Fate/Prototype Suspected archives (刻乃)
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第二次聖杯戦争、開幕
2/1 《前日》-深夜
なら多分SNでの凛のアーチャー召喚の時系列は美沙夜準拠で、士郎のセイバー召喚の時系列は綾香準拠だろうと、この日付設定になりました。
「ありがと、綾香」
お姉ちゃん、沙条愛香とは、自身を並び比べてしまわずにはいられない。
眩い程に輝くような笑顔と、お姫様のような居立ち振る舞いだったお姉ちゃん。
きっと、わたしのことなんて目に映っていなかっただろう。
お父さん、沙条広樹のわたしを見つめる目は真っ直ぐで、わたしは顔を背けずには話すことも出来なかったから、ここで目を合わせることも出来ないでいる。
あのときの家を模った幻の中に、今も漏れることなく在り続ける二人が目の前に立っているのだ。
「これはお前のためだ。綾香」
もう一人でいるのに。
常に頭の隅で、記憶の通りに在り続ける二人。
それが遺志やわたしへ向けられた思念なんかじゃなくて、内々から生まれる自戒や自責でしかないのを知っている。
九歳のわたしに向けられた言葉を、夢の中のお姉ちゃんとお父さんが安堵の表情で言って聞かせるのはきっと呪詛でもなくて。
ずっと後ろめたさが消えないでいるからって、ただわたしが自分で勝手に言わせているに過ぎないんだ。
......だから、わたしが二人のことを想っているのを捻じ曲げてしまうことにならないように。
残滓すらも失ってしまわないように。
わたしだって変わらずに。
こんな夢の中で、きっと幾夜かに一度思い返すんだ。
——風に煽られたカーテンの隙間から、光が部屋へ差し込んで来ると、わたしは眩しさに目を細めながら身体を起こした。
「......うぅ」
二月一日、一九九九年。
目が覚めて、ようやっと頭が回ってくると、デスクの上にあるカレンダーの文字が分かるようになった。
頭を起こして、眼鏡を掛ける。
はっきりとしない視界のままに、ゆるゆると布団を退かしてベッドを下りた。
胸元の紐を解いて、デスクの横にある姿見の前に向かう。
服の肩口が緩まって、裾からパジャマは床に落ちた。
「————」
ハンガーのワイシャツを手に取って、袖を通してゆく。
「やっぱり、似てない」
制服を着た姿見のわたしは、物語のお姫様のようだったお姉ちゃんと、顔立ちが少しだけ似ているけれど、風のように流れるプラチナブロンドの髪でも、輝くような笑顔が浮かべられるわけでもなかった。
けれど、お父さんの手記通りに、お姉ちゃんと同じ位置へと先日ソレは顕れている。
つまりわたしにとって、カレンダーに書いた今日の日のバツの印は、これから逃れることの出来ない運命が来ることを示している。
八年前。
わたしの姉がマスターの一人として挑み、帰ることのなかった聖杯戦争。
その参加者の資格である令呪の兆しが、わたしの胸に赤く痣として顕れてしまったのだから。
それは一人だけのわたしには、きっと荷が勝ち過ぎているのだけど、——魔術師の家の悲願が叶えられる二度とない機会だという。
......わたしの死刑宣告のリミットは、ついに、ゼロになった。
朝食を食べようと自室を出ると、廊下はすっかり冷気に包まれていた。
吐く息は白くなり、フローリングは冷たくなってしまっている。
廊下を抜けて、洗面所へ。
眼鏡を取り、髪を額より上に留める。
「冷たっ」
顔を濡らして意識を起こし、朝の微睡みを打ち消す。
それから腕をさすりながらリビングに入れば、柱時計は六時十五分を差していた。
「雪が降っていないのが奇跡みたい」
暖房を入れると、ダイニングに入る。
シンクへ向かって、今度は電気ポットのスイッチを入れた。
何事もなく一日は始まる。
今日も街は穏やかで、平和だ。
わたしは冷蔵庫横の取っ手に掛かったエプロンを身につける。
フライパンをガスコンロの中火に晒す。
後ろのトースターで食パンを焼き始めると、野菜と卵を冷蔵庫から取り出す。
刻んだ野菜をお皿に盛りつけ、割った卵をフライパンに落としたところで、チンとトーストが焼ける音がしてふと、私はダイニングの食卓を眺めた。
わたしにとってもう日常になった『何でもない日』。
八年前、お父さんやお姉ちゃんが生きていた頃では考えられなかった平凡な生活。
それは楽しいかどうかと自分に問いかけるなら、少なくとも楽ではある、という答えが出せるモノだ。
フライパンを傾けて、サラダの隣に目玉焼きを移した。
お皿を食卓へ運び、食べ始めた。
それに、昔からわたしは一人だけで食事をすることが少なくなかったから。
たとえ、向かう二つの椅子が空席だとしても、寂しくはない。
食べ終わる頃には、いつもの「肉っけ」の無さについて、変えられないモノかと考えを巡らせるくらいだった。
「ごちそうさま」
朝食を食べ終えると、リビングへ。
切った暖房の前にハンガーに掛かったパーカーを羽織ると、そのまま長い渡り廊下の突き当たりから家を出た。
物干し竿を下げると、その脚を玄関側に寄せたけど、向かうのはその反対側。
毎朝の日課をしに離れへと向かうのだ。
早く起きるのはそのためで、わたしはそこを黒魔術の勉強をして、その実践を行うための場所として使っている。
家の庭だというには大仰で、家を囲む木々とは違った植物達が茂るここは、庭園というには飾り気が無いと思う。
だから、ガーデン。
ガラスで出来た壁や天井から、やわらかな陽の光が射し込んでいて、中の木々や草花はそれを受けて懸命に育っている。
ガラス戸を開けて入ると、 足下へ使役した鴉が静かに寄ってきた。
けれど、わたしには木陰の奥の小屋に用がある。
鴉から目を逸らし、木陰に入っていく。
奥の小屋の簾を屋根の下に留めると、奥の宿り木からいくつか視線が集まるのを感じた。
その側に上から吊るした鳥籠へ手を遣る。
右手で中にいるモノを掴み出す。
そのまま作業台に押さえつけ、空いた左手で包丁に手を掛けて振り抜き、その首を落とそうとする。
でも。
振り下ろす包丁が向かう先——押さえつけた鳩の首はこちらを向いていて、その目にはわたしが映り込む。
「っ、」
これはお父さんがわたしにした言いつけなんだ、目の前のモノは生贄、だから。
刃がその首に通って紅く滲む......なんてことはなく。わたしは手を下ろしてしまう。
首の持ち主はこっちを見たままに、押さえつけられていた羽を擡げ、スッと作業台を下りると、首を傾げていた。
