明。ゆっくり考えなくては。だが、これでは会社に影響が出る。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 無理を言って退職した。後任は秘書にする。残りの人生を静かに暮らすぐらいの蓄えはあった。家でひとり考えることが多い。悪くはない。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 安心した。私にも、すこし、親心というものが本当にあったらしい。すこしは。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 秘書が来た。我が子を元にしたキャラクターを作りたいと言う。あれはもういない、好きにしろと言うと殴られた。やはり私は会話が下手だ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 明透零奈。すこし、捻りがなさすぎではないか。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 戯れにゲームをプレイしてみた。その感想を書いていく。まずシステムにおいては問題ない。よく出来ている。技術を余すところなく使えているのは評価点だ。コンシューマーでありながらロード時間を最小限まで短縮している努力も認めよう。こういう類いのゲームは商品開発状況を眺めているだけだったが、なかなかどうして面白い。が、不満点がある。それはもうすこし進めてから書こう。溜めておく。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 我が子を元にしたキャラクターのストーリーをクリアした。結論から先に書く。まったくもって似ていない。第一に笑顔が綺麗すぎる。あれはもっと下手に笑うものだ。なによりあんな簡素な選択肢で我が子の心が揺れ動かされるものか。我が子はあんなに軽くない。ぜんぜん別物だ。似ているのはせいぜい境遇と心情ぐらいか。そこはよく見ている。なにより傍から見れば父親の行いがとても酷い。なるほど古い鏡とはこういうことか。愚かだ。そんなことにいま気付いた。ゲームをしながら泣くのははじめてだった。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 長くなったので今日も書く。このゲームを送りつけてきた秘書はなかなかの胆力だ。末恐ろしい。いやもはや恐ろしいか。話題が逸れた。我が子のストーリーであれこれとネットがうるさいようだった。当然だ。あれはもとより人から忌避される要素が多分に含まれている。病弱ヒロインなのに死別エンドがないというのを理由に叩かれていた。馬鹿か。殺してやりたい。死んでなんになる。そうひとつ評価するというなら、病気が治るという話は良かった。思えば秘書は腕利きの元ライターだ。彼女が脚本を書いたとあって購入者も増えているらしい。その影響だろう。お約束など御免だ。私はそう思う。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 色々と考えるようになった。我が子の意味を秘書は妻から聞いていたらしい。それをしっかりと書いておこう。なるほど、解釈違いであった。馬鹿は己だ。毎日見ろ。

 

 

 

 「零じゃ無い。なにもなくなんかない。きっとなにかがあって、消えちゃわないぐらいしっかりとしてる……そういう意味なんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■月■日

 

 

 ガタが来ている。足腰が悲鳴をあげている。まだ六十だ。若い頃の無理がたたったか。最近は大人しくしていたから体力の減衰が酷い。すこしまずいようだ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 筆が震えている。ガタだ。もうこんなにも酷い。急に来た。起きるのもしんどいものだ。周りには誰もいない。ここにきてやっとその辛さを思い知る。因果応報。そう書いたのを思いだした。もう一度書いておこう。因果応報だ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 妻に遭いたい 零無と向き合うべきだった

 

 

 

 ■月■日

 

 

 最近は日記もつけられていない。もう歳だ。まだ六十後半か。だがもうそれだ。長くはない。死にかけてから分かるものがある。ひとりは些か、寂しいものだ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 わたし は ま だ  いき て いる

 

 

 

 ■月■日

 

 

 久方ぶりに元気だ。筆をとっている。もう死にかけだ。この前秘書と会った。ついでに、我が子を書いた理由を問うた。物語の中でだとしても我が子を幸せにしたかったのだと。言われて気付いた。なるほど、だから絶対に彼女を死なせるルートは用意しなかったのだ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 おそらく最後になるだろう。直感した。死期だ。おろかな人生だった。振り返れば失ったものが多すぎて、失敗ばかりの人生だった。妻に遭えるか。零無の顔を見られるか。私が行くのは地獄だ。ふたりとも天国へ行っている。宗教家でもないのにそう思うのは勝手か。だがもし次があるのなら、言わねばならないことがある。結局、妻にも零無にも言ってやれなかった。愛していると、一度も。言いたい。言えるだろうか。いや、言わねばならぬのだ。私は会話が下手だ。だから、それだけでも言うしかない。結局壊れかけていながらも私はまともだったのやもしれん。気付いていなかった。妻も我が子も、本当は同じぐらい大事だったはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ■月■日

 

 

 一美(ヒトミ)

 

 





お父上について色々言われていますので、ちょっとプロット段階のメモ書きを引っ張り出してきました。



・主人公の父親

 クズ 主人公が歪んだ原因 まともに子供と関わらなかった おまえなんて生まれてこなければと平気で言ったことがある 妻のことは愛していた。


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三章幕間:彼女のウラガワ ~夕暮れに重ねて~

自分至上最高に神経を使った一話でした。いまの自分にできる全力です。

直接的な描写がなければセーフ理論では結構頑張ったと思う。


 

「――――、」

 

 ふと気付けば、赤音は夕暮れに染まった生徒会室の机に寝転んでいた。ぼんやりと浮かんだ意識はおぼろげで実感がない。手足がまるで痺れたように動かなかった。起き上がろうと腹に力を入れてみるが、それも無為なことに終わる。

 

「え……?」

 

 直後、鼻孔をくすぐるわずかな香りに脳を焼かれた。見れば目の前にはいつぞやの男子生徒が、じっとこちらを見つめながら手首を掴んでいる。

 

「(……おさえつけられてる――?)」

 

 体はピクリとも動かない。呼吸も脈拍も正常だ。思考だってぐるぐるといまさっき動きはじめた。なのに、意識と肉体に隙間があるように、うまく身体のほうが言うことをきかない。

 

「……玄斗?」

「…………、」

「ねえ。……これはいったい、どういうこと」

 

 キッと睨みつけると、彼は瞳の闇を深くした。なんだかそれが、笑って見える。口角は一切あがっていないのに、彼の笑顔を幻視する。そんな不思議な錯覚に襲われたとき、

 

「っ……、」

 

 どん、と力強く机に押し付けられる。乱暴に、けれどどこか気遣うような優しさで、一定の距離を保ったままにふたりの体勢が変わる。ちょうど、見上げた位置に少年の顔が見えた。

 

「なに、すんのよ……! くろ――」

 

 息を呑んだ。心臓がどくりと跳ねる。

 

「……と…………?」

「…………、」

 

 いつもとは違う。なにが。分からない。混乱している。ガラにもなく、二之宮赤音は現状に頭が茹だるような思いだった。顔が近い。吐息を感じるほどの急接近に、事実呼吸が止まりかけた。知らず唇が震えている。いつもは毅然と、大胆に、的確に、堂々と生きてきた二之宮赤音が、少女さながらのやられっぱなし。……彼女にとってはなんだかやっぱり、釈然としない。

 

「……っ、いい加減に、しなさいよ……! 退いて、玄斗」

「……嫌です」

「退け」

「嫌です」

「この……っ」

 

 押さえつけられた両手に力を入れる。いくら女だからとなめてもらっては困る。彼ほどの力ならば振りほどくことなど容易い。そのはずだ。なにせ彼女の実力は一般的な男子生徒を袋叩きにできるほどには高い。なのに、

 

「……っ……!」

「……必死ですね」

「あたりまえ、でしょう……! 一体こんな真似して、なんのつもりよ!」

「なにって――」

 

 そんなの、分かってるくせに。

 

「っ!!」

 

 幻聴が耳朶を震わせた。いや、鼓膜だけではない。それを伝って入ってきた脳までもが揺らされる。誰もいない生徒会室。夕暮れに染まった密室で、残された男女がふたり。あまつさえ彼は自分を押し倒している。どう考えても、それ以外にはないようだった。

 

「ばっ……ばかじゃ、ないの……!? あんた、それがどういうことか分かって……!」

「……もしかして、怖いんですか?」

「――――っ」

 

 声が出なかった。それではなんの意味も無い。図星をつかれたと自分で言ったようなものだ。腕に入れていた力が抜けて、ついぞ抵抗の余地が消えていく。震える唇はきっと怒りだけのものではない。わずか数センチ。身じろげば触れそうなほど先に、彼の顔がしっかりと見える。

 

「――かわいい。赤音さん」

「…………っ!!」

 

 かあ、と頬が真っ赤に染まる。夕陽と同じ色だ。見分けはつきづらい。けれど、自分自身であればまったく別だ。やけに血の巡りだした顔まわりが、うっとうしくてしょうがなかった。

 

「あんた、ね……! 年上をからかうのも、いい加減にしておきなさいよ……っ!?」

 

 つと、彼の手がスカートに伸びた。まずい、と今度こそ必死の抵抗を試みる。駄目だった。片手一本、たかだか標準的な男子の腕ひとつ、振りほどけないほど自分はか弱いものだったか――?

 

「ちょっ、ま……だ、だめ!」

「なにが、駄目なんですか」

「ぜんぶよっ! あんた本当っ、なに考えてんのよ! ここがどこだか――」

「でも、誰もいません」

「っ……」

 

 いまいちど心臓が跳ねた。そうだ。誰もいない。見ている生徒なんてひとりもいない。どころか、教師たちだって通りすがる気配がない。静かな校舎にはふたり分の息遣いだけが響いている。そうやって考えて、気を抜いた瞬間にするりと脱がされた。

 

「あ……」

「……意外です。赤音さんも、そういう反応するんですね」

「……っ、ふざ、けんな……! 信じらんない、こんな、こんな、コト――」

「でも、赤音さん。嬉しそうです」

「――っ、ち、違うっ! 嬉しくなんて、そんなの……!」

 

 あるワケがない、と。言おうとして、彼の真っ黒な瞳に映る自分が見えた。上気した顔、潤んだ瞳、冷や汗かどうか張り付いた雫が夕陽に煌めく。どこか、なにか、変な期待をしているように。見れば見るほど、ただの――

 

「ち、違うって……だって……こんなの……っ、玄斗……っ」

「どうして?」

「私は……、わたし、は……生徒会長、なん、だから……」

「それがどうしたんです。別に、良いじゃないですか。生徒会長である前に自分は自分だって言ったのは、赤音さんでしょう」

「そ、そうだけど! そ、それとこれとは話がべ――」

 

 マズい(・・・)ところを触られた。本気で。ちょっと、視界が一瞬ハジケ(スパークし)た。

 

「――っ、――……!」

「……すいません。素直に驚きました。赤音さん、そんなにかわいい声、出るんですね」

「なに……っ、言って……んっ――!?」

 

 咄嗟に口元をおさえた。そうでもしなければ声が漏れてしまう。それは色々と問題だ。万が一近くに人でも居たら学校生活が終わる。なにより生徒会長としてそんなコトをしていたとなれば大変だ。奥歯を砕けんばかりに噛みしめながら、ただひたすらに耐える。

 

「誰もいません。赤音さん」

「……だか、っ……ら……な、に……?」

「我慢、しなくても良いと思います」

「――っ、ふ、ざ、け……!!」

 

 ――あ、やらかした。そう思った瞬間にはひときわ大きく腰が浮いて、ぜんぶ抜けたあとだった。上手いコト体に力が入らない。頭がぼうっとしている。なんだかふわふわ浮ついていて、雲の上に立っている気分だった。足下がおぼつかない。膝から折れたのを誰かに抱きとめられた。悔しいことに、この男である。

 

「はっ――、は――っ……!」

「……大丈夫ですか? まだ、一回目ですけど」

「……く」

「?」

「しばく……! あんた……あとで絶対……しばく……っ! 人の、体を……勝手に、こんな……してくれやがって……!!」

「……参ったな」

 

 どうしたもんか、と少年は遠くを見た。悪気があるのかないのか。さてと頭をかいて、肩で息をしながら睨みつける赤音のほうを向く。

 

「それじゃあまだ、足りてないぐらいなのに」

「――――!」

 

 赤音は今度こそ、自分がメチャクチャにされる未来を垣間見た。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「ばっ……やめ……! 声っ、漏れて……!」

 

「ふっ……ぅう……んんっ、ぅ――」

 

「――あ、だめっ、いまは無理っ、ちょっと! 待って、くろ――」

 

「はぁ――っ、ふ、ぅあ…………」

 

「…………へ?」

 

「え? いや、ちょおっ――!?」

 

「う、嘘でしょ!? また(・・)!?」

 

「ひっ――ぅ……っ! こ、のぉ……っ……ぅあっ……!!」

 

「――ぅうっ……ケダ、モノ……っ!!」

 

「あ――っ、っ!!!」

 

「――――は、ぁ――――…………っぁ……」

 

「……かげん、しなさいよ……ばかあ……」

 

 

 ◇◆◇

 

 

「――――!!」

 

 がばりと飛び上がるように目が覚めた。時刻は朝の七時過ぎ。ちょうど目覚ましの鳴るすこし前のタイミングだ。……が、いまの彼女にとってはそんなコトよりも重大な問題が脳内を占めていた。

 

「……なんてユメ見てんのよ私は……」

 

 思わず自己嫌悪に陥る。思春期とはいえとんでもないモノを見たものだ。まさか普段仕事をしている生徒会室の長机で、腕章もなにもつけたまま、あまつさえあの男に――その、なんというか、される(・・・)――夢を見るなんて。

 

「(……疲れてるのかしら。最近、忙しかったし)」

 

 はあ、と心地の悪いため息をついて、ゆっくりとベッドから立ち上がる。だいたい、いくらなんでも夢にしたって彼があんな行動を取るわけがない。なんだかんだで根は真面目だ。嫌がる相手に迫るというのは、死んでもしないだろう。……まあ、夢の誰かさんは嫌がっていなかったそうなのだが。

 

「(――って、やめやめ! なにを引き摺ってんのよ二之宮赤音!)」

 

 ぶんぶんと頭を振って否定する。そういえば夢の自分も彼のあまりにもあまりな行為に少女さながら頭を振っていたか。駄目だった。ぜんぜん抜け出せそうにない。

 

「……今日学校で会ったら絶対しばく……!」

 

 これよりあと五時間十六分後。理不尽な暴力が己を待ち受けているとも知らず、十坂玄斗は笑顔で彼女に挨拶をするのだが、それはまた別の話――






小ネタ:本編では明かされないというか活用する気のなかった設定

・十坂玄斗もとい■■■■は実を言うと絶倫ベッドヤクザ






……さあ次から四章だよ! うん! はい撤収――!


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第四章 黄色くても止まれない
黄金色の涙


ここで彼の成長性(C-)を見てみましょう。


 

 事件は唐突に巻き起こる。廊下を歩いていた玄斗は不意に、ぐいっと思いっきり腕を引っ張られた。もしや新手の宗教勧誘かなにかか。馬鹿なことを考える少年はそのままぐらりと体勢を崩して、背中から倒れ込んだ。何事かと、ゆっくり瞼を開ける。

 

「…………、」

「…………、」

 

 見上げれば、金色の髪を揺らして美少女がまたがっていた。

 

「……えっと」

「せ、せんぱいっ!」

 

 びくり、と肩が震える。……少女の。自分で出した声に自分でびっくりしたらしい。あわあわと慌てている様子がまたおかしかった。なんなんだろう、と玄斗は驚きも通りこして思わず笑ってしまう。

 

「……落ち着いて。どうしたんだい」

「! せ、せんぱいが……笑った……?」

 

 はわっ、と口元をおさえながら少女が瞠目する。本当になんなのだろう。玄斗には目の前の少女のコトがさっぱりだった。いきなり腕を掴んで転がされたと思ったら、そのうえにまたがって何事か少女は慌てふためいている。むしろ大丈夫かとこちらが心配したくなる酷さだった。

 

「――――」

「……!?」

 

 ぎょっ、と少女の様子に今度は玄斗が目を見開いた。泣いている。ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら、少女は口元を覆ったまま静かに泣いている。なぜだ。内心で混乱する玄斗をよそに、少女がすうっと目を細くした。

 

「せんぱいぃ……ふ、ふえ、ふえぇ……!」

「い、いや。うん。ちょっと、待とう。待ってくれ。うん。あの、ひとまず泣き止んでくれると、すごく嬉しい」

「むりでずううう……!」

「無理なのか……」

 

 なら仕方ない、と玄斗は一瞬で冷静にかえった。そも、なにか悲しいことがあったから泣いているワケでもないようだった。考えろ。その言葉は常に実践している。きっとこれは遮らないのが正解なのだと、玄斗はなんとなく答えの手触りを感じていた。

 

「ふっ、う、うえ、うえぇえ……! せんぱいぃ……せんぱいぃ……!」

「うん。うん。分かんないけど、分かったから。大丈夫だから。うん」

「せんぱいぃい……! 優しいですぅう……! すきぃ……!」

「うん?」

 

 だからちょっとその不意打ちじみた言葉に、すこしだけ固まった。

 

「ふぇ、ふぇええ……! しゅきですぅ……!」

「……好き、なのか」

「しゅきですぅう!」

「……うん。嬉しい。でもごめん。その気持ちには応えられない」

「え――――?」

 

 ピタリと少女の涙が止まる。ついでに時間までも止まったような錯覚だった。きっと自分はいま酷いコトをしている。そうでなくてはならない。けれど、言わないわけにもいかないのだ。十坂玄斗にとって、頭を回すことは約束にも等しい。

 

「いまの僕にそれほどの余裕はないんだ。だから嬉しいけど、ごめん。自分のコトと、今までのことで手一杯。……だから、本当に申し訳無いし、凄い嬉しいんだけど。君の気持ちには応えられない」

「…………ふぇ」

「あ」

 

 ぼろ、と大粒の涙が復活した。気持ち先ほどより大きめである。

 

「せ、せんぱいにフラれたぁあ……!」

「あ、うん! ごめん! 本当にごめん! 申し訳ない! でも、そういう気持ちに中途半端で答えるのは良くないと思う!」

「ふえぇええ……!」

 

 彼なりの誠意が見事に空回りしていた。素直なのは美点だが、素直すぎるのも考え物である。告白から断って泣かれるまでわずか三十秒。カップ麺ですら作れていない。なんというハヤワザ。達人のワザマエ。ここにひとりのクズが誕生した。

 

「ち、ちが、ちがうんですぅうう……!」

「え? 違う?」

「ちがいますぅう……! せんぱいにぃ……せんぱいにぃい……!」

「……いや、違うなら、それで。僕の勘違いってことになる。別に君が気に病む必要なんてないし、むしろ恥ずかしいな、すこし。……慣れてないんだ、そういう、言葉の意味をちゃんと考えるの」

「それもちがいますぅううう……!」

「え、あ、そうなんだ……」

 

 これは困ったコトになる、と玄斗は眉を八の字にしながらどうしたものかと思案する。泣き続ける少女の素性が分からないのもあれだが、なによりこの状態だ。学校の廊下で男子生徒が見たところ一年生の女子生徒に馬乗りになって泣かれている。非常に外聞が悪い。もし誰かに見られでもしたら――

 

「あら?」

「――――」

 

 玄斗の体が固まった。泣いている少女をよそに、ギギギ……と首が油のきれたロボットみたいに動く。視線の先。すこし離れた廊下には、数冊の本を抱えた少女が居た。

 

「……先輩?」

「………………ふふ」

 

 笑った。まずい。あれはなんかまずい。なんかよく分からないけど鍛え上げられた玄斗の生存本能が〝アレこそが懐かしいだろう〟と嘯いている。うるさい。あんなものが認められるか。ざわざわと怒りに呼応するかのように広がる群青色に、玄斗は束の間三途の川を見た気がした。

 

「なにを……しているのかしら。あなたたち」

「ふえ……?」

 

 揺れ動く長い蒼髪、その隙間から覗く鋭い眼光。けれどいくら玄斗が恐る恐る見ても、彼女とは視線がぶつからない。しばらく経って理解した。赤音の助言は偉大だ。考える。こんな簡単なコトひとつでも、世界は存分に変わってくれたらしい。

 

「そこの一年生」

「はひぃっ!?」

「その男からすぐに、いますぐ、即刻、即座に離れなさい……!」

「――――」

 

 ガクガクと震える金色の少女。生まれたての子鹿かと思うぐらいの震えようだった。でもちょっと玄斗的にはその位置をなんとかしてほしい。せめて離れてほしい。自分のうえでガタガタと女子に震えられるというのは、なんとも落ち着かなかった。

 

「(……でも、なんか、ここまで来ると流石に可哀想に――)」

「……いや、です」

 

 三度目の号泣。その代わりに放たれたのは、細い、細い。けれどもたしかな意志を込めた、彼女の言葉だった。

 

「……なんですって?」

「いやです……! せんぱいは、わたしのせんぱいです……!」

「……っ、誰の許可をとって自分のモノ発言を……!」

「…………、」

 

 もはや事態は彼ひとりでおさめられる範囲ではない。なんだか妙なところで勢いがあってついていけないし、どうにも腹の奥がキリキリと痛んでくる。前世でもこんなことはなかった。全身が痛くて動けない日は何度もあったが、局所的なものはそれこそ稀だ。そも向こうだと心臓が締め付けられるほうが多かったか。思考が逸れた。

 

「……うん? 蒼唯と…………、へえ」

「あ、赤音さ――」

「ずいぶんといいカッコウしてるわね……? ねえ、トオサカ(・・・・)くん?」

「――――」

 

 まれに見るマジギレだった。距離があと五メートル近ければサッカーボールのように頭を蹴り抜かれている。そう思えるほどのどす黒い怒りの念。助け船だと思った人材は、当たり前のように敵船どころか砲弾だった。

 

「なんだこれ。どうすればいいんだ……」

「あれ、生徒会長に図書委員の……うんん?」

「! ハク、良かった。君なら――」

「ふうん。……玄斗、そういうコト、しちゃうんだ……」

 

 ――駄目な子だね。呟いてきた彼女の瞳が暗くてよく見えない。なんだろう。彼は死にかけているワケでもないのに、どこか心臓を冷たいもので触られたような気がした。脆すぎて呆気ない。所詮この世はすべてあるべきもの。地面なんてないに等しいし、空なんていまにも――いやそんな一人語りはともかく。

 

「お、落ち着こう、ハク。誤解をしてる。僕と君の間には、決定的な認識の齟齬があると思う!」

「関係ない」

「ハク……!?」

「いま、玄斗が、そこに居て、そこの女に座られてる……それだけで、結果は十分」

 

 〝……お、幼馴染みの様子がおかしい――!?〟十坂玄斗は知らなかった。壱ノ瀬白玖の本性を。彼女がどれだけ重い愛を抱えているのかを。

 

「なになに? なんか騒がしいけ、ど……」

「……ご、五加原さん……」

「……十坂? え、あの……なにが、どうなってるワケ……?」

「……僕にもさっぱり分からない」

 

 頼れる味方はクラスメートだけ。なんだかややこしい事情に巻き込まれながら、玄斗はひとつ息を吐いた。因果応報。これほどまでにその言葉が似合う状況もないだろう。知らずであろうが、アトウの血族はそれがもっとも濃いものであったりするのだ。




というわけで新章開始。ちなみに名前はもう出てます。




そんなカンジで感想は楽になったところで返していきたい。


ところでBadEnd予測が案外される拙作ですけど、そもハッピーエンドにしないなら玄斗くんはもっと幸せにしてます。だってあとは転がり落とすだけにできるからね。


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見落としていた色

まさかここに目を向ける人はいないやろなあ(ドヤ顔発見描写削りムーヴ)

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なんで気付いてるの(震え声)


 ――泥に塗れている。しつこいぐらいに酷くて、絡め取った足を離してくれない。とてつもなく憐れな泥に、私は塗れている――

 

「(ああ――なんて――)」

 

 ――最悪だ。とても、未来なんて見えそうにない。閉ざされている。手足をもがれている。ふと、弧を描くように落ちた花びらを幻視した。そんなものだ。折れるときは簡単で、ぽっきりと跡形もない。

 

「(なんて――無様……)」

 

 嗤った。膝をついて顔をおおって、堪えるコトができない涙に嗤った。こんな世界でなにができるのかと、手のひらに握る筆を砕こうとした。できない。嗤った。気持ちがどうだとかそんなのではない。非力で、弱すぎて、なにもできない自分に嗤った。

 

「(あ、あは、あはははは――)」

 

 くつくつと喉が鳴る。憐れだ。無様だ。なにもない。塗れている。泥に塗れている。拭い取れないしつこい泥に、絡め取るような狡い泥に。人生のすべてを台無しにしてくれた、私にだけ許されなくて、私以外のすべてを許していった――汚い不幸(ドロ)に、塗れている――

 

「――そんなことはない」

 

 なんて。暗がりに沈んでいた私を、その人は許してくれなかった。

 

「なにもないなんてコトはない。そんなもの、君にも、みんなにもある筈がない」

 

 ずるずると、ずるずると。泥の中から引き摺られていく。闇の外は光に包まれていた。眩しくて、明るくて、目を焼くほどの真っ白な光。けれどもそれを背景に立っている人は、どこまでもどこまでも、透き通るような闇色をしていた。

 

「誰にだってなにかはある。どんなに不幸でも、どんなに悲しくても、残った意味がちゃんとある。それすらないような人間なんて……せいぜい、ひとり居ればいいぐらいだ」

 

 そのひとりが誰かを、その人は言わなかった。ただ、

 

「でも君はそのひとりじゃない。それは保証する。だから大丈夫なんだ。どんな不幸が起きたって、きっといつかは報われる。先を見据えてみればいい。きっと――君の人生は、これからの幸せで満ち溢れている」

 

 そんな嬉しすぎて受け取れない現実を、衝撃と共に残していったのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「…………ぇ、と。あの……」

「なに」

「ひっ」

「せんぱ――」

「 な に ? 」

「……ごめんなさい。蒼唯さん。でも、やめてあげてください。おびえちゃってます」

「……分かってるわよ、それぐらい」

 

 ふんと鼻を鳴らして、蒼唯が拗ねるようにそっぽを向いた。件のコトがあった放課後の図書室。集まった関係者一同は、取り囲むように金髪の少女をじろじろと見ている。

 

「……玄斗。白状するなら今よ。あんた、この子とどういう関係?」

「いや、関係もなにも、赤音さん。僕は……」

「へー。関係ない子とあんな体勢になっちゃうんだ……へえ……?」

「だから、ハク。その。あれは事故で……」

「と、十坂? あー、その、言いにくいんだけど……アレで事故は、ないと思う……」

「五加原さんまで……」

 

 本当に事故なんだ、と玄斗はうなだれながら呟いた。その背中には哀愁が漂っている。

 

「じゃあこの子に聞くまでね。……ねえ、ちょっといいかしら?」

「ぴぃっ!?」

「……どうしてそこまで怯えるのよ」

「誰かさんの顔が怖いからじゃないかしら。眉間にシワを寄せすぎて」

「うるさいわよ毒舌女。こんな年下にまで余裕ないとか、もう更年期障害?」

「短気は損気ね。私はそうでもないけれど」

「はーん? 良い度胸ね蒼唯。ずいぶんなコト。ちいさい頃は「あかねーあかねー」って後ろをちょこちょこついてきて可愛いもんだったのに」

「っ……いまその話は関係ないでしょう!」

 

 がたん、と勢いよく立ち上がった蒼唯に「きゃー」なんて言いながら赤音がニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。ちゃっかりと玄斗の後ろに隠れるあたりも焚きつけていた。……主にこの場にいる全員を。

 

「おーこわいこわい。こわいからあと頼んだわね、玄斗」

「……赤音さん。人を囮にしないで下さい」

「で、どう思った? いまの話を聞いて」

「ちょっ――」

 

 〝よもやそれが狙いか……!〟急いで反応した蒼唯だったが、彼の口をふせぐための腕があがりきる前に、あっさりと、それこそなんの躊躇いもなく。十坂玄斗は不思議そうに首をかしげて口を開いた。

 

「? どうって……素直に可愛いと思います。なんか、微笑ましいですね」

「でしょう? そうなのよ、可愛かったのよこの女は」

「――――ッ、赤音っ!」

「きゃー、また怒ったー」

 

 がーっと吠えた蒼唯から距離をとって、まるで猫のようにひょいと赤音は玄斗から離れた。ともすれば悪戯好きの子供だ。四埜崎蒼唯とつるんでいるときの彼女は、ときに燃え上がるような激情と、ときに幼いまでの顔を見せる。なんだかんだで仲は良いのか、とふたりのキャットファイトを見ながら玄斗は思った。

 

「……ごめんね、ちょっとうるさくして。本当はふたりとも良い人なんだよ」

「い、いえっ! わ、わわわ私こそ! あのあの、さっきは……! その……、えっと……うんと…………!」

 

 俯きかけて、がばっと少女が顔を上げる。ぴこんと電球のマークが点いたようだった。

 

「さっきはせんぱいのこと乱暴にしてすみませんでしたっ!」

「ッ!?」

「ああ、いいよ。あれぐらいなら僕はなんてことないし」

「ッ!!??」

 

 がたん、と椅子を揺らしながら白玖が驚愕の表情を交互に向ける。この男、思考はするようになっても言葉の綾までもはきちんと理解していなかった。

 

「や、やっぱり玄斗ってばケダモノ誘い受け……っ!?」

「……ハク?」

「で、でもそれならそれでちょっと美味しいかも……」

「…………うん。ハク。ハク。戻ってきてくれ。ハク」

「――はっ。だ、駄目だよ玄斗!? こ、こんな場所でそんな誘っちゃって!」

「よし一旦落ち着こう。今日の君はなにかおかしい」

 

 十坂玄斗は気付かない。そも自分の幼馴染みが最初からおかしな方向に壊れているという事実に。なので白玖からしてみれば平常運転。しいて言えばサイドブレーキ含めエンジンブレーキすら効かなくなったぐらいだ。大問題である。

 

「……え、ええと……会長は四埜崎先輩とあんなんだし……十坂と壱ノ瀬さんは漫才してるし……あはは……まともなのはあたしだけかあ……」

「せんぱいが表情豊か……!」

「……肝心のこの子も大概なのかな……ねえ、名前とか、教えてもらっていい……?」

「! は、はいっ! わ、わたしは、え、あの……よ、ヨミ(・・)って言います!」

「――ヨミ?」

 

 耳ざとく反応したのは、意外なことに玄斗だった。なだめていた白玖から視線を切って、勢いよく少女のほうを見る。黄金色のふんわりとした髪。全体的にだぼっとした印象を持たせる制服の着こなしと、前髪に隠れるようつけられた赤縁の眼鏡。ところどころに跳ねた絵の具が、どこか記憶のなかの一枚絵と合致した。……問題は、その性格がすこしどころか大分、彼のなかのイメージとかけ離れているコトだった。

 

「ヨミ……黄泉……」

「は、はいっ! 黄泉ですっ」

「黄泉……?」

「黄泉です! み、ミナモトっ! 三奈本黄泉(ミナモトヨミ)ですっ!」

「三奈本……黄泉…………!!」

 

 なるほど、覚えがある。忘れもしない。あの瞬間。しっかりとよく見ろと言われたレシートを家でも広げたあのとき。まるでダイナマイトのような衝撃を受けた。浮かれていたのかなんなのか、節穴にも程がある見落としよう。よもや、まさか、こんなところで最後のひとりの名前を見るとはと――

 

「お、思い出してくれたんですかっ!?」

「うん。思い出した。本、出してたんだね」

「はいっ! せんぱいが――あのとき、せんぱいがわたしを救ってくれたから……!」

「え?」

「ふぇ?」

 

 あれれ? とふたりして首をかしげる。なんだか話が噛み合わない。老人の入れ歯みたいだと天然は思った。思ってたのと違うと少女は泣きそうになった。

 

「せんぱい……?」

「いや、待って。うん。いま考える。――――駄目だ。君と会った記憶はないぞ、僕」

「そ、んな……ふぇ」

 

 じわ、と少女――黄泉の目元に涙が溜まる。それをじろっと睨んできたのは、絶賛相手(ジェリー)から逃げる赤音(トム)だった。まあわりと仲良く喧嘩している。

 

「最低ねトオサカくん。女の子を泣かせるなんて」

「いや、本当にないんです。ごめん。記憶力には自信があるのに……、嘘だろう。だって、こんな……コト、忘れるか――?」

「……三奈本ちゃんさ」

「は、はいっ!」

 

 と、自然に名前を呼んだ碧の声に、ビクンと黄泉の体が跳ねる。

 

「あ、ごめんごめん。急に呼んじゃって。三奈本ちゃんでいい?」

「ぜ、ぜんぜんぜんぜんだいじょうぶですっ!」

「ぜんが多いね……まーいっか。髪、染めてるでしょ」

「? は、はい……」

「――あ」

 

 そんな碧の指摘に、合点がいったとうなずく玄斗。バラバラになっていたパズルのピースがかっちりとはまった感覚。そういえばそんな設定もあったっけ、とは彼もうっすらと覚えていた。たしか公式ガイドブックに載っていた情報だ。自分で実際に見ていたワケではないので、うろ覚えなのがどうにも不安だが。

 

「だとすると、染める前に十坂と会ってたんじゃない? ほら、顔とか声とか、覚え、十坂ならあるでしょ」

「…………そうだ。うん。たしか……あれは……どこだったっけ………」

 

 〝――私なんて、生きていても仕方ないんです〟

 

 〝もうなにもわかりません〟

 

 〝なにをしたらいいのかもわかりません〟

 

 〝だってもう、なにもないんですよ――?〟

 

「……一年前」

「! はいっ!」

「駅前の……カフェテリアで……」

「はいっ、はいっ!」

「そうだ……眼鏡をかけた黒髪の女の子と、一回だけ話した。そういえば」

「そうですっ!」

 

 がしっ、と黄泉が玄斗の両手を掴んでくる。目をきらきらと輝かせながら、彼女はにこにこにこぱーっと花咲く笑顔で彼を見つめた。背景がその名のとおり黄色がかって見える。

 

「ずっと会いたかったんですっ! ずっと、ずっと! せんぱいのこと、ずっと、もう一度って思ってましたっ……だから、その……っ、あのあの、えっと……!」

「…………?」

「――す、すきですっ!!」

「……ありがとう。本気で嬉しい。でも、やっぱりごめん」

「っ!?」

「……十坂。容赦ないなー……」

 

 あはは、と渇いた笑みを浮かべながら碧が遠くへ視線を投げる。同じ日に二度も告白を断るという行為は、玄斗にとってもわりと胸にしこりを残す辛さだった。なにより彼女が三奈本黄泉だと知ってしまったが故に余計な重りまで増えている。前途は、多難だった。




①白 ②赤 ③黄 ④青 ⑤緑 ⑩黒



というわけで出揃いました。セカンドメンバーの活躍はたぶん7章か8章からですかね……


ちなみに薄々感付いている人がいるかもしれませんが、ファーストメンバーが修理班。セカンドメンバーが活用班です。なんだよただの踏み台かよと思ったそこの君ィ! 踏み台が勝手に反撃繰り出してきたらひとたまりもないんだよ。


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omaegaokasii

おかしい……これは黄色ちゃんヒロインのはずなんだ……


 別に、自分の生まれを不幸だと感じたことはなかった。人生が他人より劣っているという自覚もなかった。ただ、自分にはこれがお似合いなのだとは、なんとはなしに理解していた。

 

『医者から聞いた。治る見込みはないらしいな』

 

 父親が冷たい声でそういった瞬間を、いまでも覚えている。心が冷えきっていくとはこういうコトを言うのだと思い返していた。時折相手をしてくる父の秘書がどんなに優しくても、そこに一筋の光を垣間見ても、一日経てば泡と消える。それぐらい、自分にとって幸せとは触れれば壊れるシャボン玉のようなものだった。

 

『動かないのか。おまえの足は』

『……うん』

『なぜだ。なぜおまえは……いや、言うまい。ああ、そうなのだったな。……どこまでも、おまえはそうなのだったな』

 

 黙って父親の言葉を受け入れる。なにが言いたいのかは、大体分かっていた。そんな体になってなんになると、暗に父は言っている。まったくもってそのとおりだ。心を抉る言葉は事実自分の心を抉っているのだろう。けれど、どうなっているかは分からない。そも痛みを覚えるモノさえなければ、どうなっていても問題ない――

 

『……ままならんものだ。治療費、入院費……財産の限りが無いわけではない。これほどまで使われて、どうしてなにひとつ前へ向かん』

『……ごめんなさい』

『謝るな。余計に気が参る。……おまえはもう、なにも言うな』

 

 言って、父は顔を覆うようにして椅子へ座った。静かな病室にふたりぶんの吐息が混じる。すべからく、この世は生きにくい。世間がどうだとか、世渡りだどうだという話ではない。単純にいまの自分では有害なモノが多すぎる。はるか昔の自然が溢れていた星なんてとっくの昔に果てている。肺を焦がすガスや網膜を傷付ける粉塵に塗れた現代で、どうにも厄介な体に生まれついた。けれどもたぶん、それぐらいが似合っていたのだろう。

 

『……ああ。こんなことなら、おまえなぞ生まれてこなければ良かったのに……』

『――――、』

 

 ついと言った風に漏らした父の言葉に、結局、なにを思うこともなかった。衝撃、悲観、落胆、呆れ。そのどれもすら浮かばない空虚。本当に自分にはなにもないのだと、そのとき気付いた。憐れだ。憐れすぎて、流す涙すらない。でもきっとそれが似合っている。なぜならそう、この名は体を表して、この名は意味を表して、

 

 〝零だから一もなくて、無いのだからなにもあるハズがない――〟

 

 ――明透零無。その名前に込められた意味こそないとしても、どうせ十坂玄斗の本質はそこにしかない。だからとても難しい。考えるコトでさえもせいいっぱい。未来の幸せなんてそれこそ、想像した瞬間に自己嫌悪で死にたくなるほど、自分にとっては無理なコトだった。……だから当然、自分なんかが誰かと一緒に心の底から笑うような未来予想図も、うまく描けないままなのである。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「真墨」

「んー? どったのお兄」

「好きだ。僕の恋人になってほしい」

「っ!?」

 

 がったーん、とソファーで寝転がっていた真墨の体がゲインした。いじっていたスマホがくるくると弧を描いて絨毯のうえに落ちる。フローリングにダイレクトアタックしなかったのは不幸中の幸いか。近くにあったクッションをがばっと抱きかかえて、真墨はいきなりトンデモなことを言ってのけた兄から距離をとるようソファーの端に寄った。

 

「い、いいいいいきなりなに言ってんの!? 頭大丈夫かお兄!?」

「……うん。まあ、普通はそうなるよね。ああでも、予測できるからあんまり意味はないのか……」

「……え? いや、あの……ちょっとー? あのー? ……お兄?」

「ごめん。ありがとう真墨。まあ、分からないことだらけだけど、すこしぐらいは参考に」

「いや待てよ!?」

 

 すっとあまりにも自然にリビングから出て行こうとした玄斗の肩をがっしりと真墨が掴む。微妙に指に入っている力が強い。

 

「真墨、痛いよ」

「痛いのはあたしの心だ!? いきなり告白なんかしてきて、それで答えも聞かずにスルーとかどういう神経してんの!?」

「? いや、聞いただろう。ほら、頭が大丈夫かって」

「答えてねえよ! お兄相変わらず会話下手か! なんならもう一言待ってくれてもいいわ!」

「でも、待っても結果は同じみたいだし。というか、同じだろう? 兄妹で恋人なんてまずありえないんだし」

「……っ、それ、は……そう、だけ……ど……!」

「?」

 

 うーんだとかあーだとか言いつつ視線を投げては切る真墨に、なんだろうと玄斗が内心で首をかしげる。思い返してもそこまでおかしなコトは言っていないはずだ。いきなりの告白試し(・・)はたしかにおかしかったが、それにしたって引き摺るようなことでもあるまい。変だと思いながらも、その違和感をそっとしまい込もうとしたとき、

 

『――考えなさい』

「…………、」

 

 その言葉を、都合良く思い出した。いけない、と頭を振って真墨を見る。分からないことをそのままになんて、赤音との約束に反する。分からないなら考えるべきだ。分からないからこそ考えるべきだ。放っておいても状況は一切好転しない。おかしな反応を示す妹に、あらゆる可能性を夢想して――

 

「……もしかして真墨は、違う?」

「――!!」

 

 ……当たった、と玄斗はたしかな感触を得た。どうして、と困惑の表情を浮かべる妹は新鮮であると同時に酷く辛そうだった。脳死。思考停止。引っ掛かっても無視してきたあらゆる事象を見つめ直すとこうも違うのかと、彼は改めてその言葉の重大さを思い知った。

 

「……ち、違うわけないじゃん! お、お兄のこと、そういう目で見るとか……! いやちょっと、本気でありえないし!?」

「……真墨」

「だ、だってだって兄妹だし! あたしたち血が繋がってるからね! そういう……あーっと、なんていうの、気持ち? とか、持ってても気持ち悪いだけだし――」

「真墨。……自分に嘘は、ついちゃ駄目だ」

「――――っ」

 

 ぎり、と奥歯を噛みしめる妹に、なんとなく直感してしまった。思考回路は弛ませない。あらゆる可能性を探ればいずれは真実に近付いていく。……その真実が決して良いものだとは言えなくても、自分で考え抜いた自分の答えだった。端から玄斗は目を逸らす気も、気遣ってフリで誤魔化す気もなかった。

 

「…………なんで、さ」

「うん」

「急に……そういうこと、やるのかなあ……」

「……ごめん。今日、三奈本さんに告白されて。二回も断ることになって、どうすれば良いかを考えてた」

「なに、それ――――……いや本当になにそれ。え? ミナモトさん? え? ……うちのクラスの三奈本黄泉ちゃんじゃないよね?」

「そうだけど」

「いやなにやらかしてんだこのばか兄貴!?」

 

 うわわわわー! と叫んで真墨が後じさる。とてつもないリアクションだった。

 

「それで、うまく告白を断る方法を考えてみたんだ」

「あ、うん……わりとまともな思考だった……」

「結論から言うと、僕が結構好きだと思う人に実際告白を拒絶された気持ちを知れば、ヒントがでるんじゃないかと思った」

「駄目だこいつ途中からナナメ上の方向にずれてやがる……!」

 

 考えるのは良いことだ。良いことなのだが、その方向性は確実に間違えている。真墨は自分の兄の頭のやばさというか弱さというかボケさに頭痛を覚えた。

 

「ていうかそんなコトのために妹に告白するか普通!? いきなりすぎてビックリしたわ!」

「いや、だって真墨は結構好きなほうだから」

「――っ、うるさい! ああもうホントうっさいわ! ほんとうっさいわこのクソ兄貴! さっさと自分の部屋でオナって寝ろ!」

「……こら。女の子がそんな言葉使っちゃ――」

「ええい黙れーーー!!!」

 

 ついには抱えていたクッションを投げ出す妹に、「ああ、これは完全に失敗だった」と玄斗は察した。なにより今思えばこそだが、とんでもなくデリカシーのない行いをしてしまったような気もする。知らぬ存ぜぬで済ませられるなら警察はいらない。気付いてしまった以上は向き合うべきで、知ってしまった以上はきちんと認めるべきだ。

 

「……ごめん、真墨。でもひとつだけ言わせてほしい」

「なんだよもう……ほっとけよー……クソお兄のくせにほっとけよう……」

「真墨がどんな気持ちだとしても、僕と真墨は家族だよ。繋がりなんてそれこそ、生きている以上はきれることもない」

 

 悩む必要はないからね、と一言残して玄斗は去っていった。本当に自分の部屋にまで戻ったのだろう。いきなりの告白まがい。いきなりのカミングアウト。流れに乗せたようなついと口にでかかった本心。まさかこんな、と真墨は頭を抱える。

 

「(うわー……最悪ぅ……)」

 

 思いつつ、投げ捨てたクッションを掴んで顔に押し当てる。熱くなった頬を隠すことだけが、いまの彼女のせいいっぱいだった。  



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抽象的なかたち

ちなみに主人公の境遇は未登場のキャラ含めると最低ではなかったりします。となるとこの程度の人生経験で壊れているコイツは軟弱者……?(心がざわつく音)


 

 才能がない。能力がない。運がない。技術がない。知識がない。道具がない。そんな後付けだらけの理由が、どれも違っていたのだと気付いたのが一年前。すべての原因は自分自身にあったのだと、三奈本黄泉は理解した。

 

「…………、」

 

 灰色がかった景色。鮮やかとは言い難い日常の風景。すさんでいた過去の映像。それらにぜんぶ色を付けた切欠が、十坂玄斗その人だっただけ。

 

「――――うん」

 

 だから、理由なんてそんなもの。きっと他の誰かに助けられたなら、その誰かに心を奪われている。けれどこの場に生きる三奈本黄泉は、間違いなくそこに生きていた十坂玄斗に心を救われて、ずっと彼を想い続けた。言ってしまえばそれは、ありふれた可能性のひとつでしかない。もとより人生に明確な答えなどありはしない。ゲームや物語のシナリオなんかではないのだからそれも当然。……そんなコトにすら気付かない人間は、きっとどこかが壊れている。

 

「……辛い、悲しい、泣きたい、めげたい……」

 

 呟いて、黄泉はそっと絵筆をとった。絵を描くのは好きだ。自分という色を付けていく。その瞬間だけは殻に閉じこもって逃げ続けていた自分ではなくなっていくような気がして、なんとなく好きになれそうな気がしていた。――そんなコトも、昔の話。

 

「ぜんぶ……ぜんぶ。思ったら、ちいさなこと」

 

 幼い頃に両親を亡くして、姉と一緒に親戚に引き取られた。引っ越しさきで色々と困ることもあった。一足先に成人した姉が働き始めて、良い相手を見つけた矢先、その人が事故に遭って二度と帰らぬ人になった。優しい人だった。俯きがちな自分にも自然と接してくれる穏やかな人だった。それから姉の心も身体も壊れていって、これより下の現実なんてそうそうあるものかと街をふらついて。

 

「……酷いなあ。わたしの、人生」

 

 悲しくなかったと言えば嘘になる。ずっと幸せであったかと訊かれると、素直にうなずけはしない。でも、それでいいのだ。きっと、過去がどんなに辛くても、今までがどんなに恵まれていなくても、その先なんて誰にも分からないのだし。

 

「(でも、いい。……だってせんぱいに会えた。わたしはきっと恵まれてる。歩き方も道の探り方も、それで見つけられた。だから、次は――)」

 

 ――向こうの番だ。

 

「……待っててね。せんぱい」

 

 どうして絵を描くのか。楽しいから。好きだから。けれどなによりも彼女は――

 

 

 ◇◆◇

 

 

 朝の予報どおり、夕方になって雨が降ってきた。生徒のいなくなった校舎から電気が消されて、人の気配も散った放課後。玄斗が帰る頃にはもう土砂降りで、傘をさしていないと制服どころか下着まで濡れるのが目に見えている。持ってきていた黒い傘を手に校門まで歩いていると、ふと外から見た四階の一室だけ、煌々と明かりがついているのに気付いた。

 

「(あそこは……たしか)」

 

 ――直感か、はたまたただの好奇心か。玄斗はさしていた傘を畳んで、すぐさま昇降口まで引き返した。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 カツカツと、誰もいない廊下を歩く。雨雲のせいで夜でもないのに校舎は暗い。節電をうたう調色高校のルールとして、放課後は部活動以外で教室の電気をつけるのは原則ナシとなっている。薄暗いというべきか、薄明るいというべきか。どちらかというと前者を選びたくなるのは天候のせいもあるのだろうと、なんとはなしに玄斗は思った。

 

「…………、」

 

 目的地は四階の端。一階の昇降口からは長い階段をのぼって、すこし歩いた先になる。校内に人影はない。雨ということでグラウンドから響く運動部の声もない。吹奏楽や軽音楽部も今日は練習はないと小耳にはさんでいた。――とても、静か。

 

「(……ああ、なんだろう)」

 

 そんな静けさに、不意に、懐かしさを覚えた。音がない。声が聞こえない。外界とは隔離された世界。それは彼がこの世に生まれる前に体験したものだ。なにも完全に無音というワケではなかったろう。ただ、末期はすでに耳も壊れていた。目も一日に数分開けられたらマシなぐらい。寝たきりのままゆっくりと死んでいく束の間の、なにもないあっさりとしすぎた空間。そんなものを、不思議と、今日に限って想起した。

 

「(あれはもう嫌だな……眠りたくても全身の痛みで目が覚めるんだから、案外楽なもんじゃないし)」

 

 それに比べれば、多少の怪我なんてどうというコトもない。本当に駄目なとき、人体というのは不思議と見事に動かなくなるものだ。それでいて生半可に痛覚なんか残っていたら、熱さと刺激が入り交じった地獄を見る。そんなものをほとんど毎日。頭が狂わなかったのは幸でも不幸でもなく、そもはじめから狂っていたからこそだろう。

 

「(でも、静かなのは嫌いじゃない。こうやって、色々と考えるのも。……結局、その程度なのかもしれないな)」

 

 死んだとはいえたかだか(・・・・)自分のコトだ。たしかに恐ろしくはあるが、そうなって苦しむのは己しかいるまい。ならばそこまで気にするような問題でもないように思えた。死を理解する。死に様を既知とする。それは生き物としてあるまじき欠陥だ。生きている以上、死を容認するのは困難にすぎる。ましてや真実体験してそれでもなおというのなら、ソレは壊れているという他ない。――ああ、まさしくそのとおり。とっくの昔に、とうの彼方に、明透零無は壊れてしまっている。

 

「(それも、もう、何度考えたか分からない答え――)」

 

 結局、命の価値でいうならソレがもっとも下だ。なにせ生きている価値がない。死ぬことを知って、死ぬことをそれもまた有りだとするのなら、これ以上に生きていてどうしようもない人間もいないだろう。だったら簡単なこと。いずれはそう、いくら悩んでもその答えがチラついている。なにかを切り捨てる。そのなにかに一番当て嵌まるのは、まさしく自分なのではないかと――

 

「(……ん。ここか)」

 

 考えているうちに、目的地へついた。見上げたプレートには美術室の文字。ゲームでいう場所としては、彼女(・・)がいちばん接点のあるところだった。そっと扉に手をかけて、ガラリとスライドさせる。――あたり一面は、足の踏み場がないほどの画用紙で埋め尽くされていた。

 

「(――すごいな……これは)」

 

 なにかしらの描かれた用紙は乱雑に置かれている。加えて机や椅子も散らばっていて見映えが悪い。一体なにがどうなっているのかと絵を一枚つまんで……その内容に、どこか、心が揺れた。

 

「(……うすい、黒?)」

 

 べったりと、隅から隅まで灰よりかすこし濃い黒が塗られた一枚。絵というよりはただ塗っただけというほうが似合っている。不思議な模様もなにもないシンプルなものだった。そうっとその絵を横へ置きながら、また紙を拾って道をつくっていく。

 

「(こっちは藍色……で、これは……赤色かな。混じってるから、よく見えない)」

 

 青みがかって、赤みがかって、ついぞ黒というには不気味な色ができあがっていた。おかしな絵だと思いながら、用紙を拾いわけて先へ進む。絵というのは不思議だ。黒になにを混ぜても黒にしかならないものだが、これが画用紙の上だとすこし違う。黒にも細かな違いが出てくるし、色がなくても白が残る。透明なんて、それこそ。

 

「(…………!)」

 

 と、しばらく繰り返してやっと絵画らしきものを見つけた。真っ白な背景に、薄く色のつけられた水晶玉がひとつ。その向こう側に、混じり合った不気味な黒が映っていた。……それは、どこか。

 

「どこか、あなたに似ている」

「!」

 

 びくりと肩が跳ねた。視線をあげた先。顔を向けたそこに、探していた少女の姿を見た。

 

「……三奈本さん」

「待ちました。……ううん、ずっと、わたしは待っていたんです。せんぱい」

「……どうにも分からない。最初からそうなんだ。……君は一体、僕を……」

「わたしは……わかってます」

 

 気付けば、彼女はひとつもどもってはいなかった。一対一ならうまく話せるのか、この場所がそうさせるのか。玄斗に詳しいところは分からない。ただ、彼女の瞳が真っ直ぐこちらを見ているのが意外で――いや、思えば、学校で押し倒されたあのときも。

 

「知ってました。せんぱいのこと。……むかし、いじめられてたことがあるんです。だから、人の目を見れば、だいたいのことわかっちゃうんです。……どんなに参ってても、ふと目を合わせたぐらいでも、ちゃんと」

「……凄いな。ああ、でもそれは……たしか、感性の話だっけ」

「どう、なんですか、ね……でも、わたし、ちょっとだけそのことも、良いって思えちゃってます」

「……そうなんだ」

「はい」

 

 なんともまあ、見事にやられている。これで三度目。二度あることはともいうが、この調子であれば誰であってもこうなのかという予想すら浮かんでしまう。出会いを重ねて思い出を増やしたふたりとは違う。たった一度、刹那の邂逅でその本質を見抜かれた。さっぱり忘れていたわけではない。ただちょっと抜け落ちていた。その類い希なセンスが発揮されていたのは、壱ノ瀬白玖との初コンタクトの数会話で「まさにそのとおり」な評価を叩き付けていた原作からも分かる。そんな相手に、ましてや彼女だとも知らずに漏らした彼の素顔をさらした状態で、見破られないはずがなかった。

 

「色の付かないガラス玉……透き通ってて中身がなくて、割れやすいのにそれを気にもしていない……せんぱいは、そんな人でした」

 

 故にこそ、三奈本黄泉の評価に間違いはない。かねてより無色透明だった明透零無は、色がなければなにもない。そこにあるべきよう見えていたのは、透けて見えた別のモノだ。だから、本気で難しい。自分というのも。それで考えるのも。そんなモノの幸せを夢想するのだって。

 

「……だから、せんぱい。わたしはずっと、会いたかったんです」

 

 到底、自分が死ぬという現実がちっぽけすぎて呆気なくなるほど。

 

「せんぱいに……ずっと。ずっと。わたしは、せんぱいを――」

 

 信じられない、ものだったのだ。





>無色透明 明透零無

主人公のイメージカラーが無色透明でアトウレイナちゃんのイメージカラーが透明のみなのはここが理由。まあ大したところでもない。



わりと良い感じに直ってきてるのでここらで一回叩き割っても面白いんですけどね。


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シアワセってなんだ?




権利でも義務でもなければどうでもいいという。


……馬鹿らしい。



――そんなのは、必死で頑張っている誰かへの冒涜だ。


 

 幸せを語ったその人は、とても、幸せの味なんて知っていなさそうだった。

 

『だから、大丈夫』

 

 なにが大丈夫なのだろうか。とてもその瞳はそう思えない輝きを放っていた。けれど不思議なことに、誤魔化している様子も、嘘をついているようでもなかった。ならば簡単なこと。人との意思疎通は三奈本黄泉のもっとも苦手とするところだ。けれど、他人を理解するという点においてそのセンスが発揮されるのは彼女の得意とするところだった。――この人は、己の不幸を認識していないのだと。気付くまでの時間はかからなかった。

 

『――――、』

 

 なんて、虚しいのだろうと思った。なにも分かってはいない。幸福を語る本人が本当の幸せを欠片も理解していない。なのに、どこまでも救われている。三奈本黄泉という少女の心はそんな壊れ物のニセモノに、呆気なく救われるほどのものだった。

 

『……そう、なんですね』

 

 途端に、彼女は心が軽くなった。息苦しい世界が嘘みたいに塗り替えられていく。自分よりも酷い歪み方をしていて、おおよそ手遅れになりかけた彼が、あたりまえのように幸せをあるものと語っている。そんな矛盾だらけの現実にこそ、希望を抱いた。ああ、本当に、なんてコトはない。比べればなんとも虚しい。だって、そうだ。目の前には自分以上に、心に罅の入った人間がさも当然のように生きている――

 

「(でも、それに気付けるのはきっと少ない……)」

 

 それこそよく見ても分かるかどうか。その本質は透明で、ともすれば見落としそうなほど色がない。なにか別のものにこもってはじめて微妙な差異が現れるぐらい。けれども、そんな歪さに黄泉は気付いてしまった。無視はできる。初対面の少年にそこまでする理由なんてこれっぽっちもない。でも、そうはしなかった。想い続けて、信じ続けて、ここまでやってこれた理由なんてただひとつ。

 

「――わたしは、せんぱいに幸せを教えてあげたかったんです」

「……僕に?」

「はい」

 

 例えば海のように蒼い彼女は、その名前を解き放って彼の存在を引き摺りあげた。例えば燃える夕焼けのように赤い彼女は、その壊れた思考回路に正常な線を繋いで人として生きることを望んだ。ならば、三奈本黄泉が与えるのは間違いなくそれだ。誰よりも不幸であるが故に、なによりも泥に塗れているが故に、真に綺麗だと言える幸福(モノ)を彼女は知っている。

 

「難しく、ありません。……たとえば、道路の脇に咲いた花、とか……通学路の桜並木、とか……印象的な誰かの笑顔、とか……なんでも、いいんです。素敵って、思うものをせんぱいの心に映すだけ……それだけで、いいんです」

「……いや、でも、それぐらいは――」

「してません。……せんぱいは、見てません。ガラス越しの景色は、くもるだけです。……ちゃんと、見てください。せんぱい。わたしたちの身のまわり……とっても、素敵なんです」

 

 そのぐらいは、玄斗だって知っている。世界は綺麗だ。目に映すのも贅沢なぐらい見事に仕上がっている。当たり前のようにそれを見て、音を聴いて、肌で感じて、鼻でにおう。すべて、自分にはもったいないぐらいの幸せだと思った。

 

「分かりませんか?」

「……いや、分かってる。君の言いたいことも、なにを伝えたいのかも。分かってるつもりだ……僕は」

「なにが……ですか」

「なに……って……」

「なにが……わかってるんですか……?」

 

 言っている。口よりもその目が言っている。〝おまえはなにも分かっちゃいない。〟そう暗に告げている。そんなコトはない。この世界がどれほど鮮やかなんて分かりきっている。ただそれをなにも言わず受け入れられるほどのモノもない。だから、贅沢なのだ。言ってしまえば身の丈にあっていない。こんなコトなら、一生病室の中で過ごすのも悪くはないのだろうと――

 

「わかって……ないじゃないですか……!」

「三奈本……さん……?」

「あたりまえは……あたりまえです……! どうして、そんな、困った顔をするんですか……!? せんぱいは、生きてます! ここに、います! なのにどうして……どうして、そんなに遠い目をするんですか……っ!」

「…………それは」

 

 どうしてか、それは分かった。以前より考えることは多くなった。その度に直面する。思考の沼にはまればはまるほど、自分はこの世の理から外れるべき生き物なのだと理解する。そも、約束されていたモノなどなにひとつなかったはずだ。ならば、シンプルすぎるほどに。――十坂玄斗(明透零無)に、本当の幸せなんてものが必要なのだろうか――?

 

「……要らないものかもしれない」

「……なにが、ですか……?」

「僕は別に、どうってこともないんだ。感じることもなかった。なら別に、知らなくてもいいだろう。……はじめからそうだ。用意されてなくても生きていられた。なら、これからなくても問題ない」

「…………っ」

 

 その言葉を訊いた瞬間に、彼女の意識は沸騰した。

 

「――――」

「…………っ」

 

 パァン、と大きな音が響く。ヒリヒリと痛みに頬が痺れる。見れば涙目のまま、黄泉は思いきり右手を振り抜いていた。いつも気弱で会話もどもってばかり。初対面ながらそんな印象を植え付けた彼女らしからぬ一撃に、言葉すら出なかった。――なんて、衝撃。

 

「――せんぱいのっ、アホぉーーーーーー!!!!!!」

「っ!?」

 

 ついで、右耳から声が突き抜けた。大音量も大音量。もはや爆音とも言うべき叫び声は、静かな校舎で余計に反響した。距離数センチの間に壁もなにもない状態で受けた大声で、玄斗の聴覚はキンキンと耳鳴りがなっている。

 

「……っ? ……っ!?」

「……!!」

 

 困惑する玄斗と、ギッとらしくもなく睨みつける黄泉。とても同じ少女とは思えない鋭さが垣間見えている。そんな光景に、どこまでも脳が震えた。……おそらくは大声の効果も含めて。

 

「あほです、ばかです! せんぱいは、おおばかものですっ!」

「な……にを……」

「未来に幸せがあるって言ったのはせんぱいです! なのにせんぱいにはそれがないんですか!? そんな都合のいいことがあるんですか! そんなのないです! ありえません! 不愉快です! なら、わたしが……っ」

 

 ぎゅっと、手を掴まれた。強い力だった。少女の力だ。振りほどけないワケではない。なにも運動をしてきた体ということもない。ずっと筆を握り続けてきた、ちいさいのに女性らしさの消えはじめた荒れた手指だった。けれど、それは決して嗤われるようなことではなく――

 

「わたしがっ、背負います……っ! せんぱいの不幸ぐらいどうってことありません! だってわたしは不幸です! 運がないです! ひとり分ぐらいなんてことないんです! それでせんぱいが幸せになれるなら、いくらでも背負います!」

「……やっぱり、分からない。どうしてなんだ。君は。……なんで、一度会って、ちょっと話しただけだろう? なのに、なんで……そこまで、言えるんだ」

「そこまで!? せんぱいにとってこれってそこまでですか!? 変ですか!? 違います! 変なのはせんぱいです! わたしはわたしの……っ」

 

 ぎゅっと、黄泉が胸の前で手を握った。儚くも強く美しい。それをここまで体現した動作も珍しかろう。見とれるように、見惚れるように。ぼうっと視線を引かれた玄斗のほうへ向かって、

 

「――わたしの大好きな人の幸せを願うのが、変なことですか!?」

 

 とても、強烈な弾丸を撃ち付けてきた。

 

「……僕は、君の好意を断ったのに?」

「関係ないです! わたしの好きはわたしの好きです! せんぱいなんかに関係ありません! だから、ぜったいにせんぱいにだって拒否させません! ぜったい、ぜったい幸せを知ってもらいます!」

「……悪いけど、知ってるんだ。だからこの話は終わりってことになる。幸せぐらい、僕はもう……」

「いいえ! ぜんぜん! だって、そうじゃないですか! せんぱいは……せんぱいは……っ!」

 

 幸せぐらいは知っている。笑っているのがそうだ。嬉しいのがそうだ。心が揺れるのがそうだ。言わば脳から発する電気信号の一種だ。そういうカタチだと知っている。そういうものだと知っている。自分には縁のないものだと知っている。自分にはなかったものだと知っている。自分にはないものだと知っている。自分には不要なものだと知っている。自分がそう感じてはいけないものだと知っている。自分にはこれからも縁のないものだと知っている。自分には一生かかっても届かないものだと知っている。自分には一生かけても手を届かせてはいけないものだと知っている。なぜならそう。簡単に、単純に、明透零無には元からそんなものを収めるスペースが用意されていなくて――

 

「一回も幸せだと思って笑ったことなんかないくせに!」

「――――」

 

 なにを見た。なにを見抜いた。分からない。なにも知らないハズだ。なのに、その言葉は酷く刺さった。図星だ。そのとおり。いくら頭で考えたって、そういう反応だと理解していたって、きっとホンモノである心の底からはわいてこない。ただの真似事。言わばニセモノ。明透零無の歪な笑いは、そこを起点としたものだった。

 

「許せません! 許しません! そんなの誰が許したって、私だけは許してあげません! せんぱいには幸せを知ってもらいます! 素敵だって思うことを知ってもらいます! だってわたしは、そのために――」

 

 なんとも脆弱だ。剥がれた中身はすぐ外へ出る。無いに等しい十坂玄斗の殻なんて、プロとも言える彼女たちの手にかかればこのザマだ。ものの見事に、丸裸にされていた。

 

「こんなに沢山、描いてきたんですから――!」

「…………、」

 

 〝――――ああ。〟

 

 そうか、とひとつだけ納得した。勢いよく何枚もの画用紙が舞い上がる。深い蒼の広がる海や、夕焼けに染まった街の風景。大地を照らし続ける黄色い太陽に、幾本の日差しが降り注ぐ深緑の自然。紫の花に橙の葉、淡い桃色をした茎と灰色に染まった果実。虹のような色を持った千本ものハナ(・・)は白を背景に描かれている。綺麗だ。美しい。なにより光るものがある。どれもが、心に訴えかけるほどの熱量を秘めていた。

 

「……贅沢だ。やっぱり、僕には」

「贅沢なんかじゃありません。当たり前です。権利とか義務じゃありません。だいたい、そんなのわたしは認めません」

「……どうして?」

「わたしは……っ、掴みたいものを、掴みますっ。何度、折れても……くじけても……きっと、いつか、報われるって信じてます。だって、それが――」

 

 ……ああ、それは。

 

「それが、せんぱいに教えてもらったことなんですから――!」

 

 いつぞやの男が口にした、軽すぎるにもほどがある、空虚な言葉の強さだったろうに。





気弱系後輩だと思った? 残念不幸に塗れて立ち直ったクソ強メンタルちゃんだよ。正直白玖さえいなけりゃ黄色ちゃん独走レベルで玄斗まがい(明透零無)ブレイカーだったりする。




……そういえばヒントもろに出したけど気にしないでください。まだ後だから。あとヒロインもひとり増えたから。大丈夫大丈夫。玄斗とか目じゃないやつが残ってるだけだから(満面の笑み)


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ココロ 震わせて

主人公を苛めたいんじゃない。ただ好きだから必死で生きて悩んで苦しんでそれでも足掻いてほしいだけなんだ……(きっと足掻けるとは言ってない)


 

「……ところで、あの」

「?」

 

 と、言いにくそうに黄泉は視線を泳がせた。なんだろうか、と玄斗は考える。叩き付けられた衝撃的な言葉も束の間、まだこれ以上なにか言うことでもあるのか。だとするならなおさら、それは彼の受け取るものだ。一言一句とて聞き逃すことはできないと、まわりの音に注意して――

 

「ち、散らかった絵を……一緒に直してもらえませんかっ……!」

「…………、」

 

 とても、肩の力が抜けた。

 

「……これ、用意したんだと思ってた」

「い、いえ! そうなんです、けど……あの」

「あの?」

「……ほ、本当は、机とかに置いて、こう、ルートを……作ろうとしてたんですけど……慌ててたから、その……ばたんって」

「……なるほど」

 

 どうりですこし制服が汚れている。なにかと危なっかしいところもある少女だ。加えて、いまの話を聞いたとおりであれば運も足りていない部分が出てくるのだろう。必死に準備しようとして、こうも教室を散らかしたのがなんとなく想像できた。

 

「……でも、どうしてそこまで?」

「……せんぱいが、窓から……見えたので。たぶん、来てくれるかな……って……」

「……凄いな。本当に。そこまで分かるなら、人付き合いもうまくいきそうなものだけど」

「あ、あはは……それは、ちょっと、違うんです。……わたし、これ、逃げることにしか使ったことありませんでしたので……」

「……逃げる」

 

 ふむ、と玄斗は画用紙を拾いながら思う。逃げようなんて思ったことは少ないけれど、その気持ちはなんとなく分かる。それでも逃げられなかったときも、逃げたら駄目なときもあった。おかげで苦痛には慣れている。だからこそ、一言だけ、伝えるべきだろうと彼は口を開いた。

 

「それは、そんな風に言うことじゃないと思う」

「……え、あ、はい……?」

「嫌なことから逃げてなにが悪いんだろうね。賢い使い方だと思う。僕だってそんな感性があったら、そうしてたかも分からないし。なにより君の考えで君の決めたことなら、それは進んでるっていったほうがいい。……まあ、僕自身がそんな大層なこと、言えた人間じゃないんだけど」

「……それも、違うと思います」

 

 あれ? と急な切り返しに玄斗が戸惑うよう首をかしげた。なんだか、こう、いままでなら気付かなかった特大の地雷を思いっきり踏み抜いたような。

 

「せんぱいはちゃんとせんぱいです」

「……いや、うん。僕は僕、だけど」

「違いますっ……せんぱいは、せんぱいなんです」

「…………?」

 

 それはどう違うのだろう、と玄斗はますます首をかしげた。たしかに自分は自分だ。むしろ自分以外のなにでもない。そのぐらいはきちんとこの前、理解したはずなのだが……、

 

「だからっ……せんぱいは、せんぱいの言葉でわたしを救ってくれました。きっとせんぱいにその気がなくても、救われた人がここにいるんですっ。ちゃんと、せんぱいの、あなたの言葉で、心に響いた人がいるんですっ……それを、忘れないで下さい」

「……そっか。そういうことか」

「そういうことです」

 

 ずいっ。

 

「それなら……うん。仕方ないのかな」

「仕方なくなんかないです」

 

 ずいっずいっ。

 

「うん……近いね」

「!!」

 

 しゅばっ、と鼻の先が触れ合うほどに近付いていた黄泉が飛びながら後退する。いまさらながら頬が真っ赤に染まっていた。なんとも、夢中になると周りが見えなくなるのだろう。故にこそ彼女の集中力は凄まじい。原作において白玖の心を真実震えさせたのは、そのキャンバスに描かれた一枚の絵であったのを思い出した。

 

「……そっか。そうなんだ……僕もすこしは、人らしくやれてたのかな」

「せんぱいは人です」

「そうだね。……ただ、そう名乗るには、ちょっと、足りないものが多すぎるよ」

「人です」

「……あの」

「人です」

 

 近い。

 

「……よく、言い切れるよね……見てて気持ち悪くない? ぼく(・・)は」

「はい」

「なら、そういうことはあんまり……」

「でも、好きです」

「…………物好きだね」

「はい」

「ぼくは、わからない」

「知ってます」

「……物知りだよね、本当」

「せんぱいがそういう人だって、知らなかったらそこまで突き詰めてません」

 

 それは、順序が逆ではなかろうか。思いながら、玄斗は教室に散らばった最後の一枚を拾い上げた。なんとはなしにその絵を見る。――そこに。

 

「――――――」

 

 鼻から上が掠れるように消えた、誰かの笑顔が描かれていた。

 

「……これ、変だね。顔が見えない」

「……あたりまえです。だってわたし、せんぱいの顔、見たことありません」

「……そういう、ぞくっとすることを言われたのは三人目だよ。三奈本さん、本当にぼくのことなにもしらない?」

「あ、そうなんですか……ちょっと、安心しました。わたし以外にも気付いた人、いたんですね……」

 

 よかった、と黄泉がちいさく呟く。それにまた、ガラスの内側からナニカがこぼれかけた。どうにも最近になってそうだ。殻という殻を無意味なことだと壊されてから、自分がどこをどう歩いているのか考えていなくては分からなくなる。

 

「……なんなんだ本当、君たちは。誰かのことを見ているにしても、直感が鋭すぎる」

「せんぱいが分かりやすいんです」

「……そんなに?」

「だって、メッキの黒です。すぐ剥げます。ていうか透けてます。……わたしにはそう見えます」

「……いちおう、ちゃんと十坂玄斗だよ?」

「あ、ヒント……ですね、それ。じゃあせんぱいは、違うんだ……」

「……だからどうしてすぐ、そういう方向に行き着くんだ……」

 

 まったくもって分からない。もしくはこの少女の感性がおかしな方向に曲がっている。四埜崎蒼唯にしろ、二之宮赤音にしろ、目の前の三奈本黄泉にしろ、こうも簡単に見抜かれては今までの人生はなんだったのかと思ってしまう。本当、勘弁してほしい。……前までは、こんなコトは思わなかったのに。

 

「でも、分かったのはそれだけじゃありません。似てたんです」

「……似てた?」

「はい、わたしの……友達に」

「……ぼくに似てる友達って……それ、どんな子なんだ」

 

 笑いながら玄斗は訊いた。片隅にすら予想もなにもない。真実、この世にそれを知っている人間はいるだろうか。すくなくとも今の彼の近くにはいない。ならば、何を探ろうともなにをしようとも、答えに辿り着けなかったのは致し方なくて。

 

「お姉ちゃんが入院してて、その子も病気で同じ病院だったんです。だから、すこしずつ話すようになって……お父さんがひとりだけいるって話でしたけど、わたし、一度もそのお父さん見たことないんです」

「へえ……」

「なんか、栄養失調で倒れてから色々と苦労しちゃってるみたいで、ちいさい頃から生まれつき体も弱いって言ってて……」

「うん……」

「それで、あんまり、笑うのが上手じゃないんですよ。ちょっと、下手な笑顔を浮かべるんです。それがなんとなく、せんぱいと重なったんです」

「……そっか」

 

 早く良くなるといいな、と言うと黄泉がコクリとうなずいた。本心からの願いだ。病気の辛さは玄斗も人並みに分かっているつもりだ。なにより栄養云々で体を壊したというのがどこかの誰かにある過去を思い出させた。もとより病弱の身にろくな食事を用意しないというようなコトは、自分の身以外に起きるはずもないが――

 

「はやく一緒に登校したいなって……レイナ(・・・)ちゃんって、言うんですけど」

「――――え?」

 

 ――それは偶然か。それとも待っていた未来の結末か。耳朶を震わせた名前に聞き覚えはどこまでもあった。ともすれば、もはや。

 

「……レイ、ナ……?」

「? はい。アトウレイナ(・・・・・・)ちゃん、です……けど……」

「――――」

 

 ばさり、と持っていた画用紙が落ちた。わーわーと慌てながら黄泉が足下の絵をせっせと拾い上げる。けれど、それすら頭に入ってこない。なぜなら、それほどまでに衝撃で。

 

「(アトウ……レイナ……?)」

 

 そんなはずは、と出かかった声を飲み込む。まさかそんな、と。だって、それは。

 

「(ぼくが……いる……?)」

 

 誰でもない。十坂玄斗になる前の、彼の名前であるのだから。





もうひとりのぼく×

ぼくじゃないぼく×

女になって攻略ヒロインと化したぼく○



そんなアトウレイナちゃんの明日はどっちだ――


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そんなある日の帰り道

四章もあと一話……もちろん幕間二話です。あああやっと五章書けるのおおお……!


 

「ご、ごめんなさい……」

「いいよ。三奈本さんはなにも悪くないんだし」

 

 言って、玄斗は傘をすこし彼女のほうに寄せた。そう、なにが悪いかと言えば、決して彼女が降水確率八十パーセントの日に傘を忘れたことでも、こんなに雨が酷くなる時間まで残っていたことでもなく、たんに天気が悪かっただけだ。

 

「むしろ良かった。女の子を雨のなかずぶ濡れで帰すなんて、とてもじゃないけどね」

「……朝は降ってなかったのにぃ……」

 

 はあ、と落ちこむ彼女は本当に申し訳ないと思っているらしい。単に玄斗が気にしない質なのか、それとも黄泉が余計に気にする性格なのか。どちらもありえるが、たかだか相合い傘(・・・・)をしただけでそれほどだろうか、なんて玄斗は思いながら歩く。

 

「にしても、凄いな。雨」

「……そ、そうでふねっ!」

「……ふ?」

「す、すすすいません! なんかっ、あのっ、いきなり、緊張……しちゃって……!」

 

 はわわわわ、と口元をおさえながら慌てる黄泉に、自然と笑みが漏れた。……本当に、本心から、自然と、うまく笑えたと思う。けれど、

 

「…………、」

 

 彼女はそれを横目でちらりと見て、瞳に落胆の色を浮かべていた。些細な動作。意識しないモノ。それですら作り物じみた動きが混じっている。ならばどうすればいいのかと、悩みは尽きなかった。どうにも、昔から笑うのは得意じゃない。笑えないワケではないというのに。

 

「……だめかな」

「だめです。……せんぱい、笑ってるのに笑ってない……!」

「……それがいまいち分からないよ。でも、ありがとう。ちゃんと考えてみる。それで、自分なりに答えは出してみるよ」

「え――――」

 

 言うと、黄泉は呆けたように足を止めた。ふり向いて、傘からはみ出ないようにその距離を詰める。すこしばかり、彼女は驚いているようだった。理由なんて考えるまでもない。

 

「大丈夫。これでも結構、分かってきたんだ」

「せんぱい……」

「だから、平気。これまでずっと、考えれば僕は恵まれていたんだと思う。だから、これからもそうなんだろうね」

 

 ちょっと贅沢すぎるけど、なんて恥ずかしそうに頬をかいて玄斗は言う。なにが分かっているのかとか、贅沢だの恵まれているだのと言う時点でなにも分かっていないだとか、他のなにも知らないのかとか、黄泉が言いたいコトは沢山あって、どうにも我慢なんてできそうになかったのに。

 

「……やっぱりおばかさんです。せんぱいは」

「そうだろうね。でも、だから考えないと」

「……きっと、難しいですよ? いっぱい、苦しんじゃうんですよ?」

「そこはまあ、慣れてるから。ならなにも問題ない。それまで頑張ったぶんはなにかしらの結果で残っていくんだ。だって、いつかは報われるんだろう? そうなるぐらいは、僕もやってみせるよ」

「……そこが、おばかさんなのに」

 

 おそらくは誰も言わなかった。気付いてもそこに目を向けなかった。触るべきではないと判断した。理由は様々だ。けれど、三奈本黄泉には分かっている。不幸に塗れていた彼女だからこそ理解する。その一点だけは、他の誰でもない――自分が触れるべき位置だ。

 

「慣れてるって、それがいちばんいけないんです」

「……でも、仕方ない。慣れてるんだから」

「慣れてるからって、それで片付けるのがいけないって言ってます! だいいち、慣れちゃいけません! もっと……先輩は、苦しんでいるところに、目を向けてあげないと」

「…………どうっていうこと、なくても?」

「です」

「……そっか」

 

 気を付ける、と一言答えて玄斗は歩き出した。黄泉をともなって、並びながら歩道を進む。雨は一向に止む気配がない。今日一日は降り続けるだろう。なんとなく、そんな直感を働かせた。――ふと、そんなぼんやりとした視界に、一台の車を見た。そこまで速くはない。下手な運転もしていない。が、にしたって自動車の速度だ。とうぜん、雨のなかで走り抜けていれば飛沫があがるもので――

 

「ごめん」

「えっ?」

 

 ちょうど、近くにあった水たまりを勢いよく駆け抜けた。

 

「――せん、ぱい……?」

 

 どくん、と心臓が高鳴る。その暖かさに包まれている。香りに包まれている。なによりその腕で、逃がすまいと抱き締められている。その事実を認識した瞬間に、黄泉の理性は蒸発しかけた。

 

「なっ――――」

 

〝――――#$%&*@??$#&$#%!!??〟

 

 もはや心中でさえ言葉になっていなかった。パニックである。なにせ目の前すぐ一センチもない近くに玄斗の胸板がある。制服越しのそれはほんのすこしの固さがあった。頼りなく見えて、案外安心する。……などと、考えている場合ではなくて。

 

「だ、だめ、ですよぅ……せん、ぱい……」

「……あぶな、かった」

「こんな――……へ?」

「いや、本当にごめん。三奈本さんは……大丈夫そうだね」

 

 なら良かった、と笑う玄斗の髪からしずくがぽたりと落ちた。おかしなことに、傘をさしているというのにだ。……見れば、背中側から横にかけてびっしょりと濡れている。

 

「な、なにしてるんですかっ!?」

「いや、水飛沫が。ほら、女の子は濡れたら色々と困るだろうし」

「だからって、こんな……!」

「嫌だった?」

「そっ、その訊き方は反則です!」

「だね」

 

 自分でもずるいと思った、なんて彼は申し訳なさそうに白状するが、そこは大した問題でもない。いや問題ではあるが。そこまで彼が行き着いているという事実に黄泉は泣きそうになったが、それはともかく。

 

「ふ、拭かないと! 風邪、ひいちゃいます!」

「大丈夫。どうせ雨だし。家に帰ってからでいいよ」

「でも……っ」

「――そこの少年! すまない! 大丈夫か!?」

 

 と、後方から声をかけられた。ふたりしてふり向けば、すこし行ったところで先ほどの車が停まっている。意外というか、なんというか。明らかに車高の低いそういった(・・・・・)車から顔を出していたのは、妙齢をすこしすぎたほどの女性だった。

 

「あ、はい。問題ありません」

「本当か? 結構思いっきりぶちまけたぞ、私は。……ちょっと待ってなさい」

 

 と、女性が車から降りて傘もささないままに駆けてくる。白いワイシャツとパンツスーツをゆったりと決めた姿からして、仕事帰りだったのだろうか。どことなく玄斗はその姿に、煙草が似合うだろうなという感想を覚えた。……どうしてかは、分からないが。

 

「うわあ……これは問題だろう……いや、本当にすまない。配慮が足りなかったな。ずぶ濡れじゃないか」

「いえ、本当に大丈夫ですから、そこまで謝ってもらわなくても……」

「そういうワケにも……なにしろこっちは大人なんだ。君たち、見たところ学生だろう。なら、年上としてカッコ悪いところを見せるのもな……」

 

 おどけるように言う声は、けれどこちらに断らせまいとする意思が込められていた。嘘はなにひとつついていないだろう。真摯な人だ、と思う。しかしながら見知らぬ女性にここまで言われてしまうというのは気まずいと、こっちもハッキリ言おうかなんて視線をあげた瞬間――

 

「――――、」

「…………?」

 

 ばっちりと、目が合った。その瞳がぐっと見開かれる。まるで、なにか、信じられないものを見たように。

 

「……すばらしい

「え?」

「――いや、なんでもない。悪いコトをしてしまった。それで提案なんだが、どうだろう。乗っていかないか? もちろん彼女さんも一緒に」

「か、かのじょ……っ」

「? 違うのか?」

「……えっと、あの、それはともかく、そこまでしてもらうのは……」

 

 本当にこちらこそ申し訳ない、と玄斗は一歩後じさる。こちらにお節介を焼いているあたり、すくなくとも悪い人ではないのだろう。が、だからこそ余計に申し訳なくなってくる。だいたい、悪気もなく水飛沫を飛ばしたぐらいでわざわざ車を停めるような人間が一体いくらほどいるものか。

 

「いいんだ。やらせてくれ。ついでに、制服のクリーニング代もかな。そも君たちが負い目を感じる必要なんてないだろう? 任せてくれ。私はこれでも、元大学教授だぞ?」

 

 まあもう何年も前の話だが、と薄く笑みを浮かべながら彼女は言う。なるほどどうりで、と思うと同時にうまい話運びだとも思った。慣れているのかどうなのか。疑問を抱えたまま、女性はくるりとふり向いて手でこちらへ来るよううながした。

 

「ほら早く。このままでは濡れてしまうよ。なんならそっちの彼女さんから連れていこう。それともそっちの娘からしてみると、彼が先のほうがいいかな?」

「……良いんですか? 本当に」

「だからそう言っている。これは私の過失だ。だから私に払わせてほしいとも。……まったく、お姉さんが格好付けようとしているんだから、ちょっとはうまくやらせてくれないものかな?」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 応えると、その人は嬉しそうに笑った。とても、とても、それこそ「こういうものか」と彼が理解してしまうぐらい綺麗に。

 

「……やっぱりいいな、君

「……? なにか……?」

「ううん。なんでも。ちょっと、良いと思ってね。君たちを見ていると、思い出すんだ」

 

 それは一体なにをなのか。訊く間もなく車に乗り込んだ女性に続いて、玄斗と黄泉も続いて入っていく。当然ながら何事もなく、その日は無事に家へ辿り着いた。  






ちなみに「活用班」は「壱ノ瀬白玖」ではなかったりします。

……「なにが?」っていう方はそのまま無視していただいて結構です。「分かってんだよなあ……」って人はちょっと、あの、しー、で。


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オトナとの時間

駄目だ黄色ちゃん書き足りねえ……! って感じなので幕間で本気出したい。


 

「さ、どんどん食べてくれ」

「…………、」

 

 にこり、と満面の笑みを浮かべる女性に、玄斗はほのかに引き攣った笑みで返した。通りすがりの高級車に水をかけられて約一週間。制服も無事綺麗になり、何ごとも万事解決といった矢先、件の人から誘いを受けたのだった。……どうしてか、食事の。

 

「……あの」

「うん? なあに、遠慮することはない。こう見えて私は結構生活に余裕がある。それこそ、男子学生なんていつまでも養えるぞ?」

「……それは、見てれば分かります」

「そうか?」

 

 ならほら、と彼女はにこにこと笑ったままメニューを渡してくる。場所は家から近場のファミレス。当初は夜景が綺麗に見えるというビル何階に設置されたレストランでの食事だったのだが、玄斗の必死の要求でここまで下げてもらった所存だった。さすがに、一介の高校生が超のつくほど高級レストランを奢ってもらうのは気が引ける。

 

「見たところ高くても五桁いかないようだ。これなら何品でも頼んでくれて結構。まあ、初めの予定どうりであっても君には自由に食べさせたわけだが」

「……いえ、さすがに、向こうは」

「苦手か? まあ、その辺も私が悪かった。もっと君のコトを考えるべきだったな、次からは気を付けよう」

 

 そう言って、彼女もメニューを手に取って眺め始める。新鮮といえば新鮮だ。だいたいにおいて接してきたのが同年代に限定されるが故に、こういったときの十坂玄斗は基本的に受け身だ。だからこそ、明確な完成された年上の牽引力というのは凄まじかった。

 

「何にする? 本当に気兼ねしなくていいぞ? 何度も言うが、これでも小金持ちだ」

「…………、」

 

 はたして、父親に聞いたところ「そんな外車乗ってるのは金持ちだろう」なんて真顔で言ってくるような人間を、小金持ちと言って良いものか。

 

「……じゃあ、その、一品だけ……」

「一品? おいおい、成長期の男の子だろう。もっと食べないと。遠慮されると財布を膨らませて来た私のほうが恥ずかしいじゃないか」

「…………六品ほど」

「うん、よろしい」

 

 うなずいて、女性がチリンと呼び鈴を鳴らせばすぐに店員がやってきた。一通り注文をしたところでひと息。コップに注がれた水を口に含むと、その様子を目前の彼女がじっと見ていることに気付いた。……なんとも似合うことに、片肘ついて手に顎なんか乗せている。

 

「……どうか、しましたか……?」

「いいや、なんでも。しかし、いいなあ……君を見ていると、娘を思い出すよ」

「……あの。失礼ですけど。おいくつで……?」

「遠慮はいらないさ。歳なんてそう気にする質でもないんだ。三十八だよ」

「さんじゅっ……!?」

 

 ガタ、と椅子を揺らして玄斗が腰を浮かせる。それほどの衝撃だった。若作りにもほどがある。見た目だけで言えば二十台前半……老けていても後半だとすっかり思っていた。それがよもや、十も予想を過ぎているとは。まこと不思議な人体の神秘だ、と息をつきながら玄斗は席を直す。

 

「おいおい、リアクションが大きいぞ。そんなに驚くことかい?」

「……ええ、まあ。すこし……その、大分、若く見えて、綺麗だったので」

「――ああ、もう、そういうことを言うな。大人をからかうと痛い目にあうぞ。とくに女性はな。気を付けたまえよ、トオサカ(・・・・)くん。お姉さんと言うのも無理な歳になるんだから、君が口説くのはそれこそ十年早い」

「え……あ……はい。すいま……せん……?」

 

 くつくつと笑う女性の表情は、とても喜色に満ちている。思わず見ているこちらまでも笑ってしまいそうな勢いだった。それほどまでにストレートな感情表現をしている。冷たいとも言える固い態度とそのギャップが、どこか玄斗にとってもまた新鮮だった。

 

「……というか、あの、名前……言いましたっけ……?」

「聞いてないとも。君を家まで送ったとき、表札で知っただけなんだ。なんで、私はそろそろ君の名前を聞いてみたい」

「あ、はい。僕は――」

「いやいや待ってくれよ? ここは私からだ。なにせ、聞きたいと私から言ったんだ。こっちからしなくては、君に失礼になる」

「あ……はい。それじゃあ」

「うむ。では僭越ながら……なんて、堅苦しすぎるな。普通にいこう」

 

 こほん、とひとつ咳払いして、彼女はすっと肩の力を抜いた。その姿に、一瞬だけ見惚れる。本当に不思議だ。まるでどこかの隙間に入るみたいに、その一挙手一投足が突き刺さる。だから玄斗はその自己紹介からも、一秒たりとて目を離せなかった。

 

「私の名前は飯咎狭乎(イイトガキョウコ)という。色々と職を渡り歩いて、いまはまあ細々と暮らしている感じだな。ちなみに研究職についていたこともある。そうだな……認識でいうなら、フリーターのしがないおばさんだと思ってくれればいい」

「……そうは見えませんけど」

「なら素直に嬉しい。女性はね、いつだって若く見られると心が躍るものなんだ」

「……ですか」

 

 笑う彼女は、良い意味で年相応らしくない。頬をうっすらと赤くしながら話す様子は、それこそまだまだ二十台前半で通じるぐらいだ。実年齢とのギャップにどうしても困惑するが、そも気にしていたってどうというワケでもない。気を取り直して、彼もすっとお辞儀をしながらゆっくりと言葉をつむぐ。

 

「僕は十坂玄斗って言います。調色高校の二年生で……ありきたりに言うと、学生、でしょうか」

「ほうほう、なるほど。玄斗。十坂玄斗か……」

 

 うん、といまいちど女性――狭乎はうなずいて。

 

「よし、覚えた」

 

 ぱっと、花開くような笑顔を浮かべるのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 料理も到着して、ちょうどふたりともが箸をつけはじめた頃だった。ふと玄斗はさきほどの会話を思い出して、なんとはなしに聞いてみた。

 

「そういえば狭乎さん。娘って言うのは……」

「うん? ――そのとおりだが」

「……本当に、娘さんが?」

「ああ。……まあ、ずいぶんと会っていないのだがな」

 

 もう十年近くになるか、と彼女はどこか遠い目をしながら言った。意外だった。娘が居るというのもそうだが、なによりそんな事情を抱えていることも。

 

「どうして、そんなに……?」

「……大したことじゃないよ。ただ、間が悪かったし、私が原因でもあった。あれは、しくじったなあ……本当。もっとうまくやれたと、いまでも思うよ」

 

 どこか後悔しているように、狭乎は語った。否、実際に後悔しているのだろう。きっと自らの愛した娘とのすれ違いか、なにかがあったのだ。玄斗はそう受け取った。

 

「それで、何年も会っていないんですか」

「会ってないし、都合で会えないんだ。ちょっと、面倒くさくてね。……我が子の成長ぐらい、見せてくれてもいいだろうに」

「…………、」

 

その言葉が本心からであるのは、流石に理解できた。もとよりぜんぶ彼女は本心しか言っていない。だからこそ、玄斗の心にはストレートに伝わる。まるで狙ったみたいに、鋭く切り込むように。

 

「それは……とても、残念ですね」

「だな……だからこそ、君を見ていると嬉しいんだ。なんだか娘に重なってね。君は。……本当、見ればみるほどに、よく似ている」

「……そうなんですか……?」

「ああ。本当、その、笑った顔とかがね――」

 

 なんて、言った瞬間だった。

 

「ちょっ……狭乎さん……!」

「え……?」

 

 一筋、彼女の頬から雫がこぼれる。喉の震えも嗚咽もない、静かな涙だった。どこまでも透き通っていて、泣いている姿さえ綺麗に見えるぐらいの。

 

「……ああ。泣いて、いたのか……すまない。別に、悲しいわけではないんだ……ただ、本当に、嬉しくて……案外、涙もろくなったものだな。昔は鉄面皮とさえ言われた女なんだぞ?」

「……娘さんを」

「……?」

「子供を想って泣けるのは、良い人だと思います。きっと……表情に出なくたって」

「……ふふ、そうだね」

 

 くすりと笑って、狭乎はコップの水で喉を潤した。細い指先で涙を拭き取りながら、「ごめん」と頭をさげる姿に沈んだ様子はない。ただ、やはりどこか心残りであろうことは、玄斗でもしっかりと見てとれた。

 

「私もそう思うよ。子供のために泣けるのは優しい人だろうね。……でも残念なことに、私はちょっと優しくないんだ。それと、すまない。情けない姿を見せた」

「いえ、そんなこと」

「……うん。君のそういうところは、素直に好ましいな。本当、イイ男になるよ、玄斗くんは。……私の娘も、しっかり育っていれば同じぐらいかな」

 

 フィルター越しのなにかを見据えるように狭乎が呟く。間違いなく、見ているのはきっとその人物だったろう。あのように懐かしい目をしているのは、ずっと昔、母を語った父親が見せていたモノに似ていた。

 

「……もしも会ったりしたら、よろしく頼むよ。なんとなく君とは縁がありそうだ」

「それは……分かりませんが。名前は、なんていうんです?」

「――ヒロナ」

 

 溢すように、狭乎はそう言った。するりと、口内から抜けるように。

 

飯咎広那(イイトガヒロナ)っていうんだ。良ければ、覚えておいてあげてくれ」

「……わかりました」

 

 応えると、やっぱり狭乎は嬉しそうに笑った。本当に綺麗な笑みだと玄斗は思う。いつかそんな風に笑えたらと、らしくもなくそう思ってしまうぐらいに。――彼女の笑顔は、とても完成されているらしさがあった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……ん?」

 

「――ね、どうしたの」

 

「迷子? ……お母さんとはぐれちゃった?」

 

「そっか……うん。よしっ!」

 

「ならお姉ちゃんも一緒に探してあげる! だいじょーぶ! きっと見つかるよ! だってふたりだもん!」

 

「ほら、だから、ね。笑って――笑顔、笑顔っ」

 

「笑っていこう! そのほうがきっと、楽しいからね!」

 

「え? ……ああ、違う違う。ファッションだから。お姉ちゃん格好つけてるだけだからね。眼帯っていうの。格好いいでしょー?」

 

「えー? そう? お姉ちゃんは好きだけどなー? 髪もそこまで悪くないと……むむ……」

 

「ん? ……あ、あれ? そう!? 見つかったの!? うわあー良かったあー!」

 

「うん、うん! じゃあね! もうお母さんのおてて(・・・)離しちゃ駄目だよ! ばいばい! あはは、ほらほら! 笑ってー!」

 

 

 

 

 

 

 

「――笑顔、笑顔っ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

  






イイトガヒロナ(飯咎広那)
うーんこの名前(・・)はどこからどう見ても一般モブですね!(煌びやかな目)


そして三章終了。ラストでこの人出せて良かったです。ちなみに狭乎さんは怪しくもなんともないですよー。だって嘘“は“ひとつも言ってないからね。


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四章幕間:彼のウラガワ ~十坂家の事情~

アナグラム瞬殺されてて草も生えない(真顔)もっと気楽にストレートに受け止めてくれてもいいんですよ?


 

『なにもない。おまえはそれで十分だろう』

 

「――――、」

 

 ほう、とひとつ息をつく。頭はさっぱりクリアになっていた。十坂玄斗としてなら、なんてことのない事実。けれど彼はそれそのものではない。ひとつ皮を剥げば前世の記憶なんて嬉しくもないものが続いている。

 

「(いや、それも違うのか……)」

 

 地続きになっている以上、前世というのもおかしな話だった。明透零無の意識はいまもここに生きている。到底生きているなんて言えたモノではないとしても、遺ってしまっているものだ。なにかを撥ね除けたのでも、譲ってもらったのでもない。彼は真実、十坂玄斗としてこの世に生を受けた。

 

「(……同じ名前、同じ過去……)」

 

 ふと、自分のそれを振り返ってみた。原因なんてもっぱら、ひとつ下の彼女から聞いた衝撃的なコト。――アトウレイナ。同姓同名の少女がいる。そんな、直視するかどうか躊躇う現実を、さらりと、三奈本黄泉は叩き付けてきた。悪気も思惑もなかったろう。ただ、それを受け止めるのにすこし辛い部分が、玄斗にはあってしまっただけ。

 

「(誰かが、ぼくと同じ人生を辿ってるっていうことになるとしたら……)」

 

 ――それは、嫌だ。自分のコトならそれでいい。なんとかなる。ならなくたって、困るのが自分だけなのだから気にしないコトだってできる。けれど、他人があんな目に遭っていると思うと、どうにも良い気分はしなかった。それが、おそらくは想像もなにもできてしまって。

 

「(なくても傷付くし、罅は入る。……心の在処なんて、いまさら探り出そうとしたところなのに。そう思うと、もうあったんだ。……ただ、とても、歪なだけで)」

 

 幼少期の思い出は、とてもじゃないが普通とはかけ離れているのだろう。玄斗の感性ですらそれだった。体が弱くて他人との関わりもないまま、父親が仕事に行けばたったひとり家に残される。用意された食事は美味いか不味いかの前に雑で。量だって少なすぎないが足りるほどでもない。なにも言わなかったし、なにも主張はしなかった。けれど、だんだんと、自分の身体が決定的に壊れていくのは子供ながらに実感していた。――そうしてついぞ、階段から転げ落ちて病院送り。

 

「(……家の食事は本当に味気なかったし、病院食は薄味で量も少なめだったな……食べられなくなってからは、ずっと点滴だったし)」

 

 まともな食事の美味しさを知ったのはこうして生まれ変わってからのコトだった。反動かなんなのか、そのせいで見た目以上の大食いになってしまっている。……そのくせあまり体型が変わらないのは、ちょっと不思議だが。

 

「(比べると、やっぱり分かる。腕も体も健康的だ。あの頃のぼくの腕、本当、棒みたいですぐ折れそうだったのに……あばらも出てないから、横になって息もしやすい)」

 

 本当に恵まれている、と改めて思う。ご飯がおいしい。空気がおいしい。病気でもなく健康体。それでいて周りの人間から色々と教えられる。毎日綺麗な景色が見られる。色んなところが歩き回れる。それだけで、本当に、十分なぐらい恵まれている。

 

「(だからこそ、いまになって……あんなの、誰も経験しちゃいけないものだって、思う)」

 

 それこそ、あんな地獄を知っているのはただ一人でいい。性別がどうであれ、まともな人間にあの環境で生きていけというのは酷だ。そもまともな情緒というものが未発達であったからこそ、明透零無は壊れるだけで済んだ。

 

「(……だから多分、いまは駄目だ)」

 

 苦しんで、辛い目にあって、折れるほどの現実で生きている。そんな人間を明確に予想して知っている。だから今すぐにでもできることがあるのならするべきだ。だからこそ、考え抜いて結論を出さなくてはならない。

 

「(覚悟はいらない。向き合う理由も……ただひとつ。ぼくならそうだ。相手の気持ちなんて関係ない。肝心なのは……たった一手の方法)」

 

 どれだけ思いやったとしても、アトウレイナであるのなら心に訴えかける同情や悲観まじりの言葉なんて意味はない。それはいちばんよく知っている。ならばどうするか。簡単だ。いまの自分にはなにもできない。もっと考えて、答えを出すまでは動けない。闇雲に動いたところでどうしようもないのなら、必死で頭を働かせるのが賢明だ。

 

「(……だからすこしだけ、待っていてほしい。顔も知らないけれど、きっとその苦痛をどうにかしてみせる。……ぼくが、僕であるんだから)」

 

 苦悩するまでもない。単純に、考える項目がひとつ増えただけ。そもそもな話、自分がもうひとり居たって狂ってしまうほどのものでもなかった。狂気なんてそれこそ、はじめからハラんでいるかもしれないのに――

 

「お兄ー?」

「……ん。どうしたの、真墨」

 

 と、考えていたところへ扉の向こうから声がかかった。自室のベッドから体を起こしつつ、玄斗はうんと伸びをする。

 

「お父さんもうちょっとで残業から帰ってくるってー。あたし勉強してるし、お母さんもう寝てるし。ちょっと用意したげてって」

「分かった。にしても優しいね。普段なら気にもしなかったようだったけど」

「っていうお母さんからの置き手紙です」

「……なるほど。了解」

 

 立ち上がって、ドアの方まで歩いた。廊下へ出ると妹がびくっと驚きながら「じゃ、じゃあ」なんてそそくさと走り去っていく。たしかにいまのはちょっと驚かせてしまったかもしれない。悪いコトをした、なんて思いながら玄斗は一階のリビングまで向かう。時刻はすでに、夜の十一時を回っていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……ただいま」

「おかえり、父さん」

「ん? ……玄斗か」

 

 それから父親がリビングに入ってきたのは、三十分を過ぎるかどうかという頃だった。こちらを見るなり薄く微笑んで、鞄をソファーへ放り投げる。ネクタイを緩めてふうと息を吐く姿に、大分疲れているだろうことは予測できた。

 

「悪いな、遅くなって。母さんは?」

「もう寝てるって。真墨は勉強」

「勉強? あいつがか。いらんだろう」

「……たしかに、そういえばそうだった」

「逃げたな……」

 

 反抗期の娘め、と冗談交じりの舌打ちと共に父親が椅子へ座る。聞いたところによると中間管理職ほどの地位についた父親は、こうして時たま帰りが極端に遅くなる。平常時でも七時は回っていたりするので、そこはなんともなところだが。

 

「……もうちょっと早く帰ってきてもいいんじゃない? 母さんも愚痴ってたよ」

「む、そうか。……俺としちゃあ七時もかなり早いんだがなあ……」

「え、そうなの」

「まあ定時は五時だから大分だな」

「遅いよね……」

「遅いな……」

 

 まったくもって敵わん、と肩を落とす父親をよそに、玄斗は冷蔵庫から母親の用意した料理を取り出す。ラップをかけて放り込まれたものだが、レンジで温めればそこそこの味は保ってくれるだろう。炊飯器の保温は切っていなかったので、ご飯はそこから取ることにした。

 

「……おまえも立派になったなあ。昔はどうなることかと思ったが」

「そう?」

「ああ。なんたって泣かない子だったからな。そんなのが長男だ。もう俺も母さんも慌てふためいて……」

「……たしかに、そんなに泣かなかった……のかな……?」

「ああ、まったくだよ。普通はもっと泣くし、夜泣きなんてロクに寝られなくなるんだぞ? 子育ては大変なものだって染み付いてたから余計にだ……ま、その分なのか知らんが、真墨はぎゃーぎゃー泣いてくれたが」

「ああ、泣いてた泣いてた。あの頃は可愛かったね」

「なにをいう。いまも可愛いだろう」

 

 自慢の愛娘だ、と胸をはって言う父親がなんだか面白かった。仕事熱心なくせに、公私を分けるのが上手いが故だろう。なんとなく、玄斗もつられるように笑った。

 

「そうだね。真墨はいまも可愛かった」

「ちなみにおまえは可愛くないぞ」

「いや、それぐらい分かってる」

「――かっこいいだ。父さんに似て引く手数多と見た。なにしろ俺はこれでも医大生でな。若い頃はそれはもうモテたもんだ」

「……知ってる、何回も聞いたよそれ」

 

 あの頃は青かったなあ……と遠くを見る父の姿はどこか幼かった。はっきり言えば子供っぽさがある。もう四十を過ぎるというのにその少年心はどうなのかと思わなくもないが、いつまで経っても少年の心を忘れないのが男だったか、なんてどこかの言葉を思い出した。まあ、たしかに、言えているかもしれない。

 

「でも、医者にはならなかったんだよね」

「まあな……いや、母さんと出会う前ならぜんぜん良かったんだが……なにぶん勤務時間がなあ……」

「……いまでもこんな遅くなるんなら大して変わらなくない?」

「ばかおまえ、変わるぞ。本当、医者なめたら駄目だぞ。まあ父さん医者は嫌いだが」

「目指してたのに?」

「おう。他の医者が気にくわないから俺がなろうとしてた。それだけだ。いまは一般企業で働くサラリーマン……落差だろうなあ……」

 

 いまいちどため息をつく父親の背中に哀愁を垣間見た。中間管理職。それは世間において胃薬が手放せなくなる役職として色んな意味で有名だ。実際そんなコトになるのかと言うと、絶対にないと言い切れないあたりが社会の闇を表していた。

 

「…………、」

「っと、できたよ。はい、あとご飯とお茶」

「ん、すまん。……なあ、玄斗」

「? なに」

「……いや、なんでもない。ちょっと、昔を思い出してな」

 

 浸ってたんだ、と父親は不器用に笑った。その顔がどこか泣きそうに見えたのは、偶然か、それとも真実目の錯覚であったのか。玄斗にはいまいち、判別がつかなかった。

 

「――ん、うまい。やっぱり母さんの料理は天下無双だな」

「……天下一品じゃなくて?」

「どっちも同じようなものだろう? ちいさいことを気にするな。みみっちい神経質な男になるぞ」

「父さんの息子だからそうはならないよ」

「……だから心配なんだが」

「?」

「いいやなんでも。なんでもないが、なんでもある。……うん。ないのにある。不思議だ。はっはっは……あるもんだなあ、玄斗」

「……えっと、なにが?」

「なんでもないものが、だ」

 

 そう言って笑う父親の言葉は、いまいち理解できなかった。





>玄斗くんがカッコイイ……?

父親は超絶イケメン。それでいて一途。


>泣かない子

やめろ、文章の粗を探るんじゃないっ 矛盾とかはそっと目を閉じてほしい……


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四章幕間:彼女のウラガワ ~シアワセの話し合い~

黄色ちゃん一先ず満足いくところまでは書けてよき。


 静かな部屋に、鉛筆を走らせる音だけが響く。居るのはふたり。ベッドに寝ている色素の抜け落ちた髪の少女と、椅子に座る音の発信源となった明るい金髪に染めた少女。その間に会話はない。ただ、だからといって刺々しい空気は、欠片として存在もしていなかった。

 

「……三奈本さん」

「…………、」

「三奈本さん」

「っ、あ、うん。ごめん……なに?」

「……ずいぶんとご熱心に。なにを描かれているんですか?」

「えと……」

 

 と、そこで視線を泳がせながら黄泉は言い淀んだ。対して少女がはて、なんて首をかしげる。コミュニケーションの苦手な人間同士。繋がるものこそあれど、だからといってなにか改善するわけでもない。もっとも、会話が苦手なのは彼女たちふたりに限った話でもないのだが。

 

「……その、せんぱい……」

「せんぱい? ……ああ、黄泉が以前から言っていた殿方ですか?」

「い、いちおう……そう……なるのかな……」

「……そうでしたか。出会えましたか。それは、良いことでございますね」

 

 口元に手をあてて、少女はくすくすと上品に笑う。その仕草はとても様になっているが、黄泉は他のなにかを感じたようで、むっと眉間にしわを寄せていた。

 

「……零奈ちゃん」

「はい。なんでございましょう」

「下手だよ、愛想笑い」

「申し訳ございません。生まれつきですのよ。……わたくし、笑うのが下手でして」

「…………そういうところかも」

「?」

 

 ぼそりと呟いた黄泉の言葉に、零奈が疑問符を浮かべながら笑う。笑うのが下手。それはとても分かりやすい共通点だった。見比べれば顕著だ。十坂玄斗と明透零奈の笑い方は、歪んでいるという意味でとても似ている。

 

「無理やり笑顔……貼り付けてるみたい」

「無理ではないのですよ? ただ……そういう顔になってしまうだけで」

「せんぱいもそうだった……あの人、笑うだけでも、それが染み付いてる……」

「まあ」

 

 親近感が湧きますわね、と零奈は笑った。その顔がまた酷く似ていて、酷く気に障って、黄泉はさらに眉間にしわを寄せる。綺麗に笑えとまでは言わないが、もっと、こう、せめて心の底から笑えるときだけ笑顔を見せてほしいというか。

 

「……あんまり言っちゃうと、駄目だね……」

「別に言ってもいいんですのよ?」

「……零奈ちゃんもそう。一度も笑ったところ見たことない」

「おかしなことを言いますわね。わたくし、先ほど笑いましてよ?」

 

 まったく、と黄泉はスケッチブックにガリガリと鉛筆を走らせる作業に戻った。こっちは余程の重傷である。自覚がある分まだ玄斗のほうがマシだ。無理をして笑うのとは違う。笑えないのに笑うところだから笑おうとする。そんなプログラミングされたロボットみたいな思考回路を人間がしている。黄泉にはその現実が、どうしても見過ごせなかった。好きな人ともなれば尚更である。

 

「零奈ちゃんも一回、せんぱいの笑顔を見たほうがいいかも。たぶん、それで分かるから」

「期待しておきます。写真とかは、ないんですの?」

「……ない」

「あるんですのね」

 

 見抜かれていた。ちなみにちょっとよろしくないものなので黄泉としては一時の気の迷いとして隠し持っていたい所存である。もうあんなコトはしたくないという気持ちも込めて。

 

「ちょっと待ってて」

「見せてくれるんですね」

「……はい。これ」

「これ、って……」

 

 ぱっ、と黄泉が零奈に見えるようスケッチブックを裏返す。先ほどまで彼女がペンを走らせていたページだ。艶のある黒髪の少年が、どこか慣れない感じで笑っている姿が描かれている。なるほど、と零奈はちいさくうなずいた。

 

「……おかわいいですわね」

「……違う……せんぱいはかっこいい……じゃなくてっ」

「違うんですの?」

「ち、違うくないけどっ! ……顔、笑顔っ。変でしょ!?」

「ああ、そちらで……」

 

 ふむふむ、といまいちどスケッチブックをじっと眺めてみる。顔は整っている。無理して笑顔を浮かべている姿もかわいいものだ。その感想に二言はない。ただ、どこか変だというのは零奈もうっすらと理解できた。同様であるのか違うのかはともかく、この少年は自分と同じでなにか欠けているのだろうと感じた。

 

「……総評いたしますと」

「うん」

「変ですが、やっぱりおかわいいと」

「だからせんぱいは……かっこいい……だから」

「……譲れませんの?」

「……、」

 

 こくり、と控えめにうなずく友人に、零奈は「こちらもまあ愛らしいですね」と微笑んだ。実物を見たことがない彼女はこの絵から判断するしかないが、目の前の少女の上手さは十分に理解していた。きっとそっくりなのだろう。これまたその人と会うのが楽しみになった、と零奈は息をついた。

 

「……会ってみたいですわね。一度、お礼も言わなくてはなりません」

「? なんて……?」

「わたくしの友人を救っていただきありがとうございます、と」

「……うん。そのためには、はやく、良くならないとね」

「ええ、ですわね」

 

 短く応えて、沈黙が訪れた。ふたりともが分かっている。最近、少女の治りが良くないというのも、このままでは簡単に願いが叶わないというのも。

 

「……大丈夫、だよね。零奈ちゃん」

「なにがですの?」

「病気……治るよね。ちゃんと」

「……ええ、治りますとも。お医者さまもそう言っております。わたくしはすこし……体が生まれつき弱いものですから。すぐにとは、いかないのですよ」

「……それなら、いいん……だけど……」

「……心配しすぎです。三奈本さん。わたくしはぜんぜん、平気ですから」

「…………っ」

 

 ――思うに。本当に、生き写しかと思うぐらいその場面は似ていた。十坂玄斗の隙間から覗かせた本心と、あるがままの少女の姿。そっくりそのまま、それが重なるぐらいには似すぎていた。であるのなら、ふと、思ってしまったのだ。それをどうにかできるとすれば、彼女を理解できる誰かであるべきで。

 

「……今度、誘ってくる」

「? どなたをですの」

「せんぱい。……ぜったい、零奈ちゃんは、会ったほうがいいと思う」

「まあ……どうしますの。黄泉(・・)。そんなことして、わたくしが惚れてしまったら?」

「いいよ」

 

 きっぱりと。三奈本黄泉は迷わず答えた。だってそんなのは、決まっている。

 

「わたしは別にいいの。せんぱいが本当に笑えたら、それでいい。その隣にいるのは誰でも関係ないよ。決めるのはぜんぶ、せんぱいだから」

「……黄泉は、不器用な生き方をしておられるようで」

「分かってる。でもね、それでいいんだよ、零奈ちゃん」

 

 窓の外を見る。次第に日が傾いて、そろそろ夕焼けが見える頃になっていた。真っ白な病室にはその光景がよく映える。もちろん、それに溶け込むように佇んでいる少女にも。

 

「わたしはね、不幸だから。きっと幸せにはなれないよ。でも、せんぱいは違う。幸せになってもいい人だし、なれる人だから。なら、わたしの願いはひとつだけ。せんぱいが笑うこと。……その隣がわたしじゃなくても、それが見れたらもう、お腹いっぱいなんだ」

「……まったく。あなたのほうがよっぽどでしてよ」

「身の程をわきまえてると言ってほしい」

「それがよっぽどと言うのです」

「…………零奈ちゃんのあほぉ」

「黄泉はそれこそお馬鹿さんですわね」

「…………、」

「…………、」

 

 しばらく睨み合って、どちらともなく笑い出した。黄泉は恥ずかしそうに、零奈は下手だが上品に笑みを浮かべる。会話が下手。コミュニケーションにおいておおよそ重大な欠陥を抱えている。それでも、通じ合うものがあるのだ。すくなくともそれを、黄泉はきちんと理解していた。




というわけで四章終了っ! 五章です。わりと上位に入るぐらいエピローグが似合う人の出番でございます。でもトゥルーエンディング書きたいのはまた別のヒロインという。贅沢な悩みですね(白目)


>明透零奈ちゃん
社長の息子である病弱系薄幸少年をTSさせたら病弱系薄幸社長令嬢になったという感じ。すごいな書いててわたしがいちばん昂ぶってるぞ。


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第五章 緑に染まっても青い春
夏色は自然として


コンセプトはヒロインに選ばれた普通のJKという感じ。……まず普通のJKの定義が謎では……?


 はじめてそいつを見たのは、入学式のときだった。

 

「(うわ、やば……)」

 

 昔から方向音痴で、知らない場所では八割の確率で迷う。そんな自分にとって、はじめての高校とは未知の迷路にも等しかった。なにせどの位置、どの視点でも見覚えがない。あたりまえだ。今年から学校生活をはじめるぴかぴかの一年生。それでいて人に道を訊きながらトイレになんか行ってしまったのが失敗だった。

 

「(完全に迷っちゃったじゃんコレ……初日から最悪……)」

 

 ため息と共に、乱暴にポケットへ手を突っ込みながら廊下を進む。人の気配はない。入学式がはじまるまではたしか五分を切ったぐらい。とてもじゃないが、この調子で出席できるとは思えなかった。

 

「(てか本当ここどこ……校舎広すぎだし……)」

 

 もうなんなの、と思いながら歩いていると、ふと覗いた窓からグラウンドが見えた。……もうここから飛び降りてやろうか。しばらく悩んで、やめた。たぶん無事では済まないだろうし。スカートとか舞い上がってパンツ見られたら最悪だし。行き先がどこへどう繋がっているかも分からないまま、黙々と廊下を進む。

 

「(……ん?)」

 

 と、そんな風に途方に明け暮れているときだった。

 

「(靴……音……?)」

 

 カツカツと、勢いよく駆け上がってくる音を聞く。なんだろう、と足を止めて耳に意識をそそいだ。音は速い。それこそ何事かと言わんばかりの速度で近付いてくる。厄介事か、ただ事ではないものか。絡まれたりしたら嫌だなーなんて考えてそっと隠れようとした直後――

 

「――っ、いた!」

「っ!!」

 

 大声で言われて、思わず肩が跳ねた。振り返れば綺麗な濡れ羽色の髪をした男子が、肩で息をしながら壁に手をついている。相当必死でここまで来たのだろう。……ちょっと、間近で見てドン引くくらいの光景だった。

 

「……え、えと……なに?」

「なに、じゃない……五加原さん、だろう……?」

「え? あ、うん。てか、なんで名前知って……」

「もう入学式がはじまる。遅れたらまずい。行こう」

 

 なんて。彼は必要なことだけ突きつけて、当たり前のようにあたしの手を握ったのだ。

 

「……っ!?」

 

 どうにも、不思議な感覚だった。強引に連れていって、急いで走っているくせに、握る手のひらからは柔らかさが伝わってくる。夢中といった感じで駆け抜けていくのに、ときたまこっちを見てくるのもそうだ。あまつさえ、髪色を見てそっと目を逸らしたのも。……たしかに、まあ、原色に近い緑はアレかもしれないが。

 

「そ、その……っ」

「ごめん。要求なら手短にお願いしたいんだ。ちょっと、本気でまずい」

「……っ、あの、ありがとうっ。わざわざ」

「これぐらいなんてことない。入学式も出られないとか、ちょっと、あれだしね」

 

 そう言って、目の前の男子はふり向きながら笑った。……ああ、本当、思い返せば軽すぎるほどだ。自分で勝手に迷子になっていたところを助けられて、勝手に勘違いしてそのまま引き摺っている。でも、しっかり分かっているのだ。勘違いだったとしても、きっと彼の願うものが遠くへあるとしても。

 

「…………、」

 

 あの日に見た彼の背中は、たしかにあたしを連れていってくれるためのものだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 梅雨も過ぎた七月の初旬。全国的な暑さが報道されるなか、調色高校も同じくうだるような熱気のなかで学校生活を過ごしている。もっとも教室にはエアコンが設置されているので、座学となる授業中は快適だ。問題は課外授業だったり体育だったりするところで、当たり前のように数人ほど熱中症で倒れたとの報せも出回るぐらいだった。

 

「(暑い……)」

 

 時刻は昼休み。玄斗たちの二年B組は四限目が体育で、さすがに水分補給のひとつもしなければ昼食も喉を通りそうになかった。群がっていた生徒の波が引いてきたところで、こうして玄斗も自販機へと向かっているワケである。

 

「(失敗したな……水筒ぐらい持ってくればよかった)」

 

 財布事情をとくに気にするわけでもないが、やはり自前のモノがあるのとないのとでは違う。なにより心持ちの問題だ。明日からは持ってこようと胸に秘めながら視線をあげると、不意に目的地にいた人物と目が合った。

 

「……五加原さん」

「……ん、十坂も飲み物買いに?」

「そう。さすがに、堪えてね」

「だよねー……あたしもこの猛暑は本当だめ」

 

 もう参っちゃうよ、と苦笑する碧に苦笑で返して、自販機の前に立つ。水かお茶かの二択で迷って、結局水にした。スポーツドリンクのほうがいいのだろうが、なにより玄斗にとっては飲み慣れているものなのがいい。くるりと踵を返してみると、碧はその場を離れずに三歩ほど後ろで律儀に待っていた。

 

「……水、水かあ……なんか、十坂らしいね」

「そうかな。……そうかも」

「うん。なんていうか、ほら。十坂って、良くも悪くも清涼感あるし」

「……褒めてる?」

「褒めてる褒めてるっ♪ じゃ、ほら……えっと……あー………………教室、帰る?」

「? うん」

 

 なんだか言い難そうな碧の言葉にすんなりとうなずいて、玄斗はペットボトルを片手に歩き出した。なんとも思っていないのだろう。碧は知らずほっと息をついて、その後ろをついていく。……一歩ほど斜め後ろについていくのは、なんとなくである。

 

「てかさ、この前の……あー、三奈本ちゃん? どうなったの」

「どうもなにも……うん。普通に」

「いやいや……普通って……いやあ……?」

「……なんでもなかったんだよ。本当にあれは。でも、色々とアドバイスとかはもらった。凄くタメになるようなことを沢山」

「年下からアドバイス……」

 

 それはアリなのだろうか、と思う碧だったが、玄斗のコトだからそんな安っぽいプライドもないかとすぐに納得した。年下年上それこそ性別も関係なく、彼なら誰からの助言も素直に受け入れそうなものだ。

 

「でも、そっか。そういう関係にはならなかったんだね」

「そういう……ああ。うん。そりゃあ、まあ」

「……ちなみに、なんで?」

「余裕がないんだ。あれこれ手を伸ばしてるようなものだから。しかも慣れてない。そうすると、三奈本さんの気持ちに応えても良い結果にはならないと思うから」

「……そっ……か。それも……なんか……十坂、らしいね」

「情けない話だとは、思うんだけどね」

「あはは……」

 

 ぎこちなく笑って、碧はふと彼の背中を見た。……見え方は、同じ。ただあの時とは違って、手は繋いでいないし、どこかへ連れていってもらっているわけでもない。ふたり一緒に同じ方向を目指している。それはたぶん、ちょっと、心が浮つくようなコトなのに。

 

「……十坂、さ」

「うん」

「昔……あ、あたしらが、入学したときにさ……体育館まで連れてってくれたの、覚えてる?」

「ああ、覚えてる。あのとき、直前になっても一人足りないってざわついてて。ふと見てみたら、校舎の窓に人影が見えたからね。すぐに走れば追いつけると思ったし、実際なんとか間に合った」

「だ、だよね……! あたしも、もう駄目かと、思ってたのに」

「危なかったのはたしかだけど。……そういえば、それで思い出したけど」

 

 くるり、と不意に玄斗がふり向いた。予想だにしていなかった動きに、碧の足がぴたりと止まる。おかげで視線がばっちりぶつかった。しかも結構な距離で。

 

「な、なに……?」

「いや、髪。昔はもっと明るかったよね」

「! う、うん……あんまり、派手目だと……その、ね? 色々と都合も悪いし……控えめのほうが、いいかなー……って……」

「そうなんだ」

 

 なるほど、なんて納得した様子の玄斗。入学当初の碧の髪色はその名の通り目が眩むような明るさの緑色だったのだが、いまは光の当たり方で見えるかどうかのほぼ黒髪なぐらいにまで落ち着いている。名残といえばウェーブのかかった髪質と、ひとまとめにした髪型ぐらいなものだった。

 

「……うん。やっぱり似合ってると思う。五加原さんに」

「そ、そう……?」

「まあ、僕の主観だから……あんまり頼りにはならないだろうけど」

「そ、そんなことないって! あ、ありがとう……ね。すごい、嬉しい……から」

「なら良かった」

 

 ゆるく微笑んで、疑問も晴れたと言った風に玄斗は歩みを再開した。碧もそのあとを追うように、歩幅を大きくしながらついていく。

 

「(……き、気がついてた……っ!)」

 

 ちょっとした、乙女心をせいいっぱい抱えながら。些細な変化を見過ごしていなかった彼の後ろを、若干うつむき気味に歩いていく。……今日は本当に、暑い日だ。




玄斗「(ゲームと髪色が同じ……すごい、本当にあるものなんだ)」

碧「(も、もしかして派手目の色とか嫌……なのかな……?)」



そんな感じで五章です。無印勢ラストスパート開幕でもある。……だめだ厄介なヤツらしか残ってねえ……!


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砕けた硝子

いままでのヒロインの努力が実を結んで十坂玄斗が完成しました! おめでとうございます!


 

『日直だから先に行く。ごめん』

『いいよいいよー。いってらっしゃいー』

『……新婚さん?』

『ばか』

 

 そんな白玖とのメッセージでのやり取りもありつつ。玄斗は朝の学校に着いた。朝練のある運動部は元気に活動しているが、それ以外はまったくもって静か。一般生徒の登校時間を迎える前の校舎は、どこか夜に近い閑散とした空気が残っていた。

 

「(暑くもないし、これぐらいがちょうどいいのに)」

 

 思いつつも、窓から見上げた空には爛々と輝く太陽が昇りかけている。背景には雲ひとつない青空。とてもじゃないが、連日にならって猛暑日となるのが目に見えていた。すこしだけ憂鬱な気分になりながら、一階をすぎて二階へ。二年B組の教室はちょうど階段側からふたつほど離れたところにある。上りきって廊下を曲がってみると、ふと、教室の前に誰か立っているのが見えた。

 

「……あ」

「……ん。十坂」

「おはよう、五加原さん」

「おはよ。……早いね」

「うん。日直だから」

「ふーん………………え?」

「日直なんだ」

 

 繰り返すように言うと、携帯を弄っていた碧の手が止まった。なんだか信じられない事実に震えているようにも見える。大丈夫だろうか、なんて玄斗がいらぬ心配を抱く。

 

「……と、十坂、が……?」

「そうだけど。……そういう五加原さんは、どうして?」

「い、いや、あたしも……日直……」

 

 ああ、と得心いったように玄斗はうなずいた。そういうことか、と完全に理解した様子である。

 

「じゃあ今回のペアは五加原さんとってことなんだ。今日はよろしく」

「あ、う、うん……よろしく……あ、あは……あはは……!」

 

 笑いかけると、碧はさらに挙動不審になった。笑顔が引き攣っている。ともすれば黄泉に下手だ下手だと散々言われた自分の笑顔よりも様になっていない。本気で大丈夫だろうか、なんて天然野郎は考えた。碧からすれば余計なお世話である。

 

「日誌と鍵だけ取ってくるよ。ちょっと待ってて」

「! わ、わかった! えと、に、荷物は見張っとく!」

「……ありがとう。すぐ戻ってくるから」

 

 言うと、玄斗は鞄を置いて急ぎ足で廊下を駆けていく。繰り返すように、朝の校舎は静かだ。とても閑散としていて、壁一枚隔てたグラウンドから聞こえる運動部のかけ声も、どこか遠い響きになって届いてくる。普段とは違った学校、普段とは違った雰囲気。そして、普段とは違った邂逅。教室は鍵があいていない。ということは、まだ誰も登校していないということになる。

 

「(……と、十坂と、ふたりっきり……っ!?)」

 

 その事実に気付いた瞬間、碧の顔は湯気が出そうなほど熱くなった。偶然重なった日直が、いつもなら面倒だと思うはずのコトすら忘れさせてくれる。どきどきと、高鳴る心臓がうるさくてしょうがなかった。なにせ、校舎はとても静かだ。そんななかで音をたてる鼓動は、沈むような空気のなかで浮ついて、どこまでも似合わない。

 

「(……だ、大丈夫かな……あたし。変じゃない……よね……?)」

 

 容姿にはいちだんと気にかけているつもりだ。入学式の日に奇抜な髪色から目を逸らされて以来、彼が苦手とするようなモノはとことん避けている。どうすればもっと近付けるのかとか、自然と話せるようになるのかだとか。考え続けてぜんぜん進まなかった一年時とは大違い。最近はすこしだが、何気なしに話すことも多くなった。これ以上はない。

 

「(……でも)」

 

 望むべきではないとしても、その先を夢想してしまう碧なのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 調色高校二年B組の日直は、基本的に二人一組のランダムで選ばれる。ひととおり出席番号順に回した後、担任の教師が思い付きではじめたことで、選出された生徒は前日に黄色いメモ用紙を担任から手渡されるのだ。通称イエローカード。ホームルームなんかでそっとそれを机のうえにおかれた生徒が、「まじかよー!?」なんて声をあげるのは若干このクラスの名物と化していた。

 

「…………、」

「…………、」

 

 そんなワケで、大した反応をしなかったぼんやり男子と、大した反応をできなかった恋する乙女は、お互いが選ばれたとは気付かずこうして朝の仕事に取り組む羽目になっている。玄斗はとくに気にした様子もなく黒板を綺麗にして、その間に碧が日誌を書いていく。白墨(チョーク)で汚れるから五加原さんはいいよ、と譲らなかったのは彼なりの気遣いだろうか。

 

「(……別に、十坂となら一緒にしてもよかったのに)」

 

 そう思いつつ、碧は律儀に日誌をつけていく。その優しさが良いなと思う反面、きっと誰にでもそうなのだと思うとちょっと複雑な気分でもある。別に、十坂玄斗は誰のものでもない。誰に優しくしたってそれは彼の勝手だ。けれど、納得いかないのは自分自身の問題なので、どうにもため息をつきたくなると碧は肩を落とした。

 

「……あ、十坂。授業のあいさつ、どうする?」

「? あいさつ……そっか。僕は、どっちでもいいけど」

「じゃああたしが最初やろっか。十坂が終わりね」

「うん。分かった。……ありがとうございましたで良いんだっけ?」

「そうそう。……この前に木下が「あざざっしたー」とか言って怒られてたから、そういうのはやめておきなよ?」

「ああ、あれは面白かった。鷹仁らしいのがとくに」

「まあらしいけどさー……いやー……あのチャラさはないわー……」

「……かもね」

 

 ふたりしてクスクスと笑いながら、日直の仕事を片付けていく。どこか街中のすこし大きな屋敷の一室で、ちょうど制服を着こんでいた男子が「へっくし! ……誰か噂でもしてんのか」なんて漫画みたいな反応を示していたことは誰も知らない。ちなみにレパートリーは案外豊富で、玄斗的には六限目の古文で言った「いとありがたし」がイチオシである。使い方の問題でそのあと教師に呼ばれていたが。

 

「…………十坂ってさ」

「うん」

「その……好きな人とか、いないの?」

「好きな人」

 

 あはは、と笑いながら訊いてくる碧の質問に、玄斗はカラリと窓を開けながら考える。早朝の空気は日差しのせいもあいまって寒いというよりは涼しい。むしろ若干暑いぐらいだった。両手にラーフルを持ってぱんぱんと叩きつつ、ぐっと頭を回してみる。

 

「……それは、恋人的な意味で?」

「う、うん……まあ、そうなるの……かな……」

「じゃあ、いない」

 

 きっぱりと。さも当然といったように玄斗は答えた。悩むどころか選択肢すら見せない潔さに、カリ、と碧の手が止まる。

 

「へ、へえー……壱ノ瀬さんとか、美人だし、いつも一緒に居るし……その、そうなんだと思ってた」

「違うよ。白玖はたしかに好きだけど、そういう対象かって言われるとそうじゃないって思う。だいいち、僕にそういうのが、ちょっと、似合わないって最近は思ってきた」

「……最近はって……昔は、どうだったの?」

「考えたこともなかった。それでも、考えるようになってくると、うまく想像もできない。だからたぶん、似合わないんだろうね。……誰かがそうやって隣に立ってくれるのは、それこそ贅沢すぎて駄目だ」

「…………、」

 

 自分として考えて生きる。そう言われて、そうしてみて、気付いたことは沢山あった。いままで無意識のうちに考えていたコトに理由を付ける。そうしてみると、案外自分にはきちんとしたものがあったのだと知ることができた。だからこそ、答えも半ば決まってきたようなもので。

 

「結び付かないっていうか……なんというか。誰かと笑うって、それだけでもかなりなものなのに。ずっと隣で、お互いを想い合って、ってなると……大変だ。とても。でもって、きっと幸せなんだろうね」

 

 ――そこまでは要らないかな。言外に、玄斗がそう告げているように碧は見えた。彼が彼として生きるのなら、たったひとりで歩いて抱えるぐらいでも十二分。そういうことなのだろう。……それがどんなに、孤独で、寂しくて、見ているこちらが手を伸ばしてしまいそうなほど悲しい道でも。

 

「資格のあるなしなんてのも、ないんだろうけどね。……でも、違うとは思う。たとえば僕が好きな誰かと想いが通じて、結婚して、子供が生まれて、家庭をつくって……おだやかに暮らして、そっと息を引き取るって思うと、ぞっとしない」

「…………なんで?」

「ありえないから。そんな良いこと(・・・・)、僕に起きていい奇跡じゃない」

 

 結局、そうなのだ。どれだけ考えても、どれだけ頭を働かせても、本質的には歪みない。幸せのカタチがぼんやりと見えてきて、黄泉からすれば「……ちょっとは、うまい、ですけど……」なんて評価も貰ったが、そうしてもなお不変なものはあった。きっと、そう。生まれついたときから、もしくは、死んでしまったあの瞬間から。

 

「僕自身が許せないって、はじめて分かった。そのとおりだと思う。だからこれはエゴなんだ。そうじゃないといけない。……ちょっと馬鹿みたいな笑い話をするけど」

「わらい……ばなし……」

「うん。――僕はね、五加原さん。誰よりも僕が幸せになることが、嫌いなんだ」

「――――、」

 

 それの、どこが、笑い話なのだろうか。

 

「分かるほどだった。……気付かせてくれた三奈本さんには感謝しないといけない。ちいさなことも、大きなことも、考えて理解していけばいくほど、ふとした瞬間に、それを目の当たりにした自分の首をしめたくなる。たったそれだけなんだけどね。よう(・・)は」

「……なに、それ……」

「……ごめん。朝から気分の悪い話だった。いま言ったこと、忘れて。ちょっと風に当たってくる」

「っ……ま、十坂――――」

 

 言うが早いか、玄斗はすぐに教室を出ていった。別に、特別走ったり、勢いよく出ていったわけではない。当たり前のように、すんなりと彼は歩いて廊下へくり出した。なんともないように、なんでもなかったように。

 

「(なん、なの――それ……)」

 

 浮いた腰を椅子に直して、碧は呆然と力を抜いた。握っていたシャーペンがころんと転がる。虚しくも、教室にはただひとり。

 

「(それじゃあ……十坂……)」

 

 〝それを目の当たりにした自分の首をしめたくなる。〟

 

 つまり死にたくなるということなのだと、碧は理解しきった。暗い感情と共に死にたいと思うことなら、誰にだって一度は経験があるはずだ。もうこれ以上ないというところで、いっそ命を断ったならと苦悩することだって。けれど、彼は違う。あたりまえのように生きて、あたりまえのように前を向いて、そうしてあたりまえのように幸福(ソレ)はいらないと切り捨てた。それは、なんて。

 

「(誰も……誰も、幸せになれないじゃん――――)」

 

 ……なんて、愚かなことなのだろう。






というわけでネタばらし。たしかに明透零無を引っ張り出して、自分として生きろと叩き付けて、幸せはこうなんですよと教えたけど、その実どっかの誰かさんの本質は一切歪み無かったという話。

自己評価低いが故にまっとうな感性とまっとうな思考回路を与えたら「自分が幸せになるとか駄目じゃないか?」なんて結果に行き着いたよ、おめでとう。HAHAHA



まあなにが悪いかって言うと、いままでの無印勢がこいつに優しすぎたせいです。むしろこいつ自身をガンスルーして気持ちぶつけたほうが勝率高かったという。そのための五番手ちゃんだよさあ頑張ろう。そろそろ花瓶ごとたたき割れるなあ!


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くたばって死ね

スーパー鬱タイム()


 

「…………、」

 

 分からないものだ、と玄斗は屋上でため息をついた。らしくもなく落ちこんでいる。以前までならまるで気にならなかったことで引き摺れるようになったのは、すこしの進歩と思っていいものかどうか。ついといった風に出てしまった本心は、きっと他人に明かすべきではなかった。自制できなかったのは偏に己の弱さだ。隠すという気持ちが出る前に、言葉にしていた。そんなコトをしても、なんの意味もないというのに。

 

「……大馬鹿者だな、僕は」

 

 呟いて、また一段と落ちこんだ。そんな思考回路をしている自分自身にではない。ただ、それを誰かに言ってしまったという事実に落ちこんでいる。とてもじゃないが、口にするようなモノでもないと分かっていたはずなのに。

 

「(五加原さんも迷惑だろうに。こんな……しょうもない誰かの、一円にもならない気持ちなんか聞かされて)」

 

 はあ、ともういちどため息。見上げた空は青い。次第に日が昇ってきている。ふと、下から粒のように声が聞こえてきた。生徒が登校してきたのだろう。もうそんな時間かと思って腕時計を見ると、たしかにそれぐらいなものだった。

 

「…………、」

 

 気分は最悪だ。それこそ、このまま学校をバックレてしまおうかと思うぐらいに。考えれば考えるほど、まともな常識に則れば則るほど思い知らされる。自分なんていう人間が果たしてまともに生きて良いものなのかと。……くり返し、言い聞かせるように答えを掴まされた。

 

「なにもない……なにもありはしない……」

 

 空に伸ばした手は、文字通り空を切る。そのとおりだ。自分という生き物にはなんだってなくて。だから、生きているだけで迷惑になる。たとえば四埜崎蒼唯は、彼という存在がなければ無駄に悲しまなくて済んだ。たとえば二之宮赤音は、彼に固執しなければ鮮やかに見事なまでに綺麗な生き方をできていた。たとえば三奈本黄泉は、彼と出会わなければ好意を無碍にされることがなくて済んだ。ぜんぶがぜんぶ、零無(おまえ)がいなければ済んだ話だ。その途中になにかを与えたとしても、きっとプラスマイナスでマイナスに振り切っている。もとより、価値なんて最低だった。

 

「(……ここから飛び降りたら楽かな。きっと、楽だろう)」

 

 強い風を浴びながら、眼下を眺める。一瞬だ。痛みで苦しむ余裕すらないだろう。それはとても、魅力的に見えた。楽だ。幸せだ。いますぐ飛び降りれば、この現実から救われる。――けれど、それは、できない。

 

「(逃げるなんて、できない。僕は一生、この状況と向き合わなくちゃいけない。迷惑でも生き続けなきゃいけない。死ぬのは、逃げだ。ひとりだけ楽になろうとしてなんになる。……まだ、なにも答えを出せていないのに)」

 

 死ぬと楽だから。そんな理由で、命を繋いでいる。馬鹿らしかった。けれど考えるほどに、それ以外の理由がなくなっていく。なにせ死んでしまえばぜんぶリセットされることを、明透零無は経験している。そのうえでまだ生きている。本当に、憐れな生き物だろう。

 

「(生きるのは辛い。幸せになるのは、もっと辛い。なんで僕なんかのために、誰かの恵まれた人生が左右されなくちゃいけない。……そんなコトですら、前まで気付かなかった。最低だ。こんなの、もう、意味が分からない――)」

 

 そうだろう。すべて己の責任だ。ぜんぶ背負うなら自分がやるべきだ。そうして片付けてから、ひっそりと、苦悩の果てに死ぬのが似合っている。見たくもないものを見て、したくもないことをして、それでもなお死ぬのは最後の最後。でないと、意味がない。

 

「(意味……意味って、なんだろう……)」

 

 生きる意味。考える意味。行動する意味。死ぬ意味。分からない。でも分かっていることはある。明確にするのはそこだ。――生まれてくるべきではなかった。本当にそうだ。最初から自分という人格を消して、そのうえでやり直せたなら、きっと誰もが幸せになれていたのだろうに。

 

「(でも、手遅れだ。気付くのも、動くのも遅すぎた。……なら、せめて、片付けぐらいは……しないと)」

 

 ずるずると立ち上がる。いまにでも終わらせたい。これ以上は時間の無駄だと考えた(・・・)。二之宮赤音の誘いと好意を断って、三奈本黄泉に感謝と謝罪の気持ちを伝えて、四埜崎蒼唯に嬉しさと真実を突きつける。簡単だ。どこまでも簡単だ。さあ、いまやれ。すぐやれ。即座にやれ。――そうしてその後に、惨たらしく死ね。

 

「(誰だ……そんな、酷いコトを思ってるのは……)」

 

 〝ああ――僕か。〟

 

 気付いて、嗤った(・・・)。はじめて嗤った。十坂玄斗は、心から、己の在り方を理解して、本当に嗤えてしまった。自分というニンゲンは、なんとも、面白いぐらいに――

 

 〝歪んでいる。〟

 

……ハ

 

 嗤う。おかしくて、可笑しくて、オカしくて、くつくつと喉が鳴った。面白いものだ。変なものだ。狂っているものだ。普通に見れば分かりきっている。こんな、壊れ果てたニンゲンの――どこに、価値など、残っていたものか。

 

あはは……ふ、ふふふ……っ!」

 

 涙は出なかった。なにせ泣く理由がない。涙を流す意味が見当たらない。たかだか低俗なニンゲンが低俗な理由に気付いただけ。なにを泣く? 否、なにも。だってそれは、嗤うしかない状況なのだから――

 

はははは……っ、あー……本当、おかしいよ、ぼく(おまえ)

 

 手すりを掴んだ。飛べるか。否、否、否。飛べるものか。それは後だ。まだ時期ではない。それまでは死んではならない。ぜんぶの責を背負って、ぜんぶの要らないものを背負って、なにも繋がりすらなくなったとき。――はじめて、命を落とせるのだ。

 

「……そもそもぼく、どうして、こんな風になったんだっけ

 

 〝ああ……まあ、それも、どうでもいいか。〟

 

 どうせ先に終わる命だ。それこそ意味がない。くるりと振り返って、玄斗は屋上の出口へ足を向けた。――そんなとき。

 

「……十坂」

「……なんだ、五加原さんか」

 

 脅かさないでくれ、といつもの調子で少年が言う。扉を開けた緑髪の少女は、おそるおそると言った様子で屋上へ足を踏み入れた。

 

「あ、あの……さ……さっき、言ってたコト……なんだけど」

「……それは本当にごめん。ぼくのせいだ。あんな空気にしちゃったのは」

「そ、そっちは……どうでも、良くて。その、大事なのは……」

「大事じゃないよ。それは」

「――――え?」

 

 するり、と玄斗は碧の横をすり抜けた。さも自然と。彼にしては珍しく、とても人間らしい仕草と共に。

 

「…………とお、さか?」

「ごめん、本当に。でも気にしないで。ぼくは平気だから」

「なっ……なにが、平気……な、わけ……っ!?」

「? なにって……そのとおりだけど」

 

 おかしい? と玄斗は首をかしげながら訊いた。おかしくはない。その動作は自然だ。ただ、その黒い瞳に不穏な色が混じっていた。まるで――いいや、すでに、死んでいるような色のない瞳――。

 

「お、おかしいよ……! 十坂はっ……」

「……どうだろう。どこらへんが、そう見えるのかな」

「みっ、見えるか、どうかじゃなくて……!」

「じゃあ、大丈夫。ぼくは……いいんだよ。どうでも」

「――――っ」

 

 足音が遠ざかる。逃げるように横から抜けられていく。捕まえたわけでもないのに、碧はそんなモノを思った。わけが分からない。なにもおかしくはない。ただ、これは勘にも近かった。一年間、十坂玄斗という少年を盗むように見ていた成果かも分からない。秘めた恋心故のものなのかも不明なまま。――気付けば、勢いよく屋上のドアを閉めていた。

 

「……五加原さん……?」

「……ちがう……っ」

 

 なにが? 自分で問いかける、五加原碧はただの少女だ。別に、以前彼のもとに集まっていたような、なにか特筆したコトのある人間ではない。二年B組出席番号十二番、美化委員会および女子硬式テニス部所属。それが彼女のつまらない肩書きである。

 

「わかん、ないけど……さ……」

「…………、」

「違うよ……いまの十坂は、だめ。きっと、ひとりにしちゃ」

「……なんだい、それ。大丈夫だよ。僕はいつでも」

「だめっ!」

 

 ビリビリと、響くぐらいの叫び声だった。さすがは運動部、なんて感心している暇もない。碧はスポーツ経験から目が良い。蒼唯のように裏付けされた予測と順序立てた理論で結果を出すのでも、赤音のようにそも人の心を読み取るのに長けたカリスマ性でも、黄泉のように人並み外れた感性で判断するのでもなく。些細な変化と、見慣れたものとの差異。その事実に一瞬で手が伸びた。じっと、玄斗の瞳を碧が見る。

 

「……わかんない。わかんないよ。十坂のこと。ずっと前から、ぜんぜんわかんない」

「……じゃあ」

「でもっ……でもさあ……だからってそれは、違うよ。あたしさ、十坂が知らないぐらい、十坂のこと知ってるから……」

「…………、」

「やめて、ほしい。……十坂」

「……なにを?」

「だ、だからっ……」

 

 ああ、とか、うう、と碧は言い淀む。分からないと彼女は言う。ならばと出した答えがやめてほしいと言葉で固まる。とても、あやふやなモノだった。

 

「……――――っ!!」

 

 そうして唐突に、がばり、と。

 

「………………五加原、さん?」

「だっ……だ、大丈夫……だから……っ」

「えっと、いや、なにが――」

「いいからっ……いいから、このまま、ちょっと待って……もう、ちょっとだけ」

 

 ぎゅっと腰に回した手に力を込めながら、碧は玄斗とふたりして地面に座り込んだ。言うに、奇跡があるとするのならこういうことを言うのだろう。ヒントにすら手をかけていなかった少女だとしても、偶然で不意にそれが手にかかることもある。五加原碧は、そうして、たしかな感触を掴んでいた。





>玄斗くん壊れすぎじゃない?

自覚した瞬間に決壊しました。やったぜ。


>これ普通のJKに対処できる案件……?

