【未完】被らない帽子と抜かない刀【ワンピース】 (千葉 仁史)
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1,海から来た患者(クランケ)

「医者ーーっ!」

 

 聞こえてきた少女の声に、男性は肩を落とした。

 

 本名は知っているだろうに、どうして、彼女は自分の事を職名で呼ぶのだろうか? 寝起きそのものである青髪をガシガシと片手でかきながら、医者は白衣を手に取った。

 

 嵐があった翌朝の海岸には様々な漂流物が流れ着いている。破損した船の破片、貨物船なら商品が、海賊船系統なら財宝が、そして、死体が。それらは海軍が保管、あるいは調査するため、海岸は立ち入り禁止になっているが、海軍は大概、砂浜にとどまっており、他の所に来る事はない。つまり、"砂浜"以外なら、一般人も入り込んで良いのである――何処ぞの誰とも知れぬ奴等が持っていたお宝を拾うために。

 

 先程、自分の本名を呼ばずに職名で呼んだ少女の狩り場は、"黒崖"と呼ばれる所である。ゴツゴツとした黒い岩場が緩(ユル)い角度で海に入り組んでいる場所だ。どちらかと言うと、重い物――宝箱や船のマストの破片や死体――は流れ着きにくく、小さな金属片や付属品(アクセサリー)等が流れ着きやすい。だから、彼女の獲物も小物ばかりであるが、死体を発見してしまうかもしれない危険性に曝(サラ)されるぐらいなら、これぐらいの短所(デメリット)なんて大(タイ)した事はない。つい最近なんか、鍛冶屋の親父がでっかい箱を拾ってきて、蓋を開けたら、実は棺桶で、海水によって腐った死体が入っていたという、笑えに笑えない話があった。そして、その日を境に、親父は"お宝拾い"から、すっぱり手を洗っている。

 

(とうとう、シルクも"当"たっちまったか~。やめときゃ良かったものを……)

 

 罰(バチ)か、死体か。目的語をはっきり形にせずに、医者は黒い笑みを浮かべた。

 

(もしも、その通りになっていたら……)

 

 医者はテーブルに置いてあった、緑色の四角いフレームの眼鏡を耳に掛け、「"因果応報"・"自業自得"ってヤツよ」と思いながら、扉の前に立った。

 

「医者っ!」

 

 ソプラノ調の掛け声と共に、扉を開けた少女――シルクに医者は言った。

 

「シルク、何度も言うが、俺の名前は『医者』じゃねぇ! ちゃんとした『ジョリー』って名前が……」

「『医者』は『医者』なんだから、呼び方も『医者』で良いじゃない!」

 

 医者――ジョリーの言い分を無視して、シルクが主張する。

 

「そんな事よりも、『医者』、大変なの!」

 

 またまた本名を言わずに職名で呼ぶシルクに、ジョリーは腰に手を当てた。

 

「あのなー、俺の名前は『医者』じゃねぇって……」

「人が倒れてるの!」

 

 シルクの発言に、急遽(キュウキョ)ジョリーは次に出す予定だった文章を一文字に代えた。

 

「は……?」

 

 今度は、シルクが腰に手を当てて言った。

 

「だーかーらー、人が倒れてるって言っているでしょ!?」

 

医者は恐る恐る少女に尋ねてみた。

 

「何処で?」

「"黒崖"で」

「何が?」

「人が」

「何してるって?」

「倒れてる」

 

 きっぱりと答えるシルクに、ジョリーは心の内でガッツポーズを決めた。

 

「ほぉら、俺の言った通りだったろ? ンな事(コタ)ぁ、やめとけって、その内、罰(バチ)が当たるぞって。だから、死体なんて見つけちまうんだ、お前は。これに懲りて、"お宝拾い"は……」

 

 前々から"お宝拾い"に反対していたジョリーがここぞとばかりに、口で攻撃する。

 

「そうそう、言い忘れたけど……」

 

 説教の止まらないジョリーにシルクが水をさした。

 

「その人、"生きて"ますから」

 

 残念! とジョリーの目と鼻の先で手をひらひらさせながら、シルクは宣言した。された側の男は開いた口が塞がらない。

 

「……ンな事(コタ)ぁ、ある訳ねぇだろ! 嵐を生きて越えて来るなんて!」

 

 やっと、言葉を紡(ツム)げたジョリーに、"してやったり"顔のシルクが話し出す。

 

「此処(ココ)は"偉大なる航路(グランド=ライン)"。何があっても、不思議じゃないんでしょ?」

「なら、尚更(ナオサラ)、有り得ねぇだろ!」

「運が目茶苦茶(メチャクチャ)良かったんじゃない?」

 

 囃(ハヤシ)立てるジョリーに、涼しげな態度でシルクは受け答えた。

 

「ンな訳あるかーーっ!」

 

 思わず絶叫するジョリー。これが、三十路(ミソジ)前後の男性が、十七かそこらの少女とする会話だろうか?

 

「あ! こんな事してる場合じゃない!」

 

 頭を抱えて悶絶するジョリーに笑っていたシルクだったが、やらなくてはならない事を思い出すと、慌てて彼の腕を掴んだ。

 

「医者、早く"黒崖"に行かなきゃ!」

「……へ?」

 

 シルクの言動で正気に戻った医者が間抜けな声を出した。

 

「早く助けなきゃ、"あの子"、死んじゃうでしょ!」

 

 そう捲(マク)し立てると、シルクはジョリーの腕を更に強く引っ張った。

 

「ちょちょちょ、ちょっと待てよ!」

「何!?」

 

 吃(ドモ)りながらも反発するジョリーに、シルクがキツい視線(ガン)をきかせた。

 

「ンなもん、海軍に任せれば良いだろ!」

「馬鹿ね!」

 

 ジョリーの提案を、シルクは事も無げに一蹴した。

 

「第一、"黒崖"に海軍は来ないのよ! 今、ほっといたら、"あの子"、死んじゃうじゃないの!」

「いや~、俺、朝飯すら喰ってねぇし……」

 

 小さい声でしつこく文句を言うジョリーに、とうとうシルクは怒鳴った。

 

「"医者"!」

 

 根気折れしたジョリーが同じように大声で言い返した。

 

「わーーったよ! 行けば良いんだろ! 行けば!」

「さっすが、お"医者"様! わかっていらっしゃる!」

 

 説得出来て嬉しいのか、シルクが手の平を返したように笑った。少女に腕を掴まえられまま、ジョリーはげんなりとした顔で肩を落とした。

 

 ジョリーの家、兼(ケン)診療所から"黒崖"までは、そう五分も掛からない。むしろ、診療所はどの家よりも"黒崖"に近い。そのせいか、シルクは"黒崖"で"お宝拾い"をした後は必ずと言って良い程、診療所に寄り、お宝自慢をするのだ。

 

(今日も"それ"だけで終わると思ったのになぁ……)

 

 少女の一つに結んだ亜麻色(アマイロ/意味:ベージュ色)の髪が左右に揺れるのを見ながら、ジョリーは溜め息を吐いた。

 

「こっちよ!」

 

 ジョリーの心の内なんて気にもせずに、"黒崖"へと通じる、足場の悪い岩場をシルクはいとも簡単に飛び跳ねて行く。

 

(履き慣れた、歩きやすい靴で良かった)

 

 ジョリーも岩場を慎重に進んで行く。此処で転んだりしたら、シルクの言う"あの娘(子)(コ)"ではなく、自分が病院へと担ぎ込まれる事となってしまう。

 

(まぁ、この場合、自分自身が"医者"なんだけど、な)

 

歩けそうな所を探しながら、一歩、また一歩と足を運んで行く。

 

「ちんたらしてないで、早く!」

「じゃあかしい! 俺はお前みたいに、ンな所、最近は来た事がないから、慣れてないっての!」

 

 先に岩場を抜けた少女の言葉に、医者は同年齢(タメ)のように反発した。

 

「……よっと」 

 

 上手くバランスを取りながら、ジョリーは岩場を飛び跳ねた。

 

「あそこ」

 

 "黒崖"が見下ろせる所まで来た時、シルクが下を指差した。

 

「なんだ、"野郎"かよ」

 

 ジョリーは"医者"としての発言ではなく、"男"としての発言をしただけだった。

 

「私、一度も"女の子"とは言ってませんけど」

 

「"あの娘(子)(コ)"と言われれば、女性(レディー)だと思っちまうだろが」

 

 嵐のあった翌朝に、見目麗(ウルワ)しき女性(レディー)が倒れている。そんな、何処か在り来たりな状況(シチュエーション)を想像していたジョリーは見事に期待を裏切られた。

 

「医者、あからさまにがっかりしないでよ。」

 

 シルクは肘鉄を医者にかますと、"黒崖"へと通じる道を先に降りて行ってしまった。落とした肩を元の位置まで直すと、ジョリーはシルクの後をついていった。

 

 その男は"黒崖"の波の掛からない所で仰向けに倒れていた。瞼(マブタ)は開けられていない。

 

「……医者」

 

 心配気に振り返った少女に、医者は頷くと歩み寄り、男の側にしゃがみ込んだ。まずは、男の手首に自分の手を添えた。

 

(脈有り)

 

 次に、男の口許や鼻に手を翳(カザ)す。

 

(呼吸有り)

 

 それから、男の頬を数度、叩いた。

 

(意識無し)

 

 骨折があるかどうか、ジョリーは男の体を触って調べた。

 

(骨折無し)

 

 冷静に分析を続けていく。

 

(体が冷えきっており、嵐を越えて来たせいか疲労も大きい。そんなに大[タイ]した事はないが、打撲痕・切り傷・擦過傷[サッカショウ][意味:擦り傷]有り。嵐に巻き込まれて傷付いたというより、これは……)

 

「ねぇ、医者。"その子"、大丈夫?」

 

 ふいに、少女より年上だと思われる男を"その子"呼ばわりで、シルクが尋ねてきた。

 

「え? ……ああ、大丈夫だよ」

 

 思考を打ち切って、医者は少女に答えてやる。

 

「良かったぁ」

 

 我が身のように、素姓の知らぬ男を心配し、安堵の息を吐き出す少女に、医者の頬が弛(ユル)んだ。

 

「……さて、と」

 

 ジョリーは立ち上がり、ズボンに付いた砂を払った。

 

「彼を診療所に運ぶ前に、シルク、一つ尋ねたい事がある」

 

 ジョリーの真剣な声色(コワイロ)に、シルクの体が強張(コワバ)った。

 

「何?」

 

 二人の間に緊張が走る。

 

「それはだな……」

 

 ジョリーの話の切り出しに、シルクは喉を鳴らした。

 

「"コイツ"が一体何者なのか、だ」

 

 シルクは自分と医者との間に、木枯(コガ)らしが吹いたような気に陥った。

 

「そんな事、私が知る訳ないでしょ!?」

 

 シルクの荒げた声に、ジョリーも負けじと言い返した。

 

「はぁ!? 知ってたから、助けようとしてたんじゃないのか!?」

「知ってる人でも、知らない人でも、死にかけてたら、助けるのが人の良心ってもんじゃないの!?」

「仮にそうだとしても、"コイツ"、ツッコミどころ満載だぞ!」

 

 ジョリーがこんな阿呆な事を言うのも無理も無い。

 なぜなら……

 

「金髪に、ぐるぐる眉毛に、黒スーツ。ンでもって、左手に麦わら帽子、右手に刀を持っていたら、怪しすぎるだろっ!」

 

 ……そう、あまりにも"アンバランス"すぎるのであった。

 

「刀を持ってるって事は、剣士じゃないのかしら?」

 

 シルクの推察に、ジョリーが静かな声で答えた。

 

「……シルク。スーツ姿で麦わら帽子を被った剣士なんて、想像出来っか?」

「無理」

 

 きっぱりと、シルクが即答した。

 

(想像しようと思えば、出来るんだが……)

 

 医者は"麦わら帽子を被り、黒スーツを着た、ぐるぐる眉毛の金髪剣士"を想像してみたが、考えていたよりも滑稽すぎた。

 

(否、有り得ん)

 

 すぐさま、ジョリーはその像を打ち消した。

 

「この子……、無茶苦茶怪しいじゃん!」

「さっきから、俺が言ってるだろ!」

 

 今更、気付きました、というシルクの態度にジョリーがツッコミをいれた。

 

「それはともかく、彼をどう運ぶかが問題だな」

 

 一時、問題を引き下げたジョリーは、また新たな問題を引き上げた。

 

「定番の"お姫様だっこ"は?」

 

 人差し指を出しながら、シルクが提案する。

 

「……シルク。お前、実はかなりの力持ちだったんだな」

「アホか! 医者がやるに決まってんでしょ! そのためにアンタを連れて来たんだから!」

「げぇっ! 本気(マジ)で!?」

「本気(マジ)よ、マ・ジ!」

 

 ジョリーとシルクの言い争いが続く。

 

「足場の悪い所を通るんだ、二人で――」

「あ! 私、酒場の仕事があるんだ! 医者、後は頼んだわよ!」

 

 ジョリーの提案に遮るように言うと、シルクは岩場に向かって走り出した。

 

「な゙っ! テメェ、仕事にはまだ早いだろが!」

「医者! その子、ちゃんと助けてやってね!」

 

 ジョリーの言葉には答えずに、シルクはそう言い残すと、"黒崖"を後にしてしまった。"黒崖"にいるのは、医者と海から来た患者(クランケ)だけ。

 

「逃げられた……」

 

 ジョリーは、もう何度したか分からない溜め息を吐いた。

 

「……患者、置いて行っちまうぞ」

 

 彼の呟きは、うみねこだけが聞いていた。

 

 それから数分後。

 

(くっそー、シルクめ。後で時間外労働手当てを請求してやる!)

 

意識の無い男を背負い、足場の悪い岩場を来た時以上に慎重に歩きながら、今はいない少女に報復を誓っている医者の姿があった。

 

 

 

つづく




 オリジナルキャラ

◆ジョリー(男性)(三十路以上)
尾田栄一郎先生の短編集「MONSTERS」に登場する名無しの眼鏡のモブ男性がモデル(名前と姿を借りているだけで同一人物ではない)。
医者であり、シルクの保護者。

◇シルク(女性)(16歳)
尾田栄一郎先生の短編集「ROMANCE DAWN」に登場するヒロインがモデル(名前と姿を借りているだけで同一人物ではない)。
パブでウェイトレスをしている。


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2,最初の手掛かりは女好き(レディーファースト)

 その日の朝、ジョリーはかなり大忙しだった。予期せぬ患者(クランケ)を部屋に運び込むと、風呂を沸かした。

 

(冷えた体を暖めてやんねぇと……)

 

 握り締めている帽子と刀が邪魔で服を脱がせられないので、医者は取ろうと試みるが、まるで死後硬直のように拳は固まっていて、とても外せそうにない。ジョリーは一つ舌打ちをすると、躍起(ヤッキ)になって手の平をこじあけようとした。……駄目だ、開かない。

 

「くっそー、全然開かねぇ!」

 

 その作業を一旦辞め、ジョリーは自分と患者しかいない部屋で叫んだ。

 

「いっその事、両手首をちょん切っちまうかぁ」

 

 ちらっと男を見ながら、ベッドの下に隠してある"得物"を使おうとする"医者"らしからぬアイディアを口にする。男は目を覚まさない。

 

「……冗談だよ」

 

 何か反応示してくんねぇと、つまんねぇじゃないか、と昏々と眠る男に文句を垂れ、再び作業に戻った。

 

 どうにかして、麦わら帽子と刀を外し、スーツと靴を脱がした後、ジョリーは見知らぬ男を風呂に突っ込む――勿論、沈まないよう固定を行うのも忘れずに。

 

(あんぐらいの傷なら、湯に浸かっても大丈夫だろ)

 

 風呂の小窓から差し込む日光が眩しい。シルクも随分早く店に向かったものだ。

 

「えっと、点滴、点滴、と。あと、風呂から出たら、ガウンを着せてやらないとな」

 

 これからすべき事を順序だて、ジョリーは必要な物を用意し始めた。それから、男を風呂から上げ、ガウンを着せ、点滴をし、なるべく暖かくして寝かせてやった。

 

(もう一度、着れるかどうか分からないが、男のスーツは捨てないでおこう)

 

 頭の隅では別の事を考えつつ、海水で湿った麦わら帽子と靴を陽の当たる所に干しておく。

 

 問題は刀だ。

 とりあえず、刀を抜き、鞘内の水を出そうと思った。スラァ、と緩(ユル)やかに白柄の刀を抜いた。良い刀だな、とジョリーは鞘内から水を出すのも忘れて魅(見)入った。柄が自然と手に馴染み、扱い易そうな感じが漂う。えらく丈夫な刀なのか、長い間海に浸かっていたのに、そうは思わせない煌めきが刃にあった。とても良い刀だ、再度比較級を付け足して思った。こんな刀を持つ男が到底、凡人とは思えない。余程、腕の立つ剣士か、それとも……?

 

  足元に滴(シタタ)り落ちる水に気付き、ジョリーは慌てて鞘をひっくり返し、水を出した。

 

(明日ぐらいに、研ぎに出した方が良さそうだな)

 

 麦わら帽子の乾かせ方とは対照的に、刀は陰干しにする事にした。

 

 そして、嵐の翌日にはよくある事だが、快晴だったので、溜め込んだ洗濯物と共にスーツを洗い、全て干した。

 

「んぁー、疲れた!」

 

最後の服を干し終えると、一日の始まりである朝っぱらに相応(フサ)しくない言葉を吐きながら、ジョリーは伸びをした。それと同時に、腹の虫が鳴った。

 

「おっと、忘れてた。飯でも食うか~」

 

 あの男のせいで今日の予定がトチ狂っちまったぜ、等とぼやきながら、台所へと向かおうとしたが、再び音が鳴った――十時を告げる鐘の音が。

 

「……は?」

 

 その音が鳴り響いた瞬間、医者は硬直してしまった。此の島に来てから、一度も狂った事のない時計を見た。やっぱり、十時である。

 

「本当(マジ)かよ」

 

 ジョリーは呟いた。十時とは、診療所を開ける時刻である。

 

「くそっ! こうなったら……」

 

 玄関に掲げた『close(閉館)』をそのままに、と思い切らない内に、その玄関のチャイムが聞こえてきた。一週間に一度、薬を貰いに来る婆さんだ。

 

(ズルは出来ないもんだな)

 

 大きく踏み出した足をゆっくりと運びながら、ジョリーは空(ス)きっ腹で診療する事を覚悟した。

 

 あの早朝の男のように、患者は何時(イツ)来るか分からない。婆さんが去った後、誰も来そうにないな、と思って、実行に移そうとすると、また患者が来る。その患者が去って、今度こそと台所へ向かおうとすると、また患者が来る。さっきから、それの繰り返しで、結局、ジョリーは何もつまむ事が出来なかった。

 

  十二時を告げる鐘が鳴り、ようやく、待ちに待った昼休み。昨日食べたシチューを温め、やっと食べ物を口にした。食べながら、先程、取ってきた昼刊(お昼の新聞)を広げる。

 

(おーお。載ってる、載ってる)

 

 白衣もそのままに読んでいると、昨日の嵐の記事が目についた。

 

『昨日、此の島近辺で起こった嵐は雷雨を伴(トモ)わないものであり、竜巻に近いものであった。島には風が吹き荒れただけで、大した被害もなかったが、今日の明朝、海岸で数人の遺体があがっているのが発見された。昨日は漁船や商船が海に出たという記録がないことから、海賊の一味と思われる。船の破片が見つかっておらず、遺体だけが流れ着いているので、嵐により船から誤って落ちたとして、海軍は調査を続けている』

 

 そこまで読んで、ジョリーは咥(クワ)えていたスプーンを空の皿に戻した。後の記事には、海軍のお偉いさんの言葉が載っているぐらいで、これ以上の情報は得られそうにない。

 

「つぅ事は、あの餓鬼は海賊ってか」

 

 新聞を乱雑に畳みながら、ジョリーは呟いた。だが、金髪・グル眉で黒スーツを着こなし、麦わら帽子を被った金髪海賊剣士なんて、奇妙以外の何者でもない。そんな男の像を想像してしまい、思わず口がニヤけそうになるのを片手で抑えながら、使った食器を流し台へと運んだ。

 

(そりゃあ、俺の頃とは今の海賊は違うだろうけどよ。ンなのは、有り得ねぇだろ)

 

 ひたすら全面否定をしていたが、ふと思い立った。

 

(まぁ、確かに麦わら帽子を被った海賊はいたけどな)

 

 今回は更に訳の分かんねぇオマケが付いてるぜ、とジョリーは心の内の言葉に付け足したのだった。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「Bonjour! Ca va?(ボンジュール! サバ?)」(仏訳:こんにちは!元気?)

「Ca va(サバ)(仏訳:元気)……な訳ねぇだろ!」

 

 全ての元凶である少女が現れたのは、医者が『open(開館)』となっていた札を『close(閉館)』にひっくり返している時だった。

 

「シルク! よくも逃げ出しやがったな!!」

 

「朝から思ってたんだけど、医者、Ca(カルシウム)不足じゃない?」

 

 話題をはぐらかそうとするシルクに、ジョリーが大きく踏み込んだ。

 

「終いにゃあ、キレるぞ」

 

 眉間を寄せながら、泣く子も黙りそうな勢いでシルクを睨み付ける。

 

「あっそう」

 

 そんなの何処吹く風と、シルクは言葉を続けた。

 

「なら、私も医者の夕飯作ってあげない」

「な゙っ!?」

 

 踵(キビス)を返そうとする少女の前に、医者が立ちはだかった。

 

「シルク!! それだけは勘弁してくれ!」

 

 自力では食事を作れないジョリーが懇願する。

 

「ど~しよっかな~?」

 

 完全に相手の足許(アシモト)を見ながら、シルクは自分の顎(アゴ)に人差し指を一つ添えた。まるで卸売の魚を値踏みするかのような動作だった。

 

「~~っ!! 分かったよ、もう何も言わねぇよ!」

「分かればよろしい!」

 

 一体どちらが年上なのか分からない会話が続く。半分自棄(ヤケ)になりながらも答えるジョリーに、苛(イジ)めすぎたかな、とシルクはこれ以上からかうのを思い止どまった。

 

「……でも、"あの子"を助けてくれて、ありがとう」

「……ンだよ、急にしおらしくなるんじゃねぇ」

 

 調子が狂うじゃねぇか、とシルクの素直な感謝の言葉にジョリーは自分の頬を掻いた。

 

「ところで、"あの子"は?」

「まだ寝てる。ちっとも起きそうにねぇ」

 

 ちらっと彼が寝てるであろう部屋がある方にジョリーは視線を向けた。

 

「そう……、見に行ってもイイ?」

「行っても良いが、その前に洗濯物の取り込みを手伝ってくれないか?」

「ラジャー!」(訳:了解!)

 

 今日中に医者にかけた迷惑を挽回するかのように、ジョリーの頼みごとにきっぱりと答え、シルクは親指をあげた。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「変化無し、と」

 

 男が眠る部屋に訪れた医者は、棚の上に患者(クランケ)が身に付けていた――幾度見ても、アンバランスな組み合わせである――麦わら帽子と刀とスーツと靴を置いた。

 

「ねぇ、生きてるの?」

 

 ジョリーの後ろから顔を覗かせ、シルクは男が寝ているベッドを見やった。

 

「おいおい、勝手に殺すなよ」

 

 苦笑いするジョリーの横を擦り避け、シルクはベッドの横に立った。男の顔をじっと見つめている。俺にいろいろと(ほとんど)任せてたけど、やっぱり患者(クランケ)の事が心配なんだな、と暖かい目で少女を見ていた医者だったが、彼女の一言で崩される事となる。

 

「珍しいよね、グルグル眉毛って……」

「そこかよっ!」

 

 ただ、特徴的すぎる眉に興味を持っていかれただけだったりもする。

 

「お前って奴は……」

「あははっ! 助けたかったのは本当よ」

 

 シルクはジョリーの方を向いて言った。

 

「医"師"の娘だもの。人を助けたい気持ちは持ってる」

 

 親譲りね、と笑う少女に医"者"であるジョリーは少女に分からないように眼を伏せた。だが、直(ジキ)にそれも消えた。

 

「じゃあ、俺の事も医"者"じゃなくて、医"師"って呼んでくれよ」

「やだね!」

 

 いつもの調子で話し掛けると、いつもの調子で返された。過去の出来事を引き摺(ズ)らない、これぐらいが一番良い。

 

「あれっ? この子の手……」

 

 シルクが何かに気付いたらしい。

 

「ああ」

 

 ジョリーはシルクの台詞(セリフ)の続きを口にした。

 

「手が固まっちまってるんだ」

 

 男の右手は筒状の物を掴んだような形で、左手は握り拳の状態で硬直していたのである。

 

「強い力で握り締めていたから、麦わら帽子と刀を抜き取るしか出来なかったんだ」

 

 ジョリーが淡々と話した。

 

「俺が想像するに、こんなんになるまで、この麦わら帽子と刀を放さねぇとは、余程大事な物か、」

「価値がある物なんでしょうね」

 

 ジョリーの言葉の続きを、シルクが受け継いだ。

 

「仮に価値があるとしても、刀は分かるが、麦わら帽子はどうよ?」

「……無さそうよね」

 

 患者(クランケ)には失礼な事を話題に上げ、二人は顔を見合わせた。

 ふと、医者は昼刊(昼間の新聞)の記事を思い出した。患者(クランケ)が海賊である可能性を、少女に話した方が良いのだろうか?

 

「この子、何者かな?」

 

 ジョリーの気持ちと示し合わせたかのように、シルクが独り言のように尋ねてきた。

 

「さぁね」

 

 肩を竦(スク)ませながら、ジョリーは答えた。"分からない"とは言わなかった。

 

「まぁ、変わった奴には違いねぇだろうな。"こんなの"を持っていたし」

 

 そう言って、ジョリーが棚に置いていた麦わら帽子と刀に触った瞬間だった。

 

「触んじゃねぇっ!!!」

 

 第三者の声が聞こえたのは。

 

 第一者(I)と第二者(YOU)は声のした方を振り向いた。ベッドの上で上半身を起こしている患者(クランケ)がいた。二人の視線を一身に受けながら、金髪の男はもう一度、大声で言った。

 

「"それら"に触るなっ!!」

 

 二回叫ばれて、ジョリーは此の"麦わら帽子"と"刀"の事を言ってんだ、と気付いた。 医者が手を引っ込めると同時に、急に叫んでむせたのか、男が深い咳をした。

 

「大丈夫っ!?」

 

 心配したシルクが男に手を差し延べた。

 さて、男は何て言ったと思う?

 

「おっ! なんて美しい女性(レディー)!!」

「は?」

 

 目をハートにしながら言う男に、シルクは言葉を失った。

 

「眼が覚めた瞬間、このような麗(ウルワ)しきレディーに心配されるとは、おれは千載一遇・空前絶後の幸せ者だぁ~!!」

 

 お前、本当にさっきまで寝てた奴か? とツッコミたくなる程、男は元気に喋った。

 

「天使のようなマドモワゼル、もしよろしければ、お名前を―――ぐえっ!」

「俺を無視して話を進めるな」

 

 ジョリーは近場にあった銀のトレイを取り、男をど突いていた。

 

「このクソ野郎!! 何しやがるんだ!?」

「随分と元気の良い事だなぁ」

 

 シルク(女)相手の時とは180度違った態度で自分(男)に対応する患者(クランケ)に、ジョリーは自分でも青筋が浮かぶのを感じた。

 

「はっ! そりゃあ、当然だろ? 目が覚めたら、綺麗なレディーが横にいるんだぜ? ……それにな、おれは野郎が"大嫌い"なんだ」

「奇遇だな」

 

 自分の額(ヒタイ)に青筋が増えるのを認識しつつ、ジョリーも答えた。

 

「俺も野郎が大っ嫌いなんだ!」

 

 その会話を幕開けに、医者と患者(クランケ)は火花がはじけそうな勢いで睨み合った。初対面の筈なのに、同年齢(タメ)のように、犬猿の仲のように、啀(イガ)み合う二人に困惑していたシルクだったが、お互いに手が出ない内に制する事にした。

 

「はい、ストップ! ストップ!!」

 

 二人の男の顔の空間に手を入れ、視線をかき消してやる。

 

「喧嘩なんかしてないで、初対面なんだから、自己紹介しましょ」

 

 二人の男の興味を反(ソ)らすため、全く別の話題を提示した。

 

「はいっ!」

「ああ」

 

レディーに話しかけられたせいか、喜んで承諾の旨を伝える男と、そんな男の態度に不機嫌になりながら頷くジョリー。まずは私ね、とシルクが自分で確認させるかのように言った。

 

「私は"シルク"。此の島の酒場で働いているの」

 

 自分で自分を指差し、次にジョリーを指差した。

 

「んで、こっちは"医者"」

 

 いつもの癖でシルクは職名で紹介してしまった。医者? と患者は訝(イブカ)しげに先程口論していた、短い青髪で緑色の枠縁(ワクブチ)眼鏡を掛け、白衣を着用した男を足の爪先から頭のてっぺんまで見た。

 

「……名は体を表すって、本当なんだな」

「ちげぇよ!」

 

 "医者"を男の名前だと認識してしまった患者に、ジョリーがツッコミを入れた。

 

「"医者"じゃなくて、俺の名前は"ジョリー"だ!」

「シルクちゃん……、何て可愛らしい名前なんだ」

「人の話を聞けよ!」

「ところで、貴方の名前は?」

 

 ジョリーの話を患者が無視し、患者の話をシルクが無視する形になった。

 

「そうだ、そうだ! 次はお前の番だぞ!」

 

 ジョリーもシルクの質問に同調した。

 さぁ、これでやっと此の男が何者か分かるぞ。黒スーツで、麦わら帽子と刀を手に持った、金髪グル眉男の正体が。

 

 心の中で同じ事を考えつつ、医者と少女は患者(クランケ)の返事を待った。

 

 男は答えた。

 

「おれの名前は……なんだっけ?」

「はぁっ!?」

 

 ジョリーとシルクは同時にその言葉を吐き出した。

 

「そんなの、こっちが知りたいわよ!」

「おいおい、それともなんだ? "なんだっけ"が名前なのか?」

 

シルクが言い返し、ジョリーが揶揄(やゆ)(意味:からかう)した。

 

「ンな変な名前な訳ねぇだろ! えーっとな、おれの名前は……」

 

 シルクには怒らず、ジョリーにのみ怒ると男は再び唸(ウナ)り始めた。

 

「……? 思い出せねぇ……?」

 

 男の呟きに、ジョリーの顔が医者の表情に変わった。

 

「ねぇ、それって――」

「なぁ。お前、此の島の海岸に倒れていたんだが、どうしてそこにいたか分かるか?」

 

 シルクが男の状態の結論を言う前に、ジョリーが尋ねた。

 

「は? なんで、ンな所に? ……って、なんだよ、コレ??」

 

 クエスチョンマークを頭上に沢山浮かべた男が次に疑問を抱いたのは、自分の両手だった。変な形に固まって、指一本も思い通りに動かない手に男は少なからず困惑しているようだ。

 

「"あれら"を握ってたんだ」

「"あれら"?」

 

 男は医者の指差した方を見やった。その方向には、棚の上に麦わら帽子と刀が置かれていたあった。

 

「麦わら帽子と刀?」

「お前、一番最初にあれらに"触るな"って怒鳴っただろが」

「……そうだったっけ……?」

 

 男はそちらを見つめ、幾度も瞬(マバタ)きを繰り返した。本当に"分からない"らしい。

 

(……つぅ事は無意識に言ったのか?)

