ギャルゲーの友人キャラに転生したら主人公が女だった。 (4kibou)
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第一章 白黒つけても表裏
その主人公、女につき


息抜きに初投稿です(初投稿とは言ってない)


 ――人間、理解を超えることが起こると、実際に思考は停止する。十坂玄斗(トオサカクロト)はそんな当たり前を体感していた。生まれてこのかた十六年とすこし。物心ついてからはおおよそ三十とすこし。彼はただ単純に、目の前の事実がどうしようもなく信じられなかった。

 

「えー……では、自己紹介をお願いします」

「はい」

 

 カツ、と靴音を鳴らして教室の前に立つ少女はこちらに向き直った。後ろの黒板には綺麗な字でその名前が書かれている。一度、二度、三度……と見て、ついぞ変わらない文字に頭がくらっとした。おもに混乱で。

 

「えっと、今日から転入してきました。壱ノ瀬白玖(イチノセハク)って言います。よろしくお願いします」

 

 礼儀正しく頭を下げながら、件の少女はそう名乗った。名乗り上げてしまった。余計に頭痛が酷くなる。ズキズキという痛みは果たして時たま襲う偏頭痛か、それとも自らの理性が否定を示している証左か。……考えるまでもなく、玄斗には後者にしか思えなかった。

 

「(……どういうことなんだ……?)」

 

 壱ノ瀬白玖。その名前を彼は知っている。()であれ、()であれ、等しく脳裏に焼き付いている。つまるところ二回分の記憶だ。そうそう忘れるわけがない。だからこそ、目の前の現実がどうやってもその記憶と結び付かなくて困るのだ。それもそのはず。なにせ――

 

「それじゃあ壱ノ瀬の席は……っと、ちょうど十坂の後ろが空いてるな」

「……十坂?」

「…………、」

 

 びく、と肩を震わせながら、下げていた視線をゆっくりとあげる。――目が合った。肩まで伸びた白黒の髪と、女の子らしい華奢な体つき。制服はもちろんスカート。どこからどう見ても完璧な美少女と、彼の中の「壱ノ瀬白玖」のイメージが衝突する。

 

「――玄斗?」

「……あはは」

 

 瞬間、粉々にイメージのほうが崩れ去った。ヴァンガードなら負けている。

 

「なんだ、知り合いか。おまえら」

 

 じゃあちょうどいい、なんて教壇に立つ女性教諭が独りごちる。一方にとっては衝撃的な。もう一方にとってはもっと衝撃的な。そんな再会を、ふたりは果たしたのだった。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 ――「アマキス☆ホワイトメモリアル」通称「アキホメ」というゲームがある。一世を風靡した恋愛シミュレーションゲームが廃れる寸前に放たれた歴史の残滓。よもや未来はないと言われたギャルゲー界隈に超新星のごとく現れたそれは、瞬く間に話題と人気をかっさらっていった。……主にそういった関連のコミュニティ内で。

 

「(……そう、ギャルゲー……のはずなんだけど)」

 

 ベタベタで手垢のついた萌え要素。どこか懐かしい個性的なヒロイン。そしてシンプル且つ往年のそれらを彷彿とさせるようなルート分岐システム。その他諸々含まれるこの「アキホメ」の主人公こそが――

 

「……? えっと」

「…………、」

 

 壱ノ瀬白玖、なのだ。舞台はとある地方都市。幼い頃に過ごした実家へ戻る形で、二年生となる一学期に主人公はココ――私立調色高等学校に転入してくる。そうしてあいにく今は高校二年の始業式が終わった直後。タイミングはばっちりだった。同姓同名でもある。……玄斗の脳内に乱立する疑問符は、一向に減ってくれなかった。

 

「……本当に、白玖なのか?」

「あ、うん。そうだよ。久しぶりだね。……十年ぶりぐらい?」

「ああ、そのぐらいかな……」

 

 気付かないよねー、なんて隣の美少女が笑いながら言う。気付くもなにも、彼にはまったくさっぱりワケが分からない。たしかに十年前、彼は「壱ノ瀬白玖」と会っている。ひとり公園で寂しげにブランコを漕いでいた少年(・・)を、元気づけて励まして、一緒に仲良く遊んだことがある。それも何度も、くり返し。

 

「(……あれ……?)」

 

 余計ワケが分からなくなった。そりゃあそうだ。なにせ彼が遊んだ「壱ノ瀬白玖」は完全完璧に〝少年〟だった。短めの髪の毛と、おおよそその年頃の女の子らしくはない服装。泥を被っても怪我をしても気にしない男の子だったはずだ。

 

「……あの、さ」

「うん?」

 

 なに、と顔を寄せて聞き返してくる少女。微妙に距離が近いのは、転入初日という事情でふたりの机を並べて教科書を見せ合っているからである。隣に頼もうにも彼女だけ六列目なので力を借りるなら彼しかいない。……玄斗からして、色々と落ち着かない事情ではあった。

 

「白玖って……その、男……じゃなかったっけ……?」

「え? ……あ、そっか。ああー……でも、うーん……まあ、仕方ないのかなあ」

「?」

 

 あはは、と力なく笑うギャルゲー主人公(♀)。その反応がなんとなく気がかりで、玄斗は彼女のほうをじっと見た。

 

「玄斗と遊んでた頃は、そういう格好してたし。髪も今より短かったし。仕方ないけどさあ……でもちょっと複雑かなあ」

「……そういう、格好」

「うん」

 

 つまり、なんだ。勘違いしていたのは彼であって、というか前世のフィルターが凄まじく邪魔していたのであって、実際問題彼は彼女であって、というか彼女が彼女であって、そうなると自分は酷く〝イタい〟思い違いをしているのではないかと――

 

「(い、いやいやいや……)」

「?」

 

 そんな馬鹿な、と玄斗は頭を振って否定する。この世界がゲームだと俺だけが知っている。なんて妄言を言うつもりもないが、それに最も近い形の現実であることを彼は理解している。実際にかの「アキホメ」攻略キャラであるヒロインたちとも出会った。会話もした。というかこの学内にそれはもうしっかりと存在しているし、なんならクラスの中に見えていたりもする。男女逆転、なんてものではない。つまり、なんていうか、彼にとってだけはありえない話ではあるけれど――

 

「白玖が……女……?」

「うん。さっきから、そう言ってるけど……」

「いや、まさか、え? だって……」

 

 ギャルゲーの主人公、のはずなのに。

 

「……私が女子だとなにか問題?」

「い、いや、別に構わなく……も、ないけど。でも、ああ、うん。……ちょっと、整理させる時間が欲しい」

「……なんの整理?」

 

 もちろん気持ちの問題だ。ガラガラと崩れ去っていく未来予想図と心の在処。この世界に生まれて彼と出会い、己の役割を知り、そしてどうにかこうにか頑張ろうと生きていた矢先。ゲーム内における友人キャラ(・・・・・)としてサポートするべき主人公が女だった。どうすればいい。玄斗にはもうなにがなんだかさっぱり分からない。

 

「……全部夢だったりしないかな」

「……それどういう意味ー」

 

 ツンツンと隣の美少女がシャーペンでつついてくる。地味に痛い。だが彼の頭はもっと痛かった。本当に色んな意味で。

 

「……十坂、壱ノ瀬。仲が良いのは分かるが、授業中だぞ。話は程々にな」

「あ、はい、すいません」

「…………、」

「……おい、十坂」

「……玄斗?」

 

 約一名返事のない男子を余所に、時間だけが過ぎていく。男子三日会わざれば……なんて言うが、十年の月日でこんなにも変わるとは思いもしない。というか男子ですらなかった。玄斗の頭の中でぐるぐると「白玖→女」という式が回り続けている。もはや変えようのない事実に笑いすらこみ上げてきた。彼は力なく笑いながら、ゆっくりと席を立ち上がる。

 

「――先生。ちょっと保健室に行ってきます」

「え」

「……お、おう。行ってこい」

 

 妙に疲れた様子の生徒を見送る女性教諭。限界オーラがありありと溢れんばかりの男子は、よろよろと扉まで歩いていき教室を出た。授業中で誰もいない廊下にぽつんとひとり佇む。見上げた空は綺麗な青色。なんとも清々しい日だというのに、彼の心には暗雲がかかっていた。

 

「……はあ」

 

 思わずため息。どうしようなんて感想すら出てくる。だって、そうだ。なんだってこんなことになると、愚痴を言っても仕方ないのに言いたくなる。――ギャルゲーの友人キャラに転生したら主人公が女だった。その事実が、どこまでも重くのしかかる。

 

「……もう、一旦寝よう」

 

 一先ず話はそれからでも間に合う。あいにくと、本日は始業式につき午前中授業だ。ここはひとつ体を休めるのも手だろうと、玄斗は疲弊した足取りで保健室まで向かった。




今回ばかりはゆっくり連載します。終わるのは半年ぐらい先ですかね……(白目)


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オモテとウラ

ゆっくり更新を心がけていきたい。


 

『――顔、暗いぞ』

 

 おぼろげな夢を見ている。向こうが覚えているかどうかも分からない昔の記憶。幼い少年を前にして、彼はくすりと微笑みを浮かべた。

 

『目が赤い。こすっただろう。悪くなるからやめよう』

『…………、』

 

 両の手首を握ってそう言うと、少年はすんと鼻を鳴らした。少し前から知り合った男の子は、彼のよく知るゲームの登場人物と同じ名前をしている。おそらくは存在そのものが同一と見ていい。だから、なにが起きたのかも知っていた。

 

『……玄斗……』

『泣くな、なんて言えないし、言わないけど……暗い顔ばかりもいけない』

『…………、』

 

 どうしたもんか、なんて彼は考えてみる。本当にズルい生き様だと思った。事故であればまだなんとかなったかも分からない。だが、原因は病気だ。彼の努力云々でどうにかなる問題ではない。だから仕方ないと、割り切るのも難しかったけど飲み込んでいた。……その罪悪感に苛まれて、こんな似合わないコトをしている。

 

『でも、大丈夫ってことぐらいは言える』

『……大丈夫?』

『うん。大丈夫。いまはすごい悲しくて、きっと、僕の想像もつかないぐらい、白玖は辛いんだと思う。でも、大丈夫』

 

 ああ、思えば、だから決めたのだ。そのときに、関係もなにも、誰がどうかも関係なく、そんな現実と直面した瞬間に決意した。例えどれだけ無謀だろうと、どんなに無理難題が壁になって立ちはだかっても。

 

『きっといつか、白玖を幸せにする。あと……そうだね、十年もしたら、きっと』

『――――ほん、と?』

『うん。だから、いまはいっぱい泣けばいい』

 

 胸ぐらいは貸してやるから、なんてふざけつつ彼は言った。精神年齢だけで言えばちょっとぐらいは上。見た目は同じで変わりない。ただ、傍から見ればせいいっぱいの見栄も、眼前の少年にとっては酷く心に響くものだっただけ。

 

『玄斗ぉっ!』

『ふぐっ』

『お……おれぇ……おれぇ……!』

『(……く、苦しい……)』

 

 ちなみにそのとき思いっきり首を絞められたのが今となっては笑い話だ。思いの外強く抱きついてきたものだから、一瞬渡っちゃいけない類いの川が見えた。三度目の人生は流石にないと思うので、ああいう経験はできるだけもうしたくない。

 

『……そうだね。やっぱり君は、笑ってるほうが似合ってる』

『おれが?』

『うん』

『……そっか!』

 

 そう言って笑った顔を、なんとなく今も覚えていることに気付いた。屈託のない笑顔は真実少年によく似合っている。花咲く笑顔が似合う男というのもあれだが、思えばそんなCGがあったのを思い出した。……どこかのルートで、珍しく主人公の顔が映っていたものだから覚えている。それが酷く、ダブって見えた。

 

『……じゃあ、遊ぼうか。白玖』

『うん! 玄斗!』

 

 だから、まあ、正直に言うと。十坂玄斗は、壱ノ瀬白玖という人間が少なくとも嫌いではなかった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 目を覚ますと、案外頭のなかはさっぱりしていた。

 

「…………、」

 

 そっと額に乗せていた氷嚢を退けて、上半身を持ち上げる。時計を見れば三十分も経っていない。玄斗が授業から抜け出したのが開始二十分経つかどうかといったところなので、もうそろそろ終わっている頃だ。

 

「あ、起きた?」

 

 と、隣からつい最近聞いた声が飛んできた。反射的にふり向くと、イメージ通りのイメージと合わない美少女がベッドの側の椅子に腰掛けている。

 

「白玖……」

「大丈夫? その……なんか、ごめんね?」

「……いや、君が謝ることはないだろう」

 

 ほうと息を吐きながら言って、玄斗は努めて冷静に状況の把握なんかしてみる。授業を途中で抜けたのはまだしも、あの会話の後に保健室まで行ったのはちょっと、気遣いが足りなかった。反省しつつ、玄斗は白玖のほうへ視線を移す。

 

「無神経だった。悪いのは僕だ。……ちょっと混乱してて。君が白玖だっていうのは……そうだね。すこし考えれば、納得のいく話だった」

 

 まあ本音を言うと納得いっていないが。ついでに混乱もまだおさまっていないが。

 

「そう? それなら……良いんだけど」

「……ごめん。それでもって……」

「?」

 

 くすり、と彼は薄く微笑みながら、

 

「おかえり、白玖」

「――――、」

 

 そんなコトを、言ってのけた。

 

「……うん。ただいま」

「……本当に、白玖なんだな」

「……そりゃあ、もちろん」

「ちっちゃい頃、一緒に遊んだ公園の木に彫った言葉は?」

「表裏一体っ」

「……白玖、だな」

「……白玖、ですよ」

 

 ふたりして、同時に噴き出した。まったくもっておかしい。こんなにも同じなのに、違うとカテゴライズしかけていた自分に。まったく変わっていない親友に。自然と笑みがこぼれた。――本当に、なにを悩んでいたのだろうと。

 

「……なんか、いまのやりとり夫婦みたいだ」

「ふう゛っ」

「?」

 

 げほごほ、と咳きこむ白玖。それを不思議そうに見つめる玄斗。原因が一切分かっていないあたり、むしろ狙ってやっているのかと思うぐらいの大暴投だった。

 

「……もう、なに言ってるの、ばか玄斗」

「ばかとは失礼な。これでも学年首席になってる」

「え? うそ? 玄斗が!?」

「……そんなに驚かなくてもいいだろう」

 

 もともと成績はそんなに悪い方ではない。加えてちょっとしたズルもある。主に二回目というあたりがそれだ。なので、本腰を入れて勉強に取り組んでみればなんとか死守できる程度には良い。たしかに彼自身の性格から見て、意外なところではあるが。

 

「それじゃあ今度教えてよ。ほら、私、物理とか苦手で」

「でも国語は得意だろう」

「――な、なんで分かるの……?」

「君のことだからなんとなくそうかな、って。鎌をかけただけ」

 

 わなわなと戦く白玖の震えが止まる。ちょっとした嘘を混ぜた玄斗の問いかけは正解だったようで、見ればほんのりと頬が赤い。鎌をかけたのは本当だが、分かった理由としては「公式の設定」というつまらないものである。性別が変わっても苦手得意科目は変わっていないらしい。

 

「にしても、変わったね。白玖は。当たり前だけど、最初見たときは気付かなかった」

「まあ、男の子だと思ってたらね……」

「それもあるけど、いまの君、すごく綺麗だろう。一目惚れしそうだった」

「……惚れてくれてもいいけどー?」

「……考えておく」

「……ふふっ、なにそれ」

 

 実際、ちょっとドキッとしてしまったのは内緒だ。その後のインパクトで色々と吹き飛んでしまっていたが、正直白玖がかなりの美少女なのは否めない。だからなんだ、と片付けるのは難しいものだが、ことコレに至っては十坂玄斗はプロだった。

 

「とにもかくにも、元気そうで良かった。やっぱり白玖は笑顔が似合う」

 

 有り体に言ってしまえば、すさまじく鈍く、それでいて天然だった。

 

「……ああ、もうっ。玄斗は変わってなさすぎ。そういう、ストレートなところとか」

「そうかな」

「そうなの。あれだよ、黒ひげ危機一髪してるみたいな気分になる」

「……いや、さっぱり分からない」

 

 こう、刺す場所を間違えるとびっくりするというか。たまたま当たってしまうと避けようがないというか。

 

「でも、安心した。やっぱ玄斗は玄斗なんだって」

「? まあ、僕は僕だけど」

「そうだね、玄斗だもんね。……うん。戻って来て、良かった」

 

 そう言ってうなずく白玖に、どことなく気にかかる部分があった。なんだか分からないが、痛くはないけれど気になるトゲのような。しばし逡巡して、玄斗がそれを訊こうと口を開いたとき、

 

「……あ、予鈴」

「……授業」

「だね。どうする、まだ休んでいく?」

「……いや、戻るよ。あと一時間ぐらいは頑張らないと」

「ん、そっか」

 

 すっくと立ち上がりながら、ふたりして保健室を出る。養護教諭の教師が居ないのは疑問だったが、そう言えば奥から小さな寝息が聞こえてきていたのを思い出す。……きっと席でも外しているのだろう。会話を聞かれなかったコトもある。気付かないフリをして、玄斗はそっとドアを閉めた。残り一時間の授業は、せめて問題なく乗り切ろうと思いながら。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「…………、」

「あれ、(みどり)ー? 授業はじまるよー?」

「あ、うん、いま行くー!」

「早くしなよー、次あんたの苦手な現国でしょー」

「あははー…………」

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そっち(・・・)は、良いんだ。……十坂」

    




言葉の端々から香るモノを表現していきたい今日この頃。


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ホワイト・ナイトコール

【糖質オフ 無添加・無香料 プリン体ゼロ】


 

 今日はなんとも、大変な一日だった。ろくに整理もできないまま湯船につかって、玄斗はほうとひとつ息を吐いた。熱い風呂の湯が身に沁みる。ぼうっと天井を見上げてみれば、立派に色んなコトへ浸れそうだった。

 

「…………、」

 

 ぴちゃり、と跳ねた雫の音を余所に深呼吸。あのあと、学校はつつがなく終わり、帰り道の途中で白玖とは別れた。家の方向は別。ちょうどふたりの家の間に挟まれるように、昔遊んでいた公園がある形だ。懐かしい思い出に笑みを浮かべて……やっぱり、いまだ慣れない幼馴染みの姿にちょっとだけ戸惑ってしまう。

 

「(……いや、じゅうぶん、分かっているつもりなんだけど)」

 

 なんの因果か、はたまたバタフライエフェクトか。原作のゲームでは男だった壱ノ瀬白玖は、あろうことか立派な美少女になっていた。もとより女だったと知ったのがつい数時間前のことである。思い出しても首をかしげる。あの頃の白玖は本当に男子そのものだったから、前世の知識もあいまって余計に分からなかった。

 

「(慣れるまでは、すこしかかるかな)」

 

 苦笑しながら湯船に体を預ける。慣れない幼馴染み、慣れない現実。けれども、言いたいコトは言えたのだろう。玄斗の中に残っているのは違和感のみで、内側にくすぶっているものはひとつもない。それがどことなく心地よくて、またひとつ息を吐く。

 

「……そうだね。悩むのは後からでも。今はただ、再会できたことを喜んでればいいか」

 

 言い訳みたくそう言って、案外悪くないものだと玄斗は笑った。このときまで十年待った。そのために必要なこともしてきたつもりだ。その全部が無駄になったように思えて、すこしばかり焦りはしたけれど――そんなものですら、結局はどうでも良い。努力が実らない程度の不運は、自分の人生にあって然るべきだ。

 

「……もうそろそろ、君に一本線を引けると良いんだけど」

 

 辛いことが沢山あったはずだから、その分は、という思いもある。友人キャラとして生まれたからこそ、そういった(・・・・・)形で残すのが尤もだと玄斗は考えていた。その予定がすこしズレた程度。言ってしまえば、取らぬ狸の皮算用。始まってもいないのにフリダシに戻ったようなもの。そのぐらいは、流石に笑って受け流した。

 

「(一を乗せると幸せ……だったっけ。もう、あんまり覚えてないなあ)」

 

 辛い記憶と、イメージカラーの白。そこに込められた意味を知っているからこそ、玄斗としては複雑な気分になる。何物にも染まる白。自分の色が無いとも言える白色に、思うところがないワケではない。ゲーム開始当初の壱ノ瀬白玖は優柔不断で薄味気味だ。……ふと、白とか、色とか、なんかそこら辺の記憶に、引っ掛かるものがあった。

 

「あれ……?」

 

 なんだろう、と玄斗は顎に手を当てて考え込む。イメージカラーは白。何物にも染まる真っさらなキャンバスとさえ言われた壱ノ瀬白玖をして、どこか、こう、歯車がうまく噛み合わないような感じがした。率直に言うと忘れかけていたイベントを思い出しかけている。たしか、主人公がルート確定したときに、ちょっとしたシーンがあって――

 

「お兄ー、携帯鳴ってるよー」

 

 と、沈みかけた意識が高い声に引っ張られた。

 

「誰から?」

「ハク? って人……え、なになに。お兄の彼女?」

「違うよ。ちょっと待ってて。すぐあがる」

「ほいほーい」

 

 湯船から立ち上がりつつ、どうしたのだろうと思案する。帰り際に連絡先を交換したので、電話をかけてくること自体は不思議でもなんでもないが……、

 

「(……なにかあったんだろうか、白玖)」

 

 まだあまり状況が飲みこめていない以上、そういった不安が鎌首をもたげてしまう玄斗なのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

『もしもし?』

「どうしたの、白玖」

『いや、別にー。ずいぶん遅かったけど、なにしてたの?』

「お風呂に入ってた。白玖は?」

『リビングでくつろいでる。もうちょっとしたら寝ようかなって』

 

 電話越しの声は、心配とは裏腹に明るいものだった。昼間に聞いたときと変わらない。余計なコトだったな、と苦笑いを浮かべながら玄斗はそっと胸をなで下ろした。

 

「いきなり電話だって言うから。何事かと思って」

『ああ、ごめんごめん。なんか、声が聞きたくなって』

「物好きだね、白玖は」

『そうでもないよ? ほら、玄斗の声って安心するし』

 

 そんな話は初耳だ。自分の声にリラックス効果があるとは思わないが、おおかた適当についた嘘だろうと軽く流す。

 

「はいはい。それで、本当の理由は?」

『あー、テキトーにあしらった。そういうの、私はよくないと思うなあ』

「白玖」

『嘘言ってないし。信じない玄斗が悪いし』

「む……それは、そうか」

 

 なんだかそう言われると悪いような気がしてくる。ここ十年で随分と口撃の上手くなった幼馴染みは一枚も二枚も上手らしい。もともと玄斗はそこまで話すのが得意なほうではない。ので、ここは大人しく謝っておくことにした。

 

「ごめん、白玖。それで、声が聞きたいならもう聞いたと思うけど」

『まだ三十秒も経ってないからね? もうちょっと話そうよ。……嫌ならいいけど』

「……別に、嫌とは言ってない」

 

 その訊き方はズルいだろう、とため息をつきながら玄斗はベランダの柵に背を預けた。ふり向けばカーテン越しにチラチラとこちらを伺う妹の姿が見える。なんでもないよ、という風に手を振ってみたが、どうにも納得した様子はない。むしろ怪訝そうに眉を顰めている。どうしてだろう、と玄斗の疑問は増すばかりだった。

 

『じゃあまずひとつ。これは単なる好奇心なんだけど』

「? うん」

『玄斗って、彼女とかいたりする?』

「いないけど」

 

 即答だった。躊躇もなにもない断言はもはや男子としてのプライドとかそういうモノを捨て去っているとも取れる行為である。単純に、この男に至っては気にしていないだけなのではあるが。

 

『へー……じゃあ、いい人とかいないの?』

「……どうしたんだ、急に。紹介してほしいのか?」

『いや違うけど。わたし女だし。ていうか、紹介できるの?』

「学校で有名な女子については人並みぐらいに知ってるよ。趣味とか、好きなものとか」

『ふぅーん。へぇー』

「……その反応はなんなんだ」

『別にー?』

 

 なんでもー、と素っ気ない態度で相づちをうつ白玖。理由はすくなくとも玄斗の視点ではさっぱり不明。曖昧な返事をしてくる幼馴染みに、なんでなんだと困り果てるばかり。

 

『でもそっかあ。玄斗は独り身かあ』

「……この年で独り身もなにもないだろう」

『そうかな? ……そうかも。まだまだどうなるかは、分からないからね』

「まあ、うん。……ああ、そういう君はどうなんだ?」

『どう、とは?』

「彼氏」

『……いませんー。なにー、なんか文句あるのー?』

「いや、全然」

 

 ふてくされたような白玖の声に、玄斗は思わずクスリと笑った。半ば確信していた事実ではあったが、本人にとっては気になるものなのか。やっぱりイメージとはズレているが、白玖らしいと言えばらしかった。なんだかんだで、玄斗もこの状況に少しずつ慣れてきている証拠だ。

 

『あーもうっ。これもそれも全部玄斗のせいだよ。お詫びとして明日は一緒に学校行ってよねー』

「それぐらいならいいけど、毎日でも」

『じゃあ毎日。二十四時間三百六十五日』

「白玖は僕をコンビニかなにかと間違えてないか?」

『玄斗のいるコンビニなら毎日行ってあげるよ』

「からかいに?」

『正解』

 

 電話越しに笑う声が聞こえてくる。まったくもって敵わない。見た目は可愛らしくなったが、中身は別の意味でもっとかわいらしく(・・・・・・)なっていそうで困る。

 

「バイトはしてないから、そうだね。明日は七時に公園で」

『うん。そのぐらいかな。ちょっとコンビニでも寄っていく?』

「……結局行くんだな」

『接客してくれないのー?』

「僕が〝いらっしゃいませ〟とか、笑顔で言ってたらどうする?」

『笑う。めっちゃ写真とる。ついでにSNSに動画あげる』

「……バイトをはじめても白玖には勤務先は教えないでおく」

『冗談だって。まあ、笑っちゃうかも知れないけど』

 

 たしかに似合わない、というのは玄斗も自覚している。友人キャラムーヴでさえ必死だったというのに、それ以上にコミュニケーション能力が必要そうな仕事は不向きだ。そんな無駄な努力を終わらせてくれた主人公(♀)に感謝すべきかどうか。女子の情報集めに奔走していた高校一年は、今を思えば案外軽くも思えた。

 

「……用件はそれだけでいいかな。そろそろ十時だけど」

『あ、ほんとだ。……そうだね、良い時間だし。今日はこれぐらいにしとこっか』

「今日はって……明日もする気なのか、白玖は」

『言葉の綾です。するかどうかは、明日の私が決めることだよ。たぶん』

「……なんか良いこと言ってるみたいだけど、それは明日の自分に丸投げしてないか?」

『いやいや、気分次第、気分次第。……それじゃあね、玄斗。おやすみ』

「うん。おやすみ、白玖」

 

 通話を切って玄斗は室内に戻る。春先のベランダは流石に寒い。夜風が身に沁みて、もう完全に湯冷めしてしまっている。それでもどこか、玄斗の心には体温とは関係ない充足感があった。

 

「……お兄が電話とか珍しー。だれだれ。やっぱりガールフレンド?」

「だから違うって。しいて言うなら友達」

「しいて言わないなら?」

「幼馴染み。……入学式、明日だろう。はやく寝ておきなよ」

「あっ、露骨に話を逸らした。話題を逸らしましたよこの兄貴は」

 

 やましいことがあると言っているっ、なんて指をつきつけてくる妹に笑い返しながら横を通り抜ける。別にやましくはない、とは玄斗の内心だ。ただ、話の内容を素直に言うのはすこしばかり気恥ずかしかった。




友人の妹キャラは大抵次回作あたりで解禁されたりされなかったりする攻略キャラではと思わないでもない。

>白に黒が混じってる髪
ほぼ答え。


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十坂玄斗は友人キャラである

『ごめんなさい』

 

 とても困ったような顔で、彼はそう言った。なによりも好きだった、ゆるやかな笑みをすこし崩して。

 

『その誘いには、のれません』

『どうして……っ』

『だって』

 

 そして、どこか一歩引いた姿勢で。

 どこか一歩後じさった表情で。

 どこかひとつ線を引いたような様子で。

 

『――僕は、僕ですから』

 

 そんな、ロクな理由にもならない、意味不明なコトを言ってきた。

 

『なによ、それ……っ!』

『そういうことです。……じゃあ、すいません。用事があるので』

『待っ――』

 

 伸ばした手が空を切る。掴む前に彼の腕がするりと抜けていった。きっとそのときの私は酷い表情(カオ)をしていたのだろう。申し訳なさそうに眉を八の字にした彼の瞳に、しっかりとその姿が映った筈だ。

 

「(……なんて懐かしい夢)」

 

 浮かび上がった意識に、欠伸をかみ殺しながら窓を睨んだ。カーテンの隙間からは朝日が差し込んでいる。寝起きはとくに機嫌が悪い。そういってからかってきたのは、一体どこの誰だったか。

 

「(……もう、一年になるかしら)」

 

 あのいけ好かない男と関わりを絶ってそんなにも経つ。そんな予感めいた思考に、ふつふつと怒りが湧いてきた。こちらの行動パターンでも把握しているのか、はたまた偶然か、学校で会うことも滅多にないのに。

 

「……今日は厄日ね」

 

 呟いて、ベッドから起き上がった。なにはともあれ平日の朝。面倒ではあるが、学生である以上は学校に行かなくてはなにもはじまらない。一先ず無性に腹の立つ男の顔は一旦忘れて、朝食でも摂ろうとリビングへ向かう。

 

 ――きっとそのときから、私はどこかで確信していたのかもしれない。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 玄斗が七時ちょうどに公園へ着くと、すでに白玖はベンチに座っていた。

 

「あ、おはよ。玄斗」

「おはよう、白玖。早いんだな」

「うん。久々に早起きしちゃって。おかげで三十分も待っちゃったよ」

 

 あはは、と白玖はとくに機嫌を損ねた様子もなく笑う。普通の学生なら文句や愚痴のひとつでも言っていいだろうに、なんとも感心する心持ちである。が、彼女の気持ちはともかく知り合いを三十分も待たせたとあっては玄斗的によろしくない。無言で財布を取り出して、近くの自販機にまで足を運んだ。

 

「玄斗?」

「(……こういうときに、原作知識って便利だ)」

 

 躊躇なくボタンを押して、ガコンと落ちてきた缶を差し出す。白玖はぽかんと呆けながら、「私に?」と自分を指差している。それがちょっとおかしくて、玄斗は笑いながらそうだよと答えた。恐る恐るといった様子で受け取る姿がなおさらだ。

 

「大丈夫、毒なんて入ってないよ」

「い、いや、そういう問題じゃなくて……どういう風の吹き回し?」

「春といっても朝は早いし。今日はちょっと寒い。鼻のさきも赤らんでるみたいだし、お詫びってことだよ」

「…………よく見てるね、玄斗」

「よく見えるからね、白玖は」

 

 新雪を思わせる白い肌が寒さで赤みを帯びているのは一目瞭然だった。()の好物であったあたたかいココアを選んでみたが、どうやら間違いではなかったらしい。両手で包んだ缶を顔の前まで持ってきて隠しながら、白玖がなにやらぶつぶつと言っている。

 

「好きだろう、ココア」

「そりゃあ好きだけど……なんで知ってるって話だし。てか、気取りすぎだし……」

「ごめん。もっと格好良ければ、それこそ格好もついたんだろうけど」

「……ま、私だから特別に許してあげる。合格」

「なにが合格なのか分からないけど、それなら良かった」

 

 言って、玄斗はさも当たり前のように白玖の横へ座った。彼女もそれを知っていたかのように数センチ横へ避ける。……が、動いてから気付いた。なんだかこの男、妙に異性との距離に慣れていないだろうか?

 

「……玄斗さ」

「うん?」

 

 なんだい、と彼女のほうを向いて聞き返す玄斗。やはり絶妙だ。近すぎず遠すぎず、という距離を保っている。さらっと隣に座るあたりもちゃっかりしている。しすぎている。

 

「もしかして……彼女、いた?」

「ないよ。一度も」

「ふーん……の割には、あれだよね。こなれてるよね」

「まあ、デートなら何回かはしたことがあるから」

「――え?」

 

 ざあ、と公園の木が揺れた。春風が小枝をざわめかせている。ついでに、白玖の心もざわついた。いや、まさか、とは思っていたが。この男が誰かと〝デート〟なんてはっきり口にするものかと――

 

「っていうのは冗談。本当は荷物持ち」

「なーんだ……って、いやいや。荷物持ちってそれ、え? うそ、女の子と? 買い物?」

「どこにそんな驚く要素があったのかは知らないけど、そのとおり。次の日はもう腕がパンパンで。あれは苦労した」

 

 運動不足を実感した出来事だ、と玄斗は懐かしんでいるようだが、白玖にとってはそうでもないようで。

 

「じゃあ今度私とも買い物行ってね。いっぱい連れ回すから」

「君は鬼か……行くなら一週間前には言ってくれ。準備ぐらいはするから」

「よーし約束ね。破ったら許さないから」

「破らないよ。白玖との約束だし」

「……ふぅーん」

 

 意味ありげな表情で見てくる白玖を、玄斗はじっと見返す。なんだろう、という心境がありありと顔に出ている。そんな彼とは対照的に、白玖はすぐさま切り替えてベンチから勢いよく立ち上がった。ひゅっと放られた空き缶が、いい音を鳴らしてゴミ箱へ入る。

 

「じゃ、行こっか。玄斗」

「……それは良いけど、ゴミは投げないように。行儀が悪いよ」

「はいはい、ごめんごめん」

「返事は一回」

「はーい」

「まったく……」

 

 ちらりと白玖が後ろを振り向いてみると、呆れたような玄斗の顔が見えた。どことなく先生っぽい。教える立場というのは案外似合っていそうだが、教師に合っているかと言われるとすこし首をかしげる。たぶん似合わない、というのが彼女の結論だった。

 

「今日も午前中授業だっけ。入学式は私たちも出席するの?」

「まあ、そうだね。あとは普通に四限目までやって、あとは放課後……暇なら図書室で勉強でもするかい?」

「あ、いいね。私もちょうどそうしようと思ってた」

「ならいいかな」

 

 何度か利用したコトがあるが、玄斗から見て図書室は静かで集中するにはうってつけだ。困ったときには参考書を引っ張り出せるという利点もある。なにより、あの空気は案外嫌いではない。一時期は入り浸っていただけに、慣れてしまったのかもしれない。

 

「(あ、でも、そういえば図書室って……)」

 

 と、そんな折にふとした事に気付いた。なんでもない。取るに足らない心配というか、鎌首をもたげた不安の一欠片だ。まさか、と内心のざわめきを玄斗は無理やり受け流した。いくらなんでも、そんなタイミングが都合良く重なるものかと。

 

「(……大丈夫だろう。別に、やましいことがあるわけでもないし)」

 

 そう、ただ、十年来の幼馴染みと一緒に勉強をするだけだ。一瞬だけ脳裏をよぎった相手となにがあったわけでも……ないが、それだけで意識するのは過剰かとも思えた。歩いていく白玖の背中を見ながら、ゆっくりと息をつく。

 

「ほら、玄斗。おいてくよー」

「……今行くって」

 

 人生山あり谷あり。不幸に塗れるときもあれば、幸せでいっぱいにもなる。いまだ誰も知る由もないが、現状が幸福である以上、いつか下を行くときが来る。当人である玄斗自身にも、まさか自分の撒いたタネによって首を絞められるなんて、思ってもいなかったのである。けれども仕方ない。なぜなら――



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青い春に置き手紙

牛歩更新


 

「新入生代表挨拶。代表、十坂真墨(トオサカマスミ)

「はい」

 

 ぼうと椅子に腰掛けていた玄斗の耳に、覚えのある名前が届いた。驚くと同時に、そういえばそんなコトもあったっけ、と思い出す。意外なことに地頭は自分より格段に上の妹は入試で全教科ほぼ満点だった筈だ。少し前、ぜんぶ百点を取れなかったと悔しがっていたのが懐かしい。……どう考えてもそれはおかしいだろう、と玄斗はツッコみたくなったのだが。

 

「……桜の花も舞い散る四月、暖かな春の良き日に、私たちはこの調色高校の門をくぐりました。まったく新しい環境に戸惑いや不安もありますが、なによりもこれからはじまる高校生活に――」

 

 ある程度暗記はしてきたのか、スラスラと挨拶を読み上げる妹――真墨に「おお」と内心で声をあげる。流石は本編攻略ヒロイン中いちばん頭が良いと言われていただけはある。とくに心配もしていなかった玄斗だが、ここまでくるともはや誇らしい。

 

「これからこの調色高校で学ぶ三年間は、私たちのかけがえのない思い出となるでしょう。ともに入学した仲間たちと切磋琢磨し、互いに協力し、励み合い、一歩ずつ着実に成長していきたいと思います……っ」

「(……ん)」

 

 ふと、壇上に立って顔をあげた真墨と視線がぶつかった。余計なお世話ではあろうが、がんばれの意味も込めてちいさく手を振っておく。想いはしっかり届いたのか、用紙を掴む真墨の指先にほんのりと力が込められたようだった。むしろ力が強すぎてちょっとシワが入っている。

 

「(まったく……)」

 

 そう思いながら笑顔を向けると、タイミングが良かったのか、真墨も同じようにニコリと微笑み返した。その頬が若干引き攣っているのは気のせいだろうか。ガラにもなく緊張してるのかな、なんて心配してみる玄斗だが、まさかステージで冷や汗かきつつ猫を被っている妹が内心で呑気に座ってあまつさえ笑いかけてきた兄にぶち切れているとは思うまい。

 

「最後になりますが、先生方、先輩方。ご迷惑をおかけするときもあると思いますが、精一杯尽力しますので、ご指導、ご鞭撻のほど、どうかよろしくお願い致します。私たち新入生一同も、調色高校の生徒として誇りを持って、これからの学校生活を過ごしていきたいと思います。……新入生代表、十坂真墨」

 

 ぱちぱちとまばらに拍手が起こる。玄斗もにっこりと笑いながらスタンディングオベーションでもしたい気分だった。途中危ない部分もあったが、一度も噛まず、つまらずに言い切ったのは凄まじい。我が妹ながら末恐ろしいな、なんて感心していると、階段から降りる途中の真墨にじろりと睨まれた。

 

「(なんだろう……?)」

 

 もしや褒めたりなかったのだろうか。だとすると帰ってから追加で褒めなくてはいけない。今日の挨拶は良かったぞ、なんて笑顔で一言伝えるだけでも違うだろう。今夜はご馳走だな、と勝手に想像しながら玄斗は笑みを深めた。付け足すと、そんな彼の思い込みはとんでもない勘違いではあるのだが。

 

「続きまして、生徒会長挨拶。生徒会長、二之宮赤音(ニノミヤアカネ)

「――はい」

 

 知らず、その声を聞いた瞬間に背筋がピンと伸びた。凛と響く強かな声音。カツカツと床を鳴らすしっかりした足取り。無意識のうちに入れた玄斗のスイッチが切れるまで、ちょうど十秒ほどかかった。声を聞くだけでこれなのだから、対面すればどうなるかなんて考えるまでもない。

 

「……暖かな春の日差しに包まれて、本日も朝から清々しい一日になりました。そんな日に新しい仲間が増えたことは、実に喜ばしいことだと思います。新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。在校生を代表して、歓迎の言葉を述べさせていただきます」

 

 語りだしはおごそかに、けれども話し方はしっかりと芯が通っている。イメージでいえば中身がぎっしりと詰まっている感じ。今日も今日とて二之宮赤音は生徒会長として完璧に振る舞っている。その実態を知るのは、玄斗を合わせても片手で足りるかどうか。けれどもこちらは白玖と違って、イメージのブレなさが印象的だった。

 

「また、授業以外にも部活動やボランティア活動に参加することで様々な経験ができ――」

「……ねえ、玄斗」

 

 そんな彼女の話の途中で、隣に座った白玖がくいくいと裾を摘まんでくる。小声で訊いてくるあたり、なにか無視できないことがあったらしい。

 

「なんか、生徒会の人数……少なくない?」

「そうでも……ああ、いや、副会長がいないんだった」

 

 壇上に立つ生徒会長を含め、脇に控える生徒会役員は総勢四人となっている。結構大事な役職が欠けているのは、別に病気だとかやむにやまれぬ事情だとかではなく、調色高校に通っている生徒のなかではある程度有名な話のせいだ。

 

「うちの会長……赤音さんは、結構な理想家……っていうのかな。彼女のお眼鏡にかなわないと、生徒会には入れないんだ。だから、彼女の補佐役……まあ、右腕にもなる副会長の席は埋まってない」

「そうなんだ……なんか、厳しそうな人だね」

「そうでもない。ああ見えて結構さっぱりした人なんだ。まあ、僕を副会長に指名してきたときは、ちょっと驚いたけど」

「ふうん……玄斗が副会長に…………うん?」

 

 ぴた、と前を向き直りかけた白玖の体が固まる。生徒会にはあの生徒会長のお眼鏡にかなわないと入れない。つまり、彼女に認められなければ生徒会に入る資格すらないというコトだ。それを指名されたと言うのであれば、ちょっと、いやかなりこの少年は気に入られているのではないだろうか?

 

「……玄斗、それ……」

「あ、ごめん。この話はオフレコで。会長の誘いを断るとか、本当はありえないからね」

「でも断ったんだ……なんで?」

「なんでって……僕が彼女の副会長っていうのは、ちょっとね」

 

 苦笑しながら答えた玄斗の言葉は、曖昧ながらもたしかなモノがあった。どことなく納得いかないところがあるのだろう。本来は違う、とでも言いたげな声音だ。

 

「三年間の高校生活は、苦しいことも、辛いことも沢山あるでしょう。しかし、それを乗り越えたときに――」

「…………あ」

「? なに?」

 

 と、不意に彼女の鋭い視線が玄斗を貫いた。じっと、刃物よりも切れ味の良さそうな瞳がこちらへ向けられる。率直に言うと、これ以上ないほどに睨まれた。

 

「……白玖。静かにしてよう。目を付けられた」

「うわっと……しー、ってことね」

「そうだね」

 

 唇に手を当ててかわいらしくジェスチャーする幼馴染みに微笑む。結局それ以降、挨拶が終わるまで彼女から睨まれることはなかった。本当に目を付けていたのか、それともただの偶然だったのか。どちらか真相は定かではないが、一先ず、調色高校の入学式はつつがなく終わったのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 調色高校の図書室は、校舎からすこし離れたグラウンドの隅に建てられている。大きさは図書館もかくやといったもので、蔵書数もそれなりに多い。おまけに勉強用ですこし広めの個室も用意しているのだから本当に学校様々だ。玄斗と白玖の目的はあくまで勉強なので、もちろん個室を利用することになる。個室といってもふたりがけのテーブルが用意されているので、ペアでも問題はない。

 

「それで、ここの式がこうなって……」

「あー、そういうこと。ここがこれで……」

「あ、違うよ。そこはこう。で、次がさっき言った公式を使うところで……」

「だよね。ってことはつまりこれで答えが出る?」

「そう。正解。やっぱり白玖は頭いいな」

「学年首席さんにはかなわないなー?」

 

 いまだに信じていないのか、それともネタにしているのか。ニヤニヤとしながら言ってくる白玖に玄斗は苦笑で返した。真実堂々と自慢できるようなものでもないため、他人(ヒト)から言われるのは複雑だ。一度やったことのくり返しであれば、よほど要領が悪くない限りはつまづくこともない。

 

「いまはそんなことどうでも良いから。とにかくほら、続けるよ」

「ちょっとー。せっかく褒めたんだからもっと良い反応しなよー?」

「はい、次は物理だね」

「……見えない見えない、私にはそんな教科書が見えない」

 

 ついでとばかりにいじめ返しながら、玄斗はできる限り丁寧に教えていく。実際、白玖の要領は普通と比べても良い部類に入る。教えたことをスルスルとものにしていく様子は彼からしても気持ちが良かった。そんなのだから、気がつけば随分と時間が経っていた。

 

「白玖、さっきの問題は解け――」

「…………、」

 

 口を開いて、玄斗はすぐに言葉を切った。ころりと転がるシャーペンと規則正しい寝息は、すくなくともフリ(・・)ではないようだった。連日の疲れでもあったのか、それとも単なる寝不足か。今朝は早起きしたと言っていたからそれもあるかもしれない。途中で寝たら起こそうと思っていたが、実際に寝顔を見るとそんな気も引けてきた。

 

「……まったく、もう」

 

 玄斗は着ていたブレザーを脱いで白玖にかけながら、ノートの端を小さく破ってペンを走らせた。

 

『飲み物を買いに行ってくるよ。起きたらちょっと待ってて』

 

 ちょうど喉が渇いていたところだ。そう書き記した切れ端をそっと白玖の手に握らせて、静かに玄斗は席を立った。図書館から校舎への間には自販機とベンチがある。そこですこし小休止でもしてこようかと、小銭をポケットに突っ込んで個室を出る。わざわざ離れた理由は言うまでもなく、幸せそうに眠る幼馴染みの邪魔をしないためだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 校舎の壁に設置された時計を見ると、ちょうど三時を回った頃だった。昼食はふたりとも適当にコンビニで済ませたから、それ以降なにも飲まず食わずだったことになる。

 

「(意識すると、肩が痛いな)」

 

 コキコキと首に手を当てて鳴らしながら、玄斗はほうとひとつ息を吐いた。学生とはいえずっと同じ体勢で集中していれば肩もこる。疲れも溜まる。休むには本当にちょうどいいぐらいの時間帯だな、と自販機の前まで来たときだった。

 

「――まだこんな可愛らしい真似してるのね」

 

 ざあ、と風に吹かれて枝葉が揺れる。ふり向けば深い青色をした長髪が見事に揺れていた。が、なにより目を引くのはその手元だ。……遠目ではよく分からないが、おそらく白玖に握らせたはずの切れ端が彼女の指に挟まれている。

 

「……先輩」

「久しぶりね、十坂くん」

 

 群青の髪をなびかせながら少女――四埜崎蒼唯(シノザキアオイ)は、くすりと意地悪な笑みを浮かべるのだった。




数+色が基本形です。


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よく口にしていたのは

言い忘れてましたがコレ、実は固定ヒロインじゃないんですよ
(´・ω・`)


 

 コツ、と軽い足音がアスファルトに響く。四埜崎蒼唯は風にさらわれる群青色の髪をおさえながら、ゆっくりと玄斗に近付いた。一歩、彼女の足が前に進む。反射的に一歩、玄斗の足が後ろに下がった。

 

「(あ……)」

 

 やってからしまった、と彼は内心で唇を噛んだ。もとより切れ長だった目がスッと極限まで細められる。……これまでの経験から順序立てて考えた結果、言うまでもなく目の前の少女は怒っていた。しかも、自分の不注意で。

 

「逃げる気かしら?」

「いや……」

「ええ、そうよね。あなた、逃げるのが得意だものね」

 

 カツ、とまたひとつ少女が歩を進める。別に逃げるのは得意ではない。ただ、苦手というワケでもないあたり、なんとなく玄斗は反論する気が起きなかった。おそらくは反論したところで十倍二十倍になって返ってくるのが目に見えている、というのもある。

 

「……あら、逃げないの?」

「……思えば、理由がありませんから」

「……そう」

 

 クスリ、と蒼唯はまたもや意地悪な笑みを浮かべて近付く。音を高く鳴らして、大きく踏み込んで、一歩。……今度は玄斗も足を引かなかった。理由なんて言ったとおりで、どうして初めはそうしたのか不思議なぐらい理由が見当たらなかった。ふたりの距離はわずか三十センチ。すこし腕を上げれば触れるほど。

 

「…………、」

「…………?」

 

 じっ、と眼前まで来た蒼唯が目を細めたまま見つめてくる。不躾とも言えるぐらい値踏みするような視線だった。が、居心地の悪さもなんのその。玄斗はそんなコトを気にした様子もなく、不思議そうに見つめ返す。すこし経ってその反応になにを思ったのか、蒼唯は近付けていた顔を離してひとつ息を吐いた。

 

「……本当に相変わらず、ね」

「そう、ですか?」

「そうよ」

 

 呆れるように短く答えて、蒼唯は玄斗の横をするりと抜けていった。自販機の前に立って小銭を取り出して、迷う素振りもなくボタンを押す。はじめからなにを買うか決めていたのだろう。そう思って玄斗が立ち尽くしていると、そこへ不意打ち気味に固いモノを投げられた。

 

「っと……缶、コーヒー?」

「微糖の缶コーヒー。どうせそれでしょう、あなたが飲むのは」

「……凄いですね。先輩」

 

 言外にどうして、と訊くと蒼唯はフンと軽く鼻を鳴らしてベンチに腰掛けた。

 

「誰かさんと一緒に居た頃があったのよ。それぐらい、覚えてはいるわ」

「……ああ。そういうこと、でしたか」

 

 たしかに、彼女と居たときに飲む機会は多くあった。納得しながら玄斗が手元の缶をじっと眺めていると、小さくなにかを叩く音を耳が拾った。トントン、と小気味よく響く音は先ほど蒼唯の座ったベンチからだ。見れば、無愛想ながらもしっかりひとり分のスペースをあけて、彼女がこちらを睨んでいた。

 

「……座らないの?」

「……じゃあ、お言葉に甘えます」

 

 言って、玄斗もベンチに腰掛けた。午前中授業の放課後、昼食を自分で用意してまで残り、おまけに図書館を利用する生徒なんて殆どいない。校舎から伸びる廊下に人影はひとつも見えなかった。もちろんたったふたり、木製のベンチに並んだ彼らを除いて。

 

「…………、」

「…………、」

 

 そうして、そんな場所にあるべき喧噪があるはずもなく。互いに沈黙。衣擦れの音だけが会話代わりに響いていく。腕組みをして脚を交差させながら座る蒼唯と、缶コーヒーを手にいまだどこから切り出そうかと思案する玄斗。結局、さきに口火をきったのは彼だった。

 

「……そのメモ」

「これがどうかした?」

「いや……どうして、先輩が」

「私が持っていたらおかしいかしら?」

 

 指に挟んだそれを見せびらかしながら、蒼唯がからかうような笑みを深める。折り畳まれて文字は見えないが、破り方には見覚えがある。だいたいこれほどまでに生きていれば自分のクセぐらいは覚えるものだ。証拠は一切ないが、玄斗はそれが自分の残したノートの切れ端だと半ば確信している。

 

「本当に変わらないわ。こうやってコーヒー片手にひとりで息をつこうとするのも」

「……悪いですか?」

「さあ、どうかしらね。別に、私の印象なんてあなたには関係ないでしょう」

 

 その言葉で、心にトゲが刺さったワケではない。けれど、なんとなく続けられる言葉があったのだろうな、と玄斗は直感した。それがなんなのかは、あまりよく分からなかったが。

 

「……白玖に、あの子に置いて来たものです。あとで返してあげてください」

「失礼ね。私が他人のものを盗るとでも思っているのかしら」

「……じゃあ、そのメモは一体?」

「そうね。あなたの今後の態度次第で、望む答えを用意してあげてもいいわ」

 

 ――返してほしければ態度で示せ。と、遠回しに脅されているのか。玄斗にとっては片手間に残したメモの一枚。大して価値のない紙切れであるが、なんとなくそれを他人に握られているのは気恥ずかしかった。分かりました、と降参の意も示してため息をひとつ。彼は困ったように笑って、くるりと蒼唯のほうを向いた。

 

「具体的に、なにをすれば?」

「私のする質問に正直に答えること。嘘は許さないわ」

「……どうぞ」

「じゃあまず。彼女はなに?」

 

 なに、と言われても。玄斗は頬をかきながら、すこし頭をひねってちょうどいい答えを探す。まあ、なんだかんだ言って、やっぱり、

 

「幼馴染み……になりますかね」

「そう。ならふたつめ。個室を使ってまでなにをしていたのかしら。ふたりっきりで」

「勉強を……っていうか、先輩も僕と個室使ったことあるでしょう」

「……それは別にいま言うことではないし関係ないわええ全く」

 

 早口で言い切ってふいっと蒼唯がそっぽを向く。ちらりと玄斗から見えた顔が赤かったあたり、なにか気に障ることでも言ってしまったのだろうか、なんて彼は自分の言動を思い返した。……そこまで酷いコトは、言ってないような気がするのだが。

 

「んんっ……それで、三つ目。彼女、あなたに随分と寄って(・・・)いってるようだけど――離れようとしないの? それとも、まだそこまでいってないのかしら」

「――――、」

 

 思いがけない一撃だった。油断していたところを、胸の中心から撃ち抜かれた気分になる。避けていたような的の中心、心の在処に土足でいきなり踏み入られたような感覚。一瞬、本当に玄斗は言葉を失ってしまった。

 

「……先輩、それは」

「勝手に近付いて、勝手に人の(コト)を踏み荒らして、飽きたら離れて。徹底したみたいに逃げて。忘れたように。そんなコトを、彼女にもするつもりなんでしょう?」

「違います。先輩、聞いてください。それは、」

「なにが違うっていうの? 私は、私はあなたの――」

 

 はっとして、蒼唯はそこで言葉を切った。思いがけず出た、という風な最後の一言がなんなのかも説明する暇もなく口を噤む。それ以降、よりキツくなった瞳が玄斗のほうを見ることもなくなった。赤音の正しさを秘めた強いモノとは違うが、四埜崎蒼唯の視線だって十二分に武器となる。それが、長い前髪に隠れて翳っている。……こういうときに上手く言えない自分の不器用さが、玄斗は嫌いで許せなかった。

 

「……すいません、って言っても、仕方ないかもしれませんけど」

「…………ええ、仕方ないわね。だって、何に謝ってるかも分からないもの」

「そう、ですね。だから……はい、なんて言ったらいいか、分かりません」

「当たり前よ。……あなたは、そういう人間だもの」

 

 断言してうつむく蒼唯は、彼程度の言葉でなんとかできるような雰囲気ではなかった。いちばん初めに「会話が絶望的に下手」だと突っ込んできたのも彼女だったか。たしかにそのとおりで、玄斗自身もそれはよく分かっている。心を読むことも、相手の気持ちを理解するということも、その気持ちにあった言葉をかけるというのも苦手だ。なにせ分からないことが多すぎる。分からないから、答えが見つからない。答えが見つからないから、あいまいな答えに頼るしかない。

 

「でも。僕は別に、ぜんぶがぜんぶ、そうじゃないと思います」

「……なにを」

 

 小さく答える蒼唯を余所に立ち上がって、玄斗は自販機の前まで移動した。硬貨はもとより自分で買うつもりだった分がポケットに残っている。なにも分からないが、なにもかもが分からないワケでもない。すくなくともいま、分かることはちょっとでもあった。

 

「はい、どうぞ」

「…………?」

 

 スッと、彼女の視界に入るよう持っていくと、恐る恐るといった様子で蒼唯はソレを手に取った。玄斗が自販機で選んだ飲み物だ。青い。冷たい。クールで沈着。そんな印象とは裏腹に、案外なものが好きであるのは昔から知っていた。

 

「いちごオレ、好きだったでしょう、先輩。忘れてなんていません。そのぐらい、僕だって覚えてます」

「――――っ」

 

 すこし微笑みながら言うと、彼女は驚くように目をしばたたいた。ざあ、と風に吹かれていまいちど枝葉が揺れる。

 

「       ……っ」

 

 そんな一瞬に、耳に届くかどうかという小声で、なにかを言われたような気がした。

 

「……先輩?」

「――なんでもないわ。やっぱり最低よ、あなた。気持ち悪い」

「……すいません」

「だから、何に謝っているのか分からないわっ」

 

 勢いよく立ち上がって、蒼唯はスタスタと図書館のほうへ戻っていった。結局メモも返さないまま、玄斗はその背中を呼び止めるのも憚られて、はじめと同じように自販機の近くで立ち尽くす。

 

「……あ、いた」

「……白玖」

 

 と、入れ替わりで顔を出したのは幼馴染みだった。中へ入る蒼唯の横を通って、あたりまえのようにこちらへ笑顔のまま駆けてくる。切れ端はもちろん蒼唯の指に挟まったまま、彼女の姿はついぞ見えなくなった。すれ違いざま、わずかに首が動いたのは、果たして目の錯覚かそうでないのか。

 

「……どうしたんだ、白玖」

「それはこっちの台詞。いまの図書委員の先輩だよね。顔、怖かったけど。なんかあったの?」

「いや、別に……しいて言うなら、僕が悪かった」

「なにしたの玄斗……」

「なにもしなかったから、かな……」

 

 空笑いしながら言うと、白玖も疑問符を頭の上に浮かべながら首をかしげた。当然だ。玄斗ですらなにがなんだかあまり深く理解していない。

 

「にしても、よく僕がここにいるって分かったね。探したのか?」

「いや、これ握らせたの玄斗じゃないの? あとはい、ブレザー。この時期にまだその格好は寒いでしょ」

「え……?」

 

 ぴら、と白玖の見せた切れ端には、たしかに自分の筆跡でメモが書いてある。間違いなく先ほど眠っていた彼女の手に握らせたものだ。が、そうなると疑問がわいてくる。去り際、見えなくなるまで、蒼唯は切れ端を指の隙間に挟んで握っていた。ならばなぜ、自分の残したメモは白玖の手元にあるのだろう――?

 

「どしたの。狐につままれたような顔して」

「いや……ちょっと、腑に落ちなくて」

「? ふーん。まあいいや。ほら、とにかく早く着てって。ワイシャツだけとか見てるこっちが寒いよ、もう」

「……分かった。分かったから、急かさないでくれ」

 

 ほらほらと迫ってくる白玖をなだめながら、玄斗は静かに息を吐いて苦笑した。考えても分からないものは仕方ない。いまはとりあえず、この騒がしい幼馴染みの存在に感謝しなくてはならないだろう。……考えるのはきっと、そのあとでも十分なぐらい時間が余るはずだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 速めていた歩みを緩めて、彼女はちいさく息をついた。なんともままならない、と心中で後悔の呪詛をくり返す。陰鬱で、嫉妬深い。そんな己に嫌気がさして、また負のオーラが増していく。

 

「……本当に、気持ち悪い」

 

 指に挟んでいた切れ端を開いて、彼女は持ち歩いている手帳にそっと仕舞った。久方ぶりすぎて言いたいコトも言いたくないコトも噴き出てしまった。仕方ない。なにせ向こうはどうであれ、彼女はしっかりと意識していたのだから。

 

「今さら、なんなのよ。…………ばか」

 

 名前とは裏腹に赤く染まった頬を隠すよう俯いて、貸し出しのカウンターまで戻る。彼に買ってもらった好物(・・)のいちごオレは、きちんと潰さずしっかり持ったまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……はたして。

 

『先輩へ。飲み物を買ってきます。起きたらすこし待っていてください。 ――十坂』

 

 そう走り書きされたノートの切れ端は、誰に向けてのものなのか。 










※気持ち悪いは自分に向けての言葉だったりします。





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星がまたたいたとき

一章はもうすこしで終わり


 時間が止まる、という感覚は本当にあるのだと、あのとき玄斗ははじめて思い知った。

 

「これ、あげるわ」

「え……?」

 

 そう言って蒼唯から渡されたのは、青い花の描かれたしおりだった。たしか彼女が愛用していたもので、よく隣で本を読む玄斗の目にも覚えがある。要するに実際に見た記憶だ。別に、それはいい。それまではいい。が、それ自体を視た(・・)コトがあるというのが、玄斗にとってはいちばん壮絶な問題だった。

 

「……ブルースターの、しおり」

「あら、知ってたの」

「……ええ、まあ」

 

 苦笑しながら、内心は混乱でいっぱいだった。だって、そうだ。これを渡されるなんて、という予想外の出来事への衝撃が脳内を駆け巡っている。「アキホメ」ファンの間ではまあまあ有名な、四埜崎蒼唯の使うブルースターのしおり。彼の記憶違いでなければ、それはとても大事な場面――ヒロインの好感度が一定以上を達したとき、つまりルートが確定した瞬間に渡される〝キーアイテム〟のひとつだった。

 

「……どうして、これを……」

「理由なんて、まあ、聞いたところでどうしようもないでしょう? いいから、人からのもらい物は受け取っておくべきよ」

「…………でも」

 

 震える指先でしおりをつまみながら、同じように震える声で蒼唯に話しかける。動揺がこんな風に分かりやすく出るのは数ヶ月の付き合いになる彼女をしても珍しい。普段はもっとクールに、それこそ何事にも動じなさそうなものだから、その姿が傍から見てひどくおかしかった。

 

「もう、なにをそんなに驚いているのよ。そこまで反応することかしら」

「そりゃあ……だって、この、しおりは……」

「私が使っているものだけど? ……まったく、全部言わないと分からない?」

 

 駄目な子ね、と叱るように蒼唯が呟く。その光景が、玄斗の中のなにかと重なった。遠い遠い、薄れかけたおぼろげな記憶。ディスプレイ越しに映る静止画と文字の羅列。それが、現実として目の前にあるモノと不思議なぐらいリンクした。

 

「――あなたに持っていて欲しいのよ、それを」

『あなたに、持っていて欲しいの。……これを』

 

「――――っ」

「十坂くん?」

 

 がた、と思わず椅子を鳴らしてビクついた。心臓がバクバクと跳ねている。なにがなんだか、どれがどうなっているのか。正常に脳が動いているのかさえ分からない。けれど、必死に混乱と焦燥に塗れる理性で、玄斗は彼女にかけられた言葉を反芻する。何度も、何度も、噛みしめるように、確かめるように。……けれど、結局、どれだけ考えても結果は変わらなかった。

 

「えっと……渡す相手を、間違えてません?」

「あなた以外の誰に渡すっていうの? それこそ驚きよ」

「それは……もうちょっと、後に来る、誰か、とか……」

「……本当、会話が下手。そんな顔の知らない誰かとなんて、比べるまでもないじゃない」

 

 言いたいコトはそれだけ? と蒼唯は無言で告げていた。遠くを見つめる視線はどこか必死に逸らしているようでもあった。頬は……心なしか、若干赤く染まっている。そんな彼女に、玄斗は返す言葉もない。どうにも断れないまま、事の重大さに気付いたのは家に帰ってひとしきり落ち着いてからだった。

 

「(どう、するんだ……コレ……)」

 

 手元には青い花のしおり。ゲーム内でいう、ルートの確定を意味するキーアイテム。好感度が一定以上に達した証拠品。……もちろん、ゲームと現実ではなにもかもが違う。攻略ヒロインだって主人公だって、そこらにいる街の人々にしても実際に存在するひとりの人間だ。プログラミングされた画面のなかのキャラクターではない。感情を持った、心を持った、知識を持った、たしかに生きる人間だ。

 

「(――そんなこと、とっくの昔に分かってる)」

 

 だからこそ彼は原作知識なんてモノに自惚れず、現実と向き合った。実際に自分の耳で聞いて、目で見て、肌で感じるコトを重視した。そのための接触だ。わざわざ趣味嗜好を探るのに、前知識があってどうして手間をかける必要があるのか。……それを手間と思わなかったのは、おそらく、彼女との関係がそこまで悪くはなかったからだろう。

 

「(……でも、コレは……)」

 

 ゲームとは違う。現実との差異。逃げ道は、作ろうと思えばいくらでも作れた。正直に言って、嬉しくなかったといえば嘘になる。なにせ四埜崎蒼唯は彼が()、いちばん好きだったヒロインだ。見た目も、声も、性格も、なにもかもが心を占める要因たり得た。そんな彼女から直接手渡された、ブルースターのしおり(ルート確定のキーアイテム)

 

「(…………、)」

 

 どうするか。どうすれば良いのか。一日中悩み抜いた。授業もまともに頭に入らないほど必死に、玄斗は思考回路を働かせ続けた。心地よい今と、来るかも分からない未来。あるかも知らない予想図。天秤にかけて、悩み抜いて、ワガママですら正当化して――最後に選んだのはそっち側。

 

「(……やっぱり。そうだ。僕にこんなものは、いらない――)」

 

 結局、十坂玄斗は十坂玄斗でしかない。世にはびこるギャルゲーの友人キャラとして生まれたそのときから、選択もなにも、すべては決まっていたようなもの。

 

「(僕は――十坂玄斗は、先輩とこれ以上仲良くなっちゃいけない)」

 

 もらったしおりも。向けられる感情も。抱くはずの想いも。それが四埜崎蒼唯であれば、まとめてひとつ残らず壱ノ瀬白玖のものだ。彼が与えられるべきものだ。それを横取りなんてしちゃいけない。手を出すような真似なんて以ての外。己の役割はせめて恋のキューピッド。便利な友人キャラとして、彼の手助けをするだけ。

 

「(だから、いらない。そもそも、見返りなんて、ひとつも求めちゃいない)」

 

 言うなればエゴ。ぜんぶが自分の勝手な感情。なによりもあるべき優先順位は決まって変わることはない。ただひとつ、いつか遠くない未来で、壱ノ瀬白玖が当たり前のように笑える日々のために。

 

「(僕は――――十坂玄斗 (・・・・)じゃないといけない)」

 

 思えば、なにが間違いだったかなんて簡単なこと。はじめからそうだ。なにもせず、誰にも関わらず、ただひとり無関心に、自らの知識を信じて孤独に努めていれば。

 

 ――こんな馬鹿げた状況には、決してならなかったのである。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「お兄ー、ごはんできたー……って、なにしてるの?」

「……いや、なんでも」

 

 大事に仕舞っていたしおりを取り出して眺めていた玄斗に、ドアを開けながら真墨が声をかけてきた。フライパンを握っているあたりにわざとらしさを感じるので、大方様子でも見に来たのだろうと玄斗は直感した。

 

「それなに? しおり? 珍しいねー。お兄、滅多に本とか読まないのに」

「……そうでもない。一時期は、結構読み漁ってた」

「あー、去年の春ぐらい? たしかに読んでたねー。小難しそうなやつ」

「……真墨はもっと難しそうなの読んでるじゃないか」

「いやいや、あれぐらい簡単だから。お兄どんだけ頭残念なの」

 

 そりゃあ、作中屈指の天才と比べられたら到底敵わないぐらいである。

 

「……で、どうしたの。ご飯ならまだ三十分はかかるんじゃない?」

「えっ、なんで分かるの、お兄エスパー?」

「違うって。うちにひとつしかないフライパンに油がつかないまま真墨が持ってきてるからだろう」

「……ちっ、バレたか」

 

 けっ、と行儀の悪い反応を返しながら、真墨がフライパンを持ったまま部屋に入ってくる。エプロンまでちゃっかりつけているのが本当に用意周到だ。

 

「お兄さー……なんか、隠してない?」

「なにって……なにを?」

「いやそれ聞いてんのあたし。お兄会話下手か。あ、下手だったわ。ごめんねお兄」

「……たしかに下手だけど、いまそれを言われるのは結構くる」

 

 主に蒼唯関係のアレコレで。ちょうどしおりを持っているから特に。

 

「んー……まあ別にいいけどさー……ほら、なーんか、言い忘れてんじゃん? 頑張ってネコかぶって入学式乗り切った学年首席の妹にさ」

「……ああ。うん。今日の挨拶は上手だった。凄いな、真墨」

「うっわあテキトー……めっちゃテキトー……お兄そんなんじゃ彼女のひとりもできないよ」

「……いらないって、そんなの」

「ふぅーん?」

 

 玄斗の反論にジト目で睨んでくる真墨。どこか「本当かあこの馬鹿兄貴」と疑っているような視線だった。

 

「のわりには、悩んでるね。女の子関係でしょ」

「――凄いな。真墨、エスパーか?」

「違うって。そんなかわいいしおり、お兄が買ってくるワケないじゃん」

「……ああ。そう言えば、そうか」

 

 たしかにこのしおりは自分には似合わない。青い花なんてイメージからはかけ離れている玄斗が、しかも後生大事に取っているとあれば笑いのネタにでもなるだろうか。思いつつ、そうやって割り切るのも悪くはないかと自棄気味に思った。もっとも、する気はさらさらなかったが。

 

「てかさ、入学式で思い出したけどさ。昼のあれ、なに? お兄煽ってんの? 人が必死こいて挨拶読み上げてんのにニコニコ笑って手まで振ってきて。もうあたしマジでキレる五秒前だったからね?」

「ごめん。応援してたんだ。頑張れって」

「いやもっと真面目に応援しろよ馬鹿兄貴」

 

 ごもっともである。

 

「……とにかく、真墨が凄いのは分かってる。人一倍頑張り屋だからね」

「ふふん。もっと褒めればいいよ。お兄は所詮あたしには勝てないんだから」

「そうだね。真墨には勝てないな」

「ふっふっふー」

 

 そう言って腰に手を当てながら笑う妹に、すこしだけ力が抜けた。悩みは晴れないが、すこしでも雲を蹴散らしてくれたのは嬉しい限りである。玄斗は感謝の意も込めて、近くまで来ていた真墨の頭に手を置いた。

 

「ん。色々と、ありがとう。真墨」

「……!? …………!!??」

 

 がばっ、と頭を撫でられた真墨が大袈裟に飛び退く。ウサギもびっくりのジャンプ力だった。一瞬で玄斗の腕の範囲から逃れている。

 

「ちょっ、ちょちょちょ! いきなり頭撫でるか普通!? お兄、女の子とのボディタッチに慣れすぎじゃない!?」

「……兄妹だから気にすることもないと思うけど」

「いやいや! いやいやいやいや! お兄ちょっと冷静になろう? あたしたち兄妹だよ? 禁断の関係だよ? 距離感は適切がいちばんでしょーがっ!」

「……真墨、大丈夫?」

「そう訊きたいのはこっちですけどお!?」

 

 バタバタと慌てる妹に玄斗は一抹の不安を覚える。なんだろう、こう、人の風呂には勝手に脱衣場まで入ってくるくせに、こっちが間違えて風呂の途中に脱衣場まで足を運ぶとめちゃくちゃキレてくるような。そんな理不尽がひしひしと伝わってくる。

 

「だいたいお兄は異性との距離感というものを……」

「あ、電話」

「いや聞けー? ちょっとー? あなたの妹が良いコト言おうとしてますよー? 聞け?」

「もしもし」

「いや聞けよマジで」

 

 まったくこのお兄は……と言いながら部屋を出ていく妹に手を振って、玄斗は携帯に耳を当てた。相手はおおかたの予想どおり、昨日と同じだった。

 

『あ、玄斗? いま大丈夫?』

「うん。大丈夫だけど……どうかした?」

『どうもしないけど。ほら、私って基本、家にひとりだからさ。誰かの声は聞きたくなるんだよ。どうしても』

「……ひとり、なのか」

『そう。あれ、言ってなかったっけ?』

「……うん。初耳だよ」

 

 識ってはいたが、知りはしなかった。歴史は変わっていないのだと今さらながら玄斗は実感する。多少の覚悟はしていたつもりだ。向き合えるようにと心の準備もしていた。が、実際にその話と直面してみると、どうしても腰は引けた。

 

『まあ、色々あってね。私がこっちに戻ってきたのも、そういうこと』

「そっか。……明日、ちょっと顔を出してもいいかな」

『顔って……え? うちにってこと?』

「ダメかな」

『……い、いやいやいや! ぜんぜん! おーけーだよ玄斗! えっと、じゃあ準備、掃除もしなきゃ……あー、えっと、玄斗は洋菓子と和菓子どっちがいい!?』

「……そこまでしてもらわなくても。ちょっと、立ち寄るぐらいだから」

『それでも私的に準備は必須なの!』

 

 夕飯はどうする? 作ろうか? 出前? 外食っていうのも良いかもね、なんて楽しげに予定を想像する白玖に苦笑しながら、玄斗はふと窓の外を見上げた。都心からすこし離れた田舎町故か、夜空に瞬く星はうっすらとどうにか見える。

 

「……挨拶ぐらいは、しとかないとね」

『――そっか。そうだね。じゃあ、一緒にやろっか。明日、どうせ帰り道は途中まで同じなんだし』

「うん。……ね、白玖」

『どうしたの、玄斗』

「僕が約束を破ったことって、あったっけ」

『……ない、かな。すくなくとも、私が知ってるなかでは』

「そっか」

 

 ならいいんだ、と玄斗はうなずいて顔をほころばせた。問題は山積みで、色々としなければいけないコトも、考えなければならないコトもある。けれど、一先ずの方針は決まった。明日がすこし、頼りがいのある未来に思えた。




・昔に誰かさんの残した古い書き置き
・最近誰かさんにもらったいちごオレ
・毎日の仕事は基本的に本の貸し出し
・いつも使っている青い花柄のしおり























ちなみに小数点以下のIFの可能性でうまくいった場合、花言葉のとおりになります。


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イメージカラーはやっぱり

お休みがとれたのでいっぱい書いていこう


 たとえば、廊下を渡るときの綺麗な姿勢だとか。何気ない動作のひとつだったりとか。そういうのが良くも悪くも印象的な人間はわりと多い。二之宮赤音は前者にあたって、その行動のひとつひとつがぴっしりと決まっているようで見ていて気持ちがよかった。

 

「ちょっと」

 

 そんな彼女にすれ違いざま呼び止められたのが、入学式の翌日だった。肩を跳ねさせた玄斗と対照的に、隣を歩いていた白玖が不思議そうにふり向く。見間違いや聞き間違いではもちろんない。彼女の左腕につけた腕章が、しっかりとそうであることを証明していた。

 

「そっちのあんたよ、十坂玄斗」

「……赤音さん」

「こっち向きなさい。ほら」

 

 早く、と急かす彼女の言われるがままに、玄斗は気をつけのまま百八十度回転した。語調が荒いのは公の場ではないからで、すこし不機嫌そうな理由は、まあ、玄斗の記憶にも覚えがある。詳しく説明すると、ちょうど昨日のあたりに。

 

「……すいません。先日は」

「そうね、人の挨拶を聞かずに女の子と喋ってるなんて、良いご身分よね。あの場じゃなかったらぶん殴ってるわよ」

「…………本当に申し訳ないです」

「ま、過ぎたコトだし済んだコトだし一先ず置いておいてあげるけど……。ちょっと、姿勢緩めるな」

「はい」

 

 ピン、と赤音の言葉にいまいちど背筋を伸ばしながら、玄斗は気を引き締めた。隣で同じように立ち止まった白玖は、いったいなんだろうと変わらず不思議そうに首をかしげている。

 

「――ネクタイが曲がってる。まったく、そんなんじゃ腕章ごとゴミ箱に捨てるわよ」

 

 きゅっと掴んだネクタイを直しながら、耳元に顔を近付けた赤音がぼそりと呟く。急接近にしてもすぎる(・・・)距離。色んな意味で心臓が飛び跳ねる想いは、どちらかというと緊張のほうが高くあった。その言葉に、玄斗的に無視できない部分が多々あったりはしたのだが。

 

「……前、その話は辞退したはずですけど」

「席と腕章はとってあげた。いつでも来なさい、トオサカくん? ……そろそろ観念して、降参することをおすすめするわ」

「…………、」

 

 観念するかどうかはともかく、やっぱりその腕章は絶対に受け取れないと思う玄斗だった。

 

「それと、あなた」

「あ……私、ですか?」

「壱ノ瀬さんよね。たしか、今年に転入してきた」

「は、はい。そうです。玄斗と同じクラスで――」

「言っておくけど、期首考査で下手な点数とったら承知しないから。ましてや、その男に色々と(・・・)世話を焼かれているようだし」

 

 と、聞いていて玄斗はすこしだけ驚いた。不思議なもので、その台詞は転入当初に原作の主人公が言われたモノとほんのちょっぴりだけ似ている。もちろん、前半部分のみで、後半のいっさいを切り落とした場合に。

 

「え、えっと……」

「言いたかったのはそれぐらいかしら。うん、それじゃあね。壱ノ瀬さん。玄斗(・・)、あんたは首洗って待ってなさい」

 

 ニコリと綺麗すぎる笑顔で別れを告げて、赤音はスタスタと廊下を歩いていった。嵐の過ぎ去ったような跡地には、そこそこの見物人と、なにがなんだかといったふうに首をかしげる少女と、どこか申し訳なさそうに立ち尽くす少年のみ。

 

「……あれが、生徒会長?」

「……うん。いつもはもっと、こう、笑った顔が似合う人なんだけど」

「ていうか期首考査あるんだね。当たり前か。いつ?」

「来週」

「来週かー……来週?」

「? うん」

 

 そうだけど、となんでもないように口にする玄斗。とくに心配もなにもしていない表情だが、白玖にとってその情報は人類滅亡よりも重くのしかかった。

 

「知らないよそんなの……!? え、うそ。まずい? このままじゃ私あの生徒会長になんかされちゃう!?」

「なにもされないと思うけど……点数が悪かったら、目は付けられるんじゃないか?」

「玄斗教えて!」

「もとからそのつもり」

 

 勉強ぐらいは、という思いもある。波乱からはじまった一年が平穏に進むべくもなく。これから先もきっとそうなのだろうと、なんとはなしに玄斗は直感した。波瀾万丈、商売繁盛、諸行無常。なにはともあれ、人生とはことさらうまくいかないものである。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ガチリとカギを開けて、真っ白なドアが開かれた。

 

「さ、入って入って」

「……お邪魔します」

 

 古馴染みの幼馴染みとはいえ、玄斗がこうして白玖の家に来るのは今日を含め数えるぐらいだった。幼い頃に数回程度である。中はこれといって古びた様子もなく、かといって散らかっている様子もない。手入れが行き届いているあたり、本当に苦労しているんだろうな、と思わず白玖のほうを見てしまった。

 

「? なに、どしたの」

「……今度から、たまに顔を出そうか? 家事なら僕でもすこしは」

「無理しなくていいって。まあ、玄斗が来たいって言うんなら良いけどー?」

「じゃあそうするよ。頭が回ってなかった。さすがに君ひとりじゃ、荷が重すぎるだろうし」

「……心配性だなあ、玄斗は」

 

 やれやれと苦笑しながら言う白玖に続いて、玄斗も玄関で靴を脱ぐ。上がり框を踏んで、そこから一メートルもいかないところで左側に扉が見えた。すこしだけ神妙な顔つきになった白玖が、ドアノブに手をかけて「ここだよ」と笑う。玄斗は手に提げたレジ袋から買ってきたものを取り出して、ゆっくりと家主に続くかたちで部屋に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま。お父さん、お母さん。覚えてるかな、これが、昔一緒に遊んでた玄斗」

「……君のお母さんとは一度会ったぐらいだったから、たぶん、覚えてないと思う」

「そんなことないって。あの頃のお母さん、お見舞いに行ったらいつも前の子とはどうしたーとかどうだーって、うるさかったんだもん」

「……そっか。じゃあ、覚えられてはいたってことだ」

「うん。お父さんなんて、玄斗のことすごい構ってたしねー。ちょっと、嫉妬しちゃった」

「それは、ごめん。……ちなみに、いつ?」

「一年前。私が中学にあがった頃には、もう元気をなくしてたからね。いつかは、って思ってたけど。……やっぱり、実際そうなるとくるよ、結構」

 

 線香を供えて手を合わせながら、熱心に、熱心に拝む。もとより身体が弱かった白玖の母親は、ちょうど玄斗が彼女と出会った十年ほど前に亡くなっている。それから父親も他界したというのは、()から知っていた話だ。せめてどちらか一方でも不運が絡んでくれればと思わないでもない。例えるなら本当に、事故であってくれたなら。自分の身を犠牲にしてでも、辛うじて残すぐらいはできただろうに。――原因は、病だ。

 

「……お墓は、こっち?」

「そう。お母さんと一緒に。だから無理いってこっちまで戻ってきた。お墓参りもそうだし、なにより……この家には、三人で暮らしてた思い出がいっぱいあるから」

「……うん」

「早すぎるんだよね、本当に。三十だよ? まだ。だっていうのに……あーもう、あれだ。お父さんはお母さんが好きすぎるんだよ」

 

 何年経ってもバカップル、なんて白玖はからかうように言った。辛さと、悲しさと、それ以外のなにかを合わせたような複雑な顔をして、ちょっとだけ、口角をつり上げた。

 

「……今度、一緒にお墓参りに行ってもいいかな」

「もちろん。お父さん玄斗のこと気に入ってたし、きっと喜ぶよ」

「だといいんだけどね。……一言、伝えたかったんだ。ずっと」

 

 ――ごめんなさい、と。なにもしなかったワケでもないが、なにもできなかったコトは後悔していた。おそらくすべてぶちまけて話して、なおかつ「馬鹿げたコト」だと切って捨てられなければ、眼前の少女――壱ノ瀬白玖にどんなコトを言われても仕方ない。命の重さは人一倍、玄斗自身分かっているつもりだった。だって彼は、一度――

 

「前ね、言ったじゃん。そういう格好してたって」

「……ああ、昔の、男の子っぽい……」

「うん。あれね、お父さんが居たからなんだよね。その頃から弱っていく母さんを見てるのが辛かったみたいでさ。お父さん、私が女の子らしい格好してたら「小さい頃の母さんに似てきたね」なんてもうすっごい苦しそうな笑顔でさ……子供ながらに、あれはないって思ったよ。お父さん愛想笑い下手すぎ」

「……そっか。そういうことだったのか」

 

 だから一人称も変えたのだろうか。昔は「おれ」と言っていた彼女も、いまや立派に「私」となっている。あまりにも格好と違和感がないものだから、どちらも自然に受け入れていた。男だった立場の人間が、女になっただけ。そう考えるのは、どうにも難しいだろう。

 

「……そんな顔しないで。まあ、たしかに? 辛い時期はあったし、もう泣きそうになるぐらい悲しんだこともあったけど……でも、いいんだよ。私は」

「……なにが、いいんだ……?」

「ん? そりゃもちろん、辛いことがあった分、悲しいことがあった分、お釣りが来るぐらい幸せなことがあったからでしょ」

「――――、」

 

 そう言って、壱ノ瀬白玖はゆるく笑った。幼い頃を思い出させるような、純真無垢な笑みを浮かべて。

 

「……そう、なのか」

「うん。もうね、本当良かった。こっちに戻ってきて」

「……ああ、なら、僕もちょっと、安心した。ちなみに、その幸せなことって?」

「教えなーい」

 

 乙女の秘密だよ、とウインクをして白玖は立ち上がった。一先ず挨拶はここまでらしい。部屋から出ていく彼女の後ろをついて、玄斗も廊下に出た。やっぱり、女子ひとりで住むにはこの一軒家は広すぎる。

 

「……白玖」

「はいはい、なあに、玄斗」

「その幸せが、ずっと続くと良いな。これから先も、ずっと」

「……うん。そうだね。そのためには、玄斗に頑張ってもらわなきゃ」

「――僕に?」

 

 そ、と短く答えて白玖はドアを閉めた。その顔が、ちょうど髪に隠れて見えなくなる。

 

「……分かった。なら僕も、頑張るよ。君の幸せは、貴重そうだからね」

「なーにそれ。私の幸せなんて、案外そこらに埋まってるかもよ?」

 

 灯台もと暗し。得てして、身近なコトほど気付かないものである。玄斗は自分の手を見つめながら、ひとつ覚悟を決めた。――いいや、それは、もとより。

 

「さ、ご飯でも食べよ。今日は私の手作りです」

「手伝うよ。なにもしないっていうのもあれだし」

「どれか分からないけど、じゃあ玄斗を我が家のキッチンに案内しようか。エプロンはお父さんが使ってたやつを洗ってあるから、それでね」

「……さては初めから手伝ってもらうつもりだった?」

「さあ、どうでしょう」

 

 口元をおさえてくすりと笑う白玖は、制服姿のままリビングまでとててーっと走っていった。その背中が、やっぱり幼い頃に追いかけていた少年の像と結び付く。

 

「(……本当、取り乱すまでもなかった。白玖はやっぱり、白玖だ)」

 

 だからこそ、自分のやることも変わらない。壱ノ瀬白玖がそうであるのなら、十坂玄斗でさえもそうであるべきだ。名前も忘れた、記憶だけの、居ないはずの誰かなんて、一切合切関係ない。その意識が残っていたところで、なにがどうなるわけでもない。いまの彼は十坂玄斗で、もとの()には足りないものが沢山あって、ならば、どうするかも決まっていた。

 

「(人生ひとつ。命のひとつ。重さはきっと平等じゃない。だからいちばん軽いのが誰のものなのかも分かる。――要はそんなもの、使い切ってしまえばいいんだから)」

 

 

 

 

 

 この身も、心も、すべて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――彼は壱ノ瀬白玖という個人を救うために、使い潰すと決めていたのだ。 






これにて一章本編は終了です。あと二話、幕間の物語があるよ、という感じ。


一先ずタグの因果応報くんに仕事をさせましょうね!