むしろ彼女以外に適任がいない。




まあ過去の影響からひび割れちゃってたやつに「こうだよー」って答え教えてやれば「そういうことなのか」って受け入れて真っ直ぐ育ってきた途中で折れるよねってことです。だって土台からアレですし。むしろうまく行くわけがないですし。

……うん壊してないよ直した結果がこれだよ。はい。


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緑色に包まれて

これが書きたくて五章は本当うずうずしてました。だから筆が乗るのも仕方ないんです。


 甲高く、チャイムの音が響いた。これで、もう何度目になるだろう。空高くのぼった太陽は、すでに朝から遠ざかっているコトを示していた。日差しは強い。真夏のような暑さだが、今日は風がある。屋上なんてそれこそ吹き荒ぶほどだった。前髪がもっていかれそうになって、ふと動かした腕が固まる。……動かすことが、できなくて。

 

「……五加原さん」

「…………、」

「五加原さん」

「…………あ、うん! ……な、に……?」

「もう、二限目が終わる」

「あ……」

 

 ちら、と覗いた腕時計は、やはりというか大分時刻が過ぎていた。遅刻も遅刻、大遅刻だ。厳密に言えば校舎内には居るので遅刻とも違うが、授業には完全に遅れていた。ホームルームを過ぎ、一限目を過ぎ、いま二限目も過ぎた。これじゃあ不良学生だ、なんて玄斗は思いつつ息を吐く。

 

「そっか……もう、そんなに……」

「うん。……その間、ずっと、抱きついてたから分からなかった?」

「そうかも…………そう、かも?」

 

 んん? と碧がすぐ側でこてんと首をかしげる。なんだかすこしこそばゆい。

 

「…………うぉわっ!!??」

「っと」

 

 ぎゃん! と凄まじい勢いで跳ね起きた碧は、そのまま一メートルほど後じさった。今の今まで玄斗に抱きついていたという現実が、どうにも受け止めきれていないらしい。それほど必死だったのか、すっかり忘れていたのか。

 

「……危ないよ、急に動いたら」

「や、や! や! や! だだだだって、その、ああああああの、うえぇ……!?」

 

 〝な、なんであんな大胆なコトしたんだあたし――!?〟

 

 わたわたと驚く碧をよそに、玄斗も土埃を払い除けながら立ち上がる。学校……というより授業をさぼるのはこれで二度目だった。校内にいる分今回のほうがマシだろうか。考えて、どちらもサボりであるコトには変わらないとうなずく。授業がどうなっているかなんて、それこそいまはどうでも良かった。

 

「……五加原さんは」

「でも十坂の匂いはちょっと――……あ、うん。えと、えと……なに?」

「……僕の匂い?」

「そ、そこはスルーで!」

 

 なんでもないから! と手を振ってばたばたと慌てる碧。ちょっと玄斗は、香水でもつけるべきかと一瞬悩んだ。

 

「……五加原さんは、どうしてこんなコトしたんだ?」

「いや、そりゃあ……あたしが訊きたいくらいだけど……さ……」

 

 きゅっと、スカートの端を掴みながら、碧は応えた。わけが分からない。それは彼女も同じだ。分からないままに動いて、なんとか繋ぎ止めて、これからどうするか。きっと自分にはうまくできない。あの日に揃った他の四人(・・)みたいに、うまく立ち回って玄斗の隣に立つコトは難しい。ならば、

 

「なんていう、か……このままじゃ、十坂が……遠くに、行っちゃうような……気が、して」

「……別に、どこにも行かないけどね」

「だ、だからっ、そんな気がした……だけで…………そりゃあ、あたしは……十坂のこと、知ってるようで、なんも知らないし……」

 

 彼女の見てきた十坂玄斗は、所詮うわべだけのものだ。その奥底にある本質なんて一切手をかけてすらいない。ただあるのだと知ったのがついさっき。そこになにか大きな問題があるからこそ、手が届かないのだと気が付いた。……で、あるのなら、

 

「……知りたい、よ」

「……知りたい……?」

「うん。……十坂の、こと、教えてほしい。わかんないまま……そのままにして、見て見ぬフリなんてしたくない。だから……」

「……僕のこと、を……?」

「……、」

 

 こくり、とちいさく碧はうなずいた。きっとそれこそが彼女の願いであり、本心だったのだろう。紅く染まった顔を隠すように俯いて、必死になにかを堪えるように、スカートをきつく握りしめている。――なんて、強い姿だろう。

 

「……いいか。もう。五加原さんになら」

「え……?」

 

 だから、すこしだけ鍵を開けてしまった。そも、見せるつもりも聞かせるつもりもなかった話を。誰かに見破られても、全容の一切は明け渡さなかった物語のはじめから終わりまで。彼が()であったときの、十六年の生きた証。

 

「……すこしだけ、馬鹿な話をするけど、いい?」

「……さっきみたいな、やつじゃない……?」

「うん。もうちょっと、馬鹿な話」

「…………じゃあ、お願い」

 

 うん、と返すように玄斗もうなずいた。理由なんて様々。もう頭が吹っ切れそうで、はち切れんばかりで、考え抜いた結果に救いがなくて、心なんてはじめから折れていて、ともすれば苦しくて限界だったのかも分からない。ただ――

 

「――五加原さんは、僕が人生二週目って言ったら、信じる?」

 

 そう言葉に出した瞬間。スッと、玄斗の心からなにかが抜け落ちていくのを感じていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ゲーム会社の代表取締役社長である父と、イラストレーターであった母。その間に生まれたのが、明透零無という少年だった。彼が生まれた直後に母親は死んで、父親とふたりだけの生活が続くも、家庭環境は崩壊寸前。必死に繋ぎ止めていた父親も、彼の成長と共に逃げるよう仕事へ走った。そのせいで、ろくな人生を歩めなかった。簡単にまとめてしまえば、こんなコト。

 

「――――、――――」

「…………え? いや……」

 

 玄斗は話した。一生分を優に超えるほど、言葉にした。

 

「――、――――、――」

「いや……うそ。なにそれ……ええ!?」

 

 話して、話して。話しきるまで、とても時間がかかった。なにせヒトの人生一生分。とても一時間や二時間で終わるようなものではない。心に抱えていた自分だけの記憶を、ひとつずつ、ひとつずつ紐解いていく。

 

「――――、――――」

「…………それ、って……」

「――――――、」

「……うん。…………うん」

 

 明透零無の人生はうすっぺらいが、話すのに不足はしなかった。それは単に彼女が聞き上手なだけか、それとも玄斗の口が思いの外すべっていたのか。話して、話して、話して。

 

「――――、――――、――――」

「……うん。……うん、うん」

「――――――?」

「あはは……そう、だね。それは……まあね」

「――――、――――……」

「……うん」

 

 時間がすぎて、日は傾いて。腹の虫が鳴いても話して。話して。話し続けて。

 

「――――――それが、()ぼく(・・)だったときの話。……馬鹿げてるだろう?」

「…………うん。そう、だね」

 

 すべてを語り終えた頃には、とっくに学校も終わりかけていた。

 

「……そっか。十坂は、二回目……なんだ……」

「そうなんだ。どういうわけかは、分からないけど」

「……でも、なんか納得した。十坂、ちょっと……同年代とはズレてたし」

「そうかな」

「そうだよ。……本当に、そう……」

「…………、」

 

 そうして、沈黙が訪れた。ふたりの間の会話が途切れる。玄斗はもうすべて話した。これ以上なにかを言うコトもないと、口を噤んだ。碧は口を開こうとして、それが言葉になるまえにそっと閉じる。なにを言うべきか、なにを言えば良いのか。たかだか十六年ぽっち。あるがままに生きてきた少女には、すこしばかり難しすぎる問題だった。

 

「…………、」

「…………、」

 

 日は傾く。沈黙は続いていく。なにをどう言えば良いのか。自分のなかでの答えを碧は探る。いっそ気楽に「ちょっ、十坂ってばやっぱ冗談下手すぎだって! もう、あたしをからかっても無駄だからねー?」なんて言えばいいのだろうか。……いや、ないだろう。それをするのはもっと、違う場面でこそだと思った。

 

「……そういえば、ひとつだけ言い忘れてた」

「……なに、を……?」

「零無」

 

 凛と。その声だけは妙に、耳の中で透き通るように響いた。

 

「明透、零無。……それが、ぼくの名前。なにもないって意味の込められた、ぼくの本当の名前なんだ」

「あとう、れいな……」

「……うん」

 

 そうして、やっぱり、玄斗(零無)は笑った。うっすらと微笑むように。諦めたようにゆるい顔つきで。

 

「…………そっ、……か…………」

「…………、」

「………………、」

 

 人生二度目。壊れやすかった身体。愛されなかった現実。育児放棄にも近い仕打ち。心を折るような言葉の数々。朽ち果てていった肉体の結末。思えば、どれも、碧には経験のないものだった。人並みではあろうが、大抵の子供は親に愛されて生きていく。きちんと育てられて大人になる。優しくも厳しい言葉を受けて、正しさを身に付けていく。碧もそうだった。髪を染めたり軽い口調で振る舞う彼女だが、だからこそあるべき正しさというものは知っていた。

 

「…………、」

 

 はたしてそれは、どんなモノだったのだろう。想像は易くない。きっと彼女の思っている以上に、彼の現実は悲惨だったはずだ。それこそ二回目の人生ですら素直に楽しめないほど。

 

「――――――、」

 

 なんて声をかけていいかは、さっぱり分からない。でも、「ああ、こうだ」と言いたいことは思いついた。なんてことはない。彼女の自己満足。ただ、あまりにもなコトを聞いて、それを受け止めようとしてみたとき、自然と心から溢れた感情が、それだった。

 

「十坂……じゃ、ないや。えっと……零無」

「……ん」

 

 短く応えた玄斗(零無)は、視線もよこさずに薄く微笑みを貼り付けていた。なにもおまえに期待はしていない。言外にそう言われたような気がして、心がズキリと痛む。……それでも、関係ない。なんたってこれは単なる自己満足。彼女がそう思うからやるだけの話。十坂玄斗(明透零無)の気持ちなんて関係ない。だから、

 

「――――零無」

「!」

 

 ふわり、とその香りが玄斗(零無)を包んだ。後ろからそっと立ち上がった碧が、優しく、守るように少年の体を抱き締める。それは、まるで――子供をあやす、母親のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よく、頑張ったね。零無」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――っ!」

 

 そんな、たった一言に。力が、抜けた。

 

「な、に……を……?」

「なんでも。……頑張ったよ、零無。よく、頑張った。だから、そう言ってるだけ」

「そん、なの……っ」

 

 ぐらついた。視界が揺れる、ぶれる、かすむ、曇る。なんでだろう。どうしてだろう。とても、まともに、前が見えない。

 

「ち、違うっ……ぼくは、……ぼくは、そんな……っ」

「ううん。違わない。零無は、頑張ったじゃん。いっぱい、いっぱい頑張って……それで、こんなになっちゃったんだね」

「――――――っ!」

 

 ぶんぶんと、まるで子供のように頭を振る。違う、違う、違う! そうじゃない。そういうコトじゃない! だって、そうだ! そんなのはあまりにも違いすぎている! なんだってそんな、こんな、なんのためにもならない人生を歩んできた人間に、称賛の声なんてかけている――!

 

「ちがっ……ぼくは……ぼく、は……!」

「いいよ。違わないんだよ。だって、零無、頑張ってた。必死に、必死に生きようとしてた。だからさ、覚えてるんだよ。そんなに。十坂が、零無だったときのことも」

「違う……っ! 違うんだ……五加原さん、ぼくは、ぼくは……!」

「いままで、よく我慢してきたね。もう、泣いて良いんだよ。零無」

「――――っ!!」

 

 ――ああ、否定したい。それは違うと突きつけてやりたい。なのにどうして、涙が溢れて、止まらない。

 

「ち、が……ぼ、くは……っ、ぼく、は……っ!」

「……いいから。いいんだって。これはね、私が、勝手にすること。だから、零無も勝手に泣くなり怒るなりしなよ。……もう、さ。零無の幸せを邪魔する人なんて、誰も……いないんだから」

「……っ、だめ、なんだ……! ぼくは、そんな……こと……ゆるされ、ちゃ……!」

「なら、あたしが許す。零無のこと……十坂のこと。勝手に許したげる。だってさ、そうでもしないと……ずっと抱えてそうだもん、十坂(零無)

「なん、で…………!」

 

 ぼろぼろと溢れてくる涙は、すでに涸れていると思っていた。なのに、溢れて溢れて止まらない。ただただ只管に、雫が頬を伝っていく。とても信じられない暖かさ。贅沢だ。死にたくもなろう。なのに、いまはただ嬉しくて、悲しくて、とても、とても、感情が追い付かない。

 

「いいんだよ……もう、ひとりで頑張らなくても。だって十坂(零無)は、あたしにそのことを教えてくれたんだから――」

 

 笑う碧の顔に、我慢もなにもできなくなった。嗚咽を漏らしてただ泣く。泣いて、泣いて、泣いて――その暖かさに、やっと――

 

 

 

 

 

 明透零無は、救われたのだ。

 

 

 

 

 

 

 



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スタートライン

 

「…………、」

「…………ん」

 

 その後、疲れるようにして玄斗は眠った。ゆっくり、ぼんやりと目をしばたたかせていた少年を寝かしつけたのは、誰でもない彼女である。膝のうえで気持ちよさそうに寝息をたてるその顔を見ながら、くすりと碧は微笑んだ。

 

「(そりゃ、こうもなるのかな……十坂(零無)は実際、子供のまま育ってきたみたいなものなのかも)」

 

 なにも知らないまま、固定された価値観と考え方のまま生きていれば、精神なんて一向に成長もしない。いわば、諦めきって壊れ果てた赤子同然の子供。それがいちばん深くにある十坂玄斗――もとい明透零無の本質だと、なんとなく手触りで理解した。……手で触れるようなものでも、ないが。

 

「(本当に頑張ったよ……十坂(零無)は。頑張った。よくやったって、ちゃんとあたしは褒められたかな……?)」

 

 なにぶん、初めてのことだったので自信がない。泣き出した彼を見た瞬間、それまで見えていた大人っぽい十坂玄斗の像が粉々に砕けて、とても小さな、ともすれば幼すぎるほどのモノを垣間見た。なにも知らず育ってきた弊害だ。明透零無のココロは、あまりにも脆く弱い。

 

「…………んっ……」

「! ……よしよし。大丈夫だからねー、零無」

 

 そうっと頭を撫でてやると、彼は眉間に寄せていたしわを消して、穏やかな表情に戻った。まったくもっていつもとのギャップが激しい。なんだか大きな子供か弟を持った気分である。一人っ子であった碧としては、そのあたりがとても新鮮だった。

 

「……なんか、かわいいかも」

 

 ふふ、と笑いがこぼれた。頼りになる彼。頼りになっていた背中の彼。想い人であったその少年が、自分の膝の上でゆっくりと眠っている。とても、安らいだような顔で。それがなんだか、無性に乙女心をくすぐらせた。

 

「(うわー……やばい。これやばいって……あたしだって、さあ……その、ちゃんと……そういう気持ちは、あるんだし……)」

 

 近くで見ればよく分かる。透き通るように綺麗な肌も、真っ黒なまま変わりない鮮やかな黒髪も。そうして、油断しきった寝顔も。どれもが、魅力的に見えて仕方ない。

 

「(……お、落ち着け……あたし……! いまは我慢……! 十坂(零無)は、疲れてるん……だから……)」

 

 駄目だ駄目だと理性は言っても、悪魔が「ちょっとぐらい良いじゃん♪」と囁いてくる。やめろ。あたしにそういう誘いはすごい効く……っ! なんて葛藤をしていたところへ、不意に、玄斗の唇が目に入った。

 

「(………………いやいやいや!?)」

 

 うん。それは、ちょっと、まずいだろう。

 

「(そ、そう……だよ……寝てる相手に……なん……て――)」

 

 内心とは裏腹に、顔は自然と彼のほうへ向かった。あと三十センチ。遠い。遠いので、やめるなら今のうちだ。

 

「(……卑怯、なのに……さあ……)」

 

 あと十五センチ。もう間近で彼の顔が見える。

 

「(…………、)」

 

 あと、五センチ。

 

「……ごめん。十坂(零無)……でも、ちょっとだけ……ご褒美ぐらい、もらってもいいよね……?」

 

 自分勝手に、ワガママに、碧はそんなことを呟きつつ膝上の彼の顔にそっと手を添えた。いつもなら見るはずのない気の抜けた想い人の顔。それが、目前で、手の届く――実際に届いてしまった位置に存在している。そんな状況で、我慢できる女子高生が一体どれほどいたものか。割と居るかもしれないのは、まあ、無視するとして。

 

「――好き、だよ。十坂(零無)。ずっと、ずっと前から。……はじめて会ったときからね。あたし、十坂(零無)に惚れてたんだ」

 

 恥ずかしげに呟いて、そっと、碧は彼の頬にキスを落とした。……唇にしなかったのは角度の問題で、実際、する直前になってチキったとか、そういうワケではない。……絶対。

 

「……だから、ね。誰も好きじゃないなんて、言わないで。もっとさ……自分の気持ちと、向き合ってみてよ。十坂(零無)、きっと……ちゃんと考えたら、優しくなれるはずだよ。……ね、十坂(零無)

 

 そっと、耳元で囁く。ぐっすりと眠っている彼には聞こえまい。でも、聞こえていたらいいなと思う気持ちはあった。聞いて欲しくないというのも、半々。なんたって、これが聞かれていたら碧は羞恥で恥ずか死ぬかもわからないのだから。

 

「もっと、女の子に夢……見させてよ。十坂(零無)と、笑い合えるような……贅沢な、夢」

 

 選択肢すら潰されるのは、悲しいものなんだよ――? そう言い残して、碧はまた玄斗の頭を撫でた。規則正しい寝息だけが繰り返されていく放課後の屋上。そこにあるべき男女の姿は、見ようによっては、どこからどう見ても――

 

 

 ◇◆◇

 

 

「…………、」

 

 ――夢を、見ている。夢のなかで自分は、幼い少年を見ていた。とても細い、とても脆い、とても弱そうなひとりの少年。色素の抜け落ちた髪は地毛ではなく、病気とクスリの副作用によるものだ。とてもじゃないが、ただでは生きていけない姿。

 

「……君は」

「?」

 

 声をかけると、少年が首をかしげながらふり向いた。顔は青ざめている。肌の色は真冬の新雪を思わせる白さ。生きた心地のしない、不気味な子供。

 

「……そういう、ことか」

「――おにいさんは、だれ?」

「……僕は……きみだ。明透零無」

「ぼく……?」

 

 不思議そうに、少年が自分を指差しながら聞き返す。うん、と自分はうなずいて返した。思えば、なんとも懐かしい姿。

 

「……頑張ったんだって、僕」

「……? なにを?」

「なんでも。頑張ったねって、言われたよ」

「……おかしいね。ぼく、なにもがんばってないのに」

「……そうだね」

 

 頑張ったつもりなんて、一切なかった。我慢したつもりも、ひとつだってなかった。だからそれは無意識下の話で、正常に動いていた最後の歯車みたいなもので、無視し続けていた決定的な人間としての心臓だった。

 

「でも、頑張ったんだ。我慢もいらない。もう。……僕はそろそろ、いいんだって」

「……そんなの、あるわけないよ」

「……うん。あるわけない。そんな、都合のいい話」

「そうだよ。……僕は、ぼくなんでしょ?」

「うん」

 

 言われて、やっぱりうなずいた。明透零無は、明透零無だ。そこに間違いはない。

 

「……でも、来るんだよ」

「……うそ」

「だと思う。僕もそう思ってた。でも、来ちゃったから仕方ない。……緑色のお姉さんがね、ぜんぶ、勝手に持っていっちゃったんだ」

「……ひどい」

「そう言わないで。ひどいのは、こっちなんだから」

「そうかな……そうかも」

 

 そのとおりだ。ひどいのはこっちで、それをすくい上げたのが彼女になる。本当に、これからのコトを考えると彼女には頭があがらないだろう。

 

「じゃあ、どうするの。僕」

「……うん。すぐには難しいけどね。きっと、すこしずつ、ちょっとずつでも、許していこうと思う。僕のこと」

「……むりだよ、だって、僕はぼくなんだから」

「……かもしれない。でもね。僕だけじゃ無理でも、そうじゃなかったら違うだろう?」

「……?」

 

 笑う。こんな簡単なコトすら分かっていなかったのかと、今更ながらに笑った。きっとこの笑顔なら黄泉も褒めてくれるだろう。だって、心底――気持ちがいいぐらい、笑えている。

 

「……どうして、わらうの」

「おかしくて。……あのね、ぼく。ひとりじゃ駄目でも、誰かが手を差し伸べてくれるときだってある。なら、やっていけることも増えるんだ」

「……ありえない。そんな〝て〟、みたことない」

「見れるよ。きっと。だって、ね……」

 

 ――たとえば、冷たくても優しかった。本当の自分を呼んでくれたあの手を知っている。

 ――たとえば、燃えるように熱かった。生きていけと願ってくれたあの手を知っている。

 ――たとえば、明るくて暖かであった。自分の幸せを示してくれたあの手を知っている。

 ――たとえば、安らいで心地よかった。大事な一言をいってくれたあの手を知っている。

 

 どれもこれも、自分の手とは違う。救いをともなって差し出された、明確な手だった。

 

「……ぼくなのに。なんで。ぼくはずっと、シアワセになっちゃいけないのに」

「うん。そう思ってた。でも、違うんだ。やっと分かった」

 

 踵を返して、その場から去る。きっとそれで夢は覚めるのだろう。なんとなく、そういう確信があった。どうせ、答えはもう胸に秘めている。ならば伝えるべきことも伝えた。幼い自分との会話なんて、成立するものかと不安だったけれど。なんてことはない。結局、いまも昔も大して自分という人間は変わっていなかった。

 

「幸せなんて案外、そのへんに転がっているものだよ――」

 

 意味も理由も以ての外。かつて誰かの言ったソレを、そのまま口に出していた。いまならその言葉の真意が分かる。なんて簡単なコト。見方を変えればそれこそすべて。わざわざ自分から拾いに行かなくても、いつかは自然と、包まれていくものなのだと――








余韻に浸った一話です。とりあえず一区切りかな、という感じ。蒼い人がいなければまず頑張ったねって言ってもスルーされてたし、赤い人がいなければそも考えるということすらしてなくて、黄色い人がいなければ彼が自覚することもなかった。ぜんぶ繋がっての緑のお姉さんです。だからエピローグが似合う……よき……


ちなみに七章までは構想がほぼ出来てるので、そこまでは走れるかなと。


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そうなるのは自明の理

 

「しんどーい……あつーい」

「…………、」

「……ねえ十坂(零無)あ。無視しないでよー」

「……罰なんだから真面目にやらないと」

「うわあ……なにその優等生ぶり……」

 

 ちょっとぐらい堪えてもいいじゃん、という碧の嘆きを背後にせっせと草をむしっていく。理由はもちろん、単純に学校でさぼりがバレたからである。まあ考えれば分かるコトで、日直で職員室まで日誌と鍵を取りに行っておいて、しかもそれを机のうえに放ったままにしておきながら、屋上ですっかり時間を過ごしているとなればバレないほうがおかしいわけで。……というかあの時間まで誰も探しに来なかったのがおかしなわけで。

 

「裏庭の草むしりとか美化委員でやればいいじゃん……あ、あたし美化委員だわ」

「じゃあちょうどいいね。僕もやってるから労力は半分だ」

「やらないのがいちばんだってのー! まったく、もう……」

 

 ぶつくさと文句を言いながらも、碧はちいさな熊手をガリガリと地面に突き立てる。なんだかんだでやるあたり、彼女も根は真面目らしい。まあそのあたりは、玄斗はもっと前から識っていた(・・・・・)ことでもあるのだが。

 

「……昨日はかわいかったのになあ」

「? なにか言った?」

「なんでもなーい。……ま、素直なのは、分かるけど」

「?」

 

 きょとんと首をかしげる玄斗にひらひらと手を振って、同じように草を抜いていく。小声の気持ちは伝わらないのを前提にしたものだ。むしろ聞かれていた場合のあとが怖い。おもにドキがムネムネしそうで。

 

「ねえ十坂(零無)あ」

「なに?」

「なんか面白い話してー」

「……それはとても難しい要求だと思う」

「知ってるー」

 

 くすくすと笑う碧は、ぜんぶ分かった上で言葉を投げかけているようだった。なにか面白い話。人間ハードルをあげられると、当然その上を飛び越えるのが難しくなる。関西人が全員面白いという前提で話すんじゃねえというのと同じだろう。ただし面白くないと言われればキレる。人間とはそういうものである。

 

「じゃあ、五加原さんのこと当ててみるとか」

「……あたしの?」

「うん。たぶん大体は答えられるよ」

「……うっそお。じゃあさ、あたしの好きな食べ物!」

「抹茶ケーキ」

「おおう……正解……」

 

 まじかこの男、と碧が一歩後じさる。でもちょっと嬉しいような、やっぱキモいような。

 

「得意な科目!」

「体育」

「にっ、苦手な科目!」

「芸術」

「え、えと……趣味」

「ランニング。あとアクセサリー集め」

「特技っ」

「テニス。でも意外と読書も好きだよね」

「…………す、スリーサイズ」

「……言って良いの?」

「……ど、どんと来い!」

「……じゃあ、上から――」

「いややっぱやめて!?」

 

 それは駄目だ。それを言われるのは駄目だ。というかすんなり言おうとしたあたりこの男は知っているのだろうか。だとすればいつ? どこで? 一体どんな情報網から取り出した? 自分の体を抱きながら碧がささっと距離をとると、玄斗は苦笑して「冗談」と言った。……本当だろうか。

 

「でも合ってただろう?」

「う、うん……なんか……うわあ……トリハダたったあ……」

「面白いよね。この世界ってゲームだったんだよ」

「……またまたあ。十坂(零無)ってば嘘が下手すぎ。あたしをからかってもなにも出ないよー?」

「いや、これがわりと。五加原さんは、たぶん、好きな人にそのミサンガをあげる」

「――――、」

 

 見もせずに言った玄斗に、碧は知らず右の手首を掴んでいた。たしかに自分ならそういうコトもやりそうではあるが、なんだってそれを目の前の少年が知っているのか。あながち、先ほどの発言も馬鹿にできないような気がしてくる。

 

「……ふーん。じゃ、十坂(零無)から見てあたしはゲームのキャラクター?」

「いや、違う」

「ありゃ」

「五加原さんは、五加原さん。名前が同じぐらいで、そうそう悩むコトも考えるコトもないんだよ」

「……なんだ。案外、しっかりしてんね」

「あるものはある、ってことだと思うからね。現実は現実だ。だから、まあ――ちょっと、見えるものも増えてきた」

 

 ゲームだとか現実だとかの問題は、とっくの昔に乗り切ったものだと思う。すくなくとも玄斗はそう思っている。なんだか悩み事が最近多すぎて整理すべきだとも思うが、言ったことに嘘偽りはない。――あるものはある。それが現実で、事実で、紛れもない正解だ。だから、それがいちばんになる。

 

「……いままで、幸せになるなんてうまく分からなかった。でも、五加原さんのおかげでやっと分かった。たぶん、もうね」

「……ん、あたしはなーんも、してないけどね」

「そうかな? ……でもきっと僕ひとりじゃ駄目だった。五加原さんだけじゃない。先輩にも、赤音さんにも、三奈本さんにも……ずっと、助けられてばかり」

「良いじゃん。別にそのぐらい。あたしだって絶賛、こうして十坂(零無)に迷惑かけてるしー?」

「どっちかっていうと僕のほうがかけてる」

「いいやあたし」

「僕」

「あたし」

「僕だ」

「あたしだっ」

「…………、」

「…………、」

 

 睨み合って、さきに噴き出したのは案の定、碧のほうだった。つられるように、玄斗も息を吐きながらゆるく微笑む。

 

「……んで、なにが分かったの」

「もうあったってこと」

「もうって……いやいや、それがなんなのかってことでしょ」

「だから、幸せ。たぶんこうやって誰かと何気ないことをしてるときが、いちばんなんだと思うよ。僕は」

「…………なにそれ。ツキナミな台詞」

「うん。でもそれがいいんだ。特別じゃなくても、それが良いなら、それで」

「…………ま、らしいかもね。十坂らしい」

 

 うんとうなずいて、碧はよっと立ち上がった。ずいぶんと屈んだ体勢でいた所為だろう。あいたたた、と腰をおさえながら体を折る姿に、玄斗は思わず微笑んでしまった。

 

「……なーに笑ってんのー」

「いや、ごめん、面白くて」

「もお……なら十坂(零無)も立ってよ! ほら! 絶対なるから!」

「……はい、立ったよ」

 

 よっこいせ、と難なく玄斗が立ち上がってみせる。腰どころか足にもきていないといった風な自然体。

 

「えーっ!? ちょっ、なんで!?」

「体が結構丈夫だから。それに、男子と女子の差もあるんじゃない?」

「あー……でも十坂(零無)食べるからなあ……そっかあ……なんか、十坂家の食費すごいことになってそう」

「ああ、僕以外は別に。そこまでみんな食べないんだ」

 

 ごはん多くても三杯いかないぐらいかな、なんて言う大食らい。それが父親のものであって、母親や妹はもっと少ないのだとは言わずとも分かることである。

 

「でもそのわりスリムだよね、本当。……秘訣とかある?」

「? ないけど。でも、五加原さんだってそうじゃない?」

「…………なにが?」

「いや、細いっていうの。華奢っていうのかな」

「…………ふーん。まあ、なに? ……ありがと」

 

 女子である。ので、華奢と言われるとそう悪い気もしない。意味的に捉えれば。だいたい、遠回しな物言いなど目の前の少年ができないからこそ特に。

 

「じゃ、そろそろやめよっか! 草むしり」

「いや、まだ時間は残ってる。もうちょっとやろう」

「几帳面か! ……ったく、しょうがないなあ、もう」

「……なんだかんだで手伝ってくれるよね、五加原さん」

「そりゃ、まあ……」

 

 せっかく一緒に居られる時間だし、という言葉は胸に仕舞っておいた。命短し恋せよ乙女。なんていったって普通の女子高生。ぼろぼろになった想い人はあやせても、そこまで素直になるのはもうちょっと時間のいる複雑さ。なんとも人の心とは難解で扱いづらい。碧は頬を赤く染めながら、ゆっくりと玄斗の隣に座るのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「あ、不良少年」

「……その件は大変ご迷惑をおかけしました」

「本当にねー?」

 

 会って一言目から容赦がなかった。当然である。なにせ授業を放っておいてどこかへ行ったヤンキーどもを「あー、いや、見てないですねー! どこ行ったんでしょうねー!?」と必死にかばったのが白玖だった。ついでに「どうせ女と遊んでんだろ」といって白玖の心臓を凍りつかせたのが鷹仁である。南無三。だからおまえは彼女ができない。

 

「五加原さんとー? 大変ー? いいコトをしていたそうで」

「うん。すごい気持ちが(軽くなって)良かった」

「すっ、すごい(アレ的なあれで)気持ち良かった!?」

「……ごめん言葉足らずだった。余裕が持てたってコト」

「お相手を見つけて!?」

「まずい。相互誤解が回っていく」

「それが会話というものだよ、少年」

「……君、はじめからぜんぶ分かってて言ってるな?」

 

 苦笑しつつ問いかけると、白玖は「とうぜん」と言いながら胸を張って答えた。

 

「あなたのことならなんでもお見通しなんですよー? 玄斗さん」

「そうだったのか。敵わないな」

「そうそう。……ねえあなたこの髪の毛誰の? あたしのとも玄斗さんのとも違うわ! どこの泥棒猫よっ!」

「五加原さん」

「……そこは乗ってよー」

「はいはい」

 

 ぶーたれる白玖の頭をぽんと叩いて、玄斗は自分の机に置いていた鞄を背負いつつ踵を返す。と、ふり向いたさきで彼女がその状態のまま固まっているのを見た。

 

「……どうしたんだ、ハク?」

「……いや、玄斗ってさ。ずるいよね。私にだけ」

「そうかい? ……そうかも」

「そうだよ」

「そうだね」

 

 言って、白玖も鞄を背負いながら玄斗の隣についた。いつもの距離感ではあるのだが、気持ちどこか近いような、でも変わらないような。おかしな感覚にうん? と玄斗は首をかしげながら、そのまま廊下に出る。

 

「――負けないから」

「!」

 

 と、入れ替わるようにして、白玖の横をするりと少女が通った。誰であるのかは、隣でいまの会話が聞こえていないまま「じゃあね」と手を振っている彼を見れば分かる。

 

「(……へえ。ちょっと、驚いたかも)」

 

 前まではそうでもなかったのに、どうも火がつけば勢いは凄かったらしい。白玖はくすりと微笑みながら、ゆっくりと歩き出す。

 

「(でも、いまは勝ち負けじゃないよ。それぐらいは、ね――)」

 

 やっとのことだ。並び立つにはなにもかもがまだ足りない。ので、言ってしまえば準備段階。ぜんぜん、勝負すらはじまっていない。

 

「(……でしょう? 玄斗)」

 

 壱ノ瀬白玖は思う。運命というものがあればこれがそうだ。故にこそ、掴んだものなんて最初からぜんぶ受け入れている。色の使い方にもよるが、透明なグラスを白い画用紙のうえに書くことだってできるように。

 

 〝私はね、玄斗のことならなんでも――お見通しなんだから。〟

 

 きっと、その言葉に嘘偽りなんて、なにひとつもないのだろう。






さて五章もあとは書くもの書いて終わりです。六章七章までが一部かな、というところ。



というか救う救うって言ってるんだからもっと余裕を持って「なんだ救われてんじゃん」っていう感じでも良いんですよ! バッドエンドとかくそくらえのハッピーエンド至上主義者ですからね作者は!


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沈みいく町並み

 

 白玖と別れたその日の帰り道。ふと歩いていると、玄斗の横に一台の車が停まった。なんだろうと思って見れば、運転席にいつぞやの女性が座っている。

 

「飯咎さん」

「や、お久しぶりだね。少年」

 

 元気かい? と煙草を片手に訊いてくる狭乎。それに「はい」と答えてみれば、彼女はどこか面白そうに目を細めた。ついといった風に、その綺麗な唇が歪む。

 

「……なんだろうな。ちょっと変わったな、君」

「かもしれません。飯咎さんは、相変わらずで」

「うむ。相も変わらずだ。で、どうだ。乗っていきたまえよ」

「いや、さすがに二度目は――」

「なんだい君。私の車には乗れないというのかね?」

 

 くつくつと笑いながら、狭乎が片手でひらひらと誘ってくる。言うところの「俺の酒が飲めねえってのか」みたいなものかと玄斗は勝手に納得した。彼女に関してはそもお世辞がどうの以前に善意百パーセントで連れて行ってやると言っているような気もする。遠慮は大事だが、好意を無碍にしすぎるのもあれか。考えて、玄斗はちいさく頭をさげた。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて」

「はは、甘えろ甘えろ。子供だろうに。素直な子は、私は好きだな」

「そうなんですか?」

「ああ。……うちの娘も、大概素直なものだったからな」

「……そう、でしたか」

 

 それにどう答えて良いかが分からなくて、思わずそんなありきたりな返答をしてしまう。けれど狭乎はそんな彼の反応を気にした様子もなく、玄斗が助手席に座り込んでシートベルトをつけたのを見届けて、ゆっくりと車を出した。夜も近くなった閑静な住宅街を、するすると進んでいく。

 

「……良い子だったよ。将来はなんだったかな……花屋になりたかったそうだ」

「花屋……ですか」

「ああ。優しい子だった。それでいて、私に似て美人だった。いまはもう、とんでもない美少女に育っていると思うな」

「……会うのがちょっとだけ楽しみですね」

「なんだ、君もそういう年頃らしい部分があるのか?」

「……それは別として、単純にそこまで言われると興味がわきます」

「なるほどそっちか。ふふ……つくづく、君は私好みの受け答えをしてくれる」

 

 だから話していて退屈しない、と狭乎はハンドルをきりながら呟いた。狭乎とその娘である飯咎広那の話は、以前に玄斗も聞いていた。原因があって遠ざかっているとは言うが、親子が離れるほどのものなんてあるのだろうかと考える。……思えば、どれほどのものであろうと、零無は父親と縁が切れたことはなかった。

 

「あの。ひとつ、訊いてもいいですか?」

「なんでもどうぞ。答えたくないなら私は言わないだけだからな」

「……じゃあ。娘さんは、いま、やっぱりお父さんのほうに?」

「……弟が引き取っているよ。そのあたり、複雑でね。まあ、私は後悔なんぞひとつもしていないんだが……あいつは、相当だろうなあ。私の顔を見れば文句のひとつはぶつけてくると思うよ」

 

 紫炎をくゆらせながら狭乎が語る。どこかその表情は、翳がかかっているようでもあった。

 

「弟さんが文句を……ですか」

「それ以外に誰がいる。……あいつは優しいからな。私の選択をきっと恨んでいる。なにより、無関係というワケではないからな」

 

 迷惑ばかりかけたものだ、とそこで彼女は話を打ち切った。これ以上は言わないということだろう。母親は娘と会えない。彼女の弟がその子を引き取っている。それだけの情報では、分かることもすくない。ただ、一筋縄ではいかない複雑な事情があるのだとは、なんとなく玄斗にも分かった。

 

「だからこそ、君とこうしてドライブするのは実のところ、結構楽しいんだ」

「……僕なんかで良いんですか?」

「ああ、良いとも。むしろ君だからこそ良い。……見ているとね、本当、思うんだ。自分でもどうしてと。後悔している。……私はもっと、うまくできたハズなんだがなあ……」

 

 ぎゅっと、狭乎がハンドルを強く握ったのが見えた。心底悔しいのだろう。それはできなかった過去に対してか、こんな風になってしまった現状についてか。どちらにせよ、玄斗は返せるような言葉を持っていなかった。

 

「あとすこしだったんだ。あとすこしで……ぜんぶ、できていたんだ。なのに、そんなタイミングで、梯子を外されたようなものだ。あの時は目の前が真っ暗になったな。恨んだよ、身のまわりのぜんぶ。……それでもあの娘だけはと、願っていたのになあ……」

「……大事、だったんですね。娘さんのこと」

「……そうだな。大事だった。ずっと、ずっと、大事にしていたんだ。私はな」

 

 車は進んでいく。見慣れた景色は決して早すぎない速度で、けれど直ぐさま過ぎていく。街灯もつきはじめた夜の町。時折照らされる狭乎の顔は、とても、暗いなにかを我慢しているようだった。

 

「……すまない。ちょっと話しすぎた。今言ったことは忘れてくれ、とにかく、私は君とこうしてデートするのが楽しいというコトだけ覚えてくれればいい」

「からかわないでください。デートって、誤解を招きますよ」

「そういう反応をしてくれるから気に入っている」

 

 くつくつと口の端で咥えた煙草を揺らしながら狭乎が笑う。意地悪な人だ。同時に、玄斗はどこか不器用な人だとも思った。自分が他人のことを言えたような義理でもないが、そんな彼でも感付くあたりは相当である。きっと触れ合っているその心には、誰かへの想いがあってしかるべきなのに。

 

「……後悔は、減らしていくものだと思います」

「……なんだい。いきなり」

「僕に道を示してくれた人は、そう言ってました。あとで悔やむぐらいなら、いま悔やんでも自分のしたいことをしろと。……それは、無理なことですかね?」

「……無理じゃないさ。だが難しいな。先に立たないから後悔という。思ったときには遅いんだよ。もう、遅かった。……せめて、あいつがあの日、気まぐれなんて起こさなければ」

「気まぐれ……?」

「……なんでもない。さあ、ついたぞ。ここが君の家だろう」

 

 ふと外を見れば、ちょうど玄関の前だった。時間を忘れるぐらいには玄斗も話に夢中になっていたのだろう。狭乎からすれば運転に気を取られて漏らした言葉も多かった。降りていく少年に気付かれないようため息をつきながら、無事に車の外へ出たのを確認して笑顔を浮かべる。

 

「ではな、少年。また機会があればそのときに」

「はい。……それと、飯咎さん」

「ん?」

 

 窓を閉めようかと思った矢先、そうやって玄斗から声をかけられた。そのまま去るものかとばかり思っていた狭乎にしてみれば、不意をついたような一瞬。彼はとても自然に笑って、さもなんでもないことのように、

 

「いつか、娘さんとまた会えるようになればいいですね」

「…………、」

 

 そんなコトを、言ってのけた。

 

「……ふ、ふふ。あはは……」

「……? 飯咎さん?」

「はは、はははは……っ、ああ、すまない。そうだな……」

 

 まったくもって、笑うしかない。本当に、笑うしかなかった。狭乎はそれはそのとおりだと笑っている。涙なんて似合わなさすぎて、そうするしかなかった。

 

「……いつか私も会いたいよ。私の、愛娘と」

 

 言い残して、飯咎狭乎は夜の町に消えた。玄斗はそれを見送って、そっと玄関のドアを開ける。ようやくの帰宅だ。なんだか最近は一日が充実していると思いながら、ひとつほうと息を吐くのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……また会えるようになるといい、か……」

 

 先ほどの玄斗の言葉を思い返して、ふっと狭乎は笑みを浮かべた。まったくなにも知らないくせにとんでもないコトを言ってくれる。が、それはまあ正直なところの話でもあった。彼女だって、それは望んでいる。

 

「……そうだな。一度、会ってみたいものだよ」

 

 薄れてはいないが、風化してきた記憶の片隅。そこに残る我が子の面影を、それ以上を、見てしまったからこそ向き合える。あのとき、おそらく自分はもっと上手くやることができただろうにと。

 

「……一言でも、伝えたいんだがなあ……」

 

 十坂玄斗という少年は、彼女にそんな想いを抱かせるほどのものだった。

 

「――すまない。本当に、すまない。広那」

 

 肩の力を抜きながら呟く。その謝罪は、きっと、誰かに向けてのもので――

 

「最後まで育てることができなくて、すまなかった」

 

 きっと、とてつもない意味が込められていた。  






五章ラスト一話……! いける……!(なにが)


ちなみに彼女は結構なキーパーソンなのでノーヒントを貫いていきたい。感想はたぶん明日ぐらいから返せるかなあと。



ひとつ言えるのは、そこまで面倒くさい状態ではないってことですかね。


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ユウショクのジカン

 リビングに入る直前、ちょうど玄斗がドアノブに手をかけたとき、ばたんと勢いよく扉が開かれた。

 

「やだやだや――ってうおわっ!? お兄!?」

「――――っ、――――……!」

 

 視界に星が舞う。そのままうずくまる玄斗に、実行犯はわたわたと慌てながら屈んで背中をさすってきた。たぶん対応を間違えている。

 

「真墨……」

「ご、ごめん! でもお兄忍者か!? 音も気配もなく扉の後ろに立つとか忍者か!?」

「僕からすると扉の真ん前だったよ……」

「そっか! なら納得した! っていうか大変なんだよお兄なんかうちの大黒柱が気持ち悪いよ!?」

 

 酷い言われようだった。ついぞ「お父さん」とすら呼ばれなくなった心の距離に虚しさがこみ上げる。そろっとリビングの中を覗いてみると、とうの父親はソファーでどこぞの総司令みたいなポーズを取りながら項垂れていた。

 

「……なにしたの、真墨」

「いやあたしじゃなくてあっち! アレが原因! アレが駄目なの! もういや!」

「アレ……」

 

 なんとも酷い言われようだった。ついぞ「お父さん」と以下略。

 

「と、とにかくあたしご飯食べたし部屋にいってるから! そう、あの、勉強! 勉強してくるから! アレ絶対こっちに連れて来ないでね!」

「……うん。まあ、なにがあったのかは後で聞くけど、父さんにはなるべく優しくね……?」

「じゃっ!」

 

 言うだけ言って、返答はちゃっかりせずに、真墨はとててーっと階段を駆け上がっていった。まったくもって嵐みたいな妹である。おかしな日もあるもんだと思いながら立ち上がってリビングへ足を踏み入れると、思わず引き下がりたくなった。負のオーラが、半端じゃない。

 

「ああ……玄斗か……おかえり」

「ただいま……父さん。あの、なにが?」

「……思春期の娘は、分からんもんだな」

「あなたが阿呆なだけだから」

 

 と、台所から突っ込んできたのは母である。ふり向きもせずに菜箸で「ん」とテーブルを示しているあたり、もう夕食は用意していると言いたいのだろう。

 

「いつからあの娘はあんなに……ちいさい頃はなあ……パパ、パパってなあ……うん? いや待て。そこまで呼ばれてないな。むしろちいさい頃からお兄、お兄っておまえのことばっかり呼んでたな」

「ああ、そうだっけ」

「そうだな。そうだぞ。……おまえなー、玄斗なー。うらやましいぞおまえー」

ひょっほ(ちょっと)やめへっへば(やめてってば)

 

 ぐにぐにと頬を引っ張ってくる父親に苦笑で返しながら、なんとも切り替えが早いと玄斗はすこし感心した。あの態度では相当なコトを真墨に言われたはずだが、それでもめげないのは彼のタフさ故だろうと思ってだ。

 

「で、どうした玄斗」

「? なにが」

「良いことあっただろう。にやけてるぞ、おまえ」

「え――」

 

 ばっと、顔をおさえる。その動作を見てニヤリと父親が笑みを深めていた。……これは、たぶん、してやられたということか。

 

「父さん……」

「まだまだだな。玄斗。俺のレベルになるとこんなのは朝飯前だ。で、なんだ。彼女か? 恋人か? はたまた修羅場か。おまえの相手が父さんは凄まじく気になるぞ」

「いや、そういうんじゃないけど」

「違うのか? ……なら別の理由か」

 

 でもなにかはあったのだろう? と父親が確信を持ったように訊いてくる。親というのは本当に分からない。顔にはそこまで出ない質だと思うのだが、それでも見破ってくるあたりは不思議な縁を疑えもしない玄斗だった。

 

「まあ、色々とね」

「そうか、そうか。……どうだ。最近、学校楽しいか」

「家族同士の会話下手かよ」

 

 台所から容赦ないツッコミがぶっ刺さっていた。この母にしてあの娘あり。妹のわりとドストレートにココロへナイフを叩き付けてくる言葉の数々は母親から遺伝したものかと、やっぱり玄斗は不思議な縁を感じるのだった。

 

「まあそうですよねえ。大学時代まで中二病患ってた人は違うものねえ? もうおまえが医者になるんじゃなくてさっさと医者行けよって母さん思ったものー」

「……な、玄斗。うちの母さんは怖いだろう」

「うん。でもその話は聞きたい」

「ちょっ、おまえなに言って――」

「あらあらじゃあ教えてあげるわ玄斗。この人ってばよく「できて当然だ」なーんて言ってる痛い大学生だったのよー?」

「うおぉぉおおお……っ!!」

 

 頭を抱えて父親がくずおれる。げに恐ろしきは一生付き添っていく相手に黒歴史を見られていたという事実と、それを息子にまではっきりバラされるという地獄か。玄斗は内心でそっと父親に手を合わせておいた。

 

「えらいエリートぶっててね、「医者は嫌いだ」なんて言って医大にまで入ってるし、成績が良くてそのことを言われたら「当たり前だ」とかさらっと言うし。でも顔は良いからなんかありえないぐらいモテちゃってるし」

「……母さん。もう勘弁してくれ」

「あの頃は輝いてたわー……本当に」

「母さん……」

「あなたの眼鏡が」

「よし。今度久しぶりにデートしよう。うん。それがいい」

 

 はっはっはー、と冷や汗をたらしながら父親が立ち上がる。対して母は「期待せずに待っておくわー」なんて軽い調子で返していた。なんだかもう憐れで仕方なかった。

 

「……なにしてたの、父さん……」

「いやあ……若気の至り……とも違うんだが……はは、人間積み重ねたことがあるとなんでも出来ると思うもんだからなあ……いやまあ父さんは実際になんでもできるがな?」

「玄斗。真に受けちゃ駄目よ」

「わかった」

「……最近、うちの家族は冷たくないか?」

 

 玄斗からしてみるとそんなコトはないので、あってもおそらく局所的だ。たとえば嫌だと叫ばれながら逃げられた誰かだとか。大学時代の黒歴史を息子の前で語られた誰かだとか。現在進行形で母親の機嫌をとりに行っている誰かだとか。ぜんぶ同一人物だった。

 

「――ああ、そうだ。玄斗」

「……ん? なに」

「おまえにだけは言ってなかったな。んんっ……ただいま、だ」

「……さっき言ったような気がするけど?」

「いやいや、おまえが言ったんだ。俺からは、言ってない」

 

 どこか自慢げに胸を張る父親の奥で、「まったくこの人は……」と母が頭をおさえているのが見えた。どうにも発作みたいなものらしい。

 

「……おかえり、父さん」

「……うん。よし、満足した」

「……ね? 玄斗。この人、コミュニケーション下手でしょう?」

「母さんっ!」

「安心して。それは僕もよく言われるから」

「ああ……この父にしてこの息子あり……だわ……」

 

 がっくりと肩を落とす母親に苦笑しながら、玄斗は夕飯に手を付ける。いつもよりすこしだけ賑やかな食卓と、すこしだけ浮ついた心持ち。それは悪いことではなく、正しく余裕というべきものだ。悩みも苦しみも軽くはないが、一先ず考え込んで余計に重たくするものでもない。時間はたくさんある。ゆっくりしていけばいいとはそのとおりだと、玄斗は改めて思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

「……広那ちゃん」

「うん? なになに、どうしたの大和さん」

 

 そんな深刻な顔してー、と近寄ってくる少女に、大和と呼ばれた彼はどういったものかと悩んだ。都合上仕方のないことではあるが、この時期、この年である。……ひとりで育てていく以上は、どうしても避けられない問題でもあった。

 

「……ごめん。転勤が決まったみたいで」

「あー……そっかあ。じゃあ転校? ……転入? どこら辺になるの?」

「ちょっと離れてるかな。近場だと、わり大きめの私立校がひとつあるけど」

「じゃあそこにしよっか。どうせ、もう決めてたんでしょ?」

「……本当にごめん」

 

 良いって良いってー、とからから笑う少女に、すこしだけ心の重荷が降りた。……お世辞でも、そう言ってくれるのはありがたい。

 

「で、なんて学校?」

「ああ、うん。たしか――」

 

 おかしな時期。おかしなタイミング。それでも歯車は回りだす。次第に、次第に。ゆっくりと。

 

「――私立、調色高等学校……だって」

 

 その幕が上がるのは、またしばらくさきのお話。





続いて幕間を二話ほどで五章終了。六章は……まあなんかあらかた予想されてそうなので言うこともありませんが。













にしても修理班は本当クセのないヤツらばかりで書きやすいったらありゃしないよ……。


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五章幕間:彼のウラガワ ~ある日の驚愕~

 

「あれ、お兄なにやってんの」

 

 珍しくリビングでなにかを弄っている玄斗に、ひょいと真墨がソファーの後ろから顔を出した。見ればノートパソコンである。またなにかしらエクセルだのワードだので小難しいモノを作っているのかと思えばそれも違うらしい。そう――画面には、綺麗な女の子のイラストが映し出されていた。

 

「いやまじでなにやってんだ!?」

「ギャルゲー」

「ええ!? うそ、お兄がっ!?」

「……なに、その天変地異でも起きたみたいな反応」

「いやそうもなるわ!!」

 

 うわ、うわ、うわわわわ――! と無駄にあわてふためく十代の妹。もう高校一年生である。そろそろ落ち着いて欲しいと思う反面、真墨が騒がなければ「なにか病気なのかな」と心配するぐらいには彼女のイメージが固定されている。それはともかく、

 

「久しぶりにやってみたけど、面白いね。やっぱり。こういうのは結構いいよ」

「いや……妹にギャルゲー勧めんなよ……てかお兄まじか……経験あったのか……」

「ずいぶんと昔にね。ちょっと気が向いてもう一度してみたら、これがなかなか」

 

 そう言いつつ玄斗は画面から目を離さない。一向に顔を背けようともしない。仕方ないので、真墨もゲーム風景を覗いてみることにした。ちょうど時間帯が放課後に入ったらしい。夕暮れの校舎をバックに、どこへ行くかという選択肢が浮かんでいる。

 

「お兄これどうすん――」

「ん?」

 

 言い切る前にクリックが終わっていた。

 

「いや早えよ!? 爆速じゃねーかおまえ!」

「いや、大体ヒロインの特徴と性格は覚えたから。あとはまあ進めていくだけだし」

「ええ……なにその玄人思考……やだお兄きもい……すげえわ……ドン引く……」

「大丈夫、ちゃんとテキストは読んでるから」

「いや黙読も早すぎだろ目ぇどうなってんだ」

 

 そも玄斗だってリアルタイムアタックをしているのではない。なので別にそうスピードを意識することもないのだが、久方ぶりのゲームに知らず心が躍っていた。単純に楽しくて仕方ないのである。前世の入院中で唯一の楽しみとも言えた恋愛シミュレーションゲームはその筆頭で、もうとにかく昔の感覚が戻ってきてテンションがまずいことになっていた。

 

「…………、」

「うっわあ……スーパー無言プレイ……ガチじゃん……もうこの人ガチじゃん……」

「……真墨」

「……なに?」

「悪いんだけど冷蔵庫からお水持ってきて」

「水道水でも飲んでろよ」

 

 ズバッと言い放ってみたが、それで大した反応も返ってこない。仕方ないので、本当に仕方ないので、真墨は冷蔵庫からペットボトルを一本取りだしてゲームに夢中な兄のほうを見た。いまだに瞬きもせずパソコンの画面を凝視している。

 

「(……ちょっと試してみーようっ♪)」

 

 キッチンの収納棚からストローを一本取りだして、ペットボトルのキャップを外した飲み口にそれを刺した。単なる好奇心、というよりは今ならやれるという謎の確信だった。そっと回り込むように玄斗の隣に座って、さも当然と言わんばかりに「はい」とペットボトルを差し出す。と、

 

「(……おお)」

 

 案の定、彼はディスプレイから視線をきらずにストローを咥えた。そのまま真墨が手に持ったペットボトルの中身をぐんぐんと飲み干していく。

 

「(うはあ……これやばあ。なんかあれだわ。ちいさい子供じゃんお兄。小動物かよっ)」

 

 奇しくもその気持ちは五加原碧の膝枕をしたときの感想とよく似ていた。肝心の男子が気付いていないという点と、それ含めて「やべえ」という思考回路に陥っている点がである。

 

「…………、」

「(……かわいい)」

「………………、」

「(……はっ。いやいや、お兄がかわいいとかありえないから!? あたしなに考えてんだ!?)」

 

 うおおおおと内心で頭を抱えても行動には出せない。なにせ持ったペットボトルをまだ玄斗が飲んでいる。当然手は離せない。ちなみに考えていたことは前述の碧とまったく同じである。男子当人に問題があるのか、それとも彼のほうに群がる女子に問題があるのか。

 

「お、お兄? そろそろ飲むのやめよー?」

「んっ」

 

 ぱっとストローを離した。それですんなりとゲームを続ける。素直だ。

 

「(いや子供かよ)」

 

 そう思ってしまった真墨は悪くない。すべてはらしくもなくゲームなんかやって夢中になっている十六歳児が悪い。自分は悪くない。ため息をつきながらペットボトルを置いて、よっこらせと立ち上がる。そうしてリビングの扉に向かって踵を返せば――ちょうど休みの父親が立っていた。

 

「……なにしてんだおまえら」

「邪魔。どいて。あとくさい」

「はっはっは。……真墨、俺なんかおまえにしたか……?」

「いやこの前くそきもいコト言ってきたし」

「いやあれは日ごろの気持ちをだな……」

「日ごろからあんなコト思ってるほうが重すぎてきもいわ」

 

 ピタリ、と真正面から見据えて父親が鋭い視線を向ける。

 

「きもいか」

「きもいわ」

「きもいのか」

「きもいんですわ」

「……そうか……」

「うわあやだこの人……がちへこみしてる……」

 

 ごめんねーちょっと言葉のナイフ強かったかなー大丈夫ー病院行くー? なんてトドメをさしにかかる真墨。色んな意味で容赦がなかった。父は娘に弱い。おそらくは全国の大抵の家庭で反抗期にあたり直面する現実だ。パパ臭い。その言葉に心折られた父親なぞ数知れず。もはや概念的破壊兵器であると言ってもいいのかもしれない。

 

「……で、なにやってんだ」

「復活早いなおい。……お兄がギャルゲーしてる。珍しく」

「ほう」

 

 ギャルゲー、と繰り返すように父が呟いた。ああ、これが同じ穴の狢ってやつか、と真墨はうっすら察した。親子揃ってなんというか。いや本当になんというか。元医大卒のくたびれたサラリーマンがギャルゲーとかちょう似合わねえと思いながら、真墨は横をすり抜けて玄斗のほうまで歩いていく父親を見送った。

 

「どんなもんだ、玄斗」

「うん。だいたいやれてる。イベントも逃がしてないみたいだし……初回だからそんなにCGは気にしなくてもいいのかな」

「そうか。……うん。これ、キャラクターの位置はもうすこし左のほうが見やすいだろう。文章も上にいきすぎだ。下ろせないのか? ……ああ。そうか、コマンドの……いやいっそメニューでまとめるとしたら……だとすると音声……いや、ボイス関連だけ配置を……」

「なんか父さん詳しいね」

「……おう、すこし昔かじってたことがある」

「なんだこの無駄に万能クソ親父……」

 

 医療知識あり、社会経験あり、ゲーム関連の知識はちょいありぐらいか。そんなのが自分の父親というのがわりと信じられない。なんというか、こんなコミュニケーション下手くそな人間でもやれることはやれるんだという可能性を垣間見る。

 

「というか長いな、ロード」

「うちのパソコンスペックが低いから」

「設定は弄ってないのか」

「まあ動くから良いかなって」

「それもそうか」

 

 やいのやいのと話し始めた男衆ふたりを置いて、真墨はそっとリビングから出た。いくらなんでもあの世界に入ろうという勇気はない。というか興味もない。男二人が騒いでいる空間というのもある。自分の部屋に戻ってくつろごうと階段に足をかけた。……扉一枚隔てた向こうからは、まだ談笑の声が聞こえている。

 

『ここは下じゃないか?』

『上だよ。前の会話でたしかそんなコトを言ってたから』

『なら上か? いやでも前の文面からしたら下が濃厚じゃないか?』

「……いや上でも下でもくそどうでもいいわ……」

 

 いま一度ため息をつきながら階段をあがる。玄斗が変わってから起きた、十坂家のちょっとした事件。それがなんに繋がるのかは、まだ誰も、知る由もない―― 






直ってからの零無くん書きやすいし書いててすごい気持ちいいんだけど物足りないよねっていう。


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五章幕間:彼女のウラガワ ~もしものドコカ~

とりあえずその時は救いがあるような気がするじゃない?


 

 ――それは、仄かな。彼女の幸せが、当たり前のように叶う話――

 

 

 ◇◆◇

 

 

 かつかつと、なにかを叩く音が聞こえる。靴音ほど高くはない。けれども、聞き逃すほど小さくもなかった。なんだろうと、玄斗は瞼を開けてゆっくりと部屋の中を見渡してみる。……そこに、見知ったひとりの少女がいた。

 

「……碧」

「ん」

 

 すい、と手だけあげて返事をする幼馴染み(・・・・)。彼が普段使っている勉強机の椅子に座って携帯を弄っている姿は、なんともまあ他人の部屋なのに様になっていた。むしろ寝ている玄斗のほうが異物感を抱えているほどである。

 

「なんでいるの……」

「なんでって、通してもらったから」

「僕の部屋に?」

「うん。どうぞーって、パパさんが」

「父さん……」

 

 え、なになに、ああ碧ちゃんね入って入って玄斗なら部屋で寝てるからー、と適当に招き入れた父親の姿を幻視する。なんとも頭の痛い問題だった。なにゆえ自分の家はこうもプライバシーが弱いのか。

 

「……あたしが部屋にいたらイヤ?」

「イヤではないけど……でも、その、もう高校生だし。この歳でこういうのはどうなんだろう……?」

「普通」

「……普通、なのか?」

「普通。世の幼馴染みなら普通。みんなやってるから。だから普通」

「……それなら、まあ」

 

 拒絶する理由もないのか、なんて勝手に納得する玄斗。ごり押し加減がいい感じに効いていた。なお彼がその真相を知るのは随分と先の話である。

 

「んで、おはよ」

「……?」

「おはよ、玄斗」

「……ああ、うん。おはよう、碧」

「……ん」

 

 こくんと満足したようにうなずいて、碧は顔を埋めながら携帯弄りを再開する。するすると画面のうえを滑る音と、時折液晶に長い爪があたる高い音。なるほどこれが原因かとうなずいて、玄斗はゆっくりと起き上がった。……思わずにやけてしまった顔を隠す碧のコトなんて、これっぽっちも気付かずに。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 五加原碧と十坂玄斗は、いわゆる幼馴染みである。ちいさい頃から親同士交流があり、家は向かいの窓から渡れるほどの隣同士。が、そんな近場でありながらありがちな「屋根の上をつたって隣の幼馴染みの部屋に行く」というコトはしていない。どちらもそんなコトをやるような子供ではなかったし、なによりそれなら真正面から入ったほうがと玄関を叩くのが彼らだった。

 

「……玄斗。あたし今日部活遅いから」

「じゃあ待っておこうか? テニス部ってみんな優しいから、男子ひとりぼーっと見てても怒らないし」

「……それは男子じゃなくてあんただからだっての」

「え?」

「なんでもー?」

 

 朝食を口に運ぶ玄斗に素っ気なく返して、リビングのソファーで碧はゆったりとくつろいでいる。他人様の家で、なんてのは今さらすぎる話であり、もとより昔から碧はこうして家に来ることが多かった。もはや第二の我が家である。慣れきってしまったせいで、玄斗も「あれ」と思いながらすぐに違和感が消えるのでなにも言えないのだった。

 

「……まさかうちの娘らに手、出してないよね」

「いや、ないだろうそんなの。そもそも向こうからそんな話が来ない」

「ほんとかなあ……」

「うん。だってほら、せいぜいが荷物持ち頼まれるぐらいだし」

「人数は」

「ふたりっきりで」

「……絶対断って」

「わかった」

 

 まったくこの男は、と碧はため息を隠そうともしない。傍から見る分には良いが、近付けさせると駄目なのだ。深く関わったりしたらそれこそアウトである。なんだかんだで十六年。一緒に過ごしてきた時間はトップクラスである彼女から言わせると、接触で感染する遅効性の毒。本人にその気がないあたり、わりと真剣に勘弁してほしかった。

 

「おはようおに……げ」

「ん」

「おはよう、真墨」

 

 寝惚け眼をこすりながら入ってきた真墨が、碧の姿を見て露骨にイヤな顔をした。ちいさい頃は仲良しだったというのに、今となっては犬猿の仲。どうしてだろうと玄斗は不思議に思いながらもぐもぐとパンを咀嚼する。どうしてもなにも理由はひとつしかなかった。

 

「……また朝から来てるんですか五加原先輩。そろそろ迷惑とか考えませんかね?」

「あはは……真墨さあ。玄斗の前だよ」

「いいんだようちのお兄は寛容だから」

「玄斗」

「真墨、喧嘩は駄目だぞ」

「卑怯者っ!」

「いやあ、まだまだあたしには勝てないでしょー」

 

 ひらひらと手を振る碧にぐぬぬぬと拳を震わせる妹。仲は良いのだか悪いのだか。玄斗の向かいにドスンと座った真墨は、そのまま「いただきます」と乱暴に手を合わせて朝食にがっつきはじめた。いわゆるやけ食いである。

 

「……ね、真墨」

「……なに」

「もう碧だって何年もあんなんだし、いまさら突っ込むところじゃなくないかな」

「ふふっ」

「ばかっ! お兄なに言ってんの! ここはガツンと一言いっとかないとあたしのチャンスが――じゃなくてっ! というかそこ笑ってんじゃねーよくそう!」

 

 余裕のある含み笑いがまた真墨の神経を逆撫でする。イライライライラと心のなかにカリカリとした感情がたまっていく。決壊寸前である。

 

「いやまじで意味分かんないし……なんでお兄はあんなヒトでいいわけ……」

「? そりゃあ、碧が碧だから」

「玄斗」

「……別に、恥ずかしがらなくても」

「分かってるなら言うなっ」

 

 くるくると髪の毛を弄りながらそう言う碧に、玄斗が苦笑して「ごめん」と謝る。またそのやり取りに真墨のムカムカがたまっていく。よろしくすんな破局しろコノヤローとふたりのすべてを呪わんばかりである。

 

「先に言っとくよ。お兄、ぜったいあの人駄目だからね。途中で不倫するからね。いい、覚えておきなよお兄。たぶんイケメンとかにソッコーでなびくからね」

「ああ、それは大丈夫。碧だから」

「……わかってんじゃん」

「いいやなにもわかってねーよっ!」

 

 見てみろあの姿を! と真墨がびしっと碧をさす。

 

「真墨、箸で人をさすのは行儀悪いよ」

「ずっと! ずぅぅうっとスマホ弄ってるんすよ!? ありゃもう二人目のキープ君と連絡とってんだよ間違いないね! お兄から取るモノ取っておさらばだよ本当マジラブ百パーセントっ!」

「うーん……そうなの?」

「そうだよっ!」

「いやいや、違うに決まってんじゃん」

「ほら」

「犯人はみんなそう言うに決まってんだろアホかお兄!!」

 

 ちなみに碧がずっと携帯で見ているものは画像である。もちろん玄斗に見られてはいけない類いの。ならばそういうコトかと言われるとそれは断じてない。簡単に説明すれば、まだ起きていない時間に部屋の勉強机で待機、そこから携帯を弄っている、気付かれる心配はそれこそ皆無、とくればそれしかなくなる。

 

「真墨」

「なんだよ泥棒猫」

「あとであんたにも一枚あげるから」

「…………ちっ」

「?」

 

 と、それで真墨はすんなり引き下がった。なんだろうと玄斗は依然首をかしげるばかり。当の本人は知る由もない。まさか自分の寝顔を撮った画像が、ふたりの間で結構な価値になっていることを。

 

「(……ま、良さそうだしいっか)」

 

 ギスギスしているならともかく、収まったのなら良いコトだ。とくに首を突っ込んで自分から藪を突きに行く必要もあるまいと、うなずきながら食事に戻る。そんなある日の、もはや見慣れた光景となった――十坂邸の、朝である。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――そう。きちんと分かっている。ああまで言ってくれた人なんて、もはや誰一人も現れないことを。後に続く誰かなんていないことを。

 

『よく、頑張ったね』

 

『頑張った。……頑張ったよ、玄斗。だから、もう大丈夫』

 

『あたしが……いまは、あたしが居るから』

 

『あたしが許して、あたしが認めてあげる。頑張ったよ、玄斗。もう我慢しなくていいよ』

 

『いっぱい泣こう? 泣いて、それから……笑おうよ。だって、そのほうがいいよ』

 

『もう――玄斗だけの過去(モノ)じゃ、ないんだから』

 

 あるべき形から逸れた世界。夢のような少女に傾いた天秤の果て。それは優しくも大切に、誰かを包み込む暖かさだった。





※ちなみにこの世界線だと碧ちゃん大勝利玄斗くん救済済み恋人エンドです。


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第六章 墨をつけても黒くなる
あいだの変化


ついに来たぞ妹ちゃんメイン。禁断の果実は甘いんだよというのを見せていきたい(見せられるとは言ってない)


 

 ――七月二十六日。なんだか今日は、とても穏やかな気分だった。

 

「…………、」

「…………、」

 

 うだるような熱気。室内には涼しすぎるエアコンと環境。外ではわんわんと蝉が鳴いている。わんわんというよりはミンミンというべきか。ごおごおと唸り声をあげる年式の古い我が家の空調をありがたがりながら、玄斗は麦茶を一口含んだ。

 

「……暇だね、お兄」

「遊びには行かないの?」

「こんなくそ暑いのに外とか出られないっつうの。死ぬわ。てか日焼け対策がどれだけ大変か知らないでしょ」

「知ってるよ。ずいぶんと昔、皮膚がただれたことがある」

「うっそお」

「本当」

 

 そう、あれは思い返すもずいぶんと前のこと。まだ彼が十坂玄斗ではなくて、体も心も空っぽだった頃の話だ。健康にも良いからとちょうど日差しのあたるベッドで横になっていれば、日が落ちる頃にはもうずいぶんとやられていた。その日に限って強かったというのもあるが、なんとも生きづらいと実感したのがそのときだ。

 

「皮膚ってあんがい弱いからね。紫外線とか、気にしないで良いのは健康な特権かも」

「いやそれはがさつな男子の特権だ。女子なめんな」

「まあ、僕自身日焼けなんてあまりしないんだけど」

「まあ……インドアだもんねえ……うち」

 

 今日も元気に会社へ出かけていった父親と、今日も変わらずパートへ出ていった母親。必然的に玄斗と真墨はふたりっきりで留守番をするというコトになる。母親が帰ってくる十二時頃までの話だが、なにはともあれ彼らは暇を持て余していた。

 

「……しりとりでもする?」

「いいけど」

「じゃありんご」

「ごりら」

「ラッパ」

「パンツ」

「セクハラ」

「ラー油……?」

「いや止めろよ」

 

 繋がってねえよ、と呟く真墨。しかも言い淀んでいないあたりがなんとも年頃の学生らしくなかった。もうすこし女子の妹に恥じらい見せろと思わないでもない。

 

「お兄、お兄」

「なに」

「好きって十回言って」

「好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き」

「あたしのことはー?」

「大好きだよ、真墨」

「――――」

 

 駄目だった。もうなんかもう駄目だった。語彙力がだめだわコレ、と真墨は顔をおさえながらテーブルに突っ伏した。その姿を玄斗は不思議そうな目で見ている。おそらく期待してるような感情が欠片もないのが酷かった。この兄、鬼畜である。

 

「ちょっといまのはないわ……」

「ああ。……たしかに気持ち悪かったね」

「きもくはない。お父さんじゃないからきもくはないよ。うん。大丈夫」

「そう?」

「むしろばっちこいだよ。もっと言って。妹への愛を愛のままにワガママにしてほしい」

「ごめんちょっと言っている意味がよくわからない」

「なんでだよ」

 

 有名なフレーズだろ、という視線を向けてみるが依然と玄斗は首をかしげるばかりだった。ちなみに時々父親が熱唱している。あれは家族から見ても恥ずかしい。とてもやめてほしい。家庭内ヒエラルキー最下位に対しては容赦ない女衆だった。

 

「そろそろ十一時だ」

「そうだねー……」

「……ご飯でもつくる?」

「おっけーおっけー」

 

 提案してみると、待ってましたと言わんばかりに真墨はうなずいた。まあ暇潰しならなんでも良しという感じである。ふたりしてキッチンの片隅からエプロンを取り出して、適当に冷蔵庫のなかを漁っていく。

 

「チャーハンの素がある」

「えー……チャーハン飽きたし……パスタにしよー。パスタ」

「すぐできるって。チャーハン」

「いやなんだよそのチャーハン推し」

 

 理由を言え、と睨まれて玄斗は笑いながらチャーハンの素を仕舞う。まあ気持ちとしては彼も同じだったので文句はない。なにせここ二日の昼食がチャーハン。さすがに三日連続は避けられるなら避けたい兄妹だった。嫌いではなくても味に飽きるというのはわりとよくある。

 

「僕が茹でておくよ。真墨は適当になんか」

「適当っておい。お兄おまえ適当って。料理なめんな」

「ごめん」

「分かればよろしい。じゃあ適当に合うもの作っとくわー」

「適当じゃないか……」

「それが料理というものだよ」

 

 ふっと笑って包丁を握る真墨。言っていることが支離滅裂だった。おそらくは熱さで脳がやられている。玄斗ももれなくやられている。夏の熱気が起こしたテンションの変化だ。リビングはエアコンが効いていて涼しい。

 

「……お兄さ」

「うん」

 

 トントントン、と小慣れた様子でベーコンを切りながら真墨が口を開いた。どこかぼうっと上の空である。危ないなと思いつつ、こちらも火を見ているので気は抜けないと玄斗はよそ見をせずうなずいた。

 

「最近、学校どう?」

「……それね。父さんも言ってた」

「うそ。やだ、うわあ親子ってやだあ……」

「……あんまり言わないであげてよ。父さん傷付きやすいから」

「いや知ってるけどあの人あれだよ? 防御力ないけど復帰力全フリだから。コンティニュー早いから。テッテレレッテッテー! って」

「残機は少ないかもしれない」

「大丈夫大丈夫あの様子だとまだ八十はあるね」

「父さん無限ワンアップでもしたのかい……?」

 

 脳内でなにかしらのBGMが流れる。小さいカタカナの〝ゥ〟を想起させた。毒電波である。おまけに色々と混ざってもいる。玄斗はブゥンブゥンと頭を振ってワケのわからない思考回路を放り投げた。

 

「会話が下手って、わりと僕たち全員に言えるよね」

「あたしはコミュ障じゃないよ? 友達たくさん居るよ?」

「その友達と今日は遊びに行かないの?」

「いやあ暑いし……みんな家族旅行いってるし……」

「ああ、それは仕方ない」

 

 真墨の知らない(・・・・)彼であれば、たしか軽井沢に別荘を持っていたか。そんな話を秘書から聞いたような記憶がある。あれで母親が生きている頃は結構笑う人であったともいう。人間どうなるか分からない、と語った顔はどこか悔やんでいるようにも見えていたのを思い出した。

 

「うちの父さん、中間管理職だからね……」

「変だよねー。医大まで行ったのに医者じゃないし。でもわりと万能超絶スペックだし。絶対あれは手を抜いてるよね。怠慢だよ怠慢。もっと稼げこのやろう」

「まあまあ。父さんだって頑張ってるかもしれないだろう?」

「いいや手抜きだねあれは。遺伝子レベルで分かるよあたしは!」

 

 手抜き手抜きー、と居もしない父親へ文句をぶつける真墨。ちょうどその頃会社の廊下を歩いていた彼らの大黒柱はテーブルの角にスネをぶつけていた。弁慶の泣き所である。たぶん目の前で言われていたらその比ではなかっただろう。

 

「――あいたっ」

「!」

 

 と、急に真墨が声をあげた。見れば、包丁を置いて指を咥えている。

 

「……なにしてるの」

ほへん(ごめん)ひっは(きった)……」

「咥えちゃ駄目だよ。水で洗わなきゃ」

ひょういはい(ちょういたい)……」

 

 そっと真墨の手首を握って、台所の蛇口を捻りながら指を持っていく。見たところそこまで深くはないらしい。が、だからといって切り傷が痛くないかと言えばそうでもない。そも普段から痛みになれていない人間は、大したことがなくても敏感になるものである。玄斗からしてみれば気にもならない傷だって、真墨にとっては十分痛い。

 

「もう、気を付けないと」

「ごめん……」

「真墨は指、綺麗なんだし。ピアノも得意だったっけ。命みたいなものじゃないの」

「……ピアノはやめたし。ていうかそこまで重傷じゃないし」

「重くなったら駄目だから言ってるんだよ。傷口からばい菌が入ったらしんどいんだから」

「…………、」

 

 いや本当にあれはしんどい、と玄斗は昔を懐かしんだ。ちょっとした切り傷でも命に関わるという意識があったからか。たしか絆創膏は救急箱に入ってたっけ、なんて思いながら真墨をそのままに台所を離れようとして――

 

「あ」

「へ?」

 

 ぐらり、と体が揺れた。端的に言って、足をもつれさせた。まずいと思った直後に、すんでのところで真墨の手を掴み直す。傷口を触れさせるのはいけない、と思ってのことである。あとは頭や背中を打たないように手を回すのが限界。そのままどんどんと身体は重力にしたがっていく。

 

「きゃっ」

「……っ、と……」

 

 なんとか真墨を抱える形で倒れ込んで、無事なのをたしかめる。衝撃をもろに受けた左手は痛いが、動かせないほどではない。ゆっくりと体を浮かせば、自分の下で固まった妹の姿が見えてきた。

 

「ごめん、大丈夫? ます……」

「――――――」

「……み……?」

 

 ぽかん、とどこか呆けたような顔。指一本が縦で入るかどうか。五センチもない至近距離で、玄斗は真墨と見つめ合う。……潤んだ、墨色の瞳を。

 

「真墨……?」

「…………ぁ、い……や……」

 

 ぴくん、と肩が震える。握った手首から微かなものを感じた。鼓動が速いのだろう。真墨の顔が、見る見る林檎のように真っ赤に染まっていく。

 

「……本当に大丈夫かい? まさか、熱でもあるんじゃ」

「や……! ち、ちがう、の……これは……あの、えっと……」

「ちょっと、ごめんね」

「――――っ」

 

 ひたり、とおでこがぶつかる。至近距離。一センチもない。それがもう、限界だった。

 

「――ご、ごめんっ!」

「わっ」

 

 どん、と玄斗を突き飛ばして真墨がリビングから出て階段を駆け上がっていく。逃げこんだ先はおそらく自分の部屋。いつもとは違う妹の態度に思考を回しながらも、玄斗の意識は一点に注がれている。

 

「……傷、まだ処置もしてないだろうに」

 

 そこがまあ、ひとつ。あとは彼女の態度が気にかかって別にひとつ。どちらも見逃すまいと思考を回す。無視をするのは逃げだ。考えないというのは恥だ。だが、考えすぎるのも陰鬱になっていけない。程度良く、そして割り切りよく、配分よく。十坂玄斗は、いまいちど考え始めた。 






色々と考えた結果、もうそろそろ卒業かなということで方向性が確定いたしました。そうだよ玄斗くんおめでとうだよ。もう苦しまなくて良いよ。これからは健やかに頑張ってね。



……いやあ活用班どもを書くのが楽しみですね!


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世界を超えて

 

 ――他人の気持ちなんて、昔から知っていた。なにせ見えるものがそれだけだ。とても分かりやすく、けれど絶対目には見えない(・・・・・・・)。そも知らなければならない理由が彼にはあった。たとえば、父親の気持ち。周りの大人の気持ち。父親の秘書の気持ち。自分を看てくれる医者の気持ち。そのどれもを見て――いったい、どれほど理解できただろう。

 

「(……心は複雑だ)」

 

 なんとなく、それだけは理解した。が、それ以上は踏め込めない。なにせ彼は心を知っても共感ができなかった。悲しい、逃げたい、つらい、死にたい。そう思うことすら許されない毎日。痛いとは思っても、涙がでることはない。苦しいとは思っても、陰鬱な気分なんて襲ってこない。明透零無の心は、未完のまま壊れていった。

 

「(それがどうにか、ここまで来れた)」

 

 言うなればこれはきっと、偶然でも、ましてや奇跡ですらなく。彼女たちが必死で築き上げてくれた、誰かのためにと一生懸命つくりあげた軌跡(・・)であろう。だからなんとなく、思い始めていた。答えるだけがすべてか。十坂玄斗は思い悩む。違うかも分からない。ただ、ひとつだけ言える事があるとすれば。

 

「(僕が僕らしくあること。それが……いちばんの、恩返しになるんじゃないかって)」

 

 成り行きのなあなあとか、心が弱ったタイミングとか、妥協や苦悩の果てに知恵を振り絞って選んだ答えなど、それこそ切り捨てられそうだ。赤音なら否定する。蒼唯なら文句を言う。黄泉なら眉間にしわを寄せる。碧なら曖昧に笑うだろう。そんな、あるはずもない答えを夢想していた。好意はあるが、相手からの好意もすべて受け取るわけではない。それはなんとも強いな、と玄斗は思った。どうしてあんなにも、彼女たちは逞しく生きていられるのだろうと。

 

「(……いや、僕が弱いだけか)」

 

 強くなったのは体だけだ。心はこれっぽっちも変わっていない――なんて漏らせば殴られそうなものだが。他人の気持ちなんて昔から知っている。分からなくても考えてきた。けれど、自分の気持ちなんて一切見ないままだった。碧のおかげで、やっとそれが見えた。たった一言、無自覚の奥底で望んでいたどこまでも甘い言葉は、思えば苦くて吐きそうになるほどだ。そんなモノはいらないと理性は必死に叫んでいる。でも、本心は違う。

 

「(……最悪だ。あんな、なんの意味もない人生で、頑張ったなんて言われたいなんて――)」

 

 なんと自分は傲慢なのだろう、とため息をついた。自分より酷い一生を送った人間なんてごまんと居る。自分より役にたった人間だって数え切れないほど存在する。それからあぶれたモノでありながら、一丁前に救いだけは本当のところで望んでいるのか。愚かだと玄斗は思う。それで救われてしまったのが尚更酷い。

 

「ただいま……と、玄斗か」

「父さん」

「まだ起きてるのか。もう十一時だぞ」

「……それは父さんにも言えるよ」

 

 悩んでいたところへ、父親が帰宅した。くたびれたスーツを脱ぎながら、リビングのテーブルへ腰掛ける。仕方ないので玄斗は冷蔵庫から夕食を取り出すことにした。……今晩の食事に、会話はそれほどなかったように思う。

 

「きついことを言うな。たしかに十一時は遅い帰宅だがな」

「母さん怒ってたよ。これでキャバクラ行ってたらしばくって」

「ははは、そんな夜遊びするワケないだろう?」

「口紅ついてるから拭いたほうがいいよ」

「おい、俺は息子にそんな教育をした覚えはないぞ」

 

 むっと不機嫌な顔をする父親の前にレンジで温めたごはんを並べて。玄斗はいまいちどソファーへ戻った。最近にしては珍しく――なんだかんだ言って結局――深い方向へ考えているのは、真墨との不仲が原因だった。そも不仲と言っていいものかは分からないが、昼のアレ以降なんだかギクシャクしている。なので、自分の価値に罅が入っている。

 

「どうした、暗いぞ玄斗」

「……すごいね。分かりやすい?」

「自分の息子だ。それぐらい分からなくて親など名乗れん」

「じゃあ鑑だね、父さんは。親の鑑だ」

「…………ふむ」

 

 と、自慢げに「そうだろう」なんて言うだろうと思っていた父親は、言葉をぴたりと止めた。どこか、考え込むように。

 

「悩みなんて、深く考えてもいけないのにね。そう何度も思ってるのに、考えちゃうから大変なんだ。僕には、それぐらいしかできないから」

「……うむ。悩みか。抱えるのは、大変だ」

 

 しみじみと父親が呟く。なんだかその言葉には重みがあった。今年で四十になる親の重みだろうか。そう考えるとたった十もすぎないぐらいの時間を過ごしている玄斗だが、心はまったく成長していないのだと気付かされる。

 

「……そうだな。玄斗。どうして父さんが医者を目指したか分かるか?」

「それは……前に聞いたよ。たしか、他の医者が気に入らなかったって」

「そうだがな。……いちばんはじめにあるのがな。ある(・・)もんだ。……きっと世界でいちばん大切で、大切にするべきだった。そんな誰かをな、失ったんだ」

「…………父さんが?」

「いや……まあ……そうだな……すこし、昔話を聞いてくれるか」

 

 こくんと、玄斗はうなずいた。とくになにを思ったのでもない。ただ、それを聞くのを拒む理由がないままに答えていた。

 

「とても昔の話だ。……とんでもない、馬鹿な男がいたのだ」

「……馬鹿な、男……?」

「ああ。好きな女と結ばれ、幸せな生活を過ごし、仕事もなにも順調にいっていて、調子をこいた馬鹿な男が」

 

 それはいったい、誰の話だったのか。玄斗には分からない。なにせ、名前も聞いていない。

 

「いつまでも続くと思っていた幸せ。日常。これ以上はないという日々。……それが壊れるのはな、いとも簡単だ。なにせ一瞬で終わる。そして、目の前が見えなくなる」

「…………酷い話だね。手に入れるのって、ぜんぶ、難しい気がする」

「そうだな。だから、手放したらもう二度とは掴めんようなものだ。……男はな、二度とソレを掴めなかった」

 

 幸せの在処。それがありふれていても、手にできるものはほんの一部だとは思っていた。実際にそうだ。そしてそれすら手放してしまえば、きっと同じものは掴めない。父親の言うことは、とても理解できる。

 

「妻を病気で失ったんだ。それで、子供が残った。その子を育てていくうちに、心が狂っていくのが分かった。自分の子だというのにな。殺したいなどとなぜ思うのか。……あんなのは弱った心の見せたモノだというのに。それを幻と思う余裕すらなかったのだろうな。憐れなものだ」

「……そう、かな……」

「ああ、そうだとも。……思い出して、嫌になる。我が子を憎んでいたあの頃はな、地獄だとしてもだ。……()はきっと、その子に愛情を注げただろうに」

「――――」

 

 耳朶を震わせた声が、分からない。でも、分かる。それは、知っている音だ。

 

「父さん……?」

「……ふたりだ。病気でな、大切な人をなくした男を知っている。だから私は、医者になろうとしたのだ。が、それも母さんに会うまでだ。……本当、ままならない人生だな」

 

 くつくつと喉を震わせる。泣いているような笑い方。玄斗はそれに、どこか覚えがあった。古い古い記憶の片隅。知識として残ったものが、どこか、景色を連動させる。

 

「玄斗」

「……なに?」

「愛している」

「……いや、急に、なんなの?」

 

 脈絡もない、と訊ねれば父親はくつくつと笑った。またその姿が、どこか重なる。

 

「いやな、どうにも面白い。母さんは照れていた。真墨は……きもいだなんだとゴミを見るような目で見てきたな。そしておまえは、困惑している」

「まあ……うん……ていうか前の真墨、それが原因か……」

「三者三様だ。どれも違って面白い。……最近のおまえを見ているとな、思い出すんだ」

「……その人の、こと?」

「ああ。……伝えたいこと。言いたいコト。沢山あるんだろうな」

「……そうなんだ」

「そうだとも。……一度もな、言ってやれなかった。おまえを愛しているとな」

 

 どくんと、心臓が跳ねた。それは、紛うことなき彼のモノ。

 

「……そう、だったんだ」

「ああ、そうだ」

 

 言葉が途切れる。音がうるさい。心臓がいまだに跳ねている。まさかそんな、と思考回路がぐちゃぐちゃだ。でも、けれど、なによりも。――ああ、それは。その言葉は。

 

「……でも父さん。良かった……ような、気がするんだ」

「……なに?」

「きっと……それは、ね……届いてる。たぶんだけど、そんな気がする。だって――」

 

 視線が合う。交錯する。父の瞳が開かれた。なにか、とんでもない事実に気付いたように。

 

「――きっと、その子はとっても幸せだよ。いま。だって、その言葉を、しっかり聞き届けたんだから」

「――――――、」

 

 カラン、と箸が転がる。父親の手から滑っていた。それはあるべきモノがこぼれた音で。そして、すべてが繋がる音だった。

 

「――――ああ、そうか」

 

 顔をおさえる。表情を隠す。鉄面皮。そう思っていた誰かの顔が、その光景と重なってしまう。どこまでも、どこまでも――強固なカタチとして。

 

「なんだ……これは……はは、私は――っ、なにを、していたというのだ……っ」

「…………、」

「は、はは――はははは……! ああ、ああ……そうか、そうなのだな……おまえは……」

 

 指の隙間から、見慣れた瞳が覗いた。きっと幻覚。けれど同時に真実でもあった。なんとも縁が深い。深すぎて、切っても切れないぐらいなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――おまえはずっと、そこに居たのだな……レイナ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うん」

 

 うなずく零無に、彼は堪えきれなかった。

 

「――――く、はは……あはははは! ああ、そうか! そういうことか! まったくおまえは……ああ、もう……本当に――っ」

「……どうして泣いているの」

「ははは……馬鹿が。泣くだろう。おまえはずっとそうだ。私を……いいや、私こそは……言わねば、ならなくてな……っ」

「…………、」

 

 ぐっと、父親が拳を握る。血が滲んでいた。玄斗はそれを見つめている。ただ真っ直ぐに、静かに。その声を聞き逃すまいと。

 

「……すまなかった。レイナ。おまえを、愛してやれなくて」

「……ううん。いいよ。許してあげる」

「……優しいのだな、おまえは」

「別に、そんなことないけど」

 

 苦笑すれば、彼も曖昧に笑った。なんだか距離感がむず痒い。

 

「……ああ、それと。もうひとつ。ずいぶんと遅くなった」

「そうだね。もう十一時だから」

「違う。……あの日、おまえに言えなかったんだ。だから、な」

 

 向かい合う。出かけるときはたしかに言った。少年が倒れた日、それ以降はもう交わされなかった唯一と言って良い家族の挨拶。

 

「――ただいまだ、レイナ

「……うん。お帰りなさい、お父さん」

 

 複雑に笑って、父親はそう言った。玄斗は花開くような笑顔でそれに返した。流れる雫が止まらない。歪にねじれた家族の絆。その根底を覆す事件は、こうしてひそやかに明かされたのだった。






というわけで……いやこれはバレバレでしたね。はい。もうなにも言うことはありません。


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それぞれの想い

 

「……ひとつだけ、頼みがあるんだ」

 

 ふと、父親がそんなことを言ってきた。聞いてくれるか? とぎこちなく玄斗のほうを向く。それに彼はこくりとうなずいた。なんだか妙な気分だ。いつもは明るい態度の父親が、ひとつ下に見慣れた顔を持っている。それが、どうしてか嫌ではない。

 

「なに?」

「……もう一度、おまえの父親をやらせてほしい」

 

 今度こそは幸せにする、なんて。とても昔では考えられない言葉を、昔とはかけ離れた姿で、昔と同じように言ってくる。そのギャップに堪えきれなかった。なんてことだろうと、玄斗は胸がすく思いだ。だって、そうだろう。あんなにも心につっかえていた親の問題が、こうも簡単に、するりと――幸せに切り替わるものか。

 

「……なんで?」

「――いや、悪い。すまん。私はおまえを……」

「いまさら必要ないよ。だって、もうお父さんはお父さんなんだから」

 

 ずっとずっと父さんだったんだし、と言うと彼は目を見開いた。顔にでない代わりに、よくその瞳には表われている。明透零無は気付いた瞬間に。真実彼はいまにこそ。もはや笑う以外の対処の仕方を、どちらも知らなかった。

 

「……そうだったな。もう父親だ……おかしなことを、言ったもんだな……」

「本当だよ」

 

 お互いに笑い合う。かつてはそんな未来なんて想像することもなかったのに、なんともこれがまた合ってしまう。そこまで仲が良かったかと言えば、絶対にノーと答える。玄斗がなんと言おうと目の前の父親はそのところ頑固だ。たとえどれほどのモノであろうが、真実を塗り潰すことを由としない誠実さだ。

 

「……〝零無〟」

「……うん」

「ありがとう。ずっと、私の息子でいてくれて。……おまえは自慢の我が子だ。ああ、そうだな……もう二度と――おまえには、不自由な思いなどさせない」

「……うん」

 

 声が滲んだ。視界が霞んでいる。親でいってしまえば、十坂玄斗の父親だ。いままでぜんぜん良くして良く育ててきてもらった。なのに、その中身と向き合えば途端に心が脆くなる。それほどまでに、父親の声音は響いてきた。

 

「ありがとう、お父さん。ぼくは初めて……お父さんの息子で良かったと思った」

「……それは、贅沢すぎる言葉だな……」

 

 おまえの口から聞けたこと自体がとんでもない、と彼は顔を背けながら言う。言葉に不満の色など一切見当たらない。どころか嬉しさすら浮かんでいるようにも見える。自らの犯した過ちと向き合って生涯を閉じた彼だからこそだろう。生半可な救いなどないと思っていたからこそ、こんなにも贅沢すぎる現実はさすがに持て余してしまう。

 

「……ああ、それから。あとひとつ」

「……なに? まだあるの?」

「あるとも、沢山あろう。私の言いたいコトなどひとつやふたつではない。ずっとおまえと話したかったのだ。それが叶うのに、ひとつふたつで済むものか」

「……なんなの父さん。あんな態度だったくせに、いまさら」

「いまさらだ。だからこそだ。ずっと、後悔していたんだ。……だから、これぐらいは言わせてほしい」

「……いいよ。なにを?」

 

 まだあるのかと呆れかけた玄斗に、父親はそれはもう酷い顔で言葉を紡ぐ。涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。四十代の大の大人がそんなみっともなくて良いのかとも思うが、そのあたりを突っ込むのも野暮か。彼はテーブルに置かれたティッシュペーパーで顔を拭きながら、そっと玄斗のほうに視線を向けた。

 

「――(ゼロ)では無い。きっとなにかがあって、消えてしまわないぐらいにきちんとしている」

「……?」

「……零無(・・)。その名に込められた、真の意味だ。なにもないなんて無かったんだ。私の戯れ言など忘れてしまえ。……おまえは祝福されて生まれたのだ。なにかを望まれて生を受けた。だからな、零無。恨むなら私を恨め。呪うなら私を呪え。おまえはなにも悪くないんだ。――おまえが生まれた意味はたしかに、()じゃ()かった」

「――――――」

 

 ガン、とハンマーで頭を殴られた衝撃。なにもない。ひとつもない。零であって無であると、言い聞かせてきた固定観念。そのすべてを撃ち砕かれた。見事なまでに粉々だ。これで自由。縛るものなどなにもない。明透零無の楔は、完全に、ここに解き放たれた。

 

「……そう……だったんだ……」

「ああ。……だから、迷うな。素直に行け、零無。おまえはきっと持っている。無いハズなんて無いだろう。要らないものはすべて捨て置け。私にぶつけろ。……幸せになれ。零無。私はそうあれと、望んでいる」

 

 幸せのカタチ。心の在処。権利、義務、許可。色々と面倒なコトを考えた。考えすぎた。だが、いざとなってみればなんて簡単なのだろう。たかだか一言。親の言葉。それだけで、なにを悩んできたのかと思い知らされる。どこまでも、どこまでも。父親の言葉で、救われていく。

 

「――ありがとう。父さん。分かった気がする」

「……そうか」

「ごめん。真墨の部屋、見てくるよ。僕は僕らしくいいんだって、気付けたから」

「……ああ」

 

 ソファーから立ち上がって、玄斗は早足でリビングを横断する。その後ろ姿を、父親は微笑みながら見た。あの息子がこうも立派に育っている。あの彼が、こうもきちんとした意思を抱えている。身勝手なことに、それで、溢れていく心がある。――とても現実とは思えないほど満たされた世界。ドアノブに手をかけた背中に、つい、声をかけた。

 

「待て」

「なに?」

「愛している、零無」

「――――」

 

 ぽかん、と呆けてこちらを見る少年。刹那、

 

「――うん!」

 

 子供のように笑って、彼は飛び出していった。とても、とても、満足した表情で。

 

 

 ◇◆◇

 

 

『……真墨?』

「――――っ」

 

 ずきずきと、胸が痛む。耳朶を震わせる声音はずっと染み付いて離れない。十坂真墨にとって、十坂玄斗は血の繋がった兄妹だ。生まれてずっと一緒にすごしてきた家族だ。だから、おかしな気持ちを抱えることなんてない。所詮家族同士のスキンシップ。そう割り切れたなら、どれほど良かったかと。

 

「……最悪。なんで、こう……」

 

 ――うまくいかないんだろう。そんな一言をぐっと飲み込んだ。最悪なのは誰なのか。そんなものは当の昔に分かっている。たかが十六年。されど十六年だ。ひとつしか違わない彼女からしてみれば、生まれてから十五年になる。その間に、いったいなにも見なかったと何故言えるのか。

 

「(あたしは……ずっと……)」

「真墨」

「っ!」

 

 声が聞こえた瞬間に、ビクリと肩が跳ねた。部屋のなかは真っ暗だ。外の明かりが扉の隙間から入ってくるぐらいで、一切こちらからの情報はない。もう十二時も近い深夜。このまま返事をしなければ、きっと玄斗は寝ていると思って去るだろう。――そう、思っていたのに。

 

「――ぁ」

「……ほら。やっぱり起きてた」

「……最低……妹の部屋、勝手に……開ける、なんて……」

「ごめん。でも、そうでもしないと居留守使うだろう」

 

 バタンと扉を閉めて、玄斗が手探りで電気をつけた。部屋のなかに明かりが灯る。見れば真墨はベッドの隅で、膝を抱えながら座っていた。それにくすりと微笑んで、玄斗は反対側の端に腰掛ける。衣擦れの音は、やっぱり向こうから聞こえた。

 

「怪我、平気?」

「……もう血は止まった」

「そっか。でも次からはちゃんと消毒して絆創膏つけないと駄目だよ。とくに包丁なんて、食材を切ってるんだから」

「……うん」

「分かってるなら良いんだ」

 

 そう言って、玄斗は笑う。その笑顔を真墨は横から盗み見る。以前までの彼のソレとは変わった代物。それが、彼女は――

 

「……っ」

「――ね、真墨」

 

 おさえこんだ瞬間に、声をかけられる。やめろと声も出ないままに叫んだ。きっと胸中か、空気に溶けるほどのちいさな音。だから玄斗には聞こえない。届かない。届かせたくもない。それはなんて、どこまでも醜い彼女の声で。

 

「僕はこれで十坂玄斗だから。なにがあっても、真墨の味方だよ」

「――――っ」

 

 やめろ、やめろ、やめろ、やめろ。いますぐその口を閉じて黙ればいい。無駄な言葉なんて続けるだけ無駄だ。どうしてそんなコトを言う。そんな言葉で、自分は、本性を曝け出したいのでは無い――

 

「だからなんでも言えば良い。言いたいこと。我慢なんてしなくていいよ。だってそれを受け止めるのが、僕の役目だ」

「……ふぅん。なんも知らないくせに。そんなこと、言うんだ」

「なにも知らないから、だよ。だから言ってるんだ」

「…………本当に、良いわけ?」

「良いよ。ぜんぜん。だから、安心してよ」

 

 ずるいなと、真墨は笑った。きっとこれから話すことは取り返しのつかないことになる。そう直感しながらも、そこまで言われてもう我慢できなかった。

 

「じゃあ……ね。はっきり言うけど、さ……」

「……うん」

 

 そして彼女は一言。

 

「あたしの――性の目覚めは、()()()()()だった」

「…………え」

 

 とんでもない爆弾を、鈍感天然野郎にブチ投げたのである。 





こう書いてみるとやっぱり主人公の境遇が甘いなって。




だから活用班は容赦しないでおくね?


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あなたはとても

 

「……いま、なんて?」

 

 震える声で玄斗がもう一度と訊ねる。きっと聞き間違いだ。なにかの幻聴に違いない。もしくは単なる空耳か。ではなんと言ったのだろう。セイノメザメなんてとんでもない言葉を妹がいきなりこの流れで言うワケはない。それこそあたしのキムチ鍋はお兄ちゃんのだったとか、そういう可能性のほうが高くすらある。いやない。

 

「だからっ…………あたし、お兄ちゃんで……その。目覚めたの」

「……なにが?」

「……性欲」

 

 マジか、と玄斗は天をあおいだ。なんと答えたら良いものかもう分からない。大体あるとしても性欲だとか兄妹でそれだとかより、話の流れが急すぎて頭の回転が追い付かない。隠し事を言ってみなよと諭してみれば私はあなたではじめて欲情しましたと言われた。冷静に考えてもどこかおかしい。

 

「……なんで……?」

「……中学のとき。お兄さ……その、委員会とかで……疲れて、帰ってくるときあったじゃん」

「ああ……あったね。遅くなって、もうソファーに倒れ込んだり」

「そう。……でさ、そのときに……お兄、ボタン、外してるじゃん」

 

 玄斗はうんとうなずく。ワイシャツのままでは堅苦しくて、第三ボタンまで一気に開けてから横になっていた日は何度もあった。慣れない中学生活で疲労が毎日蓄積され続けていったというのもある。だから、それ自体はなんらおかしなコトでもないのだが――

 

「その、格好見て……さ……なんていうか、その。……下品、なんだけどね……」

「……、うん」

「…………濡れ、ちゃったんだ……」

「…………………………………………ええ」

 

 思わずそう声を漏らしていた。いや、本当に無意識で。

 

「――っ、だ、だって仕方ないじゃん! お兄がエッチな格好してるのがいけないんだよ!? そんな、さあ! みんなが使うリビングじゃん! みんなが座るソファーじゃん! そこで堂々と寝転がって!? あまつさえワイシャツの前開けて!? ぐったりしてる姿を見るあたしの気持ちにもなってよ!!」

「……いや、ごめん。けどこればっかりは本当、なんていうか、理解が追い付かない……」

「追い付け!? あたしの思考回路についてこい!? もうさあ! あんなのさあ!? 誘ってんじゃん!!」

「ええ……?」

 

 もちろん玄斗にそんな気はない。断じてない。というか学校で疲れて家に帰ったところをソファーに寝そべりながら妹を誘うなんてのは完全な変態ムーヴだ。変態すぎてもうレベルが変態仮面一歩手前までいっている。イマイチ尺度が分からなかった。

 

「あと風呂上がりにTシャツ短パンで歩くの! あれもだから! もう雫に濡れた髪とか湯上がり直後の肌とかもうあれ目に毒だよ猛毒なんだよ! ふざけんな襲うぞオラァ!」

「待って、ステイ。落ち着いて真墨。ちょっ――ズボンに手をかけないで!?」

「脱げーっ! そしてあたしを抱けーっ! ちゅーしろよ! キスしろって! 上も下もいっそやっちまえよ!? おいなに目ぇ逸らしてんだこっち見ろよ!?」

「で、できません……!」

「っざっけんなオラァ! あたしを孕ませオラァ!」

「真墨っ!?」

 

 ――女の子がそういうコトを言うのは、どうなんだろう。無論玄斗の思考に対する答えは誰がどうであれモラル的にアウトである。むしろ逆レイプされかかっている彼にこそ色々とヒロイン的な何かはあった。男、十坂玄斗。人生ではじめて妹から明確な性的対象として襲われる。おそらくは経験したくなかった類いのモノだった。

 

「もうこの際だからはっきり言うぞ? いいかはっきり言うからな!? お兄はマジでエロいから! そんな油断とか隙ばっかり見せてるからもう本当エロ魔人だから!!」

「ピンク色なのは真墨のほうじゃないのか……!」

「違うわっ! あたしは純真な淑女っ! だいたいお兄以外に興奮しないっ!」

「それはそれで問題があると思う!?」

 

 わあきゃあと騒ぐふたり。その姿はどこまでも兄妹でありながら、どこまでも一戦を……もとい一線を越えようとしている。すくなくとも片方は、そう見えていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……ごめん。ちょっと冷静さをかいた」

「(ちょっと……?)」

 

 脱がされかけたズボンを直しながら内心思った玄斗だったが、口には出さなかった。ヤブヘビという言葉もある。自ら危険を冒す必要はないと、彼の生存本能は必死にアラートを鳴らしていた。

 

「……色々、言ったけどさ」

「……うん」

「お兄をそういう目で見てたっていうのは、本当。……ずっと、そのときから」

「……そう、だったんだ……」

 

 気付かなかったというふうに玄斗は呟く。当然だ。なにせ気付かれないように真墨はずっと立ち回ってきた。それは生半可な代物ではない。兄妹といういまの関係性を壊すまいとして行ってきた努力だ。それが、そんじょそこらの兄にばれるものでもない。なにせ十坂真墨は、玄斗以上に頭がキレる。

 

「しょ、しょうがないじゃん。だって、さ……ネットでえっちな画像とか見ても、クラスの男子のそういう、あの、なんていうの……隙、みたいなの見てもさ。ぜんぜん、反応しないんだもん。……お兄じゃないといけなくて、お兄じゃないとイけなかった」

「……なんで言い直したの?」

「言い直してないもん。……ほんとさ、キモいよね。あたし。それぐらい分かってるのにさ……でも、お兄じゃないと駄目だった。気付いたらそれ以外考えられなかった。……もう、あたし、お兄以外じゃ満足できない体になっちゃったんだよ……?」

「……言い方」

「なんだよ照れろよ?」

「いや……あの……ちょっと」

「ガチで引くな傷付くだろ!?」

「……ごめん」

「…………、」

 

 謝ると、真墨はふいとそっぽを向いた。その表情には若干の翳がさしている。明るい雰囲気とテンションで乗り切ろうとしている。そんな本心が丸分かりだった。それは単なるやせ我慢だ。ただの強がりだ。玄斗でさえそう思う。形や方向性はどうであれ、妹が最大限の自分の言葉で自分の心を伝えている。ならば、それを曖昧と流すのはどうか。そんなの玄斗にとって、考えるまでもなかった。

 

「……でも、そっか。真墨はずっと、そうだったんだな」

「…………ま、そうなるんですかね」

「うん。じゃあ、別に。それでいいや」

「――――え?」

 

 くるりと、最愛の妹がふり向いた。なんで、と言葉にして聞かずとも表情で分かる。それもまた、兄妹として過ごした時間の多さだった。

 

「最初に言った。なんであれ受け止める。それなのに否定するのは、おかしいよ。普通とは違っててもいい。それが真墨だっていうんなら、僕はそれを受け止めるし、飲み込むよ。苦くてなかなか嚥下できなくても、無理やりにでも。だって僕は、真墨のお兄ちゃんだから」

「……なに、言ってるの。お兄……」

「だから、それで構わないって言った。そも、誰にだって邪魔なんてできないだろう。真墨は真墨のまま、真墨らしく生きていけばいいんだ」

「――――っ、ばか!!」

 

 ぎゅっと、真墨が抱きついてくる。玄斗はそれを優しく受け止めた。心には余裕がある。今までなかった余分なトコロが良い塩梅に働いてくれていた。いまさらその程度でなんだというのか。衝撃というだけならそれこそ――先ほど知らされた、父の真実のほうがよっぽど現実離れしている。だから、このぐらいは、悩むことでもない。

 

「そんなコト言って……あたしをどうしたいワケ!? あたしが……っ、あたしがどれだけ、我慢してきたと……!」

「じゃあ、しなくていい。そも、受け止めるなんて誰にでもできるんだ。ただ、答えるのが難しいだけで」

「そんなの……っ、そんなの、分かってる、から……だから、さあ……? もう、いいじゃん。こんな妹、要らないじゃんっ……あたしみたいな、気持ち悪い、家族……」

「なにが気持ち悪いんだ。誰かを好きだって気持ちのどこが、気持ち悪いの」

「――――ッ!!」

 

 本当に、本当に大馬鹿者な兄だと、真墨は改めて思った。きっと目の前の家族は自分の本性を一切知らないのだろう。だからそんなことを言えている。見つめれば見つめるほど、その汚らしさに気付かれる。最低なのは本当に、自分のほうだ。だって彼女は――

 

「お兄の……ばか……!」

 

 ――ずっと、彼が救われなければいいと思っていた。  






>妹ちゃん闇深い?
すくなくとも自分のために「ずっと壊れてて♡」って思うぐらいにはお兄ちゃん大好きです。

>はだけた玄斗くんの色気
たぶんどっかの真っ白さんならソッコーで襲うレベル。


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だからおまえはHができない

妹ちゃん書くときは大体エロゲのこと考えてます


 〝私のお兄ちゃんは壊れている。〟

 

 そう気付いたのは小学二年生のとき。料理の手伝いといって包丁で指を切った兄が、涙ひとつ流さずにぼうと指を眺めていたのを見たのが切欠だった。

 

「だいじょうぶ?」

 

 そう訊くと、玄斗は声をかけてきた彼女に気付いて微笑んだ。切ったのは右手だ。ちょうど彼の利き手側になる。とっさに伸ばそうとして腕を引っ込めて、玄斗はにこりと笑いながら反対側の手で真墨の頭を撫でた。

 

「大丈夫だよ」

 

 また、笑う。血が出たとき、彼はひとつも声をあげなかった。身体を跳ねさせることもしなかった。ただちょっと違和感を覚えるように、むっと切った指を持ち上げたぐらい。痛みはある。決して薄いわけではない。ならばその理由は簡単で、そんなものを違和感としか感じ取れないほど痛みに慣れている。十坂玄斗は、そういう人間だった。

 

「玄斗! 大丈夫か!? 怪我か!? どこを切った!? 指か! 指だな!? よし父さんがいま包帯と消毒液を――」

「いや父さん焦りすぎ。絆創膏でいいから」

「ばかっ。おまえー! おまえなあ!? 傷口からばいきんが入ったらどうするんだ! 病気になっておまえ、おまえ死ぬぞおまえ! いいのか!?」

「このぐらいじゃまだ死なないよ」

「ばかやろうこの……このばかっ。ああもう無理してでもおまえを止めるべきだったっ! いいから待ってろよ!?」

 

 ドタドタと一緒に料理をしていた父親がリビングから出て階段をかけていく。今日はちょうど母の日だ。そのため我が家の主婦はちょっとした日帰りの旅行に出ている。そんな合間に起きた、取るに足らない些細な事件。けれど、それを未だに真墨は覚えている。

 

「……おとうさん、うるさいね」

「そうだね」

 

 ぽつりと溢すと、玄斗は苦笑して応えた。ぼたぼたとシンクに血が落ちている。真っ赤に広がる熱い雫。それが真墨には、彼にとって大事な何かに思えた。当然、血液なんて大事なのが分かったうえで、そう感じたのだから尚更のこと。きっとこのヒトはなにを手放しても痛くないんだと。

 

「……いたいね」

「……真墨?」

「おにい、いたいよ。おてて、いたい」

「……そうだね」

 

 やっぱりまた苦笑する兄に、やっぱり真墨は言葉にならない感情を持った。だって、そうだろう。痛いと言っても痛くないように振る舞うのは、きっと本当に痛くないからだ。そんな真実は知りたくなかった。ずっとずっと、過ごしてきた大好きな兄だった。だから、幸せに居て欲しいと思ってもいたのに――

 

「(でも、そっか)」

 

 そんな壊れた人間が、どう動くかなんて手に取るように分かる。どうするかも、どう言うかも、どう考えるかも。まるで、操ったみたいに。

 

「(そうすると……あたしのお兄ちゃんは、ずっとあたしのものなんだ)」

 

 その結論に思い至ったのが中学一年生のとき。以来彼女は、兄のおかしさを見て見ぬフリのままにし続けてきた。だってそうすれば、きっと兄は誰にもついていかないから。

 

「(ずっとそのままで居れば良いよ。お兄。だって、それはいつかあたしがなんとかしてあげるから。誰にもついていかなくて、誰からも拒絶されて、お兄の側にあたし以外いなくなったとき……やっと触ってあげるから。だから、そのままでいいよ)」

 

 ――そう、思っていたのに。そうあれかしと願っていたのに。彼女の幸せは、この数ヶ月でいとも簡単に砕け散った。

 

「よく、頑張ったね、零無

「――――っ」

 

 ……あの日。気まぐれで屋上にまで上ったのは正解で、間違いだった。なにせそれで確信してしまった。段々と笑顔が増えてきた。悩むことも考えることも多くなった。眉間にしわを寄せている時間が多くなった。色々なものを見るたびに目を輝かせることが多くなった。それはとても喜ばしい。妹としてこれ以上に嬉しいこともない。けど、それはまったく別の問題で。

 

「(……やめてよ。お兄が、あたしのお兄じゃなくなっちゃうじゃん……)」

 

 本当に、そのとおり。どれだけ酷い過去でも、どれだけ傷付いていても、ましてやそれが生死に関わるほどの問題だとしても。十坂真墨は自分の兄に、誰からも救われて欲しくはなかったのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――あたしはずっと知ってたんだ。そう言った真墨の顔は、どこか、物憂げな表情だった。

 

「知ってたって……なにを?」

「お兄が、すっごいもの抱えてるってこと」

「――――――」

 

 動揺しなかったと言えば、嘘になる。けれど、そこまで衝撃的でもなかった。なにせ十坂真墨は頭がいい。玄斗の何倍も回転する知恵を持っている。ならば、気付く気付かないのは時間の問題だろう。それすら家族の繋がりが縮めている。むしろすっきりするぐらい、納得はいった。

 

「……そうなんだ」

「うん。ずっとね、気付いてた。気付いてて……見逃してたんだ。そのままでいいじゃんって」

「どうして?」

「だって、お兄がそのままなら誰とも繋がらない。恋人にも結婚にも、ましてや親友だってつくらないだろうし。で、ずっと苦しんで悩んで、いつか死にかけるでしょ? その頃にはほら、お兄の周りにはあたししかいない」

「……すごいね。そこまで見通してたの?」

 

 当たり前じゃん、と真墨はつまらなさそうに答える。振り返ってみれば、どれも自分で「まあそうなっちゃうかも」なんて思うほどのベストアンサーだった。我ながら酷い。

 

「いまのお兄は、好きだよ? 笑顔見せてくれるし、すごい気持ちよさそうだし。生きてるのも辛くなさそう。でも……あたしは、ずっとお兄に苦しんでいてほしかった」

「……真墨」

「もう笑い方が不器用で、苦しくて、悩んでもがいて、それでもまだ落ちていくだけで、心も身体も生き苦しくなってるような……そんなお兄のままで、良かった」

 

 だってそれは、彼女にとっての幸せの未来だ。側に居るのはひとりしかいない。救えるのは彼女しかいない。だいたい、真墨にとってしてみればこの兄の心を解きほぐすことなんて容易にすぎることだった。それを今までしなかったのは、偏に自分のためだったというのに。

 

「……でも、それも終わり。お兄は救われて、こうしてあたしの悩みを訊きに来るぐらいになった。なら、もうわざわざ無視する必要もなくなっちゃったし。……それがまあ、嬉しいけど複雑」

「……真墨は、頭が良いね」

「あはは……なにそれ、馬鹿にしてる? あたしさ、お兄のこれまでの幸せ全部なくしてきたんだよ? それでいいの? それだけの言葉で」

「だったらなんて言うんだ? 真墨に不満を言ったって、それこそお門違いだ。悪いのは僕で、なにかしたのも僕。なら、ぜんぶ僕の責任だよ。僕がいなければ、真墨だってそう思うこともなかったんだろうし」

 

 だから死ぬんだ、と続けるような台詞は、けれどとっても優しかった。きっと彼がそんなことを思わなくなった証拠だろう。以前までは、そのまま押し潰れて死んでしまいそうなほど苦しく言っていたのだ。

 

「だいたい、これまでとか別に気にすることでもないよ。真墨がそう思ったんなら、これから後悔しないようにしていけばいい。なんであれ、僕は真墨の味方なんだから」

「……じゃあ、さ。ひとつだけ、お願い……聞いて欲しい」

「うん」

 

 そっと玄斗の目を見据えて、真墨はベッドのうえで正座をする。

 

「恋人になってとか……迷惑になるようなこと、言わないからさ……」

「……別に、迷惑はしないけど……」

「でも困るでしょ。悩むでしょ。苦しむでしょ。もうそういうのは良いのっ! ……だから、あの、その……ひとつだけ」

「…………、」

「あたしと…………っ」

 

 ぐっと、拳を握って、彼女は――

 

「あたしと――えっちしよ?」

「いやそれは無理」

 

 やっぱりとんでもないコトを言ってきた。

 

「なーんーでーだーよう!? いまのは「ああ、仕方ないね……真墨は。イケない子だ……」とかちょっと妹に興味あった性欲豊富な兄ムーヴを決めるところでしょ!? ムードってもんが分かんないかなあお兄は!」

「そんなムードがあるなら僕は一切分からなくて良いと思う」

「おおう……言うじゃねえかこの兄貴……ああいいよじゃああたしからヤってやんよ!」

「えっ」

 

 ちょっ待っ――だからズボンはやめて!? と叫ぶ玄斗に真墨が容赦なく襲いかかる。結局疲れた妹がぐっすりと横になったのがそれから一時間後。疲れきってぜえはあと肩で息をしながら、玄斗もベッドに腰掛ける。はじめから終わりまで。なんともまあ、疲れのたまる一日だったと思いながら――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――誰だ?」

 

 凛とした問いかけ。ぎしっと床を軋ませる音。それは、堂々と扉を破りながら入ってきた。

 

「……ち。腹が立つ。()()()()()を崇め奉るだと……? 狂っているぞ、ここの人間は」

「……?」

「おまえのことだ。名乗りは……まあ、どうでもいいか。突然だが、君にチャンスを与えよう」

「……チャンス……?」

「ああ。このまま朽ちて死ぬか、目を開けて生きるか。おまえはどちらを選ぶ、お姫様――?」

 

 ――それは、ゆったりと。

 

 

 彼女を縛る、鉄の枷を外す音――

 

 

 




実は一人勝ちできてたけどその前後含めて危機管理していた妹パイセン。こいつが本気出せば玄斗君瞬殺だった。うむ、まあ結果としてまさか他の誰かが救うとか考えつかないからね! 仕方ないね!





ちなみに活用班で苦しいのは主人公じゃなくヒロイン側なので安心してほしい。


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そんなトオサカ邸

そういえば狭乎さん疑ってる人が多いけど(キャラ的に)いい人だから安心していいですよ。(良い人とは言ってない)


 

 目を開けると、玄斗の顔が目の前にあった。

 

「(え――)」

 

 思わずピタリ、と真墨は固まる。外からはチュンチュンとよく聞く名前がなんなのかも知らない鳥の鳴き声。なるほど朝チュンとはこのコトか、なんて思考を逸らしている場合ではない。そっと、自分の服装を見つめ直す。

 

「…………、」

 

 乱れては、ない。

 

「(なーんだ……)」

 

 じゃあ頭を動かす必要もないな、とそのまま真墨は力を抜いた。ぐったりとベッドに体重をあずける。ワンチャンいけたか、と一瞬でも思ってしまったのになんともアレだ。そも兄が手を出すということ自体絶望的なので、彼女の悲願は成就されるワケもないのだが。

 

「(でも、まあ……さんざん言っちゃったし)」

 

 十坂真墨は十坂玄斗のことが好きである。大好きである。それはもう愛しているといっても過言ではない。というか玄斗以外の人間を愛せない。ので、まあ、おさまる範囲としては妹というのは非常に心地よかった。なにせ未来永劫どう足掻いたって、十坂玄斗の『妹』という立ち位置は真墨以外に現れない。……両親がハッスルしてしまわなければ。

 

「(結婚はできないし、恋人にもなれないけどね……でも、最初からお兄と切っても切れない関係があるってのは、すっごい嬉しいし)」

 

 こればっかりは普段キモいことばっかり言っている父親に感謝しなくもない。なにせ産んでくれたのは両親だ。いや母親か。ならば母親に感謝すべきか。そのほうが真墨にとっては嫌な気分にならなくて済んだ。

 

「(……なーんでだろ。本当、気付いたら好きだったし。まあ最初は、その? 露骨な欲望でしたけど……ああ、うん。仕方ないや。こればっかりは)」

 

 そも、恋だの愛だのを理屈で考えることが馬鹿らしい。くすりと笑って、目の前で横になる玄斗の顔を見る。とても綺麗な寝顔。子供みたいにふにゃりと笑って、とんでもなく緊張を解いた自然体。――ドクン、と魔が差した。

 

「……ね、お兄」

 

 耳元でささやきかける。反応はない。眠っているのだろう。だからいまがチャンスだと、真墨は心底から思った。

 

「だいすき。……ずっと、一緒に居てね」

 

 ――そっと、その鼻先に口付ける。玄斗はどこかむず痒そうに身体をよじって、それからすうすうと小さな寝息を続かせた。起きてはこない。どこまでも幼い少年みたいだ。ぐっすりと、まだまだ足りないとばかりに眠り続けている。

 

「……そういう可愛いところもすき。あたし、お兄のことぜんぶすき。だから、ね……」

 

 言おうかどうか迷って、構うものかと口を開いた。だって相手は眠っている。ならばなにを我慢しようというのか。所詮ただの自己満足。ただ自分だけが良い気分になればいい。そんな押し付けだった。

 

「たくさん傷付いてよ。折れてもいいよ。むしろ、そのほうがあたしは嬉しいんだから。でも、お兄は嫌がるんだろうね。それも分かってる。だから、いっぱい傷付いて、いっぱい悩んで、お兄の答え、見つけるといいよ。あたしはその隙を、ずっと狙ってるから」

 

 あんがいすんなりと言葉は出てきた。そっと玄斗の頭を撫でると、やっぱりどこか不機嫌そうに身体を揺らす。それにもう一度微笑んで、薄いブランケットをかけながらそっと部屋を出る。残されたのは彼ひとり。眠っているはずの彼はすうと……息を吸って、細く、細く、慎重に吐ききった。

 

「……これは、特別だからね。真墨……」

 

 きゅっとタオルを握って、触れたはずの鼻先(・・)まで持っていく。ほんのりと残った熱がなんともくすぐったい。以前までの彼にとってはどうであれ、いまの玄斗からしてみればキスをされるという意味を勘違うほど脳みそが死んでもいない。そも思い違うもなにもないのは、きちんと台詞(・・)を聞いていれば分かる話だった。なので、

 

「……寝てるときに言うのは、反則だ……」

 

 あんな優しい言葉をかけてくる妹に、ほんのすこしだけ、心を震わせてしまったのである。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 五時になると、珍しく父親が帰ってきた。

 

「ただいま」

「あ、お帰り。……早いね?」

「……まあな。これからはすこし、早く帰ろうと思う」

「へえ……」

「え、なにー? お父さん早く帰ってくんの? え? なんの心変わり?」

 

 ソファーでスナック菓子を食べていた真墨が、振り返りながらリビングへ入ってきた父へ一太刀浴びせた。いつもなら「ふぐうっ」とか言って心臓をおさえるのだが、今日はそうでもないらしい。ちらり、とこちらを見て恥ずかしそうに頬をかく。

 

「……まあ、色々とな」

 

 それで、ああ、と玄斗は気付いてしまった。

 

「別に、気を遣わなくてもいいのに」

「そんなもの遣うか。……俺がしたいからするんだ」

「……そっか」

 

 くすりと笑うと、父親もつられるように笑った。それを真墨が不思議そうな表情で見つめている。まさか気付くわけもない。正真正銘、男ふたり同士の秘密の言葉だった。

 

「え? なに? なんなのあんたら」

「真墨には分かるまいな。俺と玄斗のことだ」

「そうだね。ぼくとお父さんのこと」

「ふはっ……らしいぞ?」

「なーにがらしいぞ? ですか。調子のんなくそ親父」

 

 咄嗟に父親が胸をおさえていた。効かないフリをしていても体は正直らしい。いくら反抗期とはいえ玄斗にとってもちょっと複雑な言葉のナイフである。あの父親があんな少女の声でズタズタに切り裂かれていると思うと――――まあ、ちょっと、正直面白かった。

 

「ふふふ……そう言っていられるのもいまのうちだ。――言っておくが、玄斗はおまえにやらんからな」

「――――なん、だと……?」

「え?」

 

 急に真面目な声を出したと思ったら、内容がとてつもなく意味不明だった。玄斗は反応を示した真墨と父親を交互に見る。さきほどの妹とは真逆な状況が完成していた。

 

「おいそれはどういうことだ」

「俺がなにも知らないと思っていたなら大間違いだ。この前までならまあそれでも幸せならオーケーかとも思っていたが……もしそうなら駄目だな。家族会議だ。いいかお兄ちゃんは絶対お前にやらんぞ」

「ふざけんなそういうのはあたしの相手に対して使うもんでしょーがっ!?」

「いや、おまえは正直どこに出しても恥ずかしくない子だと思っている」

「ならお兄ちゃんでもいいじゃん!」

「駄目だ。兄は駄目だ。おまえ程度では玄斗は任せられん。家族会議だ」

「ふっざけんなよ!?」

 

 がばっとソファーから真墨が立ち上がる。父親は頑として首をふっていた。この間にはきっとマリアナ海溝ほどのミゾが出来ている。その原因が自分にあるあたり、玄斗はちょっと理解したくなかった。というか半ば理解を放棄している。なるほどこれが因果応報……なんて思ったりもした。たぶん因果は関係ないが。

 

「玄斗にはもっと普通の幸せを体感してもらいたい。いきなり兄妹の禁断の恋とか……いやでも零無が……玄斗。正直そのへんどうだ?」

「お兄っ!」

 

 真墨がキラキラとした目を向けてくる。彼はそれにこくりとうなずいた。ぱあっと真墨が花開くような笑顔を向けてくる。

 

「……僕はあんまり、そういうのは賛成じゃないかな」

 

 そして容赦なく絶望へ叩き落としていた。

 

「お兄っ!?」

「ほら見たコトか。駄目だな真墨。いいか、玄斗はもっと似合う相手を見つけるぞ。……まあ俺の面接を抜けなければ結婚など許さんが」

「うっわあなんだこの親父……息子の結婚に口出すとかマジかよこの親父……」

「ちなみにメシが不味かったり掃除が適当だったらいびり倒す」

「小姑か!」

 

 みみっちいなと愚痴る真墨に、テーブルへ座った父親がドンと威厳あるように構える。具体的には落ちこんだときにもしていた某総司令のポーズだった。それ好きなのかな、と玄斗が考えたのも束の間、彼は重苦しい声音をリビングに響かせる。

 

「――家族会議だ。着け、まずはそれからだろう」

「……あの、父さん……?」

「着け、玄斗。俺はおまえと妹の関係など認めん」

「……ああ、いいよ。まずはその腐った思想をぶち殺す――!」

「真墨……!?」

 

 対面に着席する真墨と、さも自然といった様子で父親の横へ座る母。残された玄斗の席は真墨の隣しかない。なぜだか家族全員が好戦的なオーラを出している以上、引くわけにもいかなかった。そりゃあ引いたら酷くなるのが目に見えているからである。

 

「議題は決まっているな。それで言ってやろう。――出直せ小娘。おまえが我が子と結ばれようなどと、十六年早い」

「愛に歳月なんて関係ないんだっつーの。そんなんも分かんないかなあうちの父親は」

「玄斗ー? 今日のお夕飯何が食べたいー?」

「……カレー」

「分かったー。じゃあ牛丼ね……」

「なんで聞いたの母さん……?」

 

 形はどうあれ、家族団らんの日常。それに仄かな幸せを感じながら、玄斗はこの場をしずめるために動くことを決意する。どうせ自分がまいたタネだ。せめてすこしでも和らげるのがするべきことだろうと、思いながら。





書いてていちばん早く感じた章でした。あと二話です。とりあえずやりたいことやれたのであとはほんのり歩いて終わりですかね……






あああああああああオリ主系転生者散々いじめ抜いて絶望の淵に叩き落としながら殺してやりてええええええええ!!!(発作)


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とうとさってなんだろう


――彼女は言った。

「幸せすぎてもう死んじゃう……」

私は真剣にこの人と暮らしていけるか悩んだ。







 

「……ね、そう言えば気になってたんだけど」

「なんだ?」

 

 その日の深夜。珍しく洒落てワインなんか飲んでいる父親の対面に座りながら、ふと思い出したように玄斗は口火を切った。

 

「前に真墨から聞いたけど、母さんと酷い喧嘩したことあるんだって?」

「む……」

 

 と、話を振れば露骨に父親の顔が歪む。嫌なところをついてきたなこの我が子……といった感じだった。ふむと考えながらも、そも父親に気を遣うのも変な話かと玄斗は思考を振り切った。なんだかんだでこの少年、父親に対する内心でのあたりが強い。

 

「どんな理由?」

「……言わねばならんか」

「言わなくてもいいけど、母さんに聞く」

「やめてくれ。その言葉は俺にきく」

 

 やめてくれ、とワイングラスを置きながら父が頭を下げてきた。まさかまさかの必死の懇願である。玄斗はもう笑うしかなかった。前世ならそれこそ「余計なことを口にするな。おまえの口はそんなことのためにあるのか?」なんて言ってきそうな堅物が、こうも子供に弱くなっている。

 

「……名前をな、呼んだんだ」

「え? それだけ?」

「…………一美、と」

「……え? いや、本当に?」

「行為の最中にな」

 

 ぐいっとグラスの中身を飲み干しながら父親が言い切った。その顔にはなんとも言えぬモノがある。玄斗もなんとも言えなかった。もっと馬鹿馬鹿しかったり重たい話題かと思えば――いや重たいかどうかで言えば重たいのだが――なんだかこう、とんでもなく力の抜ける内容である。

 

「……うちの母さんの名前って」

「黒奈だ」

「……お母さんの名前って」

「一美だ」

「…………、」

「…………、」

 

 父はなにも言わない。ただ黙ってグラスを握りしめている。その手がちょっと震えている。ので、玄斗もなにも言わずグラスにワインを注いであげた。悲しきことは前世の記憶か。同じ境遇である父に、どことなく同情してしまう息子なのだった。

 

「悲しい事件だったね……」

「いやまったくだ……裸で抱き合っていたところを、ちょうど近くの箪笥に置いていたサバイバルナイフを突きつけられて「一美ってどこの女よ!?」なんて言われるもんだからなあ……」

「よく生きて結婚まで来られたね……」

「薄皮一枚裂けたがな……」

 

 そうっと首筋をなぞる父親にぞっとしなかった。彼のミスと言ってしまえばそりゃあ弁明のしようもないミスではあるのだが、以前までの父親を思うとしょうがないとも考えてしまう。なにせロクに相手にしなかった零無でさえ亡き母親を想っていることが察せたぐらいだ。

 

「……ね。お母さんってどんな人だったの?」

「……聞きたいか?」

「? うん」

「……本当に聞きたいか?」

「……まあ……そりゃあ……」

 

 そこまでもったいぶられるとなんだか不安になるが、一度は聞いてみたいことだった。零無の母親は彼を産んですぐに亡くなっている。顔は写真でしか見たことがないが、とても綺麗だったように思う。日の光を知らないような白い肌と白い髪。明透零無であった頃のそれは、どちらも母親譲りだと言われていたのを思い出す。

 

「……いいだろう。では真相を言う。彼女はな――フジョシ(・・・・)だった」

「ふじょ……ん?」

 

 なにか、いま、言い方がおかしかったような。

 

「え、なんて?」

「フジョシだ」

「婦女子? ああ、そりゃお母さんなんだから……」

「違う、フジョシだ」

「…………、」

「フジョシだ」

「……まさか」

「腐っていた」

「……おぉ……」

 

 なんだか頭痛がしてきた。ちょっとわけが分からない。詳しく説明してほしい。父親はぐいとワインを飲んだ。なにを優雅にしているのか。

 

「――明透一美は、腐女子だった……」

「なんでそんなコトをそんな浸りながら言うの……!?」

「仕方ない。あれは開発発表イベントに顔を出したとき。ちょうど会場で迷子になっていた彼女の手を引いて、軽い自己紹介をしたのが出会いだった」

「あ、そこは普通なんだ……」

「一言一句覚えている。――『う、わ、わわわ……! あ、あああ、明透さんですかっ!? か、感激ですっ、わたしあの、その、お、おお御社のゲームのだ、大ファンでっ!? あ、ああああもうまぢ無理ホンモノの明透社長とうといよお……!』……だ」

「母さん……っ!」

 

 なにそのツイッターで有名人に絡まれた限界オタクみたいな反応。いやもっとツイッターのほうが文面なだけマシか。玄斗はそう思ったが口には出さなかった。いくらなんでも自分の母親がそんなガッツリ沼にはまったオタクだったとは受け止めるのに色々とクッションが必要である。

 

「ちなみにそのとき発表したのが『ブラック・レイヴン・チョコレート ~気になるあの子は実は!?~』だったな」

「完全にソッチ系だ……!」

「売り上げはまあ、ノベルゲーにしてはなかなか良かったぞ」

「ノベルゲー……!? え、いや、……ええ……?」

「彼女からはとても高評価だった」

「母さん……っ」

 

 もはやなにも言えなかった。うちの家系って相当アレだったんだな、といまさらながら気付いた息子の心境はボロボロだ。嘘だそんなこと、と雪山で叫びたい気分である。

 

「母さんは腐女子だが、絵の天才だった。おもに男同士の絡みを描かせたら右に出るものは居ないとその界隈に名を轟かせていたそうだ」

「なにそのなんとも言えない知名度……」

「そしてそのイラストと最もベストマッチしたと言われたのが治塗瀬二羽(チトセフタバ)……私の秘書だった彼女だ」

「世間が狭すぎる……」

「私も実際にプレイしてみたが、あれは興味本位でやるべきではないな。男が色っぽく見えて一時期かなわんかった」

「悪夢だよねそれ……」

 

 あんな堅物の塊みたいなガチガチの父親がそんな風になっていた時期があったことに驚きだが、おそらくはまだ玄斗が生まれる前だろう。短くとも父が当たり前のように幸せであれた時期があった。それはすこしだけ、良いことのように玄斗は思えた。

 

「でも、すごいね。母さんはじゃあ、ゲーム会社の社長を射止めたってことになるんだ」

「そうなる。いや、周りにはいないタイプだったのだ。徐々に惹かれてな……気付けば、もう惚れ込んでいたよ。彼女には人たらしの才がある」

「……良い母さんだったんだね」

「ああ、良い人だった。彼女は」

 

 しみじみとそう言う父親に、けれど以前よりも後悔の色は消えていた。あれほどの想い、願い、望み。きっと切り捨てたワケでも、ましてや忘れたのでもないのだろう。それでも昔の感情に囚われず、前を向いていまの母親と結婚した。それは、一体どれほどの覚悟だったのだろう。

 

「趣味嗜好はどうであれ、おまえの名にあれほど素敵な意味を込める人間だ。私は名付けるセンスがない。おまえたちの名だって、あの母さんがつけたものだ。素敵な名だと俺は思う」

「……それ以外、なにも思わなかったの?」

「うん? ああ、特にはなにも」

「そっか……まあ、そうだよね」

「?」

 

 たしかに父親の会社で制作したゲームだが、なにもすべて覚えているわけではないということか。かの秘書が持ってきたというのもある。父親自体はそこまで関わっていないのだろう。それこそ、十坂という名字にも玄斗という名前にも反応しないぐらい。

 

「父さんは、『アマキス☆ホワイトメモリアル』って知ってる?」

「……ああ、知っているぞ。続編はな」

「……続編?」

「まあ、おまえが知らないのも無理はない。なにせおまえが死んだ後だ。それが出たのは」

 

 続編。それは、本当に知らなかった。

 

「……ちなみに、そのキャラクターの……名前、とかは……?」

「ほとんど忘れたよ。もうずいぶんと長くなる。……ああ、ひとりだけ、覚えていたかな」

「それって……?」

「ふむ。……内緒だ」

 

 くすりと微笑む父親に、玄斗は合点がいった。わざわざ内緒だと言った表情は、別に単なる隠し事をしたのでもない。だから、辻褄があってしまった。アマキス☆ホワイトメモリアルには続編がある。そのキャラクターで彼が唯一覚えていて、玄斗には隠しても良いというものがある。それが、意味するのは。

 

「……明透零奈」

「む?」

「居るよ、父さん。……彼女は、きちんと居るんだ」

「……ハ、なにを言う。そんなことが、あるわけ――」

「十坂玄斗は、アマキス☆ホワイトメモリアルのキャラクターなんだ」

「――――なに?」

 

 そっとグラスを置いた父親と視線が合う。こうして、秘密は外に広がった。これより世界が変わり始める。夜の闇、朝の光、昼の温もり。すべてが回って、動き出す。あと一歩、踏み出すべき足跡を待つばかり――





>ブラック・レイヴン・チョコレート ~気になるあの子は実は!?~

ある日突然現れた美少女転入生を男ヒロイン共がこぞってオトしにかかる乙女ゲー……と思わせたまさかのBLゲー。男の子バレのシーンはその手のファンも唸るほどの良さがあると話題を呼んだ(作者調べ)男だとバレるまでの美少女ムーヴや他キャラクターとの絡み合いと、男バレしたあとの葛藤及び結ばれるまでの過程で二度美味しい作品。なおとんでもなく人を選ぶ。

ちなみにPC用R18版だとえっちなシーンでブラとパンツな下着姿で手○キしてくれる男の娘のCGが見れるぞ! やったね!(やってない)

――という作品です。(真顔)




やりたいと思った人は是非ともシナリオを書いていただきたい。


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覚悟の準備

あなたを詐欺罪と器物損壊罪で訴えます! 理由はもちろんお分かりですね? あなたが息子を名前の由来で騙し、(心の)セーブデータを破壊したからです! 覚悟の準備をしておいてください。


 

 ――うずいている。

 

『ほら、笑うんだ。広那

 

 ……うずいている。

 

『どうした? ……まさか、嫌なのか?』

 

 うずいている。

 

『……ふむ。それは、困ったな……』

 

 とても、とても。

 

『じゃあ、こうしよう――』

 

 どうしようもないほどに、うずいている。

 

ああああああああああああああああああッ――!!』

『な? ほら、面白いだろう。だから……笑ってみせてくれ。  』

 

 拭い去れない過去の記憶が、うずいてうずいて堪らない。

 

『おまえはきっと、笑えるはずなんだ――』

 

 そんな、遠い昔の記憶。目を覚ましたわたしは布団をはねのけながら、珠のような汗を貼り付けて肩で息をしていた。傍らに、心配そうに座る親代わりの彼が居る。

 

「……大丈夫かい? うなされていたけど」

「……大丈夫。ちょっと、暑かっただけ……」

 

 あはは、と笑って彼に返した。きっと、あのときよりもずいぶんと、素敵な笑顔を浮かべながら。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「まあそれはそれでどうでもいいが」

「え」

 

 真相を打ち明けると、父親はなんでもないようにさらりと答えた。ついで残していたワインを一口に飲み干す。揺るぎない、動じない。これと決めた態度で佇む彼は、頼りがいのあっていいものだが……

 

「どうでもいいって……」

「おまえが居て、わたしが居る。ならば、それがどこでどうだろうがどうでもいい。だいたい、ゲームの内容なぞとっくの昔に忘れている。……その娘はたしか、おまえを模して秘書の書いたものだ」

「僕を……?」

 

 ああ、とうなずく父親に、自然と次の一杯を注いでいた。父親の顔は赤い。すでに酔ってきているようだった。口調が乱れているのもそのせいか。面倒くさいからみがないだけ堅い人なのは根っこからかと、今さらながらに玄斗は思う。

 

「気持ちのいいものではない。おまえの境遇を少女が受けた。もちろん、おまえであっても気持ちがよいことではない。……だが、それにしたってわたしたちの関与するべきところでもないだろう」

「で、でも……」

「でも、なんだ?」

「……そう、分かってる人がいるのに、見捨てるなんておかしいよ……!」

「わたしはそう思わん。自分の手の届く範囲ですら溢しそうになる。それ以上広げるなど、馬鹿のすることだろうよ」

 

 言ってしまえば、他人のことなど知ったことかと。父親は冷徹にそう言っている。厳しい言葉だ。同時に、深い重みの込められた言葉だとも思った。一度取りこぼしたが故に、その大切さを彼は嫌ほど知っている。もう二度となくすまいとする不器用な彼のやり方なのだろう。

 

「おまえはそうじゃないのか? 零無。おまえの手は、広いのか」

「……ぼく、は……」

「答えを強いているわけではない。聞いている。わたしは関与する気などない。だがおまえはどうなのかと問うている。……どうだ」

「…………ぼくは……、」

 

 見慣れたはずの冷徹な父の目がいやに刺さる。とても、心臓が震えてまともな思考なんてできそうになかった。けれども考える。十坂玄斗にとって考えるというのは生きることだ。だから、生きている以上考えることはやめられない。自分とまったく同じなら、なおさら。すこし違うとしても、よっぽどだろう。そんな誰かを、見捨てられるか。

 

「……ぼくは、なんとかしてあげたい」

「……それは、その子のためにか」

「違う」

「ならば、誰のためだ?」

 

 それに、玄斗はハッキリと視線をあげて、

 

「――誰でもない、ぼくのために」

 

 力強く、そう口にしたのだった。

 

「……そうか」

「……そうだよ」

「……ならば、良いか」

 

 くすりと微笑んで、またグラスに口を付ける。すでに半分は飲み干していた。ボトル一本空にするとなると、相当な量になる。強いのか弱いのか、酒を飲んだことのない玄斗には分からなかったが、すくなくともチューハイ一缶で潰れるほどのものでもないらしい。

 

「心無いことを言ったがな、手を出せるならそれに越したことはない。ただ、ソレをする以上は責任を持たねばならん」

「……責任」

「ああ。……私の言えたことでもないがな。こうでもしないと父親をやれんのだ。すまない、零無」

「……いつも父親やってるよ、父さんは」

「そうか?」

「そうだよ」

 

 言うと、どこか安心したように父が微笑んだ。うとうとと船を漕いでいる。力の抜けた手からグラスを奪って、ボトルと一緒に持ってテーブルから離れる。父親の言葉は意外なほどに重たい。彼が負うべき責任。それは一時的に浮ついていた、なにかを思い出させようとしていた。思えば初めから。十坂玄斗はなぜ、必死で生きようとしていたのだろうと。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 その日の深夜。そろそろ玄斗も布団に入ろうかと言う頃に、電話がなった。誰かと思って画面を見れば、これまた時間帯にしては珍しい……コトもない相手である。夜更かししてるなあ、なんて思いながら彼は通話に出た。

 

「もしもし」

『あ、起きてた。こんばんわー、白玖です』

「こんばんわ、玄斗だけど」

『いま、あなたの家の前に居るの』

「え――――」

 

 がばっ、と飛び起きてカーテンを開けると、玄関前の道路が見える。ぽつんとひとつだけ明かりのついた街灯。淡い光源はそれだけで、もはや民家の光も消えている。午前一時過ぎ。あたりはすっかり静まり返っていた。

 

「……なんだ、いないじゃないか」

『冗談。ふふ、騙されたでしょ』

「ああ、すっかり騙された。これは、白玖にご飯を奢って貰わないといけない」

『えー、やだよう。玄斗いっぱい食べるんだもん』

「成長期だからね」

『いやあれは成長期って量じゃないと思う……』

 

 碧にも突っ込まれた食事量を幼馴染みにも言われて、すこしお腹を摘まんでみた。ほどよい筋肉と皮ぐらいしか感じられない。すくなくとも太ってはなさそうである。我ながらちょっとした人体の神秘だ。

 

『ま、仕方ないから今度わたしの手料理を振る舞ってあげよう』

「いいのかい?」

『ふっふっふー、よきにはからえ』

「ありがとう。えーっと……ああ、そうだ」

『うん?』

「マイスイートハニー白玖、なんて……冗談だよ?」

『――ごめん玄斗いまのちょっともう一回』

「え、なんで?」

 

 嫌だよ、と照れながら答えると電話の向こうから伝わる圧が強くなった。単なるおふざけであるが故に二度も言うのは流石に羞恥心が堪えきれない。ほどよく冗談を交えた会話、というのはいまのところ彼女や鷹仁とのみ成立する珍しいものである。あと真墨ともそうであるか。なにはともあれ、そのなかの貴重なひとりなので、口が滑るのも仕方ない。

 

『わたし、給料は三ヶ月分でって言ったよね?』

「なにそのライトノベルのタイトルみたいな……深夜のテンション?」

『そんな感じ。愛してるよマイダーリン、なんちゃって』

 

 わりとストレートに言われてドキッとした。どうも最近はこういう言葉に慣れなさすぎていけない。見えていなかったものが見えてきた所為だ。好意に慣れていないのもあって、真っ直ぐな感情表現にはどうしてもふとした瞬間に戸惑ってしまう。

 

「……で、なんのよう?」

『わ、あからさまに話題を逸らした。よしよし。本題に入ろっか。――玄斗』

「うん」

『わたしと――デート、しない?』

 

 どこか、遠くで。誰かの心臓がドクンと弾けた。どこか、近くで。誰かの心臓はピタリと止まった。約束も誘いも突然に。電話口の向こうからは、小さな吐息が聞こえてくる。逃げるワケには……もちろんいかない。十坂玄斗は意を決して、「いいよ」と短く素直に答えた。季節は夏。蝉も泣き止んだ深夜の街。最後の物語が、ついぞ幕を開ける瞬間だった。 







というわけで個人的にクソ長かった六章終了。幕間やってくですよ。

やっぱ主人公物足りねえなあ……物足りなくない? と思いつつ筆を走らせること数日。ごめんねやっぱ全体後半のプロット書き換えるわ! それで満足する! となったのが昨日でした。はい。







あー誰か五等分の花嫁で風太郎(♀)を攻略するヒロイン勢(♂)とか書いてくんねえかなあ……


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六章幕間:彼のウラガワ ~夏休みのなかで~

おそらく活用班で唯一と言って良いオアシス要員


 

 夏期休暇中の学校はとても静かだった。所用で登校した玄斗は、誰一人としていない廊下をすたすたと歩く。靴音の反響する音がいやに高い。外からは蝉の鳴き声が絶え間なく聞こえている。時期が時期なのか、部活動中の生徒の声は聞こえなかった。正真正銘彼ひとり。カツン、カツンと廊下を進む。

 

「(なんだか、妙だ。……ここ最近は休まる間もなかったからかな)」

 

 夜の学校ともまた違った異質さは、実際そうでもないのにそういう錯覚を起こさせる。考えるにはずいぶんな環境だった。一年前とは当然ながら、数ヶ月前の自分ですらハッキリ分かるぐらいに変わっている。それは偏に、彼を変えようとした誰かの努力と、彼自身が変わろうというコトを否定しなかったが故だ。

 

「――む、私以外にも人がいたのか」

「……え……?」

 

 と、風に吹かれたように声が聞こえた。ふり向けば、夏用の制服を着た女子がひとり、後ろで一纏めにした髪の毛を揺らしながら立っている。すこし薄い赤毛の混じった髪。一見してシワの見当たらない服はそれが下ろしたてなのだろう。とても綺麗で、どことなく汚れを感じさせない彼女に似合っていた。

 

「……君は?」

「私か? 私は……なんだったかな……」

「……?」

「……ああ、そうだ。思い出した」

 

 すい、と少女が目を合わせる。透けるような赤い瞳だった。とても輝いていて、明るいのに向こうが見えない。玄斗からしてみれば見慣れない、不思議な瞳。

 

「――橙野七美(トウノナナミ)だ」

「僕は十坂玄斗。橙野さん……で、いいのかな」

「……いや、できれば七美と」

「じゃあ、七美さん」

「うむ」

 

 うなずいて、少女――七美が笑う。とても綺麗な笑顔だった。綺麗に笑う人間は、総じてその他含めても悪いことがない。笑顔が苦手というのは言い換えれば人として絶大な欠陥を抱えていると言える。それでも持ち直せるものなのだから、なにが起こるか分からないという現実の評価も間違いとは言い切れない。

 

「いや、良いな。名前を呼ばれるというのは。実にこう、心がくすぐられる気分だ」

「……いままで、そういうことがなかったの?」

「まあ、そうだな。すこし、そういう機会には恵まれなかった。けれども知れた。いいことだ。ありがとう、十坂玄斗」

「……僕も下の名前でいいよ」

「そうか。では、玄斗……と。……ふふ。なんだか。楽しいじゃないか」

「……そう?」

「そうだとも」

 

 ずいぶんと満足した様子な七美に、玄斗は首をかしげるばかりだった。どうにもよく分からない。名前を呼び合って楽しいというのは、まあ、そうすること自体が当たり前すぎてどうにもという感じだ。

 

「……ところで、もしかして転入生なのか?」

「む、よくわかったな。そうなのだ。九月からここに通うことになった」

 

 ので、今日はその見学なのだ、と七美は答える。なるほどと玄斗はうなずいた。夏休み中に見学というのも熱心な話だが、誰もいないところで見るのは合理的だ。事前に下見を済ませておくにしても、二学期からであれば良い時期ではあった。

 

「……よければ案内でもしようか? ちょうど、時間も空いたところだったし」

「おお、それはありがたい。是非ともそうさせれくれると助かる」

 

 ぱあっと花が咲くように笑う少女を前にして、玄斗は頬をかきながら顔を逸らした。素直なのは美点だが素直すぎるのもアレである。誰かにそう言われたことがあったようななかったような気もするが、目の前にすると気持ちが理解できた。オブラートに包むというコトをしなければ、言葉とはとてつもない衝撃になる。

 

「さあ、行こう。玄斗。時間は有限だ。私はすくなくとも、そう思うぞ」

「……僕だって同じ気持ちだよ」

「それはとても安心するな」

 

 爛々と輝く瞳。綺麗すぎるまでの着られている制服。長く伸びたオレンジの髪。すこし変わった価値観と喋り方。なんだかおかしな気分に引き摺られて、玄斗は彼女と連れ添うコトとなった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 学校案内なんてものはそれこそ玄斗もはじめてであった。普段使っている教室を紹介するというのは、気恥ずかしさというよりも新鮮さがある。ここがこういうものだと教えると、七美は「ほうほう」と気持ちのいいぐらいに反応を示した。

 

「教室がいっぱいあるんだな」

「まあ、人数が多いから」

「生徒数だな? いくらぐらいになるんだ? 三十人か?」

「三百かな」

「さんびゃっ……!?」

 

 ずざっ、と話を聞いていた七美が露骨なぐらいびっくりしていた。紹介した教室数はすでに十を超えている。無駄にクラス数が多い調色高校は、それこそ一学年の生徒数は他校に引けを取らない。

 

「とんでもないんだな……三百だとは。そんなに同年代に近い人がいるのか……」

「いるよ。そりゃあ。日本中でならもっといるんだし」

「そ、そうか……そうなのか……ふむ。なんとも、驚嘆だ」

 

 三百、三百……とうわごとのように呟く転入生。かなり人の少ないところでいままで過ごしていたのだろうか、なんて玄斗は考えてみる。全世界で何十億という数字になる。人なんてそれほど溢れるぐらい居るというのに、それを知らないというのは明確な違和感に繋がった。

 

「……七美さんって」

「うん?」

「ここに来る前は、どんなところにいたの?」

「どんな……まあ、田舎だ。とてつもない山奥になる。野犬もいてな。ああ、あと猪肉が美味しい。あれ、ここらではあまり手に入らないんだ」

 

 豚や鳥ならスーパーで売っているのだが……と、またもやズレた転入生。玄斗が他人のコトを言えた義理ではないが、なるほど田舎というなら価値観の違いというのもうなずける。そもここらがわりと田舎気味ではあるが、ド田舎に比べればまだ都会的か。

 

「でも、学校とかはあったんでしょ?」

「あった。が、私はここがはじめてなんだ。すごく不安だが、同じぐらい楽しみで仕方ない」

「……え、はじめて?」

「ああ!」

 

 元気よく答える七美に、今度は玄斗が困惑した。はじめて。人生初の学校生活である高校生活がはじめて。まあ文面で見るとおかしくもないが、事実はとても頭が混乱しかけた。十坂玄斗、自らの正気を疑うのは人生で三度目だった。

 

「……よ、よく試験とか受かったね……」

「覚えるのは得意だからな。ギリギリと言われたが、それはこれから頑張っていけば良い」

「それでいて前向き……すごいね、七美さん」

「そう言われると、私も嬉しい。照れくさくもあるのだがな」

 

 ――が、思えば玄斗だってそうだったように、別に学校でなくても勉強はできる。それこそ彼の前世なんて丸々そのままで、ゲームと勉強で体が動くときは知識をため込む毎日だった。体が動かなくなってからはもちろんペンも取れないので寝たきりだったが。

 

「私には足りない部分が多い。そのあたり自覚して、しっかりしていきたいんだ」

「……そう思えるのはすごいと思う。それが難しい人は、いっぱい居るから」

「そうなのか?」

「そうなんだよ」

 

 自分も含めて、とはあえて言わなかった。足りない部分が多い。そんなことを理解したつもりになって知らなかったのは彼自身の過ちだ。心に秘めておくのが、やり方というものだろう。

 

「ふむ――……ところで、玄斗」

「……ん、なに?」

「気になっていたのだが、アレはなんだ?」

 

 と、七美がさしたのは赤い長方形の大きな機械。休み時間になればこの時期、誰もが群がる廊下のオアシス。C○CA-COLAの文字が側面に描かれた箱。どこからどう見て、答えはひとつしかない。

 

「なにって、自販機だけど」

「どういうものなのだ?」

「どういうって……もしかして、自販機……知らない?」

 

 自動販売機、と繰り返してみるが七美は首を振るばかりだった。そんなまさかと思いながらポケットに突っ込んでいた財布を取り出す。

 

「ほら、ここ。穴があるだろう」

「うむ。あるな」

「ここにお金を入れて」

「ふむ」

「で、ボタンを押す」

「ふむふむ」

 

 ガコン、と勢いよく取り出し口に飲み物が落ちてくる。ビクッと肩を震わせたのがすこし可愛らしかった。

 

「な、なんだ……?」

「はい、これ」

「……ペットボトル……、! 飲み物か!」

「うん。お金を入れると、こうやって買えるようになってる」

 

 そっと手渡すと、七美は「冷たいな!」とか「すごいぞ、ホンモノだ!」なんて子供みたいにはしゃいでいる。なんだか世間知らずのお嬢様を見ている感じだった。お嬢様というよりはお姫さまのほうが近いかも知れない。思わずクスリと微笑むと、はっとそれで我に返った七美が玄斗に詰め寄った。ものすごい勢いで。

 

「魔法みたいだ! すごいんだな、玄斗!」

「いや、すごいのは僕じゃなくて、この機械だから……」

「なるほど、そうか! うむ、街は便利だな。村とは比べ物にならないというのもうなずける」

 

 うんうんとうなずく少女に、なんだかなあと玄斗は苦笑した。こうも慣れていない反応をされると、立場はどうであれくすぐったいものである。そんなちょっと変わった転入生との一日。その日の夕方は、彼女の髪のように仄かな橙に見えた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……む。そういえば、飲み物をもらったお礼を言うのを忘れていたな……」

 

 





七章ではちょっとしたアンケート取ろうと思います。まあ簡単な質問に答えていただければという感じなので参加してもらえると嬉しい。


え? それでなにか変わるのかって? HAHAHA



…………活用班の攻略難易度だよ?