鳩の我関せずといった表情に、思わずため息が出てしまう。
そうして、仕方なく自分の右手の中指へそっと刃を当てると、薬研で細かくした薬剤の原料へと指の先から血を垂らしていき、小分けにして保管していった。
作業台の上に立ち並ぶ様々な計器の中から時計を見つけると、あれからもう一時間近く経ってしまっていた。
「いってきます。......ぅ」
思わず鳩や鴉に話しかけてしまってから、取り囲む鳥達がわたしを見つめていることに、またうんざりした。
自己評価ではあるが、わたしの性格は最悪だ。
根暗で、臆病で、視野が狭くて、見栄っ張り。
そして何より——どうしようもないぐらい、平凡で、平凡だ。
「っていうか。そもそもわたし、魔術とか好きじゃないし」
そう呟くように口に出したら、もっと虚しかった。
朝の慌ただしい人通りを抜けると、学校前にたどり着いた。
この時間には珍しく、まだ人が見当たらなかった。
奥の職員室側からいつもより慌ただしい足音が聞こえてきて、わたしは高校の玄関から逃げるように教室へ歩いた。
教室には既に何人か生徒が先にいたので、小さく会釈をして、それから奥の自分の席に座る。
スクールバッグから問題集を取り出して読んでいると、後ろから話し声が聞こえてきた。
「この前の話なんだけど、中学の頃の友達から聞いたところによると、ウチの三年の先輩が居なくなっちゃったのって......これって、『八年越しの呪い』のせいなんだって」
「え、何。昔ちょっと流行った怪談の?」
「ホント?こわ」
クラスの人達は、都市伝説染みた怪談話で盛り上がっているようだった。
「そう、これよこれ。昔よく言ってたのよね、『午後十一時のデス・メアリー』って——」
しかし、彼女達が話しているところに突然、教室の外から騒がしい声が聞こえてきた。
伊勢三杏路。彼は先日このクラスへやってきた、この季節には珍しい転校生なのだけど、変わった出で立ちをしている。
彼の髪は少し癖のある赤毛で、鼻の高い顔付き。
そして、柔らかい笑顔と、彼の浮世離れした雰囲気が、学校の女の子の誰もが気にかけてしまう親しみやすさを生んでいるのだろうか。
そんな彼が、教室の前で、他のクラスの人達と話しているのが聞こえてきた。
「じゃあ、後で」
件の伊勢三君は、けれど教室に入ってから周囲を見渡すと、まるで探していたかのようにわたしに目を向けて、そっと称えた柔らかい笑顔で、小さく手を振っている。
不意に、そんな仕草をする伊勢三君と目が合ってしまった。
わたしは手も振り返せずに、何となく気まずくなって、窓の外に目をやった。
......曇り空は、朝を気鬱としたものに変えてしまう効力でもあるのだろうか。
メガネの位置を整えながら、手元の問題集に意識を戻した。
そんな曇りの日特有の薄暗い景色は、昼を過ぎても変わることがなかった。
——チャイムが鳴った。
わたしは手元のノートから顔を上げて、板書に不備がないか、もう一度比べ直していく。
七限目を担当している先生がチョークを仕舞ってから教室を出て行くところだった。
クラス担任の教師が、ホームルームをするためにこの教室に来るまでに、しばらく間があるので、伊瀬三君は二列後ろの席からわたしの席の前まで、ひょっこりやって来ていた。
彼がわたしに話しかけたのを皮切りに、教室が騒がしくなり始める。
伊勢三君が話すには、転校してきたばかりでは、この周囲の土地勘が全くないと言ってもいいらしく、先週から休み時間の間に、同級生達に学校周辺に何があるかを聞いて回っていたのだという。
「それで、今日なんだけど」
「......ごめんなさい。今日は用があるので、失礼します」
けれど、彼は純粋に疑問があるといった風情だ。
だからだろうか、首を傾げてわたしに訊くのは、トゲがなくて、優しい語調だった。
「?なんだろう、沙条さんって、部活やってないと思っていたけど」
「いえ、墓参りに。わたしの父と姉の命日、なので」
そう言うと、伊勢三君は思い掛けないといった顔で、言いづらそうにしてから、首を縦に振ってくれた。
「今日以外なら大丈夫」
「じゃあ、明日も誘うから」
彼が流し目でわたしに言った提案に静かに肯くと、変わらずに柔和な表情を浮かべた彼は、小さく手を振りながら自分の机に戻っていった。
隣町に行ける電車の時間を思い返しながら、スクールバッグを肩に掛けて、わたしはそっと教室を出た。
お墓参りには、駅から少しだけ遠いところまで行かないといけない。
人気のない教会を通り過ぎて、裏手のささやかな庭から庭門を潜り抜けていく。
父と姉のお墓は、魔術の隠匿のためなのか、それとも姉の痕跡がなかった上に、残されていた父の死体の無惨な状態を鑑みてなのか、教会の敷地にある外国人墓地に置かれることになった。
だから、目の前のお墓の下には、本当の意味ではここでお姉ちゃんが眠っている訳ではないと思う。
お墓の前で、その隅に変わらず置かれている花瓶から、お花を取り替えた。
それから、集団墓地から中庭の花を整えている様子の神父さんが見えて、わたしと目が合った気がした。
——当時まだ小学生だったわたしの元に、ロンドンの時計塔学舎の魔術師なのだという女性が訪ねて来たのを覚えている。
魔術刻印を受け渡しに来たのだと言った彼女は、その際にわたしを見て、とても申し訳なさそうにしていたのだ。
それは、お父さんの指先から肩にかけてあった魔術刻印が、わたしに移された分になると自分の二の腕の半ば程までしか残されていなかったからだろうか。
それともわたしを憐れんでいたからだろうか。
どちらにせよ、今思えば、極東の魔術家の魔術刻印は貴重な資料となるのだろう、と考えが及ぶのだけど、昔はそんなこと気にもせずに途方に暮れていた。
つまるところ、沙条の家はわたしだけになったことで、「聖杯に手を伸ばした」一家だという結果だけが残ってしまう。
それに気づいたのはずっと後になってから、父の遺品を見つけた頃になる。
一人残されたわたしだけでは、きっと戦いに巻き込まれたら、何も出来ないままに他の魔術師に殺されるだろう。
でもそんなのって普通じゃないと思う。
それに、何もせずにただ殺されるのなんて、多分何も残されもしないから。
きっと、二人なら逃げ隠れなんてせずに戦って死んだのだろうけど、お姉ちゃんに突き立てられた刃は、多分同じようにこれからのわたしにもついて回ってくることだろう。
闘う覚悟がないわたしにはどうしようもないことだけど、そう考えるとその理不尽さに腹が立つ。
