It's not a joke to cry! (急須)
しおりを挟む

Devils

独特の草の匂い、緩やかなそよ風と暖かな日差し。

遠くには少しおとなしい双子の兄を囃し立て、外で遊ぼうと玄関に手をかける双子の弟の声。

くすくすと笑う母は夕方までに帰るよう大きな声をかけ、正反対の双子が返事をする。

 

どこまでも緩やかな時間の狭間に不自然に煌めくような瞳を閉じる。

嗚呼、なんて幸せな時間なのだろう。

 

Hi how’s it going.(やあ、調子はどうだい)

I feel horrible.(最低な気分だよ)

 

心の奥底にある欲望を駆り立てるような悪魔の何気ないささやきに眉目を寄せる。

人間に化けた軟派野郎が漸く腰を落ち着けたと思ったら、小憎たらしいことに随分幸せな生活を送っていた。

あの熾烈な戦いが嘘のように穏やかな顔をするこの浮かれポンチに一発蹴りを入れてやりたい気分だ。

 

「そんなに怒ることはないだろう。古い仲じゃないか」

「エヴァに君の女性遍歴を暴露してやってもいいんだぜ」

「やめてください死んでしまいます」

 

軽く青ざめた最強の悪魔に溜飲を下げ、今日呼び出された理由である閻魔刀を見る。

随分手荒に扱ったようで、刃こぼれがひどい。

折れてもなお呼応する魔力があれば復活する魔剣をこうまで壊せるのはある意味才能だ。

この刀に選ばれさえすれば次元を意のままに操れる文字通り悪魔のような武器なのに。

 

「魔剣しか作らない悪魔のウェポンスミスなんて君しか知らないんだ。頼むよ」

「ほー?アミュレットの装飾だの、双子の木刀だの、君のモノクルだの頼んでおきながら俺をウェポンスミスと呼ぶ気があるのかい?」

「いやー君は手先が器用だしセンスも高いからきっと美しく作ってくれるじゃないかなってさ」

 

青空を切り取ってきたかのような瞳を泳がせ、必死に言葉を探している。

本当にそう思っているのだろうけれど俺の機嫌を損ねないように言葉を探しているのがよく分かる。

ナンパポエムを発しないだけ幾分かマシだ。

だがこの顔がムカつくので告げ口してやろう。

 

「おーい!エヴァー!君の旦那の話なんだけ、むぐっ」

「なんでもないよー!エヴァー!」

 

魔帝ムンドゥスとも渡り合ったその右手を素早く俺の口に当て、全てを言い切る前に言葉を削がれる。

遠くで不思議そうな顔をするエヴァに満面の笑みを浮かべ、何事もなかったかのように俺を押し倒す。

精巧に作られた陶器のような滑らかで美しい顔をずいっと近づけてきた彼の頬は少し引きつっている。

 

「君ってやつは…」

「"名前なんてない。まだ生まれて二日めだもの"」

「君と出会ったあの日から何年経ったと思っているんだい」

「冗談だ。スパーダ。君と出会ったあの日も君に教わった色んなことも忘れたりなんかしないさ」

「シード…」

「だから君が誑かした悪魔や人間についてもしっかり覚えている」

「シード!!」

 

その羨望故にあらゆる悪魔に恨まれ、人間には正義の心を持った悪魔と讃えられるスパーダとは何千年という長い付き合いだ。

魔界と人間界が分かたれる遥か昔、自我もなかった俺を拾ったスパーダは悪魔のことも人間のことも教えてくれた。

seed()の名を俺に与え、今や彼に頼られるほどの武器職人となっている。

 

俺が内に秘めた魔力はあまりにも特殊だった。

なんせ次元そのものを操れる驚異的な魔力だ。

狭間に生きるものとして人間界でも魔界でもない場所で生まれ出でる希少種を手に入れようと躍起になる悪魔は多い。

 

身を守る為にも自ら戦えなければならず、魔帝ムンドゥスにも度々ちょっかいをかけられるほど面倒くさい俺を拾い上げて、人間界に攫っていったスパーダは正直アホだと思う。

魔界と人間界を分かつ為に必要だったのも確かだ。

俺が魔界に残っては道を絶った意味がないのも事実である。

しかし俺は例え道がなかろうと自分でこじ開けられる魔力の持ち主だ。

わざわざ手を引っ張ってでも連れてくる意味があったのか。

 

しかも連れてきたのに放置して自分は島の統治したり綺麗なお姉さんとイチャコラしたりして。

たまに次元の綻びから出てきた悪魔に追われたり。

人間界を一人楽しく満喫して、用事があるときだけ一方的に呼び出してくる。

閻魔刀で勝手に俺の次元に侵入してきた時は流石にその首跳ねてやろうかと思った。

 

「スパーダなんかよりあの双子の方が可愛らしい。一人欲しいぐらいだ」

「君、今バージルの方を欲しいと思っただろう」

「彼の方が気は合いそうだからね。ダンテの方は君に心底似そうだ。子供だから愛らしいけれど」

「遠回しに私を貶すのやめてくれないかい?」

「ほぼ人間のような悪魔を今更恐れる気になれなくてね」

 

不満げに上から退いたスパーダに軽く笑いながらまた空を見上げる。

自分達が悪魔だと忘れてしまうほど人間界は平和そのものだ。

悪魔を嗅ぎ分ける鼻の良さを持って生まれたスパーダの一族はこうして人里から少し離れていた方が過ごしやすいのだろう。

この一家だけが有するこの地は空気が澄んでいて気分がいい。

 

「息子達はあげないよ」

「いらないよ。他人から幸せを巻き上げたくなるほど純正な悪魔に育ってはいないさ」

「言葉に矛盾を感じるな」

 

いい年した悪魔が二人して寝転がっていると、頭上に小さな足音が二人分やってくる。

本を小脇に抱えた兄と大きなバスケットを抱えた弟がやってきたようだ。

髪を下ろした弟が父に満面の笑みで駆け寄り、スパーダは起き上がって彼を抱き上げる。

髪を上げた兄はゆっくりとこちらにやってきて俺を覗き込んできた。

 

「こんにちは。シードおじさん」

「はい、こんにちは。バージル。挨拶できて偉いな」

「こんちには!シードのおじさん!」

「はいはい。ダンテも挨拶できて偉いな」

 

座って俺に挨拶をしてくれたバージルの頭を撫でていると、少し頬を赤らめて嬉しそうに本を抱える。

実に可愛らしい子供だ。

スパーダにバスケットを渡したダンテは羨ましそうに寝転がる俺の腹の上に飛び込んで挨拶をしてくる。

彼の頭も撫でてやりながら、上体を起こした。

 

嬉しそうなダンテが途切れ途切れにバスケットの中身を説明してくれた。

昼食の後に彼らの家を訪れた俺への気遣いのサンドウィッチと子供達へのおやつがバスケット一杯に詰め込まれていた。

どうせならエヴァも来ればいいのに、と家に目線を向けると、バージルが飲み物を準備してくれていると補足を入れてくれた。

なるほど、先に食べ物だけ子供達に持って行かせたのか。

 

「ダンテが走り出すから、母さんがすごく笑ってた」

「だってこのストロベリーアイス、食べていいんだぜ!」

 

キラキラと大きな青い瞳を輝かせる少年の手にはピンク色のストロベリーアイスがある。

バスケットの中にバニラアイスもあるようでそちらはバージルがとっていった。

甘いものが大好きな双子を横目に、ありがたくサンドウィッチを頬張る。

 

「父さんの分もあるぜ。ほら、チョコアイス!」

「本当だ。ありがとう、ダンテ」

 

双子が現れてすっかりだらしない顔になった友人に寒い目線を送りながらも口を動かす。

本当に自分達は悪魔だっただろうか、と心底頭を抱えたくなった。

悪魔の矜持的にこのままでいいのだろうか。

人間の血肉を貪っていた口で人の作った食べ物を食べるのはなんとも不思議な感覚だ。

 

「シードおじさん、あとどのぐらいこの街にいるんだ」

「今回は泊まらない予定。二日に一回ぐらいは様子を見に来るけどな」

「どうせなら住んじゃえばいいのに」

 

家主が言うことではないような適当なことを真に受けた双子がアイスを持った冷たい手で俺にまとわりつく。

双子が生まれてからかなりの頻度でスパーダから頼みごとをされるものだから、何度か泊まり込みになってしまったことがあるのだ。

双子はすっかり泊まると思っている。

残念なことに今回は量が多い。

次元の狭間にある俺の空間に籠ることになりそうだ。

 

「父さんの言う通りだ。シードおじさんがいればバージルも俺とたくさん外で遊んでくれる!」

 

少ししょんぼりしたバージルに苦笑いしていると、ダンテが寂しそうにそんなことを言った。

それじゃあまるで俺がおまけみたいな言い方じゃないか。

俺はバージルと遊ぶための材料か。

 

「シードおじさんがいればダンテが俺とたくさん本を読んでくれる」

「うっ…本なんて何が面白いんだよぉ…」

 

バージル、お前もか。

二人ともなんだかんだ言って外で遊ぶ時は遊ぶし、読み聞かせる時はしっかり聞いているくせにお互いそんなことを言う。

双子はやりたいことも好きなことも違うけれど、もともと一つだったからこそ、側にいたくて嫌われたくなくて楽しいことを共有したくて堪らないのだろう。

お互いの主張のぶつかり合いで喧嘩してはエヴァに怒られているこの子達のいじらしさと言ったらない。

悪魔にはない感情を半魔の彼らが有している様に生命の神秘を感じる。

 

「なるほど、バージルはその本を読んで欲しいんだな」

「うん。これ、知らない単語ばっかりで全然わからないんだ。英語のはずなんだけど」

「俺が父さんの部屋から見つけてきたんだぜ。なんか変な文多いよな。叫んでるみたいな感じで。こわーい本かも!」

「ほー…どれ、タイトルをみせ…」

 

バージルから受け取った本のタイトルを見て思わず固まった。

小首を傾げる双子の様子を見るにタイトルについてもよく分かっていないようである。

いや、もしかしたら思っているような内容ではないかもしれない。

そう思って一応中身も見てみたが、予想通りの内容で、思い切り本を閉じた。

 

「ah…バージル、ダンテ。このご本はショッキングな内容だから、他の本にしようか」

「ショッキング?やっぱり怖い本だった?」

「おじさんでも読めないほど?」

「yeah. おじさんがお母さんに怒られる」

 

だから他の本を持ってきておいで。

好きなだけ読んだあげよう。

エヴァも呼んでおいで。

家族四人でピクニックをしながら読み聞かせだ。

終わったらみんなで鬼ごっこでもしようか。

 

双子に囁くと食べ終えたアイスのカップを置いて、嬉しそうに家へと走っていった。

素直ないい子達で本当に良かった。

 

呑気にチョコレートアイスを食べるスパーダは首を傾げなら俺が手に持っている本を見る。

おそらく彼が随分昔に買った本を本棚の隅にでも放置しておいて、そのまま忘れてしまったのだろう。

呆れながら持っていた本の角で勢いよくその頭を殴った。

 

「イタッ!なんで殴るんだい!?」

「子供の教育に悪いもんを本棚に置くな。どう読んでもこれはエロ本だ」

「そんなもの置いてたっけ?」

「ちゃんと整理しとけ!!」

 

所謂、官能小説とやらの類を子供達が見つけてきてしまったのである。

そりゃあ読めない単語だらけのはずだ。

わざわざ避けて教えているのだから知るはずもない。

すっかりアホになったこの男、全くだめだ。

早くなんとかしないと。

 

「これはエヴァに渡すからな」

「えぇ!?」

 

俺から本を奪おうとするスパーダの手をすり抜け、次元の狭間に本を落とす。

後でこっそりエヴァに渡しておこう。

閻魔刀がないため、自分で取りに行くこともできないスパーダが恨めしそうにみてくる。

ザマア見ろ、と軽く鼻で笑ってやるとその美しい顔を綻ばせ、緩やかに笑った。

なんだよ、気持ち悪い。

 

「シード、感情表現が豊かになったな」

「あんたと一緒に居れば嫌でもそうなる」

「君も私の息子みたいなものなんだよ」

「友人の方が関係性が近いだろうが」

 

後ろからエヴァと双子の楽しそうな声が聞こえる。

幸せの代名詞のような家族に囲まれてスパーダは今、幸せだろう。

いつかこの平穏が崩れると知っていても。

 

「おじさーん!いっぱい選んできたぜー!」

「待てダンテ、走るな!母さんが転ぶ!」

「あら!私が一番乗りしちゃうんだから」

「あ!ズルい!」

「母さん待って!」

 

バタバタと騒がしい背後に苦笑いして振り向く。

後ろからそっとスパーダが小さな声で呟いた。

 

「シードも、幸せかい」

「さぁな。種に幸せなんかあるのか俺には分からん」

 

泣き虫なあんたにはこのぐらい穏やかな方が良いのかもしれない。

感情を人のように持つことを教えてくれた最強の魔剣士は大事なものを失ってはよく泣いていたから。

 

「君にだって幸せはあるよ。だってすごく泣く子だったし」

「はぁ?何言ってんだ!It's not a joke to cry!(泣くなんて冗談じゃない!)

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Children

次元の狭間。

何処にでもあり、何処でもないこの狭間は俺だけの領域。

この場所では俺こそがルールであり、絶対である。

この空間に工房を構えているのは単に拡張が簡単だから、という理由もあるが、それ以上に縁がある者しかこの空間に立ち入れないことが大きな理由である。

 

世界に一つしかない俺力作の閻魔刀で無数にあるブラフの空間を避けてここに接続するか、スパーダのように縁だけを頼りに閻魔刀でぶった切るしかない。

閻魔刀がなければ訪れることすら不可能であるここは非常に落ち着いて作業ができるのだ。

もちろんここに閉じこもっていればムンドゥスにもアビゲイルにも、ましてやアルゴサクスでさえもこの領域には踏み込むことができない。

何か特別な理由でもなければ、という注釈がつくが。

 

しかし残念なことに俺は何処かに閉じこもることが出来ない質である。

当てもなくふらふらと次元から次元へと飛び去っていくのが元々の種族性だった。

スパーダによって自我を与えられ、力の制御を覚えたとしてもそこは変わらない。

時折外に出て何かに触れないと心穏やかにはいられないのである。

 

スパーダ一家によくお邪魔するのはあそこがこの空間に次ぐ安全領域だからだ。

人間界でまず間違いなく安心できると言えるのはあそこしかない。

 

ここまで長々と語っておいて本題が見えないだろう。

つまり何が言いたいのかというと。

 

「シードおじさん!」

「今日は外で遊ぼうぜ!」

Calm down children.(落ち着け子供達)お外は逃げたりしないよ」

 

今日も今日とてスパーダ家にお邪魔している、と言いたかったのである。

依頼の品であるアミュレットと閻魔刀のメンテナンス、流れでリベリオンまで見てしまったために工房に一週間ほど篭っていた。

途中でモノクルを投げつけにこの家を訪れたが、その時は双子が本を読んでくれと騒がしくて大変だった。

 

本日はお外で遊びたい気分のようで、閻魔刀とリベリオンをギターケースに入れて持ってきた俺を捕まえてグイグイと腕を引っ張ってくる。

更にスパーダとエヴァは夕方まで買い物に行ってくると、その間に双子の面倒を見るように頼まれた。

俺はベビーシッターじゃないんだが。

双子が可愛くなかったら絶対引き受けない。

 

「かくれんぼしようぜ」

「じゃんけんで鬼を決めよう」

Ok, I won't go easy on you.(いいぜ、手加減しないからな)

「「「Rock, Scissors, Paper, One Two Three!」」」

 

ダンテ、バージル、俺の順番にチョキ、グー、グー。

可哀想なことにダンテの一人負けである。

ちょっとしょんぼりしてしまったダンテをバージルと二人で慰めながら気を取り直してかくれんぼのルールを決める。

エヴァとスパーダの言いつけで遠くに行けない二人のために少し先の林の中で行うことになった。

 

「五十数えたら探しに行くからなー!」

 

駆け出したバージルに続いて林の中を悠々と歩く。

子供相手に本気になるなど大人気ないことはできない。

上を見ればなんとなく見える程度にちょうどいい高さの木に登り、枝の上で昼寝を決め込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「バージルみっけ!」

 

木のうろの中に隠れた片割れに満面の笑みを浮かべる。

同じように笑顔で俺の手を取って大木の中から出てきたバージルはキョロキョロと周りを見た。

 

「シードおじさんは?」

「まだ見つけられてないんだ。一緒に探そうぜ」

 

天高く上っていた太陽が少しだけ傾き始めた時間にようやくバージルの気配を探れた。

父さんに教わった魔力の感じ方もまだ不慣れで、いつもそばにあるバージルしか見つけられなかったのだ。

特徴的な魔力を持つシードおじさんも確かにこの林から魔力を感じるけれど、場所の特定までには至らない。

こういう細かいことはバージルの方が得意だ。

 

「どうだ、バージル。分かるか」

「高いところにいるみたいだ」

「木の上?」

「うん。スタートした場所のすぐ近く」

「うわっ!あの辺は全然探してなかった!」

 

通りで見つからないわけだ。

二人で手を繋いでシードおじさんの気配がある場所まで歩く。

注意深く上を向きながら歩くと足元がおろそかになって、その度にバージルに手を引かれた。

頼もしいお兄ちゃんだ。

 

「この木だと思う」

「んー…おじさんの白髪、見えないな」

「おじさんに言ったら銀髪だって怒るよ」

「おまけにお前達も同じだろーって頭撫でてくれるぜ」

 

本人は銀髪だって言い張ってるけど、赤と青のメッシュのせいで白髪に見えてしまう。

カラフルな色合いをしてるくせに地毛らしい。

染めてない、と豪語していた。

俺達も小さい頃は黒髪が多かったけど父さんと同じ銀髪が増えてそのうち全部銀髪になりそうだ。

 

シードおじさんは父さんの友人で強くて優しい悪魔だって。

たまにうちに来てごはんを食べたり泊まったりしていく。

いつも俺たちと一緒に遊んでくれて、時折父さんと真剣な話をしてる時もある。

今は俺達の訓練に使う木刀を、この間はモノクルを届けてくれた。

本人曰く武器職人らしい。

いつか俺達にも本物の武器を作ってくれるって。

 

「シードおじさーん!」

「もうおやつのじかんだ」

「マジかよ!シードおじさん!おやつ食べたいから降りてきてくれよー!」

 

呼びかけても返事がない。

見上げても木漏れ日がさす木々ばかりで、シードおじさんの姿が見えないままだ。

バージルの言う通り、確かに木の上から魔力がするのにどうしてだろう。

このままでは母さんが作ってくれたおやつのクッキーが食べられなくなる。

夕飯を食べる一時間前までに食べないと没収されてしまうんだ。

 

困ってしまって立ちすくんでいると、繋いでいた手をバージルが離した。

器用に枝から枝へと登り、上から何か黒いケースを落としてきた。

思わず離れてしまったが、ハードケースはドコッ!と重苦しい音を立てて地面に落ちた。

さっきまでシードおじさんが持っていた謎のケースだ。

 

「魔力の気配はこれのせいみたいだ。父さんの魔力も感じる」

「本当だ。変な感じだ」

 

一体何が入っているのだろう。

降りてきたバージルと一緒にケース手にを伸ばした瞬間。

 

「Boo!」

「「うわぁ!?」」

 

目の前に逆さまになったシードおじさんの顔がアップで映し出された。

驚いた俺たちを見て嬉しそうにしているのを見るに、驚かせるために待機していたのだろう。

ストンッと軽く降りてきたおじさんがご機嫌に黒いケースを担ぐと、俺達の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。

 

「おやつの時間が来たんじゃあ仕方ないな。一度お家に帰ろう」

「かくれんぼは驚かせるゲームじゃないのに…」

「素直に出てきても面白くないだろう。バージルは魔力感知の精度、ダンテは頑張って位置特定まで出来るようにならないといけないようだし」

 

俺達がシードおじさんを魔力で探っていたのはお見通しだったみたいだ。

でもよくできました!

これでもかと言うほど褒められて家への道を促される。

ダメなところはダメだと言いながらも良いところは余すことなく褒めてくれるシードおじさんは大好きだ。

湧いてくるやる気というものが違う。

母さんや父さんとの勉強の時間も好きだけど、シードおじさんのちょっとした雑学や復習の時間も楽しい。

 

「よし、家まで走って競争といくか!お先に失礼!」

「あっ!ズルい!」

「バージルもおじさんも早いって!」

 

あんなに重そうなケースを背負ってなんであんなに早く走れるんだよ!

 

 

 

 

 

 

「ただいまー…ってなんだ。お昼寝かい?」

「あらあら。シードに遊んでもらえて良かったわね」

「お帰り。スパーダ、エヴァ。子供達は夢の中さ」

 

スパーダ家のソファの上。

俺の膝を片方ずつを枕に二人がすっかり眠ってしまった夕方。

見つけてきたブランケットを二人にかけてやりながら本を読んで家主の帰りを待っていた。

おやつを食べて先程まで本を読み聞かせていたのだが、途中でダンテが寝落ちてしまった。

バージルと一緒に笑いながらブランケットをかけ、起こさないように静かにエヴァに教わった子守唄を歌うと今度はバージルが寝落ちた。

 

すっかり立ち上がれなくなってしまい、ベッドに連れて行こうにも身動きしたら彼らが起きてしまう。

致し方なく二人が風邪を引かないように暖かくしてから読書で暇を潰していた。

その辺にあった小説はおそらくスパーダのものだろうがなかなかに退屈しのぎにはなった。

 

「スパーダ、子供達をベッドに運んでやってくれ」

「そのままでもいいじゃないか」

「暖かくしているとはいえ寝冷えして風邪を引いてしまうかもしれないだろう」

「悪魔の子が風邪を引くって当たり前に思うのは君ぐらいだよ」

「半分は人間の子だし、ここは人間界なんでね」

 

お前は父親なんだからしっかり心配しろ。

側にあった頭を叩いてやると、笑って二人を抱え上げた。

父の気配になんとなく安心したのか抱えられても二人はふにゃふにゃ笑うだけで起きる気配はない。

こんなに愛らしい生き物が悪魔なわけあるか。

 

「ありがとう、シード。子供達を見ていてくれて」

「デートは楽しかったかい?」

「ええ。とっても。でも母親だからついつい子供達の事考えてしまうわ」

「そういうものなのかい?」

「そういうものなの!」

 

夕飯の支度を始めたエヴァが買ってきたものをいくつか出していく。

中にはスパーダがエヴァにプレゼントと称して買ったのだろうささやかなものもあるが、子供達のためであろうケーキやお菓子、本などもある。

今日の夕飯もなかなか豪勢になりそうだ。

 

「夫婦で子供達の事を考えるのが、楽しいってことなのか」

「私達の大切な宝物だもの」

 

俺が知っている中で誰よりも美しい女性だと思えるほどエヴァは綺麗に笑った。

子供のことを考える母親とは実に美しく強いものなのだろうか。

母や父がいない悪魔の俺にはよく分からないものだ。

人間自体奥が深すぎて底が見えない。

それこそが人間の強さであり、悠久の時を生きる連中とは違う、刹那の輝きだ。

 

「なんだか楽しそうだね」

「子供達にちゃんと布団をかけてやったか」

「もちろんだよ」

「じゃあ元々の要件だ。そのケースにあんたの相棒達がいる」

 

ハードケースを指差すと、すぐさまスパーダが開けて中身を確認した。

傷や汚れのない刀身が露わになる。

綺麗に修繕されたリベリオンに満足し、ついで閻魔刀を軽く振るった。

 

「今回は随分時間がかかったなぁ」

「ケチつけるなら金ふんだくるぞ」

「これ以上取る気なのかい!?」

「これでも割引してる。リベリオンと閻魔刀がどれだけ複雑なものか…」

 

格安料金に子守代もつけてやろうか?と脅すとスパーダは苦笑いだ。

昔稼いだ金で生活している身としては余計な出費をしたくないのだろう。

分かっていて俺もかなり安く金額を提示している。

材料費にさえ手が届かないレベルは最早赤字どころではない。

スパーダへの恩があるからこそ善意で行なっているのだ。

全く悪魔らしくない行動である。

 

「リベリオンは兎も角、閻魔刀の制作者は君じゃないか」

「因みにこの腕は昨日生えてきたばかりでな?」

「あー…そんなにひどかったのかい?」

「俺の肉体を削って補強しなければならないほどにな」

 

閻魔刀は特に規格外の魔力を込めて俺の質そのものを詰め込んでいる。

俺の肉体と言い換えてもいいぐらいだ。

故に修繕のために形だけでなく魔力のために血を閻魔刀に吸わせたりして治すのである。

少しの傷なら血で十分なのだが、今回はそうもいかなかった。

種族的に肉体の破損はすぐに修正されるから良いものを、我ながらとんでもない武器を作ってしまった。

 

「子供達にはまだ触れさせるなよ。呼応するやもしれんが、リベリオンも閻魔刀は気まぐれだ」

「えー、すぐにあげようと思ったのに」

「ちゃんと振れるようになってからにしろ。リベリオンも閻魔刀も泣いちまう」

 

どうせそうするだろうと思って木刀はリベリオンの形をしたものと閻魔刀の形をしたものの二種類を渡してある。

二人とも好きに選んだ結果が出ている分、どちらがどちらに行くかはわかりきったようなものだけれど。

武器が主人を選び、呼応するかどうかは持つまでわからない。

 

一応返事はしたけれど、そわそわしているスパーダをみてとてつもなく心配になった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Studio

Stop twins!(止まれ!双子!)

No way! Hey! tagger, I'm here!(嫌だね!鬼さんこちら!)

In the sound of clapping.(手の鳴る方へ)

 

あの双子は…!

バラバラと未加工の金属片が散らばる工房を、持ち前の脚力で駆け抜ける。

弟の方は楽しくてやっているのだろうが兄の方は弟の戯れに付き合ってやってる感が半端じゃない。

そこまで乗り気じゃないならいっそやらないでくれ!

そして俺に迷惑をかけないでくれ…!

 

It looks fun.(楽しそうだね)

It's all your fault!!(お前のおかげでな!!)

 

軽く走って追いついてきたスパーダがニコニコ笑って走り去る双子を見る。

そもそもこんなことになったのはこいつが閻魔刀であの双子を工房に招き入れるからだ!