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六章幕間:彼女のウラガワ ~もしもの暗闇/絶望~

本編では絶対に辿らないルート

つまり攻略ヒロインが失敗する→関係性だけは歪に続いていく→透明くん完成→コレ みたいな感じ。

正直発作の賜物


 

『真墨へ

 

 

 覚えていますか? っていうと、真墨は怒りそうだけど。それぐらい久しぶりな気がします。どうしても、手紙だと堅くなってしまって自分じゃないみたいですね。実際に言っている風に思うと、僕らしくはなかったかな。どうも、兄です。

 

 

 いまはちょっとロンドンに寄っています。ので、すこし楽な暮らしができました。赤音さんに部屋を貸して貰ったので、こういう落ち着いた時間に手紙のひとつでもと思って書いています。でも洒落て羽根ペンなんか使ったのは失敗だった。これ、字がガタガタになる。ちょっと我慢してほしい。

 

 

 月並みですが、健やかにしていますか? 兄はまあいまのところ健やかです。三年前に戻ったときに片腕がないことに驚いていましたが、まだまだ僕は大丈夫です。普通に立って歩けるし、そのあたりは赤音さんも心配していないようでした。まあ隣の部屋なので、半ば監視されるようにはなっているんだけどね。

 

 

 ここまで書いて、ちょっと、字が汚すぎることにお兄ちゃんは気付きました。とても後悔しています。しかも鉛筆じゃないから消すのもアレだし、失礼ですけどこのままいかせてください。直接話したわけじゃないけど、でも、伝えたいことはいっぱいあります。

 

 

 長らく真墨には話してこなかったので、僕がなにをしているか教えたいと思います。世界一周の旅とか自分探しとか、色々と誤魔化してみましたが兄は各地を歩き回りながら困っている子供たちを助けています。

 

 

 真墨。僕たちはとても恵まれていたんだって知っていますか? あたりまえのようにご飯が食べられて、あたりまえのように歩けて、あたりまえのように暮らしていける。明日があると確信して眠りにつくことができる。最小限の苦痛のなかで生きていける。兄はそんな幸せを最初から知っていました。とても、至福で死にた楽しかったと思います。

 

 

 でも、そうではないこともあると、僕はずっと知っていました。その苦しみの中にいる現実の重さを知っていました。理由はハッキリ言いません。とても言葉にするのは難しくて、とくに筆をとっている間は躊躇してしまっています。どうしても気になったら、碧に聞いてください。彼女ならぜんぶ知っています。もしも交流が残っているのなら、零奈でも構いません。昔は仲、良かったのでそうだと僕は嬉しいです。

 

 

 そういえば、同級生の話で思い出しました。蒼唯先輩は作家になったそうですね。すごいなと思います。今度会う機会があったら、兄が喜んでいたと伝えてください。たぶんものすごく目をつり上げると思いますけど、あれで素直な先輩なので優しく微笑んでみてください。あと間違いなく連絡先は聞かれるので教えてあげてください。

 

 

 今思うと、学生時代はとても苦労しました。色々とあったのがもう笑い話ですね。とても僕は笑えないと思うのですが、赤音さんはけらけらと笑っています。真墨は笑えますか? ……正直、二度も死にかけたのはとても貴重な経験だと思います。あれで怪我の度合いなんて関係なく痛みは我慢が効くのだと知りました。いまはこの体の使い方を熟知しています。なんて言うと、格好つけているみたいですね。

 

 

 それで、ちょうど立ち寄ったお店で真墨にぴったり似合いそうな髪飾りをみつけたのでこの手紙と一緒に送ります。届いているころに時間が空いていれば、兄もそちらに行きたいと思います。お父さんの具合があまりよくないと聞きました。母さんが早逝してからだと伺いました。とても心配です。今度、顔だけでも見せに行こうと思います。

 

 

 あと、手紙で訊くことでもないかとも悩みましたが、ちょっとだけ気になったのでやっぱり書きます。広那は元気ですか? 彼女は高校時代に色々と思い出があるので、近況だけでも聞きたいかなというのが本音です。まあ、なんだかんだで僕が勝手に心配しているだけなのかもしれません。あれで結構強いですからね。真墨はそのあたり、ちゃんと分かっているようでしたので今さらでしょうか。

 

 

 長くなりましたので、ここらで終わります。こんなに書いていたら赤音さんにとなりで笑われました。ちょっと腹が立ったのは大人げのなさかもしれません。情けない兄で申し訳ないですが、近いうちに顔を出すので待っていてください。

 

 

        ――あなたが大好きな兄より』

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「……まったく、お兄ったら」

 

 呟きながら、同封されていた髪飾りをそっとつけた。玄斗はコレを似合うと思ったらしい。絶妙にセンスが欠けている。だいたい、今年でもう三十だ。綺麗には綺麗だが、そんな歳の女性にこんな髪飾りが似合うと本気で思っているのか。ため息をつきながら、読み終えた手紙をそっと置く。

 

「……なんか、力……抜けちゃったなあ……」

 

 〝――最後まで、きっと目を瞑る直前まで、指ひとつの力さえ抜かなかったわ〟

 

 すこし前に聞いた女性の言葉を思い出す。思わず涙が出た。そっと指でそれを拭う。まるで正反対。どこか気の抜けたほうなのはあっちなのに、いまは真墨のほうがだらんと力を抜いていた。

 

「お兄さ……不器用すぎるよ。さすがに」

 

 なにより手紙の書き方からして変だ。堅いのがらしくないと気付きながら結局堅くなっているあたりがとくにオカシイ。日常生活でも日本語が不自由だった玄斗だが、手紙となるとこうも酷いかと再認識する。きっと、はじめての手紙だったのだろう。

 

「ちんたらしちゃってさ……お父さん、もう寝ちゃったよ」

 

 コツ、と指でつついた。明るい父親と、それに突っ込む緩い母と、穏やかに笑う兄と、そこに居る自分。想像して、ついにやけた。とても楽しい時間の記憶。家族が揃ったささやかな、けれどとんでもない幸せ。いまはたったひとりのリビングが、とても広く寂しいように思えた。

 

「……帰ってくるの、遅すぎ」

 

 愚痴をこぼすと、一緒に涙もこぼれた。どうにも我慢ができないらしい。膝の上で眠る兄は、依然として起きる気配がなかった。

 

「でも、ま……許してあげるよ。特別に、許してあげる。ちゃんと、戻ってきたから」

 

 そっと撫でて、また泣いた。アラサーの涙なんて価値もなにもないと自虐まじりに思う真墨だが、こぼれてしまうものは仕方ない。歳のせいか、涙腺が緩いのは。なんてふざけて思う。――だから、ちょっとだけ、上を向いた。

 

「……もう、さあ……本当、ずるいよ」

 

 触れた髪飾りが、ちいさく音をたてる。あるはずのない温もりを感じる。たしか、度合いはいくらだったか。誰かが来てなにかを言っていたような気もするが、もう覚えていない。たしかなのは、ここに兄が帰ってきたという事実だけ。

 

「もうちょっと、さあ……マシな格好、できなかったわけ……?」

 

 きっと玄斗が起きていたら「ごめん」なんて困りながら笑っただろう。いつまで経っても、どこまでいっても、結局自分の価値に目がいかない人だった。なにか言えば変わっただろうか。真墨はそのあたり、後悔していないと言えば嘘になる。きっと自分なら、兄に自分を見つめ直す一言ぐらいかけてやれただろうに。

 

「……おかえり。でもって、おやすみかな……ゆっくりね」

 

 色々と、言いたいことはあった。のに、それしか言えない。悲しくて、悔しくて、溢れるものが沢山あるのに、かける言葉なんてそれ以外に見当たらない。

 

「もう、頑張らなくて良いよ……お兄」

 

 そうしてそっと、いまいちど兄を撫でた。

 

 膝の上に置かれた箱は、なんの反応も示さなかった。 





というわけでこれにて六章は本当にラスト! 閉廷! お疲れさまでした!

つぎは七章です。白いあの子のメイン回です。ここで終わらせようと思ってたんですけど、やっぱり活用班も書きたいよねって。あとタグひとつだけつけ忘れてたので、それも七章終わりにつけようと思います。

……うん。いや本当に七章まではいらないから忘れてたんだ……


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第七章 白くなってもあるべきものに
すこしずつでも付いてくる


 

 そっと手を合わせながら、壱ノ瀬白玖はちいさく微笑んだ。乗り越えた悲しみ。潰れそうだった過去。それらは思って、いい記憶となるかどうか。決めるのは誰でもない自分なのだと、彼女はそう確信していた。

 

「(……善し悪しなんて、結局人それぞれ)」

 

 他人にとっての不幸でも、自分が受けたものなら自分でどう受け取るかが問題だ。外野の声に耳を傾けるなんて以ての外。そうするならば、きっと、彼女は幸せであると言えた。胸を張って、はっきりと、手を合わせながら報告できた。

 

「(……だから、玄斗。これで終わり。やっと、私の番かもね)」

 

 目を開けて、白玖は立ち上がった。今日は待ちに待った誰かさんとのデート日だ。きちっとおめかしもしている。これでお褒めの言葉のひとつももらえなければ、怒ってソッコー帰るぐらいだ。……ので、彼の進歩具合にはちょっと期待している。

 

「はてさて、鈍感野郎はどんな反応をしますかね……」

 

 つぶやきながら、それを想像して歩くのは楽しそうに思えた。八月も半ば。蝉の鳴き声はまだ止まない。けれども本日は夕暮れ時を過ぎてからが本番だ。気合いは十分。準備も万端。あとは相手が来るかどうか。……もちろん、来ないなんて選択肢を脳内から除外して。

 

「――よしっ。行こうか!」

 

 カラン、と履き物を鳴らして玄関を出る。今日は、祭りだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 デート、といって良いものかどうかというのは、真相を聞いてから玄斗がずっと思っていたことだった。八月某日。お盆にさしかかったこの時期では、家から近くの神社で夏祭りが行われる。毎年のことながら屋台や花火で大盛り上がりの行事は、今年も無事にやるらしい。境内にのぼる階段の前で待っていると、人通りがさすがに多かった。

 

「(夏祭りを一緒に回るのは……デート、と言って良いのだろうか……?)」

 

 言うような気もするし、違うような気もする。そも、相手が白玖というのが絶妙に受け取り方を考えさせられた。なにせ彼女は幼馴染みだ。どうしても比べてしまうと、範囲が別におさまってしまう。五加原碧や二之宮赤音なんかであれば間違いなくそうであろうし、四埜崎蒼唯や三奈本黄泉だと高確率で傾く。が、壱ノ瀬白玖となると難しい。そのところ、玄斗はたしかに悩んでいた。

 

「(思えば、白玖にはぜんぜん、知られてないんだな……僕のこと)」

 

 他四人が凄まじいだけかもしれないが、逆に近くにいる人間で珍しいとは思った。あの真墨を含めれば五人になる。どれこれも、核心に至らずとも手を伸ばしかけた猛者たちだった。心の壁をすり抜けるようなものなのだから、どうしようもないのが呆れる部分だろう。

 

「(それって、なんか……ちょっとだけ――)」

 

 と、思いかけたところでぎゅっと後ろから手を回された。いきなりのコトに驚いて体が固まる。ちょうど顔を背中のあたりに押し付けた形で、両腕を玄斗の腹の前で交差させていた。逃がすまいとの意思表示に、一体なんなんだと身じろぎした。

 

「あの、ちょっ……」

「ふふ、だーれだ」

「…………、」

 

 でもって、その一言で力が抜けた。

 

「……いたずらにしては急すぎるよ、白玖」

「わ、ばれた」

 

 くすくすと笑いながら、ぱっと腕が離された。ふり向けば犯人の姿が目に見る。黒と白の混じった髪。濁りのない綺麗な目。日の光を忘れたように白い肌。そして――いつもと違う服装が、ひときわ彼女の魅力を増している。

 

「――――、」

「……どう? 感想は」

「……いや、すごく……似合ってる。浴衣、あったんだな……」

「ありますとも。私だって、ひとりの女子ですよー?」

「……そうだね。そうだった」

 

 白玖は女の子だもんね、とうなずく玄斗。彼女からすれば内心合格点は超えていた。きちんと褒めた。どころか、お世辞でもない素直な感想とくれば赤点はあげられない。

 

「ごめん。変なこと、言ったね。もう一度言うけど、すごい似合ってる。綺麗だ、白玖」

「――――もう、そこまで言わなくて良いからっ……分かってるし……」

 

 〝流石にこれは過剰威力だ。〟

 

 そう言わんばかりに頬を染めた白玖を、玄斗は不思議そうに首をかしげながら見つめる。この男、成長しても鈍さはそこまで変わっていないのが致命的だった。

 

「と、とにかくっ! 今日は一日付き合ってもらうから」

「まあ、それはもちろん」

「じゃあ、はい」

「?」

 

 す、と白玖が「ん」と言いながら手を差し出してきた。数秒悩んで、頭上に電球を浮かべた玄斗はポケットから財布を取り出した。そっと彼女の手のひらに乗せる。

 

「はい」

「殴るよ?」

 

 答える前に弁慶を蹴られた。顔を引き攣らせて玄斗が悶える。

 

「――っ、ご、ごめ、ごめ……ん……?」

「にぶちん。馬に蹴られればいいのに」

「馬は……そこらを……歩いて、ないよ……?」

「……二回も泣きたいとは、なかなかの趣味をお持ちで」

「ぜ、前言撤回……!」

 

 いまのは僕が悪かった、と謝る玄斗にため息をつく。まったくもって本当に、と愚痴のひとつでも言いたい気分だった。折角気持ちが乗ってきているのだから、そこはするすると言って欲しいのがワガママな乙女心である。玄斗以外にはする気もなければしようともしない軽い小突き合いだってしてしまうのも当然だった。

 

「……はい、もう一回チャンス」

 

 再度「んー」と白玖が手を差し出した。手のひらを上にしてなにか寄越すようにそっぽを向きながら待っている。財布はいつの間にかポケットに返されていた。が、それを出しても先ほどの二の舞にしかならない。「蹴られるのが好きなのかな、玄斗は?」と笑顔で白玖に脅される未来しか見えなかった。

 

「…………むむ……」

「……はーやーくー……」

「え、っと……ごめん。ヒントが……欲しい……」

「えー? ……じゃあ、もう、特別だよ」

「うん」

 

 呆れるように笑う白玖は、うなずく玄斗の隙をついてふらりと手を伸ばした。その細い指が彼の手首に触れる。唐突な接触。けれども驚きよりかは、どこか心地よさのほうがあった。軽く握って、手のひらの前まで持ってきて、いたずらが成功したように白玖は笑う。

 

「――言ったでしょ? 今日はデートだって」

「あ…………」

 

 それで、なんとなく、繋がった。

 

「……そっか、そうだった。デートだったね、折角の」

「そうだよ。先に言ってたのに。そんなことも忘れるなんて、玄斗サイテー」

「うん、本当に最低だ、ごめん――」

 

 そうして、そっと、玄斗は白玖の手を握った。

 

「……ふふ、上出来」

「ありがとう。……こういうの、なんだか恥ずかしいね」

「そりゃあそうでしょ。でも、悪くはないんじゃない?」

「……まあ、そうなのかな……」

「どうなの?」

「……そうかも」

「そっか」

 

 答えると、白玖はまたもやちいさく笑った。今日はとくにご機嫌だ。最近は色々なところをフラフラとしていたから、きちんと彼女と話せていなかったのもある。久しぶりの距離感を正しくするには、これぐらい強引なほうが効くのかもしれない。玄斗は勝手にそう思った。都合の良い解釈だとか、ねじ曲げた理論ではなく、真剣にそんなコトを考えてみた。とんでもない思い違いである。

 

「じゃあ、どこに行く?」

「屋台見よう、屋台。焼きそばとかあるかも」

「いいね、三つぐらい買おうか」

「……なぜ三つ……?」

「白玖がひとつと、僕がふたつ」

「ここでも食欲は不変なんだ……」

 

 まあ玄斗らしいかも、なんて漏らしながらふたりは長い階段をあがっていく。ひとつの学期を締めて、おだやかな長い休暇の最中。夏祭りは盛況だ。人も沢山で賑やかな様子になっている。玄斗と白玖は、そんな中に自然と紛れこんだ。ゆっくりと、人ごみに消えていく。

 

 ……繋いだ手は、ほんのりと熱かった。





七章開始です。ここでひとつの区切りといきたい。

正直ルート分けしようか迷ったんですがいまの自分にそこまでの気力がないので一本化して逃げ切ります。大丈夫、ラブコメ主人公の中でもうちの子はきっと上位レベルでどうしようもない屑系主人公だって信じてる……!


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絶対に言えること

 

 地方都市とはいえ、夏祭りには大勢の人だかりができていた。すこし歩けば誰かとすれ違う。行く先見る先に人影がある。こんな小さな街にもそれなりに人口はあったのだと気付かされるハレの場である。

 

「多いねえ……人」

「そうだね」

 

 同じことを思っていたのか、つぶやいた白玖に玄斗も同意した。繋いだ手はいまだに離していない。そろそろ夏の湿気と暑さで手汗なんかがマズいのだが、それに気付いた様子もなく白玖は手をにぎにぎとしてくる。なんとも言うに言い出せない状況だった。

 

「こういうの久々……っていうか、はじめてじゃない?」

「はじめてだっけ? 白玖と、夏祭りに来たの」

「はじめてだよ。だって昔は、夏になる前に引っ越しちゃったし」

「……ああ、そう言えば、そうだった」

 

 思い出して、記憶力だけが取り柄だったのにと苦笑した。物忘れが酷いというワケでもないが、最近は古いことをどんどんと忘れていって怖くなる。新しいなにかが増えるたび、それらはゆっくりと風化して消えていく。当たり前だとしても、なんだかそのことは玄斗にとってすこし悲しいものだった。

 

「だから、来れて良かったよ。玄斗と一緒に」

「そう言ってもらえるのは嬉しいかな。僕も君と一緒で良かった」

「ふふ、知ってる」

「知られてたか」

 

 くるりと回りながら笑う幼馴染みに、参ったなと玄斗は頭をかいた。付き合いは古いが長くはない。さらには決して奥まで踏み込んだワケでもない。のに、この幼馴染みならなんでも受け止めてなんでも知っている気がしてくるのだから不思議だ。()の本質こそ知っていれど、同じであるはずの彼女(・・)のコトはよく分からない。分かっているはずなのに、見えてこない。そんな、不思議な感覚で。

 

「――白玖は、自分が醜いって思ったこととかある?」

「…………え?」

 

 〝――俺なんて結局、そんな醜い人間ってことだよ〟

 

 そんな一言をふと思い出して、つい問いかけた。喧噪が静寂を周囲から押し潰していく。無音の空間は真実ふたりの間だけに流れた。ゆっくりと、ふり向いた白玖がつと頬を指でかく。

 

「……うーん……わりと、何度もあるかな……?」

「本当に?」

「うん。そりゃあ、思うよ。でも、嫌いにはなれないから、それが自分なんだとも思う」

「…………、」

「……なに、その、鳩が豆鉄砲くらったみたいな」

「いや――――」

 

 ――意外、なのだろうか。でも、どこかでその答えは予想していたような気がした。かつて彼女が幸せだと笑った瞬間。あのときから、きっと心の奥底で予感はあった。両親の死に潰れて壊れた誰かとは違う。目の前で生きる彼女は、とうのとっくに救われているものなのだと。原作において壱ノ瀬白玖が言うべき答えを耳にして、確信に変わった。

 

「……本当に、今更なんだって実感した。でも、そうだね。思えばずっとか」

「……なに、玄斗? 今日の玄斗、変だよ?」

「そうかな? ……そうかも。でも、いいんだ。やっと気付けた」

 

 くすり、と彼は笑った。まったくもって恥ずかしい思い違いをしていたものだ。必死になっていた己のなんと格好悪いことか。笑顔を浮かべる壱ノ瀬白玖を見て、そんなひとつの事実にすら行き着かなかった残念さが懐かしい。いまはたぶん、違うのだと思う。それぐらい、良い意味で心の隙間は開いていた。

 

「白玖。いまの君は、幸せかな」

「? まあ、それは、ね。いちおう? 幸せだけど」

「――――そっか」

 

 ふと、夜空を見上げた。ガラスのような白い月。祭りの明かりに埋もれてどこか遠くに感じる空の果て。それぐらい昔のような過去、彼女を幸せにすると誓った馬鹿を知っている。それはとても無意味な覚悟で、無駄な努力の結晶だった。意義を成さない人生の使い方。意味を知らない人の生き様。それはなんとも愚かだと、彼は思った。

 

「……馬鹿だなあ、僕は」

「なに言ってるの。玄斗は頭いいでしょ」

「ううん、ぜんぜんよくないよ。だって……こんな、簡単なコトにすら気付かなかった」

「?」

 

 ぜんぶ、振り返って間違い続けた道だと分かった。他人の心なんて分からない。誰かを思ってもそれが本当にためになるかなんてさっぱりだ。なにせ自分に見えるのは自分の心だ。そんなものすらロクに扱えないような人間が、誰かのためになんて夢を見るにもほどがある。

 

「……早すぎたんだろうね、ぜんぶ。僕にはちょっと、お酒みたいなものだった」

「いや、意味分かんないし……大丈夫? 玄斗」

「大丈夫。酔ってない」

「酔っ払いは全員そう言うのー。……でも、まあ、そうかもね」

「……うん」

 

 思い上がり、慢心、勘違い。どれも違う。ただ、なにも知らなくて、なにもかもが彼には早すぎた。幼い心の器はとても小さいままだ。こぼれるのは必至で、割れるのも必然だった。ならば、いつかは壊れてしまう。それを繋ぎ止めてどうにか形にまで戻したのが、彼の世話になった少女たちだった。

 

「そっか……もうそんなにかあ……じゃあ、言えないね」

「……白玖……?」

「これまでみたいには、言えないって。それだけ。……きっと、玄斗が頭を回しちゃうからね」

「……まあ、そりゃあ、回すけど……」

 

 だから、もうやめだと。白玖はなにかを誤魔化すようにそう言ってきた。遠回しな台詞の数々。それに一歩踏み込んだアピールだとか、なんだとか。そんなものはぜんぶ、余計なことにならないと踏んでのものだった。けれど、そんな心配も彼にはもう要らないらしい。

 

「……玄斗はさ、どう?」

「どう……って?」

「私に幸せかー、幸せかーって訊いてくるけど、そっちはどうってこと」

「……えっと、それはつまり……」

「玄斗は、幸せ?」

 

 聞かれて、まったく、驚くほどに。……心が、軽かった。押し潰してきそうなほどの罪悪感。こんな自分が生を謳歌しているという贅沢に死にかけていたそれが、気付けば一切ない。どうしてかと、混乱しなかったワケでもないが。ずっと、それこそ明透零無であったときから引き摺っていたそれがないことに、今更気付いた。

 

「……はは」

「……?」

「なんだろうね、ずいぶん……甘くなったんだな。僕は」

「え、あの、玄斗……?」

「…………分からないよ、白玖」

 

 手探りですらなかった問題に、すぐ答えは出せなかった。当たり前の幸せにつつまれて、実際そう思っているかどうか。幸せだと感じたとして、それをはっきり胸を張って言えるかどうか。そう思い悩んだとき、答えがうっすらとぼやけた。

 

「……どうして?」

「さあ、なんでだろうね。でも、知らなすぎるんだ。きっと、これもぜんぶ……遅れてる。僕は、まだまだ子供だった」

「そうですよー? まだまだ十六才なんて子供だからね」

「……白玖だって同い年だろう?」

「おや鋭い」

 

 にやりと笑う白玖。からかっているのが見え見えだった。真面目な話の途中にやわらかな雰囲気を持ってきたのはきっと彼女なりの気遣いだろう。分からないならそのまま、わざわざ苦しまずとも良い。そのまま流れて逃げても良いよ――と。そう言われているような、気がした。

 

「……さっきの答えだけどね、分からないけど、言える事はあるんだ」

「……うん」

 

 なに? とは聞かなかった。やっぱりそういうことなのだろう。つくづく、この幼馴染みには敵わないと思わされる。

 

「幸せかどうかなんて、分からないよ。実際、辛いことだって沢山あったように思うし、それならこれからもあるんだと思う」

「…………うん」

「でもね」

 

 ――ふわり、と。ソレを知る誰かが見たのなら、「似ている」と真っ先に思っただろう。すべてが終わったあとのコト。歩いていく道を決めた少年が、心の在り方を戻した印象的なワンシーン。重なったのはその部分だ。なにせ、見ての通りな彼が、まるで、花を咲かせたみたいに。

 

「きっと、幸せになれる。だって、こんなにも、生きていて楽しいんだから――」

 

 十坂玄斗は、心からそう呟いた。ありふれた幸福。日常のささいな暖かさ。人が人らしくあるために必要な心のカタチ。足りないと言えば、まだ足りない。けれど、十二分までいかない、それこそ十分なぐらいはあった。だから、大丈夫。

 

「――うん。なら、良いんだよ」

 

 壱ノ瀬白玖は笑った。十坂玄斗の笑顔に返すように、笑みを浮かべた。かつてどこかの世界で世に出回ったひとつのゲームがある。傷付いた主人公を正しくあるべきものへ直していくというシナリオが描かれた作品が。その、最後にとっておかれた一枚絵。

 

私もやっと、それが見えた(俺もようやく、それが見えたんだ)!」

「は――」

 

 ……なんて、最後まで油断ならないコトをしてくれる。まったくズルいにもほどがあるだろう。その笑顔は、あのゲームをプレイした人間にとって反則だというのに。本当に敵わないなと、玄斗はいまいちど夜空を仰ぐのだった。






>花咲く笑顔の玄斗くん
「壱」と「零」で「十」ができあがるのです、ということ。



一度死なないと生きたいって思えないのは正直筋金入ってるなと思わないでもない今日この頃。やっぱり主人公には甘くしちゃうのは作者の直したいところです。


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途中のいさかい

 

 十人十色、なんて言うが。言い換えてしまえばそれは、どこにでも染まらない人……空気の読めない人……または読まない人というのが存在するということだ。わいわいと街の住人みんなで賑やかに行われる夏祭り。もちろん、そんな目立つ場所でそのような人間がいないとも限らない。

 

「(む…………、)」

 

 ちらり、と人ごみの隙間から一瞬だけ見えた光景。それに、どことなく面白くないモノを考えた。人目につかないような物陰で、なにやら少女が金髪の男に絡まれている。きょろきょろと視線を泳がせているが、もちろんそんなのに誰が気付く筈もない。……ちょうど都合良く、視界におさめてしまった彼を除いて。

 

「白玖」

「うん? ……ああ、おっけー。どうする?」

「…………、」

「……あれ、ちょっとー? なに?」

「……いや、」

 

 相変わらずすごいな、と感心しながら人波をかきわけて前に進む。ただつるんでいるだけ……ならばなんの問題もないのだろうが、見るからにそうではない。だいいち、わざわざ見られにくい場所に居るのがどうにもという直感だった。どうせこれで間違っていても玄斗ひとりが恥をかくだけ。当たって砕けろの精神で足を踏み出して――

 

「そういうのは、良くないと思いますよ」

「!」

 

 玄斗が近付くよりも前に、男の肩へ手が置かれた。すこし伸ばした、低い身長から届かせた手。ほっと一安心しかけたところに、その人物を見てまた肝が冷える。――なにせ、そう言ったのは彼と同年代ぐらいの少女だった。

 

「……なんだ、あんた」

「え? いや、だから、そういうのは駄目じゃないかなーって……」

「なにが、駄目だって?」

「……その人、嫌がってますよ」

「――――」

 

 まずい、と思ったのはその瞬間だ。後ろでちいさく震える少女と、真正面からきょとんと当たり前のように事実を叩き付けた少女。それに挟まれる男は、まあ、見るからに真面目で大人しいとは思えない手合いだった。白玖の手を離して駆けていく。自然、するりと抜けていた。ほんのすこし首をかしげて後ろを見れば、やれやれといった風に笑う姿が見える。

 

「良い度胸してんな」

「度胸もなにも、悪いコトは悪いコトです」

「うるせえ」

 

 ――ああ、本当に、手が早い。だからああいう手合いは苦手なんだと、玄斗は思いながら走る。鷹仁のときもそうだったが、考える前に体が動くという人間はなんとも暴力までの思考がスムーズで淀みない。老若男女関係ないのであれば最悪だ。得てして、そういう相手に限って、

 

「っ!」

「あっ」

 

 容赦というものを、してくれないのだ。

 

「……危ないよ、君」

「え……?」

 

 ビリビリと痺れた感覚が走る左手を無理やり動かしながら、くるりと玄斗はふり向いた。顔の左半分を覆い隠す、茶髪の混じった黒髪。猫のように薄く光る黄色い瞳。肌は病的なまでにとんでもなく白い。そして、目を引くのがその格好。真夏だというのに、その少女は長袖長ズボンにマフラーという見ているこちらが暑くなるような服装をしていた。

 

「……いや、本当に危なくない?」

「へ? やー、えっと……?」

「暑くないのかい、それ。熱中症とか、最近は猛暑だから。平気? 汗も、すこし出てるみたいだけど」

「あっ、そ、それについては水分補給をちゃんと、してますので……!」

「そっか」

 

 なら良いんだけど、とぼんやり呟く玄斗。その左手に掴んでいる相手が真剣にこめかみに血管を浮かび上がらせていることだとか、そのまた後ろで居心地悪そうに佇む少女のことだとかを忘れている。ので、直後にドスのきいた声を飛ばされたのも致し方ないと言えばそうだった。

 

「おい……いつまで人の足掴んでんだ、てめえ……!」

「あ、ごめん」

「っ、あぁ!?」

 

 と、ぱっと離した手が逃れようとしていた勢いに乗った。ちょうど坂になっていたみたいで、見事に金髪はどんがらがっしゃーんと下へ転がっていく。木々の間を駆け抜けるボールのようだった。残ったのはじんじんと痛む手のひらをそっと隠す少年と、呆然と成り行きを観察していた少女と、ふたりに助けられたその人のみ。

 

「……あれも、自業自得っていうのかな?」

「因果応報、だと思いますよ」

「ああ、その言葉には馴染みがある。うん。良い言葉だね」

「ですね。――っと、それはそれで。あの、大丈夫でしたか?」

「あ、うん……なんか、えっと……ありがと……?」

 

 ばっと近寄った少女に、若干戸惑いながらも答える。どこか派手目な格好のその人は、あまり玄斗の近くでは見ない相手だった。手入れのされた桃色の髪、綺麗なアクセサリーやネイル、男の玄斗からすれば分からないが、化粧も気合いの入ったもの。なんにも飾っていないような雰囲気の少女が詰め寄っているものだから、また一段とその差がきわだって見えた。

 

「お礼ならこの人に。私は、ただ声をかけただけですから」

「……僕だって大したことはしてないよ」

「……あー、じゃ、どっちもありがとうございます、ってことでー……えーと……」

 

 言い淀んだ彼女に、いち早くその真意を読み取ったのは玄斗ではなかった。すこしばかり、頭の回転はそちらのほうが上だったらしい。

 

「あ、私、広那って言います。飯咎、広那」

「(……!?)」

 

 〝飯咎〟その名字を聞いて思わず少女のほうをふり向いた。同姓同名の同年代。偶然、というもので済むかどうか。まさかと思いつつ、じっと見ていれば目が合ったその子にくすりと笑われた。

 

「お兄さんの番ですよ。名前」

「……玄斗、十坂玄斗です。ちなみに、お兄さんってほどじゃないよ」

「いくつですか?」

「十六。今年で十七」

「じゃあ同い年でしたね。えっと……、十坂くん?」

 

 こくりとうなずくと、少女――広那も返すようにうなずいた。面影は、あるようで少ない。どちらかというと想起するほうが難しいぐらい、その雰囲気は飯咎狭乎と離れていた。だから結び付かない。が、もしかすると。

 

「……あっ!」

「? えっと、なにか……?」

「会長のキープくん!」

「…………はい?」

 

 ずびしっ、と桃色髪の少女が指差して突然そんなコトを言ってきた。玄斗としてはワケもわからない。広那はもっと意味不明だった。キープくんというのが余計に状況を混乱させている。

 

「トオサカってあれだ! トオサカクロトくんって、そうだよ。ああーそっかあ……ふんふむ。こんな感じ、ねえ……?」

「えと……僕が、なにか?」

「うん? 三年のなかでは話題だよ、君。静女と女帝にリード握られた可哀想なわんちゃん、みたいな?」

「ええ…………」

 

 どうしてそうなるんだ、と玄斗は自分の噂に全力でマジレスしたい気分だった。どこからどう見ればそう思えるのか。だいたいキープだなんだと言うなら答えを保留している自分にこそあるのだろうに、なぜ彼女のほうへといっているのか。そのあたりまったく分からない唐変木だった。首輪をつけているという意味では彼以外の共通認識で正しい。

 

「でも、ちょっと二之宮さんの気持ちも分かるかもね?」

「それって……」

「十坂クン、顔、可愛いし」

「……お、おお……」

 

 ずざっ、と顔を近付けた少女に後じさる。……広那が。

 

「ええ……?」

「そういう反応とか、いかにもあの会長が好きそうだし。どう? お姉さんと良いことしてみる?」

「……あ、あのっ! 私はちょっと、あの、用を思い出したので、それじゃっ!?」

「ちょっ――!?」

 

 逃げられた。ぴゅーっと走っていく広那の姿が瞬く間に遠くなる。聞くべきことも聞けないままに去っていった少女は、そのまま人ごみのなかに紛れて見えなくなった。

 

「ふたりっきりだねえ?」

「……勘弁してください」

「つれないなあ……? ま、助けてもらったから、今回はね。……ん、アタシは桃園紗八(モモゾノサヤ)。覚えておいてね、忠犬くん♪」

「えっ、あの、その――」

「さっきはありがとね。おかげで……うん。ホントに、助かったから」

 

 笑って、彼女も瞬く間に去っていった。結果的にひとり残された玄斗はぽつんとその場に立ち尽くす。白玖が近くに寄って意識を取り戻すまで二分ほど。その衝撃的な出会いは、しばらく彼の脳裏を占めていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「うわあ……やっぱ、出てるね……」

 

 

「サイアク……ほんと、声とか、かけてこないでよ……」

 

 

「ああ、でも、これはアタシも……調子、乗っちゃったかな……?」

 

 

「…………かゆい、なあ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――男の子、好きじゃ、ないのに」

 

  




>飯咎広那

メカクレ系厚着女子。それが個性。

>桃園紗八
名前でお察しとか言わないであげて欲しい系先輩。前門の赤と後門の青に挟まれたかわいそうなギャル系ビッチの明日はどっちだ――?


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続編というものがあるらしい

一先ず二部にメイン当てるのは大抵これで出ましたかね……


 

 ひとり、ぼうと玄斗はベンチに腰掛ける。お花を摘みにいってくる、と離れた白玖を待っているところだった。その理由付けが分からないほど頭を回していないつもりでもない。待ってるね、とだけ笑顔で言うと彼女はすこし頬を赤らめながら去っていった。おおかた、ぽかんとした表情でもされると思ったのだろうか。

 

「(だいたい、たしか一回それで誰かに怒られたし……)」

 

 あれは誰だったろうか、なんて思い出そうと考えてみる。遠くに聞こえる賑やかな声。ちょっとだけ落ち着ける空間は、実際片隅のほうに置かれたものだった。疲れていたのか、ぐったりと背中をあずけてみればなんともリラックスできた。

 

「…………、」

「――ね、お兄さんひとり?」

 

 と、そんな不意をついて声がかけられた。くるりと肩を組むように回される腕。香水だろうか、すこし透き通るような匂いが鼻孔をかすめる。見れば、自分と同い年ぐらいの少年がはにかみながら立っていた。なんとなく、どこか、見覚えがある。

 

「……えっと?」

「まずうちさぁ……屋上……あんだけど……」

「はあ……?」

「焼いて――いやごめんネタ分かんない子にするもんじゃないわすまん十坂」

「??」

 

 首をかしげる玄斗をおいて、ばっと後ろからベンチを乗り越えた少年がそのまま腰掛ける。無駄にスタイリッシュだった。満足したのか、「ふっ……」なんて得意げにドヤ顔を浮かべている。

 

「んで、ひとりか? まあ俺もだけど」

「……あの、どこかで?」

「あーっはっはっは。……まじかあ……ええ……? 俺忘れられてる……?」

 

 そんな典型的な陰キャと陽キャの狭間で揺れ動くこのEndlessBattle(イケボ)なんてぶつぶつと呟きはじめる少年。もう一度しっかり見てみれば、どこか引っ掛かるものこそあれどそこから先がさっぱりだった。地味目な黒髪、地味目な格好、センスはまあ良いか悪いかで言えば良さげな感じ。オシャレというものを本人が理解しているかはともかく、その服装はどことなく似合っていた。

 

「……ごめん。どっかで、見たような記憶はあるんだけど……」

「どっかじゃねえよ……一年のときにずっと委員会同じだったろ……」

「…………あ、飢郷くん?」

「おう」

 

 ぐるん、とこちらを向いた少年が低い声でそういった。若干涙目である。

 

「酷いよなあ、十坂。あの頃の俺たち、いつも一緒だったじゃねえか……」

「そうでもないよ?」

「お前のことは今日からネタにマジレス兄貴と呼ぶ」

「まあ、良いけど」

「良くないんだよなあ……」

 

 ツッコミのセンスゼロかこの野郎、とぼやく少年に思わず笑った。名前を皮切りにしてみれば、そういえばそうだと記憶が掘り起こされた。色々とヒロイン相手に立ち回っていたお陰で薄れていたが、一年間同じ役目を全うした戦友である。

 

「なんか久しぶりだね、こういうの」

「だなあ……クラス変わって合いにくくなったしなあ……いや、俺は断然ぼっちですけどね?」

「じゃあこっちまで来れば良いのに」

「HAHAHA。……十坂おまえ、その陰キャムーブのなかに陽キャ的思考を混ぜるのはよくないと俺は大体十回ぐらい言ったぞ」

「え、あ、うん……ごめん……?」

「うむ」

 

 うんうんとうなずく自称陰キャ。よく口が回るのはそれほど頭を回しているということでもある。ふざけていて色々と弱点に塗れたような少年だが、一年の付き合いでそれこそ鷹仁と比べても見劣りしないほど出来た人間なのだと玄斗は知っていた。

 

「D組だっけ? どう、楽しい?」

「おまえは俺の言ったコトを五秒前からリピートしろ」

「……うむ?」

「そのひとつ前だちくしょう!」

 

 余韻が長かったか……! と腰を折る陰キャカッコカリ。面白いのがこう見えて、口を回すのが限定的であるという事実だ。初対面の相手でも大抵はうまいこと話す彼だが、それでも苦手な手合いというのが存在する。

 

「あーもう本当クソだわ……俺たちは日なたの道を歩けない……」

「結構歩いてたと思うけど」

「おまえのことは今日からネタにマジレスおじさんと呼んでやろう」

「君におじさんと呼ばれる筋合いはないぞ」

「呼ぶ気もねえわ」

 

 だいたい〝おじさん〟の意味合いが違っていた。悲しいことにどちらも素ではなくネタで言っている応酬なのが玄斗の成長を表していた。分かりにくい男である。

 

「てかそっちはどうなんだよ。なーんか、面倒なことになってるみたいだが」

「面倒、ではないけど。でも、けっこう楽しい毎日かな」

「うっはあーすげえ……俺だったら秒で死んでるね。あんな女子ばっか(・・・・・)に囲まれて暮らしてりゃあ……」

 

 美少女との関わり合いは二次元だけで十分、というのが少年のわりと薄っぺらな主張だった。時と場合によってそれは変わる。信念というほどでもないのが本当に薄っぺらい。

 

「まだ駄目なの?」

「まだっつうかもう大分染み付いてるっつうか……いや、木下のヤツに誘われてそういう場とかにも足を運んだけどなあ……無理だわーアレ。本当ないわ……もう二度といかねえ……!」

「鷹仁?」

「おう。……合コンって、マジで地獄なんだな……」

 

 近寄ってくる女子がまんじゅう的な意味ではなくガチで怖いと震えながら語る飢郷某。顔はそこそこなのに吃りやがってクソ童貞野郎なんていうのは被害妄想にしても、どこぞの誰かさんが女子が苦手というのはわりと有名な話だった。学年単位で。

 

「三年の先輩とかに結構いじられてたりしない?」

「する。めっちゃする。なんなのあれ……休み時間のたびに来んなよ本当……それで人と話して満足げに帰るなもう二度と来んなまじああもうじんましんでるからっ!」

「そこまで酷いんだ……」

「だからこうやって夏だってのに長袖だ。まあ生地が薄いからいいけど」

 

 と、ひらひら少年が腕をふって見せてくる。思えば時季外れの長袖はふたりめだ。それだけで印象に残りそうなものだが、最初のひとりが想像をはるかに絶する着込みようだったせいで、そこまでインパクトも薄れていた。

 

「俺もなー、興味がないワケでは? ないんですけどね?」

「お付き合いとか、難しそうだね」

「まずうまく会話できるのが前提だからな。それこそ性転換した美少女とかじゃないと無理じゃね?」

「なにそれ、漫画の世界だよ」

「だなー」

 

 あっはっはー、と笑い合うふたり。間違ってもそんな世界線は存在しないので自然と可能性が消えていた。ちなみにそんな男子共は、絵になるかどうかと言われればギリギリ妥協して合格ラインを下回るかどうかという感じで絵にはなる。容姿的にはそのぐらいだった。おもに合計して。

 

「んで、まあ長く話したが……十坂。このあと暇なら、俺と一緒に日陰道でも……」

「ああ、ごめん。白玖……女の子待ってるから」

「てめえこの野郎ッ!」

 

 がばっ、と立ち上がった少年が胸ぐらを掴んでくる。冷や汗が滲んでいた。

 

「それを先に言え!? なんかNTRムーヴしてるホモみたいになったじゃねえか!」

「言っておくけど僕にそんな気はないんだ……ごめん……」

「いや俺もホモじゃねえよっ!? いや待て、おまえまさか理解(・・)してたのかッ!? 最初のやりとりの時点で「やっぱりホモじゃないか(歓喜)」とか、そう思ってたのか――!?」

「え?」

「違ったくそう!」

 

 ネタは用法用量TPOを守って使いましょう。そんなアナウンスがどこからか聞こえてくる。自分の知っているネタを勝手に叩き付ける面倒くさい典型的クソオタクの鑑がここにいた。彼を受け入れるのはギャグの世界線でなければ無理だろう。

 

「ああもうそれじゃあな! 迂闊に近寄って火傷するところだったわ……彼女さんと仲良くしとけよ!」

「え、や……まあ、うん、そっちも、色々と頑張ってね」

「なにがだ。まさか俺が妹とはぐれて迷子になってるのを知ってんのか」

「君のほうが迷子になってるのか……」

 

 最後に心配するコトを言いながら、少年はすたすたと歩いていった。本当に会いたくないのだろう。別に嫌悪感とかそういうのではなく、単純に無理だというのだから仕方ない。――飢郷逢緒(ウエサトアオ)。女子が苦手な彼は意外なぐらい女子の事情を知っている。なんでも「敵を知り己を知れば百戦錬磨だ。……逃げるという意味でなッ!」とのことらしいが、若干逃げ切れていないような気がしないでもない。

 

「お待たせー……って、どうかした?」

「……いや、なんでもない」

 

 答えながら、すくっと立ち上がる。自分のように必死こいたワケでもないのに、自然とそういうものを集めていた手腕は一年時の玄斗からして見習うものがあった。本当に手際よく把握するものだから、忍者なのではと一瞬思ったぐらいだ。……そんな彼に〝彼女〟なんて誤解をされたのは、一体どうしようかと思いながら。





>少年
どこかで聞いた名前だと思った方はそんなワケないので新鮮な目で見よう。別人のはずが設定付け足して喋らせる度に似てきたかわいそうな子。ついでとばかりにネーミングもポイ捨てされたかわいそうな子(二度目)ヒントは沢山あるのでゲーム内の立ち位置はもうお分かり。





アンケートの結果がいちばん主人公にクソ甘そうなルートになりそうなのでなんとかして曇らせられないか必死で考えてます。


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白いキャンバスに憧れて

 

 木々を抜けた暗闇のさき。祭りの明かりからすこし離れた静かな広場。風にさらわれる髪をおさえながら、白玖はくるんとふり向いた。人気のない森のなか、唯一と言って良いほど夜空がよく見える。

 

「……すごいな」

「でしょ? この前見つけたんだー」

 

 お祭りが楽しみで下見に、と付け足しながら白玖がくるくると回る。とりわけ今は人気の多い場所も嫌ではないが、静かであるというのはやはり落ち着く要因のひとつだった。玄斗からしてみても、良いと思わせるモノがある。そんな空間で、ぽすんと彼女は座った。

 

「ほら。隣、隣」

「……はいはい」

「はいは一回」

「はい」

「よろしい」

 

 くすくすと笑う白玖の隣に腰を下ろしながら、いま一度夜空を見上げる。それは暗い街の闇みたいで、海の底のようで、救いのない深みさえ覚えて――

 

「なーに辛気くさい顔してるの」

「……いや……」

「もったいないよ。最近、やっと綺麗に笑うようになったのに。思い悩むのは、あとにしておいても良いんじゃない?」

「……そう……かも、ね……」

 

 別に、思い悩んでいたワケでもなかった。ただ、そこから引き摺りあげられた事実が、いまだにちょっと、信じられないではいた。

 

「……白玖は、もしかして」

「うん?」

「ぜんぶ、知ってたり……?」

「だからあ……言ったじゃん。私はぜんぶ知ってますよーって」

 

 なんでもないように白玖が応える。それだけで、なにを確かに言ったワケでもないのに、納得してしまうものがあった。人間同士。所詮は相互誤解。だとしても、彼にとって壱ノ瀬白玖という少女の存在はとても大きかった。その一言に、なにもかもを許してしまうぐらい。

 

「すっごい嫌な話をしちゃうけどね」

「嫌……?」

「うん。まあ、単純な心の問題。自分より酷い人がいたらさ……なんか、どうでもよくなるじゃん?」

「……それ、って」

「まあ、私の場合、気付いたのは後になってからだけど。でも直感はあったよ? あ、この子おかしいなーって」

「……そんなにだったのか……」

「だって玄斗おかしいもん。気持ち悪いし」

「うっ……」

 

 ずきっと心が痛んだ。露骨に顔を歪めると白玖がまたもや笑ってくる。

 

「そういうとこ、良いと思うよ」

「なにが……?」

「今までの玄斗なら、絶対曖昧に笑って流してた。ちゃんと受け止められてる」

「…………そっか」

「そう。だから、まあ、複雑だけど、私は嬉しかったりします」

 

 おかしいと言われて、傷付く。気持ち悪いと言われて、落ちこむ。そんなのは大抵の人間が持っている感情だ。当たり前みたいなコトでもある。それすら曖昧でともすれば〝無かった〟自分であれば、そうなるのだろう。とても、人らしいとは言えない。

 

「……考えてたから、かな」

「なにを?」

「ゼロなんだって。なにも無いって。思ってたから……そうあろうと、してたのかもしれない」

「ふーん……零に、無い……ねえ……」

 

 明透零無。その名前に込められた呪いじみた意味も、結局は父親自身から否定されて目が覚めた。いまの玄斗は彼自身が掴んだ未来の賜物とは言い難い。周りから支えられ続けて、ようやく辿り着いたスタートラインに立っただけ。問題はこれからになる。

 

「……ちなみに、白玖はそれ、どう思う?」

「いやあ……まあ、私だったら……零じゃ無い……って、無理やり解釈したり?」

「……っ。……その、心は?」

「だって、そのほうが素敵だし。たぶん、自分の子供とかにそんな意味、つけちゃうかもね」

「こど、も……」

 

 ――見たコトもない。聞いたコトもない。けれど、なにか、とんでもないレベルで。重なる部分があったかと言われればそも……ないのだけれど。

 

「……白玖、なんだよな?」

「ええ……? 急になに? そこまでおかしかった?」

「そうじゃ、なくて……」

「……?」

「なん、ていうか……いまの君――」

 

 似ている、と玄斗は思った。聞いたかぎりの薄い情報。写真だけの仄かな記憶。あったこともない誰か。例えば、明透零無を作り出したのが彼女なのだとすれば。いまある十坂玄斗をつくりだしたのは間違いなく壱ノ瀬白玖で。だからこそ、ズレていながら重なった。

 

「……いや、なんでもないよ」

「? ……変な玄斗」

「変でいい。……でも、そっか……」

「んん……?」

「やっぱり、良かった。……僕は、僕で。本当に良かったと、思う」

 

 旧姓はたしか、白河といったか。ひとつの美しさ。ひとつの幸せ。なにもないなんてことは無く、ただそれ以上を望んだ誰かの願い。それが込められた名前が、いまとなっては心を温めるモノになっている。本当に、心底、彼は――明透零無であって良かったと。

 

「……明透一美、だっけ」

「……?」

「知らない?」

「知らないけど……え? 誰? 同じ高校?」

「違うよ。でも、うん。……なら、良いんだ」

 

 似通っている、というコトは色んな取り方ができた。偶然のレベルでそういうものなのか、はたまた記憶だけが抜け落ちているのか、もしくは単なる生まれ変わりなんてファンタジーか。シロとイチ。そのどちらもが含めた意味合いに、また玄斗は笑った。

 

「……ひとつだけ、聞いてもいいかな」

「なにを?」

「もう、答えは出てるんだけどね。でも、ちょっとした質問」

「だから、なに?」

 

 優しい問いかけだった。急くようなものではない。ただ、「分かっているよ」と言いたげな声。思えばそう、最初から。本気の本気で、はじめのはじめからだった。十坂玄斗が行動に移した原初の理由。そこにあるべきものはただひとつで。

 

「僕はこれから、どうすれば良いと思う?」

「――なんだ、そんなこと」

「…………、」

 

 そんなこと。そうだ。言ってしまえばそれで済むこと。当たり前のように誰もが考えていること。自分の行く末さえ他人に聞いてしまう少年のことを、彼女は笑いもせずに受け止めながら言った。

 

「そんなの、決まってるよ」

「……どんな風に?」

「玄斗らしく生きていけばいい。玄斗の思うように、生きていけばいいんだよ。そのために私がいて、他の誰かがいて……なにより、玄斗がいるから」

「……僕らしく」

「そ。……玄斗は、玄斗の思う玄斗であるようにね」

「……うん。分かってる」

 

 なにが大事か。どれを取るべきか。そんなものは分かっている。ただ普通に、幸せに生きていたいと願いながら、心の底でそれを否定していた愚かな男を知っている。だから受け入れてしまえば簡単なこと。なにかに笑って、涙を流して、月並みな日常の幸せなんかを知って。ただ、それらしく生きていく。

 

「だね、僕も……見えた。僕の答えが。やっと」

「……ふぅーん。ちなみに、どういう?」

「それはまだ秘密」

「えー!」

 

 そんなのはズルだ、とでも言わんばかりに白玖が詰め寄る。――瞬間。

 

「わっ!」

「……おお」

 

 遠く、暗い空に花火が散った。

 

「うわあ……圧巻だね」

「たしかに……」

 

 続けてあがる打ち上げ花火は、腹の底にまで響くような音だった。どんどんと鼓膜を震わせて身体に染み渡る。かつては病室から眺めるしか無かった光景を、こんなに贅沢な場所で、こんなに贅沢な状況で、こんなに贅沢なままに見ていられる。それは、とても、幸せなことでしかない。

 

「綺麗……」

「…………、」

 

 言うべきか、正直迷った。後ろ髪を引くのは、きっと違う誰かのもので。でも、自分に嘘はつくべきではないと、誰もが言っていた。だから、誤魔化すのはなしだろう。

 

「……白玖」

「うんー?」

「――君のほうが、綺麗だ」

「――――っ!!」

 

 ぼん、と白玖の顔が一瞬で真っ赤に染まる。ぐるんと首をこちらに回して、ぱくぱくと言葉にならない文句を投げてきた。笑う。十坂玄斗はとってもらしく笑う。なんのしがらみもなく、なんの憂いも無く。ただ彼らしく、笑い続けた。

 

「――本当、綺麗だ。白玖」

 

 だって、何度も言うが、そのとおり。いちばん初めに抱いた想いは、白玖(だれか)を幸せにしたいという彼自身の願いなのだから―― 






アンケートの結果、大体これ主人公に甘い世界確定しちゃっててもうなんとも言えない。もっとこんなド屑系主人公は地獄の底までブチ落としても良いんですよ! すくなくとも作者はこいつに調子こいたハッピーエンドなんて与える気はさらさらなかった。いやハッピーにはするけどね?



いや、露骨にそういう択を用意してたのに少ないのは予想外ですよ……?


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たったひとつの結末

読まなくてもいい部分は全消ししました。ので、最後は思いっきりスクロールするかブラバしましょう。


あー主人公記憶全損ルートとか無印ヒロイン存在喪失ルートとか十坂玄斗(本人の意識だけがあって明透零無はどこにもいない)ルートとか書きたかったのになー! 仕方ないなー!


 

 ――やがて、光は消えて。音も景色も遠くなって、静かに、沈み込むように溶けていく。一夜限りの夏祭り。それはなんとも平凡に、何事も無く終わりを告げた。いまはその帰り道。送るよ、という玄斗の提案を快く受け入れた白玖と、ふたりっきりの道中だった。

 

「…………、」

「…………、」

 

 ただ、雰囲気は、どうにも変えがたい。先ほど――ちょうど花火を見上げた彼女に――伝えた一言以降、白玖は目に見えて口数が減ってしまった。どこかよそよそしく、慣れないように半歩前を歩いている。後ろから見た浴衣姿も、まあ似合っていた。

 

「……、」

「……、」

 

 ただ、これはどうするべきか、と悩んでしまうのも事実だ。とくべつ息苦しいワケでもないが……白玖と居る時は大抵喋っているからか、慣れないという感覚が強い。真綿で首を絞めるほどとはいかなくても、マフラーを固く結ばれるぐらいはある。そんな、夜中の住宅街だ。

 

「……白玖」

「っ……な、なに……?」

 

 ビクン、とこれまた目に見えて肩を跳ねさせた。らしくない、と玄斗は息をつく。らしさなんてひとつ取ってみても数ヶ月前まで必死に悩ませていた事実が、いまはもう遠い過去に思えるのだから自分も大概だ。すこし歩調を速めて、白玖の隣につく。

 

「面白い話でもしようか」

「いいよ、別に……」

「じゃあ、昔話?」

「そういうのでもないでしょ……」

「なら……」

 

 と、玄斗はあからさまにちいさく白玖の顔を盗み見て、

 

「ほっぺにソース、ついてるよ」

「っ!?」

 

 がばっ、と俯きかけていた少女の顔があがって、わたわたとその顔を両手で覆いだした。忙しない動きと赤面した表情が、乙女的に一大事だと全方位に向けて発信している。

 

「なっ、な、あ、ど、うぇえ……!?」

「ごめん、嘘」

「……へ?」

「だから、嘘。そんなのついてないよ」

「…………、」

 

 にこりと笑いながら言うと、白玖の動きがぴたりと止まった。じぃいっ……と恨めしそうにこちらを見つめてくる。ので、

 

「やっと目が合ったね」

「――――!!」

 

 よりいっそう笑みを深くしながらそう言うと、案の定白玖は耳まで真っ赤になった。いまのは狙ったので効果抜群である。十坂玄斗、ここに来て自らの表情の使い方を知る。一部にしか特攻が効かないあたり、便利とは言い難かった。

 

「なに恥ずかしがってるの。白玖」

「そっ、それはっ……あんな、タイミングで……あんなコト、言って、くるから……!」

「……タイミングの問題で、そんなに?」

「かっ、変わるよ!? その、あの……乙女心は、秋の空だから……!」

「うん。一旦落ち着こうか、白玖」

 

 急接近して力説する少女の肩に手を置きながら諭す。自然とそういう格好になってしまった。これは狙っていない。どちらも成り行きにまかせた格好である。だから、別に、なんというコトでもないだろうに。

 

「……ぁ……」

「(…………!?)」

 

 超絶至近距離でそんな甘い声を出されて、一瞬、玄斗の封じられていた獣性が目覚めかけた。この主人公スケベすぎる。そんな一文が脳裏を掠めていく。消え失せていたはずの性欲が戻りかけているという重要項目は、まあこの際わりとどうでも良かった。

 

「……くろ、と……」

「……白玖……」

「私……私、ね……」

「……うん」

 

 そっと、白玖が視線をあげた。見上げるように彼女は玄斗へ近付く。ほんのりと軽い体重が胸にかかってくる。暗い夜道。周りに行き交う人はいない。誰も、ふたりを気にとめる人も、止めに入る人間だっていない。

 

「私は――十坂玄斗の、コトが……!」

 

 鳴った。甲高く、周囲にまで響きわたるほどに、大きく、広く。

 

 ……携帯が、鳴った。

 

「…………、」

「…………、」

「……………………、」

「……………………、」

「…………でないの?」

「本当に申し訳無い」

 

 ぶすっとした白玖に言われて頭を下げながら画面を確認する。着信相手は――見事なほどのタイミングを発揮した自慢の妹だった。

 

「……もしもし」

『あ、お兄ー? なんかね、こう、ざわついたから電話したんだけどー』

「……なにが……?」

『胸が』

 

 こう、ざわっと。なんて曖昧にいう真墨。偶然とは思えないぐらいバッチリなのは本当にそうなのだろうか。血のつながりというのは侮れない。もしくは、本当に虫の知らせみたいなものが彼女には備わっているのか。

 

『いやあ、まさかとは思ってるけどね? 友達と花火見てきゃーきゃー言ってるかわいい妹をよそにまさかまさかの誰かさんとあっまーい恋愛くり広げてない? 大丈夫? 指詰める?』

「いや、ないから。そんなコトないから」

「…………、?」

 

 ちら、と隣を見る。……うん、まあ、なにはどうあれ、無いと言っておくしかなかった。

 

『本当かなあ……? 気になるー、あたしは気になるー。ということで帰りに梨でも買ってきて♪』

「いま決めただろう、それ……」

『なんか唐突に食べたくなった。あ、でもスーパーもうしまっちゃってるか。じゃあコンビニで適当なスイーツ買ってきて。お金は帰ったら渡す。じゃ!』

 

 ぷつり、と電話がきれる。いつもより傍若無人〝度〟が高いのはきっとちょっとキレているせいだ。なぜなのかは、本当に分からないがなんとなく想像ついてしまった。

 

「……妹ちゃん?」

「ああ、うん。……もう、真墨は……」

「あはは……珍しいね、玄斗。ちょっと怒ってる」

「当然だ」

 

 むすっ、と今度は玄斗がどこか拗ねたように頬を膨らませた。その光景がちょっと意外で、なんでだろうなんて白玖が首をかしげる。だいたい、ふてくされるなら自分のほうで、電話をとった彼が拗ねる部分なんて――

 

「……君の大事な言葉が聞けなかった。そりゃあ、怒りたくもなる」

「――――――っ」

 

 このように。あってしまった、ワケだが。

 

「あ、あは、あはは……えーっと……いつもの、天然……かな……っ」

「ばか、そんなコト言うか。……僕は白玖のそれが聞きたかったって、言った」

「いや、さあ? なんで、さあ……ええ……この流れで、私、を……選ぶ、ワケ……?」

「だって、考えたら最初からだ」

 

 跳ねる心臓、回る血液。うるさいぐらいの鼓動が外に聞こえていないか気が気でないのに、そこまで意識がいかない。なにせ、聴覚はぜんぶ彼ひとりに向けられた。その、一言一句を聞き逃さないために。

 

「ずっと、ずっと。はじめて見たときから……僕は、君のために何かしたかった」

 

 なら、これが最大限なんだと思う、と。少年はなんでもないように言った。なにもなくて、あやふやで、曖昧で、透き通るように無の塊だったひとりの人間が。たしかな自分の意思で、見つめ直して、考えて、支えられてやっと立って、出した答え。それが、自分に向いている。

 

「恋とか愛とか、分からないけど。でも大事にしたいって、思うよ。もっと率直に言うならだけど……」

 

 すっと、玄斗は手を差し出して。

 

「君が欲しいんだ、白玖。僕のいちばん側に、居て欲しい」

「――――っ!!」

 

 そんなのこそ、反則だろうに。

 

「……っ、ば、ばか、ばか! なに、言ってるの、いきなりっ! そんな、そんなの、さあ……!」

「嫌か?」

「っ! ………、………それ、は……ぃ………………、け、ど……

「聞こえない」

 

 胸が高鳴る。脳が沸騰する。ぼろぼろと涙が出て来た。もう顔はぐしゃぐしゃだ。壱ノ瀬白玖としてつくってきた美しさなんて微塵もない。のに、泣くのはやめられなかった。悲しいワケでも、辛いワケでもないけれど。だから、しょうがなくて。

 

「嫌じゃ、ない…………っ!!」

「……そっか。なら……」

 

 良かった、とは彼は言わなかった。ただひとつ、そのときにあるべき感情を呟いて微笑む。やがてふたりは、腕を組んで歩き出した。幸せなんてありふれている。本当にそうだ。なにせ十坂玄斗にははじめから、とても近くに、最高の幸せが用意されていた。それに気付くのに時間がかかりすぎた。けれども、辿り着けたのなら上出来だろう。

 

「すごく、嬉しい。白玖」

 

 笑顔を浮かべる少年は、どこまでも、どこまでも。あたりまえな幸せを噛みしめる、人間らしかった。

 

 

 

 

 

 

 ///◇◆◇///

 

 

 

 

 

 

「……お願いだ」

 

「どうか、どうか」

 

「あるならば、こそ……」

 

「――いや、あるのだとして、だ……!」

 

「……頼む、お願いだ!」

 

「奇跡だって、なんだってあった!」

 

「だから、頼む……!」

 

「――俺の願いを……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――///Welcome to Paradise///――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 表を返せば裏となる。それこそが世界の真理だとすれば。きっと、波長に導かれることもあるのだろう。無力な彼の伸ばした手を。掴んだ虚空こそ、あるのだろう。

 

 

 歪む、歪む、歪む。

 

 

 歪んで、曲がって、そして――

 

 

 

 反転する。






見つめ直したらそりゃあこうなる、という話。そも動機がぜんぶ誰かさんのためだったヤツですのでまあ妥当。え? 他ルート? 完結後も作者の気力が残ってたら全ルート分仕上げるよ(全ルート書くとは言ってない)


真面目な話、七章で一旦区切りなので八章からはわりと蛇足です。


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あくる日の幸福感

前話解読した人はもうちょっと容赦して……七章で一区切りするのにいらない描写削っただけだから……!


 

『……そう、なんにしろ、聞けて良かったわ、答え。あんたが決めたのなら私は別に、文句もなにもないわよ。それがいちばんなんだから。……はぁ? いや、別にっ……な、泣いてないわよっ!!』

『よがっだでずうぅぅうううぅうう!!!!』

『とりあえずその子を一発殴らせて? いえ、別に、私怨とかそういうのじゃないから安心して。単純な殺意だから。……あと、不倫は文化らしいわよ。そこのところどう思う? レイ?』

『へー、ふーん。そーなんだあ……ところでさあ、零無? 今日これから暇? ちょっとあたしに付き合って欲しいんだけどなあ……?』

 

 以上、報告したメインヒロイン勢から玄斗への痛烈な返しだった。色々と世話になったお礼も兼ねて直接会って話すというコトを重視した結果である。しんみりと予想外にいちばんまともな反応をしめした涙目が約一名。そして予想通りにぼろぼろと大粒の涙を流したのが約一名。それを意にも介さないとばかりにとんでもなく距離を詰めてきたのが約二名だった。どちらも諦めていないあたり強いとは思う。

 

「あたしは認めんぞっ!?」

()だって認めてなるものかっ!!」

「はいはいふたりとも落ち着きましょうねー?」

「……あはは……」

 

 どん、とジュースの入ったコップを叩き付ける真墨、グラスを割れんばかりの勢いで落とす父親、面白おかしくなだめる母親、愛想笑いの白玖である。玄斗はなんとも頭が痛くなる思いだった。うちの家族、やっぱりおかしいのでは? と半分疑ってしまう。おそらく全部疑っても良かった。

 

「見ろお兄! このあたしを見ろ! ほら! この人よりおっぱい大きいよ!?」

「真墨、ちょっと黙って」

「そうだ、まずは簡単な質問をさせてくれ。壱ノ瀬くんと言ったな。簡単な職歴と資格の有無から教えて貰おうか」

「父さんもすこし黙って?」

 

 ぐわしっと自分の胸を揉みながら強調する妹と、仕事モードに入りながらゲンドウポーズで面接官みたいな圧を飛ばす父親。ただちょっと良い感じになっていると自白した少女を連れてくるだけでどうしてこうなるのか。まったくもって玄斗はさっぱりだった。……ちなみに、良い感じとは言うがそれつまり相思相愛というコトである。

 

「壱ノ瀬ちゃん? この人たちちょっとアレでアレなだけだから気にしないでいいわよ? で? うちの息子との馴れ初めってどんな感じ? どこに惚れたの? やっぱり外見かしら。この人に似てイケメンよね玄斗」

「え、あのあの、うえぇ……?」

「面食いですか壱ノ瀬先輩!? 中身とかガン無視っすかあ!?」

「そんなの私は一向に認めんッッッ!!!」

「ああもう、ちょっと静かにしてくれ……!」

 

 もみくちゃにされる白玖をよそに、玄斗はついぞ額をおさえながらため息をついた。なんだかここ最近忙しない日々が続いている。夏休みだというのにあんまりな日常の連続だ。一体全体どうしてこうも変わるのかと、がっくり肩まで落としかけて、

 

「(……メール?)」

 

 ポケットに入れていた携帯が震えて、思わず取り出しながら確認した。とっさの判断でもある。付け加えると、このカオスな現状から逃避したいという気持ちもあった。

 

「――――っ!?」

 

 が、そんな甘い考えすら粉々に撃ち砕かれる。画面に映し出されたのは短い文面と、一枚の添付画像。ちいさく見えるそれが、なんだか、とんでもなく嫌なものに思えて――

 

「あら玄斗それなに?」

「かっ、母さん!?」

「えーっと……〝一番乗りはあたしだね〟? どういうこと? ……あら? うん? ふふ、うふふ……? あらあらぁ……」

「ちょっ、ち、違うから! えーっと、これは、なんていうか、誤解で……!」

「え、なに? 玄斗、なにかあったの?」

「な、なにもないっ!!」

 

 ズボンのポケットの携帯を仕舞いながら、玄斗は必死で否定する。アレはまずい。なにがまずいって証拠が出揃っているのに完全無罪なのがまずい。なにをどうしようと素直に言うならただありえない真実を言うしか無くなる。そんなやばい画像だった。

 

「うちの子、プレイボーイだったのね……どうりで、昨日は夜遅くに……」

「母さん!?」

「……どういうことかな、玄斗」

「えッ、や、その、白玖! 違うんだ。これは、み、碧ちゃんの悪戯で――!」

() () () () () () ?」

 

 ひっ、と喉から引き攣った声が出た。白玖の後ろに般若か阿修羅が見える。思わずぎゃーぎゃーとわめいていた父親と妹さえ静まる勢いだった。とんでもない、本気で。

 

「携帯チェック、しよっか」

「……あの、白玖。これだけは言わせて」

「いいからさっさと」

「誤解なんです」

「ハリー」

「はい」

 

 すっと玄斗は五体投地の要領で携帯を差し出した。もちろん大抵のコトを気にしない彼が自分の携帯にめんどうくさいロックなんてかけているはずもなく。スリープ状態から立ち上がった画面は、真っ先にメールの文面と添付画像を映し出す。

 

「……これが、誤解?」

「…………はい」

「ふぅーん? へぇー? ふたりっきりの夜、楽しかったよ♡(はあと)だって? 五加原さんと? ふふ、はは、はははは……!」

「……いや、本当に、これは油断で。あの、ちょっと、雨宿りで入ったビジネスホテルで、寝落ちしちゃって……」

「ふたりとも見える部分は服着てないねー?」

「おいお兄。その画像あとであたしにも見せろ」

「嫌だよ……」

「見せろ」

「……はい……」

 

 圧が凄かった。妹の圧が。父親はなぜか同意するようにうんうんと頷いている。たぶん、きっと、こういう誤解をあの人は乗り切ったのだと玄斗は直感した。おもに行為中に他の女性の名前を呼ぶという下手すればふたりともこの世に生まれていなかった可能性すらある事件で。

 

「……ま、寝顔は本当みたいだし。布団で巧妙に隠されてるけど、かすかに下半身が履いてないことはなさそうなので、不問にしておくよ」

「あ、ありがとう……白玖……愛してる」

「っ! た、ただし! 今後は気を付けること! ああもう、いつどこから他の女子が玄斗を狙ってるか分からない……!」

 

 ちなみにハイエナのごとく目を光らせているのはふたりだけなのでそこまで心配することでもなかったりするのだが、残ったひとりは油断や隙を見せた瞬間に赤信号よろしく無視してかっさらい、もうひとりは油断や隙がなくても黄色信号振り切ってぶっ刺しに来るという合計四名の十坂玄斗(明透零無)特攻兵器相手なのでどうせ気は抜けなかった。

 

「……あと、これは、白玖にも言わなきゃと思うんだけど……」

「……なに?」

「…………先輩に」

「先輩? ……ああ、四埜崎せんぱ――」

「はじめてのキス、取られた」

「――――は?」

 

 ビシリ、と白玖の体が固まる。ついでに真墨の体も固まる。母親はニヤニヤとどこか楽しげに笑っていた。父親はなぜだか涙ぐんでいる。十人十色にもほどがあろう。

 

「……いや、不意打ちで……拒否は、したんだけど……その。ガッと……頭、おさえつけられちゃって……」

「――――――――、」

「……舌、入れられちゃった……」

 

 ぶちっ、と。白玖のなかで何かが切れた。決定的ななにかが。

 

「あの女ちょっとひねり潰してくる」

「ま、待って! これは、あの! 僕が! 僕が悪いからっ!?」

「いいや玄斗は悪くない。大丈夫。玄斗は悪くないよ。――だから、待ってて」

「白玖!?」

 

 なんかマジで殺る気の目をした白玖を必死で止めながら、玄斗はとてつもなく濃かったこの一週間を思い出した。というか正直ディープはやばかった。逃げようとしても逃げられないまま口内を蹂躙されたのはおそらく蒼唯でなければトラウマになっている。ちょっと腰が抜けかけたのは男として隠し通したい秘密だ。

 

「どいつもこいつも……! だいたい恋人は私だからっ! 私以外のところなんていっちゃ駄目なんだからね!?」

「そりゃもう分かってる! 分かってるんだ、白玖! ただちょっと周りがまだ容赦してくれないだけで――」

「じゃあそれは潰せば良いよね?」

「白玖ぅ!」

 

 周りというか約二名である。諦めの悪さはそれこそ秘密を知っているからだろう。十坂玄斗が別の誰かでもあるという事実を知っていれば、そりゃあ、たかだか恋人になったぐらいでなんだと突き進みたくもなる。……かも、しれない。

 

「……まったく、もう……」

「……あはは……」

「笑わない」

「はい」

 

 なんて、そんな幸せな日。きっとこれから、そんな日々が続いてくのかと思うと、とても心が晴れやかだった。――でも、そんなことはなくて。短い幸せはひとときのまま、泡と消えていく。




「――やだ、やだやだ!」
「やめて! おねがい! ゆるして! や、や! やああ!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「や、やあ……! いやあ! ゆるして、おかあさん! ごめんなさい! ごめんなさ――」
「ああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

……てことで、次がラスト。とりあえず締めていこう。


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エピローグみたいなプロローグ

 

 ――ふと、目が覚めた。あたりは燃えるような茜色。夕焼けに染まる白い病室で、息遣いだけが細く続いていく。物音なんて一切なくて、身じろぎした布団のズレでやっと生活感というものが溢れた。――なんて、静寂だろう。

 

「…………、」

 

 ぼうと天井を眺める。赤く染まった白い天井。変わらない風景が唯一色らしい色をつける黄昏時だ。思えば、こんな風景が好きなんだと考えた。変化を望むのは、恐ろしさよりも退屈がすぎるからで。でも、それ以上に。どこかで、それを望んでいるのを知っていた……ような、気がする。

 

「――――、」

 

 息を吐いて、意識を覚醒させる。すこしだけ喉が渇いていた。近くの棚に水差しとコップが置かれていたのを思いだして、すっと手を伸ばす。……そこへ、

 

「ああ、いいよ。僕がやる」

「…………あり、がとう……ございます……」

「ううん。礼なんていらない。()()()()()()()

 

 とくとくと、優しく渡されたコップに水が注がれる。まだまだぼやけた頭では判断も区別もつかなかった。流れるように注がれた水を、ゆっくり、ゆっくりと嚥下する。コップ一杯で震える手が、どうにも先の長さを――有り体に言えば短さか――感じさせてくる。

 

「まだ要る?」

「……いえ……もう……」

「そっか」

 

 すんなりと引き下がったその人は、どうにもよく見えない顔をしていた。うすぼんやりと視界が霞んでいる。なんでだろうと、考えるのも億劫なほど気分が優れない。病状が深刻化しているのだろうかと、ありそうな事実を考えてみた。そんな想像は、なんてつまらないもので。

 

「……あなた、は……?」

「さあ、誰だろう」

「…………、」

 

 薄目のままぼうと見る。ふざけているような答えに、声音の楽しさなんて微塵もなかった。どこか、親近感を覚える。色という色をすべて落としたような口調。トゲもささくれも削りきった引っかかりのなさ。なにもなく、なにも望まず。そう言われ続けてきた誰かのコトを、思い出す。

 

「でも、言わなきゃはじまらない。だから言うよ」

「…………、」

「僕の名前は十坂玄斗。はじめましてだね、()()()()さん」

「……はじめ、まして……ですわ……」

「……ですわ……?」

 

 すこし、口調が乱れた。

 

「……申し訳、ありません……こんな、状態で……」

「いいよ、知ってたし。分かってた。……でも、ちょっとは良いみたいだ」

「……良い……の、ですか……?」

「うん。安心してほしい。きっと大丈夫だよ、君は」

 

 なんて。どこから来たのかも分からない根拠を、その人はぶつけてくる。なんてことはない一言だった。自然と出たのか、意識して言ったのでは無い言葉。それが、どうしてこうも胸に突き刺さるのだろう――?

 

「大丈夫……」

「うん。大丈夫。もう、平気なんだ。君は」

「平気……なの、ですか……?」

「そりゃあ、ね……だって、そうだろう?」

 

 不思議な感覚だった。ずるずると引き摺られていく。磁石のように引っ張られる。そんな、ワケも分からないモノに包まれている。誰と話しても、なにを話しても、こんなコトにはならなかった。彼が持つ特有の雰囲気なのか。ろくに考えもせず、そう直感しかけて、

 

「君は十分、頑張ったんだから」

「――――」

 

 心が、悲鳴をあげた。

 

「……なにを、おっしゃいますの……」

「……、」

「わたくし……は……頑張って……など……」

「頑張ったよ。もう分かってる。知ってるんだ。アトウレイナは、そんな一言に救われちゃうぐらい……頑張ってたんだよ」

「ち、がう……ちがいます……! だって、わたくし……は……!」

「ちがわないよ」

 

 ふわり、と。頭に手を置かれる。その行為がとても暖かいのだと、そのときはじめて知った。だって、そうだ。こんなコトは誰からも、一度もされたことがないのだから。たったひとりの、父親からも。

 

()はとっても頑張ったんだ。やっと、それが分かった気がする」

「ちがい、ます…………っ!」

「……すぐには分からないけど、いずれはね。きっと理解できる。ひとつだけ、良いことを教えてあげる」

 

 ああ、とても、不思議だ。初対面で、顔もよく見えなくて、名前だってさっき聞いたばかりだというのに。

 

「君の未来は、とんでもないほど幸せに満ちているんだよ――」

 

 どこまでもこの人の言葉が、心に響いて仕方ない。

 

「……あ、ああ……あああ……!」

「だから、大丈夫。もう、良いんだ。……休んでいいんだよ。もう、無理しなくて良いんだよ。たくさん泣いて、それから……たくさん笑おう。()

「ぅ、あ、ああっ――、あ、あぁああ――――……!!」

「……うん、うん。大丈夫。大丈夫。ぜんぶ、分かってるから」

 

 なにを分かっているというのだろう。なにが大丈夫というのだろう。その根拠は一体どこで、理由はなんなのか。そのあたりまるでさっぱりなのに、言葉だけが重く深く突き刺さっていく。まるでいまの自分がそのとおりだと言わんばかりの言葉。幸せなんて人それぞれで、十人十色のハズなのに。

 

もう終わりにしよう(これからはじめよう)、零奈」

 

 その人の幸せは、己の幸せに思えてしまったのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――ふと、目が覚めた。あたりは薄い暗闇。カーテンの隙間から差し込む光が、朝であることを告げていた。……どうやら眠っていたらしい。昨日までの記憶がおぼろげだ。ゆっくり起き上がってみると、どうにも体の調子がよろしくなかった。

 

「(肩こり……? 寝違えたかな……)」

 

 ごきごきと首をならしてみたが、どうにも違和感は拭えなかった。気のせいかと伸びをする。それだけで、気分がすこしは違ってきた。

 

「…………、」

 

 ほう、とひと息。昨日まで長かった夏休みも終わり、本日より誰もが待ちに待たなかった二学期である。ちょうど実家のほうへ帰っていた恋人と久しぶりに会う日でもある。自然とあがる気持ちをうまくおさえながら、勢いよくカーテンを開けた。

 

「……うん。いい天気」

 

 呟いて、着替えに取りかかる。目覚ましは鳴っていないが、登校時間まで三十分を切っていた。いつまでものんびりしてはいられない。見もせずに慣れた感覚で制服を羽織り、そのまま部屋を出て階段を降りる。リビングへ入れば、一足先に妹が朝食を食べていた。父親の姿は見えないので、先に出てしまったらしい。

 

「おはよう、真墨。父さんもう行ったんだ?」

「……ん。さっき出た。なんか、会議の準備だって」

「そっか」

 

 すこし残念に思いながらテーブルに座る。珍しくパンとコーヒーがすでに用意されていた。

 

「……真墨」

「ん?」

「ありがとうね」

「は? ……え? なに? ちょっとキモいんだけど」

「ええ……それは酷くないか……?」

「いや、事実だし、なんか……うわあ……え? なに? なんか今日のお兄キモくない……?」

「……キモくないし」

 

 もぐもぐとふてくされながらパンを咀嚼すると、真墨がとんでもないモノでも見たかのように椅子から飛び跳ねる。

 

「――い、いやいやいや……!? ちょっ、まじで誰だ……!? む、無理でしょこれ……! あ、あたし先行ってるから!!」

「あ、うん。行ってらっしゃい……?」

 

 ドタドタドタ、と鞄を引っ掴みながら真墨は家を飛び出していった。ぽつんとリビングには玄斗だけが取り残される。なんだか分からないが、妹の機嫌を損ねてしまったのは明白だった。帰ってきたら一先ず謝ろう、なんて思いながらコーヒーを口に含む。

 

「(……あ、いつもと違う)」

 

 ちょっとした発見だ。おそらく粉でも変えたのだろう。なんとなく新学期初日にはよく似合うような気がして、やっぱり良い気持ちだった。手早く食器を片して、戸締まりを確認したあとに玄関まで向かう。

 

「(うわ、靴も綺麗だ。……なんか、良いな。うん。今日からはなんとも変わる気がする)」

 

 そんな直感に導かれて、ようやく家を出た。――今日からまた、楽しい学校生活がはじまる――

 

「……っと、その前に、白玖の家まで寄っていかなきゃ」

 

 約束を思い出して、彼女の家のほうに歩みを向けた。何気ない幸せに包まれている。そのことに、心底笑顔を浮かべながら。その腕に、黄色い腕章をつけて。 




そんなわけで一部完結。ご愛読ありがとうございました! 4kibou先生の次回作にご期待ください!


ってやりたかったのになあ……主人公死亡エンド選ばれてたら喜んでしたのになあ……とか。でも選ばれたのは一番甘い世界なので続行します。散々言われてますけど私のフラストレーションしか溜まらない世界なので安心してね! まあ理由なんて完成しきってるどこかの誰かさんのせいなんですが。


ということですので幕間二話のあとに八章やっていきます。


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七章幕間:彼のウラガワ ~繧ゅ≧縺イ縺ィ繧翫?蠖シ~

透明文字とかにじみは読まれまくるから対策したゾ(白目)


 他人(ヒト)の裸を見て、こんなにも心が揺れ動いたのは初めてだった。

 

『 、    くん……!?』

 

 正直、衝撃というものに近かったと思う。いままでなんとなく接してきた彼女。その衣服の下に隠された肌色に、とんでもないモノを受けた。

 

『い、いやっ、ちょ、み、見ないで……!?』

 

 じっくり見てしまったのは、本当申し訳ないと思う。

 

『……もう、駄目だからね? 女の子の裸、あんなにジロジロと見ちゃ』

 

 私以外だったら通報されてるよ? と冗談交じりに彼女は言う。それもそうだろうと返したかった。衝撃的すぎて声が出ない。裸を見られて女の子らしく狼狽える彼女はとても可愛かった。そのあたり破壊力だって桁違いである。

 

『あーあ……でも、見られちゃったかあ……よりにもよって、    くんに』

『……ごめん』

『ま、いいんだけどね? 今回は不問と致します! っと、あー、それじゃ、私、次の授業行かなきゃだから!』

 

 言って、彼女は校舎のほうへ走り去った。自分は、あまりにも手に余る感情をそのとおり持て余している。……どうすればいいのだろう。答えは、なかなか出なかった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 覚悟を決める。なにもないが、それはこの際どうでもいい。大事なのは自分ではなくて、気持ちが向かうべき相手のほうだ。だからもう迷わない。迷っている暇なんて真実ない。とれる手段はなんでもとるし、使えるものはなんだって使う。どうせ意味もないのなら、きっと流れるように繋がってくれる。それだけが頼みだ。

 

『あ、いいよね夏祭り。……どう? 一緒に行く?』

 

 とんでもないチケットを手に入れてしまった。どうしよう。まずい、この展開は俺の想定に入っていない……! そんな風に悩んでいたら友人に蹴られた。うん、揺らぎかけた。でも、信念は一度も曲がってはいない。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 足りなかった。しょうがない。どうせ分かっていたことで、この身には足りないものが多すぎる。なら、なんでも使うしかない。過程の話。裏と表が表裏一体だというなら、すこしの衝撃でひっくり返ってもおかしくはない。そんな空想のおとぎ話が、現実になるだろうか?

 

 

 ◇◆◇

 

 

 やるか、やらないかではない。やるしかないのだ。もう決めた。明日に自分がいない光景を思い浮かべて、とくになにを思うでもなかった。でも、あの子が笑っていないのは許せない自分がいる。大事なのは自分じゃない。――俺はもう、壁を越えている。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 伝えたいこと。言いたいこと。やりたいこと。やりたかったこと。なんだって良くて、どれも無さそうなのが笑えない。でも、すこしはマシだ。不思議なことに、明確な目標と落下地点が見えてくれば人生すら輝いて見える。いままで空虚だった毎日が嘘みたいだ。ならもう分かっているだろう? 変えたいと願うなら、変えるしかない。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 多くは望まない。けれど、贅沢は言おう。涙もないまま沈み込むのなんてごめんだ。当たり前みたいに泣いて、笑って、明日を願うように生きてほしい。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 色々と、感情を持て余してたまらない。ああどうしよう。どうしようああ。どうしよう。俺、とんでもなく壊れてやがる――!

 

 

 ◇◆◇

 

 

 無理は承知だ。覚悟はできている。突き進むべき道もはっきりした。これ以上ないほどに、いま、最高潮の絶好調で、俺の人生は輝いている。そうだろう? だってこんなにもなにかを成し遂げたいと願ったコトなんて、一度も無い!

 

 

 ◇◆◇

 

 

 他の誰かなんて見ている暇はない。願いはひとつ。シンプルなまでに一直線だ。もう二度と悲しまないように。何物にも縛られないように。どうか、どうか。

 

 ――彼女が、救われますように。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 狂っている。でなければ、きっとすでに気が触れているのかもしれない。ああ、でも、良いんだ。それで良い。だとしても、俺の心は変わらない。なにもなかった俺に、なにかを与えてくれたのは紛れもない彼女が原因だ。そうしたいというすべてを願ったのがあの瞬間だった。だから、もう大丈夫。いけるぞ。できている。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 気分は、爽快か?

 

 

 ◇◆◇

 

 

 そうだとも!

 

 

 ◇◆◇

 

 

 走れ!

 

 

 ◇◆◇

 

 

 答えろ!

 

 

 ◇◆◇

 

 おまえは誰で、おまえはなんだ?

 

 

 ◇◆◇

 

 

 俺は俺で、俺が俺だ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 なら、なにを悩む。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 なにを躊躇う?

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――否、否、否。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ぜんぶまとめて、違うだろう!

 

 

 ◇◆◇

 

 

 もうなんともないさ。俺はすでに完成した。ならばなにを見返すのでも、思い返すのでも、迷うのでもない。そんな寄り道が許されると思うのか? いいや、そうじゃないだろう。命をかけてもやりたいことだ。やるしかないじゃないか!

 

 ◇◆◇

 

 さあ行こう。俺はもう、()()()()()()()――!

 

 ◇◆◇

 

 世界を、変えたくはないか――?

 



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七章幕間:彼女のウラガワ ~ギャクテンした世界~

 

 ――不意に、ぎゅっと抱き締められた。

 

「……なんの、つもり?」

 

 問いかけるような少女の声。腕を回した少年は、ただ静かに目を閉じている。急な出来事だった。放課後の教室で、夕暮れ時に見た光景を背景に……ただひたすら、暖かさが染み渡っていくような感覚。

 

「……っ」

 

 ズキン、と胸が痛んだ。これ以上は駄目だと、理性が拒んでいる。おそらくは少女の持つ意識と無意識の差だった。そんなことはとうのとっくに自覚してしまっていた。ぐっと腕に力を入れて、その抱擁から逃れようともがく。

 

「……やめてくれ」

「いやだ」

「お願いだ。……もう、離してくれよ」

「だめだ。離さない」

「……――っ、()()……!」

「……だめだ」

 

 ぎゅうっと、抱く力が強くなった。より暖かさが増していく。安心感と高揚感。ぽかぽかと熱を持つココロが、どこまでもそれを甘い誘惑に見立てている。けれど、考えれば考えるほど、感じれば感じるほどに、理性は冷えきっていく。ああ、あんまりだ。こんなコトは、決して許されないのに――

 

「……頼むよ……ボクを、困らせないでくれ……」

「なにが困るんだよ」

「困るさ……ボクだって、女の子……なんだぞ……?」

「それのなにが、困るって言ってる」

 

 さらに抱く力を強めながら、少年――壱ノ瀬白玖は腕の中の少女に問いかけた。濡れ羽色の綺麗な黒髪。雰囲気のわりに合わないヘアピンと、若干だが着崩された緩い制服。その顔は、位置の関係でよく見えない。

 

「ち、ちがう、だろう……? 冗談なら、よしてくれよ……ボクだって、からかわれて怒らないほどじゃ、ないんだぞ……」

「からかってない。俺は……本気だぞ。玄梳(クロト)

「なにが……っ」

 

 腰に回された手を、いまいちど強く締められた。自然と体が密着する。どくどくと絶え間なく鳴っているのは心臓の音だ。いやにうるさいのがひとつと、仄かに感じる速い温もりがひとつ。一方は彼女のものだった。じゃあ、もう一方は一体誰のもので。

 

「聞こえるか? ……すごい、心臓バクバク言ってる」

「……っ」

「だから、冗談でもないし、からかってもない。本当はおまえだって、分かってるんだろ? 玄梳」

「……わから、ないさ……」

 

 震えながら応えた声は、否定の意味を成していなかった。白玖は思わず笑う。相変わらずなようでいて嬉しいような、悲しいような。どこまでいってもコイツはコイツなんだというのもあって、浮かび上がる感情を一言では表せなかった。それでもあえて言うのなら、きっと嬉しいのだと思う。誰よりも自分が――この少女の救いになれることが。

 

「なにがわからないんだ?」

「わからないよ……ぜんぶ、白玖がこうしてくる意味も、なにも……わかんない……」

「……泣くなよ」

「泣いてなんて、ない……!」

 

 半泣きだ。声が震えている。もう一押し、あと一押し。長い道のりを終わらせるには、最高すぎる状況で。望んでいたのはこれなのだと、壱ノ瀬白玖は確信した。ずっと、ずっと世話になってきた想い人へ。なにかを返してあげるとすれば、最高のモノでなくては納得いかないと。

 

「でもさ、仕方ないだろ? 分かっちゃったんだから。俺さ……」

「――だ、だめだっ!」

「……だから、なにが駄目なんだよ」

 

 ぎゅっと白玖の制服を握りながら、少女は必死になにかを堪えようとしている。その姿がまた痛々しくて、本当に、居ても立ってもいられないぐらいだった。抱き締めているのにまだ寒いのかと、冗談のひとつでも飛ばしたくなる。こんな状況でもなければ、だろう。

 

「だめ、なんだ……」

「……何回同じコト言わせるつもりだよ……」

「だ、だって……ぼ、ボク、だぞ……?」

 

 いや、本気の本気で、それのどこが駄目なのか。怒鳴りつけたい気持ちを必死におさえこんで、白玖は耳を傾ける。

 

「会長、とか……」

「ただの知り合い」

「っ、蒼唯、先輩……とか……」

「委員会が同じだけ」

「よ、黄泉ちゃんが……」

「たまたま話したことはあるな」

「み、碧さん……だって……!」

「クラス同じだけだろ? まあ普通に喋るけど」

「ま、真墨は……!」

「おまえの妹。……で?」

 

 終わりか? と少年が容赦なく訊いてくる。少女は絶望した表情のまま、ちいさく開けた口をぱくぱくと魚のように動かしていた。油断、隙、ちょっとした悪戯心。すっと流れるように、白玖はその唇へ指を持っていった。されるがままにされるのは、偏に縮まった距離によるものだろう。手を伸ばせば届く位置。そこまでに、彼女の心は迫っている。

 

「だめ、だ……白玖……」

「なんども言わせるなよ、玄梳。……なにが、駄目なんだ?」

「だって、こんな、の――」

 

 弱々しい声で、これまた弱々しく少女は白玖のワイシャツを掴む。顔はこちらに向いていた。整った容姿が崩れる直前の儚さを携えている。どこか、とろけるようなソレだった。あんがい正直なんだな、とはあえて言わない。そんなくだらない感想よりも、彼女の口から発される言葉のほうが大事だ。

 

「……だめ、だめだ……! だめなんだ……っ」

「だから、なにが」

「これ以上、されたら――君の、こと、好きになる……っ」

 

 ――なんだ、と白玖は息を吐いた。躊躇っていたのが馬鹿みたいだと。答えなんてそれで決まった。これしかないと腹を括る。もとより、壱ノ瀬白玖はどこかで迷って歩みを止めるようなガラでもない。

 

「じゃあ問題ないな」

「え――」

 

 そうして、不意をついて。

 

「……ん」

「っ――!!」

 

 ゆっくりと、優しく口付ける。想像の五倍ほど、少女の唇は柔らかかった。こうして近くで触れていればどうしてもそんな部分を意識する。一人称が「ボク」なんて年頃の女子らしからぬもので、いつも落ち着いて静かな雰囲気を漂わせているものだから、真面目さという堅さのイメージが強かった。実際は、どこまで華奢で可愛らしい、女の子だ。

 

「……ぁ……」

「……なんだよ。口惜しそうな声出して」

「っ、ち、が……! っていうか、なんて、こと……!」

「――いいよ、好きになれ。俺はもう、おまえのこと好きだ」

「…………っ!」

 

 かあっと、少女の顔が赤く染まる。とんでもないクリティカルヒットだったようだ。それもそうだろう。なにせ彼はそれを知っていて、そのとおりに動いたのだから。

 

「なんで……」

「なんで? おかしなこと聞くな、玄梳は。さっきも言ったが、仕方ないって。おまえのこと、気付いたら好きだったんだから」

「ふ、ふざけるなよ……! そんな、理由で……ボクの……」

「そんな理由で悪いか。好きだから好きだって言った。それのなにがおかしい。分かんないって言うんなら何度でも言うぞ。玄梳。おれはおまえが、好きだ」

「……っ、わ、分かってる! 分かってる、から……!」

「いいや分かってない。どうせおまえは分かってないだろうさ。だから、玄梳」

 

 目が合った。とても近くで、吐息すら重なりそうな間を残して。何度も苦しむ夜の原因になった彼が、少女の目の前で堂々と宣言する。

 

「俺のものになれ、玄梳。そんでもう二度と、離れるな」

「……ば、ばか、を……言うなよぉ……」

「嫌か?」

「……っ、ずるい……ずるいんだよ白玖は……ボクは、ボクだって、ずっと……っ」

 

 結末なんてその程度。ありえた筈の幾つにも分かれた世界のひとつ。その終わりは、穏やかなまでに純粋で、どこまでも幸せに満ち溢れていた。答えのひとつ、言葉のひとつが違えば世界は変わる。ならば、ほんの些細なコトで、いまの世界が変わらないとも言い切れないように。

 

「もう二度と、おまえのことは離さない――」

 

 きっといつか、あるべきものは変わり行くのだ。 







>十坂玄梳

アトウレイナinトオサカクロト(♀)という超融合を果たした結果。ボクっ娘黒髪ゆるふわクール系全デレこじらせ少女という刺さる人には刺さる要素をつめこんだヒロイン。ちなみに作者には全部刺さる。ヒロイン全スルーして勝ち確ルートまっしぐらです。





すまない発作の「TSさせたい」病が……本当にすまない……


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第八章 黒くなくてもはじめよう
漂白玖されてます?


 

 ちょうど玄斗が家の前に着いたとき、玄関から白玖が出てきていた。彼のほうには一切気付いていないようで、くるりとふり向きながら鍵を閉めている。

 

「――おはよう、白玖」

「うひゃっ!」

 

 声をかけると、あからさまにビクンと肩を跳ねさせた。さぞかし驚いたのだろう。ほんのすこし腰を抜かしながら、今し方施錠したドアを背中に玄斗を困惑した表情で見つめている。――どこか、慣れない視線で。

 

「な、なに……!?」

「驚きすぎだ。挨拶しただけなのに」

「え……? や……えぇ……?」

「……?」

 

 と、そこで玄斗はちょっとした違和感を覚えた。なんだろう、とそれなりに考えてみる。彼女自身の姿はとても見慣れたもので、白い髪の毛にはところどころ――

 

「(――あ)」

 

 まず、そこから違うではないかと気付いた。

 

「髪、染め直したのかい? 真っ白だけど」

「へ……? あ、え、っと……」

「あと、制服はそれ、うちのかな。今年から変わった?」

「…………な、なんなのこの人…………」

 

 ぽつりと呟いた声で、さらに違和感が増していく。なんなんだと玄斗はじっと白玖の顔を見つめた。見慣れた顔、見慣れた色、見慣れた姿形。目の前に居る少女は壱ノ瀬白玖で間違いない。細かな差異もなにもある筈はない同一人物だ。……目で見て、耳で聞こえる部分を除けば。

 

「……白玖?」

「な、なんで私の名前……!?」

「……いや、そういう冗談はいいから。もう、怒るよ?」

「て、ていうか誰ぇこの人ぉ……」

 

 泣きそうに呟く白玖の顔に、決定的な衝撃を受けた。彼女はまったく嘘をついていない。誤魔化している様子も演技をしているのでもない。正真正銘、壱ノ瀬白玖は十坂玄斗に話しかけられて困惑している。そんな、デタラメな真実を垣間見た。

 

「――白玖!」

「ひぃあっ!?」

「冗談ならよしてくれ。僕だ、十坂玄斗だ」

「と、()()()()……?」

「――――、」

 

 玄斗は目の前が真っ暗になった。黒だけに。

 

「やかましいわ」

「えっ!?」

「あ、ごめん。いまのは違う」

「あ、はあ……?」

「…………けど、」

「…………?」

 

 これはどういうことだろう、と玄斗は考える。なんでだとか、どうしてだという前に、言葉にできない喪失感が湧き出ていた。眼前の少女の瞳に、あるはずの既知の色がまったくない。それは真実彼からも、ましてや彼以外からしても信じられないコトで。

 

「……あ、あのっ! 私、学校があるのでっ!」

「あっ……」

 

 ばっ、と隙間をくぐり抜けた少女がそのまま走り去っていく。遠ざかる背中は文字通りどこまでも遠い。近くにいた筈の誰かが、知らぬ間にどこまでも見えない場所まで要っていたような感覚。夏休みの間、それまでよりも濃い思い出を玄斗は彼女と過ごした。だからこそ、未来にさえ希望を抱いたというのに。

 

「(白玖が、僕のことを覚えてない――?)」

 

 いや、それはむしろ、初めから無かったような。

 

「なにが……起きてるんだ……?」

 

 妙な胸騒ぎを覚えて、玄斗は学校に向かって駆け出した。記憶を掘り返せば、白玖の着ていた合服は調色高校のものと違っている。自分の着ている制服はもちろん学校指定のワイシャツだ。そこの差異が決定的で、嫌な予感が脳裏によぎる。ペースを上げる足は、緩めることができなかった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「見て、会長よ!」

「今日も素敵ね……」

「かいちょー! こっち向いてー!」

「あたしに微笑んでー!」

 

 〝――なんだこの地獄(ヘヴン)……!?〟

 

 玄斗は困惑した。突き進む通学路には女子の波、波、波。人の群れである。賑やかなのは嫌いではないが、うるさいのはその類いでもない。静かなほうが好きな人間として、なんとも居心地の悪い状況下にある。

 

「……っ、ご、ごめん! いま、ちょっと急いでる!」

「きゃっ」

「ああ待って会長!」

「私の相談に乗ってもらえませんかあー!」

「(なんだこれ……なんだこれ……!?)」

 

 すわ、酒池肉林とはこのコトか。玄斗は男性ならば誰もが憧れるはずのハーレムを前にして、冷や汗が止まらなかった。冗談じゃない。好意を向けられるのはそれこそ白玖だけで十二分にすぎる。むしろ彼女以外のなにも要らないまであった。付き合って数週間、当然ながらこの男、恋人にゾッコンである。が、そんな肝心の彼女もさっぱり玄斗のコトを忘れている始末だった。

 

「ああもう……! ワケが分からない……!」

 

 ぞろぞろと群がる人ごみをかき分けて、玄斗は校門まで駆けていく。なにか、重大な見落としをしているようで、でもそんなコトすら関係なくおかしい様子が広がっている。そう、おかしい。どこまでも変だ。まるで世界が、まるごと入れ替わったみたいな――

 

「おう、玄斗。今日()早いな?」

「っ、鷹仁か! ごめんいま――」

 

 ……〝は〟? その一文字に気付いた玄斗が踵をこすりながら足を止める。ふり向いた先に、既知である友人の姿はあった。撫で上げられたてかる金髪、整った容姿、親の七光りをその身に受けた堂々とした佇まい。いずれも変わらず木下鷹仁は「よう」と気軽に手をあげた。

 

「……鷹、仁……?」

「おう、()だ。その様子じゃあ――マトモか? セイトカイチョー?」

 

 くい、と制服についた黄色い腕章を引っ張りながら、鷹仁がついと玄斗のソコへ指をやった。つられて彼も視線を向ける。自らの二の腕あたり。朝は急いでいて、それからは衝撃的な現実の連続で視認する暇もなかった。いつの間にか制服と一緒についていた、よく目立つ友人と同じ黄色い腕章。そこには。

 

「……僕が……生徒会長……!?」

「らしいな。く、ふは、ははは……!」

「わ、笑ってる場合じゃないぞ、鷹仁……!」

「いや、これが笑えないで居られるかよ? はは、あはは――!」

 

 高らかに笑う鷹仁と、混乱したまま頭を抱える玄斗。一方は偶然か奇跡か、朝起きれば望んでいた未来が目の前に転がっている現実。一方は望んですらいない意味不明な現実を朝から叩き付けられるという散々なはじまり。とても比べられたものではない。

 

「ちなみにもうひとり居るぜ? 死にかけてるが」

「え、それって……」

「きゃー! 飢郷せんぱぁーい!」

 

 と、そんな黄色い声が耳をつんざいた。見れば、大勢の女子に囲まれてひらひらと手を振る少年の姿があった。……とても、青白い顔をして。

 

「新手のいじめかなにかか……?」

「残念なことにあれで本気でモテてるらしいぞ。まあ、あいつ顔は良いから」

「自称非モテ系陰キャってなんだろう……」

「そりゃ自称だろ。自称。……ほら見ろ、助けを求めてるぞ」

 

 ちらりと確認すれば、かの飢郷某はバチバチとこちらに向けてウインクをしていた。もうマヂ無理助けて野郎どもとでも言いたげな表情だった。若干苦しげなのが必死さを増している。

 

「……どうする、鷹仁」

「いまの俺は副会長らしいぞ。会長の意向に従う」

「……、」

「……、」

「……! ……!!」

 

 考え込む調色高校生徒会長。その隣でじっと選択肢を待っている副会長。そんなふたりにSOS信号を発し続ける書記。そのコトに本人は気付いているのかいないのか、どちらにせよなおも飢郷逢緒を取り囲んでいる女子は散開する様子がない。

 

「……ひとまず撤退で」

「了解」

「(裏切り者ぉー!!)」

 

 貫くような視線の意味は、なんとなくふたりとも理解した。立場はどうあれ、生徒会となれば目指すべき場所もひとつに固まってくる。話し合うならばそこしかない。どうしようもないなかで、仲間がひとりでも増えたのは素直に嬉しいことだった。






というわけで新章です。完全版十坂玄斗くんに頑張って貰います。


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生徒会三大巨頭

まっさらトラウマ持ちと金髪こじらせ忠犬系とチャラ系女性恐怖症。こう並べると乙女ゲーみたいだなって。


「そんじゃあ集まったな」

「…………、」

「――、――……!」

 

 若干一名の射殺す視線を華麗にスルーしながら、鷹仁がニヒルな笑みを浮かべる。調色高校第一生徒会室。そこに座っているのはいつものメンバーに入る男子と、いつもなら絶対に関わり合いもないふたりである。どういうわけか、腕章は彼らのもとにあった。

 

「状況を確認するか。朝起きたら腕章が副会長に代わってた」

「……白玖が僕のコトを忘れてた」

「…………妹にフェ○されそうになった」

 

 射殺す視線の主へ返すように視線が突き刺さった。腕に巻かれた布だけが変わってたいしてなにもない男子と、交友関係にとんでもないズレができてしまった男子。それとは比べものにならない、こう、なんとも言えない闇の深さが飢郷逢緒にはあった。

 

「おい、どうした。笑えよ……」

「まあ、なんだ……ご愁傷さまだ」

「あはは……」

「いまだれか俺を笑ったか……?」

「ごめん」

 

 頭を下げる生徒会長(仮)に、ふんと鼻を鳴らしながら逢緒は腕を組んで足を机に乗せながらふんぞり返る。イキリ女性恐怖症。誰ひとりとして苦手な異性がいないという状況に、この男さっきまでとは打って変わってすこし調子に乗っていた。

 

「俺たちは日なたの道を歩けない……」

「まあそれはどうでもいいとしてだ」

「どうでもいいとか言うなよぅ……」

()()()()()()()()()だ」

 

 鷹仁の強調した言い方に逢緒が拗ねた。自業自得である。

 

「なんだよう……どうせ俺なんて……」

「ああもう話が進まねえだろクソホモ野郎! いいから黙って聞け!」

「誰がホモだアァン!? オォン!?」

「やるかぁ!?」

「いいよこいよぉ!!」

「ああ……白玖……白玖ぅ……」

 

 死屍累々だった。唯一まともだったはずの玄斗ですら壱ノ瀬白玖(たぶん)記憶喪失事件によってメンタルブレイクされている。人生初の彼女をたったの一月足らずで失った男の末路だった。地味に三人のなかでいちばんダメージを受けているとも言える。

 

「玄斗も落ちこむんじゃねえ! 忘れただかなんだか知らねえが、それならもう一度惚れさせりゃいいだけだろうが! アタックしてこい!」

「! なるほど。鷹仁、君よく天才って言われないか?」

「まあそれほどにはなるが」

「なんで君たちの日常会話ってそんなコントみたいなの?」

「存在自体がコントみてえなヤツに言われたくねえわ」

「シンプルに()

 

 うっと心臓をおさえた逢緒がそっと姿勢正しく座り直した。交友関係が微妙でも三人寄れば馬鹿をやる。男子とは得てしてそういう生き物だ。決して文殊の知恵的ななにかが浮かぶわけではない。なにせ高校生である。

 

「んで話を戻すが、なにか起きたのは間違いないとして……てか、なにが起きてやがる……?」

「そんなの僕も知らないよ……というか、この席に座ってるはずの赤音さんは……」

「はっはっは、そんな真面目に話しても解決しねえだろ。……いやわりとマジでな……」

 

 手詰まり、というのは考える前から分かっていたコトだ。たかだか男子三人。集まって知恵を振り絞っても絞らなくても現状を受け入れることすら難しい。単純に鷹仁はどうでもいいからこそ冷静であり、玄斗はそんじょそこらのコトでは動揺しないぐらいなもので、逢緒に至っては諦めかけていた。三者三様、パニックになるほど取り乱さないのだけが共通している。

 

「つーか俺が生徒会ってマジか……どうなってんだ……」

「んなこと言うなら俺は副会長で玄斗は会長だ。悪くはねえが、スッキリもしねえな」

「夢なら覚めて欲しいけど……そもそも、朝のあれはなんなんだ……?」

「良いこと言ったぞ十坂。あの稀に見る女子の大群はなんだ」

「ファンだろ。てめえらの」

「「()らにそんなのはないけど!?」」

 

 がたんと立ち上がってふたりが抗議する。実際囲まれているのだからどうしようもないが、認めたくも無いという最後の意地だった。もともと女子との交流については苦労していなかった男ひとりが、ニヤニヤと余裕の含んだ笑みを浮かべている。

 

「あとは……そうだな。おまえら、今日が何日か知ってるか?」

「? 九月一日だろう」

「だな」

「……やっぱりな。どうりで鈍いワケだよ」

 

 すっと携帯を取り出して、なにやら操作した鷹仁がズイッと画面を見せてくる。ありがちなカレンダー……というよりは日付の画面である。現在時刻である八時二十分というデジタル表示の下に、ちいさく本日の月日が示されていた。――十月、十六日。

 

「……木下。これ、日付狂ってるぞ」

「狂ってねえよ飢郷。スマホだろうが」

「そんな……」

「ほら、玄斗はすぐ受け入れて……、」

「――僕、いつの間にか十七歳になってる……!」

「飢郷。しばけ」

「いまそこちゃうやろがい」

「痛い!?」

 

 十坂玄斗、知らない間に誕生日を迎える。ちなみに九月十六日である。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 たとえば、五加原碧の場合。

 

「おっはー、会長。うん? なに? ……屋上? 一緒に? いや……えっと、なんのこと……? その……あたし、あんまりそういうのは……ちょっと……あー、会長は嫌いじゃ無いけど……タイプじゃないっていうか……」

 

 たとえば、三奈本黄泉の場合。

 

「……会長? いいえ、違うと思います。不思議。でも、あんまり好きにはなれなさそう。……あなた、誰? 私の知ってる生徒会長とは、違いますよね」

 

 たとえば、二之宮赤音の場合。

 

「はい、ほら蒼唯。口あけて」

「…………、」

「あーんって、ほら。やんなさいよ」

「…………あー

「ん」

「……、…………」

 

 たとえば、四埜崎蒼唯の場合。

 

「……もう一口お願い」

「はいはい分かってるわよ。本当だらしないわね……」

「でも赤音ならしてくれるでしょう」

「まあ、幼馴染みではあるのだし」

……じゃあ遠慮も要らないじゃない

「あー、まあそのほうがアンタらしいか……」

 

 たとえば、十坂真墨の場合。

 

「ごめん普通に話しかけないで邪魔」

 

 たとえば、たとえば、たとえば――

 

「きゃあああ会長ーっ!」

「すてきーっ!」

「今日もかっこいいですぅう!」

「あーたまんねえぜ」

 

 廊下を駆け抜けて生徒会室に入りながら、玄斗は真っ先に鍵を閉めてへたり込んだ。なにかが違うとか変だとかいうレベルではない。まるで別世界だ。目立たないはずだった十坂玄斗が生徒会長で、多数の生徒から人気を集めていて、彼自身が築いてきた関係の一切がなくなっている。――誰も、彼との思い出を覚えていない。

 

「いやこれはどう考えてもおかしいって……」

「だな」

「ハゲドウ……また髪の話してる……」

「飢郷おまえひとりでそれやってて悲しくないか?」

「だって誰も乗ってくれねえじゃん……」

 

 私は悲しい……と言いながら目を伏せる飢郷少年。いつもよりふざけ気味なのはギャグで傷心を紛らわそうとしているのか、それとも元からこんなものだったか。考えて、玄斗は後者のほうが合っているような気がした。

 

「収穫はどうだ? 会長」

「とりあえず僕の知り合いは全滅だった」

「俺の知り合いは生きてたぜ! なんか、すっごい塩対応されたけどな!」

「駄目じゃねえか……俺はまあ、諸々変わってねえな。だから情報網だって残ってた」

「……おお……」

 

 玄斗が感嘆の声をあげると、ドヤ顔で鷹仁が手帳を取り出した。そのやり取りを逢緒が傍から馬鹿を見る目で眺めている。彼もそのうちのひとりだとは気付いていない。

 

「じゃあまず最初、玄斗から行くぞ」

「僕……?」

「――甘いフェイスで女子の八割を虜にした新進気鋭の生徒会長。またの名を漆黒の十字架。その瞳に見られた者はまるで磔にされたみたいに動けなくなるという。生徒会三大巨頭のひとり」

「待って」

 

 玄斗は額をおさえながら俯いた。気持ちは誰しも理解できる。

 

「なんだそれ……!?」

「知るか。だいたいのヤツに聞いて回った結果をまとめたらこうなった。面白いな」

「面白がってる場合じゃない……! それは間違いなく噂が一人歩きをしてるレベルだ!」

「あははははは! じゅっ、十字架っ……! 漆黒の十字架っ……ホストかよ! 十坂やべー……っ!」

「笑わないでくれ……ホントに……!」

 

 あたまがいたい。いまの玄斗の心境を一言で表せばそうなる。たしかに忘れられている――と言って良いものかどうかも分からないが――というのはとても心にクルが、正直言ってしまうとその程度でへこたれるほど柔でもなくなっていた。一学期に散々振り回された結果である。十坂玄斗の心はいまや衝撃にとても強い。

 

「そんな爆笑している飢郷逢緒くん。軽い雰囲気とちょうど良い容姿で女子人気ナンバーワンを獲得した学園の男性アイドル。またの名を青い餓狼。今まで付き合った女子の数は優に百を超えるという」

「ちょっと待って?」

 

 逢緒は額をおさえながらうつむいた。気持ちは以下略。

 

「俺は誓ってそんなプレイボーイじゃない……!」

「でも俺のデータだとそう出てる」

「そのデータは間違いだな! ……大体そんなコトできたら女性恐怖症で苦労しねえよ……」

 

 呟きながら、逢緒は制服の下に浮かんだじんましんをかいていた。まったくもって切実すぎるぼやきにちょっとだけふたりも同情してしまう。実害が目に見えて出ている分、苦労は相当なものだろう。

 

「こんなもんかな」

「いや待とう。まだ鷹仁の評価を聞いていない」

「そうだな。木下。副会長はなんて言うんだ?」

「馬鹿か。おまえらな、俺が情報仕入れてんのにそんなの分かるわけ――」

 

 と、逢緒がなにやらわざとらしく手帳を取り出して。

 

「会長の右腕。鋭い切れ長の瞳と横柄な態度で一部の女子のハートをキャッチした色男。またの名を仁義の金鷹。なおごくごく一部の女生徒間では会長×副会長ネタが量産されており――」

「待てテメエ最初から全部知ってやがったな!?」

「ふっ……情報収集は得意なのだよ。金鷹殿?」

「その名前で呼ぶんじゃねえ二度とケツが拭けねえ体にしてやるからな!?」

「ヒエッ……ナニをする気なんですかねえ……つか後ろ側ってことはおまえ受けかよ」

「飢郷ォ!!」

 

 ガタガタと暴れる鷹仁を玄斗はどうどうとなんとか押さえつける。まとめると、どこがどう転んでも自分たちの常識が覆っていた。これは、一大事である。 




二部だから無印勢の今までの関係は全部ぽいしちゃうね……(なお野郎ども)


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オレンジ色の光

変わっている、のではなくて、どうしてそうなっているのか、が今回のみそ。


 

「まあ待て木下。そう荒れるな。鍵は見つけたから」

「……鍵、だあ?」

「おうとも」

 

 胸ぐらを掴む力を緩めた鷹仁に、逢緒は知らなかったろと言わんばかりのドヤ顔を披露する。でこぴんを喰らっていた。容赦ない威力だが、右ストレートじゃないあたり彼も鷹仁のなかでわりと高順位に位置する人間らしかった。

 

「ってぇ……てぇてぇ……」

「んだそりゃ。いいからさっさと言え」

「……ノリわりいってばよ。()()()だ」

「……ふたり……?」

 

 玄斗がそう聞き返すと、逢緒は神妙にこくりとうなずいた。びしっとピースサインを掲げながら、現在時刻十二時半――昼までの調査結果をつらつらと述べていく。

 

「名前も学年もたいがい一致したなかで、ふたりだけ俺の知らない女子がいた。これは由々しき自体だ。どうしてか分かるか?」

「それって……」

「――俺の精神の安定に関わる。あああ、かゆいだろうがあああ……」

「玄斗。しばけ」

「えっと……いまそこちゃうやろがい」

「「ツッコミのセンスゼロかてめえ!」」

「ええ……」

 

 ガタンと立ち上がって叫ぶ生徒会の漫才コンビ。気の持ちようからして違った。ちなみにツッコミ担当が副会長である。きっと一部の女生徒が聞けば「そこは攻めなんだ……」とおかしな笑みを浮かべるだろう。閑話休題。

 

「とにかく! ふたり、知らねえ奴がいるってのは、どう考えてもキーだろ? そのどっちかが……もしくはどっちもがこのおかしな状況の原因だ」

「日付とか、人間関係のあれこれは?」

「それはおまえほら、あれだよ。因果とか、宇宙猫とか、ゴジラVSヤクザVSゲッターロボみたいな。そうか……そうだったのか……世界とは……運命とは……ゲッターとは……」

「鷹仁、こういう場合のツッコミはどうすれば?」

「虚無るな、虚無るな」

「はっ」

 

 気を取り直した逢緒の顔が気持ち濃くなっていた。彼には他のふたりにはない適正があるのだろう。そんな、ちょっとしたウラガワの真実を垣間見た気が玄斗はした。もちろんギャグで。そもそも真面目に考えても仕方のないことだった。

 

「つーか俺の作画よくなってない? めっちゃイケメンだよな」

「作画ってなんだよ」

「絵じゃないのか? まあ、飢郷くん、結構雰囲気が一変してるけど」

「だろ? ……あとなんか財布にゴム入ってんだよなあ……はは……俺、なにしてんだろうなあ……」

「えっ」

「……やることやってんだろ」

 

 鷹仁の一言に少年は崩れ落ちた。気付けば(最悪)童貞をどこの誰とも知らない女子に捧げている。その事実を想像するだけで逢緒は吐きそうになった。そも女性と致すというイメージが無理だった。リアルなのは抜けない。彼の毎晩の悩みはそこにあたる。

 

「嫌だあ……! 俺の、俺の童貞が……っ」

「……ねえもしかしてこれ僕もまずい?」

「そっちは安心しろ。すくなくとも会長に彼女が居たなんてコトはないらしいぜ?」

「そうなんだ……良かったけど、良くなかったような……」

「なんだ、居た方が良いのか?」

「白玖以外なら居なくて良いけど」

 

 惚気てんな……という鷹仁の台詞は、口から出る前に止まった。まだ完全に割り切れてはいないのだろう。ほんのりと寂しさを映した瞳は彼らしくなくとも、十坂玄斗であるものと言える。程度のほどはどうであれ、傷付くコトは傷付くものだ。好き合っていた人がいきなり無関係になってしまう。その悲しみを切り替えるには、もうすこし時間がかかりそうだった。

 

「惚気てんなあ……」

「おい飢郷。飢郷おい。てめえはグラウンド十周してこい」

「なんでだよ。……あ、そっか。ご愁傷さまです」

「――――っ、はあああ………………」

「くそでかため息」

「おまえマジで走って来いよ」

 

 若干キレ気味の鷹仁だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「む、玄斗」

 

 その日の放課後である。慣れない生徒会長としての仕事をなんとか片付けて、やっと自由になったと思えばもう完全下校時刻の手前。教室に置いたままの鞄を取りに戻る途中、赤い廊下で玄斗は彼女とばったり出会った。

 

「……七美さん?」

「久しぶりだな。こうして話すのは、夏の校舎案内以来だ」

「ああ、うん……そう、だね……」

 

 納得しながら、玄斗は妙な感覚に襲われた。橙野七美。その少女との出会いをたしかに思い出す。夏の暑い日に、たまたま彼が登校したところを居合わせた関係である。それは、なんらおかしなコトでもないもので。

 

「学校では話しづらかったのだ。クラスも、違っているようでな」

「みたいだね。いつでも話してくれて、僕は大丈夫だけど」

「そうか? ……にしても、気分でも変わったのか? 玄斗は」

「? えっと……なにが?」

 

 いきなりの質問に戸惑いながら訊くと、七美はこてんと首をかしげた。心底不思議だ、といった風に。

 

「前までは〝俺〟と言っていただろう? だから、それが普通なのかと思ってた」

「〝俺〟……? 〝僕〟が?」

「? ああ。ほら、はじめて会った時に言っていたじゃないか。俺の名前は十坂玄斗。よろしく、橙野さんって」

「いや――」

 

 そんなことは、ない。

 

「そう、だったっけ……?」

「そうだぞ。私はこれでも忘れっぽい頭はしていないのだが……むう。証明できるものがないというのは、些かこう、ムズムズしてくるな……」

「あはは……」

 

 十坂玄斗の一人称は、いまも昔も(ボク)のままだ。そこからブレたことも変わったこともない。だいたい、相手によって使い分けるならまだしも、そう急に一人称を変えるようなことだってないのだ。それこそ、とんでもなく自分というモノを揺るがす状況に陥らない限りは。

 

「まあ、ちょっとね。いまは僕かな。そのほうが、良いと思うし」

「そうなのか。どうりでいまの玄斗は、こう、前より玄斗していないと思ったんだ」

「……僕、してる……?」

「うむ。こう……玄斗っ、という感じが変なんだ」

 

 分かるか? と訊いてくる転入生。どういう感じがどうなのかさっぱりだった。固有名詞を動詞として扱っていそうなあたり凄まじい情報量の少なさである。曰く、彼女によればらしくないとでも言いたいのだろうか。

 

「僕、っていう感じか……例えば、どんな?」

「どう、と言われると難しいな……とにかく、玄斗みたいな感じだ」

「……俺、って言うだけで変わる?」

「変わらないな……」

「そっか……」

 

 じゃあどうしようもない、と玄斗は息を吐いて諦めた。なにより似せようとする気も無い。ちゃんとここにある以上、自分は自分以外のなんでもない。周りが変わってもそれは揺るぎなかった。きちんと完成された玄斗の心に、いまさらその程度で軋みをあげる脆さもない。あるべきものはある。ならば、このおかしな現実だって受け入れなくてはならない。

 

「ああ、それと。もうひとつあった」

「うん?」

 

 自然な流れで散開しかけて、ふと七美がくるりとふり向いた。斜陽に照らされた廊下で、五メートルほど離れながら見つめ合う。どこか、懐かしいモノを探るように彼女は微笑んで。

 

「飲み物、ありがとう。それをずっと言いたかったんだ」

 

 やっと言えた、と満足感をあらわに七美は今度こそ去っていった。――直後に、繋がった。

 

「(あ――)」

 

 ビリビリと、頭に電流が走ったような感覚。なんだなんだと騒いでいた昼間の内容が、根底から覆されていくような気がした。どうしておかしくなって、なぜおかしいのか。その理由ばかりを彼らは考えていた。けれども違うのだとすれば。これが正常で、これがあるべきものだとするならば。

 

「(『僕』……『俺』……! もしか、して……)」

 

 いつもとは違う反応。違う仲間たち。違う関係性。そして、違う過去。どれも小さい部分は同じで、ともすればまったく変わりないものだってあるのだろう。ゲームの世界に転生なんていうありえないコトを経験していたからこそ、頭は全速力で回った。これは、まっさきに確認するべき必要があると。

 

「(辿ってきた()()()が違う――?)」

 

 狂った思考回路は、真実、答えに指をかけていた。



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ヒョウリイッタイ

これが出てきたあたりで匂わせていたという今更なアレ。いや自分でも忘れてたわ……

あ、あと警告タグ追加しました。八章からです。撤退するならいまだよ!


 

 夜の公園というのは、異様な雰囲気に包まれている。小さな光源はベンチ脇にある水銀灯からのみ。広い敷地内で、まともな明かりがそれだけ。いつの間にやら十月も半ば。暗くなるのは早くなって、気付けばもう八時を過ぎていた。そんな時間帯に、玄斗はひとり懐かしい場所に立ち寄っている。

 

「……やっぱり」

 

 そっと手で表面を触りながら、肩を落とすと同時に呟いた。公園の中心にそびえ立つ一本の大きな木。昔、壱ノ瀬白玖と十坂玄斗はここに四字熟語を彫ったことがある。表裏一体。そう書いた場所は、記憶が間違っていなければたしかにここだった。年月が消しただとか、そういうのではなく。

 

「(……傷ひとつない。たしかに、消えててもおかしくないけど……)」

 

 ほんのすこし前、白玖と一緒にこの公園を訪れたコトがあった。付き合い始めて一週間ほど経った頃だ。まだ八月のうだるような暑さのなか。たしかに見たこの木の表面には、うっすらと彼らが書いた文字が刻まれていた。

 

「(……〝俺〟は、白玖と会っていないのか……)」

 

 はたして、それだけで変わるものだろうか。考えて、それもそうかなんて納得してしまった。なにせ壱ノ瀬白玖に出会うまで、十坂玄斗なんて記号のみを与えられて、ぼうっとただ生きていくだけだった明透零無の残骸は、正しく自らの形というものが定まっていなかった。その、はじめの一歩すらズレてどうなっているか分からない。ならば、きっとおかしなコトでもないだろう。

 

「(……ぞっとしない。それで生きていたのか、〝俺〟は。とんでもないな……僕じゃあとても、無理だ)」

 

 白玖がいない世界で、白玖と会わないまま生きていく。そんなコトを考えただけで、未来が閉ざされてしまう錯覚にさえ陥る。自分にとって彼女の存在はそこまでに大きいのだと、この一日で相当に実感してしまった。これが調子に乗った罰ならばもう解かれてもいいぐらいである。けれど、現実はどこまでも不可思議で、非情だ。

 

「(……でも、どうして生徒会長なんかになったんだろう。ボクがそんな考えに至るとは、思えないんだけどな……)」

 

 すくなくともアマキス☆ホワイトメモリアルを知っていれば、生徒会長は二之宮赤音であるべきだと思うはずだ。決して自分がなってやろうなんて思う筈がない。でもいまの玄斗の腕にはしっかりと生徒会長の腕章がある。以前までは赤音の腕にあった、綺麗な黄色が。

 

「(ボクなら、識ってるはずだ。アキホメ……やってたんだし。実際、白玖に会ってものすごい――)」

 

 と、そこまで考えて気付いた。トリガーは、そこにあったのだと。

 

「(待て……白玖と会わなかったら、もしもで切り捨てて無視してるのか? いや、気付いたとしても介入なんてしない? じゃあ……)」

 

 ここは、十坂玄斗がなにもしなかった世界で。

 

「……僕が関わらなくて、良かった未来ってことに、なるのか……」

 

 ――景色が、翳んだ。とても、とても、遠くに見える。違うと分かっていても、こんなに穏やかなモノを見て、何事もなく過ごしている彼女たちを見て。……正直、心が震えた。素直に悔しくて、苦しくて、自己嫌悪でトゲが刺さって。玄斗は自然と、苦虫を噛んだような顔のまま佇んでいた。

 

「(――ああ、分かっている。分かっていた。意味なんてなかったって。でも、こうまで上手くいく世界なんか見ちゃあ……よっぽどだよ。本当。嫌になる)」

 

 まったくそのとおりだ。自分なんて居なくて良かったと、世界中から言われているに等しい。そんな圧力と、無言で押さえつけてくる疎外感。ふとそれを感じた瞬間、心が砕けそうになった。でも、

 

「(……でも、後悔にはしたくない。それでボクが僕になって、白玖と出会って、幸せが拾えたんだから……そこに、意味があったって思うのは……ちょっと、駄目だな)」

 

 ワガママにすぎるし、なにより自分勝手すぎる。

 

「(そっか……結局、どうしようもないんだ)」

 

 別に、酷く落ちこんでいるワケでもない。ただ、するりと流せたワケでもない。受け止めて、噛みしめて、苦みが口の中に広がっている。甘いものでも飲みたい気分だった。十坂玄斗の無駄な努力を見せられたところで、なんてことはない。本当に酷いモノだと察せただけ。そんなのは、とうに分かりきっていたつもりだった。

 

「(僕は僕でしかないんだし、そこは、どうしようもない。……だいたい、もうあれだけ悩んだのに。これ以上なんて悩みたくないよ)」

 

 そんな弱音に苦笑して、公園の前で薄暗く光る自販機まで歩いていく。この時期にもなると暖かいものだって用意されていた。いまはそれで、とりあえず温まるとしよう。心はまったく温もらないけれど、せめて体だけは熱を持って――

 

「あ、れ……?」

「――――、」

 

 ぴたりと、足が止まった。見れば、今朝方と同じ格好をした少女が、びっくりしたようにこちらを見ている。けれど、それ以上に玄斗は驚いている。それはもう驚いている。驚きすぎて、一瞬、本当に言葉を失った。

 

「あ、朝の……変態(トオサカ)さん……?」

「……うん。ちょっとぶり」

「え、あ、はい……」

 

 不思議だ。彼女は自分を知らない。彼女は自分の知っている白玖ではない。同じだけれども、別人だ。記憶が違う。道筋だって違う。着ている制服だって違う。なのに、ただこうして出会って、顔を見ただけで。

 

「――今朝はごめんね。お詫びに、ジュースでも奢らせてほしい」

 

 こんなにも、冷めていた心が温まっていく。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「はい、どうぞ」

「あ、ありがとう、ございます……」

 

 ちょこんと端に座った白玖の横、ひとひとり分の幅を開けて、玄斗は並ぶようにベンチに座った。最初は断っていたものの、結局、白玖が押しに押された形である。彼女のほうにココアを渡して、彼はコーヒーをぐいぐいと呷った。知らぬ間に日常生活での緊張で喉が干上がっていたのだろう。ただの缶コーヒーが、驚くほど美味い。

 

「――ふぅ。いや、寒いね」

「あ、はいっ! そう……です、ね……?」

「なんで疑問形?」

「え、えっと……あの……なんなのこれぇ……」

「…………、」

 

 まあ会話はそうなるか、と玄斗は冷静に考える。ここで取り乱しても朝の二の舞だ。なにより親友からの天才的なアドバイスがあった。居なくなったワケではない。ただ、今までの思い出が綺麗さっぱりなくなっただけ。それが、なんだというのだろう。

 

「……今朝は本当、申し訳なかった。僕もちょっと、寝惚けてたみたい」

「ね、寝惚けてた……んですか……」

「そう。だから、意味分かんないことで迫っちゃったし。……怖がらせたみたいで、ごめんね」

「い、いえっ、まあ、あの、たしかに怖かったけど……で、でもでも、もう大丈夫……なので。頭、あげてもらって……」

「いや、ここはちゃんと謝るべきだと思う。本当に、ごめん」

「…………、」

 

 すっと頭を下げて謝罪する玄斗に、白玖はぼうとその姿を見つめた。初対面の印象は、それこそ変態。変人。頭おかしいこの人。という三つの要素に尽きる。いきなり家の前で声をかけてきて、そのままワケの分からないコトを言ってくるのだからそうとも思う。だからこそ、目の前で謝っている人物が同じだとは思えなかった。……彼の言うことが嘘でなければ、寝惚けているという状態が相当酷いコトになるが。

 

「……いいです、もう。たしかに驚きましたけど……十坂さん、ちゃんとこうして、謝ってくれる人ですし」

「……よくないよ。もし僕が悪い人で、君を騙そうとしてたらどうするんだい?」

「そんなこと、するんですか……?」

「しないよ、絶対」

 

 その言葉は、なんだかちょっとだけ優しく、心強くて。

 

「……じゃあ、改めて。僕は十坂玄斗。調色高校で、いちおう生徒会長してます」

「あ……えっと、壱ノ瀬白玖……です。筆が丘女学院の二年生、やってます……」

「筆が丘……え? 隣町の、あの、お嬢様学校?」

「い、いちおう……」

「――マジか」

「まじ、です……」

 

 単純に制服が違うのは学校が違うというのは分かっていたが、それがまさかの結構有名なトコロとは思わない。たしかにどこかで見かけた覚えがあるような制服だとは思ったが、あの白玖がまさかのまさかである。

 

「……まあ、でも、それならそれで。良いか」

「……?」

「あ、なんでもない。じゃあ……そうだね。壱ノ瀬さん、って呼んでもいい?」

「あ、はい。えと、私は……」

「どっちでも良いよ。上でも、下でも」

「…………じゃあ」

 

 悩んだすえに、彼女は。

 

「――と、十坂さん、で……」

「うん。それでいいよ。発音も完璧だ」

「そ、そうですか……」

「でもって、ちょっと新鮮。きっと、それも良いんだ」

「はあ……?」

 

 いつまでも暗くなっていてはしょうがない。ズキリと痛んだのは痛んだが、たしかに彼女から名字で呼ばれるというのは新鮮だった。ならば、楽しいことを考えよう。そのほうがずっと良い。自分が居て、白玖が居て、こうして出会っている。ならば土台は整っていた。なくなったのならまた作れば良い。消えてしまったのならそれを超えるほどにこれからやり直していけばいい。簡単な話、未来には希望が溢れているのだから。






――壱ノ瀬白玖の好感度――

♥♡♡♡♡ レベル1【UP!】

呼称:十坂さん

評価:ちょっとやばい人。でも根はいい人……? よく分からないのでやっぱりやばい人。ていうかなんでこの人こんなに女の子慣れしてるんだろう……? やっぱりヤバい人なんじゃ……?