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一章幕間:彼のウラガワ ~君のためなら死ねる~

今日中にあと一話更新するよー


 イメージカラーは白。容姿はそこそこ普通。髪の色も肌の色も新雪を思わせるような純白で、見た目はどちらかというと痩せている。活発的ではない身体と、気弱そうないつもの態度から、生徒間でのイメージは良くも悪くもありきたりな少年。原作ゲーム、「アマキス☆ホワイトメモリアル」の主人公――壱ノ瀬白玖は、そんなキャラクターだった。

 

『やっておくよ。ちょうど、手が空いてたから』

『うん。任された。人助けぐらいはしないとね』

『放っておけないだろ。ほら、困ってる人とか』

『いいよな、家族。……玄斗もそういや、妹がいるんだっけ』

 

 混じりけがない。純粋で綺麗なまま。白から想起されるものにそういったものはあれど、壱ノ瀬白玖にいたってはそうでもなかった。

 

『白玖。あんた、ちょっと不気味よ』

『……まっさらな、キャンバス。……せんぱいは、そんな、感じ……』

『白紙のページ。あなたと会話してると、それを読んでるみたいな気分になるわ』

『うーんとさ……どうして壱ノ瀬は、そんなに辛そうに笑うワケ?』

『あはは……あー、お兄が言ってたとおりだ。センパイ、ちょっとやばいっすねー』

 

 目に見えるものは弄りやすい。実際にあるのなら尚更だ。が、見えないものをどうこうするとなると途端に難しくなる。原作のゲーム開始当初、すなわちどのルートにも入っていない状態での言動、壱ノ瀬白玖は薄味の、個性がすくない普遍的なギャルゲー主人公だった。

 

『誰もいない。なにもない。残ったものだけ大事にして、ずっと、引き摺りながら歩いてる。――俺なんて結局、そんな醜い人間ってことだよ』

 

 だから、ルート分岐にさしかかった瞬間。はじめて晒された彼の心中に、思いっきり囚われた。幼い頃に母親を亡くし、それから次いで父親も後を追うようにこの世を去った。不思議と家に誰もいない。その理由付け程度の設定だと思っていながら――実際どうか。そんなコト、まだ成人もしていない少年の心が、耐えられるワケがなかったのだ。

 

『腹が立つのよ。白玖。あんたにとって、私はなに?』

『せんぱい、は……! ひとり、じゃ、ないです……!』

『許さないわ。そんなの。そうやってずっと思い悩むぐらいなら、私があなたを……!』

『……大丈夫だよ、壱ノ瀬。すくなくともあたしは、ここに居るから』

『……ま、当分は一緒にいてあげますよ。センパイのこと気にかけてるのはあたしだけじゃありませんし』

 

 でも、物語には救いがある。自分の幸せを見つけて、失いかけていた心のカタチを取り戻していく。ルートに入ったヒロインと一緒に、自らの歩むべき道を進んでいく。全年齢向け恋愛シミュレーションゲーム「アマキス☆ホワイトメモリアル」の本編内容は、おおまかにまとめるとそんな感じだった。途中まで主人公がヒロインを攻略し、ルートに入ればヒロインが主人公を攻略してくる。言うなれば、壱ノ瀬白玖を救うためのシナリオ。

 

 ――そこで重要な役割を担うのが、十坂玄斗だ。

 

『おはようだな、白玖。ところで、なにか聞きたいことでも?』

 

 各ヒロインの好感度表示、どうすれば良いのかという軽い助言、現在の雲行き……つまりイベント進行度がどうなっているのか。ありきたりで使い古されてはいるが、なぜかヒロインの情報を完璧なまでに管理するお助けキャラ。各所で「こいつの情報収集力は人間超えてんだろ」と言わしめたものである。

 

『僕はずっと……踏み入れなかったな。白玖、きっと、おまえの心を開いてくれるのは、僕じゃない誰かだと思ってた。……それに頼ってるんだから、友人失格だ』

『そんなことねえよ、玄斗。……おまえのおかげだ。ありがとう』

『……なら、いいんだ』

 

 そんな立ち回りを、ある日、突然、衝撃も冷めやらぬままに求められた。

 

「おれの名前は白玖(はく)! 壱ノ瀬白玖(いちのせはく)!」

「(え――――)」

 

 十坂玄斗。二度目の名前は偶然だとぼんやり考えていた。なのに、目の前に現れた少年によって、ここがどういう世界なのかも理解してしまった。

 

『本当、泣かないなあ、白玖は』

『いや、泣くぞ? 玄斗。俺だって、涙ぐらい』

『そうかな。僕には君が、泣いているようには見えないけど』

『……? 変なコト言うんだな、玄斗は』

 

 壊れたココロ。歪んだ思想。家族を失った辛さに耐えかねて、ぽっかりと穴が開いたようにふらふらと歩く。まるで死んだように生きている。壱ノ瀬白玖の本質はそこだ。そんなものが少年の未来に待っている。あまつさえ失敗すれば、ずっとそのまま生きていく。――やるかどうかは、すぐに決まった。

 

「……僕は玄斗(くろと)十坂玄斗(とおさかくろと)だ。よろしく、白玖」

「おう! よろしくな、玄斗!」

 

 願わくば、その笑顔がずっと咲き続けることを望んだ。

 

「きっといつか、白玖を幸せにする」

 

 ――それは、彼自身ではないとしても。そうしなければならないと、頭では分かっていた。油断か、慢心か。信頼かも分からない。されど、見方によってはそれは、間違いでしかない。

 

「赤音さんって、やっぱり優しいですよね」

「……きっと、大丈夫。なんなら僕も協力する」

「先輩、甘いもの好きなんですね。意外です」

「……ご趣味は?」

 

 本当に、欠片も、片隅にすらそれは置いていなかった。あまりもの、こぼれたもの。そんなものですら不要だと思った。すべては彼のために。壱ノ瀬白玖がもう一度笑えるために、辛さをひた隠しに進んできた彼にいまいちど笑顔を取り戻すために。

 

「(ああ、そうだね。おかしい。でも良いんだ。これぐらいしなきゃ、釣り合わない)」

 

 ――君のためなら死ねる。

 

 一度経験してもそう思えたのは、偏に彼の歪さだった。自分のすべてが溶け落ちてなくなっていく感覚を覚えておきながら、いまいちどその経験をできるものか。けれど、生きている以上は嫌でもしなければならない。カタチあるものはいつしか終わる。生きているならばきっと死ぬ。明日か、明後日か、遠い未来か。それまでの全部を、彼は壱ノ瀬白玖のために使い尽くすつもりだった。

 

 なのに。

 

「えっと、今日から転入してきました。壱ノ瀬白玖(イチノセハク)って言います。よろしくお願いします」

 

 いざはじまった二学年の一学期、転入してきたのは同姓同名の女子だった。そりゃあ混乱もする。困惑だってする。どういうことなんだと言いたくならなかったワケがない。なにせ彼のなかには「壱ノ瀬白玖=男」という図式が完璧なまでに刷り込まれていたのだ。まさか、女だなんて、そんなまさか、と。

 

「(……まあ、それはそれで。なにかあったのか、白玖は……違うみたいで、同じだし)」

 

 探ってみたところ、同性愛の気……はないように思う。原作ヒロインとの接触も果たしたが、とくにどうこうといったものもない。それはつまり、いままで彼がやってきたコトすべてが無に帰したというコトでもある。

 

「(ま、いっか。それは。たかだか数年程度の努力の意味がなくなっただけで、いまさらどうってこともないし。白玖さえ幸せそうなら、それで)」

 

 よって、問題は意味がなくなっても思い出はなくならないということになる。

 

「(……理由がなくなったら動くあたり。本当、どうかしてる)」

 

 白玖の幸せに関係なくなった瞬間、やり方は頭に浮かんだ。胸を占有する気持ちだってそうだ。そもそも、白玖がどうのこうのという前に答えは決まっていたようなものだろう。だから、なんでもない。――背後から聞こえる、低い声のコトなんて。

 

『ズルいよね』

 

 ひたひたと。這って、立って、引き摺って。

 

『そこは僕の場所なのに。僕の立ち位置なのに。勝手に君は、君のコトをよくしようとするのかい? それは、ねえ――』

「……うん。分かってる」

 

「『違うだろう』」

 

 本当に、なんてことはない。死ぬコトに比べれば甘いものだ。幸せに手をかけた瞬間、無性に死にたくてたまらなくなる。そんな彼の感情のコトなんて、二の次だ。一番はずっと、そう。何度も言うように。

 

 

 壱ノ瀬白玖を、幸せにしなくては。




名前:十坂玄斗

性別:男

年齢:16

趣味:とくになし

特技:(特技と言うほどでもないけど)勉強

イメージカラー:黒

備考:前世の記憶がある転生オリ主系男子。白玖のためなら死ねるを地で行く精神性は歪みきってるので矯正不可能。なお白玖以外の人に対してもそれができるのでわりとヒロインのピンチで死にやすい。世渡り、会話、人との付き合い方が絶望的に下手。作中の約9割はこいつのせい。自分に幸せだと思うことが訪れようとしたときとか幸せを感じた瞬間に無性に死にたくなる。白玖の幸せは別腹。














正直晴れ間が見えないぐらい曇らせようとしたらちょっと甘さを出してしまったので後悔してる。


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一章幕間:彼女のウラガワ ~あなたの色がほしい~

綺麗なヒロインだと思っていた人には申し訳ないがここでネタばらし。


 

 彼女にとって、その言葉は救いに等しかった。

 

『うん。大丈夫。いまはすごい悲しくて、きっと、僕の想像もつかないぐらい、白玖は辛いんだと思う。でも、大丈夫』

 

 母親が死んで、悲しみにくれていた彼女に、その少年は優しく語りかけた。どこか年相応らしからぬ雰囲気と言葉遣いで。必死に、必死に、彼女の心をときほぐそうとしてくれた。

 

『きっといつか、白玖を幸せにする。あと……そうだね、十年もしたら、きっと』

 

 壱ノ瀬白玖はその言葉を、片時も忘れたことはなかった。

 

「……白玖。おまえは本当、母さんに似てきたなあ」

「また言ってる……もう耳にタコができるほど聞いたよ、それ」

「もし死んだら母さんと同じ墓に入れてくれよ? じゃないと化けて出るからな」

「もう、縁起でもないこと言わないでよ。ただでさえ入院してるのに」

「……だな。ちょっと、お父さん空気読めなかった」

 

 最後に交わしたのはそんな会話だったか。父方の実家で暮らしていた白玖のもとに訃報が届いたのは、ちょうど中学三年になる夏休みのときだった。

 

「お父、さん……」

 

 悲しかった。自然と涙は溢れた。枯れ果てるほどに流れて、やがて倒れるように白玖は眠りについた。祖父母はそんな彼女を慮って、色々と親切にもしてくれていたように思う。

 

「…………、」

 

 でも、こればっかりはどうしようもない。胸の中心にぽっかりと開いた穴。なにもかもが手につかなくて、どうしようもない気分に浸っていたとき。――ふとはじめた遺品整理の途中に、古い写真を見つけた。

 

「(あ、これ――)」

 

 映っているのは幼い頃の自分と、濡れ羽色の髪をした少年。名前は十坂玄斗。いまはどうしているのだろうか。母親の死と、父親の体調不良で引っ越してからは連絡もとっていない。懐かしい、と思いながら他の写真を漁っていくと、ひとつ、目につくものがあった。

 

「うわあ、そうだ……これたしか、玄斗と一緒に書いたやつだ」

 

 表裏一体。たしか白玖の父親にカッコイイ四字熟語を聞いて、ふたりで一緒に書き記したものだった。白と黒は表裏だから、ひとつになってひっくり返る、なんて意味の分からないコトを言っていたっけ。

 

「……玄斗、いまなにしてるかな」

 

 一度気になりだしたら、後はもう歯止めがきかなかった。時期的にちょうど良かったこともある。向こうで近所に住んでいる母方の姉に月に何度か訪問の約束を取り付けて、彼女はたったひとり昔の家族で住んでいた家にまで戻ってきた。どこの高校かも分からないまま、正直無鉄砲な行動だったのは否めない。けれども理由はそれだけではないし、と転入した高校へいざ行ってみたところ。

 

「(――見つけた)」

 

 奇跡でなければ運命だ。十坂玄斗はそこにいた。むかしと変わらない濡れ羽色の髪を目元まで長く伸ばして、むかしと同じような口調で白玖に接してきた。……男だと思われていたのは、まあ、仕方ないにしても。

 

「おかえり、白玖」

 

 そして、あの言葉を聞いたとき。白玖の心は、真実もう一度救われた。胸に飛来した想いは十二分に理解できた。辛くて、悲しくて、自棄にすらなりかけていたとき。たった一言、彼にその言葉をかけてもらっただけで、温かいものに包まれた。

 

「(ああ、もう――――好きだなあ)」

 

 転校前に願掛けついでで髪を染めてきたのは正解だった。彼と同じ濡れ羽色。自分の白とうまく混ざり合うように染まった黒髪は、いつも彼の存在を感じられて幸せな気分になる。そうだ。ずっと自分は、この少年と一緒に歩いて行きたかったのだ。

 

「(好き、好き。大好き……他の誰にも渡したくなくなるぐらい……って、重いなあ)」

 

 自覚はしている。きっと自分の心は重い。あの鈍感で天然入った男が気付く筈もないだろう。おそらくはずっと、友人同士の付き合いとして片付けるはずだ。けれど、気持ちを伝える手段はいっぱいある。たとえば、

 

「……惚れてくれてもいいけどー?」

「ほら、玄斗の声って安心するし」

「玄斗のいるコンビニなら毎日行ってあげるよ」

 

 こんなふうに、本気の冗談(・・・・・)を織り交ぜてみたり。

 

「(まあ、気付いてもいないだろうけど)」

 

 所詮冗談で処理されるものだ。軽口でちょっとまあ冗談にならない気持ちを伝えるだけ。そんな面倒くさいコトをするような性格でもなかったはずなのに、人間どこでどうなるかなんて本当に分からない。……いきなり決まった一緒に登校するという一大事に、一睡もできなかったコトとか。

 

「(思わず図書室で寝落ちしちゃったし……なーんか粋なコトしてくるし)」

 

 わざわざメモを残して握らせ、ブレザーを肩にかけてくれたのは心底驚いた。ついでに玄斗の匂いにつつまれて幸せだった。我ながらちょっとそれはどうかと思う。

 

『僕が約束を破ったことって、あったっけ』

「……本当、ないから怖いんだよ。玄斗は」

 

 嘘なんて一切ついていない。実際、彼女が知っているなかで玄斗が白玖との約束を破ったことは一度もない。

 

「(まあ? 他の先輩とか、女子とかのアレコレは……ちょっと気になるけど)」

 

 とくに廊下でネクタイを締めてきた生徒会長。あれは危険だ。副会長なんかに玄斗を据えられたら一緒に過ごせる時間が減ってしまう。というよりピシッと直すのはそれはそれでいいが個人的に気に入らない。玄斗のあのゆるいネクタイはちょっと気怠さと着崩すまでには至らない中間にあるからなんかこうエロくて良いと思うのに。

 

「(うん。やっぱりブレザー姿の玄斗はエッチすぎるよ)」

 

 熱いものがこみ上げてきた。こんな姿は玄斗には見せられない。いつかは見せることになったとしても、今はまだ〝軽い関係におさまっている友人程度〟でいいのだ。時間はたっぷりある。少しずつ、彼の気をこちらに引いていけば良い。外堀から埋めていくというのも良いかもしれない。

 

「(……そうだよ。玄斗は約束、破らないんだよ)」

 

 彼は忘れているだろうか。幼い頃に彼から取り付けた大事な約束。けれど、忘れていたって白玖にとっては問題ではない。なにせ、それですら彼は叶えているのだから。

 

「(ね、玄斗。……私を絶対、幸せなままで居させてね)」

 

 冗談めかしてそんなコトを思う。半分は本気だった。だからそう、本当に、誰にも渡すつもりはない。この立ち位置を譲ってやるつもりもない。どこのどいつが相手だろうと、向かってくるなら迎え撃つ。

 

「(そう。私は玄斗に幸せにしてもらった。だから、今度は私が玄斗を幸せにする)」

 

 そう決意した。……決意したのだが、ほぼ告白まがいの台詞を素直に受け取らないのはどうかと思う。幸せになるためにあなたが必要とか、正直プロポーズもかくやといったものだと思ったのだが、彼はそうだね頑張ると答えるだけで意味を正しく理解してはいなさそうだった。

 

「(本当、ばか玄斗。……玄斗が隣に居るだけで、私は幸せなんだから)」

 

 その想いが彼に届くのは、もうすこしだけかかりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで玄斗のブレザーを脱いだワイシャツ姿は控えめに言って最高ではないのだろうか。あの一枚剥いたというエロティックと白という清楚な色が合わさってもうドリームズカムトゥルーって感じだしあれだよね公共の場でする格好じゃないよねもう本当えっちだし私の前だけでやるべきっていうか普通にあれだよ警察に逮捕されちゃうってあのエロさはやばいよねブレザー早く着せないともう決壊しそうだったよもう本当もう玄斗ってばもう――




名前:壱ノ瀬白玖

性別:女

年齢:16歳

趣味:炊事、洗濯、お掃除

特技:隠れ潜むこと(?)

備考:ヘヴィー系ゆるふわ幼馴染み原作ギャルゲー主人公(♂)→(♀)という属性盛り合わせの末に生まれた現代に隠れ潜むヤンデレ(微。本作主人公が好きすぎてもう愛が止められなくなっている模様。なお向こうが歪んでいるとは知らない。原作主人公(♂)の場合、ヒロインが決定すると染髪イベントが発生し、各ヒロインと同色の色を自らの白髪に加える。それが既に起きているということはつまり……

ちなみに転生オリ主系野郎を救えるのは彼女だけである。
(彼女しか恋仲になれないとは言ってない)











壱ノ瀬白玖がこういうヒロインだと知ったあとに読み返すと「あっ……(察し」ってなる会話を結構仕込んでたりしたようなしてないような。うん?


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第二章 蒼くても熱いもの
雨の日に蒼空はなくて


もう一度乗ってしまって筆が止まらない
(´・ω・`)


 珍しく寝坊した。時季外れの雨が降るなか、玄斗は傘を片手にバス停でじっと待っている。原因なんて大それたものはない。単純に寝過ごした。気付けば時計の針は八時半を回っていて、家には誰ひとりとしていなくなっている。しまった、と肩を落としながら学校に電話をかけたのがつい三十分前。携帯には、白玖からのメッセージと着信履歴が残っていた。

 

『玄斗ー?』

『不在着信』

『おーい』

『大丈夫ー?』

『もう朝だよー』

『不在着信』

『不在着信』

『ねえ』

『玄斗ってばー』

 

「(……これは、心配してるんだろうか)」

 

 多分そうなのだろう、と思いながら返信内容を考えていると、ほどなくしてバスが来た。基本は徒歩だが、雨の日ぐらいは乗り物に頼りたい。なんとなく殆どの生徒がそうするので、玄斗にも伝染ったコトだ。

 

「……あ」

 

 と、整理券をとって乗ったバスの車内に、見知った顔をみつけた。たまたまカバンの中に入れていたソレが導いたのか。はたまたそういう今日(・・)だったからこそ入れたままで登校してしまったのか。

 

「……、」

 

 見れば、向こうもこちらを見て驚いているようだった。無言のまましばらく経って、電子音と共にバスのドアが閉まる。広い車内には運転手を含めたったの三人。彼と、もうひとりは――

 

「……とりあえず、座ったらどうかしら。十坂くん」

「……先輩」

 

 四埜崎蒼唯、そのひとだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 雨の車内は静かなようでいて音が多い。雫が車体の表面を叩く音。タイヤからあがる水飛沫と、重く響くエンジンの駆動音。聞こえてくるものは沢山ある。別にしんと静まり返っているわけではない。なのに、(真面目に業務に取り組んでいる運転手を除いて)ふたりっきりの空間は驚くほど静かに感じた。

 

「…………、」

「…………、」

 

 落ち着けない玄斗の内心とは対照的に、蒼唯は窓の外を眺めている。見慣れた街の風景。雨が降っているという点を除けば、気になるところもそう多くない。……ふたりがけの席に隣同士で座っている、というのを考えなければ。

 

「……………………、」

「……………………、」

 

 どうしてこんなことになったのかといえば、座る席に迷っていた憐れな子羊を先に腰掛けていた人が無言で導いたのだ。トントン、と軽く蒼唯の座る隣のシートを叩かれたときは玄斗の心臓が跳ねた。どうするべきか悩んで、理由が見つからないまま二度目。座る以外の選択肢はないのだと、言外に告げられた。

 

「…………、」

「…………、」

 

 沈黙は長い。学校まではあと五分ほどだろうか。静かな車内は、時間の流れさえも曖昧にさせる。ふと、次のバス停が見えた。……学校までは、あと三つある。

 

「……今日は」

 

 そんな中で口火を切ったのは、意外なことに蒼唯だった。ほう、と吐いた息に色んな意味が込められている。その全容を知るには、玄斗には経験も知識も足りなかった。せめて思考を巡らせることをやめないのが、最大限の努力だった。

 

「ずいぶんなようね。……寝坊かしら?」

「あ……はい。そうみたいです」

「みたいってなによ、あなたのことでしょう?」

「……すいません」

「だから、何に謝ってるか分からない」

 

 コツ、と窓枠を爪で叩かれた。イライラしているときの蒼唯のクセだ。こういうとき、空気の読めない発言をするのが自分という人間だと思っていたが、どうにもそんな一言も出てこない。玄斗はなにを言うでもなく、カバンを抱えたまま口を閉じた。バス停を過ぎる。あとふたつ。

 

「……訊き返さないわけ? それとも、私のことには興味ない?」

「……いえ、そんなことは」

「じゃあ訊きなさい」

「……えっと」

「はやく」

「っ、先輩は、どうしてこんな時間に?」

「夜遅くまで本を読んでいたら、寝過ごしたのよ」

 

 コツコツ、と窓枠を叩く音がふたたび響く。玄斗からしても、おそらく他の誰かからしても、理由自体はなんとも彼女らしい。図書委員もつとめる四埜崎蒼唯は、学校でもわりと有名な読書家だ。

 

「おまけに雨。誰もいないバス停で二十分も待って、しかも乗ってきたのがよりにもよってあなたとはね」

 

 今日は厄日だわ、と蒼唯はもう一度息をついた。ちょうど、窓ごしに映ったバス停を通り過ぎる。あとひとつ。

 

『次は、調色高校前。調色高校前』

 

 車内アナウンスに、反射的に腕が伸びた。彼は無意識のうちに降車ボタンを押そうとして――その手首を、細い手指に掴まれる。

 

「……せん、ぱい?」

「…………、」

 

 蒼唯はなにも言わない。なにか言いたいことを悩んでいるような様子で、そっと玄斗の手首を握りしめた。……地味に爪が食い込んでいる。わりと痛い。

 

「……あの、学校……は……」

「…………、」

 

 もうしばらくすれば調色高校前の停車地点だ。降りないという選択肢はないはずなのに、蒼唯はいまだ手を離そうともしない。どこか、悩むように視線をあちらこちらへとやって。

 

「――さぼりましょうか、学校」

「え」

 

 ちょうど、その声と共にバス停を過ぎた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「どうかしら」

 

 試着室から出てきた蒼唯の格好は、控えめに言っても美人だった。

 

「…………、」

「……なにか言いなさいよ」

「あ、いや……すごい、似合ってます」

「……そう」

 

 短く答えて、着ていた服を脱いでから玄斗の持ったカゴの中に入れる。あれから本当に学校にも行かず、終点で降りてショッピングモールまで足を運び、こうして玄斗たちはブティックにてショッピングなんかしている。……正直学生が昼間っから、と思わないでもないが、意外なことに服さえ着替えればバレないものだった。

 

「……あの、先輩」

「なにかしら」

「やっぱり、学校を休んでまでこんなことするのは……」

「まあ、普通に考えていけないことよね。分かるかしら」

「……?」

「私たち、共犯者ってコトよ」

 

 つまり言えばおまえもタダではすまないぞ、ということらしい。……自分のことはどうでもいいにしても、蒼唯が怒られるというのは気になるところだった。逆に言うと、自分さえ黙っていればなんでもない、という意味にもなる。

 

「……やけに落ち着いていますけど、もしかしてこれが初めてじゃないんですか……?」

「そうね。学校が嫌になったらこうやって適当に出かけているわ。もちろんバレないように。……成績だけは良いのだから、見逃してほしいところではあるけどね」

 

 意外……というよりは競合相手が規格外すぎて忘れそうになるが、調色高校三年首席は現生徒会長の赤音ではなく蒼唯のほうだ。赤炎の生徒会長と蒼氷の図書委員とはよく言ったもので、ふたりの関係はちょっとよくないらしい。

 

「……学校は、ちゃんと行かないと」

「いまのあなたが言える立場ではないわね。私と一緒にさぼっているわけだし」

「……そうでした。取り下げます」

「賢い発言ありがとう。ついでに、これでもかけておきなさい」

 

 すっと手渡されたそれを、玄斗はなんだろうとじっと見る。見たところ、度の入っていない眼鏡のようだ。青い縁のそれを眺めていると、蒼唯は今日何度目か分からないため息をついた。玄斗の手から素早く引き抜いて、無駄に長い前髪をあげながら彼の顔にかける。

 

「変装。それひとつでも大分印象が変わるわ。似合ってるわよ、優等生」

「……この状況でそんな褒め方しないでください」

「冗談に決まってるでしょう。まったく会話が下手。相変わらず」

「……すいません」

「だから、何に謝ってるのか……って、これもしつこいわね」

 

 くるりとふり向いて、腕を組みながら蒼唯がなにやら考え込む。なんだろう、と玄斗がぼーっと見つめていると、ピンときたのかハッと顔をあげて、ニヤリと笑った。……どこか嫌な予感がする。

 

「そうね。今日一日、謝るの禁止。罰ゲームとして一回謝るたびに一度私のお願いを聞いてもらうわ」

「え、いや、それは……」

「うるさい。あなた反論できる立場だと思ってるの? あんなこと(・・・・・)しておいて」

「……すいません」

「はい一回」

「あっ」

 

 ばっと口を押さえるがもう遅い。出てしまった言葉は飲みこめない。はやくもカウントされてしまった無茶ぶりに、これを更新しないよう気を付けるのは無理かもしれないと玄斗は思った。

 

「いくらなんでも早すぎるでしょう。ばか?」

「……すいません」

「はい二回」

「うっ……」

 

 くすくすと、指を二本たてた蒼唯がおかしそうに笑う。

 

「……まったく、本当変わらないんだから」

 

 なんだか今日は、落ち着かない一日になる気がした。




というわけで二章です。はい、いきなりメイン章だよ先輩!

ちなみに章タイトルに入ってる色がその章のメインキャラです。





あと世の学生さんは学校はちゃんといきましょうね。どうしてもさぼるときはバレないようにしましょう。もう嫌で嫌で仕方ないときは無理してもね、と思う派。


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平日のお買い物

よしこれぐらいだっ 閉廷っ 終了っ


 

「……あの先輩」

「なにかしら。まだ行きたいところは沢山あるけれど」

「……見られてます」

「ええ、そうね」

 

 贔屓目抜きに見ても、四埜崎蒼唯は大層な美人だ。制服から着替えているというのも相まって、年頃の少女らしい可愛らしさに加えほんのりと大人の色気が交じっている。目を引くのも仕方ない、という容姿。そんな彼女と指を絡ませて(・・・・・・)手を繋いでいる。いわゆる、恋人繋ぎだった。

 

「言ったはずよ。私の言うことを聞いてもらうって」

「でも……流石に、これは」

「なに、反抗するの。それはどの口で? 十坂くん?」

「……すいません」

「はい五回目」

「うぅぅ……」

 

 唸る玄斗にくすくすと笑いながら、楽しげに蒼唯はスマートフォンへ「5」というメモを書き込んだ。カウントに不正はない。本日五度目の謝罪は、彼の今日を無事に乗り切るハードルを天高くまであげていた。

 

「意識しないからそうなるのよ。絶対言わないって思ってなさい。謝るものかって」

「でも、謝らないのは、それはそれで」

「ええ、そうよね。酷い男よね。謝罪のひとつも言わないなんて」

「……すいません」

「はい六回目」

「うぁあ……!」

 

 ついぞ頭を抱えはじめた玄斗に笑みを深くしながら、先ほど書き込んだ「5」の数字を「6」に書き換える。面白いぐらいに引っ掛かってくれる男に、朝一番からあがっていた溜飲もすこしは下がった。まあ、そんな男でもなければ自分はこんな提案をしていないんだろうけど、と内心で蒼唯は自嘲する。

 

「さて、とりあえずひとつは今消化中だとして、残りの五つはどうするのかしらね?」

「……待ってください。消化中って、あの、もしかして今日一日このまま……」

「そうに決まってるでしょう。あなた何考えてるわけ? ばかなの?」

「すいませっ――」

 

 ばっ、と今度はすべて吐き出す前に口をおさえられた。恐る恐るといった様子で蒼唯を見ると、顎に手をあてながらふむと頷いている。果たして、判定は。

 

「……ぎりぎりセーフにしてあげるわ。特別にね」

「……ありがとう、ございます」

「今回だけよ。いい? 次からはないわ、まったくあなたは」

「……はい、すいません」

「七回目」

「――――!」

 

 いきなりはじまった蒼唯とのショッピングは、どうやっても前途多難だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「(腕が痛い……)」

 

 コインロッカーにひとまずの荷物を入れながら、玄斗は疲労のたまった左腕をぷらぷらと振った。片手で買い物袋を持ち続けるのは意外な重労働で、予想以上のものにすこし汗まで出てきていた。

 

「ほら、預け終わったのならはやく行くわよ。時間は有限でしょう」

 

 ちなみに、右腕はしっかりと彼女に握られたままである。

 

「……先輩。あの、せめて、ちょっと離すぐらいは、ダメですか」

「ダメよ。どうして?」

「いえ……手汗が」

「…………、」

「にぎにぎしないでください……」

 

 なにか確かめるようにぎゅっと力を込める蒼唯に抗議の視線を送ってみるが、彼女は手の感触をたしかめるのに集中していた。なにが面白いのか、ふんふむと唸りながら握ったり緩めたりをくり返している。ちなみにこの途中でするりと抜こうものならいまよりもっと酷い惨状になるのが目に見えているので、大人しく待つしかない。

 

「平気よ」

「……なにがですか……?」

「平気よ。二度も言わせないで」

「……すいません」

「八回目」

「……! …………!!」

「さあ、行くわよ」

 

 ロッカーから離れて、いまいちどモール内を散策する。平日の昼間、天候が悪いのもあいまって利用客自体はわりと少ない。そのなかでも学生といえば自分たちふたりぐらいなものだ。大体、善良な学生ならば学校で授業を受けている。

 

「次はどうしようかしら。どう思う、十坂くん?」

「……先輩の好きなところに行ってもらえれば」

「じゃあ三択。そこの書店か、向こうのお酒売り場、そして後ろのランジェリーショップ」

「すいません、書店でお願いします」

「九回目。じゃあ、そっちに行きましょう」

「……もう、何度でもカウントしてください」

「潔い人は好きよ」

 

 くすりと微笑んで、蒼唯は書店に足を向けた。かなりの読書好きである彼女のことだ。購入する本の量は一冊や二冊ではないだろう。すでに限界気味の腕が明日は筋肉痛で動かなくなるであろうコトを覚悟しながら、玄斗は蒼唯に続いて入店した。

 

「これと、これと。あとこれ。あら、これも新刊出てたのね。あと……こっちも」

「…………、」

 

 どさどさどさどさ。一気に五冊積み上がった。予想を遥かに上回るスピードである。

 

「……先輩、色んなジャンル読みますよね」

「今さらね。昔から知っていたと思うけど」

「すいませっ……、……、………………すいません」

「十回目。いまのは良かったわ」

 

 玄斗の手元に本を積み上げながら蒼唯が言う。もう七冊を超えた。重量はまだまだぜんぜん、持てないこともないので耐える。謝るのは禁止だと言われたが、それでも謝らなければいけないだろうとは思った。

 

「思えば、はじめて一緒に出かけたときもこんな風に書店を回ったかしら」

「……そうですね。ぜんぶで五十冊ぐらい買ってました」

「四十七冊よ。はじめに自分から持つと言い出したのに、最後あたりで顔が引き攣っていたのが面白かったわね」

「……気付いてたんですか」

「あたりまえじゃない」

 

 それでも最後まで弱音を吐かなかったのは、すこしだけ評価するところだ。

 

「次からは慣れていたわね。そのせいか」

「はい。たぶんまた機会があるだろうと思ってましたから」

「分かっておきながら断らないわよね」

「? 先輩にあんな重たいもの持たせられませんし」

「――――っ」

 

 本を選ぶ手が一瞬止まった。そういうところだ。まったくもって腹が立つ。掴み取った書籍を乱雑に置けば、タワーを築いていた玄斗の身体はふらふらと揺れた。いい気味だと鼻を鳴らして、蒼唯は次の本を選びにかかる。

 

「先輩……」

「うるさい。喋るな。だから嫌いなのよあなたは」

「……すいません」

「十一回。いい加減にしてくれる? 数えるのも億劫になってきたわ」

「はい……」

 

 ぽすん、と最後に軽い本を置いて彼女はレジに向かった。全部で十一冊、今回は気持ち少なめだった。罰ゲームの回数と同じなのはおそらく偶々だろう。さっさと会計を済ませて、ちょっとだけ長めのレシートを掴んでから蒼唯がくるりとふり向く。

 

「これ、持っておきなさい」

「……? 領収書、ですか?」

「見て分からない?」

「……すいま」

「謝罪禁止。いい加減覚えて。とにかく持っておきなさい」

 

 突きつけられるように渡されて、不思議に思いながらもポケットに仕舞う。会計は終わっているし、なにかの経費で落とすというような真似もしないだろう。一体なんなのかは一切不明だが、持っておけと言われたからには持っておくしかない。

 

「そろそろお昼時ね。ランチにしましょうか」

「あ、払いますよ。どこにしますか?」

「……そこのフードコートで」

「分かりました」

 

 本の詰まった紙袋を持ちながら、玄斗は蒼唯の指差したほうへ歩いていく。どうしてその気遣いを他のコトへ回せないのか、不思議で仕方ない蒼唯だった。

 

 ◇◆◇

 

 コール音一回目の途中で、切羽詰まった様子も隠さず彼女は電話に出た。

 

『玄斗!? いまどこ!? 休むってなに!? 病気!? どうする!? 看病しに行こうか!?』

「……いや、平気。大丈夫だから」

 

 焦ったようにまくしたてる幼馴染みに苦笑しつつ、携帯からすこし耳を離す。予想外の大音量だったせいか、耳鳴りが響いていた。

 

『もうびっくりしたよ、朝は連絡ないし。聞いたら遅刻して、でもって休みって……もうなにがあったのかと。大丈夫? 無理してない?』

「してない。ちょっと色々あってね。大丈夫だから、白玖」

「…………、」

 

 ぴくり、とサンドイッチをかじっていた蒼唯が反応した。彼が電話越しに話しかけていた相手に、思うところがあったらしい。

 

『本当かなあ……? 学校終わったらそっち行って良い? あ、でも玄斗の家知らない。どこからどう行くの? ナビ代わりとかできる?』

「いや、そもそも来るだけならマップアプリに住所を――」

 

 こほん、と隣から喉を整える声が聞こえた。なんだか、こう、嫌な予感をかきたてる感じで。

 

「――玄斗くんっ。はい、口開けて? これすっごい美味しいからっ!」

『……は?』

「ちょっ……!?」

 

 がばっ、と携帯を覆って止めにかかるが、時既に遅し。蒼唯はいたずら成功といった風にクスリと笑みを浮かべて、優雅にサンドイッチを咀嚼していた。

 

『ねえ玄斗。いまのだれ。っていうかなに、休んでるんじゃないの。おかしいね。ちょっと、詳しく、事情……聞きたいな』

「待って、白玖。違うんだ。これは、あー、えっと……」

『ハリー。さっさと、ね? 私はいま、冷静さをかこうとしてるんだよ……』

「――ごめん、あとで説明するっ」

 

 ぶつり、と通話を切った。断腸の思いで。

 

「……なにするんですか、先輩」

「十二回目。別に、そんなの私の勝手でしょう?」

「バレますよ。……白玖に、あとで謝っておかないと」

「そうね。ついでに私とデートしてました、なんて言っておかないとね」

「言えるわけないでしょう……」

 

 がっくりと肩を落とす玄斗とは真逆に、蒼唯はどこか満足げな表情だった。





玄い人「(先輩のサボりがバレる……)」

白い人「(誰いまの!? え!? デート!? 絶許なんですけど!?)」

蒼い人「( 計 画 通 り )」


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おまえは誰だ――

あれこれもしかして二章が今週中に終わる……?


「ほら、もっと近寄りなさい」

「え。いや、あの……」

「……なによ」

「……これ以上動くと、ほっぺがあたります」

「……いいじゃない別にほっぺぐらい」

「良くないでしょう……」

 

 ぐいぐいと身体を寄せる蒼唯に押されて、ついぞ玄斗の肌に服越しの柔らかい感触が押しつけられた。

 

「(いやまあ、だからどうってわけでもないけど――)」

 

 冷や汗をたらしながら玄斗は周りを見渡す。いくら利用人数のすくない平日の昼間とはいえ、スマホ片手に男女が身を寄せ合っているというのは非常に注目を浴びる。願わくばこのわりと強引な先輩のためにも知り合いに見られていないコトを祈りながら、やっとのことで写真を撮り終えた。……そう、ツーショットの写真を。

 

「(……つ、疲れた……)」

「うん。よく撮れてるわ。あと十個ね」

 

 罰ゲームの権利を行使されては避けようがない。口で抵抗しようにも上手く丸め込まれて一回分増やされるのがオチだ。ならば力尽くで、なんてことが女子相手にできるワケもない。結果、このように玄斗は無茶ぶりに付き合うしかなくなっていた。だがまあ、ツーショットぐらいなら、勘弁はしてほしいが無理ではない。

 

「じゃあ続いてもう一個。携帯、貸しなさい。持ってるでしょう」

「いいですけど……なにを?」

「連絡先の交換といまのツーショットを壁紙にしておくこと。これで合計三つね。拒否権はないから」

「……!?」

 

 言うが早いか、蒼唯は取り出した玄斗のスマホを引ったくって操作をはじめる。手慣れたものだ、なんて見とれている場合ではない。なにより壁紙は別にいいにしても連絡先の交換というのがどうもマズい。そこまで行くとどうか、というのが玄斗の認識である。慌てて取り返そうとするも、彼の受け取った高性能携帯電話はしっかりと彼女の連絡先を登録していた。

 

「消したら許さないから。これであと六つ」

「そんな……」

「観念なさい。でもって、壁紙も変えないこと。あと五つ」

「…………、」

 

 別に、律儀に罰ゲームを守る理由なんてない。ただ約束じみたそれを破る気にはなれなくて、結局大人しく返された携帯を仕舞った。必要以上に関わらない。それがいちばんだと知ったのが彼女との関係だ。まさかしおりまで渡されて、そういう関係が目前に近付いているなんて夢にも思わない。なにより、そんな心地の良さそうな(・・・・・・・・)未来は自分自身がいちばん許せなかった。

 

「言っておくけど、破ったら許さないから」

「……破りません。それで、次はどこへ?」

「さあ。気の向くままに行きましょう。それもひとつの楽しみ方よ」

 

 そんな旅みたいな、と玄斗は思ったが、気晴らしにはそのぐらいの心構えがいいのかもしれない。いつも冷静沈着できちんとしている彼女の、珍しい面を見た気がした。

 

「……あの、ひとつだけ。良いですか」

「なに」

「聞いてませんでしたけど……どうして、こんなことを?」

「――馬鹿ね。それを今から、あなたに分からせていくのでしょう」

 

 玄斗は不思議に思いながらも、蒼唯の後ろをついていった。その言葉の意味すら分からないままに、歩みをともにしていく。けれども次に行った場所で、なんとなく理解してしまった。彼女は別に、自分となにかをするために誘ったのではない。きっと愚かな彼に罰を与えるために、このデートをはじめたのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「(ここは……)」

 

 ところどころに見える人影。利用客の少なさとは裏腹に、無駄に多い蔵書数があたりを埋め尽くしている。見慣れた調色高校の図書室とは違う、またもうひとつの本の楽園。つまるところの、市民図書館。そこは、他の誰かにとってはともかく、玄斗と蒼唯にとってすこし変わった意味を持つ場所だった。

 

「覚えているかしら。ここで、私とあなたは初めて出会ったのよ」

「……覚えてます。忘れるわけありません」

「そうね。私もそうかもしれないわ。そして、あなたが私を初めて拒絶した場所」

 

 きっとそちらのほうが、彼女にとっては忘れられないだろう。そんな憶測でしか語れない人間に価値はあるものか。玄斗にはすでに、なにがどうかなんてしっかりとした答えも消え果てていた。

 

「……す」

「謝罪は、どうなの」

「……でも」

「禁止よ。そんなの。大体、そうだわ。はじめから思ってたもの。あなたの〝すいません〟に込められた意味と、私が求めているものじゃ違いすぎてる」

 

 それは果たして、どういう意味だろうか。玄斗にはさっぱり分からなかった。四埜崎蒼唯の求めるもの。そのぐらいは簡単に導き出せると、どこかでそんな馬鹿げたコトを思っていたのか。いざとなって出てくるのは、なんのヒントにもならない疑問符でしかない。

 

「私の隣に座らないかって、率直な言葉だと思ったのに。それですら、あなたは拒否した。あなたが十坂玄斗(あなた)だから、なんて理由で」

「……はい」

「そのときの私の気持ちが分かるかしら。分からないわよね。分かるわけないもの。だってあなたは、一欠片も他人の心を理解していない」

 

 だから会話も下手なのだ、と蒼唯は厳しく言ってのけた。こればっかりは反論の余地もない。黙りこむ玄斗をよそに、蒼唯は奥へスタスタと歩いて行った。彼もそれを、すこし急ぎ足で追いかける。

 

「白より白い画用紙、茜色に染まる街、黄金の経験則、青色の空と鋼色の大地、深い緑に覆われて、僕は墨をぶちまけた……だいたい、このあたりかしらね」

「……借りた本、覚えてるんですか」

「あなたが借りたものよ。ぜんぶ」

「――――、」

 

 言われてみると、たしかに覚えのあるタイトルばかりだ。そんなものを借りていたか、と今さら昔の自分に疑問を覚える。たしかに読書をしていた時期ではあるが、その内容もいまはすっぽり抜け落ちていた。なにを読んだのか、どんな話だったのか、さっぱり頭の片隅にも残っていない。

 

「一言目は、なんだったかしらね」

「……すいません。同席しても、いいですか?」

「嫌よ。他をあたってちょうだい。……なんて、思えば随分と冷たい対応をしたものだわ」

 

 玄斗としてはその台詞がイメージ通り過ぎたので、むしろ随分とは思わなかったのだが。そんな彼の事情を蒼唯が知る由もない。もちろん、他の一切も。

 

「初対面の印象は、とにかく不気味。大人しいくせに、どこか引っ掛かる。自分の色が悪い意味でしっかりしていて、なにもないクセに染まらない。本当、真っ黒な人だと思った」

「……?」

「同時に、嫌なぐらい似合う名前だとも。でも、似合わないとも思っていたの。あなた、黒なんてしっかりした色は持ってないはずでしょう」

「……えっと」

 

 くるりとふり向いた蒼唯が、じっとこちらを見る。玄斗には彼女がなにを言っているのかさっぱり分からない。十坂玄斗には、なにひとつとして理解できない。けれど。もしかしたら。彼の。――あるいはそれは、おそらく。

 

「十坂に、玄斗。センスないわ。あなたにその名前を付けたのは、間違いよ」

「……せん、ぱい?」

「違うはず。もうまだるっこいやり取りはごめんよ、十坂くん。――いいえ、あなた(・・・)

 

 なぜだか、心臓が跳ねた。押さえつけたはずの動悸がぜんぜんおさまらない。それ以上はダメだと、どこかでなにかが叫んでいた。十坂玄斗。その名前すら借り物だ。だから嘘だと言われたら納得するしかない。でも、まさか、それが。

 

「あなたは誰? いったい、どこのなんていう人?」

 

 こんな確信をつくような質問に至るなど、思うはずも無い。

 

「どう、して……」

「……本当。馬鹿ね、あなた。会話が下手なのよ。分からない?」

 

 分からない。■■(玄斗)にはその理由が一切分からない。だって、そうだ。それはとっくの昔に死んだ名前で、なくなった記号で、残ってすらいない燃えカスのようななにかでしかない。それを、あまりにも呆気なく、予想外の人物から問い質された。こんな、色々な記憶の詰まった場所で。

 

「あなたの歪さも、おかしさも。すべて気付かないと、本気で思っていたの?」

 

 侮っていたのはきっと彼だ。なにせ、考えればそのとおり。四埜崎蒼唯は、あの壱ノ瀬白玖を攻略したヒロインなのだから。  




なんか気にしてないというかスルーしてる人が多いので言っちゃうと、うちのヒロインって基本一年も経ってないのにまっさら精神ぶっ壊れ系主人公の本質に気付いてあまつさえ好きになっちゃうような人たちですよ。しかも先輩に至っては結構強引にやっちゃってるわけで。なにが言いたいかというと……うん……転生こじらせとか……まっさら主人公に惚れるような女子共が……ね?

オリジナルギャルゲー展開の良いところは転生オリ主の過去を思いっきりぶちまけられるところ。正直前々作のリメイクで分かる人は分かるかと思いますがやっぱり、こう……ね!



正直に白状すると型月の正義の味方くんとかニチアサでいう欲望のやべーやつとか人生リセットゲームボーイとかそこら辺の主人公がめっちゃ好き。



あと書くのに夢中しすぎて感想返し忘れておりました。明日から本気出します。








……ちなみに今日はずっとリアルタイム更新だったのですが、二万文字の壁は分厚いなあ……


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なにもないくせに

ヒロインは総勢10名ですが1作に10人ではないんです。


 

 最初に感じたのは、たしか、自己紹介のときだった。

 

「……四埜崎蒼唯よ。あなたは?」

「僕は十坂玄斗(・・・・)です。よろしくお願いします、先輩(・・)

 

 なんてことはない交わした名前。情報の交換。取るに足らない一言で――無視できない何かがあることに気付いた。しっかりとした名乗りと、すこしあやふやになった呼び名。きっとおそらく決めていたものとそうじゃないものとの差だ。だから、余計にそのおかしさが目立った。

 

「先輩。重いでしょう、持ちますよ」

「僕が払います。このぐらいは」

「大丈夫ですか? 結構、辛そうですけど」

「……任せてください。先輩の頼みなら、喜んで」

 

 普段の態度、仕草、言動ひとつ取ってもそうだ。彼はどこか、見えない遠くから声をかけているような感じがした。もちろんそんなのはただの直感。自分の勘違いだって可能性もある。……けれど。やがて、近付くにつれて気付いたのは、彼がひとつ線を引いたところに立っている事実だった。

 

「いや……それは、すいません。ご遠慮しておきます」

「すいません、先輩。それは、ちょっと」

「いや、そこまでして、もらわなくても……すいません」

「……すいません」

 

 こちらと接するときの態度はそうでもないのに、一定以上に近付くと距離をとる。その謝罪に込められた意味がなんなのか、考えるまでもなかった。なにかしてもらったコトに謝っているなんて、素直に受け取るほど見ていなかった(・・・・・・・)ワケでもない。

 

「――十坂くん」

 

 だからあの日は、本当に、本当に悔しくてたまらなかった。

 

「あなたは私の隣にずっといなさい。それが一番よ」

 

 聞き飽きた謝罪なんて並べて、諦めたように去っていく。手が届かなかった。そんな現実に嫌気がさして、立ち止まったままでいたのが一年。もう限界だ。今さらなにが変わったのかと思えば、なにも変わっていない。むしろ表面化して分かりやすくなっている。ここしかないと、バスの車内で目を合わせた瞬間に確信した。

 

「(……そうよ)」

 

 はじめから、生温いやり方なんてしなければ良かった。目の前に立つ少年に対して、手を差し伸べるだなんて安い真似は無為に終わる。その結果が一年前だ。なにをどう否定しようが、なにがどうだと反論しようが、無理やりにでもすることは決まっている。

 

「(私があなた(・・・)を引き摺りあげる)」

 

 伸ばした手が空を切るなら、その腕ごと掴み取れば良いのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――心臓がひときわ、大きく跳ねた。押さえつけたはずの動悸が激しさを増す。どこかに隠していたなにかが、ずるりと蓋を持ち上げた。十坂玄斗。そうやって与えられた二回目の名前には、なにもかも(・・・・・)が入っていた。そんな、ちょっとした違いが胸の奥底から顔を出す。

 

「先輩……?」

「本ばかり読んでいるとね、色々と身に付くのよ。それこそ、違和感ぐらいは」

「……そんな、こと」

「まあ、気付かれないほどにはね。あなた、会話が下手なくせに隠し方は上手いんだもの。ちょうど、入り込めない位置に潜ませるのは、ズルじゃないかしら」

 

 コツ、と蒼唯が一歩詰め寄った。■■(玄斗)の足が一歩下がる。奇しくも、学校の図書室前での再会と同じ状況だった。

 

「もう一度、訊くわ」

 

 コツ、コツ。高い音と共に蒼唯が再び距離を詰める。■■(玄斗)はもうこれ以上後ろに下がれない。机と椅子が邪魔をして、自然と距離が縮まった。

 

「あなたは誰? 十坂玄斗(・・・・)なんていう、あなたの名前は」

「――――っ」

 

 ■■■■。

 思い浮かんだ名前を、すんでのところでそのまま(・・・・)にしておいた。黒に染まるのが白だというなら、黒そのものを映すのが彼の本質だ。けれど、違う点は幾つもある。だから足りないと判断した。会話、人付き合い、誰かの心を読み取る機微、そのあたりがすっぽりと、彼の中から抜け落ちている。

 

「僕は……」

 

 ■■■■(十坂玄斗)であって、十坂玄斗(■■■■)じゃない。そんなことはとっくの昔に理解している。ただその立場になった以上、壱ノ瀬白玖を救うために役割に準ずる必要はあった。それ以外に思いつかなかった、というのもある。貧困な思想、あるはずもない信念、残滓のような記憶。だから、その、本質(名前)は。

 

「……十坂」

「誤魔化さない。……あと、四つ」

 

 距離が縮まる。逃げ道をふさがれた。誤魔化すな……その言葉に込められた意味を、正しく反芻する。十坂玄斗の名前なんて、常識的に考えて十坂玄斗でしかあるまい。ましてや頭を捻ったところで他のなにが出てくるというのか。いいや、なにより恐ろしいのは――それをすべて見抜いて暴こうとしている、眼前の少女ではないのかと――

 

「でも、いまの、僕は……」

「私はあなたに質問している。あなたが答えなさい。あと、三つ」

 

 あなた。そう呼んでくる蒼唯の目は、真っ直ぐに■■(玄斗)の瞳をじっと見据えている。自分で答える。そんなのはいつだってしてきたコトだ。自分で用意した答えを自分から伝える。ただ、それが酷く苦手な部類に入ることを、■■■(十坂玄)()はずっと昔から知っていた。

 

「せんぱい……」

「正直に言いなさい。馬鹿な妄想だと一蹴するなら、それも由よ。でも、嘘だけは絶対につかないで。あと、二つ」

 

 道を潰されている、答えを消されている。違う。どちらもそうであるようで、四埜崎蒼唯のしているコトは至ってシンプルだ。文字通り、宣言通り、彼のなかに潜んだ答えを手に掴めるよう、引き摺りあげている。

 

「……ぼく、は……」

 

 カツ、と最後の一歩が近付く。()(トウ)■■(玄斗)は動けない。近すぎる距離は当たり前のように息が重なる。匂いが充満している。それでも()■■■(坂玄斗)に浮かび上がる感情は変わりない。なにせ、そんなものが彼には元から存在していない。

 

「――――、」

 

 

 

 

『……ああ、本当に。おまえなんて――』

 

 

 

 

 

 名前のとおりだと言われた記憶が不意に出た。なにもせず、なにも求めず、なにもあるべきでないとするのなら、それがおまえの幸せだと。古い錆びついたココロが響いた。それがすべてだ、それがいちばんだ。本当にそのとおり(・・・・・)。彼の中にはなにひとつ、残るようなカタチもなにもあるはずはなくて――

 

「……本当、世話が焼けるんだから」

 

 ――不意に、そんな思考を吹き飛ばすみたいに、温かいものに包まれた。今まで感じていたのとは比べものにならないほど近くで、蒼唯の匂いが鼻腔をくすぐる。背中に回した手が、優しく、けれど力強く抱き締めてくる。

 

「そんな顔、普段はしないでしょう。歪んでるわ。中途半端で、だから下手なのよ。なにも知らないくせに知ったかぶってるから」

「――――、」

「安心しなさい。それがまず、ひとつ。あとは、大丈夫よ。別に私、十坂くん(・・・・)のことを好きになったんじゃないから」

 

 脳が揺れた。なにに? 衝撃? 違う。すべて見当違いだ。これは、そういうのは、

 

「フルネームで言って。これで、もうひとつ。……再三になるわ。仏の顔もって言うでしょう? ――さあ、あなたの名前を、教えて」

 

 もうすでに、カウント(強制権限)はなくなっていた。

 

「……、」

「なに?」

「………………?」

「……うん。言わない。だから、教えて。私にだけ」

 

 ――〝    〟。

 

 ちいさく、本当に、ともすれば聞き逃してしまいそうなほどの声音で、彼はそういった。でも、そんな大事なコトを彼女が聞き逃すはずもない。蒼唯は一度強く彼の身を抱き締めたあとに、ゆっくりと手を解いた。呆然と立ち尽くす■■を前に、くすりと笑う。

 

「……なんだか、女の子みたいね」

「……そう、ですね。そんなこと、言われてたような気がします」

「そう。……じゃあ、決まりね」

「?」

 

 そして、今度こそ。一度は掴み損ねた腕をしっかりと掴んで、笑顔のままにこう言った。

 

「――行きましょうか、レイ(・・)

 

 はたしてそれは、一体誰を呼んだのか。理解しているのはきっと世界でたったふたりだけのまま。十坂玄斗と四埜崎蒼唯は、雨の街へ飛び出した。 




名前:■■■■

性別:男

年齢:16歳(死亡)

趣味:ゲーム

特技:せき(ときどき血が出る)

イメージカラー:無色透明

備考:もう主人公以上にこじらせるならコレしかないなって感じで生み出されたオリ主系転生者。転生後にこじらせとか「またかよ」って言われそうなので今回は転生前から心を息苦しくしておいたよ。やったね! ちなみに本編中にちょろちょろ出てきたのを合わせると現状でも解読可能。まあ番外とか白より“ない“とかもうコレしかないじゃん? って感じなのでお察し。本編中で明かされない設定なのでひっそり書くと、「アマキス☆ホワイトメモリアル」はプレイしたが「アマキス☆ホワイトメモリアル2」は発売前に死んだので存在すら知らない。

数+色が基本形

色+数も基本形


……大概答え合わせですねクォレハ……


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透きとおる蒼空

(二章は)先輩がメインヒロイン


 夕方になると、雨もすっかりあがっていた。街のはずれにある展望台の柵に腰掛けながら、蒼唯と玄斗は眼下に広がる景色を眺めている。遠く、空にはうっすらと虹が見えた。それがなんだか幻想的で、ちょっとだけ、心が囚われる。

 

「青空って、〝蒼〟じゃないわよね」

「……そうですか?」

 

 十分青いと思いますけど、と玄斗は言う。意味を取り違えるのは彼生来の会話が苦手な影響だ。そこもまたなにかしらあるのだろうな、と蒼唯は踏んでいる。が、いまはそこまで急ぐ必要もない。一先ずはこの世話を焼かせる後輩と、当たり前のように面と向かって話し合えるコトを喜ぶべきだ。

 

「ぜんぜん。よく、透き通るような空っていうじゃない。違うわよ、そんなの」

「そうですか……そうですね」

「分かってる、意味?」

「分かりません。でも、先輩が言うんならそうだと思います」

「……まったく」

 

 苦笑しつつも、久方ぶりになる会話に心は踊っていた。色がない。透けている。そう感じ取った彼の本質は、あながち間違いでもない。きっと関心が自分に向かない性格なのだろう。感情の起こりは大半が外的要因。彼の中から膨れ上がったものは、あるかどうか。

 

「レイ。あなた、いくつ?」

「……十六です」

「本当かしら」

「…………先輩、僕のこと知りませんよね?」

「いくつか推測しているコトはあるけれど、確信を持って言えるのはあなたがその〝殻〟に頼っていたという事実だけよ。二重人格とか、憑依とか、あとは……」

「……ああ、どうりで……」

 

 そこまで頭が回るなら、たかだか数週間の付き合いで壱ノ瀬白玖の本質を見抜けるはずだ。そこから自分たちで彼の心を救おうとするのだから、やはり侮っていたのは玄斗のほうである。そも、彼女たちを普通の女子高生だと思って接したのが間違いか。

 

「……知識だけなら、もう十六年」

「そう。なんとなく分かったわ」

「……分かったんですか」

「ええ。つまり、あなたの頭には無駄に色んなものが詰まってるってコトでしょう」

「……まあ、そうなりますけど」

 

 人生経験なんて立派なものも才能も持ち合わせていないが、十六年間必死に生きてきた記憶だけは引き継いでいる。そのことを知っている人間は真実彼ひとりだが、そのときの名前を知る人間はひとりではなくなった。そっと、盗み見るように隣へ視線を投げる。

 

「綺麗ね」

「……はい。そうですね」

 

 たとえそれが単なる感想で、感情なんてものに結び付かないものだとしても、いまはとにかくそう思えるだけで十分だった。黒いなにかは消えてくれない。耳にこびりついたまま呪詛を唱えている。こんなものは慣れきったコトで、いまこの場から飛び降りたほうが楽だろうという刹那的な思考を振り切る。それはきっと、ここまでしてくれた彼女の前でやるようなコトではない。

 

「私はどう?」

「? どう、って」

「……にぶちん」

「……すいません。先輩が綺麗だって意味でうなずきました」

 

 唇をとがらせかけた蒼唯が固まる。柵を掴む手に余計な力が入っているようだった。

 

「あ、あなたねえ……! 自分から『綺麗ね』なんていう女子がいるわけないでしょう!?」

「でも本当のこと……」

「あーもう黙って! うるさい! ばか! だから嫌い(好き)なのよもうっ」

 

 ぶつぶつと文句を言いながら、蒼唯がゆっくりかがみ込む。ちょうど柵に手をかけて頭を出しているような格好である。なんとなく、発想力の貧困な玄斗をして小動物を思わせた。もっともそんな扱いをすれば指ごと噛み千切られそうなものだが。

 

「……あと、十三回目」

「うっ」

「今日一日と言ったでしょう。……ねえ、しおり、持ってるかしら」

「……持ってますよ」

「出して」

 

 言われたとおり、今日に限って鞄にしまっていたしおりを取り出した。四埜崎蒼唯が愛用したブルースターのしおり。ゲームだと攻略のキーアイテムにもなるそれは、彼女との関係がそれまで進んでいたという証だ。その事実に、やっぱりどうしても玄斗の中から複雑なものが顔を出す。

 

「貸してちょうだい。それは、あなたにあげたものだから」

「……返す、じゃあないんですね」

「千切るわよ。ほら、さっさと。貸して」

「……はい」

 

 なにを千切るんだろう、とは訊かなかった。玄斗を見つめる目が怖かったことだけはここに記しておく。

 

「これは借りておくわ。代わりに、これ」

「……?」

 

 そっと反対の手で渡されたのは、同じく青い絵柄の入ったしおりだった。ブルースターとは違う。むしろ一般的な花のイメージとはかけ離れているそれは、よく見るとなんだか――

 

「……ぶどう?」

「違うわ。……どうしてブルースターは知っていてそれは知らないのよ」

 

 まったく、と呆れるように蒼唯がため息をつく。狙っていたコトが躓いて、すこし拗ねているようでもあった。

 

「……ムスカリっていう花よ」

「花、なんですか……これが?」

「グレープヒヤシンスとも言うわ」

「……やっぱりぶどうじゃないですか」

「似てはいるけどね」

 

 違うのよ、と蒼唯はちいさく呟いて玄斗の持っていたブルースターのしおりを眺めた。折り目ひとつ付いていない。相当丁寧に扱っていたのか、一切使わずにどこかで埃を被っていたのか。すこし考えて、この男だから後者のほうだろうな、と適当にあたりをつけた。

 

「あとで画像検索でもしておきなさい。結構キレイよ」

「そうします。……でも、これ、なんの意味が?」

「意味なんて……そうね。なんでもいいわ。ただ、ちょうどいいと思っただけ」

「ちょうどいい?」

 

 こくり、と答えるように蒼唯がうなずく。どうせこの鈍感な男はなにも気付いていない。なにせムスカリの花さえ知らないような状態だ。それで、色々と頭を回せというほうが無理な注文というものだろう。

 

「――古いあなたの名前と、新しいあなたの名前。あなたから借りたしおりと、あとはそうね、私の色かしら」

「?」

「……なんでもないわ。ちょうどいい、っていうのはそのとおり、今日からあなたとの関係が変わっていくのだから、ちょうどいいでしょう」

「……このままじゃ、ないんですね」

「ええ。……勘違いしないように言っておくけど、マイナスイメージで受け取らないで欲しいわね。こんなときに。ぜんぶ、前向きに捉えなさい」

「……はい」

 

 ゆるやかに、けれどどこか困ったように、玄斗は笑みを浮かべた。懐かしい表情だが、あのときと今ではなにもかもが違う。きっとそれは悪いことではない、と蒼唯は確信した。悪いワケがない。なにせ、あんなものと比べて自分の心はこんなにも弾んでいる。

 

「大事に使いなさい。私が返そうと思うまで、このしおりは借りておくわ」

「……はい。じゃあ、お貸しします」

「そういうことだから。――ああ。あと、余計な詮索はしないこと」

「?」

 

 くるり、とふり向いた蒼唯が歩を進める。玄斗の横を通り抜けて展望台から去って行く。すでに夕焼けはなくなりかけて、あたりは段々と暗くなっていた。そんな中で、群青色の髪がふわりと揺れる。

 

「花の画像だけ調べたらさっさとやめなさいってコト。それに、深い意味なんてないわ」

「? 分かりました」

 

 言ってから、蒼唯はすこし後悔した。こう言えば絶対この男は余計なコトを調べない。が、それでも別にいい気がして足早にその場から離れる。なにせ、バレでもしたら大変だ。こんな回りくどい方法でしか甘ったるい感情を伝えられないあたり、蒼唯も玄斗のコトは笑えまい。

 

「待ってください、先輩」

「なによ。もう帰るわよ」

「駅まで送ります。暗くなったら危ないですよ」

「……勝手にしなさい」

「はい、勝手にします」

 

 今度は綺麗に笑って、玄斗は蒼唯の横に並んだ。そんな不意打ちじみた笑顔やられて、歩いていた彼女の頬が熱くなる。……思えば、そうだった。自分がこの男に色々と抱えるようになった原因は、複雑で面倒くさいくせして、なにも混ざらない綺麗な笑顔を浮かべるからなのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 蒼唯を送って駅からすこし歩いたとき、ふと玄斗の携帯が鳴った。見ればメッセージが送られてきている。確認すると、つい先ほどまで一緒にいた彼女だった。

 

『領収証、しっかり見ておきなさい』

 

 確認すると、たったその一文だけが送られている。なんだろう、と玄斗はポケットに入れていた本屋のレシートを取り出してじっくりと見回してみた。

 

「(……なんだろう)」

 

 ぜんぜん分からない、と嘆息する。そもそも問題なのかも分からない。ただ確認しておけ、というだけならもう済んだ。ああだこうだと言わないのだから、特別なモノというわけでもないだろう。もう一度ポケットに戻して、蒼唯に『わかりました』とだけ返事を送る。家までの帰り道にあったのは、それだけのことだった。

 

 

『***書店

 領収証

 

秋空の果てに       ¥×××

那由他なんてクソくらえ  ¥×××

たのしいことはある?   ¥×××

飲んだくれ王子と聖女様  ¥×××

心の在処よ嗤いまくれ   ¥×××

となりが来ない。     ¥×××

画集:三奈本 黄泉②   ¥×××

すぐにできる料理 その② ¥×××

気になるおしゃれの秘密  ¥×××

出番まであと十秒     ¥×××

すてきなりゅうのおはなし ¥×××

         合計 ¥××××

 

――ご利用ありがとうございました――』

 

 

 












色々仕込もうと思ったけどこれが限界でした


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余韻に浸って自然体

二章もあとすこしで終わり また幕間が二話になるんじゃ……


 家に帰ると、鍵が閉まっていた。

 

「……あれ」

 

 ガチャガチャと回してみるが、一向に開く様子はない。普段は母親がずっと家に居るのもあって、玄斗は家の鍵を持ち歩いていなかった。頼みの綱のポストの中身も、空になって見当たらない。大方母親に連絡していたから、午前中にパートから帰ってきて回収したのだろう。時刻は七時半を過ぎたころ。空腹がもうそろそろ襲ってくるころだが、それよりも大敵は春先の冷え込む外の気温だ。流石にブレザーだけでは辛いものがある。

 

「……っと、電話?」

 

 どうしたものかと考えていた矢先、ちょうどいいタイミングで携帯が鳴る。見ればディスプレイには「十坂真墨」と浮かんでいた。ひとまず冷えてきた片手をポケットに突っ込みながら、玄斗は通話ボタンを押した。

 

「もしもし」

『あ、お兄、いまどこー』

「家の前だけど」

『あちゃー……いや、言うの忘れてたんだけどね、今日うち外食になっちゃって。ほら、お母さんがコンロ壊しちゃって。折角ならって。どうする? 街中のレストランだけど、今から来る?』

「距離は?」

『車で三十分』

 

 絶望的だ。徒歩で行ったらそれに加算して何十分かかるか分からない。自転車を使うという手もあるが、それだと家族が車で帰る間に来た道を必死にこいで帰らなくてはいけなくなる。外食するためだけにそこまでするのもなんだか、という気分だった。

 

「無理だろう……こっちで適当に食べておく」

『はいはーい。あ、お土産とかは?』

「いいよ、そういうのは。楽しんできて」

『カッコ付けー。お兄のカッコ付けー。素直に言えよう、自分も行きたかったって』

「今度、真墨の朝ご飯にしいたけ沢山入れるようお願いするから」

『んっもーう! お兄ってば最高なんだからあ♡ 大好きっ♡ じゃあね!!』

 

 ぶつり、と半ば強引に切られた。人を殺せそうな目をしながら「あの菌糸類はマジで無理」という妹に思うところがないわけではない。好き嫌いをしていてはそれこそ大きくなれないし、偏食というのもアレだ。ご飯だけはしっかり食べないと、というのが基本的な玄斗の思考である。できることならいつかは、と思っているが本人が嫌がっているのに無理をさせるのも忍びない。こればっかりは、妹の成長に祈るしかなかった。

 

「(……って、真墨の心配ばかりしててもいけないか)」

 

 気が抜けたところでちょうど腹の虫が鳴いた。食事をするには良い時間でもある。向こうから最低でも帰ってくるのに三十分はかかることを考えると、夕食ついでに暇潰しもできるところが最適だろうか。考えて、そういえば近くにファミレスがあったのを玄斗は思い出した。

 

「(うん。そこで適当に食べよう。今日はずいぶんと動いたし、疲れた)」

 

 その疲労がストレートに肉体まで響いていないのは、きっと心情の問題だ。疲れてはいたが、それ以上に救われたような気がしていた。本当に良いのかと思うぐらい、心が浮ついている。それがなんとなく慣れなくて、もう一度時間を確認しようと携帯の画面を見る。でも、結局、彼女に変更させられた壁紙のせいで、どうにも落ち着かなくなる玄斗だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 時間帯のコトもあってか、偶々今日がそういった流れだったのか、店内は意外にも大繁盛でごった返していた。

 

「申し訳ありません。いま、席が埋まっておりまして……」

「そうでしたか」

 

 参ったな、と思いつつもすぐに思考を切り替える。こだわる理由もないので近場の食事処を玄斗は脳内で再検索してみるが、一番近いところでも歩いて十分はかかる。地方都市故の不便さだ。これが都会なら地下鉄や電車で何分だと思うと、すこしばかり向こうへ行きたい気分になった。

 

「――あれ、十坂?」

「?」

 

 と、そこへ偶然といったふうに声をかけられた。見れば、制服を着た少女がコップ片手にこちらを見て目をしばたたいている。見知らぬ他人……というワケでもない。第一、名前を呼ばれている時点で見知らぬコトなんてなければ勘違いでもなかった。

 

「……五加原(ゴカハラ)さん?」

 

 五加原(ミドリ)。彼のよく知るクラスメート、ついでに「アマキス☆ホワイトメモリアル」ゲーム本編において貴重な同年代ヒロインのひとりである。

 

「えーなにー。どしたの。ひとり? ごはん食べに来たワケ?」

「うん。席が空いてないみたいだから、他をあたるけど」

 

 まじでー? とけらけら笑いながら碧が目尻の涙を拭う。箸が転んでもおかしい年頃とはいうが、いくらなんでも笑いすぎではないだろうか。なにか無理でもしているような、と玄斗にしては珍しく疑問を覚えていたとき。

 

「あ、じゃあさ、あたしと一緒に食べてく? ほら、絶賛あたしボッチだし」

「いいのか?」

「なーんて、十坂がそんな誘い乗るワケ――」

 

 ピタリ、と碧の体が固まる。先ほどまでのふざけたような態度はどこへやら、つう、と一筋汗をつたわせながら眼前の少年を見る。

 

「……まじ、で?」

「駄目なら良いんだけど」

「い、いやいやいや! 駄目とは言ってないし!? あ、あは、あはははは……!」

「?」

 

 ばたばたと手を振りながら「えー」やら「うー」やら言っている碧に首をかしげつつ、なにかマズいことでも言っただろうか、と玄斗はいまいちど自分の発言を振り返った。ご一緒するか、と訊かれたのでご一緒する、と答えた。……と、ここで「そうか」なんて彼は内心で納得のいく答えを見つけた。

 

「ごめん。やっぱり遠慮しておくよ。社交辞令だったらあれだし」

「えっ!?」

「え?」

「……しゃ、社交辞令じゃないからっ! ほ、ほら! 良いから! こっち来なって! 十坂っ!」

「あ、うん」

 

 妙に落ち着きのない碧に案内されて、玄斗は店内の奥にある席まで歩いていく。彼女はちょうどドリンクバーを取りに来ていたようで、メロンソーダをコップに注いでスルスルと店内を進んでいく。何度か会話したことはあるが、今日みたいに落ち着きのない碧は珍しい。大抵はイマドキの女子高生らしい、軽いノリと雰囲気なものだったから余計にだ。

 

「は、はい。これメニューね。てか、と、十坂もこういうトコ来るんだ?」

「時々、だけどね。……、」

「あ、決まった?」

「? うん」

「じゃあ頼もっか。あたしはもう頼んでるから、えと、ほら。いいし」

 

 はにかんで、碧は自分のほうに用意されてあった料理へ手をつける。その光景になにを思うでもないが、意外だったのはその気の利かせ方だった。一通りメニューを見ただけで決めた玄斗の思考を呼んだかのように、よし頼もうというタイミングでちょうど声をかけられた。妹にすらそんな真似はされたことがない。やっぱりよく人を見ているんだな、と玄斗は内心で再確認した。

 

「お待たせしました」

「えっと、ハンバーグステーキ定食のBセット、ご飯大盛り」

「…………、」

「あとサラダ盛り合わせ、ミートソーススパゲッティ、鮭の切り身と味噌汁のセット……あ、唐揚げもお願いします」

「……!?」

 

 ごふっ、と碧が飲んでいたメロンソーダを吹き出しかけた。注文をとっていた店員が心配そうに彼女を見つめている。どうしたんだろう、と首をかしげた玄斗に、困惑を隠しきれない表情で碧が顔を上げた。

 

「ちょっ、っ、えほっ、けほっ」

「……お、お客様、大丈夫でしょうか」

「だ、大丈夫です大丈夫です! あははー……じゃなくて十坂っ!」

 

 がたん、と椅子を鳴らして碧が詰め寄る。ペーパーナプキンで口元をおさえているあたり、被害は結構甚大だったらしい。

 

「なに?」

「なに、じゃないよっ。え、うそ、十坂そんな食べるの!?」

「? うん。まあ、今日はちょっと疲れたから、すこし多めに」

「す、すこし……?」

 

 いまのが? と震える声で訊ねる碧。実際平時とくらべれば誤差の範囲内なので、あんまり玄斗としては気にすることでもない。

 

「……えっと、ご注文は以上でよろしいでしょうか?」

「あ、はい。すいません。お願いします」

「ではくり返させてもらいますね……えー、ハンバーグステーキ定食のBセット――」

 

 一通り注文内容を言い終えたところで、「大丈夫です」とだけ返して楽な姿勢につく。真向かいではいまだに碧が「ありえないでしょ……」と指を震わせながらこちらを見ているが、たしかに家だとこれより二品減るぐらいなのでかなり多いのかも知れない、と玄斗は勝手に納得した。

 

「ご飯は大事だよ。食べないと死んじゃうし。なによりお腹が空いてるとなにもできない」

「うわ、なんか、親みたいなこと言ってる、十坂。……てか、意外すぎだし」

「そうかな」

「うん。……やー、だって十坂、細いじゃん。もっと小食かと思ってた」

「そうでもない。なにより、美味しいからね。ご飯」

「ふーん……」

 

 メニューを戻しながら言うと、碧はそっぽを向きながらストローでメロンソーダを吸っていた。かっちりと着込んでお淑やかさも漂わせるような蒼唯とは違うが、すこし崩した着方でセーターの袖を手のひらの半分ほどまで余らせた碧の格好はどこか様になっている。名前のとおり深緑を思わせる黒に近いウェーブのかかった髪色が、余計映えて見えた。

 

「……あー、十坂さ。そういえば、今日休みだったよね」

「……うん」

「えっと……なにしてたのかなー、なんて……」

「…………散歩」

「いやいや! 分かりやすい嘘つくなし! もー」

 

 笑うってー、とおおげさに反応する碧だが、まあ玄斗からするとあながち間違ってもいない。問題は、その散歩が目的は別にあって、なおかつひとりではなかったというコトだ。

 

「ほら、あの、誰だっけ。転入生の壱ノ瀬さん? だっけ。心配してたよ」

「みたいだね。あとで電話はしておく」

「あはは……仲、良いんだ。十坂と、壱ノ瀬さん」

「まあ、幼馴染みみたいなものだから」

 

 なんて話をしていれば、不意にテーブルの上に置いていた携帯が震えた。短いので電話ではない。咄嗟に確認してみると、ちょうど話に出てきた白玖……ではなく、本日一緒に散歩という名のさぼりを楽しんだ相手からだった。

 

『今夜十時あけておくこと。無理なら連絡』

「(……すごいストレートだ)」

 

 そのシンプルさがまたらしい。シンプルすぎてむしろ玄斗の意見が入る余地もなかったが、十時ぐらいならとくにコレといった予定も頭に浮かばない。平気です、とこちらもシンプルに返信して携帯を置くと、目の前の少女の様子がすこし変わっていた。

 

「…………、」

「……五加原さん?」

 

 じっと、どこか、苦虫を噛み潰す寸前のような顔で玄斗を見てくる。それはなんだかとても不穏で――同時に、無視できないものだと彼は悟った。

 

「……いまの」

「いま? ……えっと、携帯?」

「たしか……三年の」

「ああ、うん。先輩」

「……っ」

 

 ぎゅっと、碧のコップを持つ手に思わず力が入った。

 

「…………十坂、さ」

「うん」

「……もしかして、なんだけど」

 

 どくん、と跳ねる。それはどちらのものか。言うまでもなく。――なにも気付かないまま、なにも知らないまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あたしのこと、嫌い?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 十坂玄斗の心に、杭を打ち付けた。  




感想返せなかったよ……(レイプ目)すまぬ……すまぬ……でもちゃんと確認はしてます。ときどき予言者がいるのでもう戦々恐々としながら「予言される前に書きゃあ良いんだよ書きゃあ!」みたいな気持ちで筆走らせてました。はい(白目

とりあえす平日は一日一話です。休日の最大瞬間風速はときたまやるかもしれない。うん。ときたま。

とにかくゆっくり更新していくのでしばしお付き合いお願い致します。




感想多くてなんで一夏TSの感想返しやめたのか思い出したので明日から返せる分を返していきたい(決意


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それこそまさにただの記号

あと一話……あと一話……(亡者の目)


 

「……いや、そんなことはないけど」

 

 きっぱりとそう言う玄斗に、碧の苦笑が一瞬だけ固まった。が、それも刹那。すぐに表情を取り戻した彼女は、どこか作り物じみた笑顔で眉を八の字にしながら続ける。

 

「いやいやー……ほら、それこそお世辞はいいって。だって、さあ……」

「? うん」

「……十坂、あたしのこと……その、避けてた……じゃん?」

「――――、」

 

 ああ、なるほど、と玄斗は内心でうなずいた。やはり人をよく見ている。彼女の観察眼はおそらく調色高校のなかでも随一だ。普段は部活のテニスなんかで使われる才能が、ひとたび日常において効力を発揮した影響は凄まじい。例えるなら、なんとなく感じ取るのではなくそうだと直感する。ルートが固定された状態でいちばん早く、いちばん鋭く壱ノ瀬白玖の歪みに気付いたのは彼女だったはずだ。

 

「……そうだね。あんまり、深く関わらないようにはしてた」

「だ、だよねー……! いや、ほんと、あたしなんかした!? って思ってさあ……あー、えっと……理由、とか……聞いても、いい?」

「理由なんてないけど」

「え――」

 

 ひゅっ、と呼吸が変に止まった。心臓が締め付けられるとはこういうコトかと理解する胸の軋み。碧のなかに浮かんだのは悲しみではなくて、「どうして」という疑問だ。それがしっかりとしたカタチになる前に、ボロボロと霧散して――

 

「なんていうか、それは僕の責任で、僕のせいになる。……ごめん」

「……へ?」

 

 ――崩れ去る寸前に、そっと支えられてしまった。

 

「……あ、え……っと……どういう……あはは……十坂の、責任?」

「うん。ちょっとした、僕の問題。だから五加原さんが気にすることはないよ」

「そ、そう……なんだ……あは……あー、そっかあ。あたしのこと、嫌いじゃないんだ」

「? うん。だって、嫌いになる要素がない」

 

 またもやきっぱりと、玄斗は真剣な顔でそう言った。おそらくこの場に本日の首謀者兼共犯者がいれば「相変わらず会話が下手……!」と怒り心頭だったろう。それぐらいの脈絡のなさと、言葉選びのなさ。彼のそれはもはや会話というのもおこがましい、独り言じみた言い方だった。

 

「さっきもそうだけど、五加原さんは人をよく見てる。僕がメニューを軽く見ただけで決めたって感付くのは素直に凄いと思うし、誰かを気遣えるのは良いことだと思う」

「え、ぅ、や、と、十坂……っ?」

「人を気遣うのって、凄い難しい。予測なんてアテにならないし、人それぞれ考え方だって違うのに、いくら考えたって分かるわけない。なのに五加原さんはそれができて、分かったうえで誰かのために動いてるってことになる。……それって、普通に素敵なコトとは違うのかな」

「すっ、すて、素敵か、どうかは……! わかん、ない……けど……」

「でも僕は凄いと思うし、素敵だと思う」

「――――っ!」

 

 まったくもって会話が下手。おそらくこの場に本日の首謀者兼共犯者がいればまっさきにその頬を殴り抜いている。おもに怒りで。

 

「それに、なによりこれがいちばんだと思うんだけど」

「…………もう、なんなわけぇ……?」

「嫌いな人と一緒にご飯は食べないよ。ましてや、誘われても普通は断る」

「――――――、」

 

 先ほどまで俯きかけていた碧の顔が、ぱっと上がった。玄斗は若干苦笑しながら、食器を置いて彼女のほうを向いている。学習という名の無駄なあがきがそのとおり裏目に出た。必要以上の接触を避けていたのは、きっとずっと前からバレバレだったのだろう。誰かに嫌われる辛さは彼もすこし知っている。たったひとりであれ、重いモノは重い。それはちょっと、目の前の彼女が背負うようなものではないと思った。

 

「でも、納得いった。今までのことも察してたんだ。本当にごめん。これからは気を付ける」

「……え? あ、うん……」

「そういうことだから。五加原さんはぜんぜん嫌いじゃない。それじゃあ、また。相席ありがとう。今日は一緒に話せて楽しかった」

 

 立ち上がりながら玄斗がそう言うと、碧はぽかんと呆けたまま彼のほうを見ていた。そこまでおかしなコトは言っていないはずなので、動きに問題でもあったのだろうかと斜め上の方向に振り返る。そちらに関しても変な動きはしていないはずだが、色々と自信のない玄斗では確信を持てなかった。席代代わりにそっとふたり分の伝票を持って、ついぞ席を離れようとしたとき

 

「ま、待って!」

 

 ガタン、と椅子の揺れる音が響く。振り返れば碧が机に手をついて立っていた。店内の照明によるせいか、気持ちその顔色がいつもより良く見えた。

 

「な、名前! その、下の名前で、いい、から……」

「……うん。分かった。じゃあ、また。碧さん(・・・)

「う、うん! ま、またね! ……く、玄斗(・・)っ!」

 

 手を振って、くるりと踵を返しながらレジまで歩いていく。予想外の出費に財布は痛いが、だからどうということもない。大体使えるときに使うのが賢いお金の使い方だ、とどこぞの誰かが言っていたような気もする。食事にありつけただけ幸運だ、と玄斗は代金を払って店を出た。

 

 ◇◆◇

 

 十時ちょうど。無事帰宅し、家のなかにも入るコトができた玄斗がシャワーを浴び、来たるべき期首考査のために参考書とにらめっこしていたとき。不意に、聞き慣れた電子音が耳に届いた。電話の着信音だ。すぐに掴んで、そっと液晶に目をやった。

 

「(……なんていうか、本当律儀だ)」

 

 十時といって十時ちょうどなあたりがとくに、と思いながら玄斗は通話ボタンを押した。

 

「もしもし」

『私よ。……言わなくても、分かってたわね』

「ええ、まあ」

『あなたと電話で話すのはこれがはじめてかしら。……顔が見えないのは、難しいわね』

「ビデオ通話っていうのもありますけど」

『いやよ、恥ずかしい』

「ですか」

 

 笑って答える玄斗に、電話越しの向こうは不機嫌そうに鼻を鳴らすだけだった。不自由だからどうするのかではなく、それを楽しむのもまたやり方だと彼女は言っていた。時折口にする難しい言葉は、なんとも玄斗からしても反応に困るものばかりだ。

 

「そういえば、見ました。ムスカリ」

『そう。……どうだった?』

「綺麗ですね。でも、やっぱりぶどうみたいです」

『……あなたらしい(クソ鈍感天然)反応で満足したわ』

「ありがとうございます」

『褒めてないから』

 

 あれ? と首をかしげる玄斗。まあ、ある意味では褒めるべきなのかもしれない。

 

「あ、でも、レシートはなんだったんですか? 会計間違いとか、その確認で?」

『……あなた、それでも学年首席?』

「はい、これでも学年首席ですけど……」

『一度その看板を返すコトをおすすめするわ。それか脳みそを縦に割りなさい』

「……? すいません」

『十四回目』

 

 容赦ないカウントに玄斗の頬がひくついた。そういえば、暗くなってすっかり忘れていたがまだ〝今日〟の範囲内だ。

 

「……なにをすれば?」

『本当に潔いわね。なら……そうね』

 

 すこし間を置いて、うんと蒼唯のうなずく声が聞こえる。そこまで悩んでいない、軽い要求だと良いのだが、と玄斗は一縷の望みをかけて、

 

『味気ないから、名前で呼びなさい』

「……それだけ、ですか?」

『……それだけとはなによ。あなた、一回も私の名前呼んだことないじゃない』

 

 そういえば、と思い返して玄斗は気付く。はじめから、それこそ初対面の挨拶からずっと彼女のことは先輩としか呼ばなかった。名字はもちろん、下の名前なんて以ての外だ。たしかにそれは、人付き合いの経験がすくない玄斗をしてどうかと思わせる説得力があった。

 

「……えっと、蒼唯(・・)?」

『――――っ、ば、ばか、ばかじゃないの!? あ、あああなた年下でしょう!? と、年上にはもっと敬意を持って……!』

「す、すいません。蒼唯(・・)……さん」

『……まあ、それで許してあげるわ』

 

 はあ、とついた息にこめられた想いはどんなものか。真実それは蒼唯にしか分かるまい。ただ、仕方ないといった風に言う彼女の様子からして、悪いものでもないのだろうと玄斗はなんとなく直感した。それからおおよそ一時間。ふたりのどうでもいい会話は、街の明かりがぽつぽつと消えていくまで続いた。  






名前なんてただの飾りです。偉い人にはそれが分からんのです。















































ちなみに主人公がまともな人間らしい思考とか感情を持っているという仮定での想像はわりと面白いのでそういう感想は見ていて楽しいです。


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白死が映って――?