いつの間にか、俯いたまま手をギュッと握り締めているわたしが居た。
先程まで小さく聞こえていた足音が、わたしの早まった動悸と重なり、音が近づいて大きくなっているのに気づかなかった。
それは中庭にいた神父とは違う人で、初めて見る顔だった。
「こんにちは、サジョウサン」
長身の痩躯の男の人は、気の良さそうな笑顔を浮かべて話しかけてきたが、その顔立ちは日本人のソレとは異なっていた。
「......どなたですか。外国の方に、知り合いはいません」
神父は、わたしを見下ろしたまま、まるで隣人にでも声を掛けるかのように続けた。
「ワタシにも、日本人の知り合いはおりません。でも、あなたとはこれから、とても仲良くしたい」
「とてもとても。それは念入りに、針で縫い物をするように、丁寧に」
「はぁ」
外国人墓地でずっといたのが話しかけてくる切っ掛けにでもなってしまったんだろうか、と思いかけて、譫言を言うように発された彼の言葉に戦慄した。
「だって——アナタたちは、アレに指を掛けた唯一の魔術師なのデスカラ」
顔から血の気が引いていった。
「え」
手元に赤い花束を抱えたその男は、ゆっくりと側まで歩いてくる。
魔術師、魔術師。それは暗に、彼が自身をわたしにとって最も関わり合いになりたくない存在であると言っているようなモノだ。
「お父さんは気の毒、でした。真理まであと一歩だったというのに。アナタたちは前回の戦いで最後まで勝ち残——」
だから......。
「帰って」
顔が強張っていくのを抑えつけるように神父を睨みつけた。
「何故準備をしていないのデス?今日でちょうど八年。ようやく再開出来るというのに」
あんな戦いに巻き込まれるのは嫌だから。
「他の方々は皆、とっくに
「......余所でやってください。わたしには関係ありません」
「それは悲シイ、」
彼から顔を逸らして、カバンを両手で持ち直すと、ツバを飲み込んだ。
「だって。命のある限り、この世に関係のないモノなどアリマセン」
彼は、手元の真っ赤な花束を片手で振ると、先程までの静かな語調から、まるで感情を読み上げているように言った。
「関係を断ちたいのなら、それはもう死ぬしかナイ」
第一次聖杯戦争の勝者、沙条家の唯一の生き残り、沙条綾香。
神父サンクレイド・ファーンにとって、彼女は聖杯戦争最大の障害となり得る存在である。
その沙条綾香が、戦いを降りると言っているのだ。
「来ないで。わたしは、聖杯になんて関わりたくない」
「今夜ですよ。それまでに、支度を調えておきなさい」
大方、家族の死のせいで戦いに苦手意識でも持っているのだろう、と目星を付けた彼は、綾香の懐に素早く入り込むと、彼は舞台演者のような口調とは打って変わって、綾香の耳元で忠告を囁いた。
「逃げ場はありませんよ」
「!放っておいてくださいっ」
彼女が彼を得体の知れないモノでも見るように怯えた眼差しで後退るのに、しかし彼は笑顔を絶やすことをしなかった。
「誤解しないでください!ワタシはアナタを心配しているのデスヨ」
サンクレイドの様子を伺いながらも、綾香はそっと走り去った。
「零時を過ぎれば、誰もがアナタを訪ねに行く。みんな、アナタが放っておけないのです。事実上、前回の勝者であったサジョウの娘を」
誰もいなくなった外国人墓地の暗がりで、彼女の怯えた表情を思い返しながら、彼は口端を大きく吊り上げ、嘲笑っていた。
「......だって。一番厄介なライバルは、一番最初に、みんなで潰しておくべきデショウ?」
「——今日が終わったなら、ようやく始まるのデスカラ」
「!どうして」
動悸が早まるのは、多分走り続けていることだけが原因じゃないと思う。
駅で停車中の電車に息を潜めて乗り込むと、壁冷房の縁にもたれかかってから深くため息を吐いて。
「ぅ......どうしてわたしに関わってくるのよ」
そう譫言のように言えば、心臓が激しく脈打つのに、息を荒げたまま目元を手で覆って息を落ち着ける。
電車の窓に映るわたしの顔の、その向こう。
さっきまでいた外国人墓地、その側の教会を眺めて、胸に手を当てた。
......あの神父、わたしの家のことを知っていたんだ。
きっとあの神父は、聖杯戦争を取り持つ聖堂教会から派遣された調停役か何かだったんだ。
だからこそ、前回の勝者の家系の娘になんて話しかけてきた。
言葉通りだったなら、少なくとも今日の内は何もないということなんだろうか。
頭の隅でそう考えてしまったことにすら腹が立ってきた。
隣町を遠ざかって、電車からの景色は、住宅街から、高架の上からも疎らに見える、見慣れたビル群へと変化する。
アナウンスが鳴ると、丁度電車に乗り込む人も増え始める。
それを擦り抜けて電車から下りて駅を出ると、自然、歩が早まっていった。
すっかり暗がりに変貌した夜の林の側にある広場を通り過ぎて、そのまま家に飛び込むように入った頃には、息も切れ切れになっていた。
ドアの内側でへたり込んでしまうと、ハッと我に帰った。
視界がチカチカとして、身体を揺らす早まった鼓動に、疲労感を押し込められない。
素早く立ち上がって、戸締まりをした。
玄関にバッグから触媒用の軟膏を浴びせると、そのまま防護呪文を貼りつけ。
「——関係ない!」
......だけど、どうしたってこんなに焦らなければいけない。
「わたしには関係ない」
リビングに駆け込んで同じように防護呪文を掛けると、カウンターに置いた指輪を着けると、側の暖房にかけたブランケットをソファーにかけたら、疲労感のままにそこへうずくまった。
「あんなのの同類になる、もんか......」
思わず口から呪詛を叫んだら、投げやりになって意識を手放した。
......わたしが覚えている二人の最期は。
発狂したまま、何かに
『あなたが何を言っているのか、分からないの』
降り注ぐ雨の中で、お姉ちゃんを貫いた銀色の剣は鈍く光っていた。
『わたし、死ぬのね』
水面のようだった碧い瞳は、光を失い昏くなって。
お姉ちゃんは落ちて、落ちていって。
鈍い音が————眠りからハッと目が覚めたわたしは、胸の蟠りを誤魔化したくて呟いた。
「......わたしには」
お姉ちゃんだって、刺し殺された。
「わたしには、絶対無理!あんなの絶対無理!お姉ちゃんみたいには出来ない!」
『今日が終わったなら、ようやく始まるのデスカラ』
胸を抱いて、目を瞑ったらあの神父の言葉が脳裏を過ぎって、ブランケットを捲った。
......思わず時計を確認してやっと気付いた、既に零時前になってしまっているということに。