子供は好奇心旺盛だからこんな人間界で言うファンタジー満載の場所は都合のいい遊び場にしかならない。

危ないものはしまってあるし目新しいであろうものは沢山あるが、ここはテーマパークじゃないんだ。

 

ドタバタ走る双子は外のない真っ暗な窓にまず驚き、二階への階段を駆け上がる。

上は書斎と寝室、完成品などしかないが数多くの蔵書に珍しくバージルの嬉しそうな声が上がった。

 

この家のような形をした空間は窓こそあるが玄関など外に出るような場所はない。

浮いているかのように安定感のない空間に一般的な家があれば子供達は大はしゃぎだ。

 

「シードおじさん!シードおじさん!」

Yeah, yeah.(はいはい)好きなだけ読んでいい。辞書は辞書で本棚がある。見てわかるかい?」

「分かる!ありがとうシードおじさん!」

「シードおじさん!すげぇ!armoury! armoury! (武器庫!武器庫だ!)全部おじさんが作ったのか!?」

Of course.(もちろん)どれも悪魔が宿った魔具さ」

 

使い手がいない完成品達もあれば、使用者が亡くなり巡り巡って戻ってきたやつもある。

人間に扱えないような酷いものや、誰でも扱える殺傷武器まで選り取り見取りだ。

二人とも食いつくところは違ったが、楽しそうにはしゃいでいるところを見るとなぜ止めようと思ったのかわからなくなってくる。

 

「ほら、テーマパークじゃないか」

「あんたは反省しろ」

 

後ろからひょっこり現れたスパーダのムカつく顔面を叩き、眺めて回るダンテを見る。

ダンテやバージルが大人になったらこの中から好きなものを一つあげるつもりだ。

彼らの喜ぶ顔が眼に浮かぶ。

 

俺が武器庫から動かないと見るや、スパーダはバージルのいる書斎に行ってしまった。

ひとりでいると危ないほど本をうず高く積み上げられた場所ではないが、手の届かないところに沢山重い本がある。

大人が一人いた方が安心だろう。

俺も届かないようなところにもある本はそれ専用に作った魔具で取っているのだが、確かスパーダにも取り方を教えた覚えがあるし、一緒にいてくれた方が良いだろう。

これだけの魔具をどう扱うかハッキリ分かっているのは俺だけだし、あの書斎のものは殆どスパーダから譲り受けたもので随分詳しかった。

適材適所というものだ。

 

「持ってみても良い?」

「どれが持ちたい」

「リベリオンと閻魔刀!」

「ああ。レプリカか。いいぞ。本物よりかなり軽いがな」

 

特に大きなケースに飾ってある二つのレプリカを出してやると、嬉しそうに持った。

スパーダから本物を一つずつ試しに持たされた時はがっくり膝をついていたけれどなんとか振り上げていた覚えがある。

しかしレプリカは材質が全く違う見た目だけのもので、スカスカだ。

両方を同時に渡しても大きさに負けるだけで普通に受け取った。

 

閻魔刀は俺が作った時に、リベリオンはスパーダが手に入れてから比較的間もない頃に作ったものだ。

色合いや姿形をしっかり記憶しないと修繕時に困る。

細かな装飾やちょっとした厚さの違いで振り回す時に違和感が生まれるものだ。

 

「なんでいっぱい空きケースが用意されてるの?」

「一番頑丈なケースが本物用、あとのケースは材質やデザインを変更した時にまたレプリカを作る。その時に使うケースだ」

「閻魔刀とリベリオンだけ?」

「その二振りは長い付き合いだからな。人間界、魔界合わせてとんでもない数の命が居るが、完璧に直せるのは俺だけだ」

「すっげー!」

 

閻魔刀は特に持ち手である(かしら)から(はばき)、鞘を修繕する時、必ずデザインが少しずつ変わる。

サイズや長さは変えられないが、大幅に直す必要があるときは使っている材料自体をより強固なものに変えなければならないのだ。

 

なんせあのスパーダ、振り回すことだけは得意で一応手入れも欠かさないのだが戦い方がかなり大仰だ。

普通に鞘で殴るし刀身ぶん投げるしで壁を削る勢いでぶっ刺したりもする。

切れないのに鞘で兜割を成してしまった時はなんであの鞘切れるんだろうと作った自分でさえ首を傾げた。

もしかして刀身に合わせて刃でも仕込んだ?と、全く記憶にない工程を捏造しかけた。

もちろんそんなことはなかったけど。

 

リベリオンに関しては俺が手を加えることはほとんどない。

元々製作者じゃないし、こんなにも美しい芸術品に手を加えるのは作者を侮辱する行為に他ならないのである。

故にデザインを変更する予定はないが、一応ケースだけは置いてある。

 

「こんなに武器があるのに、シードおじさんは戦わないよなぁ」

「別に振り回せないわけじゃないが…俺にはちょっと心が足りない」

「心?」

「"人を愛する心""誰かを大切に思う気持ち"ってヤツさ」

 

ケースに入らず、壁に立てかけてあるものや銃の類も沢山保管されている。

どれも扱うに十分な魔力もある。

次元を切り裂く規格外な質のおかげでスパーダとはまた違った強さが俺にはあると自負している。

だが、俺には愛する心がまだわからない。

大切に思えるのに、どうしてもまだそれ以上近寄る一歩が踏み出せない。

心を持たずに生まれたからなのだろうか。

 

「スパーダの強さは心にある。あいつの信念と愛する気持ちってのは眩しいほどに綺麗だ。武器がその迷いのなさに、その心の重さに惹かれて嬉しそうに踊ってる姿が俺は大好きだ」

「強いだけじゃダメなの?」

「力だけじゃダメなんだ。愛するからこそ踏み出せる一歩がある。踏み込める勇気がある。応えてくれる何かがある。最初言われた時は俺も意味がわからなかった」

 

武器に感情なんてない。

ただ振るえば振るっただけ驚異と力になって自らの敵を襲う。

しかしそれではただの暴力だ。

暴力はなんの解決にもならず、なんの言い訳にもならない。

力は振るう意味も分からないままでは、迷いが生じる。

ただ襲うだけなら悪魔だけで十分だ。

人間が出る幕でもやることでもない。

 

逆に心だけを持っていれば、いつか自分が守りたいものを得た時に後悔するだろう。

もっと力があれば。

もっと強さがあれば。

もっと、もっと。

そうやって力に溺れていく。

心を失っていく人間が悪魔になる。

 

「二つを持って漸く、力の意味を知る。そして意味を知った時人間は悪魔を超える力を持つんだ」

「俺もそうなれる?」

「なれるさ。なんせいい手本がいる」

 

俺は武器が好きだ。

殺傷与奪を握る美しき暴力。

持つものによって姿を変える気まぐれな形。

しかし、持つべきものが持った時にそれらは美しく輝く。

どこまでも尊くどこまでも真っ直ぐに暴力とは違う何かを生み出す。

 

心を、愛を知らない俺は武器をあまり使わない。

スパーダを見ていると自分にはないものが山のように見えてきて、劣等感に苛まれそうになる。

こんなにも好きな武器を俺は輝かせてあげられない。

だからせめて、その刹那の時を万全な状態で居られるように、武器職人になった。

形はなんだっていい。

銃だって構いやしない。

 

あの時、スパーダが切り開いてくれた俺という存在はその輝きに助けられたから。

スパーダに手を差し伸べられた時の光景は目に焼き付いている。

確かにあの時、俺は初めて純粋な自分の気持ちを持った。

"すごい"なんて単純な感情だが、俺にとってはあり得ないような、天変地異でも起きたかのような心地だったのだ。

 

「さて、そろそろ外はお昼時だ。母さんが家で待ってるんじゃないか」

「えー!帰らなきゃならねぇの!?」

「じゃあ母さんのご飯、いらないんだな」

「いる!腹減った!」

「よし、バージルとスパーダを迎えにいくぞ」

 

武器庫をでて向かいの書斎に入ろうとすると、ちょうど二人が出てくるところだった。

スパーダのことだからすっかり忘れているんじゃないかと思ったが、しっかり時間は見ていたようだ。

ダンテがすぐにバージルにべったりくっついて腹が減った!と騒ぐ。

双子のくせに年の離れた兄と弟の図だ。

 

バージルは鬱陶しい、とダンテに言いながらも跳ね除けたりはしない。

なにやら大事そうに何冊かの本を持っている。

書斎にあった本だ。

ジト目でスパーダを見てもそっと顔をそらされた。

彼の手にも何冊か握られている。

 

「俺、本を持ってっていい、なんて言ってねぇんだけど」

「ごめんなさい…」

「バージルはいいんだ。好きなだけ貸そう。知識を得ることは子供にとって重要なことだ。なんなら何冊かあげたっていいぐらいさ。問題は君だ、スパーダ」

 

元々、バージルが好きそうな物を見繕うつもりで用意していた本もある。

ダンテだって望むならいくらでも持って行ってやるつもりだ。

知識とはあればあるだけ有利になる一種のステータスだ。

 

子供のすることを止めるのは、知的好奇心を満たそうとする子供に不満を溜め込ませる。

なんでもやらせていいわけではないが、手に持っている本は人間界で買った歴史書だ。

いちいち目くじらをたてるほど酷いものじゃない。

だがスパーダ、テメェはゆるさねぇ。

 

「いや、君がまさかこういう類の物を大事に持っているとは思わなくて。つい気になって手に取ってしまった」

「語弊がある言い方をするんじゃない。もう使わないからかなり奥にしまい込んだはずだ。君、意図的に探しただろう」

 

スパーダが手に持っているのは俺の日記である。

自我を保つために書くように言われて始めた日記はいつしか習慣となり、数百冊にも及ぶ大長編だ。

埋まってしまった日記は全て本棚の奥にまとめてある。

よくもまあ見つけたものである。

 

「人の日記を見るのは最低の行いだってママに教わらなかったのか?」

「一緒にいなかった時の話とかすごい気になるじゃないか」

「だからって堂々と掻っ払う馬鹿がいるか!」

「私がいる!」

「開き直るな!」

 

これは没収です!

スパーダが持っていた古い日記を取り上げ、エヴァが待つスパーダ家の庭へ次元の狭間を切り開く。

開いた次元にそのまま尻を蹴り上げて放り込んでやった。

ダンテとバージルは転移とは違う狭間に興味津々だったが、もうそろそろエヴァに怒られるぞ、と脅すと直ぐに向こう側に飛び込んだ。

 

「ご飯、食べていかないのかい?」

「少し作りたいものがあるから遠慮するよ。あと君は本当に色々と反省しろ」

「エヴァに叱られてくるよ。じゃあまたね」

「ばいばい、シードおじさん」

「また遊ぼう!」

See you.(またな)

 

閉じていく次元の向こう側に手を振り、どっと溢れてきた疲れに肩を回す。

双子の相手だけでも体力が必要なのにでかい子供も付いてくると労力が倍以上になる。

手に持った日記を片付けるべく書斎に戻ると、一応綺麗に戻されていた。

順番はどうでもいいし、奥にある日記の中に放り込もうと日記がある棚の前に行くと何気ない違和感を覚える。

 

ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー…あれ?

 

「何冊か欠番がある…」

 

一応年代ごとに分けていた日記が何年か分欠けている。

今手に持っているものを戻してもかなりの部分が空白のままだ。

この状況で考えられることは一つしかない。

 

あの魔剣士!

俺に返したのはブラフか!!

 

「スパーダ!!」

 

先ほど閉じたばかりの次元を今度はアイツの頭上に直接開いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Birthday

ささやかで素敵な夜。

大きな苺が乗ったホールケーキを囲む少し豪華な夕食。

今日はダンテとバージルの誕生日。

スパーダ家では身内だけを集めた誕生日パーティーが開かれていた。

 

俺もお声がけをいただいて、あらかじめ作っておいた誕生日プレゼントを片手にスパーダ家にお邪魔していた。

嬉しそうに切り分けられたケーキを食べる二人に、ケーキに乗った苺をあげる。

綻ぶように笑う子供達は幸せの象徴だ。

 

Happy birthday!(お誕生日おめでとう!)

 

エヴァがラッピグされた小包を二人に渡し、直ぐに開けるように促す。

中には銀色と金色で作られたペンダントが入っていた。

もともと一つだったアミュレットを二つに割り、大人になってもつけられるように俺が加工した。

嬉しそうにお互い首に掛け合う二人に、次はスパーダがプレゼントを渡す。

 

「バージルには閻魔刀、ダンテにはリベリオンをあげよう」

「いいの!?」

「ありがとう、父さん!」

 

ジロリ、と呆れたような目線を向けてもスパーダはどこ吹く風である。

あれだけ子供達にはまだ早いといったのにこのザマだ。

この家の住人でもなし、ましてや持ち主でもない故に口うるさく言うぐらいしか出来ることはないが、渡してしまったものは仕方ない。

子供達の誕生日に怒りたくはない。

スパーダは、何か考えがあるようだし。

 

軽くため息をついて、手に持っていた小包を開ける。

今にもリベリオンと閻魔刀を振り回しそうな子供達を押さえ込んで目を瞑るようにいうと、二人の耳にそれぞれ魔力を込めてイヤーカフをつけた。

バージルには青い石、ダンテには赤い石のついたものだ。

無論、俺が作ったものである。

 

「なんだ、これ」

「ダンテ、多分イヤーカフっていうアクセサリーだ」

「バージル惜しい。たしかにイヤーカフはアクセサリーだが俺が作るものは殆ど魔具だってことを忘れちゃいけないぜ」

「じゃあこれも?」

No wonder!(もちろんさ!)

 

この魔具は相当気を使った逸品である。

まずこの魔具は制作者である俺、持ち主になるダンテとバージル以外にスパーダとエヴァの魔力を覚えさせた。

悪魔と半魔は全く問題なかったのだが、問題は人間であるエヴァの魔力がほぼない事だ。

四苦八苦してなんとか魔力に類する血を覚えさせた。

この五人以外が使用する場合、本当にただのアクセサリーになる。

 

さらにつけ心地を重視し材質は軽く、錆びや汚れがつかない魔界の鉱石を使用した。

人間にはステンレスにしか見えないだろう。

肌が白い双子への配慮された色合いも兼ねて主張し過ぎないものにしている。

更に完全なる独断と偏見だが、それぞれのイメージに合わせた石の使用。

デザインに手を抜くこともできず、魔具の核となる魔力を注ぎ込む為のカットにどれだけの労力を費やしたか。

 

「さらにこの魔具のデザインはな…」

Stop!(待った!) 子供達が飽きてるよ」

Oops, sorry.(おっと、ごめんよ) それよりも使い方の説明だな」

 

げんなりした顔をしている二人の手を取り、予め用意してきた姿見の前に立たせた。

不自然に置いてあった姿見の意味に二人も気がついたらしい。

 

「鏡に向かって"seed"と指でなぞるんだ。やってごらん」

 

二人とも顔を合わせ、ダンテがバージルの手を握る。

握られた手を見て、バージルはおずおずと鏡に言われた通りスペルをなぞる。

指でなぞったところで形にすら残らない筈が、ふわりと跡が浮かび上がり、鏡の向こう側に先日見た俺の工房が浮かび上がった。

 

「すげー!」

「これ、向こう側に行ける!」

「Ta-daa! これでいつでも遊びにこられるぜ」

 

自分が通れる鏡であればどんなものでもかまわない。

手鏡だと通り抜ける機能がなくなり、向こう側の映像と声が届くようになっている。

 

「リベリオンも閻魔刀も格安で修理してやる。家族共々ご贔屓にってな」

「ありがとう、シードおじさん」

「いっぱい遊びに行く!」

「懐中時計も二人にプレゼントだ。鏡が付いているから何かあった時に連絡してくるといい」

 

アミュレットの鎖とは逆に、ダンテには金色、バージルには銀色の懐中時計を手渡した。

嬉しそうにはしゃぎ回る双子を横目に、スパーダからジトっとした視線を受ける。

ああ、言わなくてもわかるぞMy friend(クソ面倒クセェ友人)よ。

どうせ自分の分が欲しいとかそう言うのだろう。

 

お生憎様。

スパーダの分は作っていない。

今回は誕生日という子供達にとってのビッグイベントのために変わり種で報酬もなしに仕事をしただけだ。

本来なら大金積まれたって作るのを渋るだろう。

俺は武器職人であってデザイナーでも細工師でもない。

 

「改めて、Happy birthday.」

 

そっくりな二人の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

誕生日パーティーの翌日。

工房の炉の前で、緩く首をかしげる。

 

「あの時の俺は何を思って打ってたんだっけなぁ…」

 

先ほど叩き上げたばかりの刀身をそっと台の上に置いた。

何度作り直しても、最高傑作たる閻魔刀を超えられない。

チャレンジしては自信無くし、落ち込んではまたチャレンジ。

失敗作のコレは鈍ではないにしろ、一撃の重さも魔力の混ざり具合も違う。

洗練されたあの刀にあと数歩届かない。

 

「ダメだ。振るうには弱すぎる」

「君はちょっと高望みが過ぎるね。どんなに美しく作り上げても君の理想に届かなかったら捨ててしまう」

「職人ってのはそういうものさ。…あと、人の家に上がる時は連絡をよこせ」

「君の家、電話もないし玄関もないじゃないか」

「だからって息子にあげたはずの閻魔刀もって侵入してくるな!」

 

叱っても全く反省する気のないスパーダに呆れながら、刀身を素手で砕く。

パラパラと砂になって落ちていく刀身に、思わず溜息が出た。

そもそも俺が握っただけで砕けるような物は武器にすらならない。

使えない武器など重いだけの荷物だ。

 

最近、思うように武器が作れない。

武器職人としてかなり深刻な悩みである。

素材も設計も何一つ変なところもない。

完璧に俺の思考を図面化し、俺の思うままに腕を動かしているのに。

何度やっても出来上がるのは使えもしない武器だけだ。

 

「はぁ…惨めだ…」

「君の武器はどれも一級品なんだけどね。君が納得しないと完成品にすらならないからなぁ」

「最近誰かさんのせいで武器以外の依頼も増えたがな」

 

工房から離れ、完成品がいくつか並ぶ棚に足を向ける。

手遊びで始めたアクセサリーやちょっとした彫り物がいくつか並んでいる。

そのうちの一つだけ、プレゼント用に綺麗にラッピングされたものがある。

それを手に取り、スパーダに渡した。

 

「これを取りに来たんだろ」

「急に依頼したのにもうできたの?」

「今度からは余裕を持って依頼してくれよ」

 

もう金槌を持つ気にもなれず、キッチンへ向かう。

後ろでスパーダがコーヒーの注文をしてくるが、無視して自分の分だけをいれた。

不法侵入者を客人扱いする馬鹿がいるか。

 

「人間は面倒だな。一年ごとに生まれた日にプレゼントを贈らなきゃならねぇ」

「本来は物じゃなくてもいいらしいけど、そこはほら、形に残った方が嬉しいじゃないか」

 

受け取った箱をコートの内ポケットにしまうスパーダは口元に優しい笑顔を浮かべている。

双子の誕生日の次はエヴァの誕生日がやってくる。

そのプレゼントを俺に作らせたのだ。

中身は武器でも魔具でもないただの髪飾りである。

 

「形に残す、ね…死んだら砂になって消える俺達にはその発想すら生まれないな」

「君は繰り返す(死ねない)じゃないか」

Seed()だからな。樹になって果実を実らせ、木の根から株分けのように種を分かつ」

「種のまま死んだら?」

「種から無理やり樹になって株分けが起きる」

 

俺の異常な再生能力の源は種族の根本にある。

何度だって同じ形で生まれ、継承していく。

 

I need more power.(もっと力が必要だ)そう願う悪魔に力を与えるために」

Give me more power.(もっと力をください)ぐらいで留めておいたらいいのに」

「願うのは"人間"のやることだ。必要とし、求め、代償を差し出し、何かを失う。そうまでして力を求める"悪魔"に俺は禁忌を与える生き物なのさ」

 

人間には与えない。

過ぎたる力は身を滅ぼし、いずれ形すら残さず忘れ去られていく。

形に残すのが人間の特権だというのにそれを放棄してまで一体何が欲しいというのか。

 

俺は一つ、たった一つ武器を作るだけでこんなにも苛まれ、ぐるぐると悩むのに人間はいとも簡単に沢山の形を作る。

その権利を放棄するなんて俺は許さない。

人間には与えない。

これは絶対だ。

 

「もしダンテやバージルがそう願ったら君はどうするんだい」

「今の時点だったら与えないだろうな。彼らはどう見ても人間だ。半魔(こども)は守ってやらないと」

「それ、二人が聞いたら顔を真っ赤にして怒るね」

「俺のところに来たってこう言うしかない。"Hay, Babys. It’s time to go to bed.(やあ、ベイビー達。おねんねする時間だぜ)"」

 

Get out!(帰りな!)

シッシッ!と厄介払いをするかのように手払うと、スパーダはくすくす笑う。

お前に向けてのセリフでもあるんですけど聞こえないフリですかそうですか。

このひん曲がり野郎、悠々と足組んでやがる。

 

「子供達が汚い言葉を覚えそうだ」

「悪魔に汚いも綺麗もあるかよ。てか君はいつまで居座るつもりだ」

「君がコーヒーを出してくれるまでかな」

「ここはカフェじゃないんだぜ」

「素敵なおもちゃがたくさんおいてあるティーハウスかな」

「俺の話聞いてた?耳が遠いのか?お医者さんでも紹介してやろうか。君の腐った耳なんて誰も治せないだろうけど」

「はっはっは」

 

にっこり笑顔のまま微動だにしないスパーダにヒクリと頬がひきつる。

出ていく気配が全くない。

結局俺が折れてコーヒーを出すまでスパーダは俺の後をついて回ってきた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Brother

I want to play gamble.(ギャンブルをしてみたい)

W-w-w-what happened to Virgil!?(ど、どど、どうしたんだいバージル!?)

 

俺の書斎にギャンブルについての本なんて誰が置いたんだ!

バージルが小脇に抱えている本のタイトルを目で追いながら心の中で頭を抱えた。

十中八九あのスパーダとかいう魔剣士の置き土産である。

 

Calm down. Uncle Seed.(落ち着いて、シードおじさん)

 

これが落ち着いていられるか!と言いたい気持ちを我慢してそっと飲み込む。

頭ごなしに叱るのは良くないことだ、シード。

バージルが急に反抗期だったり悪いことをしだしたりするはずがない。

きっとこれは好奇心の延長線だ。

ただやってみたいだけなんだ。

 

「父さんと母さんにも言ったら、きっとシードおじさんなら詳しく知ってるよ、って」

 

エヴァならまだしもスパーダの奴は結構人間のカジノに出入りしてただろうが!

不都合なことを教えなきゃならない時に俺のところに寄越すのはやめろ!

親だと自負するなら自分達で教えてやれ!

 

「バージル…ギャンブルってそもそもなんだか知ってるか?」

「カードゲームとかスロットマシーンとか大人の事情で色々調整された施設で娯楽と称して金銭を搾取するための場所」

「認識があまりにも敵意に溢れてるのはなんでなんだ…」

「…ダンテが最近、何かと賭けを要求してくるんだ」

 

あー、それでギャンブルについて調べていたのか。

そういえばスパーダの奴がダンテにコイントスを教えていたな。

表か裏かを互いに言い合い、当てた方の意見が通るだけの簡単なものだ。

別に遵守する必要はないが、勝負は勝負。

双子で何かと競い合っているし、真面目なバージルは負ければ大抵いうことを聞いてくれるだろう。

 

「いっつも負けちゃうんだ」

 

ダロウナー。

スパーダがダンテに教えたのはイカサマコイントスである。

人間なら簡単に騙せる。

そもそもダンテにコインを投げさせなければいい話なのだが、きっと嫌がるだろう。

ここは敢えて投げさせた上で勝てる方法を教えたほうがいい。

 

「俺がダンテと同じ方法でコイントスをしてみよう。ヒントとしては魔力だな」

「魔力?」

「そう。表か裏、どっちが魔力が多いかで出目が決まる。そら」

 

キンッと高い音を立てて爪で弾かれたコインが宙を舞う。

早い回転で回るコインを必死に目で追い、バージルが何か気づいたようにあっ!と声を出した。

コインを手元が見えないほど素早くキャッチし、バージルに問う。

 

「表?裏?」

「表!」

Bingo!(当たり!)仕掛けはわかったか?」

「うん。裏の方に魔力が付いてた。魔力を引き寄せてキャッチしてるんだ」

 

仕掛けはいたってシンプル。

少量の魔力を片面につけ、キャッチするときに魔力を吸い寄せる。

魔力が付いた面が結果的に下になり、魔力が付いていない方が当たりとなる。

悪魔も半魔もできるしょうもない魔力の使い方である。

 

「賭けをする理由としては、ダンテの場合、Jackpot!って言いたいだけかもしれないけど」

「下品な台詞」

「映画の主人公がそうやってキメてたのに惚れたんだと。ダンテ曰く"イカす!"ってさ」

「品性の欠片も無い」

「なーんでそんな辛辣なのかなぁ…」

 

ギャンブル関係に相当の恨みでもあるの?

いや、恨みはダンテのせいで出来たのだろうけど。

魔力や剣術に関しては人一倍努力をし、スパーダのようになりたいといつも言うこの子はダンテのように遊びで魔力を使わない。

悪魔に対して自らの考え方を持っている気がする。

 

「双子の弟がいるから貰った本に名前を書くようないい子だったのに…ダンテと上手くいってないのか」

「今でもちゃんと書いてるし、別にダンテが嫌いなんじゃない。たとえ元々一つだったとしても外に出て仕舞えば別の存在なんだって気がついただけ」

「一卵性双生児と雖も別の存在だからな」

「うん。だから考えが多少違うのは仕方ない」

 

しかし根本は同じで、全てが全て違うとも言い切れない。

バージルは複雑な表情でそう言った。

 

「ダンテのことは好きだ。守らなきゃいけない大切な弟だ」

 

数秒先に生まれただけだとしてもバージルはしっかりダンテの兄をしている。

我慢なんてしなくてもいいのに、なるべく両親に甘えられる立場を譲っている。

その分俺の工房に来て、本を読んだり閻魔刀の使い方を聞きに来たり。

少しだけではあるが、魔力による遠距離攻撃も覚えた。

 

俺ばかりに聞きに来るものだからスパーダが拳をブンブン振って工房に乗り込んできたこともある。

お前ばっかりバージルと遊べてズルい!なんて八つ当たりをされた。

うるせぇよお前が構いたいなら待ってないで自分から構いにいけよ。

バージルはバージルでなんか拗ねてるんだよ。

 

「でもなぁ、最近ダンテを避けてるだろ。明らかに工房にいる時間が長い」

「…母さんには言ってある」

「それ、父さんとダンテには何も言わずに朝イチから夕方までここに来てますって白状してるのと同じだからな?」

「だって…」

 

バージルは口を尖らせてそっぽを向いた。

ああこれ完全に何か喧嘩でもして拗ねてる。

しかもこれスパーダが余計なこと言ったから父親にもちょっと怒っている。

日常会話はあるのだろうが、長時間顔を合わせたくないと言った雰囲気だ。

 

「ダンテのやつ、我が儘なんだ。俺が本読んでるとすぐ拗ねるし、構ってやらないと喚くし、くっついてないと泣きそうになってる」

「えぇ…ダンテってそんな子だったか…?」

「今まで一緒のベッドで寝てたんだけど、この間の誕生日を境に別々のベッドで寝てる。その時からずっとなんだ」

 

単純に今まで一緒にいた存在が夜になるといなくなるから不安になってるだけじゃないか。

しかしだから夜一緒に寝てしまっては、分けた意味がない。

うーん、と頭をひねっていると話はさらに進む。

 

「父さんはお兄ちゃんだから少し我慢してあげなさいって…」

 

はい。スパーダ、アウト。

完全に構ってもらえないのは自爆です。

子供は自分達の欲望に忠実でその要望が通らなければ泣いたり暴れたりする生き物だ。

もちろん聞き分けのいい子はいるが、そういう子は腹に溜める。

そのままいつか足元から崩れる。

 

恐らくエヴァのサポートが入っているだろう。

だから俺のところに来るだけで今は落ち着いていられるのだ。

そのうち一人で泣き始めたりするぞ。

兄弟間でも我慢ばかりさせると、ウチに来て帰りたくないとか言い始めるぞ。

その時は俺がバージルを貰っていくからな。

 

「そうか。ここではなんの我慢もしなくていいからな。声にさえ出してくれればなんだって叶えてやる。危ないことはダメだけどな」

「ありがとう、シードおじさん」

 

バージルの頭を撫でて、席を立つ。

冷蔵庫の中のジュースは好きに飲んでいいと伝え、外に出ることにした。

ダメ父親スパーダに一発お見舞いしにいくのである。

俺を羨ましがる前に自分の発言を考え直せ!

 

 

 

 

 

 

 

 

スパーダ家に行くと、ぐすぐす泣くダンテとそれを慰めるスパーダの姿が庭の木の上で繰り広げられていた。

正確には木の上に登って泣くダンテをスパーダが木下から慰めている、という形なのだが。

こっちはこっちで面倒なことになっている。

 

「ダンテ、降りておいで。バージルはいつもちゃんと帰ってきてるだろう」

 

ダンテからの返事はない。

両親以上に自分の半身にべったりなこの子はバージルがすぐ手の届く範囲にいないだけで相当応えるのだろう。

すでに心が自立しているバージルとは違い、まだまだ甘えたい盛りらしい。

いや、バージルが異常に大人びているだけだとも言うが。

 

「スパーダ」

「シード、今忙しいから後で…」

「事情をなんとなく聞いたから見にきた。この状況は三割ぐらい君のせいだと言っておこう」

「えぇ!?」

 

本気で落ち込んだスパーダに軽く蹴りを入れる。

先に気がつけよ。

すると、木の上にいたダンテが少し顔をこちらに向けた。

 

「シードおじさんのところにいるんでしょう」

「なんだ。居場所はわかってるじゃないか」

「街に行った気配はないもん…」

 

ダンテも薄々、バージルにウザがられているのが分かっているのだろう。

追いかけることはせず、拗ねながら帰りを待っている。

兄弟というものはなんでこうも性格が違うものになるのか。

不思議なものだ。

 

スパーダを踏みつけ、木の上に飛び上がる。

ひとっ飛びにダンテのいる枝に足を掛けた俺に、青い瞳を見開いた。

子供達の前では人間と同程度の力しか出したことがなかったから、悪魔だとわかっていても驚いたようだ。

別に俺、弱いわけじゃないからね?

 

「なんでそんなにバージルと一緒に居たいんだ?」

「バージルが好きだから。一緒に居てすごく安心する」

「うん。バージルも多分ダンテのことをそう思ってるさ」

「じゃあなんで避けるの?」

「あの子は結構我慢するだろう。やりたいこと、言いたいこと、甘えたい気持ち。必ずことを始める前にまず君を見る。気が付いてたかな?」

 

ダンテは緩く首を振った。

苦笑いをしながらバージルがどれほどダンテのことを気にしているかを事細かに説明すると、彼は拗ねていた顔をこちらに向ける。

ほんの少し先に生まれただけのバージルがこんなにも弟を大事に思えるのはエヴァの教育の賜物だろうが、それ程までにダンテを優先している節がある。

 

必ず弟の顔を見てから自分の要望と彼の要望を兼ね合わせた中間案を提示する。

それでも弟が駄々をこねれば弟に譲る。

そういう風に今までしてきた。

 

しかし、行動範囲の拡大や知識の入手に伴い、ダンテありきでは欲が満たせないことに気がついた。

エヴァの言いつけ通り仲良くしたいのに、悉く邪魔をされる。

喧嘩をすると怒られるし、時間も削られる。

 

その状況で最善の行いは、家族全員に許され何者にも指図されず自由に欲を満たせる場所に逃げることであった。

都合のいいことに条件が揃ったのが俺の工房である。

正直、兄弟喧嘩に巻き込まないでほしい。

遊びに来ていいと言ってしまった手前、理由なく帰すのもかわいそうで、完全に自爆だったのだがそこには触れないでほしい。

 

「バージルは今、やりたいことをやっているんだ。ダンテだって好きなことたくさんしたいだろう」

「…それはわかるけど、一緒に遊んでくれてもいいじゃん」

「君のやり方に問題があるのさ。お淑やかに交渉を持ちかけたらバージルだって話を聞いてくれる」

「どうすればいいの?」

 

簡単なことさ。

ニタリと笑い、ダンテにコソコソ耳打ちをした。

 

Are you serious?(本気で言ってる?)