きっと、一度でもそんな経験をして

一度でもそれを感じたコトがたしかにあったのなら

ああ、そうだろう。

間違いなく、そいつは必ず

ヒトとして、ましてやきっと


――生き物として、どうしようもなく狂っている――





 

 夕方から止んだ雨雲が影も形もなくなった翌日。部活動に所属する生徒たちが午前中のみの練習に励み、帰宅部に分類される彼らが平和な日常を過ごす土曜日。十坂玄斗はそのドアを開けた瞬間、壮絶なまでの震えに襲われた。

 

「――――、」

 

 ぞくり、と鳥肌が立つ。感情によるものではない。そもそもそんな可愛らしいものが玄斗のなかに存在するかと言われれば首をかしげる。間違いなく、けれどたしかに、彼だけが鋭敏に感じ取れる殺気。……まさしく、心臓(いのち)に触れた感覚だった。

 

「……お邪魔、します……?」

 

 ぎい、と今日だけはいやに重い扉を開いて中に入る。廊下に明かりは一切ついていないが、晴れた日の昼前だ。視界は十分に確保できる。ただ違和感があるとすれば、人の気配が極限まで消されていることだった。

 

「(……いや、いつもだろう。だいたい、この家には……)」

 

 そう、たったひとりしかいない。玄斗はそのひとりに呼ばれて休日にここまで足を運んだのだ。道中はなんとも思わなかったが、こんな場面と対峙すれば気持ちも揺らぐ。目下の心配事は家主の姿が見えないことだろう。最悪の想像が脳裏によぎる度に、そんなハズはと考えを正す。自然と高鳴る心臓をおさえつけて、そっと歩を進めた。

 

「…………、」

 

 ぎし、ぎし、と踏みしめた床が軋みをあげる。音は遠くまで響くが、家のなかで広がりは途切れる。視覚だけではなく聴覚まで総動員して、周囲の状況を冷静に把握する。こういうとき、感情と思考の繋がりが薄くて良かったと芯底思う。()と比べてこの体はとてつもなく頑丈だ。なにせ重いモノを持っても骨が折れない。ならばすこし本気で殴ったところでなんともないだろう。せめて痛いぐらいか。拳を握り締めて、玄斗はゆっくりとリビングに繋がるドアを開けた。

 

「……白玖?」

 

 と、そこで探していた家主の後ろ姿を視界におさめた。カーテンを閉じて、電気もつけていない真っ暗闇。いや、厳密に言うならひとつだけついている。彼女が立っている台所の、あわい蛍光灯の光だけが。

 

「(……なんだ、無事なのか)」

 

 ほう、とちいさく息をつく。張りつめていた意識が弛緩した。女子高生のひとり暮らしというのは安全面から考えてもどうかというものだ。鍵をかけ忘れたなんて一瞬の油断でさえ、取り返しのつかなくなる可能性がある。が、とりあえず無事ならなによりだ。低い姿勢から立ち上がって、玄斗はそのままリビングに足を踏み入れた。――その直前まで放たれていた殺気が、いったい、誰のものだったのかも考えずに。

 

「白玖、こんなところでなにして――」

 

 音が響いた。なにかを叩き付ける鈍い音。ゆっくりとふり向いた白玖の顔に、暗い影がかかってよく見えない。

 

「……おかえり、玄斗」

「……白玖?」

「昨日は、なにをしてたのかな。学校、休んで」

 

 玄斗は分からない。彼女がこんなところで待っていた理由も、そのいつもとの違いの原因も、ましてや――しっかりと右手に握られた銀色に閃く刃物も。

 

「……それは」

「言えないの?」

「……うん。ごめん、言えない」

 

 だからこそ……いや、仮に気付いていたとしても、彼は素直に答えた。言えないものは言えない。言葉を選ばず、胸に飛来した思いをそのまま口にする彼らしいやり方だ。けれども悲しきかな。この場合においては、悪手と言わざるを得なかった。

 

「そうなんだ……言えないような、ことなんだね」

「……まあ、そうなるのかな。でも、こればっかりは――」

「言えないようなコト、したんだね……どこの馬の骨とも知らない、女と」

 

 ――きっと壱ノ瀬白玖に前世があれば、人を殺す術を持っていたに違いない。すらりと構えられた包丁(ナイフ)には、誰かを殺す力がある。危機感だとか、有り体に言えば注意、敵意、殺意……それらが向けられたときの緊張と、心が安まる刹那の間。そこをつくように狙いを定めた彼女の目が、獲物(心臓)をじっと注視する。

 

「えっと……は――」

「悪い子だね。玄斗は」

 

 音もなく白玖は跳ねた。一瞬で玄斗の眼前まで迫る。距離は近い。すぐにでも刃が届く。避ける間隙はあったかどうか。なにも考える時間もなく、なにをする余暇もなく、

 

「悪い子には、お仕置き……しなきゃ」

 

 躊躇いもなく、さも慣れたように。

 

「……は……く……?」

 

 十坂玄斗の胸に、断罪の刃を突き立てた。

 

「教えてあげる、玄斗。――これが、誰かを殺す(愛する)っていうことなんだよ」

「…………!」

 

 間近で見えた白玖の瞳と目が合う。口角をつり上げて、彼女は綺麗に笑っている。笑いながら、ぐっと手に持つ凶器に力を込めた。鋭い先端が優しく玄斗の胸を押す。まるで吸い込まれるように、どこか沈んでいくように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――カツン、と彼女の持つ包丁は柄に戻っていった。

 

「……は……く……?」

「――っ、ぷ、あ、あはは……! く、玄斗ってば、そんな、必死そうな顔、しちゃって……っ!」

 くすくすと笑い続けながら、白玖は閉めきっていたリビングのカーテンを開けた。いまのさっきの筈なのに、その陽光が妙に玄斗にとっては懐かしい。先ほどまで刃物と認識していたそれがよく見える。遠目からでもおもちゃと分かる、出来の悪い偽物だった。

 

「これ、引っ込むやつ。まさかこんな上手くいくなんて、思わなくて……ふふっ、でもいい顔見れた。あー、いまの写真とっとけば良かったなあ」

「……なに、を……」

「学校さぼってどっかほっつき歩いて、あまつさえこんな可愛い幼馴染みのメッセージを既読全スルーしてくれた罰だよ。むしろこれぐらいで済んでありがたく思ってほしい」

「……なんだ。そういうことか」

 

 壁にあずけていた体重を戻して、ゆっくりと玄斗が体勢を立て直す。いきなりのことで驚いていたが、理由を聞けば納得だ。おおかた懲らしめようとして思いついたのがこういうコトだったのだろう。さすがはよく考える、と玄斗は関心しつつ頭を下げた。

 

「その件についてはごめん。別に、白玖のことを邪険にしたわけじゃないんだ」

「私を放っておいて他の女と遊んでたのにー?」

「うん。だから今日はこうやってちゃんときた。穴埋めになるのかは、分からないけど」

「……ぜんぜんなりませんよー。三ヶ月分の指輪ぐらい用意してくれないと」

「なんだ、白玖。そういう夢とかあったのか。ならそれは僕じゃなくて、君の好きな人に言うべきだと思う」

 

 ――いやだから玄斗に言ってるじゃん、とは口にできなかった。恥ずかしさとかそういうのは二の次にして、なんとなく自分からストレートに言うのは負けた気がするのだ。重いだなんだと言われようが彼女だってれっきとした乙女の心を持っている。

 

「……で、なにがあったの?」

「なに、って?」

「とぼけない。なんか、あったでしょ。どっちかっていうと良いコト」

「……すごいな。もしかしてエスパーか、白玖」

「違うから。だいたい、玄斗のことなら私はなんでも分かるしー?」

「……それは、勝てないな」

 

 苦笑する玄斗と、鼻を鳴らして胸を反らす白玖。男子高校生ならその成長著しい一部に目でも引きそうなものだが、こと彼にいたってはまったくの無関心。ひとつ笑顔をゆったりと消して、諦めたように息をついた。

 

「……ちょっと、心のつっかえが取れたんだ。すこしだけ」

「ふーん? 女の子と遊んで?」

「まあ、端的に言うとそうなるのかな。……改めてみると弁解のしようもないぐらい最低じゃないか?」

「そうだよ。さいてー、玄斗さいてー」

「ごめん。許してほしい。できることならなんでも――」

「ん? いまなんでもするって言ったよね?」

 

 食い付きが尋常じゃなかった。ちなみに荷物は壊れていない。というか持ってすらいない。電波が乱れた。

 

「じゃ、今日一日付き合ってよ」

「ああ。そのぐらいなら良いよ。なにに? 買い物?」

「……玄斗はさ」

「?」

「いっぺん、本当に、心理学を勉強したほうが良いと思うよ」

「うん、分かった。今度本屋にでも寄ってみる」

 

 おそらくはそれでも治らないだろうな、と幼馴染みの筋金入っている鈍さに白玖はため息をついた。律儀なのは美点だが。律儀すぎるのもアレだ。

 

「(……ま、いっか。玄斗、なんか嬉しそうだし)」

 

 できることならその顔は自分がさせてあげたかったが、大事なのは誰がどうするかではなく彼がどうなるかだ。その相手が自分であれば文句なしいちばんの幸せな結末だが、いまはまだ急ぐときでもあるまい。おもちゃのナイフをポケットに仕舞いながら、白玖はちいさく笑顔を浮かべた。

 

「ところで白玖は、花とか詳しいか?」

「うん? なに、いきなり。あんまり詳しくないけど」

「ムスカリっていう花があるんだけど、あれ、ぶどうみたいなのに花なんだって」

「あ、それは知ってる。ムスカリかあ……ふーん……」

「ちなみに好きな花とか、あったりするのかい?」

「ああー……それは、そうだねえ……」

 

 すこし悩んで、白玖はちょっとだけ口角をつりあげながら、こう答えた。

 

「――アネモネ、とかかな?」

 

 そうなんだ、と玄斗が返す。きっと意味のほどは、彼女だけが理解したままだった。  




>おもちゃのナイフ
別に七ツ夜とかは書いてない


というわけで二章終了! 閉廷! 解散!


幕間は二話だヨ! まだ先輩のターンだね長いなあ!(やけクソ)


でもメインヒロインは白玖ちゃん(♀)なので主人公を救えるのが必然的に彼女でしかなくなるというアレ。……いや、うん。もう余計なアレコレは言わないでおこう。


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二章幕間:彼のウラガワ ~誰かの記憶~

(ピロロロロロ……アイガッタビリィー)


 

 別に、何を思うでもなかった。

            /なにも思えなかった。

 傷付いたわけでもなかった。

            /傷付くものすらなかった。

 だって、そうだ。

            /最初から、あるいは。

 

『ああ――……こんなコトになるのなら。お前なんて、生まれなければ良かったのに――』

 

 そう言った彼の瞳は、とても冷めていた。

            /自分の父親だ。

 だからといって、なにか思うわけでもない。

            /狂っている。

 自分は生まれるべきでなかった。その言葉だけを脳が認識して、飲み込むように理解した。くり返す。反芻する。事実を其れと受け入れる。――自分は、生まれるべきではなかった。

 

「……ごめんなさい、お父さん」

 

 彼はなにも答えなかった。ただ下を向いたまま、とくに機嫌を損ねた様子も、とくに心を痛めた様子もなく、静かに病室を去っていった。たったひとり残された家族にそんな態度をとられても、別に、なにがどうというワケでもない。もとよりあとすこし、ほんのわずかしか残されていない命だった。だから、まあ、案外傷付くよりかは、ちょっとだけ嬉しくもあった。

 

「(そっか……父さんは、ずっとそう思ってたのか)」

 

 そんな些細な感情を理解して。本心から、■■■■は笑みを浮かべた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「本当にどうかしている」

 

 ひたり、と後ろから声がかけられた。ぼんやりとした意識のなか、その感覚だけがしっかりと残る。夢だ。玄斗は瞬時にそう理解した。

 

「僕の体、僕の声、僕の命で好き勝手やっている」

 

 ひたり、と冷たくなった手が頬に触れる。玄斗は動けない。動こうにも、指一本すら動かせない。夢の中、夢であると分かればなにが変わるかと言われても、変わらないのだから仕方ない。ただ、ゆっくりと近付く足音を静かに聞いていた。

 

「そこは僕の立ち位置なのに、僕になろうとして、あまつさえ、僕でありながら、僕であることに疑問を覚え、僕であることを放棄しようともしない」

 

 背中にてのひらがついた。ちょうど心臓のあたりだ。声は出ない。出そうと思っても出ないのだから、土壇場で出るはずもない。ただじっと、彼は見えない誰かの呪詛を浴び続けている。

 

「幸せであっちゃいけない。幸せを目指してはいけない。なぜ?」

 

 とても簡単な理由を訊かれた。玄斗としては、答えないわけにもいかない。なぜなんて、そんなのはとっくの昔から決まっている。自分の幸せなんて、いったいどこの誰が望んで、どんな人間が得をするというのか――

 

「狂っている。ああ、狂っている。君はとことんまでに人でなし(・・・・)だ。白玖とはまったく違う」

 

 当然のコトを言われていた。壱ノ瀬白玖とはなにもかもが違う。同じ部分なんてひとつもない。だからといって、自分が自分らしい部分なんてとくにない。そんなもの、はじめから。

 

「白玖は狂った。でも君は狂っている。そう、きっと、その人格が形成された瞬間から。だって、そうだろう? 幸せを望めないのは、そんなものがひとつも無かったからだ。自分がないのは、そこまで複雑な心を持つ余裕がなかったからだ。なにもかもが空っぽなのは、なにも与えられなかったからだ」

 

 当たっている、当たっている、当たっている。十坂玄斗がそうではない。■■■■としてすべて当たっている。けれども、別にそれが悪いコトではあるまい。幸せがなくたって、心が欠けていたって、人らしくなくたって、死ぬまでは最低限生きていられる。それだけで十分だと言っていたのは、どこの誰だったか。たぶん、名字は同じだったろう。

 

「ガラスだね、君は。白紙になった彼とは違う。粉々に砕けば元には戻らない。もう一度作り直して詰め込むしかない。ガラスの花瓶だ」

 

 言い得て妙だと■■は思った。ならばきっと無くしたのは花瓶の水だけ。いや、それすら入っていないのなら器に罅が入った程度か。なんだ、と安堵にも似た息をつく。それならぜんぜん、傷のうちにも入らない。

 

「……呆れた。そんなんでよく生きてこれたね。自殺願望でもあるのかい? ……なんにしても、納得いかない。僕に似たゲームのキャラクターを知っているそうだけど、それは本当に似ているのか? だとしたら、最悪だ。でもって大方、それは僕じゃなくて君自身のつくりだした〝ナニカ〟でしかないのだろうけど――」

 

 自然と首が後ろを向いた。体ごと半身を傾けて、ぐるりとその存在を目に映す。――視線の先には、玄斗(ジブン)がいた。

 

「馬鹿にしてくれる。僕が誰かに自分の役割をとられたぐらいで恨む、器の小さい人間だと思われてたなんて。本当に馬鹿にしている。ふざけるなよ……君」

「……ごめん」

 

 声が出た。いつもの玄斗とは違う声が。見れば、細い細い腕に戻っている。箸以上に重いものは事実持てない腕だ。十坂玄斗(タニン)の体に慣れすぎていたせいか、その肉体があまりにも頼りない。

 

「いいよ、許してあげよう。なにも、僕は君を責めたいわけじゃない」

「……じゃあ、なにを?」

「当然。僕のやる事は決まってる。白玖も君も同じだ。僕が踏み入れないところへ踏み入ってくれる誰かを探す。……友人のためにそこまでするのが、十坂玄斗じゃないのか?」

「……ああ。そうだね、そうだった」

「だろう?」

 

 もっとも、■■は彼と友人になった覚えはないのだが。

 

「酷いなあ……何年一緒に過ごしたと思ってるんだ」

「何年もなにも、これがはじめてだ。……実際、僕のなかに、君はいなかった」

「……ああ、だね。すまない、嘘をついた。君とは初対面だ。でもって、これも別に君の中からというワケでもないのが、難しいところかな」

「……?」

「なんでもいいさ。でも、これだけは覚えておくといいよ、■■■■」

 

 視界が歪んで、黒が消える。闇に馴染む。なにも見えない暗闇から、近く、でも遠く、どこからか声が聞こえた。

 

「幸せなんて案外、そのへんに転がっているものだよ――」

 

 意味も理由も以ての外。ただ玄斗には、その言葉の真偽はともかく、たしかめようとする気すらなかった。わざわざ自分から幸せを拾いに行くなんて、正直、馬鹿げていると思いながら。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 目が覚めた。ぱちりと開いた瞼は、二度寝という気分でもない。ゆっくり起き上がってあたりを見渡すと、最近になって見慣れてきた白玖の家だった。

 

「……夢」

 

 不思議な夢だった、と玄斗は知らずかいていた汗を拭う。自分のなかにあるはずもない誰かが現れて、意味の分からないコトを言ってくる夢だ。けれど、納得できる部分もあった。

 

「……たしかに。あれは、僕だったな」

 

 不幸であれと嘯くナニカ。ひたひたと付きまとうナニカ。その正体が、彼にしか見えないのであれば断定なんて簡単だ。彼が彼である以上、姿を見せた幻想も彼のつくりだしたものでしかない。十坂玄斗はいつだって十坂玄斗だ。名前のとおりであるのなら、そうであるべきなのかもしれない。彼のそんな悩みを払拭するのは、すこし後の話。

 

「……!」

 

 ふと、考え事の途中に手を握られた。見ればソファーの隣で寝ていた白玖が、ぎゅっと指を絡ませて力を込めていた。どんな夢を見ているのだろうか。握る力は一向に、薄れる気配がない。

 

「……白玖」

「……くろ……と……ぉ……」

「…………、」

 

 仕方なく、玄斗もほんのりと彼女の手を握りしめた。幸せなんて案外そのへんに転がっている。自分のことはどうであれ、この少女にとってもそうであればと思うのだった。




そんなワケでちょっとネタばらし。




彼を呪っていたのは彼自身だったよ! 誰かなんていないよ! すごいね! 自殺願望とかありそうだよね! でも幸せになっちゃいけないからもっと苦しんでもらうね♡

そんなこんなになってる主人公くんをこれからもよろしくお願いします。















ちなみに、なにもないってコトは別に不幸じゃないんですよ。


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二章幕間:彼女のウラガワ ~たとえばこんな話~

 

「――――、」

 

 呼ばれている。誰かになにかを呼ばれている。意識は暗い底の底。深い眠りの最中で、でも、脳を揺らすような誰かの声を聞いた。

 

「――――い、――――、」

 

 声はだんだんと大きくなる。うるさいと寝返りをうった。それでも相手は諦めた様子もなく、むしろボリュームを大きくしてきた。なんてことだと、彼女は頭を抱える。今日は土曜日につき、待ちに待った一週間に二日しかない休日だ。そんな日ぐらいゆっくり寝かせてくれと――

 

「……蒼唯。起きて、もう八時になる」

「…………?」

 

 なんだか、その声が耳朶を震わせすぎて、思わず目を開けた。

 

「え……?」

「あ、起きた」

 

 おはよう、と目前の男が微笑む。すらっとした体型と、地味だがどちらかと言えばぎりぎり整った容姿。目立たない外見がどこか安心感を漂わせる、彼女の意中の相手。

 

「朝だよ。ご飯、もう僕が作っておいた」

「……あなたが……?」

「? うん。でも、変わらないな。やっぱり朝は弱いね」

 

 ――先輩、寝起きはとくに機嫌が悪いですよ。そう言ってきたコトを思い出した。もうあれから――そうだ。あれから、十年(・・)は経つ。

 

「……ごめんなさい。寝惚けてたみたい」

「いいよ。気にしない。とりあえず、着替えて降りてきて。せっかくの朝ご飯が冷めたら勿体ないからね」

「……ええ、そうね」

 

 くすりと笑って返すと、彼は寝室から出て行った。本日も仕事であろう、最近になってやっと慣れてきたスーツ姿に頬が緩む。あまりの色気に会社で変な虫がつかないか心配になるほどだ。いまのところそんな兆候はないので、大丈夫だと思いたい蒼唯なのだった。

 

「……ひとまず、起きないと」

 

 主婦の自分が寝坊とはまったくもって情けない。素早くクローゼットから服を取り出しながら、彼女は階下のリビングで待っている()に思いを馳せた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「でも、ちょっと珍しいね。蒼唯が寝坊なんて」

「……そうかしら」

「うん。今まで僕が起きるより前に布団から出てたから、朝は新鮮だった」

 

 たしかに彼と暮らし始めてから早起きを心がけている蒼唯だが、今日はどうにも起きられなかったのだ。理由はぼんやりとしてよく分からないが、たぶん、なにかやむを得ぬ事情でもあったのだろう。でもなければ、八時台までぐっすり寝ているなんてありえない。

 

「疲れてたのかしら……そこまで無理はしていないつもりだけど」

「無理じゃなくても家事は疲れるだろう。だから土日は僕に任せてくれても」

何度も言ってるけど(・・・・・・・・・・)、それは却下。仕事してるあなたに任せられるワケないでしょう」

「……頑固だね、蒼唯は」

「お互い様よ」

 

 そう言ってご飯をつまみながら、そっと周囲を見渡す。……さっきはああ言ったが、どう見ても部屋の至る所が微妙に綺麗になっている。鬼の居ぬ間に……とまではいかないだろうが、自分が寝ている間に行われたのは明白だった。

 

「(まったく……)」

 

 この男は、と内心で頭を抱えながら味噌汁を啜る。昔からこういうところは本当に変わらない。余計なお世話だと何度言っても聞かないのだから筋金入りだ。人の強がりぐらいは見て見ぬフリをしてほしいものだが、そのレベルを彼に求めるのは酷か、と蒼唯は考えを改めた。

 

「それより、時間大丈夫なの」

「……む、ちょっとまずい」

 

 腕時計を見つめながらそう言って、彼が朝食をてきぱきと胃袋に詰め始める。ぱちんと手を叩いたのはそれからちょうど三十秒ほど経ってのこと。迅速に食事を終わらせた彼は、スーツの上着を羽織りながらスタスタと玄関のほうへ歩いていった。

 

「待って、鞄。忘れてるわよ」

「……本当だ」

「持ってくるわ。靴、履いてなさい」

「ごめん、ありがとう」

「お互い様よ」

 

 今度は笑ってそう言った。呆気に取られたように一瞬固まった彼が、次の瞬間には笑顔を浮かべて廊下を歩いて行く。それに伴って、彼女も先ほど横になっていた寝室まで歩を進める。ふたりの私物は大概がそこだ。彼の通勤用鞄を持って、気持ちはやめに階段を駆け下りて玄関へ向かう。

 

「はい、これ」

「ありがとう。助かった」

「これぐらいするわ。なにせ……〝  〟、だものね」

「……そうだね」

 

 ふたりして顔を見合わせながら微笑む。もう五年にもなる生活だが、飽きるにはほど遠い。むしろあと十年は余裕だろうと蒼唯は思っている。そんな感情が顔に出ていたのか、困ったように彼が苦笑を浮かべた。それもまた、相変わらずよく似合っている。

 

「幸せそうだね、蒼唯」

「ええ。私いま、とっても幸せだわ」

 

 言うと、「そうか」とだけ彼は応えた。大事なときに限って口数が減る。きっと率直な感想こそを大事にする彼生来のものだろう。曖昧なものばかりが内側で飛び交うから、せめて自らの心から漏れた感想だけはストレートに伝えようとする律儀さだ。それがまた、蒼唯にとっては好ましい部分だった。

 

「それじゃ、そろそろ行ってくるよ。今夜は早く戻る」

「仕事、落ち着いたの?」

「ぜんぜん。でも、無理してでも戻るよ」

「? どうしてかしら」

 

 次はまったく、と彼が思う番だ。蒼唯から鞄を受け取って、玄関のドアノブに手をかけながらそっとふり向く。蒼唯は、未だに答えに行き着いていないのか首をかしげていた。

 

「――結婚記念日。今日ぐらいはせめて、ね」

「…………そう、だった、わね……」

 

 驚きつつ反応すると、彼は笑みを深めてドアを開けた。白い光に向こうに、ゆっくりと体が吸い込まれていく。出勤だ。蒼唯はうっすらと穏やかな表情を浮かべて、家から出るその人に向けてこう言った。

 

「いってらっしゃい。――レイ」

「うん。いってきます、蒼唯」

 

 そのまま真っ白な光がふたりを包んで、やがて、無機質な音に鼓膜が叩かれたのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「――っ!」

 

 跳ね起きて、すべてを察する。かあ、と彼女は頬を赤く染めつつ枕を手に取った。

 

「(……な、なんて夢を見てるのよ、私は!)」

 

 そうして小一時間、蒼唯は愛用の枕と熱烈なキスをし続けた。




 これにて二章は終わり、次は三章です。


個人的に幕間は実質話が進まないので一気に投稿したい気分。




ちなみに>原因:名前呼び


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第三章 赤くても陰が映える
腕に巻かれるもの


個人的に一番の推しなんですけど一番書くのに神経使う人。もうまぢ勘弁して……


 

 つかつかと、十坂玄斗は書類の束を抱えながら廊下を突っ切る。歩幅は大きい。速度も気持ち速めだ。いつものんびりとした雰囲気を纏っている彼に、その生き方はすこし忙しなく見える。が、なにはどうあれ仕方ない。なにせ単純に時間が足りない。休み時間が終わるまで残りわずか、彼は急ぎ――けれど言いつけどおり決して走らず――生徒会室の扉を勢いよく開けた。

 

「赤音さん」

「違う」

「……会長」

「よろしい。うん、なに?」

「頼まれてた資料、まとめ終わりました。上から優先度順に、あとは日付で仕分けてます。あと準備室の備品、いらないものは段ボールにつめて棚に置いておきました。それから、音楽室の使用申請書が一通、体育館が一通、ハンコだけもらえれば先生に――」

「そ、じゃあ次、これもお願いね」

 

 どさどさどさ、と分厚いファイルを五冊ほど重ねられた。急務ではない。見れば分かる。裸の用紙一枚渡された場合は要注意だが、きちっと綴じられている以上は終わった仕事だ。なので、これから渡されるものは後処理……率直に言ってしまえば整理になる。

 

「……赤音さん」

「違う」

「……会長。あの、すいません。やっぱり経験して分かります。僕には――」

「トオサカくん?」

 

 にっこりと赤音が笑う。年相応らしい可愛らしさと、女子高生にあるまじき威圧を含んで。

 

「私、言わなかったかしら」

「……えっと」

「これは罰よ、って。――もとからあなたに拒否権はないわ。だいたい学校休んでどこへ行っているかと思えば、見ず知らず(・・・・・)の女子とデートですって? そんなのうらや――っと違う違う、落ち着けぇ……私ぃ……」

「…………、」

「こほん」

 

 気を取り直すように咳払いして、赤音は真剣な表情で言い放った。

 

「そんなの、我が校の生徒会長として見逃せないわ。たったの一ヶ月生徒会の仕事を手伝うだけなのだから、むしろありがたく思いなさい」

「……あの、じゃあ、この腕章は変えてもらってもいいですか?」

「却下」

「…………、」

 

 内心の感想は決して口に出さなかった。が、目は口ほどにものを言う。えー、という心の声を見透かしたように、赤音は眉間にしわを寄せた。

 

「いい、玄斗。あなたの立場はたしかにお手伝い。生徒会の雑用。けれど、その能力に見合った役職は用意するべきだと、私は思ったの」

「……はい」

「率直に言うわ」

「はい」

「あなたもうこれからずっとその腕章つけてなさい」

「会長。それはいくらなんでも無茶です」

「なんでよ」

「いや、だって、洗濯するときはのけないと」

「……じゃあ、百歩譲って学校に居る間にしておいてあげるわ」

「そうですか。……あれ? なんか、話がずれてるような……」

「……そうね」

 

 あれれ? と首をかしげる玄斗に赤音がちいさく舌打ちをうつ。そう易々と騙されてはくれないのは、単なる直感の鋭さか、案外頭の回転が早いのか。どちらもまあまあこの男は持っているが、運と言えばそれまでなようでもあった。十坂玄斗が生徒会に(仮)所属してから数日。調色高校第三十六代生徒会は、今日もにぎやかに忙しかった。

 

 

 ◇◆◇

 

 発端は、白玖が漏らしたコトだった。

 

『それはそれとして悪い子は生徒会長に報告しておいたからあとで覚悟しておいてね』

『え』

 

 そんなやり取りをしたのが土曜日の夜。予想通りというべきか、むしろそうならなければいけないというべきか、月曜日の朝に登校するなり玄斗は生徒会室に呼び出された。以来、罰と称して生徒会のお手伝いをわざわざ「副会長」の腕章をつけてやらされている。そのせいで通りすがる生徒の視線が痛い。

 

「(ていうか、学業の合間に雑用をするのはどうなんだ……? 授業に集中できなくなってもおかしくないと思うけど)」

 

 もちろん玄斗には前歴があるので心配もないが、他は別だ。勉強しながら生徒会業務など生半可な生き方ではやっていられない。せいぜい潰れるのがオチだ。それほどの量ある仕事をド素人である自分に渡しているのだから、おそらく本職はもっと大変なのだろう。そう思って階段をあがっていると、向かい側から最近見慣れた姿が近付いてくる。

 

「……む、十坂さんでしたか」

「……紫水(シミズ)さん」

「お疲れさまです。会長からの押しつけ(シゴト)だと思いますが、どうでしょう」

「……うん、正解。そっちは……」

「いえ、とくになにも。そもそもその仕事量は……いえ、なんでも。別に、ええ、なんともありません」

「…………そっか」

 

 なんかあるんだな、と玄斗は察した。おそらくはこの大量のファイルについて。その正体かあるいは単純な量についてのものか。どちらにせよ嬉しくないものだろうと予感しながら、身長に階段をのぼっていく。

 

「……お手伝いいたしましょうか? すこし、あなたひとりでは危ないような気がしますが」

「ううん、大丈夫だよ。ありがとう。気持ちだけもらっておく」

「そうですか。ならばいいのですが」

 

 言って、スタスタと彼女は去っていった。紫水六花(リッカ)。調色高校生徒会会計を担当する本業のひとり。紫色の髪と瞳が特徴的な彼女は、それこそ四埜崎蒼唯よりも一段階ほど上でクールな性格をしている。すくなくとも玄斗は、かの少女が取り乱した姿を見たコトがない。

 

「…………、」

「――大変そうね」

「っ……と……」

 

 続くように、また階段の上から声がかけられた。生徒会室は一階だ。自教室のある三階までのぼるには、すこしばかり距離が長い。そのせいだろう。

 

「……灰寺(ハイデラ)さん?」

「彼女、あなたのコトを気に入っているから。……きっとまだ増える」

「……それは、なんとも。困ります」

「でしょうね」

 

 薄い黒髪を揺らしながら、少女がこくりとうなずく。灰寺九留実(クルミ)は生徒会庶務をつとめるすこし変わった生徒だ。すこしどころじゃなく変わっている玄斗からしてもその評価は変わりないので、すこしどころじゃない気もする。

 

「貸して」

「……えっと、これを、ですか?」

「それ以外になんと受け取るの」

「……いえ。大丈夫です。このぐらい」

「……そう」

 

 ならばいいわ、と彼女はスタスタと玄斗の横をすり抜けていった。ふたりとも同じような会話をして同じような結末を迎えている。二度あることは三度ある。もしや次もあるのでは――と冗談まじりに考えていたとき。

 

「あれ、玄斗じゃん」

「……白玖」

「なにその荷物? って、あれか。生徒会か……腕章が輝いてらっしゃる」

「……冗談はよしてくれ」

「ごめんごめん。ああ、持つよ」

 

 言うが早いか、ひょいっと白玖は玄斗の抱えるファイルを半分ほど持って隣に並ぶ。断る暇すらない早業だった。

 

「白玖……」

「なに? 別に私はほら、暇だから動いてるだけだし? 誰にも助けを求めずにやろうとしてるオトコノコの心配とかしてないし?」

「……そんなに頼りないか、僕?」

「そんなことないけど、無理はしてほしくないかなあ」

 

 最近の玄斗は疲れていそうだし、という幼馴染みの一言が地味に響いた。たしかに十坂玄斗は疲れている。それはもう疲れている。連日の慣れない激務に追われて家に帰っては妹に頼んで湿布を貼ってもらう毎日だ。思いっきり構えて「てーい!」と叫びながら貼ってくるのは良いがその威力はもうちょっと考えてもらいたい。お陰様で高校生ながら玄斗は若干腰痛気味だった。

 

「休まないと駄目だよー。倒れちゃったら元も子もないし」

「それぐらい分かってる。寝たきりとか、御免だからね。僕は」

「本当に思ってる?」

「思ってるよ、本当に」

 

 ――本心から、そうだとも。寝たきりなんて御免だ。あれほど退屈な時間の過ごし方もあるまい。過ぎていく日々を数えながら窓の外に意識を傾けるのは、せめてあと数十年の期間が欲しいと思う玄斗なのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 はあ、とひとつ赤音は息をついた。

 

「……ままならないわね」

 

 背中をあずけて力を抜くと、古びた椅子がぎしっと音を鳴らした。生徒会室の備品は年季が入っている。古すぎるワケでもないが新しいコトもないそれらは、私立校の事情的に見ても買い換える選択肢にはならないだろう。そんな中で、沈み込むような息をくり返す。

 

「でも、ま、悪くないわね。思った以上に――うん。悪くない」

 

 笑って、彼女は窓の外を眺めた。まだ梅雨時にも入っていない午前の空。青い背景の下には点々と雲が流れるのみで、どこか澄んだ空気を感じさせる。

 

「……本当、分かんないものよ。まったくどうして……ね、玄斗」

 

 空いていた席も、腕章も、彼女の机から消えた現在。それがたった一時の契約であったとしても、思わずにはいられないコトがある。つい口に出してしまったのは、きっとそういう感情が脳裏をよぎったからで。

 

「私、やっぱりあんたのこと欲しいみたい」

 

 くすりと微笑んで、彼女は少年のまとめ上げた書類に目を通した。




というわけで三章スタート。赤色の彼女でございますよー。









え? 新キャラ? HAHAHA。ただのモブでしょモブHAHAHA


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血色に染まったブラウス

 

 最初は直感的に、そいつのコトが気に入らなかった。

 

『二之宮生徒会長』

『……なに?』

『手伝います。重いでしょう、それ』

『……いらないわよ。それより、邪魔だから退いてくれないかしら』

 

 だからまあ、そんな野郎に優しくするつもりもなくて。思えばかなり邪険に扱ったような気もする。邪魔だとかしつこいだとか、あまつさえ消えろとも言ったような気がした。物理的な手段に出る一歩手前までもいった。本当に、本気で、その顔面を蹴り抜こうとして――

 

『――――』

 

 驚きのあまり、振り上げた足が固まった。黒だ。たしか名前もそうだったか。暴力を振るわれる刹那まで、彼の瞳はなにも映さない黒色をしていた。底が見えない。深くはないだろう。だがしかし、浅いのは所詮うわべだけ。自分が危機的な状況に陥っておきながらなぜそんな態度をとれるのか、純粋に興味がわいた。

 

『……あの』

『……なに、よ』

『……そろそろ。その、足を下げてもらえると。……目のやり場に』

『? ……、……。……っ!』

 

 その後、結局ガツンといったのはまあ、どうか許してもらいたい。

 

『生徒会長』

『……ああ、十坂』

『手伝いますよ、それ。重いでしょう』

『じゃあお願い。あと、これも』

『わかりました』

『あ、あと生徒会室のダンボール、準備室まで持っていって』

『はい、じゃあそれも』

 

 どんな理不尽な命令も――それこそ一介の学生なら不平不満の類いを漏らしてもいいような雑用でも――彼は喜んで引き受けた。どころか、話しかけるだけで笑顔を見せた。綺麗な笑顔。整った笑顔。それはつくりものじみてはいないけれど、どこかゲームのテクスチャを思わせる不気味さ(コピペ感)があった。この男は笑顔をつくるのが上手い(下手な)のだと、そのときはじめて知った。

 

『二之宮先輩』

『あら、十坂くん』

『また荷物ですか? 無理はあまりしないほうが』

『別に無理じゃないわよ。だっていま、あなたがちょうど良いところに来たでしょう?』

『……まさか、最初からそのつもりで?』

『お願いね、トオサカくん?』

『……わかってます。別にそのぐらいはぜんぜん』

 

 苦笑してそう言う彼の表情に、すこしだけ――ほんの一瞬、貼り付いたモノのウラガワが透けて見えた。幸も、不幸も。光も、闇も。正義にも、悪にも見える空の器。そのどれにもなれて、どれにもなりきれない曖昧な心の在処。そんな歪さに、気付いてしまった。

 

『玄斗』

『……赤音さん?』

『ちょっといいかしら。これ、持っていってもらいたいのだけど』

『はい、いいですよ。赤音さんの頼みなら喜んで』

『……ふん、調子のいい奴』

 

 だからその言葉がすべて、裏も表もない上っ面の彼の口から出た言葉だと分かっていた。分かっていたのだ。本当に。……分かっていながら、たぶん、気付いたときには頭を抱えるしかなかった。

 

『要するに、受け取り方の問題よ。ここで言うなら定義の問題。言葉の意味を正確に読み取れないならせめて、ぜんぶ頭に叩き込んでこれだと思うものを選びなさい』

『……現代文のテストって、そんな難しいコトみんなやってるんですか?』

『むしろできないあんたがおかしいのよ。本当、なんていうか、人の心ってものに鈍いっていうか……ああ、これはまあ、関係ないか』

『?』

 

 一月経てば、そいつと一緒にいるのが嫌でもなくなった。二月経てば、そいつと居るのが当たり前になった。三月経てば、そいつとまあまあ通じるコトもできた。すべて上っ面。分かっている。すべて分かっているのだ。本心なんてあるかも分からないものを隠して、そいつは上手く生きていた。だから――無性に、腹が立ってしまったのだ。

 

『ねえ、玄斗』

『なんですか、赤音さん』

『あんた、なんか隠してない?』

『……? 別に、なにも』

 

 嘘をついている様子はない。そもそも嘘をつくなんて真似ができるほど彼が器用な人間でないのを知っていた。余計に腹が立つ。知れば知るほど、イライラがおさまらない。向こうからは勝手にやってくるくせ、こっちが踏み込めば大事な部分だけ透けるように手触りがない。見つけても直視しても、掴めないのなら無いのと同じだ。

 

『…………、』

『……どうかしたんですか。最近、機嫌が悪いような』

『玄斗』

『あ、はい』

『……あんた、幸せってなんだと思う?』

『……急に、なんだか、哲学的ですね』

『いいから答えて』

 

 きつく言うと、彼は困ったように頬をかいた。人間味がある。精度が高い。真似たような仕草は、事実自分以外で気付くような人間もいないだろう。そんなのだから、半ば、答えもきっと己の中で出ていた。

 

『……そう、ですね。よく分かりませんけど、誰か(・・)が笑ってたらそれが幸せなんじゃないですか?』

『――――、』

 

 呆然とした。厳密に言うなら、呆れた。呆れ果てた。そんなコトを言う目の前の少年に。そんなコトをのたまう眼前の愚か者に。

 

『すくなくとも、よっぽどじゃない限り、笑ってるのがいちばんだと思います。悪人の笑顔は、あんまり見たくないですけど』

『……それ』

『?』

『それ、あんたもしっかり笑ってる?』

 

 訊けば、驚くように彼は目を見開いた。分からない。そんな反応をする思考回路が、それを悟ってしまう自分の妄想が。都合が良すぎて分かりたくもない。

 

『……さあ。僕、あんまり笑うの得意じゃないんです』

 

 限界は、そこで来た。

 

『(ふざけるな――)』

 

 彼の目の前からスタスタと早歩きで去って、角を曲がってから食い込まんばかりに拳を握り締める。まともに顔を合わせるなんて、こんな(・・・)状態では無理も同然だった。いまの表情をあの男に見せるのはしたくない。面倒な考え事やなんかが絡まったワケでもなく、純粋に女子としてそう思った。そうだろう。こんな――怒りに満ちた顔を、好きな人に見せるなんて考えられない。

 

『いいよなあ、十坂』

 

 そんなコトがあったからだろうか。偶然見かけたその場面に、心臓が凍りつく感覚を覚えたのは。

 

『会長とあんな近くでお喋りしてよ。……目障りなんだよ、おまえみたいなやつ』

『それは……ごめん。でもその、悪気があったわけじゃなくて』

『御託はいらねえ。てめえみたいな呑気(・・)に生きてそうなのはよ――』

 

 自制。我慢。立場。冷静に、冷静に。言い聞かせるように唱えた。それまでは覚えている。動いては駄目だと足を止めたのも。でも――

 

『何発かぶん殴らねえと、ムカついて仕方ねえ』

 

 ――結局、どれもできなかった。

 

『ちょっ……! だ、大丈夫、木下くん!』

『…………、』

『あ、赤音さん……! いくらなんでも、これは……!』

『……あんたは』

『……え……?』

『あんたは――どうして……!』

 

 彼の肌には青痣が出来ていた。数カ所ほど打撲もしているだろう。ボロボロの状態でも、けれど恨み言なんて吐くどころかなんの憂いもなしに〝いまさっきこの手でぶちのめした〟その男を庇うように立った。忌々しいほどに、その姿は似合っている。透けていた正体が見えた。なにもない。掴めない。当然だ。無ければ探ることも、掴むこともできやしない。

 

『――どうして、そんな風に生きてられるのよ……っ!』

 

 言うなれば、人生ひとつ丸ごと捨てている。彼として生きていても、()として生きていくつもりはない。そうやって割り切っているような感じを、見ていて思った。ふざけている。なにより馬鹿だ。その精神性が、壊れて跡形もない心の形が、それでもなお生きようとする繋ぎ止め方が。不細工で不細工で、仕方なかった。

 

『……言ってる意味が、分かりません……でも』

『……なによ』

『人を殴るのは、いけないことです。……こんなのは、間違ってる。赤音さんが、絶対』

『――――っ』

 

 叱るように、彼は言った。いまさっきまで殴られていたのはソイツで、その相手はコイツだというのに。

 

『(ムカつく、ムカつく、ムカつく!)』

 

 学校側から言い渡された一ヶ月の謹慎処分。その間に考えるコトは腐るほどあった。なにをするかも、どうするかも、そのときに決めた。……そう、覚悟はもうあるのだ。なにもないというのなら、なにも持たないまま死ぬというのなら、やるコトなんてはじめから決まっている。そっちがその気なら、こっちにだって策がある。

 

『(あんたが用意しないなら、ぜんぶ私が用意してやる。立場も、役割も、理由も、意味も――幸せも。ぜんぶ、用意して叩き付けてやる)』

 

 そう決めた。覚悟した。用意も準備も整った。だからあとは、向こうが来るのを待つだけだ。

 

『(本当、そうよ――ここらで観念しなさい、玄斗(クロト))』

 

 かつてまだ彼との間になんの憂いもなかった頃。そうやってひとつ、大事なものを誓ったのだ。 




久々にナチュラルテイスト屑玄斗くん書けて良かった……これは殴られても文句言えない。










ちなみに暴力系ヒロインっていうのはツンデレの派生で照れ隠しに暴力を振るうのではなく絶対的に引き返せない拒絶の意思表示として暴力を振るうのがドストレートで良いのであって決して好意に暴力描写を加えるというのはツンデレという属性に対する冒涜になるんじゃないかとわりと小一時間(以下略

まあ、スパイスは効きすぎるとそれもう劇薬だよって感じなので本当気を付けていきたい。


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穏やかな昼下がり

色々と感想で出てるのでここでひとつ。


【1】白、赤、?、青、緑、黒

【2】紫、?、?、灰、?、“  “


「十坂」

 

 名前を呼ばれて玄斗がふり向くと、黄色い腕章をつけた男子生徒が立っていた。なにか言いたげな表情と共に、「んっ」と布に包まれた弁当箱をかかげる。

 

「メシ、行くぞ」

「……鷹仁(タカヒト)。僕はいつも学食なんだけど」

「だからじゃねえか。ほらよ」

 

 ひょいっと投げられた弁当箱を転がしながら受け取る。よくよく見れば向こうの片手にはすでにコンビニのレジ袋が握られているので、ふたつめということだろう。……そのふたつめの出所が、なんとなく布の色で分かった。

 

「……赤音さん?」

「会長だ馬鹿野郎。殴られても知らないからな」

「そこまではしないよ。鷹仁でもあるまいし」

「……お前さ」

「?」

 

 じっ、と男子生徒が睨んでくる。天然、鈍感、唐変木。が、それはなんにしたって恋愛事に限った話でもない。この男はどこまでもこうなのだと、撫で上げられた金髪をかきながら彼は息をついた。

 

「やっぱ頭おかしいだろ。……ほら、とっとと行くぞ」

「うん。ところで、どこに?」

「俺たちの所有地だ。……もっとも、隅に追いやられただけとも言えるが」

「そんなことない。追いやられるもなにも、鷹仁だって立派な生徒会役員だ」

「……だから追いやられてんだよなあ……」

 

 皮肉交じりの言葉だって裏はない。どうせ天然。ただの天然。もしくは人の心なんて欠片も理解しちゃいない。そうくり返すように呟いていた誰かのコトを思い出して、男子生徒はやれやれと肩をすくめた。まったくもって気が抜ける。

 

「で、鷹仁。これ、なんなんだ?」

「……受け取っておいてそれか。察しろバカ」

「む、それは難しい。……毒味?」

「作ってやったんだと。率直に言ってやろう。――――食え。それがぜんぶだ」

「なるほど」

 

 くるりと踵を返して歩いていく男子の背中を、玄斗もゆっくり追いかける。木下鷹仁(キノシタタカヒト)。この学校では色んな意味でちょっと有名な、十坂玄斗の悪友に位置する人物である。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 扉を開けると、圧迫感のある備品の壁が目に入った。第二数学準備室。もはや使うこともなくなったそこは、生徒会における物置――つまるところの倉庫代わりとなって細々と部屋としての役割をまっとうしている。積み上げられた大量のファイル、ダンボール、消耗品その他諸々。そんな中にしっかりと空間の確保された長机に向かい合って腰掛けながら、ふたりはそれぞれの弁当に手をつけはじめた。

 

「お疲れさまだな……どうだ、慣れたか?」

「ぜんぜん。毎日倒れるように寝てる。……いままでこういうの、鷹仁がやってたんだろう?」

「誰もやらねえから俺がやるしかなかっただけだよ。で、それを知ってるなら話が早い。……おまえそれ、もうずっと付けてろ」

 

 びしっ、と行儀悪く箸で玄斗の腕章をさしながら、男子――鷹仁が言う。それまでの生活と比べて忙しくなり玄斗の顔色はたしかにちょっと悪くなったが、反比例するようにこの少年の顔色はちょっとずつ良くなっていた。生徒会の忠犬。牙を抜かれて会長にボコられた憐れな飼い犬。そう揶揄されている仕事量は、とてもじゃないが普通の域を超えているらしい。

 

「赤音さんにも言われたけど、そういうわけにもいかない。大体、鷹仁はずっとこれが欲しかったんじゃないのか?」

「欲しかった。……が、いまはもう要らねえ。つうか押し付けられても受け取らねえ。この数ヶ月で分かりきったし身の程知ったし絶望した。……十坂。ありゃあな、女じゃねえよ。二之宮赤音っていう生き物だありゃ」

「? そりゃあ、赤音さんは赤音さんだろうけど」

「お前……」

 

 本当にもうこの男は、と鷹仁が頭痛をこらえるように額に手を当てる。

 

「……ちょっと前の話をしよう。俺が会長に噛みついたことがあった」

「待ってくれ。それ、大丈夫か? 歯とか。折れてないか? 平気だったのか、鷹仁」

「ちげえ。比喩だバカ。むしろおまえが待て。おい。座れ。無事だよぜんぶ手前の歯だ」

「そうか」

 

 よかった、とひと息つくように玄斗がパイプ椅子に腰をなおす。どのあたりが良いのかは考えたくもない。

 

「……俺の仕事量と割り振り考えてもうひとり入れるかどうかしねえと潰れるぞって脅したんだよ。なんなら親父に言って無理にでもそうさせるって。大体、生徒会の役職ひとつ抜けたままとか、ろくな動きできるワケないのはあの女なら分かりきってるハズだ。だからまあ、ちょっとした、なんだ? 俺のなかの正義も込めてぶつけたんだが――」

「うん。どうなったんだ?」

「胸ぐら掴んで怒鳴ったら、そのまま廊下に転んでいったよ。……俺が」

「……ご愁傷さま」

 

 ちなみに、こう見えて理事長の息子である。人は見かけによらないものらしい。

 

「うるせえ、哀れむな。……いや本当勘弁しろよ……なんで、あんな……あんな暴力と破壊と嵐の化身みてえな女に俺は幻想抱いてたんだと……!」

「まあ、見た目は最上級に良いからね、赤音さん」

「ああそうだよ。ぜんぶ後悔してんだ。……本当、あん時おまえを殴らなかったらなあ」

「そこまで後悔するのか」

「ったりめーだろバカ」

 

 むしろ最大の汚点である。あの一件のせいで二之宮赤音に目を付けられたも同然だ。そして一般生徒にするような優しい扱いをされなくなったのもそのせいだ。鷹仁としては悪夢のはじまりと言わざるをえない。自業自得というのは分かっているので、とくに不平不満こそ言っても逃げたりはしないが。

 

「でも、そこは後悔しなくてもいいんじゃないか?」

「あ? なんでだよ。むしろ殴られたおまえこそなんか言っても――」

「だって、それがあったからこうして鷹仁と仲良くなれたわけだ。なら、大して後悔する内容でもない。むしろ良かったよ、僕は」

「…………俺、おまえのそういうところ、大嫌いだ」

「僕は鷹仁のそういう素直なところ、案外好きだよ」

 

 本気で汚点である。鷹仁からすれば、なにも知らなかったと言い訳をする気も起きない。なにせ自分が怪我をして休んだところへ色々と世話を焼いたのが、思いっきり殴り抜いた彼だったというのだから正直に頭がわいているのかと思った。もっとも、真相は単純に、彼はある程度の他人とのアレコレをそこまで気にしない質だというだけだろうが。

 

「……なあ十坂。実際、その気がないなら会長とか、やめとけよ。なんならいい女子を紹介してやる。こう見えて学校では親の七光りだ。馬鹿にされようが資産持ってんのは確定なんだよ。……どうだ、一年の原田(ハラダ)とか、A組の猪須子(イノスジ)とか」

「? ごめん、知らない」

「綺麗どころだ。まあ、うちのバケもんみてえなヤツらにゃ敵わねえが……それでも見所はあるぞ。なにより性格だ。こう、トゲとかいうレベルじゃない、もうなんだ、釘とか、ネジみてえのがない」

「……鷹仁はときどき難しいことを言うな。僕にはさっぱりだ」

「……ああ、すまん。悪かった。誰がいちばんそうなってるかなんて、言うまでもなかったよな」

 

 トゲはないし、釘もなければ、ネジなんて飛び出てはいない。むしろそれら全部が外れて飛んでいっているような人間がいたのだと、鷹仁は目の前の少年を見ながら思い出した。

 

「とにかくだ。会長はやめとけ。いいか、ここだけの話、あれは相当だぞ。大概の物事に関してはさっぱり割り切る二之宮赤音が、一年間もどこぞの誰かのために席を残してやがる。……この意味が分かんねえほど、おまえも鈍くはねえだろ」

「おかしいよね。代わりなんて、いくらでもいるのに」

「……すまん。前言撤回だ。よし、言ってやろう十坂。いいか、二之宮赤音はな、おまえのことがす――」

「あら、随分と楽しそうな話をしているわね」

 

 がらり、と部屋のドアが開いた。さっきまで妙にぐいぐいと来ていた鷹仁の体がピタリと固まる。ついでに、玄斗の箸もスッと止まった。おそるおそる、といった様子で鷹仁は扉のほうをふり向く。――スライド式のドアを開けて立つ赤音の顔は、ぞっとするぐらい綺麗な笑顔だった。

 

「……十坂。俺、死んだかもしれん」

「いや、それは困る。まだ十六だぞ。早死になんて、よくない」

「ああもう本当おまえのそういうところが大っ嫌いだわ俺……」

 

 ふっ、と笑う鷹仁の頬を涙が一筋つたう。覚悟を決めた男の姿だった。

 

「――じゃあな、十坂。また会えたら、そうだ……一緒に酒でも飲もうぜ」

「お酒は二十歳になってからだよ、鷹仁」

「バーカ。酒のひとつやふたつくらい飲んだって」

「生徒会書記、木下鷹仁」

「はいっ!」

 

 ガタン、と勢いよく鷹仁が立ち上がる。いい返事、おまけにいい姿勢だった。気の持ちようが違う。

 

「いまは昼休みだし、仕事でもないし、とやかくは言わないけれど」 

「……あ、はい。それなら」

「次、へんな真似してみなさい。――もう一度昼の夕焼けを見せてあげるわ」

 

 〝――余計(ヨケイ)(コト)()ウナ〟

 

「――――、」

 

 ぞっとしなかった。ちょうど一年生の頃。とある男子を殴ったコトが発端で見た真昼の赤い空を、彼はふと幻視したような気がした。

 

「……牙を抜かれた忠犬って話、本当だったのか。鷹仁、すごい大人しい」

「やめろ……それをここで言うな……ああちくしょう……俺を誰だと思って……」

「言って欲しいの? 永遠の二番手、トップにはなれない男、成績も学年二位、頭よりもその次の次ぐらいがいちばん輝く人材。そう私は評価しているわ」

「すいませんもう良いです」

 

 がっくりと肩を落として、鷹仁はパイプ椅子に座り込んだ。気持ちその金髪がいつもよりくすんで見える。

 

「それとそこの副会長カッコカリ」

「はい」

「放課後、残っておくこと。勝手に帰ったら承知しないから」

「わかりました」

「……それと」

「?」

 

 スッと、彼女は目を細めて、

 

「……味の感想を聞かせなさい」

「あ、すごい美味しいです。赤音さん、料理上手なんですね」

「……当然よ。私にできないコトなんて、ちょっとしかないわ」

「ちょっとの範囲がおかしいだろ……」

書記(そこ)うるさい。……じゃあ、それだけだから」

 

 言って、赤音は足早に教室から去って行った。バタン、とわずかながら乱暴にドアが閉められる。狭い数学準備室に残されたのはふたりの男子。状況をあまり飲みこめていない玄斗と、状況を飲みこめすぎた鷹仁のみ。

 

「……十坂」

「? なんだい」

「やっぱり俺、おまえのこと苦手だ」

「そっか」

 

 言いながらも、ふたりの間に険悪な様子はない。静かな部屋に流れる沈黙はけれど長く心地よく続いている。きっとそんな関係も、ときには友情と呼ぶのだ。




珍しい平穏回。連続更新中じゃないとこれは書けないと思ったので。








生まれも育ちも優れてて七光りで調子乗ってるのに一番にはなれないという拗らせ全開系男モブ。そんな中にちょっと良いなと思った人と仲良くしてるのが同学年のしかも成績トップとかまあそりゃあカッとなる。でも仕事はできるし頭も回るのでそのあたり割り切るとメイン級。……いや、男キャラのヒロイン力とか実質ないから。


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あなたはそこに生きていますか

重いだヘヴィーだNiceboatだと言われますけど、わりと今作書いてるときに叩き込んでるのは良い方向の想いだったりします。


 

 誰もいない教室で、玄斗はひとり腰掛けている。すでに日は落ちかけていた。黄昏色の空を、なんとはなしにぼうと見つめる。待ち続けてはや二時間。退屈なコトも忘れるぐらい、なにかを待つというコトには慣れている。待つしかないのならそうするべきだ。昔は、それだけで一日が終わっていた。

 

「…………、」

 

 らしくもなく、ある筈もない感傷に浸りかけた。なんてことはない。ただの気の迷い。四埜崎蒼唯につけられた心の隙間から、漏れるように吐露した。……そんな、名前も生きた意味もないような人間なんて、どうでも良いというのに。

 

「(……でも、どうなんだろう。最近は本当、よく分からない)」

 

 見失った答えを取り戻すのは難しい。元よりなにもなかった彼に、それはどんな無理難題よりも厳しく思えた。ぽっかりとあいた心の穴。いいや、それは事実、はじめから用意されなかった欠如のカタチだ。なにもない。だから、なにも感じない。あたりまえをあたりまえと知らなかった日々が、いまは遠く懐かしい。

 

「…………、」

 

 窓の向こう、見上げれば燃えるような夕焼けが広がっている。赤い、赤い、黄昏時の空の色。ふと、そんな光景を見続けていた過去を思い出した。色のない部屋に、唯一と言っていいほど色が付く瞬間。もはや見えなくなりかけた瞳を開けて、最後にその瞬間を見届けたのだったか。古い記憶だった。らしくもない、と蓋をしてしまい込む。……でも、どうなのだろう。らしくはないというが、一体、自分らしさとはなにか。

 

「(……分からない。それはとても、難しいんだ)」

 

 ひとりになると静かで良い。でもこうして悩むのは、今日がはじめてのような気がした。誰かの言った例え話に乗るとすれば、中身に水がすこし溜まった証拠か。ひび割れたガラスの花瓶に、手を加えた人が居たのだろう。物好きにも、ガラスの名前まで突き止めて。

 

「……なにもない。なにもいらない」

 

 おまえの名前はそういうことだと、言われたのがもう懐かしい。一にすら届いておらず、有るわけではないモノなのだと。そんなおまえになにも要らないだろうと、仕事の忙しい父親はとくになにをするワケでもなかった。毎日が必死だった思い出。あたりまえのように食事をして、あたりまえのように学校へ通う。そんなことが夢のようだったときの自分も、大して変わっていたわけではない。ただ、いまはそんなモノを謳歌する余裕すらなくなっている。

 

「(変な話、それしか考えられなかったんだから当たり前か。……だとしたら、いまの僕には一体、なにがあるんだろう――?)」

 

 いや、そんな予想こそ。有る(・・)という思い自体が、間違っているような気がして――

 

「なーに黄昏れてんのよ」

 

 力強い声音に、不安と心配を吹き飛ばされた。

 

「……いえ、ちょうど。黄昏時だったので」

「ふうん。――なんだ。案外、らしい(・・・)じゃない」

「……らしい、って?」

「別に。ただ、思ってたよりも前に進んでたってコトよ」

 

 そっと教室に足を踏み入れて、赤音が側まで近付いてくる。夕方の校舎には昼間とは違った異界の有り様が広がっている。夜になればもっと隔絶した空間に成り果てる。日常のなかに溶け込みながら、時間と見え方でそのカタチを変えていく印象だ。

 

「前に?」

「そう。立ち止まってばかりの足を動かしたのが……どうせ、気に入らないやつなんでしょうね。大方、そんなことができるのは私の知る中であの女ぐらいよ」

「……先輩から、なにかを?」

「聞いてないし、聞きたくもないわ。ただ、変わったってコトは、すぐに気付いた。……本当、人が見ていない間にできるところまでやるんだから、あいつ」

 

 憎々しげに顔をしかめて、赤音はさも自然と毒を吐いた。ある種の信頼にも近い嫌悪は、きっと彼女たちの確執であり不仲の原因だ。二之宮赤音と四埜崎蒼唯。ふたりの間によろしくない部分があるのは、この学校の誰もが知っている。

 

「ね、玄斗」

「はい」

「夕焼けは、好き?」

「……どうでしょう。でも、悪くはないと思います」

「そう。……私は好きよ。だって、こんなにも綺麗な景色があるんだって、毎回気付かされる」

 

 そう言って、赤音は頬をゆるめながらほんのりと笑った。その姿が、名前のとおり、実にいまの風景と似合っている。

 

「……さ、帰りましょう。あまり残ってると、先生に怒られるかもしれないし」

「え? あの……なにか用事があって、残したんじゃ……?」

「む…………、」

 

 くるりと踵を返して去ろうとしていた赤音の動きが、ピタリと止まる。なんだろう、と玄斗が首をかしげいてると、しばらくしてそっと彼女はふり向いた。外は夕焼け。赤い世界。その頬が熱に浮かされているように見えるぐらいには、おかしな時間帯だった。

 

「……一緒に帰りたいだけで引き止めちゃ、悪い?」

「……いえ。そんなこと」

「……ならいいじゃないっ」

 

 帰るわよ、ともう一度くり返した赤音の後ろを、玄斗は急ぎ足で追うように付いていく。傾いた日と、赤い空。風景はとびっきり特別だ。これ以上ないぐらいの余韻を残して、教室の扉を後ろ手に閉める。いまの彼にとっては彼女の揺れる赤髪が、どこか、いつもより目を引いた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 街中に出ると、すでにポツポツと明かりがつき始めていた。公園の電灯、繁華街の煌びやかなネオン、住宅街の窓から覗く細い光。人の営みが終わる間際、夜になってもまだ眠らない現代の光だ。そんな中を、玄斗と赤音はふたりして歩いていく。

 

「んー……やっぱり良いわね、こういう、なんていうか……暗いけど明るい街」

「そうですか?」

「ええ。だってなんか、ワクワクしてこない?」

「……すいません。ちょっと、よく分かりません」

「ま、感性は人それぞれか。あんたはそう、私はこう。十人十色よ」

 

 呟いて、赤音は歩を進める。人ごみをかき分けて、時に人の流れにのって、すいすいと進んでいく。慣れたものだと玄斗はすこしだけ目を見開いた。自分にはすこし、ああいう経験が足りていないような気もする。

 

「玄斗。生徒会、どう?」

「大変です。でも、やりがいはあるコトだと思いました」

「無難な台詞ね……もっとなんかないの、あんたらしい言い方」

「……僕、らしい……」

 

 言われて、ふと足を止めた。らしさ。たったの三文字になるその言葉は、一度考え出すと非常に難しい。十坂玄斗であれ、■■■■であれ、らしさというものを見つめ直すとどうしても答えに窮する。……手探りでも、掴めそうにはなかった。

 

「そ。……あんたらしく、これ、難しい?」

「……はい。とても」

「そっか。参ったなあ……そこまで悩むようなコトでも、ないんだけど」

 

 やっぱりそういうことなのか、と苦笑しつつ赤音は理解する。ここに来て囚われているのがなんなのか、しっかりと見えた。自縄自縛とはまさにこの事で、なるほど、どうりでこうも歪なのだと全体像さえ浮かび上がる。ただ待って、解して、その奥底にまで手を伸ばす。――そこまで優しくするつもりも、甘えるつもりも、彼女にはなかった。

 

「玄斗は、なんのために生きてるわけ?」

「なんのって……………………あれ……?」

「…………やっぱ、駄目か」

 

 なんのため。ふらついた足を、近くのガードレールで持ち直した。壱ノ瀬白玖のためというのは理由たりえない。違う、それはまた別の理由だ。なんなら死んでもできるコトだってある。でも、じゃあ、それなら。――一体、自分は、なんのために――?

 

「十坂玄斗だから。……そんなコト言って腕章を断ったときから、おかしいとは思ってたのよ。大体、理由が致命的にすぎる。……その名前はきっと、あんたにとって特別な意味を持ってるんでしょうね」

「――――!」

 

 本当に、とんでもない人ばかりだ。なぜこうして、頭の中を直接覗いたみたいに、誰かの考えを読めるものか。玄斗にはそんな原理がさっぱり分からない。人付き合いなんて、()は〝一切するコトなんてできなかった〟から、余計にそうなる。

 

「十坂玄斗。まあ、悪くない響きだし、そこに意味があっても、良いとは思うけど……」

 

 でも、と彼女は区切って

 

「それがどうしたのよ」

「……え?」

「名前なんてただの飾りよ。言っちゃえば記号でしかない。それ以上なんて、所詮誰かが勝手につけたものでしかないわ」

 

 がん、とハンマーで頭を殴られたような錯覚。メッキ()が、剥げた。

 

「十坂玄斗だろうがなんだろうが(・・・・・・)関係ない。あんたはあんたってコト。名前に囚われるなんて馬鹿らしい。〝美〟ってついてちゃ絶対美しくないといけないの? 〝善〟って入ってたら完璧に良い人じゃないと駄目なワケ? 違うでしょう。名前なんて、誰かを表す記号で十分」

「ただの……記号……」

「そうよ。そんなコトも知らないなんて、本当バカね、玄斗は」

 

 からかうように、赤音は笑った。十坂玄斗(ただの記号)に囚われているおまえはバカだと。なんでもないように、今さら生きることの大前提を示すように。もう繋げれば三十年と生きてきた、彼の不足を補うように。

 

「あんたはね、玄斗。馬鹿で、鈍くて、天然で……そのくせ自分のことに目がいってない。だから、同じ方向に来てるものも気付けない。面倒くさい人間よ、あなた」

「……面倒、くさい」

「うん。とっても。……だから、まずはそうね。自分を見つめ直せ、なんて言わないけど。自分であること。自分でしかないこと。それをきっちり、覚えておきなさい」

 

 どこまでいっても自分は自分。そう思い込んできたときはあった。けれど、きっと、赤音の言葉は意味が違う。それこそ、根本的な部分からそうだろう。

 

「言ってたわよね、玄斗。前に……誰かが笑えてたら幸せって。そんなワケないじゃない。あんたの人生なんだから、あんたが笑えたら幸せよ。良いコトだって、悪いコトだって……まず、あんたが笑わなきゃ意味がない」

「……僕が、笑う」

「でもって、それが駄目なコトなら私が叱り飛ばしてあげるわ。ふざけるなこの悪党、ってね。なんたって生徒会長だし。そのぐらいはまあ、当然の義務よ」

「……怒ってくれる、って意味ですか?」

「だからそう言ってるじゃない。なによ、不満?」

「…………いえ」

 

 不満なんて思うワケが、なかった。

 

「気持ちとか、心とか。そんな難しいもんは後回しでいい。だから、玄斗。あんたはね、あんたとして(・・・・・・)しっかり生きなさい。自分の人生よ? まず真っ先に体験して、見て、感じて、感動するのは自分なのよ? なら、自分がこうだと思う生き方をしてないと、もったいないじゃない。たったの八十年とかそこらしか時間はないんだし」

 

 長くてもそれぐらい。短ければ、それこそ今にも死んでいる。前がそうだった。なにをする暇もなく、なにを感じる余分もなく、気付けば間際にまで近付いていた命だった。だから、その言葉は予想外なぐらい、しっくりきた。

 

「そしたら、いずれ固まって、実になって、誰でもないあんたの色が生まれる。きっと影響なんて受けまくるから、ときどき変わって、混じって、変な色になっちゃうかもね。でも大丈夫よ。きっと最後にはあんただって思えるものになるんだもの。それまでの変遷ぐらい、楽しまなくっちゃそれも損」

「……僕の色、ですか」

「ま、いまはまだ色もなにもないでしょうけど……特別に、教えてあげましょうか。ね、知ってる、玄斗?」

「……?」

「目を開けて、ただ呼吸する。……生きるってね、それだけでとっても楽しいのよ」

「――――――、」

 

 剥げる、剥げる、剥げる。ボロボロと、取り繕っていた(ナニカ)が剥げる。ああ、そうだ。そんなものを知るわけがない。知っていたはずがない。なんてコトだろう。こんなにも簡単で、いつだって、誰にだってできるコトすら――当然のごとく、できていない。

 

「……知り、ませんでした。それは」

「でしょう? でも、いつか分かるわ。きっと分かる。だってあなたはまだなにもない。これから沢山ため込んで、モノにして、作り上げていく器だもの。……一先ず、私が言いたいコトはこれぐらい」

 

 恥ずかしそうに話を締めくくる赤音とは対照的に、玄斗は呆然と彼女を見つめた。まだ衝撃から立ち直れない様子だ。遅すぎたヒントに、手足が揺れすらしない。でも、たしかになにかを掴んだという感触は、残っていた。

 

「……先輩もそうでした。けど、赤音さんも相当です。なんで、僕の考えてるコトが分かるんですか?」

「……まったく。そんなコトも、分からない?」

「はい」

 

 彼は素直に答えた。彼女は頬を赤くしながら、そっぽを向いて一呼吸置いた。

 

「――あんたに気があるからよ、十坂玄斗(・・・・)

 

 息が止まるという瞬間を、玄斗は改めて思い知った。ストレートだ。歪みない。歪みがなさすぎて、真正面からたたき伏せられそうだった。

 

「……赤音さん、が?」

「それ以外に誰がいるのよっ」

「……え。でも、それって」

「ああもうしつこい! 私はあんたのことが好きって言った! 押し付けた! ただそれだけ! だいたい、そんな精神状態で答えなんて望んでるかバカ! もっと落ち着いてから返しなさいよっ!」

「ご、ごめんなさい……?」

「まったく……」

 

 がーっと吠えるようにまくしたてて、赤音は腕を組みながらふいっとよそへ視線を投げた。微妙な静寂。街の喧騒は絶えないのに、そこだけが異様な空気に満ちている。頬の熱が引いた頃を見計らって、さきに会話を再開したのは彼女だった。

 

「――だから、まあ」

「っ」

 

 ぱしっ、と玄斗の腕が掴まれる。優しく、暖かく、包み込むように、けれど引っ張るように、ぐらりと赤音のほうに傾いた。そんな、一瞬。

 

「まずは今夜、付き合ってもらうわ。夜の街をバックに遊びたおすなんて、素敵じゃない」

「それは、どのくらいまで?」

「そうね……じゃあ、補導されるときまでにしましょうかしら」

「……駄目ですよ。生徒会長がそんな」

「バーカ。生徒会長である前に、私は二之宮赤音よ。それを今日、あんたに教えてあげるわ」

 

 笑う赤音に引き摺られて、彼はずるずると夜の街へ入っていく。悪いこと、良いこと。どちらであれ思うようにして、駄目であれば叱ると言ったその人がだ。本来なら忌避すべき現実である。――なのに。

 

「…………、」

「ん。やっと笑った(・・・)わね」

「え……?」

「笑った。……あんた(・・・)の笑顔は素敵ね、玄斗」

「――――、」

 

 どこか、悪い気はしなかった。






先輩が■■■■を引き摺りあげてないと成功しなかったやり方で、同時に内側に頼った彼女と違って十坂玄斗として叩き付けたあたりが先輩の後の章にコレを持ってきた理由だったりします。まあ正反対。そりゃあ馬も合わない。







設定ポロリしたので付け足すと、なにもしらない子供のまま成長して狂った精神性というのが土台に残ってたりします。いや、それ見抜けるヒロインとか流石にエキスパートでもないと無理じゃねーか(本編を見つつ)


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これからは透き通っても

三章も峠を越えたので一安心。やっとこいつの化けの皮をはがせる……


 

「あー楽しい。もうこんな時間よ?」

「……本当ですね」

 

 時計を見ると、すでに九時を過ぎていた。真夜中というほどではないが、高校生がうろつくにはあまりいい顔をされない時間帯でもある。ましてや制服姿で遊び呆けているとあれば、そう見られてもおかしくない。

 

「……いいんですか? 本当に。生徒会長の赤音さんが」

「良くないわよ。見つかったらしぼられるわね」

「じゃあ、なんでこんなこと」

「そりゃあ、決まってるでしょう。私がしたかったからよ」

 

 自分勝手で自己中心的。そうとも受け取れる台詞を、彼女は躊躇わず口にした。したいからする。やりたいからやる。難しくはない。考えずともその行動理由は理解できる。とても単純で原始的な、そして何にも劣らないモノだった。

 

「……僕も」

「……うん」

「僕もいつか、そんな風に思える時が来ますかね」

「来るわ。絶対来る。約束する。玄斗は、これからだもの」

 

 前の記録が十六年。今回の記憶も、歳で考えればちょうど十六年だ。それでもなおこれからだと言われる。足りないものが多すぎる証拠だ。きっとはじめにぜんぶ育ちきらなかったせいもあるだろう。まともな幼少期ではなかったのだと、気付いたのは生まれ変わってからだった。

 

「……なに暗い顔してんのよ」

「いえ、そんなことは……ただ」

「ただ?」

「……うまく、出来るのかなって」

「ばっかみたい」

 

 しぼり出すように言うと、赤音は「はんっ」と鼻を鳴らしながら意地悪げに笑った。

 

「上手いも下手もありゃしないわよ。そいつの人生、そいつが作らなきゃ誰が作るのかってね。……安心しなさい。どんなに変わっても、どんなところに行き着いても、きっとあんたは素敵な男の子になるわ。その時にまた惚れて、私も出直してあげる」

「……赤音さん。その、僕は」

「答えなくていい。……まだね。時期じゃないでしょう。きっと色んなコトを覚えて、経験して、実感して……それで、あんたがしっかりできたとき。答えはそのときに聞くわ。それはきっと憎たらしいあの女だとか、ましてや最近あんたと仲の良いあの子だったりするのかもしれないけど――」

 

 でも、とひと息ついて、赤音は玄斗のほうを向いた。ゲームのキャラでいう十坂玄斗になんかではない。ましてや、過去に別のどこかで生きて死んだ■■■■にでもない。今ここに生きている彼に向かって、真っ直ぐに。

 

「それが私だったら、最高じゃない」

 

 にっと笑って、嬉しそうにはにかんだ。

 

「……それ、言って良いんですか? その……僕の気持ちが、大分、揺らされているような」

「当然よ。私が選ばれたいんだから、そこは推していくわ。むしろ推さなきゃ誰を推すのって……案外しつこいし、誰にも渡したくないって思ってるわよ?」

「……意外です。赤音さんは、いつもさっぱりしてるので」

「あんただけは特別よ、玄斗」

「そうでしたか」

 

 その一言は、なんとなく嬉しかった。フィルター越しではない。その人物そのものというワケでもない。ただ純粋にこの人は目の前にいる誰かと話をしているだけなのだと、そう思わせる自然体がどこまでも刺さった。

 

「十坂玄斗なんて記号じゃない。ましてや、違いもなにもないわ。私はね、玄斗。目に見たものしか信じないの。だから。目の前のあんたの力量を信じて、副会長の席を用意したんだから」

「……でも、幽霊とか怖がってませんでした?」

「あれは別。ほら、なんていうか。見えないからこそ怖いっていうか……」

「……ちょっと、かわいいです」

「なっ――」

 

 ずざっ、と隣に座っていた赤音が距離をとる。公園のベンチだったせいか、あまり幅は広がらなかった。むしろなんとなくアレな雰囲気になって、赤音としては油断したと思わざるを得なかった。

 

「……ま、いっか。それも第一歩かもね。あんたが思うあんたであること。素直でいること。あとは、いつだって逃げないこと」

「三つ、ですか」

「三つ、よ。玄斗。後悔するな、なんて土台無理な話だけど……せめて、後悔しないような生き方を選びなさい。あとで悔やむぐらいなら、いま悔しがってでも自分のしたいことをしていくの。後悔はなくすんじゃない。減らすのよ、それが私からのアドバイス」

「……後悔を減らしていく、ですか」

 

 それはなんとも、良いなと思った。後に悔やむ。だからこそだろう。それ自体を無くそうと思ってもできないのなら、せめて減らしていくのだと、前を向いて彼女は答えた。綺麗な生き方だと玄斗は思う。ずっと、ずっと。思えば目を合わせたはじめから、二之宮赤音は綺麗だった。

 

「さて、じゃあ、そろそろ帰りましょうか」

「……補導されるまで遊ぶんじゃなかったんですか?」

「それもいいけど、やっぱり外聞はあるしね。もう好き勝手動ける時間帯でもなくなってくるし……それに、なんだか満足しちゃったもの。もう、いいわ」

 

 後顧の憂いもないといった表情で、赤音は立ち上がった。夜の帳に包まれた街は、点々とした光で彩られている。それをすこし離れた公園から見た。風情も雰囲気もあったものではなかろうが……なにより、彼女らしくあるというなら完璧だ。なにも特別感こそがすべてではない。なんとはなしに送る生活も、しっかりと宝物だ。そんなことを、ついさっき、当たり前のように玄斗は気付いた。

 

「……赤音さん」

「なに、玄斗」

「夜空って、こんなに素敵だったんですね」

「……そうね」

 

 ふと頭上を見て、玄斗はそう漏らした。夜空なんてまともに見るのは何時ぶりか。それは十坂玄斗としてではなく、彼としてこぼれた自然な言葉。

 

「……すごい、綺麗だ」

 

 たとえ現代の明かりに翳んでいたとしても。夜空なんて言えるほど立派な星の輝きではなくなっていたとしても。月がどこか欠けていて、満ち足りてはいなくても。はじめて彼が見たこの世界の夜空は、どこまでも透き通るようで、吸い込まれそうな闇色だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

『それ、返してもらうわ』

『……いいんですか?』

 

 安全ピンで留めた黄色い腕章を指差して言う赤音に問うと、彼女は笑って「いいのよ」と言った。ちょっとだけ、寂しそうな表情をして。

 

『……別に僕は大丈夫です。最近はちょっと慣れてきました。むしろこのままでも』

『なに言ってるのよ。私が求めてるのはそんな、ちょっといい雰囲気に流されて、ちょっと相手のコトなんて思ったりして、傾いたあんたの心じゃない』

『――――』

 

 側にまで近寄って囁きながら、赤音は彼の制服から腕章を外した。生徒会副会長。それを証明する黄色い目印が、彼女の手の中におさまる。

 

『いい、玄斗。考えなさい。考えて、考えて、自分なりの答えを出すの。あなたが決めたあなたの答えを。きっとそれにはめいっぱい時間がかかるわ。だから、それまでこれは私が持っててあげる』

『でも、それは……』

 

 時間がかかる。分かっているなら尚更だ。二之宮赤音は生徒会長であり最高学年であり、つまるところの三年生になる。残された時間はあとわずかで、待っているなんてできない筈だろうということはいまの玄斗でも分かった。

 

『あと一年、されど一年よ。そのぐらいなら、辛抱にもならない。……勝手に期待してるわ、玄斗。だからあんたも、勝手に応えるなり、勝手に裏切るなりしなさい。誰がなんて言っても、とやかく文句言われても、関係ない。だってあんたが生きる時間は、あんただけのものでしかないんだから』

 

 要するに他人のコトなんて気にするな、と赤音は言っている。それは難しいことだ。誰かに頼らないというのは慣れているが、なんにも頼らないというのは慣れていない。自分の足で立って、自分の拍動で生きる。そんなコトがこれから長い間続くのだと思うと、不意に、足が震えそうになった。生命維持装置のない生活が、いまになってすこし怖い。

 

「(……でも、それが普通だ。いままでしてきたんだ。だから、平気だろう)」

 

 朝起きて心拍数を図る機械音はない。吐息がこもるマスクも必要ない。病衣なんてあれっきり一切着てもいない。それでも生きてきた。だから、これからもきっと。

 

「あ、おはよう玄斗。今日は早い、ね……?」

「――うん。おはよう、ハク(・・)。ちょっと、寝覚めが良くて」

「……なんか、玄斗……変わっ、た……?」

「そうかな……うん。そうかも」

 

 そうやって歩き慣れた通学路を進むと、案外新鮮なことに気付いた。もう散ってしまった桜は、春になると満開で綺麗だったのを思い出す。ちゃんと意識したのは今日がはじめてだった。空が青い。草木が揺れている。空気も澄んでいる。――ああ、なんてこと。こんなにも満ち溢れた世界に生きていたのだと、彼は初めて思い知った。

 

『だから次は、しっかりとしたあんたで来なさい。そのときにコレを渡してあげる。だから、しっかり考えて、見て、感じて、聞いて。そして――とことん生きるのよ、十坂玄斗。あんたにはそれぐらいの贅沢、とっくに許されてるんだから』

「――――うん」

 

 さあ、と風が前髪をさらった。別物になった視界に、元からあった色がちゃんと見えた気がした。本当に贅沢だ。いまここにあるすべてのものを、タダで心に映すことが許されている。どこまでも、ありえないぐらいの。

 

「今日は、天気が良い」

 

 晴れやかに、健やかに。十坂玄斗(アトウレイナ)は、目の前の世界を受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

「山川先生、一年生の子は」

 

「まだ、だって。病気、酷いって話よ」

 

「そうですか……新入生歓迎会は……だめですか」

 

「ええ……治る見込みはあるらしいから、はやく元気になってほしいけれど」

 

「ですね――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――アトウレイナ(・・・・・・)さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

「…………、」

 

 

「……………………、」

 

 

「…………む」

 

 

 

 

「……どうにも今日は、天気がよろしいのですね」

 

 

 




名前:アトウレイナ

性別:?