その柱時計からボーン、ボーンと打音が鳴り響くのに、背筋が凍りつくかと思った。
「そうだ。やっぱり、今更何が起きる筈もない。『八年後』に起きる、なんてお姉ちゃんの言葉は、何かの間違いだ、次はわたしの番、なんて考え過ぎだったんだ......」
言い聞かせるように呟けば突然、外で『咆哮』が響いた。
首を擡げて窓の外を見れば、家の
「結界は、っ! あの魔力のカタチ......サーヴァント!?」
そうして身体を起こそうとした瞬間。
——気配がした、上からだった。
「何、きゃ」
その大きな音に驚いて、頭からリビングのフローロングに落ちた。
破砕音はガラスの壊れた音で、直後に目の前に現れたのは。
「使い魔!?」
猟犬だった。
大きな体躯、それも夜の闇に紛れ込む黒い体毛——それも、魔術師に使役されている——が牙を剥き出しにして、唸り声を上げてながら、こちらの様子を伺っている。
わたしは周囲を警戒する猟犬から目を逸らせずに、雰囲気の剣呑さに呑まれて動くことが出来なかった。
同じように窓からもう一匹、もう二匹と、猟犬が飛び込んで来たところで、ようやくハッとした。
素早く自身の魔術回路を起こして、手元の指輪に魔力を込めていく。
わたしの様子を見て、猟犬達は、数匹で一斉に迫って来た。
「う、わあぁぁッ!」
出来る、こんなの、『黒魔術《ウィッチクラフト》』の初歩の初歩じゃない——!
飛び掛かって来るのに合わせて、指輪を振るう。
発動したソレは、猟犬が吹き飛ばして、目の前のフローリングをも抉り取っていた。
......黒魔術の魔弾。
それに使う指輪は、その装飾の中に使役した鴉の羽根を封じ込めて作られたモノ。
その証拠に、足元に倒れ伏した犬には、沢山の羽根が突き刺さっているだろうから。
この隙に廊下へ逃げ出した。
「わたしにだって、犬を相手にするくらいならなんとか、するっ」
追って来た猟犬達は、何匹か足元の軟膏で滑り転げている様子だった。
でも、廊下に出ればすぐさま立て直して、再び様子を窺うようにわたしを睨んできた。
仮にも彼らを足止めした、直前の魔弾を警戒するのは当然か。
猟犬から逃れたいと、曲がり角を曲がってから、制そうと焦ってもう一度魔弾を放とうとしたとき。
先程まであれ程獰猛だった猟犬達が息を潜めて、その背後からさっきの影の正体が割って入ってきていた。
長身で、痩せていて。
「あー、アンタがこの家のお嬢さん?」
——そんな目の前の若い男の、バツの悪そうにさりげなく放った言葉に、どうしてこんなに背筋が寒くなったのか。
「誰......ッ!」
男が小脇に抱えていたのは、わたしの身長より大きな槍で、全身に着込んでいるのは、鎧に間違いなかった。
焦るわたしの腕の動きに合わせて、指輪から魔弾が迸って、その先で。
「、良い勘してるじゃねえか」
薄ら笑いを浮かべた男が、襲い掛かる魔弾を手元でなぎ払ったのが見えたと思ったら。
そのまま
明滅する視界の中、とても目を疑わずにはいられなかった。
自分は壁まで吹き飛ばされて、放った魔弾が男には通じていなかったんだから。
「黒魔術とは、古風だな......」
ゆっくりと歩いて寄って来た男が槍を振りかぶって。
「こりゃあちょっと、勿体ないかねぇ」
動かなきゃ、このまま刺し殺される——!
叩きつけられて痛む背中を押して身体を起こすと、魔力を指輪に全部注ぎ込んだ。
わたしの周りに先程とは比較にならない程に夥しい量の羽根が舞って、魔力が伝染するように魔弾と転じていくと、わたしの意思に沿ってそれらは順々に散弾銃を優に凌ぐ密度で『射出』されていく。
「くッ」
これで今撃てる羽根は打ち止め、他に撃退のために打てる手段だって元よりなかったというのに。
サーヴァントなら、きっとこれだって通じないだろうけど。
けど、何なの。
わたしなんか殺すために、使い魔総出で大捕物になって。
羽根の突き刺さる音の合間から、舌打ちの音が聞こえた。
だから、弾け飛ぶ魔弾が視界を覆っているその隙に、男が吹き飛ばした壁に空いたままの穴から、靴下のままで中庭に抜け出した。
丘の外へ逃げたらきっと追いつかれる......逃げるとしたら、ガーデンだ。
お父さんの言うように、非常時なら、あそこは実際に結界として使えるはず。
横目に見えたコンクリートの上がり框の上で転がったスリッパは放ったままで、石段を登ってゆく。
聖杯戦争は大規模な魔術儀式の一過程らしく、そのための鍵となるサーヴァントは、戦いの後に聖杯へくべられるための存在だ。
本来ならば呼び出すことすら困難な英霊を、サーヴァント階梯と呼ばれるモノでクラス分けすることで、七騎もの召喚を可能としているそうだ。
聖杯の力でもって、勝者のマスターとその英霊の願いは叶うのだという。
しかし、そのためには、この聖杯戦争でマスターに選ばれ、サーヴァントを駆使して生き残らなければならない。
きっと、今わたしを襲って来ているのは『槍の英霊《ランサー》』。
サーヴァントは、座に至って英霊となった人物の映し鏡。
だからこそ、魔術師はサーヴァントには殆どの場合で勝つことが出来ず、聖杯戦争では魔術の才以外のモノも求められることになるのだろう。
木の階段を登って林の奥まで来れば、朝とは様変わりしたガーデンにたどり着く。
一番奥にあるガーデンの中は、やはりと言うべきか、底冷えするような寒さになっていた。
ガラス戸に南京錠を掛けると、その上を発動した魔力の通った草花が覆えば、唯一の出入り口が塞がれ、結界が成された。
外の石段も大概冷たかったというのに、中の床は一際凍りついたように冷たくなっていた。
『ここの術式は誰にも破れない。万が一のときはここへ逃げ込め』
と言った父の言葉を信じられない訳じゃないけど、アレは例外だろうかと後悔しかけて、指輪の羽根がもう一枚しか残っていないことに焦りを覚える。
魔力は魔術を扱うエネルギーだけど、変換しなければ、無色透明のままで用途が限られてしまうモノだから。
魔弾を撃つ触媒である鴉の羽根を、魔力を通して使い果たしてしまえば、もう為すすべがなくなってしまう。
しかし、ガーデンの天井近くへ飛び去ろうとする鴉から落ちた羽根を拾い上げ、指輪へ込めたところで、ガラス戸が
「な!?」
ガラス戸の覆いが盛大に吹き飛んで、土煙を上げている。
さっき結びつけた円環が結界を成していたガーデンは、出入り口を吹き飛ばされたのを切っ掛けに結界が破綻してしまった。
違いない、あのシルエットはさっきのサーヴァントだ、ここままじゃ殺される!