 

 男のそんな様子を見ながら、ジョリーは思った。

 

「ねぇ、"コレ"って……」

「ああ」

 

 少女の問い掛けに、はっきりと医者は頷いた。

 

「完璧な"記憶喪失"だ」

 

 とうとう、ジョリーが結論を下(クダ)した。

 

「……」

 

 話題の中心である男は何も言わなかった。否、言えなかった。記憶と名前の失った事実が自分の中で上手く処理出来ない。記憶喪失、という単語が自分に関わる事なのに、薄っぺらい鉄の板のような無機質な言葉に感じられた。それを指で摘んでみても手の平に乗せてみても、軽過ぎて実感がわいてこない。

 

「はっ! 俺が記憶喪失なんて……」

「じゃあ、言えるのかよ?」

 

事実逃避をしようと発言した男を、ジョリーのレンズ越しの瞳が捕らえた。

 

「いつ、何故、なんで、どうして、どうやって、あそこにいたのか、よぉ?」

「……」

 

 ジョリーの質問に、男は黙り込んだ。本当に何も覚えていないのだ、答えられる訳がない。

 

「ちょっと、医者、意地悪しすぎ」

 

 シルクが二人の会話に口を挟んだ。

 

「しかも、『何故』『なんで』『どうして』、全部、同じ意味よ」

 

 シルクは律義にも、ジョリーの台詞のおかしな点を指摘した。

 

「ぐ……、別に構わねぇだろ」

 

痛いところを突かれ、開き直る医者を許す少女ではない。

 

「構わなくない。いっその事、国語を勉強し直したら?」

「四字熟語は得意だ!」

「あのね、国語の基本がなってないのよ!」

「俺は医者だから、国語なんてイイんだよ!」

 

 三十路前後の男と十代後半の少女との押し問答が続く。

 

「訳の分かんない屁理屈言ってないで……と・も・か・く、この人、記憶喪失で不安なんだから、医者は医者らしく、もっと優しくしてあげなさいよ!」

 

 ジョリーにずいっと近付いて、シルクは注意した。

 

「そう言うんだったら、シルク、お前も親切にしてやれよ」

「するに決まってんじゃない!」

「……だったら、シルクちゃん、おれに愛の抱擁をしてくれっ!」

 

 二人の会話に入り込み、ハートをそこら中に振り撒きながら、自分に手を伸ばす患者にシルクは、すかさず、ジョリーから奪った銀のトレイを、

 

「病人は病人らしく、静かにしとれっ!」

「ぐはっ!」

 

 と思いっきり男の頭の上に振り下ろした。

 

「……有言不実行」

 

 そんな光景を目(マ)の当たりにしたジョリーは、ボソッと小さく言った。

 

「医者、何か言った?」

 

 医者の視線の先にいるのは、凶器(銀のトレイ)を持ち、言葉と共に自分を睨み付けて来る少女が一人。

 

「いや、何でもないッス」

 

 自分の身の危険を察し、語尾が不自然に変わってしまいながらも、ジョリーは、それについて、これ以上、言うのを控えようと決めた。そして、シルクの注意を自分から反らすため、ジョリーは咳払いを一つすると話を切り出した。

 

「まぁ、こいつが何で海岸に倒れていたか――」

 

 男を指差しながら、ジョリーは話を続けた。

 

「――どうして、麦わら帽子と刀を手に持っていたのか、さっぱり何者なのか分からねぇが、こいつがかなりの"女好き"って言うのは、確かだな」

 

 そんな医者の推測に「それを言うなら、"レディー・ファースト"だろ……」と殴られた箇所を抑えながら、男はそう呟いたのであった。

 

 

 

つづく



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3,お前が海賊王になれない理由(ワケ)

 海のど真ん中に、その船はあった。

 船長である男が情けなく「ぼうし~~」と泣(鳴)いている船が。

 

 玩具(オモチャ)を取り上げられた子供のごとく泣(鳴)き続ける船長がいる船首に向けて、エターナルポースで自船の進路を確かめていた航海士が大股で歩き出した。彼女が近付いても尚、嘆き続ける彼に航海士は握り拳をつくった。

 

「うるっさいわ!!」

「いでっ!」

 

 航海士が船長を殴る、小気味良い音がした。

 

「何すんだよ、ナミ!」

 

 当然のごとく抗議する船長に、オレンジ色の髪の少女がぐいっと近付いた。

 

「何すんだよ、じゃないわよ!さっきから聞いてれば、帽子・帽子って!」

「あれはおれの宝なんだぞ!」

「そんな事ぐらい知ってるわよ! ルフィ! 私が言いたいのはね、」

 

 クレシェンド(意味:音楽記号で段々音が大きくなる)をマーク付けられたかのような、ナミの語調は次の台詞で最大に達した。

 

「サンジ君が心配じゃないのかって事よ!!!」

 

 その声は甲板だけでなく、小さな船――ゴーイング・メリー号――中に響いた。

 

「ルフィ、アンタはね!」

「おいおい、落ち着けよ、ナミ。」

 

 今にもルフィに飛び掛かっていきそうなナミを狙撃主が肩を掴んで制止させた。

 

「ウソップ」

 

 狙撃主に振り向いたナミは、鬼以上の表情をしていた。

 

「どうやったら、落ち着けるって言うのよ。」

 

 怒りの矛先を船長から狙撃主に変えたナミがウソップの両頬を引っ張った。

 

「ナミ!」

 

 解読不能の言葉を発しながら訴えるウソップを助けるため、赤い帽子を被ったトナカイが航海士の名前を呼んだ。

 

「何、チョッパー!?」

「あ……いや、あの、その……何でもない」

 

 ナミのあまりにも恐ろしい視線に、チョッパーは尻込みした。

 

("何でもない"訳ねぇだろ!)

 

 ナミに頬を引っ張られているため、上手く言葉の出せないウソップは心の中で文句を言った。

 

「航海士さん、落ち着いて。」

 

 もう一人の女性船員(クルー)の声に、水が打ったように静まり返った。

 

「ロビン……」

 

 ナミがウソップの頬を抓(ツネ)るのを止め、声の出所に顔を向けた。ウソップは頬が痛いのか、しきりに擦(サス)っている。

 

「心配なのは貴女(アナタ)だけじゃないのよ」

 

 言い聞かすかのように、ロビンが話しかけた。

 

「私も、狙撃主さんも、船医さんも、剣士さんも」

 

 一人一人を確かめるようにして、ロビンがみんなの名前をあげていく。

 

「……そして、船長さんも」

 

 ルフィの事を言った瞬間、船首に座っていた彼の肩が微かに震えた。

 

「みんな、コックさんの事が心配なのよ」

 

 ロビンの口調は、ナミを咎(トガ)めるものではなかった。

 

「分かってる、分かってんだけど」

 

 そう呟いた後、ナミが外に視線を向けた。その発言を最後に、みんな黙り込んでしまった。

 

 その雰囲気がいたたまれなくて、チョッパーは海を見た。万物の母である海は、一体何処にあの非常さを隠し持っているのだろうか?

 

 彼が嵐の海に自(ミズカ)ら飛び込んだのは、昨日の事であった。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

「もう、最悪っ!!」

 

 オレンジ色の髪を揺らしながら、ナミは見事なタクト捌(サバ)きで敵を地面に叩き付けた。

 

「ナミ、大丈夫か?」

 

 航海士を心配した、チョッパーが近寄る。

 

「大丈夫か、ですって!!!」

 

 近付いて来たチョッパーの襟首を掴み、ナミはヒステリックな声をあげた。

 

「チョッパー! あんたにも分かるでしょ!? 今のこの状態がっ!?」

 

 あまりのナミの気迫にチョッパーは震えながら頷き、後ろを振り返った。チョッパーの後ろにある船首は真っ直ぐに進んでいた――"嵐"へと。

 

「物好きな海賊もいるものね。嵐を前にして、戦闘を仕掛けるなんて」

 

取り乱しきっている航海士とは対照的に、考古学者が涼しい顔で話しかける。

 

「ロビン~。どうして、あんたはいつもそう冷静でいられるの?」

 

 ナミが調子を落ち着かせようとしながら、ロビンに問い掛ける。

 

「さぁ? ……慣れているからかしら?」

 

 自分の事なのに、客観的に物事を言うロビンにナミは頭を項垂れた。

 

「わぁ! また来たぁ!!」

 

 チョッパーが怯えた声を出し、大きなガレオン船から飛び移って来る海賊を指差す。

 

「こうもしつこいと流石(サスガ)に飽きてくるわね」

 

 珍しく小言を言い、ロビンが手を胸の前に翳(カザ)そうとした時だった。

 

「必殺、鉛星!!」

 

計三つの鉛玉がそれぞれの敵の眉間に当たり、海賊はもんどり打った。

 

「見たか! おれ様の命中力を!!」

 

 突如、みかん畑にウソップが立ち上がった。

 

「まさしく神業! そう、人はこのおれをこう呼ぶ。"キャプテン・ウソ――ッ」

「アホかぁ――っ!!」

 

 皆まで言う前に、狙撃主は、いつの間にやら、みかん畑に上がって来ていた航海士のタクトの餌食(エジキ)になっていた。

 

「いってな――っ!! 何しやがるんだよ、ナミ!」

「あんた、さっきからずぅっと姿が見えないと思ったら、そこにいたのね!」

「べ、別に隠れてた訳じゃねぇぞ。おれは、ただ此所からゲリラ戦をしていただけだ!」

「何がゲリラ戦よ!? このか弱くてかわいい私ですら、立派に戦ってるんだから、あんたも姿を現(アラワ)して、戦いなさい!」

 

 ナミはそう言うと、ウソップをみかん畑から蹴り落とした。彼女のそんな姿を見て、チョッパーは『何処がか弱いんだろ?』と思ったが、言葉にして伝える事はしなかった。タクトの被害者に決してなりたくはなかったのである。

 

「野郎……、よくもやりやがったな。」

 

 先程、鉛玉にやられた三人が立ち上がり、こちらに迫って来た。

 

「ひぃっ!? ……ロビン姉様、お出番です。」

 

 ウソップはそそくさとロビンの後ろに回った。

 

「あらあら」

 

 ロビンは一瞬、困ったような顔をしたが、視線を敵に戻すと、顔を引き締め、両手を胸の前で交差させた。

 

「セイス・フルール(六本咲き)」

 

 敵である海賊の一人一人の両肩から二本の腕が生えてきた。

 

「!?」

 

 突然の奇異な出来事に言葉を失う海賊に、ロビンは制裁をくらわした。

 

「クラッチ!」

 

 ロビンの声と共に"咲いた腕"が敵の腕を背中へと――あらぬ方向へと回す。関節が鳴る音と悲鳴が同時にゴーイング・メリー号に響き渡った。

 

 そんなこんなで航海士と狙撃主と船医と考古学者の奮戦により、大方の敵は甲板でのびていた。

 

「……で、あんた達も味わいたい?」

 

 ナミが呼び掛ける先には、出遅れた――また別の――敵三人組が突っ立っていた。言葉を詰まらした敵に、更にナミが声を掛ける。

 

「私達、甲板が汚れるのは嫌いなの。そうよねぇ、ウソップ?」

「お、おうよっ!」

 

 いきなり話を振られた狙撃主は、先程まで震えていたのが嘘のような変わり身の早さで、毅然(キゼン)と胸を張り、のびている敵を指差した。

 

「とっととそいつら連れて、船に戻れ! でねぇと、俺様のファイナルウェポンをくらうことになるぞ!!」

 

 ウソップの嘘事(ソラゴト)を真に受けたのか、ロビンの悪魔の実の能力を目(マ)の当たりにしたせいか、三人組は甲板に突っ伏している奴等を拾い上げると、ガレオン船からゴーイング・メリー号に下ろされた綱を素早く上(ノボ)って行ってしまった。

 

「ウソップ、"ファイナルウェポン"って何だ?」

 

 無邪気な船医の返答に、ますます胸を張って、狙撃主は返答した。

 

「この俺様が五年の年月をかけて完成させた道具で、まぁ、どんな海王類だって一気に倒しちまうという究極の武器なんだよなぁ、これが」

「すっげー!!!」

 

 目を輝かせて、ウソップの嘘を鵜呑みにするチョッパーにナミが「嘘に決まってんじゃない」と言うと、「嘘なのか!?」とチョッパーは表情をコロコロと変えた。

 

「フフッ」

 

 ロビンはそんな三人(?)のやり取りを見て、目をやんわりと細めただけだった。

 

 その瞬間、船が左右に揺れた。慌てて、船員(クルー)達は柵に掴まり、揺れがおさまるのを待つ。

 

「思ってたよりも、嵐が速いわ」

 

 ナミは航海士の顔に戻すと、前方を見やった。嵐はもはや目と鼻の先にあり、船を囲む波の高さが闘い(バトル)が起こる前よりも、確実に上がっていた。ゴーイング・メリー号に乗っていた誰もが数分後に起こる出来事――この船が嵐に飲み込まれる光景が安易に想像出来た。

 

「あいつら。一体、何してんのよ」

 

 声を荒げながら、ナミはゴーイング・メリー号の何倍も高さがあるガレオン船を見上げた。航海士の心配を余所(ヨソ)に、風が段々と強さを増して行く。その割には、こんなにも嵐を近くにしながら、雨が降らないのが不思議だった。

 

「もしかして、ルフィ達に何かあったのかなぁ?」

 

 チョッパーがロビンの足に引っ付きながら、言葉を漏らした。

 

「まっさかぁ。ルフィの他にも、ゾロやサンジがいるんだぜ。そんな事ある訳――」

「でも、遅すぎるわ。」

 

 ウソップの発言に覆い被さるようにして、ロビンが逆の推察を述べた。ナミは息を一つ吐いてから、大きく息を吸い込んだ。

 

「サンジ君! 聞こえてるなら、顔出してっ!!」

「どうして、サンジなんだよ?」

 

 大声を出したナミにウソップが横槍を入れる。

 

「馬鹿ね。戦闘モードに入っちゃっているルフィとゾロが私の声に気付くと思う?」

「んな訳ねぇな」

「でしょ? ……サンジくーん! 聞こえてるなら、返事して――!」

 

 奴が好きなレディ―――ナミに反応しない訳ないよな、とウソップが思った矢先だった。

 

「はぁ~い、ナミさぁ~ん!おれを呼んで下さいましたか~??」

 

 ほらな、とウソップは思いながら、敵の海賊船から眼をハートにして、顔を出したコックを見上げた。

 

「嵐が近付いてるから、早くあの馬鹿二人をこっちに連れて来て欲しいの!」

 

仮にも自分達の船長である男を"馬鹿"呼ばわりしながら、ナミは頼んだ。

 

「んナァミさんの為なら、このサンジ、何だって致しますよ~!」

「良いから、早く行け!」

 

 ウソップの言葉に、サンジは特徴的な眉毛をひそませる。

 

「おいっ、長っ鼻! 折角(セッカク)ナミさんがおれに頼み事をして下さってるのになぁ、余計な茶茶(チャチャ)入れて台無しにすんなよ。……あ、まさか、おれに嫉妬?」

「んな訳あるかぁー! 第一、お前はな――」

「うるっさいわ――っ!」

 

 今度はナミの鉄拳がウソップに炸裂する。

 

「サンジ君、早く!」

「了解♪」

 

 サンジは軽く返事をすると、頭を引っ込めた。

 

「みんな、帆を畳(タタ)んで。嵐に備えるわよ! ほらっ、ウソップも」

 

 先程殴った事への罪悪感なんて微塵(ミジン)も感じさせずに、ナミはウソップや他の仲間に適確な判断を与える。

 

「どぉして、おればっか、こんな目に……。サンジの奴、後で覚えとけよぉ」 

 

 そんなウソップは頬を床にくっつけながら、文句を垂れていた。

 

 必ずしも『後』があるとは限らない。そんな事を考えることなく――。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

「ちっ。あいつら、何処にいやがんだ?」

 

 サンジは咥(クワ)えていたタバコを吐き捨てると、自船とは比べ物にならない程広い甲板を駆け抜けて行った。波が荒れ狂う程に風が吹き、流れ出た汗で前髪が額に張り付く。ゴロゴロと甲板のあちこちで転がっている敵の多さと、今から襲いかかって来る敵の多さに、コックは溜め息を吐(ツ)いた。

 

「ったく!しつけぇんだよ!!」

 

 両手を地面につくと、両足を一直線に広げ、円周上の敵を――書いて字のごとく――"蹴"散らした。そのままペースを落とす事なく敵を数人蹴り上げ、船の中心地への最短距離の道を確保する。

 

(いやがった!)

 

 コックはマストの下で敵と対峙(タイジ)する船長と剣士を視界に捕らえた。

 

「真打ち登場……ってヤツか?」

 

 眼下――甲板とマストがある中心地とは結構な高さがあったため――に広がる光景を見て、サンジは呟いた。明らかに今までの雑魚(ザコ)とは違う威風を纏(マト)った男二人が、ルフィとゾロと睨み合っていた。おそらく、この海賊船の船長(キャプテン)と、副船長だろう。 片方が逆立てたような黒髪と白のコートを、もう片方が――地毛だろうか――オールバックの白髪に黒のコートを着ている。 白コートの男の左目下に脳天から顎(アゴ)まで剣で串刺しにされた骸骨(ガイコツ)のタトゥーを入れているのが、離れていても見えた。同じように、黒コートの男も右頬から右目を無視するかのように黒い稲妻の刺青(イレズミ)をしていた。体格としては、どちらもがっしりとしたガタイで肩幅が広く、黒コートの男は、怒り肩気味の白コートの男よりも巨体であった。そんな二人組を見て、サンジは「オセロみたいだな」と何処か見当外れな事をぼんやりと思った。最早、やる気満々の臨戦態勢に入っている船長と剣士を無理やり連れ戻そうとするのは、もう無理な話だ。だったら――。

 

「おいっ、クソゴムにクソ剣士!」

 

 暴言で呼びかけ、彼等の反応を見て、自分の声が届いていると確認する。

 

「嵐が近付いてるから、とっととソイツ等倒して、船に戻って来い!」

 

 命が掛かっている内容を、まるで餓鬼(ガキ)のお使いを頼むかのように、サンジは大声で言った。

 

「おう!」

「けっ、テメェなんかに言われなくとも」

 

ルフィからは快諾(カイダク)を、ゾロからは遠回しな了解を得ると、サンジは口端を持ち上げ、視線の先を二人から離した。用件を伝えたとはいえ、サンジは先にG・M(ゴーイング・メリー)号に帰るつもりはなかった。

 

「さぁて、後は……」

 

コックの視界に映るは、懲りもせずに襲いかかる気満々の敵共。サンジは足で甲板をい鳴らし、ポケットから取り出したタバコに火をつけた。

 

「クソ気に食わねぇが、アイツらの帰り道でも作るとするか」

 

一対多数の大乱闘の開始であった。

声を上げながら突っ込んで来た敵を、両手をポケットに入れたまま、サンジは蹴りで出迎えた。サンジはお得意の蹴りで敵を次々と沈(鎮)(シズ)めていく。自分の後ろに誰か――敵以外いないのだが――が立つ気配がした。そいつから振り下ろされたカトラス(意味:海賊の武器である剣)を易々(ヤスヤス)躱(カワ)し、振り向く際に技を叩き込んでやる。

 

「ポワトリーヌ(胸肉)シュート!!!」

 

蹴りが敵の胸に直撃し、回りの海賊共を巻き込みながら、ブっ飛んでいく。それを見た相手が怖(オ)じ気付く中、サンジは煙草の煙をゆるりと吐き出した。そんな休息(?)も束の間、意気を取り戻した連中が再び――三度(ミタビ)か――襲いかかって来た。まだまだ、こちらの乱戦は終わりそうにない。

 

 船に打ち付ける波がますます強くなってきている。嵐に程良く近付いてしまっているらしい。なのに、雨も雷鳴もしないのは、一体何故だろうか?

 

 サンジの忠告後も、四人――ルフィとゾロ、敵の船長と副船長は対峙したままであった。

 

(大概、口先だけの弱い奴等は向こうから仕掛けてくるんだけどな)

 

ゾロは鞘にしまっている刀の兜金(カブトガネ)(意味:柄の先っちょ)に掌(テノヒラ)を当てながら、そう思った。甲板が騒がしい。サンジが雑魚共を適当に蹴散らしているのだろう。

どうやら、コックは二人が戻るまで船に帰る気は更々ないらしい。テメェだけでも戻れば良いのによ、とゾロが思っていた時だった。

 

「ゾロ、早く終わらすぞ!」

 

麦わら帽子を被り直しながら、船長が言った。その口許には笑みすら浮かべている。

 

「お安い御用だ、キャプテン」

 

剣士は了解すると、敵を睨み付けて「……という訳だ。悪(ワリ)ぃが、テメェらには"やられてもらう"ぜ」と、とんでもない予定を相手に宣告した。

 

「やれるもんならな……」

「やってみやがれってんだ。」

 

白コートの男の言葉の続きを、黒コートの男が引き継ぐ。

 試合(死合)の始まりであった。

 

 ルフィが白コートの男の相手を受け持った。

 

「ゴムゴムのォ――っ」

 

右腕を"有り得ない"ぐらいに、"ゴムゴムの実"の能力者であるルフィは後方へと伸ばした。決定的な隙(チャンス)なのに相手は攻撃に移さず、握り締めた左の拳(コブシ)をルフィと同じく後方に引いただけであった。無論、ルフィのように腕は伸びたりしない。"当たり前"の人間(ヒト)として、相手は腕を後方に引いただけ。

 

「ピストル(銃)!!」

「   」

 

ゴムが伸縮する反動を利用した、ルフィの拳(コブシ)が相手目掛けてとんでくる。ルフィの拳が戻り切る前に、相手が何か――技名――を口走り、後方に引いた拳を開いて、前に出した。突如(トツジョ)、ルフィに向かって強い風が吹いた。

 

「い゙い゙っ?!」

 

ルフィの拳は風に逆らい切れずに押し戻され、体までもが吹っ飛ばされてしまった。そのまま、後方にあった壁にルフィは激突した。

 

「いてて。なんだぁ、さっきのは!?」

 

ルフィに感想を喋らす暇は無い。相手が一気に間合いを詰め、ルフィに拳を振り翳(カザ)した。野性的闘いの勘、というべきか、ルフィは高くジャンプしてかわした。すると、相手は攻撃した右手とは逆の左手でアッパーを仕掛けてきた。

 

「――っ!?」

 

避けれない。ルフィは顎(アゴ)を強打されてしまった。引き続いて連打をしようとした敵だったが、そう易々と攻撃をくらうルフィではない。二度目の拳がくる前に、ルフィは手を伸ばし、マストを掴んだ。そのまま、一気にマストへ飛ぶ。そこに着いてから――何かに気付いたのか――ルフィは大声を張り上げた。

 

「あっ、帽子!!!!」

 

顎への攻撃によるせいか、帽子の紐が切れてしまったのだ。強風により、空(クウ)に漂う麦わら帽子を、ふいに甲板にいる誰かがそれをキャッチした。

 

「サンジっ!!」

「よぉ、ルフィ」

 

帽子を左手に掴んだコックが答えた。

 

「"コイツ"はおれが預かっといてやる。テメェはそいつを倒して、とっとと船に戻りやがれ」

 

タバコをふかしながら、男は言った。

 

「なくすんじゃねぇぞ!!」

 

承諾が前提にある台詞を船長が吐いた。

 

「バーカ、なくす訳ねぇだろ」

 

それに対する男の返事も勿論、快諾。

 互いにニヤリと笑うと、二人はそれぞれの仕事に向かっていった。

ルフィは敵船の船長をブっ飛ばす為に。

サンジは雑魚共の相手をする為に。

 

 ルフィと白コートの男が激突していた頃、此の男――ロロノア・ゾロもまた、敵と激突しようとしていた。

 

 敵対する黒コートの男は武器らしいものを手に持っておらず、だからといって、身に付けてもいなかった。拳(コブシ)が武器なのであろうか?あるいは……。

 

――先手必勝。

 

 ゾロが刀の柄に手を掛けようとした時だった。いきなり、相手がにタックルしてきたのだ。

 普通に考えて、刃物を己(オノレ)の得物とする男に、生身で体当たりをする奴がいるだろうか? 全く持って、酔狂である………‥黒コートの男が常識の範囲にいるのであれば。

 

 その事実に驚愕の表情を浮かべる事なく、逆に"手間が省けた"と思いながら、敵を葬り去るため、ゾロは二本の刀、良業物『雪走(ユバシリ)』と業物『三代鬼徹』の柄に手を掛ける。

 

  双者が激突し、金属音がきつく鳴り響いた。

 

(斬れねぇっ!?)

 

ゾロは二本の愛刀で敵の生身の巨体を抑えていた。

 

(悪魔の実の能力者か)

 

普通の人間ではない事を悟り、剣士は心の内で呟いた。ぐっと体重を掛けてきた相手に、ゾロも負けじと押し返す。だが、その力の媒介(バイカイ)としている刀が軋(キシ)む音がしてきた。

 

―――折られる。

 

そう直感した瞬間、力が緩んでしまったのか、ゾロは相手にはじき飛ばされてしまった。

 

「くっ!!」

 

 すぐさま、ゾロは体勢を持ち直し、両足で立った。そこへ相手の体当たり。ゾロは刀を交差させ受け止めると、床を蹴り上げ、宙返りをするかのごとく、相手の力と自分の力を利用して、二刀と相手の身体(カラダ)を接している点を中心に半円を描くようにして、敵の背後へと着地した。

 

(取った!)

 

振り向く際に、相手の無防備な背中へ刀を振り下ろすが、またもや鋭い金属音がしただけで斬れない。にやり、と敵は笑った。上半身を捻(ヒネ)らせ、副船長はゾロに渾身のパンチをくらわせた。

 

「ぐおっ!!」

 

拳圧で吹っ飛ばされる身体。後方にあった壁に激突することで、その勢いは止まった。

 壁の破片がパラパラと落ちる。剣士はのっそりと立上がると、ペッと血と痰(タン)の塊を吐き出した。

 

「……テメェ、何者だ?」

 

ゾロの問い掛けに男は「ギィヤァハハハッ!!!」と耳障(ミミザワ)りな、人の神経を嫌な意味で刺激するような笑い声で答えた。

 

「ンなもん、教える訳ねぇだろが!」

 

飛び出しそうな勢いでギラつく、敵の瞳に、ゾロは顔全面に不快感を露(アラ)わにした。

 

(何者か分からねぇが……)

 

三本目の刀を取り出した方が良い。敵が斬れない状況を打破するため、剣士が白柄の刀『和道一文字』を抜こうとした瞬間、敵は「抜かさねぇ」と言葉を吐き捨ててから床を蹴り上げ、ストレートパンチをけしかける。ゾロは刀を抜くという動作を止め、そのパンチを二刀で受け流した。

 

 三本目の刀を抜かせるチャンスがないまま、二人の戦闘は続きそうだった。

 

 一方、船長は、というと……。

 

「よっと」

 

マストにぶら下がったままではどうしようもないので、ルフィはマストの上に乗っていた。

 

「こっからだと、よく見えるなぁ」

 

戦闘中だというのに、此の緊張感の無さ。

 確かにルフィの言う通り、高いマストの上からはよく見えた。少し離れた位置にある自船に、此の敵船で雑魚を蹴散らすコックの姿に、二刀で敵と戦う剣士の姿。そして、自分の真下で力を蓄えている様子の敵船長……?

 

「何してんだ? アイツ」

 

ルフィが不思議がって、下ばかり覗いていると、技名かなんかを口走り、相手が信じられない程、飛躍してきたのだ。

 

「げっ!?」

 

ルフィが咄嗟(トッサ)に身を引くと、彼が先程いた場所へ、相手もまたマストに乗ってきた。

 

「何だぁ? さっきのは??」

 

とても素(ス)で飛躍出来たとは思えない相手に対するルフィの素直な感想に「……貴様が死んだら、教えてやろう」と物騒な言い方で相手は答えてきた。その返事に機嫌を悪くしたルフィが言い返す。

 

「お前、アホか。死んだら、教えられる訳ねぇだろ」

 

ルフィは、いつもの不敵な笑みを浮かべながら、更に言葉を続けた。

 

「俺は海賊王になる男だ。"こんなところ"じゃ死なねぇ」

 

―――"こんなところ"。

 

 その台詞が相手の癪(シャク)に障(サワ)ったのか、相手がルフィとの距離を縮(チヂ)めてきた。相手はパンチをけしかけてくるつもりだ。ルフィは避ける為、高くジャンプしたが、  相手はにやりと笑った。

 

 敵のアッパー。だが、それはルフィが高くジャンプしすぎて当たりそうにない。

それもそうだ。相手はルフィに"拳"を当てる気はないのだから。相手が本当にルフィに繰り出したい技は――。

 

「   」

 

不意に相手の拳から、上昇気流が起こった。

 

「うわっ!?」

 

一気に天高く放り投げられるルフィ。風の見えない刃で切り付けられながら、ルフィは上昇気流のてっぺんに来た――掴める物等、何もない宙(チュウ)に。

 

「貴様は海賊王になれない」

 

敵の声がルフィより高い位置で聞こえた。組んだ両手がルフィの前に掲げられる。

 

「なぜなら、貴様は仲間の為に自分を犠牲にすることが出来ても、自分の夢の為には仲間を犠牲にする事が出来ないからだ」

 

何も言い返せないルフィに相手は拳を勢いよく振り下ろした。

 

「ぐわあぁぁっ!!!」

 

疾(ハヤ)い落下音と盛大な激突音と共に、ルフィは船に叩き付けられる。

 

「ルフィ!!」

 

船長の危機に、剣士とコックの声が重なる。

 

「余所見(ヨソミ)してる暇はあんのかよ!?」

「――っ!?」

 

一瞬の隙(スキ)を突かれ、敵の副船長にはじき飛ばされたゾロは壁に衝突した。

 

 ぐらり、と船が揺れた。ルフィが船に叩き付けられたからではなく、ゾロが壁に激突したからでもない。戦闘前からから進行方向に存在していた嵐に近付き過ぎたのだ。大きく上下左右に揺れる船体。何かに掴まって無いと、船から嵐の海へと振り落とされてしまう。

 

「い゙!?」

 

壁への衝撃、船の揺れ。ゾロの腹巻きのフォルダーにしまっていた最後の刀――和道一文字が外(ハズ)れてしまったのだ。船の傾いた方へコロコロ転がっていく刀を、ゾロは慌てて追っかけた。すぐに追っかけようにも、船は酷く揺れている上に甲板は水飛沫で滑りやすくなっているため、上手(ウマ)く走れない。だが、ラッキーな事に、刀は船から落ちる一歩手前の手摺(テスリ)に引っ掛かった。

 

(しめた!)