年齢:?歳

趣味:特になし

特技:せき(ときどき加減を間違える)

イメージカラー:透明

備考:????
(制作会社 明有コーポレーション発刊:アマキス☆ホワイトメモリアル2完全攻略ガイドブックより抜粋)








小ネタ:本作の隠しヒロイン。一説にはそのモデルとなった人物が居るとネット上でまことしやかに囁かれているが、真偽のほどは一切不明。ちなみに制作会社の元代表取締役と同じ名字らしい。


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触れ合うべきかそうでないか

こういうので良いんだよこういうので……(発作をおさえつつ


 

「……十坂」

「うん、どうした? 鷹仁」

 

 もぐもぐとおにぎりを咀嚼しながら答える彼に、木下鷹仁は頬杖をつきながら目を細めた。いきなり決まった副会長代理が「彼、辞めさせたわ」との会長の鶴の一声で来なくなって数日。相も変わらず第二数学準備室で――今回は鷹仁の用意した市販の――昼食をつまみながら、彼らの昼時はゆったりと流れている。

 

「おまえ、会長となんかあったのか」

「? あったけど」

 

 どうしたんだ、いきなり……なんてあっさりと白状する男にため息がもれた。それもそのはず。すこしの間とはいえ玄斗の消費していた仕事が、ぜんぶ元の鷹仁へ返ってきたような状態だ。グロッキーである。もうしんどいやめたいつらいだるいと満身創痍になりかけている彼とは裏腹に、職務から解放された一般男子生徒の顔色は良い。ともすれば、生徒会に入る前よりも。

 

「なんだ。それは。……不仲か? 殴られたか? なら気にすんなよ、俺なんか思いっきりアッパーカットくらったことあるからな!」

「いや、それは自慢にならないだろう」

「……だな。自分で言ってて虚しくなった。てことは違うか……じゃあ、なんだ? もしやあれか? 甘ずっぱい恋愛でもしてやがったかあ?」

 

 カマをかけたつもりでも、ましてや誘導尋問なんて行っていたワケでもない。そもそもそういった回りくどいやり方はこの少年に対してはほぼ無意味で、大抵の場合はストレートに聞いたほうが早かったりする。なので、

 

「まあ、そんな感じ」

「――――、」

 

 たまたま問うたその言葉が、ど真ん中ストレートだった。

 

「……まじ、か?」

「うん。好きだって言われた」

「そりゃあ、あれか? 人としてって奴か?」

「……うーん、あの場でそういう理由は……ないと思うけど」

「――――」

 

 馬鹿な、と震えながら鷹仁は立ち上がった。あるがままを受け入れる。目の前の事象に対して頭を回すことが稀な彼が、しっかりと状況を判断して、色々な要因を見渡したうえで結論を出している。そんなハズは、とパイプ椅子ごと鷹仁が後じさる。

 

「お……おい……十坂……おまえ……!」

「……なんだその反応。今日の鷹仁、ちょっと変だぞ」

「へ、変なのはおまえだこの野郎……! 嘘だろおい! いつも寝惚けてて鈍感で天然な唐変木がてめえのキャラじゃなかったのか! なんとか言え!」

「ちょ、っと、あまり、揺すら、ないで、くれ……」

 

 がくがくと肩をつかんで前後に揺さぶる鷹仁と、思いっきり頭ごとシェイクされる玄斗。グロッキーである。

 

「……で、実際……なにがどうなったんだよ。おまえが」

「実際も……なにも……いま言った……とお……うっ」

「…………すまん。やりすぎた。許せ十坂。すべてはあの会長が悪い」

「いや……赤音さんは……悪くない……と……思う……」

 

 さすさすと鷹仁に背中をさすられて、腰を折った玄斗が必死で呼吸を安定させる。三半規管の大事さを思い知った。ぐわんぐわんとボウルの中に入れられて回される生卵の気持ちとはこんな感じだろうか、なんて玄斗の頭には的外れの想像がよぎる。

 

「てか、それでなんて答えたんだよ。いや、もちろん断ったよな?」

「そこは保留にさせられた」

「……うん? した、じゃなくて、させられた……?」

「だね。しっかり考えて、自分の気持ちを見つけてから来いって。焦るなって。……考えてみたけど、そういうときに時間を与えるのは、悪手なんじゃないのかな」

「……そりゃそうだろ。勢いとノリに任せてその場の雰囲気でガーッと行くのが賢いやり方だ。そうすりゃ、あとは成り行きでなんとかなったりならなかったりする。恋は水物だ。重く考えすぎても軽く捉えすぎても駄目だ、ってのが俺の主張だったりするんだが……」

「なるほど」

 

 恋は水物、とイイコトを聞いたように目を光らせてくり返す玄斗。余計に鷹仁は心配になった。なんだか前と比べて変わっているのが顔色だけではないような気がして、ちょっとだけ不安にもなる。もっと、こう、大事などこかに影響が出ていないかと。

 

「しっかり考えろって、赤音さんには言われた。時間をかけてもいい、じゃないんだ。時間をかけろ、って……となると、どうなんだろう……だって、赤音さんからすると、そのまま突っ切ったほうが良かったってことになるんだろう?」

「だろうな。あの女がそこに頭いかないワケがねえ。なにせ二之宮赤音だぞ? 生徒会切り盛りしてる〝学年二位〟の優等生だぞ? ……って、考えてみるとだ。おい、ナンバーワンになれねえのはアイツもじゃねえか! は、ははは! こりゃあなんともお似合いだぞ!? 二之宮! 二之宮だそういや! 一番には成れて――」

 

 ぞくっとした。具体的に言うと、指向性の殺意を感じた。かなり濃いカンジの。

 

「……いや、やめておこう。これ以上の迂闊な発言は俺の首を絞める。むしろ飛ぶ」

「鷹仁?」

「なんでもねえ……で、話を戻すとだ。そのまま流れてくれたほうがこっちにとって嬉しいモンなのに、わざわざ時間まで用意した。その意味だったか」

「うん。何度考えても、納得のいく答えが出ない」

 

 知恵を貸してくれ、とおにぎりをかじりながら玄斗が言う。あの十坂玄斗が本気で恋愛事に悩んでいる。これは大きな進歩だ、と鷹仁は感じ取った。言わば今までの彼は半分脳みそが死んでいるも同然だった。あるがままを受け取るばかりで、そこから追求したり思考したりという余裕を持たなかった。受け止めるのに精一杯だった心に、隙間でも出来たかどうか。なにはともあれ、鷹仁は息を吐いて彼のほうを向いた。

 

「……案外アホウだな、十坂」

「かもしれない。勉強が出来たって、頭が良いとは言えないんだな、やっぱり」

「言えてるな。……ま、簡単なことだろ。そんなわざわざ、そういう空気まで作っておいて待たせるってのはよ」

 

 とても簡単な、答えを突きつけるために。

 

「そんだけ大事なんだよ。その誰かさん(・・・・)のコトが」

「……ああ、そういうこと……なんだ」

「そういうことだ」

「…………そっか。やっぱり」

「?」

 

 くすりと、玄斗はちいさく笑った。思えば鷹仁はそんな顔をはじめて見たのかもしれない。曖昧につくったようなものではなく、困ったように眉を八の字にしたのでもなく。

 

「――優しい人だね、赤音さん」

 

 本気で、本心から、心情を吐露したような表情で、彼は笑っていた。

 

「……んだよ」

「?」

「ちゃんと笑えんじゃねーか。……玄斗(・・)

「…………なんだ、それ。本当に、今日の鷹仁はおかしいぞ」

「うるせえ。てめえがおかしいからだ。ったく、本当によお。おまえってやつはもう――」

 

 まったく世話を焼かせる。いちばん初めに頭にきて殴って、それで謹慎中の身になっていたところをノートやら課題やらを家まで運んできて、なおかつなんだかんだで悪くはない位置にはまってしまった。気付けばそうなっていた。鷹仁自身にもその気がなければ、きっと玄斗にもそんなつもりは一切なかったろう。だから、この関係は偶然に塗れたひとつの友情の形だ。

 

「――本っ当に大嫌い(・・・)なんだよ、バーカ」

 

 にっこりと歯を出して笑いながら、鷹仁は玄斗の額を指ではじいた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 同時刻。数学準備室とは離れた三年教室前廊下にて。

 

「――お膳立てありがとう。おかげで上手くいったわ」

「…………、」

 

 赤と蒼が、接触した。

 

「おいおいやべーぞ……会長と四埜崎さんが……!」

「ぐ、紅蓮(グレン)女帝(ジョテイ)蒼海(ソウカイ)静女(セイジョ)っ……ついに激突のときか……!?」

「が、がんばれ会長! 負けるな四埜崎さんっ!」

「はいはい賭けた賭けた! ジュース一本から誰でも参加オーケーだよー!」

「会長に一本!」

「いいやここは四埜崎さんに五本かけるぜ!」

「ばかやろう全部持ってけドロボー! 十八本だ! 会長っ!」

「……ここじゃうるさくて敵わないわね」

 

 はあ、と息をつく赤音に、ゆっくりと蒼唯が踵を返した。冷徹な、どこまでも冷めきった視線が彼女に向けられる。

 

「……別に、周囲の雑音に気を取られるほど暇な生き方はしていないわ」

「あらまあ、とても優雅なコトで……じゃあ、私が彼に好意を示したっていうのも、あなたにとっては雑音に入るのかしら?」

「――――!」

 

 お膳立てありがとう。最初にかけられたその言葉の意味を、蒼唯は瞬時に理解した。ついでに、目の前の女がやってくれたコトに関しても。……玄斗が生徒会の手伝いをしているというのは耳に挟んでいた。それぐらいは無視しようとしても入ってくる情報だ。だからなんだと聞き流していたが――

 

「ええ……とても耳障りな雑音(ノイズ)だわ……!」

「……そうこなくっちゃ」

 

 言って、にぃっと赤音が口の端を吊り上げながら笑う。偶々なのかなんなのか、ちょうど、十坂玄斗が学校を休んで遊んでいたと思われる日に、同じように無断で登校しなかった不届き者がいる。

 

「サボり癖は昔からだものね、蒼唯(・・)

「……息を抜いていると言って欲しいわね。あなたの方こそ、そういう適当なくせに締めるところだけ締めてればいいというような楽観視は、直したほうがいいわ」

「残念、それが私っていう人間性よ」

「とても認めがたい人間性だわ」

 

 短刀なんかではない。ふたりして槍を握りながら穂先で突いている。そんな言葉の応酬に、生徒一同は大盛り上がりだった。賭け金という名のジュースがどんどんと積み上げられていく。もはや教室はお祭り騒ぎである。それで良いのか三年生。

 

「気付いてるのがあんただけ、なんて思わないことよ。でもって、それもあとすこしで剥がれるわ。……そこからが、まあ、スタートかしらね?」

「……なにを言っているのか分からないけど、赤音(・・)。これだけは言っておくわ」

 

 くるりとふり向いて、蒼唯は歩を進めた。二之宮赤音と四埜崎蒼唯。そのふたりの仲が悪いというのは、調色高校に在学する生徒の間ではわりと有名な話である。が、

 

「――私は一切、あなたに後れをとるつもりも、負けるつもりも、ましてや譲るつもりだってない」

「――その言葉、そっくりそのまま返してあげるわ」

 

 ふたりの間柄が幼馴染みであるということを知るのは、ごく少数である。

 

「……ま。それはそれとして」

 

 ざっ、と今まで蒼唯のほうを向いていて視線がギロンと教室ヘ向く。効果音つきで。それはもう蛇に睨まれた蛙もかくやといったものだった。

 

「受験生のくせに調子に乗ってはしゃいでるバカどもは、ちょっと、ここらで一回教育したほうがいいと私は思うわ」

「「「「――撤収っ!」」」」

「逃がすかっ!」

 

 うわーやめろーしにたくなーいなどと悲鳴をあげる生徒を千切っては投げ千切っては投げしながら、赤音がずんずんと人ごみをかき分ける。本日はお日柄もよく。調色高校三年C組は、なんとも平穏な休み時間を迎えていた。  




これぐらいしても許される範囲にたったのでまあひとつ。


というかプロット段階の過去がうーんちょっとまあうーんって感じだったので中和しつつ進めないと書けない。まだ序盤だから今までの不幸描写とかそりゃまあジャブになりますとも。






っていうかよくBadEnd想起する人多いけどこれ自体はブチ壊れて狂った子供をただ救うためだけの物語だからね! 治すことはあっても壊すことはないからね!


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補佐ぐらいならともかく

 よくよく聞いたところによると、玄斗が抜けてから生徒会は忙しくなったという。

 

「もう本当死ぬ。まじで死ぬ。いまに死ぬ。殺される。殺される。他の誰にでもなく、他のなんにでもなく。俺は仕事に殺される――!」

 

 昼食時に暗い顔でそう叫んでいた鷹仁の様子は、まあ控えめにいっても酷いモノだった。忙殺という言葉があるがそもこのためか、と玄斗が納得しかけたくらいだ。なので、

 

「調色高校生徒会会長補佐、十坂玄斗ってことで」

「……木下。あんた、なに吹き込んだ」

「そういう役職があるとだけ」

「表にでなさい」

「うす」

 

 がらりと戸を開けて、ふたりは廊下に出た。生徒会室には〝補佐〟の字が入った腕章をつけた玄斗と、なにやらペンを走らせている紫水六花(会計担当)、優雅に紅茶を飲んでいる灰寺九留実(庶務担当)

 

「…………、」

「…………、」

「…………、」

 

 会話はない。なので、遮るモノはドアだけである。よくやったわ木下っ! という誰かの喜ばしい声が扉越しに聞こえてくる。素直に気恥ずかしかった。が、それだけ人手が足りない状況というのもあるのだろう。あたりまえですよ会長、とカッコつけて返している鷹仁はまあ、実際カッコつけても良い活躍と言えた。

 

「――ようしそれじゃあ取りかかるわよ。目下一番の問題は一週間後に迫った新入生歓迎会の内容ね。バカなこと、ふざけたコト、ワケの分からないコトは却下していくけど、異論は?」

「ありません」

「……紫水さんに同じく」

「おーす」

「…………、」

「……玄斗」

「あ、はい。僕も右に同じで」

「あんたの右は誰もいないわ」

「……左に同じで」

「よろしい」

 

 うんうんと頷いて、コの字型に並べられた長机の最奥に赤音が座る。左には女子ふたりが、右には鷹仁が行儀悪く足を乗せながら腰掛けている。すこし悩んで、彼はその隣の椅子を軽く引いた。

 

「待て玄斗。てめえは違うだろ」

「?」

「会長補佐だ。……隣行け、俺の隣は綺麗どころ以外座らせねえ」

「……それもそうだね」

 

 言いながらやめて、堂々と座る赤音のななめ後ろにパイプ椅子をつけた。それにまた、彼女はうんとひとつ頷く。短期間ではあるが前よりも役職だけはしっかりしている。気を入れて取りかかろう、と玄斗は瞬きと共に気合いを入れた。

 

「じゃあ学校説明から整理するけど、パワーポイントできてる?」

「昨日作りました」

 

 俺ひとりで、と小さく付け足す鷹仁。

 

「紹介用のスピーチ原稿」

「今日の午前中に」

「アナウンス原稿」

「一昨日には終わってる」

「全体のプログラム整理と進行のまとめ」

「今日の午後にちょうど」

「割り振り、分担、機材の確保」

「ぜんぶ一週間前からしてます。……俺が。……俺がっ」

「…………、」

 

 ふるふると震える鷹仁に玄斗はなにも言えなくなった。なんともアレだ。たしかにこれは噛みつきたくもなる、と友人の苦労に内心で手を合わせる。ちょっと赤音への返答だけではなく、わりとよくしてくれるこの悪友のためにも生徒会に入るべきではないのかと揺らぎかけた。

 

「飾り付けとか準備は進んでる?」

「そこはノータッチだ俺はやってねえ」

「私も知りません」

「…………、同じく」

「…………玄斗は?」

「僕は今日入ってきたばかりなので進行状況は」

「ちくしょう俺がやればいいんだろッ!」

 

 あーもうだから嫌なんだッと立ち上がって叫ぶ鷹仁。なるほどこういう力関係かと玄斗は一瞬で納得した。女三人に男子一人。いくらハーレムだなんだと言われようが、その実態は動く人材が彼しかいないという事実。赤音に選ばれた彼女たちが働けない人材なワケないだろうが、なにより悲しいのはそれを知ったうえで鷹仁が進んで首を突っ込んでいそうなところだった。根本的なところでお人好しである。

 

「……いいよ鷹仁。僕がやる。君がぜんぶやることないって」

「おお……そうか! やってくれるか玄斗!」

「じゃあ飾り付けは玄斗と木下」

「なあオイあんたいまの話聞いてたかクソ会長?」

「顔出せ」

「あんたは考え直せ」

「……ちっ。こらえ性のない奴」

「……もうじゅうぶん鷹仁はこらえてると思います」

 

 主に怒りとかそこら辺を。

 

「じゃあ次、部活動紹介。メンバーと参加部活動、および同好会。あと順番」

「大抵整理してますけど……ゲーム同好会だけ保留で」

「理由は?」

「年齢指定作品の実機プレイ」

「潰しておいて」

「うす」

 

 良いわけがなかった。ちなみにGが付くらしい。

 

「あとは……えーっと、新入生への贈り物か……木下?」

「学校側から受け取ってます。うっすい参考書とペンを」

「……まあ、モノの善し悪しは置いといて。これを渡すワケだけど――」

 

 と、そこで手元の資料を見ていた赤音の指が止まった。何事かと思っていると、どうにもすこし気になるものを見つけたらしい。ぎしっと椅子の背もたれに体重をあずけながら、玄斗のほうへふり向いてくる。

 

「これ、新入生代表。十坂真墨ってあるけど」

「ああ。妹です」

「妹ッ!?」

 

 意外にも驚いたのは鷹仁だった。がたん、と椅子から跳ね起きてズカズカと歩いてくる。

 

「まじか玄斗! 可愛いか?」

「うん、とても」

「うちの会長と比べてどうだ!?」

「……それは甲乙付けがたいかな」

「おお……!!」

「む…………、」

 

 目をキラキラと輝かせて天をあおぐ鷹仁と、じっと不機嫌そうに視線を鋭くする赤音。なんとなくその意味は玄斗にも読み取れた。が、仕方ない。身内贔屓というものもあれば、一番長く見てきたのが彼女である。正直可愛さであれば、あれほどのものもない。

 

「良い子だよ。運動も得意だし、勉強もできるし、駄目なところがそんなにない」

「……やっぱ駄目だ。なんだその完璧超人は……いや、無理。俺のコンプレックスが抉られるから無理」

「……玄斗、あんたシスコン?」

「そんなことはないです。でも、うちの妹は赤音さんにも負けないぐらい可愛いのは本当にそうですから」

「……そう。まあ、なんでもいいけど」

 

 素っ気なく言って、赤音は前に向き直った。鷹仁はなにかを感じ取ったのか、「うへえあ……」といった様子で自分の席へ戻っていく。向こうふたりからは反応がない。玄斗はあれ、といったふうに首をかしげた。

 

「(……いまのは純粋に褒めたつもりなんだけど)」

 

 気に入らなかったんだろうか、なんてちょっとだけ落ちこむ。人を褒めるのは難しい。が、間違えたのならそれも進歩だ。これからもうちょっと気を遣っていこうと、いま一度気合いを入れて玄斗は姿勢を正した。……彼の位置から、赤くなった少女の顔は見えていない。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「これから頑張ってくださいね」

「…………、」

 

 そう言って笑いながらお祝いの品とやらを渡してくる兄に、ぴくりと真墨のこめかみが震えた。マジかこいつと。本当あれだけ言っておいてまだやるかと。あとなんか生徒会長と距離近いなてめえどういうことだと。言いたいことは沢山あった。

 

「あははー……ありがとうございますー……」

「別に拍手で聞こえないから、ネコかぶる必要はないよ」

「あっはっはー…………お兄ぜったい後で覚えてろよ」

「……そんなに怒らなくても」

 

 底冷えするほどの笑顔で威嚇してくる妹をなだめながら、そっと紙袋を渡す。中身がうすい参考書とペンだと知っていれば、なかなか新入生の反応も変わってくるかも知れない。たぶん悪い方向で。

 

「……驚いた。ありゃノーマークだったが……たしかに可愛いな、おまえの妹」

「だろう? 自慢の家族だよ。……いまは、ちょっと違うけど」

「? なんだ、なんかあったのか」

「ううん。認識の問題。でも、付き合いだけはそのとおりだし」

「??」

 

 血が繋がっているかどうか。結局赤の他人と血縁の関係なんてそんなものだ。自分でなければすべて〝他の誰か〟ということにもなる。なら、中身の問題なんてそう悩むことでもないような気がした。すくなくとも、これから止めていた足を動かしていく分には。

 

「……結局、僕は僕だからね。僕として頑張るしかないんだ」

「自分は自分、ね。そらそうか。俺も自分として頑張るしかねえんだよなあ……仕事多くてもなあ……」

「……本気で大丈夫か? 鷹仁」

「……バーカ。安心しろ。ウダウダ言って愚痴こぼしちゃいるが、この程度で潰れるような人間じゃねえよ。むしろ最近はワーカーホリックの気持ちが分かりかけてきた。仕事してないとなんか物足りねえ」

「それは一度休もう。安静にしよう。仕事ばっかりしていても――」

 

『手をかけさせるな。おまえのために割く時間が勿体ない』

 

「……玄斗?」

「……仕事ばっかりしていても、ロクなことにはならないよ。きっと」

「……だな。まあ、休みはしっかり休むさ。学生だしな」

 

 それがいい、と玄斗はうなずいた。休みの日もなく仕事というのは、なんとも、心の奥底に引っ掛かるものがあるのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――なにも望むな』

 

 

 

『なにも考えるな』

 

 

 

『なにも感じるな』

 

 

 

『なにも探るな』

 

 

 

『なにも掴もうとするな』

 

 

 

『ただ、生きろ。死なれると私が困る(・・・・)

 

 

 

『いいか、レイナ。おまえなんて、それで十分だ』

 

 

 

『だから面倒をかけさせるな。私はな、忙しいんだ』

 

 

 

『良い子にしていろ。飲み物と食べ物は適当に用意してある。腹が減ったら口にしろ。暇ならゲームでもしておけ。激しい運動はするな。医者にとめられている。もう一度いう。良い子にしていろ、レイナ。……ではな。行ってくる』

 

 

 

 

 

 

「……いってらっしゃい、お父さん」

 

 




>もしかして:クソ親?

奥さんのことが大好きで仕事熱心で頭もいい良き父親です。それだけ。


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茜色の空は何度でも

 

「(あーしんど……もう帰ったらあれだ。寝よう。すぐ寝よう……)」

 

 ずるずると満身創痍の体を引き摺りながら、木下鷹仁は生徒会室の扉を開けた。ひとまず山場は乗り切った。これからのイベント事だと生徒会がわざわざ顔を出す大きなコトというのもすこし先だ。束の間ではあるが仕事量も減るだろうと、一歩足を踏み入れて、

 

「あら、まだ残ってたの。あんた」

「……へいへい。残ってますよ。なんせ、俺だけ大変ですから」

「ご苦労さまね。ま、あんたにはあんたが処理できる分しか与えてないつもりだけど?」

「……それが限界ぎりぎりだから言ってんだろうが」

「なによブツブツと。気持ち悪いわね。玄斗ならもっと気持ち悪いわよ? なんたって文句ひとつ言わないから、あいつ」

「……は、そりゃ、気持ち悪いっすね」

 

 いまになって言えるコトに、今さらながら過去の傷が痛んだ。呑気に生きている。そう言ったこともあったか。彼が呑気に生きているのだとしたら、むしろ本当にそう生きている相手に失礼かも分からなかった。あれは言うなればただ(・・)生きている……否、生きていたというべきもので。それに気付けたのは、まあ、この会長の下で動いているせいでもあった。

 

「でもいまのあいつは違うでしょう。なんか、理由は知りませんけど」

「そうね。あいつは変わる。……あんた、そのときまで友達やっていける?」

「はあ? なに言ってるんですかね、この会長は。俺とあいつなんて、暴行沙汰のすえに仲良くなった野郎どもですよ? 大概でもなけりゃ友達やめねえわ」

「……なんだかんだあんたも好きよね」

「嫌いです。大っ嫌いです。いや本当、嫌いですから」

「……ったく……」

 

 素直じゃないヤツ、と冷たい目を向けながら赤音が息をつく。もっとも鷹仁が素直であれば逆になにかあったかというレベルで気持ち悪いのだが、生徒会のために尽力しているこの少年にわざわざ言うコトでもないだろうと心に秘めておいた。ある種の慈悲である。

 

「……んで、会長はなにを? こんなところで黄昏てるんすか?」

「ああ、黄昏れてると言えば、あいつも教室で黄昏れてたっけ」

「へえ、玄斗が。ふうん……って、いや、話逸らしても無駄っすから」

「……ちっ」

「うーわ舌打ちしやがったよこの会長……まじで親父に絞られてくれねえかな……」

 

 そんな告げ口しないくせに、とは同じ理由で言わなかった。親の七光りだとか理事長の息子だとか自慢げに口にするくせして、鷹仁は滅多に親の権力に頼るということをしない。彼なりの誠実さの表れだろう。どころか自分で出来ることはなにがなんでもやりきってしまうあたり、本当に誰かから仕事を投げられる方が向いている。

 

「……腕章かよ」

「そ。あいつが付けてた、副会長(コッチ)の腕章」

「……そのまま首輪代わりにつけときゃいいのに。会長も不器用ですね」

「まあ、それも考えてたんだけどね……」

 

 呆然、唖然。常識を覆されたみたいに固まる玄斗を見て、気が変わったのだ。あんな顔をしてくれるのは本当にズルだ。まるで迷子。道を見失って立ち止まっている子供みたいな情けない表情。剥がれ落ちたメッキの隙間から見えたそれに、どこまでもどこまでも、手を伸ばしたくなった。

 

「いいのよ。あんなときの彼につけ込んでモノにするのは、違うでしょう。フェアじゃないわ」

「いやいや……フェアとか馬鹿ですか。恋愛なんざ戦争に決まってますよ。先に撃ち抜いた方が勝ちです」

「勝ち負けの問題なんてないわよ。いちばん大事なのは、玄斗が玄斗であるように、彼なりの答えを見つけるコト。……でもって、それが私であること」

「……あーだこーだ言って結局自分に返ってくるんですね」

「当然じゃない。私は私だもの」

 

 確固たる自分を持っている。鮮烈なまでの生き方をする二之宮赤音は、ときに自己中心的に、ときに自分勝手に、ときに自己満足で終わらせながら生きていく。常にいちばんにあるのは自分自身。他人なんてその二の次。見方によっては独りよがりなそれが良い方向に傾いているのは、偏に彼女のスタンスによるものだ。人生の主役は自分だが、なにもすべてを無視して突っ切って好き勝手できるのが主役というワケでもない。

 

「……で、どうだった? お望み(・・・)の生徒会活動は」

「最高でした。もう仕事はないしあっても楽だし玄斗がやってくれるし玄斗に任せられるしもうあれ以上なんて無いに決まってんだよなあ!」

「それだけ?」

「……それだけっすよ。最高でした。それは本心です。あいつと一緒になんかやれたってのが、とくに」

「……ツンデレ」

「違えよ馬鹿か!?」

 

 吠える鷹仁に、赤音はクスリと笑った。まったく正直ではない。顔も良い、スタイルも申し分はない、性格だってその暴言を除けばまあマシなほうだろう。そんな彼が一般生徒からまったくと言っていいほどモテないのは、たぶん、そういうところが大きい。

 

「……ちょっと前、言ってくれたものね、あんた」

「…………、」

「いつまでその腕章とってるんだ、腐らせるぐらいなら無理やりでもなんでもさっさと入れろ、十坂のコトだから強引に行けばいい、なんなら俺から一言ガツンと……だっけ?」

「覚えてねえわ。手前の言ったコトをいちいち」

「で、じゃあ他のヤツでも入れましょうか? ってからかってみれば、女子の胸ぐらとか掴んで来やがるものだから。思わず投げちゃったわ」

 

 いやーあれは我ながら見事だった、と赤音は語る。鷹仁は遠い目をしていた。まあ、なんてことはない。彼がついぞカッとなって手をあげかけたのは、二之宮赤音の軽口云々に対してではなく、自分の友人が代えの効くモノとして見られていたという誤解に、とことんむかっ腹が立ったのだ。

 

「なによ、本当に素直じゃないやつ。あんたのほうが不器用じゃない」

「……殴ってそのままだった。悪いかよ、会長」

「なにが?」

「だから、あいつのこと殴って、そっからこんな関係になって……ずっと、そのまんまだろ。一緒に歩いてねえんだよ。いつも後ろをついてくるのがあいつで、俺は先導するだけだった。……並んでなにかしたコトなんて、一度もなかった」

「…………乙女かっ」

「漢だっ。……女子には分かんねえよ。こういうのは、野郎同士じゃないと」

「……男子って本当馬鹿ねえ……」

「言えてるな」

 

 ハッと笑って、鷹仁は夕陽を見た。真っ赤な空。赤みがかった雲。斜陽によって生まれた鋭利な影が、容赦なく校舎の中まで入ってくる。思えばどこぞの暴力女に殴られた昼時も、こんな世界が見えていたか。血溜まりで見上げた少女の顔は、どこまでも眉間にシワを寄せて、いまにも泣きそうだったのを思い出す。

 

「……だいたい、人のコト言えねえ筆頭だろ会長は。あいつのことになると乙女」

「別に良いじゃない。乙女だし」

「乙女って意味を辞書で三回は調べることをオススメする」

「……どういう意味よ」

「いや、破壊現象は乙女とは言わない」

 

 無言でみぞおちにトーキックをかまされた。穿つような鋭い一撃。心臓を抜いて(・・・)から遅れてダメージがやってくる。膝から崩れ落ちてうずくまる鷹仁をよそに、赤音は同じように遠く空を見た。

 

「……やっぱり夕陽って綺麗だわ」

「こ、の……っ、クソ、女……殺す……っ、絶対殴る……っ!」

「殺せないくせに、殴らないくせに。あと手加減したからそこまで痛くないくせに」

 

 最後はない。十分痛い。確実にこの女、死ななければ手加減とかそういうレベルで間違えている。……が、まあ、すぐに立てる程度には痛みも早く引いた。

 

「……席は、まだあけとくんでしょうね」

「当たり前よ。まあ、でも……」

 

 そうね、と一言だけ赤音は漏らして、

 

「あいつ次第では、こっちじゃなくて……コレ(・・)を渡すのも良いかもね」

「!」

 

 つい、と彼女が自分の制服につけられた腕章を引っ張る。それは、つまり、彼が。

 

「……まじか?」

「ええ。時期と返答次第では。……どうする? 木下。その頃にはあんたがこっち付けてるかもよ?」

「――んだよそりゃあ。決まってる。そんなん最高だろうが」

 

 もしも会長職が向こうに渡れば、自然と残された腕章が配られる。お下がりだと言われようが馬鹿にされようが、他人から見てどうであれ、鷹仁にとってそれは最良の結末に思えた。

 

「味方ひとりゲット。じゃあ、そういうことにしときましょうか」

「いいや断然ですね。そっちのほうが良すぎる。ああ、早くどっかの会長やめてくんねえかなー!」

「任期があるから。無理」

「いきなり現実的な話を突っ込んでくんなよ……それぐらい知ってるわボケ……」

 

 誰もいなくなった校舎での、秘密のやり取り。彼の行く末を決める会話に、彼自身は混ざっていない。けれど、きっと悪いことでもないのだろう。案外その少年は、思っているより幸せな環境に身を置いているのだと――  




これにて三章終了っ 幕間二話やって四章でございます。


自分ルールなので無理になるとやめますが、基本は八話+幕間二話で一章という感じ。ちなみにこの三章までで大体うっすいラノベ一冊分ぐらいらしいっすよ。プロは化け物っすねぇ……


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三章幕間:彼のウラガワ ~失われた断片~

 

『Diary 明透有耶(アトウユウヤ)

 

 ■月■日

 

 

 ――妻が死んだ。子供を産んでしばらく、息を引き取った。子供の名前は零無と名付けた。悲しいが、彼女の遺したものだ。大事にしたい。おかしな名前であるし、あまり良いとはいえない名前だ。最後まで妻がこれだと譲らなかったそれを自分なりに考えてみたが、分からなかった。妻は、不思議な人だった。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 妻がいなくなってからもう一月が経つ。あれから毎日暗い生活が続いている。けれども自棄になってはいけない。我が子は育てるものだ。彼女の遺したものだ。大事にしなければなるまい。しっかりとせねばなるまい。だが、どうしても憎いと思ってしまう。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 子育ては大変だ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 秘書にオムツを換えるときのコツを聞いた。笑われた。彼女は未婚であったらしい。どうにも自分は生きるのに不器用がすぎる。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 必死だ。慣れてきたがこなせはしない。子育てとは辛いものだ。歪んでくるのが分かって時折死にたくなる。もう書いてしまおう。こんなもののために彼女が死んだ事実が、どうしても許せなくなってくる。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 一度吐き出せばすっきりした。文字でも効果はあるらしい。落ち着いて考えろ。我が子を育てるのは我が身しかあるまい。ならばそうするまでだ。逃げ道がないのなら進むしかない。それが私の出した答えだ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 妻が死んで一年経つ。線香をあげた。他もきちんとやっておく。零無もすくすくと育っている。が、どうにも上手くいかない。なにか問題でもあるのだろうか。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 零無の体はあまり強くないらしい。ショックだが、あまり取り乱しはしなかった。だがその分中身のほうはぐちゃぐちゃだ。書き殴りたい。が、これを出してしまえばもうどうかしているだろう。妻は、とても好ましい人だった。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 妻に遭いたい

 

 

 

 ■月■日

 

 

 子育ては辛いことの連続だ。零無が熱を出した。入院させる。幼い子供の熱は侮れない。我が子なら尚更だ。そういえば妻も病弱の身であった。継いだか、と一瞬気の迷いが生じる。思えば私と彼女の名前を足してズラしたものだ。一ではなく、有ではない。それは、どういった願いを込めていたのだろう。私は勝手に、変な理由を思いついたのだが。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 もうしばらく会社を休んでいる。新作の発表があとすこしに迫っていた。だが子育てをしないわけにはいかない。仕事は大事だ。我が子も大事にしなくてはならない。彼女の遺したものだ。彼女が遺したものだ。だから、我が子は大事だ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 零無の体調が安定してきた。復帰する。もう五つを過ぎた。園に入れようかとも思ったが、どこも定員を超えている。アレにそこまでする必要はない。雑念が漏れた。書いてから万年筆ではこうなるかといま後悔している。もう壊れているのか。だが自覚が薄い。そも、どうして私はここまで苦心せねばならんのだ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 仕事は楽しい。久しぶりにそう思えた。筆は乗っている。久々だ。陰鬱とした世界を忘れて没頭できる。仕事は楽しい。あまり、家には帰りたくない。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 今日は仕事だ。零無に挨拶をして出る。重要なコトは大抵伝えた。保母を雇うのも考えたが、あまり他人に家の中を歩き回られるのは困る。なによりアレにそこまでする必要があると思うのか。馬鹿め。なにせあれは、妻の遺したものだ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 順調だ。なにもかもが順調だ。零無もきちんと育っている。笑顔はないが生きているだけ無事な証拠だろう。問題はない。問題があっても気にしない。馬鹿め。気にしろ。我が子だ。どうして憎い。おまえは一体、なにをそんなに悩んでいる。私は、生き方が不細工だ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 零無が倒れた。やはり親だ。飛んでいくと、驚いたように病室のベッドで寝ていた。心配をかける。重要な取り引きが潰れた。つい口にも出してしまった。帰りの車で心底後悔している。妻から言われていた。私は会話が下手だ。だが、本心なのがどうしようもない。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 原因は不養生だった。食生活が問題らしい。私からして十分な食事を用意していたが、常識がなかったらしい。私自身の食生活が壊滅的だ。それよりも数段上のものを用意して、我が子が健やかに保つ筈もない。狙ったわけではないのだ。いやまずどうして、狙うという考えが出てくる? 混乱しかけた。今日は寝る。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 零無の容態が悪化している。回復の見込みが薄いと言われた。仕事に集中する。あまり余計なことを考えては、今後に関わる。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 親心だ。当然ある。あるはずだ。なければならない。零無の見舞いに秘書を定期的に向かわせている。我が子にあんなコトを言った。それが尾を引いて、私はずっと立ち寄れないでいる。嘆かわしい。おまえはとうに、狂ってはいないか?

 

 

 

 ■月■日

 

 

 体調が崩れて免疫力が低下したところへ合併症まで出た。下半身不随だ。我が子はもう立って歩けない。思わず言ってしまった。馬鹿め。死ぬならいまだ。どうするべきか。狂っている。自戒だ、書いておく。毎日これを見て、心を折れ。

 

 

 「おまえなんて、生まれてこなければ良かったのに」

 

 

 

 

 

 

 ■月■日

 

 

 零無が無菌室に入れられた。覚悟をしておいてくれと医者に言われる。医者は嫌いだ。なんの覚悟をすればいい。分からない。分かるだろうか。我が子だ。大事にせねばならぬ。ああ、彼女の遺したものであったはずなのに。それまで失っていく。現実は非情だ。そのどれもが己の責任であるあたり、因果応報というのが相応しい。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 もう零無が目をあけないと秘書から聞いた。顔を見に行こうか迷って、やめた。大事な取り引きがある。ここで気は抜けない。その程度かと心の底で言われた。おまえにとっての我が子とはと。ふざけるな。我が子だ。どうして、大事でないと言える。狂っている。私は昔から、頭がおかしいのだ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 零無が死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■月■日

 

 

 もうこらえる意味もない。書こう。たかだか十六年。されど十六年だ。ずっと我慢していた。どうして妻が死ななければならなかった。妻は素敵な人だった。笑顔の綺麗な人だった。その妻が死んだ。もういない。再認識して泣いている。つらい、逃げたい、なにもかもを投げ出したい。できなかった。遺したものだ。アレがいる。アレが生きている。もう死んだか。だが生きていた。ならば育てなくてはならなかった。その度に思う。心の底で思う。なぜ彼女が死んで、こんなモノが生きているのか。阿呆にすぎる。子供が生まれた。喜ばしいはずの現実さえ、彼女の死で歪んで憎たらしさしかない。私はずっと恨んでいた。八つ当たりだ。零無という名前が嫌いだった。アレの態度が嫌いだった。なにもなくて十分だ。そう本音を漏らしたか。あれは失敗だった。だがスッキリした。最低か。なにもないから零で、無いからこそ無なのだ。アレは反応しない。心が死んでいるのか。いや、もとよりうまく育っていない? 昔取った杵柄だ。情緒について資料を漁ってみるか。なんにせよ失敗だった。失敗だ。死んでしまって終わった。心が軽い。次の瞬間には重くなるあたり、やっぱり私はいかれている。

 

 

 

 

 ■月■日

 

 

 仕事が手につかない。理由は不明。ゆっくり考えなくては。だが、これでは会社に影響が出る。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 無理を言って退職した。後任は秘書にする。残りの人生を静かに暮らすぐらいの蓄えはあった。家でひとり考えることが多い。悪くはない。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 安心した。私にも、すこし、親心というものが本当にあったらしい。すこしは。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 秘書が来た。我が子を元にしたキャラクターを作りたいと言う。あれはもういない、好きにしろと言うと殴られた。やはり私は会話が下手だ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 明透零奈。すこし、捻りがなさすぎではないか。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 戯れにゲームをプレイしてみた。その感想を書いていく。まずシステムにおいては問題ない。よく出来ている。技術を余すところなく使えているのは評価点だ。コンシューマーでありながらロード時間を最小限まで短縮している努力も認めよう。こういう類いのゲームは商品開発状況を眺めているだけだったが、なかなかどうして面白い。が、不満点がある。それはもうすこし進めてから書こう。溜めておく。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 我が子を元にしたキャラクターのストーリーをクリアした。結論から先に書く。まったくもって似ていない。第一に笑顔が綺麗すぎる。あれはもっと下手に笑うものだ。なによりあんな簡素な選択肢で我が子の心が揺れ動かされるものか。我が子はあんなに軽くない。ぜんぜん別物だ。似ているのはせいぜい境遇と心情ぐらいか。そこはよく見ている。なにより傍から見れば父親の行いがとても酷い。なるほど古い鏡とはこういうことか。愚かだ。そんなことにいま気付いた。ゲームをしながら泣くのははじめてだった。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 長くなったので今日も書く。このゲームを送りつけてきた秘書はなかなかの胆力だ。末恐ろしい。いやもはや恐ろしいか。話題が逸れた。我が子のストーリーであれこれとネットがうるさいようだった。当然だ。あれはもとより人から忌避される要素が多分に含まれている。病弱ヒロインなのに死別エンドがないというのを理由に叩かれていた。馬鹿か。殺してやりたい。死んでなんになる。そうひとつ評価するというなら、病気が治るという話は良かった。思えば秘書は腕利きの元ライターだ。彼女が脚本を書いたとあって購入者も増えているらしい。その影響だろう。お約束など御免だ。私はそう思う。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 色々と考えるようになった。我が子の意味を秘書は妻から聞いていたらしい。それをしっかりと書いておこう。なるほど、解釈違いであった。馬鹿は己だ。毎日見ろ。

 

 

 

 「零じゃ無い。なにもなくなんかない。きっとなにかがあって、消えちゃわないぐらいしっかりとしてる……そういう意味なんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■月■日

 

 

 ガタが来ている。足腰が悲鳴をあげている。まだ六十だ。若い頃の無理がたたったか。最近は大人しくしていたから体力の減衰が酷い。すこしまずいようだ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 筆が震えている。ガタだ。もうこんなにも酷い。急に来た。起きるのもしんどいものだ。周りには誰もいない。ここにきてやっとその辛さを思い知る。因果応報。そう書いたのを思いだした。もう一度書いておこう。因果応報だ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 妻に遭いたい 零無と向き合うべきだった

 

 

 

 ■月■日

 

 

 最近は日記もつけられていない。もう歳だ。まだ六十後半か。だがもうそれだ。長くはない。死にかけてから分かるものがある。ひとりは些か、寂しいものだ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 わたし は ま だ  いき て いる

 

 

 

 ■月■日

 

 

 久方ぶりに元気だ。筆をとっている。もう死にかけだ。この前秘書と会った。ついでに、我が子を書いた理由を問うた。物語の中でだとしても我が子を幸せにしたかったのだと。言われて気付いた。なるほど、だから絶対に彼女を死なせるルートは用意しなかったのだ。

 

 

 

 ■月■日

 

 

 おそらく最後になるだろう。直感した。死期だ。おろかな人生だった。振り返れば失ったものが多すぎて、失敗ばかりの人生だった。妻に遭えるか。零無の顔を見られるか。私が行くのは地獄だ。ふたりとも天国へ行っている。宗教家でもないのにそう思うのは勝手か。だがもし次があるのなら、言わねばならないことがある。結局、妻にも零無にも言ってやれなかった。愛していると、一度も。言いたい。言えるだろうか。いや、言わねばならぬのだ。私は会話が下手だ。だから、それだけでも言うしかない。結局壊れかけていながらも私はまともだったのやもしれん。気付いていなかった。妻も我が子も、本当は同じぐらい大事だったはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ■月■日

 

 

 一美(ヒトミ)

 

 





お父上について色々言われていますので、ちょっとプロット段階のメモ書きを引っ張り出してきました。



・主人公の父親

 クズ 主人公が歪んだ原因 まともに子供と関わらなかった おまえなんて生まれてこなければと平気で言ったことがある 妻のことは愛していた。


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三章幕間:彼女のウラガワ ~夕暮れに重ねて~

自分至上最高に神経を使った一話でした。いまの自分にできる全力です。

直接的な描写がなければセーフ理論では結構頑張ったと思う。


 

「――――、」

 

 ふと気付けば、赤音は夕暮れに染まった生徒会室の机に寝転んでいた。ぼんやりと浮かんだ意識はおぼろげで実感がない。手足がまるで痺れたように動かなかった。起き上がろうと腹に力を入れてみるが、それも無為なことに終わる。

 

「え……?」

 

 直後、鼻孔をくすぐるわずかな香りに脳を焼かれた。見れば目の前にはいつぞやの男子生徒が、じっとこちらを見つめながら手首を掴んでいる。

 

「(……おさえつけられてる――?)」

 

 体はピクリとも動かない。呼吸も脈拍も正常だ。思考だってぐるぐるといまさっき動きはじめた。なのに、意識と肉体に隙間があるように、うまく身体のほうが言うことをきかない。

 

「……玄斗?」

「…………、」

「ねえ。……これはいったい、どういうこと」

 

 キッと睨みつけると、彼は瞳の闇を深くした。なんだかそれが、笑って見える。口角は一切あがっていないのに、彼の笑顔を幻視する。そんな不思議な錯覚に襲われたとき、

 

「っ……、」

 

 どん、と力強く机に押し付けられる。乱暴に、けれどどこか気遣うような優しさで、一定の距離を保ったままにふたりの体勢が変わる。ちょうど、見上げた位置に少年の顔が見えた。

 

「なに、すんのよ……! くろ――」

 

 息を呑んだ。心臓がどくりと跳ねる。

 

「……と…………?」

「…………、」

 

 いつもとは違う。なにが。分からない。混乱している。ガラにもなく、二之宮赤音は現状に頭が茹だるような思いだった。顔が近い。吐息を感じるほどの急接近に、事実呼吸が止まりかけた。知らず唇が震えている。いつもは毅然と、大胆に、的確に、堂々と生きてきた二之宮赤音が、少女さながらのやられっぱなし。……彼女にとってはなんだかやっぱり、釈然としない。

 

「……っ、いい加減に、しなさいよ……! 退いて、玄斗」

「……嫌です」

「退け」

「嫌です」

「この……っ」

 

 押さえつけられた両手に力を入れる。いくら女だからとなめてもらっては困る。彼ほどの力ならば振りほどくことなど容易い。そのはずだ。なにせ彼女の実力は一般的な男子生徒を袋叩きにできるほどには高い。なのに、

 

「……っ……!」

「……必死ですね」

「あたりまえ、でしょう……! 一体こんな真似して、なんのつもりよ!」

「なにって――」

 

 そんなの、分かってるくせに。

 

「っ!!」

 

 幻聴が耳朶を震わせた。いや、鼓膜だけではない。それを伝って入ってきた脳までもが揺らされる。誰もいない生徒会室。夕暮れに染まった密室で、残された男女がふたり。あまつさえ彼は自分を押し倒している。どう考えても、それ以外にはないようだった。

 

「ばっ……ばかじゃ、ないの……!? あんた、それがどういうことか分かって……!」

「……もしかして、怖いんですか?」

「――――っ」

 

 声が出なかった。それではなんの意味も無い。図星をつかれたと自分で言ったようなものだ。腕に入れていた力が抜けて、ついぞ抵抗の余地が消えていく。震える唇はきっと怒りだけのものではない。わずか数センチ。身じろげば触れそうなほど先に、彼の顔がしっかりと見える。

 

「――かわいい。赤音さん」

「…………っ!!」

 

 かあ、と頬が真っ赤に染まる。夕陽と同じ色だ。見分けはつきづらい。けれど、自分自身であればまったく別だ。やけに血の巡りだした顔まわりが、うっとうしくてしょうがなかった。

 

「あんた、ね……! 年上をからかうのも、いい加減にしておきなさいよ……っ!?」

 

 つと、彼の手がスカートに伸びた。まずい、と今度こそ必死の抵抗を試みる。駄目だった。片手一本、たかだか標準的な男子の腕ひとつ、振りほどけないほど自分はか弱いものだったか――?

 

「ちょっ、ま……だ、だめ!」

「なにが、駄目なんですか」

「ぜんぶよっ! あんた本当っ、なに考えてんのよ! ここがどこだか――」

「でも、誰もいません」

「っ……」

 

 いまいちど心臓が跳ねた。そうだ。誰もいない。見ている生徒なんてひとりもいない。どころか、教師たちだって通りすがる気配がない。静かな校舎にはふたり分の息遣いだけが響いている。そうやって考えて、気を抜いた瞬間にするりと脱がされた。

 

「あ……」

「……意外です。赤音さんも、そういう反応するんですね」

「……っ、ふざ、けんな……! 信じらんない、こんな、こんな、コト――」

「でも、赤音さん。嬉しそうです」

「――っ、ち、違うっ! 嬉しくなんて、そんなの……!」

 

 あるワケがない、と。言おうとして、彼の真っ黒な瞳に映る自分が見えた。上気した顔、潤んだ瞳、冷や汗かどうか張り付いた雫が夕陽に煌めく。どこか、なにか、変な期待をしているように。見れば見るほど、ただの――

 

「ち、違うって……だって……こんなの……っ、玄斗……っ」

「どうして?」

「私は……、わたし、は……生徒会長、なん、だから……」

「それがどうしたんです。別に、良いじゃないですか。生徒会長である前に自分は自分だって言ったのは、赤音さんでしょう」

「そ、そうだけど! そ、それとこれとは話がべ――」

 

 マズい(・・・)ところを触られた。本気で。ちょっと、視界が一瞬ハジケ(スパークし)た。

 

「――っ、――……!」

「……すいません。素直に驚きました。赤音さん、そんなにかわいい声、出るんですね」

「なに……っ、言って……んっ――!?」

 

 咄嗟に口元をおさえた。そうでもしなければ声が漏れてしまう。それは色々と問題だ。万が一近くに人でも居たら学校生活が終わる。なにより生徒会長としてそんなコトをしていたとなれば大変だ。奥歯を砕けんばかりに噛みしめながら、ただひたすらに耐える。

 

「誰もいません。赤音さん」

「……だか、っ……ら……な、に……?」

「我慢、しなくても良いと思います」

「――っ、ふ、ざ、け……!!」

 

 ――あ、やらかした。そう思った瞬間にはひときわ大きく腰が浮いて、ぜんぶ抜けたあとだった。上手いコト体に力が入らない。頭がぼうっとしている。なんだかふわふわ浮ついていて、雲の上に立っている気分だった。足下がおぼつかない。膝から折れたのを誰かに抱きとめられた。悔しいことに、この男である。

 

「はっ――、は――っ……!」

「……大丈夫ですか? まだ、一回目ですけど」

「……く」

「?」

「しばく……! あんた……あとで絶対……しばく……っ! 人の、体を……勝手に、こんな……してくれやがって……!!」

「……参ったな」

 

 どうしたもんか、と少年は遠くを見た。悪気があるのかないのか。さてと頭をかいて、肩で息をしながら睨みつける赤音のほうを向く。

 

「それじゃあまだ、足りてないぐらいなのに」

「――――!」

 

 赤音は今度こそ、自分がメチャクチャにされる未来を垣間見た。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「ばっ……やめ……! 声っ、漏れて……!」

 

「ふっ……ぅう……んんっ、ぅ――」

 

「――あ、だめっ、いまは無理っ、ちょっと! 待って、くろ――」

 

「はぁ――っ、ふ、ぅあ…………」

 

「…………へ?」

 

「え? いや、ちょおっ――!?」

 

「う、嘘でしょ!? また(・・)!?」

 

「ひっ――ぅ……っ! こ、のぉ……っ……ぅあっ……!!」

 

「――ぅうっ……ケダ、モノ……っ!!」

 

「あ――っ、っ!!!」

 

「――――は、ぁ――――…………っぁ……」

 

「……かげん、しなさいよ……ばかあ……」

 

 

 ◇◆◇

 

 

「――――!!」

 

 がばりと飛び上がるように目が覚めた。時刻は朝の七時過ぎ。ちょうど目覚ましの鳴るすこし前のタイミングだ。……が、いまの彼女にとってはそんなコトよりも重大な問題が脳内を占めていた。

 

「……なんてユメ見てんのよ私は……」

 

 思わず自己嫌悪に陥る。思春期とはいえとんでもないモノを見たものだ。まさか普段仕事をしている生徒会室の長机で、腕章もなにもつけたまま、あまつさえあの男に――その、なんというか、される(・・・)――夢を見るなんて。

 

「(……疲れてるのかしら。最近、忙しかったし)」

 

 はあ、と心地の悪いため息をついて、ゆっくりとベッドから立ち上がる。だいたい、いくらなんでも夢にしたって彼があんな行動を取るわけがない。なんだかんだで根は真面目だ。嫌がる相手に迫るというのは、死んでもしないだろう。……まあ、夢の誰かさんは嫌がっていなかったそうなのだが。

 

「(――って、やめやめ! なにを引き摺ってんのよ二之宮赤音!)」

 

 ぶんぶんと頭を振って否定する。そういえば夢の自分も彼のあまりにもあまりな行為に少女さながら頭を振っていたか。駄目だった。ぜんぜん抜け出せそうにない。

 

「……今日学校で会ったら絶対しばく……!」

 

 これよりあと五時間十六分後。理不尽な暴力が己を待ち受けているとも知らず、十坂玄斗は笑顔で彼女に挨拶をするのだが、それはまた別の話――






小ネタ:本編では明かされないというか活用する気のなかった設定

・十坂玄斗もとい■■■■は実を言うと絶倫ベッドヤクザ






……さあ次から四章だよ! うん! はい撤収――!


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第四章 黄色くても止まれない
黄金色の涙


ここで彼の成長性(C-)を見てみましょう。


 

 事件は唐突に巻き起こる。廊下を歩いていた玄斗は不意に、ぐいっと思いっきり腕を引っ張られた。もしや新手の宗教勧誘かなにかか。馬鹿なことを考える少年はそのままぐらりと体勢を崩して、背中から倒れ込んだ。何事かと、ゆっくり瞼を開ける。

 

「…………、」

「…………、」

 

 見上げれば、金色の髪を揺らして美少女がまたがっていた。

 

「……えっと」

「せ、せんぱいっ!」

 

 びくり、と肩が震える。……少女の。自分で出した声に自分でびっくりしたらしい。あわあわと慌てている様子がまたおかしかった。なんなんだろう、と玄斗は驚きも通りこして思わず笑ってしまう。

 

「……落ち着いて。どうしたんだい」

「! せ、せんぱいが……笑った……?」

 

 はわっ、と口元をおさえながら少女が瞠目する。本当になんなのだろう。玄斗には目の前の少女のコトがさっぱりだった。いきなり腕を掴んで転がされたと思ったら、そのうえにまたがって何事か少女は慌てふためいている。むしろ大丈夫かとこちらが心配したくなる酷さだった。

 

「――――」

「……!?」

 

 ぎょっ、と少女の様子に今度は玄斗が目を見開いた。泣いている。ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら、少女は口元を覆ったまま静かに泣いている。なぜだ。内心で混乱する玄斗をよそに、少女がすうっと目を細くした。

 

「せんぱいぃ……ふ、ふえ、ふえぇ……!」

「い、いや。うん。ちょっと、待とう。待ってくれ。うん。あの、ひとまず泣き止んでくれると、すごく嬉しい」

「むりでずううう……!」

「無理なのか……」

 

 なら仕方ない、と玄斗は一瞬で冷静にかえった。そも、なにか悲しいことがあったから泣いているワケでもないようだった。考えろ。その言葉は常に実践している。きっとこれは遮らないのが正解なのだと、玄斗はなんとなく答えの手触りを感じていた。

 

「ふっ、う、うえ、うえぇえ……! せんぱいぃ……せんぱいぃ……!」

「うん。うん。分かんないけど、分かったから。大丈夫だから。うん」

「せんぱいぃい……! 優しいですぅう……! すきぃ……!」

「うん?」

 

 だからちょっとその不意打ちじみた言葉に、すこしだけ固まった。

 

「ふぇ、ふぇええ……! しゅきですぅ……!」

「……好き、なのか」

「しゅきですぅう!」

「……うん。嬉しい。でもごめん。その気持ちには応えられない」

「え――――?」

 

 ピタリと少女の涙が止まる。ついでに時間までも止まったような錯覚だった。きっと自分はいま酷いコトをしている。そうでなくてはならない。けれど、言わないわけにもいかないのだ。十坂玄斗にとって、頭を回すことは約束にも等しい。

 

「いまの僕にそれほどの余裕はないんだ。だから嬉しいけど、ごめん。自分のコトと、今までのことで手一杯。……だから、本当に申し訳無いし、凄い嬉しいんだけど。君の気持ちには応えられない」

「…………ふぇ」

「あ」

 

 ぼろ、と大粒の涙が復活した。気持ち先ほどより大きめである。

 

「せ、せんぱいにフラれたぁあ……!」

「あ、うん! ごめん! 本当にごめん! 申し訳ない! でも、そういう気持ちに中途半端で答えるのは良くないと思う!」

「ふえぇええ……!」

 

 彼なりの誠意が見事に空回りしていた。素直なのは美点だが、素直すぎるのも考え物である。告白から断って泣かれるまでわずか三十秒。カップ麺ですら作れていない。なんというハヤワザ。達人のワザマエ。ここにひとりのクズが誕生した。

 

「ち、ちが、ちがうんですぅうう……!」

「え? 違う?」

「ちがいますぅう……! せんぱいにぃ……せんぱいにぃい……!」

「……いや、違うなら、それで。僕の勘違いってことになる。別に君が気に病む必要なんてないし、むしろ恥ずかしいな、すこし。……慣れてないんだ、そういう、言葉の意味をちゃんと考えるの」

「それもちがいますぅううう……!」

「え、あ、そうなんだ……」

 

 これは困ったコトになる、と玄斗は眉を八の字にしながらどうしたものかと思案する。泣き続ける少女の素性が分からないのもあれだが、なによりこの状態だ。学校の廊下で男子生徒が見たところ一年生の女子生徒に馬乗りになって泣かれている。非常に外聞が悪い。もし誰かに見られでもしたら――

 

「あら?」

「――――」

 

 玄斗の体が固まった。泣いている少女をよそに、ギギギ……と首が油のきれたロボットみたいに動く。視線の先。すこし離れた廊下には、数冊の本を抱えた少女が居た。

 

「……先輩?」

「………………ふふ」

 

 笑った。まずい。あれはなんかまずい。なんかよく分からないけど鍛え上げられた玄斗の生存本能が〝アレこそが懐かしいだろう〟と嘯いている。うるさい。あんなものが認められるか。ざわざわと怒りに呼応するかのように広がる群青色に、玄斗は束の間三途の川を見た気がした。

 

「なにを……しているのかしら。あなたたち」

「ふえ……?」

 

 揺れ動く長い蒼髪、その隙間から覗く鋭い眼光。けれどいくら玄斗が恐る恐る見ても、彼女とは視線がぶつからない。しばらく経って理解した。赤音の助言は偉大だ。考える。こんな簡単なコトひとつでも、世界は存分に変わってくれたらしい。

 

「そこの一年生」

「はひぃっ!?」

「その男からすぐに、いますぐ、即刻、即座に離れなさい……!」

「――――」

 

 ガクガクと震える金色の少女。生まれたての子鹿かと思うぐらいの震えようだった。でもちょっと玄斗的にはその位置をなんとかしてほしい。せめて離れてほしい。自分のうえでガタガタと女子に震えられるというのは、なんとも落ち着かなかった。

 

「(……でも、なんか、ここまで来ると流石に可哀想に――)」

「……いや、です」

 

 三度目の号泣。その代わりに放たれたのは、細い、細い。けれどもたしかな意志を込めた、彼女の言葉だった。

 

「……なんですって?」

「いやです……! せんぱいは、わたしのせんぱいです……!」

「……っ、誰の許可をとって自分のモノ発言を……!」

「…………、」

 

 もはや事態は彼ひとりでおさめられる範囲ではない。なんだか妙なところで勢いがあってついていけないし、どうにも腹の奥がキリキリと痛んでくる。前世でもこんなことはなかった。全身が痛くて動けない日は何度もあったが、局所的なものはそれこそ稀だ。そも向こうだと心臓が締め付けられるほうが多かったか。思考が逸れた。

 

「……うん? 蒼唯と…………、へえ」

「あ、赤音さ――」

「ずいぶんといいカッコウしてるわね……? ねえ、トオサカ(・・・・)くん?」

「――――」

 

 まれに見るマジギレだった。距離があと五メートル近ければサッカーボールのように頭を蹴り抜かれている。そう思えるほどのどす黒い怒りの念。助け船だと思った人材は、当たり前のように敵船どころか砲弾だった。

 

「なんだこれ。どうすればいいんだ……」

「あれ、生徒会長に図書委員の……うんん?」

「! ハク、良かった。君なら――」

「ふうん。……玄斗、そういうコト、しちゃうんだ……」

 

 ――駄目な子だね。呟いてきた彼女の瞳が暗くてよく見えない。なんだろう。彼は死にかけているワケでもないのに、どこか心臓を冷たいもので触られたような気がした。脆すぎて呆気ない。所詮この世はすべてあるべきもの。地面なんてないに等しいし、空なんていまにも――いやそんな一人語りはともかく。

 

「お、落ち着こう、ハク。誤解をしてる。僕と君の間には、決定的な認識の齟齬があると思う!」

「関係ない」

「ハク……!?」

「いま、玄斗が、そこに居て、そこの女に座られてる……それだけで、結果は十分」

 

 〝……お、幼馴染みの様子がおかしい――!?〟十坂玄斗は知らなかった。壱ノ瀬白玖の本性を。彼女がどれだけ重い愛を抱えているのかを。

 

「なになに? なんか騒がしいけ、ど……」

「……ご、五加原さん……」

「……十坂? え、あの……なにが、どうなってるワケ……?」

「……僕にもさっぱり分からない」

 

 頼れる味方はクラスメートだけ。なんだかややこしい事情に巻き込まれながら、玄斗はひとつ息を吐いた。因果応報。これほどまでにその言葉が似合う状況もないだろう。知らずであろうが、アトウの血族はそれがもっとも濃いものであったりするのだ。




というわけで新章開始。ちなみに名前はもう出てます。




そんなカンジで感想は楽になったところで返していきたい。


ところでBadEnd予測が案外される拙作ですけど、そもハッピーエンドにしないなら玄斗くんはもっと幸せにしてます。だってあとは転がり落とすだけにできるからね。


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見落としていた色

まさかここに目を向ける人はいないやろなあ(ドヤ顔発見描写削りムーヴ)

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なんで気付いてるの(震え声)


 ――泥に塗れている。しつこいぐらいに酷くて、絡め取った足を離してくれない。とてつもなく憐れな泥に、私は塗れている――

 

「(ああ――なんて――)」

 

 ――最悪だ。とても、未来なんて見えそうにない。閉ざされている。手足をもがれている。ふと、弧を描くように落ちた花びらを幻視した。そんなものだ。折れるときは簡単で、ぽっきりと跡形もない。

 

「(なんて――無様……)」

 

 嗤った。膝をついて顔をおおって、堪えるコトができない涙に嗤った。こんな世界でなにができるのかと、手のひらに握る筆を砕こうとした。できない。嗤った。気持ちがどうだとかそんなのではない。非力で、弱すぎて、なにもできない自分に嗤った。

 

「(あ、あは、あはははは――)」

 

 くつくつと喉が鳴る。憐れだ。無様だ。なにもない。塗れている。泥に塗れている。拭い取れないしつこい泥に、絡め取るような狡い泥に。人生のすべてを台無しにしてくれた、私にだけ許されなくて、私以外のすべてを許していった――汚い不幸(ドロ)に、塗れている――

 

「――そんなことはない」

 

 なんて。暗がりに沈んでいた私を、その人は許してくれなかった。

 

「なにもないなんてコトはない。そんなもの、君にも、みんなにもある筈がない」

 

 ずるずると、ずるずると。泥の中から引き摺られていく。闇の外は光に包まれていた。眩しくて、明るくて、目を焼くほどの真っ白な光。けれどもそれを背景に立っている人は、どこまでもどこまでも、透き通るような闇色をしていた。

 

「誰にだってなにかはある。どんなに不幸でも、どんなに悲しくても、残った意味がちゃんとある。それすらないような人間なんて……せいぜい、ひとり居ればいいぐらいだ」

 

 そのひとりが誰かを、その人は言わなかった。ただ、

 

「でも君はそのひとりじゃない。それは保証する。だから大丈夫なんだ。どんな不幸が起きたって、きっといつかは報われる。先を見据えてみればいい。きっと――君の人生は、これからの幸せで満ち溢れている」

 

 そんな嬉しすぎて受け取れない現実を、衝撃と共に残していったのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「…………ぇ、と。あの……」

「なに」

「ひっ」

「せんぱ――」

「 な に ? 」

「……ごめんなさい。蒼唯さん。でも、やめてあげてください。おびえちゃってます」

「……分かってるわよ、それぐらい」

 

 ふんと鼻を鳴らして、蒼唯が拗ねるようにそっぽを向いた。件のコトがあった放課後の図書室。集まった関係者一同は、取り囲むように金髪の少女をじろじろと見ている。

 

「……玄斗。白状するなら今よ。あんた、この子とどういう関係?」

「いや、関係もなにも、赤音さん。僕は……」

「へー。関係ない子とあんな体勢になっちゃうんだ……へえ……?」

「だから、ハク。その。あれは事故で……」

「と、十坂? あー、その、言いにくいんだけど……アレで事故は、ないと思う……」

「五加原さんまで……」

 

 本当に事故なんだ、と玄斗はうなだれながら呟いた。その背中には哀愁が漂っている。

 

「じゃあこの子に聞くまでね。……ねえ、ちょっといいかしら?」

「ぴぃっ!?」

「……どうしてそこまで怯えるのよ」

「誰かさんの顔が怖いからじゃないかしら。眉間にシワを寄せすぎて」

「うるさいわよ毒舌女。こんな年下にまで余裕ないとか、もう更年期障害?」

「短気は損気ね。私はそうでもないけれど」

「はーん? 良い度胸ね蒼唯。ずいぶんなコト。ちいさい頃は「あかねーあかねー」って後ろをちょこちょこついてきて可愛いもんだったのに」

「っ……いまその話は関係ないでしょう!」

 

 がたん、と勢いよく立ち上がった蒼唯に「きゃー」なんて言いながら赤音がニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。ちゃっかりと玄斗の後ろに隠れるあたりも焚きつけていた。……主にこの場にいる全員を。

 

「おーこわいこわい。こわいからあと頼んだわね、玄斗」

「……赤音さん。人を囮にしないで下さい」

「で、どう思った? いまの話を聞いて」

「ちょっ――」

 

 〝よもやそれが狙いか……!〟急いで反応した蒼唯だったが、彼の口をふせぐための腕があがりきる前に、あっさりと、それこそなんの躊躇いもなく。十坂玄斗は不思議そうに首をかしげて口を開いた。

 

「? どうって……素直に可愛いと思います。なんか、微笑ましいですね」

「でしょう? そうなのよ、可愛かったのよこの女は」

「――――ッ、赤音っ!」

「きゃー、また怒ったー」

 

 がーっと吠えた蒼唯から距離をとって、まるで猫のようにひょいと赤音は玄斗から離れた。ともすれば悪戯好きの子供だ。四埜崎蒼唯とつるんでいるときの彼女は、ときに燃え上がるような激情と、ときに幼いまでの顔を見せる。なんだかんだで仲は良いのか、とふたりのキャットファイトを見ながら玄斗は思った。

 

「……ごめんね、ちょっとうるさくして。本当はふたりとも良い人なんだよ」

「い、いえっ! わ、わわわ私こそ! あのあの、さっきは……! その……、えっと……うんと…………!」

 

 俯きかけて、がばっと少女が顔を上げる。ぴこんと電球のマークが点いたようだった。

 

「さっきはせんぱいのこと乱暴にしてすみませんでしたっ!」

「ッ!?」

「ああ、いいよ。あれぐらいなら僕はなんてことないし」

「ッ!!??」

 

 がたん、と椅子を揺らしながら白玖が驚愕の表情を交互に向ける。この男、思考はするようになっても言葉の綾までもはきちんと理解していなかった。

 

「や、やっぱり玄斗ってばケダモノ誘い受け……っ!?」

「……ハク?」

「で、でもそれならそれでちょっと美味しいかも……」

「…………うん。ハク。ハク。戻ってきてくれ。ハク」

「――はっ。だ、駄目だよ玄斗!? こ、こんな場所でそんな誘っちゃって!」

「よし一旦落ち着こう。今日の君はなにかおかしい」

 

 十坂玄斗は気付かない。そも自分の幼馴染みが最初からおかしな方向に壊れているという事実に。なので白玖からしてみれば平常運転。しいて言えばサイドブレーキ含めエンジンブレーキすら効かなくなったぐらいだ。大問題である。

 

「……え、ええと……会長は四埜崎先輩とあんなんだし……十坂と壱ノ瀬さんは漫才してるし……あはは……まともなのはあたしだけかあ……」

「せんぱいが表情豊か……!」

「……肝心のこの子も大概なのかな……ねえ、名前とか、教えてもらっていい……?」

「! は、はいっ! わ、わたしは、え、あの……よ、ヨミ(・・)って言います!」

「――ヨミ?」

 

 耳ざとく反応したのは、意外なことに玄斗だった。なだめていた白玖から視線を切って、勢いよく少女のほうを見る。黄金色のふんわりとした髪。全体的にだぼっとした印象を持たせる制服の着こなしと、前髪に隠れるようつけられた赤縁の眼鏡。ところどころに跳ねた絵の具が、どこか記憶のなかの一枚絵と合致した。……問題は、その性格がすこしどころか大分、彼のなかのイメージとかけ離れているコトだった。

 

「ヨミ……黄泉……」

「は、はいっ! 黄泉ですっ」

「黄泉……?」

「黄泉です! み、ミナモトっ! 三奈本黄泉(ミナモトヨミ)ですっ!」

「三奈本……黄泉…………!!」

 

 なるほど、覚えがある。忘れもしない。あの瞬間。しっかりとよく見ろと言われたレシートを家でも広げたあのとき。まるでダイナマイトのような衝撃を受けた。浮かれていたのかなんなのか、節穴にも程がある見落としよう。よもや、まさか、こんなところで最後のひとりの名前を見るとはと――

 

「お、思い出してくれたんですかっ!?」

「うん。思い出した。本、出してたんだね」

「はいっ! せんぱいが――あのとき、せんぱいがわたしを救ってくれたから……!」

「え?」

「ふぇ?」

 

 あれれ? とふたりして首をかしげる。なんだか話が噛み合わない。老人の入れ歯みたいだと天然は思った。思ってたのと違うと少女は泣きそうになった。

 

「せんぱい……?」

「いや、待って。うん。いま考える。――――駄目だ。君と会った記憶はないぞ、僕」

「そ、んな……ふぇ」

 

 じわ、と少女――黄泉の目元に涙が溜まる。それをじろっと睨んできたのは、絶賛相手(ジェリー)から逃げる赤音(トム)だった。まあわりと仲良く喧嘩している。

 

「最低ねトオサカくん。女の子を泣かせるなんて」

「いや、本当にないんです。ごめん。記憶力には自信があるのに……、嘘だろう。だって、こんな……コト、忘れるか――?」

「……三奈本ちゃんさ」

「は、はいっ!」

 

 と、自然に名前を呼んだ碧の声に、ビクンと黄泉の体が跳ねる。

 

「あ、ごめんごめん。急に呼んじゃって。三奈本ちゃんでいい?」

「ぜ、ぜんぜんぜんぜんだいじょうぶですっ!」

「ぜんが多いね……まーいっか。髪、染めてるでしょ」

「? は、はい……」

「――あ」

 

 そんな碧の指摘に、合点がいったとうなずく玄斗。バラバラになっていたパズルのピースがかっちりとはまった感覚。そういえばそんな設定もあったっけ、とは彼もうっすらと覚えていた。たしか公式ガイドブックに載っていた情報だ。自分で実際に見ていたワケではないので、うろ覚えなのがどうにも不安だが。

 

「だとすると、染める前に十坂と会ってたんじゃない? ほら、顔とか声とか、覚え、十坂ならあるでしょ」

「…………そうだ。うん。たしか……あれは……どこだったっけ………」

 

 〝――私なんて、生きていても仕方ないんです〟

 

 〝もうなにもわかりません〟

 

 〝なにをしたらいいのかもわかりません〟

 

 〝だってもう、なにもないんですよ――?〟

 

「……一年前」

「! はいっ!」

「駅前の……カフェテリアで……」

「はいっ、はいっ!」

「そうだ……眼鏡をかけた黒髪の女の子と、一回だけ話した。そういえば」

「そうですっ!」

 

 がしっ、と黄泉が玄斗の両手を掴んでくる。目をきらきらと輝かせながら、彼女はにこにこにこぱーっと花咲く笑顔で彼を見つめた。背景がその名のとおり黄色がかって見える。

 

「ずっと会いたかったんですっ! ずっと、ずっと! せんぱいのこと、ずっと、もう一度って思ってましたっ……だから、その……っ、あのあの、えっと……!」

「…………?」

「――す、すきですっ!!」

「……ありがとう。本気で嬉しい。でも、やっぱりごめん」

「っ!?」

「……十坂。容赦ないなー……」

 

 あはは、と渇いた笑みを浮かべながら碧が遠くへ視線を投げる。同じ日に二度も告白を断るという行為は、玄斗にとってもわりと胸にしこりを残す辛さだった。なにより彼女が三奈本黄泉だと知ってしまったが故に余計な重りまで増えている。前途は、多難だった。




①白 ②赤 ③黄 ④青 ⑤緑 ⑩黒



というわけで出揃いました。セカンドメンバーの活躍はたぶん7章か8章からですかね……


ちなみに薄々感付いている人がいるかもしれませんが、ファーストメンバーが修理班。セカンドメンバーが活用班です。なんだよただの踏み台かよと思ったそこの君ィ! 踏み台が勝手に反撃繰り出してきたらひとたまりもないんだよ。


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omaegaokasii

おかしい……これは黄色ちゃんヒロインのはずなんだ……


 別に、自分の生まれを不幸だと感じたことはなかった。人生が他人より劣っているという自覚もなかった。ただ、自分にはこれがお似合いなのだとは、なんとはなしに理解していた。

 

『医者から聞いた。治る見込みはないらしいな』

 

 父親が冷たい声でそういった瞬間を、いまでも覚えている。心が冷えきっていくとはこういうコトを言うのだと思い返していた。時折相手をしてくる父の秘書がどんなに優しくても、そこに一筋の光を垣間見ても、一日経てば泡と消える。それぐらい、自分にとって幸せとは触れれば壊れるシャボン玉のようなものだった。

 

『動かないのか。おまえの足は』

『……うん』

『なぜだ。なぜおまえは……いや、言うまい。ああ、そうなのだったな。……どこまでも、おまえはそうなのだったな』

 

 黙って父親の言葉を受け入れる。なにが言いたいのかは、大体分かっていた。そんな体になってなんになると、暗に父は言っている。まったくもってそのとおりだ。心を抉る言葉は事実自分の心を抉っているのだろう。けれど、どうなっているかは分からない。そも痛みを覚えるモノさえなければ、どうなっていても問題ない――

 

『……ままならんものだ。治療費、入院費……財産の限りが無いわけではない。これほどまで使われて、どうしてなにひとつ前へ向かん』

『……ごめんなさい』

『謝るな。余計に気が参る。……おまえはもう、なにも言うな』

 

 言って、父は顔を覆うようにして椅子へ座った。静かな病室にふたりぶんの吐息が混じる。すべからく、この世は生きにくい。世間がどうだとか、世渡りだどうだという話ではない。単純にいまの自分では有害なモノが多すぎる。はるか昔の自然が溢れていた星なんてとっくの昔に果てている。肺を焦がすガスや網膜を傷付ける粉塵に塗れた現代で、どうにも厄介な体に生まれついた。けれどもたぶん、それぐらいが似合っていたのだろう。

 

『……ああ。こんなことなら、おまえなぞ生まれてこなければ良かったのに……』

『――――、』

 

 ついと言った風に漏らした父の言葉に、結局、なにを思うこともなかった。衝撃、悲観、落胆、呆れ。そのどれもすら浮かばない空虚。本当に自分にはなにもないのだと、そのとき気付いた。憐れだ。憐れすぎて、流す涙すらない。でもきっとそれが似合っている。なぜならそう、この名は体を表して、この名は意味を表して、

 

 〝零だから一もなくて、無いのだからなにもあるハズがない――〟

 

 ――明透零無。その名前に込められた意味こそないとしても、どうせ十坂玄斗の本質はそこにしかない。だからとても難しい。考えるコトでさえもせいいっぱい。未来の幸せなんてそれこそ、想像した瞬間に自己嫌悪で死にたくなるほど、自分にとっては無理なコトだった。……だから当然、自分なんかが誰かと一緒に心の底から笑うような未来予想図も、うまく描けないままなのである。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「真墨」

「んー? どったのお兄」

「好きだ。僕の恋人になってほしい」

「っ!?」

 

 がったーん、とソファーで寝転がっていた真墨の体がゲインした。いじっていたスマホがくるくると弧を描いて絨毯のうえに落ちる。フローリングにダイレクトアタックしなかったのは不幸中の幸いか。近くにあったクッションをがばっと抱きかかえて、真墨はいきなりトンデモなことを言ってのけた兄から距離をとるようソファーの端に寄った。

 

「い、いいいいいきなりなに言ってんの!? 頭大丈夫かお兄!?」

「……うん。まあ、普通はそうなるよね。ああでも、予測できるからあんまり意味はないのか……」

「……え? いや、あの……ちょっとー? あのー? ……お兄?」

「ごめん。ありがとう真墨。まあ、分からないことだらけだけど、すこしぐらいは参考に」

「いや待てよ!?」

 

 すっとあまりにも自然にリビングから出て行こうとした玄斗の肩をがっしりと真墨が掴む。微妙に指に入っている力が強い。

 

「真墨、痛いよ」

「痛いのはあたしの心だ!? いきなり告白なんかしてきて、それで答えも聞かずにスルーとかどういう神経してんの!?」

「? いや、聞いただろう。ほら、頭が大丈夫かって」

「答えてねえよ! お兄相変わらず会話下手か! なんならもう一言待ってくれてもいいわ!」

「でも、待っても結果は同じみたいだし。というか、同じだろう? 兄妹で恋人なんてまずありえないんだし」

「……っ、それ、は……そう、だけ……ど……!」

「?」

 

 うーんだとかあーだとか言いつつ視線を投げては切る真墨に、なんだろうと玄斗が内心で首をかしげる。思い返してもそこまでおかしなコトは言っていないはずだ。いきなりの告白試し(・・)はたしかにおかしかったが、それにしたって引き摺るようなことでもあるまい。変だと思いながらも、その違和感をそっとしまい込もうとしたとき、

 

『――考えなさい』

「…………、」

 

 その言葉を、都合良く思い出した。いけない、と頭を振って真墨を見る。分からないことをそのままになんて、赤音との約束に反する。分からないなら考えるべきだ。分からないからこそ考えるべきだ。放っておいても状況は一切好転しない。おかしな反応を示す妹に、あらゆる可能性を夢想して――

 

「……もしかして真墨は、違う?」

「――!!」

 

 ……当たった、と玄斗はたしかな感触を得た。どうして、と困惑の表情を浮かべる妹は新鮮であると同時に酷く辛そうだった。脳死。思考停止。引っ掛かっても無視してきたあらゆる事象を見つめ直すとこうも違うのかと、彼は改めてその言葉の重大さを思い知った。

 

「……ち、違うわけないじゃん! お、お兄のこと、そういう目で見るとか……! いやちょっと、本気でありえないし!?」

「……真墨」

「だ、だってだって兄妹だし! あたしたち血が繋がってるからね! そういう……あーっと、なんていうの、気持ち? とか、持ってても気持ち悪いだけだし――」

「真墨。……自分に嘘は、ついちゃ駄目だ」

「――――っ」

 

 ぎり、と奥歯を噛みしめる妹に、なんとなく直感してしまった。思考回路は弛ませない。あらゆる可能性を探ればいずれは真実に近付いていく。……その真実が決して良いものだとは言えなくても、自分で考え抜いた自分の答えだった。端から玄斗は目を逸らす気も、気遣ってフリで誤魔化す気もなかった。

 

「…………なんで、さ」

「うん」

「急に……そういうこと、やるのかなあ……」

「……ごめん。今日、三奈本さんに告白されて。二回も断ることになって、どうすれば良いかを考えてた」

「なに、それ――――……いや本当になにそれ。え? ミナモトさん? え? ……うちのクラスの三奈本黄泉ちゃんじゃないよね?」

「そうだけど」

「いやなにやらかしてんだこのばか兄貴!?」

 

 うわわわわー! と叫んで真墨が後じさる。とてつもないリアクションだった。

 

「それで、うまく告白を断る方法を考えてみたんだ」

「あ、うん……わりとまともな思考だった……」

「結論から言うと、僕が結構好きだと思う人に実際告白を拒絶された気持ちを知れば、ヒントがでるんじゃないかと思った」

「駄目だこいつ途中からナナメ上の方向にずれてやがる……!」

 

 考えるのは良いことだ。良いことなのだが、その方向性は確実に間違えている。真墨は自分の兄の頭のやばさというか弱さというかボケさに頭痛を覚えた。

 

「ていうかそんなコトのために妹に告白するか普通!? いきなりすぎてビックリしたわ!」

「いや、だって真墨は結構好きなほうだから」

「――っ、うるさい! ああもうホントうっさいわ! ほんとうっさいわこのクソ兄貴! さっさと自分の部屋でオナって寝ろ!」

「……こら。女の子がそんな言葉使っちゃ――」

「ええい黙れーーー!!!」

 

 ついには抱えていたクッションを投げ出す妹に、「ああ、これは完全に失敗だった」と玄斗は察した。なにより今思えばこそだが、とんでもなくデリカシーのない行いをしてしまったような気もする。知らぬ存ぜぬで済ませられるなら警察はいらない。気付いてしまった以上は向き合うべきで、知ってしまった以上はきちんと認めるべきだ。

 

「……ごめん、真墨。でもひとつだけ言わせてほしい」

「なんだよもう……ほっとけよー……クソお兄のくせにほっとけよう……」

「真墨がどんな気持ちだとしても、僕と真墨は家族だよ。繋がりなんてそれこそ、生きている以上はきれることもない」

 

 悩む必要はないからね、と一言残して玄斗は去っていった。本当に自分の部屋にまで戻ったのだろう。いきなりの告白まがい。いきなりのカミングアウト。流れに乗せたようなついと口にでかかった本心。まさかこんな、と真墨は頭を抱える。

 

「(うわー……最悪ぅ……)」

 

 思いつつ、投げ捨てたクッションを掴んで顔に押し当てる。熱くなった頬を隠すことだけが、いまの彼女のせいいっぱいだった。  



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抽象的なかたち

ちなみに主人公の境遇は未登場のキャラ含めると最低ではなかったりします。となるとこの程度の人生経験で壊れているコイツは軟弱者……?(心がざわつく音)


 

 才能がない。能力がない。運がない。技術がない。知識がない。道具がない。そんな後付けだらけの理由が、どれも違っていたのだと気付いたのが一年前。すべての原因は自分自身にあったのだと、三奈本黄泉は理解した。

 

「…………、」

 

 灰色がかった景色。鮮やかとは言い難い日常の風景。すさんでいた過去の映像。それらにぜんぶ色を付けた切欠が、十坂玄斗その人だっただけ。

 

「――――うん」

 

 だから、理由なんてそんなもの。きっと他の誰かに助けられたなら、その誰かに心を奪われている。けれどこの場に生きる三奈本黄泉は、間違いなくそこに生きていた十坂玄斗に心を救われて、ずっと彼を想い続けた。言ってしまえばそれは、ありふれた可能性のひとつでしかない。もとより人生に明確な答えなどありはしない。ゲームや物語のシナリオなんかではないのだからそれも当然。……そんなコトにすら気付かない人間は、きっとどこかが壊れている。

 

「……辛い、悲しい、泣きたい、めげたい……」

 

 呟いて、黄泉はそっと絵筆をとった。絵を描くのは好きだ。自分という色を付けていく。その瞬間だけは殻に閉じこもって逃げ続けていた自分ではなくなっていくような気がして、なんとなく好きになれそうな気がしていた。――そんなコトも、昔の話。

 

「ぜんぶ……ぜんぶ。思ったら、ちいさなこと」

 

 幼い頃に両親を亡くして、姉と一緒に親戚に引き取られた。引っ越しさきで色々と困ることもあった。一足先に成人した姉が働き始めて、良い相手を見つけた矢先、その人が事故に遭って二度と帰らぬ人になった。優しい人だった。俯きがちな自分にも自然と接してくれる穏やかな人だった。それから姉の心も身体も壊れていって、これより下の現実なんてそうそうあるものかと街をふらついて。

 

「……酷いなあ。わたしの、人生」

 

 悲しくなかったと言えば嘘になる。ずっと幸せであったかと訊かれると、素直にうなずけはしない。でも、それでいいのだ。きっと、過去がどんなに辛くても、今までがどんなに恵まれていなくても、その先なんて誰にも分からないのだし。

 

「(でも、いい。……だってせんぱいに会えた。わたしはきっと恵まれてる。歩き方も道の探り方も、それで見つけられた。だから、次は――)」

 

 ――向こうの番だ。

 

「……待っててね。せんぱい」

 

 どうして絵を描くのか。楽しいから。好きだから。けれどなによりも彼女は――

 

 

 ◇◆◇

 

 

 朝の予報どおり、夕方になって雨が降ってきた。生徒のいなくなった校舎から電気が消されて、人の気配も散った放課後。玄斗が帰る頃にはもう土砂降りで、傘をさしていないと制服どころか下着まで濡れるのが目に見えている。持ってきていた黒い傘を手に校門まで歩いていると、ふと外から見た四階の一室だけ、煌々と明かりがついているのに気付いた。

 

「(あそこは……たしか)」

 

 ――直感か、はたまたただの好奇心か。玄斗はさしていた傘を畳んで、すぐさま昇降口まで引き返した。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 カツカツと、誰もいない廊下を歩く。雨雲のせいで夜でもないのに校舎は暗い。節電をうたう調色高校のルールとして、放課後は部活動以外で教室の電気をつけるのは原則ナシとなっている。薄暗いというべきか、薄明るいというべきか。どちらかというと前者を選びたくなるのは天候のせいもあるのだろうと、なんとはなしに玄斗は思った。

 

「…………、」

 

 目的地は四階の端。一階の昇降口からは長い階段をのぼって、すこし歩いた先になる。校内に人影はない。雨ということでグラウンドから響く運動部の声もない。吹奏楽や軽音楽部も今日は練習はないと小耳にはさんでいた。――とても、静か。

 

「(……ああ、なんだろう)」

 

 そんな静けさに、不意に、懐かしさを覚えた。音がない。声が聞こえない。外界とは隔離された世界。それは彼がこの世に生まれる前に体験したものだ。なにも完全に無音というワケではなかったろう。ただ、末期はすでに耳も壊れていた。目も一日に数分開けられたらマシなぐらい。寝たきりのままゆっくりと死んでいく束の間の、なにもないあっさりとしすぎた空間。そんなものを、不思議と、今日に限って想起した。

 

「(あれはもう嫌だな……眠りたくても全身の痛みで目が覚めるんだから、案外楽なもんじゃないし)」

 

 それに比べれば、多少の怪我なんてどうというコトもない。本当に駄目なとき、人体というのは不思議と見事に動かなくなるものだ。それでいて生半可に痛覚なんか残っていたら、熱さと刺激が入り交じった地獄を見る。そんなものをほとんど毎日。頭が狂わなかったのは幸でも不幸でもなく、そもはじめから狂っていたからこそだろう。

 

「(でも、静かなのは嫌いじゃない。こうやって、色々と考えるのも。……結局、その程度なのかもしれないな)」

 

 死んだとはいえたかだか(・・・・)自分のコトだ。たしかに恐ろしくはあるが、そうなって苦しむのは己しかいるまい。ならばそこまで気にするような問題でもないように思えた。死を理解する。死に様を既知とする。それは生き物としてあるまじき欠陥だ。生きている以上、死を容認するのは困難にすぎる。ましてや真実体験してそれでもなおというのなら、ソレは壊れているという他ない。――ああ、まさしくそのとおり。とっくの昔に、とうの彼方に、明透零無は壊れてしまっている。

 

「(それも、もう、何度考えたか分からない答え――)」

 

 結局、命の価値でいうならソレがもっとも下だ。なにせ生きている価値がない。死ぬことを知って、死ぬことをそれもまた有りだとするのなら、これ以上に生きていてどうしようもない人間もいないだろう。だったら簡単なこと。いずれはそう、いくら悩んでもその答えがチラついている。なにかを切り捨てる。そのなにかに一番当て嵌まるのは、まさしく自分なのではないかと――

 

「(……ん。ここか)」

 

 考えているうちに、目的地へついた。見上げたプレートには美術室の文字。ゲームでいう場所としては、彼女(・・)がいちばん接点のあるところだった。そっと扉に手をかけて、ガラリとスライドさせる。――あたり一面は、足の踏み場がないほどの画用紙で埋め尽くされていた。

 

「(――すごいな……これは)」

 

 なにかしらの描かれた用紙は乱雑に置かれている。加えて机や椅子も散らばっていて見映えが悪い。一体なにがどうなっているのかと絵を一枚つまんで……その内容に、どこか、心が揺れた。

 

「(……うすい、黒?)」

 

 べったりと、隅から隅まで灰よりかすこし濃い黒が塗られた一枚。絵というよりはただ塗っただけというほうが似合っている。不思議な模様もなにもないシンプルなものだった。そうっとその絵を横へ置きながら、また紙を拾って道をつくっていく。

 

「(こっちは藍色……で、これは……赤色かな。混じってるから、よく見えない)」

 

 青みがかって、赤みがかって、ついぞ黒というには不気味な色ができあがっていた。おかしな絵だと思いながら、用紙を拾いわけて先へ進む。絵というのは不思議だ。黒になにを混ぜても黒にしかならないものだが、これが画用紙の上だとすこし違う。黒にも細かな違いが出てくるし、色がなくても白が残る。透明なんて、それこそ。

 

「(…………!)」

 

 と、しばらく繰り返してやっと絵画らしきものを見つけた。真っ白な背景に、薄く色のつけられた水晶玉がひとつ。その向こう側に、混じり合った不気味な黒が映っていた。……それは、どこか。

 

「どこか、あなたに似ている」

「!」

 

 びくりと肩が跳ねた。視線をあげた先。顔を向けたそこに、探していた少女の姿を見た。

 

「……三奈本さん」

「待ちました。……ううん、ずっと、わたしは待っていたんです。せんぱい」

「……どうにも分からない。最初からそうなんだ。……君は一体、僕を……」

「わたしは……わかってます」

 

 気付けば、彼女はひとつもどもってはいなかった。一対一ならうまく話せるのか、この場所がそうさせるのか。玄斗に詳しいところは分からない。ただ、彼女の瞳が真っ直ぐこちらを見ているのが意外で――いや、思えば、学校で押し倒されたあのときも。

 

「知ってました。せんぱいのこと。……むかし、いじめられてたことがあるんです。だから、人の目を見れば、だいたいのことわかっちゃうんです。……どんなに参ってても、ふと目を合わせたぐらいでも、ちゃんと」

「……凄いな。ああ、でもそれは……たしか、感性の話だっけ」

「どう、なんですか、ね……でも、わたし、ちょっとだけそのことも、良いって思えちゃってます」

「……そうなんだ」

「はい」

 

 なんともまあ、見事にやられている。これで三度目。二度あることはともいうが、この調子であれば誰であってもこうなのかという予想すら浮かんでしまう。出会いを重ねて思い出を増やしたふたりとは違う。たった一度、刹那の邂逅でその本質を見抜かれた。さっぱり忘れていたわけではない。ただちょっと抜け落ちていた。その類い希なセンスが発揮されていたのは、壱ノ瀬白玖との初コンタクトの数会話で「まさにそのとおり」な評価を叩き付けていた原作からも分かる。そんな相手に、ましてや彼女だとも知らずに漏らした彼の素顔をさらした状態で、見破られないはずがなかった。

 

「色の付かないガラス玉……透き通ってて中身がなくて、割れやすいのにそれを気にもしていない……せんぱいは、そんな人でした」

 

 故にこそ、三奈本黄泉の評価に間違いはない。かねてより無色透明だった明透零無は、色がなければなにもない。そこにあるべきよう見えていたのは、透けて見えた別のモノだ。だから、本気で難しい。自分というのも。それで考えるのも。そんなモノの幸せを夢想するのだって。

 

「……だから、せんぱい。わたしはずっと、会いたかったんです」

 

 到底、自分が死ぬという現実がちっぽけすぎて呆気なくなるほど。

 

「せんぱいに……ずっと。ずっと。わたしは、せんぱいを――」

 

 信じられない、ものだったのだ。





>無色透明 明透零無

主人公のイメージカラーが無色透明でアトウレイナちゃんのイメージカラーが透明のみなのはここが理由。まあ大したところでもない。



わりと良い感じに直ってきてるのでここらで一回叩き割っても面白いんですけどね。


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シアワセってなんだ?