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鋼鉄の心を持って

メンタルクソザコだった一章と比べてみると本当誰だこいつ……


「――おっはよう鷹仁っ!」

「うおッ!?」

 

 がらーん! と勢いよく生徒会室の扉を開けたのは玄斗だった。意味不明な現実の変化から翌日。まだまだ難航する現状打破に頭を悩ませていたはずの生徒会長は、とんでもない笑顔でとんでもないハイテンションだった。

 

「く、玄斗……?」

「いやあいい天気だね。思わず心も躍っちゃうよ」

「……お、おまえまでおかしくなったのか……? 嘘だろ……もうあのクソザコナメクジしか仲間がいねえのか……」

「だーれがクソザコナメクジだこのすっとこどっこい」

 

 と、後ろから陰口を聞きつけた逢緒が入ってくる。そんな彼にも笑顔で「おはよう!」なんてキラキラ輝く貌の玄斗。陰キャ代表である彼は当然ながらそれをスルーした。陽キャ死すべし慈悲はない。テンション高いやつは全員事故ってあの世に行ってろと無関係の人間まで恨みそうになるレベルである。

 

「通学路がとんでもねえわ……知ってるかい木下少佐」

「いや知らねえけど……どうなってんだ?」

「黄色い悲鳴がドッカンドッカン。もう十坂がこの調子だからひでえもんよ」

「ああ……、」

 

 どうりで外がうるさいワケだと、鷹仁は息をつきながらうなずいた。朝からこの調子で見る人見る人に笑顔を向けていれば、それはもう騒ぎにもなるだろう。おもに、現在の彼の人気度的に。

 

「……で、原因はなんだ。玄斗、ぶっ壊れたか」

「いや……どうにも、そこが分かんなくてな……」

「? どうしたんだいふたりとも」

「「…………、」」

 

 ニコニコと。ずっと笑いながら玄斗は鼻唄なんて歌い始める。ご機嫌にもすぎるぐらいだった。これは由々しき事態である。思わず鷹仁なんてあまりの差に「クスリでもきめたか?」と一瞬疑うぐらいだった。普段からローアンドクールな玄斗にはあまりにも不似合いな言動なので仕方ない。

 

「……なにがあった、玄斗」

「うん? ああ、いや……分かる?」

「分かりやすすぎて気味が悪いんだよ……」

「いやまじで十坂どったの……俺が悪いの……?」

「分かっちゃうか……」

 

 参ったな、なんて恥ずかしそうに玄斗は後頭部をかいた。笑顔で。ニコニコと。緩んだ頬を隠しもせずに。……ふたりはちょっと殴りたくなった。

 

「……で、なんなんだよ。はやく言え」

「幸せなコトなら俺が制裁するゾ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――白玖と、途中まで一緒に登校した……っ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「飢郷、やれ」

「死ねェい承太郎ッ!!」

 

 がたがたどったーんと暴れ回る男子ふたり。副会長は優雅に紅茶を飲みながら「ああ……」なんて甘い吐息をはきだしていた。どうするべきかと悩んでいる合間、この男はさっそく行動に移して想い人と距離を縮めていたらしい。玄斗とは思えない行動力だった。

 

「くそっ! にやけた面しやがって!」

「え? そんなににやけてる……?」

「そんなにだわ! くそっ! くそっ! 幸せ者がッ!」

「……えへへ」

「なに笑ってんだテメェ――!」

 

 後ろから首をぎゅうぎゅうと締め付ける逢緒と、それも気にせずいちだんと頬を緩ませる絶賛二度目の初恋経験中の玄斗。長らく会えていなかった反動と、なにを忘れてなにが変わろうが壱ノ瀬白玖は壱ノ瀬白玖であったという事実が、少年を凄まじい幸福感へと呼びこんでいた。

 

「つか手が早えな……」

「いや、昨日帰りに偶然会ってね。そのとき連絡先交換して、メッセージで駅まで一緒に登校しない? って誘ったらオッケーもらって。で、今日、堪能してきた」

「おまえ本当に玄斗か……?」

「失礼な。ちゃんと僕だぞ」

「……十坂は壱ノ瀬のコトになると人が変わるんだなあ……」

 

 やべーわコイツ、と逢緒が腕をゆるめたときだった。ふと、ないも同然な抵抗を試みた玄斗の腕――その裾から、おかしなものを見る。なんだか、白い、布みたいな。

 

「……十坂? それ、腕の……なんだ?」

 

 そんなもんしてたか? と問いかける逢緒。それに玄斗はなにを思うでもなく「ああ」と答えて、

 

「リストカット。痕が残っててね、包帯だけ巻いてるんだ」

「え」

「……あ?」

 

 空気が固まる。玄斗はいちはやくそれに気付いた。あ、と言いながら口をおさえるがもう遅い。ぜんぶ言い切ったあとでは返らないものである。

 

「ごめんなんでもない」

「いやうっそだろお前!? もうマヂ無理……ガチでやったの!?」

「そうじゃなくて、これは――」

「玄斗。ぜんぶ教えろ。なにがどうなった? 返答次第では俺はおまえをもう一度ぼこる」

「……ああ、うん。分かった。言うから……」

 

 僕は別に悪くないんだけど、とどこか申し訳なさそうに玄斗は言う。逢緒は単純に驚きとして、鷹仁は一友人として耳を傾けないわけにはいかない。なにせ、目の前の男は十坂玄斗だ。平気な顔をしてぶっ壊れているという可能性が、なきにしもあらずなワケで――

 

「こうなるまでの僕がしてたみたい。腕とか、あと胸も爪で無理やりかいたような痕があった。風呂場でやっと気付いて。もう、どうしようってパニックになりかけた」

「ああ……? いや、玄斗。それ、前からおまえがやってたってことじゃ……?」

「違うよ。〝僕〟じゃなくて、〝俺〟がやってたんだ」

「……ねえねえ木下。なんか、俺、こういうのアニメで知ってるわ」

「は? なんていうんだよ」

「二重人格。おまえは誰だ、俺のなかのってやつ。もうさ、読モレベルのシャウトするしかねえよこれ。でも、俺は最後まで生きるよ……!」

「は?」

「それか異世界モノっていうんだけどな。トラック転生して無双するんだよ。トラック波動砲とか。Re:普通免許から始める運送生活とか」

「とんでもねえな……おまえの脳みそ」

 

 本当にとんでもなかった。

 

「まあそれは冗談として、これはもしや憑依転生というやつでは……?」

「まあそこの馬鹿は置いておいて、玄斗。どういうことだ」

「? あー……うん。そうだね」

 

 一拍おいて、彼は。

 

「――僕もよく分かってない」

「おい」

「チートなし……転生……てぃーえす……うっ、頭が」

 

 約一名、どこかの世界線を観測しそうになっていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「おい、飢郷」

「なんすか副会長」

「昨日言ってたふたり、あれ、どうなった」

「え? どうもこうもないっすよー。俺、女子との接触とか苦手ですし」

 

 おすし、と付け足してぶらぶらと手から力を抜く女性恐怖症。ぶちっと鷹仁の何かが切れた。

 

「飛ぶか、死ぬか?」

「ええ……命を絶つ以外の選択肢とか、ご存じでない?」

「選べ」

「ここ択ですね(震え声)」

 

 ガタガタと冗談交じりに震え出す逢緒。玄斗はその様子を緑茶片手にずずっと啜りながら眺めている。たまにはお茶も良いかもしれないと思った瞬間だった。普段ならコーヒーになるのだが、そのあたりも変わってきているのかもしれないと。

 

「てかそのふたりの名前をまだ聞いてねえんだよ。どいつだ」

「二年D組橙野七美。二年C組()()()()

「……あ、飯咎さんってうちの学校……」

「どっちも聞いたコトねえな――」

 

 玄斗の小声に鷹仁が固まった。逢緒は何事かとふたりを見ている。いまの言葉は彼の耳にまで入っていなかったらしい。ので、正真正銘鷹仁のみが聞き取っていた。本日の十坂玄斗にはどこまでも振り回される。

 

「知ってんのか、玄斗」

「知ってるもなにも、会ってる。七美さん……橙野さんは昨日廊下で話した。飯咎さんとは、夏祭りで偶然会って以来かな」

「ねえ十坂。それなんてギャルゲ?」

「アマキス☆ホワイトメモリアル」

「いや知らねえよどこの会社だそれ」

「明有コーポレーション」

「いやそれたしか製薬会社じゃねえか……」

 

 なんて、普遍的なツッコミをしたつもりの逢緒だった。が、ボケた当人であるはずの玄斗がなにやら目を見開いている。驚愕の事実に今更気付いたみたいに。

 

「あるのか、明有コーポレーション。いや……あって当然だとして、製薬会社って……」

「いや知らなくて言ったのかよ……どういうボケだ……聞いたコトあんだろ。明るい未来が有るんです! 明有コーポレーションってイケボで言うやつ」

「知らない……」

「マジか……テレビとか見ない?」

「見てるけど……ええ……? 偶然見逃してた……?」

「……まあ、コマーシャルだからな。そういうことも、あるだろ」

 

 最近の会社だしな、と付け足す逢緒。常識ごとひっくり返る珍事に比べればまだまだだが、それがあるというのはちょっとした驚きだった。でも、考えれば当然のこと。なぜならこの世界には彼女がいて、あの名前が存在するのだから――

 

「失礼いたします――あら、玄斗様?」

「……うん?」

「あん?」

「うっ」

 

 そんな風に考えたものだから、だろうか。からりとお淑やかに扉を開けた少女は、たしかに玄斗だけ見覚えがあった。ひとりは珍しいものを見たように、もうひとりはいきなりすぎる苦手な相手の登場で喉を引き攣らせている。長い黒髪を携えた、儚いまでに透き通る雰囲気。

 

「……零奈?」

「はい。零奈でございますよ」

「……えっと、病院は……」

「二週間前にはもう退院いたしました。本日から通うことになりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます」

「あ、これはどうも、ご丁寧に……」

 

 ぺこりと頭を下げながら、またもや玄斗は違和感を覚えた。七美のときとはまた違ったものである。ふらっと行った病室の見舞い以来、何度か彼女とは顔を合わせている。白玖と付き合いだしてからもそうだった。だんだんと調子も良くなってきて、これからというトコロ。それが、彼の覚えている記憶だ。

 

「……僕が誰だか、分かる?」

「玄斗様ではないのですか?」

「……僕は、僕だっけ?」

「? 少々意味が不明ですが……玄斗様は、玄斗様ではなくて?」

 

 おかしいところなんてありませんわよ、と零奈は笑いながら答えた。なんだろう、いま、とてつもなく引っ掛かることを言われたような。

 

「にしても、入院生活はやはり感覚がズレますわね……わたくし、まだ九月だと思っておりましたのに」

「――それ、って……」

「もう肌寒いですわ。玄斗様もこの前まで半袖だったような気がするのですが……」

 

 いいや――間違い、ない。

 

「零奈!」

「きゃっ」

 

 がしっと玄斗が零奈の肩を掴む。傍から見れば恋人かという至近距離である。鷹仁と逢緒はなにがなんだか分からないままちょっと引いた。

 

「良かった! すごく嬉しい! はは、そうだよ。やっぱり君は、アトウレイナだ」

「そ、そうでございますけど……」

「うん、うん! いや、とんでもないぞ、これ! ね、鷹仁!」

「……俺はなにがなんだかさっぱりだよ」

「…………(女子が居るので喋れない)」

 

 まだまだ情報の足りない二日目。道を示していくのは、きっと彼女たちである。これは彼にとって、ただなにかを取り戻していく物語――





ああああこの調子乗ってきてるメンタルボキボキに折ってやりてえ……


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手の中にあるもの

 

「あ……」

「ん?」

 

 廊下の角を曲がったところで、玄斗はふとそんな声を聞いた。移動教室へ教材を持って歩いている最中のこと。見れば、目の前に見覚えのある厚着の少女が佇んでいた。

 

「飯咎さん」

「えっ――」

 

 ひぅっ、と少女の声が詰まる。飯咎広那。夏祭りの間にすこしだけ関わった少女。長い前髪は半分が目を覆うぐらいのもので、いまは学校の冬服にプラスアルファでマフラーと薄い手袋をはめていた。寒さ対策らしくなるべく肌を出さないような格好である。

 

「? えっと、なにか?」

「いや……あはは。ごめん。ちょっと、驚いちゃった……」

「そっか」

 

 まあ急なタイミングだったし、と玄斗は苦笑する。唐突に曲がり角から人が出てくれば誰でも驚く。ぶつからなかっただけそこは不幸中の幸いかもしれない。

 

「えっと……その、この前は……ごめん……」

「この前……?」

 

 考えて、ちょうど色々な転機となった夏祭りを思い出した。たしかのあのとき、色々と誤解をされるような状況下で彼女には逃げられていたのだ。

 

「ああ、別にいいよ。あれぐらい。気にしてないし」

「……そ、そっか……なら、良いんだけど……」

「うん。だから別に、気にやむコトとかないよ」

 

 笑いながら言うと、広那はどこか苦しげに笑みを浮かべていた。なんとなく、その言葉では納得できないといった感じが受け取れる。たかだかあれぐらいのコトを引き摺るというのは、色々引き摺ってきた玄斗をして「そこまで考えなくても良いのに」という感情を抱かせる。人生何事も、楽に生きた方がいいときもある。

 

「え、えっと……それより、なんか雰囲気変わったね。どうしたの?」

「まあ、そこは色々」

「……色々、ですか……」

「うん。色々、です」

 

 言い切りながら時計を見ると、すでに授業開始まで二分を切っていた。教室までは階段ひとつ登ったさきだ。そろそろ行かなければ遅刻が見えてくる。

 

「ごめん、このあと移動教室だから。またね、飯咎さん」

「あ、うん! またね……()()()()、くん」

「? うん」

 

 軽く手を振りながら急ぎ足で廊下を駆ける。うしろの少女は遠慮がちに右手だけちいさくあげて苦笑い。すこしの温度差だが、基本的に周りとの温度差が酷すぎて風邪を引くとまで鷹仁に言われた玄斗のことだ。気にすることなく、そのまま駆け抜けた。

 

「……やっぱ、そうなるよね……」

 

 ひとり、ため息をつく少女を知らないまま。

 

 

 ◇◆◇

 

 

『きょうは何時ぐらい?』

『だいたい昨日と同じです』

『送らせて欲しい。ひとりだと危ないし』

『無理しなくて良いですよー』

 

「……って、返したはずなんですけど……」

「? うん」

 

 実際には嘘も織り交ぜての返信だったのに、と白玖は内心でため息をついた。時刻は昨日より大分早い五時過ぎ。調色高校からすこし――というか一駅分離れた隣町。昨今にしては珍しい清く正しく美しくを是とする古くさいお嬢様学校。筆が丘女学院の門の前に、その男――十坂玄斗は立っていた。

 

「なんで居るんですか……!」

「いや、ちょうど良いから迎えにと思って」

 

 暇してたし、と少年はなんでもないように答える。冗談じゃなかった。暇してるだけで女子校の前まで来るような鋼メンタルだとは……まあ、初対面の頃から薄々感じていたが。

 

「ていうか、凄い人だね。賑やかだし。もっと、静かなのかとばかり」

「十坂さんが来てるからなんですけど……!?」

「そうなの?」

「そうなんです!」

 

 もう、と頬を膨らませて怒る白玖は玄斗から見てとても可愛かったが、紅く染まった頬を見るに本気でもあった。なにせ玄斗を中心におよそ十メートルは離れて女子の円が出来上がっている。全員が全員、白玖と同じ類いの制服を着ているあたり頭が痛い。

 

「ねえ、あの方は……」

「まあ、素敵な……」

「壱ノ瀬さん、ああいう人が好みなんだ……」

「かっこいいねー……調色の人?」

「生徒会長さんじゃなかった?」

 

 地獄である。白玖にとっては。が、肝心の玄斗はなにを気にしているようでもなかった。完全な自然体。女子校の前に男子ひとりが居るという状態にも慣れているような有り様だった。おそらく現生徒会書記なら「もうマヂ無理死ぬわ俺……」といってそのまま卒倒しているだろう。

 

「と、とにかく行きますよっ! ああもう、こういう気がしてたから折角断ってたのに……!」

「あ、そうだったのか。そこは意を汲めなくてごめん」

「いいからさっさと走るっ!」

「――うん」

 

 ほんのすこし、丁寧語の抜けた声。かけられた言葉は酷く似通っていて、彼女は彼女なのだと再認識するのに十分だった。なにもかもが変わっても、変わらない部分だけはしっかりとしている。ただそれだけが、とても良いのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「こ、ここまで来ればもう大丈夫かな……」

「みたいだ」

 

 駅のベンチに座りながら、ほうと白玖は息を吐いた。学校からここまでの間走ったのは流石に女子として体力的な問題があったらしい。ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返している。対する玄斗は同じ速度で走っていたはずなのに、息ひとつ切らしていなかった。男女の差である。

 

「……ああ、もう……なんで来ちゃうんですか……」

「ごめん。心配で」

「なら連絡のひとつでも……いや、するような人じゃないのがなんとなく分かってるけど……!」

 

 分かってしまう自分がちょっと気にさわった。なんなのかと怒りたい気分である。なんに対してかは、まるで分かっていないのが気持ち悪い。

 

「……まあ、別にいいですけど。昨日も朝も嫌にはならなかったワケだし……

「それは良かった」

「どうして聞いてるんですか……!」

「そりゃあ、聞こえたからだろう」

 

 そこまで耳も悪くないんだし、と玄斗が笑って答える。たった二日である。すべてを理解しろと言われても難しい話だが、白玖はそれで「ああこの人ってこういう人なんだな……」という真理を垣間見た気がした。天然死すべし慈悲はない。

 

「……ていうか、学校まで来ないでください。目立っちゃいますし。……変な噂とかされたらどうするんですか……」

「……ああ、それも、そっか。壱ノ瀬さんに迷惑かけるのは、いけないね……」

「そうじゃなくてっ。……私はどうでも良いんです。十坂さんが、変な噂たてられないかって……」

「僕? なんで?」

 

 おかしくない? と心底不思議そうに玄斗が首をかしげる。白玖はまじかこの男という感じだった。

 

「そんなの気にしてたってしょうがない。けど、壱ノ瀬さんがどうかってのはちゃんと考えなきゃいけなかった。ごめん、あんまりなものだから、ちょっと舞い上がってた。……うん。今度から細心の注意をしておく」

……無駄にメンタル強いんだよねこの人……

「なにか?」

「なんでそこは聞こえないんですかっ」

「冗談」

 

 クスクスと笑うと、白玖は疲れたように肩を落とした。

 

「まったく、もう……」

 

 〝――――、〟

 

 ……ガタガタと、遠くから電車がやってくる。音も匂いもやがて遠ざかって、耳をつんざくようなブレーキの音が響いていく。そんな束の間にみた、懐かしい笑顔だった。そも人が現実に見ているものがなにかというと、目で見た情報を処理しているにすぎない。だから、錯覚だとして、ひとときの夢幻だとして、片付けるコトだってできる。

 

――会いたいよ、白玖

「? え、なんて――」

「……なんでもない、壱ノ瀬さん」

 

 ガタガタ、ガタガタと。うるさいぐらいの電車の音は、彼の声をかき消した。近くで座る少女に届かないまま、虚空へと沈んでいく。なにもない果てへと。その気持ちを聞いた人間は、彼を除いて誰ひとりもいなかった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 だから、当然、それにも気付いてしまった。

 

 四埜崎蒼唯は関わりがない。

 

 五加原碧は仲良くない。

 

 その秘密を漏らした人間は、どこにもいない。

 

 きっと、世界でただひとり。

 

 ――明透零無を知る人間は、もう――

 

 

 ◇◆◇

 

 

「おう、玄斗か」

「……父さん」

 

 玄関を開けると、ちょうどスーツ姿の父親が階段から降りてくるところだった。七時過ぎである。昨日は皆が寝静まるまで帰ってこず、さらには朝早く出かけたせいで会話すらままならなかった。どことなく、その行動自体が答えを示していて。

 

「……仕事帰り?」

「いや、いまから緊急の案件だ。もう一度出社してくる」

「……そっか」

「留守は頼むぞ」

「わかった」

 

 〝五時以降は最大限仕事はしないようにした。〟

 

 そう言っていたはずの彼の父親は、もうどこにもいなくて――

 

「むっ!?」

「あっ」

 

 しんみりとしかけた瞬間、急いでいたのか父親は見事に階段から足を踏み外した。段差がすくなかったコトだけが救いである。ガタゴトドッターンと転げ落ちて、弁慶をおさえながらうずくまった。

 

「――っ、――……!」

「と、父さん大丈夫……!?」

「だ、大丈夫だ……このぐらい、なんとも……あるものか……()がっ」

「えっ」

 

 ピタリと、駆け寄った玄斗の体が固まる。

 

「ああしかし痛い……痛いぞ……()()……湿布を……持ってきてほしいんだが」

「えっ、えっ……」

「……零無っ? どうした、湿布を」

「お、お父さんっ!?」

「そうだが。いまお父さんすごい痛いんだが。なあ、頼む零無。ちょっとお父さん泣きそうなんだが」

「……は、はは、あはは……っ!」

「……れ、れいな……?」

 

 爆笑した。

 

「な、なんなのそれ……っ! ふ、ふざけてる! お父さんってば、もう、本当に……っ!」

「あ、ああ……? なんだ……これは……新手の反抗期か……? 言っておくがお父さんはまだお付き合いを認めたわけでは……いたたたた……!」

「――ああ、もう、本当っ」

 

 悩みもなにもちっぽけだ。なにをくじけそうになっているのか。とんでもない。こんな偶然に塗れていて、なにを諦めるでもない。

 

「――大好きだよ、お父さん」

「ははは、そうか。別の意味で父さん泣きそうになるから手加減してくれ」

「しないよ、そんなの。本当のことなんだから」

「……そうか」

 

 結局泣いた男にまた笑いながら、一筋だけ明かりを見つけたような気がした。これが誰かの意図としたコトだとするのなら、それにはきっと意味があって。

 

「やっぱり、うちのお父さんは最高だ」

 

 それをどうにかするのも、きっと誰かによるものだ。







ちなみに分岐はぜんぶで記憶喪失になった玄斗くんが二作目ヒロインと関わっていって曇っていく白玖ちゃんとかむしろ無印ヒロイン全員消えて「そんなのいないよ妄想じゃない?」ルートとか十坂玄斗はいるけど中身の“誰かさん“だけが見事綺麗にいなくなるルートとか十坂玄斗自身がいないものとなるルートとか用意してました。





え? 七章終了後の幸せな未来? ……毛頭なかったんだよなあ……


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全身墨塗れ

 ――手首の切り傷。胸のかきむしった痕。おそらく栄養が回っていない肢体。慣れていなければ、きっとすこし走っただけでも息が切れる。それがなんともないのは、偏にこれ以上を知っているからだった。だが、前までのモノと比較すると。

 

「(……やっぱり酷いな、どんな精神状態ならこうなるんだ……)」

 

 いまの十坂玄斗の体は、とても弱い。食事は摂るようにしているが、いままでが相当なのだろう。腕にまともな力が入らない。足がうまく動かない。ふらふらと立ちくらみを起こしたコトですらこの二日で片手じゃ数え切れないほどある。明透零無よりかはマシで、十坂玄斗よりはほど遠い。

 

「(全身が痛い……懐かしいけど、まだマシって思えるのは凄いな。うん)」

 

 包帯をスルスルと解きながら、玄斗はがらりと浴場のドアを開けた。お湯は意外と沁みる。とくに手首のそれが酷いようで、古いのではなく比較的新しい傷なのだろう。なにがあってこんなコトをしたのか分からないが、一度会って一言いってやりたいぐらいには自分の体を労らないものだった。

 

「(まったく……僕だってここまではしなかったぞ……)」

 

 辿り着くはずの終端のひとつ。明透零無の行き着くさき。そのひとつがこれなら、なんとも馬鹿げている。自分の体を切ってもそこから血が出るだけで、なんにもならないというのに。

 

「(馬鹿だな。そんなコトするぐらいなら、もっと他にすることが――)」

 

 蛇口をきゅっと捻れば、シャワーの水が手に散った。痛みで思わず顔を顰める。……酷くはないが、針でツンと突かれたような刺激がある。なんともままならない。自傷行為なんて絶対しないでおこう、とよく思える理由になった。

 

「(ああもうやりづらい……! だいたいなんだ、考え出したら意味が分からないぞ。ていうかもう無理だ。ああ……くそ)」

「……白玖とイチャイチャしたい……」

 

 思わずそう呟いていた。足りない。ハクニウムが足りない。ハクニウム摂取不足である。禁断症状が徐々に出始めていた。ちなみに補充するには白玖からの愛情をもらわなければならない。面倒くさい摂取方法である。

 

「(……というか本気で白玖のことしか考えてないな……それさえあれば良いみたいな……まあ実際そうなんだけど)」

 

 付き合い始めて玄斗の体感では一月すら経っていないのだ。それで熱を冷ませというのは無理な話である。が、生きている以上は目を覚まさなくてはならない。緩みきった思考回路に活を入れる。ばしゃり、とシャワーで顔を洗った。

 

「(……ぜったいこの状況をなんとかする。そのためならなんだってやる。もう一度、白玖とデートするために……!)」

 

 動機が不純すぎた。が、それぐらいがちょうどいい時もある。なんだかんだ言って十坂玄斗の愛は不動なぐらい重かった。おそらく別れた場合は一生単位で引き摺るのだろう。悲しい男である。

 

「(手始めに〝俺〟の部屋でも探ってみようか。外見はまあ……ちょっと机が削れてたり絨毯の下に変な模様があるぐらいだったけど。意外と見ないところにヒントが――)」

 

 と、髪を洗い始めたときだった。ドタドタと駆けてくる足音。勢いは凄まじい。そういえば脱衣場に鍵をかけていなかったっけ、なんて思って――

 

「お兄なんであたしより先に風呂入ってんの!」

「うわっ!?」

 

 がらがらっ! と容赦なく開かれた扉に玄斗は思わず肩を跳ねさせた。

 

「ま、真墨……?」

「いっっっっっつも言ってるじゃん! お兄のあとキモいから入りたくないって」

「え……あ、うん……ごめん……ナチュラルにショックだ……」

「は? いや、そういう反応してもキモいだけだから。マジ死ねよ粗○ン」

「粗ッ……!」

 

 十坂玄斗はブロークンハート寸前だった。まさかどんな絶望的な状況より妹のとんでもない一言のほうが効くとは思うまい。正直心が欠けている。男としての尊厳も欠けている。残ったのは空っぽな彼だけだった。空っぽというよりは素っ裸だが。

 

「お、女の子がそういうコト言うのはいけないと思う……!」

「はあ? いや、お兄そういうの要らない。キモい。マジで死ね。チ○コ見えてんだよ」

「……っ、いけないと思うよ!?」

「タオルで隠すのか……女々だなー女々しいなー」

「ぐっ……」

 

 この妹はいちいち的確に人の心を抉る言葉を……! なんて戦慄する玄斗。頭の良さがこういう方向に働くと真実真墨に勝てる人間はいないだろう。〝俺〟である十坂玄斗がちょっと不憫に思えた。妹から素っ気ない態度をとられるというのは、案外心にくるものである。

 

「……真墨、ちょっと来なさい」

「は? 嫌だし、キモいし。つかなに? 馴れ馴れしいわお兄のくせに」

「いいから。ちょっと、君にはお仕置きをしないといけない」

「お仕置きぃ? なーに偉そうなこと言ってんスかこの愚兄は……頭おかしいんじゃないの?」

「真墨」

「っ」

 

 ビクン、と妹の肩が震えたのを玄斗は見逃さなかった。十坂家長男標準装備のお説教モードレベルワンである。なおタオル一枚なので絵面が酷い。

 

「いいから、こっち来る」

「え……やだ……マジでキモいしお兄……なにする気……!?」

「だから、ちょっとお仕置き。いくらなんでも、そういう言葉遣いはいけない」

「い……いやいやいや! なんだよお兄のくせに! マジできもいし! もう無理だから!」

 

 吐き捨てて、脱兎のごとく駆けようとした真墨の腕を玄斗は咄嗟に掴む。

 

「ひぃっ!」

「逃げられると思わないでよ。言っておくけど、いまの僕は本気だ」

「な、なんだよ……! お兄のくせに、調子……っ」

 

 ぐい、とそのまま引き寄せる。が、いまとなっては嫌悪感丸出しの真墨がただでそんなコトを許してくれるワケがない。事実兄妹間での距離が違うのだ。必死で抵抗しようとする人間を無理やり足場の悪い浴場でおさえようとすれば、自然、事故は起こる。

 

「あっ」

「うわあっ!?」

 

 ぐらり、と視界が傾いた。つるんと滑ったあとのこと。辛うじて頭を起こせたのは、正直不幸中の幸いだった。ゆっくりと動いていく景色のなか。どこまでも、最愛の妹は玄斗と真正面からぶつかるように落ちてくる。

 

「(せ、せめて受け止める……!)」

 

 己に降りかかる痛みなんてなんのその。玄斗は肺から空気が出ていく感覚に悶絶しながら、ぐっと体勢を整えた。やさしく、ゆっくり、目前に降ってくる妹こそを抱きとめようとして――

 

「(あ)」

 

 腕の位置が、ちょっと致命的にズレた。

 

「んんっ!?」

 

 ……軽くはない、接触だった。偶然、本当、奇跡的に、天文学的数字なんかが出てくるレベルで。意図してではなく、たまたまそこにあって。――唇が、触れた。

 

「んっ、ぅ、んん――!」

「(ちょっ、待っ、落ち着け真墨――!?)」

 

 慌てた真墨がジタバタと玄斗のうえで暴れている。これで離れてくれればいいものだが、キスはいまだに続行中。実の妹と(いなくなっている恋人が居るにもかかわらず)キスをしてしまっている。……とてつもなく、玄斗のなかの罪悪感のゲージが高まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ――――、……」

「(…………あれ?)」

 

 不意に。真墨の動きが、ぴたりと止まった。なんだか様子が変だ。ぱちぱちと目をしばたたきながら、至近距離でこちらを見ている。もちろん唇は触れ合ったまま。正気に戻ったのならさっさと退いてほしいというのが玄斗の本心だが――真墨の行動は、その逆をいっていた。

 

「んっ!?」

「はぁ……んむ、ちゅ……ぅん……」

「(な、な、ななな――――!!!!)」

 

 これはたしか先輩にもやられたぞ、なんて冷静に分析しているどころではなかった。いままで拒絶の意思を示していた妹がおかしなコトに積極的に舌を入れてきている。口内がまずいコトになっていた。……ついでに、色々と言われたもうひとりの僕も。

 

「まっ……ふぅ、ま、すみ……んっ……や、やめ……は、ふぅっ……」

「――あは♡……お兄、顔、とろけてる」

 

 ふふ、と不敵に彼女は笑った。どこか、見慣れた様子で。どこか、聞き慣れたトーンで。どこか、感じ慣れた視線で。

 

「ま……すみ……?」

「なんか、よく分かんないけど……でも、これ、夢なのかな。なら、なにしたっていいよね。だって、お兄があたしとキス、してくれたんだし。――いいよね? 食べても」

「な……に、を……」

「かわいい、お兄。……くすっ、もう準備できてんじゃん」

「っ!!!!!」

 

 握られた。ナニを? と訊かれるととても表現に困るものを。

 

「ま、待って……待って、真墨……!」

「お父様、お母様、ごめんなさい。夢の中だし許してくれるかな。――いただきます、お兄。じゃ、遠慮なく」

「待った待った待った――!?」

 

 ぎゅっ、と玄斗の玄斗を握りしめようとする真墨の魔の手から彼は必死で逃れた。もはやタオルでは隠せない。妹の舌テクが予想以上にやばかった。というか、なにか絶大な情報をこんな年齢制限的にアウトな展開で見落としそうで――

 

「ま、真墨……?」

「え、なに。どったの。いきなり。これからってときに」

「……真墨、なのか……?」

「え? なに? 本人確認っすか……夢とはいえこれは……うーん。あ、もしかして襲ってほしいの?」

「そんなワケないだろ……!」

「でもお兄、臨戦態勢だよ?」

「……っ!」

 

 さっと自分の股間をおさえつつ玄斗は真墨を睨む。本性を隠していた、という線は無きにしも非ず。ただ、色々な感覚がそうではないかと訴えている。長年兄妹として過ごしてきたが故だ。いまの彼女は、つい数秒前の彼女と打って変わっている。

 

「……やってあげよっか?」

「い、いらない……ていうか、あれ、本当に……真墨……?」

「なーに言ってんすかこのお兄は。あたしはいつでもあたしですよー」

「え……でも……あれえ……?」

「…………いまだっ!」

「ちょっ!?」

 

 しゅばっ、と抱きついてきた真墨に押し倒されて浴室にまた転がる。地味に衝撃を与えないようにしていた手腕が凄かった。ゆっくり寝かせられて、馬乗りになった真墨が舌を出しながらにやりと笑う。……背筋が、凍った。

 

「やろっか、お兄」

「じょ、冗談だろ……!?」

「だって、お兄もこんなになってるし……辛いんじゃないの?」

「辛くない! 辛くないから! うん、ぜんぜん、これっぽっちも!」

「……えい」

「――――っ、――――!!」

「……ほーら、やっぱ辛いんじゃん……♡」

「ま、待って、本気でやめて、真墨ぃ……!」

「ごめんね、お兄。いま気持ちよくしてあげるからね。……じゃ、もっかいキス、しよっか……」

「待てって言ってるんだーーー!!!」

「あ痛ぁ!?」

 

 ばちこーん、とおでこを叩いてなんとか立ち上がる。溢れんばかりの性欲と色々混じった複雑な感情を向ける目(兄限定)。こうと決めたら止まらない向こう見ずさ(兄限定)。そしてなにより躊躇なくこちらの貞操を狙ってくる積極性(兄限定)。紛うことなく、いまの彼女は――

 

「ま、真墨だ……」

「いったあ……もう酷いなあお兄。夢のお兄もガード堅いとか、めっだよ。さっさとあたしに体を預けてくれてもいいんだよ?」

「……真墨」

「うん、なになにー?」

「夢じゃないから」

「………………!?」

 

 玄斗のコトが大好きでたまらない、十坂真墨その人だった。





というわけでこれで趣旨説明が大概終わったコトになるんですかね……お姫さまを目覚めさせる定番は……というアレ。うん。ちなみに二部なのでメインがどいつらなのかはお察し。



はい、十坂玄斗(アマ)キスRTAスタート(棒読み)


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ひっくり返れ

 ぼすん、と真墨はベッドに腰掛けながら呟いた。

 

「……お兄の匂いだ」

「いやなに言ってるの……」

 

 妹の唐突な発言に玄斗がため息をつきながら答える。嫌われているという状態はまあそこはかとなく嫌ではあったが、こうなればなったで問題がないというワケではない。というか初っ端から問題だらけなあたり「戻らないほうが良かったのでは?」と考えてしまうぐらいだった。兄妹間だとしてもアレは立派な逆レイプである。妹の将来がちょっと心配になった。

 

「……真墨。言っておくけど、ああいうことは駄目だ。相手が嫌がってるのに無理やりなんて……僕以外なら訴えられてるぞ……」

「そこは大丈夫っしょ。ほら、あたしお兄以外に興奮しないし」

「…………、」

「てか、お兄なら訴えられないんだ。ふーん? ……ね、続き、する?」

「するワケないだろ」

「痛っ!」

 

 デコピンを喰らわせると、真墨はむっと頬を膨らませながら睨んでくる。我が物顔で居座っている妹だが、当然ここは玄斗の部屋であって。しかもつい数分前まで蛇蝎のごとく嫌っていた彼女が足をぶらぶらと投げ出してと気を許しているモノだから、つい心の隙間がゆるりと覗かせた。

 

「……まあ、不問には、するけど……」

「え? まじ? 無罪っすか。……それって実質オッケーなんじゃ……?」

「違うから」

「やーんもうお兄ってば素直じゃないんだからぁ~」

「違うって……ああもう……白玖が居ないから勘弁してほしいのに……!」

「え?」

「……あ」

 

 言って、これはよく考えなくても地雷なのではと思った。自分の身に危機が迫るという点において。ゆっくりと真墨のほうを向けば、目がらんらんと輝いていた。どこか猫を思わせるようである。

 

「ほほう? いない? え、なにそれは。……もしかして、別れた?」

「いや……別れては、ないんだけど……」

「ないんだけど?」

「……付き合っては、いなくなった……というか……」

「ははーん? よくわかんないけど、つまりいまのお兄はフリーってことか」

「…………、」

「無言は肯定と受け取るよ?」

 

 察しが良すぎるのも考え物だと、玄斗はこのときばかりは妹の頭の回転の良さを恨んだ。まるで獲物を狙う肉食獣である。自分がこんな妹を相手に十七年間も貞操を守ってきたと考えるとよくやれたもんだと心底感心した。自分自身の話である。もうなにがなんだか玄斗には理解できない。

 

「あーあ……言わなきゃよかったねえ、お兄」

「…………、」

「正直さ、あたし、分かってるんだよね。お兄を無理やりモノにする方法とか」

「……なに、それは」

「既成事実つくったらお兄って自分から納得しちゃうよね?」

「――――」

 

 愕然とした。発想がやばすぎて。

 

「い、いや……! そんなことは……っ」

「でもたぶんそうなるよ? 他に好きな人がいても、たぶん自分の責任だからーって勝手に納得して勝手に覚悟きめて、そんで勝手に好きになる。あたしはなんもしなくても、お兄って人の良いところ見つけようとするからさ。んで、それに惚れ込むわけでしょ? ちょろいにも程があるよ?」

「……真墨? 僕だってそんな、好きじゃない人と……その、しても……嫌いになるだけだよ……?」

「試してみる?」

「…………、」

「無言は肯定と」

「やめて」

「えー」

 

 ぶーぶーと文句を垂れる妹をこれほど恐ろしいと思ったことはなかった。壱ノ瀬白玖は真実抑止力として彼女をおさえつけていたのだろう。自分の兄に愛し合った彼女が居る。そんな事実ひとつで溢れんばかりの気持ちを我慢できるぐらいには、真墨はとてもできた妹だったということだ。が、それがないとなればどうなるかなんて、考えるまでもないだろう。

 

「てかさ、なにこれ。あたしのスマホなんか馬鹿になってるんだけど。今日ってまだ九月になったばっかりでしょ。あと壁紙とかも変わってるし……む、お兄のオフショットフォルダがない」

「ねえごめんちょっと最後のはなに?」

「冗談冗談~♪ ……フォルダは元からないよ?」

「…………あ、そう」

「んふふー♪」

 

 フォルダ〝は〟、という部分ですべて察してしまった自分を縛り殺したかった。オフもなにもない玄斗のオフショットというのは些か疑問ではあるが、大方盗み撮りでもしていたのだろう。忘れそうになるがこれでも天才肌である。とてもじゃないが、玄斗の敵わない相手のひとりだ。

 

「ねえ、真墨」

「なにー?」

「ここが平行世界とか言ったら、君、信じる?」

「え、なに。そういう学説とか一から説明してほしい感じ? あたしざっくりとしか分かんないよ?」

「ざっくりなら分かるんだ……」

 

 恐るべき妹の実力だった。本当に高校一年生かと疑いたくなるモノがある。普段はおちゃらけて遊び倒して勉強も真面目にしなさそうなイメージだが、その実知識欲に関しては人並み以上にあることを玄斗は知っていた。性欲に関してもここまで飛び抜けているとは知らなかったし知りたくもなかったのだが。

 

「ま、そんならちょっと見てみますか」

「え?」

「お兄の部屋。どうせ連れこんだのだってそのためでしょ? それこそ話すならあたしの部屋でも誰もいないリビングでもよかったんだし。あんなことがあった手前、ふたりっきりで、しかも自分の部屋にってことはまあそのあたりかなって。どう?」

「――――あ、ああ……うん……」

「ジャックポット! って感じだね」

 

 驚くばかりの玄斗を余所に、真墨は袖をまくり上げながら部屋を見渡した。ふんふんとうなずきながら「たしかになんか違うねー」と言ってくる。家具の配置がどうとか雑誌の並べ方が何センチ云々だというのは聞き流しておいた。うちの妹は闇が深い、と玄斗の今更ながらの理解である。

 

「……本当に申し訳ないんだけど」

「なに?」

「僕、はじめて真墨に本気で惚れかけた」

「え、惚れた?」

「惚れてないから」

「ちっ」

 

 あと一押しだったか、なんてぼやきながら真墨が机を漁っていく。堂々と佇む少女の背中は、なんとも頼りがいのあるものだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「なにこれ」

 

 そう言って真墨が引っ張り出したのは、ボロボロになった日記帳だった。表紙にはなにも書かれていないが、何度も使ったような痕跡がある。出てきたのは〝俺〟だった十坂玄斗の机の引き出し――その、鍵のかけられた段の底板の下だ。どうしてそんな部分があると妹が知っているのかは、あえて聞かないでおいた。

 

「昔のものかな」

「ううん。筆跡がしっかりしてるから、最近だと思う。……日記だね」

「そりゃそうでしょ」

「しかもマメ。……けど、これ、お兄か……?」

「ちょっと見せて」

 

 ん、と差し出された日記帳を手に取って、パラパラとめくってみる。外装の酷さとはうってかわって中身は意外と綺麗だった。几帳面さが出たのか、日付から時刻までしっかりと毎ページごとに記録されている。もしくはそれを当たり前にやるほど、空っぽな毎日だったのか。

 

「なーんか、お兄っぽくないよね。いや……名残はあるんだけど、厳密には違うっていうか……」

「この人でも興奮……する?」

「しない。お兄じゃないから。これは断言できるね」

「ああ、そう……」

 

 聞いてから後悔した。実の妹になにを聞いているのか。おそらくは彼女らしい彼女との会話でテンションが上がっている。嫌よ嫌よも好きのうち、という言葉は馬鹿にできなかった。

 

 ――――

 

 七月二十一日 午後八時十五分

 

 藁人形逢緒くんの効果が出た。足を怪我させたのは申し訳ないと思う。

 

 ――――

 

「いやなにやってるんだ僕は」

「どれどれー?」

 

 すい、と真墨が隣にべったりと引っ付くようにしてくる。その際、腰回りに手を伸ばされたので叩いておいた。舌打ちは当然聞かなかったことにする。

 

 ――――

 

 七月二十五日 午後九時十分

 

 蜥蜴の尻尾。蛇の抜け殻。カブトムシの幼虫。

 

 ――――

 

「いや本気で大丈夫か(こいつ)……」

「え、なに。お兄は呪術かなんかでもしてるの?」

「分かんない……」

 

 ――――

 

 七月三十日 午後十時二十分

 

 だいたい試してみて分かったこと。俺が目指すのはたぶん違うな。これ。

 

 ――――

 

「むしろ違いすぎてないか……?」

「なにを目指してんのこのお兄。天国への階段?」

「メイドインヘブンだっけ」

「え、なに。世界が一巡したわけ?」

「いやここそういう物語じゃないから……」

 

 なにせギャルゲーである。

 

 ――――

 

 八月二日 午後十一時三十六分

 

 枝分かれ。重なり。隣り合い。現実とはアキホメであり、アキホメとは現実である。それがどういうことか、いままで放置していたものを考えてみた。結論、この世界がゲームだと俺だけが知っている。

 

 ――――

 

「ラノベだ」

「……真墨、ちょっと離れてて。これ以上は頭おかしい人の妄言が続きそうだから」

「やだ。なんか面白いし」

「……じゃあ隙を突いて僕のお尻触ろうとしないで」

「けち」

「セクハラだからね……?」

 

 ――――

 

 八月五日 午前三時十六分

 

 奇跡を知っている。たぶん。二度目があったこと。こんな世界に生まれたコト。なら、もう一度ぐらいあってもおかしくない。おそらくこの魂は非常に飛びやすい。

 

 ――――

 

「飛ぶ……?」

「……ね、ね。お兄。この人頭いっちゃってない?」

「飛ぶ……」

「あー駄目だこっちもネジ飛んじゃってるわ……」

 

 ――――

 

 八月六日 午前零時三十分

 

 要はコインの表裏だ。黒と白みたいなもので。ひとつになればひっくり返る。反転する。いちばん近いチャンスに賭けてみよう。

 

 ――――

 

「……頭が痛くなってきた。もしかして〝俺〟、相当中二病を拗らせてるだけなんじゃ……?」

「いやどう見てもそうでしょ……これがお兄……?」

「まあ僕もいろいろ拗らせてるけど……」

「そこが可愛いよね」

「え?」

「え?」

「…………、」

「…………、」

 

 ――――

 

 八月十四日 午後八時八分

 

  俺では無理だ。誰でも無理だ。真実、この世界に本当の彼女を救える人間がいない。誰も奥底にある仮面の下の彼女を見ようともしない。ふざけるな、と言いたくなる。だからなんでもやろう。奇跡でも起こしてやろう。そうすれば、望みは繋がるから。

 

 ――――

 

「…………、」

「お兄?」

「ごめん。やっと分かった。……そりゃあそうだよ。これ、ボクだ」

「え?」

「間違いない。……こんな考えをするのは、ボクだ」

「…………ふーん…………」

 

 ――――

 

 八月二十四日 午後九時七分

 

 彼女はスポットライトのあたる存在じゃない。表舞台に立つ人間ではない。それが、あんなにも、あんまりな現実に折れている。ふざけている。俺は今までなにをしていたのだろう。けれど、自分にはなにもない。零でしかなくて、ひとつも無い。だから、誰でもいい。なんでいい。そのためならこんな命はくれてやる。言葉のひとつも、見返りのかけらだっていらない。どうか、どうか、救いを。

 

 ――――

 

「あちゃー……」

「…………、」

「痛いね……この人……いや、ねえ……? お兄……?」

「…………古い鏡って、わりと、効くんだな…………」

「お兄?」

「分かる。すっごい分かるぞ〝俺〟……」

「ええ……」

 

 ――――

 

 八月二十九日 午後一時十四分

 

 いいんだ。きっと、俺が消えても。彼女が笑ってさえいれば、それで――

 

 ――――

 

「うわあ……」

「……青いなあ、〝俺〟」

「は?」

「あの頃は僕もそんなこと思ってたなあ……」

「うわあ…………」

「本当に死んでも良いとか考えてたなあ……いまはもう無理だけど」

「うわ、うわ、うわあ…………」

 

 ――――

 

 九月八日 午後十一時五十分

 

 救え、それが使命だ。

 

 ――――

 

「何様だよこいつ……」

「お兄様」

「は?」

「……ごめん」

「――やーんお兄様ってば素敵っ♡抱いてっ♡」

「は?」

「……ごめん」

 

 ――――

 

 九月二十二日 午前二時四十五分

 

 なにをしても現実だ。どうしようもない。理論に基づいても、オカルトに傾倒しても、それは変わらない。なら、最後に残ったのはなんなのだろう。こんな空っぽな器に残ったのは、一体、なんなのだろう。俺が死ぬ時に考えていたことは、なんだったのだろう?

 

 ――――

 

「死ぬ時……」

「……ねえお兄。これ、本当にお兄?」

「……そうだね。僕じゃない。けど、正真正銘ボクだよ、これは」

「あっそ……」

 

 ――――

 

 十月一日 午後七時四十七分

 

 暗い。軽い。遠い。音も、感覚も、光すらなくなったとき。ボクはもう一度、それらをすこしでもと願ってしまったんだ。

 

 ――――

 

「……そうだったな、そう言えば」

「……お兄?」

「あんな状態でも……願える心は、あったんだよ。〝俺〟」

「…………、」

 

 ――――

 

  月 日   時  分

 

 願いはひとつだけ。たとえこの身が朽ちても、この記憶がなくなっても、ぜんぶがぜんぶ消えてしまっても。彼女だけは、救われますように。だから、ぜんぶ、ひっくり返れ。

 

 ――――

 

 日記は、そこで途切れていた。

 

「……でたらめだな」

「うん。途中から意味分かんないし」

「いや……むしろ途中からのほうがよく分かった。ちょっと、ふざけてるぐらいに」

「……お兄?」

 

 何度目かの問いかけ。玄斗は、なにかを我慢するように笑っていた。

 

「ボクって人間は本当に……ああ、白玖たちがどれだけ苦労したか、やっと分かった気がする」

「あたしは?」

「真墨はまあ、むしろ僕が苦労してるっていうか……」

「おい」

「冗談。……ちゃんと感謝してるよ、大好きだ」

「それは告白と受け取っても?」

「家族として」

「ちっ」

 

 するりと背中に伸ばした手を無言で叩きながら、玄斗は考える。要するにこれはただの偶然で、考えるもなにもなくて、目の前の現状をどうにかするのが最優先で。そして、意味こそあれど意図的ではないのならば。

 

「……よし、分かった」

「え、なにが?」

「ぜんぶ取り戻すよ。こんなふざけた現実、認められない」

「いやいや……どうやって?」

「決まってる――」

 

 立ち上がった玄斗の心に、ブレは一切ない。日記の彼はどうであれ、ここに存在する十坂玄斗にもはや弱さは欠片もなかった。完成されている。そう言うのであれば、彼こそが明透零無である十坂玄斗として答えを掴んでいる。で、あるのなら。

 

()()()()()だ、真墨」

「……やっべえこいつネジぶっ飛んだわ……」

 

 まあ、あながち、間違ってもいない。




八章から幕間カットでございます。七章で十坂玄斗の物語は終わってるからね、仕方ないね。




>俺玄斗

ヒロイン全スルーしてフラグ叩き折って流れるままに生きてきたどこかの誰かさんをそのままにするとこんな感じ。でも“彼女“にぶち壊されてます。おかげで半端に完成しちゃってるよ! やったね! ちなみに主人公よりは人間くさい。


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妹といっしょ

 

 〝スポットライトのあたる存在じゃない――〟

 

 十坂玄斗である以前に、明透零無であればその意味は自ずと理解する。つまり、日記をつけた玄斗の感化された少女は、()()()()意外の誰かということになる。

 

「つまり、真墨、碧ちゃん、黄泉ちゃん、赤音さん、蒼唯さん、白玖はなしだ」

「おいなんであたしを省いた」

「真墨が人一倍可愛いから」

「ならいいや」

 

 いいのかそれで、と思わなくもない玄斗だった。ちょろすぎる妹の将来が心配である。もちろんそんなコトを言ったところでさきの二の舞になるのは目に見えていた。十坂玄斗、十七にして自分の貞操の守り方を知る。いままで意識すらしていなかったことだった。

 

「で、なにがなしなの?」

「それ以外で、とても困ってる女の子がいるってことだろう。なら、その子をどうにかすればいいんだ」

「そう簡単にいきますかね……」

「僕を誰だと思ってるんだい?」

「童貞インポ野郎」

「ありもしない事実は飢郷くんが困るからやめようね?」

「誰だよ」

 

 俺は現実の女じゃ勃たねえ、と自信満々に言ってのけた友人の姿を思い出す。たんなる女性恐怖症を拗らせてあそこまで行くものかと玄斗は首をかしげたが、あの筋金入りは演技でもなんでもないので仕方ない。人間、得意不得意はあるものである。

 

「まあ、軽く見てるわけでもない。すくなくとも僕が諦めるぐらいには酷いってことになる。要するに、壱ノ瀬白玖よりずっとなわけだ」

「壱ノ瀬先輩ってそんな暗い過去ある?」

「どうして白玖がこっちの家でひとり暮らししてるか、考えたことない?」

「……あー、いや、いい。なんとなくそれで分かった。ごめん」

 

 やはり十坂真墨は頭の回転が早い。それだけのヒントで理解できるのは真実よく考えている証拠だろう。むかしどこかで、女子高生だから女子高生やってる奴は頭悪いけど女子高生だから女子高生演じてるやつはめちゃくちゃ頭が良いのでは、という話を聞いたことがあった。おもに高校一年の頃、とある女子全般が苦手な男子から。

 

「……白玖もさ、辛いこと、いっぱいあったんだ。でも前を向いてる。僕だって、ちょっとは向けるようになった。なら、どうにもならないなんてコトもないだろう?」

「……あたし、そういうお兄の昔と変わったところ、好きだよ」

「僕もそういう真墨の素直なところは、好きかな」

「そっか……」

「うん。……だから無言でズボンのジッパーを下ろすのはやめようね?」

「ちっ」

 

 まったくもって油断も隙もない。真墨の手をべしっと叩きながらチャックを元に戻す。彼女の腕ならそれこそ気付かれずにできそうなものだが、あえてしないのは暗い雰囲気をそのままにしないためだろう。できた妹である。できすぎて、若干玄斗からして怖くもあるのが欠点だった。

 

「……正直さ、そんなにしたいの?」

「いやいや、あたしがそんな性欲だけに塗れた女子に見える?」

「そうだよね、真墨だって節度は――」

「めちゃくちゃしたいに決まってんじゃん」

「――――…………そっかあ……」

 

 玄斗の目が遠くなった。こう見えて初恋の初彼女である白玖とはエッチはおろかキスすらまだの純情少年である。ちなみにファーストキスは蒼唯に奪われて、初ベッドイン(未遂)は碧に奪われた。もはやそういう運命なのかと世界を呪いかける始末である。

 

「いや、まあ、普段はこう、自分で歯止めがきくんだけどさ」

「あ、効くんだ……」

「当たり前でしょ。なんだけど、うん……さっき、その、したじゃん?」

「…………ああ」

 

 風呂場での事件を思い出して玄斗はさらに視線を遠くへやった。意識すらぶっ飛びそうな勢いである。なんとなく、原因を察してしまって申し訳ない。すべてはタイミングの問題であったのだと、このとき彼は初めて知った。

 

「そっからやばい。お兄見てるともうやばいの。発散しないとやばいの。ぱないの」

「言わなくていいから……明言はしなくていいから……」

「もう下の方が」

「言わなくていいって言ってる!!!!」

「言わなきゃわかんないじゃん!!!!」

「分かるから!」

「なにが!?」

「言わせないで!?」

「じゃあ言うよ!」

「やめて!」

 

 下手をすると年齢制限に引っ掛かる可能性が無きにしも非ずだった。うちの妹は闇が深い。本日何度目かになる再認識である。ちなみに性欲に関しては実際十坂玄斗もとい明透零無も人のコトは言えたようなものでもなかったりする。絶倫黒髪男。いまの彼はそういう立ち位置にいると言っても良い。

 

「……じゃあ、満足したら良いの?」

「え、満足させてくれるの?」

「……目、瞑って」

「…………うん」

 

 そっと、ちいさく頷きながら真墨は瞳を閉じた。こうして見ると、家族とは思えないぐらいの可愛さがある。素材は最上級だ。それこそ、口を開かなければいまの玄斗なら見惚れてしまいそうな美しさがある。中身というのは人間を構成するうえで重要なんだな、と彼は心底実感した。

 

「――――ん」

「っ……」

 

 そっと、前髪をかきあげながら額に口付けた。マウストゥーマウスは精神衛生上の関係からできない。鳴らす気もなかったリップ音が響くと、真墨はちいさく肩を震わせながらゆるゆると瞼を持ち上げていた。おでこに当てていた手をそのまま頭の頂点まで持っていって、優しく撫でる。

 

「……ありがとう、真墨。言っておくけど、これは、真墨だから特別に、だからね」

「――――――、」

 

 そして、照れながらそんなコトを言う。玄斗からしてみれば、戻ってきてくれて、目の前でそうであると証明してくれて、なにより頼りになってくれた素敵な妹へのプレゼント。対して、彼女の視点から見てみるとどうか。呆然と玄斗の瞳を見つめながら、真墨は――躊躇なく彼の体を押し倒した。

 

「え?」

「――ごめん、お兄。それ、逆効果」

「え、え? ちょっ、まっ……」

「むしろ、燃えてきたっていうか……我慢、できなくなった。だって、さ……お兄が、悪いんだよ……」

「ま、真墨? あの、ま、待って。ごめん。謝るから、だから、その――」

「好きだよ、お兄」

 

 およそ九十ヒットは喰らった。なんとか逃げ切れたのはそのあたり。妹との二度目のディープキスは、技術の進歩に脳を溶かされそうだったと後に彼は語る。おそらく白玖には一生話せない内容だった。発情した妹を部屋から追い出して、玄斗は涙で枕を濡らすのだった。……ちなみに真墨は違うもので枕を濡らしていたのだが、それはまた別の話。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 思い出がなくとも、想い人と過ごす時間は有限で、大事で、大切で、なにより幸せだ。そんな思わず頬が緩むぐらいの登校時間。残念なことに隣町まで電車で通う白玖とは駅で別れ、絶賛学校まで徒歩で向かっている最中である彼の横には――当然のような様子で真墨がいた。

 

「~♪ ~♪」

「…………真墨」

「なになにー? どしたのお兄」

「みんな、見てるけど」

「そだねー」

 

 いつぞやのカーリング女子を彷彿とさせる台詞も音符が乗りそうな勢いだった。るんるんと幸福オーラを撒き散らしながら、真墨はぎゅっと玄斗の右腕に掴まっている。その様子を眺めるのは大勢の女子、女子、女子。おそらく飢郷某なら魂が消し飛んでいる。そんな地獄の最中だった。

 

「ねえ、なにあの子」

「か、会長の腕に抱きつくなんて……!」

「妹ちゃんじゃないの?」

「たぶん……」

「でも、あのふたりそんなに仲良かったっけ……?」

 

 十坂兄妹不仲説はどうやら校内でも周知の事実だったらしい。不審な様子で観察されるというのは妙に居心地が悪かった。なにぶん変わる前から学校での接触は最低限にまでしていた妹である。今になってなにを、というのが玄斗の本音だった。

 

「……いいの? あれだけ、学校では避けてたのに」

「いいのっ。いまは、理由が違うから」

「理由……?」

「前までは、お兄と距離を置いてお兄に引っ付こうとする虫を追い払ってた。めんどいから。いまは、お兄をあたしのものって主張してる。そっちのほうが、都合が良いし」

「どういう風に……?」

「まずあたしがお兄と引っ付ける。最高」

 

 むぎゅっとより強く腕を抱く真墨に、玄斗はため息をつきながら苦笑した。

 

「……当たってるよ」

「あててんの♡」

「85」

「ッ!?」

 

 言った瞬間、しゅばっと真墨が飛び退いた。玄斗が取れる最終手段である。前世知識のこれ以上ない有効活用とも言えた。

 

「て、てめえお兄! セクハラ! えっち! 結婚しろぉ!」

「往来だよ、真墨」

「いや待て! まじで待て!? なんで分かった!? 言え!」

 

 真墨の問いかけを無視して、昇降口まで向かう。今日も天気はとても晴れ晴れとしていた。




  
>85

ちなみに白玖は79、先輩が88、零奈が83。


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シスターズノイズ

 

「はい、お兄。あーん」

「自分で食べられるよ」

「あーん」

「真墨、僕は自分で」

「あーん♪」

「…………、」

「あーーーん♪」

「……もう」

 

 ぱくっ、と真墨の差し出した唐揚げを頬張る。美味しい。が、羞恥心というものが凄まじかった。赤くなる玄斗の頬を即座に気付いてにやけながら、お次は卵焼きだと真墨が狙いを定める。……昼休みの、生徒会室だった。

 

「……なあ、木下。俺たちはなにを見ているんでせうか?」

「兄妹の甘い昼食だろ。甘すぎて買ってきたカフェオレが苦いんだが」

「木下。それブラック。あんたバカァ?」

「そういうおまえはどうして生徒会室の隅っこでダンボールに隠れてやがる。ビッグボス」

 

 ガサゴソと大きめの段ボール箱を被る友人を、鷹仁は文字通りゴミを見るような目で見た。スニーキングにしては不出来すぎる。そも、その理由が情けないあたりになんともこの男の本質を垣間見たような気がした。飢郷逢緒。諸事情につき女性は苦手である。

 

「友達の妹だって敵だ。それがブラコンでも敵だ。いいか、女は敵だ。ああでも美人なちゃんねーとラブラブチュッチュしたい……!」

「できねえだろ」

「言えてる。ははは、ウケるー! ……いやウケねえわ」

「ひとりラノベ劇場できるんじゃねえのおまえ」

「それ以上言うなー! やめろー!」

「それはひとり特撮劇場だクソ特撮厨」

 

 ガタゴトとダンボールのなかでひとりアイガッタビリィーをはじめた生徒会書記。頼りがいがないくせにこう見えて仕事熱心なのだから切り捨てるのも惜しかった。やれと言われたことはやる男、それが飢郷逢緒である。なお見た目がだんだんと女子ウケするチャラいものから地味目に変わってきていた。本人の努力の賜物である。

 

「つーかマジでおまえ元に戻ったな。すこしは残ってた華もねえぞ。いいのかそれで」

「俺の心の安寧と引き換えにすればモーマンタイだ。笑えよ」

「はっ」

「いまだれか俺を笑ったか……?」

「失礼いたしますっ!」

 

 がらっ、と勢いよく扉が開いた。見れば、長い黒髪を揺らしながらひとりの少女が立っていた。どこか茶色の混じったそれは、鷹仁はもちろん玄斗をして全体的なものに覚えがあった。ちょうど、どこかの隅っこのはじっこで弁当をつまんでいる誰かさん的に。

 

「兄さん!」

「うおッ!? あ、揚羽(アゲハ)……?」

「いたっ! もう! どうしてそんなところに隠れているんですか!」

「い、いや……お兄ちゃんちょっとお腹の調子が……ね……?」

「えっ、大丈夫ですか? 保健室行きますか!? 病院の予約は……あと、それから……ええと……ぽ、ぽんぽんさすりましょうか!?」

「揚羽、揚羽。ここ生徒会室だからそういう家ノリやめようね?」

 

 うんうん、とうなずきながら後じさる逢緒。このとき、鷹仁と玄斗の心境は一致した。

 

「「(あれがフェ○未遂妹……)」」

 

 男ふたり、考える方向は同じである。

 

「あ、飢郷さんじゃん。……ん? 飢郷……生徒会は……ああ。ねえお兄。もしかしてあれが童貞インポ野郎先輩?」

「ふぐっ」

「兄さんッ!?」

「ごめん真墨、その件は本当に僕が悪いから勘弁してあげて……」

 

 玄斗から渾身のお願いだった。冗談交じりで話した友人の渾名がとんでもクリティカルダメージを叩き出している。無慈悲だ。無慈悲すぎてお慈悲がもらいたくなる。胸を押さえて飲んでいたトマトジュースを吐血する逢緒は、なんとも顔が青ざめていた。

 

「と、十坂ァ……! どうして俺はっ、初見のおまえの妹にこんな……こんな……っ、うえぇ……」

「泣いちゃった……」

「しっかりしてください兄さん! 大丈夫です! 私がついてます!」

「真墨、ほら、謝って」

「いや、なんかその、すいません本当。うちのお兄が」

「えっ」

「え?」

 

 きょとんと顔を見合わせる十坂兄妹。そんな呑気なふたりに激昂したのが、状況を静観していた鷹仁――ではなく、逢緒の側でよしよしと背中をさすっていた飢郷揚羽だった。

 

「――真墨さん……! あなた、口の利き方というものを知らないのかしら……!?」

「うっわ、面倒な人怒らせちゃった」

「もう我慢なりません! まったく、兄も兄なら妹も大概ですね……!」

「――あ゛?」

 

 とんでもなく低い声だった。ドスの効いた良い声である。効きすぎて、隣の玄斗の肩も自然と跳ねる勢いだった。真墨の瞳に、若干人でも殺せそうな翳りがある。

 

「あー……あのさあ。別に、あたしのことなんと言おうが飢郷さんの勝手だけどさ……うちのお兄になんか言ってみな? 二度と立てなくしてやる」

「ハッ――威勢だけはご立派ですね。ではこちらも忠告しましょう。……次、兄さんを童貞インポメンタルクソザコ豆腐野郎なんて言ってみなさい。東京湾に沈めますよ」

「揚羽さん? 十坂の妹ちゃんそこまで言ってないんすけど……?」

「黙っててください童貞インポメンタルクソザコ豆腐トラウマ女々しくて金玉役立たず野郎の兄さん!」

「やだ、死にたい……!」

 

 顔をおおってうずくまる逢緒へ、玄斗はぽんと肩に手を置いて慰めた。ちょっとだけ真剣な顔をしている。

 

「飢郷くん。死にたいなんて言っちゃ駄目だ」

「十坂……」

「きっと、飢郷くんに生きていてほしいって人がいるよ。いないなら僕がそう思う」

「…………俺、はじめて、十坂に惚れかけた」

「ごめん僕はノンケだから……」

「冗談に決まってんだろ」

 

 ピシガシグッグ、と腕を組み合う男子ふたり。なんとも仲がよろしいコトである。男なんてそんなもんで、一日二日もあれば馬鹿をやるぐらいに関係というのは良くなるのだ。が、肝心のシスターズはそうもいかないようで。

 

「殺す……!」

「潰す……!」

「……怖いなぁ、こいつらの妹」

 

 どちらも若干のシスコンと凄まじいブラコンという関係なあたり、実は意外と息が合うのではと思わないでもない鷹仁だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「――兄さん」

「おう?」

 

 そろそろ予鈴も鳴ってきた頃合いで、生徒会昼の会議(という名目の昼飯団)は解散と相成った。そんな教室までの帰り道。呼ばれた逢緒はくるりとふり向いて、妹に向かってにこりと笑う。

 

「どうした揚羽。お腹空いたか?」

「さっき食べたばっかりですが。……腕、見せてください」

「なんのことですかね……?」

「いいから」

「…………へいへい」

 

 言われるがまま、ぶらぶらと揺らして彼は右腕を差し出す。まったくもって恐ろしいものだと、苦笑しながらそんな感想を浮かべる。家族というのは不思議だ。なんでこうして隠し通していることまで見抜かれるのか、そのあたり逢緒にはさっぱり分からない。

 

「……また出てる」

「いやあ、気にすることでもないからね? 日常茶飯事だし朝飯前だし。まあ、じんましんぐらいは、多少はね?」

「気にします! ……だって、兄さん……」

「――っ、あー、もう、良いから」

 

 さっさと袖を戻しながら、逢緒が踵を返して歩いていく。揚羽もそれを追うように付いていく。度を超した女性恐怖症。拗らせた、というのは間違っていない。ただ、それが余程のものだから心配している、というのは彼も分かっていた。救いなのは、なんとか妹だけは大丈夫な範囲内におさめられているコトである。

 

「大丈夫だよ。お兄ちゃんはへいきへっちゃらだ。こう見えて元気ハツラツオロナミンVだからな!」

「……明日、インフルエンザの予防接種ですね」

「やめて。……嫌なこと思い出させないで……やだよ注射……こわいよ……」

「……駄目じゃないですか」

 

 ガクガクと震え始めた兄の背中をよしよしとさすりながら、ふたりは廊下を歩いて行く。おちゃらけて、ふざけて、どれだけ隠しても知っている。女性が苦手で、注射が嫌いで、いまだに通院なんか続けていて、それでありながら人並みに異性に対する興味関心がある。そんな兄のコトを、誰よりも、彼女は分かっている。

 

『ひぃっ! ……ぃ、や……ぁ、ああ……っ! うあぁ……!!』

 

 もう二度と、あんなコトにならないためにも。兄は、私が守らなければいけないのだ。





>女性恐怖症
男キャラを書くときに没個性で薄味にしちゃうくせがあるので今回は気持ち濃いめにしました。いまコレで一本書くとしたらこうしちゃうなあってのを詰め込んでる。普段はおちゃらけてる奴が本当の本気で闇が深いの良いよね……

>飢郷妹
本編攻略不能キャラ。真墨とは相性が悪い。向いている方向は同じ。同族嫌悪である。ちなみに74


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第九章 深緑にあっても紫水晶
学生の本分は


 

『どうして間違えるの!?』

 

 ――テスト中、そんな雑念が混じった。ひとつ小さく息を吐く。心音は正常だ。脈拍ともに異常なし。ただ、心のどこかで大事なソレが揺れただけ。

 

『なんで!?』

『どうして!?』

『こんなこともできないの!?』

 

 カリ、と一瞬だけペンが止まった。もう一度、息を吐く。……そっと視線をあげると、見慣れた男子の背中が見えた。いつもどおりに堂々と、なにを思っているのか分からない様子で答案用紙にペンを走らせている。いつも、いつも。追いかけてきた大きな背中。

 

「(――今度こそ)」

 

 止まったペンを動かして、目の前の問題を解いていく。時間は有限。失敗は許されない。間違えるのはきっと悪で、できないのは罪である。そう教えられて生きてきた。だから、私のなかの信念はたぶんそこ。たとえ違うとしても、そこにあるのだと思わなくてはならない。

 

「(今度こそ……)」

 

 テストは続く。時間は過ぎる。問題が解き終わって、チャイムが鳴って、束の間の休息の後にまた問題を解く。二学期はじめの期首考査。夏休み明けで浮かれていたり、近くに迫った体育祭に気合いを入れていたりする生徒は眼中にもない。目指しているのは、それらの雑草を踏みしめたもっと先。

 

「(今度こそ――)」

 

 あの背中に追い付いて見せると、私はひとり頑張っていたのだ。……本当に、たったひとり。誰よりも、なによりも。頑張って、頑張って、頑張って――

 

〝…………ああ〟

 

 望んでいた結果を得て、落胆した。なにを勘違いしていたのだろうと。たったひとり。そのとおり。頑張っていたのは自分だけで、その成果が返ってきただけで、他はなにも関係ない。ずっとその座を守り通して、固執しているモノがあるかと思っていたのだろうか。そんなモノ、彼にとってある筈もないだろうに。

 

「あれ? 十坂二位? めっずらしーじゃん」

「俺だってそんなときはあるよ。それより、広那さん知らないか?」

「おまえいつもそれだよなー……」

 

 本当に、なにを、勘違いしていたのだろう。玉座にすわって見えた景色は、地平線の向こうまで紫色に染まっていて。とても、綺麗とは言い難かった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「これで序列がハッキリしたな」

「ぐぬぬ……」

「…………、」

 

 どや顔で扇子をあおぐ鷹仁を、逢緒が文字通り歯ぎしりしながら睨みつける。事の発端は先日に起きたちょっとしたイベント。二学期に入って二度目の――玄斗たちにとっては初めての試験となる中間考査だった。

 

「ほらほら、どうだ見たか第七位? これが四位の実力だよ」

「うるせえちくしょう……ここが学園都市ならマジ四位とか四位だからな……っ」

「…………、」

 

 ちなみに今回一位である生徒会長はなんだか肩身が狭そうに縮こまっている。成績表を確認したかぎりでは前回の学期はじめの試験で二位だったようなので、無事首席の座を取り返したコトになるのだが――

 

「(勉強できない僕とかカレーのないルーじゃないか……? いや落ち着け。日本語がおかしい。それを言うならルーのあるカレーだ。……それって普通にカレーなんじゃ……?)」

 

 十坂玄斗、わりと他人のような自分とは言え一位から陥落した事実を気にしていた。頭の回転が悪いだけに勉強ができるというのは数少ないアイデンティティだったらしい。もっともそのあたりを気にしているのは当の本人だけである。

 

「玄斗、俺、てめえだ。跪け第七位」

「くっそ……! 七位だなんだと馬鹿にしやがって……! ラッキーセブンだぞ! セブンセンシズだぞ! すごいパーンチだぞ! 根性っ!」

「ああ? 聞こえねえなあ第七位(・・・)?」

「鷹仁、それぐらいに……」

「おう、すまねえボス。ちょっとやりすぎた」

「うちの生徒会ってマフィアかなにか?」

 

 ちなみに学年別ではなく累計での順位である。七位というのは正直玄斗から見ても高いものだと思うのだが、如何せん逢緒の身近に居るのは学年四位と学年首席である。学力の高さは平均して高い男どもだった。なお三人とも提出物をきちんと出す割合は低い。玄斗は天然で、のこりふたりはおもに面倒くさがってだった。

 

「こんちゃーす。お兄、かわいい妹が会いに来たよー」

「っ」

「あ、真墨」

 

 玄斗が反応するよりも先に逢緒が動いていた。がばっと机の下に隠れてさらにまた椅子の下へ潜り込む。完璧なまでにスムーズなスニーキング技術だった。スムーズすぎてむしろ真墨に目を付けられている。

 

「童貞インポ先輩今日も元気だね」

「アーウン元気ダヨ十坂妹チャン」

「お兄、お兄。このひとやばいよ」

「分かってるからそっとしておいてあげて」

「十坂ァ!」

 

 ガタガタと椅子を震わせる第七位。女性恐怖症特有の弱さが見えていた。飢郷逢緒十七歳。依然として妹以外の異性に対してはことごとく駄目だった。

 

「ちなみに真墨は成績どうだった?」

「中間?」

「そう」

「え、もちろん一位だけど」

「うわ、なんだこの兄妹……」

 

 十坂家はどんな英才教育施してるんだ、と鷹仁がドン引きしている。実際なんにもしていないのだから何とも言えなかった。玄斗はちょっとしたズルがあって、真墨は単純に頭が良いだけである。入院生活でゲームを除けば勉強ぐらいしかするコトのなかった日常は、いまになって思うとタメになっているとも言えた。

 

「おそろいだねー、お兄。どうする? 今日一緒にお風呂入る?」

「入らないから。背中なら流してあげるから」

「やったー♪」

「…………え? 冗談だよね……?」

「ふんふふーん♪」

「え……? え…………!?」

 

 困惑する玄斗を余所に、真墨は鼻唄を歌いながら適当なパイプ椅子を引っ張り出して腰掛けた。冗談のつもりが本気で受け取られているどころか確定までしている。こんな理不尽があっていいものか。戸惑う彼の肩をポンと優しく叩いたのは、あろうことか女性恐怖症の親友だった。同じ妹を持つ者同士、分かり合える部分があった。

 

「諦メロン、十坂」

「飢郷くん……」

「妹より優れた兄などいねえ。さすおになんて所詮はラノベのなかだけなんだよ……!」

「くっ……!」

「どうでもいいけどよ、部外者が勝手に立ち入ってるのは良いのか会長」

「まあ真墨だし……」

 

 あ、十分こいつもシスコンだ。そう鷹仁が認識した瞬間だった。おそらくは押しに押されて帰宅後は背中を流すハメになるであろう友人に彼は黙祷した。ワンチャンその隙を突いて押し倒されそうな可能性にもっと祈りを捧げた。どうか幸せであるように、との願いを込めて。

 

「失礼します。……む」

「お」

「あ」

「うん?」

 

 と、次にがらりと扉を開けて入ってきたのは紫髪の少女だった。鷹仁にとってはよく見覚えのある。玄斗にとっては何度か見かけた程度の。逢緒にとってはほぼほぼ初対面に近い関係になる生徒会会計担当。

 

「紫水さん」

「……ずいぶんと賑やかですね、会長」

「まあ、すこしね……」

「(……相変わらずかたい女だコト……)」

 

 はあ、と隠しもせず鷹仁はため息をついた。こういう場のノリや空気を読むということに関して、彼の知る生徒会――つまり赤音主導によるメンバー全員――では得手不得手もないほどに絶望的だった。真面目できっちりとした会計。物静かで優雅に紅茶をたしなむ庶務。毎日仕事に追われ続けの愛想が悪い書記。そしてこうと決めたら突っ走る暴走機関車もかくやな生徒会長である。そのうちのひとりが目の前の少女だ。自然、嫌でもその空気を思い出す。

 

「そういえば紫水さんは、今回の成績どうだった?」

「…………二位です」

「へえ」

 

 凄いね、なんて玄斗は素直に称賛した。自分の順位なんて気にした様子もなく。なにせ十坂玄斗は明透零無の分がある。その量だけズルをしているも同然だ。なので、一位だとしても威張れるようなものでもない。そう思ってのコトである。

 

「会長は、一位でしたね」

「あー、うん。そうだね。まあ、良かったには良かった。いちおう学生なんだし、成績ぐらいは気にしないとね」

「…………そう、ですか」

 

 スタスタと横を通り抜けて、紫水六花は机に鞄を置きながら椅子を引いた。アメジストのように輝く髪がふわりと揺れて顔を隠している。だから誰も気付かない。玄斗も、鷹仁も、逢緒も、ましてや真墨でさえそれは見えていない。ほんのすこし、つよく、少女が握ったちいさな拳を。――誰も、見るコトはなかったのだ。





これ何章までやるんだろうって気が遠くなる。七章でやめとくべきだったねクォレワ……


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地雷を踏むのには定評があります

 

『十坂玄斗。同じ学年……だっけ』

『……はい』

『そっか。じゃあ、タメでも良いのかな。よろしく、紫水さん』

『よろしくお願いします。十坂くん』

 

 初対面の印象はそんなもの。ありふれた誰かのひとりで、気にもとめないモノだった。どれだけ周りが騒いでも、彼女にとっては同じコト。どんな魔法を使ったのか瞬く間に学校中の女子から人気を博した彼も、大して変わりはなかった。

 

〝なんて、馬鹿らしい――〟

 

 そうやって見下していたのを覚えている。心の奥底で、なにをそんなと鼻で笑っていた。顔が良い、気遣いが上手い、他人のことを大事にしている。それがどうしたと、きゃーきゃー騒ぐ女子を冷めた目で見ていた。けれど、衝撃的な事実を突きつけられたのはその直後。新入生テストの順位発表にて、一番上に載っていた名前は自分――ではなく。

 

「すごい! 十坂くん一位!」

「うわっ、しかも点数高ぇ! なにやってたんだおまえ!?」

「ほぇー……頭も良いんだ……」

「……名前が出るって、妙に複雑だな。これ」

「なに言ってんだよ学年首席が!」

 

 どん、とチャラい男子に突かれている少年を見る。ふざけているのでも、頭が空っぽなわけでもない。近寄ってくる女子がすこし多いだけで、本人は至って真面目なのだろう。でなければあんな――二位の彼女を大幅に引き離した点数をたたき出せるワケがないと。

 

「なんかコツとかあんのか? 勉強の」

「別にないけど。強いて言うなら内緒」

「えー! なんだよー! けちくせえなあ!」

「内緒だ。こればっかりは言えないし」

 

 頭ひとつ抜きん出て一位。その下は、五や多くても十程度しか違わない大接戦の有り様だった。手を伸ばしても届かない星、というのはああいう感覚を言うのだろう。彼女はたしかに、その星の輝きを垣間見た。つまるところ。紫水六花にとって十坂玄斗という少年は、まったくもって届きそうもない星だったのだ。

 

「――って、おい。もう良いのかよ十坂」

「良いも何も、誘ったのは逢緒くんで、俺は最初から興味ないって言ったし。無理に連れてきたのはそっちだろうに」

「それもそうか。でも一位で嬉しいだろ? 実は」

「……いや、とくに」

「またまたぁ~、にやけてるぞー十坂」

「……、」

「いやいきなり真顔になんなよ……」

 

 だから。その背中を追いかけて。掴めそうなほど近くまで来て。そこへ手を伸ばしたというのに。――なのに、なにも、ない。

 

『どうしてできないの?』

 

 できたのだ。やったのだ。紫水六花は事実そうした。嫌になるぐらい努力を重ねて、ずっとずっと頑張ってきて、耐えてきて、ついぞ届かせたのに。そこがどれほど無意味な場所で、それまでの努力がどれほど無駄だったのかが分かった瞬間。きっと、心は折れかけた。

 

『……そう。よくやったわね、六花。次はもっと頑張りなさい』

 

 折れかけたのに、そんな声をかけられる。もうこれ以上なんてないのに、これ以上と望まれる。まるで悪夢だ。でなければ、覚めない夢を見続けている。本当に欲しかったものがなんなのかも、望んでいた答えがなんだったのかも分からないまま。意味さえ失ってしまえばなにもない。

 

「ああ、紫水さん。今回は一位だったね。おめでとう。次も頑張ろうね」

『俺だってそんなときはあるよ。それより――』

 

 その空虚さを知ってしまったあとでは、そんな言葉すらなにも響かない。

 

 〝――ああ、どうして――〟

 

 ずっと、追い続けていたのに。その背中を眺め続けていたのに。それに追い付きたいと、いつかは並びたいとさえ思っていたのに。そんな夢はもう、二度と見られない。だって、もう辿り着いてしまったから。一度、その場に立ってしまったから。それで手に入らなかった。ならばどうすれば良いのだろう。分からない、分からない。だって、だって、だって――

 

 

 ◇◆◇

 

 

 文化祭が一か月後にまで迫っていた。出し物や演目すら決めていない状態に危機感を覚えた玄斗は、そろそろ本腰をという形で生徒会を主軸に動きをはじめさせた。まずは実行委員会の結成、および各クラスからのメンバー募集である。生徒会三大巨頭の人気もあいまって、立候補者は非常に多いらしかった。なお、その生徒をざっと見てふるいにかけるのが我が校の誇る親の七光りである。

 

「任せろ玄斗。こういうのは得意だ。昔から陰険な争いは好物でな。仕事もしねえようなゴミどもは全員排水溝にぶち込んでやるよ……!」

「ハァイ、ジョージィ。生徒会はいいぞぉ……」

「そんなこと言って僕を会長に据える気だろう。騙されんぞ」

「おまえらはもっと真面目にやれ?」

 

 なんてやり取りをしたのが二日前。本日は快晴につき校外活動である。早速といった形で玄斗が取ったのは、隣町の有名な学校――私立筆が丘女学院へのアポイントメントである。狙いは諸々の事情を知っていれば丸分かりだった。

 

「いい天気だね」

「そうですね」

「…………、」

「…………、」

 

 そんな道すがら、投げかけて会話をばっさりと切り捨てられながら「なんだかなあ」と玄斗は空を見上げる。ひとりではアレだからと同行を申し込めば、生徒会男子勢は軒並み忙しさで絶望的。他の男子は色んな意味で危ないので却下。女子に頼もうにしても、彼が精神的気軽に誘える相手からの答えは――

 

「え? あ、ご、ごめん会長! ちょっと今日は、あたし、急用があるかなーって……」

「先輩と他校に? どうして私が行かないといけないんですか?」

「あんたと行くなら蒼唯と行くわ。ほらほら、さっさと散った。あと蒼唯に手を出したらぶっ飛ばすから」

「なぜあなたとふたりで行かないといけないの? それなら赤音と一緒に居た方が……ああ。ちなみに、彼女に変なことをしたら、一生後悔させてあげるから」

「うーん……じゃあ、一緒に寝てくれたらいいよ。あ、もちろん変なことはしないからね? 絶対しないから! いや本当しないっすよ疑り深いなあお兄は……まあ私からはしないってコトだけど

 

 最後はともかく四人揃って撃沈である。この世界の十坂玄斗はよっぽど原作ヒロインの琴線に引っ掛からない生き方をしていたらしい。ベースは同じ人間なのだからそう変わらないのだろうが、一体どのあたりが違いとなっているのか。そこら辺を現実逃避気味に考えてみたが、玄斗にはさっぱり分からなかった。

 

「…………、」

「……紫水さん」

「なんですか」

「もしかして、機嫌悪い?」

「いえ」

 

 そんなこんなで、筆が丘女学院への交渉パートナーは彼女――紫水六花である。背中まで届く長い三つ編みに、紫色の髪と瞳が特徴的な生徒会会計担当。普段は眼鏡をかけているあたり、肉眼での視力はそこまでないらしい。時折外しているときに声をかけて睨まれるのはそのせいだと思いたい玄斗である。実際かけている間は睨まれたことがないので、そのとおりではあるのだが。

 

「……行事ごとが、あまり好きではないので」

「へえ、意外だ」

「学生の本分は勉強です。すくなくとも、私はそう思います」

「……だから、勉強さえしていればいい……とか?」

「それは極論でしょう。けれど、たまに思います」

 

 否定しないどころか肯定する勢いに、なかなかの勉強マニアだと玄斗は苦笑した。勉強ができても得するコトはひとつふたつあるかないか程度だ。それがすべてというワケでもない。玄斗に関しては本当に勉強ができる()()というのがその謙虚さに拍車をかけている。

 

「……勉強もいいけど、もったいないよ。それだけだと」

「それ以外を知りませんから」

「……なら尚更だよ。たまには、息を抜いてみるのも良いんじゃない?」

「…………、」

 

 ぴたり、と六花が足を止める。優等生、という言葉がよく似合う少女だ。それこそ玄斗以上に真面目でしっかりしている。イメージというべきか、印象は元の彼女ともそんなに変わらない。ともすれば蒼唯以上のクールさ。とても知的で、取り乱した様子を見たことがない少女。

 

「――あなたには分からないでしょう。私の気持ちなんて」

「……紫水さん?」

「……それだけです。無駄話でした。はやく行きましょう」

「……、」

 

 ふり向きながら言われた一言に、玄斗は目を細くしながらスイッチをいれた。ぐるぐると足りない頭を回していく。考えていられるのは生きている証拠だ。生きている以上、考えないという選択肢はない。分からないといったその意味を、そのままで流していいはずがない。

 

「(いや……なにをしてるんだ、〝俺〟って人間は――)」

 

 残念なことに、いまの十坂玄斗はそれを無視できるような鈍感さは持っていなかった。





僕玄斗→幸せを掴んだまっとうな正当進化系。心の強度はオリハルコンを超えてる。

俺玄斗→壊れた心が歪に歪んで衝撃に曲がった結果の分岐進化。心の強度は壊れても気にならないという意味でボロボロの粘土。それに針金ぶっさしてギリギリ人型保ってるよって感じ。


ちなみに基本俺玄斗くんの考えって「正直彼女以外はどうでもいい」なので他ルートはよそ見もしていなかったりします。


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筆が丘女学院

 

「――そんなわけで、調色高校生徒会長の十坂玄斗です。よろしく」

「…………、」

 

 ひく、と目の前で笑う白玖の表情が引き攣っていた。私立筆が丘女学院。玄斗たちの通う調色高校からすこし離れた隣町にあるお嬢様学校に、わざわざどうして彼が足を運んでいたのかなんて考えるまでもなく。

 

「良い機会です、壱ノ瀬さん。これもまた、ご縁かもしれないということで」

「あはは……そう……ですね……」

 

 隣で微笑む女性教諭の言葉に、彼女は愛想笑いで返した。ひく、ひく、と依然頬がひくついている。もちろん理由は明白。なんの相談もなく、なんの事前情報もなく、唐突に表から――しかも今度はしっかりアポをとって――白玖の目の前に現れたこの男が原因だった。

 

「……筆が丘女学院、生徒会、会長……壱ノ瀬白玖……です」

「うん。よろしく、壱ノ瀬さん」

 

 握手をする玄斗の顔は、いかにも、といったモノだった。まだ会って一月も経っていない白玖でさえ分かる嬉しそうな笑顔である。こっちがこれだけ感情を振り回されているのに、向こうだけしっかり把握して納得して幸福に包まれている。なんだか無性に腹が立った。ぎゅっと強く握り返すと、玄斗は不思議そうに白玖を見つめ返す。

 

「(……よくわかんないけど、あったかいなあ。白玖)」

「(うわ、コレぜんぜん伝わってない……!)」

 

 意外なことにパーフェクトコミュニケーションだった。生来の時点で相性が良いのか悪いのか、不思議なコトに分かってしまう自分がなんだか嫌だと白玖は複雑な気分である。対して玄斗は相変わらず幸福感を抱きながらゆるりと微笑むのみ。こちらもこちらで相変わらずなのがなんともらしい。

 

「ちょうど時期も同じぐらいみたいだし。頑張ろうね、()()()()()

「……共学のトコと一緒に文化祭……なんでよりにもよって私の代に……」

「嫌だった?」

「あっ、ええと、嫌、というわけではなくてっ! あのあの、ええと……その……あ、あはは。あはははは……!」

「?」

 

 シンプルに言うならば嫌というより面倒くさいのである。もっと言えばしんどい。これでもしっかり一学校の生徒会長として、考えるコトは考えている彼女だ。色々と対策や取り決めなど、やらなくてはいけないことが倍以上に増える。その仕事量に思わずくらっとしてしまうのは、まあ、役職的に仕方ないコトなのだろう。

 

「と、とにかく、こちらも引き受けたからには全力で。……やりたいと、思いますから。その、十坂さんも……」

「うん。手は抜かないし、抜く気もないよ。最高の文化祭にしよう」

……そういうこと素で言えちゃうのが怖いよ……

「言うのはタダだから。やろうと思えば、できないことは少ないし」

「――――…………、」

 

 本当に怖いのがそこだと、白玖はちいさくため息をついた。何事も割り切るというのが肝心でもある。が、目の前の少年はそれが苦手な部類に入るであろうことが丸分かりだった。ふざけた声音も態度もなく、ただ真っ当にそんな言葉を吐ける。彼みたいな人間が、いったいどれほど居るものか。

 

「……本気なんですね、十坂さん」

「そりゃあ、他校を巻き込んでるし。下手な真似はできないよ?」

「……うちだってどうせ軽いノリで受けたんです。ここだけの話、生徒数も減ってますし良い機会だと思ってるんですよ。なので、そこまで気を張らなくていいです」

「壱ノ瀬さん」

「はい、すいません」

 

 ごほん、と側に立っていた女性教諭の咳払いで白玖が姿勢を正す。その光景に、思わず玄斗はクスリと笑った。どこまでいっても彼女は彼女である。やはりダメ元でも持ちかけて正解だったと、ひそかに内心で胸をなで下ろす。

 

「……なら、ひとまず校舎を見ても良いですか? ちょっと、見学みたいな感じで」

「ええ、大丈夫ですよ」

「……とのことなので、はい。私が案内しますよーっと

「……おお」

 

 それはなんともありがたい、と玄斗は頬を緩めながら答える。教師の手前、白玖と一緒に歩けるのは良いなとは言わなかった。ぐっと堪えた。とてつもなく言いたかったが必死で堪えた。やはり日常生活でのハクニウムに十坂玄斗は飢えている。

 

「じゃあ、行きましょうか。えっと、十坂さんと……」

「――申し遅れました。紫水六花です。調色高校生徒会、会計をつとめさせていただいてます」

「あ、うん。よろしくね、紫水さん。とりあえず、四階から」

 

 カツカツと歩き出す白玖の背中を追って、ふたりもその場から立ち去った。見慣れない場所をさも当然といった様子で進む彼女の姿は、玄斗からするとすこし不思議な光景だった。たぶん、それも慣れないのだと勝手に予測する。そこまで外れていない気もして、またひとつ苦笑い。

 

「(まあ、白玖の知らない一面を見れたって思えば、いっか)」

 

 そんな風に切り替えて、まっすぐに前を向いた。天気はいい。とても青々とした空で、スカッとするような晴れ具合だった。だからといって、なんだというワケでもないが。いまの玄斗にはあの空のように、分厚い雲がかかることもないのだろうと。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 知り合いに無視される。とはまた違ってくるのだが、言ってしまえばこちらだけが一方的に知っている。関係性が変化している。そんな相手を誘って、断られるという工程は案外玄斗の心にダメージを負わせていたらしい。気にもしていなかったそこを感じたのは、白玖と一緒に筆が丘女学院の校舎をまわっているときだった。

 

「ここが音楽室で……あっちが美術室です。いまはどっちも部活で使ってますけど……」

「見たら迷惑かな」

「……色んな意味でまあ、苦労はするかと……」

「そっか」

 

 じゃあ遠慮しておく、と言うと白玖はあからさまにほっとしていた。おそらくは女子校という関係上、男子に見られるというのがいけないのだろう。先日の騒ぎも思い出して、むしろ校内なのにこうしてスムーズに移動できていることこそ驚くべきかと玄斗は内心で納得した。時折すれ違う生徒に熱い視線を送られるのは、ただ単に物珍しさだと思いたい。

 

「……今回は先に伝わったので良かったですけど……こういうことこそ十坂さんはきちんと連絡してください。私だって、いつも暇なわけじゃないんですからね?」

「ごめん。今度からは気を付ける。でも、壱ノ瀬さんが生徒会長だなんて知らなかった。学年も同じなのに」

「……成り行きなんです。そもそも、私はそこまでやる気があったわけでも……」

 

 ため息をつきながら肩を落とす白玖だが、その仕事ぶりはたったの数分間同行した彼らでも分かるほどのものだった。いくら玄斗の存在が校内で珍しいものとはいえ、真っ先に声をかけられるのは彼女のほうである。それにひとつずつ返していくのだからずいぶんと生真面目だ。らしさ、と言ってもいいだろう。

 

「でもやってるし、やれてる。それこそ僕なんかよりずっと。それはきっと、とっても凄いことなんだろうなって」

「またそんな……お世辞はいい加減飽きてきましたから」

「いいや、本当のこと。壱ノ瀬さんは凄いよ。すくなくとも僕は、そう思ってる」

「…………耳障りが良すぎます。素直に受け取るのに、困るじゃないですか……」

「そっか」

 

 くすくすと笑う玄斗を、白玖はじっと睨みつけた。彼女にとっては相変わらずな様子。玄斗自身にとってすれば「やっぱりどうしても」なんて感情が先走った状態だ。中身や記憶がどうであれ、繋がりの薄れた想い人を前にして気持ちがあがらないワケがなかった。

 

「うん。だから、きっとうまく行くし、行かせてみせるよ。これでも努力するほうなんだ。一緒にやっていこう、壱ノ瀬さん」

「……分かってます。私だって、こう見えてけっこう頑張るタイプなんですよ?」

「知ってる、なんてね」

「じゃあ、私も十坂さんが努力家だってコト、知ってました」

「なんだい、それ」

「あなたがふっかけたんですっ」

 

 言い合いながら、ゆったりと廊下を歩く。真墨のほうはともかく、色々と世話にもなった彼女たちからおざなりに扱われるのはたしかにくるものがあった。誰ひとりとして軽いも重いも無い。辛いものは辛いだけ。だからこそ、こうして変わっても素直に過ごせるのは良いことなのだと思った。いまはとりあえず、その程度でも構わない。

 

「申し訳ありません。私も居るのですが」

「っ、す、すいません紫水さん……!」

「忘れてたの、白玖?」

「むしろなんであなたは覚えててなんの違和感もなく……!」

 

まあ、十坂玄斗とはそういうものである。






>俺玄斗と僕玄斗の決定的な違いってなーに?

僕玄斗は救いがありましたね。



俺玄斗はここに至るまでの救いがゼロなんですよ。ちなみにどう転がってもこの先も彼自身が救われることはないんですよ。とだけ。


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ガンバリマス

日曜日なのに1話しか更新できなくて本当に申し訳無い。


 彼にとっては幸せで、彼女にとってはまあ、なんとなく良いものだとしても。誰もがそうというワケではないように、誰かの幸せは単純に誰かの不幸である。例えば、仲の良いふたりの後ろをついていた六花とか。

 

「あれ? 壱ノ瀬さん。髪、ちょっと染めたの?」

「えッ」

「あ、いや、勘違いならごめん。なんか、毛先がちょっと黒っぽく見えて」

「……ま、まあ、そうですけど……ちょうどそういう感じに軽くしましたけど……! なんでこういうのに気付くのこの人……」

「あ、やっぱりしてたのか」

 

 納得しながら、さも慣れた手つきで玄斗が白玖の髪に触れた。ちょこんと指をあてるぐらいの優しさである。幼馴染みだった頃の名残だ。白玖相手ではパーソナルスペースが極端になる少年の行動も、ここ数週間で徐々に慣れてきたらしい。ちょっとだけ頬を赤くしているのは、それでもやっぱり距離感がおかしいという彼女の乙女心だった。

 

「……似合って、ませんか……?」

「いや、すごく良いよ。僕としては、とってもその髪色をおしていきたい」

「ええ……そこまで……?」

「うん。そこまで」

 

 にっこりと笑う玄斗に、白玖はさらに顔を赤くしながらそっぽを向いた。事実はどうあれ、男慣れなんてそれこそしていないお嬢様学校の生徒会長が、なんの因果か奇妙な出会いを切欠に他校のイケメン生徒会長に迫られている。そんな漫画みたい展開の最中にいる白玖である。とても、平常心というのは難しい。

 

「……まあ。十坂さんがそこまで言うなら……良いん、ですかね……」

「良いよ。なんか、こう。ああ、白玖だなあって思うから」

「なんですかそれ……?」

「なんでもない僕の主観だ」

 

 笑いながら言って、玄斗はうんとちいさくうなずいた。本当に良いと思う。それは正真正銘本心から湧き出た言葉だ。原作どおりとはまた違う。玄斗の心にひっそりと、見えない部分から支える程度に寄りそっていた彼女の髪色。それを垣間見て、心が暖かくなった。これであと百年は戦える。今までのコトが消えたからどうしたと、強気の態度で挑めそうな気分だった。

 

「……ずいぶんと、親密なのですね」

「うん。白玖とはわりと、最近よく会ってるよね」

「そ、そうですけど……! それをはっきり言うのは、あの、その……は、破廉恥ですよ!」

「そうかな?」

「そうです!」

「……本当に仲がよろしいようで」

 

 ため息をつく六花に、白玖は苦笑いで、玄斗は笑顔でうなずきつつ答える。本当に、見事なまでに、綺麗な笑顔。今までの彼とは大違いの、なによりも楽しげな表情。それを引き出したの紛れもなく白玖なのだろう。――そう考えて、胸に杭が打ち付けられた。浮かび上がる疑問をかみ殺しながら、ぐっと拳を握ってこらえる。

 

〝――どうして……!〟

 

 そう思う心を、必死で食い止める。笑う彼。嬉しそうな彼。幸せな彼。それを引き出したのは、自分じゃない。隣に居るのは紫水六花ではない。ぜんぶ、どこから来たのかも分からない人間に奪われて――

 

「……こんな感じです。学校紹介は、一通り終わりました、けど……」

「そっか。ありがとう。大体分かったよ。あとはこっちも戻ってから色々とまとめていく」

「……もう帰るんですか?」

「期限があるからね。早いに越したことはないだろう?」

「そっか……そうですよね……」

「……もしかして、まだ一緒に居たかった……とか?」

「い、いえっ! そんなことは!?」

 

 あたふたと手を振る白玖に、玄斗はむっと考え込んだ。考えていれば分からないコトはとても少ない。いくら鈍いといってもこれだけストレートであれば気付かないワケもなかった。白玖の反応から見ておそらく図星だ。どうするか、と数瞬悩んで、

 

「……帰り」

「別に私はその――……え?」

「帰り、迎えに来るよ。それまで、待っておいてくれると嬉しい」

「……わ、分かり……ました……」

 

 か細い声で呟いた白玖に手を振って、玄斗はそっと踵を返した。帰ろっか、なんて近くにいた六花に声をかける。うしろの少女はぎゅっとスカートを握って、なにやら色々と堪えているようだった。その光景に、またも胸が締め付けられる。

 

「…………っ」

 

 失敗だった、と六花はここにきてようやく理解した。こんなのは生き地獄だ。手を伸ばして届かせても無意味だった星を、たやすく手にかけておさめようとしている他人が居る。我慢なんてしていなければ暴言のひとつやふたつは吐いていた。だって、そうだ。きっとなにもしていなくて、なにもなかった筈だろう誰かがソレを受けて。自分には一切返ってこないなんて、そんな――

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――ふと、帰路の途中で六花が足を止めた。ふたり分の足音がひとつになる。決定的な音のズレに、不審に思った玄斗がふり向く。彼女は、ゆらりと俯いていた。

 

「……紫水さん?」

 

 とりあえずと声をかけてみる。反応は、ない。立っているのだから、意識を失っているのでもない。無視をするような人柄でもないのだから、返事がないというのは余程だ。不審だという感情が一気に不安へ切り替わった。くるりと体ごと反転すれば、なんともよく見える。

 

「……会長は」

「うん」

「……変わりましたね……とても」

「そうだろうね」

 

 なにせ、中身ごと丸々入れ替わっている。いまの彼は明透零無であって十坂玄斗ではあるが、厳密には十坂玄斗ではないという一言では表せないモノだ。原作ヒロインに見向きもせず、白玖と出会うことはなくて、関係性そのものを否定してきた誰かではない。ならば、変わって見えないほうが無理というものだ。

 

「……彼女の、せいですか?」

「そうかもしれない」

「っ……どう、して……」

「どうしてって言われると……うん。どうしてだろう。分からないけど、でも多分彼女だからだ。それは、間違いないと思う」

「――――」

 

 玄斗に悪意はない。彼は真実壱ノ瀬白玖を好いている。なにせ恋人にまでなった相手だ。別に、おかしなコトを言っているワケではない。ただこの場合、言った相手と、立場と、環境と、経歴が問題だった。言ってしまえば彼ではない彼の責任か。なにより当然のごとく、彼は紫水六花という少女を知らなさすぎた。

 

「……どうして、なんですか……」

「……えっと、だから……」

「――どうして、私じゃ駄目なんですか……っ」

「――――、」

 

 顔をあげた彼女の瞳に、涙が浮かんでいる。一瞬、思考が止まりかけた。

 

「紫水さん……?」

「私は……っ、私だって……! 私だって!」

 

 ぎゅっと拳を握り締めながら、六花が叫んだ。その光景にまたもや驚かされる。だって玄斗の記憶はあてにならない。似ているからか、そのものだからか、一緒だと思っていた。真実彼はもとの流れで、紫水六花が取り乱した瞬間を一度も見たコトがない。

 

「私が……っ、どれだけ努力してきたか、知っていますか……!?」

「それ、は……」

「私がどれだけ頑張って、必死になって……してきたか、分かりますか……!?」

「――っ、……」

 

 なにか言おうとして、喉に詰まった。なにも言えるまい。なにせ玄斗はぜんぜん知らない。生きてきた場所が違うのだ。文字通りの意味なら尚更になる。知っているとは、気軽に口に出せたものでもない。

 

「ずっと……ずっとずっと、あなたに並びたくて、あなたに追い付きたくて、頑張ってきたんです! 私にはそれしかないから、そうすればって……! あなたの居るところまで行けばって思って、必死に、必死に頑張ったんです!」

「…………、」

「なのに――ぜんぜん、なにもなってない……!」

 

 震える声と、知らなかった過去。吐き出しているものに彼は一切の覚えがない。なのに、どこか重なる部分があった。誰とも知らない、ずっと自分を無視して生きてきたどこかの誰かに。

 

「……それは」

「追い付いたじゃないですか……私、あなたのところまで、行ったじゃないですか……! それじゃ、駄目だったんですか……!?」

「……僕の、ところ……」

「一番になって、あなたがずっと居たところにまで行ったじゃないですか! そのためにずっと頑張ってきたのに! もうこれ以上なんてないって、思ってたのに……!」

 

 〝――――ああ、そういうことなのか〟

 

 把握して、玄斗はちいさく息を吐いた。一番。それが指し示すところは、すでに十分なぐらい情報が揃っていた。一度だけ取り逃していた首席の座。それが怠慢や偶然によるものでもなく、ただ単に彼女の努力だというのなら仕方ない。だからこそ、悔しいぐらいに玄斗には分かってしまう。

 

「まだ頑張れって……言われて、次も頑張れって……あなたにまで、言われて。違う、のに。私が欲しかったのは、そんな、そんなのじゃ、なかったのに……っ」

「…………、」

 

 〝……そりゃあ、そうだ。それじゃあ駄目だよ。〟

 

 そんな言葉をぐっと飲み込む。言って良いコトと悪いコト。思っても口に出してはいけないことだってある。そんな言葉だった。分かりきってしまったが故のものだ。あんな日記を付けていて、読めば自然と理解する。十坂玄斗は――ここに居たはずの明透零無は、その程度のモノで揺れてくれるほどできた人間じゃない。

 

「どうして……っ、なんで、なんですか……! 私、ずっと、ずっと頑張ってきたのに……! いっぱい、努力だってしてきたのに……! なんで…………!!」

「……紫水さん」

「こんな、なんの意味もなくって――」

 

『…………そっ、……か…………』

 

「――――、」

 

 どう声をかけるかと迷った刹那。ある筈もない、軽いその口調をたしかに玄斗は聞いた。知っている。どうりで重なるワケだと、思わずため息でもつきたい気分だった。なにがどうでもなく答えは初めから知っている。

 

「……そっか」

 

 だから、繰り返す。繋げる。きっと渡されたモノは残っていく。十坂玄斗の実になって、彼を形成した大切な言葉。その答えのひとつだった。ずっと、ずっと、普段の彼女とは比べようもないほどになるぐらい生きてきた少女にかけるのは、たった一言。

 

「――――紫水さん」

 

 そっと、優しく抱き締める。空はいつの間にか茜色に染まっていた。それがまた、いつかの風景を思い出させて。今度はこちら側におまえがなるのかと、内心でぼやいた。本当に、変わり果てているなと笑って。

 

「よく、頑張ったね」

「――――――っ!!」

 

 いつかの言葉を、彼女にかけていた。 






紫メイン章なんですけど、そのあたり章タイトルを読んでもらえると「あっ……次かあ……」って感じかもしれない。


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知っていこうよ

 

 父親は地方の銀行員で、母親は学校の教師だった。物心がついた頃から勉強を教えられて、ペンを片手に参考書とにらめっこをする毎日。人並みに自由はあったし、人並みに遊べたとも思う。ただ、人並み以上に勉強へ費やす時間が長かった。でも、それを苦だと思うことも同時になくて。

 

『よくできたわね、六花。次はもっと頑張りましょう』

『いいぞ、六花。その調子だ』

 

 それもその筈。問題を解けば褒められる。難しいことをやればやるほど認めてもらえる。笑ってもらえる。嬉しいといってくれる。楽しいと思える。沢山勉強して、沢山知識を身に付けて、やがて学校で良い成績を残すようになると、また褒められる。それはなにより、彼女にとっても嬉しいことだった。

 

『えらいわ、六花。次はもっと上を目指しましょう』

『すごいわね、今度はもっと難しいところに挑戦してみましょう?』

『できるじゃない、六花! ならもっと上のレベルもきっとできるわよ!』

『頑張って、六花!』

『頑張って!』

『頑張って』

『ガンバって』

 

 ――頑張って。ふと、後ろを振り向いたとき、なにが見えるのかと考えた。残ってきた知識はすべて実になっている。ひとつも余すところなく自分の糧だった。意味はある。ただ、理由があまりにも希薄すぎた。結局、それは紫水六花が望んで得たモノではなく。

 

「……頑張りました、お母さん」

『いえ、まだよ』

『もっとできるはずよ』

『できないの?』

『なんで?』

『どうして?』

『あなたならやれるはずでしょう?』

 

 期待をかけられている――違う。重圧に耐えかねている――もっと違う。両親がどう思って自分自身に勉強をさせているのか、中学に入る頃には分かりきっていた。あまり良いとは言えない大学から就職を決めた父親。全国的に見れば平均レベルの出身で教師をやっている母親。自分たちにかなわなかったものをかけている。――そこに、紫水六花の意思がくみ取られる隙間は、一ミリとて無い。

 

『どうして!?』

『なんでできないの!?』

『六花、あなたならできたはずでしょう!?』

『ねえ、なんで!? どうして!? 答えなさい、六花!!』

「……うるさい……」

 

 自分で選んできたもの。自分からやろうとしてきたもの。紫水六花がつくりあげた彼女を探したとき、それがどこにもないのだと気付いた。敷かれたレールのうえをただ走って来ただけ。親の言うがままに生きてきただけだ。どこにも、彼女なんて個性はない。ただ言われるとおりに勉強をして、言われたとおりにこなしてきた空虚な人生。

 

「(私って……なんなんでしょうね……)」

 

 揺らいで、揺らいで、揺らめいて――だからこそ、それは初めて自分で選んだものだった。

 

『――一緒に頑張ろうね、紫水さん』

 

 自分より勉強ができて、自分にないものを持っていて、自分には届かない輝きがあった。それにひたすら惹かれた。彼に近付きたくて、今まで以上に必死で努力した。分からないことは意地でも理解できるまで諦めなかった。些細なミスや細かい違いのひとつだって見逃さないほど集中した。それで、やっと、その場にまで手を届かせて。

 

『今回は一位だったね。おめでとう。次も頑張ろうね』

 

 ――それでもなお、空虚なまま。

 

 〝どうして……!〟

 

 あなたに近付きたかったのに。こんなに努力したのに。他とは比べものにならないほど頑張ってきたのに。その隣に立ちたかっただけなのに。その場に居て欲しかっただけなのに。そこに一緒に居られたら良かったのに。――もう、その全部がずっと叶わない。

 

 〝どうして、私は……!〟

 

 人生に意味があったかと言えば、たしかにあったのだろう。両親のやり直しを再現するというもので。

 

 〝こんな、こんな――こと――……!!〟

 

 生きてきた理由があったかと言えば、たしかにあったのだろう。両親の届かなかった場所へ手を伸ばすというものが。

 

 〝こんな……誰でもできることで……っ〟

 

 でも、紫水六花であった意味は、欠片もない。

 

 〝私は……私はっ……!〟

 

 紫水六花であった理由は、なにひとつして存在しない。

 

 〝――どうすれば、良かったの……!!〟

 

 意味も理由も見失って、ともすれば生きているから生きているだけだった。未来は明るくない。昼間でだって景色は暗闇だ。足を踏み外せばぼとりと落ちる。でも、そんなことをしても面倒だから仕方なく生きていく。心が痛むのはまだ死んでいない証拠だった。けれど、辛いことでもある。何度も、何度も、一度折れた彼女のソレに現実はどこまでも眩しくて――

 

「よく頑張ったね、紫水さん」

 

 はじめてかけられたその言葉に、うち震えてしまったのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……ふざ、け……ないで、ください……!」

「……ふざけてないよ」

「頑張ったって……あなたに……っ、あなたに……!」

 

 抱きとめた少女の体から感じるのは、たしかな体温と若干の震えだった。泣いているのとはまた違う。十坂玄斗はそれを知っている。だから、覚悟も準備も万全だった。ここから先は弱音なんて以ての外。脆い部分だって欠片もあってはならない。それは偏に、彼を救った少女たちのやり方だ。

 

「――あなたに、なにが分かるんですか!!」

「っ……」

 

 ガツン、と胸ぐらを掴まれて石塀に叩き付けられた。肺から息が抜けていく。普段ならどうとでもないだろうに、この十坂玄斗の体は弱すぎる。気の持ちようか、生き方の違いか。この分ではどちらもありそうなのが情けない。自分という存在は壱ノ瀬白玖に生き死にを左右されているのか。考えて、それもまあ悪くないと思った。

 

「私が……っ、私が、どんな想いで、ずっと、ずっと、やってきたのか……!」

「……分からないよ、そんなの」

「なら! なら、どうして――」

「分からないけど、頑張ったなら、そう言うべきだ」

「――――、」

 

 声が詰まっていた。当然だ。きっと、あのときの自分もまともに言葉を発してはいなかったろう。五加原碧の何気ない一言が、さりげない優しさが胸を突いた瞬間。どこまでも、どこまでも救われたのは、決して特別だったからではない。

 

「紫水さんは、そうなんだろう。ずっと頑張ってきたって言ってたじゃないか。頑張って、努力して、こんなになるまで必死でやってきたんだろう。なら、ねぎらっても良いはずだ。頑張った人に頑張ったねって言うのは、おかしなこと?」

「……っ、そん、なの……!」

「おかしくないよ。きっと僕が保証する。だから、頑張った。頑張ったよ、紫水さんは。誰が認めなくても、それだけは僕が認める」

「――――――っ」

 

『……ふーん? あの十坂(零無)が、言うようになったじゃん?』

「(……かもね)」

 

 耳をすり抜けた幻聴に笑いながら、腕のなかの少女を見る。たった一言、されど一言だ。十坂玄斗はそんな一言に撃沈した。彼女はどうだろう。見ていれば、なんとなく分かるものだった。きっと、同じだ。

 

「……どうすれば」

「うん」

「どうすれば、良かったんですか……私は……これしか、なかったんです……私の、価値なんて……人生なんて……っ、勉強(コレ)しか、なかったのに……!」

「…………、」

 

『それは極論でしょう。けれど、たまに思います』

 

 そう言っていた少女の本質を、玄斗は垣間見た。ひとつ、ちいさくため息をつく。違うのに重なってしまうのは、縛られているモノが似ているからだった。名前なんてつまらないものに固執していたのが彼だとすれば、過去に囚われているのが六花だ。歩いてきた道と、言われてきたコト。それらがきつく彼女を縛り上げている。それぐらい、解かなくてはなにが十坂玄斗か。

 

「……本当に、それしかないの?」

「だって、そうなんですよ……! ずっと、ずっと! 勉強しかなくて、それしか残ってなくて……! わたし、これ以外のことなんて、知らないのに! どうしたら良かったんですか!? どうしたら、私は――」

「そんなの、最初から答えなんて出てるだろう」

「――――え……?」

 

 にっと笑う。十坂玄斗は揺るぎなく笑う。不器用でも、慣れないものでも、なんでもなく。ただ笑う。それが武器だ。それこそが武器だ。揺らぎなく、緩みなく、弛みなく、淀みなく。その手を差し伸べるなら、それが最低条件だと彼は理解していた。

 

「知らないなら、知っていけば良い。学ぶってそういうことだろうし。ならさ、なにもないなんてコトないよ。だって、それは勉強じゃないか。紫水さんは、得意じゃないの?」

「そ、れは……」

 

 ――ああ。なんて、簡単に。こうも(好き)を突くような答えを、用意してくるのだろうと。

 

「やることは同じだ。知らないことを知っていくだけ。でもって、それは何度もやってきて、紫水さんの得意なところなんだろう? じゃあなにも問題いらないよ。君はもうずっと、紫水六花だ」

「――――――っ!」

 

 そうして、六花は泣いた。この歳になってみっともなく、声をあげながら泣き続けた。敵わないと同時に悟りながら、ただただ涙を流していた。なにを迷っているのでも悩んでいるのでもない。それは、紛うことなき答えを掴んだ彼からの回答だった。……なんて、頼もしい。背中に回された腕は、どこまでも安心感を伴っていた。








この主人公書いてて物足りなさすぎる。もう一度根元からへし折ってやるべきか……


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すべてを取り返せ

 

 一段落ついてからの帰り道、ふと玄斗は気付いた。

 

「(紫水に……六花……)」

 

 今まで気にしてこなかった名前に、どこか引っ掛かるものがある。以前に彼の父親から聞いたこと。アマキス☆ホワイトメモリアルには続編がある。かのゲームのメインキャラは、総じて色と数字を含めた名前をしている。ルート展開の可能性が低くほぼほぼ隠しヒロインじみていた真墨はともかく、他は率直なものだ。

 

「(……いや、まさか……ね。たしかに、紫も六も、続いてそうなものだけど……)」

 

 単なる偶然だろう、と頭を振る。明透零奈というヒロインがいる以上、名前の関連性なんてアテにならない。と、無理やり納得しようとして、

 

「(……うん? 待てよ。透明を色と考えれば零が数字で成立する……? いや、そんなまさか。あはは。まっさかあ……ええ……?)」

 

 ちょっと真実を掴みかけた。明透零奈はヒロインである。であれば明透零無もヒロインである。以前までの彼は真実心を解されるという「どこのギャルゲーの攻略キャラだよ」なムーヴをしていたのだが、本人にそんな自覚なんてある筈もなし。十坂玄斗はいきなりの憶測に混乱し(ピヨっ)た。

 

「……十坂さん?」

「――はっ。ううん、なに? どうしたんだい()()?」

「えっ」

「あ、ごめん、壱ノ瀬さん」

「や、あ、はい」

 

 いきなりのことで思わず口にでた名前呼びを、驚きの声で修正する。どうやらまだそんな距離感でもないらしい。当たり前と言えば当たり前。なにせ白玖と目の前の少女では、玄斗自身と過ごしてきた時間が違いすぎているのだから。

 

「えっと、さっきから悩み事……ですか?」

「悩み事っていうより、考え事かな。ちょっとした疑問だ」

「そうですか……あの、その。相談とかあるなら、乗りますから。気軽に言ってくれていいので」

「ありがとう。今度また、生徒会の愚痴でも聞いてもらうよ」

「あはは……それは私も聞いてもらいたいですね……」

 

 お互い同じ立場なだけに苦労はあるようだった。白玖は単純に生徒会をまとめる役割として、玄斗は慣れない仕事に対する疲れからだろう。なにせ調色高校生徒会男子勢の結束は固い。おもにまとめ役が鷹仁なお陰である。

 

「にしても、凄いね。筆が丘。校内はイメージを裏切らなかったっていうか……いかにもって感じの上品さだった。ああいうの、ちょっと良いよね」

「……む。なんですかそれ。まるで誰かが上品じゃないみたいな……」

「え、いや……そうなるのか?」

「なりますっ。……ふん、ですよ。どうせ私はそんなお上品じゃありませんよー……」

 

 ふいっ、と唇をとがらせながら白玖がそっぽを向く。刹那の光景にドキッとした。髪が若干黒に染まっているのもあってか、拗ねている彼女の横顔はどこまでも見慣れた誰かの面影を感じる。まるで、すぐそこに居るような錯覚。気を付けていながらもう一度、「白玖」と呼びそうになった。ぐっと堪える。いまの彼女は、そうではない。

 

「……ごめん、違うんだ。そうじゃないよ。壱ノ瀬さんは上品だと思う」

「ふーん……」

「それに美人だ。綺麗だし、可愛いし、あと笑顔も素敵だし。髪の毛とかサラサラだし、他にも――」

「ちょっ、もういいです! やめて! やめてください! 恥ずかしいですからっ」

「参った?」

「参った! 参りました! だからもうやめてください! 本当、もう……」

 

 顔を真っ赤にした白玖に止められて、玄斗がくすくすと笑う。こういう反応を見るといまの関係も悪くないと思えるあたり、前を向くのは苦手ではなくなっていた。知らなかった一面を見られる。それは素直に喜びながら受け止めるものだ。すこしの寂しさぐらい、いまは心の奥に仕舞っておこうと内心でひとりごちる。

 

「ああ、ちなみにひとつだけ」

「あーもうっ……なんですかあ……?」

「冗談めかして言ったけど、全部本当のことだから。すくなくとも僕の本心だよ?」

「――――、」

 

 ビシリ、と白玖の体が固まる。なんでもないように言ってのけた少年は、不思議そうに彼女のほうをのぞき込みながら首をかしげていた。つまりは天然。狙ってもいない台詞。それを素で当たり前みたいに吐けるのだから、彼女の心臓はもうハートがビートでヒートなモードだった。女子校である。お嬢様校である。その生徒会長である。男経験が無いにも等しい少女に、玄斗のストレートすぎる言葉はあまりにも衝撃的だった。

 

「そっ、そんな都合の良いコト言っても、私は、なんともないんですからね……!」

「……壱ノ瀬さん、壱ノ瀬さん」

「なんですかっ!」

「顔、まっか」

「………………っ!!!!」

 

 しゅばっ、と腕で顔を隠しながら白玖がこつんと鞄で叩いてくる。それにまた玄斗はくすくすと笑って返した。すこし遅くなった帰り道。久しぶりの空間は本当に壱ノ瀬白玖と一緒なのだと実感できて、どこまでも幸せだった。きっと、彼女もそうなら良い。でもおそらく悪くはないのだと、どんなにからかっても隣から離れない少女にゆるく笑ってしまうのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 デジャヴを感じるというのはこういうコトなのだろう。玄斗は携帯に届いたメッセージを見て、ひとつ息を吐いた。

 

『外食に行ってくるねー。お兄帰り遅いから適当になんか食べておいてだって。なんかお父さんがすっごい落ちこんでてウケるわ。そんなにお兄と居たいか。あ、あたしはもちろん色々と寂し』

 

 そこで文面を読むのはやめた。たぶんロクなことが書いてないだろうと直感して。曲がりなりにも、というほど歪んでもいないが、これでもれっきとした兄妹である。本性を曝け出してしばらく経つ頃には、嫌というほど真墨のコトは理解していた。でも最近になって兄の布団に勝手に入ってくるのは朝起きたときにドキッとするのでやめてほしいと思う。

 

「(まあ、たまにはこんなのもいいかもね)」

 

 ガツガツとテーブルのおよそ七割を埋め尽くした料理をかきこみながら、玄斗はそんなことを考えた。場所はいつか来た近場のファミレス。料金は比較的良心的。それでいて一品あたりの量もまあまあといったものである。彼としての評価はそれなりに高い。

 

「えっと、ひとりなんですけど」

「申し訳ございません。ただいま席が埋まっておりまして」

「うっわ、まじっすか……あー、じゃあ、すいません。他あたります」

「誠に申し訳ございません……」

「いえいえ……はあ……ここも駄目かあ……」

 

 と、ちょうど入り口の近くというのもあってかそんな会話が聞こえてきた。ちらりと目を向けてみれば、見慣れた制服を着た少女が肩を落としながら踵を返していく。ほどよく着崩した格好と、目を引くぐらい明るい緑色の髪の毛。どこか懐かしい感じは、一年前のそれだと気付いてから納得いった。変わらなかった容姿は、どちらかというと原作に近い。

 

み……五加原さん?」

「えっ――……げ、会長……

「……、」

 

 げ、ってなんだ。げ、って。いくらなんでも取り繕いとかなさすぎるだろう、と玄斗はわずかに肩を落とす。一体この十坂玄斗はどんなコトをしていればこうなるのか。あの五加原碧に露骨なぐらい避けられるのはなんともそのあたり分からない。

 

「……困ってるみたいだけど、どうかした?」

「い、いやあ? 別に関係ないよ? 会長には。ちょっと席空いてないみたいだからね。あたしは他のトコ――」

「よかったら一緒にどう? 僕、ひとりだし」

「…………あー……えっ……と……うわまじか……どうしよ……

 

 十坂玄斗の心がポキッと欠けた。場所も相手も同じ。立場と記憶が違っている。それだけでこうも変わるのだから、なんとも泣きたい気分だった。たとえ初ベッドインを奪った相手だとしても、いまはそんな五加原碧が恋しくなる。本当に、それだけ。

 

「……別に、警戒してもなにもしないから。ご飯食べるぐらいなら、別に良いってことだよ」

「…………なら、まあ……良いかな……あは、あはは……」

「……そんなに嫌?」

「あー……あははー……!」

 

 否定しないあたりの本気度がうかがえた。なんとも心にくる。彼女に見られないようため息をつきながら、玄斗はテーブルのうえの皿を簡単に退かしてスペースをつくる。対面に座った碧は、まず初めに嫌な顔――をするコトはなく、単純に驚いていた。

 

「……あれ、会長。そんなに食べるんだ……」

「食べるよ。知らなかったの?」

「いや……会長って小食で有名だし……いや……この量平らげるとか……ええ……? 化け物かなにかじゃん……」

「……化け物は酷いよ」

「あ、うん。ごめんごめん。あはは……」

 

 あんまりな物言いをつつきながら、玄斗はぼんやりと考える。生徒会長である彼は小食で有名。それは普段から食べてこなかったということだろう。なんとなく、そんな調子でここまで来たのならああもなるかと納得した。でもって、ならば本質がなんとなく見えてくる。きっと十坂玄斗はここに至るまで、世界を直視してはいない。目の前の現実としっかり向き合って生きてはいない。未だ、死んだままなのだろう。

 

「あ、すいません。チーズグラタンと……あー、あと、ドリンクバーお願いします」

「かしこまりました」

「……それだけで良いの?」

「いや、普通はそのぐらいだって……」

 

 あたし女子だし、と付け足しながら碧はスマホを取り出して画面を弄り出す。そういったものが普通に似合う彼女だが、意外なことに玄斗の知る碧は彼の前で携帯の画面に注視するというコトは殆どなかった。「スマホを弄る暇があるなら十坂と話すっ」といった彼女の方針だ。もちろんそれを知っているのは真実この場にいない碧自身のみであるが。

 

「……五加原さんって」

「うん。なに?」

「一年のときの……入学式とか、出てた?」

「あー、あたし出てないんだよね。なんか、学校ふらついてたら間に合わなくてさー。だるいからもういいやーって」

「……そうなんだ」

 

 どうりで、とうなずきかけながら玄斗はコーヒーを口に含む。あの日、あのときに彼女を見つけなかった。もしくは、見つけたとしてもそれを無視していた。どちらにせよズレたのはそこだろう。ならばもはや交わることもない。五加原碧の人生に、玄斗の入りこむ余地が消え失せていた。そんな、可能性の一端を目の前にしている。

 

「……五加原さん、さ」

「うん」

 

 問いかけに、碧はこちらを見ない。携帯の画面をじっと見つめながら中身のない返事だけをしている。とても、会話とは言えない。

 

「……もしかして、なんだけど」

「うん」

 

 分かりきっていても、きっとそれは聞くべきだと思った。だって、はじめは彼女の言葉だったのだ。ならば言うべきだ。それでいて、返答があるのなら聞き届けなくてはとも思った。碧の問いかけ。その衝撃的だった一言を、いまにこそ返す。

 

「――僕のこと、嫌い?」

「……あはは」

「…………、」

「…………あー、うん。まあ、苦手じゃないよ? うん。それは、間違いないかな」

 

 けれど、好きとは言ってない。けれど、嫌いとも言っていない。どちらかなんてあからさまで、玄斗には自然と分かってしまった。やり場のない感情は、どこへもやれずに消えていく。

 

「……なら良いんだけど。ごめんね、変なこと聞いて」

「いやいやー……本当だってもうー」

 

 かわいた笑みを貼り付けて彼はそう返す。言いたいコトも言えない。そんな相手を前にして、ただ笑うのが苦しかった。きっとそれほど大切な思い出。零無と呼んでくれた彼女が、いまはいない。

 

「(……辛いな。本当……泣きたいのは僕もそうか。でも、まだなんだ)」

 

 泣くならぜんぶ終わってから。そう決めて、いまいちど料理に手を付ける。気持ち、先ほどまでよりも食事のペースは上がっていた。

 

「(絶対、取り戻してやる……!)」

 

 ここで燃え上がらなくては、いまはいない彼女たちがすくい上げてくれた意味がない――!






>ルート外ミドリちゃん
玄斗に恋心なし&好感度最低というコンボ。理由はまあ色々引っ付かれてる会長状況見てれば分かる。単純にそういうのがタイプじゃないのである。そりゃあ僕玄斗にゾッコンになるわというあたりマジで生粋のJK。

ちなみに玄斗の好みを気にして黒髪に寄せた向こうと違って黄緑糸に近い明るい緑髪だったりします。


>すくいあげられた玄斗
折ろうとしたらなんか筆が勝手に走ってた。たぶんそういう意味でもう無理です。


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紫色は包まれて

 割れんばかりの記憶のなかで、それだけは掴み取った。

『……ああ、なるほど。彼に、救われてしまったのですね。――“私“』

 だから、ごめんなさい。“会長“。


 

 朝の生徒会室は、静寂が満ちていた。まだ生徒たちが登校する前の閑散とした校舎。中庭に人影はすくない。午前七時二十分。それらが賑やかになるのには、もう三十分ほどの猶予が必要だった。そんな中で、六花はひとり佇んでいる。

 

「――……、」

 

 ふと、遠くを見れば薄い空が見えた。清々しい朝の陽気だ。ぼんやりとその暖かみを見詰めて、ほうとひとつ息を吐く。十月も半ばを過ぎれば気温がいっそう低くなっている。二桁はまだあるが、お世辞にもあったかいとは言えない。体の芯を冷ますようなものだ。凍えるとまでがいかないあたり、真冬にはほど遠いのだろう。

 

「(……存外、不思議と言いますか……)」

 

 なにせ、昨夜は酷いものだった。生まれてはじめてした親子喧嘩は、いまだどちらも折れずに戦いの真っ最中である。きっと母親は驚いただろう。なにせいままで従順に言うことだけを聞いてきた子供が、いきなり反抗してくるのだから驚かないワケがない。飼い犬に手を噛まれる、とも言う。実際、けっこうがぶっと言葉で噛みついたのだが。

 

「……いいものでしたね。スカッとしました」

「それなら良かった」

 

 独り言に返されて、がばっと六花はふり向いた。ひっそりと開けられたドアの向こう。防寒具に身を包んだ玄斗が、ちいさく手をあげながら笑っている。ちょっとだけ、居心地悪そうに。

 

「……いつからいたのですか?」

「ついさっき。ちょうど声が聞こえたから気になって。でも、その分だとうまく行ったのかな」

「いいえ、ぜんぜん。頑固でした。まあ、似たもの同士なのでしょうね。……私、はじめてですよ。鉛筆へし折ったの」

「おお……案外アグレッシブだ……」

「いえ、その気はなかったのですが。こう、なりゆきで。べきっと」

「いけるのか……」

「まあ、けっこう」

 

 意外となんとかなりますよ、との言葉を受けて玄斗も鞄の筆箱から鉛筆を取り出して握ってみる。……ピクリともしない。むしろ親指の付け根あたりが痛い。完全に彼の負けだった。この玄斗の体が弱すぎるのか、もともとそんなものなのか。真相は自分の体でたしかめなくてはどうにもならない。

 

「……ちなみに、両手?」

「片手でしたね……」

「まじか……」

「まじです」

 

 眼鏡をクイッとあげながら六花が言う。怒りのパワーとかそんなものだろうか。ちなみに後日生徒会男子勢ふたりが試したところ、どちらも派手にへし折ってくれたのは玄斗の心も一緒にへし折れそうな現実だった。我が肉体は無力である。

 

「で、さっきの話なんだけど。なんて言ったの?」

 

 喧嘩を吹っ掛けたってのは知ってるけど、と玄斗は鞄を置きながらなんでもないように訊いた。あまり深入りするつもりもないが、いちおうそういう方向性に持っていってしまった人間として聞いておくべきだろうと考えてのことである。

 

「私はお母さんの都合のいい道具なんかじゃありません、と」

「……そっか」

「あと、あなたみたいにちっぽけなプライドに拘るようでしたら勉強なんてやめてやる、とも」

「…………そっ……か……」

「あとあと、教師っていうわりにあまりいい大学ではないんですね、とかとか」

「………………ああ、うん……なんか、ごめん」

「いえ!」

 

 キラキラ、と目映いオーラを背景に六花が笑う。玄斗はかすかに、けれどたしかにひとりの少女の闇を見た。真面目で冷静でなんでもそつなくこなす印象のある彼女は、まあ、人並み程度にはその心の奥底に抱えたものがあったのだろう。人並みでないのは、それが凝縮して蠱毒じみているところか。

 

「面白かったですよ。お母さん、顔真っ赤にしてて。お皿投げられたのでハサミ投げ返しましたけど」

「いや危ないよ……」

「向こうから仕掛けてきたので正当防衛です」

「……傷とかない?」

「お父さんが腕にバンソーコー貼ったぐらいですが」

「巻き込み事故……!」

 

 きっと父親は父親なりに止めようとしたのだろう。大の男がそれでも怪我をしたのだから余程のものだったと思われる。父親というのは存外逞しい。ちょっとした勘違いで言い合いに発展した妹と母親を「静かにしろ。くだらんコトでなにをしている。やめろ。いいか、二度は言わん、――()()()()()()()()()」なんて言ってぴたりと止めた父は偉大である。なお、最後の一言で盛大に肩を跳ねさせた玄斗に別室で平謝りしていたのは記憶に新しい。あれは完璧に明透有耶のトーンだった。

 

「でも、良かったと思います。私は……会長に、……いえ。あなたと、出会えて」

「……なに、それ? ちょっと持ち上げすぎだよ」

「いえ。……いえ。もう、隠さなくていいんじゃないですか? ――会長じゃない、誰かさん」

「――――、」

 

 予想だにしていなかった言葉に、一瞬、頭が真っ白になった。けれど、同時に確信する。紫水六花。その名前はきっと彼女に似合っているのだろう。なにせ、これは何度目かになる焼き直し。〝彼〟という誰かに気付いた、少女の告白だった。

 

「それともこう呼んだ方が良いでしょうか? ()()()()

「え……」

 

 だから、本当に驚いたのはそのあとのソレ。目をしばたたきながら、玄斗は眼前の少女をはっきりと視認した。かっちりと着込まれた制服。生徒会会計を担当する腕章。雰囲気によく似合う眼鏡と、長い三つ編みを後ろに流した紫色の髪。見覚えがあるなんてコトは、当たり前だが。

 

「いや……え……どういう……?」

「……まったく驚きました。昨日、おかしな記憶が流れてくるんですから。でも、理解は十二分です。ええ、そうですとも。……まさかあなたが、あんな言葉をかけてきているなんて。どうりで、というものです」

「なに……が……?」

「――さすがは、()()が惚れ込んだ異性だと」

 

 それは、玄斗をさす言葉ではなかった。それは、不慣れな物言いではなかった。それは、自然とひとりの少女に対するモノとして受け取れた。十坂玄斗ではない。彼女の言ったその二文字に込められた意味は、それとは比べものにならない何かが込められている。そう感じてしまうほどの音。

 

「紫水、さん……?」

「はい。まあ、すこし混ざり合っていますが、〝私〟も〝私〟も殆ど同じなので、結局変わりません。なにはともあれ、とんでもないことをしてくれやがりましたね、十坂さん」

「あ……いや……それは……その」

「こんな、持て余すぐらいの気持ちを、教えてくれやがりまして」

「……え?」

 

 はあ、と六花がため息をつく。どこか嬉しそうに、けれどどこか複雑そうに。顔を若干俯けながら、少女はちいさく手を握った。きゅっと、軽く拳がつくられる。

 

「あの人が好意を抱いていましたから。そんな気は、そもそも無かったのですよ、あの私は。それをまあ、無くなった瞬間にあれですか。もう、本当……これじゃあ取り返しなんてつくわけ、ないでしょうに」

「え……? え……!?」

「どうしてくれるんですか? 十坂さん。……私、あなたのコト、結構本気で好きになってしまいましたが」

「…………………………!!??」

 

 〝ど、どうしてそうなるんだ……!? い、いや、そうなるのか――!?〟

 

 そうなるのである。直っても十坂玄斗は十坂玄斗だった。今回の件に限ってはこの一言に尽きる。なにせ自分自身で救い上げた少女がどうなるかなんて、彼は「まさか自分に惚れるなんて無いだろう」()()欠片として思っていなかったのである。せいぜいが「幸せでいられますように」なんて願っていたぐらいだ。ズレているにも程がある。

 

「えっと、その、ごめんっ。それは……その気持ちだけは……答え、られなくて……」

「おや。誰が答えてほしいと言いましたか?」

「……あれ?」

「奪いますので。覚悟しておいてください。そうしてこれからあなたのコトを、いっぱい知っていきますので」

「――――――、」

 

 玄斗は確信した。証拠はないが、きっとそうだ。なによりもあるべき強かさ。ぐいぐいと迫るような勢い。間違いなく、紫水六花は続編ヒロインだ。不正解なら木の下に埋めて貰ってもいい。そう思いながら、彼は苦笑を浮かべる。窓からは校庭の枯れ始めた木々が見えている。仄かに残った夏色。残滓のようなそれは、ないはずだと思っても残っているものだった。――濃い、緑色を。   





ルート攻略おめでとうプレゼントその①

その②はご存じあの子です。


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夏色は依然として

 

 ――心は、なにかを感じている。夕陽のさした赤い廊下。遠く、外からは運動部の声が聞こえてくる。生徒会室から教室までの帰り道、玄斗はぼんやりと窓の向こうを眺めた。

 

「…………、」

 

 逞しくなったものだと、我ながら息を吐いた。何度も、何度も、明透零無として心を殺し、十坂玄斗として自分を殺し、折れて、折れて、折れ曲がった結果だった。いまとなっては懐かしい思い出。まだ出来上がっていなかった未熟な自分が、ふと、顔を覗かせたような気がした。

 

「(……残念だ。言いたいコトが、沢山あるのに)」

 

 誰とは言わないし、誰かひとりなんてものでもない。なくしてから気付くこともある。真実、彼女たちという存在がどれほど自分の人生に食い込んでいたかなんて、玄斗はとうのとっくに分かりきっていた。それがさっぱり消えている現実も。

 

「(……今回だって、きっとひとりじゃ駄目だった。僕だけじゃ。僕は、ずっと)」

 

 ずっと、助けられてきた。ひとりは、いちばん大切なひと。ひとりは、いちばん初めのひと。ひとりは、いちばん頼りになるひと。ひとりは、いちばん優しいひと。ひとりは、いちばん気付いてくれたひと。いちばん近かった彼女は、もう気にすることでもなくなっていた。奇跡があるというのならあれがそうなのだろう、と彼は思う。だから、何度もはない。

 

「(……贅沢だからね。真墨だけでも、十二分なぐらいなのに。なにを弱気になってるんだろう)」

 

 ひとつ息をつきながら、教室の扉を開ける。景色はすっかり茜色だった。机も椅子も、斜陽に照らされて真っ赤に燃えている。――その、なかで。

 

「――――」

 

 ひとつ。覚えのある慣れない緑色が揺れているのを、見た。

 

「……五加原さん?」

「…………、」

 

 返事はない。少女は静かに、机のうえに突っ伏している。不審に思って近付くと、聞こえてきたのはちいさな息遣いだった。どうやら眠っているらしい。安心したような、ちょっとだけ残念なような。複雑な気持ちをため息と一緒に吐き出しながら、なんとはなしに玄斗は隣の席へ腰掛けた。

 

「……お邪魔します」

「…………、」

 

 音をたてても動きはない。まるで死んだように眠っている。そんなコトはないだろうが、それほどの熟睡なのだろう。腕の隙間から見える寝顔は、ほんのすこし緩んでいるようにも見える。

 

「…………、」

 

 違うと分かっていてもすぐに割り切れないのが人間だ。碧からあんな態度を取られて、なにも思わないワケがないのは当然とも言える。だからなのか。その顔はどこまでも力が抜けていて、変に心が浮ついた。いくらなにをどうしても、十坂玄斗とはそういう人間である。自然と、手が髪に伸びた。……いまの彼女に嫌われている、なんて事実をさっぱり忘れてしまうぐらいに、自然と。

 

「ありがとう」

「…………、」

()()()()のお陰で、なんとかなった。君がかけてくれた言葉があったから、なんとかなったんだ。……本当に、ありがとう」

 

 返事はない。少女は固まったまま、動こうともしない。きっと眠っている。でなければ遙か夢の彼方に意識が飛んでいる。目覚めるわけはないと、玄斗は証拠もなしに思ってしまった。たぶん、そういう流れになる。なにせ、彼女の人生に介入する権利を、ここに生きる十坂玄斗は失ってしまっている。

 

「感謝してもしきれないんだ。……隠してたけどね。君が、けっこう決定打だったんだ。碧ちゃんがいなかったら、白玖とも向き合えてなかった。だから、本当にごめんって思ってる。だって、そう思うぐらいなんだ。もしもの話なんて、意味がないけどね。たぶん、白玖と出会ってなかったら――僕は君に、ぞっこんだったかもしれない」

 

 本当に意味がない。いまさら、彼女自身ではない彼女に、しかも眠っているところへ懺悔のように言葉を吐いている。伝えようという気もなければ、なにかを感じて欲しいという願いすらない。玄斗が漏らした独り言。溢れ出た心に秘めるものだ。所詮はただの自己満足。吐き出せさえすれば、それで良い。

 

「……いまの君からは、信じられないけどね。僕たち結構、距離が近かったんだよ? 本当の名前を呼んでくれる、とっても貴重なひとりだったんだ。……もうずいぶん、会長としか呼んでもらえてないけどね」

 

 その口からアレはでない。いまの名前ですら浮かばない。徹底したように、そうしてきたみたいに、五加原碧は玄斗のことを「会長」としか呼ばなかった。同学年で、同じクラスであるはずなのに。一度も、「十坂」とも、「玄斗」とも呼ぶことはなかった。ましてや、()()()名前なんて。

 

「案外ね。君に()()呼ばれるのは、悪くなかった。うん。とっても。うまくは言えないけど、心がぽかぽかする。それはやっぱり、悪い方向じゃないんだよ。……それを、言いたかったんだ。でも、もう言えないのかな」

 

 折れはしない。その程度で崩れるほど、玄斗の心は脆くない。ただ、無理に笑った顔が軋みをあげていた。悲しいのだ、と気付いたのは胸の疼きを感じてから。大事なのはたったひとりだけじゃない。自分を取り囲むすべて、区別のつけようも、順位の決めようもないほど大切なものだった。なにかひとつを目指した〝誰か〟のようには、もうなれない。

 

「……ごめんね。碧ちゃん。言いたいこと、沢山あったんだ。ありがとう。感謝してる。嬉しかった。楽しかった。綺麗だった。そんなことだけど、言っておくべきだった。白玖さえ居れば良い、なんてコトは……やっぱりないよ。僕には僕の居場所が、大事だったんだ」

「……………………、」

「それにやっと気付いた。だから頑張るよ。それが唯一返せるものだから。……僕が僕であれる生き方だから」

 

 大事じゃなかった思い出も、意味のなかった記憶も、ひとつだってない。すべてが大事で、すべてが大切だ。何気ないものから印象的なものまで、余すところなく玄斗の宝物である。それがなくなっている。崩れ去っている。残ったのはカタチだけ。十坂玄斗と、五加原碧という人間だけが続いている。

 

「本当にごめんね。君が君じゃないって、分かってる。それでも、ひとつだけ」

 

 ――そっと、玄斗は彼女の前髪をするりとあげながら、密かに唇を落とした。

 

「……ありがとう。ありがとう……ありがとう。僕は君のことが、単純に好きなんだと思う。でないと、やっぱり一緒にご飯なんて食べないよ」

 

 恋人として、であるのならもちろん白玖に軍配が上がる。それは決定的だ。当然だ。が、そういうフィルターをなしにしてみると意外なぐらい五加原碧は強かった、きっと白玖と立ち位置が入れ替わりでもしてしまえばとんでもないだろう。そんな想像をするぐらいに。

 

「……じゃあ、また今度。さようなら、()()()()――」

 

 ぎゅっ、と。腕を掴まれた。誰に? もちろん、彼以外の誰かに。

 

「っ――――」

「……まったく」

 

 そして、その手を掴んだ誰かは――彼女は。とても、見慣れた笑顔で。

 

「おでこじゃ足りないよ、十坂(零無)

 

 強引に、玄斗の唇を真正面から奪った。

 

「……!?」

「――――んっ……はぁ……」

「……っ、え、え……!? あ、……!!??」

「……ふふ」

 

 ぞくっとした。薄く微笑む碧は、最近になって気付いた彼女の強かさで。でも、最近とはいつのことか。直近であれば嫌われている姿しか想像できない。ならば考えるまでもない。奇跡でなければ、必然だ。目の前にいる少女は。

 

「あは。キス……しちゃったね?」

「……み、碧……ちゃん……?」

「学校、っていうのは……まあ……あれだけど。でも、それってさ――」

 

 二度目。ふたたびぞくっとした。トリハダが、今度は別の意味を持っている。……なぜだろう。玄斗は脳内で目にハートマークを浮かべる妹を幻視した。たぶん、それと同じだ。

 

十坂(零無)が、あたしを受け入れてくれたってことだもんね」

「えっ、いや、ちょっ……!?」

「じゃ、しよっか。誰もいない、みたいだしね――」

「ま、待って! 待って、ちょっと、ストップ! これは……!」

「あーもう、うるさい口はふさぐよー?」

「――――!!」

 

 およそ八十ヒット。ちょっと、本気でまずかった。

 

「――ほら、こんな風に……」

「まっ……ま、待っ……て……やめて……碧、ちゃん……! こんなの、こんなの、って――」

「いいんだよ、十坂(零無)。大丈夫だから。優しく、してあげるから……」

「碧ちゃん…………!」

 

 どくん、と心臓が跳ねる。上着のボタンを外されてしゅるしゅるとネクタイが解かれていく。そのまま、玄斗の肌は彼女の前に露わになって、

 

「そこまでだろーがこの泥棒猫っ! お兄のうえからさっさと退け!?」

「ま、真墨……!」

「あちゃ……妹ちゃん来ちゃったかあ……」

「ふん、あたしの目が黒いうちはお兄は――いやめっちゃエロいな何その格好思わず濡れかけたわなにしてんの襲うよ?」

「敵がふたりに……!!」

 

 ……まあ、そんな感じで。玄斗の平穏は無事、真墨によって守られたのだった。もちろんこのあとめちゃくちゃ帰宅した。 





だいたい全部で十四~十五章だと気付いた今日この頃。仕方ないから年内で全部書き切ってゴールしよう(錯乱)


ちなみに実は僕玄斗より俺玄斗のほうが好きな作者です。やっぱハーレムクソ野郎より一途な純愛だな!(シュッ


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ああ、なんて懐かしい――

キャパ超えると大体こんな感じ。透明くんだった経験持ってるコイツでこれなのでまあ相当だよという。


 

 とんでもなく気分が悪い。翌日、ベッドから起き上がった玄斗は、まずそんな自分の状態を把握した。まるで頭のなかに鉛でも流されたみたいな鈍痛。全身を走る血管が猛毒なんじゃないかという刺激。おまけに、ふらふらしてまともに歩けそうもない。

 

「(いや……これは、酷すぎるぞ……!)」

 

 かつてならあり得ないほどの体調不良は、それでも明透零無と比べれば軽症とも言えた。体はブレるし、頭もぼんやりとしているが、それでも立てないほどではない。気を付けていれば痛みが全身をついても歩ける。それは偏に、玄斗自身の慣れの問題だ。……他人がそんな状況でどうなるかなんて、すこし考えれば分かるところだった。

 

「(不便だ……やっぱり、健康が一番かな……)」

 

 思いながら、制服に着替えて部屋を出る。壁に手を付けば倒れることもなかった。この体になってから経験した貧血だのなんだのもある。おそらくは肉体こそ同じでも、その作り方が違っていた。よく食べて、よく動いて、よく寝る。単純だがそのくり返しをしていた玄斗は、人並み以上にまともな体ができていた。けれどもこの身体はそうでもないらしい。そこまで食べないがかなり動いて、それでいて睡眠も削っていたはずだ。

 

「(ああ、もう……体は本当、資本なんだぞ……っ、僕……!)」

 

 頭が痛い。手足が痛い。全身が痛い。内側が痛い。自分の体がそうじゃないみたいな違和感に苛まれている。けれど、動けなくなるほどでもない。なにせ、()()()()なら慣れたもの。玄斗にとって、体調が万全でない状態で動くのはあまりにも簡単だ。

 

「おはよう……」

「おお、はっやいねーお兄。……っと、今日はまた一段と顔色悪いねー……」

「うん……最悪だ……」

「……なんか、ここ最近多くない? 前のお兄、めったに体調崩さなかったのに。メンタルはよくボコボコにされてきてたけど」

「そうだね……」

 

 リビングに足を踏み入れて、真墨と言葉を交わしながらテーブルまで歩いていく。一歩進むたびに足が悲鳴をあげた。こんなにも酷いのは初めてだ。大抵、たしかに弱くなったと思う身体だが、それでもわりと酷くはないもので――

 

「(あっ)」

 

 考え事をしながら椅子に手をかけようとして、空気を掴んだ。ふわっという浮遊感が上半身を襲う。完全に油断した。受け身も取れないまま、ぐらりと傾いた体がするりと落ちていって。がったーん! と凄まじい音をたてながら玄斗は崩れ落ちた。

 

「うおっ!? 大丈夫かお兄!?」

「……うん……大丈夫。大丈夫……」

「いや血! 血出てるから! うわあもうなにやってんの! ちょっと待って救急箱持ってくるからっ」

「いいよ、自分で……」

「うっさい動くな! 大人しくしてろ!?」

「……ごめん……」

 

 どたどたと駆けていく真墨に謝って、ひとつ息を吐いた。まったくままならない。軽症に感じてはいるが、それこそ一般的に見るなら重症だ。そんなことにも気が付かなかった。わりと、十坂玄斗の怪我に対する考えは致命的にずれている。――ならば、なにかのためにここまで体を傷付けることができたのだろうか。

 

「(……ご飯も食べないで、()()()真似して、会長職だのなんだので動き回って……なに考えてるんだ、俺は。生き急ぐにしても、ほどが――)」

 

 不意に、喉の奥から這い上がってきた。げほっ、と体をびくつかせながら咳きこむ。遅れて、なんとも言えない味が口内に広がってきた。度重なる自傷行為。度を超えた日々の行動。すくなすぎるぐらいの食事。それらが改善されたのは、真実玄斗が変わってからの一月足らずだ。ならば、すでに終わっていることで。

 

「(……おお……! 久々に吐血した……! まじか! 凄いな俺! 完全に明透零無だ……! 懐かしいなあ……)」

 

 口元をぬぐった手を見て、ちょっとテンションが上がった。健康になってからはそんなコトも無かったせいで、本当に十何年ぶりの吐血だった。だからといってハイテンションになるのは、まあ、出来上がった玄斗特有のモノだろうが。

 

「(とか言ってる場合じゃないよ……うわ、もう、どうしよう……黒いマスクとかしていけば、血が飛んでもばれないか……?)」

「お兄救急箱持ってき――ってえぇ!? 血吐いてる!? うそ! お兄の朝はコーヒーだよ!? トマトジュースじゃないよ!?」

「ごめん真墨……ハンカチ持ってきて」

「声かっすかすじゃねえか! まじで大丈夫かお兄!? もう休もう! 学校休もう! あたしも休む! 看病するわこれ看病するしかねえわ!」

「いや真墨はちゃんと……けふっ」

「うわーーー!!??」

 

 二度目の吐血に妹が盛大な反応を返してくる。そう言えば昔は特技がこれだったな、と思い出して玄斗は苦笑した。

 

「いやなに笑ってんだ! もう病院! 病院行こう! ええと保険証と、あとは……!」

「大丈夫だから。いいから、平気だから。……病院っていうのは、体が動かなくなってやっと行くものだよ?」

「馬鹿か!?」

「まあ今のは冗談にしても。わりとそうなるまでは結構なんとかなる。ほら、この、ぐらい――」

 

 と、玄斗はどうにか体を動かして立ち上がる。せり上がってくるような違和感は否めないが、血を吐いたところで人間は意外となんとかなるものだ。すぐにばたんきゅーと逝くわけではない。言ってしまえばアラートみたいなもので、これはまずいよと体が警告しているのである。手遅れなコトさえ分かっていればなんてことはない現象だ。

 

「……ね、なんてことも……ないだろう?」

「いや生まれたての子鹿みたいになってるじゃん。かわいいかよ。大人しく座ってろ」

「平気、へっちゃら、怖くない。大丈夫大丈夫……」

「……ていっ」

「あっ」

 

 スパンッ、と容赦なく足を払われて玄斗の体は宙に浮いた。そのままふわり、と横抱きに受け止められる。体勢的に逆ではないかと思わなくもないポーズだった。猫のように体を丸めた玄斗が、真墨の腕のなかでおさまっている。

 

「よーしよし。お兄は今日一日ベッドでおねんねしようね。無理したらぶっ飛ばすから」

「……でも」

「口答えするならガムテ貼るよ?」

「いや病人……」

「はい病人って自分で認めましたねー? 良い子ですねー。うん。良い子ちゃんだからさっさと寝ましょうねー」

「しまった……っ!」

 

 真墨に抱えられたまま、玄斗は自分の部屋まで連れて行かれる。悔しいことにこの体勢ではなにもできない。暴れ回れば逃げられるだろうが、さすがに真墨へ危害を加えるのはお兄ちゃん的にノーだった。ので、大人しく借りてきた猫状態で運ばれるしかなくなる。

 

「お兄軽いねー。前はもっとあったよ?」

「……だいぶ、弱いみたい。だから、こうなってるのかも」

「そか。じゃあ無理は駄目だね。お兄が元気なら、あたしも容赦しないんだけどなー」

「……容赦して」

「おっけ。じゃ、ゆっくりしてなよ。お昼はおかゆ作るから。欲しいものとかある? お水?」

「……ご飯がいっぱい食べたい……」

「いや食欲はあるんだ……流石だなおい」

 

 そりゃあそうである。この体の持ち主ならまだしも、玄斗からしてみれば小食なんてのがありえない。ご飯は美味しいのでいっぱい食べるべきだ。体調を崩していても食欲がなくなるというコトはあまりない。もしかすると健康の秘訣はそこだろうか、と考える玄斗だった。

 

「わかった。用意してくる。リクエストあったら聞くけど」

「……最低でも」

「うん」

「五品……」

「ええ…………、」

 

 いつもより食うじゃねえか、と真墨は冷めた目で兄を見た。体はガタガタなのにその部分だけに関しては元気いっぱいである。こう見えてあんがい本質が男の子しているのは玄斗を知る人しか知らない事実だった。

 

「――ま、いっぱい食べる君が好きってね。あたしは元気なお兄が好きですよー? なんで、ちゃんと休んでしっかりするように」

「うん……そうだね。真墨に嫌われたくないから、そうする」

「うんうん。ついでにあたしのことも好きになってねー」

「もとからそうだけど」

「意味が違うんだよこの野郎」

 

 軽口を交わし合いながら、そっと自室のベッドにおろされる。今日はなんとも良くない日だ。たまたまにせよ妹に心配をかけるのは申し訳ないと、玄斗はゆったり瞼を閉じた。我慢していた疲れがどばっと出て一気に襲ってくる。――そのまま、沈むように眠りに落ちた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 四月二十一日 くもり

 

 今回も長くないらしい。まあ気にするコトでもないので、そこはなるようになる。二度目なのだから気落ちもしていないのかもしれない。意外と、慣れっていうのは良いものだな。

 

 






なんかハッピーエンド至上主義者自称してるくせに幸せなルート書いたら正気を疑われる作者がいるそうですよ。酷いものですね(目逸らし)





ボロッボロの体は過去のことだけだと思った? 残念取り返しがつかないよ! ということでした。これでも結構“俺“主人公に優しくしてるよ本当だよ。初期案が欠損キャラだったからすごいまともだよ良かったね!