I'm always serious.(俺はいつでも本気だぜ)

 

引きつった顔の少年にあくどい笑みを浮かべる。

下でスパーダが聞き耳でも立てていたのかニコニコ笑顔で待ち構えていた。

 

That cracks me up!(超面白そうじゃん!)

 

君ならそういうと思ったよ。

 

 

 

 

 

 

 

夕方になり、工房から帰ろうとすると部屋の主から声をかけられる。

不思議そうに俺は振り返った。

 

「バージル、今日は"紳士的"にな」

「なんのこと?」

「イロイロとさ」

 

シードおじさんは帰ってから青い綺麗な布を使って何か洋服を作っている。

急にそんな作業を始めたから気になって聞いたところ"俺に洋裁の才があるとは流石に思わなかった"と意味不明なことを言っていた。

思い出し笑いなのかいきなり肩を揺らしたり、ドレスらしきデザインを描いたり様子が変で気持ち悪かった。

 

外に出た時何かあったのだろうか。

ものすごくシードおじさんが気になるが、そろそろ家に帰らなければ怒られてしまう。

この家に来る時に買った姿見と違うデザインのものが置かれた工房に入り、首を傾げながらも家に帰る次元の狭間に足を突っ込んだ。

 

出た先は子供部屋。

両端にベッドが置かれている小さな部屋に出て、借りてきた本を置こうと自分のベッドに目線を向けると思わず眉をしかめるものが視界に映った。

 

品のある真っ赤なドレスに身を包んだ小さな子供が俺のベッドに座っていた。

憂う様に夕日が差し込む窓を見る姿はどこかのご令嬢かのよう。

白い髪には控えめな髪飾りが付けられており、どこからどう見ても綺麗な少女である。

しかし、俺にはその子供の正体がはっきりわかった。

 

「…何してるんだ、ダンテ」

 

ビクリッ!と大袈裟なほど肩を跳ねさせたダンテが不安げにこちらを見る。

いつもの喧しさは鳴りを潜め、だんまりだ。

靴は流石にヒールではなく普通のブーツだが、大股に座るダンテがきっちり足を閉じているのはとてつもなく珍しい。

あの徹底主義(シードおじさん)のことだから下着に至るまで自作してダンテに着せているのだろう。

 

外に出ていた数時間の間にこれ程までの仕上がりでドレスを一着作ってみせる悪魔的所業に恐れ入るが、職人技を別のところに生かしてほしい。

いい笑顔で"今日のダンテはきっとおとなしい"と言うものだから疑いの眼差しを向けてしまったが、たしかに彼の言う通りであった。

ただ遊びたいがためにやったのだろうけど。

紳士的にとはこういうことだったか。

 

「嫌なら嫌だって言わないとシードおじさんは止めてくれないぞ」

「…だって、こうすればバージルが一緒に居てくれるって」

 

あの悪魔、何ナチュラルにダンテのことを騙しているんだ。

思わず大きなため息をつくと弟がしょぼしょぼ縮んでいく。

相当恥ずかしいのか顔が真っ赤だ。

 

「別にお前が喚かず騒がず、普通に頼んでくれば無下にしたりしないよ。そんな格好しなくても」

「うっ…ごめんなさい…」

「いつもそのぐらい素直で静かでいて」

 

目に大粒の涙を溜め込むダンテに肩をすくめる。

これ以上何か言うと本気で泣き出しそうだ。

仕方なく、弟の前に片手を差し出すと不安げな顔で手を見る。

 

「ご飯行かないと、母さんに怒られる」

「…うん」

 

少し嬉しそうに手を握り返してきた。

 

 

 

 

 

 

翌日、二人でシードおじさんの工房に行くと同じサイズの赤いドレスと青いドレスが数着並んでいた。

なんだこれ、昨日までこんなのなかったじゃないか。

満足げに両手に持った裁ちバサミを回す姿に背筋に氷のような冷たさが這う。

 

Good timing.(いいところに来た)

 

ニタリとあくどい笑みを浮かべるシードおじさんに顔が引きつった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Disappearance

Sparda disappeared?(スパーダが消えた?)

 

緩く頷くエヴァの瞳は何かの心当たりでもあるのか、さほど不安には揺れていない。

対する俺は幼い双子と妻のエヴァにべったりだったあのスパーダがいきなり失踪する珍事件に首を傾げざるを得なかった。

奴は一体何を考えているのだろうか。

魔界と人間界を分断したとはいえ、悪魔達は虎視眈々と人間界を狙っている。

 

スパーダに恨みを持つ、特にムンドゥスなんかは真っ先にここを狙ってくるだろう。

それなのに既に三日も開けていると言う。

俺が少し遠くまで鉱石を買い付けに行っている間に何をしているんだか。

 

「帰ってくる見込みはあるのかい」

「…多分、もう帰ってはこないでしょう」

 

エヴァは確信に満ちた声色だ。

"あの"スパーダが…。

今一つ納得できないことが多々あるが、エヴァの言葉にケチをつけるつもりはない。

悪魔とは本来残忍なもので、スパーダがかなりおかしい奴なのだ。

俺の想像より遥かに外れていても不思議ではない。

 

「これからどうするんだ」

「ここに居続けるわ。子供達にとっての帰る場所はここですもの」

「世界一安全な場所から世界一危険な場所に変わっちまったんだぜ?」

「どこに行っても同じことよ」

 

揺るぎない気持ちに立ち入る隙はない。

彼女がそう言うのなら、俺はもうこれ以上何も言えなかった。

死ぬんだろうな、と。

どこか諦めたような目でエヴァを見ることしかできなかった。

これだから悪魔ってやつは最低なんだ。

 

「一つだけ、お願いがあります」

「…分かってるよ。子供達の事だろう」

「ごめんなさい。本当は私が一人でなんとかしなければいけないのに」

「人間一人で全ての悪魔に立ち向かうなんざ無謀だ。それに、俺もなんだかんだ狙われる立場でね。君達と大して変わりはしない」

 

スパーダ家に飾られた大きな家族写真に目を向ける。

二千年以上も前から見てきた憎たらしい顔が突然会えなくなると思うと、締め付けられるような感覚が胸を刺す。

俺がどんな存在か知りながらも一緒に居てくれた君がいなくなったら、俺はどうやって心を学べばいいのさ。

 

もう二度と武器達の嬉しそうな顔が見られないのかい?

武器職人としての気力さえも失ってしまいそうだよ。

君が振るった時に溢れ出るあの高揚感が俺の唯一の楽しみだったのに。

本当に何考えてるんだよ。

 

エヴァがコップを持って静かに席を立った。

一番悲しんでいるだろう彼女を慰める言葉を俺は知らない。

今すぐ泣き崩れたいだろうに、恐怖に震慄たいだろうに、彼女は笑顔を浮かべる。

母親とはかくも強い生き物だ。

 

Uncle seed.(シードおじさん)

 

そっくりな二人が手を繋いで片手に閻魔刀とリベリオンを引きずっている。

今まで稽古の時にしか持たなかったそれを、しっかり抱えるように持ち歩いていた。

この子達は、もう分かっているのだ。

自分達の父親が帰ってこないことを。

 

You are a family.(シードおじさんも家族だ)

 

思わず色を宿さない白のような灰色の目を見開いた。

どちらともなく当たり前のように言われた言葉に歯を食いしばる。

なんだよ、なんで今俺にそんなこと言うんだよ。

 

It’s none of your business.(余計なお世話だ)

 

子供は大人しく守られていろよ。

 

 

 

 

 

 

騒がしい街の中心部。

食料の調達にマーケットの中へと進む俺の背には大きなギターケースがある。

 

「この街を帯刀して歩く日が来るとはなぁ」

 

まさかレッドグレイブ市の街中で堂々と刃物を持つわけにも行かず、ギターケースに入れて愛刀を背負っている。

愛刀の"Bloody Mary(ブラッディマリー)"は俺の恋人と言っても差し支えない。

閻魔刀の後に作った彼女は紅い綺麗な刀身と共に吸血によって魔力が増大する。

俺の悪魔としての捕食、吸血を補助する魔剣である。

一度敵を斬れば文字通り血濡れの彼女(Bloody Mary)だ。

 

スパーダのいない街で武器無しなど自殺行為だ。

子供達も最近は公園で遊ぶと言うから、軽い材質で作った専用のギターケースをあげた。

リベリオンと閻魔刀、それぞれのサイズに合わせて持ち易いようにしたが、あれは大人にならないと似合いそうにない。

 

そういえばここから双子お気に入りの公園が近かった。

もしかしたら二人が遊んでいるかもしれない。

歩いて来た道を少し進み、何度か曲がると広い公園に出た。

小さな子供達が楽しそうに遊ぶ広場の中心から少し外れて、目立つ銀髪の少年が一人だけいた。

トスンッと隣に腰を下ろすと、少年が顔を上げる。

 

「こんにちは、バージル」

「こんにちは。シードおじさん」

「今日は一人で読書かい?」

「ダンテは母さんとお勉強中」

 

先に終わって遊べるようになったから公園でダンテを待ってる。

そう言って俺の持っているギターケースに目線を送った。

自分の持っているものとデザインが似通っているのが気になるのだろう。

三つ全部アクセント以外は同じ形に作られているのだから似ていて当然だ。

 

「おじさんも持ち歩いてるの?」

「中身が見たいか?」

「気になる」

「ちょっとだけだぜ」

 

バージルだけに見えるようにそっと中身を見せると、軽く首をかしげる。

 

「これ、武器庫になかったヤツだ」

「可愛い恋人をあんなムサイ部屋に放り込む訳ないだろ。コイツは俺の寝室に居るのさ」

「あの書斎の奥にある狭い部屋」

「彼女と俺だけの愛の巣と言ってくれ」

 

言い回しがオヤジ臭いと言わんばかりの目線を無視して気障ったらしく彼女を仕舞う。

武器は皆平等に大切に扱うが、愛刀ばかりはさらに大事に扱うことになるものだ。

命を預ける大事な武器を雑には扱えない。

 

もちろん双子には閻魔刀とリベリオンのメンテナンスの仕方をちゃんと一から十まで厳しく指導した。

バージルはともかくダンテはめちゃくちゃに下手だったが、何度かやればそのうち出来るようになるだろう。

魔剣達は相当雑に扱わない限り突然折れたりはしない。

 

「さて、もう少し買い物して来ますかね」

「もう行くの?」

「目的地に近かったから寄っただけなんだ。また帰りも様子見にくるよ」

 

先ほど買ったばかりの林檎を一つ渡し、座っていたベンチから立ち上がる。

 

 

 

 

バージルに見送られて次の目的地へと足を進める道すがら、嫌な気配を感じた。

裏路地付近から感じる"同族"の気配に眉を寄せる。

 

なんでこんな真っ昼間から出て来てるんだ。

 

気配はとても弱い。

別に積極的に狩りたい訳でもなし、見て見ぬ振りを決め込もうと思った矢先に巨大な揺れが足元を襲う。

立っていられなくなるほどの激しい揺れと共に先ほど感じていた弱い気配がどんどん膨れ上がっていく。

異常な速度で街のあちこちから発生する気配の塊に嫌な思考が脳裏をよぎる。

 

揺れは緩やかに収まり始めたが、それと同時にあちこちからの爆発音。

人々の悲鳴が近くでも遠くでも聞こえてくる。

まるでこの時を待っていたのかと言うほど事態の進行が早い。

まさか街ごと襲撃してくるなんて。

これほどの悪魔を一気に人間界に送り込める奴なんて魔界には一人しかいない。

 

「バージル!」

 

来たはずの道を人の目など気にせず悪魔の脚力で駆け抜ける。

速度を誇る脚で一瞬にして公園まで戻ってこられたがそこには既にバージルの姿がなかった。

先程までいたはずの場所には食べかけの林檎と本だけが残されている。

 

ここからスパーダの家までは遠い。

足の速いバージルでも閻魔刀を持った状態ではろくに走れない。

更に悪魔にでも遭遇しようものなら…!

スパーダ家だって今は人間のエヴァと子供のダンテしか居ない!

急いでスパーダ家まで行かなければ最悪の事態になる!

 

道中でバージルを探しながらスパーダ家へと向かうために足を踏み込んだ刹那、一瞬の殺気に大きく飛び退く。

立っていた位置は隕石でも落ちたかのように抉れ、巨大な鎧が舞い降りる。

やはりアイツの仕業か!!

 

「邪魔をするなデカブツが!!」

「久しいな。裏切り者のシード」

「今テメェと遊んでる暇はない!人間でもなんでも食って失せろ!」

 

魔帝ムンドゥスの手下、巨大な鎧の悪魔であるトゥウリが目の前に立ちはだかる。

厄介なことにコイツはでかい割に動きが速い。

俺に追いつけるほどでもないが、今ここで周りを気にしながら戦うにはかなり分が悪い。

生きている人間のことなどどうでも良いが居着いた街には愛着がある。

 

「残念ながらムンドゥス様の命により貴様には捕まるしか選択肢がない」

「俺はムンドゥスの所には行かねぇ。アイツにはもう禁忌をやった。二つもおんなじ物をやる気はねぇ」

「忌々しいことに貴様には存在価値がある。一度捕まえ、従わぬなら殺すだけだ」

「俺が大人しく捕まらなかったら?」

「愚問だ」

 

殺すに決まっている。

 

引き抜いたマリーとトゥウリの獲物が凄まじい音を立てて衝突する。

どうせ死ぬのならここで逃げた方が良いに決まっているが、コイツはきっと俺を追いかけてくる。

そんな状態でバージルを抱えてスパーダ家まで走るなど自殺行為だ。

皆助けるのなら、厄介だがコイツを倒すしかない。

 

「魔界の門はどうやって開きやがった」

「答えると思うか」

 

俺よりも遥かに巨大な拳が降り注ぐ前に体を捻る。

魔界からの瘴気と人間界の空気が混じり合い、独特の異臭が鼻を犯す。

次元を裂くにも何処かで無理矢理歪められた所為でこの街全体が歪み、特定の場所には逃げ込めない。

 

「お前が今回の襲撃の中で一番でかい気配だ。ムンドゥスの野郎はこっちに来てない。完全復活には至ってねぇな」

「貴様がこちらに来ればムンドゥス様は完全となる」

「禁忌で魔力補充を考えていたのならお生憎様だ!もう品切れでお前らにやる分はないさ!」

 

俺がムンドゥスの復活に手を貸す筈もない。

次いで飛んでくる剣技を受け流し、空高く飛び上がる。

街は一瞬にして轟々と燃え上がる血の海と化し、生き残った人々の悲鳴ばかりがこだまする。

下級悪魔にさえ勝てない人間などいい餌だ。

 

上空でマリーを構え、刃先に一点集中。

硬い兜めがけ、その刃を振り下ろした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Leave

――燃え上がる我が家が青い瞳に映る。

きれた息と体の熱さに反して手に持った閻魔刀の冷たさが刺さる。

炎の向こうに優しかった母が血濡れになって倒れている姿に心が軋む音。

母と共に居た筈の双子の弟の姿はなく、誰かを探すように騒ぐ悪魔達が此方を見る。

弟の生存も絶望的だ。

 

アイツらが母さんとダンテを…!

 

手に持った閻魔刀を引き抜く。

今この場で仇を倒せるのは自分しかいない。

殺らなければ殺られる。

もう自分を守ってくれる優しい両親も側にいてくれる弟も、どこにもいないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Shit!!(クソが!!)

 

放送禁止用語で規制音まで入る暴言を吐きながら次から次へと迫り来る悪魔を切り捨てる。

早くあの丘の上まで行かなければならないのに、わざわざ開いた魔界の門をぶち壊した俺にお怒りの同族達がこぞって首を狙いに来る。

 

ムンドゥスによって創造された悪魔トゥウリを退けたは良いが、魔界の門があるとトゥウリクラスの悪魔が際限なく出てくるかも知れない。

一か八か開いている魔界の門たる石像を切り刻み、なんとか門を閉じられたは良いが人間界に来てしまった悪魔はどうにもならない。

 

だからと言って掃討するのも面倒臭いのに相手の方から勝手に向かってくる。

そのまま俺を無視すればお互い穏便に済むのに、下級悪魔(バカ共)ときたら!

本当にオツムが弱い!

 

もうこの街には生きている人間などいないだろう。

一部の人間は何処かに逃げおおせたようだが、殆どは悪魔によって殺され火にのまれた。

翌日のビッグニュースに放火事件とでも書かれていそうで嫌になる。

魔界のことなどすっかり忘れた連中が悪魔の仕業なんて記事に書くとも思えない。

 

「栄養価はともかくテメェらの血はクソマジィんだよ!食事にもなんねぇゴミ共が俺の前に立つんじゃねぇ!!」

 

焦りに焦っている上に馬鹿の一つ覚えでウジ虫のように湧き出てくる下衆共に苛立ちを隠しきれない。

スパーダと人間の血は同意がない限り吸わないと約束し、今まで守ってきた俺でも今回ばかりは欲望のままに吸い尽くしたい気分だ。

魔力も無く、他に栄養を摂取できない人間界では血を吸うことが一番の回復方法なのだ。

物理的に不可能な今の状況では本当は嫌だけれど仕方なく悪魔の血を砂になる前に吸い上げている。

 

これがあまりにも酷い味だ。

泥水のような安いコーヒーが美味く感じるほどに。

もっと言うのならば道端に生えている雑草の方が幾分かマシである。

しかし魔力が潤沢にある分栄養価は非常に高い。

回復力も格段に上昇している。

この味さえなんとか出来れば共喰いだけで生きていけるほどだ。

 

I’m pissed off!!(あー!イライラする!!)

 

どいつもこいつも俺の邪魔ばかり!

あーもういい!

もうこの街には人間の気配もない!

"本来の姿"になったって構わない筈だ!

しかし痕跡を残すと面倒くさい!

ほんの少し"根"を這わせるに留めておけば復興も楽だろう!

人間のことなんてどうでもいい!!

 

――He…lp…

 

悪魔の耳にか細い子供の声が聞こえた。

声の在り処に視線を向けると、子供が炎の中で息も絶え絶えに手を伸ばしている。

灰色の瞳が子供の青い瞳とかち合った。

今にも開放しようと思っていた魔力の渦が反射的に引っ込んでしまう。

 

「あーもー!人間なんかどうでもいいけど!!」

 

その色だけは駄目なんだよ!!

 

 

 

 

 

 

――私が戻らなかったら、一人で逃げるのよ。名前を変えて、強く生きるの。

 

母さんはそう言ってクローゼットの扉を閉めた。

外に行ってから戻らないバージルを探して家を出ていく。

けれど直ぐに母さんの悲鳴が聞こえ、もう駄目なんだと分かった。

 

外には悪魔がたくさんいる。

鼻につく腐った物の臭いが酷い。

父さんともシードおじさんとも違う酷い異臭がする。

手に持ったギターケースを握りしめ、火がつき始めた玄関を見る。

今なら裏口から逃げられるかもしれない。

母さんを、置いて。

 

いや駄目だ。

そんなことしたくない。

逃げたくても足が竦んで動かない。

こんな時に頼りになる片割れがいつも隣にいたのに、今はどこにもいない。

火の手の中でリベリオンを強く抱えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンタ!ここまで逃げてきたのか!生き残りか!?」

「あ、ああ!君もか?」

「この丘の上から誰か降りてこなかったか!」

「誰も降りてきていないが…」

 

風向きが街の方を向いているせいか、丘は静寂そのものだった。

しかし上のスパーダ家が見えるわけでもなし、油断もできず足踏みをする。

何人か逃げてきた人間の中でも怪我が少ない男に先ほど瓦礫から拾ってきた子供を無理やり抱かせる。

 

「先を急いでるんだ!この子供、アンタに預ける!」

「ちょ、ちょっと待て!この丘の上で家が燃えているんだ!今行ったって何にもなりはしないよ!」

 

男の言葉を全て聞く前に俺は走り出した。

エヴァとダンテは降りてきていない。

まだ家の中に居るかもしれない。

燃えていたとしてもすべて燃え切ったわけではないのならまだ助かる見込みがある!

助けなきゃならないんだ!

 

直ぐに見えてきた家は、半分ほど火の手が周った後だった。

玄関だった場所は血で濡れていて、奥に手のようなものと悪魔のものと思わしき布切れなどが散らばっていた。

燃えることなど気にせず瓦礫を吹き飛ばし、その手を引き上げる。

 

ギターケースを背負ったダンテが薄く呼吸をしていた。

 

「ダンテ!!」

「シー…ド、おじ…さん?」

「エヴァは、母さんは何処に!?」

 

息も絶え絶えのダンテに必死に魔力を送りながら再生を促し、意識を保たせる。

半魔の彼なら魔力さえあれば持ち前の回復力で傷がふさがる筈だ。

何処かを指差すダンテを抱き抱え、示された方向の瓦礫を必死にどかす。

まだ燃えている高温の瓦礫に皮膚が焼けようとも悪魔の俺には関係ない。

 

体のあちこちから焼けるような匂いと血が溢れ出した頃、ようやくエヴァのか細い身体が見えた。

火傷も含めた切り傷が酷い。

もう死んでいる。

それがわかっていてもその亡骸を引き上げ、火に焼けた喉を開く。

 

「バージル!!どこだ!バージル!!」

 

ここにいたような気配があった。

彼は玄関からではなく、火の手が周っていない裏口からの侵入を試みたようで、その付近から空間の歪みが酷い。

両手にダンテとエヴァを抱え、歪みの先を必死に探るが座標がうまく掴めない。

バージルは閻魔刀で何処かへの時空を開き、飛んで行ってしまった。

彼はこの光景を見て一体何を思ったのだろうか。

 

ガラガラッ!!と激しい音を立てて家が崩れる。

今ここで座標を特定しなければ、バージルを探すためにこの無駄に広い人間界を当てもなく彷徨うことになる。

エヴァと約束した、あの馬鹿な友人が大切にしていた子供達を離れ離れにさせるわけにはいかないのに。

 

一層強い音を立てて頭上の屋根が軋む。

炎に巻かれた屋根が無情にも降り注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

レッドグレイブ市にある一部の街を襲った突然の大火災。

犯人の特定もできず、生き残った者は殆どいない。

住む家も家族も失った者達の一時の住処として提供された市の施設で一等異様な雰囲気を放つ子連れの男がいた。

男はギターケース一つだけを持ち、一人の幼い子供の世話を焼いている。

 

――最初にこの施設に来た時、男は全身ひどい火傷を負っていた。

特に背中が酷く、血濡れだった男を職員達が必死に止めていた。

男はせめて子供だけでもなんとか安全な場所に入れたがった。

職員達も子供は責任持って預かるから早く治療しに行ってくれ!と血相を変えて叫んでいた。

 

しかし、そこで子供が駄々を捏ねる。

血濡れの男に抱きついて離れたがらなかった。

困り果てた職員達は二人揃って仮設の診療所へと促していた。

しばらくして包帯だらけの男が綺麗な服に着替えた子供を抱え、割り当てられた部屋へと入って行く姿を見た。

 

男と子供が来てから三日が経とうとしている。

相変わらず包帯だらけの男を不気味に思った施設の人達はあいつこそが大火災の原因ではないか、と根も葉もない噂を囁き始めた。

白い髪の子供を連れたミイラのような男など格好の標的だったのだろう。

彼のことを知っている住民はチラホラいたが、不安と不満、このどうしようもない生活の鬱憤をぶつける対象として男は後ろ指を指される。

 

人は誰しも、不安な時ほど何処かに気持ちをぶつけたいものなのだ。

例えそれが醜かろうと根拠がなかろうとそれで心が救われるのなら。

 

そして一週間が過ぎようとしたころ。

男は子供を連れて施設を出て行った。

住む場所と働き口を見つけたようだった。

ずっとこの施設で子供の側にいたのに一体いつそんなものを見つけてきたのかさっぱりわからなかったが、誰に引き止められることもなくその日のうちに男と子供は出て行った。

 

男が去って行く時、一瞬だけ見えた色のない灰色の瞳を俺は一生忘れないだろう。

何もかもを壊してしまいそうなほど真っ暗な瞳孔が焼き付いて離れない。

俺達の事をどうでもいいモノのように見てたんだ。

あの眼は人間じゃない。

悪魔みたいな奴だよ。

 

 

 

 

 

 

悪魔が人間を育てるなんて無理だ。

初めてダンテとバージルを見た時にスパーダへと放った言葉だった。

今俺の手を握っているこの子供は悪魔であり人間でもある半魔だ。

俺にはエヴァのように人間として育てることも、スパーダのように強さを教えてやることも出来ない。

 

「なぁ、ダンテ。本当に人間界(ここ)でいいのか」

「ここがいい」

 

ダンテを連れてくる時に彼には四つの選択肢を与えた。

人間界で生きるか、魔界で生きるか、俺の次元(世界)で生きるか、俺とは別れて一人で生きるか。

四つ目の選択肢は酷ではあったが無しにはできなかった。

彼が生きる上で、俺という存在がどれほどの影響力を持つかわからない。

 

しかしダンテは間髪入れずに人間界で生きると力強く答えた。

そこに訂正の余地はなく、確固たる意志だけが残る。

分かってはいたが、結局俺は過去の自分が無理だと断じた"悪魔が人間を育てる"行為を行うハメになった。

俺が出来ることなんて精々飢え死にしないよう食べ物を提供し、住む家を与え、大きくなったら何をしたいか問う程度だ。

 

一つの紛れも無い個を作るなんて俺には到底できない。

俺だって個になるのに数千年かかったのだ。

しかも悪魔の手を借りてやっとである。

それを人間は数年でやり遂げてしまうなんて、一体どんな事をすればいいのか見当もつかない。

 

「レッドグレイブ市の外れの方に行くぞ。かなり治安が悪いし、俺は仕事で家を空けたりする」

「分かった」

「…お前を育ててやる自信はないぞ」

「シードおじさんは父さんでも母さんでもないから、分かってるよ」

 

シードおじさんはシードおじさんだ。

青い瞳が俺を見上げる。

ああ、やめてくれ。

そんな目で俺を見ないでくれ。

ロクに約束も守れなかった、お前達兄弟を離れ離れにさせてしまった俺を見ないでくれ。

 

こんな事でしかお前を救えないのに。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Name me

レッドグレイブ市の外れ。

真っ赤なコートを着た男が大きなギターケースを背負ってバー「ボビーの穴蔵」に入って行く。

便利屋組合の拠点であるボビーの穴蔵が彼の仕事場のようなものだからだ。

本日は仕事を終えた帰りのようで、受け取ったばかりの報酬を片手にバーカウンターへと足を向ける。

仲介屋達の怒号と仕事を取り合う者達の声で喧しい店内でも男は眉一つ動かさず、店主のホビーに注文を告げる。

 

Hello, give me a strawberry sundae.(ストロベリーサンデーをくれ)

 

ここはバー、酒を出す場所だぞと言いたげな店主は若干苦笑いをしながら冷蔵庫から予め作ってあったストロベリーサンデーを男の前に置く。

男が粘りに粘って頼み込んだ結果、誰も頼まない彼専用メニューとなった。

否、もう一人だけ頼む人物が居るが彼が訪れる時は大抵、彼の怒りに触れた時だけなのだ。

そして今日はそんな日だったらしい。

 

ドゴッ!!と壊れたかと疑うほどの音を立てて開いた店の扉に、先程まで怒鳴りあっていた店内がシンと静まる。

現れた真っ黒なコートと癖毛を跳ねさせた銀髪と青と赤のメッシュを地毛と言い張るポニーテールが特徴の男に皆いそいそと己の武器をしまい隠す。

一度見られたが最後、傷の一つでもあろうものなら怒鳴られるに決まっているからだ。

金が無ければ修繕一つしないくせに正論でぶん殴ってくる。

 

そして今の彼は超お怒りモード。

誰も手がつけられないほどブチギレている原因は呑気にストロベリーサンデーを食べている男"トニー・レッドグレイブ"だった。

 

Where's Tony!!(どこだ!トニー!!)