土煙を抜けて、さっきの猟犬達が飛び掛かってくるのを、魔弾を放って止める。
けれど、時間差でもう一匹の喉を撃ち抜いたところで、直前まで光っていた指輪から効力が失われてしまった。
「何だ、弾切れか。それともやる気がなくなったか、まぁ。どっちにせよ、こっちのやることは変わらねぇんだがよ」
わたしを殺すことは変わらないと、気負いなさげな調子で呟くのを、見ていることしか出来なかった。
ゆっくりと近づいてくる——こんなところで死ぬのは嫌だ、嫌だ。「嫌だ嫌だ!」
目の前で、男が左手の槍を無造作に振り上げた。
「......その気もないのに不幸だったな」
わたしは逃げようとしたけど、自分の絡まった脚で盛大に姿勢を崩して倒れ込んでしまった。
「そろそろ十分か、ま、時間通りかねぇ」
目の前に槍が突き立てられて、遂にわたしの逃げ場はなくなった。
「助けて、お父さん——!」
わたし、わたしは——あんなのの仲間には、ならない。
引き戻された槍が再び迫るのに竦んで、思わず目を閉じた。
頭が沸騰しそうな中で、お姉ちゃんの最期を思い出して。
あのとき、聖堂の前で動くことが出来ないままに落とされて、圧し潰されていく女の子達が、わたしと同じように、泣きながら殺されるのを待っているしかなかったなんて。
「あんなことを許す大人になんて、なりたくない——!」
けど、槍はわたしの胸に深々と突き刺さる。
......冷たい刃が、命を刈り取っていった。
ランサーの名前が出づらいなぁ......。
セイバーの宝具描写も難しい。
これは誰もやらないの分かる気がしますね(笑)
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2/1 深夜-2/2《一日目》
一話を二分割にすればよかったのかもしれないですね(苦笑)
「楽にしてやるよ......」
胸に深くずぶりと刺さる刃を呆然と見つめて、視界が鮮明さを失ってゆく。
遂には目の前が真っ暗になって、それからまぶたの裏に焼きつく一つの光芒があった。
——風が吹く。
そっと目を開ければ、いつの間にか、わたしは白い光の迸る只中にいた。
さっき散らされてしまった花弁が、煽られてひゅうと宙に舞っていく。
足元のタイルが組み変わり、光が生まれてゆく。
宙で仄かに灯るそれらは、月光も相まって、このガーデンを幻想的に輝かせ。
「ふぅ......!?」
突如、巻き戻っていくように突き立てられた槍は、目の前の男ごと吹き荒れる暴風に押し返され、堪らずガーデンの壁まで吹き飛んでいった。
——眼前を覆い尽くすような魔力の奔流が、黄金の輝きへと置き換わっていくのを目にした。
胸元から生まれた一際強い閃光が、わたしを取り巻くように舞い上がって、しっかりと姿を持った『彼』は、ふわりとわたしの前へ降りてきた。
とても頭の整理がつかないままに、そのそっと開かれた目と目が合う。
「えっ......あ......」
降り立ったのは、翡翠の瞳に、金糸のような髪がそよ風に靡ぐ、御伽噺の登場人物みたいな。
その人間離れした美貌に見惚れてしまいそうになった。
「チッ! やってくれたな、黒魔術師!!」
途端、姿勢を持ち直した男がわたしに叫んで槍を振るおうと向かってきた。
痺れを切らした様子の男へ彼が振り返りざまに腕を振るえば、風が吹いて、わたしの前髪がそよぐ。
男を再び宙へと吹き飛ばした。
この風は彼が起こしたモノだろうと、そして気づいた。
彼が使ったのは、不可視の武器を取り巻く猛風だったのだということに。
首までを覆う鎧は蒼銀の光を纏っていて、直上の夜空の月光を連想させた。
わたしに振り返って優しく微笑む。
男を遮るように立っている、王子様みたいな人。
その目には、確固たる自信を内包しているように見えた。
そして振り返って、そのまま既に男へと肉迫している。
見ると、男の持つ槍は半ばで風に折られ、不可視の刃を受けかねている。
「貴様ッ!」
刃と刃がぶつかり合う甲高い音が響いて、ぎりぎりと鍔迫り合う二人。
「テメェ、何の英霊だ」
「さてね。
ようやく口にした彼の言葉は、彼自身もサーヴァントであることを示していた。
「......いけ好かねえヤローだ」
槍の男、ランサーは、見えない武器を受け流してから、槍の先端で押さえ込んだ。
しかし、目の前のサーヴァントが立て直すのは早かった。
敵の手には槍があるというのに、深く踏み込んだ彼は、腕を振るったのを隠れ蓑としてランサーを蹴り飛ばした。
「だが、ギャップあるじゃねえの......!」
蹴りを入れられたランサーは、大きく仰け反ってから壁に背を打ちつけた。
尻餅を着いたランサーはそれから、その奮わなさに苛立ちを見せ、言った。
「卑怯者め——隠してんのはそりゃ、なんだ」
睨みつける表情にはどこか凄みがあって、背筋が凍りつきそうになる迫力があった。
しかし目の前でそれに応えるようにして、顔の横で武器を両手で構えると、彼は言った。
「......さぁ」
白い息を吐いた王子様然とした容貌の彼にはあまりに似つかわしくない、皮肉げな表情をしていた。
「槍なのかもしれないし、斧なのかもしれない。あるいは剣や弓、ということもあるかもしれない」
サーヴァントは、英霊としての側面から、自我はもちろんとして、人智を超えた道具を持っていて、それはサーヴァントの奥の手、最奥の神秘、『宝具《ノウブル・ファンタズム》』とされる。
そういう意味でも、強力さのみでなく、概念的な強さをも持ち合わせているサーヴァントを七騎も召喚することが出来る聖杯は、願望器として優れているんだろうか。
「ぬかせ、さっき鍔迫り合ったそれは間違いなく剣だ。それにその輝かしい程の正道さは」