 

ゾロが甲板を滑るようにして、その手摺へと近付いた。

 

 その刹那(セツナ)、誰かがにやりと笑った。

 誰が笑ったかなんて、笑った本人と内通者にしか分からない。

 

 剣士が刀に手を伸ばした瞬間、つむじ風がピンポイントに起こった。

 剣士が声を上げるのと、刀が荒れ狂う海の上に放り出されたのでは、どちらの方が早かったのだろうか?

 

 手摺を片手で掴み、ゾロはぐっと身を乗り出した。しかし、届かない。

 

 このまま、刀が海へ落ちるのを見送るしかないのか、と思われた瞬間、新しい何かが、ゾロの、刀と荒れ狂う海しか映っていない視界に飛び込んで来た。

 

 金と黒。

その人物は――左手に麦わら帽子を預かっていたため――空(ア)いている右手で刀を捕(ト)らえた。無論、彼は命綱等していない。

 

 引力に逆らえず、嵐の海に落下する体。合わさる視線。

 

「おい、取ったぞ!!」

 

 コックがそう高らかに宣言し終えるのを待っていたかのように、波はサンジをさらっていった。

 

 その瞬間は緩(ユル)やかに流れていったように思われたが、本当に突然の出来事だった。

 剣士は……言葉を失った。

 

「馬鹿な事するんじゃねぇっ!!」

 

 間を置かずに上がった船長の雄叫(オタケ)びに、ゾロの瞳に物が映(ウツ)った。海へ消えた男を掴むため、ルフィは思いっきり片手を伸ばしたが、海に届く前に、何者かに掴まれてしまった。ルフィの腕を掴んだのは、先程、ゾロと闘っていた黒コートの男であった。そして、伸びた腕を掴んだまま、ルフィをぶん回し始めたのだ。

 

「げっ!?」

 

その上、その円周上にいたゾロを巻き込ませ、回す速度は更に増していく。最後の決めとして、ハンマー投げよろしく、相手はルフィの伸びきった腕を勢い良く放した。

 

「うわあぁぁっ!」

「のわあぁぁっ!」

 

だんごになり、回転しながら、二人は飛ばされ、敵船から離れつつあったG・M号の後方甲板の壁に見事に命中した。

 

「な、何!?」

「船長さんに剣士さん!?」

「おいっ、お前ら、何があったんだ!?」

「あれっ? サンジは!?」

 

突然の激突音に、嵐に揺れる自船をどうにかしようと対策していた船員(クルー)達(ナミ・ロビン・ウソップ・チョッパー)が現場に駆け寄って来た。四人が大きく空(ア)いた壁を覗き込んでいると、真っ先に、トレード・マークである麦わら帽子を被っていない船長が出て来た。

 

「くっそ――っ!!」

 

ルフィは他の船員には一瞥も与えずに、そう漏らすと、もう一度、敵船に向かおうと腕を伸ばそうとした。だが、その瞬間、またもや船が揺れた。しかも、その揺れ方は半端ではなく、下手すると完璧に振り落とされてしまうものだった。G・M号はどうにも出来ない程、嵐の中心地にいたのだ。さっきまでのが児戯だったかのように本格的に襲いかかる、波・波・波。

 

「へにゃ~~」

「わわっ!!」

「くっ!」

 

 悪魔の実の能力者である三人組(ルフィ・チョッパー・ロビン)は途端に力を失った。慌てて、ウソップがルフィを、穴から出て来たばかりのゾロがチョッパーを、ナミがロビンを掴んだ。とりあえず、船員(クルー)が船から落ちるのは免(マヌガ)れたが、その船自身が沈没してしまう危険は回避されていない。

 

 私は航海士! だから、なんとかしなきゃ、と心の何処かで困惑する自分を叱咤(シッタ)しながら、ナミは顔を上げた。しかし、その瞬間、航海士は我が目を疑った。

 

「う……そ……。」

 

 視界に飛び込んで来た事実は、彼女を更なる困惑に陥(オトシイ)れさせた。

 それは嵐の中、悠々(ユウユウ)と帆を張り、風の塊(カタマリ)である嵐に引き寄せられる事なく、むしろ逆方向へ船首を向けた敵船の姿が、波の向こうへと遠ざかっていくというものであった。

 

「なんで……?」

 

疑問符が頭の中を占める少女に、再び、塩辛い水が降り注ぐ。

 

 一つの船を飲み込んだ嵐は轟々(ゴウゴウ)と唸(ウナ)り声を、一晩中、上げ続けた。

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

 嵐が去り(消えたというべきか)、波が平生(ヘイゼイ)を取り戻して来たというのに、未(イマ)だに嵐の渦中のような衝動が冷め止(ヤ)まぬ人物がいた。

 

 ルフィだ。

 

 船長は我が身を顧(カエリ)みずに、海へ飛び込もうとした。

 

「ちょっと、何してるのよ!?」

 

酔狂じみた行為を航海士が慌てて止めさした。だが、船長の次の台詞で更に航海士は慌てる事になる。

 

「サンジが海に落っこちたんだ!!」

 

その衝撃は船員(クルー)中を駆け巡った。

 

「おいっ、どういう事だよ! ルフィ!!」

 

ズカズカと大股で狙撃主が歩み寄った。

 

「分かんねぇ」

 

ルフィは帽子を被り直すような動作をした――主体となる麦わら帽子は彼の頭の上に乗っかっていないけれども。

 

「おれが見たら、サンジが海に飛び込んでいたんだ」

 

おれの麦わら帽子を預かったまま……、と彼らしくない小さな声で、ルフィは最後に付け足した。

 

「嵐の海に自分から飛び込んだのか!?」

 

チョッパーが手を忙(セワ)しなく動かしながら、ルフィの言葉に反応した。

 そんなどよめきの中、静かにその場――前方甲板を立ち去ろうとした男がいた。

 

「ゾロ!!」

 

ナミがその男の名を呼んだ。

 

「うるせぇから、向こうに行く」

 

後方甲板へ視線を向けながら、淡々と剣士は言った。

 

「うるさいって、あんた! サンジ君が嵐に飲み込まれちゃったのよ!! それなのに、あんたは……」

「なぁ、ゾロは知らないのか? どうして、サンジが海に飛び込んだか?」

 

激情に任せて、ゾロに胸倉を掴もうとするナミを人型になって押しとどめながら、チョッパーが訊いてきた。それに対する剣士の返答は、沈黙。視線をこちらに向けもせずに、再び、ゾロが後方甲板を目指そうとした時に「剣士さん、貴方の三本目の刀は?」と今まで静寂を決め込んでいたロビンが尋ねてきた。その質問に答えはしなかったが、ゾロの足が止まった。考古学者の言葉に、ルフィとナミとウソップとチョッパーはゾロの刀達に目を向けた。刀が一つ、ない。

 

「本当だ、ねぇぞ」

「ゾロ、あの刀は?」

 

ルフィとナミが発言した瞬間、ゾロが自分の隣りにあった壁を拳で殴り付けた。穴がまた一つ空いた。

 

「おれに構うな」

 

東の海(イースト・ブルー)の魔獣。

その孤独な時代を彷彿(ホウフツ)させるような一睨(ヒトニラミ)を向けると、黙り込んだ船員(クルー)を残して、剣士は後方甲板へと姿を消してしまった。彼を追っかけていきそうな素振りを見せた船長を考古学者が静かに諫(イサ)めた。

 

「彼の言う通り、構わないであげましょう」

 

 

 

 これで話は冒頭に戻る。

 

 

 

「島が見えたぞ!」

 

 見張り番にもどった狙撃主が大声を上げた。

 

「『フォリー・ベルジェール島』ね」

 

前回の島『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』で手に入れたエターナル・ポースに刻まれた文字を見ながら、航海士が言った。

 

「もしかすると、コックさんが流れ着いているかもしれないわね」

 

 Dead or Arive(デッド オア アライブ)(生死に関わらず)。

心の内で思った、非常な接頭語を付け加える事せずにロビンが推測を述べた。

 

「サンジがいるのか!?」

「可能性としては高いわね」

「この島があの嵐のあった地点に一番近いし……」

 

ルフィの質問に二人の女性陣営(ロビン・ナミ)が受け答える。

 

「よっしゃあ、上陸すっぞ!!」

 

可能性があるだけだというのに、船長はコックが居ると断定済みだ。

 

「ゾロは?」

 

チョッパーが今この場にいない男の名を出した。

 

「ほっときなさいよ、あんな奴……と言いたいところだけど、ほっとく訳にもいかないか」

 

ナミが後方甲板へと視線を向けた。

 

「おれが呼んできてやろうか?」

 

見張り台から降りて来たばかりのウソップが話題に首を突っ込んだ。

 

「いえ、私が呼んでくるわ。」

 

珍しい事に、ロビン自らが立候補した。

 

「ロビン?」

 

怪訝(ケゲン)がったチョッパーが口を挟む。

 

「ふふっ。だって、長ハナ君にあんな怖い顔の剣士さんを呼ばせる訳にはいかないもの」

 

ロビンの言う通り、今のゾロは恐ろしく機嫌が悪い。人ひとり、斬りそうな勢いが漂っているぐらいだ。

 

「それじゃあ、ロビン、任せたぞ!」

 

先程の凶悪面(キョウアクヅラ)のゾロを思い浮かべて、ゾッとしたのか、ウソップが素早く、ロビンに託した。

 

「ええ、任せて。」

 

微笑むと、ロビンは流暢(リュウチョウ)な足取りで後方甲板へと歩いて行った。

 

 誓いの刀"和道一文字"が無い事・ゾロが酷く不機嫌な事から、サンジが麦わら帽子だけではなく、刀も持っていってしまったのだと、ナミには予想が付いていた。おそらく、他の船員(クルー)達も分かっているとまではいかなくても、勘付いている事だろう。何かしらトラブルがあって、刀を拾ったサンジが―――いや、刀を拾う為に彼は海に飛び込んだのだろう。我が身を顧(カエリ)みずに……。そう考えると、ナミもゾロではないが、ムカついてきた。ムカツクというより、自分を犠牲にする、彼のやり方に酷く腹が立った。

 

(ドラムの時でも、空島の時でも、どうして、そんな自分勝手な行動を取るのよ? 少しは、された側の方の気持ちも考えてみなさいよ、馬鹿! 今度、会ったら、ビンタをかましてやるんだから!)

 

そんな強がりで今すぐにでも不安に揺れそうになる心を誤魔化しながら、ナミは前方にある島を強く睨み付けた。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

 (理解出来ねぇ)

 

 後方甲板に、自分の腕を枕に寝転びながら、ゾロは思った。空は呪いたくなるような快晴で、剣士を見下ろしていた。

 

(ムカツク)

 

それは空に対して放たれた言葉ではなく、この船に乗っていない人物に対してだった。 アイツが海に飛び込んだ理由が、ちっとも分からないのだ。

 

("アレ"は俺の刀だ。何故、お前がそこまでして取りに行くんだ? 遠回しにおれを馬鹿にしたかったのか? 分からない、判(ワカ)らない。苛々(イライラ)する)

 

それに、とゾロは付け加えて思った。

サンジが飛び込んで来たとき、ゾロは一瞬だけコックと視線が合った。その時のサンジは笑っていたのだ。何で笑っていたのか、ゾロにはさっぱり分からない。

 

(落ちゆくテメェが笑う程、俺は阿呆面をしてたのかよ。滑稽だったってのかよ)

 

そう考えると、ゾロは非常にイラついてきた。

 

(むかつく、ムカツク、むかつく)

 

 何遍も、頭の中で一つの単語を繰り返す。

 

(だが)

 

ゾロは思い返した。その時、コックの見せた顔が、あの笑った顔が何処(ドコ)かで見たような気がするのだ。けれども、それが何処で見たのかが思い出せない。

 

(何処だったか)

 

瞼(マブタ)を閉じながら、ゾロは考えた。

 

 そう考えていると、ブーツの足音が近付いて来た。それが誰の足音だか分かっていたので、ゾロは瞼(マブタ)を開けずに無視する事にした。何かが自分の近くで咲く音がした。

 

………3

……2

…1

 

「ぶはぁっ! テメェッ、おれを殺す気か!?」

 

ゾロは慌てて上半身を起こした。ロビンがハナハナの実の能力を使って、ゾロの鼻をつまんでいたのだ。

 

「あら、ごめんなさい。いつも、蹴りで起こされているから、これぐらいでなきゃ起きないと思ったの」

 

謝っている内容なのに、ちっとも謝りの感情が入っていない口調でロビンが言った。

 

「ンで、何なんだよ?」

 

やっぱり、この女は苦手だと思いながら、尋ねる剣士に「コックさんが流れ着いているかもしれない島が見えてきたから、知らせに来たのよ」と考古学者は淡々と答えた。

 

「クソコックが?」

 

気になる固有名詞に、剣士の眉がひくりと動く。

 

「ええ」

 

短く返答すると、ロビンは後方甲板の手摺を掴み、視線の先をゾロから海に移動させてから、ぽつりと呟いた。

 

「自ら、嵐の海に飛び込むっていうのは、どんな気分がするのかしら?」

 

波は緩やかな単調な動きを繰り返し、数羽のかもめが愚痴っぽく鳴きながら、船の回りを旋回している。

 

「さぁな」

 

興味が無い、関心が無い、とでも言いたげに、ゾロは答えてやった。

 どんな気分だなんて、きっと本人にしか分からない事なんだろう。この船に今は居ない、コックにしか……。

 

 G・M号は、ゆっくりと『フォリー・ベルジェール』島へと近付いていった。

 

 

 

つづく




 オリジナルキャラ

◆リバーシ(男性)船長
逆立てたような黒髪と白のコート。左目下に脳天から顎(アゴ)まで剣で串刺しにされた骸骨(ガイコツ)のタトゥーを入れている。がっしりとしたガタイで肩幅が広く、怒り肩気味。

◆オセロー(男性)副船長
地毛だろうか、オールバックの白髪に黒のコートを着ている。右頬から右目を無視するかのように黒い稲妻の刺青(イレズミ)。がっしりとしたガタイで肩幅が広く、船長リバーシよりも巨体。

※名前は二人とも本編には未登場。


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4,ナンパをする男

(どうして、こんなことになっちゃったんだろ?)

 

 おそらく、隣りを歩くウソップも同じことを考えているに違いない。そんな彼に助けを求める訳にもいかず、背後から殺気にも似た気配を受け止めながら、ナミは後者に分からない程度に溜め息を吐いた。数歩後ろからは、市場で賑わう街の中を歩いているにも関わらず、いつもとは一つ少ない、二本の刀のぶつかり合う音が定期的に自分の耳に届いてくる。ナミは、もう一度、溜め息を吐こうとしたが、隣りから溜め息が聞こえてきたのでやめることにした。やっぱり、狙撃主も同じことを考えていたのだった。

 

 フォリー・ベルジェール島に上陸するため、港町から離れた、岩に囲まれた入り江に船を泊めたのが、つい判刻前。 錨(イカリ)を降ろし終える前に、船長は「サンジ、何処だーーっ!?」と叫びながら、話し掛ける間もなく、街に走り去ってしまった。残ったのは、航海士と狙撃主、船医に考古学者……そして、すこぶる機嫌の悪い剣士の、計五名。

 勝手に飛び出して行った船長は放っておいて、誰が船番するか、と話していると、何も言わずにゾロまでもが降りてしまった。本格的に行き始める前に、ナミが問いただすと「鍛冶屋に行く」とのこと。二本の刀を触れながら、脇目も振らずに、街とは逆方向に歩き出す剣士を慌てて狙撃主は呼び止めた。これでは間違いなく"迷子"になるのがオチ、と悟った船員(クルー)らは、チョッパーとロビンを船番に、ナミとウソップがゾロに随行することにした。無論、彼は威圧的な視線を向け、抗議した。しかし、見知らぬ広い島で、上陸早々、ハプニングを起こしたくない残り四人によって却下され、鍛冶屋からは一人で好きに行動しても良い、という条件で案内させることにしたのである。

 

(……失敗したわ)

 

 その時のやり取りを思い出しながら、ナミは一人ごちた。こういう奴に扱い慣れているロビンに任せるべきだった、とつくづく思う。ゾロの機嫌は並大抵ではなく、もはや、キレる寸前まで来ていたのだ。冗談抜きで、本当に人を斬りかねない。

 

 なんて、運が悪いのだろう。

なくした刀が、一番大切な刀で、しかも、持っていったのが、いつも喧嘩ばかりしているサンジ君だなんて。もし、サンジ君以外の船員(クルー)なら、心配こそすれど、機嫌が悪くなることはないだろし、違う刀であったならば、機嫌も幾分マシだっただろう。

 

 機嫌が酷く悪かろうが、仲間なんだから、大丈夫だと思っていたが……。

 駄目だ、感情に嘘は付けない。

 

――マジで怖い。

 

 その証拠に、舟を降りてから、ナミは一度足りともゾロに話し掛けていない。ウソップも同じことでであり、人斬りの雰囲気を漂わせた剣士を後ろにして、ナミとウソップは二人同士でも話す事すらも憚(ハバカ)られていたのだった。

 

 当然のごとく、こんなあからさまに殺気を放つ男に話し掛ける町民はいない。

でも、二人は剣士を鍛冶屋まで案内しなくてはならないのだ。

 

(誰でも良いから、取っ捕まえて、鍛冶屋の場所までの道程を訊かなきゃ。でないと、私の身が持たない!)

 

 そう覚悟したナミは、通りすがる人に話しかけようとした、その時だった――男性の助けを求める声が聞こえたのは。

 

「なに、さっきのは?」

 

 この街に着いてから初めて、ナミは発言した。

 

「向こうから聞こえたぞ」

 

 同じようにして、声を出すきっかけを与えられたウソップが家々の向こう側に視線を向ける。行ってみよう、と言うことなしに、二人は、家々の間にある、反対側の大通りに通じる路地に入った。ゾロも黙ってついてくるのが、気配でわかった。

 

 普段なら、迷惑事は御免、とばかりに避けていたのだが、この時ばかりは仲間通しの異様な閉塞感に耐えられなかった。人が二人も並んで通れない、日の差さない路地を、ナミ・ウソップ・ゾロの順で駆け抜けて行く。

 

――明るい。

 

 最初に路地を抜けたナミの感想が、それだった。次第に慣れてきた目で、正面を見やると、ナミは眼(マナコ)を見開いた。続いて、ウソップも野次馬の仲間入りを果たした。

 そこには、五人のガラの悪そうな大男が一つの出店を襲い、店主と思われる男を締め上げている光景が広がっていた。想像するに、ゴロツキが出店を出していた男にいちゃもんを付けているのだろう。回りにいる人々は驚いてこそいるが、自分は関係ない、と言わんばかりに何も口出さない。散らばっている、品物だった葡萄をゴロツキが踏み付けたせいか、状況にそぐわない甘酸っぱい香りが漂っていた。

 

(大変な場面に出くわしちゃった……)

 

……ようね、とナミは心の中で言葉の続きを綴るのをやめた。

 

――ぞくり。

 

 急に、冷たい銃口が後頭部に当てられたかのような気に陥った。無論、そんなことはない。 後ろに控えている男が持っているのは銃ではなくて、刀なのだから。

 

――ゾロだ。

 

 ヤバイ、と瞬間的に察した。後ろから発される殺気が、まるで一触即発の銃のように感じられた。

 

 後は、引き金を引けば良い。

 後は、踏み込んで、抜刀(バットウ)すれば良い。

 

 暴れる口実が出来たのだ。

 怒りの矛先を向けても良い相手が出来たのだ。

……人助け、という素敵な理由の元で。

 

 きっと、ウソップも感じているのだろう。自分より僅か後ろに居る狙撃主の顔が見えない。もっとも、見れる位置に居たとしても、視線を向けられなかっただろうけど。

 

――やばい、ヤバイ、ヤバい。

 

 ナミの頭の中で警鐘が鳴り響く。惨状が安易に想像できる。

 

 とうとう、海賊狩りが動き出す気配がした。

 

「"コレ"、預かってて」

 

 後方からした、凛とした声に空気が震えた。

 その声に弾(ハジ)かれたように、ウソップとナミが振り返ると、一人の人物がゾロに、細長い麻の袋に入った金属音のする物を押し付けているのが見えた。すっと、何も言えないウソップとナミの合間を縫うように、その声の持ち主は通っていく。その際に、ヒュン・ヒュン、とナミがタクトを回す時に生じる音と似たような音が聞こえた。ゾロも、ナミも、ウソップも、一言も言わなかった。

 

 その人物はゴロツキと被害者の男性がいる舞台(場面)へと躍り出た。

 

「Guten tag(グーテン・タック)!」(ドイツ語で"こんにちは")

 

 新緑の季節の太陽に、その人物の長い金髪がチカリと光る。その人物――少女が、あの凛とした声で言った。

 

 なんとも軽快な挨拶台詞だったが、その口調は決して軽くはなく、強気を帯びたものだった。背格好も年齢も、ナミと同じぐらいかと思われた。片手には、彼女の身長程の槍が握られていた。先程の音は、この槍を回した音だったのか、とナミは一人納得する。首を巻くようにして、ピンクの布で胸を覆い、動きやすいように、大きくギザギザの入った、群青(ぐんじょう)色のスカートを穿(ハ)きこなしている。独特なディティール(細部模様)が入った、木で出来たリングを二の腕にし、肘から手首まで、袖にも似たピンクの布を巻いていた。緑色のブーツを履いていて、大きなフワフワとした物を二つ、足首より上にしている。はっきり言って、奇妙である。そして、その何よりも目に入ったのが頭から突き出た、幾つかの棒飾りだった。

 

 なに、あの子? とナミが思ってると、

 

「クラウンが来たぞ!」

「リチアちゃんだ!!」

「待っていたわ!」

「リチアちゃん、早く、アイツらをブチのめしてくれ!!」

 

 俄(ニワ)かに、野次馬群勢が活気付いた。さっきまで、怯えていたのが嘘のような騒ぎ様だった。

 

「クラウン? リチアちゃん?」

 

 少女の事を指しているであろう言葉に、ナミが反応した。

 

「おいおい、一体、何なんだよ?」

 

 困惑したウソップの呟きに「あら、お前さんたち、旅人かい?」と両手を挙げて喜んでいた太った中年女性が訊いてきた。

 

「あ……ああ、そんなところだ」

 

 若干、吃(ドモ)りながら、ウソップが嘘で受け答える。

 

「じゃあ、知らないのも仕方ないねぇ」

 

 おばさんが言葉を続けた。

 

「クラウン(clown)というのは、海軍の代わりに、この街を守る傭兵の事だよ」

 

 クラウン

 clown

 道化師

 ピエロ……

 

 だから、あんな格好をしているのか、とウソップはぼんやりと名前の由来を考えていた。

 

「海軍の代わりに?」

 

 ナミが会話に参入する。

 

「ああ、そうさ」

 

 おばさんはナミに回答した。

 

「この街には海軍がいないからね、だから、代わりに傭兵である"クラウン"が守ってくれてんだよ」

「海軍がいないっ!?」

 

 その事実に、航海士と狙撃主が顔を見合わした。

 

「そして、あの娘が『リチア』ちゃん」

 

 そんな二人にお構いなしに、ゴロツキと対峙する少女を指差しながら、おばさんは二つ目の単語"リチア"について話し始めた。

 

「クラウンの中でも、五本の指に入る傭兵さ」

 

 誇らしげに語る中年女性から、ナミとウソップは視線を"リチア"と移した。

 

 ドサッ、と人を落とす音がした。急に現れた少女に対象を代えたのか、ゴロツキが男を掴んでいた手を放したのだった。

 

「なんだぁ、嬢ちゃん?」

「"クラウン"だか知らねぇが、俺たちを止めようってか?」

 

 ニタニタしながら、ゴロツキ達が少女に歩み寄る。少女の前にゴロツキ共が立ち塞がると、あからさますぎる程に、身長と体格の差がはっきりとされた。

 

「よく分かってるじゃない」

 

 強気な姿勢を崩すことなく、リチアが続けて言う。

 

「牢獄"アルカトラズ"にぶち込まれたくなかったら、素直に詫びた方が身の為ね」

("アルカトラズ"っていうのは、悪人を閉じ込める、この島の牢獄の事よ)

 

 さっきのおばさんが、ウソップにそう耳打ちした。

 

「嫌だ、と言ったら?」

「実力行使」

 

 ゴロツキの質問に、リチアは四文字熟語で即答すると、槍をヒュンと一回だけ回した。

 

「もしかして、嬢ちゃん一人で俺たちを倒すつもりか?」

「あら、不服だったかしら?」

 

 少女の台詞にゴロツキ共は、さも可笑気に笑い出した。

 

「うひゃひゃひゃ、こりゃあ、傑作だ!」

「お嬢ちゃん、冗談なら服だけにしときな」

「土下座すりゃあ、なかった事にしてやんぜ」

「男相手だから、負けても仕方ないもんなぁ!」

「全くだ、だぁっはっはっはっ!」

 

 好き勝手に言い出す男共を相手に、少女は何も言い出さなかった。だが、それは落ち込んでいる訳でも、悔しい訳でもない。それどころか、全く持って、今までの態度を変えなかったのである。

 

「アナタたちも良かったじゃない? アタシが"女"で」

 

 少女が話し始めると、男共が嗤うのをやめた。

 

「仮に、負けても、『相手が"女"だったんで、油断して負けちゃいました』って素敵な言い訳が出来るでしょ?」

 

 リチアが片端の唇を引き、不敵に笑う。ゴロツキ共を怒らすには、充分すぎる程の台詞だった。

 

「この女(アマ)ァ、おとなしくしてりゃあ付け上がりやがって!!」

「怒鳴り散らせば良いってもんじゃないよ、この冷凍マグロ!」

 

 大声をあげたゴロツキの一人を、あの凛とした声でピシャリと言い返した。

 

「れ、冷凍マグロだとぉ~~っ!」

「だって、アナタたち、ただ"デカい"だけじゃないの」

 

 リチアの言い回しに、野次馬からクスクスと笑い声が漏れた。

 

「こンの~~っ。ええい!黙りやがれっ!!」

 

 段々と顔を赤くする男たちとは対称的に、リチアは感情を出すことなく、冷静にことを見ている。その行動がますます、男を怒らせた。

 

「この女(アマ)め! 叩きのめしてくれるっ!!」

 

 とうとう、堪忍袋の切れたゴロツキたちがリチアに襲いかかる。傭兵である少女は、ひゅうっと息を吐くと、得物を構えた。

 

「五名様、牢獄"アルカトラズ"にご案内致します。」

 

 少女の郡青(グンジョウ)色の瞳が、戦士の瞳へと変わった。

 

 一人目の男がパンチを仕掛けてくる。リチアがその攻撃をサラリと躱(カワ)した。その際に、長い金髪がたなびき、観衆の目を引き寄せる。

 

「地面との接吻(セップン)は如何(イカガ)かしら?」

 

 柄の刃のない方を男の首の後ろに当てるように狙いすまし、リチアは勢い良く槍を回した。ゴッ、と風を切る音と槍の柄が男の首の後ろに当たる音がしたかと思うと、男は正面から地面に顔を叩き付けられていた。呻(ウメ)く暇すらも与えない、一瞬の出来事だった。

 

「まずは一名様」

 

 リチアが事務的に事を言った。仲間の一人である男が一撃で沈められた事に、ゴロツキ共に動揺が走ったが、

 

「……所詮、女は女よ」

 

 二人目の男が自身に言い聞かせるようにぼやき、腰に帯びた剣を抜いた。リチアの瞳が次の犠牲者を捕らえる。声をあげながら、男は少女に向かって、剣を無茶苦茶に振り回した。リチアは剣を槍で受け止めず、避けてばかりいた。それが更に男を刺激した。

 

「この女(アマ)ァっ!」

 

 男が剣を両手で構え、振り上げた。

 

「ガラ空きよ」

 

 剣が振り下ろされる前に、リチアが男の腹を槍の刃の付いている先とは逆の先端で突いた。ぐっ、と呻き、男の動きが止まった。リチアはそのまま槍の刃の逆の先端を下げ、一気に下から上に動かした。その衝撃で一度、宙に浮いた男に、また一気に上げられた槍を下げた。その勢いで男が後ろへと吹っ飛び、観衆が作った(避けた)道を通り、壁に見事、激突した。

 

「残り、三名様」

 

 髪を揺らしながら、リチアが呟いた。そんな少女に唖然としたのは、なにもナミたちだけでない。ゴロツキ共も同様であった。

 

「アナタたち、これでも、まだヤル気?」

 

 変わらない凛とした声で、少女が問い掛ける。残されたゴロツキたちは何かを決めたのか、隠し持っていた武器を手に持った。三人目は戦斧(センブ)、四人目は鉄球、五人目はハンマーだった。

 

「いくら、テメェが強くても」

「三対一じゃ、敵わねぇだろ?」

「覚悟しやがれってんだ!」

 

 今度は三人揃って、襲いかかってきた。

 

「覚悟するのは、アタシじゃない」

 

 驚きの表情を浮かべることなく言うと、少女は前に腕を伸ばして、槍をバトンのように、クルクル回した。

 

「……アナタたちの方よ」

 

 槍を回すのをやめると、リチアは前に出した右足に重心を掛けた。ゴロツキ共が少女の技のリーチに入った瞬間――。

 

「"みだれ髪"!!」

 