>吐血で興奮する玄斗
■■■■のキャラ紹介をどこかに置いているはずなので見てもらえれば分かるアレ。


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惹かれ合っている

これにて九章完結。十章はまるまる箸休めです。僕玄斗くんをへし折りたい気持ちと格闘する毎日でしたが実際「白玖が死ねば曇るか?」という想像をしても折れる姿が見えなかったのでお察し。てかそうすると男なのに未亡人感マシマシで真墨ちゃんが死ぬ。


 心当たりがないのかと言われると、そうではない。あの日、打ち上がる花火をよそに彼は言ったのだ。

 

『どうして!』

 

 泣きそうで、崩れそうで、壊れそうで。私の手を握る力はどこまでも強いのに、目に見えている彼はどこまでも脆い。それさえきっと、手を伸ばすべきなのだと思った。他の誰かになにを言われても、自分で決めたことなのだからと。

 

『そんな……考えに、なるんだ……!』

 

 彼は知っている。私のすべてを知っている。私のなにかを知っている。だから、そう思うのだろう。だから、止めようとするのだろう。なんてことないよ、と私は笑った。笑顔をつくるのは得意だ。昔から、そういうモノはずっと。

 

『だって、そのほうが良いよ。目の前で困ってる誰かを放っておくなんて、あんまりじゃない?』

『そのためだけに、生きていくっていうのか……?』

『……さあ、どうだろ』

『そんな、見えない誰かのために……っ、ずっと、君が……無理してでも手を伸ばすっていうのか……!?』

『いやあ……まあ……うん。どうだろ』

 

 決して、誤魔化しはしても否定はしなかった。その気持ちすら、彼は察していた。当然だ。残った欠片なんて傍目に見ても分かりやすい。私が思っているのはその部分で、結局、そこに大した理由もなかったのだ。

 

『でもさ、間違いじゃないよ。誰かに優しくするっていうのは、とっても素敵なことだと思わない?』

『……その過程で君が傷付いちゃ、駄目だろう……!』

『かもしれない。でも――いいんだ。私はね、クロト。そうやって救われて、ここにいるから。それが、はじめて見た綺麗なものだったんだよ』

 

 〝――大丈夫。もう君は、無理に笑わなくていいんだ。〟

 

 そう言ってもらったコトを覚えている。壊れてしまいそうな毎日のなかで、壊れないことを強いられた。そんな地獄から救い上げれらた瞬間を覚えている。それがとても綺麗で、素敵だと思った。はじめてそうあれたらと仄かな希望を抱いた。私のなかの原初の思い。

 

『だから、ごめんね。クロト。私はあなたの気持ちに答えられない。たしかに、そっちのほうが楽しいと思うよ? でもね、それはちょっと、違うんじゃないかなあって。やっぱり、思っちゃうんだよね。……うん。だから、クロトは悪くない。悪いのは、私』

『……っ、それでも……それでも! ()()は――!!』

 

 それが、隠れていた本物だったのだろうか。とても分厚くて、暗い、闇のような壁の向こう。そこに潜んでいる誰かを、私はたしかに垣間見た。俺と言っていた彼が、はじめて口にした別のモノ。

 

『……君が、傷付くなんて、間違ってるって……!』

『……そっか。でも、いいんだよ。何度も言っちゃうけど……』

『……っ』

『私にできるのは、それぐらいだから。それぐらいで、ちょうど良いんだ』

 

 なにもなかった心を埋めたのが、その優しさであるのだから。せめてそれぐらいしなくては、生きている意味がない。自分が自分として立っている理由がない。空っぽだった器に注がれたカタチ。それが、例え汚れに塗れたなんでもない感情だとしても。

 

『ごめんね、クロト。そうやって過ごすのは、きっと楽しいよ。いまよりずっと、幸せだと思う。でもね、それはきっと、私じゃなくても良いから』

 

 そうして、途切れた。学校で顔を合わせることも、たまに目が合うこともあった。けれど、それ以上は干渉してこない。それが彼なりの割り切り方だと思って、気にもしていなかった。まったく、意識の片隅にも。

 

「またね……トオサカ、くん」

 

 ならばと、考えてみた。あれは、なんなのだろう。そうなると納得したように呟いて、漏れ出た息はなんなのだろう。

 

『おでこじゃ足りないよ、十坂』

「――――っ」

 

 あのとき、罪悪感と一緒に溢れてきた。オカシな感情は、一体なんなのだろう――?

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――暗い、暗い、海の底。星の彼方。漂うような浮遊感と、まるで溶けていくような自分の無さ。息苦しさは不思議とない。音も景色もはっきり見える。そんな場所で、ただ眺めている。見せられている。

 

 〝どうして――〟

 

 確信もなく、予想もせず、けれど理想は叶った。事実、時間もチャンスも失った自分に、奇跡は起きた。あとはこのまま消えていけばいい筈を、どうしてか残されている。ココロの奥底。眠るように深い場所まで潜り込んで、ただじっと見るしかないまま。

 

 〝どうして……そうなるんだ。〟

 

 見れば、思うことは山ほどあった。違っている。なにもかもが違いにすぎる。震えるモノがアレと俺は同じだと言っていた。心の在処。はじめに抱いていた形状はまったく同じ。なのに、あれは誰なのだろう。

 

 〝おまえは「俺」じゃ、ないのか……?〟

 

 自分のコトは自分がよく知っている。見ようとしなくても見えてくるものがある。違うワケがない。揺らいでいるワケがない。なにせ、辿ってきた運命は一切変わらない。それは間違いない。たしかにこの心は震えている。同じなのだと言っている。

 

〝おまえは……明透零無じゃ、なかったのか……?〟

 

 酷い景色だった。無い筈の瞼を閉じたくなるほどに、眩しさが目を焼いた。世界が輝いている。くっきりと色付いている。明るすぎてもはや別物だ。どうしてそんな風に見ていられる。目を開けていられる。きっと明透零無なら、そんな風に見ることさえ叶わないはずなのに。

 

 〝どうしてそんな、綺麗に笑ってるんだ……?〟

 

 おかしいだろう、と息を吐く。そんなのは間違いだと。なにがどうすればそんな結果に辿り着く。幻想ではないのだろうか。夢を見ているに等しい。きっと幸せな一瞬の夢。それに浸るぐらいなら、いっそ死んでしまえと――

 

『よく、頑張ったね』

 

 〝…………は?〟

 

 ワケが、分からなかった。ありえない。心を打たれる。だって、そうだ。どうしてと、そんな言葉が無限にわいてくる。同じだ。間違いなく、そこに居るのは明透零無だ。なのに、なぜそんなにも。

 

 〝なんで……だ……?〟

 

 生き方が違っている。

 

 〝ボクじゃ、なかったのか……!〟

 

 いいや、まったく同じ。何度も言うように、明透零無は明透零無でしかない。はじまりに連なった結末はどう足掻いても同じはずだ。それから辿ってきたモノだって、多少の差異はあれど変わらない。ならばどうして、そんな言葉を吐けるのだろう。どうして誰かのために切り捨てる考えを、簡単に否定するのだろう。どうして、どうして、どうして。

 

 〝どうしておまえは――自分のために動いている……!〟

 

 ああ、違う、違う。それは違う。自分なんてものに価値はなくて、意味もなくて、理由もなくて、空っぽでなにより優先順位なんてモノはないはずだ。ありえない、ありえない、ありえない。他の誰かよりも〝明透零無〟の気持ちを優先するなんて、そんな自分はありえない――!

 

 〝なにも無い、ひとつだってありはしない。そう、ずっと……言われてきたじゃないか。それでもおまえは、自分を選ぶのか……?〟

 

 自分に価値なんてない。生きる理由も意味もない。それが明透零無に込められた願いだった。だから、揺らぐことも、変わるコトも、あるはずないのに。

 

〝……おかしいよ。こんな、生きていたって、どうしようもない世界で――〟

 

 それでも、彼は笑っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ああ、そうだね」

 

 

「僕は君だ。でも、その考えには同意できない」

 

 

「だって、そうだろう?」

 

 

「生きたいから生きていくんだ。掴みたいものがあるから前に進むんだよ」

 

 

「それすら分からない奴に、誰かなんて……救えるはずがないのにね」

 

 

「駄目だよ、俺。その考えは駄目だ」

 

 

「どうしようもないなんて言う前に、君は向き合っていないじゃないか」

 

 

「そんなのは、駄目だ。生きている以上は、しっかり考えないといけない」

 

 

「――それが、僕にできることなんだから」

 

 だから、ついでに教えてあげよう。あんがい世界は、とんでもなく素敵なんだってことを。



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第十章 黄昏れていても橙色
はじまりはゆるやかに


 これからは誰かに頼れない。

 歩くのも、学ぶのも、生きていく理由さえ他人にはすがれない。

 それは真実、とっても恐ろしくて――とっても楽しそうなコトだと思った。

 だから、私は。



 今日、はじめて朝日を見た。窓ガラスを隔てて街を眺める。時刻はまだまだ早い時間。ビルの隙間から顔を覗かせた太陽が、輝かしいばかりの光を放っていた。遠く、山の向こうから登ってくる陽。

 

「――――――」

 

 彼女はそれをただぼうっと見詰めている。昨夜にかけた目覚ましが鳴るまであと三十分を切ったことも。最近気になりだしてきたうっとうしい髪の長さもすっかり忘れて。ただ呆然と息を呑みながら、目の前の光景に心奪われている。

 

「(……綺麗だ)」

 

 こんな時間に目を覚ましたのは、たんなる気まぐれだった。どうにも二度寝する気にもなれなくて、寝惚け眼をこすっていたのが数分前のこと。早起きは三文の得というが、彼女には眼前の風景がたった三文には思えなかった。

 

「…………、」

 

 価値にはならない絶景。見るものを魅了する自然の輝き。そんなものがお金を払わずに見られる現実。変な話、彼女はそれをとんでもない贅沢だと思った。……いや、厳密に言うならば。きっと、いま目にできるすべてのことが、彼女にとっては躊躇ってしまうぐらい贅沢なモノだったのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 珍しいことに、玄斗はその日の休み時間、偶然すれ違った飯咎広那に声をかけられた。

 

「ね、ねえ、トオサカ……くん」

「? どうしたんだい」

 

 くるりとふり向けば、件の少女はどこか居心地悪そうに彼を見ていた。一体なんだろう、と首をかしげる。五加原碧が彼の知る彼女になってから数日。日常はとても平穏で、合同文化祭の準備もつつがなく進行しながら白玖といちゃつき、役三名の猛烈なアタックをくぐり抜けている玄斗である。そんな心の油断か、隙間か。

 

「あの――トオサカくんって、五加原さんと……付き合ってる、の……?」

「え?」

 

 ちょうどそこに、ずぶっと手を差し込まれた。

 

「……いや、違う……けど……」

「ち、違うの……?」

「うん。……なんで?」

「え、いや、だってこの前――――あ」

「…………、」

 

 ぱっと急いで口をふさいだ広那だが、言いたいことは丸分かりだった。玄斗は気が遠くなる感覚を覚えながら、そっとため息をついた。おそらくはあの場面を見られたのだろう。彼からした方か、彼女からされた方か。前者ならまだ額という逃げ道が残されている。後者なら……まあ、勘違いするなという方がおかしな話で。

 

「……見ちゃったのか、あれ」

「あ、あはは。あははー……ごめんっ」

「まあ良いんだけど。とにかく違うんだ。誤解。僕と五加原さんは付き合ってなくて――」

「――婚約してるだけだから。ねー? 十坂(零無)?」

「ッ!?」

「……碧ちゃん……」

 

 がっくりと肩を落としながら、玄斗は背後から抱きついてきた碧にジト目を向ける。焦っている、というよりはチャンスが巡ってきてはしゃいでいる、といった方が正しい。色々とアレコレ説明した結果、真墨と同じく「結局誰かさんがフリーなのでは?」という思考に行き着いたのは流石と言わざるを得なかった。女子高生は強い。

 

「ごめん飯咎さん、これも冗談だから」

「あ、そ、そうなんだ……」

「っていう十坂(零無)の言うことが冗談だから」

「そ、そうなの……!?」

「碧ちゃん……」

「んー? なになに?」

 

 ニヤニヤと笑いながら碧は肩越しに話しかけている。背後から飛びかかってそのままおぶられている状態だった。このふたり、事実を否定するにしてはとんでもなく距離が近い。

 

「というか腰が限界きそうだから突然のアタックはやめて……」

「え? うそ、大丈夫? けっこうそっと来たよ?」

「…………、」

「あ、嘘ついたの? もしかして十坂(零無)嘘ついた?」

「いや……」

「あー! 悪い子じゃん! なにー、本気で心配したのにー!」

「ご、ごめんごめ……ちょっ、髪、髪の毛、くすぐったいからっ」

 

 ぐりぐりと首筋から頬にかけてのダメージに悶えつつ、やいのやいのとはしゃぐふたり。ちなみに依然玄斗が碧を背負っている。異常に距離が近い。勘違いするなという方が無理な話である。

 

「あはは……えっと、やっぱり、そうなの……?」

「ち、違う、から! いや本当に!」

「むー……なんなの。十坂(零無)。そんなにあたしのこと嫌い?」

「碧ちゃんのことは好きだけどそういう関係になるのは困る……!」

「いやいや、困らせないって。ぜったい幸せにするよ、あたしは」

「逃げ道をひとつずつ潰さないでくれ……!」

 

 繰り返すが、異常に距離が近い。さらっと好きとか言っているあたり確信犯と取られてもおかしくない。そも玄斗が拒絶していない時点でわりとアウトだった。それでも彼の心は白玖一筋である。ちなみに今現在想い人との関係は「協力を持ちかけた仲の良い他校の生徒会長」とのところ。狙われるのはやむなしというべきか、なんというか。

 

「とにかくそういうことで……碧ちゃんそろそろ降りて……」

「あとちょっと」

「…………、」

「…………えっと、私、トオサカくんと五加原さんのこと誰にも言わないから、隠さなくても……」

「ごめん。飯咎さん、誤解なんだ。お願い、信じて……」

 

 ――どうしてこんなに必死にならなければいけないのだろう。理由なんて単純だ。因果応報である。そも十坂玄斗が彼でなくて、五加原碧が彼女じゃなければこの光景は成立しない。というかやっぱり距離が近い。本当に距離が近い。

 

「よしっ、充電完了」

「充電ってなに……?」

「うーん、なんだろ? 分かんないからもう一回やる?」

「いや、いいよ。遠慮しておく。ほら、碧ちゃんも色々あるだろうし」

「えー、いいよ。そんな遠慮しなくて。ほら」

「……まずい。これは致命的に言葉選びを間違えてる……っ」

 

 遠慮という単語を使ったのが失敗だった。まだ数日、されど数日だ。毎晩のようにベッドへ潜り込んであわよくばをしてきた真墨と比べれば、五加原碧はまあ大人しいと言えた。比較対象については深く考えないことにする玄斗である。妹の積極性が怖い。

 

「ええっと、じゃ、じゃあ私はこのへんで……その、末永く……ね……?」

「待って。いや待って飯咎さん」

「っ」

 

 咄嗟に腕を掴むと、広那の肩が跳ねた。同時に、玄斗もわずかばかり瞠目する。普段から肌が隠れるほどに着込む、それこそ夏でも構わず長袖だった少女だ。見た目からは殆ど分からなかった身体の細さ。ぎゅっと掴めば折れてしまいそうなモノに、自然と力が緩んだ。

 

「な……なに?」

「……飯咎さん、ちゃんと食べてる?」

「え……?」

「腕、すごい細いからびっくりした。ご飯は三食きちんと摂らないと、体に悪いよ」

「あ、う、うん! 食べてる、よ……?」

「そっか」

 

 なら良かった、と笑いながら玄斗が手を離す。そも線の細さで言えば彼も他人のコトを言えないのだが、ご飯だけはしっかり食べる男である。体調が悪くても食欲は衰えないというのは、今回の彼特有の持ち味なのかもしれない。十坂玄斗は別に大食感というコトもなく、明透零無でしかなければ多く食べられもしないが故だ。

 

「一先ず、僕と碧ちゃんはそういうのじゃないんだ。ただ、ちょっと、あれは……特殊な事情があって」

「と、特殊な事情……?」

「うん。……いや本当特殊な……ていうかあのときの僕はわりと思考回路がやばかったぞ……」

十坂(零無)的にあたしにキスするのはやばいんだー。ふーん? へー」

「いやごめん、ちょっと、いやすごく言い方が悪かった。ごめんなさい。だから、あの、拗ねないで……」

「……やっぱりそういう関係なんじゃ……?」

 

 首をかしげる広那をよそに、ふいっとそっぽを向く碧に謝る玄斗。傍から見れば言い逃れのできない構図である。ちなみにそうやって徐々に外堀から埋められている事実を玄斗はまだ知らない。家では妹に、学校では碧に、生徒会では六花に狙われる少年の明日はどっちだ。

 

「む、玄斗」

「あ、七美さん……」

「どうかしたのか? ……ああ、なるほど」

 

 ふらっと通りすがった橙野七美が、ふんふむとうなずきながらにこりと笑う。

 

「五加原さんと懇意にしているというのは本当だったのか。いや、めでたいな?」

「違っ……ていうか懇意にしてるってなに……!?」

「知らないのか? クラスでは有名なのだが……最近、五加原さんと生徒会長の距離が異様に近いという話で……」

「あははー。……やっぱこれ結構効果あるんだね……」

「……碧ちゃん、そんなこと狙ってたの……」

十坂(零無)は気にしなくていいよ?」

「気にしないワケがないだろう……」

 

 なんて、そんな噂も流れはじめた十月の終わり。着々と進んでいく時間は、なにも変わらないなんてコトもないのだ。……それが良いものであるのか悪いものであるのかは、当人たちによるところだろう。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「――はっ!?」

「? ……どうしました、壱ノ瀬会長」

「いや……なんか、こう……ムズムズする感覚が……」

「……お手洗いですか?」

「違う……うーん……なんだろうコレ……なんか直感的な……うーん……」

「……変な会長……」

 

 壱ノ瀬白玖。その立ち位置的にとんでもなく美味しいポジションを逃している少女である。




ということで十章。全体的に優しい雰囲気になります。オアシスだよ。




>アタッカーグリーン
実質ライバルが皆無なので独走状態な碧色パイセン。(学年的に)後輩な妹と(ナンバリング的に)後輩な紫ちゃんを歯牙にもかけない大人げのなさである。彼女を止めるには赤か蒼か白もってくるしかない。




おかしい……メインはこの子じゃないのに……


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お約束は唐突に

 

「そうだ、玄斗」

 

 そんな風に七美が切り出したのは、ちょうど教室に辿り着く直前だった。色気もなにもないふたりっきりの空間は、予鈴が鳴る直前に用事を思い出したように飛んでいった碧と、いつの間にやらふらっと消えた広那に取り残された形である。のんびり、ゆっくり、マイペース。そういう意味では似たもの同士なふたりだった。

 

「ひとつ訊きたいことがあるんだ」

「? うん。なに?」

「玄斗は、魚に詳しいか?」

「魚? って……あの、魚?」

「あの魚だ。ほら、水のなかに棲んでる」

 

 すいすいと泳ぐんだろう? なんて訊いてくる七美に、玄斗はどう答えるべきか逡巡した。知識だけはある。それこそ有り余っている。動けなかったときは勉強だけが友達といってもいいものだった。読書なんてもっぱらで、余計なモノに関しても蒼唯と過ごしている時間の大半だってあったのだ。

 

「まちまちだけど……そこそこは知ってるぐらい」

「そうか。なら、ものは試しなんだが……」

 

 と、彼女はポケットからなにやら二枚の紙切れを取り出した。ぺらぺらと手の動きに合わせて揺れるそれには、ご丁寧にデフォルメされたかわいらしいイルカのイラストが描かれている。

 

「……水族館のチケット?」

「うむ。もらったのだが……誰か誘って行くといい、なんて言われてしまった。仲の良い知り合いを何人か誘ったのだが、用事が入っているらしくてな……」

「ちなみに、いつ?」

「今週の土曜日だ。玄斗は外せない用とか、あるか?」

「いや、特にないけど」

「おお……では、その、なんだ。……玄斗さえよければ、一緒に行ってはくれまいか……?」

「? 別にいいけど……」

「そうか!」

 

 ぱあっと顔を輝かせながら、七美が勢いよく手を握ってくる。物静かなように見えてわりと感情表現が豊かなのが彼女だ。そのギャップには人並み以上の破壊力がある。見た目だけでいえば堅物風紀委員長的な……それこそ四埜崎蒼唯以上に切れ味が鋭そうな容姿。妙なミスマッチが、けれど七美らしさとも言えた。

 

「では、土曜日だな。ふふ、いいな。ふたりで遊びに行くというのは。とても心が踊る」

「ああ、いいよね。うん。それは同感」

「だろう? ああ、では、待ち合わせ場所はどうしようか。そも、水族館はどのあたりになるか、分かるか?」

「たしか、駅から歩いて十分ぐらいのところだったかな。そこまで遠くなかったと思う」

「ああ、駅なら分かるぞ。何度も通ったことがあるからな」

「なら駅前で……時間は、十時ぐらいにする?」

「うむ。そうだな。では、そのようにする。……いまから楽しみだな? 玄斗」

「そうだね」

 

 はたして、奇妙な偶然か、それとも知らぬ間に磁石のように引かれ合ったのか。鈍感と鈍感、天然と天然のコンボは凄まじい。ふたりっきりの男女でデート。これでなにが起こるわけもなし、というかその類いの心配を一切してないあたり、とんでもないコンビだった。どちらにせよ彼と彼女のコトを表すならこの一言に尽きる。

 

「それではまただ、玄斗」

「うん。また、七美さん」

 

 取り返しのつかない部分で似たもの同士、である。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「お疲れさ――」

 

 生徒会室の扉を開けると、玄斗の眼前に信じられない光景が広がっていた。

 

「お待ちしておりました、十坂さん。どうですか?」

「――…………どう、とは……?」

「この格好です」

 

 すっと両手をちょうどいい位置にあげる六花。にゃーん、という効果音がどこかから聞こえてくるようだった。ほぼ全員の揃った生徒会室。その扉の前で真剣な表情のまま可愛らしく小首をかしげた彼女の服装は、普段の制服とかけ離れたものだった。ストレートに言うならば。ネコミミカチューシャミニスカメイドである。

 

「……すごく」

「すごく?」

「…………似合ってる…………」

「そうですか」

 

 ほんのり顔を赤くしながら六花が答える。玄斗もほんのり意識が飛びそうだった。かつて冷静沈着だった紫水六花はどこへ行ったのだろう。仕事のはかどりがとんでもなくなった代償として心の平穏が荒らされていくのはなんとも言い難い玄斗だった。

 

「紫水てめえ……玄斗にケツふってる暇あるなら仕事しろ仕事」

「うるさいですが」

「ああ!?」

「どうどう、木下ドードー。飛べねえ鳥だな、鷹のくせに」

「ああ!!??」

「おまえ怒鳴り声だけで突っ込むの流石にスキル高すぎない……?」

 

 引くわ、なんて言いながらわりと凄まじい早さで書類を捌いていく逢緒。ここ数週間ですでに作業が板についていた。なんだかんだで優秀な証拠である。これでいて弱点らしい弱点が女性恐怖症なだけ、それはもう一歩間違えれば女子人気は鰻登りだろう。それをわざわざ手放しているあたりがこの男らしかった。

 

「ちっ! ここにマトモなのは居ねえのか。おい灰寺。あんたもなんか言ってやれ」

「……騒がしい」

「ほら、こいつもこう言ってる」

「おもにあなた……」

「俺の味方がひとりもいねえ」

 

 がっくりと肩を落とす鷹仁に、玄斗はかつての生徒会の光景を重ねた。まだ赤音がいないだけパンチ力はマシなほうである。女子三人、男子一人という集まりなのだから仕方ないのかどうなのか。生まれや育ちに反して、彼の立ち位置というのはなんともままならない。

 

「ていうか、紫水さんそれどうしたの……?」

「クラスの出し物……というか衣装です。借りてきました」

「いちおう、理由とか訊いても?」

「私の計算ではこれで十坂さんが動揺するかと」

「うん。すごい動揺した。ちょっと心が震えた。色んな意味で」

「でしたら重畳ですね」

「……ああ、なんか……慣れてきてる自分が嫌だ……」

「……?」

 

 はあ、と漏れた溜め息はきっと気のせいでもなんでもない。酷く疲れている。比較して攻撃力がそこまででもないのが救いだった。問題は妹と碧である。すでに誰かのモノになっている玄斗をしっかり知っている彼女たちはそれこそ容赦がない。油断も隙もさらせない。とくに我が妹である。お風呂場に鍵をつけてほしいと切実に願ったのは今回がはじめてだった。

 

「ちなみに、生徒会長としての意見は」

「うん……まあ、良いんじゃないかな……あんまり過激じゃなかったら……」

「そうですか。……おそらくあの人ならこういうとき、悪乗りしてもっととか言いますよ

「赤音さん……」

「あとああ見えてわりと乙女ですから。可愛らしいものとか、たぶん興味持ちますね」

「あ、それはなんとなく知ってる……」

「おや。では私も乙女ですのでそういうのが好きです、と」

「……うん。覚えておく……」

「よろしくお願いします」

 

 眼鏡を光らせながら言ってくる六花に苦笑を返しながら、玄斗はどすんと椅子に腰掛けた。生徒会室に来ただけでとんでもない疲労感である。と、

 

「――お疲れみたいね」

「灰寺さん……」

「飲むといいわ。……きっと、すこしはマシよ」

 

 言って、彼女はすっと玄斗の目の前にペットボトルを置いた。紅茶である。自分はちゃっかりとティーバッグのものを飲んでいるあたり、大方要らなくなったものであろうコトは察せた。

 

「ありがとうございます」

「礼は要らない。顔色が優れないのは、本当だから」

「……そんなに分かります?」

「ええ」

 

 短く応えて、灰寺九留実はまた自分の席まで戻ってカップに口をつけていた。これ以上話すことはない、という意思表示だろう。なにはともあれ、ありがたいものはありがたい。自分もペットボトルの紅茶を口に含んでみると、わりと美味しかった。市販だからと馬鹿にできない味である。

 

「なんだ、ストレスでも溜まってんのか玄斗。土曜にラーメンでも食いに行くか? 男だけで」

「いいな木下。俺も連れて行け」

「割り勘な」

「けちくせえ……」

「ごめん、土曜日は先約があるんだ」

 

 悪いけど、と困ったような顔で玄斗が言う。それに対して残念がる様子もなく、ふーんと鷹仁は続けた。

 

「へえ、珍しいな」

「七美さんに水族館へ誘われて。一緒に行くことになった」

「ふんふむ。七美? ……橙野七美か? え? いや……女子じゃん十坂……」

「そりゃそうだよ」

 

 ドン引きする逢緒に玄斗が笑いながら言う。なにがなんだか理解もせずに。

 

「ってことはデートか。まあ楽しんでこい、玄斗」

「ッ!?」

 

 がばっと六花がふり向く。その勢いに逢緒が肩を跳ねさせていた。彼にとって生きづらい世の中である。

 

「え? 違うけど」

「は? おまえな……男女がふたりっきりで水族館とか、そりゃデートだデート。馬鹿でも気付くぞ馬鹿野郎」

「でも、そういう雰囲気なら分かるよ。あれはなんていうか……普通に遊びたいだけ、なんじゃないかな……?」

「ばーか。玄斗ばーか。おまえが雰囲気云々察そうなんて百年早いわ。出直せ」

「そうだぞー十坂。おまえの感性はあてになんないぞー。ちょっとズレてるし」

「散々な言われようだ……」

 

 実際散々なので致し方なし。肩を落とす玄斗の味方はひとりもいなかった。現実は非情である。まさか持ちかけた相手にも、当然持ちかけられた当人にもそういった類いの甘い空気がないのを彼らは知らない。正真正銘、友達感覚のお出かけである。

 

「十坂さん。いまの話、詳しくお聞かせ願えますでしょうか」

「……紫水さん? なんか怖いよ……?」

「怖くありませんが」

「……なあ飢郷」

「どうした木下」

「俺ときどき思うけどさ。コイツ、なんでこんなに面倒くさいの引っ張ってくるんだろうな……」

「本人が面倒くさいからだろ。類友、類友。……はっ。そうすれば俺も男子嫌いな女子が集まってくる可能性が……!?」

「男子嫌いな女子はまずハナからてめえに近寄らねえ」

「デスヨネー」

 

 けっこう真理を得ている呟きだった。  







>僕玄斗の慣れ
おもに妹ちゃんのせい。万能型妹が兄貴籠絡に取りかかるとどうなるかというどうしようもなさがある。はやく来て白い子。

>橙色ちゃん
メインヒロインさせたいのに他が濃すぎました。自重して(懇願)


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別れたあとに

 

 疲れきった体は、自宅を前にして気が緩んだ。ひとつ息を吐きつつ、ゆっくりとドアノブを回す。ガチャリと玄関を開けてみれば――そこに、エプロン姿の妹がいた。

 

「おかえり。ご飯にする? お風呂にする? それとも――」

「ご飯」

「あた……いや食欲に正直すぎるだろ」

 

 太るぞ、なんて呟く真墨の隣を、玄斗はなんともないようにすり抜けていく。ここ最近の慣れの成果だった。妹からの激烈アタックが日々留まるところを知らない。

 

「真墨」

「なに?」

「体重、あまり気にしなくてもいいと思うよ」

「おいそれはどういう意味だ」

「いや、最近よく体重計とにらめっこしてるから……」

「てめえそれをどこで見てやがった!?」

 

 うがーっ、と吠えながら真墨が飛びかかってくる。色気一切なしの攻撃はわりと兄として楽しいものがあった。高校一年生といえどれっきとした乙女であり女子高生である。ゼロコンマ一の差であったとしても気になるお年頃だった。

 

「ばれてんなら仕方ないっ! あたしのカロリー消費運動に協力しろっ!」

()()()とか言ったら二度と口きかないから」

「セッ○ス!」

「やめないか!」

 

 身も蓋もない単語だった。わたわたと廊下で転げ回りながら玄斗は最終防衛ラインを死守する。ズボンのチャックを下ろさせてはならないのだ。色んな意味で。ファーストキスは奪われても貞操だけは守り抜きたい純朴少年(その他は経験済み)である。はたしてそれは純朴と言えるのだろうか。

 

「ていうかさー! お兄さー! 学校で五加原センパイといちゃつきすぎじゃん!? なんなん!? 壱ノ瀬センパイ一筋じゃなかったわけ!?」

「いやいちゃついてないし……」

「あれでか!? あんなに密着しててか!? 言うか、それを!? おいその口のどこが言うんだ!? あたしとももっと近付け!?」

「本音がドストレート……!」

 

 どうして自分の近くにいる女子はこうも肉食的というか、なんというか。隙あらば牙を剥くようなタイプなのだろう、なんて玄斗は真剣に悩んだ。そも彼が肉食系ではないのだから当然とも言えた。唯一現状に限ってがっつくようなタイプではないのが白玖ぐらいなものである。

 

「でも、それなら別に良いだろう」

「なにが良いのっ!」

「じゅうぶん近いじゃないか。いま。こんな風に自然と話せる相手なんて、真墨以外にいないし」

「……っ! そ、それは事実上の告白と受け取ってよろしいので!?」

「いやそれはおかしい」

 

 ズボンに手を伸ばす妹の細腕を止めながら、吐息がぶつかるぐらいに近い真墨を見詰める。実際、この距離で心臓ひとつ跳ねずに会話できるのは彼女だけである。いくら碧でも近付いていれば自然とドキッとするし、白玖ならばもうメトロノームもかくやといったモノである。良いか悪いかはどうであれ、すくなくとも特別という点では間違いなかった。

 

「……おかしくても、いいじゃん」

「…………真墨?」

 

 と、不意に勢いが止んだ。とても、とても、静かに。ふたりの寝転がった廊下には、なんとも言い難い静寂が流れている。

 

「あたしはっ……変でも、おかしくても、お兄が、好きなんだもん」

「……うん」

「だから、さ……ちょっとは、見てほしいよ。あたしのこと。ちゃんと、見てほしい」

「うん」

 

 うなずきながら頭を撫でる玄斗に、真墨は俯きながらちいさく声を漏らす。そんな態度に、考えてみれば……なんて思い返してしまった。兄妹だとしても、彼女の抱いた想いこそが本物だ。周りが大事だと言っておいてそれを無視するのはいただけない。向き合わなくてはならない問題から逃げるのは、なんとも彼として納得いかないところだった。だから、あとほんのすこしでも、この少女には真摯なモノであろうと――

 

「あたしは……お兄の妹のままでも、良いよ。ううん。むしろそれが良いの。でも、それ以上だって……ほしいんだよ」

「……わがままだね、真墨は」

「うん。わがまま。でもさ、仕方ないじゃん……お兄が、さ」

「うん」

「――こんな、エロい格好してるから……!」

「ごめんちょっと離れて?」

「はい」

 

 素直にうなずく妹に圧力が通じているようで一安心だった。玄斗はすっと立ち上がりつつ、いつの間にか外れていたボタンやベルトを直して、くるりとリビングのほうへ向いた。

 

「今日の夕飯、きのこたっぷり使った炊き込みご飯にしてくるから」

「待って! おねがい許して! あたしが悪かったです! ごめん! ごめんってお兄!」

「次やったら本気で一週間無視するから」

「いや殺す気!? あたしお兄に無視されたら泣くよ!?」

「…………、」

「ふえぇ……!」

「いや早いって……」

「うえぇ……!」

 

 ため息をつきながら玄斗は真墨の前に屈んで、よしよしといま一度頭を撫でる。その隙に乗じて真墨は兄の制服の匂いを嗅いでいた。計画通りである。そんな事実に鈍感な兄は気付いてもいない。妹はやっぱり偉大だった。

 

「すん……すん……」

「ああもう、良い子だから……無視とかしないから……」

「ぐすっ……本当?」

「本当、本当」

「嘘じゃない?」

「嘘じゃない、嘘じゃない」

「幸せにしてくれる?」

「うんうん、するする」

「キスする?」

「うんう――いやそれはおかしい」

「ちっ」

 

 雑な誘導尋問はおおかた本気でもなかったのだろう。肩を落とす玄斗とは対照的に、真墨は元気いっぱいだった。理由はまあ、すぐさっきまで密着していた誰かのコトを思えば見えてこないこともない。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「――ただいまです、千華(チカ)さん」

「ああ、おかえり。七美」

 

 彼女が帰宅すると、すでに家主はリビングで寛いでいた。橙野千華。引っ越してからもその前からも、色々と七美がお世話になっている人である。今回チケットをどこからかもらってきたのも彼女だ。そのあたり、気にはなっても聞くことでもないのだろう、と気軽に台所まで足を運ぶ。

 

「なにか食べましたか?」

「いいや、コーヒーだけ。できればなにかつくってくれると、ありがたいな」

「そのつもりなので気にしないでください。料理、好きですから」

「そう。いいお嫁さんになるだろうね」

「そうですか? 私はあまり、そうでもないような気もしますけど」

 

 答えながら、七美は冷蔵庫のなかを覗きつつ今日の献立を考えてみる。料理は最近になってできた趣味のひとつだった。体を動かすにしても限界のある彼女としては、適度に動きつつ激しすぎる運動はしないというのがちょうど良い。頭を使うというのもある。実は家事全般が壊滅的な千華に代わって彼女が料理するのは、もはや引っ越してから当たり前の光景になっていた。

 

「ああ、そういえば、この前もらった水族館のチケット、相手が見つかりました。今週の土曜日に行ってきます」

「ほほう。それは重畳だね。……友達かい?」

「そんな感じです。玄斗、というんですけど」

「玄斗? 男の子か?」

「ええ、そうですけど……なにか、問題が?」

「――ああ。大アリだね。これは、おめかししないといけない……」

「?」

 

 学力はそこそこ、常識的なコトに関しても致命的なまでの欠如はない。よくぞここまで、というのは皮肉も込めて千華の言いたい一言だった。そも真っ当な生活を送らせる気があったのかどうか、というのもある。その点、いまを十分に楽しんでいそうなのが救いだった。

 

「なにしろ初めてだ。存分に楽しんでくるといいよ。なに、私はすこしばかり帰りが遅くなっても気にしない。せいぜい煙草をふかすぐらいさ」

「……煙草は体に悪いそうですよ、千華さん」

「分かっていてもやめられないんだよ。こればっかりは。まあ、そろそろ時期かもしれないとは、思うけれども」

 

 言って、千華は咥えていた煙草を灰皿に押し付けた。七美はそれを不思議そうに見詰めている。いつもなら何を言ってもどこ吹く風だった保護者が、急に素直になったのだから当然だ。

 

「どうしたんですか? 具合でも……」

「いいや、これでもまあ、考えてはいたりするからね。子供ができたみたいなものだ。副流煙というものがある。気になるなら、すこし調べてみればいい。きっと君は私のことを嫌いになるよ」

「よく分かりませんけど、でも、千華さんのこと嫌いにはなりませんよ? ぜったい」

「……言ってくれるよ、本当。分かった。しょうがない。禁煙だ。……君のいる前では煙草は吸わない。せっかくの名前が、台無しになるからね」

「はあ……?」

 

 要領を得ない話をする千華に首をかしげながら、七美は適当に豚肉と野菜をいくつか取り出した。ちなみに肉嫌いの千華はちいさく切らないと滅多に口に運ばない。好き嫌いをしない七美のこともあって、どっちが子供か分からなくなるぐらいだった。

 

「七美だよ。覚えているかな?」

「まあ……忘れたくても、忘れませんよ。あれは」

「そっか。……願わくば、そのとおりにね。名前に意味を込めすぎてもアレだが、本当に、私はそう願ったんだよ」

「……はい」

 

 うなずいて、彼女は調理に取りかかった。橙野七美。それが単なる記号であっても、単なる文字の羅列ではないと知っている。なにせまだその名前になって二ヶ月ほど。彼女はしっかり、自分の名前というモノの重大さを理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、でも、どうするべきか。

 

 時間がない。

 

 この身体は長く保たない。

 

 だから、その前に。

 

 早く、早く。

 

 どうか、彼女を……

 

 

 

 

 

 

 ……でも、それだけでいい。

 

 それだけでいいんだ。

 

 それ以外はいらない。安心してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あとの負債は、ぜんぶ、俺が請け負っていけばいい――

 






>あとの負債
ハッピーエンドはちょっと欠けてるぐらいがちょうど良いんです。




警戒しなくても本気で十章は優しいので安心してくださいね。クッションですからね。まだ甘い雰囲気ですからね。


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ひとときのなつかしさ

 

 あなたにとってハジメテの女性とは誰ですか? そんな質問に、十坂玄斗はこう答える。

 

『色んな意味で先輩でした』

 

 喜ぶべきか悲しむべきか、はたまた嘆くべきか落ちこむべきか。最初以外のすべてがありえて、最初を含めるすべてをまともに取れなかったものである。ファーストキスの相手にして、初めて恋愛を教えてもらった人物で、初めて好きだと思った人。それが彼女――四埜崎蒼唯である。

 

「…………、」

 

 そんな彼女を、駅前のカフェで見つけてしまった。時刻は朝の九時前。時計を読み間違えてずいぶんと早く来てしまった玄斗が、どこかで時間を潰そうとふらふらしていたときのコトである。四人がけの席を堂々と陣取って大量の本を積み上げている彼女は、まあなんとも蒼唯らしいと言えばらしかった。人目も気にせず読書する、というのは玄斗が難色を示してからあまりやらなくなっていた〝彼女〟の珍しい姿である。

 

「(……なんだろう。ちょっと、懐かしいな)」

 

 思えば、好意の問題であるならそも最初が()()だった。真墨や碧ならともかく、赤音も蒼唯も初対面からしばらくはあまり良い関係とも言えなかったような気がする。なにせひとりには殴られて、ひとりには露骨なぐらい嫌な顔をされている。だから、というのもあったのか。自然と玄斗は店内に入って、薄く笑みを浮かべたまま彼女の座る席まで歩いていく。

 

「……すいません。同席しても、いいですか?」

「嫌よ。他をあたってちょうだい」

 

 笑った。思わず笑った。なにせ、それはその通りにすぎる。まったく同じだった。彼が四埜崎蒼唯とはじめて出会ったとき、一文字の違いも無くいまのやり取りをかわしたコトを思い出す。それだけで、十分なぐらい満足できた。

 

「……? なにを笑っているのかしら」

「いえ。すこし」

「すこし、なによ」

「なんでもありません。……失礼します」

「ちょっと」

 

 対面に腰掛けると、蒼唯は目に見えて眉間にシワを寄せた。嫌悪感丸出し、といった感じの表情。それがまたもや一年前の記憶と一致してしまうのだからおかしくてたまらない。結局、玄斗からしてみれば思い出がすっぽり抜け落ちたのと同義だ。よく思われていないのも、欠片さえ好意を見せていないのも、すこし考えれば彼の知る四埜崎蒼唯である。

 

「あなた、言ってる意味が分からないの?」

「待ち合わせまで時間ができてしまって。すこしだけ居させてください」

「理由になってないわ。……本当、気味の悪い……」

「あはは……」

 

 鋭いなあ、と玄斗は痛む胸をおさえつけながら愛想笑いを浮かべた。いまとなっては懐かしい、四埜崎蒼唯の凍てつくような毒舌である。蒼海の静女、なんて二つ名はこの世界にないらしい。二之宮赤音と並んで調色高校二大巨頭に数えられている事実を目の前の少女が知ればどうなるだろう、なんてなんにもならないコトを考えてみる。ちなみになくなった二つ名が生徒会男子勢に来ているあたり、他人のコトは言えなかった。

 

「あの、先輩」

「…………、」

「……僕って、誰ですか?」

「……はあ? よりにもよって……なにを言うかと思えば……」

 

 苦虫でも噛み潰したような表情だった。たしかにいまのは脈絡がなさすぎるか、と玄斗もすこし思う。が、そのぐらいがちょうど良かった。なにせ、こういう一言でさえ鋭すぎる一撃を叩き込んでくるのが彼の知る蒼唯だ。ならば、判断なんて簡単極まって、

 

「十坂玄斗でしょう? それ以外の誰だって言うのよ」

「――――」

 

 馬鹿みたい、と蒼唯はそこで話を切った。名前を知られているのは当然だ。なにせ彼は生徒会長である。だからこそ、解答がそれだけで終わるのが決定的だった。玄斗の知る蒼唯ならば知っている。その胸の奥、心の奥底、隠された部分に眠っていた名前を。

 

「……そうですね。おかしなこと訊きました」

「まったくよ。私の貴重な時間を消費させないでちょうだい」

「すいません」

「…………、」

 

 会話はそこで途切れた。話す気がない、という雰囲気は真実そうなのだろう。蒼唯は玄斗から視線を切って、そのまま読書に没頭する。こうなった彼女はなかなか動かない。が、同時に周りをあまり気にしないとも言えた。コーヒーをひとつ注文して、ぼんやりと眺めながらゆっくり過ごす。――なんてコトもない、時間。

 

「…………、」

「――――、」

 

 会話はない。ふたりの間に、緩やかな雰囲気は決してない。けれど、静かなままに時間がすぎていく。ギスギスとしているわけでもないが、特別仲が良いといったワケでもない空気。それは久しく感じていなかった、一年時に蒼唯と共に過ごしていた時間の再来だった。彼女が本を読んで、彼はそれを眺める。たったそれだけの、ふたりの空間だ。

 

「(よく、こうしてたな……そういえば。最近のことばかりで、すっかり忘れてた――)」

 

 記憶は薄れていくもので、日々思い出は新しいものに移り変っていく。それはどうしようもない。古い記憶はいつしか新しい記憶に塗り潰されていく。それでもなお残っているものがあるのなら、きっとそれが大事なものなのだろう。明透零無の記憶だって、そうやって残り続けているに違いないと。

 

「(……あ)」

 

 と、そんな感傷に浸っていたときだった。ふと、彼女が本に挟んだ栞に目がいく。……見間違いでなければ。それは何度も目にした、蒼唯を象徴する栞だった。忘れるワケがない模様に、複雑なモノを抱いてしまう。誰にも渡していないという事実と、誰にも渡されていないという現実。そして、渡されてしまっていたという自らの過去。

 

「……先輩」

「……………………、」

「先輩、ごめんなさい」

「…………いきなり、なに?」

「すいません。独り言……みたいなものです。だから、ごめんなさい」

「……意味が分からない。だいたい、独り言なら話しかけないで」

「すいません」

「……謝罪が多い……」

 

 ぼそっと呟いた一言に、いつぞやの出来事を思い出した。あのときは上手い具合にしてやられたものだと息を吐く。はじめて学校をサボった日で、はじめて自分を見つけてくれた日だった。明透零無の本音を聞いたのは、真実、彼女こそがはじまりであった。

 

「……ん、そろそろ時間みたいなので、僕はこれでお邪魔します。ありがとうございました」

 

 言って、玄斗は蒼唯のほうに一枚紙幣を差し出して立ち上がった。たった一時間。コーヒー一杯分である。……その桁が四つではなく五つなあたりが、彼女の心をどうにも刺激した。

 

「多すぎるのだけれど? あなた、コーヒーがいくらぐらいだと思ってるのよ」

「五百円はしないほどかと」

「ならこれはなに?」

「あ、お釣りは要りませんので」

「そういうコトを気にしているんじゃないのよ……っ!」

 

 立ち上がって抗議する蒼唯に手を振って、玄斗はのらりくらりと躱しながら店を出た。腕の時計を見れば十時まであと十分もない。待ち人を探しつつ、人ごみの中に溶け込んでいく。今日はすこしだけ、気分が良い。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 彼の立ち去ったあと、蒼唯は力が抜けたように椅子へ座り直した。はあ、とひとつ大きなため息。取り残された一万円札は、自分の役目をまだかまだかと待ち望んでいる。

 

「……なんなのよ、あの男……」

 

 本当に変わった少年である。蒼唯からしてみれば接点もなにも殆どない。何度目かになる邂逅もほぼ初対面と変わらなかった。ならば、呼吸の合間のズレだとか、致命的に許せない部分だとか、そういう相容れない部分が見えてもいいはずだ。ところが、

 

「(信じられない……あんな、忘れるぐらい馴染むなんて……)」

 

 居ることを半ば忘れていた。空気に溶け込むような安らぎよう。それがそうであると知っているような態度。十坂玄斗は真実、蒼唯の読書を一切邪魔することがないほど空気に馴染んでいた。

 

「(……本当気持ち悪い男……赤音に気を付けるよう言っておこうかしら……)」

 

 ただまあ、だからといってどうというワケでもない。玄斗が幸せな結末を掴むまでには、まだまだ先の遠い話だった。







>しおり

幸福な愛とか、信じあう心とか


ちなみにこの人は今章サブメインじゃないです。もっとあとだヨ! ……正直シチュエーションも展開も決まっている大正義パイセンなのでていねーいていねいていねーいに書いていきたい。


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水に流れて、流されて

 

「玄斗」

 

 駅前で待ち人を探していると、不意に背後からそう声をかけられた。腕の時計はすでに十時を回っている。そろそろ見つかってもいい頃合いなのでは、と不安になりかけていた矢先だった。ふり向けばこれまた絶世の美女が、そこに立っていた。

 

「……えっと、なにか……?」

「? なにかもなにも、玄斗だろう」

「え、ああ、はい。そう……ですけど……?」

「……?」

 

 首をかしげる玄斗に、対面の女性も首をかしげた。見れば見るほどに美人である。後ろで一纏めにされた長いオレンジ色の髪。赤縁の眼鏡がほどよい色彩で似合っている。肌は真冬の月を思わせるように白い。全体的に細くて、すらっとした印象。清楚でありながら大人びた感じを漂わせる服装も、思わず息を呑むほどには凄まじかった。白玖一筋の玄斗をして、である。

 

「(誰、だろう……僕、こんな美人と関わり合いなんてないぞ……!?)」

「……あ、そうか。私だ、玄斗。……ほら、こうすれば分かるか?」

「え――?」

 

 と、目の前の女性がさっと眼鏡を外した。透けるような赤い瞳。それに、覚えはあった。よく見れば全体像がかっちりと当て嵌まる。

 

「……もしかして、七美さん?」

「私以外の誰だというのだ。……まったく、千華さんは……だから余計なコトをしなくてもと言ったんだ……」

 

 はあ、とため息をつく少女は、どうやら自分で選んだコーディネートでもないらしい。が、それにしてもである。綺麗かどうか、似合うか似合わないか以前に目の前の少女はそれひとつとして完成していると言えるモノがあった。

 

「……ごめん。ぜんぜん気付かなかった……すごいな……」

「なにがすごいというのだ」

 

 むっ、と頬をふくらませながら七美が詰め寄る。それに玄斗は「いや……」と前置きして、

 

「すごい、綺麗だと思って……本当、純粋に」

「――――なん、だ。それは」

「なにって……うん。本気で」

「本気……うむ……ふ、……っ、ふふ……!」

「……?」

 

 素直な感想を言うと、七美は肩を震わせながら俯いた。普段の彼女らしくない彼女の格好。見慣れないはずなのに〝橙野七美〟としてはどこまでも綺麗で、それに驚いた。ただそれだけの話である。が、故に。

 

「ふは、ははははっ……! なにを、言うかと思えば……っ、また、ずいぶんと、愉快な気分にさせてくれる……っ!」

「……なにを言うかっていうのは、さっきも言われたな……」

「そうなのか? なんにせよ、ああ。素直に嬉しいな。そうか、今日の私は綺麗か。――なら、たまにならこういうのも、良いかもしれないな?」

 

 くすりと笑う七美に、一瞬、それこそほんのコンマ一秒にも満たない間だけ。ちょっと、脳が揺さぶられた。視覚とはなんともおそろしい。情報の暴力だ。なんてことはない仕草が、心臓を鷲掴みそうな勢いを持っている。本命は白玖、本命は白玖、と玄斗は心中で百八回ほど唱えた。本命は白玖。

 

「…………そうだね。じゃあ、行こうか」

「ふむ。大分間が空いていたが」

「本命は白玖だから……」

「いや、なにを言っているのだ?」

 

 もっともなツッコミになんでもないと苦笑しながら、玄斗は歩き出した。一恋する男子の悩みなど彼女が知る由もない。ましてや、いまの自分がどれだけ目立っているかも把握しているか怪しかった。駅前に突如として現れたとんでもない美少女である。そっと玄斗に手を引かれながら、ふたりはその場を後にした。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 土曜日というのもあってか、こういう地方都市故の場所の少なさか。意外なことに水族館は盛況だった。当日券の売り場には長蛇の列ができている。減り具合からして、最後尾に並べば一時間は待つことになりそうだ。当然玄斗たちにはチケットがあるので、隣の人が少ない列をすいすいと進んでいく。

 

「……なんだか、悪いことをしている気分になるな」

「え?」

「ほら、私たちだけこんな、苦労もしないというのは……」

「……いや、それはまあ、そういうものだし……」

「そういうものか……」

 

 ふむ、と不満げにうなずく七美だが、ことコレに至ってはルールなのだから仕方ない。別に本当に悪いコトをしているワケではないし、彼女の罪悪感も見当違いなものだった。受付の職員に財布から引き抜いたチケットを渡して入館する。ロビーは外の光が入っていて明るいが、その先は外界と隔絶された薄暗闇。魚たちのいる空間はそこだ。

 

「――――と、七美さん?」

 

 ふと足を止めた七美に、どうしたの、と玄斗が心配そうに顔をのぞき込む。

 

「……いや、なんでもない。行こう」

「? ならいいけど」

 

 一瞬だけ止めた足を、なんでもないように七美は動かした。その瞳を一度閉じて、切り替えるように開く。脳裏をよぎったのは、きっと、戻ることのないものだった。そんなものに引き摺られている。なんと情けないコトか、と彼女は悔いた。せっかくの友人とのお出かけだというのに、開幕からコレではさきが思いやられる。浮かんでいた感情も記憶もそっと仕舞って蓋をして、唾と一緒に嚥下する。何度か試してやっとごくりと飲みこめるぐらいには、しつこかったけれども、――ふたりの足取りは館内へ。光のあたるロビーから、水槽の立ち並ぶ異質な空間へと切り替わる。

 

「…………おお」

 

 水に囲まれた室内で、驚くように七美は目を見開いた。外から見ていたとおり、そこは朝と昼の間になる午前でも薄暗い場所だ。照明は極力減らされていて、ぼんやりとしか輝いていない。人工的なものか、外からの自然なものを取りこんでいるのか。主役である魚たちの泳ぐ水槽だけが、スポットライトを当てられたように鮮明だった。

 

「すごいね。いい雰囲気だ」

「ああ……」

 

 玄斗の言葉に、七美はうなずきつつ反応した。彼女はぼうっとその光景を目に焼き付けている。瞳の奥には初めて見たものへの期待と興味がらんらんと光っており、なんとも分かりやすい。ふらふらとあたりを見渡しながら歩く七美は土地に不慣れな外国人みたいで、玄斗はそれをさりげなく引っ張った。

 

「……水族館、人生初だったりする?」

「うむ。いままでこういうところは来たことがなかった。すごいな、これは」

「……まあ、たしかにすごいか」

 

 言いながら、玄斗もぐるりと内装を見渡した。この水族館はオープン当初の一時期話題になっていたので玄斗も知っている。なにより「アキホメ」の背景にも登場したデートコースのひとつだ。下調べなんかで何度か通ったこともある。改めて見れば、それもそうだと言いたくなった。動物園やテーマパークみたいな賑やかさはないが、アクアリウムとしては申し分ないものが揃っている。むしろこれだからこそ良いと言うべきか。暗く深い水の世界には、大人しい空気が嫌なぐらい似合っていた。

 

「ほら、玄斗。見てくれ、魚が泳いでいる」

「うん。見れば分かるよ」

 

 ついでに、彼女の気分があがっているのも。

 

「すごい綺麗に泳ぐんだな……すこし、羨ましい」

「……七美さん。もしかして、カナヅチ?」

「? 金槌ではないぞ。ただ、泳いだことがないんだ。だから、ああいう風に泳げるのは、見ていてとても羨ましい」

「そうだったのか」

 

 微妙にずれている会話は、それでも不思議と通じ合っていた。妙なところで似通っている。どこか、世間知らずなあたりがそうとも言えよう。広い世界の美しさを綺麗な笑顔で感じている少女は、彼をして思わず共感してしまいそうな部分があった。

 

「玄斗、玄斗。あれはなんだ?」

「あれはクラゲ。それと、横のがカニ。エビ。タコ。向こうのがたしかクマノミ……だったかな」

「ふむ……随分と詳しいな? 覚えているのか?」

「まあ、色々ね。本を読む機会が沢山あったし。ちなみに、水槽近くのボードとか、読んでみると結構面白いよ」

「なるほど」

 

 どれどれ、と七美は目を輝かせながらじっとボードに書かれた説明に目を通す。まるで子供みたいなはしゃぎっぷり。これではどちらがどちらを誘ったのかも分からない。が、それもまたらしさかと玄斗は笑った。会話は続く。ときおり途切れて、足を止めてはまた繰り返す。そんな当たり前を噛みしめるように、ふたりの姿は進んでいく。

 

「なあ、玄斗」

「ん、どうしたの」

「私としては塩をふって焼くのが美味しいのだが、玄斗はどう思う?」

「……シャケが驚くからやめよう。どうでもいいけど、僕はホイル焼きが好きだ」

「そうか。なら今度つくってみよう」

 

 ……まあ、ときどき、ちょっとズレたことも交えつつ。

 

「水の中はどう見えるのか、と考えたコトがある」

「へえ……まあ、そこまでの景色でもないよ?」

「どんな感じなんだ?」

「どうって……なんていうか、難しいな……ぷかぷかしてて、ぐにゃって歪んでる感じかな……でも、なにがどうなってるかは大体分かる。ゴーグルとかつければよく見えるし。乱視って、あるだろう? あれをちょっと軽くした感じだ」

「……私は乱視ではないのだ。あまり、分からない」

「涙目でもいいかも。むしろそっちのほうが近いかもね」

「涙目……」

 

 ほうほう、と七美は興味深い感想を聞いたとでもいうかのように考え込む。乱視ではない。普段からコンタクトをしている……のとも違うのであれば、本日の眼鏡は真実オシャレアイテムだったわけか、とひとり斜め上の納得をしながら玄斗は進む。七美を伴って、奥へ、奥へ。すたすた、かつかつと。ふたりの足音はさらに向こうへ。水族館の広さはそれなりだ。一時間はあっという間にすぎて、気が付けば二時間が経とうとしている。玄斗がちらりと腕時計を確認したとき。ふと――七美がぴたりと動きを止めて、ひとつの水槽をのぞき込んでいた。じっと、ただひたすらそこにはない何かを見詰めるように。

 

「――七美さん?」

「…………、」

 

 七美からの返事はない。目の前の水槽に夢中のようで、声も聞こえていないようだった。なんとなく気になって、玄斗もそちらを見遣る。これだけ彼女の気を引くものは一体なんなのか……と、ふり向いた先に映ったモノは文字通り〝寂しい〟もので。知らぬ間に息が漏れていた。なんだ、と彼は若干呆れながら七美に近寄る。

 

「ずいぶんだね。この水槽、大きいのに魚が一匹しかいない」

「……ああ」

「まだ用意してる途中なのかな。さすがに、展示完成でこれってことはないだろうけど……」

 

 水槽の大きさは横幅だけでも二メートル近くある。奥行きは目測でしか分からないが、ゆったりと泳ぐ姿を見るに広々としているらしい。……むしろそれは広々としすぎている、とも言える光景だったけれど。仲間の一匹もいない水槽のスペースを持て余しながら、魚影はなにも知らないようにヒレを動かしている。

 

「……………………、」

 

 その姿を、じっと、穴が開くほどに、橙野七美は見つめ続けている。餌は飼育員からもらえるはずだ。その魚が飢えて死ぬことはない。人間のように孤独を抱えて悩むワケでもない。安全は確保されている。水族館の水槽では天敵に襲われる心配も、突然ナニモノかの仕掛けた罠に捕らわれる可能性もありはしない。傍から見ればそれは楽園とも言えた。だって、今日の安全と明日の未来が保証されている。なにをしなくともこの魚は生きていける。それは、まるで――

 

「……そうか。住んでいたわけでは、なかったのか……」

 

 やっと気付いた、というふうに七美は呟く。小さな小さな、ともすれば空気と一緒に消えてしまいそうな声。彼女らしくもない感情と意味のたくさん込められた言葉だった。よせばいいのに、それを玄斗は気にかけてしまった。

 

「……それって、どういう?」

「……こちらの話だ。玄斗はずいぶんと言ったが、それはちょっと違うんじゃないか。なにも知らなければこの魚だってきっと、ここが一番幸せなんだって思う」

「そうかな…………ああ、ううん。そうかも。でも、この子は水族館で生まれたわけでもないと思うよ。きっと、大海原の自然を知ってる」

「そういえば、そうか。捕まってる、飼われてる……それは、いいことなのだろうか」

「どうだろう。僕たちは、魚じゃないからね。想像するのは勝手でも、実際にそうなのかどうかなんて分からないよ」

「……玄斗に分からないのなら、私も分からないな」

 

 くすりと笑って、七美は水槽から視線を逸らした。本当に分からない。彼女の抱える想い。橙野七美にとって奥底に眠る感情を吐露したとき、千華は「そんなのは紛い物だ」と容赦なく切り捨てた。あんなどうしようもない世界に執着しているだけだと。なにせ千華からしてみれば、七美の過去など忌むべきものでしかない。他人の歩んできた道にそこまで入れ込めるのは偏に彼女の持つ愛情だ。だから、千華の言い分は間違っていないのだろう。けれども、納得だってできなかった。例えどれだけ地獄と言われようとも。例えどれだけ他の幸せを見ようとも。彼女にとって原初になる暮らしはそれひとつだけ。なにも知らず、なにも見られず。無知なまま世間に置いていかれても、彼女にとっては十分すぎる暮らしだったのに。

 

「……玄斗」

「なに?」

「ひとつだけ、訊いてもいいだろうか」

「うん」

 

 隣を歩く少年は、いつも通りの調子で答える。それに、七美はほんのりと暖かさを覚えて――

 

「自由がないのは、悪いコトだと思うか?」

 

 そんな質問を、気付けばぶつけていたのだった。  






>橙野七美

実は元ネタが大分前に書いて眠っていたオリジナル主人公というヒロイン兼ヒーローなキャラ。なので性癖ぶち込んでるのはしょうがない。玄斗くんに比べればまだかわいい思い出なのでやっぱり安心安全。


ハードルは徐々にあげるのがいいっておばあちゃんが言ってた(目逸らし)


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ヒメ様

 

『いいか、おまえが生きるのはみんなのためだ。みんなを守るためだ。幸せを壊さないためだ。俺たちは、そうやって共存してきた。だからおまえもそうしていろ。そうしていれば、なにも不幸にはならないだろう』

 

 それは彼女がいちばんはじめに教えられたコト。自分が生きる意味。自分がここで生きていける理由。正しいかどうかは置いておいて、誰かのために生きているのだと彼女は教え込まれた。だから彼女は、そのとき思い切って訊いてみたのだ。

 

『ああ? おまえの幸せはどうなるか、だあ? ……そんなもん知るか。手前の幸せなんざ他人の幸せを守るコトにでも見出してろ。それぐらいでいい。そもそも、幸せなんてのは手前の考え方でどうにでもなるだろ。せいぜい考えないのが正しさだ』

 

 諦めたような声でその人は言う。投げやりな台詞には、なによりも実感がこもっているようだった。鼻をつく死臭。弱すぎる心臓の鼓動。……おそらく、あと一週間もない命で。目の前の人物はその幸せを、掴めていたのだろうか。

 

『――が、もしおまえが納得できないならそれでいい。おまえは失格だ、おめでとう。はれて見事にみんなの期待を裏切れたわけだ。幸せなんてものが欲しいのなら、俺の言葉になんか耳を傾けるなよ。生きていくなかでおまえが見つけろ。それがきっと、本当の幸せだろうさ』

 

 思えばそれは忠告であり、妬みであり、望みだった。その人がなによりも切望した未来のかたち。それを杭として突き刺しながら、この世を去ったのだろう。未練といえばそれぐらい。年端もいかない少女に恨み言をぶつけるぐらいには、その男も余裕がなかったらしい。だから彼女も言うとおり、自分らしい幸せを見つけようと思っていたのに。それが、一生かかっても届かないものだと言われた。

 

『おい、きみ。名前は?』

 

 突然世界が壊されたみたいな衝撃だった。ドアを蹴破った女性は、ずんずんと真っ直ぐに近付いて強引に目隠しをほどいて問う。それが、どれほど大事なものかも知らずに。

 

『名前は、と訊いているんだ。分からないのか?』

 

 瞼を閉じたまま、その声を聞く。一目も見ていないけれど、声のインパクトで分かった。この人は村の誰とも違うものだと理解した。それだけ察して、彼女の言葉に首を振る。そんなものは忘れた。否――もともと、なかったような気がする。

 

『はあ? このご時世に名前がないだと……? 本気でどうかしているぞ。ここに居るのは鬼か悪魔だな。でなければ()()()()だ。……仕方ない、私が決めよう』

 

 そうして、女性は小一時間悩んだ末に。

 

『――――ななみ。うん。七美、だな。きみは今日から七美と名乗れ。ああ、いいな。きみの凛とした雰囲気によく似合っている。どうだ?』

 

 ななみ、ナナミ、七美。それが彼女の名前。彼女を表すただひとつの言葉。どこか心に温かいものが広がるのを感じながら、彼女――七美はこくりと頷いた。

 

『そうか、そうか。気に入ってもらえたならなにより。ならついでにもうひとつ、いいや、もう一度か。今度は分かりやすく言おう』

 

 女性はそっと近付きながら、煙草の火をもみ消して、

 

『私と来なさい。きみに、とびきりの世界を見せてやる――』

 

 そんな、ずるいぐらいの殺し文句を浴びせてきた。

 

『……()()も、いいのですか……?』

『ああ、いいに決まっている。誰にだってその権利はあってしかるべきだ。この場に住み暮らす有象無象はどうであれ、私にとっては君も他と同じでしかない。さ、どうする? 私はあまり気が長くないんだ。一分で決めてほしい』

 

 人生でいちばん悩んだ一分間だったと、あとになって七美は思う。自分のこと。村のこと。そこに住んでいる人々のこと。そこにある幸せのこと。そこでは掴めない幸せのこと。数え切れないぐらい悩み抜いた。

 

『――――私は』

 

 ……結局、七美は彼女についていくことを決めた。最後までしっかり考えられたわけではない。悩みももやもやもさっぱり晴れないまま。ただ、時間切れを告げられたときには、反射的に答えてしまっていた。間違いかどうかなんていまだに分かっていない。後悔も反省もあげればキリがないだろう。本当にこんなことをしてよかったのかと、振り返って怖くなる。だって、あの地は自分の居場所だった。世界にふたつとない、生まれ育った故郷。安息を約束された懐かしい土地。

 

 〝でも、もう二度と帰れない。〟

 

 だから、引き返すことだってない。村の住人にとって、七美のワガママは相当な大事だったはずだ。それぐらい彼女の――もっと言えば彼女の立場が大事だった。必死で止められると思い込んでいた。どれほど女性が強い力を持っていても、気持ちよくはいかないだろうと。なのに。

 

『……どうか、お体に気を付けて』

 

 そんな言葉を、別れ際にかけられてしまった。ゆるく微笑んだ表情と優しい声音で。もう誰もなにも悲しむまいと、安心しきった様子で。正解がなんなのかを、七美が理解してしまうぐらいに。……本当に、カタチとして遺っていただけだった。託された気持ちも理由も薄れておぼろげになってしまっていた。彼女以外の全員がどこかで気付いていた。こんなことを続けても意味が無いだろうという現実を知っていた。それがちょっとだけ、七美は寂しく思う。

 

 〝もうすこし、頼ってくれてもいいのに……〟

 

 でも、そんな日々はもう誰ひとりとして望んでいない。七美は村から出た。遺ったものさえ消したのなら、あとは時代に流されていく。誰も彼女を必要としない。生きている意味も理由も、他人を頼っていてはいけない。これからは自分の力で、それらを見つけなければ駄目なのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……どうだろう」

 

 苦笑しながら、玄斗は目の前の少女を見つめる。その瞳は純粋なまでに答えを求めているように見えた。おそらくは、自分のなかにも出ているものを。ならば彼がなにかを言うわけでもない。なにを言わずとも、彼女は自分でこの問題を解決している。ただ、自由だなんだという話がちょっとだけ、引っ掛かった。

 

「……僕は、別に悪いことだとも思わないかな」

 

 きっぱり言うと、七美にはすこしばかり意外だったようだ。ゆったりと瞼を持ち上げて目を見開いている。

 

「自由がないのは退屈だよ。なにかも縛られるのは、僕だって嫌だし。実際に、守るべきルールとかマナーとか、ややこしいものだって沢山だ。でも、そうやって制限されたものはすくなくとも悪くない空間をつくってる。自由なのも良いとは言えない。そこかしこで人がずばずば斬り殺されてたら、とんでもないだろう?」

「……なるほど。そういう考え方も、あるのか」

「もちろん、良い自由があるんなら悪い不自由だってあるけどね。水族館の魚みたいに、箱に押し込められて狭い場所でのうのうと生きていく……なんて、僕はもうまっぴらだ。……でも、そうなると受け入れるしかないんだろうな、結局」

「……そうだな。それは、ちょっとだけ……分かる」

 

 逃げたくても逃げられない。逃げたあとも怖くてしょうがない。震える夜は何度あったことか。既知のものがあまりにもすくなすぎる現実は、楽しめこそすれど悪いところもつきまとった。それはふとした瞬間に襲い来るモノ。色も形も大きさも曖昧な、漠然とした恐怖。そんなものを感じることなんて、外に出なければ分からなかった。

 

「……でも、だったら余計、分からないな。私は……どうすれば、良いのだろうな……」

「分からないなら、考えればいいよ」

「……考えても分からないんだよ。玄斗。なら、次はどうすれば良いのだ」

「考える。考えて、考えて、死ぬまで考える」

「それ、は……」

 

 なんともデタラメな解答に、七美は思わず玄斗の顔を見た。

 

「おかしい?」

「――――――、」

 

 ……いいや、それは。デタラメなんかでは、ない。

 

「足りない分は補って、届かないところは手を借りて、答えを掴むまで考える。それがせめてできること。だから僕はもう決まってる。分からないなら、考えるだけ。簡単だろう? だって、そうしていたら絶対答えは見つかるわけなんだから」

「……簡単なワケ、ないだろう……玄斗は……いや、玄斗だから、できるんだ」

「僕にできて他の誰かにできない道理はそれこそないよ。なんたって僕は、世界一考えるのが下手くそな自信がある」

「玄斗が、か……?」

「そりゃあもちろん。まだまだズブの素人だから。間違うし、失敗だってやらかすよ。でも、その度にまた考えれば良いんだ。現実は、まあ……リセットもセーブもロードもできないけど、やり直すぐらいは簡単だ。それを、散々教えられたから」

 

 〝――さあ、あなたの名前を、教えて〟

 

 〝……()()()の笑顔は素敵ね、玄斗〟

 

 〝きっと、いつか、報われるって信じてます。だって、それが――〟

 

 〝よく、頑張ったね。零無〟

 

 〝だから、いっぱい傷付いて、いっぱい悩んで、お兄の答え、見つけるといいよ〟

 

 〝玄斗の思うように、生きていけばいいんだよ〟

 

 本当に、散々教えられてきた。引きずり出されて、前を向かされて、背中を叩かれて、優しく抱き締められて、そっと手を握られて、嫌というほど自覚させられた。あれは、ゲームでいうなんでもない。どれにも当て嵌まるわけがない。ただのやり直し。それを超えた部分に、いまの玄斗は立っている。

 

「きっと七美さんなら大丈夫だ。いつかはちゃんと、向き合えるよ」

「……それは、どうして……?」

「だって、ちゃんと()()()()。だいたい、そういう答えを見つけられない人っていうのは、笑ってるのに笑ってないんだ。でも、君はそうじゃない。なら大丈夫。その点だけは、僕が保証する」

「…………そう、か……」

 

 それは、いつか、玄斗が言われていたことだ。いまはきちんと理解している、まだ壊れていた己の問題。でも、そんな部分は七美にない。ならば心配なんて本当に要らなかった。きっと躓いたのは石ころで、いまにでも彼女は進み出していく。そんな風に思える強さを、彼女のなかに垣間見た。

 

「私、なら……か……」

「うん」

「……不思議だ。玄斗に言われると、自然、そう思えてくるのだな……いや、本当に……ああ。不思議だ。どうしておまえはこんなにも、私の心を浮つかせるのだろうな」

「それは僕にも分からないかな……」

「そうか。玄斗に分からないなら、私も分からないな」

 

 同じ会話を繰り返して、ふたり揃って苦笑した。でも、それこそが予兆であるように。一歩でも前に踏み出せているよう見えたのは、きっと玄斗の錯覚でもなんでもない。なにせ、なにもなかった男は一歩どころじゃなくここまで進んで生きている。ならば、他の誰かが進めないなんてコトもない。……会話はそれで終わり。すこし離れたところには明かりが見えている。もうすぐ出口だ。幻想的な水の世界から現実へと引き戻される。ふたりは並んで水族館を出る。光のあたるロビーは相変わらず、大勢の人で賑わっていた。 






>村
パズル感覚で組み上げてる穴あきの過去。この時点で見抜かれてたら作者が憤死します。




主人公が揺るぎないって? そりゃあ記憶アリ白玖にこっぴどくフラれるぐらいじゃないとこの子もう折れなくなってるし……(なおその場合他のヒロインがハイエナのごとく噛みついて立て直して自分の側に置く模様)


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こんばんわの挨拶

 

 長い旅路は想像以上に体力を使ったようだ。街中へ出たころにはもう昼前というのもあって、玄斗たちは食事をすることにした。近場のショッピングモールに入って、フードコートで軽めの昼食をとる。お互いが席についたときには時計の針も頂点をすぎていて、ちょうど良いところだった。

 

「……良かったのか?」

「? なにが」

 

 と、唐突に訊いてきた七美に玄斗が問い返す。

 

「お金だ。私も払うと言ったのに」

「ああ、いいよ。このぐらい。今日は色々と、楽しませてもらったし。そのお礼みたいなものだから」

「そうか……うーん、しかし……」

 

 むう、と納得いかない様子の少女。玄斗はサンドイッチをもぐもぐと咀嚼しながら、別にそこまで気にしなくても、と自分の持ってきたモノを見返した。……割合で言えば8:2である。玄斗が8で、七美が2というぐらいの量だ。値段もそれなりだとすれば、本当になんてコトもない額である。

 

「……にしても、よく食べるのだな、玄斗は。……お腹とか、破裂しないのか……?」

「しないしない。まだまだこれでも腹八分目だし」

「そ、そうなのか……いや……世の男児は凄まじいな……」

 

 もちろんそれは七美の勘違い。凄まじいのはテーブルの約半分を埋め尽くす量を「腹八分目」と言い切るどこぞの男である。前世に食べられなかった反動はモロに十坂玄斗のキャラクターへ影響を及ぼしていた。落ち着いた大食漢系生徒会長とはまた新しい。

 

「……いただきます」

 

 すっと手を合わせて、七美はパンケーキを一切れ口に運ぶ。

 

「……うむ。おいひいな」

「飲み込んでからね」

「……っ。おいしいな、玄斗。やはりいいものだ。食べ物は見た目も大事だと思わないか?」

「僕は美味しかったらなんでもいけるクチだ」

「どうしてそんなに誇らしげなんだ……?」

 

 食い意地の張っている少年である。曰く、「お兄はときどき食べ物のコトになると目の色が変わる。まるで野獣。あの瞬間だけはあたしも正直お兄の〝攻め〟を認めたね」なんて妹に言われるぐらいのものだった。男はみんな狼。そんな彼の心の奥底には本当に狼がいたりするのだが、それを知る女子は未だ存在しない。

 

「でも、ちょっと分かる。見た目がいいと、味もって思うよね」

「うむ。それだけで随分と変わる。前までは苦手だったものも、それで克服した」

「へえ……見た目で?」

「ああ。けっこういけるぞ? 玄斗もしてみるか?」

「……なにを?」

「目隠し、というやつだ」

 

 そういえば、とそんな話で思い出した。目隠しとはいうが、目が見えないという経験が玄斗にはある。それこそ遠い昔、自分自身で体験したコトだ。けれど、その状態でなにかモノを食べたことはなかった。なにせ視力がなくなる頃にはすでに点滴生活。食事もまともに喉を通らないほど衰弱していた。なにも見ずに食べる、というのは意識してみると案外どうにもという感じ。

 

「目隠しで食べたら平気だったの?」

「いや、逆だぞ。目隠しをせずに食べたら平気だったのだ」

「……え?」

「え?」

 

 ふたりして首をかしげる。話が微妙に噛み合わない。

 

「え、いや……うん? 七美さんはそれまで目隠しでもして食べてたの?」

「まあ、そういうことになるな」

「いや、どんな生活……」

「どんな、と言われても……まあ、普通の生活だ」

「普通……普通なのか……」

「普通だった。別に、苦労もしていなかったしな」

 

 本当に懐かしい、と七美は笑う。玄斗にはまったく分からない。それが普通だというのなら……なんて、自分の普通を信じられるほど彼も人生経験積んでいるワケではないが。すくなくとも似たように感じたどこかが、世間一般とズレているというのは直感した。明透零無が見向きもされないまま育ったみたいに。その魂がなにも知らないまま生きてしまったように。

 

「村に住んでいた。山を超えたさきの。……街もいいが、山奥の村も良いものなんだ。春には小鳥のさえずりなんかが聞こえてくるし、夏は蝉の鳴き声がうるさいぐらいでな。秋は焼き芋やたき火の匂いがこれまたよくて、冬の雪を踏みしめた音なんて最高だろう?」

「村、かあ……僕、こういうところしか見たコトがなかったから……一度行ってみたい」

「なら行こう。今日みたいにまた一緒に行って欲しい。玄斗。……うむ。はっきりした」

「? はっきりって、なにが?」

「いや、なんだ。……玄斗となら、どこへでも行けそうな気がするということだ。なんなのだろうな、これは」

「(……頼りにされてる、のかな……?)」

 

 鈍い彼は気付かない。鈍い彼女も気付かない。向けられている感情がどんなものであるかなんて簡単な事実に、ふたりは一切手が届いていない。一方はなにも知らないまま考えが掠めて、一方は自分のモノにすら気付いていないでいる。同罪と言えば同罪。なんとも微妙なすれ違いは、やはり似たもの同士と言えた。

 

 〝――ふむ。玄斗といると、すこし心拍があがるのか……なぜだ?〟

 

 なにも知らない少女が抱いた淡い恋心など、傍から見れば丸分かりであろうに。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 それから、ふたりで街をふらついた。ちょっとした買い物とか、遊びなんかをしていれば日が暮れるのもすぐになる。気付けば電灯がつくぐらいなもので、玄斗は七美を家まで送ることにした。暗い夜道。すでに人気のなくなった道は、ふたり分の足音だけが響いている。

 

「――うん。満足だ。今日は、とんでもなく楽しかったな」

「そうだね」

 

 短く答えながら、玄斗は不調気味の身体を隠すように苦笑した。……以前までならともかく、この肉体にはけっこうな運動量だったらしい。まったくもって情けない、と痛む心臓をおさえつける。無理が来ているのか、呼吸がちょっとだけ苦しい。けれども、そんな様子すら完璧におさえこめるのは明透零無であったが故だ。玄斗の歩調は、いつも通りのものからブレない。

 

「僕はすこし疲れた。七美さんは大丈夫?」

「私は平気だ。これでも最近、けっこう体力がついてきたんだぞ? すくなくとも体育の途中で倒れることはなくなった」

「それは……うん。いや、本当に大丈夫?」

「平気だ。そういう玄斗は……大丈夫そうだな」

「まあ、大袈裟ではないぐらい。案外、そこまででも」

 

 誤魔化してはいない。彼はちょっと比較対象がおかしいだけで、十分に身体は弱っていた。なにせ相手があの病弱体質の透明少年期である。それと比べればどんな不調も「そこまで」でまかり通ってしまうだろう。

 

「……そういえば、玄斗。知っているか。街の夜はな、星がぼやけているんだ」

「星? ……いや、普通に見えるけど」

 

 言いながら見上げると、今夜はそこそこなものだった。頭上には綺麗に瞬く星が散らばっている。明透零無であった頃は無縁に近かった星空も、生まれ変わってから気付いた景色のひとつだ。それはたしかに、彼の心を掴むに十分なぐらい。

 

「いいや、向こうではもっと綺麗だ。星は。……一度だけ見たコトがある。本当、手を伸ばせば掴めそうなぐらいで」

「そうなのか……それは、一度見てみたいな……」

「だろう? だから、今度見に行こう。……もっとも、私の答えのほうが先か」

「?」

「なんでもない。――と、ここだ」

 

 ふと、七美が足を止めて振り返った。くるりと反転した彼女の背中には、橙野と書かれた表札が見えている。その柵を越えた奥に結構な大きさの家が見えた。一軒家だ。玄斗の家がふたつほど入りそうな。

 

「(ご、豪邸だ……!)」

 

 ちょっと戦慄する小市民である。すこしズレているのではと思っていたが、まさかその理由がお嬢様だとかそういう理由では、なんて想像した。庭が広い。家がでかい。玄関のドアも大きい。三拍子揃ったビッグサイズ。すわお金持ちか、と玄斗は身構えて、

 

「――おや、誰かと思えば……やっと帰ってきたね。不良少女」

 

 そんな風に、後ろから声をかけられた。

 

「あ、千華さん」

「おかえり、七美。あとついでに、隣の素敵な男の子を紹介してくれると嬉しいな」

 

 くすりと微笑みながら、千華と呼ばれた女性が玄斗を見る。黒い瞳と、乱雑にまとめられた深い朱色の髪。くたびれたワイシャツとスラックスに煙草をふかしている姿は、色んな意味で大人の女性らしさを感じさせた。……あと、片手にコンビニのレジ袋を持っているのも。

 

「玄斗です。この前言っていた、水族館に誘った相手ですよ」

「……ほう、君が」

「ど、どうも……?」

 

 ふんふむ、と誤魔化しもせず千華はじろじろと見てくる。玄斗としてはちょっとだけ居心地が悪い。ので、こちらも観察してみることにした。一見するとそれこそ髪もろとも乱雑……ではあるのだが、細かい部分はしっかり整っている。爪も綺麗で、見える範囲のどこにもピアス穴や小傷のひとつも見当たらない。おまけに、服だって形は悪くても汚れは一切ない。本質的にはきちんとした人なのだろうか、なんて適当に考える。

 

「名字は?」

「と、十坂……です……」

「十坂……十坂に、玄斗……いや、なるほど。私のネーミングセンスはわりと壊滅的かも分からないな。君にその名前は、妙に似合っていて、不気味なぐらい不釣り合いだ」

「――――――」

「あ、いや。ごめん。悪く言いたかったわけじゃないんだ。ただ、ちょっと引っ掛かってしまったというか……ああ、まったく、子供相手になにを私は……」

「……いえ、いいんです。そのぐらい」

 

 むしろすこし心が弾んだ。驚きこそすれ、そう言われて悪い気はしない。十坂玄斗であって十坂玄斗ではない。そんな在り方を認められた気がして、胸がすいた。自然ともれた笑顔のままに答えると、千華の動きがピタリと止まる。

 

「……本当に申し訳無い。君は、そうか。……そうだね。立ち話もなんだし、寄っていくと良い。十坂くん。ついでに、夕飯もご馳走しよう」

「え……いや、それは……」

「遠慮しないでくれ。せめてもの、というやつだよ。それにほら、今日はうちのシェフが腕によりをかけて作ってくれるぞ?」

「……それは毎日です、千華さん」

 

 あとシェフでもありません、と七美が答える。どうやら彼女の手料理と言ってつられている、というコトらしかった。

 

「……えっと、お気持ちは嬉しいんですけど。なにぶん、あの……」

「? 都合が悪い、とかかな」

「いえ、そういうわけでもなくて、あの……食べる、量が……」

 

 あはは、と玄斗は半笑いで言う。それに千華はぽかんと呆けた表情を見せて、次の瞬間に笑い出した。

 

「――くっ、はは! あっはっは! な、なんだ! 量を気にしているのか! ははっ……ああ、そうだよね、男子学生だった。でも安心していいよ。うちに食べ物は腐るほどある」

「だからと言って半年前の魚の切り身を置いているのはどうなんですか、千華さん」

「七美。痛いところを突かないでおくれ。そしてそれは今日中に捨てよう」

 

 からからと笑いながら、目尻の涙をぬぐって千華が向き直る。

 

「――というワケだ。どうだい、十坂くん。そちらさえ良ければ、是非とも君と一緒にご飯が食べたい」

「……じゃあ、お言葉に、甘えて……」

「うん。よし、七美。今日はご馳走だぞ。さあさあ行こうか」

「はいはい……というか千華さん。それ、なに買ってきたんですか?」

「おにぎりとお茶だ。君の帰りが遅いから夕食代わりに買ってきた」

「……すぐに作るので待っててくださいね」

「期待してる」

 

 そんなこんなで、玄斗は橙野邸にお邪魔することになった。およそ自分の家と比べて一回りは大きい玄関の扉を潜っていく。……しかしながら、それはそれとして。

 

「(呼び方とか……あんまり似てないのは、そういうことなのかな)」

 

 ちょっとしたところに気付くのは、彼なりの成長の証だったのかもしれない。  







>橙野千華
おそらく二部でいちばん良親してる人。七美ちゃん大好き人間。でもばっさばさの髪をヘアゴムで適当にまとめ上げながらだぼだぼのワイシャツで煙草ふかしてる疲れた大人の女性です。だからオアシスなのだ。




やばい「尺余るわーw」とか調子こいてたらキツキツのキツで辛い辛い……


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軽くはないけど重くもないさ

僕玄斗の過去なんて悩む方がどうかしてるしょうもない経歴だからね(目逸らし)



 

「~♪ ~♪」

 

 かちゃかちゃと食器の擦れる音に乗って、台所から綺麗な鼻唄が聞こえてくる。ほう、とひと息つきながら椅子に背をあずけるのと、対面の千華が煙草を取り出すのは同時だった。時刻は夜の九時前。玄斗のお腹は、たらふく食べてすっかり膨れていた。

 

「……おっと」

「? 吸わないんですか?」

「……ああ。いまは禁煙中なんだよ」

「でもさっき……」

「あれは……ほら。ひとりだったからね。子供の居る前では、吸わないようにしているんだよ」

 

 なるべく、と付け足して千華が煙草をポケットに戻す。そのまま湯飲みを手に取って、そっと口を付けた。広いリビングにたった三人。誰もわいわい騒ぐようなタイプではないため、なんとも言い難い静寂が時折流れている。

 

「しかし、本当によく食べるんだね……流石は男の子。もしかして、まだ足りないかな?」

「いえ、さすがにもう」

「ふふっ、そっか。だろうな。すこし休んでいるといいよ。なにも、急ぐわけではないんじゃない?」

「……はい、そうさせてもらいます」

「うん」

 

 暇ができれば七美の手伝いでもしようと考えていた玄斗だったが、彼女自身からノーと突きつけられては動けもしない。今日一番の笑顔を見せていたあたり、料理が好きであるのは間違いなかった。キッチンは七美の領土である。

 

「……楽しそうだな、七美」

「そうですね。いつもあんな感じなんですか?」

「まあ、そうとも言えるし、ちょっと違うかも分からないよ。いつもより、気分は良さそうだからね」

「……なら、良いんですけど」

「おや。なにが良いのかな?」

 

 笑う千華に、玄斗はこてんと首をかしげた。そのままの意味なのだが、という意思表示である。やはり鈍い。鈍感、天然、唐変木。おまけに人間として未熟にすぎる。そんな少年の反応に、千華は納得しなかったらしい。

 

「……いや、君も大概だな、十坂くん。なるほど、似たもの同士だったか……」

「? まあ、たしかに……七美さんに親近感は覚えますけど」

「ほう?」

 

 ――と。刹那、鋭い視線が突き刺さった。瞬きの間の一瞬の変化。今の今までのんびりとお茶を啜っていた千華が、試すような瞳を向けている。ぞっと、背筋にいやなものが走った。

 

「あの……?」

「親近感と、君はそう言ったね。……なんて甘い。七美は……」

 

 ちらり、と台所の少女を一瞥する。あちらは洗い物に夢中で話に耳を傾けてもいなさそうだった。ならば、と千華がひとつ息を吐く。彼女とて七美の親代わりだ。譲れない部分は、そこそこある。

 

「……彼女の境遇を、知っているかい?」

「いえ……あまり」

「そうか。なら、親近感なんて、あまり言わないほうがいいよ。七美にはね。……十坂くん。君は、目を閉じて生活したことがあるかい?」

「? ……えっと、それは」

「生まれてからずっとモノが見えない生活をしたことがあるのかい?」

「……あり、ません」

 

 くすりと千華が笑う。どこか悪戯の成功した子供みたいに。どこか取り返しのつかない部分を悲しむように。ほんのすこし、寂しげに笑う。

 

「……あの子は山奥の村にいたんだ。人里離れた奥地でね。どこもかしこも古臭い山村だった。人も、モノも、なにより考え方もか。時代錯誤にも程がある」

「……村で暮らしていた、というのは訊きました。どこかは、知りませんでしたけど」

「知らなくて良いよ。地図にも載らないような僻地だ。……そこで、彼女はこの歳になるまでずっと、監禁されていた」

「え――」

 

 咄嗟に、七美のほうを向いた。彼女はいまだに背中を向けて食器と格闘中。背鼻歌交じりに台所でオレンジ色のポニーテールが揺れている。

 

「厳密に言うと、監視だけどね。村の奥につくられたちいさな神社に、世話係と一緒に暮らしていた。彼女が自分からなにかできないように、布で目隠しをされて」

「それ、は……」

「おまけに、その下からも〝覗くな〟なんて躾られたみたいでね。勢いよく剥ぎ取っても、瞼ひとつ動かさなかった。本当に、彼女はずっと、なにも見ないままに生きていた」

 

 見えていたものが見えなくなる、という経験なら玄斗にもある。視力が薄れてなくなった明透零無の最期だ。けれど、はじめから見えないのであれば――というのは、どうしても想像の域を出ないコトになる。なにせ十坂玄斗も明透零無も、最初から世界はしっかり見えていた。

 

「あの子の目の色、見たかな」

「はい。綺麗な赤色だったと……」

「うん。綺麗だろう? なんせ、ひとつの集落の人間が必死こいて少女の人生を潰してまで守り通した輝きだ。さぞ綺麗でなければ、困るというものだろう?」

「……あの目が、ですか……?」

「そうとも。古くからある言い伝え、なんてくだらないものでね。それはむかしむかし、近くの川が氾濫して村が危機に陥ったときに、救ってくれたそうだよ。今まで村人たちが爪弾きにしていた、赤い瞳の青年が」

 

 本当にくだらない、と千華が湯飲みを握りしめる。変わり者と忌避されていた人間が、なにかの拍子に危機を救って認められる。そこまで変な話でもない。よくある田舎に伝わるなんとやら、だろう。

 

「そんな理由で、赤い目を持った人間は隔離される。どういうわけか一定周期でそういう子供が生まれるみたいでね。ちょうど今回が彼女だった。……緋色の瞳だから、ヒメ様なんて呼んでいたか。馬鹿らしい。あんなのは、人間の扱いでもなかろうに」

「…………、」

「だからまあ、気付いた瞬間に怒鳴り込んでぶち破って振り切った。勢いもそのままに彼女を拾い上げてしまったよ。……親は、いなかった。たぶん、死んだか殺されている。あれは、ああいう空気だった」

「そんなの……」

「あるよ。十坂くん、世界は広い。あってしまうさ、そんなコトぐらい。……だから、目の前の手が届く範囲に見えたら、伸ばしたくなるんだよね」

 

 心が弱い証拠だ、と千華は自嘲気味に呟いた。なにも知らず、なにも見えず、なにも自分なんてあるはずもない。その教え方は、けれど、やっぱり――いつかの少年を思い出させた。おまえは零であると。ひとつもないのなら、何も無くてもいいだろうと。いまは懐かしい冷えきった父親に、そう言われていた。

 

「もちろん最低限、必要なことは世話係というのがしていたよ。勉強とか、軽い運動も。目が見えなくてもできることはあるからね。だから、下地は抜群だった。あとは目を慣れさせて、一般常識を教えてみれば意外なことに順応が早かった。……七美はそうやっていまみたいになった。どうだい? わくかな、親近感」

「……それではい、なんて言えるほど図太くはないみたいです」

「そっか。……いや、ごめん。いじめるような真似をして。でも、譲れないところではあったんだ。……あの子のこと、あまり、軽いものだと思わないでほしい」

 

 複雑なんだよ、という彼女の笑顔はお世辞にも良いものではなかった。親心、というものだろうか。どうだろうと玄斗は考えてみる。自分なんて大した経歴も過去もないだろうと言われても、玄斗自身そこまでなにを思うでもないが――

 

「(ああ……でも、お父さんとか、すっごい怒るか……)」

 

 おそらくは、彼は自分に対して。そんなの不幸にも入らない、というのは実際玄斗も若干思い始めていることだが、父親だけは未来永劫違っているのであろう。自らの失敗をどこまでも裏で攻め続ける。そういう人なのは分かっていた。

 

「……わかりました。聞いちゃいましたから。それぐらいは十分に」

「聞いたじゃない。聞かされた、だよ。十坂くん。……いまのやり取りで気付いたけど、君、結構自罰的だな? しかも根が深いタイプの」

「? いえ、そうでもありませんけど」

「あれ? ……ううん、私の勘も鈍ったかな……」

 

 すんなりと答える玄斗に、千華があれあれと首をかしげる。真相はそれこそ本人か、彼をいちばん近くで見てきた人間しか知らない。いまのところ、黒(墨)か緑だけである。

 

「……でも、大丈夫ですよ」

「……なにがだい?」

「七美さん。きっと、これからはいっぱい笑っていけます。七美さんの笑顔、すごい綺麗ですから」

「……なら、いいんだけどね。七美というのは、私がつけたから。そのとおりであればと願っているんだ。……意味、分かるかい?」

「意味、ですか?」

 

訊くと、千華はそっと瞼を閉じた。

 

「ああ。……七つ、見つけてほしいんだ。美味しいと思うもの。美しいと見惚れるもの。音色。匂い。感触。それと、直感的なもの」

「……あと、ひとつは?」

「何にも頼らない。あの子自身が、素直に美しいと思った何か、だよ。……きっとそれが、あの子自身の答えになる。願わくば、それを見過ごすことなく掴めると良いんだけど」

「掴めます。だって、七美さんですから」

「……本当。君は大概だな」

 

 いま一度笑って、千華は湯飲みを傾けた。名前に込められた意味。良いも悪いもあれど、所詮は名前でもある。玄斗はふと、懐かしい匂い(モノ)を思い出した。そう言っていた誰かはもう居ないけれど、残っているものがたしかにある。十坂玄斗も明透零無も、結局は自分を表す記号でしかないのだと。

 

「……綺麗に笑えるなら、きっと大丈夫。僕とは違うってことですから。なら、安心できます」

「……ふむ。それはちょっと、変だね」

「?」

「いや、なんていうかね。君も十分綺麗に笑っているじゃないか、十坂くん」

「――――そう、ですか」

 

 だから、やっぱり。その一言は、玄斗にとってちょっとだけ嬉しかった。









>橙野七美
目隠ししたまま生きてきた隔離系少女。ちなみに本人的に「あの頃もあの頃でなあ……戻ってもいいのになあ……ちょっと寂しい……」という感じなので躾って重要ですね。ちなみに村では自由意思もなにもないよ。なお勘の良い人は気付いたかもしれないけど作中ヒロイン唯一ガチの無知シチュできるキャラ。おいおいおいなにも知らない少女に獣のごとき猛りとか玄斗くん容赦ないな(風評被害)




書いてるとわかるクッション感。やっぱオアシスなのだ……(ほっこり)


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雨宿りのち、晴れて黄金色

 

 橙野邸を出るころには、天気はすっかり悪くなっていた。使い道がないから、と渡されたビニール傘を片手に玄斗は帰路を急ぐ。さすがに出歩くには遅すぎる時間帯。車の通りも疎らになってきて、歩道には人っ子ひとり見当たらない。

 

「(……にしても)」

 

 ふと、玄関まで見送ってくれた七美を思い出す。彼女が最後に放った一言。それはやっぱり、玄斗としてはワケの分からないもので。

 

『……ああ、玄斗。やっぱり玄斗は、僕だったな。うむ。それを思い出した。――いや、良いな。なんか。ふふ。これが……そうなのかもしれないな?』

 

 結果だけを見れば、そういうことになる。橙野七美は橙野七美に戻った。切欠がよく分からないにしても、良かったといえばそういうことだ。問題は、後半になる部分で。いくら考えても玄斗にはてんでさっぱりな、彼女の憶測だった。

 

「(真墨に、碧ちゃんに、紫水さん……どういう理屈なんだろう。いや、理屈で考えちゃいけなのは、分かってるんだけど……)」

 

 ざあざあと傘を叩く雨音をよそに、考えにふける。昼間は見事に晴れていたというのに、予想もできない本降りだ。この様子だと傘を忘れた誰かが居てもおかしくない。そんな風に、一瞬考えが逸れたときだった。ふと、シャッターの閉まった店先にひとり佇む人影を見つける。

 

「……あれ?」

「……!」

 

 声に反応するようこちらを向いて、カッと目を見開いたのは金髪の少女だった。どこか見覚えがある……なんてほどでもない。どこからどう見ても、その姿は玄斗の脳裏に焼き付いているものだった。いつしか笑顔を「だめ」だと言い切った恩人のひとり。

 

「っ……!」

「あ、ちょっと」

 

 しまったとばかりに駆け出した彼女の腕を、咄嗟に掴んだ。綺麗な髪が雨に濡れる。いや、もとより濡れていたのだろう。なにせ彼女はとことん運がない。だからこそ、ちょっとの不運ぐらいは背負ってみせるなんてとんでもない啖呵を切れる。そういうところが、後輩のくせにちょっと頼りがいがあってなんとも。まあ、そんな少女はすっかり違ってしまっているのだが。

 

「離してください……!」

「いや、そのままだとずぶ濡れになるよ」

「だから、なんですか……?」

「風邪を引くだろう。送るよ。夜道だし、危ない」

「あなたが一番危ないんじゃないんですか?」

 

 色の無い瞳で見られた。恐ろしい。思わず手が緩むぐらいの感覚に、なるほどこういう顔もできたのかと新たな一面を知る。もっとも、変わってからの彼女は大体こんな感じ。そろそろ慣れるべきかと、若干ダメージの入っている玄斗だった。

 

「僕をなんだと思ってるの……」

「得体のしれないニンゲン」

「あ、いちおう人なんだね……」

「……ケダモノ」

「わざわざ下げなくていいから」

「とにかく汚らしいです。とても、不気味」

 

 じりっ、と少女が濡れるのも構わず後じさる。これが無関係の誰かであったら「まあ悪いかな」と思いつつ引き下がれそうなものだが、こと玄斗としては気にしてならない女子のひとりである。ぎゅっと振りほどかれそうな手に力を込めて、そのままぐいっと引き寄せた。

 

「っ、なにを……!」

「行くよ。意地を張って悪い方向に転んだんじゃ意味がない。だいたい、女の子がこんな時間までなにしてるんだ。君、まだ一年生だろう」

「……どうでもいいじゃないですか。なんですか、あなた」

「よくないよ、三奈本さん。ほら、もっと寄って」

「…………やだ」

「ワガママ言うな」

 

 若干キレ気味の玄斗である。よもや無念とか傷心とかを通り越して、一周回って身勝手にも怒っていた。〝俺〟は絶対に許さない。というか僕との違いが露骨すぎておまえは本当に僕かと怒鳴りたい気分だった。そのぐらいには、黄色い後輩が大切ではあるのだ。

 

「なっ、なん、なんですか……!? いきなりこんな真似!」

「じゃあずっとあそこで雨が止むまで待っているつもりだったのかい?」

「迎えを……!」

「携帯、持ってるの?」

「…………、」

「ほら」

「……っ、…………っ!!」

 

 ぎりぎりと歯噛みする黄泉に、玄斗はため息をついた。こちらでも十分彼女は不運の塊らしい。そのくせそれで折れるほどでもないのが逞しさだ。ともすれば彼の関わってきた少女たちのなかでいちばん心は強いかもしれない、と無理やり引っ張る後輩を見る。

 

「……なんですか」

「僕、君になにかした?」

「いえ、とくには。ただ個人的に無理なので」

「……とんでもないな」

「それはこういうことをするあなたでは?」

 

 本当に容赦ない後輩に、玄斗はいま一度ため息をついた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ぶつぶつと文句を言っていたのは最初の数分で、あとは黙って黄泉はついてきた。玄斗が離さないように手を握っている、というのもある。どうにか外そうともぞもぞ動くのだが、するりと抜けようとする度に玄斗がまた掴み直す。離してください、やだ、というやり取りは何度も繰り返した。よもや彼女が根負けしている。

 

「…………、」

「…………、」

 

 雨のなか、ひとつの傘を分け合って歩く。いつしかのときも同じことをした。玄斗にとっては懐かしい、今の黄泉とはない思い出。笑っていないと言われ、笑えるようにと背中を押してもらった大事な思い出。おかしな自分を、見ていて気持ち悪い誰かを好きになった変わり者の少女だ。

 

「(――ああ、そう言えば)」

 

 と、彼は天啓的にふと思ってしまった。分けるとするのなら、彼の心の支えになった少女たちである。十坂真墨と、五加原碧。そのどちらも、()()()()をすることで記憶が戻ったコトになるのだ。

 

「(いや、流石にそれはハードルが……というか、本気か? 試す価値は……ある、けど……)」

「……なんですか。さっきから」

「! いや……」

 

 見ていたのが気付かれたのか、不機嫌そうに黄泉がこちらを見上げる。なにもしてこない時間が過ぎていったせいだろう。いまの彼女は警戒もなにも消えた、いかにも私は機嫌が悪いですといったオーラを撒き散らすものでしかない。

 

 〝――ああ、もう、一か八かだ。〟

 

 やつあたり気味にそう思って、彼は行動に移した。

 

「ごめん、三奈本さん」

「は……」

 

 続く言葉を打ち消すように、黄泉の額へ強引に口付ける。胸中で白玖と目の前の少女への謝罪を繰り返した。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。でもおでこなので許してください。許されるわけがなかった。脳内で彼のよく知る白玖が「ふざけてるの?」と笑っている。至極当然の怒りだった。

 

「――あ、あぁぁあぁあぁああッ!?」

「ふぐっ」

 

 ごつっ。と、鈍い音が響いた。顎を打ち上げるような鋭い頭突きである。身長差が仇になった。玄斗は傘も放り投げて倒れながら、「うう……」とうめき声を漏らす。これまた受けて当然の報いだった。

 

「な、なな、なに!? なに、を……!? ふ、ふぇ、ふぇえええ……!?」

「……み、みな、三奈本……さん!?」

「せ、せせ、先輩ッ!? あっ、あああ! あぁああぁあ! ふぇえええええ! わ、わたっ、わたわた! わたわたわたわた!」

「ごめ、落ち着い……いやごめん。僕が悪かっ……顎が痛い……」

「すみまっ……あ、あああ! ああああああ! わわ、わわわわわ、ふ、ふぇ……」

 

 事態が深刻化した。会話にすらなっていない。というか状況がどちらにも掴めない。玄斗は顎に受けた衝撃に悶えている。黄泉は記憶に受けた衝撃に悶えている。どちらも同じなのにどちらもパニックでどちらも言語崩壊を起こしている。

 

「三奈本さん……じゃなくて、黄泉ちゃん……?」

「せ、せんぱいッ!?」

「ああ、うん。黄泉ちゃんだ…………いや、成功……するのか…………」

 

 まじか、と玄斗は呟く。ということは、だ。

 

「き、きききき! きす! あの、きす! えぇ!? わ、わたし、あのわたし、わたしですけど!? だ、だだだだいじょうぶですかっ!?」

「大丈夫じゃない……」

「ッ!? ふぇ、あの、せんぱ、ふぇ、ふぇええ……! わ、わた、せん、あのあの、き、はふぅ……」

「ごめん君のほうが大丈夫か……?」

 

 ぼんっ、と顔を真っ赤にした黄泉がへたり込む。でもなぜだか玄斗は安心してしまった。二度のキスはよもやトラウマを抉ってくる勢いである。お返しのディープとかいらない。なんというか、本当に心のよりどころな後輩だった。真墨と碧には見習ってほしい。

 

「……正直すごい申し訳ない。本当ごめん。ちょっと、今になって鬱が……」

「そ、そんなことはっ! あの、えとえと、そのぅ……と、とても! とても、優しかった……ので……えっ……と…………ちょ、ちょっとうれしいな、とか……

「――黄泉ちゃん」

「っ、は、はい……?」

「ごめん。すごい好きだ」

「ッ!!??」

 

 いや本当、ふたりに見習ってほしい純真さだった。





>トリガー
気付いちゃった主人公。通用するのは残り三人です。いちばんリターンが可愛らしそうな赤色といちばんリターンがやばそうな蒼色といちばんリターンが本妻しそうな白色だよ。アマキス☆ホワイトメモリアルしていけ(真顔)


>キレ気味玄斗くん
これだけ気にかけてもらえるのは黄色後輩の特権。珍しくアタック・オブ・玄斗です。前ふたりが攻めすぎて受けにしか回れない? せやな……(諦観)


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ガーデン・オブ・エデン

 

 静かな部屋で、ふたり分の咀嚼音だけが響いている。翌日の昼休み。本日はお日柄も良く――なんて晴天のもと、屋上に出ることもなく玄斗は美術室へ足を運んでいた。せっかくの休み時間に、広々とした空間。職員室に寄れば鍵だって借りられる。なのに、ここで食事を摂ろうとする生徒はすくない。理由は言わずもがな。

 

「……なんへふ?」

「飲み込んでからね」

「……っ……なんです?」

「なんでもない」

 

 このとおり、美術室の主ともいえる彼女が居るからである。三奈本黄泉、十六歳。気弱……でもなかったこっちの彼女はともかく、彼の知る黄泉は気はちいさいが器はでっかい少女だった。画力はもちろん美術部らしくピカイチ。どことなく人の心を掴むような絵を描く。そんな彼女は、玄斗の優しげな微笑みに「はふぅ……」とため息をつきながら弁当をつつきだした。憧れで大好きな先輩からの笑顔。プライスレス。

 

「あ、じゃあ、あの、わたし、から……」

「うん。なに?」

「……良いん、ですか? わたしと、あの、お昼……」

 

 一緒にしちゃって、と申し訳なさそうに黄泉は言う。向こうでもそうだった。白玖と付き合いだしてからというもの、露骨……を通り越してもう拒絶の勢いで距離をとっていた彼女である。言うに、「不貞は絶対ダメ」だとか「浮気移り気綺麗じゃない……!」とのことで、当然先日のおでこへのちゅーも玄斗はすごい怒られた。目尻に涙を浮かべながら「きっ、きいて、きいてますかっ!? も、もうだめ、ですから! めっ! めーっ……!」と言っていた姿は控えめに言っても可憐にすぎた。なので、

 

「黄泉ちゃんだから良いんだ」

「――――――、」

 

 あっさりと、玄斗はそう答える。正直に言う。彼女が良いのだ。彼女だから良いのだ。それは間違いない。なにせ玄斗からすれば間違いないオアシス。心に映した安らぎの場所だ。安息の地だ。ただ穏やかに、肩肘張らず、なにも気にせず、なにも悩まず居られる場所。それはきっと、あのときからひとつも変わっていないこの少女の前だからこそだった。

 

「――だ、だめだめだめ、です! せんぱいには、い、壱ノ瀬、せんぱいが、いますから……!」

「うーん……それとはまた、別枠なんだけど」

「あ、愛人ですか!? それはちょっと嫌です! ノーです!」

「ああうん。いまのは誤解を招く言い方だった。申し訳ない」

 

 言うと、黄泉はほっと胸をなで下ろしたようだった。いい。実にいい。いまの玄斗にはそんな動作すら天使の所作に見える。なにせそんなコトを言ってしまえば「ちっ」とか舌打ちする誰かさん(十坂真墨)だったり、「ええーやだなーあたしのものになりなよー」なんてからかうように舌を出しながら身を寄せてくる誰かさん(五加原碧)だったり、「それも一理ありますね」なんて眼鏡をキラーンとさせながら言ってくる誰かさん(紫水六花)だったりばかりなのだ。三奈本黄泉は天使だった。繰り返す。三奈本黄泉は、天使だった。

 

「……黄泉ちゃん」

「は、はい……?」

「いまのままの君が好きだ。そのままでいてね」

「へっ!?」

 

 素っ頓狂な声を出して、黄泉が飛び上がる。やはり良い。実に良い。「それは本気と受け取っても?」なんて詰め寄ってくる誰かさんとか、「じゃ、する?」なんてそっと顔を近付けてくる誰かさんとか、「言質は取りました」なんてボイスレコーダーを構える誰かさんとかとはぜんぜん違う。安息の地だ。オアシスだ。楽園だ。ああ、これなるは平穏なり。玄斗は魔法瓶からお茶を注いで飲み干した。

 

「ば、ばかばか! せんぱいのおばか! こ、ここ、恋人がいるのにっ、そんな、軽々しく、しゅ、しゅき、とか……」

「噛んじゃったね」

「す! すすす、すき! とか! 言っちゃダメです!!」

「でも好きだし」

「あぁああぁあぁ! あぁあぁああああぁあぁあ!!!!」

 

 ぶおんぶおんと黄泉が頭を振る。どうやら照れ隠しの一種……というよりは自分の秘めたる感情をおさえ込む対策みたいなものだった。彼女は必死で玄斗への恋心といまの言葉に喜んでしまった自分の感情を放り捨てている。文字通り頭を振って。

 

「とっ、とにかく、めっ! です! 次言ったら、その、き、キス! またしてもらいますよ!?」

「僕はいいけど」

「ッ!!??」

「冗談。流石にそこまで節操なしだと、本当に白玖に殺されちゃいそうだ」

 

 むしろ今の段階でも殺されそうだけど――という言葉は言わないでおいた。なんとなく、マイスイートハニーの記憶が蘇ったらやばそうである。なんでかは分からないが。なんでかは分からないが。大事なことなので二回言った。

 

「……あ、ストップ」

「な、なんです……?」

「動かないでね」

「え――」

 

 と、不意に玄斗は黄泉の頬へ触れた。柔らかな、日の光を知らない肌を手のひらで撫でる。とんでもなく綺麗だ。女子らしく手入れを怠っていないのか、自然でいてこうなのか。絵を描くのに夢中な彼女は手が荒れていて、服に汚れも多い。それでも綺麗なのだから、きっと後者なのだと思った。そんな艶やかな頬を、そっと拭う。

 

「んっ……?」

「ご飯粒ついてる。意外とあわてんぼうだね」

 

 言いながら、玄斗はぱくりと黄泉の頬からすくったそれを食べた。無意識である。さらっとやりやがった。当然、黄泉の顔が真っ赤に燃え上がる。

 

「ふぇえぇぇえええぇあぁぁあぁああぁあぁああああッ!!??」

「うわっ……え? なに?」

「うわあぁああ……! やだぁ……! もうやだぁ……! せんぱいやだぁ……!!」

「えっ……ごめん。なんか。いや本当ごめん……素直にごめん……」

「やだあ……! もうしゅきぃ……!」

「ああ、うん……ああうん……ごめんね……ごめんね黄泉ちゃん……」

「優じい゛……!」

 

 会話が一切噛み合っていなかった。所詮人間同士の関わり合いなんて相互誤解で回るモノ。そういうときもある。そういうときしかないかも分からない。妄想白玖が「この女を殺せ。構わん。発砲を許可する」と渋い顔で言っていた。おそらく妄想ではない。予想だ。だいぶ様変わりした幼馴染みだった。

 

「み ぃ つ け た ぁ ♡」

「!」

 

 ――なんて。幸せな時間を壊したのは、聞き慣れた声だった。ガラーン! と勢いよく美術室の扉が開く。凄まじい音をたてて、ドアがスライドすると同時に向こう側の景色が映り込む。そこに、ふたりの少女がいた。

 

「お兄。ここが年貢の納め時だね」

「あーもう……こんな派手にさあ……」

「センパイ、約束ちゃんと守ってくださいね?」

「分かってるって。林間学校で激写した寝顔、一枚ね」

「さんくす♪ あたしからはちゃーんと実家での寝顔を送っておきますんで」

「りょーかい。いやあ……まあ? 良い買い物ってトコロ……かな?」

 

 なにやら不穏な会話を交わしながら少女たちは美術室へ足を踏み入れた。ひとりは彼の血を分けた妹。十坂真墨。絶賛兄の童貞を狙っている肉食系女子。もうひとりは彼の正体を知っている女子。五加原碧。絶賛玄斗の隣を狙っている肉食系女子。対するこちらはまあ普段の態度を見るとわりと草食系に分類されそうな男子と、想い人がいればしっかり身を引く健気な女子がひとり。選択肢は、ひとつしかなかった。

 

「――黄泉ちゃん」

「え、あ、は、はいっ……?」

「逃げるよ」

「へっ? わ、あ、うひゃあ!?」

 

 咄嗟に黄泉を姫抱きにして、玄斗はすかさず駆けていく。後ろからは諦めの悪い少女たちの声。まったくもってお昼ぐらいはゆっくりのんびりと摂らせてほしい。せめてこの色々と〝良い〟後輩と穏やかな昼下がりの空気を楽しませてもらいたいものだった。別に向こうが嫌いなわけではないのだが、気分的にいまは黄泉しかありえない。そんな彼のワガママに、黄泉はなにを感じ取ったのか。

 

「(せんぱいの抱っこ、せんぱいの抱っこ、せんぱいの抱っこ……!)」

「(どうしよう。これ、どこまで逃げ切ればいいんだ……?)」

 

 彼が逃走の限界を感じるまで五分。状況だけを見た六花と七美が参加するまで十分。ふたりが落ち着くにはまだまだ、長い時間が必要なようだった。






オアシス後輩ちゃんを推していこうの会発足。やっぱこれでこそヒロインって感じがするんだ……しない?



・再開時と変わらない様子で安心感を与えてくれる
・ずっと同じ態度でがっつきもしない
・しかも白玖との仲を素直に祝福してくれてる

こんな三拍子揃った後輩をかわいがらないワケがないんだよなあ……


そんなこんなで十章完結。ようし十一章です。頑張ろう。主人公がいじめられないので飢郷某を全力で苛めるね♡


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第十一章 真っ赤であっても桃色と言う
折れそうなのはきっと


 

 ――時間がない、というのはどうやら本当のコトらしい。いつしかの夢で聞いた、おぼろげな記憶の台詞。目が覚めた玄斗を襲ったのは立っていられないほどの目眩と吐き気で、そのまま呻くように気を失った。次に起きたのはそれから三十分後。心配そうに顔をのぞき込みながら、いつもの()()すらせずに「大丈夫……?」なんて本気で気遣う妹の揺さぶりだった。

 

「……うん。平気。ちょっと、気が遠くなっただけ」

「いや……すごい汗じゃん……まじで大丈夫か? その、病院とか……」

「大丈夫。……いまはまだ、そんな時間じゃないよ」

 

 言って、ぺたりとベッドに座り込んだ真墨をよそに部屋を出た。すこし寝れば治る、というものでもないらしい。壁伝いにどうにか歩いて、痛む頭をおさえながら階段を降りる。寝起きだから、なのだろう。体調はとんでもなく悪い。

 

「ちょっ……ちょっ、ちょっ!? なにしてんの!? まさか学校行く気か!?」

「……? そりゃあ。休むほどでも無いし」

「いやどう見ても無理だろ!? お兄アホか?」

「アホは真墨だ。まったく、こんなぐらいで大袈裟な……」

 

 ごつん、と揺れた頭を壁に打ち付けた。おかげで薄れていた意識を取り戻す。なんともラッキー。幸運。もしくは天運の類いだ。よしと踏ん張って玄斗は歩き出す。こんなことは当初はなかった。真墨がああなってからすこしずつ顔を出して、六花や碧と話すようになって次第に強くなり、いまにまで至る。なんてコトもない。単純な時間の問題だ。

 

「大袈裟じゃないじゃん……ほーら、あたしがまた看病してあげるから休めって」

「だからそれほどでもないって。真墨に看病してもらえるのは嬉しいけど、本当平気。このぐらいなんてことないよ」

「……死ぬぞ、お兄」

「死なないよ、まだ」

 

 兄妹の会話はそこで途切れた。玄斗がさきにリビングへと足を踏み入れる。出勤時間の都合か、父親はもういなかった。母親もすでにパートへ出かけている。ちょうど誰もいなくなったところで、ほうと息を吐いた。

 

「(……なんてことないってのは本当だけど、やっぱりここ最近酷いな。だいぶ、身体も弱くなってきてるみたいだし――)」

 

 椅子に腰をおろして、やっとリラックスできた。熱はない。思考回路は正常だ。それこそ、いつもより冷めていると言っても良い。なにせこういう状態が慣れっこで、こういう状態でこそ玄斗の本領とも言えた。死にかけてこそ輝くモノだってある。明透零無は、そういうなまじ他人が経験しないようなコトに関しては特別だった。

 

「(にしても……)」

 

 ポケットから一枚の紙を取り出して、じっと見る。ノートの端切れだ。見慣れた字で綴られたそれは、間違いなく玄斗が書いたのだと分かる。けれど彼自身にこれを書いた記憶はない。つまりは、この十坂玄斗が残したメモで。

 

『病院には行かなくていい。結果は分かりきっている。きつかったら無理せず休め。たぶん、そのほうが楽だ』

「……こういう書かれ方されると、薄々分かっちゃうよ。〝俺〟」

 

 くり返し。その言葉がよく似合う男だと、玄斗はそう思った。なにもかもがくり返し。それしかしらないからくり返し。そのループを崩したものにただ目を向けて、それ以外なんて眼中にもない潔さ。まさに彼は、()()()()になれなかった()()()()と言える。

 

「(もう一回か……おまえ、そんな度胸なんてあったのか。入院生活とか、二度とごめんだって思わないのかい?)」

 

 玄斗ならノーだ。あんな寂しい生活はもう経験したくないと思っている。でも、実際どうか。そんなコトを考えられるようになったのはいつ頃からか。もはや覚えてもいない。けれど、はじまりさえ無ければ思うこともなかったのだという確信がある。十坂玄斗として生きていこうという決心がなければ。

 

「(……どれぐらいかな。まだマシだけど、たぶん、一年も保たないぐらいじゃないか? 僕の感覚が正しければ)」

 

 悪い身体というものを知っている。真っ黒な〝死〟が伸びてくる猶予を知っている。それでこそ導き出せた答えだった。ならば、きっとこちらの自分もそれを知っているはずだ。ぜんぶ分かっているはずだ。それでいて、まさか〝そっち〟を選んだというのか。

 

「(正気の沙汰じゃない――〝俺〟、まさか、最初から……)」

「……目、焦点あってないよ」

 

 思考の海から意識を持ち上げると、目の前に真墨の顔があった。なみなみに注がれたコーヒーカップをコトリと置きながら、複雑な表情を投げている。いつもは「お兄♡お兄♡」とやかましい彼女が、静かにこちらの様子を伺っている。それは偏に兄妹という関係の長さで気付いた、どうしようもない部分だった。

 

「ちょっと考え事してただけ。ああ、真墨は先に行ってて。僕はちょっと、白玖と途中まで行くから」

「は? ふざけんなよ。おまえその体調で彼女とラブラブチュッチュ登校か。せめてあたしを選べクソ野郎」

「しいたけ」

「ハッ」

「真墨なんて大嫌い」

「っ……ぜ、ぜんぜん、効か、ないし……!」

 

 予想以上の効き目だった。ぷるぷると震えながら真墨は目尻いっぱいに涙を浮かべて拳をきゅっと握っている。決壊寸前五秒前。すかさず玄斗は彼女の頭に手をやって、笑顔を浮かべながらそっと撫でた。

 

「ごめんね。嘘。大好きだよ、真墨」

「……ぅぇ、ひぐっ……知ってる、もん……!」

「ごめんって。……だから大丈夫。意地悪するような悪いお兄ちゃんは無視して先行ってて」

「倒れたら、どうするのっ……」

「そのときはそのときで。平気、へっちゃらだよ。真墨を置いては死ねないって」

「…………うん」

「あと白玖と結婚してないのに死ねないって」

「うぜえわクソリア充。死ね。さっさと死ねっ、爆発しろーーー!!!」

 

 叫びながらドタドタと妹が家を飛び出していく。まったくもって出来た家族だった。バタンと扉が閉まったのを聞いて、玄斗はそのままテーブルに突っ伏した。胸を締め付けるような痛みは、真実感情だとか感覚だとかいう幻想的なものでもない。もっと現実的な、命に直接触れる痛みだった。

 

「――ッ、――……っ!」

 

 歯を食い縛りながら痛みに耐える。およそ十五分。胸を押さえつけながら悶える行為は、あんがいそんな短時間で終わりを告げた。顔中いっぱいに浮かんだ脂汗を拭いながら、玄斗はゆっくり立ち上がる。すんなりと歩く事はできた。ならば、まだ、ぜんぜん大丈夫みたいだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「おはよう、壱ノ瀬さん」

「…………、」

 

 〝…………あれ?〟

 

 返ってこない挨拶に、玄斗が片手をあげたまま首をかしげた。白玖は自分の家の鍵をがちゃりと閉めながら、くるりとふり向いてスタスタとそのまま歩き出す。完全スルー。ともすれば見えてもいなければ聞こえてもいないような態度。

 

「えっと……壱ノ瀬さん?」

「…………、」

「おはよう。いい天気だね」

「…………、」

「ほら、あれ見て。紅葉。やっぱりもう秋だね」

「…………、」

「…………なんか、怒ってる?」

 

 その一言に、ピタリと白玖の歩みが止まった。ななめ後ろから声をかける玄斗のほうを向かずに、顔を隠すよう真っ直ぐどこかを見つめている。

 

「――土曜日」

「土曜日? ああ、うん。それが、どうか――」

「女の子と水族館に行っていたみたいですね。ふたりっきりで」

「…………、…………。……………………!?」

 

 玄斗の脳は沸騰した。

 

「えっ、いや、あの……」

「彼女さんですか? それとも、本命かなにかで? なんにせよ、はっきりしましたね」

「ちょっと、ちょっと待って。い、壱ノ瀬さん……?」

「女たらしなんですね、十坂さん。最低です」

 

 ガン、とハンマーで頭を殴られたような衝撃。最低です、最低です……、最低です…………。エコーのように玄斗の脳内で白玖の声が響いた。実際最低かどうかと言われると十二分は超えて二十分ぐらいに最低だった。ダブルで役満ウルトラアンハッピーである。

 

「い、いや、違うんだ壱ノ瀬さん。それは、あの、誤解で……!」

「なにが誤解なんですか? 女の子と、ふたりっきりで、チケットまでとって、水族館に行ったらしいじゃないですか。うちの生徒が教えてくれましたよ。ふふ、楽しかったですか? 楽しかったですよね。こんな堅苦しい私の相手をしてるよりよっぽど楽しかったでしょうね。じゃあさようなら」

「ま、待って! 待って壱ノ瀬さん!」

「待ちませんから。だいたいこの朝の時間だって私よりその人と一緒に居ればいいじゃないですか。私、あなたみたいな人の都合のいい相手になる気なんて一切ありませんから」

「ちょっ、違っ……そんなコト思ってないよ!?」

 

 思っていなくても事実は事実である。十坂玄斗は熱烈猛アタック中の彼女を放って休日に他の女子と遊びに出かけていた。しかもふたりっきりで。わざわざチケットまで用意して。細かい部分の差異はあれど、おおむね真実には違いなかった。

 

「ふん。……なんですか、一度も私は誘わないくせに」

「……なら今度一緒にどこか行こう。壱ノ瀬さんと一緒ならきっとどこでも楽しいから。だから……」

「いや今更なに言ってるんですか頭大丈夫ですか? 幻滅しましたもう事務的会話以外で私に話しかけないでください」

「うわあ待って!? ごめん話を聞いてほしい! あの、あれには、えっと、その、色々と事情が……」

「事情……ですかあ……」

「やめてその何も期待してないようなジト目はやめて辛いよああもう白玖ぅ……!」

「気安く下の名前で呼ばないでくださいません?」

「心がもう息苦しい……ッ!」

 

 思わずシャウトしそうになる玄斗だった。コノザマである。結局なんにせよ自業自得に変わりないあたりが少年の酷さを表していた。だから彼は知らない。そんな少女にちいさく微笑みが浮かんでいたのを。そして少女もまた知らない。目の前の少年が、ふざけているフリをしながら必死に、いまにも消えてしまいそうな意識を繋ぎ止めていることを。






以下ネタバレ反転。
>俺玄斗
享年十九歳(確定)そのまま生きてたら死にそうだし死ぬか的な感覚でここまできたヤベー奴。なお目標ができてからは自分が死ぬか“彼女“を救えるかのチキンレースで精神すり減らしていた。死ぬこと自体に「リミットがあるせいで足りない……!」とは思いつつも「まあ死ぬぐらいなら……(慣れ)」と受け入れてるあたり本当明透少年ですね! こいつは絶対殺す(漆黒の意思)ハッピーエンド迎えても死亡エンドにする。(揺るぎない意思)


>僕玄斗
調子にのった報いは受けてね? でもおまえは殺さないからな覚悟しとけよ……


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カラフルパレット

 

 人間、慣れてしまうと脅威というものを正しく認識できなくなる。いまの十坂玄斗がそれだった。ふらふらと廊下を歩いていたところへ、ちょうど前から来た人物に気付いてそっと近付く。触らぬ神に祟りなし。たとえ向こうと立場が違ったとしても、彼女へ不用意に話しかける人間はいないのだという事実にすら考えが及ばず。

 

「赤音さん」

「……はあ?」

 

 思いっきり、少女の機嫌を損ねていた。

 

「なに? 生徒会長サマがなんかよう?」

「いえ、特には」

「は?」

「……そんなに怒らなくても」

 

 いかにも、という感じで嫌悪感をあらわにする赤音に玄斗が表情を曇らせる。なにも最初から好いてくれていたというワケでもないが、彼にとっては立派に頼れる人物のひとりだった。いつでも、どんなときだって、二之宮赤音の立ち姿はぶれなくて、まっすぐで、どこか見惚れるような美しさがあったのだ。

 

「荷物、重そうですね」

「ええ。重いわ。これ教室の持っていかなくちゃいけないの」

 

 そういう赤音の腕には、大量のプリントが重ねられている。けれど、どこをどう見ても見慣れた黄色い腕章は見えない。調色高校生徒会長二之宮赤音は、この場に欠片として存在してはいない。ただそれだけの変化である。それだけのはずなのに――妙に、玄斗としてはとんでもないモノのように思えてしまった。

 

「……手伝いますよ」

「いらないわ。意味、きちんと理解してないみたいね? ――邪魔よ。退きなさい。あと馴れ馴れしいのよ、あなた。下の名前で呼ぶな」

「え、いや、でも……」

「うっさいわね。なに? 殴られたいならそれでもいいのだけど?」

「……すいません」

「分かればいいわ」

 

 とてつもなくイイ笑顔でいって、赤音は去っていく。残された玄斗はひとり、ため息をつくばかりだった。なんともまあ、むしろ清々しい。徹底的なまでの拒絶。拒否。嫌いだという目の輝き。全身すべてでこちらを否定していると言っても良い。どうにもこちらの十坂玄斗は、それほど彼女のお気に召さなかったらしい。

 

「(……まあ、薄々分かってたコトだけど。なんていうか、逆に尊敬しそうだ。〝俺〟……本当にブレないな……)」

 

 ブロークンハートである。なんだかんだ言って二之宮赤音は玄斗の大事なひとりだ。そこは間違いない。間違いがあるはずもない。彼が知る由もない事実で玄斗自身が赤音の大事なひとりであるのだが、こちらでは違うのでもちろんそれもない。そんな彼女からおざなりな態度をとられるのは、やっぱりこう、クルものがあった。

 

「――フラれちゃった?」

「っ!?」

 

 と、唐突にかけられた声に直ぐさま後ろをふり向いた。見れば、そこにはいつぞやの女の子。手入れの行き届いたウェーブの桃髪。どこか大人っぽさを感じさせる身嗜みと、女子高生らしい在り方がミスマッチでなお目立つ。桃園紗八。向こうでは夏祭りの日にあった、玄斗のことを〝キープ君〟と認識していた少女である。

 

「え、と……?」

「あははっ……もう、そんなに驚かなくてもいいんじゃない? 会長クン?」

「あ、や、はい……すいません……?」

「謝る必要もないよー? ほらほら、お姉さんがなぐさめてあげよう」

「え……? え……?」

 

 よしよーし、と頭を撫でられる玄斗はさながら借りてきた猫状態だった。ぴくりともせずに目の前の少女がわしゃわしゃと髪をかき乱すのをじっと耐える。されるがままである。きっと彼の妹が見ていたならこう言うだろう。

 

『なんて言うか小動物的なお兄の態度はつい、こう、手が伸びてしまうのも仕方ないのでは?』

 

 仕方ないワケなかった。都合五回。玄斗が真墨の手によって貞操の危機に陥った回数である。この妹、とんでもない。

 

「二之宮さんはきついからねー……いやさー、お姉さんもどうかと思うんだけどね? 会長クンにはまあ、ほら、助けてもらっちゃったし?」

「……夏祭りの?」

「そうそう! いやあ、覚えてくれてたんだあ。えらいねー、会長クンは」

「はあ……?」

 

 すりすり、さらさら、と。玄斗は依然頭を撫で続けられている。いつまでやるのだろう。そう気になっていたところで、ぴっと弾けるように少女――紗八の手が退いた。ちょっとばかし驚くみたいに、自分の手を見つめている。

 

「……うわ、やっぱあるね……」

「? えと……」

「あー、ううん! なんでもないよ、会長クン。それじゃあね! 二之宮さんにフラれたからってあんまり気落ちしないでね!」

 

 ひらひらと手を振りながら歩いていく紗八に、玄斗は首をかしげながら手を振り返す。なんとも脈絡がない、というか。ペースの掴めない相手だった。本来は振り乱す側のはずである玄斗が逆に振り乱されていた。気になる部分といえばそのあたり。自分を会長といっているあたりも、忠犬だなんだと言ってこなかったあたりも、はっきり理解している。

 

「(……というか、別にフラれたわけではないんだけど……)」

 

 そのあたりどうなんだろう、なんて考えながら玄斗も自教室へと向かう。フラれるだのどうだの以前に脈がない、というのはああいうコトを言うのだろう。こちらを何とも思ってないどころか、敵意を向けてくる赤音の恐ろしさは知っている。容赦ない暴力は彼だって一度喰らったモノだ。蹴り抜かれた頬の痛みが懐かしい。まああれは、しっかりと彼女の黒い下着を視界におさめてしまった彼が悪くもあるのだが。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 生徒会室の扉を開けると、肌色が見えた。

 

「…………、」

「…………、」

 

 日の光を忘れたような白い肌。細い体つき。綺麗なくびれ。そんな上半身を曝け出しているのは紫水六花――ではなく。灰寺九留実――でも勿論なく。

 

「…………きゃあぁああぁあぁあ~!!??」

「うるさいよ飢郷くん」

「くっ、玄斗さんのえっちぃ~!!」

「うるさいよ飢郷くん」

「壊れーかけのーレディオー」

 

 上半身裸のまま徳○英明を口ずさむ同級生をジト目で見ながら玄斗がドアを閉める。別にどうこういうワケでもなく、単純にこの少年の肌を他の生徒に拝ませるのがはばかられたからだ。

 

「へいユー。フォーユー。ノリが悪いな。手巻き寿司か?」

「あはは。……………………、」

「おいやめろその無理して笑ったあとの間みたいなものを演出するな泣くぞ」

「ごめん飢郷くん」

「オーウ、イェーーー!!!」

「なんで叫んだんだ?」

アマゾン(知らん)ッ!!」

 

 読モになれそうなドスのきいたシャウトだった。きっと彼にはセンスがある。ため息をつきながら苦笑して、玄斗はそのまま定位置のパイプ椅子まで歩いていく。はじめてよく見たが、案外飢郷逢緒の身体は細くて綺麗だ。それこそ美少年感が漂うぐらいなものである。もっとも、本人がコレなのだが。

 

「? なんだ十坂。俺を見てもライザップのCMはやらないぞ?」

「……(例のBGM)」

「…………、…………!」

「ごめん文面じゃまったく伝わらない」

「おい俺の渾身のボケを意味不明な台詞で(別次元にまでいって)殺すな!?」

 

 第四の壁ぐらいは超えられる。それが十坂玄斗の魂である。たぶん。

 

「ったく……俺はライザップするぐらいなら街中でナンパするっての」

「え、できるんだ……」

「できねえよ……はは、見ろ。想像しただけで手が震えてやがる……ッ!」

「たぶんこんな時季に服脱いでるからだと思う。ストーブつけるよ」

「ありがてえ……ありがてえ……!」

 

 ああ天国のヌクモリティ……なんてそれこそ意味不明な台詞を吐きながら、逢緒が火のついたストーブへ手をかざす。繰り返すようだが上半分を脱いだ半裸である。

 

「てか服着ようよ……風邪ひいちゃうよ?」

「男はみんな風の子だから……」

「馬鹿言わない」

「あふんっ」

 

 すぐそばの制服を取りながら玄斗が逢緒へと向かう。

 

「ちょっ、いや! やめて! そんなの入らないっ、入らないからあっ!」

「いやなに言ってるんだ……君の制服だろう……」

「だめぇ! 裂けちゃう! 裂けちゃうのぉ!」

「ごめんちょっと黙っててもらえる?」

「うす」

 

 本気の玄斗のドス声についぞふざけていた少年が正座した。普段怒らない人がちょっとキレかかると凄まじい。まさしく彼はそれを体現していた。最近ちょっと怒りっぽい生徒会長である。おもに精神と身体と負担が重なりすぎているせいだろう。

 

「ほら、腕あげて……ていうかなんで僕が着せてるんだ……」

「ほい。あげたぞ」

「いや飢郷くんも違和感を持って……」

「十坂はよはよ」

「はいはい……」

 

 なんだこれ、と思いながらも逢緒の腕にワイシャツを通していく。……と、その途中で、彼の左の二の腕あたりに、おかしなものを見つけた。

 

「……飢郷くん? これ……」

「あっ」

 

 やべっ、とでも言うように逢緒がばっと腕を引き寄せる。中ほどまで袖を通したワイシャツも一緒にだ。隠すようなこと、なのかどうか。じっくり見たワケでもないが、それはなんだか、ずいぶん経ってもうっすら残っているなにかに刺された痕みたいな。

 

「いやあ、なんでもないぜ? 本当、なんでもないって。あっはっはー。……最悪だこれまだ消えてなかったのか」

「……?」

「や、まじなんでもない。忘れてくれ。ちょっとした消えない傷ってやつだ。くっ、右腕が疼くぜ……!」

「そこ左手だよ」

「左手が疼くぜ……!」

「……飢郷くん」

「なんでもねーよ。心配すんな。……こんぐらいは、どうでもねえってーの」

 

 どこか遠くを見ながら言う逢緒に、はじめて玄斗は〝隙間〟を垣間見た。いままで一切見せてこなかった彼の弱さか。なんにせよ、それはちょっと触れただけで崩れてしまいそうなぐらい脆く見えて。

 

「――――失礼す、…………」

「あ」

「お?」

 

 ……最悪なタイミングで、見物人が入った。ふたりっきりの生徒会室。ひとりは半裸。ひとりはその側まで寄って行き場を失った手を伸ばしている。なおかつ半裸の彼は自分のワイシャツを抱き締めるように座り込んでいた。それは、傍から見てみると。

 

「…………こほん」

「……灰寺さん……」

「続けて」

「――――え?」

 

 いや、なんて?