I’m here.(ここだ)

 

怒鳴られている本人は何食わぬ顔で手を振り、あいも変わらずストロベリーサンデーを口に入れている。

あの武器職人を前にしてここまで余裕の態度で居られるトニーをある意味で尊敬している輩は多い。

馬鹿みたいに強い癖に銃をいつも壊すせいで常に素寒貧の彼があの伝説の武器職人と謎の関係を持っている理由はわからないままだが。

 

銃を見てくれる奴はいるが剣や籠手といった近接武器を見てくれる武器職人はほとんどいない。

ところが十数年前にやってきた黒コートの男が質のいい武器を作り、従来の武器の修繕までしてしまうものだから彼に頭の上がらない組合員は多い。

普通にしていればノリのいい皮肉の効いた男なのだが、ある一つのことになると性格が変わる。

そう、トニーのことである。

 

「家を空けるなら空けるといえ!仕事が終わったならさっさと帰ってこい!」

「ストロベリーサンデーが食いたい気分だったんだよ。ここのはあんたが作るのとまた違う味なんだ」

「家主に挨拶もなしに出て行方知れずになった理由になっとらん」

 

どうせトニーが受けた仕事の内容もかかる期間も全部わかっている癖にいつもいつも小うるさく小言を言う。

うんざりした顔のトニーがスプーンをくわえながら男に視線を向けた。

 

「おいおい、シード。あんたの中で俺は一体いくつなんだよ。自分だって勝手にいなくなって勝手に帰ってくるじゃないか」

「それとこれとは扱いが違う」

「いいや、一緒だね。あんたなんかどこに行くか一言も言わずに世界中ほっつき歩くじゃないか。仕事で行ってる俺の方がよっぽどマシだ」

 

ふいっとシードがそっぽを向いた。

都合が悪い時によくやる態度だ。

武器職人"シード"は無言でトニーの頭に拳を振り下ろした。

目に見えぬ速さで素早く振り下ろされた拳を避ける動作をしたが間に合わず、トニーはまともにげんこつを食らう。

理不尽なことに言葉に詰まると手が出るタイプだった。

 

「ガキのお前と一緒にすんな」

「イッテェ!あんたのそういうところが嫌いだ!」

「そうかよ。オラ、食ったら早く帰ってこい。婆さんのとこ寄るならさっさとしろ」

「あんたももうジジイだろうが…イッ!」

 

余計なことを言ったトニーがまたげんこつを食らう。

今度は威力が強かったらしく、頭を抱えて机に突っ伏した。

鼻を鳴らしたシードが店を出て行くのを見て、またざわざわと怒号が飛び交い始める。

突っ伏したまま動かないトニーに店主のボビーが声をかけた。

 

「早く家に帰ってやんな」

「…チッ」

 

軽く舌打ちをしたトニーがむすっとした顔で残っていたストロベリーサンデーをかきこみ、席を立つ。

代金を乱暴に机の上に叩きつけ去って行く姿は謎の哀愁が漂っていた。

 

 

 

 

 

 

カウンターの上に乱暴に置かれ銃に、ニール・ゴールドスタインが眉を釣り上げる。

引き金の部分がぐにゃりと曲がり銃身が変にひしゃげる銃を見るのはもう何度目になるだろうか。

今日はやけに不機嫌なトニーは眉間にしわを寄せて代金を乱雑に置く。

 

「なんだい。またシードの奴に怒られたのかい」

「…もうガキじゃねぇのに」

「あんたのことが心配なのさ。私が怒るまで過保護に過干渉に甘やかしまくりで酷い有様だったの覚えてるだろう」

「自分はどんどんいろんなところ行く癖に」

「あいつの放浪癖は本能さ。治るわけないよ」

 

壊れた銃と代金を受け取りながらニールは拗ねたトニーの頭を撫でる。

大人しく撫でられている時は大抵シードに反抗している時だ。

喧嘩したい訳ではないのについカッとなって言い合いになってしまうといつも寂しそうに言っている。

 

シードもシードで最近は頑固親父のように自分の言ったことを曲げようとしない。

さらに自分のことは何一つ話さないものだから余計にトニーの反感を買う。

それでも頑なに語ろうとしないところを見るに、昔の友人とやらにしか話していない内容なのか。

 

「あいつ、名前すら名乗ってないって分かって問い詰めた時なんか"お前に名乗る名前なんてねぇ"って言ったんだぜ!?」

「シードの名前は私も知らないねぇ。名前が嫌いなんだって言ってた気がするけど」

「俺にもそういえばいいのにわざわざムカつく言い回ししやがって!」

 

いつもの皮肉な言い回しやふざけた態度は何処へやら。

シードのこととなると途端に感情をあらわにするトニーにニールは苦笑いを隠せない。

十数年前、突然子供を連れて銃作ってくれと言いにきたシードはどちらかというと今のトニーに近いような性格をしていた。

しかしトニーが大人になるに連れてどんどん読めなくなって行き、気がつけばあの有様だ。

 

もうちょっとトニーと接すればいいのに、最近は長く家を空けることもある。

自宅を工房にし、名前もない武器の修繕屋をしている癖に長期不在が当たり前。

彼の調整した武器を振って惚れ込んでしまった連中が何度泣きを見たかわからない。

トニーのところにまできていつ帰ってくるのか問い詰める輩もいる程だ。

 

「確かに、どこに行ってるのか、名前は何なのか、気になるといえばそうだ」

「婆さんも知らねぇのか」

「出かける度に挨拶に来る奴じゃないしね。名前に関しちゃ、昔愛刀に彫ってあるって言ってた気がするけど愛刀自体見たことないよ」

「…マリーに彫ってる?」

「あいつが振り回してるところすら見たことないけどそうらしい」

 

トニーが黙り込んでしまった。

愛刀とやらに心当たりがあるらしい。

確かに"マリー"と呼んでいる。

愛刀のメンテナンスを欠かしたことはないと豪語する彼の側にいれば知らない刀ではないのだろう。

刀に彫る癖に誰にも名乗らないとは随分不思議だ。

 

「Thank you. ちょっと探ってみる」

「銃は明日取りに来な。シードとあんまり喧嘩するんじゃないよ」

「分かってる」

 

不器用な連中だ。

ニールは壊された銃を手に溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ガタガタッと二階から大きな音を聞き顔を上げる。

依頼の髪飾りへ細工を掘っている間に随分時間が経っていたようだ。

ちょうど真上にベッドしか入らない俺の狭苦しい個室があるのだが、そこから何かが取り外されたような音がした。

あの部屋にはベッドと俺の愛刀しかない。

立て掛けてあるマリーが外されたのだろう。

 

この家は特殊で、玄関から別次元にある俺の工房へ繋がっている。

繋がりを切ればなに一つない廃屋が登場し、住んでいた痕跡すらなくなる。

つまりここは俺が自由に操れる素敵な俺の世界。

指先一つで二階への道を開き、するりとベッドの上に降りた。

わざと寝転がるように現れてやったのはいたずら心である。

 

What are you doing? Mischievous boy.(なにしてやがるんだ?悪戯小僧め)

Eww!?(げーっ!?)

「おい、まるで人を汚ねぇものみたいに言うな」

「家の中と外での性格の違いに風邪引きそうだ」

 

トニー・レッドグレイブことダンテが心底うんざりした顔で寝転がる俺をみる。

家の中と外で全く性格が違うようにしている理由を知っている癖にいつも嫌そうな顔をするのだ。

もちろんその理由とは俺が悪魔だからである。

寿命の違いによって俺はその地域に長居できない。

別の場所に行った時に全く違う別人を装うための手段である。

 

最初からそうしなかったのは幼いダンテがいきなりリベリオンが喋り出したと言い出したり、偽名を勝手に考えたり、俺の料理が下手すぎて全然食べてくれなかったりと物凄く疲れていたからである。

流石にそこまで頭が回らなかった。

今はメシマズクッキングからメシウマクッキングにまでなっている。

 

「で?俺の部屋でナニしようとしてた?」

 

ベッドに乗り上げるダンテの手を見る。

一応大事そうに抱えている俺の彼女は抜き身になっていた。

 

「人の女、取っ捕まえて脱がすとはどういう了見だぁ?」

「アンタがコイツに名前を彫ってるって噂を聞いたんだよ」

「女に名前彫るなんてとんでもねぇ独占欲の塊じゃねぇか、気色悪りぃ」

「彫ってねぇのかよ。アンタなら女にでも容赦なく彫りそうだったのに」

「まあ彫ってるんだけどな」

「自分で自分のこと罵るなよ」

 

わけわかんねぇ、と言いながら掘られている場所を探しているようだ。

刀といえば刀身の、特に鍔の方に掘るものだが生憎そちらには名を彫っていない。

マリーは刀身こそ血のように輝いているのに、わざわざ潰すような真似はしなかった。

もっと別の場所にあるのだ。

 

「ココだよココ。鞘の内側」

「え?あっ!?小さ!分かんねえよこんな位置!」

 

いくら刀身を見てもわかるはずがない。

鞘のすぐ内側、ギリギリ見える場所にかなり小さく俺の名前がある。

Seed(シード)と読めるだろうが微妙に見えない位置にその先が、正確には人間でいう名前の部分が彫られているのである。

シードとはスパーダが俺につけた新たな名であり、苗字でもある。

真の意味で正しい言葉だ。

 

なんの(seed)なのか。

それがわかる言葉が奥に書き込まれているのである。

もちろん鞘を割ってみないことには読めないようにわざわざしている。

どうやって彫ったかは企業秘密だ。

 

「中に彫るとか恐ろしいことしやがる」

「俺が死んで彼女が俺以外に破られても新しい恋人に存在をアピールできるだろ?」

「うわ怖」

 

しかも削れない位置に入れるところがまた悪質だ。

持ち主が誰だか知りたければ鞘を割らなければならない。

割ったが最後、意匠の凝った金細工や鞘の木を彫って彩られた控えめな装飾が全て御陀仏になる。

反りが激しい彼女の鞘を並みの素人が作れるとは思えない。

 

「何よりこの刀は"俺"だからなぁ。俺が死んでからじゃあもう二度と同じものは作れねぇだろうな」

「おいおいまさかこれも閻魔刀と同じ原理か?」

「なんだ知ってたのか。この赤黒い鞘は俺の足。あらかじめ刺青を彫ってから作った。この一番槍の証と言っていい朱色の柄糸は俺の血、この刀身は俺の…」

「いつも思うが、本当のアンタはどんな姿なんだ」

「その見えねぇ名前の先に答えがある」

 

ぐぬぬ…と必死に読もうとするダンテに苦笑いをこぼす。

残念なことにあまり本が好きではない彼がその名を見てもよく分からないだろう。

魔界の連中なら知らぬ者はいないだろうけれどダンテには難しいところだ。

まあ、どれだけ目が良くてもその先は見えな…。

 

h,t,o…(エイチ、ティー、オー…)Qliphoth?(クリフォト?)

 

咄嗟にダンテの手からマリーを取り上げた。

一気に吹き出した冷や汗と震えた瞳孔がダンテの青い瞳を見た。

なんで、なんで読めたんだ。

物理的にも魔力的にも読まれないように最大限の保護を行なっているはずだ。

それなのに、何故。

 

「な、なんだよ。クリフォトってアンタの名前なんだろ」

「その名前を誰の前でも口にするな。もうこの街にはいられなくなる」

「何か意味のある名前なのか?」

「…魔界じゃあ俺を見つけたら取っ捕まえてふん縛って監禁して二度と外に出さずに飢えさせるだろうな…それが一番目的を達しやすい」

「は?なんでアンタを飢えさせる必要があるんだよ」

「俺が実らせるそれはそれはクソ不味い"実"を食うためさ」

 

魔帝ムンドゥスはそうした。

定期的に部下に殴らせて血を流させるのも忘れずに。

あの時は自我がなくぼーっとしていただけだった。

なんの反応も返さずただ与えられる暴力のままに飢え、飢えに飢えて目の前の悪魔を食った。

腹を満たしたい衝動のままに根を伸ばして食った。

 

人間界への道がまだ閉ざされなかった頃だったが故に外にまで幹を伸ばして、ただひたすらに食った。

一ヶ月かけて実をつけ、その実をムンドゥスに取られた。

何故か役目を終えたと思った俺は樹から分離して種になったのだ。

そのあとあの樹はスパーダによって伐採されたが、それと同時に俺も回収されたっけ。

 

「調べたきゃ書斎に行きな。俺の机の引き出しに全部入ってるよ」

「結局シードって名前なのか?苗字なのか?」

「どっちもだ。これからもSeedのままでいいんだ」

 

面倒臭くなってベッドにもぞもぞと入る。

マリーをちゃんと元あったところに立てかけ、すっかり寝る体制に入った。

ベッドの上にいるダンテの腕を引っ張り、隣に倒す。

 

「俺としちゃあこのまま忘れてくれた方が嬉しいね」

「いやだね」

「だと思った」

 

すっかり伸びてしまった髪が散らばり、白いシーツと同化して赤と青のメッシュだけが色味を出す。

何故かどっと疲れ、これ以上何かをする気力が湧かない。

途中だった細工をする気にもなれず、ぱちりと目を閉じた。

 

「急におねんねかよ」

「今なら悪夢が見れそうでな」

「普通そういう時は寝ないって知ってるか」

「今なら無防備で襲い放題ですよ。出血大サービスだ」

「うわいらね」

「ひっでぇ!魔界じゃ評判だったんだぜ!?」

「悪魔は悪趣味だ」

「悪だからな!」

 

目を閉じてゲラゲラ笑う。

その名前を聞くたびに自我のなかったあの頃がちらついて離れない。

ダンテは俺の"(心臓)"なんて欲しかねぇだろうけど、いつか必要になったら遠慮なく言えよ。

世界をぶっ壊してお前を"魔王"にしてやるから。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Vampire

突然、ダンテが朝食を代わりに作ると言い出した。

 

What happened all of a sudden?(急にどうした?)

You don't want to? (だめなのか?)

Ah…it doesn't matter.(まあ…構わないけど)

 

小さい頃から自分がいなければ問答無用でキッチンに立たせすらしなかったが、彼は既に大人と言っていい。

まだ二十歳を超えていなくとも多少家に金を収めている。

彼の行動を制限する理由もなかった。

しかし面倒臭がりで出されたものしか食べないあのダンテが料理。

 

昔無理やりやらせた時はまあまあな味で、大雑把に作っていた記憶がある。

武器と同じように創作しまくりの俺とは違い、レシピを見てから適当に味見でなんとかするタイプだ。

変なものは出てこないだろう。

 

「ここで見ててもいいか」

「いや、アンタは昨日寝ちまって依頼の品出来てねぇんだろ。早く仕上げてこいよ」

「お前、気を回せるようになったのか…!?」

「ぶん殴るぞ」

 

殴られたくはないので笑いながら工房に足を向けた。

確かに昨日やり残した細工がそのままだ。

あとは仕上げだけで納品は明日になっている。

終わり次第趣味の武器作りを行うのも悪くない。

ニールの婆さんに言われて銃も最近手を出し始めた。

 

構造や並びなどは知っていても作るまでには至っていなかったのだ。

バラバラの部品でガンブレードと言われるとんでも武器を作った時にはニールの婆さんに銃口突きつけられた。

"お前さん銃なめてんのか?"と婆さんに凄まれたときは流石に反省した。

あれはあれでいいと思ったんだけどなー。

 

「なあ、トマトジュース飲めるっけ」

「あ?なんだ藪から棒に。飲めるけど」

「そっか」

 

トマトジュースが好きなダンテのために毎度買い出しの時は必ず二本は買っている。

どうせ飲む奴がいるから好んで口をつけたことはないが、何故聞いてきたのか。

んん?と首を傾げつつも細工作業に戻った。

 

――数十分して食卓にお呼ばれしたため、持っていた工具を置く。

結局一般的なオートマチックハンドガンを作っていたのだが、意外と設計通りに組み込むのに四苦八苦していた。

威力のわりに繊細な技術が必要な代物だ。

 

「銃?」

「ニール婆さん直伝の。初心者はまずこれからやれっていくつか設計図貰ったんだよ」

「アンタが弟子入りねぇ」

 

俺が手に持っているどこにでもあるような銃を構えるダンテはなかなか様になっている。

だが素材は人間界にあるものなので今までやってきたようにぶち壊されるのがオチだ。

 

「悪魔はなんだかんだ言って剣士気取りなのさ。銃は人間が使うもんだって考えの奴も多い。かく言う俺も武器としては好きだが使うとなると抵抗ある」

「そう言うもんなのか」

「だから対策も甘い。俺特製の魔術がこもった鉛玉は悪魔によく効くだろ?」

「いい声で鳴いてくれるな」

 

投げよこした試作品を受け取り、作業台に置く。

凝り固まった肩を回しながら食卓に行くと、ボルシチとトマトジュースが並べられていた。

随分赤いメニューだ。

 

「コートが赤いからって飯まで赤くするか?」

「悪魔らしい食卓だろう」

「そりゃあ確かに」

 

では遠慮なく。

湯気が立ち上るボルシチを口に含んだ途端、グラリと視界が揺れた。

なんだこれは。

美味い。

魔力が溢れてくるような美味さだ。

あのクソ不味い悪魔のような栄養価なのに人間のソレと同じような美味さで。

これは癖に…。

 

「ゴホッ!!」

 

急いでシンクまで走り、口に入れていたスープを全て吐き出した。

指の先がミシリと音を立てて白く硬くなっている。

少しだけ人間への擬態が解けている証拠だった。

強者の、しかもこれは半魔の血の味だ。

 

「人の飯に血を入れるのはスピリチュアルに没入した女だけだと思ってたぜ…」

「なんだ。アンタの主食だって書いてあったから美味く感じるのかと思ってた」

「極上に美味だったよ!チクショウ!」

 

スンッと鼻を寄せて匂いを嗅ぐと思わずがっつきたくなるほど美味そうな匂いがする。

悪魔の血はあんなにも不味いのに栄養価は抜群。

人間の血はあんなにもうまいのに栄養がまるでない。

その中間をいくハイブリットの美味さに品性など忘れてしゃぶり尽くしたい気分だ。

 

「若いからか血の舌触りが最高だ…今まで食ったどんな奴よりも美味い…ぐう…I really want that.(めっちゃ食いたい)

「栄養摂取方法は血しかないんだろ。今までも食ってたんじゃないのか」

「輸血パック買ってその辺でとっ捕まえた悪魔食いながらジュース感覚で飲んでた」

「悪魔の踊り食いと血のジュースとかクレイジーすぎるだろ」

 

裏路地で人間に発見されないようにわざわざ魔術で結界を張ってまでそうしなければならなかった。

スパーダとの約束で人間からの同意のない血液摂取はタブーである。

わざわざ守る必要もないと言えばそうだが、なんとなくできないままここまで生きてきた。

一度摂取すれば一週間は人間のように食べ物からの栄養で持たせられる。

 

ちなみに動物の血も試したことがある。

栄養どころか味すら感じず、悪魔か人間からしか意味がないことがわかった。

選り好みするとはお高くとまった種族(毒の樹)である。

え?輸血パックの入手ルート?

そこはほら、裏社会の闇なのさ。

 

「なんでこんな悪戯しやがったんだ」

「日頃の感謝の気持ちを込めて」

「俺は人間の血は必要以上に飲まないって手記に書いた気がするんだがぁ?」

 

どうやらダンテはわかってやらかした様子だ。

とんでもない悪戯小僧である。

そうまでして俺を苦しめて楽しいか。

 

「ほら食えよ。俺が自分で分けてんだ。"同意の上"だろう?」

「絶対くわねぇ。こんなの覚えたら他のなんか口にできなくなる」

 

冷静になるんだ俺。

とても冷えたトマトジュースを飲んで落ち着こうと口をつけた瞬間、再びシンクにダッシュする。

こ、こいつ…!

トマトジュースにまで…!

 

You suck!!(最低!!)

I'm really glad you liked it.(お気に召したようで何より)

 

少し口にしただけで俺の素直な舌は味を覚えてしまったようだ。

反射で手を伸ばしそうになるのを必死にこらえ、目を背ける。

こんな美味いモノが目の前に塊であるのに少量分けられただけで我慢できるとは思えない。

記憶がぶっ飛ぶほど頭がおかしくなって覚えたての子供のようにダンテに牙をたてそうだ。

 

「ほら、残さず食えよ。出されたもの残すなって俺に教えたのはアンタだぜ」

「ンーッ!」

 

口を閉じて顔を背ける俺に無情にもスプーンが向けられる。

ボルシチは本来血でできた食べ物ではないはずなのに、今赤い液体を見るとドロリとした血液に見えてしまう。

匂いもダメだ。

意識すればするほど血の匂いが鼻腔をくすぐる。

差し出されたスプーンから目を逸らし、唾を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

その日、俺はベッドから出ることはなかった。

 

I’m so sorry.(マジでごめん)

 

ベッドサイドにかろうじて置かれている小さなテーブルに水を置きながら、ダンテは本気で謝罪の言葉を口にした。

相当栄養があったのか、ただ単に体に合ったのかは定かではないが俺の容姿がすっかり若くなってしまったのである。

もう一ヶ月は何も口にしなくていい程健康体になった。

 

しかし、同意があるとはいえ友人から託された大切な子供の血を飲んでしまった自分への自己嫌悪でもう何も手につかない。

美味いと思ってしまった自分の感覚にも嫌気がさす。

いや本能的に美味いと感じるものなのだけれど、世界に殆どいない半魔の血があんなに美味いだなんで信じられない。

 

I want you to burn.(燃やしてくれ…)I want to be firewood.(薪になりたい…)

 

血を養分にする悪食の樹が燃えるかなんて知りたくもないが無性に薪になりたい気分だった。

そのまま延焼して街一つ破壊してしまいそうだ。

 

半魔の血液の美味さは最早他と比べようもないものだった。

ただ美味なるだけならいざ知らず、明らかに様々な能力が向上している。

これではまるで俺が食うためにダンテを育てていたみたいじゃないか。

 

「いっそ殴ってくれ…エヴァに顔向けできない…スパーダに斬られたい…」

「そんなに落ち込むものなのか」

「俺は君を食料として見たことなんて一度もない。たとえ飢え死ぬ寸前でも絶対に飲まないつもりで今まで君を育ててきたんだ」

 

それがどうだ。

いざ目の前に差し出されたら抵抗する意思など全く意味をなさず、気がついた時には胃の中だ。

ダイエットを決意した女性の方が幾分か忍耐があるというものだ。

 

「それが本来の姿なのか?」

「人間の老いと悪魔の見せかけは違う。俺のはわざとああなっていた。一番力が出るのはこの若い見た目ってだけだ。養分がなくても一応この姿にはなれる」

「わざわざ歳をとってたのか!」

「人間相応に歳をとらねばいずれバレてしまうから…ああ…枯木になりたい…」

 

ぐずぐずになってベッドに項垂れる俺の側にはブラッディマリーと魔剣リベリオンが置かれている。

意思のある彼女達の呆れたような雰囲気が辛い。

マリーは特に俺の決意をよく聞いて応援してくれていたから尚のこと苦しい。

不甲斐ない父で本当に申し訳ない。

リベリオンにもとても謝りたい。

事故とはいえ彼の主人に無体を働いたも同然だ。

 

マリーの呆れたような声が聞こえる。

――どうしてボルシチの時点で怪しいと思わなかったの。

 

その通りだ、マリー。

料理の時点で相当ハードルが高いあのダンテがボルシチなんてあり得ないと思うべきだった。

トマト嫌いの彼がわざわざトマトピューレを作るなんて何か企んでいるに決まっている。

 

リベリオンが静かに痛いところを突いてくる。

――だからスパーダに"お前は時々抜けているから気をつけろ"などと言われてしまうんだ。

主人が抜けているのはお前に似たのだろう。

 

コメントし辛いことを言わないでくれよリベリオン。

たしかにダンテの間抜けなところは俺に似たかもしれないがあそこまでじゃない。

俺の方が数千年分の老獪だ。

いや、このザマでは言い訳がましいことこの上ないけど。

 

「リベリオン、マリー。あんまりシードをいじめてやるなよ。今回は俺が悪かったって」

「ダンテ、この子達は俺の一番ダメなところをいい加減直せって説教してるだけさ。善処します…本当マジで」

 

何だかんだ言って、リベリオンともマリーとも長い付き合いだ。

リベリオンとはスパーダと出会ってから、マリーとは閻魔刀を作った後から共にある。

リベリオンは知らないが、マリーは俺が昔食った吸血種の悪魔が宿っている。

ズケズケと言ってくるし時々発言に棘があるのはそう言った面の所為だったりもする。

 

今回は特に俺が落ち込んでいるものだから棘が柔らかめだ。

悪魔だろうと刀だろうと主人に似るものなのだろうか。

魔剣が気遣いって。

 

「あー…そろそろ婆さんのところに銃を取りに行く時間じゃないか」

「本当だ。シード、一人にして大丈夫か」

「俺の精神的ダメージがでかいだけで肉体はすこぶる調子がいい。気にすることはないから行ってきなさい」

「マジでごめんな。なんか甘いも買ってくる。行こう、リベリオン」

 

リベリオンを抱えて寝室から出て行くのを見届けて、マリーを壁に立てかける。

枕に顔を埋めると小さく溜息をついた。

漸くダンテが離れてくれた。

今のうちに体内で飲み込んでしまった血の処理を行ってしまおう。

眠っていた方が効率が高くなるため、眠るために目を閉じた。

 

「マリー、留守を頼む」

 

返事のない彼女などいつものことで、どうせ何かあれば起こしてくれるとわかっている。

久方振りに深く意識を飛ばす中、軽く息を吐いた。

帰ってきたらリベリオンの手入れでもしてやろう。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Partner

便利屋というものは本来、数々のマフィアや薬の売人、武器弾薬の密売人から人身売買の物騒な連中から危険な仕事を押し付けられるかなり厄介な立場にあった。

ダンテが偽名を用いてその荒波に揉まれると豪語した時には頭を抱えたものだ。

散々ダメだと言い含めても聴く耳を持たず、結局俺が年齢制限を設けることで折れた。

 

トニー・レッドグレイブは二年程前から快進撃を繰り広げ、四方八方に恨みを売りつけている。

彼のパワーバランスを無視した無茶苦茶な依頼の受け方もさる事ながら、本人がイカれている程に強いのだ。

己の持つ銃を依頼ごとにぶっ壊してくるのは彼がマシンガン並みのスピードで引き金を引いてしまうことが原因だとガンスミスが嘆いていた。

何百発という弾丸の雨を剣一本で防ぎきったなどという伝説もある。

 

そんなトニーの元には指名依頼と称した私怨たらたらな罠としか思えない依頼も結構な確率でくる。

今回もその類の依頼だったようで、トレードマークの赤いコートではなく野暮ったい真っ黒なコートを着たトニーがボビーの穴蔵にやってきた。

おそらく一張羅はダメにされてしまったのだろう。

割と頻繁にそうなることが多く、翌日には似たようなデザインの赤いコートを着ている。

無論、俺がきちんと仕立て直してやっているのである。

 

昔取った杵柄、いや女装させるために始めた服飾もなかなかの腕前になった。

仕事にしようだなんて思っちゃいないが、一々仕立てに行かせるより楽である。

出来上がるまでは俺が昔着ていた黒いコートを着せることになるが、ボビーの穴蔵では嫌がられるだろう。

何かとゲンを担ぐ奴が多いし。

 

Was it fun? Little boy.(楽しかったかい?坊や)

It was a lovely party.(ご機嫌なパーティーだった)

 

手に持っていたジン・トニックを奪われ、一口に煽られてしまった。

皮肉な口調とは裏腹に笑み一つ浮かべずトニーが隣に座った。

ご自慢の一張羅が仕立てて一週間も経たずにボロボロにされてしまったのだ、ご機嫌斜めにもなる。

 

「気に食わない仕事でも相棒に言われちゃあ受けに行かなきゃならんよなぁ。グルー、娘さん達は元気かい?」

「おかげさまでな。誕生日プレゼント、助かった。気に入ってたよ」

「職人なんでな。またご贔屓にどうぞ」

 

続いてトニーの相棒であるグルーが隣に腰掛けてきた。

二人で俺を挟む構えの時は大抵トニーの機嫌がすこぶる悪い時だ。

グルーが巻き込まれないように俺を盾にする。

そんなに気に入ってたのか、あのデザインのコート。

別になんの変哲も無い普通の赤いコートだったじゃないか。

 

「いつも通りデザインはお任せでいいな」

「…おう」

「気に入ってたなら前と同じ型も作れるが、どうする?」

「好きにしてくれ」

 

珍しい程に機嫌が悪い。

コート一つでここまでボヤくトニーはなかなか見ない。

確かに今回は記録更新レベルの速さでコートをお釈迦にしたが、元々ダメになると分かっていて作っているのだ。

服の一つや二つ、ボロにした程度で怒ったりはしない。

材料だって特別頑丈なものを使ってはいるが、人間界にあるものだけだ。

手に入りづらい物でもなかった。

 

「どうしたんだ。なにをそんなに思いつめている」

「…アンタ、自分の作品が壊されるの凄く嫌だろう」

「そら丹精込めて作ったもんが壊されりゃ誰だって悲鳴の一つでもあげたくなるだろうな。俺が作ったわけじゃないが、お前の背負ってる長剣が壊された日にゃあ号泣する」

 

俺の返答にトニーが顔を逸らした。

ヒビを入れたことすらないだろうが、乱暴に振り回している自覚はあったようだ。

しかし人の戦闘スタイルにとやかく言うつもりもないし、武器を気にして自分がヤられては武器の意味がない。

今のはただの嫌味である。

 

噛み合わない会話にグルーが隣から補足を入れてきた。

 

「シードの作品を壊しちまったこと、珍しく反省してるんだってよ。ほら、立て続けに三枚ボロ切れにして今日で四枚目だろ?」

「どれも一週間は持ってたじゃないか。トニーにすれば上出来だ」

「あんな頑丈なコート一週間でゴミ箱行きにしちまう方がおかしいって…」

 

感覚が鈍り始めているとしか思えない俺の発言にグルーが冷めた目を送ってくる。

俺の言い分は別に間違っていないと思うのだが。

無駄に噛み付いてくる狂犬のなんたらに喧嘩を売られ、依頼先でも銃口を向けられていればそうもなるだろう。

むしろコート一枚で済んでいるのは俺の作った作品が持ち主を守っている証拠に他ならない。

役目を終えた上で雑巾になったと言うのなら職人としては本望だ。

 

「物ってのはダメになるときゃダメになる」

「職人がそれでいいのか」

「いいモン作るのが職人。ぶっ壊すのが使い手だ。そこに役目を終えた証があるのなら文句はない。しかしまあ、毎度コートだけダメになるのも問題だ。もう少し頑丈に作ろう」

「あれ以上頑丈なコート?ただの皮だぜ?」

「グルー、客のニーズに応えるのが商売ってもんなのさ」

 

可愛い預かり子の為に一肌脱ぐのも悪くないだろう?