 リチアが疾風(ハヤテ)の如く、男共に突っ込んだ。少女が通り過ぎた時、後ろにいるハズの男共がいなかった。ただ在るは、宙に舞ったゴロツキたちの姿だけ。リチアが足を止めると同時に、彼女のみだれた髪は背中に、男たちは地面に落ちた。ゴロツキたちは、ぐぅの音(ネ)も出なくなっていた。

 

「どうせ、アタシに喧嘩を売るなら」

 

 リチアが振り向きざまに、言葉を放った。

 

「魂の奥底から揺さぶりかけるような闘い方をしてごらん!」

 

 そんなシビれるような台詞に、回りにいた人々から歓声が上がった。

 

 傭兵・クラウンの少女、リチアの勝利だった。

 

「あ、あれが傭兵(クラウン)……」

 

 ナミが夢から醒めたように呟いた。ウソップは今だにぽかんとして、勝利者と敗北者を見つめている。

 

「センパ~イ」

 

 数人の声がしたかと思うと、カラフルで奇妙な――それでいて、動きやすい服装をした少年少女たちが人を押し退けながら、騒ぎの中心地であるリチアの前までやって来た。

 

「あら、アナタたち、何処に行ってたの?」

 

 同じクラウン仲間の後輩に気付いたリチアが話し掛ける。

 

「何処に行ってたの? じゃありませんよ、センパイ」

「そうですよ」

「悲鳴を聞くなり、センパイがさっさと行っちゃったからじゃないですか」

 

 後輩から、次々と言われる言葉を聞くと、リチアは「あはは、ごめんね。」と力なく謝った。

 

「このゴロツキ共はどうしますか?」

「ん~、アタシ、"相方"から"頼まれた事"をしなくちゃならないから、アナタたちが"アルカトラズ"にしょっぴいてくれない?」

 

 後輩の質問に、リチアが"お願い"で頼んで来た。

 

「センパイだけ、おいしいとこ、もらって、ズルイですよ~」

「後で奢(オゴ)るからさ」

 

 後輩のぼやきに、リチアがそう返した。

 

「……その約束、忘れないで下さいね」

 

 その交換条件に気を良くした後輩が確認を掛ける。

 

「アタシ、守らない約束はしないタチなの」

 

 リチアの返事を聞くと、後輩たちは縄を取り出し、気絶しているゴロツキ共を縛り上げ始めた。リチアはその光景を横目で見ながら、すっ、とゾロの目の前に立った。ゾロは相変わらずの仏頂面で、リチアから渡された麻の細長い袋を抱えている。

 

「ありがとう、預かってくれて」

 

 凛とした、柔らかい口調でリチアがお礼を述べた。袋を渡そうと手を伸ばしたゾロに、袋を受け取ろうと手を伸ばしたリチア。今まで、沈黙を守っていた剣士の口が開いた。

 

「俺を鍛冶屋まで案内してくれねぇか?」

 

 急な台詞に、リチアも、ナミもウソップも、後輩も回りにいた人々も固まる。一番早くに硬直が溶けたのは、リチアだった。

 

「あははっ、良いよ。アタシも鍛冶屋に用があったんだ。案内するよ」

 

 袋を受け取りながら、気軽に言うと、リチアは先立って歩き始めた。

 

「……そういうことだ。ナミ、ウソップ、後は俺一人で行動させてもらうぜ」

 

 金髪少女の後ろを、ゾロがついていく。未だに、観衆はポカンとしていた。

 

「なぁ、アレって……」

 

 魔法から解けたように、ウソップが呟き始めた。

 

「どっから、どう見ても……」

 

 硬直が解除された、ナミも喋り出す。次の台詞で二人は顔を見合わせながら、同時に言った。

 

「……"ナンパ"だよね(な)。」

 

 背中を向け、雑踏の中に紛れ込んでいく剣士に、その言葉が届くことはなかった。

 

 案内傭兵と迷子剣士の姿が完全に見えなくなる時には、全ての硬直が解け、それぞれ――後輩なら、ゴロツキ共をしょっぴいていき、店の人は商売を始め、人々は気ままな買い物に戻っていた。ゾロたちが行った方向とは逆に歩きだそうとした時、ナミが「あ」と微かな悲鳴をあげた。

 

「どうした?」

 

再び硬直するナミにウソップが尋ねる。

 

「ゾロにお金を渡すのを忘れちゃった……」

「あ」

 

ナミが作ってしまった問題を知った途端、ウソップも似たような悲鳴をあげて硬直してしまった。

 

 

 

「アタシの名前は"リチア"っていうの。アナタの名前は?」

 

 緑髪の男がついてきている事を確認しながら、金髪の少女は話し掛けた。無言という男の返事に、リチアは気分を害することなく、「どうせ、名前が知られたら困るご身分なんでしょ? 名前がないのも不便だから、好きに呼ばせてもらうね」と勝手に、ほとんど当たっている解釈をした。

 

 二人は真っ直ぐに鍛冶屋に向かって行った。

 

 

 

つづく




 オリジナルキャラ

◇リチア(女性)(18歳)
傭兵クラウンの少女。得意武器は槍。
ビジュアル(モデル)はPSゲーム「聖剣伝説Legend of MANA」の女主人公。



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5,頭の上にご注意を

 

「次の角は右に曲がって……ちがう、ちがう。そっちの道じゃなくて、"PUB(パブ)(酒屋)"の赤い看板が掛かっている方の道よ」

 

 たくさんの武器――剣やら刀、槍や戟(ゲキ)を乗せた荷台の縁(ヘリ)に座っているリチアが、荷車を引くゾロに指示をする。時折、車輪が小石の上を通ったのか、荷台が大きく上下に揺れた。

 

「おい、ちょっと待て」

 

 荷車を引く力を弱めること無しに、ゾロが尋ねる。

 

「なんで、テメェまで乗ってんだ?」

 

 手を伸ばせば、届く距離だったのだろう。リチアは出店の柱に巻き付く、空向けて高く伸びた蔓(ツル)に触れようとするのをやめ、ゾロに答えた。

 

「当然でしょう? 刀を打とうにも、アナタ、無一文なんだから。店から鍛冶場まで、預かった武器を運んだら、タダで打ってくれるよう、店の主人に頼んだのは、そもそも、このアタシでしょ?」

「だからって、乗る理由にはならねぇだろ?」

 

 振り返ることなく、道の先を見つめながら、ゾロは再び言った。

 

「それとも、なぁに? "旅人"さんは、」

 

 以前の"好きに呼ばせてもらうね"発言により、リチアはゾロのことを"旅人"と呼んでいた。

 

「武器の重さに耐えるのが精一杯で、女の子一人の重さすら、もう耐えられないのかしら?」

 

 その言い草にムカッときたゾロが速度を上げると、後ろの方で小さな悲鳴と金属音があがった。ほんの少しの揺れが大袈裟に荷台を騒がせる。

 

(くそっ、断っときゃ良かったぜ)

 

 握る手を強めながら、ゾロは思った。だが、あの時点――お金を貰い損ねたことに気付いた時点で引き返して、ナミを探すのも、なんて間抜けな話だろう。するより、仕方ない。後ろから、ガンガン声を発する女を無視しながら、ゾロは歩を進めた。

 

「ちょっと、聞きなさいよ!!」

「っ!」

 

 とうとう、我慢できなくなったリチアが槍の柄でゾロの頭を叩いた。

 

「テメェ、何しやがる!?」

 

 ゾロが足を止め、振り返ると、リチアは足をピンと伸ばし、手で荷台の縁(ヘリ)を掴んで叫んだ。

 

「そっちの道じゃなくて、あっちの道!!!」

 

 先程、曲がった分かれ道からは、もう随分と離れていた。

 

 鍛冶――に出す武器を預かる――店は、街のど真ん中にあったクセに、作業場は随分と町外れにあった。

 

「Hallo!」(ドイツ語で"こんにちは")

「おう、リチアか!」

 

荷台からのリチアの挨拶に、作業場の玄関に立っていた、五十代前半らしき男が返答した。

 

「おい、そいつは?」

 

 リチアから、彼女が乗る荷車を引く、見慣れぬ緑髪の若者に視線を移しながら、男が尋ねた。

 

「ああ、この人は"旅人"さん。文無(モンナ)しだけど、刀を研(ト)ぎに出したいそうだから、運送の仕事をしてもらったのよ」

 

 踵(カカト)でコツコツとリズム良く荷台を鳴らしながら、リチアが説明する。その振動に、ゾロは隠すことなく眉間に皺を寄せた。

 

「すまねぇが、荷車はそこに置いといてくれ。後はこちらの若い衆がやるから」

 

 男はゾロにそう言うと、その"若い衆"を呼びに行った。ゾロは荷車から手を放し、肩を回した。流石に、ずっと、同じ姿勢、同じ力の入れ方は堪(コタ)える。後ろでリチアが「ご苦労さま」と言って、ピョンと飛び下りる音がした。ゾロが首等を回してる間、リチアも槍と細長い麻の袋を手に持ったまま、ぐっと伸びをした。それから、ものの数十秒もしないうちに、男が呼びにやったとおぼしき若者が三人来て、二人が引き、残りの一人が押すような形で荷車を運んで行った。

 

「アンタ、かなりの力持ちなんだな。うちの若い衆でも運ぶのに苦労してやがる」

 

 ゆっくりとした荷車の歩みに、戻って来た男がゾロに呟いた。

 

「……刀をみてもらいてぇんだが」

 

 会話を繋げようともせずに、単刀直入に目的を告げるゾロに、男は顔をしかめ、「いつもリチアの横にいるヤツと、大して変わらねぇな」とぼやいた。

 

「彼と相方の分はまだ手続きをしてないの。やってくれるかしら?」

 

 そんな独り言を、リチアは完全にスルーする。

 

「へいへい、了解」

 

 男は頷くと、事務室へと歩き始めた。それにリチアが続くと、黙って、ゾロもついて行った。

 

 カランカラン、とドアベルが可愛らしく鳴った。最初に入って来たのは、初老の男で、次に金髪の少女、緑髪の若者と続いた。事務室といっても、野郎共の住家を形容したような空間だった。作業場が近いせいか、そう遠くないところから、研ぐ音や叩く音、金属音が響いてくる。山積みとされた資料やら何やらをどかしながら、男がカウンターに入ると、一端の店の主人と化した。ゾロが何かを言う前に――。

 

「手続きの前に、まずはアタシの槍」

 

 リチアが言葉を放っていた。はい、とリチアが差し出したオレンジ色の丸いプレートを主人は受け取ると、そこに書かれた数字を呟きながら、部屋の奥に消えていった。

 

「何でも良いから、今のうちに四桁以上の数字を考えた方が良いよ」

 

 リチアがカウンターに麻の袋と槍を置くと、ゾロに渡した時と同じように金属音が二つした。

 

「何でだ?」

 

 威圧的に後ろに立つ男に、リチアは振り向きもせずに、相変わらず汚いなぁ、この部屋、とぶつぶつ言いつつ、散らかった紙を適当にまとめながら、「ここの鍛冶屋は暗証番号が必要なの。だから、誕生日でも何でも良いから、考えといてね」と答えた。暗証番号か、とゾロが考えていると、主人が一本の槍を持って戻って来た。主人の手の内にある、真銀の輝きを備えた槍が店内の明かりに反射する。

 

「あ、アタシの槍!」

 

 せっかくまとめた書類を投げ落とし、リチアがカウンターを挟んで向こう側にいる主人から、槍をひったくろうとした。だが、主人が身を引いたので、彼女の手は見事に空をきってしまった。恨めしそうに見るリチアに、主人は「暗証番号は?」とだけ訊いた。

 

「1,999(千九百九十九)」

 

 ぶっきらぼうに、リチアは答えると、主人から槍をパッと受け取った。

 

「わぁ、軽い! やっぱり、この槍が一番ね」

 

 振り回したくて振り回したくて、仕方のない気持ちを抑えながら、リチアは槍を両手に掴んで、頭上に掲げたりしている。コロコロと気分が変わる少女を見て、(ガキか、コイツは)とゾロは心の中で呟いた。

 

「代わりの槍に無茶ぁさせなかっただろうな?」

 

 カウンターに置かれた、鍛冶に出した、リチアの槍の代わりに貸した槍を回収しながら、主人が尋ねた。

 

「全然(ゼンゼン)! 相方みたいに折ったりしないよ、アタシは」

 

 リチアが槍を片手に持ち代えて、回答する。

 

――相方?

 

 その単語にゾロは引っ掛かりを覚えた。

 

「……んで、コイツが相方の剣か」

 

 主人は、カウンター上にある、リチアが持って来た、麻の袋から剣を取り出した。くっきりとした赤鞘の、黒柄の剣だった。

 

「代わりの剣はいらないってさ」

「当然だ、今まで何本折られたと思ってやがる?」

 

 リチアの台詞に、怒気で答えながら、主人はゾロに手を出した。

 

「ホラ」

 

 リチアが肘鉄でゾロを促す。ゾロは腹巻きのストックから、刀を二本、主人に手渡した。

 

「随分、良い刀だな。業物かなんかか?」

「そんなところだ」

 

 早く手続きとやらを済ましたいゾロは主人に簡潔に答えた。すっ、と主人が黒鞘の刀『雪走』を引き抜いた。ふぅん、と呟き、雪走を鞘に戻すと、今度は紅鞘の刀『三代鬼徹』を引き抜いた。またも、ふぅん、と呟くと、リチアの相方の剣を引き抜いた。そこでの感想も、やっぱり、ふぅん、だけだった。音を立てないように、カウンターに三つの武器を置くと、「どいつもこいつも、乱暴に使いやがって」と顰(しか)めっ面で主人が小言を言った。もっと丁重に扱え、と主人がぼやくのを、リチアは"知らない"と言わんばかりに目を逸らし、ゾロは"とっとと手続きを済ませろ"と言いたげに眉間に皺を寄せることで答えた。

 

「……で、暗証番号は――」 

「1,111(千百十一)」

 

 主人に皆まで言わす前に、ゾロがぶっきらぼうに答えていた。一応、客の手前、不快感を顔に出さないようにしながら、カウンターの引き出しから出した紙にその数字を主人は書き込み、針金でその紙を二つの刀にくくり付けた。

 

「リチア、相方の暗証番号は?」

「10,000,000(百万)」

 

 主人の問い掛けに、あらかじめ用意されていたかのような数字をリチアは答えた。

 

「……10,000,000(百万)?」

 

 ゾロがその奇妙な数字を復唱する。確かに、暗証番号は四桁以上の数字と、リチアは言っていたが、10,000,000(百万)とは指定の桁数を随分とブっ飛ばした数字ではないか。

 

「10,000,000(百万)は、相方の代名詞みたいなものだからね」

 

 ゾロに視線に気付いたリチアが言った。

 

「代名詞か、そりゃ違いねぇ!!」

 

 主人がガハハと笑って頷くが、ゾロにはさっぱり分からない。

 

「くくく……っ、ほらよ」

 

 笑いを抑えながら、主人はゾロとリチアに青色の円いプレートをそれぞれ放り投げた。ゾロのプレートには『O-97』と黒文字で記入されてあった。

 

「引き換えは明後日の朝からだ。テメェらが最初に行った支店に届けるから、そこで受け取れ。……そうそう、そのプレートと暗証番号を忘れんじゃねぇぞ。忘れちまったら、永遠に引き換え出来なくなるからな」

「明後日? 随分、時間が掛かるな」

「当然よ」

 

 ゾロの疑問に、リチアが主人の代わりに答えた。

 

「傭兵ことクラウンがいるから、他の島と違って、鍛冶屋の利用頻度が高いからね」

「全く持ってその通りだ。おい、"ユー"とソイツの支払いは?」

 

 ――ユ'ウ'?

 

 主人の台詞に、今初めて、ゾロはリチアの相方の名前を知った。

 

「旅人さんは肉体労働で払うし、相方からはコレ」

 

 主人に幾つかのベリー札を渡しながら、リチアが何かを耳打ちした。

 

「へへっ、毎度ぉ! それじゃ、準備をしてくるからな」

「頼むね」

 

 リチアの台詞を受け取ると、主人は預かった武器を持ってカウンターの奥へと消えていった。その後ろ姿を見て、用は済んだな、と帰ろうとするゾロの腹巻きをリチアが引っ張った。ゾロが怪訝そうな顔でリチアを睨み付けると「代刀、いるでしょ?」との一言。ゾロがうんともすんとも答えない内に、リチアはカウンターを飛び越え、代刀を入れた棚を物色していた。

 

「二本差してたってことは、やっぱり二本いる? それとも、三本?」

 

 リチアの台詞の後半はふざけたような口調だった。

 

「いや、一本で良い」

 

 ゾロの返事に、リチアが手を止めて振り返った。

 

「一本で良いの?」

「二本使えるんなら、一本使えるのも当然だろ」

「大は小を兼ねる、ってヤツ?」

 

 リチアがゾロに一つの刀を手渡した。その黒塗りの刀を引き抜いてみた。刃の煌(きら)めきは、あんまり良くない。

 

「数打ち(かずうち:大量生産された粗末な刀)だから、アナタのよりもだいぶ劣るけど、無いよりマシでしょ」

 

 ゾロが心の内に思ったことを、リチアが口にした。ゾロはそれには何も答えずに、代刀を腹巻きに差しただけだった。

 

「アナタも、"ユー"みたいに代刀を折らないように気をつけてね。でないと、罰金が課せられるから」

 

 ひょいっとカウンターを飛び越えながら、リチアが忠告した。

 

「ユ'ウ'?」

 

 本題とは別のことに、ゾロの興味が引かれた。

 

「"ユー"ってのは、アタシの相方の名前よ。正式には、ユー・」

 

 その瞬間に忙(セワ)しくドアベルが鳴り、リチアの声をかき消した。扉が開いたかと思うと、先程の男が顔を出していた。

 

「よぉ、リチア。準備は終わったぜ」

 

 何故か汗をかいている男に、リチアは「ありがと!」と言うと、ドアへと向かった。これで、俺も晴れて自由の身だな、そう思っているゾロの横を素通り際に、リチアは再び腹巻きを引っ張った。眉をひそめる剣士に、リチアは「旅人さんには、まだ用があるのよ」と笑った。

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

「一つ聞いて良いか?」

「んー?」

 

 ゾロの問い掛けに、リチアは足をパタパタと揺らした。

 

「なんで、テメェまで乗ってんだ?」

 

 たくさんの武器を乗せた荷車を引きながら、ゾロは行きと同じ台詞を一息に告げた。坂道に差し掛かったので、握る力を強め、大きく踏み出す。

 

「当然でしょう? アナタが出した刀は二本なんだから。"行き"だけで二本も打ってもらえるなんて、大間違いよ」

 

 リチアも似たような台詞を吐き、縁に座りながら、荷車の側面を足でリズム良く鳴らした。

 

 そう、事務所の外に出たゾロを待っていたのは支店に運ぶ、手入れのし終わった武器を乗せた荷車だった。"準備"とは、このことだったのか、とゾロは勘付いたがもう遅い。結局、ゾロは最初に訪れた支店から鍛冶場まで往復で荷車を押すことになってしまったのだった。

 

「しかも、アナタ」

 

 リチアが足を鳴らすのをやめた。

 

「一人じゃあ、最初の支店まで迷わずに行けないでしょ?」

「テメェ、人を馬鹿にすんのも大概にしろよ」

「でもね、旅人さん。そちらの道じゃ、最初の場所まで行けないんだけど」

「……」

 

 ゾロは黙って、リチアに従うほかなかった。

 

 坂道が平坦な一方通行の道に変わる頃には、ゾロの気持ちはだいぶ落ち着いてきた。リチアにいたっては、カラフルな服を来た後輩たちや知り合いを見つける度に手を振って、挨拶したり、鼻歌をハミングしたりしていた。これが数刻前に大の大人を倒した少女とは、とても思えない。

 

「……いつも、そうなのか?」

「何が?」

 

 ゾロの急な質問に、リチアは挙げた手を下ろしながら、動じること無く反応した。

 

「ゴロツキを薙(ナ)ぎ倒したり、見知らぬ人を案内したりすること、だ」

 

 顔を見もせずに、ゾロは言葉を続けた。

 

「まぁね」

 

 涼しげな風がリチアの返事をゾロの耳へと運んだ。金色がなびき、萌葱色がざわめいた。

 

「この町・エディンバラの治安を壊す者を除外することも、迷子さんを案内することも、私たち・クラウンの仕事だし」

「その"迷子さん"に、こうして仕事を与えるのもか?」

 

 "迷子さん"発言に気を悪くしながら、ゾロは同じ言葉を使って、リチアに返してやる。

 

「まさか」

 

 リチアが何かしらのリアクションを起こしたのか、荷台が揺れた。

 

「誰が、鍛冶に刀を出したいけど、1ベリーもない奴に仕事を与え、付き合うっていうの?」

「じゃあ、してるテメェは何なんだよ?」

「さぁ、何でしょうね?」

「"さぁ"ってなぁ……。自分(テメェ)自身のことだろ。それなりに理由があるんじゃねぇのか?」

「……じゃあ、その理由は?」

「俺が知る訳ねぇだろ?」

 

 傭兵と剣士の間を、質問を質問で返す会話が飛び交う。

 

「……答えは簡単よ」

 

 リチアがぽろりとこぼれ落ちたかのように言った。夕暮れ時のせいか、出店は片付けられ、人の姿は見られなかった。赤い空間の中、剣士と傭兵の二人きりだった。

 

「アタシがアナタに気があるから」

「なんでだ?」

 

 行く先だけを見ながら、考えもせずに、ゾロはリチアに尋ねていた。それは丁度、パブの横を通ろうとした時だった。リチアはこれまでの声と同じトーンで喋り始めた。

 

「それはね、アナタが……」

「よぉう、リチア、仕事サボって、男をたらしこんでんのか?」

 

 リチアの台詞に被るようにして、誰かが発言してきた。声の出所をゾロは探した。

 

 いた! パブの軒下に少年が三人たむろっていた。それぞれ、赤・青・黄と信号機みたいな髪色をしており、三人とも、動きやすそうなカラフルな服を着ているので、クラウンに間違いないだろう。先程の台詞は、その三人の内の一人である赤髪の男子が発言したものであった。

 

「あら! アナタたちは剣の修行をサボって、お喋りの修行中かしら?」

 

 リチアが荷台の縁に立ち、相手を見下す形で言い返した。

 

(……かなりの毒舌だな)

 

 荷車を止め、リチアの口喧嘩に付き合うことをなってしまいながらも、ゾロは心の中で呟いていた。

 

「じゃあ、リチア、お前は男をたらしこむ練習中ってか?」

 

 先程とは異なる、青髪の少年の発言に、残りの二人がどっと笑い出した。

 

「……そんな練習、傭兵であるアタシには必要ないわ。アナタたちが極めている"無意味な"お喋りの修行もね」

 

 リチアが冷静なままで切り返す。

 

「だから、アナタたちは、いつまでたっても"弱い"のよ。武術も精神面においても。アタシに何一つ敵いやしない」

「ンだと、コラァ!!」

 

 一番目の赤髪の男が激昂する。

 

「あら、図星だったのかしら? ごめんなさいね、本当の事を言っちゃって」

 

 刺(とげ)のある言葉を連発する金髪少女に、ゾロは誰かと重なった。

 

(テメェら“二人”も十分、お喋りの修行とやらをやってるじゃねぇか。)

 

「アナタたちの無意味なお喋り修行に付き合う程、アタシは暇じゃないの。行きましょ、旅人さん」

 

 顔から湯気が出るんじゃないか、と思われる程、顔を赤くする少年たちを尻目に、リチアがゾロに荷車を進めるよう指示する。

 

(仕方ねぇな)

 

 ゾロが腕に力を込め、荷車を進めようとした時だった。

 

「確かに、女にゃお喋りの修行はいらんわな。女はお喋りが専売特許で、男は武術が専売特許。アンタの言う通り、道に外れたこと、しちゃあ駄目だよな。俺らも、そして、アンタも」

 

 今までずっと黙っていた三人目の黄色い髪色の男の言葉が後ろから聞こえてきた。

 

「分からないの?」

 

 荷車は動いているというのに、座りもせずにリチアが再び少年たちに言い放った。

 

「男や女なんて関係ない。強い者が弱い者を守れば良いの。守られたくない弱い者は強くなれば良い、ただ、それだけのことよ」

 

 一気に言うと、リチアは少年たちに背を向けた。もう何も言いたくないらしい。少年たちもぶつぶつ言い合うだけで何も言い返さない。

 

(やっと、進めるな)

 

 ゾロが思ったと同時に、リチアがダンッと足を鳴らした。

 

(何だ?)

 

 振り返ったゾロが見たのは、少年たちを射殺しそうな勢いで睨み付けるリチアの姿だった。怒りの感情が顔だけでなく、体中から表れている。さっきまで、何を言われても、飄々(ヒョウヒョウ)としてたのが嘘のようにさえ感じられる程、少女はキレていた。

 

「今、なんて言った?」

 

 リチアが感情に邪魔されながらも、絞り出すように声を出した。どうやら、少年たちのボソボソ声がリチアの逆鱗に触れたらしい。少年たちは答えない。

 

「今、なんて言った!?」

 

 リチアは、怒りを露わにした大声で、もう一度、問い詰めた。

 

「へっ、何なら言ってやろうか」

 

 吹っ切れたように、三人目の男が答えた。

 

「アンタに背中を預けている"ユー"は、かなりの"ど阿呆"だって、言ったんだよ!」

(ユ'ウ'といやぁ、この女の相方じゃねぇか)

 

 ゾロが思っている間、リチアは何も言い返さない。言い出した男子に嫌な意味で勇気づけられる形で、残りの少年たちも次々に台詞を放った。

 

「"腑抜け"もあるだろ」

「"大莫迦者"も忘れんなよ」

「それじゃあ、"ど阿呆"と同じじゃねぇか」

「ハハッ、そうだな」

 

 リチアの相方を罵倒する言葉が際限無く飛び出して来る。

 

(……何か、起こるな)

 

 ゾロはリチアの目の色が変わったような気がした。ヒュン、と槍を回す音がした。少年たちの会話は止まらない。

 

「だってよ、あの二人は……」

 

 次の瞬間、リチアは少年たちの方に向けて槍を投げ飛ばしていた。

 

「ひっ!?」

 

 少年たちは思わず声をあげたが、槍は彼らよりもだいぶ上に向けられていた。ビビった自分が馬鹿らしくて、それを追い払うかのように少年は叫んだ。

 

「こンのド下手クソめ! 何処、狙って……」

 

 槍が何処かに刺さる音がし、落下音がした。

 

「ヒッ!?」

 

 悪口を散々叩いた少年たちの足下に、パブの赤い大きな看板が落ちて来たのだ。頭上から顔面スレスレで落下し、自分たちの目の前の地面に突き刺さる看板に、当たりこそはしなかったが、少年たちは驚きと恐怖から情けない悲鳴をあげた。

 

「頭上注意」

 

 壁に突き刺さる槍の持ち主が言った。

 

「自分たちの居る場所さえ掴めてないなんて、クラウン失格ね」

 

 冷静なリチアの声が響き渡る。

 

「アタシを前にして、アタシを馬鹿にするのは別に良いの。幾らでも言い返してやるから。でもね」

 

リチアが、パシンッとグーにした手の平をパーにした手の平にぶつけた。

 

「相方の悪口を言うのは許さない」

 

 リチアの瞳は、怒りで煮えたぎっていた。

 

「本人を目の前にせずに、この場にいない奴をけなすなんて、だからこそ、アナタたちは"弱い"のよ」

 

 リチアの言葉はとどまらない。

 

「どうせするなら、本人を目の前にして言いなさい。そして、言った言葉を実行してみなさいよ。……それが出来なくて、アタシの目の前で相方を愚弄するのなら」

 

 今までのどれよりも大きく、リチアが足を鳴らした。

 

「自分たちが入る棺桶を用意してから来なさい」

 

 リチアの瞳も声も気迫も、全て本気だった。少女に恐れおののいた少年たちは、恐怖で呂律の回らない言葉を口々に叫びながら、何処かへ走りさってしまった。

 

「……ふぅ」

 

 少年たちの最後の一人まで見えなくなるのを確認すると、リチアは、トスンと縁に座り込んだ。

 

「行って、旅人さん」

 

 疲れた声質でリチアが言った。

 

「……良いのか?」

 

 ゾロは荷車を動かそうともせずに、リチアに訊いていた。

 

「いいのよ、あんな奴等。何も出来やしないんだから」

「いや、そうじゃなくて……」

 

 ゾロは言った。

 

「テメェの槍のことだ」

「あ」

 

 パブの壁に突き刺さった槍は夕日に反射して、その存在を静かに主張していた。

 

 

 

つづく



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6,いつか光のさす方へ

 プチトマトとパセリとブロッコリーとレタス。

 

「ナミっ、いらねぇのか? だったら、俺がもらうぞ!」

 

 ナミの皿にあるサラダの残りを見つけたルフィが手を伸ばしてきた。

 

「待って、ルフィ! 今から、説明に使うから、これは食べちゃ駄目なの。……はい、みんな、注目!」

 

 その手を払い除(ノ)けながら、航海士は他の仲間を呼び集めた。ウソップとナミが、フォリー・ベルジェール島の町、エディンバラで調達した惣菜や肉やパンがラウンジのあちこちに散らかっている。食べ終わったばかりの船員(クルー)は、いつもとは一人足りないテーブルについていたが、ナミの呼び掛けにすぐに反応を示した。

 

「今から、この島、フォリー・ベルジェールについて説明するから、ちゃんと聞いてね」

 

 ナミは器用にフォークでサラダの四つの残りを皿の縁(フチ)へと時計盤のように追いやった――パセリは十二時に、ブロッコリーは三時に、レタスは六時に、プチトマトは九時という具合に。

 

「此の島を皿に例えると……」

「皿は島じゃねぇぞ」

 

 ナミの話をぶったぎって、ルフィが茶茶を入れる。

 

「だから、例えなんだって」

「皿は島じゃねぇぞ」

「だーかーらー、例えだって、」

 

 同じ台詞を言い、更に茶茶を入れようとするルフィの耳をナミは引っ張ると、「言ってるでしょうが!」と直接、大声で耳に前置きを送り込んだ。

 

「頭がくらんくらんするぅ~」

 

 送り込まれたルフィは耳を押さえながら、頭を左右に降った。

 

「いい? みんな、よく聞いてね」

 

 他ならぬ説明者自身のせいで、聞けない状態になってしまった船長を放って置いて、航海士は喋り始めた。

 

「私たちが今、滞在している、この島の名前は"フォリー・ベルジェール"。別名、"新緑の島"と言われてるの」

「"新緑の島"?」

 