 

「構わないから。続けて」

「えっ!?」

「……なるほど。灰寺ってまったくなに考えてるか分かんなかったけど、そういう……」

「遠慮しなくていいわ」

 

 さらっと呟いて紅茶を準備する九留実に、察した逢緒だった。 






>灰寺九留実
あっ(察し)ふーん……(ミステリアスムーヴ)

>逢緒くん
ふざけている彼を信じろ

>短気玄斗
糖分が足りてない子。え? ブチ折れるフラグ? まっさかあ?(慢心)


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だってそれがそうである

 

「……あと、二週間……」

 

 重苦しく呟く鷹仁の声に、玄斗が問いかける。

 

「煮詰まってきた?」

「行き詰まってんだろうが!? ああくそ、合同文化祭、なんて面倒くさい……!」

「……まあ、そりゃそうか」

 

 ほうとため息をつく少年の目前には、数センチほどにまで溜まった書類の数々。全体的な流れと大まかな形はできている。あとは細かい部分を詰めていくだけなのだが、これがなんとも難しい。なにせ女子校と共学校である。まさに異例の文化祭だ。そんなタイミングが自分の世代に回ってきたコトに、木下鷹仁はただただ嘆いた。まあ原因はすべて玄斗にあるのだが。

 

「向こうの生徒会とも随分と話し合いはしたけど……」

「……こればっかりは実際やらねえとわかんねえ部分もあるしな。つか、女子校に気ぃ遣うってのが趣旨からズレてねえか……? もういっそのコト向こうに変態共ぶち込んでやろうか」

「やめてあげなよ……白玖が困る」

「そんじゃあ向こうの生徒会だけこっち呼んでろ」

「よし、行こう」

「ダメに決まってるでしょう」

 

 呆れるように突っ込んだのは六花だ。彼女も彼女で絶賛仕事に忙殺中。無事なのは戦力外通告を言い渡された逢緒と、優雅に紅茶を飲んでいる九留実だけである。

 

「というか、大丈夫だろうか……これ、本当に文化祭間に合うのかな……?」

「実行委員はやってくれてんだろ。ならまあ、形にはなるわな。あとは双方の努力っつうか、折り合いっつうか……」

「こういうとき、あの人が居てくれたらと思いますね……」

「ああ……なんだかんだであの女、仕事だけはべらぼうにできたからな……」

 

 ふたりが言っているのはもちろん彼女。別に名前を言ってはいけないあの人ではない。本日玄斗が思いっきり精神を凹まされた相手である。たしかにと頷きつつも、彼としてはあまり乗り気でもない。理由なんて単純に、その方法によるもので。

 

「……なんか、こう、自然に赤音さんが戻ってきてくれたら良いのにね」

「だな……まったく分からん。いつの間にやら紫水はこうだし」

「なんの話でしょう? 木下は木下らしく木の下に埋まっていますか?」

「こんなんばっかかうちの女子は。すこしは筆が丘の女子を見習え」

「あはは……、」

 

 白玖とするなら、それはもうWIN-WINである。玄斗くん大勝利である。が、自然な流れにしろなんにしろ、タイミングを計るとなると難しい。なにより避けられる可能性だってなきにしもあらずだ。その場合、リカバリーできるほどの気転を利かせられる自信が彼にはなかった。

 

「つか、あれなんだよな。実行委員がいくら頑張ってもこうしてウチの仕事が溜まっていくんじゃ、どうにもなあ……ああ……くそう……どうしてこんなタイミングで……!」

「無い物をねだっても仕方ないよ、鷹仁。赤音さんがいなくても動けるようにならないといけないのは、そもそもの問題じゃなかったのか?」

「いや、俺来年にはやめるし。生徒会とか新体制になったら即刻離れるし。……俺が理想として思い描いてる奴以外ならな?」

「?」

「なんでもねーよ。……ま、だからしっかりやってやるってワケだ。腕章だってタダの飾りじゃねえんだよ」

 

 今こそが思い描いている状態だとは言うまい。きっちり仕事を終わらせて用なし(戦力外)になった男も、とんでもない早さで電卓を打つ会計担当も、誰よりも真っ先に仕事を片付けてくつろいでいる庶務担当も、良いか悪いかで言えば断然良い。

 

「……飢郷くん」

「はひゃっ!? ひ、うぇ、あの……は、はい……?」

「結局、会長とはどこまでいったのかしら」

「ど、どこまで……?」

「Aは済んだの? それとももう……」

「え? え……?」

「……おい。玄斗?」

「(……母さんもあんな感じだったのかなあ)」

 

 鷹仁の声を聞き流して思いながら、玄斗はすっと立ち上がった。困惑する逢緒をよそに扉の前まで歩いていく。

 

「一段落ついたから、ちょっと休憩してくる。なにか飲み物でも買ってくるよ」

「ポカリ」

「私はカフェオレで」

「……紅茶」

「こ、コーヒー!」

「了解」

 

 言いながら、玄斗は後ろ手にドアを閉めた。しばらくして聞こえてきた「逃げやがったな!?」という声にはスルーを決め込んで廊下を歩く。実際ゆっくりしたいところではあったので、別に他意はない。本当だ。決して灰寺九留実の追求の矢印が自分に向くと思ったからではない。犠牲になった逢緒のことを思いながら、彼はスタスタと廊下を歩き出した。放課後の校舎は、いやに静か。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 なにを思ってか、と言われるとなにも考えてはいなかった。ただフラフラと足を動かして、気付けばそこまで進んでいた。本校舎とはすこし離れた渡り廊下のさき。図書館は放課後も自習や本を読む生徒のために解放されている。カウンターに座るのはもちろん委員長。あとは交代制で、パートナーがひとりはつくのだが――

 

「あ、……あのぅ……ぁぅ……」

「…………、」

 

 そちらの姿が見当たらないのは、どうにも玄斗の気のせいでもなかった。本の貸し借りと個室の鍵を管理する受付。そこに座っているひとりの少女は、あろうことかそのままカウンターに突っ伏してすやすやと寝息をたてていた。……向こうで玄斗が蒼唯と過ごしていたときでも、よく見かけた光景である。

 

「(……経歴が変わっても、変わらないものなんだな……)」

 

 なんだかなあ、と苦笑しながら受付まで歩いていく。長蛇の列はおよそ二十人ほどの混雑ぶりを見せていた。皆が皆、この図書館の主である四埜崎蒼唯に声をかけられずにいる。おそらく唯一あの人なら突撃もかませるだろうが、それ以外で彼女へと接するような勇気ある人物もそうそういない。……すくなくとも、ここにいる少年を除いて。

 

「困りごと?」

「あっ、会長……! えと、その、四埜崎先輩が……これで……」

「ああ、うん。じゃあ代わりにしようか。ちょっと待ってて」

「い、良いんですか……?」

「うん。大丈夫だよ。何度かやったことがあるから」

 

 カウンターの内側に入りながら、玄斗はゆるりと笑いかける。実際、一年時に蒼唯と居ることが多かったせいで経験は十二分にあった。もはや慣れたものだ。近寄りがたい彼女のパートナーが無断で休むのも、それを咎めようともしない他人への無関心さも彼女の特長である。ので、こうするのが玄斗の日課だった日々もあるぐらいだ。

 

「じゃあ、ご要望から。本の貸し出し? それとも個室の鍵かな」

 

 久方ぶりの懐かしい感覚に、玄斗はわざとらしく微笑みながら告げた。弾む心とは対照的に、淡々と列を捌いていく。隣にはいまだゆるやかに寝息をたてる蒼唯。周りのすこしの喧噪すら気にもしない熟睡には怒る気にもなれなかった。でもまあ、それですら良いと思えた。掘り返すような記憶の欠片に、どうも思うなというほうが無理な話なのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 目が覚めると、やけに静かだった。驚くことに行列が消えている。いつもなら溜まっている生徒を適当にさばきながら頭を覚醒させるのだが、その必要すらなかった。驚愕でぱっと目が冴える。珍しい日もあるものだ、と勝手に納得しようとして。

 

「(ん……?)」

 

 かさり、と手のなかに違和感。見ればちいさいノートの切れ端を、握るように持っていた。眠る前に自分で用意したものではない。なんなのか、と広げてみる。

 

『先輩へ。受付の対応しておきました。あと、よかったらもらってください。――十坂』

 

「(十坂……って……!)」

 

 ぐっと目を見開いてあたりを見渡すが、件の少年の姿は見当たらない。どうやら帰るついでにこのメモを握らせたらしい。それと、

 

「(……いちごオレ……)」

 

 偶々、なのだろうか。それは普段の蒼唯からは考えられない好物のひとつで、それこそ赤音ぐらいしか知らないものだ。そんな情報を知っていたとは、いまの彼女からは想像もつかない。偶然だろうと割り切って、どこか不機嫌そうにストローをさしてずずっと啜る。

 

「(……なんなのかしら、あの男は……)」

 

 まったく不気味だ。くしゃくしゃにしたメモ用紙をゴミ箱に投げ捨てながら、読みさしだった本を開いてゆったりと構える。

 

 〝忘れてなんていません。そのぐらい、だって覚えてます

 

「(――っ……なに? 頭痛……?)」

 

 ほんのすこし、不思議な感覚を覚えながら。  






蒼唯パイセンに対してイケメンムーヴ決め込むことに定評のある透明少年がいるらしいですね……おまえ白玖にはそういうコトしないだろとか言ってはいけない。ちゃ、ちゃんとしてるから(震え)


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苦手なんですよ

試しに、その日、熱した鉄の棒を押し付けてみた。

『あッ、ぃっ――ぁあぁぁ、あああぁぁああ!!! あづいあづいあづい!! あぁあ! あああああ!! あぁぁあああぁぁぁああああ!! あああぁあああ!!!!』
『……あは♡』

最高だ。彼はとてもいい顔で、良い声をあげて泣いてくれた。


 

「うん? あれ、会長クン?」

「……桃園先輩?」

「あっははー、やだなあもう。固いってぇー」

 

 紗八でいいよー、と笑う少女が、ローファーをトントンと履きながら言う。時刻は午後七時前。完全下校時刻がいよいよ迫ってきた暗い時間帯。先に帰らせた生徒会一同はともかく、玄斗は玄斗でやらなければならないことがあったので居残り……もとい残業をしていたのだが、その帰り際に予想外の人物と会ってしまった。正直、面識はあまりない。

 

「……じゃあ、紗八先輩……で」

「ん、まあ合格、かなあ? お姉さん的には呼び捨てでもポイント高いよ?」

「……ちなみになんのポイントで?」

「内緒♪」

「はあ……?」

 

 どうにもペースが掴めない、と首をかしげながら玄斗も靴に履きかえる。外は既に街灯が光るほどになっていた。一寸先は見えても、五メートルもいけば見えない部分が出てきている。十月の終わり。すでに冬場を目前にしたこの時季は、日が落ちるのも段々と早くなってくる。

 

「……紗八先輩は、どうしてこんな時間まで?」

「アタシ? アタシは、まあ、ちょっと用事があってね」

「そうなんですか」

「そうそう! いやあ、提出物ぐらい出しておくものだね……」

 

 その一言でなんとなく察した。すべての教師がそうというワケでもないが、一部にはやけにうるさい人もいる。面倒くさがりだったりそういったモノを嫌う生徒からすれば厄介な、けれどもきっちり努力した分は加算してくれる先生たちだ。

 

「……よければ途中までどうですか? 夜道は危ないですし」

「あ、本当? じゃ、お言葉に甘えちゃおっかなー♪」

 

 くすりと微笑んで、鞄を持った紗八が玄斗に近付いた。タイプで言えば真墨が一番近いが、同時にもっとも遠いという立ち位置。いままで玄斗と関わってきた少女たちとはちょっと違った感じの少女は、気持ちはどうあれ慣れないものである。ずざっ、と思わず一歩引き下がると、紗八はにこりと笑みを深めた。

 

「えー、なんで距離とるのー? お姉さん傷付くなあ」

「あはは……」

 

 ――ちなみに。玄斗がこういう行為をすると笑顔どころか殺意のこもった視線を向けてくる人物もいる。かの有名な図書委員長がそれだ。逃げる、避ける。そういったモノが彼女のなかではとんでもない地雷になっているのだろう。ただちょっと距離をとっただけでそれはもう玄斗が思わず震えてしまうほどのオーラを放つのだ。なので、それと比べれば紗八の文句なんて無いにも等しい。

 

「恥ずかしがらなくてもいいよー? なんなら手とか繋ぐ?」

「いえ、ご遠慮しておきます……」

「あー、ふられちゃったかあ」

 

 あはは、と笑いながらくるんと紗八がその場で回る。ふわりと舞い上がる短すぎるスカートが目に毒だった。誰とも違うタイプ。たしかにそうである。普段は雰囲気の軽い碧でさえ、まあまあどこかの誰かに引っ張られたのかそこまでライトなものでもない。真実、桃園紗八は特異な相手とも言えた。

 

「じゃ、手は繋がなくていいから一緒に帰らない? 会長クンとは、一度ゆっくりお話してみたかったんだよねー」

「……まあ、それなら……」

「だからあ、固いってばーもうー。もっかい撫でてあげよっか?」

「だ、大丈夫です」

「そかそか♪」

 

 黄泉に散々怒られたせいで誠実さが当社比二割ほど増している玄斗だった。本命以外には不用意な接触は避ける。例外はせいぜい彼を立て直した女子たちぐらいなものだ。それから綺麗さっぱり対象外になっている紗八は、とにかく玄斗をして迷う必要がなかった。我、白玖を想う。故に我あり。

 

「……あの、紗八先輩」

「うん、なになに?」

「キープくん、っていうのは知ってますか?」

「え? なにそれ……あー、誰かがそうなってるってコト? それとも、会長クンの事情かな?」

「いえ、知らないなら、それで」

「うん?」

 

 不可解な顔を見せる紗八の横をすり抜けて、玄斗はゆっくり歩き出した。結局、そこに関しては〝俺〟も〝僕〟も関係なかったというコトだろう。十坂玄斗は夏祭りで彼女を助けに行った。ならば、そのぐらいの正義感もこちらの自分に残っていたということだ。ついでに、他のなにかに目を向ける意識も。すくなくともそうなのだと玄斗は感じた。真実なんて、なにも知らないまま。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 不思議と、こうして誰かと夜道を歩くのは珍しくない。思えば()()なる前からのコトでもあって、なにかと同年代の女子と繋がりのあった玄斗は、よく家まで送るという行為を自然としていた。よもや当たり前にすらなってきた習慣である。

 

「いやー、寒いねえ」

「そうですね」

 

 吐いた息は白い。まだ一桁には届かないと思っていたが、外気温はそうでもないらしい。手袋とマフラーを用意していたのは僥倖だった。頬をさすような冷たさに苦笑しながら、玄斗はふと彼女を見た。

 

「……使いますか?」

「え?」

「マフラーとか。……さすがに、制服だけじゃ寒いかなと」

「ああ、いや、いいよ? アタシは別にー」

 

 ひらひらと手を振る紗八に、そうですかと眉を八の字にしながら返す。断られてはどうしようもない。防寒着のひとつもしてない紗八の格好は相当なものだ。まだ十一月に届いていないというのもある。そこまで珍しくも無い格好だが、大概な格好であるのは間違いない。どうしたものかと考えてみるが、玄斗にはてんでさっぱり。これが白玖や真墨なら、さらっと手を引っ張って握るぐらいできそうなものだが。

 

「……十坂クンは、優しいんだねえ」

「そうでしょうか」

「うん。お姉さんはそう思うかなー? それとも、言われたことない?」

「……まあ、似合わないとは、思います」

 

 なんとなく。自分より酷い人間もそうそう居たものではないだろう、とは思った。なにせ白玖と決めてから口や態度でなにをしようと心の芯が一切ブレない。揺らいでも揺らぐだけ。本当に大事な部分はぴくりとも反応しない有り様だ。それは単純に、感情をすべて切って捨てているというコトにもなる。

 

「だからみんなにモテるのかな? 大人気だもんね、君」

「それは知りません……というか知りたくもなかったんですけど……」

「?」

「いえ。……まあ、そこはそこです。なにか、琴線にふれる部分があったんでしょうね」

 

 僕ではない俺に。その一言だけ飲み込んで歩みを続ける。〝僕〟にあって〝俺〟にないもの。〝俺〟にあって〝僕〟にないもの。比べてしまえば簡単なコトだ。どちらも正解に手をかけているのに、離れているから微妙に一致しない。正しさだけでいえば、それこそ一方が果てしなく敵わないぐらいに。

 

「そのわりに、二之宮さんとか、四埜崎さんにはあまりいい顔されてなかったり?」

「……よく知ってますね。そこまで分かるんですか?」

「まあ、あのふたりは……うん。アレだから。仕方ないとも言えるのかなー?」

 

 アタシもわんちゃんあったかもしれないし、とちいさく紗八が独りごちる。それはどういう意味だろう、と玄斗は考えかけて。

 

「(あ――)」

 

 ふと、街灯の下を通った瞬間に気付いた。綺麗に揺れる桃色の髪。そのなかに、ちょっとしたモノ……有り体に言えばゴミがついていた。思い出されるのは真墨の教えである。曰く、「男子たるもの髪の毛になにかついていたらそっと取り除いて微笑んであげること。これしないお兄はマジあれだから。本当あれだから」である。どうなのかは分からない。

 

「すいません。紗八先輩」

「え――?」

 

 そっと、手を近付ける。なんてことはない動作だった。別に、邪念があったワケでもない。とりわけなにかをするという場面において、それ以外考えられなくなるのは玄斗の悪い癖でもあった。なので、彼の思考にあるのはただ単純なお節介。彼女の気付いていない髪についたゴミを退けようと、ふんわりそれをつまんで、

 

「っ!?」

「わっ……」

 

 がばっ、と。思いきり、躊躇なく飛び退かれた。幸いにもゴミは取れている。そこだけは良いところか。が、にしてもいまのはと思う反応だった。

 

「……紗八先輩?」

「あ、あはは……びっくりしちゃったあ……もう。急に、なに? 会長クン」

「いえ、ゴミが……ついていたので」

「えぇ!? うそぉー! はやく言ってよぉ」

 

 もう最悪ー、なんてからから笑う少女。でも、その瞼に隠された瞳を玄斗は見逃さなかった。偶然にも、そういう目は見たコトがある。知り合いがよくしていた。きっとつまらない理由なんてひとつもない。本気の、本当で、本心からだろう。

 

「紗八先輩」

「いつからなのかなあ……ああ、もう。鏡、しっかり見ておいたら……」

「苦手なんですか? 男の人」

「――――――――、」

 

 ぴたり、と固まった。紗八の瞳が、こちらを向く。

 

「……あはは。やだなあ。そんなワケないじゃん?」

「……いいですよ、誤魔化さなくて」

「いや、だから。お姉さんは別に誤魔化して――」

「指、震えてます」

「…………っ」

 

 気付けたのは、やはり、あの少年によるものが大きかった。たった一度。本当に一度だけ目にしたコトがある。一番酷かった逢緒の状態だ。不意に発生した女子との突発的な接触。それで彼はちいさく痙攣を起こして、吐いたことがあるのだ。女子が苦手というモノをこじらせているのかどうなのか。けれどもたしかに、彼はそういう人間だ。

 

「ごめんなさい」

「い、いや……これは、その、違うんだ……よ……?」

「……先輩」

「ち、違うったら。アタシは――わたし、は……別に、なんとも……っ」

「…………紗八先輩」

 

 ――近寄る? 抱き締める? 冗談じゃない。近くで見ておきながら、それがどれだけ酷い対応なのか分からないワケでもなかった。まったくもってあの友人に頭が下がる思いだった。どちらがより、なんてのは分からなくても、ヒントは散りばめられている。玄斗は半歩ほど、彼女から距離をとった。

 

「大丈夫です。だから、落ち着いてください」

「あ…………――――」

「……無理しちゃ駄目です。僕、そういうのが()()にならないってことぐらいは知ってます。友達が大分、それで苦しんでるので」

「……いやあ、本当に、違うってば。……いまのは、ちょっと、ね……」

「……、」

「……っ」

 

 そっと腕を動かせば、ぴくりと紗八の肩が跳ねた。誤魔化せるほどのものでもない。それは、やっぱり。

 

「……すこし休みましょう。飲み物買ってきます。なにがいいですか?」

「いや……」

「紗八先輩」

「……お茶、で……」

「はい、分かりました」

 

 笑って、玄斗はすこし離れた自販機まで駆けていく。関係ない。道にない。頭にない。特別な誰かでもない。だからといって、目の前の誰かを見捨てることはしたくない。それは真実、玄斗だけが掴んだ自分らしさだ。きっと誰もが放っておかなかったからこそ辿り得た彼の道。偽善だなんだと言われようと、それはまさしく彼がしたいと思ったことで。

 

「(やっぱり優しくはないな、〝僕〟)」

 

 でもって最低だ、と内心で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いまもまだ、彼は覚えている。

 

『ほら、良い子だからねえ……♡』

『かわいいなあ……』

『大丈夫よ? ちゃんと……お姉さんが気持ちよく、シテあげるから……っ』

 

 伸びてくる手。歪んだ顔。透明な液体の満ちた注射器。そのときの彼には知る由もないえげつないモノの数々。まだなにも知らない少年時代。男の子だからと誰もが気にもとめなかった頃の話。

 

『ねえ、具合はどう?』

『痛いでしょう? 苦しいでしょう? 泣いて良いのよ。もっと、わめいていいのよ……っ』

『もっと、わたし、キミのそういう声も聞きたいわ……!』

 

 たぶんそれは、一週間程度の短い間。死なない程度の食事を詰め込まれて、死なない程度の仕打ちをずっと受けて。たったひとりの()()に、いいように弄ばれた。言ってしまえばそんなこと。心に罅が入ったのはそこで、決定的なのがそのあと。

 

『……にい、さん?』

 

 自分を見つけてくれた妹の、色が抜け落ちたような表情。それを見てしまった自分の、ただ目の前にいる〝異性〟としか見られなかった感覚。言わば、あの頃からずっと壊れたまま。

 

『……ぃ、や……』

『兄さん……です、よね?』

『ゃだ……いやだ……!』

『に、兄さん。わたしです。あ、揚羽です……!』

『ひぃっ! ……ぃ、や……ぁ、ああ……っ! うあぁ……!!』

『兄さん? どう、したんですか。わたしはっ……』

『やだ、やだあ! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい――!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うっわ……最悪な夢だわ……」

 

 彼のそれは、一切の反応を示していない。






>童貞インポ
半分あってるけど半分違ったね、というあだ名。本人も笑えよって言ってるし笑っていいんじゃないかな。

>桃色パイセン
当初の設定から六割ほど悲惨成分抜いたらなんか友人枠がトンデモないコトになってた関係性がある。ま、まあ男ならセーフだし(謎理論)


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似ていたってそれは

かなり容赦してしまったのでその点だけは本当申し訳ない。


 

 そっとお茶を差し出すと、紗八はぎこちなく笑った。

 

「……ありがとね」

「いえ」

 

 短く答えて、玄斗は彼女の隣に腰掛ける。立ち寄った近くの公園のベンチ。夜になれば十分な寒さだった。自分なりに気を遣ってホットにしたのだが、どうにも間違いではなかったらしい。両手でかわいらしく持ちながら、ほう、と紗八がひとつ息を吐く。

 

「……なんか、ごめんね? 変なところ見せちゃって……」

「いえ」

 

 生返事、というワケでもないけれど。玄斗にはこういうときに、野次馬根性を見せるような真似はできなかった。事情がある。人には隠したい過去がある。それに踏み込むのがどれほどなもので、踏み込まれた衝撃を知っているからこそだろう。いまは解決したとはいえ、父親に邪魔なモノと扱われていた時代は彼にとっても地雷だった。

 

「……はあ。よりにもよって、君の前で、ねえ……」

「……僕だと、なにか問題が……?」

「いや、さあ……ああ、うん。十坂クンは……あはは……」

「…………?」

 

 なんなのだろう、と玄斗は首をかしげる。〝僕〟と〝俺〟の差なんて行動自体はあまり変わりないものでもある。結果が大分ズレているだけで、そこまで道が外れていることもない。結局、明透零無は明透零無。そういう結論を、玄斗は思い描いているのだが。

 

「……聞かないの?」

「なにを、ですか?」

「さっきの。……アタシ、挙動不審だった……じゃない?」

「まあ……でも、僕は別に」

 

 そこまで気にはしていませんけど、と玄斗は笑う。つられて、紗八もすこしだけ口の端をつりあげた。貼り付けていた仮面があったのだろう。それが剥がれてしまえば、なんてコトはない。……本当に、よく、誰か(逢緒)と同じものが見えてくる。

 

「そっか。……まあ、言っちゃうと、ねえ……」

「……、」

「駄目なんだよねえ……男の子」

 

 はあ、と大きなため息だった。駄目などころかむしろそのスキンシップの多さは慣れていると言ってもいい少女である。意外といえば、まあ意外。知っていたかと言われると、つい先ほどには気付いていた。

 

「話したり、近付くのは良いんだけどね……なんだろ。触っちゃうと、どうしても」

「……吐き気とか、痙攣は?」

「たまに、かなあ。……十坂クンは比較的大丈夫なんだよ? ほら、口調が丸いから」

「はあ……?」

 

 丸いだろうか、と玄斗は首をかしげる。身近な男子を思い浮かべた。

 

『黙れホモ野郎! てめえケツの穴に手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わせるぞあぁ!?』

『うっせー親の七光り! なにがケツの穴だ馬鹿野郎おまえ俺は勝つぞお前!』

 

 天下無双。

 

「(……駄目だ比較対象が色んな意味で酷すぎる……っ)」

 

 泣きたい玄斗だった。たしかにあのふたりと比較すれば大抵の、それこそ八割がたの生徒が口調が丸いと分類される。それでだろうと勝手に納得した。実際本人の自覚はなくともキレた玄斗の声はわりと低い。

 

「でも、それならなんであんな……」

「いやあ……知られたら、あれじゃん。無理して返ってくるのはアタシだけだし。わりと、じんましんぐらいならなんとかなるし」

「……それは」

「そういうフリ? しておくだけで、わりと……変わるんだよねえ……」

「…………、」

 

 当人の問題だ。余人が……ましてや彼が介入するのはお門違いか、と口を噤む。それでも、言いたいコトがなかったと言えば違うもので。駄目なものが駄目だとはっきり言えないのは、それは。

 

「……辛く、なりませんか?」

「あー……まあ、辛いよ? でも、もっと辛いコトだってあるし。お姉さんこう見えてねえ、中学の頃はそりゃあもう酷くって。……物静かってだけで、好き放題やられちゃってさあ……」

「……………………、」

「だから、変わろっかなって思ってさ。似合ってるでしょ、コレ」

「……そう、ですね」

「うんうん。で、うまく行ったのかな? まあ、そのときにはもうばっちり()()()()だったんだけどねえ……」

 

 遠くを見ながら紗八がいま一度息を吐く。玄斗にはいまいち、経験の足りない問題だった。なにせ彼が受けてきたのは個人の悪意のみで、集団の悪意に晒された回数はすくない。無論、その分を払っている人生でもあったが。

 

「……や、本当ごめんね! ちょっと、嫌なこと話しちゃったねえ。忘れて忘れて! ほら、お姉さんぜんぜん今はこうだし! 堪えてないし!」

「……紗八先輩」

「そんな顔しないの♪ ほらほら、送ってくれるでしょ? そろそろ行こうよ、()()()()

「…………はい」

 

 促されて、玄斗も立ち上がる。ひとりの少女の問題。済んだようなコトと、いま実際に残っているもの。それをどう触れていいものかと迷って、結局、考えても答えが未だ出ていない。彼が知っていたものなら勿論のコト。用意されている何かなら、なんとでも言えようものなのに。

 

「(結局、僕は――)」

 

 なんてコトはない。彼は、彼でしかないだけの現実だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 はじまりなんて、些細な問題。その日、たまたま友人と夏祭りに行って、はぐれて――引き攣るぐらいのモノと相対した。

 

「ねえ、いいじゃん?」 

「俺らと遊ぼうよー」

「あ、あははー……?」

 

 ケラケラと笑う男たちは、お世辞にもいい格好とは言えなかった。じゃらじゃらとしたアクセサリーと、雑に染められた頭髪の色。いまも濃く記憶に残る彼らと同じ雰囲気に、思わず萎縮してしまっていた。

 

『おい、本当に良いのかよ?』

『大丈夫だって。コイツ、誰にも言ってないし』

『――、――!』

『おいおい、暴れんなっての』

『はは、涙目。ウケる。動画とろ』

『いいなそれ。つか桃園震えてるし。――なあ、おい。絶対誰にも言うなよ?』

 

 あのときは寸前で、教師に見つかって事なきを得た。が、今回はどうだろう。人気のない一角だ。とても逃げ場があるとも思えない。むしろ逃げ場を塞がれている。

 

「あー、ちょっと、友達待ってるから……ね?」

「友達? じゃあ友達も一緒にさ、ね?」

「いやまじ大勢のほうが楽しいじゃん? お祭りなんだしさ」

「っ!」

 

 なんて、腕を掴まれた。虫酸が走る、というのは比喩表現でもなんでもない。近すぎていて――というか過去を彷彿するに十分な状況で、考えるなというほうが難しい。もう指先が震えている。ちくちくとした痛みが、肌を走って――

 

「――なにしてるんだ?」

「……あ?」

 

 ぱっと、男の手が離れた。ついでに、割り込むように誰かが前に立っている。

 

「嫌がってるだろう。この子、どう見ても」

「なんだてめえ……?」

「……って、うん?」

 

 くるり、とその誰かがこちらを向いた。真っ当にすぎる黒髪。吸い込まれるような瞳と、男子にしては綺麗すぎる肌。私服だからか、一瞬、本当に分からなかった。けれど、よく見てみれば知った顔で。

 

 〝――生徒会長……?〟

 

「……なんだ。それなら、まあ」

「ああ? んだよ、さっきからワケ分かんねえこと」

「いや、事情が変わった。悪いけど、大人しく引いてくれなきゃ困る」

「はあ?」

「うちの生徒みたいだから。手を出されるのは、俺としても非常に困る」

 

 ――年下、普段着、おまけに肩書きなんてそれだけ。それでも彼は、とんでもない笑顔のままそう言い切った。たったひとり、なんの関わりもなかった同校の少女を背に隠して。

 

「(――――――――!)」

「……ちっ。興が削がれた。行くぞ」

「んだよー……センコーが来んなよマジ……空気読めねー!」

「……まだそういう歳でもないんだけどね、俺は」

 

 そんな老けてるように見えるか? と苦笑しながら少年が身体を向ける。うちの生徒、なんて一言が勘違いを生んだらしい。たしかにまあ、生徒なら彼だけが口に出来る言葉ではあるのだが。

 

「大事ないですか?」

「あ、う、うん……」

「なら良かったです。こんなところに居ると危ないですよ、またああいうのに絡まれますし」

「ご、ごめ――」

 

 人肌があたる感覚。見れば不意に、自然と彼が手を引いていた。

 

「(あっ――!)」

「行きましょう。こっちもちょっと、知り合いを待たせていまして」

「え、あ、や、それはいいん、だけど……っ?」

「?」

 

 〝――あれ?〟

 

 気付いたのは、そのとき。はじめてだった。すこしでも反応する自分の身体が、アレ以降はじめて鈍った。痛くもない。痒くもない。ましてや、拒絶感すら薄いモノで。

 

 〝平気……とか、あるんだ……〟

 

「……なにか?」

「うぇっ!? あ、や、な、なんでもないよ? あ、あははー……」

「……?」

 

 不可解な顔をする少年だが、その表情はそれこそこちらがしたかった。なにせこんなコトははじめてで。動悸だけはしっかり高くなっているのに、それ以外の反応がずいぶんと抑えられている。……まったく無いワケではないのが、やはり酷いが。

 

 〝……この人は、違うのかな……?〟

 

 理由なんてたったのそれだけ。本当に些細な問題。そんな馬鹿げたコトが、はじまりだったのだ。

 

「あ、いたいた。クロト。どこ行ってたの?」

「いや、ちょっとね。……それじゃあ、ここで」

「あ、うん……」

「? 知り合い?」

「まあ、そんな感じかな……」

 

 そんなのだから、とくに記憶に残るわけでもないだろうと思っていた。特別でもなんでもないと思っていた。本当、それだけで。

 

「ああ、飯咎さん。ほっぺに焼きそばついてる」

「えっ、うそっ、どこにっ!?」

「ほら、ここ」

「わっ、ちょっ、クロト! そ、そういうの禁止っ! 近いっ!」

「えー」

「えーじゃないんですけど!? まったく……」

 

「(…………、)」

 

 まさかアレから自分に回ってくるなんて、思ってもいなかったのである。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 朝の生徒会室は静かだ。考え事をするにはうってつけの空間である。なにより、文化祭に向けての仕事もあった。ついでとばかりに椅子に腰掛けて、ぼうとひとり思考に没頭する。なにをどうするのか、というのは単純な問題のクセしてとても難しい。

 

「おはよ……っと、十坂」

「飢郷くん」

 

 がらりと扉が開いて、顔を出したのは逢緒だった。思考を打ち切ってくすりと微笑む。最近の彼は仕事熱心なのかなんなのか、鷹仁にばれないようこっそりとみんなの仕事を手伝っている。鷹仁だけ除いているのは、きっと日ごろの恨みだろう。

 

「早いなあ。どうした? 朝起きたら妹にフェ○ されそうにでもなったか?」

「ああ、それは一週間前に経験した」

「だよなーそんなワケないよなー! ……え?」

「え?」

「あっ、いや、うん……ご愁傷さま?」

「大丈夫だから」

 

 笑顔で答える玄斗は意外とすっきりしたものだった。涙目になるぐらい怒ったのはやりすぎだったのかどうなのか。あれ以来真墨はかわいらしくベッドに潜り込んでくるぐらいなので、その点だけは兄として嬉しい限りである。……ベッドに染みがついているのはまあ、見なかったコトにするとして。

 

「あれ、やばいよなあ……うん。いちばん驚いたのは一切反応を示さないムスコだよな! 臨戦態勢にすら入ってねえでやんのよコレが!」

 

 あっはっはちくしょうッ! と叫ぶ童貞インポ。わりと切実だった。

 

「だよね……」

「ああそりゃ……うん? 十坂。どうして目を逸らす?」

「いや……なんでもないよ?」

「……もしかしてあれか? おまえ、妹の手でヴァンガードしたの? スタンドアップしたの?」

「…………ノーコメントで」

「まじかあ!? おいおい、とんだシスコン野郎だぜコイツ! ははは! ……泣けよ」

「すっごい悔しかったんだぞ……っ」

「気持ちは分かる」

 

 そりゃああの妹は暴走する。そんなの目の前におさめたら歯止めとか振り切る。むしろ今まで堪えてた玄斗の危機感がやばかった。

 

「あーでも……いいなあ。俺、まじでムスコ死んでるからなあ……」

「あっ……」

「やめろ察するなよ? ……いや、これまじネタ要素高くて笑えるわ。ははは、うけるー!」

 

 抜くのにすら一苦労、という彼の頑張りは称賛されるべきである。

 

「……それ、いつからなんだ?」

「いつからって……ああ、小学校のときになあ……」

「あ、けっこう早い……」

「まあ、うん。…………あー、十坂なら、いっかなあ……」

「?」

 

 うなずきながら、逢緒はまっすぐ玄斗を見た。とても真剣な表情で。ふざけている色など一切ない顔で。

 

「――――俺さあ。ガキの頃、誘拐されて犯されたんだわ」

 

 曖昧に笑いながら、彼はそう告白した。






>桃色パイセン
ちょろい(確信)そして散りばめてきたナチュラル玄斗最低ムーヴですねこれは……。



>女性恐怖症
くそウケるとか、そういう感じで読んでいただいて結構。


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過去がどんなに酷くても

もうちょっと厳しくいっても良かったかな、とは思う。


 

「……え」

「驚いたろ」

 

 にっと笑って、逢緒は机に腰掛けた。鞄を放り投げるように置いて、やれやれとわざとらしく疲れたように伸びをする。強がりなのは、見ていて分かった。

 

「小学生のときだよ。ある日俺は優しいお姉さんに声かけられた。ボク、道を訊きたいんだけど……てな具合だったかな。純真無垢な少年はまんまとそれに騙されて、ほいほいとさらわれました。おしまい……とはいかなくてなあ」

「…………、」

「町外れの寂れた廃工場に無理やり縛って連れてかれてよ。変な薬かなんかいっぱい注射してきやがって、そりゃあもう口にするのもアレなアレをアレでさあ……」

 

 まじ最悪だわー、と逢緒はからからと笑いながら言う。玄斗はいったいどういう反応を返せばいいのか分からない。

 

「……で、そのままずっと満足してりゃ、まだマシだった」

「まだ、マシ……?」

「おう。三日目だ。思いついたのかなんか知らねえけど、そいつ、マジで頭のネジぶっ飛んでたんだろうな。アッチアチの鉄パイプを直に当てて来やがってよ。はは……あ、人ってまじで失神するんだな、ってそのとき知った」

「……っ」

「そっからはもう酷いもんよ。殴る、蹴るは当たり前。無理やりそういう行為に及んで散々好き勝手。でも死なないように優しく応急処置だけしてきて。んで、まだ無事なところを探してやりやがる。歯とか一・二本持っていかれたし。そのときは知らなかったけど、見つかったときには両足とも骨折って立てなくしてたみたいだわ」

 

 まじで用心深いよな、と彼はひとりごちる。それだけお気に入りだったのか、せっかくの獲物を逃がしたくなかったのか。なにはともあれ、玄斗には想像もつかないぐらいなものだ。一体、どんな人間だったというのだろう。

 

「……ちなみに、その、人物って……」

「捕まってないんだよなー。そういう話も聞かねえし。どっかで同じコトして刑務所にぶち込まれてるか、ぽっくり逝ってくれてると良いんだけどなー……」

「そう、なのか……」

「……おいおい少年、暗いのはよそうぜ? 折角俺様が偉大なる過去の偉業を話してやったというのに。まったくけしからん」

「…………ごめん…………」

「(…………ったく)」

 

 真面目に捉えすぎだ、と逢緒は息を吐いた。真面目もなにもすべて真実なのが余計に文句を言いづらい。あの女の顔はいまも覚えている。ときどき夢だって見る。喜色に満ちた笑顔を浮かべながら、ペンチをカチカチと鳴らして、まだ生えかわって間もない歯を――

 

「(……っと、危ねえ……いや、いかんわコレ……)」

 

 ズキズキと差し歯が痛んだ。傷は殆ど消えている。焼け爛れた痕も、残ってはいるが生々しくはない。とうに彼にとっては過ぎたコト。それぐらいの感覚でなければ、こうしていまを生きていられはしない。トラウマ自体の払拭は、もっとかかるだろう。

 

「……ま、そんな感じで俺は女性恐怖症こじらせて、童貞インポなんて不名誉なあだ名をもらっちまったんだな、おまえの妹ちゃんに」

「……ごめん……いや本当ごめん……真墨には、きつく言っておく……」

「いやいいけど。インポは事実だしぃ? まあ、童貞じゃないけどネ!」

 

 あっはっはー、と逢緒がなんとはなしに笑う。初めての相手は無論その女である。そういう行為をしたのも、唇を合わせたのも、舌を絡ませたのも、しごかれたのも、弄ばれたのも。

 

「なあなあ知ってるかあ十坂? ファーストキスって埃っぽいんだぜ?」

「…………、」

「ノリわりいなー! ほら、もっと軽く受け止めろって。たかだかガキが大人の女にやられただけのコトだぞ? なんで抵抗しないのかって話じゃん?」

「いや……でも……」

「まあ、そう言われたんすけどね!」

「――――」

 

 はあ、と少年はため息をつく。それは、どういう本心からなのか。

 

「……俺だって悪いんだよ、結局。なんにもしなかったから。なんにもできなかったから。男のくせにって。散々言われたわ。ふざけろって思ったよ? 最初はさ。でもさあ……親父にまで言われたら、正直、なんか、ぽっきりいったわ」

「……飢郷、くん……」

「情けねえよなあ……女相手に良いようにされて。男なのに黙ってやられるしかなくて。本当だせえし情けなかった。くそ怖くてさ、もう震えてんのに、身体だけ火照ってやんの。ワケ分かんねえし。正直死にたかった。メシも食いたくなかった。でも無理やり詰め込まれた。点滴まで用意しやがってな。……いいおもちゃだったんだろうなあ、俺」

「…………っ」

 

 まだ、そういう歳でもない。知識も経験もさっぱりない。そんな幼い時分に、知らない誰かに攫われて、抵抗のしようもなく好き放題にされる。それがどれほどの恐怖を持つのか、玄斗には当然考えても分からない。きっと、逢緒だけが理解できる恐怖だ。

 

「一週間だ。それ繰り返して、そいつが離れた隙に、勝手にひとりで探しに来てた妹に発見された。……裸で、傷とか痣とかいっぱいつくって、手足の自由が奪われた芋虫みてえな兄貴見てさ。あいつ、なんて言ったと思う?」

「…………、」

「私ですって。天使だったなあ、いま思えば。そんときはまあ、悪魔にしか見えなかったけど。なんせずっとそういうことを女にされてたワケで。おんなじだ、って思った瞬間、もう震えがとまんなくて。俺、発狂したっぽいわな」

 

 ぐっと拳を握りながら、逢緒は続ける。さっきまでの気の抜けた感じとはまた違う。自分が酷い扱いを受けたことよりもそれが重要なのだと、言外に言っているようだった。そんなコト、ある筈がないのに。

 

「近付いてくる妹に必死で逃げて、抵抗して、あまつさえ傷まで付けちまった。……あいつの背中、相当すごい痕があるんだよ。俺が爪で引っ掻いた痕。良い人もらって嫁に行ってほしいんすけどね。それ原因で断られたりしたら、もうさ、俺、死んだほうがマシじゃん?」

「そんな、ことは……」

「あるよ。そんだけすげえ奴なんだ。……馬鹿みたいにわめくガキに抱きついて、大丈夫ですって。ずっと背中さすられて。肉が裂けるほど背中に爪たてられてんのに、泣かずにずっとそれで居てくれて。……あれから、妹だけは大丈夫になった」

 

 粗治療ってああいうのを言うんだろうな、と逢緒は遠くを見つめた。真墨と同類のように見えた飢郷揚羽のワケ。きっと、酷い状態の彼をずっと見ていたのだろう。今まで普通だったモノが壊れて、なくなって、死んだも同然の彼を。そこから手を伸ばしたのは、やはり、兄妹だからこそなのだろうか。

 

「……こっちの俺、ずいぶんと女子に人気だったじゃん?」

「……ああ。そう、だね」

「それさ、なんとなく分かってんだよ。たぶん吹っ切れてんだ。揚羽にも聞いたかぎりじゃ、それでビンゴっぽい」

「吹っ切れた……って……」

「あいつ一筋。他の女子はアウト・オブ・眼中。んで、あいつに心配かけたくないからそんな無理までしてんの。こっちの俺もずいぶんだったみたいだわ。経歴とか同じ同じ。いやあ……どこ行っても俺、あの女に犯されんだなあ……」

 

 苦手な女子と接して、校内人気のトップにまで躍り出る。そんな生活を、身の振り方こそ違えと同じ彼として続けていけばどうなるか。……きっと、毎日のように拒絶反応が出ていたのを、必死で堪えながら過ごしていたのだろう。ただ、妹に心配をかけまいと。彼女が無駄なモノを抱えないようにと。ズレていたイメージが、それで合った。飢郷逢緒は、それぐらいの無茶を妹のためにしてしまえるのだろう。

 

「……そんだけ。俺の昔話はここまで。代金は千八百円になりまーす!」

「…………、」

「いや、いそいそと用意すんな。要らねえから。財布しまえ」

「でも……」

「要らねえっての! ……おまえだから話したんだよ。十坂ならさ、別に、悪いようには言わねえじゃん?」

「…………、」

「だから、言っちまった。……悪いな。こんな話、付き合わせて」

「いや……」

 

 悪くもなにもない、という言葉はかけて良いものか。玄斗にはイマイチ分からない。ただ、いまの話を聞いてなにも思わないというコトでもなかった。悪いのは彼なんかではない。それこそはっきりしている。その相手は、ひとつとして罪を償っていない可能性もあるのに。

 

「……ひとつだけ、良いかな」

「おう。なんだ」

「……飢郷くんは、さ。女の子、苦手だろう?」

「まあな。俺の女性恐怖症とか、まじ筋金入りの鳴り物入りだぜ?」

「似たように……男の子が苦手な女子がいたら……なんて、声をかける?」

「……そうだな」

 

 くすり、と逢緒は笑った。うつむく少年はまさに分かりやすいものだった。それが抱えていたものか、と彼にもやっと見えた玄斗の心にただ笑う。友人ならばこれぐらいしなくてはどうしようもない。それができたのなら、こんなつまらない自分の過去を披露した甲斐があったと言うものだ。

 

「妹さえいればいい!」

「え……?」

「――ってのは、まあ、ネタだけど。うちの妹だけはさ、大丈夫なんだよな。じんましんも、動悸も、震えも、ぜんぜんない。……だから、十坂。もしおまえがそんな相手にさ、もし、だけどよ? ……手こずってんなら、俺の妹みたいになってあげてくれ」

「……妹さん、みたいに……?」

「おう。……そいつだけは大丈夫で、安心できて、ちょっと、ああ、生きようかなって思えるような――そんな、相手になってやってくれよ」

 

 無茶を言うのは承知だけどな、と逢緒。玄斗は、黙って聞いている。

 

「そのひとつ。たったひとりだけ。でも、居たらさ……変わるんだよ。頑張ろうって思える。俺は、十坂がそうしてくれたら、すげー……嬉しいよ」

「…………そっか」

「ああ」

「そう、なのか……」

「だから、そう言ってる。……な、十坂」

 

 事情は知らない。相手も分からない。けれど、そんなのはどうでも良くて。結局、彼は自分がどうこうよりも目の前の友人が困っているのを見捨てられなかった。たったそれだけ。飢郷逢緒は、そういう人間である。

 

「気遣いなんて、俺みたいなのに要らねえよ。おまえの気持ちでも伝えりゃいいんだ。……そんだけでもな、ずいぶん効くはずだよ。その誰かさんには」

「……うん」

 

 うなずくと、逢緒はニッとはにかんだ。とても、暗い過去を持つ少年とは思えないぐらい綺麗に。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 時間がすぎて、玄斗が去った生徒会室。よっと立ち上がった逢緒に、ふと声がかけられた。

 

「――無理をしますね。震えるぐらいなら、話さなければいいでしょうに」

「……いつから居た?」

「驚いたろ……ぐらいから」

「ほぼ最初っからかよ……揚羽さん諜報能力パネエっすね……」

「兄さんに限ります」

「でも十坂妹ちゃんには負けると」

「あの人にはいつか絶対制裁をくだしますが?」

 

 思わず凍りつくぐらいの笑顔だった。どうにも因縁が深いらしい。

 

「まったく……無理のしすぎです。こんな。発疹まで出して……」

「いいじゃんいいじゃん。十坂なんか悩み晴れたみたいだし。良いコトでしょうよ」

「……兄さんがよくありません」

「俺なんてどーでもいーの! ホント、気にすんなよ、揚羽もさ」

「……っ」

 

 まともな心配なんて受けたことは……ままあるが、だからといって全部が全部そうだったワケでもない。情けない。男のくせに。おまえも悪い。おまえが悪い。どうしてなにもしなかった。むしろそう望んだんじゃないのか。そんな声を、覚えている。

 

「気にします!」

「……揚羽サン?」

「兄さんはっ……兄さんは、だって……!」

「……あー、いいから。まじでさ。どうでもいいのよ。俺はさ……同じようにくっそ重いモノ引き摺るような奴がいなくなりゃ、それでいいの。だって、そのほうがみんな幸せじゃん?」

「兄さんはどうなるんですか!? ひとりだけ仲間はずれですか!」

「いや……仲間もなにも俺はさあ……」

「俺は、なんなんです!?」

「…………おまえが居たら良いんだよ。揚羽」

「……………………へ?」

「だーかーらっ」

 

 がしがしと頭をかいて、逢緒は言う。

 

「おまえがずっと無事に居てくれたら、いいんだよ。……ただ、そんだけ」

「――――なん、ですか……それは……」

「んだよ……文句あんのかよ……」

「あります。……そんなコト、言われたら。兄さん以外、見えなくなっちゃいますよ……?」

「うわ。それ困るわ。余所のイケメン見つけて? ね?」

「嫌です。兄さんと結婚します」

「うーわ……ガン決まってるよこの子……」

 

 言いながら、逢緒もつられて笑った。なんだかんだでまんざらでもないのはしょうがない。なにせ彼にとって、唯一、自然と接するコトのできる異性なんてたったひとり。

 

「――本当、後悔するぞ。揚羽?」

「しません。私、兄さんなら絶対しないって誓います」

「本当っすかねえ? ま、一か月ぐらいかな」

「一生涯の間違いでは?」

「あはは。……揚羽ちゃん重くない?」

「四十八キロです」

「おおう……妹の体重がリアル……」

 

 飢郷揚羽は、おそらくずっと、彼のもとを離れないのだろう。  






>揚羽ちゃん
トラウマ発狂お兄ちゃん抱き締めながら「大丈夫、大丈夫」してシズメシズメしたクソ強妹。逢緒くんを攻略するには彼女を上回らないと無理です。実質無理ゲーでは? ちなみに背中の傷はお兄ちゃんが責任をとってくれるので問題ない。たぶん。



>やべー女
再登場・報い・ザマア展開とかないので安心して逢緒くんを笑ってさしあげろ。ちなみにまだ生きてるし捕まってもないという隠れた地雷です。なお起爆はしない模様。


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不意に目を向けた

 

 それから、一日経って。逢緒からの衝撃的な告白と、じっくり考えた自分なりの答え。それらを抱えながら、玄斗は目を覚ました。瞼を開ける。ゆっくりとベッドから上半身を起こす。――不意に、ズキリと頭痛が走った。

 

「(っ…………!)」

 

 ぐらり、と視界が揺れる。そのままベッドへ横になった。彼がそうしたのではない。真実、意図もなにもなく目の前が反転した。倒れたのだ、と気付くまでに数秒。薄れていく意識を繋ぎ止めるのに、また数秒。

 

「(ま、ず……っ)」

 

 例えるなら、脳みそに思いっきり釘を打たれたような痛み。今日は本当に酷い。時計は普段に家を出る一時間と三十分前をさしている。いつもなら当然のように着替える時間に、けれど、まともに立つコトすらままならない。

 

「(……っ、真墨、は……いないの……?)」

 

 ベッドのうえで這いずるように回ってみたが、誰かがいた痕跡も、人肌の温もりも感じられない。色々と怒りすぎた弊害だろうか。いつもなら潜り込んでいる妹が珍しく自粛していた。因果応報といえば、それもそう。邪険に扱いすぎたのだろうと、玄斗はいまさらながら後悔した。

 

「(ごめん……もっと、大事、に……でも、駄目だ……っ、いま、倒れ、たら――)」

 

 十坂玄斗として出した結論。それはしっかり胸に秘めている。だから、あんな()()()顔で笑う少女をどうにかできるかもしれないと。そう、思っていたのに。

 

「(ぅ、ぁっ…………!)」

 

 身体がどこまでも不便だった。無理がきかない。否、無理をしたからこそのコレなのか。なにはともあれ、いまの玄斗にどうにかする気力は残っていない。もがきながら、起きたばかりのベッドのうえで緩やかに沈んでいく。己のやる気とは裏腹に、おだやかに、ゆるやかに、底なしの沼へ。

 

「(言いたい、ことが……ある、のに……っ)」

 

 これじゃあ、言えることも言えない。ついぞ我慢できなくなって、玄斗は意識を手放した。ぼすん、とベッドに全体重を預けて目を瞑る。ひとりきりの部屋は身体と同じく沈み込むような静けさだった。朝の低い気温が、さらにそれを助長している。

 

「――お兄?」

 

 そんな空気を打ち破ったのは、真墨のそんな声だった。部屋の主にかけられた言葉だ。無論、気を失った彼には届かない。届くはずもない。ひかえめにドアを開けて問いかけた少女に、少年はなにも言わないまま、

 

「……うん。どうした?」

 

 ――眠っては、いなかった。

 

「いや、もう起きる時間……なん、だけど」

「そっか。ごめん。いま行くよ、真墨」

「…………お兄?」

「? どうかしたか?」

 

 にこりと笑って、玄斗が上半身を起こす。少女は知らない。けれど、直感というものがあったのかどうなのか。怪訝な顔で自らの兄を睨みつける彼女は、とてもいつも玄斗の貞操を狙っている誰かと同一人物だとは思えなかった。

 

「え……あれ……?」

「なに不思議そうな顔してるんだ。狐につままれたみたいな」

「いや……うん……?」

「とにかく分かった。さきに行っててくれ」

「あ、はい……あれぇ……?」

 

 なんだろう……と呟きながら、真墨がゆっくりドアを閉めた。ほう、とひとつ息をつく。なるほど、鋭い……というのはあながち間違いでもないらしい。本当に()()()()()()。であれば、その世界はどれほどのものだったのだろう。考えて、あまり意味のないことだと頭を振る。

 

「(……まさか、こんなコトがあるなんて)」

 

 ぐっぱと手を開閉しながら、ふむと彼は考える。おそらくは偶然が重なったのかなんなのか。一方が沈んだからこそ成立した奇跡か。なにはともあれ、現実は小説より奇なりとはよく言ったもので。

 

「(……知識と、経験と、技術は見たけど。だからって、そんなのできるワケ、ないだろうに……)」

 

 同じであって、すべてが違う。そんなものだ。そういうものだ。なにせはじまりが一緒でも、進んできた経緯が違う。作られてきた過去が違う。あんな心を揺さぶられるような粗治療なんて、彼はひとつも受けたコトがなかったのだから。

 

「(――分かってる。答えも、なにも、見てたから分かってる。……それを、伝えたらいいんだろ? 折角だから……それぐらい、やるさ)」

 

 せめてもの助力だ。そこに関して無駄に足を引っ張ろうというつもりもなかった。本当の本心で言えば、今すぐにでもしてもらいたいコトは他にもあったが……いまの十坂玄斗は、決して彼だけのモノでもない。

 

「……俺は、あんまりそういうの、得意じゃないんだけどな」

 

 苦笑する彼の表情は、いつもとすこしだけ違っていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 たとえば、十坂真墨の場合。

 

「……お兄?」

 

 たとえば、紫水六花の場合。

 

「あら……十坂、くん……?」

 

 たとえば、五加原碧の場合。

 

「……なーんか、違うんだよねえ……」

 

 たとえば、橙野七美の場合。

 

「む? 誰だ? ……玄斗? いや……うむ?」

 

 たとえば、三奈本黄泉の場合。

 

「せ、せせせせんぱいッ!? えッ!? な、なんですか!? えぇ!?」

 

 このように、とんでもない反応を返してきたのが以上五名である。ちなみに白玖とは会っていない。いつもなら一緒に登校するところをさらっと流していた。あの十坂玄斗が、と言えばそれほどのレベル。でも、()()()()だった。

 

「(いや……外見もなにもまったく同じなのに、気付くのか……? 向こうの〝僕〟はどんな生活をしてたんだ……?)」

 

 思わず呆れてしまうぐらいの勘の鋭さ。それもそのはず。十坂玄斗――もっといえば明透零無に関わった彼女たちは、中身という点において人一倍感性が磨かれている。無論、色々と思い悩んで苦しんだ、誰かさんのおかげもあって。

 

「……あ……、」

「……紗八先輩」

「か、会長クン……?」

 

 放課後のチャイムが鳴って、五分も経たない頃だった。三年生の教室から廊下を渡って、階段までの道の途中。先回りしていた玄斗の予想はあたったようで、見事桃園紗八が姿を見せた。

 

「な、なに? お姉さんになんか用でもあった?」

「ええ、まあ」

「そうなんだー……あー、えっと……」

「……すいません」

「えっ」

 

 そっと、手首を掴む。話はどこか遠くのほうで聞いていた……ような気がする。だから、彼女の事情も知っていた。〝あの子〟とは比べものにならなくても、相当な事情があったのだというのは知っている。それでも、記憶を頼りにするのならそれが大事には至らないという確信があった。なにせ、彼は――

 

 〝あ――――〟

 

「……先輩?」

「あ、や……ううん。なんでも、ない……よ……」

「……本当にごめんなさい。屋上まで、ついてきてもらえれば」

「う、ううん! 良いん、だよ。……君なら、ねえ……」

「……ぉ、()、ですか?」

「……うん」

 

 くすりと微笑む紗八に、玄斗が首をかしげた。当たりだ。引っ掛かっていたなにかを飲み込むように、彼女はすっきりとした笑顔を浮かべた。壊れた心と、引き摺られている身体。それらが反応を示さなかった、同じように壊れた誰か。きっともう元に戻らない、真っ当ではない形のモノ。実に分かりやすい。

 

「そっか……なんか、ちょっと違和感あったんだよねえ……そっかあ……君、だったんだねえ……」

「?」

「……会長クン、だったんだねえ……」

 

 言ってしまえば、きっと駄目だったのだろう。彼では言葉を伝えられても、奥に秘めたものこそをどうにもできなかった。偶然にしてはできすぎな、けれど同時に偶然でなければなし得なかった問題。他の何にも目を向けていなかった少年は、なにかを通してそれを見て。そして少女は、そんな誰かに繋がりを保たれた。たったそれだけの、掛け違えていたボタンを直しただけの話。

 

「(――良かった)」

 

 きゅっと握られた手首をうかがう。白い肌には、ほんのりと赤い斑点。けれどもいつもと比べれば薄いもので、痛みも痒みも気にならない程度だった。

 

「(やっぱり君だったんだよ……私、の――)」

 

 なにせ彼は、トオサカクロトなのだから。  






>中身
人間的ぶっ壊れ野郎がトラウマセンサーすり抜けた良い例。僕玄斗もまあ数ヶ月前ならワンチャンあったのでは? という具合。……ちなみにそんなヒロインを原作で攻略した主人公がいるということになるのは、まあ、うん。ね!




>ブラック誰かさん判定精度
蒼>>>>>>>墨>>>>>>赤>橙>>黄>碧>>>紫>>(超えられない壁)>>>>>>白(現在)


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違う道、違う答え

桃色特攻というよりはちょうど桃色にぶっ刺さったというほうが正しい。


 

 ――正直、よく分からない。十坂玄斗の考えは、いまいち彼の思考とズレていた。たったひとつ。大事な何かがあれば良くて、それ以外がどうなろうと知ったことではない。たったひとつ。大事なものがあって、けれど、それ以外の余計なモノにも目を向けて囚われている。それは、どちらが正しいのだろう。

 

「(……そんな、抱えきれる器でもないだろうに)」

 

 馬鹿なのかと、思わなかったワケではない。なにせ自分のコトだ。それぐらいのことは、彼でも思う。けれど馬鹿ではない。決して考えなしなワケではない。思い悩んで、もがき苦しんで、必死に掴み取ったその先に、多くの誰かがいる。奇跡みたいな、都合のいい現実だ。

 

「(でも、だからこそ……)」

 

 予想はすでに確信へと変わりつつある。トオサカクロトの届かなかった場所。伸ばした手が空をきったソレを、彼ならどうにかできる。なにせクロトからみてこれほどまでのものだ。十分にすぎる。ならば、もしかすると彼女をどうにかできるかもしれないと。

 

「……会長クン……?」

「――――――」

 

 気付けば眼前に空が見えた。ぼうっとしているうちに、屋上まで辿り着いていたらしい。くるりとふり向いて、紗八のほうを見る。

 

「……紗八先輩」

「あ、うん……えと……」

「……なに、か……?」

「その……手、繋いだ、まま……?」

「――ああ、すいません」

 

 ぱっと手を離して、クロトは二歩下がった。近寄られてもどうだろう、という彼なりの気遣いである。その行動にそれ以外の思惑は一切混ざっていない。よくも悪くもまっすぐ純粋。だから、繋いだ手が離れた瞬間。距離があいた瞬間、少女がどんな顔をしていたのかも気付かない。

 

「……、平気ですか?」

「あ、うん……大丈夫、かな……」

「そうですか。なら、良いのか……」

「そう、だね……」

 

 苦笑する紗八は、そこでようやく違和感の正体を掴んだ。この前よりも一段階ほど低い声。なんとなく沈んだような雰囲気と、どうにもブレない芯の濃さ。どこか懐かしくて、どこか似通っている――誰かの面影。

 

「……会長クン、だよねえ……?」

「そうですよ。生徒会長、十坂玄斗です」

「……なんだか、おかしいなあ。君、この前までは……」

「この前まで? なんです?」

 

 ざあ、と風が吹いた。校舎の屋上はそれなりに高い。揺れる桃色の髪と、耳朶を震わせる風切り音。すっとぼけた彼に、紗八は曖昧に笑うだけだった。理由は単純。それでいて自分なりの絶対的なモノだった。近くても、触れても、話しかけられても。なにひとつ取っても。傷を負ったこの身体と、心が、反応しない。

 

「……ううん。なんでもない。よく、分かんないなあ。うん。よく、わかんない」

「……そうですか」

 

 分からないならどうしようもない。他人のコトなら尚更だ。それに関して、クロトは考えようとはしなかった。あるべきものはある。そうあるのなら、そうあるべきだ。変に考え込んで、無駄に悩むつもりもなかった。

 

「――僕なりに、考えてみました」

「……うん」

 

 なにせ、答えはもう知っている。他人のものと言えばそうであるし、自分ではないのかと言われると違う。けれど、別物といえばそのとおりだ。だから、ハッキリ言って借り物のハリボテ。誰が言おうと意味は変わらない。ならば、自分が言っても変わりないだろうと。

 

「無理なんて、しなくて良いんですよ」

「……どういう、こと?」

「そのままの意味です」

 

 ゆるく微笑みながら、クロトは息をついた。意味なんて、しっかり把握したワケでもないのに。けれど、答えが〝そう〟なのだから〝そう〟伝えるしかない。それ以外のなにを彼が知るわけでもない。単純に、十坂玄斗の導いたモノなのだから。

 

「紗八先輩は、紗八先輩です」

「いやあ……それは、そうだけどねえ……」

「だから、まず、先輩が笑わなきゃ、意味がないんだと思います」

「……えっと……?」

 

 〝……あ、れ?〟

 

 なんだろう、と彼は内心で首をかしげた。答えは合っている。これで良いはずだ。そうなのだと出した結論がそれだったはずだ。ならば、それを率直にぶつければ良いのではないのか。そうすれば、どうにかなるのではなかったのか。

 

「アタシは……笑ってる、けどぉ……?」

「いや……そうじゃ、なくて……」

「じゃあ、なに……? 会長クンが言いたいこと、いまいち分かんないなあ……」

「えっ、と……」

 

 冗談だろう、なんて狼狽えている場合でもない。冷静に、冷静に。それだけは変わらない十坂玄斗の取り柄だ。けれど、どうだろう。答えが合っているのに正解しない。理想と綺麗に結び付かない。そうなるべきだと思い浮かべた予想図にすら掠らない。ならば、一体、どうすれば良いのだろう。

 

 〝僕じゃなきゃ、やっぱり駄目なのか……〟

 

 ほう、とひとつ息をついて内心でひとりごちる。所詮は色もなにもない空虚な己だ。色付いた誰かとは違う。だから、なにもかもが足りていなくて。真似事をしてもなんの意味もない。要はたったそれだけのことだった。

 

「……あのさ、何回も言うけど……」

「…………、」

「いいんだよ、()()()はさあ。……無理でも、なんでも、自分で決めたことだしねえ……大丈夫なんだよ、会長クン」

「いや、でも、それは……」

「アタシだけ苦労するなら、誰にも迷惑はかからないんだし……」

「――――――、」

 

 心臓が跳ねた。正真正銘、それだけは聞き逃せない。嗚呼、なんて。なんて、それは――

 

『私は別に気にしないんだ。誰かがさ、笑ってたら』

 

 ――重なってしまうものなのか。

 

「……本当に、そう思ってますか?」

「……え?」

「誰にもって……自分がどうなってもって……思ってるんですか……?」

「か、会長……クン……?」

 

 一歩、クロトが前へ進む。紗八が半歩後ろに下がった。必然的に距離が縮まる。決して彼なら火がつくこともない部分で、どうしようもないほど燃え上がった。だって、そうだ。その一言だけを、トオサカクロトは聞き逃すことができない。

 

〝――そんなの、いいワケがない。〟

 

「っ」

 

 がっと両肩を掴まれて、紗八が震えた。それまで景色を映していた空虚な瞳に、たしかな熱と色が灯っている。

 

「誰にも迷惑がかからないなら、良いんですか。自分だけが苦しむなら、良いんですか。それで傷付いても、いいって言うんですか」

「……っ、だ、って……アタシ、は……」

「ふざけないでください。じゃあ、僕、が――……っ!」

 

 なにが、僕だ?

 

「――俺が、抱えます」

 

 一体、おまえは、なにを言っている?

 

「先輩が傷付いたら、俺が嫌です。迷惑です。無理して、笑って、自分だけならって、ずっと生きていくなんて、そんなのあっていいはずがない」

「え……、や……?」

「大体、先輩のまま生きてるだけで酷い目に遭わなきゃいけない理由なんてない」

「そ、れは……っ」

 

 そうやって割り切れたら、どれだけ楽だったのだろう。そう出来なかったからこそ、仕方ないと思ってしまったからこそ、変わろうなんて考えを持ったのに。いまさらそこを突かれるなんて、紗八は思ってもいなかった。

 

「もういいでしょう。()()()()()、いりません」

「で、でもっ……こうじゃ、ないと。アタシは……わたし、は……また……っ」

「そのときは俺がなんとかします。そのために俺がここにいます。俺を、誰だと思ってるんですか」

 

 ことごとく便利だ。流されてなった立場が、けれどもいまはなによりもの決定打になる。なんでもいい。とにかく思い浮かんだことを口から出している。自分がなにを言っているのかは、そのあとに理解している。故に、躊躇もなにもなく。

 

「先輩ひとり守れなくて、なにが生徒会長ですか」

「――――――っ」

 

 指先が、震えていた。彼が言ったことはめちゃくちゃで、ともすれば一方的なもので。なのに、その意味がとんでもなく分かりやすかった。無理をするな、という言葉が繋がる。無理に笑うなと、その目が言っている。おまえのままで居ればいいと。自分のままに生きていけばいいと。無理に合わせて苦しむぐらいなら、そうしていけと言われていた。ありのままの自分なんて、誇れるものでもないのに。

 

「……ずるいよ……そん、なの……」

「なにが、ですか」

「わたしは、さ……っ、きみ、だけが……っ」

「……なんだろうと、関係ありません」

 

 ああ、本当に、本当に。己はなにを言っているのだろう。ワケも分からないまま喋っている。ただ思うがままに、頭に浮かんだ言葉をかけている。用意された答えなんてどこへやら。よもや、こんな筈ではなかったのに。もっと〝彼〟の答えは違うところにあったのに。

 

「もう決めました。俺は、絶対に、先輩を否定する誰もを許さない」

 

 そんな、大言を吐いてしまった。

 

「――っ、会長、クンは、さあ……っ! 本当、もう……」

「……それが、()の答えです」

「ずるすぎるん、だよ――」

 

 だって、こんなのはあんまりだ。たったひとり平気で、たったひとり違うもので、たったひとり本当の自分を話した。そんな彼が、自分の盾になると言っている。そんなのは殺し文句だ。もうどうしようもない。涙をこらえるのでせいいっぱい。

 

「(……なにやってるんだろう、俺……)」

 

 崩れる少女を受け止めた少年は、ぼんやりと空を見上げた。綺麗な茜色が、遠くまで届いている。どこまでも、どこまでも。

 

 

 ◇◆◇

 

 

『……ああ』

 

『なんだ。君、そんなふうに思えたのか?』

 

『いや、意外だ。……なにがって、そのまま』

 

『――いいじゃないか、〝俺〟』 



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おかしな少年

 

 夢を見ていたような気がして、目を開けた。ぼんやりと映る景色はやけに暗い。もしや寝過ごしたか、と枕元の目覚まし時計を探ろうとして、

 

「っ……」

 

 ちいさな、どこか覚えのある声を聴いた。

 

この……! いい加減起きなさい!!

「っ!?」

 

 耳元で怒鳴られて、意識が覚醒した。飛ぶように跳ね起きる。あたりには見渡すばかりの本の山。遠くまで綺麗に立ち並ぶ本棚と、所々に設置された机に椅子。すぐに合点がいった。自分の記憶に間違いがなければ、そこは学校の図書館である。しかもちょうど全体を見渡せるカウンターの奥。であれば、いま隣からかけられた大声は。

 

「……先輩?」

「……おはよう、会長さん。そしてさようなら」

 

 すっくと立ち上がって、蒼唯はそのまま通り抜けるように去っていく。にべもない。相変わらずな様子は新鮮だが、彼としても面白いものではない。けれど不思議と、黄泉のときみたいに理不尽な怒りは沸き上がってこなかった。それは偏に、一度経験したからか。それとも彼女だからなのか。

 

「あ、待ってください。戸締まり、しなきゃならないでしょう」

「……そうだけど、それが?」

「手伝います」

「いらない」

「そこをなんとか」

「二度も言わせないで。……だいたい、生徒会長のあなたがどうしてここの事情を知っているのよ……」

「? おかしいですか」

 

 むしろ知らないほうがおかしいのでは、とも言いたげに玄斗が首をかしげる。蒼唯は知らない。この裏返ったような少年が、別の彼女と懇意にしていて、委員会でもないのに一緒に図書館のカウンターで仕事をして、あまつさえ一応キスまでした関係であることを。

 

「……桃園さんが抱えてきたと思ったら……なんてコトもないじゃない……」

「? 紗八先輩が……?」

「……そうよ。一時間ぐらい前。眠ったままのあなたを無理やりこっちに渡してきて、とても、ええ。とても困ったわね。おまけに変なコトまで言い残していくのだし。なによ、〝私をありがとう〟って」

「あ……――――」

「……?」

 

 夢だ。なるほどと、思わず玄斗は笑った。私を、というのはそういう意味合いだろう。すこし長い夢見だった。他人のような誰かが、なにも分からないまま我武者羅に役目を成し遂げた夢。これが笑わずにいられるものかと、彼はくつくつと喉を鳴らす。

 

「……なに? いきなり……気色悪い……」

「いえ……すいません。でも、ああ、そっか」

「……?」

「……ふふ。適任は君だったな、〝俺〟?」

「……なんなの、この男……」

 

 心底不気味なものを見るような目で蒼唯が見てくる。たとえ真似事だとしても、そこになんのワケもなかったとしても、真実彼は誰かを救った。ならば、〝玄斗〟としてのやりようも出来てくる。ずっとずっと、考えていたこと。託したものだとアレは言うが、果たしてそれは本当に良いものか。その答えが、やっと出た。

 

「……帰りましょう、先輩」

「さっきから私はそのつもりよ」

「じゃあ、僕も手伝います。そのほうが早いですから」

「……勝手にしてちょうだい」

 

 面倒くさい、と蒼唯は踵を返して東側の窓に向かっていった。そちらから鍵を閉めていくらしい。ならばと玄斗も反対側に回って、ひとつずつ施錠していく。人の居る居ないに拘わらず、図書館のなかは静かだ。静寂のなかにカチリと鍵を閉める音だけが響いていく。それもまた懐かしい。昔はよくこうして彼女とふたりでやっていたもので、

 

「あ」

「っ!」

 

 ちょうど、こんな風に。真ん中まで来たところで、手が触れ合うことも何度かあったか。似たような気質、といえばそうなのだろう。ひとつの作業に集中すると、周りが見えなくなるコトがあったりする。そんなふたりだからこそ起きる、何気ないハプニングだった。

 

「すいません。僕がやっておきますよ」

「……そう。じゃあ、お願いするわ」

「はい。お願いされました」

「…………、」

 

 怪訝な顔をして蒼唯が離れていく。玄斗は相変わらずニコニコと笑っていた。なにが楽しいのか、なんて言われてもひとつしかあるまい。なにもかもが変わってしまったからこそ、こうした些細な思い出を刺激されるのが最高に楽しいのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

『……この子にはアタシじゃないんだよねえ……でもって、アタシもこの子じゃないのかな。あんがい恥ずかしがり屋かなのかも。引っ込んじゃったから。……だから、四埜崎さんが待っててあげて。アタシはもう、いいんだ』

 

 そんなワケの分からないコトを言って、クラスメートは彼を預けてきた。邪魔にならないよう適当にカウンター席の隣に置いて、寝顔を時折眺めること一時間弱。起きた少年は別になんともない様子で、どうにも奇妙な言動を繰り返した。これで警戒するな、というほうが無理なものである。

 

「あ、見てください。星が綺麗ですよ、先輩」

「……うるさい。夜なのだから星ぐらい見えるでしょう」

「そうですね。そうでした。でも、綺麗です」

「山奥のほうが綺麗でしょう。経験が浅いのよ」

「ああ、それ、知ってます。見てみたいなあ……いつかは、ですけど」

 

 そうしていまは、なんでもない会話のやり取りをしている。真っ暗になった帰り道。夜道は危険ですから、と同行を買って出たのは彼のほうだった。はじめは「いらない」と拒否していた蒼唯だが、押しに押されて結局は「好きにしろ」と言ってしまった結果だ。好きにさせたらこうなるのである。まったくもっておかしな少年だった。

 

「……あなた……」

「? はい。なんですか?」

「どうしてこうも付きまとうのかしら。……言っておくけど、あなた程度の人間に好意を向けるほど暇ではないのだけれど」

「……いや、別にそういうのじゃなくて……」

「……?」

 

 ならば、それはどういう意図があってのものなのだろう。自分狙いならば切り捨てよう。赤音狙いならば、二度と立ち上がれないぐらい心をへし折ってやるつもりだ。けれど、そのどれでもないと彼は言う。では、その理由とはなにか。

 

「……理由がなくちゃ、やっぱり駄目、ですかね……?」

「……理由がなかったら、意味が分からないじゃない」

「そうですよね……でも、とくにないんです。本当に。……しいて言うなら、僕がたぶん、そうしたいだけなのかもしれません」

「…………そう。本当、分からない男」

 

 呆れるように言って、蒼唯が歩いていく。すいません、と彼は一言だけ謝った。

 

「(それ、なんに対しての謝罪よ――)」

 

 〝るかから

 

「っ――……」

「……先輩?」

 

 ズキン、と頭の奥が痛んだ。脳裏をよぎった見えないなにかだ。本当になんなのだろう。この男が現れてからというものの、なにか変だ。蒼唯はじろりと玄斗を睨む。

 

「……なんでもないわ。ここでいい」

「あ、はい。……()()()()()。それじゃあ、気を付けて」

「……あなたも精々、誰かに刺されないようにね」

「いや、どんな状況ですか……」

「そういう態度をとってる、って意味よ」

 

 皮肉交じりに返して、蒼唯はそのまますこし進んだ家についた。玄関のドアを開けて、痛む頭をおさえながら靴を脱ぐ。……にしても、

 

「(そうですねって……なによ……)」

 

 最後までよく分からない、気味の悪い少年だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 蒼唯を見送って、自分も帰ろうかと踵を返したときだった。

 

「――こんな時間に、お見送り?」

「!」

 

 耳朶を震わせた声に、聞き覚えはもちろんあった。そういえば幼馴染みという間柄だ。玄斗と白玖とはまた違った、隣同士で家の近い者同士。さすがに、無警戒というのはあまりに考えが足りていない。

 

「赤音さん?」

「名前で呼ぶな。……ここじゃアレだし。移動しましょうか。ついてきなさい」

「えっと……」

「――私の幼馴染みに手を出したこと、後悔させてあげるわ」

 

 ぞっと、底冷えするほどの視線だった。どうやら勘違いをされているらしい。こちらでは特に仲の良かったふたりだ。ならば、思うところがあるというコトなのだろうか。制服姿のまま力強く歩いていく赤音の背中を、玄斗はすこし遅れながら追っていく。

 

「(……痛いのは、勘弁してほしいなあ……)」

 

 かつて受けた脚撃を思い返しながら、憂鬱な気分になるのだった。






ちなみに俺玄斗の性質上本当に大切なモノ以外はあっさり切り捨てられます。頑張れ桃色パイセン。




僕玄斗は折れないからいじめ甲斐がないし俺玄斗はそもそもボッキボキに折れてるからいじめ甲斐もなにもなくてフラストレーション溜まりますわよ(謎のお嬢様口調


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赤いしずくが落ちました

 

 すこし歩いて、ふらりと公園に入った瞬間。なにを言う暇もなく、玄斗は胸ぐらを掴まれた。

 

「どういうつもり?」

「……えっと、それは、……こっちの台詞、なんじゃ……?」

「へえ? いい度胸してるわね。生徒会長クン? 女子に散々言い寄られていい気にでもなってるのかしら。でも、ちょっと、度が過ぎたわね」

「…………、」

 

 いい気になる。その感想は、決して十坂玄斗という人間を知っていれば出てこないものだ。無論、二之宮赤音なら尚更である。かの少年が女子に囲まれてにやけるどころか、むしろなにも思わずにそういうのを切り捨てて地獄へ転がっていくような愚か者であるのを知っている。

 

 〝……本当に、なにもかも、なんだな……〟

 

 ひとつだけ、そっとため息をついた。なんてことはない現実の再確認。二之宮赤音という少女はどこまでも綺麗で、真っ直ぐで、迷いがなくて、美しい。その鋭さを持って切り込まれた隙間に、一切の間違いはない。何を知らずとも名前に縛られた自分を解き放った、正真正銘ヒーローみたいな少女だった。いや、女性であるならヒロインか。

 

「何度も忠告したわ。あの子に手を出したら許さないって」

「……あの、僕は、そんなことぜんぜん……」

「へえ。こんな時間に? ふたりで? 並んで帰ってきて? 無理があるんじゃない?」

「(……たしかに……)」

 

 そう言えばそうだ、と玄斗は内心で納得してしまった。たしかに勘違いをされてもおかしくない。というか何も言えない。夜遅く男女がふたりで歩いていれば、まあ、そう受け取られても仕方なかった。

 

「……でも、本当なんですよ。僕、なにもしてません」

「なにもって、なにを?」

「だから、なにも」

「ふざけてるの?」

「ぜんぜん」

 

 ふるふると首を横に振って玄斗が答える。赤音のイライラは益々増しているようだった。彼が知る限りでは犬猿の仲といってよかったふたりだ。それがなにをどう間違えればこうなるのだろうと不思議に思うばかりである。……もしくは。彼の知る関係性こそが、一歩間違えた結末なのだろうか。

 

「……あの、赤音さん……」

「とにかく、金輪際あの子に近付かないこと。あと名前を呼ぶな。あんたに気安く名前を呼ばれるほど、私とあんたの間になにかあるわけでもないでしょう」

「……すいませ――」

 

 と。

 

「(あ……)」

 

 最悪のタイミングで、目眩がきた。思えば病み上がりもいいところ。どこかの誰かは気にせず身体を使っていたようだが、彼にとってはいまだ慣れない部分も多い弱りきった十坂玄斗だ。心が脆くなった隙を掻い潜るように、視界がゆっくりと傾いていく。

 

「……あ?」

「――っ」

 

 低い声が耳朶を震わせる。体重を預けた相手は近くの少女だった。ちょうど、肩を掴むような姿勢になってしまっている。まずい、と思うと同時に堪えようもないモノがこみ上げてきた。前世の経験からどうしても理解する。これ、口開けたら、終わりだ。

 

「なにを――してるワケ? あなた?」

「……っ、……」

「死にたいの? なら、そう言ってくれれば――」

 

 無理だ。これ以上は。

 

「――――っ、ぅ、げほっ!」

「……へ?」

 

 がくん、と膝が曲がる。やらかした、と認識した途端に力が抜けた。久方ぶりの喉から苦いものが通っていく感じに顔を歪める。口をおさえた手の隙間から、ボタボタといくつか赤いものがこぼれ落ちた。昔の己と比較すれば、まだまだ軽い方だった。

 

「ぅ、っ……えほっ、げほっ……ぉえっ……」

「ちょっ、私まだなにも――てか血ぃ吐いてやがる……!?」

「だ、だいじょうぶ、で……ごぼっ」

「うわあ!?」

 

 びくんっ、と体を痙攣させて玄斗が倒れる。意識がぼうとしていた。なんともまあ、本気でどうかするタイミング。まだ言いたいコトも、話すべきコトも、聞きたいこともひとつとして叶えていないのに。手を離れていく意識を、掴んでいることができない。

 

「(ぼく、は……)」

 

 そうして、目を閉じる刹那。最後に見たのは、似合うぐらいにあわてふためく、赤音の困惑に染まった顔だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「(もう、なんなのよ……こいつ)」

 

 血のついたハンカチを洗いながら、赤音はがっくりと肩を落とした。最近幼馴染みに接触を図ってきた悪い虫をこらしめてやろう、なんて軽い気持ちで向かった夜の公園。突き放した少年は、怒り狂って向かってくるのでも、その場で崩れて涙を流すのでもなく――脈絡もなくふらついてあまつさえ吐血した。しかもわりと洒落にならない量を。

 

「(最悪だわ……どうしてこんなやつの看病なんか……)」

 

 ベンチに寝かせた彼は、すうすうと静かに寝息をたてている。さすがの状態に意識がぷつりと切れたらしい。もたれ掛かってきたのは、その直前ということになる。ならば悪気もなにもない。意図的ではないどころか、仕方なくでさえなかったやもしれない。そんな部分に今更怒るほど、彼女は血の通っていない考えはしていなかった。……たぶん、おそらく。

 

「(てか軽すぎ……男子でしょうに……女子の私が抱えられるって、相当よ? そりゃあ体も悪くなるわ……)」

 

 無理をしすぎているのか、生来の事情なのか。そのあたり、赤音は一ミリとて知るよしもない。大体こんな男のなにを知ってどうなるというのか。それこそ記憶力の無駄遣いもいいところだろう。

 

「……ったく、すっかり眠っちゃってまあ……」

 

 呆れるように言って、赤音は彼の頭から数センチ離れて腰を下ろした。膝枕なんて上等なものは残念なことにしてやるつもりは欠片もなかった。勝手に寝てろ、という風なものである。

 

「(このまま放っておいて帰ろうかしら)」

 

 むしろそのほうが良いのでは、と思える良案だった。そっと少年の寝顔をのぞき込みながら、むうと唸ってみる。

 

「(…………、)」

 

 正直、好きではない。なにがどう、というワケでもないけれど。どうにも好かないものだという感覚があった。そんな人間に親切などできるかどうか。倒れた体をこうして綺麗にしてはいるが、それですら当たり前のコトをしただけだ。これ以上のお節介など、焼いても仕方ないし焼きたくもない。

 

「(……悪く思わないでよね。だいたい、あなたが勝手にぶっ倒れたんだし――)」

「…… 、く……」

「……!」

 

 するり、と腕を掴まれる。トリハダがたった。彼はぐうぐう眠っている。寝言、なのだろうか。知らない誰かの名前を呼んでいるようだった。

 

「いか、ないで……」

「(……いまだにガキみたいな寝言いうやつ、いるもんなのね……)」

「ぼくは……まだ……」

 

 どんな夢を見ているのだろう。すこし前までとは変わった、なんて話をここらになってよく聞く調色高校生徒会長様だが、赤音にはその変化がイマイチというものだ。なにがどうなろうと同じならどうでもいいだろうと。

 

「まだ……きみと……」

「…………、」

 

 なにを考えているか分からない、というのが以前までの十坂玄斗への評価だった。それが、一枚剥けばただの少年……ということなのだろうか。夢にでも想う人物がいる。そうしてそれは、赤音の知らない誰かで。なんだかそれで、ちょっとだけ心の余裕が持てた。あんがいこいつも人らしいと。

 

「……まあ、それはそれとして。いい加減に離しなさいよっ」

 

 しゅばっと手を引っこ抜く。ちょうど彼が抱えるようにしていた赤音の右手。その甲が、なんの偶然か、うっすらと唇に触れた。

 

「……っと、これでようやく帰れ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〝――手伝いましょうか?〟

 

 〝はい、喜んで〟

 

 〝赤音さん?〟

 

 〝ちょうど、黄昏時だったので〟

 

 〝僕もいつか、そんな風に思える時が来ますかね〟

 

 〝……うまく、出来るのかなって〟

 

 〝ちょっと、かわいいです〟

 

 〝夜空って、こんなに素敵だったんですね〟

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――、」

 

 記憶が、爆発した。

 

「…………くろ、と?」

 

 ガチリとなにかが切り替わる。否、もとよりズレていた歯車が噛み合ったような感覚。二之宮赤音は、目の前で眠る少年を視認した。闇のように濃い黒髪。日にあたることのすくない白い肌。細い体つき。……そっと、混乱も冷めやらぬままに、彼女はベンチへ座り直した。

 

「…………、」

 

 玄斗は依然眠っている。赤音はわけが分からない。ただ目の前で、想い人が隙の多い姿をさらしているというコトだけが事実だった。頬をつねってみたが、しっかり痛い。ので夢でもないらしい。我ながらその確認方法は如何とも思うが。

 

「……なにが、起きてるのよ……」

 

 はあ、と息を漏らしつつ彼の寝顔をのぞき込む。すこし前にもしていた行動だった。なにが違うかと言えば、彼を見る瞳がまったく違う。どこか、熱に浮いたような視線だった。

 

「……ね。ちょっと、貸して」

 

 そう独りごちて、赤音はそっと玄斗の頭をあげた。器用に座っていた位置を動いて、彼の後頭部をふとももの上に乗せる。なにもかも、わけも分からないが、なにはともあれ役得だった。いけすかないどこぞの蒼い女もいない。ひとり見事にかっさらっていった少女もいない。ましてやライバルだった他の少女たちもいない。――完全な、ふたりっきり。

 

「……こうして見ると、かわいいわね。寝てるときは本当、子供みたいなんだから……」

 

 いや、あんがい起きているときも子供っぽいか、なんて赤音はひとり笑う。少年はまだ夢の最中。きゅっと少女の服を弱く掴みながら、規則正しい寝息を続けている。

 

「――ね、玄斗」

 

 その額にコツン、と自分のおでこをぶつけた。静かに目を閉じる。聞こえてくるのは彼の寝息と、わずかな衣擦れの音。それ以外の雑音がまったくなくなったような奇妙な感覚。夜の公園には、不思議な雰囲気が漂っていた。

 

「あんたは、私のこと……完全無欠な生徒会長、なんて思ってるのかもしれないけどね」

 

 ぜんぜん違うのに。それこそ何度も見せたはずなのに。きっと彼から見た自分はどうしようもなく見事なのだ。それが嬉しくなかったワケではない。むしろ舞い上がるほど良かった。だから、弱みなんてそれこそ見せられなくて。

 

「そんなんじゃ、ないんだから。……だから、ね。ひとつぐらい、いいのよ。傷、つけちゃったって。……私に、そういうコト、しても……いいんだからね……?」

 

 なんて。ちょっとした願望なんて混ぜ込んだヒトリゴトを、つい言ってしまった。……本人が起きているときには絶対に言えない。彼の目の前では頼れる女でありたいのだ。それが乙女心というものである。

 

「そりゃ、恥ずかしいし……ぜったい、嫌って言うけど……その、ね。ややこしくて、なんだけど……嫌じゃ、ないのよ……? ただ、その……素直に言うのも、なんじゃない……だ、だから。……ちょっとぐらい、いまの、あんたなりに……私のほう、向いてくれても、いいんだから」

 

 ……たぶん、その可能性は、ある。前の彼ならともかく、いまの少年には余裕が生まれている。本気で奪い取りにいけば……と思うものの、行動には移せまい。なにせ、彼がはじめて掴んだ幸せだ。それは安易に踏みにじるのは、二之宮赤音としていちばんやってはいけないことなのである。

 

「……それだけ。なんだかんだ、私も女々しいのよね……あんたのこと、そこまで諦めきれてないみたい。……だから、絶対あの子と別れるんじゃないわよ? そんな隙見せたら、すぐ私のものにして、一生私の隣にいることになるんだから」

 

 くすりと笑って、赤音は――ふわり、と。優しく、優しく。触れるようなキスを、彼の頬に落とした。たぶんそこが、いまの自分がやっていいラインだろうと。

 

「……いまはこれで勘弁してあげる。ズルいなんて、言わないでよ? ズルいのはそっちなんだから。……私の初恋を、まあ、綺麗さっぱり持っていってくれちゃって……」

 

 吐いた息は熱かった。独り言でも恥ずかしいものは恥ずかしい。気を紛らわすために、わしゃわしゃと玄斗の頭を撫でた。彼が何気ない所作で目覚めたとき。いつもと変わらない堂々とした態度と表情で、「おはよう?」なんて余裕たっぷりな笑みをするために。







久々に赤会長書けて楽しかった(小並感)

こんな清純派美少女がえっちな夢なんて見るわけないんだよなあ……(目逸らし)


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第十二章 蒼空を見ても灰色の雲
もう夜は遅いですよ


 

「~♪ ~……♪」

 

 〝……歌?〟

 

 ぼんやりとした意識の隙間を、音が抜けていく。綺麗な、透き通るような高い音。耳元で響く誰かの声。トントンと、軽く胸を叩かれているのが分かった。

 

「(…………、)」

 

 ふわり、と雲のうえに寝転んだ感覚。暖かいなにかをじわりと感じる。その仕草が優しすぎて、目を覚ますのが嫌になる。このままずっと、ゆっくり、眠っていられたらいいのになんて。そんな馬鹿げた考えを正当化したくなる温もりだった。

 

「~♪ ~♪」

「(誰、なんだろう……)」

 

 歌声はまだ続いている。玄斗はそっと、重い瞼を開けてみた。真っ暗になった夜空の下。薄明るい街灯にはかなく照らされて。――綺麗な赤色が、視界に映った。

 

「――――――、」

 

 ざあ、と風が吹いて揺れる。公園の木がざわめいている。その人はそっと髪をおさえながら、ん、とちいさく声を漏らした。歌が、途切れる。

 

「……さむ」

 

 こんな時季だっけ? なんて少女は首をかしげた。玄斗は見開いた目をじっと、ただひたすらに向けている。胸には彼女の右手が。頭には彼女の左手が触れていた。後頭部にある感触は、女子らしい足のそれで。まるで赤子をあやすような格好に、気恥ずかしさよりも期待が上回った。

 

「……げ、九時回ってる……うわあ……そりゃあ寒くもなるか……はやく帰らないといけないわね。……うん。もうすこししたら帰るわよ。もうすこししたら」

 

 うんうん、とどこか遠くを眺めて少女が独りごちる。止まっていた手がまたこぎみよく動きはじめた。胸をトントンと、頭を優しく撫でてくる。嫌悪感もなにも一切ない。心地よすぎるそれは、少年の心を震わせるのに十分だった。

 

「……こんなときぐらいじゃないと、ね。折角の時間だし。……なんで、一年も先に生まれちゃったかなあ……」

 

 あーもう本当、と少女は息をついて。

 

「あんたと一緒のクラスで過ごせたら、きっと最高だったのになあ」

 

 ガン、と頭をハンマーで殴られたみたいな衝撃。心臓がいやに跳ねた。目の前の少女の正体なんて、それこそ目覚めたときから知っている。よく知っている。誰よりも真っ直ぐで、強くて、綺麗で、頼りがいのあるひとつ上の先輩。そんな少女の一言に、思わず、ナニカが震えた。

 

「――――っ」

「?」

 

 するり、と彼女の手を取る。きょとんと首をかしげて、視線が下を向く。そんな一瞬すら待たずに、玄斗は無理やり起き上がった。

 

「うおわ!?」

「…………」

「へ? ぅえっ……くろ、と……?」

 

 じっと、その目を見つめる。いきなりの行動に混乱しているのだろうか。少女の瞳は不安げに、けれどどこか何かを期待するように揺れている。それに気付くような玄斗でもない。じっと、その手首を掴んだまま、ベンチに座る赤音へ顔を近付ける。

 

「(ちょっ――!?)」

 

 それに動揺したのが少女である。いやまさか、と頭のなかは七転八倒。あっちへこっちへと思考が飛んでいく。なんか、目覚めた少年が、自分をおさえつけていきなり距離を縮めて来やがった――!

 

「な、なにすんのよ、この、ばか……!」

「…………、」

「い、いや、ちょっ、止まりなさいよ!? あ、あんたには壱ノ瀬さんっていう、大事な、相手、が……!」

 

 ――駄目だ、止まんない。どんどんと玄斗の顔が近付いてくる。避けようにも腕を掴まれていてはあまり乱暴もできない。殴る蹴るなんてそれこそ問題外。……いや、そもそも、自分はコレを避けたいのかと。

 

「(……っ、この、アホウ(ジブン)……! あたしとしちゃあ、避けてあげなきゃだめでしょうが……!)」

 

 期待する心がないと言えば嘘になる。求めていないのかと言われたら否だ。けれど、こんなのは許せない。許さない。目の前の少年が自分で選んで、自分で掴んで、自分で導き出した答えに泥を塗るなんて。そんなモノは、絶対に――

 

「(なのに)」

 

 どうしてだろう。体が、うまく動かない。

 

「……赤音さん」

「ひぅっ……み、耳元で、名前っ……呼ぶなぁ……」

「…………、」

「はっ!? ちょっ、抱――!!??」

 

 気付けば両腕を腰に回されて、強く抱き締められた。一体なんなのだろう。夢ならば覚めるどころかいっそずっと夢の中であってほしい勢いだ。なにせ彼がこんな風に甘えてくるのは、とんでもない現実で。

 

「……玄斗?」

「……っ、……、」

「…………、」

 

 ――不意に、気付いた。その肩が、ちいさく震えていることを。

 

「……なに? どうしたのよ、玄斗」

「っ、……ぅ……」

「……大丈夫だから。もうあんた、ひとりじゃないんでしょう? なにをそんなに泣いてるのか知らないけど、大丈夫よ。あんた、十分強いんだもの」

「……っ、はい……すいま、せん……っ」

「ん」

 

 短く答えて、赤音は玄斗の背中をそっと撫でた。一年先に生まれて良かったものと言えば、こういうところぐらいなものだ。

 

「(……ったく。本当、ため込むんだから。これから先、うまくやっていけるか心配でしょうがないじゃない……)」

 

 いずれは彼の選んだ彼女が、それを取り除いてくれるようになればと願いながら。赤音はゆるりと微笑んで、この不器用な後輩を優しく宥め続けた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「ままならんものだ」

「ぅ……」

 

 どん、と缶ビールを置いて父親が言う。時刻は夜の十時過ぎ。久方ぶりの彼のよく知る生徒会長と話をして、いまがどうなっているのかなんて簡単に説明して、とりあえずまた明日からと別れた後。家に帰った彼の目の前には、トラウマがいた。

 

「門限など不要だ。だが、限度というものがあるだろう。おまえ、時計は見なかったのか?」

「……ごめんなさい」

「謝ってどうなる。私はおまえのそんな言葉が訊きたいのではない。分からないか? なぜだ。おまえはどうして――」

「……おかーさん、おかーさん。うちのパパがマジギレしてる」

「そうねえ。珍しいわねえ。素が出てるわ」

「うそお……まじぃ……? こわっ。戸締まりしとこ」

「あ、待ってお母さんも逃げるわ」

「(見捨てられてる……!)」

 

 父親がこういった固い話し方をするときはもれなくマジだ。というか玄斗にそれをしているのだからマジ以外の何物でもない。案外気を遣うこの父親は、彼の前で心の傷を抉るような真似をなるべくしないよう心がけている。つまりは昔の自分の〝雰囲気〟を出すというコトを滅多にしない。それが、もう、震えるぐらいに滲み出ている。いまの彼は、正真正銘――明透有耶だ。

 

「おい、聞いているのか」

「き、聞いてますっ!」

「…………、」

 

 はあ、と大きなため息をつかれた。父親が怖い。そう思うのは、真実初めてだ。なにせ昔はそういうものだと認識していた。冷たくて、厳しくて、なにもおまえに居るものかと教えられてきたが故だった。

 

「――面倒をかけさせるな」

「っ」

 

 記憶が震えている。違うと分かっていても、どうしても思い出す。おまえなんてそれで十分だと言われた過去が、不意に手を伸ばしていた。違うと理解して、そんなものは嘘偽りだと分かっているのに。目の前にいる相手がどうしようもなく、傷を浮かび上がらせている。だから悩みではなく、トラウマなのだ。

 

「おまえに居なくなられると、私が困る。……二度も、失いたくないのだ」

「……お父さん……」

「せめて、連絡のひとつでもしろ……この、馬鹿息子め」

「……はい。ごめんなさい」

 

 もう一度謝って、玄斗はぺこりと頭を下げた。酒が回っているのか、それとも違うものか。父親の声は、若干震えていた。意外だった。たしかに十時過ぎは遅すぎる帰宅だが、もう男子高校生なのだし、流石にそこまで心配するのはと。

 

「――似たな、零無」

「え?」

「その、なにか言いたげな顔だ。()()にそっくりだ。……妙なときだけ行動力があるものでな。ハイペースで紅茶をキメながら筆を走らせる彼女を、眺めたものだよ」

「……それは、感動していい話なのかな……?」

「納期二日前という修羅場だったな」

 

 くつくつと笑う父親に、玄斗はあいまいに笑い返した。もしかして母親が体を壊したのは、すくなからずそういう部分もあるのではないかと。

 

「私がカンヅメのお目付役として任されたコトがあってな。思えば、誰かの差し金だったのだろう。こっちを盗み見てはなにかを切り出そうとしていて、まあ、なんとも。……若気の至りだな」

「ああ……そういう……」

「そうして生まれたのがおまえだよ。我が子」

「そこまで言わなくていいから……!」

 

 そういう両親の事情は思春期の男子的にノーセンキューだった。

 

「極度に緊張するとペットボトルでラッパ飲みをしはじめるからな。笑えるだろう?」

「どうしよう、僕の純粋なお母さん像がボロボロなんだけど」

「安心しろ。私が惚れたのはそういう女だ」

「リアルおもしれー女とかそういうのは聞いてない……っ」

 

 血のつながりや、体がどうこうではない。きっと魂レベルでおまえは息子なのだと、父親は言いたかったのだろうか。なにはともあれ、ふたりで談笑する姿にかつてのわだかまりはない。親子関係は、円満だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……くしゅっ」

 

 

「(む……風邪? 体には気を遣ってるつもりだけど……)」

 

 

「…………はあ」

 

 

「…………、」

 

 

「……ままならない、かしら」

 

 

「(()()するのも、一苦労だっていうのに――)」

 

 





ぼかしてるところは読まないほうがいいですヨ!


というわけで新章開幕。初期のボツ案を引っ張り出してきました。……いや、本当最初は僕玄斗をそのままブチ転がして終わりだったのになあ……なんでこんな続けてんだろうなあ……


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折衝とかそういうもの

赤色会長書き始めたら止まんなくてやばいやばい……


 

「赤音」

「……な、なに?」

「今日はご飯、食べさせてくれないの?」

「え、あ、いや……」

「……赤音?」

「そっ、そんなことないわよ!?」

 

 うんうん! と明るくうなずいて二之宮赤音は箸を握った。握りつぶそうとした。悲しいかな、女子の握力ではそこまで出来そうにない。

 

「……ね、ねえ。蒼唯」

「なに?」

「……た、たまには、こういうの……どうなの?」

 

 彼女なりにぼかして、予想との違いを確認してみる。頼むから〝そう〟は言わないでくれ、との願いは届かない。むっ、と頬を膨らませた蒼唯が赤音を睨んだ。

 

「……何度も言ってるじゃない」

「へ……?」

「幼馴染み、なんだから。……遠慮もいらないって……」

「……あ、あー! あははー! ……ほら、口あけなさい」

「……ぁ」

「はい」

「ん……、……」

 

 もぐもぐと赤音の眼前で蒼唯が咀嚼する。美味しかったのか、嚥下してからゆるりと微笑んだ。赤音はニコリと笑顔をつくったまま固まっている。石かなにかと言うぐらいの状態だった。ガタン、とそのまま椅子から勢いよく立ち上がる。

 

「……赤音?」

「ごめんね蒼唯! ちょっとお手洗い行ってくるわね!? じゃ、じゃあ!!」

「え、ええ……」

 

 教室を飛び出して、赤音は廊下を駆け抜ける。廊下を走るな、なんてルールは頭にない。ただひたすらに、闇雲に足を動かしていく。向かうさきはただひとつ。こんな風に頭のおかしい現実を突きつけられるコトを知っていた彼のもとだった。

 

「――玄斗ぉ!」

「わっ」

 

 がらっ! と生徒会室の扉を開けると、件の少年が肩を跳ねさせながら出迎えた。室内には彼ひとりしかいない。ちいさい如雨露を持っているあたり、窓際の花に水でもやっていたのだろう。案外マメな奴である。閑話休題(それはともかく)

 

「なんなのよアレは!? いったいどこの誰!? 私の陰キャ拗らせたようなくそ面倒くさい幼馴染みはどうした!?」

「ステイ。落ち着いて赤音さん。たぶん蒼唯先輩が聞いたらとてつもなく怒ることを言ってる気がします」

「これが落ち着いていられるかーーーッ!?」

 

 がくがくと玄斗の肩を掴んで揺さぶりながら赤音が絶叫する。確実の本人が聞けば爆発するであろう地雷を踏み抜いているあたり容赦がない。

 

「なんなのよあの蒼唯は!? 私との意地の張り合いはどうした!? なにがあったっていうのよ! てかこっちの私はよくあいつと喧嘩しなかったわね!?」

「ぼ、ぼくにも、なにが、なんだか……」

「でも違うのよ! あいつは! 四埜崎蒼唯はもっとネガティブで暗くて陰気でジメジメしててそのくせやるときはやるようなメンヘラちょっと患ってるクソ女なのよ!? それが、それが――っ!」

「そ、そこまで、言うことは、ないと……」

 

 たしかに暗い……というよりは静かな趣のある少女だが、玄斗から見てそこまでのマイナスイメージはない。なにせ明透零無という自分を引きずり出してくれた人だ。感謝こそすれ、酷く悪く言うのはとても気が引けた。

 

「というか、なに!? 弁当食べさせるとか、恋人か!? それを教室で堂々とするか!? 頭大丈夫かこっちの私!」

「僕に対してのあたりがきつかったなあ……」

「大丈夫じゃないわねこっちの私!」

 

 玄斗よりも向こうを選んでいるというのがわりと信じられない赤音だった。

 

「もう嫌よ……! あんな、あんな甘えてくる蒼唯なんて見たくないっ……!」

「……えっと、撫でましょうか?」

「ん」

 

 ぎゅっと強く抱き締められた。さっさとしろ、ということらしい。

 

「はい……」

「(……うむ)」

 

 玄斗の胸に顔を埋めながら、赤音はしっかりと頭上の感触を堪能する。役得だ。聞いてきたところこの少年は、幼馴染みとの関係をリセットされ、取り戻した相手がことごとく餌を目の前にしたピラニアのごとく噛みついてくる少女たちで苦労したらしい。そんな中に現れた赤音は、彼としても安心できる存在だったのだろう。

 

「というか、本当になにがあったんですかね……? 赤音さん、蒼唯先輩とはすごく()()が合わなかったのに」

「……まあ、そこはなんとなく予想ついてるんだけどね」

「え」

 

 そうなんですか? と訊くと赤音はうなずいて答えた。驚きだ。

 

「なんていうか……私たちの関係がこじれた原因? っていうか……」

「原因……」

「……あの子、基本物静かでしょ? だから、ちいさい頃、いじめられたコトがあったのよ」

「え――――」

 

 それは、一切知らなかった。ゲーム中では触れられなかった過去。つまりは、四埜崎蒼唯という人格を形成するうえでそこまで重要ではなかった要素とも言える。単純に考えるなら、だ。幼い頃の傷ではないのだろうか。語られなかった理由こそ、彼にはさっぱり分からない。

 

「小学生のときよ。まあ、幼稚なもんだったけど……それでも結構な目にあってね。私がなんとかしなきゃって、話もして、側にも付き添って、で、力になろうって意気込んでたのに」

「……駄目、だったんですか?」

「いや、逆。いらなかったの。あの子ね、自分で全部何とかしちゃった。それこそ、見ていた私がぞっとするぐらいのやり口で」

 

 ――ああ、とそこで納得した。なるほどと。やり返すなら徹底的に。それは玄斗も味わった蒼唯の強かさだ。散々なコトをしたとも言える玄斗相手に、散々なぐらいの衝撃を叩き返されていた。だから、なんとなく想像もできる。きっと身の毛もよだつほどの〝お返し〟をしてあげたのだろう。

 

「それで、そのやり方があまりにも危なっかしくて。つい、私もカッとなっちゃってね。色々ガーガー勢いに任せて言っちゃったのよ。そしたらさ、なんて言われたと思う?」

「……なんて、言われたんですか?」

「あなたには分からない、って。なんでもできる私に、自分の気持ちなんて分かるわけないでしょうって。――すっごい腹立ったわ。幼馴染みよ? 何年も一緒にいたのに。なにも分かってないって真っ正面から言われて。で、私もぶち切れた。勝手にしろ、もうあんたのコトなんて知るかばーか、って」

「……子供の喧嘩、ですね」

「ええ。それを、この歳まで引き摺っているもの」

 

 もう一生このままでしょうね、と赤音は息を吐きながら言った。売り言葉に買い言葉、みたいなものだろうか。どちらも我が強い少女だ。押し通すと決めたことは一切譲らない。それは玄斗からして美点であったが、悪いところにもなるのだろう。

 

「なら、どうなんでしょうね? こっちの私たちは。私が無理にでもあの子の手を握ったのか、あの子がきちんと手を伸ばしたのか……って、ところかしら」

「そういうIF(もしも)は、嫌いですか?」

「ううん、良いと思う。でも、違うわね。……玄斗なら、分かるんじゃない? 私の幼馴染みはね、決して仲良くお弁当食べさせ合うような奴じゃないわ。陰険で、根暗で、昔のことを引き摺ってて、プライドだけ無駄に高い、面倒くさくて、思わず顔を歪めたくなるような人間よ。私にとっての四埜崎蒼唯は、結局そいつしかいないのよ」

 

 悔しいけどね、と赤音は笑った。玄斗も悩むことなく、その言葉には頷いてみせる。よく分かった。だって、そうだ。なにがどう良くても、悪い部分が減っていても、結局は自分にとっての誰かなんて変わりない。どれほど今が良くても、唯一の相手というのが忘れられない。

 

「……そうですね。僕にとっても、同じです」

「でしょうね。……だから、ちゃんと向き合いなさいよ? こっちでも付き合いはあるんでしょう、壱ノ瀬さん」

「……はい」

「簡単に諦めんじゃないわよー? 諦めたら、私があんたを虜にしてやるから」

「……それも、案外悪くないかも分からないですね」

「ばーか」

 

 冗談混じりに言うと、くすりと笑われてデコピンを喰らった。なんでもお見通し、という風な赤音にはとことん頭が上がらない。

 

「……ま、それはそれとして。違うからこそ良いところも、あるんだけどね」

「? それって、なんですか?」

「……決まってるでしょう」

 

 ふい、と赤音が視線をすこし下げた。きょとんと首をかしげる玄斗の、ちょうど腕のあたりを見るように。

 

「――似合ってるわよ、生徒会長?」

「……お返ししましょうか?」

「嫌よ。せっかくのあんたの姿だもの。しっかり見させてもらうわ。()()としてね?」

「……あまり期待しないでくださいね?」

「うん。すっごく期待してる♪」

 

 とてつもない笑顔でいう赤音に、玄斗はがっくりと肩を落とす。やれやれなんて台詞はこういうときにこそ言うべきか。正真正銘なんでもできた最高の生徒会長からの期待は、思わず潰れてしまいそうなぐらい重かった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ちょうど、一月ほど前。()()は何とはなしに、一人称を変えた彼を見てこう思った。

 

 ……似ている、と。



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混じり合い

 

 放課後になれば、玄斗は生徒会室に向かう。文化祭準備が始まってから通例のコトだ。大抵はそのあとを教室からばらばらと出てきた逢緒やら鷹仁やらがついていくのだが、今日は珍しくひとりである。たまにはそういう日もあるか、なんて思いながら生徒会室の扉を開けると、これまた珍しい先客がいた。

 

「灰寺さん」

「あら……会長」

 

 表情ひとつ変えず、どころか目をそっと伏せて、灰寺九留実は体をこちらへ向けた。窓の外を眺めていたらしい。なにか見えるのだろうか、と入り口から覗いてみたが映るのは青い空。白い雲。ついでに校庭に生えた木々の枝ぐらい。まあ、いつもどおりの景色みたいだった。

 

「早いですね」

「ええ。寒かったから」

「ああ……」

 

 彼女の足下にあるストーブを見て、合点がいく。教室はエアコン完備だが、窓際や廊下側は寒さも大概なものだ。下校時に扉が開閉される都合もある。その点を考えれば、ちいさな室内であるこちらのほうが良いのだろう。

 

「…………、」

「…………、」

 

 そこで、会話が途切れた。特別仲が悪いわけではないが、特別仲が良いというコトもない。いわゆる普通の生徒会仲間、というのが玄斗から九留実への認識だった。これが思いっきりズレていたのが紫水六花になるのだが、彼女はいまのところそれで合っている。

 

「……最近は、冷え込んできましたね。もうすっかり冬です」

「まだ一歩手前よ。あと二月ほど、あるわ」

「……ああ、それぐらいだと、もう十二月の終わりになりますもんね」

「ええ。そのぐらいが、冬よ」

「冬ですか」

「冬ね」

 

 冬、とちいさくうなずいて九留実は定位置についた。コの字型に並べられた机の〝いつも〟の席である。玄斗も習って、いつぞやの、最近付き合いの戻った誰かさんが座っていた席へ腰掛ける。彼女はいまのところコッチの業務に口を挟むつもりはないらしい。曰く、「折角のあんたの生徒会なのに、私が動いちゃ面白くないでしょう?」とのこと。

 

「(別に、僕は気にしないんだけどなあ……)」

 

 絶対赤音さんが回したほうが上手くいくし、とはこれまでの経験上から導き出した答えである。やはり調色高校生徒会長は彼女でなくてはといったところか。玄斗には正直、やはり荷が重い。

 

「……季節が移るのは、早いな……」

 

 なんとなく。青い葉を散らした窓の外の木を見て、そんなことをぼやいた。気付けば文化祭だってもう目前に迫っている。慌ただしいが、そこまで大きな問題というのもあがっていない。トラブルが起きるとすれば当日で、それをどうにかするのが自分たちの仕事にもなる。両校初の合同文化祭。向こうの生徒会長のことを考えても、迷惑はかけたくないものだ。

 

『もう、夏も終わりだ。……季節が移るのは、早いな……』

「……そうですね」

「?」

「いえ、なにも。……冬は、いいわ」

 

 一言だけ呟いて、九留実はペットボトルの紅茶に口をつける。なんだろう、と玄斗は考え込んでハッとした。まさか、いまの一言は。

 

「(――聞かれるにきまってるか、独り言……ちょっと恥ずかしいな)」

 

 頬をうっすらと赤く染めながら、気を紛らわすために仕事へ取りかかった。そうなれば、とくに会話の必要もなくなる。ぱっぱと処理をしていく生徒会長と、それを気にもとめずお淑やかに紅茶を飲む庶務。

 

「…………、」

「…………、」

 

 会話がない。居心地は、まあそこまで悪くもない。玄斗は自分の手元に集中している。背を傾けるよりは、目をこらして難しい顔をしている。自然とそうなるのだろう。とても様になっていた。ちらりと視線を向けた九留実が、ぽつりと漏らす。

 

「……会長」

「? はい。なんですか?」

「顔が怖いわ」

「あ……すいません」

「いつものこと、だけれど」

「…………、」

 

 恥じらうように、玄斗はそっぽを向いた。くすりと九留実が笑う。いつも静かな少女が、珍しくからかってきている……のだろうか。ゆるく口元に笑みを携えた姿は、次のメンバーが入ってくるまで変わらなかった。

 

「(……本当、あの人みたい)」

 

 ◇◆◇

 

 

「調子、どう?」

「いい感じですよ。うちの子たちも盛り上がってるみたいで」

 

 順調です、と白玖が笑いながら言った。ふたり並んでの帰り道。お嬢様学校の生徒会長は、おそらく玄斗よりも大変であろうに平気の平左といった表情。幼馴染みの規格外をすこし垣間見た。もっとも、規格外でもなければ本編で()()()()を相手にするコトもできなかったというコトか。

 

「ここまで来たんですから、うまくいってほしいですね」

「そうだね。それはまあ、言えてる」

「はい。……あ、当日、どうします? 十坂さん、ウチに来ますか?」

「あー……どうだろう。僕は一応、生徒会長だしね……」

「あ、ですよね。そうですもんね……」

 

 その雰囲気でちょっと忘れていたのは秘密だ。あはは、と笑う白玖に、玄斗が露骨にため息をついていても秘密だ。いったいどうして他校にまで足を運んで打ち合わせなんて行う普通の生徒が……まあ、居ないワケでもないだろうが。

 

「そっかあ……じゃあ、十坂さんと一緒には回れませんね」

「……回りたかった?」

「え、いや、あの、それはっ……………………まあ、すこし

「――――」

 

 照れながらいう白玖は、正直いって可愛かった。とんでもなく可愛かった。それはもう可愛かった。体が弱くなった玄斗をして別の意味でクラッとくる可愛さだ。思わずテンションがブチ上がった。いい。実にいい。なんていうか、もう、語彙力が消滅しそうなぐらい()()。壱ノ瀬白玖は、いい。

 

「じゃあそうしようか」

「え……?」

「挨拶ってことでそっちにお邪魔するとかいいかもね。うちのほうは……副会長になんとかしてもらおう」

 

 どこかで友人がくしゃみをした。まさかこんなナチュラルに仕事が増えているとは思うまい。適任なのがまた悲しかった。やれと言われれば余程の理不尽でもないかぎり文句を言いつつもやってしまう調教済みの元生徒会メンバーだ。

 

「……もう、いいんですか? そんな勝手して……」

「すこしぐらいなら良いんじゃないかな。なんなら、壱ノ瀬さんもこっちに来る?」

「……うちの子にも、任せてみましょうかね」

「同じじゃないか」

 

 くすくすと笑い合う。実際、始まりか終わりの挨拶で相手校へ顔を出すというのは案のひとつとしてあったものだ。そのついでにちょっと寄り道をするぐらいなら、まあ、そこまで問題にもならない。……周りがどういう反応をするかはともかく。

 

「いいですね。ちょっと、楽しみが増えました」

「なら良かった。壱ノ瀬さんと回れるのは、僕も嬉しいから」

「……またそんな、歯の浮くような台詞をさらっと……」

「本心だからね」

「……っ」

 

 一瞬だけ瞠目して、白玖がうつむく。隣を歩く少年は、真っ直ぐ前を向いていてそんな様子には気付かない。

 

「(そういうところが……ああもう、本当この人って……)」

 

 なんなのだろう、とため息をつきながら彼の横顔を盗み見た。そのまま受け取れば、まあ、そういうコトになるのだろう。ただ、その理由がいまの白玖にはさっぱりだった。偶然おかしな出会い方をして、偶然何度か会う機会があって、偶然こうなっている。……のだと、思う。

 

「(一目惚れ……にしては、こう、見た目に頓着してない気がするし……うーん……十坂さんって、なんで私なんかに、こんな、言ってくるんだろう……?)」

 

 疑問だ。なんだかんだで十代の乙女である。恋愛ごとに関してはぜんぜん縁のなかった白玖からして、その疑問はとてつもない難問だった。十坂玄斗の好意の理由。そこにあるものは、一体なんだというのだろう。

 

「? どうかした。僕の顔になにかついてる?」

「あ、いえ……なんでもないですよ?」

「そう?」

 

 ならいいけど、と玄斗は笑って前を向き直った。

 

「(あ、でも――)」

 

 そう。その動作で、ひとつだけ分かった。些細なコトだが、決定的なまでの違い。

 

「(この人、私と居る時だけ、笑顔の()が違うよね……?)」

 

 自意識過剰だろうか。とは思いつつも、見れば分かるレベルなのもあって。そこのところに気付いているのかいないのか、少年はニコニコと笑顔のままに歩いていく。なにせ、そんなコトは当然の事実。一度心が通じ合った相手といて、心の底からの笑顔にならない人間なんてそうそう居ないのだ。






>白玖ちゃん
だいぶ髪色が元に戻ってきてます。





最近隠しネタが瞬獄殺されることになれてきたけど私は元気です(天)


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ブルー・アイズ

 

「ちょっと」

 

 廊下を歩いていると、不意にそう呼び止められた。なんだろう、と玄斗は後ろを向きながら小首をかしげる。鋭い目付き。背筋を凍えさせるような威圧感。ずーん、と腕組みをして、四埜崎蒼唯はそこに立っていた。

 

「先輩?」

「訊きたいことがあるの」

「??」

 

 珍しい……というよりは、予想だにしない一言だった。いまの彼女と玄斗の接点はそこまで特筆するべきものでもない。だからこそ、余計に首をかしげた。なんだなんだ、と内心では思考回路がぐるぐる回っている。

 

「ついて来なさい」

「あ、はい……」

「お、会長クンだー」

 

 と、そんな刹那に割り込んできた声がひとつ。ふんわりとした高い声音で、桃園紗八はひらひらと手を振りながら彼の腕を掴んだ。

 

「え、あの」

「うーん? ……なるほど。あれは偶々かなあ。うん。でもまあ、それもアリかもねえ。あはは、なんでもないよー?」

「???」

 

 こちらも意味が分からない。いや、分かってはいるがなんとなく掴めない。どういうコトなのだろう、とさらにぐるぐると脳みそが回る。目を回しそうな勢いだった。

 

「……桃園さん。用は、終わり?」

「あ、うん! どうぞどうぞー、四埜崎さん。やっぱり、そっちの十坂クンは四埜崎さんのほうが似合ってそうだしね?」

「……どういう意味なのかまったく分からないのだけど」

「あと二之宮さんもかなー」

「さらにどういうコトなのか意味が分からないのだけど」

 

 

 なんでもなんでも、と話を打ち切った紗八になにを思ったのか。じっと二秒ほど彼女を見つめて、蒼唯はくるりと踵を返した。ぱしっと玄斗の手首を掴んで、そのままズンズンと歩いて行く。普段は静かなくせに、やるときはやる。こういう行動力がその評価に実際繋がるのだろう。やはりなんだかんだで見ているんだな、と玄斗は赤音の言葉にほっこりとしたものを覚えた。

 

「……このあたりで良いかしら」

「このあたり、って……」

 

 そう言って彼女が連れて来たのは、校舎裏の花壇の前だった。生徒の間ではよく告白の場として使われる。アキホメ本編においても、特定の条件が揃えばイベントが発生する場所だ。……もっとも、そのイベントというのが告白ではなく主人公の過去をプレイヤーに突きつけるものなのだが。

 

「(……懐かしいなあ。壱ノ瀬白玖っていう人間のおかしさを、そこで叩き付けられるんだっけ)」

 

 いまとなっては遠い記憶のゲームを思い返す。ちょうどシナリオでは中盤よりすこし後に位置するシーンである。いつも親のいない家。他人への無償の奉仕。どこか機械じみた優しさの塊。それら全部が、壊れかけた少年の心の叫びだったという……

 

「――生徒会長」

「……あ、はい」

 

 呼ばれて、はっと蒼唯のほうを見た。彼女は相変わらず面白くなさそうな顔でこちらを睨んでいる。なにか言いたいコトがある、というのは聞かずとも分かった。

 

「単刀直入に言うわ」

「……はい」

「最近私の幼馴染みの様子がおかしいの。あなた、なにか知っているんじゃない?」

 

 ズバリだった。とんでもない直感である。知っているもなにも、玄斗には自覚もなければ記憶もないが、ちゃっかりソレを起こした張本人だった。寝て起きたらとっくに二之宮赤音だった。ただそれだけの事実しか知らない。

 

「あー……僕は、あまり……」

「嘘よ。すこし、耳に挟んだの。あなたと赤音がなにか話していたって」

「…………、」

 

 なるほど、と玄斗はうなずいた。これまずい奴だ。しかもちょっとイラついている。いつもどおりの声のトーンだが玄斗には分かる。蒼唯は間違いなくイラついている。腕を組みながらとんとんと指で叩いている様子は勘違いのしようもない。流石の鈍感少年にも危機感というものが働いた。

 

「……えっと、釘を、刺されまして」

「釘?」

「……これ以上先輩に近付いたらぶっ飛ばす、と……」

「……まったくあの子は……」

 

 こめかみをおさえながら、蒼唯がはあ、とひとつため息をついた。余計な心配だとでも言いたげである。玄斗としては嘘は言っていない。釘を刺されるどころかぶちのめされる寸前だったとか関係ない。とにかく嘘は言っていない。だからといって、罪悪感が刺激されないというワケでもなかったが。

 

「……なら、どうして最近おかしいのかしらね?」

「さあ……?」

「…………、」

「…………、」

「やっぱり知っているんでしょう」

「いえ、そんなことは」

 

 ない、と言い切れないのが辛かった。だって玄斗は徹頭徹尾完璧にいまの彼女がどういう状態なのかを知っている。蒼唯と犬猿の仲だった赤音である。竜虎相摶つとでも言うべき関係だった人間だ。それが無理をして〝仲良し〟を演じているのだから、おかしくも思われるというもの。……こんなところで完全無敵な生徒会長の弱点を発見してしまった。

 

「なんだか妙にあなたの話題は避けるし」

「その、嫌われてますから……」

「そのくせフォローはするし」

「よ、よく思われてませんから……」

「でもって笑顔が引き攣ってるし」

「あ、赤音さんも色々と……」

「 あ か ね さ ん ? 」

 

 やらかした、と思ったときには既に遅かった。とき既にお寿司。玄斗はさばかれて店頭に並ぶ自分の姿を幻視した。発想の源が狂っている。

 

「……まさか、そういうつもり?」

「そういう……とは……?」

「言わなきゃ分からない?」

「……いえ、大丈夫です。違います。はい。間違いなく」

「そう……」

 

 むう、と蒼唯が眉間にしわを寄せながら考え込む。ちょっと本気でマズい。冷や汗ダラダラである。白玖を除けば一番馴染みのある相手だからこそ分かっている。本気でキレた蒼唯は、それこそ赤音がマジギレしたときの五倍は恐ろしい。

 

「……仕方ないわ。十坂玄斗」

「は、はい」

 

 びしっ、と気をつけをしながら答える。蒼唯は何事かと怪訝な視線を向けている。南無三、と玄斗は内心で唱えた。

 

「変なことを訊いたわね。なにもなかった。それで、あなたの解答は終わりでしょう?」

「あ、はい。そうです。……よかった……

「ただし」

「……?」

 

 そして、ぞっと。彼女は底冷えするほどの笑顔で。

 

「――私の幼馴染みになにかしてみなさい? 千切るわよ」

「…………なにを?」

 

 今度は訊くことができた。対して、蒼唯はくすりとひとつ笑い声を漏らして去っていく。なぜか。本当に不思議となぜだか、股間にひゅっと変な感覚が舞い降りた。千切る。千切る。千切る。ともすればそれは、死ぬコトよりも恐ろしいのでは? と玄斗はちいさくなっていく背中を見続けながら考えた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 なんてことがあった、翌日。

 

「私、あなたの胆力をなめていたわ……」

「?」

 

 こてんと首をかしげる男は、ちゃっかり調色高校図書館のカウンターで、蒼唯の隣にさも当然のごとく「当番です」面をして腰掛けていた。

 

「なんでわざわざ来るのよ……」

「ちょうど一段落ついて手が空いたので……」

「なんで私のところなのよ……」

「ちょうど図書委員の子に頼まれて……」

「当番ぐらい私だけでもできるわよ……!?」

「でも先輩、寝るじゃないですか……」

「……っ!」

 

 ギロッ、と効果音がつく勢いで蒼唯が睨みつけた。玄斗はそれをスルーしながら本の貸し出しを捌いていく。順番の回ってきた生徒が若干びびっているのに、真横の視線を向けられているとうの本人は何食わぬ顔。流石は生徒会長……なんて意味の分からないささやき声まであがっていた。

 

「そもそも、この前のあれはなに? 勝手にしてくれて。しかもキザったらしいコトに書き置きまでして。なんなの。あなた、ナルシストなわけ?」

「いえ、パソコン、ロックかかってたので。データつけなきゃいけないでしょう」

「そういう事情をどこから入手してるのよ……っ!」

「あはは……」

 

 そりゃあまあ、一時期していたのだから知っている。無論、そのノリでパスワードを打ち込んだら案の定間違っていたワケだが。

 

「まったく不気味……あなた、そんなんで生徒会長がよく務まるわね……」

「まあ……本当は違いますし」

「はあ? どういう意味よ」

「あ、三冊ですね。はい。返却期限は二週間後になります。はい、次の方どうぞー」

「聞きなさいよっ!」

 

 今日はいつもよりカリカリしてるなあ、なんて思いながら玄斗はからからと笑う。なんだかんだでこういうのも新鮮……というよりは懐かしい……というべきか。昔はもっと鋭くてそれこそジャックナイフみたいなものだったなあ、とあまり仲がよろしくなかった頃の蒼唯を思い出す。あれもあれで、まあ、四埜崎蒼唯のイメージそのものなのだが。

 

「(……ホント、変な男……)」

 

 内心でぼやきながら蒼唯が机に突っ伏すと、声の大きさが徐々に小さくなっていく。瞼を閉じてまだ数秒。意識が遠退いたわけではない。ただ、どこかの誰かがそうしたのだ。……本当、変な男だと彼女は再三思う。

 

「(気に喰わないくせに……どうしてこう、私との、すごしかたを……しって、いる……みたい……に……)」

 

 都合よくいられるのだろう、と。

 

「……おやすみなさい、蒼唯先輩」

 

「(うるさい…………)」

 

 沈んでいく思考の片隅で、最後の一撃を放ちながら眠りにつく。くすりと笑った少年の声は、すんでのところで届かなかった。今日も調色高校図書館は、平和に業務を続けている。 






>対ブルー特攻ブラック
身に付けたスキルが先輩限定で突き刺さるとかコイツ本当に白玖のこと幸せにする気あったのかという。まあなかったらまず先輩とくっついてるんですけどね!

>変な男
蒼唯パイセン的に“変“というのはそこまで悪い評価でもないという。


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なにかはあって

 

「それじゃあ、また」

「…………ふん」

 

 家に入っていく蒼唯を見送って、玄斗も帰路につく。図書館であれやこれやとしている間に白玖はすでに帰ってしまっていたらしい。大変なんですか? というメッセージに大丈夫だよとだけ返して歩いていく。夜道はすっかり暗かった。

 

「…………、」

 

 ほう、と息をひとつ。早いもので、十一月に突入する。文化祭はその初週だ。うまくいけばいいな、という気持ちが三割。何事もなければと心配な気持ちが二割。残りの五割は、久方ぶりの白玖との時間への期待だ。

 

「(……背中を押してくれる人も、できたんだし)」

 

 本当、なんというか、申し訳ない……なんて思ってはいけないのだろうと。玄斗は一瞬よぎった考えを頭を振って捨てた。二之宮赤音は、二之宮赤音だ。正しくあろうとして、実際に強く美しく生きている少女である。それに対して、変なコトを考えるほうが駄目だ。きっとそんな内心を知られれば殴られるのは確実で。

 

「(……かなわないなあ、本当)」

 

 芯がブレない。その強さはいつでも変わらない。彼女は彼女として、まっさきに自分が胸を張れる生き方をしている。それはときに鮮烈で、強烈で、どこぞの誰かにとって劇薬じみた答えすら突きつけるのだけれど。でも、たしかに玄斗から見て、二之宮赤音という人間は綺麗だった。

 

「(まあ、ときどき子供みたいなワガママも貫き通す人だけど……)」

 

 そこはギャップだ。理不尽なまでに凶暴な面も、誰かを導く優しい面も、ふざけてのらりくらりと生きていく面も、どれもそろって赤音だ。良くも悪くも身勝手で自分勝手。けれど正しさだけは見失わずに。……まあ、見失ってしまった結果とかを、玄斗や鷹仁は身をもって経験したコトがあるのだが。

 

「(――……と、あれは……)」

 

 なんて、考えていたときに向こう側から歩いてくる少女の姿を見た。足音は静かに。街灯に照らされた肌は真冬の月を思わせる白さで、そっと目を伏せている姿がいやに似合っている。

 

「……灰寺さん?」

「! ……会長」

「こんばんわ。いま、帰りですか?」

「……ええ。病院へ行っていたの」

「え……どこか、悪いんですか?」

「いえ、そういうわけでは……」

 

 と、言葉を切った九留実がかわいらしくクシャミをした。口元をそっとおさえて、堪えきれないように玄斗のほうをうかがうように見る。……これもまたギャップだ。思わず苦笑しながら、彼は近くの自動販売機を指差した。

 

「おごります。なにが良いですか?」

「…………紅茶で」

「はい」

 

 よく見てみれば、彼女の服装はほぼほぼ学校指定の制服そのままで、マフラーを巻いたぐらいなものだった。時期的にはともかく、夜中の寒さではちょっと厳しいものがある。ホットの紅茶を買って差し出すと、九留実は大事そうに両手で受け取ってほうと息をついた。

 

「……あたたかい……」

「ですね」

 

 と、玄斗も自分用に購入したホットコーヒーを手のなかで転がしてみる。ある程度の寒さ対策をしている彼ですらすこし冷たさは感じるのだ。九留実の格好ならもっとだろう。

 

「……微糖の、缶コーヒー」

「? あ、はい。昔から好きなんです」

 

 どうしてブラックではないのか、と聞かれればなんとなく。舌に馴染むというか、いちばん彼にとって飲みやすいというか。己の味覚に合っているのがそれだった。笑いながら言って、一口だけ飲む。……じっと、九留実はその様子を見ていた。

 

「……ブラックじゃ、ないのね」

「まあ……すこしぐらい甘いほうが、良いんじゃないですか? 何事も」

 

 なんて、冗談交じりに言ってみてから、ふと気付いた。彼女は一度も、紅茶に口をつけていない。

 

「……灰寺さん?」

「――――――、」

「あの……もしかして、違いました? 飲み物……」

「――有耶さん……

「え?」

 

 声が掠れていて、聞き取れなかった。ただ、じっと九留実が見つめてくる。自分ではない。おそらくは、どこか、遠くの誰かを重ねるみたいに。きっとそれは十坂玄斗なんて皮を被っていて、思いっきり剥がされて、モノの見方というものに盛大な衝撃を受けた彼だからこそ気付けた視線だった。

 

「……なんでも、ないわ。ちょっと、思い出しただけ」

「はあ……?」

「……似ていたの」

 

 首をかしげる玄斗に、九留実がフッと笑いながら言う。本当に懐かしいもの。いまとなっては手の届かない淡い記憶。あれは奇跡以外の何物でもなかったのだろうと、彼女は確信している。だから、そんなものは一瞬でシャボン玉のように儚く消えたコトも。

 

「私の……初恋の人が、そうだった」

「灰寺さんの、初恋……ですか」

「……ええ。本当、よく似てる。あの人も、同じようなことを言っていたから」

『いや、なに。……すこしぐらい甘い方が、いいだろう。何事も、な』

 

 初恋。玄斗の初恋は……まあ、十坂玄斗とするなら壱ノ瀬白玖で。明透零無とするなら、四埜崎蒼唯がそれに近い。初恋というには、どちらも凄まじいモノだったような気もするが。淡い恋心なんていずこへ、という感じだ。

 

「そうでしたか。……いま、その人は?」

「どうかしら。遠く、離れてしまったから。……もう二度と、会うこともないのでしょうね」

「それは……」

「……でも、いいの。結局、そういうことだと思うから。私には過ぎた人で、釣り合う人でもなかった。それが……ただ偶然、なにかの間違いに恵まれただけ」

 

 らしくもなく、九留実がはにかんだ。普段からは考えられない表情が、けれども妙に慣れた表情の作り方で。ああ、笑うときはそうやって笑うのか、と少女の真実を垣間見た気がした。……どうしてか、それが玄斗にとっては、意外でもなんでもない。

 

「……好きなんですね、いまも」

「さあ、どうかしらね。……心配では、あるけど」

「……心配?」

「あの人、とても不器用だったし」

 

 言葉には、感情が込められている。初恋の人。本当にそれだけなのだろうか。九留実の言葉の端々には、それ以上のなにかがあるように思えた。きっと、目の前にいるまだ二十にも満たない少女が抱えるには、壮大な想いが。

 

「冗談が通じないし、言うのは下手だし、すぐ考え込むから周りが見えなくなるし。……でも、凄い人だった。なんでも出来て、なんでもこなせたの。……ちょっと、かわいらしい部分もあったのよね」

「かわいらしい……ですか」

()()。天然さんだったから。死んじゃうかも、なんて私の冗談を本気で受け取って、あたふたとして。……もう、本当、好きだなって……」

 

 と、そこでなにかに気付いたように九留実はハッとして、玄斗のほうを向いた。

 

「ご、ごめんなさい。つまらない話、しちゃったわね。……その、忘れてちょうだい」

「ぜんぜん。大丈夫ですよ。なんか、新鮮でした」

 

 灰寺九留実という少女の新しい一面……とでも言うべきなのだろうか。それが、まあ、思っていた以上に悪くはないというか、良かったというか。なんだか玄斗としては、温かいものを感じてしまって。

 

「……そうね。きっと、あまりにも似ていたから、口がすべったの。……もう、忘れてもいい、要らない思い出なのにね……」

「――でも、きっと、間違いなんかじゃないですよ」

「…………え?」

「そこまで想われていたなら、きっと間違いじゃないです。残るものがあって、それで……それがいまも続いてるんじゃないですかね。僕は、そうだったら良いなって、思います」

「残るもの……」

 

 と、九留実は目を伏せて、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――零じゃ無い。なにもなくなんかない。きっとなにかがあって、消えちゃわないぐらいしっかりとしてる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………え?」

「……なんでもないわ。ただ、そんなおまじないがあったの。それだけはと思っていたから。……あれは、残ってくれたのかしらね」

 

 どうして、それを、目の前の少女が知っている?

 

「……変な話をしてごめんなさい。紅茶、ありがとう。私は先に帰るわ。それじゃあ、会長」

「ぇ……ぁ……」

 

 まずい。声が出ない。体が震えている。頭がどうにかなりそうだ。いや、違う。そんなのじゃない。なにも分からない。なんなのだろう。これは、どういうコトなのだろう。彼女は灰寺九留実だ。ならば、どうなる? どういうコトだ? なぜ、零無(自分)の名前に込められた意味を知っている?

 

「は、はいでら、さん……?」

「もう遅いわ。はやく、家に帰ったほうがいいでしょう。ご両親、心配してるんじゃないの?」

「ぁ……い、ゃ…………は、ぃ……」

 

 ただの偶然。別のなにか。そういうコトなら簡単だ。彼にはなんの関わりもない。思い違いの勘違い。だが、けれど、もしも。ありえないぐらいの話で、ありえないぐらいの現実で、ありえないぐらいの奇跡として。それが、()()なのだとしたら?

 

「(……どういう……いや……君、は……)」

 

 遠ざかっていく背中を見ながら、ふらついた足を街灯にすがって支える。体調不良、ではない。何度経験しても慣れないものだ。いや、慣れもなにもない。叩き付けられたのではない。ちょっと、驚くべきコトに気付いてしまっただけ。

 

「(なん、なんだ――?)」

 

 十坂玄斗は、混乱している。  







わけも わからず じぶんを こうげきした !





透明くん「ボクは生まれてきちゃだめだったの?」

お父上「そうだよ(錯乱)」


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引っ掛かる部分

 

 気付けば家の前。ふらふらと玄関をくぐって、玄斗はそのまま二階へあがった。

 

「お兄?」

「…………、」

「おーい? 無視かよぅ? かわいい妹を無視かよこのやろう?」

「……………………、」

「(やべえ重症だわこれ)」

 

 無言で自室へ入っていった兄に、真墨は確信した。久方ぶりのヘヴィー・オブ・トオサカクロトである。今更そんなコトなんてなるわけねえだろJKと余裕をぶっこいていたのにこの様だ。彼女はすぐさまリビングまで駆け下りた。

 

「お父さーん! お兄がなんかめっちゃ落ちこんでるー!」

「なにい!?」

「うるさいわよー、ふたりともー」

 

 十坂邸は、ひとりを除き今日も平和だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「…………、」

 

 ベッドに倒れると、自然とため息が漏れた。思考がままならない。なにがどうなっているのか、さっぱり理解も及ばない。零ではない。いつしか父から聞かされた言葉を、灰寺九留実は知っていた。

 

「(どうして……灰寺さんが……?)」

 

 過去に関係があった? ……ないだろう。なにせ遠い遠いどこかの記憶だ。彼女の名前を聞いたのは真実彼女とはじめて会ったときになる。それまではなにも知らなかったのだ。だから、知人というワケではない。第一、明透零無に知人というのは極めてすくない。

 

「(いや、違う。名前の由来。それを、知っているっていうことは……)」

 

 両親の関係者、なのだろうか。いまいち思い浮かばない。玄斗にゲームをすすめてきたかの秘書なら知っているのだろうか。父親の知っていたことだ。けれど、零無の生前には知らなかったようにも思える。ならば、後から誰かに聞いたのだろう。では、誰に。

 

「(……二羽、さん……?)」

 

 ……似ても似つかない。彼女はもっと柔らかい雰囲気で、どこか間延びした口調が特徴的だった。優しく微笑みながらアキホメを差し出してきたのが懐かしい。言わば、少女の正体がそれかと言えば……おそらくは、違うはずだ。

 

「(……いや、そもそも、同じ〝コト〟で考えるのはどうなんだ……? それこそ、この世界には()()だって――)」

「玄斗、大丈夫か?」

 

 コンコン、とドアがノックされた。父親の声だ。ゆっくりと起き上がって、うん、と短く答える。数秒して、ひっそりとノブが回った。

 

「入るぞ……っと、電気ぐらいつけないか。目が悪くなるぞ」

「……ごめん」

「まったく……どうした? また」

 

 パチンと部屋の明かりをつけながら、父親が切り出した。殆ど考え事に夢中でスルーしていたが、たしか部屋までの道程に妹の声を聞いた気がしてくる。そこから情報が渡ったのだろうか。心配するほどでもないのに、と思わず苦笑する。

 

「なんでもないよ。ちょっと、驚いたことがあって」

「驚いたこと?」

「うん。……同じ学校の人がね。父さんから教えてもらった秘密を、知ってたんだ」

「……ま、まさか私が行為の最中に他の女の名前を呼んだことが、か……!?」

「あ、違うから。そうじゃないから」

「そ、そうか」

 

 よかった、と父親がほっと胸をなで下ろす。たしかにそれはやばい。知られたら父親どころか玄斗もろともダメージがくる。いや本当どうして結婚まで来られたんだろう、と玄斗は不思議に思うばかりだった。

 

「……零じゃないって」

「む?」

「なにかあるんだって、そういうおまじないをかけたって……言ってたんだ。なんのことまでかは、分からないんだけど……」

「待て。……それは、本当にそう言ったのか?」

「うん。……なんだっけ、僕が、初恋の人に似てるだっけ。死んじゃうかも、なんて言葉を本気で受け取る人だったらしいよ」

 

 おかしいよね、と玄斗が笑う。

 

「あ、ああ……おかしいな、それは」

「あと、なんだっけ。不器用とか、冗談が通じないとか、言うのも下手とか、考え込んで周りが見えなくなるとか……」

「なんとも……はは、とんだ初恋の相手だな」

「でも、天然でちょっとかわいらしい、とか……」

「なんだ、それは……男にかわいらしいだと……?」

 

 はは、と父親が笑う。

 

「……そんな相手と、おまえが似ていたと?」

「らしいよ。僕は、あまりそうも思わないけど」

「だろうな。……私もそう思う」

「似たようなコト、言ってたらしいよ。なんだっけ。コーヒー飲んでて……えーっと、なんて言ったかな……そう、すこしぐらい甘いほうが」

「良い、か……? 何事も」

「え、すごい。なんで分かったの」

「……私も同じような台詞を吐いたコトがある」

 

 照れ隠しだったがな、と父親は頬をかいて言った。そういえば、とそれで思い出した。コーヒーの好みは父親も同じだった。元より父親譲りと言うべきか。

 

「……どんな人なんだ? その子は」

「なんていうか……よく分からない人、かな……紅茶が好きなのは、間違いないだろうけど……」

「紅茶か。……こだわりはあるか?」

「? いや、とくに……そういうのは聞いたコトないけど……」

「そうか」

 

 ティーバッグもペットボトルも飲んでいる彼女のコトだ。好みはあってもなにかに固執しているワケではない……というのは玄斗の予想だったが、父親はそれでどこか納得したらしい。玄斗にはさっぱりその辺が分からない。

 

「……零無」

「え、あ、うん。なに?」

「おまえが言うのだから、余計、だな……私は、気がふれるかもしれん」

「??」

「――その子と会わせてもらえないか、すこしだけ」

 

 

 ◇◆◇

 

 

「――っていうコトで……」

「どういうコトなの……?」

 

 それは玄斗にも分からない。もしや父親が()()()()趣味に目覚めたのかと思えば、そうでもないらしい。ただ真剣に、一度だけでもと頼んできていた。

 

「いや……なんなんでしょうね……ちょっと、気持ち悪いですよね……」

「ええ……どうしてあなたの父親と……」

「でも、あの、悪い人では……ないんだと……思い、ます……よ……?」

「……要するに、断言しにくい人なのね」

「あはは……」

 

 いや、本当に悪い人物ではない。ただ、ちょっと玄斗にとっては頼れるいい父親であると同時にとんでもないトラウマの根源でもあって難しいのだ。お気楽に見えて十坂家の事情は意外と重い。

 

「……すこしだけなら、構わないわ」

「いいんですか?」

「ええ。……あなたの父親なら、悪いこともしないでしょうし」

「本当に? 父さんですよ? 大丈夫ですか?」

「あなたのほうが信用していないじゃない……」

 

 わりと玄斗から父への容赦情けがないのはまあ、明透有耶だった頃のやらかしが原因なので仕方ない。半ネグレクトをやらかした父親への息子なりの割り切り方なのだろうか。

 

「……どんな人なの?」

「普通のお父さんです。たまに気難しくて、眉間にしわを寄せて、口数が極端に減るような人になりますけど」

「……二重人格……?」

「切り替えてるだけかと……」

 

 まあ、どちらも父親と言えば父親なのだが。

 

「……とにかく、すこしで良いのでしょう? なら、問題ないわ」

「じゃあ、そう伝えておきます。詳しいことは、追って」

「そうね。……おかしな勘違いをされていないことを、祈っておくわ」

「?」

 

 九留実の言葉に首をかしげながら、玄斗は早速父親へメールを送る。彼にはなにもかもがどうなっているのかも不明なままだ。ただ父親がなにかに確信を持って行動しているコトと、目の前の少女がその鍵を握っているのはなんとなく察した。一体なんだというのだろう。携帯を仕舞いながら、ふと九留実の顔を見る。

 

「……なに?」

「あ、いえ。……灰寺さんって、うちの父親と接点とか、あったんですかね……?」

「ないから私も困惑しているの。……本当、ワケが分からないわ」

 

 はたして、少年はまったく気がつかない。なにも知らない。なにも分からない。過去から引用できる事実はひとつとしてない。なにせ、物心がついた頃には、すでに――






>僕玄斗(アトウレイナ)
母親が死んで生まれた子、という点。なにも知らないよ。

>灰色ちゃん
ところでコレは彼が本来生きてきた世界とは別なんだけどそれって全部元に戻るとどうなるんだろうね?


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事案ですか?