しかし、続けようとするランサーを制した彼は言った。
「貴殿のそれは」
「宝具ではないだろう、ランサー」
ランサーは肩を竦める。
そして、その様子に武器を下げたのを見届けてから、こちらに背を向けたのだ。
「今日は分けってことにしないか、こちとら、様子見としては上々だろうからな」
「......」
「後ろからぶすり、というのはさすがになさそうだな。じゃあな、
二騎のサーヴァントが繰り広げる闘いに、呆気に取られていた。
どこか美しささえ内包する、人智を超えた闘い。
わたしにはランサーを撤退させた彼が何故ここに現れたのか、解っていなかったというのに。
ランサーがガーデンから出ていったのを見届けてから、彼はわたしに向き直った。
「
そうして、『召喚』の対価には何が充てがわれたのかに思い至った。
魔力、わたしが保有していた魔力を、召喚に使用したのに、ただそれだけで何故繕えるだろう。
......結果として、わたしは再び意識を失うことになった。
キリがいいのでとりあえず投げました。
時間があるのに話が進まないとやっぱり遅筆を治したくなります......
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2/2《一日目》 1
相変わらず亀のような速度ですが、どこかでスピードアップ出来れば。
夢を見ている。
暗い足元よりも暗い穴があるのが見えて、天井を仰ぎ見る。
仄かに電灯が照らしているのは、聖堂のような、壁画や肖像で埋められた壁。
わたしはここで、いつの間にか伏せっていて、前後不覚に陥りそうな程の暗がりに覆われたままで立ち上がれずにいた。
出口は——見えている。
背後、ここよりも明るい方だ。
このまま跳ね起きて、逃げ出せるのならどんなにいいか。
「あやか」
分かってる。
すぐ側でお父さんがわたしを呼ぶんだ。
「綾香」
目に映るソレは、記憶の中で霞み、落ち窪んだような父の顔だった。
厳粛だった憶えとは違って、とても正気とは思えない程に引き攣った頬と、見開かれた両目。
罵言雑言、糾弾するように叫ぶ。
「——間違いだった」
異常をきたした機械が遂には壊れてしまうように、何かが擦り潰れる音がして、その場は静まった。
こんなのはまるで呪いだ、毎晩わたしを締め付ける呪い。
わたしが変われないのもきっとこの夢のせいだ——目の前が真っ白になる、意識が混濁したように掴めなくなっていく。
......そろそろ、目が覚めるのだろう。
なんて情けない。
魔力切れなんかで倒れてしまうなんて。
——流石に分かる。今ベッドの上に居るということは、気を失う前に出会ったのは彼、セイバーのサーヴァントだから。
倒れてしまったのを気遣って、わざわざここまで運んできてくれたのだということ。
目が覚めた今、彼がこの場に居ないのは何故だか分からないけれど、令呪から感じられる繋がりから未だに健在なのは確認出来た。
サーヴァントとマスターは魔術的なパスで繋がっている。
胸元の令呪から感じられるそれはセイバーのサーヴァントである彼が、今も現界し続けることが出来ている証拠なんだ。
「やっぱり使役しちゃったんだ......」
保有する魔力量も並以下で、家伝の黒魔術ですら満足に扱えていないというのに。
マスターが聖杯戦争で奪い合う聖杯のために他のマスターと殺し合うのだということは、お父さんが残した手記と、八年前のちょっとした経験から分かっているけど、もし本当に魔術師と殺し合うのなら、覚悟なんて出来てない。
勝てる見込みなんて、ホントにない。
そう、こんなことで気を失ってしまうようなマスターが。
わたしが参加したとしても、聖杯なんか取れる訳がない。
サーヴァントを呼び出すことになったのも偶然だろうし、何か逃れられる手が有るのなら......。
そして今日はアラームで起こされた訳じゃないな、と思ったわたしは、身体を捻って小箪笥の上の目覚まし時計を眺めた。
けど短針があり得ない位置にあることを認識して。
「じゅ、十一時、半!? ————ッい」
起きるには遅過ぎる時間で。今日は、火曜日。
わたしはベットから転げ落ちて......背中を打った。
溜め息を吐く。
午前十一時半、三限限目が終わって休み時間位か。
当然学校はあるけど、今から行ったなら、四限の半ばから教室にやってくる奇特な人になってしまう。
はぁ、昼からでいいか、なんて思ってしまっている。
昨日のあのサーヴァントが家まで押し掛けて来たのが効いているんだろうか。
疲労感がぼうっとしたままの頭で思い返してみる。
彼が居なかったら——きっとあのまま死んでいたと思う。
予告されていたというのに、サーヴァントを呼び出していなかったわたしには危機感が足りていなかっただろうけど、あの人間離れした強さには、仕掛けられる罠や、倒されている光景すらも、わたしには思い浮かべることが出来なかった。
部屋を出ると、廊下は朝の冷気は早くになくなって、既に心地よい気温に暖められていた。
窓から日が差し、休日でも家には居ないような時間帯で、ちょっと新鮮。
廊下を突き当たって勝手口から出る。
庭では肌寒い風があるけど、ガーデンに入ってしまえば風も吹かない。
ガーデンでは、昨日の騒ぎで花壇が荒れていた。
砂利や腐葉土が撒いていて、風が吹いた後のようだった。
「これ——」
花壇の側で、タイル敷になっている部分を見る。
魔法陣。そこまで複雑な構造はしていないものの、それは大きく場所を取って描かれていた。
「召喚に使ったモノね、まるでスライドパズルみたいにタイルに仕込んでいたみたい」
ガーデンにある、タイルの敷かれた一角には、まるまる魔法陣となるように紋が刻み込まれていたってことになるらしい。