上機嫌にいつも持ち歩いているスケッチブックを取り出し、コートのデザインを描き上げていく。

隣から覗き込んだグルーが感心したようにデザインの内約を見て、今度俺にも作ってくれとそわそわし始めた。

 

物作りとはセンスの良さが肝になる。

数千年分、時代の知識と感性の発達がある俺はまあまあその時代にあったデザインを作るのに長けていた。

剣も銃もついつい意匠を凝らして装飾多目になってしまうのは最早趣味である。

もちろん重くならないように彫り物や塗装に限定しているけれど。

振り回す者と打ち抜かれる者を考えるステキな当店をどうぞご贔屓にってな。

 

Hey, Tony.(ほーら、トニー)今度のは前を開ける前提で作ろう。俺にしては控えめなデザインだ。機能性と頑丈さを重視する。明日の夕方には出来上がりだ」

「へー!相変わらずいいセンスしてるなぁ!」

 

いつの間にか現れた背の小さい小太りの男がトニーに見せたはずのスケッチブックを覗き込んでいる。

エンツォという最近売れっ子の仲介屋だ。

本人は仲介屋は副業で本業は情報屋だと宣っている。

俺が稀に世話になっている同じく仲介屋のモリソンの方が紳士的で俺は好きだが、トニーはよくエンツォから仕事をもらっているようだ。

 

「お前に着せるにはちとスレンダー過ぎだぜ、エンツォ。丈の長さも長すぎてドレスになっちまうな。Hue! Sweet little girl.(可愛いお嬢さん)

「そんなこと言っていいのか?シードのおっさん。アンタにいい仕事持ってきたのによぉ」

「こんな老いぼれに仕事持ち込むたぁお優しいガキがいたモンだ」

 

心底面倒臭そうにバーカウンターに肘をついた俺にエンツォは紙切れを渡してくる。

内容を見るまでもなくトニーの方に投げよこし、開いたままのスケッチブックに細かくデザインを描き込み始めた。

これは俺の"気が乗らない"合図である。

 

「おいおい!中身ぐらい見てくれよ!」

「残念。当店へのご依頼はトニー氏のコートをもちまして満杯となりました。またのご利用をお待ちしております」

「最近暇でニールの婆さんに弟子入りしたのに忙しいわけあるか!」

 

流石、情報屋を名乗っているだけあって得ている情報は多い。

ケラケラ笑う俺を他所にエンツォはトニーに縋り付いた。

鶴の一声ならぬトニーの一言で俺が依頼を受けるか否かが決まるのだ。

気が乗らない時は聞くかすら怪しいが、一応トニーがやれと言うのならやる時がある。

 

依頼の中身を見たトニーがどうでも良さそうにそっぽを向いた。

これは"どっちでもいい"時の合図である。

ガックリとうなだれたエンツォはトニーから離れ、俺の方に詰め寄ってきた。

一度噛み付いてくると絶対にはなれない。

肉を噛みちぎり尾を噛み合うウロボロス並みのしつこさだ。

 

「この依頼はおっさんにしか頼めねぇんだよ。アンタの本業だろ?」

「気に入った奴にしか俺の作品は売らねぇよ。どうせ俺への紹介料でも勝手にとってんだろう?俺が紹介すれば受けてくれるーとか御用聞きの真似事してな」

「うぐっ…」

「こりぁ図星だな」

 

安物のビールを煽りながらグルーが呆れたような声を出す。

何かと気難しい職人として名が上がるシードは武器の修繕はすれど新しい武器はなかなか作らない。

そのくせ店の中には業物がゴロゴロ転がっているものだから、強盗狙いでくるやつも昔は多かった。

武器職人ごときが戦えるわけがないと思ったのだろう。

 

悪魔の店に強盗など自殺行為にも程がある。

言わずもがな、襲ってきた命知らずは死なない程度にマリーの餌食になった。

殺さないのはトニーにグロッキーな場面を見せないためというのと、そいつのアジトに瀕死のお友達をプレゼントするためである。

お陰で今では襲撃者など殆どいない。

 

今回のように真面目に依頼してくる分には文句は無いが、作るか作らないかは俺が決める。

なんせ俺が作るものはこぞって"魔具"という物騒な肩書きがつくのだ。

最近は悪魔を宿さずにただの武器を作ることもあるがそれも数は少ない。

普通に作るはずがうっかり悪魔を宿して作り直しになってしまった時もある。

もう俺が魔具を作ってしまうのは本能なのだ。

 

「今回はご縁がなかったということで」

「そう言わずに作ってくれよ!今回のは武器じゃねぇんだ!アンタのアクセサリーを見て惚れ込んだって奴が彼女へのプロポーズに指輪を作って欲しいって!いい話じゃねぇか!」

「どこの誰がナニしようが知ったこっちゃない。それになんだこの金額。ウチの店はこんな端金で依頼なんか受けん」

 

金額は凡そ十万ドル。

その辺のサラリーマンが容易に出せる額ではない。

そこそこの成金か金持ちの坊ちゃんが依頼してきたのだろう。

俺の作品は一切銘が入っていないにも関わらず、デザインで判別してくる。

名こそ不明のままだが植物をモチーフにした独特の風味に、いくつかの都市伝説ができていた。

 

因みにグルーの娘に作った誕生日プレゼントは人間用の普通のもので、売れば最低額五十万ドルは保証できるほどの値打ちがつく代物だ。

トニーが世話になっている分感謝の気持ちを込めて五ドルで受けた依頼だが、全身全霊を込めて作り上げた力作である。

もし金に困った時に売ってもいいし、彼女に子供ができた時に形見にしてもいい。

素敵な娘の彼女へ、少しでも力になれるものをプレゼントしたつもりだ。

 

「グルーの時はタダ同然で受けてたじゃねぇか!数十万ドルは下らねぇ値打ちもんだったのに!」

「俺はあの子(ジェシカ)に美味しいドリアを作ってもらったんでな。その礼さ」

「下手くそなドリアの礼にしちゃあ豪勢だな」

「なんせ"気に入った"んでね」

 

下手くそだとにやけるトニーに口角を上げて笑いかえす。

あれはあれでアジがあってよかっただろうよ。

ウチの店の標準価格を知らないグルーが俺達の会話に目を白黒させている。

ケラケラ笑う俺のシャツを掴んで、おもしろいほど真っ青な顔で悲鳴をあげた。

 

「アンタそんなに有名な職人だったのか!?」

「"有名"じゃないさ。なんせ名前を彫ったことが一度もない」

「なんだ、グルー。知らなかったのか。シードは修繕は適正価格、武器は気に入った奴以外吹っかけて作らずじまい、アクセサリーやら服はお気に入りにプレゼントって商売する気のねぇスタンスだぜ」

「トニー、馬鹿言っちゃいけねぇ。シードの作るもんは惚れ込んだ連中が何百万ドルでも出して買いたがる。金のなる木さ」

「ほー?エンツォ、それがお前の本心だな」

「あっやっべ」

 

珍しく失言したエンツォがそそくさと退散していく。

全く調子のいい奴め。

ここに書いてある十万ドルもどうせ依頼された時の金額からいくらか仲介料としてガメてるだろう。

無茶なほど引き抜く奴じゃないが、ちゃっかりしている。

 

「まあそういうことで、この間のは俺からのプレゼントでもあるんだ。トニーも世話になってる。本当は五ドルですら返すつもりだった」

「…怖くて娘に持たせらんねぇよ」

「持ちたくなきゃオークションにでも出しな。あの娘っ子のために金使うってんなら大歓迎だ。そのための"金券"なんでな」

 

俺は何かを作る時に必ず役目を決める。

コートなら怪我をさせないように、ブラッディマリーなら俺の半身、今回渡した誕生日プレゼントはいつか困った時に役に立つように、だ。

幼いトニーに与えてやれなかった家族のカケラを少しでも与えてくれたグルーには感謝しても仕切れない。

こんなことで少しでも役に立てるのなら俺は本望だ。

 

「これからもうちの子の相棒、よろしくな」

 

苦笑いを浮かべるグルーにトニーが面白げに笑う。

俺が突き出した拳には頼もしい父親の拳がぶつかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Gilver

Looks like a newcomer has come?(新人が来たんだって?)

Come, tell me what it's all about. (ああ、それがどうした)

What kind of person was his lover?(そいつの武器はどんな子だった?)

 

工房の作業台から身を乗り出すようにダンテに問いただすと彼は苦笑いを零す。

三日ほど前の晩、ボビーの穴蔵に新人がやってきたらしい。

その新人はダンテとまともにやりあえるほどの実力者であり、腕が立つのだと噂が既に広まっている。

たまたま仕事で遠くまで出ていた俺の耳に入ったのはつい先程のことだった。

 

なんでもそいつの獲物が東洋に多い刀だと。

俺も一応刀を作れる職人だが、自分以外の作品はあまり見たことがなく、とても興味がある。

ぜひ参考にしたいものだ。

 

「なんの変哲も無い刀だよ。切れ味抜群の業物ってところ以外は。魔具でもなさそうだった」

「なるほど。一発殴りあったんだろう。勝負の決着は"いつもの"で決めたみたいだが」

「クジラもイチコロなボビー特製ウォッカ飲んで酔い潰れるのは毎度のことだ」

 

ボビーの穴蔵には毎回恒例の新人の歓待方法がある。

喉が焼け、目が霞むほど強いアルコール度数を誇る特製ウォッカの一気飲み対決である。

"Chug chug chug! Drink drink drink!"なんて声高に叫ぶ雰囲気に飲まれたが最後、真面目に殴り合った方が何倍もマシな勝負が始まる。

酔い潰れたら連中に身ぐるみ剥がされて翌日には素寒貧だ。

トニーも惜しい戦いを繰り広げたが、結局むしり取られて帰ってきた覚えがある。

 

「同じように刀を使う奴がいるって教えたら随分興味を示してた」

「両思いとは嬉しいこった。今晩にもデートに誘いに行くとしよう」

「悪食も程々にしろよ」

「俺は面食いなんだ。食指が動くかは顔を見てからだな」

包帯男(ミイラ)相手に面食いかよ」

 

噂では口と目、鼻の先以外は全て顔を包帯で覆っているらしい。

細身のスラットした体型に合わせた仕立てのスーツが実に似合うという。

細身で弱っちいなどという評価が出てこないのは彼の実力が本物だと証明されているからだ。

トニーとギルバがコンビを組めば依頼達成率はうなぎ登りだと誰かが言っていた。

 

「帯刀してあの酒場に行くのは初めてだ」

「アンタ、素手で今まで手加減してきたからな」

「素手でもタフな悪魔が武器なんか持っちゃあ人間が惨めで無様で愚かでかわいそうだろ?」

「御同輩はそう思ってなさそうだったけど」

「塵は塵、俺は俺だ。おいで、マリー」

 

塵芥から生まれる文字通りのクズ共と一緒にされて非常に不愉快だという顔を隠そうともせず、現れたマリーを腰に携える。

工具用のベルトからポーチを抜き去り、マリー用に作った金具に通す。

本来は東洋の民族衣装の帯なる部分に刺すものらしいが、ベルトに通るとも思えず別に固定部分を設けた。

朱鞘のマリーが美しく見えるよう、鈍く輝く金の金具である。

 

「さて、俺の奢りでストロベリーサンデーでも食いに行きますか」

 

歓喜するダンテとまたかと言いたげなマリーの声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

あいも変わらず怒号が飛び交うボビーの穴蔵に行けば、件の男らしい包帯男がバーカウンターにいた。

優雅に足を組みながら煽るはウィスキーだ。

チビチビと煽っている様子を見るに酒はさほど強くないらしい。

トニーと共に男を挟むようにしてドッカリと座れば、男は俺の彼女を一瞥した。

 

「よぉ、前に言ってたアンタと同じ刀使い、連れてきたぜ」

「Hi. 俺はシード。武器職人をしてる」

「ギルバだ。武器職人がわざわざここへ?」

「ここは酒場だ。酒を飲んで金を落としていく分には構わないだろ?」

 

包帯男改めギルバの獲物は確かに刀だった。

一目で見てわかる。

どの素材も全て人間界で手に入るものではない。

そしてこの男が放つ気配。

あまりにも薄いが、過去に感じたことのある匂いもある。

 

「アンタこそ、こんなところで便利屋するようなタマには見えないね。特にその刀。"コッチ"じゃあ見ることすらできないだろうなぁ」

「ほう。"やはり"分かるか」

 

なるほど。

"もうバレちまった"のか。

さてどう始末をつけるか。

まさかこんな回りくどいやり方をアイツがしてくるとは予想していなかった。

ずいぶん陰湿なやり方だ。

 

Hmm. Cute girl.(ふむ、可愛い子だ)レディのお相手(修繕)が出来るならタダでも構わないね。うちのマリーもご機嫌だ」

「それだけで構わないのかね?」

Shall we Dance?(ダンスがご希望で?)

 

まさに一触即発。

一分の隙もなくお互いを見据える瞳の先に殺意の炎が揺らめく。

ギルバが刀へ手をかけようとしたその刹那、パッと雰囲気を変え俺はにっこり笑った。

一瞬固まったギルバの前に、ドンッとグラスが置かれる。

 

「じゃあ一つダンスと行こう。運がいいな。今日は俺とトニーの勝負の日なんだ。君も混ざるといい」

「……?」

「ラッキーだな、ギルバ。今回はシードの奢りだぜ」

 

困惑するギルバをよそにどんどん目の前に置かれるストロベリーサンデー達。

そう、グラスはグラスでも女子供の食べ物と酒場の連中に罵られる最高にスイートなストロベリーサンデーのグラスだ。

月に一度、どちらかの奢りで行われるトニーとの一騎打ち。

 

「今回で何回目だったか?」

「さあな、忘れた。俺が勝ったら、いつもの通りアンタが俺の借金のツケを払うってのでいいよな」

「オーライオーライ、お前が負けたら俺へのステキな武器素材プレゼントだ。ギルバは…まあ、あとで考えるか」

 

勝負は単純明快。

より多くストロベリーサンデーを食い切った方が勝ち。

後ろで怒号を飛ばす連中がいつもの光景を見て眉をしかめているのが良く分かる。

こんな甘ったるいものが山の様に置かれていたらそんな顔にもなる。

 

未だに状況が飲み込めないギルバは、なんとなく強制なのを察したらしい。

目の前に置かれたスプーンに視線が行っている。

これ食べるの?馬鹿じゃないの?アイス乗ってるよ?凍死するよ?自殺志願者なの??とでも言いたげな顔である。

残念なことにコイツで勝負するのは決定事項だ。

 

It's sweeter than drinking a vodka barrel.(樽飲みよりスイートだろ?)

sweet…(甘い…)

Yes. sweet.(そう。甘い)

 

目の前に置かれた甘いグラス達に包帯男の顔が向けられた。

 

試合開始の合図はない。

好きなタイミングで好きな時に食べ始めるのがこの勝負のルール。

飲み物は安酒のビール限定。

作り手にもよるが、ストロベリーサンデーは甘いだけの物じゃない。

 

苦い酒を飲み慣れた野郎共なら一口入れただけで甘いと叫ぶだろう。

しかし超が付くほど甘党の俺達に言わせてみれば、ボビーの作るものはなかなか酸味が効いている"甘さ控え目"のストロベリーサンデーなのだ。

 

かき込むように食べるトニーとは対照的に俺はゆっくり食べる。

一口が大きく、一つのグラスに五回もスプーンを通せば空っぽになってしまう。

スピードはほぼ互角。

俺達の前に空のグラスが五つほど並んだ頃に漸くギルバが口をつけた。

 

食べながらもギルバをジッと見ていると、向かい側のトニーも同じように見ている。

包帯男がストロベリーサンデーを食べる光景なんて早々お目にかかれないだろう。

ハロウィンでもなかなか見られない。

 

まず一口。

ストロベリーソースがたっぷりかかったクリームを惜しげも無く含む。

もうこの時点で野郎共は口元を押さえて酒を一気飲みするレベルだが、ギルバはなんともなさそうな顔ですぐさま二口目に移った。

心なしか口元が緩んでいるように見えて、トニーと二人で笑った。

 

「お仲間とは恐れ入った。ここのストロベリーサンデー、美味いだろ?」

「ああ、"甘い"な」

「いいねぇ、そうこなくっちゃ。シード相手だけじゃあ飽きてきたところだ」

「おお?言ったなトニー」

 

So, sweet.(楽勝だ)

一口の速度が速く、しかし優雅に足を組んで食べる姿は中々にキマっている。

体格のいいトニーやおっさんの俺が食べると違和感があるのに、細身の包帯男はサマになるなんて不公平だ。

七杯目の空っぽのグラスを脇に退け、八杯目を手に取った。

 

 

 

 

 

ぐったりとカウンターに突っ伏す男が二人。

一人はトニー、もう一人はギルバである。

目の前には数十杯分の空のグラスが置かれており、ピンピンしている俺は食後のコーヒーならぬ食後のビールで呑気に祝杯を挙げていた。

御察しの通り俺の勝ちである。

 

トニーもギルバも大健闘だった。

僅差で先に落ちたギルバに続いてトニーも突っ伏したのがつい先刻。

余ったストロベリーサンデーは綺麗に俺が片付け、多めの代金をボビーに支払っている。

この場合誰が先に落ちたなど関係なく、二人とも敗者扱いだ。

 

「トニー、分かってるよな?」

「…Yeah. しばらくプレゼント探しだな」

「ギルバは初戦にしては健闘した。慈悲をくれてやろう」

 

顔を上げた二人にニタリと笑う。

 

「One night. 」

「…なんて?」

「だから、一晩」

「は?」

 

言われたギルバよりトニーの方が驚いている。

こんな裏社会に住んでいて一晩の意味もわからないやつは居ない。

つまりは"そういう"意味である。

 

「おいおい、女と遊ばねぇと思ったらソッチかよ」

「お持ち帰りだ、ギルバちゃん。ほら、トニーも帰るぞ」

「は?え?嫌なんですけど?帰りたくないんですけど?」

 

固まったギルバを抱えて抵抗するトニーの首根っこを掴み上げる。

酒場の連中は君子危うきに近寄らず、とばかりにスルーの構え。

俺は誰に邪魔されることもなく大の男二人を軽々持ち上げ、家路への道を後にした。

 

 

 

――翌日の晩。

微妙な顔のトニーとギルバが一緒に穴蔵へとやってきた。

噂を聞いていたグルーが少々顔を引きつらせながらも、怖いもの見たさに近寄っていく。

 

「よぉ、トニー、ギルバ。昨晩はお楽しみでしたね、で良いのか?」

 

いつもなら何かしらの軽口が飛んできそうなものだが、口を開くどころか無言でバーカウンターにギターケースを置く。

彼の長剣が入っているケースだ。

同じようにギルバも持たされたのであろうギターケースを隣に置いた。

幾分か細身でかなり軽い素材のケースだ。

二人がケースを開けると、輝く程綺麗に磨き上げられた長剣と刀が現れた。

 

「コイツらと一晩、だってよ」

 

傷一つ、刃こぼれ一つない程に丁寧に磨かれた二振りは一晩で仕上げられたとは到底思えない程の出来栄えだ。

なるほど、ソッチはソッチでも人ではなく武器の方とOne night love(愛し合った)らしい。

触れただけで切れそうな仕上がりはどう見てもシードの仕業だ。

 

トニーとギルバはさっさと風呂にぶち込まれて寝かしつけられ、快眠の末に昼頃に胃に優しいものを食べて夕食も出され、さっさと仕事にありついてこい!と蹴り出されたと。

武器も調整され、体調も抜群。

仕事をするには絶好のコンディションだと言うのに言い様のない気持ちになっているという。

 

「抱かねえのかって聞いたら"お前みたいなガキ、相手にするわけねぇ"の一言だし…俺が恥晒しただけじゃねぇか…」

 

二人一緒にお持ち帰りの時点で悟りを開いていたのに、いざ家に着けば心底怪訝な顔をされて先程の一言。

別にそうなりたかったなんて微塵も思っていないが、拍子抜けもいいところである。

ギルバなんて子供のように終始世話をされ、素早く新品の包帯に交換させられていた。

顔を見られるチャンスかと思ったが、あまりの手際の早さに全く顔が見えなかった。

 

「ah…ドンマイ?」

 

掛ける言葉が見つからない。

グルーのなんとも言えないような慰めの言葉に二人揃って溜息をつく。

あのおっさん、次こそは負かしてやる。

トニーとギルバは固く誓い合った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Tidal

名もなき武器屋には店先のカウンターというものがない。

さらには看板もなく、何処にでもある民家を模している。

裏社会の人間であれば、目的はなんであれ一度は訪れたことがあるだろう。

トニーの相棒であるグルーもまた、一度訪れたことがあった。

その時は愛銃のメンテナンスを頼みに来たのだが、本日は違った要件でここを訪れた。

 

「おや、ここは子連れで来るところじゃないぜ」

「分かってるさ。折り入って頼みがあってな」

 

次女のティキと三女のネスティがグルーに手を引かれて我が家にやってきた。

いつもなら家に上らせず、何が望みか問いかけるのだが玄関先に幼い少女を立たせるほど鬼ではない。

ウチは土足厳禁なんだ、と付け加えて部屋履きを三つ並べた。

 

「で?ご用件は?子供に聞かせてもいい内容かい」

「…すまない、出来れば…」

「Yeah. ティキ、ネスティ。こっちにおいで。お父さんとおじさんは大事な話があるから君達は遊んでいてくれたまえ」

 

幼い少女とはトニーが世話になってから何度か顔を合わせている。

グルーとはまた違った父親のように思ってくれている二人は、すぐに近寄ってきてくれた。

ふむ、女の子が喜ぶようなのはどんな部屋かな。

 

「Hay. マリー、手伝ってくれよ」

 

階段に直通でつながっているはずの扉の前でコンコン、と踵を踏み鳴らす。

何度か踵を鳴らしたところでガチャリッ!と扉が音を立てて開いた。

目の前にあるはずの階段が奥へと移動し、ないはずの可愛らしいピンクの扉が増設されている。

中を開けると、女児が喜びそうなファンシーなおもちゃが沢山詰まった部屋が出来上がっていた。

何気に子供用のベッドが二つも付いている。

やるな、マリー。

 

「あーうー!」

「遊んでいーの!?」

「勿論だとも。危ないことはしないようにね」

 

キャッキャ騒ぎながら駆け出した二人の笑い声につられて、グルーが隣から部屋を覗き込んできた。

少し前にこの家を訪れた時には階段が目の前にあったのを見ていたからだろう、怪訝な顔で廊下を眺めている。

 

「…アンタ、いつの間に改装したんだ?」

「Now.」

「ンなアホな」

「事実だから仕方ない。さ、大人の話をするんだろう?工房へ行こう」

 

不思議そうな顔をしたままのグルーの背中を押し、工房に備え付けられた椅子に座らせる。

キッチンから適当にコーヒーを入れて持っていくと、彼の愛銃のパイソンを丁度取り出しているところだった。

ウチはガンスミスじゃ無いんだがね。

 

「改めていらっしゃいませ。ご注文は?」

「すまない、シード。実は武器の依頼じゃないんだ」

 

申し訳なさそうに俯いたグルーの顔は浮かない。

 

「だと思った。子供を連れてウチにくるのはおかしい。さらに下の二人しか連れてこねぇのも変だ。ジェシカはどうした」

「…ジェシカが、重い病気にかかっちまったんだ。薬を買うのに金がいる」

 

グルー曰く、長女ジェシカは重篤な病にかかっているらしい。

少し街から外れた病院に入院しており、医療費を稼がねばならないという。

トニーは今、ギルバと一緒に指名されてしまっている状態。

今まで通り相棒としてついて回るのは不可能な状態だった。

 

つまり、グルーの実力でも達成可能な汚い仕事でさえも行わなければならない。

便利屋の中で最底辺と言われる暗殺依頼でも。

 

もしかしたら帰ってこられないかもしれない。

その時残された子供達の事を考え、表社会にも仕事を持ち、信頼できる俺を頼ってきたらしい。

 

「ネックレスはどうした。俺の作ったアレならどんな節穴でも金を出す。売ればいいじゃねぇか」

「アレをつけてるとジェシカの症状が幾分か和らいでるんだ。気休めかもしれねぇけど…」

「…なに?」

 

"あのネックレスを付けて症状が和らぐ?"

 

「勿論売って薬を買ったほうがいいのは分かってる!でも、あんな大事そうに抱えられてちゃあ、俺は、俺は…」

「分かった。もういい。事情は分かった。だが待て、仕事には行くな。お前もここで待っていろ。金ならいくらでも出してやるから絶対にこの家を出るな。いいな」

「おいおい、俺はアンタに金をせびりに来たんじゃあない」

「ダメと言ったらダメだ。納得できないなら依頼として出す。"俺が留守の間店番をする"ってな」

 

思い当たる最悪の状況を加味し、最も守るべき預かり子(ダンテ)を優先した上で、関係者を全て助ける必要がある。

人間は繋がりを大事にする。

エヴァ、スパーダ。

あの子を、あの子達を守ってやるってのはそこを含めてなんだろう?

 

それに、これは俺が"蒔いた種"だ。

同族の牙が思いの他速く、目の前まで迫ってきている。

ゆっくり端から潰していこうと思ったのに相手も同じ考えだったとは。

外堀を埋め、ジワジワと確実にこちらへと。

仕掛けるのなら死なない俺よりトニーに、ダンテに仕掛けに行くはずだ。

 

「グルー…ニールの婆さん…穴蔵の連中…襲うなら先ず穴蔵か…?」

 

ブツブツ小言を言いながら工房を駆けずり回り、長らく仕舞い込んでいた黒いコートを引っ張り出す俺を、グルーが呆然と眺める。

毎度トニーに作っているようなコートと同じ素材、同じ強度を誇る少しだけ細身な黒コート。

なにかとゲンを担ぐ裏社会の人間には似合わない格好だ。

 

「マリー!カチコミだ!急ぐぞ!」

「ちょ、ちょっと待てよ。急にどうしたんだ」

「グルー、もしトニーが戻ってきたらニールの婆さんのところへ行くように伝えろ。ボビーの穴蔵で落ち合おうってことも」

「本当に留守番させる気か!おいおい、武器職人が刀持ち出してどこ行く気だよ!?」

 

いつぞや帯刀して穴蔵に行った時、グルーはいなかった。

初めて見るマリーに心底驚いている。

それはそうだろう。

俺はあくまで武器職人。

誰かに刃を向けるなんて冗談じゃない、と宣っていたのに。

俺の言う誰かとは人間のことで、悪魔なら別だなんてダンテしか気がつかなかっただろうけど。

 

グルーの制止を聞かずに、家を出る。

扉が閉まったのを確認し、次元の狭間に一太刀入れるとたちまち歪み始め、もう一度扉を開けるとグルーの間抜け面はなく、綺麗さっぱりなにもなくなった空き家が出現した。

工房を現実から隔離したのだ。

空き家の室内にはここにきてから設置した緊急用の姿見がある。

異変に気がついたダンテならばこの姿見で工房に飛ぶだろう。

 

「起きろ、リュドミラ。久々の出番だ」

 

俺の作品の中でも特に強度の高い防衛魔法陣が敷ける優れもの魔具に呼びかけると、ぬらぬらとした影が伸びる。

深淵の奥にケタケタと笑う悪魔の影がこちらに手を伸ばす前に、ペシリと影を叩いた。

今は君と遊んでいる場合じゃないのさ。

 

「今から投げる場所できちんと役目を果たすんだ。何なら一戦交えてもいい。ただし、襲ってきた奴限定で。君からは手を出してはいけないよ。いいね?」

 

不服そうな影の答えを待たずに穴蔵への次元に放り込んだ。

後で適当に魔力をあげてなだめよう。

リュドミラは魔具の中でも比較的温厚で言うことを聞いてくれるタイプだし。

ムンドゥスの人間界侵略の時に生け捕りにした高位の悪魔だけど。

 

「ホラーの定番といえば病院だし。楽しいアトラクションを用意してくれてるんだろうなぁ」

 

勝手に人から折った"枝"なんか使いやがって。

絶対にぶん殴ってやるからな、ムンドゥスの野郎。

 

 

 

 

 

 

 

 

トニーは腕に絡みついてくる女達をやんわりと引き剝がしながら、急いで寝ぐらに歩いていく。

今日は厄日だ、そう思いながら素寒貧で寂しい財布を振る。

殺しをよしとするギルバに賛同した気の強い連中が軟派者代表のトニーと争うことを恐れ、穴蔵の店主ボビーに入店拒否されてしまったのである。

 

今日は特に荒くれ者が多く、店を壊されては困ると。

一時の仕事のために出禁になるのも割に合わない。

腹も減ってきたし、今日の所は養父の元へ帰ってしまった方が良さそうだ。

きた道をとんぼ返りで戻っていき、いつもの寝ぐらの玄関の戸に手をかけると違和感に首をかしげる。

 

「…Hey, seed.」

 

返事がない。

いつもなら内側からガチャガチャと歪な音と共に工房への直通扉を開いてくれる養父が、呼びかけに無反応なのは有り得ない。

今日一日工房に篭っていくつかの魔具をメンテナンスすると言っていたのに。

急に出かける予定が入ったにしては、家の中の空気が寒い。

ガチャリと抵抗なく開いた扉の向こう側はもぬけの殻だった。

 

「Oh, my gad! 俺を置いて引っ越し…じゃあ無さそうだな」

 

思わず大声を出してしまったがよく見たらあからさまに目立つ姿見が置いてある。

これは"使え"と言うことらしい。

あのシードが大慌てで自分の次元、時空に閉じこもるなんてらしくない。

無駄だとわかっていても抵抗するタチだと思っていた。

 

「えぇっと…seedっと」

 

ぼんやりと鏡の向こう側にいる自分が揺れ動き、一瞬で向こう側の工房にある姿見につながった。

するりと向こう側へ抜けると、ガタッと何かを倒す音と共に鈍い音が響いた。

 

「ト、トト、トニー!?なんで鏡の向こうから!?」

「あ?グルーじゃねぇか。アイツが俺以外をココに入れるなんて珍しいな」

 

今までこの工房に本当の意味で立ち入れたのはスパーダ家の面々だけだった。

鍵を所有しているのもシードとトニーと、いるかいないのか分からないままの奴が後もう一人。

それ以外の者が入ったと言うことはシードがここに招いた以外の何者でもない。

 

「シードのやつになんか言われなかったか?」

「よく分からんが、突然シードが出て行ってから玄関が開かなくなって、お前が鏡から出てきた。伝言なら預かってるが…」

「なんだって?」

「すぐにニールの婆さんのところに行け。ボビーの穴蔵で落ち合おうってさ。一体全体どうなってるんだよ、この家は」

 

と言うことは家主、いやこの次元の主であるシード本人はどこかへ行ってしまったらしい。

最近街中で悪魔に奇襲をかけられることが多かったが、シードにまでちょっかいをかけ始めたか。

基本工房から出ない神出鬼没のレアエネミーを探すだけで骨が折れそうなのに、よくやる。

 

「そういや、グルーはなんでここに…いやいい。後で聞く。今はおじさんの言う通りに動くしかねぇな」

 

グルーの複雑そうな顔に苦笑いを返し、また鏡へと向き直った。

全く、あの養父の行動は突発的すぎる。

連絡の仕方が置き手紙が伝言の二択しかない。

今度から工房に電話線を引くことをお勧めしておこう。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Hospital

街並みから少し離れた場所にある大きな病院。

そこへゆったりと立ち入る。

重苦しく、暗く、苦痛に蠢く声に耳を澄ませながら飛んできた鎌を指先で摘んだ。

 

「Hay! ジェシカって子の病室の場所を知らないかい?」

クリフォトォォォォォ!