 首を傾げた拍子に、トレードマークのピンクの帽子が落ちないように押さえながら、チョッパーが鸚鵡(オウム)返しした。

 

「そう、"新緑の島"」

 

 ナミが確認するかのように、再度口にした。

 

「この島は春島と夏島の中間のような気候を保っているの。私たちの季節感で言うと、五月ぐらいに当たるのかしら? 夏のように暑くなく、春のように暖かくもないから、ちょうど過ごしやすい気候なのよ」

 

 ナミの説明の単語の一つ一つに、チョッパーは頷いた。

 

「そして、その気候をうけて貿易港が出来上がった。それが、この島の町"エディンバラ"よ」

 

 ナミがフォークで、皿を時計に例えて、六時の位置に置いたレタスを指した。

 

「ウソップとゾロと行ってみたけど、市などが出てて、結構賑わってたし、治安も良かったわ」

「海軍がいないのにね」

 

 航海士の説明を補うようにして、考古学者が発言してきた。

 

「ロビン! フォリー・ベルジェール島のこと、知ってたの?」

「この島にロビンは来たことがあんのか?」

 

 だったら、なんで行ってくれなかったのよ! と言いたげなナミに続くようにして、ウソップが問い掛けてきた。

 

「いいえ、私はこの島に来たことはおろか、この海域には来たことすらないわ」

「だったら、なんで……、」

 

 呟くナミに、ロビンが説明した。

 

「新緑の島、フォリー・ベルジェールは、海賊の中では恐れられている島なの」

「なんで?」

 

 しっかり会話についていこうと、チョッパーが尋ねた。

 

「やっぱり、"クラウン(庸兵)"がいるからか?」

 

 ウソップの質問にロビンが白か黒か言い渡す前に、

 

「なんだ? "くらうん"って喰えるのか?」

 

 ルフィのお決まりな発言が飛ぶ。

 

「ルフィ……、どうして、アンタは全てを食べ物と直結させるの?」

 

 そう言いながらも、ナミはルフィに、ウソップはチョッパーに"クラウン"が何であるか(ルフィに関しては、"庸兵"の言葉の意味を知っているかどうかすら怪しい)を説明した。その間、ロビンは空っぽになったカップを見つめていた。そのカップに目敏(めざと)く気が付いて、コーヒーを注いでくれる人は、今、この場にはいない。

 

(自分で注ぐしかないわね。)

 

 立ち上がろうとするロビンに一つの影が差した。影を目で追うと、無口さが増した剣士がコーヒーを注ごうとしてくれていた。

 

(アラ、珍しい。)

 

 不似合いな行動を起こすゾロに、ロビンはいつもの微笑みを忘れていた。コーヒーを注ぎ終えると、ゾロはわざと音をたてるとようにして座った。周りを見ると、皆一様にポカンとしている。

 

(それって、ある意味、失礼に当たるのじゃないかしら)

「ありがとう」

 

 いつもの微笑みを取り戻すと、ロビンはカップに口をつけた。一口だけ飲むと、"クラウン"が何たるかを理解した仲間に話し始めた。

 

「フォリー・ベルジェールのエディンバラは昔から貿易港として栄えていた。だから、よく海賊の略奪の標的とされたの。勿論、海軍はいたけれど、彼らは街を海賊から守る代わりに、法外な関税を強いて、それを緩めたい商人からの賄賂や貢ぎ物を平然と行っていたらしいわ」

「昔から、そーゆー最低な奴等はいるのね」

 

 何かを連想したのか、ナミが心底嫌そうな顔をして呟いた。テーブルの下で、膝の上で拳を握り締める力が自然と強くなる。続きをいいかしら? と視線を向ける考古学者に、航海士は黙って頷いた。

 

「今から、二十七年前、強大な海賊がエディンバラを襲ったの。事前からそのことを察知していた海軍は街を捨てて逃亡。エディンバラは一夜にして壊滅してしまった」

 

 部屋にあふれる沈黙を退(しりぞ)けるようにして、ロビンは話を続ける。

 

「海賊から街を守ってくれるからと、今までの海軍の横暴に閉口していたけれど、海軍は街を守ってくれるどころか、自分たちの身しか考えてなかった。海賊が去った後の街跡で、街の人々は一つのことを決意したの」

 

 ロビンが沈黙を一つ吸い込んだ。

 

「海軍が頼りにならないのなら、自分たちで自衛組織を作れば良い」

 

 誰かがゴクリと喉を鳴らす音がした。ロビンの話はまだ続く。

 

「街の人々は島に帰って来ようとした海軍を追い払うと、汚職や賄賂が飛び交う海軍に嫌気がさして辞めた、名のある格闘家たちを呼び寄せ、その人たちを師にして、今回の事件で親を失った子供たちを中心に傭兵の育成を始めたのよ」

「でもよぉ。それだけだったら、海賊がこの島を恐れる理由にはならねぇんじゃないのか?」

 

 話の切れ目に差し掛かったところで、ウソップが疑問を提示した。

 

「そうね、長ハナ君の言う通り。だけど、この話には続きがあるの」

「つづき?」

 

 話の流れにちゃんとついていってるかどうか怪しい船長が、一つの単語を繰り返した。

 

「そう、傭兵の育成を始めてからも、エディンバラは度々(タビタビ)海賊に襲われたけれど、まだ力のつけていない海賊だったから、どうにか追い払えてきたの。でも、その事件から八年後のある日、数千ベリーの賞金が懸けられた海賊が数艦、この街を襲撃した」

「ちょっと待って!」

 

 ナミが話にストップをかける。

 

「まさか、クラウンはその海賊を……」

「一夜で全てを倒してしまった」

 

 言いかけのナミの言葉に、ロビンが結末を加えた。

 

「……それからよ、海賊がこの島を避けるようになったのは」

 

 でも、こんな明るい島だったなんてね。

 そんな締めくくりで、ロビンのエディンバラの説明の幕は閉じた。

 

「じゃあ、おれら、とんでもない島に来ちまったんじゃねぇのか?」

 

 今日の白昼、その傭兵である少女の力量を目の当たりにしたウソップが、声を震わせながら呟いた。

 

「……バレなきゃ大丈夫よ、」

 

 ――多分。

 その言葉を付け加えたいのをナミは堪(コラ)えた。

 

「傭兵のことも分かって来たし、今からこの島、フォリー・ベルジェールの地理を教えるわ」

 

 重くなってしまった空気を振り払うかのように、極力明るい声でナミが言った。

 

「この皿をフォリー・ベルジェール島に置き換えると、ココがエディンバラに当たるの」

 

 ナミが、皿を時計盤に置き換えたところの六時の位置に置いたレタスをフォークで指した。次にナミは、一同の視線が集まる皿の九時の位置に置いたプチトマトを指した。

 

「ココが『ザ・タワー』。クラウンたちの本拠地。分かってると思うけど、行こう! なんて思わないでね」

 

 時計回りに、今度は十二時の位置にあるパセリをフォークでつついた。

 

「ココは『アルカトラズ』。捕まえた奴が送られる牢獄よ。聞いたところによると、月一ぐらいに海軍がやって来て、罪人の受け渡しを行うらしいから、あんまり近付きたくない場所ね」

 

 三時の位置にあるブロッコリーに、フォークが向けられる。

 

「ココは『セント・ヴィクトワール山』。岩山なだけで、特に目立ったものはないわ」

 

 最後にナミは何も置かれてない、三時のブロッコリーと六時のレタスの間にフォークを置いた。

 

「そして、GM(ゴーイング・メリー)号のある場所はココ。これで終わりだけど、何か質問はない?」

 

 その発言にチョッパーがぐいっとテーブルに身を乗り出した。

 

「なぁ、ナミ。"ココ"はどうなってんだ?」

 

 そう言って、船医が指差したのは、何も置かれていない、皿のど真ん中で。

 

「そこは"荒野"。この島の中心部になるけど、荒れ地が広がってるだけで本当に何もないわ」

「"緑島(みどりじま)"なのにか?」

 

 今度は、ルフィがツッコんでくる。

 

「確かにそうなんだけど。新緑があるのは沿岸部だけみたいなの。……にしても、ルフィ」

 

 ナミがルフィに視線を向ける。

 

「"緑島"じゃなくて、"フォリー・ベルジェール島"。島の名前ぐらい、ちゃんと覚えときなさいよ」

「別にいいじゃねぇか。"緑島"で」

 

 それにこっちの方が言いやすいし、短い! と力説する船長に航海士は溜め息を吐いた。 少しずつだが、いつもの喧騒が戻りつつあるなか、ゾロはキッチンのシンクを見つめていた。 遮る"モノ"がなく、ポジションの空いているシンクに、キッチンの明かりが反射する。その反射してきらめく白い光を、何処かで見たような気がして、剣士は今日の夕方の記憶を無意識の内に手繰(たぐ)り寄せていた。

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

 

「……そういえば、アナタ」

 

 棒飾りを頭に付けた金髪少女が振り返った。

 

「自分の船の場所まで帰れるの?」

 

 一人で、とリチアはその台詞の最後にそう付け加えた。鍛冶屋の支店に武器を運び終わり、店から出た瞬間にそう尋ねられたゾロは無言で答えるしかなかった。

 

「帰れないんでしょ?」

 

 ゾロの迷子癖を発見した少女が問い詰める。夕日が当たって、彼女の金髪が更に色濃く見えた。

 

「……帰れる」

 

 何の根拠も無いのに、男の意地がゾロにその言葉を吐かせた。

 

「本当に?」

「馬鹿にするな」

 

 人気の少なくなった道を歩き出す剣士に、傭兵は再度、問い掛けた。

 

「なんか目印はあるの?」

「山があった」

 

 やま……。

 背を向けながら答えるゾロに、リチアは首を傾げた。そして思い出したように駆け出すと、ゾロの背中を強く叩いた。急なことに不平を言うべく振り向いたゾロに、リチアは言った。

 

「その山って、『セント・ヴィクトワール』のことでしょ? そのまま歩いて行っちゃったら、アナタ、『ザ・タワー』に行くハメになるっての!」

「……」

 

 ゾロは黙って彼女の道案内を譲受するしかなかった。

 

 

 

「疑わねぇのか?」

 

 ゾロがリチアにそう尋ねたのは、家路につく子どもたちと擦れ違うように歩いているときだった。

 

「何を?」

 

 首を傾げることなく、問い返す少女にゾロは言った。

 

「……おれのことだ」

「何を今更」

 

 船を港に停泊させず、町外れに自船を停めた男にリチアがそう返した。

 

「アタシ、最初に言ったでしょう? 『名前が知られたら困るご身分なんでしょ』って」

 

 初めて出会ってからの、あの凛とした態度は相変わらずで。

 

「海賊を捕まえるのは海軍の仕事で、私たち・クラウンの仕事は街の治安を乱す者を排除すること。なのに、どうして、"この街で何もしていない海賊"を捕まえて、海軍に貢献しなくちゃいけないの?」

 

 その台詞は、まるで海軍よりかは海賊の方を重んじているかのようだった。

 

「……エディンバラはね」

 

 リチアが頼まれてもいない説明を始めた。

 

「街で暴れないなら、別に海賊が来ても構わない街なの。それに、海賊なんて、イチイチ相手にしてたら、キリがないじゃない。そうでしょ?」

 

 先に角を曲がったリチアを見失わないように、ゾロも早足で曲がった。

 

「それにね。もし、そうでなかったら、アナタ、とっくのとうに"アルカトラズ"行きよ」

 

 手持ち無沙汰(ブサタ)にパレードで回(マワ)されるバトンのように、リチアが槍を回した。

 

「港も、海賊船が停まっても構わないけど、その代わり、ちゃんと、ベリーは必要だからね」

 

 返事が返ってこないことを良いことに、リチアは一方的に喋り続ける。

 

「ログが溜まる日数、預かってくれるし、クラウンが責任持って見るから、まぁ大丈夫よ」

「どうだか」

 

 今までずっと黙っていたゾロが話し出す。

 

「そう簡単に、おれらはクラウンを信用する訳にはいかないからな」

「でも、仮にアナタが予想している事態になっても」

 

 どうなるのか、少女は具体的に言わずに話を切り出した。

 

「自信はあるでしょ?」

 

 彼女は笑って言った。

 

「絶対に負けない自信」

 

 敵になるかもしれない男に向けられる、言葉と表情の矛盾。変な冷たさを感じた理由(ワケ)は、太陽が完全に暮れてしまったせいにしたかった。

 

「……そう言うテメェも随分、余裕そうじゃねぇか」

「そうかしら?」

 

 リチアは道の先に目をやりながら、呟いた。

 

「アタシも相方も、強い相手と戦うのが好きなだけよ」

 

 相方……、確か『ユウ』と言ったな。よっぽど、コイツに似たような“女”に違いない、とゾロは思った。

 

「あ、そうだ」

 

 リチアはそう呟くと、ポケットに入れていた小さな手帳とペンを取り出した。そして、何かを書き込むと、その紙を破り、二つ折りにしたのをゾロに押しつけた。

 

「なんだ?」

 

 訝(いぶか)しげに見る剣士に、傭兵は言った。

 

「推薦状。それを港に持っていったら、半額で預かってくれるよ」

「おい、おれはまだ、港を使うとは……」

「まぁ、念の為に取っときなさいよ。アタシが推薦状を書くってのは、珍しいことなんだから」

 

そう告げると、リチアはとっとと歩き出してしまった。

 

(わけ分からねぇ。)

 

ゾロは頭を抱えたくなった。

 

(全く持って、この女の正体が掴めねぇ。女の身であることを気にせずに平気でゴロツキを倒したかと思うと、見も知らぬおれに親切を施したり、挑発めいた台詞も言う。……ってか、今日のほとんどをコイツと一緒に過ごしてねぇか、おれ)

 

 推薦状の中身を確認することなく、ゾロは腹巻にしまうと、少女の後を追いかけた。

 

「テメェ、どういう気だ?」

 

 リチアに追いついたゾロは、自分が疑問に思っていたことを伝えた。

 

「何が?」

 

 素(す)っ惚(とぼ)けたかのように受け答えるリチアに、ゾロは苛つきを隠すことなく言った。

 

「おれと会ってからの全部だ! テメェのそれは、クラウンとしての仕事を逸脱(いつだつ)しすぎてるだろ!?」

 

 問い詰めるゾロに、リチアは"それが?"みたいな顔をしながら言った。

 

「だから、言ったでしょ? それは、アタシがアナタに気があるからだって」

 

 武器を運んでいた時と同じ理由を、リチアが吐いた。

 

「なら、なんでそうなんだ!?」

「それはっ、」

 

 突然、喧嘩のようなやり取りを仲裁するかのように、街の真ん中に位置する鐘楼(しょうろう)から、幾(いく)つもの鐘の音が鳴り響いた。

 

「……ほら、ココが街の終わり。後は海岸線沿いに歩けば、自船に着けると思うよ」

 

 リチアがプイッと顔を背(そむ)けながらに言った。これ以上、問い詰めてもリチアが口を割らないことに確信していたゾロは背を向け、素直に黙って歩き出した。

 

「あのさぁ!」

 

 急にリチアが大声を出して呼び止める。

 

「一つだけ、訊いてもイイ?」

「なんだよ!?」

 

 しつけぇ、と心で思いつつ、ゾロは振り返ったと同時に風が強く吹いた。

 

 刹那(せつな)。

 離れた位置にいる、長い金髪で隠されていた、彼女の首元が白く光って見えた。

 

 リチアは言った。

 

「剣士って、何かしら腹にこだわりを持ってるのーっ?」

「……は?」

 

 思ってもいない質問に、ゾロはその文字を吐いた形のままで固まってしまった。

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

 そうか。あの時の光と似ているのか、とゾロはシンクの反射する光を見ながら思った。だが、と言葉を続ける。

 

(『ねぇよ!』と即答しちまったが、あの女はなんで、あんなことを尋ねたがったんだ? その意図も、あの女の目的も正体も何もかもが、ちっとも分からねぇ! 第一、あの女はなんでおれが気になるんだ? 『それにっ』って、一体、何を言いかけ……)

 

「ちょっと、ゾロ! 人の話を聞いてるの!?」

 

 ナミの大声が、ゾロの思考を一気に引き裂いた。

 

「なんだよ?」

 

 ゾロが見たのは、テーブルに両手をついて、こちらを睨んでいるナミの姿だった。テーブルに手をついた音にすら気付かなかったとは、自分でも笑える話だ。

 

「明日の予定の話よ! アンタ、全然、聞いてないじゃないの!?」

「悪(わり)ぃな」

 

 憤慨するナミに、ゾロは頭を掻いた。

 

「……ったく。いーい?」

 

 航海士は息を吸い込んだ。

 

「私とロビンとルフィはサンジ君を探しに、ウソップとチョッパーはアンタたちがあけた穴を修復する板を買いに行くの」

 

 一気に早口で喋るナミよりも、舌を伸ばして、説明に使われた野菜を食べているルフィの方に、ゾロは思考を持っていかれてしまった。

 

(ゴムゴムの実の能力によるものと分かっていても、あまり気分の良いもんじゃないな)

「そんで」

 

 ゾロの思考がナミに戻る。

 

「アンタは船の留守番!」

「その必要はないんじゃねぇか?」

 

 ふと、リチアの話を思い出したゾロは、そんな言葉を放っていた。

 

「ゾロ」

 

 呼び掛けるナミの声は怒りと呆れが混じっていた。

 

「ロビンの話、聞いてた? この街にはクラウンがいるのよ!? 船を襲われでもしたら、たまったもんじゃないわ!!」

「"あの傭兵女"の話だと」

 

 ナミの言い分を最後まで聞いてから、ゾロは話を切り出した。

 

「街で暴れない限り、海賊でも上陸しても構わないうえ、港を使っても良いらしいぜ。その代わり、迷惑沙汰でも起こしたら、すぐさま、牢獄にぶち込まれるけどな」

「……"あの傭兵女"って、あの棒飾りの付いた?」

 

 ウソップの問い掛けに、ゾロが頷く。

 

「ロビン。そこんとこ、どーなの?」

 

 落ち着いた声で、ナミがその事実が真か嘘かを考古学者に問うた。

 

「私がこの街について聞いたのは、だいぶ前のことよ。海軍嫌いのクラウンのことだから、エディンバラに何もしていない海賊を捕まえて、海軍に進んで貢献するようには思えないから、有り得ると思うわ」

「おれらの自信が"担保"ってわけだろ」

 

 ロビンの推測を聞いても、腑に落ちない顔をしていたナミに、ゾロはリチアからもらった推薦状を突き付けた。

 

「なにこれ?」

「"あの女"から貰った"推薦状"だ。コレを港に持って見せれば、半額でログが溜まる日数、預かってくれるんだと」

 

 二つ折りにされた紙を見るナミに、ゾロが単調な説明をする。

 

「ゾロ、"あの女"ってだれだ?」

 

ナミが「半額かぁ」と紙を見ながら考えている間に、チョッパーが尋ねてきた。

 

「"あの女"ってのは」

「それはな」

 

 剣士が何かを言いかける前に、ウソップが話し出した。

 

「ゾロがナンパしたクラウンの女なんだよ」

「おお~っ。ゾロ、お前、ナンパしたのか!?」

「そうじゃねぇよ!!」

 

 急に話題に首を突っ込んで来たルフィの隣りでは、チョッパーが、ゾロもナンパするんだな、とぼやいている。半分真実なので、ゾロも強く完全には否定できない。

 

「そんでもって、なんと、デートまでしてきたんだぜ!」

「すっげーっ!」

「んなわけあるかっ!」

 

 加熱するウソップの"ほら"に、乗る二人組に、怒鳴るゾロ。とうとう、ナミまでもが吹き出した。

 

「ナミっ、テメェっ、」

 

 調子に乗って囃(はやし)立てる三人組に制裁を与えた後、航海士に詰め寄ったゾロだったが、彼女の吹き出した理由はまた別のところ――その手元にある、広げられた推薦状にあるようで。

 

「ゾロ。アンタ、あの女の子に自分の名前、明かさなかったでしょ?」

「? そうだが……」

「やっぱりね」

 

 それだけ聴くと、ナミは再び笑い出した。気になったルフィ、ウソップ、チョッパーは、ゾロに殴られた頭を押さえながら、ナミの手元を覗き込んだ。途端に、三人組も笑い出した。反対側にいるゾロには、さっぱり分からない。

 

「その女の子のネーミングセンス、コックさんや船長さん並みね」

 

 航海士の後ろに立つロビンが微笑みながら、ハナハナの実の能力を使って、ゾロにその推薦状を広げて見せた。

 

 それには、本来ゾロの名前が書かれるべきのところに『腹隠し剣士』とはっきりと記入されてあった。

 

(あのアマ……)

 

 腹巻きをした剣士は、あの女・リチアが最後に尋ねた質問の意味を、ようやく分かったような気がした。

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

「みんな、意外と大丈夫なのね」

「あら、何が?」

 

 ナミが皿を洗い、渡された皿をロビンが拭く。夕食が終わり、男共は就寝し、女性だけのキッチンで、ふと、航海士が思い出したように呟いた。

 

「サンジ君のことよ」

 

 カチャン、と泡の中で皿が鳴った。

 

「最初はあわてたけど、みんな、いつも通りに戻ったみたいだし」

 

 ナミがそうこぼしながら、ロビンにボウル(皿)を手渡した。

 

 帽子がないっ! と嘆いていたルフィも、パニックを起こしていたウソップも、心配性チョッパーも、今はだいぶ落ち着いてきている。

 一番、意外だったのは、ゾロだった。エディンバラの街で別れる間際まで、ゾロはかなりイラついていたし、鍛冶屋に行くのにお金も渡し損ねていたから、迷惑沙汰でも起こしてんじゃないか、と内心、ナミはビクついて仕方なかった。

 だから、ゾロが気分を落ち着けて戻ってきた上、迷子にならず、しかも、暗くなる前に帰ってきたのは、本当に奇跡だと思う。殺気も完全に消えていたし、何より、あの近寄り難い雰囲気がなくなっていた。ゾロが言うには、あの女(リチア、といったか)が全てを――鍛冶屋に出す為の仕事も、案内もしてくれたらしい。おせっかいな子なのね、とナミがからかうと、『手伝う理由は、おれが気になるからだそうだ』とゾロは答えてきた。

 

(『気になる』って……、女の勘として、女が男にその言葉を使う理由は一つしかないような気がする。まさか、そのリチアって子、ゾロのことが……)

「そうかしら?」

「え?」

 

 ふいに放たれた、ロビンの発言に、思わず、ナミは声をあげてしまった。

 

(じゃあ、なぁに? リチアがゾロに『気になる』って言葉を使ったのには、"それ"とは違う意味があるっていうの?)

「みんな、気にしてると思うわ」

 

 ナミが何かを言う前に、ロビンの口からはそんな言葉が続いた。どうやら、ロビンの発言は先程の『意外と、みんな、大丈夫なのね』を受けたもののようで。

 

「なんで、ロビンはそう思うの?」

 

 自分の中で勝手に生じた勘違いが恥ずかしくて、ナミはぶっきらぼうに訊いてしまっていた。

 

「だって」

 

ロビンはそんな聞き方にお構いなしに答えた。

 

「"いつも通り"ではないもの」

 

 そう言って答えるロビンの視線の先を辿(たど)ると、絶対に残るはずのない肉が、手付かずのままでのった皿があった。

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

『サンジっ!!』

――よぉ、ルフィ。

 

 麦わら帽子を掴んだ、金髪の男のまわりには紫煙が漂っている。

 

――"コイツ"はおれが預かっといてやる。

『なくすんじゃねぇぞ!!!』

――バーカ、なくす訳ねぇだろ。

 

その台詞は、当たり前のように放たれた。だが、その後に“当たり前”が訪れることは無かった。

 

「貴様は海賊王になれない。なぜなら、貴様は仲間の為に自分を犠牲にすることが出来ても、自分の夢の為には仲間を犠牲にする事が出来ないからだ」

『!?』

 

 反論出来なかった。

 

 船に叩き付けられ、這い上がった瞬間に見たのは、嵐の海に飛び込む男の姿だった。緑髪の剣士は手摺に凭(もた)れて唖然(あぜん)としている。気が付いたら、「馬鹿な事するんじゃねぇっ!!」と訳も分からないままに怒鳴っていた。

 

 手は伸ばしても、金髪の男には届かなくて、麦わら帽子にも届かなくて、何もかもに届かなかった、その瞬間――シャンクスが頭の中を横切ったのは、何故なんだろうか?

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

 先程から同じ光景が、ルフィの頭の中を端と端を繋げたフィルムのように、ぐるぐる回っている。う~ん、とルフィは唸(うな)ると、麦わら帽子を更に深く被ろうとした。そして、気が付いた――麦わら帽子はサンジが預かってしまった、持っていってしまったということに。仕方がないから、その挙げた手で顎を見張り台の縁(ふち)にのせたままの頭をかいていると、「船長さん。今夜の見張りの当番は私だから、貴方がする必要はないのよ」と不意に見張り台へと昇る音と共に声が聞こえて来た。ルフィのことを『船長さん』と呼ぶ女性は、この船に一人しかいない。

 

「おぅ、ロビンか!」

 

 半分よりも欠けた月が発する頼りげない光の中、微かに見える輪郭を確認すると、ルフィは手を伸ばして、ロビンが見張り台に乗り込むのを手伝ってやった。ありがとう、と呟くと、考古学者は見張り台の縁に腰を掛けた。

 

「こんなところにいて、どうしたの?」

「う~ん、なんでか分かんねぇけど、眠れねぇんだ」

 

 ルフィは再び唸ると、首を大袈裟(おおげさ)に傾(かし)げてみせた。それこそ、縁に耳がつきそうなぐらいに。

 

「悩み事でもあるの?」

 

 ロビンの質問に、ルフィが縁に手をついて勢い良く顔を上げた。

 

「あぁ、そっか!」

 

 合点いった。ルフィはそんな風に声をあげた。

 

「おれ、悩み事をしてたんだ。だから、さっきから、気になって仕方なかったんだ!」

 

 そう呟くルフィに、ロビンは縁に手を置いたまま、目を丸くしてしまった。自分が悩んでいることに気付かないなんて、なんて彼らしい。

 

「話、聞きましょうか?」

 

 ロビンのそんな発言に、再び、ぽてっとルフィの頭が沈んだ。麦わら帽子のない彼は、何故か別人のように思える。誰も話さない時間を狙ったかのように、風がメインセールをはたはたと鳴らした。それに飛ばされる帽子はない。

 

「不思議だよなぁ」

 

 暗く浮かび上がる山、セント・ヴィクトワールを見ながら、ルフィが告白した。

 

「サンジがいなくなったのに、おれ、帽子のことばかり考えてる」

 

 頬を縁に擦(なす)り付けたせいで、最後の方は言葉が濁(にご)ってしまった。

 

 どっちも大切なことは分かっているのに、いつもあるはずの帽子がないことに、どうしようもない違和感を覚える。そっちばかりが気になって仕方がない。そもそも、自分がどういう感情の中にいるのか分からない。このモヤモヤ感が"悩み"ならば、どうすれば、晴らせるのだろう?