 

 一度だけ、見に行ったことがある。

 

『我が社の今後につきましては――』

 

 見た目は、まんまその人だった。名前もなにもまったく同じ。でも、どこか違和感が付きまとっている。理由は、すこし探れば見えてきた。

 

 〝明透……零()……?〟

 

 些細な違い。ちょっとした変化。でも、決定的な差異でもあった。込められた意味も、願いも、まったく同じワケではなかった。ならば、きっとそこに生きていたのは自分ではない。よく似た誰かが、よく似たモノをつけただけ。

 

『……あなたが、明透さん?』

『あ、はい……そうで、ございますが……?』

 

 事実、そこには面影を感じることはなかった。彼女の知っているソレであれば、目の前にいる人物は少年であるはずで。決して病弱でか弱い少女なんかではないはずだった。だから、それで、なんとなく察してしまった。もう二度と手の届かない位置に、自分は来てしまったのだと。

 

〝なんて……女々しい……〟

 

 死に別れてなお、あの人の影を追っている。その姿を幻視している。そんな、たった一度の奇跡に思い上がった自分が嫌になる。全部偶然で、なにもかもが奇跡の結晶で、自分自身の手で掴んだものなんてなにひとつもないのに、ただ縋るだけ縋っている。愚かだ。筆を離したのは、そのとき。

 

 〝私はもう、明透一美ではないんだ……〟

 

 その事実に、心を閉ざした。自分から死んでおいて、なんて身勝手な。この身を犠牲にしても我が子を産むと誓ったのは自分なのに、なんて愚かな。悔やむことは沢山ある。どうしてと文句を言いたい気持ちも沢山だ。でも、たったひとつ。残された願いだけは純粋なままで。

 

 〝……あの子が、それに……重なったのかな……〟

 

 零ではない。なにか()つは()って、消えてしまわないぐらいしっかりとしている。そう望んだ自分の子は、一体どうなったのだろう。

 

 〝……でも、うん。……有耶さんが、ちゃんと、してくれたはずだよね……〟

 

 関係はない。死んだ人間がなにか言う権利はない。だから、彼女の人生は半分以上が終わっている。こんな、なにもない場所でもう一度なんて望んでもいない結果を得たとしても。絶対に。あのとき以上の幸せなんて、見つかりもしないのだから――

 

 

 ◇◆◇

 

 

 灰寺九留実は、方向音痴である。静かな振る舞いとお淑やかな態度で誤魔化しているが、こと慣れない場所はおろか慣れた場所でも迷子になる。ずっと昔からなおらない素質だ。土曜日の午後。後輩の父親なる人物と会うよう指定された駅までの道で、彼女はぽつりと呟く。

 

「……まずいわね」

 

 ちら、と腕に巻いた時計を確認する。約束の時間までは五分を切っていた。なんともまずい。このままでは、というよりも現状で遅刻がほぼ確定している始末。これが年下の生徒会長なら連絡も取れようが、相手はその会長様のお父上である。玄斗がなにをしているか分からない以上、うまく繋がるかも分からない。優先すべきは目的地への到達だ。九留実はきわめて冷静にスマートフォンの地図アプリを開いた。

 

「(……よめない……)」

「どうかしたのかい」

「!」

 

 声をかけられて、自然と肩が跳ねた。ばっと振り返って相手を視認する。年相応らしく落ち着いた雰囲気。とくに弄られてもいない黒い目と髪。スタイルはまあ、そこそこ整っている。……誰? というのが彼女の抱いたはじめの感想だった。

 

「いえ……」

「……うむ。まあしかし、面白いものだなあ」

「……?」

「いや、なに。最近の若い子はマップを逆に見るのが流行っているのかな」

「……っ!」

 

 ……内心で相当テンパっていたらしい。彼女は自分の携帯を逆さにしているのも気にせず使っていた。くるりと手元で回して、そのままポケットへ突っ込む。そしてそのままクールに去ることにした。理由はたんに、恥ずかしいからである。

 

「そっちへ行くと住宅街なんだが」

「っ……」

「……はは、いやあ、なんとも……」

 

 くすくすと男性が笑う。それに余計恥ずかしさが増して、意地を張りつつ反対側へ足を向けた。無言のまま、スタスタと通り過ぎていく。そのままお別れとなるだろう。親切にしてくれたのは助かるが、流石にこれ以上は責め苦というもので――

 

「待ちなさい」

「……なん、でしょうか」

「君を見ていると心配になる。できれば、道案内ぐらいさせてもらえないかな」

「…………、」

 

 じっ、と九留実は男性を見た。悪い感じではない。が、誠実さが滲み出ているかと言えば……ちょっと違うようなものだった。これでも一応歴とした女子高生である。知らないおじさんに誘われるというのは、十分警戒する理由になった。

 

「いやはや……これは、信じられてないな」

「…………、」

 

 男性が苦笑する。九留実はじっと目を逸らさずに睨みをきかせた。それにガリガリと頭をかいて、件の男がふらりと歩いていく。

 

「……たしか、この先は駅か。俺も駅にちょうど用事があるので、行かなくてはならん。が、まあ……そうだな。ひとりぐらい、誰かが知らずについてきたとしても、気が付かないかもなあ……」

「…………、」

「そういうことだから、じゃあ」

 

 また機会があれば、と男性は去っていく。後ろを一切振り向かず、歩幅は一切緩めず、本当に歩いていく。……そっと、もう一度だけ九留実は腕時計を確認した。コトは一刻を争う。知らないその人についていくのは真実気が引けたが……どうにもやり方が不器用にすぎた。本当に一切気付かないなにも知らないとふり向かないあたり、馬鹿真面目な部分が垣間見える。

 

「(……急ぎの用だし。仕方、ないのかしら……)」

 

 はあ、とため息をついて十メートルほどの間隔をあけながらひっそりと男性の後をついていく。格好はそれこそ普通の……といってもなにを普通としていいのかは些か疑問だが、特徴という特徴も見当たらない中年男性。わりと細身で、すらっとした印象が良い意味でらしさを感じさせない。どこか歩き方にも品がある。……言葉遣いだけが、不自然にフランクだった。

 

「(まるで、とってつけたみたい……)」

 

 が、最後のあたりはそうでもなかった。妙に堅苦しい口調は、そのほうが使い慣れているのか。それともふとした瞬間に漏れた本物か。どちらにせよ、自分を偽っている人間というのは信用できない。あれは道しるべ、たんなる道しるべ……と唱えながら、こそこそと背中を追っていく。わずか一分たらずで、目の前には駅が見えていた。

 

「(……馬鹿は死んでも、っていうけど……馬鹿だけじゃないのね……)」

 

 そういえば〝奇跡〟が起きたのも()()からだっけ、とかつての相手との出会いを思い出した。……最近は、そんなことが多い。どこか似ている少年を見てしまったが故だ。それで掘り起こされているのだろう。彼にとっても彼女にとってもいい迷惑、と自嘲気味に笑う。

 

「……む? おお、これは……いやあ、一安心だ」

「っ……!」

 

 なんて油断した瞬間に、離れた前方の男性がからからと笑いながらふり向いた。なんなのだろう。一体。意図が読めなくて不気味だ。じとーっとした視線をぶつければ、さらにくすくすと笑いはじめる。……まったくもって、分からない。

 

「……そこまで警戒しなくてもいいよ。俺は別に、悪いもんじゃない」

「…………、」

「はは……いや、これは嫌われたかな。正直申し訳ない。何分、こういうのは久方ぶりでな……ああ。己の看板に頼らないというのは、やりづらくて仕方ない」

「……?」

 

 やれやれと息をつく男性に、九留実が首をかしげた。なんだろう、と今更ながらの感想を覚える。違っている。なにもかもが合致する部分もないのに。ふとした所作だとか、こぼれたみたいな一言から、()()の香りがするのだろう――?

 

「自己紹介をさせてほしい。俺の名前は、十坂真斗というんだ。……いつも、息子がお世話になっています」

「え……あ……」

「……君は、灰寺さんだね?」

「…………は、い……」

「今日は無理を言って申し訳ない。ちょっとだけ、君と話したいことがあったんだ。……いやあ、慣れないことは、するもんじゃないな……」

 

 エマージェンシー。エマージェンシー。不審者だと思っていた男性が、まさかの約束相手だったようである。九留実は混乱したまま、こくこくとうなずいて玄斗の父親の顔をみた。……たしかに、似ている。

 

 

 ◇◆◇

 

 

『――こちらM。こちらM。Fがターゲットに接触。どうぞ』

「こちらK。確認できたよ……っていうか、これ、大丈夫なの……?」

『いいんだよ浮気現場を報告だよ! ついでに警察案件だよ!? これはうちらがお父さんを……いやFを粛正するしかないッ! いくよお兄! じゃなくてK!』

「……人間は賢い。でも人々は愚かで、パニックを起こす、危険な動物なんだ」

『は?』

「いや、Kって言ったから……」

 

 微妙に通じないネタだ。玄斗としても世代が違う。

 

『とにもかくにも追跡続行! 全速前進! 祭りだあぁぁあああ!!』

「真墨、うるさい」

『インカムってこういうノリのとき不便だよね。あとM』

「……了解。こちらK。作戦を続行します……」

『うーん楽しくなってきた!』

 

 正直、玄斗としても興味がないではなかった。   






M=真墨

F=ファーザー

K=ケビン・ブラウン


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Who is this ?

 

「……息子は、よくやっているかな」

 

 喫茶店に入って、父親はそう切り出した。静かな音楽の流れる小洒落た店内だ。すこし離れた席で聞き耳を立てていた真墨がミルクティーを噴き出していた。

 

「……ちょっと真墨」

「だ、だって……っ、こ、コレは、反則でしょ……っ……会話下手かって! お見合いか!」

 

 バンバンバン、と机を叩きながらゲラゲラと腹を抱えて笑う妹。そんな家族の冷たい反応に気付かない父親。それにどう対応していいのか分からない兄。奇妙な家族関係がここにあった。十坂玄斗の奇妙な冒険である。

 

「ええ……彼は、生徒会長としてよく……」

「そうか……」

「――――っ、――――!!」

「……すいません。ミルクティーもうひとつ」

「か、かしこまりました」

 

 爆笑する妹に店員が若干引きながらカウンターまで戻っていった。非常に申し訳ない。慌ただしいふたりをよそに、父親と九留実の会話は続いていく。

 

「……君から見て、どうだ?」

「……どう、とは……」

「いや……うちの息子は。よく、見えるだろうか」

「……悪い人では、ないと思います」

「そうか……」

 

 いや、安心した、と父親が笑う。とても下手な笑顔だ。すくなくとも、九留実からしてみればそう思う程度のモノ。その裏側に隠した気持ちがあるのが丸分かりだ。

 

「……息子さんが、気になられるんですか……?」

「いや……まあ、そうでもある。そうでも、あるんだが……」

「…………?」

「……今日は、個人的に君と話してみたかった」

「え……」

 

 九留実はちょっと鳥肌がたった。百十番するべきだろうか。真墨もちょっと鳥肌がたった。警察を呼ぶべきだろうか。玄斗はただひたすらに嘆いた。この父親、言葉足らず過ぎる。

 

「だから、本当にな。慣れないことなんて、するものではないな、と」

「……あの、えっと……」

「……すこしだけ、付き合ってもらいたいんだよ。なにをする、というわけでもなくて……ああ、いや。……いまぐらいは、しょうもないか」

「はあ……?」

 

 意味が分からない、という風に九留実が首をかしげる。真墨も小声の父親を怪訝に思っているようだった。ただ、玄斗だけが理解する。なるほど、そういうことなら、真相が見えてきた。父親は、灰寺九留実のなんたるかを知っている。……玄斗にはさっぱり、見当もつかないなにかを。

 

「……一日だけ、()と行動を共にしてほしい。君がよければ、の話なんだが……」

「ぇ…………」

「……駄目だろうか?」

「あ……い、いえ……もとから、その、つもりでしたので……」

「……そうか」

 

 胸をなで下ろすように、ほっと父親が息をついた。九留実はどこか、混乱するようにキョロキョロと視線を泳がせている。いまさっきの言葉のなにかに、そこまでの衝撃があったとは思えない。やっぱりさっぱり、玄斗には分からなかった。

 

「……ああ、それとひとつ」

「は、はい……」

「――無理はしなくて構わない。そういう話し方は、どうにもな」

「…………どうして」

「どう、と言ってもだ。……私は、私の感性と、経験に従っただけだからな」

 

 無理をしている。灰寺九留実の言葉遣いにそう感じたことはない。すくなくとも玄斗は一度だってなかった。だから、父親の台詞には素直に驚いていた。出会って一時間も経っていない。交わした会話の数はそれこそ少なすぎるほど。なのに、その無いにも等しい違和感に気付いたのだろうか。

 

「……じゃあ、お言葉に甘えて……」

「ああ。……それが良い。でなくては、というものか」

「えっと……?」

「いいや、なんというか、な。……なんでもないな。別に、わざわざ口に出すまでもなかった」

「そうですか……」

 

 なんなのだろう、と九留実は眼前の男を見つめる。フランクな口調が消えて、見えてくる形がしっかりとした。ブレている部分がひとつもない。鮮明になった完成形。それがどこか、過去と重なる部分があった。……なんの過去かは、いまいち分からないが。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 はじめ、ふたりはショッピングモールまで足を運んだ。適当に物色しながら、これがどうであれがこうでと至って普通の会話を繋いでいく。初対面特有のギクシャクとした空気は、開始数分でおかしなぐらい消えた。口を開いてみれば、慣れたように言葉が出てくる。

 

「これなんかどうだ?」

「あ、それはちょっと、使い勝手が悪いかと……」

「む、そうか。……こういうのは君のほうが上手だな」

「いや、そこまでは……」

 

 不思議と、油をさしたように口が回った。たかだか後輩の父親。なにを勘違いされているのかは知らないが、こうして会って一緒に休日を過ごしている。冷静になってみると、どうしてかまったくワケが分からなかった。

 

「次の行き先はもう決めてあるんですか?」

「次は水族館だ。この時間なら、あまり混んでもいない」

「……下調べ、してきたんですね?」

「……当然だろう。そのぐらい」

 

 どこか、灰色の音に重なるやりとりだった。遠い昔に聞いたような覚えがある。たしか彼が初デートのときに顔を赤くしながら言ったのだったか。ちらりと確認すれば、玄斗の父親も仄かに頬を染めていた。なんとなく、気分が引き戻される感覚。

 

「……綺麗ですね」

「ああ……、……。ああ、そうだな。これは、使えるかもしれん」

「……使えるって、何に、ですか?」

「いや、次の……」

 

『使えるって、なにがですか?』

『いや、次の新作に……』

 

 瞠目して、どうしようもなくて、笑った。まだまだ些細なコトで引き摺っている事実を叩き付けられる。馬鹿げた思考回路だった。無関係なものを、無理やり繋げようとしている。

 

「『……もう、こんなときまでお仕事の話ですか?』」

「――――――、」

 

 彼は、ゆったりと目を見開いた。どこか、驚くみたいに。その理由が九留実にはイマイチ読み取れない。そこまで衝撃的だったかと言えば、なんてこともない、意味不明な一言だろうに。

 

「『……ああ、すまない。悪いクセだ』」

「『本当、そうですね』」

 

 本当、一体、なにを言っているのだろう。(九留実)はなにも、そんな台詞を吐くような脈絡なんてなかったのに。

 

「……あっ、えっと、あの……い、いま、のは……」

「君と私は初対面の筈なのにな。よく分かっている。……水族館を抜ければ次だ。どこへ行くか、分かるか?」

「……ま、まったく……」

「ゲームショップだ。そこで、まあ、適当に漁ってみるのもありだ」

「な――――」

 

 なんて浪漫のない……とは、思っても言えない内容だったけれど。でも、思い返せば。

 

『次は、どこがいい?』

『げ、ゲームショップ! 行きたい、です!』

『……いや、それは……良いのか……? 君は……』

『だ、だだ、だって、あのあの、明透、社長との、ははは、初、デート、ですし……っ!』

 

 〝……ああ、そうだ。あのときは私もそんなこと言ったんだっけ〟

 

 遅れて行った待ち合わせに笑顔で返されて、近くの複合商業施設で軽い買い物なんてして、そこから気分が向かうままに歩いて、ちょうど立ち寄った水族館なんかに入って他愛もない会話をして、空気の読めない自分がぐいぐいと彼を――

 

「(……あ、れ?)」

 

 ふと、それで首をかしげた。わざわざ日時指定までされて行われた待ち合わせ。はじまって早々のショッピングモールでの物色。バスやタクシーを使わずに徒歩で向かった水族館。それでこの後に行くのは、ゲームショップだ。

 

「(……なん、で……)」

 

 偶然、なのだろうか。前を歩く男性の背中を見る。十坂玄斗の父親。そう名乗る彼の姿を捉える。どうして、その順番なのだろう。どうして、私なんて言っているのだろう。どうして、妙に似合った歩き方をするのだろう。どうして――不安げに、時折こちらを振り返ったりするのだろう。

 

「……? なにか、あったか?」

「い、いえ……あ、あの……」

「?」

 

 角度、雰囲気、問い方、視線、仕草、動作。どれひとつ取っても、どれひとつ選んでも、遠い遠い記憶が震えていく。こんなのはおかしい。偶然にしてもできすぎなぐらい悪趣味だ。こんなものは、絶対におかしい。

 

「あ、……あな、たは……誰、なんです……か……?」

「む? 私は、十坂真斗なのだが……」

「そ、そう……じゃ、なくて……っ」

「……そうではなくて、なんと言うのだろうな」

 

 ほう、と彼はひと息ついて笑った。

 

「……つまらない疑問など、後でも良いだろう。一先ずは、行かないか」

「つ、つまらなく、は……!」

「いいや、つまらんだろう。……悪いが、しばし、不器用で、天然で、あまつさえ心配ばかりされていた男に付き合ってもらうからな」

「――――――、」

「……まったく、台無しだ。途中でギミックを解消するのは、君の悪いクセだな……」

 

 男はそっと、そう呟いた。妙に聞き覚えのあるトーンで。妙に聞き覚えのある台詞を。いつだったか、隠しキャラをルート一発目でぶち抜いてしまった彼女に、どこかの誰かがそう言ったのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「――真墨」

『どしたのK。あとM』

「僕、分かったかもしれない」

『……なにが?』

 

 ごくり、と唾を飲み込む。それはどちらの音だったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――もしかしたら父さんは、ペドフィリアなのかもしれない……!」

『ワンチャンあるわ』

 

 父親の風評被害が甚大なんてモノではなかった。






最近「玄斗死ねぇ!」っていう感情が薄れてきててやばいやばい……転生オリ主は絶対殺さなきゃ……(使命感) あ、お父上は転生しただけなのでセーフで。


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灰色の慟哭

 

「……ないなあ」

 

 やはりか、と父親が苦笑する。街中のそこそこ大きいゲームショップ。そこにずらりと並んだタイトルを眺めて、どうにもいった様子に呟いていた。

 

「……なにが、ないんですか?」

「いや、まあ、当然なんだがな……灰寺さんは、絵を描くのだろうか」

「……いえ、いまは」

「ということは、昔は描いていたのだろう」

 

 言い方で分かる、と彼は九留実のほうを向いた。図星だ。描いていた。その言葉に否を唱えるつもりはない。でも、関係のない話題だとも思う。なにせ、すでにその絵をたしなんでいた人物は生きていない。

 

「……女の子の指だな」

「は……?」

「うわマジでキモい一言を吐きやがった!? あんなのお兄でもそうそう言わないのに!」

「僕でもそれは引く」

「おまえが人のコト言えるかよう!?」

「ごめんなさい」

 

 遠くでなにやら聞こえた。なんだろう。九留実は首をかしげながらも、いまの言葉をゆっくりと脳内で反芻する。先ほどから、目の前の男性の得体が知れない。正体が掴めない。本当になんなのだろう。悪戯なら、今すぐにでもやめてほしいぐらいだ。

 

「君の指だ。灰寺さん。綺麗な指をしている。おそらく、筆を握ったのはすこしか」

「……それが、なにか……?」

「なんでもないが。……ああ、ひとつ言うなら、勿体無いと。道を閉ざされた才能が残念でな」

「――っ」

 

 ぎり、と奥歯を噛んだ。なにがどう、よりも純粋な感情がわき上がってくる。まだ誰かも確信できていない今。爆発するならそこでしかない。一体全体、目の前の男になにが分かるのかと。彼女は一言反論しようと口を開きかけて――

 

「……ペンだこだらけの指は、嫌いではなかったのだがな……」

「――――、」

 

 また、固まった。……これだ。これだけが、不可思議で、不気味で、許しがたくて、分からない。

 

「……っ、あなた、に……!」

「すまない。が、勿体ないだろう。誰も並ぶものなんていなかったんだ。それを私はよく知っているとも」

 

 と、彼はひとつだけソフトを取り出した。パッケージには金髪の少年と黒髪の教師らしき人物がなにやら密着して描かれている。きらん、と九留実の目が光った。くすり、と父親が笑う。

 

「これだって、比べれば足下にも及ばない」

「……なにと、比較を?」

「さあ、なんだろうな。だが、それは本心からか? 君の」

「……言っている意味が、分かりません」

「……そうか」

 

 はあ、と父親がため息をつく。そのままソフトを棚に戻して、店を後にした。次の目的地はすでに決まっている。九留実の頭の中にも、自然とそれだけは思い浮かんだ。でも、だからこそ、それ以上はいけないものだ。なにせ、そんな、馬鹿な現実は。

 

「……相も変わらず会話が下手だ。私は」

「――――――っ」

 

 あるわけが、ないのに。

 

「……っ、あ、の」

「……なんだ?」

「……もう、やめませんか」

「なにをだ」

「こ、こんな……っ、ど、どこの、誰に聞いたかも、分からない、ような……っ」

「……なに?」

 

 会話は形になっていない。なにを言っているのかも分からない。だから、それは独り言のようなもの。話しかけている相手に伝わらなければ、すべてが彼女の独り言だ。そう信じて、続けた。決して相手からの返答なんて、望んでもないまま。

 

「誰、だか……知り、ませんけど……こ、こんなコト、したって……無意味、ですから」

「……なにが、無意味なんだ?」

「あなたが、そうやって見ようとしている人は……っ、もう、いないんですよ……!?」

「……ああ、そうだな」

 

 ――意外と。呆気なく、否定するでもなく。男はそれを認めた。なぜだろう。頭にくるぐらいズレた反応なのに、それが様になっていて言葉が繋がらない。所詮はただのニセモノなんて、思い込めるぐらい脆ければ良かったのだろうか。

 

「わかって、いるのなら……やめてください。馬鹿、なんですか……? もういいじゃないですか。放って、おいても」

「ここまでやっていいもなにもあるものか。……だいたい、馬鹿は君だ」

「なっ……」

「無意味だと君が言うのか。おかしいな。意味なんて、有るに決まっているだろう。そうでなくては、なにが願いか」

「――――――」

 

 世界とは残酷だ。現実なんて非情だ。神様は意地悪だ。どこまでもこの世は不条理に満ちている。望んでもいなかった二度目の生で、望んでやまなかったものが、望むべきでもないタイミングで転がってきている。そんな幻覚を見せられたような気がした。容姿も、体格も、声音も、ぜんぶ違う。なのに、その言葉遣いが。口調が。音のトーンが。耳について、離れない。

 

「それに、勘違いだ。誰から聞いただと? いい加減にしてほしいな。ならば、こちらにも秘策がある」

「っ」

「たしかあれは……満月の夜だったな。ちょうど、春先になった温かい頃だ」

「…………え?」

「こほん。……『わ、わたしの処女と、締め切りと! ど、どっちを破るんですかっ!?』……だったか」

 

 ぽかん、と口をあけて九留実が固まった。一秒たって、目をぱちくりとしばたたかせた。二秒たって、ぷるぷると小刻みに震えだした。三秒たって、ついぞ顔が林檎のように赤くなった。

 

「なっ、えっ、ちょっ――……!!??」

「いや、あの誘い方はずいぶんと驚いた。なにせもう一週間をきっていたからな。本気でこの女はイカれたかと思ったものだ」

「い、イカれてませんっ!」

「しかしな。うむ。結局どちらも守り切れなかったのはどうなんだ?」

「そっ、それはお墓まで持っていく約束だったじゃないですか――!!」

 

 ……と。ぜえはあ肩で息をしながら言い切った九留実は、ふと男が笑っているのに気付いた。……人の気持ちも、知らないで。

 

「……持っていった。だから時効だろう。君の思う誰かも、そういうことになる」

「あ…………」

「……そういう顔は、しないでもらいたい。詮無きことだ。なにせ、最期の最期まで君以外の人間を側に置こうとしなかった。……青かった私の、最初で最後の意地だな」

「…………っ」

 

 男が笑う。どこかぎこちない笑顔を浮かべて、いままで見せたどの笑顔よりも下手に笑う。まったくもってそれは()()()()()()表情だ。点数をつけるなら赤点は必至。よもや一点あるかどうかという不細工なモノ。だというのに、九留実の目にはそんな光景が百点満点の笑顔に見える。

 

「……ぁ、……ぇ……」

「…………、」

「っ……ぶ、不器用……です、ね……っ」

「……そうだな」

 

 声が震えていた。認めたくない。のに、認めるしかない。だって、そうだ。認めてしまえば、いままで作り上げてきた仮初めの自分が崩れてしまうようで。ただ生きてきただけの自分にとって、今世での逢瀬はあまりにも衝撃が大きすぎた。なのに、震える声が、とまらない。

 

「わ、たしの……っ、代わり、なんて。いくらでも……いた、のに……っ」

「居るものか。私にとっての君とは、そういうものだ。――ああ、本当に、たった()つの()しいものだった。代わりなんて、ひとつもありはしない」

「――――っ!!」

 

 それは、いつの日か。式場の控え室で彼が恥ずかしがりながら言った、気障ったらしい台詞のひとつ。

 

「もう、なんなん、ですかあ……!」

「……なに、と言われてもな。私は、私だが」

「どうして、そっちまで、来ちゃうんですかあ……! もう、だって、ああ、うぇ……あああああああ無理ぃぃぃいいいいい」

「あ、いや、待ってくれ。ちょっと……いや、ここで泣かれるのはまずいぞ……!?」

「ふええええええええ! うふぇえぇえええ! ゆっ、ゆうっ、んぅっ……ゆうやざあああああああああああん!!!!」

「お、落ち着け!? いや、気持ちは大変嬉しいが落ち着いてくれ!? 君はもうちょっと感情の振れ幅を抑制しろと前も――」

 

 街中の片隅にて、少女の慟哭が響きわたる。近くを通っていた人が思わず振り返るほどの声だった。――刹那、一陣の風が抜ける。()()()()は、とても軽くなった自身の妻を抱えながら人ごみを全力で駆け抜けた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

『……お兄』

「ああ、分かってる」

『あたしは九時から回り込む。お兄は三時から挟み撃ちを狙って』

「平気か? ……なんて、聞くもんじゃなかったね」

『当たり前だよ、あたしを誰だと思ってんの? ……いやさ、参るね。まさか、こんな結果になるだなんて』

「ああ、残念だ」

『本当に残念だよ』

『でも、しょうがないんだよね……』

「うん、しょうがない。だから……」

『そう、だから――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『――あの父親は、ここで始末する』」

 

 家族の癌だ。ふたりはそう確信していた。 






以下没になった会話。







『ダーリン、準備はいい?』
「できてるよハニー。だから仕事はさっさと終わらせてティータイムにでもしよう」
『ティータイムでいいの? お茶の他に飲みたいものがあるんじゃないのかね、ミスターブラァック……』
「白玖の味噌汁」
くたばれこのクソ野郎(ファッキンブラザー)
「口が悪いよお姫さま。……さあ、行こうか。ここは僕らで片付けなくちゃいけない」
『分かってるよお兄様。あれを放っておくわけには、いかないもんね……』
「そうだ。いま、ここで」
『あたしたちの手で』




「『――あのくそ親父を始末する』」


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一人だけの美しさ

 

「ひぐっ……ふぇ、う、ふぅっ……」

「……いい加減、泣き止んでもらえると嬉しいのだが」

「だ、だっでぇ……!」

「…………、」

 

 まったく、と有耶は嘆息した。街中から離れた公園のベンチ。完全に別物だと会った当初は騙されそうになったが、なんてことはない。一枚皮を剥がせば中身は同じ。彼女の姿が鮮明に見慣れたそれと重なる。これでは、怒るに怒れなかった。

 

「……まあ、そんな資格もないのだがな……」

「ふぇ……?」

「いや、こちらの話だ。……おかえり、一美」

「た、ただいま、でずぅっ!!」

「はは。何語だそれは……」

「うぇっ」

「嗚咽で返事をするな。……変わらんな」

 

 言うと、彼女はぐしぐしと顔を拭いながらぶんぶんと犬のように首をふる。……色々と女子力的に大事なものが欠如しているのは、そのままそっくりなので仕方ない。三度の飯より……むしろ三度の飯をボーイミーツボーイでいけると豪語した女性だった。正直、九留実を見た時にそんな振る舞いができたのかと驚いたほどである。

 

「ゆ、有耶ざんも、おがわりなぐっ!」

「……、なにか、飲むか?」

紅茶(ごうぢゃ)でっ……!」

「ああ、分かった。すこし待っていろ」

 

 立ち上がった有耶が、自販機まで足を運ぶ。一美の分の紅茶を購入して、さて自分は何にしようかと悩んだとき。

 

「(……うん?)」

 

 ふと、離れた遊具の物陰に、見慣れたモノを見つけた。

 

「(……仲が良いな。あれで、隠れているつもりなのか)」

 

 くすりと笑って、結局微糖の缶コーヒーを選ぶ。明透有耶であるのならコレ一本だ。視界の端に映った黒髪を見ないフリをしながら踵を返す。そこで言うのは野暮であるし、なにより彼にも考えがあった。ふたつの飲み物を手に、一美のもとまで戻る。

 

「落ち着いたか」

「は、はいっ……その……」

「ならば良い。君の分だ。代金はいらん」

「あ、ありがとう、ございましゅっ……、す」

「――ふっ」

「ひ、人のミスを笑うのはどうかと思いますっ!?」

「いや、すまない」

 

 くすくすと笑いながら、有耶がぽんと一美の頭に手を置いた。それだけでぴたりと彼女の体が固まる。顔が真っ赤に染まっていく。ぷるぷると震えだして、およそ噴火三秒前。そっと手を離して、彼は遠くの空を見た。

 

「――すまなかった」

「……え? あ、いえ……その、そこまで、怒っては……」

「違うのだ。……本当に、すまなかった。私は、君の願いを果たせなかった」

「――――――」

 

 ……鈍い彼のコトだ。きっと気付くまでには時間がかかったか、誰かに教えてもらうしかない。それでも果たせなかったのなら、たぶん後者だと彼女は思った。繋いだ命の重さに込めた、ほんのすこしのたしかな望み。それが実を結ぶことは、

 

「馬鹿なことをした。君の願いを。その子の命を、無為にした。無為なままにしてしまった。……私が殺したようなものだな、アレは」

「有耶さん……」

「……君には私を殴る権利がある。零では無いと、最期まで気付くことができなかった。我が子の名前にそんなものが込められていたことなど、知る由もなかったのだ」

「…………、」

「私は父親失格だ。それでもなお、こうして生きて、君とまた会った。ならばなによりも先ず、謝ろうと決めていたのだ。……だから、殴れ。私の、失態だ」

 

 目の前の人物は、顔も体つきもなにもかもが違う。似ていると感じる部分は容姿という点でほとんど無い。けれど、それがそうだと知ったいま、なんとはなしに重なる部分があった。……本当に、変わりない。不器用な彼が子育てすらロクにできない姿は、まあ、想像に難くなかった。

 

「……殴れません。だって、じゃあ、私も同罪です」

「なに……?」

「私も……有耶さんにぜんぶ任せちゃいましたから。あとのこと」

「…………しかし、それは」

「ううん。……同罪です。分かってたんです。本当は……だって、あなたの妻でしたから。きっとこの人はやらかすだろうなあって、どこかで……だから、願ったんですけどね」

 

 それでもどうしようもなかったのなら、仕方ない。自分だって同じだ。彼ひとり残したまま逝って、大きなものを押し付けてしまった。本当はそんな重りや枷になんてなりたくなかったのに。まったくもって、死期を悟った人間というのは厄介だ。あの頃の、なんとか彼のなかに自分が生きた証を刻み付けようと考え込んでいた己を一美は思い返した。

 

「……零無。うん。たしかに私、そう込めてましたね。ちゃんと、つけてくれたんですね」

「当たり前だ。……おまえの言葉を蔑ろにするものか」

「……じゃあ、私から言っておけばよかったです」

 

 意味、と一美は軽く続ける。それに彼は、そうだな、とだけ答えた。だからなにが変わったというワケでもないだろうが、すくなくとも見るコトもできない可能性を考えるぐらいは良いだろう。……なぐさめにもならない、遠いモノだとしても。

 

「二羽から聞きましたね?」

「……すごいな、なぜ分かる?」

「あの子にだけ教えておきましたから。ほら、なにかと自分が()()()()には容赦がないでしょう? 彼女。だからまあ、そういう意味を込めてもいいんじゃないかって」

「……そうだな。彼女は大概、ぬるい気持ちではいさせてくれなかったな」

 

 治塗瀬二羽は一美の唯一無二の大親友にして最高のパートナーである。そんな彼女にのみ秘密を教えていたというのは、有耶からしても妥当なものだった。……もっとも理由が、どぎついモノを書き上げてくる彼女に対してのコトもあってとは思わなかったが。

 

「……零無は、どうでしたか」

「どう、というのは?」

「あの子は……どう思って、生きたのかなって……」

「それは、分からん」

「……ですよね」

 

 が、とそこで有耶は区切って。

 

「分からないのだから、確かめなくてはな」

「はい……?」

「……すこし耳を貸してくれ。いいか、一美。そこの物陰にな、黒い髪の男の子がいるだろう――?」

 

 

 ◇◆◇

 

 

「――あなた達、なにしてるのよ……」

「あ、先輩」

「ウワサのブルーブルーパイセンっすか」

 

 ちっすちーす、とあからさまになめ腐った挨拶をくり出す真墨をスルーして、蒼唯がはあと息をついた。手には重めの紙袋。どうやら書店へ行って来た帰り道らしい。

 

「公園で不審な影が見えたかと思えば……まさか知っている相手だなんて」

「すいません……」

「あたしは知んないすけどね。……お兄につきまとって勝手に自爆して勝手に奮起して勝手にあたしのお兄を直す切欠なんてつくってくれやがった蒼色パイセンとか

「真墨」

「やだぁ~☆お兄こっわ~い」

 

 言いながら、真墨がぴゅーっと逃げていく。むっとした玄斗の顔が、次の瞬間には呆れた様子に変わる。ドスのきいた声を浴びせても一ミリも効いていないであろう妹は、こと本気の度合いを受け取るのが上手い。おそらくは冗談交じりの反応を感じ取っていたのだろう。やれやれと息をつくと、眼前の蒼唯が珍しいものを見るような目で見ていた。

 

「……? あの、なにか」

「いえ……あなた、そういう人だったのね」

「……そういう、とは……?」

「冗談とか、言える人。……そう、そういう……ああ、なんか、馬鹿みたいね」

「??」

 

 くすり、と蒼唯が笑った。――笑った。ぜったいに笑った。いま笑った。玄斗はぽかんと口をあけたまま、「え? え?」と二度見三度見する。

 

「……なによ。人の笑顔がそこまでおかしい?」

「い、いえ……先輩、笑うんですか……?」

「……人をターミネーターかなにかと勘違いしているんじゃないかしら。ぶん殴るわよ」

「ごめんなさい」

「まったく……あなたみたいな人が、わざわざ赤音にちょっかいかける勘違いしてるような奴じゃないってことよ。すくなくとも、そういう人種とは違うみたいだから」

「……そういう人だと思われてたんですか……?」

「だって校内のあなた、とても雰囲気がそういうアレだし」

 

 アレなのだろうか。だとしたらなんとも、こう、やはり俺の部分が引き摺っているのではと思わざるを得ない。すくなくとも十坂玄斗は在学中、一度も女子にキャーキャー言われた事実はなかったのだが。

 

「すこしだけ、安心したわ。思ったよりちゃんとしてるみたいね、生徒会長さん?」

「そうでもないですよ。まだまだです」

「ところで、先ほどの彼女の言葉なのだけれど、付きまとうとか自爆とか、なに? 私はむしろあなたにつきまとわれる側だと思うのだけれど」

「えっと、それは……まあ……」

「まあ、なに?」

「あはは」

「笑って誤魔化すんじゃ無いわよ……」

 

 分かりやすい、と蒼唯が鼻を鳴らして腕を組む。こういうときの彼女はちょっとだけ気に喰わないときだ。イライラしはじめると指をトントンと叩きはじめる。そして貧乏揺すりとつま先のカツカツステップが響き始めたらもう誰にも止められない。

 

「……というか、冷えるでしょうここ」

「コーヒーでなんとか」

「……そう」

「……飲みますか?」

「なんでよ」

「いえ、先輩、本を買ったあとは財布の中身がその、冬なので」

「……あなたのそういう裏事情みたいなのは本当にどこから入手しているのかしら……!」

 

 無論入手しているのではなく知っているだけである。若干怒ったような口調で言いながら、蒼唯はじっと睨みつけたあとに玄斗のコーヒーを一口だけ含んだ。「あ、」という玄斗の声は冗談で言ったのに、という内心から来るものである。

 

「……苦い」

「微糖です。……というか、あの、これ、飲みかけ……」

「余計安心したわ。それを気にするぐらいは純真で」

「先輩は気にしないんですか……」

「寒いのよ」

 

 察しなさい、と少女は頬を赤らめながら睨みつける。……無理して虚勢を張らなくてもなにもしないのに、とは玄斗の内心だった。

 

「……そういえば、今日はおふたりで一緒じゃないんですね」

「……断られたの。用事があるとかって。だから、もしかして、最近ウワサのどこぞの誰かが、変なコトをしているかもと思っていたのに。……あなた、ここでなにをしているのよ」

「父親がアウトな年齢に浮気しているので出歯亀を」

「とんだ精神力ね……」

「それであまりにもアレなのでいまからシバきに行こうかと」

「あなたの行動力が意外すぎて怖いわ」

 

 なんなの、と蒼唯が一歩後じさった。玄斗としては事実を並べただけである。余計酷かった。

 

「だって、女子高生と中年親父って、駄目じゃないですか?」

「……駄目ね」

「しかもけっこう親父のほうが押してて、あまつさえ女の子が泣いちゃったらアウトじゃないですか?」

「……アウトね」

「じゃあやっぱり悪いのは父さんです」

「もう遠慮無くやりなさい」

 

 父親の風評被害がどんどん広がっていく。玄斗も真墨もその真相は知らない。蒼唯は完全に勘違いしていた。だがもしこれが二之宮赤音だったならばどうなっていただろう。……比べてもまだマシである相手なのは、間違いなかった。

 

「それじゃあ私は家に帰って本でも読むわ。また学校で、生徒会長」

「はい。また放課後お邪魔します」

「そっちは来なくていい……!」

「あはは」

「愛想笑いが下手! その顔なんだか腹が立つのだけれど!?」

「すいません」

 

 ひらひらと手を振って、去っていく蒼唯の背中を眺める。なにが琴線に触れたのかは不明だが、どうにも彼女の警戒は解けたらしい。いや本当、なにがどうしてかは分からないが。

 

「(前は三ヶ月ぐらいかかったっけ……)」

 

 仲良くなってからは早かったが、それまではとても長い道のりであったと玄斗は思い返す。正直十坂玄斗としてのこじれた使命感さえなければ途中で諦めてもいいレベルのものだった。よくやったなあ、なんて我ながらしみじみ思う。

 

「……生徒、会長」

「!」

 

 そうやって感傷に浸っていたところへ、声が響いた。ふり向けばそこには今日一日父親と共に追ってきた灰寺九留実の姿。すわ尾行がバレたのか、と考えて玄斗はハッとした。さりげなく姿を消した妹の真意を。

 

「(き、気付いてたのか真墨……っ!)」

 

 恐ろしい子……! なんて戦慄している場合ではない。びっくりして固まったままでいる玄斗に、そっと九留実が近付く。一歩、前へ。

 

「……ああ。そういう、ことだったんだ……」

「は、はい……?」

「だから……ううん。でも、そうなんだね。……あなたは」

「…………??」

 

 なにを言っているのだろう。つい先ほどまで父親と何事か話していて、その直前まで泣いていた少女の言葉に困惑する。会話の流れが読めない。真実、玄斗はふたりの会話なんて聞いていないのだから当然だ。一体全体どういうことだ、と一歩足を引こうとして。

 

「――――ぇ」

「…………、」

 

 ぎゅっと、優しく抱き締められた。

 

「あ、ちょっ……ぁ、の……」

「……………………、」

「は、灰寺、さんっ? こ、これ、は……」

「……零無(レイナ)

 

 思考が、停止した。もがいていた手足から急激に力が抜けていく。その名前で呼ぶのは父親を入れてたったの三人。彼の正体を知っている人間だけのはずだ。教えてもらったのだろうか。にしては、父親がわざわざ彼女に教える意味が分からない。なにが、どうして、どういう、と言葉が絡まり合っていく。

 

「……納得、しちゃったなあ。どうりでね、似てるはずだって。……本当、あの人そっくり」

「え、っと……」

「そっかあ……こんな、立派に……ね……?」

「……っ?」

「――大きくなったね、零無」

 

 にこり、と灰寺九留実が微笑んだ。とても似合わない表情で。とても似合っている顔で。

 

「え――――……」

「本当、そっくりだね。なんだか、色々と経験しちゃったみたいだけど、見た目じゃなくて中身がそう。……ふふ、ああ、幸せだなあ」

「はい、でら……さん……?」

「ううん。……いまはね、違うの」

 

 ふわりと抱き締める腕の力を緩めて、暖かな笑顔のまま九留実が玄斗を見る。理解していない彼と、理解してしまった彼女。なにせ、少年にとっては生まれてこの方一度も感じたことのないものだ。ましてや、今更味わうとも思えまい。アトウレイナだった頃の、懐かしい温もりなど。

 

「ありがとう、零無。私の、大事な、大事な、男の子」

「あ、その、や……」

「はじめまして、じゃないけどね。でも、とっても久しぶり。……あなたのお母さんだよ、零無」

「――――――」

 

 愕然とした。

 

「……ぁ、え……、……?」

「……信じられないかな。でも、私も。……良い子に、育ってくれたね。ちゃんとした子に、なってくれたんだね。いっぱい、有って、なにも無くなんかないんだね……それだけで、私は嬉しいんだよ」

「ぇ、と……あ、……っ、ぅ……?」

「――大丈夫。零無。ありがとう。生まれてくれて、ありがとう。生きててくれて、ありがとう。零無であってくれて、ありがとう」

「――――、」

 

 まったく、意味が、分からない。

 

「……お、かあ……さん……?」

「……うん。えへへ……お母さんって、呼ばれちゃった……」

「ぁ……そ、その、……僕、は……っ」

「……うん」

「…………ご、めん。なんて言ったらいいか、わかん、ない……」

「ううん。いいよ。いいの。それで。……お父さんが、ごめんね。色々と苦労させちゃったよね。でも、あの人、不器用なだけなんだよ。ちゃんと、優しいところもあるから」

「……うん。分かってる」

 

 答えながら、すっと体の力が抜けていく。分かっている。それはもう十分把握している。ただ、目の前の現実がどうにも受け止めるには用意ができていなさすぎて。まさか、同じ生徒会に属する人が、そんな相手とか夢にも思わないトンデモで。

 

「あなたは、零じゃ無いから。ちゃんとなにか有るんだよ」

「そう、だね……やっぱりお父さんは、間違ってたんだね」

「あらら……なんて、間違ってたの?」

「……零で、無いって。なにもあるはずがないんだから、なにも要らないだろうって。そう、言われたからね……」

「へえ……」

「(……ん?)」

 

 なんだろう。ちょっと、周辺の温度が下がった気がする。

 

「……他には?」

「え、……ほ、他?」

「他、お父さんになにかされなかった?」

「なにかって……いや、むしろ、なにもされなかったというか……外にも出してもらえなかったというか……家に帰って来ない日は食事もどうにかできないときもあったというか……」

「――――――」

 

 ぴしり、と九留実の表情が固まった。内心では極めて冷静になるほどと頷いている。あの男が自分に謝ったのは、それが原因かと。それであんなコトを言ったのかと。

 

「あ、いや! その、今はぜんぜん、良いんだけどね! ただ、あのときのお父さんは、ちょっとトラウマで……」

「トラウマ?」

「あ、ちょっと、うん。倒れて病院に運ばれても、手間をかけさせるなって、言われちゃって。迷惑かけちゃいけないなって、大人しくしてたんだけど、でもやっぱり病気が悪くなっちゃって……おまえなんて生まれてこなかったら、とか、言われたけど! でも! うん! 僕は大丈夫だから!」

「ちょっと待ってて」

 

 笑顔のまま九留実は玄斗を離して、ニコリとよりいっそう微笑んだ。彼も返すように笑顔をつくる。――直後、少女は凄まじいスピードで遠く離れたベンチまで駆け抜けた。

 

 〝……む? どうした一美。もう零無との話は終わっ……え、いやちょっ、待て待て待て!? なんだいきなり!? 腕を!? 振りかぶって!? どういうつもりだ!? ……なに? 私が零無を虐待した? いやそんなつもりは……。いや、うむ。たしかに甘んじて君に殴られるとは言ったが! 言ったがこれはちょっと唐突すぎないか!? ああ待てちょっとすこしは時間を――〟

 

 どがっしゃーん! と公園の片隅から壮絶な音が鳴り渡る。多分因果応報だ。玄斗はもしかしなくても余計なコトを言ってしまったのかもしれない、と両手を合わせて天に拝んだ。十坂真斗、並びに明透有耶。ここに眠る――

 

 〝死んでいないが!?〟

 

 続いて響いた音を、玄斗は聞かないことにしておいた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「――――レイナ」

 

 遠く、後ろから微かに聞こえてきた言葉に、心がざわついた。

 

「(…………なに……?)」

 

 ズキン、と不自然な頭痛が走る。名前、なのだろうか。どこかで聞き覚えのある――否、そんな名前は一度も――一度は――彼を――誰を――表すための、記号。

 

「(……っ、頭、が……っ)」

 

 ふらついて、近くの木にもたれかかる。なんなのだろう。こんなときに立ちくらみを起こすなんて……と悠長に思っている場合でもない。そも、これが立ちくらみかどうかなんてどうでもいい。ざわめく感覚は胸からわき上がって、喉を通って頭まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……とりあえず、座ったらどうかしら。十坂くん』

 

 

『だから、何に謝ってるか分からない』

 

 

『……訊き返さないわけ? それとも、私のことには興味ない?』

 

 

『冗談に決まってるでしょう。まったく会話が下手。相変わらず』

 

 

『うるさい。あなた反論できる立場だと思ってるの? ()()()()()しておいて』

 

 

『……まったく、本当変わらないんだから』

 

 

『ええ、そうよね。酷い男よね。謝罪のひとつも言わないなんて』

 

 

『平気よ。二度も言わせないで』

 

 

『うるさい。喋るな。だから嫌いなのよあなたは』

 

 

『――玄斗くんっ。はい、口開けて? これすっごい美味しいからっ!』

 

 

『そうね。ついでに私とデートしてました、なんて言っておかないとね』

 

 

『……いいじゃない別にほっぺぐらい』

 

 

『あなたは誰? いったい、どこのなんていう人?』

 

 

『……本当。馬鹿ね、あなた。会話が下手なのよ。分からない?』

 

 

『あなたの歪さも、おかしさも。すべて気付かないと、本気で思っていたの?』

 

 

『……うん。言わない。だから、教えて。私にだけ』

 

 

 

 

 

 

 ――〝明透零無〟。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(ぁ――――)」

 

 ドサリ、と持っていた紙袋が落ちる。寄り掛かった木にそのまま体重をあずけて、ずるずると座り込む。不意に、風が落ち葉を舞いあげた。……ふり向いたその隙間に、()が見えている。

 

「……ふ、ふふ」

 

 笑う。視線を戻す。何事かを考えている少年から目を背けて、ちいさく笑う。

 

「あはは……な、なによ、それっ……ふ、ふふふ……っ――ああ、もう、本当に」

 

 なんてことかと、蒼唯はゆっくり立ち上がった。

 

「――そういうことなのね? レイ

 

 風に遮られた名前。そう呼ぶのは、きっと―― 












>親父
彼は悪くないよ! 主人公が生まれてきたのがいけないんだよ!

>お母様
ところでそこの旦那さんがっつり結婚してるんすよ

>息子
さあ次は君の番だね?


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第十三章 透き通っても真っ白な
そして鐘が鳴る


 

「……今日は、ありがとう、ございました……」

「……泣くな。別れづらく、なるだろう」

「だっでぇ……」

 

 ポロポロと涙を流す九留実(ひとみ)に前に、はあとひとつ息をつく。ままならない。そんな言葉が漏れてしまいそうなぐらい、懐かしい時間だった。かつて心底愛してやまなかった人への気持ちは、今とてひとつも風化していない。

 

「……だが、別れだよ。一美。……私はもう、君の隣には立てん」

「……はい」

「……なんだ、分かっていたのか」

「だって、あの子が……そう、なんでしょう……?」

 

 ちら、と九留実(ひとみ)が彼方を見た。すこし離れた街灯の下。なにやら笑いながら話しているふたりの男女の片方に、くすりと微笑む。……兄妹らしい距離感に、ちゃんとそういうのもできるのだ、と嬉しくなった。

 

「……いや、そも初めから、そう言っていたか」

「そうですよ……有耶さんは、お茶目ですね」

「誰がお茶目か。……こればっかりは、なんとも言えんよ。君がいて、こうして巡り会って、また共に過ごしたいかと言われればそうなのだがな」

「……じゃあ、どうして?」

「微塵も後悔が浮かばないからな。どうも、そういうことらしい。……いまはいまで、昔は昔だ。終わったことだと、割り切れもせんが」

「……そうですか」

 

 決して、妥協や計略があって結婚したのではない。それが良いものだと思って、良い人だと感じて、ならば良いのだと心に決めた相手のひとりだった。ならば、かつての相手を前にどういうのかなんて、初めから決まっていたようなもので。

 

「……大好きだ、一美。その気持ちは変わりない。でも、だからといっていまの妻を蔑ろにする理由にはならんし、する気もないんだよ」

「とっ、当然ですから……! そ、そんなこと言ってたら、もう、二、三発は……!」

「ああ分かった! 分かっているから! だから拳を構えるのは勘弁してくれ!?」

 

 我が子のわりとアレな過去を知った母は強かった。明透有耶は為す術もなくボコボコにされて地面を転がった。ズキズキと思いっきりぶん殴られた頬が痛む。自業自得と言えば、それまでなのだが。

 

「……だから、良かったです」

「……良いのか」

「はい。……そのほうが、有耶さんらしい、ですから。私が好きになった人、ですから。……だから、良いんです。だって、有耶さんが選んだ人が、悪いワケないじゃないですか」

「…………そう、か」

 

 言葉を失いかけて、なんとかしぼり出した。まったくもって、出来た人間である。自分にはもったいない相手だったと今更ながらに再認識した。やはり素敵な人だった。そう思っていた過去の己は、すくなくとも間違いではない。

 

「あ、あの……でも」

「?」

「と、ときどき……一緒に、ごはん、食べるぐらいなら……良い、ですよね……?」

「――ああ、良いとも。そのぐらいは、ぜんぜん」

「じゃ、じゃあ。あの、連絡先……交換、しておきませんか……?」

「そうだな」

 

 もじもじと携帯を取り出す姿に、ふと過去の記憶が重なった。思えば昔、彼女とはじめてメールのアドレスを教え合ったときもこんな感じだったか。緊張も震えもおさえこめるほどの精神力はないが、やろうと思ったコトを実行する力はとんでもない。心の壁が脆いくせに、肝心な部分だけ鋼鉄みたいに固い感じ。それはたぶん、最近の息子からも感じ取れる強さなのだろう。

 

「……本当、似てきている。あの子は君そっくりだ」

「え……? どっちかっていうと、有耶さんですよ」

「いいや、君だ」

「有耶さんです」

「君だ」

「有耶さん」

「…………、」

「…………、」

 

 見つめ合って、どちらからともなく笑った。十二時まで、なんて贅沢は言わないけれど。でも、今日の彼と別れるまでの間は、きっと幸せに包まれた灰被り姫(シンデレラ)でありますようにと。それまでは今の彼女ではなく、明透一美の時間でありますように……なんて、

 

「……それじゃあ、お別れだ」

「……はい」

 

 うなずくと、彼は不器用に笑った。それに九留実も、くすりと微笑み返す。魔法みたいな奇跡の時間は、もう終わり。

 

「……今日は有意義な一日だった。これからも息子をよろしく頼む、灰寺さん」

「……はい。分かりました、十坂さん」

 

 それでは、と片手をあげて十坂真斗は踵を返した。そのまま真っ直ぐ、玄斗たちの待っている街灯まで歩いていく。……本当に、奇跡みたいな時間だった。今日だけが、ではない。彼と一緒に過ごせた時間は、彼女にとって魔法がかけられたみたいに華やかな毎日だった。魔法が解ければ、彼女はまたそっと灰を被るだけ。

 

「(……またいつか、有耶さん)」

 

 くるりと玄関を向いて、灰寺九留実はその場を去る。彼女がいなくても、きっと問題はない。なにせ見つけ出されてしまった。ならば簡単で単純なコト。魔法の時間に残したガラスの靴は、ちゃんとあるのだから。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――その日の、夜のこと。家に帰った玄斗が居間でぼんやり寛いでいると、洗い物を終えた母親が隣に腰掛けてきた。「疲れたー」なんて言いながらテレビのリモコンを片手にチャンネルを変えていく。

 

「お風呂は掃除しておいたよ。お湯は父さんがはってる」

「ありがとー……うーん。良い番組ないわねえ……」

「そうだね」

「そうだね、じゃないでしょもうー……」

 

 うちの息子は、と呆れたようにこちらを見てくる。明透零無の母親。十坂玄斗の母親。どちらも違う。どちらがより……なんてのはそれこそおかしな捉え方だ。どちらも良くて、どちらも母親だ。その事実に変わりは無い。

 

「……ね、母さん」

「うん、なにー?」

「母さんは、僕が生まれたときにどう思った?」

「ええー? なにー? 玄斗もそういうお年頃?」

「……じゃあ、そういうことで」

「やだやだー、もうー……そうねえー……」

 

 どうだったかしら、なんて母親は呟きながらどこか遠くを見る。

 

「……ああ、この子なんだって、思ったかしらね」

「……どういう、意味で?」

「色んな意味よ? それこそ。でも、悪い気はしなかったのよね。私自身、なんであんな人と結婚したんだろー、なんて思うぐらいだけど」

 

 口元をおさえて母親が笑う。酷い言われようだった。が、玄斗としてもあの父親がこの母親と平穏無事に結婚できた事実がさっぱり分からないので仕方ない。

 

「たしか、その、そういう最中に、他の人の名前を言ったんだっけ?」

「え? なにそれ。そういうって、なに?」

「だ、だから……って、ああもうっ、からかってるなら――」

「? いえ、からかってないけど」

「――――」

 

 それは、つまり。

 

「……ああ、いや、ごめん。おかしなこと言っちゃった」

「本当よー……うちのお父さん、最近おかしいけどね。浮気でもしたのかしら」

「あはは……」

「あらあ? なによ玄斗その反応。もしかして知ってるのー? 教えてほしいなあー」

「いや……知らない知らない。僕は別に、父さんが女子高生口説いてたとか知らないから」

「玄斗。母さんと来なさい。慰謝料たっぷりもらって良い生活させてあげるわ」

「ごめん半分冗談だから」

 

 半分は本当である。女子高生を口説いていた、というよりすでに口説き落としてずいぶん経ったあとだった、というのが正しい。魂レベルの恋愛事だと一体誰が想像できただろうか。

 

「……でも、本当、母さんは父さんのどこが良かったの?」

「顔かしら」

「率直だ……」

「あと、そうしないとって思ったのもあるし。言わば、使命感? でも、案外良い人だったのよ、お父さん。いまはおかしいけど」

「あはは……」

「まあ、いまはいまで、ちょっと、懐かしい匂いなんて、感じちゃったりするんだけど」

 

 ふふ、と微笑んだ母親がそっと視線を移した。テレビの端に飾られた家族写真。そこに映った誰かを見て、うんとうなずく。

 

「懐かしいの?」

「そうねー……もう何年も前かしら。頑固親父みたいな人が居てね。私、その人が大嫌いだったのよ」

「そこは好き、とかじゃないんだ……」

「大嫌いよー? だって、なーんにも気付かないし。私の気持ちなんて見てくれないし。勝手にひとりで抱え込んでいくし。気難しいからそれで弱っていくし」

 

 本当嫌いよ、と吐き捨てる母親。でも、どうしてだろう。その顔はどこか、嬉しそうに見えた。

 

「とことん嫌いだったわ。もう、その顔ぶん殴ってやったぐらいだから。強めに」

「……容赦ないんだ……」

「っていう作り話を息子にできたらいいな、とお母さんは思いました」

「ええ……」

 

 がくっ、と肩の力が抜けた。なんだと息を吐く。良い話かと思っていたのに、とジト目を向ければカラカラと母親は笑って誤魔化した。妙に真剣な表情で言うから本当のことかとすっかり信じてしまった。

 

「だって、そんなの都合が良すぎるじゃない。お母さん、都合がよすぎる話は嫌いなの。幸せなのは大歓迎なんだけど、それも程度があってのものでしょー?」

「……そうかな。僕は、幸せなことに上限なんてないと思う」

「もちろんそうよー。……でも、やっぱりそれはダメかな、お母さんは。都合がよすぎるお話は、物足りないもの」

「そうなのかな……?」

「うん。ちょっと、なにか欠けてるぐらいがちょうど良いの。玄斗は、違う?」

 

 ……どうだろう。彼は彼なりに、考えてみた。幸せならばそれでいい。幸せになれるならそれでいい。見つけたのならそれで。そう思うのは、間違いなのだろうか。

 

「……僕は好きだよ、ご都合みたいなハッピーエンド。馬鹿みたいでも、夢みたいなことでも。無いよりも、有ったほうがいいから」

「そっかあ……じゃあ、玄斗はお母さんと違うね。寂しいなー」

「ちょっと、暑いって」

「もう、なによー。……でも、そうねえ」

 

 ぎゅっと息子を抱き締めながら、母親がぽつりと漏らす。

 

「違うものね、玄斗。だから良いのかもね。……私はそういうの、したくないし、しちゃいけないと思うのよねえ。だって、お母さんだから」

「どういう意味……?」

「そういう意味。ひとつ言うとね、なにかを好きって胸を張れるのは良いコト。それで、そんな好きを形にできるのはもっと凄いコト。……作家さんになれるかもね? 玄斗」

「僕に文才はないかな」

「そうでもないわよー? なにせ、私の息子だもの」

「なにそれ……」

 

 過大評価だ、と玄斗は苦笑する。母親からの期待が重い。ついでに抱きついてもたれかかっているのは……重いというと怒られそうなので、あえて軽いと内心で自分に言い聞かせる。

 

「だから、よろしくねー。玄斗?」

「なにを……?」

「無いものを、よ? だって玄斗はハッピーエンドが好きなんでしょう?」

「……?」

 

 首をかしげる玄斗に、母親は笑顔を浮かべたまま立ち上がった。どうやらお風呂に行くつもりらしい。普段からわりとぽやぽやしていて掴みどころのない母親だが、今日は一段と分からない。でも、それもまあ彼女らしさか。

 

「……まったく、母さんは母さんだなあ……」

 

 ちょっとだけ良い気分になって、玄斗はそのまま横になった。今日は、いい夢が見られそうだ。






>魔法の時間
透明なものを残してます。というだけ。


>母親
ノーコメント


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水面は揺れて

ダイブオクーレ


 

「はい、本の貸し出しですね。ちょっと待ってください」

「…………、」

「個室の利用ですか? じゃあ、こっちのほうにサインしてもらって……時間帯と、人数のほう、あと部屋番号をお願いします」

「………………、」

「あ、はい。その本なら大体北側の……」

 

 ぐっすりと眠る蒼唯の隣で、今日も今日とて十坂玄斗は図書委員の仕事をこなしていく。もはや一年時からやっていたお手伝いは慣れたものだ。誰かの記憶、経歴、在り方の違いはあっても、玄斗が過ごしてきたモノと現実はさほど変わりない。本の場所もなにもお手の物。正直、普段の図書委員より頼りがいがあるとは最近の生徒間での評判だ。

 

「(ていうか、本当起きないなあ……先輩)」

 

 今日はとくにぐっすりだ。すうすうと寝息をたてながら眠る蒼唯をよそに、玄斗はカウンターでひとり利用者をさばいていく。いつも通りの日常、といえばそれまでだが。最近の蒼唯は玄斗が隣に座って三十分足らずで起きるのだからどうにも変だ。まるであの頃みたいな快眠は、果たしてすこしだけ許されたという証なのかなんなのか。

 

「(まあ、起きていようがいまいが、僕のやることは変わらないんだけどね……)」

 

 目を覚ましたところで隣で平気な顔をしながら本を読むのが四埜崎蒼唯である。その部分だけは向こうもこちらも変わりない。どこまでいっても彼女は彼女。なので、玄斗も玄斗なりに変わりなく過ごすことが出来るというものだった。

 

「はい、全部で五冊ですね。返却までの期限は――」

「…………、」

「はい、はい。またお願いします。次の方ー……」

「…………、」

 

 図書委員の仕事は意外と大変だ。なにせ管理するのは図書〝室〟ではなく図書〝館〟である。そのトップに立っている少女はさも平気といった様子だが、実際やってみると相当な苦労を実感できる。なんだかんだで玄斗が手伝わなければ人並み以上の手際を発揮する図書委員長だった。

 

「(……やっぱり凄いな、蒼唯先輩)」

 

 そんなコトを思いながら、仕事を片付けていく。文化祭の準備は嬉しいことに順調そのもの。とくに問題も無くスムーズに進みはじめてくれた。あとは実行委員の頑張り次第、というところもある。生徒会である玄斗にまで回ってくる仕事は極端に減っていた。せいぜいが両校ですり合わせるところを緻密に決めていくだけである。

 

「(まあ、白玖との会議は楽しいから良いんだけど)」

 

 真面目な受け答えはしているが、それはそれとして幼馴染みとの会話は玄斗にとって貴重な時間だった。ただでさえ不足しているハクニウムを摂取する大切な機会である。とても大切な機会である。大事なことなので二度言った。

 

「(だからまあ、本当は早く帰って白玖と一緒に居るのが一番なんだろうけど……)」

 

 とはいえ、この図書館の管理者でありながら堂々と惰眠をむさぼる先輩を放ってもおけない。本日も無断欠席をした図書委員の代わりを務めつつ、蒼唯の隣でひたすら対応を繰り返す。そんなことをしていれば早いもので七時過ぎ。ほう、と玄斗が息をついた頃にはすでに斜陽が落ちきる頃で、下校時刻までほんのわずかというところだった。

 

「……先輩、先輩」

「……なによ……」

「もう七時回りました。帰りましょう」

「そう……あと一時間……」

「いや、洒落になりませんから……」

 

 そこまで待っていれば学校の門が閉まる。流石にマズいと玄斗が蒼唯を引き起こすと、彼女は意外なことにすんなり目を覚ました。

 

「おはようございます。先輩」

「……おはよう」

 

 もう夜なのに、とは言わなかった、ごしごしと目をこすった蒼唯が、すくっと立ち上がって歩いていく。慣れたものだ。そういった点で言えば、彼女も同じである。

 

「どこに行くんです?」

「……戸締まり」

「あ、はい」

 

 じろっと睨まれながら言われて、玄斗も反対側の窓まで向かう。これまた珍しいコトに「しなくて良いわよ」なんて小言もなかった。どこか引っ掛かる部分を感じつつも、そういう日がないとも限らないなんて彼は考えて。

 

「(あれかな。やっぱり公園で誤解が解けてるあたりがいいんだろうか)」

 

 分かる部分は多いが、分からない部分も多い。十坂玄斗をして人生初の予想外を叩き付けてきた女性。それこそが四埜崎蒼唯だ。とても彼の考えで測れる人間ではない。まあ、だからといってどうというコトもないのだが。

 

「(うん。蒼唯先輩だし)」

 

 あっちにはあっちでなにか事情があるのだろう、と気にすることなく窓を施錠していく。気にならないというワケではないあたりがミソだ。流石に今になってまで小さな変化をすっぽりすっかり見落とすほどではないと、ぼんやり次の鍵へ手を伸ばした。

 

「あ」

「……、」

 

 ぴたり、と手が重なった。彼女がちょうど締めようとしていたところへ持っていってしまったらしい。これもこれでいつものコトと言えば、いつものコト。玄斗は「すいません」なんて謝りながら手を退けようとして、

 

「…………、」

 

 がっ、とそれを蒼唯に掴まれた。

 

「……あの?」

「……、」

「いや、えっと……先輩?」

「…………、」

 

 じっと、無言のまま蒼唯が鋭い視線を向けてくる。それで、引っ掛かっていたモノが違和感に切り替わった。どうにも様子がおかしい。いや、厳密には四埜崎蒼唯としてその行動はなんらおかしくはないのだが、四埜崎蒼唯としてどこまでも間違っている。……玄斗はわけの分からない自分の理論に混乱しかけた。冷静に、冷静に。

 

「(いやそこまで焦ってるわけではないけれど……)」

「…………、」

「……あの、無言で手をにぎにぎしないでください……」

「……………………、」

「……えっと、先輩?」

「……なんでもないわ」

 

 そう言うと、蒼唯はなんでもない様子でそのまま踵を返した。ぱっと離された手には温もりが微かに残っている。……やっぱりおかしい。なにかあったのだろうか、なんて玄斗は彼女の背中を見つめる。

 

「……どうしたの」

「え、あ、いや……」

「帰るわよ。……それとも、このままここで一晩過ごす?」

「……それはご遠慮願いたいです」

「ならさっさとしなさい。まったく……」

 

 呆れるようにため息をつく蒼唯に、「すいません」と謝りながら後を追う。

 

「……すぐ謝る」

「あ、そうですね。じゃあ、分かりました、で」

「…………、」

「ちょっ、痛っ、足踏まないでください……」

「うるさい」

 

 ローファーは武器だ。本気で他の誰かさん(過激な生徒会長)から蹴り抜かれたコトのある彼からすれば手加減しているのが丸分かりなほどだったが、まったく効かないというワケでもない。

 

「……どうしたんですか?」

「別に、なにもないけれど」

「…………、」

「…………じろじろ見るな、ばか」

「先輩」

「……なんなの」

「毒舌の切れ味が弱いです。風邪ですか?」

「馬鹿にしているのならいますぐあなたをこの暗くて無駄にだだっ広い図書館にひとり閉じ込めて帰ってもいいのだけれど?」

 

 ニコリ、と蒼唯が微笑んだ。見事だ。こう、背筋を震わせてくるあたり彼女から滲み出る怒気を垣間見る。なるほど、体調不良というのは単なる玄斗の勘違いらしい。当たり前みたいな四埜崎蒼唯だ。それは違いない。

 

「(……うん? なら、なんで違和感なんて……)」

「ほら、ぼけっとしない。本気で閉じ込めるわよ、()()()()

「……だからそれは困りますって……」

 

 ――まあ、なにもないならそれでいいか。そう考えて、玄斗は蒼唯と共に図書館から出た。すでに夜の帳は下りて、校庭の仄明るい照明がついている。遠くを見れば街の中心に向かってまばらな光。すっかり冬も間近といった時間帯の暗さ。

 

「暗いですね」

「そうね。……ちょっとだけ、新鮮だわ」

「そうなんですか?」

「そうもなにも、あなたは――ああ、いえ。なんでもないわ」

「?」

 

 こてんと首をかしげる少年に、彼女は薄く笑みを浮かべるだけ。その真意を知るものはひとりとしていない。焼き直しではないけれど、繰り返すような話ではある。

 

「ふふ……まあ、そういうことよ」

「……?」

「なんでもいいでしょう。あなたはあなた。私は私よ」

「まあ、そうですけど……?」

 

 言わば、それは彼女にとってどこまでも幸せだった時間だ。ついぞ壊されて別の形に修復されたとはいえ、そこにあるのならすこしぐらい味わっても罰は当たるまい。……単純に。彼女は彼女として、彼に〝しおり〟を渡すまでの穏やかな時間は、ちょっと心が浮つくぐらい良いものだったのだから。 






>ブルーパイセン
蒼唯「(こういうのも懐かしいからアリで。続行で)」




大体年内には終わりそうなので頑張っていきたい


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いよいよ開催

 

 

 ときに遠回しに。ときに殆どストレートに。私のことが好きだと。彼は、慣れた様子でそう言う。何度も、何度も。からかっているのかと思うぐらい気安く、それでいて気持ちだけは込めて。何度も、何度も。私に好きだと言ってくる。

 

「本心だからね」

 

 そうやって証言する彼は笑っている。綺麗に笑っている。……私には分からない。どうしてそこまであからさまに、人への想いを吐露できるのだろう。どうしてそこまではっきりと、自分の想いを伝えられるのだろう。どうしてそこまで綺麗に、裏表のない表情を作れるのだろう。

 

 〝……十坂、さん……〟

 

 名前を呼ぶ。ぽつりと心の内で、こぼすほどに彼を想う。言葉にしていないのにそれは響いて。ひとりっきりの家に彼女の心音は、いやなぐらい反響するようだった。

 

「……っ」

 

 ズキン、と胸が痛んだ。傷付いたままの心を、引っかかれたようなもの。母親が死んで、一緒に歩いてきた父親もこの世を去った。たったひとり残されたまま、なにもかもどうでもよくなって人生を無為に過ごしてきた。流されるがまま、なにを思うでもなく。ただなんでもなくなるまでは、せめて生きていようと毎日を過ごして。

 

「(……過ごして、いた、はずなのになあ……)」

 

 そんなある日に、彼と出会った。

 

「(なんでだろ……十坂さんって、本当……)」

 

 分からない。さっぱり分からない。一体彼はなにを想って、なにを考えて、自分なんかに近寄ってきたのだろう。こんなどうしようもない人間のどこに魅力を感じたのだろう。生きる意味もなければ、死んでしまうほどの気力もなくて。だからとただ何も無いまま生きていく自分の、どこが良かったのだろう。

 

「(私なんかの、どこが良いんだろう――)」

 

 夜は更けていく。考えたままうとうとと船をこいで、ついぞ意識がぷつりと途切れた。なにも分からない。なにも知らない。そんな人間から向けられる好意は、どういう意味を持つのだろう。……ただ、言えることは。

 

「……とおさか、さん……」

 

 それで温かくなるものだけは、たしかにあった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「おはよう、壱ノ瀬さん」

「……おはようございます……」

 

 玄関を開ければ、最近すっかり見慣れた顔が白玖の視界に飛びこんできた。今日はまた一段とにっこり笑顔である。理由はまあ、考えなくとも分かっていた。

 

「いよいよだね、文化祭」

「そうですね……。挨拶、お願いしますよ?」

「任せておいて。一応、無難なものはあるから」

「それは安心しました……いや、奇抜なものとかいらないですけど」

「公開告白でもする?」

「誰にですか? そして正気ですか?」

「冗談だから」

 

 ひらひらと手を振る玄斗にため息をつきながら、ふたり並んで通学路を歩いて行く。本日は文化祭につき、玄斗の登校先は筆が丘女学院だ。開会の挨拶に呼んでもらったから、という名目で久方ぶりになる幼馴染みとの〝学校〟までの登校である。

 

「でも、するとしたらひとりしかいないかなあ」

「……ふーん。そうですか」

「うん」

「…………どうしてこっちを見ながらうなずくんですかっ」

「いや、なんとなく?」

「っ……もう……」

 

 〝本当この人は……!〟

 

 赤くなりかけた頬を隠すように、白玖は足を速める。……が、流石は男子といったところなのか。それでも平気な様子で隣をついてくる玄斗に、なんだかこっちが馬鹿みたいではないかと歩調を緩めた。……いや、本気で分からない。一体なんなのだこの男は。

 

「……十坂さんって」

「? うん」

「いつか絶対刺されますよね」

「ああ、刺されかけたことならあるよ?」

「えっ」

「え? ……ああ、そうだった。うん。いまの、ナシで」

「いやどういうことですか!?」

 

 がばっ、と白玖が玄斗に詰め寄る。冗談半分で言ってみればとんでもない返答が返ってきたからだ。が、これが事実になるあたり十坂玄斗の人生は濃い。もっとも、その犯人が目の前で心配そうにあたふたしている彼女なのだが。ちなみにそのときは引っ込むやつだった。

 

「だ、大丈夫なんですか!? 傷とか、あと後遺症とか……!」

「ああ、うん。怪我はしなかったからね。とんでもない殺意は受けたけど」

「完全に殺りに来てるじゃないですか! よく無事でしたね!?」

「壱ノ瀬さんのお陰かなあ……」

「はい?」

「いいや、なんでも」

 

 実際、あのときの白玖の滲み出るオーラはとてつもないものがあった。本気だったのかそうでもなかったのか。今となっては誰にも分からない真実だ。目の前の壱ノ瀬白玖に、その記憶はない。残ったものはひとつもない。それでも、眼前の少女は壱ノ瀬白玖だ。ならなんてコトもない。玄斗は笑いながら歩みを再開した。

 

「……なんなんですか、十坂さん」

「だから、なんでも。けど、ひとつだけ言うなら」

「……?」

「僕は君が思っている以上に、君のことを気にしてるってことだよ」

「――――――」

 

 そう言って、玄斗は駅の奥へ向かっていく。白玖は、思わず足を止めてその場で固まった。……浮ついた心、隙間から出た声。そういう一言、だったのだろうか。さも自然と言ってのけた様子は、演技もなにもなさすぎて意図すら伝わりづらい。総評して、やっぱり分からない。たしかなのは、高鳴っている胸の鼓動だけ。

 

「(……分から、ないよ。なんで、もっと――)」

 

 

 ◇◆◇

 

 

 筆が丘女学院に来ている調色高校の生徒は玄斗だけではない。出し物の出張班として選ばれた数十名の生徒含め、単純にこちらを見て回る目的の層……もとい邪な男子共もちゃっかり居る。そういうのに目を光らせる役目で実行委員も数名配置。おかげもあってか、開会式はすんなりと進行した。

 

『えー、では、調色高校から生徒会長の十坂さんに来てもらっています。十坂さんから一言、挨拶をお願いしたいと思います』

「あれが噂の……」

「会長の彼氏さん……?」

「壱ノ瀬先輩にも春が……っ」

「めでたいですわねえ……」

『で、ではどうぞっ!』

 

 気持ち巻きぐらいのペースでそう進めた白玖に首をかしげつつ、玄斗は壇上に登る。

 

「(おお……)」

 

 こう見てみると圧巻といえば圧巻だ。ちょくちょくこちらの生徒も混じっているとはいえ、男女比でいえば1:9である。……圧倒的だ。圧倒的マイノリティーだ。すこしの緊張を唾と共に飲み込んで、マイクに向かって口を開いた。

 

『おはようございます。調色高校生徒会、生徒会長、十坂玄斗です。今日一日、短い間になりますが、お互い楽しんでいい文化祭にできればな、と思っています』

 

 ――人前でのスピーチは、正直慣れない。これだけでも代わってもらえないかとは本気で赤音に対して思ったことだ。が、彼のSOSに彼女は「はいこれ」と台本を投げてくれたのだ。なにもしないと言った彼女が、わざわざそれを仕上げてくれたのである。ならば、降りるワケにも、しくじるワケにもいかないだろう。

 

『――というわけで、どうぞよろしくお願いします。……ちなみに』

 

 ちら、と白玖のほうへ視線を向ける。彼女は何事かと首をかしげていた。くすりと微笑んで、マイクを掴む。困っているようなので、ここは助け船感覚で。

 

『僕と壱ノ瀬さんは()()そういう関係じゃないので、誤解しないでくださいね』

『ちょっ!?』

「まだ!? まだって言ったわ!」

「やっぱりそういう……!」

「壱ノ瀬会長っ! チャンスですよー、チャンスー!」

『い、いや、そっ……と、とにかく文化祭をはじめます! はい! 以上で!』

 

 強引に締めた白玖に、「えー」との女性陣の声。恋愛事に関してはお嬢様高校と言えどそれなりのものがあるらしい。ジト目で睨んでくる白玖に手刀を切って謝りながら、そっと壇上から降りていく。ついぞはじまった合同文化祭。結果から言ってしまえば、それは無事に終わることになる。……ただし、文化祭自体について、は。





>白色
玄斗と関わってないってことは両親が死んでから一度も救われてないってコトになるのでその辺はお察し。そこに現れた意味不明な男に心が揺らぐのはまあうん。

>そういえば灰色が戻った描写がなくない?
そうだねーなんでだろうねー?


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その言葉を

 

「前に来たときも思ったけど、やっぱり綺麗だ」

「そうですかね……?」

「うん。女子校だからかな」

「あはは……」

 

 苦笑を浮かべる白玖は、昨日まで必死こいて見える部分から見えない部分まで色々とやる気のある人材が動いていたコトを言わないでおいた。恋愛とはそれすなわち戦争……とまではいかないが、お嬢様学校と言えど飢えた獣はきちんといる。はたして共学校で悠々自適にすごしてきた男子達は知らない。餓狼もかくやといった女性の恐ろしさを。

 

「……なにから見て回りますか?」

「とりあえず、なにか食べ物」

「? 朝ご飯は食べてないんですか?」

「? 食べたけど」

「??」

「??」

 

 ふたり揃って首をかしげる。なにを言っているんだろう、と疑問に思う白玖と、なんでそんなことを聞くんだろう、なんて不思議に思っている玄斗。この男、趣味はご飯と言っても良い食欲に対する素直さが溢れていた。

 

「まあ、一応2-Aが喫茶店をしてましたけど……出店もありますし」

「ああ、うん、いいね。でも先ずはがっつりいきたいなあ……」

「……あの、やっぱり朝ご飯は抜いてこられたので?」

「え? なんで?」

「??」

「??」

 

 混乱しながらもふたりは適当に校内をブラブラと散策する。絶妙に噛み合わない会話。認識の齟齬。それらが解消して白玖の疑問が解決するのは、およそ一時間後のことだった。

 

 

 ◇◆◇

 

「お、会長さんたちだ。どもどもー」

「あ、どうもです」

「お疲れさま。困ってるコトとかない?」

「ないよー、もう壱ノ瀬会長ってば心配性なんだからー。あんまりだと調色の会長さんに嫌われちゃうよー?」

「そっ、そういうのは関係ないから!」

 

 わたわたとこちらをチラ見しながら慌てふためく白玖に、今し方声をかけてきた女生徒がニヤニヤと笑みを浮かべている。親しみのある生徒会長、というのはこういう感じを言うのだろう。玄斗自体は親しみがあるかないかで言えば……まあ……驚異的な人気を女子から誇っているというわりと意味の分からないもので。本来である二之宮赤音という生徒会長は、美人で真面目で真っ直ぐと逆に近寄りがたいものだった。まあ、同学年の人間にとっては時折爆発する人間ダイナマイトなんて言われていたのだが。

 

「――で、どう? 時間ある? 寄ってかない? 寄っていってくれると嬉しいなー」

「2-Cは出し物なんだったっけ……?」

「演劇。絶賛上映中。時間はなんと一時間半」

「流石にそこまでになると向こうに行かなきゃいけないかな……」

「っていうことらしいから……」

「あちゃー……気合い入れすぎたのが仇となっちゃったかあ……」

 

 残念、と女生徒がからから笑いながら看板をかかげる。演劇ヤッテマス。デフォルメされたキャラクターと一緒に描かれた文字がどことなく目を引くインパクト。集客力はかなりありそうだった。ごめんね、と一言だけ謝ると「いえいえ!」なんて手を振りながらにこにこ笑った。……その笑顔の意味は、イマイチ分からなかったが。

 

「みんなすごいやる気だね」

「十坂さんのところは違うんですか?」

「違わないよ。たぶん。……一部を除いて」

「一部ってなんですか……?」

「ヤる気」

「え?」

「ごめん、いまのはナシで」

「いやなんて?」

 

 聞き返す白玖は本気でなんのことか分かっていないようだった。思春期を迎えた男子高校生特有のアレに気付いてほしくもない。玄斗としてはそもそもそういう心持ちを抱えたことが少ない故に理解はできても共感は薄い。直っても十坂玄斗。つまりはそういうことである。眠れる獅子は未だ目覚めぬ。

 

「……と、もうこんな時間か」

「あ、早いですね……流石に三時間も無いと」

「こういう立場じゃなかったらずっとこっちでも良いんだけどね」

「……駄目ですよ。ちゃんと、十坂さんは十坂さんの学校に居ないとっ」

 

 なんて、そっと白玖が後ろに回りながら押してくる。たしかにそうだ。そんなコトを分かった上で、すこしのワガママを通した結果である。なんとも生きづらい。……ちょっとだけ、掴んでいた筈のものが遠くにあるのが、寂しく思えた。

 

「じゃあ、また。こっちも待ってるよ」

「はい。しばらくしてお伺いします」

「連絡くれたら迎えに行くからね」

「そ、そこまでしてもらわなくても……!」

 

 かあっと顔を赤くしながら言う白玖に、笑ってその場を後にする。これだけで来た甲斐があったというものだろう。やはり、幼馴染みは良いものだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――で、我が母校に帰ってきた瞬間。

 

「おかえり十坂(零無)ー!」

「うわっ」

 

 待っていました、と言わんばかりに飛びかかってきたのは五加原碧だった。後ろからぎゅっと抱きついてそのままうんうんと頷いている。……スンスンと匂いを嗅いだのは突っ込まないでおくことにした。たぶん、あれだ。確認しただけなのだろう。……なにを?

 

「あー! ……うーん。……あー、……あー!」

「え、いや、なに?」

十坂(零無)さあ」

「あ、うん」

「…………えいっ」

「!?」

 

 不意にうなじから背中にかけてぐりぐりと体を押し付けられた。驚いてビクンと固まる。そも女子としてそれは大丈夫なのだろうか。髪の毛とか、髪の毛とか、あと髪の毛とか。柔らかい体には意識して思考を誘導しないでおく。

 

「み、碧ちゃん……!?」

「……よし」

「な、なにがよしなんだ……?」

「いや、十坂(零無)ったらニオイが……」

「……臭かった?」

「他の女のニオイが……」

「冗談だよね。そう言ってくるの真墨ぐらいなんだけど」

「じゃあ正解だね。ほら」

 

 あそこー♪ なんて言いながら碧が遠くを指差した。……かすかに、見える。土煙を巻き上げて疾走する何物かが。よく見慣れた少女が。

 

「お兄ぃいいぃいい!!」

「……えらい元気だね」

「みたいだねー」

「その隣の女をぶっ飛ばせっ!? いいなっ!? あたしのお兄に堂々とマーキングしやがってクソぅ!」

「ま……え、なに?」

「いいから。ほら、どうする十坂(零無)。逃げる?」

「え?」

 

 ちら、と真墨のほうを向く。

 

「――――!!」

「…………、」

 

 決死の形相だった。あれ、下手すると勢いのままにお持ち帰りコースかも分からない。

 

「……一先ず撤退かなあ……」

「じゃあ行こっか♪ いやー、期待してたんだよねー。……一番乗りで行ったら十坂(零無)と回れるかもーって」

「……?」

「なんでもないよー?」

 

 意外なことに。あの完全無欠で最強無敵を能ある鷹で隠しながら上手く生き抜いていく十坂真墨をして、苦手な相手というものに五加原碧は分類される。それこそ世界が変わったぐらいではなんともないほど揺るがない優位性だ。対妹用兵器として活躍する相手の本質を、玄斗はまだまだ知りもしない。

 

「おーうおうイチャついてんなあ十坂」

「飢郷くん」

「……誰?」

「生徒会の人」

ああ……どもどもー!」

「やっべえいまので恐怖症悪化しそうだったわ……」

 

 ぐっと心臓をおさえつけながら逢緒が苦悶の表情を浮かべる。心に傷を負った少年に別の方向から向けられる刃の鋭さである。それでも耐えるあたり案外メンタルは化け物なのかも分からない。

 

「どうしたの、こんなところで」

「妹を待ってんだよ。なんか、メシ買ってきてくれるとかで」

「へえ……」

「まあその揚羽さんはいまそこでそっちの妹さん見つけてバトり始めましたけどネ!」

「ああ……」

 

 くるりとふり向けば、遠くに立つふたつの影が見えた。犬猿の仲。竜虎相搏つ。今の三年生が卒業して赤音と蒼唯の立ち位置を注ぐのは彼女たちかもしれない、なんて玄斗は思った。

 

「……なんか、ごめんね」

「いいってことよ。十坂はほら、さっさとそっちの奥方とデート楽しんでこい」

「……えへへ」

「飢郷くん。悪気はないのは僕も分かるんだけどね……?」

「?」

 

 そう、彼は悪くない。断じて悪くない。が、強いて言うなら言葉選びに致命的なところがあった。デート云々はともかく、一介の女子高生に対して奥方はどうなのだろうと。 






クリスマスに被る時期に投稿しておいてクリスマス展開やらない作品があるとかマジ? 聖夜に襲われて限界ギリギリまでやる羽目になる赤色会長とか書こうか(天丼)


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弱点みたいに

 

 碧と一緒に校内を散策する。本日は文化祭につき、見慣れた母校も別物といった様子。手始めに自分のクラスを覗いてみると、あんがい盛況なようだった。

 

「あ、見てく? あたしはもうシフト終わっちゃったけどー」

「そうなんだ」

「え? なに? 見たかった? あたしのメイド姿」

「まあ。五加原さんなら似合ったろうなって思って」

「あ、あははー……いやー……素直に言われると、その、照れる……」

 

 別に照れなくてもいいのに、とは玄斗の内心だ。乙女心を理解していないまっさらだった少年の名残である。

 

「おや」

「あ」

「あら」

 

 と、入り口でぼんやりとしていたところをひとりに気付かれた。紫の髪は見間違うこともない。生徒会会計担当は、今日も今日とてちゃっかりと以前見せた格好のまま歩いていた。不意に、眼鏡をくいっと持ち上げる。

 

「――お帰りなさいませ、会長。お休みになられますか?」

「あ、うん。ただいま。じゃあ、せっかくだし」

「あ、あたしもあたしもー」

「五加原さんは別席でよろしいですね?」

「ちょっとぉ?」

「? いや、同じでいいよ?」

「…………、」

「…………♪」

 

 玄斗の一言に、六花の目が鋭さを増した。それをニコリと微笑みながら碧が受け流す。間に挟まれた男子は「なんだろう」なんて呑気に首をかしげるばかり。いつか刺される。そう下した白玖の評価はあながち間違いでも無い。

 

「ではお席に案内いたします。どうぞこちらへ」

「ありがとう。……なんか、本格的だね」

「これでも勉強熱心なんです。私は」

 

 きらん、とレンズが光った。紫水六花は学ぶことに関して玄斗を遙かに超える。というのも所詮彼の特性なんて渇いたスポンジみたいなもので、なにもないからこそ無駄に余計なほど吸収できるのだ。もとより吸収性がよくてなおかつ自動で吸い上げるような人間にはいずれ追い抜かれていく。

 

「……学年一位も、ずっとは無理かなあ」

「はい?」

「いや、先の話。たぶんもう、僕には厳しい立ち位置だろうなんて」

「――そんなの認めませんが」

「いたっ」

 

 ぎゅっ、と腕をつままれた。地味に痛い。隣で碧がクスクスと笑っている。六花はどこか不服そうにこちらを見ていた。なんともいたたまれない。

 

「こだわるつもりはなくとも、そう投げやりに片付けられるのは認めません」

「いや……でもね……?」

「なんですか。そもそっちのあなたはまだ一度も玉座を降りていないでしょう。――せいぜいあぐらでもかいてればいいんです。いつか私があなたを越えるまでは、私の目標であってもらいますから。……話はそれからです」

「……そっか。なら、もうちょっと頑張るよ」

「まあ向こうの私とか二位になったこともありませんが。あなたと木下にワンツーフィニッシュとかされたりしてもう我慢なりませんでしたが」

「なんかごめん……」

 

 四位で逢緒相手にマウント取っていた鷹仁だが、あれで成績はとんでもなくよろしい。むしろ三位圏内から外れるのが珍しいほどのものだ。そのあたり気にしていないフリをしておいて実は必死に猛勉強したりするのが彼の敬愛する友人である。

 

「そのおかげもあってこっちとは違ってプライドがズタボロでしたね。ええ。勉強に力入れたところで、ハッ、みたいな」

「……こっちの紫水さんは違ったんだ」

「ずっと二位だったみたいで。木下とかアウト・オブ・眼中ですから。ふっ」

 

 鼻で笑っていた。二之宮赤音生徒会メンバーの仲の良さとも言えない噛み合い具合は現生徒会を受け持つ玄斗としてちょっとだけ尊敬の念を覚えた。やはり彼女は偉大である。おもにその自由奔放さを除いて。

 

「ちなみに私の初対面のあなたの評価を教えましょうか」

「え。あ、うん」

「会長の犬」

「いや待って?」

 

 たしかに赤音の手伝いをしていた時期もあったが、そう思われるのは色々とまずいだろう。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 六花からの「……お、おいしくなぁれ……!」という明らかに間違った(サービス外の)サプライズをもらいつつ、自教室を後にする。ちらりと窓から外を覗けばいまだに争っているらしくふたりの影が見えた。その近くのベンチでは男子生徒がひとりぼんやりと空を眺めている。……止めろというのは、まあ、酷な話だろう。

 

「次はどこいく?」

「ご飯が食べたいかな……」

「いやさっき飲み食いしたばかり……でもまあ、そう言うと思ってたんだよねえ」

 

 ちょっと待ってて、と一言いって碧がなにやら手に提げた袋の中を漁る。桁外れの食欲を想定内と言い切るあたり彼女もまた攻略ヒロインのひとりである。凄いな、なんて自分の都合ながらに感心していると、碧は笑顔で「はい」と風呂敷に包まれたソレを差し出した。

 

「? これって……」

「お弁当。ちなみに手作りね。……あー、目の前で食べられると恥ずかしいので、あとで感想聞かせてもらえると、その、嬉しいかなー……なん、て……」

「……うん。ありがとう。味わっていただきます」

「あ、あははー! ……そっ、そういうことで! うん! じゃ!」

 

 とてて、と逃げるように駆けていく碧を見送って、玄斗はうんとひとつ頷いた。食べ物は大事である。わざわざ作ってくれたのならば尚更だ。思えば、赤音からのモノを渡されたときも、もっと言うべきことがあったように思う。きちんと味わって、きちんと感想を返そう。そう心に決めて落ち着ける場所を探す。となれば、自然と足は階上へ向いていく。

 

「(でも、そっか。もう十二時だ。……そろそろお昼時だし、本当にちょうど良かった)」

 

 食べて、歩いて、また食べて。そういう午前中だが、不思議とそれでも太らないのが少年の体の驚くべき点である。体質なのかなんなのか。時折羨ましがられるコトはあるが、そのあたりまったく気にしないのがある意味彼らしいとも言えた。思えば歪で、不器用で、在り方さえ見えていなかった少年がよくもここまで歩いてきたものだ。行事ごとの最中だからだろうか。そんな、積み重ねた記憶が蘇ってくる。

 

「……あ」

「うん?」

 

 階段を上りきってドアノブをひねった先に、先客はいた。桃色の髪を風に揺らしながら少女はかすかにこちらを向く。桃園紗八。彼女との関わりは――まあ、自分が主ではない。この臆病をひた隠しにしてきた少女を救ったのは、真実どこかの誰かさんだった。

 

「おお……十坂クン?」

「……はい、そうですね」

「ありゃ」

 

 これはこれは、と紗八は笑みを浮かべながら半歩後じさった。距離にして五メートル。大分離れてはいるが、無意識での行動なのだろう。実際、彼女はちょっとだけ眉尻を下げていた。

 

「……どうにも、好きにはできないみたいで」

「そっかあ。……でもまあ、そうだね。君と比べて彼は……ああ、うん。薄かったからねえ……」

「……薄い、ですか」

「うん。いやあ、ねえ。だからこそなんだろうねえ……私は、君じゃなかったから」

「……申し訳ないです」

「いやいや……謝る必要なんて一個もないよ?」

 

 誰も悪くない、君も悪くない。そう言ったのは慰めでもなんでもない。真実、桃園紗八は理解している。自分にとっての特別は、透き通ってこそいれど、そこまで綺麗なモノでもないのだろうと。

 

「……順序が違えば、君だったかもね」

「僕、ですか?」

「うん。……二之宮さんから、ちょっとだけ聞いてたから。うん。きっとそんな君なら、私はなんともなかったのかな。まあ、もしもなんて意味がないコトなんだけどねえ」

「……そういうのは、苦手ですか?」

「そうだね。苦手。だって、ないものをねだるのは、しんどいよ」

 

 あるがままを周りに押し付けたのが二之宮赤音だ。あるがままを己の世界で貫き通しているのが四埜崎蒼唯だ。ならば、あるがままを変えても生きようとしたのが桃園紗八になる。強さでは比べものにならない。けれども、心の頑強さでいえば彼女にだって分があった。きっとそこだけは、ふたりにも負けず劣らずだ。

 

「……ねえ、十坂クン」

「はい」

「会長クンのこと、お願いね。……あの人は、たぶん、君の側じゃないから」

「……僕の側」

「そう。……私たちと、同じなのかもね」

 

 それは、玄斗にとってちょっと衝撃的な。でも、あまり驚かないぐらいすんなりと入りこんできたような。

 

「お願いね。その点はさ、十坂クンが一番、分かってると思うんだよ――」

 

 ハリボテ。幻想。脆く崩れていく砂の作り物みたいに。見た目だけはしっかりしていても、中身が十分なぐらいにはなっていない。ならば間違いなく彼女の言うことは真実だ。――俺と僕では、見ている景色が違う。






>僕と俺
救われてる人間と救われていない人間はどっちが強いかなんて単純な問題


>ハーレム玄斗
死ね(直球)


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懐かしい姿と

 

 せっかく足を運んだ校舎で、迷った。慣れない場所故か、どうにも自身の勘に頼りすぎたらしい。周りを見れば過ぎていく生徒の姿。不審な目で見られないのはまともな格好と今日という日があってこそだろう。……あまりじっとしては良いようにはとられまい。一先ずといった様子で足を動かす。

 

「(さて……)」

 

 我が子の場所を探すとしよう。一年生の教室はたしか、一階だったか二階だったか三階だったか、もしくは四階だったか。考えて、もっと話を聞いていればと後悔した。仕方ない。なにせ、この場所に来るというコトだけでもかなりのものだった。

 

「(……向き合えては、来たのだがな……)」

 

 ため息をつきながら、廊下を進む。我が子は大丈夫だろうか。今更すぎる心配に、つくづく都合のいい男だと自嘲した。その我が子を気遣えなかったのはどこのどいつなのか。自分に問いかけて、自分で戒める。それに気付いたのも、つい最近だ。

 

「(……人に頼りたい、が……人選は、肝心だな)」

 

 うんとうなずいて、あたりを見渡す。そこまで変な人間でもないとは思っているが、だからといって最近我が子から「仏頂面」なんて言われるものだ。そこらの女子に声をかけるのも、なんとなく気が引けた。真面目そうで、かつトゲがなく、話しかけやすい人間だと尚更いい。――と、不意にその黄色い腕章が目を引いた。

 

「(生徒会、か)」

 

 たしか役員のつけていたものがそれだった。見ればしっかりと制服を着こんだ大人しそうな男子が、橙色の髪をした少女をともなって歩いてきている。ちょうど良い、と自然足を向けた。目を引いたのは腕章。それは間違いない。けれども、それ以上に気になったのはその雰囲気で。

 

「(……どうしてだろうな。なんとなく、だが――)」

 

 見知った誰かに、その少年は似ているような気がした。

 

「……すこし、良いだろうか?」

 

 

 ◇◆◇

 

 

 昼食をすませて、屋上を後にする。紗八は言いたいことだけ言ってどこかへとふらり消えてしまった。いまの自分は彼女にとっての十坂玄斗ではない。そういう意味なのだろう。それになんとなく「あるものはあるじゃないか」なんてもうひとりの自分に言い聞かせたくなる。階段を降りて廊下を進むと、人気が段々戻ってきた。

 

「(えっと……とりあえず碧ちゃんを……)」

「む? 玄斗?」

「あ、七美さん」

 

 と、ばったり出くわした少女に足を止める。すい、とさも自然な様子で手をあげて微笑んでくる七美に、玄斗もにこりと笑いながら手をあげ返す。あの一件以来、会えば笑顔の絶えない天然同士の不思議なコミュニケーションだった。

 

「帰っていたのか。向こうの学校に行っていたと聞いていたが」

「うん。帰ってた。閉会式まではこっちだよ」

「そうか。いや、それなら良いのだ。うむ」

「良いの?」

「良いな」

 

 笑顔を浮かべる七美に、もう一度玄斗も笑顔で返す。特別深刻になるワケでも、茶化すワケでもない。ただそこに居て話しているときの、ささやかな時間に幸せが見いだせる。そんな関係性になるのだろうか。独特な彼女との空間は、玄斗としても嫌いではなかった。

 

「七美さんはどこへ?」

「私は適当に見て回っていた。人生初の文化際だからな。いや、見るものぜんぶ楽しくて仕方なくてな! ……ついはしゃいで友人たちとはぐれてしまったのだ」

「ああ、そういう……」

 

 ため息をついて言う七美に、なんとも彼女らしいと玄斗は苦笑した。人生初のイベント。そう思えばまあ、楽しさは仕方ない。初体験とは得てしておさえられない感情が溢れてくるものだ。そのあたりを〝名前の意味〟に縛られてまったく楽しめなかった彼からすると、ちょっとだけ羨ましくもある。

 

「玄斗はどうしたのだ?」

「僕は碧ちゃん……五加原さんを探してる。クラスメートの子。お弁当もらって、返さないといけないから」

「ほう。……ではちょうど良いな。ふたりで探してみよう。それまで一緒に回ってくれると、私は嬉しいんだが」

「ああ、うん。別に構わないけど」

「うむ!」

 

 こくこくと首を縦にふる七美に、玄斗が目をぱちくりとさせながら表情を緩める。要は人を探しているなら見つかるまで同行しようとのコトである。断る理由もないのでそのまま引き受ければ、意外な反応が返ってきた。天然と天然。その狭間にできた溝はどこまでも深い。

 

「……しかし、良いな」

「? 良いって、なにがだい?」

「いや、玄斗がな。笑っているだろう?」

「……? まあ、そりゃあ……?」

「私の知っている片方の玄斗は、とても寂しく笑っていたのだ」

「――――、」

 

 あれは駄目だろう、なんて七美は言う。彼の知っている少女たちが、当たり前のように口に出してもおかしくない感想だった。橙野七美。暗い過去をそうとは思わせない穏やかさで覆い尽くし、いまもなお綺麗な夕焼けみたいにゆったりと進み続ける彼女は、間違いなくそうなのかも分からなかった。……どうりで、強か。

 

「……そっか。寂しいかあ」

「ああ。まったくもってなっていないぞ、あれは。おまえの生きている世界はおまえだけであるものかと、そう言いたくなるぐらいだった」

「……いやあ、それは、効くよ?」

「玄斗にか」

「俺にだね」

「そうか。……ならば素直にぶつければ良かったな……」

 

 こぼれた一言に、そんな衝撃を叩き付けられたら最悪壊れるな、なんて思った。ショック療法にしても限度がある。言うなれば、蒼唯や赤音、黄泉に碧、真墨と白玖の援護なしでいきなり父親と面談をはじめる明透零無みたいなもの。それは流石に、ちょっと、心が保たない。ワンクッション置いてほしい。

 

「……すこし、良いだろうか?」

 

 なんて、考えていたときのコトだった。不意にかけられた声に正面を向く。

 

 〝――――え?〟

 

 ぴたり、と玄斗の体が固まった。隣の七美が不思議そうに眺めてくる。でも、それどころじゃない。散らばりかけた思考を、必死でかき集め直す。……冷静に、冷静に。本当、ちょっとしたショックだった。落ち着いて考えれば、分かること。まったく考えが足りない。この世界には彼女が居るのだから、目の前の人物が居ても、おかしくはない。

 

「……はい、大丈夫ですよ」

「ありがとう。申し訳ない。……その、一年生の教室はどこか、分かるだろうか。D組なんだが……」

「一年生はひとつ下の階です。降りて、西側を進めばありますよ」

「……すまない。ありがとう。いや、()()()の姿を見に来たのだが……つい、迷ってしまって」

「――そうですか」

 

 恥ずかしそうに言う男に、玄斗はすんなりと肩の力が抜けた。……なにを緊張していたのだろう。本当、馬鹿みたいな反応だ。でもって、ちょっとだけ心が弾む内容で。

 

「……よければご案内しましょうか? これでも生徒会長なんです、僕」

「いいの、だろうか……?」

「ええ。ちょうど僕たちも下の階に行く途中だったので。……ね、七美さん」

「む?」

 

 ふと七美のほうを向いて、うまく見えない角度のままウィンクを飛ばす。はじめにコテン、と首をかしげて、それから「ふむ」とちいさくうなずく。ぱちん、と綺麗にウィンクを返された。

 

「――それもそうだな。玄斗」

「うん。……そういうことなので、どうですか?」

「……では、よろしく頼みたい」

「はい」

 

 承りました、と彼は胸をはって答えた。新鮮だ。目の前の男相手にそこまで言えている自分がなにより新鮮だった。どうしても()()()ではフィルターがかかっているのではと思っていたからか。意外にも自然と出てきた言葉に、すこし感動すら覚える。

 

「……あ、申し遅れました。僕は十坂玄斗と言います。で、こっちの彼女が……」

「橙野七美です。玄斗の……友達、だな?」

「まあ、そうなるね」

「……十坂くんに、橙野さんだな。ありがとう。助かるよ。私は――明透有耶というんだ。我が子の名前は、零奈という」

 

 ぎこちない笑顔で、その人はそう名乗った。本当に奇縁だ。こうして見ると案外よく似ている。でもって、それでいながらいまと近いのが尚更良かった。立場も環境も境遇も、それこそ生まれ変わらなくてもそうだ。有るものは有る。きっと零ではない。可能性だってそのとおり。そんな些細な事実に、玄斗の心はどこまでも温かくなった。……良かった、と。 





>明透有耶
「ゼロだし価値もなし! 閉廷! 終了!」はどこでどうなっても言ってしまう系な駄目親父。でも娘の文化際に来ている時点でわりとお察し。詳しくは次回ですネ。

>玄斗(零無)
結局こいつがもうちょっと体強かったらわりと上手くいっていたし、そもそも生まれてこなかったらみんな幸せだった。


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良しも悪しも

 

 かつての父親と瓜二つな男をともなって、一年生の教室に向かう。文化際は昼を過ぎてもなお冷めやらぬ、といった盛り上がり。行き交う生徒たちはそれぞれが楽しんでいるように見える。やれる分だけやった甲斐はあった、と玄斗は内心で胸をなで下ろした。

 

「……君は、我が子と会ったことがあるのか」

「はい。何度か」

「そうか。……どうだろう、学校での、彼女は」

「よくしていると思います。とくに、これといった問題がある、なんて話も聞きませんし」

「……ならば、良いのだがな……」

 

 心配だ、と仏頂面で語る男は本当にそっくりそのままだ。重なって見える部分がある。歪んでしまった原因があるのだから、本質的にはそっちなのだろうか。けれど、そうなるとすこしおかしい。明透零奈が救われるほどの何かが過去に起きていたのは間違いない。ならば、彼はどのように道を修正したのだろう。

 

「……娘さんとは、仲が良いんですね」

「いや……以前までは、それほどでもなかったのだ。私が問題でな。ただ……」

「ただ?」

「……恥ずかしい話、酒の席で殴られてしまったのだ。知らない男にな……おまえほど愚かな奴も居るまいと、ちょうど居合わせたそいつに。……思えば、君みたいな髪色をしていたか」

「……その人、一人称が変わりませんでした?」

「ああ、変わったな。……知っているのか?」

 

 訊かれて、思わず玄斗は苦笑した。いや、なにをやっているのだろう。あのダメ親父。おそらくは古い鏡を見せられて、我慢ならなくなったのであろうが。

 

「……ちょっと、最悪の想像がよぎって……」

「む? ……まあ、なんでもいいが。恨んでいるわけではないよ。ただ、それで目が覚めただけの話なんだ。……そこまでの衝撃で、ようやく、心を見つめ直せた」

 

 むしろ感謝しているという有耶に、玄斗はやっぱり苦笑い。本当に申し訳無い。うちのクソ親父が本当に申し訳無い。なんだかもう本当に申し訳無い。やるにしてももうちょっと、なんていうか、スマートというか、賢いやり方があった筈なのだが。しかもそれを実行できるだけの実力を持っているのが彼の筈なのだが。

 

「……私は結局、あの子が大事なのだろうな。それだけは、間違いないのだと気付いた。だから心が揺れるのだ。……あの子のひとつひとつに、感情が触れるのだよ」

「……なんか、素敵ですね。そういうの」

「そうだろうかな。私は特別、そう思ったこともないよ」

「いいえ、素敵です」

 

 言い切る玄斗に、有耶がすこしだけ目を見開いた。どこかの馬鹿親父がそれに気付いたのはすべて失ってからだ。そんな単純な道理にすら行き着かないものだった。ならば、すこし早めに気付いた彼の想いが素敵でないワケがない。そこは、十坂玄斗である以前に明透零無であるなら譲れない。

 

「七美さんもそう思わない?」

「うむ。素敵だな」

「君たちは……大人をからかうものではないよ」

「「いえ、そんなことは」」

 

 意図せずふたりでハモって、顔を見合わせながら噴き出した。似たもの同士の玄斗と七美に挟まれて、似たような男がもうひとり。血も縁のつながりもないが、感じられるものが無いかと言えば別だ。

 

「……明透さん」

「……ああ。なんだい、十坂くん」

「僕が、言えたことではないんですけど。――きっと、離さないであげてください。案外ひとりぼっちは、寂しいんです」

「……そうだな。それは、成し遂げたいものだ」

 

 暗い病室。静かな世界。その果ての先を知らない彼女なら、壊れることはきっとない。誰も頼れない、何にも縋れない、壊れかけた身体の心地さえ知らないのなら、明透零奈はその感性を失わないでいられる。どこかの阿呆みたいに、透き通ってなにもない砕けたガラスの花瓶だとか。もはや戻ることのない残骸だとか。そんなものに成るコトもない。

 

「……良いことを言うな、玄斗。そうだな、ひとりは、寂しいな」

「うん。でもこうやって隣で話してるだけで、ずいぶん違うだろう?」

「そうだな。だから、やっぱり良いんだ。……良いな、良いぞ、玄斗」

「?」

 

 〝――おまえが()()()なのだろうな、私の〟

 

 何にも頼らない。彼女自身が、素直に美しいと思った何か。それに当て嵌まるものがある理由なんて、考えなくてもただひとつ。橙野七美自身の答えだ。手に掴んだ温もりの正体は知らなくても、それはきっと言語化できる感情のひとつで。

 

「――だから良いのだ。やはり玄斗は、玄斗でなければな」

「……そうだね。僕は、僕でないと」

 

 うなずく少年に、少女は変わらぬ笑顔を見せた。本当にそのとおり。自分は自分でなくては意味がない。……キーワードには、なるのだろうか。誰にとってかは言わない台詞を、繰り返すように胸中で回す。届いているかは、まったく分からない。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「零奈」

「……お、お父様ッ!?」

 

 教室についた瞬間、生徒の波が一瞬で開けた。その中央に明透零奈が立っている。一年D組の出し物はたしか某大手コーヒーチェーン店を模したものなので、接客中ということになるのだろう。……その接客の様子が、なかなかに壮大だったが。

 

「な、なにをしにいらっしゃいまして……!?」

「おまえの様子を見に来た。今日が文化際と言っていたろう。スケジュールは三時間あけてある。存分に見させて貰うぞ」

「い、一企業のトップがなにをお考えですか! お戻りくださいまし!」

「もう遅い。コーヒーをひとつもらえるだろうか」

「ああもう……! 少々お待ちいただけます!?」

 

 どたたーっ、と教室の奥へ走っていく明透少女。それを見た有耶がくすりと微笑むのを、玄斗は見逃さなかった。……なるほど。どう足掻いても父親はそういう方向に落ち着くらしい。むしろ変にこじらせていないだけちょうど良いとも言えた。過去の失態からそれはもう過保護になっているうちのアホ親父と交換してもらいたい。

 

「……やっぱり仲がよろしいですね、明透さん」

「いいや、まだまだだな。……最近になってようやく脛を蹴るようになってきたのだ。将来はさらっと毒を吐いてもらうぐらいでないとな?」

「どういう願望ですか……」

「いや、それぐらいが良いという意味だ。……私は私で、あの子に背負わせすぎた」

 

 ……なるほど、なんて内心で繰り返す。なんだか本当、明透有耶だ。きっといまの彼が自分たちを見れば羨むのだろうか。けれども玄斗にとっては現状の彼女と彼のほうが良い光景に思える。どちらも無い物ねだりという点では同じだった。

 

「……あ、あの」

「うん? ……って、ああ。黄泉ちゃん」

「お、お疲れさまです、先輩っ……その、せ、先輩も、どう、ですか……?」

「ああ、いいかも。どう? 七美さんも……って、あれ?」

 

 くるり、と振り返れば橙色の少女がいない。ぽっかりとその場には空白。一瞬にして姿が消えていた。まるで狐にでも化かされた気分だ。

 

「あ、その、後ろにいた方なら、さっき……ふらっと……」

「……ふらっと?」

「どこかに行ってました……はい……」

「(…………いや、七美さんらしいけども…………)」

 

 もうちょっと、こう、落ち着いてもらいたいと言うか、なんというか。結構迷子になりやすそうな彼女が心配になるというか。でもなんだかんだで上手くいきそうなあたり同じ波長は馬鹿にできないというか。

 

「……先輩は、零奈ちゃんのお父さんと、お知り合いなんですか?」

「ちょっとね。さっき廊下で会って、そこから。でも、ずっと前から」

「……? 意味が……?」

「分からなくて良いんだ。たぶん、それが分かるのは僕と、この学校ではあともう三人かな」

「??」

 

 父親も含めれば四人になる。が、ひとりは玄斗にとっていまだ戻らぬ人。はじめて伝えた彼女こそ、鋭いのだから全部気付いてもおかしくない。

 

「……僕もコーヒーをお願いしていいかな。できれば、微糖で」

「あ、はい。分かりましたっ」

 

 とててっ、と小走りで黄泉がかけていく。玄斗は有耶からすこし離れた席に腰を下ろした。向こうを見れば、零奈が「ど、どうぞ……」なんて頬を赤く染めながらカップを差し出している。ニヤッと不敵な笑みを浮かべる男性は、たぶん、間違いなくにやついているのだ。別におかしなコトを考えているのではなくて。

 

「(苦手だよね、本当……笑うの)」

 

 あと会話も、とはどちらも玄斗に返ってくるブーメランだ。魂レベルの呪いである。親子の縁である。きっと自分の不器用も父親が原因に違いない、と玄斗は確信を持った。

 

「……家のコーヒーのほうが美味いな」

「あの、なにを当然のことを言っていますの……?」

「だが悪くない。……我が子の制服姿も拝めたことだし、な」

「あのあの、お父様ってばどこかに頭をぶつけていらして?」

「私は極めてまともだが?」

「極めておかしいから言っていますのに……! って、あ、玄斗様」

「……玄斗()……?」

「(あ)」

 

 これ面倒くさいやつだ。こちらをじろっと見てきた男のほうを見ないようにして、コーヒーと共にやってくる黄色い後輩を待つ。自分の子供に対する異性関連の面倒くささに関しては、すっかり分かりきっている彼なのだった。






>父上
居酒屋でやけ酒してたら「妻が死んでつれーわーなんで子供が生きてんだよはあマジはあ」とかいう独り言をあろうことか一番聞かれちゃまずい奴に聞かれてた。最近の話ということはもちろんあの人。え? なに? よく見たら昔の私じゃんよっしゃ一発いっとこ! の感覚で頬をぶち抜かれて説教くらったくせに穏便に済ませてくれるなんて良い人ですね(目逸らし)


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有るか無しか

 

 たとえば、物事のはじまりなんてそれこそ平凡で。

 

「す、すいません……」

「ああ、いや、いいんだよ。私もすこし、気にはなっていた」

 

 旅は道連れ世は情け。偶然歩いていた白玖の真横を通り抜けていった()()()()車が、あまりにも荒々しくて肝を冷やした次の瞬間。停止した車のドライバーに謝られて、偶々同乗するようなコトにもなる。

 

「……えっと、お子さんでも、いらっしゃるんですか?」

「……そうだね。ひとり、居るには居るがなあ」

 

 煙草をふかすその人は、どこか物憂げな表情と共に校舎を見た。居ることは知っている。じっと眺めて、見えるワケもないと視線を切った。……本当にすこし、気になっただけ。

 

「まあ、色々とあるのさ。君もまあ、大概だとは思うがなあ……」

「はあ……?」

「結局、放っておいても直るものか。……それはまた、別だ」

「??」

「ああいや、なんでもない。ではな、お嬢さん。せいぜい道中話してくれた男の子と、仲良くいくよう祈っておくよ」

「えっ、いやちょっ――!?」

 

 慌てる白玖を置いて、勢いよく走り出した車が見えなくなっていく。……からかわれたのだろう。暇だからなにか話を、と言われて彼とのコトを片手間に話してしまったのが運の尽き。別にそういうのでもないだろうに、とは本心か照れ隠しか。

 

「(……十坂さんのところ、行こ)」

 

 ため息をついて、ふらふらと昇降口まで足を運ぶ。閉会式の挨拶は都合にてこちらで。向こうは他の生徒会メンバーに託している。ので、それまではすくなくとも自由時間だ。……筆が丘に助っ人できた調色の生徒会役員が、やけに周りの女子に怯えていたのは大丈夫かと思ったが。

 

『はっはっはー! こりゃトラウマ払拭にはうってつけっすね! うってつけすぎて失神しちまいそうなのを除けばよぉ!』

 

「(やけにテンション高かったけど……)」

 

 周りを見れば女子の波。頼れるべき男子諸君はそっちに釘付け。たったひとり戦力として投下された逢緒の境遇はなんとも悲しいものだった。自分から立候補したというあたりが本当にどうしようもない。

 

「(……おー……なんか、うん。こっちもこっちで色々やってるんだね。ちょっとだけ見て回ろっか)」

 

 件の男子を探すついでだ。そう思って、校内の様子を観察しながら白玖は歩いていく。十坂玄斗は、それを知らない。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「お帰りなさい、生徒会長」

「!」

 

 父親から逃げて三千里……とまではいかないが、後輩の淹れてくれたコーヒーを堪能して直後に出てきた玄斗を曲がり角で呼び止める声。見れば、ひとりの少女がそっと佇むように目を伏せている。

 

「……行かなくていいの?」

「あれは別。私じゃないから。……だいたいあなたのところの阿呆よ。私が好きだった人は」

「母さんからも阿呆認定なんだ……」

「だって阿呆じゃないあんなの」

 

 自分の子供を見捨てるとか正気か、なんて九留実が愚痴をこぼす。おそらくあのときの父親は正気どころじゃなかったので許してあげてもいいような気はした。すくなくとも玄斗からしてみれば、の話。本人と彼女がどう思うかは、言わずもがなだった。

 

「せいぜいがまあ、家族仲はよくないぐらいと思っていたのに」

「い、いまは仲が良いから……」

「そうね。あなたを死なせてよっぽど効いたのでしょうね? 馬鹿ですね」

「……意外と母さんって毒舌家……?」

「単にちょっとキレてるだけよ」

「な、なるほど……」

 

 父親の周りにいる人間はわりと容赦がない。たぶん本人もやるときはやる性格なので類は友を呼ぶのだろうか。明透有耶。我が子への憎しみから元々身体の弱い息子にまともな食事を与えず悪化させた経歴を持つ。玄斗としては「仕事熱心な人だし仕方ないのかな」なんて思っていた事実である。

 

「……ああ、そうそう。もしあの人になにか言われたらこう言い返してあげなさい」

「あ、うん。なに?」

「ゴム無し童貞男」

「ごめんそれはちょっと僕の精神が拒絶反応を起こす……っ」

「大丈夫よ。あの人初めてのとき持ってなかったから、それをネタにしてるだけ」

「父さん……っ」

 

 同じ男としてもうなんか正直かわいそうだった。どうしてうちの父親はこれほど下事情のネタが尽きないのか。あのクールでワーカーホリックこじらせたような冷徹無比な鉄面皮の父親を返してほしい。

 

「元々、本質的に愉快な人よ。私が居なくなってからは、苦労したようだけど」

「……そうだね。父さん、すごい辛かったと思う」

「苦労したのはあなただけでしょ、零無」

「それはないよ……」

 

 なんなら今だからこそ言える笑い話である。あの父親が昔はろくに食事も与えてくれなかったダメ親父だった。それでも生きていけたのは、必要最低限のことだけは与えてくれていたからである。憎い息子を殺すだけなら、もっと簡単に放り投げてしまえばいいのだから。

 

「……ああ、それから」

「うん」

「折角だし、これを渡しておくわ」

 

 言って、九留実は玄斗の胸ポケットへするりとそれを滑り込ませた。なんなのだろう、と服越しに軽く触ってみる。やや丸みがあって、ちょうど握れば手の中におさまるほどの大きさ。

 

「お守りよ」

「……お守り?」

「そう。……こういうのは、直感というのでしょうね。だから、言わないほうがいいわ」

「……?」

「よろしくね、零無。きっとあなたなら、どうとでもなるはずよ」

 

 九留実は踵を返しながら、伝えたいコトは伝えたと去っていく。なにがなんだか分からないが、どうにも母親はなにかを感じたようである。ならば、玄斗としても考えないわけにはいかない。

 

「(……僕なら、どうとでも……?)」

 

 その意味は捉えかねる。玄斗は首をかしげつつ、廊下をスタスタと進んでいった。ちいさく震えた携帯の音も、まったく気付かないまま。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 変わり果てた空間にも、変わらないものは有る。思えば、その人がはしゃぐのはたしかに似合わなかった。いつもどおりの格好と、いつもどおりの雰囲気。考え込んでいた玄斗の視界の端に飛びこんできたのは、教室でただひとりぽつんと佇む少女だった。

 

「(……たしかに、本編でも文化際での選択肢でデートがない人だけどさ……)」

 

 こちらに来てからは珍しい……わけでもないか、とは最近になって変わり始めた認識だ。ゆっくりと教室の戸を開けると、四埜崎蒼唯はこちらを一瞥もせずに本のページを捲った。

 

「先輩」

「…………、」

 

 名前を呼んで、ようやくこちらを認識する。蒼唯はあからさまにため息をついて、パタンと本を閉じた。ちょっとだけ意外だ。いまの彼女なら、気にせず本を読み続けるぐらいしてもいいと玄斗は思っていたのに。

 

「文化際、どうですか」

「……見て分からない?」

 

 はあ、ともう一度ため息。言いたいことはそれでなんとなく伝わった。要はそういう行事ごとが嫌いなのだ、ということらしい。

 

「今日は騒がしいわ。図書館にも入れないし」

「そういう日ですから……」

「厄介な日ね」

「でも、楽しんでくれてる子もいますから……」

「厄介な子ね」

 

 厄介な先輩だった。なぜだか知らないがちょっと拗ねている。……赤音が隣にいないのが原因だろうか。勝手に考えて、そういえばと自然な流れで口にしてみた。

 

「二之宮先輩は……」

「知らないわよ。彼女、基本自由奔放でしょう。どこかで好き勝手なにかやってるんじゃない?」

「……あの、喧嘩でも、しましたか……?」

「はあ? ……ああ、そういう。そうね……――――あ」

「?」

 

 と、蒼唯がなにかに気付いたように目を見開いた。対面の玄斗は「はて?」とぼんやり疑問に思う。それこそが、明確な隙だとも知らず。

 

「――そうね。そうなるわよね。なら、教えてあげるわ」

「えっと……?」

「はっきりと、ね」

 

 呟いて、蒼唯が距離を詰めた。閉じた本を机の置いて、近くまで来ていた玄斗の首もとへ腕を回す。彼にとっては二度目。彼女にとっては――奇しくも、二度目だ。それを知っているのは真実四埜崎蒼唯本人だけ。一瞬の硬直と理解の追い付かない刹那を狙って。

 

「っ!?」

「――――、」

 

 思いっきり、口付けた。

 

 〝――ば、ばかな…………!!〟

 

 混乱に陥った玄斗の脳みそがなんとか回る。いやばかな。そんなことが。そもそも気付かないとかなんとか以前にどうしてこのタイミングなのか。というか厳密には僕の体じゃないからアレだけどもしかすると俺のほうも色々とあれなんじゃないかなんてぐるぐる思考が空回りしかけて。

 

「……とおさか、さん……?」

「っ!!」

 

 〝――ああ、なるほど。〟

 

 聞こえてきた声に、ふり向くことができずとも察した。ゆっくりと蒼唯が顔を離していく。くすりと笑う少女の顔から視線をきって、入り口へと目を向ける。聞き間違いでは、ない。

 

「……は」

「…………っ」

「! ちょっ、待って、は――」

「待つのはあなたよ」

 

 駆けていく白玖を追いかけようとして、手首を掴まれた。この距離だ。反応すれば取るのは容易い。いまの玄斗にはすべてが繋がっている。違和感の正体。ふくらんでいた蒼唯らしくない彼女らしさ。それこそが、ぜんぶ、見知っていて見慣れたものだっただけ。

 

「先輩……!」

()()。なにをそんなに、彼女へ固執するの」

「なにを、って……」

「いいじゃない。もう。きっとその方が楽よ、あなたも。……彼女も」

 

 甘い声で、少女が言う。否、甘い誘いだ。それは、玄斗にとって毒みたいな、けれども飲み込んでしまっても悪くないもので――

 

「ごめんなさい。先輩」

 

 言葉は、それで完結した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そして、それを目撃したのがもうひとり。

 

 

 

「…………、」

 

 

「………………いまの、って」

 

 

「…………っ」

 

 

 

 

「……なん、なんだろうね……これ……」 

 

 








灰色お母様からここまで平和だったしそろそろギアをあげていきたい今日この頃。大丈夫大丈夫僕玄斗は大丈夫だから、うん。


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紅蓮の炎は鮮烈に

 

 優柔不断、八方美人、人たらし、女たらし、エトセトラエトセトラ。十坂玄斗という少年がそんなモノを身に付けてしまった理由はまあ、一言で表すには要因として複雑に絡み合っていた。第一、彼にとって人に好かれるというコト自体が元より当たり前ではない。自分は要らないものだと教えられて育ってきた。その勘違いこそ払拭されても、長い年月をかけて培ってきた価値観はそうそう変わらない。故に、彼はよく言えば真摯に……悪く言えばなにも考えずに好意を受け止めるのだ。

 

「(…………っ)」

 

 人から向けられる感情で、良い方向のものほど厄介なことはない。彼からすれば、それこそ悪意を向けられるのは苦しみこそすれど何分楽ではあった。なにせ嫌われるのは()()()()()()。そも彼が原作ヒロインと接しようとしたとき、好かれるという可能性を本当に一ミリも考えていなかった。――親にすら、好かれたことがなかったのに。

 

「(白玖っ……)」

 

 体が弱い幼少期は、ろくに外へも出られなかった。本格的に体調の悪化した少年期には、学校すらまともに通えなかった。青年期にはすでに寝たきりだ。そんな彼が、一体だれと絆を育んで、誰と親密になったのか。否、誰とも。父親からですら雑に扱われていた人間が、他の誰かと心を開いて関わり合うことなどできまい。相当な衝撃でもなければ無理な話だった。

 

「――――、」

 

 要するに、彼の生きてきた証すべてが現状をつくりだしている。歪に曲がりながらも生きてしまった罰だ。中途半端に人間になろうとした咎だ。十坂玄斗が、ではない。明透零無は、生まれてきてはならなかった。生きていてはいけない人間だった。

 

 ――そんな思考を、胸のお守りを握って撃ち砕く。

 

「(どうでもいい、なんだっていい……!)」

 

 真っ直ぐに前を向いて、玄斗は廊下を駆け抜ける。追いかける少女の姿は一向に見えない。多くは語らず抜け出した蒼唯の影は伸びてくることもない。だいたい、決めてしまえばそんなもの。謝罪以外のなにかを玄斗は言わなかった。だって、そうだ。謝る以外のすべてはまず、伝えるべき人物が他にいる。

 

「――どこへ行く気?」

「ッ」

 

 ふと、そんな声をかけられた。見れば壁に背中をあずけて、これまで静観を保っていた人物が腕を組みながら立っている。……壁にかけられた時計を盗み見れば、かなり()()時間だ。そも壱ノ瀬白玖が来たのだからそうに決まっている。

 

「赤音さん」

「閉会式まで一時間を切ってるわ。誰かさんが、挨拶をするんじゃなかったっけ?」

「……そう、ですね」

「いいのかしら? そのまま放り出して、恋人なんか追いかけちゃって」

「……赤音さんだって、去年、途中から抜け出して有志でバンドやったじゃないですか。鷹仁とか巻き込んで」

「いやー、あれは良かったわねえ。あいつ意外となんでもできるし。ほら、私趣味がギターだからつい、こう、発表の場から身を引けなかったというか、なんというか……」

 

 有名な話である。お昼をすぎて生徒会の姿が見当たらない、準備云々が滞ってできない、といったてんやわんやな実行委員をよそに、有志の発表ステージに堂々と立つ生徒会長がいた。本気で()()()演奏を披露して生徒の度肝を抜いたのも含めて実に赤音らしい。

 

「……って、それはどうでもいいのよ。要は、これから締めってときに重要人ふたりが痴話喧嘩しててどうすんの、って話。時間どおりに戻ってこれる保証もないでしょう」

「……それでも」

「行きたい? それとも行かなきゃ? 進行はどうすんの。木下でも対処できる案件? 他の役員への指示出しもそう。大体、理由もなにも伝えなきゃ周りはなにもすることができないわよ」

「…………っ」

 

 自分の役目を放棄していいのか。役職というのはこれがある。おろそかにすればそれだけ大勢の人間に迷惑がかかる。その行動にはときとして何倍もの責任が伴う。これからあとすこしでフィナーレを迎えるイベントの役目と、たったひとりの少女を自分勝手な理由で追いかけること。それを天秤にかけてそれでも進むのかと、少女は言っている。

 

「じゃあ、本題。その上で言ってあげるわ。――彼女は校門を抜けて右へ曲がったわよ。はい、どうしましょう生徒会長?」

「…………僕、は……」

「あー時間がない。時間がないわー。どうしよう。どうしようか十坂クン? んー? ほら、言ってみなさい? あんたはどうしたいの? ほらほら、ハリーハリー」

「……そんなの、追いかけたいに……」

「あー? なんですってぇ? きーこーえーなーいー」

「追いかけたいに、決まってます……!」

「あっそ、じゃあさっさと行きなさい」

 

 どん、と赤音は乱暴に玄斗の背中を押してそう言った。ふり向いたさきには仁王立ちでふんぞり返る赤毛の少女。彼は目をぱちくりとさせながら、その姿を見つめている。どこまでも困惑した様子で。

 

「……と、止めるんじゃ、ないんですか……?」

「んなわけないでしょ。大体、あたしだって去年似たようなコトしてるしー? 生徒会の役目とかクソ食らえってコト沢山やってるしー? 今更誰を責めるもないじゃない」

「赤音さん……」

「だからほら、さっさと行った。あとのことは仕方ないから、まあ()()()()()()()()()()

「それって……」

「本当、鈍いわね。あんた、目の前にいる人物を誰だと思ってんの?」

 

 そんなのは、考えるまでもない。

 

「――はい。ありがとうございます。赤音さん!」

「はいはい。いってらっしゃい十坂クン。いまだけは特別、借り受けてあげるわよ」

 

 ひらひらと手を振って、赤音は走っていく玄斗の背中を見送った。まあ、おそらくうまくはいかないし、どこかで躓くとは思っていたが、まさか理由がこんなものだったとは。馬鹿らしすぎて赤音もちょっとどうかと思う所存である。

 

「……さて、と。それじゃあいっちょやりますか。先ずはどこぞの馬鹿女からね」

 

 彼が眼前を抜けるときに漂った香りは、非常に覚えがある。鼻に染み付くレベルで覚えがある。それが誰のものなのかなんて分かりきってしまうぐらい。だからまあ、なにがあったかもなんとなく想像はできた。逃げるように出ていった白玖。それを全速力で追っていった玄斗。とくれば、必然。

 

「(よぉーし。久しぶりに笑い飛ばしてやれるわね!)」

 

 なお、引き受けた理由に本人の個人的な感情が無いとは言っていない。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「――あらあら、フラれちゃった?」

「…………っ」

 

 静寂を切り裂くように、教室へ入ってきたのがひとり。見るまでもなく耳で理解できる声に、蒼唯は思わず歯噛みした。彼女がこういうトーンを発するときは、絶対的な優位に自分が立っていると確信したときだ。

 

「……笑いたいならそうしなさい」

「ぷっ、く、っふふふ……あは、あはは! あははははははは!!」

「本当に笑うコトないじゃない!」

「笑ってなにが悪いのよ!」

 

 そう言ったのはあんたでしょうが、と言われて舌打ちで返す。たしかにそうだ。そうなのだが……今の笑い声には多大な悪意が込められている気がした。

 

「はっ。で、なにしたわけ? あいつに。彼女さんが逃げてたけどー?」

「……別に。目の前でちょっと唇が当たっただけよ」

「うわー……それ当てたって意味でしょあんた……うわー……まじかー……いやあんたよくあいつに嫌われないわねえ……」

「当たり前でしょう。彼自身が嫌っていないんだもの」

「うっわ、こいつ遂に言いやがった……分かりきってやってるあたり、本当タチ悪いったらありゃしない」

「うるさい」

 

 そっぽを向く蒼唯に、赤音はあからさまにため息をついた。どうしてこんなところだけ子供っぽいのか。彼女に夢を抱くような下級生……が居るのかどうかは知らないが、うまい具合に拗らせたものだ。……原因が自分にもちょっとあるあたり、無視できないのがまたなんとも。

 

「だって、彼は……私が……っ」

「……あんたが、なんなのよ。まさか、まだ分かってないわけ?」

「……なにが、よ」

「あらあら。これは本当に分かってないみたいね。最初にちょっかいかけたからかしらあ? だったら笑えるわね本気で。一番最初に踏み出した奴が一番大事な変化を見逃しているわけだし」

 

 笑う赤音を、蒼唯はじっと睨んだ。一体なにを言っているのか分からない、といった具合に。

 

「……もうあの子はひとりで立って歩いて行けるの。それを、ちゃんと認めてやりなさい」

「――それは……っ」

「私たちがなにかする必要もないのよ。あの子はあの子の足で歩いて、ちゃんと歩いて行けるんだから。……邪魔しちゃダメよ。あの子の人生だもの」

「………………そう、ね…………」

 

 言わば、失敗というのならそれこそやり過ぎた。脆く崩れそうだった彼は、完璧に叩き壊されて直されて、これ以上ないほどのものを身に付けた。もう二度と、十坂玄斗は迷わない。その心が砕け散るコトはない。だからこそ、やり過ぎたと言える。

 

「そんだけ。言いたいコトがあるなら言ってあげなさいよ。あいつと恋人ちゃんの邪魔をしない範囲内でね」

「……赤音は、それで良いのね」

「良いに決まってんでしょ。私、こう見えて尽くすタイプだから」

 

 笑う幼馴染みに、気分こそあがらないまま笑みがこみ上げた。たしかにそうだ。こんなにも堂々と、天上天下唯我独尊なんて言ってしまいそうなほど自分を中心に考えまくる彼女だが、そのわりに好いた相手にはかなり甘い。

 

「……昔からそうだったわね、あなたは」

「どうかしら。そんなのは忘れたわ」

「そうだったのよ。……甘すぎて、息が詰まりそうなぐらいだったから」

「……ふん。そりゃあ悪うございました」

 

 

 ◇◆◇

 

 

 立てば魔王、座れば暴君、歩く姿は重戦車。かつて、そう(木下鷹仁の内心限定で)思われていた人物がいる。隠さずに言うといまは懐かしき生徒会長、二之宮赤音がそれだった。忘れもしない本日よりちょっきり一年前。

 

『木下! バンドやるわよバンド! あんたドラムはできる!?』

『はあ!? できるわけねえだろ!? つうかこのあとは閉会式だ準備はどうする!』

『どうでもいいのよそんなことは! ってことで行くわよ! アーユーレディ!?』

『ダメです!』

『しゃおらーーー!! 行くわよ調色生徒会ぃーッ!!』

『おい話を聞け馬鹿かあんたは!?』

 

 ――あれは、地獄だった。煌々とあたるスポットライト。沸き上がる歓声。なぜだか順応しはじめた生徒会残り約二名。ノリノリの会長。おかげでやったこともないドラムをいきなり担当する羽目になった。そこで失敗するのではなくそこそこの成果を出すあたりがなんとも泣きたくなる。

 

「(まあ今年はそんなコトもないし、二之宮赤音はおかしな状況のせいで静かだし――)」

「あー、これよこれこれ」

「――――――、」

 

 なるほど、フラグとはこういう風に回収するものらしい。生徒会室の扉を開けてずかずかと入りこんできた闖入者に目を向ける。……惜しいことに自分の耳は腐っていなかったらしい。声の発信源には、件の重戦車がいた。違う。二之宮赤音がいた。

 

「……あー、なんですか二之宮先輩? 申し訳ないんですけど素人は帰ってもらえませんかねえ。こちとらこれから大事な役目が残ってるんすよ」

「ふうん? ねえねえ。いつからそんな偉そうなクチをきけるようになったの? ねえ、木下? うんうん?」

「…………は?」

「なーにー? 副会長になっちゃって調子乗っちゃった? なんでもいいけど、私にとってのあんたは書記。その腕章なんて勿体ないわねー。ああ勿体ないわねえー!」

「いや、おいおいおい……なんの冗談だこりゃあ……! 玄斗ぉ! おい玄斗ぉ! 玄斗はいねえのかちくしょうっ!」

「他は……六花と九留実か。……九留実?」

「……なんでございましょう」

「……なるほど」

 

 ふんふむ、と赤音がうなずく。おしとやかに灰寺九留実は紅茶を含んでいた。その裏で、なんだろうこの不安感と首をかしげながら滝のような冷や汗が背中をつたう。

 

「まあいいわ。あんがい変わりないかも分かんないし。それに、あいつと一緒だったなら大抵平気でしょう」

「……おい、いや、なにがどうなってる」

「諸事情につき玄斗がアレなので、私が助っ人会長してあげるのよ。さーバリバリ働いてビシッと締める! 終わり良ければすべてよし! 緩く染まりきった全校生徒に、二之宮赤音の衝撃を叩き付けてやるわ……!」

「……そう言ってギターを構えるのはどうなんだ、助っ人会長さん」

「やらない?」

「やらねえ!」

 

 叫びながら、鷹仁はわずかに。本当にわずかに、口の端をつりあげた。十坂玄斗の生徒会が悪くなかったワケではない。むしろ心地よかったぐらいだ。けれど、それとはまた別で思い入れがあるのも事実。

 

「(ホンット……ドMか俺は……)」

 

 これでこそ、二之宮赤音を筆頭とした調色高校生徒会、である。








>赤色(元)会長ヒロイン
八面六臂とはまさにこのこと。こんな強かな女の子がエッチな夢見て赤面するワケないんだよなあ!


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これ以上なんてないだろう?

 

 気付けば公園のど真ん中で立ち尽くしていた。寂れた敷地内に子供はおろか人の姿もない。ただひとり、不似合いな制服を着こんだ少女だけが佇んでいる。どうしようもなくて、白玖は静かにベンチへ腰を下ろした。なんなのだろう。考えても、答えどころか疑問すらままならなかった。

 

「(私、は……)」

 

 他人のコトはもちろん、自分のコトさえも分からない。否、分かっているけれど、見ようとはしないのか。なにを話していたのかは分からない。ただ、彼が蒼髪の少女とキスをした瞬間――とても耐えきれなくて、逃げ出してしまっただけ。

 

「(なにが、したいんだろうね……)」

 

 それでなにが変わるわけでもないだろうに、と内心で自嘲する。結局、なにもかもが分からない。それだけが事実だった。白玖には十坂玄斗という人間が、その行動原理が、なによりその心が、まったくもって分からない。

 

「(まあ……最初から、分かってたコト、なんだけどね……)」

 

 思えばはじめて出会ったときからそうだ。十坂玄斗という少年は、一から十までそれそのものが意味不明だった。なぜ、と問いかけなかったときはない。不思議な人、というのが白玖の彼に対する評価だ。不思議なぐらい近付いてきて、不思議なぐらい親しくて、不思議なぐらい落ち着く、不思議なぐらい安心できる人。

 

「(……なんで、なんだろう……)」

 

 そんな人なのに、心に刻まれてしまった。

 

「――――――っ」

 

 好意はそれこそ明け透けで。鈍いだなんだと他の女子から言われる白玖ですらそれとなく察するほどだった。だから、たぶん、この人はそこまでの物好きなのかなんて思ったりもした。それで、どうだったのだろう。なにをどうしたくて、どれをどう掴みたかったのだろう。分からない、分からない。いまの白玖には、なにも、考えられるものではないように思えて仕方ない。

 

「(……そこまでじゃ、ないって……思ってたのになあ……)」

 

 所詮は知り合い。ただ付き合いがよくあるだけの、見知った仲。そう思っていたのが、まるっきり勘違いだった。どうにも胸が苦しくてしょうがない。ならば、答えなんてひとつしかなくて。結局、他人に唇を取られて傷付くぐらいには、彼のほうに心が傾いてしまっていたのだ。

 

「(……十坂、さん……)」

 

 名前を呼ぶ。返事はない。当然のこと。声にも出していなければ、彼がこんな場所まで来るわけがない。壱ノ瀬白玖はたったひとり。あのときからずっと、たったひとりだ。両親が死んで、なにもなくなって、なにも感じなくなって。どうでもよくなってからずっとひとりでいた。なら、それに戻るだけ。それはなんの問題もなくて――

 

()()

 

 ――今し方発生した問題に、心が震えてしまう。

 

「…………とお、さか……さん……」

「探したよ。……でも、ここだったんだ」

 

 奇縁だ、と玄斗があたりを見渡す。ここではないどこか。遠く離れた彼の世界で、ふたりがはじめて交わった場所である。今はもうない文字の痕と記憶は、しっかりと彼だけが覚えている。……そう、彼だけが。いまの壱ノ瀬白玖に、そんなモノはない。

 

「……なにしに、来たんですか」

「誤解を解きに来た」

「っ……なにが、誤解、なんですか……?」

「僕は君が好きなんだ、白玖」

「嘘っ!!」

 

 反射的に叫んでいた。でも仕方ない。そんな薄い言葉をかけられたところで、惨めさが増すだけだった。実際に見ている。見てしまっている。玄斗があの少女に迫られた瞬間、拒絶しようともしなかったのを。

 

「だって、あんなに……」

「あれは、違うんだ。本当だよ。僕は、君が一番なんだ」

「……なん、なんですか。今更」

「…………、」

「そんな、こと、言われても……っ、私は、信じられませんから!」

「……そっか」

 

 そうだ。信じられるわけがない。自分がことが好き? あれは違う? 一番? なんとも馬鹿馬鹿しい。あんな()()なキスシーンを見せつけておいてよく言う。

 

「じゃあ、どうすれば信じてもらえる」

「……どう、って……」

「何度でも言う。僕が好きなのは君だ。それ以外がどうでもいい、とまでは言えないけどね。でも、大事なのはひとりしかいない。優先順位がなによりも勝るのはひとつしかない。それだけじゃ、ダメかな」

「それ、は……」

 

 心が震えたような気がした。白玖ではない。玄斗のほうの、中身が揺れていた。同じにしても、まるで正反対。それ以外を要らないとすべて切り捨てられる〝俺〟と、それ以外にも軽く手を伸ばしてしまえる〝僕〟の差だ。決して埋まらない、心の差。

 

「……言うことだけなら、なんとでも」

「じゃあすればいいのかな。君の言うことを」

「え……」

「なんでもするよ。白玖。言えばいい。なんだって、してみせるよ」

「……なんでも、って……私が死ねって言ったら、死ぬんですか……!?」

「……ああ。なるほど。君は誤解している、白玖」

 

 自分に価値はない。そう思っていた人間がどこに価値を見出すのか。簡単なコト、それは彼自身の心に映った望むべきなにかだ。ならば、

 

「僕は()()()()()()()()()。そう思った人間だ。そこは、間違ってるね」

「――――――」

 

 本当に、なんなのだろう。この男は。

 

「どうする? 僕は、絶対、なんでも言うことを聞く」

「……わ、私がっ……で、でたらめを、言ったら、どうするんですか……!」

「それでもいい。どうなってもきっとね。僕は信じてるんだよ。……君は、白玖だ」

 

 重く、深く、それでいて軽く。彼は少女の名前を呼ぶ。なによりも強い意味を込められた、ひとりの少女の名前を。

 

「なら、なにも心配する必要はない。壱ノ瀬白玖は、そういう人間なんだ」

「……っ、そん、なの……!」

 

 デタラメだ。なにもかもがデタラメだ。彼がなにを知っているのか。白玖はそれが分からない。なんでも分かっているようで、なにもかも分かっていない。所詮はハッタリ。真実なんてそれこそ噂どおりの可能性だってある。女泣かせの調色高校生徒会長。そんな話を、半信半疑で聞いたことはあった。

 

「……じゃ、じゃあ……!」

「……、」

「わ、私にだって、キス、できますよね……!?」

「よし、やろうか」

「はいい!!??」

 

 食い付きが尋常じゃなかった。ずざっ、と白玖が一歩後じさる。

 

「なっ、な、な――!」

「? どうしたの。しないの?」

「なんでそんな乗り気なんですか!」

「え、したいから」

「欲望に忠実……!」

 

 そりゃそうである。白玖は知らない。なにも知らない。この少年が見境ないように見えて、コレと決めた誰かに対してのみ自分の欲望を解放するコトを。

 

「……っ、や、やっぱり無しです! 他! 他で!」

「いや、有りだ。それでいい。やろう」

「ちょっ……だ、だめですから! 許しませんから! そん、なの……!」

「ここまで言っておいてそれはないだろう。大体、白玖は分かってないんだ」

 

 十坂玄斗の、明透零無の、隠された本性を。

 

「あ、あの……っ!?」

「僕がどれだけ我慢したと思ってる……目の前に君がいるんだぞ? 自分の恋人がいるんだぞ? なのに手も繋げたいとかどうかしてる。僕は僕なりに頑張って君の隣に立ったのにそれをワケのわからない状況でぜんぶブチ壊れて頭にこなかったわけがないでしょ。まあいまの白玖も可愛いからそれでプラマイゼロなんだけどやっぱり白玖の可愛さはプライスレスっていうか白玖であって白玖だからこその白玖っていうかもうすごい白玖なんだよ。僕は正直もうやばい。するって言われたらするよそりゃあする。前言撤回とかないよ先に言ったのはそっちだ。ならいいじゃないか僕と白玖だぞなんでそれに躊躇う必要があるんだよ大体僕はなにがどうなっても白玖の彼氏だからな……!!」

「え、いや、ええ……あれえ……!?」

 

 〝やべえ。〟

 

 その一言にすべてが集約されている。なにがなんだか言っている意味が分からないし理解もしたくないが、とにかくこの少年は凄まじい。十坂玄斗は壱ノ瀬白玖にベタ惚れだった。その心の枷を解き放てば、こんなものである。

 

「――だから、しよう。白玖」

「は!? いや、待っ……!」

「待たない。いいか、もう言うぞ。白玖。君は僕のものだからな」

「なっ――――」

 

 そうして、力強く、彼のほうから誠心誠意、心を込めて、唇を奪われた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

『――玄斗』

 

『ああ、もう――』

 

『ただいま』

 

『うん。やっぱりブレザー姿の玄斗はエッチすぎるよ』

 

『……そうだよ。玄斗は約束、破らないんだよ』

 

『ね、玄斗。……私を絶対、幸せなままで居させてね』

 

『玄斗が隣に居るだけで、私は幸せなんだから』

 

『だからあ……言ったじゃん。私はぜんぶ知ってますよーって』

 

『玄斗らしく生きていけばいい。玄斗の思うように、生きていけばいいんだよ。そのために私がいて、他の誰かがいて……なにより、玄斗がいるから』

 

『玄斗?』

 

『玄斗』

 

『玄斗――!』

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……玄斗……?」

 

 目をしばたたかせて、眼前の少女が言う。思わず泣いてしまいそうなほど優しい声音。懐かしすぎる耳朶を震わせる響き。少女の瞳には既知の色がある。それだけで、もう一度キスを落とした。

 

「んむっ!?」

「――っ、ああ、白玖だ。白玖だ……白玖だ……! あは、あはは! そっか! そうだ!すっかり忘れてた……! よかった、ああよかった。後悔なんてないよ。やったぞ! 白玖だ! あはは、ふ、あは、あははは――!」

「えっ、いや、ちょっ……ワケが分かんないんですけどぉ!?」

「白玖ぅー!」

「う、え、あはぁーーー!!??」

 

 〝三回目だとォ――!?〟

 

 あたまがふっとうしそうだった。なにがどうなってやがる。

 

「白玖、白玖……っ」

「ああもうなんなの! 好きなのそんなに!? 私のこと!?」

「好きだ! 世界で一番君が好きだ! やっぱり僕には白玖しかいない!」

「ならば良しっ!」

 

 〝いや良いのかよ。〟

 

 自分に自分でツッコんでしまった少女をよそに、玄斗が笑顔のままぎゅっと抱き締める。久方ぶりの白玖だ。とても懐かしい白玖だ。けれどもこれでこその白玖である。こうでないとという白玖である。白玖である。それはもう白玖である。

 

「あははは! あははははは! 最っ高だ! もう、なんていうか! なにもいらない! 白玖以外なにもいらない! あははははは――!」

「……ああ、もう……玄斗は本当、ワケ分かんないんだから……」

 

 笑う少年に、ようやく少女も呆れながら笑い返す。白と黒。交わりあっても表裏。それが揃ったのは、奇しくも同じ公園で。ふたりは長い間、抱き合い続けた。今までの時間を埋めるように。いつまでも、いつまでも――

 

 

 ◇◆◇

 

 

『えー……というわけで、これにて全日程を……』

「ちょーっと待ったぁ!」

『――っ……またかあんたはァ! 二年連続だぞこの野郎!!』

「ここじゃ一年目よ! ほらそこでマイク取ってないでさっさと来なさい木下! ベース六花! キーボード九留実! ギターボーカル私ぃ! ド派手にやってやるわぁ!!」

『だああくそふざけろ! 玄斗! てめえマジ許さねえからな! こんな地獄を二度も体験したくなかったぞ俺はァ!!』

「無駄口叩くなさっさと来る! 準備はいい(アーユーレディ)!? みんな!」

『ダメっつってんだろ!?』

「一曲目! 【実は僕の友達は】!!」

『その曲知らねえ!』




▶新しいエピソードが解放されました!
No color//攻略対象:????//難易度//??
▶新しいステージが解放されました!
喫茶店//攻略対象:????//上昇率//??
▶アーカイブが追加されました!
ギャルゲーの友人キャラに転生したら主人公が女だった2
To be continued...