「Ok. 知らないってことね」

 

ドクロのような顔とボロ布を被った悪魔に返す手でマリーを突き刺す。

どこから発声しているかもわからない甲高い悲鳴を上げながら魔力を吸い尽くされ、ものの数秒で塵へと還った。

うん、クソ不味い。

ここは病院だし後で輸血パック探してから帰ろう。

あるかもわからないが、無かったら諦めていつも通り調達するしかない。

 

「一番濃いのは最上階の端か。目的の物が一番遠いとは。まるでゲームみたいな配置だなぁ」

 

言うや否や、四方八方から振り下ろされた鎌がその身に刺さる。

肉を裂く音を奏でながら全身に刃を生やすことになった俺は、軽く笑いながら一番近い悪魔の眉間にマリーをぶっさした。

わざとグリグリねじ込んでやるのは可愛い悪魔のいたずら心だ。

 

「Hey hey hey, how's it going, having fun?(楽しんでるかい?)

 

病院でパーティなんて随分面白そうだな。

塵になった悪魔が紅く発光した途端、周囲に赤黒い針が伸びる。

針は周囲にいた悪魔達を脳天から串刺しにし、何かを吸い出すような動きを始める。

塵の癖に人間の血なんて持っているからバチが当たったようだ。

 

悪魔の血と人間の血が交互に送られて来るが、悪魔の血の方が多くて不味い。

栄養満点なのはいいんだが、このマズさだけどうにかならないか。

苦言を呈し、ため息を吐く。

手に持ったマリーに何かを囁かれ、別になにが起きても構わないと一二となく頷いた。

 

針が俺の方に来たかと思うと、体から鎌を引き抜いて自分の中に取り込み、マリーの周囲に浮かび上がった。

 

「今日のお気に入りはソレ?そんなに刃こぼれしたサビでいいのかい?俺のコレクションから選んでもいいんだぜ?」

 

返答はなく、早く進めと言わんばかりに触手のような鎌が周囲を切り刻む。

今日のハニーは随分気が立っているようだ。

まあ、自分の餌場にこんなに低級の悪魔を召喚されちゃあ腹も立つ。

美味しいご飯(輸血パック)を食べようにも気分が台無した。

唯一の利点は召喚された奴らは皆、人の命を糧に生まれる。

少量の血を持っているから、食えばそれなりに腹が膨れるのだ。

 

「ちなみに俺とダンスする気は?」

 

手の中にいたはずのマリーが勝手に浮かび上がり、ヒュンッと風を切る。

一直線に俺の腹に飛び込み、串刺しにしてきた。

俺の可愛いハニーが胸に飛び込んできてくれるのはとても嬉しいが、刀身を打ち込むこたぁないだろう…。

地味に痛いんだぜ、コレ。

 

All right. (わかったよ)

 

No thank you!

強い意志で拒否の意思を示されたら、例え据え膳でも喰わぬのが掟。

今の彼女は俺を置物か自分専用のスタンド程度にしか思っていないだろう。

使ってるのか使われてるのか分からねぇな。

所詮は武器職人ということか。

 

「ここは色々と歪んでて次元を断てない。ショートカットは無しだぜ」

 

迫り来る悪魔を切り刻む恋人の手足を眺めながら、送られて来る栄養の不味さに顔をしかめる。

面倒臭そうなマリーは俺のことを"無能"と罵った。

仕方がないだろう。

変に歪められた場所で次元への扉を開くと座標が狂う。

魔界に近いこの地で下手に開くと巨大な穴で魔界と人間界を繋ぎかねない。

 

だからお前はダメなんだとか、どうせ役に立たないのに戦おうとするなとか、死にたく無ければ不味くても魔力を受け取れとか。

ガミガミ叱って来るマリーの言葉を右から左へと受け流し、適当に頷く。

二階へと上がる階段に差し掛かる時、カキンッと甲高い音を立てて何かが弾かれた。

弾いたのはもちろんマリーの手足である。

 

どうやら俺の視界に入る前に切り刻んでいた悪魔達の中で一匹だけ素早いのがおり、取りこぼしたらしい。

俺のすぐ目の前まで刃が迫っていた。

安心しきってマリー自身を構えもしていなかったが、あと数巡遅ければ少し痛い目を見ていた。

刺された程度で死ぬことはないが名の通り所詮は種、若しくは若木である。

意図せぬところに傷が付くと後で大木になる時に何か支障が出るかもしれない。

 

「ご、ごめんマリー。ちゃんと俺も警戒するからそんなに怒らないでくれ」

 

先ほどよりも激しく怒鳴られ、一斉に牙を剥かれた。

なんだかんだ言って守ってくれるハニーのことは愛してるが、ちょっとコレは愛が重いんじゃないかな。

ちょっと刺さってる。

可愛らしいお手てが腹に刺さってるよ。

 

――早く枝を見つけなさい。貴方の半身の所為でスパーダの息子が迷惑を被っているのよ。誰かに迷惑をかけるなんて!無能のくせに恥を知りなさい!

「悪かったよ。ブラッディ・マリー。許しておくれよ」

――反省のはの字でも申し訳なさそうにしなさい!ついでに名前を返しなさい。

「どさくさに紛れて聞いても返さねーって」

 

チッ!と女の子らしからぬ舌打ちが聞こえた。

おいおい、レディがそんな下品な音を出すんじゃないよ。

 

俺の作った魔具は全て本来の名を奪われた悪魔が宿っている。

彼女らが俺から逃れるためには名前を取り返す他なく、度々こう言った要求が挟まれる。

勿論、手放すつもりはない。

どうしても俺から逃げたければうっかり口を滑らすのを待つしかないのだ。

マリーは特に積極的に要求して来るタイプで、こうしてどさくさに紛れて迫って来る。

 

「ほら"アンジェリカ"ちゃん。もうすぐ枝の近くだぜ」

――その先を!

「言うわけないだろ」

 

もちろん、こうしてちょい出ししても完全で無ければ意味がないのである。

こう言う類の煽りはよく効く。

言うことを聞かない魔具にムカついた時はこうして奪った名前をチラつかせるといいだろう。

好き好んで魔具になってくれるいい子ちゃんも世の中にはいるが、俺はじゃじゃ馬を乗り回したいタイプなのでそう言った子はウチにはいない。

 

あんなにたくさんの魔具に宿った悪魔の本当の名前を全部覚えてるのかって?

馬鹿言うんじゃない。

俺が覚えてるのはほんの数個だけだ。

後は開放する気になったら適当に自分に名前をつけさせ、俺との契約を解除させればいいだけだ。

許可が出なければその解除方法も行えないが、いらない奴は総じて開放してからマリーで木っ端微塵に砕いている。

 

そうやって砕かねばならなかったのは今までで二振りしかいなかったが。

あれはちょっと宿した悪魔が悪かった。

どちらもムンドゥスが想像したムカつく奴だったのだ。

ソリが合わない上にろくに言うことを聞いてくれないから仕方なく砕いた。

あの時の断末魔で溜飲を下げたが、無茶苦茶に煽って来る奴だったなぁ。

 

「お、この病室だ。中から魔界の匂いがする」

 

たどり着いた病室はとても静かだった。

たった一点を除いて。

 

「ジェシカ…ああ、可哀想に。そんな姿にされてしまうなんて…」

――アンタが原因じゃない。心から可哀想だなんて思ってないくせに。

「煩いぜマリー。感動の対面を台無しにするなよ」

 

玉を転がすような愛らしい声は消え失せ、未来に輝いていた瞳には大粒の涙が溜まっている。

ハラリと落ちた一粒の涙は無粋な枝に吸われ、彼女の白百合のような立ち姿は半分も姿を消していた。

探し人のジェシカはその半身を魔界の樹に飲み込まれてしまっていたのである。

その胸に輝くネックレスが淡く光っている。

 

傍らには猿のような悪魔が佇んでいる。

お互いにやり合う気なら真っ先に攻撃して来るだろうに、マリーも猿も動かない。

両者ともに静止したまま睨み合うように黙り込んだ。

ふと、猿が小さく口を開けた。

 

「クリフォト。ムンドゥス様はお前の帰還を望んでいる」

Want?(望む?) It would be a forced mistake!(強制の間違いだろう!)

 

二重の輪のように頭に響く質の悪い声に眉をしかめる。

悪魔の声を聞いたのはあの大火災以来だ。

喋れる程高位の悪魔、次元を渡れるほどの魔力の持ち主、それらに人間界で出会うのはまず不可能に近いのだ。

そしてまず間違いなく、喋れる連中はムンドゥスの手下である。

相手にするのが嫌とまでは言わないが、捕まれば最後。

もうダンテには会えないだろう。

 

「その人間の子供を捕まえてどうしたかったんだ。俺の枝を使えば俺が出て来ると思ったのか?それとも俺が匿っているもう一人を殺しに?」

「どちらでもよかった」

「なるほど。どちらが釣れても万々歳って計画か」

 

荒ぶるようにマリーが揺れ動く。

お前は下がっていろと言わんばかりに激しく手先を動かす彼女を制し、ジェシカに微笑みかけた。

 

「待っていろ。すぐに治してやるからな」

「戯言を抜かすな。枯れ木風情が」

 

その一言にマリーが牙を剥いた。

一斉に襲いかかる刃物の渦を猿は器用に切り抜ける。

この程度の身のこなしは想定内。

数々の大物をその腹に納めてきた歴戦の悪魔たるマリーにはなんの意外性もない動きだ。

返す手に乗せられて俺に降り注ぐ鉤爪をマリー本体で弾き、鼻歌を歌う。

 

俺は自分の意思で腕すら動かしていない。

俺の腕に巻きついたマリーの手足が勝手に動かしているのである。

若木のしなりは人の腕と格段に違う。

骨も筋肉も好きなように折れるほど振り回しても叩きつけてもビクともしない。

分かっている彼女は遠慮することなく強引に猿の腕を切り落とし、畳み掛けるようにその首を裂いた。

 

ぐしゃりと血を落としながら落下した頭に足を乗せ、目を合わせる。

首を斬り落とした程度で悪魔はすぐに死なない。

まだ動く体をマリーに任せ、頭とのお話に入った。

 

「敢えて言おう。ムンドゥス、君の所には絶対に帰らない」

 

じゃあね。

頭部を自らの意思で一刀両断すると、その身も頭も塵となって消えた。

ここにいる悪魔は皆低級ばかりだ。

この魔界の瘴気に惑わされなければ誰だって対応できる程度の強さしかない。

まだ人間界しか知らないダンテには厳しいかもしれないけれど。

 

「さて。お待たせ、ジェシカ。痛かったね。辛かったね。もう大丈夫だ」

 

頬を伝う涙をぬぐい、彼女を蝕む枝に触れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ガチャリと玄関の扉が開かれる。

グルーは顔を上げた。

何もすることがなく、幼い娘達は遊びに夢中で入る隙もなかった。

愛銃のパイソンのメンテナンスをしようにも工房を下手に触れず、トニーも何処かへ行ってしまい、途方に暮れていた。

そんな中で開かないと思っていた扉の音に驚いたのである。

 

「ジェシカ!!」

「よぉ。見事完治して退院だってさぁ。おめでとさん」

 

横抱きに抱えられ、安らかに胸を上下させて眠る長女の姿にグルーは急いで駆け寄った。

あんなに魘されて具合が悪かったのにすっかり元どおりになっている。

一体どんな手品を使ったのかとシードを見ても彼はにっこり笑うだけだ。

 

「トニーには伝えてくれたか?」

「あ、ああ。鏡から出てきて凄くびっくりしたが…」

「そうか。俺はこれからトニーを追いかける。ジェシカは…俺たちの部屋じゃあ寝かせられないしなぁ」

 

ついて来いと顎で促され、工房の何もない壁の方へ向かう。

シードが軽くつま先で地面を蹴ると突然扉が現れた。

あんぐり口を上げて驚くグルーをほったらかしに、現れた扉の奥へと入っていく。

それなりの家具が置かれた、なんの変哲も無い二人部屋が出来上がっていた。

 

「狭くて悪いな。ベッドは大きめにしたから、隣の部屋にいる娘達が寂しがるようならこの部屋で一緒に寝てくれ。工房はむやみやたらに歩かないように。二階は俺とトニーの部屋だ。入るときはノックしてくれ」

「待て待て待て!!まるで今夜はここに泊まるみたいな…!!」

「そうしろって言ってるんだ。娘三人連れてこの夜道を帰る気か?このレッドグレイブの掃き溜めで?」

「それは…」

 

ここは住宅街とも言えない廃墟が立ち並ぶ薄暗い路地。

こんな夜更けに出歩くならば全て自己責任だ。

女子供が出歩いて命の保証があるかと問われればノーと答えるしかない。

荒事に慣れたグルーただ一人ならまだしも、娘達まで巻き込まれては追い出す側のシードとしても目覚めが悪い。

 

更に、シードはこの一連の悪魔がらみの事件が今夜で終わるとも思っていないのだ。

誰が関与しているか見当がついていると言っても相手がどこまで動いてくるかわからない。

乗ってくるか飄々とかわされて一杯食わされるかは相手の出方次第なのだ。

下手に刺激して被害が拡大した方が不本意なのである。

 

「泊まってけ。それともウチは信用できねぇか?」

「それは無い。アンタはこの街でも珍しいぐらい信頼できる。度がすぎるほどの変人だ」

 

確固たる自信を持って紡がれた言葉にそっぽを向いた。

珍しい程に賛美する言葉が並んでいる。

 

「字面だけ見れば褒めてねぇな」

「真面目で義理堅くて人情のある裏社会の人間なんて変人以外の何者でもねぇよ」

 

からりと笑ったグルーはそれ以上何も言わずにジェシカをその腕に抱きしめ、部屋へと入って行った。

聞きたいことはたくさんあるだろうに、今はいいと言わんばかりに気を利かせてくれる奴の方が珍しいのによく言う。

工房の扉を消し、階段に続く廊下へ入り口を移設する算段を立て、独りごちた。

 

この家も大改造しないといけない。

階段へつながる廊下と彼らがいる部屋を分離し、別のスペースとして一つ広めに居間をつけた。

階段の真横に新しいダイニングが出来上がったのである。

この階段自体はキッチンと工房を挟む廊下の先に設置されており、結果的に不思議な間取りになってしまった。

 

ダイニングの反対側に広い食卓を設ける事で一階に四部屋あることにしよう。

今まで適当にキッチンに置いていたテーブルを片付け、木のように形を形成する大きな丸テーブルや椅子達を綺麗に装飾すること数秒。

一瞬で何もなかった場所に部屋が増設され、間取りもなんとなく使いやすくなった。

これでしばらくの間は二世帯で暮らせるだろう。

 

「さて、トニーを迎えにいくか」

 

ついでにあの包帯男にちょっかいをかけなければ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Solicitation

It's a reward for a cute person who works for you.(可愛い君にはご褒美だ)

 

店先に落ちていたリュドミラを拾い上げると、不服そうに唸っていた。

獲物が一匹も来なかったことへの抗議のつもりらしい。

褒美の悪魔から吸い取った少量の血を分け与えながら、リュドミラの唸りを聞く。

残念なことに俺が狙っている獲物がそう簡単に尻尾を出すはずもない。

今回は過剰防衛だったか?

 

Good morning, Seed. (ご機嫌よう。シード)Did you sleep well last night?(昨晩はよく寝られたか)

Good morning, Gilva. (おはようギルバ)

 

ぬるり、と影から包帯男が現れた。

いつも決まった時間に現れる男が昨夜は穴蔵を訪れなかったらしい。

これから店に入るというギルバを一瞥し、リュドミラを見ると小さく唸っている。

なるほど、獲物はいたが勘の鋭いやつで間合いに入る前に逃げられたと言ったところか。

今だって絶妙な距離感でリュドミラと俺の間合いに入ってこない。

 

What are you staring at each other?(何見つめあってんだ)

 

ふらりとわずかに顔を出し、朝日を背負って別の男が現れた。

またおじゃんにした赤いコートの代わりに黒いコートを羽織った彼は言いつけ通りに行動したらしい。

ニールの婆さんから奪ったのであろうサンドウィッチの食べカスが頬についている。

 

「挨拶をしていただけさ。これから店に入るのかい?」

「ああ。実は君と一緒に飲みたいと思っていてね。店まで誘いに行こうか悩んでいた」

「ふーん?俺も相席いいか?」

「勿論」

 

まるでたおやかな女性をエスコートするかのように俺の手をとるギルバにニヤリと笑い、恭しくその手をとる。

人間なら易々と骨が折れるであろう握力で握り込まれても涼しい顔で同じだけ握り返した。

寒い笑顔の応酬に首を傾げたトニーを引き連れ、三人で店に入るとやかましい連中がはけた後の静かな店内だった。

店の片付けを始めていたボビーが迷惑そうに俺達を見る。

 

「もう閉店の時間だぜ。出す酒も品切れだ」

「そう言うなよボビー。あ、厨房借りていいか?」

「全く!俺の話聞きゃあしねぇ!」

 

ぶつくさと文句を言いつつもカウンターにどっかりと三本のウィスキーボトルが置かれた。

多めの代金を支払い、たっぷり氷の入ったアイスペールとグラスも勝手にカウンターから攫っていく。

バーカウンターの内側に入ってもボビーは軽く小突いてくるだけだった。

 

「俺は寝る。さっさと飲んで帰れよ」

「はいよ」

 

この店で問題を起こしたらロクなことがない。

店の奥へと引っ込むボビーに軽く手を振って、二人に向き直った。

 

「なんだよ、シード。ボビーと随分仲がいいな」

「昔ちと助けてやったことがあってな。軽い頼み事なら聞いてくれるのさ」

 

カウンターに座った二人にシングルを置き、自分の前にはダブルを注ぐ。

何処からともなく取り出した我が家の冷蔵庫にある食料と器達を隅に起き、ツマミとストロベリーサンデーを作り始めた。

 

「で?俺とお喋りしたいって?」

「少し昔話をしようかと思って」

「old story?」

 

あるお方から聞いた話だ。

そう前置きをして、無口な男が嫌に流暢に話し始めた。

 

「二匹の悪魔が一人の人間に恋をする話だ」

Is a man Mummy in love!(ミイラが恋話!)look interesting.(面白そうだ)

 

まるで御伽噺のような設定だ。

カラリと氷が転がる。

薄暗い照明がスポットライトの様にギルバを照らす。

詩人ちゃんの口上は実にメルヘンだ。

 

「二匹の悪魔には決定的な違いがあった。一匹は世界最強の魔剣士。一匹は世界に厄災をもたらす最低の悪魔だった。彼らが恋をしたのは人間の女だ。美しく、清らかだった彼女に彼らは次第に惹かれていった」

「血みどろの戦いになりそうな組み合わせだなぁ」

「ところがそうはならなかった」

 

二匹の悪魔は異常な程に人間に友好的だった。

彼らは互いにを尊重し、愛した人間が最後に選んだ方が勝者だと定めた。

殺し合いの末に手に入れたとしても人間の女が喜ぶとは到底思えなかったからだ。

何よりも二匹の悪魔は親友の様な関係にあった。

刃を向けあえばどうなるかなどやる前からわかっていたのである。

 

「悪魔にとっては一瞬の間に決着がついた。最強の魔剣士に女は落ちた。清く負けを認めた最悪の悪魔はその地を去った。友と愛する女の間に子供が生まれるまで」

 

当てもなくふらふらと人の波を彷徨っていた最悪の悪魔は友からの声を聞き、再び女の前へと現れた。

愛する人が友との間に出来た双子を抱え、柔らかく微笑む。

 

「俺は最悪の悪魔は一体どんな気持ちでその様を見ていたのだろう、と興味が湧いた」

「そりゃあ腹わたが煮え繰り返る思いだったんじゃねぇの?」

「そうだろう。俺もそう思ったが、どうせなら本人に聞いてみたくなった」

 

ーーなあ?最悪の悪魔よ。

 

パチリと目があった。

赤い瞳をした包帯男が俺の顔を見る。

ずっと黙り込んでいた俺は出来上がったストロベリーサンデーをトニーの前に起き、氷が半分溶けたグラスに口をつける。

察しの良い方もそうでない方も聞けばわかる様な内容だろう。

 

先ほどの話はスパーダとエヴァの馴れ初めの話だ。

俺と言う邪魔者がいる、なんてことない恋の話。

スパーダは男前で強くて金もあって優しかった。

悪魔とは思えないぐらい人間臭いのに、人間に化けていられるのが不思議なくらい悪魔だった。

けれど、そこは俺と同じで。

 

エヴァがスパーダを選んだ決定的な理由はたった一つ。

そしてそのたった一つが、俺にはまだ理解できない。

分かるのに、解らない。

 

「そうさな…あの時はまあ、驚いたな。人間の赤子ってのはこんなに柔いのかって。抱えていいって言われた時ビビったもんさ。ぶっ壊しちまうと思ったから」

 

返答が予想外だったのだろう。

煽る様に上がっていたギルバの口角が少し下がる。

実の所、俺はまだエヴァを愛しているが、それはそれなのだ。

所詮叶わぬ恋。

俺の初恋は儚く散ったが、悪魔と人間の関係なんて食うか食われるかなんて物騒なものが根底にあるし。

 

「んで、その双子に恋…いや、愛を覚えた。守ってやらなきゃならないんだって思った。もし女の子が生まれてたら俺のハニーにしてやろうと思ってたんだけどなぁ」

 

ケタケタと笑う。

アホの子トニーがようやく自分達の話をされていることに気がついた。

あっと短く声を上げて、不審な目でギルバを見る。

まだこの性悪の正体に気がついてないのかい、トニー。

 

「…結局、あの日は片方しか救えなかったけどな。今もずっと探してる。西側はもう探し切ったから、今度は東かな」

「シード、あんたもしかしてずっとアイツのこと」

「愛した女に、親友の男に頼まれたら無視できねぇだろ」

 

あの子はイヤーカフのことを忘れていない。

時折鏡の前に置かれている小さな紙にあの子が好きだった詩集の一節が書かれている。

返答する様にその続きを書くと、日を置いてまた違う一節が届くのだ。

生きてる。

たった一つの事実、されど重大な事実を元に今も探し続けている。

 

「なあ、ギルバ。別にお前が何しようと知ったこっちゃねぇがな」

 

カラン。

一欠片だけ残った氷を口に含み、態とらしく噛み砕く。

口の中にじんわりと広がる冷たさと爛々と輝く赤い瞳に冷え切った血の味を覚える。

ああ、愛する女を"食った"時もこんな気持ちだった。

 

「俺の縄張り荒らそうってんなら、喰う」

 

皮に牙を立て、肉を噛みちぎり、骨を砕き、血を啜る。

その包帯の下に隠れた俺を惑わす為のお綺麗な顔に噛り付いて目玉を吸い出して脳みそを引きちぎる。

生きたまま喰って魂だけ魔具に変えてやる。

 

クリフォトは食らえば食うだけ育つ。

二千年の間にゆっくりとはいえ食べ続けている俺の本性を舐めてもらっては困る。

人間らしく振る舞い、人間として生きているから忘れられがちだが、俺は悪魔だぜ?

 

「肝に銘じておこう」

「ぜーんぜん聞く気ねぇなぁ?」

 

フッと笑った男は琥珀色の液体を揺らす。

今ここでこいつをぶった切っても良いのだが、生憎なことにこの街を随分気に入っている自分がいる。

まだ出て行きたくない。

問題を起こすには少しばかり早い。

 

「なあ、シード」

 

トニーがストロベリーサンデーをつつきながら、気まずそうにどこかを見ている。

こちらに目線を合わせ辛そうに。

何を聞きたいのかを察し、あー、と短く感嘆符を漏らした。

誤魔化す様にグラスにウィスキーを注ぎ、口に含む。

子どもの前でする話じゃなかった。

話したのは俺じゃねぇけど。

 

「トニー、ギルバ。この残ったウィスキーで飲み比べしようぜ。誰が一番早く飲み切れるか」

 

次の言葉を発する前にサッと二人の前にボトルを渡す。

開けてしまったウィスキーの代わりに自室にしまっていたウィスキーのボトルをどこからともなく取り出して、ニヒルに笑った。

顔を見合わせた二人もまた同じように笑う。

 

三人同時にボトルへ手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なーシード」

「んー?」

「母さんのこと今でも好きか?」

「…いい女だった、とだけ」

 

酒に弱いギルバが酔い潰れた後、すっかり明るくなった窓の外を見ながら琥珀色の液体を傾ける。

俺の人格は最初に食った人間を元に作られているから、正直なんで惚れたのかは分からない。

何となく彼女に惹かれた。

 

「明るくて、優しくて、強くて…人間ってあんなに綺麗なんだって初めて知ったなぁ。何千年も生きてるのに!」

 

窓から降り注ぐ陽の光の様に暖かな女性だった。

人間も彼女に惚れていたのだから悪魔が惚れたって仕方がないよなぁ。

 

「親父のこと、憎い?」

「いいや。あれで良かったのさ」

 

くしゃり、と白い頭に手を置く。

不思議なことだ。

俺を救ってくれた悪魔と俺が初めて人らしい感情を向けた人間の間に生まれた子と暮らしている。

俺を構成する最初の人間は随分穏やかで優しい人間だったんだろう。

人間の言葉で正義感というのだったか。

 

酔い潰れる前に渡された小さな紙を眺める。

ただの紙切れに神経質なスペルが綴られていた。

 

I'm going to give you the illusion.