 

  う~ん。ルフィがもう一度、唸ろうとした時だった。

 

「悩む必要はないんじゃないかしら?」

 

 ロビンの声がルフィの頭の上から降ってきた。なんでだ? も言わずに、顔をあげた船長に、考古学者はゆっくりと告げた。

 

「船長さんの大切な帽子は、貴方が信頼し、貴方を信頼するコックさんが持っているのだから、両方とも心配する必要はないでしょう?」

 

 ぽかん、としてしまった。……というより、なんて、当たり前のことなんだろう。なんて、当たり前のことを忘れてたんだろう。

 

「ししし、そーだな!」

 

 頭の後ろで手を組んで、ルフィは笑い出した。吹っ切れた。そんな笑顔で、いつもの笑顔だった。

 

「やっぱり、笑ってる船長さんが一番だわ」

 

 ロビンはそんなことを言いながら、自分が目を細めて、口端が引くのが分かった。

 

「ん? でも、ロビン」

 

 何か疑問に思ったのか、いつもの声質でルフィが尋ねてくる。

 

「どうして、おれが笑ってるって分かったんだ?」

 

 雲一つない、今宵の半月が海に反射し、物々の輪郭が分かる程度の明るさだが、その物の細部(ディティール)や色、表情まではわからない。それなのに、自分が笑った、と判るロビンが不思議でたまらないらしい。

 

「声で判るわ。それに、いつも、船長さんの笑顔を見てるもの。だから、すぐに想像出来てしまうのよ――貴方の笑顔が」

 

 そう答えたロビンの前に、ルフィが立っていた。「?」とロビンが不思議に思っていると、ふいに暗闇から手が出てきて、彼女の両頬を軽く引っ張った。

 

「船長さん?」

 

 強く引っ張られてないため、普通ではない状況なのに、声が普通に出た。

 

「おれも、いつもロビンの笑顔を見てるけど、やっぱ、そーぞー(想像)じゃなくて、本物がみてぇぞ」

 

 十歳も下の男の発言に、一瞬だけ、この身体の感覚が全て吹っ飛んでしまった。

 

「そうね」

 

 ルフィが手を放したせいもあり、頬が緩むのを感じる。

 

「光がさしたら、私も笑っていられるわ」

 

 ――ずぅっと。

 

 最後の言葉は付け足さなかったが、通じてると良い、と思った。すると、ルフィがまた「ししし。」と笑った。

 

「じゃあ、光がさしたら、朝になったら、ロビンの笑顔が見られるんだな」

 

彼は笑ったままで、言葉を続けた。

 

「だってよぉ……、朝(アシタ)が来ねぇってことはねぇんだから」

 

 何がそんなに嬉しいのか、ルフィは笑ったままだった。

 

(励ますつもりが、励まされちゃったみたいね。……ふふっ、今が暗くて本当に良かった)

 

 片方の目尻を抑えながら、ロビンは思った。

 

「ねぇ、船長さん」

 

 ひとしきり、ルフィの笑いがおさまってから、話を切り出した。

 

「なんだぁ、ロビン?」

「レモネードを飲まない?」

「れもねーど?」

 

 突拍子もない、ロビンの提案に、ルフィがその言葉を繰り返した。

 

「ええ。今日、航海士さんたちがレモンを買ってきたらしいの。レモネードなら作れると思うのだけど」

「おぅ、飲むぞ!」

 

 ロビンが全てを言い切る前に、ルフィは承諾していた。早くキッチンに行こう、と言わんばかりに、全身ゴムの力を利用して、ひょいっと飛び下りてしまった。来いよ! と手を振るルフィを、ロビンは急に呼びたくなった。理由はない。ただ、名前を呼びたくなった――彼の役柄ではなく、彼の名前を。

 

「今、行くわ」

(ルフィ)

 

 心の中で彼の名前を呼んでから、ロビンはゆっくりと見張り台から降りていった。

 

 

 

つづく




※ロビンが裏主人公。


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7,名もない君には名前を付けましょう

 刀を鞘から抜く音がする。

 二本の刀を手に持った男は、目にも止まらぬ早さで群がる敵共を次々と鎮めていった。

 

 その男の真後ろで敵の声がした。

 男が振り返ると、もう一人の男がお得意の蹴り技で敵をブっ飛ばしている光景が視界に入ってきた。

 

 二人の男の合わさる視線。

 双方の口端が上がったのを合図に、敵の団体に突き進む二つの影。

 

 猩々緋(ショウジョウヒ)(意味:限り無く黒に近い赤色)の柄をし、鍔(ツバ)には桜吹雪(サクラフブキ)が刻まれた愛刀と、それと同じ紋様の脇差しを握り直し、男は近付いて来た敵を斬りつけ、もう片方の男は地面に両の手の平を付き、開脚した両足を回し、敵を倒していく。

 

 そして、"海賊"である二人は戦いに明け暮れる。

 

(なんて、懐かしい)

 

 ふと、"誰か"はそう思った。

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

「くっさーーっ!!」

 

 昨夜、自分が記憶喪失だと自覚した男が目覚めた時の第一声が"コレ"だった。

 

「ったく、何なんだよ、この匂(ニオ)いは?」

 

 男は、部屋中に漂う、あまりの臭さに目が覚めてしまった。鼻をつまみ、嗅がないように試(ココロ)みたが、やっぱり無理な話で匂ってきてしまう。様々な薬品の匂いと焦げた匂いがまぜこぜになったのが、この部屋に充満しきっていた。目の前に飛び交う虫(匂い)を追い払うかのように、顔面を余った手で扇(アオ)ぎながら、記憶喪失の男は立ち上がった。どうやら、匂いの元はこの部屋ではないらしい。ガウンの代わりに、昨夜、医者に手渡された白いパーカーと灰色の長ズボンを着こなした男は、隣り部屋に通じる扉を思いっきり開けた。

 

「うわっ、くっさーーっ!!」

 

 匂いの元となる部屋――台所の扉を開けた事で、名無しの男は更に声を上げるハメになった。

 

「あ、おはよ」

 

 ボサボサ頭の青髪はそのままに、だらしなく白衣を着つつも、何故か緑縁(ミドリフチ)の眼鏡だけはしっかりとキメている医者が朝の挨拶をした。

 

「ああ、おはよ……って、何なんだよ、この匂いは!?」

 

 匂いの元を作成しているだろう医者の能天気な挨拶に、男は一瞬だけ毒気を抜かれたが、すぐに元に戻った。

 

「朝から騒ぐな、耳に響く」

 

 作業を続ける手元を止める事なく、医者はしかめっ面で返答した。台所のシンクの上には、大きなビンやら小さなビン、幾つかのコップとスプーンが転がっていた。ビンからスプーンで掬(スク)った粉を鍋に入れ、熱しながら、かき混ぜる動作を医者は先程から、ずっと繰り返している。

 

「……医者」

「『医者』じゃねぇ、『ジョリー』だ」

 

 男の呼び掛けに、医者ことジョリーが抗議する。余程、手元にあるものが気になるのか、至って口調は静かだった。

 

「臭くねぇのかよ?」

「何が?」

 

 男に尋ねられても尚(ナオ)、カチャカチャと鳴らす手元は止めない医者。

 

「それ」

「それ?」

 

 男に指差された方――自分の手元を見たジョリーが男の言葉を鸚鵡(オウム)返しした。

しばしの沈黙。

 

「うわっ、くっさーーっ!」

「気付くの遅過ぎんだよ!」

 

 ジョリーの叫び声に、名無しの男がツッコミをいれた。

 

「とっとと、窓を開けろーーっ!」

「言われんでもするっての!」

 

 ジョリーが言うと、口では素直に受け入れずとも、男の窓へと向かう行動は承諾を意味した。ダイニングルームにある全ての窓を開ける作業を、二人で急いで実行する。

 

「手、動くようになったんだな」

 

 男の反対側で窓を開けていたジョリーがいきなり呟いた。一瞬、何の事を言われたのか分からなかった男だったが、昨日、自分の両手が硬直していたのを思い出し、「あ……、ああ」と頷(ウナヅ)いた。ジョリーは窓を開ける手を止める事なく、「普通、掴み過ぎで硬直した筋肉はほぐれにくいんだが、まさか一日で治っちまうとはな」と医者的見解述べた。男はそれに背を向けたまま、黙って聞いていた。

 

 男は何も言い返さなかった。いや、何も言い返せなかった。何故か分からないが、そんなジョリーの雰囲気にドキリとしたのだ。

 ジョリーは名も無き男が会った時から、何処か抜けているような雰囲気が漂わせていた。しかし、やはり、医者は医者。見ているところは見ているし、患者の事を常に心配していて、誰かが怪我したら、すぐに医者の顔に変貌する"アイツ"に似ていた。

 

(医者って、みんな、あんなものなのか?)

 

そう考えると、なんだか笑えてきてしまう。

 

(でも)

 

男は思った。

 

("アイツ"って、誰だ?)

 

 そう自問した途端、頭がズキリと痛んだ。一瞬の事だったが、何時間ものの痛みを凝縮されたかのような頭痛に男は片手で頭を押さえた。もし、男の目の前に窓縁(マドブチ)がなくて、余った片手でそれを掴んでなかったら、床に膝を着いていたかもしれなかった。

 

「おい、どうした?」

 

 男の異変に気付いたジョリーが声を掛ける。

 

「いや、何でもねぇよ」

 

 心配をかけたくない意地が、男にその台詞とその続きを言わせた。

 

「あまりの臭さに嫌気が差したんだ、よ!」

 

 大きく一歩を隣りへと踏み出し、台詞の『よ』の部分で男は最後の窓を勢い良く開け放った。新鮮な空気が部屋に流れ込んで来る。

 

「ンな、クサイ・くさい連呼すんじゃねぇ」

 

 ジョリーが不貞腐(フテクサ)れたように呟くと、匂いの元凶である、謎の煙(湯気?)が立ち込める鍋を覗き込んだ。

 

「で、何を作ってたんだ?」

 

 どうせ、薬か何かだろう、と思いながら、男は医者に近付いた。

 

「コーヒー」

 

 医者の回答に、窓から入って来る涼しげな風が寒くなったように感じたのは、男の気のせいだろうか?

 

「……今、何つった?」

「コーヒー」

「……って」

 

 静かに問い掛けて、先ほど聞いた答えが幻聴ではないことを確認すると、男は大声で言った。

 

「こんなのが"コーヒー"な訳ないだろうがっ!」

 

 男が指差す鍋の中には、絵の具の紫色と黒色を混ぜ合わせたかのような液体がぐつぐつと煮立っている。ジョリーはそれを覗き込みながら、火力のスイッチを切った。

 

「こんなの、ちっと(ちょっとの意味)失敗しただけだろ」

「これの何処が"ちっと"だ!?」

 

 年齢にそぐわない不貞腐(フテクサ)れた口調のジョリーに、男が攻め立てる。この結果が"ちっと"の失敗なら、大失敗した際は虹色のコーヒーにでもなるのだろうか?

 

「……で、どーすんだよ、コレ?」

 

 おれは飲みたくないぞ、とぼやく男の横で、ジョリーは「飲む」と見事に言ってのけた。

 

「は?」

 

 マジかよ、と言いたげな表情を男はつくった。

 

「自分でつくったんだから、責任持って飲むのは当然だろう?」

 

 ジョリーはそう言うと、カップに"コーヒー"とはとてもじゃないが呼べない代物(シロモノ)を注ぎ込んだ。その"コーヒー"は蒸発してしまったせいか、カップ一杯分しかなく、ジャリジャリと底に固形物が残らずに、すべてが溶け込んでいた。

 

「確かにな」

 

 恐ろしい味がするのは間違いない飲み物を見ながら、記憶喪失の金髪男が呟いた。

 

「それに、食べ物を粗末にしたらいけねぇからな」

 

 その台詞は一字一句(イチジイック)違(たが)えず、同時にジョリーと男の口から放たれた。

 

「え? お前、どうして……」

「ホラ、しぶってないで飲めよ」

 

 その事に疑問を抱いたのは、ジョリーだけだった。男は"さも当然だ"とばかりにその事実をスルーし、ジョリーに"それ"を飲むよう促(うなが)した。医者は唖然としていたが、男の言葉で元に戻ると、カップの取っ手を掴んだ。やはり抵抗があるのか、なかなか飲もうとしない。だが、ジョリーは一息ついて覚悟を決めると、"コーヒー"を自分の喉に流し込んだ。 医者には失礼を通り越して可哀想なのだが、男にとっては、それから先が面白かった。目を白黒させながら、両手で鼻と口を押さえ、ジョリーは必死になって飲み込もうとした。目を天井に向け、一歩二歩とその場で足踏みをする。その行動そのものが、ジョリーがつくったコーヒーの味の凄まじさを代弁していた。医者の喉仏がゆっくり動き出す頃には、男はたえきれなくなって笑い出していた。

 

「笑うな……ゔっ!」

 

 ようやく飲み干したジョリーだったが、敵はしぶとかった。空になったカップに水道水を入れると、ジョリーはがぶがぶ飲んだ。この辺になると、男の笑いも最高潮に達していた。

 

「笑うなっ!」

 

 口のまわりを水で濡らしたまま、ジョリーが怒鳴った。今度は吐き気がこなかった。

 

「はははっ、コーヒーでそんなんだったら、テメェ、飯(メシ)はどーしてんだよ?」

 

 そんなジョリーの頼み事を無視し、笑いをやめようともせずに、男は尋ねた。

 

「飯(メシ)なら、いつも、シルクに作ってもらってる」

 

 淡白にそう答えたジョリーに、男は笑うのをやめた……かと思うと、「ってことは、クソ医者、テメェ、シルクちゃんの手料理を食ってんのか!?」と急に男は怒りだした。

 

「おい! 誰がクソ医者だ、このクソぐる眉毛!! お前も昨夜、シルクの料理を食ったじゃねぇか!?」

「ぐ、ぐる眉毛だぁ? この青髪っ! テメェが毎食、シルクちゃんの手料理を食ってるってことがいただけねぇんだよ!」

「ンだとっ、このアホ金髪っ! 人を髪の色で呼ぶんじゃねぇよ!!」

 

 売り言葉に買い言葉。暴言を暴言で返し合う言い争いは、いつの間にか睨み合いにかわっていた。二十歳前の男と、三十路前後の医者が互いを恐ろしい表情で睨み合うこと、数秒。

 先に視線を外したのはジョリーだった。いや、それは視線を外したというより、「ゔっ……」と表情を崩したのであった。どうやら、先ほどのコーヒーが祟(タタ)ったらしい。第一、あんなコーヒーらしからぬ色のコーヒーを飲んで、何も身体に異変を起こさない方がおかしいのだ。急に顔色を変えた自分を怪訝(ケゲン)がる金髪男に「ちょっと、厠(カワヤ/意味:トイレ)に行ってくる」とだけ伝えると、ジョリーはくるりと背を向けた。

 医者がそうなった原因を思い立ったからか、よろよろ歩くジョリーを男は黙って見送っていたが、ふと思い出したように忠告した。

 

「……吐くなよ」

「誰が吐くかぁっ!!」

 

 大声で反すると共に、ジョリーは音を立てて、洗面所に通じる扉を閉めた。

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

(なぁんか、調子狂うよな)

 

 手を洗いながら、ジョリーは心の内で感想を漏らした。無論、"調子が狂う"とは先ほどのコーヒーから催した体調不良ではなく、あの記憶喪失男の所業からである。

 今まで、記憶喪失の患者を見たことがないから分からないが、記憶喪失になった場合、普通、自分が何者であるか分からないから、精神不安定に陥(オチイ)って、『ここはどこ? 私は誰?』状態になり、パニックを引き起こすはずだ。

 

(なのに、あの男は……!)

 

 最初こそは慌てはしたが、後は至極落ち着いている。いや、落ち着いているを通り越して、『お前、本当に記憶喪失ってか、病人か!?』と怒鳴りたくなるほど、男は飄々(ヒョウヒョウ)としていた。おそらく、性格も記憶を失う前と変わってはいないだろう。

 

(まぁ、他人から指摘されるまで、自分が記憶喪失であることに気付かないような奴だしな)

 

 昨夜、男が目覚めた後、シルクの料理を食わせ、検査をしたが、生活上で困る記憶喪失はなかった。目覚めた瞬間に、あれだけ騒げたんだから、当然と言えば当然か。現時点であの男について分かっていることは、手に持っていた麦わら帽子と刀に異常なほどの執着を示していることと、異常なほどの女好き(本人曰(イワ)く"レディーファースト")であることだ。後はもう名前すら知らない。

 

(もし、強(シ)いて言うなら、"あの人"と似たようなことを言ったぐらいか)

 

 手洗いのついでに顔を再度洗うと、キュッと蛇口を閉めた。

 

 確かに、あの記憶喪失野郎は『食べ物を粗末にしたらいけねぇからな。』と言った。だが、『食料を粗末にするな』という言葉は、海賊にせよ、船乗りにせよ、海上で生きる者には当然の戒(イマシ)めだ。知っていても、おかしくはない。

 

(……にしても、アイツは一体何者なんだ?)

 

 タオルで手と頭を拭きながら、ジョリーは推測してみた。

 

(海賊の死骸が違う海岸から見つかったから、海賊か? 刀を持っていたから、剣士か?)

 

 だが、どちらもしっくりこない。短い金髪で、ぐる眉毛。黒いスーツに、麦わら帽子。トドメに強気で、女好き。

 

(これが海賊? これが剣士か? ははっ、……冗談じゃねぇ)

 

 昔の自分は棚に上げといて笑うと、医者は眼鏡をかけ、洗面所の扉を開いた。

 

 ジョリーがキッチンルームに戻ると、金髪男が冷蔵庫の中を覗き込んでいた。

 

「ンなに腹が減ったのかよ。俺は料理が出来ねぇんだから、シルクが来るまで待ち」

「なぁ、医者」

 

 ――やがれ、とジョリーが皆まで言うのを遮って、男が呼び掛けてきた。だぁかぁらぁ、俺の名前は"医者"じゃねぇ、と青髪の男性が意見する前に、男はこう尋ねた。

 

「料理、つくっていいか?」

 

 それが年相応の表情で(無論、ジョリーは男の年齢なんて知らないが)、真面目な眼差しで言われたのだから、医者はその視線に促されるようにして「ああ。」と頷いていた。

 

 ジョリーから許可を貰ってからの男の行動は早かった。料理に使う材料を冷蔵庫から取り出すと、腕を捲(まく)り上げ、包丁を手に持ち、調理し始めた。まるで流れるような、男の慣れた手付きに驚きつつ、ジョリーはキッチンの後ろにあるテーブルの椅子を引き、音を立てぬよう座った。こちらからは男の後ろ姿しか見えない。調理に没頭する背中を見ながら、なんだか懐かしいな、とぼんやり思った。調理するシルクの背中姿を見ても、そんな思いには駆られなかった。なのに、今、見知らぬ男の後ろ姿を見て、そう思うのは何故だろう?

 

 一瞬でも、"あの人"の影がちらついたから?

 今朝から、"あんな夢"を見たから?

 

(いやいやいや、単に疲れているだけだろ、俺)

 

 頭の中で、自分で自分に言い訳していると、皿を目の前に置かれた。皿からは湯気(ゆげ)と、メシの匂いがただよってきている。

 

「朝っぱらから、ピラフかよ」

「冷蔵庫にある材料で、手っ取り早く作れる料理はそれぐらいだからな。クソ医者のくせに文句を言うんじゃねぇよ」

 

 それだけ言うと、男はスプーンをジョリーの手に握らせた。その行動にジョリーがシーフードピラフから顔を上げると、男は顎(あご)をしゃくった。

 

――食えってか。

 

「うまいのか、これ?」

「クソうまいに決まってんだろ」

 

 ジョリーに不安染みた質問に、男は快活に答えた。

 

(根拠ねぇのに、その自信はどっから来るんだよ)

 

 先ほどのコーヒーのこともある。朝からまずいものを食べるのは、アレだけで十分だ。

だが、男は睨み付けるような視線で促(うなが)してくる。

 

(……しゃあねぇ)

 

 ジョリーは溜め息を一つだけすると、ピラフをすくったスプーンを口に含んだ。

 

「……うまい」

「だろっ!」

 

 ジョリーの感想に、男はニカッと笑った。その笑顔はシルク(女/♀)に見せるような表情ではなく、純粋な嬉しさだけがこもったものだった。

 

 だが、ジョリーは脈絡なく椅子から立ち上がると、信じられない、という表情で男を見て言った。

 

「お前、"この味"をどこで……」

「医者、おはようっ!!」

 

 ジョリーの言葉を遮るようにして、玄関の扉が開き、薄茶髪の少女が朝日を背負って現れた。

 

「ごめんね、今日は寝坊しちゃって……」

「嗚呼、おはようございます、シルクちゃん」

 

 シュタッ、と今までジョリーの目の前にいた男がシルクの前に片膝を付いた。

 

「後光を背負って現れるなんて、君はまぁるで女神様のようだっ!」

「あ。お、おはよう」

 

 昨日、"黒崖"で拾った男の存在をシルクは、どうやら、すっかり忘れていたらしい。ハイ・ハイテンションな男に驚きながらも、シルクは卓上にあった料理に視線を向けた。

 

「あれっ? コレ、貴方がつくったの?」

「ハイ! 貴女(アナタ)への愛を込めて、つくりましたーっ!!」

 

 へぇ、とシルクは感嘆を漏らしながら、変な箇所(カショ)にアクセントを付けて喋る男と、自分たちのやり取りに連(つ)いていけてない医者を素通りして、台所に置いてあったスプーンを手に持つと、ピラフを一口食べてみた。勿論、彼女の口から零(こぼ)れ出た感想は――。

 

「おいしい……!」

「シルクちゃんにそう言って貰えるなんて、俺は……、至高の幸せ者だ~っ!!」

 

 男は大袈裟すぎるほどに歓喜、いや、狂喜した。コイツの世界は、レディーを中心にして回っているに違いない。

 

「じゃあっ、今日の朝ご飯、頼んでもイイ?」

 

 シルクも男の身振りに呆れはしたが、料理の腕は認めたようだ。

 

「もっちろんでさ~♪」

 

 快諾すると、男は飛(跳/と)ぶような足取りでキッチンに歩を進めた。

 

「ほら、医者。朝ご飯の準備っ」

 

 ここでシルクは、はじめてジョリーに注意を向けた。だが、ジョリーは心、此処に在(あ)らず、というような表情をしていて、怪しく思ったシルクが「医者?」と再度呼び掛けると、「あ、ああ。そうだな。朝ご飯の準備をしねぇとな」と我に返ったように返事をした。

 

(変な医者)

 

 シルクはそう思いながらも、直(ジカ)に問い質(ただ)すことはなかった。

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

「あー、おいしかった!! こんなおいしいごはんを食べたの、はじめて!」

 

 朝食終了後、記憶喪失の男がつくった朝食に少女は大満足していた。

 

「シルクちゃん、食後のレモンティーです」

 

 そんな彼女に、見事な給仕っぷりで男が静かにティーカップを手渡した。

 

「あら、ありがとう」

「おい、俺の分は?」

 

 レディー(シルク)にだけ渡されるティーを、ジョリーが腕組みをしたままで催促する。

 

「なーんで、おれが野郎に給仕しなくちゃいけねぇんだ?」

 

 ジョリーの発言に、男がオーバーリアクションで振り向いた。

 

「残りはポットにあるから、野郎は自分で入れやがれ」

「……」

 

 当然のごとく女尊男卑を行う男に、ジョリーは怒りを押さえつつ、自分のティーを入れるため、立ち上がった。

 

「でも、こんなに早く元気になるなんて、びっくりした」

「いえ、これもシルクちゃんのおかげです」

「待て、治療したのは俺だろが」

 

 背中越しに聞こえてくる会話にジョリーがツッコミを入れると。

 

「はっ。こんな傷、レディーの愛さえあれば治るんだよ」

 

 男は平然とそう返してきた。

 

(……やべぇ。殺意が止まらない)

 

 命を助ける医者とは思えぬ、物騒なことを思いながら、ジョリーはどかっと椅子に座り込んだ。一口、ティーを飲んでみる。つくった本人はむかつくが、悔しいことに、ティーは本当にうまい。

 

「そういえば、今日はどう過ごすの?」

 

 ジョリーがティーを飲む横で、シルクが男にそう尋ねた。

 

「そりゃあ、シルクちゃんとデート♪」

「たわけ」

 

 カチャリと、ジョリーがカップを受け皿に置いた。

 

「なんだぁ、クソ医者。おれとシルクちゃんとのアバンチュール(意味:恋愛ごっこと思ってほしい)を邪魔すんのかよ?」

「……お前、本当に頭沸(わ)いてんな。あのなぁ、今日はお前の刀を鍛冶屋に持ってくんだよ」

 

 テーブルに手を着いて反対側にいるジョリーを威嚇する男に、医者は出来るだけ冷静に事を伝える。

 

「鍛冶屋? なんで?」

 

 普通の剣士ならピンときそうな単語に男は首を傾げた。

 

「なんでって、なぁ……」

 

 ジョリーが両手を肩の高さまであげて説明する。

 

「いくら、お前の持っている刀が上質のヤツでも、丸一晩、海水に浸(つ)かってたんだから、鍛冶屋で手入れしてもらわねぇと駄目だろうが」

「そーなのか……?」

 

 医者の説明に男がぼんやりと反応した。

 

(おいおい。コイツ、本当に"剣士"かよ。刀に対する知識がなさすぎるぜ)

 

 腕をだらんと下げて、今度こそ、医者は呆れた。

 

「鍛冶屋か……。つまり、"ルーブル"まで行くのね。私、今日は仕事が休みなんだ。一緒についていってもイイ?」

「はいっ、モチロンです♪」

 

 ジョリーが何か言い出す前に、男はシルクの提案に承諾していた。そもそも、レディーの提案に、この金髪男が断る訳がない。

 

「でも、その格好じゃ行けねぇだろ」

「?」

 

 ジョリーの言葉に、男は自分の服装を足下から順に見やった。白いパーカーと、灰色の長ズボン姿の自分。町へ行くには、ちょっと、だらしのない格好だ。

 

「一応、流れ着いた時のお前の服をとってあるんだが、流石にもう一度着るのは無理そうでな。……けど、ちょうど、俺と背格好が同じだから、その時の服装と似たようなヤツを貸してやるよ」

 

 ジョリーの言った通り、二人の背格好はよく似通っていた。もしかすると、ジョリーの服は男にぴったりとおあつらえ向きに合うかもしれない。だが、男は嫌そうな表情を浮かべ、我が儘に近い反論をした。

 

「なんで、おれがテメェの服なんか……、」

「よし、シルク。お前の服をコイツに貸してやれ」

 

 医者の発言に、私の服!? とギョッとするシルクの隣りで、男は猛スピードで頭を下げた。

 

「医者の服、有り難く着させて戴きます」

 

口の減らない男をやっと言い負かせることが出来たことに、ジョリーはひそりとほくそ笑んだのだった。

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

「おい……、医者。本当にこんな服装だったんだな?」

「ああ、そんな服装だった。なぁ、シルク?」

「うん、そんな服装だった」

 

 数分もしない内に、医者から手渡された白のワイシャツに黒のスーツを、男は身に纏っていた。

 

「ホントかよ……」

 

 似たような服装とはいえ、こんな服装で自分は倒れていたのだ。うろたえるのも無理はない。だが、記憶喪失の男がこの上なく愛するレディーのシルクが言ったのだから、信じるに限る。

 

「ついでに、"あれら"も装備してみたら、どうだ?」

 

 ジョリーの指差す先の棚の上には、昨日、男が、手の筋肉が硬直するぐらい握り締めていた麦わら帽子と刀があった。

 男はまんじりともしない表情で、まずは、麦わら帽子を手に取ったみた。普通の麦わら帽子である。しいていうなら、かなりボロい。よく見ると、"つば"の一ヵ所だけが、やけにシワが寄っていた。男が握っていた箇所だ。不思議そうに、ベタベタ触る代わりに、ジロジロと見ていた男だったが、ふと、麦わら帽子の紐が切れていることに気がついた。

 

(あ、切れてら)

 

 男は紐の端と端を結び付け、被(かぶ)ろうとしたが、その一瞬、帽子から手を放したくなった。何故かは分からない。駄目だ、と思った。

 

「どうしたの?」

「いや」

 

 なかなか被ろうとしない男にシルクが尋ねたが、男は手短に返事をすると、帽子を被った……と思いきや、紐を首に引っ掛け、帽子を背の方に回しただけだった。

 

「……って、被らねぇのかよ」

 

 ジョリーが呆れたように言う。

 

「部屋の中で帽子を被るなんて、マナーのねぇ奴がすることだぜ」

 

 被らない理由は、今は、そーゆーことにしておこう。

 男はジョリーのツッコミを軽く躱(かわ)すと、今度は白鞘の刀を手に持った。

 

「意外と重いんだな」

 

 ポツリと、男が漏らした感想に、医者は首を捻(ひね)った。はてな? と思う医者を余所(よそ)に、一回抜いて、刃を確認することなく、男は刀を差そうとした……が。

 

「どうやって、腰に差すんだ?」

「はぁ?」

 

 男の剣士とはとても思えないお間抜け発言に、とうとうジョリーは声が出た。

 

「ンなもん、ベルトのホルダーに……」

「ねぇぞ」

 

 ジョリーが男に手渡したのは、普通のベルトだ。刀をストックするためのホルダーなんぞ、ある訳がない。

 

(そういや)

 

 ジョリーは思った。

 

(コイツのベルトに、刀のホルダーはあったか?)

 

 なかったような気がする。刀を収納するためのベルトを持ってないのに、刀を持っている剣士。頭がこんがりがらそうだ。

 そうこう悩むジョリーを放っといて、シルクが提案した。

 

「じゃあ、"コレ"で刀をベルトに結んだら?」

 

 シルクは自分の髪を一つに結っていたピンクのリボンを取ると、男に手渡した。途端に、シルクの長い薄茶髪が少女の肩に掛かる。

 

「シルクちゃん、なんて君は優しいんだっ!!」

「貸すだけだから、後で返してね」

 

 素(そ)っ気(け)ないシルクの返事にも、はいぃぃっ!! と目をハートにしながら、男は承諾すると、ピンクのリボンで刀をしっかりとベルトに結び付けた。

 

(う゛っ……腰が重い)

 

 慣れない重さに顔をしかめながらも、男は医者と少女に「どうだっ?」と訊いた。

 

(どうだって言われても)

(なぁ……)

 

 シルクとジョリーは顔を見合わせて、互いに思ったことが同じであることを確認した。

 

 短い金髪で左目だけを隠していて、右目に見えるはぐるぐる眉毛。白のシャツに黒のスーツ。帽子は被らずに紐で首に掛けてあって、白鞘の刀はピンクのリボンで男のベルトに固定してある。

 

「変」

 

 どきっぱりと一文字で感想を告げた医者に、男が怒らない訳がない。

 

「"変"って、テメェがそうするよう言ったんじゃねぇかよっ!!」

「それは俺のせいか!? 第一、ンな服装をしていたのは事実じゃねぇかっ!?」

「事実もクソもあるか、こンの、クソ医者っ!!」

「ク、クソ医者だぁぁっ!? 俺の名前は"ジョリー"だ! いい加減、人の名前ぐらい覚えやがれ、この"ぐるぐる眉星人"っ!!」

「なんだとっ!! テメェこそ、人の名前を言ってねぇじゃねぇか、クソアホ青髪っ!!」

「なら、お前はクソバカ金髪だっ!! それに、お前、自分の名前すら知らねぇだろがっ!」

「う゛っ……」

 

 いつ終わるともしれぬ言い争いは、ジョリーの一言で終止符が打たれた。その台詞は、自分の名前すら覚えてない男には、決定的な一撃となっただろう。

 

「あっ、そうだ♪」

「あ?」

「ん?」

 

 今まで、傍観者を決め込んでいたシルクの明るい声に、ジョリーと男は二人揃って、少女を見た。怒りが冷めやらぬ医者と、少女にメロリン状態の記憶喪失男の、二つの視線を一身に受けながらも、笑顔を崩すことなく、シルクは言った。

 

「名前、付けてあげようよ!」

「はぁ?」

 

 突拍子のないシルクの発案に、ジョリーは間抜けな声をあげた。

 

「だから、名前よ、名前! ないと困るから、付けてあげるのよ!!」

「なぁんてグッドな名案なんだ、シルクちゃんっ!」

 

 我ながら名案♪ とばかりに、はしゃぐシルクに、ジョリーは、どうしたもんかな、と思った。記憶喪失男の発言も手伝ってか、シルクのはしゃぎっぷりは止まらない。

 

「それに、私。さっき、すっごく良い名前を思い付いたの!」

「へぇ、どんな?」

 

 無関心のような問い掛けをしながらも、この金髪ぐる眉男にどんなネーミングを付けるのか、ジョリーは気になっていた。シルクは笑顔満開にして告げた。

 

「"ムギガタナ"!」

 

 トライアングルの音が一つ、尾を引っ張るような感じで医者の頭に鳴り響いた。

 

「"麦"わら帽子と"刀"を持っていたから、"ムギガタナ"!! ねっ、すっごく良い名前でしょ!?」

 

 喜々として理由を語るシルクに、ジョリーは頭が痛くなった。

 

 "ムギガタナ"。

 ネーミングコンテストとなるものがあるとしたら、鐘が一つ、いや、一つも鳴らないような名前だ。ころころとした犬に"コロ"、ちびっこい猫に"チビ"と名付けるのと同レベルのネーミングセンスである。確かに、この男を"拾ってきた"のは事実だが、拾ってきた犬や猫に付けるような名付け方で良いのか!? と思う。ジョリーが呆れるのも当然だ。それに、ほら、記憶喪失男の握り締めた拳が震えている。

 

(女好きとはいえ、流石に呆れるよなー)

 

 お気の毒様、と言わんばかりの眼差(まなざ)しを向けていると、男が顔をあげて言った。

 

「なんて……素敵な名前なんだぁーーっ!!」

 

 男の台詞(セリフ)に、ジョリーは自分の頭を壁に本気(マジ)で打ち付けたくなった。ついでに、この男の頭も壁にぶつけたくなった。

 