次で最終章。張りきっていきまっしょい。


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第十四章 色が無くても――
白いキャンバスに染み付いて


 

「……玄斗」

「…………、」

「……ねぇー玄斗ぉー」

「……………………、」

「いつまでやってるの……?」

「もうすこし」

 

 そう言う少年は、真正面から白玖を抱き締めている。……というか抱きついている。玄斗にとっては感動の再会から一時間弱。すでに閉会式も終わった頃になっても、ふたりは未だに公園でくっついていた。

 

「なんなのぉ……今日の玄斗、なんか、おかしくない……?」

「おかしくない。白玖が白玖すぎるのがおかしい」

「いや完璧におかしいじゃん……」

「おかしくない」

 

 断固として言う玄斗に、白玖がため息をつきながら背中をさする。正直なにがなんだか分からないが、不器用なこの少年が真っ直ぐに甘えてくるというのは相当だ。なんだかんだで自分の弱さを他人に見せるのを無意識的に嫌っている節がある。これもまたいい機会か、なんて優しく受け止めることにした。

 

「……てか、寒いね……まだ九月じゃなかったっけ……」

「白玖がいないから、寒くなったんだよ」

「なにそれ……私は太陽かなにか?」

「うん」

「うんじゃないんですけど……あのあの、本当に大丈夫? 玄斗?」

「もう大丈夫。だって君がいる」

「(コイツ……!)」

 

 狙って言っているのだろうか。いや、今のトーンと真剣さとそれでいてスルリと出てきた流れからしておそらく天然だ。白玖は一瞬で理解した。十坂玄斗検定一級保持者の実力である。

 

「……ま、いいけど。これはこれで役得だし……」

「そっか。やっぱり白玖だ」

「はいはい。あなたの大好きな白玖ちゃんですよー」

「うん。僕の大好きな白玖だ」

「(コイツぅ……!!)」

 

 もしかしてこの男はここで襲ってほしいのではないだろうか。白玖は真剣に考えた。誰もいない公園。男女がふたりで強く抱き合っている。それでなにも起きないはずがなく……、

 

「(いいのか? いやいいよね? だって恋人だし。玄斗だし。いや、うん。これはほら、あれだから。ちゃんと愛し合う仲としてね? うん。まあ、やるべきコトやっとかないとね!?)」

「…………、」

「っ」

 

 ぎゅっと、抱き締める力を強くされた。

 

 〝ふぉわーーーーーー!!!???〟

 

 壱ノ瀬白玖、発狂する。おかしい。やっぱりおかしい。いや、いつもの玄斗もそれはそれでおかしいと言えるのだが、今日は一段とおかしい。うちの彼氏がこんなにかわいいわけがない。なんだかライトノベル一本書けそうなレベルの状況だった。

 

「……白玖」

「は、はいっ!」

「……もう、離さないからな」

「お、お願いしますっ!?」

「…………、」

「――、――」

 

 ぎゅっと、さらに抱き締める力が強くなる。

 

 〝――もうこれで終わってもいい……〟

 

 これ以上はない。壱ノ瀬白玖は世界のなんたるかを理解した。世界とはつまり今である。今がすべてである。玄斗、サイコー。その一言以外に出てこない。好きが溢れてたまらないなんていう歌詞や台詞を「ふっ」と鼻で笑ったこともあったが、存外自分が笑えたことでもないらしい。

 

「――白玖」

「……ん。なに……?」

「結婚しよう」

「ふぁっ!?」

 

 これ以上なんてあるのか。その事実に壱ノ瀬白玖の心が震えた。いや、まあ、年齢的にどう考えても無理なのだが。

 

「いっ、いや、もちろんするけど!?」

「うん。しよう。すっごい、はっきり分かった。僕は、君がいないとダメだ」

「いやそれ言いたいのは私なんですケド……」

「じゃあ同じだ。ふたりで、同じ。……いいな、コレ。やっぱり君じゃなきゃなあ……」

「――ったく、もう……」

 

 なんとも嬉しいことを言ってくれる。にやけてしまう顔を堪えきれないまま、白玖はそっと玄斗の頭を撫でた。なにが起きたのかは、依然として分かっていない。けれど、自分がいて、彼がいて、同じ想いを抱いている。それだけでなんでも出来て、なんでも叶うような気がした。きっと無敵だ。それさえあるのなら、毎日も輝いて見えるのだから。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 年に一度の行事は、無事終わりを迎えたようだった。離れがたい白玖と別れて、「どうしてコッチの私は玄斗と同じ学校に行かなかったのかな!? 馬鹿なのかな!?」と同一存在にキレる少女を見送ったあと。校舎に帰ってきた頃にはちょうど片付けがはじまっていて、玄斗もそれに参加することにした。

 

「おう会長。よくもまあすっぽかしてくれたな? お陰で俺は……」

「鷹仁……」

「去年より上手かったわよー、木下」

「クソがぁ!」

「しゃおらー!!」

 

 殴りかかった鷹仁が見事に背負い投げの要領で転がされていた。真昼の夕焼け、二之宮赤音。男子生徒ひとりぶちのめすぐらいはワケない実力者である。せきこむ鷹仁の姿がなんとも憐れだった。

 

「手加減してあげてください赤音さん……」

「女子に暴力ふるう方が悪いわ。正当防衛よ」

「てめえは女子っつうよりメスゴ――」

 

 めこっ。と、なにか言いかけた鷹仁だったものが踏みつけられてめり込む。たぶん、なんでもあり(ギャグ的な描写)のせいで。

 

「あはは。なに? メス……なんですって? メスシリンダー? 私は別にそんな授業で使うような器具とは違うんですけどー?」

「赤音さん、赤音さん。めり込んでます」

「足りないかしら……」

「やめてあげて……」

 

 玄斗の切実な願いに、赤音が鷹仁から足を退けた。生徒会の力関係は凄まじい。こんな状況でもなおしぶとく生き抜いてきた鷹仁も凄まじい。きっと辛い日は沢山あったんだろうな、なんて思わず同情してしまった。

 

「やっぱり会長は玄斗だ……こんな。こんなクソ女に……生徒会長を任せるなんざ間違ってる……!」

「だそうよ。よかったわね玄斗」

「僕は赤音さんほうがしっくり来ますけど」

「あら、そう? 私はあんたも良いと思うわ、玄斗」

「断然玄斗。どこぞのクソ女が会長はクソ」

「もう一回やる?」

「やらねえ!」

 

 がばっと立ち上がった鷹仁が距離をとる。流石は生徒会メンバー。対応が慣れきっている。やっぱりこれはこれで、と玄斗はうんうん頷いた。そう思っていたのは鷹仁も同じである。つい二時間ほど前まで。

 

「あはは…………、あ」

「……、」

 

 と、正面から歩いてくる見知った姿に気付いた。すぐそばで赤音のため息が聞こえてくる。なにがあったかは、まあ、それでなんとなく感付いた。仲の悪さは有名だが、それだけどちらも接する機会があるということで。実際のあるべきものだった関係性がどういうことなのかも、これまで見てきたものだった。

 

「……先輩」

「……言っておくけれど、私は一度も悔やんでなんかいない」

「…………はい」

「だから、せいぜい楽しんでおきなさい。なにかあれば、私がものにするから」

「……なにもないよう、頑張っておきます」

「ふん……」

 

 実に彼女らしい、それでいて十坂玄斗と四埜崎蒼唯らしい会話だった。それだけ言って蒼唯はスタスタと横を通り抜けていく。

 

「……頑固なやつ。年を取ったら老害になりそうね」

「あなたも人のコトを言えないわね。暴力女」

「あら、教育的指導よ?」

「度を超えたものはただの暴力というのよ、メスゴリラ」

「なっ――言いやがったわねこのクソアマ……!!」

「……よくぞ言ってくれたぜ」

「木下ァ!」

「うっす!!!!」

「あとで屋上ッ!!」

「おいおいおい、死んだわ俺……」

 

 死刑宣告を受けた友人に手を合わせながら、玄斗は目を伏せた。……しかしながらゴリラというのは森の賢者と言われるぐらいに温厚であって、その点で見れば色んな意味で赤音には似合わないと彼は思った。例えるなら虎だろうか。返り血を浴びた虎とかそういう感じのイメージがしっくりくる。

 

「……玄斗」

「あ、はい。なんでしょう」

「あんたも来い」

「っ!!??」

 

 エスパーか。玄斗はがっくりと肩を落としながら嘆いた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 片付けも進んでくると、校舎にも人気のない場所が出てくる。にぎやかだった時間は徐々に落ち着きを取り戻していく。華やかではないが、緩やかな終わり。なんとか成功に終わった一大イベントにほっと胸をなで下ろしながら、玄斗はダンボールを抱えて廊下を歩いていく。

 

「(……うん、なんだかんだで、良かった)」

 

 大変ではあったが、結局のところ取り戻せた部分が大きい。大きすぎて今もなお大切さを再認識するレベルだ。壱ノ瀬白玖がいる。自分のよく知る壱ノ瀬白玖がここにいる。それだけで随分と景色が変わる。なんとも、心地よい。

 

「(さてと……たしかこのダンボールはここで――)」

 

 がらり、と器用に空き教室の扉を開ける。普段は誰も通らないような片隅の、半ば物置とかした一室だ。どのあたりに置いておこうか、なんて視線を前にあげて――

 

 

 

 

 

 

 

「――――――、」

 

 

「………………、」

 

 

 

 

 

 

 

 呆然と、こちらを見る少女と目が合った。

 

「…………と、とお……さか、くん……?」

 

 見つめ合うふたり。段ボール箱を持った少年。対する少女は、これまた防御力の低い格好をしている。有り体にいえば下着姿だった。白い肌が露出している。まだ薄明るい窓からの光で、それが見えた。とんでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ああ、本当に、とんでもない。思わず、玄斗が荷物を落としてしまうぐらいには。

 

「――……飯咎、さん……」

「……あ、その、い、いや……あのぉ……」

 

 恥ずかしげに少女――飯咎広那は脱いでいたワイシャツをつかんで体を隠す。それでも下半分は覆いきれない。おそらくは衣装かなにかから着替えていたのだろう。それらしきものが制服を置いた机とは反対側に積まれている。けれど、そんなものはどうでもいい。なにより映らなかった。理由なんて単純に。目の前の少女の姿が、その身体が、あまりにも目を引くもので――

 

「…………きみ、は…………」

「――あ。……えっ……と……あれ。二回目、じゃないかな……? ()()、見るの……」

「――――ッ」

 

 〝……そうか。〟

 

 ぜんぶ、理解した。〝僕〟の知らなかったこと。〝俺〟だけが知っていたこと。頑なに訴え続けていた誰かのこと。そのぜんぶが、なんだか見事に、繋がった。飯咎広那の肌は、女の子らしい綺麗なものだった。冬の月を思わせる玻璃のような白さ。それはたしかに、目を引く要素として十分。でも、違う。そんなものが、玄斗の目にとまったのではない。

 

 〝俺は最初っから、ぜんぶ、これを知ってたんだな――〟

 

「……トオサカ、くん……?」

「…………、」

 

 生々しくはない。おそらくは古いもの。ただ、その量と、範囲と、深さがあまりにも常識からかけ離れていた。どうりで袖の長い服を着ていたのだと察する。じんましんが出るからと隠していた逢緒とは似ているようでまったく違う。あれはいざというときのため。これは、既にあるものを隠すためなのだろう。

 

「……君は」

「…………あ、あー、うん。……えっと……その……」

「…………、」

「と、とりあえず、その……服を、着させてくれると、嬉しいかなー……って……」

「…………ごめん」

 

 明るく言った少女に、静かに扉を閉めて、背中をあずけた。廊下には段ボール箱から転がった備品が散らかっている。それを掃除する気にもならない。瞼の裏に焼き付いた光景が、頭を占めてならなかった。ずるずると、その場に座り込む。

 

「(――なんだ、あれ……)」

 

 見えた部分だけでも、火傷と、切ったようなそれと、変色した肌が見えた。歪に歪んだり凹んだ部分もあったように思う。あんなのを見ればこのトオサカクロトの体なんて比べものにならない。それほどに、ボロボロになった肉体の有り様。

 

「(……ああ、そっか。君が――〝彼女〟か……〝俺〟)」

 

 一度は、見たコトがある。それは、なにもない彼にどれほどの衝撃だったのだろう。玄斗でさえも震えるような光景を、彼は見てどう思ったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 ――飯咎広那の体には、消えない傷が幾つも浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 







>彼女
着込む系メカクレ少女。なお着込む理由を彼女自身の口から真相なんて言ってない。真夏でも長袖で(あっ……ふーん)した人も多いかもしれない。


さあやろうか! もう二部はじめてからずっとずっとこれがやりたくて仕方なかった! いくぞぉ!! オラァ!!!!


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告発とか発覚とか

「あ、あはは……」

「…………、」

 

 制服に着替えた広那が、曖昧に笑いながら玄斗を盗み見る。裸を見られた、というのは女子として十分恥ずかしがる要素だった。二度目という点を除けば、だが。

 

「…………トオサカくん?」

「…………、」

 

 すっと、玄斗が視線をあげる。顔の左半分を覆い隠す長い前髪。何重にも巻かれた首元のマフラー、手袋、長袖の制服にタイツ。できる限り肌の露出をおさえた格好は、単なる寒がりではないのが明白だった。

 

「……飯咎さんは」

「え、あ、うん」

「……誰かに、その……いじめとか、受けた……のか……?」

 

 詰まりながら、言おうかどうか迷って、聞かなければどうにもならないと問いかけた。それは無闇に心に触れる台詞だ。問いかけるなら、それ相応の覚悟を持たなくてはならない。もしも、そんなコトがあって、未だにあるのなら。

 

「ああいや! 違う……っていうか、あの、君には一回説明してるはず……なんだけど……」

「……そっか。そこから、だね。飯咎さん」

「え……?」

「僕は君の知る十坂玄斗じゃない。ごめんね。今まで」

 

 頭を下げる少年に、広那は信じられないといった風に息を呑んだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……学校だと、誰に聞かれるか、分かんないからね」

 

 こっちの方がいいんだ、と少女は微笑む。メニューをぱっと広げながら、どれにしようかなんて悩みはじめた。すこし離れた明るめの喫茶店。店内に流れる音楽は気持ちアップテンポで、大勢の客が居るせいか賑やかだった。

 

「でも、そっか。トオサカくんは、別人だったんだ。……どういうワケでそうなってるのかは、分かんないけど。じゃあ、知らないワケだね」

「……前の僕は、それを見てどんな反応をしたんだ?」

「どう、って……まあ、同じ、かなあ……? すごい驚いてて。すごい……うん。心配、してくれた……んだと、思う」

「…………そっか」

 

 余程だったのだろう。おそらくはそれが転機となった筈だ。無色透明だった十坂玄斗が、はじめて自分の色を付けたとも言う。自分との違いがそこにはある。まともな手順なんてそれこそあるかも分からないものは踏んでいない。すくなくとも玄斗とは異なったやり方で、いまの自分を確立させた。

 

「……飯咎さんは」

「……うん」

「……一体、どうして……そんな、コトに……?」

 

 恐る恐る、といった様子で触れる。良いのかどうかが分からないが故の躊躇だ。そして、それを気にした様子もなく返すのが目の前の少女で。

 

「ああ、いや。そこまで気構えなくてもいいよ。もう、終わったことだし……」

「終わったこと……」

「そう。……私の傷はね。これは――」

「――広那?」

 

 どこか聞き覚えのある声に、玄斗は自然とふり向いた。それは、タイミングとして奇跡的とも言えたのかも知れない。なにも知らない玄斗からすれば、そのとおり。視線の先に立っていたのは、いつかに相見えた、

 

「……お、かあ、さん……?」

「――ああ。久しぶりだね、広那」

 

 飯咎狭乎は、ニコリと笑ってそう言った。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「元気にしていたか?」

「……は、はい」

「そうかそうか、いや……あいつのトコロならそりゃあ元気か」

 

 くつくつと笑う狭乎に、広那が短く答える。玄斗の記憶では、彼女は長年娘に会っていないと言っていた。それはこちらでも変わりなかったらしい。久方ぶりになる親子感動の再会――なんて、気楽に見ていられるほど和やかな雰囲気ではなかった。

 

「(飯咎さん……?)」

 

 見るからに、広那の様子がおかしい。付き合いの殆どなかった玄斗でも分かるほどだ。〝俺〟ならもっと細かく分かるだろうか。自分の辿った先にそんな人間的なモノが芽生えているかは微妙だったが、それぐらいあってもらわなくては困る。

 

「しかしまあ……すっかり大きくなって」

「っ」

 

 そっと狭乎が頭に手を乗せる。それに、肩を跳ねながら広那が受け入れた。……じっと、黙って、俯きながらその場を動かないようにしている。

 

「おまえと離れ離れになったのは小さいときだからなあ。覚えているかい、広那」

「う、うん……」

「そうか。ふふ、いやあ、本当に懐かしいなあ……その、()()

「っ!」

 

 すい、と頭を撫でていた狭乎の手が髪に隠された顔の左半分へ伸びる。広那の髪色は茶髪の混じった薄い黒髪だ。それにうまく溶け込む具合で――玄斗も今の今まで気付かなかった――眼帯がかけられていた。

 

「これはちょっとやりすぎたな。すまない。もう見えないだろう?」

「……ぇ……ぁ……」

「おいおい……そこまで怖がらなくても、なあ? 広那。いま話しているのは、お母さんだぞ?」

「……っ、ぅ……ぁ……あ……」

「……なるほど。あいつの()()はずいぶんとちゃんとしていたみたいだな。ここまでとは」

 

 まったく、と狭乎が悪態をつきながら広那の隣に腰掛けた。()()()()()メニューを拾い上げて、ぱらぱらと目を通したあとに店員を呼ぶ。それから、やっと玄斗のほうを向いた。

 

「少年は、なにか頼むか?」

「……いえ、僕は」

「そうか。ところで君は、うちの娘とどういう関係になるのかな。そこら辺、私はすごく気になるんだが」

「……それは、ちょっと難しい話になりますけど……」

「なんだい、それ」

 

 くすっと狭乎が笑う。隣の広那は、変わらずすこし震えていた。……たった数度の会話で明確な違いは判明した。向こうとは違って、自分は飯咎狭乎と一度も遭遇していない。これが初対面ということになるらしい。

 

「――ああ、でも、君は」

「……?」

「ふふ。いや、なんでも……なくはないが。ふはっ……なあ広那。おまえ、彼と仲良くなったのか? それともなりたかったのか? どちらにせよ、おかしくてたまらないぞ」

「っ…………」

「いやあ、素敵だ。私は飯咎狭乎という。君は?」

「……十坂玄斗、です」

「十坂くんか。よしよし、覚えたぞ? ずいぶんと、ふふっ……」

「…………、」

 

 ……会話は、成り立っている。以前に玄斗が会ったときと、大体の要素は変わっていないようにも見えた。けれど、明確に違うものがひとつ。それはたぶん、玄斗自身のように中身からまるっと違うとか、白玖のように辿ってきた結果がずれているとか、そういう問題ではなく。

 

「……君を見ていると、本当に後悔の念がわいてくるよ。あのとき、私は盛大なミスをしたんだとな」

「……ミス、ですか」

「ああ。なあ、広那」

「っ……」

「……――――、」

 

 はあ、と狭乎が大きくため息をつく。それにまた、広那の肩がびくんと跳ねた。普通じゃない。どう見ても異常だ。ただ、玄斗にはその異常性がなんなのかの判断がつかない。

 

「……広那。どうした。そんなに、私が怖いか?」

「ぁ……ぃ、や……」

「そう思ったのか? ……いや、違うな。だとすれば気付いたか。もうすこしだったからな。うまくやられたというわけだ。大概だな、あいつも」

「……っ、わ、たし、は……っ」

「広那」

 

 次こそ。変な呼吸をしたような声が出た。見ている玄斗は、単なる部外者になる。それに何も分からないまま首を突っ込んで良いものか。思い出すのは、向こうの狭乎の言葉で。

 

『……大したことじゃないよ。ただ、間が悪かったし、私が原因でもあった。あれは、しくじったなあ……本当。もっとうまくやれたと、いまでも思うよ』

 

『会ってないし、都合で会えないんだ。ちょっと、面倒くさくてね。……我が子の成長ぐらい、見せてくれてもいいだろうに』

 

『だからこそ、君を見ていると嬉しいんだ。なんだか娘に重なってね。君は。……本当、見ればみるほどに、よく似ている』

 

『ああ。本当、その、笑った顔とかがね――』

 

『子供のために泣けるのは優しい人だろうね。……でも残念なことに、私はちょっと優しくないんだ。それと、すまない。情けない姿を見せた』

 

『……もしも会ったりしたら、よろしく頼むよ。なんとなく君とは縁がありそうだ』

 

『……いつか私も会いたいよ。私の、愛娘と』

 

「…………、」

 

 そう言っていた人は、目の前にいる。実際にその娘と会っている。偶然、という形はきっと狙ってもいないものだ。けれど、そうなるとどうなる。額面どおりに受け取った言葉では、いまの状況がどうしても合致しない。

 

「ぁ……ぅ……」

「……最悪だな。愛娘をこんな風にするとは。まったくもって分からん男だ。()()()のためにしてやったというのに。あげくこうもぶち壊されると、こっちが文句を言いたくもなるな。――折角、もうすこしだったというのに」

「……ぉ、おじさん、は……!」

「うん?」

「っ……おじ、さん、は……悪、く……」

「いいや、違うだろう? 広那。いま話しているのは、違うぞ?」

「……ぁ、……っ……!」

「……あの」

 

 だから、嫌な予感がしていた。別人ではない。同一人物とするのなら、その言葉にすべて裏が潜んでいたコトになる。……思えば、不思議な反応だった。うまく誤魔化したような言葉の連続だ。それに昔の玄斗はまったく気付かなかった。浮き彫りになったのは、現状を見てからというもの。違う方向性? 経験の差? 違う。彼女はまさしく――過去と比べて〝ガワ〟が剥がれている。

 

「うん? どうした。十坂くん」

「……狭乎さんは、飯咎さん……広那さんの、お母さんなんですよね」

「ああ、そうだよ」

「じゃあ、どうして彼女はそんなに辛そうにしているんですか」

「……っ、トオ、サカ……くん……」

「…………ふむ」

 

 すっと、狭乎の瞳が玄斗を見る。

 

「……そうか、君は……うん。いやあ、実に良いな。十坂くん。君は」

「……? あの、質問の答えに」

「なっていないね。でも、だから良いんだ。……まあ、話にもならないんじゃ、しょうがないな。私はやっぱり失礼しよう。ではね。広那。十坂くん」

「ぁ…………」

「…………、」

 

 がたり、と席を立って狭乎が去っていく。入れ違いで、声をかけようかどうか迷った店員が向かってきた。注文を取りに来たのだろう。

 

「……飯咎さん」

「っ……ぁ、あは、は……」

 

 曖昧に笑う少女に、なにもないとはどう考えても思えなかった。落ち着いて話をする、というのはどうにも。飲み食いするにもなんだか、と玄斗も立ち上がる。

 

「……行ったよ。狭乎さん。外にも姿は見えない」

「…………うん」

「僕らも出ようか。外で出くわすことは、ないと思うよ」

「…………そう、だね……」

 

 震えのおさまった少女の手をとって、店員に断りつつ店を出る。あたりはすでに暗くなっていた。同じぐらいに、広那の顔色にも明るいものがない。沈むぐらいの雰囲気に、彼女の抱えるモノの重さが感じ取れた。

 

「……家まで送るよ。放っておくと、いまの君、倒れそうだ」

「……ごめん……でも、別に、良いんだよ……?」

「よくはない。……顔、真っ青だ」

「っ……そ、っか……本当、ごめん」

「謝らなくても」

 

 飯咎広那と、飯咎狭乎。離れ離れになった家族だと、玄斗はずっと思っていた。いつかは会って笑顔で話すのだろうと、勝手な想像すらあった。けれども、真実は違う。どこまでも、どこまでも、現実というものが違っている。

 

「…………っ」

 

 それは、いまだかすかに震える少女が物語っていた。






>飯咎狭乎
実は向こうとの違いが一切ないという珍しい人。いい人いい人(てきとー)



>飯咎広那
お母さんに怯えるとかとんだ愛娘ですね(目逸らし)


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なくてもいいんだよ

 

「……お母さんはね、優しい、人だったんだよ」

 

 暗い夜道で、彼女はそう切り出した。なにも話すことはない、と思っていたからだろう。玄斗は純粋に驚きつつも、うんとちいさく頷いた。彼女から話してくれるのに、聞かないワケにもいかないだろうと。

 

「ずっと……物心ついたときから、お父さんはいなくてね。お母さんひとりで、育ててくれてた。……なにかあったら、心配してくれて。不自由とかも、しなかったし。たぶん、そのときは楽しかったのかな……うん。楽しんでたんだと、思う」

「…………、」

「……五歳のとき、だったかな。お母さんに、お手伝いを頼まれたんだ。なにかは、分からなくて。でも、まあ、お母さんの頼みならって……引き受けて。そしたら、こうなっちゃった」

 

 あはは、と広那が笑う。似ていると、いつしか言っていた笑顔。十坂玄斗と似ていると、そう評された表情の意味。それは、

 

「……それ、左目を隠してたんだな……」

「うん。……もう、見えないから」

「見えない、って……」

「…………聞いても、面白くないよ?」

「面白さは、求めてないよ」

「……焼けちゃったんだ。だから、もう見えない」

「……焼け、た……?」

 

 訊けば、こくんと広那はうなずいた。焼けた。目が見えなくなる、というコトは少ないように見えて色々な状況でそうなる。玄斗は病気で最後の最後に視力を失った。傷を負って失明する人だっているだろう。だが、焼けた、というのは。

 

「……煙草の火をね。押し付けられちゃって。それから、ダメになっちゃったみたい」

「煙草……って……」

「……お母さん、よく、煙草を吸う人だったから」

「――――、」

 

 優しい人だと、広那は言う。それは真実そうだったのだとして。ならばなぜ、そんな人物が娘の目に煙草を押し付けたのか。そこがてんで分からない。

 

「なんでそんな……」

「……いらなかったんだよ」

「……いらなかった?」

「私が、いらなかったの。いや、違うね。私は居ても、私が中に居たらダメだった。……意味は分からないけど、お母さんは、それを望んでたんだ。私じゃない私に、私がなること」

「……どういう、意味なんだ……それ……」

「分からない。でも、お母さんはずっと、そう願ってて。……だから、たぶん、壊れちゃったんだろうね」

「……君の、お母さんが、か……?」

「ううん。私」

 

 なんでもないかのように、広那はそう言った。壊れたのは自分であると。そう認識しながら、少女は当たり前みたいに生きて、普通の人らしく振る舞っている。その歪さが分からない玄斗ではない。なによりそんなモノは自分が一番よく分かっている。壊れきった人間が、どんな不気味な生き方をするかなんて。

 

「……あのときは、言えなかったね。この傷も、そのせい。だから、全部終わったことなんだ。昔のことだし。お母さんは、もう、会うこともないって……思ってたのにな……」

「……都合で会えないとか、なのかな」

「そう、だね。……私と会うことは、おじさんが拒否してるハズ、だから……」

「……なら、それは」

「……捕まったんだよ、お母さん。それで」

 

 驚きつつも、それもそうか、と半分納得する。それほどのもの、だったのだろうか。ならばなんとなく、広那が怯える理由も十分理解できた。……分からないのは、本当に、飯咎狭乎がどういった理由で我が子に手を出したのか。

 

「私が死んだら、もっと長かったかも。でも、すくなくとも、生活に支障は出ないぐらいだったから。……目とか、以外は」

「っ……その傷で、支障がない……って……」

「痛みは残らなくても良いんだって、言ってたかな。要は、私を一度、白紙に戻すのが目的で……あれ、どういう意味だったんだろうって、いまでも思うよ。お母さんは、なにが、したかったんだろうね……」

「……っ」

 

 ぐっと、玄斗は拳を握った。似ていると言われた笑顔の正体。一度は掴んだ当たり前の幸せを、壊されたあとの人の姿。それは言わば、十坂玄斗の人生を真逆にすれば近しいものができる。ないからこそ手に入って気付いたものだ。ならば、あったものが無くなれば、どれほどの絶望に匹敵するだろう。

 

「……結局、最後まで分かんなかった。辛くて、苦しくて、途中から自分がなんなのかも分かんなくなって……そんなときに、おじさんに見つけてもらった。偶然、お母さんの家にやってきて。私を見つけて、ごめんねって……ずっと、謝ってくれたんだよ。なにも、おじさんは悪くないのに」

「……狭乎さんの、弟なんだっけ」

「みたいだね。あんまり、それ言うといい顔しないんだけど。……だから、私はそんなおじさんに救われたんだ。それが、良いなって、思えちゃって」

「……そっか」

「うん。なんか、好きだなって。誰かのために、そうやって、手を伸ばせるのは。とっても綺麗なことだなって……思って……」

 

 ちらり、と玄斗を覗き込む。彼はそれに、こてんと首をかしげた。別人であれば、分からないのだろう。それはそうだといま一度内心で呟いて、広那は微笑みをつくる。

 

「……一度、それを君に否定されちゃったけど」

「え。なんで?」

「それを君が言っちゃうの……? ……まあ、そうだね。たぶん、私自身、問題はそこなのかも、しれないんだけどね」

「……?」

「なんでもない。……あ、ここだよ。ここが、私の家」

 

 そう言って立ち止まった彼女の指差す先に、一戸建ての家が見える。玄斗の実家よりもすこし小さめな、橙野七美の豪邸とは……まあ、あれは比べるものが違うのでナシとして。すこし小さめの一軒家である。

 

「……ありがとう、トオサカくん。色々と、嫌な話しちゃったね」

「いや……それは」

「私はもう、大丈夫。……ほら、トオサカくんも、笑って。笑顔だよ、笑顔。そのほうが、きっと良いから」

「飯咎、さん……」

「――僕は笑顔じゃいられないなあ」

「!」

 

 不意に、そんな声が届いた。見れば玄関の扉を開けて、眼鏡をかけた男性がこちらへ向かってきている。物静かというよりは、酷く落ち着いている。暗いというよりも悟りを開いた仏僧を思わせる波のない雰囲気。信じられないほど、彼には攻撃性がなかった。

 

「おじさん」

「遅い時間までなにをしてたんだい? ……っと、そっちの君は、はじめましてだね」

「あ、はい。十坂玄斗と言います」

「トオサカ……ああ、広那ちゃんが言ってた、あの会長さ――」

「わ、わーわー! いまはそれ違うからっ! ほんと!」

「??」

 

 慌てる広那をよそに、玄斗がひとり首をかしげる。彼は知らない。というか知る由もない。まさか〝俺〟が、結構なぐらいのところまで彼女に迫っていたのを。

 

「……ちょうどいい。君と一度、話してみたかったんだ。どうだい、お茶だけでも」

「えっと……」

「……おじさん……」

「? その様子だと、君も訊きたいことがあると思って言ったんだけどね」

「あ……」

 

 にこりと笑った男性に、思わずといった風に声が漏れた。……遠慮するのを見越しての台詞だろうか。心の中を見透かされたみたいで、なんとも言えなくなる。

 

「……じゃあ、お茶だけ……」

「うん。僕もそう言ってもらえると助かる。広那ちゃんの学校生活は、常々気になっていたんだ。さあ入って。小さい家だけど、歓迎するよ」

「……変なコト訊かないでね、おじさん」

「どうだろう?」

 

 からからと笑う男性の後ろを広那が、そのあとを玄斗がついていく。この人が、飯咎狭乎の弟。たしかに容姿はどこか、共通するような部分が見え隠れしている。が、性格も雰囲気もまったく違っていた。姉弟と言われても、気付かないぐらいに。

 

「ほら、十坂くんも。……ああ、自己紹介がまだだったね。僕は飯咎優慈(ユウジ)。一応は広那ちゃんの、親代わりをしているんだよ」

 

 いま一度、彼――優慈は笑う。それだけで、ちょっと理解できた。なるほどたしかに、この笑顔を見たのなら、憧れてしまうのも無理はない。






>おじさん
作中屈指のめちゃくちゃ良い人。いやー飯咎家は良い人尽くしだなあ!


>傷
虐待の痕と左のお目々が見えないよってぐらいなのでへーきへーき(へーきじゃない)


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心の在処

 

 ――その日は本当に、ただの偶然だった。偶々姉の家の近くまで来て、偶々家族の顔でも見に行こうかなんて気になって。関わらなくていいと意地を張る姉のこともあって、ちょっとだけ悪戯心なんてのも芽生えた。合鍵はいざという時の名目で持っていたので、家の中に入ることはできた。

 

『……広那、ちゃん……?』

『…………ぁ…………』

 

 それが、はじめて見た成長した彼女の姿だった。

 

『(なん……だ、これ……)』

 

 どこにも、誰もいない。娘を連れてどこかへ行っているのかとも思えば、妙に人の居た痕跡が多い。気になって散策してみれば、奥の部屋でそれを発見した。手足を縛られて、およそ死なない程度に計算し尽くされた状況の最中。こちらを怯えた表情で見る少女に、まるで、現実感がなかった。

 

『ぁ……ぅぁ……』

『……っ』

 

 気付けば、彼女の拘束を解いていた。なにをしているのだろう、なんて素直な疑問も湧いてこないほどの混乱で、ただそれだけはしなければと思った。なにせ、考えるまでもなく。無視しろだなんだと言ってきた姉はともかく、自分にとっては大切な人間のひとりに区分されるのだとそのとき分かった。……愚かだ。同時に、どうしてとも。尊敬していたはずの姉が、こんなコトをするはずがないのに。

 

『――なんだ、来ていたのか』

 

 そんな夢を、どこで見ていたのだろう。

 

『ああ、そいつは放っておけよ? もうすこしで完成するんだ。いや、サプライズだったんだがな? ほら、もう一月でおまえの誕生日だろう。だから、そこでお披露目しようと思って』

『……なにを、言ってるんだ……?』

『だから、話しただろう? 実際に居るとどうなるかって。おまえが言ったんじゃないか。……まさか、忘れたのか?』

『…………そ、そんなコトのために、この子を……この子に、こんな、酷いことをしたっていうのか……!?』

『……なにをそんなに驚いている。良い素体じゃないか。生まれて幼い。自我もなにも成熟する前だ。壊すならそこしかない。でもって、すべて作り上げれば見事完成だ。そいつは私の最高傑作になるよ』

 

 ――馬鹿げている。純粋に、どこまでも、怒りが湧いて仕方なかった。非道な行いをしている姉に。いまの状況になってしまった現実に。なにもしてやれなかった自分に。ただただ、怒りが湧いて仕方なかった。

 

『……おかしいよ』

『うん?』

『……姉さん、それは、おかしいだろう……』

『はあ? なにを――』

『……この子は、僕が預かる』

『! おい、ちょっと待て! それは困るぞ! なにより私の()()をだな――!』

『この子は、姉さんの作品なんかじゃないだろう!』

 

 だから、すべては自分の責任と言っても良い。最初から、姉に流されずに関わっていればよかった。すべて、この子の幸せを思えば。どこまで拒絶されようと、無理にでも姉を押し退けて関わってやれば良かったのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「…………、」

「…………、」

 

 ずずっとお茶を飲みながら、玄斗は眼前の男性を見る。飯咎優慈。地味目な黒髪と眼鏡が特徴的な彼は、ニコニコしながら彼の対面に座っている。広那は夕食の準備を台所でしている最中。狙わずとも、男ふたりの話し合いとなった。

 

「……そうか。姉さんと会ったのか」

「はい。……あの、狭乎さんって……」

「うん」

「……いつもは、その……なんか、怖いっていうか……変な感じ、なんですか……?」

「おや、難しい話をするね。姉さんはちょっと、切り替えが異常というか……たぶん考え方が根本から違う。あの人はね、普通とはかけ離れてるよ」

「……そう、なんですか……」

「うん。だって、そうじゃない? 普通は自分の娘に、あんな傷は負わせないよ」

「っ!」

 

 湯飲みの中にお茶が跳ねた。その反応で分かる部分は全部くみ取ったらしい。うんうんと優慈がうなずいている。……姉弟揃って、とんでもないのだけは分かった。

 

「その様子だと、広那ちゃんの体の事情は知っているみたいだね。まあ、どうやって知ったのかは、聞かないでおくけど」

「…………、」

「あれで結構、マシにはなってるんだ。僕が見つけたときには、それはもう酷い有り様でね。火傷のあとから皮はズルむけてるし、血も固まって皮膚についたままで。本当、死んでないのが奇跡だった。あの姉さんじゃなきゃ、とっくに手遅れになってたな」

「……どうして、狭乎さんはそんなこと……」

「ああ、それは……」

 

 と、優慈がキッチンの広那を盗み見る。彼女は依然として料理を続けていた。こちらの話を聞いている様子はない。暗に、聞かれたくない話というのが分かった。それを、わざわざ玄斗に話してくれるというコトも。

 

「……僕のせい、なんだよ」

「……優慈さん、の……?」

「うん。ちょっとした、世間話のついでだったんだけどね。本当に、些細な一言だった。……あんなこと、本気に取られるなんて思わないよ」

「…………、」

「だから、姉さんだけが悪いんじゃないんだよね。僕も、十分、立派な悪人だ」

 

 意外と言えば、意外すぎる一言で。けれど、そう言う彼の表情は真剣そのものだった。あくまで自分が悪いと言い張る言葉は、広那はおろか狭乎まで庇うようでもある。きっと、本人にその気は無くとも。

 

「気付かなかった。姉さんの言葉を鵜呑みにして、見ようともしなかった。……経歴なんて関係ない。僕の大事な、娘だったのにね」

「……え?」

「……広那ちゃんはね。僕と、姉さんの娘なんだよ。実際の」

「――――!」

 

 ばっと、勢いよく広那のほうを見る。……たしかに、狭乎と、彼と、それ以外のなにも感じさせるコトはない容姿ではある。そうではあるのだが、それは。

 

「……驚いた?」

「え、いや、はい……」

「だろうね。……うちの姉さん、頭のネジがはずれてる人でね。お酒の席だったなあ。飲んでて、途中から盛られてたみたい。これでもお酒、結構強いんだ。それが気付いたら目の前で裸の姉さんがいてさ。それで、なんて言ったと思う?」

「……なんて、言ったんです?」

「おまえとの子が一番優秀になる、ってさ。……いや本当、どうかしてるよあの人。そんな気なんて僕は一切ないのに、ただ遺伝子がうんたらかんたらって……理屈だけで子供産んじゃった。弟との子供、だよ?」

「……それは、なんとも……」

「凄いよね。……僕はさっぱり理解できなかった。だから、気にするなって。私だけで全部面倒を見るって言われたときに、ちょっと、ほっとしちゃったんだ。……馬鹿だよね。曲がりなりにも自分の、子供なのに」

「…………、」

 

 如何せん、その話題に口を挟むのは難しい。玄斗は学生だ。こんなところに来る前ですら、病気で若く死んだ少年だった。自分の子供云々という話には、到底ついていけるコトではない。

 

「……なんだかんだで、僕にはすごい優しい姉さんだった。なんでも出来て、頭も良い。要領なんて尚更。だから、姉さんなら大丈夫なのかなって、そう思ってた」

 

 本当に愚かだと、繰り返すように優慈が自嘲する。

 

「本当にボロボロの姿を見て、やっと気付いて。手遅れには、ならなかったけど。でも、無くなったものが沢山あるんだよ。僕がさ、姉さんのことを無視して、ちゃんとこの子と最初から向き合っていれば……ぜんぶ、うまく行ってたかも知れない」

「優慈さん……」

「……だから、僕も悪い。それは違いない。いや、僕がぜんぶ悪いって言ってもいい。それぐらいだ。……なのに、姉さんを許せないのは、身勝手だろうね」

 

 ずずっと、優慈がお茶をすする。彼の話は、彼自身の思いの丈だ。なにをどう考えているか、というものでもある。けれど、肝心の情報が伏せられている。

 

「……その、結局」

「? うん」

「どうして……狭乎さんは、その、彼女に……」

「……それは言ったよ。ただの世間話のついで。本当に、ただ思ったことを口にしただけだった。それを見せようとしたんだろうね。姉さんは、自分の子供を実験材料にしたんだと思う」

「……実験、材料……?」

「僕も信じられなかったけどね。でも、広那ちゃんを見てるとそうとしか思えなかった。実際、姉さんもそう言ってたから。……ね、十坂くん」

 

 ことりと湯飲みを置いて、優慈がじっと玄斗を見る。暗い、昏い、深淵を思わせる瞳で。

 

「意識のない人間がいたとして、人らしい行動を振る舞う。見た目でも中身を覗いても区別はつかない。そんなものが、存在できると思うかい?」

「え、っと……?」

「心がない人間が、心があるように行動する。誰もそれに気付かない。怒りも、悲しみも、憎しみも、表すことはあっても実際にそれを感じることはない。そんな人間が、本当にこの世に存在すると思う?」

「……思いません、けど……」

「そっか。でも、それで結論づけない人も居るんだよ」

 

 言って、いま一度優慈が広那のほうを見た。心のない人間がいない……なんて証拠はひとつもない。けれど、生きている以上はなにかを感じるのが当たり前だ。心の壊れた人間はいても、最初から持たないというのは無いように玄斗は思えた。

 

「……そんな会話から、こうなるとは思わないよ」

「…………、」

「ましてや、さ。自分の娘を作り替えようなんて……誰が、想像するっていうんだ……」

 

 ぐっと、湯飲みを握りしめる手に力が込められる。ふと、玄斗もキッチンの広那を見た。彼女はとてもひとりの少女らしく、鼻唄を歌いながら料理ををしている。その姿はとても似合っている。……だからこそ、なんて理由にもならないが。それはきっと、きちんとした人間としての姿だとも思えた。およそ、心の大半が壊れていたとしても。





あかん筆が乗って仕方ねえ……


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色がない人

 

『ちょっと、姉さん大丈夫』

『あー……大丈夫、大丈夫……』

『いや、大丈夫じゃないでしょ……』

 

 色々あっても、姉弟仲はそこそこのものだった。優慈と狭乎は時折サシで飲んでは、アルコールに強い彼が姉を家まで送り届ける。それまでにするのはたわいもない会話で、最近仕事がどうだとか、娘の様子はどうだとか、そんな感じ。

 

『……優慈ぃ……おまえは、本っ当……怒らないなあ……』

『いや、いま絶賛怒りそうなんだけど……』

『私がぁ……っ、おまえのこと、逆、ふ、ふふ……逆レしたときも、そうだけどなあ……もっと、感情をだなあ……』

『それ記憶が見事に吹っ飛んでるんだけど……姉さんの薬で』

『あれは強烈な奴だからなあ……』

『本当になに盛ったの……』

 

 狭乎曰く、「一番私と相性がよくて優秀な遺伝子はおまえしかいないだろう」なんてワケの分からない理由の行動だった。姉らしいと言えば姉らしいあたり、本当にどうしようもないのが余計に。

 

『というか、感情表現ぐらいはしっかりしてるよ? 僕はほら、なんだっけ。哲学的ゾンビとか、そういうのじゃないからね』

『むー……? 優慈、おまえ、調べ物でもしていて知ったなあ? 昔からのクセだなあ。おまえ、知った言葉はよく使いたがる』

『あはは……』

 

 図星だった。この姉には敵わない、と思わせる鋭さにちょっとだけ引く。

 

『だがなあ、違うぞ。優慈。いいか? 哲学的ゾンビっていうのはな――』

 

 ここで彼は、彼女にそういうちょっと小難しい話題を振ったことを後悔した。この姉、自分の得意分野でもないのに頭が回るせいかよく喋る。挙げ句のはてには議論なんて持ち出してくるので、そこは優慈も「あーはいはいそうだね」なんて軽く返すしかなかった。酔いの回った頭で真面目にそんなコトを考えろというのは、些か酷だ。

 

『つまりだなあ……って、おい。聞いてるのか』

『聞いてるよ……でも、実際どうだんだろうね。そういう人って、居たらどうなんだろう』

『……試してみるか?』

『いや、試すって……試すもなにも、分からないんじゃどうしようもないんじゃない?』

『いいや、価値はあるぞ? ないならそれこそ作れるかどうかだ。……楽しみに待っていろ。いま、ちょっと面白いことを思いついた』

『……?』

 

 それが、すべての始まり。彼女が娘に手を出して、彼がなにも知らずにいてしまった切欠。ちょうど、飯咎広那が五歳になった頃のことだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 なにをどう言えばいいのかは、理解している。

 

『いってらっしゃい、お父さん』

 

 なにをどう動けばいいのかも、理解している。

 

『……ごめんなさい』

 

 なにをどうすればいいのかも、理解している。

 

『……うん。分かった』

 

 でも、その行動に。言葉に。すべてのものに、付随する感情があるようでない。笑って、泣いて、喜んで、人らしく生きるのに、心だけが綺麗なぐらいに存在しない。思い返してみれば、そんな人間が一時期居たような気がした。偶然の積み重ねによって生まれた、十坂玄斗が酷似している。

 

「(それでさえ、違うだろうけど……)」

 

 彼女が自分に見た()()というのが、なんとなく察せた。飯咎家からの帰り道。優慈から聞いた話を総評すれば、狭乎の目指した広那の結末こそ、それに近かったのだろう。もっと完璧で、もっと人間らしい。そんな少女が、本当に出来上がっていたのだろうか。

 

「(……いまの飯咎さんを見ていると、そんなの、無いように思えるけど……)」

 

 勉強はできるが、玄斗自体そこまで頭の回転が良いわけでもない。すこしの考え事でファンが唸るほどに回しまくる思考回路だ。おそらくは今回の件について真剣に考え出したらショートする。

 

「(……〝俺〟は、このことをどこまで知っていたんだろう)」

 

 だから、考えるのはそこだった。託した、というのならその部分にあたるのだろう。勝手に託されたとも言うのが玄斗にとって頭を悩ませる問題で、こんなときに限って体調はすこぶる良い。本当、今までのモノが嘘みたいに。

 

「(ああ、それだけ君の願いってことか。……彼女が、大事なんだろうね)」

 

 玄斗にその記憶はない。一体どうして〝俺〟が彼女にそこまで執着して、どのようにして心を向けたのか。そのあたりが、なにをどう願っても分かりはしない。それでいて、解決だけを託されている。……そこに、ちょっとした苛立ちは覚えた。

 

「(なんだ、〝俺〟……! おまえ、それは違うぞ……)」

 

 人に言えた義理はないが、玄斗としてはそう言うしかない。十坂玄斗にとっての壱ノ瀬白玖が唯一無二なように、彼にとっての彼女もそうだったのではないだろうか。自分の心を揺るがした張本人というのは、それだけの想いが生まれる。それこそが、彼にとっての飯咎広那ではなかったのだろうか。

 

「(でも、相当なのは分かるよ。どうりで、藁にも縋りたくなるわけだ)」

 

 はじめから壊れていたのが玄斗(零無)だとすれば、徹底的に壊されたのが広那だ。彼女の口ぶりからして、幼い頃の自分なんてものは欠片も残っていない可能性だってある。真実、一度砕け散った心の在処がないということ。言うなれば、色がない人。持っていた人間としての色を無くされた、本当に一度何も無くなった少女。

 

「(だから、救いたかったんだな。俺は。そうだと分かって……手を伸ばしたんだ。じゃあやっぱり、〝俺〟は〝僕〟だよ。どこまでも、明透零無だ)」

 

 皮肉なものだった。色がない人間に手を伸ばしたのが、なにも無い透明人間である。それでどうにかなるのであれば、無論こんな事態にもなっていない。心がなくても人らしく。誰にも気付かないほどに人ではなく人であれるというモノが、すこしズレて、向かってしまえばどうなるか。それは、

 

「(……そっか。あの子は……)」

 

 

 ◇◆◇

 

 

『いいか、広那』

 

 暗い部屋のなか。母親の声だけが聞こえる。手足は動かない。

 

『おまえはもう、要らないんだ』

 

 何度聞いたかも分からない言葉。何度心をついたかも分からない台詞。何度頭に響いたのかも分からない音。――不意に、痛みが走った。

 

『痛いか? だろう。けれど、泣いてはダメだ。それでいて泣いてほしいな。理解して、涙を流せばいい。おまえはそれを知っているだろう? 広那。大丈夫だ。知っているならできる。でも――本気で泣いたら、ダメだぞ?』

 

 分からない。分からない。母親がなにを言っているのか、さっぱり分からない。母親譲りだと言われたアタマでも、なにがどうしているのかさっぱり分からない。どうして、わたしは、こんな痛みを受けながら、泣いているのだろう。泣かなければいけないのだろう。

 

『広那。おまえは、飯咎広那だよ。でも、その中に飯咎広那は要らないんだな、これが。おまえはそういう風にならなくちゃいけない。……なんでかって? 良い質問をするなあ。よし、ならばこうしよう』

 

 刺激を受けて、声をあげた。痛みに悶えながら、目尻に涙を浮かべる。分かっている。そうするのが当たり前で、そうするのが人のやることで。でも、なんなのだろう。そうやっていちいち考えて、わざわざ人らしい真似なんかして。ふつふつと沸いて出てくる感情を処理して、まるで当たり前のように生きている私は、なんなのだろう。

 

『ああ、さすがに――うん。鞭で叩くのはやりすぎたか。これは痕が残るな。先に心がやられてしまっては困る。いやはやまったく、人というのは厄介だな――』

 

 倒れて、怯えて、震えながら。私は今日も生きていて、当たり前のように呼吸をして、私はいつまでも考える。私は人間のはずで、この人の子供のはずで、この人の家族のはずで、この人と同じハズで。なのに、私は人らしい真似事をしている。じゃあ、私は一体、なんなのだろう――?













>狭乎おねーさん
(私自身興味ないけど弟がそう言うならやるだけやってみよ。……あっ、ちょうどいいところに良いものあったわ)


>広那ちゃん
おじさんの救い成分高すぎて無事に見えるけど無事なワケないんすよね!


>おじさん
姉に逆レされて知らない間に自分の子供ができあがった挙げ句「あーいいよこっちで面倒見るし私の勝手だし大丈夫大丈夫」とか言ってた姉がとんでもねー虐待しててぜんぶ背負い込んだ人。まあ半分は自業自得なので仕方ないね。


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ハジメテの感情

 

 ふと、夢を見た。身に覚えはないけれど、まるで現実みたいな鮮明な夢。待ちに待ったなんて言えもしない高校生活。なにを感じることもなければ、きっと毎日を無為にすごしている。そんな中で、自分は、ひとりの少女と出会った。

 

『はじめまして。私の名前は飯咎広那。あなたは?』

『……俺は、十坂玄斗。よろしく、飯咎さん』

『うん、よろしく』

 

 にこりと笑う少女の顔が、ぼやけて映る。実際に見た記憶を繰り返しているのではない。それは■■を介して見た思い出のひとつだ。ただ、遜色ないだけの情報はたしかに揃っている。飯咎広那の笑顔は、つまるところ不鮮明だった。

 

『あ、また会ったねトオサカくん』

『飯咎さん』

『いまからお昼? 私も食堂行く途中で』

『そうなのか』

 

 少女と自分の仲は、そこまで悪くない。むしろ良好とも言えるものだった。なにせ■■は他人に対する思いというモノに差異がない。自分も、他も、ぜんぶを等しく冷めた考えで見ることすらある。偏に、それは一度生き物として壊れてしまったが故なのだろう。そんなものが、自分だった。

 

『ありゃ……席埋まってるね……』

『みたいだね。相席になるけど、大丈夫かな』

『え、いいの』

『? 飯咎さんがいいなら、別に』

『そう? なら遠慮なく』

 

 命の価値だとか、モノの善し悪しだとか、そういう区別ではない。生きているものと死んでいるものですら違いはない。塗り潰された真っ黒な画面を見ているようなものだ。ひとりひとりに違いはあっても、その中で優先順位が決まることはない。よく言えば皆に対して平等に優しくて、悪く言えば等しく誰にも無関心。

 

『と、トオサカくん……!?』

 

 そんな自分が壊れたのは、彼女の着替えを覗いてしまったときだった。単なる偶然。体育祭の準備中にたまたま空き教室で着替えていた少女の裸を、ばっちりと見てしまった。別にそれで人並みの性欲なんて持ったワケではない。ただ単純に、その衝撃にあるはずもない心を打たれた。

 

『い、いやっ、ちょ、み、見ないで……!?』

 

 綺麗な肌に浮かんだ惨たらしい傷は、彼女の人生があまりにも普通とかけ離れていることを知るに十分だ。それから、すこしだけ彼女を見るようになった。

 

『あー、うんうん! 大丈夫、任せて!』

『いや、平気だって! トオサカくん。私はほら、いまはぜんぜん元気だからね』

『え? ああ、もう……大丈夫なんだって……クロトくんは心配性だなあ』

『? どうかしたの、クロト』

 

 思えばそれは、他人だったからなのか。それとも今はもう戻らない時間に対するモノが、そのときの己にあったからなのか。立ち居振る舞いは、酷く似通っているのだろう。ただ、その根底にあるものは違っていて。

 

『誰かに優しくするっていうのは、とっても素敵なことだと思わない?』

 

 それが彼女の、信念で。

 

『でも――いいんだ。私はね、クロト。そうやって救われて、ここにいるから。それが、はじめて見た綺麗なものだったんだよ』

 

 それがなによりの答えだった。

 

『……君が、傷付くなんて、間違ってるって……!』

 

 人に無関心であれるのなら、たしかに優しくできるのだろう。誰かへの優しさを知ってしまえば、それに憧れてしまうのだろう。前者が■■で、後者が彼女だ。一度壊れきった心が示した人としての道になる。どうしようもないのは、そんな彼の一番に少女が入りこんでしまったコト。

 

『……そっか。でも、いいんだよ。何度も言っちゃうけど……』

 

 ■■の言葉は届かない。■■だからこそ届きもしない。それは分かりきった事実で、体感した現実で、そうなってしまった過去の話。だからもう、■■の役目は終わっている。二年間の付き合いで仲良くなった彼女と、決定的な別れをした夏祭りの日から。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……そうか」

 

「やっと、分かった」

 

「君は、そうだったんだな……〝俺〟」

 

「でも、違う」

 

「やっぱり違うよ。……〝僕〟だから、分かる」

 

「間違ってるのは、君だ。()()()()

 

 

 ◇◆◇

 

 

 翌日のこと。落ち着いてもう一度、と誘ってきたのは意外なことに広那のほうからだった。彼女は彼女なりに、あのとき自分の口から言えなかったのが申し訳ないらしい。そんなのは気にしない玄斗なのだが、どうにも断るという選択肢も思い浮かばず。結局は放課後、近くのファミレスまで足を伸ばしたのだった。

 

「……昨日は、ごめんね」

「だから、謝ることは……」

「ううん。……色々、迷惑かけちゃったから……」

 

 迷惑なんかではない、と玄斗は静かに首をふる。そこにどんな意味があろうが無かろうが、話をしようとしてくれたコト自体に意味はあった。お陰で、見えてきたものもある。結局のところ彼は部外者でしかない。それを再確認するには、十分すぎるコトだった。

 

「……その、さ」

「うん」

「トオサカくんは……いつから、その、違うの……?」

「……十月ぐらいから、だったかな。それまでの僕とは、違う部分とかなかった?」

「えっと、それは……ああ、うん。言われてみれば、そうかも……」

「……飯咎さんと〝俺〟は、結構近かったと思うけど」

「えっ――」

 

 がばっと、少女が顔をあげる。玄斗としては言い方の問題。広那からすれば、聞き慣れた誰かのもの。その反応に、いや、と彼は手を振った。

 

「ごめん。そういうことじゃ……いや、いまのは僕が悪かった。すこし、紛らわしい言い方をしたね」

「あ……いえ、その……ごめんなさい……」

「……だから、謝ることはないんだ」

 

 多すぎる謝罪に、玄斗はいまになって蒼唯の気持ちが分かったような気がした。なるほど。ここまで何度も繰り返していれば、禁止令なんて出したくなるのも理解できる。誠意としては大事だとしても、望むべき言葉こそが違う。そんな事実に、今更ながら思い至った。

 

「……でも、違うんです。クロトとは……その、なんて、いうか……」

「……、」

「私が一度、ふっちゃったみたいな、ものですし……」

「そうなんだ。……でも、そうなると、ちょっと。ね」

「……?」

「いいや。……僕から言うべきじゃ、ないか」

 

 ふっと笑ってコップの水を含む玄斗に、広那はどういう意味かと不思議な表情をするばかり。ちょうどすこし前、誰かの記憶を覗いてしまったからこその直感だった。実におかしい。見れば目の前の少女は、自分には何ともなくても〝彼〟にはどことなく気を向けているようだった。その理屈が、分からない玄斗ではない。

 

「……見ていないにもほどがあるよ。結局、惜しいところまで行っていたじゃないか」

「? えっと、あの……」

「ああいや、こっちの話。気にしないで」

「私は気になるな、少年」

 

 ――デジャブというものを、ここまで最悪な形で実感するコトになるとは、彼もこのときまで思わなかった。なにせ昨日の今日である。たしかに近くに居るというのはそうなのだが、にしても狙ったようなタイミングだった。……いいや、事実狙ったのであれば、それは。

 

「……狭乎さん」

「一日ぶりだ。十坂くん。それと、広那」

「ぁ……」

 

 にっこりと笑う飯咎狭乎に、前日のような不意打ちじみたものがない。ちらりと目を向けた娘から視線を移動して、次に玄斗のほうを眺める。確信は、そこでいった。

 

「昨日は落ち着いて会話もできなかったからな。いや、また会えればと思っていたんだが……まさかこうも早く再開できるとはね?」

「……そうですね。僕も、同じです」

「とっ、トオサカ、くん……?」

 

 広那の対面の席から立ち上がって、ゆっくりと移動する。近付けるのはやめたほうがいい。なにより、狙いが逸れているのなら不要な接触は彼女のためにも避けるべきだった。あんがい、こういうときに限って都合の良い〝人間〟をしている。狭乎の瞳は、真っ直ぐ彼を映していた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……ぜんぶ、聞きました」

「ほう」

 

 にっと、向かい合うように座った狭乎が面白そうに笑う。広那は玄斗の隣で、どこか居心地悪そうに俯くまま。それで沸き上がるなにかを〝関係ない〟と切り捨てた。矛先を向けるなら、決して自分の役目ではない。ただ今は、事実と記憶を合致させるだけのものがほしかった。

 

「彼女に、なにをしていたのかも」

「ははあ。優慈のやつだな? あいつはお喋りだからな。君にも言ったか」

「…………、」

「おそらくなにも理解していないだろうに。……だから、その子がそんなコトになる」

「っ」

 

 そっと胸ポケットから取り出した煙草を咥えながら、狭乎が広那へちらりと視線を送った。なにを考えているのだろう。玄斗にはそのあたり、まったく分からない。が、ひとつだけたしかなコトはある。ライターを取り出して火を付けたのを見計らって、真っ直ぐに手を伸ばした。

 

「!!」

「ちょっ……と、トオサカ、くん……!?」

「……、」

 

 手の中でいやに焼ける感触がする。消えるまでの一瞬、熱はとんでもないものだった。これは痛い。手のひらですら眉がつい動いた。直接これを目に当てられた痛みなんて、想像を絶するだろう。玄斗は握りつぶした煙草を手の上に乗せて、そっと狭乎のほうへ差し出した。

 

「あの、煙草、ダメですって。ここ、禁煙席ですから……」

「…………っふ、ふはは……なんだいそれっ……はは、はははっ――ああ、いや、すまなかった。これは失礼をしたね」

「いえ、ちゃんと貼り紙ぐらい読んでください」

「本当に申し訳ない」

「…………、」

 

 ぽかんと口を開ける広那に、玄斗はひらひらと手を振って笑顔をつくった。たしかに痛い。火傷というのは結構なものである。けれどもまあ、比べればなんてことはなかった。それぐらいの痛みなら、昔に嫌というほど味わって慣れきっている。

 

「ははっ……ああ。いいなあ、君はやっぱり。それそのものが段違いだ」

「そうでしょうか」

「ああ、そうとも。……娘もな、良いところまで言ったんだぞ? 本当に、もうすこしで見えてくるところだった。それをまあ、あいつが余計な真似をしてくれて……」

「……余計な真似、ですか」

「ああ、そうだとも。あいつが言うから試しにしてみたっていうのに……おまえ自身の手でこうもぶち壊すとはとんだ奴だ。もうすこしうまく手を加えられなかったのかと……」

「……っ」

 

 隣で震える広那に、ふと、火傷をしていない拳からも血が出ているのに気付いた。……冷静になれ、と言い聞かせる。いまの自分が、なにを怒るというのだろう。たかだか部外者の、十坂玄斗が。

 

「本当に惜しかった。できることなら、最後まで面倒をみてやりたかった。……それももうおしまいだ。そんな失敗作に成り果てるぐらいなら、いっそ私が壊してやればよかったな。まったく不細工だ。なあ広那。おまえ、よっぽどだぞ」

「っ……わ、たし、は……」

「……、」

「その点、君はいいよ。十坂くん。実にいい。そいつを育てていたから分かる。君のそれは、ある程度完成したうえで後付けされた人間性だ」

 

 ――すこし、心が揺らされた。決して、悪い意味ではなく。……ああ、いや、どうなのだろう。悪い意味といえば、そうかも分からない。

 

「出来上がったモノは壊すのも簡単だ。おそらく君は強固な造りをしていておきながら、罅が入る隙間というのもまだ存在している。そこが良いんだ。一枚や二枚ではない。君という人間を素直に眺めたとき、その一番下地にあるのは〝なにもない〟なんだ。それが君のすべての構成要素を支えている。違うかな?」

「……どうですかね」

「当たりだな? そういう言い方をするっていうことは、おそらくビンゴだ。だからいいんだ。十坂くん。そこの失敗作とは違う。君は現時点で完成されていて、そうでありながら巻き戻しの効く原石みたいなものなんだよ。ああ、いい。本当にいい。いいなあ、君は。――なあ、どうやったらそうなるんだ? 君は自分を客観的に見るコトもできるだろう? それこそ人らしくなくできるはずだ。じゃあどうして? そこが知りたいんだ。なにかの影響か? 友人? 兄弟? それとも親……母親か、父親か」

 

 唾を飲んだ。その一瞬を、狭乎は見逃さない。

 

「なるほど父親だ。そうだろう? 君がそうなったのは……いや、厳密に言うなら君という人間の元になる形をつくったのが父親だ! さぞうまくやった人なのだろう。君の父親はなんとも素晴らしいな! これほどまでうまく人間を壊せるものか!」

「…………、」

「同類なんだろうかな? 違うとしてもこんな偶然があってたまるかっ……! なあ、どうなんだ十坂くん。君のお父さんは一体君にどんなことをしたんだい? どんな状況で、どう接して、どうすれば君みたいな人間が出来あがる? 教えてほしいな。なにせ先人の知恵になるんだ。知っておきたいと思うのは当然だろう? なあ!」

「――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――おまえはずっと、そこに居たのだな……レイナ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは殆ど、反射的なものだったように思う。気付けば立ち上がっていた。爪の食い込んだ左手で引き寄せれば、狭乎の顔が近付いてくる。ゆっくり、ゆっくりと。スローモーションを見ているような一瞬。――正直、頭が、沸騰した。

 

「トオサカくんっ!!」

 

 轟音を立てながら転がる姿に、熱を持った思考が暗く冷えた。冷静になったワケではない。一周回って心が冷えきっていくのが手に取るように分かる。殴り抜いた拳が、たしかな感触を伝わらせている。

 

「なっ、な、なに、を……!?」

「…………、」

 

 慌てる広那をよそに、テーブルを回り込んで倒れた狭乎の襟を掴んだ。ことコレに関してだけは、〝俺〟に感謝をしなければならないほど。なにせ向こうでは、そう思えるのかすら分からない。

 

「……あんたと父さんを一緒にするな」

「っ……い、たいな……十坂、くん……」

「あの人が、どんな想いで、どれだけ苦しんで、どんなに辛い想いをしてきたのかも、知らないだろう。僕だってそんなの知るか。でも、分かってる。父さんは、おまえみたいな奴なんかとは違う……!」

「……は、はは……ああ。そういう顔も、できるのか……ますます……」

 

 いいな、と。そう溢す狭乎を放って、玄斗は広那の手を掴みながら踵を返した。

 

「ちょっ……あの、とっ……トオサカ、くん……!」

「……ごめん。でも、あれは最悪だ」

「え……」

「ああ、本当に嫌だ。なんだあれ。……くそ。なんだって、あんな――」

 

 それは真実、今まで知らなかった感情だ。知る由もなければ縁もないであろうものが、飯咎狭乎という人間を前にして芽生えている。

 

 

 ……本気で最悪だ。

 

 

 彼は、生きていて初めて、心の底から誰かを殺したいと思った。








>俺玄斗
一回「傷付いてほしくない」的な感じで告白したら「ごめん無理」と返されて心託しちゃった系主人公。無理だと悟るのが早いなおまえ(他人事)なお中身の関係でそこまで言った男が全然気にもせずそれを機に他の女子とイチャイチャしはじめていた模様。僕玄斗最低だな。


>狭乎おねーさん
おまえ本当すごいな! と褒めてたら殴られた。悪いこと言ってなくない?(純粋な目)


>広那ちゃん
俺玄斗との関係性を全部見破られてもはや玄斗的に笑うしかないのは彼にとってもある程度の成長の証。お互い好き合ってるのに拗らせてるのは本当笑うしか無い。


>僕玄斗
こいつすげえお父さん大好きだぜ?


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仕上げといこう

 

 明透零無の父親は、決して良い人とは呼べない。それは玄斗自身も分かっている。ただ、偏に悪い人なのだとまとめるのもどうかというのが彼の考えだ。肉親というのもあるのだろう。零無にとってはたったひとりの父親で、たったひとりの家族だった。その苦悩を、いまになって分からないと言うワケがない。

 

「……ごめんね。つい、殴っちゃった」

「……トオサカくんが、謝る、こと……」

「……そうだね。君に謝ることでも、ないか……」

「……うん」

 

 うなずく広那に、もはやあるべき形もないのかと息を吐いた。ならば、問題を解消するもなにもない。飯咎狭乎との話し合いなんて真実意味がないものだ。それが、今回のことでよく理解できた。

 

「……ずっと、ああだったのか。君の、お母さんは」

「そう、だね……ちょっと、変っていうか……独特な、人だから……」

「……そっか」

「……でも、失敗作って言われるとは、思わなかったなあ……」

 

 あはは、と広那が笑う。なにもおかしくはないのに。どこにも笑える要素なんかないのに。信じられないコトだった。自分の子供が成長した姿を見て、あまつさえ失敗だと断言する精神性が、玄斗には信じられない。挙げ句の果てには勝手な想像と妄想で自らの父親すら穢されたような気がした。それが彼にとっては、身勝手にも許せなくて。

 

「……いや、こればっかりは、〝俺〟じゃなくて良かったな……」

「……?」

「ううん。……あの人相手は、正直、荷が重いだろうって」

 

 俺では、諸共狭乎に壊される危険性すらある。そう感じるほどの規格外だった。滲み出た殺意の感覚が今もなお残っている。彼ですら分からなければ、他の誰にもそれは理解できない。一度死んで、なによりも命の重さを、生きていくことの意味と向き合い続けてきた玄斗が、誰かに対して死ねと願う。その重さは、どれほどのものだったのか。

 

「……その、トオサカくん」

「うん。なんだい」

「……クロトは、その……いなくなったの、かな……?」

「それは、」

 

 と、言いかけて。ぱっと思考に電流が走った。そうだ、と緩やかに落ちこんでていた頭が回り始める。衝撃的すぎる相手の登場で、なにもかもがすっ飛んでいた。立ち止まっている場合か。気落ちしているときでもない。なにせ彼女の言うとおり。良い質問をしてくれた。トオサカクロトは、いなくなっているのか。

 

「――ああ、そうだった」

「……? あ、あの……」

「そうだよ。そうだ。――やっぱり僕は、まだまだみたいだ」

「えぇ……?」

 

 困惑する広那に、思わずといったふうに漏れた笑顔を向ける。何度も思っていたではないか。十坂玄斗は部外者だ。これ以上深く関わるのは違う。それは明確に、彼女を思う存在があってこそのコトだ。

 

「……ねえ、飯咎さん」

「あ、うん……」

「明日、屋上で待っていてくれ。きっと、良いものを見せる」

「え……?」

 

 もはやそれ以外に道はない。覚悟は……彼が決めるかどうか以前に、別の誰かが決めていくものだ。だから、今回の彼はあくまで脇役。引き立て役だ。そうなるようにしなくてはならない。言うだけ言って、玄斗はそのまま広那と別れて帰り道を急ぐ。携帯をポケットから取り出して、つい最近復活した連絡先へと電話をかけた。

 

『――もしもし?』

「白玖か! ごめん夜分遅く!」

『いや……まだ七時だし』

「そうだった! でもまあそれならそれで! ちょっと君に、頼みたいことがある!」

『……なんか、妙にテンション高いね。嫌な予感とか、ちょっと白玖ちゃんしちゃうなー?』

「大丈夫! 白玖にしかできないお願いなんだ。だから……」

『まあそれはそれとして、ダーリンのお願いなら引き受けますけどねー?』

 

 くすりと電話口の向こうで笑う声が聞こえてきた。これだから壱ノ瀬白玖はやめられない。実によろしい。それだけで今までの沈んだ気持ちが爆発的に盛り上がった。勢いのまま事情とその後の考えを話して、最後に携帯に向かって叫ぶ。

 

「――じゃあまた! ありがとう白玖! 大好きだマイハニー! 愛してるっ!」

『っ!!!???』

 

 ぷつりと通話を切って、そのまま家まで駆けていく。答えは掴んだ。ならば後は、玄斗がどうにかするのではない。すべてはここに生きていく人間次第、である。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 リビングに降りてきた真墨が見たのは、目を疑う光景だった。

 

「……なにしてんの、お兄」

ひは(いや)

「いやじゃなくて」

 

 というか、正気を疑う光景だった。最愛の兄がなにやら工具用のスパナを持ち出して、それにかぶりついている。……いや、舐めている? はたまた噛んでいるのだろうか。なんにせよ、日常生活ではまず口に入れないものを口に入れていた。

 

「どしたの急に。頭でもいった? 壱ノ瀬先輩と恋人関係に戻って」

「それはむしろ常識的になるぐらい嬉しかったけど」

「うっざ……てかそれ、ボルトとか締める奴でしょ。それでなにすんの」

「なにって……」

 

 と、玄斗はどう説明しようかなんて顎に手を当てながら考える。これがまた、詳しく理由から言うとなると難しい。他人のコトも含めるのだから尚更だ。おまけに、自分自身の経験した不可思議な状態からも引っ張っている部分がある。

 

「……難しいな。なんて言ったらいいか……ああ。でも、真墨が来てくれたのはちょうどいいのかな……」

「は? あたしがちょうど良いって……え、なに。お兄ひとりエッチでもすんの」

「するわけないでしょ」

「そっすよねー」

 

 軽く流した妹の下ネタに、さらに軽く返す言葉で緩さが増した。このノリならまあ、いけるかも分からない。玄斗のやることはもう決まっている。決まっているのだが、目下問題はそのやることが都合良くいかないことだった。

 

「この前まで、あまり体の調子が良くなかったんだけどね」

「? うん」

「いまはそこまで悪くない ……っていうと、語弊があるけど。それでも普通。まあ、倒れるとかはしない程度なんだ」

「ふんふむ」

 

 それはなにより、なんて様子で真墨がうなずく。なんだかんだで兄には元気でいてもらいたい妹心。本当ぶっ倒れるとかやめてほしいので、それを聞いてほっと安心したぐらいだった。

 

「ところで真墨は、『キャスト・アウェイ』っていう映画は知ってる?」

「? なにそれ」

「無人島に漂着した主人公が島に流れ着いたモノとかを使って生きていく話なんだけど、そのなかでこういうのがあってね」

 

 トントン、と玄斗が手元でスパナを軽く振る。真墨はまったくもって今の会話の脈絡というか、繋がりが分からない。なぜ自分の体調云々から知りもしない映画の話に切り替わるのだろうか。ちなみに彼がその手の映画を知っているのは、暇をしていた病院時代にかの秘書が持ってきていたからだったりするのだが。

 

「放っておいた虫歯が悪化して、主人公がそれをどうにかしようとするんだけど」

「? うん」

「無人島だから当然歯医者さんもないんだ。それで、どうしたと思う」

 

 トン、とスパナが手のひらに落ちる。真墨は首をかしげてさあ? とだけ答えた。イマイチこの兄の考えが分からない。変なものに影響されでもしたのだろうか。

 

「スケート靴のブレードを歯に当てて、思いっきり石で叩いて歯を抜くんだけど、そこで痛みのあまり気絶するんだよ」

「へぇー……」

 

 言いながら、玄斗は自分の口のなかに工具用スパナを突っ込んだ。うん。なにやらおかしい。というかいまの話を踏まえたうえで考えると、どうにもそれしか浮かばない。

 

「……あのー、お兄。お兄様? えっと、あなたは一体、なにをしようとしているので……?」

まふみ(真墨)

「うんー? あのー、妹的にはー……その、物騒っていうか。アレなものを……口からのけてほしいかなーって」

ひへふと(止血と)あほはおへはい(後はお願い)

 

 こういうとき、一度リミッターの壊れた人間というものは便利だ。その気になれば痛みの一切を気にせず行動できるという点は、十坂玄斗に許された特別性であり異常性だろう。彼はがっちりとスパナで歯を捉えて、あらかじめ用意しておいたハンマーで思いっきり殴った。

 

「――っ!!!!」

 

 思考が焼け付く。意識が飛ぶ。そのまま、少年はなにを考える暇もなくばたりと倒れた。

 

「……う、うわ、うわ! うわー!! やりやがったよこいつー! ばかばかばかー! なにしてんのもうー! ああ血が! 血がもうなんか、もうーーー!!!」

 

 狙いはそこだ。意識は、法則的に切り替わる。

 

 

 ◇◆◇

 

 

『――さあ、君の番だ』

 

『……な、にを……』

 

『ああ、歯を抜いたのは、ごめん。色々と僕も思うところがある。まず、こんなことに巻き込んでくれた時点で相当だろう。だから、まあ、その仕返しってことで』

 

『……いや、それは別に、良いんだけど……』

 

『じゃあなにも問題はないな。もう一度言うよ。君の番だ。意味もなにも、君がやってこそになる』

 

『……でも、俺は……』

 

『――ああもう。面倒くさい』

 

『っ……』

 

『いいからさっさと行け。待たせてるんだ。……僕じゃ無理だよ。おまえが行かなきゃ。ほら、だから、前を向いて、進め。――彼女の生きてきた意味を、()じゃ()くして来い』

 

『え――――』

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ぱちり、と瞼が開いた。

 

「うおっ!? ……復帰早ぇな……大丈夫? お兄」

「…………、」

「おーい? あのあのー? ……無視っすかあ?」

「……まふみ(真墨)

「…………お兄……じゃ、ない……?」

 

 目をしばたたかせながら、玄斗がぐるりとあたりを見渡す。違和感に気付いた妹は、血を拭き取っていたハンカチをきゅっと抱きながらその姿を見つめている。

 

「……俺、は……」

「……ああ、そういうことか……あのお兄、それならそうって……」

「――っ、歯が、いた、い……っ」

「……あー、すいませんすいません。うちのお兄が本当申し訳ないでーす。とりあえずちょっと、あの、氷嚢とか持ってくるんで。安静にしててくださいね」

 

 とててっと台所まで走っていく真墨に、頬をおさえながら玄斗が顔を歪める。……十割痛みで。

 

「(なん、で……こんな……)」

 

 なにはともあれ、事は成された。終わりは、すぐそこにある。






>スパナ
よい子のみんなはワンチャン死ねるので真似しないでね!

>玄斗
背中を押せるようになっただけ本当初期から書いてきて感慨深いものを……いややっぱお前にももうちょっと苦しみをだな……(スパナ二本目)


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想いを伝えて

 

 ――そして、明くる日の朝。彼は当たり前のように起きて、当たり前のように……とはいかないちょっと苦労する朝食を済ませて、そのまま登校するはずだった。

 

「おはよう、玄斗」

「…………おは、よう……」

 

 玄関先で佇む、この少女を見るまでは。

 

「えっと……」

「ああ、いいよ。うちの玄斗から話は聞いて……って、ほっぺ、どうかしたの?」

「……あの、歯が、抜けて……」

「へえ……」

「……君のとこの俺が、工具で……」

「あー……いや、ほんとうちの玄斗がごめんね。なんていうか、うん。ほら、あの人ちょっと勢いに任せだしたら止まらないっていうか……わりとあの見た目で猪突猛進気味なところがあるから……」

 

 それはなんにしろ〝僕〟に限った話でもないのでなんとも言えない。考え出したらそれ以外の道をよそ見もしなくなるのが彼の欠点であり、またときには有効的な長所である。今回はそれがうまくはまった形だ。……歯が奪われてしまったのは、まあ、巻き込んだ代償というコトで彼の中でも納得自体はできている。

 

「てか工具って……もっとどうにかできなかったの……」

「それは俺が言いたいかな……」

「まあ玄斗だから仕方ないんだけど……っと、話してても仕方ないかな。よし、それじゃあ行こっか」

「あ、うん」

 

 うながされて、玄斗は白玖の隣を歩いていく。……自分とは本来関わり合いのなかった少女だ。同時に、向こう側の十坂玄斗がとても強く想っていた相手でもある。それは一体、どういうところなのだろうか。たかだかゲームのキャラクターだから、なんて理由でもあるまいし。そのあたり気になってふと目を向ければ、視線がぶつかった。

 

「――ん、なに?」

「あ、いや……俺、っていうか……〝僕〟が惚れたのは、どんな人なのかな……と」

「ああ、なんだ、そういう……そうだねー、こんな人」

「……いや、それは分かってるけど」

「そりゃそっか」

 

 目の前に居るんだし、と白玖は笑う。じっと見てきた彼とはまた違っても、彼女だってそのあたりは気になっていた。自分の知っているものとは違う想い人。それがどんな人間なのかというのは、気にならないというほうがおかしい。

 

「……玄斗は、まあ、そんな感じなんだね」

「! ……たった今までで、分かったのか?」

「いや、なんとなくだけど。そりゃあうちの人が無茶するワケだ。……本当そっくり。まあ、足りてないっていう部分が、ちょっと前までのうちの人と、なんだけど」

「……言い方が、難しいね」

「かな。まあ、そうかも。でもそうとしか言いようがなくてさ。……知ってる? あれでもうちの人はね、結構強いんだから」

「……それは、俺も知ってるよ」

 

 なにせ何の躊躇いもなく自分の歯を麻酔なしで抜いた男だ。強いというよりかそれは狂っている。実際明透零無だった頃の名残なのでまあ正常と言えば正常なのだが、それに巻き込まれた真墨なんかはたまったものじゃなかった。帰ってきたらしばく。そう息巻いていた妹の姿に、なんだかんだで向こうの自分は想われているなと感心した。

 

「……それで、本題になるけど。まあ、事前に連絡はしてるからね。他は大丈夫として……」

「他……?」

「ああ、こっちの話。玄斗は単純に、放課後になったら屋上へ行くこと。でも、それだけに走らないこと。きちんと周りは見ること。でもって、ちゃんと、玄斗自身であること」

「……? 俺自身……?」

「うん。でないと意味がない。……私の彼氏が体張って頑張ってくれたんだから。そのあたり、ちゃーんと、見つけてほしいよ。私も」

 

 そう言って、ちょうど別れる地点についた。健闘を祈っておくよ、なんて手を振りながら白玖は駅のホームへ消えていく。なんとも分からない。去り際、心のどこかでもうひとりの自分からかけられた声を思い出す。

 

「(零じゃ……無くす……)」

 

 一体彼は、なにを伝えたかったのだろう。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 考え事をしていれば、時間が経つのは早いもので。いくら繰り返しても答えは出ないまま、ついぞ六限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。号令のあとに教師が出ていくと、クラスには弛緩した空気が漂う。

 

「(……行かないと)」

 

 鞄にそそくさと教科書類をつめて、下校の準備だけしておきながら席を立つ。まだ周りの生徒は談笑の最中なのが殆どだ。この賑やかさに紛れていけば不自然でもなんでもないだろう、と彼は歩を進めて、

 

「はいストーップ、十坂(零無)

「そうですね、会長」

「……!」

 

 がしっ、とふたりに腕を掴まれた。

 

「いやいや、あたしらにも役目ってものがあるからねえ?」

「ですね。ここは大人しく一言でも聞いてもらいましょう」

「……? えっと……?」

 

 なにを言っているのだろう、と玄斗が首をかしげる。今朝に白玖が言っていた()というやつだろうか。彼女が裏で……というよりは秘密で手を回していたということになる。それは果たしてどういう意味で、と疑問に思って。

 

「題して、『十坂(零無)覚醒RTA』……だっけ?」

「ネーミングセンスはどうかと思いますが、たしかそのようなことかと」

「あれ、そこ突っ込んじゃう? たぶん名付けたの十坂(零無)だよ?」

「最高の名前ですね」

「あはは! 紫水さん手のひらぐっるぐるじゃん♪」

 

 キランと眼鏡を光らせる六花と、からから笑う碧。その視線が、一斉に、玄斗のほうを真っ直ぐ向いた。

 

「……ま、私たちから言うのは同じなんだけどね」

「ですね。まったく、困った会長です」

「……? っ!」

 

 どん、と力強く背中を押される。ふたり揃って、前へ押し出すように。かつて肩を並べようと努力を重ねた少女と、かつてその隣に居られたらと望みを抱いた少女。同年代であるが故のハンデをも抱えてきた彼女たちからの――激励だった。

 

「頑張れ、零無。きっとあとちょっとだよ」

「一番はあなたです。ちゃんと、胸を張ってください」

「――――、」

 

 振り返ると、碧も、六花も、笑顔のままこちらを見ていた。つまりは、そういうこと。伝えたい気持ち。送りたい言葉。その意味を、ここにきてはじめて理解した。ゆっくりとうなずきながら、少年は教室を飛び出していく。廊下をそのまま、駆け抜ける。

 

「(そうか……〝僕〟は……)」

 

 走りながら考える。足りないのなら足せばいい。届かないのならその分だけ増やせばいい。掴み損ねたものを掴めと、言われているような気がした。そのための用意、準備。無茶をした向こうの己の魂胆が分かった。すべては、〝俺〟という人間をその場に立たせるために。

 

「(……っ、なんだって、そんな……!)」

 

 そこまでするのだろう。自分で良いのなら、彼でも良いはずだ。むしろ彼のほうが良いはずだと。なにせいまの玄斗に足りないものを、その十坂玄斗は持っている。ならば、わざわざ付け足す必要もなく、なにをすることもなく、上手く行くのでは無いかと。

 

「――零奈ちゃん!」

「はい、準備万端ですわ、黄泉さん!」

 

 階段の傍らに、ふたりの少女が見える。両端に立って、まるでその間を通り抜けろと言わんばかりだった。そのまま突っ切る。けれど、耳だけはしっかりと傾ける。投げかけられる言葉は、たしかにあった。

 

「大丈夫。先輩は、私のヒーロー、ですから……!」

「信じております。だから、玄斗様も信じてください。あなたを」

 

 どちらも、一度十坂玄斗に救われた少女だった。壊れかけた心にも、できることはあった。ひとりの人間を暗闇の底から引き摺りだすことが出来た。そんな事実を叩き付けられて、ぽんと優しく背中を押される。勢いのままに、階段を駆け上がる。

 

「(俺、は……――っ!)」

 

 屋上まではそこそこの段数を登らなくてはいけない。だから、その間に十分な時間があった。次の階が見えてくる。立っているのはふたり。見て、外して、歩を進める。声だけはしっかりと、聞き逃さないように。

 

「……来たわよ、橙野さん」

「みたいです。……うむ。玄斗」

 

 ゆるく、叩いたかも分からない力加減で、手が触れる。片方はのんびりと。片方は、どこまでも優しく。

 

「いってらっしゃい、零無」

「大丈夫だ。玄斗は、いちばん綺麗なものだからな」

 

 上がる、上がる、上がる。背中を押されている。足が止まらない。止めることはできない。彼の知らない彼に向けての言葉が、いまの彼に届いている。それが、胸をうつ暇もなく力に変わっていく。なにせ、十坂玄斗は明透零無で。

 

「――さあ、ついぞラストよ。蒼唯」

「……最後っていうのは、気に喰わないけど」

「文句言うな。……ほら、やるわよ」

「……仕方ないわね」

 

 正面に、赤と蒼が見える。もっとも強烈に、向こうの彼へと爪痕を残した少女たちだ。その奥に屋上へ続く扉が見えた。最後には相応しい。そう考えた誰かの意思を、彼はあますところなく感じ取った。どうりで、本気だ。

 

「後悔なんて吹き飛ばしなさい、玄斗。あんたはそれができるはずよ」

「謝るんじゃないわよ、レイ。それよりも先に、言うことがあるでしょう」

 

 バシン、と強く背中を叩かれる。すべてが繋がって、すべてが力になる。それがたとえ付け焼き刃のものだとしても、元からある何かを起こすのには十分な燃料になる。

 

「――だから、君でいてね。君だからいいんだよ。会長クン」

 

 最後に、そんな言葉をかけられた。桃色の髪の少女が、顔を見せずに過ぎていく。掴んだドアノブが、ぐるりと回って。……ゆっくりと、屋上の扉が開いていく。光が埋め尽くす一瞬。その先に居たのは、あるべき光景は――

 

 

 ◇◆◇

 

 

 穏やかな風、静かな空気。そのなかで、彼女と対峙する。

 

「……ぁ……」

「…………そっか、あなたは」

 

 目の前の少女が、こぼれた声にくすりと笑った。それだけで、分かるものがあったのか。

 

「――おかえり、クロト」

「……うん。ただ、いま……」

 

 もっと他に言うべきことがあるのに、それが真っ先に出てきた。心臓が高鳴っている。今までの出来事は、うっすらと知っている。玄斗を通して見ていた景色だ。飯咎狭乎の行いを見て、間近で感じて。

 

「……久しぶり、だね。なんか……」

「……ああ。そう、だね……」

「……クロト、さ。いきなり、私にはなにも言わなくなるから。てっきり、そういうことなのかと、思ってた」

「っ! そんな、こと……!」

 

 真冬を目前にした放課後。空は夕焼けだった。冷たい空気とは対照的に、遠くに沈む太陽がどこまでも明るい。

 

「……言ったじゃ、ないか。俺は、君が傷付くのは……ダメなんだって……」

「……そうだね。言ってた。それで、私がそれを拒否したのも」

「っ……」

 

 なにが、俺でなければダメなのだろう。受けた言葉はたしかに力だ。だが、どうすれば良いのかなんてさっぱり分からない。なにをどうして、この状況を自分に託したのか。いや、もとより最初に託したのは、こちらだというのに。

 

「……私はそれでいいって、言ったよ。でも、クロトはそれじゃダメだっていう。……なんで、なのかな。たぶん私は、それが分からなくて、それがちょっと悲しいんだ」

「なんで、って……」

「……ねえ、クロト。なんで、なのかな……」

 

 どうして、私の生きる意味を否定したがるのかと。暗にそう言っているようだった。なんで。そんな理由を考えたコトは、なかったか。でも、理由なんてなくて。ただ、彼女が誰かのために傷付いて、壊れていくのが、どうしても耐えられなくて。

 

 〝じゃあ、それは、なぜ?〟

 

「――――っ」

 

 心臓が跳ねる。声が聞こえる。受けた声が、頭をかき乱す。頑張れ、胸を張れ、大丈夫、信じろ、いってこい、綺麗だ、後悔も吹き飛ばして、謝るよりも先に、自分でいて。――その、心のうちを。

 

「俺、は……」

 

 本当の、自分の言葉で伝えろと。

 

「ボク、は……!」

 

『――零じゃ無くして来い』

 

 意味が、そこにあるのなら。

 

「――ボクは、君のことが好きだ!!」

「…………え?」

 

 震えるぐらい、声を張り上げていた。呆然とこちらを見る広那と、目が合う。なにを言っているのだろう。でも、言うならそれしかない。あるはずがない。だって、本心なんて、言ってしまえばそうなって。

 

「だから、傷付いてほしくない。君自身を大切にしてほしい。苦しまないで、ほしいよ! 好きなんだ! 当たり前だろう!? だって、ボクはっ……そう、思って……っ!」

「…………クロ、ト……」

 

 なにが足りないかなんて、それこそ〝僕〟には分かりきっていた。一度は辿った道だ。どれほど理由や理屈を並べても、そこに繋がる心を示さなくてはなんにもならない。それをひとつも口に出していないであろうことは、同じ十坂玄斗として察せた。上出来だ。もはや、言うコトもない。

 

「無茶なんて、するな! 怪我も、苦しいことも、ぜんぶっ……ダメ、なんだ。嫌なんだよ……君のことが、それだけ、大事で……だから、そんな姿、ないほうが良いに決まってるのに……!」

「……うん。……うん……」

「なのにっ……なのに、ボクはっ……ああ、いや、違うっ……それなら、ボクが!」

 

 言葉がまとまらない。思考回路がめちゃくちゃだ。なのに、考えることだけはハッキリしている。たったひとつ、貫いた想いだけが。

 

「――ボクが! 君のコトを、半分背負う!!」

「…………うん」

「だから……っ、だから、お願い、なんだ……もう、危ない真似なんて、しないでくれよ……違うんだ。大層な理由なんて、これっぽっちもなくて。ああ。ああ……っボクは、君に、ボク自身が、傷付いてほしくないって、思ってるだけで……」

「……そっ、かぁ……」

 

 違うと否定されて。それは間違いだと言われて。でも、その根底にあるのが彼女をすくい上げるようなモノだったとき。はたして、人間はどういう反応をすればいいのだろう。

 

「――っ、好き、だ……! 広那、さん……!」

「……それ、は……」

「好き、だったんだ……っ、いま、気付いた。俺は、君のことが、なによりっ……」

「……やめ、てよ。……そういうこと、言われたら、さあ……あ、あはは……は……」

 

 ぼろぼろと、涙が出てくる。固まった関係も、固まった言葉も、固まった心も。溶ければそれは雫となって落ちていく。

 

「――っ……なん、で……泣いてるん、だろう……私……っ」

「……俺だって、聞きたいよ……それは」

「だよ、ね……あは、あはは……うん。でも、さあ……でも、なんだよ。うん、うん。それでも――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――不意に、目覚ましが鳴った。寝惚けた手で、強引にその音をとめにかかる。……昨日までの記憶があいまいだ。時計を見れば時刻は午前六時半。そろそろ起きる時間帯と言えば、まあそうとも言える時間帯で。

 

「(……九月、一日……?)」

 

 首をかしげながら、玄斗はゆっくりと起き上がる。清々しい天気だ。なんだか驚くぐらい良いもので、ついぞカーテンなんか開けて外を見た。――眩しくて、手をかざす。

 

「……ん?」

 

 と、そこで気付いた。いつもの寝間着ではない。だいぶボケていたのか、どうやら制服姿でベッドへ潜りこんだらしい。

 

「(うーん? ……なんか、こう……)」

 

 なにかあったような気がして、首をかしげながら踵を返す。本日より二学期だ。制服であるというのは、その点に関してちょうどいい。そのままドアノブを捻ってリビングに向かおうとして――

 

「(? ……これ、って――)」

 

 胸ポケットにある丸いナニカに、数秒間だけ瞠目した。

 

「――――、そう……か……」

 

 いま一度空を見る。見上げた色は綺麗な青。透き通るような晴れ間に、自然と笑顔がこぼれた。願いは成就した。はじめの原因となった他人への助力ではなく、彼が自力でそれを解いた。そうした結果、なのだろうか。

 

「――やればできるじゃないか、〝俺〟」

 

 もう届かない独り言を呟いて、玄斗はゆったりと部屋を出た。きっとすでに妹がいて、母親がいて、父親が変なコトを喋っているに違いない。そんな日常だ。あるべき姿である。これから待っているのは、平凡そのもの。

 

「(……それが良いんだ。それで。きっと)」

 

 いつもどおりの日常。それこそが結局いちばんの幸せなんだと、玄斗は思った。 

















名前:飯咎広那

性別:男

年齢:16

趣味:とくになし

特技:笑顔

イメージカラー:なし

備考:本作の主人公。いつも笑顔を絶やさず、誰かを思いやる気持ちに溢れた少年。そんな彼にはすこしだけ、深い事情があって――?
(アマキス☆ホワイトメモリアル2公式攻略ガイドブックより抜粋)


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いつまでも



 ――それは、別たれた結末に。


 寒さは意外なほど、肌をさしていた。






 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

「……広那」

 

 

「うん。なに」

 

 

 

 

「そこに、いるかい」

 

 

「いるよ。ちゃんといる」

 

 

 

 

「そっか」

 

 

 

 

「…………、」

 

 

「…………、」

 

 

 

 

「……いまは、何月だっけ」

 

 

「十一月。もうちょっとで、冬本番かな」

 

 

 

 

「そっか。……もう、そんなになるのか」

 

 

「そんなになるよ。落ち葉もなくなって。ほら、枯れ木ばっかり」

 

 

 

 

「……ん。それは、見られたら良かったんだけどね」

 

 

「……だね」

 

 

 

 

「…………、」

 

 

「…………、」

 

 

 

 

「……もう、五年になるのかあ」

 

 

「そうだね……もう、五年」

 

 

 

 

「意外と早かったね。本当、そんなに、経つのか」

 

 

「私も、それは同じ。早かった。……きっと、クロトと一緒だったからかな」

 

 

 

 

「そう言ってもらえると、俺は嬉しいものだけど……」

 

 

「ううん。絶対そう。クロトがいたから、私はここまで来れたんだよ」

 

 

 

 

「……嘘だろう。ここまで生きていくぐらいなら、別に、君だけでも」

 

 

「長さじゃないって。もう。……私の、気持ちの問題」

 

 

 

 

「……そっか」

 

 

「……そうなの」

 

 

 

 

「…………、」

 

 

「…………、」

 

 

 

 

「――ねえ、広那」

 

 

「……うん、なに」

 

 

 

 

「ひとつだけ、訊きたいことがある」

 

 

「だから、なに?」

 

 

 

 

「………………君は、幸せだったかな」

 

 

「――――――、」

 

 

 

 

「あ、いや……深い意味は、ないん、だけど……」

 

 

「……もう、クロトってば。そんなことも、知らないでいたの?」

 

 

 

 

「……そりゃあ、だって俺は……」

 

 

「幸せだったよ。クロトが居るんだもん。ずっと、ずっと、幸せだった」

 

 

 

 

「――っ……そっ、かぁ……」

 

 

「…………、」

 

 

 

 

「幸せ、だったのか……」

 

 

「…………うん」

 

 

 

 

「………………、」

 

 

「………………、」

 

 

 

 

「…………………………、」

 

 

「…………クロト?」

 

 

 

 

「…………あ、うん。……どうか、した?」

 

 

「…………いや、ごめん。なんでも、ない」

 

 

 

 

「……広那」

 

 

「違うから。本当、に……なんでも、なくて……っ」

 

 

 

 

「謝るのは、俺のほうなんだから……」

 

 

「ちがっ……クロト、は……っ……だってっ……」

 

 

 

 

「ごめん。これは、仕方ないんだ。……頑張ってはみたけど、そもそも、元からね」

 

 

「……っ」

 

 

 

 

「そこまで長くは、なかった、みたい……」

 

 

「そん、なの……っ」

 

 

 

 

「だから、広那……。一度、掴んだ感覚は……それだけは、忘れないでいて。俺のことは……どうでも、いいけどさ……」

 

 

「くっ、クロトはっ……どうでも、よくなんか……!」

 

 

 

 

「――……いいんだ。幸せだって、君が、笑えたら。きっと、ぜんぶ。……だから、忘れないで。ちゃんと、君が、笑えてたって、いうこと」

 

 

「…………っ……」

 

 

 

 

「広那は、ちゃんと、綺麗に笑えるんだっていうこと」

 

 

「……わすれ、ないって……そん、なの……」

 

 

 

 

「……そっか。なら、良いのかなあ……」

 

 

「……う、ん……っ」

 

 

 

 

「……………………、」

 

 

「……………………っ」

 

 

 

 

「…………広那」

 

 

「…………うん。な、なに? クロト」

 

 

 

 

「眠いから、すこしだけ、寝るよ。最近、ねむりが……よく、無かったんだけど。いまなら、ゆっくり眠れそうだ」

 

 

「…………うん。じゃあ、ゆっくり……っ。……寝たら、いいよ」

 

 

 

 

「そう、させてもらうかな。……うん。よかった……本当、俺には、それが……いい……ゆめ、で…………――」

 

 

「…………、」

 

 

 

 

「………………、」

 

 

「…………クロト?」

 

 

 

 

「…………、」

 

 

「…………、」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……、」

 

 

「…………ごめんね。ありがとう。

 

 

 ……おやすみ、クロト。どうか、いい夢を、見てね――――」

 

 

 







果たして先が短いと知りながら、なにも知らない他人に任せるのと。

先が短いと知りながら、それでも一緒に居たいとワガママを通すのは。


一体どちらが、正しい選択肢なのだろう――?


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終わりよければ



 日常こそが、最大の幸福である――





 

 リビングに降りると、すでに両親は出かけているようだった。真墨だけがパンをかじりながら、ぽちぽちリモコンでテレビのチャンネルを変えている。

 

「おはよう、真墨」

「おふぁよーおひい」

「飲み込んでからね」

「っ……おはよっ、お兄☆」

「うん」

 

 今日もまた一段と真墨だ。椅子をひいて玄斗もテーブルにつきながら、すでに用意されていたパンとコーヒーを腹におさめていく。ついでにサラダもついているのがグッドだ。食事量的に。

 

「ねえちょっとお兄様。いまのかわいさ百万パーセントクラスの妹スマイルに対してその反応はないんじゃない? もっとときめけよ」

「真墨はいつだってかわいいからね」

「おぉう……こいつ切り返しがやべえな……そういうコト言うからお兄はー……もう……」

 

 まったく、とぶつくさ言いながら真墨がパンをもぐもぐと咀嚼する。いつも通りと言えばいつも通り。それまで経験していたものとも、違うわけではない。ただ、やっぱりそれは玄斗にとって心地よい感触で。やはりこうでなければ、と思わざるをえなかった。

 

「あ、そういえばさー」

「うん」

「なんか今朝、変な夢見てさー。ぶっちゃけワケ分かんないんだけど、お兄とあたしが別時空に飛んじゃってて」

「うん」

「色々引っかけた女ったらしのお兄が最終的にスパナで抜歯してたわ」

「ッ!!」

「うわあー!?」

 

 ぶはっ、と飲んでいたコーヒーを噴き出した。熱さと変なトコロに入ったせいでむせる。

 

「えほっ、おぇっ……ま、ますみぃ……」

「な、なんだなんだ!? 女ったらしって言ったのが悪かったか!? ごめんなお兄! 気遣えない妹で! そこらへんデリケートだもんな!?」

「きみ、わざとだろう……!」

「……えへっ♪」

 

 こつん、とかわいらしく手を頭にやって舌を出す真墨。似合っているのがまたなんとも言えなかった。

 

「……覚えてるのか」

「いやまあ夢って感じでそりゃねえっしょー? って思ったけどね。なんか、引っかけたらそりゃあもう見事な反応を返してくるお人(お兄)がいるじゃん?」

「…………、」

「じゃあ、夢だけどー? 夢じゃなかったー! みたいな? となりのクロトみたいな。いやー、あれっすね。お兄はどこの世界線でもこじらせてるんすねえ……」

「うるさいな……」

「あー! 照れてる照れてる♪ ……写真撮っとくか」

 

 パシャパシャとスマホを構えて激写する妹から視線をきって、朝食を平らげていく。……今日はなんとも、騒がしい一日になりそうだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「うまくいったみたいだね」

「……そうだね、白玖」

 

 にっこりと笑う少女に、やはりこっちもかと玄斗は息をついた。が、こと彼女に至っては仕方ない部分もあって。

 

「……ありがとう。根回しは、白玖がやってくれたんだろう?」

「ちょっとだけ、だけどね。実際にしたのは誰かさんたちだから」

「それでもいいモノにはなったろうから。こと、僕に関してはね。あの人たちはそれこそ、とんでもなく強いよ」

「ふぅん? 評価高いね」

 

 アマキス☆ホワイトメモリアル無印ヒロイン勢のことだ。壊れた、もしくは壊れかけた十坂玄斗を叩き直すのに、あれ以上の人材はおよそいない。それはなによりもいまの玄斗自身がいちばん分かっていた。

 

「……どうだった? 〝俺〟は」

「うん? まあ……良くも悪くも玄斗してる……かな。なんか、私が居ないとそうなるって考えると、色々思っちゃうよね?」

「実際そうだからね。白玖と出会わなかったら、あんなものだよ」

「じゃあこっちの玄斗さんは私と出会えて幸せなんです?」

「そりゃあもちろん。すっごく幸せ」

「ふふふ、よきにはからえー」

 

 良いものだ。こうして並んで同じ学校に通えるというだけで、何倍も楽しさが増している。本当に帰ってきた、という感じがした。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「おっはよう十坂(零無)♪」

「碧ちゃん」

 

 下駄箱で肩を叩いてきたのは五加原碧だった。ぐいっと距離を縮めてきて、にこにこと人好きのする笑顔を浮かべてくる。……ちょっと後方でむくれた白玖が怖い。でもかわいい。

 

「いやまあ、いきなり壱ノ瀬さんから連絡が届くからなにかと思ったら……なるほど。こう見るとたしかに、十坂(零無)とは違うんだねえ……」

「え、えと、あの……」

 

 じりじりと、顔が近付いていくる。

 

「そっかそっかあ。……ん、十坂(零無)

「み、碧……ちゃん……?」

「――はいダメー! 近すぎー! なにをしてるのかな五加原さん!?」

「えー……別に、なにもしてないよ。ね?」

「あ、あはは……」

 

 ――いやいまのは確実になにかする気だったろう、とは言わなかった。言えばこれまた確実に地雷になる。玄斗はちょっとだけ危機管理能力があがった。雀の涙程度ではあるが。

 

「てかあたしも頑張ったんだけどなー? そこらへん壱ノ瀬さんは汲んでくれてもよくない?」

「よくないから。玄斗は私の恋人だから」

「束縛する人は嫌われちゃうよー?」

「玄斗はその程度じゃ嫌いませんけど!?」

 

 なんだか自分を置いて女同士の争いがはじまっている。彼はどこか遠くを見つめながらふと考えた。うちの幼馴染みの理解力って、どうしてこうも高いのだろう。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「はい確保ぉー!」

「うわっ」

 

 教室に入ろうとしたところで、後ろ襟を掴まれながらそのまま引っ張られた。

 

「鷹仁……?」

「うーん。とりあえずおまえ生徒会室な? 拒否権なしな? いいな? 詳しく話聞かせろてめえ」

 

 だいぶお怒りの様子である。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「――で、こうなったと」

「どうしてこうなった……っ!」

 

 呟く赤音に、呪詛を撒き散らしながら鷹仁がダンボールを抱えてせっせと歩いている。考えれば当たり前なのだが、生徒会室には生徒会役員全員が揃っていて。そこにちょうど現れた男子が、まあ、良いように使われないワケがないのだった。

 

「……っと、それはともかくお疲れさま。玄斗。あんた、歯をレンチでぶっこ抜いたんだって?」

「それ誰から聞いたんですか……」

「壱ノ瀬ちゃんが」

 

 女子の情報網って怖い。というか赤音とわりと仲の良い白玖というのが意外だ。

 

「抜いたというより、こう、ハンマーも使いましたけど」

「馬鹿じゃないの?」

「でも綺麗に気絶できました」

「馬鹿じゃないの?」

 

 ぐっと親指をたてればさらっと握られてボキッといかれた。骨は無事である。がしかし変な方向へ曲げられたのかすごく痛い。玄斗は悶えながら苦笑した。

 

「ずいぶんと無理をしましたね、十坂くん」

「紫水さん……」

「まあ無事ならなによりということで。平和が一番でしょうし」

「……そうだね」

「まあ我が家はもう一度お母さんに反撃の狼煙をあげますが!」

 

 紫水家の事情はちょっとアレだった。何度でも攻勢に出る娘に母親が折れるのはいつになるのだろう。というか父親のほうは大丈夫なのだろうか。おもに怪我とか。

 

「……なにやら難しい話をしているのね」

「あ、灰寺……さん……」

「私にはさっぱり分からないけど」

「……その、ありがとうございます。お守り」

「? ……あなた、なにを言っているの?」

「――――」

 

 そこで、ふと、玄斗は灰寺九留実だけ違っていた事実を思い出した。記憶の有無というのは、そこなのだろうか。つまり、彼にお守りを託した彼女は、その中にあるべき魂は、そこにしかないということで。

 

「――いえ、なんでもありません」

「……?」

 

 ちょっとだけ、寂しかった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「む、玄斗」

「おはよう、七美さん」

「おはようだ。珍しいな? もっと早く来ているものかと」

「ちょっと生徒会室に呼ばれちゃってて」

「? ……ああ、なるほど。そうだった。こっちの玄斗は、そうだったな」

 

 くすりと笑う七美に、玄斗もそうだねと返して微笑む。きっとこの少女も、彼女なりの言葉で背中を押してあげたのだろう。恐らくはとても緩やかに、けれど馴染むように。

 

「不思議だ。世の中には、ああいうこともあるのか」

「いや、普通はないから……」

「だがな、玄斗。そうは思わないか? あんな鉄の塊とかがすごい速さで走るんだぞ? 世の中に魔法使いのひとりやふたり居てもおかしくないじゃないか」

「それはベクトルが違うっていうか……いや、うん。難しいな……」

「?」

 

 窓の外、遠くの車を指差して言う七美に、そう言えばそうか、なんて妙に納得してしまった。なにせ彼女は箱入りどころか世間一般というものをある程度のラインまで叩き込まれただけの何も知らない少女である。ついでに今日が学校初日なのだが。

 

「……とにかく、こればっかりは分からないよ。僕にもさっぱり」

「そうか。玄斗に分からないのなら、私にも分からないな」

 

 笑い合って、歩を進めていく。お互いが自然体。マイペースとしての波長が合わさっている。その変わりなさに、これもまた彼女だからか、なんて。

 

「あ、十坂クン」

「紗八先輩」

 

 ……なんとも、今日は朝から知り合いによく遭遇する。理由なんて言わずもがな、それ意外にないだろうというぐらいハッキリしているのだが。

 

「と、橙野ちゃんだっけ」

「はい、橙野七美です」

「うん。よろしくねー、橙野ちゃん」

 

 ひらひらと手を振る紗八に、七美もひらひらと手を振り返した。どこか慣れない様子であるのがちょっとおかしい。

 

「いやあ……なるほどねえ。でも、うん。しっかり、もらったものかなあ」

「……あの、紗八先輩は」

「ううん。いいよ。――ちゃんと、あるものはあるから。だからそれは、糧にするだけ。ありがとうね、十坂クン」

 

 居なくても繋がるものはある、と。笑う彼女はそのままふらりと去っていった。最後までとは、いかなくても。〝俺〟はどこまでも、彼女のコトを守れたのだろうか。

 

「(……考えても仕方ないってのは、分かるけど)」

 

 できることならすこしでも。目を向けていることを願うばかり。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 先を急ぐ、と言って駆けていく七美と別れて、玄斗もそろそろ教室に戻ろうかと廊下を歩いていたとき。ふと、前から向かってくる二人組が目に入った。

 

「あ、玄斗様」

「くろ……先輩?」

「ん、おはよう」

 

 同学年で繋がりもあったせいで、仲も良いのだろう。明透零奈と三奈本黄泉は、揃って並びながら立ち止まる。同性の友人というものに恵まれるのは良いコトだ。それが透明な彼女なら尚更のこと。うんとひとつ玄斗も笑顔をつくって、うなずいた。

 

「本当、仲良しだね」

「付き合いが長いですから。彼女とは」

「そうだね……いまだに零奈ちゃんからの呼び名が安定しないけど」

「慣れていない弊害ですわね……」

 

 むむ、と唸る零奈に黄泉がくすくすと笑う。本気で仲がよろしい。

 

「あだ名で呼んでみるっていうのは?」

「あだ名、でございますか。……黄泉っち」

「それは、うーん……私には似合わないね……」

「ですわね……黄泉は黄泉で、黄泉さんですね。やっぱり」

「まあ、それが零奈ちゃんらしいかも」

 

 うんうんとうなずくふたりに、玄斗も思わず微笑んだ。なんだかんだで一番安定している。どちらも自分からガツガツ行くようなタイプでもないのに、不思議と。

 

「――と、ふたりとも大丈夫? 時間、もうあまりないけど」

「おや、それはいけませんわね。行きますわよ黄泉!」

「へぇっ!? ちょっ、あ、先輩! あの、その、ええっと……!」

「うん」

「――あ、ありがとうござますぅ……!」

「玄斗様! またゆっくりお話でもっ!」

「あはは……元気だなあ……」

 

 ここでは復帰初日だよ零奈ちゃん! もうそんな気がいたしませんの! なんてはしゃぎながら後輩たちが走っていく。向こうとこっちと、経験したが故の被害だった。おそらく今まで学校というものをロクに知らなかった零奈に振り回されるのが彼女になるのだろう。それは、玄斗がどれほど願っても見られなかった夢の続きを見ているようで。

 

「(……良いな、なんか)」

「しんみりしている場合?」

「っ!」

 

 後ろからかけられた声に、ビクリと肩が跳ねた。相手なんて――言うまでもなくただひとり。時間もなにも気にしない彼女は、ゆっくりと腕を組みながら立っている。

 

「先輩……」

「……そうね。見比べると、分かるものがあるわね」

「……向こうの僕と、ですか?」

「それ以外のなにがあるっていうのよ」

「すいま――」

 

 と、言いかけて。

 

「……いえ、そうですね」

「……ふん」

 

 言うと、鼻を鳴らして蒼唯がそっぽを向いた。どこか笑っているように見えたのは、気のせいだろうか。

 

「……まさか、私があんな役目を負うとはね」

「……思っていませんでしたか」

「ええ。ずっと、あなたは引き連れていくものだと。……そう、思っていたのだけれどね」

 

 弱くて、脆くて、それをひた隠しにしているようないつかの少年だ。彼女がその腕を掴んだときに、折れてしまいそうだった彼が、いまこうして目の前にきちんと立っている。それをいま一度、じっくりと眺めた。

 

「……強く、なったのね。レイ」

「……そう、見えますか?」

「……うん。見えるわ。きっと。もう、あなたは立派な――」

 

 くすり、と笑う。不意打ちだった。本当に、なんの憂いもない、なんの遠慮もない、なんの飾り気も無い。そんな四埜崎蒼唯の笑顔を見たのは、久しぶりで。

 

「……でも、私はそんなに綺麗な性格はしてないから。悪いけれど、諦めるつもりなんて一切ないから。そこだけは、覚えておきなさい」

「……先輩、らしいです」

「そうよ? だって私は、四埜崎蒼唯だもの」

 

 

 ◇◆◇

 

 

 始業式もつつがなく終わり、本日最後のホームルームである。期首テストは明日からなので、それもあって初日は午前中授業なのが調色高校だ。すでに午後からの予定を組み始めるクラスメートたちの談笑を断ち切るように、教壇に立った担任が言う。

 

「はい静かにー。じゃあホームルームを始める……その前に、えー、今日から新しい仲間が増えます。喜べ野郎ども、女子だ」

 

 教室がざわついた。おもにその野郎どもの声で。

 

「先生、かわいいですか!?」

「どんな子ですか!?」

「スリーサイz」

「あーあー質問は一番最後を残して各自でしろ。……じゃあ入っていいよ、どうぞ」

「はい」

 

 からり、と優しく教室の扉が開けられる。それから、ゆっくりと少女が入ってきた。

 

「あれって……、」

「……うん」

 

 白玖の声に、静かにうなずく。少女は綺麗に歩いて、ぴたりと止まって、それから黒板に白墨を走らせた。――なるほど。こう繋がるのかと。

 

「えっと……今日から、この学校に転校してきました。飯咎広那って言います。その、みなさん、よろしくお願いします!」

 

 笑顔のまま、彼女はそう告げた。






あとはラスト一話を書いて終わりです。なんとか年内終了が間に合いましたね!(ブースト込みの執筆量から目を逸らしつつ)


感想はそのあとゆっくり返していきたいと思います。


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第十五章 白くなくても終わらせよう
エンディング


 

 ――そんな風に、ちょうどキリのいいところまで済ませたとき。狙ったように、寝室の扉が開いた。見ればどこか遠慮がちに、こちらを伺う少女の姿がある。

 

「……お父さーん……もう八時だよ……?」

「ああ、ごめん。ちょっと、集中しちゃって」

「まったく……ご飯もお風呂も準備しちゃったよ」

「うん」

 

 うなずきつつ、椅子に座ったままぐっと伸びをした。ちょうど佳境だったというところもあって、だいぶ熱中してしまったらしい。思えば昼過ぎからなにも口にしていないことに気付いた。健康に気を遣っていることもあって、それになんとも相当だと自覚する。

 

「……っ、ぃ、たた、た……」

「もうー……大丈夫? お父さんだって歳なんだから。無理しちゃだめだよ」

「歳って……僕はまだ三十八……」

「アラフォーじゃん」

「うっ……」

 

 ぐさっと突き刺さる実年齢のあれこれにうめいた。まだ三十八。言い換えればもう三十八だ。色々と体にもガタというのが出てくる。いくら健やかな毎日を過ごしていても、人間は二十歳を過ぎれば日々老いていくものなので仕方ない。

 

「……お仕事人間だよね、お父さんも。ワーカーホリックってやつじゃない?」

「いや、そこまでではないと思うんだけど」

「いやいや、十分だって」

「いやいやいや……おじいちゃんの話とか、聞いたことない?」

 

 問いかけると、「おじいちゃん?」なんて彼女は首をかしげる。まあ、個人的にワーカーホリックといえばあの人だ。あれほど仕事熱心というよりも仕事人間という言葉が似合う人物を知らない。

 

「あれでおじいちゃん、若い頃はすごかったんだよ。仕事、仕事、仕事で」

「うっそだー! ……ええ? だって、あのおじいちゃんが……? 今年私のお年玉に三万入れてくれてたけど」

「あの人は……!」

「あ、これお父さんに言っちゃダメなやつだった」

 

 パパ許して、なんて言ってくる少女より、孫娘に甘々な父親に嘆いた。たしかにもう高校生なのでまとまったお金があっても良いだろうが、にしても三万はそこそこ大金というか、なんというか。

 

「……まあおじいちゃんらしいけど。それでも昔は結構だったからね。いまのお父さんに比べたら、まだまだ全然」

「ふーん……どうでもいいけど、無理だけはしないでね。本当」

「しないしない。流石にそれはね?」

 

 所帯を持ったいま、身勝手に自滅して苦労をかけさせるワケにもいかなくなった。最近の信念は健康第一である。食生活から日ごろの運動までこなしていれば、わりと体の調子は整うもので。そうなれば仕事中も急な腰痛や肩こりに悩まされることは少なくなった。

 

「……で、どこまで進んだの」

「こらこら、お仕事関係だから。さすがに詳しくは言えないよ?」

「いいじゃん、私口が堅いし。それに、あれなんでしょ。それ、お父さんとお母さんが元になってるんでしょ」

「……まあ、そうだけど……」

 

 どれどれ、なんて言いながら娘が身を乗り出してパソコンの画面を見ようとしてくる。それをやんわりおさえながら、一応はプライベートな代物でもないのでガード。……まあガッツリとプライベートな部分があるにはあるのだが。いや、中身的な意味で。

 

「気になるなあ。あんまり覚えてないから、お母さん」

「……そうだね。まだ小さかったから」

「うん。……だから気になるの。お母さんってどんな人だったのかなって。ねーねー。うちのこんなお父さんを射止めたのはどんなタイプだった!?」

「どんなって……」

 

 まあ、ああいうタイプだったのだが。

 

「……恋愛事もいいけど、ちゃんと勉強もね。ほら、学生の本分は――」

「おやおやお父様。忘れたかなー? 私の二学期の通信簿は五段階評価のオール五でしたけどー? ついでに成績もトップですけどー?」

「……すごいね、うちの子は」

「でしょでしょー。だから、ほら、聞きたいなー」

 

 馴れ初めを聞かせろ! と目に書いてある。らんらんと光る瞳はまるで猫みたいだった。こういうところはどちらの血筋かというとたぶんこちらで、いまだにからかってくる妹あたりを想起させた。血の繋がりは恐ろしい。

 

「……子供のときにね」

「うんうん!」

「お父さんが公園で、お母さんに向かって絶対幸せにする、って宣言をしました」

「きゃー! きゃー! うそー! お父さんってばだいたーん!」

 

 わーきゃー、といった風に跳ね回る少女。嘘ではない。嘘は言っていない。そのときは意味合い自体が結構違ったようなものだが、回り回って結局約束自体は成されたと言っても良い。ので、まあ、嘘ではないと言えるだろう。

 

「で、それからずっと離れ離れで。高校生になって再会して、いまここ」

「なるほどなるほどー……その間のお父さんはハーレム主人公だったわけだ」

「いや、そういうわけじゃ……」

「ないの? 赤音さんとか。あとうちによく遊びに来る人で蒼唯さん。黄泉さん。碧さん。六花さん。七美さん。零奈さん……」

「いやいやいや、待って待って。そういう言い方はちょっと語弊があるって」

「それと真墨おばさん」

「真墨は妹だし……あと怒られるよ」

「いいのいいの。聞こえてないし」

 

 昔からのコトではあるが、妹は彼女から「おばさん」と呼ばれるたびにキレる。それはもうキレる。ブチギレからなんとかおさえて半ギレまで持っていっているあたりの努力を称賛してあげたい。

 

「あ、あと広那さんもかな?」

「あの子はちょっと違うかなあ……?」

「あらら。珍しく言い切るんだね。お父さん的になにかありましたか」

「さあ、どうだろう」

「……怪しい」

 

 じっと睨む彼女の頭に手をやって、そのまま乱暴に撫でた。うわーやめろー! なんて吠える声をスルーして、ゆっくりと椅子から立ち上がる。

 

「そういうそっちはどうなの?」

「? どう、っていうのは?」

「良い人とか。いない?」

「えー……どうだろ。恋愛とか正直興味ないなあ……」

「へえ……なんで?」

「? だって結婚したらお父さんひとりじゃん。それは嫌だよ。私お父さんとは死ぬまで暮らしていくつもりだし」

「どうしよう。お見合いの場とか設けるべきかな……」

「いやいやいや!」

 

 ちょいちょいちょい、と待ったをかける少女と見つめ合う。むしろこっちがそう言いたいぐらいなので、間違いなくお互いの意見が別たれた瞬間だった。冗談にしてもそれは笑えない。

 

「娘の気持ちをありがたく受け取っておくべきだって! 大丈夫! 苦労はさせないから!」

「いやそういう問題じゃなくて……流石に、普通にお父さんとしては幸せになってほしいよ? そのためにこれまで色々とね……」

「私にとっての幸せはお父さんとの日常です! はい終了! 閉廷ーっ!」

「いやだからそれはダメだって!」

「なにがダメなの!」

「孫の顔とか見せてくれないのかい!?」

「えっ……じゃあ、あの……」

「ストップ。もしかしてそれ、真墨から教わった?」

「なんだ、おばさん見破られてるじゃん」

「あの娘は……っ!」

 

 人の家の子供になにを教えているのか。毒されている。これは間違いなく毒されている。すくすくと元気に成長してもらいたかったのに。

 

「まあ半分冗談だけど、半分本気だよ?」

「……どこまでが本気なんだい?」

「お父さんと死ぬまで暮らすってこと。だってさ、私がいないとお父さん死んじゃうでしょ」

「いや、そんなことないって……」

「いいや死ぬ! 断言するね! ……だから、私はお父さんと一緒にいまーす」

「……まったく……」

 

 頑固なところは、まあ……どちら譲りかなんて考えるまでもなく。実際死ぬ気は毛頭なければ、ちゃんと娘には良い人を見つけてお嫁にいってほしいというのが親心だ。正直、できすぎた娘なのでどこへ出しても恥ずかしくない……と思っているのだが。

 

「私、お父さんのことならなんでもお見通しなんですよー?」

 

 

 

 

 

 

『あなたのことならなんでもお見通しなんですよー? 玄斗さん』

 

 

 

 

 

 

「――本当、お母さんに似てきたね。白無(シロナ)

「そうかなあ?」

「うん。よく似てる。とくにその髪色とか」

「あー、これ。これは真似ただけだよ? なんか、良いなーって思って」

「……そっか」

 

 くすりと笑って、少女と一緒に寝室を出る。階段を降りて一階のリビングまで行けば、たしかにテーブルには料理が並んでいた。

 

「……休みの日だからって、豪勢じゃない?」

「そりゃあそうでしょ。だって、ほら。もう十年だし」

「……ああ。そういうことか。なら、豪勢にもしなくちゃね」

「うん」

 

 この家に暮らしているのは、たったふたり。自分を含めれば娘だけで、ちょっと広すぎるのが悩みどころになる。そんなものにすら慣れはじめて、だからまあ、その日だけはなにより感じることができた。十年。彼女が死んでから、もうそんなに経つ。

 

「……そうだね。なら、そういうことで」

「そ。だから、それでね。じゃあ、うん」

 

「「「――いただきます」」」

 

 手を合わせて、箸をつける。辛いことも、苦しいことも、思えば沢山あった。折れてしまいそうなコトの連続で、本気で投げ出したいと思ったことだってある。それでもまだ生きていて、些細な幸せが続いている。だから、それでいい。そんなもので良いのだろう。人生なんてそう上手くはいかないし、なにが起こるか分からない。

 

「(僕はもうちょっとだけ頑張ってみるよ、白玖)」

 

 すくなくともこの娘に悲しい顔をさせないためにも、病気だけはしないでおこうと心に誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【企画】Not(ノット)/(ゼロ)コーポレーション

 

【設定・ストーリー原案・シナリオ】明坂零斗(アサカレイト)

 

【原画】三奈本黄泉(ミナモトヨミ)

 

【作品コンセプト】不思議な日常に紛れこんだ少年の、心を繋ぐ恋愛ビジュアルノベルゲーム

 

 

 

 

 

 

【タイトル】ギャルゲーの友人キャラに転生したら主人公が女だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――

 

 ――――

 

 ――

 

 

 

 
























ご愛読ありがとうございました! 4kibou先生の次回作に(ry

以下あとがきにつき反転。




ということで終わりです。ここまでついてきてくれた方はお疲れ様でした。本当にありがとうございます。およそ三か月間また走らせていただきました。なのに話数が膨れ上がってるのはナンデナンダロウネーオカシイネー。……はい。


一先ずやりたいことは全部やれたと思うので良かったと思います。序盤のドシリアスでふるいにかけすぎて最後のあたりはもう何をどう書いても「あーはいはいそういうことね」で流される安心感がやばかったです。耐性ついてる人多くない……?


そんな風に好き勝手やらせてもらった作品でした。書いててそれはもう楽しかったです。途中お仕事のつらみで執筆時間減ったりしたけど毎日だけは死守しようと頑張ってました。結果は……うん……。


なにはともあれ読んでくださった皆様に感謝です。また今度も機会があれば拙い文章を読んでやってください。長くなりましたが、最後にひとつだけ。




もう二度とハーレムは書かねえ。


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本編外:発売未定
FDNo.02: Episode Red / After ‪√‬




データの海に沈んでいたルートが見つかったので、折角ならと投稿。ちなみに没にしたやつです。

没理由? 本編書き終わったあとにいくら書いても白色ヒロイン以外じゃ嫌だ、僕は認めないって主人公が(脳内に)語りかけてきたからだヨ!




そんなわけであるはずも無いおまけルート。暇な方はお付き合い下さい。


「ただい──」

「遅いっ!」

 

  ま、と続けようとした口が固まる。私の言葉を遮るようにして声を荒げたそいつは、見るからに不機嫌な顔をしていた。

 

「まったく何時だと思ってるんだ。こんな夜遅くまで」

「夜遅くって……いや、まだ八時半……」

()()八時半だ。完全下校時刻は七時。学校からうちまでは徒歩十分だぞ。どこをふらふらしてたらそうなる」

「そりゃあゲーム見に行ってたらそれぐらいになるよ」

「俺はそうなった理由が分からなくて怒っているワケじゃないんだけど?」

 

  じゃあどうして怒ってるのめんどくさい。そんな本音をちょっぴり堪えつつ、じとっとした視線を向けてみる。

 

「……一応あたしも高校生だよ? そろそろそういうのはよくないかと思うんだけど」

「なに言ってるんだ。高校生なんてまだまだ子供だろ。それこそ一年生なんて中学生とほぼ変わらない」

「……そういう兄さんもあたしと一つしか変わらないけどね」

「なにか?」

「いえなにも」

 

  地獄耳め、とほんのり舌を突き出しながら横を通り過ぎる。が、肝心の相手はまだ言い足りないのかやれ「門限を定めるべきか」やら「もっと明るい時間に帰ってこい」やら小うるさく言っていた。まったくもってお節介な兄である。色々と気遣ってくれるのはありがたいが、心配しすぎるのも正直どうかなんて思ったり。一体誰に似たのだか。

 

「見事にスルーしやがってまあ……」

「だって兄さんの小言長いし。母さんより長いし。母さんより怖くないし」

「それぐらいおまえのことが心配なんだっ。事件とか事故に巻き込まれたら兄さん、ワンチャン相手をぶん殴るね」

「そこで躊躇なく拳が出るあたり血筋よね……」

 

  思い起こされるのは子供の頃に起きたとある修羅場。母さんの幼馴染を名乗る女性(仮名Aさん)が玄関先でいきなり父さんに抱きつき、その光景を目にした料理途中の母さんがお玉をぶん投げた事件だ。もちろん凶器は父さんの後頭部に命中。見事意識を刈り取って、我が家はその場の危機を一時的に乗り切ったワケであった。……その後の騒動については、まあ、母さんとAさんの間に火花が散っていたコト以外とりわけ語るコトでもないので割愛する。

 

「……ああ、そういや母さんは?」

「いま親父殿が迎えに行ってる。……露骨に話題をずらしても無駄だからな……」

「ちっ」

「うわ、舌打ちしやがったよこいつ……小さいときは「にいさん、にいさん」って可愛かったのになあ」

「だから一つしか変わんないでしょ。大体いつの話」

黒慧(クロエ)が五つのとき」

「なるほど。ちょうど父さんが蒼唯おばさんに迫られたときだ」

「ばッ……おま、お姉さんと呼べお姉さんと! あの人怒ったらめちゃくちゃ怖いんだぞ……!」

 

  思い出しただけで寒気が……、なんて肩をぶるりと震わせる兄。たぶん幼い頃にポロっとやらかしてしまったトラウマでもあるのだろう。あたしは無い。なんだかんだで兄が気に入られている証拠だと思う。……うん、ちょっと怨恨的な何かが見え隠れしていたとしても、まあ、気に入られていると思いたい。兄の名誉のためにも。

 

「いいけど。で、ご飯は?」

「作っておいた。誰かさんが遅いから」

「ありがとう。母さんたち待ってから食べよっか」

「そうだな。……どうしてそういう気遣いはできて俺には優しくしてくれないのやら……」

「兄さんだから」

「理由になってませんけど? これだからイマドキの若い者は……」

 

  おまえも十分若いだろ、とは突っ込まないでおいた。多分母さんがいたら真っ先に突っ込まれているところではある。十坂紅一(こういち)、十七歳。私たちの通う彩盛高校生徒会長を務める優等生。真面目すぎるのと(他人から見てはどうあれ)ちょっとシスコン気味なところがキモイもとい玉に瑕。それが私の兄である。正直、人間的なスペックが全部こいつに吸い取られたのではと思うぐらいなんでもできる奴なのでもっと苦労してほしい。あわよくば父さんの素質を継いで異性関連で思いっきり悩んでほしい。見た目と声と外面と心根はめちゃくちゃ良いと思うので可能性は大だ。

 

「そうだね、周りの女の子から優しくしてもらうのが好きだもんね、兄さんは」

「そんなワケあるかっ」

「じゃあきつくしてもらいたいんだ。……ドM? まさかそういう願望持ち……?」

「ねぇよ。おまえ俺をなんだと思って……」

「兄さん」

「だったらもうちょっと兄らしく扱ってみてもいいと思うけど?」

 

  わりと兄らしく扱っていると思う。少なくとも世間一般の兄妹なんてこんな感じで十分だ。決して本気で貞操を狙いに行ってそうな真墨おばさん(どこかの誰か)が普通の基準ではない。……はずだ。

 

「にしても今日はやけにあたりがキツく感じるね。なんか嫌なことでもあったのか」

「別に、そんなの──」

 

  ──ああ、そういえばひとつ。訊きたいことはあったんだった。

 

「……ちょっとした疑問なんだけど」

「? うん」

「兄さん。今日の昼休み、誰かに告白されてなかった?」

「されたな。……なるほど。珍しく生徒会室(コッチ)に弁当食べに来ないかと思ったら、そういうタイミングを……」

「盗み聞きしました。そこは謝る」

「いいって。気にするようなことでもなし。しっかりちゃっかり誠心誠意お断りはしましたので」

 

  ふざけたような口調だが、この兄のことである。相当気を遣って対処したであろうことは予想できた。

 

「なんだ、断ったんだ。付き合えばよかったのに」

「できないだろ。俺好きな人もういるし」

「あ、そうなん──え、マジで?」

 

  うん、なんて素直に頷くイケメン生徒会長。マジか。

 

「や、ちょっ、はッ……はァ? 初耳なんですけど?」

「だって今まで言ってなかったし」

「言ってないって……なんでそういうこと隠すワケ? 兄妹でしょあたしらっ」

「兄妹だからじゃないか? 常識的に考えて」

「は、はァッ!?」

 

  やば。なんか、すごいヒートアップしてないか、あたし。

 

「いやいや……いやいやいやいや。兄さんに? 好きな人? えぇ?」

「そこまで驚かれると一体俺がどういう目で見られてたのか気になってくるな?」

「だって兄さんじゃんっ」

「あはは、意味が分かんないわ」

 

  ごめんあたしも意味わかんない。

 

「……まあいいや。で、どんな人なの」

「えー……言わなきゃダメ?」

「言ってくれないんだ。隠すような人なんだ。ふーん」

「嫌な予感しかしない返しはやめろ。……分かったよ、言う言う」

 

  よし、と内心でガッツポーズをとる。うん、ガッツポーズ。これはガッツポーズだ。想像の余地があるので間違いなくガッツポーズ。我ながらなにを考えているのか本気で分からなくなってきた。

 

「まず髪は赤毛」

「うん」

「で、目は赤銅だな」

「うんうん」

「あと学年は俺の一つ下。クラスは二組」

「へえ……」

 

  意外だ。あたしと同じクラスの子だったとは。

 

「イニシャルはTとK」

「うん……うん?」

「住んでるのは一軒家。部屋は二階。趣味は乙女ゲーム」

「え、あの……」

「でもってスリーサイズは──」

「ちょっ、ストップ! ストーップ! そもそもあたしの知らないでしょ兄さんっ!」

「そう思う?」

 

  にやっ、と意地の悪い笑みを浮かべるオニイサマ。ちょっと血管がぶち切れそうだった。殴る。こいつは絶対殴る。

 

「てか答えになってない……! ただあたしの情報並べたてただけじゃん」

「残念。好きな人とは言ったが、誰も「恋愛的な意味で」とは言ってない」

「話の流れから間違いなくそうとしか聞こえなかったけど!」

「それは黒慧の勘違い。兄さんは嘘は言ってないからな。嘘は」

 

  いかん、もう殴る。

 

「実際、意味はどうあれ兄さんはわりとおまえのこと好きだけども」

「ッ」

 

  振りかぶった拳が顔面寸前で停止する。いやほんと、都合のイイことっていうか、そうすればあたしが退くって分かってて言ってそうなのがマジでむかつくっていうか、あれこれひっくるめてもう本気で殴り飛ばしたいけど──

 

「──ばっかじゃないの。もう知らない」

「うわ拗ねた。やっぱりまだまだ子供じゃん」

「うるさい。黙って。今度から兄さんの分の弁当つくってあげないから」

「それは勘弁してほしい」

 

  真剣な表情で謝罪の構えをしてくる兄。まったくもってため息が出てくる。こんなのとよく十何年も兄妹できてたなと時折考えるけれども、兄は兄でわりと良いところも(極まれに)あるのだ。……なので、今回はそういうところを考慮して目をつむって許すとしよう。流石に食べ盛りの高校生、兄だけお弁当なしというのはあまりにもかわいそうであるし。…………加えて、母さんや父さんに頼むでもなくあたしの弁当をせがんでくるあたり、ちょっと断り切れない部分があったりするのだ。

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

『着きました。待ってます』

 

  そんな簡素なメッセージを飛ばしてきたのが十分前。あらかた仕事も終えて、さて今日はこの辺で切り上げるかと帰路へついてみれば──なにやら校門のほうが騒がしかった。

 

「それでそれで! やっぱり先生って家では──」

「学生のときってどんな感じでした!?」

「結婚までの馴れ初めとか……!」

「ええっと…………、参ったな、これ」

 

  困ったように頬をかく男が、数人の生徒に囲まれている。……というかばっちり教え子たちだ。部活が終わってからダラダラと喋っていたのだろう。ちょっとだけ苦笑しながら、ゆっくりと近づいていく。

 

「なにしてんの、あんたら」

「あっ、十坂先生!」

「いや、ちょっとお話を!」

「ほんと、ほんと世間話程度で!」

「めちゃくちゃ怪しいフリするじゃない……」

 

  ツッコミ待ちか? なんて首をかしげてみる。三人そろって「いえいえいえ!」なんて後じさりしていく女生徒たちの行動は意外にも素早い。

 

「そ、それじゃあこのあたりで!」

「お話ありがとうございましたー!」

「また今度時間があればー!」

「あ、うん。じゃあね」

 

  ふりふりと手を振って見送る優男。こういうところはいつまで経っても……なんて半分以上離れた相手に敵対心を持つほどでもないけれど、何を話したのかはちょっと気になった。ので、

 

「──それで。なにか余計なコト言わなかった?」

「なにも言ってないよ。ついさっきだから、捕まったの」

 

  むしろ早く来てくれて助かった、なんてほっと一息つきながら彼は言った。うん、どうやらコレは本当のことみたいだ。

 

「それならいいけど。あんた、見た目のわりに口が軽いもんだから」

「そんなことは。これでも機密はちゃんと守ってるし」

「それとはまた別よ。大体仕事はお義父さんのおかげじゃない」

「まあ、確かに。……すっごい扱かれたもんな……アレ……」

 

  遠い目をして語る彼に空笑いで返しつつ、助手席のほうに乗り込む。なんだかんだ言って()()()で見た時に動かなかった時間が多かったせいか、わりと普通にやれることはエンジョイしているらしい。車の免許も「是非に」と言って取りに行っていたし。

 

「しっかし疲れた疲れた。もうくたくたよ。玄斗、夕飯はなぁに」

「今日は僕じゃなくて紅一が作ってるよ。なにかは僕も知らない」

「へー、あの子が。珍しい」

「なんでも、黒慧に言ってやりたいことがあるとかなんとか」

「なるほど。兄妹喧嘩か」

「かわいいものだろうけどね」

 

  まあ確かに、あのふたりが本気で殴り合いの喧嘩をする事は早々ないだろう。言い合いには発展しても結局そこまで。自分とどこぞの根暗女みたいに引き摺りすぎることもなし。良い兄妹に育ってくれた。

 

「真面目で優秀な生徒会長なんだって」

「はい?」

「紅一。色々と頼られてるみたいだよ、教師生徒問わず。頭も良いし要領も良いし。運動神経だって悪くないし。昔の赤音みたいだ」

「そうかしら。あたしはもっとこう、あの頃は派手にバーッとやってた気がするけど」

「派手というか、型破りというか……?」

「若気のいたりよねぇ……」

 

  今はもうあんなにはしゃげる気はしない。歳はとりたくないもの──なんて誰でも思うことだけど、完全に同意だ。

 

「何年前のことかしら」

「高校生のとき? 二十年ぐらい前じゃない?」

「そんなに経っちゃったかぁ……そりゃあ、懐かしく思えるワケだ」

 

  思い返せば色々──いやほんと色々あって、もしかしなくてもありすぎたぐらいだけど。

 

「──うん。でも、良かったわね。とっても良い時間だったわ」

「──────」

 

  後悔はない。後ろ髪を引かれるような思いは、多分、微塵として存在しない。だってこれまでの人生ずっと、私は私らしく、私自身の足で生きて歩いてきた。ならきっと、その選択のすべてに悔いはない。もとより、それを無くすために今を生きているようなもので──

 

「……あんたはどう? 玄斗。結局、あの子じゃなくあたしを選んだけど」

「僕……? ……僕、かぁ……」

 

  けれど、その考えを他人に押し付けるのも間違いだろう。

 

「……正直、よくわからないかな」

「──それって」

「でも」

 

  と、彼はひとつ区切って、

 

「──でも、きっと、いつか分かると思う。それがいつになるのかは、やっぱりさっぱりだけど。……僕は僕のために生きられてる。今はそんな気がする。ならいつか、そうやって生きて選んできたんだって、胸を張れる日が来ると思う。うん、きっとそうだ。そんな風にしっかりと前を向いていたくて、僕は赤音()()の隣に居たいと思ったから」

「……そっか」

 

  懐かしい呼び方と不器用な独白。囁くような声でぽつりと返しながら、私はちいさく笑った。おそらくは嬉しくて。たしかに不明瞭で、あやふやで、聞いてる側からしたらチンプンカンプンな内容だったけれど。

 

「(……そうよね。()()()()()言ったんだもの。あんた自身の選択じゃなきゃ、まずこちらから願い下げだったってぇの)」

 

  その言葉は、私が求めていた答えになにより近かったと思ったのだ。

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

「ただいまー……って、あんたらなにしてんのよ」

「兄さんが、兄さんがあたしのスリーサイズ知ってやがった……!」

「たまたまちろっと小耳に挟んで。カマかけたらビンゴだっただけ──ッててててて! いてぇ!」

「仲睦まじいわねえ……」

「良いことじゃない?」

「……それもそうね」

「「よくないッ!!」」

 









個人的に私はめちゃくちゃ気にくわないエンディング。お前みたいな女の子沢山困らせた野郎が何一つ欠けてない幸せを掴めるほど世界は甘くねぇんだよ……!(発作)



ここだけの話、実は前半ヒロインは全員エンディングまでのルートとお子さんの設定を決めてました。でも主人公が白色ちゃん一筋すぎたので全没になりました。はーほんまなにもねえくせによぉ…


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