権利でも義務でもなければどうでもいいという。


……馬鹿らしい。



――そんなのは、必死で頑張っている誰かへの冒涜だ。


 

 幸せを語ったその人は、とても、幸せの味なんて知っていなさそうだった。

 

『だから、大丈夫』

 

 なにが大丈夫なのだろうか。とてもその瞳はそう思えない輝きを放っていた。けれど不思議なことに、誤魔化している様子も、嘘をついているようでもなかった。ならば簡単なこと。人との意思疎通は三奈本黄泉のもっとも苦手とするところだ。けれど、他人を理解するという点においてそのセンスが発揮されるのは彼女の得意とするところだった。――この人は、己の不幸を認識していないのだと。気付くまでの時間はかからなかった。

 

『――――、』

 

 なんて、虚しいのだろうと思った。なにも分かってはいない。幸福を語る本人が本当の幸せを欠片も理解していない。なのに、どこまでも救われている。三奈本黄泉という少女の心はそんな壊れ物のニセモノに、呆気なく救われるほどのものだった。

 

『……そう、なんですね』

 

 途端に、彼女は心が軽くなった。息苦しい世界が嘘みたいに塗り替えられていく。自分よりも酷い歪み方をしていて、おおよそ手遅れになりかけた彼が、あたりまえのように幸せをあるものと語っている。そんな矛盾だらけの現実にこそ、希望を抱いた。ああ、本当に、なんてコトはない。比べればなんとも虚しい。だって、そうだ。目の前には自分以上に、心に罅の入った人間がさも当然のように生きている――

 

「(でも、それに気付けるのはきっと少ない……)」

 

 それこそよく見ても分かるかどうか。その本質は透明で、ともすれば見落としそうなほど色がない。なにか別のものにこもってはじめて微妙な差異が現れるぐらい。けれども、そんな歪さに黄泉は気付いてしまった。無視はできる。初対面の少年にそこまでする理由なんてこれっぽっちもない。でも、そうはしなかった。想い続けて、信じ続けて、ここまでやってこれた理由なんてただひとつ。

 

「――わたしは、せんぱいに幸せを教えてあげたかったんです」

「……僕に?」

「はい」

 

 例えば海のように蒼い彼女は、その名前を解き放って彼の存在を引き摺りあげた。例えば燃える夕焼けのように赤い彼女は、その壊れた思考回路に正常な線を繋いで人として生きることを望んだ。ならば、三奈本黄泉が与えるのは間違いなくそれだ。誰よりも不幸であるが故に、なによりも泥に塗れているが故に、真に綺麗だと言える幸福(モノ)を彼女は知っている。

 

「難しく、ありません。……たとえば、道路の脇に咲いた花、とか……通学路の桜並木、とか……印象的な誰かの笑顔、とか……なんでも、いいんです。素敵って、思うものをせんぱいの心に映すだけ……それだけで、いいんです」

「……いや、でも、それぐらいは――」

「してません。……せんぱいは、見てません。ガラス越しの景色は、くもるだけです。……ちゃんと、見てください。せんぱい。わたしたちの身のまわり……とっても、素敵なんです」

 

 そのぐらいは、玄斗だって知っている。世界は綺麗だ。目に映すのも贅沢なぐらい見事に仕上がっている。当たり前のようにそれを見て、音を聴いて、肌で感じて、鼻でにおう。すべて、自分にはもったいないぐらいの幸せだと思った。

 

「分かりませんか?」

「……いや、分かってる。君の言いたいことも、なにを伝えたいのかも。分かってるつもりだ……僕は」

「なにが……ですか」

「なに……って……」

「なにが……わかってるんですか……?」

 

 言っている。口よりもその目が言っている。〝おまえはなにも分かっちゃいない。〟そう暗に告げている。そんなコトはない。この世界がどれほど鮮やかなんて分かりきっている。ただそれをなにも言わず受け入れられるほどのモノもない。だから、贅沢なのだ。言ってしまえば身の丈にあっていない。こんなコトなら、一生病室の中で過ごすのも悪くはないのだろうと――

 

「わかって……ないじゃないですか……!」

「三奈本……さん……?」

「あたりまえは……あたりまえです……! どうして、そんな、困った顔をするんですか……!? せんぱいは、生きてます! ここに、います! なのにどうして……どうして、そんなに遠い目をするんですか……っ!」

「…………それは」

 

 どうしてか、それは分かった。以前より考えることは多くなった。その度に直面する。思考の沼にはまればはまるほど、自分はこの世の理から外れるべき生き物なのだと理解する。そも、約束されていたモノなどなにひとつなかったはずだ。ならば、シンプルすぎるほどに。――十坂玄斗(明透零無)に、本当の幸せなんてものが必要なのだろうか――?

 

「……要らないものかもしれない」

「……なにが、ですか……?」

「僕は別に、どうってこともないんだ。感じることもなかった。なら別に、知らなくてもいいだろう。……はじめからそうだ。用意されてなくても生きていられた。なら、これからなくても問題ない」

「…………っ」

 

 その言葉を訊いた瞬間に、彼女の意識は沸騰した。

 

「――――」

「…………っ」

 

 パァン、と大きな音が響く。ヒリヒリと痛みに頬が痺れる。見れば涙目のまま、黄泉は思いきり右手を振り抜いていた。いつも気弱で会話もどもってばかり。初対面ながらそんな印象を植え付けた彼女らしからぬ一撃に、言葉すら出なかった。――なんて、衝撃。

 

「――せんぱいのっ、アホぉーーーーーー!!!!!!」

「っ!?」

 

 ついで、右耳から声が突き抜けた。大音量も大音量。もはや爆音とも言うべき叫び声は、静かな校舎で余計に反響した。距離数センチの間に壁もなにもない状態で受けた大声で、玄斗の聴覚はキンキンと耳鳴りがなっている。

 

「……っ? ……っ!?」

「……!!」

 

 困惑する玄斗と、ギッとらしくもなく睨みつける黄泉。とても同じ少女とは思えない鋭さが垣間見えている。そんな光景に、どこまでも脳が震えた。……おそらくは大声の効果も含めて。

 

「あほです、ばかです! せんぱいは、おおばかものですっ!」

「な……にを……」

「未来に幸せがあるって言ったのはせんぱいです! なのにせんぱいにはそれがないんですか!? そんな都合のいいことがあるんですか! そんなのないです! ありえません! 不愉快です! なら、わたしが……っ」

 

 ぎゅっと、手を掴まれた。強い力だった。少女の力だ。振りほどけないワケではない。なにも運動をしてきた体ということもない。ずっと筆を握り続けてきた、ちいさいのに女性らしさの消えはじめた荒れた手指だった。けれど、それは決して嗤われるようなことではなく――

 

「わたしがっ、背負います……っ! せんぱいの不幸ぐらいどうってことありません! だってわたしは不幸です! 運がないです! ひとり分ぐらいなんてことないんです! それでせんぱいが幸せになれるなら、いくらでも背負います!」

「……やっぱり、分からない。どうしてなんだ。君は。……なんで、一度会って、ちょっと話しただけだろう? なのに、なんで……そこまで、言えるんだ」

「そこまで!? せんぱいにとってこれってそこまでですか!? 変ですか!? 違います! 変なのはせんぱいです! わたしはわたしの……っ」

 

 ぎゅっと、黄泉が胸の前で手を握った。儚くも強く美しい。それをここまで体現した動作も珍しかろう。見とれるように、見惚れるように。ぼうっと視線を引かれた玄斗のほうへ向かって、

 

「――わたしの大好きな人の幸せを願うのが、変なことですか!?」

 

 とても、強烈な弾丸を撃ち付けてきた。

 

「……僕は、君の好意を断ったのに?」

「関係ないです! わたしの好きはわたしの好きです! せんぱいなんかに関係ありません! だから、ぜったいにせんぱいにだって拒否させません! ぜったい、ぜったい幸せを知ってもらいます!」

「……悪いけど、知ってるんだ。だからこの話は終わりってことになる。幸せぐらい、僕はもう……」

「いいえ! ぜんぜん! だって、そうじゃないですか! せんぱいは……せんぱいは……っ!」

 

 幸せぐらいは知っている。笑っているのがそうだ。嬉しいのがそうだ。心が揺れるのがそうだ。言わば脳から発する電気信号の一種だ。そういうカタチだと知っている。そういうものだと知っている。自分には縁のないものだと知っている。自分にはなかったものだと知っている。自分にはないものだと知っている。自分には不要なものだと知っている。自分がそう感じてはいけないものだと知っている。自分にはこれからも縁のないものだと知っている。自分には一生かかっても届かないものだと知っている。自分には一生かけても手を届かせてはいけないものだと知っている。なぜならそう。簡単に、単純に、明透零無には元からそんなものを収めるスペースが用意されていなくて――

 

「一回も幸せだと思って笑ったことなんかないくせに!」

「――――」

 

 なにを見た。なにを見抜いた。分からない。なにも知らないハズだ。なのに、その言葉は酷く刺さった。図星だ。そのとおり。いくら頭で考えたって、そういう反応だと理解していたって、きっとホンモノである心の底からはわいてこない。ただの真似事。言わばニセモノ。明透零無の歪な笑いは、そこを起点としたものだった。

 

「許せません! 許しません! そんなの誰が許したって、私だけは許してあげません! せんぱいには幸せを知ってもらいます! 素敵だって思うことを知ってもらいます! だってわたしは、そのために――」

 

 なんとも脆弱だ。剥がれた中身はすぐ外へ出る。無いに等しい十坂玄斗の殻なんて、プロとも言える彼女たちの手にかかればこのザマだ。ものの見事に、丸裸にされていた。

 

「こんなに沢山、描いてきたんですから――!」

「…………、」

 

 〝――――ああ。〟

 

 そうか、とひとつだけ納得した。勢いよく何枚もの画用紙が舞い上がる。深い蒼の広がる海や、夕焼けに染まった街の風景。大地を照らし続ける黄色い太陽に、幾本の日差しが降り注ぐ深緑の自然。紫の花に橙の葉、淡い桃色をした茎と灰色に染まった果実。虹のような色を持った千本ものハナ(・・)は白を背景に描かれている。綺麗だ。美しい。なにより光るものがある。どれもが、心に訴えかけるほどの熱量を秘めていた。

 

「……贅沢だ。やっぱり、僕には」

「贅沢なんかじゃありません。当たり前です。権利とか義務じゃありません。だいたい、そんなのわたしは認めません」

「……どうして?」

「わたしは……っ、掴みたいものを、掴みますっ。何度、折れても……くじけても……きっと、いつか、報われるって信じてます。だって、それが――」

 

 ……ああ、それは。

 

「それが、せんぱいに教えてもらったことなんですから――!」

 

 いつぞやの男が口にした、軽すぎるにもほどがある、空虚な言葉の強さだったろうに。





気弱系後輩だと思った? 残念不幸に塗れて立ち直ったクソ強メンタルちゃんだよ。正直白玖さえいなけりゃ黄色ちゃん独走レベルで玄斗まがい(明透零無)ブレイカーだったりする。




……そういえばヒントもろに出したけど気にしないでください。まだ後だから。あとヒロインもひとり増えたから。大丈夫大丈夫。玄斗とか目じゃないやつが残ってるだけだから(満面の笑み)


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ココロ 震わせて

主人公を苛めたいんじゃない。ただ好きだから必死で生きて悩んで苦しんでそれでも足掻いてほしいだけなんだ……(きっと足掻けるとは言ってない)


 

「……ところで、あの」

「?」

 

 と、言いにくそうに黄泉は視線を泳がせた。なんだろうか、と玄斗は考える。叩き付けられた衝撃的な言葉も束の間、まだこれ以上なにか言うことでもあるのか。だとするならなおさら、それは彼の受け取るものだ。一言一句とて聞き逃すことはできないと、まわりの音に注意して――

 

「ち、散らかった絵を……一緒に直してもらえませんかっ……!」

「…………、」

 

 とても、肩の力が抜けた。

 

「……これ、用意したんだと思ってた」

「い、いえ! そうなんです、けど……あの」

「あの?」

「……ほ、本当は、机とかに置いて、こう、ルートを……作ろうとしてたんですけど……慌ててたから、その……ばたんって」

「……なるほど」

 

 どうりですこし制服が汚れている。なにかと危なっかしいところもある少女だ。加えて、いまの話を聞いたとおりであれば運も足りていない部分が出てくるのだろう。必死に準備しようとして、こうも教室を散らかしたのがなんとなく想像できた。

 

「……でも、どうしてそこまで?」

「……せんぱいが、窓から……見えたので。たぶん、来てくれるかな……って……」

「……凄いな。本当に。そこまで分かるなら、人付き合いもうまくいきそうなものだけど」

「あ、あはは……それは、ちょっと、違うんです。……わたし、これ、逃げることにしか使ったことありませんでしたので……」

「……逃げる」

 

 ふむ、と玄斗は画用紙を拾いながら思う。逃げようなんて思ったことは少ないけれど、その気持ちはなんとなく分かる。それでも逃げられなかったときも、逃げたら駄目なときもあった。おかげで苦痛には慣れている。だからこそ、一言だけ、伝えるべきだろうと彼は口を開いた。

 

「それは、そんな風に言うことじゃないと思う」

「……え、あ、はい……?」

「嫌なことから逃げてなにが悪いんだろうね。賢い使い方だと思う。僕だってそんな感性があったら、そうしてたかも分からないし。なにより君の考えで君の決めたことなら、それは進んでるっていったほうがいい。……まあ、僕自身がそんな大層なこと、言えた人間じゃないんだけど」

「……それも、違うと思います」

 

 あれ? と急な切り返しに玄斗が戸惑うよう首をかしげた。なんだか、こう、いままでなら気付かなかった特大の地雷を思いっきり踏み抜いたような。

 

「せんぱいはちゃんとせんぱいです」

「……いや、うん。僕は僕、だけど」

「違いますっ……せんぱいは、せんぱいなんです」

「…………?」

 

 それはどう違うのだろう、と玄斗はますます首をかしげた。たしかに自分は自分だ。むしろ自分以外のなにでもない。そのぐらいはきちんとこの前、理解したはずなのだが……、

 

「だからっ……せんぱいは、せんぱいの言葉でわたしを救ってくれました。きっとせんぱいにその気がなくても、救われた人がここにいるんですっ。ちゃんと、せんぱいの、あなたの言葉で、心に響いた人がいるんですっ……それを、忘れないで下さい」

「……そっか。そういうことか」

「そういうことです」

 

 ずいっ。

 

「それなら……うん。仕方ないのかな」

「仕方なくなんかないです」

 

 ずいっずいっ。

 

「うん……近いね」

「!!」

 

 しゅばっ、と鼻の先が触れ合うほどに近付いていた黄泉が飛びながら後退する。いまさらながら頬が真っ赤に染まっていた。なんとも、夢中になると周りが見えなくなるのだろう。故にこそ彼女の集中力は凄まじい。原作において白玖の心を真実震えさせたのは、そのキャンバスに描かれた一枚の絵であったのを思い出した。

 

「……そっか。そうなんだ……僕もすこしは、人らしくやれてたのかな」

「せんぱいは人です」

「そうだね。……ただ、そう名乗るには、ちょっと、足りないものが多すぎるよ」

「人です」

「……あの」

「人です」

 

 近い。

 

「……よく、言い切れるよね……見てて気持ち悪くない? ぼく(・・)は」

「はい」

「なら、そういうことはあんまり……」

「でも、好きです」

「…………物好きだね」

「はい」

「ぼくは、わからない」

「知ってます」

「……物知りだよね、本当」

「せんぱいがそういう人だって、知らなかったらそこまで突き詰めてません」

 

 それは、順序が逆ではなかろうか。思いながら、玄斗は教室に散らばった最後の一枚を拾い上げた。なんとはなしにその絵を見る。――そこに。

 

「――――――」

 

 鼻から上が掠れるように消えた、誰かの笑顔が描かれていた。

 

「……これ、変だね。顔が見えない」

「……あたりまえです。だってわたし、せんぱいの顔、見たことありません」

「……そういう、ぞくっとすることを言われたのは三人目だよ。三奈本さん、本当にぼくのことなにもしらない?」

「あ、そうなんですか……ちょっと、安心しました。わたし以外にも気付いた人、いたんですね……」

 

 よかった、と黄泉がちいさく呟く。それにまた、ガラスの内側からナニカがこぼれかけた。どうにも最近になってそうだ。殻という殻を無意味なことだと壊されてから、自分がどこをどう歩いているのか考えていなくては分からなくなる。

 

「……なんなんだ本当、君たちは。誰かのことを見ているにしても、直感が鋭すぎる」

「せんぱいが分かりやすいんです」

「……そんなに?」

「だって、メッキの黒です。すぐ剥げます。ていうか透けてます。……わたしにはそう見えます」

「……いちおう、ちゃんと十坂玄斗だよ?」

「あ、ヒント……ですね、それ。じゃあせんぱいは、違うんだ……」

「……だからどうしてすぐ、そういう方向に行き着くんだ……」

 

 まったくもって分からない。もしくはこの少女の感性がおかしな方向に曲がっている。四埜崎蒼唯にしろ、二之宮赤音にしろ、目の前の三奈本黄泉にしろ、こうも簡単に見抜かれては今までの人生はなんだったのかと思ってしまう。本当、勘弁してほしい。……前までは、こんなコトは思わなかったのに。

 

「でも、分かったのはそれだけじゃありません。似てたんです」

「……似てた?」

「はい、わたしの……友達に」

「……ぼくに似てる友達って……それ、どんな子なんだ」

 

 笑いながら玄斗は訊いた。片隅にすら予想もなにもない。真実、この世にそれを知っている人間はいるだろうか。すくなくとも今の彼の近くにはいない。ならば、何を探ろうともなにをしようとも、答えに辿り着けなかったのは致し方なくて。

 

「お姉ちゃんが入院してて、その子も病気で同じ病院だったんです。だから、すこしずつ話すようになって……お父さんがひとりだけいるって話でしたけど、わたし、一度もそのお父さん見たことないんです」

「へえ……」

「なんか、栄養失調で倒れてから色々と苦労しちゃってるみたいで、ちいさい頃から生まれつき体も弱いって言ってて……」

「うん……」

「それで、あんまり、笑うのが上手じゃないんですよ。ちょっと、下手な笑顔を浮かべるんです。それがなんとなく、せんぱいと重なったんです」

「……そっか」

 

 早く良くなるといいな、と言うと黄泉がコクリとうなずいた。本心からの願いだ。病気の辛さは玄斗も人並みに分かっているつもりだ。なにより栄養云々で体を壊したというのがどこかの誰かにある過去を思い出させた。もとより病弱の身にろくな食事を用意しないというようなコトは、自分の身以外に起きるはずもないが――

 

「はやく一緒に登校したいなって……レイナ(・・・)ちゃんって、言うんですけど」

「――――え?」

 

 ――それは偶然か。それとも待っていた未来の結末か。耳朶を震わせた名前に聞き覚えはどこまでもあった。ともすれば、もはや。

 

「……レイ、ナ……?」

「? はい。アトウレイナ(・・・・・・)ちゃん、です……けど……」

「――――」

 

 ばさり、と持っていた画用紙が落ちた。わーわーと慌てながら黄泉が足下の絵をせっせと拾い上げる。けれど、それすら頭に入ってこない。なぜなら、それほどまでに衝撃で。

 

「(アトウ……レイナ……?)」

 

 そんなはずは、と出かかった声を飲み込む。まさかそんな、と。だって、それは。

 

「(ぼくが……いる……?)」

 

 誰でもない。十坂玄斗になる前の、彼の名前であるのだから。





もうひとりのぼく×

ぼくじゃないぼく×

女になって攻略ヒロインと化したぼく○



そんなアトウレイナちゃんの明日はどっちだ――


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そんなある日の帰り道

四章もあと一話……もちろん幕間二話です。あああやっと五章書けるのおおお……!


 

「ご、ごめんなさい……」

「いいよ。三奈本さんはなにも悪くないんだし」

 

 言って、玄斗は傘をすこし彼女のほうに寄せた。そう、なにが悪いかと言えば、決して彼女が降水確率八十パーセントの日に傘を忘れたことでも、こんなに雨が酷くなる時間まで残っていたことでもなく、たんに天気が悪かっただけだ。

 

「むしろ良かった。女の子を雨のなかずぶ濡れで帰すなんて、とてもじゃないけどね」

「……朝は降ってなかったのにぃ……」

 

 はあ、と落ちこむ彼女は本当に申し訳ないと思っているらしい。単に玄斗が気にしない質なのか、それとも黄泉が余計に気にする性格なのか。どちらもありえるが、たかだか相合い傘(・・・・)をしただけでそれほどだろうか、なんて玄斗は思いながら歩く。

 

「にしても、凄いな。雨」

「……そ、そうでふねっ!」

「……ふ?」

「す、すすすいません! なんかっ、あのっ、いきなり、緊張……しちゃって……!」

 

 はわわわわ、と口元をおさえながら慌てる黄泉に、自然と笑みが漏れた。……本当に、本心から、自然と、うまく笑えたと思う。けれど、

 

「…………、」

 

 彼女はそれを横目でちらりと見て、瞳に落胆の色を浮かべていた。些細な動作。意識しないモノ。それですら作り物じみた動きが混じっている。ならばどうすればいいのかと、悩みは尽きなかった。どうにも、昔から笑うのは得意じゃない。笑えないワケではないというのに。

 

「……だめかな」

「だめです。……せんぱい、笑ってるのに笑ってない……!」

「……それがいまいち分からないよ。でも、ありがとう。ちゃんと考えてみる。それで、自分なりに答えは出してみるよ」

「え――――」

 

 言うと、黄泉は呆けたように足を止めた。ふり向いて、傘からはみ出ないようにその距離を詰める。すこしばかり、彼女は驚いているようだった。理由なんて考えるまでもない。

 

「大丈夫。これでも結構、分かってきたんだ」

「せんぱい……」

「だから、平気。これまでずっと、考えれば僕は恵まれていたんだと思う。だから、これからもそうなんだろうね」

 

 ちょっと贅沢すぎるけど、なんて恥ずかしそうに頬をかいて玄斗は言う。なにが分かっているのかとか、贅沢だの恵まれているだのと言う時点でなにも分かっていないだとか、他のなにも知らないのかとか、黄泉が言いたいコトは沢山あって、どうにも我慢なんてできそうになかったのに。

 

「……やっぱりおばかさんです。せんぱいは」

「そうだろうね。でも、だから考えないと」

「……きっと、難しいですよ? いっぱい、苦しんじゃうんですよ?」

「そこはまあ、慣れてるから。ならなにも問題ない。それまで頑張ったぶんはなにかしらの結果で残っていくんだ。だって、いつかは報われるんだろう? そうなるぐらいは、僕もやってみせるよ」

「……そこが、おばかさんなのに」

 

 おそらくは誰も言わなかった。気付いてもそこに目を向けなかった。触るべきではないと判断した。理由は様々だ。けれど、三奈本黄泉には分かっている。不幸に塗れていた彼女だからこそ理解する。その一点だけは、他の誰でもない――自分が触れるべき位置だ。

 

「慣れてるって、それがいちばんいけないんです」

「……でも、仕方ない。慣れてるんだから」

「慣れてるからって、それで片付けるのがいけないって言ってます! だいいち、慣れちゃいけません! もっと……先輩は、苦しんでいるところに、目を向けてあげないと」

「…………どうっていうこと、なくても?」

「です」

「……そっか」

 

 気を付ける、と一言答えて玄斗は歩き出した。黄泉をともなって、並びながら歩道を進む。雨は一向に止む気配がない。今日一日は降り続けるだろう。なんとなく、そんな直感を働かせた。――ふと、そんなぼんやりとした視界に、一台の車を見た。そこまで速くはない。下手な運転もしていない。が、にしたって自動車の速度だ。とうぜん、雨のなかで走り抜けていれば飛沫があがるもので――

 

「ごめん」

「えっ?」

 

 ちょうど、近くにあった水たまりを勢いよく駆け抜けた。

 

「――せん、ぱい……?」

 

 どくん、と心臓が高鳴る。その暖かさに包まれている。香りに包まれている。なによりその腕で、逃がすまいと抱き締められている。その事実を認識した瞬間に、黄泉の理性は蒸発しかけた。

 

「なっ――――」

 

〝――――#$%&*@??$#&$#%!!??〟

 

 もはや心中でさえ言葉になっていなかった。パニックである。なにせ目の前すぐ一センチもない近くに玄斗の胸板がある。制服越しのそれはほんのすこしの固さがあった。頼りなく見えて、案外安心する。……などと、考えている場合ではなくて。

 

「だ、だめ、ですよぅ……せん、ぱい……」

「……あぶな、かった」

「こんな――……へ?」

「いや、本当にごめん。三奈本さんは……大丈夫そうだね」

 

 なら良かった、と笑う玄斗の髪からしずくがぽたりと落ちた。おかしなことに、傘をさしているというのにだ。……見れば、背中側から横にかけてびっしょりと濡れている。

 

「な、なにしてるんですかっ!?」

「いや、水飛沫が。ほら、女の子は濡れたら色々と困るだろうし」

「だからって、こんな……!」

「嫌だった?」

「そっ、その訊き方は反則です!」

「だね」

 

 自分でもずるいと思った、なんて彼は申し訳なさそうに白状するが、そこは大した問題でもない。いや問題ではあるが。そこまで彼が行き着いているという事実に黄泉は泣きそうになったが、それはともかく。

 

「ふ、拭かないと! 風邪、ひいちゃいます!」

「大丈夫。どうせ雨だし。家に帰ってからでいいよ」

「でも……っ」

「――そこの少年! すまない! 大丈夫か!?」

 

 と、後方から声をかけられた。ふたりしてふり向けば、すこし行ったところで先ほどの車が停まっている。意外というか、なんというか。明らかに車高の低いそういった(・・・・・)車から顔を出していたのは、妙齢をすこしすぎたほどの女性だった。

 

「あ、はい。問題ありません」

「本当か? 結構思いっきりぶちまけたぞ、私は。……ちょっと待ってなさい」

 

 と、女性が車から降りて傘もささないままに駆けてくる。白いワイシャツとパンツスーツをゆったりと決めた姿からして、仕事帰りだったのだろうか。どことなく玄斗はその姿に、煙草が似合うだろうなという感想を覚えた。……どうしてかは、分からないが。

 

「うわあ……これは問題だろう……いや、本当にすまない。配慮が足りなかったな。ずぶ濡れじゃないか」

「いえ、本当に大丈夫ですから、そこまで謝ってもらわなくても……」

「そういうワケにも……なにしろこっちは大人なんだ。君たち、見たところ学生だろう。なら、年上としてカッコ悪いところを見せるのもな……」

 

 おどけるように言う声は、けれどこちらに断らせまいとする意思が込められていた。嘘はなにひとつついていないだろう。真摯な人だ、と思う。しかしながら見知らぬ女性にここまで言われてしまうというのは気まずいと、こっちもハッキリ言おうかなんて視線をあげた瞬間――

 

「――――、」

「…………?」

 

 ばっちりと、目が合った。その瞳がぐっと見開かれる。まるで、なにか、信じられないものを見たように。

 

「……すばらしい

「え?」

「――いや、なんでもない。悪いコトをしてしまった。それで提案なんだが、どうだろう。乗っていかないか? もちろん彼女さんも一緒に」

「か、かのじょ……っ」

「? 違うのか?」

「……えっと、あの、それはともかく、そこまでしてもらうのは……」

 

 本当にこちらこそ申し訳ない、と玄斗は一歩後じさる。こちらにお節介を焼いているあたり、すくなくとも悪い人ではないのだろう。が、だからこそ余計に申し訳なくなってくる。だいたい、悪気もなく水飛沫を飛ばしたぐらいでわざわざ車を停めるような人間が一体いくらほどいるものか。

 

「いいんだ。やらせてくれ。ついでに、制服のクリーニング代もかな。そも君たちが負い目を感じる必要なんてないだろう? 任せてくれ。私はこれでも、元大学教授だぞ?」

 

 まあもう何年も前の話だが、と薄く笑みを浮かべながら彼女は言う。なるほどどうりで、と思うと同時にうまい話運びだとも思った。慣れているのかどうなのか。疑問を抱えたまま、女性はくるりとふり向いて手でこちらへ来るよううながした。

 

「ほら早く。このままでは濡れてしまうよ。なんならそっちの彼女さんから連れていこう。それともそっちの娘からしてみると、彼が先のほうがいいかな?」

「……良いんですか? 本当に」

「だからそう言っている。これは私の過失だ。だから私に払わせてほしいとも。……まったく、お姉さんが格好付けようとしているんだから、ちょっとはうまくやらせてくれないものかな?」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 応えると、その人は嬉しそうに笑った。とても、とても、それこそ「こういうものか」と彼が理解してしまうぐらい綺麗に。

 

「……やっぱりいいな、君

「……? なにか……?」

「ううん。なんでも。ちょっと、良いと思ってね。君たちを見ていると、思い出すんだ」

 

 それは一体なにをなのか。訊く間もなく車に乗り込んだ女性に続いて、玄斗と黄泉も続いて入っていく。当然ながら何事もなく、その日は無事に家へ辿り着いた。  






ちなみに「活用班」は「壱ノ瀬白玖」ではなかったりします。

……「なにが?」っていう方はそのまま無視していただいて結構です。「分かってんだよなあ……」って人はちょっと、あの、しー、で。


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オトナとの時間

駄目だ黄色ちゃん書き足りねえ……! って感じなので幕間で本気出したい。


 

「さ、どんどん食べてくれ」

「…………、」

 

 にこり、と満面の笑みを浮かべる女性に、玄斗はほのかに引き攣った笑みで返した。通りすがりの高級車に水をかけられて約一週間。制服も無事綺麗になり、何ごとも万事解決といった矢先、件の人から誘いを受けたのだった。……どうしてか、食事の。

 

「……あの」

「うん? なあに、遠慮することはない。こう見えて私は結構生活に余裕がある。それこそ、男子学生なんていつまでも養えるぞ?」

「……それは、見てれば分かります」

「そうか?」

 

 ならほら、と彼女はにこにこと笑ったままメニューを渡してくる。場所は家から近場のファミレス。当初は夜景が綺麗に見えるというビル何階に設置されたレストランでの食事だったのだが、玄斗の必死の要求でここまで下げてもらった所存だった。さすがに、一介の高校生が超のつくほど高級レストランを奢ってもらうのは気が引ける。

 

「見たところ高くても五桁いかないようだ。これなら何品でも頼んでくれて結構。まあ、初めの予定どうりであっても君には自由に食べさせたわけだが」

「……いえ、さすがに、向こうは」

「苦手か? まあ、その辺も私が悪かった。もっと君のコトを考えるべきだったな、次からは気を付けよう」

 

 そう言って、彼女もメニューを手に取って眺め始める。新鮮といえば新鮮だ。だいたいにおいて接してきたのが同年代に限定されるが故に、こういったときの十坂玄斗は基本的に受け身だ。だからこそ、明確な完成された年上の牽引力というのは凄まじかった。

 

「何にする? 本当に気兼ねしなくていいぞ? 何度も言うが、これでも小金持ちだ」

「…………、」

 

 はたして、父親に聞いたところ「そんな外車乗ってるのは金持ちだろう」なんて真顔で言ってくるような人間を、小金持ちと言って良いものか。

 

「……じゃあ、その、一品だけ……」

「一品? おいおい、成長期の男の子だろう。もっと食べないと。遠慮されると財布を膨らませて来た私のほうが恥ずかしいじゃないか」

「…………六品ほど」

「うん、よろしい」

 

 うなずいて、女性がチリンと呼び鈴を鳴らせばすぐに店員がやってきた。一通り注文をしたところでひと息。コップに注がれた水を口に含むと、その様子を目前の彼女がじっと見ていることに気付いた。……なんとも似合うことに、片肘ついて手に顎なんか乗せている。

 

「……どうか、しましたか……?」

「いいや、なんでも。しかし、いいなあ……君を見ていると、娘を思い出すよ」

「……あの。失礼ですけど。おいくつで……?」

「遠慮はいらないさ。歳なんてそう気にする質でもないんだ。三十八だよ」

「さんじゅっ……!?」

 

 ガタ、と椅子を揺らして玄斗が腰を浮かせる。それほどの衝撃だった。若作りにもほどがある。見た目だけで言えば二十台前半……老けていても後半だとすっかり思っていた。それがよもや、十も予想を過ぎているとは。まこと不思議な人体の神秘だ、と息をつきながら玄斗は席を直す。

 

「おいおい、リアクションが大きいぞ。そんなに驚くことかい?」

「……ええ、まあ。すこし……その、大分、若く見えて、綺麗だったので」

「――ああ、もう、そういうことを言うな。大人をからかうと痛い目にあうぞ。とくに女性はな。気を付けたまえよ、トオサカ(・・・・)くん。お姉さんと言うのも無理な歳になるんだから、君が口説くのはそれこそ十年早い」

「え……あ……はい。すいま……せん……?」

 

 くつくつと笑う女性の表情は、とても喜色に満ちている。思わず見ているこちらまでも笑ってしまいそうな勢いだった。それほどまでにストレートな感情表現をしている。冷たいとも言える固い態度とそのギャップが、どこか玄斗にとってもまた新鮮だった。

 

「……というか、あの、名前……言いましたっけ……?」

「聞いてないとも。君を家まで送ったとき、表札で知っただけなんだ。なんで、私はそろそろ君の名前を聞いてみたい」

「あ、はい。僕は――」

「いやいや待ってくれよ? ここは私からだ。なにせ、聞きたいと私から言ったんだ。こっちからしなくては、君に失礼になる」

「あ……はい。それじゃあ」

「うむ。では僭越ながら……なんて、堅苦しすぎるな。普通にいこう」

 

 こほん、とひとつ咳払いして、彼女はすっと肩の力を抜いた。その姿に、一瞬だけ見惚れる。本当に不思議だ。まるでどこかの隙間に入るみたいに、その一挙手一投足が突き刺さる。だから玄斗はその自己紹介からも、一秒たりとて目を離せなかった。

 

「私の名前は飯咎狭乎(イイトガキョウコ)という。色々と職を渡り歩いて、いまはまあ細々と暮らしている感じだな。ちなみに研究職についていたこともある。そうだな……認識でいうなら、フリーターのしがないおばさんだと思ってくれればいい」

「……そうは見えませんけど」

「なら素直に嬉しい。女性はね、いつだって若く見られると心が躍るものなんだ」

「……ですか」

 

 笑う彼女は、良い意味で年相応らしくない。頬をうっすらと赤くしながら話す様子は、それこそまだまだ二十台前半で通じるぐらいだ。実年齢とのギャップにどうしても困惑するが、そも気にしていたってどうというワケでもない。気を取り直して、彼もすっとお辞儀をしながらゆっくりと言葉をつむぐ。

 

「僕は十坂玄斗って言います。調色高校の二年生で……ありきたりに言うと、学生、でしょうか」

「ほうほう、なるほど。玄斗。十坂玄斗か……」

 

 うん、といまいちど女性――狭乎はうなずいて。

 

「よし、覚えた」

 

 ぱっと、花開くような笑顔を浮かべるのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 料理も到着して、ちょうどふたりともが箸をつけはじめた頃だった。ふと玄斗はさきほどの会話を思い出して、なんとはなしに聞いてみた。

 

「そういえば狭乎さん。娘って言うのは……」

「うん? ――そのとおりだが」

「……本当に、娘さんが?」

「ああ。……まあ、ずいぶんと会っていないのだがな」

 

 もう十年近くになるか、と彼女はどこか遠い目をしながら言った。意外だった。娘が居るというのもそうだが、なによりそんな事情を抱えていることも。

 

「どうして、そんなに……?」

「……大したことじゃないよ。ただ、間が悪かったし、私が原因でもあった。あれは、しくじったなあ……本当。もっとうまくやれたと、いまでも思うよ」

 

 どこか後悔しているように、狭乎は語った。否、実際に後悔しているのだろう。きっと自らの愛した娘とのすれ違いか、なにかがあったのだ。玄斗はそう受け取った。

 

「それで、何年も会っていないんですか」

「会ってないし、都合で会えないんだ。ちょっと、面倒くさくてね。……我が子の成長ぐらい、見せてくれてもいいだろうに」

「…………、」

 

その言葉が本心からであるのは、流石に理解できた。もとよりぜんぶ彼女は本心しか言っていない。だからこそ、玄斗の心にはストレートに伝わる。まるで狙ったみたいに、鋭く切り込むように。

 

「それは……とても、残念ですね」

「だな……だからこそ、君を見ていると嬉しいんだ。なんだか娘に重なってね。君は。……本当、見ればみるほどに、よく似ている」

「……そうなんですか……?」

「ああ。本当、その、笑った顔とかがね――」

 

 なんて、言った瞬間だった。

 

「ちょっ……狭乎さん……!」

「え……?」

 

 一筋、彼女の頬から雫がこぼれる。喉の震えも嗚咽もない、静かな涙だった。どこまでも透き通っていて、泣いている姿さえ綺麗に見えるぐらいの。

 

「……ああ。泣いて、いたのか……すまない。別に、悲しいわけではないんだ……ただ、本当に、嬉しくて……案外、涙もろくなったものだな。昔は鉄面皮とさえ言われた女なんだぞ?」

「……娘さんを」

「……?」

「子供を想って泣けるのは、良い人だと思います。きっと……表情に出なくたって」

「……ふふ、そうだね」

 

 くすりと笑って、狭乎はコップの水で喉を潤した。細い指先で涙を拭き取りながら、「ごめん」と頭をさげる姿に沈んだ様子はない。ただ、やはりどこか心残りであろうことは、玄斗でもしっかりと見てとれた。

 

「私もそう思うよ。子供のために泣けるのは優しい人だろうね。……でも残念なことに、私はちょっと優しくないんだ。それと、すまない。情けない姿を見せた」

「いえ、そんなこと」

「……うん。君のそういうところは、素直に好ましいな。本当、イイ男になるよ、玄斗くんは。……私の娘も、しっかり育っていれば同じぐらいかな」

 

 フィルター越しのなにかを見据えるように狭乎が呟く。間違いなく、見ているのはきっとその人物だったろう。あのように懐かしい目をしているのは、ずっと昔、母を語った父親が見せていたモノに似ていた。

 

「……もしも会ったりしたら、よろしく頼むよ。なんとなく君とは縁がありそうだ」

「それは……分かりませんが。名前は、なんていうんです?」

「――ヒロナ」

 

 溢すように、狭乎はそう言った。するりと、口内から抜けるように。

 

飯咎広那(イイトガヒロナ)っていうんだ。良ければ、覚えておいてあげてくれ」

「……わかりました」

 

 応えると、やっぱり狭乎は嬉しそうに笑った。本当に綺麗な笑みだと玄斗は思う。いつかそんな風に笑えたらと、らしくもなくそう思ってしまうぐらいに。――彼女の笑顔は、とても完成されているらしさがあった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……ん?」

 

「――ね、どうしたの」

 

「迷子? ……お母さんとはぐれちゃった?」

 

「そっか……うん。よしっ!」

 

「ならお姉ちゃんも一緒に探してあげる! だいじょーぶ! きっと見つかるよ! だってふたりだもん!」

 

「ほら、だから、ね。笑って――笑顔、笑顔っ」

 

「笑っていこう! そのほうがきっと、楽しいからね!」

 

「え? ……ああ、違う違う。ファッションだから。お姉ちゃん格好つけてるだけだからね。眼帯っていうの。格好いいでしょー?」

 

「えー? そう? お姉ちゃんは好きだけどなー? 髪もそこまで悪くないと……むむ……」

 

「ん? ……あ、あれ? そう!? 見つかったの!? うわあー良かったあー!」

 

「うん、うん! じゃあね! もうお母さんのおてて(・・・)離しちゃ駄目だよ! ばいばい! あはは、ほらほら! 笑ってー!」

 

 

 

 

 

 

 

「――笑顔、笑顔っ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

  






イイトガヒロナ(飯咎広那)
うーんこの名前(・・)はどこからどう見ても一般モブですね!(煌びやかな目)


そして三章終了。ラストでこの人出せて良かったです。ちなみに狭乎さんは怪しくもなんともないですよー。だって嘘“は“ひとつも言ってないからね。


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四章幕間:彼のウラガワ ~十坂家の事情~

アナグラム瞬殺されてて草も生えない(真顔)もっと気楽にストレートに受け止めてくれてもいいんですよ?


 

『なにもない。おまえはそれで十分だろう』

 

「――――、」

 

 ほう、とひとつ息をつく。頭はさっぱりクリアになっていた。十坂玄斗としてなら、なんてことのない事実。けれど彼はそれそのものではない。ひとつ皮を剥げば前世の記憶なんて嬉しくもないものが続いている。

 

「(いや、それも違うのか……)」

 

 地続きになっている以上、前世というのもおかしな話だった。明透零無の意識はいまもここに生きている。到底生きているなんて言えたモノではないとしても、遺ってしまっているものだ。なにかを撥ね除けたのでも、譲ってもらったのでもない。彼は真実、十坂玄斗としてこの世に生を受けた。

 

「(……同じ名前、同じ過去……)」

 

 ふと、自分のそれを振り返ってみた。原因なんてもっぱら、ひとつ下の彼女から聞いた衝撃的なコト。――アトウレイナ。同姓同名の少女がいる。そんな、直視するかどうか躊躇う現実を、さらりと、三奈本黄泉は叩き付けてきた。悪気も思惑もなかったろう。ただ、それを受け止めるのにすこし辛い部分が、玄斗にはあってしまっただけ。

 

「(誰かが、ぼくと同じ人生を辿ってるっていうことになるとしたら……)」

 

 ――それは、嫌だ。自分のコトならそれでいい。なんとかなる。ならなくたって、困るのが自分だけなのだから気にしないコトだってできる。けれど、他人があんな目に遭っていると思うと、どうにも良い気分はしなかった。それが、おそらくは想像もなにもできてしまって。

 

「(なくても傷付くし、罅は入る。……心の在処なんて、いまさら探り出そうとしたところなのに。そう思うと、もうあったんだ。……ただ、とても、歪なだけで)」

 

 幼少期の思い出は、とてもじゃないが普通とはかけ離れているのだろう。玄斗の感性ですらそれだった。体が弱くて他人との関わりもないまま、父親が仕事に行けばたったひとり家に残される。用意された食事は美味いか不味いかの前に雑で。量だって少なすぎないが足りるほどでもない。なにも言わなかったし、なにも主張はしなかった。けれど、だんだんと、自分の身体が決定的に壊れていくのは子供ながらに実感していた。――そうしてついぞ、階段から転げ落ちて病院送り。

 

「(……家の食事は本当に味気なかったし、病院食は薄味で量も少なめだったな……食べられなくなってからは、ずっと点滴だったし)」

 

 まともな食事の美味しさを知ったのはこうして生まれ変わってからのコトだった。反動かなんなのか、そのせいで見た目以上の大食いになってしまっている。……そのくせあまり体型が変わらないのは、ちょっと不思議だが。

 

「(比べると、やっぱり分かる。腕も体も健康的だ。あの頃のぼくの腕、本当、棒みたいですぐ折れそうだったのに……あばらも出てないから、横になって息もしやすい)」

 

 本当に恵まれている、と改めて思う。ご飯がおいしい。空気がおいしい。病気でもなく健康体。それでいて周りの人間から色々と教えられる。毎日綺麗な景色が見られる。色んなところが歩き回れる。それだけで、本当に、十分なぐらい恵まれている。

 

「(だからこそ、いまになって……あんなの、誰も経験しちゃいけないものだって、思う)」

 

 それこそ、あんな地獄を知っているのはただ一人でいい。性別がどうであれ、まともな人間にあの環境で生きていけというのは酷だ。そもまともな情緒というものが未発達であったからこそ、明透零無は壊れるだけで済んだ。

 

「(……だから多分、いまは駄目だ)」

 

 苦しんで、辛い目にあって、折れるほどの現実で生きている。そんな人間を明確に予想して知っている。だから今すぐにでもできることがあるのならするべきだ。だからこそ、考え抜いて結論を出さなくてはならない。

 

「(覚悟はいらない。向き合う理由も……ただひとつ。ぼくならそうだ。相手の気持ちなんて関係ない。肝心なのは……たった一手の方法)」

 

 どれだけ思いやったとしても、アトウレイナであるのなら心に訴えかける同情や悲観まじりの言葉なんて意味はない。それはいちばんよく知っている。ならばどうするか。簡単だ。いまの自分にはなにもできない。もっと考えて、答えを出すまでは動けない。闇雲に動いたところでどうしようもないのなら、必死で頭を働かせるのが賢明だ。

 

「(……だからすこしだけ、待っていてほしい。顔も知らないけれど、きっとその苦痛をどうにかしてみせる。……ぼくが、僕であるんだから)」

 

 苦悩するまでもない。単純に、考える項目がひとつ増えただけ。そもそもな話、自分がもうひとり居たって狂ってしまうほどのものでもなかった。狂気なんてそれこそ、はじめからハラんでいるかもしれないのに――

 

「お兄ー?」

「……ん。どうしたの、真墨」

 

 と、考えていたところへ扉の向こうから声がかかった。自室のベッドから体を起こしつつ、玄斗はうんと伸びをする。

 

「お父さんもうちょっとで残業から帰ってくるってー。あたし勉強してるし、お母さんもう寝てるし。ちょっと用意したげてって」

「分かった。にしても優しいね。普段なら気にもしなかったようだったけど」

「っていうお母さんからの置き手紙です」

「……なるほど。了解」

 

 立ち上がって、ドアの方まで歩いた。廊下へ出ると妹がびくっと驚きながら「じゃ、じゃあ」なんてそそくさと走り去っていく。たしかにいまのはちょっと驚かせてしまったかもしれない。悪いコトをした、なんて思いながら玄斗は一階のリビングまで向かう。時刻はすでに、夜の十一時を回っていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……ただいま」

「おかえり、父さん」

「ん? ……玄斗か」

 

 それから父親がリビングに入ってきたのは、三十分を過ぎるかどうかという頃だった。こちらを見るなり薄く微笑んで、鞄をソファーへ放り投げる。ネクタイを緩めてふうと息を吐く姿に、大分疲れているだろうことは予測できた。

 

「悪いな、遅くなって。母さんは?」

「もう寝てるって。真墨は勉強」

「勉強? あいつがか。いらんだろう」

「……たしかに、そういえばそうだった」

「逃げたな……」

 

 反抗期の娘め、と冗談交じりの舌打ちと共に父親が椅子へ座る。聞いたところによると中間管理職ほどの地位についた父親は、こうして時たま帰りが極端に遅くなる。平常時でも七時は回っていたりするので、そこはなんともなところだが。

 

「……もうちょっと早く帰ってきてもいいんじゃない? 母さんも愚痴ってたよ」

「む、そうか。……俺としちゃあ七時もかなり早いんだがなあ……」

「え、そうなの」

「まあ定時は五時だから大分だな」

「遅いよね……」

「遅いな……」

 

 まったくもって敵わん、と肩を落とす父親をよそに、玄斗は冷蔵庫から母親の用意した料理を取り出す。ラップをかけて放り込まれたものだが、レンジで温めればそこそこの味は保ってくれるだろう。炊飯器の保温は切っていなかったので、ご飯はそこから取ることにした。

 

「……おまえも立派になったなあ。昔はどうなることかと思ったが」

「そう?」

「ああ。なんたって泣かない子だったからな。そんなのが長男だ。もう俺も母さんも慌てふためいて……」

「……たしかに、そんなに泣かなかった……のかな……?」

「ああ、まったくだよ。普通はもっと泣くし、夜泣きなんてロクに寝られなくなるんだぞ? 子育ては大変なものだって染み付いてたから余計にだ……ま、その分なのか知らんが、真墨はぎゃーぎゃー泣いてくれたが」

「ああ、泣いてた泣いてた。あの頃は可愛かったね」

「なにをいう。いまも可愛いだろう」

 

 自慢の愛娘だ、と胸をはって言う父親がなんだか面白かった。仕事熱心なくせに、公私を分けるのが上手いが故だろう。なんとなく、玄斗もつられるように笑った。

 

「そうだね。真墨はいまも可愛かった」

「ちなみにおまえは可愛くないぞ」

「いや、それぐらい分かってる」

「――かっこいいだ。父さんに似て引く手数多と見た。なにしろ俺はこれでも医大生でな。若い頃はそれはもうモテたもんだ」

「……知ってる、何回も聞いたよそれ」

 

 あの頃は青かったなあ……と遠くを見る父の姿はどこか幼かった。はっきり言えば子供っぽさがある。もう四十を過ぎるというのにその少年心はどうなのかと思わなくもないが、いつまで経っても少年の心を忘れないのが男だったか、なんてどこかの言葉を思い出した。まあ、たしかに、言えているかもしれない。

 

「でも、医者にはならなかったんだよね」

「まあな……いや、母さんと出会う前ならぜんぜん良かったんだが……なにぶん勤務時間がなあ……」

「……いまでもこんな遅くなるんなら大して変わらなくない?」

「ばかおまえ、変わるぞ。本当、医者なめたら駄目だぞ。まあ父さん医者は嫌いだが」

「目指してたのに?」

「おう。他の医者が気にくわないから俺がなろうとしてた。それだけだ。いまは一般企業で働くサラリーマン……落差だろうなあ……」

 

 いまいちどため息をつく父親の背中に哀愁を垣間見た。中間管理職。それは世間において胃薬が手放せなくなる役職として色んな意味で有名だ。実際そんなコトになるのかと言うと、絶対にないと言い切れないあたりが社会の闇を表していた。

 

「…………、」

「っと、できたよ。はい、あとご飯とお茶」

「ん、すまん。……なあ、玄斗」

「? なに」

「……いや、なんでもない。ちょっと、昔を思い出してな」

 

 浸ってたんだ、と父親は不器用に笑った。その顔がどこか泣きそうに見えたのは、偶然か、それとも真実目の錯覚であったのか。玄斗にはいまいち、判別がつかなかった。

 

「――ん、うまい。やっぱり母さんの料理は天下無双だな」

「……天下一品じゃなくて?」

「どっちも同じようなものだろう? ちいさいことを気にするな。みみっちい神経質な男になるぞ」

「父さんの息子だからそうはならないよ」

「……だから心配なんだが」

「?」

「いいやなんでも。なんでもないが、なんでもある。……うん。ないのにある。不思議だ。はっはっは……あるもんだなあ、玄斗」

「……えっと、なにが?」

「なんでもないものが、だ」

 

 そう言って笑う父親の言葉は、いまいち理解できなかった。





>玄斗くんがカッコイイ……?

父親は超絶イケメン。それでいて一途。


>泣かない子

やめろ、文章の粗を探るんじゃないっ 矛盾とかはそっと目を閉じてほしい……


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四章幕間:彼女のウラガワ ~シアワセの話し合い~

黄色ちゃん一先ず満足いくところまでは書けてよき。


 静かな部屋に、鉛筆を走らせる音だけが響く。居るのはふたり。ベッドに寝ている色素の抜け落ちた髪の少女と、椅子に座る音の発信源となった明るい金髪に染めた少女。その間に会話はない。ただ、だからといって刺々しい空気は、欠片として存在もしていなかった。

 

「……三奈本さん」

「…………、」

「三奈本さん」

「っ、あ、うん。ごめん……なに?」

「……ずいぶんとご熱心に。なにを描かれているんですか?」

「えと……」

 

 と、そこで視線を泳がせながら黄泉は言い淀んだ。対して少女がはて、なんて首をかしげる。コミュニケーションの苦手な人間同士。繋がるものこそあれど、だからといってなにか改善するわけでもない。もっとも、会話が苦手なのは彼女たちふたりに限った話でもないのだが。

 

「……その、せんぱい……」

「せんぱい? ……ああ、黄泉が以前から言っていた殿方ですか?」

「い、いちおう……そう……なるのかな……」

「……そうでしたか。出会えましたか。それは、良いことでございますね」

 

 口元に手をあてて、少女はくすくすと上品に笑う。その仕草はとても様になっているが、黄泉は他のなにかを感じたようで、むっと眉間にしわを寄せていた。

 

「……零奈ちゃん」

「はい。なんでございましょう」

「下手だよ、愛想笑い」

「申し訳ございません。生まれつきですのよ。……わたくし、笑うのが下手でして」

「…………そういうところかも」

「?」

 

 ぼそりと呟いた黄泉の言葉に、零奈が疑問符を浮かべながら笑う。笑うのが下手。それはとても分かりやすい共通点だった。見比べれば顕著だ。十坂玄斗と明透零奈の笑い方は、歪んでいるという意味でとても似ている。

 

「無理やり笑顔……貼り付けてるみたい」

「無理ではないのですよ? ただ……そういう顔になってしまうだけで」

「せんぱいもそうだった……あの人、笑うだけでも、それが染み付いてる……」

「まあ」

 

 親近感が湧きますわね、と零奈は笑った。その顔がまた酷く似ていて、酷く気に障って、黄泉はさらに眉間にしわを寄せる。綺麗に笑えとまでは言わないが、もっと、こう、せめて心の底から笑えるときだけ笑顔を見せてほしいというか。

 

「……あんまり言っちゃうと、駄目だね……」

「別に言ってもいいんですのよ?」

「……零奈ちゃんもそう。一度も笑ったところ見たことない」

「おかしなことを言いますわね。わたくし、先ほど笑いましてよ?」

 

 まったく、と黄泉はスケッチブックにガリガリと鉛筆を走らせる作業に戻った。こっちは余程の重傷である。自覚がある分まだ玄斗のほうがマシだ。無理をして笑うのとは違う。笑えないのに笑うところだから笑おうとする。そんなプログラミングされたロボットみたいな思考回路を人間がしている。黄泉にはその現実が、どうしても見過ごせなかった。好きな人ともなれば尚更である。

 

「零奈ちゃんも一回、せんぱいの笑顔を見たほうがいいかも。たぶん、それで分かるから」

「期待しておきます。写真とかは、ないんですの?」

「……ない」

「あるんですのね」

 

 見抜かれていた。ちなみにちょっとよろしくないものなので黄泉としては一時の気の迷いとして隠し持っていたい所存である。もうあんなコトはしたくないという気持ちも込めて。

 

「ちょっと待ってて」

「見せてくれるんですね」

「……はい。これ」

「これ、って……」

 

 ぱっ、と黄泉が零奈に見えるようスケッチブックを裏返す。先ほどまで彼女がペンを走らせていたページだ。艶のある黒髪の少年が、どこか慣れない感じで笑っている姿が描かれている。なるほど、と零奈はちいさくうなずいた。

 

「……おかわいいですわね」

「……違う……せんぱいはかっこいい……じゃなくてっ」

「違うんですの?」

「ち、違うくないけどっ! ……顔、笑顔っ。変でしょ!?」

「ああ、そちらで……」

 

 ふむふむ、といまいちどスケッチブックをじっと眺めてみる。顔は整っている。無理して笑顔を浮かべている姿もかわいいものだ。その感想に二言はない。ただ、どこか変だというのは零奈もうっすらと理解できた。同様であるのか違うのかはともかく、この少年は自分と同じでなにか欠けているのだろうと感じた。

 

「……総評いたしますと」

「うん」

「変ですが、やっぱりおかわいいと」

「だからせんぱいは……かっこいい……だから」

「……譲れませんの?」

「……、」

 

 こくり、と控えめにうなずく友人に、零奈は「こちらもまあ愛らしいですね」と微笑んだ。実物を見たことがない彼女はこの絵から判断するしかないが、目の前の少女の上手さは十分に理解していた。きっとそっくりなのだろう。これまたその人と会うのが楽しみになった、と零奈は息をついた。

 

「……会ってみたいですわね。一度、お礼も言わなくてはなりません」

「? なんて……?」

「わたくしの友人を救っていただきありがとうございます、と」

「……うん。そのためには、はやく、良くならないとね」

「ええ、ですわね」

 

 短く応えて、沈黙が訪れた。ふたりともが分かっている。最近、少女の治りが良くないというのも、このままでは簡単に願いが叶わないというのも。

 

「……大丈夫、だよね。零奈ちゃん」

「なにがですの?」

「病気……治るよね。ちゃんと」

「……ええ、治りますとも。お医者さまもそう言っております。わたくしはすこし……体が生まれつき弱いものですから。すぐにとは、いかないのですよ」

「……それなら、いいん……だけど……」

「……心配しすぎです。三奈本さん。わたくしはぜんぜん、平気ですから」

「…………っ」

 

 ――思うに。本当に、生き写しかと思うぐらいその場面は似ていた。十坂玄斗の隙間から覗かせた本心と、あるがままの少女の姿。そっくりそのまま、それが重なるぐらいには似すぎていた。であるのなら、ふと、思ってしまったのだ。それをどうにかできるとすれば、彼女を理解できる誰かであるべきで。

 

「……今度、誘ってくる」

「? どなたをですの」

「せんぱい。……ぜったい、零奈ちゃんは、会ったほうがいいと思う」

「まあ……どうしますの。黄泉(・・)。そんなことして、わたくしが惚れてしまったら?」

「いいよ」

 

 きっぱりと。三奈本黄泉は迷わず答えた。だってそんなのは、決まっている。

 

「わたしは別にいいの。せんぱいが本当に笑えたら、それでいい。その隣にいるのは誰でも関係ないよ。決めるのはぜんぶ、せんぱいだから」

「……黄泉は、不器用な生き方をしておられるようで」

「分かってる。でもね、それでいいんだよ、零奈ちゃん」

 

 窓の外を見る。次第に日が傾いて、そろそろ夕焼けが見える頃になっていた。真っ白な病室にはその光景がよく映える。もちろん、それに溶け込むように佇んでいる少女にも。

 

「わたしはね、不幸だから。きっと幸せにはなれないよ。でも、せんぱいは違う。幸せになってもいい人だし、なれる人だから。なら、わたしの願いはひとつだけ。せんぱいが笑うこと。……その隣がわたしじゃなくても、それが見れたらもう、お腹いっぱいなんだ」

「……まったく。あなたのほうがよっぽどでしてよ」

「身の程をわきまえてると言ってほしい」

「それがよっぽどと言うのです」

「…………零奈ちゃんのあほぉ」

「黄泉はそれこそお馬鹿さんですわね」

「…………、」

「…………、」

 

 しばらく睨み合って、どちらともなく笑い出した。黄泉は恥ずかしそうに、零奈は下手だが上品に笑みを浮かべる。会話が下手。コミュニケーションにおいておおよそ重大な欠陥を抱えている。それでも、通じ合うものがあるのだ。すくなくともそれを、黄泉はきちんと理解していた。




というわけで四章終了っ! 五章です。わりと上位に入るぐらいエピローグが似合う人の出番でございます。でもトゥルーエンディング書きたいのはまた別のヒロインという。贅沢な悩みですね(白目)


>明透零奈ちゃん
社長の息子である病弱系薄幸少年をTSさせたら病弱系薄幸社長令嬢になったという感じ。すごいな書いててわたしがいちばん昂ぶってるぞ。


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第五章 緑に染まっても青い春
夏色は自然として


コンセプトはヒロインに選ばれた普通のJKという感じ。……まず普通のJKの定義が謎では……?


 はじめてそいつを見たのは、入学式のときだった。

 

「(うわ、やば……)」

 

 昔から方向音痴で、知らない場所では八割の確率で迷う。そんな自分にとって、はじめての高校とは未知の迷路にも等しかった。なにせどの位置、どの視点でも見覚えがない。あたりまえだ。今年から学校生活をはじめるぴかぴかの一年生。それでいて人に道を訊きながらトイレになんか行ってしまったのが失敗だった。

 

「(完全に迷っちゃったじゃんコレ……初日から最悪……)」

 

 ため息と共に、乱暴にポケットへ手を突っ込みながら廊下を進む。人の気配はない。入学式がはじまるまではたしか五分を切ったぐらい。とてもじゃないが、この調子で出席できるとは思えなかった。

 

「(てか本当ここどこ……校舎広すぎだし……)」

 

 もうなんなの、と思いながら歩いていると、ふと覗いた窓からグラウンドが見えた。……もうここから飛び降りてやろうか。しばらく悩んで、やめた。たぶん無事では済まないだろうし。スカートとか舞い上がってパンツ見られたら最悪だし。行き先がどこへどう繋がっているかも分からないまま、黙々と廊下を進む。

 

「(……ん?)」

 

 と、そんな風に途方に明け暮れているときだった。

 

「(靴……音……?)」

 

 カツカツと、勢いよく駆け上がってくる音を聞く。なんだろう、と足を止めて耳に意識をそそいだ。音は速い。それこそ何事かと言わんばかりの速度で近付いてくる。厄介事か、ただ事ではないものか。絡まれたりしたら嫌だなーなんて考えてそっと隠れようとした直後――

 

「――っ、いた!」

「っ!!」

 

 大声で言われて、思わず肩が跳ねた。振り返れば綺麗な濡れ羽色の髪をした男子が、肩で息をしながら壁に手をついている。相当必死でここまで来たのだろう。……ちょっと、間近で見てドン引くくらいの光景だった。

 

「……え、えと……なに?」

「なに、じゃない……五加原さん、だろう……?」

「え? あ、うん。てか、なんで名前知って……」

「もう入学式がはじまる。遅れたらまずい。行こう」

 

 なんて。彼は必要なことだけ突きつけて、当たり前のようにあたしの手を握ったのだ。

 

「……っ!?」

 

 どうにも、不思議な感覚だった。強引に連れていって、急いで走っているくせに、握る手のひらからは柔らかさが伝わってくる。夢中といった感じで駆け抜けていくのに、ときたまこっちを見てくるのもそうだ。あまつさえ、髪色を見てそっと目を逸らしたのも。……たしかに、まあ、原色に近い緑はアレかもしれないが。

 

「そ、その……っ」

「ごめん。要求なら手短にお願いしたいんだ。ちょっと、本気でまずい」

「……っ、あの、ありがとうっ。わざわざ」

「これぐらいなんてことない。入学式も出られないとか、ちょっと、あれだしね」

 

 そう言って、目の前の男子はふり向きながら笑った。……ああ、本当、思い返せば軽すぎるほどだ。自分で勝手に迷子になっていたところを助けられて、勝手に勘違いしてそのまま引き摺っている。でも、しっかり分かっているのだ。勘違いだったとしても、きっと彼の願うものが遠くへあるとしても。

 

「…………、」

 

 あの日に見た彼の背中は、たしかにあたしを連れていってくれるためのものだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 梅雨も過ぎた七月の初旬。全国的な暑さが報道されるなか、調色高校も同じくうだるような熱気のなかで学校生活を過ごしている。もっとも教室にはエアコンが設置されているので、座学となる授業中は快適だ。問題は課外授業だったり体育だったりするところで、当たり前のように数人ほど熱中症で倒れたとの報せも出回るぐらいだった。

 

「(暑い……)」

 

 時刻は昼休み。玄斗たちの二年B組は四限目が体育で、さすがに水分補給のひとつもしなければ昼食も喉を通りそうになかった。群がっていた生徒の波が引いてきたところで、こうして玄斗も自販機へと向かっているワケである。

 

「(失敗したな……水筒ぐらい持ってくればよかった)」

 

 財布事情をとくに気にするわけでもないが、やはり自前のモノがあるのとないのとでは違う。なにより心持ちの問題だ。明日からは持ってこようと胸に秘めながら視線をあげると、不意に目的地にいた人物と目が合った。

 

「……五加原さん」

「……ん、十坂も飲み物買いに?」

「そう。さすがに、堪えてね」

「だよねー……あたしもこの猛暑は本当だめ」

 

 もう参っちゃうよ、と苦笑する碧に苦笑で返して、自販機の前に立つ。水かお茶かの二択で迷って、結局水にした。スポーツドリンクのほうがいいのだろうが、なにより玄斗にとっては飲み慣れているものなのがいい。くるりと踵を返してみると、碧はその場を離れずに三歩ほど後ろで律儀に待っていた。

 

「……水、水かあ……なんか、十坂らしいね」

「そうかな。……そうかも」

「うん。なんていうか、ほら。十坂って、良くも悪くも清涼感あるし」

「……褒めてる?」

「褒めてる褒めてるっ♪ じゃ、ほら……えっと……あー………………教室、帰る?」

「? うん」

 

 なんだか言い難そうな碧の言葉にすんなりとうなずいて、玄斗はペットボトルを片手に歩き出した。なんとも思っていないのだろう。碧は知らずほっと息をついて、その後ろをついていく。……一歩ほど斜め後ろについていくのは、なんとなくである。

 

「てかさ、この前の……あー、三奈本ちゃん? どうなったの」

「どうもなにも……うん。普通に」

「いやいや……普通って……いやあ……?」

「……なんでもなかったんだよ。本当にあれは。でも、色々とアドバイスとかはもらった。凄くタメになるようなことを沢山」

「年下からアドバイス……」

 

 それはアリなのだろうか、と思う碧だったが、玄斗のコトだからそんな安っぽいプライドもないかとすぐに納得した。年下年上それこそ性別も関係なく、彼なら誰からの助言も素直に受け入れそうなものだ。

 

「でも、そっか。そういう関係にはならなかったんだね」

「そういう……ああ。うん。そりゃあ、まあ」

「……ちなみに、なんで?」

「余裕がないんだ。あれこれ手を伸ばしてるようなものだから。しかも慣れてない。そうすると、三奈本さんの気持ちに応えても良い結果にはならないと思うから」

「……そっ……か。それも……なんか……十坂、らしいね」

「情けない話だとは、思うんだけどね」

「あはは……」

 

 ぎこちなく笑って、碧はふと彼の背中を見た。……見え方は、同じ。ただあの時とは違って、手は繋いでいないし、どこかへ連れていってもらっているわけでもない。ふたり一緒に同じ方向を目指している。それはたぶん、ちょっと、心が浮つくようなコトなのに。

 

「……十坂、さ」

「うん」

「昔……あ、あたしらが、入学したときにさ……体育館まで連れてってくれたの、覚えてる?」

「ああ、覚えてる。あのとき、直前になっても一人足りないってざわついてて。ふと見てみたら、校舎の窓に人影が見えたからね。すぐに走れば追いつけると思ったし、実際なんとか間に合った」

「だ、だよね……! あたしも、もう駄目かと、思ってたのに」

「危なかったのはたしかだけど。……そういえば、それで思い出したけど」

 

 くるり、と不意に玄斗がふり向いた。予想だにしていなかった動きに、碧の足がぴたりと止まる。おかげで視線がばっちりぶつかった。しかも結構な距離で。

 

「な、なに……?」

「いや、髪。昔はもっと明るかったよね」

「! う、うん……あんまり、派手目だと……その、ね? 色々と都合も悪いし……控えめのほうが、いいかなー……って……」

「そうなんだ」

 

 なるほど、なんて納得した様子の玄斗。入学当初の碧の髪色はその名の通り目が眩むような明るさの緑色だったのだが、いまは光の当たり方で見えるかどうかのほぼ黒髪なぐらいにまで落ち着いている。名残といえばウェーブのかかった髪質と、ひとまとめにした髪型ぐらいなものだった。

 

「……うん。やっぱり似合ってると思う。五加原さんに」

「そ、そう……?」

「まあ、僕の主観だから……あんまり頼りにはならないだろうけど」

「そ、そんなことないって! あ、ありがとう……ね。すごい、嬉しい……から」

「なら良かった」

 

 ゆるく微笑んで、疑問も晴れたと言った風に玄斗は歩みを再開した。碧もそのあとを追うように、歩幅を大きくしながらついていく。

 

「(……き、気がついてた……っ!)」

 

 ちょっとした、乙女心をせいいっぱい抱えながら。些細な変化を見過ごしていなかった彼の後ろを、若干うつむき気味に歩いていく。……今日は本当に、暑い日だ。




玄斗「(ゲームと髪色が同じ……すごい、本当にあるものなんだ)」

碧「(も、もしかして派手目の色とか嫌……なのかな……?)」



そんな感じで五章です。無印勢ラストスパート開幕でもある。……だめだ厄介なヤツらしか残ってねえ……!


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砕けた硝子

いままでのヒロインの努力が実を結んで十坂玄斗が完成しました! おめでとうございます!


 

『日直だから先に行く。ごめん』

『いいよいいよー。いってらっしゃいー』

『……新婚さん?』

『ばか』

 

 そんな白玖とのメッセージでのやり取りもありつつ。玄斗は朝の学校に着いた。朝練のある運動部は元気に活動しているが、それ以外はまったくもって静か。一般生徒の登校時間を迎える前の校舎は、どこか夜に近い閑散とした空気が残っていた。

 

「(暑くもないし、これぐらいがちょうどいいのに)」

 

 思いつつも、窓から見上げた空には爛々と輝く太陽が昇りかけている。背景には雲ひとつない青空。とてもじゃないが、連日にならって猛暑日となるのが目に見えていた。すこしだけ憂鬱な気分になりながら、一階をすぎて二階へ。二年B組の教室はちょうど階段側からふたつほど離れたところにある。上りきって廊下を曲がってみると、ふと、教室の前に誰か立っているのが見えた。

 

「……あ」

「……ん。十坂」

「おはよう、五加原さん」

「おはよ。……早いね」

「うん。日直だから」

「ふーん………………え?」

「日直なんだ」

 

 繰り返すように言うと、携帯を弄っていた碧の手が止まった。なんだか信じられない事実に震えているようにも見える。大丈夫だろうか、なんて玄斗がいらぬ心配を抱く。

 

「……と、十坂、が……?」

「そうだけど。……そういう五加原さんは、どうして?」

「い、いや、あたしも……日直……」

 

 ああ、と得心いったように玄斗はうなずいた。そういうことか、と完全に理解した様子である。

 

「じゃあ今回のペアは五加原さんとってことなんだ。今日はよろしく」

「あ、う、うん……よろしく……あ、あは……あはは……!」

 

 笑いかけると、碧はさらに挙動不審になった。笑顔が引き攣っている。ともすれば黄泉に下手だ下手だと散々言われた自分の笑顔よりも様になっていない。本気で大丈夫だろうか、なんて天然野郎は考えた。碧からすれば余計なお世話である。

 

「日誌と鍵だけ取ってくるよ。ちょっと待ってて」

「! わ、わかった! えと、に、荷物は見張っとく!」

「……ありがとう。すぐ戻ってくるから」

 

 言うと、玄斗は鞄を置いて急ぎ足で廊下を駆けていく。繰り返すように、朝の校舎は静かだ。とても閑散としていて、壁一枚隔てたグラウンドから聞こえる運動部のかけ声も、どこか遠い響きになって届いてくる。普段とは違った学校、普段とは違った雰囲気。そして、普段とは違った邂逅。教室は鍵があいていない。ということは、まだ誰も登校していないということになる。

 

「(……と、十坂と、ふたりっきり……っ!?)」

 

 その事実に気付いた瞬間、碧の顔は湯気が出そうなほど熱くなった。偶然重なった日直が、いつもなら面倒だと思うはずのコトすら忘れさせてくれる。どきどきと、高鳴る心臓がうるさくてしょうがなかった。なにせ、校舎はとても静かだ。そんななかで音をたてる鼓動は、沈むような空気のなかで浮ついて、どこまでも似合わない。

 

「(……だ、大丈夫かな……あたし。変じゃない……よね……?)」

 

 容姿にはいちだんと気にかけているつもりだ。入学式の日に奇抜な髪色から目を逸らされて以来、彼が苦手とするようなモノはとことん避けている。どうすればもっと近付けるのかとか、自然と話せるようになるのかだとか。考え続けてぜんぜん進まなかった一年時とは大違い。最近はすこしだが、何気なしに話すことも多くなった。これ以上はない。

 

「(……でも)」

 

 望むべきではないとしても、その先を夢想してしまう碧なのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 調色高校二年B組の日直は、基本的に二人一組のランダムで選ばれる。ひととおり出席番号順に回した後、担任の教師が思い付きではじめたことで、選出された生徒は前日に黄色いメモ用紙を担任から手渡されるのだ。通称イエローカード。ホームルームなんかでそっとそれを机のうえにおかれた生徒が、「まじかよー!?」なんて声をあげるのは若干このクラスの名物と化していた。

 

「…………、」

「…………、」

 

 そんなワケで、大した反応をしなかったぼんやり男子と、大した反応をできなかった恋する乙女は、お互いが選ばれたとは気付かずこうして朝の仕事に取り組む羽目になっている。玄斗はとくに気にした様子もなく黒板を綺麗にして、その間に碧が日誌を書いていく。白墨(チョーク)で汚れるから五加原さんはいいよ、と譲らなかったのは彼なりの気遣いだろうか。

 

「(……別に、十坂となら一緒にしてもよかったのに)」

 

 そう思いつつ、碧は律儀に日誌をつけていく。その優しさが良いなと思う反面、きっと誰にでもそうなのだと思うとちょっと複雑な気分でもある。別に、十坂玄斗は誰のものでもない。誰に優しくしたってそれは彼の勝手だ。けれど、納得いかないのは自分自身の問題なので、どうにもため息をつきたくなると碧は肩を落とした。

 

「……あ、十坂。授業のあいさつ、どうする?」

「? あいさつ……そっか。僕は、どっちでもいいけど」

「じゃああたしが最初やろっか。十坂が終わりね」

「うん。分かった。……ありがとうございましたで良いんだっけ?」

「そうそう。……この前に木下が「あざざっしたー」とか言って怒られてたから、そういうのはやめておきなよ?」

「ああ、あれは面白かった。鷹仁らしいのがとくに」

「まあらしいけどさー……いやー……あのチャラさはないわー……」

「……かもね」

 

 ふたりしてクスクスと笑いながら、日直の仕事を片付けていく。どこか街中のすこし大きな屋敷の一室で、ちょうど制服を着こんでいた男子が「へっくし! ……誰か噂でもしてんのか」なんて漫画みたいな反応を示していたことは誰も知らない。ちなみにレパートリーは案外豊富で、玄斗的には六限目の古文で言った「いとありがたし」がイチオシである。使い方の問題でそのあと教師に呼ばれていたが。

 

「…………十坂ってさ」

「うん」

「その……好きな人とか、いないの?」

「好きな人」

 

 あはは、と笑いながら訊いてくる碧の質問に、玄斗はカラリと窓を開けながら考える。早朝の空気は日差しのせいもあいまって寒いというよりは涼しい。むしろ若干暑いぐらいだった。両手にラーフルを持ってぱんぱんと叩きつつ、ぐっと頭を回してみる。

 

「……それは、恋人的な意味で?」

「う、うん……まあ、そうなるの……かな……」

「じゃあ、いない」

 

 きっぱりと。さも当然といったように玄斗は答えた。悩むどころか選択肢すら見せない潔さに、カリ、と碧の手が止まる。

 

「へ、へえー……壱ノ瀬さんとか、美人だし、いつも一緒に居るし……その、そうなんだと思ってた」

「違うよ。白玖はたしかに好きだけど、そういう対象かって言われるとそうじゃないって思う。だいいち、僕にそういうのが、ちょっと、似合わないって最近は思ってきた」

「……最近はって……昔は、どうだったの?」

「考えたこともなかった。それでも、考えるようになってくると、うまく想像もできない。だからたぶん、似合わないんだろうね。……誰かがそうやって隣に立ってくれるのは、それこそ贅沢すぎて駄目だ」

「…………、」

 

 自分として考えて生きる。そう言われて、そうしてみて、気付いたことは沢山あった。いままで無意識のうちに考えていたコトに理由を付ける。そうしてみると、案外自分にはきちんとしたものがあったのだと知ることができた。だからこそ、答えも半ば決まってきたようなもので。

 

「結び付かないっていうか……なんというか。誰かと笑うって、それだけでもかなりなものなのに。ずっと隣で、お互いを想い合って、ってなると……大変だ。とても。でもって、きっと幸せなんだろうね」

 

 ――そこまでは要らないかな。言外に、玄斗がそう告げているように碧は見えた。彼が彼として生きるのなら、たったひとりで歩いて抱えるぐらいでも十二分。そういうことなのだろう。……それがどんなに、孤独で、寂しくて、見ているこちらが手を伸ばしてしまいそうなほど悲しい道でも。

 

「資格のあるなしなんてのも、ないんだろうけどね。……でも、違うとは思う。たとえば僕が好きな誰かと想いが通じて、結婚して、子供が生まれて、家庭をつくって……おだやかに暮らして、そっと息を引き取るって思うと、ぞっとしない」

「…………なんで?」

「ありえないから。そんな良いこと(・・・・)、僕に起きていい奇跡じゃない」

 

 結局、そうなのだ。どれだけ考えても、どれだけ頭を働かせても、本質的には歪みない。幸せのカタチがぼんやりと見えてきて、黄泉からすれば「……ちょっとは、うまい、ですけど……」なんて評価も貰ったが、そうしてもなお不変なものはあった。きっと、そう。生まれついたときから、もしくは、死んでしまったあの瞬間から。

 

「僕自身が許せないって、はじめて分かった。そのとおりだと思う。だからこれはエゴなんだ。そうじゃないといけない。……ちょっと馬鹿みたいな笑い話をするけど」

「わらい……ばなし……」

「うん。――僕はね、五加原さん。誰よりも僕が幸せになることが、嫌いなんだ」

「――――、」

 

 それの、どこが、笑い話なのだろうか。

 

「分かるほどだった。……気付かせてくれた三奈本さんには感謝しないといけない。ちいさなことも、大きなことも、考えて理解していけばいくほど、ふとした瞬間に、それを目の当たりにした自分の首をしめたくなる。たったそれだけなんだけどね。よう(・・)は」

「……なに、それ……」

「……ごめん。朝から気分の悪い話だった。いま言ったこと、忘れて。ちょっと風に当たってくる」

「っ……ま、十坂――――」

 

 言うが早いか、玄斗はすぐに教室を出ていった。別に、特別走ったり、勢いよく出ていったわけではない。当たり前のように、すんなりと彼は歩いて廊下へくり出した。なんともないように、なんでもなかったように。

 

「(なん、なの――それ……)」

 

 浮いた腰を椅子に直して、碧は呆然と力を抜いた。握っていたシャーペンがころんと転がる。虚しくも、教室にはただひとり。

 

「(それじゃあ……十坂……)」

 

 〝それを目の当たりにした自分の首をしめたくなる。〟

 

 つまり死にたくなるということなのだと、碧は理解しきった。暗い感情と共に死にたいと思うことなら、誰にだって一度は経験があるはずだ。もうこれ以上ないというところで、いっそ命を断ったならと苦悩することだって。けれど、彼は違う。あたりまえのように生きて、あたりまえのように前を向いて、そうしてあたりまえのように幸福(ソレ)はいらないと切り捨てた。それは、なんて。

 

「(誰も……誰も、幸せになれないじゃん――――)」

 

 ……なんて、愚かなことなのだろう。






というわけでネタばらし。たしかに明透零無を引っ張り出して、自分として生きろと叩き付けて、幸せはこうなんですよと教えたけど、その実どっかの誰かさんの本質は一切歪み無かったという話。

自己評価低いが故にまっとうな感性とまっとうな思考回路を与えたら「自分が幸せになるとか駄目じゃないか?」なんて結果に行き着いたよ、おめでとう。HAHAHA



まあなにが悪いかって言うと、いままでの無印勢がこいつに優しすぎたせいです。むしろこいつ自身をガンスルーして気持ちぶつけたほうが勝率高かったという。そのための五番手ちゃんだよさあ頑張ろう。そろそろ花瓶ごとたたき割れるなあ!