 

「幻想を貴方に、か」

「なんか言ったか?」

「なんにも」

 

魅力的な言葉だ。

俺が逃した夢を提供してくれるという。

だからギルバは"あの顔"に作られたのだろう。

欲しかったものを作ってくれる。

趣味の悪い人形遊び一つで人間界を血の海に沈める最低の悪魔が手に入るのなら、安いものだろう。

 

でもなぁ。

Playing alone is no better than nothing!(一人遊びなんて虚しいことこの上ない!)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Custom made

ある日を境に、グルー一家は工房の居候となった。

なんでも、便利屋からアクセサリー職人に転職するのだと言う。

師匠としてシードに弟子入りをし、手先が器用だった相棒は中々に綺麗な作品を作る。

半人前程度になるまできっちりみっちり叩き込むつもりで居候を強制していた。

 

これを機にシードも正式に店名を考える気になったようで、銘を入れる代わりにロゴを考えているのだとか。

師匠を家主に、その養子と弟子と三人姉妹。

うち悪魔一匹、半魔一人、人間四人。

デコボコすぎる六人組の短い共同生活が始まったのである。

 

現在午後二時過ぎ。

俺はグルーと三人姉妹が材料の買い出しに行っている間、最近すっかり武器を作らなくなったシードと書斎で寛いでいた。

 

La Divina Commedia.

神曲。

 

最初にその本を手に取った時、シードが口にした言葉である。

重々しい皮の表紙が禍々しい。

タイトルはイタリアの詩人による代表作であるはずなのに、つけているカバーに不思議なほど嫌悪感を覚える。

悪趣味、と言うべきなのだろうか。

 

Hey, seed. What are you reading? (おい、シード。何読んでるんだ)

As you can see?(見ての通りだが)

 

いや確かに見ての通りなのだけれど。

このおじさんが悪趣味だと言うことは一緒に住み始めてから嫌という程学んだが、今日の私物は特に酷い。

先日のグルー一家、シード家に居候事件から随分座りが悪いのか、そう言ったものを取り出してくることが増えた。

今まで奥底にしまっていたものを何故わざわざ取り出してきているのか。

 

「そのハードカバー、やけに気味悪い」

「ああ、お前にも半分血が流れている同族の皮だ。確か背中のあたりだったかな」

「悪魔の皮かよ!通りで極彩色な訳だ!」

 

カラカラと笑った彼が言うには、人間の皮や悪魔の皮で作られた本など昔は珍しくもなかったのだと言う。

今でこそめっきり見なくなったのは、悪魔の皮で作られたものは殆どが読めるはずもない魔界の言葉で書かれたもので、マニアなどに買われて行方知れずとなり、人間の皮の物は知らず知らずのうちに消えていたらしい。

ここに仕舞ってある蔵書にもそのようなものはいくつかあるのだとか。

 

「この皮はちょっと前に俺が作ったものだから、中身もそれほど古くない。四百年から六百年前ぐらいだったかな?」

「四百年以上前でちょっと前ね。それ、初版本じゃないか」

「ああ。神を悪魔で冒涜するのってなんとなく愉悦感があるだろ」

「やる事が小物くさいぜ」

「ちょっとしたお遊びさ」

 

ヘルブライトは骨ばってて皮が剥ぎ取り辛いんだ、なんてどうでもいい豆知識を口にしながら本を閉じた。

病院で起こったジェシカの一件について事の顛末を聞き、叔父と慕ってきた人の昔の恋話を聞かされてから早二週間。

あれ以来シードは自らの意思で工房に入っていない。

 

別の場所に小さく用意したグルー用の作業部屋があり、その隣に服飾デザイン用の広間を作ったようだ。

暇があればそこに篭って何やらごそごそと弄り倒している。

急に大きな物音がしたと思ったら三姉妹にドレスを作ってやったりと、どう見ても遊んでいるようにしか見えないのだが本人はいたって真剣に何かを作っている様子だった。

 

シードが何を作ろうと本人の勝手だが、彼が作業に入ってしまった事で俺のコートが全く進んでいない。

というか手すらつけていない様子だった。

おじさんの戦闘服だという黒いコートを支給され、それっきりだ。

 

「なあ、俺のイカしたコートはいつ出来上がるんだよ」

「今作ってるものができたら手をつける」

「そう言って五日も経つぜ。あんたらしくないぐらい時間がかかってるじゃないか」

「ちょっとな」

 

曖昧な返答をし、本を置いた。

思案するように俺の顔を見て懐かしそうに目を細める。

ああ、前からあったけど最近は特にこの仕草が増えたな。

 

家主は廊下へと出て行く。

あの様子だとまた作業部屋にこもるのだろう。

この二週間、人間らしい食事しかしていない。

夜にこっそり出て行って輸血パックと生きた悪魔の踊り食いパーティーをした様子もない。

そうまでして一体何を作っているのだろうか。

 

興味が湧いたら居ても立っても居られなくなった。

二階に新しく出来た部屋にはまだ一度も立ち入っていない。

拡張したグルー一家のスペース全てをふんだんに使った作業部屋とは如何程のものなのか。

別に立ち入り禁止と言われた訳でもない。

軽い気持ちで作業部屋へと足を進めた。

 

他の部屋と違うところは両開きの扉という事だけだろう。

デザインの変わらない質素な扉を一応ノックしてから薄く隙間を開ける。

カコンッと軽い物に当たる音を聞き、音のする下方を見ると籠が置かれていた。

中には一応形になっているいくつものコートやズボン、なぜか下着類もある。

生地は人間界のものやシードの言う魔界のものが入り混じり、仮縫いされただけの失敗作のようだ。

 

更に押し開けて中を見ると、およそ失敗作とは思えない完成品でさえも床に転がされていた。

まだ裁断されていない布は綺麗にまとめられているのに、気に食わないものは皆床の上。

たった一体のマネキンだけが置かれ、シードはその前に座って静かに新しく作ったのであろうコートを着せている。

 

白、黒、緑、黄色、橙、兎に角有るだけの布を集めて片っ端から形にしてしまっていた。

傍に立てかけられたイーゼルに一応の形はあっても、色は塗られていない。

色だけがどうしても決められないのか。

 

「それ、プレゼントか?レディにしちゃあ随分と逞しそうだ」

「ああ。頭飛び越して下着から足先までコーディネートするつもりでな。だがどうしてもコートだけがなぁ…」

「ブーツも手作りかよ」

 

いやに手先が器用な悪魔だ。

壊すことが専門な悪魔の常識を覆すほど、作ることに関して一級品。

今作っている服だってどうせプレゼント用だろうが、売ればかなりの金額になること間違いなしだ。

にしてもゴツイな、このマネキン。

 

「コートの色が決まらない?」

「絶対に似合う色地は知ってる。きっとそれが一番似合う」

「じゃあそれでいいじゃねぇか」

「俺の予想通りにその子が成長していれば、の話なのがネックだ」

 

手に取ったのは透き通るような青色。

元々曇天のような雰囲気の衣服の上に被せると覚めるような、それでいて均等になるような。

まさにこの色のコートを合わせるためだけに全てを作り上げたのではないかと思うほど似合う。

これのどこが駄目なのか。

 

「神経質でキレ癖があって生真面目で疑り深い、そんな子に育っているような気がする。だから青を選んだ…だが…」

「それだけ聞くと大分危ねぇ奴じゃねぇか」

「どこでどう転ぶか分からないのが人間のいいところであり悪いところだからなぁ」

 

きっとどんな性格でも一式身につけて仕舞えば様になるだろう。

しかし、シードのこだわりは似合う似合わないではない。

その者を表し、かつ予め用意された服を作る理由や目的を果たせるか。

これら全てが達成されない限り、シードにとっての完成とは言えない。

 

「容姿とかも変わってるんじゃねぇの」

「身体的にどう成長してるかはありありとわかる。そこは抜かりない」

 

チラリと俺の方を見た。

なんだよ。

俺の顔に何かついてるのか。

 

「まだそこまで差のつく年齢じゃないだろうしな…」

 

やっぱり青かなあ…。

ブツブツと独り言を言いながら布地をそっと小さな人形の少女に渡した。

イーゼルの位置で気がつかなかったが、黒い髪に赤い瞳をした美しい少女の人形が質素な椅子に座っている。

じーっと見ていると、不意に少女の首がこちらを向いた。

 

「なに、私がそんなに珍しいかしら」

「お喋りする人形なんていつ作ったんだ?」

「失礼ね。私の服を脱がせたこともあるくせに」

「はぁ?」

「ああ、彼女はマリーだよ。ブラッディマリー」

 

思わず冷たい大きな瞳を向ける少女を見た。

人ならざる者特有の現実味のない容貌が彼女は悪魔なのだと告げている。

たしか血が力となる悪魔の中でも特に血に固執する吸血種だったか。

シードのように血か魔力が無ければ生きることすらままならないと言う。

 

フリルがふんだんに遇らわれた黒いゴシック様式のドレスから覗く白い首筋に、ブラッディマリーの刀身に掘られている紋様が薄く浮かんでいる。

名を奪って服従させ、魔具にした悪魔にしては嫌に大人しい。

 

「魔具が悪魔に戻らないように封印してるんじゃなかったか?」

「マリーは別なのさ。彼女は外への出入りも工房の改装も自由にできる権限を与えてる。滅多に行使しないみたいだけど」

「面倒くさいもの。動くのも、魔力を使うのも。私が不在の間に名前も返さずにこのクズに死なれても困るわ」

 

魔具として肉体ごと武器に縛り付けられたことで、血を欲する必要もなくなったとか。

シードを詰ることしかやることが無いらしい。

 

「名前を返して頂戴って言ってもどうせ素直には返さないし。喜んで私の足元に跪くような男だし。ひねくれ過ぎていて反吐がでるわ」

「魔具の時はそれなりにやる気なくせに本来の姿になるとズボラで数倍辛辣になるんだ。可愛いハニーだろ?」

「アンタが少女趣味でドMなのはよく分かった」

 

少し顔をしかめたシードが早口に訂正を求めてくる。

 

「この見た目なのは彼女自身の姿がこうだからだよ。吸血種は身体的な年齢経過をしない悪魔なんだ。それと、俺の好みはエヴァみたいに優しくてグラマラスなレディだ!」

「死になさい」

「オグゥッ!し、心臓を素手で掴まないでくれよマリー。へこんだらどうしてくれるんだ」

「丁度いいわ。樹木風情が血液の真似事なんておこがましいと思っていたの」

「ゴッフッ…マジで、潰れ、てるよ!」

 

なんだこのグロテスクな夫婦寸劇は。

背中から雪のように白い腕で骨を砕かれ、心臓を鷲掴みにされているらしい。

聞きたくも無い粘着質な音が何度かしたと思ったら、不意に腕が引き抜かれた。

血が溢れ出るでもなく、大穴から破壊された内臓が見える。

自分の母親が好きな叔父の言葉など聞きたくもなかった。

 

「シードも私も、理想の姿形で血や魂の美しさに価値を求めるの。私達みたいな人間に友好的な吸血種はいないのよ。人間は醜いもの」

「友好的?」

「マリーは元々人間社会に紛れて生きている吸血種さ。魔界と人間界が隔たれる前からHuman side(コッチ側)なのさ」

 

確かに、悪魔特有の匂いがしない。

人間を殺している悪魔ほど酷く匂うものなのだが、マリーにはその手の気配が一切ない。

塵芥のような雑魚以外、悪魔が人間界に来ることなどできようはずもないこのご時世で、マリーほどの力を持った悪魔がこちら側に実体としているということはそういうことだ。

スパーダに見逃され、人間と共に共存することを選んだ吸血種。

 

「ん?じゃあなんで魔具になったんだ?無理矢理名を奪われたんだろ?」

「この屑は生き物の愛し方を知らないのよ。愛する為に、側に置く為に、殺して魔具にするか標本にするかしか、やり方を知らないの。可哀想な子よね。これで何千歳なんだから手に負えないわ」

 

シードが手記に書き込んでいた"狂気の愛と罵られた悲しき重み"という一文を思い出す。

自分の愛し方は人のソレと大きくかけ離れ、悪魔の誘惑にしては醜悪で無様で可哀想だと愛する吸血種に言われたらしい。

恐らくマリーに言われたのだろうが、確かに異常だ。

 

悪魔自身が誰かに服従する事で自ら魔具になることもあれば、気まぐれに魔具として流れることもある。

悪魔の本当の名前を無理矢理奪って従わせる手法はそもそも無理難題だ。

それだけシードの種族が特殊で特別なのである。

食った悪魔や人間を再利用なんて神ですら出来ない芸当をやってのけているのだ。

 

「今この服を作るのに一人じゃ面倒なことが多いから、手伝ってもらっているのさ。まあ、見ての通り"ほんの少し"だがな」

「"この椅子から一歩も動かない"なら手伝ってあげるわ。Don't talk back to me.(私に口答えしないで)

I know. Princess.(分かっているよ。お姫様)

 

恭しく傅いてその小さな手に口付ける。

白百合のような少女は血に濡れた手で白い髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜ、赤黒く染まった頭を突き返した。

その頭のまま再び違う色の布を小さなナイフで素早く綺麗に切り抜いていく姿を横目に見る。

 

あの食えないシードおじさんが完全に尻に敷かれている。

閻魔刀の妹分であるブラッディマリーをいつもハニーだとか恋人だとか呼んでいるが、もしかして本気でそう呼んでいたのだろうか。

 

「なあ、マリー」

「なあに」

「シードってアンタとそういう関係なのか?」

「いいえ全く」

 

バッサリと彼女は否定を示した。

後ろでズルッと何かを踏んでズッコケタ可哀想な音がする。

ああ、あっちは本気のつもりでもこっちが冗談だと受け止めてたのか。

通りで真実味が薄かったわけだ。

 

「ちょ、ちょっとマリー!」

「私は武器。貴方は樹。どこに恋愛に発展する要素があるのかしら」

「どっちも悪魔だろう!?種族をすっ飛ばして属性を持ち出さないでくれよ!君の元へ通いつめてやっと思いが通じた頃があったじゃないか!」

「お生憎様。自分を殺して縛り付けてくる男に死んでからも恋するほど馬鹿じゃないの」

「先に純粋無垢だった俺を汚したのは君だった!」

「エヴァをスパーダに盗られて落ち込んでいた貴方は可愛らしかったのよ。今は全く、可愛くも愛しくもないわ。寧ろくたばりなさい。今すぐに」

 

ぎゃーぎゃー!と言い合う二人の間に挟まれ、肩をすぼめる。

どうやら地雷だったらしい。

悪魔同士のしょうもない色恋の喧嘩なんて殺しを生業にする奴らですら吐きそうだ。

マリーのことになるとどうにもシードは子供っぽい。

 

「もう!マリーのば…ば…うーん…嫌いじゃないけど!好きだけど!ちょっとコーヒー飲んで落ち着いてくる!」

「コーヒーより紅茶の方が落ち着くわよ」

「じゃあ紅茶飲んできますっ!!」

 

そう吐き捨てながらバタンッ!と扉を閉めて作業部屋から出て行った。

泣く子も黙る裏路地で美しい太陽と笑い声しか知らないようないい子ちゃんのような罵りを聞くことになるとは思わなかった。

いつものシードなら皮肉のこもったジョークの一つでも飛ばしそうなのに。

 

「あんなシード見たことねぇ」

「可愛いでしょう。私の前だと罵声の一つも出てこなくなってしまうの。好きな人に嫌われないよう、どう接したらいいか分からないんだって。だからいじりたくなるのだけど。本当、可愛くて可愛くてもっと泣かせたくなるわ」

「うっわ」

「悪魔にしては可愛いイタズラでしょう?」

 

無表情だった先程とは打って変わって惚けるような笑顔を俺に見せてくる。

あと数年大人の姿であればいい女だろうな、と頭の片隅で思いながらも惚れた女がドSなおじさんに同情する。

しかし随分と人間味が溢れる吸血鬼だ。

こちら側の住人というのは本当のことなのだろう。

 

「あの子はね、素直な感情に弱いの。捻くれてるから。試しに"ありがとう、愛しています"とでも言ってみなさい。顔を真っ赤にして固まるから」

「そりゃあいいこと聞いた」

 

あまりにもチープで単純なセリフに背中がむず痒い。

お天道様の下で生きてきた表の人間ならまだしも、裏社会の連中ならあまりの似合わなさに自分の腹に銃を突きつけそうだ。

しかしシードのからかい方は貴重だ。

今度やってみよう。

 

鈴が鳴るような笑い声と共に、マリーがゆっくりと周囲に落ちた布を隅へと避ける。

スペースを作り終えたと思えば簡易の小さなテーブルの上にティーセットを呼び出した。

 

「暇だし、お喋りしましょうよ。あの子が戻ってくるまで少し昔話でもしてあげるわ」

 

ぽんぽん、と布に埋もれていたソファーを目の前に呼び出し、座るように促してきた。

上に積まれていた布はどこか別の机の上に積み直したようだ。

言われるがままに座ると、目の前にトマトジュースが差し出された。

こんなシミのつきそうな場所に出す飲み物かよ。

飲むけど。

 

「どんな話が聞きたい?」

「シードの弱みになりそうな話」

「そうね…エヴァとスパーダがあの子に"心"を教えていた頃、とか」

「心を教える?」

「そう。貴方達が生まれるほんの数年前まであの子はなぁんの感情も知らない小さな子供だったの」

 

心と言う名の感情を知らない悪魔。

話は、その悪魔がある人間に恋をするところから始まる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Old story

小洒落たカフェのテラス席でコーヒーを片手に本を読む。

今日ついたばかりの街でたまたま見かけたカフェだが、中々に過ごしやすい環境だ。

側に座る一組みの女性客がこちらを見てきゃあきゃあと騒ぐのを横目に、活字に視線を落とす。

人間界では目立つ、三色のカラフルな頭髪が風に煽られ、少し舞い上がった。

 

一瞬視線がそれた瞬間、すぐ側に立つ男が目の前に空いた席に着いた。

確認もなく相席とはマナーのなっていない奴だ。

いや、昔からだったかな。

 

「やあ。スパーダ。この街に君がいるなんて知らなかったよ」

「こんにちは。シード。君こそ、いつこの街に来たんだい?」

「今日だよ。少し見て回っていたところさ」

 

自分の縄張りに悪魔が入り込めば分かる癖に、わざわざ確認するように問いかけてきたキザな男を見る。

数百年前にバッタリと会ったきり、長らく会わなかった悪魔がにこやかに笑っていた。

目立つ白い髪を撫で付け、人間に扮した彼は同じようにコーヒーを注文している。

 

「知り合いの美少女にフラれたのかい?」

「フラれてないよ。それは心を知らない俺への嫌味かい」

「おや、まだ学習出来ていないのか。相変わらず気難しい子だ」

「所詮記憶なんだ。理解するとなると俺自身が納得する答えがないと」

 

パタンッ。

活字から目を離し、人が行き交う往来に目を向ける。

笑う、喜ぶ、泣く、悲しむ。

一つの事象が生じ、対になる何かが現れる。

それだけが感情ならば俺でも理解できただろう。

しかし、人間の感情という存在は複雑怪奇で二度と解けない糸のように絡み合う。

 

表情を分析しただけでは人間の感情は読み取れず、声のトーンや細かな動作にも注意を払うべきだと学んだ。

千年と何百年かけて学習できたのがそれだけなのだ。

自らがおざなりに状況判断をして模倣できても、理解には及ばない。

人間には本能で存在しているから、そも感情を理解する必要すら無いのだろうけど。

 

「いくら分析しても、答えが見えない」

「人間が理論的に考察した心理学に基づいた考え方はどうだろう」

「もちろん試したさ。ただ、あれは自分たちの本能に理論を付け足しているだけだ。所詮後付け。本質を射抜くほどじゃない」

 

人間にはごく一般に広がる感情の成り立ちを理解できない部類もいるらしい。

それは俺と近しい存在なのではないかと調べたが、残念な結果に終わっただけ。

理解できないだけで存在しない訳ではない彼らに理論を問うても無駄なことだ。

あれもダメ、これもダメ、それもダメ。

何を手に取っても理解できない心に、俺はもう一種の諦めを抱いていた。

それでもやはり、どうしても手に入れたいと思うのは憧れが少なからずあるからだろうか。

 

「私はそんなに難しく考えなくてもいいと思うけどなぁ」

「人間に溶け込む以上、異質な存在と排除されないために必要条件だ。出来るだけ完璧に近い形であるに越したことはない」

 

算段もなしに大口を開けて笑ってみたい。

可動域以上に開いて、諦めてしまった。

しょうもないことをまるで大きなことのように語りながら泣いてみたい。

人の形をしているこの肉体に涙腺なんて機能があるのか疑問だが、やってみたいと思ってしまうのだ。

それだけ人という存在の慟哭は目を見張るものがある。

 

「うーん…君自身が知らないものを体験してみるってのはどう?」

「ほう、したことのないこと。こっちは新しいものをすぐ作るからなぁ。人間の新しい娯楽でも?」

「いいや。古典的かつどこにでも発生する自然現象さ。刹那でありながら永久に感じることもある。感情の一種なんだけれど、多分理解しやすいと思うよ。理論なんて存在しない物だからね」

「興味深い話だ。どんなものだ?」

「恋さ」

「ウェッホッ!!ゲホッ!!」

 

口につけていたティーカップを離し、盛大にむせた。

少し離れた席で、美形が二人並んでいると騒いでいた女性客二人組がこちらを見る。

スパーダが軽く手を振ると、軽く黄色い声をあげた二人組はコソコソと何かを話し出した。

くっそこの天然タラシめが…とんでも無いことを言いやがって。

おっかしいなぁ、擬態が溶けて耳が腐ってしまったのだろうか。

不可解な単語が聞こえた気がする。

 

「もう一回言ってもらえる?」

「恋をしよう、と言ったね」

「スパーダ…君の頭にはヘルバイダーでも湧いているのかい?」

「へるばいだー?」

「その辺の塵から生まれる雑魚の悪魔種だよ。昔っから君は悪魔の名前を覚えようとしないね。昔の主人しか覚えてないじゃないか」

「覚えても意味がないからつい。それに、シードの名前だって覚えてるよ」

「そりゃどうも。って話が逸れた。俺に恋をしろだって?」

 

正確には提案系の"しよう"だったがこの際どうでもいい問題だ。

何故俺が、悪魔のこの俺が恋などしなければならないのだ。

悪魔は放っておけば勝手に増えていくし、何だかんだ悪魔というブランドに関して高潔な誇りを持っている節がある。

人間のような劣等種、下等種族とは程度が違うのだ。

 

ここは人間界。

スパーダに恋をするなんて死んでも嫌だから、必然的にその感情の矛先は人間になる。

二千年前から知り合いである、吸血種の少女ならワンチャンあるか?

いや、彼女は確かに大切な存在だけれど彼女が俺をそういう目で見てくれるはずもない。

生意気な子供だっていっつもバカにしてくる。

 

「ちなみに私は気になっている子がいてね?」

「またお遊びか」

「違うよ。今回は本気。子供が欲しいとさえ思っているよ」

「君が子供?馬鹿げてる!」

 

君は悪魔だぜ!

グッと言葉を飲み込んで言外にそう伝える。

しかし、魔界最強の魔剣士はニコニコと笑うだけでそれがどうしたとでも言いたげだ。

その辺の雑魚が人間に恋をして子供をもうけ、半魔が生まれた話なんかは聞いたことがある。

人間界と魔界が分け隔てられる前は珍しくはあれど、なくは無い話だった。

 

けれど、スパーダはそれらとは訳が違う。

彼の存在そのものが今の人間界の要でありながら、彼自身が特定の誰かを愛すことは大きなリスクになるはずだ。

自分の弱みを進んで作るなんて馬鹿のすることだ。

 

「ムンドゥス様はまだ俺達を諦めてな…いっ!?」

「違うだろう?ムンドゥス、だ。様をつけるなら私にだろう。また名前を縛られたいのかい?」

「わ、悪かったって。今の主人は君だってちゃんと理解してるさ」

 

机の下で足を踏まれ、顔を歪める。

今のは俺の失態だ。

乗り換えたのに未練がましい発言は控えるべきだった。

悪魔は独占欲が強いから。

スパーダは比較的、温厚で優しい部類だ。

名前を一度奪って躾けられた時は流石に思い出したくないが、従順に従っていれば大抵のことは許される。

 

「とにかく。俺は反対だ。その女が弱みになるし、生まれてきた子供は半魔だ。ほとんど記録の無い訳の分からない存在だ」

「今は君が恋をするかしないかの話だろう?私のことはいいから自分のことを悩みなさい」

「俺の感情云々よりも君の恋愛の方が大問題なんだよ」

 

恨めしそうに低く唸る。

本人が一番真剣に考えていないのが問題だ。

君が後何年生きられるかすら分からないのに子供だって?

ずっとふらふらしてないでいい加減腰を落ち着けろとは思っていたけれど人間でいう結婚をしろとは言ってないだろう。

冗談じゃない!

 

「まあまあ。実はその女性とそこで待ち合わせをしていてね?君に恋愛の何たるかを教えてあげようじゃ無いか」

「いらない!そんな講義いらない!大きな失敗でもしてこっぴどくフラれてしまえ!」

 

上品に笑い、席を立って少し離れた場所に行ってしまった。

約束の時間までの暇つぶしにしては悪質な男がいたものだ。

今回の件について俺は口出しするなって警告だったのか?

それともただの話の流れ?

スパーダの考えはよく分からん。

 

追加でブラックコーヒーを頼み、諦めて再び本を読むこと数分。

スパーダの元に金髪碧眼の美しい女性が座った。

優しそうな微笑みを浮かべる彼女に不規則に胸が高鳴る。

なんだこれは。

動悸、息切れ、精神の興奮作用?

精神異常の類か?

 

何かしらの魔術を使用できる人種か?

これは知らない感覚だ。

惚けるような笑みを浮かべた彼女はスパーダの一つ一つの言葉に小さく頷き、微笑む。

優しいけれど、どこか強い意志も感じる瞳だ。

なんだろう、あの煌めくような虹彩は。

 

全てにおいて疑問符の浮かぶ不思議な女性だった。

短い会話の後、何処かへと連れ立っていくのか二人が立ち上がる。

女性が見ていないうちにスパーダがこちらへウィンクを飛ばしてきた。

"後で君の工房へ行くよ"という合図だろう。

肉体を苛むよく分からない感情の連鎖にただ二人を見送るしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「チャーミングで素敵な子だったろう?」

「…ああ」

「でも結構頑固者でさ。やりたいことは絶対やらないと気が済まないんだ!そんなところも可愛いんだけどね」

「…ああ」

「ねぇ?聞いてる?」

「…ああ」

「クーリーフォートー?」

「…なんだ。その名で呼ぶな。ちゃんと返事しているだろう」

 

閻魔刀を使ってやってきた親友はリビングから大声を上げる。

キッチンでコーヒーを入れ、持って行ってやるとぶすくれたように頬を膨らませていた。

お前がやっても可愛く無いぜ。

 

「相槌と返事は違うよ。君が上の空なのがいけないんじゃないか」

「はいはい。ほら、ホットコーヒー」

「…これ冷めてるよ?」

「あー…アイスコーヒーだったかも」

 

ふーんと納得行かなそうにマグカップを受け取り、一口。

しかしすぐに口を離し、眉間にしわを寄せた。

 

「しょっぱい」

「ああ?…ほんとだ」

「本当にどうしたのさ。私の子供問題、まだ引きずってたりとか」

「そこはまあ、君の好きにすればいいと思ってるさ。俺じゃ止められないし」

「じゃあ本当にどうしたの」

 

受け取ったマグカップの中身をシンクに流し込み、コーヒーを淹れ直す。

俺だってなんでこんなにボーッとしているのか分からない。

何か気がかりなことでもあるのか。

ふとちらつくのがあのスパーダと話していた女性の顔ばかりで、全然分からない。

 

「…君が会っていた女性は、なにか魔術を使用できたりしないか」

「魔術ぅ?彼女は普通の人間だよ」

「…そうか。そうだな」

 

確かに魔力の気配は感じなかった。

スパーダが何も言わないなら悪魔でもない普通の人間だろうし。

じゃあこの身体症状はなんだ。

 

「彼女を見ると動悸息切れ不自然な興奮作用が確認できた。これはなんだ」

「ん?ごめんもう一回言ってくれる?」

「君と待ち合わせをしていた女性を一目見たら不思議なことに具合が悪くなった」

「わざわざ噛み砕く必要はなかったんだけど…うわぁ…テンプレートってあるんだぁ…」

 

まあ自分がまいた種だし、文句は言えないけどさ。

諦めたように言われた言葉に首をかしげる。

おい、お前が何故知ったような口を聞いている。

俺のこの症状の解決方法を知っているような態度なのだ。

 

「君が原因か」

「いやいや。君自身の問題だよ。君は彼女に一目惚れしたのさ」

 

ひ、と、め、ぼ、れ。

ひとめぼれ。

ヒトメボレ。

一目ぼれ。

一目惚れ!?