「シルクちゃん、こんな素敵すぎる名前を付けてくれて、ありがとーーっ!!」

「喜んでくれて何よりだわ!」

 

 喜び合う二人に、ジョリーは完全に取り残されていた。先ほど、男の拳(こぶし)が震えていたのは、感動のためだったのだ。

 

「医者も"ムギガタナ"でイイよねっ?」

 

 目を輝かせて、同意を求めるシルクにジョリーは投げ槍で頷いた。

 

「テメェなんかにシルクちゃんのようなネーミングセンスはねぇもんな」

 

 へらへらと男はジョリーをからかう。

 

(この男の名前は、もう"色ボケ馬鹿ヤロー"に決定だ。)

 

 この男。

 ジョリーが考えた名前"色ボケ馬鹿ヤロー"でも、レディーから付けられたのなら、喜んで譲受するだろう。

 

(一瞬でも、この男に同情した俺が、シルクのネーミングセンスと男の感性に期待した俺が、馬鹿だった。)

 

 心の底から、ジョリーはそう思った。ありったけの暴言をぶちまけたい気分に襲われている医者の横では、男がシルクのネーミングセンスをべた褒めしている。

 

「"ムギガタナ"、なぁんて、エレガントでイイ響きの名前なんだぁ!!」

(むしろ、コイツに普通の名前を付ける方が勿体ないような気がするぜ。)

 

 男の発言に、ジョリーが心の中で逐一(ちくいち)ツッコミを入れてやる。

 

「シルクちゃん。君はまさしく、ネーミングの女神様だぁぁ!!」

(いや、"悪魔"の間違いだろ。)

「そして、"あの方"と同じ、最高のネーミングセンスっ!!」

(そうそう、"あの方"同様、最低のネーミングセンス……って、)

 

 ハッとして、ジョリーは男を見た。シルクも同じことを思ったのか、男を見つめている。ガラリと変わった雰囲気に「えっ?」というような表情をした男に、ジョリーとシルクは同時に言ってやった。

 

「"あの方"って、だれ?」

「……え、あ、"あの方"?」

 

 途端、男を酷い頭痛が襲った。"あいつ"と思った時と同じ痛みだ。「頭が……痛ぇ……」と呻(うめ)いたかと思うと、男はその場に崩れていた。前回と違って、掴むものがなかったせいか、その場で頭を押さえて座り込む患者(クランケ)に、シルクとジョリーは「大丈夫っ!?」「おいっ、お前っ!」と咄嗟(とっさ)に声をあげていた。それでも、男は顔を上げない。

 

「ねぇっ、大丈夫っ!?」

 

 もう一度、声を掛け、シルクは男に手を伸ばしていた。すると、男はその手を掴んだ。

 

「はいっ!」

 

 その手を掴んだまま、顔を上げた男は、目をハートにした、ジョリーの言う"色ボケ馬鹿ヤロー"だった。大丈夫だと確認すると否(いな)や、シルクは躊躇(ちゅうちょ)なく、男を蹴り飛ばしてやった。

 

「ぐえっ!」

 

 そのまま、壁に激突した男に、シルクは「心配するだけ無駄ね」と呟き、ジョリーは「そうだな」と同感の意を表した。

 

(壁に頭をぶつけたついでに、その記憶喪失同様、お前のアホな性格も吹っ飛んじまえ。)

 

 いてて……、と頭痛とは違う痛みに頭を押さえる男に、ジョリーはそんな非情なことを思っていた。

 

「さて、ショウゲキ(衝撃/笑劇)も終わったし、"ルーブル"に行きましょうか」

 

 キュロットスカートを翻(ひるがえ)しながら、玄関の扉を全開にするシルクに、今、思い付いた、とでも言うように、記憶喪失の男は、いや、"ムギガタナ"は座り込んだままで尋ねた。

 

「そういえば、この島の名前はなんて言うんだい?」

 

 玄関から、日光がさっと差し込み、少女の体の輪郭をきらきら光らせる。

 

「ここの名前?」

 

 立つジョリーの隣りに座り込みながら、シルクの問い掛けにムギガタナは頷いた。

 

「ここの名前はね……」

 

 シルクは言葉を続けた。

 

「"シロツメ島"の"プラド"よ!」

 

 シルクはあの満開の笑顔でそう言ったのだった。

 

 

 

つづき




※お気付きの方もいらっしゃると思うが、大抵の地名は美術関係から引用している。

■深緑の島“フォリー・ベルジェール”
画家ルノワールの絵画『フォリー・ベルジェールのバー』より。

■セント・ヴィクトワール山
画家セザンヌが好んで描いた山。

■エディンバラ
イギリスの都市名。美術館や城などがある。

■プラド
スペインのプラド美術館より。



→ちなみに、ナミたちがいる島とサンジが流れ着いた島は別の島である。


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8,アイツ・あの方・どちら様?

「"ボク"?」

「それもあるが、"と"も当てはまるな」

 

 記憶喪失の男――仮の名は"ムギガタナ"とジョリーが奇妙な会話を交わしている。今、三人は"プラド(町の名前)"のオレンジの樹が立ち並ぶ街道を歩いていた。オレンジの樹には実が幾つかなっていたが、ムギガタナは、シルクから、その実が食用ではないことを知らされていた。

 

「ややこしいわね」

 

 手首に付けていた黒のゴム紐で髪を一つに結びながら、シルクが言った。

 

「つまり、こーゆー形ってことでしょ」

 

 そう言うと、シルクは身を屈(かが)め、先ほど目に付いた、オレンジの街路樹の落ちていた枝を一つ拾った。

 

「そうそう、そんな形」

 

 医者が言うように、シルクの持つ枝は、ムギガタナの言う漢字の"卜(ボク)"、あるいは、ジョリーの言う片仮名の"ト(と)"の形をしている。

 

「ムギガタナ、これが私たちの島の形よ」

 

 ムギガタナの目の前で、シルクは人差し指と親指で枝を垂直に掴み、天をさしてクルクルと回した。

 

「シロツメ島は四つの区域に分けられるの」

 

 そう言って、シルクは右手で握った"卜"の形をした枝の下の方を、左手で指差した。

 

「ここが私たちの住んでいる"プラド"で」

 

 彼女は今度、枝分かれで右の曲がった部分を指差し、次は「ここは港町"ルーブル"、岬には海軍基地があるわ」と言いながら、残った上の部分を指差した。

 

「ここは"エルミタージュ"って言って、森やら山やらある非開拓地域なの」

「四つ目の地域ってのは?」

 

 シルクの説明通りだと、一つ足りない地区をムギガタナは不思議に思って尋ねた。

 

「最後の地区は、ここ」

 

 答えながら、シルクが指差したのは、枝別れした部分とは逆の何もない箇所であった。

 

「海?」

「そう。この島の西側に広がる海を"オルセー"って呼ぶの」

 

 ムギガタナが呟いた単語に、シルクが頷いた。

 

「……にしても、おかしいよね。他の箇所の海には名前なんて付けてないのに、ここだけあるなんて」

 

 シルクはそうぼやきながら、枝を魔法のステッキのように指で左右に振った。

 

「でも、」

 

 シルク(レディー)に対し、ムギガタナは敬語で尋ねた。

 

「"ルーブル"に行くんなら、かなりの遠回りになるんじゃないですか?」

 

 そう。

 彼の言う通り、シロツメ島が『卜』の形をしているのなら、下のプラドから、右のルーブルに行くには、T字路となっている場所まで行かなくてはならず、かなりの遠回りになってしまう。

 

「ここを曲がれば分かる」

 

 ムギガタナの問い掛けに、ジョリーが答えた。はぁ? と怪訝(ケゲン)がるムギガタナがその言われた角を曲がると、島の輪郭線である崖が見えてきた。それと同時に、一つのものが見えた。橋だ。ひ弱な釣り橋ではなく、幅の広い丈夫な橋である。行商人や荷馬車を引く馬、親子連れに年寄り、そして、若い女性二人組……(?)。様々な人々が橋を往来していた。

 

「島分かれになってるところまで行かなくても、プラドからルーブルへ真っ直ぐに行けるよう橋が掛けてあんだよ。まぁ、昔は釣り橋だったらしいんだが、俺がこの島に来た年に今の橋が出来たんだ。そんで――」

「ねぇ、医者」

 

 まるで自分が橋を拵(コシラ)えたかのように、長々と説明を施(ホドコ)そうとするジョリーをシルクが呼び止めた。

 

「……って、なんだよ、シルク。わざわざ、俺があの記憶喪失ヤローに説明してやってんのに邪魔をすんなよ」

「その"記憶喪失ヤロー"がいないんだけど」

「……は?」

 

 ジョリーは自分の脇に立っているはずの人物を見た。いない。一体、何処に……?

 

「はぁ~い、レディ~♪」

「ん?」

 

 聞き慣れた声がした方を見ると、橋を往来していた若い女性二人組にデレデレしながら、くちどいている金髪男がいた。しまった、こいつがかなりの女好きってことを忘れてた、とジョリーは思わず頭を抱えてくなる。

 

「このっ……」

 

 呆(アキ)れるシルクの手から、"ト"型の枝に抜き取ると、青筋を浮かべたまま、ジョリーは大きく振りかぶった。

 

「クソ色ボケバカヤローがっ!!!」

 

 投げられた枝は回転しながら飛んでいき、ムギガタナの後頭部に、見事クリーンヒットしたのだった。

 

 

 

「いててて……。クソッ、ハゲたりしたら、テメェのせいだからな」

 

 ムギガタナが頭を擦(さす)りながら、ジョリーを睨み付けると、医者も負けじと記憶喪失の男を睨み返してくる。敵意丸出しの男二人組に、シルクは頭を抱えたくなった。

 シロツメ島を"ト"で例えるなら、右に位置する、ルーブルの街を往来する人込みの中に、亜麻(あま)色の髪の少女と青色の髪の男性と金髪の青年は歩いていた。色様々なタイルが綺麗に敷き詰められた街路は、オレンジの街路樹が並ぶプラドとは別の雰囲気が漂っていて素敵なのだが、睨み合った二人の雰囲気は紛(まぎ)らわせそうになかった。

 

「はぁ? なんで、おれのせいなんだよ?」

 

 ムギガタナの愚痴をジョリーが受けたことから、二人の言い争いは始まった。

 

「はぁ? じゃねぇよ! テメェがさっきから、殴ったり、ぶつけたりしてるからだろ!」

「ンなの、自業自得だ! 行く女、来る女、片っ端からナンパしやがって」

「だからって、逐一(ちくいち)、攻撃する必要はねぇじゃねぇか!」

「こちとら、お前のためにルーブルに来てやったってのに、その当の本人が見境なく女を口説いてたら、攻撃したくもなるだろが!」

 

 ジョリーの言った通り、ムギガタナは若い女性(レディー)を見つけると否や、すぐさま口説きに走るので、その度にジョリーに殴られたり、物を投げ付けたり、首根っこを掴まれたりしていた。

 そして、今も。

 

「おっ! うっつくしいレディー発見♪」

「アホかっ!!」

 

 口喧嘩の最中というのに、女性に近寄ろうとするムギガタナの頭をジョリーが、ぽかん、と叩いた。

 

「ってぇな、何しやがる!?」

「これで五回目。お前も何回したら気が済むんだ?」

 

 叩かれた箇所を押さえながら、怒鳴るムギガタナに、ジョリーは顔全体に怒りを表したままで返答する。

 

「レディーに声を掛けるのは常識だろが、クソ医者!」

「ンな常識あってたまっか、この"馬鹿ガタナ"!」

「あの~」

 

 暴言と共に、ヒートアップする口喧嘩する医者と患者をシルクが呼ぶが、二人とも気付きやしない。

 

「刀をバカにすんじゃねぇっ、この"青汁"!」

「……ちょっと、」

「誰が"青汁"だっ!? つぅか、青汁は青色ってか、どっちかいうと緑色じゃねぇか! このっ馬鹿ムギ! ……ってか、馬鹿ムギ、馬鹿ゴメ、馬鹿タマゴ!!!」

「早口言葉にすんじゃねぇよ、このクソ青髪っ!」

「しずかに……」

「おっ、やるかーっ!?」

「ブッ飛ばしてやる!!」

 

 売り言葉に買い言葉で悪化していった口喧嘩は、本当の喧嘩に変わりつつあった。

そして、ついに手が挙げられた――ジョリーでも、ムギガタナでもない手が。

 

「いい加減にせんかいっ!!!!」

「ほげっ!」

「ぐげっ!」

 

 シルクの鉄拳が二人の脳天に炸裂した。

 

「喧嘩も大概にしてよ! みんなの迷惑になるでしょ!!」

 

 大の男二人を撃沈した少女が仁王立ちになって、叱り付ける。

 

「コイツが悪い!」

 

 声を揃えて言う二人に「両方、悪い!!」とシルクの怒声が再び飛ぶ。

 

「それに……、」

 

 少女が辺(あた)りを見渡しながら、小声で付け加えた。

 

「周りの人みんな、こっちを見てるじゃないの」

 

 恥ずかしい、と言いたげに額に手をやる少女と喧嘩をする男二人を、通り掛かる人は全て振り返り、好奇の目で見ていた。

 

「それは勿論、おれがかっこ良過ぎるからだよ、シルクちゃん♪」

「阿呆。お前がそんな格好をしてるからだろ」

 

 胸を張って当然のごとく言うムギガタナに、ジョリーが冷静に指摘した。医者の言う通り、記憶喪失の男は白シャツに黒スーツを着こなし、白鞘の刀をピンクのリボンでベルトに固定し、そして、麦わら帽子の紐を首に引っ掛けるという、どっからどう見ても奇妙な格好をしていた。

 

「んだとっ!! 誰がアホって……」

「……にしても、お前、どうして帽子を被らないんだ?」

 

 ムギガタナがわめき始める前に、ジョリーは尋ねていた。

 

「そういえば、そうね」

 

 シルクもそれに参戦する。

 

「家の中で被るのはマナー違反だからって、被らなかったけど、どうして、外にいるのに今も被らないの?」

「え? あ……、それは……」

(そういえば、なんでだ?)

 

 ムギガタナは心の内で自問自答する。

 

(何故かは分からないが、"駄目だ"と思う。理屈なんてない。けど……、この帽子をおれは被っては駄目なのだ)

 

 唇の片端を下げて、一瞬だけ、ムギガタナは困ったような表情をしたが、直(じき)にそれも消え、いつもの表情で答えた。

 

「そりゃあ、シルクちゃん、帽子を被っちまったら、おれのトレードマークである金髪が隠れちまうからさぁ!」

 

 家の中であろうが、外であろうが、結局、ムギガタナに帽子を被る気はないらしい。ハートを振り撒きながら、女性(レディー)であるシルクにしか答えない男に、ジョリーがぼやいた。

 

「確かにお前の目障(めざわ)りな程にビカビカ光る髪が隠れてたら、物を当てにくくなっちまうなぁ」

 

 そんな医者の挑発にムギガタナが乗らない訳がない。

 

「あんだとっ! そーゆーテメェの格好もどうなんだよ?」

「何って、医者の格好」

「医者だからって、外でも白衣を着る奴が何処にいんだよ!?」

 

 ムギガタナの言う通り、ジョリーは外であるのに、しかも街中なのに、白衣を着こなしていた。これはもう不自然、いや不審者以外の何物でもない。

 

「常に白衣着用、これがおれのポリシーなんだよ!」

「……お前、アホだろ」

「女性を見つけ次第、口説くのが常識って思ってるお前の方がアホだっての」

「アホ・アホ言うんじゃねぇよ、バカ青髪っ!」

「何をーっ!! このグルマユ野郎が!」

 

 ……という具合に、年齢が十歳程離れていそうな、金髪でグル眉毛、帽子と刀をぶら下げた黒スーツの男と、街中なのに白衣を着て、緑色の四角いフレームの眼鏡をかけた青髪の男が、往来のど真ん中で互いを罵りあい、ぶつかりあっているので、かなり目立つのである。誰もが振り返る訳なのだ。

 

(この三人で一番マトモなのって、私だけね。……なんだか、そっちの方が逆に浮きそうだけれども。)

 

 Vネックの濃紺のTシャツに、チェック柄のオレンジのキュロット(スカートのようなズボン)を穿いた少女は他人のフリをしたくて仕方なかった。だが、一息吸うと、口喧嘩が殴り合いの喧嘩に発展する前に、二人を地面に叩き付けるため、シルクは拳(こぶし)を強く握り込んだ。

 

 

 

「あ」

 

 しばらく歩いていると、ふいにジョリーが声をあげた。

 

「どうした?」

 

 先ほど、医者同様、仲良く殴られたムギガタナが訊いてきた。

 

「おれ、あそこに行ってくるから、先に鍛冶屋に行っててくれ」

 

 そう言ったジョリーの指差す先には、家の中に入りきらないのか、外にまで書物が並んだ本屋があった。

 

「……医者、もしや、エ」

「阿呆。おれはただ月刊誌を見たいだけだ。今日が発売日なんでな」

 

 ムギガタナが全てを言う前に、ジョリーが理由をとっとと述べた。

 

「……ってな訳で、シルク、コイツを鍛冶屋に連れて行ってくれ。おれは野暮用が済んだら、鍛冶屋に向か……うっ!?」

「シッルクちゃ~ん♪ こんなクソ医者を放って置いて、おれとデートしよ~っ!」

 

 話しかけのジョリーを思いっきり突き飛ばすと、ムギガタナはシルクの手を握り込んだ。

 

「テメェっ! 何しやがる!?」

「クソ医者、テメェはお呼びじゃねぇんだよ。どっかいきやがれ」

 

しっしっしっ、と犬を追っ払うような仕草(しぐさ)をするムギガタナに、ジョリーが噛み付きそうな勢いでいきり立っている。

 

「そうね」

 

 シルクがそう言うもんだから、ムギガタナは心底嬉しそうな顔をした。だが、世の中、そんなに甘くはない。

 

「医者は本屋に寄っててイイよ。ムギガタナは私に任せて」

 

 ムギガタナの手をギリギリと摘(つま)みながら、シルクが笑顔で応答する。そんなシビアなシルクちゃんも素敵だ~、と盲目にメロリン状態の奴を「不憫だな」と思いつつも、決して声に出さず、ジョリーは本屋へと足を運んだ。

 

 

 

「いらっしゃい……って、なんだ、ジョリーかい」

 

 ジョリーが本屋に入ると、カウンターで本を読んでいた初老の女性が顔をあげた。

 

「なんだ、じゃないだろ。一応、客だぜ?」

 

 世にも珍しい青髪をガシガシ掻きながら、ジョリーはカウンターに凭(もた)れ掛かった。

 

「どうせ、まぁた、手配書を貰いに来たんだろう?」

「それが狙いじゃねぇんだが……、その口調からすると新しい手配書が入ったのかい?」

 

 女主人が"手配書"の三文字を口にした途端、ジョリーがその話題に食いついてきた。

 

「ほら、これだよ」

「サンキュー♪」

 

 女主人が十数枚の手配書を渡すと、ジョリーは喜々として目を通した。

 

「……にしても、手配書集めとその人物の情報収集が趣味だなんて、アンタも随分変わってるねぇ」

「何もねぇ島だからな、なんか趣味がねぇとやっていけねぇよ。……かと言って、お宝拾いはセンスがねぇしな。……おっ、"六角(ろっかく)のシュピール"か! まだ持ってないヤツだな♪」

「何もないなんて、実も蓋もない言い方をしないでおくれよ。アンタは途中から、この島に来たけど、あたしらはずっと住んでんだから」

「ああ、悪(わり)ぃ、悪ぃ。……"三日月のギャリー"はもう取っ捕まったから、いらねぇや」

「それに、面白いものと言えば"金(きん)の成る木伝説"があるじゃないか」

「ああ、アレね。"金の成る木伝説"だなんて、イイ観光文句じゃねぇか。あんなのを信じるのは、トレジャーハンターと海賊ぐらいだろ。……なぁ、おばちゃん。コイツの手配書はもう持ってんだけどよ、情報持ってないか?」

 

 パラパラと手配書を捲(めく)りながら、めぼしいものを探すジョリーに女主人が話し掛けていると、血塗れの男が写った手配書をひらひら見せながら、医者が尋ねてきた。

 

「"海賊狩りのゾロ"の情報? ああ、あるよ。アンタ、手配書収集でも、剣士の情報を集めるのが一番好きそうだね」

「まぁな」

 

 女主人から手渡されたレポートに一通り目を通すと、ジョリーは白衣の内ポケットに先程ピックアップした手配書と一緒にしまい込んだ。

 

「後は欲しいもんがねぇや。返すぜ」

「ハイ」

 

 医者が残った手配書を返すと、女主人が手を出してきた。

 

「なんだ?」

「情報料。手配書は無料(タダ)だけど、情報はそうはいかないからね」

「あ、すっかり忘れてた」

 

 うっかり、とでも言うようにジョリーは呟くと女主人に何ベリーか支払い、ぼそぼそと頼んだ。

 

「新しい情報が入ったら、また教えてくれよな」

「はいよぉ。"エディンバラ"から定期船が来たら、また情報が入るから、それまで待ちな」

「わーってるよ。……あと、電伝虫(でんでんむし)を借りてもいいか?」

「電伝虫? 別に構わないけど、誰に電話するんだい?」

「海軍に」

 

 不思議がる女主人にジョリーはそう答えると、ベリーを一枚払い、カウンターに置いてある電伝虫に受話器を外した。

 

「ちょいと拾い"者"をしたんでね」

「馬鹿だねぇ、拾い"物"なら連絡なんてせずに取(盗)っとけばイイんだよ」

 

 "物"と"者"を間違えたまま、呆れたように女主人は助言した。

 

「海軍に連絡したら、没収されて、奴等の懐に入るだけさ。アイツら、流れ付いた財宝を上に連絡せずにくすねてるんだ。しかも、エディンバラから海賊の引き渡しているのをイイことに、そのまま自分らの手柄にしてる」

 

 ここぞとばかりに女主人は愚痴った。

 

「あれで海軍とは笑えるねぇ。シロツメもフォリー・ベルジェール同様、傭兵にしちまえばイイんだよ」

「おばちゃん、"物"じゃなくて、"人"の"者"」

 

 ぶつぶつと続く愚痴に一区切りがついたところで、ジョリーは間違いを訂正した。

 

「あら、そうなのかい? ……もしかして、死体?」

「いや、生きてる」

 

 腹が立つぐらいにな、と心の内で医者は補足した。

 

「珍しいねぇ、生きてる人が流れ付くなんて。でも、それなら、尚更、連絡しない方がイイかもよ」

 

海軍への番号は……、と考えるジョリーを横目に女主人がアドバイスする。

 

「今回、流れ付いて来たものは死体ばかりで、財宝がなかったから、奴等、イライラしてるみたいだからね」

 

 いい気味だ、という気持ちを暗に匂わせる言い方に、海軍も嫌われたな、とジョリーは他人事のように思った。いや、実際に他人事なのだけれども。

 

「けどよ、やっぱり連絡した方が良いだろ」

 

 海軍なら、あの記憶喪失男の情報を得られるかもしれない。そんな期待を持ちながら待っていると、海軍に電話が繋がった。

 

『――こちら、シロツメ島海軍。何用だ? 名を言え。』

 

 ぶっきらぼうに上から言う態度そのもので、電話を取った海軍兵の男性が応答した。一瞬、イラッと来たが、心を落ち着かせながら、医者は答えた。

 

「"プラド"の"ジョリー"。単刀直入に用件を言うと、拾い"者"についてなんだが、」

『拾い"物"だとっ!!』

 

 拾い"モノ"発言に海軍兵の声色があからさまに変わった。

 

『で、なんだ? 財宝か? 金か?』

「いや、"人"の"者なんだが……、」

 

 拾ったのが"人"と知るや否や、海軍兵の態度はガラリと変わった。

 

『――なんだ、"死体"か。そんなことで連絡すんじゃねぇ。死体は勝手にそっちで始末しやがれってんだ。海軍は一般人(パンピー)と違って、忙しいんだよ!』

「ちげぇよ! 死体じゃなくて、生きてる"人"……って、切りやがった。クソッ!!」

 

 受話器を叩き付けるようにして戻すと、ほらね、と言いたそうに肩を竦(すく)める女主人と目が合った。海軍を頼った自分が馬鹿だったと思いつつも、ジョリーは言わずにはいられなかった。

 

「腐ってやがる……っ」

 

 

※ ※ ※

 

 

「ここが鍛冶屋よ」

 

 ムギガタナにそう伝え、シルクが扉を開くと、カウンターに居座っている、五十代ぐらいの鼻髭を生やした男主人が、いらっしゃい、と声を掛けたが、客がシルクと分かると親しげに話しかけてきた。

 

「おっ、シルクじゃないか! なんだ? 包丁でも出しに来たか?」

「ううん、今日、用があるのは私じゃなくて、この人よ」

 

 シルクはそう言って、ムギガタナを前に押しやった。

 

「なんだぁ、コイツは? 見掛けない顔だな」

 

 鼻眼鏡を掛け直しながら、男主人は目の前に立つムギガタナを見た。

 

「ジロジロ見るんじゃねぇよ」

 

 ムギガタナがギロリと睨みをきかせて、牽制をかけるが、男主人は奇妙な格好の方に気を取られていた。金髪、グル眉毛、黒スーツに麦わら帽子、見れば見る程、変な格好である。

 

「彼は"ムギガタナ"と言って、」

「シルクちゃんの彼氏♪」

「そうそう……って、勝手なこと言うなぁっ!!」

「ぶふぇっ!」

 

 メロリン状態のムギガタナをノリ良く張り飛ばすと、シルクは「医者の患者(クランケ)よ」と素早く訂正した。

 

「昨日、私が海岸で"拾った"の」

「"拾った"って……、とうとう、お前も変なモノを拾っちまったなぁ」

 

 シルクの宝拾い癖を知る男主人が意地悪く笑った。

 

「……死体を"拾った"アンタに言われたくないっての」

 

 こちらも意地悪く返してやりながら、宝拾いで死体を拾って以来、スパッと宝拾いから手を引いた鍛冶屋の主人に、シルクは、べぇっ、と舌を出してやった。

 

(……だが、アレじゃあ、死体の方がマシかもな。)

 

 随分と変な奴を連れてきたな、と壁に激突した男を見ながら、男主人は密かにそう思っていた。

 

「ところで、」

 

 シルクが用件を告げた。

 

「彼が持っている刀を見て欲しいの」

「かたなぁ?」

 

 アイツの? と怪訝がる男主人に、シルクが頷いた。

 

「そっ、刀。ムギガタナ! 鍛冶に出すから、おっちゃんに刀を渡して」

 

 シルクが手招きすると、犬よろしく、「ハ~イ!」と男は瞬時に復活して寄って来た。

 

(ますます変な奴だ。こんな奴が持っている刀なんて、きっとロクでもない刀なのだろう)

 

 椅子に座ったままの男主人は警戒しながら、ムギガタナから白鞘の刀を受け取ろうとした……が。

 

「なぁ、患者(クランケ)さんよぉ」

 

 ゆっくりと深呼吸してから、男主人は言った。

 

「刀から、手ぇ放してくんねぇか」

 

 彼の言う通り、ムギガタナは男主人に刀を手渡しながらも、自分の手を放そうとはしていなかった。男主人が力任せに引っ張っても、ムギガタナは始終無言で、決して放そうとはしなかった。

 

(ムギガタナの刀に対する"執念"を忘れてた。)

 

 はぁ、と息を吐くと、シルクはムギガタナに言ってやった。

 

「ムギガタナ、刀から手を離してあげて」

「わっかりましたよ~、シッルクちゃん♪」

 

 女性至上主義の男が、レディーであるシルクの言うことに逆らう訳がない。何の未練もなく、ムギガタナはパッと手を離した。

 

「うげっ!」

 

 哀れなのは、男主人だ。先程まで引っ張っていたのに、ムギガタナがいきなり手を離したので、座っていた椅子ごと後ろへ横転してしまった。

 

(最高にふざけてやがる。)

 

 起き上がろうともせずに、男主人は聞こえてくるシルクを口説く男の声に怒りを覚えた。勢い良く打ち付けたせいか、後頭部と背中がジンジン痛む。

 

(……ったく、こんな刀の何処がいいんだか……)

 

 手に持った刀を鞘から軽く引き抜いてみた。持ち主はアホそのものだが、白塗鞘太刀拵の非常に良い刀だ。

 

(いや、待てよ。この特徴は……)

 

 男主人は目を皿のようにして、抜き身の刀を見た。

 

(もしや、もしかして、もしかすると、この刀……っ!?)

「おっちゃん、大丈夫?」

 

 シルクの心配げな声に、思考が刀から現実に戻った。

 

「お、おうよ」

 

 男主人は返事をすると、よいしょっと椅子を直し、座り直した。

 

「そういえば、ジョリーの患者(クランケ)と言ってたが、どっか身体(からだ)が悪いのか?」

 

 ムギガタナのことなのに、男主人は話題の本人と目を合わさないようにして、シルクに確認してみた。

 

「うん。この子、記憶喪失なの。何処から来たはおろか、刀や麦わら帽子のことも、自分の名前さえも思い出せないんだって。ちなみに、"ムギガタナ"ってのは私が仮に付けた名前よ」

(記憶喪失か。尚更、好都合だな。)

 

 シルクの説明に心の中でほくそ笑みながら、男主人は真剣そうに聞いていた。

 

「では、刀を見てみようか」

 

 そして、専門職ではあるが、更に専門職らしく、刀を半分まで引き抜き、ある程度、目を通すと、これ見よがしに溜め息を吐き、鞘にしまい込んだ。

 

「なに? 刀に何か欠点があったの?」

 

 その動作に目敏く気付いた少女に、さも残念そうに男主人は首を縦に振った。記憶喪失の男は怪訝な表情でこちらを見つめている。男主人は告げた。

 

「この刀はもう駄目だな。使えもんにならねぇ」

 

 鍛冶屋の主人の告白に、その場にいた二人は固まってしまった。

 

「そ、そんなっ……、まだこんなにきれいなのに?」

 

 いち早く驚愕から解けたシルクが訊くが、男主人の答えは「駄目だね」という"NO"だった。

 

「きれいなのは見た目だけさ。刃の中は、芯はボロボロで数回使っただけで、斬る衝撃に耐えきれなくなって折れちまう」

 

 非常に残念そうに言う男主人の説明に、シルクは肩を落とした。ムギガタナは……というと、俯いているせいか、前髪が顔を隠してしまい、表情が分からなかった。

 

「ムギガタナ……と言ったか。お前さん、剣士だろう?」

 

 ムギガタナがうんともすんとも言わないので、勝手に"肯定"と受け取った主人は言葉を続けた。

 

「お前さんの使えない刀は儂が貰おう。その代わり、他の刀をやるよ。どうだ? 良い案だろ?」

 

 男主人が親切な(?)提案をするが、さっきまでうるさかったのが嘘のように、ムギガタナは黙ったままだった。

 

「ムギガタナ……」

 

 シルクが声を掛けても、何の反応もしないムギガタナ。なぜ持っていたのかは知らないが、白鞘の刀が使えないモノだと、記憶喪失の男は宣告されてしまった。

 

 さて、ムギガタナは、その事実に、一体、どう思ったのだろうか? そして、男主人の提案に乗ってしまうのだろうか? それとも……?