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くたばって死ね

スーパー鬱タイム()


 

「…………、」

 

 分からないものだ、と玄斗は屋上でため息をついた。らしくもなく落ちこんでいる。以前までならまるで気にならなかったことで引き摺れるようになったのは、すこしの進歩と思っていいものかどうか。ついといった風に出てしまった本心は、きっと他人に明かすべきではなかった。自制できなかったのは偏に己の弱さだ。隠すという気持ちが出る前に、言葉にしていた。そんなコトをしても、なんの意味もないというのに。

 

「……大馬鹿者だな、僕は」

 

 呟いて、また一段と落ちこんだ。そんな思考回路をしている自分自身にではない。ただ、それを誰かに言ってしまったという事実に落ちこんでいる。とてもじゃないが、口にするようなモノでもないと分かっていたはずなのに。

 

「(五加原さんも迷惑だろうに。こんな……しょうもない誰かの、一円にもならない気持ちなんか聞かされて)」

 

 はあ、ともういちどため息。見上げた空は青い。次第に日が昇ってきている。ふと、下から粒のように声が聞こえてきた。生徒が登校してきたのだろう。もうそんな時間かと思って腕時計を見ると、たしかにそれぐらいなものだった。

 

「…………、」

 

 気分は最悪だ。それこそ、このまま学校をバックレてしまおうかと思うぐらいに。考えれば考えるほど、まともな常識に則れば則るほど思い知らされる。自分なんていう人間が果たしてまともに生きて良いものなのかと。……くり返し、言い聞かせるように答えを掴まされた。

 

「なにもない……なにもありはしない……」

 

 空に伸ばした手は、文字通り空を切る。そのとおりだ。自分という生き物にはなんだってなくて。だから、生きているだけで迷惑になる。たとえば四埜崎蒼唯は、彼という存在がなければ無駄に悲しまなくて済んだ。たとえば二之宮赤音は、彼に固執しなければ鮮やかに見事なまでに綺麗な生き方をできていた。たとえば三奈本黄泉は、彼と出会わなければ好意を無碍にされることがなくて済んだ。ぜんぶがぜんぶ、零無(おまえ)がいなければ済んだ話だ。その途中になにかを与えたとしても、きっとプラスマイナスでマイナスに振り切っている。もとより、価値なんて最低だった。

 

「(……ここから飛び降りたら楽かな。きっと、楽だろう)」

 

 強い風を浴びながら、眼下を眺める。一瞬だ。痛みで苦しむ余裕すらないだろう。それはとても、魅力的に見えた。楽だ。幸せだ。いますぐ飛び降りれば、この現実から救われる。――けれど、それは、できない。

 

「(逃げるなんて、できない。僕は一生、この状況と向き合わなくちゃいけない。迷惑でも生き続けなきゃいけない。死ぬのは、逃げだ。ひとりだけ楽になろうとしてなんになる。……まだ、なにも答えを出せていないのに)」

 

 死ぬと楽だから。そんな理由で、命を繋いでいる。馬鹿らしかった。けれど考えるほどに、それ以外の理由がなくなっていく。なにせ死んでしまえばぜんぶリセットされることを、明透零無は経験している。そのうえでまだ生きている。本当に、憐れな生き物だろう。

 

「(生きるのは辛い。幸せになるのは、もっと辛い。なんで僕なんかのために、誰かの恵まれた人生が左右されなくちゃいけない。……そんなコトですら、前まで気付かなかった。最低だ。こんなの、もう、意味が分からない――)」

 

 そうだろう。すべて己の責任だ。ぜんぶ背負うなら自分がやるべきだ。そうして片付けてから、ひっそりと、苦悩の果てに死ぬのが似合っている。見たくもないものを見て、したくもないことをして、それでもなお死ぬのは最後の最後。でないと、意味がない。

 

「(意味……意味って、なんだろう……)」

 

 生きる意味。考える意味。行動する意味。死ぬ意味。分からない。でも分かっていることはある。明確にするのはそこだ。――生まれてくるべきではなかった。本当にそうだ。最初から自分という人格を消して、そのうえでやり直せたなら、きっと誰もが幸せになれていたのだろうに。

 

「(でも、手遅れだ。気付くのも、動くのも遅すぎた。……なら、せめて、片付けぐらいは……しないと)」

 

 ずるずると立ち上がる。いまにでも終わらせたい。これ以上は時間の無駄だと考えた(・・・)。二之宮赤音の誘いと好意を断って、三奈本黄泉に感謝と謝罪の気持ちを伝えて、四埜崎蒼唯に嬉しさと真実を突きつける。簡単だ。どこまでも簡単だ。さあ、いまやれ。すぐやれ。即座にやれ。――そうしてその後に、惨たらしく死ね。

 

「(誰だ……そんな、酷いコトを思ってるのは……)」

 

 〝ああ――僕か。〟

 

 気付いて、嗤った(・・・)。はじめて嗤った。十坂玄斗は、心から、己の在り方を理解して、本当に嗤えてしまった。自分というニンゲンは、なんとも、面白いぐらいに――

 

 〝歪んでいる。〟

 

……ハ

 

 嗤う。おかしくて、可笑しくて、オカしくて、くつくつと喉が鳴った。面白いものだ。変なものだ。狂っているものだ。普通に見れば分かりきっている。こんな、壊れ果てたニンゲンの――どこに、価値など、残っていたものか。

 

あはは……ふ、ふふふ……っ!」

 

 涙は出なかった。なにせ泣く理由がない。涙を流す意味が見当たらない。たかだか低俗なニンゲンが低俗な理由に気付いただけ。なにを泣く? 否、なにも。だってそれは、嗤うしかない状況なのだから――

 

はははは……っ、あー……本当、おかしいよ、ぼく(おまえ)

 

 手すりを掴んだ。飛べるか。否、否、否。飛べるものか。それは後だ。まだ時期ではない。それまでは死んではならない。ぜんぶの責を背負って、ぜんぶの要らないものを背負って、なにも繋がりすらなくなったとき。――はじめて、命を落とせるのだ。

 

「……そもそもぼく、どうして、こんな風になったんだっけ

 

 〝ああ……まあ、それも、どうでもいいか。〟

 

 どうせ先に終わる命だ。それこそ意味がない。くるりと振り返って、玄斗は屋上の出口へ足を向けた。――そんなとき。

 

「……十坂」

「……なんだ、五加原さんか」

 

 脅かさないでくれ、といつもの調子で少年が言う。扉を開けた緑髪の少女は、おそるおそると言った様子で屋上へ足を踏み入れた。

 

「あ、あの……さ……さっき、言ってたコト……なんだけど」

「……それは本当にごめん。ぼくのせいだ。あんな空気にしちゃったのは」

「そ、そっちは……どうでも、良くて。その、大事なのは……」

「大事じゃないよ。それは」

「――――え?」

 

 するり、と玄斗は碧の横をすり抜けた。さも自然と。彼にしては珍しく、とても人間らしい仕草と共に。

 

「…………とお、さか?」

「ごめん、本当に。でも気にしないで。ぼくは平気だから」

「なっ……なにが、平気……な、わけ……っ!?」

「? なにって……そのとおりだけど」

 

 おかしい? と玄斗は首をかしげながら訊いた。おかしくはない。その動作は自然だ。ただ、その黒い瞳に不穏な色が混じっていた。まるで――いいや、すでに、死んでいるような色のない瞳――。

 

「お、おかしいよ……! 十坂はっ……」

「……どうだろう。どこらへんが、そう見えるのかな」

「みっ、見えるか、どうかじゃなくて……!」

「じゃあ、大丈夫。ぼくは……いいんだよ。どうでも」

「――――っ」

 

 足音が遠ざかる。逃げるように横から抜けられていく。捕まえたわけでもないのに、碧はそんなモノを思った。わけが分からない。なにもおかしくはない。ただ、これは勘にも近かった。一年間、十坂玄斗という少年を盗むように見ていた成果かも分からない。秘めた恋心故のものなのかも不明なまま。――気付けば、勢いよく屋上のドアを閉めていた。

 

「……五加原さん……?」

「……ちがう……っ」

 

 なにが? 自分で問いかける、五加原碧はただの少女だ。別に、以前彼のもとに集まっていたような、なにか特筆したコトのある人間ではない。二年B組出席番号十二番、美化委員会および女子硬式テニス部所属。それが彼女のつまらない肩書きである。

 

「わかん、ないけど……さ……」

「…………、」

「違うよ……いまの十坂は、だめ。きっと、ひとりにしちゃ」

「……なんだい、それ。大丈夫だよ。僕はいつでも」

「だめっ!」

 

 ビリビリと、響くぐらいの叫び声だった。さすがは運動部、なんて感心している暇もない。碧はスポーツ経験から目が良い。蒼唯のように裏付けされた予測と順序立てた理論で結果を出すのでも、赤音のようにそも人の心を読み取るのに長けたカリスマ性でも、黄泉のように人並み外れた感性で判断するのでもなく。些細な変化と、見慣れたものとの差異。その事実に一瞬で手が伸びた。じっと、玄斗の瞳を碧が見る。

 

「……わかんない。わかんないよ。十坂のこと。ずっと前から、ぜんぜんわかんない」

「……じゃあ」

「でもっ……でもさあ……だからってそれは、違うよ。あたしさ、十坂が知らないぐらい、十坂のこと知ってるから……」

「…………、」

「やめて、ほしい。……十坂」

「……なにを?」

「だ、だからっ……」

 

 ああ、とか、うう、と碧は言い淀む。分からないと彼女は言う。ならばと出した答えがやめてほしいと言葉で固まる。とても、あやふやなモノだった。

 

「……――――っ!!」

 

 そうして唐突に、がばり、と。

 

「………………五加原、さん?」

「だっ……だ、大丈夫……だから……っ」

「えっと、いや、なにが――」

「いいからっ……いいから、このまま、ちょっと待って……もう、ちょっとだけ」

 

 ぎゅっと腰に回した手に力を込めながら、碧は玄斗とふたりして地面に座り込んだ。言うに、奇跡があるとするのならこういうことを言うのだろう。ヒントにすら手をかけていなかった少女だとしても、偶然で不意にそれが手にかかることもある。五加原碧は、そうして、たしかな感触を掴んでいた。





>玄斗くん壊れすぎじゃない?

自覚した瞬間に決壊しました。やったぜ。


>これ普通のJKに対処できる案件……?

むしろ彼女以外に適任がいない。




まあ過去の影響からひび割れちゃってたやつに「こうだよー」って答え教えてやれば「そういうことなのか」って受け入れて真っ直ぐ育ってきた途中で折れるよねってことです。だって土台からアレですし。むしろうまく行くわけがないですし。

……うん壊してないよ直した結果がこれだよ。はい。


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緑色に包まれて

これが書きたくて五章は本当うずうずしてました。だから筆が乗るのも仕方ないんです。


 甲高く、チャイムの音が響いた。これで、もう何度目になるだろう。空高くのぼった太陽は、すでに朝から遠ざかっているコトを示していた。日差しは強い。真夏のような暑さだが、今日は風がある。屋上なんてそれこそ吹き荒ぶほどだった。前髪がもっていかれそうになって、ふと動かした腕が固まる。……動かすことが、できなくて。

 

「……五加原さん」

「…………、」

「五加原さん」

「…………あ、うん! ……な、に……?」

「もう、二限目が終わる」

「あ……」

 

 ちら、と覗いた腕時計は、やはりというか大分時刻が過ぎていた。遅刻も遅刻、大遅刻だ。厳密に言えば校舎内には居るので遅刻とも違うが、授業には完全に遅れていた。ホームルームを過ぎ、一限目を過ぎ、いま二限目も過ぎた。これじゃあ不良学生だ、なんて玄斗は思いつつ息を吐く。

 

「そっか……もう、そんなに……」

「うん。……その間、ずっと、抱きついてたから分からなかった?」

「そうかも…………そう、かも?」

 

 んん? と碧がすぐ側でこてんと首をかしげる。なんだかすこしこそばゆい。

 

「…………うぉわっ!!??」

「っと」

 

 ぎゃん! と凄まじい勢いで跳ね起きた碧は、そのまま一メートルほど後じさった。今の今まで玄斗に抱きついていたという現実が、どうにも受け止めきれていないらしい。それほど必死だったのか、すっかり忘れていたのか。

 

「……危ないよ、急に動いたら」

「や、や! や! や! だだだだって、その、ああああああの、うえぇ……!?」

 

 〝な、なんであんな大胆なコトしたんだあたし――!?〟

 

 わたわたと驚く碧をよそに、玄斗も土埃を払い除けながら立ち上がる。学校……というより授業をさぼるのはこれで二度目だった。校内にいる分今回のほうがマシだろうか。考えて、どちらもサボりであるコトには変わらないとうなずく。授業がどうなっているかなんて、それこそいまはどうでも良かった。

 

「……五加原さんは」

「でも十坂の匂いはちょっと――……あ、うん。えと、えと……なに?」

「……僕の匂い?」

「そ、そこはスルーで!」

 

 なんでもないから! と手を振ってばたばたと慌てる碧。ちょっと玄斗は、香水でもつけるべきかと一瞬悩んだ。

 

「……五加原さんは、どうしてこんなコトしたんだ?」

「いや、そりゃあ……あたしが訊きたいくらいだけど……さ……」

 

 きゅっと、スカートの端を掴みながら、碧は応えた。わけが分からない。それは彼女も同じだ。分からないままに動いて、なんとか繋ぎ止めて、これからどうするか。きっと自分にはうまくできない。あの日に揃った他の四人(・・)みたいに、うまく立ち回って玄斗の隣に立つコトは難しい。ならば、

 

「なんていう、か……このままじゃ、十坂が……遠くに、行っちゃうような……気が、して」

「……別に、どこにも行かないけどね」

「だ、だからっ、そんな気がした……だけで…………そりゃあ、あたしは……十坂のこと、知ってるようで、なんも知らないし……」

 

 彼女の見てきた十坂玄斗は、所詮うわべだけのものだ。その奥底にある本質なんて一切手をかけてすらいない。ただあるのだと知ったのがついさっき。そこになにか大きな問題があるからこそ、手が届かないのだと気が付いた。……で、あるのなら、

 

「……知りたい、よ」

「……知りたい……?」

「うん。……十坂の、こと、教えてほしい。わかんないまま……そのままにして、見て見ぬフリなんてしたくない。だから……」

「……僕のこと、を……?」

「……、」

 

 こくり、とちいさく碧はうなずいた。きっとそれこそが彼女の願いであり、本心だったのだろう。紅く染まった顔を隠すように俯いて、必死になにかを堪えるように、スカートをきつく握りしめている。――なんて、強い姿だろう。

 

「……いいか。もう。五加原さんになら」

「え……?」

 

 だから、すこしだけ鍵を開けてしまった。そも、見せるつもりも聞かせるつもりもなかった話を。誰かに見破られても、全容の一切は明け渡さなかった物語のはじめから終わりまで。彼が()であったときの、十六年の生きた証。

 

「……すこしだけ、馬鹿な話をするけど、いい?」

「……さっきみたいな、やつじゃない……?」

「うん。もうちょっと、馬鹿な話」

「…………じゃあ、お願い」

 

 うん、と返すように玄斗もうなずいた。理由なんて様々。もう頭が吹っ切れそうで、はち切れんばかりで、考え抜いた結果に救いがなくて、心なんてはじめから折れていて、ともすれば苦しくて限界だったのかも分からない。ただ――

 

「――五加原さんは、僕が人生二週目って言ったら、信じる?」

 

 そう言葉に出した瞬間。スッと、玄斗の心からなにかが抜け落ちていくのを感じていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ゲーム会社の代表取締役社長である父と、イラストレーターであった母。その間に生まれたのが、明透零無という少年だった。彼が生まれた直後に母親は死んで、父親とふたりだけの生活が続くも、家庭環境は崩壊寸前。必死に繋ぎ止めていた父親も、彼の成長と共に逃げるよう仕事へ走った。そのせいで、ろくな人生を歩めなかった。簡単にまとめてしまえば、こんなコト。

 

「――――、――――」

「…………え? いや……」

 

 玄斗は話した。一生分を優に超えるほど、言葉にした。

 

「――、――――、――」

「いや……うそ。なにそれ……ええ!?」

 

 話して、話して。話しきるまで、とても時間がかかった。なにせヒトの人生一生分。とても一時間や二時間で終わるようなものではない。心に抱えていた自分だけの記憶を、ひとつずつ、ひとつずつ紐解いていく。

 

「――――、――――」

「…………それ、って……」

「――――――、」

「……うん。…………うん」

 

 明透零無の人生はうすっぺらいが、話すのに不足はしなかった。それは単に彼女が聞き上手なだけか、それとも玄斗の口が思いの外すべっていたのか。話して、話して、話して。

 

「――――、――――、――――」

「……うん。……うん、うん」

「――――――?」

「あはは……そう、だね。それは……まあね」

「――――、――――……」

「……うん」

 

 時間がすぎて、日は傾いて。腹の虫が鳴いても話して。話して。話し続けて。

 

「――――――それが、()ぼく(・・)だったときの話。……馬鹿げてるだろう?」

「…………うん。そう、だね」

 

 すべてを語り終えた頃には、とっくに学校も終わりかけていた。

 

「……そっか。十坂は、二回目……なんだ……」

「そうなんだ。どういうわけかは、分からないけど」

「……でも、なんか納得した。十坂、ちょっと……同年代とはズレてたし」

「そうかな」

「そうだよ。……本当に、そう……」

「…………、」

 

 そうして、沈黙が訪れた。ふたりの間の会話が途切れる。玄斗はもうすべて話した。これ以上なにかを言うコトもないと、口を噤んだ。碧は口を開こうとして、それが言葉になるまえにそっと閉じる。なにを言うべきか、なにを言えば良いのか。たかだか十六年ぽっち。あるがままに生きてきた少女には、すこしばかり難しすぎる問題だった。

 

「…………、」

「…………、」

 

 日は傾く。沈黙は続いていく。なにをどう言えば良いのか。自分のなかでの答えを碧は探る。いっそ気楽に「ちょっ、十坂ってばやっぱ冗談下手すぎだって! もう、あたしをからかっても無駄だからねー?」なんて言えばいいのだろうか。……いや、ないだろう。それをするのはもっと、違う場面でこそだと思った。

 

「……そういえば、ひとつだけ言い忘れてた」

「……なに、を……?」

「零無」

 

 凛と。その声だけは妙に、耳の中で透き通るように響いた。

 

「明透、零無。……それが、ぼくの名前。なにもないって意味の込められた、ぼくの本当の名前なんだ」

「あとう、れいな……」

「……うん」

 

 そうして、やっぱり、玄斗(零無)は笑った。うっすらと微笑むように。諦めたようにゆるい顔つきで。

 

「…………そっ、……か…………」

「…………、」

「………………、」

 

 人生二度目。壊れやすかった身体。愛されなかった現実。育児放棄にも近い仕打ち。心を折るような言葉の数々。朽ち果てていった肉体の結末。思えば、どれも、碧には経験のないものだった。人並みではあろうが、大抵の子供は親に愛されて生きていく。きちんと育てられて大人になる。優しくも厳しい言葉を受けて、正しさを身に付けていく。碧もそうだった。髪を染めたり軽い口調で振る舞う彼女だが、だからこそあるべき正しさというものは知っていた。

 

「…………、」

 

 はたしてそれは、どんなモノだったのだろう。想像は易くない。きっと彼女の思っている以上に、彼の現実は悲惨だったはずだ。それこそ二回目の人生ですら素直に楽しめないほど。

 

「――――――、」

 

 なんて声をかけていいかは、さっぱり分からない。でも、「ああ、こうだ」と言いたいことは思いついた。なんてことはない。彼女の自己満足。ただ、あまりにもなコトを聞いて、それを受け止めようとしてみたとき、自然と心から溢れた感情が、それだった。

 

「十坂……じゃ、ないや。えっと……零無」

「……ん」

 

 短く応えた玄斗(零無)は、視線もよこさずに薄く微笑みを貼り付けていた。なにもおまえに期待はしていない。言外にそう言われたような気がして、心がズキリと痛む。……それでも、関係ない。なんたってこれは単なる自己満足。彼女がそう思うからやるだけの話。十坂玄斗(明透零無)の気持ちなんて関係ない。だから、

 

「――――零無」

「!」

 

 ふわり、とその香りが玄斗(零無)を包んだ。後ろからそっと立ち上がった碧が、優しく、守るように少年の体を抱き締める。それは、まるで――子供をあやす、母親のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よく、頑張ったね。零無」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――っ!」

 

 そんな、たった一言に。力が、抜けた。

 

「な、に……を……?」

「なんでも。……頑張ったよ、零無。よく、頑張った。だから、そう言ってるだけ」

「そん、なの……っ」

 

 ぐらついた。視界が揺れる、ぶれる、かすむ、曇る。なんでだろう。どうしてだろう。とても、まともに、前が見えない。

 

「ち、違うっ……ぼくは、……ぼくは、そんな……っ」

「ううん。違わない。零無は、頑張ったじゃん。いっぱい、いっぱい頑張って……それで、こんなになっちゃったんだね」

「――――――っ!」

 

 ぶんぶんと、まるで子供のように頭を振る。違う、違う、違う! そうじゃない。そういうコトじゃない! だって、そうだ! そんなのはあまりにも違いすぎている! なんだってそんな、こんな、なんのためにもならない人生を歩んできた人間に、称賛の声なんてかけている――!

 

「ちがっ……ぼくは……ぼく、は……!」

「いいよ。違わないんだよ。だって、零無、頑張ってた。必死に、必死に生きようとしてた。だからさ、覚えてるんだよ。そんなに。十坂が、零無だったときのことも」

「違う……っ! 違うんだ……五加原さん、ぼくは、ぼくは……!」

「いままで、よく我慢してきたね。もう、泣いて良いんだよ。零無」

「――――っ!!」

 

 ――ああ、否定したい。それは違うと突きつけてやりたい。なのにどうして、涙が溢れて、止まらない。

 

「ち、が……ぼ、くは……っ、ぼく、は……っ!」

「……いいから。いいんだって。これはね、私が、勝手にすること。だから、零無も勝手に泣くなり怒るなりしなよ。……もう、さ。零無の幸せを邪魔する人なんて、誰も……いないんだから」

「……っ、だめ、なんだ……! ぼくは、そんな……こと……ゆるされ、ちゃ……!」

「なら、あたしが許す。零無のこと……十坂のこと。勝手に許したげる。だってさ、そうでもしないと……ずっと抱えてそうだもん、十坂(零無)

「なん、で…………!」

 

 ぼろぼろと溢れてくる涙は、すでに涸れていると思っていた。なのに、溢れて溢れて止まらない。ただただ只管に、雫が頬を伝っていく。とても信じられない暖かさ。贅沢だ。死にたくもなろう。なのに、いまはただ嬉しくて、悲しくて、とても、とても、感情が追い付かない。

 

「いいんだよ……もう、ひとりで頑張らなくても。だって十坂(零無)は、あたしにそのことを教えてくれたんだから――」

 

 笑う碧の顔に、我慢もなにもできなくなった。嗚咽を漏らしてただ泣く。泣いて、泣いて、泣いて――その暖かさに、やっと――

 

 

 

 

 

 明透零無は、救われたのだ。

 

 

 

 

 

 

 



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スタートライン

 

「…………、」

「…………ん」

 

 その後、疲れるようにして玄斗は眠った。ゆっくり、ぼんやりと目をしばたたかせていた少年を寝かしつけたのは、誰でもない彼女である。膝のうえで気持ちよさそうに寝息をたてるその顔を見ながら、くすりと碧は微笑んだ。

 

「(そりゃ、こうもなるのかな……十坂(零無)は実際、子供のまま育ってきたみたいなものなのかも)」

 

 なにも知らないまま、固定された価値観と考え方のまま生きていれば、精神なんて一向に成長もしない。いわば、諦めきって壊れ果てた赤子同然の子供。それがいちばん深くにある十坂玄斗――もとい明透零無の本質だと、なんとなく手触りで理解した。……手で触れるようなものでも、ないが。

 

「(本当に頑張ったよ……十坂(零無)は。頑張った。よくやったって、ちゃんとあたしは褒められたかな……?)」

 

 なにぶん、初めてのことだったので自信がない。泣き出した彼を見た瞬間、それまで見えていた大人っぽい十坂玄斗の像が粉々に砕けて、とても小さな、ともすれば幼すぎるほどのモノを垣間見た。なにも知らず育ってきた弊害だ。明透零無のココロは、あまりにも脆く弱い。

 

「…………んっ……」

「! ……よしよし。大丈夫だからねー、零無」

 

 そうっと頭を撫でてやると、彼は眉間に寄せていたしわを消して、穏やかな表情に戻った。まったくもっていつもとのギャップが激しい。なんだか大きな子供か弟を持った気分である。一人っ子であった碧としては、そのあたりがとても新鮮だった。

 

「……なんか、かわいいかも」

 

 ふふ、と笑いがこぼれた。頼りになる彼。頼りになっていた背中の彼。想い人であったその少年が、自分の膝の上でゆっくりと眠っている。とても、安らいだような顔で。それがなんだか、無性に乙女心をくすぐらせた。

 

「(うわー……やばい。これやばいって……あたしだって、さあ……その、ちゃんと……そういう気持ちは、あるんだし……)」

 

 近くで見ればよく分かる。透き通るように綺麗な肌も、真っ黒なまま変わりない鮮やかな黒髪も。そうして、油断しきった寝顔も。どれもが、魅力的に見えて仕方ない。

 

「(……お、落ち着け……あたし……! いまは我慢……! 十坂(零無)は、疲れてるん……だから……)」

 

 駄目だ駄目だと理性は言っても、悪魔が「ちょっとぐらい良いじゃん♪」と囁いてくる。やめろ。あたしにそういう誘いはすごい効く……っ! なんて葛藤をしていたところへ、不意に、玄斗の唇が目に入った。

 

「(………………いやいやいや!?)」

 

 うん。それは、ちょっと、まずいだろう。

 

「(そ、そう……だよ……寝てる相手に……なん……て――)」

 

 内心とは裏腹に、顔は自然と彼のほうへ向かった。あと三十センチ。遠い。遠いので、やめるなら今のうちだ。

 

「(……卑怯、なのに……さあ……)」

 

 あと十五センチ。もう間近で彼の顔が見える。

 

「(…………、)」

 

 あと、五センチ。

 

「……ごめん。十坂(零無)……でも、ちょっとだけ……ご褒美ぐらい、もらってもいいよね……?」

 

 自分勝手に、ワガママに、碧はそんなことを呟きつつ膝上の彼の顔にそっと手を添えた。いつもなら見るはずのない気の抜けた想い人の顔。それが、目前で、手の届く――実際に届いてしまった位置に存在している。そんな状況で、我慢できる女子高生が一体どれほどいたものか。割と居るかもしれないのは、まあ、無視するとして。

 

「――好き、だよ。十坂(零無)。ずっと、ずっと前から。……はじめて会ったときからね。あたし、十坂(零無)に惚れてたんだ」

 

 恥ずかしげに呟いて、そっと、碧は彼の頬にキスを落とした。……唇にしなかったのは角度の問題で、実際、する直前になってチキったとか、そういうワケではない。……絶対。

 

「……だから、ね。誰も好きじゃないなんて、言わないで。もっとさ……自分の気持ちと、向き合ってみてよ。十坂(零無)、きっと……ちゃんと考えたら、優しくなれるはずだよ。……ね、十坂(零無)

 

 そっと、耳元で囁く。ぐっすりと眠っている彼には聞こえまい。でも、聞こえていたらいいなと思う気持ちはあった。聞いて欲しくないというのも、半々。なんたって、これが聞かれていたら碧は羞恥で恥ずか死ぬかもわからないのだから。

 

「もっと、女の子に夢……見させてよ。十坂(零無)と、笑い合えるような……贅沢な、夢」

 

 選択肢すら潰されるのは、悲しいものなんだよ――? そう言い残して、碧はまた玄斗の頭を撫でた。規則正しい寝息だけが繰り返されていく放課後の屋上。そこにあるべき男女の姿は、見ようによっては、どこからどう見ても――

 

 

 ◇◆◇

 

 

「…………、」

 

 ――夢を、見ている。夢のなかで自分は、幼い少年を見ていた。とても細い、とても脆い、とても弱そうなひとりの少年。色素の抜け落ちた髪は地毛ではなく、病気とクスリの副作用によるものだ。とてもじゃないが、ただでは生きていけない姿。

 

「……君は」

「?」

 

 声をかけると、少年が首をかしげながらふり向いた。顔は青ざめている。肌の色は真冬の新雪を思わせる白さ。生きた心地のしない、不気味な子供。

 

「……そういう、ことか」

「――おにいさんは、だれ?」

「……僕は……きみだ。明透零無」

「ぼく……?」

 

 不思議そうに、少年が自分を指差しながら聞き返す。うん、と自分はうなずいて返した。思えば、なんとも懐かしい姿。

 

「……頑張ったんだって、僕」

「……? なにを?」

「なんでも。頑張ったねって、言われたよ」

「……おかしいね。ぼく、なにもがんばってないのに」

「……そうだね」

 

 頑張ったつもりなんて、一切なかった。我慢したつもりも、ひとつだってなかった。だからそれは無意識下の話で、正常に動いていた最後の歯車みたいなもので、無視し続けていた決定的な人間としての心臓だった。

 

「でも、頑張ったんだ。我慢もいらない。もう。……僕はそろそろ、いいんだって」

「……そんなの、あるわけないよ」

「……うん。あるわけない。そんな、都合のいい話」

「そうだよ。……僕は、ぼくなんでしょ?」

「うん」

 

 言われて、やっぱりうなずいた。明透零無は、明透零無だ。そこに間違いはない。

 

「……でも、来るんだよ」

「……うそ」

「だと思う。僕もそう思ってた。でも、来ちゃったから仕方ない。……緑色のお姉さんがね、ぜんぶ、勝手に持っていっちゃったんだ」

「……ひどい」

「そう言わないで。ひどいのは、こっちなんだから」

「そうかな……そうかも」

 

 そのとおりだ。ひどいのはこっちで、それをすくい上げたのが彼女になる。本当に、これからのコトを考えると彼女には頭があがらないだろう。

 

「じゃあ、どうするの。僕」

「……うん。すぐには難しいけどね。きっと、すこしずつ、ちょっとずつでも、許していこうと思う。僕のこと」

「……むりだよ、だって、僕はぼくなんだから」

「……かもしれない。でもね。僕だけじゃ無理でも、そうじゃなかったら違うだろう?」

「……?」

 

 笑う。こんな簡単なコトすら分かっていなかったのかと、今更ながらに笑った。きっとこの笑顔なら黄泉も褒めてくれるだろう。だって、心底――気持ちがいいぐらい、笑えている。

 

「……どうして、わらうの」

「おかしくて。……あのね、ぼく。ひとりじゃ駄目でも、誰かが手を差し伸べてくれるときだってある。なら、やっていけることも増えるんだ」

「……ありえない。そんな〝て〟、みたことない」

「見れるよ。きっと。だって、ね……」

 

 ――たとえば、冷たくても優しかった。本当の自分を呼んでくれたあの手を知っている。

 ――たとえば、燃えるように熱かった。生きていけと願ってくれたあの手を知っている。

 ――たとえば、明るくて暖かであった。自分の幸せを示してくれたあの手を知っている。

 ――たとえば、安らいで心地よかった。大事な一言をいってくれたあの手を知っている。

 

 どれもこれも、自分の手とは違う。救いをともなって差し出された、明確な手だった。

 

「……ぼくなのに。なんで。ぼくはずっと、シアワセになっちゃいけないのに」

「うん。そう思ってた。でも、違うんだ。やっと分かった」

 

 踵を返して、その場から去る。きっとそれで夢は覚めるのだろう。なんとなく、そういう確信があった。どうせ、答えはもう胸に秘めている。ならば伝えるべきことも伝えた。幼い自分との会話なんて、成立するものかと不安だったけれど。なんてことはない。結局、いまも昔も大して自分という人間は変わっていなかった。

 

「幸せなんて案外、そのへんに転がっているものだよ――」

 

 意味も理由も以ての外。かつて誰かの言ったソレを、そのまま口に出していた。いまならその言葉の真意が分かる。なんて簡単なコト。見方を変えればそれこそすべて。わざわざ自分から拾いに行かなくても、いつかは自然と、包まれていくものなのだと――








余韻に浸った一話です。とりあえず一区切りかな、という感じ。蒼い人がいなければまず頑張ったねって言ってもスルーされてたし、赤い人がいなければそも考えるということすらしてなくて、黄色い人がいなければ彼が自覚することもなかった。ぜんぶ繋がっての緑のお姉さんです。だからエピローグが似合う……よき……


ちなみに七章までは構想がほぼ出来てるので、そこまでは走れるかなと。


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そうなるのは自明の理

 

「しんどーい……あつーい」

「…………、」

「……ねえ十坂(零無)あ。無視しないでよー」

「……罰なんだから真面目にやらないと」

「うわあ……なにその優等生ぶり……」

 

 ちょっとぐらい堪えてもいいじゃん、という碧の嘆きを背後にせっせと草をむしっていく。理由はもちろん、単純に学校でさぼりがバレたからである。まあ考えれば分かるコトで、日直で職員室まで日誌と鍵を取りに行っておいて、しかもそれを机のうえに放ったままにしておきながら、屋上ですっかり時間を過ごしているとなればバレないほうがおかしいわけで。……というかあの時間まで誰も探しに来なかったのがおかしなわけで。

 

「裏庭の草むしりとか美化委員でやればいいじゃん……あ、あたし美化委員だわ」

「じゃあちょうどいいね。僕もやってるから労力は半分だ」

「やらないのがいちばんだってのー! まったく、もう……」

 

 ぶつくさと文句を言いながらも、碧はちいさな熊手をガリガリと地面に突き立てる。なんだかんだでやるあたり、彼女も根は真面目らしい。まあそのあたりは、玄斗はもっと前から識っていた(・・・・・)ことでもあるのだが。

 

「……昨日はかわいかったのになあ」

「? なにか言った?」

「なんでもなーい。……ま、素直なのは、分かるけど」

「?」

 

 きょとんと首をかしげる玄斗にひらひらと手を振って、同じように草を抜いていく。小声の気持ちは伝わらないのを前提にしたものだ。むしろ聞かれていた場合のあとが怖い。おもにドキがムネムネしそうで。

 

「ねえ十坂(零無)あ」

「なに?」

「なんか面白い話してー」

「……それはとても難しい要求だと思う」

「知ってるー」

 

 くすくすと笑う碧は、ぜんぶ分かった上で言葉を投げかけているようだった。なにか面白い話。人間ハードルをあげられると、当然その上を飛び越えるのが難しくなる。関西人が全員面白いという前提で話すんじゃねえというのと同じだろう。ただし面白くないと言われればキレる。人間とはそういうものである。

 

「じゃあ、五加原さんのこと当ててみるとか」

「……あたしの?」

「うん。たぶん大体は答えられるよ」

「……うっそお。じゃあさ、あたしの好きな食べ物!」

「抹茶ケーキ」

「おおう……正解……」

 

 まじかこの男、と碧が一歩後じさる。でもちょっと嬉しいような、やっぱキモいような。

 

「得意な科目!」

「体育」

「にっ、苦手な科目!」

「芸術」

「え、えと……趣味」

「ランニング。あとアクセサリー集め」

「特技っ」

「テニス。でも意外と読書も好きだよね」

「…………す、スリーサイズ」

「……言って良いの?」

「……ど、どんと来い!」

「……じゃあ、上から――」

「いややっぱやめて!?」

 

 それは駄目だ。それを言われるのは駄目だ。というかすんなり言おうとしたあたりこの男は知っているのだろうか。だとすればいつ? どこで? 一体どんな情報網から取り出した? 自分の体を抱きながら碧がささっと距離をとると、玄斗は苦笑して「冗談」と言った。……本当だろうか。

 

「でも合ってただろう?」

「う、うん……なんか……うわあ……トリハダたったあ……」

「面白いよね。この世界ってゲームだったんだよ」

「……またまたあ。十坂(零無)ってば嘘が下手すぎ。あたしをからかってもなにも出ないよー?」

「いや、これがわりと。五加原さんは、たぶん、好きな人にそのミサンガをあげる」

「――――、」

 

 見もせずに言った玄斗に、碧は知らず右の手首を掴んでいた。たしかに自分ならそういうコトもやりそうではあるが、なんだってそれを目の前の少年が知っているのか。あながち、先ほどの発言も馬鹿にできないような気がしてくる。

 

「……ふーん。じゃ、十坂(零無)から見てあたしはゲームのキャラクター?」

「いや、違う」

「ありゃ」

「五加原さんは、五加原さん。名前が同じぐらいで、そうそう悩むコトも考えるコトもないんだよ」

「……なんだ。案外、しっかりしてんね」

「あるものはある、ってことだと思うからね。現実は現実だ。だから、まあ――ちょっと、見えるものも増えてきた」

 

 ゲームだとか現実だとかの問題は、とっくの昔に乗り切ったものだと思う。すくなくとも玄斗はそう思っている。なんだか悩み事が最近多すぎて整理すべきだとも思うが、言ったことに嘘偽りはない。――あるものはある。それが現実で、事実で、紛れもない正解だ。だから、それがいちばんになる。

 

「……いままで、幸せになるなんてうまく分からなかった。でも、五加原さんのおかげでやっと分かった。たぶん、もうね」

「……ん、あたしはなーんも、してないけどね」

「そうかな? ……でもきっと僕ひとりじゃ駄目だった。五加原さんだけじゃない。先輩にも、赤音さんにも、三奈本さんにも……ずっと、助けられてばかり」

「良いじゃん。別にそのぐらい。あたしだって絶賛、こうして十坂(零無)に迷惑かけてるしー?」

「どっちかっていうと僕のほうがかけてる」

「いいやあたし」

「僕」

「あたし」

「僕だ」

「あたしだっ」

「…………、」

「…………、」

 

 睨み合って、さきに噴き出したのは案の定、碧のほうだった。つられるように、玄斗も息を吐きながらゆるく微笑む。

 

「……んで、なにが分かったの」

「もうあったってこと」

「もうって……いやいや、それがなんなのかってことでしょ」

「だから、幸せ。たぶんこうやって誰かと何気ないことをしてるときが、いちばんなんだと思うよ。僕は」

「…………なにそれ。ツキナミな台詞」

「うん。でもそれがいいんだ。特別じゃなくても、それが良いなら、それで」

「…………ま、らしいかもね。十坂らしい」

 

 うんとうなずいて、碧はよっと立ち上がった。ずいぶんと屈んだ体勢でいた所為だろう。あいたたた、と腰をおさえながら体を折る姿に、玄斗は思わず微笑んでしまった。

 

「……なーに笑ってんのー」

「いや、ごめん、面白くて」

「もお……なら十坂(零無)も立ってよ! ほら! 絶対なるから!」

「……はい、立ったよ」

 

 よっこいせ、と難なく玄斗が立ち上がってみせる。腰どころか足にもきていないといった風な自然体。

 

「えーっ!? ちょっ、なんで!?」

「体が結構丈夫だから。それに、男子と女子の差もあるんじゃない?」

「あー……でも十坂(零無)食べるからなあ……そっかあ……なんか、十坂家の食費すごいことになってそう」

「ああ、僕以外は別に。そこまでみんな食べないんだ」

 

 ごはん多くても三杯いかないぐらいかな、なんて言う大食らい。それが父親のものであって、母親や妹はもっと少ないのだとは言わずとも分かることである。

 

「でもそのわりスリムだよね、本当。……秘訣とかある?」

「? ないけど。でも、五加原さんだってそうじゃない?」

「…………なにが?」

「いや、細いっていうの。華奢っていうのかな」

「…………ふーん。まあ、なに? ……ありがと」

 

 女子である。ので、華奢と言われるとそう悪い気もしない。意味的に捉えれば。だいたい、遠回しな物言いなど目の前の少年ができないからこそ特に。

 

「じゃ、そろそろやめよっか! 草むしり」

「いや、まだ時間は残ってる。もうちょっとやろう」

「几帳面か! ……ったく、しょうがないなあ、もう」

「……なんだかんだで手伝ってくれるよね、五加原さん」

「そりゃ、まあ……」

 

 せっかく一緒に居られる時間だし、という言葉は胸に仕舞っておいた。命短し恋せよ乙女。なんていったって普通の女子高生。ぼろぼろになった想い人はあやせても、そこまで素直になるのはもうちょっと時間のいる複雑さ。なんとも人の心とは難解で扱いづらい。碧は頬を赤く染めながら、ゆっくりと玄斗の隣に座るのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「あ、不良少年」

「……その件は大変ご迷惑をおかけしました」

「本当にねー?」

 

 会って一言目から容赦がなかった。当然である。なにせ授業を放っておいてどこかへ行ったヤンキーどもを「あー、いや、見てないですねー! どこ行ったんでしょうねー!?」と必死にかばったのが白玖だった。ついでに「どうせ女と遊んでんだろ」といって白玖の心臓を凍りつかせたのが鷹仁である。南無三。だからおまえは彼女ができない。

 

「五加原さんとー? 大変ー? いいコトをしていたそうで」

「うん。すごい気持ちが(軽くなって)良かった」

「すっ、すごい(アレ的なあれで)気持ち良かった!?」

「……ごめん言葉足らずだった。余裕が持てたってコト」

「お相手を見つけて!?」

「まずい。相互誤解が回っていく」

「それが会話というものだよ、少年」

「……君、はじめからぜんぶ分かってて言ってるな?」

 

 苦笑しつつ問いかけると、白玖は「とうぜん」と言いながら胸を張って答えた。

 

「あなたのことならなんでもお見通しなんですよー? 玄斗さん」

「そうだったのか。敵わないな」

「そうそう。……ねえあなたこの髪の毛誰の? あたしのとも玄斗さんのとも違うわ! どこの泥棒猫よっ!」

「五加原さん」

「……そこは乗ってよー」

「はいはい」

 

 ぶーたれる白玖の頭をぽんと叩いて、玄斗は自分の机に置いていた鞄を背負いつつ踵を返す。と、ふり向いたさきで彼女がその状態のまま固まっているのを見た。

 

「……どうしたんだ、ハク?」

「……いや、玄斗ってさ。ずるいよね。私にだけ」

「そうかい? ……そうかも」

「そうだよ」

「そうだね」

 

 言って、白玖も鞄を背負いながら玄斗の隣についた。いつもの距離感ではあるのだが、気持ちどこか近いような、でも変わらないような。おかしな感覚にうん? と玄斗は首をかしげながら、そのまま廊下に出る。

 

「――負けないから」

「!」

 

 と、入れ替わるようにして、白玖の横をするりと少女が通った。誰であるのかは、隣でいまの会話が聞こえていないまま「じゃあね」と手を振っている彼を見れば分かる。

 

「(……へえ。ちょっと、驚いたかも)」

 

 前まではそうでもなかったのに、どうも火がつけば勢いは凄かったらしい。白玖はくすりと微笑みながら、ゆっくりと歩き出す。

 

「(でも、いまは勝ち負けじゃないよ。それぐらいは、ね――)」

 

 やっとのことだ。並び立つにはなにもかもがまだ足りない。ので、言ってしまえば準備段階。ぜんぜん、勝負すらはじまっていない。

 

「(……でしょう? 玄斗)」

 

 壱ノ瀬白玖は思う。運命というものがあればこれがそうだ。故にこそ、掴んだものなんて最初からぜんぶ受け入れている。色の使い方にもよるが、透明なグラスを白い画用紙のうえに書くことだってできるように。

 

 〝私はね、玄斗のことならなんでも――お見通しなんだから。〟

 

 きっと、その言葉に嘘偽りなんて、なにひとつもないのだろう。






さて五章もあとは書くもの書いて終わりです。六章七章までが一部かな、というところ。



というか救う救うって言ってるんだからもっと余裕を持って「なんだ救われてんじゃん」っていう感じでも良いんですよ! バッドエンドとかくそくらえのハッピーエンド至上主義者ですからね作者は!


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沈みいく町並み

 

 白玖と別れたその日の帰り道。ふと歩いていると、玄斗の横に一台の車が停まった。なんだろうと思って見れば、運転席にいつぞやの女性が座っている。

 

「飯咎さん」

「や、お久しぶりだね。少年」

 

 元気かい? と煙草を片手に訊いてくる狭乎。それに「はい」と答えてみれば、彼女はどこか面白そうに目を細めた。ついといった風に、その綺麗な唇が歪む。

 

「……なんだろうな。ちょっと変わったな、君」

「かもしれません。飯咎さんは、相変わらずで」

「うむ。相も変わらずだ。で、どうだ。乗っていきたまえよ」

「いや、さすがに二度目は――」

「なんだい君。私の車には乗れないというのかね?」

 

 くつくつと笑いながら、狭乎が片手でひらひらと誘ってくる。言うところの「俺の酒が飲めねえってのか」みたいなものかと玄斗は勝手に納得した。彼女に関してはそもお世辞がどうの以前に善意百パーセントで連れて行ってやると言っているような気もする。遠慮は大事だが、好意を無碍にしすぎるのもあれか。考えて、玄斗はちいさく頭をさげた。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて」

「はは、甘えろ甘えろ。子供だろうに。素直な子は、私は好きだな」

「そうなんですか?」

「ああ。……うちの娘も、大概素直なものだったからな」

「……そう、でしたか」

 

 それにどう答えて良いかが分からなくて、思わずそんなありきたりな返答をしてしまう。けれど狭乎はそんな彼の反応を気にした様子もなく、玄斗が助手席に座り込んでシートベルトをつけたのを見届けて、ゆっくりと車を出した。夜も近くなった閑静な住宅街を、するすると進んでいく。

 

「……良い子だったよ。将来はなんだったかな……花屋になりたかったそうだ」

「花屋……ですか」

「ああ。優しい子だった。それでいて、私に似て美人だった。いまはもう、とんでもない美少女に育っていると思うな」

「……会うのがちょっとだけ楽しみですね」

「なんだ、君もそういう年頃らしい部分があるのか?」

「……それは別として、単純にそこまで言われると興味がわきます」

「なるほどそっちか。ふふ……つくづく、君は私好みの受け答えをしてくれる」

 

 だから話していて退屈しない、と狭乎はハンドルをきりながら呟いた。狭乎とその娘である飯咎広那の話は、以前に玄斗も聞いていた。原因があって遠ざかっているとは言うが、親子が離れるほどのものなんてあるのだろうかと考える。……思えば、どれほどのものであろうと、零無は父親と縁が切れたことはなかった。

 

「あの。ひとつ、訊いてもいいですか?」

「なんでもどうぞ。答えたくないなら私は言わないだけだからな」

「……じゃあ。娘さんは、いま、やっぱりお父さんのほうに?」

「……弟が引き取っているよ。そのあたり、複雑でね。まあ、私は後悔なんぞひとつもしていないんだが……あいつは、相当だろうなあ。私の顔を見れば文句のひとつはぶつけてくると思うよ」

 

 紫炎をくゆらせながら狭乎が語る。どこかその表情は、翳がかかっているようでもあった。

 

「弟さんが文句を……ですか」

「それ以外に誰がいる。……あいつは優しいからな。私の選択をきっと恨んでいる。なにより、無関係というワケではないからな」

 

 迷惑ばかりかけたものだ、とそこで彼女は話を打ち切った。これ以上は言わないということだろう。母親は娘と会えない。彼女の弟がその子を引き取っている。それだけの情報では、分かることもすくない。ただ、一筋縄ではいかない複雑な事情があるのだとは、なんとなく玄斗にも分かった。

 

「だからこそ、君とこうしてドライブするのは実のところ、結構楽しいんだ」

「……僕なんかで良いんですか?」

「ああ、良いとも。むしろ君だからこそ良い。……見ているとね、本当、思うんだ。自分でもどうしてと。後悔している。……私はもっと、うまくできたハズなんだがなあ……」

 

 ぎゅっと、狭乎がハンドルを強く握ったのが見えた。心底悔しいのだろう。それはできなかった過去に対してか、こんな風になってしまった現状についてか。どちらにせよ、玄斗は返せるような言葉を持っていなかった。

 

「あとすこしだったんだ。あとすこしで……ぜんぶ、できていたんだ。なのに、そんなタイミングで、梯子を外されたようなものだ。あの時は目の前が真っ暗になったな。恨んだよ、身のまわりのぜんぶ。……それでもあの娘だけはと、願っていたのになあ……」

「……大事、だったんですね。娘さんのこと」

「……そうだな。大事だった。ずっと、ずっと、大事にしていたんだ。私はな」

 

 車は進んでいく。見慣れた景色は決して早すぎない速度で、けれど直ぐさま過ぎていく。街灯もつきはじめた夜の町。時折照らされる狭乎の顔は、とても、暗いなにかを我慢しているようだった。

 

「……すまない。ちょっと話しすぎた。今言ったことは忘れてくれ、とにかく、私は君とこうしてデートするのが楽しいというコトだけ覚えてくれればいい」

「からかわないでください。デートって、誤解を招きますよ」

「そういう反応をしてくれるから気に入っている」

 

 くつくつと口の端で咥えた煙草を揺らしながら狭乎が笑う。意地悪な人だ。同時に、玄斗はどこか不器用な人だとも思った。自分が他人のことを言えたような義理でもないが、そんな彼でも感付くあたりは相当である。きっと触れ合っているその心には、誰かへの想いがあってしかるべきなのに。

 

「……後悔は、減らしていくものだと思います」

「……なんだい。いきなり」

「僕に道を示してくれた人は、そう言ってました。あとで悔やむぐらいなら、いま悔やんでも自分のしたいことをしろと。……それは、無理なことですかね?」

「……無理じゃないさ。だが難しいな。先に立たないから後悔という。思ったときには遅いんだよ。もう、遅かった。……せめて、あいつがあの日、気まぐれなんて起こさなければ」

「気まぐれ……?」

「……なんでもない。さあ、ついたぞ。ここが君の家だろう」

 

 ふと外を見れば、ちょうど玄関の前だった。時間を忘れるぐらいには玄斗も話に夢中になっていたのだろう。狭乎からすれば運転に気を取られて漏らした言葉も多かった。降りていく少年に気付かれないようため息をつきながら、無事に車の外へ出たのを確認して笑顔を浮かべる。

 

「ではな、少年。また機会があればそのときに」

「はい。……それと、飯咎さん」

「ん?」

 

 窓を閉めようかと思った矢先、そうやって玄斗から声をかけられた。そのまま去るものかとばかり思っていた狭乎にしてみれば、不意をついたような一瞬。彼はとても自然に笑って、さもなんでもないことのように、

 

「いつか、娘さんとまた会えるようになればいいですね」

「…………、」

 

 そんなコトを、言ってのけた。

 

「……ふ、ふふ。あはは……」

「……? 飯咎さん?」

「はは、はははは……っ、ああ、すまない。そうだな……」

 

 まったくもって、笑うしかない。本当に、笑うしかなかった。狭乎はそれはそのとおりだと笑っている。涙なんて似合わなさすぎて、そうするしかなかった。

 

「……いつか私も会いたいよ。私の、愛娘と」

 

 言い残して、飯咎狭乎は夜の町に消えた。玄斗はそれを見送って、そっと玄関のドアを開ける。ようやくの帰宅だ。なんだか最近は一日が充実していると思いながら、ひとつほうと息を吐くのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……また会えるようになるといい、か……」

 

 先ほどの玄斗の言葉を思い返して、ふっと狭乎は笑みを浮かべた。まったくなにも知らないくせにとんでもないコトを言ってくれる。が、それはまあ正直なところの話でもあった。彼女だって、それは望んでいる。

 

「……そうだな。一度、会ってみたいものだよ」

 

 薄れてはいないが、風化してきた記憶の片隅。そこに残る我が子の面影を、それ以上を、見てしまったからこそ向き合える。あのとき、おそらく自分はもっと上手くやることができただろうにと。

 

「……一言でも、伝えたいんだがなあ……」

 

 十坂玄斗という少年は、彼女にそんな想いを抱かせるほどのものだった。

 

「――すまない。本当に、すまない。広那」

 

 肩の力を抜きながら呟く。その謝罪は、きっと、誰かに向けてのもので――

 

「最後まで育てることができなくて、すまなかった」

 

 きっと、とてつもない意味が込められていた。  






五章ラスト一話……! いける……!(なにが)


ちなみに彼女は結構なキーパーソンなのでノーヒントを貫いていきたい。感想はたぶん明日ぐらいから返せるかなあと。



ひとつ言えるのは、そこまで面倒くさい状態ではないってことですかね。


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ユウショクのジカン

 リビングに入る直前、ちょうど玄斗がドアノブに手をかけたとき、ばたんと勢いよく扉が開かれた。

 

「やだやだや――ってうおわっ!? お兄!?」

「――――っ、――――……!」

 

 視界に星が舞う。そのままうずくまる玄斗に、実行犯はわたわたと慌てながら屈んで背中をさすってきた。たぶん対応を間違えている。

 

「真墨……」

「ご、ごめん! でもお兄忍者か!? 音も気配もなく扉の後ろに立つとか忍者か!?」

「僕からすると扉の真ん前だったよ……」

「そっか! なら納得した! っていうか大変なんだよお兄なんかうちの大黒柱が気持ち悪いよ!?」

 

 酷い言われようだった。ついぞ「お父さん」とすら呼ばれなくなった心の距離に虚しさがこみ上げる。そろっとリビングの中を覗いてみると、とうの父親はソファーでどこぞの総司令みたいなポーズを取りながら項垂れていた。

 

「……なにしたの、真墨」

「いやあたしじゃなくてあっち! アレが原因! アレが駄目なの! もういや!」

「アレ……」

 

 なんとも酷い言われようだった。ついぞ「お父さん」と以下略。

 

「と、とにかくあたしご飯食べたし部屋にいってるから! そう、あの、勉強! 勉強してくるから! アレ絶対こっちに連れて来ないでね!」

「……うん。まあ、なにがあったのかは後で聞くけど、父さんにはなるべく優しくね……?」

「じゃっ!」

 

 言うだけ言って、返答はちゃっかりせずに、真墨はとててーっと階段を駆け上がっていった。まったくもって嵐みたいな妹である。おかしな日もあるもんだと思いながら立ち上がってリビングへ足を踏み入れると、思わず引き下がりたくなった。負のオーラが、半端じゃない。

 

「ああ……玄斗か……おかえり」

「ただいま……父さん。あの、なにが?」

「……思春期の娘は、分からんもんだな」

「あなたが阿呆なだけだから」

 

 と、台所から突っ込んできたのは母である。ふり向きもせずに菜箸で「ん」とテーブルを示しているあたり、もう夕食は用意していると言いたいのだろう。

 

「いつからあの娘はあんなに……ちいさい頃はなあ……パパ、パパってなあ……うん? いや待て。そこまで呼ばれてないな。むしろちいさい頃からお兄、お兄っておまえのことばっかり呼んでたな」

「ああ、そうだっけ」

「そうだな。そうだぞ。……おまえなー、玄斗なー。うらやましいぞおまえー」

ひょっほ(ちょっと)やめへっへば(やめてってば)

 

 ぐにぐにと頬を引っ張ってくる父親に苦笑で返しながら、なんとも切り替えが早いと玄斗はすこし感心した。あの態度では相当なコトを真墨に言われたはずだが、それでもめげないのは彼のタフさ故だろうと思ってだ。

 

「で、どうした玄斗」

「? なにが」

「良いことあっただろう。にやけてるぞ、おまえ」

「え――」

 

 ばっと、顔をおさえる。その動作を見てニヤリと父親が笑みを深めていた。……これは、たぶん、してやられたということか。

 

「父さん……」

「まだまだだな。玄斗。俺のレベルになるとこんなのは朝飯前だ。で、なんだ。彼女か? 恋人か? はたまた修羅場か。おまえの相手が父さんは凄まじく気になるぞ」

「いや、そういうんじゃないけど」

「違うのか? ……なら別の理由か」

 

 でもなにかはあったのだろう? と父親が確信を持ったように訊いてくる。親というのは本当に分からない。顔にはそこまで出ない質だと思うのだが、それでも見破ってくるあたりは不思議な縁を疑えもしない玄斗だった。

 

「まあ、色々とね」

「そうか、そうか。……どうだ。最近、学校楽しいか」

「家族同士の会話下手かよ」

 

 台所から容赦ないツッコミがぶっ刺さっていた。この母にしてあの娘あり。妹のわりとドストレートにココロへナイフを叩き付けてくる言葉の数々は母親から遺伝したものかと、やっぱり玄斗は不思議な縁を感じるのだった。

 

「まあそうですよねえ。大学時代まで中二病患ってた人は違うものねえ? もうおまえが医者になるんじゃなくてさっさと医者行けよって母さん思ったものー」

「……な、玄斗。うちの母さんは怖いだろう」

「うん。でもその話は聞きたい」

「ちょっ、おまえなに言って――」

「あらあらじゃあ教えてあげるわ玄斗。この人ってばよく「できて当然だ」なーんて言ってる痛い大学生だったのよー?」

「うおぉぉおおお……っ!!」

 

 頭を抱えて父親がくずおれる。げに恐ろしきは一生付き添っていく相手に黒歴史を見られていたという事実と、それを息子にまではっきりバラされるという地獄か。玄斗は内心でそっと父親に手を合わせておいた。

 

「えらいエリートぶっててね、「医者は嫌いだ」なんて言って医大にまで入ってるし、成績が良くてそのことを言われたら「当たり前だ」とかさらっと言うし。でも顔は良いからなんかありえないぐらいモテちゃってるし」

「……母さん。もう勘弁してくれ」

「あの頃は輝いてたわー……本当に」

「母さん……」

「あなたの眼鏡が」

「よし。今度久しぶりにデートしよう。うん。それがいい」

 

 はっはっはー、と冷や汗をたらしながら父親が立ち上がる。対して母は「期待せずに待っておくわー」なんて軽い調子で返していた。なんだかもう憐れで仕方なかった。

 

「……なにしてたの、父さん……」

「いやあ……若気の至り……とも違うんだが……はは、人間積み重ねたことがあるとなんでも出来ると思うもんだからなあ……いやまあ父さんは実際になんでもできるがな?」

「玄斗。真に受けちゃ駄目よ」

「わかった」

「……最近、うちの家族は冷たくないか?」

 

 玄斗からしてみるとそんなコトはないので、あってもおそらく局所的だ。たとえば嫌だと叫ばれながら逃げられた誰かだとか。大学時代の黒歴史を息子の前で語られた誰かだとか。現在進行形で母親の機嫌をとりに行っている誰かだとか。ぜんぶ同一人物だった。

 

「――ああ、そうだ。玄斗」

「……ん? なに」

「おまえにだけは言ってなかったな。んんっ……ただいま、だ」

「……さっき言ったような気がするけど?」

「いやいや、おまえが言ったんだ。俺からは、言ってない」

 

 どこか自慢げに胸を張る父親の奥で、「まったくこの人は……」と母が頭をおさえているのが見えた。どうにも発作みたいなものらしい。

 

「……おかえり、父さん」

「……うん。よし、満足した」

「……ね? 玄斗。この人、コミュニケーション下手でしょう?」

「母さんっ!」

「安心して。それは僕もよく言われるから」

「ああ……この父にしてこの息子あり……だわ……」

 

 がっくりと肩を落とす母親に苦笑しながら、玄斗は夕飯に手を付ける。いつもよりすこしだけ賑やかな食卓と、すこしだけ浮ついた心持ち。それは悪いことではなく、正しく余裕というべきものだ。悩みも苦しみも軽くはないが、一先ず考え込んで余計に重たくするものでもない。時間はたくさんある。ゆっくりしていけばいいとはそのとおりだと、玄斗は改めて思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

「……広那ちゃん」

「うん? なになに、どうしたの大和さん」

 

 そんな深刻な顔してー、と近寄ってくる少女に、大和と呼ばれた彼はどういったものかと悩んだ。都合上仕方のないことではあるが、この時期、この年である。……ひとりで育てていく以上は、どうしても避けられない問題でもあった。

 

「……ごめん。転勤が決まったみたいで」

「あー……そっかあ。じゃあ転校? ……転入? どこら辺になるの?」

「ちょっと離れてるかな。近場だと、わり大きめの私立校がひとつあるけど」

「じゃあそこにしよっか。どうせ、もう決めてたんでしょ?」

「……本当にごめん」

 

 良いって良いってー、とからから笑う少女に、すこしだけ心の重荷が降りた。……お世辞でも、そう言ってくれるのはありがたい。

 

「で、なんて学校?」

「ああ、うん。たしか――」

 

 おかしな時期。おかしなタイミング。それでも歯車は回りだす。次第に、次第に。ゆっくりと。

 

「――私立、調色高等学校……だって」

 

 その幕が上がるのは、またしばらくさきのお話。





続いて幕間を二話ほどで五章終了。六章は……まあなんかあらかた予想されてそうなので言うこともありませんが。













にしても修理班は本当クセのないヤツらばかりで書きやすいったらありゃしないよ……。


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五章幕間:彼のウラガワ ~ある日の驚愕~

 

「あれ、お兄なにやってんの」

 

 珍しくリビングでなにかを弄っている玄斗に、ひょいと真墨がソファーの後ろから顔を出した。見ればノートパソコンである。またなにかしらエクセルだのワードだので小難しいモノを作っているのかと思えばそれも違うらしい。そう――画面には、綺麗な女の子のイラストが映し出されていた。

 

「いやまじでなにやってんだ!?」

「ギャルゲー」

「ええ!? うそ、お兄がっ!?」

「……なに、その天変地異でも起きたみたいな反応」

「いやそうもなるわ!!」

 

 うわ、うわ、うわわわわ――! と無駄にあわてふためく十代の妹。もう高校一年生である。そろそろ落ち着いて欲しいと思う反面、真墨が騒がなければ「なにか病気なのかな」と心配するぐらいには彼女のイメージが固定されている。それはともかく、

 

「久しぶりにやってみたけど、面白いね。やっぱり。こういうのは結構いいよ」

「いや……妹にギャルゲー勧めんなよ……てかお兄まじか……経験あったのか……」

「ずいぶんと昔にね。ちょっと気が向いてもう一度してみたら、これがなかなか」

 

 そう言いつつ玄斗は画面から目を離さない。一向に顔を背けようともしない。仕方ないので、真墨もゲーム風景を覗いてみることにした。ちょうど時間帯が放課後に入ったらしい。夕暮れの校舎をバックに、どこへ行くかという選択肢が浮かんでいる。

 

「お兄これどうすん――」

「ん?」

 

 言い切る前にクリックが終わっていた。

 

「いや早えよ!? 爆速じゃねーかおまえ!」

「いや、大体ヒロインの特徴と性格は覚えたから。あとはまあ進めていくだけだし」

「ええ……なにその玄人思考……やだお兄きもい……すげえわ……ドン引く……」

「大丈夫、ちゃんとテキストは読んでるから」

「いや黙読も早すぎだろ目ぇどうなってんだ」

 

 そも玄斗だってリアルタイムアタックをしているのではない。なので別にそうスピードを意識することもないのだが、久方ぶりのゲームに知らず心が躍っていた。単純に楽しくて仕方ないのである。前世の入院中で唯一の楽しみとも言えた恋愛シミュレーションゲームはその筆頭で、もうとにかく昔の感覚が戻ってきてテンションがまずいことになっていた。

 

「…………、」

「うっわあ……スーパー無言プレイ……ガチじゃん……もうこの人ガチじゃん……」

「……真墨」

「……なに?」

「悪いんだけど冷蔵庫からお水持ってきて」

「水道水でも飲んでろよ」

 

 ズバッと言い放ってみたが、それで大した反応も返ってこない。仕方ないので、本当に仕方ないので、真墨は冷蔵庫からペットボトルを一本取りだしてゲームに夢中な兄のほうを見た。いまだに瞬きもせずパソコンの画面を凝視している。

 

「(……ちょっと試してみーようっ♪)」

 

 キッチンの収納棚からストローを一本取りだして、ペットボトルのキャップを外した飲み口にそれを刺した。単なる好奇心、というよりは今ならやれるという謎の確信だった。そっと回り込むように玄斗の隣に座って、さも当然と言わんばかりに「はい」とペットボトルを差し出す。と、

 

「(……おお)」

 

 案の定、彼はディスプレイから視線をきらずにストローを咥えた。そのまま真墨が手に持ったペットボトルの中身をぐんぐんと飲み干していく。

 

「(うはあ……これやばあ。なんかあれだわ。ちいさい子供じゃんお兄。小動物かよっ)」

 

 奇しくもその気持ちは五加原碧の膝枕をしたときの感想とよく似ていた。肝心の男子が気付いていないという点と、それ含めて「やべえ」という思考回路に陥っている点がである。

 

「…………、」

「(……かわいい)」

「………………、」

「(……はっ。いやいや、お兄がかわいいとかありえないから!? あたしなに考えてんだ!?)」

 

 うおおおおと内心で頭を抱えても行動には出せない。なにせ持ったペットボトルをまだ玄斗が飲んでいる。当然手は離せない。ちなみに考えていたことは前述の碧とまったく同じである。男子当人に問題があるのか、それとも彼のほうに群がる女子に問題があるのか。

 

「お、お兄? そろそろ飲むのやめよー?」

「んっ」

 

 ぱっとストローを離した。それですんなりとゲームを続ける。素直だ。

 

「(いや子供かよ)」

 

 そう思ってしまった真墨は悪くない。すべてはらしくもなくゲームなんかやって夢中になっている十六歳児が悪い。自分は悪くない。ため息をつきながらペットボトルを置いて、よっこらせと立ち上がる。そうしてリビングの扉に向かって踵を返せば――ちょうど休みの父親が立っていた。

 

「……なにしてんだおまえら」

「邪魔。どいて。あとくさい」

「はっはっは。……真墨、俺なんかおまえにしたか……?」

「いやこの前くそきもいコト言ってきたし」

「いやあれは日ごろの気持ちをだな……」

「日ごろからあんなコト思ってるほうが重すぎてきもいわ」

 

 ピタリ、と真正面から見据えて父親が鋭い視線を向ける。

 

「きもいか」

「きもいわ」

「きもいのか」

「きもいんですわ」

「……そうか……」

「うわあやだこの人……がちへこみしてる……」

 

 ごめんねーちょっと言葉のナイフ強かったかなー大丈夫ー病院行くー? なんてトドメをさしにかかる真墨。色んな意味で容赦がなかった。父は娘に弱い。おそらくは全国の大抵の家庭で反抗期にあたり直面する現実だ。パパ臭い。その言葉に心折られた父親なぞ数知れず。もはや概念的破壊兵器であると言ってもいいのかもしれない。

 

「……で、なにやってんだ」

「復活早いなおい。……お兄がギャルゲーしてる。珍しく」

「ほう」

 

 ギャルゲー、と繰り返すように父が呟いた。ああ、これが同じ穴の狢ってやつか、と真墨はうっすら察した。親子揃ってなんというか。いや本当になんというか。元医大卒のくたびれたサラリーマンがギャルゲーとかちょう似合わねえと思いながら、真墨は横をすり抜けて玄斗のほうまで歩いていく父親を見送った。

 

「どんなもんだ、玄斗」

「うん。だいたいやれてる。イベントも逃がしてないみたいだし……初回だからそんなにCGは気にしなくてもいいのかな」

「そうか。……うん。これ、キャラクターの位置はもうすこし左のほうが見やすいだろう。文章も上にいきすぎだ。下ろせないのか? ……ああ。そうか、コマンドの……いやいっそメニューでまとめるとしたら……だとすると音声……いや、ボイス関連だけ配置を……」

「なんか父さん詳しいね」

「……おう、すこし昔かじってたことがある」

「なんだこの無駄に万能クソ親父……」

 

 医療知識あり、社会経験あり、ゲーム関連の知識はちょいありぐらいか。そんなのが自分の父親というのがわりと信じられない。なんというか、こんなコミュニケーション下手くそな人間でもやれることはやれるんだという可能性を垣間見る。

 

「というか長いな、ロード」

「うちのパソコンスペックが低いから」

「設定は弄ってないのか」

「まあ動くから良いかなって」

「それもそうか」

 

 やいのやいのと話し始めた男衆ふたりを置いて、真墨はそっとリビングから出た。いくらなんでもあの世界に入ろうという勇気はない。というか興味もない。男二人が騒いでいる空間というのもある。自分の部屋に戻ってくつろごうと階段に足をかけた。……扉一枚隔てた向こうからは、まだ談笑の声が聞こえている。

 

『ここは下じゃないか?』

『上だよ。前の会話でたしかそんなコトを言ってたから』

『なら上か? いやでも前の文面からしたら下が濃厚じゃないか?』

「……いや上でも下でもくそどうでもいいわ……」

 

 いま一度ため息をつきながら階段をあがる。玄斗が変わってから起きた、十坂家のちょっとした事件。それがなんに繋がるのかは、まだ誰も、知る由もない―― 






直ってからの零無くん書きやすいし書いててすごい気持ちいいんだけど物足りないよねっていう。


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五章幕間:彼女のウラガワ ~もしものドコカ~

とりあえずその時は救いがあるような気がするじゃない?


 

 ――それは、仄かな。彼女の幸せが、当たり前のように叶う話――

 

 

 ◇◆◇

 

 

 かつかつと、なにかを叩く音が聞こえる。靴音ほど高くはない。けれども、聞き逃すほど小さくもなかった。なんだろうと、玄斗は瞼を開けてゆっくりと部屋の中を見渡してみる。……そこに、見知ったひとりの少女がいた。

 

「……碧」

「ん」

 

 すい、と手だけあげて返事をする幼馴染み(・・・・)。彼が普段使っている勉強机の椅子に座って携帯を弄っている姿は、なんともまあ他人の部屋なのに様になっていた。むしろ寝ている玄斗のほうが異物感を抱えているほどである。

 

「なんでいるの……」

「なんでって、通してもらったから」

「僕の部屋に?」

「うん。どうぞーって、パパさんが」

「父さん……」

 

 え、なになに、ああ碧ちゃんね入って入って玄斗なら部屋で寝てるからー、と適当に招き入れた父親の姿を幻視する。なんとも頭の痛い問題だった。なにゆえ自分の家はこうもプライバシーが弱いのか。

 

「……あたしが部屋にいたらイヤ?」

「イヤではないけど……でも、その、もう高校生だし。この歳でこういうのはどうなんだろう……?」

「普通」

「……普通、なのか?」

「普通。世の幼馴染みなら普通。みんなやってるから。だから普通」

「……それなら、まあ」

 

 拒絶する理由もないのか、なんて勝手に納得する玄斗。ごり押し加減がいい感じに効いていた。なお彼がその真相を知るのは随分と先の話である。

 

「んで、おはよ」

「……?」

「おはよ、玄斗」

「……ああ、うん。おはよう、碧」

「……ん」

 

 こくんと満足したようにうなずいて、碧は顔を埋めながら携帯弄りを再開する。するすると画面のうえを滑る音と、時折液晶に長い爪があたる高い音。なるほどこれが原因かとうなずいて、玄斗はゆっくりと起き上がった。……思わずにやけてしまった顔を隠す碧のコトなんて、これっぽっちも気付かずに。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 五加原碧と十坂玄斗は、いわゆる幼馴染みである。ちいさい頃から親同士交流があり、家は向かいの窓から渡れるほどの隣同士。が、そんな近場でありながらありがちな「屋根の上をつたって隣の幼馴染みの部屋に行く」というコトはしていない。どちらもそんなコトをやるような子供ではなかったし、なによりそれなら真正面から入ったほうがと玄関を叩くのが彼らだった。

 

「……玄斗。あたし今日部活遅いから」

「じゃあ待っておこうか? テニス部ってみんな優しいから、男子ひとりぼーっと見てても怒らないし」

「……それは男子じゃなくてあんただからだっての」

「え?」

「なんでもー?」

 

 朝食を口に運ぶ玄斗に素っ気なく返して、リビングのソファーで碧はゆったりとくつろいでいる。他人様の家で、なんてのは今さらすぎる話であり、もとより昔から碧はこうして家に来ることが多かった。もはや第二の我が家である。慣れきってしまったせいで、玄斗も「あれ」と思いながらすぐに違和感が消えるのでなにも言えないのだった。

 

「……まさかうちの娘らに手、出してないよね」

「いや、ないだろうそんなの。そもそも向こうからそんな話が来ない」

「ほんとかなあ……」

「うん。だってほら、せいぜいが荷物持ち頼まれるぐらいだし」

「人数は」

「ふたりっきりで」

「……絶対断って」

「わかった」

 

 まったくこの男は、と碧はため息を隠そうともしない。傍から見る分には良いが、近付けさせると駄目なのだ。深く関わったりしたらそれこそアウトである。なんだかんだで十六年。一緒に過ごしてきた時間はトップクラスである彼女から言わせると、接触で感染する遅効性の毒。本人にその気がないあたり、わりと真剣に勘弁してほしかった。

 

「おはようおに……げ」

「ん」

「おはよう、真墨」

 

 寝惚け眼をこすりながら入ってきた真墨が、碧の姿を見て露骨にイヤな顔をした。ちいさい頃は仲良しだったというのに、今となっては犬猿の仲。どうしてだろうと玄斗は不思議に思いながらもぐもぐとパンを咀嚼する。どうしてもなにも理由はひとつしかなかった。

 

「……また朝から来てるんですか五加原先輩。そろそろ迷惑とか考えませんかね?」

「あはは……真墨さあ。玄斗の前だよ」

「いいんだようちのお兄は寛容だから」

「玄斗」

「真墨、喧嘩は駄目だぞ」

「卑怯者っ!」

「いやあ、まだまだあたしには勝てないでしょー」

 

 ひらひらと手を振る碧にぐぬぬぬと拳を震わせる妹。仲は良いのだか悪いのだか。玄斗の向かいにドスンと座った真墨は、そのまま「いただきます」と乱暴に手を合わせて朝食にがっつきはじめた。いわゆるやけ食いである。

 

「……ね、真墨」

「……なに」

「もう碧だって何年もあんなんだし、いまさら突っ込むところじゃなくないかな」

「ふふっ」

「ばかっ! お兄なに言ってんの! ここはガツンと一言いっとかないとあたしのチャンスが――じゃなくてっ! というかそこ笑ってんじゃねーよくそう!」

 

 余裕のある含み笑いがまた真墨の神経を逆撫でする。イライライライラと心のなかにカリカリとした感情がたまっていく。決壊寸前である。

 

「いやまじで意味分かんないし……なんでお兄はあんなヒトでいいわけ……」

「? そりゃあ、碧が碧だから」

「玄斗」

「……別に、恥ずかしがらなくても」

「分かってるなら言うなっ」

 

 くるくると髪の毛を弄りながらそう言う碧に、玄斗が苦笑して「ごめん」と謝る。またそのやり取りに真墨のムカムカがたまっていく。よろしくすんな破局しろコノヤローとふたりのすべてを呪わんばかりである。

 

「先に言っとくよ。お兄、ぜったいあの人駄目だからね。途中で不倫するからね。いい、覚えておきなよお兄。たぶんイケメンとかにソッコーでなびくからね」

「ああ、それは大丈夫。碧だから」

「……わかってんじゃん」

「いいやなにもわかってねーよっ!」

 

 見てみろあの姿を! と真墨がびしっと碧をさす。

 

「真墨、箸で人をさすのは行儀悪いよ」

「ずっと! ずぅぅうっとスマホ弄ってるんすよ!? ありゃもう二人目のキープ君と連絡とってんだよ間違いないね! お兄から取るモノ取っておさらばだよ本当マジラブ百パーセントっ!」

「うーん……そうなの?」

「そうだよっ!」

「いやいや、違うに決まってんじゃん」

「ほら」

「犯人はみんなそう言うに決まってんだろアホかお兄!!」

 

 ちなみに碧がずっと携帯で見ているものは画像である。もちろん玄斗に見られてはいけない類いの。ならばそういうコトかと言われるとそれは断じてない。簡単に説明すれば、まだ起きていない時間に部屋の勉強机で待機、そこから携帯を弄っている、気付かれる心配はそれこそ皆無、とくればそれしかなくなる。

 

「真墨」

「なんだよ泥棒猫」

「あとであんたにも一枚あげるから」

「…………ちっ」

「?」

 

 と、それで真墨はすんなり引き下がった。なんだろうと玄斗は依然首をかしげるばかり。当の本人は知る由もない。まさか自分の寝顔を撮った画像が、ふたりの間で結構な価値になっていることを。

 

「(……ま、良さそうだしいっか)」

 

 ギスギスしているならともかく、収まったのなら良いコトだ。とくに首を突っ込んで自分から藪を突きに行く必要もあるまいと、うなずきながら食事に戻る。そんなある日の、もはや見慣れた光景となった――十坂邸の、朝である。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――そう。きちんと分かっている。ああまで言ってくれた人なんて、もはや誰一人も現れないことを。後に続く誰かなんていないことを。

 

『よく、頑張ったね』

 

『頑張った。……頑張ったよ、玄斗。だから、もう大丈夫』

 

『あたしが……いまは、あたしが居るから』

 

『あたしが許して、あたしが認めてあげる。頑張ったよ、玄斗。もう我慢しなくていいよ』

 

『いっぱい泣こう? 泣いて、それから……笑おうよ。だって、そのほうがいいよ』

 

『もう――玄斗だけの過去(モノ)じゃ、ないんだから』

 

 あるべき形から逸れた世界。夢のような少女に傾いた天秤の果て。それは優しくも大切に、誰かを包み込む暖かさだった。





※ちなみにこの世界線だと碧ちゃん大勝利玄斗くん救済済み恋人エンドです。


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第六章 墨をつけても黒くなる
あいだの変化


ついに来たぞ妹ちゃんメイン。禁断の果実は甘いんだよというのを見せていきたい(見せられるとは言ってない)


 

 ――七月二十六日。なんだか今日は、とても穏やかな気分だった。

 

「…………、」

「…………、」

 

 うだるような熱気。室内には涼しすぎるエアコンと環境。外ではわんわんと蝉が鳴いている。わんわんというよりはミンミンというべきか。ごおごおと唸り声をあげる年式の古い我が家の空調をありがたがりながら、玄斗は麦茶を一口含んだ。

 

「……暇だね、お兄」

「遊びには行かないの?」

「こんなくそ暑いのに外とか出られないっつうの。死ぬわ。てか日焼け対策がどれだけ大変か知らないでしょ」

「知ってるよ。ずいぶんと昔、皮膚がただれたことがある」

「うっそお」

「本当」

 

 そう、あれは思い返すもずいぶんと前のこと。まだ彼が十坂玄斗ではなくて、体も心も空っぽだった頃の話だ。健康にも良いからとちょうど日差しのあたるベッドで横になっていれば、日が落ちる頃にはもうずいぶんとやられていた。その日に限って強かったというのもあるが、なんとも生きづらいと実感したのがそのときだ。

 

「皮膚ってあんがい弱いからね。紫外線とか、気にしないで良いのは健康な特権かも」

「いやそれはがさつな男子の特権だ。女子なめんな」

「まあ、僕自身日焼けなんてあまりしないんだけど」

「まあ……インドアだもんねえ……うち」

 

 今日も元気に会社へ出かけていった父親と、今日も変わらずパートへ出ていった母親。必然的に玄斗と真墨はふたりっきりで留守番をするというコトになる。母親が帰ってくる十二時頃までの話だが、なにはともあれ彼らは暇を持て余していた。

 

「……しりとりでもする?」

「いいけど」

「じゃありんご」

「ごりら」

「ラッパ」

「パンツ」

「セクハラ」

「ラー油……?」

「いや止めろよ」

 

 繋がってねえよ、と呟く真墨。しかも言い淀んでいないあたりがなんとも年頃の学生らしくなかった。もうすこし女子の妹に恥じらい見せろと思わないでもない。

 

「お兄、お兄」

「なに」

「好きって十回言って」

「好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き」

「あたしのことはー?」

「大好きだよ、真墨」

「――――」

 

 駄目だった。もうなんかもう駄目だった。語彙力がだめだわコレ、と真墨は顔をおさえながらテーブルに突っ伏した。その姿を玄斗は不思議そうな目で見ている。おそらく期待してるような感情が欠片もないのが酷かった。この兄、鬼畜である。

 

「ちょっといまのはないわ……」

「ああ。……たしかに気持ち悪かったね」

「きもくはない。お父さんじゃないからきもくはないよ。うん。大丈夫」

「そう?」

「むしろばっちこいだよ。もっと言って。妹への愛を愛のままにワガママにしてほしい」

「ごめんちょっと言っている意味がよくわからない」

「なんでだよ」

 

 有名なフレーズだろ、という視線を向けてみるが依然と玄斗は首をかしげるばかりだった。ちなみに時々父親が熱唱している。あれは家族から見ても恥ずかしい。とてもやめてほしい。家庭内ヒエラルキー最下位に対しては容赦ない女衆だった。

 

「そろそろ十一時だ」

「そうだねー……」

「……ご飯でもつくる?」

「おっけーおっけー」

 

 提案してみると、待ってましたと言わんばかりに真墨はうなずいた。まあ暇潰しならなんでも良しという感じである。ふたりしてキッチンの片隅からエプロンを取り出して、適当に冷蔵庫のなかを漁っていく。

 

「チャーハンの素がある」

「えー……チャーハン飽きたし……パスタにしよー。パスタ」

「すぐできるって。チャーハン」

「いやなんだよそのチャーハン推し」

 

 理由を言え、と睨まれて玄斗は笑いながらチャーハンの素を仕舞う。まあ気持ちとしては彼も同じだったので文句はない。なにせここ二日の昼食がチャーハン。さすがに三日連続は避けられるなら避けたい兄妹だった。嫌いではなくても味に飽きるというのはわりとよくある。

 

「僕が茹でておくよ。真墨は適当になんか」

「適当っておい。お兄おまえ適当って。料理なめんな」

「ごめん」

「分かればよろしい。じゃあ適当に合うもの作っとくわー」

「適当じゃないか……」

「それが料理というものだよ」

 

 ふっと笑って包丁を握る真墨。言っていることが支離滅裂だった。おそらくは熱さで脳がやられている。玄斗ももれなくやられている。夏の熱気が起こしたテンションの変化だ。リビングはエアコンが効いていて涼しい。

 

「……お兄さ」

「うん」

 

 トントントン、と小慣れた様子でベーコンを切りながら真墨が口を開いた。どこかぼうっと上の空である。危ないなと思いつつ、こちらも火を見ているので気は抜けないと玄斗はよそ見をせずうなずいた。

 

「最近、学校どう?」

「……それね。父さんも言ってた」

「うそ。やだ、うわあ親子ってやだあ……」

「……あんまり言わないであげてよ。父さん傷付きやすいから」

「いや知ってるけどあの人あれだよ? 防御力ないけど復帰力全フリだから。コンティニュー早いから。テッテレレッテッテー! って」

「残機は少ないかもしれない」

「大丈夫大丈夫あの様子だとまだ八十はあるね」

「父さん無限ワンアップでもしたのかい……?」

 

 脳内でなにかしらのBGMが流れる。小さいカタカナの〝ゥ〟を想起させた。毒電波である。おまけに色々と混ざってもいる。玄斗はブゥンブゥンと頭を振ってワケのわからない思考回路を放り投げた。

 

「会話が下手って、わりと僕たち全員に言えるよね」

「あたしはコミュ障じゃないよ? 友達たくさん居るよ?」

「その友達と今日は遊びに行かないの?」

「いやあ暑いし……みんな家族旅行いってるし……」

「ああ、それは仕方ない」

 

 真墨の知らない(・・・・)彼であれば、たしか軽井沢に別荘を持っていたか。そんな話を秘書から聞いたような記憶がある。あれで母親が生きている頃は結構笑う人であったともいう。人間どうなるか分からない、と語った顔はどこか悔やんでいるようにも見えていたのを思い出した。

 

「うちの父さん、中間管理職だからね……」

「変だよねー。医大まで行ったのに医者じゃないし。でもわりと万能超絶スペックだし。絶対あれは手を抜いてるよね。怠慢だよ怠慢。もっと稼げこのやろう」

「まあまあ。父さんだって頑張ってるかもしれないだろう?」

「いいや手抜きだねあれは。遺伝子レベルで分かるよあたしは!」

 

 手抜き手抜きー、と居もしない父親へ文句をぶつける真墨。ちょうどその頃会社の廊下を歩いていた彼らの大黒柱はテーブルの角にスネをぶつけていた。弁慶の泣き所である。たぶん目の前で言われていたらその比ではなかっただろう。

 

「――あいたっ」

「!」

 

 と、急に真墨が声をあげた。見れば、包丁を置いて指を咥えている。

 

「……なにしてるの」

ほへん(ごめん)ひっは(きった)……」

「咥えちゃ駄目だよ。水で洗わなきゃ」

ひょういはい(ちょういたい)……」

 

 そっと真墨の手首を握って、台所の蛇口を捻りながら指を持っていく。見たところそこまで深くはないらしい。が、だからといって切り傷が痛くないかと言えばそうでもない。そも普段から痛みになれていない人間は、大したことがなくても敏感になるものである。玄斗からしてみれば気にもならない傷だって、真墨にとっては十分痛い。

 

「もう、気を付けないと」

「ごめん……」

「真墨は指、綺麗なんだし。ピアノも得意だったっけ。命みたいなものじゃないの」

「……ピアノはやめたし。ていうかそこまで重傷じゃないし」

「重くなったら駄目だから言ってるんだよ。傷口からばい菌が入ったらしんどいんだから」

「…………、」

 

 いや本当にあれはしんどい、と玄斗は昔を懐かしんだ。ちょっとした切り傷でも命に関わるという意識があったからか。たしか絆創膏は救急箱に入ってたっけ、なんて思いながら真墨をそのままに台所を離れようとして――

 

「あ」

「へ?」

 

 ぐらり、と体が揺れた。端的に言って、足をもつれさせた。まずいと思った直後に、すんでのところで真墨の手を掴み直す。傷口を触れさせるのはいけない、と思ってのことである。あとは頭や背中を打たないように手を回すのが限界。そのままどんどんと身体は重力にしたがっていく。

 

「きゃっ」

「……っ、と……」

 

 なんとか真墨を抱える形で倒れ込んで、無事なのをたしかめる。衝撃をもろに受けた左手は痛いが、動かせないほどではない。ゆっくりと体を浮かせば、自分の下で固まった妹の姿が見えてきた。

 

「ごめん、大丈夫? ます……」

「――――――」

「……み……?」

 

 ぽかん、とどこか呆けたような顔。指一本が縦で入るかどうか。五センチもない至近距離で、玄斗は真墨と見つめ合う。……潤んだ、墨色の瞳を。

 

「真墨……?」

「…………ぁ、い……や……」

 

 ぴくん、と肩が震える。握った手首から微かなものを感じた。鼓動が速いのだろう。真墨の顔が、見る見る林檎のように真っ赤に染まっていく。

 

「……本当に大丈夫かい? まさか、熱でもあるんじゃ」

「や……! ち、ちがう、の……これは……あの、えっと……」

「ちょっと、ごめんね」

「――――っ」

 

 ひたり、とおでこがぶつかる。至近距離。一センチもない。それがもう、限界だった。

 

「――ご、ごめんっ!」

「わっ」

 

 どん、と玄斗を突き飛ばして真墨がリビングから出て階段を駆け上がっていく。逃げこんだ先はおそらく自分の部屋。いつもとは違う妹の態度に思考を回しながらも、玄斗の意識は一点に注がれている。

 

「……傷、まだ処置もしてないだろうに」

 

 そこがまあ、ひとつ。あとは彼女の態度が気にかかって別にひとつ。どちらも見逃すまいと思考を回す。無視をするのは逃げだ。考えないというのは恥だ。だが、考えすぎるのも陰鬱になっていけない。程度良く、そして割り切りよく、配分よく。十坂玄斗は、いまいちど考え始めた。 






色々と考えた結果、もうそろそろ卒業かなということで方向性が確定いたしました。そうだよ玄斗くんおめでとうだよ。もう苦しまなくて良いよ。これからは健やかに頑張ってね。



……いやあ活用班どもを書くのが楽しみですね!