 

「俺が!人間に!一目惚れ!?デタラメなことを言うんじゃない!俺は樹だぞ!しかも魔界の魔樹だ!」

「樹も恋ぐらいするんだって証明できたね」

「そんな証明なんの役にも立たん!」

「でもそれはまさに恋の病ってやつだよ。感情的と言える君の姿が正しくそうだ」

 

ぐっぬぬ。

言い返せない自分の言動の数々に押し黙る。

この感情の答えを認めない、認められないのはそれが正しいと冷静な判断が降っているからだ。

残念なことにスパーダの言う恋愛とやらの感情を俺は獲得してしまったらしい。

 

「不名誉だ!こんな不可思議な感情など欲しくない!」

「まあまあ、そう言わずに。まずはエヴァとお話しすることから始めようか」

「変に気を回すな!」

 

楽しげに肩に腕を回してくるスパーダの腕を振り払った。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーカタンッ。

ティーカップの置かれる音に、ダンテは顔を上げた。

話をしていたマリーが笑いながら作業部屋の扉を見たのだ。

話し相手の若造に、彼女は上品に笑いかける。

 

「あまりに恥ずかしい話をされるから、思わず逃げちゃったみたい」

「誰が?」

「シードよ。あの子、この領域から出て行ったわ」

 

冷めてアイスティーになった紅茶をティーカップに注ぎ、マリーは微笑むだけ。

追いかけようともしない。

シード一人で雑魚や人間に負けるとは微塵も思っていないけれど、大丈夫なのだろうか。

ダンテはそっと扉の方を見る。

 

「どうせニール・ゴールドスタインのところよ」

「婆さんのところ?なんでだよ」

「あら。知らないの?ニール・ゴールドスタインとは彼女が二十歳の頃から知り合いなの」

「聞いてねぇよ」

 

どっちからも聞いてねぇし。

ボヤいたところで二人が教えてくれるはずもないだろうが。

それよりも意外な話を聞いた。

数年前のシードは随分と若い思考をしていた。

ここ数年で考えを変えたとしか思えないほどに。

 

「俺達が生まれて、考えが変わったってことか」

「認識を改めたのよ。シードは論理的に思考に基づき、感情を優先する歪な存在なの。人間が最近開発してるスーパーコンピューターってやつね。あれが感情を擬似的に手に入れて、自立していると考えて差し支えないわ」

「悪魔がコンピューターかよ」

 

今まで食い潰してきた膨大な人間の記憶を保有した血に染まったコンピューター。

その説明は言い得て妙だ。

もっとも人間に近く、もっとも悪魔に遠い思考を持つ樹を形容するにはあまりにも矛盾している。

樹が与えられた役割以外を自立的に行なっていること自体が摩訶不思議だ。

 

「あいつの弱点ってのは感情か」

「そうね。特に親愛に対するものはとても弱い。過剰に反応するからいじっていて面白いわ」

「本当に悪趣味だな」

「悪魔ですもの」

 

血のような真紅の瞳を細め、優雅に笑うマリーが席を立った。

散らばった布を拾い集め、適当な箱に放り投げる。

 

「今頃、ニール・ゴールドスタインにご飯でも作らされてるんじゃないかしら」

 

ありそう。

あの婆さん、肝が座ってるからなぁ。

外の無い窓に浮かび上がる、偽物の街並みを眺めた。

 

 

 

 

 

 

 

It is an order item.(ご注文の品ですよ)

be late.(遅い)ベーコンエッグ一つに何分かけるつもり」

「んな無茶な。秒ではできねぇって」

 

出されたベーコンエッグの卵にフォークを突き立てながら、ニールは眉間にしわを寄せた。

突然やってきた昔からの知り合いがいきなり寝ぐらに帰り辛いと言い出し、今夜は泊めてくれと頼みこんできた。

この掃き溜めの街で若い頃からの顔なじみを追い出せるほどニールは薄情では無い。

仕方なく招き入れ、掃除洗濯料理をさせているのである。

 

一人暮らしが長いせいかシードの手際はよく、店内は見違えるほど綺麗になった。

溜まっていた洗濯物も片付いてしまった。

それが無性にイラついた。

こちとら一児の母やってたんだぞ。

なんでアンタの方が家事できるの。

 

「トニーに飯作ってやらなくていいのかい」

「大丈夫だ。ジェシカ達がもうすぐ帰ってくるしな」

「ああ…グルーの一家と住み始めたんだってね。偏屈なジジイのアンタが弟子をとったってんでそれなりに話題になってたよ」

「偏屈で悪かったなぁ」

 

自分の分のベーコンエッグを上品にもナイフで切りながら、スコーンをかじる。

うちにスコーンなんてなかったのに、どこから買ってきたんだか。

不審な目でみると、ここから見えるキッチンのオーブンをシードが指差した。

まさかこれアンタが焼いたのか。

 

「ウチは手料理で健やかに育ててる」

「ここまでこだわることないだろうに」

完璧主義(perfectionism)なんで」

 

なにもかもがシードの手作り。

それがあの工房だ。

彼は材料には寛容だが、完成品にはすこぶるうるさい。

既製品に対する圧倒的信頼感のなさが原因だと本人は言うが、果たしてどうだか。

自分の周りに自分以外の存在がいることを異常なほど恐れていただけだと、私は思っている。

 

そんな彼が、ある日突然自分と違う存在を受け入れた。

私がどれだけ驚いたか、彼は知らないだろうけど。

更に大所帯になった彼のねぐらは大変なことになっているだろう。

 

「で、いつになったら本題に入るんだい?」

 

私の問いにシードが目を伏せた。

泊めてほしいという要件は建前で、実際のところ他にも何か話しがある。

でなければ彼はわざわざここへは来ない。

隠れて眠る場所などいくらでもある。

今は夕焼けだが、最悪一晩中起きてゴロツキが散り始めた日の出に帰ればいい。

 

「…あー些細な悩みなんだ」

「面倒臭いから早めに言いなさい」

 

緩やかに暖かいスコーンを千切って口にいれ、話を待つ。

何か思い悩むように視線を巡らせ、意を決したように音を発した。

本当に些細なことを。

 

「俺、ガンスミスの才能、あるかも」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

prey

見覚えのない天井に、工房より狭いリビング。

足がはみ出るソファーから起き上がり、額に手を当てる。

ニールの気配は店の工房にあるようだ。

閉められたカーテンから外を覗くと、日が沈む少し前。

 

かけられた毛布を畳み、立ち上がる。

自然とマリーを探してしまったが、置いてきたのを思い出してそっと手を下ろした。

愛しの悪魔が養い子に余計な話をしていそうで軽くため息が出た。

なにを話されても構わないが、二人とも意地が悪い。

帰れば確実にその手の話で揶揄ってくる。

 

手持ち無沙汰で武器もない。

一番緊張すべき時に随分と気の抜けたミスをやらかしてしまった。

いざとなれば手品よろしく適当なところから武器庫につないで取り出すことも可能だが、マリーなしでどこまで耐えられるか。

今工房にある中で最も優秀な武器がブラッディ・マリーなのに。

 

さらに相手は人間ではなく悪魔だ。

襲ってきた人間なら、適当な理由をつけて食って仕舞えば良いのだけれど。

悪魔を食べる、なんて出来ればしたくないし。

必要数以上に食すと胃もたれを起こすのだ。

 

For crying out loud.(まったくもう) こういう時に厄介な奴はやってくるんだからなぁ」

 

店の方で何やら言い争いをする声がする。

ニールの抗議する様な声に返るのは静かな言葉だ。

あの包帯男は一体何を求めて四十五口径の芸術家の元を訪れたのだろうか。

少なくともこちらの気配に気がついている様で、店の奥から覗くと一瞬だけこちらを見た。

挑発する様な瞳にその意図を察する。

ほぉ、俺と遊びたいってのかい。

 

眠い目をこすり、手ぶらでニールの横にひょっこりと顔を出した。

驚いた様な彼女の肩に手を回し、後ろに下がる様に促すが、彼女はピクリとも動かない。

あくまでここは自分の店ということなのだろう。

余所者が店の厄介者を相手にする必要はない、と。

こちらは一晩の恩があるんだがね。

 

Hey, mummy.(おい、包帯男) Don't bother the shopkeeper.(店主を困らせるなよ)

Well, well.(これはこれは) Don't let outsiders talk.(部外者が出張るものじゃない)

 

店主もそう思っているだろうさ。

包帯塗れの顔で口元だけを歪めるギルバに、笑いをこぼす。

軽口を叩きながらも腰に据えた刀から手を離そうとはしない癖に何を言うのだか。

我が最高傑作に酷似した別物のソレを注意深く観察する。

 

あの刀は恐らく"閻魔刀の写し"だろう。

俺からすれば写しなどではなく贋作と言いたいものだが、知りもしないジャパニーズソードを作り上げた主への賞賛を込めてあえて写しと言おう。

全く同じ素材で作れるはずもないソレを次元を断つ能力なしとはいえ、ここまで近い形に創り上げられるのは魔界ではマキャヴェリ一人だけだ。

奴が打った刀ならそれなりの切れ味があるはずだ。

 

そして、彼の肉体を形成する"中身"も同様に頑健だろう。

マリーなしで無ければ恐るるに足らぬ筈なのだけれど、一人だけだと実力は上の下程度なんだ。

ここでタイマンに持ち込まれたらニールを守れる自信がない。

 

「それ、熊撃ち用のショットガンだろ?人間相手に仕事するお前が欲しがる様なもんか?」

「次の仕事で使う。保険をかけておくに越したことはない」

「そいつは人間じゃねぇって?馬鹿言っちゃいけねぇよ。ちゃーんと人間サマかどうか見た目で判断してみろってな」

「見た目で判断できない生き物もいるさ」

 

彼が欲していたのは壁に立て掛けられた熊撃ち用のショットガンだった。

丁寧に固定されたそれを打ち付けられた壁ごと引き千切り、何度か振り回して使い心地を確かめている。

あまりの事態に絶句した様子のニールなど視界に入っていないかの様だ。

弾丸の入っていないショットガンに何処から取り出したのか、二発入れてこちらに銃口を向けてきた。

おいおいマジかよー。

 

「お前みたいな"悪魔"は特にな」

 

ドォンッ!!

 

凄まじい銃声が響いた。

散弾の筈がまるでマグナムかの様に一点へと集中し、轟音と共に襲い来る。

そばにいたニールが巻き込まれないように、咄嗟に庇ったのだ。

衝撃を一身に受け、血飛沫をあげながら店の奥へと吹っ飛んだ俺はゴロゴロと転がり、勢いよく"首"を打った。

 

「シードッ!!」

 

運良く無傷で、返り血も浴びずに倒れこんだニールの悲痛な声が遠くに聞こえる。

そりゃそうだ。

今俺の"首から先が"全て吹っ飛んでしまったのだから。

頭のあった位置へ手を当ててもスカッと空を切るだけで、目もないために視界も真っ暗だ。

あーあ、知り合いの人間の前でこんなことしたくなかったのだけれど。

 

メキッと首から徐々に白い枝が伸びる。

樹木が枝を伸ばすが如く、徐々に顔を形成し、ものの数秒で再び同じ顔が出来上がった。

目を見開いて口元を押さえたニールにニヤリと笑って見せ、俺の頭を吹っ飛ばしてくれやがった包帯男へ軽口を叩く。

 

「今のはちょっとだけ痛かったなぁ。俺の頭がおかしくなったらどうしてくれるんだ。うん?」

「それは悪いことをした。あのスパーダの剣をも弾く強靭な樹皮がここまで柔いとは知らなんだ」

「芸術のためには防御力を捨てる選択もあるのさ。見ろよこの綺麗な顔。最高にクールだろ」

 

スッと切れ長な瞳が細められる。

その中身は悪辣な毒の樹だろう、と言いたげだ。

ケチケチすんなよ。

同じ悪魔同士仲良くしようぜ。

お前の包帯の下にある俺好みの顔だって立派な芸術なのにさ。

そういうところは最高に生真面目だよなぁムンドゥスよ。

 

「試し撃ちしたいなら外へ出ろ。ここじゃ狭過ぎる」

「その必要はない。貴様も、そこの人間も今から死ぬのだから」

 

ギルバが装填している実包は熊撃ち用ショットガンの名に恥じないスラッグ弾だ。

大口径のショットガンに込められる弾丸の中で拡散しない種類はそれしか思い当たらない。

弾頭が小さく、射程距離の短さを散弾で補うショットガンにしては怪しい選択だが、この".45 ART WARKS"にそもそもショットガンを買いに来るなという話だ。

誤字がチャーミングな四十五口径の芸術家が大口径の熊撃ち用ショットガンを売るはずもないのに。

 

「どうせ貫通力を求めるならライフルをお勧めするぜ」

「目的が違う。広範囲に木っ端微塵に出来る銃ならばこれで十分だ」

 

今は。

付け足した不穏な言葉に合点が行く。

俺とニールを始末した後は可愛い育て子へと散弾のショットガンをお見舞いするつもりらしい。

おいおい、俺を薄っぺらい木製のドアか何かと勘違いしてないか。

 

「さて、言い残すことはあるかな」

「んーそうだな。墓にはキュートでクールでパッションなアイドル、ここに眠る。とでも書いてくれ」

 

これで俺も晴れてシンデレラなガールズさ。

ウィンク一つを飛ばす前にその引き金が引かれていた。

相当のウザさを孕んだ一言に耐えきれなかったのだろう。

もちろん大人しく食らう気もない。

 

懐から武器庫にアクセスし、魔具を取り出そうとしたその時。

手に触れたのはひんやりとした人の手。

いや、悪魔の手だった。

 

「私に黙って一人でヤるなんていい度胸してるわね」

「あっ」

 

ぬるり。

その悪魔は鋭く美しい爪を振り上げ、いとも容易く弾丸を摘んでしまった。

摘んだ弾丸に興味はないのか、その辺に放り投げ、鼻で笑う。

その程度の武器に傷付けられる軟弱な肉体ではないと言いたげだ。

ヤメテ!心にくる!

 

「王子様が助けに来てあげたわ。アイドルちゃん(偶像)

「聞いてたなら早く助けに来てくれ」

「人間一人を入れ違いに次元移動させる準備を素人がやってみせたのだから褒めなさいよ」

 

え。

思わずニールが立っていた場所を見ると、そこに彼女の影はない。

何故だか周囲にあったあらゆるものまで一緒になくなっているのは、転移に巻き込まれたのだろう。

ブラッディ・マリー自体に次元移動を可能にするほどの能力はないはずなんですけれども。

何をやらかしてくれたんだこの吸血鬼。

 

「あら。余計なお世話だった?」

「有難いけど、どうやったんだよ」

「そんなこと気にしてる場合、かし、ら」

 

追い討ちをかけるようにもう二発撃ち込んだギルバの弾丸を再び掴み取る。

人間が作った程度の武器では彼女に対抗することは不可能だろう。

マリーはいつの世か、魔界でも名の知れた悪魔だったのだから。

もう二千年は前の話になるが。

 

「その容姿、その実力。吸血姫のアンジェリカとお見受けする」

「あら。私の"奪われた名前の一部"を言えるなんて、ムンドゥスはよほど私を警戒しているのね」

「厄介な相手だと聞いている」

 

ギルバ曰く、昨日の昼に俺が丸腰でこの店に入るのを見たからこそ、今日わざわざ攻め入ってきたのだと言う。

トニーのことは仕留めるために用意周到に準備するのに対して俺に関しては随分と適当じゃないか?

場当たり的というか、戦略性のかけらもないというか。

取るに足らないとでも思われているのだろうか。

今でさえ警戒しているのはマリーだけだ。

 

「じゃあどうする?諦める?」

「いいや。厄介なだけだ。倒せぬ敵ではない」

「その慢心が身を滅ぼすのよ。憶えておきなさい。坊や」

 

手に収まったマリーを構える。

この狭い室内で果たしてどこまでヤレるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニールが次に瞬いた時には、見覚えのある他人の工房にいた。

 

「うわっ!?なんだ!?」

 

相当驚いたのだろう。

沢山の宝石が入った箱を抱えた男が後方に飛び退いた。

その音を聞きつけたのか、大声に反応したのか、さらにその奥の扉から出てきた男に合点が行く。

シードは人ならざる者だったのだ。

 

「ばあさん…なんでココに」

「私だって知らないよ。気が付いたらここにいたのさ。グルーとトニーがいるってことはシードの工房かい」

「ってことは、ばあさんもシードに助けられた口か。アンタの店にアイツが狙ってる"獲物"が来たんだな」

 

グルーが納得したように頷き、工房の机に持っていた箱を置いた。

転移に巻き込まれたのであろうあらゆるものを拾い上げようとして、ニールに手を叩かれる。

触るな、と言いたげだ。

こんな摩訶不思議な状況にも臆することなく、商売道具は決して他人に持たせないその根性に恐れ入る。

キモが座りすぎてやしないか、と。

 

「相手は誰だった?いや、何者だった?」

「トニー。その前に聞きたいことがある。シードってのは」

 

何者だい?

 

返答次第ではげんこつ食らわす。

あまりの覇気にトニーは両手を挙げた。

悪いな、シード。

このばあさん相手じゃあ全部ゲロッちまいそうだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Dark knight

右に一歩、左に二歩、後ろの下がっておまけのジャンプ!

スタンッと降りた俺の頭部を狙って再び飛んできた一閃をすかさず屈んで避ける。

いつの間にか火の手が回った店内を自在に飛び跳ね、ギルバの攻撃を躱し続けていた。

 

足運びは鋭くしなやかで、しかし緩急をつけながら刻むように一歩を踏み出す。

ダンスのステップでも踏むかのような軽やかな身のこなしで太刀筋を避け続ける。

その実、内心は冷や汗ダラダラだ。

燃え盛る炎の所為でどんどん逃げられる幅が狭くなり、この建物自体がいつ崩れてもおかしくない。

腰に携えたマリーを抜こうものなら切り裂いた瞬間に足元から抜けそうだ。

 

伺っている好機は未だ訪れない。

一瞬でも体制を崩せばまた頭を吹き飛ばされる。

流石に二度も頭部を破壊されては、再生に時間がかかりそうだ。

この複雑な機関を何度も作れるほど時間も余裕も与えられない。

 

Is it getting warm?(準備運動は終わったか)

I still want to dance!(まだ踊れるさ)

 

襲い来るスラッグ弾はマリーに任せ、愚直にステップを踏む。

店の外には沢山の人間の気配があった。

ニールの店から火の手が上がっていれば野次馬も自然と増える。

彼女はこの掃き溜めに馴染んでいるガンスミスだ。

その内、野次馬の中に知り合いが混じるかもしれない。

 

「そろ、そろ!ワルツにも、飽きてきたんじゃ、ねぇか!」

「踊っているのは貴様だけだ」

「こりゃ失敬!君は演奏家だったな!」

 

鼻先を掠めた出来の良い贋作を横目に出口を探す。

ギルバの太刀筋は研ぎ澄まされているが、これが全てではなさそうだ。

恐らく、閻魔刀を用いて戦っていたスパーダの戦闘データを基に調整されている。

何処か懐かしさを感じる動作が随所に見受けられるのだ。

包帯に隠れたあの顔で、データだけの太刀筋で、作者も素材も違う贋作の刀で、俺達を屠らんとするか。

ムンドゥスはつくづく悪趣味だと思う。

 

しかし変だ。

出会った時からおかしいと思っていたが、力を振るう様を見てさらに疑問が湧く。

ムンドゥスは今まで俺たちの居場所を特定できていなかった筈だ。

ギルバを作る前に俺達を見ていたとしても、何故彼の武器は刀なのだろうか。

口調、佇まい、眼光。

ああ、大きくなった"あの子"はきっとあんな風に…。

 

はたと、とある可能性を考え、一瞬足元が鈍った。

隙を見逃す程、甘くない。

 

「させるわけないでしょう」

 

カキンッ!と弾く音。

おおよそ人間ではあり得ない速さで俺の腕が動く。

赤黒い血管のようなものに操られた腕はブラッディマリーの仕業だ。

有難いけれども今の思考ではお礼を言っている場合ではない。

誰の庇護もないであろう"あの子"が、ムンドゥスの毒牙にさらされているのなら、それは相当に不味いことだ。

 

「ギルバ、なあギルバ。お前、いやお前達は、あの子に、あの子に会ったって言うのか!?」

 

誰を指しているのか、知らぬものが聞けば答えなど帰ってこない問いだった。

しかし、悪魔は笑う。

正しく自らのモデルとなった"あの子"を思い浮かべ、愉しげに。

 

「そうだ、と言ったら?」

 

この感情を、なんと表したら良いのだろう。

あの子が見つかるかもしれない。

やっと会えるかもしれない。

淡い期待と喜びが胸を駆け抜けると同時に、怒りと焦燥感が背筋を這う。

ムンドゥスはあの子に手を出した。

一刻も早く見つけ出し、その腕を掴み取らねばならない。

 

「こりゃあ…話し合いが必要みたいだ」

「応じる義務はない」

「否が応でも答えてもらう!」

 

初めて、攻撃の為に一歩を踏み出した。

たったそれだけの動作であったが、ブラッディマリーには十分過ぎる一歩である。

刀の斬撃か、無数の手による攻撃か。

身構えたギルバは距離を開けようと飛び退いたが、あまりのことに目を見開く。

 

そこに立っていたのは、真っ赤な血に覆われた傀儡だった。

 

これぞ俺にとって最大で最低の戦闘態勢。

悪魔としてのプライドも、剣士としての矜持もかなぐり捨てたまさに捨て身の構え。

その名も"全部マリーにお任せ"である。

たとえ人の形をした身が引き千切られようとも、人としての核が砕かれようとも、再生と防御だけに特化した人形はすぐさま元通り。

頑丈な人形で心ゆくままに殺戮の限りを尽くせるマリーと、どんな手を使ってでも勝ちたい俺が編み出した最低なお人形遊びである。

それだけこの戦いは本気だと言う証明に他ならない。

 

しかしこの傀儡術、重大な欠点がある。

残念なことに"走れない"のである。

マリーの翼によって飛翔するか、歩くかしか移動方法が存在しない。

何故足の動きだけぎこちないのかは様々な複雑な事情があるのだが、簡単に言えばマリーが普段歩かないことに最大の原因がある。

 

飛ぶか魔具になって仕舞えば歩く必要のない彼女はそれはもう歩き方を知らない。

お前歩いたことねぇのかと言ったら爪で顔面をズタボロに引き裂かれたが、そう言う事情なのである。

しかし、ここは狭い室内。

こんなにも好都合な場所はないのだ。

 

「"ムンドゥス、私と遊びましょう。お前のお人形と私のお人形、どっちがより優れているかを競うだけの簡単な遊びよ。嫌だとは言わないわよねぇ?元は貴方から誘ったのだから"」

「なるほど。不可解な戦闘記録の理由が解明できた。軟弱な毒の樹が武勇を誇れるのはそう言った手品か。よく考えたものだ」

「"お喋りが好きなお人形ね。ならティーカップでも用意しましょうか?注ぐのは貴方の血だけれど!"」

 

俺の口を使い、お上品に喋るマリーに内心苦笑いだ。

もう一つだけ欠点があるとすれば俺が夜のバーに出没する性別不明の人間のようになってしまうことだな…。

背に腹は変えられない。

正しく一転攻勢となった俺達に、ギルバは何を思ったのか。

店の壁をぶち壊し、外へと飛び出した。

 

「"鬼ごっこかしら"」

 

おいおい、マリーさんよ。

俺達は走れないんだからちゃんと捕まえておいてくれよ。

 

「"何の問題もないわ。今は夜なのだから。吸血鬼は夜に飛ぶものよ"」

 

それもうコウモリ…グッフッ!?

 

「"次に同じことを言ったらギルバと一緒に切り刻みます"」

 

バイオレンスなレディのお相手とは大変だ。

一つの肉体に精神体が二つも入っているような現状、殴られたのは胴体ではなく精神の方だが、余計に痛い。

くっそ…形なき精神体の腹を的確に殴るその技術は一体何なんだ。

 

「"この方角、あの穴蔵とか言う人間が沢山いる場所に向かっているみたいだけど"」

 

ボビーの穴蔵に一体何の用がある?

 

「"…そうね。人間を餌にした屑共の召喚なんてどうかしら"」

 

マリーの指摘に背筋が凍った。

正確には精神体が硬直するかの如く活動を停止したのだが、そんな話はどうでも良い。

フツフツと、どうしようもない怒りが湧く。

あそこはお気に入りの場所だったのに!

塵芥共に明け渡す羽目になるとは!

 

「"恐らく既に喚ばれた後でしょうね。助けに行くのではなく、殺戮に行くことになります。明らかに罠でしょう。それでも私達だけで突っ込むの?"」

 

行くしかないだろう。

トニー…いや、ダンテがくる前に決着をつけたい。

 

「"貴方…まさか…"」

 

何かを察したようなマリーは重々しくため息をつく。

精神体同士と言えど、お互いの思考に干渉できないはずなのだが、この察知能力の高さはどう言う構造なのだろうか。

これが連れ添った長さか。

 

呆れたような彼女は夜空へと赤黒い翼を羽ばたかせる。

宵闇に浮かび上がる異形の影に、野次馬達から悲鳴が上がる。

たった一度の羽ばたきで、周囲は風圧に引き飛ばされてしまうだろう。

急ぐことを了承した彼女が加減をしてくれるとは思えない。

 

「"贋作を写しにしようだなんてひん曲がった根性に反吐が出ますけれど、聞き入れましょう。私は職人ではないし"」

 

ギルバ。

それは探し人の贋作。

ムンドゥスとマキャヴェリに創造された悪魔だ。

人間の顔を見ても区別が付いていなさそうなムンドゥスが双子の兄であるバージルを模して造られたのだと推測される。

一度お持ち帰りの時、包帯の中身を確認した際はその造形美に思わずよだれが出た。

 

だって完璧だ。

パーフェクトだ。

その細部に渡るまでそれはバージルだと断言できる。

本人がどのように成長しているのかダンテを見つめるより本人に近い。

本質や力量に関しては残念ながらマイナス点を付けざるを得ないが、そこを抜けば高得点をつけても良い。

 

そしてあの贋作閻魔刀。

存在すら許せないアレを俺の手で真作に、否、写しへと昇格させたい。

何もかもを作り変える必要があるが、閻魔刀とブラッディマリーの従兄弟として扱ってやっても楽しいだろう。

兎にも角にも俺はアレらが欲しい。

欲しいったら欲しい。

 

しかしダンテが来たらどうだろう。

彼はとにかくぶっ壊すこと専門だ。

壊さずになんとかしろ、と言っても結局壊す奴だ。

何より、母であるエヴァを殺されて以来、悪魔に個人的な恨みを持っている。

殺せと言うならまだしも、悪魔の捕獲をしろだなんて言った日には俺にもリベリオンを向けかねない。

そんなリスクを冒すぐらいであれば、マリーの手を借りた方がマシだ。

 

「"模倣品の芸術なんて私にはわからないけれど、貴方が欲しいと言うなら捕まえましょう"」

 

オリジナルこそ真の芸術だと言ってはばからない彼女は少々不満げだ。

そう言いつつも翼は真っ直ぐ、ボビーの穴蔵を目指している。

彼女の出せる全速力はもっと早いはずだが俺の肉体では重いのだろう、ギルバを視界に捉えながらも追いつきはしない。

 

「"死なない程度に殺してあげます。私基準でね"」

 

あとはどうにかしなさい、とだけ付け加えられ、数秒の空の旅を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シードは悪魔の父親の友人で、死んだ両親の代わりにあんたを育てていて、あんたはトニー・レッドグレイブじゃなくて、本当の名前はダンテ?んであんたは人間と悪魔のハーフ、半魔だっけ?」

「そうそう」

「そんな馬鹿げた話があるかいっ!」

「イタッ!本当なんだって!」

 

トニー・レッドグレイブ改めダンテと話をしていたニールがその白い頭に名一杯のげんこつをかました。

御伽噺でも聞いているような、現実味のない内容を信じられるわけがない。

しかし、ニールは実際に摩訶不思議な体験をし、今命を助けられている。

心の中では冷静に、嘘と言い切れないだろうと思っている。

例えどれほど信憑性がなくても。

 

「はーっ…仮にあんたの話が本当だったとして、ギルバは何で私とシードを狙ったの」

「ギルバも悪魔…だと思う。確証は持てねぇけど、そうでもなきゃシードの頭を吹き飛ばすなんてありえねぇ。人間がアイツを殺せるって話の方が信じられねぇし」

 

つまり、話を鵜呑みにするのなら悪魔同士の小競り合いに巻き込まれたと考えるべきだろう。

喧嘩を売った側がギルバ、いつの間にか買わされていたのがシード、知らず知らずに買っていたにも関わらず守られているダンテ、という構図のは容易に想像できる。

文句垂れながらも保護者をしているらしいあの悪魔は、今頃死闘を繰り広げているだろう。

 

「もういいか。シードのところに行きたいんだが」

「ちょっと待ちな。今あんたに持たせるもんがある」

 

早くシードを助けに行きたいと言わんばかりに荒々しく席を立ったが、ニールの迫力ある声に留まる。

今度は何だと片眉を上げるが、ニールの顔は真剣だ。

先ほど拾い集めた銃の部品をいくつか取り、何やらいじくり回している。

シードと同じぐらい制作に手を抜かないニールにしては珍しく、必要最低限の動きしか行っていない。

 

「組み立てて持って行きな」

「これは?」

「そうさね…"エボニー&アイボリー"とでも呼ぼうか。理論上、あんたの射撃に耐えられる唯一の双子銃さ」

「おいおいマジかよ」

 

目の前に並べられた銃の部品達は一つ一つの完成度が凄まじく高い。

間違いなく手の込んだとんでもない逸品である。

 

「ただし!今は仮調整された状態だ。無茶するとそいつもお釈迦になるかもしれない。決して無理に振り回すんじゃないよ。戻ってきたらまた調整をかけるからね」

 

だから早く行って帰ってこい。

手の中で次々と組み上がっていく新しい相棒を見つけ、ダンテは強く頷いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。