 

 

 

「そういや、その拾い"者"さんは大丈夫なのかい?」

 

 ところかわって、本屋では。

 海軍のあまりもの横暴な態度に憤慨していたジョリーの気を反らすため、本屋の女主人はそんなことを尋ねてきた。

 

「あ、……ああ。まぁね」

 

 急な質問に、ジョリーは吃(ども)りながら答える。海軍から患者(クランケ)に、医者の思考の焦点がずれた。そのまま、女主人は質問を続ける。

 

「嵐に巻き込まれたってんだから、かなりの大怪我を負ってるんだろう?」

「いや。運が良かったのか、しぶとかったのかは知らねぇが、そんなに大怪我はしてねぇよ」

 

 記憶を失っている、ということは伏せておいた。彼女を信頼してないという訳はないのだが、なにせ患者(クランケ)のプライベートなことだ。医者である限り、患者(クランケ)のプライバシーを無視して、秘密を暴露してはいけない。

 

 それに、記憶がないということは、真っ白な状態ということだ。医者ですら、患者(クランケ)の情報を把握していないというのに、この噂が広まって、悪戯心を持つ奴から嘘を吹き込まれでもしたら、たまったものではない。例え、噂が伝って、正しい情報が入ってきたとしても、真実を知る者は誰もいないのだから、その情報の真偽のしようもない。迂闊に情報を教えると、"あんな"患者(クランケ)でもパニックに陥るだろう。それだけは避けたかった。

 

(そーいや、)

 

 ふと、ジョリーは思い出した。

 

(シルクにアイツの記憶喪失のことを言わないよう注意すんの忘れてた。)

 

 だが、シルクは医"師"の娘。彼女自身でも「医"師"の娘よ」と豪語していたのだから、多分、大丈夫だろう。

 そんな訳で、今回は海軍を頼ったのだ。世界的なネットワークを持つ海軍なら、正解度の高い情報を仕入れてくれるだろう、と。

 

(なのに、アイツらと来たら……っ!)

 

 自分の利益しか考えない、役立たずもいいところの単なる烏合の衆だったのだ。

 

(かーっ、ムカツク!! あんな奴等ばっかりだから、一昔前のおれらにも敵わなかったんだよ……って、ありゃあ、おれと"あの人"が強すぎただけか)

 

 思考の焦点が再び"海軍"、あるいは"過去"に移動しつつあるジョリーに、女主人は違う話題を持ち掛けた。

 

「ところで、"コレ"を見に来たんじゃないのかい?」

「コレ?」

 

 女主人の持っていた本を目にした途端、思わず、ジョリーは叫んでいた。

 

「月刊・ぶキング!!!」

 

 それは、彼が本屋を寄る一番の理由となった月刊誌だった。女主人から渡されると、医者は先程まで頭の中を占めていた"海軍"やら"過去"のことは、一気に何処かへとぶっ飛んでしまった。

 

「アンタ、やっぱり変わってるよ」

 

 まるで子供のように、様々な武器を紹介する月刊誌に見入る三十路近くの医者に、女主人がカウンターに頬杖をしながら言った。

 

「医者の癖に、海賊やら武器、特に"刀"や"剣士"に興味があるなんて。そんなに、それが発売されるのを待ち望んでいたのかい?」

「あったりめぇよ! 月に一度のお楽しみってね。すっげー読みたかったんだよなぁ~♪ おっ、今月号は特集か!」

 

 最初は喜々として読んでいた医者だったが、ある記事を見た瞬間、急に真面目な顔になった。いや、表情の動きが止まったのだ。不審がった女主人が声を掛ける前に、ジョリーは雑誌を彼女に押しつけ、「あの野郎……っ!」と独り言を言うと、本屋から飛び出して行ってしまった。

 

「ジョリー! 一体、どうしたんだい!?」

 

 慌てて女主人が本屋から出るが、ジョリーの背中姿さえも見えなかった。一人、首を傾げる彼女の手に残された"月刊・ぶキング"の表紙には大見だしで、『今月は刀の"大業物"特集!!!』と色濃く印刷されていた。

 

 

 

 鍛冶屋の主人が白柄の刀を鞘から引き抜いたときから、ムギガタナは違和感がしていた。男主人が半分しか抜かなかったのに、一度も自分は抜刀したことがないのに、ムギガタナは刃の全形を鍔(つば)から切っ先までを、ありありと脳裏に思い描けた。そして、刀が引き抜かれた一瞬、室内の明かりに反射したのを見て、違う、と思った。

 

 "アレ"は、もっと違う反射の仕方をするのだ。室内のような狭い空間ではなく、外の、青く晴れた大空の、全方向から与えられる光に乱反射し、存在を誇示する刀身。迷いなく、天を目指して掲げられる――。

 

「……ムギガタナ?」

 

 自分を呼ぶ少女の声が聞こえてきて、ハッとする。刀の反射する光を見てから、気が随分と散ってしまったようだ。

 

「えっ……と、なんだっけ?」

 

 聞いていなかったことを誤魔化(ごまか)したくて、ムギガタナが曖昧な笑みと一緒にとぼけたように言うと、少女は、はぁ、と息を吐(つ)いた。

 

「あのね……」

「まぁ、お前さん、聞いてくれ」

 

 シルクの台詞の途中から割り込む男主人に、ムギガタナは「野郎はお呼びじゃねぇんだよ」と対男性用の口調で言って、相手を黙らせると「……で、シルクちゃん。なんだ~い?」と対女性(レディー)用で少女に尋ね掛け、彼女の台詞の続きを待った。はっきりくっきりとした"女尊男卑"に呆れながらも、真実を伝えることに躊躇(ちゅうちょ)を感じながらも、シルクは覚悟を決め、告白することにした。

 

「貴方の刀、もう使えないんだって」

 

 少女の告白に、ムギガタナは、ただ「へっ!?」と言っただけだった。

 

(あまりの唐突なことに、思考がついていけないのかしら?)

 

 シルクがそう思っていると、隙を見つけた男主人が会話に割り込んで来た。

 

「そんな訳で、その刀はもうスクラップ同然の廃刀ってことだ。でも、お前さんは剣士なんだろ? この刀の代わりに、もっと良い刀をやるよ」

「"代わりに"?」

 

 気になった言葉をムギガタナが重複する。

 

「ああ、そうだ」

 

 商業用の笑顔を全開にして、男主人は告げた。

 

「この刀は儂が処分するから、これを儂が貰う"代わりに"別の刀を、」

「断る!」

 

 男主人に最後まで言わせずに、記憶喪失の男は叫ぶようにして即決していた。そして、あっと言う間もなく、刀を男主人の手から取り上げると「刀は渡さないっ!!!」ともう一度、自分の旨を伝えた。

 

「でも、ムギガタナ」

 

 急変した男の態度に驚きながらも、シルクは努めて冷静に進言した。

 

「その刀はもう使えな――」

「断る!」

 

 敬(うやま)うべき女性(レディー)が言ったのに、同じ言葉でムギガタナは反抗した。興奮する彼を落ち着かせようと、手を伸ばそうとしたシルクだったが、刀を両腕で守るようにして抱き締める男の肩が小刻みに震えているのに気付いた瞬間、自らの指図もないのに、少女の手は引っ込んでしまっていた。いきなり変わった男の態度に、男主人も少なからず戸惑っているようだった。そして、当事者たるムギガタナ自身は体中の血液が沸騰するような気分に陥っていた。

 

(あの刀は、本当は誰にも触れさせたくなかった。だが、鍛冶屋なら仕方ないかと思っていたのに、野郎はおれにそれを"手放せ"と言う。おれの身体を流れる全ての血が一気に煮え立ったような気持ちだ。刀が使えようが、使えまいが、はっきり言って、どうでも良い。この怒りには、理由も理屈もない! そんなものは、自分ですら分からない。本当に感覚だけだ。餓鬼の我が儘〔ワガママ〕と思われても、構わない。だが、ただひとつだけ言える。刀は渡さない! 例え、どんな理由があろうと、絶対に!!)

 

 怒りのあまり、ムギガタナの肩が震える。視界も揺らぐ。何処に立っているのかさえ、忘れそうになる。でも、腕に抱き抱えた刀の感覚だけは決して忘れはしない!

 

 強く睨み向けるムギガタナに、男主人は叫びそうになるのを必死に耐えていた。それでも、視線を真面(まとも)に受け止められないまま、もう一回、男主人は交渉してみることにした。

 

「け、けどな。その刀は、も、もう使えないんだぞ。そん、な刀を持っても仕方ないから、儂に譲(ゆず)って、」

「っるせぇ!!!」

「ヒィッ!!」

 

 ムギガタナのその声に、男主人はとうとう叫び声をあげてしまった。激情する前の彼と、後の彼とのギャップが、あまりにもありすぎる。シルクも目を見開いたまま、肩を竦(すく)みあげていた。

 

「誰が何と言おうと、刀は渡さねぇっ! これは、この刀は……っ!!」

 

 有(あ)りっ丈(たけ)の意志を込め、ムギガタナは主張した。これ以上は肩が震えて、上手く声に出せない。

 

「こ、この刀は?」

 

 それは、男の気迫に押されながらも、蚊が鳴くような声でシルクが尋ねたときだった。

 

「ムぅギぃグヮぁツァぁヌァぁあああーーーっ!!!!(訳:ムギガタナ)」

 

 ドアが開く音がかき消されるぐらいの大音量で叫びながら、白衣を着た青髪の男性が鍛冶屋に飛び込んで来た。

 

「い、医者ぁ……っ!?」

 

 シルクが素頓狂(すっとんきょう)な声を出す。突然の来訪者に、三人全員の時間が打ち砕かれてしまった。少女が呼ぶのにも構わず、医者ことジョリーはズカズカ歩を進めると、店に入っときから目に止めていたムギガタナの刀を、彼が声をあげる間もなく取り上げ、すぐさま鞘から引き抜きいて「……やっぱりな」と呟いた。

 

「か、返しやがれっ!!」

 

 時間を取り戻したムギガタナが胸倉を掴まんとばかりに、ジョリーに飛び掛かったが、医者はさらりと避け、「ほらよ」とその隙に刀を彼に返してやった。大切な刀を返してもらったムギガタナは唸りそうな勢いで、刀を両手で握り締め、ジョリーを睨み付けている。

 

「やっぱりな、って、何がなの?」

 

 ジョリーとムギガタナの刀を交互に見ながら、シルクが尋ねた。医者はそれに息を整えると、言った。

 

「コイツの刀、"和道一文字"だ」

 

 現物を見た興奮を押さえきれないジョリーの回答に、シルクとムギガタナはぽかんとした。二人の後ろにいる男主人は顔色を失い、だらだらと汗を流している。

 

「……それがどうかしたのかよ?」

 

 イマイチ、それが何を意味するか分からないムギガタナが訊いてきた。

 

「馬鹿野郎っ!」

 

 ジョリーの大声に、ムギガタナは自分の質問があまりにも軽率だったことに気付かされた。

 

「"和道一文字"だぞ!! 世界に二十一本しかない"大業物"の刀なんだぞ!!!」

「え……、コレ、そんな価値のある刀なの?」

 

 感情の高ぶりに任せたまま怒鳴り散らすジョリーに、シルクが刀を指差して尋ねた。

 

「ああ、しかも、ちょっとやそっとの価値じゃねぇ」

 

 気持ちを落ち着かせようとしながら、ジョリーは言った。

 

「一本一千万ベリーはくだらない名刀だ」

「一本、一千万ベリーっ!!??」

 

 衝撃の値段に、シルクとムギガタナは声を揃えて驚愕してしまった。

 

「で、でも! おっちゃんが言うには、この刀はもう使えないって……」

 

 シルクの発言に、ジョリーは首を傾げた。

 

「おかしいな。和道一文字は優れた切れ味と耐久性が特徴の刀で、海に一晩浸(つ)かっただけで駄目になるようなものじゃねぇと思うんだが……」

 

 一気に三人の視線が鍛冶屋の主人に集まった。その中心となった人物は、ひたすら冷や汗を流している。

 

「へぇ、一千万ベリーはくだらない名刀で"耐久性"が自慢ねぇ……」

 

 青筋を浮かべながら、ムギガタナはジリジリと男主人ににじり寄った。哀れ、男主人は声も出ない。刀を両手で握り締めたまま、ムギガタナは片足をカウンターに音を立てて乗せた。

 

「テんメェ……、おれが記憶喪失なのをイイことに、」

 

 ぐっと顔を近付けて、今、行われようとした犯罪をムギガタナはさらけ出した。

 

「刀、騙し取ろうとしただろ」

 

 怒鳴る訳でもなく、青筋を浮かべた顔で、低くドスが効いた声でムギガタナに言われて、男主人は声までも凍り付いてしまった。何があったんだ? と尋ねるジョリーに、シルクが簡単に今までのことを説明する。

 

「……なるほど。刀の知識がないことに、嘘を吹き込み、刀を奪おうとした訳か……ってか、シルク、記憶喪失のことを話すんじゃねぇよ」

「ごめんね、医者」

 

 ムギガタナの背後では、医者とシルクがほそぼそと話し合っている。肯とも否とも言わない男主人に、ムギガタナはイキり立った。

 

「……で、どうなんだっ!?」

「はいぃぃぃっ、そうです!! 記憶喪失なことはイイことに騙しとろうとしましたぁ! とても本当に誠に申し訳ございませんでしたっ!!」

 

 声を荒げたムギガタナに、可笑(おか)しな敬語を使いながら、男主人はカウンターに拳どころか、額(ひたい)まで付けて観念した。

 

「じゃあ、刀は……」

「全然、大丈夫でございます! 少し手入れをすれば良いだけで、全く問題がございません!!」

 

 シルクの問い掛けに、男主人は頭を下げたままで返事した。

 

「良かったね、ムギガタナ! 刀、大丈夫だって」

「あ……、ああ」

 

 シルクが話し掛けたことで、多少、ムギガタナの怒りが薄らいだ。だが、だからと言って、許した訳ではない。

 

「でも、どーする? シロツメ島に鍛冶屋は此所にしかないんだけど」

 

 少女の言葉に、う~んと唸っていたムギガタナだったが、良い案を思い付いたのか、いたずら小僧のようにニヤリと笑った。

 

「なぁ、クソ主人。おれからも"良い提案"があるぜ」

 

 自分の唇に二本、人差し指と中指を添えながら、ムギガタナは言ったが、その格好が変だと思ったのか、手を元に戻すと続きを告げた。

 

「この事がバレちまうと、店の品位に関わるよな」

 

 コクコクと頷く主人に、ムギガタナは再び先程と同じ指を口許(くちもと)に添えようとしていた。手を慌てて下ろしたが、どうやら、コレは癖らしい。

 

「まぁ、未遂だから、黙っててやる。その代わり……」

 

 男は意地の悪い笑みを浮かべながら、"脅迫"した。

 

「無料(タダ)で刀を鍛冶しやがれ」

 

 その等価交換に、男主人が口答えする。

 

「そ、そんな……、それはあまりにも、」

「なら、別に構わないんだぜ」

 

 あっさりとムギガタナは答えると、カウンターの上に乗せていた足を下ろし、五歩ぐらい下がって、小声で開きっ放しのドアに向かって言った。

 

「街の皆さーん、実はこの鍛冶屋の主人、ぺてん師……」

「うぎぃやぁぁああっ!!!」

 

 鍛冶屋の主人はムギガタナのセリフをかき消すぐらいの奇声を発しながら、マッハを思わせる程の猛スピードでカウンターを乗り越え、ドアを慌てて閉めた。

 

「無料(タダ)です! 無料(タダ)にします!! ……ってか、無料(タダ)にさせて下さい!!!」

 

 土下座して頼み込む男主人は「交渉成立だな」と言って、ムギガタナはニヤッと笑った。

 

 カウンターに戻った男主人に刀を改めて渡し、「もし、これで盗んだら、捻り潰してやる」とムギガタナが脅しかける頃には、男主人は泣きそうな面(ツラ)をしていた。

 

「……つぅか、テメェな」

 

 加えて、鍛冶屋の主人を見ながら、記憶喪失の男は言った。

 

「どうせ、嘘を付くなら、"アイツ"のような、もっと上手で面白い、楽しい嘘をつきやがれ」

 

 フンッ、と叱るように言ったムギガタナの台詞に、全員の時間が制止した。ジョリーとシルクと男主人が言った。

 

「"アイツ"って、誰だ?」

「そりゃあ、"アイツ"ってのは……、あ、れ?」

 

 途中まで、すらすらと答えそうだったムギガタナの言葉が途切れた。次の瞬間、頭の中の硝子(ガラス)をぶち破られるような衝撃と痛みが、ムギガタナを襲った。

 

「クソッ……、頭がいてぇ……」

 

 そうぼやいたかと思うと、ムギガタナはその場に座り込んでしまった。急なことに、初めて見た男主人も、二度目の医者と少女も、その場にいた全員が慌てた。

 

「おいっ、ムギガタナ!」

 

 ジョリーの声にも、男は頭を抱えたまま、反応しない。

 

「ねぇっ、大丈夫?」

 

 そう言って近付くシルクを見て、ジョリーは何故か、(あ、デジャヴ)と思った。愛する女性(レディー)から差し伸べられた手、それを女好きの男が掴まない訳がない。

 

「Ma mademoiselle(マ マドモアゼル/仏訳:私のレディー)、もっちろんでさぁ~♪」

 

 そう言ってあげた顔は、例のメロリン状態の顔で。シルクは、フッと笑うと、迷うこと無く、記憶喪失の男を蹴り飛ばしてやった。

 

「ほげっ!!」

 

 そんな間抜けな声を出しながら、ムギガタナは壁に激突していった。

 

「馬鹿は死んでも治らないわね」

 

 そう呟くシルクを見て、今朝行われた光景とほぼ変わらねぇなぁ、とジョリーは呑気に感じていた。

 

「馬鹿だな」

 

 一部始終を見た男主人が言った言葉に「お前もな」と、医者が小さく囁いた。騙そうとしたことを暗にジョリーに指摘されて、男主人は口惜しく思った。

 

(元はと言えば、ジョリーのせいだ。)

 

 鞘から引き抜いて、刀を黙々と調査をしつつ、男主人は思った。この医者が"和道一文字"だとバラしてしまったから、無料(タダ)で鍛冶をする羽目になってしまったのだ、と。

 

「でも、医者が刀の鑑定をしたおかげで詐欺されずに済んだし、たまには、アンタの変な趣味も役には立つのね」

「"変な"とはなんだ。"変な"とは」

「"青汁"でも、ものの役には立つんだな」

「おれがいなかったら、騙されていたのに、なんだ、その言い方は。……ってか、"青汁"はやめろ」

「……あれ? ムギガタナ、もう復活したの?」

「シルクちゃんへの愛のチカラで復活しました♪」

「あ、そう」

 

 "愛"のチカラとやらで猛スピードで蘇ったムギガタナを交(まじ)え、少女、医者、患者(クランケ)で、三者三様に話す光景を見ながら、男主人は医者に仕返しを考え(残念ながら、本人は逆ギレとは気付いてない)、そして、思い付いた。

 

「そーいや、お前さんたち、刀についての知識はあるのかい?」

 

 預けられた刀をチャキンと鞘に納めながら、急に男主人が尋ねてきた。

 

「あ゙あ゙?」

「ひっ!?」

 

 ギロリと睨み付けるムギガタナにビビりながらも、男主人は誰かが話題の乗ってくるのを待った。

 

「刀の知識? ん~、ないわね。それがどうかしたの?」

 

 よっしゃ! シルクが乗ってきた、と店主は心の中でガッツポーズをする。

 

「一度目は躱(かわ)せても、また騙されたりしたら大変だからな、少しぐらいは教えてやろうと思ってな」

「たった今、騙そうとしていた奴が何を……」

「刀には全部で五種類あるんだ」

 

 呆れたムギガタナが口を挟む前に、男主人は説明をし始めた。

 

「下のレベルからあげていくと、まずは普通の刀。次に"業物(わざもの)"、その"業物"の上が世界に五十本しかない"良業物"」

 

 一つ一つ指折りで男は説明していく。

 

「更にその上が世界に二十一本しかない"大業物"。コイツがお前さんの刀の種類だ。一本、一千万ベリーはくだらねぇ」

 

 男主人の四本目の指が曲がる。ムギガタナは無意識の内に拳を強く握り締めていた。

 

「最高なのが"最上大業物"と言われ、世界に十二本しかない代物(しろもの)だ」

 

 五本目の指を曲げ、男主人は一通り説明すると、「ところが、だ」と本題に入り始めた。

 

「本当はもう一つ、刀には種類があるんだよ。」

「もう一種類?」

 

 シルクとムギガタナが同時に尋ねる。このときになると、シルクだけではなく、ムギガタナまでもが興味を引かれていた。だが、ジョリーだけが糸のようにピンと張り詰めた空気を周りに纏っている。そんな医者の様子を横目で確認しながら、男主人は話を続けた。

 

「その名も"裏業物"」

「裏……業物?」

 

 その言葉を繰り返すムギガタナの横では、ジョリーが苦虫を噛み潰したような表情をしている。心の内でニタリと笑いながら、外では何もないようにして、男主人は説明を続けた。

 

「別名を"準業物"。普通の刀よりか性能は良いが、"業物"よりかは性能の劣る刀の通称だ。しかし、時たま、"業物"、"良業物"、いや、"大業物"を超える程の刀までもが"裏業物"とされていることもある。しかも、売っても、買っても、値段は二束三文、タダ同然の値段だ」

「そんな良い刀が、どうして……?」

 

 シルクの疑問に、男主人は答えた。

 

「変な"いわく"があるからさ」

「変な"いわく"って……、妖刀とか?」

 

 そんなシルクの回答に「まさか。妖刀として名高い"鬼徹"シリーズですら、"業物"、"大業物"、"最上大業物"に名前を連(つら)ねているというのに?」と言って男主人は否定した。

 

「じゃあ、どんな"いわく"なんだよ?」

 

 機嫌をやや損ねながらも尋ねるムギガタナの隣りでは、更に機嫌を損ねている男性がいた。

 

(イイ気味だ)

 

 そう思いながら、男主人はムギガタナに答えた。

 

「持ち主の沽券(こけん/意味:プライド)に関わる"いわく"さ」

 

 紳士ぶりながらも、心内は黒い男主人が分かりやすい説明をし始めた。

 

「チキン野郎(意味:臆病者)が持っていたとか、底無しに弱い奴が持っていたとか、変態野郎が打ったとか……、"裏業物"には刀を持つ奴にとっては、そんな風な、とんでもない"いわく"があるのさ。だから、誰も買おうともしない。二束三文の安い刀な訳なんだよ」

「それだけの理由で?」

 

 理解出来ないわ、とシルクがぼやくと、「甘いな、シルク」と男主人は言った。

 

「剣士ってなは、プライドで構成された生き物だ。自分のプライドを傷付けるような刀を持つ訳がないのさ。……そうだろ、ジョリー?」

 

 男主人の呼び掛けに、シルクとムギガタナは医者を見た。当の本人はいうと、眉間に皺を寄せたまま、黙り込んでいただけだった。

 

「……って、"剣士"じゃなくて、"医者"であるお前さんに分かる訳ないか」

 

 その台詞に、シルクとムギガタナは男主人に視線を戻した。

 

「そういえば、そういう"いわく"付きではあるが、"裏業物"の中でも名刀の部類に入るものがあったな」

 

 男主人は微かにニッと笑った。

 

「確か、その刀の名は"な――」

「おい、刀のチェックは終わったのかよ」

 

 男主人の説明に被(かぶ)さるように発言したのは、医者のジョリーだった。

 

「なんだ、いきなり話の腰を折る真似をしよって」

「おれの問いに先に答えろ。それに、こんな話を続けてたら、お前がいつまでも鍛冶を始めねぇだろ」

 

 腕組みをして、ジョリーが冷たく言い放つ。彼の眼光もまた、それに相応(ふさわ)しいものだった。

 

「だからと言って、」

「とっととしねぇと、お前が犯した詐欺未遂、街の人に話しちまうぞ」

 

 医者の脅しに、うっ! と男主人は返答に困ると「客が少(すく)ねぇからな、二時間もありゃ終わる」とブツブツと愚痴るように答えた。

 

「……という訳だ。二時間もこんな辛気臭いところで待ってられねぇから、シルク、終わるまでの間、ムギガタナに観光案内しとけ」

「う、うん」

 

 ジョリーのテキパキとした指示に、シルクが戸惑ったように返答したが、「じゃあ、シッルクちゃん! あんなクソ医者、放って置いて、二人っきりで参りましょう♪」と行く気満々のムギガタナに手を取られ、外へ出てしまっていた。

 

「ムギガタナ。ちなみに、おれも後からついていくからな」

「クソ医者、テメェはそこで一人で寝腐れて待っていやがれっ! ……それじゃあ、行っきましょ~、シッルクちゅわん♪」

 

 ジョリー(男)の言葉を聞く耳なしのムギガタナが吐いた暴言と共に鍛冶屋の扉は閉められ、男主人と医者の二人っきりになった。

 

「"裏業物"の説明をしたのは、おれへの"当て付け"のつもりか?」

 

 ジョリーが静かに怒りを湛えながら、尋ね掛けた。男主人はそれに、復讐は完了したと言わんばかりに、ニヤリと笑っただけだった。

 

「なぁ、ジョリーよぉ」

 

 脈絡もなく、男主人は喋りかけた。

 

「お前さん、売るつもりはないかい?」

「ハッ! "裏業物"は売れねぇって言ったのは、お前だぜ?」

 

 馬鹿言ってんじゃねぇよ、とジョリーが両腕を肩の高さまであげ、"やれやれ"のポーズを取った。

 

「確かにプライドで構成された"剣士"相手には売れねぇな」

 

男主人の言い方に、ジョリーの眉がひくりと動いた。

 

「世界には"裏業物"を集めているコレクターがいるんだよ。そいつらは高く買ってくれるそうだ。それに、ジョリー。お前さんは"剣士"を辞めたんだから、もう使うことはないだろ? だからよぉ、お前さんの刀を――」

「やだね」

 

 ぴしゃりとジョリーは断った。

 

「確かにおれは陸に上がった。もう、海の戦闘員じゃねぇ。けどな、剣士は死ぬまで"剣士"だ」

 

 サッと片手で眼鏡を外すと、漢(オトコ)は言った。

 

「"裏業物"だろうが何だろうが、その剣士が"魂"そのものである己の刀を手放す訳ないだろ」

 

 そう言うジョリーの瞳は"剣士"の持つ"兵(つわもの)の魂(こころ)"が宿っていた。

 

「あとな、"剣士"がプライドで構成されてんじゃねぇ。"漢(オトコ)"そのものがプライドで構成されてんだよ」

 

 緑色の四角いフレームの伊達眼鏡(だてめがね)を掛け直すと、ジョリーは男主人に背を向けた。それに合わせて、彼のポリシーである白衣の裾が翻(ひるがえ)る。

 

「……つぅか、テメェ。一体、何年、おれの刀を狙ってんだよ?」

「お前さんがこの島に来てからだから、ざっと八年だな」

「バーカ、真面目に答えてんじゃねぇよ」

 

 顔だけをそちらに向けながら、ジョリーはケラケラと笑った。

 

「次に来るときはおれの刀を持って来る。また鍛冶してくれ」

 

 騙さずにな、と付け加え、ジョリーはもう一度、笑った。

 

「言っとくが、儂はしつこいぞ」

 

 男主人の言葉を背中で聞きながら、ジョリーは振り返りもせずに、「知ってる」とだけ答え、ドアノブを捻った。

 

「けどな、あの刀は"あの人"から貰ったものだ。誰かに譲る訳(わき)ゃねぇだろ」

 

 その言葉だけを残し、扉が閉まった。一人残された主人は「お前さんなら、そう言うと思ったよ」と負け惜しみのように独りごちたのだった。

 

 

 

「いやぁ~、シルクちゃんとデートだなんて、おれは幸せ者だな♪」

 

 風が吹いたのか、ムギガタナの被らない麦わら帽子が静かにはためく。その隣りをシルクは黙り込んで歩いていた。

 

(この子の持つ刀が一千万ベリーねぇ)

 

 女好きが持つ刀にしては高級品すぎるわね、と信じられない気持ちでシルクは考えていた。

 

 最初に推理した通り、刀は価値のあるものだった。彼は、ムギガタナはそれすらも忘れていたというのに、刀が奪われる、と知った瞬間、人が変わったように急変した。確かに刀は価値があるものだったが、それが肩を震わすまでの怒りを呼ぶものだろうか?

 

(もしかして、思い出の品とか?)

 

 そんなこんなで考えて込んでいるシルクを余所(よそ)に、ムギガタナの話は止まらない。

 

「うっつくしいレディーと一緒にいられるおれは、至上最高のラッキー野郎だぜ♪ ……にしても、シルクちゃんとおれの恋路を邪魔する、あのクソ医者がいねぇとホント清々する」

「だ~れがクソ医者だって?」

「そりゃあ、言うまでもなく……って、テメェ、いつの間に!!??」

「あら、医者。遅かったわね」

 

 いつの間にか背後に回られていた医者に、二者相応の対応をする。

 

「ちっ。"青汁"は"青汁"らしく、そのまま、"蒸発"してくれれば良かったのによ」

「……ってか、消えるのはお前の方が先だろ。この馬鹿ムギ、馬鹿ゴメ、馬鹿タマゴ野郎が」

 

目線を合わさることなく始まった口喧嘩に、シルクは大きく溜め息を吐いた。

 

(そういえば、)

 

 二人に拳骨(ゲンコツ)を落としながら、シルクはふと思った。

 

(ムギガタナの言う"アイツ"とか、"あの方"というのは、一体、"どちら様"なのかしら?)

 

 頭を押さえ呻(うめ)く男二人を無視し、少女は再び考え込むのだった。

 

 

 

つづく



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