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世界を超えて

 

 ――他人の気持ちなんて、昔から知っていた。なにせ見えるものがそれだけだ。とても分かりやすく、けれど絶対目には見えない(・・・・・・・)。そも知らなければならない理由が彼にはあった。たとえば、父親の気持ち。周りの大人の気持ち。父親の秘書の気持ち。自分を看てくれる医者の気持ち。そのどれもを見て――いったい、どれほど理解できただろう。

 

「(……心は複雑だ)」

 

 なんとなく、それだけは理解した。が、それ以上は踏め込めない。なにせ彼は心を知っても共感ができなかった。悲しい、逃げたい、つらい、死にたい。そう思うことすら許されない毎日。痛いとは思っても、涙がでることはない。苦しいとは思っても、陰鬱な気分なんて襲ってこない。明透零無の心は、未完のまま壊れていった。

 

「(それがどうにか、ここまで来れた)」

 

 言うなればこれはきっと、偶然でも、ましてや奇跡ですらなく。彼女たちが必死で築き上げてくれた、誰かのためにと一生懸命つくりあげた軌跡(・・)であろう。だからなんとなく、思い始めていた。答えるだけがすべてか。十坂玄斗は思い悩む。違うかも分からない。ただ、ひとつだけ言える事があるとすれば。

 

「(僕が僕らしくあること。それが……いちばんの、恩返しになるんじゃないかって)」

 

 成り行きのなあなあとか、心が弱ったタイミングとか、妥協や苦悩の果てに知恵を振り絞って選んだ答えなど、それこそ切り捨てられそうだ。赤音なら否定する。蒼唯なら文句を言う。黄泉なら眉間にしわを寄せる。碧なら曖昧に笑うだろう。そんな、あるはずもない答えを夢想していた。好意はあるが、相手からの好意もすべて受け取るわけではない。それはなんとも強いな、と玄斗は思った。どうしてあんなにも、彼女たちは逞しく生きていられるのだろうと。

 

「(……いや、僕が弱いだけか)」

 

 強くなったのは体だけだ。心はこれっぽっちも変わっていない――なんて漏らせば殴られそうなものだが。他人の気持ちなんて昔から知っている。分からなくても考えてきた。けれど、自分の気持ちなんて一切見ないままだった。碧のおかげで、やっとそれが見えた。たった一言、無自覚の奥底で望んでいたどこまでも甘い言葉は、思えば苦くて吐きそうになるほどだ。そんなモノはいらないと理性は必死に叫んでいる。でも、本心は違う。

 

「(……最悪だ。あんな、なんの意味もない人生で、頑張ったなんて言われたいなんて――)」

 

 なんと自分は傲慢なのだろう、とため息をついた。自分より酷い一生を送った人間なんてごまんと居る。自分より役にたった人間だって数え切れないほど存在する。それからあぶれたモノでありながら、一丁前に救いだけは本当のところで望んでいるのか。愚かだと玄斗は思う。それで救われてしまったのが尚更酷い。

 

「ただいま……と、玄斗か」

「父さん」

「まだ起きてるのか。もう十一時だぞ」

「……それは父さんにも言えるよ」

 

 悩んでいたところへ、父親が帰宅した。くたびれたスーツを脱ぎながら、リビングのテーブルへ腰掛ける。仕方ないので玄斗は冷蔵庫から夕食を取り出すことにした。……今晩の食事に、会話はそれほどなかったように思う。

 

「きついことを言うな。たしかに十一時は遅い帰宅だがな」

「母さん怒ってたよ。これでキャバクラ行ってたらしばくって」

「ははは、そんな夜遊びするワケないだろう?」

「口紅ついてるから拭いたほうがいいよ」

「おい、俺は息子にそんな教育をした覚えはないぞ」

 

 むっと不機嫌な顔をする父親の前にレンジで温めたごはんを並べて。玄斗はいまいちどソファーへ戻った。最近にしては珍しく――なんだかんだ言って結局――深い方向へ考えているのは、真墨との不仲が原因だった。そも不仲と言っていいものかは分からないが、昼のアレ以降なんだかギクシャクしている。なので、自分の価値に罅が入っている。

 

「どうした、暗いぞ玄斗」

「……すごいね。分かりやすい?」

「自分の息子だ。それぐらい分からなくて親など名乗れん」

「じゃあ鑑だね、父さんは。親の鑑だ」

「…………ふむ」

 

 と、自慢げに「そうだろう」なんて言うだろうと思っていた父親は、言葉をぴたりと止めた。どこか、考え込むように。

 

「悩みなんて、深く考えてもいけないのにね。そう何度も思ってるのに、考えちゃうから大変なんだ。僕には、それぐらいしかできないから」

「……うむ。悩みか。抱えるのは、大変だ」

 

 しみじみと父親が呟く。なんだかその言葉には重みがあった。今年で四十になる親の重みだろうか。そう考えるとたった十もすぎないぐらいの時間を過ごしている玄斗だが、心はまったく成長していないのだと気付かされる。

 

「……そうだな。玄斗。どうして父さんが医者を目指したか分かるか?」

「それは……前に聞いたよ。たしか、他の医者が気に入らなかったって」

「そうだがな。……いちばんはじめにあるのがな。ある(・・)もんだ。……きっと世界でいちばん大切で、大切にするべきだった。そんな誰かをな、失ったんだ」

「…………父さんが?」

「いや……まあ……そうだな……すこし、昔話を聞いてくれるか」

 

 こくんと、玄斗はうなずいた。とくになにを思ったのでもない。ただ、それを聞くのを拒む理由がないままに答えていた。

 

「とても昔の話だ。……とんでもない、馬鹿な男がいたのだ」

「……馬鹿な、男……?」

「ああ。好きな女と結ばれ、幸せな生活を過ごし、仕事もなにも順調にいっていて、調子をこいた馬鹿な男が」

 

 それはいったい、誰の話だったのか。玄斗には分からない。なにせ、名前も聞いていない。

 

「いつまでも続くと思っていた幸せ。日常。これ以上はないという日々。……それが壊れるのはな、いとも簡単だ。なにせ一瞬で終わる。そして、目の前が見えなくなる」

「…………酷い話だね。手に入れるのって、ぜんぶ、難しい気がする」

「そうだな。だから、手放したらもう二度とは掴めんようなものだ。……男はな、二度とソレを掴めなかった」

 

 幸せの在処。それがありふれていても、手にできるものはほんの一部だとは思っていた。実際にそうだ。そしてそれすら手放してしまえば、きっと同じものは掴めない。父親の言うことは、とても理解できる。

 

「妻を病気で失ったんだ。それで、子供が残った。その子を育てていくうちに、心が狂っていくのが分かった。自分の子だというのにな。殺したいなどとなぜ思うのか。……あんなのは弱った心の見せたモノだというのに。それを幻と思う余裕すらなかったのだろうな。憐れなものだ」

「……そう、かな……」

「ああ、そうだとも。……思い出して、嫌になる。我が子を憎んでいたあの頃はな、地獄だとしてもだ。……()はきっと、その子に愛情を注げただろうに」

「――――」

 

 耳朶を震わせた声が、分からない。でも、分かる。それは、知っている音だ。

 

「父さん……?」

「……ふたりだ。病気でな、大切な人をなくした男を知っている。だから私は、医者になろうとしたのだ。が、それも母さんに会うまでだ。……本当、ままならない人生だな」

 

 くつくつと喉を震わせる。泣いているような笑い方。玄斗はそれに、どこか覚えがあった。古い古い記憶の片隅。知識として残ったものが、どこか、景色を連動させる。

 

「玄斗」

「……なに?」

「愛している」

「……いや、急に、なんなの?」

 

 脈絡もない、と訊ねれば父親はくつくつと笑った。またその姿が、どこか重なる。

 

「いやな、どうにも面白い。母さんは照れていた。真墨は……きもいだなんだとゴミを見るような目で見てきたな。そしておまえは、困惑している」

「まあ……うん……ていうか前の真墨、それが原因か……」

「三者三様だ。どれも違って面白い。……最近のおまえを見ているとな、思い出すんだ」

「……その人の、こと?」

「ああ。……伝えたいこと。言いたいコト。沢山あるんだろうな」

「……そうなんだ」

「そうだとも。……一度もな、言ってやれなかった。おまえを愛しているとな」

 

 どくんと、心臓が跳ねた。それは、紛うことなき彼のモノ。

 

「……そう、だったんだ」

「ああ、そうだ」

 

 言葉が途切れる。音がうるさい。心臓がいまだに跳ねている。まさかそんな、と思考回路がぐちゃぐちゃだ。でも、けれど、なによりも。――ああ、それは。その言葉は。

 

「……でも父さん。良かった……ような、気がするんだ」

「……なに?」

「きっと……それは、ね……届いてる。たぶんだけど、そんな気がする。だって――」

 

 視線が合う。交錯する。父の瞳が開かれた。なにか、とんでもない事実に気付いたように。

 

「――きっと、その子はとっても幸せだよ。いま。だって、その言葉を、しっかり聞き届けたんだから」

「――――――、」

 

 カラン、と箸が転がる。父親の手から滑っていた。それはあるべきモノがこぼれた音で。そして、すべてが繋がる音だった。

 

「――――ああ、そうか」

 

 顔をおさえる。表情を隠す。鉄面皮。そう思っていた誰かの顔が、その光景と重なってしまう。どこまでも、どこまでも――強固なカタチとして。

 

「なんだ……これは……はは、私は――っ、なにを、していたというのだ……っ」

「…………、」

「は、はは――はははは……! ああ、ああ……そうか、そうなのだな……おまえは……」

 

 指の隙間から、見慣れた瞳が覗いた。きっと幻覚。けれど同時に真実でもあった。なんとも縁が深い。深すぎて、切っても切れないぐらいなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――おまえはずっと、そこに居たのだな……レイナ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うん」

 

 うなずく零無に、彼は堪えきれなかった。

 

「――――く、はは……あはははは! ああ、そうか! そういうことか! まったくおまえは……ああ、もう……本当に――っ」

「……どうして泣いているの」

「ははは……馬鹿が。泣くだろう。おまえはずっとそうだ。私を……いいや、私こそは……言わねば、ならなくてな……っ」

「…………、」

 

 ぐっと、父親が拳を握る。血が滲んでいた。玄斗はそれを見つめている。ただ真っ直ぐに、静かに。その声を聞き逃すまいと。

 

「……すまなかった。レイナ。おまえを、愛してやれなくて」

「……ううん。いいよ。許してあげる」

「……優しいのだな、おまえは」

「別に、そんなことないけど」

 

 苦笑すれば、彼も曖昧に笑った。なんだか距離感がむず痒い。

 

「……ああ、それと。もうひとつ。ずいぶんと遅くなった」

「そうだね。もう十一時だから」

「違う。……あの日、おまえに言えなかったんだ。だから、な」

 

 向かい合う。出かけるときはたしかに言った。少年が倒れた日、それ以降はもう交わされなかった唯一と言って良い家族の挨拶。

 

「――ただいまだ、レイナ

「……うん。お帰りなさい、お父さん」

 

 複雑に笑って、父親はそう言った。玄斗は花開くような笑顔でそれに返した。流れる雫が止まらない。歪にねじれた家族の絆。その根底を覆す事件は、こうしてひそやかに明かされたのだった。






というわけで……いやこれはバレバレでしたね。はい。もうなにも言うことはありません。


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それぞれの想い

 

「……ひとつだけ、頼みがあるんだ」

 

 ふと、父親がそんなことを言ってきた。聞いてくれるか? とぎこちなく玄斗のほうを向く。それに彼はこくりとうなずいた。なんだか妙な気分だ。いつもは明るい態度の父親が、ひとつ下に見慣れた顔を持っている。それが、どうしてか嫌ではない。

 

「なに?」

「……もう一度、おまえの父親をやらせてほしい」

 

 今度こそは幸せにする、なんて。とても昔では考えられない言葉を、昔とはかけ離れた姿で、昔と同じように言ってくる。そのギャップに堪えきれなかった。なんてことだろうと、玄斗は胸がすく思いだ。だって、そうだろう。あんなにも心につっかえていた親の問題が、こうも簡単に、するりと――幸せに切り替わるものか。

 

「……なんで?」

「――いや、悪い。すまん。私はおまえを……」

「いまさら必要ないよ。だって、もうお父さんはお父さんなんだから」

 

 ずっとずっと父さんだったんだし、と言うと彼は目を見開いた。顔にでない代わりに、よくその瞳には表われている。明透零無は気付いた瞬間に。真実彼はいまにこそ。もはや笑う以外の対処の仕方を、どちらも知らなかった。

 

「……そうだったな。もう父親だ……おかしなことを、言ったもんだな……」

「本当だよ」

 

 お互いに笑い合う。かつてはそんな未来なんて想像することもなかったのに、なんともこれがまた合ってしまう。そこまで仲が良かったかと言えば、絶対にノーと答える。玄斗がなんと言おうと目の前の父親はそのところ頑固だ。たとえどれほどのモノであろうが、真実を塗り潰すことを由としない誠実さだ。

 

「……〝零無〟」

「……うん」

「ありがとう。ずっと、私の息子でいてくれて。……おまえは自慢の我が子だ。ああ、そうだな……もう二度と――おまえには、不自由な思いなどさせない」

「……うん」

 

 声が滲んだ。視界が霞んでいる。親でいってしまえば、十坂玄斗の父親だ。いままでぜんぜん良くして良く育ててきてもらった。なのに、その中身と向き合えば途端に心が脆くなる。それほどまでに、父親の声音は響いてきた。

 

「ありがとう、お父さん。ぼくは初めて……お父さんの息子で良かったと思った」

「……それは、贅沢すぎる言葉だな……」

 

 おまえの口から聞けたこと自体がとんでもない、と彼は顔を背けながら言う。言葉に不満の色など一切見当たらない。どころか嬉しさすら浮かんでいるようにも見える。自らの犯した過ちと向き合って生涯を閉じた彼だからこそだろう。生半可な救いなどないと思っていたからこそ、こんなにも贅沢すぎる現実はさすがに持て余してしまう。

 

「……ああ、それから。あとひとつ」

「……なに? まだあるの?」

「あるとも、沢山あろう。私の言いたいコトなどひとつやふたつではない。ずっとおまえと話したかったのだ。それが叶うのに、ひとつふたつで済むものか」

「……なんなの父さん。あんな態度だったくせに、いまさら」

「いまさらだ。だからこそだ。ずっと、後悔していたんだ。……だから、これぐらいは言わせてほしい」

「……いいよ。なにを?」

 

 まだあるのかと呆れかけた玄斗に、父親はそれはもう酷い顔で言葉を紡ぐ。涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。四十代の大の大人がそんなみっともなくて良いのかとも思うが、そのあたりを突っ込むのも野暮か。彼はテーブルに置かれたティッシュペーパーで顔を拭きながら、そっと玄斗のほうに視線を向けた。

 

「――(ゼロ)では無い。きっとなにかがあって、消えてしまわないぐらいにきちんとしている」

「……?」

「……零無(・・)。その名に込められた、真の意味だ。なにもないなんて無かったんだ。私の戯れ言など忘れてしまえ。……おまえは祝福されて生まれたのだ。なにかを望まれて生を受けた。だからな、零無。恨むなら私を恨め。呪うなら私を呪え。おまえはなにも悪くないんだ。――おまえが生まれた意味はたしかに、()じゃ()かった」

「――――――」

 

 ガン、とハンマーで頭を殴られた衝撃。なにもない。ひとつもない。零であって無であると、言い聞かせてきた固定観念。そのすべてを撃ち砕かれた。見事なまでに粉々だ。これで自由。縛るものなどなにもない。明透零無の楔は、完全に、ここに解き放たれた。

 

「……そう……だったんだ……」

「ああ。……だから、迷うな。素直に行け、零無。おまえはきっと持っている。無いハズなんて無いだろう。要らないものはすべて捨て置け。私にぶつけろ。……幸せになれ。零無。私はそうあれと、望んでいる」

 

 幸せのカタチ。心の在処。権利、義務、許可。色々と面倒なコトを考えた。考えすぎた。だが、いざとなってみればなんて簡単なのだろう。たかだか一言。親の言葉。それだけで、なにを悩んできたのかと思い知らされる。どこまでも、どこまでも。父親の言葉で、救われていく。

 

「――ありがとう。父さん。分かった気がする」

「……そうか」

「ごめん。真墨の部屋、見てくるよ。僕は僕らしくいいんだって、気付けたから」

「……ああ」

 

 ソファーから立ち上がって、玄斗は早足でリビングを横断する。その後ろ姿を、父親は微笑みながら見た。あの息子がこうも立派に育っている。あの彼が、こうもきちんとした意思を抱えている。身勝手なことに、それで、溢れていく心がある。――とても現実とは思えないほど満たされた世界。ドアノブに手をかけた背中に、つい、声をかけた。

 

「待て」

「なに?」

「愛している、零無」

「――――」

 

 ぽかん、と呆けてこちらを見る少年。刹那、

 

「――うん!」

 

 子供のように笑って、彼は飛び出していった。とても、とても、満足した表情で。

 

 

 ◇◆◇

 

 

『……真墨?』

「――――っ」

 

 ずきずきと、胸が痛む。耳朶を震わせる声音はずっと染み付いて離れない。十坂真墨にとって、十坂玄斗は血の繋がった兄妹だ。生まれてずっと一緒にすごしてきた家族だ。だから、おかしな気持ちを抱えることなんてない。所詮家族同士のスキンシップ。そう割り切れたなら、どれほど良かったかと。

 

「……最悪。なんで、こう……」

 

 ――うまくいかないんだろう。そんな一言をぐっと飲み込んだ。最悪なのは誰なのか。そんなものは当の昔に分かっている。たかが十六年。されど十六年だ。ひとつしか違わない彼女からしてみれば、生まれてから十五年になる。その間に、いったいなにも見なかったと何故言えるのか。

 

「(あたしは……ずっと……)」

「真墨」

「っ!」

 

 声が聞こえた瞬間に、ビクリと肩が跳ねた。部屋のなかは真っ暗だ。外の明かりが扉の隙間から入ってくるぐらいで、一切こちらからの情報はない。もう十二時も近い深夜。このまま返事をしなければ、きっと玄斗は寝ていると思って去るだろう。――そう、思っていたのに。

 

「――ぁ」

「……ほら。やっぱり起きてた」

「……最低……妹の部屋、勝手に……開ける、なんて……」

「ごめん。でも、そうでもしないと居留守使うだろう」

 

 バタンと扉を閉めて、玄斗が手探りで電気をつけた。部屋のなかに明かりが灯る。見れば真墨はベッドの隅で、膝を抱えながら座っていた。それにくすりと微笑んで、玄斗は反対側の端に腰掛ける。衣擦れの音は、やっぱり向こうから聞こえた。

 

「怪我、平気?」

「……もう血は止まった」

「そっか。でも次からはちゃんと消毒して絆創膏つけないと駄目だよ。とくに包丁なんて、食材を切ってるんだから」

「……うん」

「分かってるなら良いんだ」

 

 そう言って、玄斗は笑う。その笑顔を真墨は横から盗み見る。以前までの彼のソレとは変わった代物。それが、彼女は――

 

「……っ」

「――ね、真墨」

 

 おさえこんだ瞬間に、声をかけられる。やめろと声も出ないままに叫んだ。きっと胸中か、空気に溶けるほどのちいさな音。だから玄斗には聞こえない。届かない。届かせたくもない。それはなんて、どこまでも醜い彼女の声で。

 

「僕はこれで十坂玄斗だから。なにがあっても、真墨の味方だよ」

「――――っ」

 

 やめろ、やめろ、やめろ、やめろ。いますぐその口を閉じて黙ればいい。無駄な言葉なんて続けるだけ無駄だ。どうしてそんなコトを言う。そんな言葉で、自分は、本性を曝け出したいのでは無い――

 

「だからなんでも言えば良い。言いたいこと。我慢なんてしなくていいよ。だってそれを受け止めるのが、僕の役目だ」

「……ふぅん。なんも知らないくせに。そんなこと、言うんだ」

「なにも知らないから、だよ。だから言ってるんだ」

「…………本当に、良いわけ?」

「良いよ。ぜんぜん。だから、安心してよ」

 

 ずるいなと、真墨は笑った。きっとこれから話すことは取り返しのつかないことになる。そう直感しながらも、そこまで言われてもう我慢できなかった。

 

「じゃあ……ね。はっきり言うけど、さ……」

「……うん」

 

 そして彼女は一言。

 

「あたしの――性の目覚めは、()()()()()だった」

「…………え」

 

 とんでもない爆弾を、鈍感天然野郎にブチ投げたのである。 





こう書いてみるとやっぱり主人公の境遇が甘いなって。




だから活用班は容赦しないでおくね?


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あなたはとても

 

「……いま、なんて?」

 

 震える声で玄斗がもう一度と訊ねる。きっと聞き間違いだ。なにかの幻聴に違いない。もしくは単なる空耳か。ではなんと言ったのだろう。セイノメザメなんてとんでもない言葉を妹がいきなりこの流れで言うワケはない。それこそあたしのキムチ鍋はお兄ちゃんのだったとか、そういう可能性のほうが高くすらある。いやない。

 

「だからっ…………あたし、お兄ちゃんで……その。目覚めたの」

「……なにが?」

「……性欲」

 

 マジか、と玄斗は天をあおいだ。なんと答えたら良いものかもう分からない。大体あるとしても性欲だとか兄妹でそれだとかより、話の流れが急すぎて頭の回転が追い付かない。隠し事を言ってみなよと諭してみれば私はあなたではじめて欲情しましたと言われた。冷静に考えてもどこかおかしい。

 

「……なんで……?」

「……中学のとき。お兄さ……その、委員会とかで……疲れて、帰ってくるときあったじゃん」

「ああ……あったね。遅くなって、もうソファーに倒れ込んだり」

「そう。……でさ、そのときに……お兄、ボタン、外してるじゃん」

 

 玄斗はうんとうなずく。ワイシャツのままでは堅苦しくて、第三ボタンまで一気に開けてから横になっていた日は何度もあった。慣れない中学生活で疲労が毎日蓄積され続けていったというのもある。だから、それ自体はなんらおかしなコトでもないのだが――

 

「その、格好見て……さ……なんていうか、その。……下品、なんだけどね……」

「……、うん」

「…………濡れ、ちゃったんだ……」

「…………………………………………ええ」

 

 思わずそう声を漏らしていた。いや、本当に無意識で。

 

「――っ、だ、だって仕方ないじゃん! お兄がエッチな格好してるのがいけないんだよ!? そんな、さあ! みんなが使うリビングじゃん! みんなが座るソファーじゃん! そこで堂々と寝転がって!? あまつさえワイシャツの前開けて!? ぐったりしてる姿を見るあたしの気持ちにもなってよ!!」

「……いや、ごめん。けどこればっかりは本当、なんていうか、理解が追い付かない……」

「追い付け!? あたしの思考回路についてこい!? もうさあ! あんなのさあ!? 誘ってんじゃん!!」

「ええ……?」

 

 もちろん玄斗にそんな気はない。断じてない。というか学校で疲れて家に帰ったところをソファーに寝そべりながら妹を誘うなんてのは完全な変態ムーヴだ。変態すぎてもうレベルが変態仮面一歩手前までいっている。イマイチ尺度が分からなかった。

 

「あと風呂上がりにTシャツ短パンで歩くの! あれもだから! もう雫に濡れた髪とか湯上がり直後の肌とかもうあれ目に毒だよ猛毒なんだよ! ふざけんな襲うぞオラァ!」

「待って、ステイ。落ち着いて真墨。ちょっ――ズボンに手をかけないで!?」

「脱げーっ! そしてあたしを抱けーっ! ちゅーしろよ! キスしろって! 上も下もいっそやっちまえよ!? おいなに目ぇ逸らしてんだこっち見ろよ!?」

「で、できません……!」

「っざっけんなオラァ! あたしを孕ませオラァ!」

「真墨っ!?」

 

 ――女の子がそういうコトを言うのは、どうなんだろう。無論玄斗の思考に対する答えは誰がどうであれモラル的にアウトである。むしろ逆レイプされかかっている彼にこそ色々とヒロイン的な何かはあった。男、十坂玄斗。人生ではじめて妹から明確な性的対象として襲われる。おそらくは経験したくなかった類いのモノだった。

 

「もうこの際だからはっきり言うぞ? いいかはっきり言うからな!? お兄はマジでエロいから! そんな油断とか隙ばっかり見せてるからもう本当エロ魔人だから!!」

「ピンク色なのは真墨のほうじゃないのか……!」

「違うわっ! あたしは純真な淑女っ! だいたいお兄以外に興奮しないっ!」

「それはそれで問題があると思う!?」

 

 わあきゃあと騒ぐふたり。その姿はどこまでも兄妹でありながら、どこまでも一戦を……もとい一線を越えようとしている。すくなくとも片方は、そう見えていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……ごめん。ちょっと冷静さをかいた」

「(ちょっと……?)」

 

 脱がされかけたズボンを直しながら内心思った玄斗だったが、口には出さなかった。ヤブヘビという言葉もある。自ら危険を冒す必要はないと、彼の生存本能は必死にアラートを鳴らしていた。

 

「……色々、言ったけどさ」

「……うん」

「お兄をそういう目で見てたっていうのは、本当。……ずっと、そのときから」

「……そう、だったんだ……」

 

 気付かなかったというふうに玄斗は呟く。当然だ。なにせ気付かれないように真墨はずっと立ち回ってきた。それは生半可な代物ではない。兄妹といういまの関係性を壊すまいとして行ってきた努力だ。それが、そんじょそこらの兄にばれるものでもない。なにせ十坂真墨は、玄斗以上に頭がキレる。

 

「しょ、しょうがないじゃん。だって、さ……ネットでえっちな画像とか見ても、クラスの男子のそういう、あの、なんていうの……隙、みたいなの見てもさ。ぜんぜん、反応しないんだもん。……お兄じゃないといけなくて、お兄じゃないとイけなかった」

「……なんで言い直したの?」

「言い直してないもん。……ほんとさ、キモいよね。あたし。それぐらい分かってるのにさ……でも、お兄じゃないと駄目だった。気付いたらそれ以外考えられなかった。……もう、あたし、お兄以外じゃ満足できない体になっちゃったんだよ……?」

「……言い方」

「なんだよ照れろよ?」

「いや……あの……ちょっと」

「ガチで引くな傷付くだろ!?」

「……ごめん」

「…………、」

 

 謝ると、真墨はふいとそっぽを向いた。その表情には若干の翳がさしている。明るい雰囲気とテンションで乗り切ろうとしている。そんな本心が丸分かりだった。それは単なるやせ我慢だ。ただの強がりだ。玄斗でさえそう思う。形や方向性はどうであれ、妹が最大限の自分の言葉で自分の心を伝えている。ならば、それを曖昧と流すのはどうか。そんなの玄斗にとって、考えるまでもなかった。

 

「……でも、そっか。真墨はずっと、そうだったんだな」

「…………ま、そうなるんですかね」

「うん。じゃあ、別に。それでいいや」

「――――え?」

 

 くるりと、最愛の妹がふり向いた。なんで、と言葉にして聞かずとも表情で分かる。それもまた、兄妹として過ごした時間の多さだった。

 

「最初に言った。なんであれ受け止める。それなのに否定するのは、おかしいよ。普通とは違っててもいい。それが真墨だっていうんなら、僕はそれを受け止めるし、飲み込むよ。苦くてなかなか嚥下できなくても、無理やりにでも。だって僕は、真墨のお兄ちゃんだから」

「……なに、言ってるの。お兄……」

「だから、それで構わないって言った。そも、誰にだって邪魔なんてできないだろう。真墨は真墨のまま、真墨らしく生きていけばいいんだ」

「――――っ、ばか!!」

 

 ぎゅっと、真墨が抱きついてくる。玄斗はそれを優しく受け止めた。心には余裕がある。今までなかった余分なトコロが良い塩梅に働いてくれていた。いまさらその程度でなんだというのか。衝撃というだけならそれこそ――先ほど知らされた、父の真実のほうがよっぽど現実離れしている。だから、このぐらいは、悩むことでもない。

 

「そんなコト言って……あたしをどうしたいワケ!? あたしが……っ、あたしがどれだけ、我慢してきたと……!」

「じゃあ、しなくていい。そも、受け止めるなんて誰にでもできるんだ。ただ、答えるのが難しいだけで」

「そんなの……っ、そんなの、分かってる、から……だから、さあ……? もう、いいじゃん。こんな妹、要らないじゃんっ……あたしみたいな、気持ち悪い、家族……」

「なにが気持ち悪いんだ。誰かを好きだって気持ちのどこが、気持ち悪いの」

「――――ッ!!」

 

 本当に、本当に大馬鹿者な兄だと、真墨は改めて思った。きっと目の前の家族は自分の本性を一切知らないのだろう。だからそんなことを言えている。見つめれば見つめるほど、その汚らしさに気付かれる。最低なのは本当に、自分のほうだ。だって彼女は――

 

「お兄の……ばか……!」

 

 ――ずっと、彼が救われなければいいと思っていた。  






>妹ちゃん闇深い?
すくなくとも自分のために「ずっと壊れてて♡」って思うぐらいにはお兄ちゃん大好きです。

>はだけた玄斗くんの色気
たぶんどっかの真っ白さんならソッコーで襲うレベル。


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だからおまえはHができない

妹ちゃん書くときは大体エロゲのこと考えてます


 〝私のお兄ちゃんは壊れている。〟

 

 そう気付いたのは小学二年生のとき。料理の手伝いといって包丁で指を切った兄が、涙ひとつ流さずにぼうと指を眺めていたのを見たのが切欠だった。

 

「だいじょうぶ?」

 

 そう訊くと、玄斗は声をかけてきた彼女に気付いて微笑んだ。切ったのは右手だ。ちょうど彼の利き手側になる。とっさに伸ばそうとして腕を引っ込めて、玄斗はにこりと笑いながら反対側の手で真墨の頭を撫でた。

 

「大丈夫だよ」

 

 また、笑う。血が出たとき、彼はひとつも声をあげなかった。身体を跳ねさせることもしなかった。ただちょっと違和感を覚えるように、むっと切った指を持ち上げたぐらい。痛みはある。決して薄いわけではない。ならばその理由は簡単で、そんなものを違和感としか感じ取れないほど痛みに慣れている。十坂玄斗は、そういう人間だった。

 

「玄斗! 大丈夫か!? 怪我か!? どこを切った!? 指か! 指だな!? よし父さんがいま包帯と消毒液を――」

「いや父さん焦りすぎ。絆創膏でいいから」

「ばかっ。おまえー! おまえなあ!? 傷口からばいきんが入ったらどうするんだ! 病気になっておまえ、おまえ死ぬぞおまえ! いいのか!?」

「このぐらいじゃまだ死なないよ」

「ばかやろうこの……このばかっ。ああもう無理してでもおまえを止めるべきだったっ! いいから待ってろよ!?」

 

 ドタドタと一緒に料理をしていた父親がリビングから出て階段をかけていく。今日はちょうど母の日だ。そのため我が家の主婦はちょっとした日帰りの旅行に出ている。そんな合間に起きた、取るに足らない些細な事件。けれど、それを未だに真墨は覚えている。

 

「……おとうさん、うるさいね」

「そうだね」

 

 ぽつりと溢すと、玄斗は苦笑して応えた。ぼたぼたとシンクに血が落ちている。真っ赤に広がる熱い雫。それが真墨には、彼にとって大事な何かに思えた。当然、血液なんて大事なのが分かったうえで、そう感じたのだから尚更のこと。きっとこのヒトはなにを手放しても痛くないんだと。

 

「……いたいね」

「……真墨?」

「おにい、いたいよ。おてて、いたい」

「……そうだね」

 

 やっぱりまた苦笑する兄に、やっぱり真墨は言葉にならない感情を持った。だって、そうだろう。痛いと言っても痛くないように振る舞うのは、きっと本当に痛くないからだ。そんな真実は知りたくなかった。ずっとずっと、過ごしてきた大好きな兄だった。だから、幸せに居て欲しいと思ってもいたのに――

 

「(でも、そっか)」

 

 そんな壊れた人間が、どう動くかなんて手に取るように分かる。どうするかも、どう言うかも、どう考えるかも。まるで、操ったみたいに。

 

「(そうすると……あたしのお兄ちゃんは、ずっとあたしのものなんだ)」

 

 その結論に思い至ったのが中学一年生のとき。以来彼女は、兄のおかしさを見て見ぬフリのままにし続けてきた。だってそうすれば、きっと兄は誰にもついていかないから。

 

「(ずっとそのままで居れば良いよ。お兄。だって、それはいつかあたしがなんとかしてあげるから。誰にもついていかなくて、誰からも拒絶されて、お兄の側にあたし以外いなくなったとき……やっと触ってあげるから。だから、そのままでいいよ)」

 

 ――そう、思っていたのに。そうあれかしと願っていたのに。彼女の幸せは、この数ヶ月でいとも簡単に砕け散った。

 

「よく、頑張ったね、零無

「――――っ」

 

 ……あの日。気まぐれで屋上にまで上ったのは正解で、間違いだった。なにせそれで確信してしまった。段々と笑顔が増えてきた。悩むことも考えることも多くなった。眉間にしわを寄せている時間が多くなった。色々なものを見るたびに目を輝かせることが多くなった。それはとても喜ばしい。妹としてこれ以上に嬉しいこともない。けど、それはまったく別の問題で。

 

「(……やめてよ。お兄が、あたしのお兄じゃなくなっちゃうじゃん……)」

 

 本当に、そのとおり。どれだけ酷い過去でも、どれだけ傷付いていても、ましてやそれが生死に関わるほどの問題だとしても。十坂真墨は自分の兄に、誰からも救われて欲しくはなかったのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――あたしはずっと知ってたんだ。そう言った真墨の顔は、どこか、物憂げな表情だった。

 

「知ってたって……なにを?」

「お兄が、すっごいもの抱えてるってこと」

「――――――」

 

 動揺しなかったと言えば、嘘になる。けれど、そこまで衝撃的でもなかった。なにせ十坂真墨は頭がいい。玄斗の何倍も回転する知恵を持っている。ならば、気付く気付かないのは時間の問題だろう。それすら家族の繋がりが縮めている。むしろすっきりするぐらい、納得はいった。

 

「……そうなんだ」

「うん。ずっとね、気付いてた。気付いてて……見逃してたんだ。そのままでいいじゃんって」

「どうして?」

「だって、お兄がそのままなら誰とも繋がらない。恋人にも結婚にも、ましてや親友だってつくらないだろうし。で、ずっと苦しんで悩んで、いつか死にかけるでしょ? その頃にはほら、お兄の周りにはあたししかいない」

「……すごいね。そこまで見通してたの?」

 

 当たり前じゃん、と真墨はつまらなさそうに答える。振り返ってみれば、どれも自分で「まあそうなっちゃうかも」なんて思うほどのベストアンサーだった。我ながら酷い。

 

「いまのお兄は、好きだよ? 笑顔見せてくれるし、すごい気持ちよさそうだし。生きてるのも辛くなさそう。でも……あたしは、ずっとお兄に苦しんでいてほしかった」

「……真墨」

「もう笑い方が不器用で、苦しくて、悩んでもがいて、それでもまだ落ちていくだけで、心も身体も生き苦しくなってるような……そんなお兄のままで、良かった」

 

 だってそれは、彼女にとっての幸せの未来だ。側に居るのはひとりしかいない。救えるのは彼女しかいない。だいたい、真墨にとってしてみればこの兄の心を解きほぐすことなんて容易にすぎることだった。それを今までしなかったのは、偏に自分のためだったというのに。

 

「……でも、それも終わり。お兄は救われて、こうしてあたしの悩みを訊きに来るぐらいになった。なら、もうわざわざ無視する必要もなくなっちゃったし。……それがまあ、嬉しいけど複雑」

「……真墨は、頭が良いね」

「あはは……なにそれ、馬鹿にしてる? あたしさ、お兄のこれまでの幸せ全部なくしてきたんだよ? それでいいの? それだけの言葉で」

「だったらなんて言うんだ? 真墨に不満を言ったって、それこそお門違いだ。悪いのは僕で、なにかしたのも僕。なら、ぜんぶ僕の責任だよ。僕がいなければ、真墨だってそう思うこともなかったんだろうし」

 

 だから死ぬんだ、と続けるような台詞は、けれどとっても優しかった。きっと彼がそんなことを思わなくなった証拠だろう。以前までは、そのまま押し潰れて死んでしまいそうなほど苦しく言っていたのだ。

 

「だいたい、これまでとか別に気にすることでもないよ。真墨がそう思ったんなら、これから後悔しないようにしていけばいい。なんであれ、僕は真墨の味方なんだから」

「……じゃあ、さ。ひとつだけ、お願い……聞いて欲しい」

「うん」

 

 そっと玄斗の目を見据えて、真墨はベッドのうえで正座をする。

 

「恋人になってとか……迷惑になるようなこと、言わないからさ……」

「……別に、迷惑はしないけど……」

「でも困るでしょ。悩むでしょ。苦しむでしょ。もうそういうのは良いのっ! ……だから、あの、その……ひとつだけ」

「…………、」

「あたしと…………っ」

 

 ぐっと、拳を握って、彼女は――

 

「あたしと――えっちしよ?」

「いやそれは無理」

 

 やっぱりとんでもないコトを言ってきた。

 

「なーんーでーだーよう!? いまのは「ああ、仕方ないね……真墨は。イケない子だ……」とかちょっと妹に興味あった性欲豊富な兄ムーヴを決めるところでしょ!? ムードってもんが分かんないかなあお兄は!」

「そんなムードがあるなら僕は一切分からなくて良いと思う」

「おおう……言うじゃねえかこの兄貴……ああいいよじゃああたしからヤってやんよ!」

「えっ」

 

 ちょっ待っ――だからズボンはやめて!? と叫ぶ玄斗に真墨が容赦なく襲いかかる。結局疲れた妹がぐっすりと横になったのがそれから一時間後。疲れきってぜえはあと肩で息をしながら、玄斗もベッドに腰掛ける。はじめから終わりまで。なんともまあ、疲れのたまる一日だったと思いながら――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――誰だ?」

 

 凛とした問いかけ。ぎしっと床を軋ませる音。それは、堂々と扉を破りながら入ってきた。

 

「……ち。腹が立つ。()()()()()を崇め奉るだと……? 狂っているぞ、ここの人間は」

「……?」

「おまえのことだ。名乗りは……まあ、どうでもいいか。突然だが、君にチャンスを与えよう」

「……チャンス……?」

「ああ。このまま朽ちて死ぬか、目を開けて生きるか。おまえはどちらを選ぶ、お姫様――?」

 

 ――それは、ゆったりと。

 

 

 彼女を縛る、鉄の枷を外す音――

 

 

 




実は一人勝ちできてたけどその前後含めて危機管理していた妹パイセン。こいつが本気出せば玄斗君瞬殺だった。うむ、まあ結果としてまさか他の誰かが救うとか考えつかないからね! 仕方ないね!





ちなみに活用班で苦しいのは主人公じゃなくヒロイン側なので安心してほしい。


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そんなトオサカ邸

そういえば狭乎さん疑ってる人が多いけど(キャラ的に)いい人だから安心していいですよ。(良い人とは言ってない)


 

 目を開けると、玄斗の顔が目の前にあった。

 

「(え――)」

 

 思わずピタリ、と真墨は固まる。外からはチュンチュンとよく聞く名前がなんなのかも知らない鳥の鳴き声。なるほど朝チュンとはこのコトか、なんて思考を逸らしている場合ではない。そっと、自分の服装を見つめ直す。

 

「…………、」

 

 乱れては、ない。

 

「(なーんだ……)」

 

 じゃあ頭を動かす必要もないな、とそのまま真墨は力を抜いた。ぐったりとベッドに体重をあずける。ワンチャンいけたか、と一瞬でも思ってしまったのになんともアレだ。そも兄が手を出すということ自体絶望的なので、彼女の悲願は成就されるワケもないのだが。

 

「(でも、まあ……さんざん言っちゃったし)」

 

 十坂真墨は十坂玄斗のことが好きである。大好きである。それはもう愛しているといっても過言ではない。というか玄斗以外の人間を愛せない。ので、まあ、おさまる範囲としては妹というのは非常に心地よかった。なにせ未来永劫どう足掻いたって、十坂玄斗の『妹』という立ち位置は真墨以外に現れない。……両親がハッスルしてしまわなければ。

 

「(結婚はできないし、恋人にもなれないけどね……でも、最初からお兄と切っても切れない関係があるってのは、すっごい嬉しいし)」

 

 こればっかりは普段キモいことばっかり言っている父親に感謝しなくもない。なにせ産んでくれたのは両親だ。いや母親か。ならば母親に感謝すべきか。そのほうが真墨にとっては嫌な気分にならなくて済んだ。

 

「(……なーんでだろ。本当、気付いたら好きだったし。まあ最初は、その? 露骨な欲望でしたけど……ああ、うん。仕方ないや。こればっかりは)」

 

 そも、恋だの愛だのを理屈で考えることが馬鹿らしい。くすりと笑って、目の前で横になる玄斗の顔を見る。とても綺麗な寝顔。子供みたいにふにゃりと笑って、とんでもなく緊張を解いた自然体。――ドクン、と魔が差した。

 

「……ね、お兄」

 

 耳元でささやきかける。反応はない。眠っているのだろう。だからいまがチャンスだと、真墨は心底から思った。

 

「だいすき。……ずっと、一緒に居てね」

 

 ――そっと、その鼻先に口付ける。玄斗はどこかむず痒そうに身体をよじって、それからすうすうと小さな寝息を続かせた。起きてはこない。どこまでも幼い少年みたいだ。ぐっすりと、まだまだ足りないとばかりに眠り続けている。

 

「……そういう可愛いところもすき。あたし、お兄のことぜんぶすき。だから、ね……」

 

 言おうかどうか迷って、構うものかと口を開いた。だって相手は眠っている。ならばなにを我慢しようというのか。所詮ただの自己満足。ただ自分だけが良い気分になればいい。そんな押し付けだった。

 

「たくさん傷付いてよ。折れてもいいよ。むしろ、そのほうがあたしは嬉しいんだから。でも、お兄は嫌がるんだろうね。それも分かってる。だから、いっぱい傷付いて、いっぱい悩んで、お兄の答え、見つけるといいよ。あたしはその隙を、ずっと狙ってるから」

 

 あんがいすんなりと言葉は出てきた。そっと玄斗の頭を撫でると、やっぱりどこか不機嫌そうに身体を揺らす。それにもう一度微笑んで、薄いブランケットをかけながらそっと部屋を出る。残されたのは彼ひとり。眠っているはずの彼はすうと……息を吸って、細く、細く、慎重に吐ききった。

 

「……これは、特別だからね。真墨……」

 

 きゅっとタオルを握って、触れたはずの鼻先(・・)まで持っていく。ほんのりと残った熱がなんともくすぐったい。以前までの彼にとってはどうであれ、いまの玄斗からしてみればキスをされるという意味を勘違うほど脳みそが死んでもいない。そも思い違うもなにもないのは、きちんと台詞(・・)を聞いていれば分かる話だった。なので、

 

「……寝てるときに言うのは、反則だ……」

 

 あんな優しい言葉をかけてくる妹に、ほんのすこしだけ、心を震わせてしまったのである。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 五時になると、珍しく父親が帰ってきた。

 

「ただいま」

「あ、お帰り。……早いね?」

「……まあな。これからはすこし、早く帰ろうと思う」

「へえ……」

「え、なにー? お父さん早く帰ってくんの? え? なんの心変わり?」

 

 ソファーでスナック菓子を食べていた真墨が、振り返りながらリビングへ入ってきた父へ一太刀浴びせた。いつもなら「ふぐうっ」とか言って心臓をおさえるのだが、今日はそうでもないらしい。ちらり、とこちらを見て恥ずかしそうに頬をかく。

 

「……まあ、色々とな」

 

 それで、ああ、と玄斗は気付いてしまった。

 

「別に、気を遣わなくてもいいのに」

「そんなもの遣うか。……俺がしたいからするんだ」

「……そっか」

 

 くすりと笑うと、父親もつられるように笑った。それを真墨が不思議そうな表情で見つめている。まさか気付くわけもない。正真正銘、男ふたり同士の秘密の言葉だった。

 

「え? なに? なんなのあんたら」

「真墨には分かるまいな。俺と玄斗のことだ」

「そうだね。ぼくとお父さんのこと」

「ふはっ……らしいぞ?」

「なーにがらしいぞ? ですか。調子のんなくそ親父」

 

 咄嗟に父親が胸をおさえていた。効かないフリをしていても体は正直らしい。いくら反抗期とはいえ玄斗にとってもちょっと複雑な言葉のナイフである。あの父親があんな少女の声でズタズタに切り裂かれていると思うと――――まあ、ちょっと、正直面白かった。

 

「ふふふ……そう言っていられるのもいまのうちだ。――言っておくが、玄斗はおまえにやらんからな」

「――――なん、だと……?」

「え?」

 

 急に真面目な声を出したと思ったら、内容がとてつもなく意味不明だった。玄斗は反応を示した真墨と父親を交互に見る。さきほどの妹とは真逆な状況が完成していた。

 

「おいそれはどういうことだ」

「俺がなにも知らないと思っていたなら大間違いだ。この前までならまあそれでも幸せならオーケーかとも思っていたが……もしそうなら駄目だな。家族会議だ。いいかお兄ちゃんは絶対お前にやらんぞ」

「ふざけんなそういうのはあたしの相手に対して使うもんでしょーがっ!?」

「いや、おまえは正直どこに出しても恥ずかしくない子だと思っている」

「ならお兄ちゃんでもいいじゃん!」

「駄目だ。兄は駄目だ。おまえ程度では玄斗は任せられん。家族会議だ」

「ふっざけんなよ!?」

 

 がばっとソファーから真墨が立ち上がる。父親は頑として首をふっていた。この間にはきっとマリアナ海溝ほどのミゾが出来ている。その原因が自分にあるあたり、玄斗はちょっと理解したくなかった。というか半ば理解を放棄している。なるほどこれが因果応報……なんて思ったりもした。たぶん因果は関係ないが。

 

「玄斗にはもっと普通の幸せを体感してもらいたい。いきなり兄妹の禁断の恋とか……いやでも零無が……玄斗。正直そのへんどうだ?」

「お兄っ!」

 

 真墨がキラキラとした目を向けてくる。彼はそれにこくりとうなずいた。ぱあっと真墨が花開くような笑顔を向けてくる。

 

「……僕はあんまり、そういうのは賛成じゃないかな」

 

 そして容赦なく絶望へ叩き落としていた。

 

「お兄っ!?」

「ほら見たコトか。駄目だな真墨。いいか、玄斗はもっと似合う相手を見つけるぞ。……まあ俺の面接を抜けなければ結婚など許さんが」

「うっわあなんだこの親父……息子の結婚に口出すとかマジかよこの親父……」

「ちなみにメシが不味かったり掃除が適当だったらいびり倒す」

「小姑か!」

 

 みみっちいなと愚痴る真墨に、テーブルへ座った父親がドンと威厳あるように構える。具体的には落ちこんだときにもしていた某総司令のポーズだった。それ好きなのかな、と玄斗が考えたのも束の間、彼は重苦しい声音をリビングに響かせる。

 

「――家族会議だ。着け、まずはそれからだろう」

「……あの、父さん……?」

「着け、玄斗。俺はおまえと妹の関係など認めん」

「……ああ、いいよ。まずはその腐った思想をぶち殺す――!」

「真墨……!?」

 

 対面に着席する真墨と、さも自然といった様子で父親の横へ座る母。残された玄斗の席は真墨の隣しかない。なぜだか家族全員が好戦的なオーラを出している以上、引くわけにもいかなかった。そりゃあ引いたら酷くなるのが目に見えているからである。

 

「議題は決まっているな。それで言ってやろう。――出直せ小娘。おまえが我が子と結ばれようなどと、十六年早い」

「愛に歳月なんて関係ないんだっつーの。そんなんも分かんないかなあうちの父親は」

「玄斗ー? 今日のお夕飯何が食べたいー?」

「……カレー」

「分かったー。じゃあ牛丼ね……」

「なんで聞いたの母さん……?」

 

 形はどうあれ、家族団らんの日常。それに仄かな幸せを感じながら、玄斗はこの場をしずめるために動くことを決意する。どうせ自分がまいたタネだ。せめてすこしでも和らげるのがするべきことだろうと、思いながら。





書いてていちばん早く感じた章でした。あと二話です。とりあえずやりたいことやれたのであとはほんのり歩いて終わりですかね……






あああああああああオリ主系転生者散々いじめ抜いて絶望の淵に叩き落としながら殺してやりてええええええええ!!!(発作)


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とうとさってなんだろう


――彼女は言った。

「幸せすぎてもう死んじゃう……」

私は真剣にこの人と暮らしていけるか悩んだ。







 

「……ね、そう言えば気になってたんだけど」

「なんだ?」

 

 その日の深夜。珍しく洒落てワインなんか飲んでいる父親の対面に座りながら、ふと思い出したように玄斗は口火を切った。

 

「前に真墨から聞いたけど、母さんと酷い喧嘩したことあるんだって?」

「む……」

 

 と、話を振れば露骨に父親の顔が歪む。嫌なところをついてきたなこの我が子……といった感じだった。ふむと考えながらも、そも父親に気を遣うのも変な話かと玄斗は思考を振り切った。なんだかんだでこの少年、父親に対する内心でのあたりが強い。

 

「どんな理由?」

「……言わねばならんか」

「言わなくてもいいけど、母さんに聞く」

「やめてくれ。その言葉は俺にきく」

 

 やめてくれ、とワイングラスを置きながら父が頭を下げてきた。まさかまさかの必死の懇願である。玄斗はもう笑うしかなかった。前世ならそれこそ「余計なことを口にするな。おまえの口はそんなことのためにあるのか?」なんて言ってきそうな堅物が、こうも子供に弱くなっている。

 

「……名前をな、呼んだんだ」

「え? それだけ?」

「…………一美、と」

「……え? いや、本当に?」

「行為の最中にな」

 

 ぐいっとグラスの中身を飲み干しながら父親が言い切った。その顔にはなんとも言えぬモノがある。玄斗もなんとも言えなかった。もっと馬鹿馬鹿しかったり重たい話題かと思えば――いや重たいかどうかで言えば重たいのだが――なんだかこう、とんでもなく力の抜ける内容である。

 

「……うちの母さんの名前って」

「黒奈だ」

「……お母さんの名前って」

「一美だ」

「…………、」

「…………、」

 

 父はなにも言わない。ただ黙ってグラスを握りしめている。その手がちょっと震えている。ので、玄斗もなにも言わずグラスにワインを注いであげた。悲しきことは前世の記憶か。同じ境遇である父に、どことなく同情してしまう息子なのだった。

 

「悲しい事件だったね……」

「いやまったくだ……裸で抱き合っていたところを、ちょうど近くの箪笥に置いていたサバイバルナイフを突きつけられて「一美ってどこの女よ!?」なんて言われるもんだからなあ……」

「よく生きて結婚まで来られたね……」

「薄皮一枚裂けたがな……」

 

 そうっと首筋をなぞる父親にぞっとしなかった。彼のミスと言ってしまえばそりゃあ弁明のしようもないミスではあるのだが、以前までの父親を思うとしょうがないとも考えてしまう。なにせロクに相手にしなかった零無でさえ亡き母親を想っていることが察せたぐらいだ。

 

「……ね。お母さんってどんな人だったの?」

「……聞きたいか?」

「? うん」

「……本当に聞きたいか?」

「……まあ……そりゃあ……」

 

 そこまでもったいぶられるとなんだか不安になるが、一度は聞いてみたいことだった。零無の母親は彼を産んですぐに亡くなっている。顔は写真でしか見たことがないが、とても綺麗だったように思う。日の光を知らないような白い肌と白い髪。明透零無であった頃のそれは、どちらも母親譲りだと言われていたのを思い出す。

 

「……いいだろう。では真相を言う。彼女はな――フジョシ(・・・・)だった」

「ふじょ……ん?」

 

 なにか、いま、言い方がおかしかったような。

 

「え、なんて?」

「フジョシだ」

「婦女子? ああ、そりゃお母さんなんだから……」

「違う、フジョシだ」

「…………、」

「フジョシだ」

「……まさか」

「腐っていた」

「……おぉ……」

 

 なんだか頭痛がしてきた。ちょっとわけが分からない。詳しく説明してほしい。父親はぐいとワインを飲んだ。なにを優雅にしているのか。

 

「――明透一美は、腐女子だった……」

「なんでそんなコトをそんな浸りながら言うの……!?」

「仕方ない。あれは開発発表イベントに顔を出したとき。ちょうど会場で迷子になっていた彼女の手を引いて、軽い自己紹介をしたのが出会いだった」

「あ、そこは普通なんだ……」

「一言一句覚えている。――『う、わ、わわわ……! あ、あああ、明透さんですかっ!? か、感激ですっ、わたしあの、その、お、おお御社のゲームのだ、大ファンでっ!? あ、ああああもうまぢ無理ホンモノの明透社長とうといよお……!』……だ」

「母さん……っ!」

 

 なにそのツイッターで有名人に絡まれた限界オタクみたいな反応。いやもっとツイッターのほうが文面なだけマシか。玄斗はそう思ったが口には出さなかった。いくらなんでも自分の母親がそんなガッツリ沼にはまったオタクだったとは受け止めるのに色々とクッションが必要である。

 

「ちなみにそのとき発表したのが『ブラック・レイヴン・チョコレート ~気になるあの子は実は!?~』だったな」

「完全にソッチ系だ……!」

「売り上げはまあ、ノベルゲーにしてはなかなか良かったぞ」

「ノベルゲー……!? え、いや、……ええ……?」

「彼女からはとても高評価だった」

「母さん……っ」

 

 もはやなにも言えなかった。うちの家系って相当アレだったんだな、といまさらながら気付いた息子の心境はボロボロだ。嘘だそんなこと、と雪山で叫びたい気分である。

 

「母さんは腐女子だが、絵の天才だった。おもに男同士の絡みを描かせたら右に出るものは居ないとその界隈に名を轟かせていたそうだ」

「なにそのなんとも言えない知名度……」

「そしてそのイラストと最もベストマッチしたと言われたのが治塗瀬二羽(チトセフタバ)……私の秘書だった彼女だ」

「世間が狭すぎる……」

「私も実際にプレイしてみたが、あれは興味本位でやるべきではないな。男が色っぽく見えて一時期かなわんかった」

「悪夢だよねそれ……」

 

 あんな堅物の塊みたいなガチガチの父親がそんな風になっていた時期があったことに驚きだが、おそらくはまだ玄斗が生まれる前だろう。短くとも父が当たり前のように幸せであれた時期があった。それはすこしだけ、良いことのように玄斗は思えた。

 

「でも、すごいね。母さんはじゃあ、ゲーム会社の社長を射止めたってことになるんだ」

「そうなる。いや、周りにはいないタイプだったのだ。徐々に惹かれてな……気付けば、もう惚れ込んでいたよ。彼女には人たらしの才がある」

「……良い母さんだったんだね」

「ああ、良い人だった。彼女は」

 

 しみじみとそう言う父親に、けれど以前よりも後悔の色は消えていた。あれほどの想い、願い、望み。きっと切り捨てたワケでも、ましてや忘れたのでもないのだろう。それでも昔の感情に囚われず、前を向いていまの母親と結婚した。それは、一体どれほどの覚悟だったのだろう。

 

「趣味嗜好はどうであれ、おまえの名にあれほど素敵な意味を込める人間だ。私は名付けるセンスがない。おまえたちの名だって、あの母さんがつけたものだ。素敵な名だと俺は思う」

「……それ以外、なにも思わなかったの?」

「うん? ああ、特にはなにも」

「そっか……まあ、そうだよね」

「?」

 

 たしかに父親の会社で制作したゲームだが、なにもすべて覚えているわけではないということか。かの秘書が持ってきたというのもある。父親自体はそこまで関わっていないのだろう。それこそ、十坂という名字にも玄斗という名前にも反応しないぐらい。

 

「父さんは、『アマキス☆ホワイトメモリアル』って知ってる?」

「……ああ、知っているぞ。続編はな」

「……続編?」

「まあ、おまえが知らないのも無理はない。なにせおまえが死んだ後だ。それが出たのは」

 

 続編。それは、本当に知らなかった。

 

「……ちなみに、そのキャラクターの……名前、とかは……?」

「ほとんど忘れたよ。もうずいぶんと長くなる。……ああ、ひとりだけ、覚えていたかな」

「それって……?」

「ふむ。……内緒だ」

 

 くすりと微笑む父親に、玄斗は合点がいった。わざわざ内緒だと言った表情は、別に単なる隠し事をしたのでもない。だから、辻褄があってしまった。アマキス☆ホワイトメモリアルには続編がある。そのキャラクターで彼が唯一覚えていて、玄斗には隠しても良いというものがある。それが、意味するのは。

 

「……明透零奈」

「む?」

「居るよ、父さん。……彼女は、きちんと居るんだ」

「……ハ、なにを言う。そんなことが、あるわけ――」

「十坂玄斗は、アマキス☆ホワイトメモリアルのキャラクターなんだ」

「――――なに?」

 

 そっとグラスを置いた父親と視線が合う。こうして、秘密は外に広がった。これより世界が変わり始める。夜の闇、朝の光、昼の温もり。すべてが回って、動き出す。あと一歩、踏み出すべき足跡を待つばかり――





>ブラック・レイヴン・チョコレート ~気になるあの子は実は!?~

ある日突然現れた美少女転入生を男ヒロイン共がこぞってオトしにかかる乙女ゲー……と思わせたまさかのBLゲー。男の子バレのシーンはその手のファンも唸るほどの良さがあると話題を呼んだ(作者調べ)男だとバレるまでの美少女ムーヴや他キャラクターとの絡み合いと、男バレしたあとの葛藤及び結ばれるまでの過程で二度美味しい作品。なおとんでもなく人を選ぶ。

ちなみにPC用R18版だとえっちなシーンでブラとパンツな下着姿で手○キしてくれる男の娘のCGが見れるぞ! やったね!(やってない)

――という作品です。(真顔)




やりたいと思った人は是非ともシナリオを書いていただきたい。


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覚悟の準備

あなたを詐欺罪と器物損壊罪で訴えます! 理由はもちろんお分かりですね? あなたが息子を名前の由来で騙し、(心の)セーブデータを破壊したからです! 覚悟の準備をしておいてください。


 

 ――うずいている。

 

『ほら、笑うんだ。広那

 

 ……うずいている。

 

『どうした? ……まさか、嫌なのか?』

 

 うずいている。

 

『……ふむ。それは、困ったな……』

 

 とても、とても。

 

『じゃあ、こうしよう――』

 

 どうしようもないほどに、うずいている。

 

ああああああああああああああああああッ――!!』

『な? ほら、面白いだろう。だから……笑ってみせてくれ。  』

 

 拭い去れない過去の記憶が、うずいてうずいて堪らない。

 

『おまえはきっと、笑えるはずなんだ――』

 

 そんな、遠い昔の記憶。目を覚ましたわたしは布団をはねのけながら、珠のような汗を貼り付けて肩で息をしていた。傍らに、心配そうに座る親代わりの彼が居る。

 

「……大丈夫かい? うなされていたけど」

「……大丈夫。ちょっと、暑かっただけ……」

 

 あはは、と笑って彼に返した。きっと、あのときよりもずいぶんと、素敵な笑顔を浮かべながら。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「まあそれはそれでどうでもいいが」

「え」

 

 真相を打ち明けると、父親はなんでもないようにさらりと答えた。ついで残していたワインを一口に飲み干す。揺るぎない、動じない。これと決めた態度で佇む彼は、頼りがいのあっていいものだが……

 

「どうでもいいって……」

「おまえが居て、わたしが居る。ならば、それがどこでどうだろうがどうでもいい。だいたい、ゲームの内容なぞとっくの昔に忘れている。……その娘はたしか、おまえを模して秘書の書いたものだ」

「僕を……?」

 

 ああ、とうなずく父親に、自然と次の一杯を注いでいた。父親の顔は赤い。すでに酔ってきているようだった。口調が乱れているのもそのせいか。面倒くさいからみがないだけ堅い人なのは根っこからかと、今さらながらに玄斗は思う。

 

「気持ちのいいものではない。おまえの境遇を少女が受けた。もちろん、おまえであっても気持ちがよいことではない。……だが、それにしたってわたしたちの関与するべきところでもないだろう」

「で、でも……」

「でも、なんだ?」

「……そう、分かってる人がいるのに、見捨てるなんておかしいよ……!」

「わたしはそう思わん。自分の手の届く範囲ですら溢しそうになる。それ以上広げるなど、馬鹿のすることだろうよ」

 

 言ってしまえば、他人のことなど知ったことかと。父親は冷徹にそう言っている。厳しい言葉だ。同時に、深い重みの込められた言葉だとも思った。一度取りこぼしたが故に、その大切さを彼は嫌ほど知っている。もう二度となくすまいとする不器用な彼のやり方なのだろう。

 

「おまえはそうじゃないのか? 零無。おまえの手は、広いのか」

「……ぼく、は……」

「答えを強いているわけではない。聞いている。わたしは関与する気などない。だがおまえはどうなのかと問うている。……どうだ」

「…………ぼくは……、」

 

 見慣れたはずの冷徹な父の目がいやに刺さる。とても、心臓が震えてまともな思考なんてできそうになかった。けれども考える。十坂玄斗にとって考えるというのは生きることだ。だから、生きている以上考えることはやめられない。自分とまったく同じなら、なおさら。すこし違うとしても、よっぽどだろう。そんな誰かを、見捨てられるか。

 

「……ぼくは、なんとかしてあげたい」

「……それは、その子のためにか」

「違う」

「ならば、誰のためだ?」

 

 それに、玄斗はハッキリと視線をあげて、

 

「――誰でもない、ぼくのために」

 

 力強く、そう口にしたのだった。

 

「……そうか」

「……そうだよ」

「……ならば、良いか」

 

 くすりと微笑んで、またグラスに口を付ける。すでに半分は飲み干していた。ボトル一本空にするとなると、相当な量になる。強いのか弱いのか、酒を飲んだことのない玄斗には分からなかったが、すくなくともチューハイ一缶で潰れるほどのものでもないらしい。

 

「心無いことを言ったがな、手を出せるならそれに越したことはない。ただ、ソレをする以上は責任を持たねばならん」

「……責任」

「ああ。……私の言えたことでもないがな。こうでもしないと父親をやれんのだ。すまない、零無」

「……いつも父親やってるよ、父さんは」

「そうか?」

「そうだよ」

 

 言うと、どこか安心したように父が微笑んだ。うとうとと船を漕いでいる。力の抜けた手からグラスを奪って、ボトルと一緒に持ってテーブルから離れる。父親の言葉は意外なほどに重たい。彼が負うべき責任。それは一時的に浮ついていた、なにかを思い出させようとしていた。思えば初めから。十坂玄斗はなぜ、必死で生きようとしていたのだろうと。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 その日の深夜。そろそろ玄斗も布団に入ろうかと言う頃に、電話がなった。誰かと思って画面を見れば、これまた時間帯にしては珍しい……コトもない相手である。夜更かししてるなあ、なんて思いながら彼は通話に出た。

 

「もしもし」

『あ、起きてた。こんばんわー、白玖です』

「こんばんわ、玄斗だけど」

『いま、あなたの家の前に居るの』

「え――――」

 

 がばっ、と飛び起きてカーテンを開けると、玄関前の道路が見える。ぽつんとひとつだけ明かりのついた街灯。淡い光源はそれだけで、もはや民家の光も消えている。午前一時過ぎ。あたりはすっかり静まり返っていた。

 

「……なんだ、いないじゃないか」

『冗談。ふふ、騙されたでしょ』

「ああ、すっかり騙された。これは、白玖にご飯を奢って貰わないといけない」

『えー、やだよう。玄斗いっぱい食べるんだもん』

「成長期だからね」

『いやあれは成長期って量じゃないと思う……』

 

 碧にも突っ込まれた食事量を幼馴染みにも言われて、すこしお腹を摘まんでみた。ほどよい筋肉と皮ぐらいしか感じられない。すくなくとも太ってはなさそうである。我ながらちょっとした人体の神秘だ。

 

『ま、仕方ないから今度わたしの手料理を振る舞ってあげよう』

「いいのかい?」

『ふっふっふー、よきにはからえ』

「ありがとう。えーっと……ああ、そうだ」

『うん?』

「マイスイートハニー白玖、なんて……冗談だよ?」

『――ごめん玄斗いまのちょっともう一回』

「え、なんで?」

 

 嫌だよ、と照れながら答えると電話の向こうから伝わる圧が強くなった。単なるおふざけであるが故に二度も言うのは流石に羞恥心が堪えきれない。ほどよく冗談を交えた会話、というのはいまのところ彼女や鷹仁とのみ成立する珍しいものである。あと真墨ともそうであるか。なにはともあれ、そのなかの貴重なひとりなので、口が滑るのも仕方ない。

 

『わたし、給料は三ヶ月分でって言ったよね?』

「なにそのライトノベルのタイトルみたいな……深夜のテンション?」

『そんな感じ。愛してるよマイダーリン、なんちゃって』

 

 わりとストレートに言われてドキッとした。どうも最近はこういう言葉に慣れなさすぎていけない。見えていなかったものが見えてきた所為だ。好意に慣れていないのもあって、真っ直ぐな感情表現にはどうしてもふとした瞬間に戸惑ってしまう。

 

「……で、なんのよう?」

『わ、あからさまに話題を逸らした。よしよし。本題に入ろっか。――玄斗』

「うん」

『わたしと――デート、しない?』

 

 どこか、遠くで。誰かの心臓がドクンと弾けた。どこか、近くで。誰かの心臓はピタリと止まった。約束も誘いも突然に。電話口の向こうからは、小さな吐息が聞こえてくる。逃げるワケには……もちろんいかない。十坂玄斗は意を決して、「いいよ」と短く素直に答えた。季節は夏。蝉も泣き止んだ深夜の街。最後の物語が、ついぞ幕を開ける瞬間だった。 







というわけで個人的にクソ長かった六章終了。幕間やってくですよ。

やっぱ主人公物足りねえなあ……物足りなくない? と思いつつ筆を走らせること数日。ごめんねやっぱ全体後半のプロット書き換えるわ! それで満足する! となったのが昨日でした。はい。







あー誰か五等分の花嫁で風太郎(♀)を攻略するヒロイン勢(♂)とか書いてくんねえかなあ……


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六章幕間:彼のウラガワ ~夏休みのなかで~

おそらく活用班で唯一と言って良いオアシス要員


 

 夏期休暇中の学校はとても静かだった。所用で登校した玄斗は、誰一人としていない廊下をすたすたと歩く。靴音の反響する音がいやに高い。外からは蝉の鳴き声が絶え間なく聞こえている。時期が時期なのか、部活動中の生徒の声は聞こえなかった。正真正銘彼ひとり。カツン、カツンと廊下を進む。

 

「(なんだか、妙だ。……ここ最近は休まる間もなかったからかな)」

 

 夜の学校ともまた違った異質さは、実際そうでもないのにそういう錯覚を起こさせる。考えるにはずいぶんな環境だった。一年前とは当然ながら、数ヶ月前の自分ですらハッキリ分かるぐらいに変わっている。それは偏に、彼を変えようとした誰かの努力と、彼自身が変わろうというコトを否定しなかったが故だ。

 

「――む、私以外にも人がいたのか」

「……え……?」

 

 と、風に吹かれたように声が聞こえた。ふり向けば、夏用の制服を着た女子がひとり、後ろで一纏めにした髪の毛を揺らしながら立っている。すこし薄い赤毛の混じった髪。一見してシワの見当たらない服はそれが下ろしたてなのだろう。とても綺麗で、どことなく汚れを感じさせない彼女に似合っていた。

 

「……君は?」

「私か? 私は……なんだったかな……」

「……?」

「……ああ、そうだ。思い出した」

 

 すい、と少女が目を合わせる。透けるような赤い瞳だった。とても輝いていて、明るいのに向こうが見えない。玄斗からしてみれば見慣れない、不思議な瞳。

 

「――橙野七美(トウノナナミ)だ」

「僕は十坂玄斗。橙野さん……で、いいのかな」

「……いや、できれば七美と」

「じゃあ、七美さん」

「うむ」

 

 うなずいて、少女――七美が笑う。とても綺麗な笑顔だった。綺麗に笑う人間は、総じてその他含めても悪いことがない。笑顔が苦手というのは言い換えれば人として絶大な欠陥を抱えていると言える。それでも持ち直せるものなのだから、なにが起こるか分からないという現実の評価も間違いとは言い切れない。

 

「いや、良いな。名前を呼ばれるというのは。実にこう、心がくすぐられる気分だ」

「……いままで、そういうことがなかったの?」

「まあ、そうだな。すこし、そういう機会には恵まれなかった。けれども知れた。いいことだ。ありがとう、十坂玄斗」

「……僕も下の名前でいいよ」

「そうか。では、玄斗……と。……ふふ。なんだか。楽しいじゃないか」

「……そう?」

「そうだとも」

 

 ずいぶんと満足した様子な七美に、玄斗は首をかしげるばかりだった。どうにもよく分からない。名前を呼び合って楽しいというのは、まあ、そうすること自体が当たり前すぎてどうにもという感じだ。

 

「……ところで、もしかして転入生なのか?」

「む、よくわかったな。そうなのだ。九月からここに通うことになった」

 

 ので、今日はその見学なのだ、と七美は答える。なるほどと玄斗はうなずいた。夏休み中に見学というのも熱心な話だが、誰もいないところで見るのは合理的だ。事前に下見を済ませておくにしても、二学期からであれば良い時期ではあった。

 

「……よければ案内でもしようか? ちょうど、時間も空いたところだったし」

「おお、それはありがたい。是非ともそうさせれくれると助かる」

 

 ぱあっと花が咲くように笑う少女を前にして、玄斗は頬をかきながら顔を逸らした。素直なのは美点だが素直すぎるのもアレである。誰かにそう言われたことがあったようななかったような気もするが、目の前にすると気持ちが理解できた。オブラートに包むというコトをしなければ、言葉とはとてつもない衝撃になる。

 

「さあ、行こう。玄斗。時間は有限だ。私はすくなくとも、そう思うぞ」

「……僕だって同じ気持ちだよ」

「それはとても安心するな」

 

 爛々と輝く瞳。綺麗すぎるまでの着られている制服。長く伸びたオレンジの髪。すこし変わった価値観と喋り方。なんだかおかしな気分に引き摺られて、玄斗は彼女と連れ添うコトとなった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 学校案内なんてものはそれこそ玄斗もはじめてであった。普段使っている教室を紹介するというのは、気恥ずかしさというよりも新鮮さがある。ここがこういうものだと教えると、七美は「ほうほう」と気持ちのいいぐらいに反応を示した。

 

「教室がいっぱいあるんだな」

「まあ、人数が多いから」

「生徒数だな? いくらぐらいになるんだ? 三十人か?」

「三百かな」

「さんびゃっ……!?」

 

 ずざっ、と話を聞いていた七美が露骨なぐらいびっくりしていた。紹介した教室数はすでに十を超えている。無駄にクラス数が多い調色高校は、それこそ一学年の生徒数は他校に引けを取らない。

 

「とんでもないんだな……三百だとは。そんなに同年代に近い人がいるのか……」

「いるよ。そりゃあ。日本中でならもっといるんだし」

「そ、そうか……そうなのか……ふむ。なんとも、驚嘆だ」

 

 三百、三百……とうわごとのように呟く転入生。かなり人の少ないところでいままで過ごしていたのだろうか、なんて玄斗は考えてみる。全世界で何十億という数字になる。人なんてそれほど溢れるぐらい居るというのに、それを知らないというのは明確な違和感に繋がった。

 

「……七美さんって」

「うん?」

「ここに来る前は、どんなところにいたの?」

「どんな……まあ、田舎だ。とてつもない山奥になる。野犬もいてな。ああ、あと猪肉が美味しい。あれ、ここらではあまり手に入らないんだ」

 

 豚や鳥ならスーパーで売っているのだが……と、またもやズレた転入生。玄斗が他人のコトを言えた義理ではないが、なるほど田舎というなら価値観の違いというのもうなずける。そもここらがわりと田舎気味ではあるが、ド田舎に比べればまだ都会的か。

 

「でも、学校とかはあったんでしょ?」

「あった。が、私はここがはじめてなんだ。すごく不安だが、同じぐらい楽しみで仕方ない」

「……え、はじめて?」

「ああ!」

 

 元気よく答える七美に、今度は玄斗が困惑した。はじめて。人生初の学校生活である高校生活がはじめて。まあ文面で見るとおかしくもないが、事実はとても頭が混乱しかけた。十坂玄斗、自らの正気を疑うのは人生で三度目だった。

 

「……よ、よく試験とか受かったね……」

「覚えるのは得意だからな。ギリギリと言われたが、それはこれから頑張っていけば良い」

「それでいて前向き……すごいね、七美さん」

「そう言われると、私も嬉しい。照れくさくもあるのだがな」

 

 ――が、思えば玄斗だってそうだったように、別に学校でなくても勉強はできる。それこそ彼の前世なんて丸々そのままで、ゲームと勉強で体が動くときは知識をため込む毎日だった。体が動かなくなってからはもちろんペンも取れないので寝たきりだったが。

 

「私には足りない部分が多い。そのあたり自覚して、しっかりしていきたいんだ」

「……そう思えるのはすごいと思う。それが難しい人は、いっぱい居るから」

「そうなのか?」

「そうなんだよ」

 

 自分も含めて、とはあえて言わなかった。足りない部分が多い。そんなことを理解したつもりになって知らなかったのは彼自身の過ちだ。心に秘めておくのが、やり方というものだろう。

 

「ふむ――……ところで、玄斗」

「……ん、なに?」

「気になっていたのだが、アレはなんだ?」

 

 と、七美がさしたのは赤い長方形の大きな機械。休み時間になればこの時期、誰もが群がる廊下のオアシス。C○CA-COLAの文字が側面に描かれた箱。どこからどう見て、答えはひとつしかない。

 

「なにって、自販機だけど」

「どういうものなのだ?」

「どういうって……もしかして、自販機……知らない?」

 

 自動販売機、と繰り返してみるが七美は首を振るばかりだった。そんなまさかと思いながらポケットに突っ込んでいた財布を取り出す。

 

「ほら、ここ。穴があるだろう」

「うむ。あるな」

「ここにお金を入れて」

「ふむ」

「で、ボタンを押す」

「ふむふむ」

 

 ガコン、と勢いよく取り出し口に飲み物が落ちてくる。ビクッと肩を震わせたのがすこし可愛らしかった。

 

「な、なんだ……?」

「はい、これ」

「……ペットボトル……、! 飲み物か!」

「うん。お金を入れると、こうやって買えるようになってる」

 

 そっと手渡すと、七美は「冷たいな!」とか「すごいぞ、ホンモノだ!」なんて子供みたいにはしゃいでいる。なんだか世間知らずのお嬢様を見ている感じだった。お嬢様というよりはお姫さまのほうが近いかも知れない。思わずクスリと微笑むと、はっとそれで我に返った七美が玄斗に詰め寄った。ものすごい勢いで。

 

「魔法みたいだ! すごいんだな、玄斗!」

「いや、すごいのは僕じゃなくて、この機械だから……」

「なるほど、そうか! うむ、街は便利だな。村とは比べ物にならないというのもうなずける」

 

 うんうんとうなずく少女に、なんだかなあと玄斗は苦笑した。こうも慣れていない反応をされると、立場はどうであれくすぐったいものである。そんなちょっと変わった転入生との一日。その日の夕方は、彼女の髪のように仄かな橙に見えた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……む。そういえば、飲み物をもらったお礼を言うのを忘れていたな……」

 

 





七章ではちょっとしたアンケート取ろうと思います。まあ簡単な質問に答えていただければという感じなので参加してもらえると嬉しい。


え? それでなにか変わるのかって? HAHAHA



…………活用班の攻略難易度だよ?


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六章幕間:彼女のウラガワ ~もしもの暗闇/絶望~

本編では絶対に辿らないルート

つまり攻略ヒロインが失敗する→関係性だけは歪に続いていく→透明くん完成→コレ みたいな感じ。

正直発作の賜物


 

『真墨へ

 

 

 覚えていますか? っていうと、真墨は怒りそうだけど。それぐらい久しぶりな気がします。どうしても、手紙だと堅くなってしまって自分じゃないみたいですね。実際に言っている風に思うと、僕らしくはなかったかな。どうも、兄です。

 

 

 いまはちょっとロンドンに寄っています。ので、すこし楽な暮らしができました。赤音さんに部屋を貸して貰ったので、こういう落ち着いた時間に手紙のひとつでもと思って書いています。でも洒落て羽根ペンなんか使ったのは失敗だった。これ、字がガタガタになる。ちょっと我慢してほしい。

 

 

 月並みですが、健やかにしていますか? 兄はまあいまのところ健やかです。三年前に戻ったときに片腕がないことに驚いていましたが、まだまだ僕は大丈夫です。普通に立って歩けるし、そのあたりは赤音さんも心配していないようでした。まあ隣の部屋なので、半ば監視されるようにはなっているんだけどね。

 

 

 ここまで書いて、ちょっと、字が汚すぎることにお兄ちゃんは気付きました。とても後悔しています。しかも鉛筆じゃないから消すのもアレだし、失礼ですけどこのままいかせてください。直接話したわけじゃないけど、でも、伝えたいことはいっぱいあります。

 

 

 長らく真墨には話してこなかったので、僕がなにをしているか教えたいと思います。世界一周の旅とか自分探しとか、色々と誤魔化してみましたが兄は各地を歩き回りながら困っている子供たちを助けています。

 

 

 真墨。僕たちはとても恵まれていたんだって知っていますか? あたりまえのようにご飯が食べられて、あたりまえのように歩けて、あたりまえのように暮らしていける。明日があると確信して眠りにつくことができる。最小限の苦痛のなかで生きていける。兄はそんな幸せを最初から知っていました。とても、至福で死にた楽しかったと思います。

 

 

 でも、そうではないこともあると、僕はずっと知っていました。その苦しみの中にいる現実の重さを知っていました。理由はハッキリ言いません。とても言葉にするのは難しくて、とくに筆をとっている間は躊躇してしまっています。どうしても気になったら、碧に聞いてください。彼女ならぜんぶ知っています。もしも交流が残っているのなら、零奈でも構いません。昔は仲、良かったのでそうだと僕は嬉しいです。

 

 

 そういえば、同級生の話で思い出しました。蒼唯先輩は作家になったそうですね。すごいなと思います。今度会う機会があったら、兄が喜んでいたと伝えてください。たぶんものすごく目をつり上げると思いますけど、あれで素直な先輩なので優しく微笑んでみてください。あと間違いなく連絡先は聞かれるので教えてあげてください。

 

 

 今思うと、学生時代はとても苦労しました。色々とあったのがもう笑い話ですね。とても僕は笑えないと思うのですが、赤音さんはけらけらと笑っています。真墨は笑えますか? ……正直、二度も死にかけたのはとても貴重な経験だと思います。あれで怪我の度合いなんて関係なく痛みは我慢が効くのだと知りました。いまはこの体の使い方を熟知しています。なんて言うと、格好つけているみたいですね。

 

 

 それで、ちょうど立ち寄ったお店で真墨にぴったり似合いそうな髪飾りをみつけたのでこの手紙と一緒に送ります。届いているころに時間が空いていれば、兄もそちらに行きたいと思います。お父さんの具合があまりよくないと聞きました。母さんが早逝してからだと伺いました。とても心配です。今度、顔だけでも見せに行こうと思います。

 

 

 あと、手紙で訊くことでもないかとも悩みましたが、ちょっとだけ気になったのでやっぱり書きます。広那は元気ですか? 彼女は高校時代に色々と思い出があるので、近況だけでも聞きたいかなというのが本音です。まあ、なんだかんだで僕が勝手に心配しているだけなのかもしれません。あれで結構強いですからね。真墨はそのあたり、ちゃんと分かっているようでしたので今さらでしょうか。

 

 

 長くなりましたので、ここらで終わります。こんなに書いていたら赤音さんにとなりで笑われました。ちょっと腹が立ったのは大人げのなさかもしれません。情けない兄で申し訳ないですが、近いうちに顔を出すので待っていてください。

 

 

        ――あなたが大好きな兄より』

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「……まったく、お兄ったら」

 

 呟きながら、同封されていた髪飾りをそっとつけた。玄斗はコレを似合うと思ったらしい。絶妙にセンスが欠けている。だいたい、今年でもう三十だ。綺麗には綺麗だが、そんな歳の女性にこんな髪飾りが似合うと本気で思っているのか。ため息をつきながら、読み終えた手紙をそっと置く。

 

「……なんか、力……抜けちゃったなあ……」

 

 〝――最後まで、きっと目を瞑る直前まで、指ひとつの力さえ抜かなかったわ〟

 

 すこし前に聞いた女性の言葉を思い出す。思わず涙が出た。そっと指でそれを拭う。まるで正反対。どこか気の抜けたほうなのはあっちなのに、いまは真墨のほうがだらんと力を抜いていた。

 

「お兄さ……不器用すぎるよ。さすがに」

 

 なにより手紙の書き方からして変だ。堅いのがらしくないと気付きながら結局堅くなっているあたりがとくにオカシイ。日常生活でも日本語が不自由だった玄斗だが、手紙となるとこうも酷いかと再認識する。きっと、はじめての手紙だったのだろう。

 

「ちんたらしちゃってさ……お父さん、もう寝ちゃったよ」

 

 コツ、と指でつついた。明るい父親と、それに突っ込む緩い母と、穏やかに笑う兄と、そこに居る自分。想像して、ついにやけた。とても楽しい時間の記憶。家族が揃ったささやかな、けれどとんでもない幸せ。いまはたったひとりのリビングが、とても広く寂しいように思えた。

 

「……帰ってくるの、遅すぎ」

 

 愚痴をこぼすと、一緒に涙もこぼれた。どうにも我慢ができないらしい。膝の上で眠る兄は、依然として起きる気配がなかった。

 

「でも、ま……許してあげるよ。特別に、許してあげる。ちゃんと、戻ってきたから」

 

 そっと撫でて、また泣いた。アラサーの涙なんて価値もなにもないと自虐まじりに思う真墨だが、こぼれてしまうものは仕方ない。歳のせいか、涙腺が緩いのは。なんてふざけて思う。――だから、ちょっとだけ、上を向いた。

 

「……もう、さあ……本当、ずるいよ」

 

 触れた髪飾りが、ちいさく音をたてる。あるはずのない温もりを感じる。たしか、度合いはいくらだったか。誰かが来てなにかを言っていたような気もするが、もう覚えていない。たしかなのは、ここに兄が帰ってきたという事実だけ。

 

「もうちょっと、さあ……マシな格好、できなかったわけ……?」

 

 きっと玄斗が起きていたら「ごめん」なんて困りながら笑っただろう。いつまで経っても、どこまでいっても、結局自分の価値に目がいかない人だった。なにか言えば変わっただろうか。真墨はそのあたり、後悔していないと言えば嘘になる。きっと自分なら、兄に自分を見つめ直す一言ぐらいかけてやれただろうに。

 

「……おかえり。でもって、おやすみかな……ゆっくりね」

 

 色々と、言いたいことはあった。のに、それしか言えない。悲しくて、悔しくて、溢れるものが沢山あるのに、かける言葉なんてそれ以外に見当たらない。

 

「もう、頑張らなくて良いよ……お兄」

 

 そうしてそっと、いまいちど兄を撫でた。

 

 膝の上に置かれた箱は、なんの反応も示さなかった。 





というわけでこれにて六章は本当にラスト! 閉廷! お疲れさまでした!