この魔法陣であんな強力なサーヴァントが呼べるなら、それだけで相当の魔術規模なのに。
この戦争の原因になる程の聖杯が、途方もない規模の事象改変が出来るなら、本当に何が起きるのか分からない。
ここでランサーのサーヴァントを退けた、煌めく蒼銀を纏うセイバー。
あんな戦いがこれからも続いていく筈だ。
「わたしなんかでも、呼べたんだ」
ガーデンの隅の納屋へ来ると、小瓶の側に立てた鏡を見てやっと気づいた。
わたし着替えてない、昨日着ていた制服のまんまだった。
はぁ。だらしないなぁ、わたし。
抜けてることばっかり。
ガーデンで黒魔術のために使う薬品の調合を終えた後。
朝ごはん食べてないな、と気怠さが拭えないまま、勝手口へ。
そこから家へ戻り、リビングへ入ったところで、香ばしい匂いが漂ってきた。
野菜を炒めるジュウジュウという音がする。
不思議に思ってキッチンの方を向けば、その音の正体を見た。
「来たね、マスター。『まじない』は終えたのかい」
召喚されたサーヴァントは、聖杯から現代の知識を一通り与えられている筈で。
このセイバーも、きっとどこかの時代の英雄で、元は現代のことなど知らぬ人物であるはずなのだけど。
「日はもう登っているよ。ホントに、また随分と君は朝に弱いマスターのようだけれど」
セイバーの手にはフライパンと、菜箸。
......けど、どうしたってサーヴァントが朝ご飯なんて作っているの。
「————」
カウンターに置かれた皿はプレートが三つとガラスボウルが一つ、それに、その手元のフライパンから中身が側の鉢へ移されるのが見えて。
「——ちょっとちょっとちょっと!」
「なんだいマスター」
「なに、今作ってるソレ。それにカウンターのコレとコレとコレも。この量、誰か招待でもすると言うの!?」
私を見て肌の白い顔に笑顔をたたえている......セイバーのサーヴァント。
「君は昨日のあの後、あそこで気を失って倒れたんだ。マスターの魔力の枯渇は現界に支障を来たすかもしれない」
「え」
もしや。
急いで冷蔵庫を開くと、中から一日の朝ご飯のために消費される食材とはとても思えない程の量の食材が、消えてなくなっていた。
「ん、な——!?」
これがわたしに向けて調理されているのなら、とても食べきれない量のモノが出来上がってしまう。
なのにセイバーは。
「今作っているのが出揃ったら、食卓で食べようか」
......などと口にした。
微笑むセイバーを手で制したわたしにとっては、キッチンのカウンターの上で並ぶまでに分けて盛りつけられたプレートの数々は、見て呆れ返るようだった。
セイバーはフライパンの食材を用意していた底の広い皿へ盛り付けて、ガスコンロを切り、フライパンと菜箸をシンクへ置いてから、カウンターのお皿をいくつか食卓へ移した。
「明日のご飯......いいえ。とりあえず」
わたしは座ると、セイバーに呼び掛ける。
「座ってください。話をするならそれからです」
頑張れ綾香、明日の君のご飯はないぞ
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2/2 《一日目》 2
編集前はセイバーが綾香を着替えさせる妄想が捗るものでした(事後)
セイバーは以前父の席だった場所へ座った。
「あなたはサーヴァントなんですね」
彼は首肯して、それからわたしを見つめた。
「僕はセイバーとして現界した、君と契約を交わしたサーヴァントで間違いない」
「君は僕のマスターだ。名前を教えてくれるかい」
「——わたしは、沙条綾香と言います」
わたしが名前を告げるのを聞くと、セイバーは静かに頷いた。
「うん。いい名前だ」
お姉ちゃんが参加していた儀式だなんだって身構えていたけど、なんだか拍子抜けだ。
セイバーは、大量のご飯を断ったときに反して、モノ分かりが良いように思えた。
さっきのマイペースな感じは少し苦手だと思ったから、話が通じるのなら楽でいいんだけど。
顕れるのも、わたしを呼ぶのも、何というか、急なのだ。
「綾香と呼んでもいいかい」
「う。......え、ええ」
セイバーはわたしの反応を気にした風でもなく、わたしに尋ねた。
「君は聖杯戦争をどうするんだい?」
これはわたしが聞き手に回ったら保たないパターンだ。
「わたしが他のマスターに勝てるとは、到底思えません」
「そうかな」
セイバーはわたしから目を離さない。
「沙条綾香。僕には君を守る必要があるんだ」
動揺しちゃいけない。
「わたしには関係ありません」
セイバーに頼るには、彼を知らなさ過ぎるというのに。
こんなことを恥ずかしげもなく言えるのは、きっとわたしを意識していないからだろうから。
セイバーは、テーブルの隅のカトラリー入れを手元に寄せると、テーブルマットへ食器を並べていた。
「君がいなくても戦いは続くんだ」
「? わたしは沙条家の娘として、そもそもこの戦いからは逃れられないように思うのですけど」
「君がマスターである限り、他のマスターが君を殺そうとするのは変わらない」
それからセイバーは、それに、と続ける。
「聖杯を良識のないマスターやサーヴァントが勝利者になって手にすればどうなるか。綾香、君にも分かるだろう?」
「あ——」
守って、くれた。
わたしから目を逸らしたりもしなかった。
「セイバーは、どうしたいんですか」
「だから僕は、君を誰にも殺させないようにする」
彼が単に、現界に不可欠なわたしのことを案じているだけじゃない、と思い上がっているのかもしれない。
けど彼は、昨晩わたしが倒れてしまったことを気にしているんだろうか。
心が決まったと言わんばかりの彼の表情に、揺らいでしまう。
「わたしを?」
それでこんなに、大量の料理を用意した?