つぎは七章です。白いあの子のメイン回です。ここで終わらせようと思ってたんですけど、やっぱり活用班も書きたいよねって。あとタグひとつだけつけ忘れてたので、それも七章終わりにつけようと思います。

……うん。いや本当に七章まではいらないから忘れてたんだ……


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第七章 白くなってもあるべきものに
すこしずつでも付いてくる


 

 そっと手を合わせながら、壱ノ瀬白玖はちいさく微笑んだ。乗り越えた悲しみ。潰れそうだった過去。それらは思って、いい記憶となるかどうか。決めるのは誰でもない自分なのだと、彼女はそう確信していた。

 

「(……善し悪しなんて、結局人それぞれ)」

 

 他人にとっての不幸でも、自分が受けたものなら自分でどう受け取るかが問題だ。外野の声に耳を傾けるなんて以ての外。そうするならば、きっと、彼女は幸せであると言えた。胸を張って、はっきりと、手を合わせながら報告できた。

 

「(……だから、玄斗。これで終わり。やっと、私の番かもね)」

 

 目を開けて、白玖は立ち上がった。今日は待ちに待った誰かさんとのデート日だ。きちっとおめかしもしている。これでお褒めの言葉のひとつももらえなければ、怒ってソッコー帰るぐらいだ。……ので、彼の進歩具合にはちょっと期待している。

 

「はてさて、鈍感野郎はどんな反応をしますかね……」

 

 つぶやきながら、それを想像して歩くのは楽しそうに思えた。八月も半ば。蝉の鳴き声はまだ止まない。けれども本日は夕暮れ時を過ぎてからが本番だ。気合いは十分。準備も万端。あとは相手が来るかどうか。……もちろん、来ないなんて選択肢を脳内から除外して。

 

「――よしっ。行こうか!」

 

 カラン、と履き物を鳴らして玄関を出る。今日は、祭りだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 デート、といって良いものかどうかというのは、真相を聞いてから玄斗がずっと思っていたことだった。八月某日。お盆にさしかかったこの時期では、家から近くの神社で夏祭りが行われる。毎年のことながら屋台や花火で大盛り上がりの行事は、今年も無事にやるらしい。境内にのぼる階段の前で待っていると、人通りがさすがに多かった。

 

「(夏祭りを一緒に回るのは……デート、と言って良いのだろうか……?)」

 

 言うような気もするし、違うような気もする。そも、相手が白玖というのが絶妙に受け取り方を考えさせられた。なにせ彼女は幼馴染みだ。どうしても比べてしまうと、範囲が別におさまってしまう。五加原碧や二之宮赤音なんかであれば間違いなくそうであろうし、四埜崎蒼唯や三奈本黄泉だと高確率で傾く。が、壱ノ瀬白玖となると難しい。そのところ、玄斗はたしかに悩んでいた。

 

「(思えば、白玖にはぜんぜん、知られてないんだな……僕のこと)」

 

 他四人が凄まじいだけかもしれないが、逆に近くにいる人間で珍しいとは思った。あの真墨を含めれば五人になる。どれこれも、核心に至らずとも手を伸ばしかけた猛者たちだった。心の壁をすり抜けるようなものなのだから、どうしようもないのが呆れる部分だろう。

 

「(それって、なんか……ちょっとだけ――)」

 

 と、思いかけたところでぎゅっと後ろから手を回された。いきなりのコトに驚いて体が固まる。ちょうど顔を背中のあたりに押し付けた形で、両腕を玄斗の腹の前で交差させていた。逃がすまいとの意思表示に、一体なんなんだと身じろぎした。

 

「あの、ちょっ……」

「ふふ、だーれだ」

「…………、」

 

 でもって、その一言で力が抜けた。

 

「……いたずらにしては急すぎるよ、白玖」

「わ、ばれた」

 

 くすくすと笑いながら、ぱっと腕が離された。ふり向けば犯人の姿が目に見る。黒と白の混じった髪。濁りのない綺麗な目。日の光を忘れたように白い肌。そして――いつもと違う服装が、ひときわ彼女の魅力を増している。

 

「――――、」

「……どう? 感想は」

「……いや、すごく……似合ってる。浴衣、あったんだな……」

「ありますとも。私だって、ひとりの女子ですよー?」

「……そうだね。そうだった」

 

 白玖は女の子だもんね、とうなずく玄斗。彼女からすれば内心合格点は超えていた。きちんと褒めた。どころか、お世辞でもない素直な感想とくれば赤点はあげられない。

 

「ごめん。変なこと、言ったね。もう一度言うけど、すごい似合ってる。綺麗だ、白玖」

「――――もう、そこまで言わなくて良いからっ……分かってるし……」

 

 〝流石にこれは過剰威力だ。〟

 

 そう言わんばかりに頬を染めた白玖を、玄斗は不思議そうに首をかしげながら見つめる。この男、成長しても鈍さはそこまで変わっていないのが致命的だった。

 

「と、とにかくっ! 今日は一日付き合ってもらうから」

「まあ、それはもちろん」

「じゃあ、はい」

「?」

 

 す、と白玖が「ん」と言いながら手を差し出してきた。数秒悩んで、頭上に電球を浮かべた玄斗はポケットから財布を取り出した。そっと彼女の手のひらに乗せる。

 

「はい」

「殴るよ?」

 

 答える前に弁慶を蹴られた。顔を引き攣らせて玄斗が悶える。

 

「――っ、ご、ごめ、ごめ……ん……?」

「にぶちん。馬に蹴られればいいのに」

「馬は……そこらを……歩いて、ないよ……?」

「……二回も泣きたいとは、なかなかの趣味をお持ちで」

「ぜ、前言撤回……!」

 

 いまのは僕が悪かった、と謝る玄斗にため息をつく。まったくもって本当に、と愚痴のひとつでも言いたい気分だった。折角気持ちが乗ってきているのだから、そこはするすると言って欲しいのがワガママな乙女心である。玄斗以外にはする気もなければしようともしない軽い小突き合いだってしてしまうのも当然だった。

 

「……はい、もう一回チャンス」

 

 再度「んー」と白玖が手を差し出した。手のひらを上にしてなにか寄越すようにそっぽを向きながら待っている。財布はいつの間にかポケットに返されていた。が、それを出しても先ほどの二の舞にしかならない。「蹴られるのが好きなのかな、玄斗は?」と笑顔で白玖に脅される未来しか見えなかった。

 

「…………むむ……」

「……はーやーくー……」

「え、っと……ごめん。ヒントが……欲しい……」

「えー? ……じゃあ、もう、特別だよ」

「うん」

 

 呆れるように笑う白玖は、うなずく玄斗の隙をついてふらりと手を伸ばした。その細い指が彼の手首に触れる。唐突な接触。けれども驚きよりかは、どこか心地よさのほうがあった。軽く握って、手のひらの前まで持ってきて、いたずらが成功したように白玖は笑う。

 

「――言ったでしょ? 今日はデートだって」

「あ…………」

 

 それで、なんとなく、繋がった。

 

「……そっか、そうだった。デートだったね、折角の」

「そうだよ。先に言ってたのに。そんなことも忘れるなんて、玄斗サイテー」

「うん、本当に最低だ、ごめん――」

 

 そうして、そっと、玄斗は白玖の手を握った。

 

「……ふふ、上出来」

「ありがとう。……こういうの、なんだか恥ずかしいね」

「そりゃあそうでしょ。でも、悪くはないんじゃない?」

「……まあ、そうなのかな……」

「どうなの?」

「……そうかも」

「そっか」

 

 答えると、白玖はまたもやちいさく笑った。今日はとくにご機嫌だ。最近は色々なところをフラフラとしていたから、きちんと彼女と話せていなかったのもある。久しぶりの距離感を正しくするには、これぐらい強引なほうが効くのかもしれない。玄斗は勝手にそう思った。都合の良い解釈だとか、ねじ曲げた理論ではなく、真剣にそんなコトを考えてみた。とんでもない思い違いである。

 

「じゃあ、どこに行く?」

「屋台見よう、屋台。焼きそばとかあるかも」

「いいね、三つぐらい買おうか」

「……なぜ三つ……?」

「白玖がひとつと、僕がふたつ」

「ここでも食欲は不変なんだ……」

 

 まあ玄斗らしいかも、なんて漏らしながらふたりは長い階段をあがっていく。ひとつの学期を締めて、おだやかな長い休暇の最中。夏祭りは盛況だ。人も沢山で賑やかな様子になっている。玄斗と白玖は、そんな中に自然と紛れこんだ。ゆっくりと、人ごみに消えていく。

 

 ……繋いだ手は、ほんのりと熱かった。





七章開始です。ここでひとつの区切りといきたい。

正直ルート分けしようか迷ったんですがいまの自分にそこまでの気力がないので一本化して逃げ切ります。大丈夫、ラブコメ主人公の中でもうちの子はきっと上位レベルでどうしようもない屑系主人公だって信じてる……!


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絶対に言えること

 

 地方都市とはいえ、夏祭りには大勢の人だかりができていた。すこし歩けば誰かとすれ違う。行く先見る先に人影がある。こんな小さな街にもそれなりに人口はあったのだと気付かされるハレの場である。

 

「多いねえ……人」

「そうだね」

 

 同じことを思っていたのか、つぶやいた白玖に玄斗も同意した。繋いだ手はいまだに離していない。そろそろ夏の湿気と暑さで手汗なんかがマズいのだが、それに気付いた様子もなく白玖は手をにぎにぎとしてくる。なんとも言うに言い出せない状況だった。

 

「こういうの久々……っていうか、はじめてじゃない?」

「はじめてだっけ? 白玖と、夏祭りに来たの」

「はじめてだよ。だって昔は、夏になる前に引っ越しちゃったし」

「……ああ、そう言えば、そうだった」

 

 思い出して、記憶力だけが取り柄だったのにと苦笑した。物忘れが酷いというワケでもないが、最近は古いことをどんどんと忘れていって怖くなる。新しいなにかが増えるたび、それらはゆっくりと風化して消えていく。当たり前だとしても、なんだかそのことは玄斗にとってすこし悲しいものだった。

 

「だから、来れて良かったよ。玄斗と一緒に」

「そう言ってもらえるのは嬉しいかな。僕も君と一緒で良かった」

「ふふ、知ってる」

「知られてたか」

 

 くるりと回りながら笑う幼馴染みに、参ったなと玄斗は頭をかいた。付き合いは古いが長くはない。さらには決して奥まで踏み込んだワケでもない。のに、この幼馴染みならなんでも受け止めてなんでも知っている気がしてくるのだから不思議だ。()の本質こそ知っていれど、同じであるはずの彼女(・・)のコトはよく分からない。分かっているはずなのに、見えてこない。そんな、不思議な感覚で。

 

「――白玖は、自分が醜いって思ったこととかある?」

「…………え?」

 

 〝――俺なんて結局、そんな醜い人間ってことだよ〟

 

 そんな一言をふと思い出して、つい問いかけた。喧噪が静寂を周囲から押し潰していく。無音の空間は真実ふたりの間だけに流れた。ゆっくりと、ふり向いた白玖がつと頬を指でかく。

 

「……うーん……わりと、何度もあるかな……?」

「本当に?」

「うん。そりゃあ、思うよ。でも、嫌いにはなれないから、それが自分なんだとも思う」

「…………、」

「……なに、その、鳩が豆鉄砲くらったみたいな」

「いや――――」

 

 ――意外、なのだろうか。でも、どこかでその答えは予想していたような気がした。かつて彼女が幸せだと笑った瞬間。あのときから、きっと心の奥底で予感はあった。両親の死に潰れて壊れた誰かとは違う。目の前で生きる彼女は、とうのとっくに救われているものなのだと。原作において壱ノ瀬白玖が言うべき答えを耳にして、確信に変わった。

 

「……本当に、今更なんだって実感した。でも、そうだね。思えばずっとか」

「……なに、玄斗? 今日の玄斗、変だよ?」

「そうかな? ……そうかも。でも、いいんだ。やっと気付けた」

 

 くすり、と彼は笑った。まったくもって恥ずかしい思い違いをしていたものだ。必死になっていた己のなんと格好悪いことか。笑顔を浮かべる壱ノ瀬白玖を見て、そんなひとつの事実にすら行き着かなかった残念さが懐かしい。いまはたぶん、違うのだと思う。それぐらい、良い意味で心の隙間は開いていた。

 

「白玖。いまの君は、幸せかな」

「? まあ、それは、ね。いちおう? 幸せだけど」

「――――そっか」

 

 ふと、夜空を見上げた。ガラスのような白い月。祭りの明かりに埋もれてどこか遠くに感じる空の果て。それぐらい昔のような過去、彼女を幸せにすると誓った馬鹿を知っている。それはとても無意味な覚悟で、無駄な努力の結晶だった。意義を成さない人生の使い方。意味を知らない人の生き様。それはなんとも愚かだと、彼は思った。

 

「……馬鹿だなあ、僕は」

「なに言ってるの。玄斗は頭いいでしょ」

「ううん、ぜんぜんよくないよ。だって……こんな、簡単なコトにすら気付かなかった」

「?」

 

 ぜんぶ、振り返って間違い続けた道だと分かった。他人の心なんて分からない。誰かを思ってもそれが本当にためになるかなんてさっぱりだ。なにせ自分に見えるのは自分の心だ。そんなものすらロクに扱えないような人間が、誰かのためになんて夢を見るにもほどがある。

 

「……早すぎたんだろうね、ぜんぶ。僕にはちょっと、お酒みたいなものだった」

「いや、意味分かんないし……大丈夫? 玄斗」

「大丈夫。酔ってない」

「酔っ払いは全員そう言うのー。……でも、まあ、そうかもね」

「……うん」

 

 思い上がり、慢心、勘違い。どれも違う。ただ、なにも知らなくて、なにもかもが彼には早すぎた。幼い心の器はとても小さいままだ。こぼれるのは必至で、割れるのも必然だった。ならば、いつかは壊れてしまう。それを繋ぎ止めてどうにか形にまで戻したのが、彼の世話になった少女たちだった。

 

「そっか……もうそんなにかあ……じゃあ、言えないね」

「……白玖……?」

「これまでみたいには、言えないって。それだけ。……きっと、玄斗が頭を回しちゃうからね」

「……まあ、そりゃあ、回すけど……」

 

 だから、もうやめだと。白玖はなにかを誤魔化すようにそう言ってきた。遠回しな台詞の数々。それに一歩踏み込んだアピールだとか、なんだとか。そんなものはぜんぶ、余計なことにならないと踏んでのものだった。けれど、そんな心配も彼にはもう要らないらしい。

 

「……玄斗はさ、どう?」

「どう……って?」

「私に幸せかー、幸せかーって訊いてくるけど、そっちはどうってこと」

「……えっと、それはつまり……」

「玄斗は、幸せ?」

 

 聞かれて、まったく、驚くほどに。……心が、軽かった。押し潰してきそうなほどの罪悪感。こんな自分が生を謳歌しているという贅沢に死にかけていたそれが、気付けば一切ない。どうしてかと、混乱しなかったワケでもないが。ずっと、それこそ明透零無であったときから引き摺っていたそれがないことに、今更気付いた。

 

「……はは」

「……?」

「なんだろうね、ずいぶん……甘くなったんだな。僕は」

「え、あの、玄斗……?」

「…………分からないよ、白玖」

 

 手探りですらなかった問題に、すぐ答えは出せなかった。当たり前の幸せにつつまれて、実際そう思っているかどうか。幸せだと感じたとして、それをはっきり胸を張って言えるかどうか。そう思い悩んだとき、答えがうっすらとぼやけた。

 

「……どうして?」

「さあ、なんでだろうね。でも、知らなすぎるんだ。きっと、これもぜんぶ……遅れてる。僕は、まだまだ子供だった」

「そうですよー? まだまだ十六才なんて子供だからね」

「……白玖だって同い年だろう?」

「おや鋭い」

 

 にやりと笑う白玖。からかっているのが見え見えだった。真面目な話の途中にやわらかな雰囲気を持ってきたのはきっと彼女なりの気遣いだろう。分からないならそのまま、わざわざ苦しまずとも良い。そのまま流れて逃げても良いよ――と。そう言われているような、気がした。

 

「……さっきの答えだけどね、分からないけど、言える事はあるんだ」

「……うん」

 

 なに? とは聞かなかった。やっぱりそういうことなのだろう。つくづく、この幼馴染みには敵わないと思わされる。

 

「幸せかどうかなんて、分からないよ。実際、辛いことだって沢山あったように思うし、それならこれからもあるんだと思う」

「…………うん」

「でもね」

 

 ――ふわり、と。ソレを知る誰かが見たのなら、「似ている」と真っ先に思っただろう。すべてが終わったあとのコト。歩いていく道を決めた少年が、心の在り方を戻した印象的なワンシーン。重なったのはその部分だ。なにせ、見ての通りな彼が、まるで、花を咲かせたみたいに。

 

「きっと、幸せになれる。だって、こんなにも、生きていて楽しいんだから――」

 

 十坂玄斗は、心からそう呟いた。ありふれた幸福。日常のささいな暖かさ。人が人らしくあるために必要な心のカタチ。足りないと言えば、まだ足りない。けれど、十二分までいかない、それこそ十分なぐらいはあった。だから、大丈夫。

 

「――うん。なら、良いんだよ」

 

 壱ノ瀬白玖は笑った。十坂玄斗の笑顔に返すように、笑みを浮かべた。かつてどこかの世界で世に出回ったひとつのゲームがある。傷付いた主人公を正しくあるべきものへ直していくというシナリオが描かれた作品が。その、最後にとっておかれた一枚絵。

 

私もやっと、それが見えた(俺もようやく、それが見えたんだ)!」

「は――」

 

 ……なんて、最後まで油断ならないコトをしてくれる。まったくズルいにもほどがあるだろう。その笑顔は、あのゲームをプレイした人間にとって反則だというのに。本当に敵わないなと、玄斗はいまいちど夜空を仰ぐのだった。






>花咲く笑顔の玄斗くん
「壱」と「零」で「十」ができあがるのです、ということ。



一度死なないと生きたいって思えないのは正直筋金入ってるなと思わないでもない今日この頃。やっぱり主人公には甘くしちゃうのは作者の直したいところです。


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途中のいさかい

 

 十人十色、なんて言うが。言い換えてしまえばそれは、どこにでも染まらない人……空気の読めない人……または読まない人というのが存在するということだ。わいわいと街の住人みんなで賑やかに行われる夏祭り。もちろん、そんな目立つ場所でそのような人間がいないとも限らない。

 

「(む…………、)」

 

 ちらり、と人ごみの隙間から一瞬だけ見えた光景。それに、どことなく面白くないモノを考えた。人目につかないような物陰で、なにやら少女が金髪の男に絡まれている。きょろきょろと視線を泳がせているが、もちろんそんなのに誰が気付く筈もない。……ちょうど都合良く、視界におさめてしまった彼を除いて。

 

「白玖」

「うん? ……ああ、おっけー。どうする?」

「…………、」

「……あれ、ちょっとー? なに?」

「……いや、」

 

 相変わらずすごいな、と感心しながら人波をかきわけて前に進む。ただつるんでいるだけ……ならばなんの問題もないのだろうが、見るからにそうではない。だいいち、わざわざ見られにくい場所に居るのがどうにもという直感だった。どうせこれで間違っていても玄斗ひとりが恥をかくだけ。当たって砕けろの精神で足を踏み出して――

 

「そういうのは、良くないと思いますよ」

「!」

 

 玄斗が近付くよりも前に、男の肩へ手が置かれた。すこし伸ばした、低い身長から届かせた手。ほっと一安心しかけたところに、その人物を見てまた肝が冷える。――なにせ、そう言ったのは彼と同年代ぐらいの少女だった。

 

「……なんだ、あんた」

「え? いや、だから、そういうのは駄目じゃないかなーって……」

「なにが、駄目だって?」

「……その人、嫌がってますよ」

「――――」

 

 まずい、と思ったのはその瞬間だ。後ろでちいさく震える少女と、真正面からきょとんと当たり前のように事実を叩き付けた少女。それに挟まれる男は、まあ、見るからに真面目で大人しいとは思えない手合いだった。白玖の手を離して駆けていく。自然、するりと抜けていた。ほんのすこし首をかしげて後ろを見れば、やれやれといった風に笑う姿が見える。

 

「良い度胸してんな」

「度胸もなにも、悪いコトは悪いコトです」

「うるせえ」

 

 ――ああ、本当に、手が早い。だからああいう手合いは苦手なんだと、玄斗は思いながら走る。鷹仁のときもそうだったが、考える前に体が動くという人間はなんとも暴力までの思考がスムーズで淀みない。老若男女関係ないのであれば最悪だ。得てして、そういう相手に限って、

 

「っ!」

「あっ」

 

 容赦というものを、してくれないのだ。

 

「……危ないよ、君」

「え……?」

 

 ビリビリと痺れた感覚が走る左手を無理やり動かしながら、くるりと玄斗はふり向いた。顔の左半分を覆い隠す、茶髪の混じった黒髪。猫のように薄く光る黄色い瞳。肌は病的なまでにとんでもなく白い。そして、目を引くのがその格好。真夏だというのに、その少女は長袖長ズボンにマフラーという見ているこちらが暑くなるような服装をしていた。

 

「……いや、本当に危なくない?」

「へ? やー、えっと……?」

「暑くないのかい、それ。熱中症とか、最近は猛暑だから。平気? 汗も、すこし出てるみたいだけど」

「あっ、そ、それについては水分補給をちゃんと、してますので……!」

「そっか」

 

 なら良いんだけど、とぼんやり呟く玄斗。その左手に掴んでいる相手が真剣にこめかみに血管を浮かび上がらせていることだとか、そのまた後ろで居心地悪そうに佇む少女のことだとかを忘れている。ので、直後にドスのきいた声を飛ばされたのも致し方ないと言えばそうだった。

 

「おい……いつまで人の足掴んでんだ、てめえ……!」

「あ、ごめん」

「っ、あぁ!?」

 

 と、ぱっと離した手が逃れようとしていた勢いに乗った。ちょうど坂になっていたみたいで、見事に金髪はどんがらがっしゃーんと下へ転がっていく。木々の間を駆け抜けるボールのようだった。残ったのはじんじんと痛む手のひらをそっと隠す少年と、呆然と成り行きを観察していた少女と、ふたりに助けられたその人のみ。

 

「……あれも、自業自得っていうのかな?」

「因果応報、だと思いますよ」

「ああ、その言葉には馴染みがある。うん。良い言葉だね」

「ですね。――っと、それはそれで。あの、大丈夫でしたか?」

「あ、うん……なんか、えっと……ありがと……?」

 

 ばっと近寄った少女に、若干戸惑いながらも答える。どこか派手目な格好のその人は、あまり玄斗の近くでは見ない相手だった。手入れのされた桃色の髪、綺麗なアクセサリーやネイル、男の玄斗からすれば分からないが、化粧も気合いの入ったもの。なんにも飾っていないような雰囲気の少女が詰め寄っているものだから、また一段とその差がきわだって見えた。

 

「お礼ならこの人に。私は、ただ声をかけただけですから」

「……僕だって大したことはしてないよ」

「……あー、じゃ、どっちもありがとうございます、ってことでー……えーと……」

 

 言い淀んだ彼女に、いち早くその真意を読み取ったのは玄斗ではなかった。すこしばかり、頭の回転はそちらのほうが上だったらしい。

 

「あ、私、広那って言います。飯咎、広那」

「(……!?)」

 

 〝飯咎〟その名字を聞いて思わず少女のほうをふり向いた。同姓同名の同年代。偶然、というもので済むかどうか。まさかと思いつつ、じっと見ていれば目が合ったその子にくすりと笑われた。

 

「お兄さんの番ですよ。名前」

「……玄斗、十坂玄斗です。ちなみに、お兄さんってほどじゃないよ」

「いくつですか?」

「十六。今年で十七」

「じゃあ同い年でしたね。えっと……、十坂くん?」

 

 こくりとうなずくと、少女――広那も返すようにうなずいた。面影は、あるようで少ない。どちらかというと想起するほうが難しいぐらい、その雰囲気は飯咎狭乎と離れていた。だから結び付かない。が、もしかすると。

 

「……あっ!」

「? えっと、なにか……?」

「会長のキープくん!」

「…………はい?」

 

 ずびしっ、と桃色髪の少女が指差して突然そんなコトを言ってきた。玄斗としてはワケもわからない。広那はもっと意味不明だった。キープくんというのが余計に状況を混乱させている。

 

「トオサカってあれだ! トオサカクロトくんって、そうだよ。ああーそっかあ……ふんふむ。こんな感じ、ねえ……?」

「えと……僕が、なにか?」

「うん? 三年のなかでは話題だよ、君。静女と女帝にリード握られた可哀想なわんちゃん、みたいな?」

「ええ…………」

 

 どうしてそうなるんだ、と玄斗は自分の噂に全力でマジレスしたい気分だった。どこからどう見ればそう思えるのか。だいたいキープだなんだと言うなら答えを保留している自分にこそあるのだろうに、なぜ彼女のほうへといっているのか。そのあたりまったく分からない唐変木だった。首輪をつけているという意味では彼以外の共通認識で正しい。

 

「でも、ちょっと二之宮さんの気持ちも分かるかもね?」

「それって……」

「十坂クン、顔、可愛いし」

「……お、おお……」

 

 ずざっ、と顔を近付けた少女に後じさる。……広那が。

 

「ええ……?」

「そういう反応とか、いかにもあの会長が好きそうだし。どう? お姉さんと良いことしてみる?」

「……あ、あのっ! 私はちょっと、あの、用を思い出したので、それじゃっ!?」

「ちょっ――!?」

 

 逃げられた。ぴゅーっと走っていく広那の姿が瞬く間に遠くなる。聞くべきことも聞けないままに去っていった少女は、そのまま人ごみのなかに紛れて見えなくなった。

 

「ふたりっきりだねえ?」

「……勘弁してください」

「つれないなあ……? ま、助けてもらったから、今回はね。……ん、アタシは桃園紗八(モモゾノサヤ)。覚えておいてね、忠犬くん♪」

「えっ、あの、その――」

「さっきはありがとね。おかげで……うん。ホントに、助かったから」

 

 笑って、彼女も瞬く間に去っていった。結果的にひとり残された玄斗はぽつんとその場に立ち尽くす。白玖が近くに寄って意識を取り戻すまで二分ほど。その衝撃的な出会いは、しばらく彼の脳裏を占めていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「うわあ……やっぱ、出てるね……」

 

 

「サイアク……ほんと、声とか、かけてこないでよ……」

 

 

「ああ、でも、これはアタシも……調子、乗っちゃったかな……?」

 

 

「…………かゆい、なあ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――男の子、好きじゃ、ないのに」

 

  




>飯咎広那

メカクレ系厚着女子。それが個性。

>桃園紗八
名前でお察しとか言わないであげて欲しい系先輩。前門の赤と後門の青に挟まれたかわいそうなギャル系ビッチの明日はどっちだ――?


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続編というものがあるらしい

一先ず二部にメイン当てるのは大抵これで出ましたかね……


 

 ひとり、ぼうと玄斗はベンチに腰掛ける。お花を摘みにいってくる、と離れた白玖を待っているところだった。その理由付けが分からないほど頭を回していないつもりでもない。待ってるね、とだけ笑顔で言うと彼女はすこし頬を赤らめながら去っていった。おおかた、ぽかんとした表情でもされると思ったのだろうか。

 

「(だいたい、たしか一回それで誰かに怒られたし……)」

 

 あれは誰だったろうか、なんて思い出そうと考えてみる。遠くに聞こえる賑やかな声。ちょっとだけ落ち着ける空間は、実際片隅のほうに置かれたものだった。疲れていたのか、ぐったりと背中をあずけてみればなんともリラックスできた。

 

「…………、」

「――ね、お兄さんひとり?」

 

 と、そんな不意をついて声がかけられた。くるりと肩を組むように回される腕。香水だろうか、すこし透き通るような匂いが鼻孔をかすめる。見れば、自分と同い年ぐらいの少年がはにかみながら立っていた。なんとなく、どこか、見覚えがある。

 

「……えっと?」

「まずうちさぁ……屋上……あんだけど……」

「はあ……?」

「焼いて――いやごめんネタ分かんない子にするもんじゃないわすまん十坂」

「??」

 

 首をかしげる玄斗をおいて、ばっと後ろからベンチを乗り越えた少年がそのまま腰掛ける。無駄にスタイリッシュだった。満足したのか、「ふっ……」なんて得意げにドヤ顔を浮かべている。

 

「んで、ひとりか? まあ俺もだけど」

「……あの、どこかで?」

「あーっはっはっは。……まじかあ……ええ……? 俺忘れられてる……?」

 

 そんな典型的な陰キャと陽キャの狭間で揺れ動くこのEndlessBattle(イケボ)なんてぶつぶつと呟きはじめる少年。もう一度しっかり見てみれば、どこか引っ掛かるものこそあれどそこから先がさっぱりだった。地味目な黒髪、地味目な格好、センスはまあ良いか悪いかで言えば良さげな感じ。オシャレというものを本人が理解しているかはともかく、その服装はどことなく似合っていた。

 

「……ごめん。どっかで、見たような記憶はあるんだけど……」

「どっかじゃねえよ……一年のときにずっと委員会同じだったろ……」

「…………あ、飢郷くん?」

「おう」

 

 ぐるん、とこちらを向いた少年が低い声でそういった。若干涙目である。

 

「酷いよなあ、十坂。あの頃の俺たち、いつも一緒だったじゃねえか……」

「そうでもないよ?」

「お前のことは今日からネタにマジレス兄貴と呼ぶ」

「まあ、良いけど」

「良くないんだよなあ……」

 

 ツッコミのセンスゼロかこの野郎、とぼやく少年に思わず笑った。名前を皮切りにしてみれば、そういえばそうだと記憶が掘り起こされた。色々とヒロイン相手に立ち回っていたお陰で薄れていたが、一年間同じ役目を全うした戦友である。

 

「なんか久しぶりだね、こういうの」

「だなあ……クラス変わって合いにくくなったしなあ……いや、俺は断然ぼっちですけどね?」

「じゃあこっちまで来れば良いのに」

「HAHAHA。……十坂おまえ、その陰キャムーブのなかに陽キャ的思考を混ぜるのはよくないと俺は大体十回ぐらい言ったぞ」

「え、あ、うん……ごめん……?」

「うむ」

 

 うんうんとうなずく自称陰キャ。よく口が回るのはそれほど頭を回しているということでもある。ふざけていて色々と弱点に塗れたような少年だが、一年の付き合いでそれこそ鷹仁と比べても見劣りしないほど出来た人間なのだと玄斗は知っていた。

 

「D組だっけ? どう、楽しい?」

「おまえは俺の言ったコトを五秒前からリピートしろ」

「……うむ?」

「そのひとつ前だちくしょう!」

 

 余韻が長かったか……! と腰を折る陰キャカッコカリ。面白いのがこう見えて、口を回すのが限定的であるという事実だ。初対面の相手でも大抵はうまいこと話す彼だが、それでも苦手な手合いというのが存在する。

 

「あーもう本当クソだわ……俺たちは日なたの道を歩けない……」

「結構歩いてたと思うけど」

「おまえのことは今日からネタにマジレスおじさんと呼んでやろう」

「君におじさんと呼ばれる筋合いはないぞ」

「呼ぶ気もねえわ」

 

 だいたい〝おじさん〟の意味合いが違っていた。悲しいことにどちらも素ではなくネタで言っている応酬なのが玄斗の成長を表していた。分かりにくい男である。

 

「てかそっちはどうなんだよ。なーんか、面倒なことになってるみたいだが」

「面倒、ではないけど。でも、けっこう楽しい毎日かな」

「うっはあーすげえ……俺だったら秒で死んでるね。あんな女子ばっか(・・・・・)に囲まれて暮らしてりゃあ……」

 

 美少女との関わり合いは二次元だけで十分、というのが少年のわりと薄っぺらな主張だった。時と場合によってそれは変わる。信念というほどでもないのが本当に薄っぺらい。

 

「まだ駄目なの?」

「まだっつうかもう大分染み付いてるっつうか……いや、木下のヤツに誘われてそういう場とかにも足を運んだけどなあ……無理だわーアレ。本当ないわ……もう二度といかねえ……!」

「鷹仁?」

「おう。……合コンって、マジで地獄なんだな……」

 

 近寄ってくる女子がまんじゅう的な意味ではなくガチで怖いと震えながら語る飢郷某。顔はそこそこなのに吃りやがってクソ童貞野郎なんていうのは被害妄想にしても、どこぞの誰かさんが女子が苦手というのはわりと有名な話だった。学年単位で。

 

「三年の先輩とかに結構いじられてたりしない?」

「する。めっちゃする。なんなのあれ……休み時間のたびに来んなよ本当……それで人と話して満足げに帰るなもう二度と来んなまじああもうじんましんでるからっ!」

「そこまで酷いんだ……」

「だからこうやって夏だってのに長袖だ。まあ生地が薄いからいいけど」

 

 と、ひらひら少年が腕をふって見せてくる。思えば時季外れの長袖はふたりめだ。それだけで印象に残りそうなものだが、最初のひとりが想像をはるかに絶する着込みようだったせいで、そこまでインパクトも薄れていた。

 

「俺もなー、興味がないワケでは? ないんですけどね?」

「お付き合いとか、難しそうだね」

「まずうまく会話できるのが前提だからな。それこそ性転換した美少女とかじゃないと無理じゃね?」

「なにそれ、漫画の世界だよ」

「だなー」

 

 あっはっはー、と笑い合うふたり。間違ってもそんな世界線は存在しないので自然と可能性が消えていた。ちなみにそんな男子共は、絵になるかどうかと言われればギリギリ妥協して合格ラインを下回るかどうかという感じで絵にはなる。容姿的にはそのぐらいだった。おもに合計して。

 

「んで、まあ長く話したが……十坂。このあと暇なら、俺と一緒に日陰道でも……」

「ああ、ごめん。白玖……女の子待ってるから」

「てめえこの野郎ッ!」

 

 がばっ、と立ち上がった少年が胸ぐらを掴んでくる。冷や汗が滲んでいた。

 

「それを先に言え!? なんかNTRムーヴしてるホモみたいになったじゃねえか!」

「言っておくけど僕にそんな気はないんだ……ごめん……」

「いや俺もホモじゃねえよっ!? いや待て、おまえまさか理解(・・)してたのかッ!? 最初のやりとりの時点で「やっぱりホモじゃないか(歓喜)」とか、そう思ってたのか――!?」

「え?」

「違ったくそう!」

 

 ネタは用法用量TPOを守って使いましょう。そんなアナウンスがどこからか聞こえてくる。自分の知っているネタを勝手に叩き付ける面倒くさい典型的クソオタクの鑑がここにいた。彼を受け入れるのはギャグの世界線でなければ無理だろう。

 

「ああもうそれじゃあな! 迂闊に近寄って火傷するところだったわ……彼女さんと仲良くしとけよ!」

「え、や……まあ、うん、そっちも、色々と頑張ってね」

「なにがだ。まさか俺が妹とはぐれて迷子になってるのを知ってんのか」

「君のほうが迷子になってるのか……」

 

 最後に心配するコトを言いながら、少年はすたすたと歩いていった。本当に会いたくないのだろう。別に嫌悪感とかそういうのではなく、単純に無理だというのだから仕方ない。――飢郷逢緒(ウエサトアオ)。女子が苦手な彼は意外なぐらい女子の事情を知っている。なんでも「敵を知り己を知れば百戦錬磨だ。……逃げるという意味でなッ!」とのことらしいが、若干逃げ切れていないような気がしないでもない。

 

「お待たせー……って、どうかした?」

「……いや、なんでもない」

 

 答えながら、すくっと立ち上がる。自分のように必死こいたワケでもないのに、自然とそういうものを集めていた手腕は一年時の玄斗からして見習うものがあった。本当に手際よく把握するものだから、忍者なのではと一瞬思ったぐらいだ。……そんな彼に〝彼女〟なんて誤解をされたのは、一体どうしようかと思いながら。





>少年
どこかで聞いた名前だと思った方はそんなワケないので新鮮な目で見よう。別人のはずが設定付け足して喋らせる度に似てきたかわいそうな子。ついでとばかりにネーミングもポイ捨てされたかわいそうな子(二度目)ヒントは沢山あるのでゲーム内の立ち位置はもうお分かり。





アンケートの結果がいちばん主人公にクソ甘そうなルートになりそうなのでなんとかして曇らせられないか必死で考えてます。


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白いキャンバスに憧れて

 

 木々を抜けた暗闇のさき。祭りの明かりからすこし離れた静かな広場。風にさらわれる髪をおさえながら、白玖はくるんとふり向いた。人気のない森のなか、唯一と言って良いほど夜空がよく見える。

 

「……すごいな」

「でしょ? この前見つけたんだー」

 

 お祭りが楽しみで下見に、と付け足しながら白玖がくるくると回る。とりわけ今は人気の多い場所も嫌ではないが、静かであるというのはやはり落ち着く要因のひとつだった。玄斗からしてみても、良いと思わせるモノがある。そんな空間で、ぽすんと彼女は座った。

 

「ほら。隣、隣」

「……はいはい」

「はいは一回」

「はい」

「よろしい」

 

 くすくすと笑う白玖の隣に腰を下ろしながら、いま一度夜空を見上げる。それは暗い街の闇みたいで、海の底のようで、救いのない深みさえ覚えて――

 

「なーに辛気くさい顔してるの」

「……いや……」

「もったいないよ。最近、やっと綺麗に笑うようになったのに。思い悩むのは、あとにしておいても良いんじゃない?」

「……そう……かも、ね……」

 

 別に、思い悩んでいたワケでもなかった。ただ、そこから引き摺りあげられた事実が、いまだにちょっと、信じられないではいた。

 

「……白玖は、もしかして」

「うん?」

「ぜんぶ、知ってたり……?」

「だからあ……言ったじゃん。私はぜんぶ知ってますよーって」

 

 なんでもないように白玖が応える。それだけで、なにを確かに言ったワケでもないのに、納得してしまうものがあった。人間同士。所詮は相互誤解。だとしても、彼にとって壱ノ瀬白玖という少女の存在はとても大きかった。その一言に、なにもかもを許してしまうぐらい。

 

「すっごい嫌な話をしちゃうけどね」

「嫌……?」

「うん。まあ、単純な心の問題。自分より酷い人がいたらさ……なんか、どうでもよくなるじゃん?」

「……それ、って」

「まあ、私の場合、気付いたのは後になってからだけど。でも直感はあったよ? あ、この子おかしいなーって」

「……そんなにだったのか……」

「だって玄斗おかしいもん。気持ち悪いし」

「うっ……」

 

 ずきっと心が痛んだ。露骨に顔を歪めると白玖がまたもや笑ってくる。

 

「そういうとこ、良いと思うよ」

「なにが……?」

「今までの玄斗なら、絶対曖昧に笑って流してた。ちゃんと受け止められてる」

「…………そっか」

「そう。だから、まあ、複雑だけど、私は嬉しかったりします」

 

 おかしいと言われて、傷付く。気持ち悪いと言われて、落ちこむ。そんなのは大抵の人間が持っている感情だ。当たり前みたいなコトでもある。それすら曖昧でともすれば〝無かった〟自分であれば、そうなるのだろう。とても、人らしいとは言えない。

 

「……考えてたから、かな」

「なにを?」

「ゼロなんだって。なにも無いって。思ってたから……そうあろうと、してたのかもしれない」

「ふーん……零に、無い……ねえ……」

 

 明透零無。その名前に込められた呪いじみた意味も、結局は父親自身から否定されて目が覚めた。いまの玄斗は彼自身が掴んだ未来の賜物とは言い難い。周りから支えられ続けて、ようやく辿り着いたスタートラインに立っただけ。問題はこれからになる。

 

「……ちなみに、白玖はそれ、どう思う?」

「いやあ……まあ、私だったら……零じゃ無い……って、無理やり解釈したり?」

「……っ。……その、心は?」

「だって、そのほうが素敵だし。たぶん、自分の子供とかにそんな意味、つけちゃうかもね」

「こど、も……」

 

 ――見たコトもない。聞いたコトもない。けれど、なにか、とんでもないレベルで。重なる部分があったかと言われればそも……ないのだけれど。

 

「……白玖、なんだよな?」

「ええ……? 急になに? そこまでおかしかった?」

「そうじゃ、なくて……」

「……?」

「なん、ていうか……いまの君――」

 

 似ている、と玄斗は思った。聞いたかぎりの薄い情報。写真だけの仄かな記憶。あったこともない誰か。例えば、明透零無を作り出したのが彼女なのだとすれば。いまある十坂玄斗をつくりだしたのは間違いなく壱ノ瀬白玖で。だからこそ、ズレていながら重なった。

 

「……いや、なんでもないよ」

「? ……変な玄斗」

「変でいい。……でも、そっか……」

「んん……?」

「やっぱり、良かった。……僕は、僕で。本当に良かったと、思う」

 

 旧姓はたしか、白河といったか。ひとつの美しさ。ひとつの幸せ。なにもないなんてことは無く、ただそれ以上を望んだ誰かの願い。それが込められた名前が、いまとなっては心を温めるモノになっている。本当に、心底、彼は――明透零無であって良かったと。

 

「……明透一美、だっけ」

「……?」

「知らない?」

「知らないけど……え? 誰? 同じ高校?」

「違うよ。でも、うん。……なら、良いんだ」

 

 似通っている、というコトは色んな取り方ができた。偶然のレベルでそういうものなのか、はたまた記憶だけが抜け落ちているのか、もしくは単なる生まれ変わりなんてファンタジーか。シロとイチ。そのどちらもが含めた意味合いに、また玄斗は笑った。

 

「……ひとつだけ、聞いてもいいかな」

「なにを?」

「もう、答えは出てるんだけどね。でも、ちょっとした質問」

「だから、なに?」

 

 優しい問いかけだった。急くようなものではない。ただ、「分かっているよ」と言いたげな声。思えばそう、最初から。本気の本気で、はじめのはじめからだった。十坂玄斗が行動に移した原初の理由。そこにあるべきものはただひとつで。

 

「僕はこれから、どうすれば良いと思う?」

「――なんだ、そんなこと」

「…………、」

 

 そんなこと。そうだ。言ってしまえばそれで済むこと。当たり前のように誰もが考えていること。自分の行く末さえ他人に聞いてしまう少年のことを、彼女は笑いもせずに受け止めながら言った。

 

「そんなの、決まってるよ」

「……どんな風に?」

「玄斗らしく生きていけばいい。玄斗の思うように、生きていけばいいんだよ。そのために私がいて、他の誰かがいて……なにより、玄斗がいるから」

「……僕らしく」

「そ。……玄斗は、玄斗の思う玄斗であるようにね」

「……うん。分かってる」

 

 なにが大事か。どれを取るべきか。そんなものは分かっている。ただ普通に、幸せに生きていたいと願いながら、心の底でそれを否定していた愚かな男を知っている。だから受け入れてしまえば簡単なこと。なにかに笑って、涙を流して、月並みな日常の幸せなんかを知って。ただ、それらしく生きていく。

 

「だね、僕も……見えた。僕の答えが。やっと」

「……ふぅーん。ちなみに、どういう?」

「それはまだ秘密」

「えー!」

 

 そんなのはズルだ、とでも言わんばかりに白玖が詰め寄る。――瞬間。

 

「わっ!」

「……おお」

 

 遠く、暗い空に花火が散った。

 

「うわあ……圧巻だね」

「たしかに……」

 

 続けてあがる打ち上げ花火は、腹の底にまで響くような音だった。どんどんと鼓膜を震わせて身体に染み渡る。かつては病室から眺めるしか無かった光景を、こんなに贅沢な場所で、こんなに贅沢な状況で、こんなに贅沢なままに見ていられる。それは、とても、幸せなことでしかない。

 

「綺麗……」

「…………、」

 

 言うべきか、正直迷った。後ろ髪を引くのは、きっと違う誰かのもので。でも、自分に嘘はつくべきではないと、誰もが言っていた。だから、誤魔化すのはなしだろう。

 

「……白玖」

「うんー?」

「――君のほうが、綺麗だ」

「――――っ!!」

 

 ぼん、と白玖の顔が一瞬で真っ赤に染まる。ぐるんと首をこちらに回して、ぱくぱくと言葉にならない文句を投げてきた。笑う。十坂玄斗はとってもらしく笑う。なんのしがらみもなく、なんの憂いも無く。ただ彼らしく、笑い続けた。

 

「――本当、綺麗だ。白玖」

 

 だって、何度も言うが、そのとおり。いちばん初めに抱いた想いは、白玖(だれか)を幸せにしたいという彼自身の願いなのだから―― 






アンケートの結果、大体これ主人公に甘い世界確定しちゃっててもうなんとも言えない。もっとこんなド屑系主人公は地獄の底までブチ落としても良いんですよ! すくなくとも作者はこいつに調子こいたハッピーエンドなんて与える気はさらさらなかった。いやハッピーにはするけどね?



いや、露骨にそういう択を用意してたのに少ないのは予想外ですよ……?


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たったひとつの結末

読まなくてもいい部分は全消ししました。ので、最後は思いっきりスクロールするかブラバしましょう。


あー主人公記憶全損ルートとか無印ヒロイン存在喪失ルートとか十坂玄斗(本人の意識だけがあって明透零無はどこにもいない)ルートとか書きたかったのになー! 仕方ないなー!


 

 ――やがて、光は消えて。音も景色も遠くなって、静かに、沈み込むように溶けていく。一夜限りの夏祭り。それはなんとも平凡に、何事も無く終わりを告げた。いまはその帰り道。送るよ、という玄斗の提案を快く受け入れた白玖と、ふたりっきりの道中だった。

 

「…………、」

「…………、」

 

 ただ、雰囲気は、どうにも変えがたい。先ほど――ちょうど花火を見上げた彼女に――伝えた一言以降、白玖は目に見えて口数が減ってしまった。どこかよそよそしく、慣れないように半歩前を歩いている。後ろから見た浴衣姿も、まあ似合っていた。

 

「……、」

「……、」

 

 ただ、これはどうするべきか、と悩んでしまうのも事実だ。とくべつ息苦しいワケでもないが……白玖と居る時は大抵喋っているからか、慣れないという感覚が強い。真綿で首を絞めるほどとはいかなくても、マフラーを固く結ばれるぐらいはある。そんな、夜中の住宅街だ。

 

「……白玖」

「っ……な、なに……?」

 

 ビクン、とこれまた目に見えて肩を跳ねさせた。らしくない、と玄斗は息をつく。らしさなんてひとつ取ってみても数ヶ月前まで必死に悩ませていた事実が、いまはもう遠い過去に思えるのだから自分も大概だ。すこし歩調を速めて、白玖の隣につく。

 

「面白い話でもしようか」

「いいよ、別に……」

「じゃあ、昔話?」

「そういうのでもないでしょ……」

「なら……」

 

 と、玄斗はあからさまにちいさく白玖の顔を盗み見て、

 

「ほっぺにソース、ついてるよ」

「っ!?」

 

 がばっ、と俯きかけていた少女の顔があがって、わたわたとその顔を両手で覆いだした。忙しない動きと赤面した表情が、乙女的に一大事だと全方位に向けて発信している。

 

「なっ、な、あ、ど、うぇえ……!?」

「ごめん、嘘」

「……へ?」

「だから、嘘。そんなのついてないよ」

「…………、」

 

 にこりと笑いながら言うと、白玖の動きがぴたりと止まった。じぃいっ……と恨めしそうにこちらを見つめてくる。ので、

 

「やっと目が合ったね」

「――――!!」

 

 よりいっそう笑みを深くしながらそう言うと、案の定白玖は耳まで真っ赤になった。いまのは狙ったので効果抜群である。十坂玄斗、ここに来て自らの表情の使い方を知る。一部にしか特攻が効かないあたり、便利とは言い難かった。

 

「なに恥ずかしがってるの。白玖」

「そっ、それはっ……あんな、タイミングで……あんなコト、言って、くるから……!」

「……タイミングの問題で、そんなに?」

「かっ、変わるよ!? その、あの……乙女心は、秋の空だから……!」

「うん。一旦落ち着こうか、白玖」

 

 急接近して力説する少女の肩に手を置きながら諭す。自然とそういう格好になってしまった。これは狙っていない。どちらも成り行きにまかせた格好である。だから、別に、なんというコトでもないだろうに。

 

「……ぁ……」

「(…………!?)」

 

 超絶至近距離でそんな甘い声を出されて、一瞬、玄斗の封じられていた獣性が目覚めかけた。この主人公スケベすぎる。そんな一文が脳裏を掠めていく。消え失せていたはずの性欲が戻りかけているという重要項目は、まあこの際わりとどうでも良かった。

 

「……くろ、と……」

「……白玖……」

「私……私、ね……」

「……うん」

 

 そっと、白玖が視線をあげた。見上げるように彼女は玄斗へ近付く。ほんのりと軽い体重が胸にかかってくる。暗い夜道。周りに行き交う人はいない。誰も、ふたりを気にとめる人も、止めに入る人間だっていない。

 

「私は――十坂玄斗の、コトが……!」

 

 鳴った。甲高く、周囲にまで響きわたるほどに、大きく、広く。

 

 ……携帯が、鳴った。

 

「…………、」

「…………、」

「……………………、」

「……………………、」

「…………でないの?」

「本当に申し訳無い」

 

 ぶすっとした白玖に言われて頭を下げながら画面を確認する。着信相手は――見事なほどのタイミングを発揮した自慢の妹だった。

 

「……もしもし」

『あ、お兄ー? なんかね、こう、ざわついたから電話したんだけどー』

「……なにが……?」

『胸が』

 

 こう、ざわっと。なんて曖昧にいう真墨。偶然とは思えないぐらいバッチリなのは本当にそうなのだろうか。血のつながりというのは侮れない。もしくは、本当に虫の知らせみたいなものが彼女には備わっているのか。

 

『いやあ、まさかとは思ってるけどね? 友達と花火見てきゃーきゃー言ってるかわいい妹をよそにまさかまさかの誰かさんとあっまーい恋愛くり広げてない? 大丈夫? 指詰める?』

「いや、ないから。そんなコトないから」

「…………、?」

 

 ちら、と隣を見る。……うん、まあ、なにはどうあれ、無いと言っておくしかなかった。

 

『本当かなあ……? 気になるー、あたしは気になるー。ということで帰りに梨でも買ってきて♪』

「いま決めただろう、それ……」

『なんか唐突に食べたくなった。あ、でもスーパーもうしまっちゃってるか。じゃあコンビニで適当なスイーツ買ってきて。お金は帰ったら渡す。じゃ!』

 

 ぷつり、と電話がきれる。いつもより傍若無人〝度〟が高いのはきっとちょっとキレているせいだ。なぜなのかは、本当に分からないがなんとなく想像ついてしまった。

 

「……妹ちゃん?」

「ああ、うん。……もう、真墨は……」

「あはは……珍しいね、玄斗。ちょっと怒ってる」

「当然だ」

 

 むすっ、と今度は玄斗がどこか拗ねたように頬を膨らませた。その光景がちょっと意外で、なんでだろうなんて白玖が首をかしげる。だいたい、ふてくされるなら自分のほうで、電話をとった彼が拗ねる部分なんて――

 

「……君の大事な言葉が聞けなかった。そりゃあ、怒りたくもなる」

「――――――っ」

 

 このように。あってしまった、ワケだが。

 

「あ、あは、あはは……えーっと……いつもの、天然……かな……っ」

「ばか、そんなコト言うか。……僕は白玖のそれが聞きたかったって、言った」

「いや、さあ? なんで、さあ……ええ……この流れで、私、を……選ぶ、ワケ……?」

「だって、考えたら最初からだ」

 

 跳ねる心臓、回る血液。うるさいぐらいの鼓動が外に聞こえていないか気が気でないのに、そこまで意識がいかない。なにせ、聴覚はぜんぶ彼ひとりに向けられた。その、一言一句を聞き逃さないために。

 

「ずっと、ずっと。はじめて見たときから……僕は、君のために何かしたかった」

 

 なら、これが最大限なんだと思う、と。少年はなんでもないように言った。なにもなくて、あやふやで、曖昧で、透き通るように無の塊だったひとりの人間が。たしかな自分の意思で、見つめ直して、考えて、支えられてやっと立って、出した答え。それが、自分に向いている。

 

「恋とか愛とか、分からないけど。でも大事にしたいって、思うよ。もっと率直に言うならだけど……」

 

 すっと、玄斗は手を差し出して。

 

「君が欲しいんだ、白玖。僕のいちばん側に、居て欲しい」

「――――っ!!」

 

 そんなのこそ、反則だろうに。

 

「……っ、ば、ばか、ばか! なに、言ってるの、いきなりっ! そんな、そんなの、さあ……!」

「嫌か?」

「っ! ………、………それ、は……ぃ………………、け、ど……

「聞こえない」

 

 胸が高鳴る。脳が沸騰する。ぼろぼろと涙が出て来た。もう顔はぐしゃぐしゃだ。壱ノ瀬白玖としてつくってきた美しさなんて微塵もない。のに、泣くのはやめられなかった。悲しいワケでも、辛いワケでもないけれど。だから、しょうがなくて。

 

「嫌じゃ、ない…………っ!!」

「……そっか。なら……」

 

 良かった、とは彼は言わなかった。ただひとつ、そのときにあるべき感情を呟いて微笑む。やがてふたりは、腕を組んで歩き出した。幸せなんてありふれている。本当にそうだ。なにせ十坂玄斗にははじめから、とても近くに、最高の幸せが用意されていた。それに気付くのに時間がかかりすぎた。けれども、辿り着けたのなら上出来だろう。

 

「すごく、嬉しい。白玖」

 

 笑顔を浮かべる少年は、どこまでも、どこまでも。あたりまえな幸せを噛みしめる、人間らしかった。

 

 

 

 

 

 

 ///◇◆◇///

 

 

 

 

 

 

「……お願いだ」

 

「どうか、どうか」

 

「あるならば、こそ……」

 

「――いや、あるのだとして、だ……!」

 

「……頼む、お願いだ!」

 

「奇跡だって、なんだってあった!」

 

「だから、頼む……!」

 

「――俺の願いを……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――///Welcome to Paradise///――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 表を返せば裏となる。それこそが世界の真理だとすれば。きっと、波長に導かれることもあるのだろう。無力な彼の伸ばした手を。掴んだ虚空こそ、あるのだろう。

 

 

 歪む、歪む、歪む。

 

 

 歪んで、曲がって、そして――

 

 

 

 反転する。






見つめ直したらそりゃあこうなる、という話。そも動機がぜんぶ誰かさんのためだったヤツですのでまあ妥当。え? 他ルート? 完結後も作者の気力が残ってたら全ルート分仕上げるよ(全ルート書くとは言ってない)


真面目な話、七章で一旦区切りなので八章からはわりと蛇足です。


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あくる日の幸福感

前話解読した人はもうちょっと容赦して……七章で一区切りするのにいらない描写削っただけだから……!


 

『……そう、なんにしろ、聞けて良かったわ、答え。あんたが決めたのなら私は別に、文句もなにもないわよ。それがいちばんなんだから。……はぁ? いや、別にっ……な、泣いてないわよっ!!』

『よがっだでずうぅぅうううぅうう!!!!』

『とりあえずその子を一発殴らせて? いえ、別に、私怨とかそういうのじゃないから安心して。単純な殺意だから。……あと、不倫は文化らしいわよ。そこのところどう思う? レイ?』

『へー、ふーん。そーなんだあ……ところでさあ、零無? 今日これから暇? ちょっとあたしに付き合って欲しいんだけどなあ……?』

 

 以上、報告したメインヒロイン勢から玄斗への痛烈な返しだった。色々と世話になったお礼も兼ねて直接会って話すというコトを重視した結果である。しんみりと予想外にいちばんまともな反応をしめした涙目が約一名。そして予想通りにぼろぼろと大粒の涙を流したのが約一名。それを意にも介さないとばかりにとんでもなく距離を詰めてきたのが約二名だった。どちらも諦めていないあたり強いとは思う。

 

「あたしは認めんぞっ!?」

()だって認めてなるものかっ!!」

「はいはいふたりとも落ち着きましょうねー?」

「……あはは……」

 

 どん、とジュースの入ったコップを叩き付ける真墨、グラスを割れんばかりの勢いで落とす父親、面白おかしくなだめる母親、愛想笑いの白玖である。玄斗はなんとも頭が痛くなる思いだった。うちの家族、やっぱりおかしいのでは? と半分疑ってしまう。おそらく全部疑っても良かった。

 

「見ろお兄! このあたしを見ろ! ほら! この人よりおっぱい大きいよ!?」

「真墨、ちょっと黙って」

「そうだ、まずは簡単な質問をさせてくれ。壱ノ瀬くんと言ったな。簡単な職歴と資格の有無から教えて貰おうか」

「父さんもすこし黙って?」

 

 ぐわしっと自分の胸を揉みながら強調する妹と、仕事モードに入りながらゲンドウポーズで面接官みたいな圧を飛ばす父親。ただちょっと良い感じになっていると自白した少女を連れてくるだけでどうしてこうなるのか。まったくもって玄斗はさっぱりだった。……ちなみに、良い感じとは言うがそれつまり相思相愛というコトである。

 

「壱ノ瀬ちゃん? この人たちちょっとアレでアレなだけだから気にしないでいいわよ? で? うちの息子との馴れ初めってどんな感じ? どこに惚れたの? やっぱり外見かしら。この人に似てイケメンよね玄斗」

「え、あのあの、うえぇ……?」

「面食いですか壱ノ瀬先輩!? 中身とかガン無視っすかあ!?」

「そんなの私は一向に認めんッッッ!!!」

「ああもう、ちょっと静かにしてくれ……!」

 

 もみくちゃにされる白玖をよそに、玄斗はついぞ額をおさえながらため息をついた。なんだかここ最近忙しない日々が続いている。夏休みだというのにあんまりな日常の連続だ。一体全体どうしてこうも変わるのかと、がっくり肩まで落としかけて、

 

「(……メール?)」

 

 ポケットに入れていた携帯が震えて、思わず取り出しながら確認した。とっさの判断でもある。付け加えると、このカオスな現状から逃避したいという気持ちもあった。

 

「――――っ!?」

 

 が、そんな甘い考えすら粉々に撃ち砕かれる。画面に映し出されたのは短い文面と、一枚の添付画像。ちいさく見えるそれが、なんだか、とんでもなく嫌なものに思えて――

 

「あら玄斗それなに?」

「かっ、母さん!?」

「えーっと……〝一番乗りはあたしだね〟? どういうこと? ……あら? うん? ふふ、うふふ……? あらあらぁ……」

「ちょっ、ち、違うから! えーっと、これは、なんていうか、誤解で……!」

「え、なに? 玄斗、なにかあったの?」

「な、なにもないっ!!」

 

 ズボンのポケットの携帯を仕舞いながら、玄斗は必死で否定する。アレはまずい。なにがまずいって証拠が出揃っているのに完全無罪なのがまずい。なにをどうしようと素直に言うならただありえない真実を言うしか無くなる。そんなやばい画像だった。

 

「うちの子、プレイボーイだったのね……どうりで、昨日は夜遅くに……」

「母さん!?」

「……どういうことかな、玄斗」

「えッ、や、その、白玖! 違うんだ。これは、み、碧ちゃんの悪戯で――!」

() () () () () () ?」

 

 ひっ、と喉から引き攣った声が出た。白玖の後ろに般若か阿修羅が見える。思わずぎゃーぎゃーとわめいていた父親と妹さえ静まる勢いだった。とんでもない、本気で。

 

「携帯チェック、しよっか」

「……あの、白玖。これだけは言わせて」

「いいからさっさと」

「誤解なんです」

「ハリー」

「はい」

 

 すっと玄斗は五体投地の要領で携帯を差し出した。もちろん大抵のコトを気にしない彼が自分の携帯にめんどうくさいロックなんてかけているはずもなく。スリープ状態から立ち上がった画面は、真っ先にメールの文面と添付画像を映し出す。

 

「……これが、誤解?」

「…………はい」

「ふぅーん? へぇー? ふたりっきりの夜、楽しかったよ♡(はあと)だって? 五加原さんと? ふふ、はは、はははは……!」

「……いや、本当に、これは油断で。あの、ちょっと、雨宿りで入ったビジネスホテルで、寝落ちしちゃって……」

「ふたりとも見える部分は服着てないねー?」

「おいお兄。その画像あとであたしにも見せろ」

「嫌だよ……」

「見せろ」

「……はい……」

 

 圧が凄かった。妹の圧が。父親はなぜか同意するようにうんうんと頷いている。たぶん、きっと、こういう誤解をあの人は乗り切ったのだと玄斗は直感した。おもに行為中に他の女性の名前を呼ぶという下手すればふたりともこの世に生まれていなかった可能性すらある事件で。

 

「……ま、寝顔は本当みたいだし。布団で巧妙に隠されてるけど、かすかに下半身が履いてないことはなさそうなので、不問にしておくよ」

「あ、ありがとう……白玖……愛してる」

「っ! た、ただし! 今後は気を付けること! ああもう、いつどこから他の女子が玄斗を狙ってるか分からない……!」

 

 ちなみにハイエナのごとく目を光らせているのはふたりだけなのでそこまで心配することでもなかったりするのだが、残ったひとりは油断や隙を見せた瞬間に赤信号よろしく無視してかっさらい、もうひとりは油断や隙がなくても黄色信号振り切ってぶっ刺しに来るという合計四名の十坂玄斗(明透零無)特攻兵器相手なのでどうせ気は抜けなかった。

 

「……あと、これは、白玖にも言わなきゃと思うんだけど……」

「……なに?」

「…………先輩に」

「先輩? ……ああ、四埜崎せんぱ――」

「はじめてのキス、取られた」

「――――は?」

 

 ビシリ、と白玖の体が固まる。ついでに真墨の体も固まる。母親はニヤニヤとどこか楽しげに笑っていた。父親はなぜだか涙ぐんでいる。十人十色にもほどがあろう。

 

「……いや、不意打ちで……拒否は、したんだけど……その。ガッと……頭、おさえつけられちゃって……」

「――――――――、」

「……舌、入れられちゃった……」

 

 ぶちっ、と。白玖のなかで何かが切れた。決定的ななにかが。

 

「あの女ちょっとひねり潰してくる」

「ま、待って! これは、あの! 僕が! 僕が悪いからっ!?」

「いいや玄斗は悪くない。大丈夫。玄斗は悪くないよ。――だから、待ってて」

「白玖!?」

 

 なんかマジで殺る気の目をした白玖を必死で止めながら、玄斗はとてつもなく濃かったこの一週間を思い出した。というか正直ディープはやばかった。逃げようとしても逃げられないまま口内を蹂躙されたのはおそらく蒼唯でなければトラウマになっている。ちょっと腰が抜けかけたのは男として隠し通したい秘密だ。

 

「どいつもこいつも……! だいたい恋人は私だからっ! 私以外のところなんていっちゃ駄目なんだからね!?」

「そりゃもう分かってる! 分かってるんだ、白玖! ただちょっと周りがまだ容赦してくれないだけで――」

「じゃあそれは潰せば良いよね?」

「白玖ぅ!」

 

 周りというか約二名である。諦めの悪さはそれこそ秘密を知っているからだろう。十坂玄斗が別の誰かでもあるという事実を知っていれば、そりゃあ、たかだか恋人になったぐらいでなんだと突き進みたくもなる。……かも、しれない。

 

「……まったく、もう……」

「……あはは……」

「笑わない」

「はい」

 

 なんて、そんな幸せな日。きっとこれから、そんな日々が続いてくのかと思うと、とても心が晴れやかだった。――でも、そんなことはなくて。短い幸せはひとときのまま、泡と消えていく。




「――やだ、やだやだ!」
「やめて! おねがい! ゆるして! や、や! やああ!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「や、やあ……! いやあ! ゆるして、おかあさん! ごめんなさい! ごめんなさ――」
「ああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

……てことで、次がラスト。とりあえず締めていこう。


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エピローグみたいなプロローグ

 

 ――ふと、目が覚めた。あたりは燃えるような茜色。夕焼けに染まる白い病室で、息遣いだけが細く続いていく。物音なんて一切なくて、身じろぎした布団のズレでやっと生活感というものが溢れた。――なんて、静寂だろう。

 

「…………、」

 

 ぼうと天井を眺める。赤く染まった白い天井。変わらない風景が唯一色らしい色をつける黄昏時だ。思えば、こんな風景が好きなんだと考えた。変化を望むのは、恐ろしさよりも退屈がすぎるからで。でも、それ以上に。どこかで、それを望んでいるのを知っていた……ような、気がする。

 

「――――、」

 

 息を吐いて、意識を覚醒させる。すこしだけ喉が渇いていた。近くの棚に水差しとコップが置かれていたのを思いだして、すっと手を伸ばす。……そこへ、

 

「ああ、いいよ。僕がやる」

「…………あり、がとう……ございます……」

「ううん。礼なんていらない。()()()()()()()

 

 とくとくと、優しく渡されたコップに水が注がれる。まだまだぼやけた頭では判断も区別もつかなかった。流れるように注がれた水を、ゆっくり、ゆっくりと嚥下する。コップ一杯で震える手が、どうにも先の長さを――有り体に言えば短さか――感じさせてくる。

 

「まだ要る?」

「……いえ……もう……」

「そっか」

 

 すんなりと引き下がったその人は、どうにもよく見えない顔をしていた。うすぼんやりと視界が霞んでいる。なんでだろうと、考えるのも億劫なほど気分が優れない。病状が深刻化しているのだろうかと、ありそうな事実を考えてみた。そんな想像は、なんてつまらないもので。

 

「……あなた、は……?」

「さあ、誰だろう」

「…………、」

 

 薄目のままぼうと見る。ふざけているような答えに、声音の楽しさなんて微塵もなかった。どこか、親近感を覚える。色という色をすべて落としたような口調。トゲもささくれも削りきった引っかかりのなさ。なにもなく、なにも望まず。そう言われ続けてきた誰かのコトを、思い出す。

 

「でも、言わなきゃはじまらない。だから言うよ」

「…………、」

「僕の名前は十坂玄斗。はじめましてだね、()()()()さん」

「……はじめ、まして……ですわ……」

「……ですわ……?」

 

 すこし、口調が乱れた。

 

「……申し訳、ありません……こんな、状態で……」

「いいよ、知ってたし。分かってた。……でも、ちょっとは良いみたいだ」

「……良い……の、ですか……?」

「うん。安心してほしい。きっと大丈夫だよ、君は」

 

 なんて。どこから来たのかも分からない根拠を、その人はぶつけてくる。なんてことはない一言だった。自然と出たのか、意識して言ったのでは無い言葉。それが、どうしてこうも胸に突き刺さるのだろう――?

 

「大丈夫……」

「うん。大丈夫。もう、平気なんだ。君は」

「平気……なの、ですか……?」

「そりゃあ、ね……だって、そうだろう?」

 

 不思議な感覚だった。ずるずると引き摺られていく。磁石のように引っ張られる。そんな、ワケも分からないモノに包まれている。誰と話しても、なにを話しても、こんなコトにはならなかった。彼が持つ特有の雰囲気なのか。ろくに考えもせず、そう直感しかけて、

 

「君は十分、頑張ったんだから」

「――――」

 

 心が、悲鳴をあげた。

 

「……なにを、おっしゃいますの……」

「……、」

「わたくし……は……頑張って……など……」

「頑張ったよ。もう分かってる。知ってるんだ。アトウレイナは、そんな一言に救われちゃうぐらい……頑張ってたんだよ」

「ち、がう……ちがいます……! だって、わたくし……は……!」

「ちがわないよ」

 

 ふわり、と。頭に手を置かれる。その行為がとても暖かいのだと、そのときはじめて知った。だって、そうだ。こんなコトは誰からも、一度もされたことがないのだから。たったひとりの、父親からも。

 

()はとっても頑張ったんだ。やっと、それが分かった気がする」

「ちがい、ます…………っ!」

「……すぐには分からないけど、いずれはね。きっと理解できる。ひとつだけ、良いことを教えてあげる」

 

 ああ、とても、不思議だ。初対面で、顔もよく見えなくて、名前だってさっき聞いたばかりだというのに。

 

「君の未来は、とんでもないほど幸せに満ちているんだよ――」

 

 どこまでもこの人の言葉が、心に響いて仕方ない。

 

「……あ、ああ……あああ……!」

「だから、大丈夫。もう、良いんだ。……休んでいいんだよ。もう、無理しなくて良いんだよ。たくさん泣いて、それから……たくさん笑おう。()

「ぅ、あ、ああっ――、あ、あぁああ――――……!!」

「……うん、うん。大丈夫。大丈夫。ぜんぶ、分かってるから」

 

 なにを分かっているというのだろう。なにが大丈夫というのだろう。その根拠は一体どこで、理由はなんなのか。そのあたりまるでさっぱりなのに、言葉だけが重く深く突き刺さっていく。まるでいまの自分がそのとおりだと言わんばかりの言葉。幸せなんて人それぞれで、十人十色のハズなのに。

 

もう終わりにしよう(これからはじめよう)、零奈」

 

 その人の幸せは、己の幸せに思えてしまったのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――ふと、目が覚めた。あたりは薄い暗闇。カーテンの隙間から差し込む光が、朝であることを告げていた。……どうやら眠っていたらしい。昨日までの記憶がおぼろげだ。ゆっくり起き上がってみると、どうにも体の調子がよろしくなかった。

 

「(肩こり……? 寝違えたかな……)」

 

 ごきごきと首をならしてみたが、どうにも違和感は拭えなかった。気のせいかと伸びをする。それだけで、気分がすこしは違ってきた。

 

「…………、」

 

 ほう、とひと息。昨日まで長かった夏休みも終わり、本日より誰もが待ちに待たなかった二学期である。ちょうど実家のほうへ帰っていた恋人と久しぶりに会う日でもある。自然とあがる気持ちをうまくおさえながら、勢いよくカーテンを開けた。

 

「……うん。いい天気」

 

 呟いて、着替えに取りかかる。目覚ましは鳴っていないが、登校時間まで三十分を切っていた。いつまでものんびりしてはいられない。見もせずに慣れた感覚で制服を羽織り、そのまま部屋を出て階段を降りる。リビングへ入れば、一足先に妹が朝食を食べていた。父親の姿は見えないので、先に出てしまったらしい。

 

「おはよう、真墨。父さんもう行ったんだ?」

「……ん。さっき出た。なんか、会議の準備だって」

「そっか」

 

 すこし残念に思いながらテーブルに座る。珍しくパンとコーヒーがすでに用意されていた。

 

「……真墨」

「ん?」

「ありがとうね」

「は? ……え? なに? ちょっとキモいんだけど」

「ええ……それは酷くないか……?」

「いや、事実だし、なんか……うわあ……え? なに? なんか今日のお兄キモくない……?」

「……キモくないし」

 

 もぐもぐとふてくされながらパンを咀嚼すると、真墨がとんでもないモノでも見たかのように椅子から飛び跳ねる。

 

「――い、いやいやいや……!? ちょっ、まじで誰だ……!? む、無理でしょこれ……! あ、あたし先行ってるから!!」

「あ、うん。行ってらっしゃい……?」

 

 ドタドタドタ、と鞄を引っ掴みながら真墨は家を飛び出していった。ぽつんとリビングには玄斗だけが取り残される。なんだか分からないが、妹の機嫌を損ねてしまったのは明白だった。帰ってきたら一先ず謝ろう、なんて思いながらコーヒーを口に含む。

 

「(……あ、いつもと違う)」

 

 ちょっとした発見だ。おそらく粉でも変えたのだろう。なんとなく新学期初日にはよく似合うような気がして、やっぱり良い気持ちだった。手早く食器を片して、戸締まりを確認したあとに玄関まで向かう。

 

「(うわ、靴も綺麗だ。……なんか、良いな。うん。今日からはなんとも変わる気がする)」

 

 そんな直感に導かれて、ようやく家を出た。――今日からまた、楽しい学校生活がはじまる――

 

「……っと、その前に、白玖の家まで寄っていかなきゃ」

 

 約束を思い出して、彼女の家のほうに歩みを向けた。何気ない幸せに包まれている。そのことに、心底笑顔を浮かべながら。その腕に、黄色い腕章をつけて。 




そんなわけで一部完結。ご愛読ありがとうございました! 4kibou先生の次回作にご期待ください!


ってやりたかったのになあ……主人公死亡エンド選ばれてたら喜んでしたのになあ……とか。でも選ばれたのは一番甘い世界なので続行します。散々言われてますけど私のフラストレーションしか溜まらない世界なので安心してね! まあ理由なんて完成しきってるどこかの誰かさんのせいなんですが。


ということですので幕間二話のあとに八章やっていきます。


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七章幕間:彼のウラガワ ~繧ゅ≧縺イ縺ィ繧翫?蠖シ~

透明文字とかにじみは読まれまくるから対策したゾ(白目)


 他人(ヒト)の裸を見て、こんなにも心が揺れ動いたのは初めてだった。

 

『 、    くん……!?』

 

 正直、衝撃というものに近かったと思う。いままでなんとなく接してきた彼女。その衣服の下に隠された肌色に、とんでもないモノを受けた。

 

『い、いやっ、ちょ、み、見ないで……!?』

 

 じっくり見てしまったのは、本当申し訳ないと思う。

 

『……もう、駄目だからね? 女の子の裸、あんなにジロジロと見ちゃ』

 

 私以外だったら通報されてるよ? と冗談交じりに彼女は言う。それもそうだろうと返したかった。衝撃的すぎて声が出ない。裸を見られて女の子らしく狼狽える彼女はとても可愛かった。そのあたり破壊力だって桁違いである。

 

『あーあ……でも、見られちゃったかあ……よりにもよって、    くんに』

『……ごめん』

『ま、いいんだけどね? 今回は不問と致します! っと、あー、それじゃ、私、次の授業行かなきゃだから!』

 

 言って、彼女は校舎のほうへ走り去った。自分は、あまりにも手に余る感情をそのとおり持て余している。……どうすればいいのだろう。答えは、なかなか出なかった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 覚悟を決める。なにもないが、それはこの際どうでもいい。大事なのは自分ではなくて、気持ちが向かうべき相手のほうだ。だからもう迷わない。迷っている暇なんて真実ない。とれる手段はなんでもとるし、使えるものはなんだって使う。どうせ意味もないのなら、きっと流れるように繋がってくれる。それだけが頼みだ。

 

『あ、いいよね夏祭り。……どう? 一緒に行く?』

 

 とんでもないチケットを手に入れてしまった。どうしよう。まずい、この展開は俺の想定に入っていない……! そんな風に悩んでいたら友人に蹴られた。うん、揺らぎかけた。でも、信念は一度も曲がってはいない。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 足りなかった。しょうがない。どうせ分かっていたことで、この身には足りないものが多すぎる。なら、なんでも使うしかない。過程の話。裏と表が表裏一体だというなら、すこしの衝撃でひっくり返ってもおかしくはない。そんな空想のおとぎ話が、現実になるだろうか?

 

 

 ◇◆◇

 

 

 やるか、やらないかではない。やるしかないのだ。もう決めた。明日に自分がいない光景を思い浮かべて、とくになにを思うでもなかった。でも、あの子が笑っていないのは許せない自分がいる。大事なのは自分じゃない。――俺はもう、壁を越えている。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 伝えたいこと。言いたいこと。やりたいこと。やりたかったこと。なんだって良くて、どれも無さそうなのが笑えない。でも、すこしはマシだ。不思議なことに、明確な目標と落下地点が見えてくれば人生すら輝いて見える。いままで空虚だった毎日が嘘みたいだ。ならもう分かっているだろう? 変えたいと願うなら、変えるしかない。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 多くは望まない。けれど、贅沢は言おう。涙もないまま沈み込むのなんてごめんだ。当たり前みたいに泣いて、笑って、明日を願うように生きてほしい。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 色々と、感情を持て余してたまらない。ああどうしよう。どうしようああ。どうしよう。俺、とんでもなく壊れてやがる――!

 

 

 ◇◆◇

 

 

 無理は承知だ。覚悟はできている。突き進むべき道もはっきりした。これ以上ないほどに、いま、最高潮の絶好調で、俺の人生は輝いている。そうだろう? だってこんなにもなにかを成し遂げたいと願ったコトなんて、一度も無い!

 

 

 ◇◆◇

 

 

 他の誰かなんて見ている暇はない。願いはひとつ。シンプルなまでに一直線だ。もう二度と悲しまないように。何物にも縛られないように。どうか、どうか。

 

 ――彼女が、救われますように。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 狂っている。でなければ、きっとすでに気が触れているのかもしれない。ああ、でも、良いんだ。それで良い。だとしても、俺の心は変わらない。なにもなかった俺に、なにかを与えてくれたのは紛れもない彼女が原因だ。そうしたいというすべてを願ったのがあの瞬間だった。だから、もう大丈夫。いけるぞ。できている。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 気分は、爽快か?

 

 

 ◇◆◇

 

 

 そうだとも!

 

 

 ◇◆◇

 

 

 走れ!

 

 

 ◇◆◇

 

 

 答えろ!

 

 

 ◇◆◇

 

 おまえは誰で、おまえはなんだ?

 

 

 ◇◆◇

 

 

 俺は俺で、俺が俺だ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 なら、なにを悩む。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 なにを躊躇う?

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――否、否、否。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ぜんぶまとめて、違うだろう!

 

 

 ◇◆◇

 

 

 もうなんともないさ。俺はすでに完成した。ならばなにを見返すのでも、思い返すのでも、迷うのでもない。そんな寄り道が許されると思うのか? いいや、そうじゃないだろう。命をかけてもやりたいことだ。やるしかないじゃないか!

 

 ◇◆◇

 

 さあ行こう。俺はもう、()()()()()()()――!

 

 ◇◆◇

 

 世界を、変えたくはないか――?

 



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七章幕間:彼女のウラガワ ~ギャクテンした世界~

 

 ――不意に、ぎゅっと抱き締められた。

 

「……なんの、つもり?」

 

 問いかけるような少女の声。腕を回した少年は、ただ静かに目を閉じている。急な出来事だった。放課後の教室で、夕暮れ時に見た光景を背景に……ただひたすら、暖かさが染み渡っていくような感覚。

 

「……っ」

 

 ズキン、と胸が痛んだ。これ以上は駄目だと、理性が拒んでいる。おそらくは少女の持つ意識と無意識の差だった。そんなことはとうのとっくに自覚してしまっていた。ぐっと腕に力を入れて、その抱擁から逃れようともがく。

 

「……やめてくれ」

「いやだ」

「お願いだ。……もう、離してくれよ」

「だめだ。離さない」

「……――っ、()()……!」

「……だめだ」

 

 ぎゅうっと、抱く力が強くなった。より暖かさが増していく。安心感と高揚感。ぽかぽかと熱を持つココロが、どこまでもそれを甘い誘惑に見立てている。けれど、考えれば考えるほど、感じれば感じるほどに、理性は冷えきっていく。ああ、あんまりだ。こんなコトは、決して許されないのに――

 

「……頼むよ……ボクを、困らせないでくれ……」

「なにが困るんだよ」

「困るさ……ボクだって、女の子……なんだぞ……?」

「それのなにが、困るって言ってる」

 

 さらに抱く力を強めながら、少年――壱ノ瀬白玖は腕の中の少女に問いかけた。濡れ羽色の綺麗な黒髪。雰囲気のわりに合わないヘアピンと、若干だが着崩された緩い制服。その顔は、位置の関係でよく見えない。

 

「ち、ちがう、だろう……? 冗談なら、よしてくれよ……ボクだって、からかわれて怒らないほどじゃ、ないんだぞ……」

「からかってない。俺は……本気だぞ。玄梳(クロト)

「なにが……っ」

 

 腰に回された手を、いまいちど強く締められた。自然と体が密着する。どくどくと絶え間なく鳴っているのは心臓の音だ。いやにうるさいのがひとつと、仄かに感じる速い温もりがひとつ。一方は彼女のものだった。じゃあ、もう一方は一体誰のもので。

 

「聞こえるか? ……すごい、心臓バクバク言ってる」

「……っ」

「だから、冗談でもないし、からかってもない。本当はおまえだって、分かってるんだろ? 玄梳」

「……わから、ないさ……」

 

 震えながら応えた声は、否定の意味を成していなかった。白玖は思わず笑う。相変わらずなようでいて嬉しいような、悲しいような。どこまでいってもコイツはコイツなんだというのもあって、浮かび上がる感情を一言では表せなかった。それでもあえて言うのなら、きっと嬉しいのだと思う。誰よりも自分が――この少女の救いになれることが。

 

「なにがわからないんだ?」

「わからないよ……ぜんぶ、白玖がこうしてくる意味も、なにも……わかんない……」

「……泣くなよ」

「泣いてなんて、ない……!」

 

 半泣きだ。声が震えている。もう一押し、あと一押し。長い道のりを終わらせるには、最高すぎる状況で。望んでいたのはこれなのだと、壱ノ瀬白玖は確信した。ずっと、ずっと世話になってきた想い人へ。なにかを返してあげるとすれば、最高のモノでなくては納得いかないと。

 

「でもさ、仕方ないだろ? 分かっちゃったんだから。俺さ……」

「――だ、だめだっ!」

「……だから、なにが駄目なんだよ」

 

 ぎゅっと白玖の制服を握りながら、少女は必死になにかを堪えようとしている。その姿がまた痛々しくて、本当に、居ても立ってもいられないぐらいだった。抱き締めているのにまだ寒いのかと、冗談のひとつでも飛ばしたくなる。こんな状況でもなければ、だろう。

 

「だめ、なんだ……」

「……何回同じコト言わせるつもりだよ……」

「だ、だって……ぼ、ボク、だぞ……?」

 

 いや、本気の本気で、それのどこが駄目なのか。怒鳴りつけたい気持ちを必死におさえこんで、白玖は耳を傾ける。

 

「会長、とか……」

「ただの知り合い」

「っ、蒼唯、先輩……とか……」

「委員会が同じだけ」

「よ、黄泉ちゃんが……」

「たまたま話したことはあるな」

「み、碧さん……だって……!」

「クラス同じだけだろ? まあ普通に喋るけど」

「ま、真墨は……!」

「おまえの妹。……で?」

 

 終わりか? と少年が容赦なく訊いてくる。少女は絶望した表情のまま、ちいさく開けた口をぱくぱくと魚のように動かしていた。油断、隙、ちょっとした悪戯心。すっと流れるように、白玖はその唇へ指を持っていった。されるがままにされるのは、偏に縮まった距離によるものだろう。手を伸ばせば届く位置。そこまでに、彼女の心は迫っている。

 

「だめ、だ……白玖……」

「なんども言わせるなよ、玄梳。……なにが、駄目なんだ?」

「だって、こんな、の――」

 

 弱々しい声で、これまた弱々しく少女は白玖のワイシャツを掴む。顔はこちらに向いていた。整った容姿が崩れる直前の儚さを携えている。どこか、とろけるようなソレだった。あんがい正直なんだな、とはあえて言わない。そんなくだらない感想よりも、彼女の口から発される言葉のほうが大事だ。

 

「……だめ、だめだ……! だめなんだ……っ」

「だから、なにが」

「これ以上、されたら――君の、こと、好きになる……っ」

 

 ――なんだ、と白玖は息を吐いた。躊躇っていたのが馬鹿みたいだと。答えなんてそれで決まった。これしかないと腹を括る。もとより、壱ノ瀬白玖はどこかで迷って歩みを止めるようなガラでもない。

 

「じゃあ問題ないな」

「え――」

 

 そうして、不意をついて。

 

「……ん」

「っ――!!」

 

 ゆっくりと、優しく口付ける。想像の五倍ほど、少女の唇は柔らかかった。こうして近くで触れていればどうしてもそんな部分を意識する。一人称が「ボク」なんて年頃の女子らしからぬもので、いつも落ち着いて静かな雰囲気を漂わせているものだから、真面目さという堅さのイメージが強かった。実際は、どこまで華奢で可愛らしい、女の子だ。

 

「……ぁ……」

「……なんだよ。口惜しそうな声出して」

「っ、ち、が……! っていうか、なんて、こと……!」

「――いいよ、好きになれ。俺はもう、おまえのこと好きだ」

「…………っ!」

 

 かあっと、少女の顔が赤く染まる。とんでもないクリティカルヒットだったようだ。それもそうだろう。なにせ彼はそれを知っていて、そのとおりに動いたのだから。

 

「なんで……」

「なんで? おかしなこと聞くな、玄梳は。さっきも言ったが、仕方ないって。おまえのこと、気付いたら好きだったんだから」

「ふ、ふざけるなよ……! そんな、理由で……ボクの……」

「そんな理由で悪いか。好きだから好きだって言った。それのなにがおかしい。分かんないって言うんなら何度でも言うぞ。玄梳。おれはおまえが、好きだ」

「……っ、わ、分かってる! 分かってる、から……!」

「いいや分かってない。どうせおまえは分かってないだろうさ。だから、玄梳」

 

 目が合った。とても近くで、吐息すら重なりそうな間を残して。何度も苦しむ夜の原因になった彼が、少女の目の前で堂々と宣言する。

 

「俺のものになれ、玄梳。そんでもう二度と、離れるな」

「……ば、ばか、を……言うなよぉ……」

「嫌か?」

「……っ、ずるい……ずるいんだよ白玖は……ボクは、ボクだって、ずっと……っ」

 

 結末なんてその程度。ありえた筈の幾つにも分かれた世界のひとつ。その終わりは、穏やかなまでに純粋で、どこまでも幸せに満ち溢れていた。答えのひとつ、言葉のひとつが違えば世界は変わる。ならば、ほんの些細なコトで、いまの世界が変わらないとも言い切れないように。

 

「もう二度と、おまえのことは離さない――」

 

 きっといつか、あるべきものは変わり行くのだ。 







>十坂玄梳

アトウレイナinトオサカクロト(♀)という超融合を果たした結果。ボクっ娘黒髪ゆるふわクール系全デレこじらせ少女という刺さる人には刺さる要素をつめこんだヒロイン。ちなみに作者には全部刺さる。ヒロイン全スルーして勝ち確ルートまっしぐらです。





すまない発作の「TSさせたい」病が……本当にすまない……


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第八章 黒くなくてもはじめよう
漂白玖されてます?


 

 ちょうど玄斗が家の前に着いたとき、玄関から白玖が出てきていた。彼のほうには一切気付いていないようで、くるりとふり向きながら鍵を閉めている。

 

「――おはよう、白玖」

「うひゃっ!」

 

 声をかけると、あからさまにビクンと肩を跳ねさせた。さぞかし驚いたのだろう。ほんのすこし腰を抜かしながら、今し方施錠したドアを背中に玄斗を困惑した表情で見つめている。――どこか、慣れない視線で。

 

「な、なに……!?」

「驚きすぎだ。挨拶しただけなのに」

「え……? や……えぇ……?」

「……?」

 

 と、そこで玄斗はちょっとした違和感を覚えた。なんだろう、とそれなり