「さっ、冷める前に少しは食べないと」
わたしは耐え切れず、誤魔化すように並べられたフォークを手に取って、サラダへ手を付けていく。
けれど隣の皿のレタスを口に運んで、ようやくわたしは彼がただの西洋人ではないことを思い出した。
——他人の手作りご飯を食べるのはいつ振りかな、なんて思っていたのがバカらしく思える程、口をついて出た言葉がこうだったので。
「男、料理......」
食材を、そして出席を失い、痛く思い知った。
あくまで、彼は現代の人間ではない、それは分かっているけど。
こんなことで食事に困りそうなのが、何よりも一番バカらしい......。
「タッパーに入れたり、ラップして冷蔵庫に入れれば数日は——」
「......」
こんなことを真っ先に考えてしまうあたり、危機感がないなぁ。
脂っこい、夕食のプレートのような野菜を菜箸で取り、タッパーへ移してゆく。
少なくないタッパーを冷蔵庫の中で積むと、そこ一帯以外ががらんとした中身に、またため息が出た。
「そうだ、綾香。今日は二月の二日、平日ではなかったかな」
器用にも、静かに洗った食器を乾燥機へ掛けているセイバーが言った。
次いでわたしが答えるのには少しトゲがあったけど、これにはランサーが襲ってきたことへの呪詛が込もっている気がしていた。
「学校があります」
「今は十二時過ぎだよ」
セイバーは、いつもはわたしが使っているエプロンを脱ぐと、元あった位置へ掛けた。
キッチン周りを気にしている、興味ありげだ。
「......わたしは学校に行っても大丈夫なんですか」
「きっと行くのが正解だ。ごめんよ、起こしてしまうのには抵抗があったんだ」
セイバーはこう答えた。
「だから、君はいつもの通りに学校へ行っても大丈夫」
「分かりました」
そう返してすぐに自分の部屋へ向かうと、棚の教科書をカバンへ叩き込んで姿見へ寄る。
やっぱり。
そのまま寝てしまったので、少しだけ制服にシワが寄っていた。
Yシャツの上にセーターを着ていれば大丈夫かな。
いや、別のYシャツを出せばいいか。
今から家を出れば、五限には余裕を持って入れると思うから、お弁当も必要ないし、好都合ではあるけど。
さすがに、向こう数日の食材を丸々調理されてしまったのは、ちょっと予想外。
「綾香、行ってらっしゃい」
家を出ようとして、足を止める。
「セイバー、万が一であれば令呪を一画使うかもしれない」
学校に他のサーヴァントやマスターが居るのなら、コトだ。
「ああ、そうすれば、きっとすぐに駆けつけよう」
軒先で挨拶を交わすなんてことも、いつ振りなのか思い出すことが出来なかった。
だけど、セイバーはわたしについてくるものと思っていたから、意外だ。
「お願いします」
それと、言い忘れていた。
「——行ってきます」
前の時計は、二時過ぎを差している。
五限、女の先生が、今度ある英語の定期テストに出るところだ、と黒板を左手で撫でていた。
結局、学校へは昼休みの内に着くことができた。
特有の罪悪感は心臓に悪くて、辿り着く頃には、校舎に入ることすら億劫だった。
......まぁ、コレは地力の足らなかった自分の責任かな。
教室に入るときには、クラスの子達に少しだけ不思議がられた。
わたしに手を振っていたのは勿論伊勢三君、彼だけだった。
授業の振り返りについては、彼へノートを貸してもらえるかを聞いてから考えようかな。
召喚してしまったセイバー、彼がセイバーのクラスである限り、他がどうかは知らないけど、当然強力な宝具を所有しているはず。
一回目の聖杯戦争でも、七人が七人、当然もれなくサーヴァントを召喚した上で協力体制を築いていたはずで......まぁ、成否はともかく。
その中には、わたしみたいに強くないマスターだって居るだろうし。
家にいるあのセイバーを、現状はわたしが令呪を降ろした上で楔と化して現世へ留めているのが現状だってことは、一応理屈の上で理解している。
けどこんなのは益体のない考え事に過ぎない——ああ、色々問い質したい。
もっとセイバーと話し合う時間が必要だ。
こんなことなら、学校に来ないで、一日セイバーに話を訊いておいた方がよかった。
善は急げ、家に帰ろう。
そう思って立ち上がると、すぐに後ろから肩を叩かれた。
「え、えと」
クラスの女の子だった。
教室でわざわざ話し掛けるのは——今日何かあるんだっけ、委員会でもないし。
「沙条さん、E組の一成君が呼んでるよ?」
いっせい、くん?
いっせ、い君。
誰......E組に知り合いがいた覚えはない。
知り合いでもない人が、わざわざわたしを呼びに来る用事なんて分かりきっている筈だけど。
教室の札の下に立つ影が見えている。
側にいる男子、うちのクラスの生徒、と談笑している、彼がそうだろうか。
教室を後ろから出たところで、後ろから声が掛かる。
「沙条さんだな」
記憶にある、どこかで聞いた声だった。
地声が高いのか、声に圧迫感はない。
「はい、なんでしょう」
「いやなに、沙条さんのことだ。わざわざ学校まで来ているし、分かっているのかもしれないが」
わたしよりも頭一つ分高い背格好で、喉から顎を撫でるような仕草を取っている。
彼は生徒集会や文化祭で、学校に通う限りは必ず目にしている人。
わたしでも、彼が生徒会長だと知っている程の有名人だけど。
「沙条家は——」
「唯一の子女すらも東京から逃がすことをしないのだなと」
咄嗟のことで、息が詰まる。
彼がマスターという可能性は考えていなかったし、魔術家系の子なんだってことすら知りもしなかった。
「沙条の家は、東京の魔術家では警戒して然るべき存在で、その継子は当然」
「あの!あなたの方こそ危ないのでは!?」
静かな語調の彼が話すのに、思わず明らかな不自然さを伴う挟み方をしてしまった。
マスターやその家系を滅ぼす理由、それは魔術家の継子であることで、敵に回る可能性がないとは言えないからだ。
「サーヴァントの手に掛かるかも、......なんて」
彼は瞑目して、わたし以外の誰かに向けて呼び掛けているかのように話しだした。
「その配慮も......何、無用な心配だとも。無駄ではない。それに、役割がない訳でもない」
そう言うと、彼の逸らしていた目と視線が合った。
それを契機に、空気が変わった。
「他でもない、沙条綾香。君に提案がある」
(蒼銀の登場人物達が順繰りに失われていくのを味わう喪失感、けれど音声で表現される空気感は得難いモノだと存じています。
——端的に言うとプロトは神。
自分自身とても本編を描ける程の表現力を持ち合わせているとは思っていません。
でもじっくり進んでいけたらいいと思ってます。)
15周年展や蒼銀の完結といったイベントで、更に「旧fate」のベールは剥がれていくことだと思いたいのですが、きのこさんの発言はアテにしていいものか(ry
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